はやし浩司(ひろし)

2006・3
はやし浩司
 HPのトップページ   マガジン・INDEX 

 マガジン・バックナンバー 

2006年 3月号
 はやし浩司

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 31日(No.707)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)


+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親子の断絶

++++++++++++++++++++

高校2年生に娘との会話が、途切れて
2年になる。どうしたらいいかという
相談をもらった。

++++++++++++++++++++

 高校2年生になる娘との会話が途切れて、2年になる。どうしたらいいかという相談を
もらった。I県に住む、父親からのものだった。

 「今が、大切な時期で、もっと会話をふやさねばならないというあせりばかりを感ずる」
「しかし何を言っても、話を聞いてくれないばかりか、いつも一触即発の状態。娘はカッ
となって、ときに手当たり次第、そこらにあるものを、私に投げつける」「どうしたらいい
か」と。

 断絶状態になると、ほとんどの親は、こう言う。「幼児のころは、いい子でした」「あの
ころの子どもは、どこへ行ってしまったのでしょうか」と。

 しかし子どもは、どこへも行ってはいない。あなたのそばにいる。あなたのそばにいて、
あなたの助けを待っている。

 こう書くと、「エッ!」と思われる人も多いかもしれない。しかしあなたの子どもは、あ
なたのそばにいる。子ども自身、自分でも、どうしたらよいかわからないでいる。が、も
うひとりの(自分)が、そのつど顔を出して、あなたに抵抗する。

 ここで誤解してはいけないことは、ほとんどの親は、「子どもが変わった」と言う。しか
し子どもは変わっていない。何も変わっていない。変わったのではなく、別の子どもが、
ちょうど本当の子どもをさえぎる形で、本来の子どもを、抑え込んでしまっていると考え
る。このことは、いわゆる(心のゆがんだ子ども)を観察していると、よくわかる。

 たとえば、ひがみやすい子ども、いじけやすい子ども、ねたみやすい子ども、つっぱり
やすい子どもなど。このタイプの子どもと話していると、もとの子どもの上に、もうひと
り、別の子どもが、のかかっているように感ずることがある。本来の子どもが、すなおに
自分自身を出せなくて、もがき苦しんでいるのを感ずることがある。

 「本当の私は、こうではない」「本当の私を、認めてほしい」と。

 人間の心は、そうは簡単に変わらない。変えようとして、変わるものでもない。変わっ
たように見えるのは、別の心が生まれ、本来の心を抑え込んだり、じゃましたりするから
である。

 反対のこともよくある。たとえばもともと邪悪な心をもっていた人がいたとする。平気
でウソをつく。小ズルイことをする。そういう人が、あるときから、何かのきっかけで、
善人ぽくなることは、よくある。しかしそれで邪悪な心が消えるわけではない。邪悪な心
は、そのまま残る。その人が、一見、善人ぽく見えるようになるのは、その人自身が、も
うひとつ別の心で、自分をコントロールするようになるからにほかならない。

 だからあなたの子どもは、そこにいる。そこにいて、あなたの助けを待っている。

 この相談をしてきた人のケースでも、(転載の許可がもらえなかったので、詳しくは書け
ないが……)、父親としてすべきことがあるとするなら、一に忍耐、二に忍耐、三、四も忍
耐ということになる。

 相手は、あなたの子どもである。あなたがすべきことは、子どもが、幼いこどもだった
ころの本来の子どもを信じ、静かに時の流れに身を任すことである。あせって、何かをす
ればするほど、こういうケースでは逆効果。子どもは、ますますあなたから遠ざかってい
く。静かに、時を待つ。

 この年齢の子どもは、外からは計り知れないほど、複雑な心の葛藤(かっとう)を繰り
返す。将来への不安、心配、恐怖などなど。人間関係も複雑になる。そうした混乱を、と
きには、すべて親にぶつけてくる。中には、「どうして私なんか、産んだのよ」と叫ぶ子ど
もさえいる。

 が、けっして、あせってはいけない。そっと見守る。暖かく見守る。この世界には、『暖
かい無視』という言葉がある。暖かく無視する。

 が、それでも何かを伝えなければならないことがあるとするなら、私は「トイレ通信」
を勧める。

 これはトイレの中に、メモ用紙のようなものを置いて、たがいに連絡を取りあうという
方法である。「元気か? 快便か?」というメモでもよい。

 フロイトの肛門期説を応用した、通信方法である。人には、ちょうど便を外に排出した
いという本来的な願望があるように、心にたまったゴミを、外に吐き出したいという、本
来的な願望がある。それをうまく利用する。わかりやすく言えば、ウンチをしたあととい
うのは、人は、すなおに自分の心を表現できる。スッキリしたという快感が、そのまま、
心をすなおにする。

 返事があってもなくても、かまわない。そのメモに、あなたは、あなたの「愛」を書き
つづる。「元気か」「無理するな」「困ったことはないか」など。

 効果がなくて、ダメもと。しかしこれをつづけていると、かたまった心も、やがてゆる
んでくる。そして子どものほうから、何かを書いてくるようになる。時期には個人差もあ
るだろうが、数か月単位でつづけてみる。ぜひ、一度は、ためしてみてほしい。

 また親子の断絶が始まったら、『アルバムを部屋の中央に置く』(中日新聞掲載済み)と
いう方法もある。それについては、前にも書いたので、その原稿をこのあとに添付してお
く。参考にしてほしい。

 要するに、乳幼児期の、あなたの子どもを信ずること。繰り返すが、あなたの子どもは、
そこにいて、あなたの助けを待っている。

++++++++++++++++++++++

●アルバムをそばに置く

子どもがアルバムに自分の未来を見るとき

●成長する喜びを知る 

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見なが
ら、成長していく喜びを知る。それだけではない。

子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を学ぶ。ある子ども(年中男児)は、
父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お兄ちゃんだ」と言い張った。
子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらにして父親なのだ。一方、自分
の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども(年長男児)も
いた。

ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子どもは、まずいな
い。哺乳ビンを見せて、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、
たいてい「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。記憶が記憶として残り始
めるのは、満四・五歳前後からとみてよい(※)。

このころを境にして、子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それま
では、すべて「昨日」であり、「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次
の日が、あさって」という概念は、年長児にならないとわからない。が、一度それがわ
かるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概念を理解するのに
役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバムには、不思議な
力がある。

●アルバムの不思議な力

 ある子ども(小5男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバム
を見ていた。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを
見ていた。つまりアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいとき
やつらいときを、写真にとって残す人は、まずいない。

アルバムは、楽しい思い出がつまった、まさに宝の本。が、それだけではない。冒頭に
書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見る。さらに父親や
母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るようになる。それ
は子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だが、
私はあのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の写真
を見たときのことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生ぐら
いのときのことだったと思う。

●アルバムをそばに置く

 学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあ
った。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んで
いた。それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最
初は、恩師のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、ア
ルバムを見入っているのを知った。ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッ
と笑っていることもあった。そしてそのあと、つまりアルバムを見終わったあと、息子た
ちが、実にすがすがしい表情をしているのに、私は気がついた。

そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにアルバムを置いてみるとよい。あな
たもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニュー
※ズウィーク誌二〇〇〇年一二月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えら
れていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられてい
る」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達
なため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長
期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかし
メルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけ
ということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行っ
た場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよく
ある。これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起き
る現象と考えるとわかりやすい。
(はやし浩司 アルバムの効用 トイレ通信 親子の断絶 会話のない親子 親子断絶)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●遊離

++++++++++++++++++

心(情意)と、表情が、遊離する。
教える側から見ると、何を考えて
いるかわからない。

そういう子どもは、要注意。一見、
「いい子」に見えるが、いろいろな
問題を引き起こす……・

++++++++++++++++++

 昨日、Nさん(母親)としばらく話しあう。Nさんは、このところ、自分の子どもが不
登校児になるのではないかと悩んでいる。もうすぐ、小学校に、入学して、1年生になる。

私「その心配は、ないですよ」
N「どうしてですか?」
私「私の長年の経験から、それがわかります」
N「でも、今でも、幼稚園へ行きたがらなくて、困っています。朝になると、グズって、
たいへんです」
私「それには、もうひとつ、別の要因が働いているからです」と。

 学校恐怖症になって、不登校児になっていく子どもには、大きな特徴が、ひとつある。
それが、(心と表情の遊離)である。つまり心(情意)と表情が、不一致を起こす。教える
側からすると、何を考えているかわからない子どもといった状態になる。

 いやがっているはずなのに、ニタニタと笑っている。ニンマリとした笑みを浮かべてい
る。全体に、静かで、おとなしい。一見、できがよい子に見える。先生の指示にも、従順
で、問題を起こすこともない。

 が、基本的には、人間関係を、うまく結ぶことが苦手。苦手だから、一歩、退いたとこ
ろで、自分の世界を守ろうとする。心理学でいうところの防衛機制のひとつと考えてよい。

 それに対して、心(情意)と表情の一致している子どもは、外から見ても、わかりやす
い。いやだったら、「イヤ!」と、はっきりと言う。したいことがあれば、「シタイ!」と、
はっきりと言う。自分の意思を明確に表現するから、何を考えているか、それがよくわか
る。

 Nさんの子どもは、そういうタイプの子どもだった。「だから、不登校児にはなりません」
と。

 が、Nさんは、心配そうだった。

私「グズるのは、ストレス発散のひとつの方法と考えてあげてください」
N「では、どうすればいいのですか?」
私「グズるだけ、グズらせながら、暖かく、無視します。ほどよくグズらせれば、そのあ
とは、静かになります」
N「でも、心配です」
私「Nさんの子どものケースは、あくまでも、赤ちゃん返りのこじれたケースと考えてく
ださい。赤ちゃん返りが、そのまま不登校につながるということはありません。赤ちゃん
返りは、時期がくれば、症状的には、外からはわからなくなります」と。

 親子の間に、確固たる信頼関係、これを「基本的信頼関係」と言うが、その信頼関係が
あれば、子どもは、本来、赤ちゃん返りも起こさないし、ここでいう「遊離」も起こさな
い。その信頼関係は、子どもが生後直後の0歳から1、2歳児前後までの間に確立される。

 何をしても許されるという絶対的な安心感。何をしても許すという絶対的な愛情。これ
が基盤となって、その上に、「基本的信頼関係」が築かれる。「絶対的」というのは、「疑い
すらもたない」という意味である。

 が、その信頼関係がゆらぐことがある。たとえば母親が、病気で入院したとか、何らか
の事情で、母親から、強制的に離されたとかなど。もちろん虐待や暴力、育児拒否や冷淡、
無視などがあれば、信頼関係そのものが、築かれなくなる。

 このタイプの子どもは、他人とのかかわりが、たいへん苦手。集団の中に入っただけで、
気疲れを起こしてしまう。神経症による症状、たとえば自家中毒(嘔吐)や、爪かみ、夜
尿、潔癖症(手洗い)などの症状を示すことも多い。そこでこのタイプの子どもは、他人
に対して、(1)攻撃型になったり、(2)同情型になったり、(3)依存型になったり、(4)
服従型になったりする。つまりそういう形で、自分の心を守ろうとする。

 先に書いた「いい子」というのは、いい子ぶることで、外の世界との摩擦や衝突を避け
ようとする。だから、疲れる。本来の自分を、さらけ出して生きることができないからで
ある。

 が、Nさんの子どもは、そうではない。ふだんは、明るく、伸びやかである。言いたい
放題のことを言い、したい放題のことをしている。一時的に、情緒が不安定になるが、そ
の原因となる緊張感は、愛情飢餓、もしくは弟への嫉妬が原因とみてよい。

私「幼児の指導を36年もしてくると、瞬間、幼児を見ただけで、その幼児には、どんな
問題があり、これから先、どんな問題を引き起こすか、手に取るようにわかるものです。
よくものに書くときは、『1時間も教えればわかる』と書きますが、本当は、瞬間です。そ
れでわかります」
N「心配ないでしょうか……?」
私「心配ありません。が、むしろ心配なのは、お母さん自身が、今、そのように心配して
いることです。子どもは、その心配ごとを、そのまま、受け継いでしまいます。つまりで
すね、『うちの子は、不登校児になるのではないかしら?』と心配しているとですね、その
心配を先取りする形で、本当に不登校児になってしまいます。だから、そんなことは考え
ないこと。『うちの子は、だいじょうぶ』という安心感が、子どもの心を安定させます」と。

 こうした現象は、ユングが説いた、「シャドウ論」によっても、説明される。つまり親の
心の陰にできたシャドウは、ときとして、そのまま子どもの心になってしまうことがある。

 だから親は、まず、自分の子どもを信ずること。中には、「信じられない」とこぼす親も
いるかもしれないが、信ずること。「うちの子は、いい子だ」という思いが、子どもを伸ば
す。子どもの表情を明るくする。

私「ですから不登校のことは、もう考えないこと。私がだいじょうぶと言えば、だいじょ
うぶ。お子さんが信じられなければ、私を信じなさい。それならできますね」
N「できます」
私「じゃあ、この問題は、もう解決したのも同然。あとは、私に任せなさい」と。

 Nさんは、そのまま帰っていった。しかしあえて一言。Nさんが、そこまで不安になる
のは、Nさん自身が、実は、Nさんの両親と、ここに書いた、「基本的信頼関係」と築いて
いないからとみてよい。理由はわからない。しかしNさん自身が、ひょっとしたら、不幸
にして、不幸な乳幼児期を経験している。そういうことはじゅうぶん、考えられる。

 この基本的信頼関係がなぜ重要かといえば、乳幼児期にできた親子の信頼関係が基本と
なって、つまりそれを応用する形で、その子どもは、幼稚園や保育園の先生との間に信頼
関係を築くことができる。さらに応用して、今度は、友人との間に、信頼関係を築くこと
ができる。

 さらに夫や妻との間に、信頼関係を築くことができる。もちろん、今度は、生まれてき
た子どもとの間に、信頼関係を築くことができる。だから「基本的」信頼関係という。

 言いかえると、Nさんがもちこんできた悩みというのは、実は、Nさんという母親自身
にあるということになる。その可能性は、きわめて高い。

 Nさんへ、またいつでも相談においでください。お待ちしています。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●老人はどうあるべきか

++++++++++++++++

義理のいとこ(従兄弟)が、隣に住む
老人とのトラブルに、悩んでいる。

その話を、ワイフが、朝食のあと、私
にした。

++++++++++++++++

 老人の世界には、(まだらボケ)と言われる、ボケ方がある。ほどほどに正常なときと、
そうでないときが、交互に、しかしランダムに、現れるという。そういうボケ方である。

 義理のいとこの名前を、N氏としておく。今年、42歳になる。そのN氏の隣に、今年
80歳くらいになる老夫婦が住んでいる。夫のほうは、定年で退職するまで、県の出先機
関に勤めていたという。妻のほうは、ごく最近まで、市内で、ブテイックの店を経営して
いたという。隣に住む老夫婦の夫を、X氏としておく。

 X氏には、娘が1人いたが、今は、兵庫県に住んでいる。結婚して以来、この浜松(静
岡県)へは、ほとんど戻ってこないという。

 そのX氏が、ことあるごとに、N氏に、苦情を訴えてくるという。「お前が、うちの植木
鉢を倒した」「お前が、うちの塀を壊した」と。最近では、「お前が、除草剤をまいたから、
うちの野菜が大きく育たない」「お前の息子が石を投げたから、ガラスが割れた」と。さら
に「うちの玄関に置いておいたサイフがなくなった。お前が持っていったのだろう」とも。

 もちろんN氏には、まったく身に覚えがない。そこであれこれと反論をすると、そのと
きは、結構、まともなことを言うという。会って話している感じでは、ふつうの人に見え
るという。しかしおかしな点がないわけではない。

 たとえばN氏が、そうした苦情に立腹し、X氏の家に行くと、いつもX氏は、ニコニコ
と笑いながら、まるで客でも来たかのように、N氏に応対するという。「こちらが怒ってい
るということが、理解できないようだ」と、N氏は言う。「自分がどういう状況に置かれて
いるか、まるでわかっていないようだ」とも。

 まだらボケの老人が、近所の人に、「うちの息子が、私の金を盗んだ」「うちの嫁は、食
事を食べさせてくれない」などと言うという話は、よく耳にする。しかしその矛先(ほこ
さき)が、つまり被害妄想の矛先が、他人に向くこともあるらしい。が、その矛先を向け
られた他人こそ、えらい、迷惑!

 相手がボケ老人とわかっていれば、それなりに対処もできる。が、このまだらボケとい
う症状は、ときにボケるというだけで、それがわからない。一応、ひとりで生活はできる
し、言うことも、まとも。理屈もしっかりと通っている。

 が、そのN氏にも、がまんできない事件が起きた。

 ある日、自宅の横の草を刈っていると、一か所、黒く燃えた部分があることに気づいた。
50センチ四方の大きさだったという。「まさか?」と思って見ると、明らかに放火したあ
とだった。1メートル先には、N氏の自宅の物置小屋がある。そこへ火がつけば、そのま
ま家全体に、火が燃え移っていたかもしれない。

 N氏は、放火だと思った、その直後に、「あのX氏のしわざ」と確信したという。それ以
前にも、こうした事件が、たてつづけに起きていたからである。

 夜中に牛乳ビンが投げつけられ、屋根瓦が割れた。
 小石が投げつけられ、駐車場のガラスが割られた。
 N氏の息子の自転車のタイヤに、前後、同時に穴をあけられた、などなど。

 が、しかしそのときは、放火だった。いたずらでは、すまされない。そこでN氏は、警
察に電話をした。N氏は、ワイフにこう話したという。

 「放火したというよりは、警察に調べてもらったら、どこかで焚き火をした燃えカスを、
箱か何かに入れてもってきたようですね。黒く炭になった木片の下をほじってみたら、枯
れた草が出てきました。

 が、ここが、老人の浅知恵というか、理由がよくわからないのですが、わざわざ、反対
側に住んでいる隣人の住所と名前の書いた、ハガキが横に並べてあるのです。つまり、放
火を、反対側に住んでいる隣人のしわざに見せかけようとしたのですね。

 ふつうなら、そんなこと、しないでしょう。そこでそのハガキを、その反対側に住む隣
人に見せましたら、そのハガキというのは、ゴミとして、捨てたものだということがわか
りました。

 X氏は、そのゴミとなったハガキを拾ってきて、反対側に住む隣人のせいにしようとし
たのですね」と。

 が、この話には、つづきがある。

 X氏の妻は、ここにも書いたように、ごく最近まで、市内でブテイックの店を経営して
いた。そのせいか、体のほうは弱くなったが、頭のほうは、しっかりとしている。

 で、別の日、たまたまN氏が、そのX氏の妻に道で出会ったとき、X氏の妻を呼びとめ、
こう話したという。

 「このあたりに放火魔がいるという、うわさです。うちもやられました。どうか、お宅
も気をつけてください」と。そして黒く燃えた部分を、その妻に見せた。しかし妻は、ま
さか自分の夫が、そんなことをしたとは思っていない。「こわいことですねえ」「うちも気
をつけます」と言っていたという。

 で、N氏は、こう話をつなげた。「実は警察にも来てもらい、現場を検証してもらいまし
た。でね、燃えカスの中に、竹を燃やしたカスがあったというのですね。細い、笹竹とい
う竹です。きっと犯人は、枯れた笹竹をもってきて、それを燃やしたのでしょうね」と。

 N氏は、X氏の裏庭に、その笹竹が生えていることを知っていた。X氏の妻もそれを知
っていた。しかしX氏の妻は、何も反応を示さなかったという。

 が、ここからが、老人の浅知恵。

 それから数日後のこと。先の燃えカスのあった場所にN氏が行ってみると、あたり一面
に、笹竹をこまかく切った断片が、まいてあったという。だれが何のためにまいたかは、
一目瞭然。X氏は、自分の犯行であることを、ごまかすために、そのあたりに笹竹の断片
をまいた。N氏は、その放火が、X氏によるものだと、さらに確信した。

 しかし証拠がない。あれば、放火未遂で、X氏を訴追できる。……ということだが、相
手は、老人。頭のボケた老人。そんな老人を相手にしても、しかたない。

N氏は、ワイフにこう言ったという。「80歳もすぎて、そういうことをする老人がいる
ということ自体、信じられません。老人といえば、人生の大先輩。大経験者。しかも老
い先は、長くない。老人には、老人らしい、もっと別の生き方があるはず」と。

有吉佐和子は、「恍惚の人」という本の中で、こう書いている。「長い人生を営々と歩ん
で来て、その果てに老もうが待ち受けているとしたら、人間は何のために生きたことに
なるのだろう」と。

 X氏の話は、まさにそれを改めて思い起こさせた。「人間は、何のために生きたことにな
るのか」と。

 そこで重要なことは、ボケないように努力することも重要だが、人は、死ぬまで、日々、
未来に向かって、邁進(まいしん)していかねばならないということ。一日とて、怠って
はいけない。怠ったとたん、その日を境に、その人の人格は、後退し始める。何度も書く
が、それは健康論に似ている。

 究極の健康法というものがないのと同じように、「悟りの境地」などというものは、ない。
「悟った」と、うぬぼれたとたん、その日を境に、その人の人格は、後退し始める。あの
釈迦が、そう言っている。「精進(しょうじん)」という言葉も、そこから生まれた。

 ワイフは、こう言った。「でも、そんなX氏のような人でも、死ねば、仏様ということに
なるのでしょう。おかしいわね」と。

 そう、大乗仏教では、そう教える。「死んだ人は、みな、仏」と。しかし本当に、そう考
えてよいのか。あるいはそういう考え方に甘えて、精進することを忘れてしまってよいの
か。たとえばあなたの周囲にいる老人を、見回してみてほしい。

 中には、すばらしい老人もいる。人生の手本としたいような老人もいる。しかし残念な
ことに、大半の老人たちは、そうではない。「年上である」というだけの権威主義にひたっ
て、威張り散らしている老人さえいる。ひょっとしたら、あなたの親だって、そうかもし
れない。年をとれば、それなりに人格の完成者になるというのは、幻想でしかない。むし
ろ、今の若い人たちより、つまらない人間になっていく老人だって少なくない。

 大切なことは、そういう老人を見ながら、自分の老後のあり方を、学習していくことで
はないか。どうあるべきなのか。また、どうあったらよいのか、と。ただX氏のばあいは、
ボケという、本人自身でも、どうにもならない問題をかかえ、X氏は、今のX氏になった。
いくらがんばっても、脳みそそのものが、うまく機能しなくなったら、おしまい? そう
いう問題もあるが、しかしそれでも、前に向かって精進していく。私は、それが生きるこ
とではないかと思う。

+++++++++++++++++

ついでながら、ちょうど3年前に
書いた原稿を、ここに添付して
おきます。

+++++++++++++++++

【未来と過去】

●回顧と展望

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわるとい
う。ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかしこ
れには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反対
に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんどち
らがよいとか、悪いとかいうのではない。ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、
過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大き
くなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど毎
日、幼児や小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあって
も、過去は、ない。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。
今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。10
年後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているか
なあ」という程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※をい
くら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、
天国の話はしたが、前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏教
典のほとんどは、釈迦滅後四、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミッ
クスされてできた経典である。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主
張したのが、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あれ
ばもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわから
ないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私の
ようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はやし
浩司など、相手にしない。どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。大
きな正義を貫く勇気も、度胸もない。小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があるとし
ても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。それ
しかない。それに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが出るのがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつ
かしむようになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華や
肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、いく
らでもいるが、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、「日々
に前進することこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。わかりやすく言え
ば、仏の境地など、ないということになる。そういう釈迦の教えにコメントをはさむのは
許されないことだが、私もそう思う。人間が生きる意味は、日々を、懸命に、しかも前向
きに生きるところにある。過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。

 一年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

前向きの人生、うしろ向きの人生

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。
偉そうなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからな
い。しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自信は
ないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(70
歳)がいた。その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を
築いた人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は
従業員を五人ほど雇うほどまでになった。が、その義父がなくなってからというもの、バ
ブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父の
あとを追うように、義父がなくなってから2年後に他界している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方を
していた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、私
と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。「母は、異常なまでにケチになりま
した」と。たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買ってあげたような置物まで、「返してほ
しい」と言い出したという。「それも、私がどこにあるか忘れてしまったようなものです。
値段も、2000円とか3000円とかいうような、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎへ
と、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。波
がなければないで、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわい
のは、方向がわからなくなること。同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰り
返しだったら、生きている意味はない。死んだほうがましとまでは言わないが、死んだも
同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチン
コ。読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人
がいる。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りがう
まくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗記
しても、それがどうだというのか。そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はある
会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だった。
乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生きし
た顔色を見て驚いた。「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑い
ながら、こう言った。「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だ
ったという。そういうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。しか
しそういう航海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマが
あるからだ。そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の大
波小波は、できれば少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそれ
以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝かせ
る。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがう
しろ向きになる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あく
までも信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、
人がいなければ、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのよ
うな矛盾をどうやって説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でも
ある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっと
したら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。その
あと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化し
て、昆虫人間になるということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、
その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅を
もたらしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜に
は神はいなかったのかということになる。数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、
人類の歴史の数10万年など、マバタキのようなものだ。お金でたとえていうなら、数億
円あれば、近代的なビルが建つ。しかし数10万円では、パソコン1台しか買えない。数
億年と数10万年の違いは大きい。モーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にし
ても、たかだか5000年〜6000年ほど前のこと。たったの6000年である。それ
以前の数10万年の間、私たちがいう神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定してい
るのではない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、
はるかに多い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかも
しれない。そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味もふく
めて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だからと
いって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇跡
を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待し
てするものではない。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッ
タニパーダ「ダンマパダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えて
いるのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きる
かどうかを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばる
からこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎日、
毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。同じ
ようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。たとえば受験が押し迫ってくると、「何
とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもがいる。そういうとき私の立場で言えば、
泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先生」と毎日、毎晩、私に向かって祈られた
ら、(そういう人はいないが……)、さらに困る。もしそういう人がいれば、多分、私はこ
う言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら不合格で、その時点からさらに前向き
に生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がい
る。「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。
そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。が、何
も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその
女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性
の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。

この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。
言ってはならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、
ハシゴをはずすようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意して
あげねばならない。何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、
人として、してはいけないことと言ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。
どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、うし
ろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになっ
たら、人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか私
はそういう人生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもない。
保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるよ
うになるかもしれない。私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にた
とえて言うなら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふん
ばっている。歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、
おしまい。あっという間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。しかしふんばるからこ
そ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。もっと言えば、前向き
に生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。……つまり、そう
いう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、
よく気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこ
れ観察する。先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生
きがいや、生きる目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろ
う」「今、どんなことを考えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬間、
その人の中身というか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実
の問題から逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせれ
ばそれでよいと考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人
もいる。クシャクシャになったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老
人もいる。人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚
かになる。愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえっ
て進歩の芽をつんでしまうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、いつ
の間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは実
に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということに
なる。何も考えなければ、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じで、
日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダは、
それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心と精
神はブヨブヨに太り始める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。つま
りいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。

 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場
だ」と。
(030613)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●どうなる、イラン問題!

++++++++++++++++++

今朝の新聞を読んでみたが、
イラン問題についての記事は、ゼロ!

こんなことでいいのか、新聞社!

++++++++++++++++++

 今日、2月23日。イランの核開発問題について、イランとロシアの協議が開かれる。
イランの核開発問題についての、これが最終的な協議となる。「ロシアのプーチン大統領は、
楽観視していると述べている」と、インターネットの配信ニュースなどでは報道されてい
る。が、本当にそうか?

 もしこの協議が決裂するようなことになると、イランの核開発問題は、国連の安保理に
再度付託されたあと、イランに対する経済制裁が発動される。アメリカを含めて、欧米に
は、それほど影響はないかもしれないが、この日本には、死活問題ともいえるほど、大き
な影響を与える。まず、つぎの数字を見てほしい。

 日本の原油、中東依存度は、2002年……85・3%
              2003年……88・5%

 さらにそのうちわけは、

     アラブ首長国連邦 ……22・9%
     サウジ      ……22・4%
     イラン      ……13・8%
     カタール     …… 9・2%
     クウェート    …… 6・9%
   (以上、経済産業省、02年「エネルギー生産・需給統計年表」)

 つまりこの日本は、90%近い原油を、イランを含む、中東から輸入している。とくに
イランでは、アザデカン油田開発に、日本は深くかかわっている。もし経済制裁というこ
とになると、その油田開発に参加できなくなるだけではなく、開発利権すら失うことにな
りかねない。イランは、「日本がだめなら、中国に売る」と、かねてから発言している。

 が、それですめば、まだよいほう。イランが何らかの武力行使に出るようなことになる
と、中東は、一気に、緊張状態に包まれる。イラン・イスラエルの戦争も、危惧される。
アラブ各国における、テロ活動も、活発化するだろう。

 そうなると、日本は、戦後最大の、オイル危機を迎えることになる。その受ける影響は、
70年代はじめのオイルショックの比ではない。当時とは経済規模そのものが、ちがう。

 が、この静けさは、何か? 不気味とも言えるほどの、この静けさは、何か? 私が新
聞社の編集長なら、特派員を張りつけてでも、イラン・ロシアの協議を取材する。報道す
る。が、今朝の新聞を見ても、それについては、一行も触れられていない。

 サッカーのW杯関連、民主党と自民党のドロ試合、それにオリンピック関連のニュース
だけ。はっきり言えば、つまりその重要度から言えば、どうでもよいニュースばかり。い
ったい、日本の新聞社は、どうしてしまったのか? 平和ボケもここまでくると、脳死状
態に近い。あるいは日本人というのは、そういう状況にならないと、考えないのか。動か
ないのか。あとになってギャーギャーと騒ぐくらいなら、なぜ、今、騒がないのか?

 一番よいのは、イランが、核開発を放棄することだが、それはもうありえない。つぎに
ロシアが、イランを抑えこんでくれることだが、アメリカにとっては、痛し、かゆしとい
うところか。イランがロシアの支配下に落ちるくらいなら、イランの核開発関連施設に、
武力攻撃を加えたほうがよい……と、アメリカは考えているにちがいない。

 そのイランは、イスラエルへの攻撃をもくろんでいるし、アメリカは、すでにイスラエ
ルの反撃を容認するという姿勢を打ち出している。イランは、アラブ全体を巻き込んで、
日本を含め、欧米諸国を、アラブ世界から追い出そうとしている。

 もしそうなれば、W杯どころではなくなる。民主党と自民党が、今ごろ、ドロ試合をし
ていて、何になる。オリンピックのメダルのことを心配するヒマがあったら、明日の原油
のことを心配したほうがよい。

 もしイランとロシアの協議が、今日、決裂するようなことになれば、やることはひとつ。
みなより先に、買いだめしておくべきものは、しっかりと買いだめしておく。みなが動き
出してからでは、遅い。ひょっとしたら、明日から、忙しくなりそうだ。
(この原稿は、2月23日朝、書いたものです。マガジンに掲載するころには、国際情勢
は大きく変化しているかもしれません。)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 29日(No.706)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page015.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもは環境で包む

 私はときどき、たとえば小学五、六年生の子どもを、中学生のクラスに座らせて勉強さ
せることがある。何かを教えるのではなく、「好きな勉強をしなさい。本読みでも、宿題で
もいい」と言って、子どもの自由に任せる。(クラスといっても、私のばあいは、一クラス、
五〜六名の小さなクラスだが……。)

この方法は、下の子どもが上の子どもの勉強グセを受け継ぐには、たいへん効果的であ
る。週一回程度でも、数か月もすると、下の子どもは上の子どもを見習って、黙々と勉
強するようになる。実際、私はこの方法で、ツッパリ始めた子どもをなおしたこともあ
るし、騒々しくて落ち着かない子どもをなおしたことがある。

 それはそれとして、子どもを指導したいと考えたら、環境で包む。……包むことを考え
る。釣り好きの親の子どもは、釣りが好きになる。読書好きの親の子どもは、読書が好き
になる。社交的な親の子どもは社交的になる。しかし押しつけはいけない。親が本を読ま
ないのに、「うちの子はどうして本を読まないでしょう」は、ない。子どもというのはそう
いうもので、親の考え方や感じ方をそのまま受け継いでしまう。たとえば今あなたが、「男
なんてつまらないもの」とか、「うちの夫はだらしない」などと思っていると、あなたの娘
もそう思うようになる。これは一つのテストだが、こんなことをしてみると、親子の密着
度を知ることができる。

 紙と鉛筆を用意し、まずあなたが山、川、木を二本、家、雲、太陽を描いてみる。そし
てその絵をどこかへ隠し、つぎに子どもに、同じように山、川、木を二本、家、雲、太陽
を描かせてみる。子どもの絵ができあがったら、あなたの絵と見比べてみる。親子の密着
度が高い親子ほど、実によく似た絵をかく。年長児で三〇組に一組は、ほとんど同じ絵を
描く。

 子どもに何かをさせようと思ったら、まず自分でしてみる。環境で包む。そういう姿が、
子どもを前向きに伸ばす。ただし一言。あなたが努力しても、子どもがそれに乗ってこな
ければ、それはそれでおしまい。あのレオナルド・ダ・ビンチもこう言っている。

『食欲がない時に食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶
をそこない、また記憶されない』と。

何ごとも無理強いは禁物。子どもというのは、親の期待を一枚ずつ剥ぎ取りながら成長
するもの。そういう前提で、子育てを考えること。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●園児2人が、殺害された!

++++++++++++++++++

どこかの県の、どこかの町。
そこで園児2人が、1人の
女性に殺害された。

殺害したのは、中国人妻。
「日本の生活になじめなか
った」(報道)というのが、
事件を引き起こす、遠因に
なったらしい。

++++++++++++++++++

 またまた悲惨な事件が起きた。2人の園児が、理由もなく、車の中で殺害されるという
事件である。

 殺害したのは、中国から来た、中国人の妻。報道によれば、「結婚紹介所」を通して、日
本人の男性と結婚。そして日本へやってきたという。今回の事件の背景には、日本の生活
になじめなかった、1人の女性の苦悩と悲しみが、見え隠れする。もちろんだからといって、
その女性の起こした行為が、許されるわけではない。悲惨な、あまりにも、悲惨な事件で
ある。

 ……と書いたところで、筆がとまってしまった。「だから……」という部分に、つなげる
ことができない。というのも、現在、同じような結婚紹介所を通して、同じように結婚し
ている人が、この日本には、何万組もいるはず(筆者推定)。

 そういう女性たちが、みな、同じような状況にあるわけではない。いろいろとそれなり
に苦労はあるのだろうが、ほとんどのカップルは、幸福に暮らしている。私も、何組かの、
そういう夫婦を知っている。

 そこでヤフーの検索エンジンを使って、「結婚紹介所 国際結婚」を検索してみた。が、
驚いた。そういう紹介所を経営している会社が、ズラリと並んで出てきた。「格安、37万
円!」という見出しのHPもあった。しかしそのほとんどが、中国人の妻を紹介するもの
だった。

 もちろん大半のカップルは、どういう出会いであれ、そののち、幸福な家庭を築いてい
る。ここにも書いたように、私の知りあいの中にも、そういうカップルは、何組かいる。
しかしみながみな、うまくいくとは限らない。生活習慣のちがい、食生活のちがい、行動
様式のちがいなどなど。が、何といっても、言葉の壁は、大きい。

 日本語というのは、もともと、微妙な表現を得意とする。たとえば、「私はあなたを愛し
ている」と言うときも、「愛しているわ」「愛しているね」「愛しているよ」と、文尾をほん
の少し変えるだけで、感じが異なってくる。

 だからといって、中国語には、それができないというのではない。言い方を微妙に変え
ることで、同じように微妙なちがいを表現できる。その点、英語と中国語は似ている。し
かし中国語では、「我愛ニィ」だけ。英語では、「I love you.」だけ。

 こうした言葉のちがいは、中国から来た人たちと話していると、よく感ずる。話し方そ
のものが、ぶっきらぼうというか、ズケズケというか、そんな印象をもつ。たとえば何か
苦情を訴えてくるときも、いきなり、「先生、あんたね、悪いあるよ!」と、切り出してく
る。

 そういうとき日本人なら、「あのう、少し、申しあげにくい話があるんですが……。実は、
ですね……」という前置きをする。中国から来た人には、そういうものの言い方をする習
慣そのものが、ない。

 これは私の勝手な憶測によるものだが、つまり私が知っている何人かの中国から来た人
たちを見ながら、勝手に類推するものだが、それが「言葉の壁」になったのではないかと
思う。報道によれば、「会話には不自由はなかったが、微妙な表現は苦手だったようだ」と
ある。

 そこで改めて、国際結婚を考えてみる。

 まず考えなければならないのは、「同じアジア人だから……」という先入観。つまり「同
じアジア人だから、日本人も中国人も、それほどちがわないのでは……」という先入観。
が、これはたいへんな、まちがい! どこがどうちがうかという話になると、ここには書
ききれない。しかしそんな先入観をもって、結婚すると、まず、うまくいかない。

 とくに中国人の女性のばあい、男女同権意識が、日本人のそれとは比較にならないほど、
強い。毛沢東による文化大革命の影響と説明する人もいるが、「大和なでしこ」のような女
性を想像して結婚すると、まず、うまくいかない。概して言えば、中国の女性たちは、同
じ収入でも、「私の収入は、私のもの。夫の収入とは、別のもの」という考え方をする。だ
からお金にまつわる騒動が絶えない……とは、よく聞く話である。

 が、何といっても、最大の問題は、「夢と期待」の問題であると説明する人もいる。

 相手、つまり中国の女性の立場で考えてみよう。中国の女性たちは、豊かな国、日本の、
その日本人にあこがれて結婚する。そういう部分が、ないとは言えない。たとえば「この
男性の給料は、月給20万円」と紹介されただけで、彼女たちは、夢のような生活を想像
する(?)。20万円というのは、中国の農村部の基準で考えれば、1年分以上の収入に相
当する。

 で、日本へ夢と期待をふくらませて、やってくる。が、現実は、甘くない。もちろん言
葉の問題もあるが、月収20万円といっても、この日本で生活してみると、中国での生活
と、それほどちがわない。物価そのものが、高い。そこでいきなり、幻滅、ということに
なる。そういうケースも多いと聞く。
 
 そこで大切なものといえば、何といっても、愛情である。とくに日本人男性が、どのよ
うな深い愛情をもって、中国からやってきた妻に接するか、である。その愛情があれば、
言葉の問題など、何でもない。生活習慣のちがい、食生活のちがい、行動様式のちがいな
ど、何でもない。

 が、もし……。今回の事件の背景に、それがあったというのではない。それだけは誤解
しないでほしいが、もし、日本人の男性の側に、安易な結婚観があったとしたら、それは
事件を起こした中国人の妻だけの責任とは、言えないのではないかということになる。

 ここでは、何が安易で、どう安易だったかということについては、書けない。書けない
が、日本人の男性なら、容易に察しがつくことと思う。そういう「安易な結婚観」である。

 実のところ、国際結婚のむずかしさは、私も痛感している。国際結婚をするにしても、
とくに日本人側の男性について言えば、それだけの国際性がなければならない。いつも日
本と外国との間を行き来するとか、そういうことを通して、それなりの理解がなければな
らない。それがないまま、ここでいう「安易な結婚観」をもって結婚すれば、まず、うま
くいかない。

 ……とまあ、何かしら、奥歯にものがはさまったような書き方しかできないが、今回の
事件とは関係なく、国際結婚について考えてみた。

 で、本題に話をもどす。

 2人の園児が殺害された。本当に悲惨な事件である。が、どうしても、「だから……」と
いう部分が書けない。しかしあえて「だから……」と書くべき部分があるとするなら、今
の私には、こうとしか書けない。

 私も、毎日、その幼児を教える立場にある。そしてこの2か月の間、ずっと、子どもた
ちが親たちの車に乗るのを見届けてから別れるようにしている。幼児を殺害するという事
件が、つづいたからである。が、これからは、さらにそれを徹底させるしかない。こうし
た事件は、いつ何どき、どこで起こるかわからない。決して、油断はできない。

 みなさんも、くれぐれも、ご注意を!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●過去と未来

++++++++++++++++

青春時代の私が、
自分の子ども?

……ふと、今、
そんなことを
考えた。

++++++++++++++++

 先日、大学の同窓会があった。そこで1人の男性に出会った。静かな男性だった。学生
時代も、ほとんど、言葉を交わしたことがない。大学を卒業したあとも、そのまま。会っ
たこともない。が、記憶にないわけではない。その男性は、学生時代も、静かな男性だっ
た。

 名前を、NU君としておく。学生時代から、近寄りがたいような気品をただよわせてい
た。36年後の今、さらにそれにみがきがかかって、紳士以上の紳士になっていた。その
NU君を、今、頭の中で思い浮かべてみると、不思議な錯覚にとらわれる。つまり記憶と
いうのは、ずいぶんといいかげんなものだ。

 現在のNU君を、「父親」とするなら、学生時代のNU君は、その「息子」といった感じ
がする。

 ただ現在のNU君は、髪の毛もかなり薄くなり、がっしりと太っている。肌の色も、日
焼けして黒くなっている。もし別の場所で出会ったら、私は、その男性が、大学の同窓生
とはわからないないだろう。よく見れば……つまりあのNU君だと思ってよく見れば、N
U君だとわかる。目の周辺だけは、だれでもそうかもしれないが、昔のままのNU君であ
る。

 その2人のNU君が、頭の中で、今、混在している。36年前のNU君と、数か月前の
NU君が、である。で、そういう2人のNU君を思い浮かべながら、改めて、親子とは何
か、時の流れとは何かと、考える。

 繰りかえすが、現在のNU君を、「父親」とするなら、学生時代のNU君は、その「息子」
といった感じがする。2人のNU君がいて、1人は父親であり、もう1人は、その息子と
いうことになる。

 しかしこの感覚は錯覚というだけでは、片づけられないのではないか。つまり人は、あ
る年月の幅を越えると、自分自身が、自分の青春時代の父親になるということ。その年月
というのは、昔から言われているように、30年ということになる。もともと「世」とい
う漢字は、「十」が三つ集まってできた漢字と言われている。「十十十」で、「世」というわ
けである。

 「世代」という言葉も、そこから生まれた。人は、30年で、ちょうど1世代、世代が
代わる。子どもは親になり、その親は、ちょうどその子どもと同じ年齢の子どもをもつ。

 で、そのNU君のことを思い浮かべながら、「では、私はどうか?」と考える。今の「私」
を「父親」とするなら、学生時代の「私」は、今の「私」の息子ということになるのか、
と。

 ただ私自身のこととなると、そこには連続性がある。だから、どこからどこまでが、父
親で、どこからどこまでが息子かということは、よくわからない。しかしそういう視点で
見ると、学生時代の私が、今の私の息子に見えなくもない。不完全でだらしなく、いいか
げんで、つまらない。そんな息子である。

 たいへん飛躍した考え方で、「?」と思う人もいるかもしれないが、そんなわけで、私は
「親とは何か?」「息子(娘)とは何か?」と考えていくと、自分でもわけがわからなくな
ってしまう。もっと言えば、「親」とか、「子」とかいう言葉を使って、時間的な感覚だけ
をもって、人間関係を区切るほうがおかしいのではないか、と。

 私たちはものごとを、あまりにも、時間的な、つまりは3次元的な世界で考えすぎるの
かもしれない。よい例が、過去と未来である。過去など、どこにもない。未来も、どこに
もない。あるのは、「今」という現実だけなのに、私たちは、観念の世界だけで、過去や未
来を、どんどんとつくりあげてしまう。そしてそれを、あたかも現実の世界のようにとら
えてしまう。

 少し前、「♪明日があるさ」というような歌がはやった。「過去があるから、現在がある」
と説く人も少なくない。

 が、この(時間的な壁)を取り払ってしまうと、今、そこにあるのが、(現実)であり、
その(現実)こそが、(すべて)ということになる。私という人間についていうなら、私は、
どこまでいっても、今の私なのである。

 私の中には、(かつての私)がいるように感ずるかもしれないが、それは脳ミソの中で信
号化された、記憶という作用によるものにすぎない。

 話が混線してきたので、先のNU君の話にもどる。

 一度、脳ミソの中に記憶として、情報が蓄積されると、時間的な判断は、できなくなる。
たとえば10年前に見た夢も、昨夜見た夢も、記憶の中では、等距離にある。ときどき、「ど
ちらの夢が古い夢なのだろう?」と考えることはあるが、そう考えたところで、それはわ
からない。

 同じように、今、NU君のことを思い浮かべると、たしかに2人のNU君がいるのがわ
かる。1人は学生時代のNU君。もう1人は、同窓会で会った、あの紳士のNU君。その
2人が、記憶の中では、別人、つまり、子と親の関係に思えてくる。

 これは不思議な感覚である。今まで、私が感じたことがない感覚である。少しおおげさ
な言い方に聞こえるかもしれないが、その(不思議さ)の中に、ひょっとしたら、この時
空を越えたというか、(生きる)ことにまつわる謎を解く鍵(かぎ)が隠されているかもし
れない。そんな気がする。

 ……今、NU君のことを思い浮かべながら、私は、そんなことを考えた。
(06―02−21)

【補記】

 過去から今、そして未来へという、時間的な連続性が、理解できるようになるのは、幼
児のばあい、4〜5歳前後からと考えてよい。それまでは、過去は、すべて「昨日」。未来
は、すべて「明日」である。

 この年齢のころから、「明日」「昨日」が理解できるようになり、それが発展して、「あさ
って」「おととい」がわかるようになる。さらに5歳児になると、カレンダーが理解できる
ようになる。曜日もわかり、月もわかるようになる。さらに年もわかるようになる。

 では、そうした概念は、自然に発生するものかというと、それはちがう。多分に教育的
なものと考えてよい。たとえば幼稚園では、年中行事を追いかけることが、保育の柱にな
っている。つまり教育者自らが、無意識のうちに、子どもたちに、「過去」「未来」の概念
を、植えつけている。

 その結果が、私たちおとなである。「未来はある」「過去はある」と説きながら、そこに
何も疑問を覚えない。しかし未来にせよ、過去にせよ、それらはどこにもない。「ある」と
思いこんでいるだけである。

 ウソだと思うなら、あなたの目の前の世界を、自分の目で、静かにながめてみることだ。
そこにあるのは、「現実」という世界だけである。汚れた壁、古びた写真、静かに回りつづ
ける時計、電気、床の上にころがっている電話機などなど。

 この無数の現実が、「時間」というエネルギーによって、連続性をもって変化しているに
すぎない。それはたとえて言うなら、動いている車から、外の世界をながめているような
ものである。

 車に乗っている人は、あたかも外の世界が動いているように思うかもしれない。しかし
実際に動いているのは、車のほうである。そしてその車を動かしているのが、ガソリンと
いうエネルギーなのである。同じように、この現実を動かしているのは、時間というエネ
ルギーなのである。決して、荒唐無稽(こうとうむけい)なことを言っているのではない。
「時間はエネルギーである」というのは、宇宙物理学の世界では、常識である。

 が、その感覚を理解するのは、むずかしい。江戸時代の日本人に、「地球は丸い」「ここ
から、東へ東へと、どんどんと先へ進んでいくと、またここに戻ってくる」と話したとこ
ろで、当時の人たちには、理解できなかったであろう。

 私たちは、あまりにも常識的な常識に、とらわれてしまっている。

 で、私はときどき、幼児たちを教えながら、こう考える。カレンダーを使って、曜日を
教えたり、時計を使って、時刻を教えたりすることが、本当に正しいことなのか、と。こ
うした知識は、現代社会を生きていくには、不可欠なものかもしれないが、同時に、脳の
中に、別の概念をつくりあげてしまう。

 過去、未来という概念である。

 その結果、親はもちろんのこと、子どもまでもが、「未来のために、今を犠牲にする」と
いうことに、あまりにも無頓着になってしまう。その一例が、受験勉強である。「幼稚園教
育は、小学入試のため。小学校教育は、中学入試のため。中学校教育は、高校入試のため
……」と。

 この感覚は、子どもが社会へ入ってからもつづく。そしていつか、気がついたときには、
もう先は、ない。そのとき、その人は、こう考える。「何のための人生だったのか」と。

 そして「過去」という概念は、その反射的効果として生まれる。未来のために、今を犠
牲にして生きてきた人は、その副産物として、自分の中に、過去をつくりあげていく。以
前、こんなことを言った母親がいた。

 自分の息子が、高校入試に失敗したときのことだ。

 「先生、みんな、ムダでした。小さいときから、体操教室や算数教室、それに音楽教室
にも通わせましたが、みんなムダでした」と。

 その子どもが、今、そのとき、健康であり、数学が得意であり、ピアノを楽譜を見ただ
けでひけるようになっていたにも、かかわらず、だ。

 さらにこのことは、50代、60代になると、よくわかる。端的に言えば、未来のため
にいつも、今を犠牲にして生きてきた人ほど、過去にこだわりやすい。過去の栄華や、業
績にこだわりやすい。肩書きや身分や地位にこだわりやすい。

 そういう意味では、未来に対する概念と、過去に対する概念は、紙の表と裏のようにつ
ながっている。

 しかし、未来など、どこにもない。過去など、どこにもない。そう考えると、(それが理
解できるようになると)、ものの考え方が一変する。ついでに人生観も一変する。

 重要なことは、「今」というこの「時」を、懸命に生きることである。その結果として、
つぎの「今」は必ずやってくる。そして振りかえったとき、そこに記憶として、すばらし
い思い出が残る。

++++++++++++++++

6年前に書いた原稿(中日新聞
掲載済み)を、ここに掲載して
おきます。

++++++++++++++++

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもな
っている格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れて
しまって、結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生
き方をしてはいけません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人が
いる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大
学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。こうした子育て観、つまり常
に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう愚かな生き方その
ものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分のものにする
ことができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、
結局は自分の人生を無駄にしてしまう。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わってい
た……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、
偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、
一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。この「今を生きる」という生き方
が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位置にある。

これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しかし今、あ
なたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、
過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら
精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。

子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そ
ういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、
大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」
ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといって
も、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。たと
えば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。
それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真
っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親た
ちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では
「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいい
のよ」と。ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て
観の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の
意味がわからないのではないか……と、私は心配する。

++++++++++++++++

ほかにもいくつか、原稿を書きました。
内容がダブりますが、どうかお許しく
ださい。

++++++++++++++++

●休息を求めて疲れる

 「休息を求めて疲れる」。イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている
格言でもある。「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局
は何もできなくなる」という意味である。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わって
いた」と。

 ところでこんな人がいる。もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八
十八か所を巡礼をしてみたい、と。そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。「ならば、な
ぜ今、しないのか?」と。

 私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなか
った。名誉や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味
があるというのか。私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。これが原点だ。だから
○○部長の名前で稼いだ一〇〇万円も、幼稚園の講師で稼いだ一〇〇万円も、一〇〇万円
は一〇〇万円。問題は、そのお金でどう生きるか、だ。サラリーマンの人には悪いが、
どうしてそうまで会社という組織に、義理立てをしなければならないのか。

 未来のためにいつも「今」を犠牲にする。そういう生き方をしていると、いつまでたっ
ても自分の時間をつかめない。たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。幼稚園は小
学校の入学のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学は就職のた
め……と。社会へ出てからも、そうだ。子どものときからそういう生活のパターンになっ
ているから、それを途中で変えることはできない。いつまでたっても「今」をつかめない。
つかめないまま、人生を終わる。

 あえて言えば、私にもこんな経験がある。学生時代、テスト週間になるとよくこう思っ
た。「試験が終わったら、ひとりで映画を見に行こう」と。しかし実際そのテストが終わる
と、その気力も消えてしまった。どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これ
をしたい」という願望が生まれるものだが、それから解放されたとたん、その願望も消え
る。

先の「四国八十八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれを
したら、その人はよほど意思の強い人とみてよい。私の経験では、多分、その人は四国
八十八か所めぐりはしないと思う。退職したとたん、その気力は消えうせる……?

 大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。「今」というときをいかに充実させるか、だ。
明日という結果は明日になればやってくる。そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような
生き方だけはしてはいけない。

++++++++++++++++++++++++

●「今」を知らない子どもたち

 私の知人がこう言った。「退職したら、Tさんと二人で、車で日本一周をするつもりです」
と。しかし私はその話を聞いたとき、「ではなぜ、今しないのか?」と思った。

 日本人は仏教というよりチベット密教の影響を強く受けているから、「結果」を重要視す
る。「死に顔でその人の生涯が決まる」と教えている日本最大の宗教教団すらある。

しかし大切なのは、結果ではなく、「今」だ。が、それだけではない。こうした結果を大
切にする考え方は、日本人の生き方そのものにも大きな影響を与えている。その一つが、
「未来」のためにいつも「今」を犠牲にするという生き方。たとえば幼稚園は小学校入
学のため、小学校は中学校や高校の入学のため、さらに高校は大学入試のため、大学は
就職するためと考える親は多い。そう考えるのは親の勝手だとしても、子どももまた、
そういう生き方を身につけてしまう。そしていつまでたっても「今」がつかめなくなる。
しかしそれは愚かな生き方そのもの。イギリスには、『休息を求めて疲れる』という格言
がある。「いつか楽になろうなろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまい何もで
きなくなる」という意味である。

 一度こういう生き方のパターンができてしまうと、それを変えるのは容易ではない。そ
のまま一生つづくと言ってもよい。その一例として、休暇の過ごし方がある。

たとえば今、一〇日間の休暇が与えられたとする。そういうとき欧米の人なら、その「時」
をそのまま楽しむ。……楽しむことができる。しかし日本人は、休暇中は今度は、休暇
が終わってからの仕事を考える。子どももそうだ。子どもが学校から三日間の休日を与
えられたとする。そして子どもが家でブラブラしていたとする。すると親はそれを見て
不安に思ったりする。「こんなことでいいの!」と。つまり日本人は休みを休みとして楽
しむことすらできない。別の友人はこう言った。「一〇日も休みをもらっても、過ごし方
がわらない」と。こうした生き方は、よく「仕事中毒」という言葉で説明されるが、そ
んな簡単なことではない。根は深い。

 さて冒頭の話だが、私はその知人は、退職後、日本一周の旅には出ないと思う。しても
旅から帰ったあとの老後の話ばかりすると思う。それはちょうど試験週間の学生のような
ものだ。試験中というのは、ほとんどの学生は「試験が終わったら映画を見にいこう」と
か、「旅行しよう」とか考えるが、いざ試験が終わると、何もしたくなくなる。

あなたにもそういう経験があると思うが、抑圧された環境の中では夢だけがひとり歩き
する。しかしその抑圧から解放されると、同時に夢も消える。いや、その前に健康がそ
れまで続くかどうかさえわからない。命だってあぶない。そんなあやふやな「未来」に
夢を託してはいけない。夢があるなら、条件をつけないで、「今」始めることだ。繰り返
すが、結果は必ずあとからついてくる。

+++++++++++++++++++

●私の過去(心の実験)

 私はときどき心の実験をする。たとえば東京の山手線に乗ったとき、東京から新橋へ行
くのに、わざと反対回りに乗るなど。あるいは渋谷へいくとき、山手線を三周くらい回っ
てから行ったこともある。一周回るごとに、自分の心がどう変化するかを知りたかった。
しかし私の考え方を大きく変えたのは、つぎのような実験をしたときのことだ。

 私はそのとき大阪の商社に勤めていた。帰るときは、いつも阪急電車を利用していた。
そのときのこと。あの阪急電車の梅田駅は、長い通路になっていた。その通路を歩いてい
ると、たいていいつも、電車の発車ベルが鳴った。するとみな、一斉に走り出した。私も
最初のころはみなと一緒に走り、長い階段をかけのぼって、電車に飛び乗った。しかしあ
る夜のこと、ふと「急いで帰って、それがどうなのか」と思った。寮は伊丹(いたみ)に
あったが、私を待つ人はだれもいなかった。そこで私は心の実験をした。

 ベルが鳴っても、わざとゆっくりと歩いた。それだけではない。プラットホームについ
てからも、横のほうに並べてあるイスに座って、一電車、二電車と、乗り過ごしてみた。
それはおもしろい実験だった。しばらくその実験をしていると、走って電車に飛び乗る人
が、どの人もバカ(失礼!)に見えてきた。当時はまだコンピュータはなかったが、乗車
率が、一三〇〜一五〇%くらいになると電車を発車させるようにダイヤが組んであった。
そのため急いで飛び乗ったようなときには、イスにすわれないしくみになっていた。

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。「早く楽になろうと思ってがんばっ
ているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、愚かな生き方の代
名詞にもなっている格言である。その電車に飛び乗る人がそうだった。みなは、早く楽に
なりたいと思って電車に飛び乗る。が、しかし、そのためにかえって、よけいに疲れてし
まう。

 ……それから三〇年あまり。私たちの世代は企業戦士とか何とかおだてられて、あの高
度成長期をがむしゃらに生きてきた。人生そのものが、毎日、発車ベルに追いたてられる
ような人生だった。どの人も、いつか楽になろうと思ってがんばってきた。しかし今、多
くの仲間や知人は、リストラの嵐の中で、つぎつぎと会社を追われている。やっとヒマに
なったと思ったら、人生そのものが終わっていた……。そんな状態になっている。

私とて、そういう部分がないわけではない。こう書きながらも、休息を求めて疲れるよ
うなことは、しばしばしてきた。しかしあのとき、あの心の実験をしなかったら、今ご
ろはもっと後悔しているかもしれない。そのあと間もなく、私は商社をやめた。今から
思うと、あのときの心の実験が、商社をやめるきっかけのひとつになったことは、まち
がいない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●孫の誠司

++++++++++++++++

孫の誠司と電話で話す。
で、私は「ジージ」。
いつの間にか、「ジージ」になって
しまった。

今日も電話をすると、今日は、
「エアプレーン・ジージ」と。

++++++++++++++++

 正月に孫の誠司が、我が家へやってきた。そして私が2年以上もかかって、集め、そし
て作ったプラモデルの飛行機を、1つ、残らず、みんな、こわしてしまった! 1つ、残ら
ず、だ。

 それでいつしか、私のことを、誠司は、「エアプレーン・ジージ(飛行機のじいちゃん)」
と呼ぶようになった。

 ワイフだったら、つまりワイフが1つでもこわしたら、私は発狂していたかもしれない。
しかし相手は、孫。そのうち、毎朝、どれをこわしているか、楽しみにするようになった。
「今日は、あの飛行機かア……」と。中には、苦労して組み立てたのもある。しかしそう
いうのが、本物そっくりに、こわされていくのを見るのは、これまた楽しい。「墜落した飛
行機、そっくり」と。

 今、その残がいが、箱の中に、ぎっしりとつまっている。数えたことがないのでわから
ないが、50機くらいはある。よくまあ、ここまで、こわしてくれたものだ! ハハハ!

 で、その誠司、床屋が嫌いらしい。今日も、二男がそう言っていた。そこで午後になっ
て、ワイフと2人で、近くのショッピングセンターへ。N社の「スキxx」という、電動
式のバリカンを買ってきた。さっそく、このあと、SAL便で送るつもり。

 うちの息子たちも、子どものころは、みな、それで髪の毛を刈ってやった。二男のやつ、
覚えているかな? ビデオでの説明書つきだから、多分、二男にも使えるだろう。

 もうすぐ、誠司の妹が生まれる。誠司に似た、やさしい子だといいが……。楽しみだ!!


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●最後の悪あがき(?)

++++++++++++++++++

K国のマネーローダリングの疑いで、
アメリカは、マカオにある、D銀行との
取り引きを中止した。

が、これがK国に、予想外の大打撃を
与えたらしい……。

++++++++++++++++++

 K国は、自国で印刷したニセドルを、一度、マカオにあるBDA銀行に預金し、その銀
行を通して、マネーロンダリングしていたという。怒ったアメリカ政府は、BDA銀行と
の取り引きを中止した。正確には、アメリカ財務省が、K国の違法行為に関与しないよう
に、金融機関への規制強化をマカオ当局に求めた(05年9月)。とたん、お金を預けてい
た預金者たちが、BDA銀行に殺到。取りつけ騒ぎまで起きた。

 そこでBDA銀行は、K国関連の口座を凍結。K国との取り引きを停止した。韓国のC
日報は、「マカオにおける取り引き銀行の引き出し禁止措置によって、K国は、莫大な
金額の不正資金を使えなくなった。他の外国銀行も日々、K国との取引を忌避している」
と伝えている。

 が、それに対して、K国は、ことあるごとに、「経済制裁を解除すれば、6か国協議に出
る」と発言している。つまり今回のアメリカの措置は、経済制裁であると。

 しかしここまで常識がズレてくると、どうコメントしてよいのか、私にもわからない。
アメリカにしてみれば、6か国協議など、もうどうでもよい。重要なのは、K国が核兵器
開発を放棄するかどうか、なのだ。

 しかもニセドルを印刷するというのは、まさに犯罪行為。その犯罪行為を棚にあげて、「経
済制裁を解除せよ」とは! そう言えばK国は、こんな発言もしている。日本から拉致し
た拉致被害者について、「人間的な扱いをした」と。多国から人を拉致しておいて、「人間
的」とは?

 さらにそれに追い討ちをかけるように、金xxの長男の金Mが、マカオのカジノで、ニ
セドルを使っているところが、ビデオカメラに撮影されていたという(時事通信)。こうな
ると、金xxも、万事休す。「ニセドル印刷は、私の知らないところで、だれかがした」と
いう言い訳は、もう通用しない。

 K国の崩壊は、ないとされてきた。カルト教団化した国だから、国民は、金xxととも
に、墓場までいっしょに行くだろうと、だれしも思っていた。しかしここにきて、K国崩
壊が、急速に現実味を帯び始めてきた。すでにK国の、海外活動は、外交活動も含めて、
脳死状態にあると言われている。貿易すら、ままならない状態になってきているという。

 それもそうだ。どこのだれが、ニセドルをもらって、モノなど売るか!

 さらに金xxの健康問題もある。腎不全が、悪化しているとうわさされている。それが
だれであれ、他人の健康問題を、悪いほうに期待してものを書くのは許されない。しかし
今、拉致問題を本当に解決しようとする思うなら、K国の金xx体制を、崩壊させるしか
ない。韓国や中国は、それをいやがっているが、日本は、構わない。構わないから、金x
x体制が崩壊するように、道筋をつけてやる。そういう意味で、金xxの健康問題を、内
心では喜んでいる人も、多いはず。

 で、それ以外に、もっとも効果的なのは、K国と取り引きのある外国の銀行に対して、
ジワジワと、圧力をかけていくこと。すでにスイスの銀行ですら、K国との取り引きを停
止している。このワクをどんどんと広げていけばよい。人権問題で、K国をしめあげるの
も、効果的。

 ゆくゆくは、K国は、中国に、(韓国ではないぞ!)、吸収合併されていくことになる。
韓国はK国に、さかんにラブコールを送っているが、どれほどの効果があることやら。や
がて今の38度線が、韓国と中国の国境になることも、じゅうぶん、考えられる。

 もしそうなれば、南北統一など、夢のまた夢。一番最後に、ババを引くのは、韓国とい
うことになる。へたをすれば、韓国経済そのものも、崩壊する。

 話が脱線したが、K国の一連の発言を見ていると、最後の悪あがきのようにも、聞こえ
る。もう少し辛らつな言い方をすれば、断末魔の叫び(?)。言うことなすこと、すべて常
識からハズれている。

 ただ日本の国益を最優先するなら、日本は、ここは静かにしていたほうがよい。アメリ
カ議会での高官の発言などによれば、K国は、すでに12発もの核兵器を保有していると
いわれている(※1)。もしここでK国を挑発するような行為に出れば、K国は、その核兵
器を、日本に対して、使用するかもしれない。その可能性は、じゅうぶんにある。

 だから、ここは静かにしていたほうがよい。そういう日本の姿勢を、卑怯(ひきょう)
とか、おく病とか、そういうふうに考える人もいるかもしれない。しかしこれは、そうい
う問題ではない。もともと、あんな国、相手にしても、しかたない。また日本が、本気で
相手にしなければならないような国ではない。あんな国を相手に、自国のプライドを論じ
て、どうする? どうなる?

