はやし浩司(ひろし)

2006・4
はやし浩司
 HPのトップページ   マガジン・INDEX 

 マガジン・バックナンバー 

2006年 4月号
 はやし浩司


☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 28日(No.719)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page027.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間不信

++++++++++++++++

K氏は、子どものころ、
母親に虐待された。

その後遺症は、今も
残っているという。

そのため、Kさんは、
今も苦しんでいるという。

++++++++++++++++

 K氏(今年、45歳くらい)は、子どものころ、実の母親に虐待されたという。虐待と
いっても、言葉の暴力、無視、冷淡など。

 「このあたりでは、『ちょうらかす』と言いますが、つまり、いつもからかわれました。
夜、小便を漏らしたりすると、母は、それをみなに見せ、『ほら、Kが、おしっこ漏らした』
『見てやってください。あのKが、おしっこを漏らした』と、みなの前で笑うのです」と。

 母親の精神年齢は、かなり低かったようだ。「たとえば、何かあると、すぐどこかへ隠れ
てしまうのです。そこで私が泣きながら、母親をさがしていると、ちょうどよいころを見
計らって、『ほら、母ちゃんはここだよ』と言って、現れるのです。つまりそうして私が、
母をさがすのを楽しんでいたのですね」と。

 一事が万事。こうしてK氏は、母親不信に陥ってしまった。が、その後遺症は、今も、
つづく。私に、こう言った。

 「いいですか、林さん。母親を信ずることができないということは、もうだれも信ずる
ことができないのと同じです。今の女房と結婚して、もう20年近くになりますが、その
女房ですら、いまだに信ずることができません。何があっても、すぐ疑いの目で見てしま
うのです。それは女房にとっても、さぞかし、つらいことだろうと思います」と。

 母親に裏切られしものよ、
 汝は、心の不完全燃焼感と戦いながら、
ただひとり、孤独の海を、
 あてもなく、さまよいつづける。

 つかまる浮き木もなく、
 汝は、人間不信という十字架を背負いながら、
 暗くてさみしい闇の世界を、
 目に涙を浮かべながら、さまよいつづける。

 心理学の世界では、K氏のような心理状態を、「基本的不信関係」という言葉を使って説
明する。決して、特殊なケースではない。何割かの人がそうでないかと思えるほど、多い。
つまり乳幼児期に、親、とくに母親との間で、基本的信頼関係を結ぶことができなかった
子どもは、それ以後、この「基本的不信関係」で悩む。そしてその後遺症は、一生、つづ
く。

 言うなれば、心の傷。本能的な部分にまで、それが及んでいるから、簡単には、癒(い
や)されない。つまり、この問題は、それくらい根が深い。

私「戦後の一時期は、そういう時代だったかもしれません」
K「私は、戦後の人間ではありません」
私「当時は、まだ、戦後のあのドサクサを引きずっていましたから……」
K「親も、何も考えず、子どもを産んでいたような時代だったかもしれませんね」
私「まさに粗製濫造の時代だったということです」と。

 私自身は、昭和22年生まれの、戦後の人間だが、私は、あの戦争をうらんでいる。あ
の戦争を起こした人間、あの戦争を遂行した人間、すべてだ。おかげで私を含めて、私た
ち、何の罪もない人間が、どれほど、その後遺症で苦しんだことか。

 私が高校生のときのことだったと思う。私の母が、あまりにも私に、「産んでやった」「育
ててやった」と、恩を着せるものだから、私は、ある日、母に、こう叫んだことがある。「だ
れが産んでくれと、いつ、どこで、あんたに頼んだア!」と。

 母にしてみれば、戦後のあの時期は、そういう時代だったかもしれない。苦労の連続だ
ったかもしれない。私はそれに反発したわけだが、しかし私のその怒りは、戦争全体に向
けられたものだったかもしれない。

 今にして思えば、そう思えなくもない。

 K氏の戦いは、今もつづく。K氏は、こう言う。「親孝行という言葉がありますね。私は、
あの言葉を聞くと、笑い出してしまいます。一応、世間的には、いい息子を演じています
が、内心では、いつも、『あのクソババア』と思っています。母が死んでも、一滴も涙は出
ないでしょう。それが自分でもよくわかっています」と。

 この世の中には、いろいろな親子関係がある。私やあなたがそうであるからといって、
そうでない人たちを批判したり、非難したりすることは許されない。そのK氏も、親類の
人たちとの板ばさみで苦しむことがあるという。

 「林さんが言う、『ダカラ論』『ベキ論』というのがありますね。あれはいやですね。『お
前は子どもだから……』『親は親だから……』と、親類の人たちは、平気で迫ってきます。
『子だから、親を思っているはず』とか、『子だから、親のめんどうを見るべき』とか。人
間関係を、形でしかみない。あれはいやですね」とも。

 そのK氏の母親は、数年前、脳梗塞を起こして、倒れたことがある。幸い軽くてすんだ
が、方向感覚がなくなってしまったという。ときどき家の中でも、迷子になることもある
という。K氏にしてみれば、「知ったことか」ということになるが、世間は、それを許さな
い。

 「親子関係が良好なら、金銭的援助も苦にはならないのかもしれませんが、私のばあい
は、ちがいます。たとえ1万円でも、母に渡すくらいなら、ドブへ捨てたほうがましです。
そういう気持ちが、林さんには、わかりますか」と。

 親子であるがために、その確執も深い。昔、学生時代、刑法の教授が、こんな話をして
くれたのを、覚えている。日本の刑法では、尊属殺といって、親殺しのばあいは、ふつう
の殺人罪よりも、一級、重い刑罰が科せられていた。

 それについてその教授は、こう言った。「親殺しは、刑罰が重い。それはわかる。しかし
それを裏から読むと、親であるがゆえに、やむにやまれず殺したという事情が多い。その
事情は、ふつうの殺人よりも、重くて深い。それを考えると、親殺しの刑罰を重くしてい
るのは、妥当かどうか、疑わしい」と。

 その結果だが、尊属殺、つまり両親や祖父母などの祖先にあたる親族を殺したものに対
して、重罰を加えるという規定は、1973年に、最高裁により、違憲と判断され、刑法
200条から削除された。当然のことである。

 今は、もう『ダカラ』論や、『ベキ』論で、ものを考える時代ではない。何度も書いてい
るが、親子関係も、つきつめれば、一対一の人間関係。その内容は、人間関係で、決まる。
親も、そして子も、親子であるという関係に甘えてはいけない。甘えて、好き勝手なこと
をしてはいけない。世の中には、親をだます子もいるが、反対に、子をだます親もいる。
子を虐待する親もいる。そういうことを忘れてはいけない。
(はやし浩司 親孝行 親孝行論 基本的不信関係 尊属殺 親殺し 虐待 人間不信)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●14歳で家出

++++++++++++++++++++

14歳で家出。15歳の男子(男性?)との
同棲生活?

そんな女子(女性)をもつ親から、
以下のような相談がありました。

(掲示板より)

++++++++++++++++++++

はじめまして。よろしくお願いします。
長女 14才についてどうか相談にのって頂きたく、メールをしました。

長女がおかしいなと思うようになったのは、中1の2学期が終わる頃でした。
学校でクラスメートに、「上級生にいじめられている」とうそを言って、そのことが先生に
まで伝わり問題になったことです。それについては、後で本人からうそをついたと、正直
に私に言ってきました。そのときから、部活もやめてしましました。

中2の秋から、ある男子生徒ですが、A君という子につきまとわれて迷惑していると、担
任の先生や、周りの友人に相談していたそうです。担任先生からこの件で電話をもらい、
A君が評判の悪い子であること、長女に危害がおよばないように気をつけてください、と
いうことでした。先生も学校で気をつけて見て下さったり、私たちも本人と相談し、送り
迎えを、1、2度しました。

同じ頃、友人とトラブルがあったこともあり、なぜか長女は、そのA君に友人とのトラブ
ルを相談していたのです。それが原因でクラスで孤立。A君と交際をしはじめました。そ
れから摂食障害で入院、その後は不登校となりました。夕方近くになると遊びにいきたい
と言う長女に対して、私は、許して遊びに行かせることができませんでした。長女のつら
い気持ちは、理解しているつもりでいましたが・・。

次の日1/21、長女は、そのA君宅に家出をしました。向こうの両親とも話しをし、迎
えにいきましたが、帰っては、きませんでした。

主人は、これ以上長女の精神状態が悪化しないようにこのまま様子をみようと言い私も同
意しました。

週に1度程度は、帰ってきますが、数時間後、また出て行きます。こちらからは、話しか
けていません。本人が言ったことに、うなずくことしか言っていません。

3/14 再度A君の両親に会ったところ、A君の両親が、「来月、引っ越しします。S(長
女)ちゃんもつれていきたいのですが・・・。Aと結婚させたいのです。」と。
主人は、「長女は、なにもかもわかった上で、こういう交際ををやっているんだと思います。
長女を信じているので、本人が決めてもいいと思います。」と言ってかえってきたそうです。

が、先日、長女が帰って来たとき、長女は、「今更、世話になっているのに、帰りたいから
帰るというわけには、いかない。引っ越しを機に、家に帰って来たい。Aの母親も15才
の時に家出をして今のお父さんと結婚したんだって。だから、私の気持ちが、よくわかる
と言って家に帰らないでいいよと言ってくれるんだけど、本当のこといえないんだ。」と言
いました。つまり家に戻りたいが、それをA君にすなおに話せないというのです。

このまま、どんなことがあっても私は、長女の帰りを待っているべきでしょうか? 向こ
うの両親と話しあうべきでしょうか? よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++++

【はやし浩司よりFTさんへ】

 先ほど、電話で、だいたいのことは話しました。A君に対する熱病も、やや冷めかかっ
た状態なので、2人の間に割って入るには、今がチャンスかもしれません。方法はいくつ
か考えられますが、お母さん(=あなた)と娘さん(以下、Sさんとします)の2人で、
相手の両親もしくは、父親と話し合うのが、最良かと思います。

 できればなごやかな状況で、話し合うのがコツです。一歩退いて、負けるが勝ちと思い、
話し合います。争わず、常識論を淡々と話します。

 生活力のない15歳の男と、14歳の女が、結婚状態に入ることは、常識の範囲を超え
ています。それをすなおに相手の親に話せばよいでしょう。

 で、こういうケースでは、Sさんを、(1)責めない(「あなたは、〜〜が悪い」と責め
ること)、(2)励まさない(「がんばれ」「がんばれる」式の励ましをしないこと)、(3)
脅さない(「こんなことで、どうするの」式の脅しをしないこと)の、3大鉄則を、厳守し
てください。Sさんの心は、常に、緊張状態にあると判断してください。したがって、い
つも、一触即発の状態です。ささいなことで、突発的に錯乱状態になることもあります。

 本来なら、心療内科で、精神を安定させる(=精神の緊張感をとる)薬剤を処方しても
らうのが、よいと思いますが、電話によれば、それもむずかしいとのこと。そこで電話で
話しましたように、あなた自身が、心療内科(内科でもよい)で、薬を処方してもらい、
それをSさんに分け与えるという方法があります。それはいかがでしょうか?

 また家に戻ってきたら、Sさんの居場所をしっかりと確保することです。ここに書いた
三大鉄則を守り、今の状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、対処します。Sさん
の心の問題がからんでいるため、半年単位の忍耐が必要でしょう。1か月や2か月で、心
の状態が改善するなどということは、ありえません。そういう前提で、対処します。

 最後に、ここが重要ですが、どんなことがあっても、最後の最後でも、愛情の糸だけは
切らないようにしてください。どんなことがあっても、です。(その点、お父さんのほうに、
どこか冷めたところがあるように感じました。どうか、お父さんも、最後の最後でも、愛
情の糸だけは切らないようにお伝えください。)

 その「糸」は、Sさんにとっては、最後の砦(とりで)のようなものです。その糸を切
ったら、それこそSさんは、再び、糸の切れた凧のような状態に戻ってしまうでしょう。
今からでも、じゅうぶん間に合います。

 あとは、暖かい無視と、ほどよい援助。「求めてきたときが、与えどき」と、心得てくだ
さい。そして問題が起きたら、『許して忘れる』だけを心の中で念ずる。そしてここが重要
ですが、そのあとは、(時の流れ)に任せます。時間が解決してくれます。2年では無理か
もしれませんが、遅くとも5年後には、笑い話になります。それを信じて、前向きに考え
てください。

 それぞれの人間には、無数の糸がからんでいます。その糸が、その人の進むべき道を決
めていきます。人は、それを「運命」と呼びますが、その運命について、少し前、こんな
ことを書きました。

 悪魔(不幸)というのは、(決してFTさんが不幸というのではありません。誤解のない
ように!)、それを恐れたとき、キバをむいて、あなたに襲いかかってきます。しかしそれ
を笑い飛ばしたとき、シッポを巻いて、あなたから退散していきます。

 今、重要なことは、くだらない親意識など捨てて、ついでにプライドも捨て、Sさんの
友として、Sさんの横に立ってみてください。それだけで、Sさんに対する態度が大きく
変るはずです。

 以上ですが、このつづきは、4月28日号のほうで、もう一度、考えさせてください。
今夜は、これで失礼します。

はやし浩司

【付記】励ましは、なぜ悪いか

 前向きに、伸びつつある子どもに、「がんばれ!」式の励ましは、それなりに効果があり
ます。しかし落ち込んでいる子どもに向かって、「がんばれ!」式の励ましは、効果がない
ばかりか、かえってその子どもを、窮地に追い込んでしまうことにもなりかねません。

 落ち込んでいる子どもは、落ち込んでいる子どもなりに、苦しみ、もがいているのです。
「がんばりたくても、がんばれない」というジレンマに陥っているのです。そういうとき、
たとえ家族からでも、「がんばれ!」と言われると、その子どもは、ますます、どうしてよ
いかわからなくなってしまうというわけです。

 わかりやすい例で考えてみましょう。

 たとえばあなたが、学校のテストで、よい点数を取ってきたとします。そのときそれを
見て、あなたの母親が、「よくがんばったわね。これからもがんばりなさいよ」と言ったと
します。

 あなたは、その言葉を、すなおな気持ちで、聞くことができるはずです。

 しかし反対に、あなたが予想していたよりも、悪い点数だったばあいは、どうでしょう
か。あなたなりにがんばったけれど、しかし、点数が悪かったというようなばあいです。
あなたは落ち込んでいます。で、そういうとき、たとえ家族でも、「がんばれ!」と言われ
ても、あなたはそれをすなおな気持ちで、聞くことはできないと思います。

 英語では、こういうとき、「Take it easy!」と言います。「気を楽にしな
よ」という意味です。そういう言い方なら、まだわかりますね。

 それについて書いた原稿が、つぎの2作の原稿です(中日新聞掲載済み)。どうか参考に
してください。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【親子のきずなが切れるとき】 

●親に反抗するのは、子どもの自由?

 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。「親
に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%。

この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、
中国15%。親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青
少年研究所・九八年調査)。

日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗しては
いけないと考えている高校生が、ダントツに少ない。こうした現象をとらえて、「日本の
高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。

しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということ
について、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツに個人主義が進んでいる
ということはありえない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかし
い。

●受験が破壊する子どもの心

 私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせる
と、祖父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、
そういう感動が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。
「何よ、この点数は! 平均点は何点だったの?」と。

さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダ
だったわね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなく
す。いや、その程度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、
さらには親子のきずなそのものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「八五%」と
いう数字は、まさにその結果であるとみてよい。

●「家族って、何ですかねえ……」

 さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、
そのとき手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事
は行きづまってしまった。R氏には2人の娘がいた。1人は大学1年生、もう1人は高校
3年生だった。

R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の
娘の学費が難しくなった。そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言っ
たが、下の娘はそれに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも
何でもして、あんたの義務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなけれ
ばならないのだが、その妻まで、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパー
トに身を寄せてしまった。そのR氏はこう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。

●娘にも言い分はある

 いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさ
い」と言うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言
われつづけてきた。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。

 今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車を
かけている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれ
が原因でないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿
題はやったの」という言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そ
こでどうだろう、言い方を変えてみたら……。

たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イー
ジィ(気楽にやりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉
だ。あなたの子どもがテストの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言っ
てみてほしい。「気楽にやりなよ」と。この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子
のきずなを深める。子どももそれでやる気を起こす。   
(はやし浩司 親子の断絶 絆 親子断絶)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前
向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考え
なくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形
で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。

子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待す
るのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親
に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育てて
やった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」
と、恩を着せられてしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌
手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(2000年夏)。「私は母の女手
一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」
と。はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。

しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくな
ってしまった。50歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで
追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のう
ちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかり
やすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく
当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』
である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。

戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着
せがましい歌はない。窪田Sという人が作詞した『かあさんの歌』は、3番まであるが、
それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引
用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あ
なたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけな
くなってしまうに違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べ
ながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にも
ときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」であ
る。そう書くべきである。

つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々
と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中2男子)がいた。自分
のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そ
ういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取
り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはい
る。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければな
らない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢
が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを
育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本
では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し
売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。
 
 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美
徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こ
んな調査結果がある。

平成6年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若
者はたったの、23%(3年後の平成9年には19%にまで低下)しかいない。

自由意識の強いフランスでさえ59%。イギリスで46%。あのアメリカでは、何と6
3%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、
大きな転換期にきているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親の
ものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のため
でもある。私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなけ
ればならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳
ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。

いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまで
もフリーハンド、である。ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あ
なたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・
※平
※成6年)は、次のようになっている。

 フィリッピン ……81%(一一か国中、最高)
 韓国     ……67%
 タイ     ……59%
 ドイツ    ……38%
 スウェーデン ……37%

 日本の若者のうち、66%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏
から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●友人の退職 

++++++++++++++++++

今日、友人が、小学校の校長を最後に、
教職を退職することになった。

その離任式が今日、ある。
私は、校門のところで、その友人に、
花束を、渡すつもり。

「ありがとうございました」と。

++++++++++++++++++

 今日、友人が、小学校の校長を最後に、教職を退職することになった。その離任式が、
その学校である。教頭に時刻を問い合わせると、午前9時40分から10時ぐらいにかけ
て、校門を通るとのこと。私は、そこで友人に、花束を渡す。私にとっては、かけがえの
ない友人だった。これからも、ずっと、かけがえのない友人になるだろう。

 しかしこのさみしさは、いったい、何か? どこからくるのか?

 友人は、5、6年前から、「私は、あと5、6年で退職です」と、言っていた。そのとき
は、5、6年が、遠い未来に思えた。2、3年前になると、「私は、あと2、3年で退職で
す」と、言っていた。そのときも、2、3年が、遠い未来に思えた。

 しかし時の流れというのは、不思議なもの。その5、6年が終わり、2、3年が終わっ
てみると、あっという間に、時が、どこかへ消えてしまったかのように感ずる。実際、あ
っという間に、そのときが、やってきてしまった。人は、未来を遠くに思うかもしれない
が、過去は、短い。本当に短い。

 だから本当なら、私は、その友人に、「ごくろうさま」とか、「おめでとう」と言うべき
なのだろうが、そういう気持ちが、どうしても、わいてこない。「どうして教職を去るのだ!」
「どうしてそんなに年をとってしまったのだ!」「まだ、働けるではないか!」「もっと、
先生をつづけるべきではないか!」と。

 子どもたちの成長を見守るときは、時の流れは、ゆるやかで暖かい。しかし自分の老後
となると、その同じ時が、過酷で、冷たくなる。こうした「時」のもつ二面性を、どうと
らえたらよいのか。どう理解したらよいのか。

 友人も、多くの人生をみてきたにちがいない。親から子へ、そして孫へ、と。そして「時」
の流れのもつ不思議というか、切なさを、数多くみてきたにちがいない。が、やがて、そ
れは私自身へと返ってくる。友人の退職は、つまり私自身の人生のしめくくりが、そこま
でやってきていることを、意味する。

 時刻は、今、午前4時11分。ほんのりと空が明るく見えるのは、気のせいか。こんな
早起きをしたのは、ここ数か月では、はじめて。多分、その友人も、眠られぬ朝を迎えて
いるにちがいない。静かな朝だ。本当に、静かな朝だ。庭の木々をこする風の音も、今朝
は聞こえない。

 N先生、本当に長い間、ありがとうございました。今日、先生の離任式のあと、渡せる
かどうかわかりませんが、花束をもって、校門のところに立たせてもらいます。そして一
言、お礼を言わせていただきます。先生、本当に長い間、ありがとうございました。これ
からも、いつまでも、ずっと、先生の友人でいさせてください。ありがとうございました。

                                   はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●直葬(ちょくそう)

++++++++++++++++++

病院から、直接、火葬場へ。
そしてそのまま、家族だけの
静かな密葬。

それを直葬(ちょくそう)という。

今、その直葬が、ふえているという。
都市圏では、約30%が、その直葬だと
いう(中日新聞)。

+++++++++++++++++

 葬儀費用もさることながら、それまでの介護費用、病気治療費が、以前とは比較になら
ないほど、高額になってきている。だからほとんどの家庭では、その家の老齢者が死ぬこ
ろには、大半の貯金を使い切ってしまうことになるという。「とても、葬儀費用なんて、出
せない」というのが、本音?

 今、首都圏を中心に、直葬という葬儀のし方がふえているという。「じきそう」と、私は、
読んだ。しかし正しくは、「ちょくそう」と読むのだそうだ。つまり病院で死亡すると、そ
のまま火葬場へ。そして家族だけの静かな密葬を行う。

 新聞報道(中日新聞)によると、人も80歳をすぎると、友人も少なくなり、葬儀とい
っても、家族だけの集まりになるという。従来の日本の儒教的感覚からすれば、派手な葬
儀を行うのが、親の死であれば、子の務めということになっている。が、そうした感覚そ
のものが、今、大きく、音をたてて崩れ始めている。

 つまり、無駄な葬儀に、どれほどの意味があるのか、と。

 数日前、私は、ワイフにこんな会話をした。ワイフは、「葬儀など、してくれなくてもい
い」と。そこで私が、「お前が死んだら、一晩、お前を抱いて寝てやるよ」と言うと、「ど
うして?」と。

 で、私はこう答えた。「もし、ぼくが先に死んだら、多分、お前は、ぼくにそうしてくれ
るから」と。ワイフは、それを聞いて、うれしそうに笑った。

 ずっと先かもしれない。あるいは、すぐ先かもしれない。しかし私は、ワイフが死んだ
ら、もうこの世の中で生きていく自信は、ない。そんな私が、ワイフの葬儀など、できる
わけがない。したくもない。ワイフが死んだら、その夜は、そしてそのつぎの夜も、その
つぎの夜も、静かに2人だけで過ごしたい。だれにも、その静かな時をじゃまされたくは
ない。

 それを葬儀というのなら、それが私にとっての葬儀ということになる。方式や儀式など、
クソ食らえ! そんなことをしたからといって、どうして自分の心が癒されるのか!

 話をもとに戻す。

 私はたくさんの葬儀を見てきた。しかしこのところ、葬儀に出るのが、おっくうになっ
た。はっきり言えば、出たくない。できるだけ、あれこれ理由をつけて、出ないようにし
ている。そういう私を非難している人もいるようだが、非難したい人には、させておけば
よい。そういう人は、自分で考えて私を非難しているのではなく、型にはまったものの考
え方から抜け出せず、その中で、私を非難しているだけだ。

 だから、私はあえて言う。私が、死んでも、だれも来なくてよい。つまりその覚悟がで
きているからこそ、「出たくない」と、言う。私の葬儀に来ない人をうらんだり、非難した
りはしない。

 ……と少し力んでしまったが、大切なことは、どう死ぬかではなく、どうそのときまで、
生きるか、だ。その結果として、葬儀があるとするなら、それはそれ。あとは残された遺
族の問題ということになる。死んだ本人の問題ではない。

 だから私は、ワイフや息子たちにこう言っている。「無駄なお金は使うな。直葬ですれば、
費用も30万円程度ですむ」と。私は私の家族には、できるだけ迷惑をかけたくない。だ
からそういう(やり方)であっても、何ら、思い残すところはない。

 ただこういうことは言える。今、日本人のもつ意識は、大きく変わりつつあるというこ
と。戦前までの儒教的文化圏から抜け出て、アメリカ型の西欧型文化圏へと、その変革期
にあると言ってもよい。日本人にとっては、ルネサンスとも言えるべき、意識革命が、深
く、静かに、しかし確実に進行しつつある。

 そのひとつが、葬儀のし方ということか。が、「直葬」という言葉に、少なからず抵抗を
覚える人もいるかもしれない。地方の田舎へ行けばいくほど、そうだろう。しかしその葬
儀も、「型」から抜け出て、「人間」を見る方式に変わってきている。もっとわかりやすく
言えば、自然体ということか。自然な形で、自然にする。

 だからといって、もちろん、人の死を軽く考えてよいというのではない。しかし派手な
葬儀をしたからといって、人の死を重くとらえたということにはならない。あくまでもそ
れは心の問題。そういう視点で、ものごとを考えればよい。

 私のワイフが死んだ夜、親類や、近所のうるさい連中がワイワイとやってきたら、私は、
こう言うだろう。「出ていけ!」「2人だけにしてくれ!」と。そういう私を、他人がどう
思おうが、私の知ったことではない。

 これから先、長生きをすればするほど、私を知る人は少なくなり、私の死を悲しむ人も
少なくなる。人も80歳を過ぎると、ほとんどが、そうなるという。新聞記事にも、そう
書いてあった。派手な葬儀など、もとから望むべくもないが、あえてしてほしいとも思わ
ない。これはあくまでも、私の個人的な希望だが、私は、静かに、だれにも知られず、死
んでいきたい。ずっとあとになって、「あの林が死んでいた?」と思われるような、そんな
死に方をしたい。

 死ぬということは、その人にとって、人生最大の醜態をさらけ出すようなもの。少なく
とも、私にとっては、そうだ。大げさに騒いでほしくない。直葬、大いに、結構!

(付記)

 それぞれの遺族は、それぞれの思いをもって、故人と別れを告げる。その遺族が、それ
ぞれの考えもって、葬儀をする。それは、その遺族の勝手。まわりのものたちが、とやか
く言ってはいけない。

 しかし中には、世間体を優先させ、派手な葬儀をする人たちもいる。反対に、親類のだ
れかが質素な葬儀をしたりすると、「世間体が悪い」と、あれこれ不満を口にする人もいる。
どちらにせよ、つまるところ、それだけその人の精神構造が、未熟ということ。そう判断
して、まちがいない。

 派手な葬儀にせよ、質素な葬儀にせよ、大切なのは、「心」。いくら派手でも、その心が
なければ、ただの祭。しかしいくら質素でも、その心があれば、葬儀は葬儀。他人の目な
ど、気にするほうがおかしい。


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●脱北支援者に逮捕状?

+++++++++++++++

あのK国が、日本の脱北支援者に
逮捕状を出した!!

あの国は、国全体が、
もう、狂ってしまったとしか、
言いようが、ない。

+++++++++++++++

 あのK国が、拉致実行者に対して、日本が逮捕状を出したことに対抗して、脱北支援者
の日本人に、逮捕状を出したという。

 近ごろにない、とんでもないニュースである!

 ヤフー・ニュースは、つぎのように伝える。

 「朝鮮C通信によると、K国の警察に相当する人民保安省の報道官は、27日、『公民の
誘拐や拉致を背後で操ったり、直接関与した』として、日本人妻の帰国や、K国脱出住民
の生活を支援する日本の非政府組織(NGO)の幹部4人に、K国の刑法、刑事訴訟法に
基づき逮捕状を出したと明らかにした」(06年3月27日)と。

 日本から出たくない人を拉致、誘拐した人に、日本政府が逮捕状を出す。それは当然の
ことではないか。

 一方、K国から出たがって逃げてきた人を助けた人に、逮捕状を出す? ここまでくる
と、もう、あのK国は、国全体が狂ってしまったとしか、言いようがない。何を、どうい
う基準で考えているのか、さっぱり、理解できない。

 しかしこの胸騒ぎは、いったい、何か? このところK国の問題を考えていると、おか
しな胸騒ぎを覚える。不愉快というような簡単なものではない。ヒルが心に張りついてく
るような感じ。はがしてもはがしても、容赦なく、張りついてくる。あえて言うなら、頭
の狂った人間を相手にしたときのうような気分に似ているが、相手は、個人ではない。一
応、「国」という国家である。

 しかもその国は、核兵器までもっている! 『Kちがいに刃物』とは、昔から言うが、
その頭の狂った人間に、執拗にストーカーされているような感じ。印象としては、それに
近い。

 だからあえて言おう。K国は、日本在住の4人の人に、逮捕状を出したということだが、
この3人は、当然のことながら、日本は、国をあげて、守る。どんなことがあっても、守
る。

 それにしても、K国は、この先、どこまで狂っていくのだろう? このところのアメリ
カの動きを見ると、アメリカは、どうやら金xx政権の転覆(てんぷく)を、本気で考え
始めたようである。私は、今は、それが正攻法のように思う。日本にしても、まともな考
え方で、つきあえる相手では、ない。

 拉致問題にしても、今の金xx政権がつづくかぎり、解決はしない。理由は明白。K国
の最高責任者である金xx自身が、拉致問題に深く、かかわっているからである。こうし
た度を越したいやがらせ、それはまさに、いやがらせだが、それをする背景には、それが
ある。

(付記)

 同日、韓国のR合ニュースによれば、東欧にあるどこかのK国大使館員とその家族が、
ハンガリーにある韓国大使館へ、亡命を申請したという。

 K国の政府要人たちは、こうしたニュースをどうとらえているのだろうか。それとも、
ハンガリーにある韓国大使館員全員に対しても、逮捕状を出すつもりなのだろうか?


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●しつこいスパムメール

++++++++++++++++

あやしげな件名。
思わせぶりな件名。

目的は何か?

++++++++++++++++

 スパムメールが多いのには、もうなれた。しかたない。しかしここ1週間ほど、そのス
パムメールの中でも、とくにしつこいスパムメールが、届いている。

 差出人は、「伊藤xx」という女性名。件名しか読んでいないので、内容はわからない。
しかしその件名が、実に巧妙というか、思わせぶり。連続して、ひとつのストーリーにな
っているところが、恐ろしい!

件名 メール、ありがとうございました。
件名 私のメール、届きましたか?
件名 返事をお待ちしています。
件名 あれから1日、待っていましたが、まだ返事がいただけません。
件名 どうして返事をいただけないのでしょうか?
件名 恥ずかしいですが、私の写真を送ります。
件名 一度、お会いしたいんです。お願いします。
件名 OKをいただければ、あなたのところに飛んでいきます。
件名 思いきって、私の裸の写真を送ります。見てください。
件名 私では、もの足りませんか?
件名 本当に今日で最後です。どうか連絡してください。
件名 どうして、返事をいただけないのですか? どうしたらいいですか?

 ……などなど。どこかのバカ男が、女性名を語ってメールを発信しているのが、見え見
え。そんなことは、少し文を書く人間なら、だれにでもわかる。どこのだれが、自分の裸
の写真など、頼まれもしないのに、送るだろうか。

 しかし目的がよくわからない。私の住所や名前を登録させて、そのあと、何かに利用し
ようという魂胆までは、何となく、わかる。が、そのあと、どうやって、私から、お金を
巻きあげるつもりなのだろう。

 10年ほど前には、こんな事件が、よくあった。

 やはり今と同じように、「会ってくれたら、10万円さしあげます」「私をなぐさめてく
れたら、20万円さしあげます」「ホテルで会いましょう」と。

 そこでスケベ心をもった男が、言われるままホテルへ行くと、女がそこにいる。そして
いざ、セックスの段階になると、「あなたには、ムードがない」「へたくそだ」「口が臭い」
などと、あれこれ文句をつけられる。男が意気消沈していると、「どうしてくれるの?」「下
着代くらいは払ってよ」と。

 もちろんドアの向こうには、女の仲間の男が待っている。スケベな男がドアから出よう
とすると、「お前、うちの女房に何をした!」と。あとのことは、推してはかるべし。

 こうしてスケベな男は、何十万円〜かの、あと始末代を払うことに……!

 要するに、この種のスパムメールは、無視→削除。何も考えず、無視→削除。が、今、
ふと、このエッセイを書きながら、こんなことが頭にひらめいた。

 この種のスパムメールは、ひょっとしたら、私あてではないのかもしれない、と。

 つまり私に対して出されたスパムメールではなく、私のワイフに対して出されたもので
はないか、と。

 私の家では、家族が、それぞれ別のパソコンを使っている。私は私専用、ワイフは、ワ
イフ専用、と。しかし中には、パソコンを共有している家庭も多いはず。

 そういう家庭では、当然、妻が、夫のメールをのぞくということもあるはず。内容まで
はともかくも、件名くらいは、読むこともあるだろう。そのとき、その妻が、ここに書い
たような件名のメールを見たら、どうするだろうか? どう思うだろうか? 

 「うちのダンナは、だいじょうぶ」などと思って、やはり無視するだろうか? 無視で
きるだろうか? 夫を信じて疑わない妻だったら、無視するかもしれない。しかし……?

 夫に何かの疑いをもった妻なら、「ひょっとしたら……」と思って、メールを開いてしま
うかもしれない。そしてその中にある、ファイルを開いてしまうかもしれない。あるいは
どこかのサイトを開いてしまうかもしれない。

 とたん、何かのスパイウエアを、注入されてしまう。ボットを、注入されてしまう。そ
ういうことは、じゅうぶん、考えられる。

 ……ということは、別の対策が必要ということになる。つまり日ごろから、そういうお
かしなスパムメールが届くということを、妻なら妻に、よく説明しておかねばならない。
また、そういうメールは、絶対に開いてはだめだということを、よく教えておかねばなら
ない。

 でないと……!! ゾーッ!!

 ますます巧妙になりつつある、この世界。人間の心の盲点を、さまざまな形で、ついて
くる。みなさんも、くれぐれも、ご用心!!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、来月、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 26日(No.718)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page026.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●指導する人vs指導される人

++++++++++++++++

親しくなりすぎても、指導する人は、
指導できなくなる。

しかしある程度、親しくならないと、
指導は、できない。

そのあたりの一線を、どう引くか?

++++++++++++++++

 指導する人と、指導される人とは、基本的に、立場が、ちがう。ちがって当然である。
対等の立場で、対等の能力(知識)なら、指導する人と、指導される人の関係は生まれな
い。

 指導する人には、それなりの能力(知識)の優越性がなければならない。その優越性が、
それぞれの立場を、ちがったものにする。たがいになれなれしいのもよくない。しかし距
離がありすぎても、これまたよくない。とくに、相手が、子どものばあいは、そうである。

 最近でもこんな経験をした。

 そのクラスは、小学3年生だけの、4人のクラスだった。いろいろ事情があって、4人
だけになった。経営的なことを言えば、4人だけでは、経営は、なりたたない月謝を合計
しても、学生アルバイト(家庭教師)の半額にもならない。しかし私はそのクラスを、1
年以上、つづけた。

 で、新年度になり、時間的なつごうがつかず、そのクラスの4人を、別のクラスに移す
ことにした。しかしここで異変が起きた。

 1対4のときは、つまり4人だけのクラスのときは、何かにつけて、先生と生徒という
関係ではなく、友だちのような関係になる。生徒は、私のことを、呼び捨てにし、私も、
それを軽く受け流していた。

 が、ほかのクラスでは、そうではない。ある程度の緊張感がないと、10人とか、12
人のクラスをまとめることができない。が、4人だけのクラスから移ってきた子どもは、
そうではない。

 以前と、同じように、なれなれしい口調で話しかけてくる。当然、私は、それをたしな
める。が、子どもは、自分を切りかえることができない。とまどう。そしてとたん、「勉強
がおもしろくない」と言い出す。

 一度、カゴの外に出た小鳥は、カゴにはもどらない。それと同じに考えてよい。

 そこで改めて、考える。指導するものは、指導されるものに対して、どのようであるべ
きか、と。よく人間関係を口にする人がいるが、はっきりここで言っておかねばならない。
相手が、子どもでは、人間関係など、生まれない。とくに相手が、幼児や小学生では、人
間関係など、生まれない。(子どものほうが、どう考え、どう思うかは、それは子どもの問
題であって、指導するものの側の問題ではない。)

 だから指導するものは、いつも、その向こうに親がいることを意識しながら、指導する。
もちろんその親との間に、人間関係ができることはある。しかしそれとて、教育の世界で
は、できるだけ、避けなければならない。とくに私の職場のように、親といっても、90%
が母親というばあいは、そうである。

 ささいな誤解でも、そのまま大問題になってしまう。そのまま命取りになってしまう。
母親との間には、つねに一線を引いて仕事をする。たとえばこれはあくまでも、私のばあ
いだが、私はつぎの3つの原則を、守っている。(1)母親とは、子どもの教育以外の話は
しない。(2)教室の外では、決して、母親とは、会わない。(3)親類、縁者の子どもは、
教えない。

 それぞれの人には、それぞれの事情があるだろうから、私のこうした姿勢が、正しいと
は思わない。近くの友人(塾講師)は、毎週のように親たちと、飲み歩いている。それで
いて、何も、問題は起きていない。そういうケースもある。

 ただこれだけは、はっきりと言える。

 子どもの前では、先生の悪口は、タブー中のタブー。学校の先生はもちろんのこと、お
けいこ塾、スポーツクラブの先生などなど。悪口を言えば、それでおしまい。子どもは、
その先生の指導に従わなくなる。

 先生に何か、問題があるとしても、子どものいないところで、また子どもの耳に届かな
いところで、処理すること。子どもというのは、親の気持ちを、そのまま先生に伝える。
つまり子どもを見れば、その子どもの親が、先生(=私)を、どう思っているか、手に取
るようにわかる。

 これはウソでも、誇張でもない。子どもは、そういう意味では、自分をごまかしたり、
隠したりすることができない。とくに幼児〜小学高学年児は、そうである。先生といって
も、生身の人間。中には、牧師か僧侶のように思っている人もいるかもしれないが、キズ
つくときは、キズつく。

 わかりやすく言えば、指導する人は、こと子どもの教育に関しては、親の理解と信頼が
不可欠。それなくして、指導は、できない。『親しき中にも、礼儀あり』ということか。『親
しき中に垣をせよ』ともいう。
 

●パラドックス

++++++++++++++++++

私「静かにしなさい」
子「静かにしてるでしょ」
私「ぼくの言っていることに、逆らうな」
子「何も、さからっていないでしょ」と。

こういうのを、パラドックスという。
「逆らっていない」と言いながら、
私に逆らっている。

+++++++++++++++++++

 「張り紙するな」という張り紙を、張る。スピード違反をした車を、それ以上の猛スピ
ードで追いかける。こういうのをパラドックスという。

 似たようなパラドックスを、子どもの世界で、感ずることがある。A子さん(中学生女
子)と話していたときのこと。A子さんは、私が何を言っても、まず、それを否定する。

私「昨日は、いい天気だったね」
A[でも、寒かったわ]
私「街は、たいへんなにぎわいだったようだ」
A「私は人ごみは、嫌い」
私「もう春だね」
A「まだ彼岸になっていないわよ」と。

 そこで私が、「あのね、何でもぼくの言うことを否定しないでよ」と言うと、すかさず、
こう言う。「私、何も否定なんかしてないわ!」と。

私「ほら、また否定した!」
A「どうして、否定なの!」
私「それが否定しているということなの!」
A「正しいと思っていることを言うのが、否定なの? 先生、おかしいわよ」と。

 幼児にも、このタイプの子どもがいる。ふざけていて、ペン立てを倒して、ペンを床に
散らかしてしまったとする。するとすかさず、私を見つけて、「先生が、こんなところに置
いておくから、悪い!」と。

 そのA子さんだが、私がそれをたしなめると、さらに、こう言う。「だって、先生は、い
つも、言いたいことがあったら、言えと言っているでしょ。私だって、言いたいことは言
うわよ!」と。

 まさに、ああ言えば、こう言う式の反論をしてくる。まともに話していると、こちらの
ほうが、おかしくなる。気がヘンになる。

 原因は、その子どものもつ、(ひねくれ)。勝気で負けず嫌いの性格もあるが、生い立ち
が、それほど恵まれていなかったことによることが多い。A子さんのばあいも、下に妹が
いる状態で、5歳のときに、母親をなくしている。

 加えて、私に対する不平、不満があるのかもしれない。それとも、本当は、嫌っている? 
心の中は、いつも緊張状態。そのため、一見、表情はおだやかだが、そこから伝わってく
る、温もりが感じられない。心は、冷たい。兄が交通事故にあったときも、「兄は、バカだ
から」と、平然と言っていた。

 こうした(ひねくれ)、あるいは、(ひねくれ症状)は、一度身につくと、その人に、一
生、ついて回る。本人に、その自覚さえない。「私はふつうだ」と思いこんでしまう。他人
と自分を比較することもない。

 私は、このタイプの子どもを教えるのが苦手である。ついけんか腰になってしまう。自
分のいやな面だけが、えぐり出されてしまう。できるなら、こういうタイプの子どもとは、
接したくない。(おとなでも、そうだが……。)

(付記)

 何かを話しかけると、即座に、「ウッセーナー」と言いかえす。こういう態度を、心理学
の世界でも、「拒否的態度」という。慢性的な欲求不満が原因と考えられている。それがさ
らに長い時間をかけて、その子ども(人)の、性格として定着してしまう。心を開かない
ため、結婚しても、結婚生活そのものが、うまくいかないことが多いとされる。
(はやし浩司 拒否的態度 否定的態度 否定的姿勢 慢性的な欲求不満 ひねくれ ひ
ねくれた子供)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●募金活動

++++++++++++++++

現在、東海道のローカル線の駅前で、
高校生たちが、募金活動をしている。

何でも、G先生を救う会だという。

++++++++++++++++

 先日、友人の結婚披露宴のために、静岡県S市へ行ってきた。そのS駅でおりると、高
校生たちが、(中学生だったかもしれない)、何かの募金活動をしていた。それには、「Gち
ゃん」だったか、「Gさん先生」だったか、何とか書いてあって、その横に、「重い肝臓病
から、救うため」とか何とか、書いてあった。(あいまいな記憶で、ごめん!)

 同行したワイフが、チラシを受け取った。そしてそれを読んで、「肝臓移植のために、6
000万円だってエ!」と、声をあげた。

私「6000万円!」
ワ「そうみたい。そのお金を集めているんだってエ!」
私「そんなにかかるの?」
ワ「日本では、肝臓移植できないため、外国でするそうよ」
私「だれの?」
ワ「学校の先生みたい……」と。

 私は、こうした街頭での募金活動には、協力しないことにしている。今までに、何度も、
苦い経験をさせられたからである。遠くは、学生時代に、それをさせられた。たいていは、
どこかのインチキ宗教団体が、姿を変えてしている。最近では、捨て犬を救う会というの
もあった。

 が、しばらく、どういうわけか、その募金活動だけは、気になった。子どもたちの屈託
のない、つまり汚れのない顔が、美しかった。脳裏に焼きついた。「何があったのだろう」
「どうしたのだろう」と考えた。

 で、結婚披露宴が終わり、帰途についた。再び、S駅の前に来ると、相変わらず、高校
生たちが、(中学生だったかもしれない)、澄んだ声をはりあげていた。私はポケットの中
を、手でさぐった。小銭が、ジャリと音をたてた。私は、金額を見ることもなく、それを
つかんで、そのまま募金箱の中に入れた。

 「6000万円というのも、たいへんだろうな」と、瞬間、思った。「どうして日本の医
療機関ではできないのだろう」とも、思った。事情は、いろいろあるのだろう。「相手が子
どもたちなら、だまされても、悔いはない」と思いながら、私は、改札口を、ワイフと2
人で通り抜けた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心配な郵便局員

+++++++++++++++

要領をつかめない郵便局員。
そういう人を相手にすると、
言いようのない不安感を覚
える。

++++++++++++++


 毎週、アメリカに住む、二男夫婦に、新しい雑誌を届けている。今は、ロボットをつく
る雑誌を送っている。その雑誌を送るようになって、今回で、4回目になる。毎号、それ
についてくる部品を組み立てると、最後には、ロボットができあがるという雑誌である。

 で、それに週刊誌や、別の本を合わせて、昨日、郵便局へもっていった。このあたりで
も、最大の郵便局である。「本局」と、私たちは、呼んでいる。

 見ると、いつもとちがった顔の女性が、そこにいた。瞬間、「心配だな」と思ったが、そ
のカンは、的中した。

 「アメリカ、SAL便です」と言って、小包を、台の上に載せると、その女性は、何や
ら反対側で、スイッチを押し始めた。パチパチ、またパチパチ、そしてパチパチ。

女「3350円です!」
私、ギョッとして、「そんなはずはありません。1キロもないのですから……」
女「SAL便ですね。アメリカですよね」
私「あなた、国際小包のところを押していませんか」
女「SALの航空便ですね」
私「だからア、SAL便のところを押したあと、航空便を押したら、航空便の値段になっ
てしまうでしょ!」と。

 その女性は、またパチパチと、スイッチを押し始めていた。もう1人、横に、いつもの
男性がいたが、その男性は、別の客と、対峙していた。言いようのない不安感を覚えた。

女「ああ、1770円です」
私「そんなはずはありません」
女「小包ですよね」
私「小包ではありません。小型包装物です」
女「小型包装物ですかア?」
私「……SALのアメリカ、小型包装物の順でスイッチを押してみてください」
女、懸命にパチパチとスイッチを押しながら、「……1160円ですね」と。

 その包装物には、800円分の記念切手がすでに張ってある。だから残りは、360円
ということになる。私は1000円札を出したが、一向に受け取る様子もない。私がさら
にお金を出すのを、待っているといったふう。

私「1160円じゃあ、なくて、800円分の切手は張ってありますから、残りは360
円です」
女、切手を指でこすりながら、「これ、切手ですかア?」
私「そうです。切手です」と。

 私はますます不安になった。1000円札を出すと、おつりを待った。

女「じゃあ、あとはこちらでしておきますから……」
私「おつりは……?」
女「そうでしたね、ごめんなさい」と。

 その女性は、今度は計算機をパチパチとたたき始めた。が、どうも要領が悪い。が、そ
のうち、横にあった紙の上で、鉛筆を使って、計算を始めた。

 「800円分の切手が張ってありますから……。1000円いただきましたから……。
切手代金は、1160円ですから……」と。

 私はそれを見ながら、昔見た、ドリフターズの、『もしも、こんな○○があったなら……』 
という、コント番組を思い出していた(失礼!)。『もしも、こんな郵便局があったなら…
…』と。コント番組では、幽霊の局員が出てきたり、病気もちの局員が出てきたりする。
が、それで不安は、消えたわけではなかった。

 「おつりは、640円です」と、その女性は言ったが、いつものシールを張る気配がな
い。海外向けの小型包装物のばあい、4センチ四方くらいの大きさの、シールを張ること
になっている。

私「あのう……、シールは……?」
女「シールですね。シールは……、エート、これでいいですか?」と。

 見ると、それは、「SAL」と書いた、シールだった。(この話は、本当だぞ!)

私「それはもう張ってあります。ほら、小型包装物申請用のシールです」
女「ああ、そうでした。忘れていました」
私「……?」と。

 そのシールに、簡単な内容と、金額を書きこむことになっている。

 それを渡すと、女は、また、「あとは、私のほうでしておきますから……」と。

私「あのう、そこじゃあ、まずいです」
女「どうして?」
私「ガムテープの上にシールを張っても、くっつきませんから」と。

 その女性は、そのシールを、包装したガムテープの上に張りつけていた。が、気のよい
女性なのか、ニコニコ笑いながら、私の指示に従ってくれた。が、肝心の切手を張る気配
は、まるでない。しかしそれを見届けるわけにはいかない。

 私のほうも、少し疲れを覚えた。投げやりな気分になっていた。生徒だったら、がまん
もできるが、相手がおとなどと、本当に疲れる。「まあ、いいや。もし切手代不足というこ
とになって、送りかえされてきたら、領収書をもってくればいい。どうせ急ぐ荷物でもな
いし……」と。

 外に出ると、ワイフが、車の中で私を待っていた。

ワ「混んでいた?」
私「いいや」
ワ「ずいぶんと、時間がかかったわね」
私「そうなんだよ」と。

 ワイフに説明するのも、おっくうだった。何もしゃべりたくなかった。疲れた。本当に
疲れた。

 しかしあの女性、本当に切手を張ってくれたのだろうか。360円分の差額切手を……? 
今でもその不安感が、心のどこかに残っている。

 で、こういう仕事を長くしていると、瞬間見ただけで、心配な人と、そうでない人が、
区別できるようになる。しかし金額を扱う仕事だから、もう少し、心配でない人にしても
らいたい。知らない人だったら、そのまま3350円、払ってしまったかもしれない。

 それにしても、心配な郵便局員だった。


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●Eの日記より

+++++++++++++++++

私も子どものころ、
パイロットにあこがれた。
その夢を、息子が
果たしつつある?

+++++++++++++++++

Final C'Kに合格した。

 デブリ(飛行後ブリーフィング)が終わると、同じく合格を果たした、他の班の同期が
もう目を赤くさせていた。僕はというと、終わった瞬間は、「はぁ疲れたな」くらいにしか
感じていなかった。が、合格の報告をY教官にしに行ったとき、いつもは軽くあしらうあ
のY鬼教官が、最後にこっちをしっかり向いて、気をつけをし、今までに見たことのない
ようなすがすがしい顔で、「おめでとうございました」と言って、頭を下げた。思いがけな
い行動だった。部屋に帰る途中の廊下で、目頭がぐっと熱くなった。

 帯広。初めての空。暗く、長いトンネルだった。何度も追いつめられ、大好きな飛行機
の操縦すら、時にはもうやめたいと思うこともあった。今こうしてすべてを追え、ゆっく
りと振り返ってみると、山や岩や林ばかりで何もなかったところに、幅も不ぞろいで、で
こぼこだけど、確かな一本の道ができているのを感じる。

これから、もっと険しい山を削り、川を越え、空が一番綺麗に見える丘を目指してどん
どん突き進んで行くのだろう。技術は進歩し、もっと簡単に綺麗な道を作れてしまうか
もしれない。けれど、どんなに綺麗な道になったとしても、変わらないものが一つある。
それは道の向かう方向だ。この帯広で踏み固めてきたでこぼこの道の向く先に、目指す
ものがある。僕は方角がわからなくなったら、何度もこの道を振り返り、向きを修正し
ていくのだ。

 今日合格したのはA班の6人。まだ全員終わったわけではないので、思い切り喜ぶとい
うわけにはいかない。いや、たとえ全員終わったとしても、喜ぶわけにはいかない。と
言うのも、僕たちは今、大事な同期の一人を失おうとしているからだ。I―IVになく
てはならない存在、部屋っ子のK太。彼は今、Finalを目前に控え、この航大を去らなけ
ればならない。十勝の空は今、濃い灰色の雲に覆われている。
 
(息子EへのBLOGへは、はやし浩司のHPのトップページ、右下より、どうぞ。みな
さん、どうか読んでやってください。彼にも励みになると思います。)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●予科練の歌

+++++++++++++++++++++

私は子どものころ、終戦後生まれた人間では
あったが、軍歌ばかり、歌っていた。

当時は、まだそういう時代だった。

++++++++++++++++++++++

 私は子どものころ、軍歌ばかり歌っていた。軍歌が好きだった。「♪予科練の歌」「♪同
期の桜」など。

 当時は、まだそういう時代だった。敗戦によって、戦争が終わったわけではない。その
後遺症というか、残骸(ざんがい)は、そのまま色濃く残っていた。

 その軍歌を、どういうわけか、最近、またよく口ずさむようになった。とくに「♪予科
練の歌」を、よく口ずさむ。

++++++++++

予科練の歌
.  
若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にや でかい希望の 雲が湧く
.  
燃える元気な 予科練の 腕はくろがね 心は火玉
さっと巣立てば 荒海越えて 行くぞ敵陣 なぐり込み
.  
仰ぐ先輩 予科練の 手柄聞くたび 血潮が疼く
ぐんと練れ練れ 攻撃精神 大和魂にや 敵はない
.  
生命惜しまぬ 予科練の 意気の翼は 勝利の翼
見事轟沈した 敵艦を 母へ写真で 送りたい
(作詞 西条八十)

++++++++++

 私は、子どものころ、パイロットになるのが、夢だった。小学校の高学年児のころは、
毎日、飛行機ばかり作って遊んでいた。大きな翼を木で作り、それを体に取りつけて、2
階から飛び降りようとしたこともある。

 その夢は、中学生になってからも消えなかった。が、やがて近眼に。「近眼の人は、パイ
ロットになれない」と聞かされて、断念。

 しかし親子というのは、不思議なものだ。どこでどう影響を与えたのか。どこでどう影
響を受けたのか。三男が、今、そのパイロットの道を歩み始めている。その三男は、幼い
ときから、やることなすこと、私の子ども時代にそっくり。毎日、三男のBLOGを読み
ながら、果たせなかった自分の夢を、その中に読み取っている。自分を慰めている。

 そして歌うのが、「♪予科練の歌」。

 何とも軍国主義丸出しの歌だが、それがビンビンと心に響く。どうしてか? どうして
だろう? 

 最近、三男の同室の友人が、航空大学を退学した。飛行機の上で、少しふざけた。詳し
くは書けないが、ともかくも、その結果、そういうことになってしまった。

 三男にとっては、それがかなりショックだったようだ。ああいう三男だから、おそらく、
毎日、毎晩、理事や教官の間をかけ回って、処分を撤回するように動いたのだろう。三男
は、子どものときから、自分のことはそっちのけで、他人のことばかり、心配していた。

 その(心)というか、その(熱き思い)が、内容はともかくも、その「♪予科練の歌」
を口ずさんでいると、私の心に伝わってくる。

 ところで話はまったく変わるが、私の子どものころには、江戸時代がまだ生き残ってい
た。最近になって、それをことさら強く感ずるようになった。

 明治時代になったから、江戸時代が終わったわけではない。明治時代、それにつづく大
正時代という時代は、それほど大きく変化しなかった時代と言える。変化はあるにはあっ
たのだろうが、それはゆるやかな変化だったと思う。

 少なくとも、戦後の日本の変化と比べると、ゆるやかな変化だったと思う。そのせいか、
私が子どものころには、まだその江戸時代そのものが生き残っていた。

 祖父も祖母も、明治生まれの人だった。そういう祖父母にしても、ものの考え方などは、
江戸時代そのままの考え方をしていた。当然、私の父や母も、その影響を受けていただろ
うし、大正や昭和の時代になったからといって、改めて、意識改革をしたというわけでは
ない。

 何といっても、江戸時代は、300年近くもつづいた。その時代を機関車にたとえるな
ら、その機関車は、そのまま、明治、大正、昭和と、3つの時代を、突き抜けて走った。
それくらいのパワーは、もっていた。時代のどこかでブレーキをかけて停止したという事
実は、どこにもない。

 今、多くの人たちは、とくに若い人たちは、「江戸時代は、昔の話」と思っている。遠い、
遠い、昔の話、と。しかし本当にそうだろうか? そう言い切ってよいのだろうか?

 私は、今でも、江戸時代の後遺症というか、残骸を、日本のあちこちに感ずる。封建主
義的なものの考え方、風習、習慣など。地方へ行けば行くほど、それを強く感ずる。

 もちろん江戸時代がすべて悪いというわけではない。しかしそういうスキをついて、あ
の時代を決して、美化してはいけない。江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも類を
見ないほど、圧制と暗黒の時代であった。そのことを忘れてはいけない。

 で、最近になって、「武士道」という言葉をよく耳にする。しかし武士でもなかった、私
やあなたが、武士道を説いて、どうする? どうなる? 私たちの祖先の大半は、その武
士とやらに苦しめられた、町人や農民だったのだ。

 4、5年前、私の山荘の隣に住む女性がなくなった。年齢は、90歳を超えていた。そ
の女性がこんな話をしてくれたのを覚えている。

 その女性が子どものころでさえ、つまり明治時代に入ってからでさえ、士族と言われる
人たちは、帯刀したまま、道を歩いていたという。そしてそのサヤがカチャカチャと音を
立てて、近づいてくるのを耳にすると、みな、道の両側により、頭を地面につけて、その
士族と言われる人たちが通り過ぎるのを、待ったという。

 悲しいことに、日本人は、かつて一度たりとも、あの江戸時代を清算したことがない。
ないばかりか、NHKの大河ドラマに見られるように、むしろ、江戸時代の圧制暴君たち
を美化してはばからない。日本人のもつ、このオメデタサというか、従順さは、いったい、
どこから生まれてくるのか?

 江戸時代の亡霊は、亡霊として、そのまま、生き残っている。その一例が、今に見る、
権威主義であり、日本人独特の、上下意識である。「家」意識や、職業による上下意識も、
まだ色濃く残っている。若い人が何か意見を述べたりすると、「生意気抜かすな!」と、怒
鳴りかえす老人となると、いくらでもいる。

 もちろんその亡霊は、私やあなたの心の中にも、生き残っている。そういうものを静か
にながめてみるというのも、今の時代には、とても大切なことのように思う。

 とまあ、話が大きく脱線してしまったが、話をもとに戻す。

私が「♪予科練の歌」を歌ったからといって、軍国主義を肯定しているわけではない。
子どものころは、そんなことは何も考えずに、教えられるまま、この歌を歌っていた。
そのとき私が、この歌を歌いながら、パイロットにあこがれていたのは事実だし、その
ときの思いが、そのまま、この歌を歌っていると、よみがえってくる。そしてその(思
い)が、今の三男の気持ちとダブり、私の胸を熱くする。

 私は空を飛ぶことによって、鳥のように自由になりたかったのかな?


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●メール問題

 民主党のN議員が、はじめて、情報提供者の名前を明らかにした。テレビ画面に向かっ
て、何ら悪びれた様子もなく、「氏名を明らかにします」「その名前は、N沢孝とおっしゃ
る方です」(3月24日)と発言した。

 で、名指しされたN沢孝という人物は、「弁護士を通して……」などと言って、事件との
関わりを否定している。

 どちらがウソを言っているのか? この事件は、メール問題もさることながら、ウソが
どういうものであるかを知るためには、たいへんよい材料になるのでは? 


●PSEマーク

 PSEマークとは、何か? いまだにその内容がよくわからない。私が理解している範
囲で言えば、中古品販売について、経済産業省の発行するPSEマーク、つまり安全検査
マークがないと、その売買ができないということらしい。

 しかしこれこそ、まさに天下の愚法。いったい政府は、私たちの生活を、どこまで管理
したら、気がすむのか。


●韓国の東海

 「日本海」という名前の海が、そこにあることが、韓国には、よほどおもしろくないら
しい。世界にある、在外大使館を通して、それぞれの国が、「日本海」という表記を改め、
「東海」と表記するように、要請しているという。

 しかし日本海は、日本海。どうして東海なのか。韓国から見れば、日本海はたしかに「東
にある海」かもしれないが、日本にとっては、「北の海」。あるいは「北西にある海」。自己
中心性もここまでくると、「?」。

 ついでながら、韓国では、東シナ海を、西海と呼んでいるそうだ。自分の国で、その周
辺の海をどう呼ぼうが、それはその国の勝手。しかし在外大使館を通して、地図の表記を
改めるよう要請までしているとは……? 『坊主、憎ければ、袈裟まで憎い』ということ
か。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●負け犬

●負け犬

+++++++++++++++++

マスコミの世界で、華々しく活躍する
人たち。

そういう人たちは、そういう人たちなりに
努力をしている。苦労もしている。

そういう人たちを、私は、どこか
うらめしそうにながめながら、こう思う。

「そうだ、私は、負け犬なのだ」と。

そう、私は、負け犬なのだ。

+++++++++++++++++

 大きな原石から、一個のダイアモンドを削り出す。何十カラットというダイアモンドで
ある。しかしその削りカスは、捨てるわけではない。その削りカスから、また小さなダイ
アモンドを、削り出す。今度は、1カラットとか、2カラットのダイアモンドである。

 さらにその削りカスから、小さなダイアモンドを削り出す。0・01カラットとか、0・
02カラットとかいう、まあ、虫眼鏡で見なければわからないような、小さなダイアモン
ドである。さらに残ったカスは、そのまま捨てられるか、ダイアモンドであれば、研磨機
の研磨剤として使われる。

 しかしダイアモンドは、ダイアモンド。大きさに関係はない。

 何十カラットもするようなダイアモンドで、自分を輝かせる人もいれば、0・01カラ
ットのダイアモンドで、自分を輝かせる人もいる。しかしあるとき、そういう自分にふと、
気がつく。

 「私は、負け犬だ」と。私がしがみついているのは、小さな、小さな、0・01カラッ
トのダイアモンドでしかない、と。が、それはわかっていても、そのダイアモンドを捨て
るわけにはいかない。しがみつくしかない。それを手放したら、私から、輝きは消える。

 ……というには、グチか? 実は、このところ、この種のグチが多くなった。自分でも
よくわかる。それを口にすると、ワイフは、こう言う。「そんなこと言うなら、もうマガジ
ンの発行など、やめたら!」と。

 正直に告白するが、自分でも、どうしてこんなバカなことをしているのか、よくわから
なくなるときがある。それはたとえて言うなら、砂浜のゴミを毎日、拾い集めているよう
なもの。その一方で、派手な連中がやってきて、毎晩のようにその砂浜でパーティを開き、
ゴミをまき散らす。

 いくらゴミを拾い集めても、そういう連中には、かなわない。その上、こうした仕事と
いうのは、(仕事と言えるかどうかさえ、わからないが……)、だれにも評価されない。読
んでくれる人にしても、(だからといって、読者の方をどうのこうのと言っているのではな
い。それが現実だと思うから、そう書くが)、「どうせ、無料のマガジン」という評価しか
してくれない。自分でも、それがよくわかる。

 今までに、ショッキングだった事件には、こんな事件がある。

 ある男性から、子どものことで、相談があった。で、その相談について、「今は、時間が
ないので、また別の機会に考えてみます」という返事を書いた。それについて、「君は、H
Pなどで、無料相談を歌っているではないか。だったら、責任を取れ」と。

 あるいは、返事を書いても、「私の不幸話を、ダシにするとは、許せない」とか、「何も、
他人のあなたに、そこまで言われる筋あいではない」とか言って、叱られたこともある。
返事を書くといっても、1〜2時間は、かかる。さらに「有料マガジン(月額200円)
と、無料マガジンの内容が同じではないか。金を返せ」と言ってきた女性もいた。マスコ
ミの世界で、よく登場するOという女性である。

 「マガジンの量が多すぎる」「あんな長文の子育て診断など、受ける人はいない」という
苦情も、定期的に、よく届く。

 もちろん励ましのメールもあるが、数の上では、苦情や抗議のメールのほうが、多い。

 ワイフは、「あなたは無名だから、相手は、なめているのよ」と言う。そうかもしれない
し、そうでないのかもしれない。

 まあ、ともかく、1000号までは、つづける。そのあとのことは、そのとき考えれば
よい。

 人は、たとえそれが0・01カラットのダイアモンドであっても、そこに夢と希望を託
す。夢と希望をつなぐ。いくら負け犬でも、それがないと、生きていかれない。今の私が、
そうだ。

 がんばります! がんばりましょう! この日本を、すばらしい国にするために!

