はやし浩司(ひろし)

2006・8
はやし浩司
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2006年 8月号
 はやし浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 8月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BWの指導から】

●「NO!」が、はっきり言える子ども

+++++++++++++++

今週は、どのクラスでも、「NO!(いや!)」
とはっきり言える子どもの指導をしている。

指導というよりは、訓練。

大きな声で、しっかりと、「いや!」と言わせる。

この簡単な訓練だけで、子どもから優柔不断さが
消える。

+++++++++++++++

 今週は、幼児クラスを中心に、「いや!」とはっきり言う訓練をしている。方法は、こう
だ。

 まず、子どもたちがいやがるような、誘いをかけてみる。

私「ゴキブリ・ハンバーグをあげようか」
子「……いらないよう……」
私「だったら、『いや!』とはっきりと言いなさい」
子「いや……」
私「そんな声じゃ、だめだよ。いやだったら、はっきりと『いや!』と言わなくては……」
子「いや!」と。

 つづけて、

私「ねずみのシッポのからあげをあげようか」
子「いや!」

私「シカのウンチのから揚げをあげようか」
子「いや!」

私「ミミズのラーメンはどう?」
子「いや!」と。

 こうしたかけあいを、5〜10回繰りかえすと、子どもたちは、大声で、「いや!」と言
うようになる。

 そこでさらに、こう問いかける。いやらしい中年オジサンの雰囲気で……。

私「どこかへ連れていってあげようか?」
子「いや!」

私「お菓子を買ってあげようか?」
子「いや!」

私「そんなこと言わないで、車にのってよ」
子「いや!」

私「おもちゃを買ってあげるからさあ」
子「いや!」

私「じゃあ、おじさんのおうちに遊びに来る? お菓子がたくさんあるよ」
子「いや!」と。

 こうした方法は、心理学の世界でも、有効性が証明されている。「YES」「NO」を、
はっきりと言わせることによって、自我の確立を、より、めざすことができる。が、それ
だけではない。昨今、子どもを犯罪に巻きこむ事件が、相ついでいる。この方法は、そう
した事件に対する、予防策にもなる。

 もしあなたの子どもに、どこか優柔不断で、グズグズした雰囲気があるなら、一度、こ
の方法を試してみるとよい。

が、本当は、集団教育の場で、みなが大声を張りあげていうような場面が望ましい。1
人、2人だと、大声を出さない子どもでも、みなが大声を張りあげると、つられて自分
も大声を出すようになる。

 どこかの見知らぬおじさんが、「お菓子を買ってあげるから、いっしょに来ないか?」と
声をかけたとき、子どもが、最初に「いや!」とはっきり言う。犯罪の防止になるだけで
はなく、今のこうした社会では、とても大切なことだと思う。

【付記】

 この指導法を参観していた母親が、そのあと、こう言った。

 「私なんか、セールスがきても、はっきりと断れないため、よくトラブルに巻きこまれ
てしまいます」と。「私ははっきりと、いやと言うのですが、主人が、優柔不断で、困りま
す」といった母親もいた。

 もしそうなら、日ごろから、夫婦の間で、こうした訓練をしておくとよい。

夫「奥さん、おもしろい薬があります」
妻「いりません」
夫「お買い得ですよ」
妻「興味ありません」
夫「奥さん、元気が出ますよ。あのK国製ですから」
妻「いりません。お帰りください」と。

 私たち夫婦も、ときどき、この訓練法を自分たちに試している。私も、若いころは優柔
不断なところがあった。誘われると断りきれず、ついつい……ということがよくあった。
しかし最近は、ない。

 この訓練法のおかげである。

 なお、教育の場で、この訓練法をしているのは、私のBW教室だけである。(ほかの幼児
教室は、まねするな!)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
返答訓練法 自我 YES NO はっきり言う子供 はっきりとした子供)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●振り回される親たち

+++++++++++++++

乳幼児のおしゃぶり。

それをよしとする人もいれば、
そうでない人もいる。

口呼吸、鼻呼吸を問題にする
人もいる。

しかし……。

+++++++++++++++

 少し前、赤ちゃんがおしゃぶりを使うと、指しゃぶりが残りやすいという説があった。
そこで一時期、おしゃぶりが、子どもの世界から姿を消した。しかし今度は、無理におし
ゃぶりをやめさせると、子どもの情緒が不安定になるという説が出た。すると親たちは、
再び、おしゃぶりを子どもに与えるようになった。

が、再び、おしゃぶりが、よくないという説がまた出てきた。理由はあれこれあるらし
いが、もっともらしい説が、つぎつぎと育児雑誌をにぎわした。歯並びが悪くなるとい
うのも、そのひとつ。

 そのつど、親たちは、ささいな情報に振り回される。新説が出るたびに、ああでもない、
こうでもないと振り回される。が、またまたまおしゃぶり論争。こんどは、おしゃぶりは、
必要という説。それに火をつけたのが、子どもたちによく見られる、口呼吸。

「最近の子どもは口呼吸をする。それは母乳で、じゅうぶん育てられなかったからだ」
と。あるドクターが、テレビ番組の中でしゃべったのがきっかけだった。つまり赤ちゃ
んは、母親の乳首を吸っている間、鼻呼吸をする。その乳首を吸う回数が少ないと、口
呼吸になりやすいというのだ。そして鼻には、バイ菌などを遮断する機能があるので、
鼻呼吸する子どもは健康に、一方、口呼吸する子どもは、病気になりやすい、と。

つまりおしゃぶりは、その鼻呼吸を子どもにさせるには、効果的であるということらし
い。とたん、また、おしゃぶりが、復活した……!

 こういう論争を耳にすると、(私は乳児については、まったくの門外漢ということもある
が)、「?」と思ってしまう。「どうしてもっと基本的なことを論じないのか」と。

 仮に百歩譲って、口呼吸より鼻呼吸が健康によいということにしよう。しかしそれでも、
この問題は、無数にある問題のひとつにすぎない。「無数」だ。こうした情報というのは、
夜のバラエティ番組に出てくるクイズのようなもの。アフリカの一民族が使うような料理
用の道具を持ち出し、「これは何でしょうか?」と。

自称、知識人やタレントたちが、さもしたり顔で、それを討論したり、ときには、ギャ
ーギャーと騒いだり……。しかしそれがわかったところで、どうということはないし、
わからないからといって、これまたどうということはない。少なくとも、テレビという
マスメディアを通して、全国の人たちに知らせなければならないような問題ではない。

 たしかに口呼吸と鼻呼吸はちがうが、子どもが口呼吸したらしたで、それはそのとき考
えればよい。赤ん坊のときから、神経を使わねばならないような問題ではない。どうして
親たちは、こういう重箱の底をほじくりかえすような、ささいな問題で、そのつど振り回
されるのか? 私にはむしろ、そちらのほうを問題としたい。

 では、どう考えるべきか。 

この口呼吸と鼻呼吸の問題にしても、子育てを自然体でしていれば、何も問題はないは
ず。人類は、そうして何十万年も生き延びてきた。つまりこれからも自然体で子育てを
すれば、何十万年も生きられる。そうした視点に立ちかえれば、一挙に、無数の問題を
解決することができる。口呼吸と鼻呼吸の問題も、それに含まれる。

「口」はものを食べるため。「鼻」は呼吸をするため。そんなことは、自然の中では、常
識ではないか。こうした「自然体」というか、「自然にかえれ」ということを、なぜ、も
っとみんなが声を大きくして言わないのか。言いかえると、もしあなたが子育てをして
いて、何かのことで迷ったり、わからなくなったら、自然にかえればよい。それで結論
は出る。すべてが解決する。私はこうした情報が出るたびに、それに振り回されている
親をみると、「はたして情報とは何か」と、そこまで考えてしまう。
(02−10―25)※
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
口呼吸 鼻呼吸 幼児 おしゃぶり


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【子育て段階論】

+++++++++++++++++

忘れもしない。

今からほぼ20年ほど前、ある小学校で
はじめて講演をしたときの演題が、これ。

「子育て段階論」。

そのときのレジュメをまとめたのが、
つぎの原稿。

かなり荒削りの原稿だが、当時の私は
私。そのまま、ここに掲載する。

+++++++++++++++++


●『まいた種のものしか、実はならない』

 『まいた種のものしか、実はならない』は、イギリスの格言。日本でも同じように、『蛙
(かわず)の子は、蛙』とか、『ウリのツルに、ナスビはならぬ』とかいう。

 こう書くと、『トビがタカを生む』とか、『青は藍(あい)より出でて、藍より青し』と
も言うではないかと言う人もいる。まあ、そういうことも、たまにはあるが、しかしふつ
うは、『まいた種のものしか、実はならない』。

 子育ては、つぎの四つの時期に分けて考えるとよい。

●子育て段階論

(第一期)(夢と希望の時期)……乳幼児期から小学校入学前までの時期をいう。この時期
は、親は、子どもにかぎりない夢や希望を託す。それが悪いというのではない。この夢や
希望があるから、子育てもまた楽しい。少しボールを蹴っただけで、「将来は、サッカー選
手に」、少しおもちゃのピアノの鍵盤をたたいただけ、「将来は、ショパンコンクールに」
と親は考える。

 しかしこの時期、それが過剰期待になってはいけない。親の夢や期待が過剰になればな
るほど、子どもにとっては、重荷になる。その重荷が、子どもの伸びる芽すら、押しつぶ
してしまう。

 またこの時期、子どもの得意分野と不得意分野が、少しずつ分かれ始める。そのときコ
ツは、不得意分野をどうこうしようと考えるのではなく、得意分野をより伸ばすようにす
ること。それを「一芸」というが、子どもの一芸は大切にする。

中には、「勉強一本!」という子どももいるが、このタイプの子どもは、一度勉強でつま
ずくと、坂をころげ落ちるかのように成績がさがる。だから子どもの一芸は大切にする。
子どもを側面からささえるのみならず、生来の仕事につながることも多い。さらに時期、
才能の芽が見えてくるが、その才能は、つくるものではなく、見つけるもの。無理につ
くろうとしても、たいてい失敗する。

 ときに戦場のようにもなり、イライラすることも多い。あたふたとするうちに、その日
が終わったというようにして、日々はすぎていく。

(第二期)(落胆と抵抗の時期)……子どもが小学校へ入ってから、受験勉強に入るまでの
時期をいう。この時期、親は、そのつど落胆を味わいながらも、それに抵抗する。子ども
のできが悪かったりすると、「そんなハズはない」「うちの子はやればできるハズ」と、考
える。たまによい成績をとってきたりすると、「やっぱりそうだった」と、自分を納得させ
る。

 この時期は、親の方にも、心の余裕ができる時期でもある。乳幼児期の雑務から解放さ
れ、子育ても一段落する。親が再び活動的になり、外に目を向けるようになる。またこの
時期は、子どもがちょうど親離れする時期に重なる。が、それに合わせて親も子離れをす
ればよいが、それがむずかしい。親は自分から離れていく子どもを、一方で喜びながら、
一方でさみしく思ったりする。親自身の心も、この時期、揺れ動く。

 日々はそのつど平凡に流れる。朝、起きると子どもがそこにいる。私もそこにいる。子
どもは子どもで、勝手なことをし、親は親で勝手なことをする。そんな感じで流れる。し
かしこの時期、子どもは、それまで親がもっていた夢や希望を、ちょうどキャベツの葉の
ように、一枚ずつはぎ取りながら成長していく。

(第三期)(地獄と絶望の時期)……子どもが受験期を迎え、受験の結果が、出されるまで
の時期をいう。この時期、親は無意識のうちにも、自分の受験時代を再現する。選別され
るという恐怖、将来への不安。もっとも親がそれを感ずるのは、親の勝手。しかしそれを
子どもにぶつけてはいけない。が、たいていの親は、その恐怖や不安を、子どもにぶつけ
てしまう。「もっと勉強しなさい!」「こんな成績では、いい中学に入れないでしょ!」と。

 この時期以前は、日本のばあい、親子関係が外国のそれとくらべても、とくに悪いとい
うことはない。しかしこの時期を境に、日本では、親子関係は急速に悪化する。最初は小
さなキレツだが、それがやがて断絶へと進む。今、中学生でも高校生でも、たがいに信頼
しあい、慰めあい、助けあっている親子など、さがさなければならないほど、少ない。そ
の原因がすべてこの受験勉強にあるとは言えないが、受験勉強が原因でないとは、もっと
言えない。

 が、それだけではすまない。この「受験」には、恐ろしいほどの魔力が潜んでいる。そ
れまでは美しく、どこか華やいでいた母親も、この時期に入ると、血相が変わってくる。
子どものテスト週間になっただけで、「お粥しかのどを通りません」と言った母親がいた。
「進学塾の明かりを見ただけで、カーッと頭に血がのぼりました」と言った母親もいた。

 そして受験が近づくと、親は、いよいよ狂乱の時期へと突入する。たかが子どもの受験
と笑ってはいけない。子どもが入試に失敗したあと、自殺を図った母親だっている。夫婦
関係がおかしくなり、離婚騒動になるケースとなると、いくらでもある。子どもの受験と
いう、あの独得の緊張感が、それまで家族の中でくすぶりつづけていた火種に火をつける
からである。

 そしていよいよ子どもの受験……。親は狂乱し、子どもはその中で、悶絶する。程度の
差もあるが、この時期の親は、合理的な判断力すら失う(失礼!)。私は以前、『受験家族
は、病人家族』という格言を考えた。受験生がいる家族は、大きな病気をかかえた病人の
いる家族と思えばよい。みながみな、どこかピリピリしている。安易ななぐさめや、はげ
まし、さらには興味本位の詮索(せんさく)はタブー。言い方をまちがえると、かえって
その家族を苦しめることになる。その家族の気持ちになって、そっとしておいてあげるこ
とこそ、大切である。

 日々は、まさに緊張と一触即発の状態ですぎていく。暗くて重苦し毎日がつづく。

(第四期)(あきらめと悟りの時期)……まさに地獄のような受験期を抜け、一段落したあ
と、子どもが巣立っていくまでの時期をいう。やがて親は、少しずつだが冷静さを取り戻
す。そしてこう思うようになる。

 「いろいろやってはみたけれど、やっぱり、あんたはふつうの子だったのね。考えてみ
れば、何のことはない。私だって、ふつうの人間ではないか」と。

 親はあきらめの境地に達するわけだが、あきらめることは悪いことではない。あきらめ
ることにより、親は子どもの本当の姿を見ることができる。「まだ何とかなる」と思ってい
る間は、それが見えない。子どもも心を開かない。「やっぱりあんたはふつうの子だったの
ね」と、親がそう思うことで、子どもは、その重荷から解放される。そしてそのときを出
発点として、親子という上下意識のある関係から、「友」という対等の関係へと、その関係
が、質的に変化していく。

●親子関係を大切に

 要するに、親はいつ、どこで、『まいた種のものしか、実はならない』という事実を悟る
かということ。しかしあえていうなら、その時期は早ければ早いほどよい。親子といえど
も、その基本は一対一の人間関係。子育てには、山もあれば谷もある。とくに子どもが受
験期を迎えるころには、その山や谷は大きく深くなる。が、これだけは、ここに書ける。

この日本では、子どもの受験は避けては通れないものかもしれないが、しかしそれには
親子の人間関係まで破壊する価値はない。またたかが受験(失礼!)のことで、親子関
係を破壊してはいけない。それはちょうど、ドロの玉を包むのに、絹のハンカチを使う
ようなものだ。いや、子どもの受験に狂奔する親にしても、結局は、大きな流れの中で、
踊らされているに過ぎない。「私は私」と思っているかもしれないが、「私」そのものが、
流されているから、自分ではそれがわからない。

●終わりに……

 「ふつうの家族」「ふつうの子育て」「ふつうの子ども」には、すばらしい価値がある。
賢明な親は、ふつうの価値をなくす前に気づく。そうでない親は、なくしてから気づく。
仮に気づくとしても、ほとんどの親は、その前に大きな回り道をする。が、ふつうの価値
に気がついてしまえば、何でもない。すべての問題は解決する。そして日々はまた平穏、
無事に流れ始める。それはおおらかでゆったりとした世界。まさに悟りの境地。だから、
私はこの時期を、あえて、「悟りの時期」とした。

 ここでいう「子育て段階論」は、あくまでも一般論。しかし大多数の親が、多かれ少な
かれ通る道でもある。ひょっとしたら、あなたとて例外ではない。そんなことも考えなが
ら、子育て段階論を頭の中に入れておくと、道に迷ったときの地図のように、あなたの子
育てで役にたつ。
(02−10−28)※
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子育て段階論)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【親どうしのトラブル】

Q:子どものことで、つぎつぎとわずらわしいトラブルが起きてきます。たいていは、親
同士のつきあいに関することです。「悪口を言った、言わない」「礼儀を欠いた、欠かない」
など。こういうとき、どうしたらいいでしょうか。

A:何かトラブルが起きたら、そのトラブルのレベルを考えます。これは私流の、トラブ
ルの解決のし方ですが、一つの方法として、参考になると思います。つまり私は、そうい
うささいなトラブルについては、無視するという方法を使います。しかし、ただ「無視し
ろ」と言われても、簡単にはできません。そこで私のばあいは、よりレベルの高い問題に
ぶつかっていくことで、結果として、そのトラブルを無視するという形をとります。それ
について書いたのが、つぎの「レベル論」です。

+++++++++++++++++

●レベル論

 身のまわりで起こる問題には、レベルがある。たとえば……。

レベル1…… 少し前、自転車でコンビニの駐車場を横切ろうとしたら、一台の車が、け
たたましい急ブレーキをかけて、目の前で止まった。私はあやうく、はねられるところだ
った。見ると、若い男女で、男は私に、「バ〜カ」と言った。声は聞こえなかったが、口の
動きでそれがわかった。女のほうは、視線をはずしたまま、ニヤニヤ笑っていた。

レベル2…… 私の家の近くは、かっこうの犬の散歩道。そのため、犬の糞だらけ。先日
は、何と、私の家の玄関前にそれがあった。そこで私は張り紙を木にぶらさげた。「どうか
玄関の前で、犬のフンをさせないでほしい」と。しかし数日後、その張り紙は破って捨て
られてしまった。おまけに、その下には、犬の糞がおいてあった。腹いせのためにしたの
だろう。

レベル3…… 隣の空き地が、水道工事の「土場(どば)」になった。「土場って何ですか?」
と聞いたら、「資材置き場だ」と。それで安心していたら、これがとんでもないウソ。工事
が始まると、終日、ユンボとダンプが、ゴーゴーとうなり音をあげるようになった。その
騒音がいつ始まるとも、またいつ終わるともなく、断続的につづく。短い期間ならよいが、
もうそれが六月から、丸四か月、つづいている。

レベル4…… 国政選挙になるたびに、どこかの宗教団体が、いっせいに選挙活動に動き
出す。思うように外出できない老人や、老人ホームにいる人、あるいはひとり暮らしの老
人を、自分の車に乗せ、投票所まで一日中、ピストン移送している。車の前には、申し訳
程度に、「小さな親切運動」と書いたカードがはってある。「なるほど、小さな親切運動か」
と思いたいが、どうもスッキリしない。そういうタイプの老人(失礼!)に、そういうサ
ービスをするのは、買収行為になるのでは? いくら無料でも、車の償却費、ガソリン代、
それに「うべかりし人件費」を加えれば、立派な買収行為になる。

レベル5…… K国が、何人もの日本人を拉致(らち)した。「拉致」というと、わかりに
くいが、中身は、国家的誘拐事件。しかもその半数近くが、すでに死亡しているという。
実際には、拉致された日本人は、数十人とも、あるいはそれ以上とも言われている。在日
朝鮮人の拉致は、もっと多いとも(週刊S誌)。金xxという独裁者が、ありもしない外国
の脅威をでっちあげ、自国の国民をだましつづけている。日本人の拉致事件は、こういう
流れの中で起きた。

 以上、五つのレベルの話を書いた。私にとっては、どれも、少なからず、頭にくる話だ。
が、ここで、重大な事実に気がつく。それは人というのは、相手にしている、その相手を
見れば、自分のレベルがわかるということ。小さな人間は小さな人間を相手にする。大き
な人間は、大きな人間を相手にする。(だからといって、金xxが大きな人物と言っている
のではない。彼は見るからに小さな人間だ。)

 そこでこの(レベル1・コンビニの車)から(レベル5・拉致問題)までの問題を自分
にあてはめてみた。本当はどれも、頭にくるが、しかし(レベル1・コンビニの車)と、(レ
ベル2・犬の糞)の人間は、相手にしない。無視する。問題は(レベル3・騒音問題)だ
が、これについては、実は先日、地主に手紙を書いた。これは相手にするとか、しないと
かいう問題ではなく、静かな環境を求めるのは、正当な権利だ。

 さて(レベル4・選挙問題)と、(レベル5・拉致問題)はどうか。時間があれば、(レ
ベル4)も問題にしたい。本当に今、問題すべきは、(レベル5)の問題だ。しかし私のよ
うな地方に住む人間が、(レベル5)を問題にしてどうなる。さらにここには書かなかった
が、(レベル6)として、環境問題がある。この問題も、私のような地方に住む人間が論じ
たところで、ほとんど意味がない。

 しかしレベルの高い問題を考えるということは、自分を大きくするという意味で、とて
も大切なことである。レベルが高ければ高いほど、低い問題が、相対的に小さく見えてく
る。たとえばここでいう(レベル5・拉致問題)を考えていると、(レベル1・コンビニの
車)や、(レベル2・犬の糞)の問題は、どうでもよくなる。

 そこで今、あなたはどうなのかと、少しだけ振り返ってみてほしい。あなたは今、どの
レベルの問題を考えているだろうか。もしレベルの高い問題なら、それでよし。しかしレ
ベルの低い問題なら、できるだけ視野を高くもって、大きな問題にぶつかっていくとよい。
そうすれば結果として、今ある問題を、自然消滅的に解決できる。

+++++++++++++++++++++++

(追記)相談者の件でも、「つぎつぎとわずらわしいトラブルが起きる」ということであれ
ば、それはトラブルが起きることに問題があるのではなく、「わずらわしい」と思う、その
相談者自身に問題があるとみる。つまり視点が低い(失礼!)。レベルが低い(失礼!)。

そういうときは、ここにも書いたように、もっと大きな問題、大きな敵を考え、それに
ぶつかっていく。そうすれば、あなた自身を大きくすることができると同時に、それま
でのささいなトラブルを、「無視できる」という形で、一挙に解決することができる。
(02−10−28)※


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

++++++++++++++++++++

今までに書いた原稿を、このところ、少しずつ
手なおししている。

そんな中から、いくつかを選んでみた。
これらは、ちょうど4年前に書いた原稿である。

++++++++++++++++++++

●トラウマ(精神的外傷)

 心にフタ(lid)をしてはいけない。フタをすれば、その心は行き場をなくし、やがて心その
ものをゆがめる。

ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856―1939、オーストリアの心理学者)は、
それをネズミの穴にたとえて言った。「カワネズミの入り口をふさげば、そのカワネズミ
は、また別の穴から出てくる。(抑圧された)潜在意識は、別の形となって、その人の心
を裏から操(あやつ)る」と。

 そこでフロイトは、そのフタを取り除くために、まず患者自身に、思いつくままを話さ
せた。これがよく知られている、「自由連想法」(free association)という手法である。

これは患者をリラックスした状態におき、患者に自由にしゃべらせることにより、その
話の内容から、患者の心理状態をさぐるという方法である。フロイトは、ささいなこと
も、不愉快なことも、さらには恥ずかしいようなことも、すべてしゃべらせた。そして
患者の心をふさいでいる「フタ」が何であるかを知ろうとした。

たとえばノイローゼ患者がいる。このタイプの患者は、自分の心をふさぐ「不愉快なこ
と」(unpleasant thing)を、取り去ろうともがくことによって、ノイローゼ状態になる
ことが知られている。問題は不愉快なことがあることではなく、どうしてそれを不愉快
に思うか、である。その思いを封じ込めてしまっているのが、ここでいう「フタ」であ
る。

人間の心は一見複雑のようで、単純。単純のようで、複雑。私は幼児を教えるようにな
って、いつしか、幼児には、大声で話させる訓練をするようにした。レッスンが始まる
と、最初の5〜10分は、とにかく大声を出させるようにしている。

つまりこうすることで、まず子どもの心を解放させる。フロイトの言葉を借りるなら、「フ
タを取る」ということになる。この方法を用いると、簡単な情緒障害なら、その場でな
おってしまう。「治る」という言葉は使えないので、あえて、「なおる」とするが、それ
に近い状態になる。そして子どもの心は一度、解放させてあげると、あとは自らの力で、
前に伸びていく。

 さて、その「自由連想法」だが、実のところ、これを自分でするのは、むずかしい。何
人かの高校生に試してもらったが、なれないうちは、「何を思うの?」「どうすればいいの?」
という質問が出てくる。私も自分でしてみたが、「思い」というのは、なかなか形になって
出てこない。

そこで私なりに方法を変えてみた。何かマイナスの思い出がトラウマ(trauma、精神的
外傷)の原因になることが多いので、それについて、簡単な作文を書かせてみた。読者
の方も、一度、自分を試してみるとよい。これはいわば、私が考えた「作文連想法」と
いうことになる。

(質問1) 今までで一番、つらかったことを、三つ書きなさい。
(質問2) 今までで一番。悲しかったことを、三つ書きなさい。
(質問3) 今、一番、嫌いなものを、三つ書きなさい。
(質問4) どんなタイプの人間が一番嫌いか、その特徴を三つ書きなさい。
(質問5) 今、一番したくないことを、三つ書きなさい。
(質問6) 今、一番心をふさいでいる問題を、三つ書きなさい。
(質問7) 自分のことで、一番いやだと思っているところを三つ書きなさい。
(質問8) 今までで一番、こわかったことを三つ書きなさい。
(質問9) 将来、自分のことで、そうであってほしくないことを三つ書きなさい。
(質問10)今、一番、苦手と思い、避けたいと思っていることを三つ書きなさい。

 この質問、正直に答えてみてほしい。そして、答の中に、ある共通点を見出したら、今
度はその理由を考えてみる。「なぜ、そうなのか」「なぜ、そうなったのか」と。そのとき
その原因を、できるだけ自分の過去に求めてみるとよい。それがあなたのトラウマという
ことになる。

 ただここで注意しなければならないのは、ほとんど、どの人も、トラウマの一つや二つ
はもっているということ。あるいはもっと、もっている。トラウマのない人はいない。だ
からトラウマがあることが問題ではない。問題は、そういうトラウマがあることに気づか
ず、それに振りまわされること。そして同じパターンで、同じ失敗を繰り返すこと。

言いかえると、もしあなたが子育てをしていて、いつも同じパターンで、同じような失
敗を繰りかえすというのであれば、このトラウマを疑ってみる。虐待にしても、暴力に
しても、あるいは育児拒否にしても、だ。さらに夫婦不仲、夫婦げんか、近隣との騒動
などなど。そしてそれを知るための一つの方法が、ここでいう、「作文連想法」である。

 そしてこのトラウマというのは、おもしろい性質をもっている。つまりそれが何である
かわからない間は、いつまでもあなたを裏から操る。が、ひとたびわかってしまうと、消
えることはないにしても、心のスミに、なりを潜めてしまう。そしてそのあと多少時間は
かかるが、やがて問題は解決する。そういう意味で、自分のトラウマが何であるかを知る
のは、とても大切なことである。

ちなみに、私もこの質問に答えてみた。

(質問1) 今までで一番、つらかったことを、三つ書きなさい。
         父が酒を飲んで暴れたこと。
XXXXX(Secret)。
若いとき恋人と別れたこと。

(質問2) 今までで一番、悲しかったことを、三つ書きなさい。
         信じていたXXに裏切られ、だまされたこと。
         親友を、私の不用意な言葉で失ったこと。
         XXXXXX(Secret)

(質問3) 今、一番、嫌いなものを、三つ書きなさい。
         ウソ
         世間体
         酒
 
(質問4) どんなタイプの人間が一番嫌いか、その特徴を三つ書きなさい。
         XXXタイプの人間。
         だらしなく、XXXXの人間。
         ギャーギャーと騒ぐ軽薄な人間。

(質問5) 今、一番したくないことを、三つ書きなさい。
         XXXへ、行くこと。
         人にへつらうこと。
         飛行機に乗ること。

(質問6) 今、一番心をふさいでいる問題を、三つ書きなさい。
         XXの問題。
         環境問題。
         将来への不安。

(質問7) 自分のことで、一番いやだと思っているところを三つ書きなさい。
         XXがあること。
         自分をごまかすこと。
         XXXXX(Secret)。
        
(質問8) 今までで一番、こわかったことを三つ書きなさい。
         父が酒を飲んで暴れたときの夜。
飛行機事故。
         アメリカへ、02年10月に行ったときのこと。
         
(質問9) 将来、自分のことで、そうであってほしくないことを三つ書きなさい。
         孤独死。
         絶望。
         ムダ死。
 
(質問10)今、一番、苦手と思い、避けたいと思っていることを三つ書きなさい。
         飛行機に乗ること。
         XXXXX(Secret)
         無一文になること。

 自分の回答を読んでも、何となくどこにトラウマがあるか、わかるような気がする。そ
してそれが今まで、私の心を裏から操ってきた。それが何となくわかるような気がする。
正確なものではないかもしれないが、自己分析のためには、役立つかもしれない。
(02−10−25)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
トラウマ 精神分析 子供の心理 フロイト 自由連想法 心的外傷 ノイローゼ 自己
分析)

【追記】

 この原稿を書いてから、もう4年になる。早いものだ。

 そこで2006年の7月。もう一度、自分の手法に従って、自分を分析してみる。

(質問1) 今までで一番、つらかったことを、三つ書きなさい。

       頭のボケた兄が、近所の人たちと、トラブルを起こすようになったこと。
       xxにだまされたこと。
       学生時代の恋人と別れたこと。

(質問2) 今までで一番。悲しかったことを、三つ書きなさい。

       XXが、XX(病気)になったこと。
       自分の不注意で、親友だったxxx君を失ったこと。
       (もうひとつが思い浮かばない)

(質問3) 今、一番、嫌いなものを、三つ書きなさい。
       
       酒
       タバコ
       コーヒー

(質問4) どんなタイプの人間が一番嫌いか、その特徴を三つ書きなさい。

酒臭い女性
       ルールを守らない人たち+ウソつき
       ギャーギャーと騒ぐ人たち

(質問5) 今、一番したくないことを、三つ書きなさい。

       人のために文章を書くこと
       郷里へ帰ること
       だらしない生活

(質問6) 今、一番心をふさいでいる問題を、三つ書きなさい。

       郷里の問題
       母の問題
       兄の問題

(質問7) 自分のことで、一番いやだと思っているところを三つ書きなさい。

       xxxxが、xxxxこと
       性格がxxxxxxであること
       いいかげんで、小ズルイこと

(質問8) 今までで一番、こわかったことを三つ書きなさい。

       飛行機事故にあったこと。
       交通事故にあいそうになったこと。
       息子たちが海で溺れたこと

(質問9) 将来、自分のことで、そうであってほしくないことを三つ書きなさい。

       マガジンの廃止
       バカになること(認知症になること)
       孤独になること

(質問10)今、一番、苦手と思い、避けたいと思っていることを三つ書きなさい。

       病気との闘い
       孤独
       目的のない生活

(以上、みなさんの参考までに……。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●考える力

+++++++++++++++

考える力は、無限にあるわけではない。

体力と同じように、限界がある。
しかもその考える力は、年齢とともに
退化する。

それも体力に似ている。

+++++++++++++++

 考える力というのは、無限にあるわけではない。それはちょうど体力に似ている。使え
ば使うほど、疲れる。一日に運動できる量(時間)が決まっているように、一日に考えら
れる量(時間)も、決まっている。その上、その量は、年齢とともに、減少する。とくに
体の調子が悪かったりすると、とたんに減少する。考えるのも、おっくうになる。

 が、それだけはでない。考えるとき、大切なのは、いかに鋭く、いかに深いかというこ
と。疲れてくると、その力が弱くなる。ものを書いても、どこか、いいかげんになる。浅
くなる。私はこれを「うわすべり」と呼んでいる。うわすべりした文章は、つまらない。
あとから読みなおしても、どうもおもしろくない。

 また、考えるというのは、習慣のようなもの。その習慣のない人は、考えることすらし
ない。またその習慣があっても、いつも考えていないと、その技術が低下する。これは運
動に似ている。しばらく考えないでいると、考えるコツすら忘れてしまう。

 そこで年をとると、その考える力を、いかに大切に使うかが、重要になる。それは限ら
れた予算のようなもの。ムダには使えない。ムダに使ってはいけない。私のばあい、考え
る前に、それが考える価値があることかどうかを、まず決める。価値があることについて
は、考える。価値のないと判断したものについては、考えない。

 よく「考えることは苦痛ではありませんか」と言う人がいる。しかし私は考えることが
楽しい。反対に、頭の中がモヤモヤとしてくると、それを吐き出したくなる。そう、すべ
てを吐き出したときの、あの爽快感(そうかいかん)は、何ものにも、かえがたい。だか
ら考える。

 ただこのところ、自分でも、その考える力が衰えてきたように思う。一番、気になるの
は、集中力がなくなってきたこと。一、二時間、文章を書いただけで、すぐ疲れてしまう。
若いころは、一晩で何一〇枚も原稿を書くことができた。今は、とても無理。ときどきワ
イフに、「ぼくは最近、ボケてきてないか?」と聞く。ワイフは、「別に……」というが、
もしワイフも同じようにボケていたら、どうなのか。それはわからない。

 みなさんは、今の私の文章を読んで、どう感じるだろうか。鋭さが消えたと思うだろう
か。深みがなくなったと思うだろうか。一年前の文章と比較して、どうだろうか。つまら
なくなったと思うだろうか。もしこれからも、このマガジンを読んでくださるようなら、
そういうことも注意して読んでくださると、うれしい。
(02−10−25)※
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
考える力 思考力)

(付記)
 私の近所に、夫も妻も、同時に、同じようにボケてしまった人がいる。その会話をワイ
フが聞いてきた。実にユニークな会話だったそうだ。夫は、勝手に山の話をしていた。妻
は勝手に海の話をしていた。しかし不思議なことに、たがいに結構、会話になっていたそ
うだ。「私たち夫婦の近未来像かもね」と、ワイフは笑っていた。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司


●マガジン、8月30日号

++++++++++++++++++++

今日は、7月29日、土曜日。

が、今、マガジンの8月30日号を書いている。
マガジンでは、こうして約1か月先の原稿を書くようにしている。

書き終わったら、8月30日に配信されるように、予約を入れる。
8月30日(水曜日)になると、自動的に、読者のところに
配信される。

++++++++++++++++++++

 私の生活は、週単位、月単位で、クルクルと回っている。今は、月、水、金発行のマガ
ジンを中心に、週が回り、それが重なって、今度は、月単位で回る。

 月末は、翌月のマガジンの原稿用紙、それにHTML版(HP版)の編集などをしなけ
ればならない。一番、忙しくなるのは、そのため、月末ということになる。

 今が、その忙しいとき。

 これから8月30日号(このマガジン)の配信予約を入れ、そのあと、9月号のHTM
L版の準備をしなければならない。

 何はともあれ、これが私の生きがいになっているので、文句は言わない。楽しい。今月
も読者はふえなかったが、このところ、私を支えてくれる人たちの熱い思いを、肌で感ず
るようになった。

 近くのW医院のスタッフのみなさんは、私のマガジンを毎回、コピーして、待合室に置
いてくださっているとのこと。うれしかった。

 で、その8月を振りかえって、そのほかに、うれしかったこと。

 アメリカに住む二男が、自宅から勤め先まで、自転車で通勤するようになったこと。ワ
イフに電話でそう話したらしい。

 「ぼくも、パパのように、自転車で通勤するよ」と。

【みなさんへ+二男へ】

 みなさん、自転車通勤は、健康によいですよ! 10年とか、20年とか、つづけてみ
ると、それがよくわかりますよ! 足腰も強くなります。男も女も、50歳を過ぎると、
足も、鳥のガラみたいになりますが、自転車通勤をしていると、そういうことはありませ
ん。もし機会があるなら、自転車通勤を試みてください。10年先、20年先をみながら、
そうしてみてください。

 私もその自転車通勤+運動をするようになって、37年になります。38年かな?

 おかげで成人病とは無縁。バイアグラも、必要ありません。

 で、アドバイス。

(1)自転車は、アップハンドルのものを、お勧めします。

 ドロップハンドルは、危険。頭から相手にぶつかっていきますから、ぶつかったら、最
後、ということになります。

 それに自転車をこぐときは、体全体を左右に大きく揺らしながら乗ります。ほかの人が
見たら、奇異に思うかもしれませんが、そんなことは気にしてはいけません。

 そうそうアップハンドルのほうが、手、腕の力もいれてこぐことになりますから、上半
身の運動にもなります。

(2)安全には、じゅうぶん気をつけてください。

 ライトは当然。そのほか、私は、前にピカピカ灯、うしろには赤色の、テールランプを
つけて走っています。あと、あちこちに、反射シールをペタペタと張りつけて走っていま
す。

 自転車に乗っていると、事故は、向こうからやってきます。車も、こちらが自転車だと、
遠慮しません。ですから、こちらのほうで、相手に警告を与えるしかありません。

 欧米では、ヘルメットをかぶらないと、自転車に乗れないそうです。それに万が一、事
故にあっても、保険金はおりないそうです。(日本では、まだそういうことは、ないようで
すが……。)

 私も、何度かヘルメットをかぶって走ったことがありますが、自分には、どうもなじみ
ませんでした。そのためにも、自転車は、アップハンドルのものをお勧めします。

 この37年間で、ひやっとさせられたことは、何度かあります。で、もうひとつのアド
バイス。

(3)自転車で走るときは、『負けるが勝ち』と心得ることです。

 自転車で走っていると、いつも、自動車と対立します。しかし自動車と張りあっても、
勝ち目はありません。相手はカスリキズでも、こちらは致命傷です。

 ですから、いつも、『負けるが勝ち』と心得ます。具体的には、自動車には、さっさと道
を譲る。張りあわない。競わない。けんかしない、です。

 相手が悪くても、こちらのほうが、頭をさげ、相手に道を譲ります。

 この精神さえ守れば、事故は防げます。

 あとは、その運動をつづけます。10年とか、20年とか、つづけます。

 あなたもいつか、健康であるという優越感を、思う存分、楽しむことができるようにな
りますよ。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【茶パツと文化】

だれにも迷惑をかけないからいい!
子どもの個性(失敗危険度★★)

++++++++++++++++

子どもの茶パツが、問題になった。

先日も、ある小学校の先生と電話で、
そんな話題になった。

少し前に書いた原稿を、それについて
書いたものを、拾ってみる。

++++++++++++++++

●子どもの茶パツ

 浜松市という地方都市だけの現象かもしれないが、どの小学校でも、子どもの茶パツに
眉をひそめる校長と、それに抵抗する母親たちの対立が、バチバチと火花を飛ばしている。
講演などに言っても、それがよく話題になる。

 まず母親側の言い分だが、「茶パツは個性」とか言う。「だれにも迷惑をかけるわけでは
ないから、どうしてそれが悪いのか」とも。今ではシャンプーで髪の毛を洗うように、簡
単に茶パツにすることができる。手間もそれほどかからない。

●低俗文化の論理

 しかし個性というのは、内面世界の生きざまの問題であって、外見のファッションなど、
個性とはいわない。こういうところで「個性」という言葉をもちだすほうがおかしい。ま
た「だれにも迷惑をかけないからいい」という論理は、一見合理性があるようで、まった
くない。

裏を返していうと、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」ということになるが、「迷惑
か迷惑でないか」を、そこらの個人が独断で決めてもらっては困る。こういうのを低俗
文化の論理という。こういう論理がまかり通れば通るほど、文化は低俗化する。

文化の高さというのは、迷惑をかけるとかかけないとかいうレベルではなく、たとえ迷
惑をかけなくても、してはいけないことはしないという、その人個人を律するより高い
道徳性によって決まる。「迷惑をかけない」というのは、最低限の人間のモラルであって、
それを口にするというのは、その最低限の人間のレベルに自分を近づけることを意味す
る。

●学校側の抵抗

で、学校側の言い分を聞くのだが、これがまたはっきりしない。「悪いことだ」と決めて
かかっているようなところがある。中学校だと、校則を盾にとって、茶パツを禁止して
いるところもある。

小学校のばあいは、茶パツにするかしないかは親の意思ということになる。が、学校の
校長にしてみれば、茶パツは、風紀の乱れの象徴ということになる。学校全体を包むモ
ヤモヤとした風紀の乱れが、茶パツに象徴されるというわけだ。だから校長にしても、
それが気になる。……らしい。

●まるで宇宙人の酒場!

 が、視点を一度外国へ移してみると、こういう論争は一変する。先週もアメリカのヒュ
ーストン国際空港(テキサス州)で、数時間乗り継ぎ便を待っていたが、あそこに座って
いると、まるで映画「スターウォーズ」に出てくる宇宙の酒場にいるかのような錯覚すら
覚える。

身長の高い低い、体形の太い細いに合わせて、何というか、それぞれがどこか別の惑星
から来た生物のような、強烈な個性をもっている。顔のかたちや色だけではない。服装
もそうだ。国によって、まるで違う。

アメリカ人にしても……、まあ、改めてここに書くまでもない。そういうところで茶パ
ツを問題にしたら、それだけで笑いものになるだろう。色どころか、髪型そのものが、
奇想天外というにふさわしいほど、互いに違っている。ああいうところだと、それこそ
頭にちょうちんをぶらさげて歩いていても、だれも見向きもしないかもしれない。

●結局は島国の問題?

 言いかえると、茶パツ問題は、いかにも島国的な問題ということになる。北海道のハシ
から沖縄のハシまで、同じ教科書で、同じ教育をと考えている日本では、大きな問題かも
しれないが、しかしそれはもう世界の常識ではない。

 そんなわけでこの問題は、もうそろそろどうでもよい問題の部類に入るのかもしれない。
ただこの日本では、「どうぞご勝手に」と学校が言うと、「迷惑をかけなければ何をしても
よい」という論理ばかりが先行して、低俗文化が一挙に加速する可能性がある。学校の校
長にしても、それを心配しているのではないか? 

私にはよくわからないが……。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【死は厳粛に】

乾電池を入れかえれば動く!
死は厳粛に(失敗危険度★★)

++++++++++++++++++

子どもに「死」を、どのように教えたら
よいか。

言うまでもなく、「死」があるからこそ、
「生」のすばらしさがわかる。

++++++++++++++++++

●死を理解できるのは、3歳以後

 「死」をどう定義するかによってもちがうが、3歳以前の子どもには、まだ死は理解で
きない。

飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く!」と言った子ども(3
歳男児)がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(3歳男児)や、「病院へ連
れて行こう」と言った子ども(3歳男児)もいた。

子どもが死を理解できるようになるのは、3歳以後だが、しかしその概念はおとなとは
かなり違ったものである。3〜7歳の子どもにとって「死」は、生活の一部(日常的な
生活が死によって変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族の死すら平
気でやり過ごすことがある。

●死への恐怖心

 このころ、子どもによっては、死に対して恐怖心をもつこともあるが、それは自分が「ひ
とりぼっちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。

たとえば母親が臨終を迎えたとき、子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であ
って、死そのものではない。ちなみに小学5年生の子どもたちに、「死ぬことはこわい
か?」と質問してみたが、8人全員が、「こわくない」「私は死なない」と答えた。1人
「60歳くらいになったら、考える」と言った子ども(女子)がいた。

質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死ぬとしたらどうか」と聞くと、「それは
いやだ」「それは困る」と答えた。

●死は厳粛に

 子どもが死を学ぶのは、周囲の人の様子からである。たとえば肉親の死に対して、家人
がそれを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとでは
ないと知る。そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。

死を茶化してはいけない。もてあそんでもいけない。どんな生き物の死であれ、いつも
厳粛にあつかう。たとえば飼っていた小鳥が死んだとする。そのときその小鳥を、ゴミ
か何かのように紙で包んでポイと捨てれば、子どもは「死」というものはそういうもの
だと思うようになる。しかしそれではすまない。

死があるから生がある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死を
ていねいにとむらうということは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死
を粗末にすれば、子どもは生きること、さらには命そのものまで粗末にするようになる。

●死をとおして、生きることの大切さを

 どんな宗教でも死はていねいにとむらう。もちろん残された人たちの悲しみをなぐさめ
るという目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えて
よい。そんなことも頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【子どもの金銭感覚】

ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん?
子どもに与えるお金は、一〇〇倍せよ(失敗危険度★★★★)

++++++++++++++++

子どもにホイホイと、
ものを買い与えてはいけない。

そんなことをすれば、子どもは、
スポイルされるだけ。

++++++++++++++++

●年長から小学二、三年にできる金銭感覚

 子どもの金銭感覚は、年長から小学2、3年にかけて完成する。この時期できる金銭感
覚は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分
の欲望を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

●100倍論

 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、100倍にして考えるとよい。100
円のものなら、100倍して、1万円。1000円のものなら、100倍して、10万円
と。

つまりこの時期、100円のものから得る満足感は、おとなが1万円のものを買ったと
きの満足感と同じということ。そういう満足感になれた子どもは、やがて100円や1
000円のものでは満足しなくなる。中学生になれば、1万円、10万円。さらに高校
生や大学生になれば、10万円、100万円となる。あなたにそれだけの財力があれば
話は別だが、そうでなければ子どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよ
い。

●やがてあなたの手に負えなくなる

子どもに手をかければかけるほど、それは親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは
高価であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しかしこれはまった
くの誤解。あるいは実際には、逆効果。

一時的には感謝するかもしれないが、それはあくまでも一時的。子どもはさらに高価な
ものを求めるようになる。そうなればなったで、やがてあなたの子どもはあなたの手に
負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になる
ゲームソフトを手に入れるために、60歳前後の女性がゲームソフト屋の前に並んでい
るというのだ。しかも徹夜で! 

そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女性はこう答えた。「かわいい
孫のためです」と。その番組の中は、その女性(祖母)と、子ども(孫)がいる家庭を
同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「おばあちゃん、がんばっ
て。ありがとう」と。

●この話はどこかおかしい

 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人
の祖母が、孫(小学5年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム
屋の前に並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空の
もと、毛布持参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるか
どうか疑わしい。

感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというものは、同じ
ような苦労した人だけに理解できる。その孫にすれば、その女性は、「ただのやさしい、
お人よしのおばあちゃん」にすぎないのではないのか。

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのが
ある。子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行け
という意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。

少し前、どこかの自動車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モ
ノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太くする。

●モノに固執する国民性

日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、
そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリ
アへ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それに
は、「友情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意
識と、彼らがもっているモノ意識は、本質的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそ
のまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫
にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りか
ってみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【評論家の宿命】

一方的にものを言わないでほしい!
視野のせまい親たち(失敗危険度★★)

++++++++++++++++

ものをこうしてオープンに書くことに
は、いつも、批判がともなう。

しかしその批判を恐れていたら、
ものなど、書けない!

++++++++++++++++

●摩擦はつきもの

こういう仕事、つまり評論活動をしていると、いつもどこかで摩擦を生ずる。それは評
論の宿命のようなものだ。たとえば以前、「離婚家庭で育った子どもは、離婚率が高い」
ということを、新聞のコラムに書いたことがある。あくまでもそれはコラムの一部であ
り、そのコラム自体が離婚問題を考えたものではない。

が、その直後から、10人近い人からはげしい抗議が届いた。私は何も離婚を批判した
のでも、また離婚が悪いと書いたのでもない。ただの統計上の事実を書いた。それに離
婚が離婚として問題になるのは、離婚にまつわる家庭騒動であって、離婚そのものでは
ない。この騒動が子どもの心に影響を与える。

が、そういう人たちにはそれがわからない。「離婚家庭でもがんばっている子どもがいる」
「離婚者に対する偏見だ」「離婚家庭で育った子どもは幸福になれないということか」な
ど。こうしたコラムを不愉快に思う気持ちはわからないでもないが、どこかピントがズ
レている。ほかにも似たような事件があった。

●「一方的にものを言わないでほしい」

同じく本の中で、「公務員はヒマをもてあましている」というようなことを書いた。これ
はお役所の外では、常識と言ってもよい。その常識的な意見を書いた。が、それについ
ても、「私の夫は毎朝6時に起きて……」と、長々と、数ページにもわかって、その夫の
生活をことこまかに書いてきた人がいた。そして最後に、「私の夫のようにがんばってい
る公務員も多いから、一方的にものを言わないでほしい」と。さらにこんなことも。

●いじめられる側にも問題

 20年ほど前から、いじめが大きく話題になり始めた。その前は校則が話題になったが、
ともかくもそのいじめが話題になった。私も地元のNHKテレビに2度ほどかりだされて
意見を述べることになったが、そのときのこと。

そのいじめを調べていくうちに、当時、いくつかの「おやっ」と思うような事実に出く
わした。もちろんいじめは悪い。許されないことだが、しかしいじめられる側にも、ま
ったく問題がないというわけではない。もっともその問題というのは、子ども自身の問
題というよりは、育て方の問題といってもよい。

いじめられっ子のひとつの特徴は、社会性のなさ。乳幼児のときから親子だけのマンツ
ーマンだけの環境で育てられていて、問題を解決するための技法を身につけていないと
いうことがある。いじめられても、いじめられっぱなし。やり返すことができない。た
とえばブランコを横取りされても、それに抗議することができない、など。

そこで私は「家庭環境にも問題があるのでは」と言った。が、これがよくなかった。そ
の直後から猛烈な抗議の嵐。ものすごいものだった。(テレビの反響は、新聞や雑誌の比
ではない!)「あなたは評論家として、即刻筆を折れ!」というのまであった。

●個人攻撃をしているのではない!

 こうした抗議は、評論活動にはつきもの。いちいちそれで滅入っていては、評論などで
きない。しかしどうしてこうも、こういう人たちは近視眼的なのだろうかと思う。私は全
体として、ものの本質を問題にしているのであって、決して個人攻撃をしているわけでは
ない。

いじめにしても、私はいまだけって一度もそれを是認したことはない。が、こういう人
たちは、文の一部に集中的にスポットをあて、あたかも自分が攻撃されたかのように思
うらしい。学校の先生とて、例外ではない。親たちの執拗な抗議を受けて、精神を病ん
だり、転校をさせられた先生は少なくない。こんなことも……。

●学校の先生もたいへん!

 まだバブル経済、はなやかりしころのこと。ある学校のある先生が、たまたま仕事を手
伝いにきていた一人の母親に、ふとこう口をすべらせてしまった。「塾へ、4つも5つも行
かせているバカな親がいる」と。その先生は「バカ」という言葉を使ってしまった。これ
がまずかった。

当時(今でもそうだが)、子どもを塾へ4つや5つ行かせている親は珍しくなかった。水
泳教室、音楽教室、算数教室、英語教室と。しかしその話は一夜のうちに、父母全員に
いきわたってしまった。そして「Aさんがバカと言われた」「いや、これはBさんのこと
だ」となってしまった。結局この問題は教育委員会レベルの問題にまで発展し、その先
生は任期半ばで、その学校を去ることになってしまった。

 視野が狭くなればなるほど、結局は自分の姿が見えなくなる。そして自分の姿を見失え
ば見失うほど、その人は愚かになる。これも子育てでハマりやすいワナの一つということ
になる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

●もう、うんざり!

 韓国のN大統領の発言には、もう、うんざり! このところ、韓国の新聞に目を通すの
も、いやになった。なにかあれば、すぐ反日! つい先日は、こう言った。「これからは、
日本とは、もっと対決していく」と。

 支持率がさがるたびに、「反日」「反日」、また「反日」。

 これから来年の大統領選に向けて、N大統領の反日姿勢は、さらに加速しそう。あのお
バカ大統領は、反日を唱えれば、それで支持率があがるとでも、思いこんでいるらしい。
ある韓国の評論家は、こう書いている。

 「日本人よ、N大統領の反日発言は、あまり気にするな」と。

 N大統領イコール、韓国の人たちの意見ではない。昨日も、韓国では、補欠選挙が行わ
れた。が、与党U党は、またまた全敗。4議席すべてを、野党に取られた※。これでN大
統領が政権を取ってから、与党のU党は、一度も議席を確保していないことになる。

 どうして今、秀吉の朝鮮出兵が、問題になるのか? あきれて、ものも言えない!

【注※】

 「韓国国会(定数299)の4選挙区(各1議席)で、7月26日、再選挙・補欠選挙
が投開票され、最大野党ハンナラ党が3議席、第2野党の民主党が1議席を確保した。与
党ウリ党は04年4月の総選挙勝利の後、昨年4月、10月そして今回と、補選では1議
席も取れない全敗を続けている。同党は5月末の統一地方選でも大敗した。今回の4選挙
区平均投票率は暫定集計で補選史上最低の24.6%」(毎日新聞)


●集中豪雨

 やはりというか、思ったとおりというか。K国の被害は、相当なものらしい。共同通信
は、「(今回の集中豪雨で)、死者不明者、3000人(以上)」と伝えている。

 そのK国、今また、集中豪雨にさらされている。梅雨前線に、台風5号からの雨雲が、
容赦なく流れこんでいる。さらなる被害が、予想される(7月27日)。

 が、ここからが「?」。同じK国なのに、北部では、干ばつだという。「降れば洪水、降
らなければ干ばつ」という国である。灌漑設備がほとんど整っていない国だから、当然と
いえば、当然。

 悪政のもとで苦しむのは、民衆だけ。結局は、そうなる。


●老人医療費

 医療費だけでも、30兆円を超えている。国家税収の、約80%! その中でも、老人
医療費が、どんどんとふえつづけているらしい。まさに天井知らず。

 どうなるのだろう? ……いや、医療費のことを心配しているのではない。私たち団塊
の世代が、老後を迎えるころには、どうなるのだろう? このままでは確実に老人医療は、
破綻(はたん)する。そうなったとき、私たちは、どうなるのだろう?

 粗大ゴミ? 私たちは、やがてそういう目で見られるようになるかもしれない。「お前た
ち老人は、早く死ね」と。

 だからあえて私は、声を大にして、こう訴えたい。

 団塊の世代よ、健康を大切にしよう! 働けるまで、働こう! そして若い人たちにと
って、役に立つ人間になろう! 決して、隠居の地を求めて、そこに安住してはならない、
と。


●散歩

 たった今、ハナ(愛犬)を連れて、中田島砂丘から帰ってきたところ。朝日を写真に取
りたかったが、少し、遅かった。が、朝もやにかすんだ海は、幻想的だった。それに台風
の影響か、波が、いつもより数倍、高く感じた。

 詩的に書くと、こうなる。

 朝もやに包まれた、潮の香り。
 岸辺に打ち寄せる、白い波、また波。

 遠くで、カラスが散った。そのあたりに
 犬のハナがいる。幾重にも重なった砂丘の
 陰に隠れて、その姿は見えない。

 流木が不規則な線を描いて、海ぎわに
 並んでいる。今は、引き潮から満ち潮に
 変わるとき。

 白い泡が、足元を濡らす。
 朝の冷気にまざって、強い日差しが、頬を照らす。

 砂のやわらかい感触。その上に残る無数の足跡。

 やがて私は、大声で、ハナを呼ぶ。
 手を丸めて、その方角に向かって……。

 波の音で、私の声など、聞こえるはずはない。
 しかし私は、何度も叫ぶ。

 さらに日は昇り、日差しが強くなってきた。
 もうそろそろ、砂浜から引きあげるころ。

 と、そのとき、遠くに、小さな黒い一点が見えた。
 ハナが、一目散に私に向かって、走ってきた。

 それを見届けて、私は、防風林のほうに歩き出す。

 潮の香り。海の香り。そして耐えることなくつづく、
 海の音。それにハーハーとあえぐハナの息づかいが、
 その音の上に重なった。

 「さあ、帰ろう」と。ハナは、頭を下にうなだれたまま、
 だまって、私のうしろをついてきた。

(何とも、へたくそな詩で、ごめん!)