 ここは務めて、冷静に! それが日本の、今、あるべき姿である。

(※1)ロイター通信によると、米民主党のリード上院院内総務ら同党の有力上院議員4
人は、3日、北朝鮮が「12個の核兵器を保有している可能性がある」として、ブッシュ
大統領に北朝鮮の核能力に関する情報を公開するよう求める書簡を送ったという。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(130)

●だまし、だまし……

++++++++++++++++++++++

愛用のパソコンが、ますますおかしくなってきた。
ディスクのチェックをすると、ところどころに
「BAD・クラスタ」の文字が現れる。

ハードディスクのクラスタが壊れ始めたらしい。

こうなると、このパソコンの寿命も、短い。

++++++++++++++++++++++

 今、私の指に一番なじんでいるのが、F社のDESK POWER。買って、もう6年
目になる。当時は、まだ珍しい、17インチのワイド画面で、その迫力に圧倒されて、そ
のパソコンを買った。当時の値段で、24万円。本当は、26万円だったが、「今は、24
万円しか持ちあわせがない……」とポツリと言うと、その場で、24万円にしてくれた。

 が、それから5年。まずCD−RWがおかしくなった。ギリギリとモーターがきしむよ
うな、うなり声をあげるようになった。それでCDドライブを、ドライブごと、新品に交
換した。

 これはうまくいったが、今度は、部分的に、ハードディスクにエラーが出るようになっ
た。たとえばWORDを使用しているとき、辞書登録ができない、など。今のところ、た
いしたエラーではないので、それほど深刻には考えていない。ワイフは、「新しいパソコン
にしたら?」と言うが、つぎにほしい機種は決まっている。今年の秋には、いよいよBI
STA(XPにかわる、新しいOS)が発売になるので、それまで、今は、じっとがまん
のとき。

 で、実は、昨年、新しいパソコンを買っている。M社のパソコンである。こちらのほう
は、めちゃめちゃ、性能がよい。メモリーも、1024MB、実装している。グラフィッ
クボードも、最新のGeforce。もちろんCPUは、PEN・D。で、HPやビデオ
編集などは、そちらのパソコンでしている。が、文章を書くのは、もっぱらこのF社のD
ESK POWERのほう。ワイド画面であるだけに、視野も広い。書きやすい。

 で、そのパソコンを使いながら、つまり(だまし、だまし、使いながら)、おかしな愛着
を覚えるようになった。何というか、その(だまし、だまし)という部分が、自分の体と、
どこか似ているからだ。健康には気をつかっているほうだが、この年齢になると、体のあ
ちこちにガタがくるようになる。たとえば今は、左肩の腱を傷(いた)めて、左手を思う
ように上にあげることができない。重いジャンパーを着るときは、ワイフの介護が必要。

 パソコンをだまし、だまし使う。自分の体を、だまし、だまし使う。……どこか似てい
る。それで愛着を覚えるようになった。

 もちろん、対策は、講じている。データは、すべて外付けのハードディスクに移動させ
た。この文章も、そちらから読み出し、またそこへ保存している。ひょっとしたら、つぎ
の瞬間、画面がブルーになるかもしれない。そうなれば、オダブツ! (ご存知の方も多
いと思うが、画面全体がブルーになり、OSを起動できなくなったら、パソコンの寿命が
尽きたことを意味する。人間にたとえるなら、脳死?)

 そんなわけで、秋まで、このパソコンを、だまし、だまし使うしかない。同じように、
自分の体も、だまし、だまし使うしかない。時期はわからないが、あと5年か、それとも
10年か?

 昨夜も、自転車で、1時間ほど、走った。寒い夜だったが、それをやめたら、私の健康
はない。ついでに書き添えるなら、こうして運動したつぎの翌朝は、気持ちがよい。体の
細胞のひとつひとつが、ピチピチと音をたててはねているような感じさえする。自分の体
をだまし、だまし使うにしても、それなりの努力と苦労が必要。何もしないでは、そのだ
ますこともできない。

 で、今度買うパソコンは、ホット・スワップ、つまり電源を入れたまま、ハードディス
クが何台も、出し入れできる機種。RAIDコントロールができるのがよい。RAIDコ
ントロールができるようになれば、何台ものハードディスクを、1台のハードディスクの
ようにして使うことができるようなるそうだ。すごい! 自分でも、そこまで高性能のパ
ソコンは必要ないとは、よくわかっている。しかし、それがほしい。

 ハハハ。それはたとえて言うなら、自分の体を改造して、20歳そこそこのバリバリの
肉体にするようなもの。オリンピックのアイススケートの選手のような体にするようなも
の。

 ついでに、私のようなパソコン初心者のための、パソコン用語講座。

●クラスタ……ハードディスクなどで、1周分を、1レコードという。その1レコードを、
数十個に分割したのを、1セクタという。そのセクタをいくつか集めたものが、クラスタ
である。クラスタは、それぞれデータをひとまとめにして、記憶する。

●RAID……データを分割し、複数のディスクに書くことで、性能を高めたディスク装
置のこと。複数のディスクに書き込むことによって、データの転送速度が向上し、ディス
ク装置の信頼性の向上や、低価格化が実現できる。
(以上、参考、「標準パソコン用語辞典」(秀和システム)より)


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●テレビ・新聞・家事

++++++++++++++++

たしかにこのところ、新聞を読む
時間が少なくなった。

ニュースは、まずインターネット
で見てから、それから新聞……と
いうことが、多くなった。

ワイフが、新聞を読みながら、「ねえ
……」と言う前に、私のほうが、そ
の記事についてコメントすることも
多い。

++++++++++++++++

 日本人がテレビを見る時間は、平日が、3時間半。日曜は、4時間だという(NHK放
送文化研究所調査・「平成十七年国民生活時間調査」による)。

 その調査によると、

「テレビ視聴時間は、1人あたり、1日、3時間39分。平日(3時間27分)と、日
曜(4時間14分)は前回並みだが、学校が週5日制となった影響もあり、土曜日は、
前回調査(5年前)の3時間38分から、4時間3分に延びた。

また70歳以上に限れば1日5時間半を超えている。全体では9割の人がテレビを1日
15分以上見ているが、20代男性がテレビを見る割合は、はじめてどの曜日も8割を
切った」という。

問題は、新聞である。

同じ調査によれば、新聞を読む人は、44%。平均時間は、21分だという。

 「新聞は、国民の44%が読んでおり、平均時間は21分。平日では男女10代と女性
70歳以上を除くすべての層で、読む人が減っており、この結果、男女とも40代以下
で平日の新聞読者は、50%を割り込むこととなった」と。

 テレビはともかくも、私たちの世代は、新聞には、独特の感覚をもっている。「新聞は絶
対」という感覚である。その新聞について、「男女とも40代以下で平日の新聞読者は、5
0%を割り込むこととなった」というのは、どうも信じがたい。つまり40代以下の人た
ちは、約半数が、新聞を読んでいないということになる。

 新聞社もいろいろ苦労はしているようだが、新聞離れは、もうどうしようもないのでは
……(?)。私もここ数年、起きると真っ先にパソコンに電源を入れ、まず読むのが、メー
ル。そしてニュース。新聞受けまで、新聞を取り出しに行くのが、めんどう。あとは仕事
の合い間に、そのつどイネーネットで、ニュースをのぞいている。

 新聞を読むのは、朝食のときか、朝食が終わったとき。時間も、この調査のように、1
0〜20分前後。本当に興味のある記事だけを、ねらい撃ちして読む。となると、新聞と
は何かということになってしまう。

 私の印象では、新聞のほうが、もう少し世間の流れに合わせて、変化すべきだと思う。
いつまでも「これが新聞でございます」というような姿勢では、読者の心をつかむことが
できない。

 たとえばこれはあくまでも私の憶測かもしれないが、新聞社は、インターネットを、ど
こか敵視しているようなところがある。たとえば新聞記事のどこかで、もっといろいろな
ホームページを紹介してもよいと思うのだが、そういうことはしない。何かの紹介記事の
あと、「詳しくは、○○HPを!」とか何とか書いてあってもよいのでは?

 一方、新聞社のHPというのも、あるにはある。しかしいつも、記事は小出し。事情は
わかるが、そのため、ニュースというと、インターネット専門の配信会社のHPで、読む
ことになる。

 では、有料のインターネット新聞というのはどうかということになるが、恐らく、お金
を払ってまでインターネット新聞を読む人はいないと思う。欧米では、たとえば1記事5
セント(オーストラリア)で、記事を読ませるようなサービスもあるそうだが、そこまで
の道のりは、遠い。

 それにしても、とうとう50%を切ったか!、というのが、私の驚き。この数字には、
いろいろと考えさせられる。

 ついでながら、ほかの時間の使い方を見ると、家事をする成人男性がふえており、とり
わけ50、60代でその傾向が顕著。平日15分以上、家事をしている成人男性は、50
代で27%となり、前回調査を8ポイント上回った。60代では50%と、前回の38%
から大きく増加したという。

成人男性の平均家事時間は平日で46分、日曜日は1時間35分だったという(産経新
聞・06年2月)。

 これはとてもよいことだ!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================










☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 27日(No.705)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page014.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●憂鬱(ゆううつ)

++++++++++++++++++++

今、子どもたちに、作文指導をしている。
その子どもたちが筆写する文章の中に、
「憂鬱」という漢字が出てきた。

+++++++++++++++++++++

 子どもたちに、今、毎回、レッスンの前に、過去の名作と言われる文学の一節を、筆写
させている。作文指導の一環である。

 で、1人の子どもの書いている文章の中に、「憂鬱(ゆううつ)」という文字が出てきた。
送り仮名はついている。それを読みながら、A君(小3)が、こう言った。

A「先生、こんな漢字、書けない!」
私「いや、書ける。書いてごらん」と。

 するとA君は、「鬱」という漢字を書き始めた。「木が2つ。缶という漢字に……」と。
そしてそれが終わると、しばらく何やら数えていて、「ゲーッ、28画もあるウ!」と。

私「そうだよ、28画だよ。しかしね、その漢字が、日本で一番、むずかしい漢字という
ことになっているよ。つまりね、その漢字が書ければ、あとは、どんな漢字でも書けると
いうことさ」
A「そうなんだ。これが書ければ、どんな漢字でも書けるということなんだね」
私「そうだよ」と。

 A君は、うれしそうに笑った。笑いながら、「こんな漢字を書いていると、本当に、ユー
ウツになるね」と。それを聞いて、みなが笑い、「ぼくも書いてみる」「私も書いてみる」
と言い出した。

 しかしこんな漢字、だれが使うのだろう。一字書くのに、速い人でも、5〜10秒は、
かかる。こうしてワープロで打てば、瞬時に書けるが、手書きでは、そうはいかない。

 本当に、憂鬱な漢字だ。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの心理

++++++++++++++++

男の子と母親の関係は、
ほかの親子関係にはない
特殊性がある。

++++++++++++++++

 「君のお母さん、すてきな人だね」と子どもに言うと、たいていの男の子は、不機嫌な
顔をする。中には、「お前なア、おいらのママに手を出すと、おいらのパパに、殺されるぞ」
と言う子どもさえいる。実際に、そう言われたことがある。小学3年生の男の子であった。

 しかし、「君のお父さん、かっこいいね」と言うと、不機嫌な顔をする子どもは、いない。
たいてい、「そうだよ」とか、「そうさ」とか、言う。

 で、女の子はどうかというと、「君のお母さん、すてきな人だね」と言っても、「君のお
父さん、かっこいいね」と言っても、ほとんど何も、反応を示さない。たいてい、「フ〜ン」
程度で終わってしまう。

 こうした心理は、どう説明したらよいのか。男の子が、自分の母親を独占したいという
気持は、よく理解できる。また自分の母親を、マドンナ化する傾向があるということも、
よく知られている。母親と息子の関係は、ほかの親子関係とは、少しちがった見方をしな
ければならない。特殊といえば、特殊。男の子は、あるときから、母親を、異性として意
識するようになる。そしてそれが発展して、異性への興味とつながっていく。

 一方、女の子で多いのが、「将来は、パパと結婚する」と言う子ども。「だって、君のパ
パには、ママがいるよ」と話してやると、「それでもいい」と。このばあいも、女の子は、
父親を異性として意識していることがわかる。

 考えてみれば、男の子にとって、最初の異性は母親であり、女の子にとって、最初の異
性は、父親ということになる。その異性意識が、「嫉妬(しっと)」という形で、外に現れ
ても、何も不思議はない。私のようなものが、「君のお母さん、すてきな人だね」と言えば、
男の子は、そこに不純なものを感ずるのかもしれない。それで、「パパに殺されるぞ」とな
る。

 ナルホド!

 自分では殺せないから、「パパが……」となる。つまり「おいらのママは、おいらだけの
もの」というわけである。

 子どもの心理の、また別の一面を発見した。
(はやし浩司 子供の心理 嫉妬 母親と息子 最初の異性意識)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親のシャドウ

++++++++++++++++++++

親が感じている不安を、子どもは、敏感に
察知する。そして先手を取る形で、子どもは
親の不安を、そのまま具現化する。

不登校が、そのよい例である。

++++++++++++++++++++

 もう20年になるだろうか。こんなことを相談してきた、母親がいた。何でも6歳にな
る娘が、その母親が心の奥底で思っていることを、そのまま口にしてしまい、こわいとい
うのだ。

 たとえばその母親が、内心で、「親(義母)のことを、汚い」と思っていると、娘のほう
が、先に、「おばあちゃん、汚いから、あっちへ行っていて!」と言う。あるいは、予定し
ていなときに客が来たとする。そのときその母親が、同じく内心で、「こんな時間に来て!」
と不愉快に思っていると、娘のほうが先に、「こんな時間に、来ないで」と言ってしまう、
など。

 その母親は、それを「こわい」と言う。

 こうした例は少なくない。子どもは、親がつくるシャドウ(陰の隠された心)を、敏感
に読み取ってしまう。そしてそれを口にする。

 最近でも、こんな例があった。

 ある母親の子どもが、神経症による症状をいくつか示していた。最初は、その神経症に
ついて、どうしたらよいかという相談だった。しかしその娘(6歳)は、このところ、朝
になるとぐずり、幼稚園へ行くのをいやがるようになったという。

 そこでその母親は、「不登校児になったら、どうしましょう……」と。

 (Nさんへ、あなたのことを書いて、ごめんなさい。決して、あなたを責めているので
はありません。一般論として、どうか、お読みください。)

 こういうケースのばあい、娘のほうが親の心を敏感に読み取り、それを先取りする形で、
不登校児になる可能性は、たいへん高い。つまり子どもの不登校児になる状態を、親自身
が先に作っているということになる。わかりやすく言うと、こうなる。

(親が、うちの子は不登校児になるのではないかと心配する)→(それが親の隠された心
となって、シャドウをつくる)→(子どもがそのシャドウを読み取る)→(子どもが先に、
そのシャドウを先取りして、具現化する)→(子どもが不登校児になる)。

 またその途中の過程においても、子どもが何か、不登校につながるような兆候を見せた
りすると、このタイプの母親は、それに対して、過剰反応をしやすくなる。その過剰反応
が、子どもの心理状態を不安定にする。そしてそれが悪循環となって、子どもの不登校へ
とつながっていく。

 たとえばある朝、あなたの子どもが、突然、「今日は、学校へ行きたくない」と言ったと
する。

 そのとき、「うちの子は、不登校児になるはずはない」と信じている母親、あるいは不登
校など考えたこともない母親は、「あら、そう。どこか体のぐあいでも悪いの」と笑ってそ
れをすます。

 しかし心の奥底で、「うちの子は、不登校児になるかもしれない」と、日ごろから不安に
思っている母親は、そのとたん、パニック状態になる。「そら、不登校だ!」と。

 そのパニック状態が、子どもの心理状態を、一気に悪化させる。そして本当に、その子
どもをして、不登校児にしてしまう。

 そこで「不登校児になったらどうしましょう……」と相談してきた母親に、私は、こう
言った。

 「そんなことは、考えないことです。お子さんを信じて、つまり疑わないで、今は、今
で、子どもの神経症だけを考えていきましょう」と。

 その神経症にしても、「なおそう」と考えないこと。今の状態を、これ以上悪くしないこ
とだけを考えながら、数か月単位で様子をみる。なおそうと考えて、子どもの心をいじる
と、症状はさらに悪化して、二番底、三番底へと落ちていく。

 さて、あなたは今、どんなシャドウをもっているだろうか。そしてそのシャドウは、子
どもに、どんな影響を与えているだろうか。それをほんの少しだけ、ここで考えてみると
よい。

 ついでながら、4年前に書いた、「不登校児についての相談」についての原稿を、ここに
添付する。

++++++++++++++++++++++++

●岩手県Eさん(父親)からの相談

****************************

小学2年の秋から、断続的に不登校。病院で診断してもらうと
ケトン性低血糖ということ。それはなおりましたが、そのあと、
学校へ行くのは、いやだと言い出すようになり、また不登校。

3年になると、午前中だけ登校、昼に帰ってきて、午後だけ登校
とか、学校へ通うのが不規則になりました。

4年になると。しばらくは学校に通いましたが、10月になると、
また行けなくなり、「適応教室に行きたい」と言うようになり、
適応教室に通うようになりました。

そのあと、ムカムカする、つらいなど、いろいろな心身症による
症状を示すようになり、病院でも小児性心身症と診断されました。

病院の先生の話では、子どもらしさがない、ストレスが限界に
なった、病院を避難場所にしているのではとのこと。

が、そういう娘でも、それまでは、私たちと口をきいてくれました。
しかし6年になると、態度が変わりました。病院へ行っても、
「もう、ほうっておいてほしい」「来ないでほしい」と。

「もう学校へは、行きたくなければ行かなくてもいいのよ」と、
娘に言っていますが、私たちの気持ちも、通じなくなってきています。

つらい毎日です。病院への治療費も、月20万円を超えるように
なりました。私たち夫婦も、限界です。下の妹(5歳)への影響も
心配です。どうしたらいいでしょうか。(以上、要約)
(岩手県・E・父親)


【学校へのこだわり】

 Eさんからのメールは、この10倍以上もの長さがあった。そしてそれには、Eさんと
Eさんの妻が、娘さんを何とか学校へ行かせようと、あれこれ努力をしたというようなこ
とが、詳しく書いてあった。それは努力というより、悪戦苦闘に近いものだったらしい。

 その努力がまちがっていたとは言わない。しかし問題は、なぜ、Eさん夫婦が、そこま
で学校にこだわったか、である。

 こうしたケースで多いのは、(Eさん夫婦が、そうであったというのではない。誤解のな
いように!)、初期の段階での、対処の失敗が、問題をこじらせてしまうということ。子ど
もが学校へ行きたくないと言うと、ほとんどの親は、混乱状態から、狂乱状態になる。

 そして親自身が感ずる、不安や心配をそのまま子どもにぶつけてしまう。

 この段階で、「あら、そう?」「行きたくなければ、行かなくてもいいのよ」と親が言っ
たら、そのあと、深刻な不登校にならずにすんだはずというケースは、いくらでもある。
が、実際には、そうはいかない。親自身が、狂乱状態になってしまう。私は、そういう例
を、何十例も経験している。

 Eさん夫婦も、娘さんを、まさに(学校へ行けるだけ行かせよう)と努力した。たとえ
ば、Eさんからのメールには、「3年生になると、母親が送り迎えをして、午前中だけ学校
→午前中学校、帰って家で昼食→午後から登校という不規則ながら、なんとか学校にいっ
ていましたが、10月からまた体調不良を訴えいけなくなりました」(原文)とある。

 この時点で、午前中だけでも行ったら、「よく行ったわね」と、なぜ、ほめてあげなかっ
たのだろうか。あるいは午前中だけも行ったら、親のほうから、「午後はいいのよ。そんな
に無理をしなくてもいいのよ」と、なぜ言ってあげなかったのだろうか。

 率直に言えば、親の心配ばかりが先行していて、子どもの心が見えてこない。私は、E
さんの相談を一読して、最初に、それを強く感じた。

 ……といっても、Eさんを責めているのではない。だれしも、そういう状況に置かれれ
ば、そう考える。Eさんだけが、特別というわけではない。Eさんだけが、(こういう言葉
は使いたくないが)、失敗したというわけではない。

 が、親は、えてして、学校へのこだわりから、子どもの心を見失う。学校神話、学歴信
仰、学校絶対主義などが、その背景にある。明治以来、国策として、延々として作られて
きた意識である。そうは、簡単には変えられない。まず、それに気づくだけでも、たいへ
ん!

 ものごとをすべて、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、考えてしまう。
つまりこの無理が、子どもの心を、ゆがめる。

 ただこの時点で、一つ注意しなければならないことは、学歴信仰は、何も、親だけのも
のではないということ。子どもも、いつしか親の学歴信仰を、そっくりそのまま受け継い
でしまう。

 その親だって、そのまた親から、受け継いでいるだけということにもなる。同じように、
子どもが、それを受け継いでしまう。

 だから行き着くところまで行って、そのときはじめて親のほうが、それに気づき、「学校
なんか、行きたくなければ行かなくてもいいのよ」と言っても、意味はない。こういうケ
ースで、子どもにそう言えば、かえって子どもを追いつめてしまうことになる。

 「私は学校へ行かねばならない」「学校へ行きたくても、行けない」「どうすればいいの!」
と。

【心の緊張状態】

 「情緒不安」という言葉がある。しかしこの言葉ほど、いいかげんで、誤解を招きやす
い言葉もない。

 情緒不安というのは、あくまでも結果でしかない。なぜ、子どもが(おとなも)、情緒が
不安定になるかといえば、その前に、心が緊張状態にあるからと考える。

 心が開放されない。何かの心配ごとが、ペタリと張りついて、取れない。

 そういう緊張状態にあるとき、何かの心配ごとが入ってくると、心はその心配ごとを解
消しようと、一挙に不安定な状態になる。その状態を「情緒不安」という。つまり、情緒
が不安定になるのは、あくまでも結果でしかない。

 子どものばあい、何かのキーワードがあって、そのキーワードに触れると、一挙に不安
定になることが多い。

 ある女の子(年長児)は、母が、「ピアノのレッスンをしましょうね」と言っただけで、
ときにギャーと泣き叫んで、手がつけられなくなってしまった。包丁を投げつけたことも
あるという。その女の子のケースでは、「ピアノのレッスン」が、一つのキーワードになっ
ていた。

 そこで考えなければならないのは、なぜ、情緒が不安定であるかではなく、なぜ、心の
緊張感がとれないか、である。

 原因はいろいろ考えられるが、その多くは、対人関係をうまく処理できないためとみて
よい。他人と、良好な人間関係が結べない。もっと言えば、自分の心を開放したまま、交
際できない。それが心の緊張状態をつくりだす。

 だからこのタイプの子どもは、おおまかにわけて、つぎの6つのタイプのどれかを選択
する。

(1)攻撃型(他人に乱暴になる)
(2)自虐型(自虐的な運動や、勉強をする)
(3)同情型(相手に同情を求めるため、弱々しい自分を演ずる)
(4)依存型(だれかにベタベタと甘える)
(5)服従型(集団に属し、長に、徹底的に服従する)
(6)逃避型(引きこもったり、人間関係を遮断する)
(7)怠惰型(生活全般が、退行的になる。だらしなくなる)

 最初にわかってあげなければならないのは、このタイプの子ども(おとなも)、人との交
際が、それ自体、苦痛であるということ。相手に対して、気をつかう。神経をつかう。集
団の中で、仮面をかぶる、いい子ぶる、自分を飾ったり、ごまかしたりする。

 だから集団の中に入れると、すぐ精神疲労や神経疲労を起こす。親は、「うちの子は、集
団になれていないだけ」「集団の中で訓練すれば、やがてなれるはず」と考える。たしかに
そういうケースもないわけではないが、そうは、簡単ではない。

 無理をすることで、かえって、症状をこじらせてしまうケースのほうが、多い。強圧的
な指導になどによって、回避性障害や摂食障害、行為障害などへと発展していくケースも、
少なくない。幼児のばあいは、かん黙したり、自閉傾向を示したりすることもある。(自閉
症と自閉傾向を混同しないように……。)

 では、なぜ緊張状態がとれないのかということになる。このタイプの子どもは、集団の
中では、(いい子)ぶることが多い。ものわかりがよく、先生の言うことを、すなおに聞い
たりする。またいい子を演ずることで、自分の立場をつくろうとする。

 たとえばブランコを横取りされても、柔和な表情のまま、それを明け渡してしまうなど。
その時点で、「どうして横取りするのだ!」と、相手に抗議することができない。

 が、教える側から見ると、どこか何を考えているかわからない子どもという感じになる。
心がつかみにくい。心の状態と、顔の表情が、不一致を起こすことも多い。いやがってい
るはずなのに、ニヤニヤ笑うなど。

 原因は、新生児期から乳幼児期にかけての、母子関係の不全にあるとみる。

【母子関係の不全】

 絶対的なさらけだしと、絶対的な受け入れ。この二つの基盤の上に、母子の信頼関係が、
築かれる。

 「絶対的」というのは、「疑いすら、もたない」ということ。「私はどんなことをしても、
許される」という安心感。その安心感が、相互の信頼関係の基盤となる。

 が、何かの理由で、たがいに、このさらけ出しができなくなるときがある。親側の拒否
的な育児姿勢、冷淡、無視など。親自身が何らかの心のキズをもっていて、子どもに対し
てさらけ出しができないときもある。

 たとえば親自身が、不幸にして不幸な家庭で、生まれ育った、など。こういうケースの
ばあい、「いい親でいよう」「いい家庭を築こう」という、気負いばかりが先行し、結果的
に子育てで、失敗しやすくなる。

 あるがままの自分を、ごく自然にさらけ出すというのは、それができる人には簡単なこ
とだが、それができない人には、たいへんむずかしい。自分がそうであるということにす
ら、気がつかない人も多い。

 中には、親や兄弟のみならず、自分の夫や、そして自分の子どもにすら、自分をさらけ
出せない人もいる。「あるがままの自分をさらけ出したら、嫌われるのではないか」「みな
から、へんに思われるのではないか」と。

 言うまでもなく、その原因は、ここでいう母子関係の不全である。つまり子どもは、母
親との関係において、他者との信頼関係の結び方を学ぶ。その信頼関係が、そののち、そ
の人の人間関係の基本になるため、これを「基本的信頼関係」という。

 子どもは、母子の間でできた信頼関係を基本に、そのワクを広げる形で、友人や、先生、
さらには結婚してからは配偶者や子どもとの信頼関係を結ぶことができるようになる。

【対人障害】

 怠学、学校恐怖症については、すでにたびたび書いてきたので、ここでは省略する。で、
子どものばあい、こうした対人障害が、そのまま不登校となって現れることが多い。

 で、その恐怖症だが、そのつらさは、それになったものでないとわからないだろうとい
うこと。私など、まさに恐怖症のかたまり。

 子どものときから、閉所恐怖症、高所恐怖症などがあった。しかし本当にそれがひどく
なったのは、飛行機事故を経験してから。30歳になる、少し前のことだった。飛行機に
乗れなくなってしまったことはしかたないとしても、ことあるごとに、スピード恐怖症に
なる。

 数年前も、あやうく、交通事故にあいそうになった。九死に一生とまではいかないにし
ても、あやうく、だ。

 そのため、私は道路を自転車で走っていても、すべての自動車が、自分に向って走って
くるように感じた。あとでみたら、手のひらが、ぐっしょりと汗をかいていた。

 人間の思考パターンというのは、そういうものだが、自分でも、「気のせいだ」とわかっ
ていても、コントロールできない。それがつらい。

 だから、子どもの恐怖症にしても、決して安易に考えてはいけない。あくまでも子ども
の目線で、子どもの立場で考えること。無理をすれば、症状をこじらせるだけ。

 で、その対人障害だが、よく知られたものに、回避性障害がある。他人との良好な人間
関係が結べなくなる。一度、その回避性障害になると、人との接触が、異常にわずらわし
くなる。人の気配を感じただけで、神経が張りつめる。気が重くなる。

 それだけならまだしも、一度、そういう状態になると、ふつう以上に神経をすりへらす。
そのため、精神疲労を起こしやすい。体がだるくなる。思考が進まなくなる、など。頭痛
や肩こり、不眠、早朝覚醒を訴える子どももいる。

 心身症から神経症へと発展することもある。ただし、症状は、千差万別。定型がない。
ふつうは、身体的症状(腹痛、下痢など)、精神的症状(抑うつ感、不安症など)、行動的
症状(髪いじり、ものかじりなど)に分けて考える。「おかしなことをするな?」と感じた
ら、この心身症を疑ってみるとよい。

 で、そういう状態が、前兆症状としてしばらくつづいたあと、より明確な形で、たとえ
ばここでいうような学校恐怖症などとなって現れる。

 これについても、すでにたびたび書いてきたので、私のHPに書いた記事を参考にして
ほしい。

【学歴信仰】

 「学校は、絶対」「学校とは、行かねばならないところ」と。そういう意識をもっている
人は、多い。

 しかしその意識は、絶対的なものでもなければ、普遍的なものでもない。意識というの
は、その時代時代において、変化しうるものである。だから大切なことは、今、私やあな
たがもっている意識が、絶対的なものであると、思ってはいけないということ。学校神話
も、その一つ。

 私たち日本人は、「学校は絶対である」という意識をもっている。ずいぶんと前のことだ
が、戦時下のサラエボで、逃げまどう子どもをつかまえて、「学校へは行っているの?」と
問いかけていたあるテレビ局のレポーターがいた。

 子どもを見れば、すぐ学校という発想。それも学校神話の一つと考えてよい。そういう
意識は、明治以来、国策の一つとして、日本人の中に作られてきた。戦争で、学校どころ
ではないはず。ふつうの常識のある人なら、そう考える。

 世界は、もう少し、おおらかである。学校の設立そのものも、自由。アメリカなどでは、
カリキュラムの内容ですら、学校ごとに独自に決められる。もちろん日本でいう「教科書」
などない。

 学校にしても、内容と種類は、さまざま。学校へ行かないで、家庭で学習する、ホーム
スクーラーも、200万人もいる。

 一方、この日本では、子どもに何か、問題が起きると、すぐ、「学校で!」と考えやすい。
今では、家庭教育まで、学校に押しつける親さえいる。

 しかしものごとは、常識で考えてみたらよい。たった一人の子どもでさえもてあますこ
とが多いのに、そういう子ども、30〜40人も一人の先生に押しつけて、「しっかりめん
どうをみろ」はない。

 話はそれたが、不登校の子どもをもつ親と話していると、この学校神話をよく感ずる。
私が、「いいじゃないですか、学校なんか。子どもが行きたくないと言ったら、行かなくて
も……」などと私が言おうものなら、たいていの親は、目を白黒させて、驚く。

 私は、よく、自分の息子たちを幼稚園や学校を休ませて、家族旅行に出かけた。平日に
旅行すると、どこも、ガラガラ。言いようのない解放感を味わった。が、そういうときた
いてい、幼稚園や学校から電話がかかってきて、(とくに幼稚園の先生からが多かったが)、
「そういうことをすると、遅れます」「困ります」と。

 しかし子どもが、何から、どう遅れるというのか? だいたいにおいて、「遅れる」とい
うのは、どういうことなのか。あるいは、コースからはずれることを、「遅れる」というの
か。だったら、その「コース」とは、何か?

 つまり、「どうしても学校」という意識は、そういうところから生まれる。そして自分の
子どもが不登校を起こしたりすると、「さあ、たいへん!」と、たいていの親は、パニック
状態になる。そしてそういう意識が、必要以上に、子どもを追いつめる。

【あくまでも子どもの目線で】

 決して、Eさんが、そうであったというのではない。またそうであったからといって、
Eさんを責めているのでもない。

 ただこういうケースでは、親は、多くのばあい、子どもの目線で、ものを考えることが
できない。

 数か月前も、こんな相談があった。ある母親からのものだった。いわく、「やっとのこと
で、学校へ行くようになりました。しかし午前中だけ。給食の時間になると、家に帰りた
いと言います。何とか、給食だけでもと思うのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 それに答えて、私は、こう返事を書いた。

 「午前中だけにして、『よくがんばったわね』とほめてあげてください」と。

 こういうケースで、その子どもが、給食を食べるようになると、今度は、親は、「せめて
午後まで……」「終わりの会まで……」と言い出すにちがいない。子どもも、それをよく知
っている。つまり親の希望や欲望には、際限がない!

 つい先日も、やっとのことで不登校のなおった子どもに対して、「今までの遅れを取りも
どすため」ということで、進学塾へ入れた親がいた。が、とたん、その子どもは、また不
登校! 『元の木阿弥(もくあみ)』という言葉があるが、そういう状態になってしまった。

 こういうケースは、多い。本当に多い。そうして失敗を重ねながら、子どもは、二番底、
三番底へと落ちていく。

 そこで大切なことは、今の状態を最悪と思っては、いけないということ。不登校にかぎ
らず、子どもの心の問題では、「今の状態を、それ以上悪くしないことだけを考えて、半年、
あるいは一年単位で、様子をみる」である。

【許して忘れる】

 子どもに何か、問題が起きたら、ただひたすら『許して、忘れる』。とくに子どもの心の
問題では、そうで、その度量の深さによって、親としての愛情の深さも決まる。

 ただ誤解してはいけないのは、『許して、忘れる』といっても、子どもに好き勝手なこと
をさせるということではないということ。許して忘れるというのは、子どもに何か問題が
起きたら、それを自分のこととして、受け入れることをいう。

 たとえば不登校児にしても、それを一番苦しんでいるのは、子ども自身だということ。
一見、楽しそうに振る舞っているように見えるかもしれないが、子ども自身、その緊張感
から解放されることはない。年齢が大きくなると、それに、将来への不安が加わる。

 そういう状態のとき、見るに見かねて、多くの親は、「学校へは行かなくてもいい」など
と言う。しかしその言葉自体が、子どもにとっては、苦痛なのだ。

 それはたとえて言うなら、二階の屋根にのぼったあと、ハジゴをはずされるようなもの。
子どもの立場にするなら、「じゃあ、どうしたらいいの!」となる。

 もしこういう状態で、子どもにかける言葉があるとするなら、「お前は、つらかったんだ
ね」「お前は、よくがんばったよ」「人生は、長い。気楽に行こうよ」という言葉である。
できれば、「お父さんが悪かった。お前の苦しみを理解できなかった」と、あやまることで
ある。

 こういうケースでは、親意識など、あれば捨てること。「親である」という気負い、「親
だから何とかしなければ」という責任感。それも捨てる。子どもにしてみれば、自分のた
めに犠牲になっている親を見ることぐらい、つらいことはない。

 ある女性は、こう言った。その女性が高校生だったときのこと。高校に入学はしたもの
の、ほとんど、学校には行っていなかった。おまけに摂食障害。

 「何がつらかったかといって、母に、『私はつらい』と言われることぐらい、つらいこと
はなかった」と。

 その女性は、高校を中退したあと、数年、アパートを借りてひきこもった。が、そのあ
と、少しずつたちなおって、カナダへ語学留学。つづいて、オーストラリアへ。今は、看
護ヘルパーの資格をとるため、専門学校へ通っている。

 だから親は親で、前向きに生きる。「ようし、十字架の一つや二つ、ぼくがかわりに背負
ってやる」「お前はお前でがんばれ。ぼくはぼくでがんばるから」と宣言する。そしてそう
いう前向きな姿を、子どもに見せていく。

 そういう姿ほど、子どもに安堵感を与えるものはない。そしてそれが子どもの心の問題
にも、よい方向に作用する。

【Eさんへ……】

 書かなくてもよいようなことまで書いて、何かと不快に思われたかもしれません。しか
し子の問題は、根が深いということをわかってもらいたくて、あれこれ書きました。あく
までもここに書いたことを参考に、一度、あなた自身の心の中をのぞいてみてください。

 あなたの子どもは、あなたを苦しめるために、そこにいるのではありません。あなたに
何かを教えるために、そこにいるのです。何か、大切なものを、です。

 あなたがすべきことは、そういう子どもの声というか、子どもという存在を超えた、そ
の向こうにある声というか、そういうものに、静かに耳を傾けることです。

 今は、あまりにも一対一の関係になりすぎている。私には、そんな感じがします。一つ
には、あなた自身が、若いということもあります。しかし相手は、しょせん、子どもです。
本気で愛しながらも、決して、本気で相手にしてはいけません。

 「会いたくない」と言ったら、こう言いなさい。「ははは。そうは言っても、私は、お前
からは離れないからな」「どんなことがあっても、お前を守るからな」と。もしそれでもあ
なたの子どもの心をつかめなかったら、子どもの心の中に、自分を置いてみます。

 すると、どうしてそういうことを言うのか、それがわかりますよ。なぜ、あなたが避け
られているかもわかりますよ。

 親というのは、そういう意味では、さみしい存在。どんなに嫌われても、こちらからは
嫌ってはいけないということ。嫌われても、嫌われても、そんなことは気にせず、前に進
むしか、ありません。いちいち子どもの機嫌など考えないことです。100に1つ、10
00に1つ、子どもの中に(やさしさ)を感じたら、もうけものと思うことです。それと
も、Eさんは、子どもに何を求めていますか。

 子どもというのは、(求める対象)ではないのです。わかりますか? いい子にしようと
か、いい親子関係にしようとか、そういうふうに考えてはいけません。とくに今のEさん
と、子どもの関係においてはそうです。

 あえて言えば、あきらめて、それを受けいれる、です。もっと言えば、『負けるが、勝ち』
です。

 が、心配は、無用。

 子どもというのは、そういう親の姿勢の中から、何かを学んでいくものなのですね。何
を学ぶかはわかりませんが、必ず学んでいくものなのですね。だから、ここはあせらず、「よ
うし、お前はお前で生きろ。私は私で生きるから」と。そう宣言してみてください。

 あなたの子どもは、すでに年齢的には、じゅうぶん親離れしています。あなたが考えて
いるより、はるかにおとな的な考え方をしています。(あるいは、あなたとほとんど、同じ
程度には考えているかもしれませんよ。あなたから見れば、いつまでも、子どもに見える
かもしれませんが……。)

 そういう子どもを、もっと、信じてみてはどうでしょうか。静かに、「お前は、ぼくに何
をしてほしいか」と聞いてみる。そしてあなたの子どもが、何かを言ったら、そのとおり
にすればよいのです。

 「会いたくない」と子どもが言ったら、「いつなら、会いに来ていいか」と聞けばよいの
です。

 大切なことは、暖かい無視と、ほどよい親子関係です。「ほどよい」というのは、「求め
てきたときが、与えどき」と心得るとよいでしょう。

 最後に「毎月の入院費で、20万円」という話を聞いて、胸がふさぎました。あなたの
家庭で、心のケアをつづけるというわけには、いかないのでしょうか。今の状況から察す
ると、長期の引きこもり、もしくは家庭内暴力も考えられますが、それでも、家につれて
くるということはできませんか。

 家庭内暴力の可能性があるなら、また別に考えなくてはいけませんが、引きこもりとい
う雰囲気であれば、子どもにとっては、家のほうが、よいかと思います。長い目で見ても、
つまり、いつか子どもが立ちなおったあとでのことですが、そのほうが、良好な親子関係
を築くことができます。

 引きこもりをするようなら、好きなだけ、引きこもりをさせればよいのです。そういう
大らかさを感じたとき、子どもも、また前向きに立ちなおり始めます。不思議ですが、こ
れは本当です。

 また今の時期、そして今の状態では、あなたが、あれこれ干渉したり、過関心になった
りしないことです。静かに、ただひたすら静かに、暖かく無視する。これにまさる対処方
法は、ありません。

 で、最後に一言、つけ加えるなら、この種の問題は、いつか必ず、笑い話になります。
いつかあなたは、自分の子どもに向かってこう言うのです。

 「あのころは、たいへんだったぞ。ははは」と。

 その日は、必ずきます。そのときのために、「今」をどうか、破壊しないように!

 また将来的なことになれば、いろいろと不安も大きいかと思いますが、あとは、あなた
の子ども自身が、自分の道を見つけていきます。すでに、あなたに向って、「病院へ来てほ
しくない」と言っているようなら、むしろそのたくましさのほうを、評価してあげてくだ
さい。

 そう、今、形こそ、少しいびつですが、あなたの子どもは、巣立ちをしようと考えてい
ます。あるいは懸命に、その準備をしているのかもしれません。

 またあなたは下の妹さんのことを心配していますが、むしろ、上のその子どものほうが、
ずっとさみしい思いをしていたのかもしれません。「お姉ちゃんだから……」という「ダカ
ラ論」だけで、です。

 そんな気持ちにも、少し、配慮してあげてみてください。

 なお、いただきましたメールについて、「そのままの掲載は断る」ということでしたので、
こちらで勝手に要約、改変させていただきました。この原稿での、マガジン掲載など、許
可をいただければ、うれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。

 なお、前に書いた原稿(中日新聞発表済み)を、ここに添付します。どうか、参考にし
てください。
(はやし浩司 不登校 学校恐怖症 不登校児 シャドウ 学校へ行かない子供)

++++++++++++++++++

●生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に
気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子
どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の
息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、
魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」
と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議で
ある。

とくに二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あ
るいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なか
らずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切
ることができた。

 昔の人は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っていた。人というのは、
上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだとい
う意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではな
い。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにす
る。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことを
し、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、
その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から
見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。以前にも、どこかに書いた
ように、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット
(忘れる)は、「得る・ため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子ども
に愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということになる。

仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英語に訳したアメリ
カ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉
は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難
しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。

大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子
育てというのはない。ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そ
して一つ山を越えるごとに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親に
はそれがわからない。ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をして
きた母親がいた。

東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけ
ない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受ける
たびに、私は頭をかかえてしまう。


●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親
子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶさ
れると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけ
なければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親が
いた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたも
のです」と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂
だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親
は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃
れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉
で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに
苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、
じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、い
つもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は
手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はも
うこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り
道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残してい
る。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜
びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだ
ろうか。(*浜松市A幼稚園元園長)
(はやし浩司 不登校 不登校児 許して忘れる)



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】

●不良書きこみ&不良トラックバック

++++++++++++++++++++++

掲示板や、トラックバックコーナーに、
「童貞買います」だの、「人妻紹介」だの、はたまた、
「一晩つきあってくれたら、10万円払います」だの、
この種の、不良書きこみが、あとを断たない。

最近では、トラックバックの中に、堂々と書きこんで
くるのがいる。

しつこい! 本当にしつこい! もう、うんざり!

もうやめてくれ!

++++++++++++++++++++++

 R天の日記の、コメントコーナーを閉鎖して、しばらくになる。心ない人たちからの、
不良書きこみが、あとを断たないからである。

 が、今度は、トラックバックのほうに、書きこみがつづくようになった。しかしこれが
また、しつこい。削除しても、削除しても、つづく。多いときは、同じ文面で、1日に、
10回ほど、書きこみがある。

 「童貞のあなたを買います」とか、「人妻を紹介します」とか、など。

 ところが、である。コメントの書きこみなら止めることができるが、トラックバックに
ついては、それができない。R天のBLOGサービスの案内コーナーをあちこちさがして
みたが、それを止める方法は、今のところ、見つかっていない。

 (書きこみをやめさせる方法があれば、どなたか、どうか教えてください!)

 こうした書きこみで、よく目につく言葉が、「無料」「完全無料」とかいうのである。し
かしそんなことはありえない。ありえないことは、常識で考えればわかるはず。もともと、
こういう書きこみが平気でできる人間というのは、ワル(悪)である。

 そんなワルに、誠意など、期待するほうがおかしい。「無料」と思って申しこんだら、つ
ぎつぎとあれこれ請求される。そうに決まっている。今、そういう事件が、これまたあと
を断たない。もともと、法に触れるようなスケベ事犯だから、被害者は、表に出すことも
できない。泣き寝入りするしかない。そのスキを彼らは、また、ついてくる。

 要するに、削除、削除、また削除! 今のところ、対処法は、それしかない。それにし
ても、しつこい!

 文明の利器も、こういうワルにかかると、本当に憂うつ。R天のみなさん、BLOGも
よいが、何とかしてくれ!


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●権威主義

+++++++++++++++++

あなたは、あなたより若い上司に
頭をさげることができるだろうか。

若いといっても、20歳とか30歳。
それくらい、あなたより若い……。

+++++++++++++++++

 もし、あなたより10〜20歳も若い上司がそこにいて、あなたにあれこれ命令したと
したら、あなたは、それに耐えることができるだろうか。

 あなたはあなたで、自分のキャリアには自信がある。それなりの苦労もしてきた。経験
もある。知識もある。しかし、相手は、あなたの上司だ。そういうとき、あなたは、自分
というより、そういう自分の職場を、どう思うだろうか。

 今度のライブD社の、Fテレビ局買収劇を見ていたとき、私は、ふと、こんなことを考
えた。「これは、ものごとを合理的に考える新世代と、伝統的な権威主義にしがみつく、旧
世代との戦いである」と。

 というのも、こうした買収劇を通して、年配の男たちが経営を牛耳るFテレビ局側にし
てみれば、30代そこそこの若者たちがいきなり自分たちと同等、もしくは、それ以上の
立場になるのは、許しがたいことではなかったのか。具体的に、頭の中で、シミュレーシ
ョンしてみれば、それがわかる。

 あなたは今、60歳だ。大会社の経営者である。社員は、1000人近くいる。そのほ
とんどが年功序列式の会社組織の中で仕事をしている。もちろんその中には、30代、4
0代の人もいる。あなたはそういう若い社員たちを、あごで使っている。

 が、ある日突然、そこへ新しい経営者が入ってきた。聞くと、その経営者は、33歳だ
という。しかも態度が大きい。しかし経営上の立場は、あなたと同等か、それより上。そ
ういうとき、あなたは、その若い経営者にどのような態度を取るだろうか。

 ほんの少しだけ、それを頭の中で想像してみてほしい。

 あなたは、同等の人間として、その若い経営者に、頭をさげ、その命令に従うことがで
きるだろうか。それとも、心理学でいうところの「役割混乱」を起こして、自己否定にま
で突っ走ってしまうだろうか。

 もちろん時間がたてば、慣れるということもあるだろう。しかしそれまで権威主義にこ
りかたまってきた人にとっては、そうではない。若い経営者に、あごで使われるようにな
ったとき、あなたは耐えがたいほどの屈辱感を覚えるかもしれない。あなたの経営方針が
否定されたり、批判されたりすれば、なおさらだ。

若い経営者「君、何だね、この数字は! 40年近くもマスコミの世界にいて、こんなこ
ともわからないのかね」
年配の経営者「はっ、申しわけありません。ただちに、やりなおします。どうか、2日間
だけ、時間的な猶予を私にください」
若い経営者「2日間だけだぞ」と。

 残念ながら、この日本には、こうした権威主義が、社会のすみずみにまで、根をおろし
ている。「私は、権威主義者ではない」と言う人だって、例外ではない。例外でないことは、
ここに書いたような立場を、ほんの少しだけ、頭の中で、シミュレーションしてみれば、
わかるはず。

 人間に上下はない。あるはずもないし、またあってはならない。しかしこの日本には、
ある。男が上、女が下。夫が上、妻が下。そして親が上、子が下、と。年齢による上下意
識も、残っている。こうした上下意識が、いかにバカげたものであるかは、外国へ行って
みればわかる。

 韓国のような、儒教意識が強い国は例外としても、そうした上下意識の残っている国は、
そうはない。言うまでもなく、権威主義は、その上下意識で成り立っている。

 仕事は仕事。職場は職場。しかし仕事や職場を離れてまで、そこに上下関係があるほう
が、おかしい。少し前の話だが、H市内の都市銀行の家族寮では、夫の地位に応じて、妻
たちの地位も決まっていたという。妻たちが集まる集会でも、一番地位の高い夫をもつ妻
が、中央にデンとすわる習わしになっていた。廊下ですれちがうときでも、地位の低い夫
をもつ妻は、地位の高い夫をもつ妻に、道を譲らねばならなかった。

 相手が自分より、若くても、だ。

 こうしたバカげた上下意識は、今でも、残っている。どこにでも、残っている。今度の
ライブD社の、Fテレビ局買収劇を見ていたとき、私が、「これは、ものごとを合理的に考
える新世代と、伝統的な権威主義にしがみつく、旧世代との戦いである」と思った理由は、
そこにある。言いかえると、今回の買収劇の背景にあったものは、上下意識をもたない非
権威主義と、上下意識をもつ権威主義との戦いであったと言ってもよい。

 その後のライブD社のH元社長には、少なからず幻滅したが、しかしだからといって、
非権威主義がまちがっていたということではない。若者たちは、H元社長の失敗にこりず、
これからも前に進んでほしい。日本の社会を亡霊のようになって包んでいる、この権威主
義を、こなごなに破壊してほしい。ひるまないで、負けないで……。

 その人の価値を決めるのは、地位でも肩書きでもない。実力だ。そういうあたりまえの
ことが、あたりまえに通ずるような社会になるよう、この日本をつくりかえてほしい。日
本人の意識をつくりかえてほしい。

 ……と力んだところで、この話は、おしまい。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 24日(No.704)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page013.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 お休みします!

【2】(特集)みなさんからのお便りから……□□□□□□□□□□□□□□□□□

【YKさんからのメール】

++++++++++++++++

YKさんから、こんなメールが
届いています。

2月から、作文指導を始めたこ
とについての、ご意見+アルファ
です。

YKさん、メール、ありがとう
ございました。

++++++++++++++++

はやし先生 

こんにちは。
だいぶ春めいてきました。
今日は、小学校の体力づくり大会。
午前中は、その応援に行ってきました。

最近、BWで国語(作文)の指導が始まったようで
「やってくださるといいな〜」 と以前から思っていたので
「やったー!」 と
うれしくて仕方のない今日この頃です。
ありがとうございます。

先日のレッスンの後、R雄(弟)が、

R雄「なんか具合悪いみたい。熱を測ってみる。」 
と、帰ってくるなり、そんなことを言いました。

どうしたのかな?、と様子をうかがっていると

R雄「今日はちょっと張り切りすぎかな〜。」
母  「はっ?  何が?」
R雄「BWでさっ。」
母  「何やってきたの?」
R雄「まあ、いろいろとね。」   ピピピッ
   「熱、37.2°だ。」
母  「頭が痛い?」
R雄「う〜〜ん…わからない。」
母  「まあ、とりあえず、ご飯食べようか。
    その後、また熱を測ってみよう。」

母  「もしや、これは脳みそをたくさん使ったことによる
   知恵熱かな? 」
と、内心ちょっとワクワク(!?)してしまいました。

以前、先生のエッセイにあった、「レッスン後頭が熱い」の
まさに、その症状かもしれない、と、おもったのです。


一時間後
R雄「熱を測ってみたら36.1°だったよ。」
母  「きっと、BWで脳みそをマックスに使ったからじゃないの。」
父  「そうだ!そうだ! 脳みそは使えるだけ使うのがいいぞ。」


とにかく、張り切る。あわてる。調子づく。
がライフスタイルの息子なので…。
ホント、お世話になります。

KH子(姉)の方は、淡々とした毎日を送っているようです。
私からみると以前に比べ、とてもどっしりとして見えます。
二学期の「いじめ」のトラブルもいい感じで乗り越えました。
「自信」 と言うわけでもないのでしょうけれど
自分なりのリズムをしっかり守ろうとがんばっているのが
よくわかります。

いい、傾向だな。 と、感じています。
でも、もしかしてそれは母親の私がやっとKH子のいいところに
気づいた(認めた)のかもしれません。

この子のゆっくりとしたマイペース。
どうかすると、「怠けているんじゃないの。」と
見えてしまう態度に本当にイライラしたものでした。

少し前、洗濯物を一緒に干しながら、
母  「ママはね、ママ学校に行ったわけでもないし
    ママになっていいよ。って合格証書をもらったわけでもないけど
    あなたが、生まれたと同時にママになったのよね。」
   「だから、わからないことや間違っていることが一杯あると思うんだ。
    今まで、ごめんね。」
と、言ってみたのです。

KH子「??? 別に…。」
と、言いながらびっくりした顔をしました。

4歳になったばかりの次女を見ていると
今まで上の二人、とくにKH子にしてきた子育てが
どんなに自分(親)中心のリズムで振り回していたのかがよくわかります。

最近では、ちょっとしたトラブルがあっても
「あ〜誤差の範囲ね。」、と
かなり図太くなってきた私、自分自身驚いています。
「誤差」とは失礼な…と子供たちは思うかもしれませんが…。

先日、食事をしているときにこんな会話をしました。
母   「KH子が、こんなにおもしろくなるとは思わなかったよ。」
KH子 「何、どうゆうこと?」
母   「そうね〜。例えて言うなら、トランプのカードが分けられて
    その内容がおもいのほかよくてワクワク。ゲームが楽しみ。って
    心境かな。」
KH子 「ふ〜ん。そう。」

KH子は、まんざらでもないニコニコ顔をしていました。
私の言いたいことはわかったようです。

「受験をしたい」と、自己主張したこと。
勉強ができるようになりたいと思い始めたこと。
自分自信の中での目標があること。
何より自分でやるようになったこと。

そして、勉強ができるようになってきたこと。

そんな前向きな様子に「おもしろくなってきた」という言葉が
私の中から自然と出てきたのだと思います。
もちろん、受験という当面の課題に向けていい下地ができてきた
という意味もあります。

親の子供への期待(要求)は本当に際限がないです。
正直なことを言えば、もっともっとという気持ちが無い
わけではありません。
もう少し上も行けるのでは…と。

でも、今は充分満足と思わなくては…と思っています。
だから、今のこの気持ちを忘れないように
と、思っています。

受験を迎えるこの一年は、KH子ではなく私(親)の
試練だと思っています。
どれだけ、子供を信じ、子供が心身ともに休めることのできる
雰囲気作りができるかが、私の受験(課題)です。

結果は、KH子のことを知らない試験官が決めることだからね。
合格すればもちろんうれしい。
でも否と出ても落胆することはない。
あなたの知らない人が決めたことよ。
と、そんなことを会話しています。

悔いの無いようにやれるだけやってみようね。

不安な自分と落ち着いた自分。
私の中には自分が二人いるみたいです。

これからもお世話になります。
よろしくお願いします。

**おたずね**

BWの新入生の募集がありますが年中さんからですよね。
次女(年少)が、姉・兄の行っているBWを夢の国のように思っています。
上の子を送っていくと車の中で大泣きなのですが…。
ダメ元で聞いていますので、ご無理なら気を使わずに断ってください。
年中から、お世話になろうと思っていますので。

++++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司よりYKさんへ】

 読むにつれて、楽しそうな家族の様子が伝わってきて、私もうれしくなりました。何か
と暗い話題がつづくこのごろ、YKさんからのメールを読んで、ほっとしました。ありが
とうございました。

 さっそくですが、YKさんとわからないようにして、マガジン(R天日記)のほうで、
YKさんのメールを紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。どうか、ご
了解ください。都合の悪い点があれば、至急、お知らせください。改めます。

 で、作文指導ですが、これから先、少しずつもりあげていきたいと考えています。「もの
を書く」というのは、私にとっては、「生きる」ことです。そんな思いを、お子さんたちに
伝えることができたら、うれしいです。

 で、この1週間、過去の著名な作家たちの文章を、筆写させてみたのですが、全員、1人
の例外もなく、喜んで従ってくれたのには、驚きました。指導を始める前は、「半分くらい
の子どもはいやがるだろうな」「そういう子どもは、どう指導しようかな」と、思い悩んで
いました。が、結果は、このとおりです。

 今日も、小3の子どもが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を書き写してくれました。それを
見ながら、私が、「日本で、これ以上、むずかしい文章はないから、これが書けるというこ
とは、君にとっては、むずかしい文章は、もうないということだよ」と話してやりました
ら、その子どもは、ニンマリと、うれしそうに笑いました。

 この指導を、2か月前後つづけたあと、作文指導と、読書指導に入りたいと思っていま
す。夏前には、ワークブックを買いそろえ、受験準備をしたいと思っています。いろいろ
やりたいことがたくさんあって、頭の中を整理するのが、たいへんです。

 これからも、よろしくお願いします。

【補足】

 国語力は、読書に始まって、読書の終わる。が、それだけでは足りない。プラス、作文。

 しかし作文といっても、子どもにそれをさせると、すぐマンネリ化してしまう。よい例
が日記。1か月も書かせると、文章そのものが、ワンパターン化してしまう。もちろん内
容も、だ。

 そこで私は「あったことを書くのではない。考えたことを書きなさい」と指導するが、
これもまた、うまくいかない。「考えたことを書く」という意味が、よく理解できないよう
である。

 そこで先月(1月)から、1クラスだけだが、交換ノートを始めた。最初、子どもたち
は、「交換日記〜イ?」と言ったが、交換日記ではない。私は「考えたことを書きなさい」
と指示した。

 そしてよく考えて書いた文章には、大きな丸をつけてあげている。つまりこうして子ど
もたちは、ほかの子どもの書いた文章と、自分の書いた文章を比較することによって、「考
える」ということはどういうことかを知る。子どもの先生は、実は、子どもである。

 ただ1つ問題がある。

 現在、ほとんどの学校では、この作文を、入試問題の柱にしている。それはそれでよい
ことなのだが、作文指導というと、心のどこかで入試準備を意識してしまう。つまり、試
験官に、迎合するというか、コビを売るような指導を、どうしてもしてしまう。

 「暗い話は書くな」
 「明るく、さわやかな文章を書け」
 「きちんとした文章で書け」
 「漢字を多く使え」
 「脱字、誤字には、注意しろ」
 「おかしな記号や、マークは使うな」と。

 親たちも、そういう目的で、私に作文指導を願っているわけだから、つまり、私として
は、スポンサーの意向に逆らうことはできない。が、それが本当によいことなのかどうか
というと、実は、私にもわからない。

 だいたい、それを指導する、私の作文力はどうか?、という問題もある。私が下手(へ
た)では、子どもの指導など、できるはずもない。そういう意味では、今回の作文指導に
は、ある種の緊張感を覚える。責任は重大、という緊張感である。

 YKさんへ、これからもがんばりますので、よろしくお願いします。

Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司



●掲示板より

++++++++++++++++++

それぞれの家庭には、それぞれの問題が
ありますね。

一見、幸福そうに見える家庭でも、そう
見えるだけ?

だから問題があることを悩むのではなく、
問題があって当然という前提で、自分の
家庭を見なおしてみる。

それが大切なのではないでしょうか。

掲示板へのこの書きこみを読みながら、
私は、そんなことを考えました。

++++++++++++++++++

【Yさんより、掲示板へ】

こんにちは。
私の実父母のことなのですが・・・
父には数年前から愛人がいます。たぶん現在も続いています。
母がその事に気づいてから、私や弟や親戚など、たくさんの人を巻き込み、父にいろいろ
追及したのですが、父は絶対に認めようとしませんでした。

母は、このままでは自分がおかしくなってしまうからと別居もしました。
2年ほど別居している間に、私は父と愛人が一緒にいるところを突き止め、その場で父と
話をして、「(愛人とは)もう会わない」と約束させました。

けれどそれは口先だけだったようで、一筆書いて署名捺印して欲しいと言うと、頑なに拒
否されてしまいました。
そして、母には「仲良くやっていこう」と言うのです。

父は母と結婚して以来、家計も自分で握っていて、母には食費として数万円、渡していた
だけでした。

母は、父はとてもやさしくしっかりした人だとずーっと思っていたのですが、60歳を目
前にして貯金がゼロだとわかり、しかも愛人までいて、かなりショックを受けたようでし
た。

父は、世間にも家族にも「いい人」を演じていただけで、実は、お金と女にだらしのない
人間だったのです。

私としては、そんな父はもう放っておいて、今すぐに離婚すればいいと思うのですが、母
には経済力がないのです。腱鞘炎とヘルニアのため無理もできません。
私や弟も現時点では、母を引き取る事は難しいです。

母は、7年後に年金法が改正されたら、離婚すると言っています。
それなら、生活のために今は割り切って、一緒にいるんだなーと思っていたのですが、父
の携帯電話をチェックして、私に「この番号にかけてみて」「相手が男か女か確かめて」と
言ってきたりするのです。

母は、執念深くて、嫉妬深くて、わがままな性格です。
あと7年も、母は父と生活できるのでしょうか?