(カラット)(carat)は、ダイヤモンドなどの宝石の質量を表す単位である。現在は、1カ
ラット=200ミリグラム(=0.2グラム)と規定されている。分量単位として、ポイントが
あり、1カラット=100ポイントとなっている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●アザデガン油田

+++++++++++++

とうとう表に出てきた。
アザデガン油田が、である。

日本は、イランにあるこの
油田開発に、すでに、初期投資
だけでも、20億ドル以上も
投入している。

そのアザデガン油田開発に、
アメリカがストップを
かけてきた!

++++++++++++++

 ヤフー・ニュースによれば、日本とイランが合弁で開発を進めている、アザデガン油田
について、とうとうというか、ついにアメリカが、開発凍結を求めてきたという(3月2
3日・※1)。

 アザデガン油田は、推定埋蔵量260億バレルをもつ、日本最大の自主開発油田(※2)。
この油田開発が軌道に乗れば、日本は、以後、きわめて安定的に、原油を確保することが
できるはずだった。

 しかし開発凍結ということになれば、同時に、日本は、その利権を失うことになる。が、
それだけではすまない。現在、日本はイランからだけでも、原油の15%を輸入している。
その15%についても、輸入ができなくなる。

 日本は、アメリカやEU諸国とは、比較にならないほど、原油を中東に依存している。
本来なら、日本は、中東に報道機関を集中させるべきである。私たちが、その動向を、逐
一(ちくいち)知っていたところで、何もおかしくない。

 しかしそのニュースのほとんどは、アメリカやEUを経由して入ってきている。つまり
このあたりにも、日本のノー天気ぶりが、集約されている。脳死状態と言ってもよい。今
日も、どの新聞も、WBCで優勝した日本チームの話ばかり。野球ファンには申しわけな
いが、ことの重大さということになれば、WBCとアザデガン油田とでは、比較にならな
い。

 そこで日本は、「日本がアザデガン油田から手を引けば、フランスが取ってかわるだけ」
と言って、今まではアメリカを説得してきた。が、そのフランスも制裁に加わりそうな気
配。とたん、説得力をなくした。……なくしてしまった。が、さらにまずいことに、肝心
のイランは、反対に、「日本がやらないなら、中国にやってもらう」と、日本を脅し始めて
いる。中国も、その気になりつつあるらしい。

 もしここでアザデガン油田の開発と、開発利権が中国に渡ってしまえば、アジアにおけ
る日本と中国の立場は、少なくとも原油確保という点では、完全に逆転する。野球にたと
えて言うなら、3対2で、日本が1点差で試合を推し進め、つまりあと一歩で、中国に勝
てると思っていたところ、9回の最終回のウラで、中国に、満塁ホームランを打たれるよ
うなものである。

 ただアメリカは、こう言っている。「中国には、まだその力はない」と。が、それはどう
か? 砂漠での油田開発については、すでに中国は、その実力を着実に蓄(たくわ)えつ
つある。昔からこう言うではないか。『油断、大敵』と。この格言は、もとはと言えば、中
国の格言である。中国が、それを逆手に使って、日本を追い落とす可能性は、きわめて高
い。

(付記)

 ここでアメリカの申し出を日本が断れば、日米関係は、そのまま崩壊する。しかし日本
には、K国問題がある。「K国の核開発は反対だが、イランの核開発は容認する」というわ
けにはいかない。

 日本としては、結局は、アザデガン油田の開発を断念するしかないだろう。が、そうな
れば、日本はどうなるか? 日本は、戦後、最大の石油危機を迎えることになる。つまり
私たち日本人に、その覚悟はできているか? WBCでの優勝に、浮かれ喜ぶのは、その
あとでもよいのではないかと、私は思うのだが……?

++++++++++++++ 

※1……イランの核兵器開発の動きに対する国際的な反発が強まる中で、米国政府関係筋
は、ブッシュ政権のゼーリック国務副長官やジョゼフ国務次官(軍備管理・国際安全保
障担当)らが、日本政府に非公式な形でアザデガン油田の開発を、少なくとも中断するよ
う要請したことを明らかにした。米国議会でも同様の要請を行う動きが目立っている。米
国側は日本側に対し、国連の対イラン経済制裁の成否にかかわらず、同油田開発停止を強
く求めており、日本側の対応次第では、日米関係に深刻な摩擦を生むおそれが出ている。

※2……推定埋蔵量260億バレルをもつ、日本最大の自主開発油田。現在、国際石油開
発が75%、イラン国営石油会社の子会社が25%の権益を保有している。当初は200
5年中に開発作業に入り、08年から日量15万バレルで生産を始める予定だったが、イ
ラン側の地雷除去作業などが遅れており、生産開始もずれ込む見通しとなっている。(ヤフ
ー・ニュースより)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●たがいに先制攻撃?

++++++++++++++++++++

アメリカも、K国も、たがいに「先制攻撃の
選択肢を放棄したわけではない」と主張して
いる。

アメリカは、イランに対して、そう言ったの
だが、それにさっそく、K国が反応した。

++++++++++++++++++++

 K国を一言で、批評するなら、妄想的自己愛者的国家ということになる。わかりやすく
言えば、身のほど知らず。自分のことが、まるでわかっていない。

 しかしここで注意しなければならないのは、K国が言うところの先制攻撃というのは、
日本に対してであること。あるいは日本の中のアメリカ軍基地に対してであること。

 理由が、ある。

 仮にK国が日本にあるアメリカ軍基地に対して、先制攻撃をしかけたとしても、アメリ
カ軍は、それに対して、手も足も出せない。朝鮮動乱のときとは、時代も背景も、大きく
ちがう。

 アメリカ軍が反撃したくても、韓国が、それにブレーキをかける。韓国内のアメリカ軍
は、韓国政府の了解なしには、K国に対して、一兵も動かすことができない。その韓国だ
が、日本がK国に攻撃されたとき、自国を犠牲にしてまでも、アメリカに同意を与えるは
ずがない。むしろ、K国の側に立って、K国を援助するかもしれない。

 もちろん交戦権を放棄した日本も、手も足も出せない。一方的に防衛に徹するのみ。戦
争の大義名分も立つ。K国にしてみれば、日本ほど、組みしやすい国はない。

 ただそれだけの度胸が、金xxにあるかどうかというと、それは疑わしい。私は、「ない」
と思うが、しかし油断はできない。ここはアメリカ頼みということになるが、そのアメリ
カも、このところ、様子が変わってきた。「空軍と海軍は、提供するが、陸軍は出さない」
という方針らしい。

 つまり、アメリカとしても、アメリカン・ボーイズの損害は、最小限にとどめたいとい
う意向のようである。沖縄海兵隊の、グアムへの移動には、そういう意味がこめられてい
る。

 勇ましいK国制裁論と、反米、反基地闘争が渦巻く、この日本。その両者が、ますます
先鋭化する傾向さえ見せる。ともにその言い分は、よく理解できるが、ただ1点だけをの
ぞいて、私は、現在のK首相が率いる、K内閣を支持する。

 その1点というのは、Y国神社、参拝である。K首相よ、もうこれ以上、Y神社参拝に
こだわるのは、おやめなさい! 日本の置かれた状況をよく考えて、ここは、『負けるが勝
ち』。一歩退いてこそ、日本の株もあがろうというもの。どうか、どうか、おやめなさい!
(06年03月22日記)

(付記)拉致問題に抗議の気持ちをこめて、私は、「K国」、「金xx」と表記している。正
式の国名、正式の名称を使うことに、少なからず、抵抗感を覚えるからである。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●もう一つの世界

++++++++++++++++

どんどん進化する、インターネットの世界。

今度は、ポッドキャストというものが
登場した。

言うなれば、インターネットを利用した、
プライベートなラジオ放送局のこと。

++++++++++++++++

 「ポッドキャスト」という名前をご存知だろうか? 言うなれば、インターネットを利
用した個人的なラジオ放送局をいう。アメリカでは、大流行しているそうだ。

 そのためのソフト(フリ−ウエア)も充実してきている。ポッドキャスト専用の、配信
サイトも、すでにいくつか生まれつつある。よく知られたのに、ポッドキャスティングジ
ュース、Seesaaブログ、ケロログ、らじろぐなどがある。

 プロが作った番組より、おもしろいと言っている人が多い。興味のある人は、上記、サ
イトから、ポッドキャストをのぞいてみるとよい。

 で、インターネットの世界がここまで、進んでくると、たとえば今までの、電波法は何
だったのかということになる。たとえばアマチュア無線がある。私たちが学生のころは、
アマチュア無線も、4級〜1級まで、その免許がこまかく区分されていた。試験もあって、
それに合格しないと、たがいに交信することもできなかった。

 が、今では、インターネットを利用して、ラジオ放送局まで、開設できる! 資格など、
いっさい、不問。もちろんそれなりにおもしろくなければ、だれも聞いてくれない。が、
しかし可能は、可能。一度、試してみる価値はある。

 こうして考えてみると、インターネットの世界は、(現実の世界)とは別の、(もう一つ
の世界)ということになる。その(もう一つの世界)には、もう一つの別の宇宙がある。
そしてそこには、無数の国と住民がいて、(現実の世界)と同じようなことをしている。し
かしバカにしてはいけない。

 その(もう一つの世界)は、(現実の世界)にも、影響を及ぼし始めている。少し前、ラ
イブDアという会社が、世間を騒がしたが、それも、その一例。(現実の世界)の人たちが
知らない間に、(もう一つの世界)が肥大化し、(現実の世界)のテレビ局を買収する寸前
にまで、いった。

 今まさに、第二の産業革命が、静かに、しかし確実に、進行しつつある。そう考えて、
まちがいない。

 では、その(もう一つの世界)を前にして、私たちは、どうあったら、よいのか。また
どうあるべきなのか。

(1)現実感をいつも保つこと。
 
 インターネットの世界は、あくまでも(架空の世界)。その(架空の世界)の空が青いか
らといって、それをそのまま信じてはいけない。インターネットの世界には、大意汚染も
なければ、環境破壊もない。が、それが(現実の世界)と思いこんではいけない。

 つぎに人間関係を、決して電気信号でつないではいけない。人間関係は、肌で触れあい、
相手の息を感じあってこそ、その深みをます。インターネットの世界の人間関係は、電気
信号で結ばれる。相手の肌のぬくもりを感ずることはない。これがともすれば、ゆがんだ
人間関係を作りやすい。

 要するに、(現実の世界)と、(もう一つの世界)の間には、明確な一線を引くというこ
と。この操作を誤ると、それこそ、何がなんだか、わけがわからなくなってしまう。

 それにしても、ラジオ局とは! 一昔前までは、こんなことは夢物語だった。しかし今
では、その気にさえなれば、そこらの専門のラジオ局に負けないようなことまで、できる。
現に今、アメリカでは、専門のラジオ局の広告収入が激減し、インターネットラジオ局の
ほうの広告収入が、急増しているという(NHK報道番組・06年3月)。

 フ〜ンと驚いてみたり、感心してみたり……。雑誌などには、その開設方法などが、詳
しく紹介されている。興味のある方は、どうぞ!

(付記)

 この世界では、早いもの勝ち。電子マガジンが現れたころには、発行しただけで、すぐ、
100人単位の読者がついたという。もの珍しさが、それを手伝った。しかし今では、そ
れも過去の話。私のマガジンでも、読者数は、合計で2100人前後になったが、1日1
人ふえれば、よいほう。週3回の発行でも、その程度である。

 つぎに登場したのが、BLOG。今は、それが花盛りといった感じ。が、それも一巡し
つつある。トラックバックにしても、このところ、あるとしても、不良書きこみばかり。
それがしつこいほどに、つづく。「あなたの童貞、落札してみませんか」と。BLOGをし
ながら、たいはんの開設者は、コメントの書きこみを停止している。やはり不良書きこみ
が、あとを絶たないからである。

 が、最大の問題は、「だからどうなの?」という部分。「マガジンを発行したから、どう
なの?」「BLOGを開設したから、どうなの?」「ポッドキャストを開設したからどうな
の?」と。

 どうしてそれをするのかという目的を、しっかりともたないと、そのまま沈没してしま
う。その恐れは、じゅうぶん、ある。それをすることによって、自分は、何をしようとし
ているのか、と。アメリカでは、先にも書いたように、ポッドキャストを配信することに
よって、広告料を取っているそうである。つまり金儲け。

 しかしこの日本では、そこまでもっていくのが、たいへん(?)。そういう意味では、マ
ーケットが小さすぎる。思い切って英語版で勝負したほうが、よいのかもしれない。世界
を相手にできる。

 ……などなど、いろいろ考える。


はやし浩司+++++++++March '06+++++++++++Hiroshi Hayashi

●孤独

++++++++++++++

孤独になるって、いやですね。
病気になるより、ずっと、いや。

ホント!

++++++++++++++

 こうして家を離れて、ひとりで原稿を書いていると、孤独というものが、どういうもの
であるか、それがよくわかる。

 その孤独。いくら有名になっても、いくら金持ちになっても、そういうものでは、絶対
に、癒(いや)されない。(……と思う。)孤独というのは、そういう点では、もっと原罪
的なものではないか。

 では、どうすればよいのか?

 もし私たちに、信じあえる人がいたら、幸いである。
 もし私たちに、心が開けあえる人がいたら、幸いである。

 が、その信じあえる人もなく、心を開けあえる人もいないとしたら、そのとき、孤独は、
キバをむく。容赦なく、その人に襲いかかり、その人の魂まで、食いつぶす。

 そういう意味では、どんな人も、孤独の前では、か弱い、どこまでもか弱い。狼(おお
かみ)を前にした、ひよこのようなもの。

 そこで人は、たがいに助けあい、わかりあい、信じあい、心を開けあい、そして愛しあ
う人を求めて、原野をさまよい歩く。ただただ、さまよい歩く。立ち止まったとたん、孤
独が、襲いかかってくる。

 よく家出をする人が、一方的に、家から離れていくことがある。子どもの世界でも、同
じような現象が、よく観察される。そういう子ども(人)は、家出をしているのではなく、
立ち止まることができないから、そうしているだけ。

 が、やがて、体力と気力が尽きて、立ち止まる。しかしその先で待っているのは、孤独
という、自己否定。絶望。つまり、「死」。

 こうして多くの人は、孤独であることよりも、死を選ぶ。孤独という恐怖で、もがき苦
しむくらいなら、死んだほうがまし。気が楽。そして救われる。

 では、どうすればよいのか? どうすれば、この孤独と戦うことができるのか?

 一つのヒントが、イエス・キリストであり、マザー・テレサということになる。見かえ
りを求めることなく、人に心を開き、人を信じ、そして人を愛する。もちろんイエス・キ
リストやマザー・テレサのまねなど、できるはずもない。しかしその万分の一、億分の一
だけでも、それを実行できたら、人は、この孤独から、解放される。生きる喜びを、みな
と、共有することができる。(……と思う。)

 久しぶりの遠出。目の届くところに、二つの時計がある。一つは、9時37分をさして、
止まっている。もう一つは、振り子時計だが、その振り子は止まったまま。秒針は動いて
いるが、正確な時刻かどうかは、わからない。多分、夜中の10時ごろ? それとも11
時ごろ?

 静かな夜だが、しかし耳鳴りだけはジンジンと聞こえる。先ほど、頭痛薬をのんだ。花
粉症はなおったはずだが、ここ数日間、断続的にはげしいくしゃみが出る。風邪をひくと、
ときどき、こうなる。つまりなおったはずの花粉症が、現れる。

 こういうときは、気力も、(もちろん体力も)、弱くなる。と、同時に、孤独というのが、
より鮮明にわかる。

 こういう夜は、早めに床につくのが、よい。おやすみ!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================
















☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 24日(No.717)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page025.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ある相談から

+++++++++++++++

わがままな娘に手を焼いている……
そんな相談がありました。

M県M市にお住まいの、MTさん
(母親)からのものです。

+++++++++++++++

【MTより、はやし浩司へ】

17歳の娘は私たちから見ると、わがままです。一緒に生活していた時、ご飯は一緒に
食べず、食べたいときに部屋へもっていって食べたり、自分の都合で、親に送り迎えを
急に頼んだりし、散々振り回されてきました。

中学一年の半ばから不登校になり、わたしの子育てにも問題があったと、色々反省もさ
せられました。でもよかれと思って、本人の希望もあって通っていたフリースクールは
やめ、通信高校も定時制高校も、一学期間だけ通ってやめてしまいました。

高校に行き始めた頃からケータイ代を払うためバイトを始めましたが、たいした稼ぎも
ないのに、一時は何万ものケータイ代を未納していました。自分に見合ったケータイの
使い方をしたらという私の話に耳をかしません。

最近は家を出て彼氏の家にころがりこんだかと思えば、一人暮らしをすると、嬉しそう
に報告してきたり・・・。金銭感覚がまともではないような気がするのです。うちでは
お金をあげず、貸しています。が、もうそれもしていません。家にいなければ振り回さ
れることがないのでホッとする反面、外でなにしているのか・・・。このままほっとい
ていいのでしょうか?

++++++++++++++++

 17歳といえば、体も心も、もうおとな。それがわからなければ、あなた自身のときの
ことを思い出せばよい。つまりこの年齢の子どもに対しては、親としてできることは、ほ
とんど、ない。また親として何かをしようと、親が気負えば負うほど、逆効果。子どもの
目には、それが重荷となって、映る。

 MTさんの娘について言えば、現在、猛烈な速度と勢いで、おとなの世界に向けて、心
の準備をしている。今までの自分を、すべてかなぐり捨てるかのように、して、である。
しかし皮肉なものだ。

 どこのだれが、自分の子どもが、(わがままな子)になると、想像して、子育てなどする
だろうか。あどけない顔。子どもらしい、しぐさ。「パパ」「ママ」と言って、あなたの胸
に飛びこんでくる子ども。その子どもがやがて、「ケータイ代を払うために、バイトをする」
ようになるとは!

 しかし現実は、現実。そこにあるのが、厳然たる現実。親に残された選択は、ただひと
つ。その現実を、受け入れるか、それとも、その現実を拒絶するか。MTさんは、こう迷
っている。「家にいなければ振り回されることがないのでホッとする反面、外でなにしてい
るのか」と。

 では、どうするか? どうしたらよいか? 答は簡単。子どもは、信じて、信じて、信
じぬく。どんなに裏切られても、信じぬく。決して短気を起こしてはいけない。子どもへ
の愛情を断ち切ってはいけない。子どもがいくら断ち切っても、親は、断ち切ってはいけ
ない。迷うことはあるかもしれない。しかし断ち切ってはいけない。

 もしそれができなければ、毎日、子どもに向かって、こう念ずればよい。「許して、忘れ
る」と。何があっても、「許して、忘れる」と。その度量の深さが、あなたの親としての、
子どもへの愛の深さということになる。

 その愛があれば、子どもは、必ず、(必ず、だ)、あなたのもとに戻ってくる。5年後か、
10年後か、それはわからない。しかし20年を超えることは、ない。

 今、MTさんの娘は、もがいている。苦しんでいる。表面的な反抗とは裏腹に、自分で
もどうしてよいかわからず、悩んでいる。その答がわからないから、親のMTさんに、(わ
がまま)をぶつけている。わかりやすい例に、(家庭内暴力)がある。形こそ、少しちがう
が、その心理は、同じ。つまり(わがまま)をぶつけながら、MTさんの、親としての愛
情を確かめている。

 だからMTさんのすべきことは、ただひとつ。どんなに裏切られても、決して、娘を見
放さない。あとは、その根くらべ。じっとがまんの根くらべ。MTさんは、娘に、こう言
えばよい。「あなたには、負けないわよ」と。「あなたがいくら私を嫌っても、私は、あな
たを嫌わないからね」と。

 こういうケースでは、親は、子どもの悪い面ばかりが気になるもの。妄想も、ある。し
かしこと金銭感覚については、そういう子どもにしたのは、MTさん、あなた自身。生ま
れながらにして、金銭にルーズな子どもなど、いない。

 それに「ご飯は、いっしょに食べない」ということにしても、理由は、はっきりしてい
る。いっしょに食べたくないから、食べない。それだけのこと。子どもを責める前に、ど
うしていっしょに食べたくないか、その心をさぐってみたらよい。

 MTさんは、口うるさくないか? 小言を言い過ぎていないか? あれこれ指示ばかり
与えていないか? 心配や不安だけを、子どもにぶつけていないか?

 今どき、親子、仲よく食事をする子どもなど、いない。会話の消えた家庭など、ゴマン
とある。廊下ですれちがっても、たがいに目をそむけあう親子となると、もっと多い。同
居しながら、30年以上、会話らしい会話をしたことがない親子さえ、いる。

 子どもに期待しないこと。MTさんの理想像を、子どもに求めないこと。押しつけない
こと。MTさんは、MTさんで、前向きに生きる。1人の人間として、前向きに生きる。
そういう姿を見て、娘は、あなたを1人の人間として、再評価する。つまりMTさんにと
って重要なことは、そうして再評価されるに足りる親になること。あとは、子どもの判断
に任す。

【MTさんへ】

 今のMTさんには、つらい毎日かもしれませんが、ケースとしては、よくあるケース。
珍しくも何ともありません。娘さんは、(自分のしたいこと)が、何であるかも、よくわか
らないのでしょうね。どこへ行ったらよいのか。何をしたらよいのか。それがわからない
でいるのです。

 あなたにも、その年齢のとき、そういうことは、ありませんでしたか? 実は、私には
ありました。「学校」という世界で、何となく押し出されて、おとなにはなったのですが、
おとなになったとたん、そこに自分がいないのを知りました。

 今、ほとんどの子どもたちが、同じような悩みをかかえて、苦しんでいます。この日本
では、何も考えないで、おとなしく勉強だけしている子どものほうが、生きやすいのかも
しれませんね。勉強しかしない。勉強しかできない。勉強だけがすべてという子どもです。
そういう子どもほど、受験競争を、スイスイと勝ち抜いていく。親は、「いい子だ」と喜び
ますが、私には、お化けにしか見えません。

 まともな子どもなら、悩みます。苦しみます。不安もあるだろうし、将来への心配もあ
るでしょう。しかし見方によっては、娘さんは、たくましい子どもということになります。
その(たくましさ)を、評価してやろうではありませんか。

 冒頭に書きましたように、17歳では、もうどうにもなりません。子どもというより、
人格をもった、1人の人間だからです。前にも書きましたが、子どもの巣立ちは、いつも
美しいとは、かぎりません。親と、ののしりあいながら巣立っていく子どものほうが、多
いくらいです。

 だから当然、(MTさんは、どうは思っておられないでしょうが……)、だからといって、
子育てに失敗したとか、親として失格などと、考えてはいけません。あなたはあなたで、
懸命に子育てをしてきたわけですから、それでじゅうぶんです。繰りかえしますが、ケー
スとしては、珍しくも何ともありません。

 そういえば、同じような相談が、ある父親から、つい先日もありました。その相談は、
私のHPの、掲示板のほうに書きこんでありますから、また一度、そちらのほうも、のぞ
いてみてください。参考になると思います。励まされると思います。

 わかりやすく言えば、あなたの娘さんがまちがっているのではなく、今の日本の教育制
度のほうが、おかしいのです。学校以外に道はなく、学校を離れて道はないという、その
制度そのものに、です。

 本来なら、もっと人間のもつ多様性にあわせて、多様化したコースを用意しなければな
らないのに、それをサボってきた、教育制度のほうこそ、おかしいのです。そういうこと
も頭のどこかに入れて、あなたの娘さんを、理解するようにしてみてください。

 その父親からの相談のときも書きましたが、コツは、子どもの横に、友として立つよう
にすることです。友として、です。親意識など、もうこの際、捨てなさい。くだらないで
す。

 なお、こういう時期は、あっという間にすぎます。そしてあなたの娘さんが、22〜4
歳になるころには、今の問題は、笑い話になります。私のごく近い知りあいの中には、こ
んな人もいますよ。

 長男は、高校2年生のときに、無免許でバイクに乗り、事故。そのまま高校から退学処
分。二男は、暴走族に。その下に娘さんがいたのですが、この娘さんは、何とか高校だけ
は出ましたが、親からみて、きわめて不本意な男性と結婚。結婚式も隠れてするような結
婚でした。

 しかし今、3人も、すばらしい家庭を築いています。その知人の家には、毎週のように
孫たちが集まり、華やかで明るい笑い声が絶えません。

 人生というのは、そういうものです。ですから、子どものことは、許して忘れる。あと
は窓をあけ、ふとんを暖めて、子どもの帰りを待つ。どんなことがあっても、子どもを信
じて、子どもの帰りを待つ。それが親としての最後の努めということになるでしょうか。
決して、あきらめてはいけません。決して愛情の糸だけは、切ってはいけません。まさに
根くらべです。それだけは、大切に!

 あとは、静かに流れる時間が、問題のすべてを解決してくれます。


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●義務教育について。

+++++++++++++++++

義務教育の「義務」って、どういう意味?

+++++++++++++++++

 義務教育の「義務」というのは、子どもに対しての義務をいうのではない。親は、親が
もつ教育権(親権)を、国に預ける義務があるという意味での、義務をいう。

 そもそも満18歳未満の子どもに、法的義務は存在しない。もし法的義務が存在するな
ら、学校へ行かない子どもは、処罰されることになる。しかしどうやって処罰するのか?

 昔は、「オレの子の教育は、オレがする」と言って、子どもを学校へ渡さない親がいた。
そういう親は、義務教育違反として、処罰された。それなら話がわかる。

 が、その「義務」が誤解され、「子どもは、学校へ行く義務がある」というふうに理解
されるようになった。しかしそれはまちがい! もしそれを言うなら、「権利教育」と言
ったほうが、正確かもしれない。「子どもは、学校で教育を受ける権利がある」と。

 今度、政府内で、「義務教育年数を撤廃する」という動きが出てきた。「幼稚園から義
務教育にする」とか、「高校3年まで義務教育にする」とか、そういう話になっているよ
うだ(06年3月)。

 高校3年まで義務教育にするという話は、まだわかるが、しかし幼稚園まで義務教育化
するというのは、どうか? 何のために? どうして? 幼稚園教育を無料化するための
方便ということなら、賛成だが、しかし現実には、不可能。幼保一元化がやっと軌道にの
ったばかり。私立幼稚園は、今、どこも、経営を立てなおすために、四苦八苦している。

 むしろ話は逆で、確たる裏づけがあるわけではないが、4歳児では、週2〜3日、幼稚
園へ行けばじゅうぶん。5歳児でも、週3〜4日、幼稚園へ行けばじゅうぶん。それより
も家庭教育を充実させたほうがよい。何でもかんでも、学校という発想が、幼稚園教育の
レベルまで押し下げられたら、それこそたいへん!

 あのね、みなさん! 子どもを育てるのは、親の権利なのですよ! 自分の子どもと、
楽しい思い出を、たくさんつくる。それは親の権利なのですよ! どうしてそんな権利を、
自ら放棄するようなことを、するのですか!

(付記)

 私立幼稚園の経営ボーダーラインは、園児200人とされている。200人を切ると、
とたんに経営が苦しくなる。しかし今、少子化と幼保一元化の嵐の中で、私立幼稚園は、
経営を立てなおすため、どこも四苦八苦。義務教育にしたところで、経営が楽になるわけ
ではない。むしろ現場の教師に、負担ばかりがふえる。

 さらに一言つけ加えるなら、今まで、私立幼稚園だからこそできた、(自由な教育)が、
そこで終わることを意味する。現在、ほとんどの私立幼稚園では、自分の幼稚園の特殊性
を出そうと、それぞれが工夫プラス苦労をしている。日本に残された自由教育の最後の砦
(とりで)、それが私立幼稚園ということになる。

 そういう私立幼稚園を、政府は、どうしようと考えているのか? 疑問ばかりが残る!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●仮面民主主義国家

【安全マーク?】

++++++++++++++++++

今度から、中古品を販売するにも、
安全マークが張られていないと、
できないそうだ。

それにしても……!

高度に完成された社会には、
「レール」ができる。

しかしその中身といえば、
管理と規制。

レールに乗った人は、一生、
安泰。
そうでない人は、そうでない。

しかしレールに乗った人も、
それなりの代償を支払わねばならない。

+++++++++++++++++++

●レール

 日本のように、高度に完成された社会には、「レール」ができる。しかし最初に断って
おくが、「完成された社会」イコール、「理想の社会」ではない。完成された社会は、同
時に、高度に管理され、規制された社会を意味する。まさに、今の日本の社会が、それと
言ってよい。

 それはたとえて言うなら、家の中をグルグルと回りながら、そのつど、あちこちを手な
おしていく社会に似ている。「今度は、ここでは、こうしなさい」「今度は、あそこでは、
ああしなさい」「ここでは、これはしては、だめ」「あそこでは、あれはしては、だめ」
と。

 本来なら、そうしたエネルギーは、外に向かって放たれるのがよい。しかし外に向かう
といっても、向かう先がない。そこでそのエネルギーは、内へ内へと向かう。

●高度に細分化された社会

 ひとつの例として、ご存知のように、保育園の保育料金は、一家の収入(世帯収入)に
応じて、無料〜6万円超(月額)と、段階的に定められている。この額は、地域によって
も、大きくちがう。たとえば3歳未満の子どものばあい、千葉県A市では、月額2万29
00円であるのに対して、東京B市では、月額5万5900円など。

 額についてはともかくも、現在、保育料は、全国どこでも、〜3歳未満、3歳児、4歳
児以上〜と、ことこまかく、細分化されている。

 こうした息苦しいほどまでの「管理」と「規制」は、生活のあらゆる場面に及んでいる。
今では、地方の小さな町や村で、観光ガイドをするにも、試験があり、資格が必要とされ
る。この日本で、資格もなく、自由にできる仕事といえば、総理大臣以下、政治家くらい
なもの。

 で、こういう社会では、そのレールの上に乗ったものは、安泰。そうでないものは、社
会そのものから、はじき飛ばされてしまう。もちろんその先で待っているのは、損と苦労。

●本来の規制緩和とは

 そこで本来なら、自由な社会をめざし、一般庶民の知的レベルが向上するにつれて、こ
うした管理や規制は、ゆるやかなものになるのが、望ましい。が、この日本では、それが
逆行している。日本のような官僚型社会では、官僚たちが一般庶民を、より管理、規制す
ることによって、その権限と権益を増大させようとする。

 つまり新たな管理や規制をふやすことによって、同時に、自分たちの職場を拡大する。
かくして、今の日本のような、世界に類をみない、超管理型国家、超規制型国家ができあ
がってしまった。

 何でも、今度から、中古品を販売するにも、何とかマークが必要になるという。まあ、
それはとんでもない管理と言ってもよい。これからは、のみの市はもちろん、ガレージ・
セール、フリーマーケットすらも、自由にできなくなる。

 が、弊害は、それだけで終わらない。子どもの教育の世界にも、こうした管理や規制は、
大きく、暗い影を落としている。

●社会にはびこる不公平感

 この日本では、人生の入り口で、そのレールに乗ったものは、一生、安泰。楽。しかし
そのレールからはずれたものは、一生、そのまま。もっとわかりやすく言えば、不公平。
それを子どもをもつ親たちは、日常の生活の中で、いやというほど、思い知らされている。
だからこそ、子どもを受験勉強に駆りたてる。「勉強しなさい!」と。

 言いかえると、こうしたレールを取り払わないかぎり、日本は自由な国といいながら、
その自由を手にすることは、ない。もちろん受験競争も、なくならない。事実、この日本
を自由な国と思っているのは、一部の特権階級の人たちだけではないのか。考えようによ
っては、今のロシアや中国よりも、この日本には自由がない。実感としては、それに近い。

 さてあなたの子どもは、これから先、どんなレールに乗るだろうか。あるいはあなたは
自分の子どもを、どういうレールに乗せようとしているだろうか。さらにあなたやあなた
の夫(妻)は、今、どんなレールの上に乗っているだろうか。それとも乗っていないだろ
うか。

 しかしこれだけは、覚えておくとよい。レールに乗ったからといって、自由になれるわ
けではない。大半の人は、一生、そのレールにしばられ、そのレールから飛び出すことす
ら、できなくなる。いわば、カゴの中に閉じこめられた状態になる。「社会の歯車」とい
う言葉を使って、それを説明する人もいる。たった一度しかない人生を、そんなことで、
ムダにしてよいものか。

●社会の歯車で、よいのか?

 たとえば役所の保育園入園相談窓口に行ってみるとよい。その窓口の相談員は、毎日、
マニュアルを片手に、いつも同じ言葉を繰りかえしている。が、それだけ。毎日、毎日、
だ。自分で自由に裁量できる部分など、まったくない。一般庶民を、管理、規制しながら、
実は、自分自身をも管理、規制している。
 
 こうした社会で、自分をがんじがらめにしているクサリから、自分を解き放つためには、
みなが、かけ声をあわせて、1、2の3で、そのレールから飛び出すことしかない。しか
しこれは、この日本では、不可能。何といっても、歴史が長い。この日本は、奈良時代の
昔から、官僚主義国家。世界に名だたる官僚主義国家。日本の歴史は、そのまま官僚のた
めの、官僚による、官僚の歴史と言っても過言ではない。

 しかし、これが私たちが、求めてきた本当の社会なのだろうか。あるいは、私たちが求
めている社会は、そういう社会をいうのだろうか。これから先、少なくとも、この日本で
は、さらに管理、規制がきびしくなる。しかしそれは本当に、私たちが求めている未来の
あるべき姿なのだろうか。

 それにしても、中古品を販売するのにも、「安全マーク」だって? 笑わせるな! 

【高コスト社会】

 中古品が安全かどうか、だれが判断する? 当然、お役人ということになるが、その安
全マークには、それだけの人件費がかかるということになる。つまりその分だけ、中古品
は、高額になる。

 こうして日本は、さらにさらに、高コスト社会へとなっていく。たとえば食料費にして
も、日本は、欧米のほぼ2倍とみてよい。2倍だぞ。つまりそれだけのコストを、いろい
ろな名目で、お役人たちに支払っていることになる。

 教育費など、かけるべきところの予算は削り、かけなくてもよいようなところばかりに、
予算をかける。

 さあて、この先、この日本は、どうなるのだろう?

 管理、管理、規制、規制……。そのうち、日本中の日本人が、みな、窒息して死んでし
まうかもしれない。ホント!

【仮面民主主義国家】

 日本は、一応、建て前は、民主主義国家ということになっている。そして一応、政治家
たちが、政治をリードしているかのように見える。

 つまりそれだけ、官僚たちの「策謀」が、巧妙だということ。顔だけ、政治家に渡し、
脳みそや体は、官僚が支配する。動かす。議会の質問書も、答弁書も、官僚が書くという
実態を、いったい、どれだけの日本人が、知っているのか? 何も、国会や、県議会だけ
ではない。

 ある都市の、ある部長(市役所勤務)は、私にこう言った。「議員さんでもね、自分で作
文できるような人は、ほとんどいませんよ。それでね、私たちが、質問書も、答弁書も、
書いてやっているのですよ」と。

 こうした民主主義国家を、仮面民主主義国家という。「新社会主義国家」と呼ぶ学者も多
い。民主主義国家とは名ばかり。その中身は、官僚主義国家。与党や野党の党首は、みな、
元官僚。県知事の大半も、元官僚。大都市の市長の大半も、元官僚。さらに選出される国
会議員の大半も、天下りでやってきた、元官僚。

 こうして今に見る、超管理国家、超規制国家が誕生した。そしてその管理や規制は、弱
まるどころか、さらに強化されつつある。「自由」「自由」と言いながら、その自由は、ど
こにある? この日本では、官僚にたてついたら、仕事さえ、ままならない。

 国家公務員と地方公務員の人件費だけで、38兆円。日本の国家税収が42兆円あまり
だから、何と、国家税収の90%を、公務員たちが使っていることになる。こんなバカげ
た財政運営をしている国が、ほかに、どこにある?

 現在、公務員の人たちは、こういう私の意見を聞くと、猛反発する。怒る。それはわか
る。もちろん1人ひとりの公務員の人に、責任があるわけではない。官僚主義が、すべて
悪いわけではない。しかし視点を、あなたの子ども、さらにはあなたの孫に置いて、もの
を考えてみてほしい。あなたはそれでよいとしても、あなたの子どもや孫は、どうなる? 
あなたと同じ公務員になれば、それでよし。しかしみながみな、公務員になれるわけでは
ない。

 その上で、これからの日本が、どうあるべきかを、あなた自身の頭で、考えてみてほし
い。答は、おのずと、出てくると思う。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●中高年族よ、たくましく生きよう!

 こんなショッキングな調査結果が、発表された。
(ショックを受けたのは、私たちの世代だけかもしれないが……。)

++++++++++++++

●中高年フリーター、2021年には200万人突破

 大手調査研究機関のUFJ総合研究所は、35歳以上でフリーターをしている「中高
フリーター」が、2001年の46万人から、2011年には132万人に増え、20
21年には200万人を超える見通しだとする推計を発表した。

 フリーターの多くはいずれ定職を持ちたいと考えているものの、年齢が高くなるほど正
社員になるのが難しく、この状況は変わらないとの前提で推計した。

 推計では、フリーターは所得が比較的少ないため、2021年に200万人を超える人
が正社員にならずに、「中高年フリーター」となることで、国の税収が1兆1400億円、
社会保険料が1兆900億円減少するほか、2021年のGDP(国内総生産)成長率を
1・2%押し下げる要因にもなる。

また、所得が少ないフリーターは、結婚する割合が低いため、子供の出生率を年間1・
0〜2・1%押し下げ、少子化を加速させるなどとも指摘している。

 内閣府の国民生活白書によると、2001年に35歳以上でフリーターに相当する人は
46万人いた。フリーターは、パートやアルバイトなどのうち、主婦や学生を除いた人
を指す。

++++++++++++++++

 「だったら、正社員とアルバイトを差別しないことだ」と、私は最初に、そう思った。
職業にランクをつけたから、こういう結果になった。こうした職業に対する、差別意識は、
悪しき封建時代の遺物と考えてよい。

 (少し前まで、正社員になることを、「まともな仕事」といい、そうでない仕事を、「ロ
クでもない仕事」といった。)

 仕事に上下はない。正社員もフリーターもない。働く人イコール、労働者。みな、平等。
平等に保護すればよい。(アメリカでは、そうしているぞ!)

 ……とまあ、グチを言っていてもいけない。

 あえて言うなら、私もそのフリーターだが、中高年のみなさん、もっとたくましく生き
よう!

 その一言に尽きる。お金になることは、何だってする。恥も外聞も、捨てる。あとは働
いて、働いて、働きまくる。

 だいたいにおいて、日本は、公務員を優遇しすぎる。仕事も、楽。その結果として、そ
うでない人たちが、損をする。そういうしくみが、できてしまっている。

 そういうしくみを一方で、放置しておいて、「何が、GDPを下げる」だ! 本当に日本
のGDPを下げているのは、だれか、ヨ〜ク考えてみることだ。

 ……こうまでバカにされたのでは、たまらない。

 そういう事実があるなら、私たちは私たちで、たくましく生きるしかない。しかしねえ、
この日本では、何をするにも、許可だの、資格だの、認可だの……。ありとあらゆるもの
が、がんじがらめに規制されている。今では、地方の田舎町で、観光ガイドをするにも、
資格がいる。

 お金がないから、明日から、リヤカーでも引いて……というわけには、いかない。本当
に息苦しい世界になってしまった。

 おかげで、国家、地方公務員の人件費だけで、38兆円! 日本の国家税収が、42兆
円弱だから、つまりは税収のほとんどが、公務員の人件費に消えていることになる。

 こういう事実を、一方で放置しておいて、何が、「所得が少ないフリーターは、結婚する
割合が低いため……」だ。

 これでは、あたかも、フリーターが、社会のゴミのようではないか。少し前だが、どこ
かの高校の校長は、「ブリーター撲滅運動」をしていた。「撲滅」というのは、「たたき
つぶす」という意味だ。

 私がむしろ心配するのは、フリーターもさることながら、日本人から、生きる野生臭が
消えてきたことだ。いつも何かに依存しようとしている。また依存することが、生きるこ
とだと考えている。そんな感じがする。

 日本を一歩出れば、そこには、海千山千の海賊たちがゴロゴロしている。そういう世界
に囲まれて、オホホ、オホホと笑いあっていて、どうしてこれからの国際社会を生き抜く
ことができるというのか。

 フリーターには、フリーターの生きザマというものがある。そのたくましさを、みんな
に見せつけてやろうではないか。中高年よ、パワーを出そう。アメリカのカウボーイのよ
うに、野宿をしてでも、生き延びてやろうではないか。

 

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】

●友人の結婚披露宴

 昨日(3・19)、友人の結婚披露宴に行ってきた。結婚式は、昨年、フィリッピンです
ませたとか。こじんまりとした披露宴だったが、なごやかで、楽しかった。まさに、おと
なの披露宴といった感じ。

 来賓に、静岡県知事のI氏や、島田市長のS氏、それに私も以前お世話になった、中日
新聞本社取締役のA氏が来て、祝辞を述べていた。改めて、友人の人脈の広さに驚いた。


●迷い

 こうしてほぼ3年間、インターネット上で、原稿を書くということに全力を注いできた。
肝心の本は、1冊も書かなかった。しかしこれでよかったのか? またまた無駄なことを
してしまったのか?

 「書いてきてよかった」という思いと、「こんなことをして、何になる」という、2つの
思い。この両者が、交互に現れては消える。この3年間は、まさに、そういう3年間だっ
た。

 で、実は、今も、そうだ。「これからも書こう」という気持ち。「もうやめようか」とい
う気持ち。この両者が、複雑に自分の中で交錯する。さあ、どうしようか? これからも
この迷いは、ずっとつづくだろう。

●息子のBLOG

 息子のBLOGを読んで、感動する。そのBLOGには、こうあった。

 『口述、航法のC'Kに無事合格し、残すC'Kはあと一つとなった。C'K前の最後の調整フ
ライトのことを、brush up(磨き上げる)と呼ぶ。Final C'Kの前には約3時間のbrush up
時間が与えられ、それぞれ苦手なところを重点的に練習する。追い込みの時期だ。今日で
そのbrush upもほとんど終わり、残すところTGLとA/W合わせて25分のみ。25分で何
ができるのか定かではないが、明日の土曜フライトでそれを使い切って、月曜にいよいよ
Final C'Kだ。

 6ヶ月。景色は少しずつ、僕らが初めてここに来たときの色にもどりつつある。この国
で最強の部類に入るだろう長く厳しい冬を越えたのだ。そのことが一番信じられない。

 いろんなことがあった。辛く、重く、ボロボロになりながら食らい付いていった半年間
だった。押しつぶされんばかりに積もった雪は、僕たちの心の象徴だったのかもしれない。
そんな雪でも、解け始めるのを目の当たりにすると、なぜか寂しい気持ちに襲われる。僕
たちは、どんなに雪が降ってももう大丈夫。雪が解けて、世界が普通に戻っても、その能
力は消えないよね。帯広、十勝を飛び回った。いろんな空を見た。いっぱい怒られて、い
っぱい泣いて、同じくらい笑った。自分の未熟さもいっぱい知った。この半年間は今まで
の中で、一番「生きた」気がする。自分の年齢がよくわからなくなるくらい、生きた。ま
るで浦島太郎のようだ。

 同時に、あと25分で後半お世話になったY教官ともお別れだ。ここ2〜3日は今まで
の中で特に厳しい。明日は今まで一番のフライトを見せたい。月曜のC'Kは、教官に恥を
かかせないようなフライトにしたい。教官がいつも言っていたこと:操縦は人格、人格は
操縦。Challenger。気持ちで飛行機を操る。操縦桿に魂を込める。どんなに言われても、
何くそ!と負けない根性を身に着ける。かっこよく飛ぶこと。誰よりも早く上がるこ
と。・・・僕は強くなったというところを、見せたい』と。

 原文のまま、紹介した。

 実は、私も、留学時代、まったく同じ経験をした。

 ちょうど、留学して3か月目のことだったと思う。ようやく夢を、英語で見始めたころ
である。

 そのとき私は、オーストラリアでの1日を、留学前、日本にいたころの1年に感じてい
た。これは決して、オーバーなことを言っているのではない。本当に、1日を、1年に感
じていた。

 そういう自分を見つめながら、ある朝、ベッドの上で、こう思った。「まだ、3か月しか
たっていない! ぼくは、ここでもう90年も生きたような気がする。まだこんな生活が、
9か月もつづく!」と。

 私は思わず、ウォーと叫びそうになった。本当に充実した毎日だった。そのことをワイ
フに話しながら、「E(=息子)は、今、そういう気持ちなんだろうね。ぼくには、Eの気
持ちがよく理解できる」と。

 親として、これ以上、何を望むことができるか?

 本音を言えば、横浜のY大学をやめ、パイロットになりたいとEが言ったとき、私は、
内心では反対だった。で、息子には、こう言った。「どうしてお前は、金メダルを捨てて、
銅メダルを取るのか」と。Y大学へは、センター試験で、学部x位の成績で入学している。
できれば、学者としての道を進んでほしかった。

 しかしそれがEの道だった。倍率60倍のK大に入学。今は、パイロットの道を進み始
めている。職業としては、危険な職業である。これから先、飛行機事故のニュースを耳に
するたびに、ハラハラしなければならない。(もうすでに、ハラハラしているが……。)

 が、夢もできた。

 いつか、Eが、機長として初フライトをするとき、私とワイフも、その飛行機に乗る。
そのときまで、私たちは、元気で生きる。飛行機恐怖症の私だが、息子になら、自分の命
を預けることができる。死んでも、悔いはない。

 そう、その日のために、すでにパイロットの帽子まで、そろえた。息子が、くれたもの
だ。1度だけかぶったことがあるが、その帽子は、今、廊下の壁に、飾ってある。先日、
息子がそれを見て、「パパ、どうしてかぶらないの?」と聞いたので、私は、こう言った。

 「その日にかぶるよ。かぶって、お前が操縦する飛行機に乗るよ」と。

 (息子のBLOGへは、私のHPのトップページより、進んでもらえます。どうかまた
機会があれば、読んでやってください。)


●マヤ文明

 今、日本の皇太子が、南米を訪問している。3月18日には、メキシコ市からユカタン
半島のメリダに移動し、皇太子は、40度近い暑さの中、マヤ文明の遺跡「ウシュマル」
を訪問したという。

 私は若いころ、つまり30歳少し前に飛行機事故に遭遇するまで、世界中を飛び回って
いた。そのときのこと。1度だけ、そのマヤ文明のその遺跡と、マチュピツのインカ遺跡
を訪問するチャンスがあった。チケットも買い、日程も組んでいた。が、ペルーのリマま
で来たところで、突然、予定を変更。そのままニューヨーク経由で、つまりニューヨーク
で簡単な仕事をして、日本へ帰ってきてしまった。

 が、年を取ればとるほど、そのときの変更が悔やまれる。どうしてあのときキャンセル
してしまったのか、いまだに、その理由がよくわからない。が、ともかくも、キャンセル
してしまった。

 皇太子のそのニュースを読みながら、改めて、あのときの変更を悔やむ。いつか機会が
あれば、行ってみたいと思うが、もう二度とそんな機会は、ないだろう。それにあのあた
りを旅行するには、かなりの体力が必要。

 で、今回、皇太子妃は、皇太子に同行しなかった。そのことを思いながら、皇太子妃も、
いつか、後悔するのではないのかな、と思う。あの遺跡だけは、チャンスがあれば、一度
は見ておいたほうがよい。その価値はある。謎とロマンに満ちている。「もったいないこと
をしたな」という思いは、そのまま、皇太子妃への思いへとつながる。


●健康

 80歳をすぎても、ピンピンとしている人もいれば、80歳になる前に、動けなくなる
人もいる。私のワイフの通っているテニスクラブのコーチは、90歳だった。(最近になっ
て、クラブへは来なくなったと、ワイフは、言っているが……。)

 50代、60代の人たちを見ていると、それはわからない。しかし70歳を越えるころ
から、その(差)がはっきりとしてくる。

 その(ちがい)は何なのか? どうしてこうした(差)が生まれるのか? またどうす
れば、80歳を過ぎても、ピンピンとしていることができるのか?

 これは私のおおざっぱな観察によるものだが、80歳を過ぎても、ピンピンしている人
には、いくつかの共通点がある。

(1)体が、どちらかというと細身であること。(細いきゃしゃな体つきをしている。)
(2)生活の場で、いつも動き回っていること。(動きがキビキビしている。)
(3)成人病など、生活習慣病と無縁であること。(食事と運動に気をつかっている。)

 そこで私なりに引き出した結論は、こうなる。

(1)標準体重をキープする。実際には、(標準体重)x0・9程度がよいのでは。標準体
重というのは、老いも若きも、ひっくるめた体重である。それをそのまま老体に当てはめ
て考えることはできない。
(2)運動という運動よりは、日常の生活の場で、よく体を動かすこと。
(3)生活習慣病を作らないこと。糖尿病、高血圧、高脂血症、それに内臓太りの兆候が
見られたら、早めに、手を打つこと。

 若い人たちにこういう話をすると、「老後は、まだずっと先」とか、「75歳まで生きら
れれば、いいよ」などと言う。しかし老後は、あっという間にやってくる。それに40歳
のときに見る青い空も、58歳の今見る青い空も、同じ。つまり80歳になっても、90
歳になっても見る青い空は、青い空。

 私が言いたいのは、仮にその75歳になっても、「生」への執着が消えるわけではないと
いうこと。75歳になっても、今のあなたが「生きたい」と思っているように、「生きたい」
と思うもの。「予定通り、75歳まで生きたから、もう死んでもいい」などとは、絶対に思
わない。「思わない」というより、そういうふうに「思えない」。

 だからこうした兆候が見られたら、早めに手を打つのがよい。30歳だからといって、
早すぎるということはない。


●ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」

 ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」を介して、そのパソコン内部の情報が、
外部に漏れるという事件が、相ついでいる。詳しくはわからないが、スパイウエアのよう
なものが、Winnyの中に、忍ばせてあるのではないか?

 もともとファイル交換ソフトというのは、違法スレスレのソフトである。このソフトを
使えば、音楽でも映像でも、音質や画質を落とすことなく、コピーできるという。幸いに
も、私は、そのソフトを使ったことがない。しかし安心はできない。

 私が個人情報を登録している、マガジン社やBLOG社、それに証券会社や銀行のパソ
コンは、だいじょうぶなのだろうか? そういったところから、重要なパスワードや、カ
ードナンバーが、外に漏れるということは、ないのだろうか?

 さらに私は、フリーのファイル圧縮ソフトなどを、使っている。そういったソフトにも、
Winnyのような、スパイウエア的なソフトが組みこまれているようなことはないのだ
ろうか。

 念のため、昨日、2台のパソコンのウィルス検査、スパイウエア検査、それにボット検
査をしてみた。結果は、「感染なし」。しかし油断は、できない。この世界、何があっても
不思議ではない。何が起きても、不思議ではない。注意しよう。

【教訓】

(1)パソコンの世界では、冒険主義は、そのまま命取りになる。決して、冒険しては、
ならない。今の状態が最良なら、そのままの状態をキープすること。
(2)パソコンの世界では、絶対安心できるメール、絶対安心できるホームページ以外は、
開かない。
(3)どうしても……というばあいには、独立した別のパソコンを使う。私のばあいも、
「?」と思うようなメールやホームページは、別の、つまりウィルスが侵入しても構わな
いようなパソコンを使って開いている。ADSLではなく、通常のパルス信号の電話回線
を使って、開いている。
(4)相手の人に迷惑をかけないよう、今どき、定期的なウィルス検査、スパイウエア検
査、ボット検査は常識。加えて私のばあいは、プロバイダーのほうで、ウィルス検査、さ
らに各パソコンごとに、専用のソフトを導入している。さらに加えて、それぞれの仕事に
応じて、パソコンを独立さえている。HP用のパソコン、インターネット用のパソコン、
それにこの文章書き用のパソコン、など。
(5)万が一のばあいの対策を忘れない。つまり、それでも安心できない。そこで私のば
あい、パソコンごとに、外づけのハードディスクを用意し、そのつど、ファイルは、
パソコン本体のほうではなく、そちらのほうに保管している。万が一にも、ウィル
スが侵入したばあいには、パソコンごと、リカバリー(再セットアップ)するためである。
リカバリーにまさるウィルス駆除方法は、ない。

 それでも、今までに、何度、ヒヤヒヤ、ハラハラ、ドキドキさせられたことか。こうし
た対策は、そうした経験から、学んだもの。


●大井川

 静岡県島田市に、川越遺跡が、再現されて残っている。その遺跡を、ワイフと2人で見
てきた。3月も終わりに近づいたころのことである。

 で、私は、このところ、江戸時代の文化に、たいへん興味をもっている。文化といって
も、大衆文化。一般庶民の生活に、である。

 で、その川越遺跡だが、江戸時代には、大井川を渡るにも、いろいろな方法があったよ
うだ。大高欄連台といって、16人で担ぐものから、平連台といって、2人で担ぐものま
で。肩車といって、人足の肩に担がれて運ばれる方法もあった。もちろん値段もちがう。
おもしろいと思ったのは、当時は、川の深さと川の幅によっても、値段がちがったという
こと。

 毎朝、「待川越」と呼ばれる人が、水深さと川幅を計って定めたそうだ。で、その水深さ
が、2尺5寸(136センチ)になると、川留(ど)めになったという。

 その模様は、安藤広重の五十三次の版画にも描かれている。私は、その版画を見ながら、
しばし、考える。「こうした人たちは、いったい、どこへ消えてしまったのか?」と。つま
りそうした人たちが苦労して川を渡った努力は、どこへ消えてしまったのか、と。

 現代にたとえるなら、大高欄連台というのは、高級外車。平連台というのは、大衆車。
肩車は、自転車ということになる。それぞれの人たちは、それぞれの思いをもって、それ
ぞれの連台を選び、川を渡ったにちがいない。いろいろな事情もあったことだろう。何を
考え、何を思いながら、それぞれの連台に乗ったのだろう。しかしまったく、想像できな
いわけではない。

 人も半世紀以上、生きていると、「過去」というものが、おぼろげながらも、わかるよう
になる。私の子ども時代の、その先には、戦争があり、さらにその先には、大正時代、明
治時代がある。江戸時代もある。

 子どものころ見たぼんやりとした景色や風景が、そのまま江戸時代のそれと重なる。つ
まり私自身の子ども時代を思い出しながら、江戸時代もそうだっただろうなと思う。

 広重の絵には、馬に乗った人もいるし、かごに乗った人もいる。川原には、座って順番
を待つ人の姿も描かれている。ここに書いた、平連台も、いくつか無造作に横たわってい
る。

 そういう人たちは、いったいどこへ消えてしまったのか? ……ということは、同時に、
当然のことながら、私たちの運命も、やがてそうなるということ。が、だからといって、
ここで「生きることのむなしさ」を書くつもりはない。事実は、その反対で、私はそこに、
懸命に生きてきた人たちの、生きざまそのものを感ずる。

 私も何も残さないかもしれない。このまま消えてしまうかもしれない。しかし懸命に生
きたという、事実だけは残る。たとえば私の子ども時代についても、今は、何も残ってい
ない。あのころ生きていたおとなたちも、ほとんどが死んでしまっている。

 ただ残念なのは、そうして生きた人たちの、熱い実感というか、肌で触れることができ
るような現実感が、残っていないということ。かろうじて広重はそれを版画にしたが、も
しその版画もなければ、その実感は、さらに遠ざかってしまっただろう。

 どうしてあの時代は、もっと記録を残さなかったのだろう。あるいはそういう記録を、
残すことさえ許されなかったのか。江戸時代の文化といっても、そのほとんどは、こうし
た庶民の文化であったはず。歌舞伎や浄瑠璃だけが、文化では、決して、ない!

 島田の川越遺跡を訪れてみると、当時の宿場なども再現されていることもあり、その時
代にタイムスリップしたような錯覚に襲われる。それぞれの家の中に展示されている、当
時の道具などを見ると、さらにそうである。

 土日でも、訪れる人も少ない、静かな遺跡だが、一見の価値はある。みなさんも、ぜひ、
訪れてみたらどうだろうか。

(付記)

 ここ40〜50年の日本の変化には、はげしいものがあるが、しかしそれ以前はという
と、きわめてゆるやかな変化であった。

 だから私が子どものころには、江戸時代そのものが、まだいたるところに残っていた。
祖父母は明治生まれの人だったが、江戸時代そのものを引きずっていた。さらに田舎へ行
けば行くほど、江戸時代が、より濃密に残っていた。

 そういう意味でも、団塊の世代というのは、貴重な存在といってもよい。江戸時代と、
現代を同時に語ることができる。

 そんなわけで、私は、今、江戸時代の一般庶民の文化に、たいへん興味をもっている。
つまりそれが私自身のルーツでもあるからである。


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●Charlieとチョコレート工場

++++++++++++++++++++

Charlieとチョコレート工場を見た。

++++++++++++++++++++

 マガジン読者の方から、「Charlieとチョコレート工場」(ビデオ)について、評
論してほしいという依頼があった。「幼児教育を評論するものとして、どう思うか」と。

 ストーリーについては、省略するが、映画そのものは、40年以上も、世界でベストセ
ラーになっている、同名の小説を映画化したもの。どこか、マイケル・ジャクソンが個人
的に作った、「ネバーランド」という遊園地を連想させるような、過激なほどまでに、ファ
ンタジックな映画。画面がけばけばしくて、まるでパチンコ屋かどこかへ入ったような気
分になった。ただ私には、あまりにも奇想天外すぎて、星は、★★の2つ。奇想天外とい
うよりは、思考が分裂している(?)。支離滅裂(?)。突飛性を強調しすぎるあまり、肝
心の主題が、そのつど、ぼけてしまったような印象をもった。

 監督は、ティム・バートン。主演は、ジョニー・デップと、子役の、フレディー・ハイ
モア。

 5人の子どもが、チョコレート工場へ入ることを許されるが、最初から、ストーリーが、
見え見え。何よりも抵抗を覚えたのは、4人の、(できそこないの子どもたち)が、つぎつ
ぎと、それぞれの罰を受けるところ。毒気が強すぎる。しかもその(できそこないぶり)
が、強調されすぎ。極端なドラ娘に、ゲーム漬けの子ども。理屈ばかりこねる子どもに、
それに超肥満児。

 アメリカでは、「肥満」について話すのは、タブー視されているはず。ふと「こんな映画
を作っていいのかなあ?」と思った。つまり肥満児を、できそこないの子どもにしてしま
って、いいのかなあ、と。

 で、最後は、極貧家庭で、家族を大切にして生きる子ども、つまりフレディー・ハイモ
アが演ずるピーターが、最後のプレゼント、つまりチョコレート工場のすべてを譲り受け
るというプレゼントを、手にする。この子どもが、他の4人とは対照的に、超できすぎ。
不自然なほど、できすぎ。

 言わんとするところは、よく理解できるのだが、先にも書いたように、私には、奇想天
外すぎた。ビデオの流れに、ついていくことができなかった。チョコレート工場とはいう
ものの、宇宙のどこかに浮かぶ、宇宙船か何かのよう。そういう構成なら、私にも、まだ
理解できたかもしれえない。が、よくよく考えても、星は、やはり★★の2つ。

 映画としては、よくできた映画だと思う。CGをふんだんに使って、全体が夢の中の世
界のよう。しかし肝心の主人公のCharlieが、あまりにも軽すぎる。好き好きもあ
るのだろうが、私は、どうしてこんな映画に、77%もの人が、星5つの評価をしている
のか、よくわからない(MOVIE WALKER調べ)。

 私は、おもしろいとも思わなかったし、見終わったあと、「時間を無駄にした」という思
いばかりが残った。つまり得るものは、何もなかった。

 ついでに一言。子どもの見方が、甘い。短絡的。たとえば「ほしがるものを、買い与え
るとドラ娘になる」という発想は、あまりにも一方的すぎるのでは? 肥満にしても、最
近は、精神医学の分野で論じられることが多くなった。「過食症の子どもは、自己管理能力
が劣っている」という発想も、しかり。

 こんな発想で子どもをみたら、知恵の発達に問題のある子どもはどうなのか? 身体に
障害のある子どもはどうなのか? ……ということになってしまう。ADHD児や、LD
児は、どうなのか? これらは子どもの責任というより、そもそも(責任)を追及するほ
うが、まちがっている。映画に出てくる4人の子どもにしても、子どもに罰を与えても、
意味がない。

 それに罰を与える、神的な存在のCharlieにしても、どう見ても、その(神)に
見えない。心のゆがんだ、小悪魔。そんなCharlieに、どうして子どもたちを罰す
る資格があるのか? きびしい意見を書いたが、これでは、子どもに何か問題が起きると、
自分の責任を棚にあげて、子どもを何とかしようと騒ぐ、親の心理と同じではないか?