●二男の誕生日

 今日、7月27日は、二男の誕生日。あとで、二男に電話をするつもり。

 その二男のよいところ。

 幼いときから、心のやさしい子どもだった。謙虚で、遠慮深かった。こういう言い方を
すると二男は、不愉快に思うかもしれない。が、そんな二男を、私は、いつも心のどこか
で、申し訳ない気持ちで、育ててきた。

 どうしてだろう?

 いつも中途半端な子育てだった……? 何かをしてやりたいと思いながら、それがいつ
も中途半端で終わってしまった……? 今、二男の子育てを振りかえってみると、そんな
感じがする。

 「もっと、いろいろなことをさせてやればよかった」と、悔やむ。豊かな才能をもちな
がら、私は、親として、それをじゅうぶん、伸ばしてやることができなかった。

 率直に言えば、今も、その気持ちは、消えない。「もっと、何かできるはずなのに……」
という思いは、まだ残っている。「もったいなあ」という気持ちも、まだ残っている。しか
しまあ、二男が、自分で納得して、今の人生を歩んでいるとするなら、私としては、何も
言うことはない。

 二男の人生は、二男の人生。どこまでいっても、二男の人生。

 今は、2人目の子どもも生まれて、きっと、忙しい毎日を送っていることだろう。時期
としては、無我夢中で過ぎていくころでもある。私たちも、そうだった。何がなんだかわ
からないまま、その日が終わり、つぎの日がやってきた。

 が、あえて一言。

 二男よ、決して自分の才能を眠らすな!

 お前にはお前のライフワークがある。もうそろそろそれを見つけ、それに向かって歩み
出すころだ。時間をムダにするな。人生をムダにするな。前に進め!

 誕生日、おめでとう!

*  *   *     ***   ***    *   *
**  * *    *  *  *  *   *   *
****  * *    *  *  *  *    * *  
*  * *****   ***   ***      *
*  * *   *   *     *        *


***          ****     *     *   *    *      
*  *         *   *   * *    *   *    *      
***    ****  *   *   * *     * *     *  
*  *         *   *  *****     *      *     
***          ****   *   *     *      ● 

(結構、苦労して、書いたぞ! 読めるか? HAPPY B−DAY!と、書いたつも
り。ハハハ!)


●昨日も、暑かった!

 温度計を見ると、34度! まだ正午前に、だ。ワイフと顔を合わせるたびに、「暑いね」
と。

 ドカッとした、暑さ。時間とともに、ますます暑くなった。もうこうなると、何もやる
気が起きない。床の上に寝転んで、扇風機で、風を体にあてる。

私「クーラーのある部屋で休もうか?」
ワ「……」
私「やっぱり、がまんしよう」と。

 クーラーにあたれば、そのときは、涼む。しかしその反動というか、そのあと、かえっ
て体がバテてしまう。それがこわい。だからここはがまんするしか、ない。

 がんばろう! がんばります!


●怒り心頭に発する

 「怒り心頭に発する」は、正しくて、「怒り心頭に達する」は、まちがいだそうだ。ほか
に、「お疲れ様」「ご苦労様」は、上司が部下に言う言葉で、部下が上司に言う言葉ではな
いそうだ。

 が、大半の人たちは、こうした言葉を、まちがって使っているという。このたび、文化
庁が、そんな調査結果を公表した。

 私も、知らなかった。私も、「怒り心頭に達する」と書いていた。しかし、だ。いちいち
そんなことを考えて、ものを書いたり、言ったりする人など、いるだろうか?

 言葉というのは、大衆が、その流れの中で決めていくもの。報告によれば、約74%(文
化庁)の人たちが、「怒り心頭に達する」が正しいと思っているという。ならば、その言い
方が、正しいということになる。「正しい」とか、「正しくない」とか、決めつけるほうが、
おかしい。

 「昔は、『怒り心頭に発する』と言いましたが、最近では、『怒り心頭に達する』と言う
ようにもなりました」でも、よいではないか。

 ほかに、「愛嬌(あいきょう)を振りまく」は(○)、「愛想を振りまく」は(X)。
「言葉を濁す」は(○)、「口を濁す」は、(X)。
「腹に据えかねる」は(○)、「肝に据えかねる」は、(X).。


 過去に照らし合わせて、現在がまちがっているという言い方は、復古主義者たちが好ん
で使う論法でもある。よい例が、「伝統」という言葉である。復古主義者たちは、好んで「伝
統」という言葉を使う。

 自分で考えるよりも先に、「昔は、こうでしたから」という論法で、自分を正当化してし
まう。

 今回のこの調査でも、私は、その臭いをプンプンと感じた。

 私たちは、こんな調査など気にすることはない。大衆の流れにそって、自分たちの言葉
を決めていけばよい。言葉というのは、そういうもの。一部の言語学者たちの、重箱の底
をほじくりかえすような意見で、影響を受けることはない。

 (一応、参考意見として、聞くべきところは、聞くが……。)

+++++++++++++++++++++

【注※】(中日新聞)

激しく怒ることを意味する慣用句「怒り心頭に『発する』」を、「怒り心頭に『達する』」
と間違って使っている人が、74・2%と、ほぼ4人に3人に上ることが7月26日、
文化庁の国語に関する世論調査で分かった。

本来は上司が部下をねぎらう「お疲れさまでした」という言葉を、上司に使うとの回答
も、約7割に上った。

 ほかに「愛嬌(あいきょう)を振りまく」という本来の言い方は、43・9%で、誤用
の「愛想を振りまく」が、48・3%と、本来の言い方を上回ったという。
 また、本来「言葉を濁す」とすべきところを、27・6%が、「口を濁す」と回答。本
来は「腹に据えかねる」という言葉は、18・2%が「肝に据えかねる」とした。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【首相のY神社参拝問題】

++++++++++++++++

(首相は)参拝すべきではない……49・1%
(首相は)参拝すべき    …… 9・4%

これが日本の常識ということになる。

++++++++++++++++

 中日新聞社が、「政治ネットモニター」を対象にした、調査結果を公表した。その結果が、
つぎである。

参拝すべきではない……49・1%
参拝すべき    …… 9・4%  ……(1)

  首相の判断に任す ……29・8%  ……(2)

これが日本の常識ということになる。ただし中日新聞は、(1)と(2)の数字を合計し
て、「容認派は、35・3%」と記事に書いている(7月28日)。「首相の判断に任す」
と答えた人イコール、容認派というわけではないはず。

 私も、「参拝すべきではない」と思う。また現在のK内閣発足以前から、何度も、そう書
いてきた。

 2年前(2004)の8月に、こんな原稿を書いた。2年前の原稿なので、その後の国
際情勢の変化について、現状にそぐわない部分もあるかもしれない。お許しください。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●反日感情

 今回のサッカーのアジアカップ戦で、改めて、中国の人たちの反日感情が、明らかにな
った。このままでは、北京でのオリンピックは、どうなることやら? しかし日本が、こ
うまで四面楚歌だったとは!

 韓国からのアメリカ軍の撤退は、加速している。「前倒し撤退」(朝鮮日報)とかで、自
走砲や戦車も、約半数が、撤退するという。さすがの韓国も、これにはあわてた。

 「撤退するのは、兵員(兵隊)だけではなかったのか」と。

 これを見て、K国は、さかんに「アメリカ軍は、韓国から、全面撤退せよ」と騒いでい
る(8・7)。

 そんなとき、アメリカのニューヨークタイムズ誌は、「K国の核兵器阻止の外交政策は、
失敗した」(8・9)と報じた。こういうとき責任をなすりあうのはよくないが、その責任
は、韓国と中国にある。

 そのK国が、なぜ核兵器を作っているかと言えば、それは日本向け。アメリカの脅威を
口実にしているが、あくまでも日本向け。K国は、本気で日本を、廃墟にしようとしてい
る。どうして、日本よ、日本人よ、それがわからないのか。

 K国の人たちがもっている反日感情は、中国の人たちの、それの比ではない。仮に日朝
戦争ともなれば、中国はもちろん、韓国も、K国に、加担する。悲しいかな、日本の味方
になってくれる国は、このアジアには、どこにもない。

 ただ一人の友人は、アメリカということになるが、そのアメリカにしても、ケリー(民
主党)大統領になれば、どうなることやら。

ブッシュ大統領は、「同盟国(日本)が、K国に攻撃されたら、ただちに反撃する」と言
ってくれたが、ケリー大統領は、そこまでは言わないだろう。ケリー大統領は、むしろ
「米朝間で、相互不可侵条約を結んでもよい」というようなことまで言っている。

 事実上の、日本、切り捨てである。

 で、その日本は、どうかといえば、各地で、米軍の基地移転反対運動。「出て行け」「出
て行け」の大合唱。私がアメリカ軍なら、そんなこと言われなくても、さっさと出て行く。
「何で、こんな国、嫌われてまで、守らなければならないか」と。アメリカ人なら、だれ
しも、そう思う。

 その一つの例が、今の韓国ということになる。3万6000人近くいた、アメリカ軍も、
もうすぐ、半数以下になる。この先、その数は、さらに減るだろう。38度線や板門店か
ら、アメリカ軍が消えて、もう久しい。

 これから先、日本は、(そして韓国も)、K国の核兵器におびえながら、生きていかねば
ならない。まさにK国の言いなり。「東京に核ミサイルを撃ちこむぞ」と言われたら、もう、
何も、できない。

 こういう現実を前にして、日本は、中国や韓国の人たちの神経を、逆なでするようなこ
とばかりしている。K首相のY神社参拝も、その一つ。「日本人が日本で、何をしようが、
日本人の勝手」という論理は、国際社会では、通用しない。

 ゆういつの望みは、K国が、自己崩壊すること。日本は、ともかくも今、それを促すべ
く方策を実行することである。

 確実な方法は、一つある。

 脱北者をどんどんとふやし、そういった人たちを、援助すること。K国の人権問題を、
ことさら大げさに取りあげて、それを口実にすればよい。この方法は、韓国に亡命した、
ファン・ジャン・ヨプ氏(元朝鮮労働党書記)が、さかんに提唱している方法である。

 それから東京都のI知事には、悪いが、I知事には、もう少し発言をひかえてもらいた
い。ああいう人たちが、勇ましいことを言うたびに、国際情勢が、おかしくなる。日本が
過去に、何をしたかという反省もなしに、日本の正当性だけを主張しても、かえってアジ
アの国の人たちの反発を買うだけ。

 もしかつての日本がした侵略戦争が正しかったとするなら、逆に、日本が外国に同じこ
とをされても、日本は、文句を言えないことになる。どうして日本よ、日本人よ、そんな
簡単なことがわからないのか。

 今、日本がもっとも大切にしなければならない国は、中国である。頭をさげてでも、中
国には協力してもらわねばならない。日本には、日本のプライドもあるだろう。それはわ
かるが、しかし、政治、なかんずく国際政治は、現実だけを見て、考え、判断しなければ
ならない。

 今の日本には、K国の核兵器開発を抑えこむ力は、ない。それが現実なのである。
(04年8月8日記)

【補記】

 最近の中国、韓国の人たちの反日感情は、私が1967年に、韓国で経験した反日感情
とは、異質のものではないかと思っている。

 あの当時の反日感情は、体中から、日本がなめたツバを、拭い去りたいという、生理的
な嫌悪感が主体になっていたと思う。

 最近の反日感情を見ていると、どこか反日感情を利用した、政治闘争のような感じがし
ないでもない。その点、日本が、1970年当時経験した、安保闘争、学生運動と似てい
ると思う。

 この先、日中関係、日韓関係がどうなるか、注意深く、見ていかねばならない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 なお中日新聞のほうでは、「反対派は、52・3%にのぼっている」となっている。(数
字が、合わないが?)

 ともあれ、先にも書いたように、これが日本の常識と考えてよい。反対に、なぜ、日本
の首相たちが、こうまでY神社参拝にこだわるのか、私には、その理由がよく理解できな
い。

 K首相は、「反戦の誓いのため」ということをよく言うが、反戦の誓いというのなら、何
も、Y神社でしなくてもよい。それこそ、心の問題。また反戦の誓いをしたからといって、
それで(戦い)がなくなるわけではない。こちらが望まなくても、向こうから、戦争がや
ってくることだって、ある。

 そのとき、「反戦だ」などと言っていたら、それこそ、バカかアホ。「いざとなったら、
戦う」。そういう覚悟があってはじめて、私たちは、私たちの国の平和を守ることができる。

 政治、なかんずく国際政治は、冷徹なほどまでに、現実主義でなければならない。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●Nさんからの相談

 掲示板のほうに、Nさんという母親から、相談の書きこみがあった。そのままここに紹
介させてもらう。Nさんの息子さんは、高校生のとき、すでに一児をもつ女性と、半同棲
生活を経験している。そしてこの春に、その女性との間に、子どもまで、できてしまった。
相手の女性は、「中絶はしない」「子どもは、産む」と言っているという。

 やっとのことで、息子さんは、その女性とは別れ、この春に、大学に入学。

+++++++++++++++++++++

【Nさんより、はやし浩司へ】

ご無沙汰しています。
冬から春にかけて、大1の息子の悩みを聞いていただき、その節はありがとうございまし
た。

先生のお言葉の通り、「真の愛」を探して「受容、黙認」で、頑張ってきました。
息子の元彼女や彼女の親から、あれ以来、一切連絡はありません。

息子に、「元彼女と話し合った?」と聞いても、「いいや」というだけです。
4月は元気の楽しく大学に通っていましたが、私たち親が、元彼女の妊娠を知ってからは、
息子の様子は、また逆戻りになりました。

最近は高校中退のフリーターとバイトに通いだし、学校に行っいてる様子ありません。で
も、本人は「ちゃんと通っている」というので、定期券代も渡し、様子をみていました。

今前期試験真っ最中です。

昨日、「明日は2時間目から試験」と言い、今朝、「電車に間に合わないから車で送って」
と言うので、送っていきました。その後、買い物して帰ろうと別の道を走っいると、息子
の姿があります。

その先はバイト先のパチンコ屋です。車を止めて「試験は?」と聞くと、「明日やった・・・・」
と。本人にしたらウソがばれたのです。
今までの試験も受けてないと思います・・

動機もよくわからないまま、受けた遠い大学です。

私たち親もあの時は、なんとか彼女の家に入り浸りになる状況から、ほかの明るい世界を
見せようと必死でした。本人が受けたい大学(元彼女の家の近く)ということで 受験。
合格。親は不満でしたが入学させました。だけど、彼女と別れたので、必要がなくなった
のかもしれません。

今、高校中退のフリーターの友達と一緒にいるのが楽なのかも・・。
そうやって、常に現実逃避ばかりしています。

夏休みに2輪の免許を取ると言い、お金が必要なんだと言っています。

先生が、自立の一歩にウソをあげられていましたが、親は騙されっぱなしです。

旦那は「ほっとけ」しか言いません。

秋になったら、もしかしたら元彼女側からなにか要求があるかもしれません。(生まれてく
る子どもの養育費など。)

絶対それには、息子に、そっぽをむかせたくありません。(責任を取らせます。)
でも、こんな状態でなにもかも中途半端。今さえよければそれでいい。今の息子は、そん
な感じです。

春休みにしていたガソリンスタンドのバイトも途中でやめて、息子は、上司に家の前で怒
られていました。

(ありがたかったです)

でも、本人は責任というものが何もなく、感謝の気持ちもなく、私はどうしたらいいので
しょう?

文章が支離滅裂でごめんなさい。

+++++++++++++++++++++++

【はやし浩司よりNさんへ】

 大学生といえば、おとなです。親は、だまされたとわかっていても、だまされたフリを
して、あとは、許して忘れなさい。Nさんの息子さんだけが、そうというわけではありま
せん。みな、そうです。

 あなたの夫も言っているように、「ほってけ」です。またそれが正解です。

 今のあなたの息子さんの心理は、(自分のしたいこと)と、(していること)が一致して
いない状態にあるとみます。自己の同一性(アイデンティティ)がもてないまま、右往左
往している状態と考えると、わかりやすいでしょう。

 私も、一時期、……といっても、5年間ほど、つづきましたが、そういう時期がありま
した。それは当人にとっても、苦しい一時期です。はたから見ると、無責任に見えるかも
しれませんが、今までの、あなたの子育てのツケが、今の息子さんに集約されていると考
えてください。

 いつもあなたは、子どもの手を引きながら、子どもの前ばかり、歩いていた。あるいは、
グイグイと、うしろから押しつづけてばかりいた。以前の書きこみを読んでいると、そん
な感じがしてなりません。

 もともとあなたは、心配先行型の子育てをしてきた。息子さんが、赤ちゃんのときから
です。それがいまだにつづいている。はっきり言えば、いまだに、子離れができていない
(?)。

 私はあなた自身の、精神的な未熟性を強く感じます(失礼!)。あるいは、情緒も不安定
かもしれません(失礼!)。

 息子さんのことは、もう、放っておきなさい。水が、やがて流れいく場所を自分をみつ
けて流れていくように、息子さんも、自然の流れの中で、自分の進むべき道をみつけてい
くでしょう。こういう問題では、親が心配すればするほど、子どもは、あなたの望む方向
とは別の方向に進んでしまうものです。

 あなたはあなたで、したいことをすればよいのです。そしてもし、何か息子さんのこと
で問題が起きたら、そのときは、「友」として、息子さんの横に立ちます。友として、相談
にのってやります。

 このあたりが、親の限界ということにもなります。またその限界を知る親が、賢い親と
いうことになります。

 私の母も、私が幼稚園の教師になると告げたとき、電話口の向こうで、ワーワーと泣き
崩れてしまいました。母には母の思いというものがあったのでしょう。それはわかります
が、今のNさんの書きこみを読んでいると、当時の私の母を思い出します。

 大切なことは、だまされても、だまされても、息子さんを信ずることです。あなたの息
子さんでは、ないですか。またそれしか、今のあなたにできることはありません。

 あなたの子どもといっても、大学生です。おとなですよ! 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心のキズ】

●子どものうつ病

+++++++++++++++++

うつ病の素因(遠因)は、満5歳から
10歳ごろまでに、つくられるという。

しかもその主なる原因は、離別体験だ
という。

つまり幼少期に親と離別体験を経験した
子どもほど、のちにおとなになって
から、うつ病(抑うつ状態)に
なりやすいということがわかって
いる。

もし今、あなたがうつ病、もしくは
うつ病的な傾向があるなら、まず、
自分の過去をのぞいてみよう。

それがあなたの心を守る第一歩となる。

++++++++++++++++

●幼少期の離別体験

 児童期の喪失体験が、子どもの抑うつ状態と、深く関係しているという(社会精神医学、
7;114―118)。

 いわく「10歳以前の両親のいずれかと死別体験、もしくは、分離体験という喪失体験
が、正常対象群(9%)に対して、患者群(39%)に有意の差をもって多く認められた。

 しかし抑うつ状態の診断下位群、抑うつ状態の臨床結果とは特異な所見を得られなかっ
た。

 さらに5〜10歳までが、喪失体験が抑うつ状態の素因を形成するための臨界期であろ
うと推察した」と。

 わかりやすく言うと、こうなる。

10歳以前に、両親のいずれかと死別、もしくは分離体験をした子どもほど、のちにお
とのなになってから、抑うつ状態になりやすいということ。

 同じような報告は、イギリスのバーミンガム病院でも、報告されている(精神医学、2
8;387〜393、1986)。

 精神障害のある39人の患者について調べたところ、「15歳以前で、12か月以上の離
別体験をもった人」は、そうでない人よりも、明らかに関連性があることがわかったとい
う。

 しかもこの報告で、興味深いのは、異性の親(男児であれば、母親、女児であれば、父
親)との離別体験をもった人ほど、「有意な差」が見られたという。

 さらに報告書は、こう書いている。

 「死別体験は家族歴の有無と、有意の関連を呈さなかったが、離別体験は家族歴の有無
と有意(exact probability test, p=0.026)の関連をもち、この傾向は、離別の対象が異性
の親である際に強いものであった。

 異性親からの離別を体験したものは、家族歴を有する20人のうち、7名(35%)で
あるのに対して、家族歴を有さないもの19名では、皆無(0%)であった。

 このことから、うつ病発症に関与していると考えられる幼少期の離別体験は、一部には、
家族員の精神疾患から発生したものである可能性が示された」(北村俊則)と。

 以上を、わかりやすくまとめると、こうなる。

(1)10歳以前に親との死別体験や離別体験をもった人ほど、うつ病になりやすい。
(2)異性の親との死別体験や離別体験をもった人ほど、うつ病になりやすい。
(3)家族のだれかに精神疾患があった人ほど、うつ病になりやすい。

 かなり乱暴なまとめ方なので、誤解を招く心配もないわけではないが、おおざっぱに言
えば、そういうことになる。そしてこうした調査報告を、裏から読むと、こうなる。

(1)10歳以前に、子どもに、離別体験を経験させるのは、避けたほうがよい、と。

 しかし実際には、たとえば親の離婚問題を例にあげて考えてみると、離婚(離別)その
ものが子どもに影響を与えるというよりは、それにいたる家庭内騒動が、子どもに影響を
与えるとみるべきである。バーミンガム病院での報告書にも、「死別体験は家族歴の有無と、
有意の関連を呈さなかった」とある。

 解釈のしかたにも、いろいろあるが、死別のばあいは、離婚騒動で起きるような家庭内
騒動は、起きない。

 だから離婚するにしても、(それぞれの人たちは、やむにやまれない理由があって離婚す
るので)、子どもとは無縁の世界で、話を進めるのがよいということになる。子どもの目の
前で、はげしい夫婦げんかをするなどという行為は、タブーと考えてよい。

 また、この調査結果は、もうひとつ重要なことを私たちに教えている。

 もし今、あなたがうつ病、もしくはうつ病的な傾向を示しているなら、その原因は、ひ
ょっとしたら、あなた自身の幼少期に起因しているかもしれないということ。(うつ病の原
因が、すべて幼少期にあると言っているのではない。誤解のないように!)

 そこであなたは、自分の過去を、冷静に、かつ客観的に見つめなおしてみる。

 しかし問題は、あなた自身が、そういう過去を経験したということではなく、そういう
過去があることに気がつかないまま、そういう過去の虜(とりこ)となって、その過去に
操られることである。

 そこでまず、自分の過去を知る。

 もしそのとき、あなたが心豊かで恵まれた環境の中で、育てられたというのであれば、
それはそれとして結構なことである。が、反対に、ここでいうような不幸な体験(親との
死別体験や離別体験)を経験しているなら、あなたの心は、何らかの形で、かなりキズつ
いているとみてよい。

 しかしそれがこの問題を克服する第一歩である。

 自分の過去を知り、自分の心のキズに気がつけば、あとは、時間が解決してくれる。5
年とか10年とか、あるいはもっと時間がかかるかもしれない。が、あとは、時間に任せ
ればよい。少なくとも、自分の(心の敵)がわかれば、恐れることはない。不必要に悩ん
だり、苦しんだりすることもない。

 うつ病にかぎらず、心の問題というのは、そういうものである。

 私自身の経験を書いたエッセーが、つぎのものである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心のキズ

 私の父はふだんは、学者肌の、もの静かな人だった。しかし酒を飲むと、人が変わった。
今でいう、アルコール依存症だったのか? 3〜4日ごとに酒を飲んでは、家の中で暴れ
た。大声を出して母を殴ったり、蹴ったりしたこともある。あるいは用意してあった食事
をすべて、ひっくり返したこともある。

私と5歳年上の姉は、そのたびに2階の奥にある物干し台に身を潜め、私は「姉ちゃん、
こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と泣いた。

 何らかの恐怖体験が、心のキズとなる。そしてそのキズは、皮膚についた切りキズのよ
うに、一度つくと、消えることはない。そしてそのキズは、何らかの形で、その人に影響
を与える。

が、問題は、キズがあるということではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに
振り回されることである。

たとえば私は子どものころから、夜がこわかった。今でも精神状態が不安定になると、
夜がこわくて、ひとりで寝られない。あるいは岐阜の実家へ帰るのが、今でも苦痛でな
らない。帰ると決めると、その数日前から何とも言えない憂うつ感に襲われる。

しかしそういう自分の理由が、長い間わからなかった。もう少し若いころは、そういう
自分を心のどこかで感じながらも、気力でカバーしてしまった。が、50歳も過ぎるこ
ろになると、自分の姿がよく見えてくる。見えてくると同時に、「なぜ、自分がそうなの
か」ということまでわかってくる。

 私は子どものころ、夜がくるのがこわかった。「今夜も父は酒を飲んでくるのだろうか」
と、そんなことを心配していた。また私の家庭はそんなわけで、「家庭」としての機能を果
たしていなかった。家族がいっしょにお茶を飲むなどという雰囲気は、どこにもなかった。

だから私はいつも、さみしい気持ちを紛らわすため、祖父のふとんの中や、母のふとん
の中で寝た。それに私は中学生のとき、猛烈に勉強したが、勉強が好きだからしたわけ
ではない。母に、「勉強しなければ、自転車屋を継げ」といつも、おどされていたからだ。
つまりそういう「過去」が、今の私をつくった。

 よく「子どもの心にキズをつけてしまったようだ。心のキズは消えるか」という質問を
受ける。が、キズなどというのは、消えない。消えるものではない。恐らく死ぬまで残る。
ただこういうことは言える。

心のキズは、なおそうと思わないこと。忘れること。それに触れないようにすること。
さらに同じようなキズは、繰り返しつくらないこと。つくればつくるほど、かさぶたを
めくるようにして、キズ口は深くなる。

私のばあいも、あの恐怖体験が一度だけだったら、こうまで苦しまなかっただろうと思
う。しかし父は、先にも書いたように、3〜4日ごとに酒を飲んで暴れた。だから54
歳になった今でも、そのときの体験が、フラッシュバックとなって私を襲うことがある。

「姉ちゃん、こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と体を震わせて、ふとんの中で泣く
ことがある。54歳になった今でも、だ。

心のキズというのは、そういうものだ。決して安易に考えてはいけない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私の経験から

 私が、自分の過去を冷静にみるようになったのは、私が30歳もすぎてからのことでは
なかったか。それについて書いたエッセーが、つぎのものである。内容的に一部、ダブる
ところがあるが、許してほしい。4年前に書いた原稿である。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【自分を変えるために……】

+++++++++++++++++++++

あなたは本当に、あなたか? 
あなたは「私は私」と、本当にそのように、
自信をもって言えるか?

+++++++++++++++++++++

●私の不安発作

 ときどき、自分が夜の闇に吸い込まれていくように感じて、言いようのない不安に襲わ
れることがある。私は夜が苦手。子どものころから苦手だった。そういう不安に襲われる
と、この年齢(54歳)になっても、ひとりで寝ることができない。ワイフが床に入るの
を待ってから、自分もその床に身をすべらせる。

 夜が苦手になった理由は、父が酒乱だったことによる。私が4,5歳くらいのときから
父の酒グセが悪くなり、父は数日おきに酒を飲んだ。見さかいなく暴れた。ときにはそう
いう騒動を、おもしろおかしく見たこともあるが、私には恐怖だった。

父が酒を飲んで暴れるたびに、そして大声で怒鳴り散らすたびに、私と姉は、2階の奥
にあった物干し台の陰に身を隠し、それにおびえた。今でも、「姉ちゃん、こわいよ」「姉
ちゃん、こわいよ」と声を震わせて泣いた自分の声を、よく覚えている。姉は私より、
5歳年上だった。

●心のキズにきづいたのは、三〇歳を過ぎてから

 しかし私がこうした自分の心のキズに気づいたのは、私が30歳を過ぎてからだった。
それまでは自分の心にキズがあるなどとは、思ってもみなかった。が、今から思い出すと、
いろいろな症状があった。

たとえば私は酒臭い人が大嫌いだった。近くにいるだけで、生理的な嫌悪感を覚えた。
赤い夕日が沈むのを見ると、ときどき不安になった。暗いトンネルに入ると、ぞっとす
るような恐怖感に襲われた。カッとなると、すべてを破壊してしまいたいような衝動に
かられた。自分を消してしまいたいような衝動で、そのためときどきワイフに暴力を振
るったこともある。

父が母に暴力を振るっていたのを見たことがあるためか、自分の暴力は正しいと思い込
んでいた。そして最大の症状は、ここに書いたように、夜がこわかったということ。

●不安発作の原因

 一度不安発作に襲われると、自分でもどうやって身を守ってよいのかわからなくなる。
たいていはふとんの中で、体を丸めて、ガタガタ震える。あるいはワイフの体にしがみつ
いて眠る。

しかしそれでも、なぜ自分がそういう発作に襲われるのか、理由がわからなかった。が、
ある夜のこと。私がワイフにふとんの中で、私の子どものころの話を語っていたときの
こと。やがて話が父の酒乱の話しになり、暴力の話になった。そして姉と物干し台で震
えていたときの話になった。そのときのことだ。突然、私はあの不安発作に襲われた。

 体がガタガタと震えだし、そして自分が夜の闇に吸い込まれていくのを感じた。そして
年甲斐もなく、大声で、「姉ちゃん、こわいよ」「姉ちゃん、こわいよ」と泣き出した。

ワイフは、私を自分の体で包みながら、「あなた、何でもないのよ」となだめてくれたが、
そのときはじめて私はわかった。私が感じる不安は、あの夜感じた不安と同じだった。
そしてそれはあの夜から始まっていたのを知った。

 赤い夕日が沈むのを見ると不安になるのは、そのころ父はいつも近くの酒屋で酒を飲ん
でいたからだ。いつだったか、父が真っ赤な夕日を背景に、フラフラと通りを歩いている
のをみかけたことがある。そのときの光景が、今でもはっきりと覚えている。

 また私が暗いトンネルが苦手なのは、暗闇がこわいということよりも、何らかの恐怖症
が形を変えたためと考えられる。子どもというのは、一度恐怖症になると、その思考プロ
セスだけは残り、いろいろな恐怖症に姿を変える。私のばあいも、暗闇恐怖症が、飛行機
事故で今度は、飛行機恐怖症になったりした。

●私の中の私でない部分

 が、ここで私の中に大きな変化が起きたのを知った。「私は私」と思っていたが、私の中
に、私でない部分を知ったとき、そのときから、本当の自分が見えてきた。私は、私の中
の別の私に動かされていただけだった。

たとえば私が酒臭い人を嫌うのも、赤い夕日が沈むのを見ると、ときどき不安になるの
も、また暗いトンネルに入ると、ぞっとするような恐怖感に襲われるのも、カッとなる
と、すべてを破壊してしまいたいような衝動にかられるのも、すべて、私の中の別の私
がそうさせていることに気づいた。これは私にとっては、大きな発見だった。この先を
話す前に、こんなことがある。

●子どもを見ていて……

 子どもを教えていると、それぞれの子どもが、何らかの問題をかかえている。問題のな
い子どもなどいないと言ってもよい。それほど深刻なケースでなくても、いじけたり、す
ねたり、つっぱったり、ひねくれたり、ひがんだりする子どもは多い。そういう子どもを
観察してみると、子ども自身の意思というよりは、何か別の力によって動かされているの
がわかる。もちろん本人は、自分の意思で行動していると思っているようだが、別の思考
パターンが作動しているのがわかる。

 原因はいろいろある。たいていは家庭環境や家庭教育。年齢が大きくなるにつれて、学
校という場が原因になることもある。私が印象に残っている女の子に、A子さんという子
ども(年長児)がいた。

ある朝、私が園庭でA子さんに、「今日はいい天気だね」と話しかけたときのこと。A子
さんは、こう言った。「今日は、いい天気ではない。あそこに雲がある」と。そこでまた
私が、「雲があっても、いい天気だよ」と言うと、さらにかたくなな様子になり、「あそ
こに雲がある!」と。ものの考え方がどこかひねくれていた。

で、話を聞くと、A子さんの家は、父子家庭。ある日担任の先生がA子さんの家を訪れ
てみると、父親の飲む酒ビンが、床にころがっていたという。

●いつ、それに気づくか?

が、問題はこのことではない。そういう「すなおでない性格」について、子ども自身が
いつ、どのような形で気がつくか、だ。が、このことも、問題ではない。問題は、そう
いう自分であって自分でない部分に気がつくことがないまま、自分であって自分でない
部分に引き回されること。そして同じ失敗を繰り返す。これが問題である。

しかしなおす方法がないわけではない。まず、自分自身の中に潜む心のキズがどんなも
のであるかを、客観的に知る。

 私のばあいは、あの夜、ワイフの胸の中で、「姉ちゃん、こわいよ」と泣いたときから、
自分が変わったように思う。それまで心の奥底に潜んでいた「わだかまり」に気づくと同
時に、それを外に吐き出すことができた。

もっともそれですぐすべての問題が解決したわけではないが、少しずつ、そのときから
わだかまりがこわれていった。同じような症状はそれからも繰り返し出たが、(今でも、
出るが……)、そのつど、なぜ自分がそうなるかがわかり、そしてそれに合わせて、症状
も軽くなっていった。
 そこで……

●自分を変えるために

(1)もしあなたが、いつも同じようなパターンで、同じような失敗を繰り返すようであ
れば、自分さがしをしてみる。どこかにおおきなわだかまりや、心のキズがあるはずであ
る。

(2)あなたの過去に問題があることが問題ではない。問題は、そういう問題に気づくこ
とがないまま、その過去に振り回されること。ただし、自分の心の中をのぞくことは、こ
わいことだが、勇気を出して、それをすること。

(3)心の中のキズやわだかまりは、あなたを、無意識のまま、あなたを裏から操(あや
つ)る。ふつうは操られていることに気づかないまま、操られる。たとえば子どもへの暴
力など。親はとっさに暴力を振るうが、あとで「なぜそんなことをしたかわからない」と
いうケースが多いのは、そのため。

(4)しかしあなたが自分の中の、「自分であって自分でない部分」に気づけば、そのとき
から、この問題は解決する。

(5)同じような症状(反応)が出たとき、「ああ、これは私であって、私でない部分」と
自分自身を客観的にみる。あとは時間が解決してくれる。

 これは私の体験からの報告である。

(追記)

 こうした自分自身の体験を公開するのは、一方で、そういう自分と決別するためでもあ
る。自分自身を思いきってさらけ出すのも、ひとつの解決方法かもしれない。

なお私のばあい、それ以上に心がゆがまなかったのは、やさしい祖父母が同居していた
ためと考えられる。もうひとつは、近くに親類が何人かいて、私のめんどうをみてくれ
た。ああいう家庭環境で、もし祖父母や親類が近くにいなかったら、今ごろの私は、ど
うなっていたか……。それを考えると、ぞっとする。

そういう意味で、よく子どもの非行が問題になるが、私はすべて子どもの責任にするの
は、まちがっていると思う。
(02−9−29)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
心の傷 トラウマ うつ病 離婚 離別体験 死別体験 子供の心理 バーミンガム病院 
恐怖症 はやし浩司 離別体験 うつ秒 心の問題)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●心の敵

 心には、さまざまな(ゆがみ)がある。

 ひがむ。
 いじける。
 ねたむ。
 こだわる。
 ふてくされる。
 くじける。
 すねる。
 うとむ。
 おじける。
 からむ、などなど。
 
 こうした(ゆがみ)のほとんどは、実は、私であって、私でない部分ということになる。
あなたであって、あなたでない部分ということになる。

 私やあなたの中には、もうひとりの別の自分がいて、その別の自分が、私やあなたを、
ウラで操る。このもうひとりの自分を、(心の敵)という。

 こうした(心の敵)は、私やあなたの自己意識(自意識)が芽生える以前、つまり5、
6歳までにできるものと考えてよい。少なくとも、それ以後は、私は、私。あなたは、あ
なた。

 そこでもし、そういう(心の敵)を、心のどこかで感じたら、それは(敵)と思うこと。
決して、それは私自身でもないし、あなた自身でもない。(心の敵)にまどわされていると、
私は私でなくなってしまう。あなたはあなたでなくなってしまう。

 つまりは、時間のムダ。人生のムダ。そればかりか、私やあなたの人間関係まで、おか
しくしてしまう。

 ついでに一言。

 子どもの世界でも、こうした(ゆがみ)の少ない子どもを、「すなおな子ども」という。
そのためには、つぎの3つを、乳幼児期は、避ける。

(1)嫉妬(とくに下の子が生まれたときに起きる、赤ちゃんがえりに注意。)
(2)闘争(はげしい競争心をともなう闘争は避ける。)
(3)不安(とくに親子関係について不安に感ずるようなことは避ける。)

 とくに0歳〜2、3歳までは、静かで、穏やか、愛情豊かで、心の休まる家庭環境、親
子関係に心がけるとよい。子どもが、愛情を求めてきたようなときには、すかさず与える。
ほどよい環境。暖かい無視に心がけるとよい。

 まさに三つ子の魂、百まで……ということになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(7月25日)

●バイアグラ

 今朝、パソコンを立ちあげ、Eメールを開いてみて、びっくり。同じ発信者だと思うが、
「バイアグラ」の宣伝だけで、7〜8通も届いていた。パソコンのフィルターを、かいく
ぐるため、「Vijagrra」と、わざと、スペルの一部を、まちがえてある。

 「バイアグラ……ねえ」と思わず、考える。「自分には、必要ないなあ」とも。

 チンチンというのは、小便をするとき、足元をよごさない程度に元気であれば、それで
よい。仮に元気になったとしても、そのチンチンを使う相手がいない。2、3日前も、ワ
イフとこんな会話をした。

 庭のキュウリを収穫しながら、ワイフが、「キュウリって、1日で、こんなに大きくなる
のよ」と。見ると、ちょうど私のサイズ。「ぼくなら、15秒で、それくらいになるよ」と。

ワ「15秒?」
私「何なら、10秒でもいい……」
ワ「10秒は、無理でしょう……?」
私「やっぱり、15秒かな……」

ワ「この大きさに……?」
私「そう。かたさだって、負けないよ」
ワ「無理よ」
私「無理だと思うなら、今度から、そのキュウリを使いナ」
ワ「いやよ」と。

 男なるものは、足腰を鍛えるべし。そのためには、自転車に乗るべし。チンチンの性能
は、その足腰の強さで決まる。

 なおチンチンの性能は、かたさと、角度、それに持続力によって決まる。それはすでに、
みなさん、ご存知のとおり! 


●デジタルカメラ

 一度は、惚(ほ)れて買ったデシタルカメラ。それを半年前に、息子にやった。が、息
子のやつ、それを落として壊してしまった。

 それで修理に。

 電気屋で、「1万円くらいで修理できませんか?」と聞くと、「1万円以下では、無理で
す」と。

 つまり、手数料だけで、1万円ということ?

 ともかくも、そのデジタルカメラが、今日、直って、もどってくる。

 で、おかしな気分。たかがデジタルカメラなのに、気分がウキウキしている。久しぶり
に、仲がよかった友人に会うような気分。

 ところで修理費は、1万4000円+消費税。やっぱりね!


●ものすごい雨雲

 台風5号の、巨大な雨雲が、今朝、中国大陸に上陸したようだ。ひまわりの衛星画像で
は、その部分が、真っ白!

 たいへんな被害が出そうである。

 ところで、あのK国でも、14〜16日の集中豪雨で、たいへんな被害が出たそうだ。
道路や鉄道が、数百か所で寸断されたという。ついでに電話線も。道路はともかくも、鉄
道というのは、一度寸断されると、復旧までに、この日本でも、半年とか1年もかかる。
山間部であれば、なおさらだ。

 つまり、ミサイルの再発射どころではないということ。日本海に配置されていたイージ
ス艦も、1隻を残して、みな、日本へ戻ってきたそうだ。しかし、油断、大敵!

 今度は、K国は、核実験の動きを見せているという(中国)。さらに今度ミサイル実験を
するときは、直接、この日本に向けてミサイルを飛ばしてくる可能性も高いという。実験
ではなく、本番!、というわけである。

 頭の「?」な指導者だけに、つぎに何をしでかすか、予想が立たない。それが不気味!


●イスラエル

 パレスチナは、もとはと言えば、イギリスの植民地。その植民地を、イスラエルは、イ
ギリスから買った。そしてイスラエルという国を樹立した。

 イスラエルにすれば、「イギリスから買った土地だ。文句あるか」となる。しかしパレス
チナの住民にしてみれば、「もともと、オレたちの土地だ」となる。

 加えて、ユダヤ文明とアラブ文明は、水と油。混ざるわけがない。そこへ宗教戦争が加
わる。ユダヤ教対イスラム教。宗教戦争ともなると、信者たちは、命をかける。

 対立の根は、深い。だから年がら年中、戦争、また戦争。この戦争だけは、これから先、
100年とか、200年はつづく。質によって、戦争は、つぎの4段階に区分される。こ
れは(はやし浩司)説。

(1)利権争い
(2)領土争い(覇権争い)
(3)宗教戦争
(4)文明の対立

 イスラエルとパレスチナの戦争には、この(2)〜(4)が、からんでいる。

 ならばイスラエルという国を、どこかほかの国へ移すということは考えられないものか。
オーストラリアとかカナダの一部へ、である。しかしそれとて、問題がないわけではない。

 ユダヤ文明というのは、西欧社会の中においてですら、特殊な文明ととらえられている。
わかりやすく言えば、旧約聖書と新約聖書のちがいということになる。が、その(ちがい)
は、私たち日本人が考えているより、はるかに大きい。

 やはり、アメリカしかないのか? テキサスの一部を、新イスラエルとするとか……。
そういう方法も、ないわけではない。そろそろそういうことも考えたほうがよいのでは…
…。


●日本コンプレックス(?)

 朝鮮N報の記者が、こんな興味深いコラムを書いている。

 何でも日本で駐在生活をしてきた社員たちが、自分の子どもの教育で悩んでいるという
のだ(7月25日)。

 「レベルの低い日本の学校で勉強してきため、韓国にもどってから、子どもたちは、み
な、バカ(原文のまま)にされる」という。

 そのため、日本に駐在中も、また韓国へ戻ってからも、家庭教師をつけて、不足分を補
っている、と。

 「そういうものかなあ」とか、「なるほどねえ」とか、思ってみたりする。が、最後のし
めくくりが、すごい! こうある。

 「しかしそれも良い方向にも考えられる。『韓国の子どもたちがこんなに勉強をしている
のであれば、20年後には韓国が日本を追い越すことができるだろう』という希望だ。日
本が先進国入りしたのは1960年代。日本の親たちの教育ブームが大きな役割を果たし
た」(原文のまま、引用)と。

 どうして韓国は、日本のことを、こうまで気にするのだろう。国中が、まさに、受験勉
強をしているといった感じ! あるいは日本コンプレックスのかたまり(?)。

どうぞ、ご勝手に!

 あのね、韓国のみなさん。大切なことは、みな、心豊かに、生きがいをもって生きるこ
と。順位なんかじゃ、ないですよ! 「先進国」「先進国」って、そういうものは、結果と
して、あとからついてくるもの。ちがいますか?


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●精進

+++++++++++++++++++

肉体は、日々に、死に、そして新しく
生まれかわる。

皮膚細胞の寿命は、20日前後。
胃壁の細胞にいたっては、3〜4日。

骨にしても、2年。つまり2年で、死に、
そして新しく生まれかわる。

脳みそも、また同じ。

+++++++++++++++++++

 肉体は、日々に、死に、そして新しく生まれかわる。皮膚細胞の寿命は、20日前後。
胃壁の細胞にいたっては、3〜4日。硬い骨にしても、寿命は、せいぜい2年。その2年
で、死に、そして新しく生まれかわる(NHK「ためして、がってん」)。

 脳細胞も、またしかり。

 言いかえると、私たちの肉体は、見た目には同じでも、全部が全部、ほぼ2年以内に生
まれかわっているということ。もっと端的に言えば、2年前の私は、私ではないというこ
と。あなたは、あなたではないということ。

 ……というのは、言い過ぎかもしれない。しかしこと、脳細胞については、気をつけた
ほうがよい。記憶が薄れるなどという、生やさしいものではない。へたをすれば、どんど
んと退化する。退化するのみならず、過去の自分へと、もどってしまう。

 このことは、自分で書いた文章を読みなおしてみると、わかる。

 私は、ほぼ毎日、こうして何らかの文章を書いている。書きながら、ときどき、2年前、
3年前に書いた文章を読みなおしてみることがある。

 そういうとき、「たしかに私の書いた文章」ということはわかる。しかしそういう文章を
読みながら、この2年、あるいは3年で、自分という人間が、ほとんど進歩していないの
を知り、がっくりすることがある。ばあいによっては、より俗化し、だらしなくなってい
るのを知る。

 ……となると、私は、この2年間、あるいは3年間、何をしてきたのかということにな
る。

 こういう私の意見に対して、異論、反論もあろうかと思う。しかしこれだけは、言える。

 人間は、年を重ねれば重ねるほど、賢く、人間味がますと説く人がいる。しかしそれは、
ウソ。誤解。むしろ人間は、年を重ねれば重ねるほど、思想は鈍磨し、通俗的になる。中
には邪悪になっていく人すらいる。

 さらにひどくなると、10年どころか、20年、30年一律のごとくに、同じ持論を繰
りかえす人がいる。「林君、女というのは、家庭にいて、家庭を守るもんだよ。それが宿命
というもんだよ」とか、など。

 そこで重要なことは、肉体はもちろんのこと、脳みそも、日々の鍛錬の中で、磨き、育
てていかねばならないということ。記憶のみならず、知識や経験、さらには、思想や哲学
など、どんどんと忘れていく。そればかりではない。

 せっかく手にした哲学や倫理観まで、失う。失うばかりではなく、それ以前に自分の中
に巣を作っていた邪悪な部分まで、表に出てきてしまう。これがこわい!

 私のように、とくに邪悪な幼少期を過ごした人ほど、注意したらよい。ふと油断しただ
けで、それが表に出てきてしまう。

 さあて、つぎの2年を、どのようにして過ごそうか? ……と考えたところで、この話
は、おしまい。2年後も今と同じように健康であればよい。今と同じように、ほどほどに
脳みその働きが活発であればよい。

 そう思いながら、今の自分を鍛える。

【付記】

 死んだ人は、遺骨を残す。しかし「遺骨」といっても、それはその人の最後の2年間の
骨にすぎない。

 では、残りの骨は、どこへ消えたか?

 言うまでもなく、クソとなって、トイレの中に消えた!

 言いかえると、私たちは日々、クソをしながら、自分の骨を、トイレに流していること
になる。つまり、本当の墓は、トイレということになる。しかしトイレに手を合わせて拝
む人は、いない。

 では、なぜ、遺骨が遺骨なのか?

 これまた言うまでもなく、保存がきき、運搬に便利だからである。本来なら、脳みその
ほうを、(その人)と思って祭るのが正しい。心臓でもよい。しかし脳みそでは、保存がき
かない。それにドロドロとした形をしていて、気味が悪い。

 こうして考えてみると、人間が文化(?)として創りあげた習慣の中には、ずいぶんと、
いいかげなんなものが多いことがわかる。つまり人間のご都合主義によって、決まってい
るものも多いということ。

 考えてみれば、あんな骨(失礼!)に、その人の魂など、宿るはずがない。宿るとした
ら、私は、「文章」だと思う。こうした文章だと思う。画家であれば、絵ということになる。
少なくとも、私は、そういうつもりで、自分の文章を書いている。

 「これが私の魂だ」と。

 だからいつか、そういう人はいないと思うが、私が死んだあと、(はやし浩司)を偲(し
の)んでくれるような人がいたら、墓参りではなく、(どうせ、墓など作らないが)、私の
書いた文章を読みなおしてみてほしい。そのほうが、私としては、ずっとずっと、うれし
い。

 これは私の、息子たちへの遺言でもある。
(06−07−25日記)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
遺言 私の遺言)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    8月 23日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間の欠陥

++++++++++++++

生きるために働く……。それが
いつの間にか、働くために生きる
になる。

生きるという目的が、やがて
欲望によって、乗っ取られる。

私はそこに人間がもつ本来的な
悪を感ずる。

++++++++++++++

 人間には、明らかな欠陥がある。個人としての、欠陥。それに集団を組んだときの欠陥。
「教育」というと、子どもを、前に向かって伸ばすことしか考えないが、しかしその欠陥
をどう克服するかということについても教えていかないと、いつまでも人間は、同じ失敗
を繰り返す。で、その前提として、人間のもつその「欠陥」が何であるかを、知らねばな
らない。

 もちろん最大の欠陥は、殺しあいであり、戦争ということになる。

太古の昔から争いや戦争は絶えなかったし、今も絶えない。問題は、戦争ではなく、ま
た戦争にいたる、大義名分でもない。なぜ人間は戦争するかという、その深層部にまで
メスを入れないと、結局は、その繰り返しになってしまう。仮に宇宙時代がやってきて
も、今度は、宇宙という場で、同じような戦争を繰り返すようになる。

 では、人間にとっての最大の欠陥とは何か。そのヒントは、幼児の成長を、発展段階的
に観察してみると、わかる。たとえば満4、5歳ころの幼児は、純粋で無垢(むく)であ
る。この時期まで、あるべき環境のもとで、あるがままに育った子どもというのは、実に
平和で、のどかな様子を見せる。

しかしその子どもが、やがて少年、少女期への移行期に入ると、もろもろの「しがらみ」
ができると同時に、無数の「しみ」が身につくようになる。いわゆる私たちおとなの原
型が、そこでできる。

 で、この時期をさらに詳しく観察してみると、この時期を境に、「欲」が生まれることが
わかる。フロイトは、「自我」という言葉を使って、それを説明したが、自我とも違う。名
誉欲、所有欲、独占欲、我欲、支配欲など。俗にいう「わがまま」、あるいは「我(が)」
という言葉に総称される欲である。教育の世界では、こうした欲を、善なるものとして、
肯定的に受けいれる傾向が強い。少なくとも、悪いものだとは思わない。

事実、それによって伸びる部分も少なくない。しかしこうした「欲」は、まさに両刃の
剣。使い方をまちがえると、その人の人間性そのものまで狂わす。集団になると、社会、
さらには国のあり方まで、狂わす。戦前の日本や、現在の北朝鮮を見るまでもない。

 そこでこの欲を、どう位置づけるかだが、この欲を、人間が生来的にもつ欠陥と位置づ
けてはどうだろうか。つまり欠陥と位置づけた上で、そのコントロールのし方を考える。

一つの基準としては、他者に対して、物理的な影響を与える「欲」については、「悪」と
いう前提で考える。「物理的」というのは、精神的な影響以外のものということになる。
仮にその「欲」をもった人から精神的な影響を受けたとしても、つぎにその影響を「行
動」に移し、他者に影響を与える段階で、コントロールする。その「コントロールのし
方」が、もう一つの教育ということになる。

 たとえば昔、『おしん』というテレビドラマが、あった。あのおしんは、数年前、数千億
円の借金をかかえて倒産した、Yジャパンの社長のW氏の母親の、Kさんがモデルだとさ
れる。

最初、おしんは、生きていくために働いた。しかしあるときから、ある意味で金の亡者
になり、今度は、働くために生きるようになった。日本中はその出世ぶり(?)に感動
したが、私はちがった。私の家は昔からの自転車屋だったが、その系列の大型店ができ
てからは、閉店寸前まで追い込まれた。

もしおしんが、生きるために働くということであれば、ああまで店の規模を大きくする
必要などなかった。つまりおしんのもつ我欲が、私たちに物理的影響を与えた。もっと
言えば、おしんには、そうした我欲にブレーキをかけるだけの哲学がなかった。恐らく
「マネー、マネー」というだけの人ではなかったのか。

その証拠にというわけではないが、日本中がおしんの苦労話には泣いたが、その反面、
あのYジャパンが倒産したとき、関係者は別として、涙をこぼす人は、一人もいなかっ
た。

 たまたま今、中央教育審議会(文部科学省の諮問機関、鳥居Y会長)が、教育基本法の
見なおしをしている。そしてその中間報告素案が、明らかになっている。それによると、
教育の基本理念に愛国心や、社会形成に主体的にかかわる「公」の意識を前面に出ている
ことがわかる。もともと遠山敦子文部科学相が、昨年(01年)の11月に、中教審に行
った諮問は、(1)伝統・文化の尊重、(2)家庭の役割、(3)宗教的情操の育成の三つの
視点が「柱」になっていた。

しかし今回の中間報告素案では、三番目の宗教的情操の育成が見送られた。いろいろな
意見が付記されているが、これはしごく当然のことである。「宗教」といっても、今のよ
うに、K党(S宗教団体が支持母体)が、政権の中枢部にいる「国」では、その宗教的
中立性があやぶまれる。ただ方向性としては、まちがってはいない。今の日本には、そ
して教育には、たしかに「柱」となる情操的理念がない。

 そこで二つの考え方ができる。一つは、既存の宗教に依存するという考え方。遠山敦子
氏が諮問した、「宗教的情操」というのが、それにあたる。もう一つは、私たち自身が、新
しい「柱」を自らつくるという考え方。

当然のことながら、私は後者を支持する。そしてその一つとして、ここに、「人間の欠陥」
について考えてみた。これは情操のほんのひとつの「柱」にすぎないが、みなが、それ
ぞれの立場で、無数の柱をつくり、またそれを補強していけば、やがて宗教に負けない
だけの大きな「柱」をつくることができる。何も神や仏に頼らなくても、自分たちの力
で、それができる。

 話が少しおおげさになってしまったが、人間には、生来的に欠陥があるという前提で、
人間や人間社会をみていくことは、まちがっていない。そうした謙虚さがあれば、私たち
自身も、そしてこの社会も、もう少し住みやすくなるのではないか。今の人間たちは、あ
まりにも傲慢(ごうまん)すぎる。
(02−10−30)(06−07−24改)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
人間の欲望 欲 人間の欠陥)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの学習指導】

●子どもの集中力

++++++++++++++++

パッパと始めて、サッサと終わる。
その間、わき目もふらずに勉強する。
作業する。

そういう力を集中力という。

この集中力を養うためには、幼児期が
勝負。

短時間で、濃密な学習をする。
そういった訓練を、週に1度ほどする。
10分とか、20分とかいう、短時間で
よい。

それが子どもの集中力へとつながる。

ダラダラとしたダラ勉は禁物。
かえって、子どもからやる気を奪って
しまう。

++++++++++++++++

 何か作業を与えても、熱くならない子どもというのは、多い。小学1年生レベルでみて
も、10人のうち、3〜4人はいる。

 するでもなし、しないでもなし……というような状態で、時間ばかり、かかる。「ここま
でしないと、終わらないよ」と、軽い脅しをかけても、ニヤニヤと笑っているだけ。症状
としては、つぎのようなものがある。

(1)ダラ勉、フリ勉、時間つぶし

 強制的な学習、あるいは、無理な学習が日常化しているため、学習に対する反応が、き
わめて鈍い。ある子ども(6歳児)は、夏休みの間、午前中の2時間、いろいろな勉強を
することになっているという。

 しかし幼児に2時間は、無理。私の教室(BW)では、50分間のレッスンをするが、
私だからこそ、できること。またそういったレッスンをするためには、その何倍もの時間
をかけて、準備をしなければならない。

 平均的な幼児だったら、30分が限度。しかも30分のうち、10分程度、勉強らしき
ことをしたら、よしとする。それですます。

(2)頭が熱くならない

 ダラダラと時間ばかりつぶす。そのため、頭が熱くなることがない。ジョギングにたと
えて言うなら、走るでもない、歩くでもないといった感じ。道草ばかり食って、前に進ま
ない。

 平均的な子どもは、ここ一番というとき、カッとなって、その作業に夢中になったりす
る。しかしこのタイプの子どもには、それがない。熱くなるということ、そのものがない。
ほかの子どもたちが、先を争って作業をするようなときでも、柔和な表情を浮かべて、知
らぬ顔をしている。あとをのんびりとついていく。

(3)競争心、闘争心に欠ける

 「勝つ」「負ける」という感覚そのものが、弱い。あるいは負けても、平気。競争心、闘
争心がなく、最初から、万事、あきらめムード。

 では、どうすればよいか。以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

子どもが勉強から逃げるとき 

++++++++++++++++

やらせればできるはず……と考えたら、
STOP!