私自身、主人が子供をかわいがれない(私も離婚したい)。次女のおねしょや爪噛み。長女
は朝起こしても起きない。起きても動かない。今1年生ですが、ほぼ毎日遅刻していて、「本
当は学校に行きたくないんじゃない?」など悩みは尽きないのに、実家のことまでとなる
とイライラしてしまいます。

愚痴のようになってしまって、すみません。
最近もんもんとしていて、誰かに聞いてもらいたかっただけです。
ここに書いてみて、ちょっとスッキリしました。

先生の日記・メルマガ。いつも楽しみにしています。
頑張ってくださいね(^^)v

【はやし浩司よりYさんへ】

 親の問題は親の問題と割り切って、Yさんから切り離して考えたらよいと思います。Y
さんが思い悩んだところで、どうにもならない問題かと思います。子どものあなたが、「離
婚すればいい」と考えたり、父親に、「約束させる」などということをしても、あまり意味
はないということです。

 同時に、父親、母親という、「親」に対する幻想も捨てます。幼児期に、子どもは、親は
絶対という意識をもちます。(「もつ」というより、「植えつけられる」のかな?)「人工論
※」というのが、それです。その人工論が、そのまま残像、あるいは亡霊となって、子ど
※もの心の中に、生涯にわたって残ります。

 親子の密着度が強ければ強いほど、この人工論も、強く残ります。わかりやすく言えば、
親に対して、いつまでも、幻想をもちやすいということです。

 しかし親とて、人間。ただの人間。ばあいによっては、子どものあなた自身より、レベ
ルが低いことだって、ありえます。だから親に、高邁(こうまい)な人格など、求めない
こと。期待しないこと。

 (だからといって、Yさんのご両親が、そうであると言っているのではありません。一
般論として、そう言っているだけです。)

 また「愛人がいた」ということと、「女性にだらしない」ということとは、別問題のよう
に思います。つまり「愛人」と、「心のだらしなさ」を、直接結びつけないほうが、よいの
ではないかと思います。恋愛感情などというものは、その人の知性や理性を超えた世界で、
その人の内部、奥深くで生まれるものです。「女性にだらしない」というのは、たとえば、
女性の心を、平気でもてあそぶような行為をいいます。

 あなたの父親は、ひょっとしたら、そうではないのではないかと思います。「60歳を前
にして」とありますので、あなたの父親は、私と同年齢かもしれませんね。私のような年
齢になると、セックスのために「女性」を求めるということは、もうありません。その気
が消えるわけではありませんが、そういうことをするのを、めんどうに感ずるようになり
ます。

 で、一番、苦しんでいるのが、実は、父親自身ではないのかなと思います。自分で自分
をどうしたらよいのか、わからないでいるのかもしれません。まあ、同じ同性の立場で言
えることがあるとするなら、一方的に、父親が悪いというものの考え方をするのではなく、
また一方的に母親の味方をするのではなく、父親自身の心に耳を傾けてがえうことのほう
が、大切なのではないでしょうか。

 まあ、これも人生。あれも人生。いろいろなことがありますね。掲示板への投稿、あり
がとうございました。

++++++++++++++++++++++

※……乳幼児の心理(幼児の人工論)

 乳幼児の自己中心性は、よく知られている。

 このほかにも、乳幼児には、(1)物活論、(2)実念論、(3)人工論など、よく知られ
た心理的特徴がある。

 物活論というのは、ありとあらゆるものが、生きていると考える心理をいう。

 風にそよぐカーテン、電気、テレビなど。乳幼児は、こうしたものが、すべて生きてい
ると考える。……というより、生物と、無生物の区別ができない。

 実念論というのは、心の中で、願いごとを強く念ずれば、すべて思いどおりになると考
える心理をいう。

 ほしいものがあるとき、こうなってほしいと願うときなど。乳幼児は、心の中でそれを
念ずることで、実現すると考える。……というより、心の中の世界と、外の世界の区別が
できない。

 そして人工論。人工論というのは、身のまわりのありとあらゆるものが、親によってつ
くられたと考える心理である。

 人工論は、それだけ、親を絶対視していることを意味する。ある子どもは、母親に、月
を指さしながら、「あのお月様を取って」と泣いたという。そういう感覚は、乳幼児の人工
論によって、説明される。

 こうした乳幼児の心理は、成長とともに、修正され、別の考え方によって、補正されて
いく。しかしばあいによっては、そうした修正や補正が未発達のまま、少年期、さらには
青年期を迎えることがある。

 今朝のY新聞(6月28日)の朝刊を読むと、まだあのA教祖に帰依している信者がい
るという。あの忌まわしい地下鉄サリン事件をひき起こした、あのA教祖である。

 私はその記事を読みながら、ふと、こう考えた。

 「この人たちの心理は、乳幼児期のままだな」と。
(はやし浩司 人工論 物活論 実念論 乳幼児の心理 子どもの心理 子供の心理)


●アメリカの日本人

+++++++++++++++++++++++

アメリカ在住のSZさんという方から、
こんなメールが届いています。

SZさんのお子さんは、BW教室のOBです。

+++++++++++++++++++++++

【SZさんより、はやし浩司へ】

はやし先生へ

メール、ありがとうございました。

自分の子供をアメリカ人として育てることは、考えたことがありません。
物理的な事情で、アメリカの公立小学校と日本語補習校に通わせています。

とはいっても、子供たちは毎日アメリカの学校に通い、アメリカ合衆国に忠誠を
誓う宣誓を行ってから授業に望みます。

友達も皆、アメリカ人です。アメリカ人といっても、カリフォルニアは移民の多い州
です。

白人、アジア人(中国人、日系人、インド人、韓国人、カンボジア人・・)アラブ
人、

ヒスパニック系の人々、どのように整理してよいか分からないほどです。

ここで日本人として育てるにはどうすればよいのかと、考えあぐねます。

子供たちが色々な人種の友達と付き合うことで、日本文化のすばらしさを感じ、
アジア人としての誇りをもつようになれば、どんなにすばらしいかと思います。
まだ小さいので難しいでしょうが、これは私の理想です。

日経新聞2・15に(長野・軽井沢「日本」のリゾート)という記事がありました。
私は市町村の景観形成計画をつくる仕事をしていたので、こういう記事に興味があり
ます。

星野リゾート社長は米コーネル大大学院でホテル経営を学んだそうです。

「欧米の友人を日本のリゾートや別荘に案内すると「西洋のまねではないか」とがっ
かりされる。それが悔しかった」と。

それで「森に囲まれた谷あいの集落」というコンセプトで、ホテルを具現化したそう
です。
「日本が過度に西洋の影響を受けず、固有の文化を大事にしたらどうなったか想定し
たと。」
こういう仕事は、日本人であり、また国際感覚をもっている人でなければできないと
感じました。

先生のいう、日本人でいくか、アメリカ人でいくかという問題は、また違った次元の
事と思いますが、色々考えさせられます。

Y子(娘)は、Grade 2の3学期に入り、勉強が一段階、難しくなりました。
算数は簡単ですが、文章を作る宿題やレポート形式の宿題など苦労します。

近所の高校生に、木曜日だけ現地校の宿題を見てもらうことにしました。
彼女はアメリカ人として育ちましたが、小学生の時、日本語補習校に通っていたので
日本語が話せます。

ハンガリーの日本人学校の先生に、「アメリカで、K式の教室に行くといいよ。」
と勧められました。しかし、今のところ宿題だけで手一杯なので考えていません。
夫は「勉強はがんばらなくていいよ。今からがんばったら息切れするよ」と言ってい
ます。

由紀子は本を読むのが好きで、日本語と英語の本を週に6冊くらい読みます。
日本語習得のため、本をたくさん読むように、補習校から指導を受けています。
補習校には図書室があり、週3冊ずつ日本の本を借りることができます。

日本語補習校をやめて、塾に移る方もたくさんいます。補習校はあくまでも日本の学
校で、体育や図工、学校行事など行われます。スケジュールが厳しく、それを補う
ために宿題がたくさん出ます。

家庭教育で補っていくのです。

塾は日本の勉強を少人数制で教えてくれます。先生方も日本の受験システムを熟知し
ています。

何とか、現地校と日本語補習校のバランスをうまくとっていきたいです。

ほとんどの日本からの駐在員は治安の良い地域に住んでいます。治安の良い地域=教
育レベルの高い地域です。

公立小学校なのに10段階にレベル分けされ、公表されています。レベルにより、州
からの補助金が決まるので、学校は学力を上げるため力を注ぎます。子供たちの通
う学校は、レベル10最高ランクの学校で、Grade 4から優秀な子供を集めた特別
クラスができます。

何だかすごいところに来たと 最初は思いましたが、アメリカ人の子育てはとてもお
おらかだと感じます。

落第や飛び級など あまり気にしないような印象を受けます。

先生も良くご存知のとおり、アメリカのLibraryの時間はとても良いですね。
Libraryの先生が 読み終えた本の内容を理解できたかテストし、子供の能力にあっ
た本のレベルを選定します。

日本の学校でも取り入れるといいですね。

駐在は5年間の予定で、子供が中学1年生、小学5年生での帰国の予定です。わかり
ませんが・・・・。

日本は寒いようですね。こちらは暑くなったり寒くなったり、砂漠気候です。先日、
暑くて風の強い日に山火事がありました。
怖いものです。

乱文、お許しください。

アメリカC州在住、SZより


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

【SZさんへ、はやし浩司より】

拝復

アメリカの教育事情の一端がわかり、
たいへん興味深く、読ませていただきました。

ありがとうございました。

日本に住んでいると、日本文化のよさって
どこにあるのだろうと考えても、よくわかりません。

しかし反対に、アメリカ人に接してみると、
彼らのもつ合理主義に、ときどきついて
いけなくなることがあります。

それを掘り下げていくと、日本文化が見えてくるの
かもしれませんね。

アメリカやオーストラリアなどの広い荒野の中に
立ってみると、自分とは何か……と、どんどんと
小さくなっていくのがわかります。

絶望感に似た、気が遠くなるような気分です。

そのとき自分を支えてくれるのは、「私は
日本人だ」という民族主義かもしれません。

だから私は民族主義を否定はしません。
どうか誤解しないでくださいね。

でもね、正月に息子たち夫婦が、アメリカ
から来たときのことです。

アメリカ人の嫁はもちろんのこと、息子まで、
日本の料理を、ほとんど食べないのですね。
9年もアメリカにいるとそうなるのでしょうか。

嫁の妹などは、寿司でも、海苔が食べられなくて、
全部、海苔をはがして寿司を食べていました。
「へえ〜」と驚くやら、残念に思うやら……。

そのとき私は現場にはいませんでしたので、
ワイフがおもしろおかしく話す話を、笑って
聞いていただけですが……。

が、その息子がアメリカへ帰って、真っ先に
したことは、アメリカのレストランに飛び込んだ
ことだそうです。

きっとアメリカ食が、恋しかったのでしょうね。

それをBLOGで読んで、では今まで、
せっこら、せっこらと、日本食や日本の雑誌を
送り届けていた私は、いったい、何だったの
かと、ふと、自分がなさけなくなりました。

嫁さんも、当初は、日本語を勉強したいと
言っていたのですが、育児に忙しいらしく、
その時間もなかったようです。

日本で、日本語で会話をすることは、まったく
ありませんでした。

息子は、完全にアメリカ人になる道を選んだ
ようです。(とっくの昔に!)

しかしその一方で、日本を大上段に批判
したようなことを言うと、私の民族主義が
ムラムラと反発を覚えたのも事実です。

そうそうこんなことがありました。
正月に、その息子が熱を出しました。
それで別の息子に車を運転させ、夜中に、
近くの店まで行ってもらい、体温計を
買ってきました。古いのをなくしてしまった
からです。私自身も、風邪をひいて、
かなりの熱があったのですが……。

その体温計を、息子の部屋にもっていって、
息子の体温を計ろうとしましたら、えらく
息子に怒鳴られてしまいました。ふつうの
怒鳴られ方ではなかったので、私は、かなりの
ショックを受けました。

ワイフにも、「あなたはいつも、いらぬおせっかい
をし過ぎなのよ」と、しかられる始末。

しかし「これが日本人なのだがなあ……」と
思いました。熱き、人情が、です。でも、そうした
人情など、アメリカ人には通用しませんね。
まったく通用しない。アメリカ人には、そうした
行為は、お人よしのバカがするもののように
見えるのかもしれません。

私の父は、台湾で、アメリカ軍と戦い、腹に
貫通銃創を2発も受けています。そういう過去も
知らないで、またそういう私や父、日本に遠慮
もしないで、「日本はつまらない」というような
ことを言うのですから……。ときには、私のほうが
怒れてくることもありました。

まあ、息子は息子で、幸福になってくれれば
それでいいのですが……。親として何も望む
ことはありません。どうせ私はやがてあの世へ
行く立場ですから、とやかく言ってもしかたの
ないことです。

私は私で、合理的に生きていくしかありません。
そう、最近は、つとめてその息子については
合理的に考えるようにしています。が、悪い
ことばかりではありません。

その息子を見ながら、いろいろ学んだのも
事実です。それまで知らなかった世界も、知る
ことができました。

しかしね、SZさん、肌の黄色い日本人が
いくら、「私はアメリカ人だ」と叫んだところで、
白人のアメリカ人は、それを受け入れてくれる
ものなのでしょうか? そのあたりのことを、
また教えてください。

白人の目から見れば、日本人も、ベトナム人も
同じ。黒人より、劣等な民族と思っているかも
しれません……と、まあ、そんなことを心配
するのも、これまたいらぬ、おせっかいかもし
れませんね。

この部分についての返事は、いりません。どう
返事をもらったところで、どうにもならないか
らです。

……とまあ、どこかグチぽい話になってしまい
ましたが、私のほうは、何とか、元気に生きて
います。

またまたいつものお願いですが、SZさんからの
今回のメールを、マガジンに掲載させてください。
多分、3月24日号に掲載できると思います。

もし都合が悪いようでしたら、連絡下さい。

よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++++++

【SZさんから、追伸】

はやし先生へ

マガジン掲載のこと、了解しました。

先生と私では、経験と知識の差がありすぎて
誤解すらしようがありません。

国際結婚をしてアメリカ国籍を得る、それは自然な
ことと感じます。

日系人は立派にアメリカ人として生きているように見えます。
日本人は他のアジア人ほど差別を受けていません。
日本人はアメリカ人に認められているように感じます。
現に、私は白人のアメリカ人に声をかけられ、親切にして
もらっています。「日本に行ったことがある。」とよく、
話しかけられます。

カリフォルニアだからかもしれません。
東海岸や南部は事情が違うようです。

みなさん、日本食が大好きなんですけれど・・。

海苔をはがす話は、よく聞きます。
海のないところで育つと、あの香りが苦手になるようです。
ハンガリー人もそうでした。
多分、海産物の香りが苦手なのでは? だしの香りとか。

アメリカの食事は大味です。それに慣れると繊細な味付けの
日本食は物足りないかもしれません。
とんかつやすき焼きなら、好きかもしれません。

ひとつ 私の仕入れた気になる情報です。

この国の人たちは算数が苦手です。
この国のコンピュータ業界は、中国人やインド人など
アジア人が支えているようです。そして儲けているのは
だれか? 夫は「この国は移民が支えている?」と言ってい
ます。

先生はご存知なことかもしれませんが・・。
色々考えさせられます。

ひどい事件が続いていますね。

SZより



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本が最大の拠出国???

+++++++++++++++++++

たばこの健康被害を低減を目ざす、「たばこ
規制枠組み条約」なるものが、2月7日、
ジュネーブのWHOで討議された。

その席で、日本が費用の22%、約176
万ドルを拠出することになったという。

もちろん日本が、最大の拠出国!

+++++++++++++++++++

 欧米先進国の中で、世界一、たばこ規制に甘い国。それが日本。その日本が、日本の外
では、「たばこ規制枠組み条約」なるものに対して、いい子ぶっている? みなさんには、
そのおかしさが、理解できるだろうか?

 まず、Yahoo・ニュースの一部を読んでみてほしい。

いわく、「たばこによる健康被害の低減を目ざす、(たばこ規制枠組み条約)の第1回締
約国会議が17日まで、ジュネーブの世界保健機関(WHO)本部で開かれ、条約事務
局をWHO本部に設置することなどを決めて閉幕した。2006―07年の事務局予算
は801万ドル(約9億5000万円)で、日本が22%の約176万ドルを負担する
最大の拠出国となった」と。

 こんな(条約)を結ぶくらいなら、まず日本国内で、(たばこ規制枠組み条例促進法)で
も何でもよいから、制定すればよい。それもしないでおいて、いきなり、(国際条約)とは? 
たしかにこの日本でも、喫煙は、規制されるようにはなってきている。しかしまだまだ甘
い。それにきびしくなったといっても、ここ数年の話。

 そんな日本が、日本の外では、大きな顔をしている? 気前よく、またまたお金をばら
まいている? 

 私は、もう15年前から、たばこの看板規制を、強く訴えている。私の教室の目の前の
ビルの屋上には、縦横、5メートルほどの大看板が、立っている。夜には、その看板を、
照明灯が、明るく照らす。私には、それが気になってしかたない。

 そういうものを一方で放置しておきながら、何が、(たばこ規制)だ! たばこの健康被
害が問題になったころには、「吸いすぎには注意しましょう」などという看板が立てられて
いたこともある。

 吸いすぎを注意したかったら、そういう看板を、撤去することだ!

 ところで、あの低ニコチンタールのたばこなるものは、かえって危険であることがわか
ってきた。その分だけ、味も、薄い? 「低ニコチン」ということに安心感を覚え、喫煙
者は、かえって喫煙量をふやしてしまうという。ニコチンの量がいくら半分でも、倍の数
のたばこを吸ったのでは、意味はない。

 それにこの日本では、男性の喫煙率はさがっているというが、反対に女性のそれはあが
っているという。もし外国でお金をばらまく余裕があるなら、まず国内での、たばこ規制
のために、そのお金を使うべきではないのか。

 それにしても、こうした多額のお金が、外務省の官僚たちの裁量だけで、自由に使われ
ているというのは、恐ろしいことでもある。しかしなぜ、日本は、こうまで気前がよいの
か? それには理由がある。

実は、みなさんはご存知ないかもしれないが、こうしたWHOなどの国際機関ですら、
日本の官僚の天下り先になっているのである。そのためにお金をばらまいている(?)。

 たとえば現在、国連事務局には、111人(女性66人)の日本人が働いている。しか
しそのほとんどは、日本の外務省から、身分を変えて、派遣されている職員たちである。(ア
メリカ人、312人、ドイツ人、143人、フランス人、116人。外務省国際社会協力
部、05年調査)

 日本の官僚たちは、ここまでやるぞ! やっているぞ! そのうち、どこかで問題にな
るのだろうが……。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 22日(No.703)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page012.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室より】

++++++++++++++++++

子どもの心を傷つけた?

私は今日、こんな失敗をした。

++++++++++++++++++

KS様へ

こんばんは!

今日は、KS様にお詫びしたくて、メールを書きます。

実は、今日のレッスンで、こんなことがありました。

レッスンが始まってまもなくのこと。ちょうど、みなが、
バレンタインデーのチョコの話をしていたときのことです。

「もらった」「あげた」「もらわなかった」と騒いでいました。

と、そのとき、だれかが「義理チョコだ」「義理チョコをあげた」と
騒いでいました。私はそのとき、だれかのプリントに丸をつけて
いたと思います。

そのとき、KSさんが、「先生、これ」と小さな声で、
クッキーをくれました。

で、私は、「義理チョコ」と騒いでいた言葉をそのまま
受け売りしてしまい、いい意味で、「おお、これはすばらしい
義理チョコだ」と言ってしまいました。

瞬間、同時にその言葉は、KSさんを傷つける言葉で
あったことも知りました。

で、丸つけが終わると、すぐ、KSさんのところへ行き、
「ひどいことを言ってごめんね」と謝りました。

で、「手作りのクッキーだったの?」と聞くと、KSさんが、
「うん」と言いました。ますます私は自分の言った言葉を
恥じました。昨年も、手作りのクッキーをもらった
からです。

で、そのあと、2、3回、KSさんにあやまりましましたが、
しかし一度口から出た言葉は、取り消せません。

最後に別れるとき、「手作りのをくれたのは、君だけだよ。
うんと、いいお返しをするからね」と言いましたら、
はじめて、顔をゆるめてくれました。

もし機会があれば、くれぐれも、林は反省していると
お伝えください。

よろしくお願いします。

本当にすまないことを言ってしまったと
反省しています。

ごめんなさい。これからは、気をつけます。

では、
おやすみなさい。


はやし浩司 

++++++++++++++++++++++

このメールを出すと、すぐ、KSさんのお母さん
から返事のメールが、届きました。

それを読んで、ほっとしました。

++++++++++++++++++++++

【KSさんのお母さんから、はやし浩司へ】

はやし先生

メールを読んで驚きました! R子からは、そのような話を
聞かなかったうえに、「先生からチョコをもらったの♪」と
嬉しそうでしたから。

教室から出てきた様子では、「先生はチョコをを食べない
人らしくて、クッキーをその場で、粉まで食べてくれた」と、
そちらのほうの印象が強かったようです。

まだ「義理チョコ」というものが、どういうものか、わかってい
ないのでしょう。恋愛対象にチョコレートをあげる、というこ
ともわかっていないようです。むしろ「先生は本当にチョコレ
ートを食べない人なんだろうか?」というほうが疑問に残った
ようでした。

小学生は大きくなるにつれて、バレンタインデーへの思いが
どんどん変わっていくものですね。先生方も大変だろうなと
思います。

どうぞR子のことは、ご心配なく。本人、本日もニコニコで
楽しくBWに行って帰宅しました。またこれからもよろしく
お願いいたします。

KSでした。


++++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、KSさんのお母さんへ】

 返事をいただき、ほっとしました。ありがとうございました。私は、少し調子に乗ると、
すぐこういうヘマをしてしまいます。だから昔から、女性には、もてません。ワイフに言
わせると、デリカシーがないからだそうです。

 今でも、ワイフに、「愛しているよ」などと言うと、「気持ち悪いから、やめてよ」と言
われてしまいます。「あなたに言われても、心に響かない」とか、「あなたが言うと、MR・
ビーンみたい」とか言われることもあります。子どものころから、女の子と遊んだ経験が
ないと、男も、こういうダサイ男になるのですね。ホント!

 やはり男というのは、子どものときから、女の人とも、適当に交際しながら、技術をみ
がかねばいけません。いえ、実のところ、正直に告白しますが、いまだに、女子を教える
のが、苦手です。どこかで気をつかってしまうからです。

 その点、男子は、平気です。あのクラスでも、たがいに言いたいことを言いあって、楽
しく学習を進めています。みんな、私の名前も、呼び捨てです。「おい、林、ここ、わから
ん」とか言って、問題をもってきたりします。それを受けて、「あのなア、先生にものを聞
くときは、林先生とか何とか言え」と私は言っているのですが……。

 もっとも、たがいに気をつかっていたら、どちらも、疲れてしまいますね……。まった
く気をつかわないところが、BWのよいところでもあります。勝手な言い訳ですが、どう
かご理解の上、お許しください。

 が、やはり、今日のあの言葉は、失敗だったと思います。お母さんがおっしゃるようで
あればよいのですが、私は、KSさんは傷ついたと、今でも、思っています。すみません
でした。そのあと、何度も謝りましたが、謝ってすむ問題でもありません。私がKSさん
なら、怒って、その場で、クッキーを私に投げつけたと思います。

 ただ私は、よい意味で、「おお、これはすばらしい義理チョコだ」と言ったつもりですが、
KSさんにしてみれば、「せっかく手作りで焼いてきてあげたのに、何てこと言うのよ!」
ということになりますね。やはり……。

 すみませんでした。

 で、お願いがあります。

 いただきました、KSさんからの返事を、お名前など、KSさんとわからないようにし
て、楽天の日記(無料マガジン)に載せたいのですが、ご了解いただけませんか。このと
ころ、原稿のネタさがしに、少し苦労しています。よろしくお願いします。その原稿を、
そのまま、こうしてKSさんに送ります。

 よろしくお願いします。もし都合が悪いようでしたら、ご連絡、ください。では、おや
すみなさい。今日は、朝、5時に起きたこともあり、目がショボショボしています。

 KSさんは、本当に、すばらしいお子さんですね。心が純粋で、けがれがないというか。
心のたいへん暖かいお嬢さんです。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●エタノール消毒薬と筆写

 BW教室では、今週から、新しい2つの試みを始めた。ひとつは、毎回、子どもたちの
手に、エタノール消毒薬をふきかけること。エタノール消毒薬というのは、病院で、手や
手術道具の消毒に使用している消毒薬である。

 もちろん鳥インフルエンザ予防のためである。べトナムやインドネシアでは、すでに死
亡者が相次いでいる。鳥インフルエンザが日本に上陸するのは、もう、時間の問題。来週
かもしれないし、来月かもしれない。

 あとは、うがいだが、それも様子をみながら、始める。また当然のことながら、咳をす
る子どもについては、マスクを着用させている。が、ひとりだけマスクをかけさせると、
中には、いやがる子どももいる。そういうときは、全員にかけさせる。

 ところで、使い捨てのマスクだが、20〜30枚で、500円前後で買うことができる。
しかし子ども用のものがない。しかたないので、耳にかける部分を結んで、短くして使っ
ている。が、小さい子どもだと、顔中が、そのマスクでおおわれてしまう。

 どうしたらよいものか。咳をする子どもは、みなから離れた席に座らせるようにしてい
るが、これも、ときどきいやがる子どもがいる。「あなたが悪いのではないよ。咳の中のば
い菌が悪いのだよ」と何度も説得してから、そうしている。

 もうひとつの新しい試みは、毎回、レッスンの前に、名作の一部を、子どもたちに転写
させていること。これは小学3年生以上の子どもに、実施している。「BWの子どもは、算
数はできるが、国語は苦手」という、不名誉な評判を耳にしたからである。

 「まあ、見ていなさい」というのが、私の今の心境。私がもっている国語力、とくに作
文力を、子どもたちに伝えたい。

 で、いろいろな名作を集めた。その一部を切りぬいて、ラミネート加工した。こうして
全部で、48作ほど、筆写用の原稿を用意した。原稿用紙も、印刷した。

 その中には、つぎのようなものがある。

○五月の海……与謝野晶子
○檸檬(れもん)……梶井基次郎
○野菊の墓……伊藤左千夫
○一握の砂……石川啄木
○少年時代……幸田露伴
○獄中記……大杉栄
○草枕……夏目漱石などなど。

 小学3年生〜にはむずかしいと思われる人もいると思うが、筆写で使うなら、芥川龍之
介の「羅生門」でも、だいじょうぶ。ただし漢字には、すべて読み仮名をふっておいた。

 これを2、3か月の間、レッスンの前の習慣として、子どもたちにしてもらう。国語力
の強化は、作文に始まり、作文に終わる。

********************************保存版

●子どもが生まれるともらえる給付金

++++++++++++++++++

児童手当は、いくらか、ご存知ですか?

++++++++++++++++++

【育児給付金】

子どもが生まれると、各種の給付金を受け取ることができる。それらには、(1)出産育
児一時金、(2)出産手当金、(3)育児休業給付金、(4)児童手当がある。

●出産育児一時金

 これは健康保険から支給されるもの。子ども1人あたり、30万円。妊娠4か月を過ぎ
ていれば、流産、死産でも支給される。

●出産手当金

 勤めている女性が、妊娠、出産で仕事を休み、給料がもらえなかったばあいに、支給さ
れる。退職しても、6か月以内に出産すれば、支給対象になる。支給される金額は、日給
の6割。

●育児休業給付金

 男女を問わず、育児休暇をとっている間に、給料がまったく支払われないか、休業前の
8割未満になったばあいは、「育児休業給付金」が、もらえる。支給金額は、休業前の給料
の3割。

●児童手当(後述)

 これらの手当金のほか、各地方自治体では、以下のような助成金制度をもうけている。

【子育て支援・助成金】

 現在、子どもをもつ親に、国や自治体は、以下のような
子育て支援・助成金を支給している。受領が可能と思われる
方は、遠慮せず、各窓口へ、相談してみたらよい。

●私立幼稚園就園奨励費

 資格……私立幼稚園へ通っている園児のいる家庭
 金額……年額、5万6500円(所得制限あり)
     (国と自治体から)
 届け出先……幼稚園、もしくは、各市町村村役場
       申請書を提出する。
     (現在、各私立幼稚園で代行。幼稚園に問いあわせてみること。)

●児童手当

 資格……小学校3学年修了前
金額……月額5000円
     第3子以降……月額1万円(所得制限あり)
 届け出先……各市町村村役場

●児童扶養手当

 資格……ひとり親
 金額……第1子……4万1880円
     第2子……プラス5000円
     第3子……プラス3000円
 届け出先……各市町村役場

●児童育成手当

 資格……ひとり親
 金額……1万3500円前後(自治体によってちがう)
 届け出先……各市町村役場

●特別児童扶養手当

 資格……身体障害者1級手帳の子ども
 金額……月額5万1550円
 届け出先……各市町村村役場
 

 ほかに、乳幼児医療費助成金、ひとり親家庭医療費助成などがある。助成金の額は、自
治体によって、異なる。医療費の全額もしくは、ほとんどを助成してくれる。

 すべて届け出先は、各市町村村役場になっているので、こまめに足を運んで相談するこ
とが大切。これらの中には、届け出を出さないと受領できないものもが多く、また届け出
を出した時点からしか支給されないものもある。

 上限の年齢制限もあるので注意。児童扶養手当、児童育成手当ては、子どもが満18歳
になるまで。子どもが生まれたらすぐ、相談してみる。

 方法としては、私のこのページをそのままコピーして、相談窓口で、順に説明を求める
とよい。
(はやし浩司 育児給付金 児童手当 扶養手当 休業給付金 児童育成手当 出産手当
金)

*************************************

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●こだわりの強い子ども

+++++++++++++++++

うちの子は、何かにこだわると、そればかり
気にしてしまいます。最近は、臭いに敏感で
少しでもへんな臭いがすると、不潔とか、
嫌いとか言って、おおげさに避けようとします。

また毎日、暇さえあれば、手ばかり洗っています。

子どものこだわりを感じたら、どうしたらい
いですか?

下に、4歳の長男がいます。
(6歳女児をもつ母親より)

+++++++++++++++++

つぎのことに気をつけられたら、よいかと思います。

(1)求めてきたときが、与え時

 スキンシップなどを求めてきたら、すかさず、与えます。瞬時をおかずして与えるのが
コツです。たいてい10〜20秒前後で、子どもは満足します。「待っていてね」「忙しい
から」は禁句。

(2)暖かい無視

 潔癖症(手洗いぐせ)などの(こだわり)については、暖かい無視を繰りかえします。
叱ったり、やめさせようと考えるのは、タブーです。子どものほうから何かを言ってくる
まで、暖かい無視を繰りかえします。

(3)食生活を改善

 Ca、Mg、Kの多い、食生活、献立に切りかえてください。乾ししいたけの話が出ま
したので、資料を添付しておきます。乾ししいたけは、カルシウムを吸収する作用があり
ます。与えるとしても、適度に! なお白砂糖は避けます。与えるとするなら、精製され
ていない、黒砂糖にしてください。なお、しばらく砂糖断ちをしてみてください。

(4)家庭の中は、安らぐ場所

 「うちの子は、外ではがんばっている」と思い、家の中では、思いきり羽をのばすよう
にさせます。ぞんざいな態度を見せたり、だらしない生活をするかもしれませんが、ここ
でも「暖かい無視」を繰りかえしてください。

(5)二番底、三番底を警戒

 この問題には、二番底、三番底があります。「なおそう」と考えるのではなく、今の状態
をこれ以上悪くしないことだけを考えて、2〜3か月単位で様子を見ます。あせればあせ
るほど、逆効果です。過負担、過剰期待も、この際、ひかえます。ほどほどのところで、
手を引き、お母さん自身も、肩の力を抜いてください。幼稚園も、ときどき休むくらいの、
そんな心の余裕が大切です。

   あとは、「許して、忘れる」ですよ!!!   
                          はやし浩司
(はやし浩司 こだわり こだわりの強い子供 潔癖症 疑惑症 固執 手洗い 手洗い
癖 手洗いぐせ はやし浩司)

Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司


【Nさんへ】

++++++++++++++++++++

昨日(1・15)は、教室で、いろいろ
話をさせていただき、ありがとうございました。

改めて、ご主人のすばらしさには、感動
しました。「さずがだな……」と、何度も
思いました。

あのあと、あれこれ考えました。
失礼なことを、言ったかもしれませんが、
どうか、お許しください。

で、いろいろな点について、補足しておきたいと
思います。この原稿が、Nさんの目にとまることを
願っています。

++++++++++++++++++++

 お子さんの名前を、Mさん(年長児)としておきます。そのMさんですが、全体として
みると、まったく問題のない子どもです。まずそれを前提として考えます。

 で、Mさんの症状は、大きく分けて、2つあります。(1)神経症(心身症)による症状
と、(2)赤ちゃん返りがこじれた、強度の分離不安もしくは、かんしゃく発作です。

 別々に考えると、それらは、子どもの世界では、よく見られる、ごくふつうの、何とい
うか、だれでも一度くらいは経験する問題だということです。この2つをくっつけてしま
うと、何がなんだか、わけがわからなくなりますから、ご注意ください。

 ここではNさんのことを直接書くことはできませんので、今までに経験した子どもの中
から、いくつかの事例をあげて、具体的に考えてみたいと思います。何かのお役にたてれ
ば、うれしいです。もちろんNさんのことを書いているのではありません。

●マッチ・ポンプ

 ときどき経験するのが、「マッチ・ポンプ」です。母親が一方で子どもの問題をつくりな
がら、他方で、「どうしよう」「どうしたらいいの」と悩むのが、それです。よい例が過干
渉です。

 子どもの精神状態にまで干渉しながら、その結果、子どもに過干渉児特有の、萎縮性や
内閉性が見られるようになると、「どうしたらいいですか?」と。私は、母親に原因がある
という意味で、「母因性」という言葉を使っています。

 Nさんが、そうであるということではなく、そういうケースは、多いです。

 ほかにたとえば、母親自身が、育児ノイローゼになり、その影響を子どもに与えておき
ながら、やはり「どうしたらいいの?」と。5、6年前ですが、こんなことがありました。

 母親が交通事故を起こしてしまいました。かなりひどい事故だったようです。で、その
直後から、その母親は、毎週、2〜3つの病院を、かけもちで通うようになりました。内
科と整形外科と、もう1つは何だったか忘れました。が、やがてそれに、精神科が加わる
ようになりました。

 事故をきっかけとして、つまりそれ以後、すっかり体調を崩してしまい、うつ状態にな
ってしまったからです。電話での様子も、事故前と、事故後では、まったく別人のように
変わってしまいました。

 で、子どもに影響が現れ始めたのは、それから数か月から半年してからのことだったと
記憶しています。そのときその子どもは、小学2年生(女児)ではなかったかな?

 すっかり暗くなってしまった家庭で、(当時の私は、そう感じていました)、その子ども
は、自分の居場所をなくしてしまったのかもしれません。その子どもの表情は、日を追う
ごとに暗くなっていきました。そして毎日のように、頭痛や腹痛を訴え、学校へ行っても、
ほとんどの時間を、保健室で過ごすようになってしまいました。

 が、母親自身は、あれこれ病気を訴えながらも、それはそれとして、「私は変わっていな
い」と思っていたのかもしれません。子どもに、何か変化が起きるたびに、「どうしたらい
いでしょうか?」と相談にやってきました。

 しかし私の立場では、「お母さんに、原因がありますよ」とは、とても言えませんでした。
交通事故による心の後遺症が、あまりにも痛々しかったからです。「母因性」というには、
あまりにも酷な状態でした。

●神経症の問題

 子どもが何か、どこかおかしな症状を見せると、親は、悩みます。たとえばチックを考
えてみます。

 チックといっても、症状には軽重があるものの、何割かの子どもが、一度は経験すると
いうほど、珍しくも何ともありません。

 そういうチックを知ると、(ほとんどの親はチックであることですら気づかず、「おかし
なクセ」と誤解して、見過ごしてしまいますが)、親は、とたんにそれを気にするようにな
ります。

 ほんの少しまばたきしただけで、「そら、またチックだ!」と。そしてことさらそれをお
おげさに問題にします。つまり親自身が、子どもの神経症に神経質になってしまい、自分
自身が、同じような神経症になってしまうのです。

 こうしたケースは、珍しくありません。先日何かの本で読んだ話には、こんなのがあり
ました。母親がうつ病になると、その家族が、うつ病になる確率が、たいへん高くなると
いう話です。さらにこんな話も。

 ある会社のある上司(課長)が、うつ病になったのでそうです。そうしたらやがて、そ
の課全体が、重苦しい雰囲気に包まれるようになり、気がついてみたら、その課の何割か
の人たちまで、うつ病になってしまったという話です。

 これを「病気の連鎖」といいます。親子であると、この病気の連鎖は、さらに顕著に現
れます。

 で、最初の話に戻りますが、子どものチックを気にしながら、母親自身が、神経症にな
ってしまうというケースです。で、この段階で、母親が神経症になると、その相乗効果と
いうか、悪循環というか、子どものチックは、さらにひどくなります。

●原因は母親

 子どもが何らかの神経症による症状を見せたとき、第一の原因は、母親にあるとみます。
が、決して、母親を責めているのではありません。

 子育ては、それほどまでに重労働だということです。1人の子どもを育てながら、みな、
ヘトヘトになっています。それが2人、3人となれば、なおさらです。

 そういう母親を責めているのではありません。ただ子育てに、あまり熱心になるのは、
考えものだということです。そういう意味では、子育てには、「底」がありません。一度、
子育てのウズに巻きこまれると、どんな母親でも、そのウズの中でもがき苦しみながら、
底なしの世界に入りこんでしまうということです。

 そこで私は、「適当に手を抜く」ということを、話しています。子育てをしながら、手を
抜く。適当なところで、適当に、手を抜くということです。

 しかし私がそう言えば言うほど、今度はまた、親は苦しんでしまいます。よい例が過干
渉です。私が「お母さん、過干渉ぎみですよ」と指摘すると、そのときは、母親は、「そう
です」と言って、それに従ってくれます。

 が、いざ、子どもを前にすると、「過干渉であってはいけない」「私は過干渉ママなのだ」
と、かえって思い悩んでしまうのです。つまりそれがストレッサーとなって、さらに母親
を苦しめてしまう……。

 では、どうするか、ですが、結論は、ただ1つ。「子育てから離れる」です。子どものこ
とを忘れて、一人の人間として、好き勝手なことをする。そしてその結果として、子育て
離れる。

 少し無責任な言い方に聞こえるかもしれませんが、子どもというのは、放っておいても、
育つものです。あれこれ手をかけたからといって、育つものでもありません。むしろ、や
や放任気味のほうが、子どもは、よく育ちます。こんな研究結果があります。

●子どものやる気

 D・C・マクレランドという人がした調査ですが、彼はまず、母親たちを、(1)意欲最
高群、(2)意欲高群、(3)意欲普通群、(4)意欲低群の4つに分類しました。

 わかりやく言えば、(1)教育的に過関心、過剰期待、過剰負担を強いる母親〜〜(4)
子どもの教育に無関心という母親に分類したということです。

 その結果ですが、子どものやる気(=達成動機得点)は、(1)の意欲最高群の母親のば
あいが、一番低く、(3)の意欲普通群の子どもが、一番高いということがわかりました。

 そして(4)の意欲最高群の母親の子どもの、やる気は、(1)の意欲低群の母親の子ど
もの、やる気よりも、はるかに低いということもわかりました。

 つまり親がカリカリすればするほど、何もしない親よりも、はるかに逆効果となって、
子どもから、やる気を奪ってしまうということです。つまり普通の母親が、一番、よいと
いうことになります。

 では、どうすれば、(普通)であるかということですが、それについては、昨日、「子育
て診断」の冊子をお渡ししましたので、それで自己診断をしてみてください。40項目に
ついて、Nさんの子育てを診断できるようになっていますので、どこに、どのような問題
があるか、それでわかっていただけると思います。

●神経症

 神経症による症状のほとんどは、子どもの側から見て、愛情的な意味で、絶対的な安心
感を得られないことが原因で起こると考えて、ほぼまちがいありません。またそういう前
提で、考えてみてください。

 Nさんのばあいは、下の子どもが生まれたときから、そういった症状が出ているという
ことですので、赤ちゃん返りがこじれた、やや複雑なバリエーションではないかと判断し
ています。

 Nさんから見れば、「平等」ということになりますが、上の子にとっては、その平等とい
うことが、不満なのです。そしてそのどこかで愛情飢餓を覚えてしまった。そういう状態
です。

 ですから、子どもの神経症的な症状の部分については、まずNさん自身が、全幅の愛情
を、子どもに向けなおすという方向で、接し方のあり方を、もう一度、考えてなおしてみ
てください。

 昨日も話しましたが、「なおそう」と思うのではなく、「今の状態をこれ以上悪くしない」
ということだけを考えて、様子をみます。というのも、こうした神経症による症状は、一
度、現れると、環境が改善されたのちも、症状だけは、そのまましばらく残ってつづくに
がふつうだからです。チックにしても、環境が変わり、子どもの心が大きく変化したあと
も、いわば(クセ)のような形で、そのあと、1〜3年つづくことも、珍しくありません。

 Nさんの子どもが、絶対的な安心感、(「絶対的」というのは、疑いすらもたないという
意味です)、それを覚えたとき、今心配なさっておられる症状も、少しずつ、消えていきま
す。

 最後に、冒頭にも書きましたように、こうした問題は、子どもの世界ではよく見られる
ものであるということ。あまりおおげさに考えるのではなく、おおらかに。今、子どもが
見せている症状は、いわば心の不調を訴える、黄信号ととらえて、手を抜くところは、思
い切って手を抜いてみてください。そのためにも、Nさんは、一度、母親であることを忘
れて、自分のしたいことをするのです。このままでは、Nさん自身が、育児ノイローゼに
なってしまいますよ!
(はやし浩司 子供の意欲 意欲 意欲最高群 D・C・マクレランド 意欲を引き出す 
達成動機得点 子供のやる気 はやし浩司)
(060215)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●冬季オリンピック

++++++++++++++++++++++++++

週刊B春が、こんな記事を載せている(2・16日号)。

題して、「全国紙・スポーツ紙、メダル予想」と。

しかし現実は、きびしい……!

++++++++++++++++++++++++++

 週刊B春は、こう書いている(2・16日号)。

 「まず10紙中、5紙が、金、3紙が銀、1紙が銅と、メダル獲得は、ほぼ鉄板と予想
されているのが、スピードスケート男子500メートルの、加藤J君」と。

 「同じく女子500メートルでは、大菅Sを、2紙が銅、吉井Sを、1紙が銅、今回で
4度目の出場となる岡崎Tを、1紙が銅に推している」と。

 その結果、「トリノ五輪メダル予想」として、つぎのようなメダル獲得数を予想している
(本誌P152)。

読売新聞社
 金……1個、銀……2個、銅……6個

毎日新聞社
 金……1個、銀……2個、銅……1個

産経新聞社
金……0個、銀……2個、銅……1個

日刊スポーツ
 金……1個、銀……1個、銅……2個などなど。

 実際には、それぞれ実名をあげて、予想しているが、結果は、みなさん、ご存知のとお
り。選手の人たちがかわいそうなので、ここには書かない。で、今朝(2・15)も朝パ
ソコンを開くと同時に、まずスポーツニュースを見た。「今日はどうだった?」と期待を寄
せながら見たが、やはりメダルは、なし。「……メダルを逃がす」とか、「惜しくも……」
という文字ばかりが、目立つ。

 サンケイスポーツだけが、荒川Sの、銅1個と、かなり現実に近い予想をしている。そ
の荒川S(女子フィギュアスケート)だが、今朝のヤフーニュースは、つぎのように伝え
ている。

「荒川は、今季のフリーで使っていたオーケストラ版『幻想即興曲』を、リズムが取り
やすく、本人に思い入れもあるプッチーニの歌劇『トゥーランドット』に変更した」と。

 こうした変更にも、どこか日本の(あせり)のようなものを感ずる。

 ただし一言。週刊B春は、その荒川について、こんな記事を書いている。いわく「フィ
ギュア界の期待を一身に背負う荒川には、大人の色気たっぷりの演技でメダル獲得と願い
たい。欲を言えば中国グランプリのエキシビションで見せたような乳首ポロリのハプニン
グも待っている(笑)」(原文のまま)と。

 日本を代表する週刊誌も、この程度。選手たちの血のにじみ出るような努力と苦労を、
こんな目でしか見ていない。こんな記事を読んだら、荒川Sでなくても、ほかの選手の人
たちでさえ、やる気をなくすだろう。日本人は、いつからみんな、こんなバカになってし
まったのか。
(060215)

 
●すてきな女性

 毎日、何人かの人から、子育てについて、相談のメールをもらう。昨日もあったし、今
日もあった。

 その中でも、最近、こんなすてきな女性に出会った。もちろんメールのやり取りだけで、
顔は知らない。声も聞いたことはない。しかしその女性の文面の端々(はじばし)から、
私たちがとっくの昔に忘れてしまった、あの日本女性のすばらしさが、にじみ出ていた。

 その女性は、現在、弁護士の夫と結婚している。それについて、「(夫の)両親に私たち
の結婚を許してもらえました」と書いている。あるいは、「これから息子と2人で、千歳空
港まで、(夫を)お迎えに行ってきます」と書いている。「許してもらえました」とか、「お
迎え」という言い方の中に、その女性のすべてが凝縮されている。

 が、その弁護士をしている夫は、そういう女性を妻にもちながら、一方で、不倫をして
いたらしい。その女性は、それを知り、精神的にかなり追いつめられた。そのため、4歳
の息子に、神経症によるいくつかの症状(自家中毒や潔癖症など)が出ていた。私への最
初の相談は、それから始まった。そして数度のやりとりがつづいた。そして最後に受け取
ったメールには、こうあった。

 「私は夫を許すように、がんばってみます」
 「また再び、平和な家族に戻れるよう、努力してみます」
 「夫が、子どもに、また以前のような愛情を示してくれたらうれしいです」と。

 メールを読んでいて、そのけなげさというか、切なさに、胸がじんと熱くなった。と、
同時に、「どんなすてきな人なのだろう」「一度、会ってみたい」という思いにかられた。
好奇心といえば不謹慎だが、率直に言えば、それに近かった。札幌の近郊の町に住んでい
る人だから、これから先、会うことはないだろう。しかしどんな人かは、興味がある。き
っと心の暖かい、やさしい人にちがいない。

 北海道のTさん、あなたのことを書いてしまいました。許可なく、あなたのメールの内
容を転載することはありませんと書きましたが、こうして一部ですが、転載してしまいま
した。どうかお許しください。


はやし浩司++++++++++++Feb.06+++++++++++Hiroshi Hayashi

●正直な子ども

 バレンタインディが終わった。私もいくつか、チョコレートをもらった。が、肝心の私
は、チョコレートを食べられない。食べると、偏頭痛が始まる。で、もらったチョコレー
トは、子どもたちに分け与えることにしている。

 その分け与えるときのこと。男児(男子)たちに向かって、「君たちは、チョコレートを
もらったかア?」と聞くと、返事は、「もらった」と「もらわなかった」の2つ。

 しかしこのばあい、つぎの4つのケースに分けられる。

(1)本当にもらって、「もらった」と答える子ども。
(2)本当にもらっても、「もらわなかった」と答える子ども。
(3)もらってなくても、「もらった」と答える子ども。
(4)もらってなくて、「もらわなかった」と答える子ども。

 この中で、(4)の子どもは、正直な子どもということになる。たいていさみしそうな声
で、そう言う。で、そういう子どもたちにだけ、私は、チョコレートを分けてやる。一応、
(2)の子どもにも分けてやることにしているが、(2)のタイプの子どもは、ほとんどい
ない……と、私はみている。「もらわなかった」と、ウソをつかねばならない理由はないか
らである。

 問題は、(3)のタイプの子ども。もらってなくても、「もらった」と見栄をはる。年齢
が大きくなればなるほど、このタイプの子どもがふえるのではないか(?)。はっきりとし
た調査をしたわけではないので、本当のところはわからない。が、そういう子どももいな
いわけではない。

 で、こうして考えてみると、ここでいう(4)のタイプの子どもは、それだけ心が開け
る子どもということになる。あるいはそれだけ自分に自信のある子どもということになる。
このことは、おとなの世界で考えてみるとわかる。

 たとえば同窓会などの席で、堂々と、「私は、3年前、借金苦で、一家心中まで考えまし
た」と告白する人は、それだけ人格の完成度が高い人とみてよい。「私は私」という生きざ
まが、かなりしっかりしていないと、そういうことは言えない。(だからといって、あえて
告白しなければならないような話でもないが……。)

 つまり自分をさらけ出して生きるということ。それが大切。子どもについて言うなら、
バレンタインディのチョコレートを、もらっていなくて、「もらわなかった」とか、「もら
えなかった」と、さみしそうに言える子どもは、すばらしい。子どものときから、そうい
う形で、自分をさらけ出して生きる術(すべ)を身につけている。

 ……と考えて、私自身はどうかと、ふと考える。私は世間体を気にして見栄をはること
はもうないが、しかし聞かれないかぎり、あえて自分のほうから、自分を落とすような話
はしない。しかし武士道でいうような「恥」など、まったく気にしていない。聞かれれば、
できるだけ本当のことを答えるようにしている。

 ウソをつくのはいやだし、ウソほど、あと味の悪いものはない。ウソをつくくらいなら、
笑われても、本当のことを話したほうが、ずっと気が楽。

 で、私はチョコレートを子どもたちに分けてやる。「もらった」と言った子どもには、分
けてやらない。「もらわなかった」と言った子どもにだけに、分けてやる。と、その瞬間だ
が、中には、「しまった!」というような表情をしてみせる子どもがいる。多分、もらって
いないのに、「もらった」と答えてしまった子どもではないか。しかし私は、無視。

 「なア、もらえなくて、残念だったなア。先生のもらったチョコレートを分けてやるか
らナ。仲よく食べようナ」と。

 こうして私のバレンタインディは、毎年、同じようにして終わる。

 ハッピー・バレンタイン!!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 20日(No.702)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page011.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●アメリカに住んでいる、Sさんより

++++++++++++++++++

海外に住んでいる日本人で、最大の
問題は、やはり、子どもの教育?

そんな内容のメールを、アメリカC州
在住のSさんから、もらいました。

++++++++++++++++++

はやし先生へ、弱音を吐きます。これは小学生以上の子供を連れた海外駐在員共通の悩み
かと思います。

以前も書きましたが、現地校と日本語補習校の両方の宿題を毎日こなさなくてはなりませ
ん。もちろん子供が進んでやれば問題はないのです。

英語の宿題を現地の子と同じようにやり、日本の学校の進度と同じように日本の勉強もし
なくてはなりません。母と子供に大きな負担が圧しかかり、必死の2人三脚です。一歩リ
ズムが乱れると大変です。今日も宿題をさせるために怒鳴りました。気持ちを落ち着かせ
るためにメールを書きました。

子供が大変なのは良くわかるのです。情けないです。お子さんを3人4人連れて駐在され
ている方もいるのに。夫は真夜中に帰宅、出張も多いので頼るわけにもいきません。しか
し、どうにかやっていくしかないですね。ピアノやダンスを習っています。楽しそうなの
で続けさせたいです。

もう少し気楽になれたらと思います。

息子さんはARKANSASに御住まいなんですね。

【Sさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。私の知らない世界のことなので、フムフム……と言
った感じで、読ませていただきました。ありがとうございました。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●イマジン

+++++++++++++++

イタリアのトリノで
冬期オリンピックが始まった。

開会式をテレビで見た。
よかった。感動した。

+++++++++++++++

 イタリアのトリノで、第20回、冬季オリンピック大会が、開かれた。その開会式の模
様を、テレビで見た。よかった。

 さすがイタリア。ローマ時代からの歴史の重みと、自信を感じた。何といっても、深み
がちがう。スケールがちがう。よかった。感動した。

 聖火が登場する直前、オノ・ヨーコが、詩を読みあげた。つづいて、イタリア人の歌手
が、英語で、「♪IMAGINE」を歌った。よかった、感動した。涙が出た。

 ひとつの国家的行事の中で、国として、「♪IMAGINE」を歌うというのは、それ自
体、勇気のいること。世界中のほとんどの国々が、おかしな民族主義に毒されて、「我が民
族は……」と、自分勝手なことばかり言っている。そういう中での、「♪IMAGINE」
である。

 「イタリアって、おとなだなあ」というのが、私の第一印象。「EUという形で、ヨーロ
ッパを1つにまとめたという自信の表れかなあ」というのが、私の第二印象。「アジアでオ
リンピックがあったとしても、どこも、こんな歌は、歌わないだろうな」というのが、私
の第三印象。「日本なら、どうか?」……オノ・ヨーコが、日本人だったとは言いたくない。
彼女自身も、そう思っていないだろう。

 日本とか、日本人とかいう感覚を、彼女に求めるのは、失礼というもの。だいたい、ア
メリカには、アメリカ人というのは、いない。東京に、東京人というのは、いない。それ
と同じ。みな、移民。移住者。いるとすれば、アメリカインディアンということになるが、
アメリカインディアン、イコール、アメリカ人と思う人は少ない。

 一方、この日本は、どうか。……と考えていくと、少し憂うつになる。日本はともかく
も、まわりの国々は、そのおかしな民族主義に毒された国ばかり。韓国にせよ、K国せよ、
中国にせよ、不幸なことに、極東アジア全体が、そういうおかしな民族主義に侵されてい
る。

 「日本だけはちがう」と思いたいが、それが、どうも自信がもてない。日本の中にも、
結構、おかしな民族主義に毒されている人は、多い。「我が民族は、すぐれている」と思う
のは、その人の勝手だが、「だから他民族は、劣っている」と考えるのが、ここでいう「お
かしな民族主義」ということになる。

++++++++++++++++++++

「♪IMGINE」について以前書いた
原稿を、添付します。

++++++++++++++++++++

●プロローグ

かつてジョン・レノンは、「イマジン」の中で、こう歌った。

♪「天国はない。国はない。宗教はない。
  貪欲さや飢えもない。殺しあうことも
  死ぬこともない……
  そんな世界を想像してみよう……」と。

少し前まで、この日本でも、薩摩だの長州だのと言っていた。
皇族だの、貴族だの、士族だのとも言っていた。
しかし今、そんなことを言う人は、だれもいない。
それと同じように、やがて、ジョン・レノンが夢見たような
世界が、やってくるだろう。今すぐには無理だとしても、
必ず、やってくるだろう。
みんなと一緒に、力をあわせて、そういう世界をめざそう。
あきらめてはいけない。立ち止まっているわけにもいかない。
大切なことは、その目標に向かって進むこと。
決して後退しないこと。
ただひたすら、その目標に向かって進むこと。

+++++++++++++++++

イマジン(訳1)

♪天国はないこと想像してみよう
その気になれば簡単なこと
ぼくたちの下には地獄はなく
頭の上にあるのは空だけ
みんなが今日のために生きていると想像してみよう。

♪国なんかないと思ってみよう
むずかしいことではない
殺しあうこともなければ、そのために死ぬこともなくない。
宗教もない
平和な人生を想像してみよう

♪財産がないことを想像してみよう
君にできるかどうかわからないけど
貪欲さや飢えの必要もなく
すべての人たちが兄弟で
みんなが全世界を分けもっていると想像してみよう

♪人はぼくを、夢見る人と言うかもしれない
けれどもぼくはひとりではない。
いつの日か、君たちもぼくに加わるだろう。
そして世界はひとつになるだろう。
(ジョン・レノン、「イマジン」より)

(注:「Imagine」を、多くの翻訳家にならって、「想像する」と訳したが、本当は「if」の
意味に近いのでは……? そういうふうに訳すと、つぎのようになる。同じ歌詞でも、訳
し方によって、そのニュアンスが、微妙に違ってくる。

イマジン(訳2)

♪もし天国がないと仮定してみよう、
そう仮定することは簡単だけどね、
足元には、地獄はないよ。
ぼくたちの上にあるのは、空だけ。
すべての人々が、「今」のために生きていると
仮定してみよう……。

♪もし国というものがないと仮定してみよう。
そう仮定することはむずかしいことではないけどね。
そうすれば、殺しあうことも、そのために死ぬこともない。
宗教もない。もし平和な生活があれば……。

♪もし所有するものがないことを仮定してみよう。
君にできるかどうかはわからないけど、
貪欲になることも、空腹になることもないよ。
人々はみんな兄弟さ、
もし世界中の人たちが、この世界を共有したらね。

♪君はぼくを、夢見る人と言うかもしれない。
しかしぼくはひとりではないよ。
いつか君たちもぼくに加わるだろうと思うよ・
そしてそのとき、世界はひとつになるだろう。

ついでながら、ジョン・レノンの「Imagine」の原詩を
ここに載せておく。あなたはこの詩をどのように訳すだろうか。

Imagine

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today…

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too
Imagine life in peace…

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world…

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one.

+++++++++++

●愛国心について考える

……ジョン・レノンの「イマジン」を聴きながら……。

 毎年八月一五日になると、日本中から、「愛国心」という言葉が聞こえてくる。今朝の読
売新聞(八月一六日)を見ると、こんな記事があった。「新しい歴史教科書をつくる会」(会
長・田中英道・東北大教授)のメンバーが執筆した「中学歴史教科書」が、愛媛県で公立
中学校でも採択されることになったという。採択(全会一致)を決めた愛媛県教育委員会
の井関和彦委員長は、つぎのように語っている。

 「国を愛する心を育て、多面的、多角的に歴史をとらえるという学習が可能だと判断し
た。戦争賛美との指摘は言い過ぎで、きちんと読めば戦争を否定していることがわかる」(読
売新聞)と。

 日本では、「国を愛する」ことが、世界の常識のように思っている人が多い。しかし、た
とえば中国や北朝鮮などの一部の全体主義国家をのぞいて、これはウソ。日本では、「愛国
心」と、そこに「国」という文字を入れる。しかし欧米人は、アメリカ人も、オーストラ
リア人も、「国」など、考えていない。たとえば英語で、愛国心は、「patriotis
m」という。この単語は、ラテン語の「patriota(英語のpatriot)、さら
にギリシャ語の「patrio」に由来する。

 「patris」というのは、「父なる大地」という意味である。つまり、「patri
otism」というのは、日本では、まさに日本流に、「愛国主義」と訳すが、もともとは
「父なる大地を愛する主義」という意味である。念のため、いくつかの派生語を並べてお
くので、参考にしてほしい。

●patriot……父なる大地を愛する人(日本では愛国者と訳す)
●patriotic……父なる大地を愛すること(日本では愛国的と訳す)
●Patriots' Day……一七七五年、四月一九日、Lexingtonでの戦
いを記念した記念日。この戦いを境に、アメリカは英国との独立戦争に勝つ。日本では、「愛
国記念日」と訳す。

欧米で、「愛国心」というときは、日本でいう「愛国心」というよりは、「愛郷心」に近
い。あるいは愛郷心そのものをいう。少なくとも、彼らは、体制を意味する「国」など、
考えていない。ここに日本人と欧米人の、大きなズレがある。つまり体制あっての国と
考える日本、民あっての体制と考える欧米との、基本的なズレといってもよい。が、こ
うしたズレを知ってか知らずか、あるいはそのズレを巧みにすりかえて、日本の保守的
な人たちは、「愛国心は世界の常識だ」などと言ったりする。

たとえば私が「織田信長は暴君だった」と書いたことについて、「君は、日本の偉人を否
定するのか。あなたはそれでも日本人か。私は信長を尊敬している」と抗議してきた男
性(四〇歳くらい)がいた。このタイプの人にしてみれば、国あっての民と考えるから、
織田信長どころか、乃木希典(のぎまれすけ、明治時代の軍人)や、東条英機(とうじ
ょうひでき・戦前の陸軍大将)さえも、「国を支えてきた英雄」ということになる。

もちろん歴史は歴史だから、冷静にみなければならない。しかしそれと同時に、歴史を
不必要に美化したり、歪曲してはいけない。先の大戦にしても、三〇〇万人もの日本人
が死んだが、日本人は、同じく三〇〇万人もの外国人を殺している。日本に、ただ一発
もの爆弾が落とされたわけでもない。日本人が日本国内で、ただ一人殺されたわけでも
ない。しかし日本人は、進駐でも侵略でもよいが、ともかくも、外国へでかけていき三
〇〇万人の外国人を殺した。日本の政府は、「国のために戦った英霊」という言葉をよく
使うが、では、その英霊たちによって殺された外国人は、何かということになる。

こういう言葉は好きではないが、加害者とか被害者とかいうことになれば、日本は加害
者であり、民を殺された朝鮮や中国、東南アジアは、被害者なのだ。そういう被害者の
心を考えることもなく、一方的に加害者の立場を美化するのは許されない。それがわか
らなければ、反対の立場で考えてみればよい。

 ある日突然、K国の強大な軍隊が、日本へやってきた。日本の政府を解体し、かわって
自分たちの政府を置いた。つづいて日本語を禁止し、彼らのK国語を国語として義務づけ
た。日本人が三人集まって、日本語を話せば、即、投獄、処刑。しかもK国軍は、彼らの
いうところの首領、金元首崇拝を強制し、その宗教施設への参拝を義務づけた。そればか
りか、数十万人の日本人をK国へ強制連行し、K国の工場で働かせた。無論、それに抵抗
するものは、容赦なく投獄、処刑。こうして闇から闇へと葬られた日本人は数知れない…
…。

 そういうK国の横暴さに耐えかねた一部の日本人が立ちあがった。そして戦いをしかけ
た。しかしいかんせん、力が違いすぎる。戦えば戦うほど、犠牲者がふえた。が、そこへ
強力な助っ人が現れた。アメリカという助っ人である。アメリカは前々からK国を、「悪の
枢軸(すうじく)」と呼んでいた。そこでアメリカは、さらに強大な軍事力を使って、K国
を、こなごなに粉砕した。日本はそのときやっと、K国から解放された。

 が、ここで話が終わるわけではない。それから五〇年。いまだにK国は日本にわびるこ
ともなく、「自分たちは正しいことをしただけ」「あの戦争はやむをえなかったもの」とう
そぶいている。そればかりか、日本を侵略した張本人たちを、「英霊」、つまり「国の英雄」
として祭っている。そういう事実を見せつけられたら、あなたはいったい、どう感ずるだ
ろうか。

 私は繰り返すが、何も、日本を否定しているのではない。このままでは日本は、世界の
孤児どころか、アジアの孤児になってしまうと言っているのだ。つまりどこの国からも相
手にされなくなってしまう。今は、その経済力にものを言わせて、つまりお金をバラまく
ことで、何とか地位を保っているが、お金では心買えない。お金ではキズついた心をいや
すことはできない。日本の経済力に陰(かげ)りが出てきた今なら、なおさらだ。

また仮に否定したところで、国が滅ぶわけではない。あのドイツは、戦後、徹底的にナ
チスドイツを解体した。痕跡(こんせき)さえも残さなかった。そして世界に向かって
反省し、自分たちの非を謝罪した。(これに対して、日本は実におかしなことだが、公式
にはただの一度も自分たちの非を認め、謝罪したことはない。)その結果、ドイツはドイ
ツとして、今の今、ヨーロッパの中でさえ、EU(ヨーロッパ連合)の宰主として、そ
の地位を確保している。

 もうやめよう。こんな愚劣な議論は。私たち日本人は、まちがいを犯した。これは動か
しがたい事実であり、いくら正当化しようとしても、正当化できるものではない。また正
当化すればするほど、日本は世界から孤立する。相手にされなくなる。それだけのことだ。

 最後に一言、つけ加えるなら、これからは「愛国心」というのではなく、「愛郷心」と言
いかえたらどうだろうか。「愛国心」とそこに「国」という文字を入れるから、話がおかし
くなる。が、愛郷心といえば、それに反対する人はいない。

私たちが住む国土を愛する。私たちが生活をする郷土を愛する。日本人が育ててきた、
私たちの伝統と文化を愛する。それが愛郷心ということになる。「愛郷心」と言えば、私
たちも子どもに向かって、堂々と胸を張って言うことができる。「さあ、みなさん、私た
ちの郷土を愛しましょう! 私たちの伝統や文化を愛しましょう!」と。
(02−8−16記)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●平均葬儀費用、313万円!

+++++++++++++++++

平均葬儀費用は、313万円だそうだ。
「フ〜ン」と思ってみたり、「そんなものかな?」と
思ってみたり……。

死ぬのもたいへん。結構、お金がかかる?

+++++++++++++++++

 平均葬儀費用は、313万円。財団法人の日本消費者協会が、関東地方で調べたところ、
そういう数字が出てきたそうだ(2003年)。

 しかしこれはあくまでも平均的な額。葬儀には、ご存知のように、ピンからキリまであ
る。その気にさえなれば、葬儀も、最低は、10万円から、できるそうである(「世の中の
裏事情」PHP)。もちろん上限はない。仏式で葬儀をするばあい、戒名に必要な(お布施)
にしても、これまたピンからキリまである。戒名が3文字ふえただけで、ふつう、30〜
50万円が上乗せされる。

 たとえば戒名は、ふつうは、6文字か9文字。6文字だと、10万円前後。しかし9文
字になると、50万円前後。

 さらに「院」とか、「大」の文字がつけてもらうと、戒名も12文字になって、(お布施)
だけ、軽く、100万円を超える。

 火葬にしても、公共施設ですれば安くすませることができる。無料のところも多い。が、
私営の火葬場だと、そうはいかない。いくつかのクラスに分かれているところが多い。こ
れにも、また、上限がない。

 しかし、問題は、なぜ、人は、こうまで「葬儀」にこだわるのかということ。本人自身
がこだわることも多い。いつも口ぐせのように、「私が死んだら、葬式にだけには来てくだ
さいよ」と、会う人ごとに、頼んでいた知人(当時、80歳くらい)もいた。

 一方、通俗的な世間体にしばられて、(世間体ほど通俗的なものはないが……)、派手な
葬儀をする人もいる。傍(はた)からみていると、「何もそこまでしなくても……」と思う
のだが、その人には、その人の事情というものがある。とくこの葬儀には、その人の死生
観、人生観、哲学、さらには、人格そのものが、からんでいる。

 簡単に割り切ることができない。

 そこで私たち……というより、私は、どうあるべきかということを考える。実は、昨夜
も、夕食のあと、ワイフとそれについて、話した。私が、「葬式は、どうする?」と聞くと、
ワイフは、「そんなものは、しないわ」と。

私「しかしお前の兄弟たちが、許さないかもね」
ワ「いいじゃない、私が、それでいいと言っているのだから……」
私「だけど、ぼくが冷たい目で見られる」
ワ「遺書にはっきりと、そう書いておくからいいわよ」

私「ぼくも、葬式は、いらない」
ワ「だったら、あなたも、遺書にはっきりと、そう書いておいてよ。私も、あなたの親戚
に、冷たい目で見られるのは、いやだから」
私「ぼくたちだって、結構、世間体を気にしているのだね」
ワ「世間体じゃあなくて、私は、うるさいことを言われたくないのよ。わずらわしいでし
ょ」と。

 それなりの死生観、人生観、哲学のある人から、文句を言われるのは、しかたない。し
かし、そうでない人に、あれこれ言われるのは、不愉快。バカげている。この日本、「私は
私」と思って生きるのは、結構、たいへん。それを貫くのは、もっとたいへん。

 で、私が死んだあと、(順番でいけば、私のほうが先)、家の中で、ひっそりと葬式をし
たら、みんな何と言うだろうか。どう思うだろうか。まあ、どう言われようが、どう思わ
れようが、私の知ったことではないが……。

 もちろん、僧侶も呼ばないし、墓もつくらない。遺灰のあつかい方については、息子た
ちに任す。いつか、海にまいてくれてもいいし、一部は、山荘の周辺とオーストラリアの
アルバート・パークにまいてくれてもいい。決して「葬儀代を、安くあげよう」と考えて
いるわけではない。

 私は、裸で生まれ、裸で生きてきた。だから死ぬときも、裸で死にたい。これが私の生
き方だといえるような、そんな生き方を最後まで貫きたい。だから葬式にしても、本当に
悲しんでくれる人だけに集まってもらい、その人たちが静かに慰めあうようなものにして
ほしい。

 墓については、私の書いた文章が、墓だと思ってほしい。私は、いつも、そういう思い
をこめて、自分の文章を書いている。だから、もし私のことを思い出してくれる人がいた
ら、いつでも気が向いたとき、どのページでもよいから、私の書いた文章を読んでほしい。

 簡単にすませば、10万円ですますことができる葬儀。そんな葬儀に、313万円もか
けることはない。もしそんなお金があるなら、今、生きている人たちが、有効に使えばよ
い。できれば、食料もなく、飢えて苦しんでいる人に、あげればよい。

 ……とまあ、話がどんどんと脱線してしまったが、だからこそ、「今」というこのときを、
一日、一日、大切にして生きる。そして毎晩、床に入って目を閉じるときが、私の葬式。
そのまま眠りにつくのも、そのまま死ぬのも、原理的には、同じ。翌朝、生きていたら、
生きているということになる。翌朝、死んでいたら、死んでいるいうことになる。

本当に死んだときだけ、313万円もかけて、なぜ、大騒ぎしなければならないのか。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●極東情勢

++++++++++++++++

オリンピックも大切かもしれないが、
その祭りに隠れて、今、極東情勢が
大きく動いている。

いいのか、こんなことで、日本!