 やはり、星は★★の2つ。1つでもよい。(ゴメン!)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●夜の街(散文)

++++++++++++++++++

いろいろあって、夜の街を歩くことに。
時刻は、10時、少し前(?)。
ふだんは、見られない光景を、
私は、いくつか、目にした。

++++++++++++++++++

 肌寒さを感ずる夜だったが、それでもどこかに春の陽気をまぶしたような夜だった。仕
事の帰りに、私は、街中の通りを歩いてみた。映画館の時刻表を手に入れるためだった。
しかしそこで見た光景は、昼間と、まるでちがうものだった。

 たったひとりで、ラップを踊っている若者がいた。
 ホームレスの男が、ダンボール箱の中で、眠っていた。
 コーヒーショップのテーブルで、顔を腕でおおって、うずくまっている男がいた。
 1人の女性が、排水溝の格子を、小さな棒で、何度もつついていた。

 何をしているのかとしばらく遠巻きにして見ていたら、格子の中に落ちている、指輪の
ようなものをほじって、取り出そうとしているのがわかった。「あんなところに指輪?」と
思ったが、指輪ではなかったかもしれない。それを1個、2個と、ほじって、集めていた。

 町の中心部は、繁栄の象徴かもしれないが、夜は、その正反対の、別の姿を映し出す。
もっと正確に言えば、心にキズをもった人、孤独な人、負け組の人、そういう人たちだけ
が、取り残されて、そこにとどまる。

 しかし何という場ちがいな光景!

 近代的なビルに、大理石様のブロックで飾られた、道路。電子的な光を放つ街路灯。ネ
オンサイン。電光掲示板。その中に、ラップを踊る男がいて、ホームレスの男がいる。行
き場をなくした男がいて、女がいる。

 時刻は……?、と思って、時計をさがしてみたが、時計が、街中から消えて久しい。そ
れに公衆電話も、電話ボックスも消えた。ときどき行き交う若い男女は、みな、例外なく、
携帯電話を手にもちながら、歩いている。

 大きなちがいがあるようで、実は、どこにもない。私は、たまたま私であるだけ。朝日
とともに、この街にやってきて、夕日とともに、この街から去っていく。が、その私でも、
あと数時間、この街にとどまれば、ラップを踊り、ダンボールの中で眠るようになる。わ
ずかな小遣いを片手に、コーヒーショップのテーブルで、顔をうずめるようになる。

 同じ道を帰るとき、まだその女性は、そこにいた。今度は、顔を見ることができた。年
齢は40歳くらいだろうか。すすけた顔色をしていた。それに先ほどは気がつかなかった
が、黒い、大きなオーバーを着ていた。そのオーバーが、ほこりにまみれて、顔の色と同
じように、すすけていた。

 ラップを踊っている男も、そこにいた。ホームレスの男も、そこにいた。地下道を通っ
て、反対側に出ると、そこには、Yという予備校があった。大学受験専門の、全国チェー
ンで展開している予備校である。

 そのポスターには、こうあった。「この1年で、一生が決まる!」と。

 それは、(脅し)なのか、(励まし)なのか。そんなことを考えながら、デジタルカメラ
で、そのポスターの写真をとった。

 振り返ると、ときおり吹き降ろす強い風が、乾いた地面からほこりを巻きあげているの
がわかった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用).  mQQQm
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 21日(No.716)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page024.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●愚か者の脳みそ

++++++++++++++++++++++

A fool's brain digests philosophy into folly, science into superstition, and art into 
pedantry. Hence University education. 
愚か者の脳みそは、哲学を、愚かなものにし、科学を迷信にしてしまう。そして芸術を、
学者風にしたててしまう。大学教育というのは、そんなもの。
(ジョージ・バーナード・ショー)

++++++++++++++++++++++

 かなりきつい評論である。バーナード・ショーは、口の悪い人だったらしい。こうまで
ものを、ズバリと言い切る人は、少ない。バーナード・ショーだからこそできた芸当であ
る。

 このバーナード・ショーの言葉をもじると、こうなる。

 『バラエティ番組は、哲学を、愚かなものにし、科学を迷信にしてしまう。そして芸術
を、漫画にしてしまう』と。

 今夜も、見るつもりはなかったが、それを見てしまった。ひとつのチャンネルでは、東
京の新宿に住む、ある女性占い師を紹介していた。

 もうひとつのチャンネルでは、「時空を超えた……」とか何とかを売り物にしている、
ある手品師の手品を紹介していた。

 まず占い師だが、こうしてテレビは、またまた新しいヒーローをつくりつつある。その
番組を見て、おびただしい数の、若い女性や男性が、彼女のもとに走るようになるだろう。

 もうひとつは、手品師の手品。私が見たとき、たまたま腕の中に入った蝶(ちょう)が、
皮膚の中を移動するというところを紹介していた。私の解釈によれば、薄い、ごく薄い、
人工皮膚のようなものが腕に張ってあり、その下を蝶が移動したにすぎない。

 それを見て、ノーブレインな人たちは、どっと歓声をあげていた。占い師にせよ、手品
師にせよ、彼らに責任はない。問題は、テレビ局。いくら娯楽番組とはいえ、してよいこ
とと、悪いことがある。そのあたりの基準というか、自覚がまるでない。

 ああいうのを見て、日本人は、ますます愚かになる。子どもたちは子どもたちで、ああ
いうのを見て、それがおとなの世界だと思ってしまう。その前に、どうして日本の教育は、
自ら考える子どもを育てないのか。少し考えれば、そのどれも、すぐインチキとわかるは
ず。

 はっきり言おう。手相を見たくらいで、その人の人生など、わかるはずもない。人間の
皮膚の下を、蝶が移動するはずもない。本来なら、バカバカしくて見ておれないと考える
のが、ふつう。その(ふつう)が、この日本では、どこかへ消えてしまっている。

 今、世界がどうなっているか、少しは考えろ。目を開け。今、地球がどうなっているか、
少しは考えろ。目を開け。

 ……と、力(りき)んだところで、この話は、おしまい。こういう評論を書くのも、実
は、バカバカしい。もう疲れた。どうぞご勝手に!

 
Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●教育の自由化

++++++++++++++++++++

アメリカの教育は、実用的。その基礎を
つくったのが、ジョン・デューイ。

アメリカを代表する、哲学者、兼、教育者である。

++++++++++++++++++++

 アメリカの教育を考えるとき、ジョン・デューイをはずして語ることはできない。18
59〜1952年の人物である。彼は、「哲学と教育は密接に関連性をもつべきだ」と考
え、哲学を教育の場で実践しようとした、最初の教育者であると考えてよい。

 彼は、日常経験を最重要視し、教育もまた、実用的(道具的)であるべきだと主張した。
それ以前、つまりちょうど彼が生まれたころ、アメリカは、法律によって、「実用的なこ
とを教えることが教育」であると、自らの教育の方向性を定めている(1862年)。そ
の方向性に、デューイは、まさに理論的根拠を与え、補強したことになる。そののち、ア
メリカには、農業、工業など、実用的な教育を目ざした学校が、無数に設立された。

 どうして教育は、実用的であってはいけないのか?

 一方、この日本では、明治時代までの本山教育が、教育の基礎になっている。「寺子屋」
という教育システムそのものが、それを踏襲したものと考えてよい。小僧を教育する本山
では、毎日、一方的な詰めこみ教育が、その柱となっていた。その本山教育に、ドイツ流
のアカデミック教育が混入した。

 それが今にみる、日本の教育の原型と考えてよい。

 が、今、日本の教育は、大きな転換期を迎えつつある。おおざっぱに言えば、アカデミ
ックな教育から、実用的な教育へと脱皮しつつある。もっとわかりやすく言えば、アメリ
カ流実用主義的教育へと、脱皮しつつある。よい例が、英語である。

 日本の英語教育は、将来、英語の文法学者になるためには、すぐれた体系を整えていた。
それもそのはず。もともと日本の英語教育は、その道の学者たちによって組み立てられて
いたからである。だから、おもしろくない。だから役にたたない。だいたい、子どもたち
の中で、将来、英語の文法学者になるのは、何%いるのだろうか? そこで今の、小学校
における英語教育が始まった。実用面に重きをおいた、英語教育である。

 数学教育も、理科教育も、同じ。さらに歴史教育も、同じ。暗記につづく、暗記。その
方式こそが、本山における小僧教育そのものと言ってよい。明けても暮れても、修行とい
う名目の、読経、写経。

 なぜ私たちが歴史を学ぶかといえば、過去の経験を、未来に生かすためである。年表を
暗記し、登場人物を暗記するような歴史教育に、どんな意味があるというのか。たとえば
スペインの小学校では、1年をかけて、1つのテーマについて、子どもたちは学ぶという
(スペイン在住の読者より)。その報告を寄せてくれた人の子どもは、1年をかけて、フ
ランス革命について勉強をしているとのこと。

 こうした教育が、なぜ、この日本では、できないのか?

 デューイは、とことん日常的経験にこだわった。そしてやがて「概念は、道具である」
という、ある意味で、当然とも言えるべき結論に達した。わかりやすく言えば、道具にな
らない概念には、価値がない、と。空理空論だけでは、人は生きてはいかれない。またそ
ういう幻想を、教育にいだいてはいけない。

 アメリカの中学校では、たとえば中古車を買うというテーマで、数学の授業を始める。
そのテーマを通して、金利計算、損得の計算、少数の計算などなどを教える。ついでに小
切手の使い方まで、教える。学んでいることが、そのまま社会に出てからも役立つ内容と
なっている。

 重要なのは、自ら考える子どもを育てること。知識ではない。自ら考える子どもである。

 日本の教育の最大の欠陥といえば、自ら考える子どもを育てないこと。いまだに明治以
来の、「もの言わぬ従順な民づくり」が、教育の柱になっている。またそのワクから一歩
も、抜け出ていない。むしろこの日本では、考える子どもを、異端視する傾向が強い。そ
ういう子どもを嫌う傾向すらある。

 何も考えないで、受験勉強だけをしていれば、それでよいのか? またそういう子ども
を、優秀な子どもと言ってよいのか?

 ジョン・デューイ流教育論にも、問題がないわけではない。しかしなぜ今、デューイか
と言えば、この混沌とした混乱状況を見ればわかる。それもそのはず。旧態依然の教科書
教育の上で、それをねじまげながら、ただ何とかしようともがいている。たとえて言うな
ら、歌舞伎という舞台の上だけで、現代映画を作ろうとするようなもの。この方式には、
おのずと、無理がある。

 どうしてこの日本は、アジアのほかの国に先がけて、(検定)教科書を撤廃しないのか。

 今は、どう考えても、もう、そういう時代ではない。中央で作った教科書を、地方があ
りがたくいただきながら、子どもたちを教育する。そんな時代ではない。日本以外の先進
国で、どの国が、検定教科書など、使っているか? 文科省は、「日本の教科書は、検定
であって、中国や韓国のように国定ではない」という、どこか「?」な答弁を繰りかえし
ている。検定も、国定も、どこもちがわない。

 自由なる教育こそが、日本を発展させる。

 これから先のことはわからないが、しかしなぜ今、アメリカがアメリカであるかといえ
ば、そこに自由な教育があったからにほかならない。ホームスクール(日本のフリースク
ール)をはじめとして、アメリカでは、学校の設立そのものが、完全に自由化されている。
もちろん失敗も多いという話も伝わってきているが、そのダイナミズムこそが、一方で、
アメリカの原動力にもなっている。

 ジョン・デューイが、すでに100年前の人と知って、改めて、私は驚く。この100
年間の間に、日本の教育は何を学んだのか。日本の文部省は、何を学んだのか。ほかの省
庁が、戦後こぞって欧米化を推し進めたのに対して、日本の文部省だけは、あえてそれに
背を向けた。なぜか? どうしてか? 

 われわれはもう、文科省が心配しているような愚民ではない。
(はやし浩司 デューイ 日本の教育 教育の自由化)

【付記】

 韓国や中国が、日本の教科書にいちゃもんをつけてきたら、日本は、こう言えばよい。
「日本には、もう、そんなものは、ありませんヨ〜」と。「そんなものを使っている国は、
全体主義国家だけ。ハハハ」と。

 気持ちいいだろうな。もし、そう言えたら、さぞかし、気持ちいいだろうな。

 それに教科書という名称は、もうやめたらよい。「テキスト」でじゅうぶん。で、オー
ストラリアにも、テキストの検定制度というのがあるには、ある。しかしその検定をする
のは、純然たる民間団体。しかも検定するのは、暴力と性についての描写のみ。歴史につ
いては、検定してはいけないことになっている(南オーストラリア州など)。

 自由とは、「自らに由る」こと。日本が真に自由な国となるためには、まず教育から、
自由化すること。子どもたちの世界から、自由化すること。なぜなら、この国の未来は、
その子どもたちがつくるのだから。

 で、中には、「教科書がなければ、国がバラバラになる」と説く人がいる。それがどっ
こい。もしそうなら、アメリカやオーストラリアは、とっくの昔にバラバラになっている
はず。ちがいますか?

 さらについでに、「日本の天皇制がなくなれば、日本人の心はバラバラになる」と説く
人もいる。「日本人のアイデンティティは、天皇制にある」と説く人さえいる。

 本当に、そうかな? そう思いこまされているだけではないのかな?

 もしそうなら、中国や韓国は、とっくの昔にバラバラになっているはず。国の歴史とい
うことになれば、中国や韓国のほうが、日本のそれより、はるかに長〜イ。日本だって、
中国の歴史の一部にすぎない。「東洋史」という考え方は、そういう視点においた歴史観
をいうのですね。少なくとも、世界の歴史学者たちは、そう見ている。

 日本の歴史を、1500年とするなら、中国の歴史は、5500年。線で表現すると、
こうなる。

 日本***************(15)
 中国************************************

******************(55)

 日本人も、ここらで、そろそろ意識革命する時期にきているのではないのかな? そう、
意識革命。おかしな復古主義にこだわるのではなく、未来に向かって、前向きに進んでい
く。そのための意識革命。

 それができたとき、日本は、アジアの中でも、真の先進国になれると思うのだがなあ…
…。(つぶやきでした。)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世界のことわざ、格言

+++++++++++++++++

世界のことわざ、格言を集めてみた。
出典は、イギリスのフリー掲示板。
日本のもあって、おもしろい。

+++++++++++++++++

★Four things come not back -- the spoken word, the sped arrow, the past life, and 
the neglected opportunity. 
4つのものは、帰ってこない。口から出た言葉、放たれた矢、過去の生活、そし
て、失った機会。(アラビアのことわざ)

★Free speech is the right to shout 'theater' in a crowded fire. 
言論の自由というのは、火事場の混雑の中で、「これは見ものだ」と叫ぶ権利をいう。
(イッピーの格言)

★When two elephants fight it is the grass that suffers. 
2頭の像が戦えば、草が傷(いた)む。(アフリカのことわざ)

★Until lions have their historians, tales of the hunt shall always glorify the 
hunter. 
ライオンの世界に歴史家が現れるまで、狩の物語は、常に狩人に栄誉を与えるだろう。
(アフリカのことわざ)
 
★If the enemy within cannot kill us, then the enemy without can do us no harm 
- African Prove
 内部の敵が、われわれを殺すことができないなら、外部の敵は、害はない。(アラビア
のことわざ)

★The enemy of my enemy is my friend. 
Fuck it. Let's do it. 
 敵の敵は、私の友。くそくらえ。させたいようにさせとけ。(オーストラリアの格言。)

★Enough is a feast 
 充足こそが、ごちそう。(日本のことわざ)

★If you want happiness for a lifetime - help the next generation. 
 生涯の幸福を願うなら、次の世代を助けろ。(中国の格言)

★…a thousand paths and an infinity of dreams. Hopeful, we are halfway to where we 
want to go hopeless, we are lost forever. 
 1000の道と、無限の夢。希望もなく、行きたいところに半分来たということは、わ
れわれは道に迷ったということ。(中国のことわざ)

★That the birds of worry and care fly above your head, this you cannot change, but 
that they build nests in your hair, this you can prevent. 
 悩みごとのある鳥は、あなたの頭の上を飛ぶ。それをあなたは変えることはできない。
しかしあなたの髪の毛の中で巣をつくったとき、あなたはそれを防ぐことができる。(中
国のことわざ)

★If you stand in one place long enough, the world will come to you. 
 あなたの場所に、長く立てば、世界は、あなたに向かってやってくるだろう。(中国の
格言)

★Only after the last tree has been cut down; Only after the last fish has been 
★caught;Only after the last river has been poisoned; Only then will you realize 
★that money cannot be eaten. 
最後の木が切られたとき、最後の魚が釣られたとき、最後の川が毒されたとき、あなた
は、お金を食べることができないということを悟るだろう。(インドのことわざ)

★Coffee has two virtues: it is wet and warm. 
 コーヒーには2つの美徳がある。ひとつは濡れていること。もうひとつは暖かいこと。
(オランダの格言)

★We never know the worth of water till the well is dry. 
 井戸の水がかれるまで、水の価値はわからないもの。(イギリスの格言)

★When spiders unite, they can tie down a lion. 
 蜘蛛も団結すれば、ライオンをしばりあげることもできる。(エチオピアの格言。)

★Love is friendship set on fire. 
 愛は、火がついた友情。(フランスの格言)

★What!  No star, and you are going out to sea? Marching, and you have no music? 
Traveling, and you have no book? What!  No love, and you are going out to live? 
 何だって! 星もなしで、海に出るんだって? 音楽もなしに、行進するんだって? ガ
イドブックもなしに旅に出るんだって? 何だって! 愛もなしに、生きるんだって? 
(フランスのことわざ)

★The death of a friend is equivalent to the loss of a limb. 
 友の死は、手足をなくすようなもの。(ドイツの格言)

★Man has himself as his only friend and his only enemy. 
人は、ゆいいつの友としての自分と、ゆいいつの敵としての自分をもつ。(インドの格
言)

★The frog does not drink up the pond in which it lives 
 カエルは、自分が住む池の水をのみほさないもの。(インドの格言)


★An Irishman is never drunk as long as he can hold onto a blade of grass and not 
fall off the earth. 
 アイルランド人というのは、草をつかんで、地面に倒れるまでは、酒を飲まないもの。
(アイルランドの格言)

★Dance as if no one's watching, sing as if no one's listening, and live everyday 
as if it were your last. 
 だれも見ていないと思って踊れ。だれも聞いていないと思って歌え。あなたが最後の人
だと思って、生きろ。(アイルランドの格言)

★At the end of the game, The king and the pawn go back in the same box. 
 ゲームの終わりには、王も道化師も、同じ箱にもどる。(イタリアの格言)。

★Not everything which is bad comes to hurt us. 
 悪いものだけが、あなたを傷つけるためにやってくるのではない。(イタリアの格言)
 
★If you stand up like a nail you will get hammered down. 
 釘のように立てば、あなたはハンマーで叩かれる。(日本の格言)

★the reverse side also has a reverse side 
 ものごとの裏には、いつも裏がある。(日本の格言)

★Vision without action is daydream. Action without vision is nightmare. 
 行動のともなわないビジョンは、ただの白日夢。ビジョンのない行動は、ただの悪夢。
(日本のことわざ)

★Fear is only as deep as the mind allows 
 恐れは、心の許すかぎり深い。(日本の格言)

★If God lived on earth, people would break his windows. 
 もし神がこの世にいたならば、人々は、神の家の窓を押し破って入っていくだろう。(ユ
ダヤのことわざ)

★Turn your face to the sun and the shadows fall behind you 
 太陽のほうに顔を向けろ。そうすれば、あなたのうしろに影ができる。(マオリのこと
わざ)

★It is better to live one day as a lion, than a thousand days as a lamb. 
 子ヒツジのように1000日生きるよりも、ライオンのように1日を生きるのが、よい。
(ローマのことわざ)

★He who doesn't risk never gets to drink champagne. 
 危険をおかさないものは、シャンペーンを飲むことはできない。(ロシアの格言)

★The church is close, but the road is icey. The bar is far, but I will walk carefully. 
 教会は近い。しかし道路は、凍っている。酒場は遠い。しかし私は、注意深く歩く。(ロ
シアの格言)

★He who allows his day to pass by without practicing generosity and enjoying life's 
pleasures is like a blacksmith's bellows -- he breathes but does not live. 
修行もせず、人生の楽しみも楽しまず、ただ日々を過ごすものは、鍛冶屋のふいごのよ
うなもの。ただ生きるために呼吸をしているだけ。(サンスクリットのことわざ)

★They talk of my drinking but never my thirst 
 彼らは、私の飲酒のことを話す。しかし私の渇きについては、話さない。(スコットラ
ンドの格言。)

★Don't speak unless you can improve upon the silence 
 それが沈黙から進歩したものでなければ、話すな。(スペインの格言)

★I don't want the cheese, I just want out of the trap. 
私はチーズがほしいのではない。ワナから抜け出たいだけ。(スペインのことわざ)

★Whoever gossips to you will gossip about you. 
あなたにゴシップを伝える人は、あなたについてのゴシップを流す。(スペインの格言)

★Shared joy is a double joy; shared sorrow is half a sorrow. 
 喜びを分けもつことは、2倍の喜び。悲しみを分けもつことは、半分の悲しみ。(スウ
ェーデンのことわざ)

★Fear less, hope more; Wine less, breathe more; Talk less, say more; Hate less, love 
more; And all good things are yours. 
 恐れを少なく、希望を多く。酒は少なく、呼吸は多く。おしゃべりは少なく、もっと話
す。憎しみは少なく、愛を多く。そうすれば、よいことは、あなたのもの。(スウェーデ
ンのことわざ)
(はやし浩司 格言 ことわざ 世界の格言 世界のことわざ)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●富士山

++++++++++++++

今日、佐鳴湖の西岸にある
富士見橋から、富士山が、
くっきりと、美しく見えた。

こんな日は、年に何回あるだ
ろうか。

家に帰り、カメラをもってくる。
写真をとる。

+++++++++++++

 佐鳴湖の西岸に、富士見橋という名前の、橋がある。その名前のとおり、その橋からは、
富士山がよく見える。……ということだが、実際には、富士山が見える日は、そんなにな
い。とくに富士山が美しく輝いて見える日は、少ない。年に数回あるかないかという程度
ではないか。

 その富士山が、今日は、みごとなほどまでに、くっきりと見えた。美しく見えた。真っ
白な富士山である。私はそれを見て、思わず、声をあげた。ウォーッと。が、そういう日
にかぎって、デジタルカメラをもっていない。あわてて家にもどり、カメラをもって、再
び、富士見橋へ。

 佐鳴湖といっても、その両岸は、丘に囲まれている。だからどこからでも富士山が見え
るというわけではない。その富士見橋のところでしか、見えない。ちょうどその橋からだ
と、対岸の丘がくびれるようにして、下にさがっている。そのくびれの向こうに、富士山
が見える。

 もっとも今は、その富士見橋のそばに、大きな水門ができ、富士見橋からは、直接富士
山を見ることはできない。橋の横の道を通って、水門の向こう側に出なければならない。
水門の東側には、歩道が作ってある。

 私は、その歩道にカメラを構えた。するとすぐ、一人の男性が私に話しかけてきた。「き
れいですね」と。

 男性の年齢は、65歳くらいだっただろうか。おだやかな顔をした紳士だった。

私「はあ、こんな日は珍しいです」
男「私も、このあたりを毎日のように散歩しているのですが、こんなところから富士山が
見れるなんて、知りませんでした」
私「はあ、あの橋の名前を、富士見橋というんですよ。富士山を見ることができるから、
富士見橋というのですよ」
男「そうですか。もう、このあたりに住んで30年になるというのに、知りませんでした
……」と。

 私が三脚にカメラをすえつけ、カメラを構える間中、その男性は、あれこれと話しかけ
てきた。以前は、浜松市の東にある、船越町(ふなこしちょう)というところに住んでい
たという。その船越町から、そのあたりのどこかに、30年ほど前に引っ越してきたとい
う。私はその男性にかまわず、カメラのシャッターを切りつづけた。

 望遠にして、タイマーをセットした。風が強く、カメラが落ちつかない。台風並みの風
が、ゴーゴーと吹いていた。私のカメラは、P社製の、手ぶれ防止つきのカメラである。そ
の性能を信じて、シャッターを切る。バシャ、バシャ、と。

私「ほら、北には、日本アルプスの山々が、あんなに美しく見えますよ」
男「本当だ。これはすばらしい」
私「今日のように、風が強くないと、こうまで、きれいには見えないものです」
男「写真は、焼くのですか?」
私「いえ、このまま私のホームページに載せます」
男「焼かなくても、いいのですか? お金はかかりませんか?」
私「そうです。お金はかかりません。ただですよ。そのままコピーするようにして、載せ
るのですから……」と。

 その男性は、感心した様子だった。が、その一方で、どこか恥ずかしそうな表情をして
みせた。パソコンのことは、まったく知らないといったふうだった。私は、それにも構わ
ず、シャッターを切りつづけた。

 その男性は、相変わらず、自分のことを話しつづけた。「八幡中学って、ご存知ですよね。
あの近くに住んでいたこともあります。あそこからは、子どものころ、富士山がよく見え
ました」「馬込川(まごめがわ)の土手に立つとね、そこから富士山がよく見えましたよ。
今は、高いビルに囲まれて、見ることができませんがね……」と。

 私はふと、時間があれば、友だちになれる人だと思った。しかし時間がない。私は、そ
のまま仕事に向かう途中だった。そう思ったとたん、ふと、言いようのないさみしさを感
じた。

私「これから仕事に行かねばなりません。ゆっくりと話したいのですが、時間がなくてご
めんなさい」
男「そうでしたか。それは悪かったです。私のほうこそ、あやまらなくてはいけません」
私「失礼します」と。

 私はそそくさとカメラの三脚をたたむと、自転車のカゴにほうり投げた。そしてそのま
ま自転車を走らせた。頭の中で、つぎの撮影ポイントを考えていた。

 相変わらず強い風が吹いていた。自転車がそのつど、ヨロヨロと大きく揺れた。と、そ
のときうしろを見ると、その男性は、まだその位置にいた。欄干(らんかん)に体を寄せ
かけて、じっと富士山の方角を見ていた。

 「どういう人だろう……?」と思った。「毎日、ひとりで散歩をしているのだろうか」と
も。が、しかしそのとき、強い風が足元から吹きあげた。自転車が大きく揺れた。とたん、
その男性のことを忘れた。

 ……そして今。このエッセーを書きながら、改めてふと、思う。「あの男性は、どういう
人だったのだろう……」と。
(06年3月17日記)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●老後

+++++++++++++++++

老後は、突然、やってくるものではない。
少しずつ、少しずつ、夕日が山の端(は)に
隠れるようにやってくる。

それに気づくか、気づかないかは、
その人しだい……。

++++++++++++++++++

 若いころは10年に1度、歯医者に通った。それから少したつと、それが5年に1度と
なった。それが今では、3年に1度。今回、歯医者に言ったら、ドクターが、そう言った。
「林さん、3年ぶりですね」と。

 同じように、齢をとればとるほど、病院へ通う、そのサイクルが短くなる。若いころは、
1年に1回程度だったものが、今では、数か月に1度くらいになった。さらに歳をとると、
それが毎週になり、毎日になるかもしれない。

 私の近所には、ほとんど毎日、病院へ通っている老人がいる。

 つまり老後は、すべからく、こうしてやってくる。若いころは、からだのどこかの腱を
傷(いた)めても、たいてい、1、2週間でなおった。それが今では、1、2か月とつづ
く。病気になる回数もふえるが、その病気が、長くつづく。

 で、今日、歯医者へ行ったら、待合室に大きなポスターが張ってあった。そこには、「健
康長寿」という言葉が書いてあった。「寝たきり老人になってはいけません」というような
ことも、その下に書いてあった。「健康長寿」。ナルホド、よい言葉だ。老後は老後でも、
できるだけ、健康を維持したままのほうがよい。

 それはわかるが、しかしそれは時間の問題。60歳まで健康でも、70歳で病気になる
かもしれない。70歳まで健康でも、80歳で病気になるかもしれない。80歳まで健康
でも、90歳で病気になるかもしれない。長寿が、ただの延命であってはいけない。意味
がない。

 わかりやすく言えば、「健康だからどうなの?」という部分がないまま、長生きしても意
味がない。健康であるならあるで、その健康を、自分の命としてではなく、人類共通の財
産として、みなに、還元していかねばならない。(少し、大げさかな……?)還元しないま
ま、長生きをしても、かえってみなに、迷惑をかけるだけ。そうなる。

 そこでふと、こう思う。「自分が死ぬときは、さりげなく、だれにも知られず、静かに、
さらりと死にたい」と。

 しかしそうはうまくいかない。自分でも、それがよくわかっている。それにそのときに
ならないと、それがわからない。死に方にも、いろいろある。突然、死ぬ人もいれば、長
い間、がんと闘いながら死んでいく人もいる。それを決めるのは、運と確率。偶然と必然。
それらが混ぜん一体となって、死に方を決める。

 しかし私は、私の義父ほど、立派な死に方を見せた人を知らない。最後は胃がんだった
が、見舞いにきていたみなの前で、自ら、延命装置を両手ではずして、それで死んでいっ
た。そういう死に方もある。

 さてさて、今度は、何年後に歯医者に行くことになるのか? 3年後か、それとも2年
後か。そう言えば、今日、ドクターが気になることを言った。上の歯の歯石が取れなかっ
たことを言いながら、「まあしばらく様子を見てください。この歯とこの歯は、そのうち抜
けてくるかもしれません。それまで、おだいじに」と。

 どこか治療をあきらめたような言い方だった。つまり私を、老人あつかいし始めた? ハ
ハハ。こうして私も、どんどんと老人になっていく。もう一度、ハハハ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「人権大会を阻止」

++++++++++++++++++++++

3月22〜23日、ベルギーで、K国を非難する、
「K国人権大会」が開かれることになった。

それはわかる。

しかしその人権大会を阻止しようと、現在、
韓国では、「大規模な阻止デモ」(朝鮮N報)が、
計画されているという。

まったくもって、????な、計画である。

++++++++++++++++++++++

 3月22日と23日に、ベルギーのブリュッセルで、K国の人権問題を討議するための、
「K国人権国際大会」が開かれる。

 その人権大会を阻止しようと、つまりやめさせようと、現在、韓国内で、「大規模な阻止
デモ」が計画されているという(朝鮮N報)。

 朝鮮N報は、つぎのように伝えている。

 「大学総G生会連合(韓S連)と統一R帯は、14日、『人権を覇権政策の道具として活
用する対北敵対政策が、米国、日本に続き、ヨーロッパ連合にまで拡大している』とし、『韓
半島(朝鮮半島)の平和と自主権を蹂躙(じゅうりん)する、米国の対北敵対政策に強力
に抗議する、韓半島の自主平和統一国際遠征闘争を展開する』とした」(報道文のまま)と。

 つまりK国の人権問題が、アメリカ、日本につづき、ヨーロッパまで拡大し始めている。
これらはアメリカのK国敵視政策によるものである。だから、それに抗議するため、大会
を阻止する、と。

「90人余で組織される予定のこの遠征隊は、20〜25日、ブリュッセル市内の各地
やヨーロッパ議会などで市街行進、キャンドル集会、写真展を行う計画。1人当たりの
参加費用は130万ウォン。韓S連はホームページで遠征隊30人余を募集している」
とも。

 被害妄想も、ここまでくると、どうにも、手がつけられない。「敵視政策」というが、ア
メリカは、K国など、もとから相手にしていない。韓国すら、相手にしていない。相手に
していないことは、アメリカの大地に立ってみると、わかる。

 むしろ「相手にしてくれ」「相手にしてくれ」と、悪あがきをしているのは、K国のほう
ではないのか? この日本だって、相手にしたくない。しかしそのつど、やっかいな無理
難題をふっかけてきては、日本にちょっかいを出してくる。

 が、それにしても、「阻止デモ」とは?

 昨年、日本の国連の安保理事加入問題では、韓国政府は、各国に特使まで送りこんで、
日本の加入を阻止した。もちろんそうした報道は、韓国内では、いっさい、なされていな
い。日本でも知る人は少ない。

 一方、今度、韓国の外務大臣が、国連の事務総長に立候補した。それについて、韓国の
メディア(新聞)は、「日本は、国連の場で、賛成の意思を表示しなかった」と、自分たち
がしてきたことを棚にあげて、日本を非難している。

 それぞれの国が、それぞれの国の立場で、何をしようと、それは、それぞれの国の勝手。
しかし今回の、阻止デモには、あきれた。驚いた。こうまで韓国という国が、K国寄りに
なっているとは、私も知らなかった。朝鮮N報の報道によれば、K国が今のように人権問
題を引き起こすようになったのには、理由があるというのである。しかもその理由は、ア
メリカが作ったもの。デモ隊は、それを説明するために、ベルギーへ行く、と。

 フ〜ンと思ってみたり、ヘ〜エと思ってみたり……。

 この記事を読んでいるとき、私は、あのM号(新潟とK国を結ぶ、定期船)を思い出し
ていた。

 一度、その船の中の様子が、テレビで紹介されたことがあるが、その中で、在日朝鮮人
の女子学生たちが、食後、「♪……崩壊する……崩壊する」と、笑いながら歌っていたのを
覚えている。もちろん彼女たちが歌う「崩壊する」というのは、この日本のことである。

 何を歌おうと、それは彼女たちの自由だが、しかし問題は、なぜこうまで、彼女たちに
敵意をもたせてしまったかということ。今では在日朝鮮人といっても、3世、4世の時代
になっている。その3世、4世の若い女子学生たちが、日本の崩壊を楽しみにしている(?)。
つまりそこに、この問題の、根深さがある。複雑さがある。

 私はその光景を見たとき、「私なら、そんな国、つまり日本には住まないだろう」と思っ
た。崩壊するのを楽しみにしながら、その国に住むと言いうのも、さぞかし、つらいこと
だろう、と。しかしこうした屈折したものの考え方は、(あくまでも日本人の私がそう感ず
るだけだが)、どこか「阻止デモ」を組織する人たちの考え方と共通している。

 どうして今、阻止デモなのか? K国の人たちがそれをするなら、まだ話もわかる。し
かしなぜ韓国の人たちが、それをするのか。私には、どうしても理解できない。

 私がUNESCOの交換学生として、韓国に渡ってから、もう40年近くの年月が流れ
た。その40年もの間、韓国は、何も変わっていない。自分で自分を変えようともしてい
ない。いまだに秀吉の朝鮮出兵をのろい、「朝鮮動乱で日本は、戦後復興をなしとげた」「ベ
トナム戦争では、韓国兵の犠牲の上で、金をもうけた」「南北が分断されたのは、日本のせ
い」と主張している。私はこうした話を、当時、それこそ耳にタコができるほど、聞かさ
れた。

 ゆいいつ救いなのは、そうした活動を支持している、韓国のN大統領の支持率が、20%
台であること。与党、U党の支持率が、10%台であること。こうした阻止デモに見られ
るような、「?」な動きは、決して、韓国の人たちの心を代弁しているものではないという
こと。良識ある韓国の人たちは、おそらく、眉をひそめているにちがいない。

 私は、そちらのほうを信じたい。が、それにしても、「阻止デモ」とは???


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【付記】 

●自己矛盾

 (こうでありたいと思う自分)。しかしそこには、いつも(実際の自分)がいる。この両
者が一致していれば、その人は、静かに落ちつく。が、そうでなければ、そうでない。情
緒不安から精神不安になる人もいる。心理学の世界では、それを「自己概念」「現実自己」
という言葉をつかって、説明する。

 わかりやすい例で言えば、夫を殺したいほど憎んでいる妻がいたとする。夫の顔を見る
のもいや。夫のにおいをかぐのもいや。夫の声を聞くのもいや。願うことは、夫の死ばか
り……というような状態で、どうしてその妻は、安穏たる日々を送ることができるだろう
か?

 もしそれでもいっしょに住んでいるとしたら、その妻は、自己矛盾を起こしてしまう。
自己矛盾から、自己否定に陥ってしまうかもしれない。しかし通常の神経をもっている妻
なら、とても耐えられない。

 日本の崩壊を一方で楽しみにしながら、どうしてその日本で、生活することができるの
だろうか。私には、どうしても、理解できない。


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●健康診断

++++++++++++++++

健康は、運動をつづけるという
習慣によってもたらされる。

しかし、同時に、「だからどうなの?」と
いう部分のない健康論は、意味がない(?)。

健康診断を受けながら、そんなことを
考えた。

++++++++++++++++

 年に1回の健康診断の日。とくに悪いところはない。このところ食事もおいしい。体の
調子も悪くない。左肩の腱を痛めてから、左腕を思うように動かせないが、これはそのう
ち、なおるだろう。ここ1、2週間、かなり楽になってきた。

 公民館の一室で、自分の順番を待つ。白い陽光が、カーテン越しに、部屋の中に注いで
いる。暖房がじゅうぶんきいた部屋の中は、ここちよい。眠気さえ覚える。

 ところで運動の大切さは、運動をしているものにしか、わからない。運動をしていない
人に、いくら運動の大切さを話しても、わからない。多分、「そういうものか」という程度
にしか、耳に残らないのでは? つまりいくら話しても、左の耳から入って、右の耳に抜
けてしまう。

 しかし運動をしているものは、その運動の大切さが、よくわかる。1、2日、運動をサ
ボっただけで、とたんに体の調子が悪くなる。その微妙な変化が、自分でもよくわかる。
が、運動をしない人は、調子が悪くなったままで、それがふつうだと思いこんでしまう。

 漢方では、『流水は腐らず』と教える。英語では、『ころがる石には、苔(こけ)はつか
ない』と教える。健康の秘訣は、1に運動、2に運動、3に運動ということになる。が、
もっと大切なことは、運動する習慣を身につけることである。1か月や2か月、運動をし
たからといって、健康になるわけではない。1年や2年で、健康になるわけではない。1
0年単位、20年単位での運動が、その人を健康にする。

 その健康診断でのこと。私とそれほど年齢がちがわない男性が、私の前にいた。ドクタ
ーとの会話が聞こえてきたが、心筋梗塞を2度もしているとのこと。恐らく軽い脳梗塞の
あるのだろう。話し方が、それとわかるほど、かったるい。動きも、モタモタしている。
そうした(差)が、この年齢になると、たいへんよくわかる。

 私はその男性のうしろ姿を見ながら、ふとこんなことを考えた。「健康だからといって、
だからそれがどうした?」と。とたん、私の中の健康論が、ガラガラと音をたてて崩れて
いくのを感じた。

 健康について、サンスクリットには、こんなことわざがある。

★He who allows his day to pass by without practicing generosity and enjoying life's 
pleasures is like a blacksmith's bellows -- he breathes but does not live. 
修行もせず、人生の楽しみも楽しまず、ただ日々を過ごすものは、鍛冶屋のふいごのよう
なもの。ただ生きるために呼吸をしているだけ。

 つまり健康は、健康であることに意味をのせてはじめて、その価値をもつということ。
 サンスクリットでは、ただ生きているだけでは、意味がない、と。

 時として健康であるものは、健康でない人に、優越感を覚えたりする。健康でない人を、
愚者だと思いこんだりする。そしてその返す刀で、自分をすぐれた人物と思い込んだり、
賢者だと思いこんだりする。

 もちろん健康であることは、重要なことだ。が、しかし「だからといってそれがどうし
たの?」という部分のない健康論は、それ自体、意味がない。どんな人でも、どんなにが
んばっても、やがてその健康をなくす。要は、時間の問題ということ。

 それはある点で、お金に似ている。お金がなければ、人は不幸になる。しかしお金では
幸福を買うことはできない。またいくらお金をためても、それを何かに生かすことを考え
なければ、巨億の財産も、ただのゴミの山でしかない。

 やがて自分の番号が呼ばれる。「40番さん、どうぞ!」と。私は衣服を脱いで、カゴに
入れ、ベッドの上に横になる。看護士が、手際よく心電図の端子を、体のあちこちに取り
つける。ひんやりとした感触が、体のシンまで届く。

 健康であることは、やはりありがたい。大切なことは、この健康を、どう使うかという
こと。私の前にいた男性を思い出しながら、静かに目を閉じた。

【付記】

 調べてみたら、こんな格言もあった。アイルランドのことわざである。

You have only 2 things to worry about, either you are sick or you are healthy, 
if you are healthy, you have nothing to worry about, but if you are sick you have 
2 things to worry about, you will get well, or you will die, if you get well、 
you have nothing to worry about, but if you die, you will have 2 things to worry 
about, you will go up, or you will go down, if you go up, there is nothing to 
worry about, but if you go down, you will be so busy shaking hands with old friends 
you won't have time to worry! 

 あなたが病気だろうが、健康だろが、あなたには2つの心配ごとがある。もしあなたが
健康なら、何も心配することはない。が、もしあなたが病気なら、2つのことを心配する。
病気がなおるだろうかという心配と、死ぬのではないかという心配。もし病気がなおると、
あなたは何も心配することはない。が、もしあなたが死ねば、2つのことを心配する。天
に昇ることができるだろうかという心配と、地下に落ちていくのではないだろうかという
心配。天に昇れば、あなたは何も心配することはない。が、もし地下に落ちていけば、あ
なたは古い友たちと握手をするだけで忙しく、心配する時間などないだろう。

 やはり人は、人とのかかわりをもって、はじめて(生きる)ことを実感できるようだ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================



☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 19日(No.715)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page023.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【意識論】

●意識の定着化

 アインシュタインは、かつてこう言った。『常識などというものは、その人が18歳の
ときにもった偏見のかたまりである』と。私たちがもつ常識というのは、そういうもの。
いつもそういう目で疑ってみたほうがよい。(ここでいう「常識」というのは、英語でい
う「Common Sense」のこと。ニュアンス的には、「共通感覚」「共通意識」という意味
に近い。)

 そこであえてアインシュタインの言葉を訳しなおすと、こうなる。

 『その人がもっている、感覚意識などというものは、その人が18歳のときにもった偏
見のかたまりである』と。

 私も、その意識というか、年齢的な変化を、きわめて鮮明に経験したことがある。私が、
ちょうど27歳のときのことである。

 それまでの私は、毎月、毎週のように、世界を飛び回っていた。で、その行く先々で、
現地の生活をし、現地の食べ物を食べ、それなりに外国での生活を楽しむことができた。
が、アルゼンチンのブエノスアイレスに行ったときのこと。

 詳しいいきさつは忘れたが、突然、本当に突然、外国の料理が食べられなくなってしま
った。たしか、謝肉祭の夜だったと思う。私たちは、現地の通訳に招かれて、郊外の、モ
グリのレストランへ向かった。どうしても肉が食べたかった。

 が、出された肉というのが、生肉。それをパイナップルではさんで食べる。パイナップ
ルには、肉からしたたる血がついていた。アルゼンチン人たちは、謝肉祭ということもあ
って、だれも食べなかったが、私たち日本人は、食べた。が、私は、ぞっとした。

 それだけはなかったと思うが、そのアルゼンチンへ行ったのを最後に、私は、それ以後、
外国の料理が口に合わなくなってしまった。香港や台湾へ行っても、そうだった。現地へ
着くとすぐ、私は日本料理を求めるようになった。それ以後、現在に至るまで、この習慣
は、変わっていない。

 これは私の個人的な食感覚の変化をいったものだが、いろいろな人に聞いても、みな、
多かれ少なかれ、同じような経験をしているのがわかった。早い人では、25歳前後。遅
い人でも、30歳前後に、そういう時期がやってくるらしい。



Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

【常識が偏見になるとき】 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、
たいていの人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだ
ろう。しかしそれこそ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにす
ぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が一八歳のと
きにもった偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を
疑ってみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

(1)学校は行かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度があ
る。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度であ
る。希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだ
けでも九七年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。毎年15%前
後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な
教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で
研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世
界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

(2)おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、
クラブへ通う。早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。ド
イツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めるこ
とができる。

そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学
習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が1200円
前後(2001年調べ)。こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1
人当たり、230マルク(日本円で約14000円)の「子どもマネー」が支払われ
ている。この補助金は、子どもが就職するまで、最長二七歳まで支払われる。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣
向と特性に合わせてクラブに通う。日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学
校外教育に対する世間の評価はまだ低い。

ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任を
もたない」という制度が徹底している。そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話
番号すら親には教えない。私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするので
すか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)
はこう教えてくれた。「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく
待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

(3)進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私
立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で70校近くあった。が、私はそれを見
て驚いた。どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別
紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。

この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき
捨てた。そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、
こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャール
ズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校が
カリキュラムを組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。そういう学校をよい学校という」
と。

なおそのグラマースクールには入学試験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出
すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。つまり早いもの
勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなこ
とでも、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、
あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何
か。教育はどうあるべきか。さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもの
で、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校
神話を信仰している。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはま
さに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮
想の世界だと気づかない。気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さ
んと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそう
した。平日に行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私
が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人
ほど、一度試してみるとよい。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことがで
きる。

※……一週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午
後三時まで学校で勉強し、火曜日は午後一時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決
めることができる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On 
Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると
考えてよい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいもので
しかない。それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の
上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由
と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)
学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。いわく、「民主主義
国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているでは
ないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れて
はならない」と。

 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という
意見には、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の
犯罪率はむしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考える
のは正しくない。学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察シ
ステムや裁判所システムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと
別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえ
ている。なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。中
学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、400
0人多い。
(はやし浩司 フリースクール 自由な教育 LIE Learn in Freedom 不登校 常識論 
意識論 はやし浩司 教育評論 教育論)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

【意識】

●Common Sense

 自分がもっている「Common Sense」ほど、あてにならないものはない。日
本語では、「常識」と訳すが、私たちが日常的に言うところの「常識」とは、かなり意味が
ちがう。日本語でいう「常識」というのは、ふつうの人が、ふつうの生活するための、基
本的な知識をいう。

が、英語でいう「Common Sense」というと、一般的な人が、共通してもっ
ている認識を意味する。あえて訳すと、「共通認識」ということになるのか。研究社の「ア
プローチ英和辞典」では、Common Senseを、「良識、常識」と訳している。

 だから日本語で、「あの人は常識のない人だ」と言うときは、「あるべき知識のない人」
という意味で、そう言う。一方、英語で、「あの人はCommon Senseに欠ける人
だ」と言うときは、どこかに、「あの人は変人だ」というニュアンスをこめて、そう言う。
「sense」という単語を、「感覚」という意味のほか、「思慮」「分別」(同辞典)と訳
すのは、そういう理由による。

 その「Common Sence」だが、国によって、民族によって、さらに個人によ
って、その内容が、すべてちがう。それが如実に現れるのは、「裸」「性」に対する考え方
である。

 もう30年以上も前になるが、スウェーデンの性教育教会の会長の通訳をして、全国を
回ったときのこと。こんな話を聞いた。名前は忘れない。エリザベス・ベッテルグレン女
史といった。

 ベッテルグレン女史は、こう言った。大学で、何の講義だったかは忘れたが、実際に、
1組の男女が、素っ裸で、セックスの実演をしてみせるということもあるそうだ。(大学の
授業の中でだぞ!)教官がその場で、「A君とB子さん、前に出てきなさい」というような
指名をする。もちろん2人とも学生である。前もって打ち合わせなどしない。いきなり、
である。

 で、2人はみなの前に出てきて、裸になり、マットの上で、抱き合ってみせる。それを
見ながら、教官が、「こうすればいい」「ああすればいい」と指導するという。

 当時の私には、信じがたい話だった。(今でも信じがたいが……。)しかしベッテルグレ
ン女史は、「それがどうしたの?」というような雰囲気で、私に、その話をした。

 またこんな話も、最近、聞いた。去年、私の家に2組のオーストラリア人の夫婦がホー
ムステイした。その1組の夫婦の娘が、現在、フィンランドで建築学の勉強をしていると
いう。北欧は、建築学の分野で、世界をリードしている。その娘が、こんな話を伝えてき
たという。

 フィンランドでは、みな、サウナに入る。どこでも男女混浴が当たり前。老若男女の区
別はない。その娘も、20歳と少しだが、みなといっしょにサウナに入っているという。
もちろん素っ裸で、である。

 さらにオーストラリア国内にも、ヌーディスト村があちこちにあるという。そういうと
ころでは、家族ぐるみで参加するのが常識だそうだ。だからもちろんその中には、10代
の息子や娘もいる。20代の息子や娘もいる。そういう人たちが、平気で……というより、
「それがどうしたの?」という雰囲気で、ヌードでいることを楽しむという。

 が、こういう話を聞くと、日本人なら、だれしも、「まさか!」「とんでもない!」と考
えるにちがいない。つまりそのように考える基盤になっているのが、ここでいう「Com
mon Sense」ということになる。日本で、もし、中年の男性が、10代の女の子
といっしょに、素っ裸で、サウナに入ったら、どうなるか。それをほんの少しだけ、頭の
中で想像してみたらよい。

 これは「裸」「性」に対するCommon Senseということになるが、実は、私た
ちの意識には、こうしたCommon Senseが、無数にからんでいる。わかりやす
い例でいえば、「家族観」「仕事観」「人生観」などなど。それらすべてに、からんでいる。

●2つの教訓

 このことは、つぎの2つの教訓を意味する。

 ひとつは、まず自分が、どのようなCommon Senseをもっているかを、知る
こと。それが第一歩。

 もうひとつは、そのCommon Senseが、本当に普遍的なもので、大切なもの
かどうかを、疑ってみること

 あのアインシュタインは、こうしたCommon Senseは、「その人が18歳まで
にもった偏見のかたまり」であると、看破(かんぱ)している。アインシュタインのよう
な頭のよい人だからこそ、それに気がついたのかもしれない。なるほどと思うと同じに、
ドキッとする。

 話を先に進める前に、私がした経験を話しておきたい。

 私がオーストラリアにいたときのこと。あるとき、ある友人の家に、夕食に招かれた。
イギリス系のごくふつうの家族だった。が、驚いたのは、その夕食のあとのときのことだ
った。ふと気がついてうしろを見ると、友人の父親が、エプロンをかけて、食器を洗って
いるではないか!

 私は、すっとんきょうな声をあげて、こう叫んだ。「ああ、男が皿洗いをしている!」と。
今でこそ、笑い話にしかならないが、当時は、本当に驚いた。心底、驚いた。つまりその
とき私の頭の中には、「男が皿を洗う」という、Common Senseが、なかったこ
とになる。

 こういうのを、Common Senseのズレという。こうしたCommon Se
nseのズレは、日常生活の中でも、よく経験する。たとえば私は、冠婚葬祭の場で、そ
れをよく感ずる。結婚式にせよ、葬式にせよ、私のもっているCommon Sense
と、ほかのひとたちのもっているCommon Senseが、大きくズレているのを、
よく感ずる。

 はっきり言えば、私は、日本式の結婚式にせよ、日本式の葬式にせよ、そういったもの
に、どれほどの意味と価値があるのか、いまだによくわからない。あの「盆供養」にして
も、もとはといえば、アフガニスタンにあった土着宗教の行事に由来する。それをアフガ
ニスタンでは、「ウラバン」と言っていた。ウラバンが、中国へきて、「盂蘭盆(うらぼん)」
になり、「盂蘭盆会(え)」になった。「盂蘭盆」は、「ウラバン」の当て字である。釈迦仏
教が中国へ伝わる過程で、本来の釈迦仏教とは縁もゆかりもない盆供養が、アフガニスタ
ンで、混入したことになる。

 そういうことを知ってしまうと、当然のことながら、盆供養についてのCommon S
enseも、ちがったものになってしまう。それが意識のズレとなって、自分にもはっき
りとわかるときがある。

 ただここで誤解しないでほしいのは、だからといって、盆供養がまちがっているとか、
無意味だとか言っているのではない。盆供養を通して、死者を思い慕うことは、何もまち
がっていない。それぞれの人は、それぞれの思いをもって、死者を供養する。

 それにそれがたとえアフガニスタンの土着的な宗教的行事であったにせよ、仏教と、何
か通ずるものがあったからこそ、現在に生き残ったと考えられる。で、もう一言つけ加え
るなら、盆供養を大切だと思うのも、また思わないのも、その人の勝手だということ。

 えてしてこの日本では、そうした風習になじまない人を、ことさら排斥する風潮がある。
「日本人なら、盆供養をすべきだ」と、押しつけがましく迫ってくる人も少なくない。あ
るいは、「親の供養をしないようなものは、人間のクズだ」と言う人さえいる。

 結婚式についても、同じ。もっとも、それは儀式というよりは、パーティのようなもの。
もっと言えば、遊び(?)。深刻に考えなければならないようなものでもない。しかしCo
mmon Senseのズレを感ずることは、少なくない。

 しかしこうして考えていくと、いったい、何が本当で、何がそうでないか、それがわか
らなくなってくる。が、同時に、それをしないと、つまり自分のCommon Sens
eが何であるか知らないと、その先に、本物の自分を見ることができなくなる。私たちは、
本来的に、偏見のかたまり(アインシュタイン)なのである。その偏見を取り去ること。
つまりは、それが自分を、自由に向かって、解放するための第一歩ということになる。

【追記】

 冠婚葬祭に関して、よく「ベキ論」「ダカラ論」「ハズ論」をふりかざして、何かと迫っ
てくる人がいますね。あれはいやですね。本当に、いや。何かの考えに基づいてそう言う
なら、まだしも、そういう人にかぎって、頭の中は、カラッポ。あるいは脳ミソそのもの
が、硬直してしまっている。

 10年、いや、30年、40年、一律のごとく、同じ意見を言う。そういう人を見ると、
「この人は、いったい、何を学んできたのだろう」と思うことがあります。が、そういう
人にかぎって、「私は絶対、正しい」という信念(?)をもっている。だからよけいに、や
りにくいですね。過去を踏襲することが、「絶対」と考えている(?)。

 そうそう、「伝統」という言葉も、そこから生まれたのですね。伝統を背負っていれば、
その人は強くなれる。何も考えなくても、です。しかし考えてみれば、伝統ほど、いいか
げんなものもない。人間をしばる道具、あるいは方便として使われることもあります。

 言うなれば、伝統と呼ばれるものこそ、アインシュタインが言った、「偏見のかたまり」
なのかもしれません。どうして女性が、土俵にのぼってはいけないのでしょうか? どう
して女性が天皇になってはいけないのでしょうか? 考えてみれば、おかしなことだらけ
ですね。みんなで、笑いましょう! ハハハ!
(はやし浩司 ウラバン 盂蘭盆 伝統 偏見 伝統 伝統論 意識 意識論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況、あれこれ】

●ワイフのビーズ玉

 今度、D社というところから、「ビーズ・アクセサリー」という本が、刊行された。ビー
ズ玉で、ネックレスを作るという雑誌で、ビーズ玉や工具が、付録としてついている。

 ためしに(?)、ワイフに買ってやったら、ワイフが、それにハマってしまった! 毎晩、
コタツの前に座って、その雑誌をながめている。「お前が、そんなふうに、雑誌をながめて
いる姿を見るのは、はじめてだ」と言うと、「本当に、そうね」と。私は、ワイフには、そ
ういう趣味はないものと思っていた。

 ひとつ自分でネックレスを作ったのが、病みつきになってしまったようだ。昨日、第2
巻が発売になったので、私は、2冊、それを買ってきた。1冊は、ワイフに。もう1冊は、
アメリカのデニーズに。デニーズも、興味をもってくれたら、毎号、買って送ってやるつ
もり。

 そうそう、孫の誠司には、「ROBOT」という雑誌を買って送ることにした。毎号つい
てくる付録を組み立てると、やがてロボットができあがるという雑誌である。昨夜、3号
まで包装したので、今日にでも郵便局へもっていくつもり。

 何かと忙しくなりそう。プラス、お金もかかりそう。しかし誠司が喜ぶ顔が、目に浮か
ぶ。なんといっても、私は、「エアロプレーン(飛行機)ジージ」(誠司)なのだア!


●急激な寒さ

 昨日(3月14日)の寒波は、異常だった。真冬に逆戻りしたよう。今朝は、このあた
りでも、氷点下を記録した。北陸地方では、またまた大雪だという。

 もう、こうなると、気温はめちゃめちゃ。5月の陽気になったかと思うと、今度は、真
冬。どうなっているのだろう。

 昨夜は、そんなわけで、フトンを一枚、かけ足した。しかしそれでも朝方、寒かった。
ワイフを湯たんぽがわりに抱いたが、そのワイフも、寒いといって、私を湯たんぽがわり
に使っている。これではたがいに、寒いはず。おかげで朝早く、目が覚めてしまった。


●息子のEのBLOG

 息子(E)のBLOGを読む。それには、こうあった(3月15日)。何でも、十勝にあ
る、「幸福」という名前の駅へ行ってきたらしい。

 「……おみやげとしてだが、今でも毎日切符が発行されている。今日の日付の入った、
幸福行きの片道切符を買ってみた。本当に幸福という名の駅が、人生のレールの先には存
在するのだろうか。あるのは幸福という名のレールで、幸せになろうと頑張っていること
自体が、幸福なのではないだろうか。なぜなら、今、僕は幸福を感じるから。レールが続
く限り、僕はゴールなんてしたくない。路線を何度も切り替えながら、いつまでも走り続
けていたい。幸福という名の、終点のないレールの上を」と。

 これを読んで、何かしら大切なものを、息子に教えられたような気がした。いつの間に
か、あの小さかった息子が、自分の幸福を考える年齢になった。そう、息子のEは、小さ
かった。生まれたときも、標準体重よりはるかに小さかった。(うちの息子たちは、みな、
そうだったが……。)

 しかし結果としてみると、みな、身長が180センチ以上になった。それはそれとして、
その小さな息子を見ながら、「こんな小さな人間が、果たして大きくなるのだろうか」と、
そのときは思った。が、その息子が、今、自分の道を歩み始めている。

 息子はこう言う。「幸せになろうと頑張っていること自体が、幸福なのではないだろうか」
と。

 それに対して、私は、「そうなんだ、そうだよ」と、エールを送りたい。それはまさに私
の人生観の核心的な部分でもある。人生はドラマ。そのドラマにこそ、意味がある。価値
がある。

 息子たちよ、人生にゴールはないよ。死ぬまで、前に向かって歩く。それが人生だよ! 
またいろいろな景色を見たら、私に話してほしい。待っている。

 WE LOVE YOU!


