はやし浩司(ひろし)

2006・7
はやし浩司
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2006年 7月号
 はやし浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 31日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【私の過去】

++++++++++++++

私が高校生になるころには、
私の家は、まさに火の車。

表向きはともかくも、家計など、
あってないようなものだった。

この状態は、私が、大学生に
なってからもつづいた……。

++++++++++++++

●貧乏

 私が高校生になるころには、私の家は、まさに火の車。家業は自転車屋だったが、月に、
4〜5台も売れればよいほう。ときには、数台ということもあった。

 あとはパンク修理で、何とか、その日を食いつないでいた。が、そのパンク修理とて、
毎日あったわけではない。一日の大半は、祖父も、父も、兄も、することもなく、店先と
奥を行ったりきたりしながら、過ごしていた。

 祖父は、すでに病気がちで、現役から引退していた。祖母は、二階にあった物干し台で
すべって腰を打ってからといもの、そのときすでに、寝たきりの状態だった。

 父は、酒を飲みすぎて、すでに肝臓を悪くしていた。兄は、子どものころから、今でい
う自閉症で、そのため、母は、兄を、家の中に閉じこめたままにしていた。

 私にとっても、人生の中で、一番、つらい時期だった。

 言い忘れたが、私には、もう1人、姉がいた。5歳年上の姉で、そのときは、G市にあ
る洋裁学校を卒業し、家の中で、縫製の仕事をしていた。稼ぎは、それほど、多くはなか
ったと思う。

●父の酒乱

 貧乏というのは、慢性疾患に似ている。いつ止(や)むともなしにつづく、痛みをとも
なった慢性疾患である。が、それだけではない。よどんだ空気、重苦しい空気、それが口
をふさぐ。おまけにあの独特の臭い。木にしみこんだ、腐った油の臭い。

 その私は、自転車屋の仕事を、まったく手伝わなかった。手伝おうという気持ちも、起
きなかった。すでにそのとき、私の目から見ても、自転車屋という私の家の商売は、もう
どうしようもないところまで行ってしまっていた。

 それまでの長いいきさつも、ある。おまけに父は、今でいうアルコール依存症だった。
酒を飲まない日には、借りてきた猫の子のように、静かで、おとなしかったが、酒が口に
入ると、様子が一変した。

 肝臓を悪くするまで、つまり私が中学3年生くらいまでは、2、3日に一度は、酒を飲
み、家の中で暴れた。

 ふつうの暴れ方ではない。食卓のテーブルをひっくり返し、障子やガラス戸を、容赦な
くこわした。父が発する大声や、ものをこわす音は、おそらく近所中に聞こえていただろ
う。が、私は、気にしなかった。

 私の家には、「恥」という言葉すら、もう、なかった。

●大学生に……

 私はいつも母に、こうおどされた。「勉強しなければ、自転車屋を継げ」と。しかしその
言葉ほど、私に恐怖心を与えるものはなかった。

 私はいつしか、あの郷里のM町から逃れ出ることだけを考えていた。「ふるさと」という
思いは、とっくの昔に消えていた。

 さらに大学入試が近づくと、母は、こう言い出した。「大学は、国立でないと、行くな。
お金がない」と。

 それについては、何も母に言われなくても、よくわかっていた。母は、私が、外に出て
行くのを、何よりも恐れていた。「地元に残って、私のめんどうをみろ」というようなこと
までは言わなかったが、言われなくも、それが私には、よくわかった。

 具体的には、「産んでやった」「育ててやった」「親の恩を忘れるな」と言った。耳にタコ
ができるほど、よく言った。

 その私が、倍率、8・6倍のK大学に合格した。今では考えられないような倍率だが、
当時は、どこの国立大学も、同じようなものだった。私たちの世代は、団塊の世代と呼ば
れている。中学校でのクラス数も、1学年上が、5、6クラス。私たちの学年からは、1
1クラスもあった。しかも1クラス、55人前後。まさに寿司詰め!

●仕送りは、1万円だけ

 当時、下宿代が、9000円前後だったと思う。4年生のときには、1万2000円に
なっていた。

 が、実家からの仕送りは、4年間を通して、月に1万円だけ。学費と、足りない分は、
アルバイトで稼ぐしかなかった。が、試験期間中になると、そのアルバイトもできなかっ
た。私は、朝と夕に出される下宿の食事だけで、生き延びたこともある。

 その1万円も、母は、「頼母子講(たのもしこう)」と呼ばれた、相互金融救済制度をつ
かって、工面していた。1万円といっても、当時の大卒の初任給が、4〜5万円の時代だ
ったから、それなりの高額であったことには、まちがいない。

 こうして私は、大学を卒業するまで、貧乏が当たり前の生活をした。今になってみると、
それがよかったのか、悪かったのか……。中には、「若いころに、貧乏を経験しておくとい
い」と言う人もいるが、その貧乏にも、程度というものがある。それに期間というものが
ある。

 私のばあい、中学生になるころには、「ジリ貧」を感じていた。ジリジリジリと、家が貧
乏になっていくのが、私にも、よくわかった。

 が、父も兄も、なすすべもなく、それに耐えるだけ。祖父は、道楽でオートバイをいじ
っているだけ。母は母で、おかしな迷信ばかり信じて、そのときすでに私とは、まったく
会話がかみあわなかった。今でも家の中には、仏壇のほか、4〜5種類の神棚が祭ってあ
る。

 私のばあい、その期間が長すぎた。多情多感なあの思春期という時代にしてみれば、そ
れは「一生」と言えるほど、長すぎた。

●実家への仕送り

 プライド? そんなものは、どこにもなかった。店は、M町という田舎町だったが、そ
の町の中心部にあった。その町の中心部で、父は、先にも書いたように、酒を飲み、大声
をあげて、暴れた。

 だれの目にも、私の家が、そういう家であることは、よくわかった。私ができることと
いえば、居直って生きるだけ。「今だけだ」と、自分を慰めて、生きるだけ。

 私は、そんなわけで、あのM町については、今も、「ふるさと」という思いは、まったく、
ない。帰りたいと、思ったこともない。

 ただ私が、ワイフと結婚する前から、収入の約半分を、実家へ仕送りをしていたのは、
それをするのが、私の義務と感じていたからにほかならない。「ふるさとを捨てた」という
自責の念があったためかもしれない。

 何も、好きこのんで、そうしていたわけではない。

 そういう思いの中で書いたエッセーが、つぎのエッセーである。これは中日新聞に発表
した記事だが、ほかの記事とちがって、大きな反響があった。それを紹介する。

++++++++++++++++

●父のうしろ姿

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私
の父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。2、3日おきに近所の酒
屋で酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。

そんなわけで私には、つらい毎日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に
学校から帰ってくるときも、家が近づくと、あれこれと口実を作っては、その友人と別
れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いていた。それを友人に見せることは、
私にはできなかった。

 その私も52歳。1人、2人と息子を送り出し、今は三男が、高校3年生になった。の
んきな子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを20人も呼んで、パーティ
を開くという。「がんばろう会だ」という。

土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。片づけながら、ふと三男
にこう聞いた。「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくないか」と。

すると三男は、「どうして?」と聞いた。理由など言っても、三男には理解できないだろ
う。私には私なりのわだかまりがある。私は高校生のとき、そういうことをしたくても、
できなかった。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭い思いをしていた。

「今度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。父が壊し
た障子のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が30歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母です
ら、どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが
奇異な感じがした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。

40歳を過ぎるころになると、その当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようにな
った。商売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、
父は「Jストアよりも安いものもあります」と、どこかしら的はずれな広告を、店先の
ガラス戸に張りつけていた。

「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告を張りつ
けたこともある。しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の実弟、つまり私
の叔父だった。

叔父は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやし
かったのだろう。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だ
からうしろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついて
みたら、うしろには誰もいない。そんなことも多い。

ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそれを教えてくれた。客がいない日
は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。あるいは油で汚れた作業台
に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを思いやると、今、私が
感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だ
ろう。いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。

「パパ、ありがとう」と。

そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

+++++++++++++++++

 この中で、「叔父が……」という話を書いた。これについて、その叔父の息子、つまり従
兄弟(いとこ)から、「Jストアに店を出したのは、父ではない。このぼくだ。(だから父
のことを悪く書かないでほしい)」という、抗議の電話をもらった。

 それについては、私は知らなかった。叔父といっても、私にとっては、父親のような人
だったから、悪口を書いたという思いは、私にはなかった。

 それに私は子どものころから、商売というのは、そういうものだと、わかっていた。勝
った、負けたは、当たり前。負けたからといって、どうと思うこともないし、私は、何と
も思わなかった。つまり叔父をうらんだことは、一度も、ない。

 それに勝ったと思ったところで、そんな思いは、長くても、1世代もつづかない。今度
は、自分が、だれかに追われる立場になる。あとは、その繰りかえし。

●貧乏という心のキズ

 そんなわけで、私の心には、無数のキズがついている。貧乏という、キズである。その
キズが、具体的に形となって現れているのが、今の私の不安神経症ではないか? いつも
何かに追われているという強迫観念、それが、心のどこかにある。

 悪夢も、よく見る。

 たいていはどこかの旅先にいて、そこでバスや電車に乗り遅れるという夢である。ある
いはホテルで荷物の整理をしているうちに、刻々と時間だけが過ぎていく。そんな夢であ
る。

 で、おそらく私は、死ぬまで、そういう夢から解放されることはないだろうと思う。だ
からといって、そういう自分の過去を、うらんでいるというわけではない。そののち、い
ろいろな人と会った。知りあった。

 そういう経験を通してみると、ほとんどの人が、形や内容こそちがえ、みな、何らかの
心のキズをもっている。心のキズをもっていない人はいない。そしてそれぞれの人が、そ
のキズを背負いながら、懸命に生きている。それがわかった。

 こうした私の過去は、決して私だけのものではない。むしろ、私など、まだ幸福なほう
だったかもしれない。

 そのあと、今のワイフに恵まれた。3人の健康な息子たちにも恵まれた。結婚してから
は、それほどぜいたくな生活はできなかったが、ほどほどに、自分の人生を楽しむことが
できた。今も、こうして自分の人生を、思う存分、楽しんでいる。

 が、ひとつだけ言えることは、私がしたような経験は、私、ひとりでたくさん。息子た
ちには、そういう思いだけは、させたくないということ。今も、そのつもりで、がんばっ
ている。

 そういう私を知ってか知らずか、息子の1人は、よくこう言う。「パパは、何でも、お金
で解決しようとする」と。

 私は、そう言われたとき、ふとこう思う。「何を、生意気なことを! 私の気持ちを話し
たところで、お前たちに、理解できるものか!」と。

 しかしその(思い)を伝えたくて、今朝、このエッセーを書いた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
私の過去 過去 貧乏論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老齢期の知能

+++++++++++++++

先日、旭ヶ丘幼稚園のH理事長に
会ったとき、理事長が、一枚のグラフ
を私に見せてくれた。

「ほかの幼稚園では見せないように」
とのことだった。

そのグラフを見せながら、理事長は、
「判断力は、年齢とともに、衰える
ことはない。

むしろ、判断力は、老人になれば
なるほど、ますものだ」と、教えて
くれた。

+++++++++++++++

 心理学の世界にも、「流動性知能」という言葉と、「結晶性知能」という言葉がある。

 流動性知能というのは、臨機応変にその場の状況に応じて、学習しながら、身につける
知能をいう。たとえば外国へ行って、その国の言葉を覚えるのが、それにあたる。

 結晶性知能というのは、自分のした経験や体験を、結晶化させた知能をいう。わかりや
すく言えば、時の流れとともに、熟成される能力ということになる。判断力もそれに含ま
れる。

 流動性知能は、児童期から青年期にかけてピークを迎えるが、結晶性知能は、老年にい
たるまで、一貫して、上昇しつづける(ホーン、ほか)。

 つまりH理事長が言ったように、判断力は、年をとればとるほど、ましていくというこ
とになる。

 ただし、それには条件がある。当然のことながら、結晶性知能を維持するためには、そ
れなりの努力をしなければならない。それは何も、結晶性知能にかぎったことではない。
流動性知能にしても、それなりの努力をしなければ、宝のもち腐れで終わってしまう。

 外国へ行って、その国の言葉を覚えるにしても、それなりの努力をしなければならない。
同じように、結晶性知能を磨くためには、やはりそれなりの努力をしなければならない。
当然である。

 では、どうしたらよいのか?

 体(肉体)の健康と、脳みそ(知的能力)の健康は、日々の鍛錬(たんれん)のみによ
って、維持される。たとえば運動をしたり、ジョギングをしたりして、体の健康を維持す
ることができるように、脳みそもまた、それを刺激することによって、その健康を維持す
ることができる。

 それを怠れば、体の健康も、脳みその健康も、ない。怠ったとたん、その時点から、体
の健康と、脳みその健康は、低下する。

 以前、こんな原稿を書いたことがある。何かの本で発表しようと思って書いた原稿だが、
内容が内容だけに、ボツにした。

+++++++++++++++

●子どもの自我

 ほぼ30年ぶりにS氏と会った。会って食事をした。が、どこをどうつついても、A氏
から、その30年間に蓄積されたはずの年輪が伝わってこない。話そのものがかみあわな
い。どこかヘラヘラしているだけといった感じ。そこで話を聞くと、こうだ。

 毎日仕事から帰ってくると、見るのは野球中継だけ。読むのはスポーツ新聞だけ。休み
は、晴れていたらもっぱら釣り。雨が降っていれば、ただひたすらパチンコ、と。

「パチンコでは半日で5万円くらい稼ぐときもある」そうだ。しかしS氏のばあい、そ
ういう日常が積み重なって、今のS氏をつくった。(つくったと言えるものは何もないが
……失礼!)

 こうした方向性は、実は幼児期にできる。幼児でも、何か新しい提案をするたびに、「や
りたい!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になって「やりたくない」とか「つ
まらない」と言う子どももいる。

フロイトという学者は、それを「自我論」を使って説明した。自我の強弱が、人間の方
向性を決めるのだ、と。たとえば……。

 自我が強い子どもは、(1)生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口
にする)、(2)ものの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)で、(3)
創造的(将来に向かって展望をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、(4)
自制心が強く、善悪の判断に従って行動できる。

 反対に自我の弱い子どもは、(1)物事に対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という
言葉をよく口にする)、(2)考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこ
がれたり、占いや手相にこる)、(3)一時的な快楽を求める傾向が強く、(4)ルールが
守れず、衝動的な行動が多くなる。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをか
けられない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」とい
う、つかみどころが、はっきりとしている。生活力も旺盛(おうせい)で何かにつけ、
前向きに伸びていく。反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じ
になる。何を考えているかわからない子どもといった感じになる。

 その道のプロなら、子どもを見ただけで、その子どもの方向性を見抜くことができる。
私だってできる。しかし20年、30年とたつと、その方向性はだれの目から見てもわ
かるようになる。それが「結果」として表れてくるからだ。

先のS氏にしても、(S氏自身にはそれがわからないかもしれないが)、今のS氏は、こ
の30年間の生きざまの結果でしかない。

 帰りぎわ、S氏は笑顔だけは昔のままで、「また会いましょう。おもしろい話を聞かせて
ください」と言ったが、私は「ハア」と言っただけで、何も答えることができなかった。

++++++++++++++++

 ここでいう「自我」とは、「私は私」という意識のことをいう。自我の発達がすぐれてい
る子どもは、「YES・NO」の意思表示がはっきりとしている。ハツラツとしていて、表
情も明るい。

 そこでもう一度、フロイトの自我論に耳を傾けてみよう。

自我が強い子どもは、(1)生活態度が攻撃的、(2)ものの考え方が現実的、(3)創造
的、(4)自制心が強く、善悪の判断に従って行動できる。

 反対に自我の弱い子どもは、(1)物事に対して防衛的、(2)考え方が非現実的、(3)
一時的な快楽を求める傾向が強く、(4)ルールが守れず、衝動的な行動が多くなる、と。

 この理論を、反対に読むと、そのまま脳みその健康論としても、応用できる。つまり、(1)
生活態度が攻撃的、(2)ものの考え方が現実的、(3)創造的、(4)自制心が強く、善悪
の判断に従って行動できれば、その人(子ども)の脳みそは、健康であるということにな
る。

 反対に、(1)物事に対して防衛的、(2)考え方が非現実的、(3)一時的な快楽を求め
る傾向が強く、(4)ルールが守れず、衝動的な行動が多くなれば、その人(子ども)の脳
みそは、健康ではないということになる。

 そこであなたの脳みその健康度を、チェックしてみよう。

【脳みその健康度チェックテスト】

問1

 あなたは何か新しいものを見たり聞いたりすると、それに興味を示すか? それとも、
「めんどうだからいや」と、それから逃げてしまうか?

問2

 あなたは頼れるのは、私だけと考える傾向が強いか? それとも、いつも何か神秘的な
力にあこがれ、占いやまじないに頼る傾向が強いか?

問3

 あなたは誘惑に強く、自制心が強いほうだと思うか? それとも誘惑に弱く、一時的な
快楽を求める傾向が強いか?

問4

 あなたはいつも社会のルールをきちんと守るほうか? それともその場その場で、適当
にルールを破って生活をすることが多いか?

 もしこのテストを、子どもに応用してみるなら、(あなた)の部分を、(あなたの子ども)
という言葉に置きかえてテストしてみるとよい。

 このテストで、より前者のようであれば、あなた(あなたの子ども)の脳みそはそれだ
け、健康ということになる。そうでなければ、そうでない。

 その脳みその健康は、「考えること」のみによって、維持される。それについても、以前、
こんな原稿を書いた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
脳の健康度チェックテスト)

+++++++++++++++++

●無限ループの世界

 思考するということには、ある種の苦痛がともなう。それはちょうど難解な数学の問題
を解くようなものだ。できれば思考などしなくてすましたい。それがおおかたの人の「思
い」ではないか。

 が、思考するからこそ、人間である。パスカルも「パンセ」の中で、「思考が人間の偉大
さをなす」と書いている。しかし今、思考と知識、さらには情報が混同して使われている。
知識や情報の多い人を、賢い人と誤解している人さえいる。

 その思考。人間もある年齢に達すると、その思考を停止し、無限のループ状態に入る。「そ
の年齢」というのは、個人差があって、一概に何歳とは言えない。20歳でループに入る
人もいれば、50歳や60歳になっても入らない人もいる。

「ループ状態」というのは、そこで進歩を止め、同じ思考を繰りかえすことをいう。こ
ういう状態になると、思考力はさらに低下する。私はこのことを、講演活動をつづけて
いて発見した。

 講演というのは、ある意味で楽な仕事だ。会場や聴衆は毎回変わるから、同じ話をすれ
ばよい。しかし私は会場ごとに、できるだけ違った話をするようにしている。これは私が
子どもたちに接するときもそうだ。

毎年、それぞれの年齢の子どもに接するが、「同じ授業はしない」というのを、モットー
にしている。(そう言いながら、結構、同じ授業をしているが……。)

で、ある日のこと。たしか過保護児の話をしていたときのこと。私はふとその話を、講
演の途中で、それをさかのぼること20年程前にどこかでしたのを思い出した。とたん、
何とも言えない敗北感を感じた。「私はこの20年間、何をしてきたのだろう」と。

 そこであなたはどうだろうか。最近話す話は、10年前より進歩しただろうか。20年
前より進歩しただろうか。あるいは違った話をしているだろうか。それを心のどこかで考
えてみてほしい。

さらにあなたはこの10年間で何か新しい発見をしただろうか。それともしなかっただ
ろうか。こわいのは、思考のループに入ってしまい、10年一律のごとく、同じ話を繰
りかえすことだ。

もう、こうなると、進歩など、望むべくもない。それがわからなければ、犬を見ればよ
い(失礼!)。犬は犬なりに知識や経験もあり、ひょっとしたら人間より賢い部分をもっ
ている。しかし犬が犬なのは、思考力はあっても、いつも思考の無限ループの中に入っ
てしまうことだ。だから犬は犬のまま、その思考を進歩させることができない。

 もしあなたが、いつかどこかで話したのと同じ話を、今日もだれかとしたというのなら、
あなたはすでにその思考の無限ループの中に入っているとみてよい。もしそうなら、今日
からでも遅くないから、そのループから抜け出してみる。方法は簡単だ。

何かテーマを決めて、そのテーマについて考え、自分なりの結論を出す。そしてそれを
どんどん繰りかえしていく。どんどん繰りかえして、それを積み重ねていく。それで脱
出できる。

+++++++++++++++

 しかし実際問題として、(考える)というのは、能力の問題ではなく、習慣の問題である。
それはちょうど、健康論に似ている。

 健康は、日々の体の鍛錬のみによって、維持される。しかしそれは努力の問題ではなく、
習慣の問題である。

 わかりやすく言えば、脳みそにせよ、健康にせよ、それを鍛錬する習慣が、日常的にあ
るかどうかということ。それがあれば、その結果として、それらの健康は維持される。

 たとえば私は、今のところ、健康である。成人病とは無縁である。ではなぜ、私がそう
であるかといえば、理由は、はっきりしている。

 私はこの35年間、自転車通勤を欠かしたことがない。片道、7キロ、往復、14キロ
の道のりだが、その間には、1キロ前後のダラダラ坂もある。夏の暑い日も、冬の寒い日
も、汗を流しながら、そこを通っている。

 それがここでいう(習慣)である。

 つまりそういう習慣を、自分の生活の中で作ること。それが体の健康と、脳みその健康
を守る。

 最後に、一言。

 旭ヶ丘幼稚園のH理事長が見せてくれたグラフは、最後のところ、つまり老齢期の終わ
りのところで、ストンと、下にさがっている。つまり判断力が、突然、下に落ちている。
それについて、私が、「?」というような表情をしてみせたら、H理事長は笑いながら、こ
う教えてくれた。

 「認知症か何かになると、こうなりますよ」と。

 そういうこともある。(ゾーッ!)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
老齢期 判断力 結晶性知能 流動性知能 思考力 脳の健康 脳の健康力)

【付記】

 はっきり言おう!

 ものの考え方が、防衛的、依存的、保守的、非現実的であり、快楽主義的な傾向が強い
というのであれば、その人の脳みそは、それだけ、非健康的であると考えてよい。

 神秘主義も、そうだ。たとえばカルト教団に身を寄せる人は、それだけ、非健康的であ
ると考えてよい。占いや、まじないを信ずる人も、そうである。

 脳みそという、頭の内部の問題であるだけに、外からは、わかりにくい。また、それだ
けに、だまされやすい。どこかのオバチャンに、もっともらしいことを言われたりすると、
それなりに信じてしまう人は多い。

 老人について言うなら、老齢期を迎えても、前向きに積極的に生きて人もいれば、現実
世界から離脱していく人もいる。前者は、「活動性理論」(フリードマンとハヴィガースト)、
後者は、「離脱理論」(カミングとヘンリー)によって、説明される。

 「私は老人だから……」と、「ダカラ論」で自分を正当化しようとする人は、それだけ脳
みそが、非健康的であることを示す。

 脳みそが健康な人は、肉体の健康と同じように、ものの考え方が積極的、独立的、かつ
現実主義的である。またそういう自分をめざして、がんばらなければならない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
脳の健康論 健康な脳)

【付記2】

 昨今、「脳年齢」という言葉に代表されるように、脳みその(でき・ふでき)は、知能的
な能力のみによって判断される傾向が強い。

 しかしそれ以上に大切なのは、「脳みそ」の健康度である。

 いくら頭がよくても、どこかのカルト教団の研究室で、毒薬を作る研究をしていたので
は、何も、ならない。脳みそそのものが、非健康的であることを示す。

 これから先、「脳みその健康」について、さらによく考えてみ
たい。

 
Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1345)

●子どもをよい子にする方法

+++++++++++++++++

意外と簡単なのが、子どもをよい子に
する方法。

つぎの3つを守れば、あなたの子どもは、
まちがいなく、そのよい子になる。

+++++++++++++++++

 意外と簡単なのが、子どもをよい子にする方法。つぎの3つを守れば、あなたの子ども
は、まちがいなく、そのよい子になる。

(1)よい人間の見本を、子どもに見せる。
(2)(子どものしたいこと)と、(していること)を、一致させる。
(3)子どもを使う


(1)よい人間の見本を、子どもに見せる。

 子育てというのは、子どもを育てることではない。子育てというのは、子どもに、子ど
もの育て方を教えることをいう。

 「父親というのはこういものだ」「母親というのはこういものだ」と。さらに「家族とい
うのはこういうものだ」「幸福な家庭というのはこういうものだ」と。

 その中のひとつに、「よい人間の見本を見せる」というのもある。

 子どもをよい子にしたかったら、まず、親が、その見本を見せる。誠実で、まじめで、
勤勉で、約束を守る人間の姿である。ウソやごまかしではいけない。そういう親の姿を、
日常的に見せる。見せるだけでは足りない。子どもの体の中に、しみこませておく。

(2)(子どものしたいこと)と、(していること)を、一致させる。

 (したいこと)を、(している)子どもは、強い。夢や希望もそこから生まれる。目標も、
生まれる。

 そういう子どもは、誘惑にも強い。だからまちがった道には、入らない。

 たとえて言うなら、愛しあった末、結婚した夫婦がそうである。そういう夫婦は、たが
いに生き生きとしている。何かの苦労があっても、それを共に乗り越える力をもっている。

 が、そうでない夫婦は、そうでない。誘惑にも弱い。基盤も軟弱だから、こわれやすい。

 そこで重要なことは、子どものしたいことを、子どもができるように、仕向けてやるこ
と。子どもが「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それは、すばらしいこと
よ」「いっしょに、畑に苗を植えようね」と、子どもを励ます。

(3)子どもを使う

 子どもというのは、使えば使うほど、よい子になる。社会性や生活力が身につくことは
もちろん、忍耐力も、養われる。

 子どものばあい、忍耐力というのは、(いやなことをする能力)をいう。

 子どもをドラ息子、ドラ娘にすれば、やがて苦労するのは、子ども自身ということにな
る。

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 以上の3つに関する原稿を、ここに添付します。

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●仲のよいのは見せつける

 子どもに、子育てのし方を教えるのが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに、
子育てをするのですよ」と、その見本を見せる。見せるだけでは足りない。子どもの体に
しみこませておく。もっとわかりやすく言えば、環境で、包む。

 子育てのし方だけではない。「夫婦とはこういうものですよ」「家族とはこういうもので
すよ」と。とくに家族が助けあい、いたわりあい、なぐさめあい、教えあい、励ましあう
姿は、子どもにはどんどんと見せておく。子どもは、そういう経験があって、今度は自分
が親になったとき、自然な形で、子育てができるようになる。

 その中の一つ。それがここでいう「仲のよいのは、見せつける」。夫婦が仲がよいのは、
遠慮せず、子どもにはどんどん見せつけておく。手をつないで一緒に歩く。夫が仕事から
帰ってきたら、たがいに抱きあう。一緒に風呂に入ったり、同じ床で寝るなど。夫婦とい
うのは、そういうものであることを、遠慮せず、見せておく。またそのための努力を怠っ
てはいけない。

 中には、「子どもの前で、夫婦がベタベタするものではない」と言う人もいる。しかしそ
れこそ世界の非常識。あるいは「子どもが嫉妬(しっと)するから、やめたほうがよい」
と言う人もいる。しかし子どもにしてみれば、生まれながらにそういう環境であれば、嫉
妬するということはありえない。「嫉妬する」と考えるのは、そういう習慣のなかった人が、
頭の中で勝手に想像して、そう思うだけ。が、それだけではない。

 子どもの側から見て、「絶対的な安心感」が、子どもを自立させる。「絶対的」というの
は、「疑いをいだかない」という意味。堅固な夫婦関係は、その必要条件である。またそう
いう環境があって、子どもははじめて安心して巣立ちをすることができる。そしてその巣
立ちが終わったとき、結局は、あとに残されるのは、夫婦だけ。そういうときのことも考
えながら、親自身も、子どもへの依存性と戦う。

家庭生活の基盤は、「夫婦」と考える。もちろんいくらがんばっても、夫婦関係もこわれ
るときは、こわれる。それはそれとして、まず、家庭生活の基盤に夫婦をおく。子ども
の前では、夫婦の仲がよいのを見せつけるのは、その第一歩ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●日本人のアイデンティティ
 
 (自分のしたいこと)と、(自分のしていること)が一致していれば、その子どもは、落
ちついている。安定している。これを、アイデンティティ(自己同一性)という。が、と
きとして、その両者がかみあわなくなるときがある。

 A君(小学3年生)は、「おとなになったら、サッカー選手になりたい」と思っていた。
地元のサッカークラブでも、そこそこに、よい成績を出していた。が、そこへ進学問題が
からんできた。まわりの子どもたちが、進学塾に通うようになった。

 A君は、それでもサッカー選手になりたいと思っていた。が、現実は、そうは甘くなか
った。4年生になったとき、さらに優秀な子どもたちが、そのサッカークラブに入ってき
た。A君は、相対的に、目だたなくなってしまった。

 ここでA君は、(自分の進みたい道)と、現実とのギャップを、思い知らされることにな
る。が、こうした不一致は、ただの不一致では、すまない。

 A君は、心理的に、たいへん不安定な状態に置かれることになる。いわゆる「同一性の
危機」というのが、それである。が、さらに進学の問題が、A君に深くからんできた。母
親が、A君にこう言った。

 「成績がさがったら、サッカーはやめて、勉強しなさい」「サッカーなんかやっていても、
プロのサッカー選手になるのは、東大へ入ることより、むずかしいのよ」と。

 子どもというのは、自我に目覚めるころから、自分のまわりに、(自分らしさ)をつくっ
ていく。これを役割形成という。が、その(自分らしさ)がこわされ始めると、そこで役
割混乱が起きる。

 それは、心理的にも、たいへんな不安定な状態である。

 たとえて言うなら、好きでもない男と、妥協して結婚した、女性の心理に近いのではな
いか。そんな男に、毎夜、毎夜、体を求められたら、その女性は、どうなる?

 こうしてアイデンティティの崩壊が始まる。

 一度、こういう状態になると、程度の差もあるが、子どもは、自分を見失ってしまう。
いわゆる(だれでもない自分)になってしまう。自分の看板、顔、立場をなくしてしまう。
が、そこで悲劇が止まったわけではない。

 A君は、進学塾に通うことになった。母親が、「いい中学へ入りなさい」と、A君を攻め
たてた。A君は、ますます、自分を見失っていった。

 こういう状態になると、子どもは、つぎの二つのうちの、一つを選択することに迫られ
る。

 (だれでもない自分)イコール、無気力になった自分のままで、そのときを、やりすご
すか、代償的な方法で、自分のつぎの道をさがし求めるか。

 代償的な方法としては、攻撃的方法(非行など暴力的行為に走る)、服従的方法(集団を
組み、だれかに盲目的に服従する)、依存的方法(幼児ぽくなり、だれかにベタベタと依存
する)、同情的方法(弱々しい自分を演じて、いつもだれかに同情を求める)などがある。

 ふつうこの時期、多くの子どもたちは、攻撃的方法、つまり非行に走るようになる。(だ
れでもない、つまり顔のない人間)になるよりは、(害はあっても、顔のある人間になる)
ことを望むようになる。

 この時期の子どもの非行化は、こうして説明される。

 で、自分の存在感をアピールするために、学校でわざと暴れたりするなど。このタイプ
の子どもに、「そんなことをすれば、みんなに嫌われるだけだよ」と諭(さと)しても意味
はない。みなに恐れられること自体が、その子どもとっては、ステータスなのだ。

 子どもを伸ばす鉄則。(子どもがしたがっていること)と、(していること)を一致させ
る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アイデンティティ 同一性の崩壊 同一性の危機 自己同一性 現実自己 自己概念)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

(子どもが伸びるとき)

●伸びる子どもの4条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。(1)好奇心が旺盛、(2)忍耐力がある、(3)
生活力がある、(4)思考が柔軟(頭がやわらかい)。

(1)好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子ども
は、身のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味も広く、
多芸多才。友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年下の友だ
ちもいる。何か新しい遊びを提案したりすると、「やる!」とか「やりたい!」とか言って、
食いついてくる。反対に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈〜ウ」とか、「も
うおうちへ帰ろ〜ウ」とか言ったりする。

(2)忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているか
らといって、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力という
のは、「いやなことをする力」のことをいう。

たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。そういう仕事でもい
やがらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。
あるいは欲望をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあっても、
手を出さないなど。こんな子ども(小三女児)がいた。たまたまバス停で会ったので、「缶
ジュースを買ってあげようか?」と声をかけると、こう言った。「これから家で食事をす
るからいいです」と。こういう子どもを忍耐力のある子どもという。この忍耐力がない
と、子どもは学習面でも、(しない)→(できない)→(いやがる)→(ますますできな
い)の悪循環の中で、伸び悩む。

(3)生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなった
とき、妹の世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。
親は「やらせればできるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子
どもという。エマーソン(アメリカの詩人、「自然論」の著者、1803〜82)も、『教
育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重することである』と書いている。

(4)思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じい
たずらでも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食
パンをくりぬいてトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかた
い子どもは、一度「カラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小
三男児)は、いつも自分の座る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうと
しなかった。

 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなに
なる、意固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作
や感情表現が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がか
かったような状態になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために

子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラス
の暗示をかけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソ
でもよいから、「あなたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り返
す。

もしあなたが、「うちの子は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。
まずいのは「あなたはダメになる」式のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あ
なたはやっぱりダメな子ね」式の、その子どもの人格の核に触れるような「格」攻撃は、
タブー中のタブー。

その上で、(1)あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むように
する(好奇心をますため)。また(2)「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、
家事の手伝いはさせる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、
そういう誤解は捨てる(忍耐力や生活力をつけるため)。

そして(3)子どもの頭をやわらかくするためには、生活の場では、「アレッ!」と思う
ような意外性を大切にする。よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われるのは、それ
だけ刺激が多いことによる。マンネリ化した単調な生活は、子どもの知恵の発達のため
には、好ましい環境とは言えない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
よい子の条件 よい子にするほ方法)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●さびしいアメリカ人

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さびしいアメリカ人がふえているという。

共同通信社が、そんな事実を伝えた。

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共同通信社は、こんな事実を伝えた(06年6月24日)

【ワシントン23日・共同】

米国人の4人に1人が、「大切なことを話せる親友などは1人もいない」と感じているこ
とが23日、アメリカン・ソシオロジカル・レビュー誌(電子版)に掲載された、デュ
ーク大などの調査でわかった。

 1985年と比較して、この割合は約2・5倍にふえており、研究者は核家族化や、少
子化が進み、社会とのきずなが薄れたことが、「さびしい米国人」急増の要因と、分析して
いる。

 全米の約1500人を対象に、2004年に行った調査によると、「個人的に重要なこと
がらを相談できる相手の数」は、「ゼロ」が24・6%で最も多く、平均では2・08人だ
った。

85年の調査では「ゼロ」は、10%、「3人」が最多(20・3%)で、平均は2・9
4人。約20年で、親友などの数がおおむね1人減ったことになる(以上、共同通信)。 

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 数字をもう一度まとめてみると、こうなる。

 個人的に重要なことがらを相談できる相手の数   0人……24・6%

                         平均で、2.08人。

 つまりアメリカ人の4人に1人は、「個人的に重要なことがらを相談できる相手が、いな
い」、ということだそうだ。

 また「相手がいる」と答えた人でも、2人が、平均値だという。

 この数字を知って、私は、ほっとしたというか、「そういうものだろうな」と、納得した。
何を隠そう、私だって、個人的に重要なことがらを相談できる人は、ワイフのほか、あと
1、2人くらいしかいない。

 親や兄弟、親類の人といっても、私のように故郷から離れて住んでいると、年々、ます
ます疎遠になっていく。それに、脳の老化の問題もある。相談するといっても、私の話を
理解できる人でないと困る。それなりに、同じ苦労を共有した人でないと困る。

 だれでもよいというわけではない。

 言いかえると、中には、友人の数を、ことさら自慢する人もいるが、そういうのは、た
いていのばあい、ウソと考えてよいということ。(もちろん友人といっても、いろいろなレ
ベルがあるだろうが……。)

 つぎに、生涯において、1人でもよいから、「個人的に重要なことがらを相談できる相手」
をつくることができた人は、それだけで、ラッキーな人と考えてよいということ。その1
人を作るのが、むずかしい。

 そこで(アメリカン・ソシオロジカル・レビュー誌)は、その理由として、「核家族化や、
少子化が進み、社会とのきずなが薄れたこと」をあげている。

 しかしそれはおかしい。

 核家族化や少子化が進めば、それだけ、人間関係も、濃密になると考えられる。不特定
多数の人たちと、広く、浅く交際するよりは、少人数の人たちと、狭い世界の中でもよい
から、深く交際するほうがよい。少なくとも、そういう部分が、生活していく上では、重
要である。核家族化や少子化イコール、さびしい(孤独)ということではない。

 では、何が、個人的に重要なことがらを相談できる相手の数を減らしたのか?

 ざっと思いつくことをあげるなら、(1)社会の功利化、(2)打算主義、(3)マネー万
能の人間関係、(4)過密化、(5)多忙化などがあると、私は、考える。つまり社会構造
そのものが変化してきた(?)。

 その結果として、個人的に重要なことがらを相談できる相手の数が、減った(?)。

 このことは私の個人的な経験をもとにして考えても、わかる。

 私も過去において、いろいろな人とつきあってきたが、とくに仕事上(ビジネス上)で
つきあった人についてみれば、終わってみると、何も残っていない。もともと、そういう
ものと、割り切ってつきあってきたからである。

 わかりやすく言えば、(金)、つまり(マネー)がからんだ人間関係というのは、それだ
け、もろく、壊れやすいということ。

 そういう人間関係が、個人の世界にまで、容赦なく押し寄せている。私は、それが原因
で、ここでいう、24・6%という数字になったのではないかと思う。

 どうであるにせよ、つまり原因がどうであるにせよ、現代人は、それだけ孤独になって
きているということ。それは事実。が、決して、他人ごとではない。

 私のばあいも、もしワイフが死んだら、それこそ、万事休す! その24・6%の中の
1人になる。つまりこの問題は、決して、他人の問題ではないということ。老後に近づく
につれて、だれしも、同じような問題をかかえることになる。

 だから、もう少していねいに、この数字を見ると、こういうふうにも、読める。

 20代の人……個人的に重要なことがらを相談できる相手……58%
 70代の人……個人的に重要なことがらを相談できる相手……6%、と。

 もちろんこの数字は、デタラメである。が、その平均値をとって、24・6%になった
と考えるのが、自然である。それに若いころというのは、それほど、深刻な問題は、ない。
少なくとも、(生きる)(死ぬ)にかかわる問題は、少ない。

 一方、(個人的に重要なことがらを相談できる相手)というのは、一朝一夕にできるもの
ではない。熟成に熟成を重ねて、20年とか、30年とか、そういう長い年月をかけて、
できる。そういうことも考えると、豊かな老後を築くためには、(今)からその準備をして
も遅くないということになる。若ければ若いほど、よい。

 この数字には、いろいろ考えさせられる。
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
孤独 孤独な人 孤独な老人 相談できる相手)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●反日から、仮想敵国
 
++++++++++++++++++++

反日から、今度は、仮想敵国に!

あの韓国のN大統領は、いったい、どこまで、
考え方が、うしろ向きなのだろう。

ますますあの大統領の脳みその中身が、理解できなく
なった!

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 韓国のN大統領が、こんなことを言い出した。

 いわく、「N大統領は22日、独島(日本名竹島)水域を守る海洋警察と会見し、『日本
の戦力は韓国より優れているが、韓国にも少なくとも日本が挑発できない程度の国防力は
ある。相手が挑発しようとした時に、利益より損することのほうが多いなと思わせる程度
の防御能力を備えることが重要だ』と話した」(韓国・C日報)と。

 つまり韓国の仮想敵国は、日本である、と。

 いつこの日本が、韓国を挑発した? 被害妄想も、よいところ。A新聞社が、セスナ機
を飛ばしただけで、ジェット戦闘機を飛ばしてきたのは、韓国のほうではなかったのか。

 測量のため巡視船を派遣しようとしたら、軍艦を並べてきたのは、韓国のほうではなか
ったのか。

 C日報ですら、社説の中で、「いくら発言の相手が独島を守る警察であったとしても、大
統領の発言にはそれなりの節度があるべきだった。『独島を守る軍事能力』を強調したいと
しても、このような宣戦布告めいた宣言以外に、いくらでも方法はあったはず」と。

 そう、まさに宣戦布告!

 いろいろな意見があるだろうが、ここまで言われて、日本も、おとなしくしている必要
はない。韓国を、経済的にしめあげるくらいのことは、日本も、そろそろ考えてよいので
はないだろうか。

 各団体や企業がしている、韓国の団体や企業との連携を解消するくらいのことはしても
よい。あるいは、日本の資金を、韓国から引きあげるくらいのことはしてもよい。

 (少し、過激かな?)

 ところで、心理学の世界には、「活動性理論」(フリードマンとハヴィガースト)、「離脱
理論」(カミングとヘンリー)という言葉がある。

 壮年期と同じように、老齢期にはいってからも、活動をつづける人もいれば、老齢期に
はいったとたん、生活そのものが、防衛的になり、生活を縮小させようとする人もいる。
そうした現象を総合的にみて、前者の基本となる考え方を、「活動性理論」と呼び、後者の
それを、「離脱理論」と呼ぶ。

 あえて言うなら、韓国のN大統領は、ものの考え方が、すべてその「離脱理論」に基づ
いている。

 しかしこういう大統領をもった、韓国は、不幸である。あわれである。今の日本人に、
韓国や(ついでにK国)を、侵略しようなどという意思をもっている人は、1人もいない。
いないことは、ほんの少しだけ、冷静にこの日本を見ればわかるはず。(頼まれても、断る。)

 だいたい、韓国にせよ、K国にせよ、日本は、相手にしていない。それとも、この日本
では、韓国のウォンの価値を、毎日、新聞やテレビで報道しているとでもいうのだろうか。
韓国の動静を毎日、テレビで報道しているとでもいうのだろうか。(韓国では、うるさいほ
ど、日本のことを報道しているが……。)

 反日も結構だが、同じ自由主義貿易体制の中で国を建てながら、今、どうして反日なの
か? 仮想敵国なのか?

 N大統領の支持率は、とうとう10%台にまで落ちこんでしまった。与党U党の支持率
は、それ以下。10%前後あたりを低迷している。

 当然である。

 私は、これほどまでに現実検証能力を失った指導者を、ほかに知らない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
活動性理論 離脱理論 老後 前向きな政治家 うしろ向きな政治家)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司


【今日・あれこれ】

●7月31日号

 これから7月31日号の、マガジンの配信予約を入れる。

 が、今日は、6月27日。小雨が降る、どこか小寒い朝だ。暑いよりはよい。

 このところ、やっと調子がもどってきた。キーボードを打つ手も、どこか軽やか。

 で、読者の方にお願い。

 もしできれば、マガジンは、「まぐまぐプレミア(有料版)」のほうを、購読してほしい
ということ。現在、月額200円で、提供しています。(10月からは、300円にさせて
ください。)

 よろしく、よろしく、お願いします。心から、よろしくお願いします。

 では、7月号は、これでおしまい。また8月号のほうで、お会いしましょう!


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 28日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●あと始末論

 ミキサーでジュースをつくる。まずバナナやミカンの皮をむき、それを包丁で小さく切
る。少し水を入れて、スイッチオン!

 できたジュースをコップに注ぐ。そして飲む。いや、その前にやるべきことは多い。ま
ず、コードをコンセントから抜く。包丁を水で流し、ミキサーのカップを洗う。それがす
んだらコードをミキサーに巻き、そして棚へしまう。ジュースを飲むのは、それからだ。
が、それですむわけではない。今度は使ったコップを水で流し、逆さにして、水を落とす。

 あと片づけとあと始末は、違う。きれいに片づけることをあと片づけといい、自分のし
たことについて責任をもって行動することを、あと始末という。日本人はどういうわけか、
あと片づけにはたいへんうるさい民族である。しかしあと始末に甘い?

 ある男性(五〇歳)は、牛乳を冷蔵庫から出しても、その牛乳を冷蔵庫にしまうことす
らしない。だから彼のワイフはこう言った。「夏場になると、牛乳なんて、あっという間に
腐ってしまうのよ」と。このタイプの男性は、本当に多い。食事のあと、食器を洗うどこ
ろか、その食器をシンクへもっていくことすらしない。あとは一事が万事。何もしない。
本当に何もしない。

 問題はどうしてこういう男性が生まれるかということ。(女性にもいるが……。)しかし
理由は簡単。子どものときから、そういう訓練を受けていない。「おなががすいたア〜」と
言うだけで、親が何でもしてくれる。「のどがかわいたア〜」というだけで、親が何でもし
てくれる。そういう環境で育てられている。親自身も、子どもに楽をさせるのが、親の愛
と誤解している。私が「子どもにもっと仕事を分担させなさい」と言うと、ある母親は、
こう言った。「いいんですか、そんなことさせて。何だか子どもに申し訳なくて……」と。

 多くの親は、ハシ並べやクツ並べをしてくらいで、子どもをホイホイとほめる。しかし
そんなのは手伝いとは言わない。ママゴトという。子どもというのは、皮肉なことに、使
えば使うほど、よい子になる。そこから忍耐力も生まれ、生活力も生まれる。それは家庭
教育の常識だが、それについて話すと、別の母親はこう言った。「使うと言っても、させる
ことがありません」と。

 掃除は掃除機で、五分ですんでしまう。洗濯機も皿洗いも、全自動。「何をさせればいい
ですか?」と。
 
 そこで改めてあと始末論。その気になれば、何だってある。たとえば子どもが、「ジュー
スを飲みたい」と言ったとする。そういうときはまず、ミキサーをもってこさせ、コード
をコンセントにつながせる。バナナとミカンを小さく切らせる。それをミキサーに入れさ
え、水を加えさせる。そしてスイッチを入れて、ミキサーを回す。

しかし重要なのはここからだ。子どもがジュースを飲む前に、あるいは飲んでからでも
よいが、子どもにそのあと始末をさせる。使ったコップにしても、子どもがコップを水
で流し、逆さにして、水を落とさせるまで、やらせることはいくらでもある。そういう
ことを「子どもを使う」という。

 そこであなたの家庭でも、どうだろう。今日から、こう言ってみては……。「あと始末を
しっかりとしようね」と。大切なのは、あと片づけではなく、あと始末。それがしっかり
できるかどうかで、結局は責任感の強い子どもになるかどうかが決まる。あと始末にはそ
ういう意味もある。決して安易に考えてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 あと始末 後始末 あと始末論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●スケベ力

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スケベ力には、ものすごいものがある。

それも、そのはず。

スケベ力は、あらゆる生きる力の、
原動力になっている。

そのため、そのスケベ力を抑えることは、
不可能と言ってもよい。

もし人間から、(動物でもよいが)、
そのスケベ力を奪ってしまったら、
人間は、その時点で、絶滅することになる。

スケベ力が悪いと決めてかかっては
いけない。

大切なことは、そのスケベ力を、
どう、コントロールするか、だ。

++++++++++++++++

●ビデオショップ

 おととい、近くのビデオショップへ、DVDを借りに行った。いつも行く店である。

 が、ふと見ると、カウンターの横に、カーテンがおろしている部屋があるのに気づいた。
「?」と思い、何の気なしに中をのぞくと、そこはスケベDVDの山!

 驚いた。私は、その店に通うようになって、もう3年近くになる。が、そんな部屋があ
ることさえ、気づかなかった。(これは、本当だぞ!)

 で、中に入ってみると、その部屋が、ふつうのDVDを並べてある部屋と同じくらいか、
それ以上に広いことを知った。これにも驚いた。

 たまたまDVDを棚へ戻しにやってきた店員に、「今一番の、人気ものはどれ?」と声を
かけると、店員は、すかさず、「ナンパもの」と言って、そのコーナーを指さしてくれた。

 見ると、「ナンパ」という文字のつくDVDが、そこには、ズラリ!、とあった。

 私は、その中から、「素人・ナンパ・中出し(X)」というタイトルのDVDを手に取っ
た。

 素人の女をナンパし、コンドームなしで、体内で射精までするというDVDである。

●フロイトとユング

 フロイトは、人間がもつ、(人間にかぎらないが……)、あらゆる生きる力の根源に、(性
的エネルギー)があると説いた。性的エネルギーこそが、人間の生きる原動力というわけ
である。

 一方、ユングは、(生的エネルギー)があると説いた。

 「性」と「生」のちがいだが、どちらが正しいということを議論しても、あまり意味は
ない。

 健康なときは、(性的エネルギー)が、人間を支配する。しかし病気になれば、今度は、
(生的エネルギー)が、人間を支配する。たとえば、死ぬか生きるかというような大病の
状態になれば、だれしも、「生きたい」と願うようになる。と、同時に、そういうときとい
うのは、性(セックス)への興味は、ほとんどゼロになる。

 どちらが原点にあるかと言えば、ユングが言ったように、(生的エネルギー)のほうが、
原点にあるということになる。フロイトが言った、(性的エネルギー)は、その(生的エネ
ルギー)の上にある。

 もっとわかりやすく言えば、生きているからこそ、セックスをしたくなる。

●ナンパ 

 私とて「男」だから、ふつう程度のスケベ心はある。(こんな弁解をするのも、おかしな
ことだが……。)

 だからそういうDVDに興味がないわけではない。若いころは、その類(たぐい)のビ
デオ、さらに若いころは、そういうスケベ本を、よく見た。しかし今は、DVD。

 そのDVDを、別の場所でビデオを選んでいたワイフに渡すと、ワイフは、けげんそう
な顔をした。で、しばらくそれを見つめたあと、こう言った。「こんなの、借りるのオ?」
と。

私「オー、久しぶりにナ」
ワ「私は、見ないわよ」
私「自分のパソコンで見るから、いい」と。

 私は、ほかに、戦争もののDVDを、2本、借りた。

●ナンパ

 若い男が、街角で、若い女に声をかける。恐怖心をもたせないように、あれこれ、気を
つかう。それが私にも、よくわかった。

男「ひとり?」
女「うん……」
男「今日は、暑いね」
女「うん……」
男「学校は休み?」
女「午後から、サボちゃったア」と。

 こうして男と女は出会い、たがいの会話をからませる。

男「お願いがあるんだけど、いいかな?」
女「何?」
男「お小遣いも、少しだけど、出すよ」
女「……」
男「プライベートな話を、聞くだけ……」と。

●若い女

 そのDVDには、5人の女たちが、順に登場する。年齢は、一応、18歳以上の女ばか
りということになっているが、それは「?」。

 1人の女は、「高校生よ」と言った。18歳の高校生もいないわけではないので、それは
それでよいのかもしれない。しかしどう見ても、高校1年生か2年生(?)。

男「どこから来たの?」
女「○○」
男「じゃあ、新幹線で来たの?」
女「うん……」と。

 その若い女は、新幹線を使って、東京まで、やってきたらしい。わざわざナンパされる
ために(?)。

 そしてお決まりの会話。

男「親は、(ここへ来ていることを)、知っているの?」
女「知っているわけないわよ」と。

●パターン

 5人の女たちが、ほとんど同じパターンで、やがて最終的には、男たちと、体をからま
せていく。それをまとめると、こうなる。

(第1ステージ・警戒と説得)

 先に書いた会話が、それにあたる。男は、女を警戒させないように、細心の注意を払う。
ひとつひとつ、女の気持ちを確かめながら、つぎの会話へと、話を進めていく。

(第2ステージ・じゃれあい)

 男が女のもちものや、服、下着について、あれこれ話しかける。それに答えて女は、ケ
タケタと笑いながら、「これはア……」「うん、そう」とか答える。

 こうして少しずつ、男は、その場の気分をもりあげていく。

 この段階では、まだ女のほうに、理性というか、自己管理能力が残っている。男に向か
って、「顔を出さないで」「乱暴にしないで」「写すのはいいけど、下着だけよ」とか、言う。

(第3ステージ・崩壊)

 が、ある一線を超えると、女のほうが、突然、大胆になる。男の方が、「すてきな乳首だ
ね」とか、何とか言って、乳首を口にふくむ。あるいは、下着の中に手を入れる。

 とたん、女の顔からは、笑みが消える。苦痛に満ちた顔つきになる。そのとき、……つ
まりその瞬間、女は、「女」になる。

 理性と、自己管理能力が、その瞬間、崩壊する。羞恥心も消える。それはまさに「瞬間」。
「ウフ〜ン、アア……」と目を閉じたとたん、そうなる。

 女が、男のペニスを口に含み、あとは、男たちのなすがままに、身を任せる。

 そのDVDには、先にも書いたように、5人の女たちが別々に登場する。が、どの女も、
まったく同じパターンで、男たちと遊び始めるのには、驚いた。

男「顔を(DVDに)出してもいい?」
女「いい……」
男「中で、出しても(射精しても)いい?」
女「うん、出して……」
男「何をしたい?」
女「お尻の穴をなめさせてエ!」と。

●人間の向こうの人間

 男たちもそうなのだろうが、女たちは、みな、自分で考えて、自分の意思で行動してい
ると思っているにちがいない。しかしこうして5人の女たちの行動パターンを並べてみる
と、どれも同じであることがわかる。

 まったく同じ。

 つまりその同じであるという部分が、(人間)ということになる。

 ちょうど、顔には目が2つあり、手には、指が5本あるように、人間の心の内部には、
みな、同じ(性的エネルギー)がある。

 男にしても、そうである。

 男は、女の体に興味をもつ。乳首を見れば、その乳首に唇をこすりつける。あるいは女
の陰核を、口で吸う。

 つまり男にしても、自分を超えたところにある、(人間)によって、動かされている。動
かされていると気づかないまま、動かされている。

 それに応じて、女も、動かされていると気づかないまま、動かされている。

●性病は? 妊娠は?

 一度、理性と自己管理能力が崩壊すると、女は、まさに動物的な「メス」へと変身する。
あれほど、「顔を(DVDに)出さないで」と言っていた女でも、途中で、「顔を出しても、
いい」と言い出す。

 ブラジャーの端を見られただけで、「イヤ!」と言っていた女が、その10数分あとには、
足を大きく広げて、男たちのなすがままに、身を任せる。

 驚いたのは、「中出し」、つまり、膣の中での射精。DVDのタイトルにもなっている。
3〜4人の男たちは、かわるがわる、女の体をもてあそぶ。つぎつぎと、女の体の中で、
射精する。コンドームは、もちろん、なし!

 私はそれを見ながら、「病気になったらどうするんだろう?」「妊娠したら、どうするん
だろう?」と考えた。「今では、HIV(エイズ)の心配だってあるのに……」とも。

 しかし女の表情を見るかぎり、そんな心配など、どこ吹く風。陶酔感に浸りきっている
といった感じ。なまめかしい、うめき声。ア〜ンア〜ンと、泣き声に近い声。それを、絶
え間なく、あげつづける! が、それだけではない。

男たちの射精が終わったあと、1人の女は、自分の膣に指を入れ、その指についた男の
精液を、おいしそうに、なめた!

●同一性の崩壊

 (自分のしたいこと)と、(していること)が一致している子どもは、強い。(おとなも、
そうだが……。)

 しかしその両者が不一致を起こすと、そこで同一性は、危機的な状態に立たされる。さ
らにその状態が、長くつづくと、自我は、やがて崩壊し始める。精神的にもたいへんもろ
くなる。同時に、情緒も、不安定になる。

 自分でも何をしたのか、それがわからなくなる。何をすべきかのかも、わからなくなる。

 こうなると、子どもの心には、大きな隙間(すきま)ができる。わかりやすく言えば、(ス
キ)ができる。そのスキをねらって、誘惑が入りこむ。

 その女たちを見ながら、(女の子たちと言ったほうが正しいかもしれないが)、私は、こ
う思った。

 「スキだらけ」と。「夢も希望もない。夢も希望もないから、目標もない。だから遊ぶ」
と。

 先にも書いたように、一人の高校生は、新幹線を使って、東京まで、やってきた。わざ
わざナンパされるために、だ。今は、そういう時代なのか? 決して、(ヤラセ)でないこ
とは、DVDを見ればわかる。演技で、できることと、できないことがある。ウソで言え
ることと、言えないことがある。

 私にも、それくらいの区別はできる。

●所詮、無

 しかし、射精にせよ、オルガスムスにせよ、その前に儀式としてするセックスにせよ、
すべて、所詮、「無」である。

 わかりやすく言えば、私たちが毎日する、小便や大便と同じ。どこもちがわない。「便」
と同じにすることに抵抗がある人は、「食欲と同じ」と考えたらよい。

 小便のばあいでも、がまんしている間は、苦しい。しかし一度出してしまえば、その前
までの苦痛は、ウソのように消える。消えてなくなる。

 同じように、性欲も、一度、排泄(?)してしまえば、あとには、何も残らない。ばあ
いによっては、男は女の体を、女は男の体を、見るのも、いやになる。

 つまり、最初から、「無」。「便」や「食欲」と同じように、「無」。

 それに気づいてしまえば、あとは、はやい。

●心を求めて……

 男にも更年期があるという。年齢的には、50〜55歳前後だという。そのせいかもし
れない。このところ、若い女の体を見ても、どこか(肉のかたまり)といった感じがして
ならない。

 が、今は、その年齢をすぎて、やや「男」を取り戻しつつある……というのが、現在の
私の状態である。

 だから、そういうDVDを見ながら、それなりに、男として、私の体が反応したのは事
実である。

 しかしやはり、「無」は「無」。トイレで小便をするのとまったく同じように、それ以上
の反応は、私にはなかった。

 で、スケベとは何か……ということになれば、そこには、(心の問題)がからんでくる。
また(心の問題)がからまないスケベには、意味がない。つまり意味のないスケベをする
ほど、私は、暇ではない。

 もちろん若い女と体をからませてみたいという欲求も、ないわけではない。しかしそこ
に至るプロセスというか、道のりには、ものすごい距離感を覚える。エネルギーも、つづ
かない。その距離感を覚えただけで、自ら、遠ざかってしまう。あきらめてしまう。

●結論

 はからずも、私は、若い男と女の生態を、そのDVDで知ることができた。頭の中では、
「そういうものだろう」とは思っていたが、そこに映し出された男と女は、まさに、生(な
ま)の男と女である。

 わかりやすく言えば、どこかのジャングルで、動物たちの生態を見せつけられたような
感じ……。

 私も若いころは、それなりにスケベだった。セックスも好きだった。しかしそれはいつ
も、男の側から見たスケベだった。

 しかし今は、女の側から見たスケベも、理解できるようになった。あるときなどは、「女
も、人間だったのだ」と、へんに感心したこともある。もっと言えば、男も、女も、同じ。
どこもちがわない。

 ただ男は、ストレートに、セックスへ入るのに対して、女には、それなりのお膳立てが
必要、ということ。このわずかなちがいが、男と女の(ちがい)を際だたせる(?)。無数
のドラマも、そこから生まれる。

 が、ちがいがないわけではない。そうしたDVDにしても、男たちは見るだろうが、女
たちは見ない。つまりそこに(男)と(女)の、ちがいが、凝縮されている。(それとも、
女も、そういうDVDを見るのだろうか?)

 ……一度でたくさん。二度と見たくない。そんなDVDだったが、私には、よい勉強(?)
になった。いろいろ考えさせられた。若い男や女を見る目が、少し変わったような感じが
する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
性 男の性 女の性 性的エネルギー)

(付記)

 あらためて私は、「性」のもつ力の、ものすごさを知った。

 男が「中出し」をすれば、女は、妊娠する。その可能性は高い。いくら排卵日を避けた
としても、いつもうまくいくとはかぎらない。

 しかしある一線を越えると、女は、まさに「メス」になる。その「メス」になったとき、
女からは、知性や理性、それに判断力が消える。

 こう断言することは、危険なことかもしれない。「私は、ちがう!」と、怒る女性もいる
かもしれない。もしそうなら許してほしいが、しかし、だからといって、「メス」になるこ
とを、私は、まちがっていると言っているのではない。

 人間というのは、人間である前に、動物である。だから人間が、本能の世界で、動物に
なったところで、何もおかしくない。

 ただ、ふつうなら、(つまり、ほどほどの知性や理性が残っているなら)、知りあって1
時間もたたないような男と、セックスなどしない。膣の中での射精まで、許しはしない!
 繰りかえすが、それで妊娠したら、その女はどうするのか!

 こうした女たちは、特別の女と見るべきなのだろうが、しかしそういう雰囲気もなかっ
た。見るからに、「素人」という感じだった。

 ……そんなわけで、ますます私は、こう思うようになった。「性のもつ力、つまりスケベ
力には、ものすごいものがある」と。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●講演・あれこれ

++++++++++++++++++++

今日は、講演活動のウラ話!

では、はじまり、はじまり!

++++++++++++++++++++

★小会場かと思ったら、大会場!

 講演というのは、そのつど、一回かぎりの1発、勝負! 2回目は、ない。そのため、
勝負は勝負でも、いつも真剣勝負!

 しかしその講演にも、いろいろある。

 S県での講演会のこと。片道、8時間の大遠征である。「教員の研修会」と聞いていたの
で、小さな、30〜50名ほどの会場を想像していた。

 控え室といっても、会場の外にあった。そこでお茶を飲んだり、主催者の人と雑談をし
たり……。すっかり、リラックスしていた。

 で、時間がきたので、案内されてついていくと、どうも様子がおかしい。いくつかの会
議室の前を通りすぎて、そのまま裏手に。
 
 案内されるまま、数段の階段を登ってみると、ビックリ、仰天! そこはそのまま劇場
の舞台になっていた!

 ナ、何と、1000人以上もの人たちがいるではないか! しかもほとんど全員が、S
県下の教員であるという。(あとで聞いたら、1400人だったとのこと。)

 ドキッとしたと同時に、ボーッと血が顔面にのぼってくるのがわかった。(最初から、覚
悟していれば、そういうことはなかったのだが……。)

 もちろん、その反対のこともある。

 4、5時間もかけて行ったのだが、20人前後の小さな会場だった……ということも、
ときどきある。しかも校長室へ行くと、講師の先生たちが、4、5人もいたりする。

 話を聞くと、「各学年ごとの勉強会」とのこと。私以外の講師は、みな、地元の、開業医
とか、スポーツ指導者とか、菓子職人のおやじさんとか……。

 で、私だけが、スーツ姿。あとの人たちは、ジーパンにTシャツ!

 正直に告白するが、そういうときは、来なければよかったと、心底、後悔する。

●会場の中央が、託児コーナー

 ふつう若い母親を対象にした講演会では、別に託児ルームをもうけてくれるところが多
い。しかし、そこは、ちがった。

ある幼稚園で講演をしたときには、中央部に、(中央部にだぞ!)、幼い子どもを預かる
コーナーが作ってあり、それを取り囲むように、若い母親たちがすわっていた。

 ちょうど、ドーナツのように、だ。

 で、しばらく話していると、その中央にいる幼児たちが、騒ぎ出した。走り出した。レ
スリングまがいの遊びもし始めた。

 ギャーギャー、ワイワイ、ドスンドスン……、と。

 私は、右と左のほうへ、そのつど大きく顔を振りながら、大声で、怒鳴りつづけた。そ
うでもしないと、幼児たちの騒音にのまれてしまいそうになる。もちろん汗、ダクダク。
マイクはあるにはあったが、問題は、母親たちだ。

 母親たちが、幼児たちの騒音にのまれそうになる。が、のまれたら最後。母親たちは、
雑談を始める。しかし、もうそうなったら、講演は、おしまい。メチャメチャ。だから私
も必死。私の迫力のほうで、母親を、私にひきつけておく必要があった。だから怒鳴った。

 終わったときには、私の声は、完全にかれていた。

★恐ろしい会場

 一番、こわい思いをしたのは、F市のRシアターというところで講演をしたとのこと。
演台は舞台の上にあったが、真正面と真上から、まばゆいばかりのスポットライト。おま
けに聴衆席は、真っ暗。

 前がまったく見えない。聴衆の姿はもちろん、顔も見えない。表情も見えない。本当に
真っ暗!

 私は、暗闇に向かって、……というよりも、スポットライトの下にいるはずの聴衆に向
かって、そのときも2時間近くしゃべった。しかし、こわかった。聴衆の姿が見えないと
ころで、講演をするということが、かくもおそろしいことだとは、それまで、想像すらし
なかった。

 不気味なんてものではない。かろうじて、会場のそでの、最前列あたりの人たちは見え
たが、まさか、そちらのほうばかり見て話をするというわけにもいかない。

★おしゃべりは厳禁

 会場の人たちは、舞台の話し手からは、自分の姿は見えないと思っているかもしれない。
しかし、それは、まったくの誤解。

 演台からは、コソコソと話している人が、たいへんよくわかる。いくら声をひそめても、
静かに話していても、それが、たいへんよくわかる。

 それは白い紙の上に落ちた、黒いシミのようなもの。本当に、本当に、たいへん、よく
わかる。

 で、私のばあい、そういう人たちを見かけると、集中的に、そちらばかりにらみながら、
話すことにしている。ジーッとにらんで話す。

 しかしそういう人たちにかぎって、平気で話しつづける。そういう人たちというのは、
私の視線すら見ていない。だから私もムキになる。ムキになって、机をたたいたりして、
注意をひきつける。

★顔が見えない会場

 先ほど、スポットライトが強すぎて、会場の人の顔が見えなかった話をしたが、長細い
会場でも、似たようなことが起きる。

 ある幼稚園で講演をしたときのこと。そこは3つほどの部屋をつなげた、細長い会場だ
った。

 で、そこで講演をしたのだが、同じ床の上に立って話したこともある。親たちがすわる
椅子が、高かったこともある。

 私から見えるのは、前のほう、約3分の1ほどの人たちだけ。うしろのほうの人たちは、
頭の先、あるいは、そのてっぺんしか見えない。

 聴衆の顔が見えないというだけで、話す側としては、不安になる。反応がわからないか
らだ。だからそのときも、大声で、怒鳴るようにして講演をした。

★私があがった!

 講演慣れをしているとはいえ、ときとしてあがることもある。

 あるRクラブで講演したときのこと。

 そこは、全員、男性だった。

 しかも一番前にすわっていたのが、ワイフが世話になったことがある、I医師。その医
師が、私が話し始めるとすぐ、ポケットから時計を取り出して、それをみがき始めた。私
はそれが気になった。気になって、私も、その時計を見ながら、話した。

 が、そのうち頭の中が、混乱。自分でも何をどう話しているか、わからなくなってしま
った。とたん、あがってしまった。

 男性というのは、反応を示さない。無表情。ふつうなら笑ってもらえるような場面でも、
シーンとしているだけ。それで、私は、ますますあがってしまった。

 こういう講演をすると、あとで、ヘトヘトに疲れる。

★いつも同じ

 よく誤解されるが、大会場であろうと、小会場であろうと、私の話し方は同じ。大会場
だから真剣に話して、小会場だから手を抜くということは、ありえない。そういうことを
考えるだけで、疲れてしまう。

 ただ大きな講演を近くにひかえているときは、小さな講演で、同じ内容の話をして、練
習するときはある。「練習」というと失礼な感じがするが、しかしだからといって、いいか
げんな気持ちで、それをするわけではない。

 また私は、講演の直前には、ぜったい、食事をしない。食事をしたら最後、眠ってしま
う。一度だけだが、講演の前に食事をしてしまい、本当に眠ってしまったことがある。

 大阪のある幼稚園で講演したときのこと。その前に出された、寿司を食べてしまった。
で、あろうことか、講演の途中で、猛烈な睡魔に襲われた。そしてその瞬間、コックリと
眠ってしまった。(本当だぞ!)

 で、あとで主催者の方に聞いたら、「気がつきませんでした」とのこと。ホッとした。

★うれしくない聴衆

 私のばあい、できるだけ、どの会場でも、ちがった話をするようにしている。が、それ
でも、似たような話をすることがある。

 そういうとき、「先月、先生の話を聞いたのですが、今日も聞きにきました」と伝えてく
る人がいる。

 そういう話を聞くと、さあ、たいへん!

 ワイフに相談すると、「同じ話をしても、構わないんじゃ、ない」と。平気でそう言う。
が、私は、そうではない。あわてて話の構成を変える。

★構成を変える

 講演が始まってから、構成を変えるということは、そんなわけで、よくある。

 会場に来てみたら、「男性がほとんど」「老人がほとんど」「若い母親がほとんど」という
ことが、よくある。

 そういうことは、会場に行ってみないと、わからない。「若い母親が対象」と思って行っ
てみたら、ほとんどが年配の男性、ということも、ときどきある。

 そういうときは、あらかじめ用意したレジュメ(要旨)は、破棄。その会場の雰囲気に
あった話に切りかえる。

★時間に追われて……

 私は、元来、早口。乗ってくると、さらに早口になる。

 が、さらに早口になるときがある。

 「3つの話をします」と最初に宣言したようなばあい。2つ目までは何とか、話した。
で、これから3つ目の話……というときになって、時計を見ると、10〜15分しか、残
っていない!