+++++++++++++++

 日米同盟(日米安保条約)が、今、崩壊の危機に立たされている。沖縄からの米軍移転
問題が、こじれにこじれてしまった。おまけに、防衛施設庁の、談合疑惑。防衛庁自身が、
脳死の状態。

 米軍が、どこに移転しようとしても、そこで待っているのは、住民たちの反対運動。「移
転反対!」の大合唱。業を煮やしたアメリカ政府は、日本に向かって、こう言った。「もっ
と戦略的にものを考えろ!」と。

 つまり「日本よ、日本の置かれた立場を、もっと考えろ!」と。

 差し迫った最大の脅威は、K国の核兵器。そのうしろでK国を支える、韓国、そして中
国。韓国(N政権)は、K国と、連合制(共和制)を敷くことをもくろんでいるらしい。
もしそうなれば、朝鮮半島全体が、核兵器をもった、強大な反日国家になる。

 そうなったとき、だれが、韓国やK国を、抑えてくれるか? ドイツかフランスか? そ
れとも中国やロシアか? 答えは、NO!

 日本人のほとんどは、「日本が何もしなければ、彼らも何もしない」と、考えている。し
かしそんな甘い考え方は、この極東アジアでは通用しない。もし今、この日本に米軍が駐
留していなければ、K国や中国、それに韓国ですらも、明日には、日本に攻撃をしかけて
くるだろう。悲しいかな、戦前の日本は、そういうことをされても文句が言えないような
ことを、してしまった。

 で、戦後、日本の平和を守ったのは、平和を愛する日本人がいたからではない。反戦の
誓いとやらをする総理大臣がいたからではない。日本に、米軍が駐留していたからにほか
ならない。

 6か国協議にしても、しかり。K国の核に、もっとも脅威にさらされるのが、この日本
である。K国の高官も、かねてから、そう言っている。「核兵器は、日本向けのものだ」と。
それを受けて、韓国の高官も、「K国が核兵器をもてば、南北統一後の朝鮮にとっても、有
利」などと発言している。

 こういうきびしい現実を前にして、だれが、そのK国を抑えてくれるのか? もちろん
日本には、K国を抑えるだけの力は、ない。

 韓国のN政権のオメデタサについては、前から書いてきた。「同朋意識」なるものをもち
あげて、K国にすり寄るのも結構だが、その肝心のK国は、「崩壊するなら、中国圏に」と、
中国のほうに顔を向けている。現在の38度線が、つぎは、韓国と中国の国境になるかも
しれない。

 それを察知してか、韓国の金前大統領が、あわててK国へ……。「南北連合制(共和制)」
という言葉もそこから生まれた。が、そうは、うまくいくものか。

 日本は、まず、日本の安全を考えなければならない。が、もしここで日米同盟が、崩壊
するようなことがあれば、そのとき、日本は、戦後、最大の危機を向かえることになる。
日本よ、日本人よ、その覚悟はできているのか?

 今、日本は、耐震偽造問題で、上も下も、大騒ぎ。しかし、核兵器が空から降ってきた
ら、耐震偽造問題など、腸から出るガスのようなもの。ビルどころか、町ごと、吹っ飛ん
でしまう。

今、日本が、すべきことは、K国の核攻撃に備えて、たとえば核シェルターを、全国の
都市の地下に用意するとか、そういうことではないのか。化学兵器や生物兵器による攻
撃に備えて、万全の準備をするとか、そういうことではないのか。そのための準備を、
たちあげること。問題の大きさと質がちがう!

アメリカ政府が、日本に向かって、「もっと戦略的にものを考えろ!」と言った理由が、
私にはわかる。つまりアメリカはこう言いたいのだ。「どうしてアメリカが自分の体を張
ってまで、日本を守らねばならないのか」「アメリカに甘えるのも、いいかげんにしろ」
と。それがアメリカの本音ということにもなる。

 政治、なかんずく国際政治は、どこまでも現実的なものである。どこまでもどこまでも、
現実的なものである。「これだけのことをしてやったのだから、相手は感謝しているはず」
とか、「私たちさえいい子にしていれば、戦争をしかけてはこないはず」という論理は、国
際政治の場では、絶対に通用しない。(060213記)

【付記】

 韓国がK国と、核開発問題を棚あげにしたまま、連合制を敷くというのなら、日本は韓
国と、決別するくらいの覚悟をもたねばならない。つまりこの問題は、日本にとって、そ
れくらい重大かつ深刻な問題なのである。決して安易に考えてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

【K国への制裁問題】

+++++++++++++++

先の日朝・国交回復協議を受けて、
またまた、K国制裁問題が浮上し
てきた。

しかし、K国など、本気で相手に
してはいけない。

制裁など、してはいけない!

++++++++++++++

●制裁問題

 06年2月4日から、中国の北京で、日K協議が行われた。しかし予想どおりというか、
当然のことながら、物別れ。何ら合意点を見いだすことなく、協議は終了した。拉致問題
についても、「何ら進展がないまま終わった」(報道各社)。

 これについて、自民党のT部幹事長まで、新潟市内で講演をし、「結果は残念極まりない。
『対話と圧力』と言われるが、真剣に圧力を考えねばならない」(ヤフーNEWS)と述べ、
経済制裁など北朝鮮への「圧力」を検討すべきだとの認識を示したという。

 しかしここで日本は、動いてはいけない。動けば、それこそ、K国の思うツボ。ワナに
はまる。いわんやK国を制裁するようなことをしてはいけない。正攻法で、ジワジワとK
国をしめあげることは、この際、し方ないにしても、消して「制裁」を口にしてはいけな
い。あくまでも正攻法。つまり国際世論を動かしながら、K国をしめあげる。

 K国など、相手にしてはいけない。また日本が相手にすべきような国ではない。拉致被
害者の方の気持ちも、よく理解できるが、この問題には、K国の最高指導者がからんでい
る。からんでいる以上、拉致問題が進展することはありえない。絶対に、ありえない。

 それがわかっていて、つまり百も承知の上での、今回の日K協議である。言うべきこと
は言う。しかし日本は、ここで止める。理由を順に並べてみる。

●問題は、核開発問題

 ここで日本が先走って制裁に踏み切れば、日本は、そのまま6か国協議から離脱するこ
とになる。韓国、中国が、日本の参加を認めないだろう。当然、K国は、日本の参加に、
猛反対する。「制裁を先にしておいて、何が協議だ」ということになる。

 そのときK国の核攻撃の危険にさらされるのは、この日本ということになる。

 日本が攻撃されれば、アメリカが日米安保条約をもとに、K国に反撃してくれるはずと
考えている人は多い。しかし日米安保条約が改定された1970年代と今とでは、東アジ
アの軍事状況は、大きく変わった。

 韓国および、中国の軍事力も、当時とは比較にならないほど、増大した。その韓国や中
国の意向に反して、アメリカが日本のために反撃してくれると考えるのは、あまりにも甘
い。どうしてアメリカが自らの国を危険にさらしてまで、日本を守らねばならないのか。

 さらに日K戦争となっても、日本は憲法にしばられて、K国には手も足も出せない。出
せないばかりか、韓国は、アメリカを抑制しながら、K国と共同軍事行動を取る可能性が
高い。

 そうなったとき、日本は、どうするのか? どうなるのか? 単独でK国や韓国と戦う
準備ができているのか? その心構えはできているのか? アメリカ政府の高官は、K国
がすでに12発の核爆弾をもっていると、議会で証言している。

●正攻法

 日本政府だって、今回の協議が、こういう結果で終わることは、最初から知っていたは
ず。K国もタヌキなら、日本もタヌキ。戦後賠償金を払う意思など、今の日本には、みじ
んもない。ないにもかかわらず、「払いますよ」と臭(にお)わせながら、協議を開いた。

 また拉致問題についても、ここに書いたように、K国の最高責任者がからんでいること
をこれまた百も承知の上で、日本側は、責任問題を追及した。「拉致実行者を日本側へ引き
渡せ」と言うことは、彼らにしてみれば、金xxを引き渡せと言うに等しい。

 今回の協議は、もとから、意味のない協議であった。結末もわかっていた。そういうも
のを開いて、「進展がなかったから、制裁だ」というのは、おかしい。

 では、どうするか?

 2月1日、日本の金融機関は、偽ドル問題にからんで、マカオのB銀行との取り引きを
停止した。また各自治体は、日本各地にある、朝鮮S連の各施設に対して、税務上の恩恵
措置を停止する動きに出ている。ほかにも世界の人権団体と協力して、K国の人権問題を、
国際機関で討議するという動きも、加速してきている。ミサイル開発問題と並んで、覚せ
い剤や偽タバコ、ミサイル問題を取りあげる動きも大きくなってきた。

 日本が今すべきことがあるとするなら、こうした正攻法による(しめあげ)を、側面か
ら助長することである。

 日本は、決して単独で、行動してはいけない。卑怯と言われようが、おく病と言われよ
うが、気にすることはない。だいたいにおいて、K国に、私たちがもっている(ふつうの
常識)は、通じない。また制裁するとかしないとか、そういう話になれば、K国は、そう
いう国ではない。すでにK国は、これ以上、何も失うものはないと言えるほど、世界の中
でも、最貧国になっている。

 K国の平均的労働者の1か月分の賃金が、アメリカドルに換算して、たったの0・7ド
ルしかないことを、忘れてはいけない。日本円になおすと、80円! 80円だぞ!

 そこでK国のねらいは、かつての日本がそうしたように、「戦争」を外に向かってしかけ
ることである。国民の不満を、外にそらす。で、そのK国にとって、ゆいいつ戦争の大義
名分がたつ国といえば、ほかならぬ、この日本なのである。

 もし、ここで東京で、核兵器が爆発したら、日本はどうなるか、それをほんの少しだけ
でも考えてみればよい。核兵器でなくても、細菌兵器でも化学兵器でもよい。軍事雑誌な
どによると、それがどれであれ、1発で、約20万人の日本人が死ぬという。20万人だ
ぞ!

 彼らはそういったミサイルだけでも、数百発ももっている。もちろんそうした兵器がミ
サイルで、日本にぶちこまれるとはかぎらない。漁船や、戦闘機に載せられてやってくる
可能性もある。(その可能性のほうが、はるかに高いが……。)

 もしそうなったら、日本はどうする……というより、今まで何もしてこなかった、日本
のほうが、バカだったということになる。日本中が平和ボケしてから、もう30年になる。
拉致問題って、そういう日本のスキをついて、なされたに過ぎない。

 制裁を臭わすのは、日本政府の自由だが、しかし制裁を前面に出してはいけない。今、
ここで重要なのは、日本は、とくにアメリカとの協調関係を大切にしながら、国際世論に
訴えていくことである。そして核開発問題については、アメリカに追従しながら、(追従し
ながらだぞ!)、6か国協議を舞台に、K国をしめあげることである。

 今、K国は、その6か国協議から、先に席を蹴って立とうとしている。K国の金xxの
健康問題もある。つまり日本にとっては、K国をしめあげるための、最良のチャンスがや
ってきつつある。

 日本は、K国の政権が交代し、常識の通ずる体制が生まれるのを待つしかない。拉致被
害者の方には、つらい毎日がつづいていることはよくわかる。しかしこの問題だけは、K
国の金xx体制がつづくかぎり、決して解決しない。
(06年2月11日記)


Hiroshi Hayashi++++++++++FEB. 06+++++++++++はやし浩司


●お金で、人の心は買えない

++++++++++++++++++

「お金で人の心を買える」と豪語した
青年実業家がいた。

バカめ!

お金で、人の心は買えない!
絶対に、買えない!

++++++++++++++++++

 昨年(05年)の、日本の国連安保理事会・理事参入問題で、日本の外務省は、約1兆
円ものお金を、アフリカ諸国を中心にばらまいた。1兆円だぞ! 日本人全員が、1人、
約1万円弱のお金をばらまいたに等しい。

 しかし結果は、ご存知のとおり。

 それ以前からも、日本は、ことあるごとに、かつ気前よく、世界中に、お金をばらまい
てきた。しかしそれを受け取った国々が、日本に感謝しているかといえば、それは疑わし
い。疑わしいというより、ない。

 そもそも、日本と、援助を受ける側の経済論理は、異質のものである。古い学説で恐縮
だが、それを最初に指摘したのが、ミュルダールというスウェーデンの経済学者である。
今調べてみたら、1898年生まれの学者だという。

 彼は、いわゆる先進国と呼ばれる(豊かな国)と、当時後進国よ呼ばれていた(貧しい
国)とでは、経済哲学そのものが違うと説いた。具体的には、「貧しい国々では、貧困が、
伝統的な価値観と解きほぐしようもないほど、複雑にからみあっている」と。

 もっと卑近な例で言えば、ありあまるほどの収入で、優雅な生活をしている人と、多重
債務に追われ、その日その日を何とか生きている人とでは、お金に対する考え方が、違う
ということ。経済理論というと、えてして、豊かな国の人たちの立場での理論でしかない。
しかしそうした経済理論というか、経済観念を、貧しい国々の人たちに押しつけても、効
果はない。ないばかりか、かえって、反発を買うことにもなりかねない。

 外務省がばらまいた、1兆円ものお金は、結局は、露(つゆ)と消えた。

 当然である。札束をばらまいて、「日本を支持してくれ」と頼んでも、彼らは動かない。
表面的には、にこやかに応じても、動かない。逆の立場で考えてみれば、そんなことはだ
れにでも、わかるはず。そういったお金は、かえってそれぞれの国で、貧富の差を大きく
するだけ。ミュルダールの言葉を借りるなら、「貧困の内容を、かえって複雑にするだけ」。

 では、どうするか?

 経済学にも、哲学をもたせること。私たちの生活の中でいうなら、「本当の豊かさとは何
か」を、日々に追求すること。ただお金があればいい……。ただおいしいものを食べれば
いい……。ただ大きな車に乗ればいい……。ただ立派な家に住めばいい……、という考え
方では、人の心どころか、自分の心さえ、つかむことができない。

 「だから、どうなの?」という部分がないからである。

 その「だから、どうなの?」という部分を補うのが、哲学ということになる。経済学で
いえば、経済哲学ということになる。

 が、悲しいかな、日本の外務省の官僚たちは、豊かな国の経済理論しか知らない。そし
てその豊かな国の中でも、特権階級として君臨している人たちである。だからお金さえば
らまけば、人の心を買えると錯覚している。その結果が、冒頭に書いた、1兆円である。

 ……しかし、そういえば、その1兆円だが、そのあと、だれかが責任を取ったという話
は、まだ聞いていない。海外援助の窓口を、政府主導で、一本化するという話はあるが、
私は当然だと思う。外務省の官僚たちは、まさにお金を使い放題。好きなように使ってい
る。が、札束を見せびらかしながら、外国で大きな顔をするというやり方は、もうそろそ
ろ、やめたらどうなのか? 

あえて言うなら、哲学のない援助など、するだけ損。意味がない。まず、それに外務省
の官僚たちが、気がつくべきではないのか? バカめ!

 ということで、「お金で、人の心は買えない」という話は、おしまい。

【だから、どうなの?】

 日本は、経済的には豊かな国になった。若い人たちにそう言っても、ピンとこないかも
しれない。しかし私には、わかる。

 私が子どものころには、肉屋のあのハムですら、1枚売りが、原則だった。「1枚、いく
ら」「2枚で、いくら」という売り方をしていた。

 それでもハムなど、めったに口にすることができなかった。

 が、今では、そういったハムを、パッケージごと買う。1パッケージには、10〜20
枚ものハムが入っている。私たちの世代は、そういったものを見ただけで、「日本は豊かな
国になった」と思う。

 が、戦後、日本は、「だからどうなの?」という部分を置き去りにしたまま、豊かさだけ
を求めて、ここまでやってきた。

 おいしいものを食べる……、だからどうなの?、と。

 よい例が、料理番組である。飲食店の紹介番組である。見るからに軽薄そうな男女が、
ギャーギャーと騒ぎながら、超一級の料理を口にする。「だから、どうなの?」という部分
がないまま、超一級の料理を口にする。

 料理は超一級でも、「だからどうなの?」という部分が、どこにもない。つまりそれだけ
おいしいものを口にするのだから、その男女が、その分だけ、賢くなるとか、人間的に成
長するとか、そういうことはない。もっとわかりやすく言えば、毒々しい欲望を満たして
いるだけ。

 では、どうするか? どうしたらよいのか?

 私は、いつも、何をするときでも、「だから、どうなの?」と、自問することが重要では
ないかと思う。とくに、何か、ぜいたくをするようなとき、にである。これは私の経験だ
が、そのとたん、ものの考え方が、一変することが、よくある。つまりそういうふうに自
問することこそが、今までの日本人に、一番、欠けていた部分ではないかと思う。

 ……このテーマについて書くことには、まだ自信がもてないところもあるので、今日は、
ここまで。


Hiroshi Hayashi++++++++++FEB. 06+++++++++++はやし浩司

●イスラム原理主義

+++++++++++++++++

どうもよくわからないのが、イスラム教
の世界、そしてイラン。

イスラム原理主義って、いったい、
何なのか? イランはどこに向かって
進んでいるのか?

+++++++++++++++++

 このところ、毎日のように書店へ立ち寄っては、イスラム教の本を読む。興味がある。
もっと知りたい。私にとっては、決して、無縁の世界ではない。留学時代の友人の何割か
は、そのイスラム教徒であった。イランについて言えば、原油との関係において、日本人
にとっては、決して、無縁の国ではない。

 イスラム教の世界にも、近代化の波が押し寄せたことがある。その筆頭にあげられるの
が、トルコ。

 トルコは、第一次大戦に敗北し、オスマントルコが解体されたあと、近代化の道を歩ん
だ。それまでの政教一致の国家体制から、政教分離の国家体制へと、大変革した。

 こうしてアラブの世界にも、つぎつぎと、近代国家が生まれていった。アルジェリア、
シリア、エジプト、それにイラクもそうだ。

 が、これに対抗する勢力も生まれてきた。それが、ハサン・アル・バンナー(1906
〜49)率いる、『イスラム同胞団』である。イスラム同胞団は、イスラム教に基づく、国
家建設こそが、アラーの教えに従ったものだと、民衆に向かって説いた。

 私たちが今、「イスラム原理主義」と呼んでいるのは、それをいうが、そのイスラム同胞
団は、そののち反英闘争と結びつき、さらに最近では、反米闘争へと結びついていった。

 つまり歴史が長い。長いから、ここらあたりで、ちょっと日本がでかけて行って……と
いうようなやり方で、理解できるような問題でもないし、解決できるような問題でもない。
今回のイランの核開発問題にしても、そうだ。

 アメリカは、単独でも、イランの核開発施設を攻撃する構えを見せているが、言うなれ
ば、これはアメリカ型合理主義と、イスラム型原理主義の対立と考えてよい。そのイラン
は、1979年のホメイニ革命によって、政教一致の国家体制を築いている。

 しかしここで注意しなければならないのは、私たちがイスラム教に対してもっている、
偏見と誤解である。ものの考え方が、どうも西欧的というか、西欧の立場でしか、イスラ
ム教の世界をみない。たとえばここでいうイスラム同胞団にしても、「原理主義はおかしい」
というふうに、すぐ考えてしまう。またそういう前提で、ものを考えてしまう。

 しかしもとを正せば、イスラム同胞団にしても、イギリスの植民地政策への反発から生
まれたものである。事実、イギリスは、イスラム同胞団を、徹底的に弾圧したこともある。
そういう歴史があることも忘れて、今ここで、「イスラム原理主義は……」と論ずることは、
危険なことでもある。

 が、しかし皮肉なことに、こうした原理主義は、国家の近代化の足かせとなるだけでは
なく、ばあいによっては、国家そのものの近代化を後退させる原因ともなりかねない。イ
ランについて言えば、国家が目ざした工業などの近代化は、ことごとく失敗。原油を売る
だけの国になってしまった。わかりやすく言えば、西欧との差をますます広げている。

 そこで今回のイランの核兵器開発問題について言えば、そうした(あせり)が、イラン
をして、核開発に向かわせたとも考えられなくはない。このままでは、イランは、アラブ
社会の中でも、「顔のない国」になってしまう。イランは、それを恐れた(?)。

 ところでイランの核兵器開発問題は、決して日本とは無縁の問題ではない。もし国連の
安保理で、経済制裁ということにでもなれば、日本は、この地域から、最大の油田開発の
1つを失うことになる。アザデガン油田が、それである。日本に与える影響は、甚大であ
る。

 今日も、これから近くの書店へ行って、あれこれ本をあさってくるつもり。

【補記】

 現実の数字。

 日本の原油、中東依存度は、2002年……85・3%
              2003年……88・5%

 さらにそのうちわけは、

     アラブ首長国連邦 ……22・9%
     サウジ      ……22・4%
     イラン      ……13・8%
     カタール     …… 9・2%
     クウェート    …… 6・9%
   (以上、経済産業省、02年「エネルギー生産・需給統計年表」)

 中東の政治的安定は、日本にとっても、死活問題なのである。こうした現実を無視して、
「イラン問題は、日本には関係ない」と、どうして言うことができるのか。

 04年2月、日本とイランが開発に合意した、「アザデガン油田」は、推定埋蔵量260
億バレルで、世界第二の大油田ともくされている。

 もし、イランの核疑惑問題がこじれるようなことがあると、日本は、この油田の利権す
らも失うことになる。すでに日本は、4年前、アラビア石油のカフジ油田の利権の半分を、
失っている。

 悲しいかな、ここは、中東最大の宗主国であるアメリカに、日本は、泣きつくしかない
のである。アメリカの機嫌をそこねたら、アザデガン油田はもちろんのこと、日本は、中
東から原油を輸入することすら、ままならなくなる。

 さあ、どうする、日本!


Hiroshi Hayashi++++++++++FEB. 06+++++++++++はやし浩司

●A外務大臣・続報

++++++++++++++++++

アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、
日本のA外務大臣の発言に対して、

「扇動的な発言からは誠実さも賢明さもうか
がえない」と、批判した。

当然である。

++++++++++++++++++

アメリカのニューヨーク・タイムズ紙は、2月13日、日中関係や靖国神社参拝などを
めぐる麻生太郎外相の最近の歴史認識発言を取りあげ、「扇動的な発言からは誠実さも賢
明さもうかがえない」と批判する社説を掲載した。

 社説は「日本の攻撃的な外相」と題し、外相が「天皇陛下の(靖国神社)参拝が一番だ」
と述べたことや、日本の植民地支配下の台湾で教育水準があがったことを指摘した発言
を取りあげ、「一連のがくぜんとする発言により、アジアの人々の反感を買った」と批判。
(以上、毎日新聞)

 A外務大臣の発言に対しては、私も、まったく同じ印象をもった。それについて書いた
原稿を、そのまま、もう一度、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

●A外務大臣

++++++++++++++++++

A外務大臣が、靖国神社参拝問題に関連し、
「天皇陛下による参拝が一番だ」と述べた
という。

「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば
言うだけ、行かざるを得なくなる。

『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ。

黙っているのが、一番』と、も。
(中日新聞・06年・1・29)

++++++++++++++++++

 A外務大臣は、こう述べたという。

 「(靖国神社に)まつられている英霊の方からしてみれば、天皇陛下のために『万歳』と
言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです。だったら、天皇陛下の参拝、そ
れが一番」「天皇陛下による参拝が一番だ」と。

 この発言には、いくつかの重大な問題が隠されている。それらを順に考えてみたい。

(1)天皇は、外務大臣のあやつり人形なのか?

 この発言を聞いて、一番驚いているのが、天皇自身ではないのか。A外務大臣が、天皇
の意思や意向を聞いた上で、こうした発言をしたのなら、まだわかる。しかしそういった
プロセスを、何も経ないで、いきなり「天皇陛下による参拝が一番だ」とは!

 もしあなたが天皇なら、何と答えるだろうか。どう考えるだろうか。あるいはもっと卑
近な例で考えてみよう。もしだれかがあなたに、「子育ての最中にあるのだから、あなたに、
菅原道真(すがわらのみちざね)の神社を参拝してもらいます。それが一番だ」と言った
ら、あなたは、どう答えるだろうか。

 天皇の内心のことは、私にもわからない。しかし天皇のほうから、そういった希望でも
出されているのなら、まだしも、そういった希望を確認しないまま、外務大臣(ごとき)
が、そういう発言をすることは、許されない。少なくともそういった天皇自身の希望は、
外の世界の私たちには、届いていない。

(2)天皇の戦争責任を追及した言葉にならないのか?

「天皇陛下のために『万歳』と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです」
という発言は、そのまま、天皇に対する戦争責任を追及した言葉になってしまう。自民
党政権としては、絶対に容認できない発言のはず。わかっていても、それを口にしたら、
おしまい……というのが、この発言である。それを、A外務大臣は、公(おおやけ)の
場で、堂々と口にしてしまった。

 A外務大臣のみならず、K首相は、この発言に対して、どう責任を取るつもりなのだろ
う? 軽率といえば、軽率。

 私が知るかぎり、戦場の日本兵たちは、多くは、最後は、「お母さん!」とか、「お父さ
ん!」とか言って死んでいったという。「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった兵
隊は、少なかったという。

 が、それでも「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった、日本兵がいなかったわ
けではないだろうと思う。が、そのことには、歴代の戦後政権は、あえて触れないで、今
までやってきた。もしそれが事実と認めてしまうと、その戦争責任は、まっすぐ、天皇に
向かってしまう。

(3)『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ、とは?

 人格の完成度は、自己管理能力などによって決まる。自己管理能力のある人を、人格の
完成度の高い人という。

 が、A外務大臣は、「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば言うだけ、行かざるを得なく
なる。『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ」(中日新聞)と。

 新聞記事なので、不正確かもしれない。しかし「『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ」という日本語は、正しくない。正しくは、「『たばこを吸うな、吸
うな』と言われると、かえって吸いたくなるのと同じ」である。

 それはともかくも、この自己管理能力のなさこそが、問題である。私やあなたのような
凡人ではない。外務大臣という、日本を代表する人物である。そういう人物が、自己管理
能力のなさを、やはり堂々と自ら公表している。このおかしさ。この奇怪さ。

 しかも、中国や韓国に対して、「黙っているのが、一番!」とは! わかりやすく言えば、
A外務大臣は、中国や韓国に対して、「ごちゃごちゃ言わずに、黙っていろ」と発言したに
等しい。このごう慢さ。この高慢さ。

 おかげでこれから先、しばらく、日中関係、日韓関係は、ますます冷えこむことになる
だろう。私の知ったことではないが、しかし、外務大臣ともあろう大臣が、率先して、近
隣諸国との関係を悪化させるとは! 私も、ここまで日本の政治家たちの知的レベルが低
いとは、思ってもみなかった。

(3)靖国神社参拝問題

 「英霊」「英霊」と言うくらいなら、今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲ
リラ戦でも、何でも、しかけたらよい。それが「英霊」の意思を尊重する、もっともわか
りやすい方法である。先の戦争では、300万人以上もの日本人が死んでいる。しかもそ
の大半は、アメリカ軍を中心とする連合軍によって殺されている。

 しかしA外務大臣ですら、ひょっとしたら、英霊意識など、どこにもないのではないか。
「英霊」ということにしておかないと、まずいから、そう言っているだけではないのか。
もっとわかりやすく言えば、あの戦争は、勝ち目のない、愚かな戦争だった。

 あの戦争では、多くの日本人がだまされ、(だまされたのだぞ!)、戦場に駆り出され、
そしてその犠牲者となっていった。つまり「英霊」という言葉は、当時の軍部たちが、自
分たちの責任を覆い隠すために使った言葉にすぎない。「英霊」と祭りあげることによって、
「戦争を起こしたのは、国民であって、政府ではない」という形をつくった。つまり責任
を国民に、押しつけた!

 それを今になってもち出して、あの戦争を肯定することは、許されない。中には、「あの
とき戦争をしなかったら、日本は、欧米諸国の植民地になっていた」と説く人もいる。「ソ
連の進攻を食い止めるために、日本軍は中国で戦った」と説く人もいる。

 なら、百歩譲って、もしそうなら、戦後の今の日本は、何かということになる。GHQ
によって、完全に占領され、アメリカの植民地以上の植民地になってしまった。だから私
はまた同じことを言う。

 「今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲリラ戦でも、何でも、しかけたら
よいのではないか」と。A外務大臣、あなたがまず、その見本を見せてほしい。

 ……と、どうも、この問題を考えていくと、頭の中が混乱してくる。わけがわからなく
なってくる。みなが、何かをごまかすために、あるいは何かを隠すために、ものごとを遠
巻きに議論している。そんな感じさえする。

 あえて言うなら、今の皇太子妃の例を見てもわかるように、「天皇」「天皇」と、何もか
も、その負担を、天皇家に押しつけないことこそ大切ではないのか。「天皇だってふつうの
人間」という部分をねじまげて、あれこれと議論するから、話がおかしくなる。これ以上、
天皇や天皇家の人々を苦しめて、どうする。今度のA外務大臣の発言の底流には、そんな
問題も隠されている。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================



☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 17日(No.701)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page010.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●顔

 子どもたち(年長児)に、聞く。「君たちのパパと、ぼく(=私)とでは、どっちが、か
っこいいかな?」と。すると、全員、「パパ!」と答える。

 そこで、私は、わざとむっした表情をしてみせ、「じゃあ、ぼくの顔と、君たちのパパの
顔を描いてみるからね」と。

私「まず、林先生(=私)の顔は、かっこいいかな、すばらしいかな?」
子どもたち、(瞬間、迷った様子で)、「かっこよくない……」
私「ああ、そう、かっこいいんだね。では、つぎは、鼻。先生の鼻は、高いかな、それと
も、すてきかな?」
子「……すてきじゃない……」
私「ああ、そう。すてきなんだね」

(子どもたちが、「ちがう」「ちがう」と叫んでいるのは、無視。こうして、まず、私の顔
を描く。スーパーマンに出てくる、クラーク・ケントのような顔である。)

私「では、君たちのパパの顔だよ。君たちのパパの顔は、へんかな、おかしいかな?」
子「へんじゃ、ない」
私「ああ、そう、へんなのかア。じゃあ、目はどうかな。おもしろいかな、それとも、お
かしいかな?」
子「……おかしくない……」
私「ああ、おかしんだね」と。

 こうして私は、子どもたちの父親の顔を、超おかしく描く。(コミック「天才バカボン」
に出てくる、バカボンのパパのような顔である。)

 最後に、「これでできた。じゃあ、くらべてみてごらん。先生の顔と、君たちのパパの顔
は、どっちがかっこいいかな?」と聞く。

 こうした(ふざけ)を、私はときどきするが、いつも子どもたちの答は、同じ。例外な
く、同じ。全員、「パパ!」と答える。

 で、私はさらにむっとした表情をしてみせ、こう言う。「君たちは、いったい、どういう
美的感覚をもっているのだア!」と。

 あとは、こどもたちの笑い声。それを聞いて、私も笑う。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●ドアの向こう

子どもたちの笑い声とともに、ドアが開いた。
まばゆいばかりの白い光が、教室の中に、入ってきた。
見ると、そこに4、5人の母親たちが、立っていた。

美しい人たちだった。長い髪の毛を、ゆっくりとゆらしながら、
なにやら、にこやかに話しあっていた。笑いあっていた。
遠い、遠い、昔の世界。そのドアの向こうは、昔の世界だった。

年の差。当然、それはある。その華やかさを見たとき、
ふと、我にかえって、自分の姿を見る。
20代のころ、30代のころ、50歳の人や、60歳の人が、
老人に見えた。自分とは関係のない世界の人に見えた。

それが、今、わかる。反対の立場で、よくわかる。

母親たちは、いつもの笑みを浮かべながら、型どおりのあいさつをして、
そのまま去っていく。私も、型どおりのあいさつをして、
そのまま別れる。ふと、心を横切る、さみしさ。切なさ。そして冬の風。

ドアが閉まったとき、そこにあるのは、現実。白い光の消えた世界。
私はそそくさと、机をそろえ、椅子を並べなおす。そして母親たちのことは忘れる。
どちらにせよ、つまりは、私のことをどう思っているにせよ、
私には遠い、遠い昔の世界の人たち。

++++++++++++++++++

この散文を書いていて、ふと思い出したのが
映画『ロメオとジュリエット』。

それについて書いたのが、つぎの原稿。
この原稿を書いた当時ですら、遠い、遠い昔に
思える。

++++++++++++++++++

●息子が恋をするとき

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今まで
の人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あ
の子がねえ」と笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際している
と、相手の女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。

「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズが
つくから、交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。一方私の家は、自転
車屋。「格が違う」というのだ。この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしな
かった。が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつ
まづきが、そのまま別れになってしまった。


 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く…
…」と。オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエッ
ト」の中で、若い男がそう歌う。たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその
戯曲が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではな
いのか。私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。

年俸が一億円も二億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんで
す」と顔をしかめてみせる。一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、
どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いてい
るタレントが、東京都や外国の政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受
け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つ
かむことができる、「真実」なのかもしれない。そのときはじめて人は、もっとも人間ら
しくなれる。もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがってい
ることになる。しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。そしてそれを見
る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。涙をこぼす。しかしそれは決して、他
人の恋をいとおしむ涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。あの無限に
広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。歌はこ
う続く。「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」
と。

 相手の女性が結婚する日。私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて
寝ていた。6月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こ
なごなになってしまいそうだった。ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感
と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。そしてそれ
が今、たまらなくなつかしい。私は女房にこう言った。「相手がどんな女性でも温かく迎
えてやろうね」と。それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●作文指導

+++++++++++++++++

 今、ほとんどの中学校では、入学試験に、
作文テストなるものをする。その作文テス
トについて、親たちからの、相談も多い。
「どうすればいいですか?」と。

+++++++++++++++++

 今、ほとんどの中学校では、入学試験に、作文テストなるものをする。その作文テスト
について、親たちからの、相談も多い。「どうすればいいですか?」と。

 実はその作文テストで、いつも1つ疑問に思っていることがある。つまり(じょうず・
へた)は、だれが判断するのかということ。テストをする教師だって、みながみな、作文
がうまいとはかぎらない。そのことは、それぞれの学校が発行する印刷物などを読めばわ
かる。ときどき、「これが先生の書いた文章なのかなあ?」と思うことは、よくある。

 しかしそんな疑問をもっていたのでは、子どもたちに対して、指導ができない。では、
どうするか?

(1)声に出させて、読ませてみる。

 もっとも重要なコツは、子どもに作文を書かせたら、子ども自身に、それを声に出して、
読ませてみること。これは子どもにかぎらない。おとなでも、そうだ。声に出して読んで
みると、語句の使い方が正しいかどうかが、わかる。文のリズムも、それでわかる。自然
なリズムで、流れるようにサラサラと読める文章は、すばらしい。

 要するに気取らないで、話し言葉で書くということか。短い文章をつなげて、端的に書
くのがコツ。

(2)常識的なことを書く。

 作文テストで、教師が知りたいのは、その子どものものの考え方が常識的かどうかとい
うこと。そのことは、入試問題として、与えられたテーマをみればわかる。

 今年の入試では、たとえばこんな課題が出された(H市内)。

●みんなで、映画を作ることになりました。あなたなら、どんな目的をもって、どんな映
画を作りますか。

●みんなで、ロボットを作ることになりました。あなたが作るロボットは、どんなロボッ
トですか。またそのロボットには、どんな仕事をさせますか。

 こうした作文では、当然のことながら、戦争、死など、暗い話を書くのは、タブー。内
容が未来に向かって、明るくすなおなものであればよい。またこの世界には、「無思想の思
想」という言葉がある。わかりやすく言えば、思想という思想を感じない作文ほど、よい
……ということになっている。たとえば、「神の教えに従って……」とか、「この世界は、
すべて数学で構成されている……」というのは、まずい。

 もちろん漢字の使い方や文字の書き方も評価されるが、それはマイナーな問題と考えて
よい。

 で、あとは練習あるのみ。作文というのは、書けば書くほど、うまくなる。もし、親と
して家庭で指導ができる部分があるとするなら、子どもとの会話に注意すること。それに
ついて書いた原稿を、ここに添付する(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++

子どもの国語力は、親が決める!
親の会話力で、決まる!

++++++++++++++++

【子どもの国語力を伸ばす法】

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう30年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣ってい
ると思われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこ
がどう違うかを調べたことがある。結果、次の3つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない

ある男の子(小2)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」というような話し方を
していた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛隊』
という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子ども
はこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、
バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない

ある女の子(小4)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで会話が終わるとか。
何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。

母「学校はどうだったの?」
娘「まあまあ」
母「テストはどうだったの?」
娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない

そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの子どもも外国語でも話
すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のようにたどたど
しかった。

私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」
子「山ア……、上にイ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそ
のことを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホン
トにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。
毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し
方をしていて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。

こういうケースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持って
いますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まっ
てこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞い
ているからといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それ
こそ立て板に水のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を
音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、そ
の音を自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文
字を「形」として認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも
使う部分が違う。そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をす
るとよい。具体的には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわか
ってもらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だ
と思っている人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五
四歳)はこう言った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。

しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、幼児期に決まる。そ
ういう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少しはわかって
ほしかった。

+++++++++++++++++

【補記】

 自分の書いた文章を、一度、声に出して読んでみるというのは、とても重要なことであ
る。そしてできれば、いつも、読む人側の立場にたって、書くこと。つまり読む人にとっ
て、わかりやすい文章かどうかを考えながら、書くこと。

 たとえば、こんなメールを受け取ったとしよう。「先日は、いろいろありがとうございま
した。あのあと、あの問題などをよく考えてみましたが、原因は父親にあると思います。
が、息子としても反省すべき点もあると思います。これからも、よろしくご指導ください」
と。

 「父親」というのは、その人自身の親のことなのか、それとも、その人の夫のことなの
か。
 「あの問題」とは、何か。
 「息子として……」というのは、だれのことなのか、などなど。「いろいろ」とか、「あ
の」「など」とかいう言葉は、使うとしても、最小限にしたい。

 こういう文章に出会うと、それだけでイライラしてしまう。そういう文章は、へたくそ
な文章ということになる(失礼!)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【実父との関係に悩む女性から……】

++++++++++++++++++

結婚当初のトラブルから、父親と
疎遠になってしまった女性からの
相談です。

(広島県在住、YDより)

++++++++++++++++++

以前にもご相談させていただきましたYDです。今回は私と実父との事で、ご相談お願
いしたいと思いました。 

18歳のときから、私は、今の主人とつき合い始めたのですが、そのときは、私が進路
未定の状態だったので、交際を猛反対されました。 

 幼稚な私は当時、交際を隠し続けていたのですが結局親が知るところとなり、私は家を飛
び出し、主人の所に転がり込む形で、家族との縁を切りました。そのときから体の不調が
始まり、主人と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をし
ました(主治医の先生によると、「おびえ」という症状との見解でした)

 実家とは絶縁状態のまま結婚、出産し、4年が過ぎた頃実母が亡くなり、家の敷居をまた
ぐことになりましたが、実父との関係は修復されないままでいます。

 母は子供の頃から誰にも言えない胸のうちを、私には話せるようで、愚痴の聞き役のよう
な感じでした。家を出てからも、父に隠れながら、毎日のように電話をくれました。しか
し私の話より自分の愚痴や不安を聞かされ、私が励ます内容の電話が多かったと思います。
そのせいか、私は心のどこかで父を軽蔑していると自分では思っています。
 
 母が亡くなった事で、法事などで実家に行くこともありますが、主人は父を嫌って極力実
家には近づこうとしません。父にはそれがもの凄く不満のようで、「もっと(私を)大事に
してくれ」と訴えるのですが、主人は、自分の両親・姉でさえとも一線を引き付き合うと
ころが有り、自分と合わない人間とは付き合わないところがあります。主人の気持ちも考
えると、どちらにも強く言えないでいます。 

 このお正月に母のお墓参りに行きましたが場所が岩手県と遠いこともあり、また車での
慣行で雪も降ったあととだったので、詳しい日程が立てられないまま行きました。

 結局、予定より2日も余裕が出来たので、叔父達に会いに行くことが出来ましたが、事
前に詳しく連絡を入れていなかった事で、父に迷惑がかかり、怒られる結果となりました。

父は「相手の立場に立って思いやりを持って行動すべきだ。相手にも都合がある。正月
という時期だから余計に考えるべきだった。自分(父)が何も知らないで勝手に決めす
ぎだ」と言われましたが、今回は行き当たりばったり過ぎて、皆に迷惑を掛けたのは確
かだと、自分では思っています。 

 事前に父に密に予定を話しておけば良かったことなのですが、私自身ごちゃごちゃ言わ
れたくないから、最低限のことだけ伝えればいいやと、父とのコンタクトを避けてしまっ
た結果だと、自分では思っています。 

 父は、私の家族であるリーダーは主人だから、私に言っても仕方なく、主人が考え、行
動すべきことであり、主人と話をすることを考えていると言っています。私は主人の性格
を考えると、余計に父を疎ましがるのではないかと思い、まずは私が父とコミュニケーシ
ョンを取れるようにならなければ、今の関係の改善は難しいと思うのですが。

 また、私たち家族が出向くことによって父が叔父達に「よろしくお願いします」「お世話
になりました」と動けるように、私たちから働きかけるべきなのでしょうか? 父にその
必要があるのなら父から聞いてくればいいのにと、どこか反発心もありながら、社会を見
ないまま家庭に入った身として、常識に欠けているのか判断が出来ずにいます。まず何か
ら改善すべきか見出せない現状です。

 文章が支離滅裂でお恥ずかしいのですが、先生はどう感じたでしょうか?聞かせていた
だけるととても嬉しいです。


+++++++++++++++++++++++

●「家族」とは何か?

 多くの人にとっては、「家族」は、その人にとっては、(心のより所)ではあるが、しか
し一度、歯車が狂うと、今度は、その「家族」が、重圧となってその人を苦しめることが
ある。ふつうの苦しみではない。心理学の世界でも、その苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。

 そういった「家族」全体がもつ、束縛意識、結束意識、連帯意識を総称して、「家族自我
群」と呼ぶ学者もいる。こうした意識は、乳幼児期から、親を中心とする家族から本能に
近い部分にまで刷りこまれている。そのため、それから自らを解放させることは、容易な
ことではない。

 ふつう、生涯にわたって、人は、意識することがないまま、その家族自我群に束縛され
る。「親だから……」「子だから……」という、『ダカラ論』も、こうした自我群が背景とな
って生まれる。

 さらにこの日本では、封建時代の家督制度、長子相続制度、権威主義などが残っていて、
親子の関係を、特別視する傾向が強い。私が説くところの、「親・絶対教」は、こうして生
まれたが、親を絶対視する子どもは、少なくない。

が、ときに、親自身が、子どもに対して、その絶対性を強要することがある。これを私
は「悪玉親意識」と呼んでいる。俗に言う、親風を吹かす人は、この悪玉親意識の強い
人ということになる。こういう人は、「親に向かって、何てこと言うのだ!」「恩知らず!」
「産んでやったではないか!」「育ててやったではないか!」「大学まで出してやったで
はないか!」というような言葉を、よく口にする。

 もともと権威主義的なものの考え方をする傾向が強いから、人とのつながりにおいても、
上下意識をもちやすい。「夫が上、妻が下」「男が上、女が下」と。「親が上で、子が下」と
いうのも、それに含まれる。さらにこの悪玉親意識が強くなると、本来なら関係ないはず
の、親類の人たちにまで、叔父風、叔母風を吹かすようになる。

 が、親子といえども、基本的には、人間対人間の関係で、決まる。よく「血のつながり」
を口にする人もいるが、そんなものはない。ないものはないのであって、どうしようもな
い。観念的な(つながり)を、「血」という言葉に置きかえただけのことである。

 で、冒頭に書いたように、(家族のつながり)は、それ自体は、甘美なものである。人は
家族がもつ安らぎの中で、身や心を休める。が、それには、条件がある。家族どうしが、
良好な人間関係を保っているばあいのみ、という条件である。

 しかしその良好な人間関係にヒビが入ると、今度は、逆に(家族のつながり)が、その
人を苦しめる、責め道具になる。そういう例は、多い。本当に多い。子ども自身が、自ら
に「親捨て」というレッテルを張り、生涯にわたって苦しむという例も少なくない。

 それほどまでに、脳に刷りこまれた(家族自我群)は、濃密かつ、根が深い。人間のば
あい、鳥類とは違い、生後、0か月から、7〜8か月くらいの期間を経て、この刷りこみ
がなされるという。その期間を、「敏感期」と呼ぶ学者もいる。

 そこで、ここでいう家族自我群による束縛感、重圧感、責務感に苦しんでいる人は、ま
ず、自分自身が、その(刷りこみ)によって苦しんでいることを、知る。だれの責任でも
ない。もちろんあなたという子どもの責任でもない。人間が、動物として、本来的にもつ、
(刷りこみ)という作用によるものだということを知る。

 ただ、本能的な部分にまで、しっかりと刷りこまれているため、意識の世界で、それを
コントロールすることは、たいへんむずかしい。家族自我群は、意識の、さらにその奥深
い底から、あなたという人間の心を左右する。いくらあなたが、「縁を切った」と思ってい
ても、そう思うのは、あなたの意識だけ。それでその刷りこみが消えるわけではない。

 この相談を寄せてくれた、YDさんにしても、家を出たあと、「体の不調が始まり、主人
と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしました」と書
いている。また実母がなくなったあとも、その縁を断ち切れず、葬儀に出たりしている。
 
 家族自我群による「幻惑」作用というのは、それほどまでに強烈なものである。

 で、ここで人は、2つの道のどちらかを選ぶ。(1)家族自我群の中に、身を埋没させ、
安穏に、何も考えずに生きる。(2)家族自我群と妥協し、一線を引きながらも、適当につ
きあって生きる。もう1つ、本当に縁を切ってしまうという生き方もあるが、それはここ
では考えない。

 (2)の方法はを、いいかげんな生き方と思う人もいるかもしれないが、自分の苦しみ
の原因が、家族自我群による幻惑とわかれば、それなりにそれに妥協することも、むずか
しくはない。文字が示すとおり、「幻惑」は、「幻惑」なのである。もっとわかりやすく言
えば、得体の知れない、亡霊のようなもの。そう考えて、妥協する。

 YDさんに特殊な問題があるとすれば、あくまでもこのメールから私がそう感ずるだけ
だが、それはYDさん自身の、依存性がある。YDさんは、親に対してというより、自分
自身が、だれかに依存していないと、落ち着かない女性のように感ずる。そしてその依存
性の原因としては、YDさんには、きわめて強い(弱化の原理)が働いているのではない
か(?)。

 自信のなさ、そういう自分自身を、YDさんは、「幼稚」と呼ぶ。もう少し精神的に自立
していれば、自分をそういうふうに呼ぶことはない。YDさんは、恐らく幼いときから、「お
まえはダメな子」式の子育てを受けてきたのではないか。とくに父親から、そう言われつ
づけてきたように思う。

 そのことにYDさん自身が気がつけば、もっとわかりやすい形で、この問題は解決する
と思われる。

 あえてYDさんに言うべきことがあるとするなら、もう親戚のことや、父親のことは忘
れたほうがよいということ。YDさんがもっとも大切にすべきは、夫であり、父親ではな
い。いわんや、郷里へ帰って、親戚に義理だてする必要など、どこにもない。それについ
てたとえYDさんの父親が、不満を言ったとしても、不満を言う、父親のほうがおかしい。
それこそまさに、悪玉親意識。YDさんは、すでにおとな。親戚にまで親風を吹かす父親
のほうこそ、幼稚と言うべきである。詳しくは、このあとそれについて書いた原稿を添付
しておく。

【YDさんへ……】

 お元気ですか。ここまでに書いたことで、すでに返事になってしまったようです。

 私のアドバイスは、簡単です。あなたの父親のことは、相手のほうから、何か助けを求
めてくるまで、放っておきなさい。あなたがあれこれ気をもんだところで、しかたのない
ことです。またどうにもなりません。

 父親が何か苦情を言ってきたら、「あら、そうね。これからは気をつけます」と、ケラケ
ラと笑ってすませばよいのです。何も深刻に考えるような問題ではありません。

 あなたの結婚当初の問題についても、そうです。いつまでも過去をずるずると引っぱっ
ていると、前に進めなくなります。

 で、もっと広い視野で考えるなら、そういうふうにYDさんを苦しめている、あるいは
その原因となっているあなたの父親は、それだけでも、親失格ということになります。天
上高くいる神なら、そう考えると思いますよ。

 本来なら、そういう苦しみを与えないように、子どもを見守るのが親の務めです。あな
たの父親は、結果としてあなたという子どもを苦しめ、悲しませている。不幸にしている。
だから、あなたの父親は、親失格ということになるのです。

 そんな父親に義理立てすることはないですよ。

 今は、一日も早く、「ファーザー・コンプレックス(マザコンに似たもの)」を捨て、あ
なたの夫のところで、羽を休めればよいのです。あなたの夫と、前に進めばよいのです。
あなたの夫が、「実家へ行きたくない」と言えば、「そうね」と、それに同意すればよいの
です。

 私は、あなたの夫の考え方に、賛成します。同感で、同意します。

 では、今日は、これで失礼します。

 出先で、この返事を書いたので、YDさんとわからないようにして、R天日記のほうに
返事を書いておきます。お許しください。


【YDさんより、はやし浩司へ】

++++++++++++++++++

私が返事を書いた、翌日、
YDさんより、こんな
メールが届いた。

++++++++++++++++++


はやし先生

先ほど楽天日記を読ませていただきました。

心が楽になりました。ありがとうございまいた。

家族自我群にあてはまるのだと教えて頂き、とても感謝しています。先生のホームページ
から勉強させて頂きマガジンからも勉強させていただいていますが、私は自分の都合の良
い情報ばかりを集めて自分を正当化しようと思っているのではないかと思っていました。

先生のお書きになった通り、私は依存性が強い人間です。主人と付き合い始めた当初は自
分でも思い出したくないくらいです 苦笑。そして父から褒められた記憶はありません。

父は「言って聞かないなら殴る。障害者になってもいいんだ」という教育方針で、私が何
か悪いことをすると、殴られるのは当たり前でした。お説教の最中に物が飛んでくるのも
よくあることでした。なので、父からのお説教があってしばらくはもう二度と可愛いと思
ってもらえないかもしれないという恐怖心は強かったと、今になると思います。

それでも、学校をさぼったりしていたのは、何でだったのか、まだ当時の自分を自己分析
できずにいますが・・・。

「大切にされた記憶がない」と話すと、父は、「毎週(月曜日に剣道に通っていたのですが、
終わるのが夜の9時でした)、迎えに行っていたのになぁ」と言われた事があります。私が
父の愛情に気付いていなかっただけなのか、自分がされた嫌な事だけしか覚えていないか
ら私は自分を悲劇のヒロイン化させているのかと思っていました。

その反面、(私は中学生でしたが)当時の心境は、「夜遊びに走らないように監視されてい
る」のが本当のところではなかったのかと思います。きっとその頃からひずみはすでに始
まっていたんでしょう・・・。

自分では私は「アダルトチルドレン」に入るのではないかと思っています。社会との繋が
りがうまく持てない焦りから、今の自分のままでは子供達の成長に良くないのではないか
と焦っています。父に「親や、その親、親の兄弟あってのお前なんだから、まわりを大切
にすべきだ」と強く言われる事で、自分を見失ってしまいました。

父の事を思い起こすと未だに震えが起こるので、きちんと文章になっているのか不安です
がお時間を割いて頂きありがとうございました。

追伸・「ユダヤの格言xx」という本の中で、「父親の生き方から夫の生き方に変え、逆境
のときは夫を支え、喜びを分かち合い、女中を雇う余裕があっても怠けることなく、話を
してくるものにはわけへだてなく対応し、困っている人には手を差し伸べる」(ユダヤ人の
伝統的な良き妻の像)と言う説を手帳に書き写したことがあります。楽天の日記を読ませて
いただきこの事を思い出しました。 

個人的なのですがこの本の先生の見解にとても興味があります。
長々と読んでいただきありがとうございました。

++++++++++++++++

悪玉親意識についての原稿を
添付しておきます。

++++++++++++++++

●悪玉親意識

 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子
どもを自分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。その悪玉親意識にも、こ
れまた二種類ある。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは依存型親意識。

 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分
の価値観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしよ
うとする。子どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をす
る。

これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもを
その「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなって
いるため、たいていは無意識のうちのそうすることが多い。親は親で「産んでやった」「育
ててやった」と言い、子どもは子どもで、「産んでもらいました」「育てていただきまし
た」と言う。

 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ
姿」という)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子ども
の歓心を買いながら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。

「あなたを育てるためにママは苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子ど
もにするのが前者。クリスマスなどに豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに
気に入られようとするのが後者ということになる。

以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、
先生の方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それ
もここでいう後者ということになる。
 これらを表にしたのがつぎである。

   親意識  善玉親意識
        悪玉親意識  非依存型親意識
               依存型親意識   押しつけ型親意識
                        コビ売り型親意識
 
 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようにな
る。それは当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。
はたしてあなたの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分
析してみると、おもしろいのでは……。

+++++++++++++++

もう1作……

+++++++++++++++

●子育て、はじめの一歩

 先日、あるところで講演をしたら、一人の父親からメールが届いた。いわく、「先生(私
のこと)は、親は子どもの友になれというが、親子にも上下関係は必要だと思う」と。

 こうした質問や反論は、多い。講演だと、どうしても時間的な制約があって、話のあち
こちを端(はし)折ることが多い。それでいつも誤解を招く。で、その人への説明……。

 テレビ番組にも良質のものもあれば、そうでないのもある。そういうのを一緒くたにし
て、「テレビは是か非か」と論じても意味がない。同じように、「(上下意識のある)親意識
は必要か否か」と論じても意味はない。親意識にも、つまり親子の上下関係にも、いろい
ろなケースがある。私はそれを、善玉親意識と、悪玉親意識に分けている。

善玉親意識というのは、いわば親が、親の責任としてもつ親意識をいう。「親として、し
っかりと子どもを育てよう」とか、そういうふうに、自分に向かう親意識と思えばよい。
一方、悪玉親意識というのは、子どもに向かって、「私は親だ!」「親に向かって、何だ!」
と、親風を吹かすことをいう。

 つまりその中身を分析することなく、全体として親意識を論ずることは危険なことでも
ある。同じように「上下意識」も、その中身を分析することなく論じてはいけない。当然、
子どもを指導し、保護するうえにおいては、上下意識はあるだろうし、またそれがなけれ
ば、子どもを指導することも、保護することもできない。しかし子どもの人格を認めると
いう点では、この上下意識は禁物である。あればじゃまになる。

親子の関係もつきつめれば、一対一の人間関係で決まる。「親だから……」「子どもだか
ら……」と、「だから」論で、たがいをしばるのは、ときとしてたがいの姿を見失う原因
となる。日本人は世界的にみても、上下意識が強い民族。親子の間にも、(あるいは夫婦
の間ですら)、この上下意識をもちこんでしまう。そして結果として、それがたがいの間
にキレツを入れ、さらにはたがいを断絶させる。

 が、こうして疑問をもつことは、実は、子育ての「ドア」を開き、子育ての「階段」を
のぼる、その「はじめの一歩」でもある。冒頭の父親は、恐らく、「上下関係」というテー
マについてそれまで考えたことがなかったのかもしれない。しかし私の講演に疑問をもつ
ことで、その一歩を踏み出した。ここが重要なのである。もし疑問をもたなかったら、そ
の上下意識についてすら、考えることはなかったかもしれない。もっと言えば、親は、子
育てをとおして、自ら賢くなる。「上下意識とは何か」「親意識とは何か」「どうして日本人
はその親意識が強いか」「親意識にはどんなものがあるか」などなど。そういうことを考え
ながら、自ら賢くなる。ここが重要なのである。

 子育ての奥は、本当に深い。私は自分の講演をとおして、これからもそれを訴えていき
たい。
(はやし浩司 親意識 親との葛藤 家族自我群 はやし浩司 幻惑)


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●ある母親からの相談

++++++++++++++++

育児に悩む、母親から、こんな
相談があった。

++++++++++++++++

先日一度ご相談差し上げたNKと申します。一時は暴力的だった我が子も随分と落ち着
いてきましたが、最近主人と私が、仲が悪いせいか、(1)指しゃぶり、爪噛みを始めた
事。(ひどい時は拳を口に入れ込んでウエッっと嗚咽する事も)、(2)先日友人の子ども
がおっぱいをもらってる姿を見て、突然おっぱいに異常に興味を示している事、(3)根
気よく遊べない事(幼稚園などに遊ぶに行っても皆と同じ様に座っていれず、歩き回っ
てしまう)事、(4)笑顔が減ったような気がする事。沢山のことが一気に起きてしまい、
主人との事もあり、子どもにとってどう接したらよいのかわからません。どうすること
がベストなのでしょうか? よろしくご指導下さい。

【はやし浩司から、KT様へ】

 この問題は、一見、子どもの問題に見えますが、実は、母親である、KT様、あなた自
身の問題です。子どもが、あなたの心の状態を、忠実に、カガミのように映しだしている
にすぎません。

 つまり心が不安定になっているのは、子どもの方ではなく、あなた自身のほうだという
ことです。お子さんは、たしか、2歳でしたね。そんな子どもに、神経症による症状が、
これだけ出ているのですから、反省すべきは、あなた自身のほうということになります。

 神経症については、(はやし浩司のHP)→(トップページ)→(はやし浩司の書斎)→
(FORUM)→(神経症)へと進んでください。今日、診断チェックシートを載せてお
きました。

 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
から、おいでください。

 子どもの視点から見て、安心感のもてる家庭環境作りに、どうか、心がけてください。

 で、私からのアドバイス。あなたの子どもは、いつかすぐ、あなたのよき友だちになり、
あなたの苦しみや悲しみを、共有してくれます。あなたをなぐさめ、励ましてくれます。
それを信じて、今は、そのための基礎作りと考えてください。わかりますか? あなたは
子どもを育てているのではないのです。将来の親友を育てているのです。

 今は、頼りなく、心もとないかもしれませんが、やがてたくましく成長します。それを
どうか、信じてください。あっという間に、そうなります。で、一番重要なことは、肩の
力を抜いて、もっと子育てを楽しむことです。方法は簡単です。あなた自身が、幼児に返
ったつもりで、いっしょに、人生を楽しめばよいのです。

 私も、ずいぶんと前のことですが、あるときから、生徒たちを前にして、「教えてやろう」
という気持は、捨てました。そのかわり、「いっしょに楽しんでやろう」と考えるようにな
りました。とたん、気も楽になりました。生徒たちの表情も、見ちがえるほど、明るくな
りました。

 あなたの子どもの神経症(心身症)による症状は、少し時間がかかるかもしれませんが、
それで消えるはずです。2歳ということですから、ささいなことで、こうした症状を示す
ようになりますが、お母さんのあなたさえ、少しなおせば、症状も、すぐ消えます。(……
こじらせれば、情緒が不安定になるだけではなく、精神状態にも影響をおよぼすようにな
るかもしれません。どうか、ご注意ください。)

 子どもの心が不安定と感じたら、(現在、かなり不安定のようですが……)、CA、MG、
K分の多い食生活に切りかえてみてください。わかりやすく言えば、海産物を中心とした
献立に切りかえます。

 白砂糖の多い食品をひかえ、カルシウム分をふやすだけでも、子どもの心は、かなり落
ちつきます。ためしてみてください。


++++++++++++++++++

子どもの神経症についての原稿を
ここに添付しておきます。

++++++++++++++++++

 子どもの神経症(心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害)は、
まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑う。

精神面の神経症…恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できないもの
に対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)など。

身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、頻
尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、
発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。

一般的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体
面での神経症を黄信号ととらえて警戒する。

行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に現れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠
学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。

 神経症が子どもに現れたら、子どもの側からみて、親の存在を感じないほどまでに、家
庭環境をゆるめる。親があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果。子どもがひとりでぼ
んやりとできる時間と場所を大切にする。

+++++++++++++++++

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、
イギリスでは、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさを
どこかで感じたら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の
多い食生活にこころがける。

私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの子
どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、
「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与するだけでなおる」(「マザ
ーリング」八一年7号)と述べている。

効果がなくても、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、
「うちの子は小食で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを
一本与えるということは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジ
ュースを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●早く、寝たい!

 寒い夜道を歩いていると、願うことは、ただ1つ。ポカポカと暖かいふとんの中に入っ
て、早く、寝た〜い。

 風呂もよいが、風呂から出たあとが、寒い。朝風呂でも、就寝前の風呂でも、事情は、
同じ。

 しかし私の家ほど、生活習慣の定まっていない家庭はないのでは……? たとえばその
風呂にしても、ほとんど毎日、気が向いたときに入っている。昨日は、起きてすぐの、午
前7時ごろ。その前の日は、昼過ぎ……といった具合。

 結婚したときから、そういう習慣(?)になっている。自由、気ままに生きるという生
き方が、いつの間にか、こうなってしまった。

 一方、私の知人の中には、毎日、分単位で、規則正しい生活をしている人がいる。雨戸
を開ける時刻も、閉める時刻も、一年を通して、同じ。夏も冬も、だ。

 そういう人を見ると、心底、感心するというよりは、驚く。「そういう生活をしていて、
平気なのかなア?」と。まあ、人それぞれ。その人がそれでよいのなら、私のようなもの
が、とやかく言う必要はない。

 ただ私のばあいは、変化のある生活を大切にしている。いつもどこかに、何かの新鮮さ
を感じていないと、落ちつかない。単調な生活には、耐えられない。寝室にしても、いつ
もあちこちへ移動している。同じ寝室の中でも、ふとんの向きをいつも変えている。

 が、願うことは、ただ1つ。ポカポカと暖かいふとんの中に入って、早く、寝た〜い。
(2月9日記)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================







☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 15日(No.700)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page009.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525


【1】(特集)【子どもの人格論】□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの人格】

●幼児性の残った子ども

++++++++++++++++

人格の核形成が遅れ、その年齢に
ふさわしい人格の発達が見られない。

全体として、しぐさ、動作が、
幼稚ぽい。子どもぽい。

そういう子どもは、少なくない。

++++++++++++++++

 「幼稚」という言い方には、語弊がある。たとえば幼稚園児イコール、幼稚ぽいという
ことではない。幼稚園児でも、人格の完成度が高く、はっと驚くような子どもは、いくら
でもいる。

 が、その一方で、そうでない子どもも、少なくない。こうした(差)は、小学1、2年
生ごろになると、はっきりとしてくる。その年齢のほかの子どもに比べて、人格の核形成
が遅れ、乳幼児期の幼児性をそのまま持続してしまう。特徴としては、つぎのようなもの
がある。

(1)独特の幼児ぽい動作や言動。
(2)無責任で無秩序な行動や言動。
(3)しまりのない生活態度。
(4)自己管理能力の欠落。
(5)現実検証能力の欠落。

 わかりやすく言えば、(すべきこと)と、(してはいけないこと)の判断が、そのつど、
できない。自分の行動を律することができず、状況に応じて、安易に周囲に迎合してしま
う。

 原因の多くは、家庭での親の育児姿勢にあると考えてよい。でき愛と過干渉、過保護と
過関心など。そのときどきにおいて変化する、一貫性のない親の育児姿勢が、子どもの人
格の核形成を遅らせる。

 「人格の核形成」という言葉は、私が使い始めた言葉である。「この子は、こういう子ど
も」という(つかみどころ)を「核」と呼んでいる。人格の核形成の進んでいる子どもは、
YES・NOがはっきりしている。そうでない子どもは、優柔不断。そのときどきの雰囲
気に流されて、周囲に迎合しやすくなる。

 そこであなたの子どもは、どうか?