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●火星の大峡谷

++++++++++++++++++

火星に大峡谷の写真が、
あちこちの新聞を、にぎわしている。
名前は、マリネリス峡谷。

01年4月に打ちあげられた、火星軌道
探査機「マーズ・オデッセイ」が、その
全体像をとらえたという。

長さは、何と、4000キロ。深さは、
5〜10キロにもなるという。

+++++++++++++++++++

 このほど、アメリカのNASAが、太陽系最大規模の峡谷である、「マリネリス峡谷(海
の峡谷)」の全体像を写真に収め、公表した。その写真をとったのは、NASAの火星軌道
探査機「マーズ・オデッセイ」。01年4月に打ちあげられ、02年2月から本格的に活動
を始めたという。

 しばし、その写真を見つめる。

 素人の判断だが、この大峡谷は、「J」型に、大きく、Uターンしているらしい。峡谷の
様子がわかりやすいのは、下側の部分。細長い平地を上下からはさむようにして、大絶壁
(多分?)が、平行に走っているのがわかる。長さは、何と、4000キロ。深さは、5
〜10キロにもなるという。

 

 その平地に立った自分を想像してみる。NASAの発表によれば、絶壁の高さは、5〜
10キロもあるという。富士山の約3倍! ヒマラヤ山脈ほどの高さということになる。
それが4000キロもつづいている。日本列島が、北海道から九州まで、約2000キロ
だから、その2倍ということか。平地の部分に、日本列島を置いてみると、その大きさが
容易に想像できる。

 が、もしこの地球が、温暖化か何かで、火星のように、すべて砂漠になってしまったら
……? 地球にも、たとえば日本海溝のような深い、溝がある。そういう溝が、マリネリ
ス峡谷のようになるかもしれない。今は、深い海の底にあるから、見えないだけ。

 ということは、峡谷といっても、マリネリス峡谷は、太古の昔には、海の底にあった海
溝だった可能性もある。見れば見るほど、興味津々(しんしん)という写真である。が、
それにしても、不思議な写真である。

 雨水や、あるいは海流の浸食によってできたものだとするなら、その水の入り口はどこ
なのか。出口はどこなのか。火山活動か何かによってできたというなら、噴火口は、なぜ
ないのか。さらに地球のような大陸移動によってできたというのなら、なぜ「J」型に折
れ曲がっているのか。

 科学者もそのあたりを懸命に調べているにちがいない。

 で、またまた火星にいたかもしれない知的生物についての話。もし火星に知的生物がい
たとするなら、火星が最後に近づくにつれて、そうした生物たちは、より高度の低い、く
ぼ地や穴に、住居を移したはず。

 一説によると、火星も、そこに住んでいた知的生物たちが化石燃料を使いすぎたために、
今のようになってしまったという。ただ火星のばあいには、火星の大きさそのものが、小
さすぎた。だから温暖化が一気に進んでしまった可能性が高いという。(地球も、あぶない
が……。)

 だから私は、マリネリス峡谷の写真の中でも、平地の部分にじっと目をこらす。何か、
痕跡のようなものがないか、とである。このあたりに、人為的な幾何学模様か何かあれば、
楽しい。またまた私のロマンが、ぐんとふくらむ。

 もし同じような興味をもつ人がいれば、その写真を見たらよい。これはまさに、現実の
写真なのである。あるいは地球の近未来の写真と考えてもよい。


【付記】

 たいへん悲観的+絶望的な意見で申し訳ないが、地球環境は、すでに、もうどうしよう
もないところまで、来てしまっているのではないか。地球温暖化にしても、このまま一次
関数的に、気温が上昇すると考える学者は少ない。ある臨界点を超えると、不測の事態が、
別の不測の事態を生み、地球の気温は、それ以後、二次曲線的に上昇するという(?)。

 そうなると、もう地球は、本当にお・し・ま・い!!

 もちろん私もそうなってほしくないと願っている。しかし人間の欲望には際限がない。
その際限のなさが、自らを滅ぼす。いや、人間だけならまだしも、ありとあらゆる生物を、

 で、これまた一説によると、あくまでもSF的な一説だが、かつての火星も、今の地球
と同じように、水も空気もあった。そしてそこには人間のような知的生物も住んでいたと
いう。が、あるときから火星の温暖化が急速に進み、今のような火星になってしまった。

 そのときその火星から逃げてきたのが、地球人、つまり私たちの原型になった。火星人
たちは、自分たちの痕跡をこの宇宙に残すために、自分たちのDNAを、地球にいたサル
たちの脳に、埋めこんだ。

 となると、今の地球人たちが、かつての火星人と同じ運命をたどることになったとして
も、何もおかしくない。人間が原罪的にもつ欲望といったものも、実は火星人譲りという
ことになる。

 ……とまあ、とんでもないことを考える。しかし決して、ありえない話ではない。そう
いう意味でも、この写真には、いろいろ考えさせられる。ホント!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●伝統

++++++++++++++++++

伝統とは、何か?

統一化された、行動規範か?
それとも、偏見のかたまりか?

++++++++++++++++++

 つい先日まで、皇位継承問題にからんで、「伝統」という言葉が、よく使われた。しかし
伝統とは、何か? それがよくわからない……。

 人間にかぎらず、あらゆる動物は、同じような思考や行動を繰りかえしていると、脳ミ
ソの中に、思考回路(パターン)というものを、つくる。たとえば目の前にある茶碗を取
るときも、それをいちいち考えて行動する人はいない。さっと手がのびて、茶碗を手でつ
かむ。

 こうしたパターン化は、生活のあらゆる部分で、定着する。つまりそうすることで、人
は、日常の生活を、なめらかにすることができるようになる。

 同じように、毎年、同じような、しきたりを繰りかえしていると、そこに一定のパター
ン(形式)ができるようになる。以前考えたことを、再び考えなおすよりも、以前考えた
ことはそのままにして、そのつぎのことを考える。そのほうが、楽だからである。よい例
が、各地でなされる「祭り」である。

 毎年、同じようなことを繰りかえすなら、過去を踏襲したほうが、楽。何も考えること
なく、祭りができる。

 こうしたパターン(形式)が、積み重なって、「伝統」となっていく。

 伝統が悪いと言っているのではない。伝統があるからこそ、人間の生活は、スムーズに
流れていく。「去年、こうしてうまくいったから、今年も……」となる。が、もちろん弊害
もある。

 伝統そのものが、個人の自由な発想をしばることもある。阻害することもある。たとえ
ばこの浜松という、もうすぐ100万都市になるような都市の中でも、少し郊外に行くと、
いまだに長子存続的なものの考え方をする人がいる。「お前は長男だから……」と、親は子
どもを縛り、「私は長男だから……」と、子どもは親に縛られる。

 もっと広い世界では、伝統が、革新的な思想や行動を弾圧する道具として、機能するこ
ともある。たとえばヨーロッパで花を咲かせた18世紀の啓蒙思想運動がある。その反動
として、そのあと、19世紀はじめに、フランスでは、中世の伝承をしようとする、いわ
ゆる「伝統主義」が、生まれたことはよく知られている。そのときどきに起こる、自由主
義や科学主義にするどく対立することも、珍しくない(参考、「広辞苑」)。

 現在の日本でも、武士道なるものを振りかざす復古主義が見られる。こうした動きも、
そうした反動のひとつと考えられなくもない。

 つまりこういうケースでは、「伝統」という言葉を使って、それを安易に肯定することは、
たいへん危険なことでもある。

 広辞苑には、こうある。

 伝統……(1)系統をうけ伝えること。また、うけ伝えた系統。(2)(traditon)伝承に
同じ。また特にそのうちの精神的核心または脈絡、と。

 では、何が、善玉伝統で、何が、悪玉伝統なのか?

 私という個人をみたときも、その年代によって、伝統に対する考え方が変化してきてい
るのがわかる。全体としてみると、若いときは、伝統を忌み嫌い、中年のころは、妥協し、
老年に近づくにつれて、どこか保守的になる。しかしこうして総じてみると、伝統と呼ば
れるものは、すべて悪玉的な要素があることがわかる。反対に、善玉的な伝統とは何かと
聞かれると、即答に困ってしまう。

 要するに、人間は、めんどうなことが嫌い。もっと言えば、考えることが嫌い。それが
年齢とともに加速して、やがて伝統にしがみつくようになる。わけのわからない未来に自
分を賭けるよりも、過去の栄華に一抹の期待を寄せる。少なくとも、伝統に従っていれば、
失敗する可能性は、より少ない。

 で、今、多分、皇室の皇位継承問題には、一応のケリがついたらしい。「伝統」という言
葉が、突然、姿を消した。今では、妊娠数か月で、胎児の排泄物を調べて、男児か女児か
わかるという。礼宮殿下に男児が生まれるという確信をもったからこそ、「伝統」という言
葉が消えたとみるのが、正しい。つまり、再び、日本人は、考えることを放棄した。結局
は、楽な道を選んだ。

 しかしこれだけは言える。あくまでもこれは私の心情でもあるが、人は、伝統にしがみ
つくようになったら、おしまい。そこで進歩は、停滞する。明日は今日と同じ。来年は、
今年と同じという人生に、どれほどの意味があるというのか。もしそうなら、その人は、
死んだも同然。長生きするかどうかは、何も、年齢だけの問題ではない。話が脱線ししそ
うなので、この話は、ここまで。
(はやし浩司 伝統 伝統とは 伝統論 保守主義 復古主義)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●イスラム教(2)

+++++++++++++++++

イスラム教と聞いて、最初に「?」と
思うのが、女性の服装。

どうしてイスラム教の国々では、
顔や姿を黒いベールやチャドルで
おおうのか?

+++++++++++++++++

 イスラム教の国々では、日本とは比較にならないほど、男女の隔離(男女隔離)が、厳
格になされている。女性は、夫や家族の男以外には、顔や体を見せるべきではないとされ
ている。が、同じイスラム教の国といっても、戒律のきびしい国もあれば、そうでない国
もある。戒律のきびしい国では、そのため、女性は、顔や姿を、黒いベールやチャドルで
おおうことになる。

 が、もしそうなら、そういった戒律のきびしい国では、男女の出会いもなく、たがいに
結婚できないということになる。恋愛すら、成り立たない。

血縁が濃いことが喜ばれる。そのためいとこ婚が多い。地域によっては、女性は父方のい
とこから結婚を求められたら、特別な理由がないかぎり、断ることができないという慣習
も定着している」(「イスラム教の本」P79・学研)というふうにして決まるらしい。

 もっともイスラム世界といっても広い。近くのマレーシアも、インドネシアも、そのイ
スラム教の国だが、見た目には、西欧社会と変わりない。女性たちも、自由に恋愛してい
るように見える。

 ただしセックスは別。私も若いころ、マレーシアの女性と数回、デートしたことがある。
が、そのとき、同じマレーシアの友人(男性)から、こう警告された。「セックスだけはす
るなよ。このメルボルンにも、モスリム(イスラム教徒)の地下裁判所(アンダーグラウ
ンド・コート)がある。セックスをしたとわかれば、そこへ連れていかれ、強制的に結婚
させられるか、殺されるか(=ペニスを切られるか)のどちらかだ」と。35年も前の話
だから、今は、どうなのか知らない。

 こうした戒律のすべては、ムハマンドの(神のお告げ)によって、できたものだという。
ムハマンドは、ただの預言者にすぎない。だから、ムハマンドを批評したり、批判したり
することは、ありえない。絶対的な帰依、服従が、イスラム教の原点になっている。前に
も書いたが、「イスラム」という言葉自体が、もとはと言えば、「帰依、服従」を意味する
語だそうだ。

 そこで順に考えてみたい。

 ……といっても、考えてみるだけ、ヤボなこと。イスラム教の国々には、イスラム教に
よるしきたりや、風習がある。あって当然。それを私のような日本人が、とやかく言って
も、始まらない。反対に、日本には、日本のしきたりや、風習がある。

 たとえば今でも、あの相撲の土俵には、女性はあがれないことになっている。天皇家の
世継ぎ問題にしても、そうだ。外の世界から見れば、おかしなしきたりや風習に見えるか
もしれないが、日本は日本。こうした問題は、相手を理解して、納得するしかない。ここ
に書いたきびしい男女の隔離にしても、どこか日本の男尊女卑思想と共通している。つま
りは、『他人の振り見て、わが身をなおせ』ということか。

 イスラム教の国々の人たちは、その国々の人なりに、それぞれ、自分たちの方法で、人
生を楽しんでいるにちがいない。

【補記】

 私が子どものころも、男と女はいっしょに遊んではだめという、何というか、不文律の
ようなものがあった。そのため、私も含めてだが、私には、女の子といっしょに遊んだと
いう記憶が、ほとんどない。

 男の子の遊びと、女の子の遊びも、厳格に区別されていた。男の子が、ゴム跳びや、あ
や取りをして遊んでいる姿など、見たことがない。一方、女の子が、野球や、コマ回しを
している姿など見たことがない。

 家の中でも、台所は、女性のいる場所と決められていた。私などが、ふいに台所に立つ
と、即座に、母に追い返されたのを覚えている。この点、イスラム社会における、「ハーレ
ム」と似ている。「ハーレム」というのは、もともとは、「奥さんの部屋」という意味だそ
うだ。イスラム世界では、男性は、そのハーレムをのぞくことすら、許されない。

 が、だからといって、私は子どものころ、そうした子どもの世界を、窮屈に感じたこと
は、一度もない。それ以外の世界を知らないのだから、当然といえば、当然。意識という
のは、そういうもの。別の意識を知ってはじめて、それまでの意識がどういうものだった
かがわかる。

 ……だからというわけでもないが、私はことあるごとに、親たちには、こう勧めている。
「機会があれば、子どもたちを、一度は、外国へ出しなさいよ」と。旅行的なものではい
けない。その国に入り、その国の人となって、生活をする。そういう生活をとおして、そ
れまでの自分の意識がどういうものであったかが、わかる。しかもその年齢は、若ければ
若いほどよい。25歳を過ぎてからでは、遅い。

(私は厳格には、25〜27歳前後が、「意識の定着年齢」だと思っている。それ以後は、
その人がもつ意識を変えることは、不可能になると思っている。これについては、また
別の機会に詳しく書いてみたい。)

 そういう機会を与えるのは、この日本では、とくに重要(?)。日本という国だけに生ま
れ育っていると、この日本という国がどういう国かさえもわからなくなる。日本という国
は、表面的には西欧化されたが、中身といえば、いまだに旧態依然のまま。その特異性と
いうか、異質性に気づかないかぎり、日本は、いつまでたっても「異質な国」のままで残
ってしまう。少なくとも世界は、日本をそういう目で見ている。それを忘れてはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司


●ちょうど500枚!

 1100作から1150作まで、つまりここまでで、ちょうど500枚になった。原稿
用紙でいう、500枚分という意味である。

 だれが読んでくれるのか、あるいはだれも読んでくれていないのか、それはわからない。
しかしともかくも、500枚を書いた。1月25日から500枚ということだから、約2
か月弱で、500枚ということになる。以前は、もっとたくさん原稿を書いていたような
気がする。少し集中力が落ちてきたということか。このつぎからは、1200〜1250
作に挑戦ということになる。がんばろう。がんばります!

 毎日、1時間でもヒマな時間があると、書斎へ飛びこむ。そしてこうして原稿を書き始
める。が、こうして何かをするものをもっているというのは、本当によいことだ。とくに
原稿書き、つまり「考える」ということは、どこにいても、できる。それが楽しい。

 この先には何があるのだろう。どんな駅があるのだろう。私にも、目的地はない。ゴー
ルはない。こうしてがんばっているときが、人生。楽しい。おもしろい!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 17日(No.714)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page022.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ほめる

++++++++++++++++

子どもは、ほめて伸ばす。
これは家庭教育の大鉄則!

++++++++++++++++

●灯をともして引き出す

 欧米諸国では、『灯をともして引き出す』が、教育の基本理念になっている。「教育」を
意味する(education)という単語も、もとはといえば、(educe)、つまり「引き出す」と
いう単語に由来する。

 その灯をともして引き出すためには、子どもは、ほめる。ほめてほめて、ほめまくる。
そのせいか、アメリカでもオーストラリアでも、学校の先生は、子どもをよくほめる。参
観している私のほうが恥ずかしくなるほど、よくほめる。

 発達心理学の世界では、ほめることによって、自発的行動(オペラント)が生まれ、それ
が強化の原理となって、子どもを前向きに伸ばすと考えられている(B・F・スキナー)。

●脳内ホルモンが脳を活発化させる

 このことは、大脳生理学の分野でも、裏づけられている。好きなことをしているときに
は、脳内で、カテコールアミンという脳内ホルモンが分泌され、それが、ニューロンの活
動を活発化し、集中力や思考力をますことがわかっている(澤口俊之「したたかな脳」)。

 このとき大切なことは、得意分野をほめること。不得意分野や苦手な分野には、目をつ
ぶる。たとえば英語が得意だったら、まずそれをほめて、さらに英語を伸ばす。すると脳
内ホルモンが脳全体を活発化し、集中力もます。そのためそれまで不得意だった分野まで、
伸び始める。これを教育の世界では、「相乗効果」と呼んでいる。子どもの世界では、よく
みられる現象である。が、それだけではない。

ほめることによって、子どもの心そのものまで、作り変えることができる。こんなこと
があった。

●子どもをほめるときは本気で

 ある小学校に、かなり乱暴な子供(小5男児)がいた。腕力もあった。友だちを殴る蹴
るは当たり前。先生もかなり手を焼いていたらしい。母親は、毎月のように学校へ呼び出
されていた。

 その子ども(K君としておく)が、母親に連れられて私のところへやってきた。夏休み
になる少し前のことだった。私は、週1回、夏休みの間だけ、K君の勉強をみることにし
た。

 こういうケースで重要なことは、最初から、本心で、その子どもをいい子と思うこと。
ウソや仮面ではいけない。本心だ。英語の格言にも、『相手はあなたがその人を思うように、
あなたを思う』というのがある。あなたがAさんならAさんをいい人だと思っているなら、
そのAさんも、あなたのことをいい人だと思っているもの。心理学の世界にも、「好意の返
報性」という言葉がある。

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のいい面を見せようとする。
相手の好意には、好意でもってこたえようとする。そういう子どもの性質を利用して、子
どもを伸ばす。

●「先生、肩もんでやるよ。」

 で、夏休みも終わりに近づき、母親にK君の様子を報告することになった。私は車の助
手席に、K君は、うしろの席にいた。私は、こう言った。

 「K君はたくましい子どもです。元気がありすぎるため、トラブルを起こすかもしれま
せんが、今だけです。おとなになったら、すばらしい人になります。楽しみな子どもです」
と。

 K君は、実際、好奇心が旺盛で、バイタリティもあった。おとなのユーモアもよく理解
した。頭もよい。母親は「そうでしょうか。」と、どこか心配そうだったが、その翌週、こ
んなことがあった。

 いつもより30〜40分も早く、K君が私のところへ来た。「どうした?」と聞くと、K
君は、少し恥ずかしそうにこう言った。

 「先生、肩もんでやるよ。オレ、肩もむの、うまいんだア」と。

 私はだまって、K君の好意を受けた。
(はやし浩司 脳内ホルモン オペラント 自発的行動 カテコールアミン ドーパミン
 子どものやる気 子供の集中力 思考力)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【補記】

 子どものやる気、思考力に、脳内ホルモンが、関係している。昔から『好きこそ、もの
のじょうずなれ』と言うが、好きなことをしていると、脳内で、カテコールアミンという
ホルモンが分泌される。

 このカテコールアミンには、ノルアドレナリンとドーパミンの2種類があるが、そのう
ちノルアドレナリンは、注意力や集中力と関係があり、ドーパミンは、思考力に関係があ
るとされる。

 カテコールアミンが分泌されると、脳が覚醒状態になるという。そしてその結果、脳の
機能そのものが活性化される。

 教育の世界には、「相乗効果」と呼ばれる、よく知られた現象がある。たとえば英語なら
英語、1科目が伸び始めると、とくにほかの科目を勉強したわけでもないのに、数学や国
語まで、伸び始めるという現象である。この現象に、ここに書いた脳内ホルモンの働きを
重ねてみると、なぜそうした現象が起きるのか、うまく説明できる。

 そこで重要なことは、子どもを伸ばそうと考えたら、どんな分野でもよいから、ひとつ
のことを楽しんでさせるようにすること。その前向きな取り組みが、子どもの脳を活性化
させる。その結果として、子どもは、ほかのあらゆる分野で、伸び始めるようになる。

まずいのは、不得意な分野や苦手な分野を、子どもに押しつけるような行為である。逆
の相乗効果(?)が働いてしまい、子どもは、今度はあらゆる面で、伸び悩むようにな
ってしまうかもしれない。
(はやし浩司 子供の集中力 子供の思考力 子どもの集中力 カテコールアミン ノル
アドレナリン ドーパミン)

【注、ノルアドレナリン】

ホルモンとして副腎から血液に放出され、また、シナプス伝達の間にノルアドレナリン作
動性ニューロンから放出される神経伝達物質である。それは、ストレス・ホルモンの1つ
であり、注意と衝動性(impulsivity)が制御されている人間の脳の部分に影響する。アドレ
ナリンと共に、この化合物は闘争あるいは逃避反応を生じさせて、心拍数を直接増加させ
るように交感神経系を動かし、脂肪からエネルギーを放出し、筋肉の素早さを増加させる。
(Wikipedia フリー百科事典より転載)。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●歯を削る

++++++++++++++++

昔の人は、たくましかった。

私の祖父は、自分の歯が欠けたりすると、
何かでその歯の代用品を自分で作り、
それをカガミを見ながら、接着剤うぃ使い、
自分でくつけて治していた。

++++++++++++++++

 このところ、数日おきに、歯医者へ通っている。下の奥歯に、虫歯ができたからである。
で、治療もほとんど終わり、あとは冠をかぶせるだけという状態になった。が、である。

 が、その数時間後、つまり昨日、歯医者へ行ってから数時間後から、まず、頬(ほお)
の内側が、シクシクと痛みだした。ついでに舌の側面も痛い。指を口の中に入れて、その
歯をさわってみると、エッジ(歯の上端側面)が、鋭くとがっているのがわかった。バリ
バリとした感じになっていた。

 その痛みは、午後になると、さらにひどくなった。うまくしゃべることさえできない。
虫歯が痛いのではなく、エッジが、頬の内側や、舌の側面をこするからである。

 早速、ワイフに電話。ワイフから歯医者へ連絡を取ってもらった。もう30年以上も、
世話になっている歯医者である。私の家族も、全員、その歯医者に世話になっている。腕
は、確か。良心的で、誠実。

 で、「明日、一番にみますから、8時30分に来てください」とのこと。

 しかし夜になって、痛みはさらにひどくなった。頬の内側に傷がつき始めた。指を入れ
ると、少し血がにじんでいるのがわかる。とても翌日までは、待てない。

 ワイフに、「サンド・ペーパーはあるか?」と聞くと、何枚か、それをもってきてくれた。

私「これで、磨く」
ワ「自分で……?」
私「そうだよ」と。

 その前に、長男に声をかけた。「お前に命を預けるから、ぼくの歯をヤスリで削ってくれ
ないか?」と。長男は、即座に首を横に振った。しかたない。こうなったら、自分でやる
しかない。

 と、そのとき、私は、私の祖父を思い出していた。私の祖父は、こういうとき、自分で、
歯を治していた。たとえば歯が折れたりすると、それを接着剤で、くつけたりしていた。
何かを削って、歯の代用品を作ったこともある。「おじいちゃんができた。ぼくにできない
はずはない」と、私は、自分に言って聞かせた。

 で、サンド・ペーパーを、小さな四角に切り、口の奥へ。カガミを見ながら、そのエッ
ジを自分で削る。このあたりは、模型飛行機を作るような要領である。が、意外と簡単に
削れるではないか! これには驚いた。5〜10回も、ザリザリと削ると、エッジの部分
が、丸みをおびてきたのが、よくわかった。

 歯は、思ったより、ずっと、やわらかい。……こうしてエッジの左右を自分で削った。
その間中、ワイフが心配そうに、「だいじょうぶ?」と横で見ていたが、「何でもないよ」
と、私は、笑って見せた。

 で、今は、その翌日、つまり今朝、起きてみると、痛みは、消えていた。そこで考えた。

 私たちの生活は便利になった。それは認める。しかしその便利さに負けて、私たちは、
野性的な生きる力を見失ってしまった。たとえば今回も、「歯の問題は、歯医者で」と、考
えるあまり、自分で、どうしたらいいかまでを考えなくなってしまった。「痛い、痛い」と
右往左往するだけ。が、これではいけない。

 よく似た例に、床屋がある。自転車のパンクがある。髪の毛は、床屋で……。自転車の
パンクは、自転車屋で……という発想で、そのつどものを考えたら、身動きがとれなくな
ってしまう。髪の毛ぐらいなら、風呂でカミソリで切ればよい。自転車のパンクくらいな
ら、少し要領を覚えれば、自分でなおせる。

 つまりそういうたくましさこそが、現代人にいちばん欠けている部分ではないか? 一
部の専門的なことはできるかもしれないが、それ以外のことは何もできない……。しかし
それではいけない。それでは、この複雑な社会を生きていくことはできない。

 だからたとえば、学校でも、ときには、散髪(ヘアーカット)のし方や、自転車のパン
クの修理のし方を教えてもよいのでは……。今の学校教育は、実用的なことを教えるのを、
忌み嫌う雰囲気さえある。しかし欧米では、子どもたちが社会へ出てから役に立つ知識を、
与え、教えるのが教育の柱になっている。

 さらに(たくましさ)ということになると、オーストラリアの中学校では、「キャンピン
グ」という科目が、必須科目になっている。つまり野外活動のことだが、もっとわかりや
すく言えば、「野宿」のこと。そのキャンピングを通して、オーストラリアでは、子どもた
ちに、たくましく生きる、その方法を教えている。

 どうして教育は実用的であっては、いけないのか? 今朝、昨夜のことを思い出しなが
ら、私は、そんなことを考えた。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●連鎖と応報

+++++++++++++++

子育ては、親から子へと、連鎖する。
それはよく知られた事実だが、
もうひとつ、「応報」という事実もある。

その応報について……。

+++++++++++++++

 たとえばあなたが今、あなたの子どもを、虐待したとする。いろいろな虐待のし方があ
る。ともかくも、虐待したとする。

 すると、その虐待されたあなたの子どもは親になったとき、そのあなたの子どもは、そ
の子ども(あなたからみれば、孫)に対して、同じような虐待をするようになる。あるい
はその可能性は、たいへん高い。

 それを育児の世界では、「世代連鎖」という。「伝播(でんぱ)」という言葉を使う人も多
い。

 ここで重要なポイントが1つある。

 虐待される子どもの立場で考えてみよう。当然のことだが、親に虐待されて、それを喜
ぶ子どもは、いない。で、ふつうなら、そういう親の虐待を受けながら、子どもは、親を
反面教師として、その反対に親になろうとすることが考えられる。「私は、親に虐待されて、
いやな思いをした。だから、自分が親になったら、自分の子どもに対しては、虐待をしな
い」と。そう心に誓ったところで、おかしくない。

 しかしその反面教師には、限界がある。いつか私は「つっかい棒」という言葉を使って
それを説明した。そのつっかい棒(=気力あるいは緊張感)がある間は、反面教師は反面
教師として機能する。しかしそのつっかい棒がはずされたとき、その人は、反面教師その
ままの人間になる。そういう例は、たいへん多い。

 私にも、こんな経験がある。

 私が高校生のときの、英語の教師は、まさに詰めこみ主義そのものの教え方をした。明
けても暮れても、そればかり。あとは試験と成績。それに順位。生徒たちを競わせながら、
それをした。

 私はそういう授業を受けながら、「私が教師だったら、こういう教え方はしない」「こう
いう教え方をする」などと、毎日のように考えていた。つまり私はその英語の教師を見な
がら、その教師を反面教師として、別の教師像を頭の中で、作りあげていた。

 が、である。

 この浜松市にやってきて、ある進学塾で講師のアルバイトをするようになったときのこ
と。私は英語を担当したが、ある日、自分の教え方を知って、がく然とした。何のことは
ない。私の教え方は、あの高校時代の、あの英語の教師の教え方そのものだったのである。

 私が高校生のときは、そのつっかい棒があった。「あんな教師にはならないぞ」という気
力というか、緊張感があった。しかしその教師から別れて、大学生になり、社会人になっ
たとき、その緊張感が消えた。つっかい棒が消えた。とたん、私は、反面教師そのものに
なっていた!

 ここでいう「連鎖」は、そういう過程を経て、親から子へと、代々、連鎖する。あるい
はしやすい。それはよく知られた事実であり、子育ての世界では、常識にもなっている。

 が、もうひとつ忘れてはならない事実がある。それが「応報」である。しかも、こちら
のほうが、ひょっとしたら、あなたにとっては、より深刻な問題と考えてよい。

 こんな例を、あなたは耳にしたことがないだろうか。親を虐待する、子どもの話である。
決して珍しくない。

 わかりやすく言えば、こういうことになる。

 親が子どもを虐待したとする。たとえば子どもが不用意に便をもらしたとする。それに
激怒して、親が、子どもをはげしく叱り、体罰を加えたとする。子どもは泣きながら、そ
れにあやまり、「もうしません」と約束する。が、また数日もすると、同じ失敗をする。あ
るいはそれを繰りかえす。親は、ますますはげしく子どもを叱る。

 が、いつか、親子の立場は、逆転する。必ず逆転する。若い親にこんなことを言っても、
ムダかもしれない。どの親も、「私は死ぬまで、健康だ」「だれにも迷惑をかけない」「それ
だけの財産は、残しておく」「子どもの世話にはならない」などと思っている。中には、「私
だけは、ボケない」と思いこんでいる人もいる。

 しかし加齢とともに、「老い」は、必ず、やってくる。例外は、ない。それがわからなけ
れば、あなたの周囲の人たちを見回してみることだ。今は、老後の世界は、別世界と思っ
ているかもしれない。が、あなたの目に映る老人たちこそが、あなたの未来である。

 で、その逆転したとき、ここで「応報」という現象が起きる。つまりあなたは子どもに
したのと同じことを、今度は、その子どもにされるようになる。あなたが子どもを虐待す
れば、あなたが老人になったとき、今度は子どもがあなたを虐待するようになる。あるい
はその可能性は、たいへん高い。

 あなたが老人になって、便をもらしたとする。するとあなたの子どもは、ことさらそれ
をいやがり、嫌い、あなたを叱る。叱るだけならまだしも、あなたに体罰を加える。「また、
もらしたのね。何度言ったら、わかるの!」と。

 だから……。この先は、もう書く必要はないと思う。あとは、それぞれ個々の問題とい
うことになる。

 子育てというのは、そういうもの。頭の中で考えてするものではないということ。子育
てというのは、だれしも、自分の体の中にしみこんだものを、無意識のうちに、繰りかえ
しているだけ。そのひとつが、ここでいう「連鎖」と「応報」ということになる。

 こわ〜い、ですね、この話は! ホント!
(はやし浩司 子育て連鎖 連鎖 伝播 応報 因果応報)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「The Polar Express(ポーラー・エキスプレス)」を見る

++++++++++++++++

トム・ハンクス主演(?)の、ビデオ
「ポーラー・エキスプレス」を見る。

よかった。楽しかった。おもしろかった。
★は、★★★★★の5つ星。

子どもの心を忘れかかった子どもたちに、
ぜひ、見てほしい……と、まあ、途中で、
何度も、そう思った。

++++++++++++++++

 トム・ハンクス主演(?)の「ポーラー・エキスプレス」を見る。内容は、「スノー・マ
ン」「ネバーエンディング・ストーリー」、それに「銀河鉄道」の3つをミックスしたよう
なビデオ。しかし随所に、芸のこまかさが光る名作。笑いながら、それでいて、ぐんぐん
と吸いこまれて、何だか、おかしな涙までこぼれてくるという、まあ、不思議なビデオ。

 トム・ハンクスは、車掌の役で出てくるが、もちろん実物のトム・ハンクスではない。
CG化(コンピュータ・グラフィック化)されたトム・ハンクス。「今では、コンピュータ
で、こんなこともできるのか」と、感心するやら、驚くやら……。

 方法としては、まず俳優たちに、実際に演技をさえ、それをもとにCG化するのだそう
だ。そのとき俳優の体中に、無数の端子をとりつけ、それぞれの端子の動きを、コンピュ
ータで読み取りながら、1コマずつ、画面を作っていくという。何かの雑誌で、そう読ん
だことがある。

 しかし、では、顔の表情は、どうするのか? 体のような大きな動きは、端子を取りつ
けることで読み取ることができるが、顔となると、そうはいかない。目や口の微妙な動き
はどうするのか? ビデオを見ながら、そんなことも考えた。

 見終わったあと、ワイフは、こう言った。「アメリカはすごい映画を作るわね」と。そし
て「誠司(アメリカ在住)は、見たかしら?」とも。クリスマス映画だから、クリスマス
のときに見たらよかったかもしれない。そんなビデオだった。

 「サンタクロースを信じたものだけが、鈴の音を聞くことができる」という。つまりは、
子どものころの美しい心を忘れたら、人間も、おしまいということ。その哲学には、おお
いに共感を覚える。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【イスラム教】

++++++++++++++++++

イスラム教って、何?
……と思っている人は多いと思う。

私も、そうだ。

そこで買ってきたのが、『イスラム教の本』
(学研)。

昨日(3・10)、その本を、1日で、
読破した。

+++++++++++++++++++

●絶対的な服従・帰依

 絶対的な帰依……あらゆる信仰に共通する条件。絶対的な服従・帰依なくして、信仰は
成りたたない。

 仏教の世界にも、「南無」という言葉がある。もともとは、サンスクリット語の「ナム」
の当て字である。その「ナム」もまた、「帰依する」という意味である。ついでながら、日
本最大の宗教団体に、S学会というのがある。そのS学会の信者たちは、ことあるごとに、
日蓮が唱えた題目、すなわち、「南無妙法蓮華経」という題目を唱える。

 南無は、ここに書いた、「ナム」の当て字。

 妙法は、「ミョウホウ」、同じくサンスクリット語で、「不思議な」とか、「因果な」とい
う意味。それに「妙法」という当て字を当てた。

蓮華は、「レンゲ」、同じくサンスクリット語で、「物語」という意味。それに「蓮華」と
いう当て字を当てた。

 「経」は、「経典」の経。中国で、仏典として編纂されるときに、つけ加えられた。つま
り、「南無・妙法・蓮華・経」は、「不思議な物語に帰依する経典」ということになる。

 これらの事実は、私が直接、東京にあるインド大使館の領事部の人の協力を得て、調べ
たものである。

 ただ「ナム」が意味する「帰依」については、「帰依」というほど、深い意味で使われて
いるのではない。たとえばインドでは、あいさつとして、「ナマ(=ナム)・ステ」という
言葉を使う。もともとは、「あなたに帰依します」という意味だが、そんな深い意味を考え
てあいさつをする人はいない。会ったときも、別れるときも、軽く両手を合わせて、「ナマ
ステ!」と言いあう。

●「イスラム」とは……

 同じように、「イスラム」という言葉は、もともとは、「服従する」「帰依する」という意
味する言葉だそうだ。そのイスラム経。このところ、何かと私の興味をひきつけて放さな
い。で、今日も、書店で1冊、本を買ってきた。初歩の初歩ということで、学研の「イス
ラム経の本」(1165円)というのにした。

 それによれば、ムハンマドは、ただの予言者にすぎないということ。しかもムハンマド
は、最初は、文字も読めない、ごくふつうの一般人であったという。そのムハンマドが、
神の啓示を受けて、予言者になった。つまり極めて霊的な神が別にいて、その神が、ムハ
ンマドに啓示を与えながら、人々を指導した。おおざっぱに言えば、そういうことになる。

 ムハンマドは、いろいろと不可思議な体験をしている。こういう話は、どの宗教にもつ
きものだが、私は、そういう話には、たいへん興味がある。「イスラム経の本」(学研)に
は、つぎのようにある。ムハンマドが、神の啓示を最初に受けたところである。

 「最初は、神のお告げだったという。ムハマンドは、あるときから、山籠(ごも)りす
るようになった。食料をたずさえ、メッカ近郊のヒラー山の洞窟に籠もり、何日もの間、
瞑想や勤行を続けるというものである。そして40歳のある日、ついに運命の出来事が、
彼の身にふりかかる。

 いつものように洞窟に籠もっていたある夜のこと、うとうとと眠っていたムハマンドは、
突如、全身が押しつぶされるような感覚に襲われた。気がつくと、そこに天使ジブリール
(ガブリエルのこと)の姿があった。天使はそのままムハマンドに、「読め」と命じたので
ある。

 『私は読めません』と言うと、天使はムハマンドをつかみ、覆いかぶさり、苦しくなる
と離し、また『読め』と言った。『私は読めません』と言うと、天使はまたムハマンドをつ
かみ、覆いかぶさり、苦しくなると離し、また『読め』と言った。

 またムハマンドが『読めません』と言うと、天使は、3度、ムハマンドをつかみ、覆い
かぶさり、苦しくなると離し、『読め。創造をなされた汝(なんじ)御名(みな)において、
読め。汝の主は、もっとも尊い御方、筆を取る術(すべ)を教えられた御方。人間にその
知らぬことを教えられた』(96章1〜5節)と言ったのである」(同書、P29)。

 こうしてムハマンドは、預言者になる。同書の冒頭にもあるが、ムハマンドは、決して
イスラム教の教祖ではない。ただの預言者である。つまりここにイスラム教の最大の特徴
がある。

 ムハマンドは、絶対にして、人間をはるかに超越した神の、その預言者にすぎない。い
いかえると、そうであるからこそ、イスラム教では、そのムハマンドの説いた神の教えに
対して、異論を唱えたり、異議を唱えたりすることはできない。

 絶対的な服従、もしくは帰依こそが、イスラム教の原点になっている。

●イスラム教の謎

 で、そのイスラム教についてだが、私はかねてから、ひとつの大きな謎を感じていた。
ご存知の方も多いと思うが、エルサレムの旧市街地は、ムスリム(イスラム教徒)、キリス
ト教徒、それにユダヤ教徒の3つに分かれている。ともに「自分たちの聖地」と主張して、
今日に見られる紛争の原因ともなっている。

 どうしてか? どうして3つの聖地が、かくも近接しているのか? 同じ場所に集中し
ているのか? 地球規模の視点で見るなら、まさに1点ということになる。どうしてその
1点に集中しているのか?

 その謎も、「イスラム教の本」を読んで、ある程度、解けた。イスラム教でも、コーラン
にあわせて、旧約聖書(モーセ五書、ダビデへの詩篇)、新約聖書(福音書)を、聖典とし
ているのである。だからイスラム教の中には、旧約聖書の中に出てくるような話が、共通
して出てくる。

 で、さらに興味深いのは、ムハマンドは、その後、数々の、神秘体験をしているが、そ
の中には、「7つの天界への巡礼」というのもある。そしてそこで、何と、ムハマンドは、
イエスとヨハネに会っているのである!

 同書には、つぎのようにある。

●イエスにも会ったムハマンド

 「伝承によれば、ある夜、ムハマンドのもとに天使が現れ、彼の頸を裂き、心臓を取り
出して洗った。再び心臓が体内に戻されたとき、彼の魂は知恵で満たされたという。

 ムハマンドは、天使ジブリールに連れられた、天馬ブーラークに乗ってエルサレムに向
かう。

 そこで行われたのは天界への巡礼であった。天使に連れられたムハマンドは、第1天で、
アダム、第2天で、イエスとヨハネ、第3天で、ヨセフ、第4天で、エノク、第5天で、
アロン、第6天で、モーセ、第7天で、アブラハムに、相見(まみ)える。

 いずれも聖書に登場する先達(せんだつ)ともいうべき使途たちであった。

 彼らは『ようこそ! 正義の預言者、有徳の兄弟よ』と口々に言い、ムハマンドを迎え
たのである。そしてさらに遠い涯(はて)に連れられ、天国の至福の象徴である、『シドラ
の木』のある場所で、主より、日に50回の礼拝の義務を言い渡される。

 命令を持ち帰ったムハマンドだったが、その帰途、モーセより、『あなたの信徒は、それ
に耐え得ないだろう』と忠告を受けた。再び主の前に戻ると、主は、礼拝の回数を、5回
に軽減することを申し渡したのであった」(同書、P33)と。

 イスラムの学者たちは、このできごとを、霊魂のみでなく、身体もともなった旅である
こと、そしてその旅が、一夜の間に起こったことを、「奇跡の事実」として認めているとい
う。

 こうしてイスラム教が生まれ、今日に至る。今日は、レッスン1として、ここまでにし
ておく。つづきは、またの機会に書いてみたい。
(はやし浩司 イスラム教 ムハマンド)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●おかしな、(とぼけ)

++++++++++++++++++

K国が、またまたおかしなことを言い出した。
アメリカ政府の金融制裁について、「協議会を
開こう」と提案してきたという。

しかしその中身が、???。

++++++++++++++++++

 3月7日に、ニューヨークで米政府が金融制裁について説明した米朝実務者会合で、北
朝鮮は、(1)金融制裁の解除、(2)偽札疑惑に関する米朝専門部会(タスクフォース)
の設置、(3)ニセ札を識別する技術的な支援、(4)米銀行の利用−の四項目を要求して
いたことがわかった(中日新聞)。

 この中で、とくに「?」なのは、(3)の「ニセ札を識別する技術的な支援をしてほしい」
というところ。

 この項目を読んだときには、思わず、私は、吹き出してしまった(失礼!)。ニセ札を製
造している国が、ニセ札を識別する技術的な支援をしてほしいと言うのだ。(とぼけ)も、
ここまでくると、芸術的ですら、ある。K国は、まちがいなく、国家ぐるみで、ニセ札を
製造している。論理的にものを考えると、必然的に、そういう結論になる。順に考えてみ
よう。

(1)かねてから、K国は、ニセ札を製造しているとうわさされていた。
(2)これに対して、K国は、かねてから、それを否定していた。
(3)マカオで、K国のマネーロンダリングをしているという疑惑が浮かびあがった。
(4)アメリカは、当該銀行を取り引き禁止処分とした。
(5)結果的に、それがK国の金融制裁となった。
(6)K国は、K国内部の、(はねあがり分子)によるものだと反論した。
(7)そこで今回の協議会が開かれた。
(8)アメリカは、ニセ札製造にK国が国家としてからんでいることを説明した。

 2か国協議では、K国が、国としてニセ札づくりにからんでいるという確固たる証拠が
提示されたにちがいない。もしそうでないなら、K国は、その点を鋭くついて、「K国は、
ニセ札づくりとは、関係ない」「ニセ札疑惑は、アメリカのでっちあげ」と主張したはず。

 しかし協議のあと、K国は、「金融制裁の解除」だけを、アメリカに求めた。金融制裁の
解除だけを求めたということは、つまりは、協議に出たK国側の高官たちが、ニセ札づく
りに、K国が国家としてからんでいることを認めたことを意味する。

 が、ここからが、K国らしい。そのK国が、「ニセ札を識別する技術的な支援をしてほし
い」と。こういうのを、日本では、(とぼけ)という。わかりやく言えば、消極的なウソ。
ウソにも2種類ある。積極的なウソと、消極的なウソ。とぼけは、そのうちの消極的なウ
ソをいう。

 あるいはもうひとつ可能性として残るのは、トップの金xxと、協議に出た部下たちの
間のコミュニケーションが、どこかで遮断されているか、混線しているということ。もし
そうなら、協議に出たK国の高官たちこそ、えらい、悲劇。「親分、もうバレバレですぜ」
と言いたいのかもしれない。しかし本国から飛んでくる指令は、「ニセ札を識別する技術的
な支援をしてほしい」。

 どこのバカが、ニセ札を製造している国に、ニセ札を識別する技術的な支援などするだ
ろうか。K国の提案は、まるで、「もっと精巧なニセ札を製造したいが、どうすればいいか。
ニセ札とバレないニセ札を作りたいが、どうすればいいか」と言っているようなもの。

 これに対して、アメリカのR国務長官は、協議機関設置を拒否する考えを明言。「他国の
通貨を偽造するな。違法取引にかかわるな。北朝鮮がそういったことに取り組めばいいだ
けだ」(ヤフーニュース)として、ニセ札製造など、違法行為への関与を断ち切る対策を求
めたという。当然である。

 それにして、???。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ガス田開発問題
 
++++++++++++++

日本と中国の間で、
ガス田、開発問題が、
こじれに、こじれている。

結構な話ではないか。
このまま化石燃料を使いつづければ、
地球温暖化は、ますます進み、
やがて、地球全体が、砂漠化する。
人間どころか、あらゆる生物は
死滅する。

100年単位、200年単位で
ものを考えれば、いまごろ、
こんな問題で頭を悩ますほうが、
おかしい。おめでたい。

そのうち、米中戦争でも始まれば、
この極東アジアは、めちゃめちゃ。

いや、すでに中国は、地球温暖化により、
各地で深刻な影響を受け始めている。
「私の知ったことではない」と言いたいが、
しかしそれは地球全体の問題でもある。

大きな国だから、ものの考え方も大きいかなと、
私は思ったが、どうやら事実は、逆のようだ。

+++++++++++++++

 実のところ、北海道の東にある、クナシリ、エトロフ島を、ロシアの領土と言うのと同
じくらい、沖縄のはるか南にある尖閣諸島を、日本の領土というのには、少し、無理があ
る。

沖縄は明治時代以前までは、琉球王朝と呼ばれ、日本よりは、中国、台湾とのつながり
のほうが、はるかに深かった。江戸時代においては、薩摩の「附庸国」ということにな
っていたが、一応、「外国」という扱いを受けていた。一方、中国は、かねてから沖縄は、
中国の領土であると主張している。あの毛沢東も、「沖縄は、中国の領土」と、宣言して
いる(カイロ宣言にて・1943)。

 だからというわけでもないが、50年先、100年先の極東アジアを見据えながら、も
のを考えてみてはどうだろうか。ささいな問題でぎくしゃくしないで、このあたりを、日
中韓の共同開発区域として、みんなで仲よく開発するとか、そういう方法だって、ないわ
けではない。

 もちろんそれには、1つの条件がある。たがいの信頼関係が前提となる。今のように、
やることなすこと、たがいに疑心暗鬼では、何もできない。たがいに相手を敵視しあって
いて、何ができるのか。そうでなくても、アジアどころか、地球全体が、今、危機的な状
況にある。砂漠にしても、地球全体で、毎年600万ヘクタールの速さで広がっている(ウ
ィキペディア百科事典)。もちろん中国とて例外ではない。ゴビ砂漠の例をみるまでもない。

 その油田開発だが、京都大学のN教授は、こう述べている(サンケイ新聞・3・11)。

 「取るべき対応はただ一つ。日中中間線に近い日本側水域で試掘を開始することだ。領
土・領海に対する国家の明確な意思を見せてこそ、外交ルートでの協議は成立する。首相
は、協議機関を設置し、リーダーシップを発揮すべきだ」と。

 こういう勇ましい意見には、注意したほうがよい。どこか短絡的ですらある。これでは
まるで、中国に向かって戦争をふっかけているようなもの。あえて言うなら、日本は、中
国が手がける前に、もっと早い段階で、このあたりの資源調査をしておくべきだった。少
なくとも今は、中国は、日本側が主張する排他的経済水域(EEZ)の外、つまり日中中
間線の中国側のところで作業をしているのだから、日本側としては、何も文句は言えない
はず。少なくとも、中国側は、そう主張している。

 だったら日本は日本で、そのあたりにこだわるのではなく、日本の排他的経済水域の内
側のあちこちで、資源開発のための調査をすればよい。そのひとつとして、「日中中間線に
近い日本側水域でも試掘を開始する」(N教授)ということであるなら、何も問題はないは
ず。

 それにしても、どうして日本と中国、それに韓国との間では、こうまでやることなすこ
と、問題がこじれてしまうのか。政治、風土、文化のちがいというよりは、これもまた文
明のちがいによるものなのか。アメリカ型西欧文明と、儒教文明のちがい(?)。私には、
そんな感じさえする。

+++++++++++++++++

ついでながら少し前に書いた、
「台湾問題」についての原稿を
ここに添付しておきます。

+++++++++++++++++

●台湾問題は、日本の問題

++++++++++++++++++++++

どうして、中国は、日本が主張する経済水域の中で、
ガス油田の開発および採掘を始めたのか。

どうして日本の抗議に対して、中国は耳を貸そうと
しないのか。

実は、この問題に裏には、台湾、さらには沖縄(琉球)
の領有権問題がからんでいる。

雑誌「諸君」(11月号)の中の記事を参考に、この
問題を考えてみたい。

中国側の言い分を、それなりに理解するために……。

+++++++++++++++++++++++

 中国と台湾。その中国は、台湾は、中国の領土と主張し、もし台湾が独立宣言をするよ
うなことがあれば、中国は武力介入も辞さないと、ことあるごとに宣言している。

 つまり台湾の独立は、許さない、というわけである。

 しかし、この問題は、そのまま日本の問題と考えてよい。中国に視点を置いてみれば、
それがわかる。中国の東には、台湾がある。しかしその台湾の向こうには、沖縄(琉球)
がある。もし台湾が独立してしまえば、沖縄(琉球)は、ますます、中国から遠ざかって
しまう。

 仮に台湾が、中国の領土の一部になれば、つぎに中国が領有権を主張してくるのは、実
は、沖縄(琉球)なのである。これは私の被害妄想でも、憶測でも、何でもない。

 連合国は、ポツダム宣言(1945)によって、日本の敗戦を明確に位置づけた。しか
しそのポツダム宣言の前に、ヤルタ協定(同、1945)、さらにその前に、エジプトのカ
イロでなされたカイロ宣言(1943)がある。

 そのカイロ宣言の中には、「日本は、中国から奪取したすべての領土を、中国に返還すべ
き」という一文があるが、中国は、その中には、台湾はもちろんのこと、沖縄(琉球)も
含まれると主張した。毛沢東が、その人である。毛沢東は、その著書、『中国革命と中国共
産党』の中で、「沖縄(琉球)は、日本が中国から奪った領土である」と書いている(中西
輝政氏、指摘・「諸君」11月号)。

 ……こう書くと、「沖縄が、中国の領土だって?」と思う人がいるかもしれない。しかし
ここは、明確に述べておかねばならない。

琉球王朝、つまり沖縄は、江戸時代においては、薩摩の「附庸国」であると同時に、明
と清との朝貢関係をもっていた。つまり沖縄(琉球)は、幕藩体制の中では、一応、日
本の「領分」としながらも、日本では異国として扱われていたのである。

 が、1871年、宮古・八重山島民が台湾に漂着し、54人が、台湾島民に殺害される
という事件が起きた。これに対して時の明治政府は、「日本国民を殺害した」として清国に
抗議、台湾へ出兵。そしてそのあと、日本は、北京条約で、清に沖縄(琉球)の日本への
帰属を認めさせる(参考、中島成久氏ゼミ資料)。

 こういう流れからみると、つまりどこか力ずくで、沖縄(琉球)を日本の領土としてき
たという流れからみると、「沖縄(琉球)は、中国の領土である」と、中国が主張しても、
どこもおかしくない。少なくとも、「沖縄は、日本の領土である」という主張には、歴史的
根拠があまりない。つまりここが、日本の最大のアキレス腱ということになる。

 しかしその中国が、沖縄をあきらめたわけではない。かろうじて、本当にかろうじて、
今、中国がそれを主張しないのは、台湾問題があるからにほかならない。台湾が、中国の
コブなら、沖縄(琉球)は、そのコブの上のコブにすぎない。「沖縄(琉球)が、中国の領
土である」ということを主張するためには、まず台湾を、自分の領土に組みこまねばなら
ない。

 わかりやすく言えば、台湾が、大きな壁となって、中国と日本の間に、またがっている。
中国にしてみれば、まず、台湾問題なのである。

 つまりもうおわかりかと思うが、台湾問題が片づけば、つぎにやってくるのが、沖縄(琉
球)問題である。「台湾問題は、日本に関係ない」などと思っていたら、たいへんなまちが
いである。現に今、「沖縄は中国の領土である」と主張する知識人が、中国国内で、ふえ始
めている。

 一方、ここ1、2年、米中関係は、急速に悪化の一途をたどっている。新たな冷戦時代
の始まりと説明する人も多い。最近になってアメリカのライス国務次官も、中国を、「明ら
かな脅威」と位置づけ始めている(05年8月)。台湾や日本にとって、脅威という意味で
はない。アメリカ本土にとって、脅威という意味である。

 事実、それに呼応するかのように、中国の軍の近代化と拡充には、ものすごいものがあ
る。軍事費にしても、公表されている数字の3倍近くはあると言われている。あるいは、
それ以上かもしれない。

 そこで、その中国がなぜ、こうまで、軍事力の拡充に熱を入れるかといえば、すでに中
国は、台湾や日本を飛び越して、アメリカとの戦争を、念頭に置いているからに、ほかな
らない。その中国は、これまたことあるごとに、「もし中台戦争にアメリカが介入してくる
ようなことがあれば、アメリカとの対決も辞さない」と主張している。

 中西輝政氏は、つぎのような事実も指摘している。

 「この(05年)7月、中国国防大学のエリート、朱成虎少将が多くの欧米記者を前に、
『アメリカが中台の武力紛争に介入したときには、中国は、アメリカ本土に、戦略核ミサ
イルによる先制攻撃を加える』という警告を発した」(同、「諸君」11月号)と。

 そうなれば、沖縄はもちろん、日本の本土すらも、中国の核攻撃の対象となる。

 ……とまあ、こうした物騒な話はさておき、中国は、日本の主張する経済水域を、そも
そも認めていない。だから平気で、その中で、ガス油田の開発、採掘をすることができる。
だからいくら日本が抗議の、のろしをあげても、どこ吹く風。中国は、これから先も、ま
すます堂々と、日本の経済水域内に入ってきて、ガス油田の開発、採掘をするだろう。

ワイフ「そう言えば、沖縄って、日本とは、ちがうという感じがしていたわ」
私「あまり、そういうことは言わないほうがいい。もしそんなことを、日本人のお前が言
っていることを知ったら、中国人は、『そら、みろ!』と喜んで、飛びついてくるかもよ」
ワ「でも、事実は事実だから……」
私「日本としては、何としても、米中関係の悪化を、阻止しなければならない。これ以上、
悪化すれば、日本の平和どころの問題では、なくなってしまう」
ワ「K国の核開発問題も、どこかへ吹っ飛んでしまうわね」
私「そういうこと」と。

 こうした中国の野望を封じこめるための方法は、2つある。一つは、中国の民主化運動
を、側面から支援して、中国を民主化すること。ブッシュ大統領も、「世界を民主化するこ
とが、世界に平和をもたらす方法」というようなことを言っている。

 もう一つは、日本、東南アジアからインドにかけて、中国包囲網を構築すること。とく
に重要なカギを握るのが、すでに核保有国となったインドである。すでに、アメリカも日
本も、その方向で進んでいる。中国が、軍拡をつづけているかぎり、日本は、中国とはど
こかで一線を画す。でないと、それこそ敵に、塩を送るようなことになりかねない。

 ……とまあ、いっぱしの外交評論家のようなことを書いてしまったが、しかしこれらの
問題はそのまま、私たち自身の問題である。日本の平和と安全に、直接かかわってくる問
題である。これからも、これらの問題を追求していきたい。
(参考、「国家の覚悟が問われる秋」byN教授、「諸君」11月号)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●87%が反対

++++++++++++++++++++

岩国への米軍移転問題で、住民の87%が
反対の意思表明をしたという。

新聞各紙、インターネットニュースなどは、
こぞって、「9割が反対!」と報道して
いる。

++++++++++++++++++++

 在日アメリカ軍の空母艦載機部隊を、山口県岩国基地に移す計画の、賛否を問う、岩国
市の住民投票が行われた。つぎのような結果になった。
 
住民投票の投票率は、58・68%。開票の結果、賛成が、5369票、反対が4万3
433票。したがって、反対が、投票総数の87%を占めたという(3月12日)。

 「賛成か、反対か」と問われれば、「賛成」と答える人は、まずいない。「反対」と答え
る人はともかくも、それ以外の人は、「しかたない」「やむをえない」「どちらでも」と考え
る。そういう人たちも多いはず。そういう中で、「賛成か、反対か」という、切りこむ、そ
の切りこみ方が、そもそもおかしい。今回の住民投票は、反対派が主導して行われること
になった。そういういきさつもある。

 それにしても、87%! 反対派が全員投票したとして、0・5868x0・87=0・
51、つまり純粋にみて、岩国市民の51%が、反対という意思表示をしたことになる。
岩国には、岩国の、事情があるのだろう。反対運動の様子を、テレビ報道で、かいま見た
ことがある。その中には、「原爆都市、広島の近くに、米軍は不要」というようなプラカー
ドをかかげている人たちもいた。

 これ以上のコメントは、ここでは差し控えたい。が、すでに日米同盟は、事実上、崩壊
しているとみてよい。少なくとも、日本人の心の中には、日米同盟は、もう、ない。ない
ことは、この数字を見ただけもわかる。となると、日本は、単独でこの日本を守らなけれ
ばならなくなる。しかしその心構えがあるかというと、それも疑わしい。

 岩国の米軍移転問題は別として、つまりこの問題とは関係なく、仮に今、この日本から、
アメリカ軍が消えてなくなったら、この日本は、どうなるのか? もっと言えば、日本は
日本だけのことを考えていれば、それでよいのか? かつて私がオーストラリアの大学に
留学していたころ、オーストラリアの友人たちは、みな、こう言った。

 「どうして日本は、ベトナムに派兵しないいのか。この問題は、君たち、アジアの問題
ではないか!」と。

 そのオーストラリアは、今回、自衛隊がイラクのサマワに派遣されたおり、その自衛隊
を守る任務を、自ら、買って出てくれた。さらにオーストラリアの国防省に勤務していた
友人は、メールで、私にこう書いてきた。「ヒロシ、心配するな。日本がK国に攻撃された
ら、オーストラリアは、自動的にK国と戦うことになっている」と。戦争がどうのこうの
という問題はさておき、日本人には、どうしてそういった国際感覚が、働かないのか?

 繰りかえすが、「賛成か反対か」と問われれば、反対に決まっている。しかしそれだけで、
この日本の平和と安全が守られるかというと、私は、そうは思っていない。日本を取りま
く国際情勢は、あまりにもきびしい。韓国にせよ、K国にせよ、中国やロシアにせよ、日
本が考えているほど、甘い国ではない。緊張感そのものが、ちがう。

 行き過ぎた平和主義は、国を滅ぼす。過去にも、そういう例は、ゴマンとある。ただ私
は、個人的には、日本は日本人だけの手で守るべきだと思う。仮に孫の誠司(アメリカ人)
や、嫁の兄弟たち(アメリカ人)が、兵隊としてこの日本にやってくるということになれ
ば、私は、こう言うだろう。「こんなところで、命を落とすことはない。日本のことは、日
本で何とかするから、来なくていい」と。

 実は、先のオーストラリアの友人にも、そう書いた。「日本は、君たちの国、オーストラ
リアが、インドネシア軍に攻撃されても、絶対に助けにはいかないだろう。軍隊を派遣し
ないだろう。悲しいことに、日本という国は、そういう国だ。だから、日本のことは心配
しなくていい」と。

 これに対して、「日本には、平和憲法があるから、海外へ出兵できない」と言う人たちが
いる。しかし本当に、そうか? むしろ平和憲法をよいことに、つまりそれを口実に、責
任逃れをしているだけではないのか。

 たいへんきわどい話になってしまったが、日本政府は、条約を優先させると言っている。
これから先、この問題では、大きな混乱が予想される。が、その問題が片づいたとき、お
そらく、日米同盟は、事実上、崩壊しているかもしれない。日本人が考えているほど、日
米関係は、磐石(ばんじゃく)ではない。

 それがわからなかれば、逆の立場で考えてみればよい。どうしてアメリカが、自分たち
の体を張ってまで、この日本を守らなければならないのか。かくも、嫌われてまで……。
(060313)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●4人に1人が離婚!

+++++++++++++++++

日本人や韓国人の男性と結婚した
中国人妻たちのうち、4人に1人が、
離婚しているという。

+++++++++++++++++

 中国の女性人民政治協商会議の報告によると、「2004年度に、4000人あまりの中
国人が、国際結婚をした。が、そのうち1000人が離婚した」という。つまり4人に1
人が離婚したことになる。離婚率は、25%! しかも「(各国の)中国大使館には、夫か
ら暴力や性的虐待を受けたとか、監禁されたと通報する事例がふえている」(同会議)とい
う。

 離婚できない状態で、その一歩手前で、離婚状態になっている夫婦となると、もっと多
いはず? つまり約半数が、離婚もしくは、その離婚一歩手前の状態とみてよい。しかし
この数字は、国際結婚が、いかにむずかしいかを、そのまま表している。が、それだけで
はない。

 言葉の問題、生活習慣のちがいの問題などなど。こうした問題をかかえて、心の病気に
なる中国人妻も、少なくない。さらに週刊誌などの報道によれば、日本人や韓国人と結婚
するため、女性たちは、その仲介者に多額の現金を支払わねばならないという。そのため、
借金を背負って、日本や韓国へやってくる女性も多いという。

 もちろん中には、日本人や韓国人の夫と結婚して、幸福な家庭を築いている人もいる。
しかし離婚率が25%。さらにその一歩手前で、離婚状態にある人たちも含めると、推定
で、50%というのでは、とても、国際結婚とは言えない。しかも仲介者(業者)に多額
の現金を支払うというのであれば、人身売買と批判されても、文句は言えない。

 そこで重要なことは、だからといって、こうした国際結婚に反対するのではなく、中国
人妻にかぎらず、外国人妻に対して、日本人が、もっと心を開き、彼女たちが、日本の社
会に、自然な形で溶けこめるような体勢を整えること。私たちが用意すること。

私が見たところでも、日本の社会は、どこか閉鎖的。どこか外国人妻に冷たい。何かあ
ると、相手の人の立場で、相手の国の事情を理解しようとするのではなく、日本の社会
に同化できないことを、批評したり、ときに非難したりする。そして自分たちの思うよ
うにならないと、仲間はずれにしたり、排斥したりする。そのため、外国人妻は、外国
人妻どうしが、集まってしまう傾向が見られる。つまりこうして日本人と外国人妻たち
の間には、大きなカベができてしまう。

 また、夫側の問題として、国際結婚というと、何か、ロマンチックなものを感ずる人も
多いかもしれない。しかしことは、そんなに甘くない。たがいに、徹底的に相手の国の人
になりきるつもりで努力しても、むずかしい。もちろんそのベース(基礎)に、愛情があ
れば、話は別。その愛情には、すべての困難を乗りきる力がある。

 で、なければ、国際結婚は、安易に考えてはいけないのでは(?)。とくに多額の現金を
支払い、結婚仲介所のようなところを通して結婚する、結婚のし方は、本来の男女の出会
いとは、異質のものと考えてよい。これは当人たちだけの問題ではすまない。やがて生ま
れてくる、子どもも、その影響を受ける。

 昨今、不幸なことに、その中国人妻たちの犯した犯罪がつづいている。しかしその責任
は、そういう女性と結婚した夫や、私たち日本人にもある。それを忘れてはいけない。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 14日(No.713)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page021.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●ホワイト・デー

 今年のホワイト・デーには、「ビーズ遊びセット」を、みなに、返した。最近発売になっ
た、本のセットである。初回号だけは、780円で、買うことができた。

 それを教室で、A子さん(年長児)に渡すと、それを見ていたB君が、A子さんに、「お
前、先生が好きなのかア?」と。A子さんが、「うん」と言うと、すかさず、「お前、バカ
だなア〜」と。

 で、私が、「黙っていろ、うるさい」とたしなめると、近くにいたC君が、「オイラ、チ
ョコなんか、食べないもんねえ」と。

私「チョコじゃ、ない」
C[じゃあ、何よ?]
私「ビーズ遊びだ」
C「そんなもの、オイラ、いらない」
私「やるわけないだろ、お前なんかに……。お前、じゃあ、チョコをだれにももらわなか
ったのか?」

C「もらったよオ〜」
私「だれに?」
C「ママだよ」
私「そういうのは、もらったことにならないの。ねえ、A子さん?」
A「うん」と。

 もうひとつ、こんなことも……。

 教室が騒がしかった。そこで私は、こう言った。「ママのおっぱいを飲んでいるなら、し
ゃべっていい」と。

 とたん、教室は静かになった。が、一人、K君(小3)が、何かのことで、声を出した。

私、すかさず、「君は、ママのおっぱいを、まだ飲んでいるの?」
K「飲んでないよオ〜」
私「どうして?」
K「だって、もう何も出ないもん」
私「ウッ、なぜ、君は、そんなことを知っているんだ」
K「だって、もう出ないよ」
私「だからさア、どうして君が、そんなことを知っているんだ?」
K「……」と。

 ほかの子どもたちは、みな、神妙な顔をして、黙っていた。何かを言えば、自分が疑わ
れる。「そうだ、そうだ」とも言えない。「出る」とも「出ない」とも言えない。つまりこ
うして私は、子どもたちの発言を封じこめることに成功した。ハハハ!