 そういうときは、さらに早口になる。

 暴走族が、200キロ前後のスピードで走るようなものである。

 自分でも、それがよくわかっている。

★すばらしい会場

 会場といっても、「箱」は、関係ない。立派な会場だから、話しやすいとか、小学校の炊
事室だから、話しにくいということはない。講演の「質」は、聞いてくれる人の、「真剣さ」
で決まる。

 静かな会場で、講演をする「私」と、それを聞いてくれる「理解者」とが、一本の糸で
つながったのを感じたとき、私は、講演者としての、講演冥利(みょうり)を覚える。

 (「冥利を覚える」というのは、正しい日本語ではないかもしれない。冥利……「神仏が
人知れず与える利益」「ありがたさ」と、日本語大辞典にはある。)

 そういうときは、講演のあと、「してよかった」と感ずる。

★講師料

 講師が受け取る講師料は、県の公立機関(学校ほか)でするときは、x万円と相場が決
まっている。自治体が主催するときは、もう少しよいが、反対に、1万円以下ということ
もある。

 そういうときは、「名誉職」、あるいは、「ボランティア活動」ということで、自分を納得
させる。

 そんなわけで、「講演すれば、もうかるでしょう?」と、言われたりすると、私は、ムキ
になって、こう反論する。「それは、中央から来たような講師のばあいです。私は、そうで
はありません!」と。

 「お金もうけのためにしている」と思われることほど、不愉快なことはない。また、そ
ういうことを考えたら、講演など、できない。だから今まで、一度とて、講師料のことで、
文句を言ったり、不平を言ったりしたことはない。「自分の考えを聞いてもらえる」という
ことだけでも、ありがたい。

 それはたとえて言うなら、自分の時間、つまり人生、つまり命を、みなと、共有できる
ことを意味する。

 それはすばらしい体験である。

 こういう計算をするのは、失礼なことかもしれないが、100人の人が、2時間、私の
講演を聞いてくれるということは、私は、その2時間を、200時間、生きることになる。
ときどき、講演の途中で、そう思うこともある。

 で、今年も、講演の季節は、終わった。この6月には、10か所で講演をさせてもらっ
た。7月1日に、F市で講演をしたあとは、講演も、1、2週間に1回程度になる。

 忙しかった。そして疲れた。時間のやりくりが、たいへんだった。

 私は別にBW教室という、小さな教室を経営している。昨年は、教室を犠牲にして、講
演活動をした。そのため、教室のみなさんには、大きな迷惑をかけた。しかし、今年は、
教室運営に影響のある講演は、すべて断った。

 そのため、私のために、学校や幼稚園のスケジュールを、変えてくれたところもある。

 本当にみなさん、ご協力、ありがとうございました。再び、みなさんにお会いできるこ
とを、楽しみにしています。本当に、ありがとうございました。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
講演)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●評論家のウソ

+++++++++++++++++

教育評論家は、ウソが、好き。
そんなエッセーを、またまた、
読んだ。

私も、その評論家のハシクレだが、
そのウソには、いつも注意している。

もちろん、事実を、伏せて書くことは
ある。

しかし、それとウソとは、ちがう。

+++++++++++++++++

 教育評論家は、ウソが好き。自分の説を、美談で飾る。ウソで飾る。そういう例は、多
い。最近も、新聞で、こんなエッセーを読んだ(C新聞、6月)。

 夫は、日本人。妻は、デンマーク人。3人の、子持ち。

その中の長男(小3)のこと。みながデンマークに住んでいるときには、よく家事を手
伝った。食後も皿洗いも、日課としてしていた。

 が、日本へやってくると、その皿洗いをしなくなった。デンマーク人の母親が、理由を
聞くと、長男は、こう答えたという。

 「皿洗いをしていると言うと、友だちにバカにされた」「日本では、男は皿洗いをしない
と言われた」「だから、もう皿洗いはしない」と。

 エッセーを要約すると、そういう話になる。しかしこの話は、どうも、できすぎ。それ
に不自然。要するに、「日本人は、皿洗いをしない」「男尊女卑的な思考プロセスがまだ残
っている」「それが子どもの世界にまで、影響を与えている」ということを、その評論家は、
言いたかったらしい。

 しかし、これはいつの時代の話のことか?

 いろいろな調査結果を見ても、50代、60代以上の男性は、たしかに家事をしない。
しかし20代、30代の若い夫をみると、このところ、家事を手伝う人がふえている。私
がした調査でも、35%前後の若い夫のばあい、炊事、洗濯、育児などの家事を積極的に
手伝っていることがわかっている。

 (同じく、35%の夫は、何もしないが……。残りの30%は、ほどほどに家事をした
り、しなかったりという状態らしい。)

 しかしこれとて、もう5、6年前の調査である。最近は、家事を手伝う夫は、もっとふ
えているはず。

 「日本では、男は皿洗いをしない」と子どもが、その長男に言ったというが、疑問の第
一。最近の子どもが、そんなことを言うだろうか?

 つぎに、子どもの世界でも、家事が、よく話題になることはある。しかし家の手伝いを
よくしている子どもほど、みなに、尊敬される。「お前、すごいなあ」という言葉は出てく
るかもしれない。が、「バカにされた」とは? これが疑問の第二。

 さらに家庭における習慣というのは、自分が他人の家庭をのぞいたり、あるいは反対に、
他人が自分の家庭に入り込んできてはじめて、比較できるもの。子どもどうしの会話くら
いで、影響を受けるものではない。

 そんなことは、家庭教育の、イロハ。

 反対のことを考えてみれば、そんなことはすぐわかる。

 もしあなたの子どもが、家事の手伝いをしないことで、(しないことで、だぞ!)、友だ
ちにバカにされたとする。すると、あなたの子どもは、その日から、家事の手伝いをする
ようになるだろうか。しかし、そんなことはありえない。

 昔、日本へやってきた、オーストラリアの留学生などは、その家のホストが、「皿洗いは
しなくていい」と言ったそうだが、しかしそのあと1年以上も、その皿洗いをつづけた。
身についた習慣というのは、そういうものである。

 ……などなど、まだいろいろ書きたいが、「できすぎている」という点で、この話は、ウ
ソと断定していよい。

 ただ教育的なエッセーでは、事実を隠して書くということはある。とくに批判的な原稿
を書くときはそうで、それは当然のことである。地名や、家族構成を変えたりする。父親
の職業を、変えることもある。2つの話を、1つにすることもある。

 しかしそれと、ウソとはちがう。

 以前、書いた原稿を、ここに添付する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
評論家のウソ 嘘 嘘をつく評論家 評論家の美談)


++++++++++++++++++

●教育者が口にする美しい話は疑え!

教育者が美談を口にするとき

●どこかおかしい美談

 美しい話だが、よく考えてみるとおかしいというような話は、教育の世界には多い。こ
んな話がある。

 あるテレビタレントがアフリカへ行ったときのこと。物乞いの子どもがその人のところ
にやってきて、「あなたの持っているペンをくれ」と頼んだという。

理由を聞くと、「ぼくはそのペンで勉強をして、この国を救う立派な人間になりたい」(※)
と。そのタレントは、感きわまった様子で、ほとんど涙ながらにこの話をしていた(2
000年夏、H市での教育講演)。

しかしこの話はどこかおかしい。だいたい「国を救う」という高邁な精神を持っている
子どもが、「ペンをくれ」などと物乞いなどするだろうか。仮にペンを手に入れたとして
も、インクの補充はどうするのか。「だから日本の子どもたちよ、豊かであることに感謝
せよ」ということを、そのタレントは言いたかったのだろうが、この話はどこか不自然
である。こんな事実もある。

●日本の学用品は使えない?

 15年ほど前のこと。S国からの留学生が帰国に先立って、「母国の子どもたちに学用品
を持って帰りたい」と言いだした。最初は一部の教師たちの間の小さな運動だったが、こ
の話はテレビや新聞に取りあげられ、ついで県をあげての支援運動となった。

そしてその結果だが、何とトラック一杯分のカバンやノート、筆記用具や本が集まった
という。

 で、その約一年後、その学用品がどう使われているか、二人の教師が現地まで見に行っ
た。が、大半の学用品はその留学生が持ち逃げ。残った文房具もほとんどが手つかずのま
ま、学校の倉庫に眠っていたという。

理由を聞くと、その学校の先生はこう言った。「父親の一日の給料よりも高価なノートや
鉛筆を、どうして子どもに渡せますか」と。「石版にチョークのほうが、使いやすいです」
とも。そういう話なら私にもわかるが、「国を救う立派な人間になりたい」とは?

 そうそう似たような話だが、昔、『いっぱいのかけそば』という話もあった。しかしこの
話もおかしい。貧しい親子が、一杯のかけそばを分けあって食べたという、あの話である。
国会でも取りあげられ、その後、映画にもなった。

しかし私がその場にいた親なら、そばには箸をつけない。「私はいいから、お前たちだけ
で食べろ」と言って、週刊誌でも読んでいる。私には私の生きる誇りというものがある。
その誇りを捨てたら、私はおしまい。親としての私もおしまい。またこんな話も……。


●「ぼくのために負けてくれ」

 運動会でのこと。これから五〇メートル走というときのこと。横に並んだB君(小二)
が、A君にこう言った。「お願いだから、ぼくのために負けてくれ。でないと、ぼくはママ
に叱られる」と。

そこでA君は最初はB君のうしろを走ったが、わざと負ければ、かえってB君のために
ならないと思い、とちゅうから本気で走ってB君を追い抜き、B君に勝った、と。ある
著名な大学教授が、ある雑誌の巻頭で披露していた話だが、この話は、視点そのものが
おかしい。

その教育者は、二人の会話をどうやって知ったというのだろうか。それに教えたことの
ある人ならすぐわかるが、こういう高度な判断能力は、まだ小学二年生には、ない。仮
にあったとしても、あの騒々しい運動会で、どうやってそれができたというのだろうか。
さらに、こんな話も……。

●子どもたちは何をしていたか?

 ある小学校教師が一時間目の授業に顔を出したときのこと。小学一年生の生徒たちが、
「先生の顔はおかしい」と言った。そこでその教師が鏡を見ると、確かにへんな顔をして
いた。

原因は、その前の職員会議だった。その会議で不愉快な思いをしたのが、そのまま顔に
出ていた。そこでその教師は、三〇分間ほど、近くのたんぼのあぜ道を歩いて気分を取
りなおし、そして再び授業に臨んだという。その教師は、「そういうことまでして、私は
子どもたちの前に立つときは心を整えた」とテレビで話していたが、この話もおかしい。

その三〇分間だが、子どもたちはどこで何をしていたというのだろうか。その教師の話
だと、その教師は子どもたちを教室に残したまま散歩に行ったということになるのだが
……?

 教育を語る者は、いつも美しい話をしたがる。しかしその美しい話には、じゅうぶん注
意したらよい。こうした美しい話のほとんどは、ウソか作り話。中身のない教育者ほど、
こうした美しい話で自分の説話を飾りたがる。

※……「立派な社会人思想」は日本のお家芸だが、隣の中国では、今「立派な国民思想」
※がもてはやされている。親も教師も、子どもに向ってさかんに「立派な国民になれ」と
※教えている(北京第三三中学校教師談)。

それはさておき、そのタレントは、「その子どもは立派な人間になりたいと言った」と話し
たが、その発想そのものがまさに日本的である。英語には「立派な」にあたる単語すらな
い。

あえて言えば「splendid, fine, noble」(三省堂JRコンサイス和英辞典)だが、ふつう
そういう単語は、こういう会話では使わない。別の意味になってしまう。一体その物乞い
の子どもは、そのタレントに何と言ったのか。この点からも、そのタレントの話は、ウソ
と断言してよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 教育者の美談 虚言 美談に注意 教育評論家の美談)



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 26日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家庭内暴力】

●壮絶な家庭内暴力

+++++++++++++++

東京都に住んでいる、Eさんという
母親が、長男の家庭内暴力に
苦しんでいる。

父親と、二男とは、そのため別居。
疲れきったEさんは、「死んでしまいたい」
とまで思うようになったという。

+++++++++++++++

E様へ

拝復

 パソコン上で原稿を書くと、どこかに記録が残ってしまいます。それがいつか、思わぬ
ところで、表に出てきてしまうことがあります。それでここでは、「E様」とします。お許
しください。

 また、同じような問題をかかえている、ほかの多くの親たちの参考と励みになるよう、
一部、E様からいただいた相談内容を、引用させていただきますが、どうか、ご了解の上、
二部、お許しください。

 E様からのメールを、要約させていただきます。

++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】

 2年前に相談したことがある、東京都のEです。

 現在、兄は、高校1年生、弟は、中学2年生です。以前は、父親と私、子ども2人で、
生活していました。

 その兄、つまり長男のことです。

 中学3年になるころから、暴力がはげしくなり、「こんな俺にしたのは、お前だ」と、私
を殴ったり、蹴ったりします。タバコを吸い始め、髪の毛も茶色に染め始めました。3年
の中ごろから、学校へも、ほとんど行かなくなりました。

 学校の先生から、「排除」という言葉が出てきたのも、そのころです。長男を、学校から
排除するというのです。それで長男の荒れは、ますますひどくなりました。

 そこで父親(私の夫)と、二男は、近くにアパートを借りて、別居。現在は、私と、長
男だけが、いっしょに暮らしています。食事は、私が作り、毎日、父親と二男に届けてい
ます。

 長男の暴力はひどいですが、一線だけは守ってくれているようです。今のところ、指の
骨折程度ですんでいます。

 一応、単位制の通信高校に通っていますが、ほとんど学校へは行っていません。昼夜が
逆転し、夜中に起きてきて、私に、「食事を作れ」「こうなったのは、お前のせいだ」「弟は、
お前と別れて、よくなっただろ」「お前は、この家から出て行け」と、蹴ったりします。

 私の精神はボロボロで、自殺願望も生まれてきました。

 『許して、忘れる』という先生から教えてもらった言葉を口ずさみながら、何とか、そ
れに耐えていますが、本当にこれでいいのでしょうか。一言、アドバイスをしてください。
(東京都・Eより)

+++++++++++++++++++++++

Eさんの転載許可がいただけましたので、
Eさんからのメールを、ほぼそのまま、
ここに紹介します。

上記の内容とダブりますが、お許しください。

+++++++++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】


+++++++++++++++++++++++++++

転載許可がいただけましたので、Eさんからのメールを、
そのまま紹介させていただきます。(6・21)
Eさん、ありがとうございました。

+++++++++++++++++++++++++++

【Eより、はやし浩司へ】

2年ほど前、当時小学6年生だった。次男の不登校のことでご相談した事がある者です。
長男は、当時、中学2年生でした。

その長男が中3になり、中1とし、弟は同じ中学校に入学してきましたが、そのときもま
だ、弟の学校恐怖症がつづき、学校へは、行けない状況にありました。

そのことで長男は友達から、弟のことで、いろいろとつらいことがあったようです。

家でゴロゴロと寝ている弟をみて登校していく長男でしたが、6月の運動会が終わったあ
たりから、変わってきました。

タバコを、学校帰りに、友達と吸ったり、不良なんだとわざと見せるような行動をとるよ
うになりました。

深夜徘徊をしたり、学校から排除されるようなことを先生に言われたりし、しのともあっ
て、友達も、みんな長男から、引いてしまったようです。孤立してしまいました。

2学期からはほとんど学校へは行かず、受験も拒否。

髪は茶髪、金髪、弟へのプロレスごっこと称しての暴力もはじまり、それを止めないとい
って弟は、容赦ない暴力を私へ向けてきました。

去年の12月に主人と次男は隣町のマンションへ、出て行きました。

次男は中学も変わり、中1の3月までは不登校でしたが、中2になり4月からはまだ1日
も休むことなく楽しく登校できているようです。

長男は卒業式にも出席することなく、一応単位制の通信高校に入学はしましたが、ほとん
ど登校していません。

昼夜が逆転し、夕方ぐらいに起きてきて、夜中にわたしを起こし、飯を作れとか、耳元で、
わざと、うるさい音楽を流したりと、嫌がらせがつづいています。

『お前がこんなにしたんだ、お前が出て行けば俺はよくなる! ○○(次男)もお前から
離れたからよくなっただろう』と、蹴ったり殴ったりします。

それでも手加減はしてくれているようで、いままで病院へ行ったのは右手小指の骨折だけ
です。
私も学校へ行けだとか、昼夜が逆転していることを、なおしなさいとか、言わないように
しています。

次男へは毎日夕食を運んでいます。

自分を高めなければ精神がボロボロになってしまって、自殺願望が強くなるばかりです。
許して、許して忘れるの先生のお言葉を毎日、念仏のように口ずさみ、耐えています。
やがて時間が解決してくださると・・・

先生、それでいいのでしょうか、何も言わず、待つことがいちばんなんですよね。
もし、それでよけでば、それでよしとお答えくだされば、とても強い力になります。

孤独に閉鎖された中で戦う私に、後押ししてくださいませんでしょうか。
どうか、よろしくお願いします。
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 家庭内暴力 親への暴力)


【追伸、Eより、はやし浩司へ】

長男のことについての相談のお返事、ありがとうございました。
ブログへの掲載はかまいません。

昨日も、長男が、弟は、おたくっぽくてかっこ悪いというので、そんなことないよ、かっ
こいいよといったことに腹を立て、殴ったり、ものをこわしたり、網戸を破ってそれにラ
イターで火をつけようとしました。

私はそれに驚き、集合住宅でもあるし、火を出したら大変だと、脅す大河をそれだけはい
けないと叫びました。

私が嫌がる事はわざとやるので、ソファーも火をつけたり、(すぐ消える程度)していたの
で、私がまず、家を出なければと急いで家を出ました。

そして一晩帰宅しませんでした。
長男へはメールで、「火をつけたり、暴力が続くとお互い傷つくし、自分も他人も取り返し
のつかないことになったら大変だから、暴力が治まるまで帰りません。何がそんなに哀し
いのかな・・・みんな、大河を愛しているよ、それはいつまでも変わりません。」
と送りました。

警察の少年サポートセンターの方が暴力からは逃げてください、受けたそのときに家を出
てください、毎日連絡は入れてください、と指導されました。

私も、どうしていいやら家を出て実家に帰ったものの、心配でなりません。
今は荷物を取りに帰宅しています。

次男へ食事も運べませんし、夫がコンビニの弁当を買ってきているようです。
2〜3日したら帰宅しようとは思いますが、どうなんでしょうか。

火をつけたり、そんなまねごとでも危険な事は、許すわけにはいきません。

私は内科でデパスとメイラックスという、不安を取り除くお薬を処方してもらい、寝る前
に飲んでいます。

メイラックスと言う薬は次男も、G大病院思春期外来で処方され、飲んでいました。
長男に、飲ませてはどうでしょうか。

とても、病院に一緒に行ってくれる状態ではありません。
長男が苦しんでいるのはわかります。
だから、強がって仮面をかぶって外に出るのもわかります。
不良になりたがるのも、よくわかります。

私も、そんな格好を非難する言葉や、世間体が悪いだとか、罵るような事を言ってしまい
ました。

反省しています。

それなのに、今からでも大丈夫でしょうか、母と子の関係を修復できるでしょうか。  

今回はご返答ありがとうございました。
私は「許して忘れて、諦める」を念頭に、がんばって母親をやっていきます。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Eさんへ】

 家庭内暴力の背景には、つぎのような素因があると考えてください。ざっと、急いで書
きあげたので、不備があるかもしれません。

(1)子ども自身の、うつ病。(心の病気)
(2)子ども自身の人間関係調整機能の喪失。(基本的信頼関係の構築の失敗)
(3)子ども自身の自己管理能力の欠落。(幼児性の持続。わがまま)
(4)子ども自身の二重人格性。(自分とは別の自分による暴力行為)
(5)子ども自身の欲求不満。(性的欲求不満も含まれる。)
(6)子ども自身の生育上の問題。(乳幼児期に「いい子」で通ってしまった。)
(7)下の弟との関係。(「兄」であることから受ける重圧感。欲求不満)

 が、何よりも大きな素因は、(8)自己嫌悪から発生する、自暴自棄的自虐性です。

 このタイプの子どもは、自分の中にある、(自己嫌悪感)を解消したくても、それができ
ないジレンマに陥っていることが多いです。自己管理能力のしっかりしている子ども(人)
は、それを、うまく処理できるのですが、それができません。

 それで弱い母親に対して、「こんなオレにしたのは……!」という言葉が出てきます。つ
まり自分で、自分を嫌っているわけです。(嫌う)というよりも、みなに嫌われているもど
かしさ、本当の自分を認めてもらえないつらさ、それを(暴力)にかえていると思ってく
ださい。

 だから本当に、母親であるあなたを嫌っているというわけではありません。形こそ、少
しいびつですが、暴力的な(甘え)と理解すれば、よいかもしれません。

 もちろんその(甘え)の中には、さまざまな要因がつまっています。

 ここにあげた(人間関係調整機能の喪失)も、そのひとつです。つまり人間関係がじょ
うずに調整できない子どもは、依存的になったり、服従的になったり、同情的になったり
しますが、他者に対して攻撃的になったりします。

 お子さんは、最後の攻撃型タイプということになります。(攻撃型タイプも、他者に対し
て攻撃的になるタイプと、自分に対して自虐的になるタイプがあります。)

 が、心理状態は、いつも、孤独で、心の中に空虚感を覚えていると理解してください。
つまり心の中は、さみしいのです。そのさみしさを、埋めるために、あなたに対して暴力
を振るっているのです。

 ……と書くと、どうして?、と思われるかもしれませんね。

 実は、あなたはお子さんのことを思ったり、心配してはいますが、そのつど、同時に、
お子さんを、突き放すような言動をしているからだと考えてください。これは無意識のう
ちに、そうしているのがふつうです。

 子どもの心というのは、そういう意味では、たいへん敏感です。あなたのささいな言動
から、それをさぐり当ててしまいます。

 そこであなたのお子さんは、ギリギリのところまでしながら、あなたの心を試そうとし
ます。ギリギリのところです。

 家庭内暴力を起こす子どもは、いつもその限界の内側で暴れます。あなたが言う(自制)
という言葉は、それを言います。「これ以上のことをしたら、おしまい」という、その一歩
手前で、暴力を止めます。

 これはお子さんの中に、もう一人の別のお子さんがいて、それを制御しているためと考
えれば、わかっていただけると思います。つまりそのつど、もう一人のお子さんが、「もう、
やめておけ」「そのへんで、ストップしろ」と命令をくだしているわけです。

 それで「指の骨折程度」ですんでいるわけです。

 つまりあなたのお子さんがしていることは、典型的な、「家庭内暴力」ということになり
ます。ですから、今は、つらいかもしれませんが、(お気持ちは察しますが)、問題として
は、とくに変わった問題ではないということです。

 少なくとも、まったく同じような状況で、引きこもりを起こす子どもよりは、立ちなお
るのがずっと楽ですし、立ちなおったあと、むしろ、かえって常識豊かな人間になります。

 私はそういう子どもの例を、何十例も見てきました。ですから、決して希望を捨てず、
あきらめず、短気を起こさず、前に向かって進んでください。必ず、一過性のもので終わ
ります。そしてみな、なにごともなく、終わっていきます。

 『許して、忘れる』……これは何も、まちがっていません。今こそ、あなたの愛という
よりも、深い人間性が、子どもによって確かめられているのです。わかりますか? 

 親が子どもを育てるのではありません。親は、子育てで苦しみながら、子どもによって
育てられるのです。

 そこでつぎのことに注意してみてください。

(1)突き放すようなことは言わない。 

 一方でお子さんのことを心配しながら、他方で、お子さんを突き放すようなことを言っ
たり、したりしていませんか? たとえば、「ごめん、ごめん」と口で言いながら、少し、
お子さんの機嫌がよくなると、「もう、あなたなんかイヤ」とか言う、など。

 これは究極の状態ということになりますが、「私はもう殺されてもいい。それでも、私は
あなたを見捨てませんからね」という状態になったとき、あなたのお子さんは、はじめて、
あなたに安心感を覚えるようになります。

 あなたにその覚悟はできていますか。が、あなたには、その覚悟は、まだできていない。
「殺されるのはいやだ」「世間体が悪い」「子育ては、もうこりごり」と。

 あなたのお子さんは、そのスキをついて、家の中で暴れます。満たされない愛への欲求
不満を、あなたにぶつけてきます。ですから、あなたはつぎの言葉だけを、子どもの前で
は、繰りかえします。

 「ごめんなさい。お母さんが、悪かった」「どんなことがあっても、私はあなたを愛しつ
づけます」と。何があっても、最後の最後まで、その言葉を繰りかえします。これはまさ
に、壮絶な根くらべです。

(2)子どもも苦しんでいる。

 あなたには想像できないかもしれませんが、あなたのお子さんも、そういうあなたを見
ながら、苦しんでいます。あなたが苦しんでいる以上に、お子さんも苦しんでいるという
ことです。(今のあなたには、想像できないかもしれませんが……。)

 あなたは、お子さんにとって、最後の(心の拠り所)です。砦(とりで)です。その拠
り所を、自分で破壊しながら、お子さん自身は、自分でそれをよしとはしていないのです。
愛する人(=あなた)をキズつけながら、それをしている、自分が苦しいのです。

 自己嫌悪から自暴自棄になるのは、そのためと考えてください。

 しかも自分に関することが、すべてうまくいかない。中学校の友人たちには嫌われる。
高校へも進めなかった。何をしてよいのかわからない。何をしたいのかもわからない。家
族もバラバラになってしまった。(現実の自分)と、(自分が頭の中に描く自分)が、一致
せず、混乱している。

 それは思春期のお子さんにしてみれば、たいへんな苦しみということになります。

 今のお子さんの心理状態は、そういう状態であると考えてください。つまりあなたが、
それをまず、理解します。その上で、「あなたも苦しんでいるのね」と、子どもを暖かく包
んであげます。

(3)心の病気と考えてください。

 できれば、一度、心療内科を訪れてみてください。今ではすぐれた薬も開発されていて、
お子さんの(突発的なキレ)(異常なこだわり)(うつ症状)などにも、すぐれた効果があ
ります。

 心の病気といっても、脳の機能的な障害ですから、おおげさに考えないこと。決してお
子さんが、このまま人格障害者になるとか、そういうことではありません。いわば、一過
性の、はげしい熱病のようなものです。

 しかも、確実になおる見込みのある熱病です。今までの私の経験からしても、今が山で、
18歳ごろまでには、ウソのように落ち着いてきます。先にも書きましたが、引きこもり
を起こすタイプよりは、ずっと回復も早く、予後(その後の経過)もいいです。

(家庭内暴力を起こすタイプを、「プラス型」というなら、引きこもりを起こすタイプは、
「マイナス型」ということになります。まったく正反対の症状ですが、原因も、対処の
仕方も、同じです。)

 ですから、薬で落ち着かせる部分については、薬に頼ります。あなた自身が、カプセル
の中に入ってしまわないで、他人に任すところは、任せます。

 私はドクターではありませんが、心療内科のドクターも、「うつ病」に準じて、治療を開
始するはずです。

 ただこのときも、注意しなければならないことは、たとえ心療内科へ連れていくとして
も、(突き放すような言動)は、タブーだということです。施設へ入れるとか、入院させる
とか、そういう話は子どもの前では、ぜったいに、してはいけません。

 少し前、子どもの立場で、自分の心の状態を語ってくれた青年がいました。(私のBLO
Gなどに書いておきましたが、ご覧になってくださいましたか? マガジンでも取りあげ
たことがあります。)

 このBLOGの中で、「じじさん」というのは、その青年を批判した男性のことをいいま
す。内容はわからいませんが、多分、その男性は、その青年を、「引きこもりは、怠け病だ」
とでも言ったのではないかと思います。それでその青年が、反発しました。

+++++++++++++++++

【宮沢KさんのBLOGより転載、転載許可済み】

● 引きこもりは、病気だ!

お気楽にやっていきたいのに、今日もシビアになっちまう。

「引きこもり者更生支援施設内で暴行か、引きこもり男性死亡」って事件の話。

不条理日記さんのIMスクールについて、KMさんという人のコメント。

「このケースは、言ってみれば、自信過剰の民間療法の素人が、
癌の治療に手を出したようなものでしょう。
引きこもりの一部は精神科の病気、
それもとても治療の難しい病気なのだという対応が必要です。」

この人が正しい。タイコバン!

それに対して管理人のじじさんが

「引きこもりが病気!?
そのように病気病気言うから病気に甘えて
薬に甘えて医者、病院にあまえて何もできなくなってしまうから
それがひきこもりって、そのまんまの名前の病気になってしまうんではないでは? 」

じじさん、あんたねえ、
KMさんも「引きこもりの一部は」って、言ってるでしょ。
引きこもりには怠けもんも多いけど
正しい? 病気の人も多いの。

世間一般、じじさんと同じように思ってるだろうけど、
メラトニンやコルチゾールの分泌異常とか
前頭葉領域の血流低下とかアセチルコリンの消費量増大とか、
あとはPTSDとか親の共依存とか
かなり脳科学や臨床心理学で解明されてきてる。

やる気だって、脳内の化学物質の反応なんだよ。
無知だよなあ、世間のやつらは。

++++++++++++++++++

●引きこもり者更生支援施設依存症の親

IMスクールの事件じゃ、どうやら家庭内暴力で疲れ果てた家族が
施設に引き渡したらしいね。

精神科の世界で誰にもわからないから閉じ込めるしかない 
今の医学ではそんなもの。

本人が一番辛かったはず、「なんでおれは暴れちまうんだろう」ってね。
原因はあるんだろうが、わたしにはもちろんわからない 

引きこもりに正面から向き合うこともなく、
病理的な勉強も怠り、
甘えだとかやる気がないとかほかの子はちゃんとやってるのに
とか言ってる大人たちが、こんな、社会やこんな子供を作った。 

あんたらこそ、やる気だしてみろよ
薬打って中毒になってみろよ 
病気で足を切断されて足の大切さがわかり、
元通りにならない事をはじめて認める。

どうにもならない事って、その状況にならないとわからない事って、
あるだろう。

自分が正常でございと思ってるすべての連中、
あんたらは
感性が擦り切れて、何も感じられないからこんな世の中で平気でいられるだけだ。
宮沢Kの感性の爪の垢でも飲みやがれ!

この施設がどういう人たちがやってて、
どういうことが行われたかはわからない。
事故だったのかなんだったのかはわからない。
引きこもりにはそれなりの意義があるんだけど
わかってないんだろうな、こんな施設つくるくらいだから
(引きこもりの人生の意義の話は、またこんどね)

 親が、子どもの暴力に耐えかねて
預かってくれる施設があると聞いて喜んで拉致させた。

親がこの施設に依存した。
親と子がいっしょに戦うことをあきらめた。
その結果、子どもは死んだ。
これだけだ。

臭いものにはフタか?
わが子は臭いものか?
誰かにまるごと頼みます、であとは平穏な暮らしが戻るのか?

(暴力で苦しんでる家庭では、
いっぺん親だけでも精神科や心療内科に相談に行くといい。
ハロペリドールなどの精神安定剤の処方で、おおかた静まる。
それからゆっくり時間をかけて話をしていってほしい。
相談するなら素人じゃなく専門家にしないとね。

ただ精神科くらい、医者の当たり外れの大きいところもないから
気に入る医者に出会うまで何人も回ること。

わたしは5つくらい、病院、回って奇跡的にいいドクターに会えて
やっと回復できた。

どうしてこんな無知で精神科の医者やってんの?というのが多い。
答えは「精神科は楽に儲かるから」。
(点数がいろいろ有利なのは事実)

+++++++++++++++++++++

★今日は最後に怠け者へ一言★

じじさんの言ってた、
たんなる「怠け者」の引きこもりやニート、不登校のあんたらに言っておく。
怠け者の末路は悲惨だよ。

生活保護って制度もいつまであるかわかんない。
バス代さえなくて何キロも歩いて病院にきてるおばさん、
家族から見放されて無縁墓地にはいるのを待って
光の入らない4畳半に住んでるおじさん。。。

やっぱ、施設とか、病院って、世の中にすごく必要。
こういう同病者をまじかにみれるもの。

自分の明日が見れるし
いっしょに抜け出そうとする仲間に出会えるもの。

ただし、自分から入りたい、と覚悟するまでが、時間、かかるのね。

これから医学はもっともっと進むよ。
病気かそうでないかは、かんたんに見破られるから
病気のフリもできない。
怠け者にはじじさんだけじゃなく、私も世間も、やさしくないよ。


【宮沢Kさんへ】

 たいへん参考になりました。あなたのような体験をもった人たちが、もっと声をあげれ
ば、IMスクールのような、おかしな更生支援施設(?)は、なくなると思います。

++++++++++++++++++++

【再び、Eさんへ……】 

 ここで宮沢Kさんが、書いていることは、何かの参考になると思います。宮沢Kさんの
BLOGは、今のあなたのお子さんの立場で、自分の過去の経験を語っています。あとで
そのBLOGのアドレスを添付しておきますので、一度、あなたも、のぞいてみられたら
よいかと思います。

 ともかくも、『許して、忘れる』ですよ。

 あなたがこれを乗り切ったとき、あなたはすばらしいものを手にするはずです。つまり
(真の愛)がどういうものであるかを、知るはずです。今は、その試練のとき。あなたの
お子さんは、あなたにそれを教えるために、今、そこにいます。

 決して短気を起こさず、決してあきらめず!

 そうそうあなたの自殺願望ですが、これは育児にかぎらず、介護に疲れた人も、みな覚
えるものです。あなた自身も、一度、心療内科で、精神安定剤を処方してもらうとよいか
もしれません。

 私も、姉に教えられて以来、女性用の精神安定剤をのんでいますが、よくききます。

 なお、あなたからのメールを、こちらで一度手なおしして、私のマガジンに掲載したい
のですが、その許可をいただけませんか。あなたであることは、ぜったいわからないよう
に、書き改めます。

 よろしくお願いします。

【宮沢Kの風・BLOG】

 ここに書いた宮沢KさんのBLOGです。子どもの立場がよくわかり、Eさんの参考に
なると思います。

http://kenjinokaze.livedoor.biz/archives/50669992.html

 どうか、めげないで、がんばってください。必ず解決する問題ですから。約束します。

(つづきは、Eマガのほうで。7月26日号、掲載予定)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●子どもの家庭内暴力で苦しんでいるEさんへ、

 基本的には、心の病気と考えますが、この(病気)にいたるまでに、さまざまな原因や
理由が、そこにからんでいると考えてください。

 糸が複雑にからむようにからんでいるため、それを解きほぐすのは、容易なことではあ
りません。それこそ、乳幼児期からの糸がからんでいることもあります。

 ついでながら、乳幼児期から、(いい子)で通ってきた子どもほど、思春期を迎えるころ
から、この家庭内暴力も含めて、さまざまな問題行動を起こすことがわかっています。

(そういう点でも、子どものころから、(何を考えているかわからない子ども)ほど、心
配な子どもということになりますね。)

 で、その家庭内暴力を起こす子どもの行動には、一定のパターンがあります。

(1)限界状況の把握

 家庭内暴力を繰りかえす子どもの最大の特徴は、自ら、無意識のうちにも、限界状況を
設定するということです。つまり子どもは、「これ以上のことをしたら、おしまい」という、
その限界ギリギリのことまではします。が、しかしそれ以上のことはしません。

 (自分に対する怒り)を、(家族)にぶつけているだけだからです。つまり本当に相手(あ
なたという親や兄弟)を憎んでいるから、暴力行為を繰りかえしているのでないというこ
とです。(自分でも、自分をどうしたらいいかわからない)という思いを、(怒り)に変え
ているだけなのです。

 そういう点では、わがままな子、あるいは、俗な言い方をすれば、「甘ったれた子」とい
うことになります。それだけ、人格の核形成(コア・アイデンティティ)の遅れた子ども
ということになります。

(2)自虐的な愛の確認

 家庭内暴力を起こす子どもは、完ぺきな愛を、家族、なかんずく母親に求めようとしま
す。完ぺきな愛です。「どんなことをしても、自分は許されるのだ」「愛で包んでもらえる
のだ」という愛、です。

 その点、マザーコンタイプの子どもの心理に似ています。で、その完ぺきな愛を確認す
るために、暴力行為を繰りかえします。

 が、暴力行為を加えられるほうは、たまったものではありません。当然のことながら、(子
どもを愛したい)という気持ちと、(子どもから離れたい)という気持ちの間で、はげしく
葛藤します。

 その葛藤の間げきをついて、子どもは暴れます。たとえば親が、「病院へ一度、行ってみ
ようか?」「そんなに私(=母親)が嫌いなら、私は、この家から出て行こうか?」「ひと
りでアパートに住んでみる?」などという言葉を口にすると、突然暴れ出す子どもが多い
のは、そのためです。

 子どもは、その一言に、大きな不安を覚えることになります。

(3)二面性

 家庭内暴力を起こす子どもについて、多くの親たちが、「どうして?」と悩んでしまうの
が、二面性の問題です。

 はげしく暴れながらも、それが収まったようなときには、別人のようにやさしくなった
り、親をいたわったりします。

 実はそうした二面性は、暴力行為を繰りかえしている最中でも、それがあります。ある
男性は、こう言いました。彼は高校時代から青年期にかけて、その家庭内暴力を繰りかえ
しました。

 「親を殴りつけている間も、もう1人の、別のぼくが自分の中にいて、『やめろ』『止め
ろ』と叫んでいた」と。

 そこで私が、「では、どうしてそのとき、暴力をやめなかったのだ?」と聞くと、その男
性は、こう言いました。

 「やめようと思っても、もう1人の自分が、どんどんと勝手に怒ってしまった」「途中で
やめると、かえって、自分がへんな人間に見られるようで、できなかった」「自分でも、ど
うしようもなかった」と。

 で、その男性のばあい、家庭内暴力をやめるきっかけになった事件があったそうです。

 ある夜のこと。その男性は、いつものように自分の母親を殴ったり、蹴ったりしました。
で、そのあとのこと。その男性が、いつものように家を出ようとしたところ、(本当は出る
つもりではなく、庭先にあるガレージの二階に行こうとしたのですが)、母親がその男性を
追いかけてきて、「出て行かないで」「どこへも行かないで」と、泣きながら懇願したそう
です。

 それを見て、その男性は、自分にそんなことまでされて、なおかつ、「出て行かないで」
と泣き叫んだ母親に、自分が求めていたものが、それだったと気がついたというのです。
以後、その男性は、それまでの男性とは別人のように、穏やかになっていったそうです(母
親談)。

(4)緊張状態

 子どもが暴れるメカニズムは、つぎのようです。

 基本的に、子どもの心は、極度の緊張状態にあると考えます。この緊張状態が、日常的
に悶々とつづいています。

 この緊張状態の中に、不安(将来への不安、現実への不安、孤独への不安など)、心配(将
来への心配)などが入りきんでくると、それを解消しようと、心の緊張状態が、一気に倍
加します。

 それが突発的な暴力行為へと発展します。

 ですから、このタイプの子どもについては、(1)緊張状態の緩和を心がける、(2)不
安や心配ごとを持ちこまないということになりますが、ふと言った言葉が、キーワードに
なり、それが子どもを激怒させるということも、少なくありません。

 これはある年長児の女の子の例ですが、母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と声を
かけただけで、激変し、あるときは、母親に向かって、包丁まで投げつけたといいます。

 そこで対処のし方ということになります。

 今ではすぐれた薬もあり、またこうした心の病気に対する理解も深まってきましたから、
決して、ひとりでは、悩まないこと。本人は、なかなか行きたがらないかもしれませんが、
よく説得して、一度、心療内科の医院を訪問してみることが、第一です。

 つぎに子どもが暴れだしたら、説教したり、自分の意見を述べたりするのは、タブーと
心得ます。かえって火に油を注ぐようなことになりかねません。ですから、「ごめんなさい」
とだけ言い、それを、どんなことがあっても、繰りかえします。子どもが意見を求めてき
たようなときでも、「ごめんなさい」とだけ言って、それですまします。

 「子どもが暴力行為を始めたら、家から出て、逃げろ」と教える指導員もいるようです
が、私は、反対です。

 そのときはそれですむかもしれませんが、つぎのとき、それが理由で、また暴力が始ま
ることが多いからです。「この前の夜は、ぼくを捨てて、家を出て行ったではないかア!」
「どうして、オレを捨てたア!」とです。

 それまでに苦労してつくりあげた、親子の信頼関係を、破壊することにも、なりかねま
せん。親のほうには、そのつもりはなくても、子どものほうが、そう感じてしまいます。
 
 Eさんの息子さんが、ソファにライターで火をつける行為も、「火をつけて家を燃やした
い」からではなく、「オレをひとりにしておくと、オレはたいへんなことをするぞ」「だか
らオレをひとりにするな」ということを、あなたに伝えたいからです。またそう解釈する
と、あなたのお子さんの心理が、より理解できるのではないでしょうか。

 この問題の根底には、根深い、相互の不信関係(基本的不信関係)がからんでいます。
そしてそれは、どこかにも書きましたが、子どもが、乳幼児期に始まります。

 本来なら、子どもは、親に向かって、言いたいことを言い、したいことをしながら、そ
のつど自分を発散しながら成長するのが、好ましいのですが、それができなかった。それ
が回りまわって、子どもの心を、ゆがめてしまった。それが今、はげしい暴力行為となっ
て、家庭の中で起きている。現状を解説すれば、そういうことになります。

 で、家庭内暴力を経験した子ども(おとな)は、みな、こう言います。

 「あんなことをしたのに、親は、自分を見捨てなかった」「それが自分を立ちなおらせる
きっかけになった」と。

 反対に、そうでないケースも、少なくありません。親のほうが、根をあげてしまい、子
どもを施設へ送ったりするようなケースです。それぞれの親には、それぞれの、やむにや
まれない事情もあるのでしょう。が、それをするのは、最後の最後。またそれをしたから
といって、この問題は、解決しません。

 さらに二番底、三番底へと、子どもは、落ちていきます。

 しかし心の病気と考えれば、気も楽になるはずです。しかも、この病気だけは、必ず、
なおります。そういう病気です。ですから、どうか、短気だけは起こさないでください。
ただ家庭内暴力にかぎらず、どんな(心の病気)もそうですが、1年単位の時間はかかり
ます。それは覚悟しておいてください。

 許して、忘れる。あとは、「今の状態を、今以上に悪くしないことだけを考えて、対処す
る」です。静かな無視、暖かい無視を大切に。ほどよい親でいることに心がけます。

 もちろん、「こんなことでは、落ちこぼれになってしまう」とか、「がんばれ」などと、
子どもを、脅したり、励ましたりするのは、タブーです。かえって子どもの心を窮地に追
いこんでしまうことにもなりかねません。

 つまり、その度量の深さによって、あなたのお子さんへの愛情の深さが決まります。子
どもを投げ出したとき、あなたは、親として、はげしい敗北感を味わいます。ですから、
決して、投げ出さないこと。

 谷が深ければ深いほど、そのあと、あなたと息子さんは、すばらしい親子関係を築くこ
とができます。それを信じて、前に進んでください。

 いくつか、役にたちそうな原稿を、ここに添付します。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【アルバムの効用】

 子育てをしていて、苦しいことや悲しいことがあったら、アルバムをのぞくとよいです
よ。あるいは、アルバムを、家の中心に置いてみてください。

 アルバムには、私たちが想像する以上の力があります。理由は簡単です。そこには、楽
しかったとき、うれしかったときが、凝縮されているからです。

 ぜひ、Eさんも、一度、ためしてみてください。それだけで、心が軽くなるはずです。
お子さんへの、愛情も、それで取りもどせるはずです。ひょっとしたら、お子さん自身も、
です。

++++++++++++++++

原稿を一作、添付します。
(中日新聞掲載済み)

++++++++++++++++

●子どもの心をはぐくむ法(アルバムをそばに置け!)

子どもがアルバムに自分の未来を見るとき

●成長する喜びを知る 

 おとなは過去をなつかしむためにアルバムを見る。しかし子どもは、アルバムを見なが
ら、成長していく喜びを知る。それだけではない。

子どもはアルバムを通して、過去と、そして未来を学ぶ。

ある子ども(年中男児)は、父親の子ども時代の写真を見て、「これはパパではない。お
兄ちゃんだ」と言い張った。子どもにしてみれば、父親は父親であり、生まれながらに
して父親なのだ。

一方、自分の赤ん坊時代の写真を見て、「これはぼくではない」と言い張った子ども(年
長男児)もいた。ちなみに年長児で、自分が哺乳ビンを使っていたことを覚えている子
どもは、まずいない。

哺乳ビンを見せながら、「こういうのを使ったことがある人はいますか?」と聞いても、
たいてい「知らない」とか、「ぼくは使わなかった」と答える。

記憶が記憶として残り始めるのは、満4・5歳前後からとみてよい(※)。このころを境
にして、子どもは、急速に過去と未来の概念がわかるようになる。それまでは、すべて
「昨日」であり、「明日」である。「昨日の前の日が、おととい」「明日の次の日が、あさ
って」という概念は、年長児にならないとわからない。

が、一度それがわかるようになると、あとは飛躍的に「時間の世界」を広める。その概
念を理解するのに役立つのが、アルバムということになる。話はそれたが、このアルバ
ムには、不思議な力がある。

●アルバムの不思議な力

 ある子ども(小五男児)は、学校でいやなことがあったりすると、こっそりとアルバム
を見ていた。また別の子ども(小三男児)は、寝る前にいつも、絵本がわりにアルバムを
見ていた。

つまりアルバムには、心をいやす作用がある。それもそのはずだ。悲しいときやつらい
ときを、写真にとって残す人は、まずいない。アルバムは、楽しい思い出がつまった、
まさに宝の本。が、それだけではない。

冒頭に書いたように、子どもはアルバムを見ながら、そこに自分の未来を見る。さらに
父親や母親の子ども時代を知るようになると、そこに自分自身をのせて見るようになる。
それは子どもにとっては恐ろしく衝撃的なことだ。いや、実はそう感じたのは私自身だ
が、私はあのとき感じたショックを、いまだに忘れることができない。母の少女時代の
写真を見たときのことだ。「これがぼくの、母ちゃんか!」と。あれは私が、小学三年生
ぐらいのときのことだったと思う。

●アルバムをそばに置く

 学生時代の恩師の家を訪問したときこと。広い居間の中心に、そのアルバムが置いてあ
った。小さな移動式の書庫のようになっていて、そこには一〇〇冊近いアルバムが並んで
いた。

それを見て、私も、息子たちがいつも手の届くところにアルバムを置いてみた。最初は、
恩師のまねをしただけだったが、やがて気がつくと、私の息子たちがそのつど、アルバ
ムを見入っているのを知った。

ときどきだが、何かを思い出して、ひとりでフッフッと笑っていることもあった。そし
てそのあと、つまりアルバムを見終わったあと、息子たちが、実にすがすがしい表情を
しているのに、私は気がついた。そんなわけで、もし機会があれば、子どものそばにア
ルバムを置いてみるとよい。あなたもアルバムのもつ不思議な力を発見するはずである。

※……「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニュー
ズウィーク誌二〇〇〇年一二月)。

 「以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えら
れていた。だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられてい
る」(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達
なため記憶は残らないとされてきた。現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長
期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。しかし
メルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけ
ということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。たとえば幼児期に親に連れられて行っ
た場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよく
ある。これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起き
る現象と考えるとわかりやすい。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

親の口グセが子どもを伸ばすとき

●相変わらずワルだったが……  

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そうい
う性質を利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だ
ちを泣かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カ
バンを投げつけたりしていた。どの先生も手を焼いていた。

が、ある日、ふと見ると、その子どもが友だちにクレヨンを貸しているのが目にとまっ
た。私はすかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい子だね」と。数日後もまた目が
合ったので、私はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それからもその子どもはワ
ルはワルのままだったが、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッとそのワルを
やめた。そしてニコニコと笑いながら、「センセー」と手を振ったりした。

●子どもの心はカガミ

 しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなた
はよい子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸
び始める。

 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがっ
て幼稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「い
やな子ども」と思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わ
ってしまっていた。人間関係というのは、そういうものだ。

イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのが
ある。つまりあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思
うようになる。いやな人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うように
なる。

一週間や二週間なら、何とかごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か
月となると、そうはいかない。いわんや半年、一年をや。思いというのは、長い時間を
かけて、必ず相手に伝わってしまう。では、どうするか。

 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年
もつきあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職
場を楽しくするためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったの
は、三〇歳も過ぎてからだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほ
ど明るくなっていったのを覚えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。

●前向きな暗示が心を変える

 まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」
を口グセにする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、
だめな子」と思っているなら、なおさらそうする。

最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人間関係というのは、不思
議なものだ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそういう方向に向いてい
くからだ。が、それだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようとする。相
手が子どものときはなおさらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあっ
た。

 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボ
ンや服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくる
のだ。ふつう下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意
外だった。そこで調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。

母親は下の子に兄のおさがりを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ち
ゃんのものがはけるようになったわね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んで
みせていた。そこでテスト。

 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュ
ースがあるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろう
か。もしそうなら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほう
がよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
前向きな働きかけ 強化の原理 子どもを伸ばす 伸びやかな子供)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それま
ではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない
不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受
験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。

それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つ
い先日も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。
「一学期の期末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人
中、二〇番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほ
しい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻み
に震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、
最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したの
に驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に
気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由
はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされ
た。たいていはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからな
い。やっと教室に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できない
ものばかり。鉛筆が動かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がい
る。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代では
ない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。

親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査
でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったと
き、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。これに対して、「(子
どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、七八・四%。子ども
の意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親が思うほど、子ども
は親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生
に話す」はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相
談相手でなければならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績
だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉
強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってから
だ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、
違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行
こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。
……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。
気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。
それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中
学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていな
いだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。
あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返
ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あ
なたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。

受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
受験の再現)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝(6月20日)
    
++++++++++++++

久しぶりに、偏頭痛。
頭が重い。痛い。

このエッセーを書き終えたら、
食事をして、薬をのんで、
また床に、もぐるつもり。

++++++++++++++

 偏頭痛がほかの頭痛をちがうところは、いくつかある。

 その第一。眠っていても、痛いということ。

 風邪の頭痛は、熟睡しているときは、痛くない。二日酔いの頭痛は、眠っていても痛い
が、痛みが鋭い。しかし偏頭痛は、その名のとおり、頭のスジに沿って、痛い。どんより
とした痛みが、頭全体に、ズシン、ズシンと響く。

 今は、右側のほう。頭のシンで、重苦しい頭痛が、やむことなしにつづいている。

 しかし最近は、よい薬ができた。それをのむと、30〜40分のうちに、痛みがウソの
ように消える。それがわかっているから、こうしてのんきに、パソコンに向かって原稿を
書くことができる。

 が、私のばあい、偏頭痛の薬をのむと、胃が荒れる。だから食後、あるいは食事といっ
しょに、のまないといけない。それをしないと、そのあと、胃がおかしくなってしまう。
だから今は、こうして静かに、ワイフが作ってくれる朝食を待っている。

 食事まで、あと30分ほど。

 ……原因は、何か? 昨日、とくに気をつかったということもない。あえて言うなら、
おとといの深夜、サッカーの試合(日本対クロアチア戦)を見たおかげで、睡眠サイクル
が狂ってしまったことが考えられる。

 (日本が勝っていたら、安眠できたのだろうに……。)

 偏頭痛というのは、心が緊張しているときは、起きない。その緊張状態から解放された
とき、つまりホッとしたときに起きる。若いころは、「さあ、今日から休みだ」という、そ
の朝に、よく起きた。

 気が緩(ゆる)んで、血管が拡張したとき、周囲の神経を圧迫して、偏頭痛は起きる。

 が、ここで不思議なことを経験しつつある。

 若いころは、偏頭痛が起き始めると、その恐怖感が、さらにその偏頭痛を倍加させた。
が、今は、よい薬がある。その薬があると思うだけで、偏頭痛の薬をのまなくても、偏頭
痛が収まってしまうのである。

 今が、そうだ。明け方、まだ眠っているときに、偏頭痛が始まった。そういうときとい
うのは、恐ろしい夢を見る。その恐ろしい夢が、偏頭痛を倍加する。

 ……が、あと、20分。もうすぐワイフが、「食事、するウ?」と言ってくる。この言葉
は、この20〜30年、変わっていない。そのとき、私は、薬をのむ。しかしそれを思う
だけで、痛みがどんどんと和らいでいく。

 この10分間だけでも、痛みが半減したように思う。(右のこめかみの奥が、痛いが……。)

 しかし今朝の原稿書きは、ここまで。食事のあとは、しばらく休む。そしてそのあとは、
日常の仕事をこなす。

 では、今日はここまで。
 
 みなさん、おはようございます!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
偏頭痛)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●恐怖政治

++++++++++++++++

あのK国では、胸に金xxのバッジを
つけていないだけで、逮捕、投獄、
収容所送りになるという。

実際には、バッジをつけていない人は
いない。

そういうのを恐怖政治という。

人々は、いつも、何かにおびえている(?)。

++++++++++++++++

 江戸時代を、必要以上に、美化して考える人は多い。NHKの大河ドラマに、その例を
見るまでもない。

 しかしあの江戸時代は、世界の歴史の中でも、類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時
代であった。何も、私が言っているのではない。これは世界の歴史学者たちの、共通した
認識である。

 その片鱗は、近くでは、新居(あらい)の関所でも、見ることができる。新居の関所と
いうのは、東海道の新居の宿(しゅく)にある、関所のことをいう。

 江戸時代には、だれかがその関所破りをすると、そのだれかのみならず、一族(家族、
親類)すべてが、死罪に処せられたという。関所には、こんな記録も残っている。

 1人の男が、関所破りをした。「関所破り」といっても、何も関所を破壊したというわけ
ではない。関所を通らずに、新居の宿を抜けたというだけである。多分、近くの山の中を
通り抜けたのだろう。

 その男は、伊豆で逮捕、処刑。その死体は、塩漬けにされ、わざわざ新居の関まで運ば
れ、改めて、そこで磔(はりつけ)の刑に処せられたという。もし興味のある人がいたら、
新居の関所を訪れてみたらよい。建物は、江戸時代のまま、残っている。

 同じような例というか、恐怖政治の一端は、将軍綱吉(つなよし)の時代にも見ること
ができる。

 言わずと知れた、「生類憐(あわれ)みの令」である。

 戌(いぬ)年生まれの綱吉が、自分に子どもができないことを、護持院隆光に相談した
ところ、そういうことになったらしい。多分、2人の間で、こんな会話がなされたにちが
いない。

綱吉「どうしたらよいかのオ?」
隆光「生き物を大切になされ」
綱吉「わかった、そうしよう」と。

 そこで綱吉は、「生類憐みの令」を発布した。生き物、とくに、犬をキズつけたり、殺し
てはいけない、と。

 ウソや冗談ではない。本気だ。

 綱吉は、もともと「偏執的な性格」(日本史BOOK・主婦と生活社)だった上に、「下
僚が、せっせと、点取りに励んだので、法令の適応範囲がどんどんとエスカレートした」(同
書)ということらしい。

 結果、綱吉の小姓・伊藤淡路の守などは、蚊をはたいて殺しただけで、他家へお預け処
分。本所相生町のある町民は、犬を斬ったため、獄門さらし首にされたという。

 伯楽・橋本権之助という人物は、犬を傷つけただけで、切腹を命じられたという記録も
残っている(同書)。

 ……などなど。これらは、当時のほんの一例にすぎない。しかしあまりにも常識からは
ずれているため、今では笑い話のように聞こえるかもしれない。が、決して笑い話ではす
まされない。それがわからなければ、将軍綱吉の視点に自分を置いて考えるのではなく、
庶民の視点に自分を置いて、ものを考えてみることだ。

 それが恐怖政治である。

 そしてその恐怖政治が、まさに今、あのK国で、進行している。全体主義という恐怖政
治である。

 そこで重要なことは、私たちは、ああいう現代の恐怖政治を見ながら、(過去)を学び、
(未来)を学ばなければならないということ。実のところ、日本も、戦前、そして戦時中、
今のK国にまさるとも、劣らないほどの恐怖政治を体験している。それが(過去)。

 そして未来にわたって、私たちは、2度と、恐怖政治を、実現させてはいけない。それ
が(未来)。

 その第一の方策。それが民主主義ということになる。「国あっての、民」ではない。「民
あっての、国」である。そういう意識をさらに完成させる。

 ただ誤解しないでほしい。だからといって、私は何も、日本の歴史を否定しているので
はない。歴史は歴史として、当然のことながら尊重されなければならない。しかし、同時
に、歴史のある部分だけを誇大視して、それを美化してはいけない。

 先にも書いたが、その代表的な例が、NHKの大河ドラマである。今は、「功名xxx」
という番組を放送しているが、NHKはああした番組を通して、いったい、何を私たちに
訴えようとしているのか? いや、その前に、私たち日本人は、一度とて、あの江戸時代
という封建主義時代を、清算したことがあるのか?

 しかしこれでは、(過去)を、(未来)へ、生かすことはできない。

 恐怖政治……それがわからなければ、現在のあのK国を見ることだ。胸に金xxのバッ
ジをつけていないだけで、逮捕、投獄、収容所送り。実際には、バッジをつけていない人
はいないそうだ。

 たかがバッジくらいのことで!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
恐怖政治)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 24日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもが伸びる、三種の神器

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子ども自ら伸びる、三種の神器。

それが、(1)ウソ、(2)生意気、(3)悪口。

この3つを通して、子どもは、
おとなの世界からの、自立を図る。

++++++++++++++++++++

 ウソにもいろいろある。病的なウソ(空想的虚言や妄想)は別として、子どもは、基本
的には、ウソが好き。一説によると、満1・5歳から2歳にかけて、子どもは、そのウソ
をつき始めるという。

 ウソ寝、ウソ泣きがその代表的なもの。

 つぎに生意気。

 子どもは、満4・5歳ごろから、急速に生意気になる。親に対して、口答えするように
なる。

母親「ちょっと、手伝ってよ!」
子ども「自分のことは、自分でしな!」と。

 この時期は、ちょうど幼児期から、少年、少女期への移行期にあたる。この時期を通し
て、子どもは、幼児のカラを脱ぐ。

 3つ目が、悪口。

 親に向かって、「バカヤロー」「クソババ」「クソジジイ」と言うようになる。あるいは親
や先生を、からかったりするようになる。

 こうした3つの神器を許せというわけではないが、しかし子どもがそれをできないほど
までに、子どもを押さえつけてはいけない。子どもは、この3つを通して、自分に自信を
もち、人としての(自立)を学ぶ。

 まずいのは、過干渉、過関心、それに威圧的な権威主義。「おとなはすぐれている」「親
は絶対」という、いわゆる(おとなの優位性)を見せつけすぎると、子どもは、おとなに
対して従順になる。依存的になる。が、しかしその一方で、子どもは、ハキのない子ども
になってしまう。

 「おとなを、やっつけてやった」「してやった」「おとなを動かしてやった」という思い
が、子どもの自信につながり、その自信が、子どもを自立させる。

 そんなわけで、子ども、とくに幼児期の子どもが、ウソを言ったり、生意気になったり、
悪口を言ったりしても、親は、カリカリしないこと。大げさに考えないこと。一応は叱り
ながらも、「ああ、うちの子は、自立しようとしている」と思い、本気にはしないこと。

 子どもを伸ばす、最大のコツ。それは、子ども自身が、「おとなはアテにならない」「親
はアテにならない」と思うように、親がしむけること。時には、親もバカなフリをして、
子どもに教えを乞う。その謙虚な姿勢が、子どもに自信をもたせ、子どもを伸ばす。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 子どもを伸ばすコツ 嘘 生意気 悪口 三種の神器)
 

●時の流れ


++++++++++++++

三男のBLOGを読む。
なつかしさが、こみあげてくる。

私は、そんなことは、
とっくの昔に忘れていた。

しかし三男の記憶の中には、
残っていた。

++++++++++++++

●長崎は本当に綺麗な街だ。

ひょんなことから、再び長崎へ行く機会に恵まれた。しかも今回はフル・ストップ付き
(=着陸して、駐機場へとまること)。僕はバゲージ(=飛行機のバランスをとるための、
重し)だったので、操縦もする必要なし。ほんとにただのお客さんとして長崎へ連れて
いってもらい、お土産を買って帰って来た。おいしい1日だった。

 空港でお土産を選ぶとき、僕たちは制服を着ているので、ちょっと自慢げになる。今日
もそんな調子で見せびらかしながらターミナルを闊歩していたら、前方から本物のパイロ
ットが歩いきた。ちょっと気恥ずかしい思いをした。挨拶をしたら、向こうも挨拶を返し
てくれた。SNAのキャプテンとコパイ(=副機長)さんだった。

 雲仙と言えば思い出がある。昔、父と二人で九州へ旅行に来たことがあった。

まだ噴火して間もない雲仙岳を見て、そこから船に乗って、多分島原から大牟田のあた
りへ渡ったんだと思う。その船上で父が僕に、売店へ行って、カキ氷か何かを買ってく
るように頼んだ。

しかし僕は何を聞き間違えたのか、売店のお姉さんに、「水割りをください」とオーダー
してしまった。多分、氷に水みたいなものがかかっているヤツだと認識し、それまで聞
いてはいたが何なのかわからなかった『水割り』が、それのことだと誤解したのだろう。

小学生が水割りをくれと言ってくるのだから、お店の人もかなり驚いていた。「お父さん
に、です」と言いそれを受け取る。酒がまったく飲めないのに父は、苦笑いしながらも
その水割りを飲んでくれた。

 あの頃の自分に、父に、今の自分の姿を見せたらどんな顔をするだろう。

 光よりも速い速度で飛行すれば、過去を見ることができる。地球がはなった何十年前の
光は今、何十光年先の宇宙を飛行中だ。僕は今、わずか3×10のマイナス13乗光年
上空を飛んでいるだけ。でも意識だけは、あの頃へタイムスリップしているようだ。空
にはいろんな力が宿っている。

++++++++++++++

【英市へ、パパより】

 あのころの思い出が、何十光年もかけて、今、長崎から、ぼくの脳裏に届いたよ。そう
いえば、そういうこともあったと、今、思い出したよ。

 雲仙から向かったのは、熊本港(大牟田港)だよ。熊本城を見たのは、よく覚えている
よ。

 ところで今日(6・18)は、S(長男)が、国家試験を受ける日だよ。この2、3か
月、あいつは、猛勉強をしていた。かわいそうなくらいの猛勉強だ。Sも必死なのだろう
ね。

 「無理をするな」と、トイレの連絡帳に書いたら、「パパ、ありがとう。やれるだけのこ
とはしてみる」とあった。うれしかったよ。

 みんな、それぞれの道でがんばっている。お前も、自分の人生を、まっすぐ進めよ!

 ぼくも、先日、晃子に、「ぼくは、あと10年はがんばる」と言ったら、晃子のヤツ、「あ
なたったら、5年前にも、同じことを言っていたわ」だって。

 ぼくのことだから、68歳になっても、「あと10年はがんばる」と言っているだろうね。
ハハハ!

 Sが国家試験に合格したら、祝いの電話を頼むね!

 パパ公より、英市へ。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●蒲幼稚園での講演

+++++++++++++

浜松では、どこの幼稚園が
よいか?