中には、「うちの子をもっと、しぼって
ください!」と、頼む親だっている。

しかしこの方法では、子どもは、伸びない。

++++++++++++++++

●フリ勉、ダラ勉、ムダ勉

 子どもは勉強から逃げるとき、独特の症状を示す。まずフリ勉。

いかにも勉強しているというフリをする。頭をかかえ、黙々と問題を読んでいるフリを
する。しかしその実、何もしていない。何も考えていない。

次にダラ勉。一時間なら一時間、机に向かって座っているものの、ダラダラしているだ
け。マンガを読んだり、指で机をかじったり、爪をほじったりする。

このばあいも、時間ばかりかかるが、その実、何もしていない。ムダ勉というのもある。
やらなくてもよいようなムダな勉強ばかりして、時間をつぶす。折れ線グラフをかくと
きも、グラフばかりかいて時間をつぶすなど。

●一時間で計算問題を数問!

 こういう状態になったら、親は家庭教育のあり方を、かなり反省しなければならない。
こんなこともあった。ある母親から、「夏休みの間だけでも、息子(小二)の勉強をみてほ
しい」と。遠い親戚にあたる母親だった。そこでその子どもを家に呼ぶと、その子どもは
バッグいっぱいのワークブックを持ってきた。

見ると、どれも分厚い、文字がびっしりのものばかり。その上、どれも子どもの能力を
超えたものばかりだった。母親は難しいワークブックをやらせれば、それだけで勉強が
よくできるようになると思っていたらしい。

案の定、教えてみると、空を見つめて、ぼんやりとしているだけ。ほとんど何もしない。
同じ問題を書いては消し、また書いては消すの繰り返し。一時間もかかって、簡単な計
算問題を数問しかしないということもあった。小学低学年の段階で一度こういう症状を
示すと、なおすのは容易でない。

●意欲を奪う五つの原因

 子どもから学習意欲を奪うものに、(1)過負担(長い学習時間、回数の多い塾通い)、(2)
過関心(子どもの側から見て、気が抜けない家庭環境、ピリピリした親の態度)、(3)過
剰期待(「やればできるはず」と子どもを追いたてる、親の高望み)、(4)過干渉(何でも
親が先に決めてしまう)、それに(5)与えすぎ(子どもが望む前に、あれこれお膳立てし
てしまう)がある。

 たくさん勉強させればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人は多い。し
かしこれは誤解。

『食欲がない時に食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶
をそこない、また記憶されない』と、あのレオナルド・ダ・ビンチも言っている。ある
いはより高度な勉強をさせればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人も
いる。これについては誤解とまでは言えないが、しかしそのときもそれだけの意欲が子
どもにあればよいが、そうでなければやはり逆効果。

 要は集中力の問題。ダラダラと時間をかけるよりも、短時間にパッパッと勉強を終える
ほうが、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そうい
う勉強のし方をする。私が今知っている子どもに、K君(小四男児)という子どもがいる。
彼は中学一年レベルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。

そのK君だが、「家ではほとんど勉強しない」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学
校へ行ってからしているようです」とも。

 ついでながら静岡県の小学五、六年生についてみると、家での学習時間が三〇分から一
時間が四三%、一時間から一時間三〇分が三一%だそうだ(静岡県出版文化会発行「ファ
ミリス」県内一〇〇名について調査・二〇〇一年)。

(参考資料)

静岡県の小学五、六年生についてみると、家での学習時間が……

30分から1時間……43%
1時間から1時間30分……31%だそうだ。
(静岡県出版文化会発行「ファミリス」県内100名について調査・2001年)。


●変わる「勉強」への意識

 もっとも今、「勉強」そのものの内容が大きく変わろうとしている。「問題を解ける子ど
も」から、「問題を考える子ども」へ。「知っている子ども」から、「何かを生み出す子ども」
へ。さらには「言われたことを従順にこなす子ども」から、「個性が光る子ども」へ、と。
少なくとも世界の教育はそういう方向に向かって動いている。

そして当然のことながら、それに合わせて教育内容も変わってきている。大学の入学試
験のあり方も変わってきている。だから昔のままの教育観で子どもに勉強させようとし
ても、それ自体が今の教育にはそぐわないし、第一、子どもたちがそれを受けいれない。

たとえば昔は、勉強がよくできる子どもが尊敬され、それだけでクラスのリーダーにな
った。しかし今は違う。「勉強して、S君のようないい成績をとってみたら」などと言う
と、「ぼくらは、あんなヘンなヤツとは違う」と答えたりする。「A進学高校へ行くと勉
強させられるから、A進学高校には行きたくない」と言う子どもも、珍しくない。それ
がよいのか悪いのかは別にして、今はそういう時代なのだ。

 ……などなど、そういうことも考えながら、子どもの勉強を考えるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの勉強グセ 勉強嫌い 勉強を避ける子供)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもを本好きにする法

子どもの方向性を知るとき 

++++++++++++++++

子どもを伸ばす最大のコツは、
子ども自身が伸びる方向性に沿って、
子どもを伸ばす。

無理をしない。その一言に尽きる。

++++++++++++++++

●図書館でわかる子どもの方向性
 
子どもの方向性を知るには、図書館へ連れて行けばよい。そして数時間、図書館の中で
自由に遊ばせてみる。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみる。

サッカーが好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の本を
読む。そのとき子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。

その方向性にすなおに従えば、子どもは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。
無理をすれば子どもの伸びる「芽」そのものをつぶすことにもなりかねない。ここでい
くつかのコツがある。

●無理をしない

 まず子どもに与える本は、その年齢よりも、1〜2年、レベルをさげる。親というのは、
どうしても無理をする傾向がある。6歳の子どもには、7歳用の本を与えようとする。7
歳の子どもには、8歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざ
ける。

そこで「うちの子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきってレベ
ルをさげる。本の選択は、子どもに任す。が、そうでない親もいる。本屋で子どもに、「好
きな本を一冊買ってあげる」と言っておきながら、子どもが何か本を持ってくると、「こ
んな本はダメ。もっといい本にしなさい」と。こういう身勝手さが、子どもから本を遠
ざける。

●動機づけを大切に

 次に本を与えるときは、まず親が読んでみせる。読むフリでもよい。そして親自身が子
どもの前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。

子どもに何かものを与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。
本のばあいだと、子どもをひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるなど。こ
の動機づけがうまくいくと、あとは子どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。
この動機づけのよしあしで、その後の子どもの取り組み方は、まったく違ってくる。

まずいのは、買ってきた本を袋に入れたまま、子どもにポイと渡すような行為。子ども
は読む意欲そのものをなくしてしまう。無理や強制がよくないことは、言うまでもない。

●文字を音にかえているだけ?

 なお年中児ともなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。親は「うちの子どもは国
語力があるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解
していない。

親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」
子「……わかんない」
親「うさぎさんは誰に会ったのかな?」
子「……わかんない」と。

もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごとに質問してみるとよい。「うさぎ
さんは、どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。あるいは本を読
み終えたら、その内容について絵をかかせるとよい。

本を読み取る力のある子どもは、一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるような絵
をかく。そうでない子どもは、ある部分だけにこだわった絵をかく。また本を理解しな
がら読んでいる子どもは、読むとき、目が静かに落ち着いている。そうでない子どもは、
目がフワフワした感じになる。

さらに読みの深い子どもは、一ページ読むごとに何か考える様子をみせたり、そのつど
挿し絵をじっと見ながら読んだりする。本の読み方としては、そのほうが好ましいこと
は言うまでもない。

●文字の使命は心を伝えること

 最後に、作文を好きにさせるためには、こまかいルール(文法)はうるさく言わないこ
と。誤字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが
子どもを文字好きにする。が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそ
うだが、文法もそうだ。

たとえば小学二年の秋に、「なかなか」の使い方を学ぶ(光村図書版)。「『ぼくのとうさ
ん、なかなかやるな』と、同じ使い方をしている『なかなか』はどれか。『なかなかでき
ない』『なかなかおいしい』『なかなかなきやまない』」と。

こういうことばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いになる。小学校の高学年
児で、作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子どもは、一〇
人に三人はいる。

(付記)
●私の記事への反論

 「一ページごとに質問してみるとよい」という考えに対して、「子どもに本を読んであげ
るときには、とちゅうで、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本とい
うのは言葉の流れや、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、
子どもたちに本の読み聞かせをしている人からだった。

 私もそう思う。それはそれだが、しかし実際には、幼児を知らない児童文学者という人
も多い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気
で並べる。たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほ
とりで、 ひとりの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まど
ろんでいた」と。

この中だけでも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「う
つら」「釣り糸」「まどろむ」と続く。こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたり
することは、決してその本の「よさ」をそこなうものではない。が、それだけではない。

意味のわからない言葉から受けるストレスは相当なものだ。ためしにBS放送か何かで、
フランス語の放送をしばらく聞いてみるとよい。フランス語がわかれば話は別だが、ふ
つうの人ならしばらく聞いていると、イライラしてくるはずだ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の方向性 図書館の活用方法)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもを勉強に向かわせる法

子どもが学習机から離れるとき

●机は休むためにある

 学習机は、勉強するためにあるのではない。休むためにある。どんな勉強でも、しばら
くすると疲れてくる。問題はその疲れたとき。そのとき子どもがその机の前に座ったまま
休むことができれば、よし。そうでなければ子どもは、学習机から離れる。勉強というの
は一度中断すると、なかなかもとに戻らない。

 そこであなたの子どもと学習机の相性テスト。子どもの好きそうな食べ物を、そっと学
習机の上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそのまま机の前に座ってそれを食べれば、
よし。もしその食べ物を別のところに移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみ
る。

反対に自分の好きなことを、何でも自分の机に持っていってするようであれば、相性は
合っているということになる。相性の悪い机を長く使っていると、勉強嫌いの原因とも
なりかねない。

●机は棚のない平机

 学習机というと、前に棚のある棚式の机が主流になっている。しかし棚式の机は長く使
っていると圧迫感が生まれる。もう一五年ほども前になるが、小学一年生について調査し
たことがある。結果、棚式の机のばあい、購入後3か月で約80%の子どもが物置にして
いることがわかった。

最近の机にはいろいろな機能がついているが、子どもを一時的にひきつける効果はある
かもしれないが、あくまでも一時的。そんなわけで机は買うとしても、棚のない平机を
すすめる。あるいは低学年児のばあい、机はまだいらない。

たいていの子どもは台所のテーブルなどを利用して勉強している。この時期は勉強を意
識するのではなく、「勉強は楽しい」という思いを育てる。親子のふれあいを大切にする。
子どもに向かっては、「勉強しなさい」と命令するのではなく、「一緒にやろうか?」と
話しかけるなど。

●学習机を置くポイント

 学習机にはいくつかのポイントがある。

(1)机の前には、できるだけ広い空間を用意する。 

(2)棚や本棚など、圧迫感のあるものは背中側に配置する。

(3)座った位置からドアが見えるようにする。

(4)光は左側からくるようにする(右利き児のばあい)。

(5)イスは広く、たいらなもの。かためのイスで、机と同じ高さのひじかけがあるとよ
い。

(6)窓に向けて机を置くというのが一般的だが、あまり見晴らしがよすぎると、気が散
って勉強できないということもあるので注意する。

 机の前に広い空間があると、開放感が生まれる。またドアが背中側にあると、心理的に
落ちつかないことがわかっている。意外と盲点なのが、イス。深々としたイスはかえって
疲れる。ひじかけがあると、作業が格段と楽になる。ひじかけがないと、腕を机の上に置
こうとするため、どうしても体が前かがみになり、姿勢が悪くなる。

中に全体が前に倒れるようになっているイスがある。確かに勉強するときは能率があが
るかもしれないが、このタイプのイスでは体を休めることができない。

 さらに学習机をどこに置くかだが、子どもが学校から帰ってきたら、どこでどのように
して体を休めるかを観察してみるとよい。好きなマンガなどを、どこで読んでいるかをみ
るのもよい。たいていは台所のイスとか、居間のソファの上だが、もしそうであれば、思
い切って、そういうところを勉強場所にしてみるという手もある。子どもは進んで勉強す
るようになるかもしれない。

(詳しくは、「はやし浩司の書斎」に具体的な配置図とともに、書いてあります。どうか、
ご覧になってください。)

●相性を見極める

 ものごとには相性というものがある。子どもの勉強をみるときは、何かにつけ、その相
性を大切にする。相性が合えば、子どもは進んで勉強するようになる。相性が合わなけれ
ば、子どもは何かにつけ、逃げ腰になる。無理をすれば、子どもの学習意欲そのものをつ
ぶしてしまうこともある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 子供部屋 子供の学習環境 動機付け 子供部屋のあり方)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもの個性を伸ばす法

教育が型にはまるとき
●「ちゃんと見てほしい」

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メ
チャメチャだ。ちゃんと見てほしい」と。私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつ
けて返したときのことである。

あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そうい
うときも私は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がち
がっているのに、どうして丸をつけるのか!」と。

●「型」にこだわる日本人

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。
最近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」
と。

私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注
意された。書道の先生ということもあった。そこで私が直接、「左利きを認めてやってほ
しい」と懇願すると、その先生はこう言った。「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできて
いるから、なおしたほうがよい」と。

そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。
書き順どころではない。文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もう
としなくなってしまった。

 一方、オーストラリアでは、スペルがまちがっている程度なら、先生は何も言わない。
壁に張られた作品を見ても、まちがいだらけ。そこで私が「なおさないのですか」と聞く
と、その先生(小三担当)は、こう話してくれた。

「シェークスピアの時代から、正しいスペルなんてものはないのです。発音が違えば、
スペルも違う。イギリスのスペルが正しいというわけではない。言葉は、ルール(文法
やスペル)ではなく、中身です」と。

●「U」が二画?

 近く小学校でも、英語教育が始まる。その会議が10年ほど前、この浜松市であった。
その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してく
れた。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり2画と決まりました。同じよ
うにMとWは四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもない
ような書き順が、この日本にあるとは! 

そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、25度傾けて書けと教えられたことがあ
る。今から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の
教育はおもしろくない。つまらない。

たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌
いになってしまう。日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景
に、子どもたちの文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。だいたいこの
コンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくなに守
らねばならない理由が、一体どこにあるのか。

「型」と「個性」は、正反対の位置にある。子どもを型に押し込めようとすればするほ
ど、子どもの個性はつぶれる。子どもはやる気をなくす。

●左利きと右利き

 正しい文字かどうかということは、次の次。文字を通して、子どもの意思が伝われば、
それでよし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみ
を覚える。

オーストラリアでは、すでに10年以上も前に小学3年生から。今ではほとんどの幼稚
園で、コンピュータの授業をしている。10年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、
フロッピーディスクで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きか
わった。先生と生徒が、常時インターネットでつながっている。こういう時代がすでに
もう来ているのに、何がトメだ、ハネだ、ハライだ! 

 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきにな
ったとしても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。そ
れについては、また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。

左利きにしても、人類の約5%が、左利きといわれている(日本人は3〜4%)。原因は、
どちらか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺
伝説。生活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

一般的には乳幼児には左利きが多く、3〜4歳までに決まるが、どの説にせよ、左利き
が悪いというのは、あくまでも偏見でしかない。冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き
用にはできているが、しかしそんなのは慣れ。慣れれば何でもない。

●エビでタイを釣る

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが
一生懸命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子
どもを伸ばす。これは幼児教育の大原則。昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」
と。しかし愚かな人はタイを釣る前に、エビを食べてしまう。こまかいこと(=エビ)を
言って、子どもの意欲(=タイ)を、そいでしまう。

(付記)

●私の意見に対する反論

 この私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその
一つ。それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教
えておかないと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。

しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、
ハライが美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、
そういう「美」を、勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字
の役目は、意思を相手に伝えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的
がどこかへ飛んでいってしまう。

私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよ
く思い出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆を
はさんで文字を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し
訳ないことをしたと思っている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを
織り込んだ。

(参考)

●経済協力開発機構(OECD)が調査した「学習到達度調査」(PISA・2000年
調査)によれば、「毎日、趣味で読書をするか」という問いに対して、日本の生徒(15歳)
のうち、53%が、「しない」と答えている。

この割合は、参加国32か国中、最多であった。また同じ調査だが、読解力の点数こそ、
日本は中位よりやや上の8位であったが、記述式の問題について無回答が目立った。

無回答率はカナダは5%、アメリカは4%。しかし日本は29%! 文部科学省は、「わ
からないものには手を出さない傾向。意欲のなさの表れともとれる」(毎日新聞)とコメ
ントを寄せている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
日本人の型 型にはめる教育 子供の個性)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもを勉強好きにする法

子どもがワークをするとき 

●西田ひかるさんが高校一年生

 学研に「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌があった。今もある。私はこの雑誌に
創刊時からかかわり、その後「知恵遊び」を10年間ほど、協力させてもらった。

「協力」というのもおおげさだが、巻末の紹介欄ではそうなっていた。この雑誌は両誌
で、当時毎月47万部も発行された。この雑誌を中心に私は以後、無数の市販教材の制
作、指導にかかわってきた。

バーコードをこするだけで音が出たり答えが出たりする世界初の教材、「TOM」(全1
0巻)や、「まなぶくん・幼児教室」(全48巻)なども手がけた。

14年ほど前には英語雑誌、「ハローワールド」の創刊企画も一から手がけた。この雑誌
も毎月27万部という発行部数を記録したが、そのときの編集長の大塚K氏が、横浜の
アメリカンハイスクールで見つけてきたのが、西田ひかるさんだった。当時まだまった
く無名の、高校一年生だった。

●さて本題

 ……実はこういう前置きをしなければならないところに、肩書のない人間の悲しみがあ
る。私はどこの世界でも、またどんな人に会っても、まずそれから話さなければならない。
私の意見を聞いてもらうのは、そのあとだ。

で、本論。私はこのコラム(中日新聞「子どもの世界」)の中で、「ワークやドリルなど、
半分はお絵かきになってもよい」と書いた。別のところでは、「ワークやドリルほどいい
かげんなものはない」とも書いた。

そのことについて、何人かの人から、「おかしい」「それはまちがっている」という意見
をもらった。しかし私はやはり、そう思う。無数の市販教材に携わってきた「私」がそ
う言うのだから、まちがいない。

●平均点は六〇点

まず「売れるもの」。それを大前提にして、この種の教材の企画は始まる。主義主張は、
次の次。そして私のような教材屋に仕事が回ってくる。そのとき、おおむね次のような
レベルを想定して、プロット(構成)を立てる。

その年齢の子ども上位10%と下位10%は、対象からはずす。残りの80%の子ども
が、ほぼ無理なくできる問題、と。点数で言えば、平均点が60点ぐらいになるような
問題を考える。

幼児用の教材であれば、文字、数、知恵の三本を柱に案をまとめる。小学生用であれば、
教科書を参考にまとめる。

しかしこの世界には、著作権というものがない。まさに無法地帯。私の考えた案が、ほ
んの少しだけ変えられ、他社で別の教材になるということは日常茶飯事。こう書いても
信じてもらえないかもしれないが、25年前に私が「主婦と生活」という雑誌で発表し
た知育ワークで、その後、東京の私立小学校の入試問題の定番になったのが、いくつか
ある。

●半分がお絵かきになってもよい

 子どもがワークやドリルをていねいにやってくれれば、それはそれとして喜ばねばなら
ないことかもしれない。しかしそういうワークやドリルが、子どもをしごく道具になって
いるのを見ると、私としてはつらい。……つらかった。

私のばあい、子どもたちに楽しんでもらうということを何よりも大切にした。同じ迷路
の問題でも、それを立体的にしてみたり、物語を入れてみたり、あるいは意外性をそこ
にまぜた。たとえば無数の魚が泳いでいるのだが、よく見ると全体として迷路になって
いるとか。あの「幼児の学習」や「なかよし学習」にしても、私は毎月300枚以上の
原案をかいていた。だから繰り返す。

 「ワークやドリルなど、半分がお絵かきになってもよい。それよりも大切なことは、
子どもが学ぶことを楽しむこと。自分はできるという自信をもつこと」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 子どもの学習 子供の学習 勉強嫌い 子どもの集中力 子供の集中力 学習指導 勉
強指導 学習机 はやし浩司 子供の勉強グセ 勉強癖 やる気 やる気論 子供を伸ば
す法 子供の伸ばし方 家庭学習 子供の方向性)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

●セミの鳴き声、一番乗り

 今朝、7時10分ごろ、庭先の木の上で、セミが第一声をあげた。今年、一番である。
数日前、ワイフが、木の根元で、セミの抜け殻を見つけた。そのセミかもしれない。

 いよいよ本格的な夏到来、というところか。しかし実際には、小寒い日々がつづいてい
る。


●HPのトップページを改変

 昨日、HPのトップページを、改変した。少し早いかなと思ったが、晩夏モードにした。
誠司(孫)のいとこたちととった写真を、載せた。

 女の子の名前は、アリャーナ。日本人には、少し変わった名前に聞こえる。前回会った
ときには、車の中で、「キラキラ星」を歌ってくれた。


●ローマ字

 二男が、自分のBLOGの中で、「日本のローマ字はおかしい」と書いている。

 まず、それを紹介する前に、一言。

 英語ほど、発音の乱れた言語はないということ。いつだったか、大学で言語学を教えて
いる教官(オーストラリア人)にそれを問いただすと、こう教えてくれた。

 「ブリティン(英国)は、絶えず、いろいろな民族に支配された。古くはローマ、フラ
ンス、それに北欧民族にも。だからを同じアルファベットでも、何種類も読み方がある」
と。

++++++++++++++++

(SのBLOGより)
中学校のときに、英語で自分の名前をどう書くか、なんていう勉強をしたのを覚えていま
す。

例えば僕の名前「そういち」は、ローマ字で「Soichi」になるわけです。「せいじ」なら「Seiji」
です。今まで10年近くどうしてアーカンソー人は、みんな僕の名前を、正しく発音でき
ないんだろう、って思い続けてきたんですが、このごろよく考えてみたら、実はこのロー
マ字を使った日本名の表し方自体が間違っているような気がします。

というのは、「Soichi」を、アーカンソー英語を話す人に発音してもらうと、9割以上の人
が「ソオアイチー」と発音します。「Seiji」だったら、「セイアイジー」になります。間違
った発音をされたら、その時に正せばいいじゃないか、と気楽に考えている人もいるかも
しれませんが、これは仕事や友人関係にも深く影響しますし、ピザの注文にしてもカスタ
マーサービスの電話一つにしても、かなり苦痛になります・・。(名前がどうでもいい場合
は「Sam」で通っていますが・・・。)

日本語の「あいうえお」はローマ字で「a i u e o」となっていますが、これは正しくは「ah 
e u a o」にするべきでしょう。だから「そういち」なら「Souechi」です。(uを省くのも
止めたほうがいいです。)「せいじ」の場合は「Saeje」になるわけです。アメリカ南部みた
いなアクセントが酷いところへ来る以上、名前を間違って発音されるのはまず仕方ないの
ですが、間違っていても大体皆が同じように発音してくれれば問題はないわけです。

ところで台湾、東南アジアから来る人たちの多くは「英語名」というの持っていて、例え
ば「スンミョン」という中国名の人だったら、社会保障番号を(アメリカの戸籍)登録す
るときは、「メアリー」など、英語名で登録しています。日本人はそのまま日本名をローマ
字化した名前を使っていますが、留学するにしても仕事で来るにしても、アーカンソーへ
来るときは、本名とは別に、「呼び名」というのを考えてから来ることをお勧めします。

+++++++++++++++

 息子が、そう考えるのは、もっともなことだと思う。しかしもともとローマ字は、読ん
で字のごとく、ローマ字。つまりローマの文字。しかしそれが現在、ヨーロッパの言語の
ベースになっている。英語は、その一部でしかない。

 だから英語にそぐわないからといって、ローマ字を否定してもいけない。

 私も同じような経験をしている。

 たとえばあるとき、オーストラリアの友人が、「ケイトー」という土木機械会社を訪ねて、
日本へやってきた。しかし私は「ケイトー」という名前の会社を聞いたことがない。そこ
で「知らない」と答えると、「そんなはずはない」と。

 英語でそれを書いてもらうと、「KATO」、つまり、「カトー(加藤)」という名前であ
ることがわかった。日本でも有数の土木機械のメーカーの名前だった。

 ほかに、「HITACHI」を、アメリカ人は、「ハイタッチ」と読む。そこで昔、こん
なコマーシャルを、耳にしたことがある。どこかかけあい漫才的なコマーシャルだったが、
1人の日本人と、1人のアメリカ人が、たがいに、「ヒタチ」「ハイタッチ」「ヒタチ」「ハ
イタッチ」と言いあうというコマーシャルだった。

 ここは「日本は、日本」「アメリカは、アメリカ」という考え方を貫くしかないのではな
いのかな。

 そう言えば、私も、外国へ出ると、名前を、「ジョージ・ハヤシ」と言っている。そのほ
うが、彼らにしても、わかりやすい。「ヒロシ」という名前は、向こうでは、「ジョージ」
に聞こえるらしい。

 Sへ、あまり短気を起こさず、気長に考えなさい。今度、ヨーロッパやほかのアジアの
国々へでも行ったら、ちゃんとみな、「ソウイチ」と読んでくれるよ。


●講演

 これから隣のI市まで行って、講演をしてくる。一応、I市の教育委員会の主催だとい
うが、I市N中学校区の人たちが対象とも聞いている。しかし連絡を取りあっているのが、
I市・N会館のM氏。で、先日電話をすると、「I市全域にチラシを配りました」とのこと。

 「どういう会なのだろう?」と思いつつ、これから出かけるところ。

 N会館での講演は、これで3〜4回目ではないかな。今日はホールではなく、会議室で
の講演ということらしい。

 「今日こそ、失敗しないでやろう」「今日が、人生、最後の講演だと思ってやろう」と、
何度も、自分にそう言って聞かせる。

 がんばってきます。+おはようございます。

【付記】

 結果は、残念ながら、ガラガラだった。80人の予定と聞いていたが、20人前後。力
というか、気力をふりしぼっての講演となった。率直に言って、自分が、なさけなかった。

 係の若い男性は、「夏休みに入ってしまいましたから……」「小学生の親子映画会と重な
ってしまいましたから」と、2度、3度なぐさめてくれた。が、私は、正直言って、講演
をキャンセルして、そのまま帰ってきたかった。

 「せっかく聞きに来てくれた人もいたのだから……」と、かっこよく書きたいが、相手
が20人前後だからといって、手を抜くことはできない。全力投球は、全力投球。そのあ
との疲労感、プラス、往復の時間的ロスを考えたら、今の私には、その余裕は、もうない。

 会館から出たとき、ワイフが、「講演というのは、来てみなと、わからないものね」と、
ポツリと言った。

 私も、そう思う。そう思いながら、ワイフにこう言った。「浜松へ帰って、何か、おいし
いものを食べよう」「忘れよう」と。

【付記2】

 だから今日(7月x日)は、朝から気分が重い。落ちこんでいる。自分のしていること
が、つくづくなさけなく思われる。「こんなことをしていて、何になるのだろう?」という
思い。「今まで、何をしてきたのだろう?」という思い。それが交互に現れては、自分の心
をふさぐ。

 ワイフも私に気をつかってか、昨日の講演については、一言も語らない。批評も、批判
もしない。私も、聞かない。聞きたくない。

 今のところ、10月末までに、15〜20か所の講演予定が入っている。引き受けてし
まった分については、どんな講演でも、がんばってしよう。しかし新規の講演依頼につい
ては、これからは、しっかりと内容を確かめてから、引き受けることにしよう。

 
●天皇のメモ

 今、昭和天皇の心について書いたメモが、話題になっている。Y神社におけるA級戦犯、
合祀(ごうし)に関するメモである。

 そのメモによれば、昭和天皇自身は、A級戦犯の合祀には、反対だったようである。

 そこで分祀賛成派は、「これで決まった」とばかり、声を大きくしている。合祀のままで
よいと主張する側は、「信憑性(しんぴょうせい)がどうのこうの」と言っている。

 しかしこの問題は、本来、天皇とは関係のない問題である。中には、「陛下は、平和主義
者だったんですね」(某評論家、日曜テレビ討論会にて)と言っている人もいたが、あれだ
けの戦争の中心にいた天皇が、平和主義者だったというのも、無理がある。戦争への反省
から、昭和天皇がそう思うようになったと考えるのが、自然ではないのか。

 分祀賛成派も、反対派も、ともに「天皇」という最高権威にこだわっている。しかしそ
ういう議論そのものが、私の感覚から、大きくズレている。どうして今、(天皇の心)が問
題になるのか? 私たちは私たちで、自分で考えればよい。自分で考えて、自分で判断す
ればよい。

 どうしてそんなに、(権威)にこだわるのだろう?、と思ったところで、この話は、おし
まい。

 なお私の姉の義父は、その戦後、戦犯で処刑されている。遺骨は、Y神社に祭られてい
るという。が、肝心の姉夫婦は、一度もY神社を参拝していない。で、私がある日、「どう
して(参拝しないのか)?」と聞くと、姉は、こう話してくれた。

 「だって、お墓は、ちゃんと、こちらにあるから」と。

 政治家や評論家のみなさんは、こういう事実を、いったい、どう考えているのだろう?


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【女児願望の男児(?)】【追加原稿】

++++++++++++++++++++

掲示板のほうに、少し前、こんな相談があった。

5歳の男児だが、女の子のまねをしたがって、
困っている、というものだった。

++++++++++++++++++++

 掲示板のほうに、こんな相談があった。それをそのまま、ここに紹介する。

+++++++++

【ATより、はやし浩司へ】

5歳の男の子の母です。最近息子が女の子になりたい、スカートをはきたい、髪を伸ばし、
それをくくりたいと言うようになりました。これまでにも何回かこういう発言がありまし
た。強く否定していいものか、思うようにやらせてあげるのがいいのか、どうすればいい
のでしょうか? どう返事をしたらいいか困っています。

最近小学生が性同一障害と認められたケースがあると新聞で読みました。息子もそうなら
病院に行ったほうがいいのでしょうか?

+++++++++

 この相談について、少し前(06年6月)、子どもの性同一性障害について、書いた。

 それについて、補足しておきたい。

 臨床心理学(ナツメ出版)の中で、松原達哉氏は、つぎのように書いている(要約)。

「小児期に現れる性同一性障害は、自分の肉体的な性に対して、強い苦痛を抱き、反対の
性になりたいとか、自分は反対の性であると主張するものである。

 男児がままごと遊びなどで、女役をしたがったり、人形で遊んだり、女性服を着たがっ
たりする。行動が女性的になる。

 女児は、スポーツや乱暴な遊びに興味を示すようになる。男女ともに、自分と同じ性の
服装を強要されたり、ほかの子とちがう行動により、いじめられることなどのことから、
登校を拒否する子どももいる。

 男児では、4歳以前のことが多く、7〜8歳ごろに社会的な葛藤を起こしやすい。また
思春期以降になると、同性愛的傾向を示し始める」と。

 こういう表現は適切ではないかもしれないが、私は、「濃淡」という言葉を使って、性意
識を説明している。

 「濃い男」「薄い男」「薄い女」「濃い女」と。

 濃い男というのは、いわゆる男っぽい男をいう。薄い男というのは、「男」としての輪郭
(りんかく)のはっきりしない男をいう。その反対が、薄い女、濃い女ということになる。

 このうち、同性愛的な傾向を示す男や女は、その分だけ、薄い男、薄い女ということに
なる。

 で、その程度には、当然のことながら、個人差がある。が、濃い男であろうが、薄い男
であろうが、その人自身がそれに納得しているなら、それはどこまでいっても、その人個
人の問題ということになる。他人がとやかく言うべき問題ではない。

 もし薄い男や薄い女が、葛藤するというのなら、それは本人自身の問題というよりは、
そうした事実を受けいれない、社会との軋轢(あつれき)の問題ということになる。つま
り社会のほうにこそ、問題があるということになる。

 そも、「性同一性障害」は、「障害」なのかという問題もある。もし「障害」というのな
ら、何をもって、だれに対して障害なのかということになる。

 こうした性同一性障害がさらに進行すると(?)、自分の性を、手術的な方法を用いて、
変換しようとすることもある。こうした強い願望をもつ男女を、「性転換症」とか、「性転
換願望症」とか、呼んでいる。

 実際、性転換の手術を受ける男女は、少なくない。が、それとて、どこまでいっても、
その人個人の問題である。

 ただ、子どもをもつ親にとっては、そうでない。冒頭にあげた、ATさんもその1人で
ある。自分の子どもに、その傾向を見たとき、ほとんどの親は、あわてる。混乱する。

 いくら頭の中では、「個人の問題」とわかっていても、いざ、自分の子どもがそうではな
いかという疑いをもったときの、親の気持ちには、特別なものがある。

 が、しかしこの問題だけは、どうしようもない。松原氏も、「ホルモン療法や、性転換手
術などにより、性を再建する治療を受けるものもいるが、長期的な経過については不明で
ある」と述べている。

 わかりやすく言えば、根本的な治療法(?)は、ないということになる。が、こんなこ
とは、自分にあてはめて考えてみれば、だれにでもわかること。

 私は、自称、その「濃い男」である。同性愛にはまったく関心がない。興味もない。そ
の私が、もしだれかに、「お前は、おかしい。男と女をそういうふうに区別してはいけない。
同性愛にも、少しは興味をもて」と言われたとしても、私は困る。はたして私は、そのと
き、どうように反応するだろうか。

 私は多分、こう叫ぶにちがいない。「放っておいてくれ。お前には、関係のないことだ。
私がそれでいいと思っているのだから、それでいいではないか」と。

 「濃い男」にせよ、「薄い男」にせよ、それはあくまでも相対的なもの。私より濃い男は、
いくらでもいる。もちろん薄い男もいる。女性についても、しかり。

 が、教育的な立場では、ものの見方が、少しちがってくる。

 この分野で、ものを考えたことがないので、あくまでも私の推察でしかないが、こうい
うことは言える。

 男には、女性恐怖症というのがある。私も経験している。幼稚園で働くようになったこ
ろのことである。幼稚園へやってくる母親たちが、みな、たいへん恐ろしい存在に見えた。

 で、当時の私は、相手を、「お母さん」と呼んだだけで、そのとたん、その女性から、「女」
が消えたのを覚えている。女性であるはずなのに、「女である」という意識しなくなってし
まった。つまりそれくらい、母親たちには、いびられた!

 で、もし1人の男の子が、たいへん(恐ろしい母親)をもったとしたらどうだろうか? 
その男の子は、母親恐怖症から、女性恐怖症になり、ついで、「女」に興味をなくすように
なるかもしれない。

 症状的には、性同一性障害と似たような症状を示すようになるかもしれない。

 もっともこういうケースのばあいは、(ゆがんだ性意識)という形となって現れやすくな
る。ロリータ・コンプレックス(ロリコン)というのも、そのひとつ。おとなになってか
らも、成人の女性と、交際することができなくなったりする。そういうことはあるが、(恐
ろしい母親)をもつことイコール、性同一性障害、とういうことではない。

 もっとも、それについても、人には、さまざまな性意識というのがある。まさに千差万
別。女性のスカートの下をのぞきたいと願っている男もいれば、大きな尻で顔をおしつぶ
されてみたいと願っている男もいる。

 「性」そのものが、人間の生きる原動力となっているというから(フロイト)、この問題
だけは、安易に考えることはできない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
トランスセキュシュアリズム 子供の性同一性障害 同性愛 同一性障害)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【今朝のぼやき節】

+++++++++++++++++

このところ、ふと、疲れを感ずるように
なった。

「こんなことをしていて、何になるのだ
ろう」という疲れである。

毎日が、同じことの繰りかえし……。
そうであってはいけないと思うのだが、
ほかにできることもない。

+++++++++++++++++

●子どもたちの顔

 昨日、子どもたちに作文を書かせている間、順に子どもたちの顔を見やる。Aさん、B
君、Cさん……、と。

 このところ参観席には、ワイフが座っている。近くの小学校で、子どもを車に連れこむ
という事件が、たてつづけに発生したからである。子どもたちが、迎えの車に乗るまで、
ワイフが、それを見届けるようにしている。

 そのワイフは、何やら、静かに手帳にメモを取っている。

 「こんな仕事を、もう何年もしてきたのだろう?」と、ふと、そんなことを考える。が、
おかしなもので、その実感が、あまりない。年数で言えば、36年ということになるが、
その実感が、あまりない。

 毎日が、毎日の繰りかえし。単純労働……というほどでもないが、今の私には、それに
近い。この数年、新しい発見が、急速に少なくなってきたように思う。感動も少なくなっ
てきた。

●私の経験

 「知り尽くした」と言えば、少し大げさかもしれない。うぬぼれかもしれない。しかし
40歳を過ぎるころから、子どもの心理が、手に取るようにわかるようになった。それは
ある日、突然、やってきた。

 それまでの私は、雲の中に巻きこまれ、悶々としているような状態だった。それがある
日突然、雲の上にぬき出た。とたん、子どもの心理が、手に取るようにわかるようになっ
た。

 「意外と、単純なものだったんだな」と。

 以来、その気持ちは、変わらない。考えてみれば、この36年間、毎日、子どもたちの
顔ばかりを見ていた。こと経験ということになれば、この私の右に出るものはいない。私
ほど、幼児の顔を見つづけてきたものは、いない。

 そしてその幼児が、どのように大きくなっていくかというところまで、私は見届けてい
る。

●ただの塾教師

 たとえば私は、その幼児を、瞬間見ただけで、その子どもがどんな心理状態にあるかを、
知ることができる。

 それだけではない。その子どもが、この先、どうなって、どうなるかまでわかる。さら
に、何年後に、どのような問題を引き起こすようになるかまで、わかる。

 自分でも、超能力者みたいと思うことがある。しかしそれを口に出して言うことは、タ
ブー。「万が一、まちがっていたらどうしよう」という思いが、口をふさぐ。頭のおかしな
バカと誤解されるのも、いやだ。

 「お宅の娘さんは、小6ぐらいになると、手がつけられなくなりますよ。男を求めて、
街中をフラフラ歩きまわるようになりますよ」「小4、5を境に、成績は急降下。中学校へ
入るころには、親子の関係は断絶状態」などと、どうして言うことができるだろうか。子
どもといっても、今の段階では、天使のように愛くるしい。あどけない。

 だいたい親たちにしても、私に、そこまで求めていない。「ただの塾教師」と、思ってい
る。それが私にも、よくわかる。私は、若いころから、ずっとそういう立場だったし、今
も、そう思われている。

 私のすべきことは、バカなフリをし、ヘラヘラと笑いながら、その場をやり過ごすこと。
それしかない。

●母親不信

 率直に告白するが、私は、「母親」というものを、信用していない。またそういう前提で、
「母親」とは、接している。

 若いころは、さんざん、ひどいめに会った。10人のうち、9人までは、信用できる人
ではあっても、残りの1人に裏切られたとする。すると、残りの9人の人たちとの信頼関
係まで、こなごなに破壊されてしまう。

 そういう経験を、繰りかえし、繰りかえし、もういやというほど、している。それは決
して止むことがない、岸辺に打ち寄せる波のようなもの。36年前にもあったし、今も、
ある。

 ただこの仕事をしていて、とても残念だと思うのは、人間関係が、熟成できないという
こと。相手は、子どもだし、母親と人間関係をつくるということにも、限界がある。母親
といっても、私から見れば、(若い女性)である。

 だから仕事は楽しいが、それ以上に、残るものがない。毎年、同じことを繰りかえして
いるだけ……ということになる。

●戦い済んで……

 戦いは、もう終わりに近づいている。それに(戦う)といっても、何と、どう戦えばよ
いのか。敵は、そこにも、あそこにも、いたるところにいる。それはわかっている。が、
そういう敵を相手にするのも、疲れた。

 ときどき、「勝手にしやがれ」とか、「オレの知ったことか」と思う。子育てについて言
えば、「みんな、自分で失敗するまで、どうせ気がつかないだろう」と思うことが多い。

 こういうのを、ニヒリズムという。そのニヒリズムが、このところ、自分の心の中で、
増大しつつあるのがわかる。

 いけないことだと思うが、しかし、だからといって、自分でも、どうしたらよいのか、
わからない。

 で、私がすべきこと。

 それは、ただひたすら、前に向かって歩くこと。いかに足が重くても、心が疲れていて
も、前に向かって歩くこと。

 さあ、今日も、がんばるぞ! みなさん、おはようございます!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●慈悲深い人は……

+++++++++++++++++

何かのことで、困っている人がいたとする。
そのとき、私は、ふと、こんなことを
考える。

もしも、反対の立場だったら、どうだろうか、と。

つまり、もしも、反対の立場だったら、
その人は、私を助けてくれるだろうか、と。

+++++++++++++++++

 何かのことで、困っている人がいたとする。そのとき、私は、ふと、こんなことを考え
る。

 もしも、反対の立場だったら、どうだろうか、と。つまり、もしも、反対の立場だった
ら、その人は、私を助けてくれるだろうか、と。具体的に、こんな例で考えてみよう。

 ある日、私のところに、1人の男性がやってきたとする。かなりお金に困っているらし
い。その男性が、私にこう言った。「100万円ほど、用立ててほしい」と。

 こういうケースのとき、私はふと、こう考える。「もしも、反対の立場だったら、どうだ
ろうか」「その人は、私に、100万円を貸してくれるだろうか」と。

 そのとき、私が、「この男性なら、私を助けてくれるはず」と確信すれば、私は、その男
性に、100万円を貸すだろう。

(実際には、私は、お金の貸し借りはしない主義なので、その半額程度を、あげてしま
うことになる。私はいつも、そういうやり方をしてきた。)

 が、そのとき、私が、「この男性は、私を助けてくれないだろう」と確信すれば、その男
性の申し出を断るだろう。

新約聖書の中の一節に、こんなのがある。

『慈悲深い人は、祝福される。なぜなら、彼らは、慈悲を与えられるだろう(Blessed are 
the merciful, for they will be shown mercy)』(Matthew 5-9)と。

 慈悲深い人か、そうでないかは、ある程度、社会的経験を積んだ人なら、わかる。つま
りここでいう、「この男性なら、私を助けてくれるはず」と確信できるような人は、それだ
け慈悲深い人ということになる。

 だからそういう人は、みなから、慈悲を受ける。みなから、助けてもらえる。が、そう
でない人は、そうでない。

 そこで今、私は、ふと、こんなことを考える。

 「今、この私に、お金を貸してくれる人がいるとしたら、だれだろう」と。

 頭の中で、いろいろな人を思い浮かべてみる。が、どの人も、どうも自信がもてない。「多
分、お金を貸してくれと頼んだら、断ってくるだろうな」と。

 しかし反対に、お金を借りにきたら、貸してあげる人は、決まっている。その半額程度
を、あげる人である。

 Aさん、Bさん、Cさん……、と。

 その話をワイフにすると、ワイフも、こころよく同意してくれた。「そうね」「あの人た
ちは、みんな、いい人たちだわ」と。

 ここに書いた、Aさん、Bさん、Cさん……は、どの人も、心のやさしい人たちだ。い
つも忙しそうに、他人のために動いている。そのため家族の受けは、あまりよくない。生
活は、質素。収入も、平均より、少ない。

私「でも、ぼくに、お金を貸してくれる人はいないと思うよ」
ワ「どうして?」
私「だって、ぼくは、慈悲深くないもんね」
ワ「あなたは、人にお金を借りるような人ではないわよ。死んでも、借りないと思うわ」
私「そうかもしれないね。ぼくは、子どものときから、そういう人間だった」と。

 学生時代も、お金がないときが、よくあった。最長、20日間、下宿の朝食と夕食だけ
で、生き延びたこともある。よく「そういうとき、風呂はどうした」と聞かれるが、大学
のプールで、それをすました。

 タバコも吸っていたが、パチンコ屋の床に落ちている玉を拾い集めて、それでタバコと
交換した。

 それでも、私は、お金を人に借りたことはない。一度だけだが、失業保険金が出る立場
になったこともある。しかし私は、もらわなかった。

 私は、そういう意味では、がんこな分だけ、他人には冷たかった。お金を借りにくるよ
うな男がいたりすると、内心では、「なんて、情けないヤツだ」と、軽蔑した。

 そういう自分が、だんだんとかたまって、今のような私になった。今の私は、お金の貸
し借りは、いっさい、しない。何かのことで支払いがあれば、どんなに遅くても、1、2
週間のうちに、すべてをすましてしまう。

私「他人から見ると、ぼくは、冷たい男に見えるよ、きっと」
ワ「そんなことないわよ。みんな、助けてくれるわよ」
私「そうかなあ……」と。

 私という人間が、他人にどう思われているか、実際のところ、私にはよくわからない。
しかしこれだけは、たしかだ。

 私は、慈悲深い人間だとは、絶対に思われていない。自分でも、それがよくわかってい
る。つまり、その分だけ、私は、心のさみしい人間ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司


●冷たい親にして冷たい子ども

++++++++++++++++++

ときとして、ぞっとするほど、心の
冷たい子どもに出会う。

ものの考え方が、合理的で、打算的。
瞬時瞬時に、損得の計算を頭の中で
して、つぎの行動に移る。

なにかにつけて、自己中心的。他者との
共鳴性もない。

++++++++++++++++++

 ときとして、ぞっとするほど、心の冷たい子どもに、出会うことがある。年齢は、あま
り関係ない。

 ものの考え方が、合理的で、打算的。瞬時瞬時に、損得の計算を頭の中でする。もちろ
ん自分が損になることはしない。その上、なにかにつけて、自己中心的。「自分さえよけれ
ば」というものの考え方をする。共鳴性もない。だれかが失敗したりすると、「あいつはバ
カだから」と言って、笑う。切り捨てる。

 で、こういうケースのばあい、親にそれを話しても意味はない。とくに母親に、それを
話しても意味はない。

 母親自身も、その冷たい人であることが多い。つまり子どもは、母親の心を受け継いで
いるだけ。

 こうした例は、「受験」という世界では、露骨に表れやすい。親も、子どももを、我を忘
れてしまう。そのため、その人のもつ「地」が、表に出てくる。

 ある小学校の教師をしている、A氏(男性、40歳くらい)は、こう言った。

 「母親が、どうしてもうちの子を、AA中学校に入れさせてやりたいというから、私も
それなりに努力してやりました。AA中学校では、内申書を重要視しています。で、AA
中学校の入学がほぼ決まりかけたとき、私の知らないところで、SS中学校の入試を受け
たのですね。

 で、SS中学校の合格が決まると、その母親は、ハイ、さようならです。一言の連絡も、
わびもありません。今、そういう母親がふえていますね」と。

 そういう親の姿を見て育った子どもは、どうなるか? 今さら、ここに書くまでもない。
こうした(冷たさ)は、親から子へと、代々と引き継がれていく。A氏が話してくれた母
親にしても、そのまた親から、その(冷たさ)を引き継いだだけなのかもしれない。

 しかし本当の問題は、このことではない。

 親も、その子どもも、同じように(冷たい)ため、たがいにその(冷たさ)に気がつく
ことはない。「お宅の子は、心が冷たいですよ」と、私が言ったところで、(そういうこと
は、言わないが……)、親自身も同じように冷たいから、それに気づくことはない。

 一事が万事。

 ある一面で冷たい人というのは、親や子どもにかぎらず、あらゆる面で冷たい。その(冷
たさ)が、その人の人格を形成する。

 が、本当に損をする人というのは、そういう人のことをいう。そういう人にかぎって、
やがて、いつか、「孤独」という無間地獄の世界で、苦しむことになる。

 そこで重要なことは、まず自分自身の(冷たさ)に気がつくこと。すべてはここから始
まる。「私はふつうだ」と思っている人ほど、あぶない。というのも、(冷たさ)というの
は、あくまでも相対的なものでしかないからである。自分がより(暖かい人)になっては
じめて、それまでの自分の(冷たさ)に気がつく。

 そしてその程度には、際限がない。心の冷たい人の下には、さらに冷たい人がいる。心
の暖かい人の上には、さらに暖かい人がいる。「ふつう」ということは、ありえない。

 わかりやすく言えば、私も、あなたも、みな、心の冷たい人という前提で考えたほうが
よい。

 それに気がつけば、あとは時間が解決してくれる。あなたをして、心の暖かい人にして
くれる。つまりは、そうすることが、結局は、あなたの子どもを、いつか、幸福にする、
最善の方法ということになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝のニュースから……】

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毎朝、パソコンを立ちあげると、
まず、各社のニュースに目を通す。

現在、よく見ているのが、
ヤフー・ニュース、TBSのi−news、
産経WEBなど。

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●ジャワ島南西部を襲った津波

 7月17日、ジャワ島南西部を、津波が襲った。AP通信によると。死者数は、少なく
とも341人(保健省当局)にのぼったそうだ。津波に流された瓦礫(がれき)の中には、
さらに多くの被災者が閉じこめられてという。被害は、もっと拡大しそうだ。

 その津波だが、高いところで、2メートル。場所によっては、海岸から300メートル
地点まで流れこんだという。

 たった2メートル?、と思う人もいるかもしれないが、波がもつ威力には、相当なもの
がある。私も、伊豆の先にある、神津島の海水浴場で、それを経験している。

 3人の子どもたちを砂浜で遊ばせていたときのこと。突然、大波がやってきた。私はあ
わてて海に飛びこみ、最年少の三男を抱きかかえた。そこへ大波が襲ってきた。私は、そ
の波の中で、三男をかかえたまま、二転、三転。やがて砂浜に体ごとたたきつけられた。

 長男と二男は、無事だった。見ると、ワイフが、2人の手を引いて、砂浜に立ちすくん
でいた。

 私は、そのとき、メガネを波に奪われた。被害はそれだけだったが、しかし砂浜だった
からよかった。岩場だったら、どうなっていたかわからない。

 たかが大波? ……というのも、私は、子どものころから、長良川の激流の中でも、平
気で泳いで遊んでいた。ゴーゴーと渦を巻くようなところでも、である。

 が、川というのは、見た目ほど、あぶなくない。渦に巻きこまれると、洗濯機の中の衣
服のように、回転しながら、底のほうに吸い寄せられる。しかし川底に達すると、そのま
ま、川下のほうに体がはじき飛ばされる。流れに任せていれば、自然と体が川の表面に浮
いてくる。

 自然のジェットコースターのようなものである。

 しかし海は、ちがう。そのときも、体中に、ものすごい圧力が加わるのを感じた。同じ
水なのに、川の水と、海の水は、体で感ずる密度がちがう。たった2メートルの高さの津
波でも、木造の家だったら、こなごなに破壊されてしまう。

 これから海へ遊びに行く人も多いかと思うが、あの高波だけには、気をつけたほうがよ
い。遠くに台風があるようなときほど、危険である。5分に1度とか、10分に1度とか
の割合で、突然、やってくる。ザザッと、水面をもちあげながら、そのあと、上からたた
きつけるようにしてやってくる。が、高波の本当の恐ろしさは、その波が引くとき。その
まま、ものすごい力で、海のほうへ体を引っ張っていく。

 このとき、みな、溺れるらしい。

 「海はなめてはいけない」……というのが、あの神津島で、私が学んだ教訓である。


●P社の湯沸かし器

 P社の湯沸かし器で、多くの事故が起きていたという。その数、27件(P社公表分)。
一酸化中毒による死者も、いる。

 そもそも、部屋の中で、ガスで湯をわかすということ自体、危険なことと考えてよい。
とくに最近の家屋は、密閉性がよい。密閉性がよい分だけ、一酸化中毒を起こしやすい。

 このニュースを読んで思い出したのが、J君(当時、中学1年生)という子どもだった。

 J君は、夏休み前までは、明るくハキハキした子どもだった。そのJ君が、夏休みが終
わったとたん、別人のように、ヌボーッとした子どもになってしまった。反応が鈍くなり、
集中力もなくなってしまった。

 そこでJ君の母親に会い、あれこれ原因を問いただした。母親は、「そう言えば……」と
言って、こんな話をしてくれた。

 夏休みの間に、家の改築をすることになった。そこでJ君の部屋は、その間だけ、4畳
間程度の部屋に移ることになった。4畳間といっても、ものがぎっしりとつまっていた。
実際には、2畳間程度しかなかったという。

 その部屋にクーラーをつけた。そしてJ君は、家の改築工事の間、そこで過ごした。

 ある朝のこと。起きてきたJ君が、いつもと様子がちがうのに母親は、気づいた。「どう
したの?」と聞いても、ぼんやりとしているだけ。反応がない。つまり、そのときから、
J君は、そうなってしまった。

 で、これから書くことは、私の素人推理である。

 おそらくJ君は、狭いその部屋の中で、酸欠状態になったのではないか。ふつう酸欠状
態になると、人は蒸し暑く感じ、窓を開けたりする。が、J君の部屋には、窓がなかった。
(窓はあったが、その窓にクーラーが取りつけてあった。)

 で、一晩中、J君は、クーラーをかけたままにして、眠ってしまったらしい。そしてそ
ういう状態が、何日も、つづいた。そしてJ君は、J君のようになってしまった(?)。

 ただ幸いなことに、J君の症状は、月を追うごとに軽くなり、半年を待たずしてもとの
ように戻ったから、よかった。

 ……ということで、子ども部屋の換気には、みなさん、くれぐれもご用心! 昨日も、
ある母親から、こんなメールをもらった。

 「クーラーを使うときは、部屋の換気に注意してください。空気が乾燥しますから、ば
い菌も繁殖しやすくなります。そのため、夏風邪をひきやすくなります。汗をかいて寝る
というのは、健康のためにも、大切なことです」(Kさん)と。


●あるタレントのハレンチ事件

 「G」という名前で売り出していたコンビのメンバーの1人が、北海道のH市で、何や
らハレンチ事件を起こしたらしい。

ヤフー・ニュースによれば、「Yさんは、16日深夜から17日未明にかけ、宿泊してい
た北海道H市のビジネスホテルで、17歳の女性に酒を飲ませ、みだらな行為をした疑
いで、北海道警の事情聴取を受けた」という。

 かなり悪質だったらしい。Fテレビは、予定していた出演番組から、Yの出ている部分
をカット。タレントたちを集めて野球チームを組んでいたE氏は、チームそのものの解散
まで宣言してしまった。Yは、そのチームのメンバーだった。

 まあ、この種の事件は、珍しくない。この世界では、日常茶飯事。こうして事件として、
表に出てくるのは、まさに氷山の一角。有名になったことを鼻にかけるタレントたち。そ
れに群がる、若い女性たち。そういう組みあわせが、夜な夜な、あやしげなドラマを繰り
広げている。

 私も、若いころ、あるテレビ局で、ワイドショーの脚本を書いていたことがある。だか
らその世界の裏話となると、数多く知っている。こんなこともあった。

テレビ局側が用意してくれたホテルに泊まっていると、突然、1人の女性が部屋にやっ
てきた。「明日の番組で、モデルをすることになっている、○○です」と。あいさつに来
たということだったが、「いっしょに泊まらせていただけるなら、泊まらせていただいて
も、結構です」とも。

 今はどうなっているか知らないが、当時のテレビ業界は、そういう世界だった。あるい
は今も、その延長線上にあるのかもしれない。

 まあ、しばらくの謹慎期間を終えると、そのYも、また復活してくるのだろう。こうい
う事件を報道しながらも、報道各社は、「Yさん」と、(さん)付けで呼んでいる。もとも
とこの世界は、そういう世界である。


●グーグル・アース

 グーグル・アースを使えば、居ながらにして、宇宙から見た地上の様子を楽しむことが
できる。私も、ときどき、それを使って、遊んでいる。

 そのグーグル・アースの解像度があがり、今度、25センチ大(1ピクセルあたり)の
ものまで見えるようになったという。

 ヤフー・ニュースは、こう伝える。

 「グーグルは18日、衛星画像地図ソフト、(Google Earth)において、日本の衛星画像
が、大幅に更新されたことを明らかにした。1ピクセル当たり25cmの高解像度画像が
楽しめる地域もあるという」と。

 さっそくあちこちをのぞいてみる。最初に拡大してみたのが、この浜松市。が、残念な
ことに、私が住む浜松市の解像度は低く、そのままにすえ置かれていた。

 ほかに、東京、宮崎などなど。ついでにK国ものぞいてみた。どの地域の解像度があが
ったについては、よくわからなかった。しかし、K国の首都のP市については、かなり解
像度が高いらしい。道路を走っている車の輪郭も、よくわかった。

 興味のある人は、(↓)から、グーグル・アースを楽しんでみらたよい。無料サービスで
ある。

http://googlejapan.blogspot.com/2006/07/google-earth.html

 で、一言。

 10年ほど前までは、アメリカの偵察衛星でも、30センチ大のものまでしか見えなか
ったという。しかし今は、25センチ。その後、さらに解像度はあがり、最近では、10
センチ大のものまで見られるようになったという。

 考えてみれば、宇宙からといっても、それほど高い距離ではない。20〜30キロ先か
ら望遠鏡でのぞくようなものらしい。

 それにしても、すごいことになった。そう思いながら、私は、画面を閉じた。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●制裁を急ぐな!