 そのあとは、教室は、静かになった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●勇気

++++++++++++++++

勇気にもいろいろある。

その中でも、最大の勇気は、
負けを認める勇気ではないか。

自分のことでも、また
子どものことでも……。

+++++++++++++++++

 勇気にもいろいろ、ある。子どもの世界風に言えば、悪と戦う勇気、未知の世界に飛び
出す勇気、恐怖と戦う勇気などがある。自分を奮(ふる)いたたせることを勇気というが、
広辞苑には、「いさましい意気、ものに恐れない気概」とある。

 しかし本当の勇気は、負けを認める勇気ではないか。「私はバカです。私はつまらない人
間です。私は負けました」と、それをすなおに認める勇気ではないか。

 人も、ある年齢になると、否応(いやおう)なしに、その(負け)を認めざるをえない
立場に立たされる。体力、気力、それに知力など。そのつど、自ら負けを認めて、身を引
く。そんな場面が多くなる。

 しかしそれは、実のところ、たいへん苦しい戦いでもある。負けを認めたくないから、
最後の最後の、その土壇場でがんばる。ふんばる。しかしその力には限界がある。できる
なら勝ちたい……そう思いながら、最後の力をふりしぼる。

 が、こんな状態では、いつまでたっても、安穏たる日々はやってこない。心を不安にす
るザワめきを、消すことはできない。こんな話を、姉から聞いた。

 姉はボランティアで、近所のひとり住まいの老人たちの世話をしている。その中の1人
が、このところ、大便の始末ができなくなってきた。トイレに間にあわないとか、あるい
は、うまく下着をさげられないとか、いろいろあるらしい。トイレから出てくるたびに、
衣服に、大便をつけて出てくるという。

 が、当の本人は、絶対に、それを認めようとしない。姉が、「おばあちゃん、ここにウン
チがついているでしょ!」と言って、それを見せても、「ついていない!」「ウンチじゃな
い!」と言ってがんばるという。

 しかたないので、姉が、下着や衣服を取りかえてやろうとするのだが、それについても、
「このままでいい」「自分でできる」と言って、拒否するという。が、姉がつらがるのは、
そのことではない。このところ、その老人が、姉に反抗的になってきたこと。言葉もきつ
くなってきた。ときに、そういう姉を、罵倒することもあるという。

 で、こういうとき、老人介護のマニュアルには、こうあるという。「そうだねと言って、
老人の言い分を認めてやること」と。が、便臭だけは、どうにもならない。だからついつ
い姉も、きつく出ることもあるという。

 私が「きっと、自分がなさけなくて、その老人は、自分に怒っているのだよ」「負けを認
めるのがいやなんだよ」と言うと、姉は、「そうかしら?」と言った。姉は、その老人が、
ますますがんこで、わがままになってきたと言った。

 こういう例は、多い。老人の世界には、とくに、多い。過去の地位や肩書き、名誉や栄
華にしがみつき、それから自分を解放できないでいる老人たちだ。人生そのものを、完全
燃焼していない。その不燃焼感が、ますますそういった老人たちをして、がんこにする。
しかしその老人は、女性である。

私「どうして、そんなにプライドが高いのかね?」
姉「昔から、近所でも、お姫様と呼ばれていたような人だから……。実家は、元武家とか
で、こんな田舎に嫁いでくるような人ではなかったみたい……」
私「そういうことか……」
姉「そういうこと」と。

 が、それだけではないようだ。この世界には、「応報」という言葉がある。長い話だった
が、姉の話をまとめると、こうなる。

 その女性は、若いときから、近所の人たちを、どこか見くだしていたという。そして夫
の両親、つまりその女性の義理の両親たちが、ボケ始める年齢になると、陰で両親に対し
て、虐待に近いようなことをしていたという。

姉「表では、いい嫁さんという感じだったけど、裏では、そうでなかったみたい」
私「たとえば……」
姉「きつい人だったみたいよ。とくに母親は、その女性に、ビクビクといった感じだった
わ」と。

 義理の母親が、便をもらしたりすると、その女性は、大声をあげて母親を叱っていたと
いう。その声が、となり近所まで、聞こえることがあったという。

私「そういう過去があるから、自分を許せないのだろうね、きっと……」
姉「そうかもね」と。

 親子でも、親が老齢期に入ると、立場が逆転するということは、よくある。そして親が
子どもにしたのと同じことを、今度は、子どもが親にするようになる。

 ときどき耳にする例は、こんな話だ。

 親が子どもを虐待すると、今度は、その親が老人になったとき、同じように、子どもが
親を虐待するようになる。まさに「因果応報」ということになる。

 話が脱線したが、こうした応報を避けるためにも、「負けを認める勇気」、それが重要で
ある。若いときはなかなかむずかしいかもしれないが、しかしそのいさぎよさが、心を軽
くする。人間関係に、さわやかな風を通す。

 その大便をもらす老人にしても、「ごめんなさい」と負けを認めてしまえば、世話をする
姉だって、救われる。が、いつまでも、「そんはずはない」「そうであってはいけない」と
がんばるから、人間関係も、ぎこちなくなる。

 そうそう、大切なことを言い忘れた。

 実は、負けることは、負けることではない。日本では、昔から、『負けるが勝ち』という。
それについては、今までにも何度も書いてきた。以前、書いた原稿を、ここに添付する。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、
まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。
さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1
人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをい
う。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことにな
る。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせ
は、子どものところに集まる。

しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですか
ら……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが
勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、
あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。

それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くというこ
とは、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士
のつきあいの大鉄則と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【親の欲目】

●親の欲目

 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。

親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてし
て子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。

●やってここまで

 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、
A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな
ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも
いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し
くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。

たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちは
よくわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、
(やる・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほ
ど、子どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。

●子どもを受け入れる

 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。

そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの
成績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあき
らめると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピア
がいう「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●実家(本家)意識

+++++++++++++++++

原始社会では、贈り物が、社会の
秩序を保つ絆(きずな)になっていた。

やがて、より多くの贈り物をもらう人が、
「力のある人」ということになり、
その力のある人が、やがてその社会を
支配するようになっていった。

+++++++++++++++++

 原始社会では、たがいの贈り物が、社会の秩序を保つ柱になっていた。「もらった」「や
った」が、人間関係をつくる基本になっていた。が、そこに変化が見られるようになった。

中に、より多くもらう人が現れた。そしてその量が、加速度的に多くなっていった。で、
より多くの贈り物をもらう人が、「力のある人」ということになり、その力のある人が、
やがてその社会を支配するようになっていった。

 その残像は、日本の年貢制度にみることができる。農民たちは、支配者に、年貢という
「贈り物」をささげることによって、自分たちの安全と保護を保証してもらった。支配者
は、もらった「贈り物」を、今度は、部下やその配下に、再配分することによって、彼ら
を支配した。部下や配下は、忠実な僕(しもべ)として、その支配者に従った。

 それがやがてひとつの秩序を保つようになり、封建主義社会における「社会」となって
いった。

 こうした流れを、経済学の世界では、「互報(平等に、贈り物を交換する社会)」「再配分
(支配者により多くの贈り物が集まり、その支配者は、その贈り物を再配分することで、
支配力をます)」という言葉を使って説明する。

 が、何も、これは経済学の世界だけの話ではない。今でも、この日本には、「実家意識」
に代表されるように、原始社会の制度そのものが、残っている。この日本には、だれにも、
「実家」というものがある。その実家に、その実家から出たものは、一方的に「贈り物」
をするという習慣が残っている。「贈り物」というのは、何も、「物」にかぎらない。「心」
もそれに含まれる。

 たとえば実家にだれか、病人が出たとする。すると、実家から出たものは、その実家の
病人について、ことさら心配してみせたりする。見舞いに行ったり、看病に行ったりする。
もちろんその反対のケースもあるが、しかし多くの場合は、一方的なものである。実家が
頂点にあって、実家から出たものは、一方的に、実家に尽くす。

 こうした実家意識が、いかにおかしなものであるかは、外国へ出てみると、わかる。ア
メリカやオーストラリアには、実家意識そのものがない。ないものは、ないのであって、
どうしようもない。彼らに実家意識を説明しても、理解すらできない。親子も、兄弟も、
みな、平等。「平等」という意識すらないほど、平等。

 少し前だが、こんなことを言った母親がいた。「私の家は実家だから、(親類に恥ずかし
くないように)、息子には、そこそこの大学を出てもらわねば困ります」と。

 若い母親がそう言うから、悲しい。

 ……と言いつつ、実家、それに対する新家(あらや)というのは、あくまでも相対的な
もの。実家はつねに新家であり、新家はつねに実家である。あなたにしてみれば、あなた
の生まれた家は実家かもしれないが、あなたの子どもにしてみれば、あなたの家が、実家
である。

 が、この日本では、そこに「代々……」という言葉が、つけ加えられる。わかりやすく
言えば、先祖の位牌を代々守りつづけているのが、「実家」ということになる。「本家(ほ
んや)」と呼ぶことが多い。中には、20代、40代……と、先祖の位牌を守りつづけてい
る実家もある。

 そういう実家になると、そこから出た人たちの実家意識も、これまたちがったものにな
ってくる。ものすごいというか、異常というか……?

 ある母親は、息子の土地を、息子がいない間に、勝手に売り飛ばしてしまった。息子が、
中国へ赴任している間のできごとだった。息子は、その間、権利書と実印を、母親に預け
ておいた。

 息子がそれに抗議すると、母親は平然とこう言ってのけたという。「親が、実家を守るた
めに、息子の財産を使って、何が悪い!」と。さらに甥(おい)や姪(めい)からも、お
金をだまし取る人さえいる。実家意識が高じると、そういうことをしても、みじんも、恥
じなくなる……らしい。

 すべては、実家のため、祖先のため、となる。

 バカげた意識だが、しかし当の本人たちにとっては、そうではない。生きる哲学、さら
には宗教にもなっている。簡単に否定すると、反対に、こちらのほうが、はじき飛ばされ
てしまう。

 この実家意識には、いろいろと問題がある。そこから出た人たちが、常に、実家を心の
より所としてしまう。「私は、○○村の△△家の出のものだ」と。ときには、自分の今住ん
でいる「家」よりも、「実家」あるいは「本家」のほうを、優先させてしまうこともある。
が、実家に住む人もたいへん!

 実家は、いつも、覗(のぞ)かれる。干渉される。そしてそれがうるさいほど、つづく。
ある男性は、こう言った。「実家、実家と、うるさくてたまらない。もう放っておいてほし
いと叫びたくなることも、たびたびある」と。

 現在は、その過渡期ということになるのかもしれない。実家意識の強い、旧世代。「そん
なものくだらない」とする、新世代。ただここではっきりと言えることは、実家意識なる
ものは、封建時代の遺物にすぎないということ。封建時代の「家制度」の亡霊と言っても
よい。江戸時代には、「家」によって、そこに住む人間の価値まで固定された。

 しかし、今どき、実家とは?! 本家とは?!

 つまり日本の社会は、見た目には近代化されたが、その中身といえば、原始社会そのも
の。私が言っているのではない。カール・ボランニー(1886〜1964)が、『経済人
類学』の中で指摘している。実家意識は、まさに、彼の言葉を借りるなら、「再配分」の社
会そのものということになる。

 大切なのは、その個人が、どう自分の世界で、より充実した人生を送ることができるか
ということ。代々つづいた実家に住む人も、気負うことはない。一方、その実家から出た
人たちも、その実家にかこつけて、自己の依存性を肯定してはいけない。それこそ、「今ど
き、実家とはねえ……?」ということになる。

 まだまだ私の戦いはつづきそうである。この問題は、これからも深く考えてみたい。
(はやし浩司 実家 実家意識 原始社会 再配分社会 家制度)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●親意識

++++++++++++++++++++

実家意識と、親意識は、
その底流で、深く結びついている。

その親意識について……

++++++++++++++++++++

 親にも、いろいろあるようだ。今朝、横浜市の友人のK氏(57歳・男性)と、電話で、
1時間ほど、話した。彼が生まれ育った群馬県のX町というところは、今でも、家父長意
識が色濃く残っているところだという。

 そこで、親意識を、悪玉と善玉に分けてみた。

(悪玉・親意識)

 「産んでやった」「育ててやった」という意識が強い。親は絶対で、親に反抗することを、
親が許さない。「親の悪口を言うヤツは、地獄へ落ちる」などと言って、日常的に、脅され
る。

 子どもが巣立ったあとも、子どもは、親のめんどうをみるべきという考え方が強い。盆
や、暮れの帰省は、絶対にしなければならない。それをしないと、「先祖(親)捨て」のレ
ッテルを張られる。

 子どもは、人間というより、親のモノ、財産。

(善玉・親意識)

 子どもは子どもでも、子どもというより、友だち意識が強い。いつも仲よしといった感
じ。子どもといっしょに、もう一度、別の人生を楽しむといったふう。

 子どもが巣立つときは、「あなたの人生は、あなたのものだから、自由にしなさい」と、
子どもの背中をたたくことができる。親は親で、子育てからの解放感を覚える。

 子どもに対しては献身的だが、しかし見返りは求めない。その意識すらない。いつも「子
どもには迷惑をかけたくない」と思っている。

 先に進む前に、以前書いた原稿を紹介する。

+++++++++++++++++++++

●悪玉親意識

 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子
どもを自分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。

その悪玉親意識にも、これまた二種類ある。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは
依存型親意識。

 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分
の価値観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしよ
うとする。子どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をす
る。

これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもを
その「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなって
いるため、たいていは無意識のうちに、そうすることが多い。

親は親で「産んでやった」「育ててやった」と言い、子どもは子どもで、「産んでもらい
ました」「育てていただきました」と言う。

 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ
姿」という)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子ども
の歓心を買いながら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。

「あなたを育てるためにママは苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子ど
もにするのが前者。クリスマスなどに豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに
気に入られようとするのが後者ということになる。

以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、
先生の方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それ
もここでいう後者ということになる。

 これらを表にしたのがつぎである。

   親意識  善玉親意識
        悪玉親意識  非依存型親意識
               依存型親意識   押しつけ型親意識
                        コビ売り型親意識
 
 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようにな
る。それは当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。
はたしてあなたの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分
析してみると、おもしろいのでは……。

++++++++++++++++++++

 悪玉親意識が強いと、親子の間には、命令・服従の関係が、生まれやすい。親は、子ど
もに、徹底した服従を求める。

 このとき、子どもは、二つのうちの、どちらかの選択に迫られる。親に従順になる。あ
るいは、親に反抗する。

 さらに、この段階で、親は、親としての権威を持ちだすことが多い。(親・絶対教)の根
幹にあるのは、この権威である。理由など、ない。根拠も、ない。あるとすれば、子ども
に対する本能的な依存性※ということになる。

 が、その権威が通じなくなったとき、たとえば親自身が、その権威を維持できなくなっ
たとき、親は、つぎの4つのパターンのどれかをとることになる。

(1)攻撃型……子どもに向かって、暴力的に服従を強いる。
(2)同情型……わざと弱々しい親を演じてみせる。
(3)依存型……ベタベタと子どもに依存する。甘える。よい親を演ずる。
(4)服従型……「老いては子に従え」を口ぐせにし、子どもに服従する。

 これら4つのパターンの複合型というのもある。あるいはそのときどきに変化するとい
うタイプもある。

 X町のK氏は、こう言う。

 「私の親などは、死ぬまで、私から、お金をむしり取りましたよ。容赦なかったですよ。
とくに冠婚葬祭は、派手で、そのつど、5〜50万円程度のお金を、要求してきました」「そ
のため、若いころは、そのつど、貯金通帳は、カラになりました。私の人生は、まるで親
のために犠牲になったようなものですよ」と。

 K氏のばあいは、それでも、また親子関係が良好だったから、救われる。が、そうでな
いと、それから生まれるストレスは、想像を絶するものになる。子どもは、家族自我群と
いう、重いクサリにからまれて、悶絶する。

 が、そんなK氏だが、K氏の母親は、死ぬまで、近所の人にこう言っていたという。

 「息子なんて、育てるもんじゃないですね。どうせその年になれば、みんな、親を捨て
てどこかへ行ってしまいますよ。親なんて、さみしいもんですわ」「息子は、横浜の嫁に取
られてしまいました」と。

 K氏の母親は、ここでいう同情・依存型の親意識をもっていたことになる。

 結局は、悪玉親意識の強い親というのは、自立できない、精神的に未熟な親ということ
になる。
(はやし浩司 親意識 善玉親意識 悪玉親意識)

【注※……本能的な依存性】
 
 ある種の鳥類は、生後直後に、「刷り込み(インプリンティング)」をすることが知られ
ている(ローレンツ)。

 人間も、生後まもなくから数か月にかけて、同じような刷り込みをすることが最近の研
究でわかってきた。この時期を、「敏感期」という。

 この敏感期に、子どもは、親に対して、特定の、かつ濃密な本能的な感情をもつように
なる。私は、親・絶対教の根幹に、この(刷り込み)があるのではないかと推察している。
(はやし浩司 敏感期 ロレンツ ローレンツ 刷り込み インプリンティング)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】


●誠司

 孫の誠司(現在、アメリカ在住)と電話で話す。前回は、私のことを、「エアロプレーン・
ジージ」と呼んだ。今日も、そう呼んだ。その前は、電話をすると、「ハイ、バイ!」で切
ってしまった。たまたま何かのことでぐずっているときに電話をしたのが、まずかった。

 今日は、ワイフと話した。そのワイフのことを、誠司は、「ロープウェイ・バーバ」と呼
んだ。

どうして乗り物の名前を、名前の前につけるのだろう? そういう習慣なのだろうか?
そのあと長男とも話したが、長男のことは、ちゃんと、「アンクル・シューイチ」と呼ん
でいた。

 少し前、浜松市の写真集(ガイドブック)を送ってやった。そのガイドブックについて、
誠司が、二男(誠司の父親)に、「どうしてこの写真集には、ジージが載っていないのか?」
とさかんに聞いたという。

 幼児特有の自己中心性というよりは、まだ「本」の意味がよくわかっていないらしい。

 電話をすると、電動のバリカンが届いたという。誠司の髪の毛は、日本人のそれより、
3分の1、あるいはもっと細い。日本製のバリカンが使えるかどうかまだわからないが、「床
屋へ行くのをいやがる」というから、送ってやった。

 まあ、二男は二男で、今、いろいろなドラマを展開しているようだ。そのドラマに意味
がある。価値がある。その意味や価値に気づくのは、子育てが終わってからだが、今は、
説明してもわからないだろう。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●言語能力

++++++++++++++++++

日本語の起源について、
ときどき、考える。

ご存知のように、
モンゴル語、朝鮮語、それに日本語は、
発音音声こそちがうが、文法は、同じ。
同じ「ランゲージ・ファミリィ」に
属している。

が、それ以前の日本人は、
どうだったのか?

つまり朝鮮語が日本へ入ってくる前の
日本人は、どのような言葉を
話していたのか?

++++++++++++++++++

 ワープロの時代になって、ときどき「なるほど!」と思うことがあった。たとえば、「臭
い」という文字を打ちこみたくて、「くさい」と書いて漢字に変換すると、「草い」と出た
りした。(最近のワープロは、そういうヘマはしないが……。)

 そこで「草」と「臭い」は、関係があるのかなと思った。つまり「草のような臭いがす
ることを、臭いという」と。

 さらに「腐る」と打ちこみたくて、「くさる」と書いて漢字に変換すると、「草る」と出
たりした。このときも、「草」と「腐る」は、関係があるのかなと思った。つまり「草のよ
うになることを、腐るという」と。

 こうした関連性は、ほかの場面でもよく経験する。よく知られた例に、「神」「上(かみ)」
「紙」「髪」などがある。上のほうにあって、大切なものを、昔の日本人は、カミと発音し
て表現していたようだ。そこへ中国語、つまり漢字が入ってきた。それで現在のように、
それぞれ、神、上、紙、髪という漢字をあてて、書くようになった。

 「うまい」も、そうだ。「うまい」には、「おいしい」「じょうず」という意味があるが、
昔は、「甘い」と書いて、「うまい」と読んでいた。関連性がないとは、言えない。よいこ
とをまとめて、昔の日本人は、ウマイ発音して表現していたようだ。

 ……とまあ、こんな幼稚なことを書くと、言語学の学者たちには、笑われそうである。
現在では言語学は、生物学次元でとらえられるようになってきている。言語があるからこ
そ、人間は、ほかの生物とは区別される。その言語能力は、人間がもつ個体的な遺伝情報
を関係がある、と。「生成文法」(N・チョムスキー)という言葉も、言語学の発達の中か
ら生まれてきた。

 で、私はこう考える。

 日本語の文法は、先にも書いたように、朝鮮半島からの渡来人たちによってもたらされ
た。それは、もうどうしようもない事実である。たとえば、韓国語では、「私・は・はやし
浩司・です」は、「ナヌ・エ・はやし浩司・イムニダ」となる。

 が、それ以前の日本語は、どうであったか? 文法については、痕跡もなく姿を消して
しまったから、いまさらそれを知る方法はない。が、言葉がなかったわけではない。ここ
に書いた言語学によれば、人間は生まれながらにして、遺伝情報のひとつとして言語能力
をもっているという。もともとこの日本列島に住んでいた、たてば縄文人なども、独自の
文法をもち、何かの会話をしていたのは、当然と考えてよい。

 が、それは今となっては、もう知る由もない。ないが、言葉のほうには、その残像が残
っている。

 たとえば「走る」「飛ぶ」「食べる」など、何らかの動作に関する言葉は、すべて「〜ウ」
で終わる。

 「美しい」「汚い」「きれい」など、何らかのものの様子を表す言葉は、すべて「〜イ」
で終わる。

 このことから、太古の日本人は、何かをするときは、「ウウウ」と話していたのかもしれ
ない。何かの様子を表したいときは、「イイイ」と話していたのかもしれない。

 その「ウ」の前に、たとえば、「み」をくつけて、「見る」となった。「たべ」をくつけて、
「食べる」となった。「たた」をくつけて、「叩く」となった……。

 同じように、「イ」の前に、たとえば「くさ」をくつけて、「臭い」となった。「うま」を
くつけて、「うまい」となった。「はや」をくつけて、「速い」となった……。

 だから太古の日本人は、たぶん、こう話していたにちがいない。「うまいから食べる」は、
「イイイ、ウウウ、イイイ、ウウウ」と。あとは、その表現力の問題。にこにこ笑いなが
ら、「イイイ」と言い、口を動かして、「ウウウ」と言う。それで、全体として、「うまいか
ら食べる」という言葉を表現していた(?)。

 以上、すべて私の空想である。推論である。が、それほど、まちがってはいないのでは
ないか。ときどき生徒たちに、この話をしてやることがある。そして縄文人のまね、つま
りゴリラのまねをしながら、「イイイ、ウウウ……」とふざけて見せてやる。生徒たちはそ
れを見て笑うが、はやし流、言語学の第一歩ということになる。

 ところで、言語能力を、決して軽く考えてはいけない。言語能力は、あらゆる知識、思
想、科学、論理、哲学、そして文化そのものの原点になっている。現代の映像文化にして
も、言語能力の1バリエーションと考えてよい。つまり人間が人間であるのは、その言語
能力による。

 が、最近、子どもたちを中心に、その言語能力が低下しているという指摘を、あちこち
でよく耳にする。「子どもたちの言語能力がおかしい」という話も聞く。が、

私の印象によれば、言語能力というのは、人間が、固体の遺伝として身に備わっている
ものだから、10年単位や100年単位では変化しないものだと思っている。変化があ
るとしても、1000年単位(?)。会話能力や文章による表現力はたしかに落ちてきて
いるが、それは本来の言語能力とは関係のないものだと思っている。

 この分野については、私は門外漢なので、また詳しく調べて、後日、報告してみたい。
(はやし浩司 言語能力 言語学 生成文法 子供の言語能力 言葉)


●地元説得は、断念した(?)

今朝の新聞を見ると、日本のK首相は、アメリカ軍の沖縄からの基地移転に際して、地
元の人たちの理解と協力を得ることを断念した、とある。「日米安保条約を優先させる」
とも。

 法律の世界では、日本国憲法が、日本の最高法である。しかしその日本国憲法よりも、
国家間でなされる国際条約のほうが、優先される。(議論もあるが……。)そもそも、憲法
に反した国際条約は結ばれないことになっている。これは、当然といえば、当然というこ
とになる。

 そのアメリカ軍に基地移転に関して、どこへ行っても、この日本では、「反対!」の大合
唱。沖縄の基地反対運動の活動家が、それぞれの地域で、反対運動を指導しているのだか
ら、話にならない。で、とうとうK首相が、業(ごう)を煮やした(?)。それが冒頭の発
言である。

 政治、なかんずく国際政治は、現実的に考えなければならない。冷徹なほどまに現実を
見据えた、現実主義である。いつもそこにある現実と、どう立ち向かうかが、国際政治の
基本である。理想論や期待論、同情論や未来論は、意味がないというより、危険ですら、
ある。

 その第一歩として、今、日本が、この極東アジアにおいて、どういう立場に置かれてい
るか、それを冷静に判断しなければならない。とくに危険なのが、K国である。それにつ
いては今さら言うまでもないが、中国、ロシアにつづいて、韓国まで、日本の仮想敵国に
なりつつある。その原因をつくったのは、もとはと言えばこの日本なのだから、日本も、
あまり偉そうなことは言えない。それはわかっている。

 しかしこれが現実なのである。そういう現実を前にして、この日本の平和と安全を守る
ためには、どうしたらよいのか。ものごとは、ここから考え始めなければならない。

 たとえばK国の核開発問題を解決してくれるのは、中国か、ロシアか、それともドイツ
やフランスか? 答は「NO!」。「K国の核問題はわれわれが解決してみせる」と、大見
得を切って登場したのが、韓国のN大統領だが、今では、すっかりさまがわり。

 そのK国は、すでに12発以上もの核兵器をもっている(アメリカ議会での高官の証言)。
何も、ミサイルだけが運搬方法ではない。漁船の底に隠して、東京湾へもってきて、そこ
で爆発させることだってできる。日本海沿岸にある原子力発電所の近くで爆発ということ
にでもなれば、日本列島全体が、放射能で汚染されることになる。人間が住めなくなる。

 そういう差し迫った危機が、すぐそこまで来ている。反対運動をする人たちの気持ちも
わかる。理解できる。騒音問題や治安問題もあるだろう。しかしここはK首相も言ってい
るように、「がまんすべきところはがまんし、協力すべきところは協力すべき」ではないの
か。何もかも反対、では、話が進まない。表面的な動きはともかくも、すでに日米関係は、
崩壊の瀬戸際に立たされている。

 アメリカの立場で考えれば、それがわかる。どうしてそのアメリカが、自分の体を張っ
てまで、この日本を守らなければならないのか? アメリカ軍の日本からの完全撤退とい
うことも、決して、ありえない話ではないのである。もしそうなったら、日本は、どうな
るのか。

 この浜松市にも、航空自衛隊の基地がある。その基地に、AWという電子偵察機の常駐
が決まったとき、一部の人たちは、反対運動を起こした。騒音問題もあるが、もしどこか
の国と戦争ということになれば、この浜松市もあぶない。雑誌などによれば、すでにその
とき、浜松市は、K国のミサイル攻撃の対象にもなっていた。だれも賛成する人はいない。
私だってそうだ。しかし現実をみていくと、やがて「しかたないな」という考え方に、変
わっていく。

で、今は、毎日のように、そのAWが、浜松市を取り巻くように、ゆっくりと旋回して
飛んでいる。それを見ていると、私はほっとした安心感さえ覚える。「ああして、私たち
を守ってくれているのだな」と。

 「何も悪いことをしなければ、平和は守れるはず」「いい子にしていれば、だれも攻めて
はこないはず」と考えるのは、あまりにも甘い。甘いことは、日本が、いちばんよく知っ
ているはず。戦前の日本は、そういう世界の甘さを逆に利用して、あちこちの国に向かっ
て戦争をしかけていった。

 基地移転に反対すれば、それで日本の平和が守れると考えるのは、私は、どうかと思う。

【補記】

 今日(3月8日)、私のR天日記へのアクセスが、夕方の時点で、400件を超えた。い
つもの倍以上である。

 何があったのだろう? まさか私のこの記事に対しての反応ではないと思うが、それに
しても、こうまで急にふえると、気になる。

 改めて、この「基地移転問題」について、考えてみる。

 日本の特殊性とは何かと聞かれれば、戦後、日本は戦前の官僚主義を残したまま、西欧
(アメリカ型)文明を、そのまま受けいれたこと。その時点で、日本は、中国や朝鮮(韓
国+K国)の、いわゆる儒教文明とは、袂(たもと)を、分けた。

 一方、中国や朝鮮では、日本に対して、「日本ごときに蹂躙(じゅうりん)された」とい
う屈辱感、それに「独立を、自分たちの手で、なしえなかった」という不完全燃焼感。こ
の2つがあい重なって、反日感情のベースとなっている。

 その日本は、ほぼその全土が、アメリカ軍によって焦土と化したわけだが、もしそのあ
と、アメリカ軍が日本に進駐していなかったら、毛沢東中国や金日成K国、スターリンソ
連、さらには李承晩韓国によって、繰りかえし、攻撃を受けたであろう。これは憶測でも
何でもない。日本は、そうされてもしかたのないようなことを、それらの国々に対して、
してしまった。

 つまり皮肉なことに、少なくとも戦後の日本の平和を守ったのは、平和を愛する国民が
いたからではなく、アメリカ軍だったということになる。

 私は、今も、その(流れ)の中にあると思う。現に今、K国は、核兵器を製造している
し、その核兵器は、「日本向け」のものだと、何度も公の場所で、公言している。中国にし
ても、もし今、日本からアメリカ軍が撤退すれば、どう出てくるか、わかったものではな
い。つまりそういう現実を目の前にして、私たちは、どう考え、どう行動したらよいのか。

 マクロな見方をすれば、21世紀は、文明と文明との対立が、先鋭化する世紀だといわ
れている(S・P・ハンティントン)。すでに西欧文明とイスラム文明の対立は、現実化し
ている。さらにアメリカと中国の対立は、西欧文明と儒教文明の対立と考えられなくもな
い。

 ミクロな見方をすれば、日本は、今のような官僚主義体制をつづけるかぎり、この極東
アジアでは、中国や朝鮮と融和することは、ありえない。彼らが、日本を受けいれない。
驚くべきことに、日本には、いまだにこう言っている人がいる。「戦前、中国や朝鮮で、鉄
道や道路を整備してやったのは、この日本だ」と。

 もしそうなら、つぎの世代の時代に、逆に日本が中国や朝鮮に、同じことをされても、
日本は文句を言えないことになる。

 こうした考えに対して、これからの国際社会は、今までのような既存の理論で動くので
はなく、情報化時代に象徴されるように、別の理論で動くと説く学者も多い。つまり緊密
な情報化が進めば、やがて国境そのものが、なくなるだろう、と。しかしこれだけ情報化
が進んだ今でさえ、むしろ世界は、逆に動いている。

 それぞれの国々が、自分につごうのよい情報だけを流し、一方、つごうの悪い情報には、
目をつぶる。しかもそれを瞬時に、大量に行う。国民感情の起伏が、一昔前と比較になら
ないほど、はげしくなってきているのは、そのためと考えてよい。つまり私は、この(流
れ)は、これからもしばらくつづくと思う。基地問題も、その(流れ)の中にある。

 ついでながら、平和主義には、2種類ある。「いざとなったら戦争も辞さない」という平
和主義。もう一つは、「殺されても文句は言いません」という平和主義。戦争はいやだから
といって逃げ回るのは、平和主義でも何でもない。ただのおく病という。

どちらにせよ、つまりどの平和主義を信奉するかは、その人の自由だが、私は「座して
死を待つ」(前川口外務大臣)ような平和主義には反対である。私自身はともかくも、私
の家族や子どもたちが、目の前で殺されるようなことは許さない。絶対に許さない。

+++++++++++++++

3年前に書いた原稿を、そのまま
ここに掲載します。

+++++++++++++++

●私たちの本当の敵とは……?

 私は1968年に、韓国に渡った。まだ日韓の間に国交のない時代で、私は、UNES
COの交換学生として、渡った。

 プサン港へ着いたときは、ブラスバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日、1
日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。しかしそれは想像を絶す
る、日本攻撃だった。

 これはあくまでも仮定論だが、もしあのころ、日本にアメリカ軍が駐留していなかった
ら、日本は、韓国もしくは、K国に占領されていただろうと思う。当時、日本の自衛隊は、
約6万人強。かたや韓国軍は、18万人弱。それだけではない。韓国は完全な徴兵制を敷
いていた。国民すべてが、銃の使い方、大砲の撃ち方に精通していた。私は彼らが日本に
対してもつ憎しみを知るうち、「日本がつぎに戦争するとしたら、相手は韓国だろうな」
と思った。

 それから約35年。日本はかろうじて平和を保つことができた。軍事費にそれほど多額
の費用を使うこともなく、また徴兵制を敷くこともなく、今まで平和を保つことができた。
しかしここで誤解してはならないのは、日本が平和を保つことができたのは、日本人が平
和を守ったわけでも、また平和を愛したからでもない。ここにも書いたように、アメリカ
軍が、日本にいたからである。

 もし当時、日本にアメリカ軍がいなければ、韓国やK国は、当然のことながら、日本に
攻め入っていた。つまりそれくらい彼らの憎しみは、大きかった。またそういう憎しみを
買ってもしかたないようなことを、日本は彼らに対してした。……してしまった。もしそ
のことがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。

 ある日突然、圧倒的な軍事力をもつK国が、日本の九州に上陸してきた。そしてまさに
破竹の進撃を繰り返し、一週間のうちには、東京都まで占領してしまった。以後、金XX
の銅像への参拝を義務づけられ、かつ3人以上が集まって日本語を話すのも禁止されてし
まった。これに違背したものは、K国の憲兵によって容赦なく逮捕され、裁判にかけられ
ることもなく投獄。こんな状態が、何と、30年近くもつづいた!

 私たちを直接指導してくれたのが、あの金素雲氏(韓国を代表する文化人)だったこと
もある。私は当時の手帳にこう書いた。「日本の教科書はまちがってはいないが、すべて
を書いていない」と。

 他国の軍事政権が、その軍事力にものを言わせて、自国へ侵略してくることへの恐怖と
いうのは、相当なものだ。それもわからなければ、今、ここであのK国が日本へ侵略して
きたときのことを、ほんの少しだけ頭の中で想像してみればよい。それともあなたは、K
国が日本へ侵略してきても、平気とでも言うのだろうか。あのK国が、である。当時の日
本といえば、今のK国以上にK国的であった。

 が、日本があぶなかったのは、そのときだけではなかった。それをさかのぼる10年前、
日本は、当時の中国に報復されても、少しもおかしくない状態だった。今から思うと、こ
のときも、日本はアメリカ軍に守られた。もし60年代に、日本にアメリカ軍が駐留して
いなければ、日本はほぼ確実に、中国の植民地になっていた。中国にしても、いつなんど
き、日本を植民地にしてもおかしくない状態だった。日本は、それくらいのことをされて
も文句言えないようなことを、中国に対しても、してしまった。

 こう書くからといって、何も、アメリカのおかげと言っているのではない。歴史という
のは、無数の偶然と必然が重なって決まる。考えようによっては、今の日本は、アメリカ
の植民地のようなもの。また仮に今、中国の植民地であったとしても、私たちは今と同じ
ように、結構、ハッピーなのかもしれない。K国の人だって、テレビで見るかぎり、みな
幸福そうだ。今の日本だって、外の世界からみれば、役人たちにぎゅうぎゅうに管理され
た官僚主義国家だが、この日本の中で住んでいると、それもよくわからない。結構、私た
ちは私たちなりに、自由だと思っている。

 それはそれとして、今、日本はたいへん危機的な状況にある。今後の展開のし方によっ
ては、戦争になるかもしれない。日本には、その気はなくても、相手はそうではない。し
かしこの状態は、今、始まったわけではない。60年代にも、70年代にもあった。今も
あるし、これからもある。もちろん世界が平和であるにこしたことはないが、しかし平和
などというものは、少なくとも今のこの地球では、幻想でしかない。では、どうするか?

 私たちはともすれば、「自分だけの平和」「自分の国だけの平和」を考える。しかしそ
れでは、足りない。相手の国の平和を保障してあげてこそ、自分の国の平和を守ることが
できる。

 つぎに、戦争はいやだからという論理だけで、平和を求めてはいけない。戦争というの
は、どちらか一方が逃げ腰になったとき、キバをむく。言いかえると、平和を守るという
ことは、積極的に、戦争と向かいあわなければならない。そこに暴力団がいるなら、ばあ
いによっては、その暴力団と戦わねばならない。いわゆる何もしない平和主義というのは、
この世界では偽善でしかない。

 そして3つ目に、私たちは平和を口にしたら、同時に、敵は私たち自身だと自覚する。
仮にK国と戦争状態になっても、敵はK国ではない。金XXでもない。私たちの敵は、私
たち自身である。私たちの心の奥に潜む、邪悪な心である。どんな戦争も、たがいの当事
者たちは、自分が正しいと信じてそれをする。相手がまちがっていると信じて戦争をする。
しかしそれでは、「戦争」は解決しない。平和な世界はいつまでたっても、やってこない。
戦争を解決し、平和な世界にするためには、私たち自身が変わらねばならない。そのため
に自分自身の中の敵と、私たちは戦う。

 で、この中でとくに重要なのは、やはり3番目。少し抽象的な言い方でわかりにくいか
もしれないが、このことは、暴走族どうしの抗争を想定してみるとわかる。二つの暴走族
のグループが、縄張りを争って抗争、つまり戦争を起こしたとする。当のグループたちに
は、それぞれに言い分があり、また正義があるかもしれない。しかし全体としてみれば、
彼らが本当に戦うべき相手は、もう一方のグループではなく、自分自身の中に潜む、邪悪
さである。が、本人たちには、それがわからない。わからないから、いつまでたっても、
なぜ繰りかえすのかさえわからないまま、同じような抗争事件を繰りす。

 さて、このエッセーの結論。

 とても残念なことだが、私たち日本人は、大きなまちがいを犯した。戦争というまちが
いである。が、そのまちがいもさることながら、さらに戦後、その責任を回避しつづけた。
今も、回避している。見方によっては、これも大きなまちがいである。日本人として、自
分たちのまちがいを認めることは、たいへんつらい。つらいが、一度、このあたりで、過
去を清算しないと、そのまちがいは、いつまでもつづくことになる。

 今から35年前、韓国から帰ってきた私に対して、「君は、韓国に洗脳されたのか?」
と言った人がいた。ごく最近も、「君は日本人だろ。どうしてその日本人が、日本を悪く
言うのか」と言った人がいる。しかし私は韓国に洗脳されたわけでも、日本を悪く言って
いるのでもない。私は私たち自身の中に潜む邪悪さこそが、悪いと言っている。悪いこと
をしたことを認めないで、それから逃げてまわるのも、その邪悪さの1つということにな
る。そういう邪悪さと戦うことこそ、今、私たちに求められている。35年前の、あの韓
国の人たちの燃えるような憎悪の念を思い出すたびに、私は、そう思う。
(030217)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 12日(No.712)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page020.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●正直な子ども

+++++++++++++++

「うちの子は、すぐウソをつく」と
悩んでいる親は多い。

しかしその前に、ほんの少し、
こんなことも反省してみてほしい。

子どもがものを正直に言える
家庭環境になっているかどうか、と。

++++++++++++++++

 A先生(現在、A小学校教頭)と、昨夜1時間ほど、電話で話す。その中で、「正直な子
ども」という言葉が出てきた。A先生は、こう言う。「正直な子どもに育てるためには、正
直にものが言える環境になければなりませんよね」と。まったく、同感である。

 そのA小学校で、こんなことがあったという。

 ある日、一人の母親が、「どうしても校長に話したいことがある」と言ってやってきたと
いう。話を聞くと、「担任のX教師に、たいへんな問題がある」と。で、その日は、あいに
くと校長は外出中。かわりにA先生が、その母親の話を聞くことになった。

 母親は、こう言ったという。

 「担任のX教師は、勉強ができない子どもを、棒をもってきて、頭をたたく。うちの娘
は、それにおびえて、学校へ行きたくないと言い出した」と。

 で、A先生は、その話を校長に伝えておきますとだけ話して、その日は、母親に帰って
もらった。母親は、何度も「この件は、X教師には、内密に」と言ったという。が、そん
な話を内密にすませる教頭は、いない。母親が帰ったあと、A先生は、X教師を呼んで、
事情を聞いた。

 X教師は、こう説明した。

 「まったく、身に覚えがない」「プリントを丸めて、子どもの頭をたたくようなことはし
たことがあるが、しかしその子どもには、したことがない」「その子どもは、最近、忘れ物
が多くて、昨日も、強く注意したところ」と。

 話の内容をまとめると、こういうことらしい。

 忘れ物が多いので、その母親の子どもに、X教師は、こう言った。「明日、○○を忘れた
ら、お母さんに、電話するからね」と。X教師にしてみれば、軽いおどしのつもりだった。
が、その子どもは、それを真に受けた。そこでその子どもは、先手を取る形で、家に帰っ
てから、母親に、X教師の悪口を言い始めた。「勉強ができない子どもを、棒をもってきて、
頭をたたく」という話は、そのとき、出てきたらしい、と。

 よくある話である。子どもだから、ウソはつかないはずというのは、幻想。学習塾でも、
おけいこ塾でも、子どもは、やめたくなっても、親には、「やめたい」とは言わない。そう
いうときは、まず、先生の悪口を言い始める。つまりそういう形で、親をして、「そんな塾
ならやめなさい」と思うようにしむける。

 だからある音楽教室の先生は、こう言った。「そういう子どもの親というのは、教室をい
ぇmるときには、蹴飛ばすようにしてやめていきますから、わかります」と。

 私にも似たような経験はいくつかある。そういう話をA先生に話すと、A先生は、こう
言った。

 「どこまでこういう問題に首をつっこんでいいものか、いつも、それに悩みます。実は、
こんなこともありました」と。

 その小学校で、家庭教育講演会を開いたという。そのとき、担当の若い先生が、お知ら
せに、「……子育てで失敗しないためにも、ぜひ、みなさんの参加を……」と書いたという。
そのお知らせについて、猛反発した母親がいたという。「失敗とは何だ!」「失敗という言
葉が許せない!」と。

 しかしこういう事件が重なると、現場の教師たちは、ますます萎縮する。若い教師なら、
なおさらである。

私「結局、まあ、親しだいということになりますね」
A「しかし、その親も、表面からはわかりませんから……。どこまで信用して話していい
ものかどうか、それについても悩みます」
私「親との信頼関係をつくるのにも、1、2年はかかります。『この人なら、だいじょうぶ。
何を話しても心配ない』という確信を得るようになるまでには、何年もかかります。今は、
それができない時代かもしれませんね」と。

 で、先の子どもの話に戻った。

 本来なら、子どもは正直でなければならない。が、それには条件がある。子どもが正直
に、何でも話せるような家庭環境でなければならないということ。それがないと、子ども
は、ウソをつくようになる。親は、「うちの子はウソをつく。どうしたらいいか」と悩むが、
それこそ、親の身勝手。正直に話せないから、ウソをつく。

 神経質で強圧的な家庭環境。親が権威主義であってもいけない。そんなことは、子ども
の立場で考えてみれば、すぐわかる。先にあげた子どものケースにしても、本当の問題は、
親自身にある。今どき、生徒を棒でたたくような教師は、いない。少し冷静になれば、そ
んなことは、だれにだってわかるはず。

 そうそう、A先生が、その母親に、「棒でたたくということはありえません」と言うと、
その母親は、こう叫んだという。「うちの子は、ウソはつきません。あなたは、うちの子が、
ウソつきだと言うのですか!」と。

 何ともやりきれない話だが、たがいにこういうグチでも言いあわないと、やりきれない
のが、この世界。A先生は、最後にこう言った。「平成時代は、教師、受難の時代。いつか
この時代を振りかえって、そう位置づける人も出てくるでしょう」と。それについても、
まったく同感! 

 以上、一言、学校の先生のほうの立場から、先生側の言い分を、代弁してみた。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑務に悲鳴をあげる教師たち】

+++++++++++++++++++

家庭での子どもへの教育力が、低下している
という。

このほど北海道(北海道道庁?)は、
青少年育成運動推進指導員らを対象にして、
アンケート調査をした(05年8月、267人
を対象に実施し、うち154人が回
答)。

その結果、「低下している」と。

+++++++++++++++++++

●家庭の教育力の低下

 青少年の指導や育成に当たっている人の9割が、「家庭でのしつけなど、子供への教育力
が低下している」と感じていることが、北海道のアンケート調査でわかったという(毎日
新聞・06・03・06)。

 この調査は、「調査は青少年育成の現状と課題を探るのが目的で、05年8月に青少年育
成運動推進指導員ら、267人を対象に実施し、うち154人が回答した」(同)ものだと
いう。

 それによれば、

 家庭での教育力低下について、

   まったく、そのとおり……48%
   ある程度、そのとおり……46%、など。

 具体的に感ずる課題としては、

   あいさつや規則正しい食生活など基本的な生活習慣……84%
人に迷惑をかけないなどの社会的規範      ……78%、など。

 理由としては、

   子供を過保護や過干渉にする親の増加……72%
しつけの仕方が分からない親の増加 ……56%、など。

 青少年の非行防止策としては、

   家庭でのしつけや教育の充実     ……73%
家庭、学校など関係機関の連携強化  ……60%
インターネット上の有害な情報規制  ……61%
子供への声かけなど地域住民の意識高揚……61%、など。

 そこで北海道は、今回の調査結果を、現在進めている「道青少年保護育成条例」の改正
に反映させる方針だという。

 しかし……???

 「家庭での教育力の低下」とはいうが、ここでいう「教育」というのは、何をさすのか。
子どもをどのような子どもにする教育を意味するのか、私には、よくわからない。まさか
子どもを、従順で、ものわかりがよく、静かな子どもにするのが教育、と考えているわけ
でもないだろう。

 過保護、過干渉という言葉を使っているが、過保護、過干渉が、子どもの非行と、どう
いう関係があるのか。その因果関係が、よくわからない。関係があるとするなら、甘やか
し、でき愛、あるいは親自身の自己管理能力の欠落など。それらが混然いったいとなって、
子どもの非行と結びつく。このあたりに、もう少し、切りこんだ指摘をしてほしかった。

 あいさつや規則正しい生活を子どもに強いたところで、非行を防止できるわけではない。
5、6年前のことだが、東海地方のG県では、「朝食運動」なるものを推進した。「朝食を、
家族いっしょに食べる」という運動である。またS県でも、時を同じくして、「あいさつ運
動」なるものを推進した。ともに県をあげての推進運動である。

 「朝食運動」にしても、現実には、不可能。夫を職場に送り出し、子どもたちの世話を
したあと、子どもたちに朝食を食べさせる。母親がやっと一息つけるのは、子どもたちが
学校へ出かけたあとのこと。共働きの家庭も、多い。朝の食堂は、どの家庭でも、まさに
戦場。

 「あいさつ運動」にしても、あいさつなど、したければすればよい。したくなければ、
しなくてもよい。外国では、目と目を合わせたその瞬間、スマイル(ほほえむ)のが、習
慣になっている国が多い。あいさつができるようになったからといって、非行を防止でき
るというものでもない。

 どこかトンチンカンな調査だが、その調査結果をもとに、「道青少年保護育成条例の改正
に反映させる」というところが、恐ろしい。勉強不足も、よいところ(失礼!)。

 本当に子どもの非行を防止したかったら、(1)社会にはびこる不公平感を是正すること。
(2)多様性のある、フレキシブルな社会をめざすこと。つまり多様な価値観を平等に認
める社会をめざすこと。(3)「学校以外に道はなく、学校を離れて道はない」という、今
の硬直した教育制度を見なおすこと。そしてここがいちばん重要だが、なぜ子どもが非行
に走るのか、また非行に救いの道を求めるのか、その心理状態を、もっと詳しく分析する
必要がある。

 表面的な現象だけを見て、モグラたたきのように、非行だけをたたいても、意味はない。

 さらに「家庭、学校など関係機関の連携強化」を求めている指導員が多いが、これには
驚いた。これ以上、学校に、何を押しつけるのか。家庭教育の指導まで押しつけてはいけ
ない。学校というのは、「教育」をするところである。子どもに勉強を教え、子どもの人格
の完成をめざすところである。その学校に、「しつけ」から、果ては、「家庭教育」まで押
しつける。そのおかしさに、私たち日本人が、まず気づかねばならない。

 今、現場の教師たちは、悲鳴をあげている。ある女性教師はこう言った。「授業中だけが、
やっと息が抜ける時間です」と。とくに生活指導の教師は、本来、教育とは関係のない家
庭問題で、毎晩遅くまで、悪戦苦闘している。授業と授業の間の空き時間にしても、以前
は、週に5〜7時間はあったが、今は、2〜3時間がやっと。教師たちは、あまりにもい
そがしい。

 こんなところにも、「学校万能主義」というか、「学校神話」という亡霊が、いまだには
びこっている。つまり「何でもかんでも、めんどうくさい仕事は学校に」という発想その
ものが、まちがっている。

 きびしい批評をしてしまったが、ひとつだけ、おおいに賛同する部分がある。「インター
ネット上の有害な情報規制」という部分である。

 私も、インターネットをこうして利用しているが、とくに子どもたちに対して、もっと
情報規制をすべきと考える。今では検索するだけで、そのものズバリの性交写真が、いと
も簡単に手に入る。ちなみにヤフーの検索で、「性交写真」を検索してみたところ、瞬時に、
30800件もヒットできた。トップから、「熟女玉乱」→「エロ動画無法地帯」→「無料
で見られるサイト一覧」とつづく。  

 こうした悪質サイトには、開くだけで、ウィルス(スパイウエアなど)が侵入してくる
ところも多いという。雑誌などには、そう書いてある。だから私自身は、中身を見たわけ
ではないが、どのサイトにも、そのものズバリの写真が掲載されているはず。

 もっと知恵をしぼれば、何とか、なるはずだが、結局は、そういうものを求めるおとな
がいる以上、どうにもならないだろうということ。つまりは、おとなの問題ということに
なる。

 最後に、「家庭での教育力をどうするか」という問題について。

 答は、簡単。私のマガジンを読めばよい。親たちがもっと、賢くなればよい。これは私
から、読者へのコマーシャルということになる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●忙しくなる、教師の世界

 私たちが中学生や高校生のころには、先生には、「空き時間」というものがあった。たい
てい、1時間教えると、つぎの1時間は、その空き時間だった。

 その空き時間の間に、先生たちは、休息したり、本を読んだり、生徒の作品を評価した
り、教材を用意したりしていた。

 しかし今は、それが、すっかり、様(さま)変わりした。

 このあたりの小学校でも、その「空き時間」が、平均して、1週間に、1〜2時間にな
ってしまったという(某、小学校校長談)。(学校によっては、1週間に、平均して3時間
程度というところもある。文科省の指導に従えば、週1時間程度になるが、学校ごとに、
やりくりをして、3時間程度を確保している。なお、中学校では、平均して7〜8時間程
度の、空き時間がある。浜松市内)

 だから今では、平日、学校の職員室を訪れても、ガランとしている。先生の姿を見るこ
とは、めったにない、

 「いわゆる企業や工場の経営論理が、学校現場にも及んでいるのですね。少人数による、
習熟度別指導をする。2クラスを3人の先生で教える(2C3T方式)、さらには1クラス
を、2人の先生で教える(TT方式)が、一般化し、先生が、それだけ足りなくなったた
めです」と。

 この結果、再び、詰めこみ教育が復活してきた。先生たちは、プロセスよりも、結果だ
けを追い求めるようになってきた。が、問題は、それだけではない。

 余裕がなくなった職場からは、先生どうしの交流も消え、そのため、「精神を病む教師が
続出している」(同)という。とくに忙しいのは、教頭で、朝7時前からの出勤はあたりま
え。さらにこのところの市町村合併のあおりを受けて、制度や、組織、組織の定款改革な
どで、自宅へ帰るのは、毎晩、7時、8時だという。

 何でもかんでも、学校で……という、親の安易な姿勢が、今、学校の先生たちを、ここ
まで追いこんでいるとみてよい。教育はもちろん、しつけから、家庭指導まで……。たっ
た1〜2人の自分の子どもでさえ、もてあましている親が、20〜30人も、1人の先生
に押しつけて、「何とかしろ!」はない。

 さらに一言。

 1995年前後を底に、学習塾数、塾講師数ともに減少しつづけてきたが、それがここ
2000年を境に、再び、上昇する傾向を見せ始めている(通産省・農林通産省調べ)。進
学競争が、激化する様相さえ見せ始めている。

 私の周辺でも、子どもの進学問題が、数年前より、騒がしくなってきたように感ずる。
さて、みなさんの周辺では、どうであろうか?
(はやし浩司 空き時間 2C3T 習熟度別指導 TT 指導システム 激化する進学
熱 進学指導 詰め込み教育)

++++++++++++++++++++

 今後は、こうした習熟度別教室は、一部の抵抗もあるだろうが、学校内で定着していく
ものと思われる。実際には、当初は、どこか遠慮がちに始まった習熟度別授業だったが、
市内の小学校を中心に、新たな単元が始まるたびに、簡単なテストをして、そのあと、ク
ラス分けをするところがふえてきた。

 もちろん、問題点がないわけではない。

 教師の負担もさることながら、こうした習熟度別授業は、親たちに、少なからず、ショ
ックを与えている。たとえば習熟度別授業を参観してきた、ある母親は、こう言っている。
学校の帰り道、親たちはみな、進学塾はどうしようと、そんな話ばかりしていました、と。

こうした習熟度別授業は、平等主義を貫いてきた学校教育に、大きな変化をもたらすこ
とはもちろんのこと、子どもたちの間で、差別化を生む可能性もある。それをどう克服
していくか、これからの大きな課題になるものと思われる。


●過酷な職場

+++++++++++++++++

学校の先生たちが、悲鳴をあげている。
あなたには、その悲鳴が聞こえるだろうか?

+++++++++++++++++

 教育は、重労働である。とくに、小学校教育は、そうである。

 たとえば水泳指導したあと、生徒たちといっしょに着替え、つぎの時間には、クラスで
算数を教えなければならない。

 そのためかなりの体力と気力を、必要とする。

 で、現実問題として、この浜松市でも、55歳をすぎて教師をしている、女性教師は、
ほとんどいない。女性教師のばあい、たいていの教師は、50歳前後に退職していく。「水
泳指導ができなくなったら、教師はやめる」というのが、一つの目安になっているという。

 学校の教師のばあい、50歳少し前に、管理職に向うかどうかが、決まる。管理職にな
れば、学級担任からはずされるが、それは校長と教頭、教務主任のほか、あと1名程度。
そこでもっと、女性教師を管理職に回せばよいということになるが、これもむずかしい。

 浜松北部の、旧HK市のばあい、小学校は18校あるが、去年まで、女性校長は3人い
た。しかし2人、退職したので、現在(05年度)は、1人のみ。

 そうでない教師は、学級担任をつづける。が、50歳過ぎてからの、学級担任は、きつ
い。男性教師にとっても、事情は、同じ。

 ますます拡大する教師の仕事。今では、家庭問題にまで教師が駆り出される時代である。
「子どもが警察につかまった。いっしょに行ってくれ」「子どもが家出をした。いっしょに
さがしてくれ」と。

 本来なら、教師は教育に専念すべきである。またそれをもって「教師」という。しかし
雑務、雑務の連続。これでは、本来の教育がおろそかになって当然。「これでいいのか」と
疑問をもつのは、私だけではないと思う。


●家庭問題が、そのまま学校に!

++++++++++++++++++++

 以前、荒れた学校が、問題になった。
しかし今は、問題になっていない?