【人格の完成度の高い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、年上に見える。
○自己管理能力にすぐれ、自分の行動を正しく律することができる。
○YES・NOをはっきりと言い、それに従って行動できる。
○ハキハキとしていて、いつも目的をもって行動できる。

【人格の完成度の低い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、幼児性が強く残っている。
○自己管理能力が弱く、その場の雰囲気に流されて行動しやすい。
○優柔不断で、何を考えているかわからないところがある。
○グズグズすることが多く、ダラダラと時間を過ごすことが多い。

 では、どうするか?

 子どもの人格の核形成をうながすためには、つぎの3つの方法がある。

(1)まず子どもを、子どもではなく、1人の人間として、その人格を認める。
(2)親の育児姿勢に一貫性をもたせる。
(3)『自らに由(よ)らせる』という意味での、子育て自由論を大切にする。

++++++++++++++++++

今までに書いた原稿の中から
いくつかを選んで、ここに
添付します。

内容が少し脱線する部分があるかも
しれませんが、お許し下さい。

++++++++++++++++++

(1)【子どもの人格を認める】

●ストーカーする母親

 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居するこ
とになった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していた
のが、娘の実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも…
…」と考えていたが、そのもくろみは、もろくも崩れた。

 が、結婚、2年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家
庭騒動の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、
珍しくない。しかしここからが違った。なおこの話は、「本当にあった話」とわざわざ断り
たいほど、本当にあった話である。

 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)
による復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当
たった!」「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた
人生を返せ!」と。それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、
はやく死んでしまえ!」「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろっ
てやる!」「親を不幸にしたものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。それだけではな
い。

どこでどう監視しているのかわからないが、娘の行動をちくいち知っていて、「夫婦だけ
で、○○レストランで、お食事? 結構なご身分ですね」「スーパーで、特売品をあさっ
ているあんたを見ると、親としてなさけなくてね」「今日、あんたが着ていたセーターね、
あれ、私が買ってあげたものよ。わかっているの!」と。

 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、
何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が
悪くなると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、
フラフラするわ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえる
のに」「もう、長いこと会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしく
ないわよ」「明日あたり、私の通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。

●自分勝手な愛

 親が子どもにもつ愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛。ここで
いう代償的愛というのは、自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手でわがままな愛を
いう。たいていは親自身に、精神的な欠陥や情緒的な未熟性があって、それを補うために、
子どもを利用する。子どもが親の欲望を満足させるための道具になることが多い。そのた
め、子どもを、一人の人格をもった人間というより、モノとみる傾向が強くなる。いろい
ろな例がある。

 Aさん(60歳・母親)は、会う人ごとに、「息子なんて育てるものじゃ、ないですねえ。
息子は、横浜の嫁にとられてしまいました」と言っていた。息子が結婚して横浜に住んで
いることを、Aさんは、「取られた」というのだ。

 Bさん(45歳・母親)の長男(現在18歳)は、高校へ入学すると同時に、プツンし
てしまった。断続的に不登校を繰り返したあと、やがて家に引きこもるようになった。原
因ははげしい受験勉強だった。しかしBさんには、その自覚はなかった。つづいて二男に
も、受験期を迎えたが、同じようにはげしい受験勉強を強いた。「お兄ちゃんがダメになっ
たから、あんたはがんばるのよ」と。ところがその二男も、同じようにプツン。今は兄弟
二人は、夫の実家に身を寄せ、そこから、ときどき学校に通っている。

 Cさん(65歳・母親)は、息子がアメリカにある会社の支店へ赴任している間に、息
子から預かっていた土地を、勝手に転売してしまった。帰国後息子(40歳)が抗議する
と、Cさんはこう言ったという。「親が、先祖を守るために息子の金を使って、何が悪い!」
と。Cさんは、息子を、金づるくらいにしか考えていなかったようだ。その息子氏はこう
話した。

「何かあるたびに、私のところへきては、10〜30万円単位のお金をもって帰りまし
た。私の長男が生まれたときも、その私から、母は当時のお金で、30万円近く、もっ
て帰ったほどです。いつも『かわりに貯金しておいてやるから』が口ぐせでしたが、今
にいたるまで、1円も返してくれません」と。

 Dさん(60歳・女性)の長男は、ハキがなく、おとなしい人だった。それもあって、
Dさんは、長男の結婚には、ことごとく反対し、縁談という縁談を、すべて破談にしてし
まった。Dさんはいつも、こう言っていた。「へんな嫁に入られると、財産を食いつぶされ
る」と。たいした財産があったわけではない。昔からの住居と、借家が二軒あっただけで
ある。

 ……などなど。こういう親は、いまどき、珍しくも何ともない。よく「親だから……」「子
だから……」という、『ダカラ論』で、親子の問題を考える人がいる。しかしこういうダカ
ラ論は、ものの本質を見誤らせるだけではなく、かえって問題をかかえた人たちを苦しめ
ることになる。「実家の親を前にすると、息がつまる」「盆暮れに実家へ帰らねばならない
と思うだけで、気が重くなる」などと訴える男性や女性はいくらでもいる。

さらに舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)との折り合いが悪く、家庭騒動を繰り返してい
る家庭となると、今では、そうでない家庭をさがすほうが、むずかしい。中には、「殺し
てやる!」「お前らの前で、オレは死んでやる!」と、包丁やナタを振り回している舅す
ら、いる。

 そうそう息子が二人ともプツンしてしまったBさんは、私にも、ある日こう言った。「夫
は学歴がなくて苦労しています。息子たちにはそういう苦労をさせたくないので、何とか
いい大学へ入ってもらいたいです」と。

●子どもの依存性

 人はひとりでは生きていかれない存在なのか。「私はひとりで生きている」と豪語する人
ですら、何かに依存して生きている。金、モノ、財産、名誉、地位、家柄など。退職した
人だと、過去の肩書きに依存している人もいる。あるいは宗教や思想に依存する人もいる。
何に依存するかはその人の勝手だが、こうした依存性は、相互的なもの。そのことは、子
どもの依存性をみているとわかる。

 依存心の強い子どもがいる。依存性が強く、自立した行動ができない。印象に残ってい
る子どもに、D君(年長児)という子どもがいた。帰りのしたくの時間になっても、机の
前でただ立っているだけ。「机の上のものを片づけようね」と声をかけても、「片づける」
という意味そのものがわからない……、といった様子。そこであれこれジェスチャで、し
まうように指示したのだが、そのうち、メソメソと泣き出してしまった。多分、家では、
そうすれば、家族のみながD君を助けてくれるのだろう。

 一方、教える側からすれば、そういう涙にだまされてはいけない。涙といっても、心の
汗。そういうときは、ただひたすら冷静に片づけるのを待つしかない。いや、内心では、
D君がうまく片づけられたら、みなでほめてやろうと思っていた。が、運の悪いことに(?)、
その日にかぎって、母親がD君を迎えにきていた。そしてD君の泣き声を聞きつけると、
教室へ飛び込んできて、こう言った。ていねいだが、すごみのある声だった。「どうしてう
ちの子を泣かすのですか!」と。

 そういう子どもというより、その子どもを包む環境を観察してみると、おもしろいこと
に気づく。D君の依存性を問題にしても、親自身には、その認識がまるでないということ。
そういうD君でも、親は、「ふつうだ」と思っている。さらに私があれこれ問題にすると、
「うちの子は、生まれつきそうです」とか、「うちではふつうです」とか言ったりする。そ
こでさらに観察してみると、親自身が依存性に甘いというか、そういう生き方が、親自身
の生き方の基本になっていることがわかる。そこで私は気がついた。子どもの依存性は、
相互的なものだ、と。こういうことだ。

 親自身が、依存性の強い生き方をしている。つまり自分自身が依存性が強いから、子ど
もの依存性に気づかない。あるいはどうしても子どもの依存性に甘くなる。そしてそうい
う相互作用が、子どもの依存性を強くする。言いかえると、子どもの依存性だけを問題に
しても、意味がない。子どもの依存性に気づいたら、それはそのまま親自身の問題と考え
てよい。

……と書くと、「私はそうでない」と言う人が、必ずといってよいほど、出てくる。それ
はそうで、こうした依存性は、ある時期、つまり青年期から壮年期には、その人の心の
奥にもぐる。外からは見えないし、また本人も、日々の生活に追われて気づかないでい
ることが多い。しかしやがて老齢期にさしかかると、また現れてくる。先にあげた親た
ちに共通するのは、結局は、「自立できない親」ということになる。

●子どもに依存する親たち

 日本型の子育ての特徴を、一口で言えば、「子どもが依存心をもつことに、親たちが無頓
着すぎる」ということ。昔、あるアメリカの教育家がそう言っていた。つまりこの日本で
は、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。一方、独
立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼っ子」として嫌う。私が生まれ育った岐
阜県の地方には、まだそういう風習が強く残っていた。今も残っている。

親の権威や権力は絶対で、親孝行が今でも、最高の美徳とされている。たがいにベタベ
タの親子関係をつくりながら、親は親で、子どものことを、「親思いの孝行息子」と評価
し、子どもは子どもで、それが子どもの義務と思い込んでいる。こういう世界で、だれ
かが親の悪口を言おうものなら、その子どもは猛烈に反発する。相手が兄弟でもそれを
許さない。「親の悪口を言う人は許さない!」と。

 今風に言えば、子どもを溺愛する親、マザーコンプレックス(マザコン)タイプの子ど
もの関係ということになる。このタイプの子どもは、自分のマザコン性を正当化するため
に、親を必要以上に美化するので、それがわかる。

 こうした依存性のルーツは、深い。長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのもの
がもつ習性(?)とからんでいる。私はこのことを、ある日、ワイフとロープウェイに乗
っていて発見した。

●ロープウェイの中で

 春のうららかな日だった。私とワイフは、近くの遊園地へ行って、そこでロープウェイ
に乗った。中央に座席があり、そこへ座ると、ちょうど反対側に、60歳くらいの女性と、
五歳くらいの男の子が座った。おばあちゃんと孫の関係だった。その2人が、私たちとは
背中合わせに、会話を始めた。(決して盗み聞きしたわけではない。会話がいやおうなしに
聞こえてきたのだ。)その女性は、男の子にこう言っていた。

 「オバアちゃんと、イッチョ(一緒)、楽しいね。楽しいね。お山の上に言ったら、オイ
チイモノ(おいしいもの)を食べようね。お小づかいもあげるからね。オバアちゃんの言
うこと聞いてくれたら、ホチイ(ほしい)ものを何でも買ってあげるからね」と。
 
 一見ほほえましい会話に聞こえる。日本人なら、だれしもそう思うだろう。が、私はそ
の会話を聞きながら、「何か、おかしい」と思った。60歳くらいの女性は、孫をかわいが
っているように見えるが、その実、孫の人格をまるで認めていない。まるで子どもあつか
いというか、もっと言えば、ペットあつかい! その女性は、5歳の子どもに、よい思い
をさせるのが、祖母としての努めと考えているようなフシがあった。そしてそうすること
で、祖母と孫の絆(きずな)も太くなると、錯覚しているようなフシがあった。

 しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえばこの日本では、誕生日にせよ、クリスマ
スにせよ、より高価なプレゼントであればあるほど、親の愛の証(あかし)であると考え
ている人は多い。また高価であればあるほど、子どもの心をつかんだはずと考えている人
は多い。しかし安易にそうすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。仮に一時的
に子どもの心をつかむことはできても、あくまでも一時的。理由は簡単だ。

●釣竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け

 人間の欲望には際限がない。仮に一時的であるにせよ、欲望をモノやお金で満足させた
子どもは、つぎのときには、さらに高価なものをあなたに求めるようになる。そのときつ
ぎつぎとあなたがより高価なものを買い与えることができれば、それはそれで結構なこと
だが、それがいつか途絶えたとき、子どもはその時点で自分の欲求不満を爆発させる。そ
してそれまでにつくりあげた絆(本当は絆でも何でもない)を、一挙に崩壊させる。「バイ
クぐらい、買ってよこせ!」「どうして私だけ、夏休みにオーストラリアへ行ってはダメな
の!」と。

 イギリスには、『子どもには釣竿を買ってあげるより、子どもと一緒に、魚釣りに行け』
という格言がある。子どもの心をつかみたかったら、モノを買い与えるのではなく、よい
思い出を一緒につくれという意味だが、少なくとも、子どもの心は、モノやお金では釣れ
ない。それはさておき、その六〇歳の女性がしたことは、まさに、子どもを子どもあつか
いすることにより、子どもを釣ることだった。

 しかし問題はこのことではなく、なぜ日本人はこうした子育て観をもっているかという
こと。また周囲の人たちも、「ほほえましい光景」と、なぜそれを容認してしまうかという
こと。ここの日本型子育ての大きな問題が隠されている。

 それが、私がここでいう、「長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのものがもつ習
性(?)とからんでいる」ということになる。つまりこの日本では、江戸時代の昔から、
あるいはそれ以前から、『女、子ども』という言い方をして、女性と子どもを、人間社会か
ら切り離してきた。私が子どものときですら、そうだった。

NHKの大河ドラマの『利家とまつ』あたりを見ていると、江戸時代でも結構女性の地
位は高かったのだと思う人がいるかもしれないが、江戸時代には、女性が男性の仕事に
口を出すなどということは、ありえなかった。とくに武家社会ではそうで、生活空間そ
のものが分離されていた。日本はそういう時代を、何100年間も経験し、さらに不幸
なことに、そういう時代を清算することもなく、現代にまで引きずっている。まさに『利
家とまつ』がそのひとつ。いまだに封建時代の圧制暴君たちが英雄視されている!

 が、戦後、女性の地位は急速に回復した。それはそれだが、しかし取り残されたものが
ひとつある。それが『女、子ども』というときの、「子ども」である。

●日本独特の子ども観

 日本人の多くは、子どもを大切にするということは、子どもによい思いをさせることだ
と誤解している。もう10年近くも前のことだが、一人の父親が私のところへやってきて、
こう言った。「私は忙しい。あなたの本など、読むヒマなどない。どうすればうちの子をい
い子にすることができるのか。一口で言ってくれ。そのとおりにするから」と。
 私はしばらく考えてこう言った。「使うことです。子どもは使えば使うほど、いい子にな
ります」と。

 それから10年近くになるが、私のこの考え方は変わっていない。子どもというのは、
皮肉なことに使えば使うほど、その「いい子」になる。生活力が身につく。忍耐力も生ま
れる。が、なぜか、日本の親たちは、子どもを使うことにためらう。はからずもある母親
はこう言った。「子どもを使うといっても、どこかかわいそうで、できません」と。子ども
を使うことが、かわいそうというのだが、どこからそういう発想が生まれるかといえば、
それは言うまでもなく、「子どもを人間として認めていない」ことによる。私の考え方は、
どこか矛盾しているかのように見えるかもしれないが、その前に、こんなことを話してお
きたい。

●友として、子どもの横を歩く

 昔、オーストラリアの友人がこう言った。親には3つの役目がある、と。ひとつはガイ
ドとして、子どもの前を歩く。もうひとつは、保護者として、子どものうしろを歩く。そ
して3つ目は、友として、子どもの横を歩く、と。

 日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意。しかし友として、子どもの横を歩くの
が苦手。苦手というより、そういう発想そのものがない。もともと日本人は、上下意識の
強い国民で、たった1年でも先輩は先輩、後輩は後輩と、きびしい序列をつける。男が上、
女が下、夫が上、妻が下。そして親が上で、子が下と。親が子どもと友になる、つまり対
等になるという発想そのものがない。ないばかりか、その上下意識の中で、独特の親子関
係をつくりあげた。私がしばしば取りあげる、「親意識」も、そこから生まれた。

 ただ誤解がないようにしてほしいのは、親意識がすべて悪いわけではない。この親意識
には、善玉と悪玉がある。善玉というのは、いわゆる親としての責任感、義務感をいう。
これは子どもをもうけた以上、当然のことだ。しかし子どもに向かって、「私は親だ」と親
風を吹かすのはよくない。その親風を吹かすのが、悪玉親意識ということになる。「親に向
かって何だ!」と怒鳴り散らす親というのは、その悪玉親意識の強い人ということになる。
先日もある雑誌に、「父親というのは威厳こそ大切。家の中心にデーンと座っていてこそ父
親」と書いていた教育家がいた。そういう発想をする人にしてみれば、「友だち親子」など、
とんでもない考え方ということになるに違いない。

 が、やはり親子といえども、つきつめれば、人間関係で決まる。「親だから」「子どもだ
から」という「ダカラ論」、「親は〜〜のはず」「子どもは〜〜のはず」という「ハズ論」、
あるいは「親は〜〜すべき」「子は〜〜すべき」という、「ベキ論」で、その親子関係を固
定化してはいけない。固定化すればするほど、本質を見誤るだけではなく、たいていのば
あい、その人間関係をも破壊する。あるいは一方的に、下の立場にいるものを、苦しめる
ことになる。

●子どもを大切にすること

 話を戻すが、「子どもを人間として認める」ということと、「子どもを使う」ということ
は、一見矛盾しているように見える。また「子どもを一人の人間として大切にする」とい
うことと、「子どもを使う」ということも、一見矛盾しているように見える。とくにこの日
本では、子どもをかわいがるということは、子どもによい思いをさせ、子どもに楽をさせ
ることだと思っている人が多い。そうであるなら、なおさら、矛盾しているように見える。
しかし「子育ての目標は、よき家庭人として、子どもを自立させること」という視点に立
つなら、この考えはひっくりかえる。こういうことだ。

 いつかあなたの子どもがあなたから離れて、あなたから巣立つときがくる。そのときあ
なたは、子どもに向かってこう叫ぶ。

 「お前の人生はお前のもの。この広い世界を、思いっきり羽ばたいてみなさい。たった
一度しかない人生だから、思う存分生きてみなさい」と。

つまりそういう形で、子どもの人生を子どもに、一度は手渡してこそ、親は親の務めを
果たしたことになる。安易な孝行論や、家意識で子どもをしばってはいけない。もちろ
んそのあと、子どもが自分で考え、親のめんどうをみるとか、家の心配をするというの
であれば、それは子どもの問題。子どもの勝手。しかし親は、それを子どもに求めては
いけない。期待したり、強要してはいけない。あくまでも子どもの人生は、子どものも
の。

 この考え方がまちがっているというのなら、今度はあなた自身のこととして考えてみれ
ばよい。もしあなたの子どもが、あなたのためや、あなたの家のために犠牲になっている
姿を見たら、あなたは親として、それに耐えられるだろうか。もしそれが平気だとするな
ら、あなたはよほど鈍感な親か、あるいはあなた自身、自立できない依存心の強い親とい
うことになる。同じように、あなたが親や家のために犠牲になる姿など、美徳でも何でも
ない。仮にそれが美徳に見えるとしたら、あなたがそう思い込んでいるだけ。あるいは日
本という、極東の島国の中で、そう思い込まされているだけ。

 子どもを大切にするということは、子どもを一人の人間として自立させること。自立さ
せるということは、子どもを一人の人間として認めること。そしてそういう視点に立つな
ら、子どもに社会性を身につけさえ、ひとりで生きていく力を身につけさせるということ
だということがわかってくる。「子どもを使う」というのは、そういう発想にもとづく。子
どもを奴隷のように使えということでは、決して、ない。

●冒頭の話

 さて冒頭の話。実の娘に向かって、ストーカー行為を繰り返す母親は、まさに自立でき
ない親ということになる。いや、私はこの話を最初に聞いたときには、その母親の精神状
態を疑った。ノイローゼ? うつ病? 被害妄想? アルツハイマー型痴呆症? 何であ
れ、ふつうではない。嫉妬に狂った女性が、ときどき似たような行為を繰り返すという話
は聞いたことがある。そういう意味では、「娘を取られた」「夢をつぶされた」という点で
は、母親の心の奥で、嫉妬がからんでいるかもしれない。が、問題は、母親というより、
娘のほうだ。

 純粋にストーカー行為であれば、今ではそれは犯罪行為として類型化されている。しか
しそれはあくまでも、男女間でのこと。このケースでは、実の母親と、実の娘の関係であ
る。それだけに実の娘が感ずる重圧感は相当なものだ。遠く離れて住んだところで、解決
する問題ではない。また実の母親であるだけに、切って捨てるにしても、それ相当の覚悟
が必要である。あるいは娘であるがため、そういう発想そのものが、浮かんでこない。そ
の娘にしてみれば、母親からの電話におびえ、ただ一方的に母親にわびるしかない。

実際、親に、「産んでやったではないか」「育ててやったではないか」と言われると、子
どもには返す言葉がない。実のところ、私も子どものころ母親に、よくそう言われた。
しかしそれを言われた子どもはどうするだろうか。反論できるだろうか。……もちろん
反論できない。そういう子どもが反論できない言葉を、親が言うようでは、おしまい。
あるいは言ってはならない。仮にそう思ったとしても、この言葉だけは、最後の最後ま
で言ってはならない。言ったと同時に、それは親としての敗北を認めたことになる。

が、その娘の母親は、それ以上の言葉を、その娘に浴びせかけて、娘を苦しめている。
もっと言えば、その母親は「親である」というワクに甘え、したい放題のことをしてい
る。一方その娘は、そのワクの中に閉じ込められて、苦しんでいる。

 私もこれほどまでにひどい事件は、聞いたことがない。ないが、親子の関係もゆがむと、
ここまでゆがむ。それだけにこの事件には考えさせられた。と、同時に、輪郭(りんかく)
がはっきりしていて、考えやすかった。だから考えた。考えて、この文をまとめた。
(02−9−14)※

++++++++++++++++

(2)【育児の一貫性】

子育ての一貫性

 以前、「信頼性」についての原稿を書いた。この中で、親子の信頼関係を築くためには、
一貫性が大切と書いた。その「一貫性」について、さらにここでもう一歩、踏みこんで考
えてみたい。

 その前に、念のため、そのとき書いた原稿を、再度掲載する。

++++++++++++++++++++++

信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外で
はない。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本
である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、
反対にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような
調子で、同じようなパターンで、答えてあげること。こうしたあなたの一貫性を見ながら、
子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことができる。こうした安定的な人間関係が、
ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基
本的信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの3つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。
これを第1世界という。園や学校での世界。これを第2世界という。そしてそれ以外の、
友だちとの世界。これを第3世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第2世界、つづいて第3世界へと、応用して
いく。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第2世界、第3世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の
基本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親
側の情緒不安や、親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなば
あい、子どもは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、
人間関係になる。これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分
野で現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ね
たみ症状などは、こうした基本的不信関係から生まれる。第2世界、第3世界においても、
良好な人間関係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れ
る。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安
心して」というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分
をさらけ出せる環境」をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役
目ということになる。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよ
い。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じよう
に接する。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くな
るというのは、避ける。

+++++++++++++++++++++

 よくても悪くても、親は、子どもに対して、一貫性をもつ。子どもの適応力には、もの
すごいものがある。そういう一貫性があれば、子どもは、その親に、よくても、悪くても、
適応していく。

 ときどき、封建主義的であったにもかかわらず、「私の父は、すばらしい人でした」と言
う人がいる。A氏(60歳男性)が、そうだ。「父には、徳川家康のような威厳がありまし
た」と。

 こういうケースでは、えてして古い世代のものの考え方を肯定するために、その人はそ
う言う。しかしその人が、「私の父は、すばらしい人でした」と言うのは、その父親が封建
主義的であったことではなく、封建主義的な生き方であるにせよ、そこに一貫性があった
からにほかならない。

 子育てでまずいのは、その一貫性がないこと。言いかえると、子どもを育てるというこ
とは、いかにしてその一貫性を貫くかということになる。さらに言いかえると、親がフラ
フラしていて、どうして子どもが育つかということになる。
(030623)
(はやし浩司 一貫性)

++++++++++++++++++++++

(3)【子育て自由論】

●親子でつくる三角関係

 本来、父親と母親は一体化し、「親」世界を形成する。

 その親世界に対して、子どもは、一対一の関係を形成する。

 しかしその親子関係が、三角関係化するときがある。父親と、母親の関係、つまり夫婦
関係が崩壊し、父親と子ども、母親と子どもの関係が、別々の関係として、機能し始める。
これを親子の三角関係化(ボーエン)という。

 わかりやすく説明しよう。

 たとえば母親が、自分の子どもを、自分の味方として、取り込もうとしたとする。

「あなたのお父さんは、だらしない人よ」
「私は、あんなお父さんと結婚するつもりはなかったけれど、お父さんが強引だったのよ」
「お父さんの給料が、もう少しいいといいのにね。お母さんたちが、苦労するのは、あの
お父さんのせいなのよ」
「お父さんは、会社では、ただの書類整理係よ。あなたは、あんなふうにならないでね」
と。

 こういう状況になると、子どもは、母親の意見に従わざるをえなくなる。この時期、子
どもは、母親なしでは、生きてはいかれない。

 つまりこの段階で、子どもは、母親と自分の関係と、父親と自分の関係を、それぞれ独
立したものと考えるようになる。これがここでいう「三角関係化」(ボーエン)という。

 こうした三角関係化が進むと、子どもにとっては、家族そのものが、自立するための弊
害になってしまう。つまり、子どもの「個人化」が遅れる。ばあいによっては、自立その
ものが、できなくなってしまう。

●個人化

 子どもの成育には、家族はなくてならないものだが、しかしある時期がくると、子ども
は、その家族から独立して、その家族から抜け出ようとする。これを「個人化」(ボーエン)
という。

 が、家族そのものが、この個人化をはばむことがある。

 ある男性(50歳、当時)は、こんなことで苦しんでいた。

 その男性は、実母の葬儀に、出なかった。その数年前のことである。それについて、親
戚の伯父、伯母のみならず、近所の人たちまでが、「親不孝者!」「恩知らず!」と、その
男性を、ののしった。

 しかしその男性には、だれにも話せない事情があった。その男性は、こう言った。「私は、
父の子どもではないのです。祖父と母の間にできた子どもです。父や私をだましつづけた
母を、私は許すことができませんでした」と。

 つまりその男性は、家族というワクの中で、それを足かせとして、悶々と苦しみ、悩ん
でいたことになる。

 もちろんこれは50歳という(おとな)の話であり、そのまま子どもの世界に当てはめ
ることはできない。ここでいう個人化とは、少しニュアンスがちがうかもしれない。しか
しどんな問題であるにせよ、それが子どもの足かせとなったとき、子どもは、その問題で、
苦しんだり、悩んだりするようになる。

 そのとき、子どもの自立が、はばまれる。

●個人化をはばむもの 

 日本人は、元来、子どもを、(モノ)もしくは、(財産)と考える傾向が強い。そのため、
無意識にうちにも、子どもが自立し、独立していくことを、親が、はばもうとすることが
ある。独立心の旺盛な子どもを、「鬼の子」と考える地方もある。

 たとえば、親のそばを離れ、独立して生活することを、この日本では、「親を捨てる」と
いう。そういう意味でも、日本は、まさに依存型社会ということになる。

 親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子。かわいい子イコール、よい子とし
た。

 そしてそれに呼応する形で、親は、子どもに甘え、依存する。

 ある母親は、私にこう言った。「息子は、横浜の嫁に取られてしまいました。親なんて、
さみしいもんですわ」と。

 その母親は、自分の息子が結婚して、横浜に住むようになったことを、「嫁に取られた」
と言う。そういう発想そのものが、ここでいう依存性によるものと考えてよい。もちろん
その母親は、それに気づいていない。

 が、こうした依存性を、子どもの側が感じたとき、子どもは、それを罪悪感として、と
らえる。自分で自分を責めてしまう。実は、これが個性化をはばむ最大の原因となる。

 「私は、親を捨てた。だから私はできそこないの人間だ」と。

●子どもの世界でも……

 家族は、子どもの成育にとっては、きわめて重要なものである。それについて、疑いを
もつ人はいない。

 しかしその家族が、今度は、子どもの成育に、足かせとなることもある。親の過干渉、
過保護、過関心、それに溺愛など。

 これらの問題については、たびたび書いてきたので、ここでは、もう少しその先を考え
てみたい。

 問題は、子ども自身が、自立することそのものに、罪悪感を覚えてしまうケースである。
たとえばこんな例で考えてみよう。

 ある子どもは、幼児期から、「勉強しなさい」「もっと勉強しなさい」と追い立てられた。
英語教室や算数教室にも通った。(実際には、通わされた。)そしていつしか、勉強ができ
る子どもイコール、優秀な子ども。勉強ができない子どもイコール、できそこないという
価値観を身につけてしまった。

 それは親の価値観でもあった。こうした価値観は、親がとくに意識しなくても、そっく
りそのまま子どもに植えつけられる。

 で、こういうケースでは、その子どもにそれなりに能力があれば、それほど大きな問題
にはならない。しかしその子どもには、その能力がなかった。小学3、4年を境に、学力
がどんどんと落ちていった。

 親はますますその子どもに勉強を強いた。それはまさに、虐待に近い、しごきだった。
塾はもちろんのこと、家庭教師をつけ、土日は、父親が特訓(?)をした。

 いつしかその子どもは、自信をなくし、自らに(ダメ人間)のレッテルを張るようにな
ってしまった。

●現実検証能力 

 自分の周囲を、客観的に判断し、行動する能力のことを、現実検証能力という。この能
力に欠けると、子どもでも、常識はずれなことを、平気でするようになる。

 薬のトローチを、お菓子がわりに食べてしまった子ども(小学生)
 電気のコンセントに粘土をつめてしまった子ども(年長児)
 バケツで色水をつくり、それを友だちにベランダの上からかけていた子ども(年長児)
 友だちの誕生日プレゼントに、酒かすを箱に入れて送った子ども(小学生)
 先生の飲むコップに、殺虫剤をまぜた子ども(中学生)などがいた。

 おとなでも、こんなおとながいた。

 贈答用にしまっておいた、洋酒のビンをあけてのんでしまった男性
 旅先で、帰りの旅費まで、つかいこんでしまった男性
 ゴミを捨てにいって、途中で近所の家の間に捨ててきてしまった男性
 毎日、マヨネーズの入ったサラダばかりを隠れて食べていた女性
 自宅のカーテンに、マッチで火をつけていた男性などなど。

 そうでない人には、信じられないようなことかもしれないが、生活の中で、現実感をな
くすと、おとなでも、こうした常識ハズレな行為を平気で繰りかえすようになる。わかり
やすく言うと、自分でしてよいことと悪いことの判断がつかなくなってしまう。

 一般的には、親子の三角関係化が進むと、この現実検証能力が弱くなると言われている
(ボーエン)。

●三角関係化を避けるために

 よきにつけ、あしきにつけ、父親と母親は、子どもの前では、一貫性をもつようにする
こと。足並みの乱れは、家庭教育に混乱を生じさせるのみならず、ここでいう三角関係化
をおし進める。

 もちろん、父親には父親の役目、母親には母親の役目がある。それはそれとして、たが
いに高度な次元で、尊敬し、認めあう。その上で、子どもの前では、一貫性を保つように
する。この一貫性が、子どもの心を、はぐくむ。

++++++++++++++

以前、こんな原稿を書いた。
中日新聞に発表済みの原稿である。

++++++++++++++

●夫婦は一枚岩

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができる
のか。その中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。

ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。「お父さんの給料が少ないでしょう。
だからお母さんは、苦労しているのよ」と。

あるいは「お父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうなら
ないでね」と。母親としては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、
母親から離れる。離れるだけならまだしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもら
う。賢い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そし
て船頭役は母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。

たとえば何か重要な決断を迫られたようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょ
うね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と言うなど。仮に意見の対立があっ
ても、子どもの前ではしない。

父、子どもに向かって、「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」
母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。

こういう会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう
援護する。「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意
見があるなら、子どものいないところで調整する。

子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」
と、まず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、
子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教
育の大原則。

 ある著名な教授がいる。数10万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中
で、こう書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会
だ」と。

しかし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子
どもに見せてはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものば
かり。

その教授はほかに、「子どもとの絆を深めるために、遊園地などでは、わざと迷子にして
みるとよい」とか、「家庭のありがたさをわからせるために、二、三日、子どもを家から
追い出してみるとよい」とか書いている。とんでもない暴論である。わざと迷子にすれ
ば、それで親子の信頼関係は消える。それにもしあなたの子どもが半日、行方不明にな
ったら、あなたはどうするだろうか。あなたは捜索願いだって出すかもしれない。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつ
くる。そういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話
しあう様であり、いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。

古いことを言うようだが、そういう「様(さま)」が、子どもの中に染み込んでいてはじ
めて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築き、よい家庭をもつことができる。

欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。
その第一歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。

++++++++++++++++++

●あなたの子どもは、だいじょうぶ?

あなたの子どもの現実検証能力は、だいじょうぶだろうか。少し、自己診断してみよう。
つぎのような項目に、いくつか当てはまれば、子どもの問題としてではなく、あなたの
問題として、家庭教育のあり方を、かなり謙虚に反省してみるとよい。

( )何度注意しても、そのつど、常識ハズレなことをして、親を困らせる。
( )小遣いでも、その場で、あればあるだけ、使ってしまう。
( )あと先のことを考えないで、行動してしまうようなところがある。
( )いちいち親が指示しないと行動できないようなところがある。指示には従順に従う。
( )何をしでかすか不安なときがあり、子どもから目を離すことができない。

 参考までに、私の持論である、「子育て自由論」を、ここに添付しておく。

++++++++++++++++++

●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。

釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、も
ともと「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行
動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは
言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込ん
でくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を
変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。

ある母親は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつにな
ったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるい
は自分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、
精神面での過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のも
とだけで子育てをするなど。

子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子ど
もになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がな
い。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同
士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り
飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、
子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。
(040607)
(はやし浩司 現実検証能力 ボーエン 個人化 三角関係 三角関係化)

+++++++++++++++++

【終わりに……】

 子どもは子どもらしく……とは、よく言う。しかし「子どもらしい」ということと、「幼
児性の持続」は、まったく別の問題である。

 また子どもだからといって、無責任で、無秩序であってよいということではない。どう
か、この点を誤解のないように、してほしい。
(はやし浩司 子供らしさ 幼児性の持続 子供の人格 人格の完成度)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 13日(No.699)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page008.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●生きる目的

++++++++++++++

ときどき、以前書いた原稿を
読みなおす。

こんな原稿があった。
おもしろかった。

++++++++++++++

 これも、一応、著作権の問題がからむのか。こんな会話を耳にした。

 私が街の中の通りを歩いていると、たまたま2人の男が、私のうしろを歩いていた。そ
してこんな会話をした。男は、2人とも、黒っぽいスーツを着て、どこかコメディアン風
の男だった。

男A「お前な、どうしてバイオリニストは、バイオリンを弾くか、知っているか?」
男B「わからねえよな」
男A「それはな、自分の悲しみや苦しみを、一曲ずつ音楽を弾きながら、洗い流すためさ」
男B「ふーん」
男A「お前な、どうして画家は、絵を描くか知っているか?」
男B「わからねえよな」
男A「それはな、自分の悲しみや苦しみを、一枚ずつ書きながら、その中に塗りかためる
ためさ」
男B「ふーん」
男A「ところでさ、お前な、どうして作家は、文を書くか、知っているか?」
男B「わからねえよな」
男A「それはな、自分の悲しみや苦しみを、一文ずつ書きながら、その中に吐き出すため
さ」
男B「じゃあさあ、音楽家でも、画家でも、作家でもないオレたちはさ、どうやって悲し
みや苦しみと、戦えばいいのさあ?」
男A「今を、懸命に生きるということさ。毎日の、一瞬一瞬が、音楽であり、絵であり、
そして小説なのさ」と。

 私は、実はこの会話を、自分の夢の中で聞いた。6月23日。月曜日。書斎でパソコン
に向っていたら、いつもの眠気。そこで寝室へおりていって、フトンの上で横になった。
しばらく眠った。ちょうど起きがけにこの夢を見た。だから、ここに書きとめる。
(030623)

Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●思考能力

++++++++++++++

考えるということは、
ものを書くこと。

思考能力と言語能力とは、
たがいに密接に関連している。

++++++++++++++

 今朝、こんな夢を見た。どこかの道を、ドライブしていた。しかし道は、どんどんと狭く
なっていった。運転しているのは、ワイフ。私は、左の窓の外を見ながら、ハラハラ、ド
キドキ。

 さらに道は、狭くなっていった。幅は、30センチくらいになっただろうか。その道を、
ワイフは、器用な運転さばきで、通りぬけていった……。

 やがて車は、高い山の上に出た。道の先は、川の中に入ってしまっている。私たちは車
からおりた。そして崖の下をのぞいた。そこには、見たこともないような美しい滝があっ
て、水は下に、流れて落ちていた……。

 おおざっぱに言えば、そんな夢だが、おかしな点は、いくつかある。

 だいたい、道の幅が30センチくらいしかなかったという点がおかしい。そんな道を、
車が走れるわけがない。おもちゃの車ならともかくも、人間が乗れる車ではない。今、思
うと、おかしな夢だが、その夢を見ているときには、そんなことは考えもしなかった。つ
まりそのあたりに、私の思考能力の限界があったということになる。

 が、まったく非論理的な夢かというと、そうでもない。川があり、滝が下に、流れて落
ちていたという点は、論理的である。町の中に滝があったとか、滝が上に向かって流れて
いたとか、そういうのであれば、問題だが、そういうことはなかった。

 こうして考えてみると、(1)無意識下における論理性と、(2)思考能力(判断力)は、
別のものということがわかる。

 そこでよく思い出してみると、夢の中に出てきた細い道というのは、先日、ワイフと行
った、寸又峡(すまたきょう)温泉へつづく道だったように思う。私は左側の窓側の席に
座って、あの細い道を、上からながめていた。そのとき、私はハラハラ、ドキドキした。

 道が川の中に消えていたという点については、どうしてそういう夢を見たのかは、わか
らない。ただ、まわりの景色は、子どものころよく遊んだ、長良川の様子に似ていたよう
に思う。

 最後に崖の上から、美しい滝を見たが、それは現実の滝というよりは、映画の中に出て
くるようなシーンだった。コンピュータ(CG)か何かで合成して作ったような、今から
思うと、どこか不自然な景色だった。崖が、何十段にも重なって下へつづいていて、その
まわりを、けばけばしい色の森が、取り囲んでいた。

 が、そのときどきにおいて、私は何も考えなかった。何も考えず、その夢を見ていた。
しかし問題は、ここである。なぜ、私は考えなかったのか。ほんの少しだけ考えれば、あ
らゆるシーンが、おかしいと気づいたはず。しかし夢の中の私は、何も考えず、見るもの
をそのまま見ていただけ。

 つまり思考能力は、ほとんどゼロの状態だったということになる。

 こうした経験は、つまり思考能力がゼロになるという経験は、夢の中だけの話ではない。
現実の世界でも、よくある。「もう少し深く考えていれば、わかったはずではないか」と、
あとになって後悔するような場面である。しかしそのときは、相手を盲目的に信用してし
まったり、そのときどきの流れに乗せられてしまったりして、わからない。自ら、思考能
力を停止させてしまうこともある。

 が、さらに深刻な問題もある。

 こうした思考能力は、年齢とともにますます減退していくということ。私にしても、う
っかりミスというか、油断して失敗というようなケースが、若いときより、はるかに多く
なったように思う。あとで考えて、「しまった!」と後悔することも、多くなった。

 が、現実問題として、日常生活の中で、いちいち考えて行動するということは、ほとん
ど、ない。ほとんどの人は、ほとんどの時間を、何も考えないで、すごしている。日々の
生活を、いわば条件反射的に、繰りかえしている。もしその時点、時点で深く考えていた
ら、何も行動できなくなってしまう。

 ところで、この無意識下の論理性については、簡単なテストをすることで、知ることが
できる。これは私が、子どもたち(4〜6歳児)にするものだが、こんなテスト法がある。

 白い紙と、ペンだけを渡しして、絵を描かせる。順にいろいろなものを描かせるが、こ
のとき、つぎに何を描くかを、言ってはいけない。その絵が描き終わったら、「そのどこか
に、つぎは、〜〜を描いてね」と指示する。

 たとえば(山)→(川)→(木を2本)→(家)→(雲)→……というような順序で描
かせる。(詳しくは、私のHPに、具体例とともに収録してあるので、そちらを見てほしい。)

 このとき、無意識下の論理性がしっかりとしている子どもは、論理的(ロジカル)な絵
を描く。が、そうでないない子どもは、そうでない。山の上に川を描いたりしても、平気
な顔をしている。

 一方、思考能力は、その無意識下における論理性とは、別の次元で構成されるものと考
えてよい。たとえばよく誤解されるが、ペラペラとよくしゃべるから、思考能力があると
いうことにはならない。情報の量イコール、思考能力ということにはならない。思考能力
イコール、情報の量ということにもならない。

 で、夢の話にもどるが、30センチほどしかない道を見たとき、私は、なぜ何も考えな
かったのか。「おかしいぞ」「そんなはずはない」と。ふつうならそう考える。が、私はそ
んなことを考えるよりも先に、ハラハラ、ドキドキしてしまった。

 もしそのとき、「おかしい」と思ってしまったら、多分、私の夢は、そこで中断してしま
ったかもしれない。そういうことも、ないわけではない。夢を見ていて、途中で、「これは
夢だ」と気がつくようなことは、ときどきある。

 となると、思考能力を左右するのは、「意識」ということになる。つまり人間の思考とい
うのは、意識の世界でなされるものということになる。夢のような無意識下で見るような
世界では、そもそも、意識は働かない。だから思考能力も働かない。

 そこでさらに、では思考能力とは何かということになると、「言葉による論理」というこ
とになる。言葉をともなわない思考能力というものもあるのかもしれないが、一応、ここ
では、「ない」ということにしておく。

 というのも、たとえば絵画や音楽、その他の芸術の世界では、言葉によらない思考能力
が働くことがあるからである。しかしそれはかなり感覚的なもので、感覚的である以上、
無意識の状態でなされることが多い。言葉による思考能力とは、異質なものと考えるのが
正しい。

 そこで昔、ある賢人は、こう言った。「私は、ものを書いているとき以外は、考えたこと
がない」と。

 つまり思考というのは、抽象的であればあるほど、常に、言葉によってなされる。言い
かえると、言葉そのものが未発達な人は、その分だけ、思考能力がないということになる。
このことは、ゴリラやチンパンジーを見れば、わかる。知的能力という意味では、かなり
人間に近いが、では思考能力があるかということになると、「ほとんどない」とみてよい。
そういう点では、彼らが見ているこの世界の光景は、私が夢の中で見る光景に似ているの
ではないかと思う。

 たとえ30センチほどしかない道を見ても、彼らにしてみれば道は道。自動車が通れる
かどうかなどとは、考えもしないだろう。かわりに、道のにおいをかいで、ほかの動物が
通ったかもしれないとか、危険な動物が近くにいるかもしれないと思うことはあるかもし
れないが、それはそう「思う」だけのこと。やはり思考能力とは、異質のものである。

 ……と考えていくと、思考能力と言葉、つまり思考能力と言語能力とは、密接に結びつ
いていることがわかる。わかりやすく言えば、豊かな言語能力が基盤にあってはじめて、
その人は、思考能力を、その上で、花を咲かせることができるということになる。

 ……とまあ、かなり乱暴な意見だが、仮にこの私の意見を仮説としても、そこからいく
つかの教訓を引き出すことができる。

(1)考える子どもにするには、本を読ませる。
(2)考える習慣を身につけさせるためには、文章を書かせる、と。

 今朝の夢のことを思い出しながら、私は、そんなことを考えたが、こうして考えること
ができたのも、言葉という媒体があったからにほかならない。もし言葉がなかったら、こ
こまでの結論を導き出すことはできなかったと思う。今、しみじみと、言語能力の重要性
について、改めて考えなおしている。
(はやし浩司 思考能力 言語能力 考えるということ 思考能力の発達 無意識下の論
理性)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●「私」らしさの追求

++++++++++++++++

勉強だけして、いい高校に入る。
勉強だけして、いい大学に入る。

だから、それがどうしたというのか?
それが、どうだというのか?

入ったとたんに、目標を喪失。
親は、「おかげで……」と喜ぶが、
そのあとのことは、どう考えているのか。

宙ぶらりんになった若者の未来は、暗い。
もともと、そこに「私」がないからである。

++++++++++++++++

 (私はこうあるべきだ)(私はこうありたい)と、自分の姿を頭の中に描くことを、「自
己概念」という。そして(現実の私はこうだ)というときの(こうだ)という部分を、「現
実自己」という。

 その自己概念と現実自己が一致していれば、子どもは、静かに落ちつく。わかりやすく
言えば、自分のもつ夢や目標に向かって進んでいる子どもは、生き生きと輝く。どっしり
とした安定感がある。が、そうでない子どもは、そうでない。

 よく誤解されるが、いい高校へ入ることや、いい大学へ入ることは、子どもにとっては、
夢でも希望でもない。(親にとっては、夢や希望かもしれないが……。)また目標にはなり
えるかもしれないが、それはここでいう本来の(目標)とは、かけ離れたものである。異
質のものである。

一昔前には、エリート意識や学歴意識が、子どもを支えることができた。が、今は、ち
がう。子どもたちの価値観そのものが、多様化してきている。それに合わせて生きザマ
も、多様化してきている。

 だから勉強だけをして、つまり受験勉強だけをして、いわゆる(いい高校)や(いい大
学)へ入った子どもは、その時点で、宙ぶらりんになる。……なってしまう。目標そのも
のを、見失ってしまう。

 私も自分の過去を振りかえりながら、ときどき、こう思う。「もしあのとき、あのまま、
大工への道を進んでいたら、私は、もっと生き生きと自分の人生を送ることができただろ
うに」と。「大学にしても、そんな有名大学でなくてもよかった。二流でも、三流でも、工
学部の建築学科へ進んでいれば、もっと生き生きと自分の人生を送ることができただろう
に」と。

 高校2年から3年にかけての、突然の針路変更が、私を大きく混乱させた。つまりその
とき、ここでいう「自己概念」と「現実自己」が、不一致を起こしたことになる。こうい
うのを心理学の世界では、「役割混乱」というが、私のばあい、その混乱状態は、30歳を
過ぎるまでつづいた。

 それは前にも書いたが、大嫌いな男と、いやいや結婚した女性の心理状態に似ているの
ではないか。毎日が暗くて、憂うつだった。私のばあい、それこそ、毎日、足を引きずっ
て高校へ通うような状態になった。

 で、よくあるケースは、あるときまでは、成績もよく、勉強好きだった子どもが、突然、
変身。怠学から、非行へ走るというもの。親はこう言って泣き崩れる。「塾へもまじめに通
い、クラスでもトップの成績だったのですが、どうして、こうなってしまったのでしょう
か?」と。

 こういうケースでも、ここでいう「自己概念」と「現実自己」の考え方をあてはめて考
えてみると、子どもの心が手に取るように理解できる。こういった子どもは、夢や希望が
あって勉強していたのではない。目標があったわけでもない。ただ親の意向と命令に従っ
て、勉強していただけである。

 だからある日、突然、それに気づく。目ざめると言ってもよい。「私は、何だ!」「私は、
何だったのか!」と。一般論として、「自己概念」と「現実自己」が不一致を起こすと、精
神は、極度の緊張状態に置かれる。そのため、当然、情緒も不安定になる。ささいなこと
でキレやすくなったりする。カッとなりやすくなる。

 しかしこうしてその子どもは、「私」さがしを模索し始める。親にすれば、「どうして?」
ということになるが、子どもという1人の人間にとっては、そのほうが望ましいというこ
とになる。親にしても、もちろん子どもにしても、つらい試練かもしれないが、子どもは、
そうして自分を束縛していた、殻(から)を脱ぐ。

 先日も、ある母親から、こんな相談があった。「高校3年生の息子が、ときどき外泊。1
児をもつ、18歳の女性と、ときどきいっしょに生活をしている」と。そのため「大学も
偏差値が60の大学から、40の大学へと、ランクをさげることになってしまった」と。

 この相談については、少し前、相談者の了解が得られたので、そのままマガジンにも載
せさせてもらった。このばあいでも、もしその高校生に、夢や希望、あるいは目標があれ
ば、こうした誘惑(?)には、負けなかったのではないかと思われる。しかし残念ながら、
それがなかった(?)。

 今でも、「ただ勉強さえできればいい」「いい高校さえ入ればいい」「いい大学さえ入れば
いい」と考えている親が多いのには、驚かされる。本当に驚かされる。

 今どき、子どもたちを、そういう形で、前に引っぱっていくことはできない。仮に引っ
ぱることはできても、そこには限界がある。早ければ中学校へ入ったとき、遅くとも、大
学へ入ったとき、その子どもは、先に書いたように、宙ぶらりんになってしまう。もとも
と「私」がないからである。

 燃え尽きてしまったり、荷卸し症候群に陥ってしまうケースも、少なくない。そこまで
いかなくても、大学へ入ったとたん、目標を喪失し、遊びほけてしまう子どもとなると、
いくらでもいる。大半の子どもが、そうではないか。

 そこで重要なことは、今、あなたの子どもは、どうかということ。ここでいう「自己概
念」と、「現実自己」を一致させているだろうかということ。もしそうなら、それでよし。
が、そうでないなら、家庭教育のあり方を、基本的な部分から見直してみたほうがよい。
 
 子どもに夢や希望をもたせ、その目標に向かって進むように、側面から支援するのが、
つまりは、家庭教育ということになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不倫

不倫ができる人というのは、それだけ、元気な人ということになる。健康で、体力も性
欲もある。それにそれなりの魅力がある人ということになる。プラス、経済力も必要。

 だからといって、元気な人は、不倫をしたらよいと言うのではない。しかし性欲は、生
きる原動力になっていると説いた学者がいた。あのフロイトである。

 考えてみれば、フロイトの言ったことは、常識と言ってもよい。人間は別として、あり
とあらゆる生物は、動物、植物の区別なく、すべて、子孫存続のために、生きている。子
孫存続がすべてであり、ほかに目的などない。生きている理由もない。人間だけが例外と
考えるのは、少し身勝手すぎる。

 実際、人間の生殖器ほど、精密かつ精工にできているものはない。芸術的ですらある。
そのまわりの薄い皮一枚にしても、それぞれにちゃんとした意味がある。機能がある。陰
毛にしても、そうだ。

 さらに生殖行為から受ける快感となると、それは人間が感ずる、あらゆる快感に勝(ま
さ)る。そういう事実がある以上、「不倫はいけない」と頭から決めつけて考えるのも、ど
うか?

 不倫とまで行かなくて、浮気心というのがある。これは私の個人的な見解だが、そうい
う浮気心まで、知的な理性で、抑えこむのは、不可能ではないかと思う。たとえばあのア
インシュタンは、生涯において、たいへんなスケベ人だったと、何かの本で読んだことが
ある。

 しかし時期というのも、ある。不倫をするのに年齢はないという人もいるが、男性につ
いては、50歳くらいまで。女性については、35歳くらいまでではないか。その年齢を
超えると、男女ともに、急速に性的魅力をなくす。いろいろな病気をする人もいて、ここ
でいう(元気な人)でなくなることも多い。

 しかし私の知っている人に、今年、60歳くらいになるのだが、(本当は、その人の年齢
をよく知っているが)、30歳も年下の女性と、不倫を重ねている人がいる。男の私から見
ても、魅力的な人だから、そういうことがあっても、何もおかしくない。

 月に2、3度、どこかで会って、不倫をしているという。

 しかしうらやましいと思ってはいけない。このところその人は、その女性から逃げ腰に
なっているのだが、そうなったとたん、相手の女性が、しつこくなってきたという。不倫
が、セックスの範囲でとどまっているということは、あまりありえないのでは……。「今は
どうやって別れるかが問題」と、その人は、その人なりに、悩んでいる。

 不倫といっても、そういう不倫になると、さらに元気でなければならない。それこそ会
うたびに、バイアグラを飲んで……ということになりかねない。

 不倫かあ……?、と思ってみたり、不倫ねえ……?、と思ってみたりする。まあ、あえ
て勧めるわけではないが、しかし不倫ができる人というのは、それだけ元気な人というこ
とになる。この年齢になると、「若いとき、もっと遊んでおけばよかった」という思いがふ
と、顔を出す。ワイフも、同じようなことを言うときがある。「私、結婚前に、もっと遊ん
でおけばよかった」と。話が、どこかグチっぽくなってきたので、この話はここまで! あ
とはみなさん、ご自由に!


はやし浩司++++++++++++Feb.06+++++++++++Hiroshi Hayashi

●風刺画(2)

++++++++++++++++

風刺漫画騒動は、さらに世界に
広がっている。

そうした騒動を、私たち日本人
は、どう考えたらよいのか。

++++++++++++++++

 風刺画ではなく、風刺漫画だった。それはさておき、風刺漫画の対する暴動は、さらに
世界各地へと広がっている。イランでは、2月6、7日の両日、オーストリアやデンマー
クの大使館にまで石が投げられたという。ニューヨークでも、デモ隊が、新聞社に押しか
けたという。

 「そもそもの発端は、12枚の風刺漫画だった」(TBS・I-news)という。「デンマー
の新聞が、昨年9月、爆弾型のターバンを巻いたムハンマドなどの漫画を掲載、さらに今
月に入って、フランスやドイツなどの各紙が、問題の漫画を掲載した。それが今回の暴動
の発端になった」(同)と。

 表現の自由か、それとも、宗教的尊厳の尊重か。

 ヨーロッパ側が強く主張するのが、「言論の自由」。「表現の自由」も、当然、それに含ま
れる。ヨーロッパでは、アメリカの大統領や、イギリスの王室ですら、風刺画や風刺漫画
の対象となる。イエス・キリストだって例外ではない。が、イスラム教の国々では、そう
ではないらしい。

 が、これについて、「では、日本は、どうか?」という問題がある。たとえば日本の皇室
についての風刺画や風刺漫画は、日本国内においてすらも、タブー視されている。ときど
き外国のメディアが、日本の皇室をテーマに風刺画や風刺漫画を発表することがある。

 が、そのつど日本の宮内庁は、在外公館を通して、それに強く抗議している。天皇の写
真や映像の取りあつかい方についてさえ、抗議することもある。が、さらにそれが極端に
なったのが、隣のK国である。

 数年前、隣のK国の美女軍団なるものが、韓国をバスで移動中でのこと。金xxを印刷
した垂れ幕がたまたま雨で濡れていた。それを見た美女軍団なるものの女性たちは、その
場でバスを止め、その垂れ幕を、涙を流しながら、自分たちの胸の中にしまいこんだとい
う(04年)。

 こうして考えて見ると、ヨーロッパの人たちがいうところの言論の自由については、日
本は、ヨーロッパと、イスラム教国やK国との、ちょうど中間あたりに位置するというこ
とがわかる。もっと言えば、ヨーロッパの人たちの気持ちもよくわかるが、一方、イスラ
ム教国の人たちの気持ちもよくわかるということになる。

 たとえば報道の自由度という点では、日本は、世界でも、第42位だという。1位は、
今回、風刺漫画を発表したデンマーク※。最下位は、あのK国。

 で、そういう日本人の私から一言。

 ゆくゆくは、日本も、ヨーロッパ型の言論の自由を受けいれざるをえなくなるのではな
いかということ。しかしこれは国民全体の意識にからむ問題だから、今すぐというわけに
は、いかない。が、時代の流れとしては、そういう方向に向かっている。

 昨年、「世界の報道の自由度」が、「国境なき記者団」によって発表されたとき、「日本が
42位だって!?」と、私は驚いた。しかし今回の一連の事件を見たとき、「なるほど、そ
ういうことだったのか」と、改めて、それを思い知らされた。それを再認識する、よい機
会になった。


++++++++++++++++++++++

(※報道の自由度)

パリ発05年10月26日の時事通信によれば、日本の報道自由度は、昨年と比べわず
かにランクアップしたものの、先進7カ国中最低の42位だったという。報道の自由の
擁護を目指す国際団体、「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は、世界167カ国の
報道の自由度の順位を発表した。

 最上位は、デンマークやアイルランドなど北欧を中心とする欧州8カ国。最下位はラ
ンクづけ発表当初から3年連続で、K国だったという。 

 日本では、一応、報道の自由が確保されているかのように見えるが、国際的にみれば、
どうも、そうではないということのようだ。何もヨーロッパの基準が正しいとは思いたく
ないが、しかしヨーロッパから見る日本は、まだまだ極東の島国の域を出ていないことだ
けは、事実のようだ。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●戦G自衛隊

++++++++++++++++++

昨夜、ある民放で、「戦G自衛隊」が
放映された。

どんな映画かと、1時間ほど、見て
しまった。

「戦G自衛隊」は、週刊文春の「文春
きいちご賞」でも、ワースト4に選ば
ている。

だから見た。

++++++++++++++++++

週刊文春が、「2005年度ワースト映画・文春きいちご賞」を発表した。それによれば、
ワースト10は、つぎのようになっている(「週刊文春・06・1・26日号」)。

 1  SHINOBU
 2  TAKESHIS'
 3  宇宙戦争
 4  戦G自衛隊1549
 5  オペレッタ狸御殿
 6  春の雪
 6  アレキサンダー
 6  北の零年
 9  鳶がクルリと
 9  東京タワー

 で、やはり、ワースト4映画にふさわしい映画だった。役者が、どれも、顔だけで演技
しているといった感じ。不自然。ヘタクソ。それに力(りき)みすぎ。怒鳴りすぎ。とき
どき、「?」と思うような、場違いなセリフ。高尚なセリフ。

 1人の若い女性が、こう言う。「これが戦国の世のならいです」と。

 戦国の世のならいかどうかは、いくつかの時代を生きてみて、(あるいは歴史を学んでみ
て)、はじめてわかること。どうして戦国の時代に生まれたその女性に、そんなことがわか
るのだろう。

 また私が見たシーンでは、川原に自衛隊員たちが集合し、その近くにヘリコプターや戦
車が置いてあるという想定だった。が、それらがまったく別の場所の置いてあるというこ
とが私にもよくわかった。それほど、編集も稚拙(ちせつ)。

 たとえばヘリコプター近くに立っていた隊員が、草で作ったボールを画面の右手のほう
に投げる。すると、今度は、シーンが変わり、そのボールは左手から飛んでくる。川原に
立っていた子どもがそれを受け取る。「うまくつないだな」と感心する前に、シラけてしま
った。

 女優も何人か出てきたが、戦場にふさわしい汗臭さは、まるでなかった。どの人も、顔
中にファンデーションを塗りたくり、デパートの化粧品売り場に立つ女性たちのような化
粧をしていた。

 とにかく演技が、演技、演技していた。不自然な言い方に、不自然なジャスチャ。「どう
してもっと、自然な演技ができないのか」と、何度も思った。

 ああいう映画を見ると、日本映画も、基本的な部分から、考えなおさなければいけない
なと、強く思う。全体としては、NHKの大河ドラマと、民放の刑事ドラマをミックスし
たような映画。1時間ほどで、私のがまんも、切れた。そのままチャンネルをかえて、ニ
ュース番組を見た。

 今度、ついでに、ワースト1と2の映画も見てみよう。ワースト3の「宇宙戦争」は、
すでに見た。

【補記】

●不自然な演技

++++++++++++++++++

みなさんは、日本の俳優が演ずる
演技は、演技、演技していて、
どこか不自然だと思いませんか?

顔と声だけで演技しているといった
感じ。心が入っていないというか、
その心になりきっていないというか……。

++++++++++++++++++

 歌舞伎にせよ、その以前の能にせよ、日本の演劇は、不自然。不自然であることが基本
になっている。劇団の演劇にしてもそうだし、NHKの大河ドラマにしても、そうだ。形
や型が決まっていて、動作、しぐさ、セリフの言い方まで、何からなにまで、不自然。こ
うした演劇の世界では、役者たちは、あたかも不自然であるのが当然、というような演じ
方をする。

 それはそれでよいのだが、つまり観客がそれに納得して楽しんでいるのだから問題はな
いのだが、そうした不自然さが、映画の世界にまで、入りこんでいるのは、悲しむべきこ
とである。今回見た「戦G自衛隊」にしても、そう。どの1シーンをとっても、あきれる
ほど、不自然。役者が、その人物になりきっていない。……というか、顔と声だけで、演
技しているといった感じ。

 不自然に、かっこうつけてみたり、力んでみたり、怒鳴ってみたり……。薄っぺらいと
いうか、中身がない。役者自身がもつ人間性が、演じている役と、一致していない。演技
だけではない。ポテポテと太った自衛隊員が出てきたのには、あきれた。明らかに人選ミ
ス。本物の自衛隊員が見たら、怒るのではないか?

ほかにたとえば1人の自衛隊員が、大阪城の中で、武士たちを相手に、力んでみせるシ
ーンがあった。刀を抜いて構える武士たちを相手に、ひるむことなく、自説を力説する
シーンだったが、私は、それを見て、思わず笑ってしまった(失礼!)。

見るからにそうでない人が、学者や博士の役を演ずるようなもの。役者の演技力の不足
もさることながら、こうした映画が映画として、まかり通ってしまうのは、私は、映画
界そのものがもつ、構造的な欠陥が、原因ではないかと思う。つまり日本の映画界は、
マスコミを利用して、有名人は育てる。が、俳優は育てない。

 もっとも、すばらしい映画がなかったわけではない。戦後の黒沢明の映画は、どれもす
ばらしかった。2003年に日米で同時公開された、「THE LAST SAMURAI
(ラスト・サムライ)」も、すばらしかった。トム・クルーズと渡辺謙の共演がよかった。
監督、制作、脚本、すべてアメリカ人だったというのは、残念だが、言いかえると、アメ
リカ人のほうが、日本映画をうまく作ることができるということになる(?)。しかしそれ
こそ、日本人にとっては、悲しむべきことということではないのか。

 で、今、かすかな期待をよせているのが、「俺たちの大和」。前評判もよい。が、もしそ
の映画でも裏切られたとしたら……。私は、もうしばらく、日本映画は見ないだろう。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●金xxが、腎不全?

+++++++++++

K国の金xxが、
腎臓移植の事前検査を
受けたかもしれない?

+++++++++++

 韓国の新聞社は、こぞって、あの金xxが、腎不全であることを、報道している。朝鮮
N報は、6年前と現在の比較写真を並べて、詳細に、それを検証している。(詳しくは、「朝
鮮N報・HP」にて。)

 ナルホド! やはり私の推察が正しかった。(……と思う。)

 先月(06年1月)、金xxは、中国を、電撃訪問している。そのとき金xxは、北京へ
到着後、実に不可解な行動をとっている。そしてそのあとは、顔や姿をほとんど見せない、
隠密行動を繰りかえしている。金xxの姿が、正式に報道されたのは、さらにそのあとの
ことである。

 私は、金xxが北京へ着いてから、そのあとの数日間は、金xxは、北京にあるどこか
の病院にいたのではないかと思っている。そしてその間、金xxそっくりの替え玉が、金
xxになりすまして、中国各地を訪問してみせたのではないかと思っている。

 (最後の数日間は、本物と、入れかわった可能性が高いが……。それからは、金xxは、
あちこちで目撃されたり、写真などに取られている。)

 なぜか?
 
 つまり金xxがかかえる病気の状態が、それほどまでに悪化していたからである。つま
りそれが腎不全だったということになる。

 朝鮮N報は、(1)体重の急激な減少、(2)皮膚のたるみ、(3)手首の腫れ、(4)髪
の毛の変化、(5)メガネが透明になったことなどをあげ、専門医の見解として、「腎不全
と判断される」と報道している。

 で、今回の訪中は、「腎臓移植の事前検査か」と、位置づけている。もしそうなら、金x
x政権は、そう長くはもたないのではないか。拉致を指揮したのがだれかは知らないが、(本
当は、みな、知っているが)、拉致問題を解決するためには、K国の政権が変わるしかない
のではないかと思っている。そのためにも、一日も早く、K国の政権が変わり、より常識
的な指導者が、K国に現れることを、願っている。

 そういう観点から、今回の朝鮮N報の報道を、GOOD NEWS(失礼!)ととらえ
ている日本人は、多いのではないかと思う。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 10日(No.698)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page007.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(9)父親の無関心

Q 父親が育児、教育に無関心で困ります。何もしてくれません。負担がすべて、私にのしかか

てきます。

A 子どもと母親の関係は、絶対的なものだが、子どもと父親の関係は、必ずしもそうで
はない。たいていの子どもは、自意識が発達してくると、「私の父はもっと、高貴な人だっ
たかもしれない」という「血統空想」(フロイト)をもつという。ある女の子(小五)は母
親に、こう言った。「どうしてあんなパパと、結婚したの。もっといい男の人と結婚すれば
よかったのに!」と。理屈で考えれば、母親が別の男性と結婚していたら、その子どもは
存在していなかったことになるのだが…。

 そんなわけで特別の事情のないかぎり、夫婦げんかをしても、子どもは、母親の味方を
する。そういえばキリスト教でも、母親のマリアは広く信仰の対象になっているが、父親
のヨセフは、マリアにくらべると、ずっと影が薄い?