++++++++++++++++++++

国連安保理での、「K国非難決議採択」を受けて、
このところ、K国制裁論が、にわかに
あわただしくなってきた。

しかし制裁を急いではいけない。
アメリカはアメリカ。しかし日本には、
日本の事情というものがある。

自分の身を危険にさらしてまで、この日本は、
制裁を急いではいけない!

++++++++++++++++++++

 A官房長官は、7月18日の記者会見で、「K国は政策を大転換する必要があるが、そう
いう状況は見いだせない。国連決議を踏まえ、大量破壊兵器に関するモノ・カネ両面で制
裁を行っていく。アメリカをはじめ国際的な連携が重要だ」(産経WEB)と述べ、追加制
裁は不可避との考えを示した

 わかる。その気持ちは、わかる。しかし相手は、まともな国ではない。あの国の指導者
は、すでに狂っている。そういう国を相手に、真正面からぶつかってはいけない。民主党
の一部からは、「制裁は、国連と歩調を合わせてせよ」という意見が出ている。同感である。

 ここで日本が制裁に突っ走れば、K国に、日本攻撃の口実を与えることになる。それが
わからなければ、あの金xxの脳みその中に、自分を置いて考えてみることだ。

(1)金xxは、日本からの賠償金を手に入れたがっている。
(2)ミサイルや核兵器は、その日本を脅すためのもの。
(3)しかし日本のバックには、アメリカがいる。
(4)だからアメリカを押さえておく必要がある。
(5)アメリカとの間に、「相互不可侵条約」を結びたい。
(6)その条約さえあれば、仮に日朝戦争になっても、アメリカは参戦してこない。
(7)日本は攻撃されても、反撃できない。憲法上の制約がある。
(8)現在、K国の経済、社会制度は、壊滅状態にある。
(9)軍部の不満は大きく、内部はガタガタ。
(10)自滅か、さもなくば、開戦か。

 こういうときに、日本が率先して制裁に突っ走れば、どうなるか? K国は、「待ってま
した」とばかり、戦線の矛先を、この日本に向けてくる。何度も繰りかえすが、あんな国
を制裁して、どうなる? もうこれ以上失うものは何もないという国である。日本は、そ
んな国と、心中でもするつもりなのか?

 もしたった一発でも、東京のど真ん中で、核兵器が爆発すれば、そのときから、日本の
経済と社会は、奈落の底へと転落する。被害は、80万人の死傷者だけではすまない。

 日本は、「弱虫」と言われようが、「卑怯者」と言われようが、そんなことは気にするこ
とはない。ここはうまく、K国の矛先をかわしながら、「国連と歩調を合わせて」(民主党)、
全体として、徐々に、K国をしめあげるのがよい。

 放っておいても、K国は、やがて自滅する。崩壊する。すでにその兆候は、見え始めて
いる。金xxの健康問題も浮上してきている。今度の集中豪雨で、農産物にも、かなりの
被害が出ているらしい(7月中旬)。

 だから、ここはあせってはいけない。つぎにK国が何かをしでかせば、それは中国とロ
シア、それに韓国の責任である。しかし今ここで、日本があせって制裁に突っ走れば、今
度は、その責任を、この日本が負うことになる。

 頭を冷やせ、A官房長官! A外務大臣!

(この原稿は、06年7月19日朝に書いたものです。マガジンに載るころには、極東
情勢は、大きく変化しているかもしれません。)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●殺人事件発生率は、日本の37倍

++++++++++++++++++

2010年のサッカーW杯は、
南アフリカで行われる。

しかし南アフリカの殺人事件発生率は、
日本の37倍!

人口10万人あたり、約40件(!)とか。

++++++++++++++++++

 そうでなくても、サッカーのW杯は、熱くなりやすい。そのW杯が、今度、南アフリカ
で開催されるという。しかし大きな問題がある……。

 南ア警察によると、04年4月〜05年3月の殺人事件発生率は、10万人あたり約4
0件もあるという。この発生率は、何と、日本の約37倍!

 この浜松市の人口は、周辺市町村と合併する前でも、60万人。この数字で計算すると、
この浜松市だけでも、1年間で、240件も、殺人事件が起きることになる。(40x6倍。)

 ほぼ毎日、1件弱の割合で、殺人事件が起きることか。が、それだけではない。治安の
悪化率ということになると、殺人事件の発生数が2倍になると、4倍になる。3倍になる
と、9倍になる。つまり、それくらい、治安は、悪化しているとみてよい。

(この数式には、根拠がない。あくまでも感覚的な数式。本当は、治安の悪化率に比例
して、殺人事件が起きると考えるのが正しい。)

 つまり殺人事件が起きる背景には、それ相当の人心の崩壊がある。それが治安の悪化に
つながる。もしこの浜松市で、毎年240件もの殺人事件が発生したら、どうなるか? そ
れだけで警察の捜査機能は、マヒ状態に陥ってしまうにちがいない。

 さらに言えば、日本で起きる殺人事件と、南アフリカで起きる殺人事件は、質的にちが
う。日本で起きる殺人事件には、その背景には、まだそれなりの理由とか原因がある。一
定のワクがある。

 しかし南アフリカで起きる殺人事件には、それがない。ワクがない。ある日、突然、暴
漢がコンビニを襲って、ピストルで、店員を射殺する。……というものが多いらしい。

 そんなところでW杯を開いて、はたして、だいじょうぶなのか?

 2010年のW杯は、サポーターも命がけになりそう!

【付記】

 私も、1970年代の終わりごろ、アルゼンチンへ行き、たいへんこわい思いをしたこ
とがある。

 首都のブエノスアイレスだけでも、1日の殺人事件件数が、30件という時代だった。
で、夜、街中見物と決めこんでタクシーに乗ったのだが、それが強盗タクシーだった。

 私はピストルをつきつけられ、当時のお金で、20万円近い現金を奪われてしまった。
あのときへたに抵抗していたら、そのまま射殺されていたかもしれない。

 そういうことが、南アフリカでも起きるかもしれない。みなさん、ご用心!


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●韓国のヒガミ節

+++++++++++++++

韓国を理解するためには、
韓国の論理で考えるしかない。

しかし、その論理そのものが、
おかしい。

本当に、おかしい。

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 UESCOの交換学生で韓国にいたころ、耳にタコができるほど聞かされた話が、これ。

 「日本は、朝鮮動乱で、金を儲けた」
 「今は、ベトナム戦争で、金を儲けている」と。

 たしかに朝鮮動乱で、日本は、戦後復興の足がかりを得た。莫大な軍事特需でうるおっ
た。しかし、誤解してはいけない。

 日本は、ただの1円も、韓国からもらったわけではない。アメリカを中心とする、連合
国からもらった。ベトナム特需にしても、同じである。

 こういうのを、私たちは、「ヒガミ節」と呼んでいる。何かにつけて、ものの考え方が、
うしろ向き。ゆがんでいる。

 最近では、こんな論理まで、生まれた。

 「(韓国がK国内に建設した)開城工業団地での製品は、すべてアメリカが買い取るべき」
「韓国が南北に分断されたのは、アメリカの責任だから」(金大中、前大統領)と。

 さらには、「南北が分断されたのは、日本の植民地政策が原因」(与党前C議長)とも。
つまり「南北分断の責任は、日本にある」と。

 ここまでヒガミ節が進むと、この私ですら、「?」。

 が、韓国のヒガミ節は、ここで終わらない。

 現在のN大統領は、政権の座につくつすぐ、アメリカに特使を送り、韓国からのアメリ
カ軍の撤退を訴えた。が、そのアメリカ。「NO!」と言うかと思っていたら、すんなりと、
「YES」と言ってしまった。

 これにあわてたのが、N大統領。「撤退には、時間をかけてほしい」と。

 さらにアメリカ軍が撤退し始めると、「撤退は、兵隊だけではなかったのか。装備まで持
ちだすとは、聞いていなかった」とも。アメリカ軍は、兵隊の撤退と同時に、戦車や大砲
などの重火器まで、持ちだしてしまった。

 アメリカ軍にしてみれば、当然のことをしたまでである。

 で、このあたりから、アメリカと韓国の関係が、おかしくなった。

 韓国のN大統領は、今度は、「撤退するなら、基地周辺を、もとどおりにしてから出て行
け」と。つまり「朝鮮動乱が始まる以前の状態にしてから出て行け」と。

 が、これにはさすがのアメリカ軍も怒った。「半世紀も、韓国を守ってきたのに、何だ、
その言い方は!」(B在韓米軍司令官)と。

 その結果、今日、アメリカ政府は、とうとうこういう結論を出した。

 「戦時作戦統制権を、2010以前に、韓国軍に返還する」と。

 それまでは、2012〜3年ごろということになっていた。それを、数年早めて、「20
10年以前」と。具体的には、「4年以内、2009年までに」ということらしい。

 わかりやすく言えば、2009年までに、アメリカ軍は、韓国からの完全撤退を決めて
しまったことになる。

 が、これにまたまた韓国があわてた。驚いた。すかさず、「待ってくれ!」「早すぎる!」
と。今、韓国中が、この問題で、大騒ぎしている。

 ……と考えていくと、何がなんだか、わけがわからなくなってしまう。つまりそれが韓
国の「ヒガミ節」ということになる。

猛烈な依存性、妄想的な被害者意識、それに鼻もちならぬ民族誇大主義。これら3つが
混然一体となって、今の韓国の政権中枢部を襲っている。「現実」そのものから、国家意
識が、完全に遊離してしまっている。

 あるいは今のN大統領には、「現実」そのものが見えていない?

 韓国といっても、中身は、同胞とやらの、あのK国と同じと考えた方がよいのかもしれ
ない。
(06年07月19日記)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●韓国の本音、日本の本音

+++++++++++++++++

韓国には、韓国の本音がある。
日本には、日本の本音がある。

みんな、その本音を隠しているだけ。
ごかましているだけ。

+++++++++++++++++

 韓国の本音を、ズバリ言おう。それは「打倒、日本!」である。日本が何かのことで傾
くたびに、彼らは、小躍(おど)りして喜ぶ。「日本ができることで、韓国にできないこと
はない」と。そういう思いも、強い。

 反日的といえば、反日的。超反日的。「日本ごときの国に、蹂躙(じゅうりん)された」
という屈辱感。「日本からの独立を、自分たちでなしえなかった」という不完全燃焼感。こ
の二つが、反日感情の基盤になっている。

 それに妄想的な被害者意識。最近では、「南北分断の責任は、日本にある」(与党前議長)
とまで言い出した。

 一連のK国問題を見ていても、それがわかる。

 少なくとも、韓国の現政権は、こう考えている。「核兵器にせよ、ミサイルにせよ、統一
後の韓国にとっては、あれば有利」と。現に、そう公言した韓国の政府高官がいる。

 だからK国の国内事情が、緊張するたびに、K国の矛先を、日本に向けさせようとして
きた。同胞意識も、そこから生まれた。生まれたというよりは、それをうまく利用して、
矛先を、日本に向けさせようとしてきた。

 「ミサイルを飛ばすなら、日本に向けろ」と。韓国の金大中前大統領と、K国の金xx
の歴史的な会談(?)が、終わったあと、金大中は、声高らかに、こう言い切った。「これ
でK国との戦争は、もう心配しなくてもよい」と。

 つまりK国に対して、自分だけは(いい子)でいようとした。

 一方、日本は、南北の統一などには、関心がない。はっきり言って、どうでもよい。た
だ、今の段階で、南北が統一したら、日本にとっては、たいへんなことになる。人口60
00万人の、巨大な反日国家が、すぐ隣にできることになる。

 軍人の数では、160万人以上! そんな大軍が押し寄せてきたら、この日本など、ひ
とたまりもない。

 だから表向きはともかくも、内心では、南北統一など、みじんも、望んでいない。仮に
統一しても、日本は、ビタ一文も、あのK国には、渡したくない。渡せない。渡したとこ
ろで、それで反日感情が好転するという保証は、どこにもない。今の韓国を見れば、それ
がわかる。
 
 一方韓国は韓国で、内心では、日朝戦争を望んでいる。中国も、望んでいる。これは私
の妄想でも、何でもない。事実、「日朝戦争を利用して、日本を太平洋の向こうに叩き落と
せばよい」とか、「(中国の)目の上のタンコブを取ることができる」とか言っている、中
国人の識者がいる。

 K国はK国で、同じように、「日本を叩けば、アジアの英雄になれる」と信じている。「朝
鮮民族のうらみを晴らすことができる」と信じている。

 戦争というのは、決して、2国間だけで起きるものではない。その戦争を支える、周囲
国家が、戦争が起きるような流れをつくる。

 今の日本とK国の関係を見れば、それがわかる。が、ここで大異変が起きた。

 日本のK首相は、K国のP市まででかけていき、この(流れ)をひっくり返してしまっ
た。いわゆる「日朝ピョンヤン宣言」というのが、それである。私は、日本がした戦後の
国際外交の中で、これほどまでにみごとな外交を見たことがない。

 K国が、ミサイル開発をやめることは絶対にないということを百も承知の上で、K首相
は、ミサイルの開発問題に、賠償問題をからめてしまった。つまり「ミサイルを一発でも
撃ったら、賠償金は、払わない」と。

 これはそれまでの韓国の思惑に、まっこうから相反するものだった。韓国は、こう考え
ていた。

 「南北が共和制国家にでもなったら、K国の側に立って、莫大な賠償金のおこぼれをも
らうことができる」と。あるいは「K国が手にする賠償金で、同時に韓国も、うるおうこ
とができる」と。が、日本の賠償金をねらっているのは、韓国だけではない。中国も、ロ
シアも、それをねらっている。

 しかしそういう日本や韓国の思惑を尻目に、K国は、突っ走ってしまった。核兵器の保
有を宣言し、それを飛ばすミサイルまで開発してしまった。

 こうなると、もう日本は、だまって見過ごすことはできない。時間がたてばたつほど、
K国には、有利になる。ますます多くの、核兵器を手にすることになる。

 そこで再び、韓国の登場。日朝間の緊張をあざ笑いながら、南北閣僚級会談を、プサン
市で開いた。「(ミサイル問題ごときで)、朝早くから、騒ぐことはない」と。韓国は、「追
いつめられたK国は、韓国に頭をさげるはず」と読んでいた。が、結果は、逆。その思惑
は、完全にはずれた。

 「米をよこさなければ、核兵器とミサイルで、韓国を攻撃する」と、逆にK国に脅され
る始末。

 K国の金xxは、韓国の予想すらもはるかに超えた段階まで、狂っていた。

 「四面楚歌」という言葉があるが、今のK国は、まさにその四面楚歌。しかし同じよう
に、韓国も、準四面楚歌。日本とアメリカとの間にできてしまったミゾは、ますます深ま
るばかり。中国とロシアは、もとから韓国など、相手にしていない。

 そこで今、韓国のN大統領は、こう考えている。「何とかして、日朝関係を、もっと緊張
させろ」と。具体的には、アメリカや日本の、さらなるK国制裁を、「今か」「今か」と、
待ち望んでいる。

 アメリカや日本がK国を制裁してくれれば、その分だけ、自分だけが、(いい子)でいら
れる。K国の攻撃の矛先を、日本へかわすことができる。

 以上が、日本と韓国の本音ということになる。しかしこの本音をベースに、現在の極東
情勢を考えると、すべてがすっきりと理解できるはず。これから日本は、どうしたらよい
かも、わかるはず。

 そのためにも、

(1)制裁は、急いではいけない。国際社会と協調して、制裁を進める。制裁に突っ走れ
ば、それこそ、韓国の思うツボ。

(2)日本のK首相は、8月15日に、Y神社を参拝してはいけない。その参拝を契機に、
韓国と中国はまたまた急接近するはず。今度は日本が四面楚歌の立場に立たされる。


(3)K国問題は、のらりくらりとかわしながら、K国を自然崩壊にもっていく。K国の
崩壊は、もう時間の問題。金xxの健康問題もある。決して、あせってはいけない。

 以上、参考までに……。
(06年07月21日記)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【弱者の視点】

+++++++++++++++++

弱者の立場で、ものを考える。

それがあなたの心を、限りなく
広くする。

+++++++++++++++++

●何が、ナポレオンだ!

 昨夜から、N放送局で、「世界遺産探訪」(仮称)という番組が始まった。以前から楽し
みにしていた番組である。

 で、第一回目は、フランス縦断。昨夜の番組の中では、フォンテンブローにある古城を
紹介していた。が、見ていてがっかり。

 すばらしい城にはちがいないが、出てくるのは、ナポレオンの話ばかり。あるいは、そ
の城を支配した王の話ばかり。2人の男女のキャスターが出演していたが、まるで自分た
ちが、その王にでもなったかのよう。そういう視点でしか、ものを話さない。

 日本人の悪いクセだ。

 ものの考え方が権威主義的というか、「上」からしか、ものを見ない。無意識のうちにも、
そういう視点でしかものを見ない。意識そのものが、そのように、できあがっている。

 番組の中では、「ここからあのナポレオンが、最後の演説をしたのですね」というような
ことを、どこか灌漑深そうに、その女性は話していた。バカめ! 何がナポレオンだ!

 こうした傾向は、あの大河ドラマにも見られる。日本の歴史そのものについても、為政
者の立場でしか、見ない。しかしこうしたものの見方は、日本人にとっては、とても悲し
むべきことでもある。

 弱者の立場がわからなくなる。わからないだけではなく、弱者を「下」に見る。が、そ
れだけではない。自分がその弱者になることに、大きな不安をいだくようになる。あるい
は本当にその弱者になったとき、必要以上に、あわてふためき、苦しみ、もがく。

 「他人の悲しみや苦しみを、痛み嘆く人は、幸いだ。なぜなら、彼らは、心安らかに、
慰められるだろうから(Blessed are those who mourn, for they will be comforted.)」、「慈
悲深い人は、神に祝福されるだろう。なぜなら彼らは、慈悲を与えられるだろうから
(Blessed are the merciful, for they will be shown mercy.)」(Matthew 5-9)と。

 どうしてそういう視点で、日本人は、ものを考えることができないのか。以下、いくつ
か以前書いた原稿を、ここに掲載する。(内容的には、あまり関係ないものも含まれます。
ゴメン!)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●問題のある子ども

 問題のある子どもをかかえると、親は、とことん苦しむ。それだけではない。学校の先
生や、みなに、迷惑をかけているのではという思いが、自分をますます小さくする。

よく「問題のある子どもをもつ親ほど、学校での講演会や行事に出てきてほしいと思う
が、そういう親ほど、出てこない」という意見を聞く。教える側の意見としては、その
とおりだが、しかし実際には、行きたくても行けない。恥ずかしいという思いもあるが、
それ以上に、白い視線にさらされるのは、つらい。

それに「あなたの子ではないか!」とよく言われるが、親とて、どうしようもないのだ。
たしかに自分の子どもは、自分の子どもだが、自分の力がおよばない部分のほうが大き
い。そんなわけで、たまたまあなたの子育てがうまくいっているからといって、うまく
いっていない人の子育てをとやかく言ってはいけない。

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが、苦手。目が上ばかり向いている。たとえばマ
スコミの世界。私は昔、R社という出版社で仕事をしていたことがある。あのR社の社員
は、地位や肩書きのある人にはペコペコし、そうでない(私のような)人間は、ゴミのよ
うにあつかった。電話のかけかたそのものにしても、おもしろいほど違っていた。

相手が大学の教授であったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。おおせのとおりに
いたします」と言い、つづいてそうでない(私のような)人間であったりすると、「あの
ね、あんた、そうは言ってもねエ……」と。それこそただの社員ですら、ほとんど無意
識のうちにそういうふうに態度を切りかえていた。その無意識であるところが、まさに
日本人独特の特性そのものといってもよい。

 イギリスの格言に、『航海のし方は、難破したことがある人に聞け』というのがある。私
の立場でいうなら、『子育て論は、子育てで失敗した人に聞け』ということになる。実際、
私にとって役にたつ話は、子育てで失敗した人の話。スイスイと受験戦争を勝ち抜いてい
った子どもの話など、ほとんど役にたたない。

が、一般の親たちは、成功者の話だけを一方的に聞き、その話をもとに自分の子育てを
組みたてようとする。たとえば子どもの受験にしても、ほとんどの親はすべったときの
ことなど考えない。すべったとき、どのように子どもの心にキズがつき、またその後遺
症が残るなどということは考えない。この日本では、そのケアのし方すら論じられてい
ない。

 問題のある子どもを責めるのは簡単なこと。ついでそういう子どもをもつ親を責めるの
は、もっと簡単なこと。しかしそういう視点をもてばもつほど、あなたは自分の姿を見失
う。あるいは自分が今度は、その立場に置かされたとき、苦しむ。

聖書にもこんな言葉がある。「慈悲深い人は祝福される。なぜなら彼らは慈悲を示される
だろう」(Matthew5-9)と。この言葉を裏から読むと、「人を笑った人は、笑った分だけ、
今度は自分が笑われる」ということになる。そういう意味でも、子育てを考えるときは、
いつも弱者の視点に自分を置く。そういう視点が、いつかあなたの子育てを救うことに
なる。
(040107)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●ホルモンと脳障害

 環境ホルモンが、脳に微細障害を与えるらしいということは、今では常識である。微細
障害というのは、目では見えないほどの障害という意味である。そしてこの障害が、今、
話題になっている、ADHD(attention deficit hyperactivity disorder・注意欠陥多動性障
害)にも関連しているという(福島章氏「子どもの脳があぶない」・PHP)。

もちろん微細障害の原因は、ホルモンだけではない。「(妊娠六〜七ヶ月から、生後一年
くらいまでの間に)、子どもの脳に、感染、外傷、酸素欠乏、栄養不足、有害物質、中毒
などの悪影響が加わると、脳の形成や発達に異常が起こる」(同書、二六頁)ということ
だそうだ。

 福島章氏は、ある少年犯罪者の例をあげ、「この少年の人並みはずれた攻撃性と、性衝動
は、胎児期に(母親に)与えられた、黄体ホルモン製剤によって、彼の脳がふつう以上に、
《男性化》されたためではないか?」と書いている。黄体ホルモン製剤は、天然の女性ホ
ルモンをまねてつくられた、化学物質である。

 ……何ともおどろおどろしい話である。というのも、今では環境ホルモンは、ありとあ
らゆる場所に侵入していて、もはやそれと無縁であることは、不可能になってしまったか
らだ。北極に住むアザラシですら、汚染されている。そうした環境ホルモンが、生態系そ
のものあり方を崩し、環境すら今までとは、違ったものにしつつある。子どもの脳への影
響は、ほんのその一部に過ぎない。

そこで私たちは、親として、どのように考えたらよいのだろうか。いや、考えれば考え
るほど、不安が募(つの)るばかりで、その先が見えてこない。こうした感覚は、恐ら
く、読者の皆さんも、同じではないかと思う。そこで私は、つぎの三つのことを提案す
る。

(1)子育ては、「自然」と旨(むね)とする。「自然を旨とする」というのは、生活の基
盤を、過去一〇〇年はどうであったか、その前の一〇〇年はどうであったかという視点で
見なおすということ。こと環境ホルモンということになれば、食物に注意する。

(2)この問題を考えるときは、「うちさえよければ……」という論理は通用しない。あな
たの子どもはたとえ無事でも、そのまた子ども(孫)はどうかという問題につながってく
る。自分の子どもが障害をもつのはつらいが、孫が障害をもつのは、もっとつらい。孫の
ことで苦しむ、あなた自身の子どもの姿を見るとことは、言うなれば、ダブルパンチとい
うことになるのか。ある母親がそう話してくれた。そこでおかしいと思ったら、どんどん
と戦っていく。電話や手紙、あるいはメールで、抗議する。 

(3)問題をもった子どもや、その親に、心から温かく接する。新約聖書の中にも、こん
な一節がある。

 「他人の悲しみや苦しみを、痛み嘆く人は、幸いだ。なぜなら、彼らは、心安らかに、慰
められるだろうから(Blessed are those who mourn, for they will be comforted.)」、「慈悲
深い人は、神に祝福されるだろう。なぜなら彼らは、慈悲を与えられるだろうから(Blessed 
are the merciful, for they will be shown mercy.)」(Matthew 5-9)と。

 訳は私がつけた。クリスチャンの人が読んだら、怒るかもしれない。私がもっている聖
書は、アメリカ人の友人のJimがくれたもの。Ryrie版の分厚い聖書だ。表紙には、
金文字で私の名前が入っている。こんなことはどうでもよいが、その人の価値は、相手の
立場で、いかにその悲しみや苦しみを共有できるかということで決まる。それができる人
は、人間としての価値がある。できない人は、そうでない。

それはわかるが、むずかしいことだ。今の私には、とてもできそうもない。できないが、
しかしそういう温かい心を忘れたら、この問題は、絶対に解決しない。またそういう温
かい心さえあれば、いかに環境ホルモンで、子どもたちの脳や心が侵されても、こわが
るものは何もない。
 
 こう書くと、人間には救いがないということになるが、決してそうではない。このエッ
セーを書くときに読んだ、『子どもの脳があぶない』(福島章氏著)の中には、こんな記述
があちこちにある。その一つを、引用してみる(同書、三〇ページ)。

 「早幼児期脳障害児は、その障害による適応不全の上に、思春期の心身の変化と動揺が
重なって、たまたま非行に陥ることがあるが、成人後には心身ともに安定するので、適応
障害が起こりにくくなる。また、非行的なサブカルチャに接触して、逸脱した価値観に染
まった脳障害のない青年よりも、そのようなものと無縁の状態で、偶発的・衝動的に事件
を起こした脳障害児のほうが、青年期を脱すると、非行から足を洗いやすい」と。

福島氏は、「問題を起こすのは、思春期だけで、成人になれば落ちつく」「かえってふつ
うの子どもより、非行から足を洗いやすい」と。福島氏のこの言葉は、私たちにとって、
大きな励みになる。
(02−11−3)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●心の混乱

 自分の子どもが不登校を起こしたりすると、たいていの親は、狂乱状態になる。長男、
長女のときは、とくにそうだ。

 それについては、何度も書いてきた。

 問題は、なぜそうなのか。さらに、それを防ぐには、どうしたらよいかということ。

 実は、こうした心の混乱には、いつも二面性がある。

 自分の子どもが、一つのコースからはずれるとわかったときの恐怖感は、相当なもので
ある。言葉では表現しがたい。それはわかる。が、なぜ、そうまで恐怖感を覚えるかとい
えば、そこに、それまでの自分自身の生きザマが、そこに集約されるからである。

 私たちは、無意識のまま、心のどこかでコースからはずれていく人を、さげすみ、排斥
する。あるいは、自分とはちがった生き方をする人を、認めない。認めないというよりは、
許さない。これは人間という動物が、動物としてもっている本能のようなものかもしれな
い。

 だから、自分にせよ、自分の子どもにせよ、そのコースからはずれ始めると、言いよう
のない恐怖感を覚える。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 学歴をことさら気にする人というのは、学歴コンプレックスをもっている人は別として、
その人自身がその学歴にぶらさがって生きているか、反対に、学歴のない人を、さんざん
笑ったり、軽蔑しているかの、どちらかとみてよい。笑ったり、軽蔑したりしているから、
今度は、逆の立場に立たされたとき、その人は、その何倍も、苦しむ。

 同じように、なぜ、人は、コースからはずれるのを、こうまで恐れるかと言えば、無意
識であるにせよ、そのコースからはずれる人を、心のどこかで、笑ったり、軽蔑したりし
ているからである。

 では、どうするか?

 要するに、人の不幸を笑ってはいけないということ。笑った分だけ、いや、その何倍も、
今度は自分が同じ立場に立たされたとき、苦しむ。

 だから私はあえて、言う。あなた自身は、どうか、と。

 何か、問題のある子どもや親を、あなたは、笑ったり、軽蔑したりは、していないか、
と。もし、そうなら、そういう考え方は、今すぐ、改めたほうがよい。でないと、いつか、
今度は、あなた自身やあなたの子どもの問題として、その何倍も、苦しむことになる。

 こんなことを言う親がいた。

 「ADHD児なんて、教室から追い出せばいいのです。みんなの迷惑になるだけです」
と。

 もう15年ほど前になるだろうか。S県のある小学校で、車椅子に乗った身体障害児に
対して、その入学に反対する集会が開かれたこともある。(ホントだぞ!) 理由は、「そ
ういう子どもが入学してくると、子どもたちの学習に、さしさわりが出るから」だった。

 また私にこう言った、経営者がいた。

 「何だかんだといっても、この世界は、弱肉強食の世界です。力のある人がいい生活を
するのは、当然のことです。力のない人は、それなりの生活をするのも、これまた、当然
のことです」と。

 さらに面と向って、私にこう言った人もいる。私が「幼稚園で働いています」と言った
ことに対して、だ。

 「君は、学生運動か何かをしていて、どうせ、ロクな仕事にありつけなかったんだろう」
と。

 「幼稚園で働くのは、ロクな仕事ではない」と。

 言いたければ、そう言うがよい。思いたければ、そう思うがよい。しかしそう言ったり、
思ったりすればするほど、今度は、自分が逆の立場に立たされたとき、その何倍も苦しむ
ことになる。

 ある母親は、毎晩、中学3年生の娘と、「勉強しなさい!」「うるさい!」の大乱闘を繰
りかえしていた。なぜか? 実は、その母親自身が、いつも、他人を、その出身高校で判
断していたからである。

「あの人は、S高校出身なんですってねえ」「あの人は、D高校しか出ていないんですっ
てねえ」と。自分自身も、市内でも、ナンバーワンといわれる、S高校の卒業生だった
こともある。

 だから自分の娘の学力がそこまでないとわかったとたん、その母親は、パニック状態! 
他人を笑ったり、軽蔑した分だけ、自分で自分のクビをしめたことになる。

 こうした心の混乱をふせぐためには、日ごろから、自分より弱者に暖かくする。新約聖
書の中にも、『慈悲深い人は、祝福される。なぜなら、彼らは、慈悲を与えられるだろう
(Blessed are the merciful, for they will be shown mercy)』(Matthew 5-9)というの
がある。

 この一文を逆に読むと、(私のようなものが解釈することは、おそれおおいことだが)、「日
ごろから、他人にやさしくしている人ほど、自分が逆に、その人の立場に立たされたとき、
その苦しみから救われる」ということになる。

 自分の子どもがコースからはずれていくことを心配している人は、一度、自分自身も、
コースからはずれていく人を、心のどこかで、笑い、軽蔑していないかを反省してみると
よい。

【補記】

 あるとき、ある大手の出版社に勤める友人が、私にこう言った。「林さん、ぼくらはね、
林さんのような生き方を認めるわけには、いかないんですよ」と。

 私が、「大手の出版社は、権威主義的すぎる。もっと、人の中身を見て雑誌をつくらない
と、やがて大衆から見放される」と言ったときのこと。

 「でもね、林さん。もしぼくらが林さんのような生き方を認めてしまうと、ではぼくた
ちの生き方は何だったのかというところまで、いってしまうのです。つまりね、ぼくらの
世界では、林さんのような人は、敗北者で、失敗者なんです。また、そうでなければ、な
らないのです。

 おかしなもので、林さんのような生き方をしている人が失敗すると、『やっぱり、そうだ
ったんだ。ぼくらの生き方は、これでいいんだ』と、へんに納得できるんですよ。だから
内心では、『あの林は、今に、失敗するぞ』『今に、失敗するぞ』と、楽しみにも似た、期
待感をもつわけです。

 しかしね、林さんのような人が成功したりするのをみるのが、こわいんですよ。自分の
生きザマを、否定されるように感じてしまうのですね。ぼくらは、組織の人間、会社人間
ですから……」と。

 コースに乗っている人が、なぜ、そのコースからはずれることを恐れるかと言えば、い
つもそのコースの外にいる人を、否定しているからではないのか。だから自分はともかく
も、自分の子どもがそのコースからはずれそうになると、狂乱状態になる。

 親たちは、子どもが不登校を起こしたりすると、「うちの子は、このままダメになってし
まう」と言うが、本当のところは、子どものことなど、何も心配していない。自分の生き
ザマが、否定されるのがこわいのだ。

 子どものことを本当に心配するなら、子どもの心の問題を考える。最初から最後まで、
子どもの心の問題だけを考える。それでよい。それがすべて。本来なら、親は、そうある
べきなのだが……。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【親の悩み、そして苦しみ】(子どもが不登校児になったとき)

++++++++++++++++++

子どもが不登校児になると、
たいていの親は、その時点で、
狂乱状態になる。

この狂乱状態が、子どもの不登校を、
さらに悪化させる。

昨日も、埼玉県に住んでいる、
Rさん(母親)という方から、
そういう相談のメールをもらった。

同じような事例で、以前、書いた
原稿を、そのまま、ここに掲載する。

+++++++++++++++++++
●岩手県Eさん(父親)からの相談

****************************

小学2年の秋から、断続的に不登校。病院で診断してもらうと
ケトン性低血糖ということ。それはなおりましたが、そのあと、
学校へ行くのは、いやだと言い出すようになり、また不登校。

3年になると、午前中だけ登校、昼に帰ってきて、午後だけ登校
とか、学校へ通うのが不規則になりました。

4年になると。しばらくは学校に通いましたが、10月になると、
また行けなくなり、「適応教室に行きたい」と言うようになり、
適応教室に通うようになりました。

そのあと、ムカムカする、つらいなど、いろいろな心身症による
症状を示すようになり、病院でも小児性心身症と診断されました。

病院の先生の話では、子どもらしさがない、ストレスが限界に
なった、病院を避難場所にしているのではとのこと。

が、そういう娘でも、それまでは、私たちと口をきいてくれました。
しかし6年になると、態度が変わりました。病院へ行っても、
「もう、ほうっておいてほしい」「来ないでほしい」と。

「もう学校へは、行きたくなければ行かなくてもいいのよ」と、
娘に言っていますが、私たちの気持ちも、通じなくなってきています。

つらい毎日です。病院への治療費も、月20万円を超えるように
なりました。私たち夫婦も、限界です。下の妹(5歳)への影響も
心配です。どうしたらいいでしょうか。(以上、要約)
(岩手県・E・父親)

注:ケトン性低血糖症

ケトン性低血糖症はインスリンが高い結果おこる低血糖症の場合以外の原因でおこる低
血糖症をいう。低血糖症とは、一般に乳児、幼児では血糖値が40mg/dl以下のものをい
う。早朝空腹時、または感冒などの発熱がきっかけになりやすく、また、夕食を食べず
に寝た次の日の朝、発症することが多い。1歳半くらいから見られる。男子に多く、低
出生体重児、または新生児期に何らかの問題があった子どもに、多く見られる傾向があ
る。

症状としては、嘔吐を伴う朝(空腹時)の低血糖があり、このときけいれんを起こすこと
がある。頻回に吐く。ぐったりして元気がなく、顔面は蒼白になったりする。普通の状態
のときには血糖は異常はない。知能の遅れはないがが、身体的な発育は少し遅れたり、体
重の増加がよくない子どもが多く見られる。低血糖があり、尿検査をすると尿の中にケト
ン体という物質がたくさん出てくる。(以上、IM小児科医院のHPより転載。)

*******************************

【学校へのこだわり】

 Eさんからのメールは、この10倍以上もの長さがあった。そしてそれには、Eさんと
Eさんの妻が、娘さんを何とか学校へ行かせようと、あれこれ努力をしたというようなこ
とが、詳しく書いてあった。それは努力というより、悪戦苦闘に近いものというほうが正
しい。

 その努力がまちがっていたとは言わない。しかし問題は、なぜ、Eさん夫婦が、そこま
で学校にこだわるか、である。

 こうしたケースで多いのは、(Eさん夫婦が、そうであったというのではない。誤解のな
いように!)、初期の段階での、対処の失敗が、問題をこじらせてしまうということ。子ど
もが学校へ行きたくないと言うと、ほとんどの親は、混乱状態から、狂乱状態になる。

 そして親自身が感ずる、不安や心配をそのまま子どもにぶつけてしまう。

 この段階で、「あら、そう?」「行きたくなければ、行かなくてもいいのよ」と親が言っ
たら、そのあと、深刻な不登校にならずにすんだはずというケースは、いくらでもある。
が、実際には、そうはいかない。親自身が、狂乱状態になってしまう。私は、そういう例
を、何十例も経験している。

 Eさん夫婦も、娘さんを、まさに(学校へ行けるだけ行かせよう)と努力した。たとえ
ば、Eさんからのメールには、「3年生になると、母親が送り迎えをして、午前中だけ学校
→午前中学校、帰って家で昼食→午後から登校という不規則ながら、なんとか学校にいっ
ていましたが、10月からまた体調不良を訴え、行けなくなりました」(原文)とある。

 この時点で、午前中だけでも行ったら、「よく行ったわね」と、なぜ、ほめてあげなかっ
たのだろうか。あるいは午前中だけも行ったら、親のほうから、「午後はいいのよ。そんな
に無理をしなくてもいいのよ」と、なぜ言ってあげなかったのだろうか。

 率直に言えば、親の心配ばかりが先行していて、子どもの心が見えてこない。私は、E
さんの相談を一読して、最初に、それを強く感じた。

 ……といっても、Eさんを責めているのではない。だれしも、そういう状況に置かれれ
ば、そう考える。Eさんだけが、特別というわけではない。Eさんだけが、(こういう言葉
は使いたくないが)、失敗したというわけではない。

 が、親は、えてして、学校へのこだわりから、子どもの心を見失う。学校神話、学歴信
仰、学校絶対主義などが、その背景にある。明治以来、国策として、延々として作られて
きた意識である。そうは、簡単には変えられない。まず、それに気づくだけでも、たいへ
ん!

 ものごとをすべて、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、考えてしまう。
つまりこの無理が、子どもの心を、ゆがめる。

 ただこの時点で、一つ注意しなければならないことは、学歴信仰は、何も、親だけのも
のではないということ。子どもも、いつしか親の学歴信仰を、そっくりそのまま受け継い
でしまう。

 その親だって、そのまた親から、受け継いでいるだけということにもなる。同じように、
子どもが、それを受け継いでしまう。

 だから行き着くところまで行って、そのときはじめて親のほうが、それに気づき、「学校
なんか、行きたくなければ行かなくてもいいのよ」と言っても、意味はない。こういうケ
ースで、子どもにそう言えば、かえって子どもを追いつめてしまうことになる。

 「私は学校へ行かねばならない」「学校へ行きたくても、行けない」「どうすればいいの!」
と。

【心の緊張状態】

 「情緒不安」という言葉がある。しかしこの言葉ほど、いいかげんで、誤解を招きやす
い言葉もない。

 情緒不安というのは、あくまでも結果でしかない。なぜ、子どもが(おとなも)、情緒が
不安定になるかといえば、その前に、心が緊張状態にあるからと考える。

 心が開放されない。何かの心配ごとが、ペタリと張りついて、取れない。

 そういう緊張状態にあるとき、何かの心配ごとが入ってくると、心はその心配ごとを解
消しようと、一挙に不安定な状態になる。その状態を「情緒不安」という。つまり、情緒
が不安定になるのは、あくまでも結果でしかない。

 子どものばあい、何かのキーワードがあって、そのキーワードに触れると、一挙に不安
定になることが多い。

 ある女の子(年長児)は、母が、「ピアノのレッスンをしましょうね」と言っただけで、
ときにギャーと泣き叫んで、手がつけられなくなってしまった。包丁を投げつけたことも
あるという。その女の子のケースでは、「ピアノのレッスン」が、一つのキーワードになっ
ていた。

 そこで考えなければならないのは、なぜ、情緒が不安定であるかではなく、なぜ、心の
緊張感がとれないか、である。

 原因はいろいろ考えられるが、その多くは、対人関係をうまく処理できないためとみて
よい。他人と、良好な人間関係が結べない。もっと言えば、自分の心を開放したまま、交
際できない。それが心の緊張状態をつくりだす。

 だからこのタイプの子どもは、おおまかにわけて、つぎの6つのタイプのどれかを選択
する。

(1)攻撃型(他人に乱暴になる)
(2)自虐型(自虐的な運動や、勉強をする)
(3)同情型(相手に同情を求めるため、弱々しい自分を演ずる)
(4)依存型(だれかにベタベタと甘える)
(5)服従型(集団に属し、長に、徹底的に服従する)
(6)逃避型(引きこもったり、人間関係を遮断する)
(7)怠惰型(生活全般が、退行的になる。だらしなくなる)

 最初にわかってあげなければならないのは、このタイプの子ども(おとなも)、人との交
際が、それ自体、苦痛であるということ。相手に対して、気をつかう。神経をつかう。集
団の中で、仮面をかぶる、いい子ぶる、自分を飾ったり、ごまかしたりする。

 だから集団の中に入れると、すぐ精神疲労や神経疲労を起こす。親は、「うちの子は、集
団になれていないだけ」「集団の中で訓練すれば、やがてなれるはず」と考える。たしかに
そういうケースもないわけではないが、そうは、簡単ではない。

 無理をすることで、かえって、症状をこじらせてしまうケースのほうが、多い。強圧的
な指導になどによって、回避性障害や摂食障害、行為障害などへと発展していくケースも、
少なくない。幼児のばあいは、かん黙したり、自閉傾向を示したりすることもある。(自閉
症と自閉傾向を混同しないように……。)

 では、なぜ緊張状態がとれないのかということになる。このタイプの子どもは、集団の
中では、(いい子)ぶることが多い。ものわかりがよく、先生の言うことを、すなおに聞い
たりする。またいい子を演ずることで、自分の立場をつくろうとする。

 たとえばブランコを横取りされても、柔和な表情のまま、それを明け渡してしまうなど。
その時点で、「どうして横取りするのだ!」と、相手に抗議することができない。

 が、教える側から見ると、どこか何を考えているかわからない子どもという感じになる。
心がつかみにくい。心の状態と、顔の表情が、不一致を起こすことも多い。いやがってい
るはずなのに、ニヤニヤ笑うなど。

 原因は、新生児期から乳幼児期にかけての、母子関係の不全にあるとみる。

【母子関係の不全】

 絶対的なさらけだしと、絶対的な受け入れ。この二つの基盤の上に、母子の信頼関係が、
築かれる。

 「絶対的」というのは、「疑いすら、もたない」ということ。「私はどんなことをしても、
許される」という安心感。その安心感が、相互の信頼関係の基盤となる。

 が、何かの理由で、たがいに、このさらけ出しができなくなるときがある。親側の拒否
的な育児姿勢、冷淡、無視など。親自身が何らかの心のキズをもっていて、子どもに対し
てさらけ出しができないときもある。

 たとえば親自身が、不幸にして不幸な家庭で、生まれ育った、など。こういうケースの
ばあい、「いい親でいよう」「いい家庭を築こう」という、気負いばかりが先行し、結果的
に子育てで、失敗しやすくなる。

 あるがままの自分を、ごく自然にさらけ出すというのは、それができる人には簡単なこ
とだが、それができない人には、たいへんむずかしい。自分がそうであるということにす
ら、気がつかない人も多い。

 中には、親や兄弟のみならず、自分の夫や、そして自分の子どもにすら、自分をさらけ
出せない人もいる。「あるがままの自分をさらけ出したら、嫌われるのではないか」「みな
から、へんに思われるのではないか」と。

 言うまでもなく、その原因は、ここでいう母子関係の不全である。つまり子どもは、母
親との関係において、他者との信頼関係の結び方を学ぶ。その信頼関係が、そののち、そ
の人の人間関係の基本になるため、これを「基本的信頼関係」という。

 子どもは、母子の間でできた信頼関係を基本に、そのワクを広げる形で、友人や、先生、
さらには結婚してからは配偶者や子どもとの信頼関係を結ぶことができるようになる。

【対人障害】

 怠学、学校恐怖症については、すでにたびたび書いてきたので、ここでは省略する。で、
子どものばあい、こうした対人障害が、そのまま不登校となって現れることが多い。

 で、その恐怖症だが、そのつらさは、それになったものでないとわからないだろうとい
うこと。私など、まさに恐怖症のかたまり。

 子どものときから、閉所恐怖症、高所恐怖症などがあった。しかし本当にそれがひどく
なったのは、飛行機事故を経験してから。30歳になる、少し前のことだった。飛行機に
乗れなくなってしまったことはしかたないとしても、ことあるごとに、スピード恐怖症に
なる。

 数年前も、あやうく、交通事故にあいそうになった。九死に一生とまではいかないにし
ても、あやうく、だ。

 そのため、私は道路を自転車で走っていても、すべての自動車が、自分に向って走って
くるように感じた。あとでみたら、手のひらが、ぐっしょりと汗をかいていた。

 人間の思考パターンというのは、そういうものだが、自分でも、「気のせいだ」とわかっ
ていても、コントロールできない。それがつらい。

 だから、子どもの恐怖症にしても、決して安易に考えてはいけない。あくまでも子ども
の目線で、子どもの立場で考えること。無理をすれば、症状をこじらせるだけ。

 で、その対人障害だが、よく知られたものに、回避性障害がある。他人との良好な人間
関係が結べなくなる。一度、その回避性障害になると、人との接触が、異常にわずらわし
くなる。人の気配を感じただけで、神経が張りつめる。気が重くなる。

 それだけならまだしも、一度、そういう状態になると、ふつう以上に神経をすりへらす。
そのため、精神疲労を起こしやすい。体がだるくなる。思考が進まなくなる、など。頭痛
や肩こり、不眠、早朝覚醒を訴える子どももいる。

 心身症から神経症へと発展することもある。ただし、症状は、千差万別。定型がない。
ふつうは、身体的症状(腹痛、下痢など)、精神的症状(抑うつ感、不安症など)、行動的
症状(髪いじり、ものかじりなど)に分けて考える。「おかしなことをするな?」と感じた
ら、この心身症を疑ってみるとよい。

 で、そういう状態が、前兆症状としてしばらくつづいたあと、より明確な形で、たとえ
ばここでいうような学校恐怖症などとなって現れる。

 これについても、すでにたびたび書いてきたので、私のHPに書いた記事を参考にして
ほしい。

【学歴信仰】

 「学校は、絶対」「学校とは、行かねばならないところ」と。そういう意識をもっている
人は、多い。

 しかしその意識は、絶対的なものでもなければ、普遍的なものでもない。意識というの
は、その時代時代において、変化しうるものである。だから大切なことは、今、私やあな
たがもっている意識が、絶対的なものであると、思ってはいけないということ。学校神話
も、その一つ。

 私たち日本人は、「学校は絶対である」という意識をもっている。ずいぶんと前のことだ
が、戦時下のサラエボで、逃げまどう子どもをつかまえて、「学校へは行っているの?」と
問いかけていたあるテレビ局のレポーターがいた。

 子どもを見れば、すぐ学校という発想。それも学校神話の一つと考えてよい。そういう
意識は、明治以来、国策の一つとして、日本人の中に作られてきた。戦争で、学校どころ
ではないはず。ふつうの常識のある人なら、そう考える。

 世界は、もう少し、おおらかである。学校の設立そのものも、自由。アメリカなどでは、
カリキュラムの内容ですら、学校ごとに独自に決められる。もちろん日本でいう「教科書」
などない。

 学校にしても、内容と種類は、さまざま。学校へ行かないで、家庭で学習する、ホーム
スクーラーも、200万人もいる。

 一方、この日本では、子どもに何か、問題が起きると、すぐ、「学校で!」と考えやすい。
今では、家庭教育まで、学校に押しつける親さえいる。

 しかしものごとは、常識で考えてみたらよい。たった一人の子どもでさえもてあますこ
とが多いのに、そういう子ども、30〜40人も一人の先生に押しつけて、「しっかりめん
どうをみろ」はない。

 話はそれたが、不登校の子どもをもつ親と話していると、この学校神話をよく感ずる。
私が、「いいじゃないですか、学校なんか。子どもが行きたくないと言ったら、行かなくて
も……」などと私が言おうものなら、たいていの親は、目を白黒させて、驚く。

 私は、よく、自分の息子たちを幼稚園や学校を休ませて、家族旅行に出かけた。平日に
旅行すると、どこも、ガラガラ。言いようのない解放感を味わった。が、そういうときた
いてい、幼稚園や学校から電話がかかってきて、(とくに幼稚園の先生からが多かったが)、
「そういうことをすると、遅れます」「困ります」と。

 しかし子どもが、何から、どう遅れるというのか? だいたいにおいて、「遅れる」とい
うのは、どういうことなのか。あるいは、コースからはずれることを、「遅れる」というの
か。だったら、その「コース」とは、何か?

 つまり、「どうしても学校」という意識は、そういうところから生まれる。そして自分の
子どもが不登校を起こしたりすると、「さあ、たいへん!」と、たいていの親は、パニック
状態になる。そしてそういう意識が、必要以上に、子どもを追いつめる。

【あくまでも子どもの目線で】

 決して、Eさんが、そうであったというのではない。またそうであったからといって、
Eさんを責めているのでもない。

 ただこういうケースでは、親は、多くのばあい、子どもの目線で、ものを考えることが
できない。

 数か月前も、こんな相談があった。ある母親からのものだった。いわく、「やっとのこと
で、学校へ行くようになりました。しかし午前中だけ。給食の時間になると、家に帰りた
いと言います。何とか、給食だけでもと思うのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 それに答えて、私は、こう返事を書いた。

 「午前中だけにして、『よくがんばったわね』とほめてあげてください」と。

 こういうケースで、その子どもが、給食を食べるようになると、今度は、親は、「せめて
午後まで……」「終わりの会まで……」と言い出すにちがいない。子どもも、それをよく知
っている。つまり親の希望や欲望には、際限がない!