よく、そんな相談を受ける。

+++++++++++++

 今日は日曜日だったが、市内の蒲幼稚園で、講演をさせてもらった。長年、浜松市の幼
稚園協会の理事長をしていた、大貫英一先生の幼稚園である。人格者というのは、まさに
大貫先生のような人物を言う。講演の前後に話をさせてもらったが、その間中、私は、心
が洗われていくかのような(さわやかさ)を覚えた。

 この蒲幼稚園は、現在の浜松市長である北脇氏の出身幼稚園だという。みやげに、「蒲幼
稚園・50周年記念誌・童心2」をもらったが、それにも北脇氏が、寄せ書きをしている。

 少子化が問題になっているが、活気のある幼稚園には、活気がある。園児は、どんどん
とふえている。見るからに、幼児教育にかける熱意がちがう。それがビンビンと伝わって
くる。

 私が推薦する幼稚園は、浜松市内では、アイオウエ順に……、

★旭ヶ丘幼稚園
★蒲幼稚園
★湖東幼稚園
★蜆塚幼稚園
★平和幼稚園の5園である。

教育方針というのは、園長がもつ哲学で決まる。その哲学がはっきりしている幼稚園は、
すばらしい。現場で働く先生たちも、その分、生き生きとしている。子どもたちの表情
も、明るい。

 もちろんその反対の幼稚園も、ある。金儲け第一主義で、お飾りの行事だけを、無難に
こなしている幼稚園である。教育方針といっても、何もない。ただ園児を預かっているだ
け。そういう幼稚園では、子どもが、伸びるはずがない。かえって、子どもの伸びる芽を
摘んでしまうことにもなりかねない。

 しかしこれら5園は、まちがいない。私自身が、園長と直接話をし、しっかりと、それ
を確認している。もしどこの幼稚園にするか、幼稚園選びで迷ったら、これらの幼稚園の
中から選んだらよい。

 またほかの地域で、幼稚園を選ぶときは、現場の先生を見て、選ぶ。現場の先生が、生
き生きと楽しそうに園児を指導している幼稚園なら、まず安心してよい。

 ついでにそのとき、先生と子どもの様子を観察してみるとよい。子どもたちが先生のま
わりに集まって、言いたいことを言い、したいことをしているなら、すばらしい幼稚園と
いうことになる。

 そうでない幼稚園では、総じて見れば、先生の表情は暗い。子どもたちの表情も暗い。
少子化問題や、園児の減少ばかりを心配しているような幼稚園では、困る。

 そう言えば、今日、大貫先生は、こんなことを言っていた。大貫先生は、幼稚園で教師
になる前、小学校で、教師をしていたという。そのためはじめて幼稚園教育の世界に飛び
こんだときには、何をどう教えてよいか、わからなかったという。

 そのとき先代の園長が、大貫先生にこう教えたという。

 「子どもたちの前で倒れてみせろ。子どもたちを、あなたの体の上で、乗って遊ばせて
みろ」と。

 そのときから、大貫先生は、園児を教えることができるようになったという。

 そういう幼稚園を、すばらしい幼稚園という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
大貫英一先生 蒲幼稚園)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【母親、三態】(改)(060617)

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母親にも、いろいろある。
すばらしい母親が大半だが、
しかし、そうでない母親も多い。

日本は、総じて見れば、母系社会。
したがって、日本人は、総じて見れば、
どこか、総マザコン的。

その母親について……。

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●独立を許さない親

 子どもが、親から離れ、独立していくのを許さない親がいる。子育てを生きがいにして
きた、どこか溺愛タイプの父親、母親に、多い。

 最初に申し添えるなら、溺愛は、「愛」ではない。自分の心のすき間を埋めるための、自
分勝手な愛をいう。もともと情緒的に未熟な人、精神的に未完成の人が、何らかのきっか
けで、溺愛に走るケースが、多い。

 ある母親は、自分の一人娘が結婚したあと、その娘にこう言ったという。「あなたを、一
生かかって、のろい殺してやる。親を捨てるとは、どういうこと。あなたが地獄へ落ちる
のを楽しみにしている」と。

 この話は、本当にあった話である。ワイフが、その女性に会って、直接、確かめている。
そして私には、こう言った。「世の中には、いろいろな親がいるのねえ」と。

 が、その子ども自身にとっても、これは不幸なことである。

 親が、子どもを溺愛し、その結果、子どもの自立、独立を許さないのは、親の勝手。親
のエゴ。が、そのエゴにからまれ、もがき苦しむ子どもも、少なくない。

 前にも書いたことがあるが、実母の葬式に出なかったことを、いまだに悔やんでいる男
性(55歳)がいる。実母は、10年ほど前、その男性が45歳のときに、なくなってい
る。

 いろいろ人には言えない事情があるらしい。それはそれとして、問題は、なぜその男性
が、悔やむかということ。もし私がその母親なら、天国なら天国からでもよいが、その男
性にこう言うだろう。「気にしなくてもいいのよ! あなたはあなたで、幸福になってね」
と。

 子どもは、ある年齢に達すると、「家族」というワク、これを心理学の世界では、「家族
自我群」というが、そのワクから、のがれようとする。最初は、抵抗、反抗という形で、
それを表現する。ときに家族、なかんずく親を否定することもある。

 こうしたを心理学の世界では、「内的促し」という。「内的」というのは、心の世界をい
う。肉体を「外的」というのに対して、精神を「内的」という。子どもは、自立、独立す
るために、精神の完成を自ら、求めるようになる。

が、こうした子どもの行為に対して、とくにこの日本では、それを悪いことと決めてか
かる傾向が強い。親に反抗しただけで、「親に向かって、何だ!」と、怒鳴り散らす父親
や母親は、多い。「非行」というレッテルを張ることも珍しくない。

 これを「内的つぶし」という。この言葉は、私が考えたものだが、親自身が、子どもの
自立や独立を、つぶしてしまうことも、珍しくない。そしてさらにその結果として、子ど
もは、自ら、罪悪感をもつようになる。先の男性が、その一例である。

 「私は、親の葬儀にも出なかった。私は、できそこないの息子だ」と。

 子どもは、小学3、4年生をさかいに、急速に親離れを始める。生意気になり、親に口
答えするようになる。反抗もするようになる。しかしそれは、人間の発達という基準でみ
るかぎり、ごく自然な(流れ)であり、そういう流れの中で、子どもは、自立していく。

 もちろん日本には日本の風土、文化というものがある。親子関係も、どこか特殊? い
まだに「父親に求められるのは、威厳である」と説く人も、少なくない。最近では、学校
教育に武士道をもちだす人まで、現れた。

しかしそれらは、ほとんどのばあい、どこか不自然な子育て観といってもよい。日本の
子どもだけは特別と考えるのは、おかしい。日本式の子育てが正しくて、外国の子育て
はおかしいと考えるのは、さらにおかしい。安易にそれを受け入れれば受け入れるほど、
あなたは、(自然な形での子どもの姿)を見失う。


●子どもを支配する親

 「代償的過保護」という言葉がある。

 ふつう、過保護というときは、その背景に、親の深い愛情がある。その愛情が、転じて、
親は子どもを、保護過多、つまり過保護にする。

 が、代償的過保護には、その背景に、親の深い愛情があっても、希薄。子どもを自分の
支配下に置いて、子どもを自分の思いどおりにしたいという過保護を、代償的過保護とい
う。

ただ、この代償的過保護は、見た目には、過保護と、たいへんよく似ている。区別がつ
かない。それにたいていのばあい、子どもに対して代償的過保護を繰りかえしながら、
親自身は、それを親の深い愛情と誤解している。

よくある例は、「子どもはかわいい」「かわいい」を口ぐせにしながら、その一方で、子
どもが、自立し、独立していくことを、許さない、など。「渡る世間は鬼ばかり」と、子
どもを、ほとんど外出させなかった母親もいる。子どもといっても、30歳を過ぎた子
どもである。

 ……というような話は、前にも書いた。

 ここでは、その先を書く。

 こうした代償的過保護のもとで育つと、子どもは、当然のことながら、自立できない、
ひ弱な子どもになる。(反対に、親に猛反発する子どももいる。その割合は、7対3くらい。
反発して、自立していく子どもを、7とするなら、自立できない、ひ弱な子どもになって
いくのが、3。)

 が、それだけではない。

 子どもは、ある年齢に達すると、急速に親離れを始める。自立のための準備期間に入る。
その年齢は、小学3、4年生ごろ、満10歳前後とみる。

 これを発達心理学の世界では、「内的促し」(ボーエン)という。このころから、子ども
は、自立をめざし、内的、つまり精神面での完成をめざすようになる。

 この時期、子どもは、家族的自我群(家族としてのまとまりのある意識)から逃れ、自
分を確立していく。が、ここで誤解してはいけないのは、内的促しをするからといって、
その子どもが、家族を否定するようになるのではないということ。

 子どもは、内的促しをしながら、その一方で、家族との調和をはかる。つまりこうして
子どもは、精神的にバランスのとれた人間へと、成長していく。

 が、代償的過保護のもとで育つと、子どもは、この精神の発達を、阻害(そがい)され
ることになる。そしてその結果、自立できないばかりか、現実検証能力を失う。30歳を
すぎても、親のサイフからお金を盗んで使っていた男性がいた。親といっても、安い給料
の、サラリーマンだった。

 自分で、してよいことと、悪いことの区別がつかなくなる。自分ですべきことと、して
はいけないことの区別がつかなくなる。

 総じて言えば、代償的過保護には、親の過関心と過干渉がともなう。ある女性は、こう
言った。「母が兄を見る目つきは、いつもキリで心を突き刺すように、鋭かった」と。親自
身の精神的未熟性がその背景にあるので、問題の解決は、容易ではない。

 なお、子どもの受験勉強に狂奔する親がいる。明けても暮れても、頭の中は、子どもの
進学問題でいっぱい。……というような親は、ここでいう代償的過保護傾向の強い親とみ
てよい。一見、子どもの将来を心配しているようだが、その実、自分の不安や心配を、子
どもにぶつけているだけ。

 もう少し極端な例としては、ストーカーがいる。嫌われても嫌われても、その男性(女
性)をおいかけまわす。相手が迷惑していることすら、理解できない。つまり自分が置か
れた現実を理解できない。

 少し話がバラバラになってきたので、この話はここまで。ここで、あなたの代償的過保
護度をチェックしてみよう。

【代償的過保護・自己診断テスト】

( )いつも子どもの行動を知っていないと、落ちつかない。不安。心配。
( )いつも子どもにあれこれ指示を出し、命令している。勝手な行動を許さない。
( )子どものために、自分の人生を犠牲にしていると思うことが多い。
( )子どもの世話をやくのが、親の努めだと思う。めんどうみのよい親がよい親と思う。
( )うちの子は、外の世界では、ひとり立ちして生きていくのは無理だと思う。

 ここに書いたことが、いくつか思い当たれば、あなたは本当に子どもを愛しているかど
うか。何か、おおきなわだかまり(固着、こだわり)をもっていないかどうか。それを反
省してみる。それと同時に、あなた自身も、一人の人間として、ひとり立ちできているか
どうかも、反省してみるとよい。


●子どもを否定する親

 Kさん(60歳、女性)は、いつも自分の長男氏(34歳)について、「あの子は、バカ
で……」と言っていた。いろいろな母親がいるが、自分の息子を、「バカ」という親は少な
い。

 で、ある日、私がそれとなくKさんに、「そんなふうに言ってはいけない。ぼくには、そ
うは思えない」と話すと、Kさんは、こう言った。「あの子は、生まれつき、ああです」と。

 そのKさん。親類の間では、「仏様」と呼ばれていた。もう一人、1歳年下の妹がいたが、
子ども思いのよい母親と思われていた。人前では、おだやかで、やさしい母親を演じてい
た。

 しかしその長男氏は、ハキがなく、いつも何かにおびえたように、オドオドしていた。
明らかに、母親の否定的な育児姿勢が、その長男氏の自我を押しつぶしてしまっていた。

 こんなことがあった。

 そのKさんの横に、10坪くらいの空き地があった。花壇や畑になっていた。しかしそ
こを駐車場にすれば、車が4、5台、駐車できる。そこで私が、その長男氏に、貸し駐車
場にしたらよいのではと話すと、その長男氏は、こう言った。

 「そんなことを言うと、母さんに叱られる」と。

 30歳をすぎても、母親の威圧(幻惑)に、おびえていた。

私「駐車場にして貸せば、あそこだったら、毎月、10万円くらいの収入が見込める」
長「植木鉢は、どうする?」
私「横へ並べておけばいい」
長「そんなこと言ったら、母さんに叱られる」と。

 強烈な母親のイメージ。長男氏は、その呪縛の中で、もがき苦しんでいた。

 こうした否定的な育児姿勢が日常化すると、子どもは、つぎのような症状を見せるよう
になる。

(1)自信喪失
(2)判断力の低下
(3)自我の喪失
(4)現実検証能力の喪失
(5)強度な依存性(服従性)
(6)基底不安をもちやすい
(7)常識ハズレの行動
(8)萎縮性、自閉傾向など。

 Kさんは、長男に、こんな言い方をしているという。

(客が来たとき、Kさんは、長男氏に、お茶をもってくるように言った。そのときのこと)、
「早くもって来なさい。どうせ、ぐずぐずもってくるんでしょ。ぐずぐずしていると、お
客さんが、帰ってしまうでしょ」と。

(客がくれた、みやげの菓子を長男氏に渡しながら)、「菓子だよ。あんたがもらっても、
私にはくれないけど、私は、ちゃんとあんたに、あげているよ」と。

(長男氏が菓子を食べていると)、「いらないと言っているくせに、どうせ全部、食べてし
まうのでしょ。あとで腹が痛いというんじゃ、ないよ!」と。

 長女は、私にこう訴えた。「母は、いつも一言、多いのです。その一言が、兄の心をキズ
つけます。しかし母は、それに気づいていません。が、何よりも不幸なのは、そういうあ
つかいを受けながら、兄が、母のその呪縛から、自分を解き放つことができないでいるこ
とです。ベタベタの依存性がついてしまって、兄は、母の指示がないと、ひとりでは何も
できなくなってしまっています」と。

 「うちの子は、何をしてもだめだ」「何をしても心配だ」と、もしあなたがそう思ってい
るなら、それはあなたの子どもの問題ではない。あなた自身の問題と考えてよい。

 あなたの中にある、わだかまりやこだわり(固着)をさぐってみたらよい。望まない結
婚であったとか、望まない子どもであったとか、など。

 こうしたわだかまりやこだわりが、姿を変えて、否定的な育児姿勢になることは多い。
子どもの側からみて、何が不幸かといって、そういう親をもつことくらい、不幸なことは
ない。

 もしあなたがそうなら、まずそのわだかまりや、こだわりに気づくこと。気づくだけで
よい。少し時間がかかるが、あとは時間が解決してくれる。

 ついでに一言。

 よく「うちの子は生まれつき……」と言う親がいる。実に不愉快な、しかも卑怯な言い
方である。

 あの赤子を見て、「生まれつき……」などとわかる人は、絶対にいない。えてして、親は、
自分の育児の失敗を、「生まれつき」という言葉でごまかす。親として、絶対に口にしては
いけない言葉である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
個人化 幻惑 個人志向 共同体志向 家族自我群 現実検証能力 (はやし浩司 家庭
教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て マザコン マザーコンプレックス
 内的促し ボーエン 親の呪縛 言葉の虐待)
(040612)(060617)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑談・あれこれ】

●A外務大臣

+++++++++++++++++

K国が、今日、明日にでも、ミサイルの
発射実験をするかもしれないという。

それについて、日本のA外務大臣は、
早々と、「制裁」という言葉を口にした。

どうしてあのA外務大臣は、こうまで
過激なのか。浅薄なのか。勇ましいのか?

脳みその皮が、一枚、ほかの政治家とく
らべても、薄いような感じがする。

+++++++++++++++++

 今夜(6・18・7時)のNHKの定時ニュースによれば、この1両日中にも、K国は、
大陸間弾道ミサイル、テポドン2号の発射実験をするかもしれないという。K国情勢が、
にわかにあわただしくなってきた。

 明日19日は、K国の、何かの記念日に当たるという。K国では、今日の午後2時(日
本時間と同じ)から、国旗を掲揚するよう、全国民に指示を出したという。

 ミサイル実験は、あるとみるのが、正しい。聞くところによると、ミサイルへの燃料の
注入はすでに始まっているという。また一度注入したら、抜き取ることができないという。

 私の予想では、仮に実験しても、失敗する可能性の方が高いとみる。1段式ロケットと、
多段式ロケットでは、その技術には、大きな差がある。たとえばペットボトルで、1段式
のロケットを打ちあげるのは、小学生でもできる。しかし2段式のペットボトルのロケッ
トとなると、そうはいかない。大学の教授が、それについて、論文を書くほど、むずかし
い。

 その技術が、今のK国に、あるか? あるとすれば、旧ソ連、あるいはロシアもしくは、
中国の科学者が、背後で指導しているとみてよい。

 そこでA外務大臣!

 今夜のヤフー・ニュースは、こう伝える。

 「政府は、北朝鮮がミサイルを発射したばあい、国連安全保障理事会に経済制裁を提案
するとともに、改正外為法、特定船舶入港禁止法による、単独の経済制裁を検討する方針
だ。A外相は、6月18日、民放テレビ番組などで、繰りかえし北朝鮮をけん制。防衛庁
はイージス艦などによる警戒監視活動をつづけている」と。

 これではまるで、戦争前夜みたいではないか。

 大国、日本が、とるべき道ではない。つまりあんなK国など、本気で相手にしてはいけ
ない。また相手になるような国ではない。

 どうして、日本よ、日本政府よ、それがわからないのか? 

 K国といっても、その国力、経済規模は、山陰地方にある、ひとつの県ほどもない。国
民の30%は、飢餓状態にある。喧嘩(けんか)をすれば、日本が勝つに決まっている。
が、ここで喧嘩をすれば、日本だって、無傷というわけにはいかない。

 へたをすれば、円と株の大暴落のきっかけをつくってしまうことにもなりかねない。そ
の引き金を引いてしまうことにもなりかねない。

 今、日本の国家経済は、超巨額の借金をかかえて、薄氷の上を、恐る恐る、歩いている
ような状態にある。「日本があぶない」とわかれば、外資は、いっせいに、日本から引きあ
げるだろう。そうなったとき、日本はどうするのか? どうなるのか?

 世界は、A外務大臣の言葉のみならず、表情やしぐさを見て、日本を判断する。そのA
外務大臣が、まるで、小さな会社の社長か専務のよう。ガタガタと騒いでいる。それを見
れば、「日本って、やはり小さな国だなあ」と、だれしも思うにちがいない。

 「制裁」などという言葉は、最後の最後に使う。また安易に使ってはいけない。そうい
う言葉を使うのは、「ミサイル発射実験を思いとどまらせるための、警告」ということらし
い。が、そんな警告が通ずるような相手ではない。ないことは、先刻、みな、わかってい
るはず。相手は、まともな常識の通らない、頭のおかしな金xxである。

 警告すればするほど、ムキになるはず。あるいは騒げば騒ぐほど、相手の術中に、はま
ってしまう。つまり相手の思う壺(つぼ)。

 ここは冷静に! 日本は、もっとどっしりと構えるべきではないのか。つい先日も、あ
るアメリカ政府高官は、A外務大臣の政治家としての資質を疑うような発言をしている。
あるいは、こうした一連の過激発言は、A外務大臣が、次期総裁戦で不利な立場にあるた
めに、そのための巻き返し戦術のひとつなのか?

 もうそうであるなら、なおさら、こうした軽薄な発言は、謹んでほしい。勇ましい好戦
論など、もう結構! A外務大臣の個人的な野心のために、日本が戦争に巻きこまれるよ
うなことだけは、ごめんである。
(06年6月18日、午後8時記)


●グーグル・アース(Google Earth)

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グーグル・アースを使うと、無料で、
宇宙から見た、衛星画像を、
楽しむことができる。

私たちの家の屋根の色や形まで、
見ることができる。

++++++++++++++++

 グーグル・アース(google Earth)というサイトをご存知だろうか? こ
のサイトを利用すれば、居ながらにして、宇宙から見た、私たちの町や道路、それに家々
を、楽しむことができる。もちろん衛星画像である。

 私は、暇なとき、ときどきこのサイトで、遊ぶ。地域にもよるが、つまり地域によって
解像度もちがうが、解像度が高い地域では、道路や、そこを走る車の形、色まで、判別で
きる。

 こうして私は、今までに行ったことがある外国や、日本の街や、田舎を、楽しんでいる。
「これがあの町だ」「これがあの通りだ」「これがあの家だ」と。

ただとても残念なことに、私が現在住む、この浜松市の解像度は、高くない。だから私
の家にしても、やっと、それらしきものに見える程度。反対に、それほど重要でないと
思われる地域の解像度が高かったりする。たとえば私の郷里のG県のM市などは、ニュ
ーヨーク市(マンハッタン)と同じ解像度で、見ることができる。

 で、今は、あのK国を見て、遊んでいる。昨夜と今朝にかけて、ミサイル発射場(舞水
端里)をさがしてみたが、それは見つからなかった。しかしそのかわりに、いくつかの飛
行場を見つけた。どれも殺風景な飛行場で、滑走路も、満足に舗装されていないといった
感じだった。が、その中のひとつに、7〜8機前後の、双発機が並んでいるのに気がつい
た。

 「?」と思ったのは、その双発機だ。よく見ると、同じ機種のはずなのに、ひとつだけ、
形が崩れているのがあった。壊れているのか? 

それに機種がわからない。飛行機の機種については、私はかなり詳しい。その知識を総
動員しても、なんという機種なのか、わからない。形としては、イギリスのキャンベラ
爆撃機に似ている。しかしK国に、キャンベラ爆撃機があるはずがない。

それにもっとおかしなことに、飛行機を格納する、格納庫が近くに見当たらない。飛行
機というのは、雨ざらしにしておくと、すぐ傷(いた)む。整備もしなければいけない。

 そこで私の出した結論は、こうだ。つまりこれらの飛行機は、たしかに飛行機の形はし
ているが、ただのダミーにすぎないのではないか、と。つまりハリボテ。K国は、こうし
たダミーの飛行機を滑走路に並べているという話は、何かの雑誌で読んだことがある。

 それをたまたま書斎にやってきたワイフに見せると、ワイフは、こう言った。「今では、
こんなことまでわかるのよね」「K国の人たちは、こういう事実を知っているのかしら?」
と。

 つまり国内では、「スパイだ」「写真撮影は禁止だ」と騒いでいるようだが、そんなこと
をわざわざしなくても、みんな宇宙から、見ることができる。

 グーグル・アースの解像度では、車の種類、色程度までしかわからない。しかしアメリ
カがもっている偵察衛星では、人の顔までわかるという。今回も、それをつかって、ミサ
イルの発射を監視しているにちがいない。

 あとでもう一度、そのミサイル発射実験場をさがしてみることにする。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●サッカー、対クロアチア戦

++++++++++++++++

昨夜、またまたサッカーの試合を
見てしまった。

0対0の、引き分けだったが、
すばらしい試合だった。

しかしおかげで、またまた興奮して
しまい、今朝は、どうも気分がよくない。

++++++++++++++++

 昨夜、またまたサッカーの試合を見てしまった。「またまた」というのは、前回の、対オ
ーストラリアにこりて、「もう見ない」と誓っていたことをいう。あの夜も、そのあと、1
〜2時間ほど、眠れなくなってしまった。それに気分が悪かった。

 しかしワイフは、「見る!」とがんばった。それで私も、つきあった。

 結果は、0対0の引き分け。結果はともかくも、すばらしい試合だった。とくに川口の、
PKを止めたシーンは、感動的だった。日本のサッカーの歴史にも残るだろう。真剣勝負
というのは、ああいう試合のことを言う。双方の気迫が、画面を通して、ビンビンと私に
伝わってきた。

 ここにも書いたように、ゴールキーパーの川口の活躍はすばらしかった。と、同時に、
ヒヤッとさせられる場面もあった。

 だれかがボールをパスして、そのボールを、川口に渡そうとしたときのこと。ボールが、
イレギュラーとなって、川口の足元から、はずれて、チョロチョロと、うしろに流れた。

 もしあのとき、あのボールが、そのままゴールに入っていたとしたら……! 幸いなこ
とに、ボールは、右へ流れてネットの外に出た。が、もしあのとき、ボールが、そのまま
ゴールに入っていたとしたら……!  

 オウンゴールということで、クロアチアは、1点を先取していたことになる。ゾーッ!
 本当に、ゾーッ! 川口は苦笑いしながら、胸をなでおろすようなしぐさをして見せた
が、一瞬の気のゆるみで、とんでもないことになっていたかもしれない。

 で、昨夜は、あまり興奮しないように、つまり自制しながら、試合を見た。こうした試
合を、寝る前に見るのは、あまりよくない。とくに私は、不安神経症的なところがある。
あのゾーッとしたシーンが、脳裏に焼きついて、離れなかった。今も離れない。……そこ
で私は、考えた。

 18歳未満の人が見てはいけない映画を、「18禁」という。同じように、50歳以上の
人が見てはいけない試合を、「50禁」とする。

 バカげた提案だが、中には、試合を見ていて、心筋梗塞(こうそく)か何かを起こして
死んだ人もいたかもしれない。決して、油断はできない。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●第九交響曲

+++++++++++++++

先ごろ、岩城宏之氏がなくなった。
その追悼番組が、昨夜NHKで
放送された。
(06−06−18)

++++++++++++++++

昨夜(6月18日)、NHKテレビで、指揮者だった故・岩城宏之氏の追悼番組が放送さ
れた。岩城氏は、つい先ごろ、何かの病気で、なくなった。岩城氏は、静かな口調で、
いろいろなことを話していた。

道を究(きわ)めた人だけが知る、深い含蓄(がんちく)のある言葉が、印象的だった。

が、その中でも、一番、うれしかったのは、岩城氏がこう言ったこと。

「ベートベンの第九交響曲で、すばらしいのは、第2楽章と第3楽章だ。第4楽章の『合
唱』は、つまらない」と。

 別名「合唱交響曲」とも呼ばれている、通称「第九」について、第4楽章は、「つまらな
い」と。これには、驚いた。

 が、実は、私も、そう感じていた。しかし天下の「第九」を、面と向かって批判するの
は、気が引ける。だからそれについては、書かなかった。しかし、たしかにあの第九の第
4楽章は、つまらない。「神よ」「神よ」と、意味のない言葉がつづく。名曲だと言われて
いるが、第4楽章を貫く、あの主旋律は、どこか安っぽい。

 しかし第2楽章と、第3楽章のすばらしさは、私も認める。すでに何年も前から、そう
書いている。とくに第3楽章は、すばらしい。それについても、そう書いている。そして
岩城氏も、こう言った。

 「とくにすばらしいのは、第3楽章です」と。

 私はそれを聞いて、涙が出るほど、うれしかった。あの岩城氏が、私が今まで感じてい
たことを、追認してくれた! 何を隠そう、私は、昼寝をするときは、いつも、その第3
楽章を聞きながらしている。第1でも、第2でもない。第4でもない。第3楽章である。

 以前、その第3楽章は、つづく第4楽章をもりあげるための前座にすぎないと書いた、
音楽評論家がいた。しかしそれはまちがっている。

 ベートーベンは、早くから、この第九を書き始めている。岩城氏は、たしか23年を経
て、第4楽章を完成したというようなことを言った。つまり第4楽章は、ベートベンの人
格が、どこかおかしくなったあとに書かれた楽章ということになる。そういう雰囲気が、
第4楽章には、ないわけではない。全体からしても、どこかツギハギだらけ(?)。

 どこかチャラチャラした感じ。わざとらしい、はげしいエンディング。一度聞くと、少
なくとも、つづけては聞きたくない。しかし第3楽章はちがう。聞くものに、神々しい感
動を与える。何度聞いても、あきない。

 しかしあの岩城氏が、そう思っていたとは、夢にも思わなかった。岩城宏之イコール、
第九交響曲。私は、そう思っていた。

 で、かく言う私も、学生時代から、その第九を歌っていた。つまり元合唱団員。音符も
ロクに読めない、合唱団員だった。自信もなかった。が、音楽に対するセンスだけは、そ
れほど、悪くなかったと思う。

 岩城氏は、そうした私のコンプレックスを、みごとなまでに、吹き飛ばしてくれた。

天国の岩城宏之さん、ありがとう!
 

Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●猫か虎か……

 K国が、ここ両日中にも、ICBM(大陸間弾道ミサイル)の実験をするかもしれない
という。海外ニュースが、にわかにあわただしくなってきた。(K国は、形ばかりの人工衛
星をのせて、平和目的だ、ミサイルではないと主張する可能性も、高いが……。)

 そのK国だが、K国の内部情報によれば、この5月ごろ、「猫になるか、虎になるか」と
いう議論をしたという。そしてその結果、「虎」になる道を選んだという。つまり今回の一
連の動きは、アメリカへの強硬策というわけである。

 しかし「?」。

 かねてから、K国の金xxほど、(合わせて、韓国のN大統領ほど)、現実検証能力に欠
ける人間は、いないと思っていた。まるで、自分のことがわかっていない。自分がどうい
う立場で、何をしているかも、わかっていない。それが、ここにきて、さらにはっきりと
してきた。

 N大統領はともかくも、金xxは、あえて言えば、ただのガキ。つっぱって、粋(いき)
がっている中学生のようなもの。あるいは、それ以下。周囲の人たちに恐怖感を与えて、
それで自分は、一人前と思いこんでいる。

 虎も結構だが、国民の30%近くが、飢えて苦しんでいる。5%が、覚せい剤づけにな
っている。世界から、食糧を援助してもらっている。どうしてそんな国が、虎になれるの
か。食うものも食わず、花火を打ちあげて、それでどうするのか。どうなるのか。

 ミサイルを飛ばせば、ますます世界から相手にされなくなる。同時に、孤立する。それ
とも、これは、最後の悪あがきなのか。(6月17日記)


●アメリカ追従外交(?)

 小泉政権を総括して、政治評論家たちは、みな、異口同音にこう言う。「アメリカ追従外
交だった」と。

 しかし浜松市という、この地方都市に住んでいると、少しちがった印象をもつ。アメリ
カ、アメリカというが、どこに、アメリカがあるのか?

 むしろ、この浜松市に住んでいると、アメリカよりも、「東京」という都市がもつ傲慢さ
というか、独善性のほうばかりが、目につく。何でもかんでも、「東京」「東京」、また「東
京」。

 おそらく東京に住んでいる人は、それに気づいていないだろう。もちろん、東京に住ん
でいる人に、責任があるわけではない。しかし地方から見ると、そうではない。「東京」は、
どこか、遊離している。私たちが、この浜松で感じている日本とは、どこかがちがう。

 実際、「東京」から流れてくる文化には、「?」なものが多い。この浜松という地方都市
とくらべても、どこか、低劣、低俗、低レベル! こう書くと、東京に住んでいる人は怒
るかもしれない。が、私は、何も、東京に住んでいる人が、そうであると言っているので
はない。

 東京から流れてくる文化が、そうであると言っている。言いかえると、東京に住んで、
東京で文化をリードしている人たちは、もう少し、その自覚をもってほしいということ。
つまり「私たちが日本をリードしているのだ」という自覚である。東京が日本の中心だと
いうのなら、それはそれで構わない。だとするなら、それだけの責任を心のどこかで、感
じてほしいということ。

 その「東京」が、率先して、どこかアホなことばかりしている。どこかバカなことばか
りをしている。よい例が、テレビのギャーギャー番組。見るからに軽薄そうな男女が、意
味もないギャグを飛ばし、ギャーギャーと騒いでいる。

 あとは、右へならへ! 全国の道府県が、それにならう。

 日本は、奈良時代の昔から、中央集権国家。それはわかる。しかしそれは政治の話。文
化まで、中央集権国家になっているというのは、実に、おかしい。中央には中央の文化が
ある。それは否定しない。しかし地方には地方の文化がある。優劣は、ない!

 構造主義をうちたてた、あのレヴィ・ストロース(1908〜、サルトルと激論したこ
とで有名)も、こう述べている。

 都市で近代的な生活をする人も、ジャングルの中で野性的な生活する人も、どちらにも
優劣はない、と。つまり「もともと別の価値観をもった文明である」と。

ジャングルの中で生活している人は、パソコンや近代機器についての知識はないかもし
れない。が、自然については豊富な知識をもっている。そのちがいに、優劣はないとい
うのだ。

 が、この日本では、何かにつけて、都会文明ばかりが、優先される。そしてそれが容赦
なく、この浜松市という地方都市にまで、流れこんでくる。よい例が、講演。

 このあたりでは、講演の講師でも、「東京から来た」というだけで、相場は100〜20
0万円。幼児教室でも、「東京の幼児教室と同じ教材を使っています」というだけで、月謝
は、2〜4万円にハネあがる。(週2回の指導で、5万円もとっているところがあるぞ!)

 さらに今では、小学生たちと何かのパーティを開いても、どれもバラエティ番組風にな
ってしまう。結婚式の披露宴もそうだ。みな、意味もなく、ギャーギャーと騒ぐだけ。ギ
ャクにつづく、ギャグ、またギャグ。

 楽しむということは、そういうことだと、おとなはもとより、子どもたちですら、思い
こんでいるといったふう。そして今に見る、この日本になった。

 全国の、道府県のみなさん、(東京)に追従するのを、もうやめませんか?、……と提案
したところで、この話は、おしまい。どうせ、どうにもならない。私が書いたくらいでは、
この日本は、ビクともしない。

 「アメリカ追従外交」と、小泉政権を批判する、「東京」人たち。しかしその「東京」人
たちは、私たち地方人を追従させて、平気な顔をしている。このおかしさを、いったい、
どう理解すればよいのか。


●がんばれ、歳出改革プロジェクトチーム!

政府・与党の歳出入改革で、自民党の歳出改革プロジェクトチーム(PT、座長・中川
秀直政調会長)は、国と地方の公務員人件費の削減額を計2兆円台前半とする方向で、
最終調整に入ったという(6・17)。

 5月に成立した行政改革推進法は、10年度までに国家公務員を5%以上、地方公務員
を4.6%以上純減すると定めており、これで計1兆2300億円が削減されるという。

 みなさん、おわかりか?

 そこで問題! では、国家公務員、地方公務員の人件費は、現在、いくらと推定される
か?

 中学校の入試問題に出してもよいような問題である。

 行政改革推進法によれば、「国家公務員、地方公務員の、5〜4・6%を削減すると、計
1兆2300億円が削減される」という。

 数の上では、地方公務員のほうが圧倒的に多いわけだから、この際、国家公務員の削減
数も、4・6%として計算してみる。すると、こうなる。

 (現在の公務員の人件費)x0.046=1兆2300億円

 だから(現在の公務員の人件費)=1兆2300億円÷0.046となる。

 この数式で計算すると、現在の公務員の人件費(退職金や年金を含まない、ネットの人
件費)は、26兆7400億円となる。しかし実際には、こんな額ではない。この削減額
の中には、その4・6%の人たちの退職手当金などが含まれているはずだから、人件費は、
もっと多いはず。

同じ行政改革推進法によれば、こうした一連の公務員削減により、合計、2兆円を削減
するという。2兆円ということになれば、人件費は、一挙に、2兆円÷0.046=4
3兆4800億円に、ハネあがる。

 43兆円だぞ! この額は、国家税収の総額(=国の収入)、42〜3兆円のほぼ、全額
ということになる。

 天下りするだけで、持参金を、わかっているだけでも、1〜2兆円。闇に隠れた持参金
も含めると、4兆円前後も使うという国である。学校の先生のように、それだけの働きを
しながら、それだけの給料をもらうのなら、私は文句は言わない。(学校の先生は、はたで
見ていても、かわいそうなくらい、忙しい!)

 しかしその一方で、ヒマをもてあましている公務員は、いくらでもいる。この話を暴露
してくれた、N県のM君(現在、N県県庁の、検査課に勤務)には、悪いが、M君は、こ
う言った。

 「毎日、ヒマでヒマでしかたない。パソコン相手にゲームをしていても、だれも文句を
言わないよ」「夕方5時には、もう課にはだれもいない。ぼくは、そのままトレーニングジ
ムに直行!」と。

 H市の市役所で、部長職をしている友人でさえ、こう言っている。「公務員の数は、2分
の1でじゅうぶん。3分の1でもいいよ」と。

 さらに今では、近くの郵便局にしても、正規の職員は、40〜50%以下。残りの仕事
は、すべてアルバイトにやらせている。つまりこうして表に出てきた人件費は、あくまで
も総人件費の一部でしかない。

 日本の将来のため、子どもたちの未来のため、こういうムダづかいは、もうやめよう。

 歳出改革プロジェクトチーム、がんばれ! もっともっと、がんばれ! ただし教育費
だけは、別。国際基準なみに、引きあげるべき。


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【掲示板より】(ある女の子の、保健室登校)

+++++++++++++++++

掲示板にこんな書き込みがあった。
ある学校で、1人の児童(女児)を
世話している、先生からのもの。

以前からのメールのやり取りを通して、
私が知っている範囲で、私のほうで、
少し内容を補った。

+++++++++++++++++

【Sより、はやし浩司へ】

今日までで、(私が担当している、Mさんが)、急激に変わってきました。そして新たな問
題が出てきました。

私は、いろいろな副次的な問題が起きてくるだろうと予想していたので、あまり気にはな
らないのですが、養護教諭は、そうではありません。

養護教諭は、「私は専門のカウンセラーだから」と言いますが、どうしても、すべてを信用
できないでいます。イヤミがひどく、「私には、問題もなく、とってもいい子なのに!」と、
言うばかりです。

これは愚痴ですね。すみません。で、本題です。

保健室入り口に木の柱があります。その柱に、私の名前が、ハサミのようなもので、強く
ひっかいて書いてあり、その横に、「○○のばか」と彫られていました。

Mさんは私のあとをおいかけてきて、よく、保健室隣りの更衣室までついてきます。きっ
とそのとき、Mさんが書いたものだろうと思います。

私のあとを追いかけて、更衣室まで一緒に来るとき、いろんな子がついてくるときがあり
ます。ADHD児、クラスの児童などなど。それがどうも、Mさんには、不満なのかもし
れません。

その養護教諭は、「この子(=Mさん)には、二面性があります。かまってやれば、嬉しそ
うな顔をするけど、そういう様子をして見せるのは、私(=養護教諭)に、○○先生(=
私)がうるさい。何とかしてほしいという訴えているからです。○○先生もよくやってく
ださっています。あなたが悪いのではありませんが、分離不安なら、私がめんどうをみま
す」と。

Mさんが、分離不安であることは、もちろん、この先生もよく知っているはずです。が、
Mさんが、保健室に行くたびに、「忙しい忙しい」と、ほとんどMさんの世話をしませんで
した。たとえば私がいないときは、Mさんに、忙しいから教室へ行ってなさいと、廊下に
出したりします。だれもMさんのめんどうを見ないからこそ、私がついていたのですが・・・・。

私はこう思います。Mさんは、心のバランスをとっているのではないか、とです。ものす
ごく頑張り屋なところがあり、私のことを受け入れ始めた時に、他の子に邪魔され、むか
むかしたのではないでしょうか。嫉妬のような感情です。

そこでこうした悪口を、こっそり書くことで、自分の心の中の不満を、解消してるんじゃ
ないかな?と。もしそうなら、これくらいのことは何でもありません。だって、Mさんは、
家でも、母親に、受け入れてもらえないんですから。

が、このように養護教諭に言われると、また学校で、学校の方針とは違った方向に、私は、
行きそうになってしまいます。

「私はカウンセラーだから!」「いらぬことは言うな」という養護教諭。それとも、私が、
まちがっているのでしょうか。

下にも書きましたが、Mさんが、ここにきて、急に「保健室に行く」と言わなくなりまし
た。「無理なら保健室行く?」と聞くと、「ここ(=私の教室)がいい」と言います。この
Mさんの言葉と、養護教諭とは、関係があるでしょうか。無理をさせないようにとしてき
たつもりなのですが、どこかで無理をさせていたのでしょうか。

しかし、私の悪口を書いたのが、Mさんではなく、他の子だったらどうでしょうか。それ
もまた、あれこれと考えてしまいます。

今までの経緯を、もう少し、お話しします。

以前の不登校の状態から、今は、保健室で1日を過ごすようになりました。養護教諭も同
じ部屋で、私といっしょに仕事をしています。私はMさんと、折り紙を折ったり、ごっこ
遊びをしたり、漢字を学習したりしています。そういうときのMさんは、とてもいい笑顔
を見せます。私も、ずっとつきっきりで、Mさんを指導しています。

が、教室には全く行けません。時々、「(教室へ)行ってみる」と、Mさんが自分から言う
ので、教室へ向かうと、その途中で、「恐い」「○○さんがああ言った」「みんながいる。恐
い」「気持ちが悪い」「担任の先生が恐い」などと言い出したりします。

毎朝、無理にはがすようにお母さんと引き離し、Mさんは、泣いてお母さんと、別れます。
「ママがバイバイって言ってくれなかったー」から始まり、そのあとは、とお母さんの悪
口。「ママはこんなにひどい」と、です。

この状態を段階を1とするなら、2の段階はこうです。

朝、学校の靴箱のところで、なんとかお母さんと、泣かないで離れる。午前の4時間の内、
私が付き添うのは3時間。その間中、教室前の廊下で過ごしています。

担任はそれをいやがっているようですが、私と一緒に廊下で、授業。そういうときMさん
は、時々、教室の中の様子をうかがったりします。私も時々、いっしょに教室の中に入り、
「入れるかな〜?」と、たまに声をかけたりします。

が、Mさんは、「気持ち悪い」「無理」とか言います。下痢も頻繁に訴えたりします。Mさ
んの訴えることについては、全部聞くようにしています。「無理しなくていいのよ。気持ち
が悪ければ保健室でもいいのよ。お腹が痛ければトイレにいけばいいのよ」と。

ほかにMさんが、悪口を言われていると言ったようなときには、「つらかったねー」となだ
めたり、教室に入りたくなさそうなときには、「廊下でノートを広げればいいのよ」と。少
しでも教室に入ることができたときには、「すごいねー。がんばったねー」と、抱いたりし
ます。

それをしていると、全体の1時間分くらいは、教室へ入れるようになります。担任へも「無
理はやめましょう。きっといつかは入れますよ」と話したりしています。

午前中は、赤ちゃん言葉を使うことが多いようです。時間がたち、教室に入れるころにな
ると、「こんなのできない〜!」などなど、文句がたくさん出るようになります。でも、つ
ぎの瞬間、「はっ!」と、私の顔色をうかがったりします。・・・そのときは、家では、お
母さんに厳しく言われているのかなと感じましたが。

そこで軽くたしなめると、Mさんは、えへへ・・・と笑ったりします。

休み時間は、教室の前では嫌だというので、子どもの少ないところへつれていきます。休
み時間中、抱きしめてあげたりします。ほかの先生がその場を通りかかり、先生に、「ア〜
甘えてる〜」と言われても、Mさんは、「いいもん!」と答えたりしています。

授業開始前にMさんを説得し、、教室前へ連れて行くこともあります。が、私のあとを追い
かけるばかり。トイレまでついてきます。

が、学校側の指示で、Mさんから離れ、本来の業務にもどるようという話が出たので、授
業中は、1時間の中で、行き来しながら、少しずつ離れるようにしています。(5分〜10
分間隔くらいです。)

苦労して、3時間かけて、やっと入った教室。みんなと同じようにドリルをし、先生の列
に並ぶ。が、担任から一言。「申し訳ないですが、先生、今こんな事をしている場合じゃな
いんですよ。○○体験の絵と文をかかせてください。掲示するのに困るんです」と。

私にとっては、なんとも悲しい言葉。やはり担任の先生は、何も分っていないのか・・・・。

ただ、Mさんのまわりの子どもたちの態度が、少し変わってきたように感じます。私も、
普通にみんなと接するようにしています。子どもたちも、Mさんと私に慣れてきたような
感じです。が、Mさんにしてみれば、不満気味。算数教えて!と、私を、ほかの子どもた
ちと、取り合いになることもあります。

ここで事件発生(?)

段階3、行動は同じでも、「気持ち悪い」「○○さんがああいう、こういう」「だってさー・・・
だもん」「ママね・・・・」という言葉は、極端に減ってきました。とくにママの話はしな
くなりました。

そして段階4、今日の事です。

朝、家から近所の上級生と徒歩で登校してきました。自分で教室へ行き、朝の準備をした
あと、Mさんは、私が来るのを玄関で待っていました。

「今日、ひとりで来れたよ!」というMさんが奉公するものですから、「頑張ったねー!」
と、Mさんを抱き、一緒に教室へ行きました。が、そのあと、「今日は先生はどこの教室?」
「行っちゃ嫌だ」と、私を放しません。「先生が、行くなら、私も廊下」と、だだをこねま
した。

わがままが出てきたようです。はやし先生が言っていたとおりです。できないことはで
きませんので、よく話して聞かせ、「休み時間にはこれるけど、ここではダメだよ」と話
し、「無理なら保健室でもいいよ」と言ったのですが、Mさんは、「保健室は行かない。
ここにする」と言うばかりです。そんなわけで、4時間ほとんどを、私の教室で過ごす
ことになりました。

が、3クラスの合同の一斉自習があり、Mさんのクラスも含めて、回っていくと「ここに
ずーっと、いてぇー」を繰りかえします。あるいは、「気持ち悪い」「目が痛い」などと、
そのときも、訴えました。Mさんは、「ふーって、(息をかけてくれると)治るんだよ」と
言って、私のスキンシップを求めてきます。私がMさんにさわっていると。Mさんは、安
心したのか、落ち着いてきました。

担任とは相変わらずです。担任の授業だと、Mさんは、教室に入りにくいようです。そん
な状態が、今、つづいています。

【はやし浩司からS先生へ】

 このタイプの子どもの指導には、とにかく、根気が必要です。ばあいによっては、1〜
2年単位の根気比べになります。幼児のときは、とくに、そうです。

 しかし現在小学2年生ということなので、年齢的には、もうそろそろ、自己管理ができ
るころにさしかかっています。これから先、大きな変化が見られるかもしれません。あと
一息というところでは、ないでしょうか。

 ただ、担任の先生を一方的に責めることもできません。ご存知のように、先生も、忙し
いです。現実問題として、Mさんのことに、今のSさんのように気を配るということは、
不可能のように思います。上からは、課題をこなせと言われる。一方、親たちからは、も
っとしっかりとめんどうをみろと言われる。先生も、たいへんです。

 Mさんは、たしかに、仮面をかぶっていると思います。二面性があるというよりは、仮
面だと思います。(いい子)ぶることで、自分の立場をとりつくろっているのですね。悲し
い子どもの心です。

 が、あなたの前では、少しずつ、仮面をはずしつつある。そんな感じがします。ありの
ままの自分をさらけ出しながら、あなたとの信頼関係を、確かめようとしている。そんな
感じがします。

 このタイプの子どもの指導のむずかしいところは、Mさん自身でもどうにもならない、
もうひとつ奥の、別のMさんが、Mさんを、裏から操っているという点です。ですから、
Mさんに、言葉として、あれこれ諭(さと)しても、あまり意味がありません。(言うべき
ことは、言わなければいけませんが。またその程度で、終わるようにします。)

 Mさん自身も、自分でも、どうしていいのか、わからないでいるからです。また、まだ、
自分を客観的に見ることができることができません。母親の威圧的な過干渉、育児拒否な
どによって、ほかの子どもたちよりも、そういう面の発達が、つまり人格の核形成が、遅
れがちになっていることも考えられます。

 ふつうは、小学3年生くらいになると、自我が急速に発達し、自己管理能力ができてく
るものですが、Mさんのばあい、1〜3年、それが遅れる可能性があります。

 Mさんのように、他人との良好な人間関係を結ぶことができない子どもは、(1)攻撃的
なったり、(2)服従的になったり、(3)同情的になったり、(4)依存的になったりしま
す。

 Mさんのばあいは、(3)と(4)の混合したパターンで、それが現れているのではない
でしょうか。気持ち悪いと訴えるのは、あなたに同情をしてもらうため。あなたのあとを
追いかけるのは、依存的になっていることを示します。

 でも、意外とこういうケースでは、(私たちがしてやっている)という思いと、(子ども
がしてもらっている)という思いの間には、大きなギャップがあるから、注意してくださ
い。

 私は、もう少し年齢の低い子どもたちを相手に四苦八苦した経験が、たくさんあります。
が、去っていくときは、みなさん、淡白なものです。親も、子どもも、です。若いころは、
それだけで落ちこんだりしたものです。

 ですから、(してあげている)という意識が、どこかにあったら、今のうちに、消してお
くことです。無我とは言いませんが、それに近い気持ちで、Mさんと、接することです。
これはあとで自分がキズつかないための予防策のようなものです。

 今の私には、この程度のアドバイスしかできません。どうか、お許しください。前回も
書きましたが、最近、私は、こうした指導をしていませんし、また指導を断るようにして
います。体力がとても、つづかないからです。つまり、もう偉そうなことは、言えなくな
りました。

 S先生の苦労というか、努力には、本当に頭がさがります。今回も掲示板に書きこみを
していただき、私の方が、勉強させてもらっているような感じです。ありがとうございま
した。

 それでもよければ、自己開示、もしくは、うさ晴らしのためでも結構ですから、また何
でも書きこんでみてください。同じような問題をかかえた、多くの親や先生たちの、参考
になると思います。

 では、今日はこれで失礼します。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
保健室 保健室登校 集団恐怖 回避性障害)

【S先生より、はやし浩司へ】

早速のお返事、ありがとうございます。

「根気」という言葉、身にしみて感じます。

今回、自分が予想していたよりも、ものすごいスピードで、Mさんが変わってきて、私の
方に、「喜び」といった感情が湧いてしまったということがあります。そして同時に、「こ
れはMさんが、頑張りすぎているせいだ」「もしそうだとするなら、どこかできっと・・・」
と、思ってしまったわけです。

少々、自分のペースが乱れてしまったのですね。だから担任や、その他の先生にも、感情
的になってしまったのですね。反省しています。

子どもには、感情で対応しない。これは鉄則でしょうね。全くの素人で、不安が多い中で
の今回のこと。はやし先生のお返事で、冷静になれそうです。

実は、私にも小学生の子どもが2人います。私の子供との関わりは、「感情で接しない」「対
等の人間として扱う」です。

・・・例えば子どもたちのものでも、許可を得てから見たり使ったりする。ましてや黙っ
て、カバンを開けない、など。・・・・そして「愛情はあげるだけのもの」と考えてい
ます。絶対にお返しにこのくらいしてくれたって、とは思わない。

これは、私の両親から受けた教育の全く逆のことです。私は、親の恩を押しつけられて、
育てられました。だからここでは、ブレません。ここまでに強くなるまで、大変でした。
今は笑い話ですが、私の反抗期はたいへんなものでした。

以上、余談でした。私も熱いタイプですね(笑)。

そうですね。どこかに、「これだけしてやっているんだよ」という気持ちがあったと思いま
す。Mさんにも、他の先生にも。

そういえば、私も子供の頃、熱い先生に必死に指導されても、う〜ん?、と思った経験が
あります。どうも、社会人をやった後、教職の世界に入ったせいか、先生をみては「あな
たのような先生がいるから!!!」と、怒鳴りたくなってしまったのだと思います。

「おまえはダメな人間だ!」「いい人間に拍手をしろ!」「声が小さい!」と。答えを間違
えただけで、何もそこまでしなくても・・・・というような先生でした。そして授業中、
必ず誰か泣いていました。私も、です。私が悪いのだから叱られて当然・・・と。

長々と申し訳ありません。お返事は結構です。(変な意味ではありません。)ただ、本当に
「うさ晴らし」をしてしまいました。すっきりしました。こんなつたない文章ですが、読
んでいただいて、そして救っていただいて感謝しております。

お忙しい中、本当に本当にありがとうございました。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親不孝を悔やむ人

+++++++++++++++++

親子の縁は、絶対と、説く人は多い。
それもそのはず。

人間も、あの鳥類と同じように、
ある時期、それを「敏感期」と呼ぶが、
親子の関係は、本能に近い部分にまで、
脳の中に、刷り込まれる。

それが親子の(縁)をつくる。

心理学の世界では、それを
「家族自我群」と呼ぶ。

その自我群にがんじがらめにされ、
もがき、苦しんでいる人は、多い。

その苦しみを、心理学の世界では、
「幻惑」「幻惑作用」と呼んでいる。

ふつうの苦しみではない。
それはまさに、身を引きちぎるような
苦しみと言ってよい。

++++++++++++++++++

 「私は、親不孝者でした」と、悔やんでいる人は多い。「親にさんざん苦労をかけながら、
その恩がえしができなかった」と。

 日本では、ことさら親孝行がもてはやされる。親孝行を売り物にしている道徳研究団体
も、いくつかある。その中には、何十万人という会員を集めているのもある。

 そういう風潮の中で、多くの日本人は、親孝行を美徳とし、その一方で、親孝行をしな
い者(?)を、「人間のクズ」と、排斥する。

 それが日本の文化だから、私は、それを受け入れるしかない。まただからといって、私
は、親孝行を否定しているのではない。

 ただこうした風潮の中で、親孝行ができなかった人、あるいは親孝行をしなかった人が、
自分で自分を責めるケースも、少なくない。さらにそれが進んで、自分を否定してしまう
人もいる。自分で自分のことを、人間のクズと思いこんでしまう。

 子どもの世界でも、これに似た現象が、よく起きる。

 たとえばある子どもが、親に、小さいころから、「いい大学へ入りなさい」「いい大学へ
入らなければ、いい生活ができない」と、さんざん言われつづけたとする。そういう子ど
もが、そのままその(いい大学)は入れれば、問題はない。

 しかしその(いい大学)は入れなかったとしたら、その子どもは、どうなるのか? そ
の子どもは挫折感から、自らにダメ人間というレッテルを張ってしまう。

 こういう状態になると、子どもは、現実に適合できなくなり、「現実検証能力」を失うと
言われている。自信喪失から自己嫌悪におちいることもある。わかりやすく言えば、ハキ
のない、ナヨナヨとした人生観をもつようになってしまう。

 私も、幼稚園で働くと母に告げたとき、母は、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩れ
てしまった。私は、母の声を聞いたとき、どん底にたたき落とされたように感じた。たい
へんなことをしてしまったと感じた。実際には、それから十年以上、私は、外の世界で、
自分の職業を隠した。

 私たちは、ともすれば、子どもに向かって、「こうあるべきだ」と、言いがちである。し
かしそういう言葉の裏で、子どもに、別の負担を課してしまうことがある。そしてその負
担を感じて、こども自身が、自らを追いこんでしまう。冒頭に書いた、親孝行もその一つ
ということになる。

 つまり子育てを、ある一定のワクの中で考えると、どうしても、そのワクを子どもに押
しつけようとする。そしてその結果、そのワクが、子ども自身を押しつぶしてしまうこと
がある。しかもたいていは、そういうふうにしながらも、親自身に、その自覚がない。

 ……ということで、いきなり結論。

 こうした押しつけは、慎重に。それから一言。いくらあなたの子どもが、親不孝の息子
や娘であっても、その息子や娘が苦しむようなことだけは、避けたい。そのためにも、親
は、いつも、無条件の愛をつらぬく。見かえりを求めない。そういうサバサバした生き方
が、子どもの未来を、明るくする。つまりそういう未来を用意してあげるのも、親の務め
ということになる。

 子どもが、「私は親不孝者」と、自ら苦しむような状況だけは、つくってはいけない。
(040223)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
親孝行論 孝行論 家族自我群 親不孝 親は絶対 親絶対 親絶対教)

+++++++++++++++++++
以前、こんな原稿(中日新聞掲載済み)を
書きました。
+++++++++++++++++++

●生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に
気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子
どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の
息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、
魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」
と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議で
ある。

とくに二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あ
るいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なか
らずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切
ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、
上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだとい
う意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではな
い。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにす
る。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことを
し、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、
その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から
見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、『許して忘れる』の連続。この本のどこかに書いたよ
うに、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘
れる)は、「得る・ため」とも訳せる。

つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を
得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉
を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意
味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難
しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を
歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。

ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるご
とに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。
ささいなことに悩んでは、身を焦がす。

先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リト
ミックに入れたのだが、授業についていけない。この先、将来が心配でならない。どう
したらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭をかかえてしまう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 許して忘れる 親子論)

+++++++++++++++++++

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。

「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そ
んな親子がふえている。

いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生
きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか
願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親が
いた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたも
のです」と言った父親もいた。

が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくな
り、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言っ
たまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃
れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉
で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに
苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。

「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何
を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。

しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐
えるしかない。親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子ど
ものために、いつもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。

私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰
ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは
古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(1872〜1970)は、こう書き残してい
る。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜
びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろ
うか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 親子の絆 親子論 生きる源流 家族 家族の喜び)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今を生きる】

++++++++++++++++++

今を生きる。
口で言うのは簡単なこと。
しかしその「今」を生きることは、
たいへんなこと。きびしい。

++++++++++++++++++

●いつか死ぬ。だから生きる。

 病気があるから、健康のありがたさが、わかる。同じように、死があるから、生きるこ
とのありがたさが、わかる。

 もし病気がなかったら、健康のありがたさを、人は、知ることはないだろう。

 もし死がなかったら、生きることのありがたさを、人は、知ることはないだろう。

 しかし病気も、そして死も、できれば、避けたい。病気はまだしも、死は、その人の(す
べての終わり)を意味する。つまり人は、死によって、すべてをなくす。「私」という自分
のみならず、この宇宙もろとも、すべてをなくす。

●生きることの不安

 ……そう考えることは、たいへん不安なことである。つまり死ぬことを考えると、不安
でならない。しかしその不安が、「今」を生きる、原動力となる。「かぎりある人生だから
こそ、今を懸命に生きよう」と。

 こうした死生観、それにつづく「不安」を説いたのが、あのドイツのマルティン・ハイ
デッガー(1889〜1976)である。ハイデッガーは、フライブルク大学の総長をし
ていたとき、ナチス支持の演説をしたことで、戦後、批判の矢面(やおもて)に立たされ
た。そういう側面は別として、彼が残した業績は大きい。実存主義の骨格を作ったと言っ
ても過言ではない。

 ハイデッガーの説いた、「存在論」、「実存論」は、その後、多くの哲学者たちに、大きな
影響を与えた。

●不安との戦い

 で、話を少し、もどす。その不安を感じたとき、どうすれば、人は、その不安を解消で
きるか。つまり生きることには、いつも、何らかの不安がともなう。それはたとえて言う
なら、薄い氷の上を、恐る恐る、歩くようなもの。その薄い氷の下では、いつも「死」が、
「おいでおいで」と、手招きしている。そういう不安を、どうすれば解消することができ
るか。

 そういう点では、実存主義は、たいへんきびしい生き方を、人に求めるていることにな
る。今を生きるということは、「私は私であって、私にかわるものは、だれもいない」とい
う生き方のことをいう。

 たとえば地面を歩くアリを見てみよう。

●私しかできない生き様

 あなたがある日、その中のアリを一匹、足で踏みつけて殺してしまったとする。しかし
それでアリの世界が変わるということはない。アリの巣はそのまま。いつしかそのアリの
死骸は、別のアリによって片づけられる。そのあと、また何ごともなかったかのように、
別のアリがそこを歩き始める。

 そういうアリのような生き方をする人を、ハイデッガーは、「ただの人」という意味で、
「das Mann」と呼んだ。わかりやすく言えば、生きる価値のない、堕落した人と
いう意味である。

 今を生きるということは、だれにも、自分にとってかわることができないような生き方
をすることをいう。社会の歯車であってはいけない。平凡で、単調な人生であってはいけ
ない。私は、どこまでも私であり、私しかできない生き方をするのが、「私」ということに
なる。

●宗教

 少しわかりにくくなってきたので、話をわかりやすくするために、こうした生き様の反
対側にある、宗教を考えてみる。

 ほとんどの宗教では、「あの世」「来世」を教えることによって、この世を生きる私たち
の不安を、解消しようとする。「あの世がちゃんとあるから、心配するな」と。

 つまりほとんどの宗教では、死後の世界を用意することで、「死」そのものを、無意味化
しようとする。実際、あの世があると思うことは、死を前にした人たちにとっては、それ
だけでも、大きな救いとなる。あの世に望みを託して、この世を去ることができる。

 しかし実存主義の世界では、あの世は、ない。あるのは、どこまでも研ぎ澄まされた、「今」
しかない。が、そうした「今」に、耐えられる人は、少ない。私が知る人に、中村光男が
いる。

●中村光男

 一度だけ、鎌倉の扇が谷の坂道で、すれちがったことがある。中村光男の自宅は、その
坂道をのぼり、左側の路地を入ったところにあった。恩師の田丸先生が、小声で、「あれが
中村光男だよ」と教えてくれた。私は、それを見て、軽く会釈した。

 その中村光男は、戦後の日本を代表する哲学者であった。ビキニ環礁での水爆実験の犠
牲となった、第5福竜丸事件以来、反核運動の旗手として活躍した人としても、よく知ら
れている。

 その中村光男ですら、死ぬ1週間前に、熱心なクリスチャンであった奥さんの手ほどき
で、洗礼を受け、クリスチャンになったという。何かの月刊誌にそう書いてあった。

 私はそれを知ったとき、「あの中村光男ともあろう人物が!」と驚いた。つまり「死」は、
それほどまでに重大で、深淵である。だから今の私には、実存主義的な生き方が、はたし
て正しいのかどうか、わからない。またそれを貫く自信は、ない。

●あの世はないという前提で生きる

 だがこれだけは言える。

 私は、今のところ、「あの世」や「来世」は、ないという前提で生きている。見たことも、
聞いたこともない世界を信じろと言われても、私にはできない。だから死ぬまで、懸命に
生きる。私でしかできない生き方をする。

 あの世というのは、たとえて言うなら、宝くじのようなもの。当たればもうけものだが、
しかし最初から、当たることを前提にして、予算を立てるバカはいない。

 その結果、いつか、死ぬ。私とて、例外ではない。で、そのとき、あの世があれば、も
うけもの。なくても、私という(主体)がないのだから、文句を言うこともない。

●そこで私は……

 そのハイデッガーは、1976年に死去している。私がこの浜松で、結婚し、ちょうど
二男をもうけたころである。彼の死が、全国ニュースで報道された日のことを、私は、つ
い先日の日のように、よく覚えている。その少し前の1970年に、あのバートランド・
ラッセルが死んでいる。実存主義の神様と言われる、(実存主義の神様というのも、矛盾し
た話だが……)、ジャンポール・サルトルは、1980年に死んでいる。

 みんな、どんな気持ちで死んだのだろうと、今、ふと、そんなことを考えている。

 そうそう中村光男だが、田丸先生の家の前の家に住んでいた。で、彼が死ぬ1週間前に、
クリスチャンになった話を田丸先生にすると、田丸先生は、どこか感慨深げに、ポツリと
こう言った。「あの中村さんがねえ……」と、

 田丸先生も、それを知らなかったらしい。

 このエッセーをしめくくるために、最後に一言。

●ドラマにこそ、価値がある

 こうしてみなが、それぞれ一生懸命に生きている。その生きることから生まれるドラマ
にこそ、私は、価値があると思っている。実存主義であろうと、なかろうと、そんなこと
は構わない。だれが正しいとか、正しくないとか、そんなことも、構わない。

私は、そのドラマにこそ、人間の生きることのすばらしさを感ずる。
(06年6月15日の夜に……)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ハイデッガー サルトル ジャンポール・サルトル バートランド・ラッセル 実存主義 
はやし浩司 存在論 実存論)


●【das Mann】

++++++++++++++

ただの人で、終わるのか。
あるいは、ただの人でない人生を送るのか。

それはそれぞれの人の勝手。

他人がとやかく言うべき問題ではない。

しかし……。

++++++++++++++

 ハイデッガーは、その人がいなくても、別のだれかが、その人のかわりができるような
生き様をしている人のことを、どこか軽蔑の念をこめて、「das Mann」と呼んだ。
「ただの人」という意味である。

 わかりやすく言うと、こうなる。

 私が私であるためには、「私」でなければならないということ。私がいなくても、ほかの
だれかが私のかわりをしてくれるだろうというような生き方をしている人には、「私」は、
ないということ。

 そういう意味では、平凡は美徳だが、その平凡からは、何も生まれない。仮にその人が
いなくても、社会は、何も困らない。その人のかわりができる人は、いくらでもいる。

 そこで実存主義の世界では、「私」の追求こそを、何よりも重要視する。「私らしさとは
何か」「私らしくあるためには、どうすればよいのか」「私が私であるためには、私はどう
あればよいのか」と。

 つまり「死」という限界状況の中で、とことん、今というときを燃焼させて生きる。そ
れが「私」ということになる。

 一方、宗教の世界では、むしろ「私」を捨てさせ、信仰に身を寄させることで、その人
の心の救済をはかる。「私」は、むしろ、敬遠(けいえん)される。一方、「私」がある人
は、信仰そのものができない。信仰するためには、みなに、同化しなければならない。仏
教で言う、「異体同心」という言葉も、そこから生まれた。

 体は別々でも、心はひとつという意味である。

 どちらの生き方が正しいのかは、私にはわからない。またどちらの生き方を選ぶのかは、
それぞれの人が決めることである。

 ただ実存主義の世界には、宗教の世界でするような、布教活動というのは、しない。も
とよりそういう活動は、なじまない。つまり、他人の生き様には、干渉しない。「どうぞ、
ご勝手に!」という姿勢を貫く。

 私は私という生き様は、どこまでいっても、私は私なのである。

 ただの人であっても、またただの人でなくても、どうせ死ねば、みな、同じなのだから
……。

 ……という生き方は、あまりにも、さみしい。「私」が死ねば、この宇宙もろとも、すべ
てが消えるという考え方は、(実際、そうなのだろうが)、あまりにも、さみしい。

 そこでどうだろう、こう考えては……?

 私たちは、「私」を超えた、大きな生命の流れの中で生きている、と。たとえて言うなら、
私は、波間に浮かぶ、泡のようなもの。その泡は、生命というおおきな波のうねりの上に
ある。「私」はただの泡かもしれないが、それは同時に、おおきなうねりの一部である。泡
は消えても、うねりは、なくならない。

 おおきなうねりは、うねるたびに、これまた無数の泡をつくる。そしてこれまた無数の
ドラマを作っていく……。

 それについては、以前、こんな原稿を書いた。そのまま添付する。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●業(ごう)

 仏教の世界には、「業(ごう)」という言葉がある。「悪業」「善業」というような使い方
をする。

 この「業」について、私のような凡人が、軽々しく論ずることは、許されない。この一
語についてだけでも、仏教学者たちは本を書くほどである。

 業……「広辞苑」には、こうある。「行為。行動。心や言語の働きを含める。善悪の業は、
因果の道理によって、のちに必ずその結果を産むというのが、仏教および、多くのインド
の宗教の説」と。

 ついでに、「日本語大辞典」のほうでは、こうなっている。「仏教で、身・口・意(しん・
く・い)(身体・言葉・心)によって成す善悪の行為。カルマ。のちの世にある結果をもた
らす前世の行為」と。

 それを「業」と言ってよいのかどうかは知らないが、最近になって、私は、その「業」
らしきものを、よく感ずる。

 まず生命そのものが、大きな流れの中で、つながっている。それは大海原(うなばら)
のうねりのようなもの。もしその中に「私」がいるとするなら、そのうねりの中でざわめ
く、小波(さざなみ)程度のもの。

 いくら「私は私だ」と叫んでも、髪の毛1本、私が設計したわけではない。その大海原
は、数十万年という、気が遠くなるほどの昔からつづいているし、私が死んだあとも、何
ごともなかったかのように、さらに永遠につづいていく。

 が、その中で、私は懸命に生きている。その懸命に生きるという行為そのものが、私の
前の時代に生きた人から、そしてつぎの時代に生きる人に対して、何かの橋渡しをするこ
とにすぎない。私は、それが「業」ではないかと思う。

 仏教学者の人が、この解釈を読んだら、吹きだして笑うかもしれない。

 しかし私は残念ながら、「生命」の永遠性は認めても、「個」の永遠性は認めない。私個
人について言えば、私に、前世などあるはずもないし、来世などあるはずもない。「私」が
死ねば、私もろとも、この大宇宙すら、消えてなくなる。

 しかしここで私が、何かの「善」をなしておけば、その善は、つぎの世代に伝えること
ができる。もちろん「悪」をなせば、その悪も、何らかの形で、つぎの世代に残ることに
なる。

 親子関係というせまい範囲の話ではない。人間全体という、もっと広い世界の話である。

 つまり「私」自身が、前の世代の人たちのなした、「悪業」や「善業」を、そのままひき
ついでいることになる。私の中には、私であって私である部分と、私であって私でない部
分が、広く混在している。

 その(私であって私でない部分)こそが、まさに、「業」のなさせるわざということにな
る。たとえて言うなら、今、韓国や中国では、反日運動が燃えさかっている。彼らが反日
的であるというのは、よくわかる。

 しかし戦後の生まれの私が、どうしてそういう反日運動を見ながら、不愉快な思いをし
なければならないのか。本来なら「私は関係ない」と逃げることだって、できるはず。が、
彼らは、戦前の植民地時代をむしかえしながら、日本を非難する。攻撃する。

 それも考えてみれば、先に述べた、「大海原のうねり」のようなものかもしれない。私を
超えたところで、人間社会全体が、その「うねり」の中にある。

 そこで仏教ではさらに、「因果を断つ」という言葉を使う。

 そのうねりの中に、つぎの世代に伝えてはならないものを感じたら、その段階で、その
流れを、断っておく。反日感情についていうなら、もう私たちの時代でたくさん。うんざ
り。だから、今、それを解決しておく。

 先のアジアカップ杯のときもそうだ(04年)。決勝戦は、中国の北京で行われた。中国
人側サポーターたちは、「(日本人を)殺せ!」「殺せ!」と叫んでいた。

 しかしそのサッカーをしている選手たちは、私よりさらに戦争とは無縁の、私たちのつ
ぎの世代の人たちである。私は、その光景を見ながら、何とも、申し訳ない気持ちにすら
なった。

 そう言えば、話は少しそれるが、私の恩師にTK氏という人がいる。もうすぐ90歳に
なる人だが、ごく最近まで、内科医をしていた。そのTK氏に、私が、こんな話をしたこ
とがある。

 「香港や台湾へ行っても、日本人だとわかると、高額な値段を吹っかけてきます。それ
で私は英語だけをしゃべり、ハワイ人だと言います。すると、値段が、すべて半額程度に
なります」と。

 その話を聞いて、TK氏は、こう言った。「みんな、私たちが悪いのです。そういう話を
聞くと、戦争を遂行した私たちとしては、申し訳ない気持ちになります」と。

 そういう人もいる。が、その一方で、「Y神社を参拝しないような政治家は、政治家とし
ての資格はない」などと、どこまでも時代錯誤的な、はっきり言えば、ノーブレインな政
治家もいることも、これまた事実。仏教的な「業」の知識が少しでもあれば、絶対に出て
こない言葉である。

 で、話をもどす。

 この「業」だが、大切なことは、善業を重ねるということ。しかも「私」という世界を
超えて、それをするということ。

 人が見ているとか、見ていないとか、そういうことは、関係ない。人に認められるとか、
認められないとか、そういうこととも関係ない。善業を重ねたところで、社会的に成功者
になるとはかぎらない。「業」というのは、そういう意味で、「私」をはるかに超えている。
もっと言えば、人間全体の問題ということになる。

 何ともむずかしい話になってしまった。が、簡単に言えば、私たちは懸命に生きながら
も、その生きるという行為を、私だけのもので終わらせてはいけないということ。心のど
こかで、人間全体のことも考えながら、生きなければならないということ。

 それが「業」ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
業 善業 悪業 カルマ 因果応報)

【付記】

 善人が必ずしも、成功するわけではない。同じように、成功している人の中には、結構、
悪人も多い。むしろ現実の世界では、こうしたケースが、多い。

 まじめに、コツコツと生きている人が損をし、貧しい生活をしている。その一方で、悪
いことをし放題している人が、豪勢で、よい生活をしている。「いつか、いいこともあるだ
ろう……」と信じて生きる人ほど、その結果が現れてこない。「いつか、バチが当たるぞ…
…」と思う人ほど、スイスイと、楽な生活をしている。

 こういう現象だけをとらえて、「業」を考えてはいけない。

 「業」というのは、個人を超えた、はるかに大きな生命の(うねり)のようなものをい
う。個人というのは、そのうねりの上ではじける、波のアワのようなもの。小さなアワだ
けを見て、うねりの価値を決めてはいけない。

 中には、「私」という個人を超えて、大きなうねりのために生きている人だって、いる。
貧しい生活をし、有名でもなく、損ばかりしていても、人類全体、生命全体のことを考え
て、生きている人もいる。

 それを善業と呼び。そういう人こそ、善人と呼ぶにふさわしい。

 善業、悪業を考えるときは、そんなことも、頭のすみに置いておくとよいのでは……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
因果応報 善業 悪業 うねり 泡 アワ)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】

●支持率、10数%

 韓国のN大統領の支持率が、現在(06年6月)、10数%しかないという。与党ウリ党
の支持率は、もっと低く、10%前後(中日新聞)。

 が、当のN大統領は、そうした支持率をものともせず、今の今も、親北政策を続行中。「K
国がミサイルをうちあげても、親北政策は、影響受けない」とまで、言い切っている。

 N大統領の脳みそは、いったい、どうなっているのか?


●認知症ドライバー

 先日、NHKで、認知症ドライバーについて報道していた。わかりやすく言えば、頭の
機能が悪くなった、老人ドライバーの問題である。

 実は、私も、15、6年前に、その認知症ドライバーを経験している。乗った車が、ま
ずかった。運転してくれたのは、当時、75歳くらいの男性。2人で、共通の友人宅を訪
問するときのことだった。

 恐ろしいなどというものではない。往復、1時間ほどいっしょに乗ったが、その間中、
生きた心地がしなかった。

(1)運転中も、家をさがすため、横を見てばかりいた。(前を見ない。)
(2)細い路地でも、50〜60キロ前後の猛スピードで飛ばす。
(3)突然スピードを出したり、突然ブレーキを踏んだりの繰りかえし。
(4)信号は、ほとんど、無視。赤信号でも、左右に車がいないとそのまま走る。

 あとでその老人の息子夫婦に会ったので、そのことを話すと、息子氏は、こう言った。「オ
ヤジのヤツ、いくら言っても、車の運転をやめないので困っているんです」と。

 しかし認知症と診断されたら、車の運転は、やめるべきではないのか。あるいは運転免
許証を取りあげる。認知症の人が事故を起こすのはかまわない。が、事故を起こされた相
手の人こそ、えらい迷惑。いろいろ事情のある人もいるようだが、やはりやめるべきでは
ないのか。

 ときどき、それと思われる老人ドライバーと、自転車ですれちがうときがある。そのた
びに、ヒャッとさせられる。


●1年の長さ

 三男が、自分のBLOGの中で、こう書いている。

 「この1年ほど、今までに長く感じた1年はなかった」と。

 同じ1年だが、私には、短かった。年々、1年が、短くなっていくように感ずる。と、同
時に、私にも、三男が感じているような時代があったのを思い出す。

 私が、オーストラリアで学生生活をしていたときのことだ。当時、私は、金沢での学生
生活の1年よりも、オーストラリアでの1日のほうを、長く感じた。決して、大げさなこ
とを言っているのではない。本当に、そう感じた!