実は問題になっていないのではなく、
荒れた学校が、当たり前になってしまった。

++++++++++++++++++++

 今どき、荒れた学校を問題にする人はいない。教師も、父母も、そして評論家も。それ
が当たり前の現象になってしまったからである。

 しかし「荒れ」は「荒れ」でも、以前とは、少し質が変わってきた。H市で小学校の校
長をしているN氏は、こう話してくれた。

 「以前は、荒れというと、暴力事件を言いました。しかし今は、少し質が変わってきた
ように感じます。つまり今は、家庭問題が、そのまま学校へ持ちこまれるようになりまし
た。

 家庭騒動、親の離婚、貧困などなど。親の心の問題が、そのまま持ちこまれることもあ
ります。引きこもり傾向を示す生徒がいたので、家庭訪問をしたら、親が出てこない。つ
まり親自身も、引きこもってしまっているのですね。

 そういう子どもが、学校の内部で、いろいろな問題を引き起こします。最近の荒れは、
そうして起こるものが多いです」と。

 ついでに言うと、その校長も、あの「金P先生」を、鋭く、批判していた。「ああいうあ
りもしない教師像を、マスコミが勝手につくり出すから、かえって、現場は混乱してしま
うのです。

たとえばあの番組の中で、非行グループが、自転車のチェーンを振り回したとしますね。
するとつぎの日には、本当にそのチェーンをもって、学校へ来る生徒が出てきたりしま
す」と。

 金P先生については、私も、たびたび批判してきた。ああいう教師を見て、「教師とは、
こうあるべきだ」と考えるとしたら、それはまちがい。よくテレビドラマの中で、警官と
悪党が、ピストルでバンバンと撃ちあうシーンがある。

 それと同じくらい、金P先生の世界は、ありえない。たとえば金P先生は、非行少年の
家の中にあがりこみ、その少年の父親といっしょに、酒を飲んで、人生論を語りあったり
する。

 しかしそれが教師のあるべき姿なのか。そこまでしてよいのか。あるいは、それこそま
さに、教師の(おごり)ではないのか。いや、その前に、体力そのものが、つづかない。
20〜30人もの子どもを相手にすることだけでも、重労働である。その上での、教育で
ある。

 その金P先生について書いた原稿が、つぎのものである(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++++++

教師が10%のニヒリズムをもつとき 

●10%のニヒリズム

 教師の世界には10%のニヒリズムという言葉がある。つまりどんなに教育に没頭して
も、最後の10%は、自分のためにとっておくという意味である。でないと、身も心もズ
タズタにされてしまう。

たとえばテレビドラマに『三年B組、金P先生』というのがある。武田T也氏が演ずる
金P先生は、すばらしい先生だが、現実にはああいう先生はありえない。それはちょう
ど刑事ドラマの中で、刑事と暴力団がピストルでバンバンと撃ちあうようなもの。ドラ
マとしてはおもしろいが、現実にはありえない。

●その底流ではドロドロの欲望

 教育といいながら、その底ではまさに、人間と人間が激しくぶつかりあっている。こん
なことがあった。私はそのとき、何か別の作業をしていて、その子ども(年中女児)が、
私にあいさつをしたのに気づかなかった。30歳くらいのとき、過労で、左耳の聴力を完
全になくしている。

が、その夜、その子どもの父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「お前は、うち
の娘の心にキズをつけた。何とかしろ!」と。

私がその子どものあいさつを無視したというのだ。そこでどうすればよいのかと聞くと、
「明日、娘をお前の前に連れていくから、娘の前で頭をさげてあやまれ」と。こんなこ
ともあった。

●「お前を詐欺で訴えてやる!」

 たまたま5月の連休が重なって、その子ども(年中女児)の授業が、一時間ぬけたこと
がある。それについて「補講せよ」と。私が「できません」と言うと、「では、お前を詐欺
で訴えてやる。ワシは、こう見えても、顔が広い。お前の仕事なんかつぶすのは、朝飯前
だ!」と。

浜松市内で歯科医をしている父親からの電話だった。信じられないような話だが、さら
にこんなこともあった。

 私はある時期、童話の本を読んでそれをカセットテープに録音し、幼稚園児たちに渡し
ていたことがある。結構、骨の折れる作業だった。カラオケセットをうまく使って、擬音
や効果音を自分の声の中に混ぜた。音楽も入れた。もちろん無料である。そのときのこと。
たまたまその子ども(年長男児)が病気で休んでいたので、私はそのテープを封筒に入れ
郵送した。

で、その数日後、その子どもの父親から電話がかかってきた。私はてっきり礼の電話だ
ろうと思って受話器を取ると、その父親はいきなりこう言った。「あなたに渡したテープ
には、ケースがついていたはずだ。それもちゃんと返してほしい」と。

ケースをはずしたのは、少しでも郵送料を安くするためだったが、中にはそういう親も
いる。だからこの一〇%のニヒリズムは、捨てることができない。

 これらはいわば自分を守るための、自分に向かうニヒリズムだが、このニヒリズムには、
もう一つの意味がある。他人に向かうニヒリズム、だ。

●痛々しい子ども

 一人の男の子(年中児)が、両親に連れられて、ある日私のところにやってきた。会う
と、か弱い声で、「ぼくの名前は○○です。どうぞよろしくお願いします」と。親はそれで
喜んでいるようだったが、私には痛々しく見えた。4歳の子どもが、そんなあいさつをす
るものではない。また親は子どもに、そんなあいさつをさせてはならない。

しばらく子どもの様子を観察してみると、明らかに親の過干渉と過関心が、子どもの精
神を萎縮させているのがわかった。オドオドした感じで、子どもらしいハキがない。動
作も不自然で、ぎこちない。それに緩慢だった。

 こういうケースでは、私が指導できることはほとんど、ない。むしろ何も指導しないこ
とのほうが、その子どものためかもしれない。が、父親はこう言った。「この子は、やれば
できるはずです。ビシビシしぼってほしい」と。母親は母親で、「ひらがなはほとんど読め
ます。数も100まで自由に書けます」と。

このタイプの親は、幼児教育が何であるか、それすらわかっていない。小学校でする勉
強を、先取りして教えるのが幼児教育だと思い込んでいる。「私のところでは、とてもご
期待にそえるような指導はできそうにありません」とていねいに断わると、両親は子ど
もの手を引っ張って、そのまま部屋から出ていった。

●黙って見送るしかなかった……

 こういうケースでも、私は無力でしかない。呼びとめて、説教したい衝動にかられたが、
それは私のすべきことではない。いや、こういう仕事を30年もしていると、予言者のよ
うに子どもの将来が、よくわかるときがある。そのときもそうだった。やがてその親子は
断絶。子どもは情緒不安から神経症を発症し、さらには何らかの精神障害をかかえるよう
になる……。

 このタイプの親は独善と過信の中で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と思
い込んでいる。その上、過干渉と過関心。親は「子どもを愛している」とは言うが、その
実、愛というものが何であるかさえもわかっていない。自分の欲望を満たすため、つまり
自分が望む自分の未来像をつくるため、子どもを利用しているだけ。……つまりそこまで
わかっていても、私は黙って見送るしかない。

それもまさしくニヒリズムということになる。

++++++++++++++++++++++

 熱血教師が悪いというのではない。しかし一つまちがえば、熱血教師は、子どもの問題
にせよ、家庭の問題にせよ、さらにその問題をこじらせてしまう。その教師の独断と偏見、
思いこみと早とちりが、かえって騒動を大きくしてしまうこともある。

 反対の立場で考えてみればわかる。

 ある日、突然、子どもの問題にかこつけて、あなたの子どもが通う学校の教師が、ズカ
ズカとあなたの家にあがりこんできたら、あなたは、どのような反応を示すだろうか。い
くらあなたの家庭に問題があったとしても、あなたはこう言うだろう。「失敬だ」と。

 話が脱線したが、こうした「荒れ」もあって、学校の教師は、ますます疲れる。ある女
性教師(小学校)は、はからずも、私にこう話してくれた。

 「授業中だけが、心と体を休める場所です」と。

 こうした現実を、どれだけの親たちが、知っているだろうか?

(付記)

 参観日に参観授業を見てきた親の中には、よく、こう言う親がいる。「すばらしい授業で
した。先生も、あそこまで教材を用意して、授業をしてくれるとは、思ってもみませんで
した」と。

 しかしそれは、参観日だから、である。「参観日のあと、数日は、何もやる気が起きませ
ん」と、その(疲れ)を訴える教師が多いことも、忘れてはいけない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●行列のできる法律S談所

+++++++++++++++++++

法律が先か、それとも法律はあとか?

法律が先に立つ世界は、まさに闇。

『行列のできる法律S談所』という
番組には、そんな基本的な認識すら
ないのでは?

+++++++++++++++++++

 ときどき、『行列のできる法律S談所』という番組を見る。が、あの番組を見るたびに、
「?」と思ってしまう。法律の基本そのものが、わかっていない(?)。

 昨夜(3・5)の番組では、こんなテーマが取りあげられていた。

 結婚前は美しい女性だった。が、結婚後、ガラリと妻の様子が変わった。化粧はせず、
だらしない生活。夫の返事にも、おならで答えるという。しかも新婚1月後で、である。
こういう妻のばあい、離婚はできるかどうか、と。

 いつもの番組である。で、弁護士たちが、「できる」「できない」と議論する。たしか4
人の弁護士のうち、3人は「できない」。1人は「できる」ではなかったか。

 が、この発想そのものが、基本的な部分でまちがっている。私も元、法科の学生。その
立場で、一言、意見を書いてみたい。

 法律があるから、それに人は従うのではない。とくに民法は、そうである。何かの紛争
が起きたとき、その紛争を解決手段として、法律がある。最初に法律ありきという姿勢は、
本来の法の精神に反する。仮に法律に反していても、たがいにそれで納得し、満足してい
るなら、法の出る幕はない。

 しかしあの番組では、いつも先に、法律ありき……という姿勢が目立つ。その影響だろ
うが、私の教室でも、私が何かをするたびに、「慰謝料請求するぞ」「行列のできる法律S
談所に訴えてやる」と言う子どもがふえてきた。

 たとえばその慰謝料にしても、「これこれこういうことをしたから、慰謝料が請求できる」
というのではない。「私は、精神的損害をこうむった。それをつぐなってもらうにはどうし
たらいいか」と考えたあと、法律が登場する。そこではじめて慰謝料を請求するという話
になる。

 弁護士の世界のことは知らないが、こんなことは、法学の世界では、常識。どうしてそ
ういうことをきちんと言う学者が、あの番組には、出てこないのだろう? あの番組を見
ていると、かえってまちがった法律意識を、子どもたちに植えつけてしまうことになりか
ねない。

 で、夫の会話に、おならで答える妻についてだが、「おならで答えたから、離婚事由にな
る」「ならない」という発想そのものが、ナンセンス。もっと基本的な部分はどうなのかと
いうところまで見て、はじめて、離婚の話になる。民法で定める離婚事由は、つぎのよう
になっている(民法770条、法定離婚事由)。

++++++++++++++

夫婦の一方は、左の場合に限り、離婚の訴を提起することができる。

1、配偶者に不貞な行為があったとき。
2、配偶者から悪意で遺棄されたとき。
3、配偶者の生死が3年以上明かでないとき。
4、配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込がないとき。
5、その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。

2 裁判所は、前項第1号乃至第4号の事由があるときでも、一切の事情を考慮して婚
姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

+++++++++++++

 つまり(妻のおなら)が、5の「その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に
該当するかどうかということ。これについては、たとえば裁判所でも、もろもろの状況
を総合的に判断して、結論を出す。おならだけを見て、判断するということはない。

 で、そのおならで返事をする妻についてだが、すでに夫婦関係が冷え切ってしまってい
るということが考えられる。その冷え切った理由が、妻側にあるとするなら、離婚は可能
であろう。おならは、その一部にすぎない。

 が、冷え切った理由が、妻側に存在しないときは、どうか? 妻にしてみれば、ごくふ
つうの人間として、ふつうの生活をしているつもりかもしれない。化粧をしないというこ
とでも、それ自体は、何でもないこと。夫は、そのふつうの様子が理解できないだけとい
うことになる。で、このばあいは、離婚事由にはならない。むしろ夫のわがままというこ
とになる。

 どちらにせよ、ことの細部をとりあげて、「これは離婚できる」「これは離婚できない」
と論ずるのは、先にも書いたように、ナンセンス。こんな形で法が運用されたら、それこ
そ、この世界は、闇。めちゃめちゃになってしまう。弁護士にもなった人たちだから、そ
んなことは、百も承知のはずと、私は思うのだが……。

 ただ刑法のほうは、そうとばかり言えない面がある。しかし刑法においても、法は、あ
とに来るべきではないのか?

 たとえばこんな事例で考えてみよう。

 一旦停止の4つ角がある。その角の少し入ったところで、2人の婦警たちが、ミニパト
カーを止めて、見張っている。そして一旦停止しないで、4つ角に進入してきた車のドラ
イバーに対して、つぎつぎと違反キップを渡している。

 よく見かけるシーンである。

 このばあいでも、婦警たちは、まず法律ありきという姿勢で、違反者を見張っているの
がわかる。もし本当に、交通ルールをドライバーに守らせようとするなら、運転者がその
前にわかるように、一旦停止線のところに立って、見張るべきである。

 では、なぜ、一旦停止で車は止まらなければならないのか。それはルールというより、
ドライバー自身の安全のためである。相手の車に、迷惑をかけないためである。ルールは、
それを裏から、補強する。一旦停止の線が描いてなくても、一旦停止が必要と感ずれば、
ドライバーは、そこで一旦停止する。一旦停止の線がないからといって、本線に一旦停止
しないで、飛び出してよいというものではない。

で、仮にそのあたりで、何かの交通事故があったときはじめて、法律が登場する。「あな
たは一旦停止すべきだったのに、一旦停止しなかった。一旦停止して、左右の安全の確
認をすべきだった。が、それをしなかった。つまりあなたのほうに過失がある」と。

 ふつうの人が、ふつうの生活をしていれば、また、それができれば、本来、法などとい
うものは、必要ないのである。仮に、法(民法)に反していても、それで当事者たちが、
納得していれば、これまた法などというものは、必要ないのである。「配偶者の生死が3年
以上明かでないとき、離婚事由になる」という項目についても、「3年たったら、だれ
しも離婚すべき」というのではない。中には、夫の帰りを待ちながら、10年でも、2
0年でも、妻のまま待っている人だっているはず。本来、ユートピアというときの理想
世界では、そういう世界をいう。

 しかしそこで何か紛争が起きる。争いが起きる。そのときはじめて、法が前に出てくる。
それが法なのである。

 はじめに法ありきという発想が、どういうものか、これで理解してもらえただろうか。
……ということで、あの番組には、私は以前から、少し疑問に思うところがあった。あな
たも、一度、そういう視点から、あの番組を見てみるとよい。

【補足】

 法的正義とは何かといえば、それは人間が本来的にもつ良識をいう。良識ある人が、良
識ある行動をしていれば、本来、法など、いらない。不要。が、人間の世界には、良識あ
る人ばかりではない。ときとして、その良識ある人が、何かのトラブルに巻き込まれるこ
とがある。そのとき、その良識ある人を守るために、法が、前に出てくる。それが法律で
ある。

 「〜〜したら、離婚できる」「〜〜したから、慰謝料が請求できる」というように、教条
的に法を運用するのは、本来の法のあり方ではない。「良識ある妻が、夫と別れられなくて
困っています。どうしたらいいでしょう」「良識ある人が、ひどいめにあって苦しんでいま
す。どうしたらいいでしょう」という問題が提起されたとき、法的正義が発揮される。法
律が前に出てくる。

 法は、決して、悪人の味方をしてはいけない。そういう意味でも、法律を、教条的に解
釈するのは、たいへん危険なことでもある。

 繰りかえすが、ああいう番組を見て、子どもたちが、法律というのはこういうものだと、
まちがった先入観をもつのは、たいへん危険なことである。「法に触れなければ、何をして
もよい」というふうに、法を解釈するようになるかもしれない。あるいは法の抜け道をさ
がすようになるかもしれない。もし法律が、そういう形で利用されるようになったら、こ
の世の中は、どうなる。小ズルイ悪人ばかりの世界になってしまう。それを、私は、「闇」
という。
(はやし浩司 離婚 離婚事由 離婚論 法的正義)

●良識ある善人を守るための法律が、良識ある善人を苦しめるための道具として機能する
とき、その世界は、闇となる。(はやし浩司)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司


●心気症

++++++++++++++++++

ささいな病気を、ことさら大げさに
考えて、心配する。不安になる。

「もしや……?!」と思って、悩む。

そういうのを「心気症」という。

何を隠そう、私がその心気症なのだア!

++++++++++++++++++

 病気でもないのに、自分の心身のささいな変調にこだわり、苦痛を訴える症状を、心気
症という(「心理学用語辞典」・かんき出版)。

 つまりささいな病状を、ことさら大げさに考えて、あたふたと心配する。「もしや…
…!?」と思うこともある。つまり「がんではないか?」と。そういう症状を、心気症と
いう。

 「心気症」という用語があるほどだから、かなり一般的な症状と考えてよい。不安神経
症、あるいは強迫神経症の仲間と考えてよい。とくに病気と結びついた不安神経症、ある
いは強迫神経症を、「心気症」という。

 程度の差もあるのだろうが、何を隠そう、私が、その心気症なのだ。実は、数日前もあ
った!

 夜中に目が覚めると、のどが乾いたようになって、痛い。が、よく観察してみると、右
側の奥歯が痛い。ズーンとした痛み。その痛みが、のどから、上の歯のほうまで、響く。

 その奥歯は、治療して、金冠がかぶせてあるはず。指を口の中に入れて、その歯をさわ
ってみる。が、さわった感じでは、どうということはない。もっと奥のほうから痛みが骨
のほうに伝わっている。そんな感じがする。

 「風邪で、歯が痛むというようなことはあるだろうか?」と、最初は、そう考えた。し
かしそんなことはありえない。

 夜、ふとんの中で、暗い天井を見あげながら、いろいろ考える。考えては、それを打ち
消す。「しかし……。もしや……?」と。

 数年前に、脳腫瘍で死んだ、友人のことを思い浮かべる。その彼は、こう言っていた。
私が、「ぼくも、よく頭痛に悩むよ」と言うと、「林、何を、バカなことを言っているんだ!
あのな、脳腫瘍の痛さは、想像もつかん痛さだよ」と。

 どんな痛さだろうと考えながら、口の中から伝わってくる痛さに、静かに耐える。眠れ
ないほどの痛さということでもないが、しかし安眠できるような状態でもない。

 「しかし、初期症状というのもあるだろう。初期症状のときは、それほど、痛くないの
かもしれない。だんだんと痛くなって、やがて耐えきれなくなる……」「このまま、痛みが
どんどんひどくなったら、どうしよう?」と。

 横を見ると、ワイフが軽い寝息をたてていた。起こすのも悪いと思って、じっとそのま
まにしている。10分、20分……。と、そのとき、ワイフの寝息が止まった。モゾモゾ
と体を動かした。すかさず、話しかけた。

 「なあ、風邪みたいだよ……」
 「風邪……?」
 「なあ、歯が痛いよ……」
 「薬をのんだら……?」
 「うん……」と。 

 私は起きあがって、台所へ行くと、バナナとジュースをお湯に溶かしたものをもってき
た。枕元にはいつも、薬が一式、置いてある。湿布薬に頭痛薬、睡眠薬に精神安定剤、そ
のほかもろもろの漢方薬にハーブなどなど。もちろん風邪薬も置いてある。

 「どれにしようか?」
 「風邪薬にしたら?」
 「でも、歯が痛い……」
 「だったら、バッファリンがいいんじゃない?」
 「うん、……ノーシンではだめだろうか?」
 「じゃあ、それにしたら」
 「うん」と。

 私はバナナを食べながら、ジュースを飲んだ。時計を見ると、午前4時を少し回ったと
ころ。時計を見ながら、粉薬を口に入れた。

 「なあ、がんじゃないだろうか?」
 「どうしてがんなの?」
 「骨の奥が痛い……」
 「どんなふうに?」
 「ズーン、ズーンと痛い」
 「きっと虫歯よ」
 「だって、ちゃんと治療したところだよ」
 「金冠の中で、虫歯になることだってあるわよ」
 「そうかなあ……?」と。

 この世界には、骨まで腐るという、恐ろしいがんもあるそうだ。詳しい病名は知らない
が、昔、そんな病気になった女性の映画を見たことがある。私はそれかもしれないと思っ
た。思いながら、「ああ、これでぼくも死ぬ……」と思った。

 「このまま死んだら、どうしよう?」
 「死なないわよ」
 「どうして?」
 「バカねえ、虫歯で死んだ人の話なんか、聞いたことないわよ」
 「虫歯かねえ……?」
 「虫歯よ。ハーッて息を吐いてみたら」
 (ハーッ)
 「……おかしいわね、虫歯臭くないわよ」
 「だろ、虫歯じゃあ、ないよ」と。

 不安で、心臓がドキドキするのがわかった。いやな気分だ。ただほかに風邪の症状もあ
ったので、それに希望をつないだ。「風邪だ、風邪だ。これは風邪による症状だ」と。しか
し風邪で歯が痛くなったという話は、聞いたことがない。そう考えたとたん、また不安に
なった。

 で、その朝は結局、そのまま起きた。ふだんならそのまま書斎に入って原稿を書くのだ
が、そんな気は起きなかった。「まだ、やりたいことはあるのに……」「まだ、58歳じゃ、
ないか」「がんとわかっても、ぼくは治療しない。そのままオーストラリアへ行く」などと、
あれこれ考える。

 が、しばらく体を起こしていると、痛みがやわらいできた。薬がきいてきた。

 こういうとき、私のような心気症の人間は、頭の中で、2人の人間が戦うような状態に
なる。ボクシングで言えば、デス・マッチのようなもの。どちらか一方が死ぬまで、戦う。

 「風邪だ、虫歯だ! お前は、バカだ。いつもの取り越し苦労だ!」
 「何だと! 油断していると、命取りになるぞ。これはがんだ。がんの初期症状だ!」
 「前にも、似たような痛みがあったではないか。虫歯の治療のときを思い出してみろ!」
 「あったかもしれないが、その歯は、たしか神経を抜いているはず」と。

 「何でもない!」という私。「がんだ」という私。そういう2人の私が交互に現れては、
消える。おまけにのども、痛い。のどの奥に痰がからんでいる感じ。何度も、うがいを繰
りかえす。

 これは生への執着によるものか、それとも死がもたらす絶望感との戦いによるものなの
か。……わけがわからない状態で、朝を迎え、その日が始まった。

 「どう、具合は?」と、のんきな様子で、ワイフが起きてきた。「起きたら、痛みが収ま
ってきた」と私。「でしょ、心配ないわよ」とワイフ。

 そのときになって、恐る恐る、手鏡をもってきて、口の中をのぞく。「もし、大きな病変
でもあったら……」と、不安になる。心臓の鼓動が高まる。が、押しても引いても、歯は
ビクとも動かない。(動くはずもないが……。)とくに変わった様子もない。

 歯間ブラシを歯と歯の間に入れてみる。「がんなら、出血があるはずだ」と。以前、どこ
かの病院で、ドクターがそう言っていたのを思い出していた。「がんだとね、組織が破壊さ
れますから、出血があるはずです」と。

 しかし出血はなかった、が、よく見ると、金冠の下、つまり歯ぐきと、金冠の間のすき
間に、小さな薄茶色の穴が見えるではないか! 虫歯! そうだ、虫歯! 歯の側面から、
虫歯になっていた!

 とたん、安堵感で、胸のつまりが消えた。「ナーンダ、虫歯だア!!」と。

 「虫歯だよ、これは!」
 「でしょ、だったら、歯医者へ行ってきたら?」
 「うん、そうだな。風邪の様子をみてから行くよ」
 「そうね」と。

 で、その日は、歯医者へ行かなかった。昨日も、行かなかった。で、そのまま今日にな
った。時計は、午前8時、少し前。あれからも、ずっと、ズーン、ズーンとした痛みが、
ときおり、つづいている。これから行きつけの歯医者に電話をして、そこへ行くつもり。

 しかし心気症というのは、いやなもの。いつも早合点と、取り越し苦労。この繰りかえ
し。ときどきこう思う。「死神よ、そんなにぼくをいじめるなら、さっさと殺しに来い!」
と。

 が、ひとつだけ、変化がある。若いころとくらべると、「死」への恐怖感が、変わってき
たということ。若いころは、一度心気症になると、居ても立ってもおられなかったが、つ
まりそのままあわてて病院へ駆けこんだものだが、今は、ちがう。

 「勝手にしろ」という、どこか投げやりな気持ちも生まれてきた。「まあ、今まで健康に
生きてこられたのだから、文句はないだろう」と、自分をなぐさめる気持ちも生まれてき
た。多少、「死」への覚悟もできてきたということか。

 そして今。私は、改めて健康で生きている自分が、うれしい。「今日こそは、悔いのない
人生を、思う存分生きてみる」と、そんな思いさえわいてくる。心気症というのは、悪い
ばかりではないようだ。
(はやし浩司 心気症 不安神経症 強迫神経症)

【追記】

 やはり虫歯だった。金冠の中の詰め物が、欠けていたという。そこから虫歯が進んだら
しい。

 で、その治療中、正確には、麻酔をかけられ、歯科助手の若い女性が、歯の間の歯石を
取ってくれている間、不思議な経験をした。

 それはうっとりとするほど、気持ちのよいひとときだった。カリコリ、カリコリと、歯
石を削る音がする。そのたびに、その女性の胸が、頭に触れる。強いライトが、春の陽気
を思わせる。縁側で日なたぼっこをしているような気分にさせる。

 そのときだ。私の目の中に、女性の性器が、超リアルに浮かんできた。最初は、まぶた
の模様が、強いライトで、そう見えたのかと思った。しかしそのうち、それがより鮮明に
なってきた。たしかに女性の性器だった。何度も確かめたが、女性の性器だった。

 いつものような卑猥(ひわい)感は、まったく、なかった。もちろん美しいとか、美し
くないとか、そういう感じもなかった。ただどういうわけか、女性の性器が、至近距離で、
超リアルに見えてきた。どうリアルだったかということについては、ここには書けないが、
ともかくも、リアルだった。

 あるいはひょっとしたら、胎児のころの記憶が、麻酔の作用で、呼び起こされたのかも
しれない。……しかし、胎児はまだ目が見えないはず。

 麻酔のせいだろうか? それとも私に頭にときおり触れる女性の胸のせいだろうか?
 それとも強いライトのせいだろうか? 私は、半分、夢を見ていたのかもしれない。と
もかくも、それは不思議な経験だった。

 あとでそのことをワイフに話すと、ワイフも、「きっと麻酔のせいよ」と言った。そして
こう言った。「あなた、そんなことマガジンに書いてはだめよ」と。

 「しかしね、これは不思議な経験だ。だれかが書きとめておかないといけない。きっと、
同じような経験をしている人は、多いはずだよ」
 「でも、へんね。どうしてそんなものが見えたのかしら?」
 「女性だとね、きっと、ペニスか何か、そんなものが見えてくるのかもしれないね」
 「そんなこと、ないわよ。絶対に!」と。

 春は近い。そのあと家に帰ると、強い睡魔に襲われた。それはまちがいなく、かけられ
た麻酔のせいだと思う。コタツに入ると、そのままウトウトと眠ってしまった。

【補記】

●強迫神経症(こだわり)

 何かのことで不安になると、その不安が、ペッタリと頭にくついてしまう。そしてその
不安を消すために、(そんなことでは決して消せないのだが)、何か儀式的な行為を何度も
何度も繰りかえすようになる。

 子どものよく見られる、手洗いぐせ(潔癖症)も、そのひとつ。「手にばい菌がついた」
「手のばい菌が、取れない」などと言って、手を洗ってばかりいる。トイレから帰ってき
た父親に対して、「パパは、きたないからさわらないで!」と泣き叫んだ子ども(年長女児)
もいた。その子どもは、手の皮膚が破れるほどまでに、暇さえあれば、繰りかえし、石鹸
をつけて手を洗っていた。

 こうした症状を、強迫神経症という。心理学の本などによると、不安神経症のひとつに
位置づけられている。大きなちがいは、何かの儀式的行為をともなうこと。宗教の世界で
も、同じようなことを経験する。

 ある女性は、毎日3〜5時間、仏壇の前に座って、念仏を唱えていた。また別の女性は、
同じように、目をさましているときは、手に数珠を握って、それを指先でクルクルと、何
やら呪文のようなものを唱えながら、回していた。そうすることによって、不安を紛らわ
しているというよりは、そういう行為そのものが、やめられないといったふうであった。
念仏を唱えていた女性は、「やめると、バチがあたって、地獄へ落ちる」と本気で信じてい
た。

 こうした症状を示す子どもの特徴としては、何かのものやことに対して、(こだわり)を
もつこと。その(こだわり)の内容は、そのときどきによって、変化することもある。母
親が、ベッドの位置をほんの少し動かしただけで、「精神状態がおかしくなってしまった」
(母親談)子ども(中学男子)もいた。

 この先のことはよくわからないが、今では、(こだわり)を和らげるための、新しい薬も
開発されているとのこと。症状があまりひどいようであれば、一度、心療内科か精神科の
ドクターに相談してみるとよい。
(はやし浩司 手洗い癖 潔癖症 強迫神経症 不安神経症 こだわり はやし浩司 子
供のこだわり)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 10日(No.711)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page019.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●私の年齢

 私は、白い紙に数字を書きながら、子どもたち(年長児)にこう言った。「ここに、今、
先生(=私)の年齢を書きました。その数字を当ててください」と。私は「48」と書い
た。本当は、58歳だが……。最近は、10歳、いつも若く言うようにしている。

 するとすかさずA君が、「80歳!」と。

私「そんなはずはないだろう。よく、ぼくを見てごらん」
A「じゃあ、24歳!」
私「それも、また極端だよ」
A「じゃあ、30歳!」

私「近いけど、もう少し、年をとっているよ」
子どもたち「100歳!」「60歳!」「30歳!」と。

 やがて数字が、近くなってきた。

B「40歳かな?」
私「もう少し上……」
C[45歳?]
私「もう少しだよ……」
D「50歳?」
私「それよりは、小さい」
D「じゃあ、48歳!」
私「ぴったし・カンカン!」と。

 するとE子さんが、こう言った。「でも、先生って、私のおじいさんみたい。おじいさん
は、48歳じゃない」と。

 「まあ、そういうこともあるかもね」と、私は笑ってすませたが、どうも、居心地が悪
い。いくら年齢のことでも、子どもたちにウソを言うのは、気が引ける。本当のことを言
おうかとも思ったが、やめた。私は、やはり、48歳なのだ。

 ところで、タレントや歌手の人たちは、みな、年齢を偽っている。そういう話を、みな
さん、ご存知だろうか。最近でも、暴力事件を引き起こした、黒人タレントが、10歳近
く、年齢を偽っていたという記事が、何かの週刊誌に出ていた。

 私がよく知っている歌手にしても、5歳ほど、年齢を偽っている。その歌手は、私の郷
里出身で、その歌手の兄と私は、同じ合唱団で、歌を歌っていた。だからその歌手の本当
の年齢を、私は、よく知っている。(だからといって、その歌手を責めているわけではない。
この世界は、そういう世界だということ。)

 しかしパソコンのように、人間も、内部の部品だけを取り換えて、そのつど、新品にな
ったり、パワーアップできたりするようになると、よい。やがてそういう時代がくるのか
もしれないが、私が生きている間には、間に合わないだろう。

 心臓は、マラソン選手の心臓。脳みそは、アインシュタインのような脳みそ、と。

 が、パソコンの世界では、それができる。つまり私は、自分のできないことを、パソコ
ンにしてみて、満足しているのかもしれない。こういうのも、「代用的補償」というのか。
よく勉強が苦手な子どもが、スポーツなどでがんばるというのが、それである。

 しかし……。その年齢当てのとき、子どもたちが「先生は、30歳に見える」「いや、2
0歳だ」と言ったときには、われながら、少し照れた。横で、参観の母親たちが、笑って
見ていたこともある。

 この年齢の子どもたちには、まだ、おとなの年齢を見分けるということができない。で
きても、せいぜい、父親の年齢と比較して、「パパと同じくらい」「パパは、30歳」「パパ
よりは、おじいさん」という程度である。

 しかし、私は、48歳だ。脳みそも、気力、体力も、そして中身(内臓)もだ。ハハハ。


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

(和歌山県にお住まいの、SGさんより)

本日のマガジンに掲載していただいたSGです。
お答えいただき、とてもうれしかったです! ここのところマガジンにおいて依存性の強
い子について、書いて下さっていたため、自分で読みながら考えていました。

ご指摘いただいたように、次男の誕生による赤ちゃん返りもあるのかなと思いますが、う
ちの問題は前々回のマガジンに載っていたように、私たち夫婦が内心長男に依存されるこ
とを望んでいることだと思います。

私たち夫婦はそろいもそろって、長男を溺愛しており、「あの、自信なさげな顔がたまらな
いねー」などいつも話し、べたべたしすぎて、甘えられることをもとめていました。
今もその気持ちはありますが、まず母親である私から長男の自立のため変わっていこうと
おもいます。猫とちがって、大人になって親離れするのですから・・・

長男は体も弱く入院を繰り返し喘息、アトピー・・・とあり、どもりもあり繊細な子です。
口うるさく手をかけすぎていました。あまり手をかけていない次男がたくましく成長して
いく姿を見ていると「暖かい無視」は子どものために大切なんだなあと、今更ながらに実
感します。

先生にこういう形で出会え、子育ての軌道修正ができそうです。またお気づきの点ありま
したらぜひお聞かせください。ありがとうございました。
 
(追伸)

先ほどのSGです。(依存性の強い長男)たびたびすみません。長男について
大切なことを書き忘れていました。

反動形成いついては、私自身最近になって、感じ始めていました。彼は子どもなりに、私
たち両親の期待に沿うよう「優しいお兄ちゃん」を無理して演じていた所もあるようです。
「優しいねーすごいなあ」と言ってほめながら、長男に理想を押し付けていました。
このところ、やっと、次男にいじわるをしてみたりしてある意味子どもらしくなってきま
した。

まわりから、「いい子」といわれる子どもはストレスがたまっていたようです。
また、私に対してもプチ反抗期です。

思えば次男誕生の日から、人が変わったように物分りがよくなっていたのも、「優しいお兄
ちゃん」を演じていたのかもしれません。

本当に大切なことを教えていただき、感謝ばかりです。気をつけます。

(SG様へ)

 いただきましたメールのアドレスが、まちがっているようです。何度か、いろいろな方
法で、返信を試みましたが、すべて、「あて先不明」で送り返されてきてしまいました。で、
こういう形で、掲載許可をいただけた部分だけ、原稿を掲載させていただきました。よろ
しくご理解ください。プラス、ありがとうございました。(06年3月4日)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●朱に交われば赤くなる……

+++++++++++++++++++

中国の故事に、『朱に交われば赤くなる』と
いうのが、ある。

しかしその恐ろしさを知っている人は、
いったい、どれだけいるだろうか?

+++++++++++++++++++

 私は、子どものころ、本当に、小ズルイ人間だった。よく言えば、要領のよい子どもだ
った。悪く言えば、その場その場で、他人をだますというより、自分をごまかすのが、平
気だった。そんな子どもだった。自分でも、それをよく知っている。

 すべてを戦後のあの時代のせいにするわけにはいかない。というのも、同じような時代
に生まれ育ちながら、私のようでない人も多いからである。が、あえて言うなら、当時は、
そういう時代だった。とくに私のまわりには、家庭教育の「か」の字もなかった。

 道路にお金が落ちていれば、「モ〜ライ(=貰う)」と言って、自分のものにした。警察
署に届けるとか、届けないとか、そんなことは、考えもしなかった。

 その私が、この年齢になって、変わったかというと、それは疑わしい。私は、基本的に
は、小ズルイ人間である。自分でも、それがよくわかっている。前にも書いたが、こんな
ことがあった。その原稿を、そのまま紹介する。日付を見ると、2002年の11月にな
っている。それから4年もたつのに、私は、いまだに同じことで悩んでいる。

+++++++++++++++++++

●本当の私

 私はもともと小ズルイ男で、今も、それが自分の中にしっかりと残っている。すべてを
あの戦争の責任にするわけではないが、私が過ごした幼児期というのは、戦後の混乱期。
まさにドサクサのころで、秩序があるようで、なかった。そういう時代だった。親たちも
食べていくだけで精一杯。家庭教育といっても、その「キョ」の字もなかった。

 その私が一見、まじめそうな顔をして生きているのは、そういう自分を必死になって押
し殺しているからにほかならない。一度幼児期にできた「自分」を消すことは、私の経験
からしても不可能だと思う。ふと油断をすると、すぐ表面に出てきてしまう。ただ私のば
あい、それが「盗み」とか、「暴力」とか、そういう反社会的な面で出てこないだけ、ラッ
キーだった。出てくるとするなら、「お金」と「女性」についてだ。

 まず、「お金」。たとえば道路でサイフを拾ったりすると、それをどうするかでいまだに、
悩んだり苦しんだりする。しかしそういう自分がいやだから、つまりあとで、あと味の悪
い思いをするのがいやだから、何も考えず、交番に届けたり、近くの店に届けたりしてい
る。自分の行動パターンを決めて、それに従っている。

 つぎに「女性」。私の青春時代は、まさに「女に飢えた時代」だった。高校生のときも、
デートをしただけで先生に叱られた。そうした欲求不満が、私の女性観をゆがめた。イギ
リスの格言にも、『抑圧は悪魔をつくる』というのがあるが、まあ、それに似た状態になっ
た。結婚前は、女性を「おもちゃ」ぐらいにしか考えていなかった。女性の気持ちなどま
ったく無視。セックスの対象でしかなかった。

が、ある事件を契機に、そういう「女遊び」をまったくやめたが、今でも、そういう思
いはたしかに残っている。ふと油断すると、女性が「おもちゃ」に見えるときがある。(し
かしこれは本能によるものなのか、自分の意識によるものなのかは、よくわからない。
たとえば男というのは、射精する前と、射精したあとでは、女性というより、女性の肉
体に対する関心が、180度変わる。射精する前には、ワイフでもたしかにおもちゃに
見える。しかし射精すると、その思いは完全に消える。なぜか?)

 話を戻す。こうした小ズルさがあるから、反対に、他人の小ズルさが、よくわかる。相
手が、自分でもしそうなことをすると、それがすぐわかる。先手をとったり、それから身
を守ったりする。そういう意味では役にたっている。が、それがよいのか悪いのか? 人
を疑うのは、あまり気持ちのよいものではない。しかしこういうことは言える。

私のワイフは、同じ団塊の世代だが、人を疑うことを知らない。純朴と言えば聞こえは
よいが、実際には無知。そのため今まで悪徳商法の餌食(えじき)にされかかったこと
が、何度となくある。おかしな料理器具や、アワ風呂発生器や、あやしげな生協活動や、
はたまた新興宗教などなど。私が「やめろ」と言わなければ、今ごろはかなりの損をし
ていたと思う。

 そんなわけで私が今、一番恐れているのは、やがて気力が弱くなり、自分の本性がその
ままモロに外に出てくること。そうなったとき、私は実に醜い人間性をさらけ出すことに
なる。すでに今、その兆候が現れ始めている?
 
 そこで私は今、つぎのことに心がけている。どんなささいなルールも守る。ワイフが、「そ
んなこといいのに……」とあきれるときもあるが、とにかく守る。そのルールが正しいと
か正しくないとか、そういうことは判断しない。一応社会のルールになっているときは、
それを守る。

 あるいはどんな少額でも、お金はごまかさない。レジなどで相手がまちがえたときは、
おつりが多くても少なくても、(少ないときは当然だが……)、即、申告する。お金は借り
ない。貸さない。もちろん交通ルールは守る。黄色になったら、どんなばあいでも、止ま
る。自転車に乗っていても、それは守る。そういうことを自然にしている人から見れば、「そ
んなこと当然のことではないか」と笑われるかもしれないが、私はそうしている。そうし
ながら、つまり、自分の行動パターンを、できるだけわかりやすくしながら、自分の邪悪
な部分を目覚めさせないようにしている。

++++++++++++++++++++++

●私の限界

 数年前のことだが、こんなこともあった。

ある文具店で、文房具をいくつか買った。頭の中で計算しながら、1000円を出すと、
若い女性の店員が、300円余りのおつりをくれた。私は瞬間、「?」と思った。思いな
がら、数歩、歩いてしまった。

 私の計算では、おつりは、100円もないはず。

 そこで振りかえりながら、「あのう……」と言いかけると、その店員のうしろに、もう一
人、年配の女性が立っていて、こう言った。「今、全品、2割引セールをしています」と。

 私は、それを聞いて笑った。店員も笑った。しかしそこに私の限界がある。つまり数歩、
歩いたというところに、私の人間的な限界がある。本来なら、それに気づくと同時に、振
りかえり、お金を返すべきだった。しかし私はそのおつりを握ったまま、数歩、歩いた。
歩いてしまった。

 どうしてあのとき、私は数歩、歩いてしまったのか?

私は、瞬間だが、子どものころのように、「モ〜ライ」と思ってしまった。「得をした」
と思ってしまった。その小ズルイ自分と戦うために、数歩、歩いてしまった。

●朱に交われば……

中国の故事に、『朱に交われば、赤くなる』というのが、ある。人は、そのつきあう相手
によって、善人にも悪人にもなるという意味である。つきあう相手からの影響を無視す
ることはできないということだが、この故事には、もうひとつの意味がある。

つきあう相手によって、自分の中の邪悪な部分が、えぐり出されることもあるという意
味である。

たとえば、今、私の周辺ではこんなことが起きている。その相手の名誉にもかかわる問
題だから、詳しくは書けない。しかし大筋では、こんな話である。

私の近くに、X氏(60歳くらい)という男性がいる。かなりの経営的な手腕をもって
いる人で、この世界では、「成功者」と呼んで、さしつかえのない人である。

その人は、見るからに小ズルイ人で、やることなすこと、一貫している。で、その人と
会っていると、ふと、子どものころの私が、そこにいることを知る。話が合うというか、
話がはずむ。「それはおもしろいですね」「一度、やってみましょうか」と。

それだけではない。そのX氏は、私を平気でだます。だますといっても、それほど大げ
さなことではない。口がうまいというか、その程度。ウソもよくつく。で、そのX氏と
つきあう私はどうかというと、私も、そのX氏に対してだけは、平気でウソをつく。ご
まかす。

だから、ここ数年、私は、そのX氏と会うのを避けている。会ったあと、いつも不愉快
な思いをするからである。言うなれば、X氏は、私の心を写すカガミのようなもの。そ
のカガミに写る私の心は、いつも醜くて、うす汚い。

 私が言う、『朱に交われば赤くなる』というのは、そういう意味である。そしてその故事
のもつ意味の恐ろしさというのを、強く感ずるようになった。つまり私の中には、自分で
もいやになる部分が、ある。そのいやな部分が、同じようにいやな部分をもった人に出会
うと、えぐり出されてしまう。

 これは心理学的にも、おもしろい現象だと思う。

 だから最近では、このタイプの人とは、努めて、つきあわないようにしている。避ける
ようにしている。もう少し正確に言うと、『朱に交われば、自分の中の朱が、えぐり出され
る』ということか。今の私は、それがこわくてならない。

+++++++++++++++++

もう1作、こんな原稿を紹介します。
3年ほど前に書いた原稿です。

+++++++++++++++++

●不愉快な気分

 たまたま私は、その日、二つの経験をした。

店で、3000円のものを買った。5000円札を出したので、おつりは2000円と
いうことになる。が、店の女性は、私におつりを、7000円もくれた。(話をわかりや
すくするために、消費税などの、こまかい数字は省略した。)

 「あのう……」言いかけたが、その女性の手を見ると、1万円札がしっかりと握られて
いる。私は「?」と思った。思ったとたん、言葉がひっこんでしまった。5000円札を
渡したのに、どうして……と考えているうちに、わけがわからなくなってしまった。そう
いうとき、「今、渡したのは、5000円札です」と言うと、かえって話が、混乱してしま
う?

 店から出るとき、何とも言えない不快感が心の中に充満した。「どうして正直に言わなか
ったのだ」と、自分で自分を責めた。しかしその女性は、たしかに一万円札をもっていた。
私が5000円札だと思っていたのは、1万円札だったのか。それとも、途中で、その女
性は、別の札ともちかえたのか。私とて、すべてを見ていたわけではない。

 その不快感は、ずっと消えなかった。ふつうなら、「得をした」と喜んでよいはずだが、
そういう感覚は、なかった。「いいのかなあ?」と思っている間にも、足は、どんどんと、
その店から遠ざかってしまった。

 同じ日の夜。今度は、こんな経験をした。

 夜、帰るとき、車の列を横切って、向こう側の車線に出ようとしたときのこと。そのと
き、ワイフが車を運転していた。私たちは信号のない十字路にいた。が、半分ほど車を出
したところで、車が反対方向から、何台かやってきた。私たちは、車の列の中で、立ち往
生してしまった。

 とたん、横の車が、はげしくクラクションを鳴らした。「どけ!」という意味である。一
度や、二度ではない。何度も鳴らした。ワイフが頭をさげたが、それでも、クラクション
は、鳴りつづいた。助手席にいた私が体を乗りだしてその車を見ると、運転していたのは、
27、8歳の若い女性だった。

 やがて車の流れが切れ、私たちは反対車線に出たが、私は、何とも言えない不快感に襲
われた。ワイフは、「しかたないわよねえ……」と笑っていたが、私は、車から飛び出し、
その女性を怒鳴りつけたかった。

 たまたまその日は、私の精神状態がよくなかったのかもしれない。どこかピリピリして
いた? が、そのままにしておくわけにはかない。夜、家に帰ると、ワイフにこう切り出
した。

私「今日、お前がぼくに渡してくれたお金はいくらだった?」
ワ「旅費とお弁当代で、1万9000円だったわ。バッグの一番外のポケットに入れてお
いたわ」と。

 そこで私は、おつりの話をした。するとワイフは、「じゃあ、いくら使ったか明細を言っ
てよ。それで計算できるわ」と。

 で、その結果、ワイフはこう言った。「やっぱり、あなたは、1万円札を渡したのよ。自
分で5000円札と思いこんでいただけよ。でなと、計算が合わないもん」と。

 「ああ、よかった」と思ったとたん、胸の中のしこりが消えた。そしてつづいて、あの
女性の話をした。

私「お前は、ああいう女性を、どう思う?」
ワ「ああ、あの人ね。せっかちな人ね」
私「それだけ?」
ワ「それだけよ」
私「ぼくは、車から出て行って、怒鳴りつけてやりたかった」
ワ「あんな人、相手にしなければいいのよ」
私「そのあと、気にならなかったか?」
ワ「すぐ忘れたわ」
私「ぼくには、それができない。いつまでも気になる」
ワ「そうね。あんたは、そういう人ね」と。

 なぜ人間は、不愉快になるか。自分で自分を不愉快にすることもある。反対に、他人が
自分を不愉快にすることもある。私はその日、同時に二つの経験をした。しかしこうした
不愉快は、心の健康にもよくない。

 では、どうするか。もっとも、その日は、疲れていた。それでささいなことが気になっ
た? 注意力も、欠けていた。それでそういうことになった。しかし、私が感じた不快感
は、まったく同質のものだった。何でもないようなことだが、考えてみれば、これはおか
しなことだ。

 一方は、自分で作りだした不快感。もう一方は、他人から与えられた不快感。その二つ
が同質? 意識の上では、別の不快感かもしれないが、脳の中へ入ると、同じものになっ
てしまう? あるいは、脳は、そこまでは区別できない? 

それはちょうど、たとえて言うなら、食べ物が胃袋に入るようなものか。フランス料理
と日本料理を別々に食べても、胃袋の中へ入れば、みな、同じ。もう区別できない?

私「人間の感情なんて、単純なものだね」
ワ「……何の話?」
私「いいの。どうせ、お前に話しても、お前には理解できないから……」
ワ「わけのわからないことを、言わないでよ」
私「ぼくと、お前とでは、脳ミソの質が違うということ」と。

 しかしその日は、よい経験をした。このつづきは、また別の日に考えてみたい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●子どもから見た親の姿

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

自分自身から見た、「親の姿」。
子どもから見た、「親の姿」。
親(あなた)自身が、「親は、こうあるべき」と、
考える、「親の姿」。
子どもが、「親は、こうあるべき」と、
考える、「親の姿」。

「親の姿」には、いろいろある。

これら「親の姿」が一致していればよし。
そうでなければ、親子の間には、大きな
溝(みぞ)が入ることになる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 あなたの子どもは、今、あなたを、どんな親だと思っているだろうか。ものわかりがよ
く、知性的で、理性的な親だと思っているだろうか。それとも、わがままで、自分勝手な
親だと思っているだろうか(現実の親認識)。

 一方、あなた自身は、どうだろうか。自分のことを、どんな親だと思っているだろうか。
家族思いで、献身的な親だと思っているだろうか。それとも、だらしなく、風采のあがら
ない親だと思っているだろうか(現実の自己認識)。

 さらにあなたの子どもは、今、あなたにどんな親になってほしいと願っているだろうか。
あなたに対して、どうあるべきだと願っているだろうか(子どもの親概念)。

 反対に、あなたは、子どもに対して、どんな親であるべきだと考えているだろうか。あ
なた自身が描く、理想的な親の姿というのは、どういうものだろうか(親の親概念)。

 あなたという(親)を考えるときには、こうした4つの方向からの(眼)がある。それ
らを、ここでは、現実の親認識、現実の自己認識、子どもの親概念、子どもの親概念とす
る。しかしこうして言葉にまとめると、むずかしくなってしまう。わかりやすい例をあげ
て考えてみよう。

 A氏(40歳)は、自分では、できのよい親だと思っている。家族思いで、献身的。仕
事もまじめにこなし、休日でも、仕事があれば、会社にでかける。家族のまとまりが、何
よりも大切と考えている。

 だから言葉にこそ出さないが、自分の妻や子どもたちは、自分に感謝しているはずと信
じている。自分は尊敬されているはずと思っている。

 そのA氏には、1人の息子と、1人の娘がいる。しかしその2人の子どもは、そうは思
っていない。「ぼくの親父(おやじ)は、いばっている。いつも一方的。さからうと、こわ
いから、黙っているだけ」「私の父親は、いつも親風を吹かしている。こまかい。うるさい」
と。

 A氏は、いつもこう言っている。「父親は、一家の柱。父親は、船にたとえるなら、船長。
存在感こそが重要なのだ」と。

 一方子どもたちは、こう思っている。「もっと自由にしてほしい」「私たちを、もっと信
じてほしい」「あれこれと自分の考えや考え方を、押しつけないでほしい」「子どもではな
く、人間として認めてほしい」と。

 一見、まとまりのある家族に見えるかもしれないが、その内実は、バラバラ。こんな状
態では、親子関係にしても、うまくいくはずがない。少し極端な例だが、「定年離婚」とい
う言葉がある。夫が定年を迎えたとたん、妻のほうが、離婚話を持ちだすという、あれで
ある。

 その定年離婚で、妻が離婚話を持ちだすと、ほとんどの夫は、あわて、ふためくという。
「何を考えているのだ!」と、妻を殴りとばす夫も少なくないという。

 こういうケースでは、夫が自分で思っている夫の姿と、妻が思っている夫の姿が、大き
く乖離(かいり)していたと考える。夫は、それに気づかなかっただけということになる。

 同じように、A氏の家族のように、心がバラバラになってしまった家庭では、そのつど、
問題が、海辺に打つ寄せる波のように、現れては消える。つぎからつぎへと、だ。で、そ
のたびに、A氏は、「なぜだ?」「どうしてだ?」と振りまわされる。「オレは、こんなに、
家族のために尽くしているのに!」「がんばっているのに!」「何が、不満なのだ!」と。

 親にもいろいろあるが、より自己中心的な親もいれば、より自己中心的でない親もいる。
中には、自己愛のかたまりのような親さえいる。「自分さえよければそれでいい」「家族が
自分のために犠牲になっても、当然」と。

 しかしそれでは、良好な親子関係など、望むべくもない。

 そこで、どうするか?

 方法は簡単。ひとつ、こんな実験をしてみてほしい。

今、あなたはここにいて、この文章を読んでいる。そこで今、あなたの子どもがどこに
いるかを、頭の中に思い浮かべてみる。

 たとえばあなたの子どもが、今、学校(幼稚園)にいるとする。あるいは居間のどこか
で、本を読んでいるとする。


 そのとき、そっと、あなたの脳みそを、子どもの頭の中に、入れてみる。「入れる」とい
っても、もちろん、空想するだけである。そしてその子どもの脳みその中から、外の世界
を見てみる。

 その世界は、どんなものだろうか。まわりには、どんなものが見えるだろうか。何があ
るだろうか。

 そうして視野を、どんどんと大きくしていく。そして最終的には、その視野の中に、あ
なた自身を置いてみる。するとあなたは、子どもの目を通して、あなた自身をそこに見る
ことができる。ちょうどビデオカメラか何かに撮影して見るように、だ。

 その(あなた)は、どんな姿だろうか。子どもの目には、どんなふうに映るだろうか。
どう見えるだろうか。

 これは決してむずかしいことではない。というのも、あなた自身も、子どものころ、そ
ういうふうにして、あなたの親を見ていたはずである。そういう自分にもどるだけでよい。
それで(子どもから見た、あなたという親の姿)を見ることができる。

 で、あとは、それを繰りかえす。繰りかえすことで、現実の親認識、現実の自己認識、
子どもの親概念、子どもの親概念の4つをひとつにまとめることができる。もちろんそれ
が、家族のつながりを、深くすることは言うまでもない。

こう書くと、親ばかり……と思う人がいるかもしれない。子どもの側にも、それなりの
義務と負担があってしかるべき、と。しかしここでは、考えない。日本人は、元来、親
意識の強い民族である。それが子育て観の中に、風俗、文化として、定着してしまって
いる。多くの問題は、子どもにあるのではない。親自身のほうにある。そう考えて、改
めるべきは、まず親のほうと考える。

 子どもに向かって、子どもはこうあるべきだと考えるのではなく、自分は、こうあるべ
きと考える。それがこれからの親子関係を考える、第一歩ということになる。

 「最近、どうも子どものことがわからない」と感じたら、ここで示した方法を、一度、
試してみてほしい。
(はやし浩司 親の姿)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司


●2人の姉妹

++++++++++++++++++++++

少し前、母の介護をめぐって、2人の姉妹が
対立しているという話を書いた。

それについての追加報告。

++++++++++++++++++++++

 2人の姉妹がいる。上の姉は、今年、63歳。下の妹は、満60歳になったところだと
いう。

 現在、上の姉が、自宅で、母親のめんどうをみている。母親は、現在、87歳。ひとり
で生活できなくはないが、どこかあぶなっかしい。それで上の姉が、母親を引き取った。

 で、下の妹は、毎月、7万円の費用を、姉に送りつづけている。決して楽な額ではない。
妹の夫も、2年ほど前、以前の会社をリストラされ、現在は、その子会社で、「アルバイト
的な仕事」(妹の言葉)をしているという。貯金を切り崩しての、送金である。

 姉は、毎週のように妹に電話をかけ、母の世話のたいへんさを訴えくるという。「少し、
ボケてきた」「徘徊するようになった」「便をもらすようになった」と。

 ここで意見が、大きく分かれる。

 妹のほうが、その電話があるたびに、「施設へ入れたらどう?」ともちかけるという。し
かしそれに対して、姉のほうは、「世間体が悪い」「親を施設に入れるなんて、恥ずかしく
てできない」と。

 が、妹のほうは、都会のマンション住まい。引き取りたくても、母親が、「都会は嫌い」
「マンション生活はいや」と言っているという。加えて、夫の理解を得るのがむずかしい。

 そのため、電話は、いつも、けんかで終わってしまうという。「たいへんだ。自由に外出
もできないのよ。あなたにその苦労がわかるの!」「わかっているわよ。だったら、施設へ
入れたらどうなのよ!」「あなたは、そんな冷たいことを言って、それでも娘エ!」と。

 で、肝心の母親は、これまた古風というか、驚き。「施設へ入れられるくらいなら、首を
つって、死んでやる!」と言っているという。その年代の人たちは、「施設」という言葉に、
独特の印象をもっている。偏見もある。

 さらに「実家の田畑を売って、費用を出してほしい」と懇願する妹に対して、姉や母親
は、「そんな恥ずかしいことはできない」「ご先祖様に申し訳ない」と、がんとして拒否。
しかたないので、妹は、毎月、7万円の送金をつづけている。

 この話を伝えてくれた人によれば、「どちらかというと、姉のほうが、冷たい人だ。妹の
ほうが、温かい人だ」ということらしい。言い忘れたが、姉は、実家の近くに住む男性と
結婚。最近まで、「〜〜村」と、「村」という名前のついていた町に住んでいる。妹のほう
は、東京近郊の大都市に住んでいる。

 妹はこう言う。「親のめんどうをみるのが、そんなにたいへんだったら、施設へ入れれば
いい。毎週、毎週、苦情を言われる私だって、たまったものではない。毎週電話をかけて
くるのは、私に、費用を請求するため。私には、そう聞こえる」と。

 本来なら、母親自身が、自ら、施設に入るべきである。実家の近くにある畑(現在、宅
地)を売れば、それくらいの費用は出る。「娘たちに迷惑をかけるくらいなら……」と、私
なら、そう考える。私のワイフも、そう言っている。

 で、この文章を読んだ、あなたなら、どう考えるだろうか。姉のほうが正しいと思うだ
ろうか。それとも妹のほうが、正しいと思うだろうか。親は親だから、親のわがままを聞
いてやるのも、子どもの務めと、あなたは考えるだろうか。

 実は、その話を伝えてくれた人も、そう言っている。「親孝行だけは、しなければいかん
よ」と。しかしこんな事実もある。

 概して言えば、「親孝行なんか、しなくていい」と言っている親の子どもほど、親孝行を
するようになる。「親のめんどうをみるのは、子の務め」と、親孝行を、子どもに強いる親
の子どもほど、親孝行をしない。これは「子どもにはめんどうをかけたくない」という思
いが、子どもの心を、やさしくするためと考えてよい。

 それぞれの家庭には、それぞれの深い事情がある。歴史もある。だから表面的な部分だ
けを見て、こうした事例について、自分の考えを書くことは、たいへん危険なことである。
姉には姉の思い。妹には妹の思いというものがある。

 が、やはり、最大の問題は、その母親にあると考えてよい。現在、2人の姉妹は、決裂
寸前だという。妹にしても、一日とて、気が晴れる日はないだろう。つまり子どもどうし
のいがみあいの原因を、母親自身が作っている。「首をつって、死んでやる」と、猛烈な圧
力を、2人の姉妹にかけている。

 その母親は、精神的に、きわめて未熟な親とみてよい。が、こういう親は、決して少な
くない。中には、家を出た娘に対して、「のろってやる」「私が死んだら、墓場であんたが
不幸になるのを、笑って見届けてやる」と言っている親さえいる。(この話は、本当だぞ!)

 ……ということで、今、日本は、大きな過渡期を迎えているのではないか。ここに書い
た姉のような考え方をする旧世代から、妹のような考え方をする新世代への、である。私
は、ここで「親孝行」という言葉を使ったが、この言葉そのものが、儒教的ですらある。

 つまりこの日本全体が、戦前までの儒教文化から、西欧文化への過渡期にある。ここに
書いた、2人の姉妹の対立は、そうした過渡期によく見られる、混乱のひとつと考えてよ
い。

【補記】

 この話をしながら、ワイフは、こう言った。「年を取ったからからといって、人格者にな
るわけじゃあないからア」と。

 実は、私もそう思う。年の取り方をまちがえると、むしろ人は、より愚劣になる。私も
この年齢になってはじめて、それがわかるようになった。その人を、10年単位で観察し
てみたとき、どんどんと邪悪になっていく人は、いくらでもいる。むしろ、そういう人の
ほうが、多いのではないか?

 もちろん、年をとって、人格者になり、より人間味をます人もいる。そうしたちがいは、
どうして生まれるのか? 「苦労が、その人を人格者にする」という説もある。が、苦労
をしたため、邪悪になっていく人だって、これまた多い。
 
要は、年の取り方ということになる。それについては、また別の機会に考えてみたい。

【補記2】

 少し油断すると、日常のささいなことに気を奪われて、どんどんと自分が小さくなって
いくように感ずることがある。あるいは愚劣な人としばらくつきあっていると、自分まで
愚劣になり、あとで不愉快な思いをすることもある。

 この前、恩師のT先生に会うと、先生は、こう言った。「それなりの人と、つきあうこと
です」と。先生がいう「それなりの人」というのは、「トップクラスの人」という意味であ
る。

 で、私が「私のまわりから、そういう人をさがすには、どうしたらいいですか?」と聞
くと、笑いながら、「自分から求めていきなさい」と。

 先日、T先生の家に遊びに行くと、天皇陛下と談話している写真や、ノーベル賞受賞者
の人たちと会食をしている写真が、本箱の中に、無造作に並べてあった。「日本学術会議の
評議員に任命する」という、任命書も、そこにあった。そう言えば、その前に会ったとき
には、たまたま日本でもよく知られた女性写真家が遊びに来ていた。いっしょに、食事を
させてもらった。

 T先生のまわりには、いつもそういう人たちが集まっている。T先生自身が、そういう
人だからである。しかし私のような凡人には、まねのできる話ではない。が、方法がない
わけではない。私は、それが「考える」という方法ではないかと思う。T先生にしても、
若いころから、考えてばかりいた。その結果が、今のT先生である。

 希望をもって、前に進むしかない!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【近況あれ・これ】

●WBC、日本vs韓国戦

 たった今、ヤフー・ニュースを見たら、日本が、対韓国戦で、2−0でリードしている
ことがわかった。野球の国際試合である。長い名前だが、「アサヒ・スーパー・ドライ・プ
レゼンツ・2006・WORLD BASEBALL CLASSIC(WBC)アジア
ラウンド」という。

 居間におりていって、野球中継を見ようかと思ったが、今夜は、体を動かすのも、おっ
くう。風邪気味。

 それに野球中継を見始めたら、また2、3時間、時間をムダにする。あと3、4枚、原
稿を書けば、4月10日号のマガジンが、完成する。マガジンでは、毎回、最低でも、1
400字程度x20枚と決めている。

 今、日本中が、その野球中継を見ているにちがいない。で、私は、少し前、こんな計算
をしてみた。あるところでした、ある講演会のあとに、である。

 その会場では、500人近い人たちが、集まってくれた。

 で、その講演会で、私は2時間ほど、話をしたが、単純に計算すれば、2時間x500
で、約1000時間。それだけの時間を、聞きにきてくれた人と、共有したことになる。

 1000時間といえば、24で割ると、42日分ということになる。つまり私は、その
2時間だけで、のべ42日分、生きたことになる。(ちょっと、この計算には無理があるか
な? こんな計算には、まったく意味がない。)

 しかし今、全国で、視聴率を10%としても、約1200万人もの人たちが、その野球
中継を見ていることになる。試合時間を3時間とすると、3600万時間ということにな
る。

 3600万時間といえば、24で割って、さらに365で割ると、約4100年分の時
間ということになる。1人の人間の寿命を、80年とすると、51人分の寿命ということ
になる。もちろん主役は、あのイチR―だから、イチR―は、たった一回の試合で、51
人分の人生を生きることになる。(繰りかえすが、こんな計算には、まったく意味がない。
わかっている。)

 裏をかえして言うと、つまりそれだけ多くの時間を、みなが野球中継を見ながら、無駄
(失礼!)にしていることになる。その時間は、毎日、毎晩、51人の人が、生まれてか
ら、80歳で死ぬまで、同じ野球中継を見ている時間に等しい。

 それにしても、壮大な無駄。テレビが消費する電力だって、バカにならない。テレビ1
台の消費電力を、1時間当たり、……という計算は、もう、やめよう。私が今、書いてい
るこんな文章を読むより、野球中継のほうが、ずっとおもしろい。意味がある。

 しかしこれだけは言える。

 今、極東情勢は、大きく動いている。昨日あたりから、中国と台湾が、それぞれ軍事訓
練を始めた。一触即発とまではいかないが、かなりあぶない。国連の安保理によるイラン
への経済制裁も、危惧されている。

 日本経済は、デフレからインフレへ。日銀の量的緩和も、近く解除されるかもしれない。
(早く解除されたほうが、私はよいと思うが……。)もちろんK国の核開発問題もある。こ
んなときに、勝った、負けたと、たかがボールの打ちあいに、うつつを抜かしていてよい
ものか。目は開くべきときに、開かないと、あとでたいへんなことになる。

 ……とは言いつつ、WBCは気になる。あと1、2枚、原稿を書くと、4月10日号は、
完成する。それが完成したら、私もその野球中継を見にいくつもり。韓国にだけは、負け
られたくない。

 
●快適パソコン

 ハードディスクを取りかえてから、このパソコンの調子が、めちゃめちゃ、よくなった。
ハードディスクにも、回転数という性能がある。回転数が多ければ多いほど、つまり性能
はよくなる。(人間の頭についても、同じような言い方をするのは、興味深い。頭のよしあ
しをいうとき、「あの人の頭は、回転が速い」などと言う。)

 が、速いからよいというわけでもないらしい。回転数が速くなればなるほど、ハードデ
ィスクは、熱を発生する。故障も多くなる。(人間の頭も、そうか?)