 つい先日も、やっとのことで不登校のなおった子どもに対して、「今までの遅れを取りも
どすため」ということで、進学塾へ入れた親がいた。が、とたん、その子どもは、また不
登校! 『元の木阿弥(もくあみ)』という言葉があるが、そういう状態になってしまった。

 こういうケースは、多い。本当に多い。そうして失敗を重ねながら、子どもは、二番底、
三番底へと落ちていく。

 そこで大切なことは、今の状態を最悪と思っては、いけないということ。不登校にかぎ
らず、子どもの心の問題では、「今の状態を、それ以上悪くしないことだけを考えて、半年、
あるいは一年単位で、様子をみる」である。

【許して忘れる】

 子どもに何か、問題が起きたら、ただひたすら『許して、忘れる』。とくに子どもの心の
問題では、そうで、その度量の深さによって、親としての愛情の深さも決まる。

 ただ誤解してはいけないのは、『許して、忘れる』といっても、子どもに好き勝手なこと
をさせるということではないということ。許して忘れるというのは、子どもに何か問題が
起きたら、それを自分のこととして、受け入れることをいう。

 たとえば不登校児にしても、それを一番苦しんでいるのは、子ども自身だということ。
一見、楽しそうに振る舞っているように見えるかもしれないが、子ども自身、その緊張感
から解放されることはない。年齢が大きくなると、それに、将来への不安が加わる。

 そういう状態のとき、見るに見かねて、多くの親は、「学校へは行かなくてもいい」など
と言う。しかしその言葉自体が、子どもにとっては、苦痛なのだ。

 それはたとえて言うなら、二階の屋根にのぼったあと、ハジゴをはずされるようなもの。
子どもの立場にするなら、「じゃあ、どうしたらいいの!」となる。

 もしこういう状態で、子どもにかける言葉があるとするなら、「お前は、つらかったんだ
ね」「お前は、よくがんばったよ」「人生は、長い。気楽に行こうよ」という言葉である。
できれば、「お父さんが悪かった。お前の苦しみを理解できなかった」と、あやまることで
ある。

 こういうケースでは、親意識など、あれば捨てること。「親である」という気負い、「親
だから何とかしなければ」という責任感。それも捨てる。子どもにしてみれば、自分のた
めに犠牲になっている親を見ることぐらい、つらいことはない。

 ある女性は、こう言った。その女性が高校生だったときのこと。高校に入学はしたもの
の、ほとんど、学校には行っていなかった。おまけに摂食障害。

 「何がつらかったかといって、母に、『私はつらい』と言われることぐらい、つらいこと
はなかった」と。

 その女性は、高校を中退したあと、数年、アパートを借りてひきこもった。が、そのあ
と、少しずつたちなおって、カナダへ語学留学。つづいて、オーストラリアへ。今は、看
護ヘルパーの資格をとるため、専門学校へ通っている。

 だから親は親で、前向きに生きる。「ようし、十字架の一つや二つ、ぼくがかわりに背負
ってやる」「お前はお前でがんばれ。ぼくはぼくでがんばるから」と宣言する。そしてそう
いう前向きな姿を、子どもに見せていく。

 そういう姿ほど、子どもに安堵感を与えるものはない。そしてそれが子どもの心の問題
にも、よい方向に作用する。

【Eさんへ……】

 書かなくてもよいようなことまで書いて、何かと不快に思われたかもしれません。しか
し子の問題は、根が深いということをわかってもらいたくて、あれこれ書きました。あく
までもここに書いたことを参考に、一度、あなた自身の心の中をのぞいてみてください。

 あなたの子どもは、あなたを苦しめるために、そこにいるのではありません。あなたに
何かを教えるために、そこにいるのです。何か、大切なものを、です。

 あなたがすべきことは、そういう子どもの声というか、子どもという存在を超えた、そ
の向こうにある声というか、そういうものに、静かに耳を傾けることです。

 今は、あまりにも一対一の関係になりすぎている。私には、そんな感じがします。一つ
には、あなた自身が、若いということもあります。しかし相手は、しょせん、子どもです。
本気で愛しながらも、決して、本気で相手にしてはいけません。

 「会いたくない」と言ったら、こう言いなさい。「ははは。そうは言っても、私は、お前
からは離れないからな」「どんなことがあっても、お前を守るからな」と。もしそれでもあ
なたの子どもの心をつかめなかったら、子どもの心の中に、自分を置いてみます。

 すると、どうしてそういうことを言うのか、それがわかりますよ。なぜ、あなたが避け
られているかもわかりますよ。

 親というのは、そういう意味では、さみしい存在。どんなに嫌われても、こちらからは
嫌ってはいけないということ。嫌われても、嫌われても、そんなことは気にせず、前に進
むしか、ありません。いちいち子どもの機嫌など考えないことです。100に1つ、10
00に1つ、子どもの中に(やさしさ)を感じたら、もうけものと思うことです。それと
も、Eさんは、子どもに何を求めていますか。

 子どもというのは、(求める対象)ではないのです。わかりますか? いい子にしようと
か、いい親子関係にしようとか、そういうふうに考えてはいけません。とくに今のEさん
と、子どもの関係においてはそうです。

 あえて言えば、あきらめて、それを受けいれる、です。もっと言えば、『負けるが、勝ち』
です。

 が、心配は、無用。

 子どもというのは、そういう親の姿勢の中から、何かを学んでいくものなのですね。何
を学ぶかはわかりませんが、必ず学んでいくものなのですね。だから、ここはあせらず、「よ
うし、お前はお前で生きろ。私は私で生きるから」と。そう宣言してみてください。

 あなたの子どもは、すでに年齢的には、じゅうぶん親離れしています。あなたが考えて
いるより、はるかにおとな的な考え方をしています。(あるいは、あなたとほとんど、同じ
程度には考えているかもしれませんよ。あなたから見れば、いつまでも、子どもに見える
かもしれませんが……。)

 そういう子どもを、もっと、信じてみてはどうでしょうか。静かに、「お前は、ぼくに何
をしてほしいか」と聞いてみる。そしてあなたの子どもが、何かを言ったら、そのとおり
にすればよいのです。

 「会いたくない」と子どもが言ったら、「いつなら、会いに来ていいか」と聞けばよいの
です。

 大切なことは、暖かい無視と、ほどよい親子関係です。「ほどよい」というのは、「求め
てきたときが、与えどき」と心得るとよいでしょう。

 最後に「毎月の入院費で、20万円」という話を聞いて、胸がふさぎました。あなたの
家庭で、心のケアをつづけるというわけには、いかないのでしょうか。今の状況から察す
ると、長期の引きこもり、もしくは家庭内暴力も考えられますが、それでも、家につれて
くるということはできませんか。

 家庭内暴力の可能性があるなら、また別に考えなくてはいけませんが、引きこもりとい
う雰囲気であれば、子どもにとっては、家のほうが、よいかと思います。長い目で見ても、
つまり、いつか子どもが立ちなおったあとでのことですが、そのほうが、良好な親子関係
を築くことができます。

 引きこもりをするようなら、好きなだけ、引きこもりをさせればよいのです。そういう
大らかさを感じたとき、子どもも、また前向きに立ちなおり始めます。不思議ですが、こ
れは本当です。

 また今の時期、そして今の状態では、あなたが、あれこれ干渉したり、過関心になった
りしないことです。静かに、ただひたすら静かに、暖かく無視する。これにまさる対処方
法は、ありません。

 で、最後に一言、つけ加えるなら、この種の問題は、いつか必ず、笑い話になります。
いつかあなたは、自分の子どもに向かってこう言うのです。

 「あのころは、たいへんだったぞ。ははは」と。

 その日は、必ずきます。そのときのために、「今」をどうか、破壊しないように!

 また将来的なことになれば、いろいろと不安も大きいかと思いますが、あとは、あなた
の子ども自身が、自分の道を見つけていきます。すでに、あなたに向って、「病院へ来てほ
しくない」と言っているようなら、むしろそのたくましさのほうを、評価してあげてくだ
さい。

 そう、今、形こそ、少しいびつですが、あなたの子どもは、巣立ちをしようと考えてい
ます。あるいは懸命に、その準備をしているのかもしれません。

 またあなたは下の妹さんのことを心配していますが、むしろ、上のその子どものほうが、
ずっとさみしい思いをしていたのかもしれません。「お姉ちゃんだから……」という「ダカ
ラ論」だけで、です。

 そんな気持ちにも、少し、配慮してあげてみてください。

 なお、いただきましたメールについて、「そのままの掲載は断る」ということでしたので、
こちらで勝手に要約、改変させていただきました。この原稿での、マガジン掲載など、許
可をいただければ、うれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今宵、思うこと】

●山荘で……

 時は、2006年7月16日。夜の10時5分。場所は、私の山荘。居間。ワイフは横
で、テレビを見ている。私は、古いパソコンに向かって、この文章を書き始めている。

 シャープのメビウス。PN−15Z。7年前に買ったもの。モニターと本体の一体型。
当時の値段で、24万円弱。そのときはうれしくて、仕事が終わると、毎晩、タオルでみ
がいていた。が、そのパソコンも、今では、ボロボロ。

 立ちあげるたびに、F2キーを使って、セットアップしなければならない。BIOSで
日時を設定しても、つぎに使うときは、00年に戻ってしまっている。その00年を、0
6年にセットすると、やっと動き出す。

 めんどうと言えばめんどうだが、こうしたトラブルは、パソコンには、つきもの。ほか
にこのキーボードにしても、「O」のキーがおかしい。「こ」とか、「そ」とかいう文字を打
ちこむときは、その「O」を使う。が、強くそのキーをたたかないと、うまく文字を打ち
出してくれない。

 パソコンというのは、こうして使うもの。だまし、だまし使う。少し大げさな言い方に
聞こえるかもしれないが、どこか自分の体に似ている。今のところ、私は一応健康だが、
ガタがないわけではない。

 左の耳は、聴力をなくして、もう20年以上になる。以来、耳鳴りが途絶えたことがな
い。今も耳鳴りがする。左肩も、この春に腱を傷(いた)めてから、思うように動かない。
老眼も進んだようだ。数年前、眼科へ結膜炎か何かの病気で行ったときには、「白内障が1
5〜20%、進んでいます」とも言われた。

 歯となると、ガタガタ。ほとんどの歯に、治療の痕跡を残している。ほかにも、いろい
ろある。

 そういう意味では、死というのは、ある日、突然やってくるというものではない。徐々
に、目に見える速さではないが、しかし動きを止めることなく、やってくる。

 このパソコンだって、そうだ。折りたたみ式のデスクトップだが、モニターと本体をつ
なぐ部分のプラスチックは、割れたまま。何度か自分で修理しようとしたが、できなかっ
た。そのため、そこで接着剤がかたまり、無残な姿を、さらけ出している。

 しかし私は、このパソコンが好きだ。愛着がある。キーボードに指をのせるたびに、買
ったときのあのうれしさが、よみがえってくる。「古くなったから捨てる」というのは、ひ
ょっとしたら、若い人の発想かもしれない。

 ワイフは、「古いパソコンは処分したら?」とよく言う。しかし私には、それができない。

●ハンゲコウボク湯(とう)

 静かな夜だ。先ほどからワイフは、寝じたくにかかった。洗面所で、化粧を落としてい
るのが、音でわかる。

 この儀式は結婚以来、変わっていない。しかし女性というのは、毎晩、なぜ同じことを
するのだろう。私のばあいは、歯をみがくだけ。あとは何もしない。だからというわけで
もないが、「いっしょに寝よう」と声をかけあっても、いっしょに床にはいったことは、め
ったにない。いつも私が先に床に入り、つづいてワイフが床に入る。 

 ワイフを待つ間、私は、雑誌を読んだり、カタログに目を通したりする。

 子どもの世界には、就眠儀式というものがある。英語では、「ベッド・タイム・ゲーム」
という。毎晩、眠りにつく前、子どもというのは、同じ儀式を繰りかえす。

 おとなもそうである。一口、水を口に含んだり、あれこれ時計をいじったりして、眠り
につく。

 そうそう私たち夫婦は、毎晩、眠る前に、「ハンゲコウボク湯」という漢方薬をのんでい
る。ガンの予防薬にきくと、恩師の田丸先生が教えてくれた。で、あるとき、その田丸先
生に、その根拠をたずねると、もとはといえば、東大の薬学部で、薬学部長をしていた水
野という先生が、それを発見したのだという。

 水野という先生が、理化学研究所というところで、主任研究員をしていたときに発見し
たという。「林君ものんでみなさい」と言われて、それでのむようになった。それが、もう
5年になった。

 量は、耳かき一杯程度で、よいそうだ。それで効果があるそうだ。それを寝る前に、舌
の先で溶かしてのむ。

 おかげで私たち夫婦は、今のところ、がんになっていない。毎年年賀状で、田丸先生に、
「おかげで、今年も、がんにならないですみました」と報告している。

 ただ、頭のボケには、きかないそうだ。その水野という先生は、認知症になってしまい、
今では家族の顔すらも、見分けがつかないという。

●38.5度!

 ワイフがたった今、寝室に入っていった。「今夜は、扇風機もいらないわね」と、笑って
いた。

 昨日は、暑かった。この浜松市では、38・5度という、猛烈な気温を記録した。身の
置き場のない暑さである。今日の気温も、それくらいあった。

 が、今夜は、扇風機もいらない。森に囲まれた生活のすばらしさは、ここにある。たし
かに日中は暑い。街の中の気温と、それほど、ちがわない。しかし日没と同時に、冷気を
おびたさわやかな風が、谷の下から、サーッと吹きあげてくる。

 このあたりに住んでいる人たちは、みな、こう言う。「クーラーを使うことは、めったに
ありません」と。

 言い忘れたが、この山荘には、そのクーラーはない。つけようと思ったことは何度かあ
るが、結局は、つけなかった。今夜も、窓をあけているだけで、眠るには、寒いほどであ
る。

 もっとも、この10年で、地球の温暖化は、さらに進んでいる。それはもう、だれの目
にも明らか。このまま温暖化が進めば、2100年を待たずして、この地球には、人が住
めなくなるようになるかもしれない。

ならばクーラーで冷やせばよいということになるが、一説によると、クーラーの能力に
も、限界があるらしい。気温が45度を超えると、クーラーは、クーラーとして、機能
しなくなる、とか。

 もっとも気温が45度にもなれば、人類は自滅する。風呂の温度だって、42〜3度が
限界。入れなくはないが、10分も入っていると、頭がのぼせてしまう。

 温暖化と戦うためには、つまり、温暖化が進んでも生きていくためには、体を鍛(きた)
え、自然の樹木を、もっとふやすしかない。

●移住

 で、今日も、ワイフとオーストラリアへの移住について、話しあった。何でも、50万
オーストラリアドル分の国債を買えば、移住できるという。ほかに収入証明書とか、同じ
く50万ドル分の預金残高証明書のようなものがいるらしい※。

 その数字を見ながら、ワイフが、「家と土地を売れば、何とかなるわ」と。

私「移住するから、いいというものでもないよ」
ワ「でも、元気なうちに、移住したいわ」
私「そうだね」と。

 私自身は、もう少し、この日本でがんばってみたいと思っている。たいしたぜいたくは
できないが、しかし今のところ、何一つ、不自由なく生きている。こういう生活を捨てて
まで、どうこうということは、あまり考えたくない。

私「だからさ、もう少しがんばって、収入がなくなってきたら、そうしようよ」と。

 今からちょうど17年前。当時の私は夢中になって、この山荘を建てた。建築以外の工
事は、ほとんど、自分たちでした。毎週、ユンボを借りてきて、土地を造成したり、石組
みをしてくれる業者の人を手伝ったりした。電気工事も、水道工事も、自分たちでした。

 あのころは、本当に楽しかった。

 毎日作業が終わると、丘の上に立ち、「風呂からの景色はこうだ」「居間からの景色はこ
うだ」と、それを二人で言いあった。

 しかしそれも一巡すると、それが当たり前の生活になってしまった。あれほどあこがれ
た田舎暮らしだったが、5年とか10年もたつと、どうということもない生活になってし
まった。

 多分、オーストラリアに移住しても、同じようになるのではないか。つまりそれが今、
オーストラリア移住をためらわせている、最大の理由でもある。

●夢と希望

 明日も今日と同じ。来月も今月と同じ。来年も今年と同じ。……もしそんな人生になっ
てしまったら、私はそれに耐えられるだろうか。

 ふと、今、そんなことを考えた。

 明日は、何かよいことがあるだろう。来月は、何かよいことがあるだろう。来年は、何
かよいことがあるだろう。

 そういう思いがあるからこそ、私は、今日を生きていくことができる。今月を生きてい
くことができる。今年を生きていくことができる。

 しかしもし、それがなくなってしまったら……。

 このところ気になるのは、脳梗塞になって、体が不自由になった人たち。そういう人を
みかけると、ドキッとする。大きな衝撃を受ける。脳梗塞によって、脳のどこがダメージ
を受けるかにもよるそうだが、中には、人格まで変わってしまう人もいるそうだ。

 ほかのことなら私にも耐えられるかもしれない。しかし人格まで変わってしまったら…
…。脳のCPU(中央演算装置)が狂うわけだから、狂ったという意識がないまま、狂っ
てしまう。

 だから狂ったとしても、自分でそれに気づくことはない。そのときでも、「私は私」と思
っているかもしれない。しかしそれほど、恐ろしいことはない。明日は、確実に今日より
悪くなってしまう。来月は、確実に今月より悪くなってしまう。来年は、確実に今年より
悪くなってしまう。

 もしそうなるのがわかっていたら、どうやって生きていけばよいのか。

 しかし現実には、現状維持が精一杯。現状維持ができるだけでも、感謝しなければなら
ない。夢や希望といっても、身近なささいなものに、自分をつなげるしかない。

 ……唐突だ恐縮だが、今、突然、眠気が襲ってきた。時刻は、午前0時を少し回ったと
ころ。今夜はここまで。おやすみなさい! 

【注※】オーストラリアへの移住の条件。リタイアメント移住のばあい。

●満55歳以上。
●配偶者をのぞく扶養家族がいないこと。
●地方都市に居住のばあい、50万オーストラリアドルの資産提示。
●プラス年5万ドル以上の所得証明。
●50万オーストラリアドル以上の債券投資。

(50万オーストラリアドル=約4363万円)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
移住 オーストラリア移住)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て一口メモより】

●悪玉親意識

「私は親だ」というのが、親意識。この親意識にも、二種類をある。善玉親意識と、悪玉
親意識である。「私は親らしく、子どもの見本になろう」「子どもをしっかりと育てて、親
の責任をはたそう」というのが、善玉親意識。一方、「親に向かって何よ!」と、子どもに
対して怒鳴り散らすのが、悪玉親意識。いわゆる『親風を吹かす』ことをいう。なお親は
絶対と考えるのを、「親・絶対教」という。


●達成感が子どもを伸ばす

「ヤッター!」という達成感が、子どもを伸ばす。そんなわけで子どもが幼児のうちは、(で
きる・できない)という視点ではなく、(がんばってやった・やらない)という視点で子ど
もを見る。たとえまちがっていても、あるいは不十分であっても、子どもががんばってし
たようなら、「よくやったわね」とほめて終わる。こまごまとした神経質な指導は、子ども
をつぶす。


●先生の悪口、批評はしない

学校から帰ってきて子どもが先生の悪口を言ったり、批評したりしても、決して、相づち
を打ったり、同意したりしてはいけない。「あなたが悪いからでしょう」「あの先生は、す
ばらしい人よ」と、それをはねかえす。親が先生の悪口を言ったりすると、子どもはその
先生に従わなくなる。これは学校教育という場では、決定的にまずい。もし先生に問題が
あるなら、子どもとは関係のない世界で、処理する。

●子育ては楽しむ

子どもを伸ばすコツは、子どものことは、あまり意識せず、親が楽しむつもりで、楽しむ。
その楽しみの中に、子どもを巻き込むようにする。つまり自分が楽しめばよい。子どもの
機嫌をとったり、歓心を買うようなことは、しない。コビを売る必要もない。親が楽しむ。
私も幼児にものを教えるときは、自分がそれを楽しむようにしている。


●ウソはていねいにつぶす

子どもの虚言にも、いろいろある。頭の中で架空の世界をつくりあげてしまう空想的虚言、
ありもしないことを信じてしまう妄想など。イギリスの教育格言にも、『子どもが空中の楼
閣に住まわせてはならない』というのがある。過関心、過干渉などが原因で、子どもは、
こうした妄想をもちやすくなる。子どもがウソをついたら、叱っても意味はない。ますま
すウソがうまくなる。子どもがウソをついたら、あれこれ問いかけながら、静かに、てい
ねいに、それをつぶす。そして言うべきことは言っても、あとは、無視する。


●本物を与える

子どもに見せたり、聞かせたり、与えたりするものは、いつも、本物にこころがける。絵
でも、音楽でも、食べ物でも、である。今、絵といえば、たいはんの子どもたちは、アニ
メの主人公のキャラクターを描く。歌といっても、わざと、どこか音のずれた歌を歌う。
食べ物にしても、母親が作った料理より、ファミリーレストランの料理のほうが、おいし
いと言う。こういう環境で育つと、人間性まで、ニセモノになってしまう(?)。今、外か
らの見栄えばかり気にする子どもがふえているので、ご注意!


●ほめるのは、努力とやさしさ

子どもは、ほめて伸ばす。それはそのとおりだが、ほめるのは、子どもが努力したときと、
子どもがやさしさを見せたとき。顔やスタイルは、ほめないほうがよい。幼いときから、
そればかりをほめると、関心が、そちらに向いてしまう。また「頭」については、慎重に。
「頭がいい」とほめすぎるのも、またまったくほめないのも、よくない。ときと場所をよ
く考えて、慎重に!


●親が、前向きに生きる

親自身に、生きる目的、方向性、夢、希望があれば、よし。そういう姿を見て、子どもも
また、前向きに伸びていく。親が、生きる目的もない。毎日、ただ何となく生きていると
いう状態では、子どももまた、その目標を見失う。それだけではない。進むべき目的をも
たない子どもは、悪の誘惑に対して抵抗力を失う。子育てをするということは、生きる見
本を、親が見せることをいう。生きザマの見本を、親が見せることをいう。


●機嫌をとらない

子どもに嫌われるのを恐れる親は、多い。依存性の強い、つまりは精神的に未熟な親とみ
る。そして(子どもにいい思いをさせること)イコール、(子どもをかわいがること)と誤
解する。子どもがほしがりそうなものを買い与え、それで親子のキズナは太くなったはず
と考えたりする。が、実際には、逆効果。親は親として……というより、一人の人間とし
て、き然と生きる。子どもは、そういう親の姿を見て、親を尊敬する。親子のキズナも、
それで太くなる。


●親のうしろ姿を見せつけない

生活で苦労している姿……それを日本では、「親のうしろ姿」という。そのうしろ姿を、親
は見せたくなくても、見せてしまうものだが、しかしそのうしろ姿を、子どもに押し売り
してはいけない。つまり恩着せがましい子育てはしない。「産んでやった」「育ててやった」
「お前を大きくするために、私は犠牲になった」と。うしろ姿の押し売りは、やがて親子
関係を、破壊する。


●親孝行を美徳にしない

日本では、親孝行を当然の美徳とするが、本当にそうか? 「お前の人生は、お前のもの。
私たちのことは心配しなくていいから、思う存分、この世界をはばたいてみろ」と、一度
は、子どもの背中をたたいてあげてこそ、親は、親としての責任を果たしたことになる。
もちろんそのあと、子どもが自分で考えて、親孝行するというのであれば、それはそれ。
しかし親孝行は美徳でも何でもない。子どもにそれを強要したり、求めたりしてはいけな
い。


●「偉い」を廃語に!

「偉い」という言葉を、廃語にしよう。日本では、地位の高い人や、何かの賞をとった人
を、「偉い人」という。しかし英語国では、日本人が、「偉い人」と言いそうなとき、「リス
ペクティド・マン」という。「尊敬される人」という意味である。リスペクティド・マンと
いうときは、地位や、名誉には関係ない。その人自身の中身を見て、そう判断する。あな
たの子どもには、「偉い人になれ」と言うのではなく、「尊敬される人になれ」と言おう。


●家族を大切に

『オズの魔法使い』という、小説がある。あの中で、ドロシーという女の子は、幸福を求
めて、虹の向こうにあるというエメラルドタウンを冒険する。しかし何のことはない。や
がてドロシーは、真の幸福は、すぐそばの家庭の中にあることを知る。今、「家族が一番大
切」と考える人が、80〜90%になっている。99年の文部省の調査では、40%前後
でしかなかったから、これはまさにサイレント革命というにふさわしい。あなたも自信を
もって、子どもには、こう言おう。「この世界で、一番大切なものは、家族です」と。


●迷信は、否定しよう

子どもたちの世界では、今、占い、まじない、予言、超能力などが、大流行。努力して、
自ら立ちあがるという姿勢が、ますます薄らいできている。中には、その日の運勢に合わ
せて行動し、あとで、「運勢が当たった」と言う子どもさえいる。(自分で、そうしただけ
なのだが……。)子どもが迷信らしいことを口にしたら、すかさず、「そんなのはウソ」と
言ってやろう。迷信は、まさに合理の敵。迷信を信ずるようになればなるほど、子どもは、
ものごとを合理的に考える力を失う。


●死は厳粛に

ペットでも何でも、死んだら、その死は厳粛にあつかう。そういう姿を見て、子どもは、「死」
を学び、ついで、「生」を学ぶ。まずいのは、紙か何かに包んで、ゴミ箱に捨てるような行
為。決して遊んだり、茶化したりしてはいけない。子どもはやがて、生きることそのもの
を、粗末にするようになるかもしれない。なぜ、ほとんどの宗教で、葬儀を重要な儀式と
位置づけているかと言えば、それは死を弔(とむら)うことで、生きることを大切にする
ためである。生き物の死は、厳粛に。どこまでも厳粛に。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【韓国・K国問題】

●もっとも立派だと思う国……日本

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韓国の反日ムードを嫌い、
このところ日本企業は、韓国から去り、
その目を、台湾に向け始めている。

++++++++++++++++

 今年1〜4月期の日本からの台湾投資は、2億1100万ドル(約238億円)となり、
前年同期比で、112%も増加した。

 とくに、薄膜トランジスタ液晶表示装置、半導体、自動車、電子および部品、機械、ゲ
ームプログラムという、5つの中心産業での投資が著しい。そしてこれらの産業は、すべ
て韓国の国内産業と競合するものばかり。

 具体的には、NECは、台湾に台湾光電という会社を設立。台湾企業に、日本の主要I
T企業の生産(OEM)基地としての役割をもたせようとしている。

また、ソニーとNECは、2004年から、毎年50億〜60億ドル程度のIT製品を
台湾から購入しており、台湾に,インターネット情報家電、および、半導体研究開発セン
ターを設立している。

 わかりやすく言えば、日本は、現在、打倒韓国の旗印のもと、静かに、かつ密かに、台
湾の基幹産業にテコ入れを始めたことになる。ターゲットは、もちろん、液晶パネル。す
でにその波及効果は、現れ始めている。

 韓国のL社といえば、液晶パネル生産では、一時は一世を風靡(ふうび)した会社とし
てよく知られている。昨年のはじめまでは、どこのショッピングセンターに行っても、L
社の液晶テレビが、店頭を飾っていた。が、時代は変わった。今年は、L社だけでも、数
百億円の赤字が見こまれている。

 こうした日本の動きに、嫉妬し、危機感をいだいているのが、韓国。韓国のI貿易研究所
主席研究員は、『日本と台湾が投資と提携をふやせば、台湾と主力輸出産業が重複する韓国
の輸出が、打撃を受ける可能性がある』と話している。

 こういうのを、韓国では、「ブーメラン効果」と呼んでいる。日本をたたけばたたくほど、
その効果は、ブーメランのようになって、韓国に打撃を与えるというもの。

 私たち日本人の知ったことではないが……。

 なお台湾のビジネス誌「遠見」によれば、全4質問中、「移民したい国」「立派だと思う
国」「旅行したい国」の3質問で、日本がトップになったという(06年6月29日)。

 調査は、台湾全土で、20歳以上、約1000人の人について、行われた。以下、その
結果。

「移民したい国」   日本……32.3ポイント
米国……29.1ポイント
カナダ…26.5ポイント

「最も立派と思う国」 日本……47.5ポイント
米国……40.3ポイント
中国……15.8ポイント

 日本は、こういう国を、もっと大切にしようではないか! 

 我愛台湾!


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●K国・制裁決議案

+++++++++++++++

国連安保理での、
K国制裁決議案なるものが、
最終段階を迎えている。

「制裁する」とがんばる、日本とアメリカ。
「制裁はしない」とがんばる、中国とロシア。

今、その土壇場の駆け引きが、
国連という舞台で、行われている。

+++++++++++++++

ヤフー・ニュースは、つぎのように伝える。

……O日本国連大使は14日夕、(日本時間15日朝)、安全保障理事会で大詰めの議論
がつづいている北朝鮮のミサイル発射問題に対する決議案について、「今日の採決は難し
い」と述べ、採決は15日に延びる見通しを示した、と。

 要するに、「制裁条項」を、入れるか入れないかの、ちがいということになる。

 しかし改めて、私は、主張する。
 
 あんなK国を、制裁して、どうなる? どうする? もうこれ以上、失うものは何もな
いというほどの、貧乏国。おまけに原油は、さらに高値を更新している。そして今の今、
K国は、猛烈な豪雨に見舞われている(7月15日、午前9時現在)。

 大切なことは、中国とK国の間に、クサビを打ち込むこと。その中国が、「K国非難の決
議案」を提出したのだから、ここはひとまず、中国に妥協するのがよい。中国案にそった、
非難決議案を採択するのがよい。また今度、K国がミサイルでも飛ばせば、そのときは、
そのとき。中国は、もう、何も言えなくなるはず。

 「制裁」ということになれば、方法はいくらでもある。現に今、K国のM号の入港は、
禁止されている。ほかにも、K国の船の寄港を認めない港が、続出している。制裁すると
すれば、こうした方法で、ジワジワとK国を、しめあげるのがよい。

 理由は、明白。

 K国というより、K国を支配している、あの独裁者は、すでに狂っている! そういう
人間を相手にして、まともに正面からぶつかってはいけない!

 それがわからなければ、あなた自身の問題として、それを考えることだ。

 もしあなたの近所に、そういう人がいたら、あなたはどうする? 認知症でもなんでも
よい。頭の狂った人だ。

 相手が正気なら、まだ、話しあいということもできる。しかし頭の狂った人では、それ
はできない。しかも相手は、ただの相手ではない。ミサイルだとか、核兵器だとか、生物、
細菌兵器だとかいう、凶器を手にしている。

 自民党の中でも、タカ派を自認するA官房長官や、A外務大臣たちは、「制裁」「制裁」
と叫んでいる。しかしそれこそ、K国の思うツボ。中国の思うツボ。どうしてこんな簡単
なことが、わからないのか!

 重要なことは、あんなK国のために、たった1人でも、自衛隊員を犠牲にしないこと。
またその価値もない! 日本がとるべき道は、ただひとつ。K国を、自然死の状態で、自
滅させること。そういう方向にもっていくこと。そしてそれが結局は、K国の民衆にとっ
ても、最良の方法ということになる。

 ここは、中国とロシアと足並みをそろえて、「非難決議」程度で、収める。フランスが主
張しているように、これが第一段階。

 つぎにまたK国が何かをしでかしたら、そのときは、中国とロシアに責任を取ってもら
えばよい。これが第二段階。

拉致被害者の人たちの気持ちもわからないではない。しかし今まで、何十年も待ってき
たのだから、ここ1、2か月待ったところで、大きく事情が変わるとは、私は思わない。

 ところで、今週の週刊各誌は、K国が明日にでも日本を攻撃してくるかのような記事を
並べている。

●週刊新潮(7月20日号)……軍事シミュレーション「日朝もし戦わば」
               強力な「K国空軍」に苦戦する「航空自衛隊」(P136)

●週刊文春(7月20日号)……自衛隊に打つ手なし。「ノドン首都圏直撃で、死傷者81
万人」(P32)

●週刊朝日(7月21日号)……もしノドンが日本を襲えば迎撃不能のお寒い防衛力。(P
29)ほか。 

 週刊文春は、つぎのような記事を載せている。

 「……M・Y氏と、D・I氏の共著『ウォー・シミュレーション』によれば、東京に1
2キロトン級の核爆弾が投下されたばあい、死者42万人、被爆者39万人、計81万人
の死傷者が出る。

 このシミュレーションは、アメリカ国防省が使用しているソフトを用いた結果であり、
都心に通勤、通学してくる流入人口を加算すると、死傷者は、約100万人にのぼるとい
う。

 K国の技術レベルからすると、ノドンには、核弾頭よりも、生物兵器を積んでいる可能
性が高い。仮に炭疽菌を搭載していたとすると、被害はさらに甚大になり、死者だけで、
186万人になると予測される」(P34)と。

 186万人だぞ! わかるか! 日本は、K国と、心中するつもりなのか!

 もしそれほどまでに、A官房長官やA外務大臣に、正義感があるというのなら、まず自
国の政治の場で、それを示すべきではないのか? つぎの総裁選をにらんで、そのウラで
は、うす汚い権力闘争ばかりしている(?)。

もしK国がミサイルでも撃ちこんでくるような事態にでもなったら、イの一番に、首相
官邸の地下奥深くにある、核シェルターに逃げこむのは、これらの人たちではないのか。
私には、その程度の人たちにしか、見えない。

 そんな政治家が、正義論をぶつから、話がおかしい。

 ここ1両日中に、日本とアメリカは、「制裁決議案」なるものを、国連安保理の場で、採
択に付すという。戦後の日本にとっても、今まさに、その正念場を迎えようとしている。

【付記】

 この決議案について、日本とアメリカは、すでに何か月も前から用意し、準備していた
という。これについて、韓国のマスコミ各紙は、「韓国は、カヤの外に置かれた」「仲間は
ずれにされた」と、書きたてている。

 しかし、今の韓国のN政権を見れば、そんなことは、当然のことではないか!


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●ゆがんだ心

+++++++++++++++++

在日朝鮮人の子どもたちに対する、
いやがらせ事件が、相ついでいる。

しかし、みなさん、こんな愚劣なことは、
今すぐ、やめよう!

そんなことをしても、何も問題は解決しない。
かえって、彼らの心を閉ざしてしまうだけ。

+++++++++++++++++

 心だって、ゆがむ。いじけやすくなったり、ひがみやすくなったりする。すねやすくな
ったり、突っ張りやすくなったりする。もう本当の自分はそこにいるはずなのに、別の自
分に引きずられてしまう。

 昨年(05年)の中ごろ、新潟港とK国を結ぶ、あのM号(定期貨客船)の内部が、テ
レビで紹介されたことがある。それについては、以前にも原稿を書いた。内容が少しダブ
るが、許してほしい。

 その船の中には、在日朝鮮人の大学生の一行が乗っていた。その大学生たちのこと。み
なが、食事のあと、歌を歌い始めた。食事のあと、そうして余興に、歌や踊りを披露する
のが、慣例になっているという。が、その歌がすごい。「♪敵が……崩壊する。敵が……崩
壊する」と。

 もちろん彼らが歌うところの「敵」というのは、この日本をいう。その日本が、「♪崩壊
する」「♪崩壊する」と。

 在日朝鮮人といっても、今では二世、三世の時代である。大学生ともなると、四世の時
代になっているかもしれない。そういう在日朝鮮人の学生たちが、日本が崩壊するという
歌を、笑いながら、そして楽しそうに歌う。

 私はその番組を見ながら、なんともやりきれない気持ちになった。正直に告白するが、
怒りも感じた。が、同時に、どうして彼らがそういう気持ちになるのか、不思議に思った。
いじけているといえば、これほどいじけた心とうのも、そうはない。

 が、実は、この私にも、そういう経験がある。

 学生時代、観光ガイドのアルバイトをしていたときのこと。金沢の駅前に、Mホテルと
いう国際観光ホテルがあった。そのホテル専属の通訳をしていた。

 が、客のほとんどは、アメリカ人。観光ガイドといっても、英語で書かれたガイドブッ
クを丸暗記し、それを口にするだけのガイドであった。質問されても、当時の私は、「YE
S」「NO」くらいしか言えなかった。

 それはそれとして、当時のアメリカ人と日本人との間には、雲泥の差があった。日本円
で1万円とか、2万円もするみやげを、彼らは平気で買っていた。大卒の初任給が、4〜
5万円の時代である。

 そういった生活を見せつけられたとき、私は羨望(せんぼう)と矛盾の、両方がいりま
ざった気持ちになった。「お前たちが、この日本を焼き尽くしたではないか」という思いと、
「どうしてそういう豪勢な生活ができるのだろう」という思い。この2つが交互に、私の
心の中に浮かんでは消えた。

 大半のアメリカ人は、紳士だったが、中には、ひどいアメリカ人もいた。とくに、彼ら
が私に何かを命令するときは、すごかった。まるで奴隷扱いだった。地面に地図をポンと
置き、「Where are we?(今、どこにいる?)」と。私は、地面にはいつくば
って、地図を開き、アメリカ人の足元で、自分たちがどこにいるかを、示した。

 ただ当時のアルバイト料としては、破格に待遇がよかった。デパートで一日働いて、8
00〜1000円。Mホテルは、1日、3000円近くを私に払ってくれた。

 それに英語の勉強には、なった。

 恐らく、これは私の推察だが、日本に住んでいる在日朝鮮人の学生たちは、一方で日本
の繁栄ぶりを見ながら、いつも心のどこかでそれを、「矛盾」ととらえているのではないか。
「日本はすばらしい国だ」と思う前に、自分たちの国の貧しさを知るたびに、それを「矛
盾」ととらえてしまう。それが彼らの心をゆがめる。

 だからああまで楽しそうに、「♪崩壊する」「♪崩壊する」と。

 そこで大切なことは、では私たち日本人は、この問題をどう考えたらよいかということ。
ある意味で、氷のように閉ざされたままになっている彼らの心を、どうすれば、溶かし、
開くことができるかということ。

 ここ数週間、在日朝鮮人の人たちに対するいやがらせ事件が、相ついでいる。在日朝鮮
人の子どもたちに向かって、「日本から出て行け」とか、そういった言葉を浴びせかける日
本人も多いという。

 しかしこうしたやり方は、まちがっている。まちがっているだけではなく、彼らの心を、
よりかたくなにしてしまう。それにそういう行為をするということ自体、私たち日本人が、
それだけレベルが低いことを示す。もちろんそんなのは、愛国心でもなんでもない。

 日本人が、本当に日本人としての優位性を示したかったら、私たち自身の品性や品格を
みがくことでしかない。具体的には、国としての利他性や、他国との共鳴性をみがき、良
好な国際関係をめざす。そういうもので包むことで、彼らの心を溶かし、開く。

 心だって、ゆがむ。いじけやすくなったり、ひがみやすくなったりする。すねやすくな
ったり、突っ張りやすくなったりする。時として、そうなる。ならない人はいない。だか
ら今に見るK国を、そのままK国と思うのも、まちがっている。

 よく話しあってみれば、私たち日本人と、どこもちがわないはず。それがわからなけれ
ば、反対の立場で考えてみればよい。

 彼らは子どものときから、徹底した反日教育を受けている。日本人は極悪人と教えこま
れている。だから小さい子どもなどは、日本人を見ただけで、泣き出してしまうという(K
国を訪れた、某カメラマンの話)。

 しかし日本人は、決して悪人ではない。そういうふうに、彼らの政府によって、洗脳さ
れているだけ。ただ、今は、たがいの意識が、あまりにもズレている。そのズレが、さま
ざまな摩擦を生み出している。

 聞くところによると、在日朝鮮人の人の中には、一連の拉致事件について、心を痛めて
いる人もいるという。今は、一部の人たちかもしれないが、こうしたいやがらせ事件は、
そういう善意ある人たちまで、本当に「敵」に回してしまうことになりかねない。

 日本人として、決して、してはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】(K国問題を中心に……)

+++++++++++++++++

いつものように、今日(7月16日)が、
始まった。

まずパソコンに電源を入れて、ニュースに
目を通す……。

「国連安保理での、決議案が、全会一致で
採択」という文字が、目に飛びこむ。

よかった! ほっとした!

+++++++++++++++++

●国連安保理での、K国非難決議

 日本時間で、今朝、国連安保理で、K国非難の決議案が、全会一致で、採択されたとい
う。もちろん中国、ロシアも、それに賛成した。

 よかった! プラス、ほっとした! TBSのNEWS−iと、ヤフー・ニュースは、
つぎのように伝えている。

「国連安保理、北朝鮮決議を採択 

 北朝鮮のミサイル問題で、国連の安全保障理事会は、日本時間のきょう午前5時前、K
国非難決議を採択しました。国連憲章7章関連部分は、明記されませんでした。(16日
05:00)」(NEWS−i)と。

 K国に対する制裁条項は、削除されたという。が、決議は、今回のミサイル発射につい
て、「地域の平和、安定、安全を危うくする」として非難。「安保理の特別の責任」のもと
で、K国にミサイルの開発・試験の禁止、発射の凍結などを要求するとともに、6か国協
議への即時無条件復帰を強く促しているという。

 さらに同決議案は、国連加盟国にはミサイルや関連物資・技術の移転、調達などを阻止
するよう求めている(ヤフー・ニュース)。

 つまり国連による制裁はないが、世界が一体となって、K国にミサイルの開発・試験の
禁止、発射の凍結などを要求するという内容のもの。これに中国とロシアが、賛成したと
いう意味は大きい。

いまや、K国は、世界から、完全に、見放されてしまった。と、同時に、日本に対して
開戦を宣告する根拠を失ってしまった。日本にとっては、まさに最良の結果ということ
になる。

●集中豪雨

 現在、K国は、猛烈な集中豪雨に襲われている。この48時間、ずっとそれがつづいて
いる。気象衛星「ひまわり」は、今の今も、巨大な雨雲が、K国上空をおおっているのを
示している(午前6時30分)。

 梅雨前線は、K国の上空に停滞したまま。そこへ台風4号に刺激された、湿った雨雲が
流れこんだ。その雨雲がいかにもすごいものであるかは、日本を見ればわかる。

 その雨雲の一端が、昨日、北陸地方にまで届いた。そしてこの日本でも、河川の氾濫、
洪水など被害が続出した(能登半島など)。

 他国の不幸を喜ぶのは、よくないことかしれない。が、制裁ということになれば、これ
以上の制裁は、ない。K国は、先の南北閣僚級会談で、50万トンの米を韓国に要求した
が、失敗。その上での、この集中豪雨である。

 灌漑施設が、ほとんど整えられていないK国。降れば洪水、降らなければ干ばつ。そう
いった状態が、この10〜15年以上もつづいている。

被害状況は、結果として、やがて世界にも伝えられることになるだろう。先の南北閣僚
級会談の席ですら、台風3号による被害が、話題になったほどである。K国の被害は、
相当なものになると考えて、まちがいない。
 
 さあ、どうする、K国! 金xx!

 
●めぐみさんの写真

 写真週刊誌各誌は、めぐみさんと、夫のA氏が写っている写真に、疑問を投げかけてい
る。

 とくに2人が、P市入り口にある凱旋門の前に立っている写真が、おかしいという。例
によって例のごとく、合成写真である可能性がきわめて高い。

 周囲の樹木には、影がある。しかしめぐみさんと、夫の足元には、その影がない。真っ
白! ほかにも2、3点、不審な点がある。専門家は、「光源の強さが、背景と、人物とで
はちがうようだ」「(F誌)と話している。

 よくもまあ、こうインチキを、つぎからつぎへと、してくれるものだ。しかもそれが国
ぐるみ、で!

 常識で考えても、めぐみさんと夫が、凱旋門の外まで、出られるわけがない。写真を見
るかぎり、私たちがドライブでもして遠出するかのような雰囲気で、2人は写っている。

 こういう見え透いたことをするから、日本は、怒る。バカにしたようなことをするから、
日本は、怒る。


●韓国のおバカ大統領

ついでに、もう1人のおバカの話。

この場におよんでも、韓国のおバカ大統領は、自己正当化のための詭弁(きべん)を弄
(ろう)している。

 「韓国は、歴史上、かつて一度も、他国を侵略したことがない」
 「韓国はK国を侵略する意図がないというシグナルを、K国には、送りつづける必要が
ある」とか、など。つまり援助は、このままつづける、と。

 日本が提出した、国連安保理への、「制裁決議案」に対しては、イの一番に、反対を表明
している。

 そんな最中(さなか)、今度は、大統領の再任制を口にし始めた。韓国の現行法では、大
統領の任期は、4年と定められている。それを再任によって、さらに4年、延長できるよ
うにしようというもの。

 韓国が国内で何をしようが、日本には関係のないこと。だが、その理由が、「?」。

 わかりやすく言えば、(韓国の)大統領は一度、選ばれると、選挙による洗礼を受けない。
だから大統領が、国民の意思から遊離してしまう危険性がある。

 だから(アメリカのように)、4年に一度、選挙を実施し、国民の意思を確認する必要が
ある。大統領の再任制度は、そのためのもの、と。

 ならば聞くが、再任されたあとの4年間は、どうなるのか? どうやって大統領が、国
民の意思から遊離していることを知るのか? 前半の4年間は、おとなしく政治をし、後
半の4年間では、好き勝手なことができる。そういうことも考えられなくはない。論理的
に考えても、これほど「?」な改正法案を、私は知らない。

 なお、この改正法案は、与党のU党から出されたものだという。要するに、大統領の任
期を、現行の4年から、8年に延ばしたということらしい。

 なぜ韓国のN大統領が、こうまでK国の金xxをかばうかといえば、自身も、独裁志向
が強いからではないのか。この2年半のN大統領の政治手法を見ていると、その感が、し
ないでもなかった。が、この再任制度の話が出てからは、その「感」が、「確信」に変わっ
た。

 それほどまでに権力の座というのは、魅力的なものなのか?


●韓国は無視

 以上、今朝の雑感だが、冒頭にあげた、K国に対する非難決議が、最初から最後まで、
韓国抜きでなされたというところにも、別の意義がある。(韓国のN大統領は、おもしろく
ないだろうが……。)

 K国が崩壊しかけると、韓国は、そのつど、せっこらせっこらとK国を援助してきた。
現金まで、渡してきた。

 そのお金で、K国は、「ミサイルを作り、核兵器の開発をつづけてきた」(C日報)。

 そして最近に至っては、この日本を、あろうことか、「準敵性国家」と位置づけ始めてい
る。

 韓国は、「仲間はすれにされた」と騒いでいるが、そんなことは、当然のことではないの
か。少し前まで、日米韓……という言葉が、いつも新聞を飾ったが、もはや、日米の横に
は、韓国は、ない。最近の新聞を見ても、「中韓……」という言葉ばかりが目立つ。

 与党の支持率が10%前後。N大統領の支持率も、10%台(先の国政選挙)。今は、そ
の支持率は、もっとさがっているにちがいない。


●日本の大統領制

 こうしてみると、大統領制というのも、考えものである。少し前まで、(今でも、そうい
う意見は根強いが……)、「日本も大統領制を」という意見が、よく聞かれた。

 大統領に強大な権限を与え、臨機応変に、もっと力強い政治をさせたらよいという考え
方に基づく。

 しかし今の韓国を見るまでもない。一時のハプニングで、あの大統領は、今の大統領の
座についてしまった。その結果が、今である。

 支持率が10%台に落ちてもなおかつ、大統領なる政治家は、強大な権限を駆使して、
好き勝手なことができる。

 私自身は、かつて一度も、大統領制に、賛意を表したことはない。そういう原稿を書い
たこともない。しかし内心では、「それもいいかなあ」と思ったことは、何度もある。しか
し、今は、ちがう。

 「大統領制も考えものだなあ……」というのが、今の私の実感である。


●南北統一は、もう無理?

 K国という国は、すでに限界状況を超えて、疲弊しきっている。貧しいというだけでは、
ない。民衆の心まで、こなごなに破壊されている※。

 仮に今、南北朝鮮が統一したとしても、韓国に、それを背負うだけの力は、ない。たと
えばK国の人たちの平均身長は、韓国の人たちよりも、10〜15センチも低いという。
こうした後遺症は、仮に南北が統一されたとしても、この先、30年(1世代)とか、2
世代(60年)もつづく。

 破壊された心となると、さらに長くつづく。

 私の印象では、K国が崩壊したあとは、K国の処理は、中国に任せた方がよいのではな
いかと思う。すでに中国自身は、そういう方向で、動いている。

 つまり現在の38度線は、南北朝鮮の国境から、韓国と中国の国境に変わることになる。
その可能性がないとは言えない。で、今、近視眼的に、N大統領は、「独島」「独島」と騒
いでいるが、韓半島の半分以上が、今度は、中国の領土になる。

 そうなったとき、N大統領は、今度は、何と言うのだろうか? 私たち日本人の知った
ことではないが……。

 ただし一言。

 もしK国が中国の支配下に入ったら、中国は、日本やアメリカ向けのミサイル基地を、
そのK国内に建設するかしれない。

 そうなれば、日本にとっては、たいへんなことになる。日本海をはさんで、中国と対峙
することになる。

 そこで日本やアメリカは、「朝鮮半島の非核化」という言葉からもわかるように、ことあ
るごとに、「朝鮮半島」という言葉を使う。

 その理由は、ここにある。つまり今から「朝鮮半島の非核化」を叫ぶことによって、中
国の軍事的な進出を、先手を打って、抑えようというもの。同時に、これは中国にもメリ
ットがある。

 韓国が核武装化したら、それはそのまま中国にとっても、脅威となる。だからアメリカ
も、中国も、そして日本も、こう言う場面では、「朝鮮半島」という言葉を使う。

 みなさん、おわかりか?

【注※】貧困による、人心の破壊については、また別のところで書くことにする。つまり
貧困が長くつづくと、人心は破壊され、道徳観や倫理観は、崩壊する。そして一度、崩壊
した道徳観や倫理観は、容易には、もとにもどらない。

 とくに幼児期から少年少女期にかけて、それを経験すると、容易なことではない。南北
が統一すれば、それで問題が片づくと考えるのは、あまりにも短絡的なものの見方でしか
ない。

【追記】(16日、午前10時)

 この国連での安保理決議に対して、さっそくK国が反応した。「全面的に拒否する」「ミ
サイルの発射は、これからもつづける」と。

 どうぞ、ご勝手に!

 中国とロシアまで敵に回してしまった今、これから先、K国は、どうやってミサイル開
発ができるというのか?

 もし打ちあげれば、今度こそ、中国とロシアに、その責任を取ってもらえばよい。日本
は、高みの見物といこうではないか。

 さらに核実験ということにでもなれば、それこそ、K国は、世界中から袋だたきにあう。
その下地は、今回の国連決議でできあがった!

 日本との開戦をしたかったがために求めた、米朝2か国協議。この協議を通して、K国
は、アメリカとの間で、「平和条約」、すなわち、「相互不可侵条約」を結びたかった。それ
さえ結んでおけば、仮に日朝戦争になっても、アメリカは、その戦争に介入することがで
きない。

 しかし米朝協議は、実現しなかった。日本が、させなかった。小泉政権に対して、辛ら
つな批判を繰りかえしている人もいるようだが、これは小泉外交の大勝利とたたえてよい。
そればかりではない。中国もロシアも、決議案を採択してしまった以上、日本に向かって
開戦するという大義名分すら、K国は、失ってしまった。

 が、だからといって、危機が去ったというわけではない。相手は、何といっても、頭の
おかしな独裁者。警戒の手だけは、ゆるめてはならない。

 なおアメリカのB国連大使は、K国を、こう言って揶揄(やゆ=からかうこと)した。

 「(決議から45分後にK国が拒否声明を出したことについて)、これは世界新記録並だ」
と。

そして同国連大使は、K国が安保理の要求に応じないばあい、安保理が追加措置をとる
ことになるだろうと警告した。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【夏バテ対策】

+++++++++++++++++

数年前の夏、私は体調を崩した。
かなり崩した。

毎日、重い自分の体をもてあまして、
四苦八苦。

そこで一念発起。その翌年からは、
春先から夏に向けて、体力づくりに
専念した。

今年も、神経をつかった。

そしてそれが昨日、試された。

+++++++++++++++++

●クーラーのある寝室

 数年前、寝室に、クーラーを入れた。(本当は、クーラーのある部屋に、寝室を移動した。
私とワイフは、ヤドカリみたいに、よくあちこちの部屋へ、寝室を移動する。)

 最初は、その快適さに驚いた。さわやかな風。ここちよい涼しさ。しかしそれが一巡す
ると、体のほうが、変調を訴え始めた。

 朝起きても、だるい。熟睡感がない。暑気を感じただけで、体が重くなる。息が苦しい。
根気がつづかない。

 それに夏風邪が加わった。それが1週間近くもつづいた。とたん、ダウン。

クーラーのかかった部屋に入れば、それなりに元気が出るのだが、長つづきはしない。
さらにその部屋から出たとたん、体はガタガタ。「こんなことで、どうやってこれから先
の老後を過ごすのだ!」と、自分でそう思った。

 やっとの思いで、その年の夏を終えた。といっても、その年は、記録的な猛暑つづきで、
10月末近くまで、この浜松でも、30度を超える気温がつづいた。

●一念発起

 そこでその翌年から、一念発起。春先から、夏にかけての体力づくりに心がけることに
した。それまでの私は、春から夏にかけて、毎年、肥満気味になる傾向があった。その時
期になると、体重が、2〜4キロもふえた。

(1)体重を、適正体重にキープする。

 肥満と夏バテの関係については、よく知らない。しかし私のばあい、肥満気味になると、
とたんに暑さに弱くなる。そのため夏になってからダイエットをすることが多かった。が、
そのとたん、あちこちが、皮膚病にやられた。ダイエットをすると、体の抵抗力が落ちて
しまうためではないか。

 現在も、やや肥満気味だが、数年前のあのときとくらべると、4〜5キロは、体を軽く
している。

(2)夏がくる前に、運動。

 梅雨の季節になると、どうしても運動量が少なくなる。そこでこの時期は、少しでも晴
れ間があると、自転車にまたがって、外に出る。汗をかく。

 そう、この汗をかくという運動が、とくに重要なように思う。水分をたっぷりと供給し
てから運動に出かけるのがコツ。そのあと、さわやかな汗が、どっと出る。

 こうして春から夏にかけては、運動量を、それまでの週5単位から、9単位にふやす。
1単位というのは、自転車で、40分走ることをいう。多いときは、1日、2単位から3
単位、こなす。

(3)寝室には、クーラーをつけない。

 どんなに暑くても、扇風機だけ。汗腺の機能さえしっかりしていれば、扇風機だけで、
じゅうぶん、夏を過ごせる。これは私の素人判断だが、……というより経験に基づく判断
だが、こういうことだ。

 クーラーにあたると、汗腺の機能が低下する。だからますます暑気に弱くなる。が、汗
腺の機能さえしっかりしていれば、汗をかくことで、体温をさげることができる。扇風機
だけで、夏を過ごすことができる。

 こうしてこの数年、私は、(もちろんワイフとともに)、春先から、夏にかけての対策に
こころがけるようにしている。

 その結果が、試される日がやってきた。昨日のことである。

●気温が、38・5度

 昨日、この浜松市は、気温38・5度を記録した。全国1の、高温である。

 朝から、どかっとした暑さ。その異常さが、居間にいても、わかった。「暑い」とは思っ
たが、そのときすでに30度を超えているとは、知らなかった。

 私はむしろ、パソコンの暴走を心配した。今度買ったパソコンは、性能はすばらしいが、
その分だけ、暑さに弱い。

 が、そのあとも、気温は、どんどんと、あがった。昼のNHKのニュースで、たしか3
5度くらいと言っていたのではなかったか。しかしまさか、全国1になるとは、思ってい
なかった。

 私がワイフに、「これから自転車で、仕事に行く」と宣言すると、さすがのワイフも、「今
日は、やめたら?」と。

 しかしこういう日にこそ、私の体が試される。私は、2リットル入りのペットボトルを
カゴに入れると、自転車にまたがった。そのころ気温は、38・5度を記録していたと思
う。アスファルトの上では、さらに高い。

 が、快適に走ることができた! うれしかった! 水色の空が、美しく見える。私は、
ペダルをこぐ足に力を入れた。トロトロと走っていたのでは、運動にならない。

 こうして40分。1単位。教室へ着くころには、全身、汗ダクダク。部屋に入ると、体
中から、汗が、噴水のように出た。

 扇風機をつけると、さわやかな風。冷気すら覚えた。気持ちよかった。

 と、同時に、今年も夏をやりすごす自信ができた。「これなら、だいじょうぶ」と。

 そうそう、今日は、土曜日。ニンニク・デー。たっぷりとニンニクを食べることができ
る。メニューはもう、考えてある。当然、ニンニク・ライス!

 ふつうの焼き飯(チャーハン)の中に、ニンニクをたっぷりと入れて食べる。そのため、
人には会えないが、これも夏バテ防止には、効果があるように思う。

 みなさんへ、

 がんばって、この夏を、乗り越えましょう! 暑中、お見舞い、申しあげます。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●やっぱり、そうだったのか!

+++++++++++++++++

秋田県のF町で起きた、幼児殺害事件。
その事件では、当初から、Hという女性は、
自分の娘も殺しているのでは……と、
私は思っていた。

不自然な証言。不可解な行動。

そのHが、「(娘を)橋から突き落として
殺した」と、自供を始めたという。

+++++++++++++++++

 秋田県F町で、小学1年生を殺害した疑いで逮捕されたH容疑者が、4月に水死した長
女のAさんを「橋から突き落とした」と供述していることがわかった。捜査本部は近く、
H容疑者を、殺人容疑で再逮捕する方針だという。

 法律の世界では、「容疑者」のことを、「被疑者」という。「疑惑がある人」という意味で
はなく、「疑われている人」という意味で、そういう。(あまりちがわないが……。ただ私
には、「被疑者」という言葉の方が、言いやすい。ここでは警察用語で、「容疑者」として
おく。)

 こうした事件では、いつも一貫性が、問題となる。H容疑者には、当初から、その一貫
性がなかった。

 家の中では、育児放棄などの虐待をしていたという証言もある。その母親が、娘が死ぬ
と、一転、悲劇の主人公に転身。遊戯会では、娘の写真までもって、学校に現れたという。

 さらにあろうことか、娘の葬儀の席では、参列した子どもたちを集めて、記念撮影まで
していたという!