 ちょうど3か月目の、ある朝のことだった。私はそのとき、「まだ3か月しか過ぎていな
いのか!」「まだこういう生活が、9か月もつづくのか!」と、驚くと同時に、胸が張り裂
けんばかりにうれしかった。

 私のまわりの、すべてのものが、黄金色に輝いていた。そんな時代だった。それをつい
昨日のできごとのように、鮮明に覚えている。

 私にとっては、充実した毎日だった。それを思い出しながら、今、三男がそういう状態
にいることを知る。そして喜ぶ。

(付記)

 年配の人たちは、みな、こう言う。「年を取れば取るほど、1年を短く感ずる」と。

 それは私も同感。正月が近づいてくると、「もう正月か」と思う。そして正月が終わると、
「もう正月から半年も過ぎたのか」と思う。こうしてあっという間に、1年が過ぎていく。

 とくに、死んだ人の1年は、早い。

 隣人のRさんが、死んで、もう1年になる。いや、正確に計算してみたら、実は、2年。
……そういうふうにして、死んだ人は、さらに私から遠ざかっていく。

 1日を、1年のように生きる。それは決して、不可能ではない。不可能ではないことは、
私は知っている。三男も知っている。


●トイレ通信

 トイレの中に、一冊のメモ帳が置いてある。家族の連絡用に、使っている。

 面と向かっては話せないようなことでも、そのメモ帳には、書ける。本音を書ける。私
とワイフ、それに長男。ときどき、客人が、メモを残していくこともある。

 しかしこれには条件がある。

 トイレはもとより、便器その他、すべて、ピカピカの状態であること。薄暗く、薄汚い
トイレの中では、それはできない。

 私は、毎日、毎回、自分のうちのトイレだけは、ピカピカにみがいている。消毒もして
いる。そういうところだから、みなは、メモ帳に、メモを書き残すことができる。安心し
て……。(多分?)


●ウィルス定期便

 このところ、毎朝欠かさず、(欠かさずだ)、8:50〜9:00という、短い時間帯に、
ウィルス入りメールが、1通、届く。プロバイダーのほうで、2重のチェックを受けてい
るので、私のところに届くことはない。ただ、プロバイダーのほうから、その旨、連絡が
ある。「ウィルス入りメールなので、削除しました」とか、なんとか。

 ほかの時間帯にもウィルス入りのメールが届くことがあるが、しかし時間は、まちまち。
しかしどういうわけか、毎朝、この時間帯に、ウィルス入りメールが、必ず、1通、届く。

 だれかのパソコンにウィルスが侵入していて、そのパソコンには、私のメールアドレス
がある。そのだれかは、毎朝、8:50〜9:00の間に、パソコンを立ちあげる。それ
でその時間帯に、私のところに、ウィルス入りのメールが届く。どうやら、そういうこと
らしい。

 どこのどなたか知りませんが、(1)私のアドレスが、アドレス帳にあり、(2)毎朝、
8:50〜9:00の間に、パソコンを立ちあげる人がいたら、どうか、一度、ウィルス
チェックをしてみてほしい。

 これは世のため、私のため。そしてあなた自身のため。


●竹林

 私の家の横の空き地は、そのまま竹林になっている。以前は、空き地だったが、今は、
竹林。この時期は、笹竹といって、直径が2センチ前後の細い竹が、無数に生えてくる。

 そこで私の出番。運動には、最適。空き地のおばちゃんが、ひとりでその竹を切ってい
たので、合流。「手伝いましょうか」と声をかけると、すっかり気をよくして、あれこれ私
に指示してきた。

 「このあたりを切ってよ」
 「下の根元のほうを切ってよ」
 「長すぎると処分に困るから、半分くらいに切ってよ」と。

 しばらく竹を切っていると、上半身が汗でダクダクになった。それに蚊。腕や顔を容赦
なく刺してくる。蚊も必死だ。追い払ったくらいでは、逃げていかない。私の手でパシッ
とつぶされるまで、そこにいる。

 死ぬほど、私の血はうまいのか? あるいは私の血を吸えるなら、死んでもかまわない
とでも思っているのか?

 あとでそのことを、ワイフに話すと、ワイフは、ケラケラと笑った。「きっと蚊にしてみ
れば、死ぬほど、人間の血はおいしいのかもね」と。

 ところで、竹を切るときは、2つのことに注意しなければならない。

(1)枯れた竹の枝は、危険。扱い方をまちがえると、目を突いてくる。竹を切るときは、
ゴーグル、もしくは、メガネは、必需品。

(2)竹林では、ぜったいに転(ころ)んではいけない。転んだ拍子に、切った竹が体に
突き刺さることがある。実際に、本当に死んだ人がいる。

 そんな話をしながら、ワイフに体中に、かゆみ止めを塗ってもらった。

「今度から、(防虫)スプレーをかけてから行きなよ」と、何度もワイフに叱られた。


●1日を、1年にして、生きる

 1日を、1年にして生きるためには、それだけ刺激的な環境に、自分を置かねばならな
い。と、同時に、その環境の中で、前向きに生きなければならない。

 「見るもの、聞くもの、すべてが珍しい」という世界で、前向きに生きてこそ、人は、
1日を、1年にして生きることができる。今できることは、今、する。この瞬間にできる
ことは、この瞬間にする。決して、あと回しにしない。

 平凡は、それ自体、美徳だが、平凡な人生からは、何も生まれない。感動もない。だか
ら10年生きたとしても、ふりかえってみると、あっという間に終わってしまう。

 こわいのは、老後。サラリーマンで言えば、退職後。過ごし方をまちがえると、それこ
そ、そのあとの30年を、そのままムダにしてしまう。事実、そういう人は、多い。

 では、どうすればよいのか?

 時の流れは、どの人にも、みな、平等にある。その時の流れをうまくつかんで、今とい
う時を、2倍とか、3倍とかに、ふやして生きる。

 そうすれば同じ人生でも、2倍とか、3倍とか、長く生きることになる。損か、得かと
いうことになれば、そのほうが、得に決まっている。

 そこで大切なことは、まず自分の生活を、より刺激的にすること。わかりやすく言えば、
新しいことには、どんどんと挑戦していく。自分の世界を広める。新しい人と出会い、そ
の人の人生を知る。

 つぎに大切なことは、そうした刺激的な世界で、決して、逃げ腰にならないということ。

 私はこのことを、子どもの世界を見ていて、気づいた。

 子どもにも、前向きにどんどんと伸びていく子どももいれば、そうでない子どももいる。
伸びていく子どもは、何かにつけて、挑戦的。ダンスをしたかと思えば、今度は管楽器に
挑戦。それが一巡すると、つぎに、「フルートを吹いてみたい」と言ったりする。

 そうでない子どもは、そうでない。「やりたくない」「できない」と、自分から逃げてし
まう。

 同じ時の流れの中にありながら、前向きな子どもは、その時を、2倍とか、3倍にして
生きる。そうでない子どもは、そうでない。

 つまりそのことは、そっくりそのまま、老後、もしくは退職後の私たちについても、言
える。言いかえると、自分の人生を長く生きるのも、短く生きるのも、つまるところ、私
たちの心構えしだいということになる。

 さあ、がんばろう! 「私も、年だ」と決して、あきらめてはいけない。逃げてはいけ
ない。その気になれば、1日を、1年は無理だとしても、1日を、1か月にして生きるこ
とは、まだまだ可能である。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 19日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て・あれこれ】

●ウソ、ごまかし、盗み

++++++++++++++

子どもがウソをついたからといって、
トコトン、子どもを追いつめては
いけない。

子どもは、おとなをごまかすことで、
自信をもち、ついで、自立していく。

++++++++++++++

 子どもにとって、(1)ウソ、(2)ごまかし、(3)盗みは、いわば、おとなになるため
の熱病のようなもの。この3つを通して、子どもは、おとなからの(自立)を学ぶ。「おと
なを、してやった!」という思い、つまり自信が、子どもを自立させる。

 私もときどき、こんなことをする。

 「戦いごっこ」と称して、子どもたちと戦いごっこをする。そのためのコスチュームも
一応、一式すべて、そろえてある。

 この戦いごっこを通して、私は、わざと負けてやる。「痛い、痛い」「参った、参った」「ご
めん、ごめん」と。

 この方法は、母親の威圧で押しこめられてしまったような子どもに、効果がある。どこ
かおとなしく、どこかいい子で、どこか自信をなくしたような子どもである。これを1、
2回(1、2回でじゅうぶん)するだけで、その子どもの表情は、とたんに、見ちがえる
ほど、明るくなる。

 悪いのは、おとなの優位性を子どもに押しつけること。「おとなは偉い」「おとなはすば
らしい」と。そして子どもに向かっては、「君たちは、おとなには、かなわない」と、その
力(?)を誇示する。子どもは、自信をなくすだけではなく、服従的になったり、反対に、
権威主義的になったりする。

 子どもを伸ばすコツ……ときには、子どものレベルまで自分をさげ、子どもに、「バカだ、
アホだ」と思わせつつ、自信をもたせること。

 この自信が、子どもを伸ばす。

 で、ここに書いた、(1)ウソ、(2)ごまかし、(3)盗みも、同じように考えてよい。
それを許せというのではない。しかし、それをしたからといって、神経質になったり、カ
リカリしてはいけない。一応、叱りながらも、「子どもというのは、そういうもの」と、一
歩退いて考える。この余裕が、子どもの表情を明るくする。

 子どもは、満1・5歳〜2歳前後から、ウソを覚える。ウソ寝、ウソ泣きが、その代表
的なもの。さらに3〜4歳になると、おとなをごまかすことを覚える。また5〜6歳にな
り、金銭感覚が身につくようになると、盗みをするようになる。親のサイフから、お金を
抜き取るなど。

 こうして子どもは、自立を学ぶ。

 なお最終的には、「こんな親は、アテにならない」「自分でやったほうがマシ」と思わせ
ることで、子どもに自立を促す。私も、子どもたち(生徒)が、小学5〜6年生になった
ら、そういう形で、子どもを手放すようにしている。

 「こんな先生は、アテにならない」「自分でやったほうがマシ」と。

 それを私は、「卒業」と呼んでいる。それまでが、私の仕事と考えている。子どもたちは、
あとは、自分で伸びていく。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの自立 子供の嘘 虚言 ごまかし 盗み 盗癖 子どもの自立)

(追記)

 反対に、ウソもついたことがない、ごまかしたこともない、ものを盗んだこともないと
いう子どものほうが、心配である。(そういう子どもは、いないと思うが……。)

しかし親が、威圧を加えて、子どもがそうすることを許さないケースもある。過関心、
過干渉ママと言われる親が、このタイプの親である。このタイプの親は、ささいなミス
や、まちがいを、おおげさにとらえて、これまたおおげさに叱ったり、問題にしたりす
る。

そういう環境に育った子どもが、どうなるか? ……それについては、また別の機会に
改めて、考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司


●ミス、まちがいを許さない親たち

++++++++++++++++++

俗にいう、「完ぺき主義のママ」たちは、
子どもの、ミスや、ささいなまちがいを、
許さない。

あるいは、子どもがミスや、まちがいを
おかしたりすると、ことさら大げさに、悩んだり、
それを問題にしたりする。

そのため、子どもは、萎縮する。
萎縮するだけならまだしも、
その成長過程で、脱ぐべきカラを脱げないため、
問題を先送りすることになる。

しかし、これがこわい……。

+++++++++++++++++++

 子どもは、その過程で、それぞれ、カラ(殻)を脱ぎながら、成長する。それはよく、
昆虫の脱皮にたとえられる。(たとえているのは、実はこの私だが……。)

 たとえば満4・5歳から、満5・5歳にかけて、子どもは、たいへん生意気になる。親
や先生に対しても、口答えをするようになる。

親「新聞をたたんでちょうだい!」
子「自分のことは、自分でしな!」と。

 この時期は、ちょうど、(幼児期)から(少年、少女期)への移行期にあたる。この時期
を通して、子どもは、幼児というカラを脱いで、少年、少女へと成長していく。

 「この子は、こういう子だ」という、(つかみどころ)がはっきりとしてくる。人格の核
(コア・アイデンティティ)が確立してくる。「私」という意識がはっきりとしてくる。

 が、この時期、親の威圧、強圧、過関心、過干渉が日常化すると、子どもは、いわゆる
(いい子)のまま、過ぎてしまう。つまりカラを脱げない、あるいは脱がないまま、体だ
けが、大きくなってしまう。

 親は、「いい子だ」「育てやすい」と喜んでいるが、これはとんでもない誤解。先日も、
ハキがなく、オドオドし、見るからにおとなしい自分の子どもをさして、「うちの子は、す
ばらしい子どもです」と言っていた母親がいた。

 しかしそういう子どもが、将来、どうなるか?

 大きく分けて、二つの道をたどる。

 そのまま、ナヨナヨとした性格のまま、それにふさわしい人生を送るタイプ。もうひと
つは、カラを脱がなかったツケを、やがて払うタイプ。さまざまな問題行動の原因になる
ことも多い。とくに対人関係で、障害が出ることが多い。はげしい家庭内暴力につながる
ケースも、少なくない。

 だから、……というわけでもないが、子どもはその時期々々において、脱ぐべきカラは
脱いでおく。あるいは、脱がせておく。たとえば、ウソ、ごまかし、盗みにしても、それ
を繰りかえしながら、子どもは、やがて常識豊かな人間へと成長していく。

 子どもの成長には、(ワル=悪)も大切な肥料と考える。子どもは、(ワル)をしながら、
おとなの世界からの自立を模索する。

 そこで親は、そうした行為を見たり知ったりしたときには、それなりに叱ったり、注意
したりしながらも、別の心では、それを許す。「ああ、この子は、自立しつつあるのだ」と。
子どもを、トコトン、追いつめたり、責めたりしてはいけない。ほどほどのところで、手
を引く。引きながら、あとは、子どもの判断に任す。

 この余裕が、子どもの表情を伸びやかにし、明るくする。

 が、ときどき、こんな相談がある。「うちの子は、サイフからお金を盗んで、使います。
どうしたらよいでしょう?」と。

 こういうとき親によっては、絶望感(?)にさいなやまれ、被害妄想もからんで、子ど
もの将来を大げさに心配したりすることがある。しかしこのとき重要なのは、「どうすれば、
そういうことをやめさせられるか」ではなく、「どうすれば、子ども自身を、考えて行動で
きる子どもにすることができるか」、である。

 やめさせる方法は、簡単である。家の中で、お金の管理を徹底すればよい。しかし、そ
れで問題が解決するわけではない。家の中で盗むことができなければ、外の世界で盗むだ
け。

 そこで子どもには、考えさせる。が、ガミガミ叱ったのでは、子どもに考えさせること
はできない。中には、叱られじょうずな子どもがいる。何かを叱ったりすると、さも反省
していますというような様子をして見せて、頭をうなだれたりする。さらには、即座に土
下座して、頭を床にこすりつける子どももいる。

 しかしそういう子どもは、何も考えていない。考えていないから、反省もしない。むし
ろ、ますます小ズルくなるだけ。つまり叱っても、意味がない。ばあいによっては、逆効
果。

 子どもが(ワル)をしたときほど、親は冷静になる。静かに子どもに語りかける。この
語りかけが、子どもを成長させる。子どもを、常識豊かな子どもにする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 子供の叱り方 子どもの叱り方 しかり方 盗み 万引き ウソ 虚言 ごまかし イ
ンチキ 親の対処法)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●フリースクールに通う二男

++++++++++++++++

TKさんの息子が、
フリースクールに通うようになって、
3か月になるという。

ときどき横ぎる親の不安。
その不安と戦いながら、
TKさんは、今、子育ての最前線で、
その息子と懸命に向かいあっている。

++++++++++++++++

【掲示板より、はやし浩司へ】

3、4月に二男が進学が決まった高校への入学を拒否したことでご相談いたしましたT
というものです。
いつもEマガジン楽しみに読ませていただいています。

その後、二男はM市の隣のN市のフリースクールに、毎日通っています。

毎日、朝7:30に起床し、9時に家を出て、9時30分にスクールに着き、高認の試験
勉強をし、12時にそこで弁当を食べ、1時にスクールを出て帰宅します。

家では相変わらずのランニングや筋トレ、「脳力道場」というソフトでHQを向上させるん
だと、これも規則正しく生活しています。

もちろん家の近所や駅で、中学の同級生に会うことを嫌がり、かなり神経を使っています。
それでも毎日、リュックサックを背負って通う姿を見ると、何か胸にくるものがあります。

こういう生活をしだしてから、普段イライラすることも少なくなり、暴言をはくことも一
度あったのみです。その時は大声を上げてから、泣き声に変わり「本当は高校に行きたい
けれど、行ける高校がない」と言い、本人もとても苦しいのだなと私にも、わかりました。

中学の担任だった先生には、本人からお詫びも含め、手紙を書きましたが、何も返事があ
りません。「やはり嫌われたかな」と、とても気にしています。「返事がないのは、先生も
理解したということだよ」と言うと、「そうかな」と言いましたが、返事は待っているよう
です。

残念ながらフリースクールには朝から来るような生徒さんはおらず、先生と二人で学習し
ています。お友達がいれば、いろいろ話せるだろうなと思いますが、先生もこんなに規則
正しく通う生徒さんははじめてだそうです。

高認の試験に合格したあとは、アルバイトするか、留学するか考えているようです。以前
からみれば、突拍子もない希望や要望も少なくなり、またあまり希望が変化することがな
くなってきました。

私たち夫婦には、よく話しかけてきます。やはり話し相手がほしいのだろうなと思います。

高校に行かなくて将来に影響が出ないのかという親の不安も、依然あります。それをあお
るように今何とかしないと、将来大変なことになるという、別のスクールからのお話も聞
きました。そのスクールに入れると、半年でとんでもない費用がかかります。

(ちなみにN市のUTやRE塾など。二男が通っている、TYスクールではありません)。

しかし本人が今のスクールの先生と相性がよく、スクールもこじんまりしていて、気に入
っているようです。彼の意思にまかせています。

これからの彼がどういうふうに自分の道を切り開くのか、見守りたいと思います。

【はやし浩司より】

 掲示板への投稿ありがとうございました。同じような問題をかかえ、同じように悩んで
いる多くの父母にたいして、おおきな励みになると思います。

 TKさんの書きこみの中で、一番重要な部分は、『私たち夫婦には、よく話しかけてきま
す。やはり話し相手がほしいのだろうなと思います』という部分です。

 そして息子さん自身が、TKさんに、『本当は高校に行きたいけれど、行ける高校がない』
というようなことを、語った部分です。

 すばらしい親子ではありませんか! わかりますか、TKさん。すばらしい親子ですよ!

 今のTKさんには理解できないことかもしれませんが、こうした問題(今、TKさんが
かかえている問題)は、終わってみると、「何だ、こんなことだったのか」と、ウソのよう
に静かになります。あたかも何ごともなかったかのように、終わります。

 私が知るかぎり、例外なく、そうなっています。「時」の流れには、不思議な力がありま
す。その時々は、遅々として進まなく見える時の流れも、終わってみると、あっという間。
しかもそのつど、「今」という時点でみると、それまでの過去が、きれいに消えてしまって
いるものです。

 もともと過去などというものは、どこにもないのですから……。

 だから不安に思わないこと。息子さんは、すでに自分の道を歩み始めています。『高校に
行かなくて、将来に影響が出ないのかという親の不安も、依然あります』という部分です
が、そういうことは、まったく、ありません。

 『それをあおるように今何とかしないと、将来大変なことになるという、別のスクール
からのお話』という部分ですが、私の返事は、ただひとつ。『今どき、バカじゃなア〜イ?』
です。正直言って、この珍説には、笑ってしまいました。

 何が、将来、大変なことになるのですか? 何をもって、大変というのですか? 学歴
信仰の亡者どもめ!、です。こういうバカがいるから、日本の学歴信仰、学校神話はいつ
までたっても、なくならないのです。コースに乗った子どもだけが正常で、コースからは
ずれた子どもは、そうでないという、実にバカげた、まさに日本型非常識が、いまだに、
大手を振って歩いている!

 (塾の先生というと、高邁な人格者を想像しがちですが、実際には、レベルが低い人が
多いですよ(失礼!)。思想や哲学が背景にあって、塾の先生になった人など、ほとんどい
ません(本当に、失礼!)。教材の元セールスマンが、そのまま塾の経営者になったりして
います。

 何も、元セールスマンが、塾を経営してはいけないと言っているのではありません。た
だ金儲け第一主義で、塾の経営をしている人も、多いということです。)

 そしてその結果、善良な親や、子どもたちが、必要以上に苦しめられるのです。

 しかし何が大切かといって、今のTKさんと息子さんにとって、たがいの(支えあい)
ほど、大切なものはありません。それがあれば、この先、どんな苦労も、問題も、乗り越
えることができます。

 その(支えあい)のない状態。それを『大変なこと』というのですよ。

 TKさん、まず、あなたが、堂々としていなさい。息子さんは、今、どこか自分を卑下
しています。しかしなぜそうするかといえば、あなたのシャドウ(心の陰)を引きずって
いるからです。あなた自身の学歴信仰を引きずっているからです。TKさん、あなたには、
それがわかりますか?

 あなたが、あなた自身の生き様を、まず示す。それを見て、子どもは、自分の生き様を
決めていきます。世間体や、世間の目なんて、クソ食らえ、ですよ。どうして自分の道を
進んでいるあなたの息子が、小さくなっていなければならないのですか?

 コースにのって、楽な道を歩んでいる連中のほうこそ、小さくなっているべきでしょう。

 私の長男も、いろいろあって、ある時期、半年ほどですが、道路工事の旗振りの仕事を
しました。正直言って、私にしても、つらい時期でした。しかしあるとき、息子のほうが、
私に聞きました。

 「パパは、ぼくが、こんな仕事をしていて、恥ずかしくないか」とです。

 道路では、いろいろな人に会います。息子の友人たちにも会います。そういう友人たち
が、家に帰って、親たちに、「あの林の息子が、旗振りをしている」と。(このあたりでは、
私も、少しだけ、よく名が知られた存在なものですから……。)

 みな、陰で、そう言いあっているのが、私にも、よくわかりました。息子も、それを感
じたのでしょう。それで私に、そう聞きました。

(またそういうことだけを、やたらと大声で話題にするバカが、いるのですね。本物の
バカです。どうして林の息子が、旗振りをしてはいけないのですか?)

 正直言って、「もう少しちがった仕事をしてほしい」と思いました。しかしそれは、仕事
そのものが悪いというよりも、息子の健康が心配だったからです。夏の炎天下で、しかも
排気ガスを、ボンボンと吸い込むような環境です。とても、「よい仕事」とは、言えません。

 私は、「何を恥ずかしがるのだ!」と、長男に言い聞かせました。長男は、「自分を鍛え
るため、いちばんきびしい仕事をしてみたい」と言って、その仕事を自分で選んだからで
す。息子が最初に、私にそう言いました。で、私たち夫婦は、日焼け止めクリームを買っ
てきて、彼の部屋の前に置いてやりました。

 最高級品の日焼け止めクリームです。彼の1週間分の給料よりも、高額だったかもしれ
ません。

 親としてできることは、せいぜい、その程度のことです。

 そのあとも長い時間がかかりましたが、今では、ごくふつうの親子として、たがいに思
いやりながら、生活しています。そういう「今」から見ると、過去など、何でもありませ
ん。

 いいですか、TKさん、今の親子関係だけを信じ、大切にして、あなたは子どものこと
だけを考えて、今、できることを、懸命にすればよいのです。そうすれば、必ず、明日は、
やってきます。

 今がいちばんつらいときです。しかしこのときも、やがて終わります。これからも苦し
いときがあるでしょう。つらいときも、あるでしょう。しかしどんなときも、『許して、忘
れる』。それだけを守って、前に進みます。

 幸いなことに、……というより、息子さんも、少し無理をしているかなという感じはあ
りますが、息子さんは、がんばって、フリースクールに通っています。ですからあまり先
のことは心配しないで、今は今で、懸命にできることだけをすればよいのです。

 あのね、「世間」も、少しずつですが、変わってきましたよ。日本にも、やっと「自由」
がやってきたという感じです。それぞれの生き様を認める時代が、もう、すぐそこまでや
ってきています。

 そのために、私もがんばっています。TKさんも、どうか、がんばってください。みん
なで力を合わせて、この日本を変えていきましょう! 未熟な国から、成熟した国へと、
です。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
不登校 フリースクール)


【補足】

●自由とは……

 自由とは、あるがままの自分を、さらけ出しながら、あるがままに生きること。他人の
目や、世間体など、気にしない。他人がどう思うと、知ったことではない。それが自由。

 しかし、そんな自由が、この日本にあるだろうか?

 昨日、Tさんという母親から、掲示板に、こんな書きこみがあった。

 Tさんの息子は、高校へ入学はしたものの、そのまま不登校。今は、隣町にあるフリー
スクールへ通っているという。
 
 そのフリースクール(塾)へ通う途中、Tさんの息子は、まわりの人たちに、かなり気
を使っているらしい。とくに中学時代の友人たちに会うのを、何よりもいやがっていると
いう。

 しかし、どうして? どうして中学時代の友人たちを気にするのか? どうしてその息
子は、あるがままの自分をさらけ出して、あるがままに生きることができないのか。

 つまり、ここに、「自由」の問題がある。

 学校へ行かないことは、何も、恥ずべきことではない。アメリカには、学校へ行かない
で、家庭で勉強している、いわゆるホームスクーラーと呼ばれる子どもたちが、約200
万人以上もいる。希望すれば、州政府が、先生まで派遣してくれる。私の二男の嫁の実母
が、その仕事をしている。

 学校へ行かないことで、差別されることはない。本人も家族も、そしてだれも、それを
おかしいこととは思わない。ついでながら、小学校から高校まで、一度も学校へ行かなか
った子どもでも、現在、ほとんどの大学が、そういった子どもを、受け入れている。

 しかしこの日本では、そうはいかない。日本には、コースというものがある。形という
ものがある。そのコースからはずれ、形とはちがったことをすることが、たいへんむずか
しい。

 他人がそれを許さないというより、自分が許さない。自分の中につくられた、(コース)
意識、(形)意識が、それを許さない。つまり自分で自分をがんじがらめにする。意識とい
うのは、そういうもの。こんなことがあった。

 A県で公認会計士をしている友人がいる。その友人が、この町へ遊びにきて、こう言っ
た。私が「自転車通勤をしている」と話すと、「よく、そんな恥ずかしいことができるなア」
と。

 自転車通勤をすることを、彼は、「恥ずかしいこと」というのだ。そしてこう言った。「ぼ
くらは、見栄えをよくしないと、仕事ができない」と。彼のばあい、いつも運転手つきの
大型車で、それぞれの会社を回るという。「自転車なんかで行ったら、バカにされて仕事に
ならない」とも。

 しかしどうして、公認会計士が、自転車で通勤をしたら、いけないのか。あるいは、医
師が、自転車で往診をしたら、いけないのか。自転車通勤は、健康には、たいへんよい。
立場がある? 世間体がある? 地位や名誉がある? それはそれとして、私たちにまわ
りには、こういう一見常識的に見える非常識(?)が、満ち満ちている。その非常識が、
自分をしばる。
 
 自由とは、あるがままの自分をさらけ出しながら、あるがままに生きること。他人の目
や、世間体など、気にしない。他人がどう思うと、知ったことではない。それが自由。

 さあて、今、「私は自由だ」と、自信をもって言える人は、いったい、どれだけいるだろ
うか。

(付記)

 一方で、この日本では今、おかしな復古主義が台頭してきている。「伝統」とか、「文化」
とか、そういった言葉を使って、自分を正当化する。こういった言葉は、まさに伝家の宝
刀。そういう意味では、「過去」をぶらさげた人は、強い。改革による失敗よりも、保守に
よる安全のほうが、居心地がよい。その居心地のよさに中に、どっぷりとつかって、改革
を批判する。

 伝統なんて、クソ食らえ! 文化なんて、クソ食らえ! ……というのは、言いすぎだ
が、しかしその伝統や文化が、いかに日本人の意識をがんじがらめにしているかというこ
とについて、私たちは、気づくべきではないだろうか。

 大切なことは、それぞれの人が、自分らしく、明るく楽しく生きること。Tさんの子ど
もについて言うなら、他人の目や友人たちの目を気にすることなく、堂々と自分の道を歩
くこと。通りでだれかに会っても、明るい声で、たがいに、あいさつができること。

 それが「自由」。そういう国を、日本もめざそう!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自由とは 自由論 伝統と文化)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑談・あれこれ】

●6月15日

せっかくの休日なのに、今日は、雨。はげしい雨。とくに決めた計画もなかったので、
そのままワイフと、山荘へ。

 ちょうどビワが、収穫の時期を迎えていた。そのビワを、傘をさしながら、取る。おお
むね、買い物袋3杯分。まあまあの収穫。

 で、そのあと、チャーハンを作って、2人で分けて、食べた。まぐろのフレークを、具
にして入れた。おいしかった。

 が、ますます雨ははげしくなる一方。しかたないので、居間で、ビデオを見た。何とも
つまらない休日。

 タイトルは忘れたが、ビデオは、ブルース・ウイリス主演のものだった。離婚の危機を
迎えた夫婦が、あちこちで袋小路に入りながらも、最後は、離婚の危機を乗り切るという
内容。

 ワイフも、私も、じっと見入る。決して、他人ごとではない。私たち夫婦も、離婚の危
機を、何度か経験している。で、そういう立場から、一言。

 夫婦の間では、決して、つっぱっては、いけない。意地を張ってはいけない。かっこう
をつけてはいけない。好きだったら、好きだと言えばよい。いっしょに寝たかったら、寝
たいと言えばよい。自分が悪いと感じたら、ごめんと言えばよい。

 この世界には、『負けるが勝ち』という言葉がある。夫婦の間では、何があっても、負け
るが勝ち。負けて、負けて、負けまくる。

 私たち夫婦も、最後は、どちらか一方が、自分の負けを認めて、それで片づいた。その
ビデオもそうだった。

 最後は、妻が、「愛している」「別れたくない」と言ったところで、ハッピーエンド。

 夫婦というのは、決して見つめあってはいけない。いっしょに手をつないで、前だけを
見て歩く。そういうものか。

 言葉では、ヨ〜ク、わかっているのだが……。


●講演

 私がこう言った。「今度の、どこかの講演ではね、こんな話から切り出してみようと思う」
と。

 「ぼくがね、こう言うんだよ。『エー、今朝、起きるとワイフが、セックスしたいとねだ
るものですから、今朝は、一番にセックスを済ませてきました』とね。みんな、びっくり
するだろうね」と。

 ワイフは、「ぜったい、そういう話はしないで」と言った。しかし私には、ねらいがある。

 教育講演会というと、講師たちは、みな、牧師か僧侶が話すような話をする。(私は、そ
うではないが……。)またそういう顔をして、話す。「聖職」という言葉も、そういうとこ
ろから生まれた。

 しかしこれほど、不気味なものもない。そういうふうに誤解されるのもいやだ。またそ
ういう仮面をかぶればかぶるほど、自分がわからなくなる。

 「つづけて、こう言うんだよ。『エー、街角でも、きれいな女性を見たりすると、今でも、
ムラムラときますね。それは何も悪いことでもなんでもない。そういうふうになるという
ことは、自分が健康だという、証拠です。漢方でも、精力の(精)と、精神の(精)は、
同じものと教えます。(精)というのは、もともとは、食事から得られる(精微な物質)と
いう意味です。

わかりやすく言えば、エネルギー源ということです。つまり、精力のある人は、精神も、
それだけタフということになります。その反対でもいい。

 そんなわけで、スケベであることは、何ら、恥じるべきことではありません。健康な人
ほど、スケベです。若い男性なら、なおさらです」と。

ワ「どうして、そんな話をするの?」
私「いいか、自分らしく生きるということは、自分をさらけ出して生きることをいう。自
分も、広く見れば、人間の一部だろ。自分が考えたり、したりすることは、自分を超えた
人間のすることさ。その人間について、話す」
ワ「でも、そんな話は、やめてよ」
私「だからさ、そう言ったあと、こう言えばいい」と。

 「先ほど、私のワイフの話をしました。みなさん、それを聞いて、ドキッとしたと思い
ます。教育講演会で、セックスの話をするなんて……と、思った人も多いかと思います。
しかしね、みなさん、それこそ、偏見です。

私は、みなさんに、ドキッとしてもらうため、あえて作り話をしてみました。『ワイフが
ねだった』という話は、ウソです。が、しかし、男というのは、24時間のうち、20
時間は、(女)のことを考えています。あのフロイトも、人間の生きる原点には、(性的
エネルギー)があると説いています。

 私は、ありのままの私を、ありのままに話す。それが講演ではないかと思うのです。そ
れがわかってほしかったから、あえて作り話をしてみました」と。

 あとは、いつものように、ありのままを話せばよい。飾ることはない。教育評論家だと、
気取ることもない。気負う必要もない。聖人ぶればぶるほど、疲れる。講演をし終わった
あと、気分も悪い。

私「今は、心のどこかで、気負っている」
ワ「そうね」
私「だろ。でもね、もうあと数年もすれば、そういう気負いも取れるかもしれない。そう
なれば、ぼくは、ありのままの自分で、ありのままの教育論を、みなに、話すことができ
るようになる」
ワ「……」
私「だから、少しずつ、そういう自分に向けて、話す準備をしたい。それができたとき、
ぼくは、それを最後の講演としたい」
ワ「最後?」
私「そう、それでおしまい。二度と、講演なんか、しない。そろそろ体力も、もう限界に
近づいてきたしね」と。

 タラタラと話す講演もあるかもしれないが、しかし私のばあいは、いつも全力投球。2
時間なら2時間、ぶっつづけで話す。それはまさに、体力との勝負。気力との勝負。たま
に、私の公演中に、居眠りをしたり、雑談をする人もいるが、それは私の講演では、例外。
ぜったい、そういうスキは与えない。

 そういう講演ができなくなったら、私も、おしまい。そうなったら、講演は、もうやめ
る。

 終わりにワイフも、こう言った。

 「講演は、もう、何回しても同じね。聞いた人は、そのときは、あなたのことを覚えて
いるかもしれないけど、1、2年もすると、みな、忘れてしまうから……」と。

 さみしいが、講演の世界というのは、そういうもの。はっきり言って、何も残らない。
私のほうにも、残らないが、聞いてくれるのほうの人にも、残らない。そういう(限界)
が、このところ、強く感ずるようになった。


●サッカーW杯

 対オーストラリア戦の後遺症が、まだ残っている。このところ、W杯のニュースを見聞
きするたびに、気が重くなる。日本は、そのオーストラリアに、1−3で負けた。

 負けた理由については、毎日のように、あちこちで解説している。まあ、理由はともあ
れ、負けたのだから、し方ない。ゲームは、ゲーム。

 次回は、クロアチア戦。そしてそのあと、ブラジル戦へと、つづく。どうなるのだろう? 
ジーコ・JAPANで、はたしてだいじょうぶなのだろうか?

 それにしても、選手のみなさんは、たいへんだ。どんな気分でいるのだろう。勝てば英
雄だが、負ければ、批判の矢面(やおもて)に立たされる。サポーターというのは、そう
いう意味では、二面性をもっている。やさしいが、同時に、こわい。

さて、日本が決勝リーグ戦に出られるためには、クロアチアとブラジルをくださねばな
らない。ともにきびしい戦いになりそうだ。

 ハラハラ……。

 やはり今度の対クロアチア戦は、もう試合を見ない。私には、刺激が強すぎる。対オー
ストラリア戦を見た夜は、それから1時間以上も、寝つかれなかった。が、もし日本が負
ければ、この梅雨時(つゆどき)の私の楽しみは、完全に、文字通り、露(つゆ)と消え
る。

 どうかどうか、日本の選手のみなさん、がんばってくれ! 頼むウ〜〜〜〜〜!!
(06−6月15日記)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●インチキ占い師

+++++++++++++++++

この世の中には、「インチキ」と名のつく
ものは、多い。

インチキ霊媒師、インチキ占い師、
インチキ占星術師、インチキ宗教家……。
インチキ教育評論家というのもいる。

ハハハ、私のことか?

みんな、自分で、そう思っているだけ。
つまり「自分こそは、まとも」と思っているだけ。

誇大妄想狂というか、はたまた脳みそ分裂症
というか……。

+++++++++++++++++

 日本という国は、たいへん愉快な国である。周期的に、その手のインチキ霊媒師だとか、
インチキ占い師だとかが、顔を出して、世を騒がす。

 そういう点では、マスコミにも大きな責任がある。ワーワーとそういう人物を祭りあげ
ておきながら、問題になると、あとは、知らぬ顔。そういうインチキ霊媒師やインチキ占
い師に、どれほど子どもの世界が影響を受けていることか。それを少しでも反省したら、
今後は、もう少し、慎重であってほしい。

 で、その人物がインチキかどうかは知らないが、今、週刊誌の世界では、Hという女性
が、話題になっている。占星術師として、売りだした女性である。私は占星術については、
たびたび批評してきたので、あえて、その先というか、そのあとのことをここでは、考え
てみる。あえてそのHという女性については、無視。あんな女性など、論ずる価値もない。

 まず、カルトは、立派な宗教であることを忘れてはいけない。人心をまどわす。人心を
狂わす。人心を誘導して、自分の利益につなげる。こうした神秘主義は、どこかで神や仏
とつながる。

 そういったものを、マスコミが取りあげる。わかりやすく言えば、マスコミが、カルト
の手先となる。占いやまじないにしても、ただの娯楽では、すまされない。その異常性に、
まず、私たちは、気がつかねばならない。

 つぎに人間の脳みそには、エアーポケットのような空白部分がある。だれにでも、ある。
そのエアーポケットに、ある日突然、カルトが入ってくる。それは、本当に、ある日、突
然で、ある。

 一度カルトが入りこむと、脳のCPU(中央演算装置)が狂うため、その人は、カルト
を信仰しながらも、それに気づくことはない。「私は絶対正しい」と思いこみながら、ハタ
からみると、愚にもつかないようなことを、言ったりしたりするようになる。

 が、それだけではすまない。

 ある有名なロックバンドの、Hという男が自殺したとき、わかっているだけでも女性を
中心に、3〜4名の若者があと追い自殺をしたという。

家族によって闇から闇へと隠された自殺者は、もっと多いはず。自殺をする人にはそれ
なりの人生観があり、また理由があってそうするのだろうから、私のような部外者がと
やかく言っても始まらない。しかしそれがもし、あなたの子どもだとしたら……。

 1997年の3月のこと。ヘールボップすい星が地球に近づいたとき、世にも不可解な
事件がアメリカで起きた。

「ハイアーソース」と名乗るカルト教団による、集団自殺事件である。

当時の新聞記事によると、この教団では、「ヘールボップすい星とともに現われる宇宙船
とランデブーして、あの世に旅立つ」と、教えていたという。

結果、39人の若者が犠牲になった。この種の事件でよく知られている事件に、197
8年にガイアナで起きた人民寺院信徒による集団自殺事件がある。この事件では、何と
914名もの信者が犠牲になっている。

なぜこんな忌まわしい事件が起きたのか。また起きるのか。「日本ではこんな事件は起き
ない」と考えるのは早計である。子どもたちの世界にも大きな異変が起きつつある。現
実と空想の混濁が、それである。

あの「たまごっち」にしても、あれはただのゲームではない。あの不可解な生きもの(?)
が死んだだけで、大泣きする子どもはいくらでもいた。そして驚くなかれ、当時は、あ
のたまごっちを供養するための専門の寺まであった。ウソや冗談で供養しているのでは
ない。本気だ。本気で供養していた。中には手を合わせて、涙を流しているおとなもい
た(NHK『電脳の果て』)。

さらに最近のアニメやゲームの中には、カルト性をもったものも多い。今はまだ娯楽の
範囲だからよいようなものの、もしこれらのアニメやゲームが、思想性をもったらどう
なるか。仮にポケモンのサトシが、「子どもたちよ、未来は暗い。一緒に死のう」と言え
ば、それに従ってしまう子どもが続出するかもしれない。そうなれば、言論の自由だ、
表現の自由だなどと、のんきなことを言ってはおれない。あと追い自殺した若者たちは、
その延長線上にいるにすぎない。

 さて現在。旧ソ連崩壊のときロシアで。旧東ドイツ崩壊のときドイツで、それぞれカル
ト教団が急速に勢力を伸ばした。社会情勢が不安定になり、人々が心のよりどころをなく
したとき、こうしたカルト教団が急速に勢力を伸ばす。

終戦直後の日本がそうだったが、最近でも、経済危機や環境問題、食糧問題にかこつけ
て、急速に勢力を拡大しているカルト教団がある。あやしげなパワーや念力、超能力を
売りものにしている。「金持ちになれる」とか「地球が滅亡するときには、天国へ入れる」
とか教えるカルト教団もある。

フランスやベルギーでは、国をあげてこうしたカルト教団への監視を強めているが、こ
の日本ではまったくの野放し。果たしてこのままでよいのか。子どもたちの未来は、本
当に安全なのか。あるいはあなた自身はだいじょうぶなのか。あなたの子どもが犠牲者
になってからでは遅い。このあたりで一度、腰を落ちつけて、子どもの世界をじっくり
とながめてみてほしい。

 ……ということで、もう一度、私やあなたの身のまわりのカルトに目を向けてほしい。
この世界では、「私はだいじょうぶ」と思っている人ほど、あぶない。すでに何かのカルト
の信者になっている可能性が高い!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
カルト 占い まじない)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●あやしげな行動

++++++++++++++++

コンビニの横の駐車場。
2人の男と、2人の女子高校生。
あやしげな雰囲気。

しかしこうした光景は、
今どき、珍しくも、なんともない。

全国、どこでも見られる。
あたりまえの光景。

++++++++++++++++

 2人の女子高校生が、どこかあやしげな雰囲気で、こちらに向かって歩いてきた。歩く
というよりも、迷いながら、フラフラと歩いているといったふう。1人は、携帯電話を顔
につけたまま。

 その携帯電話をもった女子高校生の視線の先を見ると、そこに、一台の車が止まってい
た。軽のワゴン社だった。男が2人、乗っていた。年は、25〜8歳くらいか。運転席の
男も、携帯電話を顔につけていた。太った、しまりのない顔をしていた。

 私は、コンビニの前に、自転車を止め、いくつかの買い物をした。外を見ると、2人の
女子高校生と2人の男が、窓越しに、何やらたがいに交渉しているといったふうだった。

 女子高校生のうちの1人は、数歩、うしろに立ち、交渉を見守っているといった。顔を
下へ向けながらも、上目づかいに、男たちの顔を見ていた。もじもじしている様子が、私
にも、よくわかった。

 男たちは、精一杯、笑みを浮かべ、やさしそうな、それでいて、下心見え見えの雰囲気
で、さかんに2人の女子高校生たちに話しかけていた。

 だれが見ても、そういう関係に見えた。「いっしょに、遊ぼうよ」「いくらで?」と。

 ……いまどき、こんな光景は、珍しくも、なんともない。どこでも見られる。都会だけ
ではない。地方をドライブしても、それらしい光景は、どこでも見られる。共通点は、い
くつかある。

 たいていは女子高校生と男たちの組みあわせ。それにコンビニと携帯電話。時刻は、昼
過ぎ、もしくは夕方。

 目的は、ズバリ、セックスとマネー。

 こういうとき、「女」は、スケベ心を、体で表現するものか。体を、どこかなまめかしく、
よじらせながら、男たちと話す。一方、「男」は、笑顔で、そのスケベ心を隠すものか。懸
命に、女子高校生たちの警戒心を解こうとする。

 いつから日本がこうなってしまったのかは知らないが、どこか雰囲気が、うす汚い。退
廃的。そのあたりの空気だけが、どんよりと、よどんでいる。

 で、私は、買い物をすませ、そのコンビニを離れた。離れながら、最後に、もう一度だ
け、そちらのほうを見た。

 2人の女子高校生たちが、ちょうど、車に乗りこむところだった。どこか不安げに。ど
こか不満げに……。

 私は、それを見て、「知ったことか!」と、軽くはき捨てた。

 ただこれだけは、世の母親たちは、覚えておくとよい。

 「うちのダンナにかぎって、そういうことはしていない」「うちの娘にかぎって、そうい
うことはしていない」と思うのは、もはや幻想でしかない。つまりそれくらい、こうした
光景は、この日本では、日常的なものになってしまった。

 だからあえて、私は、言う。厳罰主義にしろ、と! もうそれしか、この問題を解決す
る方法は、ない!

(1)16歳未満の女子、男子と性交渉をもった、20歳以上の男女は、問答無用式に、
2年間の懲役刑。

(2)それを見聞きしたものは、警察への通報義務を負う。それを怠ったばあいには、問
答無用式に、1年間の懲役刑。(こうして、ホテルなど、場所を提供するものを、シャット
アウトすることができる。)

 ……こうした法律は、アメリカや、オーストラリアでは、すでに施行されているぞ!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 17日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●男児の性

 男児はいつごろから性にめざめるかだが、小学校に入学するころには、男児は、すでに
その兆候を見せ始める。

 それは何とも言えない、甘美な世界である。女性の乳房や、陰部、そういったものを思
い浮かべたり、想像したりするだけで、体がとろけていくような気分になる。フロイトは、
母親に最初の女性をみると説いたが、私のばあいには、母親には、まったく女性を感じな
かった。

 私のばあいは、同年齢の女の子だった。1歳、年上でもダメ。1歳、年下でもダメ。同
年齢の女の子にしか、女性を感じなかった。

 隠れて、女の子の裸の絵を描いて楽しんでいたこともある。私が小学2〜4年生くらい
のことではなかったか。

 その私が、射精を覚えたのは、中学生になったころのことだと思う。6年生のときだっ
たかもしれない。年齢はよく覚えていない。

 近所に、1、2歳、年下の女の子がいて、その女の子といっしょにテレビを見ていたと
きのこと。横にすわった女の子が、私のズボンの中に、手を入れてきた。私が入れさせた
のかもしれない。その女の子が、私のペニスをいじり始めた。

 そのときまでにも、そういうことは、何回かあったと思う。私も、その女の子の体の中
を、何回か、のぞいたことがある。

 で、そのとき、体中が燃えるように熱く感じたあと、そのまま気を失うように感じた。
ペニスははげしく脈動し、私は、そのまま射精をした。が、私は、それが射精だとは思わ
なかった。その女の子が、「おしっこした!」と声をあげた。それはよく覚えている。で、
あとになって、それが射精だと知った。

 それからは周期的に夢精が始まり、私は、「男」になった。

 こうした性の変化は、女性の生理と、よく比較される。この時期、女の子も、初潮を経
験する。

 ただいつも不公平だと思うのは、女の子の生理については、罪悪感もなく、堂々と論じ
られるのにたいして、男の子の生理については、いつもそこに罪悪感がともなうというこ
と。陰で論じられることはあっても、表に出てこない。

 男の子の射精についても、もっと、オープンに論じられて、よいのではないか。

 で、こんなこともあった。

 中学3年生のときのこと。まだ射精を経験したことがないという友だちがいた。G君と
いう、体の大きな友だちだった。彼があれこれ、私に相談してきた。

 そこで、私は、そのG君を、学校の屋上へつれて行き、マスターベーションのし方を教
えてやった。ペニスを出させて、「こういうふうに、こするのだ」というようなことをして
見せた。

 が、G君のは、いっこうに大きくならない。そこで私が指先でつまんでみると、皮をか
ぶったまま、フニャフニャしている。あとでそれが「包茎」ということを知った。が、そ
のときは知らなかった。

 「お前のは、へんだな……」、「そうかア?」というような、会話をしたと思う。

 そこで私は、屋上の床をこすって、砂をつくり、その砂で、彼のペニスをまぶし、思い
っきり、上下にこすってやった。その友だちは、何度も「痛い」と悲鳴をあげた。が、私
はかまわず、こすった。強引に皮をむいてやった。

 それで包茎はなおったが、射精したというわけではない。射精するためには、勃起しな
ければならない。勃起するためには、たとえば女性の裸の写真を見るとか、そういうこと
をしなければならない。しかし、私も、そこまで詳しくはなかった。

 今となってみれば、それもなつかしい思い出。ついでに、さきほど、インターネットを
使って、そのときのG君がどうなったかを調べてみた。郷里のG県で、ある会社の専務を
しているとのこと。彼もあの日のことを、忘れていないはず。

 で、みな、男の子は、こうして、それぞれの方法で、おとなになっていく。

 「男」を知らない母親のために、参考になればと思い、あえて自分の経験を書いた。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【やる気論】

+++++++++++++++++

昨夜のサッカーの試合の後遺症か?
あるいは、睡眠不足か?

今朝は、どうも頭が重い。

体の動きが、にぶい。

気力も、あわせて、弱い。やる気が起きない?

+++++++++++++++++

●義理の兄

 義理の兄夫妻が、遊びに来てくれた。夕食をいっしょに、食べた。義理の兄は、会社を
経営している。あちこちに土地をもっていて、その上に、賃貸ビルや会社を建てている。
「悠々自適」という言葉は、そういう人のためにある。

 驚いたのは、70歳に近いというのに、髪の毛が黒々としていること。おまけにフサフ
サしている。「染めているの?」と聞くと、「いいや」と。

 私の髪の毛も、フサフサしているが、20〜30%は、もう白髪(しらが)。ワイフなど
は、90%近くが、白髪。

 いろいろ話しているうちに、ひとつ気がついたことがある。それは兄の生き方が、前向
きなこと。年齢を感じさせない。今は、ハーブ栽培に凝(こ)っているとか。「縁側が、ハ
ーブだらけだよ」と言って、うれしそうに笑っていた。

 あとゴルフのクラブを、特注で作らせているとか、など。設計図も自分でひき、材質ま
で指定して作るのだそうだ。「それが楽しい」と。

 そういうふうに、前向きに生きている人と話していると、楽しい。自分まで、どんどん
と若返っていくのがわかる。

 ところで、(やる気)を引き出すのは、脳内で分泌される、カテコールアミンという物質
だそうだ。

 つまり、何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)とい
う物質が分泌される。そしてそれが、回りまわって、やる気につながるという。

 兄の脳みその中には、その物質が充満しているらしい。

 以前書いた原稿を、2作、添付します。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●悲しき小学生vs前向きな小学生

私「君は、何をしたい?」
小「何も、ない」
私「何をしているときが、一番、楽しいの?」
小「友だちと、遊んでいるとき」

私「おとなになったら、何をしたいの?」
小「何もない……」
私「してみたい仕事はないの?」
小「あんまり、ない。考えてない」

私「だけど、何か、しなければいかんだろう?」
小「……わからん」
私「もうすぐ、おとなになるよ。目標をもたなくちゃあ……」
小「まだまだ、だよ」

私「じゃあ、なぜ、勉強しているの?」
小「一応、やらなくちゃ、いけないから……」
私「したい勉強は、ないの?」
小「ふん……」と。

 小学6年生のK君(男子)との会話である。

 K君に、問題があるというのではない。夢も、希望もない。もちろん目的もない。今、
そういう小学生が、ふえている。全体の、半数以上が、そうではないか。

 が、親は、「勉強しろ」「いい学校へ入れ」と、子どもを追いたてる。つまり親自身が、
子どもの進路を混乱させている。それに気づいていない。

 一方、今、小説を書くことに、熱中している小学生がいる。5年生のOさん(女子)で
ある。毎週、何かの小説を書いてきて、私に読ませてくれる。

 そういう小学生は、生き生きしている。目も輝いている。

私「おとなになったら、何になるの?」
小「お医者さん」
私「じゃあ、うんと勉強しなくちゃいけないね」
小「でも、花が好きだから、花屋さんでもいい」

私「また小説、書いてきてよ。読みたいから……」
小「今度は、冒険の話でもいい?」
私「いいよ。ハリーポッターのようなのを、ね」
小「わかった……」と。

 このタイプの子どもは、つぎつぎと、自分のしたいことを、決めていく。多芸多才。ひ
とつの目標を決めると、自らコースを設定して、その中に自分を置く。あとは、自身の力
で、前に進んで行く。

 ここに書いた、K君も、Oさんも、実は、架空の子どもである。今までに、私の前を通
りすぎた何人かの子どもを、まとめて書いた。

 で、その分かれ道というか、どうして子どもはK君のような子どもになり、またOさん
のような子どもになるのか。また、いつごろ、その分かれ道はできるのか。

 私は本当のところ、0〜1歳児については、よくわからない。しかしそのころ、すでに
その分かれ道はできると思う。4歳や5歳ではない。2歳や3歳ではない。その前だ。

 となると、そのカギをにぎるのは、母親ということになる。母親が、子どもが進むべき
道を決める。むずかしいことではない。

 子どもというのは、あるべき環境の中で、あるべき方法で育てれば、Oさんのようにな
る。しかしそうでないとき、子どもは、K君のようになる。

 あるべき環境というのは、心暖まる親の愛情に包まれ、安定し、信頼関係のしっかりし
た環境ということになる。そういう環境の中で、静かに、どこまでも静かに育てる。

 それを、生まれた直後から、ほら、英才教育だ、ほら、早期教育だ、ほら、バイリンガ
ルだ……とやりだすから、話がおかしくなる。子どもは、親に振りまわされるだけ。振り
わされながら、子どもは、自分が何をしたいのかさえ、わからなくなってしまう。

 子どもがK君のようになると、親は、あせる。そして無理をする。あとは、この悪循環。
子どもはますます、やる気のない子どもになっていく。

 「友だちと遊んでいるときだけが、楽しい」と。

 そうなってしまってからは、もう手遅れ。子どもの心というのは、そうは、簡単にはで
きない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 子供 子供のやる気 積極的な子供 消極的な子ど
も)

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
どうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の
中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが
自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モル
ヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに
包まれる。それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけでは
ないようだ。こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除
してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているとい
うわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなも
のを好きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝
手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、
そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反
応を示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教
室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をも
つようになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印
象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子
どもは、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、
ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」と
いう言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしてい
く。反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってし
まい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が
分泌される。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみ
よう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があ
るという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミン
にも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアド
レナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P5
9)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まる
ということ。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚
えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(ど
れだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁
桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると
考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、
その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、そ
の向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしてい
る。何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせ
る。そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が
芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすること
がある。多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児
教育と考えている。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせて
いるその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずな
い。(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育
のリズムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。
借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる
気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、
子どもを追いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものが
ない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。
しかしこの日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、
たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早
い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉
強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、
その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少し
でも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわない
ということ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
やる気のある子供 やる気のない子供 子どものやる気 子供のやる気 やる気論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

●三男のビデオ

 三男が、デジタルカメラを使って、ビデオを作った。第3作目らしい。1作目と2作目
をまとめて、第3作目とした。

 で、公開初日(TUBE)に、200件近い、アクセスがあったという。そして数日後
の今日(6・12)には、1800件!

 私が作ったビデオなどは、一番多くても、500件。しかも作成してから2年目にして、
である。改めて、若い人たちの世界の(ものすごさ)というか、そのパワーに、驚く。

 とても、勝ち目はない。「どうしてそんなに多いのか?」と三男に電話で聞くと、「出演
してくれた友だちが、『見ろ』『見ろ』と、ほかの人たちに勧めてくれたから」と。

 航空大学生の日常を、簡単に紹介したビデオだが、見ていて、気持ちがよい。自分が空
を飛んでいる気分になる。アクセスが多い、本当の理由は、そこにあるのかもしれない。


●名古屋での同窓会

 6月x日、今度、名古屋で同窓会をするという。酒の飲めない私で申し訳ないが、出席
することにした。ホント!

 連絡してくれたS君のメールには、「うまい酒を飲もう」とあった。あああ……。どうや
ったら、うまい酒が飲めるのか? 私はビールをコップに3分の1ほど飲んだだけで、二
日酔いどころか、三日酔いになってしまう。

 同窓会のよいところ……相手にまったく気をつかわなくてすむということ。気楽。自分
を飾っても意味はない。どうせみんな、たがいの素性の、そのまた素性まで、知り尽くし
ている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●懐中時計

 本屋(書店)で、本物の懐中時計が付録についた雑誌を売っている。「付録」という言葉
には、独特の響きがある。とくに、私のような団塊の世代には、そうだ。

 私たちは、子どものころ、雑誌を買ってもらうのが、何よりも楽しみだった。その雑誌
には、付録がついていた。私たちは、その付録ほしさに、お金をにぎって、本屋へ走った。
こういう雑誌を手にすると、そのときの思いが、そのまま、よみがえってくる。

 で、その懐中時計。第1号は、ツルツルの時計だったが、第2号は、こまかい彫り物が
再現してある。(本当は、プレスか何かで、簡単に刻印したものだろうが……。)

 しかしこの懐中時計、指先でいじっていると、とても気持ちがよい。脳内で、エンドロ
フィンか、エンケファリンが、ズンズンと分泌される感じ。

 そのため今では、片時も話さず、指先で、いじっている。

 ……ということをするのは、ボケ防止には、効果があるそうだ。指先の神経は、そのま
ま脳みそに直結しているという。隣の中国には、石でできた球を握ることで、ボケ防止を
するという方法もある。何らかの効果があることは、確かなようだ。

 今度の水曜日に、第3号が発売になる。

 私はまたお金を握って、本屋へ走る。子どものころのように……。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●悪夢

 少し前、電子マガジンのアンケート調査をした。そのことについては、すでに書いた。
で、その悪夢(?)から、やっと、抜け出た感じ。

 ものを書くというのは、健康のために、ジョギングをするようなもの。だれのため、で
はない。自分のため、である。こうしてものを書いていると、脳みそにとっては、よい刺
激になる。が、それだけではない。

 ものを書いていると、そのつど、辞書を引いたり、あれこれ参考書を調べたりする。そ
うした作業そのものが、勉強になる。が、ときどき、こう思うときがある。

 「世の中には、私の知らないことが、まだ山のようにある」と。

 その「山」に驚いて、たじろぐことさえある。「こんなことも、私は知らなかったのか」
と、絶望感に似た気持ちに襲われることもある。

 もっとも、それがおもしろいから、こうしてものを書く。

 アンケート調査に返事をくれた、45人のみなさん、本当にありがとう! 今回だけは、
その45人の人に、本当に支えられた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●カジテツ姫(?)

 「カジテツ姫」という言葉があるそうだ。昨夜、テレビで、そういう若い女性を紹介し
ていた。

 言うなれば、仕事もしない、家事も手伝わない、ドラ娘のこと。(「カジテツ」というの
は、自称、「家事手伝い」という意味だそうだが……。)

 その中の1人の女性が、ヌケヌケとこう言った。「結婚相手の男性は、年収1000万以
上でないと……」「でないと、こういう(ぜいたくな)生活は維持できないでしょう……」
と。

 その女性は、毎日、化粧ざんまい。エステざんまい。

 父親は、みな、会社の経営者ということだったが、超豪華な御殿に住みながら、どこか、
おかしい? 変? チグハグ? この親にして、この娘……。画面を通して、それがおも
しろいほど、よくわかった。

 何が、姫だ! できそこないの、バカヤロー!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●W杯が始まった!

 とうとうW杯が始まった。ときどき、かいま見る程度だが、しかしこの胸の高まりは、
何か?
 
 いよいよ日本vsオーストラリア戦!

 オーストラリアの友人たちは、みな、メールでこう書いてくる。「日本など、問題ではな
い」「日本が勝つなどとは、だれも、思っていない」と。かなり自信があるらしい?

 オーストラリアには、「オージー・フットボール」と呼ばれる、どこかラグビーに似たス
ポーツがある。それは、あちこちでさかんに行われている。それに使われるボールは、楕
円形をしている。が、サッカーは、それほどポピュラーではない。

 ……しかし、その実況中継を見るかどうか、今、迷っている。私には、あまりにも刺激
が強すぎる。もう少し気楽に見られるとよいのだが、そうはいかない。

 で、こういう試合のときは、私は、いつも、こうしている。

 私のかわりに、ワイフに試合を見てもらう。日本が得点を入れたときや、勝っていると
きだけ、声をかけてもらう。つまりそういうときだけ、テレビの前にすわる。そうでない
ときは、見ない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●教育者によるハレンチ事件(わいせつ行為事件)

+++++++++++++++++

このところ、このS県でも、教育者による
ハレンチ事件が、たてつづけに起きている。

それについて県の教育員会も、かなりの
危機感をもち始めている。

どこかの校長が、私にそう話してくれた。

しかし……。

+++++++++++++++++

 このS県でも、教育者によるハレンチ事件(わいせつ行為事件)が、たてつづけに起き
ている※。現場の教師のみならず、県の教育委員会の職員(指導主事)によるものも、そ
れに含まれる。

 それについて、S市の教育委員会は、今度、教員を対象に、校長による面談テストを実
施することにした。そのテストの一項目には、「児童・生徒を性的対象と見ていないか」と
いうのがあるという。

 しかしこれほど、「?」な、質問項目もない。

 若い男性教師なら、女子中学生や女子高校生を見て、何も感じない方が、おかしい。健
康な男性教師なら、なおさらである。

 私にも、以前、こんなことがあった。

 女子高校生の中には、ときどき、無頓着な子どもがいる。胸元を大きくあけて、乳房を
見せんばかりの服装をしてくる子どもがいる。そこであるとき、F市に住む、進学塾の先
生に、それを相談した。すると、その先生は、こう言った。

 「林先生、見ておけばいいのですよ。見せてくれるのですから……」と。「目のやり場が
なくて、困っている」と私が言ったことについて、その先生は、そう言った。

 むしろ、こういうテストで、「性的対象と見ていない」と答える教師のほうが、心配であ
る。自分の下心を見抜かれないように、ウソをつく。仮面をかぶる。が、正直に、「性的対
象と見ることがある」と答える教師のほうが、正常と考えてよい。またそういう教師は、
ハレンチ事件など、起こさない。

 ただ私のばあいは、相手が幼児〜小学生である。本当に正直に告白するが、生徒を、性
的な対象として、私は、見たことがない。それについて今朝も、ワイフが、「どうして?」
と聞くから、私はこう言った。

 「あのな、ぼくは、まだ子どもがウンチ臭いときから、教えるんだよ。ときどきその子
のそばに行くと、ウンチ臭いときがある。プ〜ンと臭うんだよ。言うなれば、父親と娘の
関係になる。父親は自分の娘を、性的対象とは見ないだろ。それと同じではないかな」と。

 ただし一言。

 こうしたハレンチ事件は、まさに、氷山の一角。現在、週刊誌などによる非公式な調査
によれば、女子高校生の約60%は、高校を卒業するまでに、初体験をすますという(東
京都)。その中でも、相手として一番多いのが、実は、高校の教師だという。

 私も実際、そういう話を、直接女子高校生たちから、聞いている。女子高校生にしても、
一番身近にいて、安全で、手っ取り早い相手といえば、高校の教師ということになる。独
身で、若くて、ハンサムなら、さらによい。

 だからとくに教師については、厳罰主義で臨むのがよい。またそれしか、こういったハ
レンチ事件を防ぐ方法はない。生徒と性的関係をもったら、即、問答無用に、10年くら
いの懲役刑を科すとか、など。

 が、今の法律は、甘すぎる。初犯だと、たいてい執行猶予がついて、そのまま放免とな
ってしまう。「被告は、職を失うなどの社会的制裁をすでに受けているので……執行猶予…
…」とか、など言って……。懲戒免職によって、職を失うのは、当然のことではないか。

私「欧米では、きびしいよ」
ワ「日本も、そうすればいいのよ」
私「しかしきびしすぎると、今度は、犯罪が凶悪化するということも考えられる」
ワ「どういうこと?」
私「警察にバレるくらいなら、殺してしまえとか、そういうふうに考える男が出てくる」
ワ「でも、こと教員に関しては、きびしくしてもいいわよね」
私「ぼくも、そう思う」と。

 ここにも書いたように、仮面をかぶる教師ほど、こわい。このチェックテストで、「私は、
女子児童や、女子生徒には、まったく興味はありません」と答える教師ほど、あぶない(?)。
かく言う、校長だって、教育委員会の職員だって、みんな、寝る前には、マスターベーシ
ョンをしている。私だって、している。あなただって、している。みんな、している。

 つまりフロイトの言うところの、性的エネルギー(リピドー)は、それほどまでに強烈
であり、強力である。個人の理性や知性で、コントロールできるようなものではない。つ
まりこの問題だけは、そういう前提で考える。

 で、今回、S市では、各学校の校長が、それぞれの教師を面談して、チェックするとい
う。しかしどこのだれが、そういう教師を、『石もて、打てるのか』。

ワ「あなたなら、何て、答えるの? そのチェックテストでは……」
私「はい、あります、と答えるだろうね」
ワ「そんなことを言ったら、要注意人物にされてしまうわよ」
私「そこなんだよ。仮面、つまりペルソナをかぶればかぶるほど、その人の裏には、シャ
ドウができる。そのシャドウがこわい。だからね、こうしたハレンチ事件が起きるたびに、
まわりの人たちは、みな、こう言うだろ。『信じられません』『まじめで、指導熱心ないい
先生で、生徒の信頼も、厚かったのに……』と。教育委員会の先生なんだから、こんなこ
とは、知っていると思うけど……」と。

 こうした問題は、教師自身の問題というよりは、制度の問題である。あるいは刑事罰の
問題と考えてよい。

 で、私のことだが、昔、私が幼稚園の世界に入ったとき、ときの園長は、最初に私にこ
う言った。

 「林先生、どんなことがあっても、女児には、指一本、触れるんじゃ、ありませんよ。
どんなことがあってもです。それを守れますか」と。

 以来、私は、女児については、頭と手以外、触れたことは、ただの一度もない。何か問
題があるときには、女児を抱きあげることはあるが、その前には、必ず、母親の許可をも
らい、母親の目の前で抱くようにしている。しかもそうして女児を抱くようになったのは、
ここ数年のことである。

 抱くことで、その子どもに情緒的な問題があるかどうかを、知ることができる。(自閉症、
かん黙症など、情緒に障害のある子どもは、体をこわばらせて、抱かれない。つまりそっ
と抱いてみるだけで、簡単な診断ができる。)

 この世界では、誤解が、時として、仕事上の致命傷になることがある。そういう点では、
学校の先生は、たしかに甘い。甘すぎる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
教師による破廉恥事件 ハレンチ事件 教師 教師と性 わいせつ行為 猥褻行為 わい
せつ行為事件)

注※……2002〜2004年度中、教師によるわいせつ行為で懲戒処分を受けた教
員は、22人(このS県のみ)。

年代別では、

20代……6人
30代……7人
40代……6人
50代……3人

半数以上が、勤続10年以上のベテラン教諭。

担当科目は、理科(5人)、保健体育(4人)。勤務評定では、3分の1にあたる6
人が、「優れている」という評価を受けていた。

被害者は、自校の生徒が、14人と圧倒的に多い。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日本版『ダビンチ・コード』

++++++++++++++++++

この話を知ったら、映画『ダビンチ・コード』
など、腸から出るガスのようなもの。

驚くなかれ、あのイエス・キリストの墓は、
この日本にある!

++++++++++++++++++

青森県に、戸来(へらい)という村がある。その村はずれの丘の上に、イエス・キリス
トの墓があるという。イエス・キリストだけではない。弟の、イスキリの墓まであると
いう。

 「日本史おもしろBOOK」(主婦と生活社)によれば、「ともに土まんじゅうに十字架
を立てた墓で、十来塚(とらいづか)とあるのが、キリストの墓、十代墓とあるのが、イ
スキリの墓」だ、そうだ。

 現地に残る言い伝えによると、キリストは、何と、前後2回にわたって、この日本に来
ているという。

 1回目は、21歳のときで、このときキリストは、越中国(富山県)で修行を重ね、3
3歳にしてユダヤ国に帰国。聖書に書いてある布教活動を開始したという。

 2回目は、ローマの官憲に捕らえられる直前、ユダヤにいては殺されるとみて、海外脱
出を決意し、数人の弟子とともに、シベリア経由で、八戸港に上陸し、戸来に移り住んだ
という。

 以後キリストは、八戸太郎天空坊と称し、天狗のように空を飛びながら、日本中を旅し
たという(同、日本史おもしろBOOKより)。

 ……となると、最後の晩餐をしたあと、ゴルゴダの丘で十字架にかけられたのはだれか
ということになるが……?

それについては、戸来村に残る言い伝えによれば、弟のイスキリだったという。つまり
イスキリが、兄のキリストの身代わりになって、処刑されたというのだ。

にわかに信じがたい話だが、もちろん現地の人たちは、それを信じているらしい。さっ
そくインターネットを使って、戸来村について、調べてみる。

ウソか、マコトか?