 以前は、電源を入れてから、デスクトップ画面になるまで、4、5分はかかった。今は、
2分前後ですむ。この快適さが、何とも言えない。

 ところで私のこのパソコンでは、ワードで作業をしているとき、辞書登録ができなかっ
た。辞書を登録をしようとすると、瞬間だけ、黒枠の説明文が出て、そのまま消えてしま
う。メーカーに、3、40分ほど、電話で相談しながら、四苦八苦したが、結局は、だめ
だった。

 で、私は、その部分のファイルが、こわれていると思った。思ったので、別のパソコン
の中から、そのファイルをさがし、このパソコンに移植してみた。結果、なおった!!

 手術でいえば、腎臓移植のようなもの。それをした。が、どのファイルがこわれている
かをさがし出すだけでも、たいへんだった。APPLICATION DATAというと
ころがあやしいというところまでは、何とかたどりつけたが、それからがたいへんだった。
……などなど。しかしパソコン相手に、知恵比べをしているときというのは、本当に楽し
い。

 が、ここで問題。「だからそれがどうなのか?」と思ったとたん、何だかむなしくなった。
「高性能のパソコンになったからといって、だからそれがどうなのか?」と。

 文章が高尚になるわけではない。私の思想が高まるわけでもない。もちろんパソコンの
頭がよいからといって、私の頭がよくなるわけではない。パソコンは、あくまでも用具。
現代の筆記用具。

 しかしこの快適感がたまらない。

 が、ここで重要な教訓がある。

 パソコンという機械は、それがほどほどに、サクサクと動いている間は、そのままの状
態をうまく保ちながら使うこと。おかしな冒険主義をもったとたん、つまり、あちらをい
じってやろう、こちらをいじってやろうと思ったとたん、故障というより、わけがわから
なくなってしまう。

 今が、その状態。このままの状態で、秋まで、待とう。いよいよVISTA(新OS)
が発売になる。が、不安がないわけではない。先ほど、ワイフとこんな会話をした。

 私が「パソコンがなおった。調子がよくなった」と話すと、ワイフはこう言った。「じゃ
あ、もう新しいパソコンを買わなくてすむわね」と。

 ああああ……。……ということで、やっと20枚になった。4月10日号は、これで完
成。あとでもう一度、自分の書いた文章全体を読みなおしてみて、配信予約を入れるつも
り。

 みなさん、最後まで、こんなつまらない文章を読んでくださり、ありがとうございまし
た。次回のマガジンでは、もう少し、ましな、お役に立てる記事を用意させていただくつ
もりでいます。

 では、これからWBCの中継を見に行ってきます。
 時は 06年 3月 5日。午後8時13分!

【追記】

 WBCの対韓国戦では、日本は韓国に、3対2で敗れました。残念! 本当に残念!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 7日(No.710)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page018.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ママのおなら

 教室で、何かのきっかけで、動物の鳴き声の話になった。こういう話は、得意である。

私「犬は、日本では、ワンワンって、鳴くけど、英語では、バウアウ・ウッフ・ウッフだ
よ」
子どもたち「ネコは? 馬は? 牛は?……」と。

 そこで私はそれぞれ、日本語の鳴き方と英語の鳴き方を、交互にしてみせた。

私「どちらが、本物の声のように聞こえるかな?」
子どもたち「カラスは、英語のほう」「ブタは、日本語のほう」「英語のニワトリは、むず
かしい」「アヒルは、やっぱり英語のほうかな」と。

私「ヒツジは、日本では、メーメーだけど、英語では、バーバーだよ」
子どもたち「ジジイのヒツジは、何て鳴くの?」
私「ジジイのヒツジも、バーバーだ」
子どもたち「ババーかア?」
私「ババーじゃないよ。バーバーだよ」と。

で、そのうち、おならの話になった。

私「じゃあさあ、これから日本語と英語で、おならの音を言ってみるけど、どちらが本物
みたいか、言ってよ」
子どもたち「いやだーア」
私「日本語では、ブーブー・プリプリ。英語では、プーッ・プーツ。どちらからな?」
子どもたち「知らないよ〜オ」
私「A子さん、君は、どちらだと思う?」
A子「先生は、下品!」
私「じゃあ、B君、君は、どうだ?」
B君「やっぱり、日本語のほうかな?」
私「ほほう、ブーブー・プリプリかあ?」
(みな、爆笑!)
B君「ぼくじゃないよ。ぼくじゃないよ。ぼくのママだよオ」と。
(みな、またまた爆笑)

 昨日の教室の1コマでした。


Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司

●子どもの学習意欲

+++++++++++++++++++

日・米・中・韓の4つの国の子どもたちの
学習意欲についての調査結果が、発表され
た。

それによると……

+++++++++++++++++++

 このほど、日・米・中・韓の4つの国の子どもたちの意識、意欲についての調査結果が
公表された(060302・中日新聞)。

 それによると、

★成績の向上(よくなること)を希望する子ども

日本  ……33・2% +++
アメリカ……74・3% +++++++
中国  ……75・8% ++++++++
韓国  ……73・8% +++

(日本青少年研究所・05年調査)

 こうした傾向がみられることは、すでに5、6年前から、教育関係者の間では、常識だ
った。数年前のことだが、ある中学校の校長が、こう話してくれた。

 「勉強でがんばって、いい高校へ入りたいと思っている子どもは、半分もいませんよ。
6割くらいの子どもは、部活か何かでがんばって、推薦で高校へ進学したいと考えていま
すよ。で、「進学指導の先生が、『もう少し勉強でがんばって、A高校への進学をめざした
ら?』と声をかえたりすると、『あんな高校へ入って、勉強で苦労したくない』と答える子
どもが、ふえてきました」と。

 同じようなことは、私も経験している。少し前までは、小学校の高学年児の入会も認め
ていたが、やる気を引き出すだけでも一苦労。それまでに、やる気そのものを、跡形もな
くつぶされてしまっている子どもも、少なくなかった。

 つまりそうした常識が、今回の調査で、はからずも裏づけされたということになる。最
近の日本の子どもたちは、そういう意味では、飽食状態にある。きびしさがないというか、
緊張感に欠ける。が、それだけではない。

 で、これは私自身の感想だが、反対にこういうこともある。

 以前は、……といっても、10年とか20年前のことだが、勉強が苦手な子どもを教え
ていても、なかなか効果があがらなかった。学校の勉強のほうが、先へ、先へと進んでし
まったからである。

 ところが、最近は、そうではない。少し教えるだけで、見た目には、メキメキとできる
ようになる。ほんの少しだけ、自信をもたせるような指導でじゅうぶん。つまりその分だ
け、学校における子どもたちの学力が、低下しているということになる。

 さらに私の教室は進学塾ではないが、ここ10年、年を追うごとに、進学率というか、
有名高校や有名大学への進学率が、飛躍的によくなってきている。20年前、30年前に
は、OBで、東京のT大や京都のK大へ入る子どもはほとんどいなかった。しかし最近で
は、当たり前のように入っていく。何割かの子どもたちは、国立大学の難関学部へと進学
していく。

 わかりやすく言えば、それだけライバルが少なくなったということになる。つまり幼児
期に、方向性だけをつけてやると、あとは、自分でそのまま伸びてくれる。方向性という
のは、つまりは、(やる気)ということになる。

 一方、こんな問題もある。

 私の教室では、3、4年生ごろから、個別レッスンに入る。(個人レッスンではない。)
子どもの能力とやる気に合わせて、それぞれ、独学で勉強できるように指導する。この年
齢になると、一斉に同じことを教えるということができなくなる。できる子どもと、そう
でない子どもに(差)が現れてくるからである。

 そういう方法で、1年も指導すると、学校でする勉強の2、3年分を自分で終えてしま
う。小学4、5年生で、中学2、3年レベルの学習をしている子どもは、私の教室では、
珍しくない。(ウソじゃないぞ!)

 本来、学校での勉強もそうであるべきではないのか。いまだに悪しき平等主義にしばら
れて、できる子どもの頭をたたくようなことを、平気でしている。つまりせっかくやる気
があっても、学校教育が、制度として、その芽を摘んでしまう。

 子どものやる気を引き出す方法の鉄則は、ただひとつ。

『伸びる喜びに灯をともして、能力を前に引き出す』である。

 「ほう、君は、こんなこともできるの!」「すごいね。これは5年生でもできない問題だ
よ!」と。ウソではいけない。子どもといっしょに、それを喜び、そして心底から、それ
をほめる。教える側がやる気をもって、子どもたちといっしょに、教え、学ぶことを楽し
む。

 進学塾が常套手段としているような、恐怖を与えて、成績でおどしながら勉強させると
いう方法は、邪道中の邪道。そういう方法は、一時的には効果があっても、決して長つづ
きしない。かえってその受験競争が終わったとき、反動として、子どもは勉強しなくなる
ことが多い。そればかりか、燃え尽きてしまったり、荷卸し症候群におちいってしまう子
ども少なくない。

 しかしそれにしても、33・2%とは!! わかりやすく言えば、向学心に燃える子ど
もは、3分の1もいないということになる。これでいいのかなあ、日本! 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●掲示板への投稿より

++++++++++++++++++++

掲示板に、TKという方から、「中3生への
無理難題への対応」というテーマで、こんな
投稿がありました。

この問題について、少し考えてみたいと
思います。

++++++++++++++++++++

林先生

TKと申します。いつもマガジンを有意義に読ませていただいております。もし、この林
先生のご活動を、3年早く知っていれば、私共の生活は違ったものになったと反省してお
ります。

現在、卒業直前の中3生が、中3になると同時に無理難題を父親である私に、要求し、か
なえられない時は大声をあげて怒ったり、こわれない新聞紙や本を投げたりすることが週
に1回ほど続いています。また時々学校を休むようになりました(月に4日程度)。

中3になってからの彼の状況の変化は下記の通りです。

★4歳年上の兄が大学進学で下宿のため、家を出た。(兄はけっこう、にらみを効かしてい
た。)
★高校受験のために勉強をしているが、自分の思い通り成績が上がらなかった。(志望校を
変更した。)
★部活で最後の県大会等に正選手で出場できなかった。(かなり真剣に練習したが。)

小さい頃から末っ子ということで、(二人兄弟、父母と4人家族)、服の用意とかを母親が
やりましたが、兄とのバランスもあり、甘やかしたつもりはありません。

ただ、子供の頃から非常にがんこで、融通は利きませんでした。(理不尽な先生の指示に従
わない。きらいなピアノやそろばん等のならい事で練習しない。納豆等の好きな食べ物に
こだわる。甘いものは好まない。) 逆に親に不平不満を言わない子で、心の中に言いたい
ことがたくさんあったように今、思っています。

また、父母兄が理系の科目が得意なのに対して、本人が歴史や英語が得意で、俺だけだめ
人間かなとよく聞きます。(うらやましいと答えています。)

体にいいというとサプリメントをきちんと摂取したり、歯の矯正も積極的にやりたいと言
ったり、毎日3kmのランニングを欠かさない等、非常に厳格なところがあります。

最近は勉強へのやる気が下がってきて、宿題等にも、しぶしぶ対応しております。

この状況に対して、私共の対応は下記です。

★本人が自主的に動くまでは、何もしない。(朝起こしたり、勉強しろと言わない。)
★本人の話を聞くようにする。(顔を向けて話を聞く。)
★おうむ返しに答えない。(自分の考えを答えず、質問や確認をする。)
★どうしてもできないことには、難しいと答える。(こうすると怒り出すが、できないこと
はできないので、言わざる負えない。)
★高校や大学に何がなんでも通わそうとは思わっていない。(フリースクールの方が合って
いる気がしているが、あくまでも本人次第。) 人生何とかなると思っている。(そういう
人を何人も見てきての私の実感)。
★家はあくまでも安らぎの場にしたい

ただ、中学は非常に規則や無意味な校風に厳しく、合格した高校の序列で平気で生徒をラ
ンク付けしたり、県大会等で活躍できないと冷たかったりして、本人も苦しんだようです。
運動会等の行進練習は軍隊のようで、私も非常に違和感を持って見ていました。(公立中学
です。)

最近の無理難題は下記です。

★合格した高校の説明会の後、この学校には行かないと主張。(校則が厳しいのが原因。)
来年、別の高校を受験する。(下宿して家を出る。)

この年齢で性格を直そう等とのことは考えていませんが、対応等のお考えをお聞かせい
ただければ幸いです。

【TK様へ、はやし浩司より】

 だれでも、若いときは、そうかもしれませんね。私の母も、私が高校生のとき、私をも
てあまし、学校の先生のところへ、ときどき相談に行っていたようです。私は私で、だれ
にも心配をかけないように生きていたつもりなのですが……。

 親が見る子どもと、子ども自身が見る自分自身とは、かなりちがうようですね。それに
子どもが見る親もまた、親自身が見る自分自身とも、かなりちがうようですね。その(ち
がい)を、どこでどう理解するかが、問題です。

 あなたから見れば、心配でならない子ども(二男)。しかし子どもから見るあなたは、こ
れまたうるさくて、どうしようもない、おとななのかもしれません。私も子どものころ、
自分の親を、そう思っていました。

 もう少し専門的には、思春期は、「第二の誕生」とも呼ばれています。子ども自身の自我
(私は何かという核)が、大きく乱れる時期と考えてください。子どもは子どもで、将来
への不安、心配などで、悶々と苦しんでいる。「どうしたらいいのだ?」「どこへ行けばい
いのだ?」「何をしたらいい?」「何をすべきなのか?」と、です。

 私もある時期までは、思春期の子どもたちが、みんな、バカに見えました。これは事実
です。しかしある時期から、その思春期の子どもたちを見ながら、こう気がついたのです。
「私は、若いころ、もっとバカだった」と。とたん、子どもたちを見る目が、変わりまし
た。

 掲示板の記事を読む範囲では、あなたの二男(以下、呼び捨てにしますが、お許しくだ
さい)は、すばらしい子どものように思います。いまどき、月に4回程度の(サボリ=怠
学)なら、珍しくも何ともありません。とくに、「毎日3キロのランニングを欠かさない」
というのには、驚きました。どうして、TKさんは、そういう点をもっと前向きに評価し
てあげないのでしょうか?

 それとも、あなたなら、できますか? あなたは、中学3年生のとき、そういうことを、
していましたか?

 あなたからわがままに見えるかもしれませんが、私は、二男が今、先の見えない世界で、
もがき苦しんでいる姿が、容易に想像できます。わがままについては、無視して対処しま
すが、暴力や暴言は、軽いうつ状態にあると考えて対処します。

 心の緊張感が、ほぐせないでいるのです。もっと言えば、心の休まる場所や時間が、な
い。ある調査によると、子どもたち(中学生)が、家の中で一番、心や体が休まる場所と
いえば、トイレの中、風呂の中、それにフトンの中だそうです。

 その緊張した状態の中に、不安や心配ごとが入りこんでくると、子どもの心は、(おとな
もそうですが)、一気に不安定になります。攻撃型、暴力型、依存型、服従型など、いろい
ろなタイプがありますが、二男は、ときどき、攻撃型に出るようですね。

 しかしこう言うと、「えっ!」と思われるかもしれませんが、攻撃型のほうが、あとあと、
いい子になりますよ。少なくとも、引きこもるタイプよりは、ずっと、あとがいいです。
それに回復も、早いです。加えて、その時期さえうまく通り抜ければ、たくましく成長し
ていきます。

 が、TKさんは、悩んでいる。で、そういうときは、こう考えてください。こうした問
題には、必ず、二番底、三番底があります。今を最悪と考えてはいけません。そのため、
対処の仕方としては、「今の状態を、今以上に悪くしないことだけを考えて、対処する」と
いうことです。

 あなたがもっている、(理想像)を求めても意味はありません。それを押しつければ、二
男は、あなたに、より反抗するようになるでしょう。

 それをまとめて、人は、「反抗期」と呼ぶわけですが、そこであなたの視点を、今から1
0年後に置きます。たとえば10年後に、二男は、今のこの時期を振りかえるときがやっ
てきたとします。そのとき、二男の目に映るあなたは、どういう父親になっているかを想
像してみてください。

 いつも自分という人間を守ってくれた父親でしょうか?

 それとも、カリカリ、ピリピリと、世間体ばかり、気にしていた父親でしょうか。

 そのとき、あなたという「親」は、親としてではなく、一人の人間として、最終的に子
どもに審判されます。

 考えてみれば、おかしなことです。どうして親は親として、子どもから遊離してしまう
のでしょうか。どうして親は、子どもの友にはなれないのでしょうか。一番近くにいて、
たがいにわかりあっているはずなのに、その多くは、遊離してしまう。断絶してしまう。
考えてみれば、本当におかしなことです。

 が、だからといって、あなたを責めているのではありません。ひょっとしたら、親子と
いうのは、そういうものかもしれないということです。いつまでも絆(きずな)を保ちた
いと願う親。父親。しかし子どものほうは、親を踏み台にしてでも、親から解放されたい
と願っている。「友」になるのは、むずかしいということです。

 無理難題を言うというのは、発達心理学の上で考えれば、幼児期の「人工論」が抜けき
っていないということになります。単純に考えれば、そういうことです。親に何かをして
ほしい。親なら、何とかできるはずだという幼稚性です。が、こうした幼稚性が見られる
ことは、この時期、珍しくありません。

 中には、ボケかかった母親を許せないで、毎日、その母親を叱っていた女性(60歳く
らい)もいました。子どもは、親が、いつも万能であることを求めるものです。が、どう
もそうではない……。それに気づく。今は、その混乱期にあると考えてあげてください。

 独立心と依存心。この2つが交互に顔を出し、子どもの心を混乱させます。

 で、親側のほうとしては、いろいろすべきことがあります。第一に、親子であることに
まつわる、幻想を捨てることです。いつか子どもが、自分のめんどうをみてくれるように
なるだろうとか、よき友として、自分を支えてくれるだろうとか、そういう期待はしない
こと。

 第二に、子どものことは忘れて、親は親で、自分のできなかったこと、したいこと、し
たかったことを追求します。子どもにかこつけて、自己犠牲心を売りつけても、意味はあ
りません。ないばかりか、子どもにとっては、それが負担になるだけです。子育てが終わ
ったとき、どっとやってくるのが、老後ですよ。あなたにも、もうそんなに長い時間は、
ないはずです。

 第三に、子どもは、『許して、忘れる』です。愛といいますが、愛ほど、実感しにくい感
情もありません。(別れたときとか、死別したときかなどに、実感する人もいますが……。)
いっしょに住んでいるなら、なおさらです。で、その愛は、「どこまで子どもを許し、どこ
まで子どもを忘れるか」、その深さが決まります。

 裏切られても、裏切られても、親は、子どもを信ずる。窓をあけて、子どもの帰りを待
つ。ふとんを暖めて待つ。その度量の深さ、です。それがつまるところ、「親の愛」という
ことになります。

 TKさんも、もう、親であることを忘れなさい。捨てなさい。親意識など、クソ食らえ
ですよ。もっと肩の力を抜いて、バカになればよいのです。バカな親になればよいのです。
そう考えると、ずっと気が楽になりますよ。

 ハハハ、俺はバカなおやじだからな。よろしくね、と。

 あなたが親だ、親だと、優越性を保っている間は、二男は、あなたに心を開くことはな
いでしょう。この問題は、一見、子どもの問題に見えるかもしれませんが、実は、あなた
自身の問題だということです。

 それにこのすばらしい時期は、あっという間に終わりますよ。すばらしい時期です。あ
なたもいつか、今のこの時期を思い出して、こう言うときがやってきます。「あのころは、
楽しかったな」と。

 が、それでももし、子育てに行き詰まりを覚えたら、二男が、幼児のころのアルバムを
見たらよいと思います。よくね、親が子どもを育てると言うでしょう。しかしあれは、ウ
ソ。子どもが親を育てているのです。育てているだけではない。生きがいを与えている!

 私も、息子たちがまだ小さいころは、家路につくのが、何よりも楽しみでした。自転車
のカゴの中には、おもちゃがいっぱい。毎晩、玄関を「ただいま!」と言ってくぐると、
息子たちが、「パパ、お帰り!」と言って、みな、抱きついてきました。

 それが生きがいで、私は、また、仕事に励んだものです。つまり私の息子たちが、私に
生きがいをくれたのです。親として、何を、それ以上、子どもたちに求めることができま
すか?

 あなたの二男は、すばらしい子どもですよ。記事を読んで、すなおにそう思いました。
今時の子どもは、みな、そうです。外からはわからないかもしれませんが、どの家庭でも、
子どもは、それくらいのわがままというか、無理難題を、親にふっかけていますよ。

 しかしそれも、もとは言えば、親の責任ですよね。幼いときから。したい放題のことを
させてきたのは、親ですから。いまさら「がまんしろ」と言うほうが、無理なのです。そ
ういえば、昨日も、あるゲーム機器が販売になりましたね。それを求めるために、おじい
ちゃん、おばあちゃんたちが寒空の下で立って待っていました。

 テレビのレポーターが「だれのために買うのですか?」と聞くと、みな、「孫のため」と
答えていましたよ。

 そういうことをしておきながら、今になって、「がまんしろ」とは?! いえTKさんが、
そうだったと言っているのではありません。多かれ少なかれ、私たちは、みな、子どもに
対して、そういうことをしてきたということです。

 二男の巣立ちは近いようですね。今は、そういう目で見てみたら、どうでしょうか。そ
して残り少ない時間を、どうやって、たがいに意義のあるものにするか、それを考えてみ
てください。あと3年で、あなたの子どもは、去っていきます。その3年など、またまた
あっという間に終わってしまいますよ。

 で、そのあとどっとやってくるのが、老後! 老後ですよ、あなたの!

 保証します。毎晩3キロもランニングする子どもは、絶対に、道を踏み外すような子ど
もにはなりません。安心して、子育てをつづけてください。そしてあなたの二男には、こ
う言います。「お前はすばらしい子だ」「自慢の子だ」と。

 私の好きなエッセーをここに添付しておきます。ぜひ、読んでみてください。中日新聞
に載せてもらったものの中でも、とくに反響の大きかった原稿です。

+++++++++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。

二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しば
らくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。
同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話
を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもとい
うよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。

うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落
ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近
は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれ
が皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、
その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労し
ているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 
(06−03−04)


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●キレる子ども

++++++++++++++++

キレる子どものキレ方には、いくつ
かの特徴がある。

M県に住む母親より、こんな相談が
あった。

「うちの子は、キレると、手に負え
なくなります。狂人のようになって
暴れます。どうしたらいいでしょう
か?」と。

子どもは、小学1年生の男児。

++++++++++++++++

 突発的に錯乱状態になり、激怒することを、「キレる」という。そのキレ方には、つぎの
ような特徴がみられる。

(1)原因不明(非刺激的刺激による激怒)
(2)目的不明(非生産的激怒)
(3)限界設定(一定限度内での激怒)

 わかりやすく言えば、ささいなことで、ふつうは理由とも言えないような理由を理由と
して、突然激怒する。激怒したからといって、どうなのだという目的がわからない。そし
て「それ以上したらおしまい」という限度ギリギリのところで、暴言を吐いたり、暴力を
振るったりするということ。

 似たような症状は、家庭内暴力と言われる暴力を、家人に向かってする子どもにも、見
られる。このタイプの子どもも、病的なほどまでに敏感に家人の心を読み取り、その限界
スレスレのところで、暴力行為を繰りかえす。

 ある女の子(年長児)は、母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と言っただけで、突
然、錯乱状態になった。近くにあった包丁を、母親に向かって投げつけたという。

 また別の男の子(小3)は、先生のデスクの前で、並んで立っているときに、突然、錯
乱状態になった。ギャーと大声を出して、暴れ、近くにあった机をひっくりかえしてしま
った。

 こうした子どもたちに共通して見られる症状としては、ふだんは、もの静かで、ものわ
かりのよい子どもといった印象を受けるということ。親や先生の指示に、従順に従う。し
かし自分から積極的に行動したり、自分の意思を明確に表示するということは、ない。ま
わりの人たち(親や教師)から見ると、「何を考えているかわからない子ども」といった印
象を与えることが多い。

 そこでその受けた印象のまま、つまり「ものわかりのいい子どもだ」という印象のまま、
あれこれ無理をすると、突然、キレる。それはあたかも内部にたまったガスの圧力が限界
点(臨界点)に達して、ものが爆発するさまに似ている。

 また先にも書いたように、何らかのキーワード、あるいはささいな雰囲気の変化が、引
き金となることが多い。それが何であるかについては、それぞれの子どもによって、千差
万別で、定型がない。別の子ども(年中男児)は、母親が拒絶的な態度を示しただけで、
錯乱状態になって暴れた。(ただしこの時期は、かんしゃく発作として、片づけられること
が多い。)

 このタイプの子どもの精神状態は、慢性的に緊張状態にあるとみる。つまり心を外の世
界に向かって、開くことができない。心を許して、ありのままの自分をさらけ出すことが
できない。その緊張状態のところへ、何かの不安や心配ごとが入りこむと、精神状態は、
一気に不安定になる。それがここでいう「キレる」という状態に結びつく。

 で、さらにその原因は何かというと、乳幼児期における、育児の失敗と考えてよい。親
子の間で、基本的な信頼関係そのものが、できあがっていない。ほとんどの親は、そうい
う現象的な結果だけをみて、「どうして?」「どうしたらいいの?」と悩むが、その原因は、
親自身にある。まず、それに気づくこと。

 このタイプの子どもは、先にも書いたように、外の世界では、「いい子」を演ずる。仮面
をかぶる。それは意識的なものというよりは、無意識的なもので、そうすることによって、
自分を自ら、外界の世界から守ろうとする。「いい子」でいれば、叱られたりすることもな
い。防衛機制のひとつと考えられる。

 では、そうするか?……という問題になるが、ここにも書いたように、この問題は、根
が深い。だからほとんどの子どもは、そうした(心の問題)、つまり(心を開けないという
問題)を、生涯にわたってもちつづけることになる。「三つ子の魂、百まで」というよりは、
「0歳児の魂、百まで」というほうが、正しい。

 したがって対処法は、限られてくる。

(1)その問題には触れない。とくにキーワードに反応するときは、そのキーワードには、
触れない。
(2)スキンシップを濃密にし、親子の心の交流を、緊密にする。その時期は早ければ早
いほど、よい。拒否的態度、否定的な育児姿勢は、禁物。
(3)心の緊張感をほぐすためには、日常的に、ひとり、ぼんやりできるような時間をふ
やしてやるのがよい。時間きざみ、分きざみの、こまかいスケジュールなどは、用意しな
い。学校(幼稚園)から帰ってきたあとは、のんびりさせる。このタイプの子どもは、外
の世界では、「いい子」を演ずる。その分だけ、気疲れを起こしやすい。
(4)CA、MG、Kの多い、つまり海産物を中心とした食生活に切りかえる。白砂糖の
多い食品や、燐酸食品類は、避ける。

 で、ひとたびキレたあとは、幼い子どもであれば、抱きかかえるようにして、その衝動
的な怒りが消えるまで、待つ。この段階で、はげしく叱ったり、威圧してはいけない。そ
れを繰りかえすと、ますます症状が悪化し、やがて、親や教師の手に負えなくなる。だか
らできるだけ初期の段階で、親は、自分の子育ての失敗をすなおに認め、それ以上、症状
を悪化させないことだけを考えて対処する。

 この問題は、症状をこじらせればこじらすほど、長引くが、適切な対処を繰りかえせば、
思春期が終わることには、外からはわかりにくくなり、子どもは、そのまま落ちついてい
く。決して今の状態を最悪とか、一生つづくと考えて悲観してはいけない。

 キレたとき、暴れまわって手に負えなくなったようなケースについては、また別のとこ
ろで考える。
(はやし浩司 キレる子ども 錯乱状態 突発的に激怒する子供)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ハードディスクの交換

+++++++++++++++

ハードディスクの交換をすること
にした。

5年間、愛用したパソコンだが、
このところ、急に、動きがおか
しくなってきた。

ディスク・スキャンをすると、
BADクラスターの表示も出る。

こうなったら、ハードディスク
の交換しかない!

+++++++++++++++

 私は、ウィルス対策の一つとして、使用目的別に、パソコンを使い分けている。(1)文
書作成用と、(2)インターネット用、それに(3)HP制作用の、3つである。ほかに、
2台のパソコンを使っている。

 そのうちの文書作成用のパソコンが、このところ、急に動きがおかしくなってきた。メ
ーカーに問い合わせると、「物理的な故障が考えられる」とのこと。つまりハードディスク
の故障。

 ハードディスクにも寿命というのがあるらしい。パソコンの部品の中でも、このハード
ディスクだけは、円盤(ディスク)の上を、針でこすりながら作動する。わかりやすくい
えば、レコードを針でこすりながら、音を鳴らすようなもの。長く使っていると、当然、
たがいに摩滅したりして、故障する。

 で、今、この文章を書いている横で、そのハードディスクの交換が、静かに進行してい
る。パソコン内部のハードディスクを、外付けのハードディスクに、コピーしているとこ
ろ。1時間半ほど前に始めたが、まだあと1時間半ほど、かかる。

 それが終わったら、外付けのハードディスクを、パソコン内部に付けかえる。

 こういった作業はめんどうなものだが、それが結構、楽しい。(そうでない人には、そう
でないかもしれないが……。)ワイフは、「(パソコンの世界は)奥が深いわね」と言うが、
この世界は、まさに日進月歩。こちらが追いつく前に、さらに先に進んでしまう。

 で、プロの人たちは、自分でパソコンを組み立てるという。私も、もう少し自由な時間
があれば、それをしてみたい。が、その時間が、ない。が、方法はないわけではない。自
分で好きなパーツを選んで、組み立ててもらうという方法がある。雑誌などには、そうい
う会社が、いくつか紹介されている。

 そういう方法でパソコンを買うと、同じような性能のものでも、店に並ぶメーカー品よ
り、3〜4割は安く手に入る。少し前までは、品質的に不安な部分もあったが、今は、そ
うではない。メーカー品と同等か、それ以上のものが、手に入る。(メーカー品には、ムダ
な付属品が、多すぎる! それで値段が高くなる。ホント!)

 ……今、コピー状況をみると、「残り時間、1時間21分」と表示されている。結構、待
たされる。もっとも私にとっては、パソコンというのは、ボケ防止のための玩具のような
もの。パソコン相手に、悪戦苦闘するところに、意味がある。それに一つの問題をクリア
したときに感ずる、あの快感がたまらない。

 古いパソコンだが、あとは、メモリーをふやせば、5年は、若返る。楽しみだ! そう
そう、昨日、年長児のクラスで、こんなことがあった。


Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司


●講演会の感想から

2月24日、引佐町で子育てについて、講演をさせていただきました。その主宰者のNさ
んより、講演の感想を届けてもらいましたので、そのまま紹介させていただきます。たい
へんうれしかったです。

++++++++++++++++++++

5.講演会の感想 
  項         率(%)
大変良かった        76.9%
良かった          19.2%
普通             3.9%

+++++++++++++++++++++
 

●今日からでも実行できることを教えていただき為になりました。

●自分の日頃している行動の大切さを思い知らされたように思う。子供を、尊敬して見ら

れるようにしたい。

●今回は、とても良い話を聞けました。(自分の過去を見つめる)という話を聞いた時、ド
キッとしました。何だか自分を見つめ直すよい機会でもあったと思います。この言葉
を忘れずに、自分の悪い部分を今から少しでも直していき、子育てができたらいいと思い
ました。

●自分の子供を信頼できているか、ちゃんと子供に子育ての見本を示せているか考えさせ
られた。反省させられた。自分が誠実にルールを守るようにまずしたい。


●経験に基づいた専門的なお話が聞けて良かったです。頂いた本をじっくり読みたいです。

●子供について、いつも信頼しあえる関係をつくっていきたいと感じました。親が見本な

のだということを自覚して行動したいと思います。

●自分自身を見つめ直すよい機会になりました。事例を出してのお話、とてもわかりやす
かったです。

●毎日子育てに精一杯でしたが、託児もお願いして会に参加できて良かったです。

●今まで気がつかなかったようなルール違反を少しづつでも気がついて、善人になってい
かないといけないと思いました。

●子供を信頼していないわけではないけど、他人に言われるとゆらいでしまう。でも、親
子関係の為にもきっとできるようになると思えるようになりました。子供の目標を応援し
てあげられるようになりたい。

●楽しく、厳しく聞かせていただきました。

●親子の信頼関係といろいろで、改めて考えさせてもらった。気づきがありました。

●とても良いお話で、また話を聞きたいです。

●赤ちゃん返りの事や他にも色々自分のことを言われているようで、とても身にしみた。

●子育てを見つめ直すというより、自分自身の日々の生活習慣を見つめ直す良いきっかけ
になりました。

●詳しく内容が聞けて良かった。全部聞きたかった。

●子供と信頼関係を大事にしたいと思った。

●ルールを守るって大切なことなんだと改めて感じ、自分の生活を振り返りちょっと安心
しました。でも、シャドウ部分は気になります。口には出さねど、過去のトラウマがあることはあ
るので。

●ハッとする内容で、今までを反省することばかりです。あっという間の90分で、もっ
と聞きたかったです。

●エネルギッシュで、おもしろい話でした。

●日々の生活の中で考えさせられることばかりのお話でした。

●とても良い講演で、子育て支援をしていく上でもとても参考になりました。

●子育て教育は親の教育。

●わかりやすいお話とても良かったです。

●講演会またやってください。大変ためになります。
●軽に子供同士が遊べる空間を是非、設立していただければと希望しています。

●託児があるので講演に出席できました。少しでも子供のため、子育てのポイントが聞く

ことができて良かったです。

Hiroshi Hayashi++++++++++.Mar.06+++++++++++はやし浩司

●2006 WORLD BASEBALL CLASSIC(WBC)アジアラウンド

++++++++++++++++++++++++++

2006年、ワールド・ベイスボール・クラシックスが
開幕した。

私は、その実況中継を、コタツの中で寝そべりながら見た。
が、心は上の空……。私は、その試合を見ながら、35年
前の私を思い出していた。

+++++++++++++++++++++++++++

 2006・WORLD・BASEBALL・CLASSIC(WBC)アジアラウンド
という、国際野球大会が、今日から始まった。日本の初戦相手は、中国。そして今夜(3
月3日)、日本は、中国に、18対2という、何というか、草野球のような得点で、勝った。
勝ったというより、試合にならない試合だった。そのため、どこか白けた。気が乗らなか
った。

 私は、その野球中継を、ぼんやりと見ながら、ちょうど35年前の自分を思い出してい
た。1971年の夏のことだった。

 当時、日本の経済界を牛耳っていた経済人に、今里H氏という人がいた。戦後の日ソ貿
易の立役者となって活躍した、大人物である。その今里氏が、友人の秋元氏に、こんな依
頼というより、命令をくだした。

 「1972年の札幌冬季オリンピックのあとに、何かしたい。その企画を立てろ」と。
秋元氏は、私の1年先輩。私は秋元氏のあとに、同じ奨学金を得て、オーストラリアへ渡
った。「予算は、いくらでも出す。心配するな」とも。

 今里氏と秋元氏の関係は、今里氏がオーストラリアへ行った際、その今里氏の通訳をし
たのが、きっかけだったと聞いている。

 そこで秋元氏は、私に声をかけてくれた。私は、P・ランダンという友人を連れて、秋元
氏に合流した。P・ランダンは、オーストラリア留学時代の、私の友人であった。そのとき
ランダンは、私のあとを追いかけるように、東京へ来ていた。

 秋元氏の構想は、国際博覧会としても、壮大なものだった。秋元氏は、「牧畜オリンピッ
クをやろう」と言った。

 当時、(今でもあると思うが)、2年に1度、つまり1年おきに、アメリカでは、全米で
競う、「牧畜オリンピック」のようなものを開いていた。あらゆる家畜が、品種を競うとい
う、オリンピックである。そこにはありとあらゆる種類の家畜が集まる。正式の名前は忘
れたが、私たちは勝手に、「牧畜オリンピック」と呼んでいた。秋元氏は、その間の年に、
それを日本で開くことを計画した。

 秋元氏は、すぐアメリカへ飛んだ。私とランダンは、日本での候補地をさがした。間に、
TFという、プロの企画会社が入ってきた。社員は20人前後。社長はY氏という、30
代半ばの男だった。

 その企画会社は、北海道の函館近くの、「S」という日本最大の牧場を選んだ。私たちは、
浜松を選んだ。浜松には、中田島砂丘という砂丘がある。その砂丘の手前は、広い砂地の
空き地になっていた。

 私は、何度も、東京と浜松の間を、行き来した。その間、ランダンは、東京に残り、英
語の案内書や依頼書の作成をした。

 今里氏は、約束どおり、惜しみなく予算を提供してくれた。が、その年の秋、突然、日
本を第一回目のニクソン・ショックが襲った。アメリカのニクソン大統領が、金とドルの
交換を一方的に停止してしまった。とたん、今里氏は、「金が出せなくなった」と言った。
計画は、そのまま、宙に浮いてしまった。

 秋元氏はそのままアメリカに残り、ランダン氏は、そのあとまもなくオーストラリアに
もどった。私は、行く場所もなく、この浜松に残った。

 よく人は、私に聞く。「どうして浜松に来たのか」と。実は、これが私が浜松に来た、理
由である。

 で、なぜ、35年前の私を思い出したか? 私は、その実況中継を見ながら、その背後
で動いたであろう、企画会社を見たからである。さらにその背後で動いたであろう、企画
屋を見たからである。

 正義や倫理などというものは、ない。要するに、金を動かし、人を動かし、ときには、
国を動かし、自分たちの利益に、それを結びつけていく。

 「サッカーに負けてはいけません。野球でも、国際大会をしましょう」
 「そうだな、国際大会だ。ワールドカップ方式でいいだろう。で、だれを動かす?」
 「当然、ミスターNですよ。O監督がのってくれば、さらにいい」
 「アメリカから、イチRーも呼びますか?」
 「そうだな。すぐ打診してみろ!」と。

 こういう会話が、どこかで必ず、あったはず。そして今回の、WBC(2006 WO
RLD BASEBALL CLASSIC)へとつながった(?)。

 たぶん観客たちには、それがわからないだろう。わかる必要もない。こうした超大型の
プロジェクトが企画にのり、実行に移される過程には、必ず、これまた超大物の経済人が
いる。そういう経済人が、陰で、若い人や、企画会社を操る。企画屋を操る。しかし経済
人が本当に操るのは、観客という、一般人である。

 野球中継の合間、合間には、スタンドで声援を送るファンたちの表情が写しだされた。
どの人も、明るく、さわやかな顔をしていた。中にはコスチュームをそろえて、いっしょ
に踊っている女性たちもいた。

 しかしそのうちのだれが、「操られている」と思ったであろうか。だれしも、自分の意思
で、自分の考えで、日本のチームを応援していると思っていたにちがいない。事実、そう
いう部分がないわけではない。だから、私は何も、そうしたファンの気持ちに、水をさす
つもりは、ない。野球試合は、あくまでも興行。娯楽。みなが、楽しめば、それでよい。

 しかし私は若いときに、そういう企画の裏の裏まで見てしまった。そして同時に、いや
というほど、挫折感も味わった。だからその野球中継を見ながら、一歩退いたところで、
私は、さらに白けてしまった。少なくとも、サッカーのワールドカップの試合で感ずるよ
うな、純粋さを感ずることはなかった。心を白紙にして、応援するということが、どうし
てもできなかった。

 「プロ野球業界も、金儲けのために、あの手、この手といろいろ考えるものだ」と。

 で、こうして私は、この浜松に居ついてしまった。東京へもどる気は起こらなかった。
そのあとのことは、また別の機会に書くことにして、ここに書いた、秋元氏は、そのあと、
外資系企業を渡り歩き、日本M社の副社長をしていたときには、販売促進のために、あの
マイケル・ジャクソンを日本に呼んできた。現在も世界を代表する、ある化粧品メーカー
の日本支社長をしている。

 また、P・ランダン氏は、その後、宝石の加工、輸出会社をおこし、全オーストラリアで
ナンバーワンの宝石会社として、表彰されるにいたった。ともに40代そこそこの年齢の
ときである。

 あのころの経験が、決してムダではなかったということか?

 WBCが、国際大会として根づくかどうか。それはこれからの課題だろう。オリンピッ
クの正式競技からはずされて、その影がやや薄くなった。ただここで言えることは、金儲
けの臭いがプンプンするような大会では、決して長つづきはしないだろうということ。観
客だって、そうはバカではない。「だれかに操られている」と感じたとき、観客は去ってい
く。

 企画会社や企画屋の腕の見せどころは、これからというところか。

【補記】

 インターネットで検索してみたら、函館の「S」という牧場は、今でも健在のようだ。
私と同じ年齢の若い男がいたが、今ごろは、どうしているのだろう。一度、会ってみたい
気がする。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 5日(No.709)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page017.html


+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●作文指導

+++++++++++++++++

入学試験では、年を追うごとに、
作文テストが重要視されるように
なってきている。

入学試験に迎合するわけではないが、
作文は、(思考)の基礎。基本。

今さら作文の重要さを説明するまでも
ない。

で、現在、私の教室でも、今、その作文指導に
力を入れている。

方法としては、

(1)作文の筆写(いろいろな作家の文章を筆写させる)
(2)作文の補充(作文の骨格を与えながら、内容を補充させる)
(3)作文というステップを踏む。

こうした指導を1〜2か月サイクルで、
繰りかえす。

 今日は、ステップ(2)の
作文の補充という指導をする。

これは基本的な書き方は、私の
ほうで用意し、残りの部分を、
子どもに補充させるというもの。

具体的には、※※※の部分を、子ども
自身に書かせる。

みなさんのご家庭でも、役立つよう
であれば、利用してほしい。

+++++++++++++++++

【テスト1】

●あなたはみんなと、映画をつくることになりました。あなたならどんな映画を作ります
か。映画を通して、あなたが伝えたいことや、ストーリーの内容が、よくわかるように、
書いてください。

+++++++以下、筆写させながら※部を、補充させる++++++++

 私は子どものころから、※※※の話しが、大好きです。よく読んだ本に※※※がありま
す。もしみんなで映画を作ることになれば、その※※※の話しをみんなにしてみたいと思
います。みんながそれでいいと言うなら、私は、こんな映画を作ってみたいです。
 まず主人公は※※※にします。※※※で、※※※な人です。その人を中心に、物語が展
開します。ほかに中心となる登場人物は、※※※と※※※です。
 最初の場面は、※※※です。主人公の※※※が、仲間の※※※たちと、※※※をしてい
るところから物語が始まります。
 が、その※※※が住んでいる※※※には、※※※という、どこか意地悪で、さみしがり
屋の※※※がいます。この※※※は、本当は心のやさしい人ですが、みんなに誤解されて
いるうちに、悪い人ということになってしまいました。
 そこで主人公の※※※は、何とか、その※※※を自分たちの仲間にしようと努力します。
が、そうすればするほど、※※※は、その反対のことをしてしまいます。ときには、仲間
のみんなとけんかをし、仲間にけがをさせてしまうこともあります。
 が、ある日のこと。みんなが川で遊んでいると、仲間の1人が、※※※してしまいます。
それを見ていてみんなが、あわてていると、その※※※が、※※※をして、その仲間の1
人を助けてくれます。
 それを見て、仲間たちは、※※※を見なおします。「君は、すごい勇気のある人だったの
ね」と。
 映画ですから、こうしたみんなの心の動きを、表情や態度、ジェスチャでわかるように
したいです。見終わったあと、みながほっとするような映画を作ってみたいです。


++++++++++++++++++++++

【テスト2】

●あなたは中学生になったら、どんなことをしたいですか。あるいはどんな夢や希望をも
っていますか。具体的に、それがわかるように、書いてください。

+++++++以下、筆写させながら※部を、補充させる++++++++

 私は小さいときから、ずっと、※※※をしてきました。今もしています。で、中学生に
なったら、さらに※※※でがんばってみたいです。
 とくに私がしたいのは、※※※です。小学生のときとちがって、中学生になれば、仲間
もふえます。そういう仲間といっしょに、みんなで励ましあいながら※※※したいです。
 たとえば、中学生になれば、※※※など、ひとりでできるようなこともあります。今ま
では、「子どもだから……。」と言われて、それができませんでした。私は、それができる
ようになることを、楽しみにしています。
 ほかに、中学生になったら、※※※や、※※※などもしてみたいです。今、友だちと、「中
学生になったら、いっしょに※※※しようね。」と、そんな約束をしています。
 が、その分だけ、責任も大きくなるのかもしれません。今までは、「子どもだから……。」
と、逃げることもできましたが、これからはそうはいきません。中学生というと、おとな
という感じがします。
 そこで中学生になったら、つぎのようなことにも気をつけたいと思います。
一、※※※
二、※※※
三、※※※
 ほかにもいろいろありますが、いちばん大切なことは、※※※ではないかと思います。
不安になることや心配なことがないと言えば、うそになりますが、私は私なりに※※※。
 しっかりとした目的をもって、充実した中学生生活を送りたいと考えています。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【子どもの自慰】

++++++++++++++++++

ヤフーやグーグルの検索を使うと、
必要な情報が、瞬時に手に入る。

一方、私のHPでは、どんな言葉を
検索して、私のHPへやってきたかが
わかるしくみになっている。

「はやし浩司」「はやしひろし」などが
圧倒的に多いが、最近、目だつのが、
「子どもの自慰」。

検索エンジンを使って、どこかのだれかが、
「自慰」「子供の自慰」を調べているらしい。

++++++++++++++++++

●自慰

 子どものばあい、慢性的な欲求不満状態がつづいたり、慢性的な緊張感がつづいたりす
ると、何らかの快感を得ることによって、それを代償的にまぎらわそうとする。代表的な
ものとして、指しゃぶり、髪いじり、鼻くそほりなどがある。

 毛布やボタンなどが手放せない子どももいる。指先で感ずる快感を得るためである。が、
自慰にまさる、快感はない。男児というより、女児に多い。このタイプの女児は、人目を
気にすることなく、陰部を、ソファの角に押し当てたり、直接手でいじったりする。

 そこでこういう代償的行為が見られたら、その行為そのものを禁止するのではなく、そ
の奥底に潜む原因、つまり何が、慢性的な欲求不満状態なのか、あるいはなぜ子どもの心
が緊張状態にあるかをさぐる。そのほとんどは、愛情不足もしくは、愛情に対する飢餓感
とみてよい。

 で、フロイトによれば、人間の行動の原点にある、性欲動という精神的エネルギー(リ
ビドー)は、年齢に応じて、体のある特定の部分に、局在するという。そしてその局在す
る部分に応じて、(1)口唇期(生後〜18か月)、(2)肛門期(1〜3歳)、(3)男根期
(3〜6歳)、(4)潜伏期(6〜12歳)、(5)性器期(12歳〜思春期)というように、
段階的に発達するという。

 が、それぞれの段階に応じて、その精神的エネルギーがじょうずに解消されていかない
と、その子ども(おとな)は、それぞれ特有の問題を引きおこすとされる。こうした状態
を「固着」という。

 たとえば口唇期で固着を起こし、じょうずに精神的エネルギーを解消できないと、口唇
愛的性格、たとえば依存的、服従的、受動的な性格になるとされる。肛門期で固着を起こ
し、じょうずに精神的エネルギーを解消できないと、肛門愛的性格、たとえば、まじめ、
頑固、けち、倹約的といった性格になるとされる(参考、「心理学用語」渋谷昌三ほか)。
 
●代償行為

 男根期の固着と、代償行為としての自慰行為は、どこか似ている。つまり男根期におけ
る性的欲望の不完全燃焼が、自慰行為の引き金を引く。そういうふうに、考えられなくも
ない。少なくとも、その間を分けるのは、むずかしい。

 たとえばたいへん強圧的な過程環境で育った子どもというのは、見た目には、おとなし
くなる。まわりの人たちからは、従順で、いい子(?)という評価を受けやすい。(反対に、
きわめて反抗的になり、見た感じでも粗雑化する子どもも、いる。よくある例は、上の兄
(姉)が、ここでいう、いい子(?)になり、下の弟(妹)が、粗雑化するケース。同じ
環境であるにもかかわらず、一見、正反対の子どもになるのは、子ども自身がもつ生命力
のちがいによる。強圧的な威圧感にやりこめられてしまった子どもと、それをたくましく
はね返した子どものちがいと考えると、わかりやすい。)

 しかしその分だけ、どちらにせよ、コア・アイデンテティの発達が遅れ、個人化が遅れ
る。わかりやすく言えば、人格の(核)形成が遅れる。教える側からみると、何を考えて
いるかわかりにくい子どもということになる。が、それではすまない。

 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして、成長する。
このタイプの子どもは、反抗期にしても、反抗らしい反抗をしないまま、つぎのステップ
に進んでしまう。

 親によっては、そういう子どもほど、いい子(?)というレッテルを張ってしまう。そ
してその返す刀で、反抗的な子どもを、できの悪い子として、排斥してしまう。近所にそ
ういう子どもがいたりすると、「あの子とは遊んではダメ」と、遠ざけてしまう。

 こうした親のもつ子ども観が、その子どもを、ますますひ弱で、軟弱にしてしまう。中
には、自分の子どもをそういう子どもにしながら、「うちの息子ほど、できのいい息子はい
ない」と公言している親さえいた。

 しかし問題は、そのあとにやってくる。何割のかの子どもは、そのまま、生涯にわたっ
て、ひ弱で、軟弱なまま、陰に隠れた人生を送ることになる。しかし大半の子どもは、た
まったツケをどっと払うかのように、さまざまな問題を起こすようになる。はげしい反抗
となって現れるケースも多い。ふつうの反抗ではない。それこそ、親に対して、包丁を投
げつけるような反抗を、繰りかえす。

 親は、「どうしてエ〜?」「小さいころは、あんないい子だったのにイ〜!」と悲鳴をあ
げる。しかし子どもの成長としては、むしろそのほうが望ましい。脱ぎ方に問題があると
しても、そういう形で、子どもはカラを脱ごうとする。その時期は、早ければ早いほどよ
い。

 反抗をしないならしないで、子どもの心は、大きく歪(ひず)む。世間を騒がすような
凶悪事件を起こした子どもについて、よく、近所に住む人たちが、「どちらかというと目立
たない、静かな、いい子でしたが……」と言うことがある。見た目にはそうかもしれない
が、心の奥は、そうではなかったということになる。

●神経症

 話が大きく脱線したが、子ども自慰を考えるときは、こうした大きな視点からものを考
える必要がある。多くの親たちは、そうした理解もないまま、娘が自慰らしきことをする
と父親が、息子が自慰らしきことをすると母親が、あわてる。心配する。「今から、こんな
ことに興味があるようでは、この先、どうなる!」「この先が、思いやられる」と。

 しかしその原因は、ここに書いてきたように、もっと別のところにある。幼児のばあい、
性的好奇心がその背景にあると考えるのは、まちがい。快感によって、脳内ホルモン(エ
ンケファリン系、エンドルフィン系)の分泌をうながし、脳内に蓄積された緊張感を緩和
しようとすると考えるのが正しい。

 おとなでも、緊張感をほぐすため、自慰(オナニーやマスターベーション)をすること
がある。

 だからもし子どもにそういう行為が見られたら、その行為そのものを問題にするのでは
なく、なぜ、その子どもがそういう行為をするのか、その背景をさぐるのがよい。もっと
はっきり言えば、子どもの自慰は、神経症、もしくは心身症のひとつとして対処する。

 自慰を禁止したり、抑えこんだりすれば、その歪みは、また別のところに現れる。たと
えば指しゃぶりを、きびしく禁止したりすると、チックが始まったり、夜尿症になったり
する。そういうケースは、たいへん多い。

 そういう意味でも、『子どもの心は風船玉』と覚えておくとよい、どこかで圧力を加える
と、その圧力は、別のところで、べつの歪みとなって現れる。

 子どもの自慰、もしくは自慰的行為については、暖かく無視する。それを強く叱ったり
すると、今度は、「性」に対して、歪んだ意識をもつようになることもある。罪悪感や陰湿
感をもつこともある。この時期に、一度、そういう歪んだ意識をもつようになると、それ
を是正すのも、これまたたいへんな作業となる。
(はやし浩司 自慰 子供の自慰 オナニー 神経症 心身症 子どもの自慰)
(はやし浩司 固着 口唇期 肛門期 男根期 子供の心理 心の歪み)

【補足】

 歪んだ性意識がどういうものであるか。恐らく、……というより、日本人のほとんどは、
気づいていないのではないか。私自身も、歪んだ性意識をもっている。あなたも、みんな、
だ。

 こうした性意識というのは、日本の外から日本人を見てはじめて、それだとわかる。た
とえば最近でも、こんなことがあった。

 私の家にホームステイしたオーストラリア人夫婦が、日本のどこかへ旅行をしてきた。
その旅先でのこと。どこかの旅館に泊まったらしい。その旅館について、友人の妻たち(2
人)は、こう言った。「混浴の風呂に入ってきた」と。
 
 さりげなく、堂々と、そう言う。で、私のほうが驚いて、「へえ、そんなこと、よくでき
ましたね。恥ずかしくありませんでしたか」と聞くと、反対に質問をされてしまった。「ヒ
ロシ、どうして恥ずかしがらねばならないの」と。

 フィンランドでは、男も女も、老いも若きも、サウナ風呂に入るのは、みな、混浴だと
いう。たまたまそのオーストラリア夫婦の娘の1人が、建築学の勉強で、そのフィンラン
ドに留学していた。「娘も、毎日、サウナ風呂を楽しんでいる」と。

 こうした意識というのは、日本に生まれ育った日本人には、想像もつかないものといっ
てもよい。が、反対に、イスラムの国から来た人にとっては、日本の女性たちの服装は、
想像もつかないものらしい。とくに、タバコを吸う女性は、想像もつかないらしい。(タバ
コと性意識とは関係ないが……。)

 タバコを吸っている若い女性を見ると、パキスタン人にせよ、トルコ人にせよ、みな、
目を白黒させて驚く。いわんや、肌を露出して歩く女性をや!

 性意識というのは、そういうもの。私たちがもっている性意識というのは、この国の中
で、この国の常識として作られたものである。で、その常識が、本当に常識であるかとい
うことになると、そのほとんどは、疑ってかかってみてよい。

 だいたいにおいて、男と女が、こうまで区別され、差別される国は、そうはない。今度
の女性天皇の問題にしても、そうだ。そうした区別や差別が、世界の常識ではないという
こと。「伝統」という言葉で、ごまかすことは許されない。まず、日本人の私たちが、それ
を知るべきではないだろうか。

 こう考えていくと、自慰の問題など、何でもない。指しゃぶりや髪いじりと、どこもち
がわない。たまたまいじる場所が、性器という部分であるために、問題となるだけ。……
なりやすいだけ。そういうふうに考えて、対処する。
(はやし浩司 自慰 子供の自慰 自慰行為 オナニー)

 
Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●虚栄的補償

+++++++++

虚飾で自分を包み、
虚栄を張る人は、
少なくない。

+++++++++

 人は、何か、自分に弱点や欠点があると、その弱点や欠点を何らかの形で、補おうとす
る。心理学の世界では、それを「補償」という言葉を使って、説明する。

 その補償には、大きくわけて(1)意識的にするものと、(2)無意識のままするものが
ある。意識的にするものの代表に、克服的補償、代用的補償、みせかけ補償、それに虚栄
的補償がある。

 たとえば勉強ができなくてバカにされた男の子が、猛勉強をして勉強ができるようにな
るのが、克服的補償。

 同じように勉強ができなくて、みなにバカにされた男の子が、スポーツ面でがんばり、
目だった活躍をするようになるのが、代用的補償。

 目だたない女の子が、流行を追いかけたり、有名なアイドルのまねをして、そのアイド
ルになったように振る舞うのを、みせかけ補償。
 
 そして自分の体を虚飾で包み、虚栄を張るのが、虚栄的補償という。自分の実家を、名
家と人に自慢してみせたり、知名人とだけ交際してみせるのが、それ。私の知人にも、そ
ういう人が何人か、いる。

 Yさん(60歳・女性)も、その1人である。

 Yさんは、ことあるごとに、「T家」という名前を口にした。T家というのは、彼女の夫
の名前である。「T家の人たちは……」「T家では……」と。

 話だけを聞いていると、T家というのは、ものすごい家のように思ってしまう。「T家の
先祖は、旧S藩の家老をしていました」と言ったこともある。

 そして自分は、これこれこういう人たちと親交があると、会う人ごとに自慢していた。
H市内でもよく知られた、○○会社の社長の妻や、○○大学の教授の妻など。さりげなく
口にするのが、特徴である。

 「先日も、○○さん、ほら、今、手広く仕事をなさっておられる、あの○○さんね。あ
の人の奥様から買い物に誘われましたの……」と。

 Yさん自身も、H市内から、車で1時間ほどのところにある、旧家の出身であった。江
戸時代には、庄屋をしていたという。しかし戦後の農地解放で土地の大半を失ってからは、
それ以前の羽振りのよさは消えた。実家を預かっていた実兄が、多額の借金をかかえ、自
己破産したこともあった。

 Yさんは、もともとは勝気な人だったようだ。そにため、かわりに夫の実家を自慢する
ようになった。しかし夫自身は、ごく平均的なサラリーマンにすぎなかった。Yさんは、
ますます虚栄を張るようになった。

 ……というような例は、多い。

 つまりYさんは、実家へのコンプレックス(劣等感)を、夫の実家をことさら虚飾で包
むことによって、補償していたことになる。

 が、補償は悪いことばかりではない。克服的補償にしても、代用的補償にしても、その
人自身を、別の面で伸ばす原動力になることがある。今は有名になったスポーツ選手の中
にも、その補償によって、そこまでの人物のなったと思われる人は、少なくない。

 みせかけ補償や虚栄的補償にしても、そういう形で、その人は自分を支えている。もし
その人から、みせかけ補償や虚栄的補償を取りのぞいてしまったら、その人は、生きる力
そのものをなくしてしまうかもしれない。その人はその人で、そうであることを、生きが
いにしている。

 しかしあえていうなら、人は、(子どもも)、補償という形ではなく、すなおな形で、あ
るがままに生きたい。またあるがままに生きるための、実力というか、目的をもちたい。
だれにも、弱点や欠点はあるものだが、それはそれとして、あまり気にしないで生きたい。

 というのも、こうした補償というのは、別のところで、その人の心を歪(ゆが)めるこ
とが多いからである。ときに卑屈になったり、ときに過激になったりしやすい。たとえば
毎朝5時とか6時に起きて、バットの素振り練習をしていた男の子(中学生)がいた。夜
は夜で、9時、10時まで、バッティングの練習をしていた。

 「将来はプロ野球の選手になるためだ」と、その子どもは言っていたが、そこまで自虐
的になると、痛々しささえ感ずる。涙ぐましい努力というよりは、自分を痛めているだけ。
「何も、そこまでしなくても……」と、そんなふうに思ってしまう。

 その男の子のケースでも、「ほかでは目立たないから……」というのが、原動力になって
いた。

 こうした補償は、多かれ少なかれ、だれにでもある。私にもあるし、あなたにもある。
そこで大切なことは、自分にとって、弱点や欠点が何であるかを、まず知ること。そして
その弱点や欠点を補償するために、自分は何をしているかを知ること。

 先にも書いたように、補償には、意識的にするものと、無意識のままするものとがある。
意識的にするものについてはわかりやすいが、無意識のままするものについては、わかり
にくい。無意識のままする補償には、空想的補償(おとぎ話のような世界に自分を押しこ
んでしまい、現実離れしたものの考え方をする)、暴発的補償(暴言や暴力を、当たり構わ
ずはいたり、振るったりする。みなに恐怖心を与えることで、自分の存在感を示す)など
がある。

 わかりやすく言えば、ここでいう補償というのは、いわば心がまとった仮面のようなも
の。一度はその仮面をぬがなければ、本当の自分を知ることはない。これは「私は私らし
く」という生き方を貫くためには、MUST(=必要不可欠なこと)と考えてよい。

 ここに書いたYさんの例を見るまでもなく、虚飾と虚栄に生きるということは、それだ
けも自分の人生をムダにすることになる。
(はやし浩司 補償 虚栄的補償 みせかけ補償 代用的補償 克服的補償 はやし浩司 
弱点 欠点 コンプレックス)


Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司

●人間関係

+++++++++++++++++

1人の人と、1つの人間関係ができあ
がるまでには、いくつかのプロセスが
ある。

出会い→観察→近接→親近感→
時間的熟成→衝突と和解→信頼関係の
熟成→人間関係、と。

一朝一夕にできあがるものではない。

+++++++++++++++++

 1人の人と、1つの人間関係ができあがるまでには、若い男女がよく見せる、電撃的な
恋愛で始まるような関係は別として、いくつかのプロセス(段階)がある。決して一朝一
夕に、できあがるものではない。

(1)出会い(どこで出会うか)
(2)相互観察(たがいに観察する)
(3)近接(近づく)
(4)親近感の表現(気持ちの表現)
(5)時間的熟成(相互に親近感を表現しあう)
(6)衝突と和解(対立と融和)
(7)信頼関係の熟成(たがいに疑うことのない関係)
(8)人間関係(夫婦関係)

 他人のばあいは、この中でも、(5)の時間的熟成が重要である。1年や2年では、足り
ない。私も若いころ、相手を早々と信用しすぎたため、よく失敗した。時間的熟成

 もちろんその反対の例もある。

 たとえばよく誤解されるが、血のつながりがあるから……というだけでは、こうした人
間関係はできない。むしろ、時間的推移の中で、破壊されていくケースのほうが、多い。
同じ兄弟、姉妹でも、他人以上に他人のようになってしまった例は、いくらでもある。

 また(血のつながり)に甘えて、それだけをもって、相手をしばったり、相手に自分の
考えを押しつけるのも正しくない。押しつけるほうは、その人の勝手かもしれないが、押
しつけられるほうは、たまったものではない。ときに、「もう、いいかげんにしてくれ!」
と叫びたくなることもある。

 夫婦の関係も、同じように考えることができる。が、その中でもとくに重要なのが、(7)
の信頼関係の熟成ではないか。「どんなことがあっても、裏切られない」「どんなことがあ
っても裏切らない」という確固たる基盤があって、信頼関係は、その上にできあがる。

 それは絶対的なものであって、この絶対性が失われた状態では、信頼関係は、成りたた
ない。「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味である。しかもその信頼関
係は、10年とか20年とかいう年月を経て、はじめてできあがる。1年や2年、あるい
はその程度で、できると考えているとしたら、それは(まやかしの信頼関係)と断言して
よい。

 よい例が、若い人たちの会話。

女「私を信じて」
男「俺は、お前を信じているからな」と。

 たがいに信じていないから、そういう会話をする。たがいに信じていたら、「信ずる」「信
じて」という言葉すら、出てこない。

 が、その人間関係は、自然にできあがるものではない。そこには苦労と努力がともなう。
たとえて言うなら、人間関係は、芸術作品のようなもの。どんな芸術作品になるかは、そ
の人の苦労と努力による。毎日たがいに遊びほけながら、楽しい生活をしているからとい
って、人間関係ができあがるものではない。いわんや、悪事をいっしょに働いたからとい
って、できあがるものではない。

 よい例が、暴力団の世界である。

 一見、深い信頼関係により、結束力が強い世界に見えるが、その基盤は、弱い。その弱
さを、「恐怖」で補っているだけ。「指を詰める」という独特の作法に、それが集約されて
いる。つまり信頼関係をつくりあげるためには、誠実と誠意、加えて善意が、不可欠と考
えてよい。

 言いかえると、たがいに誠実と誠意、それに善意をたがいに貫く。その結果として、こ
こでいう人間関係ができあがる。友人関係や夫婦関係にとどまらない。親子関係とて例外
ではない。「親だから……」「子だから……」と、(血のつながり)だけに甘えていては、人
間関係はできあがらない。反対に、親子でも、他人以上に冷え切ってしまった親子となる
と、この世界には、ゴマンといる。

 ……かく言う私にしても、振りかえってみると、友人という友人が、ほとんどいない。
私のワイフにしても、信頼関係が本当にできているかといえば、それは疑わしい。3人の
息子もいるが、親子関係にしてもそうだ。

 こうなってしまった原因のほとんどは、私にあるわけだから、だれかを責めるわけには
いかない。しかし今、自分の半世紀を振りかえってみると、私は、実に不誠実な人間であ
ったように思う。他人に対しても、また自分に対しても、だ。その結果が、今の私という
ことになる。

 言いかえると、こうした生きザマというのは、思春期や青年期から始まるのではない。
もっと以前と考えてよい。私の経験では、幼児が幼児期から少年少女期へ移行するころか
らではないかと思う。つまりもし教育に、本当の目的があるとするなら、こうした生きザ
マの基礎の基礎をつくることではないか。

 私のケースでいうなら、私は、精神生活という意味では、きわめて貧弱な家庭環境で生
まれ育っている。小ズルイ世界で、それを当たり前として、生きていた。

 が、もしあの時期を、もう少し心豊かな環境で過ごすことができたら、今の私はもう少
しちがった私になっていただろうと思う。同じように、今、子どもたちを、豊かな精神生
活で包むことができたら、それが結局は、その人の真の財産となるということ。ただ私の
ばあい、環境がそうであっても、自分で努力して改善することもできた部分もあったはず。
すべてを、環境にせいにするのは、正しくない。が、私のばあいは、それに気づくのが、
あまりにも遅すぎた。

恐らく私はこのまま、死ぬまで、孤独という無間地獄の世界で、もがき苦しむことにな
る。自業自得と言えばそれまでだが、実のところ、そういう自分が、本当になさけない。
(はやし浩司 人間関係 信頼関係 脱孤独論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●さえない日曜日

今日は、朝から雨。
かなりひどい雨。
その上、何をしても小寒い。
食事を減らしているせい?
それとも、花粉症のせい?