 どこかおかしい……? だれしも、そう思った。私も、そう思った。

 で、やっぱりというか、そのH容疑者が、「(長女のAさんを)、橋から突き落として、殺
した」と。

 ……ここまで書いて、私は、ウーンと、うなり声をあげてしまった。世の中には、親を
殺す子どももいるが、それ以上に、子どもを殺す親もいる。こういう事件のばあい、「親だ
から……」という、(だから論)ほど、あてにならないものはない。たまたま昨日も、愛知
県のT市で、一人の母親が、陸橋から娘を落として殺したしまったという事件が発生して
いる※。

 そこでそのあと、H容疑者は、近所のG君まで、殺害している。週刊誌などの記事によ
ると、G君が、何やら、H容疑者の自宅で、H容疑者が見られたくないものを見てしまっ
たらしい。それで口封じのために、H容疑者は、G君まで殺してしまったらしい。

 で、今回のこの事件で興味深いのは、H容疑者が、逮捕される前、こう言っていたこと
だ。

 「娘のAを殺したのも、G君を殺したのも、同一人物だと思います」と。

 はからずもH容疑者は、事実を口走ったということになる。こういう例は多いし、心理
学の世界でも、よく話題になる。日本語にも、「思わず本音」という言葉がある。心の奥底
に何かを隠していると、それが、ポロリと口から出てきてしまう。

 あるいは自分で、「この話題だけは口にしてはいけない」と思っていても、ついその話題
を口にしてしまうことがある。たとえばあなたが今、背の低い男性を目の前にして、何か
の話をしていたとする。そういうとき、あなたは、身長の話をするのは、タブーとわかっ
ている。

 しかし何かの拍子に、つい、身長についての話題を出してしまう。「私なんか、いつもM
サイズですよ」とか、何とか。

 H容疑者は、そういう点では、心理学のマニュアルどおりのボロを出したことになる。

 ……しかし、これで一貫性が、できたことになる。H容疑者は、実の娘を殺したあと、
近所に住むG君まで殺した。それまでにした不自然な、あの一連の行為の謎は、これで解
けた。

【注※】愛知県T市の陸橋から女児が転落して死亡した事件で、県警豊田署は16日、同
県K市、無職HN容疑者(39)を殺人容疑で逮捕した(ヤフー・ニュースより)。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある日のBW】

++++++++++++++

笑って、騒いで、
クラスはメチャメチャ。

でも、帰るとき、みな、
「残りは、ぜんぶ、家で、
やってくる!」と言って、
部屋から出て行った。

これでいいのだ!

++++++++++++++

 ありのまま。7月12日。小5クラス。

 子どもというのは、一度、笑いぐせがつくと、止まらない。風が吹いても笑う。紙が動
いても笑う。だれかが咳をしても笑う。

 どうしてそんなに笑えるのかと思うほど、よく笑う。そして一度、こうなると、もう収
拾がつかなくなる。

 私はだまって、子どもたちのやりたいように、させる。しかってもダメ。注意してもダ
メ。脅してもダメ。

 その中のGさんも、よく笑った。ケチャケチャ、キャッキャッ、と。

私「うるさい。笑うな!」
G「うるさいのは、お前だア」
私「じゃあ、ゲームしよう。ゲームに負けたら、静かに勉強するかア?」
G「する、する。で、私が勝ったら、何をくれる?」
私「うしろにあるおもちゃを、あげる」
G「じゃあ、する。約束よ!」と。

 私の机の上に、スポンジでできたピストルがあった。それで、同じくスポンジでできた、
ミサイル(弾)を飛ばす。それをGさんに渡しながら、「ぼくを撃って、そのミサイルが、
ぼくの口に入ったら、君の勝ち。弾は3発。3発とも入らなかったら、静かに勉強する。
わかったかア!」と。

 Gさんは、元気よく前に出てきた。そしてピストルにミサイルをつけると、私にねらい
を定めた。

 どうせ当たらない。私はそれをよく知っていた。私は大きく口をあけて、Gさんが、弾
を撃つのを待つ。言い忘れたが、そういう弾だから、当たっても、痛くない。フワッとし
た感じしか、残らない。

 1発目……はずれて、どこかへ飛んでいった。
 2発目……それが、何と、私の急所に当たった。

私「わざとやったな。セクハラだぞ!」
G「ハハハ、当たった、当たった!」と。

 するとそれを見ていた、K君が、「先生のは、しなびているか?」と。

私「K! セクハラだ!」
K「だって、ぼくのパパのは、しなびている」
私「バカ! そういう話を、女の子のいる前でするんじゃ、ない!」と。

 すると、それを聞いていた、Oさん(女の子)が、「いいもん。私のパパのも、しなびて
いるから」と。

私「あのなア、女の子が、そういう話をしてはダメ。どうしてそんなこと、知っているの?」
O「だって、いつも、お風呂にいっしょに、入っているもん」
私「そういう話も、してはダメ」
O「姉ちゃんだって、いっしょに入っているよ」
私「そういう話も、してはダメ」と。

 あとは、いつもの大混乱。私は、「うるさい、静かにしろ!」と叫ぶ。子どもたちは、さ
らに大声で笑う。

 こうなったら、最後の手段。おもちゃのハンマーで、子どもたちを叩くしかない。もぐ
ら叩きの要領で、しゃべった子どもを叩く。

子どもたち「体罰だア!」「体罰だア!」
私「文句、あるなら、さっさと、BWをやめろ!」「ここは学校じゃ、ない!」と。

 ……ということで、何とか、レッスンを終えた。暑い上に、この調子。終わるころには、
汗ダクダク。

 で、部屋を片づけて、下の駐車場までおりていくと、そこにGさんが立っていた。そし
て私にこう言った。

 「先生、あのワークブック、今週中にぜんぶ、やってくる」と。

私「ぜんぶは、無理だよ」
G「やってくる。やってきたら、おもちゃ、くれる?」
私「ぜんぶやってきたら、2つ、あげるよ」
G「2つも、くれるの?」
私「約束するよ」と。

 ワークブックといっても、A3大の大型ワークブックである。まだ50ページ以上も残
っている。しかも、レベルは、小6。Gさんは、ほぼ2年、飛び級している。

 と、そこへGさんの母親が、Gさんを迎えに来た。一部始終を、ややおもしろおかしく
伝えると、Gさんの母親は、こう言った。

 「この子は、やると言ったら、やる子ですから……」と。

 私も、それを知っている。Gさんという子どもは、そういう子どもである。ある時期、
リズムが乱れたかと思うと、別のあるとき、今度は、猛然と勉強をし始める。優秀な子ど
もに、共通してみられる現象である。

 『馬を水場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない』というのは、
イギリスの教育格言である。しかしその馬も、のどがかわけば、自分で水場に行って、水
を飲む。ガブガブと飲む。

 そういうふうにしむけるのが、私の仕事ということになる。

 なおこのエッセーは、このあと、そのクラスの親たちに、このまま送信するつもり。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●生きているという実感

++++++++++++++++

子どもたちに作文を書かせる。

それを読んで、私が、だれがそれを
書いたかを言い当てる。

が、これが結構、むずかしい。

子どもたちも、かなり知恵をしぼる。

++++++++++++++++

 ここ数週間、私は、子どもたちと、「作者当て遊び」ろいうゲームをしている。子どもた
ちに何かテーマを与え、作文を書かせる。その作文を読んで、だれがそれを書いたかを、
私が言い当てる。

 このところ、子どもたちも要領を覚え、かなり知能的になってきた。言い忘れたが、私
がまちがえたばあいには、その子どもに、何かの賞品を与えることになっている。

 で、女の子でも、私をだますために、「ぼくは……」と書いたりする。また最近では、「女
文字」「男文字」というのが、昔ほど、明確ではない。女の子でも、男の子が書くような文
字を書く。文字だけを見て、男女を区別することは、むずかしい。

 昨日は、「どんなテーマパークを作りたいですか。そのテーマパークについて、考えなさ
い。また政府から予算をもらうためには、どのように書けばよいですか」というテーマを
与えた。

 制限時間は、20分。子どもたちは、黙々と書き始めた。

 私はその間、目を閉じて、じっと時間が過ぎるのを待つ。いつものように、子どもたち
の間を、回遊することもできない。子どもたちも、それをいやがる。

 ……書くということは、考えること。考えるからこそ、人間は、人間である。人間でい
られる。書くことの重要性は、そこにある。しかし『我思う、故に我あり』だけでよいの
か? ……という疑問もないわけではない。つまりそれだけでは、真の自由にたどりつく
ことはできない。そこで生まれたのが、『無の概念』。サルトルである。

 サルトルの『無の概念』を、さらに一歩先に進めたのが、メルロ・ポンティ(1908
〜61、フランスの哲学者)である。メルロ・ポンティは、「自分を確信するためには、我
を忘れて、行為に身を投げ出すこと」というようなことを言った。

 つまり考えるだけでは、人間は、自由になれない。『無』の世界に自分を投じてこそ、人
間は、真の自由を手にすることができる、と。

 私は目を閉じて、静かにその『無』の境地に、ひたる。心のざわめきも、今は、ない。
暗闇のその向こうに見えるのは、私を超えた私の世界。生きているという実感が、まわり
のありとあらゆる物象とつながる。

 が、突然、タイマーのベルで、その静寂が破られる。子どもたちの声が、それにつづく。
見ると、子どもたちが、自分の書いた作文を、ほかの子どもたちの書いた作文に混ぜ、シ
ャッフルしている。そしていつものゲームが始まる。

 私にとっては、最高に楽しい時。あとは爆笑につづく、爆笑。ゲラゲラと笑って、また
ゲラゲラと笑う。一文、声を出して読むたびに、みな、笑う。

私「これは、A君のだ」
A「ハズレ!」
私「お前のじゃ、ないのか?」
A「ぼくじゃ、ない!」
みな、ゲラゲラ、と。

 この笑いがつづくかぎり、私は、今の仕事をやめない。仮に生徒が1人になっても、仮
に赤字経営になっても、やめない。笑いこけた瞬間、私は、その『無』を感ずる。私にと
っては、それが生きているという実感。……ということになる。
(060712)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
無の概念 メルロ・ポンティ)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●満腹症状(満腹児)

++++++++++++++++

適度な空腹感が、子どもを伸ばす。
しかし今、その空腹感のない子どもが
ふえている。

俗にいう、『満腹児』である。

柔和で、おだやか。満足げで、
おっとりしている。

しかし最大の特徴は、競争心に
欠けること。どこかナヨナヨとし
ていて、ハキがない。

++++++++++++++++

 いつも手の届くところに食べ物がある。何でも、ある。その食べ物を、食べたいときに
食べることができる。もしそんな環境に置かれたら、子どもは、空腹感を覚えることはな
い。が、それだけではすまない。

 子どもを伸ばす最大のコツは、子どもを、いつもややハングリーな状態に置くこと。そ
の空腹感が、生きる原動力になり、やる気も、そこから生まれる。が、そうでなければ、
そうでない。

 俗にいう、「満腹児」と呼ばれる子どもがいる。私自身は、まるでひざに抱かれたペット
のようであることから、「ペット児」と呼んでいる(失礼!)。

 いつも満足げで、おっとりとしている。柔和で、穏やか。やさしい笑みを絶やさないが、
ハキがない。しかし最大の特徴は、競争心や闘争心に欠けること。どこかナヨナヨとした
感じで、たくましさに欠ける。

 原因の第一は、手のかけすぎ。生まれたときから、きわめて良好な環境で、手厚く育て
られている。親の愛情も、たっぷりと受けている。D君(小1)も、そんな子どもだった。

 ある日のこと。何かを教えているとき、こんなことに気づいた。D君には、損とか、得
とかいう感覚が、まったくないわけではないが、ほかの子どもたちと比較すると、極端に
弱いことがわかった。

 ゲームをしていても、平気で負けてしまう。ふつうなら悔しがるような場面でも、ニコ
ニコと笑っているだけ。そこで私は、あれこれハッパをかけるのだが、反応が鈍い。ヌカ
に釘といったふう。そしてそういった特徴が、学習面にも現れていた。

 計算問題はそこそこにできるのだが、文章題になると、とたんにできなくなる。「合わせ
ていくつ?」「残りはいくつ?」という問題では、問題の意味そのものがつかめない。日常
生活の中で、そういう会話そのものをしていないといったふう。

 誤解しないでほしいのは、計算力は、練習で身につけることができる。しかし算数力と
なると、そうはいかないということ。日常生活の中で、「多い」「少ない」「増えた」「減っ
た」「得した」「損した」という経験を通して身につく。そうした経験というか、数に対す
る意識が、ここでいう算数力に結びつく。

 ちなみに、年長児で、「ちがい」の理解できるこどもは、全体の10〜20%前後。簡単
な指導で、それが理解できるようになる子どもは、全体の60〜70%前後。残りの10
〜20%前後の子どもは、あれこれと、30分以上、時間をかけて説明するのだが、理解
できない。

 「5個と、3個のちがいは、いくつですか?」と聞いても、「5個のほうが多い」とか、
「3個」とか、答えたりする。

 そのD君には、ほかにもいくつかの特徴が見られた。

(1)基本的な生活習慣が身についていない。

 たとえば「片づける」ということができなかった。レッスンが終わって、みなが帰るよ
うなときでも、机の上には、道具やプリントが散乱したまま。そこで、それを片づけるよ
うに促すのだが、片づけるまでに、おそろしく時間がかかった。

 また片づけるといっても、バッグの中に、ものを押しこむといったふう。鉛筆も筆箱の
中に入れるのではなく、そのままバッグに入れていた。もちろんプリントは、クシャクシ
ャ。

(2)受動的な生活態度

 できないことや、わからないことがあっても、D君は、そのままそこで立ち止まってい
るだけ。ときどき隣の子どもに、ちょっかいを出しては、ふざけて遊んだりしている。「こ
れをしなければ……」という緊張感そのものがない。

 そこでやや脅迫的に、「ここまでしなければ、今日のレッスンは終わらないよ」と言って
も、まさにどこ吹く風。意に介しない。おとなの世界をなめているというよりは、おとな
に甘えきっているといったふう。

 原因は、先にも書いたように、「手のかけすぎ」。このタイプの子どもは、乳幼児期にお
いて、異常なまでに手厚い保護とケアを受けている。多くは、それに親の過保護とでき愛
が加わる。

 そこで対処方法ということになるが、親に、子どもがそういう状態であることを理解し
てもらわねばならない。が、子育てのリズムに関するものだけに、そのリズムを変えるの
は、容易ではない。根が深い。

 つぎに、「集団生活」という場で、子供どうしを競わせることによって、その子どもをハ
ングリーな状態に置く。ふつう小学3年生くらいになり、自意識が育ってくると、子ども
は自分で自分をコントロールする方法を身につける。

 その時期に期待しながら、つまりその自意識の発達をうまく利用しながら、満腹症状を
軽減していく。ふつうは、そういう子どもであると認めた上で、指導する。1〜2年単位
の根気のいる指導が必要だからである。

 で、その結果、満腹症状が消えるかといえば、そうとも言えない。どこかのんびりとし
た、穏やかな症状は、残ったままになることが多い。その子どもの性格として、定着して
しまうからである。

 さらに学習面について言えば、能力そのものが、不完全燃焼のまま終わることが多い。「が
んばれば、もっとできるのに……」と思うのだが、ここ一番というところで、いつも、そ
の一歩手前で、(あるいは数歩手前で)、立ち止まってしまう。

 教える立場からすると、「損をしている」と思うだが、もちろん、本人には、その自覚は
ない。

 そこで大切なことは、つまりは、乳幼児期において、そういう子どもにしないこと。そ
のためには、今現在、子育てのリズムがどうなっているか、それを自分で知ること。その
(子育てリズム)について知ってもらうため、以前書いた原稿をここに再掲載する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
満腹症状 満腹症状の子供 ペット児 子育てリズム論)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子育てリズム論

 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が4拍子で、
子どもが3拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、2つの曲を同時に演奏すれば、
それは騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、(1)
あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。

しかし(2)子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているよう
であれば、要注意。

今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタ
イプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪
語する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それ
を叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手
に決める。子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「う
ちの子は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。

父「お前は、パパに何をしてほしいのか」
子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。

この段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのよう
に聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし日本人
よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続く
ということ。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(32歳)は、こう
言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。別の男性(40歳)も、父親
と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。

どこかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くから
んでいるため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。早けれ
ば早いほどよい。もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているよう
なら、今日からでも、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのこと
だが、あなたは子育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子
関係を築くことができる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子育
てリズム論)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●依存心をつける子育て

 森Sの歌う歌に、『おふくろさん』がある。よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人
も多い。しかし……。

 「溺愛児」というときには、二つのタイプを考える。親が子どもを溺愛して生まれる溺
愛児。それはよく知られているが、もう一つのタイプがある。

親を溺愛する溺愛児というのが、それ。簡単に言えば、親離れできない子どもというこ
とになるが、その根は深い。

Nさん(女性)は、60歳を過ぎても、「お母さん、お母さん」と言って、実家に入りび
たりになっている。親のめんどうをあれこれみている。親から見れば、孝行娘というこ
とになる。Nさん自身も、そう言われるのを喜んでいる。いわく、「年老いた母の姿を見
ると、つらくてなりません。もし魔法の力が私にあるなら、母を50歳若くしてあげた
い」と。

 話は飛ぶが、日本人ほど子どもに依存心をつけさせることに、無関心な民族はないとよ
く言われる。欧米人の子育てとどこがどう違うかを書くと、それだけで1冊の本になって
しまう。

が、あえて言えば、日本人は昔から無意識のうちにも、子どもを自分に手なずけるよう
にして子どもを育てる。それは野生の鳥をカゴの中に飼い、手なずける方法に似ている。
「親は一番大切な存在だ」とか、あるいは「親がいるから、あなたは生きていかれるの
だ」とかいうようなことを、繰り返し繰り返し子どもに教える。教えるというより、子
どもの体に染み込ませる。

そして反対に、独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼っ子」として嫌う。
あるいは親不孝者として、排斥する。こうして日本では、親に対してベタベタの依存心
をもった子どもが生まれる。が、それは多分に原始的でもある。少なくとも欧米的では
ない。あるいはあなたはよい歳をして、「♪おふくろさんよ、おふくろさんよ……」と涙
を流している欧米人が想像できるだろうか。

むしろ現実は反対で、欧米人、特にアングロサクソン系のアメリカ人は、子どもを自立
させることを、子育ての最大の目標にしている。生後まもなくから、寝室そのものまで
別にするのがふつうだ。親子という上下意識がないのはもちろんのこと、子どもが赤ん
坊のときから、「私は私、あなたはあなた」というものの考え方を徹底する。たとえ親子
でも、「私の人生は私のものだから、子どもにじゃまされたくない」と考える。

こうした親子関係がよいか悪いかについては、議論もあろうかと思う。日本人は日本人
だし、欧米人は欧米人だ。「♪いつかは世のため、人のため……」と歌う日本人のほうが、
実は私も心情的には、親近感を覚える。しかしこれだけはここに書いておきたい。

親思いのあなた。親は絶対だと思うあなた。親の恩に報いることを、人生の最大の目標
にしているあなた。そういうあなたの「思い」は、乳幼児期に親によって作られたもの
だということ。しかもそれを作ったのは、あなたの親自身であり、その親も、日本とい
う風土の中で作られた子育て法に従っただけに過ぎないということ。

言いかえると、あなたの「思い」の中には、日本というこの国の、子育て観が脈々と流
れている。それを知るのも、子育てのおもしろさの一つかもしれない。さて、もう一度、
『おふくろさん』を歌ってみてほしい。歌の感じが前とは少し違うはずだ。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子育ての原点

 スズメは、ヒヨドリが来ても逃げない。ヤマバトが来ても逃げない。しかしモズが来る
と、一斉に逃げる。モズは肉食だ。しかしではなぜ、スズメは、そんなことを知っている
のか。それは本能によるものなのか。それとも学習によるものなのか。

 スズメは子育てをする一時期を除いて、集団行動をする。それはよく知られた習性だが、
子育てのときもそうだ。子スズメたちは、いつも親スズメのあとをついて飛ぶ。そして親
スズメに習って、エサの取り方や食べ方を学ぶ。そのときのことだ。

モズが来ると、親スズメがまず逃げる。そしてそれを追いかけるようにして、子スズメ
も逃げる。スズメたちがモズから逃げるのは、本能によるものではなく、学習によるも
のだ。本能によるものなら、親スズメと同時か、場合によっては、親スズメより先に逃
げるはずである。

 実は「子育て」の原点はここにある。教育の原点と言ってもよい。親は子どもを育てな
がら、まず命を守る方法を教える。危険なものと、そうでないものを教える。将来生きて
いくために必要な知識を、子どもたちに教える。経験を伝えることもある。子どもたちは、
そういう知識や経験を武器として、自分たちの世代を生きる。

そして親になったとき、自分たちが教えられたようにして、次の世代に知識や経験を伝
える。

が、この図式通りいかないところが、人間の世界だ。そしてこの図式通りでないところ
に、子育てのゆがみ、さらに教育のゆがみがある。その第一。

たとえば今の日本の子どもたちは、家事をほとんど手伝わない。すべき家事すら、ない。
洗濯は全自動の洗濯機。料理も大半が、電子レンジで温めればすんでしまう。水は水道、
ガスはガス管から運ばれる。掃除も、掃除機ですんでしまう。幼稚園児に、「水はどこか
ら来ますか」と質問すると、「蛇口!」と答える。

同じように野菜はスーパー、電気は電線となる。便利になったことはよいことだが、そ
の便利さに慣れるあまり、「生きることの基本」を忘れてしまっている。そして他方で、
必要でもないような知識を、人間形成に必要不可欠な知識と錯覚する。よい例が一次方
程式だ。二次方程式だ。私など文科系の大学を出たこともあって、大学を卒業してから
今にいたるまで、二次方程式はおろか、一次方程式すら日常生活で使ったことは、ただ
の一度もない。

さらに高校二年で微分や三角関数を学ぶ。三年では三角関数の微分まで学ぶ。もうこう
なると、教えている私のほうがバカバカしくなる。こんな知識が一体、何の役にたつと
いうのか。こうした事実をとらえて、私の知人はこう言った。「今の教育には矛盾と錯覚
が満々ている」(学外研・I氏)と。

 教育、教育と身構えるから、話がおかしくなる。しかし子どもたちが自立できるように、
私たちが得た知識や経験を、子どもたちに伝えるのが教育。そしてそれを組織的に、かつ
効率よく、かたよりなく教えてくれるのが学校と考えれば、話がスッキリする。子育てだ
ってそうだ。

将来、子どもたちが温かい家庭を築き、そしてそれにふさわしい親として子育てができ
るようにするのが、子育て。そういうふうに考えて子育てをすれば、話がスッキリする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの自立 自立 自立する子供)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【極東情勢】(06年7月12日)

+++++++++++++++

ますますこじれる、日韓関係。
韓国のN大統領にも、それなりの
思いがあるのだろう。

しかし……、それにしても、しかし
……。

+++++++++++++++

 こんな話がある。あまりよいたとえではないことは、わかっている。

 ある女性が、暗い夜、家路を急いで歩いていた。そして小さな橋にやってきた。その橋
には、以前から、暴漢が出ると、うわさされていた。

 女性は、橋を渡るのをためらった。そこで近くに住む、ボーイフレンドに電話をした。「助
けてほしい」と。しかしその男性は、冷たくも、「今、サッカーの試合を見ているから、行
けない」と。その女性の申し出を断った。

 女性はしかたないので、意を決し、橋を渡ることにした。が、その橋を渡ったところで、
暴漢に襲われた。身ぐるみはがされた上、殺されてしまった。

 この話の中では、だれが一番、悪いのか? 女性の頼みを断った男性か? それとも、
暴漢か?

 多分、韓国のN大統領なら、「男性が悪い」「女性の申し出を断った、男性にこそ、責任
がある」と言うだろう。

 しかし本当に悪いのは、暴漢である。K国という暴漢である。その暴漢を問題にするこ
となく、一方的に、男性ばかり責めるのは、どうか? 現在の極東情勢を見ていると、ま
さにそんな感じがする。もちろんその男性というのは、この日本のことである。

 だからといって、その男性に、責任がないわけではない。はっきり言おう。

 あんなK国など、本気で相手にしてはいけない。また本気で相手にすべき国ではない。
国力は、山陰地方にある1県よりも、乏しい。今では、世界の中でも、アフリカのソマリ
アと並ぶほどの、最貧国。「制裁、制裁」というが、これ以上、あの国を制裁して、どうな
る?

 K国は、自滅か、さもなければ開戦かという、瀬戸際の、そのまた瀬戸際にまで追いつ
められている。そういう国を、これ以上、追いつめて、どうする。どうなる。

 それとも、日本は、K国のワナにはまり、そのK国と、心中でもするつもりなのか。

 ミサイル基地を先制攻撃すると息巻いた、A官房長官。ひきつった顔で、自分だけが国
士というような顔をしている、A外務大臣。もう、少し、頭を冷やせ! このままでは、
日本とK国の戦争は、時間の問題。へたをすれば、K国は、核弾頭つきのミサイルを、東
京に撃ちこんでくるぞ!

 もし今、あなたが「いくらなんでも、そこまではしないだろう」と思っていたら、それ
こそまちがい。あの金xxは、もう、まともではない。また(まとも)という前提で、現
在の極東情勢を考えてはいけない。これから先、あの男は、何をしでかすか、わかったも
のではない。昔から、『窮鼠(きゅうそ)、猫をもかむ』と言うではないか。

 さて、話を韓国のN大統領にもどす。

 今朝(7・12)の、韓国の各紙を見ると、韓国のN大統領以下、政府首脳は、この日
本を、「準敵性国家」と位置づけたとの報道が見られる。とくにA官房長官が口にした、「先
制攻撃論」を、口汚く、韓国側は、公式に批判している。

 韓国内では、反体制派の新聞として知られている朝鮮N報ですら、つぎのように報道し
ている。

「韓日両国の葛藤(かっとう)が深刻化している。準敵対国化するのではないかという
懸念さえ持ちあがっている。大統領府の高位当局者も最近の両国関係に対し、『非正常的』
と言及している」と。
 
 いつの間にか、日本は、韓国の準敵性国家となってしまった。「ヘエ〜」と思ったり、「?」
と思ったり……。アメリカ型西欧文明を受け入れた日本。儒教文明との対立には、根深い
ものがある。が、それはさておき、しかし本当に悪いのは、だれか?

 女性を助けなかった男性か? それとも、橋の上で女性を襲った暴漢か?

 韓国のN大統領は、それすら認識できないほど、老人性の回顧主義に陥ってしまったら
しい。「坊主憎ければ、袈裟(けさ)まで憎い」というところまでなら、私にも話がわかる。
しかしそれが高じて、「坊主憎ければ、仏教まで憎い」となってしまった(?)。

 まあ、ここは、制裁は、ひとまずさておいて、国連安保理での「議長声明」にとどめる
のがよい。そしてそのあと、さらにK国が何かをしでかしたら、今度こそ、「制裁決議案」
とする。韓国はともかくも、今ここで中国まで敵に回してしまったら、それこそ、まさに
K国の思うツボ。

 あんなK国など、本気で相手にしてはいけない。あんなK国に、本気で、こぶしを振り
あげてはいけない。あんなK国のために、自衛隊員の1人をも、犠牲にしてはいけない。
またその価値も、ない。こんなのは、喧嘩(けんか)の常識。イロハ。私は子どものころ、
その喧嘩ばかりしていた。だからこそ、余計に、それがわかる。

 さて、韓国のN大統領だが、今日もあれこれ、この日本を口汚く、ののしっているよう
だ。今度は、「日本の敵地攻撃能力は、けしからん」と言い出した。が、言いたいように言
わせておけばよい。気にしてはいけない。

 日本としては、ただひたすら、無視。シカト。どうせ支持率10%台の、レイム・ダッ
ク。負け犬。吠(ほ)えたいように、吠えさせておけばよい。

【補足】

 忘れてならないのは、「貧者」には、「貧者の論理」というものがあるということ。決し
て、K国の肩をもてというのではない。

 たとえば、あなたが、今日の食費さえままならない生活をしていたとする。オヤジはぐ
うたらで、ピストルばかり買いこんでいる。

 で、隣の家を見ると、豪勢な生活をしている。食卓には、食べ物が山のようになってい
る。夜中でも、煌煌(こうこう)と電気がついている。クーラーはつかい放題。

 そういう生活を見せつけられたとき、あなたは、(1)自分のオヤジのふがいなさを責め
るだろうか。それとも(2)隣の家に反感をもつだろうか。

 いわゆる貧者の論理というのは、ここでいう(2)の心理状態を基盤とする。隣の家の
人から見れば、まことに自分勝手な論理ということになる。「文句があるなら、オヤジに言
え」となる。が、貧者のほうは、そうは思っていない。それを「矛盾」ととらえる。

 つまりここを読み誤ると、相手の論理がわからなくなるばかりではなく、訳がわからな
くなってしまう。

 少し前にも書いたが、私たちが信奉する民主主義にしても、富めるもの、力のあるもの
だけの論理を振りかざして、それを貧者に押しつけても、意味はないということ。それに
は限界がある。かえって反感を買うことにもなりかねない。つまりは、それが民主主義の
限界ということにもなる。

 貧者の論理というのは、貧者の立場になってはじめて理解できる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
貧者の論理 強者の民主主義)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●韓国の、おバカ大統領

++++++++++++++++++

ますます「?」な、韓国のN大統領。

「?」を通り越して、おバカになって
しまった(?)。

韓国の中央日報ですら、社説で、
「この国の政府が、嘆かわしい」と
言い切っている。

++++++++++++++++++

 まずは、韓国のプサンで開かれた、南北閣僚級会談の内容から……。

 韓国側は、K国側のご機嫌をとるために、その会議の間に、(1)「ミサイ
ルより、日本のほうが脅威」と発言してみせたり、(2)「国連安保理へ日本
が出した、K国非難の決議案には反対」と発言してみせたりした。が、それだ
けではない。

 以下が、まあ、何というか、メチャメチャ。(詳しくは、このあとに、中央
日報の記事をそのまま転載しておくので、必要な方は、そちらを読んでほしい。)

●「韓国を守ってやるから、米、よこせ!」

 K国の代表団は、韓国側にこう伝えたという。「韓国を、核とミサイルで守
ってやるから、米を50万トン、支援しろ」と。

 実際には、「米国の侵攻に対立し、核とミサイルで、北はもちろん南も保護するから、
韓国側はその対価として支援をしろ」(C日報・06年7月13日)と。

 この言葉を裏から読むと、こうなる。つまり「米を支援してくれれば、韓国を、核やミ
サイルで攻撃しない」と。

 当然のことながら、韓国側は、そう読んだ。K国からの脅迫と読んだ。

 ほかにもK国側は、(1)韓米軍事訓練中止せよとか、(2)国家保安法廃止せよと
か。さらには、(3)革命烈士陵などに対する、韓国側関係者の参拝許容までも要求した。
また(4)ミサイル発射に対しては、K国側は、直接その質問には答えず、その数日前に
出された、K国外務省スポークスマンの発言を参考にせよと言ったとか、など(※)。

 まさに言いたい放題。

 これに対して、韓国のN大統領の、一連の対K国政策も、おかしい。

 K国内部で、ミサイル発射の動きがあることを知りながら、それを国民には、
伏せたままにしておきながら、それが日本などから伝えられると、「あれは、
ミサイルではない。人工衛星だ」と、K国を、かばってみせた。

 またミサイルが発射されると、「(日本のように)早朝から大騒ぎする必要
はない」とまで!

 で、ミサイルが発射された当日にも、K国に向かって、援助肥料を満載した
船を出港させている。

 が、これだけではない。

 韓国は、K国内に、K城工業団地なる工業団地を建設したが、「K城工業団
地で生産された製品は、アメリカがすべて買い取るべき」(韓国政府高官)と。
理由は、「韓国が南北に分断されたのは、アメリカの責任だから」(金大中)
とか。

 もちろん、こうした意見が、韓国の人たちの総意を代弁しているのではない。
ミサイル発射についても、韓国の、54%の人たちが、「再発防止のため強力な制
裁が必要」と、考えている(朝鮮N報)。

 朝鮮N報は、つぎのように報道している。

 「世論調査の専門機関であるリサーチ・アンド・リサーチが、11日、韓国の成人男女
800人を対象に実施した電話アンケートによると、北朝鮮のミサイル発射に対する政府
の対応について、

過度に安易な態度に見えた……63・3%という否定的な意見が
落ち着いて慎重に対応していた……28%という肯定的な意見よりはるかに多かった。

 北朝鮮のミサイル発射以降の、国連を通じた米国と日本の北朝鮮に対する強硬的対応の
動きについては、

再発防止のため強力な制裁が必要……53・6%で、
効果もなく事態を悪化させるばかりのため必要ない……37・6%だった。

 「北朝鮮のミサイル発射と関連し不安を感じるか」という質問には、

不安を感じる……50%で、
不安を感じない……49・6%という意見が半々に分かれた。

この調査の誤差範囲は95%、信頼水準は±3・5ポイント」と。

 同じような調査結果が、時事通信社からも、配信されている(7月13日)。

++++++++++

 【ソウル7月13日時事】

13日付の韓国夕刊紙・文化日報は、最近の世論調査で、N大統領政権の融和的な対北
朝鮮政策に、62・3%が「良くない」と回答したと報じた。

一方、「良い」は34・1%にとどまり、否定的な評価が大きく上回った。同紙は、K
国によるミサイル発射が影響したと分析している。 

++++++++++

 わかりやすく言えば、韓国の国民からも、N大統領は、完全に遊離してしまっている!

 政治、なかんずく国際政治は、どこまでも現実的でなければならない。まず現実を見る。
すべては、そこから始まる。が、韓国のN大統領の政治姿勢は、完全にうしろ向き。いま
だに戦前の日本にこだわり、またそういう目でしか、この日本を見ていない。

 アメリカについて言えば、朝鮮動乱当時の目でしか、見ていない。

 そして現実に、そこにある脅威には、目もくれない。現実を、見ようともしない。これ
では、「おバカ大統領」と酷評されても、文句は言えないだろう。

 前にも書いたが、N大統領が支えているのは、共産主義国家でもなければ、社会主義国
家でもない。頭の狂った独裁者が支配する、軍事独裁国家である。

 韓国のN大統領は、その区別さえも、できなくなってしまったのか? C日報は、「国
民は、怒っている」と、最後を結んでいるが、日本人も怒っている。どうかそれを忘れな
いでほしい。

++++++++++++++++

注※【C日報・社説】「核とミサイルで韓国を守るから、コメを出せ」

  南北閣僚級会談でK国側団長が、傍若無人な発言をした。同団長は韓米軍事訓練中止と、
国家保安法廃止を主張した。革命烈士陵などに対する韓国側関係者の参拝許容も要求した。
ミサイル発射に対しては数日前に出された外務省スポークスマンの発言を参考にせよと
言った。こんなあきれた話を聞くために会談にそれほどまでに執着したのか。この政府
が嘆かわしい。 

  驚かされたのは「K国の先軍政治が、韓国側の安全をはかる」と言ったことだ。それと
ともにコメ50万トン支援を要求してきた。「米国の侵攻に対立し、核とミサイルで、
北はもちろん南も保護するから韓国側は、その対価として支援をしろ」と言うのだK国
側はミサイル発射という「正常軍事訓練」ができるが、南側は軍事訓練してはいけない
という強硬発言も同じだ。 

  一言で韓国を、「朝貢国」とみなすわけだ。 

  こんなわけのわからないことを言われたのは、ある意味では予想されたことだった。大
統領がすべての物質的、制度的支援をするといった支援ができなくてやきもきしていた。
国際犯罪である偽造紙幣や、悽惨な北朝鮮人権問題などでは、K国をかばうために神経
を使った。

ひどいときは、ミサイルを発射してもK国より、日本をとがめることに力を入れている。
金xxと首脳会談をしたくて気をもんだのか、それとも「理念的信条」のためか、まっ
たく理解不可能なことが起こっている。 

  大統領個人の信条のために国がここまで壊れるわけにはいかない。韓国側代表という人
は、まともに抗弁もできない。こんな話聞くために南北会談をしたのか。ミサイルに対
してはようやくひとこと言ったが、朝貢しろという話を聞くまでになってしまった。K
国がこんなに傲慢な態度を見せたのは、「韓国側は眼中にもない」という意味だ。 

  この政府は「対話の糸を切ってはいけない」という理由で今回の会談を強行した。しか
しK国の意図に対しては、何1つ知らないことを如実に表した。対北政策を原点から見
直してほしい。ここまで脅迫され、思うがままにされる南北対話は、これ以上、いらな
い。 

  国民は怒っている。 (以上、原文のまま。)

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【自分をつかめない子ども】

+++++++++++++++++++++

目的(?)の学校には入ってはみたものの、
自分をつかめない子ども。
そんな子どもが、ふえている。

Dさんの娘さん(中3)も、ひょっとしたら、
そんな子どもかもしれない。

こんな相談が届いている。

+++++++++++++++++++++

【Dさんより、はやし浩司へ】

久しぶりにメールを送らせていただきます。お元気でいらっしゃいますか?
 中3になる娘のことで、最近思うことがあります。

娘は現在、地元の私立女子中学校に通っていますが、高校は他へ行きたいと言うのです。
理由を聞くと、元々どうしてもその学校へ行きたかったわけではないとか、小学校時代
の友人と同じ高校へ行きたかったとか、今の学校に不満は無いが、このまま居続けるの
はイヤだとか言います。

 志があって他へというのなら、私は応援するつもりですが、娘の場合はどうも違うよう
です。中途半端な気持ちで他校へ行ったところで、同じことの繰りかえしになるのではと
心配です。

このまま今の学校に通っていても不登校になると思うなどと、脅かしてもきました。こ
れには呆れましたが、大きなことを言っては、実行できずに終わる娘です。部活もロク
に活動をしていないような部を転々とし、勉強もそこそこ。趣味は寝ることで、夢は妄
想めいた事ばかり。

 私には甘えに思えてなりません。やりたいようにやらせ、本人が痛い思いをするのもい
い経験では、とも思うのですが、迷っています。

 はやし先生のご意見をお聞かせいただけるとありがたいです。お忙しいところ申し訳あ
りませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
(長崎県・DIより)


【はやし浩司より、Dさんへ】

 こんにちは!

 以前、似たような相談を受け、それについて書いた原稿がありますので、それをまず、
ここに添付します。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【非行のメカニズム】

 子どもの非行。その非行に子どもが走るメカニズムは、意外に単純なもの。言いかえる
と、子どもを非行から防ぐ方法も、簡単。

【第一期・遊離】

 (したいこと)と、(していること)が、遊離し始める。「ぼくは、サッカーをしたい。
しかし塾へ行かなければならない」など。「私はケーキ屋さんになりたいのに、親は、勉強
をして、いい大学へ入れと言う」など。

 (〜〜したい)と思っていることと、(現実にしていること)が、遊離し始める。つまり
子ども中で、アイデンティティ(自我の同一性)が、混乱し始める。

 アイデンティティが、混乱し始めると、子どもの心理状態は、不安定になる。怒りっぽ
くなったり(プラス型)、反対にふさぎやすくなったりする(マイナス型)。

 この状態を、「同一性の危機」という。

 この段階の状態に対して、抵抗力のある子どもと、そうでない子どもがいる。幼少期か
ら、甘やかされて育った子どもほど、当然、抵抗力がない。遊離したとたん、一気に、つ
ぎの(同一性の崩壊)へと進む。

一方、幼少期から、家事の手伝いなどを日常的にしてきた子どもほど、抵抗力が強い。
子どもの世界では、(いやなことをする力)を、「忍耐力」という。その忍耐力がある。

 アイデンティティが混乱したからといって、すぐ、つぎの第二期に進行するわけではな
い。個人差は、当然、ある。

【第二期・崩壊】

 (したいこと)と(していること)が、大きくズレてくると、子どもは、まず、自分を
支えようとする。がんばる。努力する。が、やがて臨界点にさしかかる。子ども自身の力
では、それを支えきれなくなる。

「野球の選手をめざして、もっとがんばりたいのに、毎日、勉強に追われて、それもで
きない」「勉強はおもしろくない」「成績が悪く、つまらない」と。

 こうして同一性は、一気に、崩壊へと向かう。子ども自身が、「自分は何をしたいのか」
「何をすべきなのか」、それがわからなくなる。

【第三期・混乱】

 アイデンティティが崩壊すると、精神状態は、きわめて不安定になる。ささいなことで、
激怒したり、突発的に暴れたりする(プラス型)。

 反対に落ち込んだり、家の奥にひきこもったりする(マイナス型)。外界との接触を断つ
ことによって、不愉快な気分になるのを避けようとする。このとき、無気力になり、ボー
ッとした表情で、一日を過ごすようになることもある。

【第四期・非行】

 アイデンティティが崩壊すると、子どもは、主につぎの5つのパターンの中から、自分
の道を模索する。

(1)攻撃型
(2)同情型
(3)依存型
(4)服従型
(5)逃避型

 このうち、攻撃型が、いわゆる非行ということになる。独特の目つきで、肩をいからせ
て歩く。独特の服装に、独特の暴言などなど。暴力行為、暴力事件に発展することも珍し
くない。

 このタイプの子どもに、「そんなことをすれば、君は、みなに、嫌われるんだよ」と説い
ても意味はない。このタイプの子どもは、非行を通して、(自分の顔)をつくろうとする。
顔のない自分よりは、嫌われても、顔のある自分のほうが、よいというわけである。

 アイデンティティそのものが、崩壊しているため、ふつうの、合理的な論理は通用しな
い。ささいなどうでもよいことに、異常なこだわりを見せたりする。あるいは、それにこ
だわる。自己管理能力も低下するため、自分をコントロールできなくなる。

 以上が、非行のメカニズムということになる。

 では、子どもを非行から守るためには、どうすればよいか。もうその答はおわかりかと
思う。

 つねに(子どものしたいこと)と、(子どもがしていること)を、一致させるようにする。
あるいはその接点だけは、切らないようにする。

 仮に受験勉強をさせるにしても、「成績がさがったから、サッカーはダメ」式の乱暴な、
指導はしない。受験勉強をしながらも、サッカーはサッカーとして、別に楽しめるワクを
用意する。

 言うまでもなく、(自分のしたいこと)と、(していること)が一致している子どもは、
精神的に、きわめて安定している。どっしりしている。方向性がしっかりしているから、
夢や希望も、もちやすい。もちろん、目的もしっかりしている。

 また方向性がしっかりしているから、誘惑にも強い。悪の世界からの誘惑があっても、
それをはねかえすことができる。自己管理能力もしっかりいているから、してよいことと、
悪いことの判断も的確にできる。

 だから……。

 今までにも何度も書いてきたが、子どもが、「パン屋さんになりたい」と言ったら、「そ
うね、すてきね」「こんど、いっしょにパンを焼いてみましょう」などと、答えてやる。そ
ういう子どもの夢や希望には、ていねいに耳を傾けてやる。そういう思いやりが、結局は、
自分の子どもを非行から守る最善の方法ということになる。
(はやし浩司 非行 子どもの非行 子供の非行 非行から子供を守る方法 非行防止 
アイデンティティ アイデンテティ 自我同一性の崩壊 顔のない子ども 子供 はやし
浩司 非行のメカニズム)


●スチューデント・アパシー

 無気力、無表情、無感動の状態を総称して、「アパシー」という。そのアパシーが、若者
を中心に、部分的に現れることがある。とくに、男子学生に多い。それを、「スチューデン
ト・アパシー」(ウォルターズ)という。

 このスチューデント・アパシーが、燃えつき症候群や、荷おろし症候群とちがう点は、
ここにも書いたように、学業なら学業だけというように、アパシーになる部分が、かぎら
れているという点。学業面では、無気力でも、アルバイトや、交友、遊びは、人一倍、活
発にする。

 が、大学の講義室に入ったとたん、別人のように、無気力状態になる。反応もなく、た
だぼんやりとしているだけ。眠ってしまうこともある。

 こうした症状も、(本人がやりたいこと)と、(現実にしていること)のギャップが、大
きいことが原因でそうなると考えると、わかりやすい。「大学へは入ってみたが……」とい
う状態である。とくに、目標もなく、ただ点数をあげるためだけの受験勉強をしてきたよ
うな子どもに、多く見られる。

 このタイプの学生は、まず本人自身が、何をしたいかを正確に知らなければならない。
しかしたいていのケースでは、それを知るという気力そのものすら、消えていることが多
い。

 「君は、本当は、何をしたいのか?」
 「わからない」
 「でも、君にも、何か、やりたいことがあるだろ?」
 「ない……」
 「でも、今のままでいいとは、君だって、思っていないだろ?」
 「……」と。

 こうした症状は、早い子どもで、小学校の高学年児でも、見られるようになる。概して、
従順で、まじめな子どもほど、そうなりやすい。友だちと遊ぶときはそれなりに活発なの
だが、教室へ入り、机に向かってすわったとたん、無気力になってしまう。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、それに気づき、子どもの心を取
りもどす。よく誤解されるが、「いい高校に入りなさい」「いい大学に入りなさい」という
のは、子どもにとっては、(したいこと)ではない。一見、子どものためを思った言葉に聞
こえるかもしれないが、その実、子どもの心を破壊している。

 だから今、目的の高校や大学へ入ったとたん、燃え尽きてしまったりして、無気力にな
る子どもは、本当に多い。市内の進学高校でも、5〜10%が、そうでないかと言われて
いる(教師談)。大学生となると、もっと多い。
(はやし浩司 アパシー スチューデントアパシー 無気力な子ども 自我の崩壊 同一
性の危機 同一性の崩壊)

+++++++++++++++++++++

少し前、こんな相談がありました。再掲載します。

+++++++++++++++++++++ 

【E氏より】

甥(おい)っ子についてなんですが、小学二年生でサッカークラブに入っています。と
ころがこのところ、することがないと、ゴロゴロしているというのです。

とくに友だちと遊ぶでもなく、何か自分で遊ぶのでもなく……。サッカーもヤル気がな
いくせに、やめるでもない。こういう時は、どこに目を向ければいいのでしょうか。

やる気がないのは、今、彼の家庭が関心を持っている範疇にないというだけで、親自身
が持っている壁を越えさせることがポイントかな、と思ったりしたのですが……。 

【はやし浩司より】

●消去法で

 こういう相談では、最悪のケースから、考えていきます。

 バーントアウト(燃え尽き、俗にいう「あしたのジョー症候群」)、無気力症候群(やる
気が起きない、ハキがない)、自我の崩壊(抵抗する力すらなくし、従順、服従的になる)
など。さらに回避性障害(人との接触を避ける)、引きこもり、行為障害(買い物グセ、集
団非行、非行)など。自閉症はないか、自閉傾向はないか。さらには、何らかの精神障害
の前兆や、学校恐怖症の初期症状、怠学、不登校の前兆症状はないか、など。

 軽いケースでは、親の過干渉、溺愛、過関心、過保護などによって、似たような症状を
見せることがあります。また学習の過負担、過剰期待による、オーバーヒートなどなど。
この時期だと、暑さにまけた、クーラー病もあるかもしれません(青白い顔をして、ハー
ハーあえぐ、など)。

 「無気力」といっても、症状や程度は、さまざまです。日常生活全体にわたってそうな
のか。あるいは勉強面なら勉強面だけにそうなのか。あるいは日よって違うのか。また一
日の中でも、変動はあるのかないのか。

こうした症状にあわせて、何か随伴症状があるかないかも、ポイントになります。ふつ
う心配なケースでは、神経症による緒症状(身体面、行動面、精神面の症状)が伴うは
ずです。たとえばチック、夜驚、爪かみ、夜尿など。腹痛や、慢性的な疲労感、頭痛も
あります。行動面では、たとえば収集癖や万引きなど。

さらに情緒障害が進むと、心が緊張状態になり、突発的に怒ったり、キレたりしやすく
なります。この年齢だと、ぐずったりすることもあるかもしれません。

こうした症状をみながら、順に、一つずつ、消去していきます。「これではない」「では、
これではないか?」とです。

●教育と医療

 つまりいただいた症状だけでは、私には、何とも判断しかねるということです。したが
って、アドバイスは不可能です。仮に、そのお子さんを前に置いても、私のようなものが
診断名をくだすのは、タブーです。資格のあるドクターもしくは、家の人が、ここに書い
たことを参考に、自分で判断するしかありません。

 治療を目的とする医療と、教育を目的とする教育とは、基本的な部分で、見方、考え方
が違うということです。

 たとえばこの時期、子どもは、中間反抗期に入ります。おとなになりたいという自分と、
幼児期への復帰と、その間で、フラフラとゆれ戻しを繰りかえしながら、心の状態が、た
いへん不安定になります。

 「おとなに扱わないと怒る」、しかし「幼児のように、母親のおっぱいを求める」という
ようにです。

 そういう心の変化も、加味して、子どもを判断しなければなりません。医療のように、
検査だけをして……というわけにはいかないのですね。私たちの立場でいうなら、わかっ
ていても、知らないフリをして指導します。

 しかしそれでは、回答になりませんので、一応の答を書いておきます。

 相談があるということから、かなり目立った症状があるという前提で、話をします。

 もっとも多いケースは、親の過剰期待、それによるか負担、過関心によって、脳のある
部分(辺縁系の帯状回)が、変調しているということ。多くの無気力症状は、こうして生
まれると説明されます。

 特徴としては、やる気なさのほか、無気力、無関心、無感動、脱力感、無反応など。緩
慢動作や、反応の遅延などもあります。こうした症状が慢性化すると、昼と夜の逆転現象
や回避性障害(だれにも会いたがらない)などの症状がつづき、やがて依存うつ病へと進
行していきます。(こわいですね! Eさんのお子さんのことではなく、甥のことというこ
とで、私も、少し気楽に書いています。)

 ですから安易に考えないこと。

●二番底、三番底へ……

 この種の問題は、扱い方をまちがえると、二番底、三番底へと落ちていきます。さらに
最悪の状態になってしまうということです。たとえば今は、何とか、まだサッカーはして
いるようですが、そのサッカーもしなくなるということです。(親は、これ以上悪くならな
いと思いがちですが……。決して、そうではないということです。)

 小学二年生という年齢は、好奇心も旺盛で、生活力、行動力があって、ふつうなのです。
それが中年の仕事疲れの男のように、家でゴロゴロしているほうが、おかしいのです。ど
こかに心の変調があるとみてよいでしょう。

 では、なおすために、どうしたらよいか?

 まず、家庭が家庭として、機能しているかどうかを、診断します。

●家庭のあり方を疑う……

 子どもにとって、やすらぎのある、つまり外の世界で疲れた心と体を休める場所として
機能しているかどうかということです。簡単な見分け方としては、親のいる前で、どうど
うと、ふてぶてしく、体を休めているかどうかということです。

 親の姿を見たら、コソコソと隠れたり、好んで親のいないところで、体や心を休めるよ
うであれば、機能していないとみます。ほかに深刻なケースとしては、帰宅拒否がありま
す。反省すべきは、親のほうです。

 つぎに、達成感を大切にします。「自身が持っている壁を越えさせることがポイント」と
いうのは、とんでもない話で、そういうやり方をすると、かえってここでいう二番底、三
番底へと、子どもを追いやってしまうから注意してください。

 この種の問題は、(無理をする)→(ますます無気力になる)→(ますます無理をする)
の悪循環に陥りやすいので、注意します。一度、悪循環に陥ると、あとは底なしの悪循環
を繰りかえし、やがて行き着くところまで、行き着いてしまいます。
 
「壁を越えさせる」のは、風邪を引いて、熱を出している子どもに、水をかけるような
行為と言ってもよいでしょう。仮に心の病にかかっているということであれば、症状は、
この年齢でも、半年単位で推移します。今日、改めたから、明日から改善するなどとい
うことは、ありえません。

 私なら、学校恐怖症による不登校の初期症状を疑いますが、それについても、私はその
子どもを見ていませんので、何とも判断しかねます。

 ただコツは、いつも最悪のケースを考えながら、「暖かい無視」を繰りかえすということ
です。子どものやりたいようにさせます。過関心であれば、親は、子育てそのものから離
れます。

 多少生活態度がだらしなくなっても、「うちの子は、外でがんばっているから……」と思
いなおし、大目にみます。

 ほかに退行(幼児がえり)などの症状があれば、スキンシップを濃厚にし、CA、MG
の多い食生活にこころがけます。(下にお子さんがいらっしゃれば、嫉妬が原因で、かなり
情緒が不安定になっていることも、考えられます。)

 子どもの無気力の問題は、安易に考えてはいけません。今は、それ以上のことは言えま
せん。どうか慎重に対処してください。親やまわりのものが、あれこれお膳立てしても、
意味がないばかりか、たいていは、症状を悪化させてしまいます。そういう例は、本当に
多いです。

 またもう少し症状がわかれば、話してください。症状に応じて、対処方法も変わります。
あまり深刻でなければ、そのまま様子を見てください。では、今日は、これで失礼します。
(はやし浩司 バーントアウト 燃え尽き あしたのジョー症候群 無気力症候群 自我
の崩壊 回避性障害 引きこもり はやし浩司 行為障害 買い物グセ 集団非行 非行 
学校恐怖症 初期症状 怠学 不登校の前兆症状

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【Dさんへ、はやし浩司より(2)】

 少し話が脱線するかもしれませんが、同一性の
危機について、別の角度から書いたのが、つぎの
原稿です。

 どうか、参考にしてください。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日本人のアイデンティティ
 
 日本人は、日本がどうあるべきだと思っているのか。どうあったらよいと考えているの
か。

 日本人が、日本人として、したいことと、日本が今、進んでいるべき道が、一致してい
ればよい。問題は、ない。心理学の世界にも、アイデンティティ(自己同一性)という言
葉がある。

 (自分のしたいこと)と、(自分のしていること)が一致していれば、その子どもは、落
ちついている。安定している。これを、アイデンティティという。が、ときとして、その
両者がかみあわなくなるときがある。

 A君(小学3年生)は、「おとなになったら、サッカー選手になりたい」と思っていた。
地元のサッカークラブでも、そこそこに、よい成績を出していた。が、そこへ進学問題が
からんできた。まわりの子どもたちが、進学塾に通うようになった。

 A君は、それでもサッカー選手になりたいと思っていた。が、現実は、そうは甘くなか
った。4年生になったとき、さらに優秀な子どもたちが、そのサッカークラブに入ってき
た。A君は、相対的に、目だたなくなってしまった。

 ここでA君は、(自分の進みたい道)と、現実とのギャップを、思い知らされることにな
る。が、こうした不一致は、ただの不一致では、すまない。

 A君は、心理的に、たいへん不安定な状態に置かれることになる。いわゆる「同一性の
危機」というのが、それである。が、さらに進学の問題が、A君に深くからんできた。母
親が、A君にこう言った。

 「成績がさがったら、サッカーはやめて、勉強しなさい」「サッカーなんかやっていても、
プロのサッカー選手になるのは、東大へ入ることより、むずかしいのよ」と。

 子どもというのは、自我に目覚めるころから、自分のまわりに、(自分らしさ)をつくっ
ていく。これを役割形成という。が、その(自分らしさ)がこわされ始めると、そこで役
割混乱が起きる。

 それは、心理的にも、たいへんな不安定な状態である。

 たとえて言うなら、好きでもない男と、妥協して結婚した、女性の心理に近いのではな
いか。そんな男に、毎夜、毎夜、体を求められたら、その女性は、どうなる?