 これに加えて、日本独特の風習文化がある。旧世代の男たちは、仕事第一主義のもと、
その一方で、家事をおろそかにしてきた。若い夫婦でも、約三〇%の夫は、家事をほとん
どしていない(筆者、浜松市で調査)。身にしみこんだ風習を改めるのは、容易ではない。

 そこで母親の出番ということになる。まず母親は父親をたてる。大切な判断は、父親に
してもらう。子どもには、「お父さんはすばらしい人よ」「お母さんは、尊敬しているわ」
と。決して男尊女卑的なことを言っているのではない。もしこの文を読んでいるのが父親
なら、私はその反対のことを書く。つまり、「平等」というのは、たがいに高い次元で尊敬
しあうことをいう。まちがっても、父親をけなしたり、批判したりしてはいけない。とく
に子どもの前では、してはいけない。

 こういうケースで注意しなければならないのは、父親が育児に参加しないことではなく、
母親の不平不満が、子どもの結婚観(男性観、女性観)を、ゆがめるということ。ある女
性(三二歳)は、どうしても結婚に踏み切ることができなかった。男性そのものを、軽蔑
していた。原因は、その女性の母親にあった。

 母親は町の中で、ブティックを経営していた。町内の役員もし、活動的だった。一方父
親は、まったく風采があがらない、どこかヌボーッとした人だった。母親はいつも、父親
を、「甲斐性(生活力)なし」とバカにしていた。それでその女性は、そうなった?
 これからは父親も母親と同じように、育児、教育に参加する時代である。今は、その過
渡期にあるとみてよい。同じく私の調査だが、やはり約三〇%の若い夫は、育児はもちろ
ん、炊事、洗濯、掃除など、家事を積極的にしていることがわかっている。

 …というわけで、この問題は、たいへん「根」が深い。日本の風土そのものにも、根を
張っている。あせらず、じっくりと構えること。
(はやし浩司 育児に無関心な父親 父親の育児 育児参加 父親の育児参加 父親の役
割)


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

(10)友だちの問題

Q このところ、うちの子が、よくない友だちと交際を始めています。交際をやめさせたいのです
が、
どう接したら、いいでしょうか?(小六男)

A イギリスの教育格言に、『友を責めるな、行為を責めよ』というのがある。これは子ど
もが、よくない友だちとつきあい始めても、相手の子どもを責めてはいけない。責めると
しても、行為のどこがどう悪いかにとどめるという意味。コツは、「○○君は、悪い子。遊
んではダメ」などと、相手の名前を出さないこと。言うとしても、「乱暴な言葉を使うのは
悪いこと」「夜、騒ぐと近所の人が迷惑をする」と、行為だけにとどめる。そして子ども自
身が、自分で考えて判断し、その子どもから遠ざかるようにしむける。

 こういうケースで、友を責めると、子どもに「親を取るか、友を取るか」の二者択一を
迫ることになる。そのとき子どもがあなたを取れば、それでよし。そうでなければ、あな
たとの間に、深刻なキレツを入れることになる。さらに友というのは、子どもの人格その
もの。友を否定するということは、子どもの人格を否定することになる。

 またこういうケースでは、親は、そのときのその状態が最悪と思うかもしれないが、あ
つかい方をまちがえると、子どもは、「まだ以前のほうが、症状が軽かった…」ということ
を繰り返しながら、さらに二番底、三番底へと落ちていく。よくあるケースは、(門限を破
る)→(親に叱られる)→(外泊するようになる)→(また親に叱られる)→(家出する)
→(さらに親に叱られる)→(集団非行)と。

が、それでもうまくいかなかったら…。そういうときは、思いきって引いてみる。相手
の子どもを、ほめてみる。「あの○○君、おもしろい子ね。好きよ。今度、このお菓子、
もっていってあげてね」と。

 あなたの言ったことは、あなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。それを
耳にしたとき、相手の子どもは、あなたの期待に答えようと、よい子を演ずるようになる。
相手の子どもを、いわば遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも、高等技術に属す
る。あとはそれをうまく利用しながら、あなたの子どもを導く。

 なおこれはあくまでも一般論だが、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)
を経験した子どもほど、おとなになってから常識豊かな人間になることがわかっている。
むしろこの時期、無菌状態のまま、よい子(?)で育った子どもほど、あとあと、おとな
になってから問題を起こすことが多い。だから、親としてはつらいところかもしれないが、
言うべきことは言いながらも、今の状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、様子を
みる。あせりは禁物。短気を起こして、子どもを叱ったり、おどしたりすればするほど、
子どもは、二番底、三番底へと落ちていく。
(はやし浩司 友だちの問題 友達の問題 悪友 悪友の問題 悪い友達 悪い友だち)
 
 
Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

(11)子育ての指針

Q 子育ての情報が多すぎて、どう子育てをしたらいいか、わかりません。指針のようなものは

りませんか。

A 子育てには、四つの方向性がある。まず未来を見る。子どもに子ども(あなたからみ
れば孫)の育て方を教える。それが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに、子
どもを育てるのですよ」「こういうふうに、子どもを叱るのですよ」と。見せるだけでは足
りない。幸せな家庭というのは、どういうものか、夫婦というのは、どういうものか、そ
れを子どもの体にしみこませておく。

 つぎに自分の過去をみる。もしあなたが心豊かで、満ち足りた幼児期、少年少女期をす
ごしているのなら、それでよし。しかしそうでないなら、あなたの性格は、どこかがゆが
んでいるとみる。ひがみやすい、嫉妬しやすい、いじけやすい、意地が悪い、冷たいなど。
そういうゆがみを知るために、自分の過去を冷静に見る。そしてよい面は、子どもに伝え、
そうでない面は、あなたの代で切る。子どもの代には、伝えない。

 三つ目は、あなたの子育てを、できるだけ高い視点から見る。最初は、近所の人や親類
の人の子育てと比較してみるのもよい。そしてそれができるようになったら、世界の子育
てと、自分の子育てを比較してみる。「日本の子育ては…」と考える。その視点は高ければ
高いほどよい。まずいのは、小さなカラにこもり、その中で、独善と独断で、ものの考え
方を先鋭化すること。これをカプセル化と呼ぶ人もいる。親は、一度このカプセルの中に
入ると、何をするにも、極端になりやすい。

 最後に、あなたの心の中をのぞいてみる。子育ては、ただの子育てではない。たとえば
ある母親は、自分の子どもが生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなってもいい。私
の命と交換に、うちの子の命を助けて」と願ったという。こういう自分の命すら惜しくな
いという、まさに至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

 それだけではない。あなたは家庭という小さな世界であるにせよ、子どもに対して、神
の愛や、仏の慈悲を、そこで実践できる。それはまさに崇高な世界といってもよい。子ど
もの問題をひとつずつ克服しながら、神々しいほどまでに、すばらしい人になった母親は、
いくらでもいる。

 こうして自分の子育てを、いつも四つの方向から見るようにする。未来を見て、過去を
見る。上から見て、心の中を見る。

 最後に、親が子どもを育てるのではない。親は子育てをしながら、幾多の山を越え、谷
を越える。そういう苦労を繰りかえすうちに、ちょうど稲穂が実り、頭をたれるように、
姿勢が低くなり、人間的な丸みや深みができてくる。つまり親が子どもを育てるのではな
い。子どもが親を育てる。それに気づけば、あなたは子育てのプロ。もう道に迷うことは
ない。
(はやし浩司 子育ての指針 育児法 育児のコツ 育児のポイント)


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司


●幼児の知的能力

+++++++++++++++++++++

4、5歳児の知的能力は、明らかに段階的に
発達する。

それを最初に構造化したのは、ピアジェ(ス
イスの心理学者)だが、それをもう少し、現
場の指導にあてはめて、考えてみたい。

+++++++++++++++++++++

 ピアジェ(1896〜)は、4、5、6歳児について、つぎのように発達段階を分けて
いる。

【4歳児】

 自分の性別を言う。
 見慣れた物事の名前を言う。
 3数字の反唱ができる。
 2本の直線の比較ができる。

【5歳児】

 2つのおもりの比較。
 見慣れた事物の名前を言う。
 文章の反唱(10音節)ができる。
 4つの硬貨の数え方ができる。
 2片によるはめ絵遊びができる。
 
【6歳児】

 文章の反唱(16音節分)ができる。
 2つの顔の美の比較ができる。
 身近な事物の用途による定義ができる。
 同時になされた3つの命令の実行ができる。
 自分の年齢を言う。
 午前と午後の区別ができる。
(以上、「心理学用語辞典」(かんき出版)より)

 全体としてみると、現代の子どもたちは、ピアジェの時代の子どもたちより、早熟的に
発達段階が、それぞれ早まっている。たとえば6歳児(幼稚園年長児)をみても、50年
前には、文字(ひらがな)の読み書きができた子どもは、5%前後※だったが、現在では、
夏休み前の段階で、約80%の子ども(私の調査では78%)が、ほぼ自由に、読み書き
できるようになっている。

 (※私が幼稚園児のとき、1クラス40人前後の中で、文字の読み書きができる子ども
は、2人しかしなかった。それを根拠に、ここで5%とした。)

 こうしたピアジェの発達段階を、具体的に、指導要領としてまとめてみると、つぎのよ
うになる。

【時的判断能力】

○昨日、明日が理解できるようになる……4歳児
○あさって、おとといが、理解できるようになる……5歳児
○今日が水曜日のとき、明日が木曜日、昨日が火曜日と、曜日を結びつけることができる
ようになる……6歳児

【空間的能力】

○平面上に描かれた地図を、地図として認識できるようになる……4歳児
○地図を見ながら、Aの家から一番遠い家、近い家が判断できるようになる……5歳児
○自分の家のまわりの、簡単な地図を描くことができるようになる……6歳児

【善悪の判断】

○マッチ遊びや、カッター遊びが悪いことだと理解できる……4歳児
○拾ったお金を使うことが悪いことだと、理解できる……5歳児
○ときとばあいによっては、親の禁止命令を破ることも許されるということが理解できる
ようになる……6歳児

4歳児は、親や教師の命令に忠実な年齢ということになる。5、6歳児になると、たと
えば、社会的にどうなのかという判断が、入り込むようになる。「拾ったお金で、アイ
スを買って、公園でみんなに分けてあげました。いい子ですか、悪い子ですか」と聞く
と、4歳児の大半は、「いい子」と答える。が、5歳児となると、それが半々くらいに
なり、6歳児になると、ほぼ全員が「悪い子」と答える。

【家族関係】

○家族の構成を理解できる。(父親、母親、兄、弟の区別)……4歳児
○父親の父親が、祖父という、2世代のつながりが理解できる……5歳児
○「妹の兄は、自分のこと」「父親の兄が、おじさん」が理解できる……6歳児

【位置関係】

○「右」「左」の感覚が、理解できる……4歳児
○「右の上」「右から3番目」が理解できる……5歳児
○「右から3列目の、上から2段目」が、指導によって理解できる……6歳児

【反復数字】

 まず指導者が、手をたたきながら、「6、3、8」と数字を唱え、それを子どもたちに復
唱させる。

○4、5数字まで、即座に反復できる……4歳児
○5、6数字まで、即座に反復できる……5歳児
○7数字まで、即座に反復できる(ただし個人差あり)……6歳児

【計数能力】

○30までのものなら、数えることができる……4歳児
○100までのものなら、数えることができる……5歳児
○100を超えて、ものを数えることができる……6歳児

【季節感覚】

○春→夏→秋→冬の変化を理解できる……4歳児
○夏の行事、冬の行事の区別、判断ができる。「夏の果物」「秋の果物」が理解できる……
5歳児
○月ごとの行事が理解できる……6歳児

【金銭感覚】

○「10円と10円で20円」が理解できる……4歳児
○「30円と5円で、35円が理解できる」……5歳児
○「おつり」「お金が足りない」「あまる」が、理解できる……6歳児

5、6歳から小学2年生ごろまでに、おとながもっているような金銭感覚が、ほぼ完成
する。「損をした」「得をした」という感覚も、このころ、急速に発達する。

なお私のBW教室では、こうした学習を、44のテーマに分け、毎回ちがった角度から、
学習、レッスンをしている。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●1児をもつ女性と交際している、息子(高3)の子ども

++++++++++++++++++++++

一児をもつ若い女性と、交際している高校3年
生の息子。

その息子の母親から、掲示板のほうに、「どう
したらいいか」という相談があった。

父親も、体調を崩しているという。

なおその女性は、現在、満18歳だという。

++++++++++++++++++++++

【掲示板への投稿記事より】(文体は私のほうで、少し変えました。)

林先生。初めまして。とても悩んでます。

息子は、現在、私立男子進学高校の3年生です。
受験真っただ中です。

去年の夏まで受験に向けて、塾や図書館で、頑張って勉強していました。
大学オープンキャンパスにも4校、参加しました。
偏差値60ぐらいの大学です。

夏の終わりに1日だけのアルバイトに友だちに誘われて都会まで行き、そこで今の彼女と
出会いました。それからというもの、無断外泊が始まり、塾には通っていましたが、勉強
に身がはいらなくなってしまったように見えました。ある日、学校にも行かないので、強
く叱ると、そのまま、大きな荷物を持って家を出てしまいました。

高校の先生も塾の先生もいっしょに探してくださり、塾の先生が彼女の家を探しだし、連
れ戻してくださいました。家から車で3時間のところです。

そのことを知った、塾の、面倒見のいい友断ちが、息子を殴りました。それからは学校へ
も塾へも行かず・・でもなんとか、卒業はできそうですが。1学期まで1度も休んだ事が
ない息子だったのですが・・。

彼女には、1歳になる認知してない子供がいて、その子のためか、息子に優しく、携帯代
の30000円や、交通費1往復3000円も息子に与えたりしています。「そういうこと
はやめてほしい」と、言いましたが、「連絡とれないとかわいそう」とか、彼女は言います。

今、彼女は1歳の子どもと2人暮らし。そこに息子は、3日ほどの無断外泊を、しょっち
ゅうします。塾の先生が最近は家庭教師にきてくれますが、それもすっぽかしたりします。

今、友だちは1人もいません。私たち夫婦はそれなりの学歴があり、親戚もみんなそうで
す。だから、私も頑張ってきました。でも、息子にはそれがいやだったのかも・・でも、
夏までは頑張っていたのですが・・ 

カウンセラーの先生も塾の先生も今は何も言わないで、受験が終わったら話しあいましょ
うとおっしゃってくださっていますが、私の気持ちは限界です。主人も体調不良になって
しまいました。それでも、あとの2人の小学生の娘たちのために、なんとかふんばってい
ます。

先日、息子の机に本人が描いた絵がありました。父・母・妹・妹をひとつの円で囲み、自
分とかいた息子が少し離れたところに描いていました。

家でまったくしゃべらないのです。彼女ができて以来。食事は一緒にしますが、終わった
らすぐに自分の部屋に行きます。

息子なりに孤独を感じているのだと思いますが、どうしたらいいのか・・・。

私の財布から、しょっちゅうお金を盗みます。2・3万円とか、そういう金額です。最近
では小学生の娘たちの財布からも・・。

まだ、受験は残っていますが、夏の希望校より偏差値20も低い大学です。しかも彼女の
家のすぐそばです。

本人は、受かる気でいます。
夜中に帰ってきて、朝、受験しにでかけます。

お忙しいのに、長文を読んでくださりありがとうございました。
黙っているのが限界になってきたのです。まだ、黙っているべきですか?!
よろしくお願いいたします。

+++++++++++++++++

【はやし浩司より、UK様へ】

 掲示板への投稿ということで、あなた様のことを、UK(unknown)様とします。

 今、UK様は、今まで、ご自身がもっておられた哲学観、倫理観、道徳観、既成概念、
常識などが、リシャッフルされたような心理状態にあると思われます。そのどれをも、息
子さんに否定されてしまい、大きなショックを受けておられるのが、よくわかります。た
いへんな混乱状態にあるということも、よくわかります。

 しかし一歩退いて、私のような立場でみると、「今は何も言わないで、受験が終わったら
話し合いましょう」と言う、カウンセラーの先生や塾の先生の言っていることが、正解の
ように思います。ここでジタバタしても、何も解決しなばかりか、かえって問題をこじら
せてしまうだけのように思います。受験にも、さしさわりが出てくるかもしれません。

 またこうした問題には、さらに二番底、三番底があります。今のUKさんにしてみれば、
現在の状況が、ドン底に見えるかもしれません。しかしここで問題をこじらせてしまうと、
さらに、二番底、三番底へと、(あくまでもあなたから見ての話ですが……)、息子さんは、
落ちていく可能性があります。たとえば大学を中退、就職、その女性と同棲を始める、な
ど。(だからといって、それをドン底とみるのは、どうかという問題もあります。大切なこ
とは、息子さんは息子さんで、自分の納得した人生を歩むということです。ドン底かどう
かという判断は、最終的には、本人がすべき問題ということです。)

 私もM物産という会社をやめて、幼稚園の講師になったとき、母親は猛反対し、電話口
の向こうで泣き崩れてしまいました。私にとっては、自分で納得した選択だったのですが
……。私の母にしてみれば、私がドン底にでも落ちたかのように感じたのだと思います。

 高校3年生といえば、もう立派なおとなです。あなたから見れば、(子ども)かもしれま
せんが、立派なおとなです。あなたが思っている以上に、お子さんは、自分の将来を考え、
まわりのことを考えています。

 そこでこういう問題では、親意識が強ければ強いほど、あなたのお子さんは、あなたか
ら離れていくだろうということです。価値観の押しつけ、頭ごなしの説教などは、この際、
心して避けてください。親としてではなく、友として、息子さんの横に立つようにしてみ
てください。相談相手になるつもりで接するのがコツです。

またこうした男女関係は、大学生の世界では、今どき、珍しくもなんともありません。
たまたま今は、親と同居しているため、あなたという親の目にとまってしまったにすぎ
ません。年齢的に、みなより、少し早かったかなというだけのことです。

 で、こうしたケースでは、ある期間、そういった男女関係をつづけても、結局は長つづ
きせず、みな、別れていきます。いわば、青春時代の、一過性の「熱病」のようなもので
す。ふつうは、見て見ぬフリをしながら、やり過ごすものです。が、UKさん夫婦が、そ
れにカリカリすればするほど、息子さんとその女性の関係を、より強固なものにしてしま
うという可能性もあります。心理学の世界にも、『ロミオとジュリエット効果』というのが、
あります。ご存知ですか? 周囲のものが反対すればするほど、当人たちは、より燃えあ
がってしまい、よりお互いに愛しあっていると、錯覚してしまうということです。

 少し無責任な言い方になるかもしれませんが、時期がくれば、息子さんは、自然と、そ
の女性から離れていくだろうということです。今、息子さんと、その女性を、将来に向か
って結びつけるものが、何もないからです。ともに、生活力もありませんし、その女性に
しても、息子さんの存在を、それほど、重要視はしていないはずです。

 また受験に関していえば、息子さんは、どこか偏差値だけで大学を選んでいるような感
じがします。つまり目的や目標が、そこにないのが気になります。UK様自身も、偏差値
の高い大学ほど、息子さんにふさわしいと考えておられるような感じがします。

 今回、こうした事態になった背景には、そうした息子さんやUK様の受験姿勢があった
のかもしれません。つまりこのまま大学に進学しても、どこの大学に入学したところで、
遅かれ早かれ、今のような状況になっただろうと思われます。が、だからといって、どこ
の大学でもよいと言っているのではありません。またそうなってもしかたないと言ってい
るのではありません。

 ここは、ともかくも静観するしかないということです。もしUK様に、「私の言うことを
聞かないなら、大学の学費は出さない」と、あなたの息子さんに言うだけの勇気があれば、
話は別ですが、今の状況では、多分、それも無理でしょう。息子さんは、すでにそういう
UK様の心の弱さまで、読んでしまっているように思います。(ただしお金の管理だけは、
しっかりとしてくださいね。)

 が、何よりも、大切なことは、UK様の内心はともかくも、つまり内心の迷いはさてお
き、息子さんを、信ずることではないでしょうか。少なくとも、表向きは信じているフリ
をしながら、動揺しないことだと思います。

 子育てというのは、本来、そういうものです。思うようになるようで、結局は、ならな
い。子どもに振り回されながら、山を越え、谷を越えている間に、親自身が成長させられ
ていく。親が子どもを育てるのではありません。子どもが親を育てているのです。

 今のUK様にとっては、つらい毎日かもしれません。そのお気持ちは、よくわかります。
しかし息子さんにも、そろそろ巣立ちのときがきているように思います。が、その巣立ち
は、いつも美しいものとはかぎりません。中には、ののしりあいながら、巣立ちしていく
子どももいます。しかし巣立ちは巣立ち。そういった視点でも、この問題を考えてみてく
ださい。

 息子さんが高校3年生では、親としても、できることは、ほとんどないということです。
なすべきことも、ほとんど、ありません。だれかが説得して……という問題でもありませ
ん。

 だからここは静観します。動じないで、うろたえないで。そしてあとは『許して、忘れ
ます』。そのあとのことは、必ず、時間が解決してくれます。息子さんは、水がどこかへ流
れていくように、煙がどこかへ流れていくように、やがて自分の道を進み始めます。来る
ときがくれば、自然と、そのようになっていくということです。

 あまりお力になれなくて、すみません。1作、7年前に中日新聞に書いた記事を、この
あとに添付しておきます。参考にしてくださればうれしく思います。

++++++++++++++++++++++

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そん
な親子がふえている。

いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生
きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか
願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親が
いた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたも
のです」と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂
だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親
は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃
れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。
今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉
で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに
苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、
じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、い
つもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は
手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はも
うこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り
道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(1872〜1970)は、こう書き残してい
る。

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜
びを与えられる』と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだ
ろうか。

+++++++++++++++++++++++++

 UKさんへ、あとは時間が解決してくれますよ。『時は、心の癒し人』です。それを信じ
て、前に向って進んでください。過去にとらわれることなく、未来を恐れることなく、今
日、今できることを、懸命に、ただひたすら懸命にすればよいのです。

いっしょに、がんばりましょう!

++++++++++++++++++

【UK様よりの返信、掲示板より……】

林先生、お忙しいのに早速お返事いただきありがとうございます。

書き込みする場所を間違えました。ごめんなさい。

先生のお返事を何度も何度も読んで心より理解したいと思っています。

彼女も18歳。中卒なので、友だちも少ないのだと思います。
1人で1歳の子を育てるのは大変で、息子が必要なんだと思います。

彼女の親父と電話で話しましたが、「恋愛は自由だ」と言われてしまいました。母親からは
「あなたの息子さんの子だって言いたいけど、違いますよー。ハハh」って感じでどうも感覚
が違うと思いました。でも、息子はいつもやかましく言われてた親より彼女や彼女の親のほう
が楽で癒しの場なのだと思います。

信じて、静観して、許して忘れる。
頑張ります。ありがとうございました。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日々・雑感】

●ガラス箱の時計

 子どものころ、ガラス箱に入ったような時計があった。大きさは、縦と横が10センチ
くらい。高さが15センチくらいではなかったか。まわりがガラス箱のようになっていた
ので、中の構造が、よくわかった。

 そこには、無数の歯車と、カチカチとそれを制御する、扇風機のファンになったような
ものがあった。私は時刻を見るというよりは、そのメカニズムがおもしろくて、いつまで
もその時計をながめていた。

 ……というようなことを、パソコンに応用できないだろうか。つまり私たちがなぜ、パ
ソコンを使いながらも、ときとして言いようのない不安感に襲われるかといえば、その構
造がまったくわからないからである。

 ほとんどのパソコンは、不透明の、しかも金属製の箱でできている。どこかが故障して
も、どこがどう故障しているかさえわからない。もっともパソコンのばあいは、仮に透明
の、つまりガラス箱になったからといって、構造がわかるわけではない。しかし外から、
どこに何があるかがわかるだけでも、安心感がちがうのでは……。

 たとえば箱を透明にして、ハードディスクが作動しているときは、ハードディスクの横
のダイオードが点灯する。メモリーが作動しているときは、やはりメモリーの横のダイオ
ードが点灯する。「ああ、今、ここが作動しているのだな……」と。

 全面が透明である必要はない。片面とか、2面とかでよい。それによって、ゴミのたま
り具合や、ファンなどの作動状態を、目で確かめることができる。

 ほかにも、外付けのハードディスク、DVD―writer、カードリーダーなど。こ
ういったものも、透明だとよい。

 ……と考えたが、本当のところ、それでよいのかどうか、私にもわからない。たとえば
少し前まで使っていたマウスは、透明になっていた。最初は、それなりにおもしろかった
が、実際には、すぐあきてしまった。ただ中身が見えるというだけで、やはり私には、そ
の構造が、何もわからなかった。


●降水確率って、何?

 白々と明ける空。どんよりと曇った空。寒々とした冬空。時刻は、午前6時半。

 ふと「降水確率って、何?」と、思った。よく「遠州地方の今日の降水確率は、10%
です」とかいう。

 しかし降水確率って、何?

 降水確率というのは、ある地域で、ある一定時間内に、1mm以上の雨が降る確率をい
う。だから「降水確率、10%」というのは、「その地域で、ある一定時間内に、1mm以
上の雨が降る確率は、10%」という意味になる。それは私でも、知っている。

 しかしこの数字は、いろいろに解釈ができる。

(1)午後12時間のうち、雨が降る時間は、1・2時間ということなのか。
(2)遠州地方の、10%の地域に雨が降るということなのか。

 そこであちこちを調べてみると、こういうことがわかった。

 「過去に同じような天気図になった日を調べてみたところ、10日のうち、1日は、そ
の地域で、1mm以上の雨が降ったことがわかった」というのを、「降水確率、10%」と
いうのだそうだ(「世の中の裏事情・PHP版」。)

 だからたとえば「過去に同じような天気図になった日を調べてみたところ、10日のう
ち、3日は、その地域で、1mm以上の雨が降ったことがわかった」というのであれば、「降
水確率、30%」ということになる。

 ナルホド!

 1mm以上だから、小雨でも、ドシャ降りの大雨でも、雨は雨。シトシトと降りつづけ
る雨でも、カミナリが鳴り響くような瞬間的な豪雨でも、雨は雨。雨の種類は、関係ない
そうだ。


●バーコードの秘密

 ついでにもう1つ、雑学。

 私は、いまだにあのバーコードなるものが、信用できない。ショッピングセンターなど
で、レジの人が、買ったものを、ピッ、ピッと通すたびに、何とも言えない不安感に襲わ
れる。「本当に、こんなことでわかるのだろうか」とか、「読み取り機だって、まちがえる
こともあるだろうに」とか。そんなふうに、考えてしまう。とくにバーコードの部分が、
よじれていたり、汚れているときは、そうである。そんなわけで私は、いつも、表示板の
数字を、じっとながめている。

 そこで同じ「世の中の裏事情・PHP版」を読むと、こう説明している。

 バーコードは、ふつう13桁になっている。そのバーコードを、レーザー読み取り機が
読み取るわけだが、そのとき、読み取り機は、読み取りが正確だったかどうかを、自動的
に判別もするそうだ。

 しくみは、こうだそうだ。

 たとえば……、

 バーコードに書かれた数字が、490230102034xのとき、読み取り機は、そ
の番号を、49−02301−02034−xの4つの部分に分けて読み取る。

 最初の2桁の49は、国の識別番号。日本は、49か45だそうだ。
 つぎの5桁の02301は、会社の識別番号。
 さらにつぎの5桁の02034は、その会社内部における製品番号。

 最後のxの部分に、実は、謎が隠されているという。

 バーコードを読みこんだ読み取り機は、瞬時に、こんな計算もするという。

(1)こまでの12桁の数字のうち、右から(右からだぞ)、偶数桁の数字を、まず合計す
(2)る。
 
   このばあい、4+0+0+0+2+9=20となる。

(3)この数字の20を3倍する。このばあい、20x3=60となる。

(4)つぎに同じく右から、今度は、最初の「x」をのぞいて、奇数桁の数字を合計する。

このばあい、3+2+1+3+0+4=13となる。

(5)ここで(2)の「60」と、(3)の「13」を加える。

このばあい、60+13=73となる。

(6)さらに、(4)で出てきた数字を、10の倍数になるよう切りあげる。

このばあい、「73」だから、10の倍数は、「80」となる。

(7)最後に、その10の倍数から、(4)で出てきた数字を、引く。

このばあい、80−73=7となる。つまりx=7ということになる。ちなみに、
この「x」の数字を、「チェック・デジット」というそうだ。

(8)13桁の数字のうち、末尾の数字として、この「7」を書き加える。もしバーコー
ド読み取り機が、どこかで読み取りのミスをおかすと、この数字は、ちがったものになる。
たとえば「7」のはずなのに、「2」とか、「3」とかいう数字になる。そうなったとき、
読み取り機は、即座に、ブー音を鳴らす。

 こうしてバーコード読み取り機は、自分が読み取った数字が正しいかどうかを、自動的
に判別するのだそうが、そのエラーは、120万回につき、「たったの4回」だそうだ(同
書)。

 ナルホド!

 しかし最後のxの部分が、0〜9までの数字ということになると、エラーをしたばあい、
10回のうち1回は、読み取り機ですらも、「正常」としてしまうのではないのか。それと
もそれも含めて、「120万回のうち、4回」ということなのか。(2)のところで、偶数
桁の数字を3倍するところに、何かの秘密が隠されているような気がするが、私には、よ
くわからない。

 また暇なときに考えてみることにするが、しかし「120万回につき、4回のエラー」
を、多いとみるか、それとも少ないとみるか……。それには個人差があると思う。私は「多
い」と思うが……。少し神経質かな? 


●たかが風刺画くらいのことで……?

 ことの発端は、デンマークのある新聞が、イスラム教の預言者、ムハンマドの風刺画を
載せたことによる。これに対して、アラブ諸国のイスラム教徒たちが、猛反発。そこで表
現の自由をかかげる欧州各地の新聞は、この風刺画を、こぞって再掲載。イスラム教徒た
ちは、さらに反発。で、事態は、表現の自由の問題を離れて、宗教戦争とも言えるべき段
階にまで、こじれてしまった。その結果、レバノンのデンマーク領事館の入った建物が放
火され、死傷者まで出す始末になってしまった(06年2月)。

多くのイスラム教徒たちは、その風刺画を「イスラム教への侮辱」とみなしているとい
う。

 信仰というのはそういうものだろうということは、私にも理解できる。同じような例は、
この日本国内においても、ないわけではない。今の今も、社会の水面下で、はげしい宗教
戦争を繰りかえしている宗教団体は、いくらでもある。しかし、だ。たかが、風刺画では
ないか? 視野が狭いというか、過激というか……。……と私は、考えてしまうのだが、
そう考える私のほうが、おかしいのだろうか。

 今回もそうだが、もう少し、それぞれの国民に、(自ら考える力)があれば、こうした事
件は起きなかったのではないかと思う。最初に風刺画を描いた、デンマークの作者にして
も、そうだ。ひょっとしたら面白半分に描いたのではないかという部分も、ないわけでは
ない。宗教を信仰している人たちに対して、ほんの少しでも畏敬(いけい)の念があれば、
ああいった風刺画は描けなかったはず。

 一方、アラブのイスラム教徒の人たちもそうだ。いくら1つの信仰を信じているとして
も、(自ら考える力)まで放棄してしまってはいけない。1つの信仰を盲信すればするほど、
その人の頭の中は、カラッポになる。カラッポになるから、盲信という。中には、そうい
う状態の人を、「熱心な信者」と評価する人もいるが、カラッポはカラッポ。あとはテープ
レコーダーのように、他人に注入された思想を、オウムのように繰りかえすだけ。いくら
信仰に埋没しても、決して、そうであってはいけない。

 で、私は今回の一連の事件の背景には、アラブの人たちの、欧米に対する、ある種の反
感や不満があるのではないかと見ている。挫折感というか、疎外感というか……。それが
風刺画をきっかけとして、表にふき出してしまった。

 私自身は、まったくアラブの世界のことは知らない。知らないから、いいかげんなこと
を言うのは許されない。しかし彼らの気持ちも、理解できないわけではない。自分たちだ
けが国際社会からどんどんと、取り残されていく……。しかもいつもその上には、欧米諸
国が君臨している。その行き場のない(不満)や(怒り)が、今回の風刺画をきっかけと
して、暴発してしまった(?)。

 しかしあえて言うなら、アラブの国々が、これから先、近代国家として生まれ変わるた
めには、今のような宗教国家体制をつづけていては、無理だろうということ。決して、イ
スラム教がおかしいとか、民主主義がすぐれているとか、そんなことを言っているのでは
ない。

 しかし宗教国家と言われるような国へ足を踏み入れたとたん感ずる、あの息苦しさは何
か。重圧感というか、束縛感というか……。自由に自分の意見を述べることさえできない。
彼らの宗教的機嫌をそこねないように、細心の注意を払わねばならない。つまりそれこそ
が、それらの国の近代化をはばんでいる、最大の要因ではないのか。

 怒りに任せて、欧米の大使館を焼きうちすればするほど、国際社会から取り残されてい
くのは、実は、彼ら自身なのである。それに気がつかない間は、アラブはアラブ。いつま
でたっても、アラブはアラブということになってしまうのではないか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================



☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 8日(No.697)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page006.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●悲劇!……BW教室より

++++++++++++++++

寒い日だった。私は教室の
ストーブの前で、ガタガタ
震えていた。

しかし、それが悲劇の始ま
りだった。

++++++++++++++++

 寒い日だった。天気の予報官は、「暖かくなる」と言った。が、ハズレ。雨がやむと、日
没ごろから、急に冷え始めた。身の置きどころのないような寒さだった。

 このところ、肉らしい肉は、食べていない。菜食主義というわけでもないが、しかしそ
れに近い。生徒たちに、「君たちは、寒いか?」と聞くと、みな、「ううん」と。

 風邪の前ぶれだろうか。悪寒かもしれない。そんな気配も、あるにはあった。

私「寒くない?」
子「寒くないよ」
私「ホント?」
子「先生は、寒いの?」
私「そう、ガス欠だよ」

子「ガス欠って、何?」
私「ほら、車でも、ガソリンがないと、走らないだろ。あれと同じだよ」
子「そう、ガズ欠ね」と。

 私は、「ガス欠もしらないのか」と思ったが、黙って、ストーブの前に立った。が、寒い。
少し前から、温かいお茶をつづけて飲んでいたが、少しも、体が暖まらない。と、そのと
き、ワイフが、教室の中に入ってきた。「あなた、もってきたわ」と。

私「何?」
ワ「トレーナーよ。その薄着じゃ、寒いに決まっているわよ」
私「ありがたい。トレーナーかア」
ワ「これを、中に着て……」と。

 その少し前、私はワイフに電話をかけた。寒さを訴えた。ワイフは、それを知って、店
で、安物だが、トレーナーを一着、買って、届けてくれた。それを、子どもたちに隠れて、
炊事室で着た。上着のシャツの下とズボンの下に……。

 変わった生地でできているトレーナーだった。着たとたん、ほんわかとした温もりが、
肌に伝わってきた。

私「これならいけそうだ」
ワ「あら、そう。よかったわ」と。

 残りのクラスは、2つだけ。小学校の高学年児クラスと、中学生のクラス。しかしズボ
ンの下に、トレーナーとは! 一度、そのかっこうで失敗したことがある。

 もう10年になるだろうか。ワイフと街を歩いているとき、ワイフが突然、こう言った。
「あなた、ズボンの下に、何、着ているの?」と。見ると、ズボンの下から、パジャマの
すそが、外に顔を出していた。

 あわてて家を出てきたため、パジャマを脱ぐのを忘れた。そのままズボンをはいた。…
…とまあ、そんな失敗である。

 見ると、何となく、ズボンの下からトレーナーが見える感じ。私は座ったまま、立つこ
ともできなかった。と、そのとき、参観の親たちが、2、3人、ゾロゾロと入ってきた。

 「まずい」と思った。女性は、こういうことに、目ざとい。

 私は、足を反対側に向けると、ズボンの下のトレーナーを上に、まくってあげた。いく
ら何でも、そういう姿は、母親たちには見られたくない。しかし立ったとたん、トレーナ
ーが、下に落ちていくのがわかる。アアア……!

 で、やっとのことで、そのレッスンを終えた。が、今度は、猛烈な尿意。寒いときの尿
意は、これまた強烈。「したい」と思ったとたん、膀胱がはち切れそうになった。したい…
…。したい……。

 生徒や親たちとのあいさつもそこそこに、部屋を出ようとすると、1人の母親が、私に
話しかけてきた。

母「先生、あのう……」
私(やめてくれ……)
母「少し、相談したいことがあるのですが……」
私(あとにしてくれ……)

母「○子のことですが……」
私「はい……」
母「4月からのことですが……」
私(早くしてくれ……)と。

 で、思い切って、言った。もう、もたなかった。「あのう、実は、トイレに行きたいので
す。ちょっとだけいいですか」と。そう言い終わらないうちに、廊下の右にある、トイレ
に駆けこんだ。便器の前に立った。

 ところが、である。ズボンのチャックをあげたところまではよかったが、いくら両手で
かきわけても、中が開かない! まるで、大きな鉄の扉が閉まっているような感じ。数回、
かきわけたあと、気がついた。トレーナーだア!

 私は、ズボンのベルトをはずした。そしてズボンを下にさげた。同時に、トレーナーと
パンツもさげた。瞬間、小便が、堰(せき)を切ったように、外へはじき飛んだ。とたん
うしろから子どもの声がした。

 「先生って、そうやってオシッコをするんだア」と。見ると、その母親の娘の○子! 

私「トイレから出て行け!」
子「ハハハ」
私「セクハラだア」
子「ハハハ」と。

 小便が終わって、また教室へ。母親はそこに立って、私を待っていた。○子は、知らぬ
顔して、備えつけたマンガの本を読んでいた。

 ……そのあとのことは、ここに書いても意味がない。いつもの、よくある親の相談。そ
していつもの私の返事。

 きっとあとで、○子は、私のことを話しただろう。いや、話さなかったかもしれない。
あの年齢になると、子どもでも、そういうことは親には話さない。あるいは、話したかも
しれない。「先生って、オシッコをするとき、お尻を出してするのよ。赤ちゃんみたい」と。

 それにしても、いやな思い出を作ってしまった。どうやって弁解してよいのかわからな
い。それでありのままをここに書いた。○子よ、○子の母親よ、どうか、この文章を読ん
でくれ。口で説明したり、弁解したりするのは、私には、あまりにもつらい。

 私は、お尻を出して、小便など、しないぞ!


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

【赤ちゃん返り】

+++++++++++++++

赤ちゃん返りを決して、安易に
考えてはいけない。

赤ちゃん返りは、子どもの心を
本能的な部分で、ゆがめる。

あるいは、さまざまな情緒障害の
引き金を引くきっかけともなる。

+++++++++++++++

●ゆがんだ心

 赤ちゃん返りと呼ばれる、よく知られた現象が、子どもの世界には、ある。ところが、
である。いろいろな心理学の本を見ても、この「赤ちゃん返り」について書いた本が、ほ
とんどない。(私は読んだことがない。)

 これほどまでに重要な現象について、それについて書いた本がないというのは、どうい
うことか。だいたいにおいて、文字すら、定まっていない。「赤ちゃん返り」なのか、それ
とも「赤ちゃん帰り」なのか。

 私は、一度、子どもが大きくなって、また赤ちゃんの心理状態に戻るという意味で、「返
り」という文字を使っている。「返り咲き」の「返り」である。が、中には、「返り咲き」
を、「帰り咲き」と書く人もいる。

 となると、「赤ちゃん還り」でも、「赤ちゃん回り」でもよいことになる。しかし私はや
はり、「赤ちゃん返り」が正しいと思う。現象的に考えると、そうなる。

 その赤ちゃん返りについて、昨日、「なおりますか?」と聞いてきた母親がいた。しかし
こうした、つまり一度ゆがんだ心は、なおらない。そのまま一生、つづく。ただ、表面的
には、わからなくなる。そこで私は、「もぐる」という言葉を使う。

 こういう例が、ある。

●もぐる子どもの心

 下の子どもが生まれたことで、情緒が不安定になってしまった女の子(年中児)がいた。
心の緊張感が、取れなくなってしまった状態と考えるほうが正しい。このタイプの子ども
の心は、いつもある種の緊張状態にある。親に対して絶対的な安心感を覚えることができ
ない。そのため、心が休まることがない。そこへ心配ごとや不安ごとが入ると、それを解
消しようと、一気に情緒が不安定になる。

 で、その女の子のばあい、たとえば幼稚園へ出かけるとき、あるいは、おけいこ塾へで
かけるとき、決まってぐずったり、泣いたりした。が、一度、出かけてしまえば、ケロッ
として、あとは何ごともなかったかのようにすませてしまう。

 そういう姿を見て、その母親も、「二重人格者みたいです。なおるでしょうか?」と。

 そこでその女の子の幼稚園での様子を見ると、ごくふつうの、何も問題のない子どもに
見えた。その女の子が、家庭で、赤ちゃん返りを起こしているなどということは、幼稚園
の保育士にも、わからないだろう。

 が、この段階で、だれも、その女の子の赤ちゃん返りが(なおった)とは、思わない。
その女の子のもう1つの心は、別のところにある。あって、顔を出さないだけである。だ
から、(もぐる)という言葉を、私は使う。

 こうした例は、多い。たとえば、いじけやすい子ども、くじけやすい子ども、ひがみや
すい子ども、ねたみやすい子ども、すねやすい子どもなどがいる。そういう子どもでも、
環境さえそうでなければ、そういった症状は出てこない。時と場合に応じて、そういった
症状が外に出てくる。

●程度と症状はさまざま

 赤ちゃん返りも同じように考える。もっとも、その症状には、個人差と、程度の差があ
る。さらに症状も、(1)ネチネチと赤ちゃんぽくなる退行型、(2)下の子に攻撃的にな
る攻撃型、(3)服従的になる服従型、(4)ベタベタと甘えたりする依存型、(5)ものの
考え方が破滅的になる破滅型などに分類される。

 また同じ赤ちゃんぽくなる退行型にしても、しぐさや動作、ものの言い方まで赤ちゃん
ぽくなる子どももいれば、ただその時々において、グズグズするだけの子どももいる。ま
たいろいろなタイプが複合することも珍しくない。退行型に依存型が加わるケースは、よ
く観察される。だからどの程度から赤ちゃん返りといい、またいわないかという判断は、
むずかしい。

 さらにこの赤ちゃん返りが、そののち、さまざまな情緒障害(自閉傾向、かん黙症など)
の引き金を引くことになることもある。下の子が生まれたあと、心(情意)と表情が、遊
離してしまった子ども(年中・女児)もいた。その母親は、「外見からは、何を考えている
か、さっぱりわかりません」と心配していた。何があっても、いつもニタニタというか、
ニヤニヤと、意味のわからない笑みを浮かべていたからである。

 原因は、本能的な嫉妬心である。

●本能に根ざした嫉妬心

 ここで「本能的」というのは、本人には意識できない、さらに奥深いところで起こる現
象という意味である。だからそういう子どもを叱ったり、説教しても、意味がない。たと
えば生後まもない赤ちゃんは、エンゼル・スマイルに代表されるように、(かわいさ)を親
にアピールすることによって、自分の生存をはかろうとする。

 つまりそれは赤ちゃんの意識的な行為というよりは、遺伝子そのものに組みこまれた。
本能的な行為と考えるとわかりやすい。もしこの段階で、親から見捨てられたら、子ども
は生きていくことができない。つまり、人類は、とっくの昔に絶滅していたことになる。

 親から見て、かわいいから、親は子育てをする。そうでなければそうでない。

 下の子に、親の愛情を奪われたという危機感をいだいた子どもは、その(かわいさ)を、
再現することによって、もう一度、親の愛情を、すべて自分に取りもどそうとする。それ
が赤ちゃん返りである。

 そのことは、赤ちゃん返りを起こしている子どもを見れば、わかる。

●NSさんのケース

 印象に残っている女の子に、NSさん(当時、年長児)がいた。そのNSさんは、教室
でも、片時も、母親から離れようとしなかった。母親のそばにいて、体をクネクネとくね
らせながら、ネチネチと甘えていた。

 「ウママア(ママ)、オウチイエ(おうちへ)、カイエリタイ〜(帰りたい)」と。

 それを見て母親はNSさんを強く叱ったりしたのだが、叱れば叱るほど、逆効果。NS
さんの症状は、ますますひどくなっていった。「おもらしは、毎晩のようにします」「月に、
1、2度は、原因不明の熱を出します」と、母親は言った。

 意識の世界で、自分の体温をコントロールすることはできない。だから私は、本能に近
い、無意識の世界によって、彼女はコントロールされていると判断した。ここで「本能的」
というのは、そういう意味である。

 そのため対処のし方も、症状の内容と程度に応じて、ちがう。症状が軽ければ、そのま
ま一過性のものとして終わる。しかし重ければ、もう一度、100%の愛情を上の子に注
ぎなおすところから始める。親は、「上の子も下の子も平等です」と言うが、その「平等」
が、上の子には、不満なのだ。

 あとは1年単位で、様子をみる。この問題には、本能的な嫉妬心がからんでいるだけに、
容易には、なおらない。指導する側からすると、赤ちゃん返りを決して、安易に考えては
いけないということになる。

●なおそうと思わないこと

 さて、冒頭で相談してきた母親だが、「なおりますか?」と聞いた。私は、「なおらない」
と答えた。「なおそうと思わないことです」とも。しかしここで2つのことが言える。

 1つは、もぐったまま、そのままわからなくなってしまうということはある。とくに赤
ちゃん返りは、その時期特有の症状であり、その子どもが年齢的に成長し、自分を包む世
界が変わってくれば、下の子をそれほど意識しなくなる。そのため赤ちゃん返りという、
あの特有の症状は、外からはわからなくなる。

 もう1つは、こうした(心のゆがみ)は、別の形に姿を変えやすいということ。たとえ
ばよく「上の子どもは、下の子どもにくらべてケチ」と言われる。生活態度が、防衛的に
なるために、そうなると考えるとわかりやすい。

 さらに上の子は、いじけやすくなったり、くじけやすくなったり、ひがみやすくなった
り、ねたみやすくなったり、すねやすくなったりすることはある。そういう(心のゆがみ)
に変化することはある。

 ただここで誤解してはいけないのは、こうした(心のゆがみ)というのは、だれにでも
あるということ。多かれ少なかれ、だれでにでも、ある。私も、あなたも、だ。だからそ
ういう(ゆがみ)があるからといって、大げさに考えてはいけない。そういう(ゆがみ)
を克服しながら生きていくのが、人間ということにもなる。

 が、本来なら、そうならないように、下の子を妊娠したときから、上の子教育を始める
のがよい。「ある日、突然、下の子が生まれた」というような状況をつくると、まずい。そ
れがわからなければ、あなたの夫が、ある日突然、愛人を家の中に招き入れたようなケー
スを想像してみればよい。

 あなたは、果たして平静でいられるだろうか。あるいは夫が、「お前は愛人と、平等にか
わいがってやっている」と言っても、あなたはそれに納得するだろうか。下の子が生まれ
たときの、上の子の心理は、それに近い。

 こうして考えていくと、もうおわかりかと思うが、「嫉妬」には、悪魔的な力がある。赤
ちゃん返りがこじれて攻撃的になると、上の子は、下の子を、殺す、あるいは殺す寸前ま
でのことをする。それほどまでに、上の子の心をゆがめることもある。

 重ねて言うが、赤ちゃん返りを、決して安易に考えてはいけない。
(はやし浩司 赤ちゃん返り 赤ちゃん帰り 赤ちゃんがえり)


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

(7)親のトラブル

Q このところ親どうしのトラブルが原因で、憂うつでなりません。言った、言わないが、こじれ
て、
抜きさしならない状態になっています。

A 親どうしのつきあいは、如水淡交。水のように、淡く、無理なくつきあうのがよい。
つきあうとしても、できるだけ学校の行事の範囲にとどめ、個人的な交際は、必要最低限
にとどめる。ほかの世界と違って、間に子どもがいるため、一度こじれると、この種の問
題は、とことんこじれる。親によっては、たいへん神経質な人がいる。神経質になるのが
悪いというのではない。それは子育てにまつわる宿命のようなもの。人間にかぎらず、ど
んな動物でも、子育をしている間は、たいへん神経質になる。そこでこうしたトラブルを
避けるために、いくつかの原則がある。

 (1)子どもの前では、学校や先生の批判はもちろんのこと、ほかの親の批判は、タブ
ー。子どもが先生の悪口を言っても、「あなたのほうが悪い」「そんなことは言ってはいけ
ない」と、たしなめる。相づちを打ってもいけない。相づちを打てば、今度はあなたが言
った言葉として、広まってしまう。それだけではない。子どもは、先生の指示に従わなく
なってしまう。そうなれば教育そのものが成りたたなくなってしまう。

 つぎに(2)子どもどうしの間でトラブルが起き、先生に相談するときも、問題だけを
先生に話し、あとの判断は、先生に任せる。相手の親や子どもの名前は、できるだけ出し
てはいけない。先生は、教育のドクター。判断するのは、あくまでも先生。それともあな
たは病院へ行って、自分で診断名をつけたり、治療法を決めたりするとでもいうのだろう
か。

 また(3)子どもどうしのトラブルがこじれたときには、まず、あなたのほうから頭を
さげる。この世界には、『負けるが勝ち』という、大鉄則がある。先にも書いたように、間
に子どもがいることを忘れてはいけない。大切なことは、子どもが気持ちよく学校へ通え
ること。またそういう状態を、用意してあげること。だから負けるが、勝ち。あなたが先
に「すみません」と頭をさげれば、相手も、「いいんです。うちも悪いから…」となる。そ
ういう謙虚な姿勢が、子どもの世界を明るくする。

 が、それでもこじれたら…。先生に問題の所在だけを告げ、一度、引きさがる。これを
「穴にこもる」という。穴にこもって、時間が解決してくれるのを待つ。そしてその間、
あなたはあなたで、子どものことは忘れ、したいことをすればよい。

 ふつう、それほど深刻な問題でないときは、一にがまん、二にがまん、三、四がなくて、
ほかの親に相談と決めておく。ほかの親というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親のこ
とをいう。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」というような話
で、たいていの問題は解決する。
(はやし浩司 親同士のトラブル 親同士の問題 親の問題 学校でのトラブル)


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

(8)帰宅拒否

Q 学校からってくるとき、道草をくってばかりいます。家の中でも、どこか憂うつそうで、あいさ

をしても返事をしません。(小五男)

A 疑うべきは、帰宅拒否。家庭が、家庭としての機能、つまり体を休め、心をいやすと
いう機能を果たしていないことを疑う。そこでテスト。

 あなたの子どもは、学校から帰ってきたとき、どこでどのようにして、心や体を休めて
いるだろうか。あなたのいる前で、平然として、休めていれば、よし。しかしあなたの姿
を見ると、どこかへ逃げていくとか、好んでひとりになりたがるというようであれば、ま
ず家庭のあり方を反省する。その一つ、『逃げ場を大切に』。

どんな動物にも、最後の逃げ場がある。子どももしかり。子どもは、その逃げ場に入る
ことにより、体を休め、心をいやす。たいていは自分の部屋ということになるが、その
逃げ場を親が平気で荒らすようになると、子どもは、別の場所に逃げ場を求めるように
なる。トイレの中や犬小屋、近くの電話ボックスの中に逃げた子どもなどがいた。さら
にこじれると、家出ということになる。

 子どもが逃げ場へ入ったら、追いかけて説教したり、叱ったりしてはいけない。いわん
や部屋の中や、机の中を調べてはいけない。コツは、逃げ場から子どもが出てくるまで、
ただひたすら根気よく待つこと。

これに対して、親子の間に秘密はあってはいけないという意見もある。そういうときは
反対の立場で考えてみればよい。いつかあなたが老人になり、体が不自由になったとす
る。そのときあなたの子どもが、あなたの机の中やカバンの中を調べたとしたら、あな
たはそれに耐えられるだろうか。プライバシーを守るということは、そういうことをい
う。秘密をつくるとかつくらないとかいう次元の話ではない。子どもの人格を尊重する
ためにも、また子どもの中に、「私は私」という考え方を育てるためにも、子どもの逃げ
場は神聖不可侵の場所と心得る。

 また子どもに何か問題が起きると、「学校が悪い」「先生が悪い」「友だちがいじめた」と
騒ぐ人がいる。そういうこともたしかにあるが、しかし家庭が家庭としての機能を果た
していれば、問題は問題となる前に解決するはず。そのためにも、ここでいう家庭の機
能を大切にする。

 子どもというのは、絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむ。「絶対的」というのは、
疑いをいだかないという意味。その家庭がぐらつくと、子どもは心のより所をなくし、情
緒が不安定になる。攻撃的になったり、理由もなくぐずったりする。ものに固着すること
もある。神経症による症状(腹痛、頭痛、チック、吃音、爪かみ、髪いじり)を伴うこと
が多い。ある男の子(小一)は、鉛筆のハシをいつもかじっていた。
(はやし浩司 帰宅拒否 帰宅拒否症 子供の道草)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●新しい惑星が発見された!

++++++++++++++++++++

太陽系、第10番目といわれる、新しい惑星が
発見された。

何とも、ロマンに満ちた話ではないか。

第10番目ねえ〜と思ってみたり、
「今ごろ、なぜ?」と思ってみたり……。

この太陽系は、私たちが思っているより、
はるかに大きいようである。

++++++++++++++++++++

 太陽系に、第10番目の惑星が発見されたという。前から、あれこれうわさはされてい
たが、どうやら、今度は、確実なようである。大きさは、やや月より小さいかという感じ。
中日新聞は、つぎのように伝える(2・2)。

「米航空宇宙局(NASA)が昨年夏、「太陽系10番目の惑星」と発表した天体は直径約
3000キロで、冥王星より大きいことが、ドイツ・ボン大などの観測でわかった。研究
チームは「惑星」説を支持する結果だとしている。2日付の英科学誌ネイチャーに掲載さ
れた。
 この天体は海王星や冥王星よりも外側の軌道にあり、太陽からの距離は地球までの約9
7倍。あまりに遠いため、可視光の観測では正確な大きさが決められなかった。
 研究チームは、スペインにある電波望遠鏡を使って天体から放射される熱を検出、太陽
からの距離を基に直径を割り出した。冥王星(約2400キロ)と、月(約3500キロ)
のほぼ中間の大きさで、1846年の海王星発見以来、太陽系で見つかった最大の天体に
なるという。
 天体はまだ、国際天文学連合に惑星と認定されていない。どんな条件がそろえば惑星と
呼べるかについて一致した見解はないが、大きさは重要な要素。冥王星をめぐっても『惑
星ではない』との強力な主張があり、論争を呼んでいる」と。

 この第10番目の惑星(?)の記事を読んで、最初に思い出したのが、「謎の惑星、ニビ
ル」。古代メソポタミアの時代から、「ある」とされてきた惑星である。

 それについて、昨年書いた原稿を、まず、ここに!

**************************

●シュメール人

 古代メソポタミアに、不思議な民族が住んでいた。高度に知的で、周囲文化とは、かけ
離れた文明を築いていた。

 それがシュメール人である。

 彼らが書き残した、「アッシリア物語」は、そののち、旧約聖書の母体となったことは、
よく知られている。

 そのシュメール人に興味をもつようになったのは、東洋医学を勉強していたときのこと
だった。シュメール人が使っていた楔型(くさびがた)文字と、黄河文明を築いたヤンシ
ャオ人(?)の使っていた甲骨文字は、恐ろしくよく似ている。

 ただしメソポタミア文明を築いたのは、シュメール人だが、黄河文明を築いたのが、ヤ
ンシャオ人であったかどうかについては、確かではない。私が、勝手にそう思っているだ
けである。

 しかしシュメール人がいう「神」と、甲骨文字で書く「神」は、文字の形、発音、意味
が、同じであるということ。形は(米)に似ている。発音は、「ディンガー」と「ディン」、
意味は「星から来た神」。「米」は、「星」を表す。

 ……という話は、若いころ、「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)という、私の本の中で書
いた。なぜ、東洋医学の中で……と思われる人も多いかと思うが、その東洋医学のバイブ
ルとも言われている本が、『黄帝内経(こうていだいけい)・素問・霊枢』という本である。
この中の素問は、本当に不思議な本である。

 私は、その本を読みながら、「この本は、本当に新石器時代の人によって書かれたものだ
ろうか」という疑問をもった。(もちろん現存する黄帝内経は、ずっとあとの後漢の時代以
後に写本されたものである。そして最古の黄帝内経の写本らしきものは、何と、京都の仁
和寺にあるという。)

 それがきっかけである。

 で、このところ、再び、そのシュメール人が、宇宙人との関係でクローズアップされて
いる。なぜか?

 やはりシュメールの古文書に、この太陽系が生まれる過程が書いてあったからである。
年代的には、5500年前ごろということになる。仮に百歩譲って、2000年前でもよ
い。

 しかしそんな時代に、どうして、そんなことが、シュメール人たちには、わかっていた
のか。そういう議論はさておき、まず、シュメール人たちが考えていたことを、ここに紹
介しよう。

 出典は、「謎の惑星『ニビル』と火星超文明(上)(下)・ゼガリア・シッチン・ムーブッ
クス」(学研)。

 この本によれば、

(1)最初、この太陽系には、太陽と、ティアトマと水星しかなかった。
(2)そのあと、金星と火星が誕生する。
(3)(中略)
(4)木星、土星、冥王星、天王星、海王星と誕生する。
(5)そこへある日、ニビルという惑星が太陽系にやってくる。
(6)ニビルは、太陽系の重力圏の突入。
(7)ニビルの衛星と、ディアトマが、衝突。地球と月が生まれた。(残りは、小惑星帯
に)
(8)ニビルは、太陽系の圏内にとどまり、3600年の楕円周期を描くようになった、
と。

 シュメール人の説によれば、地球と月は、太陽系ができてから、ずっとあとになってか
ら、ティアトマという惑星が、太陽系の外からやってきた、ニビルという惑星の衛星と衝
突してできたということになる。にわかには信じがたい話だが、東洋や西洋に伝わる天動
説よりは、ずっと、どこか科学的である。それに現代でも、望遠鏡でさえ見ることができ
ない天王星や海王星、さらには冥王星の話まで書いてあるところが恐ろしい。ホント。

 どうしてシュメールの人たちは、そんなことを知っていたのだろうか。

 ここから先のことを書くと、かなり宗教的な色彩が濃くなる。実際、こうした話をベー
スに、宗教団体化している団体も、少なくない。だからこの話は、ここまで。

 しかしロマンに満ちた話であることには、ちがいない。何でも、そのニビルには、これ
またとんでもないほど進化した生物が住んでいたという。わかりやすく言えば、宇宙人!
 それがシュメール人や、ヤンシャオ人の神になった?

 こうした話は、人間を、宇宙規模で考えるには、よい。その地域の経済を、日本規模で
考えたり、日本経済を、世界規模で考えるのに似ている。視野が広くなるというか、もの
の見方が、変わってくる。

 そう言えば、宇宙へ飛び出したことのある、ある宇宙飛行士は、だれだったか忘れたが、
こう言った。「人間の姿は、宇宙からはまったく見えない。人間は、地上をおおう、カビみ
たいなものだ」と。

 宇宙から見れば、私たち人間は、カビのようなものらしい。頭の中で想像できなくはな
い。ただし、カビはカビでも、地球をむしばむ、カビ? が、そう考えていくと、日本人
だの、中国人だのと言っていることが、おかしく見えてくる。

 それにしても、周期が、3600年。旧約聖書の時代を、紀元前3500年ごろとする
なら、一度、そのころ、ニビルは、地球に接近した。

 つぎにやってきたのが、キリストが誕生したころということになる。

 で、今は、西暦2005年だから、この説に従えば、つぎにニビルがやってくるのは、
西暦3600年ごろ、つまり1600年後。

 本当にニビルには、高度な知能をもった生物がいるのだろうか。考えれば考えるほど、
ロマンがふくらむ。若いころ、生徒たちを連れて、『スターウォーズ』を見に行ったとき感
じたようなロマンだ。「遠い、遠い、昔、銀河系の果てで……」というオープニングで始ま
る、あの映画である。

 ワイフも、この話には、たいへん興味をもったようだ。昨日もいっしょに書店の中を歩
いていると、「シュメール人について書いた本はないかしら」と言っていた。今日、仕事の
帰りにでも、またさがしてみよう!

 待っててよ、カアーチャン!(4・29)


【付記】

 しかし空想するだけで、ワクワクしてくるではないか。

 遠い昔、別の天体から、ニビルという惑星がやってきて、その惑星の衛星が、太陽系の
別の惑星と衝突。

 地球と月が生まれた。

 そのニビルという惑星には、知的生物、つまり私たちから見れば、宇宙人が住んでいた。
ひょっとしたら、今も、住んでいるかもしれない。

 そのニビルは、3600年周期で、地球に近づいてきて、地球人の私たちに、何かをし
ている? 地球人を改造したのも、ひょっとしたら、彼らかもしれない? つぎにやって
くるのは、多分、1600年後。今は、太陽系のはるかかなたを航行中!

 しかしそう考えると、いろいろな、つまりSF的(科学空想小説的)な、謎が解消でき
るのも事実。たとえば月の年代が、なぜ、この地球よりも古いのかという謎や、月の組成
構造が、地球とはなぜ異なっているかという謎など。

 また月が、巨大な宇宙船であるという説も、否定しがたい。「月の中は空洞で、そこには
宇宙人たちの宇宙基地がある」と説く、ロシアの科学者もいる。

 考えれば、考えるほど、楽しくなってくる。しかしこの話は、ここまで。あとは夜、月
を見ながら、考えよう。ワイフは、こういう話が大好き。ほかの話になると眠そうな表情
をしてみせるが、こういう話になると、どんどんと乗ってくる。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●謎のシュメール

 『謎の惑星(ニビル)と火星超文明』(セガリア・シッチン著)(北周一郎訳・学研)の
中で、「ウム〜」と、考えさせられたところを、いくつかあげてみる。

 メソポタミアの遺跡から、こんな粘土板が見つかっているという。粘土板の多くには、
数字が並び、その計算式が書いてある。

+++++++++++++

1296万の3分の2は、864万
1296万の2分の1は、648万
1296万の3分の1は、432万
1296万の4分の1は、324万
……
1296万の21万6000分の1は、60

++++++++++++

 問題は、この「1296万」という数字である。この数字は、何か?