念のため、ヤフーの検索エンジンを使って、「八戸太郎天空坊」を検索してみる。結果、
3〜5件の関連ページをヒット! (興味のある方は、自分で検索してみたらよい。)

 中には、「十代墓」の写真まで載っているページがある。また「八戸太郎天空坊」という
のは、天狗のこと。言いかえると、天狗は、キリストであったという説まで紹介されてい
る。

 この説に従えば、キリストが、十字架にかけられるとき、なぜペトロ(12使徒の1人)
が、「私は(この男を)知らない」と言ったのか。あるいは、キリストの死後、マグダラの
マリアが、キリストの復活を目にすることができたかなどについて、その謎が説明できる
(?)。

 キリストに弟がいたという説は、決してありえない話ではないらしい。一説によると、
3歳年下で、兄のキリストに、たいへんよく似ていたという。つまりこの説に従えば、そ
の弟のイスキリが、兄のキリストの身代わりになって処刑されたということになる。

 またペトロは、キリストではないから、「私は、知らない」と言ったということになる。

 しかし最大の問題は、キリストは、どうやって日本へ、2度までもやってきたかという
こと。シベリア経由で日本へ来たというが、「ハア?」と思ったところで、私は、何も書け
なくなってしまった。

 神の乗り物、つまりUFOのような乗り物に乗って、この日本へやってきたというのな
ら、まだ話もわかる。が、これ以上のことを書くと、敬虔(けいけん)なクリスチャンの
方を冒涜(ぼうとく)することになるので、この話は、ここまで。

 しかし何とも、ロマンに満ちた話ではないか。ただ注意してほしいのは、この説に従っ
て、すでにある宗教団体が、活動しているらしいということ。深入りは禁物。

 ……とまあ、この話を知ったら、映画『ダビンチ・コード』など、腸から出るガスのよ
うなもの。そのうちいつか、この日本でも、『天空坊・コード』なる映画が作られるかもし
れない。楽しみにしていよう。

 ついでながら、この話をワイフにすると、ワイフは、こう言った。「私、今度、青森まで、
旅行をしたくなった」と。

 何も目的のない旅行よりは、そのほうがずっと楽しい。


●それぞれのW杯

++++++++++++++++

いよいよ、日本vsオーストラリア戦!

私とワイフは、テレビの前に座った。

あと15分!

私は席を立ち、オーストラリアの友人たちに、
電話をかけまくった。

++++++++++++++++

 まず、R君に電話した。

私「とても残念だな。それを言いたくて、電話した」
R「何か、あったのか?」
私「いや、今夜、君たちが敗北の悲劇を味わうと思うと、とても残念だ」
R「ははは、猫に指をかまれるのは、君たちのほうだ」
私「猫に指をかまれる?」
R「痛い思いをするのは、君たちだ」
私「いいや、3−0で、オーストラリアが負ける」
R「オーストラリアが勝ったら、電話するよ」
私「電話はいらない。どうせ、負けるから」と。

 つづいて、B君。

私「どうだ、調子は?」
B「何が?」
私「オーストラリアの選手たちだよ」
B「みんな、消極的だよ」
私「どうして?」
B「日本なんか、相手じゃないとね」
私「そういうことなら、前もって、言っておくよ。とても残念だったなとね」
B「それは日本流の心理作戦かい?」
私「そういうことかな。まあ、涙を拭くハンカチを用意しておいたほうがいいよ」
B「君たちこそ、用意しておけよ」と。

 D君にも電話をした。

私「みんな見ているかい?」
D「オーストラリアでは、サッカーの試合など、見ない。ぼくもルールをよく知らない」
私「今夜、ワールドカップの試合があるよ」
D「決勝戦なら、見る」
私「日本戦は見ないのか?」
D「ぼくは見たくなくても、家族が、みんな見るからね。日本が負けるのを見るのは、ぼ
くには、とてもつらい」
私「ぼくは、オーストラリアが負けても、ゼンゼン、つらくない」
D「じゃあ、ぼくは、日本を応援するよ」
私「そうしてくれ、プリーズ」
D「ぼくが応援するチームは、いつも、100%、負けるからね」と。

 みんな口の悪い連中ばかりだ。南オーストラリア州は、午後10時30分。ビクトリア
州は、11時。そして日本は、午後10時。キックオフ!

 で、その結果だが……。みなさん、ご存知のとおり。1−3で、日本の負け。試合のあ
と、反対に、みなから電話がかかってきた。

 いやな電話だった。私は、すなおに、「おめでとう! すばらしい試合だった」とだけ言
った。あとは、何も言わなかった。

 それにいやな気分だった。私とワイフは、ムダ話をしながら、1時間ほど、過ごした。
今夜は、興奮しすぎたようだ。(6−13記)


●男色(だんしょく)道

 戦国時代から江戸時代、あるいはその前後にも、「男色道」というのは、ごくふつうに、
なされていたらしい。

 男色道……つまり、今でいう、同性愛。

 驚くのは、あの織田信長も、それをしていたこと。さらにあの武田信玄も、それをして
いたということ。

 武田信玄にいたっては、ある男性にあてた、ラブレターまで、ちゃんと残っている。

 「どうなっていたんだろう?」と考えたくもなるが、いろいろ考えていくと、今、私た
ちがもっている(常識)のほうが、おかしいのかもしれない、ということになる。

 たとえば天皇家でも、兄と妹が結婚したという例もないわけではない。敏達(びだつ)
天皇と、推古(すいこ)天皇は、ともに、兄と妹の関係だった。(過去には、女性が天皇に
なった例だってあるんだぞ!)

 となると、ここでもう一度、私たちの中にある(意識)を疑ってみる必要がある。

 私たちが「常識」と思っていることでも、常識的でないことは、たくさんある。反対に、
「非常識」と思っていることでも、常識的なことは、たくさんある。そういう視点で、も
のを考えなおす。

 ……ということで、その同性愛だが、残念ながら、私には、まったく理解できない。「同
性愛の男性にとっては、男性は、私が見る女性のようなものなのだろうな」というところ
までは、理解できる。が、そこまで。

 反対に、同性愛の男性に近寄られたりすると、心底、ぞっとする。その感覚は、痴漢に
襲われた女性のそれに似ているのではないか?

 そういう意味では、私は、自分では、「濃い男」と思っている。つまり男の中でも、濃い
男と薄い男がいる。私は、その濃い方の男に属するということ。いまだかって、男性に興
味をもったことは、一度もない。

 が、それでよいというわけではない。

 私のような「濃い男」は、女性の目から見た「男」がわからない。どういう男がモテて、
どういう男がモテないか、それがわからない。「男」として、自分を客観的に見る目が、な
いからと考えてよい。

 つまり私のような「濃い男」にすれば、女性は、みな、女性。攻撃的に奪う相手ではあ
っても、いちいち許しを乞いながら、つきあう相手ではない。だから、女性のあつかい方
がへた。自分勝手で、自己中心的。だから女性にモテない。

 自分でも、それがヨ〜ク、わかっている。だから、この分野については、とっくの昔に、
あきらめた。

 で、今、こう考えている。

 しかしそういう自分を中心にして、ものを書いてはいけないということ。少し前も、女
児願望の男児についての、エッセーを書いた。

 若いころの私なら、「それは問題」という視点で、ものを書いたかもしれない。それを相
談してきた母親も、そう思っているにちがいない。

 しかし今は、ちがう。10人、人間がいれば、その感覚は、みな、ちがう。ちがって当
然。だから、自分の常識を中心にものを考えて、それを相手に押しつけてはいけない。同
性愛の問題も、その中のひとつ。

 大切なことは、それぞれの人が、自分の常識の中で、楽しく、ほがらかに暮らすこと。
そういう意味では、同性愛者どうしが結婚したところで、何も、問題はない。それでだれ
かに迷惑をかけるということがなければ……、という条件つきだが……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
同性愛について 同性愛 常識 男色道)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 14日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●親のレベル

++++++++++++

賢明な親もいれば、
そうでない親もいる。

子どもを伸ばそうと考えたら、
親も、子どもといっしょに、
伸びなければならない。

賢明な親というのは、
それが自然な形でできる親をいう。

++++++++++++

 「親」といっても、いろいろなレベルの人がいる。賢明な親もいれば、そうでない親も
いる。

 昔、幼稚園で働いていたころのこと。こんなことがあった。

 ある子ども(年長児)が、掛け算の九九を、ソラで言うようになった。「ニニンが4、ニ
サンが6……」と。多分、兄かだれかがいて、その兄を見ながら、九九を覚えてしまった
らしい。

 その子どもを見て、ある親が、「あの子は、天才!」と騒ぎ出した。「幼稚園児なのに、
もう掛け算ができる!」と。

 しかし掛け算の九九をソラで言えるからといって、その子どもが、本当に掛け算を理解
しているとはかぎらない。その子どもにとっては、歌のようなもの。しかしレベルの低い
親は(失礼!)、表面的な部分だけをみて、子どものレベル、さらには教育のレベルまで、
自分で決めてしまう。

 あるいは、こんなこともあった。

 あるとき、職員室へ、若い母親が飛びこんできた。そしていきなり、こう言った。

 「うちの子は、3年保育で、この幼稚園に入った。どうして2年保育で入った○○さん
より、できが悪いのか!」と。つまり「3年保育で入園してきた自分の子どもが、2年保
育で入園してきた○○さんより、できが悪いのは、おかしい」と。

 その母親の子どもは、何かにつけて、できが悪かった(失礼!)。しかしその親は、自分
のできの悪さには、気づいていなかった(失礼!)。

 ……とまあ、実は、こういうケースは、多い。幼稚園や保育園という世界では、日常茶
飯事。そういう話を見聞きするたびに、「幼稚園の先生も、たいへんだな」と思う。

 で、今では少なくなったが、当時は、子どもの能力を、テストの点数だけで判断する親
がいた。学校のテストでつけられる点数である。その点数を見て、一喜一憂するのはしか
たないとしても、そのたびに、家の中で、大騒動。「勉強しろ!」「いやだ!」と。

 しかし親でも、小学3、4年生の問題を解けない人は、いくらでもいる。高校を出たあ
と、(勉強)から遠ざかった人なら、みな、そうではないか。そういう親が、子どもを叱り
ながら、「どうしてこんな問題が解けないの!」「何よ、この点数は!」と言うから、おか
しい。

 (本当に、そういうことがあったぞ!)

 そこで私が、やんわりとその母親に、こう言った。「この問題は、むずかしいですよ。何
なら、一度、お母さん、あなたが解いてみたら、どうでしょう?」と。すると、その母親
は、はにかみながら、こう言った。「私は、もう終わりましたから……」と。

 子どもを産むことで、親は親になる。しかし親になったからといって、別の人間になる
わけではない。環境は変わるが、中身まで変わるわけではない。つまりその時点から、親
は、今度は、親になる努力をしなければならない。それを怠ると、名ばかりの親になって
しまう。

 勉強にしても、しかり。

 ほとんどの親は、中学や高校で勉強したことは、そのまま頭の中に残っていると誤解し
ている。しかし実際には、卒業すると同時に、忘れていく。どんどんと忘れていく。英語
の単語や、算数の計算問題を、例にあげるまでもない。

 さらに分数の足し算、引き算のできない大学生となると、いまどき、珍しくもなんとも
ない。

 そこで賢明な親と、そうでない親とは、どこがちがうかといえば、賢明な親ほど、子ど
もに対して謙虚。自分も子どもといっしょに、伸びようとする姿勢が見られる。

 が、そうでない親は、そうでない。「自分は絶対」という自己中心性ばかりが強い。目立
つ。自分の世界だけで、自分の子どもを判断しようとする。先にあげた、テストの点数だ
けで、子どもの能力を判断する親も、そうである。

 どこをどうまちがえたか。どうしてまちがえたか。どこに弱点があるか。そういうこと
は、まったく、みない。だからつぎにどうしたらよいのか、それを的確に判断することが
できない。その判断ができないから、いきなり、子どもに向かって、「もっと、勉強しなさ
い!」となる。

 正直に告白するが、教育をする側の者の意欲、つまり教師としての意欲を引き出すのは、
親である。子どもではない。教師は、親を見て、「教えたい」と思うようになったり、「教
えたくない」と思うようになったりする。とくに、「教えたくない」と思うときは、そうで
ある。親をみて、そう思うようになる。

 「こういう親の子どもは、教えたくない」と思うことは、しばしばある。親をみただけ
で、絶望感を覚えるときもある。たがいの間に、あまりにも遠い距離感を覚えるからであ
る。

 そうそう、たまたま、昨日も、そういうことがあった。

 教室にいると、電話がかかってきた。そして電話口の向こうで、その母親は、いきなり、
こう言った。

 「うちの子を、今度、SS小学校に入れたいのですが、お宅の塾へ入れていただけます
か?」「お宅では、どんなことを教えているのですか?」と。

 私が、「うちは、受験塾ではありませんので、どこかほかのところを当たってみてくださ
い」と言うと、その母親は、「あら、そう」と言って、そのまま電話を切ってしまった。

 名前も言わない。あいさつもしない。おまけに、私の教室を、受験塾と誤解している。
電話の切り方も、ふつうではない。

 そういう母親の子どもは、私は、ぜったいに、教えたくない。その前に、そういう母親
とは、つきあいたくない。時間のムダ。人生のムダ。

 ……と話が脱線したが、最後にこれだけは、気をつけた方がよい。

 あなたの子どもも、やがておとなになる。そのとき、あなたという親が、自分の子ども
に何かを示せれば、それでよし。しかしそうでなければ、あなたという親は、その時点で、
容赦なく、あなたの子どもによって、評価される。

 そのときのためにも、あなたという親は、親として、自分をみがいていかなければなら
ない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
親論 親のあり方 親のレベル)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

特集【子どもの心】

++++++++++++++++++++++

わがままを言っては、親を困らせる。
このところ、学校へも行っていない。

そんな子どもで悩んでいる、NBさんという
方から、相談がありました。

++++++++++++++++++++++

【NBさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、お忙しいところ長文で失礼します。

万引きをしたあと、ぎくしゃくした息子(小学3年生)との関係のことで、相談したこと
のあるW市(T県)のNBです。ブログにもご回答いただきました。ありがとうございま
した。今回はその後、学校を休んでいる息子のことで、相談します。お時間がある時に、
ご意見いただきたく思います。

息子の現状についてどう考えればいいのでしょう。先生のおっしゃった通り、もう万引き
はしていません。お金の管理も厳重にしているので、盗まれるということもありません。

ただ、公園に友達と行くとウソをついて、前のお金の残りで、コンビニでカードを買った
りしたことが2度ほどありました。5月23日から休み始め、9日ぶりに、今週の月曜に
(授業はなく校外学習でしたが)、行き、また今週いっぱい休む、というような状態です。

月曜の登校は本人が決めて行きました。いろいろ読ませていただき、学校恐怖症というの
ではなく怠学というのでしょうか、まあ呼び名よりも息子の心の中が問題なわけで。万引
きやそれを問いただした時の息子のパニック(泣き叫び万引きを認めずウソで終始)が、
私達にとって大変ショックでした。

そのため当初から、「行きたくなければいいよ」「行かなくてもいいよ」というような言い
方で、対応しています。担任の先生もゆっくり見守る姿勢を示して下さるので、夫も私も
今は本当に見守る気持ちでいます。

振り返れば、何年も前から問題行動が時折あり、それをきちんと気づいてあげられなかっ
た私たちに、原因があります。私への絶対的な安心感を得られないまま、外でも緊張状態
のまま過ごしていたのが、ここにきて万引きや不登校という形で爆発したと考えています。

今は学校が終わる時間までは、たいてい家にいて、(私の外出は、まだ認めてくれません)、
ゲームや読書で過ごし、ほとんどゲームばかりしています。家事を終えてから一緒に遊ん
だり、時々、買い物に行ったりしています。皆が学校から帰ってくると、頻度は減ってき
ましたが、(「どうして休んでるの?」と、聞かれる友達とは遊ばなくなりましたが)、友達
に電話して、遊びに行ったりしています。

「今はちょうど給食の時間だ」とか自分から言ったり、「来週からは学校へ行く」などと言
うこともあります。本人は、内心では、学校へは行かなければとは思っているようです。

宿題などには全く関心ないようです。新聞を取ってくるとか、金魚のえさをやるとかの手
伝いも全くやる気なしです。池で釣ったザリガニを持ち帰り、世話をせず、2匹とも死な
せてしまいました。平気な顔をしています。

それでも私と二人の時はそれなりに穏やかにすごしているのですが、(以前のように口やか
ましく言わないですが)、途方にくれてしまうのは、夫と三人でいる時です。延々と遊びた
がるのです。特に三人で遊びたがります。このひと月で、ますますこだわりが強くなった
ようです。

外で遊べば、とっぷり暗くなるまで帰らない、家では寝ないで遊びたがる。11時くらい
までは、ゲームか他の遊びをすることになります。それも少しずつ、時間帯が遅くなって
きました。

「帰ろう」「寝よう」と言うと、機嫌が悪くなり、時には怒り出します。せっかく楽しんで
いたのに、いつも、最後は怒るか泣くかで終わるわけです。夜は怒り出すと、その時、胸
にある不満をぶちまけ暴れることもあります。ソファをけったりクッションを投げたり壁
をたたいたり。

今の最大の不満は、今週末、お父さんが土曜は仕事、日曜は結婚式で家にいない、という
ことです。前の日曜の夜はこのことを言い出して2時間以上もぐずり、収まったのは、夜
中の2時を過ぎていました。

そのような時はお父さんや私が抱きしめようとしても、「やめて」と言って、怒ります。以
前はそうではなかったのですが。絶対に式になんか行くなとか、会社や、式をあげる人を
罵るような言葉も、次々に出てきたりします。それを聞いていると、私などは最初悲しく、
だんだん腹がたってきてしまいます。

夫には、怒るような口調で「うるさいなあ」と言って、目でたしなめられます。私は本当
にこらえ性がないです。夫は悲しげですが、でも冷静ですね。決してきつく言うことはな
い。興奮して泣いている時は、夜中でも、子どもの面倒をみています。

自分の子であって自分の子でないような気分になってしまい、そう感じる自分にも嫌悪し
たりします。「これでもか」「これでもか」と、息子に要求されているような感じです。夫
もそう感じているらしいですが、三人いるときほど、息子がきつくなるのはどういうこと
なんでしょう。

万引きをした時に夫が始めてお尻をたたいて、本当に初めて、大きな声で叱ったのが関係
しているのでしょうか。夜は、ほおっておいて寝る、というわけにも行かず、寝不足の日々
です。

寝るときはもちろん川の字で。

学校の先生は今の甘えている状態を、「(幼児期の)忘れ物を取りにいってるんですね」と
表現されました。9年間の忘れ物が1ヶ月やそこらで取り戻せるとは思ってはいませんし、
数ヶ月単位で様子を見なければならないんですね。

なのに、本当に今はこれでいいのだろうか?、どう推移するのだろうと、明るくゲームに
興じている様をみていると不安になります。

「お母さんはいつも太陽でいてください」と言われているのですが、実は人に会うのも少
し、おっくうになってきた、今日、このごろです。


【はやし浩司より、NBさんへ】

 息子さんは、(絶対的な安心感)が得られず、いつも、不安な状態にあると考えてくださ
い。つまり心は、いつも緊張状態にあるとみます。絶対的な安心感というのは、「疑いすら
もたない」という意味です。心理学で言えば、あなたと息子さんの関係は、「基本的不信関
係」ということになります。

 で、NBさんは、何とか、息子さんに安心感を与えようと努力していますが、残念なが
ら、息子さんは、あなたの心の奥まで、読んでしまっています。あなた自身が、子育てを
しながら、不安でならない。つまり絶対的な安心感を覚えていないため、それを息子さん
は、感じ取ってしまっているわけです。

 つまりあなたは、「不安だ」「心配だ」と思っている。それがそのまま息子さんに伝わっ
てしまっているというわけです。

 こういうケースでは、『あきらめは、悟りの境地』という格言が、役にたつと思います。
「うちの息子は、こうなんだ」と、あきらめて、受け入れてしまうということです。「ほか
の子とは、ちがう」「このままでは、心配だ」「どうすればいいんだろう」と、悩んでいる
間は、決して、安穏たる日々はやってきません。息子さんにしても、そうです。

 もちろん原因は、息子さんが生まれたとき、息子さんを、全幅に受け入れなかったあな
た自身にあります。が、今さら、それをどうこう悩んでも、しかたのないことです。

 ただこうした子どもの心の問題には、二番底、さらには、三番底があります。形として
は、つまり、症状としては、(家庭内暴力)に似ています。息子さんが、まだ小さいため、
NBさんの管理下というか、コントロール下にありますが、息子さんが、小学校の高学年
児、あるいは、中高校生だとしたら、こうは、簡単には、片づかないはずです。

 私はドクターではないので、これ以上のことは書けませんが、もし今のようなはげしい
不安状態、混乱状態、さらには緊張状態がつづくようなら、一度、心療内科のドクターに
相談なさってみられたらよいでしょう。そのとき、NBさんが、私にくれたメールなどを、
ドクターに読んでもらうとよいでしょう。

 今では、すぐれた薬も開発されています。それによって、息子さんが見せている、一連
の(こだわり)症状も、軽減するはずです。

 家庭では、(1)求めてきたときが、与え時と考えて、スキンシップなど、そのつど、子
どもをすかさず抱いてあげたりします。が、やりすぎてはいけません。そこで大切なこと
は、(2)暖かい無視です。無視すべきところは、無視しながら、子ども自身の自由な時間
には、干渉しないようにします。

 不登校については、学校恐怖症というよりは、怠学に近いと思われます。子どもの言葉
に一喜一憂したり、振りまわされたりしないように、注意してください。このタイプの子
どもの(約束ごと)には、意味がありません。意味がないというより、子ども自身、自分
をコントロールできないでいるのです。

 で、今度は、NBさん側の問題ですが、お気持ちはわかりますが、全体的に過関心かな
……?、という印象をもっています。すべてが、子ども中心に動いてしまっている(?)。
すべてが子どもに集中しすぎているといった感じです。状況としては、しかたないのかも
しれませんが、そのため、NBさん自身が、育児ノイローゼの一歩手前にいるようにも思
います。

 不登校については、今の状況では、すぐには改善しないと思います。NBさんが言って
いるように、どうか、数か月〜半年単位で、考えてみてください。この問題は、根が深い
ということ。コツは、「なおそう」とは思わないこと。「今の状況をこれ以上悪くしないこ
とだけを考えて、対処する」です。

 消極的な対処法にみえるかもしれませんが、無理をすれば、ここでいう二番底、さらに
は三番底へと、子どもが、落ちていきます。今はまだ何とかなりますが、子どもの体が大
きくなったり、腕力がついてくると、そうはいかなくなるということです。

 たまたま別の方から、同じような相談が届いていますので、どうか、参考にしてみてく
ださい。よろしくお願いします。

●掲示板への書きこみから

++++++++++++++++++++++

NBさんから、相談のメールをもらった同じ日、
掲示板にこんな書きこみがあった。

小学2年生の、Mさん(女児)についてのもの
だった。

++++++++++++++++++++++

【掲示板への相談より……】

教員ではありませんが、小学校で子どもと関わる仕事をしています。教員免許は持っていま
す。

お手伝い先生のような仕事です。大卒後、企業で8年間、勤務し、退職後、初めての職場。初

ての教育の現場です。詳しく書くことができなく、申し訳ありません。不適切なら削除してくだ
さい。

現在、ある小2女子児童の担当になっています。(Mさんとしておきます。)・・・と言っても、
日替わりで上から指示されるので、とても不安定です。

Mさんは両親が離婚したあと、4月中旬に転校してきました。前の学校では不登校。現在は毎

来ていますが、徐々に完全に保健室登校になってきています。

毎朝お母さんが送ってきますが、子どもがお母さんから離れられません。お母さんは、Mさん
を、
車からぽーんと出し、バン!と閉めて、そのまま帰ってしまいます。そこでMさんは、泣き叫び
後を追いかけます。

道路でMさんを出すのは危険なのでというような指導が、学校側からあったようです。それから
は、お母さんは、Mさんを、学校の中まで中まで送ってきます。が、送ってくると、Mさんは、
抱きついたままお母さんの髪をぎゅーっとつかんで離しません。

そのとき、お母さんの靴を隠す、持ち物を隠す、取り合いになったりすることもあります。転ん
だすきに、お母さんは逃げるように、振り返らず去っていきます。

そのあとも、切れ端(ゴミのようなもの)を握り締め、「ママ・・・」と、しくしく泣き、「それ
どうするの?」と聞くと、「お守りだから・・・」と。それを聞くと、胸が張り裂けそうになり
ます。

私にはこの子を抱きしめる事しかできません。背中をさすって、「そう、そう、つらかったんだ
ね」と、沢山聞いてあげる事しかできません。担任からはくわしく話を聞かせてもらうこともあ
りません。でも一応、Mさんの担当なのです。

学校の担任の先生は、「早く教室に入りなさい」と言うだけです。クラスの児童からは、常に、
「この学校は、○○なんだぞ!」とか、「○○ちゃんがきたから、席が替わったじゃない!」と
言われ、みなは、どこかMさんをじゃまにしているような雰囲気です。

私がMさんの担当になる前は、誰も付いていなかったので、たとえば教室前でもじもじしている
と、担任(女性)から腕をつかまれ、引きずられるように入れられていたそうです。

Mさんが、抵抗すると、担任は、お腹をつねっていたようです。そしてとうとう教室を見ただけ
で吐き気が起こすようになったり、担任を見ると逃げたり、隠れたり、さらには、クラスの児童
を見ると、「恐い・・・」と消えそうな声で、つぶやくようになってしまいました。

「恐い」にしても、初めの段階では、「集団が恐い」と言っていました。が、最近ではクラスの
児童に限定されてきたようです。優しい子もふくめて、どの子も恐がっているようです。

時限ごとに、Mさんが、「教室へ行ってみる・・・でも無理だったら戻ってもいい?」と言うの
で、一緒について行くと、やはり、「恐い・・・やっぱりダメ」という感じです。

また、学校の対応もバラバラです。「今日は1日、この部屋で2人でいていいですよ」というの
で、それなりにおたがいに楽しそうに、じゃあ、今、国語だから漢字ドリルしようか、というよ
うな調子でやっていると、ガラっ!と、突然開いて、知らない先生が「次! 図工だよ! 行け
る!?」と、Mさんのランドセルを持って行ってしまうのです。

子どもは一気に緊張した顔で、条件反射的に、「はい」と答え、部屋を出る。が、やはり行けな
い。そこでその先生が、「はいって言ったじゃない、どうしていけないの?」となじったりしま
す・・・・。と、思ったらまた急に他の先生が入ってきて、保健室にいてもいいですよ。いつ来
てもいいですよー、と言う始末。

はやし先生。これでこの子はどうなってしまうのでしょう。「ママ、バイバイしないで行っちゃ
ったー」と泣くことから1日が始まり、クルクルと周りの指導が変わり、(私も規則で12時ま
でしかいっしょに、いられません)、Mさんにしてみれば、親に裏切られ、先生に裏切られ、友
達も・・・というような状況ですよね。

お母さんの話をするときは、赤ちゃん言葉です。以前、過呼吸に近い状態になり驚きました。

近、混乱してくると頭を、自分で、げんこつでボカボカと自分で殴ります。見ていて恐いくらい
です。

本人の話しによると、以前は、お父さんの実家で同居していたそうです。いとこ(中学生)たち
もいたようで、よく殴られたと言います。

そして現在、お母さんにはお友達がいて、私の話ををちっとも聞いてくれない。お友達は男性
で、
毎日のように泊まっていくとのこと。

また、反対にMさんのお母さんからの話しでは、家ではまったく甘えない。そんなそぶりさえ見
せない。学校でこんなに離れないなんてウソみたい。帰ったら遊ぶ約束をしてやっているのに、
宿題が終わらないから泣いてばかりで、遊べない、ということです。
(高知県在住・KUより)

【KU先生へ、はやし浩司より】

 掲示板の記事を読んで、その内容が、最近経験した、Z君(中2男子)と、あまりにも
酷似しているので、驚きました。

 Z君は、乳幼児のときから、母親の冷淡、無視、育児放棄を経験しています。母親は、「生
まれつき、そうだ」と言いますが、Z君は、見るからに弱々しい感じがします。全体に、
幼く見え、言動も幼稚ぽく、その年齢にふさわしい人格の核(コア・アイデンティティ)
の確立がみられません。

 はきがなく、追従的で、いつも他人の同情をかうような行動をします。かなり強烈なマ
イナスのストロークが、働いているようで、何をしても、「ぼくはできない」「ぼくはだめ
な人間」と言います。

 ほかの子どもたちのいじめの対象にもなっています。母親は、そういうZ君を「かわい
い」「かわいい」とでき愛していますが、その実、Z君を、外へ出したがりません。「外へ
出すと、みなにいじめられるから」を理由にしています。典型的な、代償的過保護ママで
す。

 特徴としては、つぎのようなことがあります。思い浮かんだまま、並べてみます。

(1)自己管理能力がない……薬箱のドリンク剤を一日で、全部(10本ほど)、飲んでし
まう。そのため、ますます母親に強く叱られる。届け物に買ってきた、菓子などを、勝手
に封をあけて、食べてしまったこともある。

(2)特定のものに、強くこだわる……カードゲームのカードをたいへん大切にしている。
それを毎日、戸棚から出し、また並べなおしたりしている。下に、6歳離れた弟がいるが、
弟がそのカードに触れただけで、パニック状態(オドオドとして、混乱状態)になる。

(3)時刻にこだわる……片時も腕時計を身からはなさず、いつも、時計ばかり見ている。
行動も、数分単位で、正確。朝、目をさましても、その時刻(6時半)がくるまで、床の
中でじっと待っている。そのときも、時計ばかり、見ている。メガネをかけているが、寝
るときでさえも、かけたまま。

(4)衝動的な自傷行為……ときどき、壁に頭をうちつけたりする。あるいは、ものを、
壁にぶつけて、壊してしまう。ラジカセが思うようにならなかったときも、かんしゃく発
作を起こして、こわしてしまったこともある。が、満足しているときは、借りてきた猫の
子のようにおとなしく、おだやかだが、ふとしたことで急変。二階へつづく階段から、大
の字のまま、下へ飛び降りたこともある。現在、前歯が2本、欠損しているが、自傷行為
のために、そうなったと考えられる。

(5)異常なまでの依存性……独特の言い方をする。おなかがすいたときも、「〜〜を食べ
たい」というような言い方をしない。「〜〜君は、何も食べなかったから、死んでしまった」
「ぼくは、10日くらいだったら、何も食べなくても、平気」などと言ったりする。自主
的な行動ができず、他人の同情をかいながら、全体に、何かをしてもらうといった生活態
度が目につく。

(6)幼児がえり……しばらく話しあって、打ち解けあうと、とたんに、幼児言葉になる。
年齢的には、4〜5歳くらいの話し方をする。「ママが、ぼくを、たたいた」「○○さん(Z
君の叔母)が、ぼくをバカにした」と。

 母親は、仮面型タイプの人間で、私のような他人の前では、きわめて穏やか。始終、や
さしそうな笑みを浮かべて、さもZ君を心底、思いやっているというようなフリをします。
私が会ったときも、母親は、Z君の背中を、さすりながら、「元気を出そうね」と言ってい
ました。

 このZ君というより、Z君の母親について、問題点をあげたら、キリがありません。代
償的過保護のほか、代理ミュンヒハウゼン症候群、虐待、基本的不信関係、仮面型人間、
ペルソナ……。

 これらの原稿については、このあとに添付しておきますので、どうか、参考にしてくだ
さい。

 で、私もこうした事例に、よく出会います。そしてそのつど、(限界)というか、(無力
感)を味わいます。ここにあげたZ君にしても、最終的に、私が預かるという覚悟ができ
れば、話は別ですが、そうでなければ、結局は、母親に任すしかないということになりま
す。

 またこういう母親にかぎって、私のようなものの話を聞きません。何かを説明しようと
すると、ここにも書いたように、「生まれつきそうだ」とか、「遺伝だ」とか、さらには、「父
親(夫)が、ひどいことをしたからだ」と、他人のせいにします。

 ものの考え方が、きわめて自己中心的なのが、特徴です。もっと言えば、自分の子ども
を、モノ、あるいは奴隷かペットのように考えています。ひとりの人間として、みていま
せん。

 で、30代のころは、そういう子どもばかり預かって、四苦八苦したことがあります。
夜中中、車で、走り回ったこともあります。しかしその結果たどりついたのが、「10%の
ニヒリズム」という考え方です。

 若いころ、どこかの教師が、何かの会議で教えてくれた言葉です。

 決して、全力投球はしない。90%は、その子どものために働いても、残りの10%は、
自分のためにとっておくという考え方です。そうでないと、身も心も、ズタズタにされて
しまいます。今のKU先生、あなたが、そうかもしれません。

 が、ご心配なく。もっと複雑で、深刻なケースを、たくさんみてきましたが、子どもは
子どもで、ちゃんと、大きくなっていくものです。もちろん心に大きなキズを残しますが、
そのキズをもったまま、おとなになっていきます。が、やがて自分で、それを克服してい
きます。つまりそういう人間が本来的にもつ(力)を信じて、やるべきことはやりながら
も、子どもに任すところは、任す。

 あとは、時間が解決してくれます。

 で、Mさんは、明らかに、分離不安ですね。心はいつも緊張状態にあって、その緊張状
態から解放されないでいるとみます。家庭の中でも、心が休まることがないのでしょう。
一応、母親の前では、(いい子?)でいるのでしょうが、それは、本来のMさんの姿でない
ことは、確かなようです。

 (いい子?)でいることで、母親の愛情を取り戻そうとしているのです。私がときどき
書く、「悲しいピエロ」タイプの子どもというのは、このタイプの子どもをいいます。

 が、肝心の母親は、それに気づいていない。つまりここにこの種の問題の悲劇性があり
ます。

 また閉ざされた子どもの心を開くことは、容易なことではありません。1年や2年は、
かかるかもしれません。ちょっとしたことで、また閉じてしまう。この繰りかえしです。
しかしあきらめてはいけません。ただ、このタイプの子どもは、いろいろな方法で、あな
たの心を試すような行動に出てくることがあります。

 急にわがままを言ってみたり、乱暴な行動に出てみたりする、など。こちらの限界を見
極めながら、ギリギリのことをしてくるのが、特徴です。で、そういうときは、まさに根
競べ。とことん根競べをします。子どもの方があきらめて手を引くまで、根競べをします。

 「私はどんなことがあっても、あなたを見放しませんからね」と。

 それに納得したとき、子どもははじめて、あなたに対して心を開きます。

 幸いなことに、Mさんは、あなたというすばらしい先生に、出会うことができました。
何が大切かといって、あなたの今の(思い)ほど、大切なものは、ありません。その(思
い)が、あなたとMさんの絆(きずな)、あるいはMさんの心を支えるゆいいつの柱になっ
ていると思います。

 ところで私は、最近、はじめて、ADHD児の指導を断りました。今までは、むしろそ
ういう子どもほど、求めて教えてきたようなところがあります。

 しかし体力の限界だけは、もうどうしようありません。1〜2時間、接しただけで、も
のすごい疲労感を覚えるようになりました。それで断りました。

 そのとき感じた、敗北感というか、虚脱感には、ものすごいものがありました。悶々と
した気持ちで、数日を過ごしました。

 しかしあなたは、まだ若いし、いくらでも、そういう仕事ができます。どうかあきらめ
ないで、がんばってください。

 繰りかえしますが、あなたのような先生に出会えたことは、Mさんにとっては、本当に
幸いなことです。Mさんにかわって、喜んでいます。どうか、どうか、がんばってくださ
い。応援します。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●代償的過保護

 同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思い
どおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。

 ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。

 しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味で
は、代償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。

 親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴が
みられるようになると書いている(1969)。

 服従的になる。
 自発性がなくなる。
 消極的になる。
 依存的になる。
 温和になる。

 さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(し
てよいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。

 この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、
親に追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその
温和性は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のも
のである。

 どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする
……といったふうになる。

 そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」
と誤解する傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。

 ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価してい
る。臆面もなく、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の
前では、借りてきたネコの子のようにおとなしく、ハキがない。

 子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題
は、そのことではない。

 つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その
呪縛性に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であ
るかわからないまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別
として、その重圧感は、相当なものである。

 もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に
気がつくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生ま
れてはじめて、解放感を味わった」と言う人もいた。

 題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画も
あった。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。

 ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。

【自己診断】

 ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、ま
ず、あなたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あ
なた自身の中の、(つくられたあなた)を知る。

( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。

( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにし
てきた。

( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。

( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことが
ある。

( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見
せた。

( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ず
る。

 これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と
考えてよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に
分析してみるとよい。

【補記】

 子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子ども
のため」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子
どもを利用する。

 あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用す
る。

 このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力
的、威圧的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。

 「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするな
ら、お涙ちょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見
せつけながら、子どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。

 どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、
操られているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、
異常なまでに依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)

【補記2】

 よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。

 しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生
まれながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子
ども自身が、かなり無理をしていると考えてよい。

 外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。
そして子どもの心を、ゆがめる。

 そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔
の表情とが一致している子どものことを、すなおな子どもという。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒
っているときは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。
そういう子どもを、すなおな子どもという。

 子どもは、そういう子どもにする。 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
代償的過保護 すなおな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●フリをする母親

 昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスのアッ
シャーという学者は、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。ミュンヒハウゼンというの
は、現実にいた男爵の名に由来する。ミュンヒハウゼンは、いつも、パブで、ホラ話ばか
りしていたという。

 その「ミュンヒハウゼン症候群」の中でも、自分の子どもを虐待しながら、その一方で
病院へ連れて行き、献身的に看病する姿を演出する母親がいる。そういう母親が見せる一
連の症候を、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という(「心理学用語辞典」かんき出版)。

 このタイプの母親というか、女性は、多い。こうした女性も含めて、「ミュンヒハウゼン
症候群」と呼んでよいかどうかは知らないが、私の知っている女性(当時50歳くらい)
に、一方で、姑(義母)を虐待しながら、他人の前では、その姑に献身的に仕える、(よい
嫁)を、演じていた人がいた。

 その女性は、夫にはもちろん、夫の兄弟たちにも、「仏様」と呼ばれていた。しかしたっ
た一人だけ、その姑は、嫁の仮面について相談している人がいた。それがその姑の実の長
女(当時50歳くらい)だった。

 そのため、その女性は、姑と長女が仲よくしているのを、何よりも、うらんだ。また当
然のことながら、その長女を、嫌った。

 さらに、実の息子を虐待しながら、その一方で、人前では、献身的な看病をしてみせる
女性(当時60歳くらい)もいた。

 虐待といっても、言葉の虐待である。「お前なんか、早く死んでしまえ」と言いながら、
子どもが病気になると、病院へ連れて行き、その息子の背中を、しおらしく、さすって見
せるなど。

 「近年、このタイプの虐待がふえている」(同)とのこと。

 実際、このタイプの女性と接していると、何がなんだか、訳がわからなくなる。仮面と
いうより、人格そのものが、分裂している。そんな印象すらもつ。

 もちろん、子どものほうも、混乱する。子どもの側からみても、よい母親なのか、そう
でないのか、わからなくなってしまう。たいていは、母親の、異常なまでの虐待で、子ど
ものほうが萎縮してしまっている。母親に抵抗する気力もなければ、またそうした虐待を、
だれか他人に訴える気力もない。あるいは母親の影におびえているため、母親を批判する
ことさえできない。

 虐待されても、母親に、すがるしか、ほかに道はない。悲しき、子どもの心である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ミュンヒハウゼン症候群 代理ミュンヒハウゼン症候群 子どもの虐待 仮面をかぶる母
親)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●基本的信頼関係

信頼関係は、母子の間で、はぐくまれる。

絶対的な(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。「絶対的」というのは、「疑いをいだ
かない」という意味である。こうした相互の関係が、その子ども(人)の、信頼関係の
基本となる。

 つまり子ども(人)は、母親との間でつくりあげた信頼関係を基本に、その関係を、先
生、友人、さらには夫(妻)、子どもへと応用していくことができる。だから母親との間で
構築される信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。

 が、母子との間で、信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その反対に、「基本的不信
関係」に陥(おちい)る。いわゆる「不安」を基底とした、生きザマになる。そしてこう
して生まれた不安を、「基底不安」という。

 こういう状態になると、その子ども(人)は、何をしても不安だという状態になる。遊
んでいても、仕事をしていても、その不安感から逃れることができない。その不安感は、
生活のあらゆる部分に、およぶ。おとなになり、結婚してからも、消えることはない。夫
婦関係はもちろんのこと、親子関係においても、である。

 こうして、たとえば母親について言うなら、いわゆる不安先行型、心配先行型の子育て
をしやすくなる。

●基底不安

 親が子育てをしてい不安になるのは、親の勝手だが、ほとんどのばあい、親は、その不
安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 しかし問題は、そのぶつけることというより、親にその自覚がないことである。ほとん
どの親は、不安であることや、心配していることを、「ふつうのこと」と思い、そして不安
や心配になっても、「それは子どものため」と思いこむ。

 が、本当の問題は、そのつぎに起こる。

 こうした母子との間で、基本的信頼関係の構築に失敗した子どももまた、不安を基底と
した生きザマをするようになるということ。

 こうして親から子どもへと、生きザマが連鎖するが、こうした連鎖を、「世代連鎖」、あ
るいは「世代伝播(でんぱ)」という。

 ある中学生(女子)は、夏休み前に、夏休み後の、実力テストの心配をしていた。私は、
「そんな先のことは心配しなくていい」と言ったが、もちろんそう言ったところで、その
中学生には、説得力はない。その中学生にしてみれば、そうして心配するのは、ごく自然
なことなのである。
(はやし浩司 基本的信頼関係 基底不安)


●人間関係を結べない子ども(人)

人間関係をうまく結ぶことができない子どもは、自分の孤独を解消し、自分にとって居
心地のよい世界をつくろうとする。その結果、大きく分けて、つぎの四つのタイプに分
かれる。

(1)攻撃型……威圧や暴力によって、相手を威嚇(いかく)したりして、自分にとって、
居心地のよい環境をつくろうとする。
(2)依存型……ベタベタと甘えることによって、自分にとって居心地のよい環境をつく
ろうとする。
(3)服従型……だれかに徹底的に服従することによって、自分にとって居心地のよい環
境をつくろうとする。
(4)同情型……か弱い自分を演ずることにより、みなから「どうしたの?」「だいじょう
ぶ?」と同情してもらうことにより、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。

それぞれに(プラス型)と、(マイナス型)がある。たとえば攻撃型の子どもも、プラス
型(他人に対して攻撃的になる)と、マイナス型(自虐的に勉強したり、運動をしたり
するなど、自分に対して攻撃的になる)に分けられる。

 スポーツ選手の中にも、子どものころ、自虐的な練習をして、有名になった人は多い。
このタイプの人は、「スポーツを楽しむ」というより、メチャメチャな練習をすることで、
自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとしたと考えられる。

●子どもの仮面

 人間関係をうまく結べない子ども(人)は、(孤立)と、(密着)を繰りかえすようにな
る。

 孤独だから、集団の中に入っていく。しかしその集団の中では、キズつきやすく、また
相手をキズつけるのではないかと、不安になる。自分をさらけ出すことが、できない。で
きないから、相手が、自分をさらけ出してくると、それを受入れることができない。

 たとえば自分にとって、いやなことがあっても、はっきりと、「イヤ!」と言うことがで
きない。一方、だれかが冗談で、その子ども(人)に、「バカ!」と言ったとする。しかし
そういう言葉を、冗談と、割り切ることができない。

 そこでこのタイプの子どもは、集団の中で、仮面をかぶるようになる。いわゆる、いい
子ぶるようになる。これを心理学では、「防衛機制」という。自分の心がキズつくのを防衛
するために、独特の心理状態になったり、独特の行動を繰りかえすことをいう。

 子ども(人)は、一度、こういう仮面をかぶるようになると、「何を考えているかわから
ない子ども」という印象を与えるようになる。さらに進行すると、心の状態と、表情が、
遊離するようになる。うれしいはずなのに、むずかしい顔をしてみせたり、悲しいはずな
のに、ニンマリと笑ってみせるなど。

 この状態になると、一人の子ども(人)の中に、二重人格性が見られるようになること
もある。さらに何か、大きなショックが加わると、人格障害に進むこともある。

●すなおな子ども論

 従順で、おとなしく、親や先生の言うことを、ハイハイと聞く子どものことを、「すなお
な子ども」とは、言わない。すなおな子どもというときには、二つの意味がある。

一つは情意(心)と表情が一致しているということ。うれしいときには、うれしそうな
顔をする。いやなときはいやな顔をする。

たとえば先生が、プリントを一枚渡したとする。そのとき、「またプリント! いやだな」
と言う子どもがいる。一見教えにくい子どもに見えるかもしれないが、このタイプの子
どものほうが「裏」がなく、実際には教えやすい。

いやなのに、ニッコリ笑って、黙って従う子どもは、その分、どこかで心をゆがめやす
く、またその分、心がつかみにくい。つまり教えにくい。

 もう一つの意味は、「ゆがみ」がないということ。ひがむ、いじける、ひねくれる、すね
る、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。

ゆがみというのは、その子どもであって、その子どもでない部分をいう。たとえば分離
不安の子どもがいる。親の姿が見えるときには、静かに落ちついているが、親の姿が見
えなくなったとたん、ギャーとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけたりす
る。その追いかけている様子を観察すると、その子どもは子ども自身の意思というより
は、もっと別の作用によって動かされているのがわかる。それがここでいう「その子ど
もであって、その子どもでない部分」ということになる。

 仮面をかぶる子どもは、ここでいうすなおな子どもの、反対側の位置にいる子どもと考
えるとわかりやすい。

●仮面をかぶる子どもたち

 たとえばここでいう服従型の子どもは、相手に取り入ることで、自分にとって、居心地
のよい世界をつくろうとする。

 先生が、「スリッパを並べてください」と声をかけると、静かにそれに従ったりする。あ
るいは、いつも、どうすれば、自分がいい子に見られるかを、気にする。行動も、また先
生との受け答えのしかたも、優等生的、あるいは模範的であることが多い。

先生「道路に、サイフが落ちていました。どうしますか?」
子ども「警察に届けます」
先生「ブランコを取りあって、二人の子どもがけんかをしています。どうしますか?」
子ども「そういうことをしては、ダメと言ってあげます」と。

 こうした仮面は、服従型のみならず、攻撃型の子どもにも見られる。

先生「君、今度のスポーツ大会に選手で、出てみないか?」
子ども「うっセーナア。オレは、そんなのに、興味ネーヨ」
先生「しかし、君は、そのスポーツが得意なんだろ?」
子ども「やったこと、ネーヨ」と。

 こうした仮面性は、依存型、同情型にも見られる。

●心の葛藤

 基本的信頼関係の構築に失敗した子ども(人)は、集団の中で、(孤立)と(密着)を繰
りかえすようになる。

 それをうまく説明したのが、「二匹のヤマアラシ」(ショーペンハウエル)である。

 「寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。し
かしくっつきすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、
体が温まらない。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、
ほどよいところで、体を温めあった」と。

 しかし孤立するにせよ、密着するにせよ、それから発生するストレス(生理的ひずみ)
は、相当なものである。それ自体が、子ども(人)の心を、ゆがめることがある。

一時的には、多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になることが多い。たとえば急激に
緊張すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓がドキドキし、
さらにその結果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動が活発になる。

が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振
や性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」
(新井康允氏)という。

こうしたストレスが日常的に重なると、脳の機能そのものが変調するというのだ。たと
えば子どものおねしょがある。このおねしょについても、最近では、大脳生理学の分野
で、脳の機能変調説が常識になっている。つまり子どもの意思ではどうにもならない問
題という前提で考える。

 こうした一連の心理的、身体的反応を、神経症と呼ぶ。慢性的なストレス状態は、さま
ざまな神経症による症状を、引き起こす。

●神経症から、心の問題

ここにも書いたように、心理的反応が、心身の状態に影響し、それが身体的な反応とし
て現れた状態を、「神経症」という。

子どもの神経症、つまり、心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的
障害)は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑ってみる。

(1)精神面の神経症…恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できな
いものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)など。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿
症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、
便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般
的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での
神経症を黄信号ととらえて警戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって
行動面に現れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気
力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようにな
る。

●たとえば不登校

こうした子どもの心理的過反応の中で、とくに問題となっているのが、不登校の問題で
ある。

しかし同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男
はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。

が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校
を「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三
つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、そ
れに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが、つぎである。

(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦
怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快
し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の
日内変動という。学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったり
する。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由と
なる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。

(1)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、
狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」など
と言うと、一転、症状が消滅する。

ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」
と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」と思うこ
とが多い。

(2)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの
攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、
どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、
暴れたりすることはある(感情障害)。

この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。
おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子ど
もといった感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、
わからなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。

(3)回復期(この回復期は、筆者が加筆した)……外の世界と接触をもつようになり、
少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むと
いうようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一〜二
時間、週に一日〜二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くな
る。

●前兆をいかにとらえるか

 この不登校について言えば、要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措
置をとるかということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片
づけて、無理をする。この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。

この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもある
わよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の
問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほ
ど、症状はこじれる。悪化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、
(3)無力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して
考えられている。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活
動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生
活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えら
れている(「日本教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者
の目を通して、子どもを外の世界から見た区分のし方でしかない。

++++++++++++++++

【参考】

●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫
ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状
が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人
恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一
九三二年に最初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」
と命名したことに始まる。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登
校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。

●学校恐怖症の対処のし方

 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこ
の段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまう
ことである。あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある
子どもの心の問題を見落としてしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、
第二期の対処のまずさによることが多い。

ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドア
をはずした。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ
連れていった。その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、
子どもをはげしく叱り続けた。

が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取
り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学
校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症
状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、
「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさ
せなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間
もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱり
ダメでした」と。

親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰り
返しているうちに、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜け
ること。

(2)前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけ
を考えて、子どもの様子をみる。

(3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、
身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。

(4)生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もし
ないこと。とくに子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にい
ない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。

 回復期に向かう前兆としては、(1)穏やかな会話ができるようになる、(2)生活にリ
ズムができ、寝起きが規則正しくなる、(3)子どもがヒマをもてあますようになる、(4)
家族がいてもいなくいても、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。
こうした様子が見られたら、回復期は近いとみてよい。

 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えるこ
と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早
くする。

●不登校は不利なことばかりではない

 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされ
ている。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で
不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割
もいる」という。不登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答え
た人、二四%など。そして学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……45%
教師との関係   ……21%
クラブ・部活動  ……17%
転校などでなじめず……14%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  

+++++++++++++++++ 

●自己診断

 子育てにおいて、母子関係の重要性については、今さら、改めて言うまでもない。そし
てその中でも、母子の間で構築される「基本的信頼関係」が、その後、その子ども(人)
の人間関係のみならず、生きザマにも、決定的な影響を与える。まさに「基本的」と言う
意味は、そこにある。

 そこで子どもの問題もさることながら、親である、あなた自身が、その基本的信頼関係
を構築しているかどうかを、一度、疑ってみるとよい。

 あなたは自分の子どものときから、いつも自分をさらけ出していただろうか。またさら
け出すことができたただろうか。もしつぎのような項目に、三〜五個以上、当てはまるな
ら、ここに書いたことを参考に、一度、自分の心を、冷静に見つめてみるとよい。

 それはあなた自身のためでもあるし、あなたの子どものためでもある。

○子どものころから、人づきあいが苦手。遠足でも、運動会でも、みなのように楽しむこ
とができなかった。今も、同窓会などに出ても、よく気疲れを起こす。

○他人に対して気をつかうことが多く、敬語を使うことが多い。気を許さない分だけ、よ
そよそしくつきあうことが多い。

○ひとりで、静かに部屋の中に閉じこもっているほうが、気が楽だったが、ときどきさみ
しくなって、孤独に耐えられないこともあった。

○いつも他人の目を気にしていたように思う。そして外の世界では、いい子ぶることが多
かった。無理をして、精神疲労を起こすことも、多い。

○夫(妻)や子どもにさえ、自分の心を許さないときがある。過去の話や、実家の話でも、
恥ずかしいと思うことは、話すことができない。

○言いたいことがあっても、がまんすることが多い。その反面、他人の言った言葉が、気
になり、それでキズつくことが多い。

○自分は、どこかひねくれていると思う。他人の言葉のウラを考えたり、ねたんだり、嫉
妬(しっと)することが多い。

○子どものころから、親に対しても、言いたいことが言えなかった。どこか遠慮していた。
親や先生に気に入られることばかりを、考えていた。

●勇気を出して、自分をさらけ出してみよう!

 もしあなたがここでいう「信頼関係」に問題がある人(親)なら、勇気を出して、自分
をさらけ出してみよう。

 まず、手はじめに、あなたの夫(妻)に対して、それをしてみるとよい。言いたいこと
を言う。したいことをする。身も心も、素っ裸になって、体当たりで、ぶつかってみる。
何も、セックスだけが、さらけ出しということにはならないが、夫婦であることの特権は、
このセックスにある。

 そのとき大切なことは、自分をさらけ出すのと同時に、夫(妻)の、どんなさらけ出し
にも、寛容であること。つまり受入れること。「おかしい……」とか、「変態とか……」と
か、そういうふうに考えてはいけない。

 あるがままを、あるがままに受入れて、あなたがた夫婦だけの問題として、処理すれば
よい。

 で、こうした夫婦の絆(きずな)を、伸ばす形で、つぎに精神面でのさらけ出しをする。
思ったことを話し、考えたことを伝える。

 これは私のばあいだが、私は、ある時期まで、講演をするたびに、ものすごい疲労感を
覚えた。そのつど、聖人ぶったりしたからだ。自分を飾ったり、つくったりしたこともあ
る。

 しかしそれでは、聞きに来てくれた人の心をつかむことはできない。役にもたたない。

 そこでは私は、講演をしながら、その講演を利用して、自分をさらけ出すことに心がけ
た。ありのままの自分を、ありのままに話す。それで相手が、私のことを、「おかしい」と
思っても気にしない。そのときは、そのとき。

 自分に居直ったわけだが、そうすることで、私は自分にすなおになることができた。そ
う、もともと、私は、どこかゆがんだ人間だった。(今も、ゆがんでいる?)私のこうした
生きザマが、ギクシャクした親子関係で悩んでいる人のために、一つの参考になればうれ
しい。

【注】この原稿は、W小学校区の教員研修会のための資料として書き始めたものです。ま
だ公表できるような段階ではないかもしれませんが、マガジンにこのまま掲載します。時
期をおいて、また書き改めてみます。

(※1)実際には、人知れず子どもを愛することができないと悩んでいる母親は多い。「弟
は愛することができるが、兄はどうしてもできない」とか、あるいは「子どもがそばにい
るだけで、わずらわしくてしかたない」とかなど。

私の調査でも子どもを愛することができないと悩んでいる母親は、約10%(私の母親
教室で約200人で調査)。東京都精神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が
合わないと感じている母親は、7%もいることがわかっている。そして「その大半が、
子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答500人・20
00年)そうだ。

同じく妹尾栄一氏らの調査によると、約40%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行
為をしているという。妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示して
いる。

妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの17項
目を作成し、それぞれについて、「まったくない……0点」「ときどきある……1点」「し
ばしばある……2点」の3段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あ
り」が、有効回答(494人)のうちの9%、「虐待傾向」が、30%、「虐待なし」が、
61%であったという。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
不登校 不登校児 家庭で荒れる子ども 家庭内暴力)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●住空間

++++++++++++++++

日本の家は、狭い。
狭いだけではなく、個人を
分ける壁さえない。

こうした独特な住空間は、
当然のことながら、
子どもの心理にも、
大きな影響を与える。

+++++++++++++++++

 少し前、あるきっかけで、子どもの引きこもりに悩んでいる家庭を、訪問したことがあ
る。その子どもは、高校1年生ということだった。

 住所を頼りに、そのあたりをさがしてみると、そのマンションは、すぐ見つかった。白
亜の殿堂といった感じの、巨大なマンションだった。環境もよい。すぐ裏手には、公園が
あり、豊かな森が、その公園を取り囲んでいた。

 「こんなところだったら、ぼくたちも住みたいね」と、私が言うと、ワイフも、「そうね」
と。

 しかしその会話は、そこまで。玄関からエレベータに乗ると、雰囲気は一変した。その
部屋に入ると、さらに一変した。「狭い!」……それが私の第一印象だった。むっとするよ
うな圧迫感。よどんだ空気。マンション独特の、どこかコンクリートくさい、独特の臭い。

 全体でも、12〜3坪もなかったのでは? 部屋はこまかく区切られていた。その子ど
もの部屋は、一番通路側にあったが、4畳か、4畳半(?)。ベッドと学習机。あとは足の
踏み場もないほど、ものが、散乱していた。

たまたまそのときは、いろいろ事情が重なって、その子どもは部屋にはいなかった。

 ……といっても、ここで、引きこもりについて、書くつもりはない。私は、そのマンシ
ョンを見て、改めてというか、日本の住空間の貧弱さを、思い知らされた。そのマンショ
ンには、夫婦2人と、高校1年生の男の子、それに小学6年生の女の子の4人が住んでい
た。

 オーストラリアやアメリカと比較するのもヤボなことだが、日本の住空間の狭さは、世
界でも有名である。かつて「うさぎ小屋」と評した、フランス人のジャーナリストがいた。
台湾や韓国と比較しても、ひょっとしたら、日本の住空間のほうが、狭いのではないか。
いや、住空間だけではない。プライバシーの保護という観点からしても、日本には、そう
いう概念そのものが、希薄。ない。

 かく言う私も、高校生になるまで、自分の部屋など、なかった。兄と姉がいたが、それ
までは、6〜7畳の部屋で、いっしょに寝ていた。そのころとくらべると、日本もずいぶ
んと変わったが、しかし、とてもじゅうぶんとは言えない。

 たとえばオーストラリアでは、子どもが高校生くらいになると、別棟(別棟だぞ!)に
住むケースが、多い。レイ君という友人がいたが、彼は庭の端にあるバンガローで、ひと
りで生活していた。ボブ君という友人は、家から100メートル以上は離れた別宅に住ん
でいた。

 アメリカでは、それがさらに広くなる。広くなるというか、あまりにも広すぎて、日本
の感覚では、理解できないときがある。日本の平均的な家の、2〜3倍もあるような大き
な家に住みながら、「狭い」と言ったりする。子どもがいる家庭では、なおさらである。

 ただ、映画などで見ていると、それほど広く感じないのは、ひとつには、天井が高いと
いうことがある。つぎに生活のスケールそのものが、大きい。ベッドにしても、むこうで
いうシングルベットにしても、日本のダブルベッドほどの大きさがある。

 もちろん廊下も広い。階段も広い。それに傾斜もゆるい。

 そうそう二男の嫁(アメリカ人)が、我が家に来たとき、我が家の階段を「こわい」と
言った。「そういうものかなあ?」とは思ったが、どうやら、そういうものらしい。で、寝
室を、急きょ、2階から1階へと移してやった。そんなことがあった。

 で、最初の話にもどるが、私はそのあまりにも狭いマンションを見ながら、「これじゃあ、
子どもも息を抜けないな」と感じた。マンションのどこにいても、親の視線や息づかいを
感じてしまう。「引きこもりになってもしかたない」とまでは思わなかったが、しかし一度、
そういう状態になってしまったら、どうしようもないのではないか。

 狭い部屋に入って、中からかぎをかければ、そこは独房のようなもの。

 親たちは、「どうしたらいいでしょうか?」「なおるでしょうか?」と言っていたが、も
ちろん私は、住空間については、何も言わなかった。その人たちはその人たちで、精一杯
の生活をしている。「できれば、もっと、広いところに住んだ方がいい」とは、思ったが、
それも言わなかった。

 見た目には、すばらしいマンションである。「マンション」というのは、「邸宅」という
意味である。しかし「邸宅」とは、名ばかり(失礼!)。そのマンションには、いろいろな
問題がある。私とワイフは、そんなことを考えながら、その場を去った。

(付記)

 浜松市の郊外の町へ行くと、昔ながらの街道が、そのまま残っているところがある。狭
い道に、民家が、ぎっしりと並んでいる。間口は、3〜4間ほど。奥行きも、それくらい。

 日本人にとって、「住空間」というのは、基本的には、そのサイズをいう。

 ここにも書いたように、私も、子どものころ、そういう住環境の中で育った。だから、
はじめてオーストラリアへ渡ったとき、その(広さ)に、度肝を抜かれた。

 が、やがて、その(広さ)が、プライバシーの問題だけではなく、親子関係、さらには、
家族どうしの意識にまで、大きな影響を与えているのを知った。

 簡単に言えば、日本では、親子の密着度、つまり相互依存性、もっとわかりやすく言え
ば、ベタベタ度が、オーストラリアとは比較にならないほど、強い。またそうならざるを
えない家庭環境で、みな、育っている。

 そしてそれが回りまわって、日本独特の文化というか、家族意識をつくりあげている。
私がよく書く、「親絶対教」というのも、そういう文化を背景にして生まれたものと考えて
よい。

 ……日本に生まれ、日本の中だけで育ち、世界を知らない人には、それはわからないか
もしれないが……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
住環境 子供と住環境 住環境が与える心理的影響)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(6月10日)

●Hが、心情を吐露(?)

 秋田県で、男子児童を殺害した、Hという女が、弁護士に、いろいろ話しているらしい。

 「(その男の子を見たら)切なくなって、思いあまって殺してしまった」「(男の子の)両
親には、手を合わせて、あやまりたい」(弁護士の記者会見)とか、など。

 つまり殺害にいたる動機というか、心情を、あれこれ詳しく話しているらしい。しかし
……、この話には、待ったア!

 こうした心情を話すということ自体、極刑をまぬがれるための、カモフラージュではな
いのか? どうも、あやしい。どうも、クサい。

 Hという女は、逮捕される寸前まで、ああまでシクシクと、自分の無実を訴えていた。
娘をなくした母親を、みごとなほどまでに演じていた。その悲しみを織り交ぜながら、「そ
んな私が、そんなことをするはずがない」というようなことを言っていた。そんな女が、
突然、「謝罪したい」だとオ? 白々しいにも、ほどがある!

だいたい、いくら自分の子どもをなくしたからといって、それで切なくなって、他人の
子どもを殺すような親が、いるだろうか。

 漏れ伝わってくる報道をみると、証拠をつきつけられるまで、そのHという女は、自分
のしたことを認めなかったという。俗な言い方をすれば、かなり、(したたかな女)という
ことになる。

 どこか不自然。一貫性が、ない。

 だれに殺されたとは言わないが、その母親の娘も、殺されているとみるのが、自然であ
る。警察は、事件と事故の両面で、今も、捜査中だという。事件であるとするなら、その
犯人も、やがてわかるはず。

(追記)

 6月11日の中日新聞朝刊の記事によれば、警察も、私と同じような見方をしているの
がわかった。

(1)ストーリーができすぎている。
(2)部屋の中で、G君を殺したというが、靴下には、ウサギの毛がついていない。
(3)Hという女は、軍手は、雪かき用のものだというが、雪かきには、軍手は、使わな
い。
(4)Hという女が、雪かきをしているのを、近所の人は見たことがないと証言。
(5)取調べ中でも、証拠をつきつけられるまで、ウソばかりついていた。「涙の告白」(記
事)をしたからといって、すべてを信用することはできない、と。

(補記)

 私自身も、ウソは大嫌い。これは自分が子どものころ、ウソつきだったことによる、反
動形成かもしれない。「私」というより、私を包む環境が、ウソのかたまりのような世界だ
った。それで私も、いつしか、ウソが当たり前のような人間になってしまった。

 だから他人のウソが、簡単に見破れるようになった。と、同時に、ウソをつく人間とは、
それがたった一度でも、それ以後、つきあわないようにしている。

 ありのままを正直にさらけ出して生きる……それは、よき人間関係をつくる上において、
とても重要なことだと思う。 


●ワイフの誕生日

 今日は、ワイフの誕生日。とくにどうということはないのだが、しかし何か、落ちつか
ない。何かをしてやらねばならないのだが、アイディアがわいてこない。

 今日は午後から、客がくる。夕食をいっしょに食べることになっている。まさかその席
で、誕生日パーティをするというわけにもいかない。

 客が帰ったら、長男と3人で、誕生日パーティをするつもり。

 そうそう昨日、その長男が、「父の日」のカードをくれた。「パパ、ありがとう。ぼくも
できるだけ、がんばってみる」と、書いてあった。うれしかった。

 目下、長男は、再度、専門学校に通い始めている。「もう一度、最初からやりなおしたい」
ということで、そうなった。

 その長男が、この2か月、土日も部屋に閉じこもって、勉強している。毎晩、12時過
ぎまで、勉強している。来週、国家試験があるという。その準備らしい。

 「あいつが、あんなふうに勉強しているのを見たのは、はじめてだ」と私が言うと、ワ
イフも、「私も、そう」と。

 そういう点では、長男も二男も、心が繊細(せんさい)。それにくらべると、三男は、ま
ったく無頓着。無神経。いまだかって、私やワイフの誕生日に、カードなど、送ってくれ
たこともない。自由気ままというか、自由奔放というか……。

 今朝、起きたとき、「何がほしい?」と聞いたのだが、ワイフは、「別に……」と。

 これから近くのケーキ屋まで行って、ケーキを買ってくるつもり。「プレゼントに、ビデ
オカメラを買ってあげようか?」と言うと、「あなたがほしんじゃなア〜イ?」と。

 そう、私がほしい。今、ねらっているのは、P社のブレ防止つきの、ビデオカメラ。昨
年の10月の製品とかで、今は、7万円前後で売っている。買うなら、今なのだが……。

 しかし今は、株価も、大暴落! しばらく持ち株は、塩漬け。だから高価なものは、買
わない。買えない。

 ……とまあ、とりとめのないことを書いて、今朝の日記は、おしまい。

 ところで、今日は、寒い! 

6月10日、午前10時40分記。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 12日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自己責任

++++++++++++++++++

アメリカ在住のSさんから、
こんなメールが、届いています。

アメリカの教育事情の一端が
理解できて、たいへん興味深いです。

++++++++++++++++++

【Sより、はやし浩司へ】

日本、ハンガリー、アメリカと移動し、子供たちに起こる問題を一つ一つ乗り越えてこら
れたのも、先生のおかげです。いつも感謝しています。

4年前、S台の公園で出会った方に、BW教室のうわさを聞き、見学に行きました。先生の
手作りの教材を見て、すぐに子供をあずけようと決めました。

下の娘を連れていたので、10分程で教室を出て行った時は、周りの方に誤解されました
が、気に入らなかったのではなく、一目で気に入ったのです。手作りの教材は、手間がか
かり、考えなければ作れないからです。

この出会いが無かったら、私は、子育てなどできなかったと思います。とても、貴重で、
重い出会いであったと思っています。

さて、話は変わり、子供たちの通うカリフォルニアの公立小学校には、制服があります。
制服と言っても、学校指定のポロシャツと、トレーナーだけです。ズボンの色、アクセサ
リーの禁止などについては、大まかなDress Code(校則)が示されています。もし、制服
を着たくなければ、保護者のサインをした書類を提出します。

制服を着ていなくても、きちんとしていれば、とがめられることはありません。

これは、各学校によって違います。隣の学校は、制服は無く、Dress Codeだけです。

これらのことは、PTAの話し合いによって決まります。

日本とは、規則の考え方、自由の考え方が大きく違うように感じます。本人にゆだねられ
る部分が大きいというか、うまく言えませんが・・・。 

【はやし浩司よりSさんへ】

 Sさんのメールを読んで、最初に頭に浮かんだのは、三男のことです。

 現在、三男は、パイロットの卵として、航空大学校に通っています。私は、三男が帰っ
てくるたびに、飛行機の話を聞くのを、何よりも楽しみにしています。で、その三男から
話を聞けば聞くほど、「なるほど、そういうものか……」と、感心することがあります。

 つまり航空大学校では、いつどのように飛行機に乗るかは、学生自身の判断に任されて
いるというのです。教官は、テーマだけを学生に与えて、「あとは自分で考えて、判断せよ」
と。

 つまり(飛行機を飛ばすかどうかの判断)も、学生たちに任せているのだそうです。そ
のため学生たちは、朝起きると、天気図をながめ、飛行場の中に立ち、雲の動きを観察す
るのだそうです。

 そして「飛べる」と判断したときには、事務室へ行って、飛行計画を提出し、許可をも
らい、そのあと、自分で飛行機に乗るのだそうです。もちろん教官はいますが、教官は、
学生たちの判断に応じて、飛行機に同乗するだけ、ということらしいです。(もちろん飛行
機の操縦のし方は、教官から学びますが……。)

 教官が、カリキュラムを組んで、学生に指示しながら訓練するのではないということら
しいです。

 飛行機の世界では、(とくにライン機の世界では)、機長の自己判断と自己責任で、すべ
てが決まるそうです。つまりそういう判断が、自分でできるようにするのが、航空大学で
いうところの、「訓練」ということになっているそうです。

 「会社のほうから、飛べとか、飛ぶなとかいう指示はないのか?」と聞くと、「そういう
ものは、ない。飛ぶ、飛ばないの判断は、すべて機長に任されている」とのこと。

 この方式は、どこかアメリカ的な教育法を連想させますね。自己判断と自己責任という
部分が、です。

 三男の様子は、私のHPのトップページ、「E・Hayashi」から見ていただけます。
また機会があったら、ぜひ、見てやってください。

 また三男が、ビデオを作りました。ここに書いた、天気図を見る、外に立って空の様子
や、風の具合を見るといったシーンも、その中に、瞬間ですが、入っています。

 自分のことばかり書いてすみません。またゆっくりと返事を書きます。いただきました
メールにつきましては、いつものように、マガジンに載せますが、どうかお許しください。

 では、これから講演に行ってきます。がんばります。ここ数日、30度近い気温でした
が、今朝は一変、肌寒さを感じさせるほどです。ベストコンディションです。今日は、よ
い講演ができそうです。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●天皇vs天皇陛下

+++++++++++++++++

ある新聞社が、天皇を、「天皇」と呼び
捨てにした。記事を書いた。

それに政府が、かみついた。

「陛下という敬称をつけろ」と。

しかしそんなことを、政府が、国民に
強要するほうが、おかしい。

+++++++++++++++++

 私は、自分の文章を書くとき、敬称や敬語は、ほとんど使わない。それに気づいている
人も多いかと思う。たとえば、天皇がこのH市にやってきたことがある。そのときも、私
は、「天皇が、H市へ来た」と書いた。正しくは、「天皇陛下が、浜松へ、おこしになりま
した」か(?)。

 本来なら、「天皇」ではなく、「天皇陛下」と書くべきなのかもしれない。しかしこうし
た敬称や敬語は、一度、使い始めると、その基準をもうけるのに苦労する。だから私は、
相手がだれであろうとうも、敬称や敬語は、使わない。

 が、誤解しないでほしい。敬称や敬語を使わないからといって、その人を軽くみている
わけではない。悪くみているわけでもない。「人間は、みな、平等である」。

 しかしこういうこともある。

 ふつう二重の敬称をつけることは、相手に対して失礼となる。たとえば、「林先生」と呼
ぶのは、かまわない。しかし「林先生様」とか、さらに「林先生様殿」というのは、かえ
って失礼となる。言われたほうも、何となく、バカにされたような気分になる。

 なお、宗教団体などでは、自分たちの指導者を、二重、三重、さらには四重の敬称をつ
けて呼ぶところが多い。(この話は、本当だぞ!) たとえばその指導者の名前が「鈴木」
であったりすると、「鈴木御導師上人様殿」となる。(鈴木・御・導師・上人・様・殿だぞ!)