 こうしてアイデンティティの崩壊が始まる。

 一度、こういう状態になると、程度の差もあるが、子どもは、自分を見失ってしまう。
いわゆる(だれでもない自分)になってしまう。自分の看板、顔、立場をなくしてしまう。
が、そこで悲劇が止まったわけではない。

 A君は、進学塾に通うことになった。母親が、「いい中学へ入りなさい」と、A君を攻め
たてた。A君は、ますます、自分を見失っていった。

 こういう状態になると、子どもは、つぎの二つのうちの、一つを選択することに迫られ
る。

 (だれでもない自分)イコール、無気力になった自分のままで、そのときを、やりすご
すか、代償的な方法で、自分のつぎの道をさがし求めるか。

 代償的な方法としては、攻撃的方法(非行など暴力的行為に走る)、服従的方法(集団を
組み、だれかに盲目的に服従する)、依存的方法(幼児ぽくなり、だれかにベタベタと依存
する)、同情的方法(弱々しい自分を演じて、いつもだれかに同情を求める)などがある。

 ふつうこの時期、多くの子どもたちは、攻撃的方法、つまり非行に走るようになる。(だ
れでもない、つまり顔のない人間)になるよりは、(害はあっても、顔のある人間になる)
ことを望むようになる。

 この時期の子どもの非行化は、こうして説明される。

 で、自分の存在感をアピールするために、学校でわざと暴れたりするなど。このタイプ
の子どもに、「そんなことをすれば、みんなに嫌われるだけだよ」と諭(さと)しても意味
はない。みなに恐れられること自体が、その子どもとっては、ステータスなのだ。

 これは子どもの世界の話である。

 で、日本人も、今、私の印象では、その「同一性の危機」の状態にあるとみてよい。(日
本人として、したい道)と、(進んでいる道)が、一致していない。そのため日本人全体が、
今、たいへん不安定な心理状態にある。

 民主主義国家として、平和と自由を愛する国民になるのか、それとも、復古主義的な流
れの中で、武士道に代表される過去の日本にもどるのか。Y神社を参拝して、戦前の軍神
たちに頭をさげるのか。つまりはわけのわからない状態の中で、混沌(こんとん)として
いる。

 だから中国や韓国で、反日運動が起きても、「どうしたらいい……」と、ただ右往左往す
るだけ。自分の主張すら、ない。ないから、声をあげることもできない。

 では、どうするか。

 私は、もう過去の日本とは決別をして、自由と、平和と、平等の三つを旗印にかかげ、
国際化のうねりの中で、まっしぐらに前に進むしかないと思う。その向こうにあるのは、
かつて200年前にカントが提唱した、世界国家である。コスモポリタンである。

 はからずも今朝(4・21)、オーストラリアのハワード首相が、日本との間で、FTA
(自由貿易)協定を結ぼうと提唱したというニュースが、飛びこんできた。オーストラリ
アは、イラクの自衛隊を保護するために、オーストラリア軍を派遣してくれた。

 そういう国もある。(Advance Australia!)

 そういう国の存在を信じて、前に進む。それこそが、まさに日本のアイデンティティの
確立につながる。

 ついでに一言。よく「アイデンティティ」という言葉を使って、「武士道こそが、日本人
が誇るべき、アイデンティティだ」と説く人がいる。

 しかしそもそも言葉の使い方が、まちがっている。そういう人は、アイデンティティと
いうのは、個性のことだと思っている。さらに言えば、武士道など、日本人が誇らなけれ
ばならない精神でも、なんでもない。

 わずか数%の、為政者たちが、刀を振りまわして、大半の民衆を虐(しいた)げてきた。
その中で生まれた、自分勝手な論理と精神訓、それが武士道である。あえて言うなら、官
僚道、役人道ということになる。

 自分たちの先祖は、その大半が、武士とは無縁の、町民や農民であった。そういう立場
を忘れて、150年たった今、自分が武士にでもなったつもりで、武士道をたたえるのは、
どうかと思う。少なくとも、私はついていけない。

 もちろん文化は文化だし、歴史は歴史。だからそれなりに尊重はしなければならない。
が、それを今、もちだす必要は、どこにもない。改めて日本の「柱」にしなければならな
い理由など、どこにもない。

 私たちが進むべき道は、前にある。うしろではない。

 日本人の心を、発達心理学にからめて、考えてみた。
(はやし浩司 日本人 アイデンティティ 自己同一性)

(追記)

 農業問題もあるが、オーストラリア、シンガポールと、自由貿易協定を結べば、それ自
体が、韓国、中国にとっては、たいへんな脅威になる。

 日本には、ほかに、ブラジルがある。インドがある。アメリカも、カナダもある。EU
もある。

 日本は、決して孤立していない。

 去年、オーストラリアの友人(国防省勤務)が、メールで私にこう書いてきた。(このこ
とは、当時のマガジンに原稿として書いた。)

 「ヒロシ、日本が、K国に攻撃されたら、オーストラリアは、自動的にK国を攻撃する
ことになっている。安心しろ」と。日本とK国の間の緊張感が、極度に高まっていたとき
でもある。

 私はそのメールをもらったとき、どういうわけか、涙が出るほど、うれしかった。そう
いう心が、今回の、オーストラリア軍のイラク派遣へと、具体的につながっている。日本
の自衛隊を守るために、だ。

 韓国のN大統領よ、日本は、決して世界から、孤立なんかしていないぞ! バカめ! 孤
立させたいのは、N大統領、実は、あなた自身ではないのか! 中国で反日運動が起きた
とき、イの一番に、「これで日本の安保理入りは、流れた」と喜んだのは、どこのどなたで
したか? 私たち、日本人は、それを忘れないぞ!

 ……とまあ、たがいに、敵意を育てていてもしかたないですよね。しかしね、N大統領、
日本人も変わりましたよ。どうか戦前の日本人のイメージのままで、今の日本人を見ない
でください。くれぐれも、よろしくお願いします。

 やがていつかすぐ、日本と韓国が、FTA協定を結ぶことになると思います。そういう
時代は、すぐそこまできています。そういう共通の目標に向って、いっしょに、前に進も
うではありませんか。
(050421)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Dさんへ(3)】

 で、いよいよ本論ということになります。

 まず、現在の娘さんの心理状態を知るために、
以下の原稿を読んでくだされば、うれしく思います。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●同一性の危機

万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめ
を、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしている
こと)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子
どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの
自我の同一性は、危機に立たされる。


●夢・希望・目的

夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のした
いこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感がある
とき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。
そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」
とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。


●子どもの忍耐力

同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)
を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。ある
いは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、
忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。
この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。


●同一性の崩壊

同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をし
たいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私
は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それ
は「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべ
きもの。当然、子どもは、目的を見失う。


●顔のない自分

同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大き
く分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻
撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。
ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースで
は、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。


●校内暴力

暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さ
と)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)
をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ。だからみなが、恐
れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子ども
の心理的のメカニズムは、こうして説明される。


●子どもの自殺

おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあ
いは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)
を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットする
ことで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(し
ょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。


●自虐的攻撃性

攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に
向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝
から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでい
るのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかり
やすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。


●自我の同一性
 
(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子
どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分が
していること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が
一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちつい
ていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。


●心の抵抗力

「私は〜〜をしたい」「ぼくは〜〜する」と、目的と方向性をしっかりともっている子ども
は、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年
から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同
一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘い
があると、スーッとその世界に入ってしまう。


●夢や希望を育てる

たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、
それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみまし
ょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。
が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言
う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。


●子どもを伸ばす三種の神器

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。


●役割混乱

子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時
に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間
にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸
ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役
割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。


●思考プロセス(回路)

しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんば
っていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。
しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロ
セスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入
る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんば
り始める。


●進学校と受験勉強

たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的
になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのも
のが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考え
やすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好
きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢
をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。


●これからはプロの時代

これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでた
プロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君
は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生
きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだ
けは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸
ばす。


●大学生の問題

現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んで
いる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力
になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、
荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、
誘惑にも弱くなる。


●自我の同一性と役割形成

子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在しているこ
と)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまら
ない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子ども
が、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。
こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。

(はやし浩司 子どもを伸ばす 子供を伸ばす 自我の同一性 役割形成 思考プロセス 
子供の非行 子どもの非行 はやし浩司 子供を非行から守る 非行のメカニズム)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【はやし浩司より、Dさんへ(4)】

 Dさんのメールを読んでいて、まず感じたことは、全体に、親のエゴばかりが目立つと
いうこと。娘さんは、当初から、その私立女子中学校を望んでいたのでしょうか?

 あるいは、「そこへ行け、行け」と、たきつけたのは、ひょっとしたら、Dさん自身では
なかったのではないでしょうか?

 「志」……なんて、おおげさなものを、この時期の子どもに期待する方が、おかしいで
す。今の娘さんの心理状態は、その前の段階で、自分をつかめないでいるのです。「自分で
も、どうしたらいいかわからない」といった状態です。

 理由を言えば、Dさん自身が、子どもの前に立ち、手を引くことだけしかしてこなかっ
た。つまり娘さんの気持ちを、そのつど、確かめることをしてこなかった。つまりは一方
的に、押しつけてきただけ。それが積み重なって、今の状態になったと考えられます。

 今からでも遅くありませんから、娘さんの横に立ち、友として、娘さんの相談にのるこ
とです。(友として、です!)娘さんの心には、今、ポッカリと穴があいていますから、誘
惑にもたいへんもろくなっています。どうか、お気をつけください。

 で、つぎのことに注意します。

●一過性の迷いなのか、本気なのか、見極めること。

 こうしたケースは珍しくありません。で、たいていは一過性の迷いのまま、やがて子ど
もの心は落ちついていきます。

 一過性のものであれば、暖かく無視する……という方法で、対処します。

 が、本気で、そのほかに随伴症状が見られたら、転校などは、娘さんに任されるとよい
でしょう。

「大きなことを言っては、実行できずに終わる娘です。部活もロクに活動をしていない
ような部を転々とし、勉強もそこそこ。趣味は寝ることで、夢は妄想めいた事ばかり。

 私には甘えに思えてなりません。やりたいようにやらせ、本人が痛い思いをするのもい
い経験では、とも思うのですが、迷っています」(Dさんからのメール)というような見方
では、娘さんは、あなたに対して、心を開くことはないでしょう。

 頭から、「大きなことを言っては、実行できず」とは?
 「部活もロクに活動をしていないような部を転々とし、勉強もそこそこ。趣味は寝るこ
とで、夢は妄想めいた事ばかり」とは?

 さらに「本人が痛い思いをするのもいい経験では、とも思うのですが」とは?

 率直に言って、「これが親の言う言葉かな?」(失礼!)と思いました。

 おそらく、娘さんが幼いときから、Dさんは、過干渉ぎみ、過関心ぎみで、娘さんとの
リズムが合っていなかったのではないかと思っています。今も、そのリズムがかみあわな
いままでいます。

 どこかあなた自身、少し親意識が強すぎませんか? 今ここで、舵取りを誤ると、娘さ
んは、このまま二番底、三番底へと落ちていきます。たいへん微妙な段階です。

 仮に「痛い思い」をしそうであれば、それをカバーするのが、あなたという親の役目で
はないでしょうか。言うべきことは、「また何かあったら、お母さんがあなたを守ってあげ
るから、心配しなくてもいいのよ」です。

 さらにひょっとしたら、娘さんが、その私立女子中学校をやめたら、困るのは、あなた
なのではないでしょうか。あなたは娘さんの気持ちよりも、親のメンツ、世間体を気にし
ているのかもしれません。

 もしそうなら、親子の断絶も、時間の問題かもしれませんね。(あなた自身も、親意識の
強い、権威主義的な家庭環境で、育てられている可能性も大きいです。ご自身の過去を、
冷静に、振りかえってみてください。)

 なお、気うつ的な状態になると、症状的には、生活態度がだらしなくなり、全体として、
怠けているような様子をしてみせるようになります。ですから表面的な症状だけを見て、
「怠け」とか、「甘え」とか、そういうふうに決めてかかってはいけません。

 本来なら、娘さんは、年齢的にも、ハツラツと、明るい表情で、生き生きとしているべ
きときです。が、それが本人も、できない。つまり、一番苦しみ、もがいているのは、娘
さん自身だということです。なのに、家に帰ると、母親のあなたから、ガミガミと言われ
る。冷たくあしらわれる。「甘えだ」「怠けている」「部活もロクにできない」と。

 私があなたの娘さんなら、「このクソババア!」と叫んで、家を出ますよ! (ホント!)

 ともかくも、ここは、こうしてください。

(1)娘さんのよき聞き役に回ること。(これが重要です!)
(2)転校も考えてやること。(失敗するとわかっていても、です。)
(3)先に書いた、自我の同一性を、娘さんの中に作ってあげること。
(4)一方的に、親の価値観を、娘さんに押しつけないこと。

 一過性の(迷い)のようなものであれば、それほど、深刻に考える必要はありません。
ただ、いただきましたメールの内容からすると、すでに娘さんは、軽い気うつ状態から、
うつ症、あるいはうつ病的になっているのではないかと心配されます。「不登校を起こす」
と娘さんは言っているようですが、決して、安易に考えないこと。本当に、そうなる可能
性は、大です。

 やりたいこともできず、悶々としているより、やってみて失敗するほうが、気分もずっ
と楽です。後悔もしません。私なら、子どもを信じて、本人のやりたいように、させます
が……。

 以上です。どうか、参考にしてください。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自分をつかめない子ども 子供の転校 転校問題 中学生の心理 迷う子供)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある会社の社長】

+++++++++++++++++

若いころ、私は、いくつかの会社を回り
ながら、社内報づくりのアルバイトを
していたことがある。

週に、2、3度、その会社に足を運び、
そこで、その会社の社内報を作っていた。

その中のひとつに、「TU繊維KK」と
いう名前の会社があった。

その会社の社長が、ワンマン経営者。
やること、なすこと、めちゃめちゃ。
だれの意見にも、耳を傾けようとしな
かった。

それが、今に見る、K国の金xx、
そっくり! 

今、私の頭の中では、この2人がダブ
って、切り離すことができない。

+++++++++++++++++

●社内報

 私は若いころ、いくつかの会社の社内報を、アルバイトで、作っていた。週に2、3度。
あるいは、月に2、3度、その会社に足を運び、そこでその会社の社内報を作っていた。
ついでに、貿易の手伝いをしたこともある。ときに、そのまま、シンガポールやインドま
で、商談のため、飛んでいったこともある。

 そういう会社のひとつに、「TU繊維KK」という名前の会社があった。以下、会社の名
前を、「T会社」とする。

 そのT会社の社長が、今に見る、あのK国の金xxそっくり! やることなすこと、メ
チャメチャ。気分屋でわがまま。デタラメ!

 T会社は、主に縫製部門を担当する、「縫製部」と、販売部門を担当する、「販売部」、そ
れに縫製部で作った製品を全国に直販する、「直販部」の三つに分かれていた。もちろん、
総務部や経理部もあった。

 社員は、縫製部も含めると、総勢で80人前後ではなかったか。縫製部で働く人たちの
多くは、遠くは北海道や東北地方からやってきた人たちであった。社内報は、そうした人
たちの(輪)をつなぐためのもの、ということだった。

●ワンマン社長

 社長の名前は、TUと言った。会社の名前は、TU繊維KK。自分の名前をちぢめて、
そういう名前の会社にした。しかし本当は、先代の父親が興した会社だったという。それ
を乗っ取る形で、TUは、会社の名前を変え、自分の会社にしてしまった。

 当初は、姉の夫、つまり義理の兄を社長にして、会社をスタートさせた。が、やがてす
ぐ決裂。姉夫婦は、そのまま、関東の北へと、引っ越してしまった。その過程で、姉夫婦
とTUの間で、大きな衝突があったらしい。

 私が社内報を作ってほしいと依頼を受けたときには、それから10年近くの年月がたっ
たころのことである。当時は、縫製の仕事は、かなりもうかったらしい。社長のTUは、
まだ日本では珍しかった、ドイツの高級車を乗り回していた。自宅も、浜松市内では、一
等地。どこか畏敬の念をこめて、「H町」と呼ばれる、閑静な住宅街の一角にあった。

 が、TUは、わがままな人だった。その第一。TUには、時間という概念がなかった。
深夜でも、早朝でも、思い立ったとき、容赦なく、社員のみならず、この私にも、電話を
かけてきた。

 「ああ、林君、こんどの社内報には、秋の社内旅行の話も載せてくれ」
 「林君、社内報の特集で、大阪のファッションをとりあげてくれ」と。

 私はそのつど、つまりTUのクルクルと変化する編集方針に、翻弄(ほんろう)された。

●高度成長の波に乗って

 TUは、よく酒を飲んだ。今から思うと、一日中、飲んでいたのではなかったか。いつ
も酒臭かった。車を運転しているときも、臭かった。

 そんな会社だったが、そこまで大きくなったのは、経理を担当していた、MU氏(肩書
きは、経理部長)の手腕によるところが大きかった。社長のTUの「甥(おい)っ子」と
いうことだった。会社の事実上の経営をしていたのは、そのMU氏だった。

 言い忘れたが、私が知りあったとき、TUは、43歳、MU氏は、45歳だった。

 たまたま日本は、未曾有の高度経済成長期に突入していた。私がその会社に通い始めた
ころには、周辺は、まだ田畑が残る田園地帯だった。が、1、2年のうちに、あたりはど
んどんと変貌していった。その近辺に土地をもっていたTUは、土地を担保に銀行からお
金を借り、それで土地を買い、その上にアパートを建てた。そしてその土地とアパートを
担保にまたお金を借り、新しい土地を買い、その上に、アパートを建てた。

 こうして一時は、その戸数が、1000を超えたという。当時は、そういう手品みたい
なことが、簡単にできた。

 H町にあった自宅を、3階建ての豪邸に改築したのも、そのころのことである。半地下
の部屋には、サウナ付のトレーニングルームまで備えていた。

●TUという社長

 TUの特徴をあげたら、キリがない。思い出すまま、それを書いてみる。

(1)気まぐれ。思いついたら、即、行動。他人のつごうなど、まるで考えない。私もよ
く、真夜中の1時、2時に、呼び出された。
(2)情緒が不安定で、つかみどころがない。激情したかと思うと、その反面、落ち込み
方も激しかった。
(3)昼と夜が逆転。たいてい夜中の10時すぎに、あちこちに指示を出す。生活パター
ーンが、めちゃめちゃ。
(4)見栄っ張り。虚勢を張る。ことさら大物であることを、人に見せびらかす。サイフ
の中には、100〜200万円の現金を入れ、いつも、それをもち歩いていた。
(5)熱しやすく、さめやすい。当時、邱永漢(きゅう えいかん)という経済評論家の本
が、よく売れていた。ある時期は、明けても暮れても、その邱永漢の話ばかり。が、突然、
それが終わる。終わったとたん、今度は別の経済評論家の話ばかり。
(6)複数の愛人がいた。私が知るかぎりでも、2人の愛人がいた。そういう愛人を平気
で、私に紹介したりした。(妻にも会わせていたから、そのへんも、?)
(7)ワンマン。TUに意見を言えるものは、経理担当の、MU氏だけ。しかしそのMU
氏さえも、いつもTUに殴られたり、蹴られたりしていた。社員たちが集まった席で、大
声で罵倒(ばとう)されているのを、私は何度も見たこともある。
(8)それでいて、神経が異常にこまやか。気が小さく、おくびょう。とくに身近の社員
の動向には、あらゆるチャンネルをつかって、さぐりを入れていた。
(9)孤独で、さみしがり屋。そういえば、私はTUが、ひとりでいるところを見たこと
がない。TUのそばには、いつもだれかがいた。

 数か月もすると、私は、社内報作りに疑問をもつようになった。が、TUは、そういう
私の気持ちを察知するとすぐ、私にボーナスをくれた。「君の書く社内報はすばらしい。小
遣いだ。取っておいてくれ」と。当時のお金で、10万円単位のお金だった。

●「殺してやる!」

 私は側近の1人として、TUの言動を、つぶさに見ていた。中には、「お前をいつか、殺
してやる!」と怒鳴りながら、会社をやめていった人もいた。

 反対に、銀行から、多額のお金を使って、引き抜かれてきた人もいた。国産車だったが、
高級車をプレゼントされ、高額の給料を与えられた。が、それでも、長くはつづかなかっ
た。その男性(当時、35歳くらい)は、数か月もしないうちに、精神を病み、そのまま
会社から去っていった。

 私は、最初から、「酒は飲めません」と断っていたので、そういう会に誘われることはな
かったが、社員によっては、毎朝、4時〜5時ごろまで、TUの酒会に付きあわされた人
もいたという。

 が、会社は休めなかった。TUは、社員に、「明日は、休んでいい」とは、口では言って
も、実際にその社員が休んだりすると、「根性が足りない」と言って、反対にその社員を叱
ったりした。

 私は、一定の距離を保ちながら、つまり深入りしないように、TUと交際した。私の仕
事は、社内報をつくること。それだけに専念した。

●そして倒産

 T会社が、倒産したのは、まさにハプニングだった。

 その少し前、T会社は、1回目の不渡り手形を出していた。しかし経営内容が悪かった
わけではない。

 当時、この方法で、脱税を画策する会社は少なくなかった。わざと赤字会社であること
を装いながら、納税を逃れる。インチキといえば、インチキだが、こうしたインチキは、
T会社のような同族会社では、よくなされていた。先にも書いたように、経理を担当して
いたMU氏にしても、TUの身内だった。そのMU氏は、T会社が倒産したあと、私にこ
う話してくれた。

 「あの会社は、倒産などしなくてもよかったのです。またそういう状態ではなかったの
です。倒産したのは、ハプニングです」と。

 私が「ハプニング?」と聞くと、こう教えてくれた。

 大口取引先の繊維問屋の副社長が、T会社にやってきた。そのときのこと。いつもなら、
その問屋への支払いを、1か月猶予(ゆうよ)してもらう形で、2回目の不渡り手形を出
すのを、のがれていた。

 が、その副社長と、MU氏が懇談している席へ、突然、TUが割りこんできた。酒に酔
っていたという。そして何が気に食わなかったのか、TUは、その副社長に向かって、罵
声をあびせかけてしまった。

 「テメエ、この野郎!」「この若造が、何を偉そうに!」というような、言い方だったと
いう。

 とたんその副社長は、態度を硬化。そのまま、その足で、銀行に出向き、手形を不渡り
処分にしてしまった。当時の金額で、わずか、3000万円。T会社は、銀行取引を停止
され、そのまま倒産!

 あっけない倒産劇だった。

●TUの人間性

 話は、ここでぐんと国際的になるが、K国のあの金xxの言動を見ていると、私は、そ
のまま、若いころ知りあった、TUという名前の、あの社長を思い出す。

 容姿は、似ていない。金xxは、ああいう人だが、TUは、背が高く、細身で、スポー
ツマンタイプの人だった。

 しかしその容姿をのぞくと、ウリ2つと言えるほど、よく似ている。もちろん私は、個
人的には、金xxを知らない。知る立場にもない。

 しかしああした独裁国家では、その国を独裁する独裁者の心情、動向が、そのまま国の
姿として、反映される。独裁者の独裁職が強ければ強いほど、そうである。

 で、そののち、TUは、聞くところによると、50歳少し前には、精神そのものを病み、
そのあと二度と退院することなく、62歳の若さで他界したという。「酒の飲みすぎ」と言
った人もいたが、死因そのものは、肝不全だった。

 しかしTUの精神状態は、私が知りあった当時ですら、ふつうではなかった。

 もちろん私の立場では、診断名をここに書くことはできない。またそれを知る由もない。
しかしTUの精神は、すでに当時、つかみどころがないほど、バラバラだった。つぎに何
をするか、予測すらできなかった。何を考えているかさえも、わからなかった。

 社員たちは、そのつど、TUに振りまわされているだけ。TUに不平を漏らしたり、意
見を述べたりすると、そのときは、TUは、やんわりと、「すばらしい意見だ」と、その社
員をほめる。が、翌日、朝一番で、TUは、その社員をクビにしてしまった。そんなこと
も珍しくなかった。

 「オレの経営方針に文句があるなら、さっさとやめろ!」と。

 そういう意味では、まさに恐怖政治。中堅以下の社員たちも、みな、社長の機嫌をうか
がうだけの毎日。TUが玄関に立っただけで、会社中に、ピンとした緊張感が走った。

 TUに忠誠を誓ったからといって、それで安泰というわけでもなかった。へたに忠誠を
誓ったりすると、「このゴマすり野郎」とか、「腑抜け野郎」とか怒鳴られて、みなの前で
恥をかかされたりした。

 私は、TUという男をよく知っている。社内報を書くといっても、実際には、秘書の仕
事をするようなもの。TUの言葉を直接聞き、それを記事にしていた。で、そのTUを思
い出しながら、今、あのK国の内部も、そうではないかと、推察している。

国と会社という点では、規模はちがう。しかし同じ人間というと点では、大小はない。
金xxも、TUも同じ。

 またそういう視点で、金xxを見、K国という国を考えると、金xxやK国が、よく理
解できる。

 で、私の予想では、これから先も、K国という国は、金xxという独裁者のもと、日本
に向かってもメチャメチャなことを言ったり、したりしてくるのではないかということ。
戦争だって、しかけてくるかもしれない。またそういう前提で、あのK国を考え、金xx
を考えなければならない。

 K国をまともな国、あるいは金xxをまともな指導者と思って対処していると、日本は、
とんでもないことになる。それを結論として書きたくて、ここにTUのことを書いた。

 私がT会社から去ったのは、T会社が倒産する直前だった。しかし今、「TU」と呼び
捨てにすることについて、私は何ら、抵抗感を覚えない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   8月 9日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【作文指導】

+++++++++++++++++

言葉指導の要(かなめ)は、作文。
わかりやすく言えば、言葉の学習は、
作文に始まって、作文に終わる。

が、それだけではない。

ものを書くということは、そのまま
考える力につながる。

さらに言えば、人は、考えるから
人である。

考えない人は、サル(失礼!)。

まあ、はっきり言えば、
そういうこと。

BW教室では、このところ
その作文指導に、力を入れている。

++++++++++++++++

●どんなロボットを作りますか?

【問】今度あなたは、新型のロボットを作ることになりました。あなたなら、どんなロボ
ットを作りますか? 600〜800字の範囲で、それについて書きなさい。

……という問題を出して、子どもたち(BW生)に、作文を書かせてみた。楽しかった。
おもしろかった。

Kさん(小6)は、「宿題ロボット」というのを、考えた。学校の宿題をしてくれるロボ
ットだそうだ。しかも顔を見ただけで、その子どもの筆跡まで、まねてしまうという。

 Kさんは、長々と宿題のたいへんさを訴え、そのあとに、「私は、こんなロボットをつく
りたい」と言って、そう書いた。

 私の評価は、0点。(ABC方式で採点して、C'。)

私「こんなロボットは、絶対に作ってはダメ」
K「どうして?」
私「インチキをするためのロボットなんて、ダメ! だったら、銀行強盗をするロボット
というのは、どう? そのほうが、ずっとわかりやすい」
K「だってエ……」と。

 また別のR君(小4)は、「戦闘ロボット」というのを考えた。

 フィールドで機関銃を、バンバンと撃ちながら、戦いあうというロボットである。が、
これも、0点!

 しかし作文指導も、回を重ねるうちに、みな、何とか、まともな(?)作文を書くよう
になってきた。介護ロボットとか、盲導犬ロボットとかなど。自己中心的なものから、利
他的なものへと変わってきた。

 で、昨日は、【問】あなたが未来に残したい宝物は何ですか。それについて書きなさい、
という問題を出した。

 それについて、S君(小4)は、いきなりこう書いた。

 「宝物は、命です。人生はつらい。悲しいこともあるが、楽しい……」と。

 これには、私も爆笑!(ゴメン!) 小学4年生の子どもがそう書いたから、笑った。

 ほかにも、同じ言葉を何度も繰りかえしながら作文を書いた子どもがいた。あるいは前
半部と後半部と、同じ文章を書いた子どももいた。「どうして?」と聞くと、「めんどうだ
ったから」と。

 しかしこれが(はじめの一歩)。最初はいやがっていた子どもたちも、このところ、楽し
そうに作文を書いてくれるようになった。が、それにも、コツがある。

 子どもたちを楽しませること。

 で、こうした作文を、みなの前で読むと、読まれた子どもはいやがる。しかしみなの前
で読み比べることで、子どもたちの作文力は向上する。たがいに批評しあうことこそ大切。
そこで私のばあい、こうしている。

私「これからみんなの書いた作文を読みます。が、もちろん、だれが書いたかは、言いま
せん。名前も言いません。だから読まれた人も、だまっていてください」と。

 が、順に読んでいくと、「これはAさんのだ」「これはBさんのだ」と、子どもたちが言
いあうようになった。そこで私はさらに一歩、前に進んだ(?)。進んで、こんなゲームを
考えた。

 「これから作文を書いてもらいますが、名前を書いてはいけません。ぼくが、読んだあ
と、だれが書いたか、言い当ててみます。もしぼくがハズれたら、ハンマーで、ぼくのお
尻を叩かせてあげます」と。(ハンマーといっても、プラスチックでできた、おもちゃのハ
ンマー。)

 つまり作文指導を、こうしてゲーム化する。が、そのあと、爆笑につづく、爆笑。

私、子どもの作文を読みながら、ふとつまづいたフリをして、「サケって、お酒のこと?」
と。

 するとすかさず、X君(小4)が、「お酒じゃないよ、魚のサケだよ!」と。

 私はその作文には、X君という名前を書き入れた。子どもというのは、瞬間に反応して
しまう。自分を隠すことができない。

 ほかに、その子どもの作文を読んでいると、たいていそれを書いた子どもは、神妙な顔
つきになったり、だまったりしている。視線をはずしたり、もじもじすることもある。み
なが笑っても、その子どもだけは、別の反応を示す。それを観察すれば、だれがどの作文
を書いたか、すぐわかる!

 あとで、作文を返すとき、「これはX君のだ」「これはYさんのだ」「これはZさんのだ」
と。

 子どもたちは、「どうしてわかったのだろう」といった表情をして見せるが、手の内を明
かせば簡単なこと。

 何はともあれ、笑わせること。その(笑い)が、子どもをして、作文の好きな子どもに
する。

 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 作文 作文指導)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【善と悪】

+++++++++++++++++

明日、講演先で、「善と悪」について
少し話す。

前に書いた原稿をさがしていたら、
こんな原稿が見つかった。

4年間に書いた原稿である。

+++++++++++++++++

●神の右手と左手
 
昔から、だれが言い出したのかは知らないが、『善と悪は、神の右手と左手である』とい
う。善があるから悪がある。悪があるから善がある。どちらか一方だけでは、存在しえ
ないということらしい。

 そこで善と悪について調べてみると、これまた昔から、多くの人がそれについて書いて
いるのがわかる。よく知られているのが、ニーチェの、つぎの言葉である。

 『善とは、意思を高揚するすべてのもの。悪とは、弱さから生ずるすべてのもの』(「反
キリスト」)

 要するに、自分を高めようとするものすべてが、善であり、自分の弱さから生ずるもの
すべてが、悪であるというわけである。

●悪と戦う

 私などは、もともと精神的にボロボロの人間だから、いつ悪人になってもおかしくない。
それを必死でこらえ、自分自身を抑えこんでいる。

トルストイが、「善をなすには、努力が必要。しかし悪を抑制するには、さらにいっそう
の努力が必要」(『読書の輪』)と書いた理由が、よくわかる。もっと言えば、善人のフリ
をするのは簡単だが、しかし悪人であることをやめようとするのは、至難のワザという
ことになる。もともと善と悪は、対等ではない。しかしこのことは、子どもの道徳を考
える上で、たいへん重要な意味をもつ。

 子どもに、「〜〜しなさい」と、よい行いを教えるのは簡単だ。「道路のゴミを拾いなさ
い」「クツを並べなさい」「あいさつをしなさい」と。しかしそれは本来の道徳ではない。
人が見ているとか、見ていないとかということには関係なく、その人個人が、いかにして
自分の中の邪悪さと戦うか。その「力」となる自己規範を、道徳という。

 たとえばどこか会館の通路に、1000円札が落ちていたとする。そのとき、まわりに
はだれもいない。拾って、自分のものにしてしまおうと思えば、それもできる。そういう
とき、自分の中の邪悪さと、どうやって戦うか。それが問題なのだ。またその戦う力こそ
が道徳なのだ。

●近づかない、相手にしない、無視する

 が、私には、その力がない。ないことはないが、弱い。だから私のばあい、つぎのよう
に自分の行動パターンを決めている。

たとえば日常的なささいなことについては、「考えるだけムダ」とか、「時間のムダ」と
思い、できるだけ神経を使わないようにしている。社会には、無数のルールがある。そ
ういったルールには、ほとんど神経を使わない。すなおにそれに従う。

駐車場では、駐車場所に車をとめる。駐車場所があいてないときは、あくまで待つ。交
差点へきたら、信号を守る。黄色になったら、止まり、青になったら、動き出す。何で
もないことかもしれないが、そういうとき、いちいち、あれこれ神経を使わない。もと
もと考えなければならないような問題ではない。

 あるいは、身の回りに潜む、邪悪さについては、近づかない。相手にしない。無視する。
ときとして、こちらが望まなくても、相手がからんでくるときがある。そういうときでも、
結局は、近づかない。相手にしない。無視するという方法で、対処する。

それは自分の時間を大切にするという意味で、重要なことである。考えるエネルギーに
しても、決して無限にあるわけではない。かぎりがある。そこでどうせそのエネルギー
を使うなら、もっと前向きなことで使いたい。だから、近づかない。相手にしない。無
視する。

 こうした方法をとるからといって、しかし、私が「(自分の)意思を高揚させた」(ニー
チェ)ことにはならない。これはいわば、「逃げ」の手法。つまり私は自分の弱さを知り、
それから逃げているだけにすぎない。本来の弱点が克服されたのでも、また自分が強くな
ったのでもない。そこで改めて考えてみる。

はたして私には、邪悪と戦う「力」はあるのか。あるいはまたその「力」を得るには、
どうすればよいのか。子どもたちの世界に、その謎(なぞ)を解くカギがあるように思
う。

●子どもの世界

 子どもによって、自己規範がしっかりしている子どもと、そうでない子どもがいる。こ
こに書いたが、よいことをするからよい子ども(善人)というわけではない。たとえば子
どものばあい、悪への誘惑を、におわしてみると、それがわかる。印象に残っている女の
子(小3)に、こんな子どもがいた。

 ある日、バス停でバスを待っていると、その子どもがいた。私の教え子である。そこで
私が、「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、その子どもはこう言った。「い
いです。私、これから家に帰って夕食を食べますから」と。「ジュースを飲んだら、夕食が
食べられない」とも言った。

 この女の子のばあい、何が、その子どもの自己規範となったかである。生まれつきのも
のだろうか。ノー! 教育だろうか。ノー! しつけだろうか。ノー! それとも頭がか
たいからだろうか。ノー! では、何か?

●考える力

 そこで登場するのが、「自ら考える力」である。その女の子は、私が「缶ジュースを買っ
てあげようか」と声をかけたとき、自分であれこれ考えた。考えて、それらを総合的に判
断して、「飲んではだめ」という結論を出した。それは「意思の力」と考えるかもしれない
が、こうしたケースでは、意思の力だけでは、説明がつかない。

「飲みたい」という意思ならわかるが、「飲みたくない」とか、「飲んだらだめ」という
意思は、そのときはなかったはずである。あるとすれば、自分の判断に従って行動しよ
うとする意思ということになる。

 となると、邪悪と戦う「力」というのは、「自ら考える力」ということになる。この「自
ら考える力」こそが、人間を善なる方向に導く力ということになる。釈迦も『精進』とい
う言葉を使って、それを説明した。

言いかえると、自ら考える力のな人は、そもそも善人にはなりえない。よく誤解される
が、よいことをするから善人というわけではない。悪いことをしないから善人というわ
けでもない。人は、自分の中に潜む邪悪と戦ってこそはじめて、善人になれる。

 が、ここで「考える力」といっても、二つに分かれることがわかる。一つは、「考え」そ
のものを、だれかに注入してもらう方法。それが宗教であり、倫理ということになる。子
どものばあい、しつけも、それに含まれる。

もう一つは、自分で考えるという方法。前者は、いわば、手っ取り早く、考える人間に
なる方法。一方、後者は、それなりにいつも苦痛がともなう方法、ということになる。
どちらを選ぶかは、その人自身の問題ということになるが、実は、ここに「生きる」と
いう問題がからんでくる。それについては、また別のところで書くとして、こうして考
えていくと、人間が人間であるのは、その「考える力」があるからということになる。

 とくに私のように、もともとボロボロの人間は、いつも考えるしかない。それで正しく
行動できるというわけではないが、もし考えなかったら、無軌道のまま暴走し、自分でも
収拾できなくなってしまうだろう。

もっと言えば、私がたまたま悪人にならなかったのは、その考える力、あるいは考える
という習慣があったからにほかならない。つまり「考える力」こそが、善と悪を分ける、
「神の力」ということになる。
(02−10−25)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
善と悪 善悪論 子どもの倫理 倫理規範 子供の倫理 規範)


++++++++++++++++++++

●補足

 善人論は、むずかしい。古今東西の哲学者が繰り返し論じている。これはあくまでも個
人的な意見だが、私はこう考える。

 今、ここに、平凡で、何ごともなく暮らしている人がいる。おだやかで、だれとも争わ
ず、ただひたすらまじめに生きている。人に迷惑をかけることもないが、それ以上のこと
も、何もしない。小さな世界にとじこもって、自分のことだけしかしない。

日本ではこういう人を善人というが、本当にそういう人は、善人なのか。善人といえる
のか。

 私は収賄罪で逮捕される政治家を見ると、ときどきこう考えるときがある。その政治家
は悪い人だと言うのは簡単なことだ。しかし、では自分が同じ立場に置かれたら、どうな
のか、と。

目の前に大金を積まれたら、はたしてそれを断る勇気があるのか、と。刑法上の罪に問
われるとか、問われないとかいうことではない。自分で自分をそこまで律する力がある
のか、と。

 本当の善人というのは、そのつど、いろいろな場面で、自分の中の邪悪な部分と戦う人
をいう。つまりその戦う場面をもたない人は、もともと善人ではありえない。小さな世界
で、そこそこに小さく生きることなら、ひょっとしたら、だれにだってできる(失礼!)。
しかしその人は、ただ「生きているだけ」(失礼!)。が、それでは善人ということにはな
らない。繰りかえすが、人は、自分の中の邪悪さと戦ってこそ、はじめて善人になる。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司
 
最前線の子育て論byはやし浩司(1402)

【自由であること】

+++++++++++++++++

自由であることは、よいことばかりで
はない。

自由であるということは、まさに自ら
に由(よ)って、生きること。

その(生きること)にすべての責任を
負わねばならない。

それは、「刑」というに、ふさわしい。
あのサルトルも、「自由刑」という言葉
を使って、それを説明した。

+++++++++++++++++

 私は私らしく生きる。……結構。
 あるがままの私を、あるがままにさらけ出して、あるがままに生きる。……結構。

 しかしその自由には、いつも代償がともなう。「苦しみ」という代償である。自由とは、
『自らに由(よ)る』という意味。わかりやすく言えば、自分で考え、自分で行動し、自
分で責任をとるという意味。

 毎日が、難解な数学の問題を解きながら、生きるようなもの。

 話はそれるが、そういう意味では、K国の人たちは、気が楽だろうなと思う。明けても
暮れても、「将軍様」「将軍様」と、それだけを考えていればよい。「自由がないから、さぞ
かし、つらいだろうな」と心配するのは、日本人だけ。自由の国に住んでいる、私たち日
本人だけ。(日本人も、本当に自由かと問われれば、そうでないような気もするが……。)

 そういう「苦しみ」を、サルトル(ジャン・ポール・サルトル、ノーベル文学賞受賞者・
1905〜1980)は、「自由刑」という言葉を使って、説明した。

 そう、それはまさに「刑」というにふさわしい。人間が人間になったとき、その瞬間か
ら、人間は、その「苦しみ」を背負ったことになる。

 そこで、サルトルは、「自由からの逃走」という言葉まで、考えた。わかりやすく言えば、
自ら自由を放棄して、自由でない世界に身を寄せることをいう。よい例として、何かの狂
信的なカルト教団に身を寄せることがある。

 ある日、突然、それまで平凡な暮らしをしていた家庭の主婦が、カルト教団に入信する
という例は、少なくない。そしてその教団の指示に従って、修行をしたり、布教活動に出
歩くようになる。

 傍(はた)から見ると、「たいへんな世界だな」と思うが、結構、本人たちは、それでハ
ッピー。ウソだと思うなら、布教活動をしながら通りをあるく人たちを見ればよい。みな、
それぞれ、結構楽しそうである。

 が、何といっても、「自由」であることの最大の代償と言えば、「死への恐怖」である。「私」
をつきつめていくと、最後の最後のところでは、その「私」が、私でなくなってしまう。

 つまり、「私」は、「死」によって、すべてを奪われてしまう。いくら「私は私だ」と叫
んだところで、死を前にしては、なすすべも、ない。わかりやすく言えば、その時点で、
私たちは、死刑を宣告され、死刑を執行される。

 そこで「自由」を考えたら、同時に、「いかにすれば、その死の恐怖から、自らを解放さ
せることができるか」を考えなければならない。しかしそれこそ、超難解な数学の問題を
解くようなもの。

 こうしたたとえは正しくないかもしれないが、それは幼稚園児が、三角関数の微積分の
問題を解くようなものではないか。少なくとも、今の私には、それくらい、むずかしい問
題のように思える。

 決して不可能ではないのだろうが、つまりいつか、人間はこの問題に決着をつけるとき
がくるだろが、それには、まだ、気が遠くなるほどの時間がかかるのではないか。個人の
立場でいうなら、200年や300年、寿命が延びたところで、どうしようもない。

 そこで多くの人たちは、宗教に身を寄せることで、つまりわかりやすく言えば、手っ取
り早く(失礼!)、この問題を解決しようとする。自由であることによる苦しみを考えたら、
布教活動のために、朝から夜まで歩きつづけることなど、なんでもない。

 が、だからといって、決して、あきらめてはいけない。サルトルは、最後には、「無の概
念」をもって、この問題を解決しようとした。しかし「無の概念」とは何か? 私はこの
問題を、学生時代から、ずっと考えつづけてきたように思う。そしてそれが、私の「自由
論」の、最大のネックになっていた。

 が、あるとき、そのヒントを手に入れた。

 それについて書いたのが、つぎの原稿(中日新聞投稿済み)です。字数を限られていた
ため、どこかぶっきらぼうな感じがする原稿ですが、読んでいただければ、うれしいです。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●真の自由を子どもに教えられるとき 

●真の自由を手に入れる方法はあるのか? 

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。

「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を
奪う。が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることにな
る。しかしそれは可能なのか……? その方法はあるのか……? 

一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の
恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこん
な経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる
習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグ
イと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のとき
は、さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」、私「……いいだろ」と。
 
私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するが
ゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。

英語には『無条件の愛』という言葉がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。し
かしその愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、
許し、愛し、受け入れるということ。

「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由などない。一
文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。

死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言う
ことができる。そしてそれができれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に
入れたことになる。

その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、
しかし一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 くだらないことだが、この日本には、どうでもよいことについて、ギャーギャーと騒ぐ
自由はある。またそういう自由をもって、「自由」と誤解している。そういう人は多い。し
かしそれはここでいう「自由」ではない。

 自由とは、(私はこうあるべきだ)という(自己概念)と、(私はこうだ)という(現実
自己)を一致させながら、冒頭に書いたように、『私らしく、あるがままの私を、あるがま
まにさらけ出して、あるがままに生きる』ことをいう。

 だれにも命令されず、だれにも命令を受けず、自分で考え、自分で行動し、自分で責任
をとることをいう。どこまでも研ぎすまされた「私」だけを見つめながら生きることをい
う。

 しかしそれがいかにむずかしいことであるかは、今さら、ここに書くまでもない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自由論 自由とは サルトル 無条件の愛 無私の愛 無の概念)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●仮面とシャドウ

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だれしも、ある程度の仮面を
かぶって生きているものだが……。

しかし仮面は仮面。

大切なことは、仮面をかぶっていることを、
いつも意識すること。

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 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、
夫としての仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。いくら客に怒鳴られても、
にこやかな顔をして、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよ
い。ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、
ウズを巻く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事
件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないこ
とがわかる。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンシ
ョンに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育に
も熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに仮面とシャドウの問題が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言った
とする。「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰
よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思
って、そう言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウが
つきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断
している人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところ
がある。「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですって
ねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、その
まま学歴制度になり、さらに出身高校へと結びついていった。街道筋の宿場町であったが
ために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きつい
でしまう。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れよ
うとしている」と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる
基盤となってしまう。

 よくシャドウで話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』であ
る。佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みごと
な演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさるこ
とながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、
榎津鎮雄との、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれ
とるけん」と言う。そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た
人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印
象を与える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握ら
せる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャンで、それを仮面とするなら、息子の嫁と
不倫関係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、
そっくりそのまま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげ
た原動力になったとも言える。

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、そ
の仮面を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけ
ならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言え
る。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのま
まの自分を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、
まし。もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子
どもにとっては、好ましいということになる。
(はやし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる
本」)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●日本人のアイデンティティ

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日本人は、自分はどうありたいと
願っているのか。

それを知るのが、「国」としての日本を
考える、第一歩。

++++++++++++++++
 
 日本人は、日本がどうあるべきだと思っているのか。どうあったらよいと考えているの
か。

 日本人が、日本人として、したいことと、日本が今、進んでいるべき道が、一致してい
ればよい。問題は、ない。心理学の世界にも、アイデンティティ(自己同一性)という言
葉がある。

 (自分のしたいこと)と、(自分のしていること)が一致していれば、その子どもは、落
ちついている。安定している。これを、アイデンティティという。が、ときとして、その
両者がかみあわなくなるときがある。

 A君(小学3年生)は、「おとなになったら、サッカー選手になりたい」と思っていた。
地元のサッカークラブでも、そこそこに、よい成績を出していた。が、そこへ進学問題が
からんできた。まわりの子どもたちが、進学塾に通うようになった。

 A君は、それでもサッカー選手になりたいと思っていた。が、現実は、そうは甘くなか
った。4年生になったとき、さらに優秀な子どもたちが、そのサッカークラブに入ってき
た。A君は、相対的に、目だたなくなってしまった。

 ここでA君は、(自分の進みたい道)と、現実とのギャップを、思い知らされることにな
る。が、こうした不一致は、ただの不一致では、すまない。

 A君は、心理的に、たいへん不安定な状態に置かれることになる。いわゆる「同一性の
危機」というのが、それである。が、さらに進学の問題が、A君に深くからんできた。母
親が、A君にこう言った。

 「成績がさがったら、サッカーはやめて、勉強しなさい」「サッカーなんかやっていても、
プロのサッカー選手になるのは、東大へ入ることより、むずかしいのよ」と。

 子どもというのは、自我に目覚めるころから、自分のまわりに、(自分らしさ)をつくっ
ていく。これを役割形成という。が、その(自分らしさ)がこわされ始めると、そこで役
割混乱が起きる。

 それは、心理的にも、たいへんな不安定な状態である。

 たとえて言うなら、好きでもない男と、妥協して結婚した、女性の心理に近いのではな
いか。そんな男に、毎夜、毎夜、体を求められたら、その女性は、どうなる?

 こうしてアイデンティティの崩壊が始まる。

 一度、こういう状態になると、程度の差もあるが、子どもは、自分を見失ってしまう。
いわゆる(だれでもない自分)になってしまう。自分の看板、顔、立場をなくしてしまう。
が、そこで悲劇が止まったわけではない。

 A君は、進学塾に通うことになった。母親が、「いい中学へ入りなさい」と、A君を攻め
たてた。A君は、ますます、自分を見失っていった。

 こういう状態になると、子どもは、つぎの二つのうちの、一つを選択することに迫られ
る。

 (だれでもない自分)イコール、無気力になった自分のままで、そのときを、やりすご
すか、代償的な方法で、自分のつぎの道をさがし求めるか。

 代償的な方法としては、攻撃的方法(非行など暴力的行為に走る)、服従的方法(集団を
組み、だれかに盲目的に服従する)、依存的方法(幼児ぽくなり、だれかにベタベタと依存
する)、同情的方法(弱々しい自分を演じて、いつもだれかに同情を求める)などがある。

 ふつうこの時期、多くの子どもたちは、攻撃的方法、つまり非行に走るようになる。(だ
れでもない、つまり顔のない人間)になるよりは、(害はあっても、顔のある人間になる)
ことを望むようになる。

 この時期の子どもの非行化は、こうして説明される。

 で、自分の存在感をアピールするために、学校でわざと暴れたりするなど。このタイプ
の子どもに、「そんなことをすれば、みんなに嫌われるだけだよ」と諭(さと)しても意味
はない。みなに恐れられること自体が、その子どもとっては、ステータスなのだ。

 これは子どもの世界の話である。

 で、日本人も、今、私の印象では、その「同一性の危機」の状態にあるとみてよい。(日
本人として、したい道)と、(進んでいる道)が、一致していない。そのため日本人全体が、
今、たいへん不安定な心理状態にある。

 民主主義国家として、平和と自由を愛する国民になるのか、それとも、復古主義的な流
れの中で、武士道に代表される過去の日本にもどるのか。Y神社を参拝して、戦前の軍神
たちに頭をさげるのか。つまりはわけのわからない状態の中で、混沌(こんとん)として
いる。

 だから中国や韓国で、反日運動が起きても、「どうしたらいい……」と、ただ右往左往す
るだけ。自分の主張すら、ない。ないから、声をあげることもできない。

 では、どうするか。

 私は、もう過去の日本とは決別をして、自由と、平和と、平等の三つを旗印にかかげ、
国際化のうねりの中で、まっしぐらに前に進むしかないと思う。その向こうにあるのは、
かつて200年前にカントが提唱した、世界国家である。コスモポリタンである。

 はからずも今朝(4・21)、オーストラリアのハワード首相が、日本との間で、FTA
(自由貿易)協定を結ぼうと提唱したというニュースが、飛びこんできた。オーストラリ
アは、イラクの自衛隊を保護するために、オーストラリア軍を派遣してくれた。

 そういう国もある。(Advance Australia!)

 そういう国の存在を信じて、前に進む。それこそが、まさに日本のアイデンティティの
確立につながる。

 ついでに一言。よく「アイデンティティ」という言葉を使って、「武士道こそが、日本人
が誇るべき、アイデンティティだ」と説く人がいる。

 しかしそもそも言葉の使い方が、まちがっている。そういう人は、アイデンティティと
いうのは、個性のことだと思っている。さらに言えば、武士道など、日本人が誇らなけれ
ばならない精神でも、なんでもない。

 わずか数%の、為政者たちが、刀を振り回して、大半の民衆を虐(しいた)げてきた。
その中で生まれた、自分勝手な論理と精神訓、それが武士道である。あえて言うなら、官
僚道、役人道ということになる。

 自分たちの先祖は、その大半が、武士とは無縁の、町民や農民であった。そういう立場
を忘れて、150年たった今、自分が武士にでもなったつもりで、武士道をたたえるのは、
どうかと思う。少なくとも、私はついていけない。

 もちろん文化は文化だし、歴史は歴史。だからそれなりに尊重はしなければならない。
が、それを今、もちだす必要は、どこにもない。改めて日本の「柱」にしなければならな
い理由など、どこにもない。

 私たちが進むべき道は、前にある。うしろではない。

 日本人の心を、発達心理学にからめて、考えてみた。
(はやし浩司 日本人 アイデンティティ 自己同一性)

(追記)

 農業問題もあるが、オーストラリア、シンガポールと、自由貿易協定を結べば、それ自
体が、韓国、中国にとっては、たいへんな脅威になる。

 日本には、ほかに、ブラジルがある。インドがある。アメリカも、カナダもある。EU
もある。

 日本は、決して孤立していない。

 去年、オーストラリアの友人(国防省勤務)が、メールで私にこう書いてきた。(このこ
とは、当時のマガジンに原稿として書いた。)

 「ヒロシ、日本が、K国に攻撃されたら、オーストラリアは、自動的にK国を攻撃する
ことになっている。安心しろ」と。日本とK国の間の緊張感が、極度に高まっていたとき
でもある。

 私はそのメールをもらったとき、どういうわけか、涙が出るほど、うれしかった。そう
いう心が、今回の、オーストラリア軍のイラク派遣へと、具体的につながっている。日本
の自衛隊を守るために、だ。

 韓国のN大統領よ、日本は、決して世界から、孤立なんかしていないぞ! バカめ! 孤
立させたいのは、N大統領、実は、あなた自身ではないのか! 中国で反日運動が起きた
とき、イの一番に、「これで日本の安保理入りは、流れた」と喜んだのは、どこのどなたで
したか? 私たち、日本人は、それを忘れないぞ!