昨日は、メガネを割ってしまった。
ひざの上にメガネを置いて、
雑誌を読んでいたのが、まずかった。
気がついたときには、床の上。
メガネが、こなごなに割れていた。

予備のメガネで、そのあとを過ごす。
が、ピントがゆるい。もともと老眼鏡。
コタツに入って、横になる。
することもなく、考えることもなく、
そのまま、うたた寝。

こういうときは、買い物がよい。
何かほしいものを、パッと買うのがよい。
しかしこのところ、株価は、下がり気味。
これといった臨時収入もない。
ワイフに頭をさげるのも、おっくう。

しかたないので、またコタツにもぐる。
それにしても、おなかがすいた。
それほど食べているわけでもないのに、
私は、すぐ太る。食べた分だけ、太る。
しかたないので、今朝は、朝食抜き。

さえない日曜日。外を見ると、小雨が
どしゃ降りに変わっていた。
それを見て、今度は、頭をふとんの中に
もぐりこませる。
本当に、今日は、さえない日曜日。
(06年2月26日)


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

【近ごろ・あれこれ】

●イランのウラン濃縮活動

 ギリギリのギリギリのところで、イランは、2月26日、ウラン濃縮活動を、ロシア国
内で行うことに、同意したという(news−i)。

 イランは、「とりあえず」ということで、そういう同意をしたというが、まだ予断を許さ
ない。経済制裁を回避するための、一時的な方便ともとれる。自国でのウラン濃縮作業を
停止するとは、イランは、まだ一言も発していない。

 しかしこれほどまでに重要な国際問題が、日本国内では、マイナーな問題となっている
のは、どうしたことか。もし国連安保理がイランに対して経済制裁を実施すれば、それに
よって、日本経済は、甚大な影響を受ける。さらにアメリカがイランに対して、軍事行動
を起こせば、たとえそれが限定的なものであっても、中東情勢は一気に不安定化する(※)。

 日本は、原油の90%を、この地域に依存している。イランとイスラエルが、戦争状態
になるようなことになれば、日本経済は、その時点で、壊滅的な打撃を受けることになる。

 このあとどうなるか?

 3月6日から、IAEA(国際原子力機関の理事会)が開かれる。今のままでは、IA
EAは、イランのウラン濃縮問題を国連の安保理に付託するとしている。そのIAEAの
理事会で、どのような結論が出されるか、今は、それを見守るしかない。日本にとって一
番よいシナリオは、イランが、ウラン濃縮活動を断念することだが、そうはうまくいかな
いだろう。

※……サウジアラビアの有力紙アルワタンは2月19日、米国防総省の内部報告などを引
用する形で、米国と同盟国がイランの核施設計31か所を攻撃目標として特定した、と
報じている。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●日本の西欧化

+++++++++++++++++

先鋭化する文明間の対立。
西欧vsイスラム世界
西欧vs中国などなど。

こうした対立が、やがて
世界を大破局へと向かわせる
可能性は、きわめて高い。

では、日本はどうすれば
よいのか?

+++++++++++++++++

 戦後、あのドイツは、バラバラに解体されてしまった。その結果、ドイツは、ヨーロッ
パという社会に、ちょうど水と油が混ざるかのように、融合した。

 一方、日本は、アメリカという国に、いわば吸収合併される形で、西欧社会に、融合し
た。そういう意味では、日本は、自然な形(?)で、西欧化したということになる。

 この日本の西欧化が、日本にとって、結果として、よかったのか、それとも悪かったの
か。

 この話で思い出すのが、「文明間の対立」という言葉である。過去、世界は、いくつかの
段階を経て、対立→終焉(しゅうえん)を繰りかえしてきた。階級闘争、イデオロギー闘
争など。しかし現在は、「文明の対立の時代である」と説く学者は多い。

 よく知られた人に、S・P・ハンティントン(1927〜)がいる。彼はアメリカの国
家安全保障会議のコーディネーターもしたことがある人物である。その彼が言うには、「こ
れからは、文明間の衝突が、紛争の火種になる」と。

 ざっと大きくわけて、この世界は、つぎの文明に区分することができる。

(1)西欧社会を中心とする、西欧文明とアメリカ文明
(2)アラブ社会を中心とする、イスラム文明
(3)中国を中心とする、儒教文明
(4)ロシアを中心とする、スラブ文明
(5)そのほか、アフリカ文明、ヒンズー文明、ラテンアメリカ文明など。

 すでに西欧文明とイスラム文明の対立は、顕在化してきている。アメリカと中国の対立
を見るまでもなく、同じように西欧文明と儒教文明の対立も、このところ顕在化のきざし
を見せ始めている。この極東アジアについて言えば、韓国やK国は、基本的には、儒教文
明のワクの中にある。

 ロシアは民主化されたといっても、西欧文明とは、異質の国と考えてよい。そのことは、
たとえばドイツ人と話をしてみるとわかる。中国人の日本嫌いはよく知られているが、ド
イツ人のロシア嫌いには、これまた格別なものがある。西欧社会は、ロシア、つまりスラ
ブ文明を、決して自分たちの一員とは認めていない。

 で、問題は、日本である。

 このところ、またまた「武士道」なるものが、この日本でもてはやされ始めている。書
店でも、その種の本がズラリと並んでいる。大きく見れば、こうした動きは、行き過ぎた
西欧化への抵抗ともとれるし、反対に、日本化への復帰ともとれる。

 しかしあえて、言おう。なぜ、西欧化が悪いのか? なぜあえて、今のこのときに、復
古主義という道を選ばなければならないのか?

 ハンティントンの説によらなくても、これから先、文明間の衝突が、ますます先鋭化し、
それが戦争という紛争につながることは、じゅうぶん、考えられる。すでにアメリカは、
中国を将来の仮想敵国と位置づけ始めている。

 こうした巨大文明が、真正面から衝突する現実を前にして、日本だけが、日本文明とや
らを主張したところで、悲しいかな、ほとんど意味がない。日本文明というのは、アメリ
カ文明と中国文明の間にあっては、その間で揺れ動く、小石のようなものでしかない。

 となれば、日本に残された選択は、ただ1つ。西欧文明にさらに融合していくか、ある
いは反対に、もう一度、中国文明に復帰するか、である。隣の韓国(N政権、支持率20%
台)は、すでに中国文明への復帰という道を選んでいる。

 「日本は独自の日本でありたい」という気持も、理解できないわけではない。しかし日
本は、戦後、幸か不幸か、西欧化という道を選択してしまった。今の日本にとって、もっ
とも違和感なくい受けいれられる文明と言えば、西欧文明であり、アメリカ文明である。
アメリカが戦後敷いた。自由主義経済というワクの中で、自国の繁栄と維持をつづけたい
と願うなら、なおさらのことではないか。

 今さら、社会主義国家をめざすのもどうかと思うし、さらに鎖国するというのも、さら
に現実離れしている。

 日本の西欧化、おおいに結構!、ということになる。が、それには、いくつかの条件が
ある。

(1)文明の対立を念頭において、それを回避すべく努力をする。
(2)文明の優劣性をもたない。(西欧文明が他の文明よりすぐれていると思うのは、まち
がい。)
(3)とくに日本は、アメリカ文明と中国文明の対立を先鋭化させてはならない。

 もう1つ、儒教文明を、西欧化するという方法もあるが、それには、長い時間がかかる。
とりあえず今の現状を解決するためには、それを待っていたのでは、間にあわない。

 で、こうした条件はあるにしても、日本の西欧化は、すでに世界というより、日本の常
識となっているし、その流れをいまさら、変えようと思うのも、どうかと思う。ハンティ
ントンは、こう言っている。「日本はすなおに西欧文明を受け入れようとしている。日本こ
そが、世界の文明の融和の役割を果たすべきだ」(「文明の衝突」)と。

 ハンティントンが述べていることの中に、これからの日本の、あるべき姿が示されてい
るように、私は思う。
(参考文献……湯沢赳男著「現代思想のすべて」(日本文芸社))
(はやし浩司 文明の衝突 日本の西欧化 西欧化する日本)


+++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●MOTHER TERESA

++++++++++++++++++++

『マザーテレサ』を、ビデオで見た。
よかった。

映画としては、やや軽い感じがしなかった
わけでもない。が、実話に基づくだけに、セ
リフの1つひとつに、いろいろと考えさせ
られた。

マザーテレサが残した言葉を、
インターネットで拾ってみた。

++++++++++++++++++++

●愛について(IN LOVE)

"I have found the paradox, that if you love until it hurts, there can be no more hurt, 
only more love." 

「私は1つのパラドクッスを発見した。それがあなたの心を傷つけるほどまでに人を愛す
れば、痛みはなくなり、さらに深い愛だけが残る」

●お金と慈善について

Let us not be satisfied with just giving money. Money is not enough, money can be 
got, but they need your hearts to love them. So, spread your love everywhere you go. 

お金をだれかに与えることだけに、満足してはいけない。お金だけではじゅうぶんではな
い。お金は得られるもの。しかし彼らは彼らを愛するあなたの心を必要としている。だか
らあなたが行くところどこでも、愛をばらまきなさい。

 ビデオの中でも、「SMILE(微笑み)」が、一つのテーマになっていたように思う。
マザーテレサは、微笑むことの大切さを教えていた。この世を超えた愛というか、そうい
うものを、マザーテレサは感じていたのかもしれない。

 考えてみれば、そのとおり。私たちの人生といっても、長くて100年。しかし100
年といっても、この広大な宇宙の中では、瞬間の、そのまた瞬間にすぎない。そんな瞬間
の瞬間に、人間が本来的にもつ欲得を追求したところで、意味はない。そのことは、私の
この半世紀を振りかえっただけでも、わかる。

 若いころ、世話になった人の多くは、もう、この世にいない。一世を風靡(ふうび)し
た人も、そうでない人も、わずかな思い出を残して、この世を去っていった。あとに響く
のは、その余韻だけ。いや、その余韻さえも、乾いた風とともに、そのほとんどが消えて
しまった。

 私やあなたとて、例外ではない。私のばあいも、50年余という年月を生きたにもかか
わらず、その実感がない。あっという間に、その50年余が過ぎてしまった。本当に、あ
っという間だ。瞬間の瞬間というのは、そういうもの。

 だからこそ……と考えるところで、2つの道に分かれる。ひとつは、だからこそ、この
だからこそ、毎日を大切に生きようと考える道。だからこそ、つぎにつづく世代の人たち
のために、何かを残していこうと考える道。享楽的に、自分のためだけに生きる道もある
のだろうが、それはここでは考えない。

 が、いくらそう思ってがんばったところで、日々のほうが、自分より先に流れてしまう。
「今日こそは……!」と思って、朝起きる。が、夜になると、「やはり何もできなかった」
と思いながら、眠りにつく。あとは、その繰りかえし。

 マザーテレサは、利他を極限まで追求した人ということになる。比較するのもどうかと
思うが、K国の金xxは、利己を極限まで追求した人ということになる。つまりは、たが
いに正反対の位置にいる。そう考えると、マザーテレサの輪郭(りんかく)が、さらに明
確に見えてくる。独裁者というものが、どういうものであるか、さらに明確に見えてくる。

 ビデオを通して学んだことも、いくつかある。

 マザーテレサは、「組織」に、まったくこだわらなかった。組織をつくること自体、意味
のないものと考えていた。

 ときにマザーテレサですらも、そこに限界を感じ、迷い、弱音を吐くこともあった。

 無我、無私ほど、強いものはないということを、マザーテレサは、自らの人生を使って、
証明した、などなど。

 当然のことながら、この映画を制作するにあたって、脚本家にせよ、プロヂューサにせ
よ、事実(史実)に忠実であることを、何よりも重要視したはず。私も何冊か、マザーテ
レサについての本を読んだことがあるが、そうした本から得た知識と、それほどちがった
印象はもたなかった。

 映画としては、どこか淡々としすぎていて、もの足りなさを感じたが、しかしところど
ころで、ホロリホロリと涙がこぼれた。★をつけるのは、あまりにも恐れ多いので、ここ
ではつけない。


Hiroshi Hayashi++++++++++Mar. 06+++++++++++はやし浩司

●エセ正義

++++++++++++++++++++++

国会で、「メール問題」を取りあげた、N議員は、
「メールは、本物でないと判断した」と謝罪した。

しかしそのメールの発信源である、仲介者の人物
の名前の公表については、「本人の名誉を守るため」
というような理由にもならない理由をこじつけて、
拒否した。

しかし、こういうのをエセ正義という。

++++++++++++++++++++++

 今回の一連の、「メール問題」で、民主党のN議員は、「じゅうぶんな調査がないまま、
質問をした」「メールは本物ではないと判断した」と謝罪した。前原代表も、同じ席で、謝
罪した(3月1日)。

 しかしメールをN議員にもちこんだとされる、仲介者の名前については、(N議員は、フ
リーライターだったと言っているが)、公表を拒否した。N議員は、かねてから、「その人
に迷惑がかかるから」というような理由を並べて、公表することを拒否しつづけている。

 N議員と、そのフリーライターなる人物との関係が、どういうものであるかは知らない。
が、もしN議員が言っていることが事実とするなら、N議員とフリーライターとは、すば
らしい人間関係で結ばれているといってよい。裏切られても、裏切られても、N議員は、
そのフルーライターの名誉とプライバシーを守っている?

 しかしそんなことは、ありえない。ありえないことは、ほんの少しだけ、常識を働かせ
て考えてみれば、わかるはず。

 そのガセ情報で、日本中が、大騒動になってしまった。国会が空転するほどの大騒動で
ある。N議員自身も、病院へ入院するほどの健康状態になってしまった。にもかかわらず、
情報をもたらした、つまりメールをもってきた人物の名前を公表できないとは?

 そのメール自体、N議員のでっちあげと疑われても、しかたないだろう。韓国でも、韓
国を代表する科学者が、同じようなことをした。あの科学者も、つるしあげられても、つ
るしあげられても、まだ自分が正しかったことを主張しつづけている。

 往生際(おうじょうぎわ)が悪いとは、こういうことを言う。

 常識ある議員なら、これほどまでの大事件になったのだから、メールをもちこんだフリ
ーライターの責任を追及するという意味でも、そのフリーライターの名前を公表するだろ
う。今さら、義理立てしなければならない理由など、ない。まったく、ない。

 「あのメールは、○○市に住む、△△というフリーライターがもちこんできたものです」
と。

 その△△というフリーライターは、ウソのメールで、N議員やその仲間を窮地におとし
いれたことになる。詐欺師以上の詐欺師と言ってもよい。ここにも書いたように、ふつう
の窮地ではない。

 どうしてそんなフリーライターを、N議員は、かばうのか?

 こういうのをエセ正義という。笑えて涙が出るほどの、エセ正義である。

 だいたい、メールの発信人と受取人が同じメールを、本物と思いこむところがおかしい。
ほんの少しでも、インターネットをかじったことがある人なら、それがわかるはず。それ
とも、N議員以下、民主党の執行部の議員たちは、そこまでインターネット音痴だったと
いうことか。この第二の産業革命と言われている時代に、である。(インターネットの普及
は、第二の産業革命と言われている。)

 実に実に、おかしな弁解である。

 テレビ画面などで見るN議員には、これはあくまでも私のカンだが、それほどまでに厚
い友情を守りつづける人物には見えない。どこか小ずるく、どこかずる賢い議員にしか見
えない。そういう議員が、「公表できません」とがんばるから、話がおかしくなる。私の頭
の中で、脳ミソが、火花がパチパチと音をたてて、ショートする。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 4月 3日(No.708)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします!

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●顔のない自分

++++++++++++++++

だれしも、自分の顔がほしい。
その顔を求めて、自分を模索する。

地位でも名誉でも財産でもよい。
あるいは、自分の過去でも先祖でもよい。

顔があれば、人から無視されることもない。
それなりの人と、認めてもらうことができる。
しかし、もし、自分から、その顔がなくなったら……。

++++++++++++++++

 非行少年と呼ばれる子どもたちがいる。しかしその非行少年から、「非行」を奪ってしま
ったら、その少年は、(もちろん少女も)、どうやって生きていけばよいのか。勉強もダメ。
運動もダメ。彼らは、非行を繰りかえすことで、自分の顔、つまり存在感をつくっている。

 だからそういう子どもに向かって、「あなたはそんなことをすれば、みなから嫌われるだ
けだ」と、諭(さと)しても、意味はない。彼らは、嫌われたり、恐れられることによっ
て、自分の顔を保とうとする。

 ……という話は、何度も書いてきた。顔のない子どもは、ここに書いたように、(1)攻
撃的になるタイプ、(2)同情を求めるタイプ、(3)依存的になるタイプ、(4)服従的に
なるタイプなどに分類される。

 実は、おとなもそうで、わかりやすい例で言えば、カルト教団がある。

 ふつうカルト教団の内部では、信者たちは、指導者に対して、徹底した服従を誓う。誓
うというより、日ごろの信仰活動を通して、そう教えこまれる。しかしそれは信者にとっ
ては、甘美な世界でもある。徹底した服従と引きかえに、信者たちは、完全な保護を手に
入れる。神でも仏でもよいが、そうした絶対的なものに包まれる。

 で、ときどき、ふと、こう思う。あのK国だが、あのK国の国民たちは、飢餓状態にあ
りながらも、結構、心の中は、平安ではないか、と。何でもかんでも、その頂点にいる金
xxにすべてを預けることによって、自分自身は、何も考えなくてすむ。仕事をするとき
も、何かの勉強をするときも、「金xx様のため」と、心に念ずればよい。それで心が、ず
っと軽くなる。

 つまり彼らは、「服従という顔」「依存という顔」をもつ。カルト教団の内部の人たちは、
本当に仲がよい。信じられないほど、仲がよい。信者どうしが、ときとして、兄弟以上の
兄弟、親子以上の親子になることがある。この親密感こそが、カルトの魅力でもある。

 同じように、暴走族のグループを見てみよう。外からの様子はともかくも、内部の仲間
たちは、仲がよい。団結力も強い。外の世界以上に、そこには、暖かい温もりもある。彼
らは彼らなりに、たがいを守りあうことで、自分の顔をもとうとする。

 そこで、では、私はどうかと考える。私には、顔があるか。あるとするなら、それはど
ういう顔か、と。

 実のところ、最近、その顔が、どんどんと小さくなっていくのを感ずる。こうして文を、
毎日、ヒマを見つけては書いているが、それは同時に、「こんなことをしていて、何になる
のだろう」という迷いとの戦いでもある。少し前のことだが、こうメールで書いてきた人
がいる。

 「自己満足のためだけに書いて、何になる。君の書いている文章など、学問的には、一
片の価値もない」と。

 事実そのとおりだから、反論のしようがない。また反対の立場だったら、私も、そう思
っただろう。そういってきた人は、「林君、君のために、あえて言う」と、冒頭に書いてい
た。私を非難するというよりは、親切心から、そう言った。

 私には、学者としての顔は、ない。まったくない。名誉も地位もない。そればかりか、
このところ、知力の衰えを、よく感ずる。「今さら……」というあきらめの念も、生まれて
きた。

 そういう私だから、もし今、若ければ、私は、攻撃的な方法で、自分の顔をつくろうと
したかもしれない。はっきり言えば、非行少年たちの心が、手に取るようにわかる。理解
できる。

 ここまで書いて、また、あの尾崎豊を思い出した。「♪卒業」という歌を思い出した。つ
ぎの原稿(中日新聞発表済み)は、その「♪卒業」について、書いたものである。

++++++++++++++++++++

若者たちが社会に反抗するとき 

●尾崎豊の「卒業」論

学校以外に学校はなく、学校を離れて道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、『卒業』
の中でこう歌った。「♪……チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従う
べきか考えていた」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは「♪しくまれた自由」にす
ぎない。現実にはコースがあり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテル
を張られてしまう。尾崎はそれを、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。し
かし夢をもてばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことす
ら許されない。ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、
そこそこの夢をかなえることができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、
挫折する。尾崎はこう続ける。「♪放課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮か
べ、寂しく歩いた」と。

●若者たちの声なき反抗

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パ
ツ、腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精一杯、自己主張
しているだけだ。それがだめだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというの
か。そういう弱者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よ
くまじめなんてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなと
の争い」でもあった。

実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が二億円もあるようなニュースキャス
ターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身
につけているテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄金を訴える。こ
ういうのを見せつけられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そこ
で尾崎はそのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った……」と。
もちろん窓ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方
法が思いつかなかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、誰が「石もて、
打てる」のか。

●CDとシングル盤だけで200万枚以上!

 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、200万枚を超
えた(CBSソニー広報部、現在のソニーME)。「カセットになったのや、アルバムの中
に収録されたものも含めると、さらに多くなります」とのこと。この数字こそが、現代の
教育に対する、若者たちの、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。

(付記)

●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、
中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の
中学生(中2女子)がこう言った。「ない」と。

「おとなになってからしたいことはないのか」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」
と聞くと、「どうせ実現しないから」と。もう1人の中学生(中2男子)は、「それより
もお金がほしい」と言った。そこで私が、「では、今ここに1億円があったとする。それ
が君のお金になったらどうする?」と聞くと、こう言った。

「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに5人の中学生がいたが、皆、ほぼ同
じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくなって
いるとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(200
1年)でもわかる。

 15〜17歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えた
のが、41・8%、「悪くなっている」と答えたのが、46・6%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリ
トルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(0
1年4月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話しあ
って決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今日
は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれない
が、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦
しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そう
いう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

(参考)

●新聞の投書より

 ただ一般世間の人の、生徒の服装に対する目には、まだまだきびしいものがある。中日
新聞が、「生徒の服装の乱れ」についてどう思うかという投書コーナーをもうけたところ、
一一人の人からいろいろな投書が寄せられていた(二〇〇一年八月静岡県版)。それをまと
めると、次のようであった。

女子学生の服装の乱れに猛反発     ……8人
やや理解を示しつつも大反発      ……3人
こうした女子高校生に理解を示した人  ……0人

投書の内容は次のようなものであった。

☆「短いスカート、何か対処法を」……学校の校則はどうなっている? きびしく取り締
まってほしい。(65歳主婦)
☆「学校の現状に歯がゆい」……人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのか。誠意と愛
情をもって、周囲の者が注意すべき。(40歳女性)
☆「同じ立場でもあきれる」……恥ずかしくないかっこうをしなさい。あきれるばかり。(1
6歳女子高校生)
☆「過激なミニは、健康面でも問題」……思春期の女性に、ふさわしくない。(61歳女性)

●学校教育法の改正

 校内暴力に関して、学校教育法が2001年、次のように改定された(第26条)。
 次のような性行不良行為が繰り返しあり、他の児童の教育に妨げがあると認められると
きは、その児童に出席停止を命ずることができる。

一、他の児童に傷害、心身の苦痛または財産上の損失を与える行為。
二、職員に傷害または心身の苦痛を与える行為。
三、施設または設備を損壊する行為。
四、授業その他の教育活動の実施を妨げる行為、と。

文部科学省による学校管理は、ますますきびしくなりつつある。

++++++++++++++++++

 新聞社への投書の中で、16歳の少女が、「同じ立場でもあきれる。恥ずかしくないかっ
こうをしなさい。あきれるばかり」と書いている点が、気になる。が、私に言わせれば、
こういう優等生のほうに、あきれる。「恥ずかしくないかっこうって何か」と。「まただれ
に対して、恥ずかしくあってはいけないのか」と。

 顔のある子どもは、その顔を大切にすればよい。幸せな子どもだ。しかし顔のない子ど
もは、どうやって生きていけばよいのか。

 あえて告白しよう。最近、……といっても、この5、6年のことだが、私はあのホーム
レスの人たちを見ると、言いようのない親近感を覚える。ときどき話しかけて、冗談を言
いあうこともこともある。そのホームレスの人たちというのは、その少女の感覚からすれ
ば、「恥ずかしい部類の人間」ということになる。

 しかしどうしてそういう人たちが、恥ずかしいのか。多分、その投書を書いた少女は、
そういうホームレスの人たちを見ると、あきれるのだろう。もしそうなら、どうして、そ
の少女は、あきれるのか。私には、よく理解できない。

 そう、私は、子どもたちを教えながらも、その優等生が、嫌い。ぞっとするほど、大嫌
い。以前、こんな原稿も書いたことがある。それを掲載しておく。少し話が脱線するが、
許してほしい。

+++++++++++++++++++

【世間体】

●世間体で生きる人たち

 世間体を、おかしいほど、気にする人たちがいる。何かにつけて、「世間が……」「世間
が……」という。

 子どもの成長過程でも、ある時期、子どもは、家族という束縛、さらには社会という束
縛から離れて、自立を求めるようになる。これを「個人化」という。

 世間体を気にする人は、何らかの理由で、その個人化の遅れた人とみてよい。あるいは
個人化そのものを、確立することができなかった人とみてよい。

 心理学の世界にも、「コア(核)・アイデンティティ」という言葉がある。わかりやすく
言えば、自分らしさ(アイデンティティ)の核(コア)をいう。このコア・アイデンティ
ティをいかに確立するかも、子育ての場では、大きなテーマである。

 個人化イコール、コア・アイデンティティの確立とみてよい。

 その世間体を気にする人は、常に、自分が他人にどう見られているか、どう思われてい
るかを気にする。あるいはどうすれば、他人によい人に見られるか、よい人に思われるか
を気にする。

 子どもで言えば、仮面をかぶる。あるいは俗にいう、『ぶりっ子』と呼ばれる子どもが、
このタイプの子どもである。他人の視線を気にしたとたん、別人のように行動し始める。

 少し前、ある中学生とこんな議論をしたことがある。私が、「道路を歩いていたら、サイ
フが落ちているのがわかった。あなたはどうするか?」という質問をしたときのこと。そ
の中学生は、臆面もなく、こう言った。

 「交番へ届けます!」と。

 そこですかさず、私は、その中学生にこう言った。

 「君は、そういうふうに言えば、先生がほめるとでも思ったのか」「先生が喜ぶとでも思
ったのか」と。

 そしてつづいて、こう叱った。「サイフを拾ったら、うれしいと思わないのか。そのサイ
フをほしいと思わないのか」と。

 するとその中学生は、またこう言った。「そんなことをすれば、サイフを落した人が困り
ます」と。

私「では聞くが、君は、サイフを落して、困ったことがあるのか?」
中学生「ないです」
私「落したこともない君が、どうしてサイフを落して困っている人の気持ちがわかるのか」
中「じゃあ、先生は、そのサイフをどうしろと言うのですか?」
私「ぼくは、そういうふうに、自分を偽って、きれいごとを言うのが、嫌いだ。ほしかっ
たら、ほしいと言えばよい。サイフを、もらってしまうなら、『もらうよ』と言えばよい。
その上で、そのサイフをどうすればいいかを、考えればいい。議論も、そこから始まる」
と。

 (仮に、その子どもが、「ぼく、もらっちゃうよ」とでも言ってくれれば、そこから議論
が始まるということ。「それはいけないよ」とか。私は、それを言った。決して、「もらっ
てしまえ」と言っているのではない。誤解のないように!)

 こうして子どもは、人は、自分を偽ることを覚える。そしてそれがどこかで、他人の目
を気にした生きザマをつくる。言うまでもなく、他人の目を気にすればするほど、個人化
が遅れる。「私は私」という生き方が、できなくなる。
 
 いろいろな母親がいた。

 「うちは本家です。ですから息子には、それなりの大学へ入ってもらわねば、なりませ
ん」

 「近所の人に、『うちの娘は、国立大学へ入ります』と言ってしまった。だからうちの娘
には、国立大学へ入ってもらわねば困ります」ほか。

 しかしこれは子どもの問題というより、私たち自身の問題である。

●他人の視線

 だれもいない、山の中で、ゴミを拾って歩いてみよう。私も、ときどきそうしている。

 大きな袋と、カニばさみをもって歩く。そしてゴミ(空き缶や、農薬の入っていたビニ
ール袋など)を拾って、袋に入れる。

 そのとき、遠くから、一台の車がやってきたとする。地元の農家の人が運転する、軽ト
ラックだ。

 そのときのこと。私の心の中で、複雑な心理的変化が起きるのがわかる。

 「私は、いいことをしている。ゴミを拾っている私を見て、農家の人は、私に対して、
いい印象をもつにちがいない」と、まず、そう考える。

 しかしそのあとすぐに、「何も、私は、そのために、ゴミを拾っているのではない。かえ
ってわざとらしく思われるのもいやだ」とか、「せっかく、純粋なボランティア精神で、ゴ
ミを集めているのに、何だかじゃまされるみたいでいやだ」とか、思いなおす。

 そして最後に、「だれの目も気にしないで、私は私がすべきことをすればいい」というふ
うに考えて、自分を納得させる。

 こうした現象は、日常的に経験する。こんなこともあった。

 Nさん(40歳、母親)は、自分の息子(小5)を、虐待していた。そのことを私は、
その周囲の人たちから聞いて、知っていた。

 が、ある日のこと。Nさんの息子が、足を骨折して入院した。原因は、どうやら母親の
虐待らしい。……ということで、病院へ見舞いに行ってみると、ベッドの横に、その母親
が座っていた。

 私は、しばらくNさんと話をしたが、Nさんは、始終、柔和な笑みを欠かさなかった。
そればかりか、時折、体を起こして座っている息子の背中を、わざとらしく撫でてみせた
り、骨折していない別の足のほうを、マッサージしてみせたりしていた。

 息子のほうは、それをとくに喜ぶといったふうでもなく、無視したように、無表情のま
まだった。

 Nさんは、明らかに、私の視線を気にして、そうしていたようである。
 
 ……というような例は、多い。このNさんのような話は別にして、だれしも、ある程度
は、他人の視線を気にする。気にするのはしかたないことかもしれない。気にしながら、
自分であって自分でない行動を、する。

 それが悪いというのではない。他人の視線を感じながら、自分の行動を律するというこ
とは、よくある。が、程度というものがある。つまりその程度を超えて、私を見失ってし
まってはいけない。

 私も、少し前まで、家の近くのゴミ集めをするとき、いつもどこかで他人の目を気にし
ていたように思う。しかし今は、できるだけだれもいない日を選んで、ゴミ集めをするよ
うにしている。他人の視線が、わずらわしいからだ。

 たとえばゴミ集めをしていて、だれかが通りかかったりすると、わざと、それをやめて
しまう。他人の視線が、やはり、わずらわしいからだ。

 ……と考えてみると、私自身も、結構、他人の視線を気にしている、つまり、世間体を
気にしている人間ということがわかる。

●世間体を気にする人たち
 
 世間体を気にする人には、一定の特徴がある。

その中でも、第一の特徴といえば、相対的な幸福観、相対的な価値観である。

 このタイプの人は、「となりの人より、いい生活をしているから、自分は幸福」「となり
の人より悪い生活をしているから、自分は不幸」というような考え方をする。

 そのため、他人の幸福をことさらねたんでみたり、反対に、他人の不幸を、ことさら喜
んでみせたりする。

 20年ほど前だが、こんなことがあった。

 Gさん(女性、母親)が、私のところにやってきて、こう言った。「Xさんは、かわいそ
うですね。本当にかわいそうですね。いえね、あのXさんの息子さん(中2)が、今度、
万引きをして、補導されてしまったようですよ。私、Xさんが、かわいそうでなりません」
と。

 Gさんは、一見、Xさんに同情しながら、その実、何も、同情などしていない。同情し
たフリをしながら、Xさんの息子が万引きしたのを、みなに、言いふらしていた!

 GさんとXさんは、ライバル関係にあった。が、Gさんは、別れぎわ、私にこう言った。

 「先生、この話は、どうか、内緒にしておいてくださいよ。Xさんが、かわいそうです
から。Gさんは、ひとり息子に、すべてをかけているような人ですから……」と。

●作られる世間体

 こうした世間体は、いつごろ、どういう形で作られるのか? それを教えてくれた事件
にこういうことがあった。

 ある日のこと。教え子だった、S君(高校3年生)が、私の家に遊びにきて、こう言っ
た。(今まで、この話を何度か書いたことがある。そのときは、アルファベットで、「M大
学」「H大学」と、伏せ字にしたが、今回は、あえて実名を書く。)

 S君は、しばらくすると、私にこう聞いた。

 「先生、明治大学と、法政大学、どっちがかっこいいですかね?」と。

私「かっこいいって?」
S「どっちの大学の名前のほうが、かっこいいですかね?」
私「有名……ということか?」
S「そう。結婚式の披露宴でのこともありますからね」と。

 まだ恋人もいないような高校生が、結婚式での見てくれを気にしていた!

私「あのね、そういうふうにして、大学を選ぶのはよくないよ」
S「どうしてですか?」
私「かっこいいとか、よくないとか、そういう問題ではない」
S「でもね、披露宴で、『明治大学を卒業した』というのと、『法政大学を卒業した』とい
うのは、ちがうような気がします。先生なら、どちらが、バリューがあると思いますか」
私「……」と。

 このS君だけではないが、私は、結論として、こうした生きザマは、親から受ける影響
が大きいのではないかと思う。

 親、とくに母親が、世間体を気にした生きザマをもっていると、その子どもも、やはり
世間体を気にした生きザマを求めるようになる。(あるいはその反動から、かえって世間体
を否定するようになるかもしれないが……。)

 生きザマというのは、そういうもので、無意識のまま、親から子へと、代々と引き継が
れる。S君の母親は、まさに世間体だけで生きているような人だった。

++++++++++++++++++++

 これからますます、「顔」が問題になってくる。それともほとんどの人たちは、老齢にな
るとともに、その顔を、放棄してしまうのか。これから先、私自身がどう変化していくか、
それを静かに観察してみたい。
(はやし浩司 個人化 アイデンティティ コアアイデンティティ コア・アイデンティ
ティ 顔 顔のない子供 ペルソナ 仮面 はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●インターネットの世界

+++++++++++++++++

またまた新しい、ウィルスが発生している。
「ボット」というウィルスだそうだ。
「ロボット」の「ボット」をとって、
「ボット」となった。

パソコン雑誌(YOMIURI・PC)によれば、
すでに日本でも、40台のうち、1台は
感染しているという(06・4月号)。

しかしこのボット、ふつうの悪(ワル)ではない。

++++++++++++++++++

 ウィルスというのは、おおまかに言えば、愉快犯がおもしろ半分につくるウィルスと、
何か別の目的をもったウィルスの、2種類に分類することができる。しかし今回発見され
た、「ボット」と呼ばれるウィルスは、ズバリ、金もうけ!

 パソコンの中に潜み、遠隔操作で、そのパソコンを自由に操るというという。ファイル
を破壊したりするような、派手なことはしない。だから自分のパソコンの中に、「ボット」
が侵入していても、それに気づく人はいない。

 しかし安心するのは、早い。このボットの目的は、ここにも書いたように、金もうけ。
個人のクレジットカードの番号や、銀行の通帳で使う、暗証番号などを盗んだりする。し
かも直接盗むのではなく、だれかのパソコンを、自分のロボットのようにして、遠隔操作
をしながら盗む。

 背後には、巨大な犯罪組織がからんでいるという説もある。雑誌によれば、ネットマフ
ィアが、流通させているとのこと。その犯罪組織が、巨額な資金を投じて、ここでいうボ
ットを、開発したらしい。その上、すでに、このボットでつくりあげたシンジゲートが、
別の犯罪者集団に、時間貸しの形で、売買されているという。そういう点でも、今度のボ
ットは、今までのウィルスとは、異質のものと考えてよい。

 あえて言うなら、トロイの木馬に、スパイウィルスをしのばせたようなウィルスという
ことか。

 しかも、だ。この日本では、すでに、40台のパソコンのうち、1台が感染していると
いう。これはものすごい数といってよい。日本だけでも、すでに50万台が感染している
ことになる(同、YOMIURI・PC)。

 では、そのボットに対して、私たちは、どうやって自分のパソコンを守ればよいのかと
いうことになる。

 第一にしなければならないことは、(1)アンチウィルスのソフトを導入し、常にUPD
ATEすること。(2)ウィルス検査を、少なくとも週に1度は、実行すること。(3)あ
やしげなメールは、絶対に開かないこと。(4)あやしげなサイトは、絶対に見ないこと。
とくにスケベサイト、犯罪サイトは、見ないこと。(5)ウィルス検査だけではなく、スパ
イウエア検査も、常時すること。もちろんWIDOWSのUPDATEも忘れてはならな
い。

 このボットについて言えば、「犯人は、チャットサービスを使って、ボットに遠隔操作の
コマンドを打ち込みます。被害者のパソコンをネット経由で、自由自在にコントロールす
るのです」(同誌)ということだそうだ。つまりチャットがあぶないということか?

 これから先も、このボットにかぎらず、さらに巧妙かつ悪質なウィルスが開発されると
いうか、生まれてくることだろう。

 そこでインターネットの先進国のオーストラリアでは、どうしているか。オーストラリ
アの友人に話を聞くと、こう教えてくれた。(1)パソコンの使い分けは、常識。(2)イ
ンターネットで使うクレジットカードは、インターネット専用の別の、小額のものにする
のは、常識、ということだった。

 それにしてもまあ、よくもこうまでつぎつぎと、新手の悪が生まれるものだ。ウィルス
に始まって、ワーム、トロイの木馬、スパイウエア、アドウエア、クラックツール、それ
にボット。つい先日まで、フィッシング詐欺が問題になっていたが、今度は、ボット!

 インターネットは便利だが、その便利さの陰で、今のこの瞬間にも、世界の悪たちが、
私たちをねらっている。

 みなさん、気をつけましょう!

(私のばあい)

(1)パソコンを使い分けている。とくにHP制作用のパソコンには、ウィルスが入らな
いように、細心の注意を払っている。
(2)プロバイダーのウィルスチェックサービスに加入し、さらにパソコンごとに、アン
チウィルスソフトを導入している。
(3)数か月前からは、スパイウエア駆除ツールを導入している。
(4)1〜2週間ごとに、ウィルスチェックを繰りかえしている。


Hiroshi Hayashi++++++++++Feb. 06+++++++++++はやし浩司

●夫婦、そして離婚

+++++++++++++++++

離婚の最大原因といえば、
(1)不倫、(2)借金、(3)暴力。
この3つ。

言いかえると、この3つがなければ、
夫婦は夫婦として、まだがんばれる。

+++++++++++++++++

 私たち夫婦も、過去において、何度か離婚の危機に立たされたことがある。しかしその
つど、結局は、離婚しなかったのは、たがいに離婚をすれば、何も残らないことを知って
いたからである。

 名誉も、地位も、それに金もない。わかりやすく言えば、私のような貧乏人が離婚して、
どうなる? 家族しかいない私たち夫婦が、離婚して、どうなる? 何が残る?

 離婚の危機に立たされるたびに、私は、こう考えた。「このままのほうが、まだ、まし」
と。離婚したからといって、それで問題が解決するわけではない。今以上に、状況がよく
なるわけでもない。むしろ、状況は、かえって複雑になるだけ。悪くなるだけ。「だったら、
離婚はしない」と。

 が、そのつど、もし、どちらかに、不倫、借金、暴力があれば、状況は、おのずと変わ
っていただろう。とくに不倫は、たがいの信頼関係を、粉々に破壊する。絶対的な安心感
があってはじめて、夫婦は、夫婦でいられる。家族は、家族でいられる。「絶対的」という
のは、「疑いすらいだかない」という意味である。

 が、一度、どちらかが不倫をすると、そうはいかない。そのときから、たがいに、たが
いを疑ってみるようになる。こんな事例がある。

 その男性は、最初の妻と、恋愛の末、結婚した。最初の妻を、妻Aとしておく。しかし
5年も過ぎるころから、その男性は、職場の女性と不倫関係になった。そしてしばらくの
間、離婚騒動を繰りかえしのち、最初の妻とは離婚。しばらくして、その職場で知りあっ
た女性と再婚。再婚した女性を、妻Bとしておく。

 よくある話である。

 で、その妻Bであるが、それでめでたしめでたしというわけにはいかない。夫は、相変
わらず、同じ職場で働いている。その職場にいる夫から、たとえば「今夜は、残業で遅く
なる」という電話が、かかってきたとする。それだけで、妻Bは、不安になる。

 それもそのはず。自分たちが不倫関係にあったとき、夫が、妻Aに、そう言って電話を
かけていたのを、何度も耳にしていたからである。妻Bは、「もしや……?」と思い、不安
になる。夫が、出張ともなれば、なおさらである。不倫関係にあったとき、夫の出張にあ
わせて、妻Bも、会社を休み、夫と、よく旅行をした。

 つまり妻Bは、妻Aから「妻の座」を奪ったそのときから、今度は、自分が、妻Aの立
場に立たされることになった。

 ここでいう夫婦の信頼関係というのは、そういうものをいう。妻Bにしてみれば、自分
の夫は、かつては、そういう形で、妻Aをだましていた。だから自分が妻になったからと
いって、それで安心はできない。妻Bが、「ひょっとしたら、夫に、また新しい愛人ができ
たのでは……?」と疑うようになったとしても、何も、おかしくはない。

 しかしこの不信感が、実は、シャドウとなって、夫婦の中にキレツを入れるようになる。
妻Bの頭の中に、「離婚」という言葉が横切るようになったら、もうおしまい。あっという
間に、離婚は、現実のものとなる。

 夫の側からそれを考えれば、よくわかる。

 妻Bは、夫を疑っている。夫が、「残業だよ、残業。本当に残業だよ」「浮気じゃないよ」
と言ったところで、妻Bは、それを信用しない。つまりこの時点で、たがいの心の間に、
かたくて厚い壁ができる。その壁が、夫を遠ざける。

 だから、こういう形で、離婚した夫婦(とくに男性)は、やがて離婚、再婚を繰りかえ
すようになる。私が知っている、ある医師は、この10年の間に、3回も、結婚、離婚を
繰りかえしている。(3回だぞ!)現在の妻は、同じ病院で働いていた元看護婦。4人目の
妻である。

 心理学の世界では、マザコンタイプの男性ほど、結婚生活は、長つづきしないと言われ
ている。それはマザコン的であるためというよりは、常に、妻の中に、マドンナ的な理想
像を求めるためと考えられている。

 しかし理想的な女性など、いない。自分の母に代わるような女性など、いない。どんな
ことをしても、許してくれる、そんな女性など、いない。だからこのタイプの男性は、や
がて、理想の女性を求めて、女性から女性へと、渡り歩くようになる。結果的に、浮気し
やすくなり、離婚しやすくなる。

 話がそれたが、夫婦の間の信頼関係などとういうものは、簡単にはできない。「愛してい
る」「愛しているわよ」と言いあう程度では、できない。それこそ血がにじみ出るような苦
労を共にして、はじめて、できる。

 こと浮気心について言えば、それはだれにでもある。ない人は、いない。私にだって、
ある。雑誌や映画で見かけた男性や女性、街でかいま見た男性や女性。そういう人たちに
浮気心をいだくことは、よくある。

 しかしある年齢に達すると、そういう女性と、体をこすりあわせてみたいという欲望よ
りも、その切なさを、楽しむようになる。そう、それは実に切ない。心の中で、「あなたを
抱いてみたい」といくら思っても、それを口にすることはできない。そ知らぬ表情を浮か
べながら、そのままだまって見送る。その切なさが、また、たまらない。

 では、どうすればよいのか?

 答は簡単。ほどほどのところで、あきらめればよい。「まあ、こんなものだ」と納得すれ
ばよい。夫や妻に、たいしたものを求めたところで、どうしようもない。割り切るところ
は割り切る。あとは、たがいに好き勝手なことをして生きればよい。

 それが夫婦ではないのか。

 そうそう、私のワイフは、いつもこう言っている。「あなたね、あなたがだれかとの浮気
を想像するのは、あなたの勝手だけど、相手の女性にも、男性を選ぶ権利があるのよ。そ
れがわかっているの!」と。

 ハイ、まさにそのとおり。

++++++++++++++++++

少し前に書いた、原稿を、ここに
添付しておきます。

マザコンタイプの男性は、浮気しやすい?

そんな視点で、もう一度、あなた自身(夫)を
観察してみては、どうでしょうか?

++++++++++++++++++

●聖母か娼婦か?

 女性は、元来、聖母か娼婦か。どちらか。ただし、聖母のように見えても、決して、聖
母とは思ってはいけない。一人の女性が、相手に応じて、聖母になったり、娼婦になった
りする。

 だから見た目には、つまり男によっては、その女性は、聖母にも見えることがあるし、
娼婦に見えることもある。わかりやすく言えば、男しだいということ。

 若いころ、こんな経験をした。高校を卒業してから、まもなくのことだった。

 私には、その女性(Aさんとしておく)は、聖母に見えた。高校時代、隣のクラスの女
の子だった。おしとやかで、恥ずかしがり屋だった。その上、理知的で、分別もある人に
見えた。が、その女性が、別の世界では、まったくの別人? 男を、まさにとっかえひっ
かえ、遊んでいた!

 ある友人が、こう言った。「あのな、林、あのAさんな、高校生のとき、草むらで、男と
セックスをしていたぞ。自転車で家へ帰るとき、オレ、見てしまったぞ」と。

 私が驚いて、「そんなことあるかア!」と言うと、その友人は、「ウソじゃない。オレは、
ちゃんと見た」と。

 それでも私は、信じなかった。「きっと見まちがえたのだろう」とか、「何か、ほかのこ
とをしていたのだろう」とか。「Aさんではなかったのかもしれない」とも。

 しかしそれから20年くらいたってからのこと。別の友人が、こう言った。「ぼくは、あ
のAさんと、高校3年生のとき、つきあっていた。そのとき、Aさんは、すでに処女では
なかった」と。

 私は「ヘエ〜」としか、言いようがなかった。私がAさんにもっていたイメージとは、
あまりにも、かけ離れていたからだ。

私「女って、わからないものだあ」
友「お前は、Aさんをどう思っていたんだ?」
私「とにかく、信じられない。ぼくにとってAさんというのは、マドンナだった」
友「あのAさんが、マドンナだったってエ? お前は、いったい、Aさんの、どこを見て
いたんだい?」
私「そう、ぼくには、マザコン的なところがあるからな」と。

 一般論として、マザコンタイプの男は、女性に、理想像を求める。そして好意を寄せる
女性を、マドンナ化する傾向が強い。日本語で言えば、聖母化する。(マドンナのことを、
聖母という。少しニュアンスがちがうような気もするが……。)

 聖母化するのは、その人の勝手だが、聖母化された女性のほうは、たまらない。とくに
夫に聖母化されると、妻は、困る。これもまた一般論だが、マザコンタイプの男性は、離
婚率が高いという。もちろん浮気率も高いという。

 1990年に発表されたキンゼイ報告によれば、アメリカ人のうち、37%の夫が、少
なくとも、1回以上の浮気をしているという。この数字を多いとみるとか、少ないとみる
か。日本には、宗教的制約がないから、日本人の夫の浮気は、もう少し、多いのではない
か。

 それはともかくも、マザコンタイプの男性は、理想の(?)女性を求めて、つぎからつ
ぎへと、女性を渡りあるく傾向が強い。新しい女性とつきあっては、「こんなはずではなか
った」「この女性は、ぼくの理想の女性ではない」と。だから離婚しやすい。浮気しやすい。
(多分?)

 要するに、女性を聖母化するというのは、それ自体が、マザコン性のあらわれとみてよ
い。このタイプの男性は、肉欲的な荒々しい性的関係を結ぶことができない。女性を聖母
化する分だけ、成熟したおとなの関係を結ぶことができない。

 で、問題は、まだつづく。

 さらに一般論として、女性は、自分がどう見られているかを敏感に察知し、その見られ
ている自分を、男の前で演ずることがある。

 「聖母に見られている」と感じたとたん、その人の前では、聖母のように振る舞うなど。
つまりAさんは、私の前では、聖母を演じていただけ? しかしそう考えると、すべて、
つじつまが合う。

 が、これは私自身の問題でもある。

 私は、ここにも書いたように、かなりマザコンタイプの人間だった。母親を絶対化する
分だけ、若いとき、私とつきあう女性にも、それを求めた。私と結婚したワイフでさえ、
あるとき、私にこう言った。

 「私は、あんたの母親じゃないのよ!」「あんたの母親のかわりは、できないのよ!」と。

 そのときはなぜワイフがそう言ったのか、その意味がわからなかった。しかし当時の私
は、ワイフに、いつも、女性としての完ぺきさを求めていたように思う。

 そこであなたの(あなたの夫の)マザコン度チェック!

(  )あなたは妻に、いつも完ぺきな女性であることを求める。(あなたの夫は、あなた
に完ぺきな妻であることを求める。)
(  )あなたはいつも、女性に、母親的な女性像を求める。(あなたの夫は、あなたに母
親的な女性像を求める。)
(  )あなたは妻に、動物的な妻であることを許さない。(あなたの夫は、あなたに動物
的な妻であることを許さない。)
(  )あなたは、いつも妻に、完全に受けいれられていないと気がすまない。(あなたの
夫は、あなたに完全に受け入れられている状態を求める。)
(  )あなたは妻に、かつてあなたの母親がしてくれたことと同じことを、求めること
が多い。(あなたの夫は、夫の母親が夫にしたことと同じことを求めることが多い。)

 要するに、妻を聖母化するということは、その夫自身が、マザコンであるという証拠。(…
…と、言い切るのは危険なことだが、それほど、まちがってはいない。)

ワイフ「本人自身は、それに気づいているのかしら?」
私「さあね。たぶん、気がついていないだろうね。マザコンタイプの人は、そうであるこ
と自体、親思いのいい息子と考えているから」
ワイフ「でも、そんな夫をもったら、奥さんも、たいへんね」
私「お前も、苦労したな」
ワイフ「ホント!」(ハハハハ)と。

 人生も半世紀以上生きてみると、いろいろなことがわかるようになる。男も女も、ちが
わないというのも、その一つ。どこもちがわない。この世の中には、聖母も娼婦もいない。
みんな、そのフリをしているだけ。そうでないフリをしているだけ。

 だからこの議論そのものが、意味がない。男性に、聖人も、男娼もいないように、女性
にも、聖母も娼婦もいない。……ということで、この話は、おしまい。

●女性とおとなのセックスができない男性

 概して言えば、日本の男性は、総じて、マザコン的? 母系社会というより、母子関係
の是正をしないまま、子どもは、おとなになる。つまり父性社会の欠落?

 よい例が、ストリップ劇場。私も若いころは、ときどき(ときどきだぞ!)、見にいった
ことがある。

 日本のストリップ劇場では、中央の舞台で、裸の女性が、服を一枚ずつ脱ぎながら、な
まめかしく踊る。観客の男たちは、それを見ながら、薄暗い客席で、シコシコとペニスを
マッサージする。

 この関係が、実にマザコン的? 女がほしかったら、「ほしい」と言って、飛びついてい
けばよい。セックスをしたかったら、「したい」と言って、飛びついていけばよい。

 が、舞台の女性に、「あんた、ここへあがってきなさいよ。抜いてあげるからさア」と声
をかけられても、その場で、照れて見せるだけ。どうも、はっきりしない。そのはっきり
しないところが、マザコン的?

 マザコンの特徴は、女性を美化し、絶対化するところにある。あるいは母親としての理
想像を、相手の女性や妻に求める。そのため女性の肉体は、おそれおおい存在となる?

 ……という心理は、私にはよく理解できないが、多分、そうではないか。このことは、
子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。

 数は少なくなったが、今でも、雄々しい男の子というのは、いるにはいる。(反対に、ナ
ヨナヨした男の子は、多いというより、ほとんどが、そう。)そういう男の子は、女の子に
対して、ストレート。こんなことがあった。

 私が、何かのきっかけで、「騒いでいるヤツは、ハサミでチンチンを切るぞ」と言ったと
きのこと。一人の女の子(小5)が、すかさずこう言った。「私には、チンチンなんて、な
いもんね」と。

 それを聞いた別の男の子(小5)が、「何、言ってるんだ。お前らには、クリトリスがあ
るだろ!」と。

 私はこのやりあいには、驚いた。「今どきの子どもは……!」と。

 しかし思い出してみると、私たちが子どものころには、そういう言葉こそ知らなかった
が、相手に対して、今の子どもよりは、ものごとをストレートに表現していたと思う。「お
い、セックスをさせろ」というなことまでは言わなかったが、それに近い言葉を言ってい
たように思う。

 だから同じ男として、「お前らには、クリトリスがあるだろ!」と言いかえす男の子のほ
うが、好きと言えば、好き。一応、たしなめるが、それは立場上、そうしているだけ。

 そういえば、マザコン的といえば、マザコン的? かなり昔、こんなことを言う男子高
校生がいた。その高校生は、ま顔で、私にこう言った。

 「先生、ぼくの彼女ね、本当にウンチをするのかねエ?」と。

 その高校生に言わせれば、「彼女は、ウンチをしない」とのこと。そこで私が「じゃあ、
彼女は、何を食べているの?」と聞くと、「ごはんだけど、彼女は、ウンチをしないと思う」
と。

 また反対に、こんなことを言う男子高校生もいた。

 「先生、ぼく、B・シールズ(当時のアメリカの大女優)のウンチなら、みんなの前で
食べてみせることができる」と。

 彼は、そのブルック・シールズの熱狂的なファンだった。

 こうして考えてみると、初恋時には、男はみな、多かれ少なかれ、マザコン的になるの
か? あるいはプラトニック・ラブを、そのままマザコンと結びつけて考えることのほう
が、そもそも、おかしいのか?

 ただ、こういうことは言える。

 マザコンタイプの男性ほど、その女性のすべてを受け入れる前に、自分をすべて受け入
れてくれる女性を求める。そしてその女性に、母親的な完ぺき性を求めて、その女性を追
いつめやすい、と。

 恋人関係ならまだしも、結婚生活となると、ことは深刻。いろいろ問題が起きてくる。
離婚率や浮気率が高いという説があるのも、その一つ。

 それについてワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「夫がマザコン的だと、奥さんも、疲れるわよ。夫が望むような妻にならなければなら
ないから」と。

私「夫がマザコンだと、離婚率が高いという説があるよ」
ワイフ「当然でしょうね。そんな男と、生活するのは、たいへんよ」
私「妻より、母親のほうが大切と考えている男性も、多いよ」
ワイフ「だったら、母親と結婚すればいいのよ」
私「ワア、それこそ、マザコンだあ」と。

 そういう意味でも、母親は、ある時期がきたら、子どもを、自分から切り離していかね
ばならない。いつまでも、濃密な母子関係に溺れていると、子ども自身が、自立できなく
なってしまう。

 本来なら、父親が、母子関係に割ってはいり、その母子関係を調整しなければならない。
が、今、その父親不在の家庭が多い。あるいは、父親自身が、マザコン的であるというケ
ースも、少なくない。

 最後に、タイトルに、「女性とおとなのセックスができない男性」と書いたので、一言。

 もう10年近くも前になるだろうか。中学3年生になったばかりの女の子が、私に、こ
う言った。

 「先生、あんな男とは、もう別れた」と。その中学生には、ボーイフレンドがいた。そ
こで私が理由を聞くと、こう言った。

 「だって、先生、3回もデートしたけど、何もしてくれないのよ」と。

私「何もしてくれないって?」
中学生「手も、握ってくれないのよ」
私「で、君は、どんなことをしてほしいと思っていたの?」
中学生「ふふふ。わかっているくせに……」と。

 性的な男女交際を奨励するわけではないが、私はその話を聞きながら、そのときは、「だ
らしない男もいるものだ」と思った。
(はやし浩司 マザコン 聖母 マドンナ 離婚率 離婚 不倫 浮気)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================











トップへ
トップへ
戻る
戻る


はやし浩司(ひろし)