 その本は、つぎのように説明する(下・78P)

++++++++++++

 ペンシルバニア大学のH・V・ヒルプレヒトは、ニップルとシッパルの寺院図書館や、
ニネヴェのアッシュールバニバル王の図書館から発掘された、数千枚の粘土板を詳細に調
査した結果、この1296万という天文学的数字は、地球の歳差(さいさ)運動の周期に
関するものであると結論づけた。

 天文学的数字は、文字どおり、天文学に関する数字であったのである。

 歳差とは、地球の地軸が太陽の公転面に対してゆらいでいるために発生する、春分点(お
よび秋分点)の移動のことである。

 春分点は、黄道上を年々、一定の周期で、西へと逆行していく。このため、春分の日に
太陽のうしろにくる宮(ハウス)は、一定の周期で、移り変わることになる。

 ひとつの宮に入ってから出るまでにかかる時間は、2160年。したがって、春分点が
1周してもとの位置に帰ってくるには、2160年x12宮=2万5920年かかるので
ある。

 そして1296万とは、2万5920x500、つまり春分点が、黄道上を500回転
するのに要する時間のことなのだ。

 紀元前4000年前後に、歳差の存在が知られていたということ自体、すでに驚異的で
あるが、(従来は、紀元前2世紀にギリシアのヒッパルコスが発見したとされていた)、そ
の移動周期まで求められていたというのだから、まさに驚嘆(きょうたん)に値する。

 しかも、2万5920年という値は、現代科学によっても証明されているのだ。

 さらに、春分点が、黄道上を500回転するのに要する時間、1296万年にいたって
は、現在、これほど長いビジョンでものごとを考えるのできる天文学者は、何人いること
だろう。


+++++++++++++++

 シュメールの粘土板の言い方を少しまねて書いてみると、こうなる。

3153万6000の12分の1は、262万8000
3153万6000の720分の1は、4万3800
3153万6000の4万3200分の1は、730
3153万6000の8万6400分の1は、365……

 これは私が、1分は60秒、1時間は60分、1日は24時間、1年は365日として、
計算したもの。これらの数字を掛け合わせると、3153万6000となる。つまりまっ
たく意味のない数字。

 しかしシュメールの粘土板に書かれた数字は、そうではない。1年が365日余りと私
たちが知っているように、地球そのものの春分点の移動周期が、2160年x12宮=2
万5920年と、計算しているのである。

 もう少しわかりやすく説明しよう。

地球という惑星に住んで、春分の日の、たとえば午前0時JUSTに、夜空を見あげてみ
よう。そこには、満天の夜空。そして星々が織りなす星座が散らばっている。

 しかしその星座も、毎年、同じ春分の日の、午前0時JUSTに観測すると、ほんの少
しずつ、西へ移動していくのがわかる。もちろんその移動範囲は、ここにも書いてあるよ
うに、1年に、2万5920分の1。

 しかしこんな移動など、10年単位の観測を繰りかえしても、わかるものではない。第
一、その時刻を知るための、そんな正確な時計が、どこにある。さらにその程度の微妙な
二、移動など、どうすれば観測結果に、とどめることができるのか。

 たとえていうなら、ハバ、2万5920ミリ=約30メートルの体育館の、中央に置い
てある跳び箱が、1年に1ミリ移動するようなもの。100年で、やっと1メートルだ。

 それが歳差(さいさ)運動である。が、しかしシュメール人たちは、それを、ナント、
500回転周期(1296万年単位)で考えていたというのだ。

 さらにもう一つ。こんなことも書いてある。

 シュメール人たちは、楔形文字を使っていた。それは中学生が使う教科書にも、書いて
ある。

 その楔形文字が、ただの文字ではないという。

●謎の楔形文字

 たとえば、今、あなたは、白い紙に、点を描いてみてほしい。点が1個では、線は描け
ない。しかし2個なら、描ける。それを線でつないでみてほしい。

 点と点を結んで、1本の線が描ける。漢字の「一」に似た文字になる。

 つぎに今度は、3個の点にしてみる。いろいろなふうに、線でつないでみてほしい。図
形としては、(△)(<)(−・−)ができる。

 今度は、4個で……、今度は、5個で……、そして最後は、8個で……。

 それが楔形文字の原型になっているという。同書から、それについて書いてある部分を
拾ってみる(92P)。

++++++++++++++

従来、楔形文字は、絵文字から発達した不規則な記号と考えられているが、実は、楔形
文字の構成には、一定の理論が存在する。

 「ラムジーのグラフ理論」というものを、ご存知だろうか?

 1928年、イギリスの数学者、フランク・ラムジーは、複数の点を線で結ぶ方法の個
数と、点を線で結んだ結果生ずる図形を求める方法に関する論文を発表した。

 たとえば6個の点を線で結ぶことを考えてみよう。点が線で結ばれる、あるいは結ばれ
ない可能性は、93ページの図(35)に例示したような図形で表現することができる。

 これらの図形の基礎をなしている要素を、ラムジー数と呼ぶが、ラムジー数は一定数の
点を線で結んだ単純な図形で表される。

 私は、このラムジー数を何気なくながめていて、ふと気がついた。これは楔形文字では
ないか!

+++++++++++++

 その93ページの図をそのまま紹介するわけにはいかないので、興味のある人は、本書
を買って読んでみたらよい。

(たとえば白い紙に、4つの点を、いろいろなふうに描いてみてほしい。どんな位置でも
よい。その点を、いろいろなふうに、結んでみてほしい。そうしてできた図形が、楔形文
字と一致するという。

 たとえば楔形文字で「神」を表す文字は、漢字の「米」に似ている。4本の線が中心で
交わっている。この「米」に似た文字は、8個の点をつないでできた文字ということにな
る。)

 つまり、楔形文字というのは、もともと、いくつかの点を基準にして、それらの点を結
んでできた文字だというのだ。そういう意味では、きわめて幾何学的。きわめて数学的。

 しかしそう考えると、数学などが生まれたあとに、文字が生まれたことになる。これは
順序が逆ではないのか。

 まず(言葉)が生まれ、つぎにその言葉に応じて、(文字)が生まれる。その(文字)が
集合されて、文化や科学になる。

 しかしシュメールでは……?

 考えれば考えるほど、謎に満ちている。興味深い。となると、やはりシュメール人たち
は、文字を、ニビル(星)に住んでいた知的生命体たち(エロヒム)に教わったというこ
とになるのだろうか。

 いやいや、その知的生命体たちも、同じ文字を使っているのかもしれない。点と、それ
を結ぶ線だけで文字が書けるとしたら、コンピュータにしても、人間が使うような複雑な
キーボードは必要ない。

 仮に彼らの指の数が6本なら、両手で12本の指をキーボードに置いたまま、指を動か
すことなく、ただ押したり力を抜いたりすることで、すべての文字を書くことができる。
想像するだけでも、楽しい! 本当に、楽しい!

 ……ということで、今、再び、私は、シュメールに興味をもち始めた。30年前に覚え
た感動がもどってきた。しかしこの30年間のブランクは大きい。(チクショー!)

 これから朝食だから、食事をしながら、ワイフに、ここに書いた二つのことを説明して
やるつもり。果たしてワイフに、それが理解できるかな?

 うちのワイフは、負けず嫌いだから、わからなくても、わかったようなフリをして、「そ
うねえ」と感心するぞ! ハハハ。
(はやし浩司 楔形文字 ラムジー グラフ理論 ニビル エロヒム 地球の歳差運動 
運動周期)

【付記】

 食事のとき、ワイフに、ここに書いたことを説明した。が、途中で、ワイフは、あくび
を始めた。(ヤッパリ!)

私「ちゃんと、聞けよ。すごい謎だろ?」
ワ「でもね、あまり、そういうこと、書かないほうがいいわよ」
私「どうして?」
ワ「頭のおかしい人に思われるわよ、きっと……」
私「どうしてだよ。おかしいものは、おかしい。謎は、謎だよ」
ワ「どこかの頭のおかしい、カルト教団の信者みたいよ」
私「ちがうよ、これは数学だよ。科学だよ」
ワ「でも、適当にしておいたほうがいいわよ」と。

 以上が、ワイフの意見。

*******************************


今回発見された、第10番目の惑星と、ニビルの大きなちがいは、その公転周期と軌道。
第10番目の惑星の公転周期は、今のところ不明だが、ニビルは、3600年。つまり3
600年をかけて、太陽の周囲を一周する。軌道についても、今のところ不明だが、地球
や冥王星のように、太陽をぐるりと円軌道で回るというのであれば、ニビルとはちがう。
ニビルは、極端な楕円軌道を描いて、太陽のまわりを回る。

 そのあたりのことは、今後、科学的に明らかになってくると思う。乞う、ご期待!、と
いうところか。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●新しいパソコン

++++++++++++++++

パソコンは、どんどん進化している。
恐ろしいほどの勢いである。

この秋には、新しいOSのVISTA
が発売になるという。

++++++++++++++++

 このところ、暇さえあれば、M社のHPばかり、のぞいている。半年ほど前に、M社か
ら、1台購入した。調子はよい。今のところ、問題はなし。サクサクと仕事をこなしてく
れる。

 が、さらに性能のよいパソコンが、発売になった。

 CPUは、インテルPentium D 940
 メモリーは、2048MB
 グラフィックボードは、nVDIA Geforece 7800GTX

 これだけ見ても、スゴイ! もちろん値段もすごい。税込みで、24万4000円(デ
ィスプレは、別売)! 「どんなパソコンだろう」と、想像するだけで、胸がワクワクし
てくる。

 しかしこの世界、本当に日進月歩。1年前の新製品が、その1年もたつと、陳腐に見え
てくる。このまま進めば、あと1、2年のうちに、CPUを4個重ねた、インテルPen
tium Dx2というのも、登場してくるかもしれない。もちろんメモリーは、409
6MB!

 メモリーが大きいと、それだけ消費電力も大きくなると言われている。が、メモリー自
体も進化するだろう。より消費電力が少ないものになると考えられる。もちろんCPUも!

 ここに紹介したM社のパソコンは、本体の前面から、4台のハードディスクを、電源を
入れたまま出し入れできるという。ということは、仕事に応じて、ハードディスクを取り
替えることも可能になる。万が一のときのためのデータ保存も、楽になる。いろいろメリ
ットは多い。

 が、今度買うときは、2つの点に注意したい。1つは、4年とか5年の長期保証に加入
すること。もう1つは、Officeの、最新版を、プレインストールしたものを購入す
ること。

 で、その2つを導入すると、値段は、27万8000円になるという(ただし保証期間
は、3年)。とてもおいそれと買える金額ではないが、しかしその程度でないと、「私」が
満足しない。

 来週から、またネット取り引きをしてみよう。株の売買でもうけたら、買うつもり。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 6日(No.696)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●帰宅拒否児

+++++++++++++

W県に住む母親から、子どもの帰宅拒否
についての相談があった。

それについて考えているとき、私は、自分の
子ども時代を思い浮かべた。

私自身も、その帰宅拒否児だった。

++++++++++++++

 私自身が帰宅拒否児だったという認識は、当時の私には、なかった。そんな言葉すらな
かった。そういう子どもがいたとしても、親や教師は、「子どもだから、家に帰りたがるは
ず」「家がいちばん、いいはず」という、安易な『ダカラ論』や『ハズ論』だけで、簡単に
片づけていたと思う。

 しかし今から思うと、私は、その帰宅拒否児だった。小学生のころも、一日とて、家に
まっすぐ帰ったことはなかった。回り道をして帰るのが日課になっていた。学校のそばに
ある城山公園や、長良川、神社や寺などなど。幸いにと言うべきか、私が生まれ育ったM
町は、昔からの和紙の生産地で、そういう意味では、小さいが、変化に富んだ町だった。

 父も母も、そういう私を多分知りながら、放任してくれた。家に帰ってからも、毎晩、
真っ暗になるまで、外で遊んだ。今となってみれば、悪いことばかりではなかったという
ことになるが、だからといって、そういう環境を肯定してもらっては困る。私にかぎらず、
子どもにとって、家庭の中に居場所がないというのは、決して好ましい環境ではない。さ
まざまな心の後遺症を残す。

 で、この状態は、夏休みや冬休みになっても同じで、こうした休みになると、決まって、
私は、母の実家のある田舎へ行った。私にしてみれば、そちらのほうが故郷のようなもの
だった。思い出の数は、母の実家でのほうが、はるかに多い。

 私の家には、私の居場所はなかった。「家」といっても、私の部屋すらなかった。町中の
自転車屋で、2階にある8畳間だけが、私たち兄弟3人の、寝床ということになっていた。
学校の宿題などは、その部屋の隅(すみ)に置かれた座卓の前でした。

 世の中には、さまざまな人がいる。故郷の自分の家に、たまらないほどの愛着を覚えて
いる人も多いだろう。しかし私は、自分のあの家が嫌いだった。今でこそ、「プライバシー」
とか、「子どもの人権」とかいう言葉があるが、それさえなかった。まったく、なかった。
少なくとも私の親たちには、貧しかったこともあるが、その知識すらなかった。

 ゆいいつ私が座って……という場所は、テレビの置いてある小さな部屋だった。が、そ
の部屋にしても、障子戸を隔てて、すぐ横が、店のある表から、台所やトイレのある裏へ
とつながっている通路になっていた。家族や客が、いつもその通路を、歩いていた。

 こうして私は、今でいう、帰宅拒否児になっていったのだと思う。……といっても、そ
れに気づいたのは、ごく最近になってからのことである。私にとっては、あの時代のあの
生活が、いわゆるスタンダードで、そのため、私は自分では、ごくふつうの子どもだった
と思っていた。ごくふつうの生活を送っていたと思っていた。

 しかし私はやはり、帰宅拒否児だった。いろいろな事実を総合してみると、どうやらそ
ういうことになる。というのも、帰宅拒否というのは、意識的な行為というよりは、無意
識に近い状態で繰りかえす行為だからである。しかも、自分という人間を、遠いところに
視点を置き、客観的に見てはじめて、それがわかる。

 で、さらに、こんなこともある。

 こうした帰宅拒否的な傾向は、子ども時代だけでは、終わらないということ。58歳に
なった、今も残っている。何かいやなことがあると、自分の家でありながら、私は、その
家からすぐ飛び出したくなる。反対に、家に帰りたくなくなる。これは私のトラウマのよ
うなものかもしれない。

 そういう状態になったとき、心のどこかで、自分の心が、子ども時代の私の心と、同調
するのがわかる。「思い出す」とか「再現」するとか、そういうことではない。それは実に
あいまいな意識である。モヤモヤとした意識というべきか。無意識に近い状態で、本屋へ
寄ったり、いろいろな店に寄ったりして、時間をつぶす。

 が、それが楽しいわけではない。もっと言えば、本屋へ行きたいから本屋へ行くのでは
ない。いろいろな店に寄るのも、そうだ。

 そして結果として、帰宅時間が、ぐんと遅くなる。つまりそういう自分を見ながら、「私
は、子どものころ帰宅拒否児だった」ということを知る。が、悪いことばかりではない。

 私はそういう自分を知っているからこそ、自分の3人の息子たちには、そういう思いを
させなかった。家を建てましするときも、まず最初に考えたのが、子ども部屋だった。自
分がいやな思いをした分だけ、息子たちには、そういう思いをさせたくなかった。それに
今、そういう自分を知っているからこそ、帰宅拒否児と呼ばれる子どもの心理状態が、た
いへんよくわかる。

 そう、今でも、帰宅拒否児は、いくらでもいる。幼稚園や学校から、家に向かって帰り
たがらない子どもたちである。幼稚園児だと、帰りの時刻になると、幼稚園の園舎のどこ
かに隠れてしまう。逃げてしまう。グズグズし始める。小学生だと、寄り道が多くなった
りする。無意味な道草を食うこともある。

 親はそういう子どもを叱ったりするが、しかしどうして叱るのか? 叱ることができる
のか?

 帰宅拒否というのは、そういう問題である。いくつかの原稿を添付する。

+++++++++++++++

●帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子ども
がふえている。S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。「幼稚園で帰る時刻になる
と、うちの子は、どこかへ行ってしまうのです。それで先生から電話がかかってきて、こ
れからは迎えにきてほしいと。どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、
園舎の裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。そこで皆でさがす
のですが、おかげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」と。

私はその話を聞いて、「帰宅拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言
えば、家庭が、家庭としての機能を果たしていない……。まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。幼
児のばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれ
て、当然、家庭の役割も変わってくる。また変わらねばならない。子どもは外の世界で疲
れた心や、キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。つまり家庭が、「やすらぎの場」
でなければならない。が、母親にはそれがわからない。S君の母親も、いつもこう言って
いた。「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつけを大切にしています」
と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』というのがある。つまり
人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座ったほう
が、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチャの頭
のようでなくてはいけない。あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めるこ
とができるだろうか。そこでこんな簡単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみ
てほしい。もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめ
てよい人間関係にある。しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの
姿を見ると、どこかへ逃げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態に
あると判断してよい。もう少しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、とい
うことになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不
自然に遅い。毎日のように寄り道や回り道をしてくる。あるいは外出や外泊が多いという
ことであれば、この帰宅拒否を疑ってみる。

家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子どもは無意識のうちにも、
いやなことを避けるための行動をする。帰宅拒否もその一つだが、「家がいやだ」「おも
しろくない」という思いが、回りまわって、帰宅拒否につながる。裏を返して言うと、
毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってくるだけでも、あな
たの家庭はすばらしい家庭ということになる。
(はやし浩司 帰宅拒否 帰宅拒否児 道草 回り道 子供の道草)


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

(4)落ちつきがない

Q 参観授業で見ても、騒々しく、落ちつきがありません。家でも集中力がなく、ワーワーと騒ぐ

けで、勉強もほとんどしません。(小一男)

A 騒々しい子どもがふえている。「新しい荒れ」と呼ぶ人もいる。ADHD児のほか、思
考が乱舞してしまう子どももいる。いろいろな原因が考えられているが、ひとつに、テレ
ビやテレビゲームがあげられる。瞬間的に、めまぐるしく変化する画面は、右脳を刺激す
るが、一方、左脳の働きをおろそかにする。論理や分析、つまり「ものごとを静かに考え
て判断」するのは、その左脳である。

 それはさておき、こうした問題が子どもにあったとしても、今は、それ以上、こじらせ
ないことだけを考えて、小学三、四年生になるまで様子をみる。そのころになると自意識
が発達し、子どもは、自分で自分をコントロールするようになる。「こういうことをすれば、
みんなに迷惑をかける」「嫌われる」「損をする」「先生に注意される」と。それ以前の子ど
もは、自分が騒々しいという意識すらない。

 ある中学生(男子)は、こう言った。低学年児のころは、落ちつきがなく、学校の先生
もたいへんだった。しかし「ぼくは、何も悪くなかった。みんながぼくを目のかたきにし
ただけ」と。おとなでも、自分の姿を客観的に知ることはむずかしい。いわんや、子ども
をや。

 むしろ問題は、無理な指導や強制的な指導、さらには、暴力をともなった威圧的な指導
が、症状をこじらせてしまうこと。せっかく自意識が発達しても、そのため子ども自身が、
立ちなおれなくなってしまう。

 子どもを指導するときは、言うべきことは繰りかえしながら言い、あとは時を待つ。そ
して少しでも、言ったことが守れるようになったら、それをほめる。かなり根気のいる作
業だが、このタイプの子どもと接するときは、まさに根気との勝負。家庭でも、決して短
気を起こしてはならない。
 が、悪いことばかりではない。言動が活発な分だけ、好奇心も旺盛で、生活力もある。
苦手な分野もあるが、しかしその分、学力もある。中学生になるころには、かえってよい
成績を示すようになることも珍しくない。子どものよい面を信じながら、あとは子どもに
合わせた生活を組みたてる。「三〇分座って、五分くらい勉強らしきことをすればよし」「勉
強と遊びが、ごちゃまぜになってもよし」と。繰りかえすが、このタイプの子どもは、叱
っても意味がない。子ども自身の力では、どうにもならない。

 問題のない子どもはいない。だから問題のない子育ても、ない。子育てというのはそう
いうもの。そういう前提で考える。しかしそれから生まれるドラマが、子育てをうるおい
豊かにし、親子のきずなを太くする。平凡は美徳だが、平凡からは何も生まれない。…そ
う考えながら、子育てを前向きにとらえる。
(はやし浩司 落ち着きがない子ども 落ち着きがない子供 騒々しい子供)


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

(5)反抗的な態度

Q 最近、子どもの態度が反抗的になってきました。一触即発という状態で、どこかピリピリして

ます。(小五女)

A よく誤解されるが、情緒が不安定だから、情緒不安というのではない。心の緊張状態
がとれないことを、情緒不安という。その緊張状態のところへ、不安や心配が入ると、そ
れを解消しようと、精神が一挙に不安定になる。情緒不安というのは、あくまでも症状。
 その症状としては、攻撃的暴力的になるプラス型、ぐずったり引きこもったりするマイ
ナス型、ものに固執する固着型などがある。

 そこで子どもが情緒不安症状を示したら、まず、原因が何であるかをさぐる。慢性的な
ストレスや欲求不満など。ある子ども(小六男児)は、幼児期に読んだマンガの本を大切
そうにもっていた。ボロボロだった。そこで私が、「これは、何?」と声をかけると、「ど
うチョ、読んではダメだと、言うのでチョ」と。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりであ
る。原因は父親にあった。父親は、ことあるごとに、その子どもをこう、脅していた。「中
学校へ入ると、勉強がきびしいぞ。毎日、三時間は勉強しなければならないぞ」と。子ど
もの未来をおどすのは、タブー中のタブー。それはそれとして、こうした脅しが、その子
どもの心をゆがめた。

 子どもが思春期の第二反抗期にさしかかると、子どもの情緒はたいへん不安定になる。
そこで大切なことは、家庭では、子どもが体を休め、心をいやすことができるようにする
こと。方法としては、子どもの側からみて、親の視線をまったく感じないようにするのが
よい。あれこれ説教をしたり、気をつかうのは、かえって逆効果。また家の中で、態度が
横柄になり、言葉づかいが乱暴になるなど、生活習慣が乱れることもあるが、「ああ、うち
の子は、外の世界で、がんばっているからだ」と、大目に見るようにする。「親に向かって、
何よ!」式に、頭ごなしに叱ってはいけない。

 なお子どもは、小学三年生くらいを境にして、急速に親離れを始める。学校であったこ
とを、親に話さなくなったり、女児だと、父親といっしょに風呂に入るのをいやがったり
するようになる。ただその親離れは、ある日を境に、急にそうなるのではない。日々に、
おとなぶったり、反対に、幼児のようになったり、それを繰りかえしながら、数年をかけ
て、親離れする。

 しかし症状が、ある範囲に収まっているなら、親は、こうした親離れを喜ばねばならな
い。子育ての目標は、子どもをよき家庭人として自立させること。子どもの反抗をすべて
容認せよというわけではないが、一方で、「ああ、うちの子は、自分の道を歩み始めている
…」と思いなおし、一歩、引きさがる。そういう姿勢が、子どもを自立させる。中学生に
なっても、「ママ、ママ」と、親に頼る子どものほうが、おかしい。
(はやし浩司 子供の反抗 反抗的な子供 子どもの反抗 反抗的な子ども)
 

Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司


(6)口が悪い

Q うちの子は、口が悪くて困ります。私に向かっても、平気で「クソババー!」とか言います。
(小二
男)

A 子どもの口が悪いのは当たり前。それを許せというわけではないが、それが言えない
ほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。もう少し専門的に言うと、こうなる。

 乳幼児の心理は、口唇期(口を使って口愛行動をする)、肛門期、男根期を経て発達する
(フロイト)。肛門期というのは、体内にたまった不要物を、外に排出する快感を覚える時
期と考えるとわかりやすい。(これに対して、男根期は、いわゆる小児性欲のこと。おとな
の性器性欲の基礎になる。)

 たとえばおとなでも、重大な秘密を知ると、それをだれかに話したいという衝動にから
れる。が、それを話せないとなると、悶々とした状態になる。そこで思いきって、だれか
に話す。そのとき感ずる快感が、ここでいう肛門期の快感と思えばよい。

 つまり子どもは、思ったことをズケズケと言うことで、自分の心の中にたまったゴミを
外に吐き出そうとする。それは快感であると同時に、子どもにとっては、精神のバランス
をとるためには、必要なことでもある。

 むしろそれを抑えつけてしまうことによる弊害のほうが、大きい。イギリスの格言にも、
『抑圧は悪魔をつくる』というのがある。心の抑圧状態が長くつづくと、ものの考え方が
悪魔的になることを言ったものだが、子どものばあい、それがとくに顕著に現れる。

 N君(小五)という、静かでおとなしい子どもがいた。従順で、これといって問題はな
かった。しかし私はある日、彼のノートを見て、びっくりした。そこには、首のない人間
や、血だらけになってもがき苦しむ顔、ドクロなどが描かれていた。原因は、父親の神経
質な過関心だった。

 言いたいことを言う。思ったことを言う。それができるから、家庭という。あの『クレ
ヨンしんちゃん』の中にも、母親のみさえが、義理の父親に向かって、こう怒鳴るシーン
がある(V16)。「ひからびた、ゆで玉子頭」と。そういうことが自由に言いあえる家庭とい
うのは、それだけでも、すばらしい家庭(?)ということになる。

 私も、よく生徒に、「クソじじい」と言われる。そこである日、こう教えてやった。

私「もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて、教えて」
私「でも、お父さんや、校長先生に言ってはだめだよ。約束するか?」
子「するする…」
私「ビ・ダ・ン・シ(美男子)」と。

 それからというもの、私のニックネームは、美男子になった。生徒たちは私を見ると、
うれしそうに、「美男子! 美男子!」と。私は一応、怒ったフリをするが、内心では笑っ
ている。
(はやし浩司 口の悪い子ども 口の悪い子供)
 

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●共依存

+++++++++++++++

共に依存しあう関係を、「共依存」という。
「家族依存症」と呼ぶ学者もいる。

+++++++++++++++

 以前、「共依存」について、原稿を書いた。それについて、BLOGなどで、何人かの人
たちから、意見をもらった。

 それを書く前に、「共依存」について。

 共に自立できず、たがいに、依存しあって生きていくことを「共依存」という。よく例
として出されるのが、乱暴で働かない夫と、献身的で従順な妻の関係。夫は、「お前がいな
くなると、俺は死んでしまう」というようなことを妻に思わせ、一方、妻は、そういう夫
に仕えることを、生きがいとする。

 こうした「共依存」関係は、夫婦の関係のみならず、親子の間でも、よく観察される。

 ある父親は、80歳。ことあるごとに、50歳になる自分の娘に向かって、こう言って
いる。「ワシも年をとったよ」「いつ死んでもおかしくないよ」「朝、起きていたら死んでい
たということになっても、いいよ」と。つまりそういうふうに心配させることによって、
娘に依存しようとする。もっとはっきり言えば、そういうふうにわざと心配をかけながら、
娘を自分から離れていかないようにする。

 娘は娘で、そういう父親に不満をいだきながらも、「親は親だから……」と言いつつ、献
身的に尽くす。

 が、娘のほうが、ときどき娘の夫とともに、旅行などに行くときようなときになると、
父親は、こう言うという。

 「ワシのことは、何も心配せんでもいい。2人で楽しく、やってきてくれ」と。

 それが娘には、イヤミに聞こえるという。「かえってそう言われると、旅行できなくなっ
てしまう」と。

 さらにときどき娘のほうが、心配になって、父親に電話をすると、こう言うという。言
い忘れたが、娘の母親は、10年ほど前に、他界。現在は、父親は、娘の家から、歩いて
10分ほどのところに、ひとりで住んでいる。

娘「ちゃんと、ごはんを食べているの?」
父「ええよ、何も心配しなくても……」
娘「朝ごはんは、食べたの?」
父「だから、心配しなくてもええ……」

娘「ちゃんと食べなくてはいけないよ」
父「おととい買ってきたコロッケが、まだ1個、残っているから、それを食べる」
娘「そんなもの食べて、どうするの。あとで、私が何か、もって行くから……」
父「だから、心配しなくてもええ。ワシはワシで生きていくから。ワシも、そろそろその
年だから……」と。

 こうした会話を通して、父親は、娘の心をたくみに誘導する。父親自身が、それを考え
ながら、つまり意識的にそうしているというよりは、無意識の世界で、そうしていると考
えるほうが正しい。意識的な演技では、そこまでできない。

 こうした「依存性」について、「良好な親子関係」と、ここでいう「共依存」とは、どう
区別するかという問題がある。良好な親子関係を築いている親子でも、時として、共依存
的な様子を見せることがある。BLOGへの書きこみも、それについてのものが、多かっ
た。さらに「共依存でも、たがいにそれに納得しているなら、それでいいではないか」と
いう意見もあった。

 しかし忘れてならないのは、「共依存関係」というのは、もともと正常な人間関係ではな
い。そのため、そのしわ寄せというか、(ひずみ)は、さまざまな分野に現れる。

 ここに書いた娘にしても、「一日とて、父親のことが頭から離れません」と言って、いく
つかの精神薬を、毎日、のんでいる。つまりその基底に、深い愛情があって、父親のめん
どうをみているわけではない。「見るに見かねて……」あるいは、「世間的に放置しておく
ことはできないから……」という理由で、めんどうをみているにすぎない。

 つまりは自立できない父親と、これまたその呪縛から逃れることのできない親子関係と
いうことになる。

 こういった症状が見られたら、ここでいう「共依存」ということになる。そうでないな
ら、そうでないということになる。

 こうした共依存から、どうすれば脱却することができるかという問題もある。夫婦なら、
最終的には、離婚という方法が残されている。しかし親子となると、そうは簡単に、いか
ない。家族自我群から発生する、幻惑に苦しむ。つまりそれほどまでに、脳の中に刷りこ
まれた(刷りこみ)は、強力なものである。つまり本能に近い部分にまで、その(刷りこ
み)がなされている。

 それから自分を解放するのは、容易なことではない。

 こうして考えてみると、この娘の例をみるまでもなく、自分の子どもに、たくみに心配
をかけながら、その子どもに依存しようとする親は、それだけでも、ズルイ親ということ
になる。本来なら、親は、親のほうが自立し、子どもたちには心配をかけないようにしな
ければならない。

 共依存には、そういう問題も含まれている。
(はやし浩司 共依存 家族依存 家族依存症 親子の問題 親から離れられない子供 
子供に依存する親)

【あなたのまわりにも、いませんか?】

●ことあるごとに、「私も年を取ったからねえ……」を口ぐせにする親。
●ことあるごとに、弱々しい親を、わざとらしく演じて見せる親。

たとえあなたの親がそうであるとしても、あなたはあなたとして、自立する。というの
は、そういう親に育てられたあなた自身も、(依存性の強い人)になっている可能性が
高い。

そこで重要なことは、まず、自分の中の依存性に気づくこと。「真に私は自立している
か?」と、自分に問うのもよい。でないと、今度は、あなたたの子ども自身もまた、そ
の依存性の強い子どもになってしまう。

そしてあなたも、いつか、あなたの子どもに、弱々しい声で、こう言うようになる。「私
も、年をとったからねえ」と。子育ては、そういう意味でも、世代連鎖しやすい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●年賀状

++++++++++++++++++

今年は、大幅に年賀状を減らした。
心苦しかったが、やむをえなかった。

来年は、もっと減らすつもり。
つまり、これからは年賀状の時代ではない。
そんな思いもあった。

++++++++++++++++++

 北陸3県だけの調査結果だが、この3県だけで、年賀状は、総数で、2・5%も減少し
たという。1人あたりの枚数は、30・3通で、ほぼ昨年並みだったという(日本郵政公
社北陸支社調べ・06年・金沢市)。

 年賀状の枚数が大幅に増え始めたのは、あの(プリントごっこ)の時代からではないか。
家庭でも年賀状が、簡単に印刷できるようになった。そのため、老いも若きも、この(プ
リントごっこ)に群がった。

 つぎにやってきたのが、(パソコン+プリンター)の時代。同時に、住所録管理ソフトが
発売になった。私のような人間が飛びついた。そのソフトによって、私とワイフは、宛名
書きの苦労から解放された。

 便利である。そこで毎年、私がすることと言えば、(出す人)と(出さない人)を、より
分けるだけ。あとは、年賀状をセットして、(印刷)のボタンをクリックするだけ。それ以
前は、7〜10日もかけて書いた、あて名書きが、2、3時間のうちにすんでしまうよう
になった。

 しかしそれを繰りかえすこと、8年。毎年、住所録管理ソフトの更新版を購入している
ので、この「8年」という数字は、正確である。筆MソフトのV8(バージョン8)から
買い始めて、今年は、V15(バージョン15)。だから8年。

 しかしそういう年賀状に、数年前から、疑問をもち始めた。「何のための年賀状か」と。
気がついてみたら、もらうのも、出すのも、1000枚近くになっていた。中には、生涯、
顔を見たこともない、遠い遠い、親類まで、その中に含まれていた。

 で、思い切って、数年前から、年賀状を減らした。郵便局で購入する枚数そのものを減
らした。ワイフはそのつど、「こんなに少なくていいの?」と何度も聞いたが、私は「いい
よ」「いいよ」とだけ、言った。

 で、今年は、その年賀状が、ぐんと減った。1、2年出さないと、相手も、くれなくな
る。が、それではいけない。断りのハガキを書こうと思ったが、それもおかしい。まさか
年賀状に、「この年賀状が最後です」などとは書けない。「来年からは、もう出しません」
とも書けない。くれた人に、「もう年賀状はいりません」とは、もっと書けない。

 そのかわり、出すべき人には、出した。あて名はもちろん、図柄も、すべて手書きで、
出した。これだと週に、10〜20枚書くのがやっと。11月の中旬から始めて、12月
の末ぎりぎりまでかかった。

 しかしそれが年賀状の原点ではないのか……と私は、勝手にそう思っている。(パソコン
+プリンター)で書くのも年賀状かもしれないが、そういう年賀状のもつ味気なさは、ど
うしようもない。つまり便利になりすぎて、かえって、年賀状の本質を、見失ってしまっ
た。つまり、それなら出さないほうがましと、私は、考えるようになった。

 来年は、年賀状は、もっと減るのではないか。若い人たちは、携帯電話で、年賀のあい
さつをしている。インターネットでのあいさつも、ふえている。今では、音声や動画まで、
相手に送れるようになった。時代は、たしかに、変わりつつある。

 で、この文を読んでいる人の中には、去年まで、年賀状を交換していた人もいるかもし
れない。そういう人には心苦しいが、どうか、私たち夫婦の勝手を許してほしい。あえて
言うなら、来年からは、年賀状は、もう結構ですから、私たちのことは、どうか忘れてほ
しいということ。また何か縁があれば、そのときはそのときで、改めて交際させていただ
ければと思う。

 来年は、その年賀状を、さらに減らすつもりでいる。ごめん!

(追伸)

 私の年代以上の人たちは、年賀状に対して、特殊な(こだわり)をもっている。今年も、
年賀状を出さなかっただけで、「あの浩司は、どうした?」と、姉や親類に電話をかけまく
っていた人がいた。

 しかしたかが年賀状ではないか。つまり印刷された、ただの紙切れ。「だったら、何も考
えずに出したらいい」と言う人がいる。「むずかしく考えることはない」と。実は、私は、
そう考えてきた。しかしハガキといっても、1枚、50円。1000枚では、5万円にな
る。

 年齢とともに収入は減る。だから年齢とともに、不要な出費は、おさえなければならな
い。

 しかしなぜ、私の年代以上の人たちが、こうまで年賀状にこだわるかといえば、私は、
あの時代の、あの洗脳教育に理由があると思う。毎年、年末になると、学校では、年賀状
づくり一色。版画づくり、絵柄コンテストなどなど。「年賀状を出さない人は、日本人にあ
らず」というような風潮すら、あった。

 だいたい考えてみればおかしな話ではないか。毎日、学校で会っている友だちにすら、
年賀状を書いていた。要するに、私たちは、時の郵政省と文部省の策略に、のせられただ
け。

 しかし洗脳であるにせよ、一度できた意識を消すのは、容易なことではない。この私で
すら、いまだに何かしらの(こだわり)をもっている。こうしてエッセーを書いているこ
と自体、その(こだわり)の表れとみてよい。

 こうした意味のない(こだわり)は、少なければ少ないほどよい。「自由になる」という
のは、そういう無数の(こだわり)からの解放を意味する。


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

●何がしたいの?

+++++++++++++++++

昨夜、寝る前に、ワイフが、こう
聞いた。

「あなたは、いったい、何がしたいの?」と。

そのときは、それで終わった。
そのまま眠った。

しかし、今朝になって、その言葉が、
大きなしこりとなって、胸をふさいだ。

私は、何をしたいのか?

+++++++++++++++++

 ときどき、生きていることが、めんどうになることがある。わずらわしい。うるさい。
が、それでも、毎日、懸命にがんばって生きている。歯を食いしばって、生きている。生
きている以上、働くしかない。生きていくしかない。

 しかしそんな私に、夢はあるのか? 希望はあるのか? そして目的はあるのか? ワ
イフは、それを言った。

 ワイフは、ときどき、こう言う。「長生きはしたくないわ」と。私も、同感。生きていて
も、しかたのない人間になったら、さっさと死ぬ。無駄に生きて、醜態をさらけ出すくら
いなら、さっさと死ぬ。が、それすら、簡単なことではない。そうはうまく、死ねるわけ
ではない。

 近所に、1人の老人がいる。今年、84歳になるのではないか。姿を見ることはあって
も、会話を交(か)わしたことはない。

 その老人は、数年前に、がんをわずらった。半年近く、入退院を繰りかえした。が、一
度は、よくなったらしい。それ以後、ときどき、元気そうに散歩をしている。そういう種
類のがんだったのだろう。が、最近になって、自宅で、在宅ケアを受けているという。詳
しくは、知らない。

 その老人は、今でも、昼中、暖かくなると、散歩に出てくる。が、散歩という散歩では
ない。何かに追いたてられるかのように、まっすぐ前だけを見て、足早に歩いている。と
きどき、時計や万歩計をのぞきながら、歩いている。つぎの手術のために、体を鍛えてい
るのか。そんな感じさえする。その姿には、どこか悲壮感が漂っている。

 生きるということは、そういうことか。そういうことをいうのか。目的といっても、馬
の前につりさげられたニンジンのようなもの。いつもそこにあるのだが、それに手が届く
ことはない。夢や希望など、とっくの昔に消えた。

 私は、何をしたいのか? それが実は、自分でも、よくわからない。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司
 
 
●うれしかったこと

++++++++++++++++

F小学校の入試が
終わった……。

++++++++++++++++

 先日、市内のF小学校の入学試験が終わった。その試験で、BWの生徒のほぼ全員が合
格した。が、不合格の子どももいた。私の教室は、受験塾ではない。が、それでも、私の
教室からは、毎年、20人前後の子どもたちが受験する。80人の入学定員に対して、今
年(06)は、150人前後が受験したという。倍率は、約2倍ということか。

 が、BW教室(私の教室)では、私は、受験の話は、いっさいしない。夏と冬に1度、
通常のレッスンとは別に、入試懇談会をもつが、しかしBW教室の中では、しない。日ご
ろから、親たちには、「受験」「受かる」「すべる」という、3つの言葉は、いっさい使わな
いようにと、お願いしている。私は、受験問題ごときの内容に、自分の指導法が振りまわ
されるのは、好きではない。

 そういう趣旨を親たちは、よく理解してくれている。受験の話など、だれもしない。私
もしないが、親たちもしない。が、それでも何となくそういう話題になったときは、私は、
いつもこう言うことにしている。

 「あるがままの子ども育てましょう。そういう子どもがダメだというのなら、こちらか
らそんな学校、蹴飛ばしてやればいいのです」
 「F小学校など、当然、合格します」と。

 しかしそれでも、不合格の子どもは、いる。15年ほど前までは、毎年、全員合格とい
う時代がつづいたが、それ以後は、そうではない。今年も、不合格の子どもがいた。「絶対
だいじょうぶ」と自信をもっていた、Rさん(年長児)が、その1人。聡明で、人格の完
成度も、きわめて高い子どもである。

 そのRさんの母親から、電話があった。「娘は、F小学校に行くつもりでいました。不合
格だったことをどう説明したらいいのか、わかりません」と。

 こういうケースで重要なのは、親は、決して、うろたえてはいけないということ。子ど
もは、親の落胆ぶりを見て、それを自分の心のキズとしてしまう。トラウマというほど大
げさなものではないかもしれないが、心のキズにしてしまう。そういうケースは、多い。
親が堂々としていれば、一過性のできごととして、そのまま消えてしまう。

 サラッと受け流して、サラッと忘れる。それをRさんの母親に説目した。が、Rさんの
母親は、「BW教室の中で、話題になったら、どうしましょう?」と。

 しかし心配は、無用。私の教室の親たちのレベルは、高い。H市内でも、「知的な」とい
う意味で、トップクラスの人たちが集まっている。それに私は幼児を教えているが、実は、
その幼児をとおして、親たちを指導している。子どもにとって、何が大切で、何がそうで
ないかを、指導している。

 「幼児教育は、母親教育」が、私の教育理念の柱にもなっている。

 が、親たちを直接教えているわけではない。子どもたちを楽しませ、喜ばせ、そして子
どもたちを明るく前向きに、ひっぱっていく。そういう子どもたちの姿を見せながら、参
観する親たちに、自分の子育てに、夢や希望をもってもらう。自信をもってもらう。それ
が教室の雰囲気を、やさしく、なごませる。

R「BWで、お宅の子、どうでしたと聞かれたら、何と言えばいいでしょうか」
私「そういうことを聞くようなレベルの低い親は、BWには、いませんよ」
R「そうでしょうか?」
私「じゃあ、あなたなら、聞きますか?」
R「聞きません」
私「……でしょ。話題にもしませんよ」と。

 ただ、私には、電話などで、結果を知らせてくれる人はいる。しかしそういう電話でも、
「あの子は、どうでしたか」「この子は、どうでしたか」と聞くような親は、いない。もし
聞かれても、私は答えないだろう。私がもつ、そういう雰囲気は、日ごろのレッスンの中
で、親たちにじゅうぶんすぎるほど、伝わっている。

 ……ともかくも、受験は終わった。合格発表も終わった。で、その二次の抽選の日、(実
際に二次の抽選はなかったが)、たまたまその日の午後から、年長児のクラスがあった。ほ
とんど全員が、F小学校を受験したはずである。

 午後3時。1人だけ、「合格しました」という報告のあと、急用で休むという連絡があっ
た。が、それだけ。しばらく待っていると、その1人をのぞいて、全員が来てくれた。受
験だけが目的なら、生徒は来ないはず。親も来ないはず。

 私は、それがうれしかった。本当に、うれしかった。私はいつもどおりのレッスンを、
しかしいつもより力をこめて、した。

 帰り際、親たちとも会話を交わしたが、だれも、受験の話などしなかった。指で、Vサ
インや、OKマークの信号を送ってくれた親はいた。ほかの親たちの目を盗んで、目で「合
格しました」とサインを送ってくれた親もいた。が、それだけ。それでおしまい。

 私とて、結果が気にならないと言えば、ウソになる。しかし受験が終わって、1週間以
上になるが、不合格だったのは、そのRさんだけ。

 最後にあえて一言。今年のF小学校の先生たちは、目が高い。すばらしい。Rさんの件
は、とても残念だが、しかし子どもたちをしっかりと見ている。選んでいる。それが今、
どういうわけか、とてもうれしい。

 Rさんへ、あなたのお子さんはすばらしい子どもですよ。私が保証します。Rさんご自
身も、レッスンを参観なさっていて、それがよくわかっているはずです。これからも自信
をもって、今のままの子育てをつづけてください。受験には、それ自体に、くじ引きのよ
うな部分があります。とくに相手が幼児のときは、そうです。そう考えて、あとは、おい
しいものでも食べて、受験のことは、忘れてください。

 「BWはやめない」と言ってくださったことに感謝しています。その言葉に、私は、全
力で、お返しをします。約束します。私の実力を、本当にお見せできるのは、これからで
す。よろしくお願いします。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●パソコンの寿命

+++++++++++++

5年間使ったパソコンの
動きが、このところ、急に
おかしくなってきた。

+++++++++++++

 私は、パソコンの寿命は、3〜4年。長くて、5年とみている。3〜4年もすると、性
能的に、ガクンと見劣りがするようになる。ハードディスクの容量が少ないとか、メモリ
ーが少ないとか……。パソコンにさせる仕事量そのものが、多くなるということもある。

 現在、1つのファイルに、たとえば1万5000ページ前後の文書が入っているのがあ
る。そういう文書のばあい、一度開くと、とたんにパソコンが、重くなってしまう。サラ
サラとしていた感じが、モタモタとした感じになる。

 またホームページの編集も、そうだ。私のメインのHPは、50MB弱のサイズだが、
これくらいのサイズになると、編集のあと、保存するだけでも、4時間前後もかかってし
まう。

 こうなってくると、もっと性能のよいパソコンが、ほしくなる。が、それだけではない。
加えて、本体のハードそのものが、あちこち、痛んでくる。よく「ハードディスクの寿命
は、5年くらい」とか、「メモリーも損傷してくる」とか、言われる。雑誌などには、そう
書いてある。

 具体的には、ワードで作業をしていても、単語登録ができなくなるとか、罫線が引けな
くなるとか、そういった不具合となって現れる。

 そこで「新しいパソコンがほしい」となる。

 が、幸いなことに、年を追うごとに、パソコンの値段は安くなる。性能もよくなる。だ
からますます新しいパソコンがほしくなる。その期間が、3〜4年ということになる。

 ところで、5年間使ってきたF社製のパソコンだが、このところ、動きが急におかしく
なってきた。システムチェックをしたり、デバッグしたりしているが、どうもおかしい。
もちろんウィルスチェックもしている。スパイウェア・ソフトもインストールした。原因
は、多分、メモリー不足だと思う。

 ときにメモリーの使用量が、残り10〜20%を切ることがある。私にとっては、一番
大切なパソコンだから、つまり重要な仕事を任せているパソコンだから、不安といえば、
不安。で、今は、そのパソコンの中のデータを、DVDに焼いたり、外付けのハードディ
スクに移しかえたりしている。

 こうなると、そのパソコンの寿命は、さらに短くなる。私の予想では、多分、この秋ま
では、もたないと思う。本当は、明日にでも買いかえたいが、秋には、MS社から、BI
STA(OS)が、発売になる。それで「秋まで」と考えている。

 パソコンは、本当にデリケートな電気製品だと思う。電気製品というより、(生き物)の
ような感じがする。あちこちガタがきたF社製のパソコンを使っていると、そのガタが、
老化現象のようにさえ思えてくる。人間の老化現象と、パソコンの故障のし方は、よく似
ている。

 私も左肩の腱を切ってから、左上を、肩より高くあげられなくなった。道路を走ったり
すると、すぐ膝(ひざ)が、ガクガクし始める。一度に老化するのではなく、少しずつ、
あちこちが老化してくる。ガタがくる。パソコンもそうだ。

 しかしF社のそのパソコンは、当時、24万円もした。当時はまだ珍しかった、17イ
ンチのワイド画面のパソコンである。「捨てる」といっても、そうは簡単に捨てられない。
愛着がある。その点も、ふつうの電気製品とちがう。

 とにかく今は、もう少し使ってみるつもり。だましだまし……といった感じだが、今は、
がまんのとき。毎日、パソコンのカタログを見ながら……。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●夫婦げんか

++++++++++++++++++

夫婦げんかは、心にふりかける
スパイスのようなもの。

定期的にけんかをして、たがいに
さみしい思いをして、そしてまた
ヨリを戻す。

けんかはいやなものだが、しかし
ときには、それも必要なのかも?

++++++++++++++++++

 おととい、掃除のことで、ワイフと口論をした。けんかをした。私が不平をブツブツと
口にしながら、ワイフを手伝わせていると、ワイフがキレた。

 「うるさいわね。掃除は、私がするから、あなたは、あっちへ行っていてよ!」と。

 そういうときのワイフは、まるで別人のよう。一方、私は、そういうとき、すぐ家を出
たくなる。そういうクセがある。で、いくつかの捨てゼリフを残して、私は、外に出た。
雨が降っていた。が、そのまま、市内の職場に向かった。

 こういうときふつうの人なら、バスに乗っていくことを考える。しかし私は、ただひた
すら、歩く。歩きながら、何もかも忘れようとする。が、おとといは、はげしい雨。靴か
らズボンまで、すぐ、びしょ濡れになってしまった。それでも歩いた。

 しかし市内までは、7キロ近くもある。約3分の2ほどまで歩いたところで、ダウン。
足が痛くなった。近くにあった、バス停の屋根の下で休んでいると、バスが来た。私は、
そのまま、バスに乗った。

 私の中には、たしかに2人の人間がいる。二重人格者かもしれない。ふだんは、ユーモ
アがあって、ひょうきんな私だが、そういうときの私は、冷酷で、破滅的。「あんなヤツ、
明日、離婚してやる」とか、「このまま死んでやる」とか考える。

 が、職場に入ると、気分が、変わる。職場というより、子どもたちの声を聞くと、とた
んに変わる。それが私の仕事の、よいところ。1〜2分も、子どもたちとワイワイと騒い
でいると、ワイフのことなど、すっかり忘れてしまう。けんかのことなど、すっかり忘れ
てしまう。

 が、その日は、X曜日。毎週X曜日には、空き時間が1時間半ほどある。その時間の間、
私とワイフは、毎週、デートをすることにしている。街中でショッピングをしたり、食事
をしたりする。

 で、レッスンが終わるころ、つまり空き時間に近づくこと、それが気になりだした。「あ
いつ、今日は、来るだろうか?」と。

 そういうけんかをしたあとというのは、いつもなら、ワイフは、来ない。ワイフの精神
の完成度は、私より高い。情緒も安定しているし、自己管理能力も高い。おまけにがんこ。
気が強い。

 あきらめていると、ドアがあいて、ワイフが入ってきた。とたん、ポーッとしたうれし
さが、心の中に広がった。しかしそれを顔に出しては、おしまい。私は相変わらず不機嫌
な顔をしたまま、ワイフを無視した。

 ワイフはワイフで、教室のうしろのほうを掃除したり、子どもたちが散らかしたものを
片づけたりしていた。

 で、そのレッスンは、終わった。子どもたちを見送ったあと、私も外に出た。外に出て、
階段のところに腰をかけた。座った。座って、ワイフを待った。ワイフは、教室の中に、
そのまま。

 1分……、2分……。

 こういうとき、ワイフは、決して私のあとを追いかけてこない。私はすでに気分転換を
すませているが、ワイフはそうでない。あのけんかのときのまま。3分……、4分……。

 しかたないので、教室のドアをあけた。ワイフは、かがんで、何やら仕事をしていた。

 「おい、行くよ」と声をかけると、ワイフは、驚いたような様子で、「あら、あなた、ま
だいたの? もう行ってしまったかと思った」と。

 「おい、何か、おいしいものを食べるか?」「うん」と。

 外へ出ると、雨は小降りになっていた。

ワ「私、追いかえされるかと思った……」
私「そんなこと、したことないだろ」
ワ「ふ〜ん」
私「本当はね、お前が来てくれて、うれしかった……」と。

 ワイフも、このところ、急に気弱になった。そんな感じがする。若いころのワイフなら、
そのまま数日間くらいなら、私とは口もきかなかった。が、今は、ちがう。「追いかえされ
るかと思った」と。そんな気弱なことを言うようになった。

 そういうワイフが、いとおしかった。

私「お前が、そんなふうに言うなんて、信じられない。ぼくなんか嫌いなのだろ?」
ワ「それは、あなたの妄想よ。私、そんなふうには、思っていないもの」
私「もともと好きで結婚した相手でもないだろ?」
ワ「でも、もう35年もいっしょにいるのよ。そんなことないわよ」と。

 で、結局は、その日は、近くの店で、焼きそばを食べた。ワイフは、コーラを飲んだ。
そして私は、いつものようなバカ話を始めた。どうでもよいようなバカ話である。それを
聞いて、ワイフは、ケラケラと笑った。

 夫婦げんかはいやなもの。できるなら、したくない。そのときも、そう思った。しかし
夫婦でも、けんかもしなくなったら、おしまい。言いたいことも言えなくなったら、おし
まい。……というような自己弁解は、さておき、やはり、家庭の中は、平和であるほうが、
よい。もう夫婦げんかは、やめよう。ホント!


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●日米の金融制裁

++++++++++++++

アメリカによる、K国制裁が、
本格化してきた。
それに日本も同調し始めた。

危うし、K国!

+++++++++++++++

 2月1日、日本の金融機関は、マカオのバンコ・デルタ・アジア(=BDA)に対し、
自主的に取引停止に踏み切った。BDAは、K国の金融犯罪に関与した疑いが強いと米政
府が認定した銀行である。

 BDAは、アメリカ当局によると、K国の政府機関や関連企業と20年以上にわたって
取引しており、同行が違法活動している証拠を入手。K国当局者に協力して、米ドルの偽
札を含む現金を同行に預け入れ、市場に流通させるなどの違法行為をしていたとされる。

 これに対して、K国が、猛反発。「偽札づくりというのは、アメリカ政府のデッチあげ」
と息巻いている。が、悲しいかな、そんなK国の言い分を信ずるのは、韓国のN大統領だ
け。

 が、それですまない。アメリカはすでにつぎの手に、着手している。1月31日、アメ
リカは、「K国制裁草案」なるものを、公表した。それによると、(1)いかなる金融機関
もバンコ・デルタ・アジア銀行とは取り引きできなくなる。(2)BDA銀行が他の金融機
関を利用して、アメリカの金融システムにアプローチするのができなくなる、という。

言いかえると、「BDA及び同銀行が利用する金融機関と取り引きする金融機関は、アメリ
カのいかなる金融機関とも取り引きできない」ということになる。今回の日本の金融機関
の措置は、アメリカの草案を先取りしたものということになる。

 もっとわかりやすく言えば、BDAだけではなく、BDAと取り引きのある銀行すべて
が、制裁対象となる。つまりこうしてBDAから、他の銀行にK国の資金が流れるのを阻
止するだけでなく、事実上、それによってK国は、貿易を含め、対外活動ができなくなる。

 もちろんK国は、こうした措置に対して、さらに反発するだろう。しかし反発すればす
るほど、そこにまっているのは、さらに大きな国際社会からの制裁である。身のほど知ら
ずというか、K国には、もともと勝ち目はない。

 K国のGDPは、日本の山陰地方にある1つの県ほどもないという。それ以下かもしれ
ない。そんな国が、アメリカや日本を相手に、経済戦争をしても、勝てるわけがない。ど
うしてこんな簡単なことがわからないのかと思うが、そこは、K国。すべての常識が、ゆ
がんでいる。

 が、こんなことも言える。『窮鼠(きゅうそ)、猫をかむ』という。今のK国は、それを
逆手にとって、アメリカや日本に反発しているわけだが、本当に『猫をかむ』という状況
にならないともかぎらない。韓国に亡命している、F氏(K国元高官、金xxの側近)は、
「金xxには、その度胸はない」と言っているが、それもK国の窮乏状態にもよるのでは
……? 平均的勤労者の1か月分の給料が、0・7ドル(日本円で80円)という現状は、
それ自体が、すでに常識の範囲を超えている。

 ますます目が離せなくなったK国。ある日、東京のど真ん中で、核兵器が爆発してから
では遅い。そうならないように、私たち日本人はみな、今、K国問題から目をそらしては
いけない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================


☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 3日(No.695)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page004.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●依存性の強い子ども

++++++++++++++++

千葉県のAさんより、
こんな相談が届いています。
掲載許可をいただいていますので、
この問題を少し考えてみます。

(Aさんへ……xxxxx@ybb.ne.jp
のメールアドレスがまちがっているためか、
何度も返信を試してみたのですが、
宛て先不明で送り返されて
きました。で、こうして楽天の
日記のほうに、返事を書いて
おきます。ご了解下さい。)

++++++++++++++++

【Aよりはやし浩司へ……】

はじめまして。3か月ほど前より、先生のホームページなどを愛読しています。
4歳6か月の長男について相談します。

長男は優しく思いやりがあり、弟のことも大好きで、大切にしてくれています。ウルトラ
マンが大好きで、ウルトラマンみたいになりたいと、毎日戦いごっこや、習っている空手
の練習をしています。

ここ3か月ほどで、少しずつたくましくなっているようです。

2歳ごろまで体が弱く、何回も入院しました。また、初めての育児だったので、私は神経
質な心配先行型の子育てをしていたように思います。

人見知りがひどかったのですが、人なつっこい子になりました。こだわりの強さも消えた
ように思います。よい変化がみえますが、依然、とても依存心が強いのです。

この依存心の強さをこれから減らすことはできるでしょうか?
友達と遊ぶのは大好きですが、この年齢にもなったにもかかわらず、つるみたがります。「し
つこいなあ」と思うこともしばしばです。

3つ子のたましい・・というのですが、先生が書かれていた移行期でもあります。何かよ
いアドバイスがあれば、教えていただきたくメールいたしました。

  ここ数か月先生のホームページなどを参考に、こどもへの対応を変えてきたところ、
子どもがよい方向へと変化してきました。どうもありがとうございます。育児とはやはり
楽しいし、幸せだけど、むずかしくもありますね。(千葉県・A子、母親より)

【はやし浩司よりAさんへ……】

 多分に赤ちゃんがえりの症状が見られます。表面的な様子とは別に、心はいつも緊張状
態にあると考えて対処します。子どものばあい、(おとなもそうですが……)、嫉妬がから
むと、心はかなりゆがみます。

 赤ちゃんぽくなったりすることから、「赤ちゃんがえり」と言いますが、そのほか、攻撃
的になったり、服従的になったり、同情を買うようになったりします。依存性が強くなる
のも、その1つです。(最近、ものの考え方が、破滅的になった子どもの例を知りました。)

 加えて、乳幼児期の、心配先行型の育児姿勢が、子どもに依存性をもたせてしまったの
かもしれません。手のかけすぎから、慢性的な過保護状態になったとも考えられます。

 しかしわざわざ相談のメールをくださったということから、Aさんには、お子さんの(依
存性)が、もっともよく目だつのかもしれません。で、もしそうなら、私は、やはり「赤
ちゃんがえり」の、一様態ではないかと思います。

 こういうケースのばあいは、いくつか鉄則があります。

(1)求めてきたときが与えどき

 子どもが何か、スキンシップのようなものを求めてきたら、すかさず、いとわず、さっ
と与えるようにします。間をおくとよくありません。「あとでね……」とか、「今は、忙し
いのよ……」などというのも禁句です。さっと応じてあげます。ぐいと抱くだけでも効果
的です。たいてい1〜2分で、子どもは満足して、親から体をはずそうとします。コツは、
子どもに安心感を与えるようにすることです。

 あまりひどいようであれば、下の子には悪いですが、もう一度、100%の愛情を、上
の子に向けます。

(2)スキンシップを濃厚に

 機会を見つけて、スキンシップを濃厚に与えます。ベタベタなスキンシップがよいわけ
ではありません。ぐいと力強く抱くとか、そういうことでよいのです。ポイント的に与え
るのが、コツです。もし赤ちゃんがえりによる依存性なら、「なおす」ということは考えず、
「時期を待つ」という方法に切りかえるほうが、無難です。時期がくれば、自然と消えて
いくからです。ここで無理をすると、かえって症状をこじらせてしまいます。情緒を不安
定にしたり、精神そのものをゆがめることもあります。赤ちゃんがえりを、決して、軽く
考えてはいけません。

(3)食生活を調整する

 「情緒が不安定かな?」と感じたら、CA、MG、Kの多い食生活に切りかえます。わ
かりやすく言えば、海産物を中心とした献立に切りかえます。白砂糖の多い、甘い食品や、
リン酸が含まれた食品は、避けます。

 Aさんが、「しつこいなあ」と言われるほどですから、かなりしつこいのだろうと思いま
すが、しかし決して短気を起こしてはいけません。お子さんはお子さんなりに、安心感を
求めるために、そういう行動に出ているのです。が、Aさんの微妙な心を、敏感に読み取
って、心のどこかで不安感を覚えているのです。

 ですから対処のし方をまちがえると、症状はこじれ、思わぬほうに、ことが進んでしま
うかもしれません。なお、「弟が大好きで……」という部分が気になります。そんなはずは、
ないからです。心理学の世界にも、「反動形成」という言葉があります。少しだけ、注意し
て観察してみてください。ひょっとしたら、お子さんは、無意識のうちにも、仮面をかぶ
っているのかもしれません。

 反動形成についての原稿を、添付しておきます。

++++++++++++++++

【反動感情】

●反動感情

 人は、ときとして、本当の自分の心を隠し、それと正反対の感情をもつことがある。私
は、これを勝手に「反動感情」と呼んでいる。

心理学の世界には、「反動形成」という言葉がある。反動形成というのは、自分の心を抑
圧すると、その反動から、正反対の自分を演ずるようになることをいう。

たとえば性的興味を押し殺したような人は、他方で、人前では、まったく性には関心が
ないように振るまうのが、それ。性に対して、ある種の罪悪感をもった人が、そうなり
やすい。たとえば牧師や教師など。ほかに、たとえば神経質な人が、外の世界では、お
おらかな人間のフリをするのも、それ。よく知られた例としては、上の子どもが、下の
子どもに対して、思いやりのある、やさしい兄(姉)を演ずるのがある。その反動形成
に似ているから、「反動感情」とした。

●Aさんのケース

 私がAさん(三四歳女性、当時)に会ったのは、私が四〇歳くらいのことだった。もと
もとは奈良県の生まれの人で、夫の転勤とともに、このH市にやってきた。どこかその古
都の雰囲気を感じさせる、静かな人だった。Aさんは、いつもこう言っていた。「私は、夫
を愛しています」「娘を愛しています」と。

 当時、「愛する」という言葉を、ふだんの会話の中で使う人は、それほど多くはなかった。
それで私の印象に強く残ったのだが、話を聞くと、どうもそうではなかった。つまり私は
最初、Aさんの家庭について、心豊かな、愛に包まれた、すばらしい家族を想像していた。
が、そうではなかったということ。

 Aさんは、不本意な結婚をした。そしてそのまま、不本意な子どもを産んだ。それがそ
のとき六歳になる娘だった。

Aさんには、結婚前に、ほかに好きな人がいたのだが、ささいなことがきっかけで、別
れてしまった。今の夫と結婚したのは、その好きな人を忘れるため? あるいは、その
好きな人に、腹いせをするため? ともかくも、それを感じさせるような、どこか、ゆ
がんだ結婚だった。

 Aさんは、夫とは、フィーリングが合わなかった。合わなかったというより、「(信仰を
始める前までは)、夫の体臭をかいだだけで、気持ちが悪くなったこともある」(Aさん)
という。が、離婚はしなかった。……できなかった。Aさんの実家と、夫の実家は、同業
で、たがいにもちつ、もたれつの関係にあった。離婚すれば、ともに実家に迷惑がかかる。

 そこでAさんは、キリスト教系宗教団体に入信。そのまま熱心な信者になった。そして
その教え(?)に従い、「愛する」という言葉を、よく使うようになった?

●反動形成

 たとえばあなたがXさんを、嫌ったとする。そのときXさんと、それほど近い関係でな
ければ、あなたは、そのままXさんと距離をおくことで、Xさんを忘れようとする。「いや
だ」という感覚を味わうのは、不愉快なこと。人は、無意識のうちにも、そういう不快感
を避けようとする。

 が、そのXさんと、何かの理由で離れることができないときは、一時的には、Xさんに
反発するものの、やがて、それを受け入れ、反対に、自分の心の中で、反対の感情を作ろ
うとする。反対の感情を作ることで、その不快感を克服しようとする。これが私がいう、「反
動感情」である。このばあい、あなたはXさんを、積極的に自分の心の中に入れこもうと
する。わかりやすく言えば、好きになる。(正確に言えば、好きだというフリをする。)好
きになることで、不快感を克服しようとする。

 よくある例としては、(1)相手につくし、服従する方法。(2)相手に対して敗北を認
め、自分を劣位に置く方法。(3)自分の弱さを強調し、相手の同情を誘う方法などがある。
自分という「主体」を消すことで、相手に対する感情を消す。そして結果的に、「好き
(affection)」という状態をつくるが、このばあい、「好き」といっても、それはネガティブ
な好意でしかない。若い男女が、電撃的に打たれるような恋をしたときに感ずるような、「好
き(love)」とは、異質のものである。

 特徴としては、自虐的(自分さえ犠牲になれば、それですむと考える)、厭世的(自分や
社会は、どうなってもよいと考える)な人間関係になる。これに関してよく似たケースに、
「ストックホルム症候群」※というのがある。これはたとえば、テロリストの人質になっ
たような人が、そのテロリストといっしょに生活をつづけるうち、そのテロリストに好意
をいだくようになり、そのテロリストのために献身的に働き始めるようになることをいう。

 先にあげたAさんのケースでも、Aさんは、口グセのように、「愛しています」と、よく
言ったが、どこか不自然な感じがした。あるいは、Aさんは、そう思いこんでいただけな
のかもしれない。Aさんは、夫や子どもに尽くすことで、自らの感情を押し殺してしまっ
ていた?