 で、天皇の話にもどる。私は、子どものころから、天皇を、「天皇」と呼んでいた。しか
し「天皇」という言葉そのものが、日本では、地位を表す名称である。学校で言えば、「校
長」、会社で言えば、「社長」、大学で言えば、「教授」という言葉に、それぞれ当たる。

 その校長に対して、「校長」と呼ぶことは、決して、失礼ではない。「社長」も、そうだ。
が、この日本では、「校長先生」と呼ぶ。(別に、「校長」だけでも、かまわないはずだが…
…。) 一方、「社長様」と呼ぶケースは、少ない。「教授先生」と呼ぶケースは、もっと少
ない。

 つまり、「校長・先生」「社長・様」「教授・先生」と、肩書きに敬称をつけるのは、二重
の敬称と同じに考えてよいのではないのか。

 しかし私は、子どものころ、「天皇」と呼び捨てにしただけで、(呼び捨てにしていると
いう意識はなかったのだが……)、父親に殴られた。「陛下と言え!」と。そんなわけで、
正直に言えば、今でも、天皇の問題について論じるときには、ツンとした緊張感を覚える。

 さて本題。

 「陛下」というのは、天皇だけにつけられる、特殊な敬称である。宗教の世界にも、そ
れぞれの宗派で、特殊な敬称をつけることがある。それをつけなければ、その世界では、
失礼になるという。しかしそれは、その宗教を信じている人の世界での話。その宗教の世
界の外にいる人には、関係ない。

 天皇についても同じように考えてよいではないだろうか。つまり私は、天皇は、天皇で
よいと思う。昭和天皇は、外国では、ただ単に、「ヒロヒト」と呼ばれていた。それが愛称
になっていた。考えてみれば、これほど失礼な呼び方はないわけだが、しかし、どうして、
そういう呼び方をしてはいけないのか?

 私は個人的には、(当然のことながら)、天皇を、知らない。だから「天皇」という言葉
を使うときは、いつも、「天皇制」という制度を頭に置いた言い方ということになる。その
天皇制について、「天皇陛下制」などと言う人はいない。

 目の前に天皇がいれば、当然、私は、「天皇陛下」と呼ぶだろう。「陛下」と呼ぶかもし
れない。しかしここにも書いたように、天皇は、そこに、いない。

 だから私にとっては、天皇は、「天皇」でしかない。

 ついでながら、私は、教室では、生徒たちによく、呼び捨てにされる。私のことを、「先
生!」と呼ぶのは、約半数。何割かの子どもは、私を、「林!」と呼び捨てにする。

 だからといって、そんなことで目くじらを立てることはない。「林!」と呼ばれたほうが、
私も、気が楽。こちらも、生徒を呼び捨てにできる。「おい、鈴木!」とか、「おい、佐藤!」
とか、など。

 が、私のことを、「先生様」と呼んだ子どもは、いまだかって、1人もいない。

 ……そんなわけで、もし、天皇のことを、「天皇陛下」と言うのがふつうになってしまっ
たら、つぎに今度は、「天皇陛下様」と、「様」をつけて呼ぶようになるかもしれない。「殿」
でもよい。戦前の日本が、そうであったように……。

 ともかくも、こんなことで、いちいち政府が、とやかく言うべきではない。天皇自身だ
って、それを望んでいないだろう。

【補記】

 英語にも、敬称は、あるにはある。「Your Majesty(陛下)」とか、「You
r Excellency(閣下)」とかいうのが、それ。

 しかしそれはその相手を前にしたとき、つまり直接相手に語りかけるときの敬称で、一
歩退いた世界では、こうした敬称は、ほとんどつけない。ブッシュ大統領にしても、マス
コミの世界では、「ミスター・ブッシュ」である。あるいはほとんどのばあい、呼び捨て。

 私は、それでよいと思うが、反対に、どうして、そうであっては、いけないのか?、と
いうことにもなる。

が、それでも、そのおかしさがわからないというのであれば、あのK国を見ればよい。
K国では、金xxの敬称どころか、敬称を言うときのイントネーションをほんの少し言
いまちがえただけで、政治犯として収容所に送られてしまうという。実際、そういうテ
レビキャスターが、過去にいた。

 「陛下という敬称をつけろ」と迫る政府。しかし、その延長線上に、あのK国がある。
戦前の日本がある。それだけは、忘れてはいけない。

++++++++++++++++

ついでながら、「偉い」という
言葉について……。

それについて書いた原稿を、
ここに添付します。
(中日新聞発表済み)

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【「偉い」という言葉を、廃語にしよう!】

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人(respected
 man)」と言う。よく似たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほ
ど大きな谷間がある。

日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あま
り偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしな
い。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。

「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由
な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自
由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……? 
   
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧
の生活を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。

ひとつの例だが、由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があい
まいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近く
の小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。

家康にしても、その後300年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実
は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結
果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

そこで提言。

「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世
主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治
にそれが利用されると、とんでもないことになる。

幼稚園を訪れ、そこで会った幼稚園児たちに、「私、日本で一番偉い人」と言った首相す
らいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
天皇 天皇制 呼称について 敬称 敬語 偉人 偉人論 偉い人)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教育の自由化

+++++++++++++++

自由と、社会の多元化は、
相関関係にある。

と、同時に、つまり自由が
ませばますほど、教育もまた
多元化する。……しなければ
ならない。

+++++++++++++++

 かつて官僚たちは、「天皇」という絶対的な権威者を頂点に置くことによって、自分たち
の「存在」を正当化していた。「自分たちは、天皇の命令のみによって行動する、忠実な僕
(しもべ)である」と。

 しかしその権威が崩れた。「天皇」という権威である。(今でも、国家的な賞などについ
ては、ハクづけのため、天皇の前で表彰されることが多い。)

 そこで官僚たちは、民主主義という仮面をかぶった。あたかも選挙で選ばれた議員のた
めに働くという形をつくりながら、その実、その議員たちを、裏で操っている。こうして
今、官僚たちは、自分たちの「存在」を正当化している。

 日本が、民主主義国家だと思っているのは、おそらく、日本人だけではないのか。たと
えばあのソ連がなぜ崩壊したかだが、おおざっぱに言えば、ソ連型官僚主義が崩壊したと
みるのがよい。社会主義という(主義)が崩れたのは、あくまでも、その結果でしかない。
言い忘れたが、ソ連は、「社会主義」という仮面をかぶった、官僚主義国家であった。

 そのソ連だが、なぜ崩壊したか? いろいろな説があるが、社会の対立構造を、資本家
と労働者という、一元論でしか、みなかったことが、最大の原因と、私は考える。「資本家
は、すべて悪であり、労働者は、すべて善である」「労働者こそ、絶対的な権威である」と
いう、どこか間の抜けた、単純な発想である。

 しかし社会の対立構造は、それほど、単純なものではない。

 小資本の上には、中資本があり、中資本の上には、大資本がある。同じく労働者といっ
ても、勤勉で能力のある労働者もいれば、そうでない労働者もいる。

 さらに資本家どうしも、多元的な社会構造を形成する。大資本家どうしが、たがいに熾
烈(しれつ)な、戦いを繰りかえすこともある。つまり社会構造は、3次元、4次元……
となっている。そこへ時的変化が加わる。

 ソ連は、こうした社会構造の変化に対応できなかった。それで崩壊した。わかりやすく
言えば、人間が本来的にもつ、多元性に適応できなかったということ。

 では、今の日本は、どうか? ……という議論は、私のような人間がしても、意味はな
い。そこでもう少しレベルをさげて、今の日本の教育は、どうか? ……というレベルで、
ものを考えてみたい。

 「自由」と「多元的社会」は、たがいに相関関係にある。自由がませばますほど、社会
は、多元化する。

 教育に関していえば、自由のない全体主義国家ほど、教育は一元化される。一本になる。
ひとつになる。今のK国を、みれば、それがわかる。戦前の日本を、みれば、それがわか
る。

 しかし反対に、自由が拡大すればするほど、社会は多元化する。個人の趣味は広がり、
嗜好性も多様化する。そしてそれに応じて、当然のことながら、教育も多元化する。また
多元化しなければ、教育は、社会の変化に対応できなくなる。(ワクに押しこもうとする教
育行政)と、(ワクに入りたがらない子どもたち)、その間で、はげしい軋轢(あつれき)
が生まれる。

 あるいは、社会が伸びる芽そのものを、教育が摘んでしまうことにもなりかねない。
 
 で、もしあのとき、ソ連が、いち早く、社会がもつ多元性に気がついていたら、ソ連の
崩壊はなかったかもしれない。いつまでも、(資本家)と(労働者)という、一元論にしが
みついていたからこそ、ソ連は、やがて崩壊した。

 ただ私は日本の教育が崩壊するのは、かまわないと思う。崩壊して困るのは、人口のコ
ンマ、ゼロゼロにもならない文部官僚たちだけである。しかしそれによって、日本の子ど
もたちが、宙に浮いてしまうのは、困る。日本の子どもたちが、将来を見失ってしまうの
は、困る。

 だからあえて言うなら、日本の文科省は、今こそ、教育の多元化を目指すべきではない
のか。今のように、「学校しかなく、学校しか、子どもの進むべき道がない」ということの
ほうが、おかしい。

 さらに少し前までは、主要5教科と言われ、算数、国語、社会、理科、英語だけが、偏
重されていた。しかしこれもおかしい。

 その(おかしさ)に、まず気がつくこと。オーストラリアの中学校では、たとえば「キ
ャンピング」という科目が、必須科目になっている(ビクトリア州など)。「どうして?」
と理由を聞くと、「砂漠などで、ひとりになったとき、生き延びる術(すべ)を身につける
ため」と。

 どうして日本の教育には、こうした発想がないのか? いつまでも、今のような一元論
にこだわっていると、日本の教育は、本当に崩壊する。ここにも書いたように、私自身は、
崩壊してもかまわないと思っている。が、その被害を受けるのは、結局は、子どもたち自
身ということになる。それだけは何としても、避けなければならない。

 教育の自由化は、今や、当然の流れと考えてよい。そしてもしそれがわからなければ、
あのソ連を見ればよい。旧東ドイツを見ればよい。

 具体的には……。

(1)教科書検定の廃止
(2)カリキュラム編成の自由化
(3)学校設立の自由化
(4)ホームスクール(フリースクール)の自由化
(5)単位制の導入(同時に、全国的に単位を共通化する。)
(6)クラブ制の導入

 ざっと思いついたまま書いたので、不備はあると思う。しかしそうした方向に向けて、
教育を少しずつでもよいから、自由化していく。

 日本に残った、最後の、ソ連型官僚主義社会、それが文科省であり、今の日本の教育制
度である。そういう視点で、この評論を書いたみた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
日本の教育 教育の自由化 自由な教育)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【最近の事件から】

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いろいろな事件が起きている。
そういう事件を見聞きしながら、その事件の
内容を、あれこれ推理してみるのも、
それなりによい、頭の刺激になる。

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●WDなる画家

 まず頭に浮かんだのが、WDなる画家の、盗作問題。WDなる画家は、イタリアでも数
本の指に数えられる著名な画家、その画家」の絵画を、盗作し、自分の作品として発表し
ていたという。当の本人は、「共同制作だ」「盗作ではない」とがんばっているようだが、
イタリア人画家のSG氏ほうは、「だまされた」と、WDなる画家を訴える構えでいる。

 盗作か盗作でないかは、まさに一目瞭然(りょうぜん)! もしWDなる画家の絵を盗
作でないというのなら、何をもって、盗作と言うのか。また「一目瞭然」という言葉は、
なんのためにあるのか。……ということになる。

 WDなる画家は、「色や構図は同じでも、タッチや使った絵の具はちがう」と反論してい
るが、そんなことは当然ではないか。WDなる画家は、SG氏の作品をカメラで写真にと
って、日本へもちかえっている。タッチや使う絵の具まで、同じにすることはできない。

 ただ驚いたのは、この事件を評論しながら、コメンテイターの「T」が、こう言ったこ
と。

 「私たちの知らない、秘密の取り決めが、2人の間にあったのではないか」
 「WD氏の描いた絵は、SG氏(イタリア人画家)への、オマージュ(尊敬の念をこめ
た、模写)とも考えられる」(6月3日・民放)と。

 WDなる画家をかばった発言とも考えられるが、そのあまりにも的をはずれた発言に、
私はあ然としてしまった。
  
 むしろ事実は逆で、WDなる画家は、ひそかに、SG氏が早く死んでくれることを願っ
ていたのではないか。もしSG氏がすでに死んでいたら、WDなる画家は、今ごろ、こう
主張しているにちがいない。「いつも私がイタリアへ出かけていき、2人で絵を共同制作し
ていた」と。

 死人に口なし……ということになるが、WDなる画家には、とても残念なことに、SG
氏は、まだイタリアに健在していた。そして盗作と思われる作品がつぎつぎと出てくると、
そのSG氏は、「裏切られた」「WD氏を訴える」と言い出した。

 WDなる画家は、ひんぱんにイタリアへ行き、SG氏に会っているというが、それは同
時に、SG氏と親しいかったことをあとになって主張するための、下地づくり(アリバイ
づくり)とも考えられる。が、それ以上に考えられるのは、SG氏の作品が日本で発表さ
れるのを、何よりも恐れていたためではないのかということ。

 それで、つまりSG氏や、その周辺の人たちの動向をさぐるために、イタリアへ行って
いた(?)。もしSG氏の作品が、日本で発表されるようなことにでもなれば、自分の盗作
がバレてしまう……。WDなる画家は、それを一番恐れていた(?)。

 今になってWDなる画家は、共同で個展を開きたいなどと言っているが、もし共同制作
をしていたとか、SG氏を親友などと言うくらいなら、もっと昔に、共同で個展を開くべ
きだった。

 『恥』という言葉はあまり好きではないが、WDなる画家は、まさに日本の恥。それを
世界に向かって、さらけ出した。さらに言えば、そういう画家であることを、何一〇年に
もわたって見抜けなかった、日本の画壇の、無能ぶりというか、不勉強ぶりも、問題であ
る。聞くところによると、日本の画壇も、権威主義のかたまりようなところだという。絵
の中身や質よりも、「賞」や「名声」のほうが、ものをいうという。

 SG氏は、イタリアでも、ここに書いたように、何本かの指に入るような著名な画家だ
という。ならば絵そのものはともかくも、そういう画家の画風さえ知らなかったとは、驚
きでさえある。しかも今は、昔とちがって、世界の情報を、家の中に居ながらにして、知
ることができる。

 ……とまあ、いろいろ書けるが、しかし今回の盗作事件は、スケールが大きい。別の報
道によると、わかっただけでも、その数は、30点近くにもなるという。こうなると、W
Dなる画家は、画家というよりは、詐欺師ということになる。


●A県で起きた児童殺害事件

 秋田県で起きた児童殺害事件の犯人が、逮捕された(6月5日)。犯人は、殺された児童
の、一軒となりに住んでいた、33歳の女性だったという。

 当初から、犯人ではないかと、疑われていた女性である。

 で、今日(6・5)の報道番組などでは、さかんに動機を問題にしていたが、私の推理
では、こうだ。

 ……といっても、詳しくは書けない。報道されている範囲で、まず、いくつかの事実を
並べてみよう。

(1)犯人の女児も、事故か、事件に巻きこまれて、死んでいる。
(2)その女児には、どうやら保険がかけられていたらしい(報道)。
(3)母親は、「事件」を主張し、自前で張り紙をつくり、あちこちに張りつけている。
(4)「事件」であるとすると、国から被害者補償金が出るという。その額、最高で、約
1500万円。
(5)その母親は、自己破産を宣告したことがあり、生活保護を受けていたという。
(6)一方、その母親は、死んだ娘を虐待していた(?)という、うわさもある。学校の
教師が見るにみかねて、パンや牛乳などの食事を届けていたという。
(7)母親の家の中は、足の踏み場もないほど、ゴミ類が散乱し、荒れ放題であったとい
う。
(8)小学校の運動会では、亡き娘の写真を立てて、その運動会に見学に顔を出していた。
(9)(5)〜(7)の事実から浮かびあがってくるその母親像と、(8)で見せる母親像
とは、まったくと言ってよいほど、食い違っている。一貫性がない。矛盾している。
(10)そういう状況のとき、1軒おいた隣人の子どもが、変死体となって発見された。
(11)犯人は、その母親だったという。

 児童を殺害した動機について、今の段階では、なにもわかっていない。わかっていない
が、しかしなぜその母親は、ああまで事件説にこだわっていたのか。その母親は、逮捕さ
れる前、さかんに、「自分の娘の死は、事故ではなく、事件である」「警察は信用できない」
と言っていた。

 事件ということになれば、保険金のほか、被害者補償金も支払われることになる。今と
なってみると、その母親の娘を殺した犯人はだれであるかは、別として、その母親は、補
償金ほしさのために、事件説を主張していたと考えられなくもない。

……ということで、その母親は、ここにも書いたように一貫して、事件説を主張してい
るが、もちろん今のところ、その母親の娘が死んだのは、事故なのか、事件なのかは、
不明である。しかし皮肉なことに、しかし当の母親は、逮捕される前、テレビのレポー
ターに、こんなようなことを話している(テレビ報道)。

 「(男の子を殺した)犯人と、(うちの娘を殺した)犯人は、同一人物かもしれません」
と。

母親のこの言葉が正しいとするなら、その母親の娘は、だれかに殺されたことになる。
だれかに殺されたとするなら、その娘を殺したのも、実は、その母親自身ということに
なる……? 今ごろ、その母親は、拘置所の中で、自分が言った言葉を、どのように考
えているのだろうか。

 これから取り調べが、本格化するだろう。その過程で、やがて動機も明らかにされるだ
ろう。ひょっとしたら、娘の死についても、別の事実が明らかにされるかもしれない。

 今は、その取り調べを静観するしかない。

【補記】

 同じような事件は、時を経て、繰りかえし起きる。よく知られた事件に、W県で起きた、
カレー毒殺事件がある。

 あの事件のときも、当初から、1人の女性が犯人ではないかと疑われていた。私と同姓
の女性だったから、名前は、忘れない。

 あの女性も、今回の女性と同じように、ときには笑みを浮かべ、マスコミのインタビュ
ーに答えたりしていた。しかし全体としてみると、態度や姿勢に一貫性がなかった。どこ
か不自然。その不自然さが、疑惑を増幅させた。

 (私は犯人ではない)と、まず自分をだます。つぎに、(犯人でないなら、このように振
る舞うだろう)と頭の中で考えて、それを演技をする。が、悲しいかな、所詮、素人の演
技。そのためどうしても、言動が不自然になる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●アメリカの論理vs韓国の論理

++++++++++++++++++++

在韓米軍の司令官が、とうとうキレた!

当然だ!

私にも、韓国のN大統領の頭の中が、
まったく理解できない!

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 韓国のN大統領は、大統領に就任するとすぐ、アメリカへ特使を送った。送って、こう
言った。「在韓米軍を撤退せよ」と。

 N大統領は、ここで誤算をした。N大統領は、ブッシュ大統領がこう言うと思った。「ま
あ、待ってくれ。それはできない」と。しかしアメリカは、こう答えた。

 「我々は、望まれない地域に、アメリカンボーイズ(米軍)を置かない」、つまり「撤退
する」と。

 これにあわてたのが、韓国のN大統領。反対に「撤退を待ってくれ!」と。

 しかしアメリカの決断は、早い。この3年間だけで、アメリカは、韓国内の32の基地
および訓練場を閉鎖した(06年6月現在)。私が韓国にいたころは、ソウルの北、板門店
に至る街道すじには、いたるところにアメリカ兵がいた。もちろん板門店は、アメリカ軍
が管理していた。

 が、それから40年。このあたりもすっかり、様変わりした。とくにN大統領が政権に
ついてからは、変わった。このあたりでアメリカ兵の姿を見ることは、まず、ない。が、
ここからが、「?」。

 アメリカは、ここにも書いたように、32の基地および訓練場を閉鎖した。しかし韓国
側は、7つの基地および訓練場しか受けいれていない。残りの25か所については、「朝鮮
動乱以前の状態にして、返せ」と。

 そこで在韓米軍の司令官(=米韓連合司令部司令官)のベル氏が、キレた。

 「私たちは(韓国で)55年間軍事任務を遂行するとともに、環境保護にも最善を尽くした。
韓国の土地と国民を守るため、命をかけているというのに、米国が韓国の土地に対して無
責任だとする非難に対して、私は大変残念に思う」(ソウル竜山戦争記念館戦友会館での講
演・06年6月)と。

 わかりやすく言えば、「55年間も、韓国を守ってきてやったのに、そういう言い方はな
いだろう」と。

 さらに韓国側は、アメリカに対して、「作戦統制権を韓国側に渡せ」と主張している。わ
かりやすく言えば、韓国内のアメリカ軍を、どう動かすかは、韓国側の自由にさせろ、と。

 もちろんこんな要求に、アメリカ側が応ずるはずがない。アメリカンボーイズの命を、
韓国側に預けることになる。ベル氏は、さらにキレた!

 「作戦統制権の返還は大変重要な軍事問題であり、両国に多大な影響を及ぼしている。
独自の作戦権を持つならば、独自の作戦計画を発展させるべきである」(社団法人韓国国防
安保フォーラム(KODFF)招請講演にて・06年6月)と。

 ベル氏の言葉は、やわらかいが、つまり、「生意気なことを言うな。それだけのことを言
うなら、それだけの力をもってから言え」と。

 以上、韓国のN大統領の主張を整理すると、こうなる。

(1)アメリカ軍は韓国から撤退せよ。
(2)それについては、朝鮮動乱以前の状態にして、基地や訓練場を返せ。
(3)戦時作戦統制権を、韓国側に渡せ。

 一見、ムチャクチャな論理に見えるかもしれないが、N大統領の言い分は、こうではな
いか。老人性の被害妄想のかたまりのような人である。

(1)朝鮮動乱は、もとはと言えば、日本の植民地政策に起因している。
(2)南北の朝鮮人は、アメリカとソ連(中国)の代理戦争をさせられた。
(3)我々は、アメリカの犠牲になっただけ、と。

 でなければ、どうにもこうにも、N大統領の頭の中を理解できない。日本風に言えば、「考
え方が、完全に、うしろ向き」。外国風に言えば、「内部にエネルギーを、向けすぎ」(シン
ガポール、R元首相)。

 今では、完全にレイム・ダック(Lame Duck)と化した、N大統領。レイム・
ダックというのは、「足の不自由なアヒル」をいう。政治の世界では、「任期切れを待つだ
けの、形だけの大統領」を意味する。

 しかしその任期は、まだ1年半も残っている。

 N大統領が、このまま静かに引退の道をさぐるとは、とても思えない。N大統領は、そ
の強大な権力を使って、ますます過激に、ますます露骨に、この1年半の間に、やりたい
放題のことをするだろう。が、それこそ、えらい、迷惑! 韓国そのものが、とんでもな
い方向に引っ張られていく危険性すら、ある。

韓国情勢からは、ますます目が離せなくなった。

【補記】

 韓国のN大統領は、反米については、トーンダウンしたあと、これから先、国論を自分
に引きつけるため、反日を利用してくるはず。

 竹島問題もそのひとつだが、こうした挑発に、日本は、決して乗ってはいけない。のら
りくらりと、どこまでも事務的に対処するのがよい。中には、勇ましい好戦論を口にする
人もいる。竹島に自衛隊を派遣せよ、とかなど。が、しかしそれこそ、N大統領の思うツ
ボ。

 日本のA新聞社がセスナ機を飛ばしただけで、ジェット戦闘機を飛ばしてくるような大
統領である。日本人がもつ常識で、N大統領の頭の中を理解してはいけない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●文章

+++++++++++++++++

このところ、私の書く文章が、
ますますへたになったように感ずる。

リズムが、どうしてもつかめない。
そのため、あとで読みなおしてみると、
読みづらい。ぎこちない。

これはどうしたことか?

+++++++++++++++++

 文章の(よさ)は、つぎの3つで決まる。

(1)読みやすいこと。
(2)内容がわかりやすいこと。
(3)訴えたいことが、はっきりとしていること。

 さらに評論の世界では、(4)ものの考え方が、リベラルで、常識的であること。(5)
より深い内容であれば、さらによい。

 が、このところ、自分の書く文章が、ますますへたになったように感ずる。どうも、リ
ズムがつかめない。それに自分の考え方が、どこか偏屈になってきた。それに浅い。

 理由のひとつに、頭の中で、思考の断片が、乱舞しやすくなったということがある。ひ
とつのことを考えながらものを書いていると、別の考えが、あたかも蝶が空を舞うかのよ
うに、つぎつぎと、脳みその中に、飛来する(※)。

 それであっちを書き、こっちを書きとしているうちに、自分でも、わけがわからなくな
ってしまう。(それに、誤字、脱字も、多くなった……。)

 これは多分に、脳の老化現象によるものなのか。

 そこで5年前、10年前に書いた自分の文章と、今、こうして書いている自分の文章と、
読みくらべてみる。

 で、最初に気がついたのは、最近、私の書く文が、長くなってきたということ。ときに
ひとつの文が、60〜80文字以上になることがある。

 5年前の私だったら、先の(※)の部分でも、こう書いた。

 「ひとつのことに、自分を集中できなくなった。ひとつのことを考えていると、別の考
えが、つぎつぎと、脳みその中に、飛来する。あたかも蝶が空を舞うかのように」と。

 が、何よりも深刻なのは、自分の書く文章が、偏屈になってきたということ。どこかゆ
がんでいる。プラス、暗い。明るく、楽しい話題について書こうと思うのだが、何かにつ
け、ものごとを、悪いほうへ、悪いほうへと、考えてしまう。

 これはひょっとしたら、うつ病の初期症状か? ゾーッ!

 ともかくも、これではいけない。最近、マガジンの読者が、ほとんどふえないのも、ひ
ょっとしたら、こんなところにも原因があるのかもしれない。そういう意味では、文章も、
絵画も似ている。

 読んで楽しい文章、見て楽しい絵画……そういうもののほうが、読む人や、見る人の心
をとらえる。

 そう言えば、若いころ、学研の編集長をしていた、福島H氏という人が、こんなことを
教えてくれた。

 「林君、エッセーというのはね、まず相手を喜ばすように書くこと。それが90%。残
りの10%のうち、その半分の部分だけでも、自分の意見を書くことができれば、それで
感謝しなければいけないよ」と。

 わかりやすく言えば、「あなたは、すばらしい」「あなたはすばらしい」と、まず書く。
そして残りの5〜10%の部分で、「でも、こうすれば、あなたはもっとすばらしくなれる」
と、自分の意見を書く。それがエッセーだ、と。

 いつの間にか、私は、その福島H氏の教えを、忘れてしまった。もう一度、初心にかえ
って、自分の文章のあり方を、考えなおしてみよう。

*****************

読者のみなさんへ、

深く、反省しています。

これからも努力しますので、
よろしくお願いします。

******************


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【Eマガ・45人の読者】

++++++++++++++++++++

ここ数日、私は、たしかに、弱気になっている。
ものを考えようとしても、気力そのものが、
わいてこない。

投げやりな態度、逃避的な姿勢。
しかし何よりも気になるのは、
無気力感。虚脱感。それに敗北感。

++++++++++++++++++++

 この1〜2か月近く、Eマガの読者は、ほとんど、ふえなかった。最初は、「読者の数な
ど、気にしなくていい」と自分をなぐさめていた。しかしそのうち、読者の数を見るのも、
いやになった。

 が、Eマガのばあい、マガジンの発行予約を入れるとき、最初のトップページで、その
ときの読者の数が、数字として、表示されるしくみになっている。だから否応(いやおう)
なしに、その数字を見てしまう。それがますます、私を落ちこませる。

 「どうしようか?」「本当に、みな、読んでくれているのだろうか?」と思い悩んでいる
うちに、その1、2か月が過ぎた。そこで、アンケート調査をしてみることにした。Eマ
ガの読者は、一応、数字の上では、1830人、ということになっている。

 が、実際に返事をくれた人は、45人(6月8日現在)。こう書くと、返事をくれた人に
は申しわけないが、たったの45人! 率直に言って、私は、この数字に、改めて、ショ
ックを受けた。「この3年間、私は、何をしてきたのだろう」と。アンケート調査といって
も、所定の欄の中に(・)を入れるだけの、簡単なもの。

 半ば放心した状態で、昨日という1日が過ぎた。ワイフは、「マガジンって、そういうも
のよ」「読者が減らないだけでも、感謝しなければ」「1000号まで出しなよ」と励まし
てくれた。しかし1000号まで出しても、事情は、同じ。変わらない。

 ……が、だれかのために書いているのではない。書くのは、自分のため。それはたとえ
て言うなら、健康のためにするジョギングのようなもの。だから本来なら、読者の数など、
気にしなくてもよいはず。自分でも、それは、よくわかっている。しかしならば、この無
気力感、虚脱感、それに敗北感は、いったい、どこからくるのか?

 私は、少なくとも、Eマガについては、何も求めなかった。ときに「BW教室の宣伝に
でもなれば」と思ったことはある。が、どうせ無料のマガジン。無料のマガジンだから、
読む人も、そういうつもりで読んでいる。それは、私にも、よくわかっている。

 しかし心のどこかでは、「だれかの役に立っているはず」という思いは、いつも、どこか
にあった。またそういう思いが、私を支えてきた。たとえば、この3年間だけでも、私は、
数百人以上の方からの相談や質問に答えてきた。相談や質問のあった方には、ほぼ全員に、
しかも、1〜2日以内に、返事を書いてきた。

 が、たったの45人!

 ……これは私のグチか? ワイフは、いつもこう言う。「グチを言うくらいなら、マガジ
ンなど、サッサとやめなさいよ」と。

 ……と書いて、ここで「マガジンは、廃刊!」というふうにすれば、ことは、簡単。し
かしここからが、私の正念場。ほかの人と、ちがうところ。『我らが目的は、成功すること
ではない。失敗にめげず、前に進むこと』(スティーブンソン)。

 こういう状態から、はいあがってこそ、(はやし浩司)なのだア!

 そこでまず、この無気力感を分析してみる。
 
私は心のどこかで、「私は、これだけのことをしてやっているから、読者の人は、感謝し
ているはず」「喜んでいるはず」という期待をいだいていた。つまり今回、それがはから
ずも、裏切られたということ。そしてそれが、回りまわって、私の無気力感へとつなが
っていった。虚脱感も敗北感も、似たようなもの。

 期待するということは、要するに、(甘え)ということになる。コンピュータにたとえる
なら、セキュリィテイ・ホールのようなもの。この弱点をついて、いろいろなウィルス、
つまり迷いが忍びこんでくる。

 だったら、もう一度、「無私」にもどるしかない。私を忘れて、ものを書く。だいたい読
者の数を気にするというのも、おかしな話だ。一方で、何百万冊も売れる本がある。そう
いう本と競いあっても、意味はない。つまり読者が2000人になろうが、倍の4000
人になろうが、所詮(しょせん)、ドングリの背くらべ。

 大切なことは、書くことで、私自身が生きていくこと。そういう視点で、もう一度、自
分を見つめなおす。マガジンを発行するかどうかは、つぎの問題。

 ただ文章というのは、それを読んでくれる人がいて、文章。文章は、文章として生きる。
そういう意味では、私にとっては、マガジンという発行媒体は、大切な存在ということに
なる。

 で、ここで「たったの45人!」と書いたが、こういう言い方そのものが、返事をくれ
た人には、失礼というもの。それは、よくわかっている。だから、取り消す。もう2度と、
この言葉は、口にしない。

そのかわり、私は、これからも、その45人の人たちのために、書く。1000号まで
書くという自信は、今はないが、とにかく、がんばって、書く。

【45人のみなさんへ!】

 今回、アンケート調査に返事をくれた、45人のみなさん、どうもありがとうございま
した。もしその45人の人さえもいなかったら、Eマガは、本当に廃刊していたと思いま
す。ありがとうございました!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 10日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【女児願望の男児(?)】

++++++++++++++++++++

掲示板のほうに、こんな相談があった。

5歳の男児だが、女の子のまねをしたがって、
困っているというものだった。

++++++++++++++++++++

 掲示板のほうに、こんな相談があった。それをそのまま、ここに紹介する。

+++++++++

【ATより、はやし浩司へ】

5歳の男の子の母です。最近息子が女の子になりたい、スカートをはきたい、髪を伸ばし、
それをくくりたいと言うようになりました。これまでにも何回かこういう発言がありまし
た。強く否定していいものか、思うようにやらせてあげるのがいいのか、どうすればいい
のでしょうか? どう返事をしたらいいか困っています。

最近小学生が性同一障害と認められたケースがあると新聞で読みました。息子もそうなら
病院に行ったほうがいいのでしょうか?

+++++++++

 思春期の子どもが、両性的混乱(性アイデンティティの混乱)を起こすことは、よく知
られている。「私とは何か」、それをうまく確立できなかった子どもが、自分を見失い、そ
の結果として、性的な意味で、一貫性をもてない状態をいう。

 男子でいうなら、異性の友人に関心がもてず、異性とうまく交際できなくなったりする。
また女子でいうなら、第二次性徴として肉体が急速に変化することに嫌悪感をいだき、自
己の変化そのものに対処できなくなったりする。

 しかしこうした両性的混乱は、珍しいものではなく、程度の差、期間の長さの差こそあ
れ、ほとんどの子どもたちが、経験する。つまりこの時期、子どもは、子どもからおとな
への脱皮をはかるわけだが、その過程で、この両性的混乱にかぎらず、さまざまな変化を
見せる。

 目的を喪失したり、自分のやるべことがわからず、悩んだり苦しんだりする。反対に、
自意識が異常なまでに過剰になるケースもある。さらに非行に見られるように、否定的(ネ
ガティブ)な世界に、自我を同一化したりする。暴走族が、破滅的な行動を見せるのも、
そのひとつである。

 以上のことと、性同一性障害とは、区別して考えなければならない。つまり心理的混乱
としての「両性的混乱」と、自分の(肉体的な性)を、周囲の性的文化と一致させること
ができない「性同一性障害」は、区別する。

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

++++++++++++

★身体的には男性か女性のいずれかに属し、精神的にも正常であるにも関わらず、自分の
身体的な性別を受容できず、更に身体的性別とは反対の性であることを、もしくは自分の
身体の性と社会的に一致すると見なされている(特に服飾を中心とした)性的文化を受容
できず、更にはそれと反対の性的文化に属することを、自然と考える人がいる。彼らの状
態を指して性同一性障害(せいどういつせいしょうがい( Gender Identity Disorder)と呼
ぶ。

しばしば簡潔に、「心の性と身体の性が食い違った状態」と記述される。ただし、「心の
性」という表現は、ジェンダーパターンや性役割・性指向の概念を暗黙に含んでしまいが
ちであるため、同性愛と混同するなどの誤解を生じやすい。より正確には「性自認と身体
の性が食い違った状態」と呼ぶべきである

★人間は、自分の性が何であるかを認識している。男性なら男性、女性なら女性として多
くの場合は確信している。その確信のことを性自認と呼ぶ。通常は身体の性と完全に一致
しているが、半陰陽(intersexual)のケースなどを研究する中で、この確信は身体的な性別
や遺伝子的な性別とは別個に考えるべきであると言うことが判明してきた。

そしてまた、ジェンダーパターン、性役割・性指向のいずれからも独立していることが観
察される。

★性自認の概念をもって改めて人類を観察してみると、半陰陽とは異なり男女のいずれか
に正常に属す身体をもっているにも関わらず、性自認がそれと食い違っているとしか考え
られない症例が発見され、その状態は性同一性障害と名づけられた。

後天的要因が元となり、例えば性的虐待の結果として自己の性を否認する例は存在する。
また、専ら職業的・社会的利得を得るため・逆に不利益を逃れるために反対の性に近づく
ケースもある。

しかしながら、このようなケースは性同一性障害とは呼ばれない。一般には、性同一性障
害者は、何か性に関する辛い出来事から自己の性を否認しているわけではなく、妄想症状
の一形態としてそのような主張をしているわけでもなく、利得を求めての詐称でもなく、
(代表的な症例では出生時から)、自己の性別に違和感を抱き続けているのである。

なお現在、性的虐待と性自認の揺らぎの相関に、否定的な考え方も出てきている。 という
のは、「性に関する何かの辛い出来事」があっても、実際には性自認が揺らいでいる人は
決して多くはなく、性同一性障害当事者の多くは、「性に関する何かの辛い出来事」がま
ったくなかったと認識していることが圧倒的に多いからだ。 現在、「性別違和を持った当
事者が、何らかの性的虐待を受けた」という考え方に変更されてきている。フェミニズム
カウンセリングの場では、この考え方が支持されている。

また、ガイドラインができた当初、「職業的・社会的利得」と考えたのは、日本でいうと
ころのニューハーフやオナベではなく、他者による強制的な性転換であった。比較的貧困
で、売春以外観光の呼び物が極端に少ない地域で、そういったことは発生してきた。売春
は、男性型の身体より、女性型の身体の方が単価が高く、需要もあることから、若年の間
に去勢をし、十代後半になると性転換手術を受けさせ、売春をさせるという行為が多く見
られ、それを防ぐための文言だった。

「職業的・社会的利得」という文言がいわゆるニューハーフやオナベという職業に就く人々
を、性同一性障害診療の場から排除するかのように解釈されるのを防ぐため、ガイドライ
ンの第2版では、「なお、このことは特定の職業を排除する意図をもつものではない」と
明記された。

++++++++++++

●問題ではなく、現象

 近年では、この性同一性障害について、遺伝子レベルでの考察も進んでいる。つまりも
しそうであるなら、つまり遺伝子がからむ問題ということであれば、この問題は、「問題」
というよりも、個人がコントロールできる範囲を超えた、「現象」ということになる。

 たとえば同性愛についても、そうでない人には問題に見えるかもしれないが、本人たち
にとっては、そうではない。それを「問題」ととらえるほうが、おかしいということにな
る。

さらに「障害」とか、「問題」とかいう言葉を使うことによって、その子ども(人)を、
かえって追いつめてしまうことにもなりかねない。正確な数字ではないが、昔、私がオ
ーストラリアで学生生活を送っていたころのこと、こんなことを言った友人がいた。

 「オーストラリア人の男性のうち、約3分の1は、同性愛者か、同性愛的傾向をもって
いると考えてよい」と。

 仮に本当に3分の1の男性がそうなら、どちらが正常で、どちらがそうでないかという
ことさえ、わからなくなる。もちろん「正常」とか、「正常でない」という言葉を使うこと
さえ、許されなくなる。

●X君の例

 X君という男子高校生がいた。そのX君の母親が、X君のおかしさ(?)に気づいたの
は、X君が高校2年生のときだった。それまでも「?」と思うようなことは、あるにはあったという
が……。


 ある日、母親がX君の部屋を掃除しているとき、机の隅に、いくつかの手紙が隠してあ
るのを見つけた。そのうち1つか2つには、封がしてなかった。で、ここにも書いたよう
に、ほかに気になることもあったので、X君の母親はその中の手紙を取り出して、読んで
しまった。

 その手紙は、同級生のY君(男子)にあてた、ラブレターまがいのものだった。X君の
母親は、その場で「腰が抜けてしまった」(母親談)。「自分で自分をどう整理してよいのか、
わからなくなってしまいました」と。

 で、母親はその手紙をもとどおりにして、そこへ隠しておいたという。「見るべきでない
ものを見てしまったと、自分を責めました」「猛烈な無力感が襲ってきて、それ以上どうす
ることもできませんでした」とも。

 結局X君の母親は、夫(X君の父親)にも相談できず、さりとて、X君を責めてもし方
のないことと、そのままにしておいたという。

 現在、X君は、地元の県立大学に通っているが、「今でも、男子の友だちとしか、つきあ
っていません」とのこと。X君は、すでに同性愛者的な傾向を強く示しているが、「この問
題だけは、なるようにしかならないと思いますので、なりゆきに任せています」「大切なこ
とは、息子が自分で自分の道を決めることです」とも。

●Y君の例

 Y君の中に、「?」を感じたのは、いつだったかは、よく覚えていない。Y君が、小学3
〜4年生くらいのことではなかったか。

 ときどき、Y君は、何かの拍子に、たいへん女性ぽいしぐさを見せることがあった。両
手をすりあわせて、イヤ〜ンと、なまめかしい声をあげる、など。

 最初私は、それを冗談でしているのかと思った。しかしとっさの場で、つまり本来なら、
そうした冗談をするような場面でないところでも、そうしているに気づいた。

 しかしそのときは、それで終わった。

 そのY君が、中学2年生か、3年生になったばかりのこと。私が、何かの話のついでに
Y君に、「君には、好意を寄せる女の子はいないのか?」と聞くと、「いない!」ときっぱ
りと言った。「ぼくは、女の子は、嫌いだ」というようなことも言った。

 一度、そうした変化を母親に話すべきかどうかで迷ったが、そのうち受験が近づいてく
ると、Y君は、受験塾へと移っていった。

●ゆらぎ(ふらつき)現象

 ほかにもいろいろなケースを、私は経験している。男児なのに、しぐさが、妙になまめ
かしいというか、女性ぽい子ども(小3男児)もいた。とくに印象に残っているのが、こ
こに書いたY君である。

 私を「男」として強く意識して(多分?)、近づいてきた男子中学生もいた。

 また、別の子ども(女子高校生)は、バスで通学していたが、別の高校に通う女子高校
生と、恋愛関係になってしまった。いつもバスに乗り合わせる時刻を決め、バスの最後部
の席で、手をつないだり、キスをしたりしていたという。

 しかしたいはんは、一時的な現象として、そのまま何ごともなかったかのように過ぎ、
それで終わってしまう。

 ウィキペディア百科事典によれば、「性自認と、肉体的な性が一致していない状態を、性
同一性障害(disorder)」と定義している。つまり同性愛者であるから、性同一性
障害者ということにはならない(?)。性同一性障害というのは、男の肉体でありながら、
「自分は女性」と思いこんんでいる、あるいは、女の肉体でありながら、「自分は男性」と
思いこんでいることをいうという。

●役割形成

 この時期の子どもについて、この問題と並行して考えなければならないのが、「役割形成」
である。これについては、少し話が脱線するかもしれないが、以前書いた原稿を、ここに
添付する。

+++++++++++++

(役割形成)

 役割分担が明確になってくると、「私は私」という、自我同一性(アイデンティティ)が
生まれてくる。そしてその自我に、役割や役職が加わってくると、人は、その役割や役職
に応じたものの考え方をするようになる。

 たとえば医学部を経て医者になった人は、その過程で、「私は医者だ」という自我同一性
をもつ。そしてそれにふさわしい態度、生活、ものの考え方を身につける。

 しかし少年少女期から青年期にかけて、この自我が混乱することがある。失望、落胆、
失敗など。そういうものが重なると、子どもは、「私」をもてなくなる。これを、「役割混
乱」という。

 この役割混乱が起こると、自我が確立しないばかりでなく、そのあと、その人の人生観
に大きな影響を与える。たとえば私は、高校2年まで建築士になるのが、夢だったし、そ
ういう方向で勉強していた。しかし高校3年生になるとき、担任から、いきなり文学部を
勧められ、文科系コースに入れられてしまった。当時は、そういう時代だった。担任にさ
からうなどということは、できなかった。

 で、高校3年生の終わりに、私は急きょ、法学部に進路を変更した。文学は、どうにも
こうにも、肌にあわなかった。

 おかげで、そのあとの人生は狂いぱなしだった。最終的に幼児教育の道を選んだが、そ
のときですら、自分の選んだ道に、自身をもてなかった。具体的には、外の世界では、自
分の職業を隠した。「役割混乱」というのは、そういうことをいう。

(男女の役割)

 「男であるから……」「女であるから……」というのも、ここでいう自我同一性と考えて
よい。ほとんどの人は、青年期を迎えるまでに、男らしさ、女らしさを、身につける。そ
して、その性別にふさわしい「自我」を確立する。

 しかしこのとき、役割混乱を生ずるケースも、少なくない。最近では、女児でも、まっ
たくの「男」として育てられるケースも、少なくない。以前ほど、性差が明確でなくなっ
たということもある。しかしその一方で、男児の女性化も進んでいる。その原因について
は、いろいろな説があるが、それはともかくも、今では、小学一年生について言うなら、
いじめられて泣くのは、男児、いじめて泣かすのは、女児という図式が、できあがってし
まっている。

 この世界でも、役割混乱が生じているとみてよい。そして「男」になりきれない男性、「女」
になりきれない女性がふえている。

 そういう意味では、社会的な環境が不整備なまま、「父親よ、育児をしなさい」「家事を
しなさい」と、男に迫ることは、危険なことかもしれない。混乱するだけならまだしも、
自我そのものまで軟弱になってしまう。

(社会的環境の整備)

 私の結論としては、こうした意識の移行期には、一方的に、新しい価値観を、古い世代
に押しつけるのではなく、それなりのモラトリアム(猶予期間)を与えるべきだというこ
とになる。

 これは古い世代の価値観を認めながら、変化は、つぎの世代に託すという考え方である。
「価値観の共存」という考え方でもよい。ただし、変化は変化として、それは育てなけれ
ばならない。たとえば、学校教育の場では、性差による生理的問題がからむばあいをのぞ
き、男女差別を撤廃する、など。最近では、男女の区別なく、アイウエオ順に名簿を並べ
る学校もふえている。そういった改革を、これからはさらに徹底する。

 もちろん性差によって、職業選択の自由を奪ってはいけない。ごく最近、女性の新幹線
の運転士が誕生したというが、では今まで、どうだったのかということにもなる。そうい
う問題も、考えなければならない。

 アメリカでは、どんな公文書にも、一番下の欄外に、「人種、性、宗教によって、人を差
別してはならない」と明記してある。それに反すれば、即、処罰される。こうした方法で、
今後は、性による差別を防がねばならない。そして今の時代から、未来に向けて、この日
本を変えていく。意識というのはそういうもので、意識革命は、30年単位で考えなけれ
ばならない。
(030622)

++++++++++++++

●5歳児の例

 掲示板に相談してきた人は、5歳児の息子について悩んでいる。しかしここに私が書い
てきたことは、(とくに性同一性障害については)、思春期前後の子どもについてである。
残念ながら、私自身は、5歳児については、経験がない。またそういう視点で、子どもを
見たこともないし、考えたこともない。

 服装が問題になっているが、私が子どものころには、ズボンをはく女児、女子は、皆無
だった。それが時代を経て、女児、女子でも、ズボンをはくようになった。その過程で、
そうした服装を問題にする人も、いるにはいた。ズボンをはいただけで、「おてんば」と、
からかわれた時代もあった。

 だから服装に対する好みだけで、その子どもの性的志向性まで判断するのもどうかと思
う。

 ただ「役割形成」という部分では、親は、注意しなければならない。社会的環境の中で、
子どもは、教えずとも、男子は男性らしくなっていく。女子は女性らしくなっていく。そ
ういう部分で、親として、できることはしなければならない。反対に、してならないこと
は、してはならない。

 よく外国では、『母親は、子どもを産み、育てるが、その子どもを外の世界に連れ出し、
狩りの仕方を教えるは、父親である』という。そういう意味では、父親の役割も重要であ
る。男児が男性になりきれない背景には、父親不在、あるいは父親的雰囲気の欠落なども、
考えられる。(反対に、父親があまりにも強圧的、かつ権威主義的であると、男児は女性化
するケースもある。)

 相談してきた人の家庭環境が、どういうものなのか、私にはわからないが、こうした視
点で、一度、子どもを包んでいる環境がどういうものか、客観的にみることも重要かもし
れない。

 あえて言うなら、5歳児ということもあるので、ここは、静観するしかないように思わ
れる。仮に性同一性障害であっても、またなくても、親としてできることは、ほとんどな
い。いわんや病院へ連れていくというような問題でもない。

 重要なことは、「性」にたいして、暗くて、ゆがんだイメージをもたせないこと。この日
本では、たとえば同性愛者を徹底的に排斥する傾向がある。しかしそういう偏見の中で、
もがき苦しんでいる人も多い。あるいはその一歩手前で、自己否定を繰りかえしながら、
もがき苦しんでいる人も多い。

 それこそ、その本人にとっても、たいへん不幸なことではないだろうか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
同性愛 性同一性障害 性自認 子供の性意識 性意識 男児の女児化)

【補記】

●性自認

 「私は男である」「私は女である」と、はっきりと自覚することを、「性自認」という。
しかし現実には、相手を異性として意識したとき、その反射的効果として、自分の「性」
を自覚することが多い。とくに若いときは、そうである。

 「私は男である」と思うよりも、「相手は女である」と意識したとき、その反射的効果と
して、「自分は男である」と自覚する。

 このことは、年齢を経てみると、わかるようになる。つまり若いときの性自認と、歳を
とってからの性自認とは、かなりちがう。私という人間は、同じ男であるにもかかわらず、
若いときに見た異性は、宇宙人のように男とは、異質の人間に見えた。

 しかし今は、異性といっても、私という男と、それほど異なった人間には、見えない。

 そこで重要なことは、ここでいう「性自認」というのは、男であれば、いかに鮮明に、
女を意識するかという、その意識の問題ということになる。(女であれば、その逆。)私自
身のことでよく覚えているのは、私が高校生のときのこと。

 図書館で、女体の解剖図を見ただけで、ペニスが勃起してしまい、私は、歩けなくなっ
てしまった。あるいは、好意を寄せていた女の子が、かがんだ拍子に、セーラー服の中の
下着を見てしまったことがある。いや、そのとき私がどう感じたかは、今となってはよく
おぼえていない。しかし今でもその下着を鮮明に覚えている。覚えているということは、
私は、そのとき強烈な衝撃を受けたということになる。(たかが下着なのに!)

 女あっての男、男あっての女。それが性自認ということか。

 ウィキペディア百科事典の説明によれば、そうした性自認と、肉体として性が、不一致
を起こしたとき、性同一性障害をいうことになる。

 しかしそれは問題なのか。それは障害なのか。あくまでもそれは個人の問題と考えるな
ら、問題でも、障害でもないということになる。

 話は飛躍するが、昨今、同性愛者たちが、社会的認知を求めて、社会の表に堂々と出て
くるようになった。いろいろな意見はあるだろうが、自分たちはそうでないという理由だ
けで、こうした人たちを、「おかしい」とか言うのは、まちがっている。また、そういう視
点で、こうした人たちを、見てはいけない。

 あくまでもそれは個人の問題である。個人の問題である以上、他人がとやかく言うこと
はできない。

 5歳児について相談してきた母親にしても、性同一性障害を心配しながら、もっと端的
には、自分の子どもがいつか、同性愛者にならないかということを心配している。たしか
に、自分の子どもが同性愛者で知ったときに、親が受けるショックには、相当なものがあ
る。しかしそれは、(受けいれがたいもの)では、決して、ない。

 ほとんどの親は、自分の子どもが同性愛者であることを、やがて少しずつ、時間をかけ
ながら、それを受けいれ始める。そして気がついたときには、自分の中に、2つの意識が
同居していることに気づく。

 この問題は、そういう問題である。その相談してきた親にしても、「病院へつれていく」
というようなことを書いているが、そういう意味で、少し的(まと)が、はずれているよ
うにも思う。もしあのとき、つまり私が女体の解剖図を見て勃起したとき、私の母親が、
私を病院へつれていくと言ったら、私は、それにがんとして、抵抗しただろうと思う。

 また病院へいったからといって、なおるというような問題でもないような気がする。あ
るいはどんな治療法(?)があるというのか。

 なお男児の女児化という現象は、私も日常的に経験している。幼児〜小学低学年児につ
いて言えば、今では、「いじめられて泣くのは男の子」「いじめて泣かすのは、女の子」と
いう図式が定型化している。

 さらに日本人男性についていえば、精子の数が、欧米人の半分もないとか、あるいはそ
うした原因をつくっているのは、環境ホルモンであるか、そういう意見もある。もし性同
一性障害を問題にするとするなら、それはこうした視点からでしかない。

+++++++++++++++

以前書いた原稿(中日新聞発表済み)を
ここに添付します。

教育という視点から書いた原稿なので、
ここに書いた、「性同一性障害」とは、
少し見方がちがいます。

+++++++++++++++

●進む男児の女児化

 この話とて、もう15年近くも前のことだ。花柄模様の下敷きを使っている男子高校生
がいたので、「おい、君のパンツも花柄か?」と冗談のつもりで聞いたら、その高校生は、
真顔でこう答えた。「そうだ」と。

 その当時、男子高校生でも、朝シャンは当たり前。中には顔面パックをしている高校生
もいた。さらにこんな事件があった。

市内のレコードショップで、一人の男子高校生が白昼堂々といたずらされたというのだ。
その高校生は店内で5,6人の女子高校生に囲まれ、パンツまでぬがされたという。こ
う書くと、軟弱な男子を想像するかもしれないが、彼は体格も大きく、高校の文化祭で
は舞台でギター独奏したような男子である。私が、「どうして、声を出さなかったのか
と聞くと、「こわかった……」と、ポツリと答えた。

 それ以後も男子の女性化は明らかに進んでいる。今では小学生でも、いじめられて泣く
のはたいてい男児、いじめるのはたいてい女児、という構図が、すっかりできあがってい
る。先日も一人の母親が私のところへやってきて、こう相談した。

「うちの息子(小2)が、学校でいじめにあっています」と。話を聞くと、小1のとき
に、ウンチを教室でもらしたのだが、そのことをネタに、「ウンチもらしと呼ばれている」
と。母親はいじめられていることだけを取りあげて、それを問題にしていた。が、「ウン
チもらし」と呼ばれたら、相手の子どもに「うるさい!」と、一言怒鳴ってやれば、こ
とは解決するはずである。しかもその相手というのは、女児だった。私の時代であれば、
相手をポカリと一発、殴っていたかもしれない。

 女子が男性化するのは時代の流れだとしても、男子が女性化するのは、どうか。私はな
にも、男女平等論がまちがっていると言っているのではない。男子は男子らしく、女子は
女子らしくという、高度なレベルで平等であれば、それはそれでよい。しかし男子はいく
らがんばっても、妊娠はできない。そういう違いまで乗り越えて、男女が平等であるべき
だというのは、おかしい。いわんや、男子がここまで弱くなってよいものか。

 原因の一つは言うまでもなく、「男」不在の家庭教育にある。幼稚園でも保育園でも、教
師は皆、女性。家庭教育は母親が主体。小学校でも女性教師の割合が、60%を超えた(9
8年、浜松市教育委員会調べ)。

現在の男児たちは、「男」を知らないまま、成長し、そしておとなになる。あるいは女性
恐怖症になる子どもすら、いる。しかももっと悲劇的なことに、限りなく女性化した男
性が、今、新時代の父親になりつつある。「お父さん、もっと強くなって、子どもの教育
に参加しなさい」と指導しても、父親自身がそれを理解できなくなってきている。そこ
でこういう日本が、今後、どうなるか。

 豊かで安定した時代がしばらく続くと、世相からきびしさが消える。たとえばフランス
は第一次大戦後、繁栄を極めた。パリは花の都と歌われ、芸術の町として栄え、同時に男
性は限りなく女性化した。それはそれでよかったのかもしれないが、結果、ナチスドイツ
の侵略には、ひとたまりもなかった。果たして日本の将来は?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
男児の女児化 男性の女性化)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある離婚】

+++++++++++++++++

ある離婚劇を、間近で見聞きしてきた。

それは、レールの上に乗った電車のようなもの。
あれよあれよと思うまもなく、
離婚劇は進んでしまった。

+++++++++++++++++

 妻は、こう言う。「私の人生を、返してよ!」と。
 夫は、こう言う。「オレだって、仕事で、自分の人生を犠牲にした。家族を支えてきた。
何が、不満なんだ!」と。

 一度、離婚劇がレールに乗ると、離婚劇は、あれよあれよと思うまもなく、進んでしま
う。それは金属疲労で破壊される鉄板のようなもの。一見、強固に見える鉄板でも、一度
キレツが入ると、あとは、早い。バリッと、避けてしまう。

 離婚の三大事由はといえば、(1)浮気、(2)借金、(3)暴力と、相場は、決まってい
る。しかし離婚にブレーキをかけるものもある。それが、(1)子ども、(2)財産、(3)
見栄とめんつと、世間体。ほかに外国などでは、宗教的な理由で離婚を思いとどまる人も
いるが、この日本では、少ない。

 で、『子はかすがい』とは言うが、同時に、『子は、三界の足かせ』ともいう。子どもの
ために離婚を思いとどまっている人も多いが、しかし万能ではない。中には、「子どものた
めに離婚する」という人もいる。

 つぎに「財産」。定年離婚というのがあるが、夫が定年退職を迎えるから、妻のほうが離
婚を申し出るのではない。夫が、退職により、退職金を手にするから、妻のほうが離婚を
申し出る。「半分は、私のものよ!」と。

 さらに夫側の財産を目当てに、離婚を思いとどまっている妻も少なくない。「夫が死ねば、
○○家の莫大な財産が、自分のものになる」と。

 が、意外と大きなブレーキになるのが、見栄とめんつと、世間体。そういう意味では、
男も女も、生涯、自分を化粧して生きるものなのか? 仮面をかぶって生きるものなのか?
 が、このタイプには、2種類ある。

 その仮面を、仮面と意識しながら、結婚生活をつづけるタイプ。もうひとつは、仮面を
仮面と意識しないで、結婚生活をつづけるタイプ。

 前者のほうは、外から見ても、わかりやすい。夫は夫、妻は妻で、それぞれ勝手なこと
をして生活している。別々に愛人がいるケースもある。男と女の関係というよりは、いっ
しょの家にいる、同居人といった感じ。

 が、問題は、後者のほう。仮面を仮面と意識しないで、結婚生活をつづけるタイプ。夫
も、妻も、いつの間にか、多重人格性をおびるようになる。見た目には仲がよいが、ささ
いなことで、大喧嘩になることも珍しくない。仲がよいときと、大喧嘩するときは、たが
いに、まったく別人になる。

 私がその離婚劇を間近で見聞きしてきた夫婦は、この後者のタイプの夫婦だった。

 外の世界でその夫婦を見てきた人は、みな、こう言う。「仲のよい夫婦だったのに……」
と。しかし内の世界でその夫婦を見てきた人は、みな、こう言う。「たがいに何を考えてい
るかわからなかった」と。

 が、あるとき気がつく。その夫婦のばあい、妻の方が、先に気がついたらしい。「私は人
形みたい」と。そう、まさに人形。夫の操(あやつ)り人形。

 自分の出世だけしか考えない夫。その夫は、「自分が出世すれば、妻は喜ぶはず」としか
考えない。近所でも、「○○大会社の専務さん」「○○大会社の専務さん」ともてはやされ
る。通勤は、いつも、運転手付の大型乗用車。

 しかしあるとき、その空しさに気がつく。そしてそれがキレツとなって、一気に、鉄板
を破壊する。バリッ、とだ。

 男と女の関係は、所詮、そんなもの。自営業か何かで、ともに苦楽をともにしてきたよ
うな夫婦は別として、男と女の関係は、所詮、そんなもの。結婚によって、同じ電車に乗
ってはみるが、降りる駅は、別々。

 もっと言えば、円満な夫婦は、みな似ている。しかしそうでない夫婦は、千差万別。定
型がない。さらに離婚した男と女は、みな似ている。つまりこうして離婚劇は、終わる。

 ……その知人が離婚してから、もう1年が過ぎた。で、今は、たがいに、あたかも何ご
ともなかったかのように、平和で、のんびりと、生活している。そういう人たちを見ると、
「夫婦って、何だろう」と、改めて、考えなおさせられる。

+++++++++++++++

イプセンの『人形の家』について
書いた原稿を思い出しました。

ここに添付します。

+++++++++++++++

【反動感情】

●反動感情

 人は、ときとして、本当の自分の心を隠し、それと正反対の感情をもつことがある。私
は、これを勝手に「反動感情」と呼んでいる。

心理学の世界に、「反動形成」という言葉がある。反動形成というのは、自分の心を抑圧
すると、その反動から、正反対の自分を演ずるようになることをいう。

たとえば性的興味を押し殺したような人は、他方で、人前では、まったく性には関心が
ないように振るまうことがある。性に対して、ある種の罪悪感をもった人が、そうなり
やすい。ほかに、たとえば神経質な人が、外の世界では、おおらかな人間のフリをする
のも、それ。その反動形成に似ているから、「反動感情」とした。

●Aさんのケース

 私がAさん(34歳女性、当時)に会ったのは、私が40歳くらいのことだった。もと
もとは奈良県の生まれの人で、夫の転勤とともに、このH市にやってきた。どこかその古
都の雰囲気を感じさせる、静かな人だった。Aさんは、いつもこう言っていた。「私は、夫
を愛しています」「娘を愛しています」と。

 当時、「愛する」という言葉を、ふだんの会話の中で使う人は、それほど多くはなかった。
それで私の印象に強く残ったのだが、話を聞くと、どうもそうではなかった。つまり私は
最初、Aさんの家庭について、心豊かな、愛に包まれた、すばらしい家族を想像していた。
が、そうではなかったということ。

 Aさんは、不本意な結婚をした。そしてそのまま、不本意な子どもを産んだ。それがそ
のとき六歳になる娘だった。

Aさんには、結婚前に、ほかに好きな人がいたのだが、ささいなことがきっかけで、別
れてしまった。今の夫と結婚したのは、その好きな人を忘れるため? あるいは、その
好きな人に、腹いせをするため? ともかくも、それを感じさせるような、どこか、ゆ
がんだ結婚だった。

 Aさんは、夫とは、フィーリングが合わなかった。合わなかったというより、「(信仰を
始める前までは)、夫の体臭をかいだだけで、気持ちが悪くなったこともある」(Aさん)
という。が、離婚はしなかった。……できなかった。Aさんの実家と、夫の実家は、同業
で、たがいにもちつ、もたれるの関係にあった。離婚すれば、ともに実家に迷惑がかかる。

 そこでAさんは、キリスト教系宗教団体に入信。そのまま熱心な信者になった。そして
その教え(?)に従い、「愛する」という言葉を、よく使うようになった?

●反動形成

 たとえばあなたがXさんを、嫌ったとする。そのときXさんと、それほど近い関係でな
ければ、あなたは、そのままXさんと距離をおくことで、Xさんを忘れようとする。「いや
だ」という感覚を味わうのは、不愉快なこと。人は、無意識のうちにも、そういう不快感
を避けようとする。

 が、そのXさんと、何かの理由で離れることができないときは、一時的には、Xさんに
反発するものの、やがて、それを受け入れ、反対に、自分の心の中で、反対の感情を作ろ
うとする。反対の感情を作ることで、その不快感を克服しようとする。これが私がいう、「反
動感情」である。

このばあい、あなたはXさんを、積極的に自分の心の中に入れこもうとする。わかりや
すく言えば、好きになる。(正確に言えば、好きだというフリをする。)好きになること
で、不快感を克服しようとする。

 よくある例としては、(1)相手につくし、服従する方法。(2)相手に対して敗北を認
め、自分を劣位に置く方法。(3)自分の弱さを強調し、相手の同情を誘う方法などがある。
自分という「主体」を消すことで、相手に対する感情を消す。そして結果的に、「好き
(affection)」という状態をつくるが、

このばあい、「好き」といっても、それはネガティブな好意でしかない。若い男女が、電
撃的に打たれるような恋をしたときに感ずるような、「好き(love)」とは、異質のもので
ある。

 特徴としては、自虐的(自分さえ犠牲になれば、それですむと考える)、厭世的(自分や
社会は、どうなってもよいと考える)な人間関係になる。これに関してよく似たケースに、
「ストックホルム症候群」※というのがある。これはたとえば、テロリストの人質になっ
たような人が、そのテロリストといっしょに生活をつづけるうち、そのテロリストに好意
をいだくようになり、そのテロリストのために献身的に働き始めるようになることをいう。

 先にあげたAさんのケースでも、Aさんは、口グセのように、「愛しています」と、よく
言ったが、どこか不自然な感じがした。あるいは、Aさんは、そう思いこんでいただけな
のかもしれない。Aさんは、夫や子どもに尽くすことで、自らの感情を押し殺してしまっ
ていた?