●偽(にせ)の愛

 Aさんが口にする「愛」は、反動感情でつくられた、いわば偽の愛ということになる。
しかし夫婦はもちろんのこと、親子でも、こうした偽の愛を、本物の愛と信じ込んでいる
人は、いくらでもいる。

 Bさん(四〇歳女性)は、こう言った。夫が、一週間ほど、海外出張で上海へ行くこと
になったときのこと。「飛行機事故で死んでくれれば、補償金がたくさんもらえますね」と。
「冗談でしょ?」と言うと、ま顔で、「本気です」と。しかしそのBさんにしても、表面的
には、仲のよい夫婦に見えた。たがいにそう演じていただけかもしれない。そこで「じゃ
あ、どうして離婚しないのですか?」と聞くと、「私たちは、そういう夫婦です」と。

 親子でも、そうだ。C氏(四五歳男性)は、高校生になる息子と、家の中では、あいさ
つすらしなかった。たがいに姿を見ると、それぞれの部屋に姿を、隠してしまった。しか
しC氏は、人前では、よい親子を演じた。演ずるだけではなく、息子が中学生のときは、
その学校のPTAの副会長まで努めた。

 一方、息子は息子で、ある時期まで、父親に好かれようと、懸命に努力した。私がよく
覚えているのは、その息子がちょうど中学生になったときのこと。父親に、敬語を使って
いたことだ。父親に電話をしながら、「お父さん、迎えにきてくださいますか」と。

 しかしこうした偽の愛は、長くはつづかない。仮面をかぶればかぶるほど、たがいを疲
れさせる。問題は、そのどちらかが、その欺瞞(ぎまん)性に気づいたときである。今度
は、その反動として、その絆(きずな)は粉々にこわれる。もっともそこまで進むケース
は、少ない。たいていは、夫婦であれば、どちらかが先に死ぬまで、その偽の愛はつづく。
つづくというより、もちつづける。

 ここまで書いて、ヘンリック・イプセンの「人形の家」を思い出した。娘時代は、親の
人形として生活し、結婚してからは、夫の人形として生活した、ある女性の物語である。
その中でも、よく知られた会話が、夫ヘルメルと、妻ノラの会話。

ヘルメルが、ノラに、「(家事という)神聖な義務を果せ」と迫ったのに対して、ノラは
こう答える。「そんなこともう信じないわ。あたしは、何よりもまず人間よ、あなたと同
じくらいにね」(「人形の家」岩波書店)と。そのノラが、親に感じていた愛、あるいは
夫に感じていた愛が、ここでいう反動感情で作られた愛ではないかということになる。
もし、ノラが「愛」のようなものを感じていたとしたら、ということだが……。

 しかしこの問題は、結局は、私たち自身の問題であることがわかる。私たちは今、いろ
いろな人とつきあっている。が、そのうちの何割かの人たちは、ひょっとしたら、嫌いで、
本当は、つきあいたくないのかもしれない。無理をしてつきあっているだけなのかもしれ
ない。あるいは「私はそういうつきあいはしていない」と、自信をもって言える人は、い
ったい、どれだけいるだろうか。

 さらにあなたの子どもはどうかという問題もある。あなたの子どもは、あなたという親
の前で、ごく自然な形で、自分をすなおに表現しているだろうか。あるいは反対に、無理
によい子ぶっていないだろうか。そしてそういうあなたの子どもを見て、あなたは「私た
ちはすばらしい親子関係を築いている」と、思いこんでいないだろうか。ひょっとしたら、
あなたの子どもは、あなたと良好な関係にあるフリをしているだけかもしれない。本当は
あなたといっしょに、いたくない。いたくないが、し方がないから、いっしょにいるだけ、
と。もしあなたが、「うちの子は、いい子だ」と思っているなら、その可能性は、ぐんと高
くなる。一度、子どもの心をさぐってみてほしい。
(030314)

※ストックホルム症候群……スウェーデンの首都、ストックホルムで起きた銀行襲撃
事件に由来する(一九七三年)。その事件で、六日間、犯人が銀行にたてこもるうち、
人質となった人たちが、その犯人に協力的になった現象を、「ストックホルム症候群」
と呼ぶ。のちにその人質となった女性は、犯人と結婚までしたという。

※イプセンの「人形の家」……自己の立場と、出世しか大切にしない夫、ヘルメル。
好意でしたことをののしられてから、ノラは、一人の人間としての自分に気づく。そ
れがここに取りあげた会話。最後に、ノラは、偽善的な夫に愛想をつかし、ヘルメル
と、三人の子どもを残して、家を出る。

【付記】

 父親に虐待されていた子ども(小二男児)がいた。いつも体中に大きなアザを作ってい
た。そこでその学校の校長が、地元の教育委員会に相談。児童相談所がのり出して、その
子どもを施設へ保護した。

 が、悲しいかな、そこが子ども心。そんな父親でも、施設の中では、「お父さんに会いた
い、会いたい」と泣いていたという。そこで相談員が、「あなたはお父さんのことを好きな
の?」と聞くと、その子どもは、「好き」と答えたという。

 こうした子どもの心理も、反動感情で説明できる。つまり父親の虐待に対して、その子
どもは、本当の自分の感情とは反対の感情をもつことで、与えられた状況に適応しようと
した。その子どものばあい、「いやだ」と言って、家を飛びだすわけにもいかない。また父
親に嫌われたら、生きていくことすらできない。そこでその子どもは、「好きだ」という感
情を、自分の中につくることで、自分の心を防衛したと考えられる。
(はやし浩司 反動形成 子どもの心理)


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

++++++++++++++

子育て相談を、特集してみました。

++++++++++++++

(1)子どものウソ

Q 何かにつけてウソをよく言います。それもシャーシャーと言って、平然としています。(小二
男)

A 子どものウソは、つぎの三つに分けて考える。(1)空想的虚言(妄想)、(2)行為障
害による虚言、それに(3)虚言。空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくり
あげ、それをあたかも現実であるかのように錯覚してつく、ウソのことをいう。行為障害
による虚言は、神経症による症状のひとつとして考える。習慣的な万引きや、不要なもの
を集めるなどの、随伴症状をともなうことが多い。

これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して考える。

ふつうウソというのは、自己防衛(言いわけ、言い逃れ)、あるいは自己顕示(誇示、吹
聴、自慢、見栄)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚
がある。

母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せな
さい」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから…」と。
 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソを
つく。「ゆうべ幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのが、それ。  

その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空
想的虚言という。こんなことがあった。

 ある日一人の母親から、電話がかかってきた。ものすごい剣幕である。「先生は、うちの
子の手をつねって、アザをつくったというじゃありませんか。どうしてそういうことをす
るのですか!」と。私にはまったく身に覚えがなかった。そこで「知りません」と言うと、
「相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 結局、その子は、だれかにつけられたアザを、私のせいのにしたらしい。

イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせ
てはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその
空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、
現実と空想の間に垣根がなく、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界
に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、
それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シ
ャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、特徴である。

 どんなウソであるにせよ、子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうし
て」だけを繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に
子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソの世界に入ってい
く。
(はやし浩司 子供の嘘、虚言癖 ウソ 嘘)


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

(2)勉強の遅れ

Q 学年がかわり、勉強の遅れが目立ってきました。このままでは、うちの子はどうなるかと、
心配
でなりません。(小四女)

A アメリカでは、学校の先生が、子どもに落第をすすめると、親は、喜んでそれに従う。
「喜んで」だ。これはウソでも誇張でもない。反対に子どもの学力が心配だと、親のほう
から落第を求めていくこともある。「まだうちの子は、進級する準備ができていない」と。
アメリカの親たちは、そのほうが子どものためになると考える。

 日本では、そうはいかない。いかないことは、あなた自身が一番よく知っている。しか
し、二〇年後、三〇年後には、日本もそうなる。またそういう国にしなければならない。
意識というのはそういうもので、あなたが今もっている意識は、普遍的なものでも、また
絶対的なものでもない。

 さて、もし子育てで行きづまりを覚えたら、子どもは『許して忘れる』。英語では、「フ
ォ・ギブ(許し)・アンド・フォ・ゲッツ(与える)」という。つまり「(子どもに)愛を与
えるために、許し、(子どもから)愛を得るために、忘れる」ということになる。子どもを
どこまで許し、どこまで忘れるかで、親の愛の深さが決まる。子どもの受験勉強で狂奔し
ているような親は、一見、子どもを愛しているかのように見えるが、その実、自分のエゴ
を子どもに押しつけているだけ。自分の設計図に合わせて、子どもを思いどおりにしたい
だけ。しかしそれは、真の愛ではない。

 否定的なことばかり書いたが、勉強だけがすべてという時代は、もう終わりつつある。(だ
からといって、勉強を否定しているのではない。誤解のないように!) 重要なのは、そ
のときどきにおいて、子どもが、いかに心豊かに、自分を輝かせて生きるかということ。
その中身こそが、大切。

 相談のケースでは、何かほかに得意なことや、特技があれば、それを前向きに伸ばすよ
うにする。子どもには、「あなたはサッカーでは、だれにも負けないわよね」というような
言い方をする。子どもの世界には、『不得意分野を伸ばすより、得意分野を、さらに伸ばせ』
という鉄則がある。子どもというのは不思議なもので、ひとつのことに秀でてくると、ほ
かの分野も、ズルズルと伸び始めるということが、よくある。

 さらにこれからは、一芸がものをいう時代。ある大手の自動車会社の入社試験では、学
歴は不問。そのかわり面接では、「君は何ができる?」と聞かれるという。そういう時代は、
すぐそこまできている。

 ところで『宝島』という本を書いた、R・スティーブンソンは、こう言っている。『我ら
の目的は、成功することではない。失敗にめげず前に進むことだ』(語録)と。あなたの子
どもにも、一度、そう言ってみてはどうだろうか。
(はやし浩司 学習 学習の遅れ 遅進)


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

(3)好きになれない

Q 自分の子どもですが、どうしても好きになれません。いい親を演ずるのも、疲れました。

A 不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」と、
どうしても気負いが強くなる。しかしこの気負いが強ければ強いほど、親も疲れるが、子
どもも疲れる。そしてその「疲れ」が、親子の間をギクシャクさせる。

 子どもが好きになれないなら、なれないでよい。無理をしてはいけない。大切なことは、
自然体で子どもと接すること。そして子どもを、「子ども」としてみるのではなく、「友」
としてみる。「仲間」でもよい。実際、親離れ、子離れしたあとの親子関係は、友人関係に
近い関係になる。いつまでもたがいに、ベタベタしているほうが、おかしい。

 ただ心配なのは、あなた自身に、何か心のわだかまりがあるとき。「ゆがめられた意識」
と私は呼んでいる。トラウマ(精神的外傷)といえるほど大きなキズではない。しかし、
しこりはしこり。心のひずみのようなもので、そのためものの考え方が、どこかゆがんで
くる。そのわだかまりが、そのつど潜在意識となって、あなたの子育てを、裏からあやつ
る。もしあなたが子育てをしていて、いつも同じ失敗を繰りかえすというのであれば、こ
のわだかまりを疑ってみたらよい。

たいていは、望まない結婚であったとか、予定していなかった子どもであったとか、な
ど。ある母親はふだんは、静かな女性だったが、子どもが何かを失敗するたびに、「あん
たさえいなければ!」と叫んで、子どもをはり倒していた。
ほかにあなた自身の問題として、親の愛に恵まれなかったとか、家庭が不安定であった
とかいうこともある。

この問題は、そういうわだかまりがあるということに気がつくだけでも、そのあと多少
時間はかかるが、解決する。まずいのは、そのわだかまりに気がつかないまま、そのわ
だかまりに振りまわされること。そのわだかまりが、虐待の原因となることもある。

 今、「自分の子どもとは気があわない」と、人知れず悩んでいる親は多い。東京都精神医
学総合研究所の調査によっても、そういう母親が、七%はいるという。しかもその大半が、
子どもを虐待しているという(同調査)。

 あるいは兄弟でも、「上の子は好きだが、下の子はどうしても好きになれない」というケ
ースもある。ある母親はこう言った。「下の子は、しぐさから、目つきまで、嫌いな義父そ
っくり。どうしても好きになれません」と。

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どもの
うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。もしあなたがこのタイプの親なら、
あなたは友として子どもの横を歩くことだけを考える。あとは肩の力を抜いて、自然体で
進めばよい。一〇年後、二〇年後には、あなたは必ず、すばらしい親になっている。
(はやし浩司 子供を愛せない 育児問題)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●無知の知

++++++++++++++

私は物知りだと思っている人ほど、
本当は無知なのかもしれない。

「この世の中には、私の知らない
ことが山ほどある」と思っている
人ほど、物の道理をよく知っている
のかもしれない。

『サイエンスウェブ』という科学
雑誌を読んでいたとき、ふと、
そんなことを感じた。

++++++++++++++

『無知の知』という言葉がある。ソクラテス自身が述べた言葉という説もあるし、ソク
ラテスにまつわる話という説もある。どちらにせよ、「私は何も知らないということを知
ること」を、無知の知という。

 ソクラテス(?)は、「まず自分が何も知らない」ということを自覚することが、知るこ
との出発点だと言った。

 実際、そのとおりで、ものごとというのは、知れば知るほど、その先に、さらに大きな
未知の分野があることを知る。あるいは新しいことを知ったりすると、「どうして今まで、
こんなことも知らなかったのだろう」と、自分がいやになることもある。

 少し話はそれるが、こんなことがあった。

 子ども(年長児)たちの前で、カレンダーを見せながら、「これは、カーレンジャーとい
います」と教えたら、子どもたちが、こう言って、騒いだ。「先生、それはカーレンジャー
ではなく、カレンダーだよ」と。

 で、私は、「君たちは、子どものクセに、カーレンダーも知らないのか。テレビを見てい
るんだろ?」と言うと、一人の子どもが、さらにこう言った。「先生は、先生のくせに、カ
レンダーも知らないのオ?」と。

 私は一応、ま顔のフリをしていたが、もちろん、冗談。しかし子どもたちは、真剣だっ
た。その真剣さの中に、私はソクラテスが言ったところの、「無知」を感じた。

 しかしこうした「無知」は、何も、子どもの世界だけの話ではない。私たちおとなだっ
て、無数の「無知」に囲まれている。ただ、それに気づかないでいるだけである。そして
その状態は、庭に遊ぶ犬と変らない。

 そう、私たち人間は、「人間である」という幻想に、あまりにも、溺れすぎているのでは
ないか。利口で賢く、すぐれた生物である、と。

 しかし実際には、人間は、日光の山々に群れる、あのサルたちと、それほど、ちがわな
い? 「ちがう」と思っているのは、実は、人間たちだけで、多分、サルたちは、ちがわ
ないと思っている。

 同じように人間も、仮に自分たちより、さらにすぐれた人間なり、知的生物に会ったと
しても、自分とは、それほど、ちがわないと思うだろう。自分が無知であることにすら、
気づかない。

 何とも話がこみいってきたが、要するに、「私は愚かだ」という視点から、ものを見れば
よいということ。いつも自分は、「バカだ」「アホだ」と思えばよいということ。それが、
結局は、自分を知ることの第一歩ということになる。

++++++++++++++++

 最近新しく発刊された、『サイエンスウェブ』(06・3月号)という雑誌を買ってきた。
私はもともと理科系の人間である。(自分で、そう思っているだけかもしれないが……。)
今月号の特集は、ES細胞、BSE問題、衛星タイタンの表面、そして日本の有人宇宙飛
行構想。どの記事も、おもしろかった。

 しかしどれも読めば読むほど、その一方で、自分が小さくなっていくのを感じた。どれ
も私とは無縁の世界のできごとばかり。それにそこに書かれている専門用語にしても、私
の知らない言葉ばかり。

 たとえばP70〜では、「スギ花粉症のメカニズム」を説明しているが、(抗原提示細胞)
(Th2リンパ球)(Bリンパ球)(マスト細胞)などなど、私には、知らない単語ばかり。
わかりやすく言えば、私の知っている世界など、この広い世界では、ほんの一部の、その
また一部に過ぎない。それを改めて、思い知らされた。

 ソクラテス(?)は、『無知の知』という言葉を残したが、それを知ったとき、ソクラテ
スは、どんな気持ちになったのだろう。ひょっとしたら、恐ろしいほどの無力感を覚えた
かもしれない。

 つまりは、私たちは、いつも謙虚でなければならないということ。いつ、どこでも、そ
してだれに対しても、だ。私たちが知っていることよりも、知らないことのほうが、はる
かに多い。それをいつも心のどこかで、自覚する。

 ごう慢になったら、負け。独善的、独断的になったら、負け。自分勝手で、わがままに
なったら、負け。おかしなことだが、『サイエンスウェブ』を読んでいたとき、私は、そん
なことを感じた。無知の知を教えてくれるには、とてもよい雑誌だと思う。印刷もきれい
だが、値段も安い。790円。みなさんも、ぜひ、どうぞ!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●ロバート・デニーロの『タクシー・ドライバー』

+++++++++++++++++

ロバート・デニーロ主演の、『タクシー・ドライバー』を
見る。

それには、フカ〜イ、理由がある。……あった。

+++++++++++++++++

 私が今、着ているジャンパーには、大きなワッペンがついている。左側の腕のところで、
それには、こう書いてある。「King Kong Company」と。中央に、ゴリラ
の絵が描いてある。

 それだけではない。

 右胸には、アメリカ海軍(海兵隊)の紋章。そして背中には、「BICKLE. T」と
買いてある。

 そのワッペンを見ながら、生徒たちが私によく聞く。「どうしてゴリラの絵が描いてある
の?」と。

 しかし私にもわからない。「キング・コング会社」という会社のワッペンにしては、少し、
おかしい。で、適当に、「これは動物園の人が着るジャンパーだよ」とか、「先生は、ゴリ
ラだ」とか、言っていた。そのジャンパーは、私のお気に入り。小さな虫の食った穴が、
2、3か所ある。が、見た目には、わからない。

 もともとは、長男が着ていたものだが、私が譲り受けた。……というより、「小さくて着
られなくなった」というような雰囲気で、戸棚につってあったので、そのまま私が勝手に
着始めた。

 で、いつの間にか、私のものになった。が、着心地は、あまりよくなかった。長男に、
いつ、「返せ」と言われるか、ハラハラしていた。

 ところが、である。

 今日の朝、長男が、私が着ているジャンパーを見て、こう言った。

「パパねえ、そのジャンパーね……」と。

 瞬間、ドキッとした。が、長男は、こうつづけた。

「そのジャンパーね、ロバート・デニーロが着ていたものだよ」と。

 瞬間、そのドキッが、別のドキッに変わった。

私「何だって?」
長「知らなかったの?」
私「知らない……。本当か?」
長「タクシー・ドライバーという映画の中で、ロバート・デニーロが着ていたジャンパー
だよ。限りなく本物に似せた、ニセモノだけどね」と。

 というわけで、さっそく、私は、『タクシー・ドライバー』を見ることにした。が、古い
映画である。近くのビデオショップへ行ってみた。が、どこにあるか、わからなかった。
店員に聞いていると、横に立っていた男性(40歳くらい)が、「ここにありますよ」と教
えてくれた。

 見ると、一番下の段に、あった。

 『タクシー・ドライバー』……どこか暗い、ドライバー。人生のどん底を、はうように
生きている男の物語。が、それでもその男は、生きがいをどこかに求めている。

 最初は、選挙運動事務所の女性に恋をする。つづいて、若い娼婦の救出をめざす。ロバ
ート・デニーロと共演する若い女性は、あのジュディ・フォスター。彼女の初々(ういう
い)しさが美しい。

 ……というわけで、映画の話は、どうでもよい。私が着ているジャンパーが、同じかど
うかが、問題。そこで最初から最後まで、『タクシー・ドライバー』を見る。

 で、その結果だが、答えは、YES! 同じだった。テレビの画面上の色とは、多少違
っていたが、それは、テレビのほうに問題があったためかもしれない。同じジャンパーが
画面に出るたびに、そのジャンパーを見ながら、ほほう、ほほう、と、私はうなずいた。

 ……ということで、この話は、おしまい。今度から生徒たちが、「どうしてゴリラの絵が
描いてあるの?」と聞いたら、こう言ってやるつもり。

 「これはね、ロバート・デニーロが、『タクシー・ドライバー』という映画の中で着た、
ジャンパーだよ。知らなかったの?」と。

 さぞかし気持ちのよいことだろう。ハハハ。ただしその映画は、子どもが見るような映
画ではない。念のため。

 なお「company」というのは、陸軍の中隊を意味する。長男の話では、「King 
Kong Company」というのは、キング・コング戦車部隊のことだそうだ。


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

●A外務大臣

++++++++++++++++++

A外務大臣が、靖国神社参拝問題に関連し、
「天皇陛下による参拝が一番だ」と述べた
という。

「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば
言うだけ、行かざるを得なくなる。

『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ。

黙っているのが、一番』と、も。
(中日新聞・1・29)

++++++++++++++++++

 A外務大臣は、こう述べたという。

 「(靖国神社に)まつられている英霊の方からしてみれば、天皇陛下のために『万歳』と
言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです。だったら、天皇陛下の参拝、そ
れが一番」「天皇陛下による参拝が一番だ」と。

 この発言には、いくつかの重大な問題が隠されている。それらを順に考えてみたい。

(1)天皇は、外務大臣のあやつり人形なのか?

 この発言を聞いて、一番驚いているのが、天皇自身ではないのか。A外務大臣が、天皇
の意思や意向を聞いた上で、こうした発言をしたのなら、まだわかる。しかしそういった
プロセスを、何も経ないで、いきなり「天皇陛下による参拝が一番だ」とは!

 もしあなたが天皇なら、何と答えるだろうか。どう考えるだろうか。あるいはもっと卑
近な例で考えてみよう。もしだれかがあなたに、「子育ての最中にあるのだから、あなたに、
菅原道真(すがわらのみちざね)の神社を参拝してもらいます。それが一番だ」と言った
ら、あなたは、どう答えるだろうか。

 天皇の内心のことは、私にもわからない。しかし天皇のほうから、そういった希望でも
出されているのなら、まだしも、そういった希望を確認しないまま、外務大臣(ごとき)
が、そういう発言をすることは、許されない。少なくともそういった天皇自身の希望は、
外の世界の私たちには、届いていない。

(2)天皇の戦争責任を追及した言葉にならないのか?

「天皇陛下のために『万歳』と言ったのであって、総理大臣万歳と言った人はゼロです」
という発言は、そのまま、天皇に対する戦争責任を追及した言葉になってしまう。自民
党政権としては、絶対に容認できない発言のはず。わかっていても、それを口にしたら、
おしまい……というのが、この発言である。それを、A外務大臣は、公(おおやけ)の
場で、堂々と口にしてしまった。

 A外務大臣のみならず、K首相は、この発言に対して、どう責任を取るつもりなのだろ
う? 軽率といえば、軽率。

 私が知るかぎり、戦場の日本兵たちは、多くは、最後は、「お母さん!」とか、「お父さ
ん!」とか言って死んでいったという。「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった兵
隊は、少なかったという。

 が、それでも「天皇陛下、バンザイ!」と言って死んでいった、日本兵がいなかったわ
けではないだろうと思う。が、そのことには、歴代の戦後政権は、あえて触れないで、今
までやってきた。もしそれが事実と認めてしまうと、その戦争責任は、まっすぐ、天皇に
向かってしまう。

(3)『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ、とは?

 人格の完成度は、自己管理能力などによって決まる。自己管理能力のある人を、人格の
完成度の高い人という。

 が、A外務大臣は、「中国が、(靖国参拝を反対と)言えば言うだけ、行かざるを得なく
なる。『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、吸いたくなるのと同じ」(中日新聞)と。

 新聞記事なので、不正確かもしれない。しかし「『たばこを吸うな、吸うな』と言われ、
吸いたくなるのと同じ」という日本語は、正しくない。正しくは、「『たばこを吸うな、吸
うな』と言われると、かえって吸いたくなるのと同じ」である。

 それはともかくも、この自己管理能力のなさこそが、問題である。私やあなたのような
凡人ではない。外務大臣という、日本を代表する人物である。そういう人物が、自己管理
能力のなさを、やはり堂々と自ら公表している。このおかしさ。この奇怪さ。

 しかも、中国や韓国に対して、「黙っているのが、一番!」とは! わかりやすく言えば、
A外務大臣は、中国や韓国に対して、「ごちゃごちゃ言わずに、黙っていろ」と発言したに
等しい。このごう慢さ。この高慢さ。

 おかげでこれから先、しばらく、日中関係、日韓関係は、ますます冷えこむことになる
だろう。私の知ったことではないが、しかし、外務大臣ともあろう大臣が、率先して、近
隣諸国との関係を悪化させるとは! 私も、ここまで日本の政治家たちの知的レベルが低
いとは、思ってもみなかった。

(3)靖国神社参拝問題

 「英霊」「英霊」と言うくらいなら、今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲ
リラ戦でも、何でも、しかけたらよい。それが「英霊」の意思を尊重する、もっともわか
りやすい方法である。先の戦争では、300万人以上もの日本人が死んでいる。しかもそ
の大半は、アメリカ軍を中心とする連合軍によって殺されている。

 しかしA外務大臣ですら、ひょっとしたら、英霊意識など、どこにもないのではないか。
「英霊」ということにしておかないと、まずいから、そう言っているだけではないのか。
もっとわかりやすく言えば、あの戦争は、勝ち目のない、愚かな戦争だった。

 あの戦争では、多くの日本人がだまされ、(だまされたのだぞ!)、戦場に駆り出され、
そしてその犠牲者となっていった。つまり「英霊」という言葉は、当時の軍部たちが、自
分たちの責任を覆い隠すために使った言葉にすぎない。「英霊」と祭りあげることによって、
「戦争を起こしたのは、国民であって、政府ではない」という形をつくった。つまり責任
を国民に、押しつけた!

 それを今になってもち出して、あの戦争を肯定することは、許されない。中には、「あの
とき戦争をしなかったら、日本は、欧米諸国の植民地になっていた」と説く人もいる。「ソ
連の進攻を食い止めるために、日本軍は中国で戦った」と説く人もいる。

 なら、百歩譲って、もしそうなら、戦後の今の日本は、何かということになる。GHQ
によって、完全に占領され、アメリカの植民地以上の植民地になってしまった。だから私
はまた同じことを言う。

 「今からでも遅くないから、アメリカ軍に対して、ゲリラ戦でも、何でも、しかけたら
よいのではないか」と。A外務大臣、あなたがまず、その見本を見せてほしい。

 ……と、どうも、この問題を考えていくと、頭の中が混乱してくる。わけがわからなく
なってくる。みなが、何かをごまかすために、あるいは何かを隠すために、ものごとを遠
巻きに議論している。そんな感じさえする。

 あえて言うなら、今の皇太子妃の例を見てもわかるように、「天皇」「天皇」と、何もか
も、その負担を、天皇家に押しつけないことこそ大切ではないのか。「天皇だってふつうの
人間」という部分をねじまげて、あれこれと議論するから、話がおかしくなる。これ以上、
天皇や天皇家の人々を苦しめて、どうする。今度のA外務大臣の発言の底流には、そんな
問題も隠されている。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================
















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 3月 1日(No.694)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page003.html

★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525


【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

親と先生の信頼関係が壊れるとき 

●先生の悪口はタブー

 子どもに「内緒よ」「先生には話してはダメよ」と言うのは、「先生に話しなさい」と言うのと
同じ。子どもは先生の前では、絶対に隠しごとができない。英語の格言にも、『子どもは家の中
のことを、通りで話す』というのがある。先生は先生で、この種の話には敏感に反応する。だい
たいにおいて、親が子どもと接する時間よりも、先生が子どもと接する時間のほうが長い。だ

ら、子どもの前では、学校の批判や先生の悪口は、タブー中のタブー。言えば言ったで、必ず

れは先生に伝わる。それだけではない。以後、子どもは先生の指導に従わなくなる。

●先生とて生身の人間

 ……というようなことは、以前どこかの本にも書いた。ここではその次を書く。一度、親と教
師の信頼関係が崩れると、先生自身は、急速にやる気をなくす。一般の人は学校の先生を、
神様
か牧師のように思っているかもしれない。が、先生とて生身の人間。やる気をなくしたら、その
影響は、必ず子どもに及ぶ。教育というのは、手をかけようと思えば、いくらでも手をかけられ
る。しかし手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリント学習だけですまそうと思
えば、それもできる。プリント学習ほど、教える者にとって楽な教育はない。ここが教育のこわ
いところだが、親にはそれがわからない。一方で先生の悪口を言いながら、「うちの子のめん

うを、しっかりみろ」は、ない。

 たとえばこんなことを言う子ども(小二男児)がいた。「三年になっても、今の先生のままだ
ったら、校長先生に言って、先生を変えてもらうって、ママが言っていた」と。私が「どうして?」
と聞くと、「だって今の先生は、教え方がヘタクソだもん」と。もしあなたが先生で、子どもが
そう話しているのを聞いたら、どう感ずるだろうか。あなたはそれでも、怒りや悔しさを乗り越
えて、教育に専念できるだろうか。

●先生との信頼関係が子どもを伸ばす

 日本では、勉強を教えるのが教育ということになっている。どこかに「学歴」を意識したもの
だ。が、大切なのは、人間関係だ。この人間関係こそが、真の教育なのだ。J君は、小学生の

き、ブラスバンド部に入り、そこで指導をしてくれた先生から、大きな影響を受けた。E君は、
中学生のとき、ペットボトルで二段式のロケットを作って、市長賞を受賞した。やはりそのとき
指導してくれた先生から、大きな影響を受けた。J君は、高校生になったとき、ある電気メーカ
ーの主催する作曲コンクールで全国大会に出場したし、E君は今、宇宙工学をめざして、今、

の講座のある大学に通っている。もしJ君やE君が、これらのよい先生にめぐりあわなければ、
今の彼らはない。教育というのは、そういうものだ。では、どうするか。

●「よい先生」をクチグセに!

 子どもの前では、「あなたの先生はすばらしい」「よい先生だ」だけを繰り返す。子どもが悪口
を言っても、「それはあなたたちが悪いからでしょう」とたしなめる。そういう親の姿勢が先生
に伝わったとき、先生もやる気を出す。信頼には信頼でこたえようとする。多少の苦労ならいと
わなくなる。仮に先生との間で何か問題が起きたとしても、それは子どもとは関係のない世界
で、
子どもの知らないところで処理する。子どもに相談するのもタブー。損か得かという言い方はあ
まり好きではないが、しかしそのほうが子どもにとって得なことは、言うまでもない。


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

教師言葉を理解する法(言葉は裏から読め!)

教師が教師言葉を使うとき

●運動は活発ですが……

 子ども(小二男児)がもらう成績表の通信欄。そこには、こうある。「運動は活発にできまし
た。授業にも集中できるようになりました。一学期は飼育係をし、友だちと協力して動物を育
て、
思いやる心を学びました。二学期は学習面での飛躍が期待されます」と。

●教師言葉

 この世界には、「教師言葉」というのがある。先生というのは、奥歯にものがはさまったよう
な言い方をする。たとえば能力が遅れている子どもの親には、決して「能力が遅れています」と
は言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。こういうとき先生は、「お
宅の子どもは、運動面はすばらしいのですが……(勉強は、さっぱりできない)」「私のほうでも
努力してみますが……(家庭で何とかしてほしい)」と言う。あるいは問題のある子どもの親に
向かっては、「先生方の間でも、注目されています……(悪い意味で目立つ)」「元気で活発な

はいいのですが……(困り果てている)」「私の力不足です……(もうギブアップしている)」「ほ
かの父母からの苦情は、私のほうでおさえておきます……(問題児だ)」などと言う。ほかに「静
かな指導になじまないようです……(指導が不可能だ)」「女の子に、もう少し人気があってもい
いのですが……(嫌われている)」「協調性に欠けるところがあります……(わがままで苦労して
いる)」「ほかの面では問題はないのですが……(学習面では問題あり)」というのもある。

●ほめるときは本音でほめる

 一方、先生というのは、子どもをほめるときには、本音でほめる。先生に、「いい子ですね」
と言われたときは、すなおに喜んでよい。先生は、おせじではほめない。おせじを使わなけれ

ならない理由そのもがない。裏を返して言うと、もしあなたの子どもが、園や学校の先生にほめ
られたことがないというのであれば、子どものどこかに問題がないか、それを疑ってみたほうが
よい。幼児のばあい、一つの目安として、誕生パーティがある。あなたの子どもが、ほかの子ど
もの誕生パーティによく招待されるならよし。そうでないなら、かなりの問題のある子どもとみ
てよい。実際、誰を招待するかを決めるのは親。その親は、自分の子どもや先生から耳にす
る、
日ごろの評判を基準にして、それを決める。

●教師言葉を裏から読むと……

 さて冒頭の通信欄だが、プロはこう読む。「運動は活発にできました……(学習面はだめ)」
「授
業にも集中できるようになりました……(集中力がなく、問題児である)」「一学期は飼育係を
し、
友だちと協力して動物を育て……(ひとりでは責任ある行動ができない)」「思いやる心を学び

した……(自分勝手でわがままだ)」「二学期は学習面での飛躍が期待されます……(問題を
先送
りする。家庭で何とかしてほしい)」と。実際、この通知表を受け取った母親は、喜んで私にそ
れを見せてくれた。先生にほめられたと思ったらしい……?

●親も本音を言えない?

 生々しい話になってしまったが、もともと教育というのは、そういうもの。親と教師の価値観
やエゴが、互いに真正面からぶつかり合う。ふつうの世界と違うのは、そこに「子ども」が介在
すること。だから本音と建前が、複雑に交錯する。こうした教師言葉は、そういう世界から必然
的に生まれた。ある意味でやむをえないものかもしれない。だいたいあなたという「親」だって、
先生の前では本音を言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。それを
あなたは、よく知っている。

 
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『世にも不思議な留学記』を、POD版で!

+++++++++++++++

このところ、POD、つまり、
Print on demand
(注文に応じて、印刷する出版
形式)に興味をもっている。

たまたま、まぐまぐ社から、サービス
期間ということで、割安で出版できる
と聞いて、私もさっそく、チャレンジ
してみることにした。

第1作は、『子育て一口メモ』、
そして第2作は、『世にも不思議な
留学記』。

近く、販売を開始します。
そのときは、よろしくお願いします。

で、今日は、その編集作業で、1日、
終わってしまいました。

一部を、ここに紹介します。

+++++++++++++++

《はじめに……》

この『世にも不思議な留学記』は、中日新聞(東海版)に、8回にわたって連載されたあと、 金
沢学
生新聞に、32回にわたって連載されたものです。私のホームページでも紹介している原稿で
すが、
それを、加筆、編集しなおして、冊子として、みなさんにお届けします。

なおもともと新聞連載ということで書いた原稿なので、一部、内容的にダブっている部分があり
ます
が、ご理解の上、ご容赦ください。

全編が、私の自己紹介のような冊子ですから、私の略歴などは、省略させていただきます。ま
た、こ
の『留学記』は、当時の日記をもとに、最大限、事実のみを書きましたが、部分的に思い違い
や、ま
ちがいがあるかもしれません。その点をお含みおきの上、お読みいただければ、幸いです。

金沢大学のみなさんには、ほぼ4年にわたって愛読していただき、心から感謝しています。長
い間、
ありがとうございました。

                    二〇〇六年一月
                                     はやし浩司


(目次)

【1】  隣人は西ジャワの王子だった
【2】  イソロクはアジアの英雄だった
【3】  自由の国、オーストラリア
【4】  自由とは裸になること
【5】  ゲテモノ食い
【6】  アン王女がやってくる! 
【7】  反日感情
【8】  オーストラリアの気候
【9】  モラトリアム
【10】 カレッジライフ
【11】 王子の悩み
【12】 処刑になったT君
【13】 白豪主義の国に、日本の旗が立った
【14】 日本の全体主義
【15】 最高の教育とは
【16】 英語と日本語
【17】 ルイス・アレキサンドリア
【18】 男尊女卑の日本人
【19】 非日常的な日常
【20】 人種差別と国際性 
【21】 徹底したエリート教育
【22】 ローンの新年 
【23】 日本の因習、そしてY子
【24】 性能は膨張率と硬度で決まる
【25】 日本の常識、世界の常識
【26】 たった一匹のネズミを求めて
【27】 王子、皇太子の中で
【28】 ベトナム戦争
【29】 不思議に思ったのが不思議
【30】 意識の変化、そして自己否定
【31】 豊かな生活、そして帰国
【最終回】ビートルズの歌で終わった青春時代

【エピローグ】金沢大学の学生の皆さんへ
 
【1】隣人は西ジャワの王子だった

●世話人は正田英三郎氏

 私は幸運にも、オーストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、
研究生活を送ることができた。

 世話人になってくださったのが故・正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。

 おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。私の寝泊りした、
インターナショナルハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。西ジャワの王子やモーリ
シャスの皇太子、ナイジェリアの王族の息子に、マレーシアの大蔵大臣の息子など。ベネ
ズエラの石油王の息子もいた。

 「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。
「インドネシア語か、それとも、ぼくの家族の文字か」と。

 「ぼくの家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族しか使わない文字というも
のがあった。また「マレーシアのお札には、ぜんぶうちのおやじのサインがある」と聞か
されたときにも、驚いた。一人、名前は出せないが、香港マフィアの親分の息子もいた。
「ピンキーとキラーズ」(当時の人気歌手)が香港で公演したときの写真を見せ、「横に
立っているのが兄だ」と言って、得意そうに笑った。

 今度は私の番。「おまえのおやじは、何をしているか」と聞かれた。そこで「自転車屋
だ」というと、「日本で一番大きい自転車屋か」と。私が「いや、田舎の自転車屋だ」と
いうと、「ビルは何階建てか」「車は、何台もっているか」「従業員の数は何人か」と。

●マダム・ガンジーもやってきた

 そんなわけで世界各国から要人がメルボルンへ来ると、たいてい私たちのハウスへやっ
てきては、夕食を共にし、スピーチをして帰った。よど号ハイジャック事件で、北朝鮮に
渡った山村運輸政務次官が、井口領事に連れられてやってきたこともある。

 山村氏は、あの事件のあと、休暇をとって、メルボルンに来ていた。その前年にはマダ
ム・ガンジーも来たし、『サー』の称号をもつ人物も、毎週のようにやってきた。インド
ネシアの海軍が来たときには、上級将校たちがバスを連ねて、西ジャワの王子のところへ、
あいさつに来た。そのときは私は彼と並んで、最敬礼する兵隊の前を歩かされた。

 また韓国の金外務大臣が来たときには、「大臣が不愉快に思うといけないから」という
理由で、私は席をはずすように言われた。当時はまだ、そういう時代だった。変わった人
物では、トロイ・ドナヒューという映画スターも来て、一週間ほど寝食をともにしていっ
たこともある。『ルート66』という映画に出ていたが、今では知っている人も少ない。

 そうそう、こんなこともあった。たまたまミス・ユニバースの一行が、開催国のアルゼ
ンチンからの帰り道、私たちのハウスへやってきた。そしてダンスパーティをしたのだが、
ある国の王子が、日本代表の、ジュンコという女性に、一目惚れしてしまった。で、彼の
ためにラブレターを書いてやったのだが、そのお礼にと、彼が彼の国のミス代表を、私に
くれた。

 「くれた」という言い方もへんだが、そういうような、やり方だった。その国では、彼
にさからう人間など、誰もいない。さからえない。おかげで私は、オーストラリアへ着い
てからすぐに、すばらしい女性とデートすることができた。そんなことはどうでもよいが、
そのときのジュンコという女性は、後に大橋巨泉というタレントと結婚したと聞いている。

 ……今、こんな話をしても、誰も「ホラ」だと思うらしい。私もそう思われるのがいや
で、めったにこの話はしない。が、私の世にも不思議な留学時代は、こうして始まった。
一九七〇年の春。そのころ日本の大阪では、万博が始まろうとしていた。


+++++++++++++++++++++

【6】アン王女がやってくる! 

●セントヒルダでのダンスパーティ
 
 暑さがやわらいだある日。ビッグニュースが、ハウスを襲った。
 
エリザベス女王が、アン王女を連れて、メルボルンへやってくるというのだ。しかもア
ン王女が、セントヒルダ(女子)カレッジで、ダンスパーティをするという。

 オーストラリアの学生たちは、「ぼくが、アンをものする」と、それぞれが勝手なこと
を言い始めた。アン王女はそのときハイティーン。美しさの絶頂期にあった。

 しかし、そのうち、セントヒルダへ行けるのは、限られた人数であることがわかってき
た。今度は、誰が行けるか、その話題でもちきりになった。が、結局は、行けるのは、王
族や皇族関係者ということになってきた。

 私にも寮長のディミック氏から打診があったが、断るしかなかった。だいたいにおいて、
ダンスなど知らない。一度、サウンド・オブ・ミュージックという映画の中で、その種の
ダンスを見たことがあるだけだ。それに衣装がなかった。

 それまでもたびたびハウスの中で、夜会(ディナーパーティ)はあったが、私は、いつ
も日本の学生服を着て出席していた。日本を離れるとき、母が郷里の仕立て屋でスーツを
作ってくれたが、オーストラリアでは、着られなかった。日本のスーツは、何と表現した
らよいのか、あれはスーツではない。毛布でつくったズタ袋のような感じがした。

 その日の午後。選ばれた学生は、うきうきしていた。タキシードに蝶ネクタイ、向こう
ではボウタイと呼んでいたが、それをしめたりはずしたりして、はしゃいでいた。五、六
人の留学生に、同じ数のオーストラリア人の学生。

 留学生はともかくも、オーストラリア人の学生は、皆、背が高くハンサムだった。体を
クルクルと丸めてあいさつをする、あの独特のあいさつのし方を、コモンルームで何度も
練習していた。

「王女妃殿下様、お会いできて、光栄に存じます」とか。人選からはずされた連中は連中
で、「種馬どもめ」と、わざと新聞で顔を隠して、それを無視していた。

 そのとき仲のよかったボブが、横から声をかけてくれた。

「ヒロシ、お前は行くべきだ。イギリスなど、日本の経済協力がなければ、明日にでも破
産する」
「ああ、しかしぼくには、あんな服がない……」
「服? ああ、あれね。あれは全部、貸衣装だ。知らなかったのか。コリンズ通りへ行け
ば、いくらでも借りられる」
「貸衣装?」
「そうだ。今度、案内するよ」
「ああ、君の親切に感謝する」と。

●そしてエリザベス女王は帰った……

 夜になって、ローヤルパレードの通りを歩いてみた。いつものように静かだった。特に
変わったことはなかった。行きつけのノートン酒場も、ふだんのままだった。いつもの仲
間が、いつものようにビールを飲んでいた。

 途中、セントヒルダカレッジのほうを見ると、カレッジ全体に、無数のライトがついて
いた。それがちょうどクリスマスツリーのように輝いていた。私はそれを見ると、何か悪
いことをしたかのように感じて、その場を、そそくさと離れた。

 その翌日の夕方。エリザベス女王とアン王女は、メルボルンを離れた。カレッジから少
し離れたミルクバーのある通りが、その帰り道になっていた。私たちはその時刻に、女王
が通り過ぎるのを待った。

 夕暮れがあたりを包んでいた。暗くはないが、顔がはっきり見える時刻でもなかった。
女王は大きなオープンカーに乗って、あっという間に、通り過ぎていった。本当に瞬間だ
った。と、同時に、女王の話も、アン王女の話も、ハウスから消えた。


+++++++++++++++++++++

《終わりに……》

 はやし浩司です。浩司は、「ひろし」と読みます。昭和二二年生まれ。戦後第一号の、団塊の

代です。

 この『世にも不思議な留学記』は、私がもっとも大切にしている原稿です。短い留学記です
が、こ
の中に、私の青春というより、私の命のすべてが凝縮されています。そんな思いを、この本を
通し
て、皆さんにお伝えできれば、こんなうれしいことはありません。

 なお本書の中で、田丸謙二先生(現在、鎌倉にて、ご健在中)、大橋巨泉様、ほかに登場す
る友
人の方など、実名をそのまま使わせていただきました。本書の趣旨をご理解の上、どうか、お
許し
ください。 

                                   はやし浩司

【補記】

 この原稿がみなさんの目にとまるころには、まぐまぐ社より、POD版を購入していた
だけると思います。よろしかったら、どうかご購入ください。よろしくお願いします。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●会話

のどかな朝。白い光が、まばゆいほどまでに、居間に注ぎこむ。朝食を食べたあと、コ
タツの中で、新聞を読んでいたワイフが、ふと、こんなことを言った。

「福井県の丸岡町で、毎年、一筆啓上コンテストというのが、あるんだって。今年の大
賞は、若狭町の北Oという人が取ったんだってエ……」と。

大賞をとった作品は、こんなものだった。そのまま転載。

+++++++++++++++

夫へ、「今度生まれ変われるとしたら、スラッとした女らしい、出来のよい女に生まれたい
わ」と送り、夫は、「何や、今度は俺と一緒になりたないんか?」と。

+++++++++++++++

ナルホド、さすが大賞! それを聞いて、私も、一つ、作品を考えた。ぜったい、大賞、
まちがいなし。

妻へ、「お前さ、最初に俺に会ったとき、どんな印象をもったア?」と送り、妻は、「コチ
コチで、かたい人だと思ったワ」と。

 それをワイフに話すと、「そんなエッチな話はだめよ。選考外よ」と言って、笑った。

 つづいてまた新聞を読んでいたワイフが、こう言った。

ワ「あら、スピードスケートの女子選手って、スカートを頭から、かぶってはくんだって
エ……」と。
私「頭から……?」
ワ「KG選手がそうよ。足が太いでしょ。だから下から、はけないそうよ。新聞にそう書
いてある」

私「なるほど……。じゃあさあ、お前も、腹巻が必要になったら、ブラジャーをそのまま
下にさげればいい。そのまま、腹巻になる。昼はブラジャー、夜は腹巻……。これは便利
だヨ」
ワ「きっと、きつくておなかが痛くなるわ」
私「そうだろうね……」と。

 ついで、今度は、お茶の話になった。

 私はある時期、ウーロン茶ばかり飲んでいた。その期間は10年ほどだろうか。しかし
あるときから、突然、そのウーロン茶が口に合わなくなった。で、ウーロン茶はやめたが、
そのあとは、いろいろなお茶を、飲むようになった。

私「ところがね、最近、とくにおいしいと思うようになったのが、あの『でるでる茶』だ
よ」
ワ「私は、あのお茶は、だめ。一杯飲んだだけで、おなかが痛くなって、下痢になってし
まうわ」
私「ぼくは、平気だよ。そんなことはない」
ワ「フ〜ン」と。

 『でるでる茶』というのは、そのまま商品名になっている。漢方薬のセンナか何かが入
っている、女性の便秘薬である。

 こうしたバカ話が、とりとめなくつづく。
 1月26日。もう正月も終わりに近づいた。

 相変わらず、白い光が、居間を照らしていた。


●熟睡、安眠

++++++++++++++++

肌も呼吸している。その肌をシャツ
などで、しめつけてはいけない。

とくに、夜、フトンの中では……。

++++++++++++++++

 冬になってから、このところ、どうも寝苦しい。とくに今年の冬は寒い。そこでいつも
より一枚、薄いフトンだが、それをかけ足した。

 私は、そのせいだと思っていた。

 そのため一度、重いフトンから、軽いフトンにかえた。が、それでも変わらなかった。
寝苦しい。熟睡感が、どうもない。

 そのため、毎晩、フトンの中で、悪戦苦闘。寝苦しいから、フトンをはたく。すると、
容赦なく、冷気がフトンの中に入ってくる。体をフトンの中にもぐらせる。が、やがてま
た寝苦しくなる……。

 が、やがて原因がわかった。

 このところ薄いシャツだが、それを2枚、重ねて着ている。その上に、トレーナーを、
パジャマがわりに着ている。

 肌だって、肺のように、皮膚(ひふ)呼吸している。もし肌が皮膚呼吸できなくなった
ら、その人は、死んでしまう。昔、体中に、何かの化粧をして、それで本当に死んでしま
った人がいる。

 シャツを2枚も着て、その上に、トレーナー。その体を、3枚のフトンでくるめば、だ
れだって、寝苦しくなる。

 で、昨夜、寝る前に、私はパンツ一枚になった。そして夏用のパジャマを、その上に着
た。ワイフは、「あなたは、いつもやることが極端すぎる」と言って、笑った。が、私は気
にしなかった。

 で、今朝を迎えた。で、その感想記。

 おかげで、一晩中、体をサワサワと冷たい風を感じながら、眠ることができた。しかし
横でワイフが、寝がえりをうつたびに、同じように真冬の冷気が、スーッと全身を包む。
目がさめる。あとは、この繰りかえし。

 フトンは、真冬でも薄ければ薄いほどよい。しかしそのためには、部屋を暖房しなけれ
ばならない。しかし一晩中、暖房をつけっぱなしというのも、団塊の世代の私には、抵抗
がある。私たち、団塊の世代は、質素を旨とした生き方をする。

 それに私は、この古家のほうが、どうも落ちつく。ワイフも同じ意見。30年前に建て
たボロボロの古家だが、愛着がある。が、その古家は、すき間だらけ。「夏用の家だ」と、
うまくごまかしているが、冬は、寒くてたまらない。暖房をかけても、ほとんど、効果は
ない。

 どうしたらよいものか?

 これからもまだまだ、悪戦苦闘はつづくようだ。

(補記)

 人生、58年も生きて、いまだに睡眠方法が確定しないというのも、おかしなことだ。
いつも行き当たりばったりの方法で対処している。が、これでは、いけない。この先の老
後が心配。

 これから先、本気でこの問題に取りくんでみようと思う。何といっても、人は、そのフ
トンの中で、人生の3分の1を過ごすのだから。
 

Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

●たばこ、1箱、1000円!

++++++++++++++++++

たばこ1箱の値段を、1000円に!

週刊文春(1・26)日号の中で、
中原H氏は、そう書いている。

ナルホド!

++++++++++++++++++

 中原H氏(山野美容G大学)の教授が、こんな興味あることを書いている。

 「日本人でいちばん多いのは、気管、気管支および肺がんです。これを防ぐのに、もっ
とも効果的な方法は、禁煙です。

 たばこにより、毎年3万人ががんを発症するという報告があるほどです。

 禁煙を浸透させるには、たばこ一箱を1000円に値上げすることです。そうすれば税
収が増え、たばこ農家も増収になり、禁煙者が増えて、肺がんが減り、子どもがたばこを
吸えなくなり、医療費の削減にもなる。

 "一石五鳥"ではありませんか」と。

 大賛成!

 「欧米では、たばこ1箱は、600〜700円がふつうで、日本のように、(セブンスタ
ーは、280円)安い国は、ありません。

 1箱あたり20円値上げしても、効果薄です」とも。

 中原氏は、さらにこんな事実があることを示している。

 「フィンランドでは、喫煙率を、76%から25%に下げた結果、肺がんは半減し、心
疾患を3分の1に減らすことができました。

 対照的に日本では、がんがこの30年間で2倍以上に増えて、死因第一になり、死因第
二位の心疾患も、10年前から増加傾向にあります。

 第三位の脳血管疾患も含めて、ワースト3は、いずれも生活習慣病と関係があります」
と。

 そしてこう政府を批判している。

 「なぜ政府は、生活習慣病を防ぐ政策を積極的に推進しないのでしょうか。医療費を削
減する方法としてはベストなのに、です」と。

 これにも大賛成!!

 が、こんな裏事情もある。

 この日本では、1970年に、医師の数は、約11万人だったのだが、04年度には、
27万人を超えた。中原H氏は、「医師を養うために、患者を増やす必要がある。そして金
儲けの人間ドックを行うわけです」(同)とも。

 フム〜……。

 しかしはっきりとした統計があるわけではないが、ざっと見たところ、低所得の人ほど、
喫煙率が高いのではないか。つまり喫煙だけが、ゆいいつの楽しみという人も少なくない。

 そういう人にとっては、1000円はきつい。それに一度、ニコチン中毒になると、そ
うは簡単にやめられない。そういう人たちは、より安い、つまり危険なたばこに手を出す
可能性もある。たとえばK国製の、密輸たばこ、とか。「覚せい剤のほうが安い……」とい
うことにでもなったら、それこそ、たいへん。

 と、考えても、やはり、たばこ1箱、1000円というのは、よいアイデアだと思う。
政府が打ち出している、20円程度の値上げでは、何のための値上げか、わからない。あ
る試算によると、たばこから得る国家税収よりも、たばこが原因で起こる病気にかける保
険医療費のほうが、多いそうだ。

 つまり、日本人が全員、禁煙してしまうと、それこそ医療制度そのものが、崩壊してし
まう、ということになりかねない(?)。そこで政府は、一方で、病人をせっこらせっこら
とつくりながら、別のところで、無駄な医療費を、これまたせっこらせっこらを、払って
いるということになる。

 いいのかなあ……? このままで……?

 ついでながら中原H氏は、こんなことも書いている。健康法にそのまま役立ちそうな内
容なので、そのまま引用させてもらう。

●食堂がんを防ぐには、酒の量を減らすこと。
●大腸がんの予防には、野菜を食べること。
●虫歯を防ぐためには、フッ素を歯に塗布したり、キシリトールガムをかむこと、と。

 やはり、自分の健康は、自分で守るしかないようだ。当たり前のことだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

●息子たちへ

連帯保証人には、なるな! 株の信用取引はするな!

++++++++++++++++

昔、私の祖父は、いつもこう
言っていた。

「浩司、株の信用取引だけは
するなよ」と。

私は、今、息子たちに、いつも
こう言っている。

「連帯保証人には絶対、なるなよ。
それと株の信用取引だけは、
絶対、するなよ」と。

+++++++++++++++++
 
 いくら相手が親友でも、兄弟、親子でも、債務の連帯保証人にだけは、なってはいけな
い。連帯保証人になるということは、その人の債務(借金)を背負うのと同じ。

 だから、どんなことがあっても、たとえそれでそれまでの人間関係が崩壊しても、絶対
に、債務の連帯保証人にだけはなってはいけない。その恐ろしさは、法科出身の私が言う
のだから、まちがいない。

 ついでに、株の信用取引だけは、絶対に、してはいけない。

 今日も、ワイフは、こんなのんきなことを口にした。

 「あのAさんのダンナね、ライブDアの株に、250万円も投資していたんだって。2
50万円が、パーになってしまったんだってエ」と。

 ワイフは、「Aさんが、250万円だけ損をした」と思っているらしい。しかしその程度
ですめば、まだよいほう。もしAさんが、ライブDア株を、信用買いしていたら、へたを
すれば、1000万円単位の借金、ばあいによっては、1億円近い借金をかかえこむこと
になる。

 それが信用取引の恐ろしさである。

 信用取引……ご存知のかたは、もうご存知かと思う。しかし一言、説明。

 小額の証拠金を担保に、その何倍もの、株取引をすることを、信用取引という。ふつう、
1株1万円の株なら、10万円では、10株しか買えない。しかい信用取引になると、そ
の何倍もの株を買うことができる。わかりやすく言えば、損金が10万円になるまで、理
論上は、何株でも買える。

 株価が上昇すれば、儲けも大きいが、さがればあっという間に、その10万円は消える。
がそのとき、そのさがった値段で株を売却できればよいが、できないときは、追証拠金(通
称「追証」)といって、追加金を取られる。つまり証拠金の不足分を、追加徴収される。

 今回のライブDア株のように、買い手がつかないまま、底なしに株価がさがると、その
追証も、ばく大な額になる。Aさんの夫がその信用取引をしていたとなると、とても25
0万円の損程度ではすまなくなる。

 ワイフは、こう言った。「250万円も投資していたんだって」と。「250万円も損を
した」とは言っていない。

 私の息子たちよ、そんなわけで、株の信用取引だけはするな。儲けたときは、それに浮
かれてムダづかいをし、損をしたときは、それこそ、身ぐるみはがされる。株は、大バク
チと心得ろ!

 もしそれでも……、というのなら、株は現物で買って、現物で売れ。株価がさがったと
きは、そのまま、何か月でも何か月でも、塩漬け。あくまでも小づかいの範囲で楽しめ。

 Sよ、Sよ、Eよ、わかったか? これがお前たちのおやじからのアドバイス!


Hiroshi Hayashi++++++++++Jan. 06+++++++++++はやし浩司

【近況あれ・これ】

●投資信託

 数週間前のこと。取り引きをさせてもらっている、N証券から、こんな電話があった。「林
様には、年間、〜10万円の手数料をいただいています。で、そういうお客様には、特別
なサービスとして……」と。

 〜10万円の手数料?

 株取り引きもしているが、そんなに払ってないはず。そこで調べてみると、原因は、投
資信託(「投信」)にあることがわかった。

 投資信託では、最初の手数料だけで、3%も取られる。1年間で、運用関係の手数料が、
1・5%程度。これだけで長期国債の利回りと、ほぼ同額になる。

 考えてみれば、バカげている! が、今ごろ気がついても、遅い! 私がバカだった。


●友人の結婚式

 今度、友人が、結婚することになった。相手は、25歳年下の、超・美しい女性! 年
賀状を見て、驚いた。そして何とも言えない、(うれしさ)に包まれた。

 そこで先日、簡単な祝いの品をもって、その友人に会いに行ってきた。友人は、こぼれ
んばかりの笑顔をつくって、こう言った。「林さん、結婚は、あきらめていたんですが……」
と。

 言い忘れたが、その友人は、今年、50歳になる。以前から、「どうして独身なのだろう?」
とは思っていたが、「あきらめていた」という一言の中に、その友人の深い思いが、ぎっし
りと詰まっているように感じた。

 以前よりも、若返ったような感じがした。肌もツヤツヤとしていた。

 その友人の披露宴が、3月xx日に、ある。電車で、40分ほどの、S市でするという。
昨日、招待状が届いたので、即、「出席」に丸をつけて、送りかえした。

 おめでとう。


●火葬費用は、3年分の年収

 韓国の東A日報のHPに、こんな記事が載っていた。翻訳ソフトで日本語に翻訳したよ
うな、読みにくい日本語だった。それをここに書き改めてみる。原文は、そのあとに、添
付しておく。K国の困窮ぶりが、こんな記事を読んでも、よくわかる。

【火葬費用は、3年分の給料。その費用がなくて、夜の闇にまぎれて、土葬】

 妻のオさんは、病気で、外出すら、ままにならなかった。その妻のオさんは、死ぬ数日
前から、何も食べられなくなり、そのまま死んだ。自殺のようなものだった。その少し前、
ガールフレンドとつきあっていた息子が、「母さん、彼女が家にくるときは、どこかよそへ
行っていてね」と言われたのが、相当なショックだったようだ。

 オさんは、土葬されることになったが、墓碑も墳墓も、何もなかった。

 去年、「都市周辺の山々には、墓ばかりで、木がない」ということで、党は、土葬ではな
く、火葬にせよという指示を出した。これは首都P市でも、2004年から実施されてい
る。2002年の指示では、墳墓を削ってなくし、墓碑は、最大限低くしろというものだ
った。しかしその3年後、今度は、土葬不可の指示が出た。C市にあった火葬の施設が、
そのころ再稼動された。

 しかし費用は、K国のお金で、1人分9万ウオン(約30ドル)。納骨堂はなく、骨粉は、
骨つぼに入れて、遺族に返される。が、少しすると、C市市内では、いろいろなうわさが
出るようになった。

「一度に、3人ずつ火葬する」「(団地の中で土葬するため)、ある団地では、虫が出る」と。

 老人たちは、嘆いた。「私は死ぬタイミングに恵まれていない。私は土葬してほしい」と。

土葬する方法がないわけではない。火葬は、都市部中心に行われている。車を借りて、
農村部へ死体を運び、そこで土葬してもらうという方法がある。しかしソウルー水原程
度の距離でも、10万ウオンは、払わなければならない。勤労者の月給が、2000〜
300ウオンである。墓参りもままならない。

 山林保護員に、ワイロを私、近くの山に埋葬するという方法もあるが、Cさんのところ
には、お金がない。Cさんが商売をして稼ぐお金と、娘の月給の2000ウオン(約0・
7ドル)だけ。あとは配給を加えて、やっとその日暮らしをしている。

 そこで彼らは、夜の闇にまぎれて、母の死体を、土葬するしかなかった。

***************以下、原文*****************

●火葬費用は3年分の給料、費用なくて夜に闇の土葬

妻のオさんは病気で外出すらできない病者だったが、行きようとベストを尽くした。そん
な妻が数日前から全く食べず、結局死んだ。自殺と同じだった。恋人と付き合っていた息
子が「母さん、彼女が家へ来るときに他の家へ行ってね」という一言が、オさんには衝撃
だった。 
幸いにもオさんは地面に埋まることはできた。墓碑も封墳も何もなかったが。その代わり、
主人のチェさんは、K国労働党の方針を破った。 
去年、党では、木1本ない都市周辺の山にお墓ばかりあるとして、土葬ではなく無条件、
火葬にせよという指示を下した。首都P市では2004年から実施された。 
2002年に指示された方針は、封墳を削って無くして墓碑は最大限低めよというのだっ
た。しかし、3年経ってまた土葬不可の指示が出されたのだ。C市に一つあった火葬の施
設が再稼動し始めたのもその理由。費用はK国のお金で9万ウォン(約30ドル)程度必
要だ。納骨堂はなくて骨粉はつぼに入れて遺族に返す。それから少し経つと、C市内には
いろんな噂が出回った。 
「一度に3人ずつ火葬するんだって」「ある家では団地で虫が出るんだって」 
年寄りたちは嘆いた。「私は死ぬタイミングに恵まれてない。息子よ、私は地面に埋まり
たい」。 
方法がなくはない。まだ火葬は大都市でばかり行われているからだ。 
車を借りて農村へ行って埋蔵すれば良い。しかし、ソウル〜水原(スウォン)程度の距離
も10万ウォンはもっと払わなければならない。勤労者の平均月給が2000〜3000
ウォンだ。韓食や秋夕(チュソク・旧暦8月15日)のときのお墓参りもどうしたら良い
か分からない。 
山林保護員に賄賂を渡して近くの山に埋蔵する方法がないわけではないが、Cさんのとこ
ろはお金がない。Cさんが商売をして稼ぐお金と娘の月給2000ウォン(約0.7ドル)、
そして配給を加えて、やっとその日暮らしをしている。彼らの選択は夜に闇の土葬をする
しかなかった。(06・01月26日・東A日報HPより)

++++++++++++++++++

 K国の惨状は、日本の常識では、はかり知ることができないほど、ひどいようだ。「娘の
月給の2000ウオン(約0・7ドル)」という部分だけを読んでも、それがわかる。日本
円に換算すると、たったの80円程度。月給が、である。

 ついでに一言。「母さん、彼女が家にくるときは、どこかよそへ行っていてね」と言われ
た母親も、かわいそうな人だ。そういう息子にしたのも、母親の責任と言われればそれま
でだが、そのとき母親が受けたショックがどんなものであったか。病弱で、息子を叱るこ
ともできなかったのだろう。

 この記事には、いろいろと考えさせられる。

【補足】

 貧困が長くつづくと、個人差もあるのだろうが、心まで、むしばまれる。こんな話を聞
いたことがある。

 アメリカ人の友人が、自分の姉を、自宅へ招いたときのこと。姉は、都市部で、貧しい
生活をしていた。路上生活者に近い、生活をしていたという。そこで見るに見かねて、友
人は、姉を、自宅へ招いた。

 そのとき友人は、55歳。友人の姉は、58歳だったという。

 その友人と友人の妻は、毎日、手料理を用意したが、それについて、「まずい」とか、「食
べたくない」とか言って、不満ばかり口にしたという。ベッドルームも、一番広い部屋を
用意したのだが、それについても、「明るすぎて、眠れない」「寒い」と。

 内心では、姉をずっと引き取るつもりでいたというが、友人の妻が、先に、音(ね)を
あげた。ベッドの中で、ひとり隠れてチキンや残ったスパゲッティを食べたりしていたか
らである。

 それで1週間目に、姉をまたもとの場所に送りかえしたというが、驚いたのは、そのあ
とのこと。

 友人の妻の宝飾品など、無数のものが、家から消えていたという。姉が盗んでもってい
ったことはわかったというが、友人には、何も言えなかった。「どうせ問いただしても、知
らないと言うに決まっているから」と。

 ふつうなら……という言い方は、こういうケースでは、通用しない。友人は、「よかれ」
と思って、姉を自宅へ招いた。しかし肝心の姉は、そうした友人の思いを、理解できなか
った。すでに(ふつうの心)そのものをなくしていた。あるいは、その姉にしてみれば、
自分とはかけ離れた生活をしている弟夫婦が、ねたましく、憎かったのかもしれない。

 「貧困による公害」という言葉もある。貧困そのものが、社会のしくみそのものを、ゆ
がめてしまうこともあるという。いくら生活が貧しくても、高い文化と教養、それを追求
する心を忘れてしまったら、その人は、おしまい。その友人の話を聞いて、私はそう感じ
た。

 みなさん、心意気だけでもよいから、気高く生きましょう!

 私は、世界一の評論家だ!
 私は、世界一の文化人だ!
 私は、世界一の哲学者だ!
私が書く日本語は、世界一読みやすい。わかりやすい。すばらしい、と。ハハハ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




トップへ
トップへ
戻る
戻る


はやし浩司(ひろし)