●偽(にせ)の愛

 Aさんが口にする「愛」は、反動感情でつくられた、いわば偽の愛ということになる。
しかし夫婦はもちろんのこと、親子でも、こうした偽の愛を、本物の愛と信じ込んでいる
人は、いくらでもいる。

 Bさん(40歳女性)は、こう言った。夫が、一週間ほど、海外出張で上海へ行くこと
になったときのこと。「飛行機事故で死んでくれれば、補償金がたくさんもらえますね」と。
「冗談でしょ?」と言うと、ま顔で、「本気です」と。しかしそのBさんにしても、表面的
には、仲のよい夫婦に見えた。たがいにそう演じていただけかもしれない。そこで「じゃ
あ、どうして離婚しないのですか?」と聞くと、「私たちは、そういう夫婦です」と。

 親子でも、そうだ。C氏(45歳男性)は、高校生になる息子と、家の中では、あいさ
つすらしなかった。たがいに姿を見ると、それぞれの部屋に姿を、隠してしまった。しか
しC氏は、人前では、よい親子を演じた。演ずるだけではなく、息子が中学生のときは、
その学校のPTAの副会長まで努めた。

 一方、息子は息子で、ある時期まで、父親に好かれようと、懸命に努力した。私がよく
覚えているのは、その息子がちょうど中学生になったときのこと。父親に、敬語を使って
いたことだ。父親に電話をしながら、「お父さん、迎えにきてくださいますか」と。

 しかしこうした偽の愛は、長くはつづかない。仮面をかぶればかぶるほど、たがいを疲
れさせる。問題は、そのどちらかが、その欺瞞(ぎまん)性に気づいたときである。今度
は、その反動として、その絆(きずな)は粉々にこわれる。もっともそこまで進むケース
は、少ない。たいていは、夫婦であれば、どちらかが先に死ぬまで、その偽の愛はつづく。
つづくというより、もちつづける。

 ここまで書いて、ヘンリック・イプセンの「人形の家」を思い出した。娘時代は、親の
人形として生活し、結婚してからは、夫の人形として生活した、ある女性の物語である。
その中でも、よく知られた会話が、夫ヘルメルと、妻ノラの会話。

ヘルメルが、ノラに、「(家事という)神聖な義務を果せ」と迫ったのに対して、ノラは
こう答える。「そんなこともう信じないわ。あたしは、何よりもまず人間よ、あなたと同
じくらいにね」(「人形の家」岩波書店)と。

そのノラが、親に感じていた愛、あるいは夫に感じていた愛が、ここでいう反動感情で
作られた愛ではないかということになる。もし、ノラが「愛」のようなものを感じてい
たとしたら、ということだが……。

 しかしこの問題は、結局は、私たち自身の問題であることがわかる。私たちは今、いろ
いろな人とつきあっている。が、そのうちの何割かの人たちは、ひょっとしたら、嫌いで、
本当は、つきあいたくないのかもしれない。無理をしてつきあっているだけなのかもしれ
ない。あるいは「私はそういうつきあいはしていない」と、自信をもって言える人は、い
ったい、どれだけいるだろうか。

 さらにあなたの子どもはどうかという問題もある。あなたの子どもは、あなたという親
の前で、ごく自然な形で、自分をすなおに表現しているだろうか。あるいは反対に、無理
によい子ぶっていないだろうか。そしてそういうあなたの子どもを見て、あなたは「私た
ちはすばらしい親子関係を築いている」と、思いこんでいないだろうか。

ひょっとしたら、あなたの子どもは、あなたと良好な関係にあるフリをしているだけか
もしれない。本当はあなたといっしょに、いたくない。いたくないが、し方がないから、
いっしょにいるだけ、と。もしあなたが、「うちの子は、いい子だ」と思っているなら、
その可能性は、ぐんと高くなる。一度、子どもの心をさぐってみてほしい。
(030314)

※ストックホルム症候群……スウェーデンの首都、ストックホルムで起きた銀行襲撃
事件に由来する(1973年)。その事件で、六日間、犯人が銀行にたてこもるうち、
人質となった人たちが、その犯人に協力的になった現象を、「ストックホルム症候群」
と呼ぶ。のちにその人質となった女性は、犯人と結婚までしたという。

※イプセンの「人形の家」……自己の立場と、出世しか大切にしない夫、ヘルメル。
好意でしたことをののしられてから、ノラは、一人の人間としての自分に気づく。そ
れがここに取りあげた会話。最後に、ノラは、偽善的な夫に愛想をつかし、ヘルメル
と、三人の子どもを残して、家を出る。

【付記】

 父親に虐待されていた子ども(小2男児)がいた。いつも体中に大きなアザを作ってい
た。そこでその学校の校長が、地元の教育委員会に相談。児童相談所がのり出して、その
子どもを施設へ保護した。

 が、悲しいかな、そこが子ども心。そんな父親でも、施設の中では、「お父さんに会いた
い、会いたい」と泣いていたという。そこで相談員が、「あなたはお父さんのことを好きな
の?」と聞くと、その子どもは、「好き」と答えたという。

 こうした子どもの心理も、反動感情で説明できる。つまり父親の虐待に対して、その子
どもは、本当の自分の感情とは反対の感情をもつことで、与えられた状況に適応しようと
した。その子どものばあい、「いやだ」と言って、家を飛びだすわけにもいかない。また父
親に嫌われたら、生きていくことすらできない。そこでその子どもは、「好きだ」という感
情を、自分の中につくることで、自分の心を防衛したと考えられる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●夫婦とは……

 ついでながら、夫婦について、考えてみる。

 フランシス・ベーコンは、こう言った。『若い男にとっては、妻は、女主人であり、中年
の男にとっては、友であり、老年の男にとっては、看護婦である』(「結婚と独身生活」)と。

 男の側から見た、夫婦というのは、そういうものかもしれない。では、女の側から見た、
夫婦というのは、どういうものか。最初に思い浮かんだのが、イプセンの「人形の家」で
夫婦は、どういうものか。それを如実に表したのが、イプセンの『人形の家』である。

 『私はあなたの人形妻になりました。ちょうど父の家で、人形子であったように……』
と。

 最初は他人どうしで始まる夫婦だが、何年もいっしょに暮らしていると、1+1=1に
なってしまう。たがいにからみあう木のようなもので、一体化してしまう。どこからどこ
までが、「私」で、どこから先が、「妻」なのか、「夫」なのか、わからなくなってしまう。

 そういう点では、ベーコンも、イプセンも、たがいの間に、一線を引いている。1+1
=2の原則を、貫いている? 夫婦でいながら、どこか他人行儀。それがよいことなのか、
悪いことなのかという議論はさておき、世の中には、(1+1=1夫婦)と、(1+1=2
夫婦)がいる。あるいは、(1+1=1+1夫婦)というのも、いる?

【1+1=1夫婦】

 ショッピングセンターの中でみかける夫婦でも、服装の趣味から、雰囲気、様子までそ
っくりの夫婦がいる。ワイフは、「奥さんが、ダンナの衣服をそろえていると、夫婦も、あ
あなるのよ」と言うが、そうかもしれない。『似たもの夫婦』とは、よく言ったものだ。

 で、農村へ行くと、この(1+1=1夫婦)に、よくであう。仕事も、生活も、あらゆ
る面で、夫婦が、一体化している。原付リアカーで、うしろに奥さんを乗せて、トコトコ
と走っている夫婦が、その一例である。

 こうした夫婦は、二人に、分けることはできない。どちらか一方が欠けても、仕事も、
生活も、できなくなる。二人の境界が、溶けて混ざりあうように、密着している。

【1+1=2夫婦】

 宇宙飛行士の夫婦に、そういう人がいる。奥さんのMさんは、アメリカで宇宙飛行士と
して活躍している。ダンナさんは、日本に残って、「家」を守っている……。

 ダンナさんは、得意になって本まで書いているが、しかしそういう夫婦の形が理想的だ
とは、だれも思っていない。だいたいにおいて、「夫婦」と呼んでよいものか、どうか?

 もっとも最近の傾向としては、(1+1=2夫婦)が、標準的になりつつある。概して言
えば、サラリーマン家庭では、そうではないか。夫の仕事の中に、(妻の存在)を組みこむ
ということ自体、無理がある。それで、「夫は夫、妻は妻」となる。

 本来は、やはり(1+1=1夫婦)が自然だとは思うが、社会も変わってきたので、そ
うばかりは言っておられない。(1+1=1・5夫婦)とか、(1+1=2夫婦)というの
があっても、しかたないということになる。どこかで夫婦としての接点があれば、それで
よいということか。

 どちらを選ぶかというよりも、どちらの夫婦になるかということは、生活の「形」が決
めること。あくまでも、成り行き。夫婦というのは、結果として、(1+1=1夫婦)にな
ったり、(1+1=2夫婦)になったりする。

 たがいに個性的に生きるなら、(1+1=2夫婦)がよいということにもなるが、私のよ
うに、もともと依存性が強い男には、そういう夫婦は、さみしい気もする。仮に、ワイフ
が、アメリカへ行き、そこで宇宙飛行士として活躍し始めたら、それを受入れる前に、別
れてしまうだろうと思う。

 その宇宙飛行士にしても、今は花形職業(?)だが、たかが宇宙飛行士ではないのか。
明治のはじめ、東京、新橋間を走る、あのチンチン電車の運転手は、まさに英雄だったと
いう。そういうチンチン電車の運転手になるため、妻が、逆単身赴任で、東京に出た。状
況的には、それと、どこも違わない。このタイプの夫婦は、(1+1=2夫婦)ではなく、
(1+1=1+1夫婦)ということになるのかもしれない。

 (私が言いたいのは、宇宙飛行士になるため、夫婦が別々に暮らすというが、それほど
までの価値が、宇宙飛行士という職業に、あるかということ。夫婦を家庭の基盤に置くな
ら、そういう考え方になる。)

 夫婦は、同居して、夫婦なのである。守りあい、教えあい、励ましあって、夫婦なので
ある。セックスだって、重要な要素だ。この大原則は、昔も、今も、変わらない。あるい
は、これからは、(1+1=1+1夫婦)というのも、ごくふつうのことになるのかもしれ
ない。が、それを決めるのも、やはり成り行き。

 わかりやすく言えば、夫婦に形はない。最初はみな、同じでも、その形は、それぞれが
決める。大切なことは、それがどんな形であっても、たがいに認めあい、尊重するという
こと。自分の形を、決して、他人に押しつけてはいけない。

 ここまでのところをワイフに読んで聞かせたら、ワイフは、こう言った。「ホモの人どう
しが、結婚するということもあるからねエ……」と。

 ナルホド! ワイフの一言が、私の夫婦論を、根底から粉々に、破壊してしまった!

 つきつめれば、一人の人間と、一人の人間が、それぞれに納得すれば、それでよいとい
うことか。「夫婦」という名称にこだわるほうが、おかしいということになる。となると、
ここに書いた、(1+1=1夫婦)も、(1+1=2夫婦)も、そうして考えること自体、
無意味ということになる。

 ああああ。

 私が今まで考えてきたことは、無意味ということか。私はときどき、この(1+1=1
夫婦)と、(1+1=2夫婦)の話を、あちこちでしてきたのだが……。

 となると、話は、振り出しにもどってしまう。「夫婦とは、何か?」と。このつづきは、
また別の機会に……。

+++++++++++++++++++++
 
【MRさんよりの返事】

はやし様

早速の返答を、ありがとうございます。

はやし様の言うとおりで、読んでいて、涙が出ました。
私は主人を愛しています。
できれば離婚はしたくないのです。

主人も娘の事で悩んだりはしていますが、私との夫婦関係には何
も問題がないので「幸せだ」と言ってくれています。

私は血の繋がらない親子関係は、難しいと思い込み
主人の親戚たちにも、何とか娘を認めてもらおうと必死でした。

主人の母は主人をとても愛しているので、主人が悩んでいると、私へ
の当たりが強くなります。
「あなたがしっかりしてちょうだい」と・・・。

娘はとても良い子です。
明るくてやさしくて思いやりもあれば、礼儀も正しいです。
娘がずっと欲しがっていたお父さんができたのです。
みんなで仲良く暮らしたいです。

主人には前妻さんとの間に、私の娘より一歳年上の男の子がいます。
まったく面会などはないのですが、その子と比べられるのが
一番イヤで、娘に必要以上に良い子を要求していたのだと反省し
ています。

良い母、良い妻、良い嫁・・・。
頑張りすぎていたのかも知れませんね。

これからは肩の力を抜いて、楽しんで生活したいと思います。

はやし様ありがとうございました。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
離婚 夫婦 夫婦論 離婚劇 イプセン 1+1=1夫婦論 離婚と子供 離婚と子ども 
子どもと離婚 子供と離婚)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・このごろ】

●マガジンのアンケート調査

+++++++++++++++++

6月5日、Eマガ、「子育て最前線の育児論」
についての、アンケート調査を実施した。

その結果……。

+++++++++++++++++

 昨日(6月5日)、Eマガ、「子育て最前線の育児論」についての、アンケート調査をし
た。結果は、つぎのようであった。

 マガジンを欠かさず読んでいる……22票
 ほぼ毎回、読んでいる    ……18票
 週に1、2度読んでいる   …… 3票
 月に1、2度読んでいる   …… 2票

 計、45票(6月6日現在)。

 一応読者の方の数は、1830人ということになっている(Eマガ・ランキング)。が、
読んでくれている人+アンケート調査に協力してくれた人は、45人だけということにな
る。

 これが現実。「こういうものだろうな……」と自分に言い聞かせてみたり、「まあ、しか
たないな」と、自分をなぐさめたりする。

 読んでくれている人+アンケート調査に協力してくれた人には、感謝している。しかし
それにしても……。たったの45人とは!

 私は、今まで、何をしてきたのだろう? 何を訴えてきたのだろう?

 現実を受け入れ、つぎに、マガジンをどうするか、それを考えるしかない。とりあえず、
7月からは、EマガのHTML版は、廃止。10月からは、Eマガについては、内容と発
行回数を、順次、縮小することにした。小売店で言えば、赤字廃業というところか。とり
あえず、9月いっぱいまで、がんばってみる。

+++++++++++++

(補記)

 そんなわけで、今日は、執筆意欲は、ゼロ。半ば、放心状態(?)。ぼんやりと、パソコ
ンの画面をながめたり、雑誌を読んだり……。懐中時計を手の中で、いじったりしている。

 まあ、これ以上書くと、グチになるので、この話は、これでおしまい。

【まぐまぐプレミアの読者の方へ】

 まぐプレ版は、今までどおり10月からも発行していきます。どうかご安心ください。
これからも、よろしくご購読ください。がんばって書きつづけます。


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.        =∞=  // (奇数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 7日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************
http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html

まぐまぐプレミア版の見本は……
http://bwhayashi2.fc2web.com/page003.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●損(?)

+++++++++++++++++

「損」という言葉がある。
しかし何が、損で、何がそうでないか、
本当のところ、それがよくわからない。

+++++++++++++++++

 まさか、ジョギングをしている人が、「自分は、損をしている」とは、思わないだろう。
ジョギングをすることによって、体を鍛える。健康を維持する。気分も、そう快になる。

 しかしそこに他人が介在するようになると、それが一変する。

 たとえば他人が捨てたゴミを拾って集めるようなばあいを、考えてみよう。同じような
運動だが、しかしそれをしていると、最初は、怒り、つづいてそれが、「損をしている」と
いう感覚に変わる。

 このことは、子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。

 私はときどき、レッスンの最後に、子どもたちに、あれこれ仕事を頼むことがある。「机
を並べてね」「スリッパを並べてね」と。

 今ではそれがみなの習慣になっているから、それに対して文句を言う子どもは、ほとん
どいない。しかし中には、こう言う子どもがいる。「どうして、ぼくがア!」とか、あるい
は、「どうして私がしなければいけないの!」と。

 明らかに「損」を意識している。損を意識しているから、そう言う。

 しかし損をすることは、悪いことばかりではない。損をすることによって、人は、その
心を広くすることができる。心に余裕をつくることができる。

 反対に、損をしたことがない人を見ると、それがよくわかる。もっともそれがわかるよ
うになるためには、自分で、損を経験しなければならない。損をしたことがある人からは、
損をしたことがない人が、よくわかる。しかし損をしたことがない人には、それがわから
ない。損をしたことがない人には、損をした人が、バカに見える。

 が、さらに一歩進んで、子育てそのものを、「損」と考える人は、少なくない。ある女性
は、会うたびに、私にこう言う。

 「林さん、子育てなんて、するもんじゃ、ないね。息子なんか、横浜の嫁に取られてし
まいました」と。

 どこから、またどうしてそういう発想が生まれるのか、私には、理解できない。できな
いが、その女性は、そう言う。言い忘れたが、その女性は、今年80歳になる。息子は、
現在、横浜に住んでいる。50歳を超えたという。

 ジョギングが損でないのと同じように、ゴミを拾って歩くのも、損ではない。それ自体、
よい運動になる。環境もよくなる。ついでに心も広くなる。考えようによっては、ジョギ
ングより、はるかに「得」!

 さらに一言。

 心が広ければ広いほど、また幸福感も大きくなる。だから……。損をすることを恐れて
はいけない。あえて損をする必要はないが、心のどこかで「損」を感じたら、その損に向
かって、前向きに進んでいく。

 さらにあえて言うなら、本当の「得」とは何かということになれば、それは私たちの健
康ということになる。肉体だけではない。心の健康も、それに含まれる。もし今、あなた
が健康なら、いったい、何をして、損になることがあるというのか。

 実は、このことも、子どもたちの世界を見て、私が学んだ。

 子どもというのは、使えば使うほど、すばらしい子になる。生活力も身につく。忍耐力
も身につく。つまり損を日常的に経験している子どもほど、すばらしい子どもになる。肉
体的にも、精神的にも、健康になる。

 そうでない子どもは、そうでない。ドラ娘、ドラ息子になる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
損 損論 得論 すばらしい子供)

【補記】

 損をすることに平気な子どもと、そうでない子どもがいる。中には、いつも損得の計算
ばかりしている子どももいる。そういう子どもは、何か、不本意な仕事を押しつけられた
りすると、猛烈に、反発する。

 そういう子どもは、それだけ心がせまいというこちになる。総じて見れば、そんなわけ
で、ドラ息子、ドラ娘と言われるタイプの子どもは、心がせまい。

 さあ、あなたも、求めて、損をしてみよう。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●相手を喜ばす

 子どもにとって(おとなもどうだが)、やさしい人というのは、思いやりのある人のこと
をいう。その思いやりのある子どもに育てるコツがこれ、「相手を喜ばす」。

 たとえばスーパーなどでものを買い与えるときでも、直接子どもに買い与えるのではな
く、「これがあるとパパが喜ぶわね」とか、「あとでお姉さんに半分分けてあげてね。お姉
さんは喜ぶわよ」とか言うなど。

昔、幼稚園にこんな子ども(年長男児)がいた。見るといつも三輪車にだれかを乗せ、
それをうしろから押していた。そこで私が、「たまにはだれかに押してもらったら?」と
声をかけると、その子どもはこう言った。「先生、ぼくはこのほうが楽しい」と。そうい
う子どもをやさしい子どもという。

 よく誤解されるが、柔和でおとなしい子どもをやさしい子どもとは言わない。たとえば
ブランコを横取りされても、ニコニコ笑ってそのまま明け渡してしまうなど。むしろこの
タイプの子どもほど、表情とは裏腹のところでストレスをためやすく、その分、心をゆが
めやすい。教える側から見ると、いわゆる「何を考えているかわからない子」といった感
じになる。

 子どものやさしさは、心豊かな環境で、はぐくまれる。そのためにも、乳幼児期にはつ
ぎの三つを避ける。(1)闘争心、(2)嫉妬心、(3)不満と不安。

攻撃的な闘争心は、子どもの動物的な本能を刺激する。ばあいによっては、善悪の判断
ができなくなり、性格そのものが、凶暴化することもある。

嫉妬心はえてして情緒不安の原因となる。赤ちゃんがえりに見られるように、本能的な
部分で子どもの心をゆがめることもある。

またこの時期、不満や不安は、子どもの性格をゆがめる。攻撃的になったり、反対にも
のに固着したり執着したりする。さらに神経症や情緒不安、さらには精神不安の原因に
なることもある。要するにこの時期は、心静かで穏やかな環境を大切にする。

 やさしさというのは、作って作れるものではない。家庭環境の中から、自然に生まれて
くるものである。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【気になる、最近のニュースから】

●WD氏の絵画盗作事件

 「あれを盗作と言わずとして、何と言う?」というのが、私の率直な感想。WD氏なる
画家の作品は、どれも、イタリアのSG氏の作品とそっくり!

 で、今までの盗作疑惑について、当のWD氏は、「了解してもらった」「手法がちがう」(N
HKテレビ報道)と述べていたが、別の作品(Y火災東郷青児美術館大賞作品)について
は、「共同制作だ」(News−i)と居なおっている。

 が、ワイドショーなどの報道によると、その一方、WD氏は、イタリアのSG氏に対し
て、「告発しないでほしい」「私は肺がんだから、静かに死なせてほしい」などという手紙
を送っていたという。さらに、WD氏は、「自分の描いた絵画をすべて、返す」とSG氏に
約束したという。が、SG氏は、今にいたるまで、一枚も絵を受け取っていないという。

 盗作かそうでないかの判断は、これから、というが、絵のばあい、そんなことは、一目
瞭然(りょうぜん)。あえて言えば、私も、こんなインチキな画家というより、人間を、知
らない。しかも悪びれる様子もなく、NHKテレビのインタビューでは、笑みまで浮かべ
て、それに対応していた。

 そうそう、こうも言っていた。「共同で、個展を開きたい」と。

 むしずが走るというのは、そういうときの感覚をいうのか。私はそのインタビュー場面
を見ていて、あまりのおぞましさに、ぞっとした。

 イタリアに住むSG氏が告発しないかぎり、刑事罰を科すのは、たいへんむずかしい。
が、であるならなおさら、こうした画家は、社会的に、徹底的に抹殺するのがよい。

 韓国の、人クローン捏造事件、さらには、その前の日本の、石器捏造事件と並んで、な
んともお粗末な事件ではないか。


●K国のテポドン2号

 「発射の気配はない」と言っていたが、ここにきて、急にあわただしくなってきた。「準
備は、最終段階」(Yahoo News)とか(6月1日)。

 アメリカ軍は、電子偵察機による監視飛行を始め、防衛庁もイージス艦や電子測定機を
展開させたという(同日)。自衛隊の高級幹部による海外出張を、相ついで中止していると
いう事実を重ねあわせてみると、ことは、かなり深刻なようだ。

 「実際の発射はないだろう」というのが、今のところ、おおまかな見方だが、私個人は、
K国には、その能力も技術もないと見ている。それにアメリカは、もしK国が、長距離ミ
サイルの発射実験をすれば、即、経済制裁をすると構えている。

 頭のおかしな独裁者が、いよいよ狂ったか……というのが、私の率直な印象。


●野党ハンナラ党の圧勝

 韓国で、5月31日、統一地方選挙が行われた。まだ最終結果が出る前だが、野党ハン
ナラ党が、圧勝する勢いだという。

 ソウル市長のほか、16の首長選(日本の知事選)のうち、少なくとも12か所で、ハ
ンナラ党の首長が誕生するという。が、これに対して、N大統領率いるウリ党は、1か所
程度だという。

 私は、これが韓国の常識だと思う。またあるべき姿だと思う。N大統領の悪口を書いた
らキリがないが、いくつか並べてみると、こうなる。

(1)自分は絶対的な善であるという思考パターン。どこか狂信的?
(2)回顧復古主義的な個人的政治思考。プラス老人性の妄想。どこかジジ臭い?
(3)K国の代弁機関となってしまった、韓国の大統領府。金xxの身内?
(4)反米、反日を旗印にかかげ、親K国、新中国に傾斜。共産主義者?
(5)時代錯誤的な権威主義的政治姿勢。何をそうも威張っている?
(6)外資や外資企業に対して、猫の目のように変わる経済政策。

 そこで今の日本にとって重要なことは、野党ハンナラ党との連携を深めること。と、同
時に、たとえば小泉首相によるY神社参拝問題などで、野党ハンナラ党との間に、これ以
上のキレツを入れないこと。(ハンナラ党にしても、小泉首相のY神社参拝を容認している
わけでない。)

 少なくとも、N大統領が政権をとっている間は、日本は、対韓国については、きびしい
経済政策で臨むのがよい。韓国のバブル経済がはじけるのは、もう時間の問題。そうなっ
たとき、日本は、隣国として、どう対処すべきか、今のうちから、考えておいた方がよい。

 日本政府よ、N大統領が頭をさげて頼みにくるまで、こちらから助けるなどとは、絶対、
言うな!


●謎に満ちた殺人事件

 秋田県で起きた幼児殺害事件は、ますます謎をおびてきた。もっか、事件は捜査中なの
で、ここでは何も書けないが、事実を並べてみると、こうなる。

(1)女の子が水死した。事故か事件か、不明。
(2)そのあとしばらくして、その女の子の家から二軒目に住む男の子が殺害された。
(3)女の子も、男の子も、最後に目撃されたのは、それぞれの自宅のすぐ近く。

 いろいろな仮説と推理が成りたつが、それについて書くことはできない。過去に似たよ
うな事件があったが、それについても、書くことはできない。

 ともかくも、謎に満ちた事件であることには、ちがいない。

興味本位で、こういうことを書いて、ごめん!
(以上、06年6月1日記)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司


●ビデオ『陰陽師(おんみょうじ)』を見る

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古いビデオを、ビデオショップで、100円で
売っていた。

『陰陽師(おんみょうじ)』というビデオを買った。
見た。

いろいろ考えさせられた。

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●迷信

 ビデオ『陰陽師』を見た。かなり古いビデオらしい。あまり期待していなかったが、結
構、おもしろかった。「日本のCG(コピュータ・グラフィックス)も、なかなかやるね」
というのが、私とワイフの共通した感想。

 内容はともかくも、つまりビデオそのものの評論は、さておいて、「迷信」というものが
どういうものかを知りたい人は、一度は、見てみたらよい。まさに迷信のかたまりのよう
なビデオ。最初から、最後まで、迷信、また迷信。

 ウィキペディア百科事典によれば、つぎのようにある。そのまま引用する。

++++++++++++++++++

陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)……古代日本の律令制において、陰陽寮に属した官
職の1つ。律令国家において、陰陽道と呼ばれる呪術・占術を担当する専門家であった。
土地の吉凶を占うことで、遷都などでも、大きな役割を果たした。

有名な陰陽師としては安倍晴明、賀茂保憲などがいる。

平安時代においては権勢を振るったが、その後、宮廷が力を失った時代などを経て、国家
的な保護を完全に喪失。現代社会においては神職の一種として定義されてはいるものの、
実態としては、霊媒や口寄せなどで、高額の祈祷料を請求するものもおり、極めてオカル
ティックな存在となった。

+++++++++++++++++

 ビデオを見た私の印象としては、陰陽師というのは、まじない、うらない、それに催眠
術を合体した、祈祷師のような存在ということになる。とくに、催眠術による人心の誘導
に、たけていたのではないか。

 現在でも、ほとんどのカルト(教団)は、催眠術、もしくは催眠術による洗脳をたくみ
に利用している。

 加えて当時は、(私が子ども時代のときも、それは色濃く残っていたが)、ありとあらゆ
るものが、迷信と結びついていたと考えても、おかしくない。また迷信が、それだけ信じ
られやすかった時代とも言える。

 この話は以前にも書いたが、自動車販売会社のディーラーが、こんな話をしてくれた。

 ある男性が、新車を購入した。それについて、その男性は、そのディーラーに、車の納
入日と時間、さらに、車を納入する方角まで、指定してきたという。

 「○月○日、x時からy時までの間に、車を届けてほしい。なお車は、一度、北の方角
まで走らせ、そこから南に向かって、私の家に届けてほしい」と。

 迷信にこだわる人は、そこまでこだわる。が、ビデオ『陰陽師』の中にも、似たような
シーンが出てきた。宮殿を建てるとき、それに使う材木を、どの方角から運びこむか、と。
陰陽師なる男が、それを帝(みかど)にアドバイスしていた。

 つまり迷信というのは、迷信を口にする人と、その迷信を信ずる人が、ちょうど、キー
とロックのように、一致したとき、パワーを発揮する。たとえばこんな例を考えてみよう。

●ワラ人形

 ビデオの中にも、頭の上にローソクを3本立てて、ワラ人形を木に打ちつけるシーンが、
出てきた。呪(のろ)いを、だれかにかけるためである。

 そこで話をわかりやすくするために、あなたの友人のAさんが、あなたに呪いをかける
ために、ワラ人形を木に打ちつけていたとしよう。もちろんAさんは、あなたが、苦しむ
ことを願って、そうしている。

 もしこのとき、Aさんが、そういうことを、あなたの知らない世界で、そうしていると
いうのであれば、あなたは、何も気にしない。何も変化は起きない。

 しかしあなたは、Aさんが、毎晩、そうしていることを知ったときは、どうだろう。し
かもAさんが、そうしているのは、あなたに呪いをかけるためだ、と。

 とたん、あなたは、それを気にし始める。が、もしこのとき、あなたが、迷信をまった
く信じない人だったら、あなたは、それを笑って無視することができる。が、そこまで割
り切ることができる人は少ない。

 あなたはAさんの行為をやがて、気にするようになる。もしあなたが迷信を信じている
なら、なおさらである。

 心理学の世界にも、「自己成就的予言(self-fulfilling prophecy)」というのがある。自分で
その予言を信じているうちに、その予言どおりの世界を、身の回りにつくってしまうこと
をいう。

 こんな例がある。

 ある女子高校生が、ある日、私にこう言った。「私は、明日、事故を起こす。けがをする」
と。

 そこで私が、そんなのは迷信だ。信じてはだめだと言ったが、その女子高校生は、本当
にその翌日、事故を起こした。自転車で走っているとき、自転車ごと、壁にぶつけて、腕
と足にけがをしてしまった。

 その女子高校生は、「予言が当たった」と驚いていたが、女子高校生は、予言を信ずるあ
まり、無意識のうちにも、自分で事故を起こしただけと考えられる。

 で、もしあなたがAさんの行為を気にし始めたとしたら、どうだろう。体の不調が起こ
るたびに、「これはAさんのせいだ」と思うようになるかもしれない。そしてその不調に不
調が重なり、重篤(じゅうとく)な病気になるかもしれない。

 するとますますあなたは、「この災いは、Aさんのせいだ」「Aさんが、ワラ人形を打ち
つけているせいだ」と思うようになるかもしれない。

 つまりワラ人形には、それなりの効果があったということになる。

 ビデオに出てくる、安部晴明という陰陽師は、実在した人物だという。平安時代後期の
人物とされている。宮廷に仕え、帝(みかど=天皇)にアドバイスをしたり、政(まつり
ごと)にあれこれ、口をはさんだりしていたらしい。

 そういう点では、陰陽師というのは、ときには、帝の暴走を食い止めたり、反対に、帝
が判断に迷ったようなとき、よき助言者として、帝に客観的なアドバイスを与えていたの
かもしれない。つまりそれなりの存在価値は、あったということになる。

 邦画は、めったに見ないが、最後まで、楽しかった。奇想天外というか、いろいろ考え
させられた。で、見終わったあと、両手の指をくねくねとからませながら、ワイフに、あ
れこれ呪いをかけるマネをしてみせると、結構、ワイフも、それに乗ってくれた。

 なお現在の今でも、「陰陽師」を語り、それを職業にしている人もいるので、この話は、
ここまで。しかし私は、残念ながら、そういう迷信は、まったく信じない。私を呪い殺し
たかったら、どうぞ勝手に。ワラ人形でも何でも、木に打ちつけて楽しんでほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自己成就的予言 預言 予言 自己成就預言 自己成就予言 陰陽師)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●ルポライターのMG氏の長男が襲われる!

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ルポライターのMG氏の長男が、
暴力団の組員に襲われ、
けがをするという事件が発生した。

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 MG氏といえば、カルト教団や暴力団を相手に、原稿を書いているルポライターとして、
よく知られた人物である。その勇気ある言動を、私は、いつも尊敬のまなざしで見つめて
いる。

で、この日本では、言論の自由は保障されているとはいうが、実際には、そうではない。
とくにカルト教団や暴力団を相手にしたときは、そうではない。こうした団体を叩いた
ような記事を書くと、そのあと、必ずと言ってよいほど、その報復を受ける。相手が巨
大な組織であればあるほど、そうである。

 私も、あるカルト教団を相手に、5冊の本を書いたことがある。月刊誌や週刊誌にも、
たくさんの記事を書いた。で、そのときの顛末(てんまつ)記はまた別の機会に書くこと
にするが、一時は、身の危険すらも感じた。毎週のように、10〜20人の信者たちが、
我が家に抗議に押し寄せてきた。いやがらせのためか、数か月に渡って、怪しげな男たち
に尾行されたりもした。

 私のシンパを装って近づいてきた男も、いた。いろいろあった。いろいろあったが、そ
の結果、私は、今の私のように、(怖いもの知らずの人間)になることができた。

 それはそれとして、ものを書く人間を襲うなどという卑劣な行為を、絶対に許してはい
けない。今回も、MG氏は、暴力団関連の記事を週刊誌などに書いていた。それが事件の
引き金になったらしい。

しかしカルト教団も、そのスジの人間を使うことで、よく知られている。表向きは、記
事に怒った暴力団関係者が、MG氏の長男を襲ったというふうにも見える。が、ひょっ
としたら、その裏で、どこかのカルト教団が動いていた可能性もないわけではない。

 バカなことをし、バカなことを言う自由は、この日本にもある。しかしそのワクを超え
て、何かをし、何かを言う自由は、この日本には、ない。言論の自由にも、制限があると
いうわけである。

 その制限のひとつとして機能するのが、こうした暴力行為である。

 もし日本が、本当に民主主義国家を標榜(ひょうぼう)するなら、まず言論の自由を保
障すること。徹底的に保証すること。その保証するという行為の中には、当然のことなが
ら、こうした能力行為を許さないという姿勢も含まれる。

 もっともMG氏級のルポライターともなると、こうした暴力行為は、かえって逆効果。
MG氏なら、ますます反骨精神たくましく、ものを書きつづけることだろう。バカな連中
には、それがわからないだけ。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司※

最前線の子育て論byはやし浩司(1326)

【三男へ】

●大空へ、はばたけ!

お前がパイロットになると言ったとき、
お前が、私のかなわなかった夢を
果たそうとするのを知った。

しかしはじめから賛成したわけではない。
その日から、毎日、ワイフと話しあった。
危険な職業であることには、ちがいない。

が、あるとき、お前は、私にこう言った。
「パパ、ぼくの夢はね、パパにいつか、
本物の操縦桿を握らせてやることだよ」と。

私は、ときどき、フライト・シミュレーターで
遊んでいた。遊びながら、子どものころの
かなわなかった夢を、そこでなぐさめていた。

お前は、そういう私を上から、立ってみながら
そう言った。

それを聞いて、私は、うれしかった。そして決心した。
どんなことがあっても、お前を応援する、と。

そしてやがてお前は、横浜K大を中退、
航空大学校に合格した。

それを喜びながら、私は、お前に言った。

「もし、お前が、空で死んでも、ぼくは、
涙を流さない。覚悟はできているか」と。

お前は、「できている」と、きっぱりと、言った。

「もし、事故を起こしても、お前は最後の最後まで
飛行機に残れ。その覚悟はできているか」と。

お前は、「できている」と、きっぱりと、言った。

私は、親として、友として、
それ以上、お前に何を言うことができるか。
何を望むことができるか。

さあ、息子よ、空に飛びたて。
思う存分、お前の人生を、はばたけ!

●息子の新作ビデオ

http://www.youtube.com/watch?v=NbWEp13FYJk

お楽しみください(↑……クリック)

【補記】

●日本のみなさんへ、

 飛行機なんて、みな、同じ……と考えている人はいませんか? しかし、それが、そう
ではない!、……ということです。

 たとえばパイロット。そのパイロットを育てるにしても、それぞれの国が、それぞれの
教育機関を通して、育てています。国よっては、元軍人が、そのまま民間機のパイロット
になることも、珍しくありません。

が、この日本ですが、とにかく、きびしい……この一言に、尽きます。それにお金をか
けている。きわめて少人数で、1機数千万円から、数億円の飛行機を使って、パイロッ
トを養成しています。こんな国は、ほかには、ないそうです。

 見た感じでは、ただの小型機でも、たとえば計器ひとつにしても、大型機のそれと同じ
ものを、装備しているとか。

 そんなわけで、みなさんも、日本国内はもちろん、外国へ行くときは、やはりJALか、
ANAを利用した方が、よいですよ。こと「安全」ということに関しては、(機体や整備の
ことは知りませんが……)、日本のパイロットたちは、その過程で、徹底的に訓練を受けて
います。

 会うたびに、息子と、「そんなにきびしいの?」「そうだよ」というような会話をしてい
ます。「外国の飛行機は、こわくて乗れないね」と話すと、やはり「そうだよ」と。

 格安の外国チケットを買って、外国の飛行機に乗るのは、(国によっても、ちがいますが
……)、かなり考えものです。

 私たち日本人は、JALに乗ろう! ANAに乗ろう!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●懐中時計(2)

 懐中時計が付録についている雑誌が発売になった。本物の懐中時計である。

 で、先週、その第2号が発売になった。キンキラ金の、金時計である。

 さっそく、それも買ってみた。が、いくら、時刻を合わせても、すぐ狂う。だいたい1
2時にセットしても長針と短針が、ぴったりと重ならない!

 そこで書店へもっていくと、書店の店員さんたちも、首をかしげるばかり。で、別のも
のと、取りかえてくれた。が、それも、同じ!

 実は、私たちは、文字盤を見まちがえていた。

 第2号の懐中時計は、第1号の付録の時計とくらべると、12時の位置が、9時の位置
になっている。つまり、90度、左にずれている。かつ、フタがついているが、そのフタ
は、左開き!

 文字が、細くて読みづらかった。それでそうなった。つまりそういうミスを犯した。ハ
ハハ。

 罪滅ぼしに、私は、第1号と第2号を、その場で、2冊ずつ購入した。そしてそれらを、
オーストラリアとアメリカの友人に、送ることにした。書店の店員は、「いいです、いいで
す」と言ったが、それでは、私の良心(?)が、許さない。

 なお第6号まで買うと、おまけの時計が1個もらえるとか。2号以後は、1990円!
 少し値段が高いな? 第6号までは、とりあえず、買ってみることにする。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●親絶対教・アメリカ事情

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アメリカにも、親絶対教というのが、
あろそうだ。

二男が、自分のBLOGで、そう
書いている。

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父のブログで「親絶対教」なるものについて書かれているのを読みました。子
供は親に「生んでもらった」のだから尊敬すべきだというのが、「親絶対教」
の考え方なんだそうです。

が、ここアーカンソーでもこの「親絶対教」が隅々まではびこっていて、特に
田舎のほうでは、かなり露骨な親権威主義が見受けられます(アーカンソー東
北部なんか特にひどい)。

所変われど何も変わらず、ということでしょうか。

 誠司にしても、メイにしても、彼らには生まれてくるかどうかなんていう選択
はなかった訳ですから、彼らの命というのは僕ら親に、100%の責任がある
わけです。

親は子供のために存在し、子供のためにするすべてのことは、親にそうする義
務があるからする訳です。実際その義務を放棄することは、州法違反になるわ
けで、その場合親は投獄され、子供はフォスターケアに送られます。法律だか
ら面倒を見るって訳ではありませんが・・。

 そういえば僕の大学の友達が一人が、ソーシャル・ワーカーとして働いていた
んですが、彼女の仕事は、まさにそういった仕事でした。親の義務を果たして
いない人達から親権を剥奪して、子供をFC送りにする、というかなりストレ
スが溜まりそうな仕事だったようです。

「事実は小説よりも奇なり」といいますが、本当に行き着くとまで行ってしま
ったような家族というのは、ゴロゴロあります。その友達は、いつも色んな人
間ドラマに関する話を話してくれました。

今はもうその仕事してないみたいですが・・。

【二男へ】

 同じ「親絶対教」といっても、日本とアメリカとでは、事情も内容も、多少ちがうので
はないかな。

 また「権威主義」といっても、国、それぞれです。

 以前から、お前から話は聞いていましたが、アメリカにも、親絶対強的な雰囲気がある
というのは、たいへん興味深いね。フ〜ンと思ってみたり……。ただアメリカといっても、
広いしね。アジア大陸が、スッポリと入ってしまうくらいだから。

 それにいろいろな人種もいるしね。もちろんアジア人も!

 アメリカの中南部というところは、ちょっと、ほかのアメリカとちがうようだね。

 まあ、お前もそういうところで、何かとたいへんだろうけど、『When you ar
e in Roma, do as the Romans do.(ローマにいるときは、
ローマ人のするようにせよ)』の格言どおり、アメリカに合わせるしかないだろうね。

 この問題だけは、根が深いし、この日本では、親絶対教は信仰にもなっているほどだか
ら。「そうです」「そうです」と言って、相手に合わせて生きる。若い人たちを教育するの
は簡単だけど、年配者を教育するのは、ほぼ不可能と考えたほうがいいよね。

 親子の間で、家庭内宗教戦争を繰りかえしている人となると、日本には、ゴマンといる
よ。

「親のオレを取るか、嫁を取るか」と、本気で息子に迫っている親だって、いるよ。息
子は息子で、妻に向かって、「オレの親に不満があるなら、お前の方こそ、この家から出
て行け」と。

おかしな世界だけれど、日本人にも、それが少しずつ、わかり始めてきたというところ
かな。今、日本は、その過渡期の過程にあると思うよ。

 ただ子どもを大切にするということと、でき愛は別だから、注意しよう。

 また何か、具体的なエピソードがあったら、BLOGに書いてほしい。とても参考にな
るよ。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●姓名判断(?)

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2人の女性が、私の家を訪問してきた。
話を聞くと、「姓名判断を受けてみませんか?」、
だった。

セールス?
それとも、新手の宗教?

しかしいまどき、姓名判断とは?

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 姓名判断とは、姓名を、上から、(天格)、(人格)、(地格)と分け、さらに総合して、(総
格)、(社会運)、(家庭運)に分けて考える。文字がもつ画数が、その判断の基準となって
いる。しかし……?

 人間には、たしかに、運命と呼ばれるものはある。たとえば私という人間には、無数の
糸がからんでいる。過去という糸、現実という糸、人間という糸、社会という糸、仕事と
いう糸、能力という糸、家族という糸などなど。そういう糸が無数にからんで、私の進む
べき方向を決める。

 それを運命というのなら、それが運命である。

 しかし私は、運命のなすがままに生きているわけではない。ときにそれに抵抗すること
もある。土俵でいうなら、最後の最後で、足をふんばることもある。そういう意味では、
運命とは、なすべきことがないときには、受け入れ、なすべきことがあるときには、戦う
べきものと考えてよい。

 どうしようもないことは、どうしようもない。しかしどうにかなるものについては、戦
う。戦って、運命の方向を変える。つまりそこに、人間の生きる意味がある。無数のドラ
マもそこから生まれる。そのドラマが、私たちの人生を、うるおい豊かなものにする。

 が、ここで忘れてはいけないのは、そうした運命の中で生きていくのは、「私」であって、
「私」以外の何ものでもない。

 しかし姓名判断によれば、そうした人の運命というのは、その人の名前がつけられたと
きに、すでに決まっているという。まあ、あえて反論するのも、バカバカしいが、一言。

こういうのを、「誇大視」とか、「巨大視」とかいう。きわめてささいな一部を、誇大視
することによって、自己の神秘主義を正当化しようとすることをいう。カルト教団と呼
ばれる狂信団体がよく用いる手法である。

 まあ、他人がそれぞれ、好きなことをするのは、その人のかって。しかし他人の家まで
やってきて、こういうものを押し売りする心理が、私には、理解できない。言いかえると、
それだけ、今の世相が、不安定になっているということか。

 そう言えば聞くところによると、あのK国では、占いとか、まじないが、大流行してい
るという。飢餓、貧困、それに不幸がつづくと、人は、虚無主義に陥る。その虚無主義は、
神秘主義に結びつきやすい。

 ついでに一言つけ加えるなら、占星術というのは、立派な、カルト! どこかのオバチ
ャンが、「あんたの背中には、ヘビがとりついている」「毎朝、30回、背中を洗いなさい」
とか、「あんたは、まちがいなく、45歳で死ぬ」「それがいやなら、今の住みかを、東南
の方角に変えなさい」とか言う。

 よくもまあ、こういうアホなことを、ヌケヌケと言えるものだ。またそれを聞くほうも、
聞くほうだ。大のおとなが、真顔でそれを聞き、落ちこんだり、喜んだりしている。しか
もそれを、テレビ局という、先端企業が、電波を使って全国に流す。わかりやすく言えば、
テレビ局が、カルトの手先となって、カルトの宣伝活動をしている!

 話をもとにもどすが、名前にもいろいろある。見るからに立派な名前もあるだろうし、
そうでない名前もある。しかしそれはニュアンス(=感じ方のちがい)の問題でしかない。
さらに、今の状況だけを見て、名前が原因であるとか、ないとか、そういうことを論じて
も、まったく、意味がない。

 社会的に大成功したところで、それがいつまでもつづくとはかぎらない。LドアのH元
社長の例をみるまでもない。が、さらに、今、H元社長が、ドン底にあるからといって、
そのままということも、ありえない。またまたHモンとして、いつか、復活するかもしれ
ない。復活することがないとしても、私やあなたと同程度の幸福くらいは、手にするかも
しれない。

 が、中には、何かの失敗が原因で、自分の名前すら、変えてしまう人もいる。「今までの
不幸の原因は、自分の名前にあった」と。つまり姓名判断は、そういうときにも、使われ
る。

 2人の女性は、にこやかな笑みを浮かべて、こう言った。「本来なら、鑑定料は、x千円
ですが、今回は、特別に無料です。○○大先生が、個人的に鑑定してくださいます」と。

 が、ここにきわめて重要なトリック(=ワナ)がある。もしあなたが、幸福で満ち足り
た生活をしているなら、そういう場所へ、わざわざ出かけていくだろうか? だいたい、
そういう場所へ出かけていく人というのは、何らかの問題をかかえた人ということになる。

 だから出かけて行けば、「姓名に問題がある」「祈祷しなさい」「改名しなさい」「それに
は、○百万円、必要です」となる。

 こうしたトリックと戦うゆいいつの方法は、自らが賢くなること。それ以外に方法は、
ない。自分で考える力を身につけ、自分で考える。自分で考える力のある人は、そういう
トリックを見破ることができる。

 2人の女性は、例として、ある(偉人)の母親の姓名を紙に書いて、説明してくれた。
私がそれをだまって聞いていたのは、それに感心したからではない。「なるほど」と思った
からでもない。

 あきれて、声も出なかっただけ! バカめ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
姓名判断 姓名 運命論 迷信 カルト)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

●大言壮語(たいげんそうご)

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韓国のN大統領の大言壮語には、
もう、うんざり!

就任したときには、「北の核兵器開発
問題は、我々が解決してみせる」と言った。

そして今年(06年)も、年頭に、こう言った。

「今年は韓半島(朝鮮半島)の平和と
南北関係が、飛躍的に発展する転機となる」
(朝鮮N報)と。

++++++++++++++++

 韓国の金前大統領が、K国の金xxと、近く会談をすることになっているという。それ
について、韓国の金前大統領は、「列車で行く」と、がんばった。

 が、それについて、K国の軍部(?)が、「NO!」と。

 それもそうだろ! 韓国の金元大統領にすれば、たいへん、かっこいい話ということに
なる。数千ウオン(数百億円)もかけて鉄道を敷き、最新型の列車で、K国へ乗りこむの
だから。

 が、金前大統領にとって、(かっこいい)分だけ、K国にとっては、おもしろくない。韓
国のN大統領たちは、「?」と首をかしげているようだが、こんなことは、貧者、あるいは
弱者の立場で考えてみれば、常識。だれにも、わかるはず。

 だからK国のスポークスマンは、こう言った。「列車を使った誰それの平壌(ピョンヤン)
訪問といった行事が、例外なく協力と交流に見せかけた、政略的な企みに端を発するもの
だということをわが軍は、以前から看破していた」(朝鮮N報)と。

 それにしても、N大統領周辺の、ノー天気ぶりには、あきれるばかり。その直前まで、「ど
んな形であれ(試験運行のための軍事的保障は)得られるはず」とか、「北朝鮮軍部も同意
しているだろう」(I統一部長官)とか言って、最後の最後まで、がんばった。

 一方、K国も、K国!

 何からなにまで、すべて韓国側にやってもらいながら、「わが軍は、以前から看破してい
た」と。ならば、最初から、反対すればよかった。自分のことは、自分ですればよかった。

 さらに韓国側が全額出資し、K国のためにと開発した開城工業団地にしても、K国のス
ポークスマンは、「韓国側はおおごとのように騒いでいたが、地ならし作業を終えて試験的
な運営を行っている程度に過ぎない」「南北協力交流が短命で終わった、琴湖地区(新浦軽
水炉)の建設の二の舞にならないかどうか注視している」と。

 つまり言外で、「もっと金を出せ」と。これではまるで、韓国が自分たちの国を支えるの
が当たり前、と言っているようなもの。

 この図々しさというか、異常なまでの依存性は、いったい、どこからくるのか。こうい
う国を、「同胞」「同胞」と呼ばなければならない韓国も、さぞかし頭が痛いことだろう。

 そろそろ、韓国のN大統領も、目をさますときがきているのではないのか。N大統領が
支えているのは、共産主義国家でも社会主義国家でもない。ただの独裁国家。

 朝鮮N報(韓国系の中立新聞社)ですら、社説の題として、こう書いている。

 『相も変わらす、K国にもてあそばれる韓国政府』と。まさにそのとおり!


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●今日から6月!

+++++++++++++++++

今日から、6月。
今月の大きな行事は、
ワイフの誕生日の祝い。

「お前の愛する夫が喜ぶような
プレゼントを、何か買ってやるよ」と
言うと、「何、それ?」と。

+++++++++++++++++

 今日から6月。しかしどこか気分は、重い。昨夜、I町で講演会の講師をしたが、時間
がなくて、最初から最初まで、早口。そのまま、すっ飛ばした。

 あとでワイフが、「早口すぎた」と、一言。つらかった。

 それで今日は、どこか気分が、重い。私は、早口。興奮してくると、さらに早口になる。
時間がないと、さらに早口になる。

 「ここからここまでは、どうしても話しておきたい」という気持ちばかりが先に立つ。
で、そうなると、あとは、時間との勝負。時計をにらみながら、一方的に、まくしたてる。

 まあ、今度の講演では、ゆっくりと話そう。今月は、10か所での講演を予定している。


●ウィルスチェック

 で、今朝、起きて一番にしたことは、パソコンのウィルスチェック。ついでに、ボット
チェック。どちらも、「感染なし」。よかった!

 ところで、昨日、生徒のKさん(小5)に、「今度、あなたのパソコンを掃除してあげる
よ」と声をかけたら、「分解するのオ?」と。

 分解して、私が掃除機で、掃除をすると思ったらしい。

 で、「ううん、電子的な掃除だから、そういうことはしない」と言うと、何がなんだかわ
けがわからない、というような表情をして見せた。

 前回、そのパソコンをたちあげてみたが、デスクトップ画面になるまでに、10分以上
も時間がかかった。それでまず、ディスクのクリーンアップを試みたが、20分近く待っ
ても、動きなし。タイムアップで、作業は中止。

 そのクリーンアップのことを、私は、「掃除」と呼んでいる。


●マガジン

 私のマガジン(Eマガ・メルマガ)を、中には、読んでくれている人もいると思う。と
きどき、そういうメールが届く。しかしそろそろ私の創作意欲も限界にきつつある(?)。

 いや、これは私の限界というより、電子マガジンそのものがもつ限界と言ったほうがよ
いかもしれない。ほかの人が発行しているマガジン(Eマガ・ランキングと読者数)を見
ても、読者数がほどんどふえていないのがわかる。

 どうしようか? どうしたらいいのか? ……と、ぼんやりと考えながら、半時間が過
ぎる。

 とにかく、9月いっぱいまで、がんばれるだけ、がんばってみよう。で、この10月か
らは、まぐまぐプレミアのほうに、力を入れることにしよう。

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【まぐまぐプレミアの読者のみなさんへ】

いつもまぐまぐプレミアを購読してくださり、
ありがとうございます。

で、購読料のことですが、この10月から購読料を、
現行の200円(月額)から、300円に、値上げ
させてください。よろしくお願いします。

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従来どおり、お届けできるように、努力します。

はやし浩司

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ません。どうか、あらかじめご了解ください。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 5日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●損(?)

+++++++++++++++++

「損」という言葉がある。
しかし何が、損で、何がそうでないか、
本当のところ、それがよくわからない。

+++++++++++++++++

 まさか、ジョギングをしている人が、「自分は、損をしている」とは、思わないだろう。
ジョギングをすることによって、体を鍛える。健康を維持する。気分も、そう快になる。

 しかしそこに他人が介在するようになると、それが一変する。

 たとえば他人が捨てたゴミを拾って集めるようなばあいを、考えてみよう。同じような
運動だが、しかしそれをしていると、最初は、怒り、つづいてそれが、「損をしている」と
いう感覚に変わる。

 このことは、子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。

 私はときどき、レッスンの最後に、子どもたちに、あれこれ仕事を頼むことがある。「机
を並べてね」「スリッパを並べてね」と。

 今ではそれがみなの習慣になっているから、それに対して文句を言う子どもは、ほとん
どいない。しかし中には、こう言う子どもがいる。「どうして、ぼくがア!」とか、あるい
は、「どうして私がしなければいけないの!」と。

 明らかに「損」を意識している。損を意識しているから、そう言う。

 しかし損をすることは、悪いことばかりではない。損をすることによって、人は、その
心を広くすることができる。心に余裕をつくることができる。

 反対に、損をしたことがない人を見ると、それがよくわかる。もっともそれがわかるよ
うになるためには、自分で、損を経験しなければならない。損をしたことがある人からは、
損をしたことがない人が、よくわかる。しかし損をしたことがない人には、それがわから
ない。損をしたことがない人には、損をした人が、バカに見える。

 が、さらに一歩進んで、子育てそのものを、「損」と考える人は、少なくない。ある女性
は、会うたびに、私にこう言う。

 「林さん、子育てなんて、するもんじゃ、ないね。息子なんか、横浜の嫁に取られてし
まいました」と。

 どこから、またどうしてそういう発想が生まれるのか、私には、理解できない。できな
いが、その女性は、そう言う。言い忘れたが、その女性は、今年80歳になる。息子は、
現在、横浜に住んでいる。50歳を超えたという。

 ジョギングが損でないのと同じように、ゴミを拾って歩くのも、損ではない。それ自体、
よい運動になる。環境もよくなる。ついでに心も広くなる。考えようによっては、ジョギ
ングより、はるかに「得」!

 さらに一言。

 心が広ければ広いほど、また幸福感も大きくなる。だから……。損をすることを恐れて
はいけない。あえて損をする必要はないが、心のどこかで「損」を感じたら、その損に向
かって、前向きに進んでいく。

 さらにあえて言うなら、本当の「得」とは何かということになれば、それは私たちの健
康ということになる。肉体だけではない。心の健康も、それに含まれる。もし今、あなた
が健康なら、いったい、何をして、損になることがあるというのか。

 実は、このことも、子どもたちの世界を見て、私が学んだ。

 子どもというのは、使えば使うほど、すばらしい子になる。生活力も身につく。忍耐力
も身につく。つまり損を日常的に経験している子どもほど、すばらしい子どもになる。肉
体的にも、精神的にも、健康になる。

 そうでない子どもは、そうでない。ドラ娘、ドラ息子になる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
損 損論 得論 すばらしい子供)

【補記】

 損をすることに平気な子どもと、そうでない子どもがいる。中には、いつも損得の計算
ばかりしている子どももいる。そういう子どもは、何か、不本意な仕事を押しつけられた
りすると、猛烈に、反発する。

 そういう子どもは、それだけ心がせまいということになる。総じて見れば、そんなわけ
で、ドラ息子、ドラ娘と言われるタイプの子どもは、心がせまい。

 さあ、あなたも、求めて、損をしてみよう。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●相手を喜ばす

 子どもにとって(おとなもどうだが)、やさしい人というのは、思いやりのある人のこと
をいう。その思いやりのある子どもに育てるコツがこれ、「相手を喜ばす」。

 たとえばスーパーなどでものを買い与えるときでも、直接子どもに買い与えるのではな
く、「これがあるとパパが喜ぶわね」とか、「あとでお姉さんに半分分けてあげてね。お姉
さんは喜ぶわよ」とか言うなど。

昔、幼稚園にこんな子ども(年長男児)がいた。見るといつも三輪車にだれかを乗せ、
それをうしろから押していた。そこで私が、「たまにはだれかに押してもらったら?」と
声をかけると、その子どもはこう言った。「先生、ぼくはこのほうが楽しい」と。そうい
う子どもをやさしい子どもという。

 よく誤解されるが、柔和でおとなしい子どもをやさしい子どもとは言わない。たとえば
ブランコを横取りされても、ニコニコ笑ってそのまま明け渡してしまうなど。むしろこの
タイプの子どもほど、表情とは裏腹のところでストレスをためやすく、その分、心をゆが
めやすい。教える側から見ると、いわゆる「何を考えているかわからない子」といった感
じになる。

 子どものやさしさは、心豊かな環境で、はぐくまれる。そのためにも、乳幼児期にはつ
ぎの三つを避ける。(1)闘争心、(2)嫉妬心、(3)不満と不安。

攻撃的な闘争心は、子どもの動物的な本能を刺激する。ばあいによっては、善悪の判断
ができなくなり、性格そのものが、凶暴化することもある。

嫉妬心はえてして情緒不安の原因となる。赤ちゃんがえりに見られるように、本能的な
部分で子どもの心をゆがめることもある。

またこの時期、不満や不安は、子どもの性格をゆがめる。攻撃的になったり、反対にも
のに固着したり執着したりする。さらに神経症や情緒不安、さらには精神不安の原因に
なることもある。要するにこの時期は、心静かで穏やかな環境を大切にする。

 やさしさというのは、作って作れるものではない。家庭環境の中から、自然に生まれて
くるものである。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●姓名判断(?)

++++++++++++++++

2人の女性が、私の家を訪問してきた。
話を聞くと、「姓名判断を受けてみませんか?」、
だった。

セールス?
それとも、新手の宗教?

しかしいまどき、姓名判断とは?

++++++++++++++++

 姓名判断とは、姓名を、上から、(天格)、(人格)、(地格)と分け、さらに総合して、(総
格)、(社会運)、(家庭運)に分けて考える。文字がもつ画数が、その判断の基準となって
いる。しかし……?

 人間には、たしかに、運命と呼ばれるものはある。たとえば私という人間には、無数の
糸がからんでいる。過去という糸、現実という糸、人間という糸、社会という糸、仕事と
いう糸、能力という糸、家族という糸などなど。そういう糸が無数にからんで、私の進む
べき方向を決める。

 それを運命というのなら、それが運命である。

 しかし私は、運命のなすがままに生きているわけではない。ときにそれに抵抗すること
もある。土俵でいうなら、最後の最後で、足をふんばることもある。そういう意味では、
運命とは、なすべきことがないときには、受け入れ、なすべきことがあるときには、戦う
べきものと考えてよい。

 どうしようもないことは、どうしようもない。しかしどうにかなるものについては、戦
う。戦って、運命の方向を変える。つまりそこに、人間の生きる意味がある。無数のドラ
マもそこから生まれる。そのドラマが、私たちの人生を、うるおい豊かなものにする。

 が、ここで忘れてはいけないのは、そうした運命の中で生きていくのは、「私」であって、
「私」以外の何ものでもない。

 しかし姓名判断によれば、そうした人の運命というのは、その人の名前がつけられたと
きに、すでに決まっているという。まあ、あえて反論するのも、バカバカしいが、一言。

こういうのを、「誇大視」とか、「巨大視」とかいう。きわめてささいな一部を、誇大視
することによって、自己の神秘主義を正当化しようとすることをいう。カルト教団と呼
ばれる狂信団体がよく用いる手法である。

 まあ、他人がそれぞれ、好きなことをするのは、その人のかって。しかし他人の家まで
やってきて、こういうものを押し売りする心理が、私には、理解できない。言いかえると、
それだけ、今の世相が、不安定になっているということか。

 そう言えば聞くところによると、あのK国では、占いとか、まじないが、大流行してい
るという。飢餓、貧困、それに不幸がつづくと、人は、虚無主義に陥る。その虚無主義は、
神秘主義に結びつきやすい。

 ついでに一言つけ加えるなら、占星術というのは、立派な、カルト! どこかのオバチ
ャンが、「あんたの背中には、ヘビがとりついている」「毎朝、30回、背中を洗いなさい」
とか、「あんたは、まちがいなく、45歳で死ぬ」「それがいやなら、今の住みかを、東南
の方角に変えなさい」とか言う。

 よくもまあ、こういうアホなことを、ヌケヌケと言えるものだ。またそれを聞くほうも、
聞くほうだ。大のおとなが、真顔でそれを聞き、落ちこんだり、喜んだりしている。しか
もそれを、テレビ局という、先端企業が、電波を使って全国に流す。わかりやすく言えば、
テレビ局が、カルトの手先となって、カルトの宣伝活動をしている!

 話をもとにもどすが、名前にもいろいろある。見るからに立派な名前もあるだろうし、
そうでない名前もある。しかしそれはニュアンス(=感じ方のちがい)の問題でしかない。
さらに、今の状況だけを見て、名前が原因であるとか、ないとか、そういうことを論じて
も、まったく、意味がない。

 社会的に大成功したところで、それがいつまでもつづくとはかぎらない。LドアのH元
社長の例をみるまでもない。が、さらに、今、H元社長が、ドン底にあるからといって、
そのままということも、ありえない。またまたHモンとして、いつか、復活するかもしれ
ない。復活することがないとしても、私やあなたと同程度の幸福くらいは、手にするかも
しれない。

 が、中には、何かの失敗が原因で、自分の名前すら、変えてしまう人もいる。「今までの
不幸の原因は、自分の名前にあった」と。つまり姓名判断は、そういうときにも、使われ
る。

 2人の女性は、にこやかな笑みを浮かべて、こう言った。「本来なら、鑑定料は、x千円
ですが、今回は、特別に無料です。○○大先生が、個人的に鑑定してくださいます」と。

 が、ここにきわめて重要なトリック(=ワナ)がある。もしあなたが、幸福で満ち足り
た生活をしているなら、そういう場所へ、わざわざ出かけていくだろうか? だいたい、
そういう場所へ出かけていく人というのは、何らかの問題をかかえた人ということになる。

 だから出かけて行けば、「姓名に問題がある」「祈祷しなさい」「改名しなさい」「それに
は、○百万円、必要です」となる。

 こうしたトリックと戦うゆいいつの方法は、自らが賢くなること。それ以外に方法は、
ない。自分で考える力を身につけ、自分で考える。自分で考える力のある人は、そういう
トリックを見破ることができる。

 2人の女性は、例として、ある(偉人)の母親の姓名を紙に書いて、説明してくれた。
私がそれをだまって聞いていたのは、それに感心したからではない。「なるほど」と思った
からでもない。

 あきれて、声も出なかっただけ! バカめ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 姓名判断 姓名 運命論 迷信 カルト)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

●ビデオ『陰陽師(おんみょうじ)』を見る

+++++++++++++++++++++++

古いビデオを、ビデオショップで、100円で
売っていた。

『陰陽師(おんみょうじ)』というビデオを買った。
見た。

いろいろ考えさせられた。

+++++++++++++++++++++++

●迷信

 ビデオ『陰陽師』を見た。かなり古いビデオらしい。あまり期待していなかったが、結
構、おもしろかった。「日本のCG(コピュータ・グラフィックス)も、なかなかやるね」
というのが、私とワイフの共通した感想。

 内容はともかくも、つまりビデオそのものの評論は、さておいて、「迷信」というものが
どういうものかを知りたい人は、一度は、見てみたらよい。まさに迷信のかたまりのよう
なビデオ。最初から、最後まで、迷信、また迷信。

 ウィキペディア百科事典によれば、つぎのようにある。そのまま引用する。

++++++++++++++++++

陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)……古代日本の律令制において、陰陽寮に属した官
職の1つ。律令国家において、陰陽道と呼ばれる呪術・占術を担当する専門家であった。
土地の吉凶を占うことで、遷都などでも、大きな役割を果たした。

有名な陰陽師としては安倍晴明、賀茂保憲などがいる。

平安時代においては権勢を振るったが、その後、宮廷が力を失った時代などを経て、国家
的な保護を完全に喪失。現代社会においては神職の一種として定義されてはいるものの、
実態としては、霊媒や口寄せなどで、高額の祈祷料を請求するものもおり、極めてオカル
ティックな存在となった。

+++++++++++++++++

 ビデオを見た私の印象としては、陰陽師というのは、まじない、うらない、それに催眠
術を合体した、祈祷師のような存在ということになる。とくに、催眠術による人心の誘導
に、たけていたのではないか。

 現在でも、ほとんどのカルト(教団)は、催眠術、もしくは催眠術による洗脳をたくみ
に利用している。

 加えて当時は、(私が子ども時代のときも、それは色濃く残っていたが)、ありとあらゆ
るものが、迷信と結びついていたと考えても、おかしくない。また迷信が、それだけ信じ
られやすかった時代とも言える。

 この話は以前にも書いたが、自動車販売会社のディーラーが、こんな話をしてくれた。

 ある男性が、新車を購入した。それについて、その男性は、そのディーラーに、車の納
入日と時間、さらに、車を納入する方角まで、指定してきたという。

 「○月○日、x時からy時までの間に、車を届けてほしい。なお車は、一度、北の方角
まで走らせ、そこから南に向かって、私の家に届けてほしい」と。

 迷信にこだわる人は、そこまでこだわる。が、ビデオ『陰陽師』の中にも、似たような
シーンが出てきた。宮殿を建てるとき、それに使う材木を、どの方角から運びこむか、と。
陰陽師なる男が、それを帝(みかど)にアドバイスしていた。

 つまり迷信というのは、迷信を口にする人と、その迷信を信ずる人が、ちょうど、キー
とロックのように、一致したとき、パワーを発揮する。たとえばこんな例を考えてみよう。

●ワラ人形

 ビデオの中にも、頭の上にローソクを3本立てて、ワラ人形を木に打ちつけるシーンが、
出てきた。呪(のろ)いを、だれかにかけるためである。

 そこで話をわかりやすくするために、あなたの友人のAさんが、あなたに呪いをかける
ために、ワラ人形を木に打ちつけていたとしよう。もちろんAさんは、あなたが、苦しむ
ことを願って、そうしている。

 もしこのとき、Aさんが、そういうことを、あなたの知らない世界で、そうしていると
いうのであれば、あなたは、何も気にしない。何も変化は起きない。

 しかしあなたは、Aさんが、毎晩、そうしていることを知ったときは、どうだろう。し
かもAさんが、そうしているのは、あなたに呪いをかけるためだ、と。

 とたん、あなたは、それを気にし始める。が、もしこのとき、あなたが、迷信をまった
く信じない人だったら、あなたは、それを笑って無視することができる。が、そこまで割
り切ることができる人は少ない。

 あなたはAさんの行為をやがて、気にするようになる。もしあなたが迷信を信じている
なら、なおさらである。

 心理学の世界にも、「自己成就的予言(self-fulfilling prophecy)」というのがある。自分で
その予言を信じているうちに、その予言どおりの世界を、身の回りにつくってしまうこと
をいう。

 こんな例がある。

 ある女子高校生が、ある日、私にこう言った。「私は、明日、事故を起こす。けがをする」
と。

 そこで私が、そんなのは迷信だ。信じてはだめだと言ったが、その女子高校生は、本当
にその翌日、事故を起こした。自転車で走っているとき、自転車ごと、壁にぶつけて、腕
と足にけがをしてしまった。

 その女子高校生は、「予言が当たった」と驚いていたが、女子高校生は、予言を信ずるあ
まり、無意識のうちにも、自分で事故を起こしただけと考えられる。

 で、もしあなたがAさんの行為を気にし始めたとしたら、どうだろう。体の不調が起こ
るたびに、「これはAさんのせいだ」と思うようになるかもしれない。そしてその不調に不
調が重なり、重篤(じゅうとく)な病気になるかもしれない。

 するとますますあなたは、「この災いは、Aさんのせいだ」「Aさんが、ワラ人形を打ち
つけているせいだ」と思うようになるかもしれない。

 つまりワラ人形には、それなりの効果があったということになる。

 ビデオに出てくる、安部晴明という陰陽師は、実在した人物だという。平安時代後期の
人物とされている。宮廷に仕え、帝(みかど=天皇)にアドバイスをしたり、政(まつり
ごと)にあれこれ、口をはさんだりしていたらしい。

 そういう点では、陰陽師というのは、ときには、帝の暴走を食い止めたり、反対に、帝
が判断に迷ったようなとき、よき助言者として、帝に客観的なアドバイスを与えていたの
かもしれない。つまりそれなりの存在価値は、あったということになる。

 邦画は、めったに見ないが、最後まで、楽しかった。奇想天外というか、いろいろ考え
させられた。で、見終わったあと、両手の指をくねくねとからませながら、ワイフに、あ
れこれ呪いをかけるマネをしてみせると、結構、ワイフも、それに乗ってくれた。

 なお現在の今でも、「陰陽師」を語り、それを職業にしている人もいるので、この話は、
ここまで。しかし私は、残念ながら、そういう迷信は、まったく信じない。私を呪い殺し
たかったら、どうぞ勝手に。ワラ人形でも何でも、木に打ちつけて楽しんでほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自己成就的予言 預言 予言 自己成就預言 自己成就予言 陰陽師)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●親絶対教・アメリカ事情

+++++++++++++++++

アメリカにも、親絶対教というのが、
あろそうだ。

二男が、自分のBLOGで、そう
書いている。

+++++++++++++++++

父のブログで「親絶対教」なるものについて書かれているのを読みました。子
供は親に「生んでもらった」のだから尊敬すべきだというのが、「親絶対教」
の考え方なんだそうです。

が、ここアーカンソーでもこの「親絶対教」が隅々まではびこっていて、特に
田舎のほうでは、かなり露骨な親権威主義が見受けられます(アーカンソー東
北部なんか特にひどい)。

所変われど何も変わらず、ということでしょうか。

 誠司にしても、メイにしても、彼らには生まれてくるかどうかなんていう選択
はなかった訳ですから、彼らの命というのは僕ら親に、100%の責任がある
わけです。

親は子供のために存在し、子供のためにするすべてのことは、親にそうする義
務があるからする訳です。実際その義務を放棄することは、州法違反になるわ
けで、その場合親は投獄され、子供はフォスターケアに送られます。法律だか
ら面倒を見るって訳ではありませんが・・。

 そういえば僕の大学の友達が一人が、ソーシャル・ワーカーとして働いていた
んですが、彼女の仕事は、まさにそういった仕事でした。親の義務を果たして
いない人達から親権を剥奪して、子供をFC送りにする、というかなりストレ
スが溜まりそうな仕事だったようです。

「事実は小説よりも奇なり」といいますが、本当に行き着くとまで行ってしま
ったような家族というのは、ゴロゴロあります。その友達は、いつも色んな人
間ドラマに関する話を話してくれました。

今はもうその仕事してないみたいですが・・。

【二男へ】

 同じ「親絶対教」といっても、日本とアメリカとでは、事情も内容も、多少ちがうので
はないかな。

 また「権威主義」といっても、国、それぞれです。

 以前から、お前から話は聞いていましたが、アメリカにも、親絶対強的な雰囲気がある
というのは、たいへん興味深いね。フ〜ンと思ってみたり……。ただアメリカといっても、
広いしね。アジア大陸が、スッポリと入ってしまうくらいだから。

 それにいろいろな人種もいるしね。もちろんアジア人も!

 アメリカの中南部というところは、ちょっと、ほかのアメリカとちがうようだね。

 まあ、お前もそういうところで、何かとたいへんだろうけど、『When you ar
e in Roma, do as the Romans do.(ローマにいるときは、
ローマ人のするようにせよ)』の格言どおり、アメリカに合わせるしかないだろうね。

 この問題だけは、根が深いし、この日本では、親絶対教は信仰にもなっているほどだか
ら。「そうです」「そうです」と言って、相手に合わせて生きる。若い人たちを教育するの
は簡単だけど、年配者を教育するのは、ほぼ不可能と考えたほうがいいよね。

 親子の間で、家庭内宗教戦争を繰りかえしている人となると、日本には、ゴマンといる
よ。

「親のオレを取るか、嫁を取るか」と、本気で息子に迫っている親だって、いるよ。息
子は息子で、妻に向かって、「オレの親に不満があるなら、お前の方こそ、この家から出
て行け」と。

おかしな世界だけれど、日本人にも、それが少しずつ、わかり始めてきたというところ
かな。今、日本は、その過渡期の過程にあると思うよ。

 ただ子どもを大切にするということと、でき愛は別だから、注意しよう。

 また何か、具体的なエピソードがあったら、BLOGに書いてほしい。とても参考にな
るよ。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【気になる、最近のニュースから】

●WD氏の絵画盗作事件

 「あれを盗作と言わずとして、何と言う?」というのが、私の率直な感想。WD氏なる
画家の作品は、どれも、イタリアのSG氏の作品とそっくり!

 で、今までの盗作疑惑について、当のWD氏は、「了解してもらった」「手法がちがう」(N
HKテレビ報道)と述べていたが、別の作品(Y火災東郷青児美術館大賞作品)について
は、「共同制作だ」(News−i)と居なおっている。

 が、ワイドショーなどの報道によると、その一方、WD氏は、イタリアのSG氏に対し
て、「告発しないでほしい」「私は肺がんだから、静かに死なせてほしい」などという手紙
を送っていたという。さらに、WD氏は、「自分の描いた絵画をすべて、返す」とSG氏に
約束したという。が、SG氏は、今にいたるまで、一枚も絵を受け取っていないという。

 盗作かそうでないかの判断は、これから、というが、絵のばあい、そんなことは、一目
瞭然(りょうぜん)。あえて言えば、私も、こんなインチキな画家というより、人間を、知
らない。しかも悪びれる様子もなく、NHKテレビのインタビューでは、笑みまで浮かべ
て、それに対応していた。

 そうそう、こうも言っていた。「共同で、個展を開きたい」と。

 むしずが走るというのは、そういうときの感覚をいうのか。私はそのインタビュー場面
を見ていて、あまりのおぞましさに、ぞっとした。

 イタリアに住むSG氏が告発しないかぎり、刑事罰を科すのは、たいへんむずかしい。
が、であるならなおさら、こうした画家は、社会的に、徹底的に抹殺するのがよい。

 韓国の、人クローン捏造事件、さらには、その前の日本の、石器捏造事件と並んで、な
んともお粗末な事件ではないか。


●K国のテポドン2号

 「発射の気配はない」と言っていたが、ここにきて、急にあわただしくなってきた。「準
備は、最終段階」(Yahoo News)とか(6月1日)。

 アメリカ軍は、電子偵察機による監視飛行を始め、防衛庁もイージス艦や電子測定機を
展開させたという(同日)。自衛隊の高級幹部による海外出張を、相ついで中止していると
いう事実を重ねあわせてみると、ことは、かなり深刻なようだ。

 「実際の発射はないだろう」というのが、今のところ、おおまかな見方だが、私個人は、
K国には、その能力も技術もないと見ている。それにアメリカは、もしK国が、長距離ミ
サイルの発射実験をすれば、即、経済制裁をすると構えている。

 頭のおかしな独裁者が、いよいよ狂ったか……というのが、私の率直な印象。


●野党ハンナラ党の圧勝

 韓国で、5月31日、統一地方選挙が行われた。まだ最終結果が出る前だが、野党ハン
ナラ党が、圧勝する勢いだという。

 ソウル市長のほか、16の首長選(日本の知事選)のうち、少なくとも12か所で、ハ
ンナラ党の首長が誕生するという。が、これに対して、N大統領率いるウリ党は、1か所
程度だという。

 私は、これが韓国の常識だと思う。またあるべき姿だと思う。N大統領の悪口を書いた
らキリがないが、いくつか並べてみると、こうなる。

(7)自分は絶対的な善であるという思考パターン。どこか狂信的?
(8)回顧復古主義的な個人的政治思考。プラス老人性の妄想。どこかジジ臭い?
(9)K国の代弁機関となってしまった、韓国の大統領府。金xxの身内?
(10)反米、反日を旗印にかかげ、親K国、新中国に傾斜。共産主義者?
(11)時代錯誤的な権威主義的政治姿勢。何をそうも威張っている?
(12)外資や外資企業に対して、猫の目のように変わる経済政策。

 そこで今の日本にとって重要なことは、野党ハンナラ党との連携を深めること。と、同
時に、たとえば小泉首相によるY神社参拝問題などで、野党ハンナラ党との間に、これ以
上のキレツを入れないこと。(ハンナラ党にしても、小泉首相のY神社参拝を容認している
わけでない。)

 少なくとも、N大統領が政権をとっている間は、日本は、対韓国については、きびしい
経済政策で臨むのがよい。韓国のバブル経済がはじけるのは、もう時間の問題。そうなっ
たとき、日本は、隣国として、どう対処すべきか、今のうちから、考えておいた方がよい。

 日本政府よ、N大統領が頭をさげて頼みにくるまで、こちらから助けるなどとは、絶対、
言うな!


●謎に満ちた殺人事件

 秋田県で起きた幼児殺害事件は、ますます謎をおびてきた。もっか、事件は捜査中なの
で、ここでは何も書けないが、事実を並べてみると、こうなる。

(4)女の子が水死した。事故か事件か、不明。
(5)そのあとしばらくして、その女の子の家から二軒目に住む男の子が殺害された。
(6)女の子も、男の子も、最後に目撃されたのは、それぞれの自宅のすぐ近く。

 いろいろな仮説と推理が成りたつが、それについて書くことはできない。過去に似たよ
うな事件があったが、それについても、書くことはできない。

 ともかくも、謎に満ちた事件であることには、ちがいない。

興味本位で、こういうことを書いて、ごめん!
(以上、06年6月1日記)

●ルポライターのMG氏の長男が襲われる!

++++++++++++++++++++

ルポライターのMG氏の長男が、
暴力団の組員に襲われ、
けがをするという事件が発生した。

++++++++++++++++++++

 MG氏といえば、カルト教団や暴力団を相手に、原稿を書いているルポライターとして、
よく知られた人物である。その勇気ある言動を、私は、いつも尊敬のまなざしで見つめて
いる。

で、この日本では、言論の自由は保障されているとはいうが、実際には、そうではない。
とくにカルト教団や暴力団を相手にしたときは、そうではない。こうした団体を叩いた
ような記事を書くと、そのあと、必ずと言ってよいほど、その報復を受ける。相手が巨
大な組織であればあるほど、そうである。

 私も、あるカルト教団を相手に、5冊の本を書いたことがある。月刊誌や週刊誌にも、
たくさんの記事を書いた。で、そのときの顛末(てんまつ)記はまた別の機会に書くこと
にするが、一時は、身の危険すらも感じた。毎週のように、10〜20人の信者たちが、
我が家に抗議に押し寄せてきた。いやがらせのためか、数か月に渡って、怪しげな男たち
に尾行されたりもした。

 私のシンパを装って近づいてきた男も、いた。いろいろあった。いろいろあったが、そ
の結果、私は、今の私のように、(怖いもの知らずの人間)になることができた。

 それはそれとして、ものを書く人間を襲うなどという卑劣な行為を、絶対に許してはい
けない。今回も、MG氏は、暴力団関連の記事を週刊誌などに書いていた。それが事件の
引き金になったらしい。

しかしカルト教団も、そのスジの人間を使うことで、よく知られている。表向きは、記
事に怒った暴力団関係者が、MG氏の長男を襲ったというふうにも見える。が、ひょっ
としたら、その裏で、どこかのカルト教団が動いていた可能性もないわけではない。

 バカなことをし、バカなことを言う自由は、この日本にもある。しかしそのワクを超え
て、何かをし、何かを言う自由は、この日本には、ない。言論の自由にも、制限があると
いうわけである。

 その制限のひとつとして機能するのが、こうした暴力行為である。

 もし日本が、本当に民主主義国家を標榜(ひょうぼう)するなら、まず言論の自由を保
障すること。徹底的に保証すること。その保証するという行為の中には、当然のことなが
ら、こうした能力行為を許さないという姿勢も含まれる。

 もっともMG氏級のルポライターともなると、こうした暴力行為は、かえって逆効果。
MG氏なら、ますます反骨精神たくましく、ものを書きつづけることだろう。バカな連中
には、それがわからないだけ。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●大言壮語(たいげんそうご)

+++++++++++++++++

韓国のN大統領の大言壮語には、
もう、うんざり!

就任したときには、「北の核兵器開発
問題は、我々が解決してみせる」と言った。

そして今年(06年)も、年頭に、こう言った。

「今年は韓半島(朝鮮半島)の平和と
南北関係が、飛躍的に発展する転機となる」
(朝鮮N報)と。

++++++++++++++++

 韓国の金前大統領が、K国の金xxと、近く会談をすることになっているという。それ
について、韓国の金前大統領は、「列車で行く」と、がんばった。

 が、それについて、K国の軍部(?)が、「NO!」と。

 それもそうだろ! 韓国の金元大統領にすれば、たいへん、かっこいい話ということに
なる。数千ウオン(数百億円)もかけて鉄道を敷き、最新型の列車で、K国へ乗りこむの
だから。

 が、金前大統領にとって、(かっこいい)分だけ、K国にとっては、おもしろくない。韓
国のN大統領たちは、「?」と首をかしげているようだが、こんなことは、貧者、あるいは
弱者の立場で考えてみれば、常識。だれにも、わかるはず。

 だからK国のスポークスマンは、こう言った。「列車を使った誰それの平壌(ピョンヤン)
訪問といった行事が、例外なく協力と交流に見せかけた、政略的な企みに端を発するもの
だということをわが軍は、以前から看破していた」(朝鮮N報)と。

 それにしても、N大統領周辺の、ノー天気ぶりには、あきれるばかり。その直前まで、「ど
んな形であれ(試験運行のための軍事的保障は)得られるはず」とか、「K国軍部も同意
しているだろう」(I統一部長官)とか言って、最後の最後まで、がんばった。

 一方、K国も、K国!

 何からなにまで、すべて韓国側にやってもらいながら、「わが軍は、以前から看破してい
た」と。ならば、最初から、反対すればよかった。自分のことは、自分ですればよかった。

 さらに韓国側が全額出資し、K国のためにと開発した開城工業団地にしても、K国のス
ポークスマンは、「韓国側はおおごとのように騒いでいたが、地ならし作業を終えて試験的
な運営を行っている程度に過ぎない」「南北協力交流が短命で終わった、琴湖地区(新浦軽
水炉)の建設の二の舞にならないかどうか注視している」と。

 つまり言外で、「もっと金を出せ」と。これではまるで、韓国が自分たちの国を支えるの
が当たり前、と言っているようなもの。

 この図々しさというか、異常なまでの依存性は、いったい、どこからくるのか。こうい
う国を、「同胞」「同胞」と呼ばなければならない韓国も、さぞかし頭が痛いことだろう。

 そろそろ、韓国のN大統領も、目をさますときがきているのではないのか。N大統領が
支えているのは、共産主義国家でも社会主義国家でもない。ただの独裁国家。

 朝鮮N報(韓国系の中立新聞社)ですら、社説の題として、こう書いている。

 『相も変わらす、K国にもてあそばれる韓国政府』と。まさにそのとおり!


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

●今日から6月!

+++++++++++++++++

今日から、6月。
今月の大きな行事は、
ワイフの誕生日の祝い。

「お前の愛する夫が喜ぶような
プレゼントを、何か買ってやるよ」と
言うと、「何、それ?」と。

+++++++++++++++++

 今日から6月。しかしどこか気分は、重い。昨夜、I町で講演会の講師をしたが、時間
がなくて、最初から最初まで、早口。そのまま、すっ飛ばした。

 あとでワイフが、「早口すぎた」と、一言。つらかった。

 それで今日は、どこか気分が、重い。私は、早口。興奮してくると、さらに早口になる。
時間がないと、さらに早口になる。

 「ここからここまでは、どうしても話しておきたい」という気持ちばかりが先に立つ。
で、そうなると、あとは、時間との勝負。時計をにらみながら、一方的に、まくしたてる。

 まあ、今度の講演では、ゆっくりと話そう。今月は、10か所での講演を予定している。


●ウィルスチェック

 で、今朝、起きて一番にしたことは、パソコンのウィルスチェック。ついでに、ボット
チェック。どちらも、「感染なし」。よかった!

 ところで、昨日、生徒のKさん(小5)に、「今度、あなたのパソコンを掃除してあげる
よ」と声をかけたら、「分解するのオ?」と。

 分解して、私が掃除機で、掃除をすると思ったらしい。

 で、「ううん、電子的な掃除だから、そういうことはしない」と言うと、何がなんだかわ
けがわからない、というような表情をして見せた。

 前回、そのパソコンをたちあげてみたが、デスクトップ画面になるまでに、10分以上
も時間がかかった。それでまず、ディスクのクリーンアップを試みたが、20分近く待っ
ても、動きなし。タイムアップで、作業は中止。

 そのクリーンアップのことを、私は、「掃除」と呼んでいる。


●マガジン

 私のマガジン(Eマガ・メルマガ)を、中には、読んでくれている人もいると思う。と
きどき、そういうメールが届く。しかしそろそろ私の創作意欲も限界にきつつある(?)。

 いや、これは私の限界というより、電子マガジンそのものがもつ限界と言ったほうがよ
いかもしれない。ほかの人が発行しているマガジン(Eマガ・ランキングと読者数)を見
ても、読者数がほどんどふえていないのがわかる。

 どうしようか? どうしたらいいのか? ……と、ぼんやりと考えながら、半時間が過
ぎる。

 とにかく、9月いっぱいまで、がんばれるだけ、がんばってみよう。で、この10月か
らは、まぐまぐプレミアのほうに、力を入れることにしよう。

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いつもまぐまぐプレミアを購読してくださり、
ありがとうございます。

で、購読料のことですが、この10月から購読料を、
現行の200円(月額)から、300円に、値上げ
させてください。よろしくお願いします。

HTML版(カラー+写真)も、毎号、できるだけ
従来どおり、お届けできるように、努力します。

はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 7月 3日 第747号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●後手、後手の日本の教育改革

+++++++++++

子どもたちの意識が
変わってきています。

ご存知ですか?

+++++++++++

 約60%の中学生は、「勉強で苦労するくらいなら、部活を一生懸命して、推薦で高校へ
入ったほうが楽」と考えている。また同じく約60%の中学生は、「進学校へ入ると勉強で
しぼられるので、進学校ではない高校に入り、のんびりと好きなことをしたい」と考えて
いる。(静岡県では高校入試が、入試選抜の要になっている。これらの数字は、中学校の校
長たちのほぼ一致した見方と考えてよい。)

 こうした傾向は進学高校でもみられる。以前は勉強がよくでき、テストの点が高い子ど
もほど、周囲のものに尊敬され、クラスのリーダーになった。が、今は、ちがう。ある日
私が中間層にいる子どもたちに、「君たちもがんばって、(そういう成績優秀な連中を)負
かしてみろ」と言ったときのこと。全員(7人)がこう言った。「ぼくらはあんなヘンなヤ
ツとはちがう」と。勉強がよくできる子どもを、「ヘンなヤツ」というのだ。

 夢があるとかないとかということになれば、今の中高校生たちは、本当に夢がない。ま
た別の日、中学生たち(7人)に、「君たちもがんばって宇宙飛行士になってみろ。宇宙飛
行士のMさんも、そう言っているぞ」と言うと、とたん、みながこう言った。「どうせ、な
れないもんネ〜」と。

 こうした現実を、一体今の親たちは、どれだけ知っているだろうか。いや、すでに親た
ち自身も同じように考えているのかもしれない。こうした傾向はすでに20年以上も前か
らみられたことであり、今に始まったことではない。ひょっとしたら中学生や高校生をも
つ親の何割かも、ここにあげた中高校生のように考えているかもしれない。「どうせ勉強な
んかしてもムダ」とか、「勉強ができたところで、それがどうなのか」と。さらに今の親た
ちの世代は、長渕剛や尾崎豊の世代。「学校」に対するアレルギー反応が強い世代とみてよ
い。「学校」と聞いただけで、拒絶反応を示す親はいくらでもいる。

 問題は、なぜ日本がこうなってしまったかということよりも、こうした変化に、日本の
教育が対応しきれていないということ。いまだに旧態依然の教育制度と教育観を背負った
まま、それを親や子どもたちに押しつけようとしている。「改革」といっても、マイナーチ
ェンジばかり。とても抜本的とはいいがたいものばかり。すべてが後手、後手に回って、
教育そのものがあたふたとしているといった感じになっている。

 こうした問題に対処するには、私は教育の自由化しかない。たとえば基礎的な学習は学
校で、それ以外の学習はクラブで、というように分業する。学校は午前中で終わり、午後
はそれぞれの子どもはクラブに通う。学校内部にクラブがあっても、かまわない。先生が
クラブの指導をしても、かまわない。各種スポーツクラブのほか、釣りクラブ、演劇クラ
ブなど、さまざまなクラブが考えられる。月謝はドイツ並みに、1000円程度にする。
方法はいくらでもある。


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

●知識と思考は別

+++++++++++++++++

みなさん、
思考と情報は、別ですよ!

混同してはいけませんよ!

もの知りイコール、賢い子どもということには
なりませんよ。

+++++++++++++++++

パスカルは、『人間は考えるアシである』(パンセ)と言った。『思考が人間の偉大さをな
す』とも。よく誤解されるが、「考える」ということと、頭の中の情報を加工して、外に
出すというのは、別のことである。たとえばこんな会話。

A「昼に何を食べる?」、
B「スパゲティはどう?」、
A「いいね。どこの店にする?」、
B「今度できた、角の店はどう?」、
A「ああ、あそこか。そう言えば、誰かもあの店のスパゲティはおいしいと話していたな」
と。

 この中でAとBは、一見考えてものをしゃべっているようにみえるが、その実、この二
人は何も考えていない。脳の表層部分に蓄えられた情報を、条件に合わせて、会話として
外に取り出しているにすぎない。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。たとえば一人
の園児が掛け算の九九を、ペラペラと言ったとする。しかしだからといって、その園児は
頭がよいということにはならない。算数ができるということにはならない。

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、無意識の
うちにも、考えることを避けようとする。できるなら考えないですまそうとする。中には
考えることを他人に任せてしまう人がいる。あるカルト教団に属する信者と、こんな会話
をしたことがある。私が「あなたは指導者の話を、少しは疑ってみてはどうですか」と言
ったときのこと。その人はこう言った。「C先生は、何万冊もの本を読んでおられる。まち
がいは、ない」と。

 人間は、考えるから人間である。懸命に考えること自体に意味がある。デカルトも、『わ
れ思う、ゆえにわれあり』(方法序説)という有名な言葉を残している。正しいとか、まち
がっているとかいう判断は、それをすること自体、まちがっている。こんなことがあった。
ある朝幼稚園へ行くと、一人の園児が、わき目もふらずに穴を掘っていた。「何をしている
の?」と声をかけると、「石の赤ちゃんをさがしている」と。その子どもは、石は土の中か
ら生まれるものだと思っていた。おとなから見れば、幼稚な行為かもしれないが、その子
どもは子どもなりに、懸命に考えて、そうしていた。つまりそれこそが、パスカルのいう
「人間の偉大さ」なのである。

 多くの親たちは、知識と思考を混同している。混同したまま、子どもに知識を身につけ
させることが教育だと誤解している。「ほら算数教室」「ほら英語教室」と。それがムダだ
とは思わないが、しかしこういう教育観は、一方でもっと大切なものを犠牲にしてしまう。
かえって子どもから考えるという習慣を奪ってしまう。もっと言えば、賢い子どもという
のは、自分で考える力のある子どもをいう。いくら知識があっても、自分で考える力のな
い子どもは、賢い子どもとは言わない。頭のよし悪しも関係ない。

映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなこと
をする人のことを、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。ここをまちがえると、教
育の柱そのものがゆがんでくる。私はそれを心配する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 思考 情報 思考と情報)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【親絶対教について】

++++++++++++++++++++

M県に住む人から、「親絶対教」についての
コメントが届いた。

B氏(42歳)からのものである。

++++++++++++++++++++

【B氏より、はやし浩司へ】

親絶対教を読んで、まったく同感です。

私も田舎の親絶対教の環境に生まれた長男として、精神的に疲れていますが、貴殿の親絶
対教の記事を読んで、なにか心がすっとしました。

知る人ぞ知る「MG」という宗教(?)。その宗教にハマった、親戚一同に、スッポリと囲
まれています。私の父は実業家ですが、いまは些細な家庭内事情でたがいに口もきかない
間になり、別居する羽目になりました。父が経営する会社からも、そのうち追われるので
はないかと思っています。

私達夫婦には子供ができませんでしたが、私自身、このままだと精神的に自立できないの
ではないかと不安でした。

インターネットで「親絶対」と検索した所、貴殿の記事と出会えました。そこに「真理」
があるということを理解できて、本当に感謝いたします。

まだ人生半ば。なんとかここで、再起したいと思います。

私のような方が他にもたくさん見えると思いますので、ぜひ脱「親絶対教」を、育児の立
場だけでなく広く世間に広めてください。

ほんとにありがとうございます。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

親絶対教について書いた原稿を、もう一度手直しして、
ここに再掲載します。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【親絶対教】

++++++++++++++++++++++++

「親は絶対」と思っている人は、多いですね。
これを私は、勝手に、親絶対教と呼んでいます。
どこかカルト的だから、宗教になぞらえました。

今夜は、それについて考えてみます。

まだ、未完成な原稿ですが、これから先、この原稿を
土台にして、親のあり方を考えていきたいと
思っています。

04年6月27日
(再構成 06年5月30日)

++++++++++++++++++++++++
          
●親が絶対!

 あなたは、親に産んでもらったのです。
 その恩を、忘れてはいけません。
 親があったからこそ、今、あなたがいるのです。

 産んでもらっただけではなく、育ててもらいました。
 学校にも通わせてもらいました。
 言葉が話せるようになったのも、あなたの親のおかげです。

 親の恩は、山より高く、海よりも深いものです。
 その恩を、決して忘れてはいけません。
 親は、あなたにとって、絶対的な存在なのです。
 
 親に逆(さか)らうのは、もってのほか。
 あなたが一番大切にすべきことは、
 親孝行です。

 親孝行こそが、あなたの人生を明るく照らす、真理です。

 ……というのが、親絶対教の考え方の基本になっている。

●カルト

 親絶対教というのは、根が深い。親から子へと、代々と引きつがれている。しかも、そ
の人が乳幼児のときから、徹底的に、叩きこまれている。叩きこまれているというより、
脳の奥深くに、しみこまされている。青年期になってから、何かの宗教に走るのとは、わ
けがちがう。

 そもそも「基底」そのものものが、ちがう。

 子どもは、母親の胎内で、10か月近く宿る。生まれたあとも、母親の乳を得て、成長
する。何もしなくても、つまり放っておいても、子どもは、親絶対教にハマりやすい。あ
るいはほんの少しの指導で、子どもは、そのまま親絶対教の信者となっていく。

 最近の研究では、人間にも、鳥のような(刷り込み)があることが、わかってきた。生
後直後から、数週間にかけて、そうなるという。この時期を、「敏感期」と呼んでいる。も
う少し詳しく説明しよう。

●刷り込み

 刷り込み……アヒルやカモなど、孵化後、すぐ歩き始める鳥類は、最初に見たり、聞い
たりしたものを、親や、親の声だと思うようになるという。しかしその時期は、孵化後す
ぐから、24時間以内だという。その短時間の間に、脳の中に、刷り込まれるという。

 そしてここが重要だが、一度、その刷り込みが行われると、それ自体が、やりなおしが
きかなくなるという。だから「刷り込み」のことを、(やりなおしのきかない学習)と呼ぶ
学者もいる。その鳥は、生涯にわたって、その刷り込みに支配されるようになる。

 実は、人間にも、そういう刷り込みに似た現象が起きていることが、わかっている。生
後直後から、数週間の間だと、いわれている。「敏感期」と呼ばれる時期がそれである。新
生児は、生後直後から、この敏感期に入り、やがてすぐ、どの人が自分の親であるかを、
脳の中に刷り込むと言われている。

 この時期に(刷り込まれたもの)を、子どもは、親として、絶対視するようになる。

 そんなわけで、親を絶対視するのは、その人の勝手だが、だからといって、「親は絶対」
と考えるのは、正しくない。鳥のばあいだが、孵化した直後、人間の姿を見せたり、人間
の声を聞かせたりすると、人間を親と思うようになる。

「産んでやった」という言葉を口にする親は多い。しかしそれはあくまでも結果。生ま
れる予定の子どもが、幽霊か何かの姿で、親の前に出てきて、「私を産んでくれ」と頼ん
だというのなら、話は別。しかしそういうことはありえない。

 少し話が飛躍してしまったが、親絶対教の基底には、「親がいたからこそ、子どもが生ま
れた」という考え方がある。親あっての、子どもということになる。その考え方が基礎に
なって、親は子どもに向かって、「産んでやった」「育ててやった」と言うようになる。

 それを受けて子どもは、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言うよう
になる。「恩」とか、「孝行」とかいう概念も、そこから生まれる。

●親は、絶対!

 親絶対教の信者たちは、子どもが親に逆らうことを許さない。口答えなど、もってのほ
か。親自身が、子どもは、親のために犠牲になって当然、と考える。そして自分のために
犠牲になっている、あるいは献身的につくす子どもをみながら、「親孝行のいい息子(娘)」
と、それを誇る。

 いろいろな例がある。

 父親が、脳内出血で倒れた夜、九州に住んでいたKさん(女性、その父親の長女)は、
神奈川県の実家の近くにある病院まで、電車でかけつけた。

 で、夜の9時ごろ、完全看護ということもあり、またほかにとくにすることもなかった
ので、Kさんは、実家に帰って、その夜は、そこで泊まった。

 が、それについて、妹の義理の父親(義理の父親だぞ!)が、激怒した。あとで、Kさ
んにこう言ったという。「娘なら、その夜は、寝ずの看病をすべきだ。自分が死んでも、病
院にとどまって、父親の容態を心配するのが、娘の務めではないのか!」と。

 この言葉に、Kさんは、ひどく傷ついた。そして数か月たった今も、その言葉に苦しん
でいる。

 もう一つ、こんな例がある。一人娘が、嫁いで家を出たことについて、その母親は、「娘
は、親を捨てた」「家をメチャメチャにした」と騒いだという。「こんなことでは、近所の
人たちに恥ずかしくて、外も歩けない」と。

 さらにこんな例もある。

 ある母親は、息子から預かった土地の権利書を、勝手に売り飛ばし、それで得たお金を、
母親の実家に貢いでいた。そこで息子が泣きながら、それに抗議すると、その母親は、こ
う言い放ったという。

 「私は、自分のために、お金を使ったのではない。(私の)実家のために使った。お前も
世話になったことがあるだろ! 親が先祖を守るために、息子のお金を使って、どこが悪
い!」と。

 そうした親の心情は、常人には、理解できない。その理解できないところが、どこかカ
ルト的である。だから「親絶対教」という。親絶対教には、そういう側面がある。

●子が先か、親が先か

 親絶対教では、「親あっての、子ども」と考える。

 これに対して、実存主義的な立場では、つぎのように考える。

 「私は生まれた」「生まれてみたら、そこに親がいた」「私がいるから、親を認識できる」
と。あくまでも「私」という視点を中心にして、親をみる。
 
 親を見る方向が、まったく逆。だから、ものの考え方も、180度、変ってくる。

 たとえば今度は、自分の子どもをみるばあいでも、親絶対教の人たちは、「産んでやった」
「育ててやった」と言う。しかし実存主義的な考え方をする人は、「お前のおかげで、人生
を楽しく過ごすことができた」「有意義に過ごすことができた」というふうに、考える。子
育てそのものを、「今」という時点から、とらえる。

 こうしたちがいは、結局は、親が先か、子どもが先かという議論に集約される。さらに
もう少し言うなら、「産んでやった」と言う親は、心のどこかに、ある種の犠牲心をともな
う?

たとえばNさんは、どこか不本意な結婚をした。俗にいう「腹いせ婚」というのかもし
れない。好きな男性がほかにいたが、その男性が結婚してしまった。それで、今の夫と、
結婚した。

そして、今の子どもが生まれた。その子どもどこか不本意な子どもだった。生まれたと
きから、何かにつけて発育が遅れた。Nさんには、当然のことながら、子育てが重荷だ
った。子どもを好きになれなかった。

そのNさんは、そんなわけで、子どもには、いつも、「産んでやった」「育ててやった」
と言うようになった。その背景にあるのは、「私が、子どものために犠牲になってやった」
「私は、子どものために犠牲になっている」という思いである。

 しかし親にとっても、子どもにとっても、それほど、不幸な関係はない。……と、私は
そう思うが、ここで一つのカベにぶつかる。

 親が、親絶対教の信者であり、その子どももまた、親絶対教であれば、その親子関係は、
それなりにうまくいくということ。子どもに犠牲を求めて平気な親と、親のために平気で
犠牲になる子ども。こうした関係では、親子関係も、それなりにうまくいく。

 問題は、たとえば結婚などにより、そういう親子関係をもつ、夫なり、妻の間に、他人
が入ってくるばあいである。

●夫婦のキレツ

 ある男性(55歳)は、こう言った。「私には、10歳、年上の姉がいます。しかしその
姉は、はやし先生が言うところの、親絶対教の信者なのですね。父は今でも、元気で生き
ていますが、父の批判をしただけで、狂ったように、反論します。『お父さんの悪口を言う
人は、たとえ弟でも許さない!』とです。

だから話しあいになりません。母は数年前に他界しましたが、法事の費用について文句
を言っただけで、姉は、やはり狂ったように怒りだします」と。

 兄弟ならまだしも、夫婦でも、こうした問題をかかえている人は多い。

 よくある例は、夫が、親絶対教で、妻が、そうでないケース。ある女性(40歳くらい)
は、昔、こう言った。

 「私が夫の母親(義理の母親)と少しでも対立しようものなら、私の夫は、私に向って、
こう言います。『ぼくの母とうまくできないようなら、お前のほうが、この家を出て行け』
とです。妻の私より、母のほうが大切だというのですね」と。

 今でこそ少なくなったが、少し前まで、農家に嫁いだ嫁というのは、嫁というより、家
政婦に近いものであった。ある女性(70歳くらい)は、こう言った。

 「私なんか、今の家に嫁いできたときは、召使いのようなものでした。夫の姉たちにす
ら、あごで使われました」と。

●親絶対教の特徴

 親絶対教の人たちが決まってもちだすのが、「先祖」という言葉である。そしてそれがそ
のまま、先祖崇拝につながっていく。親、つまり親の親、さらにその親は、絶対という考
え方が、積もりにつもって、「先祖崇拝」へと進む。

 先祖あっての子孫と考えるわけである。どこか、アメリカのインディアン的? アフリ
カの土着民的? 

 しかし本当のことを言えば、それは先祖のためというよりは、自分自身のためである。
自分という親自身を絶対化するために、また絶対化してほしいがために、親絶対教の信者
たちは、先祖という言葉をよく使う。

 ある男性(60歳くらい)は、いつも息子や息子の嫁たちに向って、こう言っている。「今
の若いものたちは、先祖を粗末にする!」と。

 その男性がいうところの先祖というのは、結局は、自分自身のことをいう。まさか「自
分を大切にしろ」とは、言えない。だから、少し的をはずして、「先祖」という言葉を使う。

 こうした例は、このH市でも見られる。21世紀にもなった今。しかも人口が60万人
もいる、大都市でも、である。

中には、先祖崇拝を、教育理念の根幹に置いている評論家もいる。さらにこれは本当に
あった話だが、(こうして断らねばならないほど、ありえない話に思われるかもしれない
が……)、こんなことがあった。

 ある日の午後、一人の女性が、私の教室に飛びこんできて、こう叫んだ。「あんたは、先
祖を否定しているようだが、そういう教育者は、教育者と失格である。あちこちで講演活
動をしているようだが、即刻、そういった活動をやめろ」と。

 まだ30歳そこそこの女性だったから、私は、むしろ、そちらのほうに驚いた。彼女も
また、親絶対教の信者であった。

 しかしこうした言い方、つまり先祖にかこつけて、自分に利益を誘導するような言い方
は、卑怯(失礼!)ではないのか。

 数年前、ある寺で、説法を聞いたときのこと、終わりがけに、その寺の住職が私たちの
こう言った。

 「お志(こころざし)のある方は、どうか仏様を供養(くよう)してください」と。そ
の寺では、「供養」というのは、「お布施」つまり、マネーのことをいう。まさか「自分に
金を出せ」とは言えない。
 
だから、(自分)を、(仏様)に、(お金)を、(供養)に置きかえて、そう言う。

 親絶対教の信者たちが、息子や娘に向って、「お前たちのかわりにご先祖様を祭ってやる
からな」と言いつつ、金を取る言い方に、よく似ている。

 これに実家意識が加わると、さらに問題が複雑になる。

 ある息子が家を新築したとき、母親が飛んできて、こう言ったという。「自分の家を建て
るより、実家を建てなおすのが、先だろ!」と。

 世の中には、そういう親もいる。

●親絶対教信者との戦い

 「戦い」といっても、その戦いは、やめたほうがよい。それはまさしく、カルト教団の
信者との戦いに似ている。親絶対教が、その人の哲学的信条になっていることが多く、戦
うといっても容易ではない。

 それこそ、10年単位の戦いということになる。

 先にも書いたように、親絶対教の信者であっても、それなりにハッピーな人たちに向っ
て、「あなたはおかしい」とか、「まちがっている」などと言っても、意味はない。

 人、それぞれ。

 それに仮に、戦ったとしても、結局は、その人からハシゴをはずすことで終わってしま
う。「あなたはまちがっている」と言う以上は、それにかわる新しい思想を用意してやらね
ばならない。ハシゴだけはずして、あとは知りませんでは、通らない。

 しかしその新しい思想を用意してやるのは、簡単なことではない。その人に、それだけ
の学習意欲があれば、まだ話は別だが、そうでないときは、そうでない。時間もかかる。

 だから、そういう人たちは、そういう人たちで、そっとしておいてあげるのも、私たち
の役目ということになる。

たとえば、私の生まれ故郷には、親絶対教の信者たちが多い。そのほかの考え方ができ
ない……というより、そのほかの考え方をしたことがない人たちばかりである。そうい
う世界で、私一人だけが反目しても、意味はない。へたに反目すれば、反対に、私のほ
うがはじき飛ばされてしまう。

 まさにカルト。その団結力には、ものすごいものがある。

 つまり、この問題は、冒頭にも書いたように、それくらい、「根」が深い。

 で、この文章を読んでいるあなたはともかくも、あなたの夫(妻)や、親(義理の親)
たちが、親絶対教であるときも、今、しばらくは、それに同調するしかない。私が言う「1
0年単位の戦い」というのは、そういう意味である。

●自分の子どもに対して……

 参考になるかどうかはわからないが、私は、自分の子どもたちを育てながら、「産んでや
った」とか、「育ててやった」とか、そういうふうに考えたことは一度もない。いや、とき
どき、子どもたちが生意気な態度を見せたとき、そういうふうに、ふと思うことはある。

 しかし少なくとも、子どもたちに向かって、言葉として、それを言ったことはない。

 「お前たちのおかげで、人生が楽しかったよ」と言うことはある。「つらいときも、がん
ばることができたよ」と言うことはある。「お前たちのために、80歳まで、がんばってみ
るよ」と言うことはある。しかし、そこまで。

 子どもたちがまだ幼いころ、私は毎日、何かのおもちゃを買って帰るのが、日課になっ
ていた。そういうとき、自転車のカゴの中の箱や袋を見ながら、どれだけ家路を急いだこ
とか。

 そして家に帰ると、3人の子どもたちが、「パパ、お帰り!」と叫んで、玄関まで走って
きてくれた。飛びついてきてくれた。

 それに今でも、子どもたちがいなければ、私は、こうまで、がんばらなかったと思う。
寒い夜も、なぜ自転車に乗って体を鍛えるかといえば、子どもたちがいるからにほかなら
ない。

 そういう子どもたちに向かって、どうして「育ててやった」という言葉が出てくるのか?
 私はむしろ逆で、子どもたちに感謝しこそすれ、恩を着せるなどということは、ありえ
ない。

 今も、たまたま三男が、オーストラリアから帰ってきている。そういう三男が、夜、昼
となく、ダラダラと体を休めているのを見ると、「これでいいのだ」と思う。

 私たち夫婦が、親としてなすべきことは、そういう場所を用意することでしかない。「疲
れたら、いつでも家にもどっておいで。家にもどって、羽を休めなよ」と。

 そして子どもたちの前では、カラ元気をふりしぼって、明るく振るまって見せる。

●対等の人間関係をめざして

 一方、親は親で、親であるという、『デアル論』に決して、甘えてはいけない。

 親であるということは、それ自体、たいへんきびしいことである。そのきびしさを忘れ
たら、親は親でなくなってしまう。

 いつかあなたという親も、子どもに、人間として評価されるときがやってくる。対等の
人間として、だ。

 そういうときのために、あなたはあなたで、自分をみがかねばならない。みがいて、子
どもの前で、それを示すことができるようにしておかなければならない。

 結論から先に言えば、そういう意味でも、親絶対教の信者たちは、どこか、ずるい。「親
は絶対である」という考え方を、子どもに押しつけて、自分は、その努力から逃げてしま
う。自ら成長することを、避けてしまう。

 昔、私のオーストラリアの友人は、こう言った。

 「ヒロシ、親には三つの役目がある。一つは、子どもの前を歩く。ガイドとして。もう
一つは、子どものうしろを歩く。保護者(プロテクター)として。そしてもう一つは、子
どもの横を歩く。子どもの友として」と。

 親絶対教の親たちは、この中の一番目と二番目は得意。しかし三番目がとくに、苦手。
友として、子どもの横に立つことができない。だから子どもの心をつかめない。そして多
くのばあい、よき親子関係をつくるのに、失敗する。

 そうならないためにも、親絶対教というのは、害こそあれ、よいことは、何もない。

【追記】

 親絶対教の信者というのは、それだけ自己中心的なものの見方をする人と考えてよい。
自分という(親)を中心にして、ものを考える。そしてその返す刀で、子どもを自分の(モ
ノ)というふうに、とらえる。そういう意味では、精神の完成度の低い人とみてよい。

 たとえば乳幼児は、自己中心的なものの考え方をすることが、よく知られている。そし
て不思議なことがあったり、自分には理解できないことがあったりすると、すべて親のせ
いにする。

 こうした乳幼児特有の心理状態を、幼児教育の世界では、「人工論」という言葉を使って
説明する。

 子どもは親によって作られるという考え方は、まさにその人工論の延長線上にあると考
えてよい。つまり親絶対教の人たちは、こうした幼稚な自己中心性を残したまま、おとな
になったと考えられる。

 そこでこう考えたらどうだろうか。

 子どもといっても、私という人間を超えた、大きな生命の流れの中で、生まれる、と。

 私もあるとき、自分の子どもの手先を見つめながら、「この子どもたちは、私をこえた、
もっと大きな生命の流れの中で、作られた」と感じたことがある。

 「親が子どもをつくるとは言うが、私には、指一本、つくったという自覚がない」と。

 私がしたことと言えば、ワイフとセックスをして、その一しずくを、ワイフの体内に射
精しただけである。ワイフにしても、自分の意思を超えた、はるかに大きな力によって、
子どもを宿し、そして出産した。

 そういうことを考えていくと、「親が子どもを作る」などという話は、どこかへ吹っ飛ん
でしまう。

 たしかに子どもは、あなたという親から生まれる。しかし生まれると同時に、子どもと
いえでも、一人の独立した人間である。現実には、なかなかそう思うのも簡単なことでは
ないが、しかし心のどこかでいつも、そういうものの考えた方をすることは、大切なこと
ではないのか。

【補足】

 だからといって、親を粗末にしてよいとか、大切にしなくてよいと言っているのではな
い。どうか、誤解しないでほしい。もちろんいつか、ある女性が私に向かって言ったよう
に、先祖を否定しているのでもない。

 私がここで言いたいのは、あなたがあなたの親に対して、どう思うおうとも、それはあ
なたの勝手ということ。あなたが親絶対教の信者であっても、まったくかまわない。

 重要なことは、あなたがあなたの子どもに、その親絶対教を押しつけてはいけないこと。
強要してはいけないこと。私は、それが結論として、言いたかった。
(はやし浩司 親絶対教 親は絶対 乳幼児の人工論 人工論 はやし浩司 家庭教育
 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 親孝行 孝行論)

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以前、こんな原稿を書いたことがあります。
内容が少しダブりますが、どうか、参考に
してください。

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●かわいい子、かわいがる

 日本語で、「子どもをかわいがる」と言うときは、「子どもにいい思いをさせること」「子
どもに楽をさせること」を意味する。

一方、日本語で「かわいい子ども」と言うときは、「親にベタベタと甘える子ども」を意味
する。反対に親を親とも思わないような子どもを、「かわいげのない子ども」と言う。地方
によっては、独立心の旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

 この「かわいい」という単語を、英語の中にさがしてみたが、それにあたる単語すらな
い。あえて言うなら、「チャーミング」「キュート」ということになるが、これは「容姿が
かわいい」という意味であって、ここでいう日本語の「かわいい」とは、ニュアンスが違
う。もっともこんなことは、調べるまでもない。「かわいがる」にせよ、「かわいい」にせ
よ、日本という風土の中で生まれた、日本独特の言葉と考えてよい。

 ところでこんな母親(七六歳)がいるという。横浜市に住む読者から届いたものだが、
内容を、まとめると、こうなる。

 その男性(43歳)は、その母親(76歳)に溺愛されて育ったという。だからある時
期までは、ベタベタの親子関係で、それなりにうまくいっていた。が、いつしか不協和音
が目立つようになった。きっかけは、結婚だったという。

 その男性が自分でフィアンセを見つけ、結婚を宣言したときのこと。もちろん母親に報
告したのだが、その母親は、息子の結婚の話を聞いて、「くやしくて、くやしくて、その夜
は泣き明かした」(男性の伯父の言葉)そうだ。

そしてことあるごとに、「息子は、横浜の嫁に取られてしまいました」「親なんて、さみし
いものですわ」「息子なんて、育てるもんじゃない」と言い始めたという。

 それでもその男性は、ことあるごとに、母親を大切にした。が、やがて自分のマザコン
性に気づくときがやってきた。と、いうより、一つの事件が起きた。いきさつはともかく
も、そのときその男性は、「母親を取るか、妻を取るか」という、択一に迫られた。

結果、その男性は、妻を取ったのだが、母親は、とたんその男性を、面と向かって、の
のしり始めたというのだ。「親を粗末にする子どもは、地獄へ落ちるからな」とか、「親
の悪口を言う息子とは、縁を切るからな」とか。その前には、「あんな嫁、離婚してしま
え」と、何度も電話がかかってきたという。

 その母親が、口グセのように使っていた言葉が、「かわいがる」であった。その男性に対
しては、「あれだけかわいがってやったのに、恩知らず」と。「かわいい」という言葉は、
そういうふうにも使われる。

 その男性は、こう言う。

「私はたしかに溺愛されました。しかし母が言う『かわいがってやった』というのは、
そういう意味です。しかし結局は、それは母自身の自己満足のためではなかったかと思
うのです。

たとえば今でも、『孫はかわいい』とよく言いますが、その実、私の子どものためには、
ただの一度も遊戯会にも、遠足にも来てくれたことがありません。母にしてみれば、『お
ばあちゃん、おばあちゃん』と子どもたちが甘えるときだけ、かわいいのです。

たとえば長男は、あまり母(=祖母)が好きではないようです。あまり母には、甘えま
せん。だから母は、長男のことを、何かにつけて、よく批判します。私の子どもに対す
る母の態度を見ていると、『ああ、私も、同じようにされたのだな』ということが、よく
わかります」と。

 さて、あなたは、「かわいい子ども」という言葉を聞いたとき、そこにどんな子どもを思
い浮かべるだろうか。子どもらしいしぐさのある子どもだろうか。表情が、愛くるしい子
どもだろうか。それとも、親にベタベタと甘える子どもだろうか。一度だけ、自問してみ
るとよい。
(02−12−30)

●独立の気力な者は、人に依頼して悪事をなすことあり。(福沢諭吉「学問のすゝめ」)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●親風、親像、親意識

 親は、どこまで親であるべきか。また親であるべきでないか。

 「私は親だ」というのを、親意識という。この親意識には、二種類ある。善玉親意識と、
悪玉親意識である。

 「私は親だから、しっかりと子どもを育てよう」というのは、善玉親意識。しかし「私
は親だから、子どもは、親に従うべき」と、親風を吹かすのは、悪玉親意識。悪玉親意識
が強ければ強いほど、(子どもがそれを受け入れればよいが、そうでなければ)、親子の間
は、ギクシャクしてくる。

 ここでいう「親像」というのは、親としての素養と考えればよい。人は、自分が親に育
てられたという経験があってはじめて、自分が親になったとき、子育てができる。そうい
う意味では、子育てができる、できないは、本能ではなく、学習によって決まる。その身
についた素養を、親像という。

 この親像が満足にない人は、子育てをしていても、どこかギクシャクしてくる。あるい
は「いい親であろう」「いい家庭をつくろう」という気負いばかりが強くなる。一般論とし
て、極端に甘い親、反対に極端にきびしい親というのは、親像のない親とみる。不幸にし
て不幸な家庭に育った親ほど、その親像がない。あるいは親像が、ゆがんでいる。

 ……というような話は、前にも書いたので、ここでは話を一歩、先に進める。

 どんな親であっても、親は親。だいたいにおいて、完ぺきな親など、いない。それぞれ
がそれぞれの立場で、懸命に生きている。そしてそれぞれの立場で、懸命に、子育てをし
ている。その「懸命さ」を少しでも感じたら、他人がとやかく言ってはいけない。また言
う必要はない。

 ただその先で、親は、賢い親と、そうでない親に分かれる。(こういう言い方も、たいへ
ん失礼な言い方になるかもしれないが……。)私の言葉ではない。法句経の中に、こんな一
節がある。

『もし愚者にして愚かなりと知らば、すなわち賢者なり。愚者にして賢者と思える者こそ、
愚者というべし』と。つまり「私はバカな親だ」「不完全で、未熟な親だ」と謙虚になれる
親ほど、賢い親だということ。そうでない親ほど、そうでないということ。

 一般論として、悪玉親意識の強い人ほど、他人の言葉に耳を傾けない。子どもの言うこ
とにも、耳を傾けない。「私は正しい」と思う一方で、「相手はまちがっている」と切りかえす。

子どもが親に向かって反論でもしようものなら、「何だ、親に向かって!」とそれを押さえ
つけてしまう。ものの考え方が、何かにつけて、権威主義的。いつも頭の中で、「親だから」
「子どもだから」という、上下関係を意識している。

 もっとも、子どもがそれに納得しているなら、それはそれでよい。要は、どんな形であ
れ、またどんな親子であれ、たがいにうまくいけばよい。しかし今のように、価値観の変
動期というか、混乱期というか、こういう時代になると、親と子が、うまくいっているケ
ースは、本当に少ない。

一見うまくいっているように見える親子でも、「うまくいっている」と思っているのは、親
だけというケースも、多い。たいていどこの家庭でも、旧世代的な考え方をする親と、そ
れを受け入れることができない子どもの間で、さまざまな摩擦(まさつ)が起きている。

 では、どうするか? こういうときは、親が、子どもたちの声に耳を傾けるしかない。
いつの時代でも、価値観の変動は、若い世代から始まる。そして旧世代と新生代が対立し
たとき、旧世代が勝ったためしは、一度もない。言いかえると、賢い親というのは、バカ
な親のフリをしながら、子どもの声に耳を傾ける親ということになる。

 親として自分の限界を認めるのは、つらいこと。しかし気負うことはない。もっと言え
ば、「私は親だ」と思う必要など、どこにもない。冒頭に書いたように、「どこまで親であ
るべきか」とか、「どこまで親であるべきではないか」ということなど、考えなくてもよい。
無論、親風を吹かしたり、悪玉親意識をもったりする必要もない。ひとりの友として、子
どもを受け入れ、あとは自然体で考えればよい。

 なお「親像」に関しては、それ自体が大きなテーマなので、また別の機会に考える。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 親絶対教 親の権威 親風 権威主義の親 親孝行 孝行論)

 
Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

●マザコン型人間

 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。
このうち本能的な愛と代償的愛に溺れた状態を、溺愛という。そしてその溺愛がつづくと、
いわゆる溺愛児と呼ばれる子どもが生まれる。

 その溺愛児は、たいていつぎのような経過をたどる。ひとつはそのまま溺愛児のままお
となになるタイプ。もうひとつは、その途中で、急変するタイプ。ふつうの急変ではない。
たいていはげしい家庭内暴力をともなう。

 で、そのまま進むと、いわゆるマザーコンプレックス(マザコン)タイプのおとなにな
る。おとなになっても、何かにつけて、「ママ、ママ」とか、「お母さん、お母さん」と言
うようになる。このマザコンタイプの人の特徴は、(1)マザコン的であることを、理想の
息子と思い込むこと。(圧倒的に母と息子の関係が多いので、ここでは母と息子の関係で考
える。)それはちょうど溺愛ママが、溺愛を、「親の深い愛」と誤解するのに似ている。そ
して献身的かつ犠牲的に、母親に尽くすことを美徳とし、それを他人に誇る。これも溺愛
ママが、自分の溺愛ぶりを他人に誇示するのに似ている。

 つぎに(2)自分のマザコンぶりを正当化するため、このタイプの男性は、親を徹底的
に美化しようとする。「そういうすばらしい親だから、自分が親に尽くすのは、正しいこと
だ」と。そういう前提を自分の中につくる。そのために、親のささいな言動をとらえて、
それをおおげさに評価することが多い。これを「誇大視化」という。「巨大視化」という言
葉を使う人もいる。

「私の母は、○○のとき、こう言って、私を導いてくれました」とかなど。カルト教団
の信者たちが、よく自分たちの指導者を誇大視することがあるが、それに似ている。「親
孝行こそ最大の美徳」と説く人は、たいていこのタイプの男性とみてよい。G氏(54
歳男性)もそうだ。何かにつけて、10年ほど前に死んだ自分の母親を自慢する。だれ
かが批判めいたことを言おうものなら、猛烈にそれに反発する。あるいは自分を悪者に
したてても、死んだ母親をかばおうとする。

 マザコンタイプの人は、自分では結構ハッピーなのだろうが、問題は、そのため、たい
ていは夫婦関係がおかしくなる。妻が、夫のマザコンぶりに耐えられないというケースが
多い。しかし悲劇はそれで終わらない。マザコンタイプの夫は、自分でそれに気づくこと
は、まずない。「親をとるか、妻をとるか」と迫られたりすると、「親をとる」とか、「当然、
親」と答えたりする。

反対に妻に、「親のめんどうをしっかりみてくれなければ、離婚する」などと言うことも
ある。そもそも結婚するとき、婚約者に「(私と結婚するなら)親のめんどうをみること」
というような条件を出すことが多い。親は親で、そういう息子を、できのよい息子と喜
ぶ。あとはこの繰り返し。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●マザコン度テスト

 つぎの12の質問項目のうち、6つ以上、当てはまれば、かなりのマザコン人間とみて
よい。(権威主義的なものの考え方が混在しているタイプのマザコン人間)

( )いつも生活の中心に親がいる。親がいないと何も始まらないという感じ。重要なこ
とは、何でも親に相談したり、報告したりする。
( )「親は絶対」という意識が強く、親に反抗したり、親を粗末にするということは、考
えられない。献身的かつ犠牲的な親孝行をするのが、子どもの務めと考えている。
( )「親を選ぶか、妻を選ぶか」という択一に迫られたようなとき、「親!」と当然のよ
うに考える。そういう意味では、妻は、親の前では家政婦のような存在でしかない。
( )親の悪口を言ったりする人を許さない。あるいは徹底的に反論し、それを「息子の
カガミ」と、かえって他人に誇示することが多い。
( )常日ごろから、「産んでいただきました」「育てていただきました」と、親に感謝す
ることを美徳とする。また自分の息子や娘にも、同じように思うように求める。
( )親を喜ばすことを、最大の目標とし、一方親は親で、そういう息子を、「親孝行で、
できのいい息子」と評価することが多い。
( )家庭や家族の中での上下意識が強く、自分の親には服従的である一方、自分の子ど
もが反抗したりすると、「親に向かって何だ!」というような言い方をする。
( )妻や家族といるよりも親といるほうが、なごやかな雰囲気になり、安心しているよ
うな様子や表情を見せる。
( )自分の妻よりも、母親のほうに、より広く心を開くことができる。悲しいことやつ
らいことがあると、妻に相談するよりも先に、母親に相談することが多い。
( )森進一の「おふくろさん」を聞いたりすると、涙を流さんばかりに感動したり、そ
れを「すばらしい歌」と評価する。
( )親の間では、まさに「子ども」といった感じになる。親は親で、まるで子ども扱い
をし、またそう扱われることを当然と納得している。
( )親を必要以上に美化することが多い。親のささいな部分をとらえて、親のすばらし
さ、あるいは自分の親のすばらしさを強調する。

 こうしたマザコン人間に、それを指摘すると、猛烈に反発するので、注意すること。マ
ザコンであること自体が、その人の人生観の基本になっていることが多い。したがって妻
の立場でいうなら、仮に夫がマザコン人間であるなら、それを受け入れるしかない。この
問題は対処のし方をまちがえると、たいへんな家庭騒動に発展する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
マザコン度 マザコン度テスト マザーコンプレックス度)


【補注】

●誇大視化

 カルト教団の指導法には、いくつかの特徴がある。その一つが「誇大視化」。「巨大視化」
と呼ぶ人もいる。ささいな矛盾や、ささいなまちがいをとらえて、ことさらそれを大げさ
に問題にし、さらにその矛盾やまちがいを理由に、相手を否定するという手法である。

 しかしこうした手法は、何もカルト教団に限らない。教育カルトと呼ばれる団体でも、
ごくふつうに見られる現象である。あるいは教育パパ、教育ママと呼ばれる人たちの間で
も、ごくふつうに見られる現象である。つい先日も、こんなことがあった。

 私はときどき、席を立ってフラフラ歩いている子どもに、こう言うことがある。「パンツ
にウンチがついているなら、立っていていい」と。もちろん冗談だし、そういう言い方の
ほうが、「座っていなさい」「立っていてはだめ」と言うより、ずっと楽しい(?)。そのと
きもそうだった。が、ここでハプニングが起きた。そばにいた別の子どもが、その子ども
(小二男児)のおしりに顔をうずめて、「クサイ!」と言ってしまったのだ。「先生、コイ
ツのおしり、本当にクサイ!」と。

 で、そのときは皆が、それで笑ってすんだ。が、その夜、彼の父親から猛烈な抗議の電
話がかかってきた。「息子のパンツのウンチのことで、恥をかかせるとは、どういうこと
だ!」と。私はただ平謝りに謝るしかなった。が、それで終わったわけではない。それか
ら3か月もたったある日のこと。その子どもが突然、私の教室をやめると言い出した。見
ると、父親からの手紙が添えられてあった。いわく、「お前は、教師として失格だ。あちこ
ちで講演をしているというが、今すぐ講演活動をやめろ。それでもお前は日本人か」と。

 ここまで否定されると、私とて黙ってはおれない。すぐ電話をすると、母親が出たが、
母親は、「すみません、すみません」と言うだけで、会話にならなかった。で、私のほうも、
それですますしかなかったが、それがここでいう、「誇大視化」である。

たしかに私は失敗をした。しかしそういう失敗は、こういう世界ではつきもの。その失
敗を恐れていたら、教育そのものができない。教育といっても、基本的には人間関係で
決まる。で、そういう一部の失敗をことさら大げさにとらえ、それでもって、相手を否
定する。ふつうの否定ではない。全人格すら否定する。

 そういえば、あるカルト教団では、相手の顔色をみて、その人の全人格を判断するとい
う。「死に際の様子を見れば、その人の全生涯がわかる」と説く教団もある。それはまさに
誇大視化である。皆さんも、じゅうぶん、この誇大視化には、注意されたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
誇大視 誇大視化 巨大視 巨大視化)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

【親絶対教について】

●事例(1)……心を解き放て!

 今どき「先祖だ」「家だ」などと言っている人の気がしれない。……と書くのは、簡単だ。
またこう書いたからといって、その先祖や家にしばられて苦しんでいる人には、みじんも
助けにならない。

Yさん(45歳女性)がそうだ。盆になると、位牌だけでも300個近く並ぶ旧家にY
さんは嫁いだ。何でも後醍醐天皇の時代からの旧家だそうだ。で、今は、70歳になる
祖父母、Yさん夫婦、それに1男1女の3世代同居。正確には同じ敷地内に、別棟をも
うけて同居している。が、そのことが問題ではない。

 祖母はともかくも、祖父とYさん夫婦との間にはほとんど会話がない。Yさんはこう言
う。「同居といっても形だけ。私たち夫婦は、共働きで外に出ています」と。

しかし問題はこのことではない。「毎月、しきたり、しきたりで、その行事ばかりに追わ
れています。手を抜くと祖父の機嫌が悪くなるし、そうかといって家計を考えると、祖
父の言うとおりにはできないのです」と。しかしこれも問題ではない。

Yさんにとって最大の問題は、そういう家系だから、「嫁」というのは家政婦。「孫」と
いうのとは、跡取り程度にしか考えてもらえないということらしい。「盆暮れになると、
叔父、叔母、それに甥や姪、さらにはその子どもたちまでやってきて、我が家はてんや
わんやになります。私など、その間、横になって休むこともできません」と。

たまたま息子(中3)のできがよかったからよいようなものの、祖父はいつもYさんに
こう言っているそうだ。「うちは本家だから、孫にはA高校以上の学校に入ってもらわね
ば困る」と。

 Yさんは、努めて家にはいないようにしているという。何か会合があると、何だかんだ
と口実をつくってはでかけているという。それについても祖父はあれこれ言うらしい。し
かし「そういうことでもしなければ、気がヘンになります」とYさんは言う。

一度、たまたま祖父だけが家に残り、そのときYさんが食事の用意をするのを忘れてし
まったという事件があった。「事件」というのもおおげさに聞こえるかもしれないが、そ
れはまさに事件だった。激怒した祖父は、Yさんの夫を電話で呼びつけ、夫に電気釜を
投げつけたという。「お前ら、先祖を、何だと思っている!」と。

 こういう話を聞いていると、こちらまで何かしら気がヘンになる。無数のクサリが体中
に巻きついてくるような不快感だ。話を聞いている私ですらそうなのだから、Yさんの苦
痛は相当なものだ。で、私はこう思う。

日本はその経済力で、たしかに先進国の仲間入りはしたが、その中身は、アフリカかど
こかの地方の、○○民族とそれほど違わないのでは、と。もちろん伝統や文化はあるだ
ろう。それはそれとして大切にしなければならないが、しかし今はもう、そういうもの
を個人に押しつける時代ではない。「こういう伝統がある」と話すのは、その人の勝手だ
が、それを受け継ぐかどうかは、あくまでもつぎの世代の問題ということになる。私た
ちはその世界まで、立ち入ることはできない。


●事例(2)……心を解き放て!

 今、人知れず、家庭内宗教戦争を繰り返している家庭は多い。たいていは夫が知らない
間に、妻がどこかのカルト教団に入信してしまうというケース。しかし一度こうなると、
夫婦関係は崩壊する。価値観の衝突というのはそういうもので、互いに妥協しない。

実際、妻に向かって「お前はだれの女房だ!」と叫んだ夫すらいた。その妻が明けても
暮れても、「K先生、K先生」と言い出したからだ。夫(41歳)はこう言う。「ふだん
はいい女房だと思うのですが、基本的なところではわかりあえません。人生論や哲学的
な話になると、『何を言ってるの』というような態度をして、私を無視します」と。では、
どうするか?

 宗教にもいろいろある。しかしその中でも、カルトと呼ばれる宗教には、いくつかの特
徴がある。

排他性(他の思想を否定する)、
情報の遮断性(他の思想を遮断する)、
組織信仰化(個人よりも組織の力を重要視する)、
迷信性(外から見ると?、と思うようなことを信ずる)、
利益論とバチ論(信ずれば得をし、離れるとバチが当ると教える)など。
巨大視化(自説を正当化するため、ささいな事例をことさらおおげさにとらえる)を指摘
する学者もいる。

 信仰のし方としては、
催眠性(呪文を繰り返させ、思考能力を奪う)、
反復性(皆がよってたかって同じことを口にする)、
隔離性(ほかの世界から隔離する)、
布教の義務化(布教すればするほど利益があると教える)、
献金の奨励(結局は金儲け?)、
妄想性と攻撃性(自分たちを批判する人や団体をことさらおおげさに取りあげ、攻撃する)
など。

その結果、カルトやその信者は、一般社会から遊離し、ときに反社会的な行動をとるこ
とがある。極端なケースでは、ミイラ化した死体を、「まだ生きている」と主張した団体、
毒ガスや毒薬を製造していた団体、さらに足の裏をみて、その人の運命や健康状態がわ
かると主張した団体などがあった。

 人はそれぞれ、何かを求めて信仰する。しかしここで大切なことは、いくらその信仰を
否定しても、その信仰とともに生きてきた人たち、なかんずくそのドラマまでは否定して
はいけないということ。みな、それぞぞれの立場で、懸命に生きている。その懸命さを少
しでも感じたら、それについては謙虚でなければならない。「あなたはまちがっている」と
言う必要はないし、また言ってはならない。私たちがせいぜいできることといえば、その
人の立場になって、その人の悲しみや苦しみを共有することでしかない。

 冒頭のケースでも、妻が何かの宗教団体に身を寄せたからといって、その妻を責めても
意味はない。なぜ、妻がその宗教に身を寄せねばならなかったのかというところまで考え
てはじめて、この問題は解決する。

「妻が勝手に入信したことにより、夫婦関係が破壊された」と言う人もいるが、妻が入
信したとき、すでにそのとき夫婦は崩壊状態にあったとみる。そんなわけで夫が信仰に
反対すればするほど、夫婦関係はさらに崩壊する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
カルトの特徴 カルト カルト信仰の特徴)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】

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たった今、マガジン6月30日号の
配信予約をすませた。

ほっとしたと同時に、気が抜けた。

今度からは、7月号。

ところが、今は、頭の中がカラッポ。
昨夜はよく眠ったはずなのに、
まだ眠い。このまま眠ろうか?
それとも、もう少し、何かを書いて
みようか?
(06年5月29日記)

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●捨てられたマット(続報)

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少し前、捨てられた、大きなマットについて
書いた。

その続報。

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 少し前、捨てられた、大きなマットについて書いた。その続報。

(1)だれかが、ダブルベッド用の分厚いマットを、私の家の横の空き地に捨てた。
(2)だれかが引越しのとき困って、捨てていったらしい。
(3)強烈な香水のにおいと、それにP語らしい文字の落書き。たぶん外国人のだれかが
捨てていったのだろう。
(4)マットの3分の1ほどが、道路にはみ出していた。
(5)ひとりではとても、運べない。空き地といっても、竹やぶが密集している。
(6)そこで私は、工事用のカッターを持ち出して、そのベッドを、バラバラに解体した。
(7)空き地の自称管理人の女性に、あとの始末を頼むと、「関係ない」と断られた。
(8)それから1週間ほど、雨の日がつづいた。
 
 以上が、前回までに書いた部分。

 ところが、である。

 昨日、そのバラバラにしたゴミの一部が、私の家の駐車場に投げこまれていた。ワイフ
は、「風のせい」と言ったが、ぬれたマットが、風で飛ぶはずはない。しかもうまいぐあい
に、それが駐車場の中に入るということは、常識では、考えられない。

(9)だれかが、わざと、マットの一部を、私の家の駐車場に投げこんだらしい。

 近所の人の中には、その空き地を、私の私有地と誤解している人がいる。私がいつも、
清掃しているからである。しかしその空き地は、私の私有地ではない。

 しかたないので、今朝、ワイフと2人で、残ったゴミを始末した。さらにベッドをバラ
バラにして、いくつかの袋につめた。

ワ「だれかしら? あんなことするの?」
私「わかっているくせに……」と。

 だれが、私の家の駐車場にゴミを投げこんだか? ワイフは、それを聞いた。しかし私
には、わかっていた。

 「あのジイさんのしわざだよ。ヒマなら、自分で始末すればいいのにね」と私。

 で、先ほど、その作業が終わった。おかげで気分は、そう快。すがすがしい。「損な仕事
をすると、心が広くなるって、本当だね」と私が言うと、ワイフは、少しためらった様子
だったが、「そうね」と答えた。

 損をすればするほど、心が広くなる。その広くなった分だけ、幸福感が大きくなる。

 どこのだれとは書けないが、日本のどこかに、そういうジイさんがいる。孤独なジイさ
んだ。心がゆがんでいる。だれからも相手にされない。訪れる人もない。

 どうか、心安らかに、ジイさん! ちゃんと私が始末するからね!


●竹島問題

++++++++++++++++++

日本は自衛隊を派遣すべきだった……、
という過激な意見が目立つ。

勇ましい意見だが、それこそN政権(韓国)の
思うツボ。

ここは、冷静になったほうがよい。

++++++++++++++++++

 いろいろな世論調査の結果をみても、韓国のN大統領の支持率は、20%前後。与党U
党の支持率は、10%前後。

 そこでN大統領は、危険なカケに出た。竹島問題で、日本に強行に出ることによって、
国論を自分の味方につけようとした。韓国の地方選挙も迫っていた。が、それは空振りに
終わった。

 空振りに終わらせたのは、日本外交の勝利と考えてよい。もしあのとき、日本が自衛隊
を派遣していたら、韓国の国論は、N大統領一本にかたまっていただろう。が、果たして、
それですんだだろうか。

 機を見計らって、K国の金xxが、横から口を出した。「いっしょに、日本を攻撃しよう」
と。

 はっきり言おう。

 たかが竹島ごとき小さな島の問題で、日本は、自衛隊など、派遣してはいけない。あく
までも冷静に、しつこく、ただひたすらしつこく、事務的に対処するのがよい。理由があ
る。

(1)韓国人が基底にもつ反日感情には、ものすごいものがある。日本人は、決して、そ
れに火をつけてはいけない。
(2)今、日本と韓国が真正面からぶつかったら、部分戦争では、終わらない。そのまま
全面戦争になる。
(3)勇ましい意見も結構だが、今、日本と韓国が真正面からぶつかったら、日本に勝ち
目はない。彼らは完全徴兵制のもとで、国民全体が軍人化している。
(4)日本と韓国が戦争すれば、当然、そこへK国が加わってくる。中国も、背後で、韓
国を助けるだろう。もしそうなれば、間にアメリカを置き、わけのわからない戦争になっ
てしまう。
(5)長い目で見て、やがてこの極東アジアも、EUのような連合体を形成するようにな
る。またそうならなければ、日本も韓国も、そして中国も、生き残れなくなる。
(6)今、重要なことは、K国の核兵器開発問題を解決すること。それが最優先課題であ
る。
(7)N政権は、やがて倒れる。あのような時代錯誤的な左翼政権が、今の韓国を牛耳っ
ていること自体、おかしい。
(8)K国の金xx政権にしても、同じ。あのような独裁国家を、共産主義国家を誤認し
ているN大統領は、いったい、どういう頭をしているのか。N大統領イコール、K国の金
xxと考えて、まちがいない。

 以上のような理由から、日本は、竹島問題については、バカだ、アホだと言われても、
ただひたすら、事務的にことを進めるのがよい。必要なら、毎月でもよいから、国際裁判
所に提訴すればよい。

 その一方で、日本を怒らせたら、韓国の経済そのものが成りたたなくなることを、日本
の経済力を使って、示す。日本外資の引きあげぐらいは、今の段階で、臭わせてもよいの
ではないか。いつも、いつも、遠慮している必要はない。

 どちらにせよ、韓国のN政権は、もはや風前のともし火。今度の地方選挙(6月4日)
で、与党U党が大敗するようなことにでもなれば、(まちがいなく、そうなるが)、N大統
領は、韓国の民衆からも、そっぽをむかれる。

 日本がすべきことは、そうなるように、韓国の世論を誘導することである。

【付記】

 かつては、日本の電子産業の頂点を飾ったソニーだが、そのソニーは、今、韓国のS社
と組んで、「ソニーコリア」を設立。日本の最先端技術を、惜しげもなく、韓国に提供して
いる。

 ソニーにも、いろいろ事情はあるのだろう。一時は、経営危機もささやかれた。しかし
こうした安易な生き残り策は、かえって、回りまわって、日本のクビをしめることになる。
率直に言えば、ソニーには、少なからず、失望している。


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