 ……とまあ、たがいに、敵意を育てていてもしかたないですよね。しかしね、N大統領、
日本人も変わりましたよ。どうか戦前の日本人のイメージのままで、今の日本人を見ない
でください。くれぐれも、よろしくお願いします。

 やがていつかすぐ、日本と韓国が、FTA協定を結ぶことになると思います。そういう
時代は、すぐそこまできています。そういう共通の目標に向って、いっしょに、前に進も
うではありませんか。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●自己概念

+++++++++++++++

あなたは自分を、どうあるべきと、
考えているだろうか。

どうあったらよいかと、考えて
いるだろうか。

それが自己概念である。

+++++++++++++++

 自分の姿、立場、位置を正確に把握することは、とても重要なことである。他人の目を
意識せよということではない。(自分)というものを、客観的に知るということ。それは(私)
を知るための、第一歩ということにもなる。

 「私はどういう人間なのか」「社会からは、どう見られているのか」「どういう立場にあ
るのか」と。

 その自己の概念を知るためには、3つの方向性がある。

(1)自分の容姿、姿、態度、姿勢(自分の姿は、他人には、どう映っているか)
(2)自分の社会的地位、立場(自分は、どういう立場にあるか)
(3)自分の義務、責任(自分は、他人に何をするように期待されているか。何をすべき
か)

 こうした概念を、正確にもてばもつほど、自分というものが、よくわかってくる。で、
そのばあいでも、自己中心的な人ほど、それがわからない。私が思っている私(自己概念)
と、他人の中の私(現実自己)の間に、ズレが生じてくる。

 よい例として、定年退職したあとまで、それまでの学歴や経歴をぶらさげて、いばって
いる人がいる。そういう人は多い。とくに何らかの権力の座についた人ほど、そうではな
いか。いつまでたっても、その亡霊から抜け出すことができない。

 このタイプの人は、定年によって、地位や肩書きをすべて失ったにもかかわらず、それ
にしがみつくことによって、自分の権威を守ろうとする。しかし実際には、何もできない、
ただの老人。

 いや、老人であることが悪いというのではない。その亡霊にしがみつけば、しがみつく
ほど、自分を見失うということ。周辺の人たちと、同化できなくなってしまう。

 私が、このタイプの人を知ったのは、30歳くらいのときのことではなかったか。遠い
親戚にあたる知人の家に遊びに行ったときのこと。その男性(当時65歳くらい)は、私
にこう言った。

 「君は、何をしているのかね?」と。

 そこで私が「幼稚園で働いています」と答えると、「もうすこし、まともな仕事ができん
かね。学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事には、つけなかったんだろう?」と。

 その男性は、定年まで、ある学校の校長をしていた。私は当時、すでに、「何、言ってる
んだ。自分は、ただの退職者のくせに」と思ったのを覚えている。

 現実の(彼)は、年金で遊ぶ、ただの退職者にすぎない。そういう現実が、まったくわ
かっていない。が、それだけではない。いつまでも過去の肩書きにぶらさがっていると、
結局は、さみしい思いをするのは、その人自身ということになる。

 こうした例は、母親たちの世界にもある。

 ずいぶんと前の話だが、つまり、まだバブル経済、まっさかりのころの話だが、こんな
話を聞いた。

 その銀行の寮(ある都市銀行のH支店・家族寮)では、夫たちの地位に応じて、妻たち
の地位も決まるという。妻たちの年齢や学歴は、関係ない。何かの女性会議の席でも、支
店長の妻が中央にすわり、つづいて、次長、部長、課長……と並ぶのだそうだ。

 廊下ですれちがうときも、相手が地位の高い夫をもつ妻だったりすると、道をあけなけ
ればならない、と。

 さらに上司の子どもと同じ学校は、受験しないなどという不文律もあるとか。うまく両
方が、合格すればよし。しかし上司の子どもが落ちて、自分の子どもが合格したりすると、
さあ、たいへん! ……ということで、そんなことにも気をつかうとか。

 そういう世界も、現実に、ある。バカげているが、当の本人たちには、そうではない。
大まじめ!

 つまりこうした悲喜劇も、つまるところ、(自己概念)と、(現実自己)のズレから生ま
れる。

 ……で、私のこと。

 以前、ある小さな会合で、7〜8人の男たちが、国際政治を論じていた。どの人も、商
店主とか、小さな町工場の経営者だった。

 私はその話を聞きながら、「そんなことを論じても、マスターベーションにもならない(失
礼!)」と思ってしまった。が、すぐに、それは私自身のことだと、気がついた。

 私は、こうして、子育てを論じ、人生を論じ、ついで同じように、国際政治を論じてい
る。

 しかし、だれも、私を相手にしていない。あえて言うなら、私がしていることは、犬の
遠吠え、そのもの。社会的影響力は、かぎりなくゼロに近い。つまり私のもっている(自
己概念)と、(現実自己)は、大きく、ズレていることになる。

 ワイフだって、ときどき、こう言う。「あなた、日本の心配もいいけど、来月の家計も少
しは、心配してね」と。私が出している電子マガジンなどは、ワイフに言わせれば、まさ
に、道楽……ということになる。

 考えてみれば、なんともさみしい世界だが、これが私にとっての現実ということになる
のだが、しかし目的がないわけではない。

 こうしてモノを書いていると、それ自体が、ボケ防止になる。それに毎日、新しい世界
を知ることは、実のところ、楽しい。未開の荒野をひとりで歩くようなスリルさえ感ずる。
だから私にとっては、決してムダではない。

 現実の自分がどうであるかをしっかりと知っていれば、あとは何をしようが、それは私
の勝手ということになる。現実の自分がそうであるからといって、必ずしも、それにこだ
わらなければならないということもない。

 自分を知るということは、本当に、むずかしい……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自己概念 現実自己)

【補記】

 同じように、自分の子どもの(概念)を正確にとらえることは、むずかしい。問題のあ
る子どもを、「問題がない」と思いこむのも、反対に、問題のない子どもを、「問題がある」
と思いこむのも、結局は、子どもの(現実)を性格にとらえていないことになる。

 子どもの姿を、正確にとらえることも、子育てにおける、重要なテーマの一つかもしれ
ない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【国際情勢・あれこれ】

+++++++++++++++++

もつれた糸が、さらにもつれてきた。

現在の国際情勢を一言で表現するなら、
そういうことになる。

私たちは、その国際情勢を、どう
考えたら、よいのか?
どう判断したら、よいのか?

+++++++++++++++++

●米朝交渉

 なぜ、K国が、(日本をはずした上で)、米朝交渉に、こうまで執念を燃やすか? ……
答えは、ただひとつ。日本との戦争準備のためである。

 K国の立場で、考えてみれば、それがわかる。

 今、K国にとって、ゆいいつ開戦の大義名分の立つ国と言えば、この日本しかない。こ
の日本をおいて、ほかにない。しかしその日本には、アメリカという強力なうしろ盾があ
る。K国にしてみれば、まさに目の上のタンコブ。日本とアメリカは、日米安保条約とい
う軍事条約で、しっかりと結ばれている。

 しかし、もしアメリカとK国が、平和条約、あるいは相互不可侵条約を結べば、その時
点で、ことK国に関しては、日米安保条約は、効力を失う。アメリカ本土が攻撃されない
かぎり、アメリカは、K国に対して、手も足も出せなくなる。たとえ同盟国の日本が、K
国に攻撃されても、だ。

 日本の中にさえ、「アメリカは、K国と、2か国協議をすればいい」などと主張している、
ノー天気な人がいる。しかしこれはとんでもない意見! もしそんなことにでもなったら、
そのあと、日本はどうなるか。

 追いつめられたK国は、現在、自滅か、さもなくば、開戦かという瀬戸際に立たされて
いる。経済も、体制も、さらに軍事力もガタガタ。が、そのK国が自滅の道を選ぶとは、
とうてい思えない。当然のことながら、K国は、開戦という道を選ぶだろう。戦争になら
なくても、脅すだけで、日本からは、莫大な戦後補償金を手にすることができる。

さらに日朝戦争ということになっても、韓国や中国、さらにはロシアは、それを黙認す
るしかない。ばあいによっては、裏で、K国を助けるかもしれない。

 日本やアメリカ、とくに日本が、6か国協議にこだわる理由は、ここにある。


●竹島(独島)問題
 
 あのヨーロッパには、もう国境は、ない。大学ですら、EU内では、単位も共通化され
た。どこの大学で単位を取っても、同じという状況になった。(最終的に、どこの大学で学
位が認められるかということは、重要だが……。)

 このアジアもやがて、そうなる。またそうならなければ、アジアはアジアとして、生き
残っていくことはできない。(そうでなければ、やがてアジア内部で、大戦争が勃発し、ア
ジアそのものが、自滅する。)

 もしこのアジアも、EUと同じように統合されるようなことになれば、竹島だの、尖閣
諸島だのと言っている方が、おかしくなる。今すぐには、無理だとしても、私たち日本人
は、そういう世界をめざす。またそういう世界が、やがてやってくることを前提として、
ものを考える。世界に向けて、意見を言う。

 が、これに対して、「このアジアでは、EUのような統合は、無理」と説く人もいる。な
らば聞くが、ほんの半世紀前に、ヨーロッパが現在のように統合されるようになるなどと
は、だれが予想していただろうか。

 こうした領土問題は、性急に結論を求めないこと。ノラリクラリ……とまでは言わない
が、しかし棚上げ、先送りという方法で、時機が熟するまで、待つ。その時機がくれば、
こうした問題は、自然消滅の形で、解決する。

 たかが、小さな島ではないか!

 そんな島を取りあって、戦いだの戦(いくさ)だのと騒ぐ方が、おかしい。愛国心や民
族主義を説く方がおかしい。

 竹島にせよ、尖閣諸島にせよ、昔は、それぞれの国の人たちが、みな、仲よく使ってい
た。どうしてそういう時代に、今、もどれないのか? そういう話しあいが、今、できな
いのか?


●K国のミサイル問題

 中国にせよ、韓国にせよ、K国のミサイルより脅威なのは、日本がもつロケット技術で
ある。

 今年に入ってから、日本は、H2ロケットをつぎつぎと打ちあげている。うち1機には、
地上を監視するスパイ衛星を積みこんでいる。

 当時、それについて韓国の各紙は、「韓半島(K国ではない、韓半島)が、日本の監視下
に入った」と騒いだ。日本は、「K国のミサイルや核開発を監視するためのもの」と主張し
たが、そういう言い訳は、日本の外では通用しない。

 またK国の核開発問題にしても、中国や韓国は、「日本も核兵器をもっているではないか」
と主張している。言うまでもなく、「アメリカの核の傘に入っている」ということは、「日
本も核をもっている」ということを意味する。

 日本の中で見る日本と、日本の外から見る日本。その両者には、大きなへだたりがある。
その(へだたり)を無視して、K国のミサイル問題を論じても、あまり意味がない。意味
がないばかりか、かえって、各国の反発を買うことになる。一連の6か国協議において、
中国や韓国、それに日本の足並みがそろわない理由は、こんなところにもある。

 で、K国のミサイル問題だが、ミサイル自体は、問題ではない。ミサイルに何を積むか
が、問題である。

 K国は、すでに核兵器を8〜10個ほどもっていると言われている。仮にそういった核
兵器が、ミサイルに積まれたとしたら……!

 そこで問題なのは、ミサイルではなく、核兵器であり、生物・化学兵器ということにな
る。というのも、核兵器の運搬手段は、ミサイルだけではないからである。航空機や船に
積んで、自爆攻撃という方法もある。

 しかし悲しいかな、K国の核兵器、さらに生物・化学兵器問題については、日本には解
決する能力はない。ないことは、拉致問題ひとつ取りあげても、わかる。中国にせよ、韓
国にせよ、とくに今の韓国のN政権などは、K国の核開発を黙認しているといった印象す
らもつ。

さらに今回のミサイル発射実験にしても、韓国のN政権を支える支持団体は、「自業自得」
という言葉さえ使っている。つまり、K国が、こうしたミサイル実験をするのは、
にしてみれば、当然の権利である、と。共同歩調など、もとから期待する方が、おかし
い。

 ともあれ、K国は、ミサイルを発射してしまった。テポドン2号については、どうやら
失敗に終わったようだが、しかしこれで実験が終わるわけではない。すでに2発目の発射
準備にとりかかっているという(7月7日)。

 で、日本では、K国に対する制裁が、つぎつぎと打ちだされている。しかしここで注意
しなければならないのは、制裁するのは結構だが、日本には、それだけの覚悟ができてい
るかということ。

 今、日本がK国を制裁すれば、K国に、日本に対しての戦争をしかける口実をあたえる
だけ。つぎのミサイルの発射が、実験で終わるとは、かぎらない。ズバリ、この日本をめ
がけて、ミサイルを飛ばせてくるかもしれない。

 その覚悟はできているのか?

 制裁にもいろいろある。M号の新潟港への入港を禁止するという程度なら、まだよい。
しかしK国の、のどもとを締めあげるような制裁は、この際、してはならない。勇ましい
経済制裁論もあるようだが、それは慎重に! もう少し国連の安保理での動きを見てから
でも、遅くないのではないか。

 K国の金xxは、明らかにおかしい。金xxというよりは、金xxの脳みそは、おかし
い。そういう前提で、ものを考える。今回のミサイル問題は、結局は、ここに行き着く。

【付記】

 それにしても、おバカなのが、韓国のN大統領。ミサイルが発射される前日まで、「人工
衛星用だ。ミサイルとはかぎらない」と、K国を擁護。さらにミサイルが発射されたその
当日ですら、つまり世界中が大騒ぎしている最中(さなか)ですら、K国支援のための肥
料運搬船を出港させている。

 さらに「N大統領は北朝鮮がミサイルを発射してから、24時間が経つのに、まだ何の
コメントも発表していない。大統領府の関係者は、『大統領が直接乗り出せば、国民の不安
感をあおってしまうことになるため』と説明しているという」(朝鮮N報)と。 

 朝鮮N報ですら、自国を評して、社説で、「どうかしてる国」と言い切っている。ホント! 
私もそう思う。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●悪魔の願い(台風3号)

+++++++++++++++

台風3号が、九州の西方を北上し、
今、あの国をめざして、
まっしぐらに進んでいる。

+++++++++++++++

 水色の空に映(は)える稲の若葉が美しい。青々と、水田が、一面、緑の芝生のよう。
これから暑い夏を迎え、稲の生育は、一気に加速する。

 そんな中、台風3号が、九州の西方を北上しつつある。先ほども、気象庁の台風予想進
路図をのぞいてみたが、のぞくたびに、あの国の首都を直撃しそうな気配が濃厚になって
きた。

 現在(7月8日、16時)、中心気圧は、950hPa。「強い台風」。このまま進めば、
勢力は、975hPaと、やや勢力は衰えるものの、10日の真夜中から11日の朝にか
けて、あの国に上陸するはず。

 その上、見るたびに、予想円の中心が、あの国の首都に近づいている。

 ご存知のように、あの国の穀倉地帯は、首都を中心として、西海岸側、東シナ海につき
でた、半島周辺に集中している。もし予想通りのコースを、台風がたどれば、あの国は、
まちがいなく、甚大な被害を蒙(こうむ)ることになる。

 灌漑施設そのものが、整っていない。わずかな雨でも、洪水になる。

 「だいじょうぶか?」などということは、ここには書けない。「心配している」などとは、
今の私の心情では、ウソでも、書けない。ミサイルの発射実験が問題になっているが、「被
害」ということになれば、あの国は、今度の台風で、たいへんな被害を蒙るはず。

 その話を、今日、ある小学校の教頭と、した。

私「台風があの国に向かっていますね」
教「そうみたいですね」
私「これ以上のことは言えませんが、多分、先生と私は、同じ気持ちです」
教「ハハハ、そうですね。私も、同じ気持ちです」と。

 その10日に、中国の政府高官が、あの国に出向き、あの国の頭のおかしい指導者に、
最後の決断を迫るという。そしてその翌日、日付では同じ、7月10日、日本などのいく
つかの国は、あの国のミサイル発射実験を非難する、非難決議案を、国連の安保理に提案
することになっている。

 今のところ、中国が、拒否権を使って、それに反対するという情報が伝わってきている。
しかしそんなことをすれば、あの国イコール、中国ということになってしまう。

 そうでなくても、あの国の評判は、悪い。覚せい剤に、ニセ札、ニセたばこ、それに核
兵器!

 そういう国を、拒否権まで行使してかばえば、世界から、どういう目で見られるか? 中
国だって、それがわからぬはずはない。

 拒否権を行使したかったら、行使すればよい。笑われるのは、中国。「やっぱりね……」
と思われるのは、中国。

 ロシアについては、わからない。多分、採択には棄権という姿勢で臨むのではないか。

 どちらにせよ、経済制裁以上の制裁を、今、台風3号が、あの国に科そうとしている。
もし台風3号が、このまま予想どおり、あの国を直撃すれば、あの国の穀倉地帯を、壊滅
させるはず。

 何といっても、今は、時期が悪い。稲が、これから……という矢先である。

 さあ、日本人としての私は、どう考えたらよいのか? が、他国の不幸を喜ぶというの
も、どうかと思う。それはわかっている。が、数日前の、あの国の政府高官の、あの高慢
な態度は何だ。あれでは、まるで暴力団の親分ではないか。

ああいう連中に、当時女子中学生だったMさんが、あの国に拉致(らち)されたのかと
思うと、背筋が、ゾッとする。それを思うと、どうも、すなおな、やさしい気持ちには
なれない。

 台風3号。どこへ行こうと、私の知ったことではない。しかしどこへ行けばいいかにつ
いては、今、ここには書けない。書けないが、私の思いは、この文章を読んでいるみなさ
んには、わかっているはず。私も、みなさんと、同じように考えている。願っている。

 さあ、みんなで注目しよう、台風3号!

 ……というところで、この話は、おしまい。こういうのを、「悪魔の願い」と言うそうだ。

【付記】

 しかし本当のところ、あの国は、もうこれ以上、追いつめない方がよい。国家経済は、
とっくの昔に、破滅状態。軍部は、ガタガタ。労働者の平均月収は、アメリカドルに換算
して、2ドル以下。(月収が、2ドルだぞ!)

 あの国は、もうこれ以上失うものは、何もない。そういう状態にまで、あの国は、追い
つめられている。

 そういう国に、これ以上制裁を科したら、どうなるか?

 ミサイルと核兵器だけはもっている。それを忘れてはならない。自滅か、開戦かという
ことになれば、歴史の常として、あの国も、開戦を選ぶはず。そしてその矛先(ほきさき)
を、当然、この日本に向けてくるはず。

 で、昨日、日本のM元総理大臣が、現在のK首相に、こう忠言したという。「アメリカに
同調しすぎると、日本があぶない」と。

 同感である。

 K国への制裁問題は、10日の中国との会談がどうなるか。つづいて国連安保理での採
択がどうなるか。そして台風3号が、どのような影響をもたらすか。これら3つを見てか
らでも、遅くはない。といっても、あと2日しかないが……。

 当然、日本の防衛庁も警戒しているだろう。核兵器の運搬方法は、何もミサイルだけに
かぎらない。漁船の底にしのばせて、東京湾にもってくることも考えられる。あの国にし
てみれば、そのほうが、ずっと確実。安あがり。

 しかもこの日本には、200人前後の工作員が、すでに侵入して、活動を開始している
という(週刊誌などの情報)。そういった彼らを支えるC連系の隠れシンパとなると、万人
単位でいるという(同)。

 そういう事実を忘れて、性急に制裁を急げば、どうなるか? 90%近い日本人が、制
裁に賛成しているという。その気持ちはよくわかる。しかしここで感情的になってはいけ
ない。

 制裁に賛成かどうかということになれば、私も賛成。しかし、その前に、日本として、
すべきことは山のようにある。少なくとも、ここは、あの台風3号が、どのような結果を
もたらすか、それを見てからでも遅くはない。何も、日本人自身が、直接手をくだす必要
はない。

日本には、昔から、「天罰」という言葉があるではないか。
(060708)

***********************

私の印象では、すでに核兵器のいくつかは、
この日本に運びこまれているのではないかということ。
その可能性は、ゼロとは言えない。仮に万分の1でも、その
可能性があるというのなら、それについて対策を講じておくのは、
当然のことではないか。

制裁論議は、そのあとでもよい。

そこで提案だが、

(1)皇居を中心として、半径、5〜10キロ以内を、
ローラー作戦でも何でもよい、徹底的に、捜索すること。
調べるべき場所は、地上、5〜10階以上の、ビル、
マンションなど。化学兵器、生物兵器についても、同じ。

(2)核兵器を運搬すれば、その痕跡は残っているはず。
隠匿(いんとく)すれば、その放射能は、外に漏れているはず。

 そういう放射能を、東京都内中を、放射能検知器を使って
徹底的に調べること。

(3)地下の核シャルターの用意をしておくこと。あるいは
避難場所を確保する。各個人について言えば、避難方法や、
避難場所を確保しておく。

 あの国が言うところの「物理的反応」というのは、当然の
ことながら、「テロ」、もしくは「破壊活動」を意味する。
それを忘れてはならない。

(核兵器の隠匿 運搬 東京があぶない)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掲示板への投稿記事より

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掲示板に、こんな投稿記事があった。

それについて、考えてみたい。

++++++++++++++++

【KTさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。はやし先生の子育て論を、いつも読ませていただいています。「?」と思う
事柄にも納得できる解説で、感動しています!

うちの第二子、男の子のことについてですが、つい先ごろ6歳になりました。が、まだま
だ甘えん坊です。幼稚園では、私の姿が見えなければ、頑張り屋さんです。が、自分でで
きることでも、参観授業などで、私の姿を見たとたん、「できない」と泣いてしまったりし
ます。そういうときの二男は、まるで別人のようです。

家では、のんびりご機嫌で遊んでいて大らかな子供です。担任の先生も驚かれて、私がい
ないと、「きっと、泣くこともない。」とのことです。

ちなみに幼稚園は、スパルタ教育方式で、押さえつけが厳しいです。転園を何度か考えな
がら、ここまできてしまいました。

本人は、情緒不安なのでしょうか? ずっとこの状態なわけではなく、大丈夫なときと、
ダメなときが、交互に出ているようです。

私としては、ただ抱きしめて、安心させてあげるだけです。時々「泣かないでよ」と言って
しまう事があります。良いアドバイスお願いします。

【はやし浩司より、KTさんへ】

 基本的には、現在の状況を守ってください。

 幼稚園でがんばっている分だけ、家の中では、息抜きをしようとします。態度が横柄に
なったり、ぞんざいになったりします。暴言を吐いたり、暴れたりすることもあるかもし
れません。

 そういうときは、「ああ、うちの子は、外でがんばっているから、家の中では、こうなの
だ」と思いなおすようにしてください。

 コツは、3つあります。

(1)暖かい無視
(2)ほどよい親
(3)求めてきたときが与えどき、です。

 つまり愛情で子どもを包むようにして、そっとしておいてあげるということです。また
親として、やりすぎない。過干渉、過関心にならないということ。それに、このタイプの
子どもは、ときどき子どものほうから、スキンシップなど、突発的に求めてくるときがあ
りますので、そのときは、すかさず、抱いてあげるなどの行為をしてあげます。

 「あとでね」とか、「忙しいから」は、禁句です。

 幼稚園は、スパルタ方式とか。現在、年長児ですので、あなたのお子さんは、すでにじ
ゅうぶん、それに耐え、乗り越えたと思います。あなたのすべきことは、あなたのお子さ
んをほめ、「よくがんばったわね」と、ねぎらうことです。

 (ほかに、とくに神経症あるいは心身症による症状が見られなければ、という話ですが
……。)

 文面から、たいへん暖かいあなたの愛情を感じます。今のままでよいと思います。

 あなたの姿を見て泣くのは、その瞬間、心の緊張感がゆるむからです。分離不安も考え
られます。これらについての原稿は、このあとに添付しておきますので、参考にしてくだ
さい。

 問題としては、たいへんよくある問題で、この時期の子どもの問題としては、それほど
心配しなくてもよいと思います。一過性の問題として、終わるはずです。(神経症、心身症
による諸症状が見られたら、話は別ですが……。幼児の神経症については、私のHPのど
こかに一覧表として載せてありますので、参考にしてください。)

 では、今日は、これで失礼します。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●内弁慶、外幽霊

 家の中ではおお声を出していばっているものの、一歩家の外に出ると、借りてきたネコ
の子のようにおとなしくなることを、「内弁慶、外幽霊」という。

といっても、それは二つに分けて考える。自意識によるものと、自意識によらないもの。
緊張したり、恐怖感を感じて外幽霊になるのが、前者。情緒そのものに何かの問題があ
って、外幽霊になるのが、後者ということになる。たとえばかん黙症タイプの子どもな
どがいるが、それについてはまた別のところで考える。

 子どもというのは、緊張したり、恐怖感を覚えたりすると、外幽霊になる。が、それは
ごく自然な症状であって、問題はない。しかしその程度を超えて、子ども自身の意識では
制御できなくなることがある。対人恐怖症、集団恐怖症など。子どもはふとしたきっかけ
で、この恐怖症になりやすい。その図式はつぎのように考えるとわかりやすい。

 もともと手厚い親の保護のもとで、ていねいにかつわがままに育てられる。→そのため
社会経験がじゅうぶん、身についていない。この時期、子どもは同年齢の子どもととっく
みあいのけんかをしながら成長する。→同年齢の子どもたちの中に、いきなりほうりこま
れる。→そういう変化に対処できず、恐怖症になる。→おとなしくすることによって、自
分を防御する。

 このタイプの子どもが問題なのは、外幽霊そのものではなく、外で幽霊のようにふるま
うことによって、その分、ストレスを自分の内側にためやすいということ。そしてそのス
トレスが、子どもの心に大きな影響を与える。

家の中で暴れたり、暴言をはくのをプラス型とするなら、ぐずったり、引きこもったり
するのはマイナス型ということになる。

こういう様子がみられたら、それをなおそうと考えるのではなく、家の中ではむしろ心
をゆるめさせるようにする。リラックスさせ、心を開放させる。多少の暴言などは、大
目に見て許す。とくに保育園や幼稚園、さらには小学校に入学したりすると、この緊張
感は極度に高くなるので注意する。仮に家でおさえつけるようなことがあると、子ども
は行き場をなくし、さらに対処がむずかしくなる。

 本来そうしないために、子どもは乳幼児期から、適度な刺激を与え、社会性を身につけ
させる。親子だけのマンツーマンの子育ては、子どもにとっては、決して好ましい環境と
はいえない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●分離不安(プラス型とマイナス型)

 情緒が不安定な子どもというのは、心がいつも緊張状態にあるのが知られている。その
緊張状態のところに、不安が入り込むと、その不安を解消しようと一挙に緊張状態が高ま
り、情緒が不安定になる。

で、そのとき、激怒したり、暴れたりするタイプの子どもと、内閉したりぐずったりす
るタイプの子どもがいることがわかる。一見、正反対な症状に見えるが、ともに「不安
を解消しようとする動き」ということで共通点がみられる。それはともかく、私は前者
をプラス型、後者をマイナス型として考えるようにしている。

 ……というわけで、「プラス型」「マイナス型」という言葉は、私が考えた。この言葉を
最初に使うようになったのは、分離不安の子どもを見ていたときのことである。子どもの
世界には、「分離不安」というよく知られた現象がある。親の姿が見えなくなると興奮状態
(あるいは反対に混乱状態)になったりする。

年長児についていうなら、程度の差もあるが、15〜20人に一人くらいの割で経験す
る。

その子どもを調べていたときのことだが、症状が、(1)興奮状態になり、ワーワー叫ぶ
タイプと、(2)オドオドし混乱状態になるタイプの子どもがいることがわかった。

そのときワーワーと外に向かって叫ぶ子どもを、私は「プラス型」、内にこもって、混乱
状態になる子どもを、「マイナス型」とした。

 この分類方法は、使ってみるとたいへん便利なことがわかった。たとえば過干渉児と呼
ばれるタイプの子どもがいる。親の日常的な過干渉がつづくと、子どもは独特の症状を示
すようになるが、このタイプの子どもも、粗放化するプラス型と、内閉するマイナス型に
分けて考えることができる。子ども自身の生命力の違いによるものだが、もちろん共通点
もある。ともに常識ハズレになりやすいなど。

 ほかにたとえば赤ちゃんがえりをする子どもも、下の子に暴力行為を繰りかえすタイプ
をプラス型、ネチネチといわゆる赤ちゃんぽくなるタイプをマイナス型と分けることがで
きる。

いじめについても、攻撃的にいじめるタイプをプラス型、もの隠しをするなど陰湿化す
るタイプをマイナス型に分けるなど。また原因はともあれ、家庭内暴力を起こす子ども
をプラス型、引きこもってしまう子どもをマイナス型と考えることもできる。表面的な
症状はともかくも、その症状を別とすると、共通点が多い。またそういう視点で指導を
始めると、たいへん指導しやすい。

 こうした考え方は、もちろん確立された考え方ではないが、子どもをみるときには、た
いへん役に立つ。あなたも一度、そういう目であなたの子どもを観察してみてはどうだろ
うか。
 
 
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どもの神経症

子どものおねしょと、ストレス

 いわゆる生理的ひずみをストレスという。多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になる
ことが多い。

たとえば急激に緊張すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓
がドキドキし、さらにその結果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動
が活発になる。

が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振
や性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」
(新井康允氏)という。こうした現象はごく日常的に、子どもの世界でも見られる。

 何かのことで緊張したりすると、子どもは汗をかいたり、トイレが近くなったりする。
さらにその緊張感が長くつづくと、脳の機能そのものが乱れ、いわゆる神経症を発症する。

ただ子どものばあい、この神経症による症状は、まさに千差万別で、定型がない。「尿」
についても、夜尿(おねしょ)、頻尿(たびたびトイレに行く)、遺尿(尿意がないまま
漏らす)など。私がそれを指摘すると、「うちの子はのんびりしています」と言う親がい
るが、日中、明るく伸びやかな子どもでも、夜尿症の子どもはいくらでもいる。(尿をコ
ントロールしているのが、自律神経。その自律神経が何らかの原因で変調したと考える
とわかりやすい。)

同じストレッサー(ストレスの原因)を受けても、子どもによっては受け止め方が違う
ということもある。

 しかし考えるべきことは、ストレスではない。そしてそれから受ける生理的変調でもな
い。(ほとんどのドクターは、そういう視点で問題を解決しようとするが……。)

大切なことは、仮にそういうストレスがあったとしても、そのストレスでキズついた心
をいやす場所があれば、それで問題のほとんどは解決するということ。ストレスのない
世界はないし、またストレスと無縁であるからといって、それでよいというのでもない。

ある意味で、人は、そして子どもも、そのストレスの中でもまれながら成長する。で、
その結果、言うまでもなく、そのキズついた心をいやす場所が、「家庭」ということにな
る。
 
子どもがここでいうような、「変調」を見せたら、いわば心の黄信号ととらえ、家庭のあ
り方を反省する。手綱(たづな)にたとえて言うなら、思い切って、手綱をゆるめる。

一番よいのは、子どもの側から見て、親の視線や存在をまったく意識しなくてすむよう
な家庭環境を用意する。たいていのばあい、親があれこれ心配するのは、かえって逆効
果。子ども自身がだれの目を感ずることもなく、ひとりでのんびりとくつろげるような
家庭環境を用意する。

子どものおねしょについても、そのおねしょをなおそうと考えるのではなく、家庭のあ
り方そのものを考えなおす。そしてあとは、「あきらめて、時がくるのを待つ」。それが
おねしょに対する、対処法ということになる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【主義の限界】

++++++++++++++++++++

なぜ、共産主義も、資本主義も、そして
民主主義も、最後の最後のところで、
行きづまってしまうのか?

わかりやすく言えば、そのどれも、
最後の、あと一歩というところで、
ほころびを生じてしまう。ボロボロに
なってしまう。

よい例が、今のイラク。民主主義は最善
とばかり、それを押し付けようとする、
アメリカ。

しかしその民主主義とやらを、イラクの
人たちは、どうやら別の目で見ている?

なぜか?

++++++++++++++++++++

●教育論の限界

 教育論という「論」がある。それはそれとして、その「論」にも、限界がある。いくら
高尚な教育論を説いたとしても、そこには、一定の限界がある。

 こんな例で考えてみよう。

 私たちが「子ども」というときは、子ども全体をさす。1人ひとりの子どもについて書
くこともあるが、しかしそれでも、「個人」については、書かない。また書いてはならない。

 私たちが「子ども」というときは、顔をもたない、子どもたちの世界、全体を意味する。

 教育論は、そうした「子ども」を前提として、組み立てる。が、最後の最後のところで、
子どもをもつ親は、こう言う。

 「先生、うちの子は、だいじょうぶでしょうか?」と。

 つまり、「うちの子は、ちゃんと目的どおり、SS中学校へ、入学できるでしょうか」と。

 これが教育論の限界である。私たちは「論」を説きながらも、そこにいつも、一定の限
界があることを知る。

●主義の限界

 資本主義にも、共産主義にも、似たような限界がある。民主主義にも、ある。ある一定
のところまでは、その「主義」は、有効であり、それなりの支持を得る。が、それを越え
ると、とたんに、ほころびが生ずる。ボロが出る。矛盾が生ずる。

 なぜか?

 こうした限界も、教育論がもつ限界を当てはめてみると、簡単に理解できる。

 「高尚な教育論も結構だが、私という親が目的とすることは、自分の子どもを、SS中
学に入れることなのです」と。

 つまり今日の生活にも困っている人に向かって、資本主義や共産主義、さらには、民主
主義という「主義」を説いても意味はない。「高尚な主義も結構だが、今日の生活を、まず、
何とかしてくれ。主義の話をするのは、そのあとで、結構!」となる。

●強者の論理vs弱者の論理

 こうした「限界」を、如実に表しているのが、「経済理論」である。ご存知のように、経
済理論ほど、ツギハギだらけの理論はない。ツギハギにツギハギを重ねながら、何とかそ
の場、その場をしのいでいる。ごまかしている。

 遠い昔には、アダム・スミスがいた。ケインズがいた。マルクスがいた。最近では、ド
ラッカー(1909〜)がいた。しかし一度とて、その理論どおりに、経済が動いたため
しがない。

 理由は、簡単である。

 こうした経済理論は、いわば、強者の論理でしかないからである。わかりやすく言えば、
とりあえずは、日ごろの生活には困らない、それなりのエリートたちが考えた論理だから
である。

 それに対して、弱者と呼ばれる人たちは、いつも別の論理で、ものを考え、行動する。
しかも不幸なことに、そういった弱者は、「もの言わぬ民」である。自分たちの主義(?)
を、論理として、まとめることもできない。今日という現在を、生きていくだけで、精一
杯。明日の生活を心配しながら、不安な毎日を送っている。

 そのためには、ときには、法もやぶる。悪いこともする。そうでもしないと、生きてい
かれない。そういう人たちが、時として、主流となり、エリートたちが説く「主義」を、
ことごとく否定していく……。

●教育の世界でも……

 高尚な教育論など、受験塾の玄関をくぐれば、そのままどこかへ吹き飛んでしまう。そ
こでは、教育そのものが、個人の欲得の追求の場になっている。

 「1人でも多く、他人を蹴落とせ」
 「点数こそ、すべて」
 「人間の勝ちも、それで決まる」と。

 しかしだれが、そういう受験塾を否定することができるだろうか。彼らは、みな、決ま
ってこう言う。

 「私の目的は、SS中学校の入試に、合格すること」と。

 わかりやすく言えば、歴然とした社会的格差をそのままにしておいて、いくら、高尚な
教育論を説いても意味はない。親や子どもたちは、日々の生活を通して、否応なしに、そ
の格差を、肌で感じ取っている。

 「来月はどうやって生きていこうか」と悩んでいる人もいれば、数千万円の年収を稼ぎ、
外車を何台も乗り回している人もいる。

 その入り口に、「教育」がある。つまり彼らにとっての「教育」とは、そういう教育をい
う。そして私たちが説く教育論とは、まったく異質のものである。

●民主主義の限界

 民主主義といっても、いかにいいかげんなものであるかは、すでに、みさなん、ご存知
のとおり。国政選挙があるたびに、だれしも心のどこかで、何かしらの疑問を感じている。
「こんなことで、本当に政治が変わるのだろうか」と。

 このH市でも、中央から天下り官僚がやってきて、選挙に出馬する。当選する。そして
また中央へと戻っていく。それが明治の昔から、慣例になっている。

 で、選挙が終わっても、生活は、何も変わらない。相変わらず、今日という「今」を生
きていくだけで、精一杯。

 もっとも、これは「個人」の話だが、これが、「国家」の話になることもある。

 欧米先進国が、いくら高尚な民主主義を説いたところで、国によっては、今日という「今」
を生きていくだけで精一杯という国もある。

 そういう国へ行けば、「何が民主主義だ!」となる。つまりこれが、民主主義の限界とい
うことになる。

●弱者の論理

 こうした「限界」を乗り越えるためには、弱者の論理でものを考え、そのレベルで主義
を作らねばならない。が、しかしそうした主義は、今度は、強者の利害と、まっこうから
対立する。

 これも教育の場で考えてみると、それがよくわかる。

 「とにかく、この日本では、学歴のあるものが勝ち」
 「勝てば、官軍」
 「1点でも、点数をあげろ。すべては偏差値で決まる」と。

 講演などでも、「日本の教育の未来」という演題では、人は、集まらない。しかし「こう
すれば、あなたの子どもを、目的の大学へ入学させることができます」と言えば、人は、
集まる。

 現実の世界は、そこにある。

 しかし教育論を説く人が、そんな話をするわけには、いかない。先にも書いたが、「子ど
も」といっても、子ども、そのものが、ちがう。こんな私にしても、ものを書きながら、
その限界を、毎日のように感じている。

●主義の限界

 つまりは主義には、限界があるということ。それがつまりは、共産主義にせよ、民主主
義にせよ、資本主義の限界ということにもなる。

 もちろん限界があることが、悪いというのではない。またそれがあるからといって、そ
れぞれを否定するのも、おかしい。

 大切なことは、いくら主義をもっても、それは強者の論理でしかないということ。弱者
は弱者で、別の論理で動く。たとえば宗教、さらにはカルト、迷信、占い、まじないにし
ても、それを「おかしい」と思うのは、その人の勝手だが、だからといって、そういうも
のに身を寄せている人を、「まちがっている」と言ってはいけない。

 そういうものに身を寄せることで、懸命に自分を支えている人だっている。

 それを忘れると、いくらすばらしい主義を唱えても、やがて矛盾を露呈し、ここに書い
たように、ボロボロになってしまう。

 なぜあのイラクで、ブッシュ大統領が説く民主主義が定着しないかという理由も、こん
なところにあるのではないか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
主義 主義の限界 民主主義)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】


●おかしな現象

+++++++++++++++++

携帯電話の影響か?

このところ、しっかりとした会話の
できない子どもがふえている?

そんな印象を、私は、もち始めている。

+++++++++++++++++

 数日前、ある講演会場へ行くときのこと。私は、講演に行くときは、いつも電車を利用
している。電車で行けば、その時間きっちりに、そこへ着くことができる。

 一方、車は、そのつど、渋滞にまきこまれたりする。ハラハラすることが多い。

 で、その電車に乗ったときのこと。2人の小学生が、そこに座っていた。大きな荷物で
となりの座席をふさいでいた。

 私が「この席は、あいていますか?」と声をかけても、知らぬ顔。携帯電話を片手に、
何やら文字を打ちこんでいる。

 「だから、あいていますか?」と再び声をかけると、さも、めんどくさいといったふう
に、自分の荷物を、下におろした。無言のままである。

 学年は、小学5年生くらいではなかったか。

私「あのね、あいていたら、返事くらいは、してほしいな」
子「……」
私「だまっていたら、あいているかどうか、わからないでしょ」
子「……」と。

 横を見ると、通路と反対側のおとなたちは、私とのやり取りを見ながら、ニヤニヤと笑
っていた。私も、口をゆがめて、苦笑いをしてみせた。

 と、そのときのこと。通路を、別の子どもが、通り過ぎた。通り過ぎて、私の横にいる
子どもに、何やら目で、合図を送った。私の横にいる子どもも、合図を送った。たがいに、
笑みを浮かべた。

 つまりその子どもたちは、みな、携帯電話で、メールを交わしながら、会話をしていた
のだ!

 文字を打ち込んで、送信したあと、たがいに、軽いジェスチャで、「わかった」「いいよ」
というようなしぐさをしてみせていた。

 ……ということで、子どもたちの世界が、今、大きく変わりつつある。ふつうなら、音
声をともなった言葉で会話する場面でも、今では、携帯電話でそれをする。極端な言い方
をすれば、並んで歩きながらでも、そうする。

 それは、まるでテレパシー通信のようなもの。たがいに無言のまま、指先だけで、会話
をつづける……?

 「これから先、人間の世界は、どうなるのだろう?」と思ったところで、この話は、お
しまい。なるようにしか、ならない。

ただここで言えることは、これから先、きちんと会話のできる子どもは、ますます少な
くなるだろうな、ということ。とくに、おとなとの会話が、きちんとできる子どもは、
少なくなる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●新しい携帯電話

++++++++++++++

昨日、D社の携帯電話を解約。

つづいてその足で、W社の携帯電話を
買いに行った。

ほしかったのは、W社のキーボード
付の携帯電話。

辞書も、ついている!
もちろんカメラも内臓!

携帯電話というよりは、小型の
パソコンといった感じ。

USB端子もついていて、パソコンと
同調させて使うことができる。

++++++++++++++

 この3年間、D社の携帯電話を使ってきた。買った当時は、最新型だったが、今ではど
うということもない。分厚くて、どうも使い勝手がよくない。

 そこで昨日、D社の携帯電話を解約。その足で、W社の携帯電話を買いに行った。

 ほしかったのは、W社のWS004型機。大きさは、電子辞書ほどの大きさだが、フル
キーボードがついている。画面も大きい。

 ワード、EXCEL、OUTLOOK、それに、パワーポイントも使える。つまりこの
携帯電話は、携帯パソコンとしても、使える。USB端子もついていて、パソコンと直接
つなぐこともできる。電池の持ち時間も、5時間と、長い。

 もちろん、インターネットを開いて、読んだり、メールを送信したりすることもできる。
前からほしかったが、少し迷っている間に、「004型」になっていた。この間に、いろい
ろと改良が、加えられたようだ。当初、初期型で感じたような、ガタガタ感はなくなって
いた。

 初期型は、キーボードを引き出すとき、作りが悪く、ガタガタとした。作りがチャチな
感じがした。それがなくなっていた。ガチャ、ガシャという感じで、キーボードを、引き
出すことができる。おまけに、内臓メモリーも、256MBにふえていた。

 で、昨日は、ヒマなときに、マニュアル片手に、あれこれいじってみた。電話をかけて
みた。電話を受け取ってみた。ワードを使って、文章を書いてみた。写真もとってみた。
いろいろやってみたが、肝心のインターネットにつながらない。

 が、それは今日からのお楽しみ。

 こうして分厚いマニュアルとにらめっこしているときが、私にとっては、一番、楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【K国、ミサイル発射!】

++++++++++++++++++

とうとうと言うべきか、ついにと言うべきか、
K国は、ミサイルを発射してしまった!

++++++++++++++++++

●評論家たちの意見(?)

 今回のミサイル発射について、いろいろ言われている。それについては、省略。みなさ
ん、ご存知のとおり。ではなぜK国が、この時期にミサイルを発射したかについてだが、
いろいろな評論家たちは、首をかしげるばかり。「K国の真意は……?」「K国の外交的目
標は何か……?」「意図は……?」と(5日、午前中)。

 それについては、「緊張感をつくって、アメリカとの交渉を有利にするため」という意見
が、どうやら共通した結論のよう。

 しかしね、みなさん、そんなことを論じても、意味はないのですよ!

 わかりやすく言えば、頭の狂った独裁者が、自暴自棄になって、つまりヤケノヤンパチ
になって、巨大な花火を打ち上げた。それだけのこと。

 あんな独裁者に、まともな論理は、通用しない。またそういう論理をもって理解しよう
としても、ムダ。中には、「軍部が独走した」という意見もあるが、それはどうか? 本当
のところは、糖尿病か何かの病気がこじれて、脳性の障害か何かが起きたのではないか。
またそう考えるのが、自然。

●ミサイルの目的

 ほかに、朝、10時ごろまでの解説では、「なぜ、この日に?」「なぜ、真夜中に?」と
いう意見も目立った。

 しかし私にはわかっていたぞ。

 朝、一番に起きて、私は、ヤフーのニュースをのぞいた。アメリカのスペースシャトル
の発射がどうなったか、知りたかったからだ。それが午前6時、少し前。

 が、トップに並んだ文字は、「K国、ミサイル、発射!」だった。

 時刻は、アメリカのスペースシャトルの発射は、日本時間の午前3時38分。
 K国のミサイルの発射は、1発目が、日本時間の午前3時32分。(スペースシャトルの
発射時刻の、わずか、6分前だぞ!)
テポドン2号と呼ばれる、大陸間弾道ミサイルの発射は、日本時間の午前4時59分!

 しかもアメリカは、今日は、独立記念日。(日本では7月5日だったが、アメリカでは7
月4日。)

 K国は、明らかに、アメリカのスペースシャトルの発射時刻に合わせて、ミサイルを発
射した!

 午前10時を過ぎるころから、「アメリカの独立記念日に合わせた……」「スペースシャ
トルの発射時刻に合わせた……」という意見を言う人が出てきた。

●着弾点

 が、ミサイルの着弾点について、こんなことを言う評論家がいたのには、驚いた。

 「ロシア寄りに着弾させていますから、多少の、自制心が働いたのかもしれません」と。

 バカめ!

 テポドン2号以外の、5発のミサイルは、K国東南部のミサイル基地から発射されてい
る。

 5初のミサイルは、きれいに一直線に並び、等間隔に並んで、着弾しているのがわかる。
そしてそれらの距離は、発射地点から、東京〜大阪間の距離と、ほぼ同じ。

 つまり方向こそ、ロシア寄りだが、距離は、東京から大阪の距離。その間に、3発のミ
サイル。

 これは「実験」ではなく、「警告」と受け取るべきではないのか。

●6発のミサイルの意味

 7月5日の午前中までに、K国は、計6発のミサイルを発射した。その内容について、
私は、つぎのように、推察する。

 最初の2発は、それにつづくテポドン2号(大型、大陸間弾道ミサイル)の発射を成功
させるための、カモフラージュ。

 つまりその2発のほうに注意をひきつけておいて、そのスキに、テポドン2号を打ちあ
げるつもりだった。

 しかし3発目に発射した、テポドン2号は、失敗! 一段目と二段目が切り離せないま
ま、海に落下。

 そこで金xxは、つづけて、4発、5発、6発目を発射した。(同日、夕方になって、7
発目を発射!)

●制裁したら、宣戦布告?

 K国の高官たちは、かねてから、「(日本が)制裁を実行したら、宣戦布告とみなす」と
発言している。K国の高官といっても、その発言は、すべて金xxの口から出ていると考
えてよい。

 実に手前勝手な論理だが、先にも書いたように、もともとまともな論理の通用する相手
ではない。つまりここまでくると、金xxがつぎに打つ手は、戦争しかない。しかもその
矛先(ほこさき)は、この日本!

 自滅するよりは、戦争をしかけたほうが、まし!

 そのK国にとって、戦争をしかけることについて、ゆいいつ大義名分が立つ国といえば、
この日本。この日本をおいてほかにない。「戦争は、60年前に終わったはず」と考えてい
るのは、この日本だけ。また「何もしなければ、相手も、何もしてこないだろう」と考え
るのは、あまりにも、甘い。

●東京があぶない!

 経済はメチャメチャ。軍部はガタガタ。民心はバラバラ。

 K国というより、金xx独裁体制は、今まさに、崩壊の瀬戸際に立たされている。こう
した国が、最後に打つ手といえば、戦争ということになる。

 「そんなことは起こらない」と思うなら、ほんの少しだけ、K国の立場で考えてみるこ
とだ。

 すべてが八方ふさがり。このままでは、ジリ貧につづく、ジリ貧。国連安保理での制裁
決議ということになれば、それこそ万事休す。袋小路に入った末に、上から押しつぶされ
てしまう。

 ミサイルを発射してしまったことで、K国は、引くに引けないところまで、自分を追い
こんでしまった。

 だから、今、東京があぶない! 大阪があぶない!

●静岡県でも……

 政府は、K国への渡航について、警戒度合いを、2段階ひきあげた。それに呼応するか
のように、静岡県でも、警戒態勢が敷かれることになった。御前崎には、原子力発電所も
ある。いつなんどき、テロ攻撃を受けるか、わかったものではない。

 警戒、警戒、警戒!

 つぎにK国がミサイルを発射するときは、もう実験ではない。警告でもない。目標は、
ズバリ、東京。しかもその先には、核兵器、あるいは生物・化学兵器が搭載されているは
ず。

 そのどれでも、威力は同じ。1発で、約20万人前後の死者が出ると予測されている。

 これはおどしでも、何でもない。仮に原子力発電所が爆破されるようなことのでもなれ
ば、風の向きにもよるだろうが、日本列島の何分の1かは、人が住めない場所になってし
まう!

 忘れてならないのは、金xxの脳みそは、すでに、(おかしい?)という段階を通り過ぎ
てしまっているということ。「理解に苦しむ」と表現した評論家もいた。

 そういう前提で、日本は、ものを考え、対処しなければならない。日本は、この日本を
守らなければならない。

●制裁は、慎重に!

 制裁といっても、いろいろある。日本政府は、新潟港にやってくるM号の入港禁止措置
をとったが、「その程度では、生ぬるい」という意見もある。

 最終的には、経済封鎖、海上封鎖、軍事封鎖という方法もないわけではない。しかしあ
んなK国を、経済封鎖したり、海上封鎖、さらには軍事封鎖したところで、それにどうい
う意味があるというのか?

 K国は、すでに、最貧国中の最貧国。

第一、中国、ロシアがそれに同調しないだろう。K国は、陸路を通して、必要な物資を、
第二、自由に、いくらでも入手できる。

 特定船舶の入港禁止措置くらいなら、それほど問題は大きくならない。「あなたのような
客は、うちへは来てほしくない」といった程度の意思表示ということになる。しかし経済
封鎖となると、そうはいかない。相手の経済状況を、しめあげることを意味する。

 金xx体制の崩壊、さらには、K国の崩壊から、さらに日本とK国の戦争まで覚悟した
上なら、それも結構。しかし今の段階では、時期が早すぎる。あんなK国などと、日本は
心中してはならない。またその必要はない。

 日本は、国際社会に向かって、世界の平和と安全、それにK国の人権問題だけを、冷静
に訴えつづけていけばよい。しつこく、しつこく、かつ繰りかえし、訴えていけばよい。
ここで日本が騒げば騒ぐほど、それこそ、金xxの思うツボ!

 私の印象では、金xxの、余命は、それほど長くはないと思う。静かにそれを待つのも、
ひとつの手ではないのか。

 ところで余談だが、K国のミサイル問題に関して、日本のA外務大臣は、「糾弾」という
言葉を、「キョウダン」と発音していたぞ! 朝から夕方まで、何度か、その発言は繰りか
えし報道されたが、まちがいなく、「キョウダン」だった。「K国を、きびしくキョウダン
する」と。

 「?」と思ったが、この話は、ここでストップ。今は、日本の外務大臣の資質を問題に
しているばあいではない。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【考える力】

+++++++++++++++

考える力とは、何か?

人間にとって、考える力とは、何か?

それほど大げさにとらえる必要はない。
常識的な意味での、考える力とは、何か?

私の身のまわりで、最近起きた事件(?)を
テーマに、それを考えてみたい。

+++++++++++++++

●弁当屋で……

 似たような話は、前にも書いた。しかし今日(7月2日)も、また、同じようなことが
起きた。

 いつも行く、弁当屋でのこと。私とワイフは、ドライブに行くときは、いつもその弁当
屋で弁当を買う。

 今日は、昼食用の弁当のほか、夕食用の弁当も買った。買ったというより、注文した。
帰りが遅くなるかもしれない。息子の分も含めて、5個。

 その弁当を、仮に、A(幕の内)、B(天丼)、C(カルビ丼)、D(から揚げ丼)、E(焼
き肉弁当)としておく。

 受け付けをしている女性に、お金を先に払って、番号のついたレシートをもらう。番号
は、49番。

 が、そこへ、つぎつぎと、客が入ってきた。今日は、日曜日。悪い予感がした。そして
その予感は、そのまま的中した。

 奥の厨房(ちゅぼう)で、3人の男と女が、注文に応じて弁当をつくっていた。それぞ
れに、分担が決まっているらしい。早くできる弁当もあれば、そうでない弁当もある。

 で、弁当Aが、できてきた。棚に並んだ。私が注文した、Aの弁当である。と、そこへ、
別の男がやってきた。同じAを注文した。店の中には、5〜8人の客がいた。すると、そ
の受け付けの女性は、あれこれとほかの客と応対しながら、その客に、ナント、Aをその
まま渡してしまった!

 「それは私の注文した弁当だ」と言いそうになったが、やめた。その男は、電話で、あ
らかじめ予約しておいたのかもしれない。

 こうして、B、C、D、Eの弁当も棚に並ぶが、Aがない。そこで受け付けの女性は、
私の注文は、そのまま。レシートの内容と、できあがった弁当の内容を、照合しようとも
しない。

 が、そこへまた別の客がやってきた。今度は、Bを注文した。すると、受け付けの女性
は、棚の上にあったBを、そのまま、同じようにして、その客に渡してしまった。

 ……こうなると、いつまでたっても、私の注文した、A、B、C、D、Eの5つの弁当
が、そろうことはない。

私「あのう、もう20分も待っていますが……」
女「もう少し、お待ちください」
私「私は49番で、今、弁当をもっていった人は、70番ですが……」
女「だから、もう少し、お待ちください」と。

 なぜ、こんな珍事が起きるか? 受け付けの女性の立場になって考えてみると、それが
わかる。

 最初、私は、A、B、C、D、Eの5つの弁当を注文した。そこでその女性は、奥の厨
房に向かって、「オーダーが入ります。A、1個、B、1個、C、1個、D、1個!」と叫
ぶ。

 そのとたん、その女性は、私が何を注文したかを、忘れてしまう。ついでにレシートの
番号も忘れてしまう。店が混雑してくれば、なおさらだ。

 で、そこへ別の客がやってきて、Aを注文したとする。受け付けの女性は、同時に弁当
の受け渡しをしなければならない。ほかの客からの注文を受け付け、お金を受け取り、つ
り銭を渡す。番号のついたレシートを出す。こうしてほかの客と応対しているうちに、客
たちの順番を忘れてしまう。(多分?)

 が、棚を見ると、「A」のところにチェックが入っているレシートがある。その横には、
Aができている。で、受け付けの女性は、注文の弁当ができたと思いこみ、そのまま、A
を、その客に渡してしまう。(多分?)

 あとは、この繰りかえし。繰りかえしというか、混乱。

 あとでワイフが、「注文順に、お弁当を作って渡さないから、ああなるのよ」と笑ってい
た。が、待たされるほうは、たまったものではない。お金を先に払っているから、キャン
セルすることもできない。

 幸いなことに(?)、今日は、20〜30分程度、待たされただけですんだが、前回、同
じようなことが起きたときには、1時間20分も待たされた。(この話は、本当だぞ!)

 「たかが弁当くらいのことで、けんかはしたくない」という思いと、「いつも世話になっ
ているから」という思いで、そのときは、がまんした。今日も、がまんした。

 が、もし受け付けの女性に、もう少し(考える力)があれば、こうした混乱は、起きな
かったはず。見るからに、何も考えず、ただ機械的に応対しているだけ。そんな感じに見
えた。
 
●考える力

 「たかが弁当屋だから……」「たかが受け付けの女性だから……」という、甘えは、許さ
れない。もし反対にそう言われたとしたら、その女性だって、怒るはず。「自分のしている
仕事に誇りをもってほしい」とまでは、言わないが、「それ相当の責任はもってほしい」と
は、私だって思う。

 その(責任)の中に、ここでいう(考える力)も含まれる。つまり、その女性には、そ
の(力)がないということになる。が、だからといって、その女性が愚かということでは
ない。

 考える力というのは、(力)ではなく、(習慣)によって決まる。

 恐らくその受け付けの女性には、日ごろから、自分で考えるという習慣がないのではな
いか。(力)ではなく、(習慣)である。その習慣がないから、自分の置かれた状況の中で、
ものごとを考えることができない。

 ……とまあ、大げさに考える必要はないのかもしれない。

 たかが弁当のことではないか! 手にするのが遅れたからといって、カリカリするよう
なことではない。

 これからは、できるだけその弁当屋を避けようと考えている。ワイフもそう言った。「昼
時と、夕暮れ時は、もう行かない」と。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   8月 4日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●遊び

 BW教室(私の実験教室)では、毎週、レッスンの前に、5〜10分間程度の遊びを、
取り入れている。

 はじめてから、もう3、4年になる。

 サッカーゲーム、パズル、手品、ドミノ、工作、ビーズ遊び、などなど。今週は、レー
シングカーで遊んでいる。

 一見、むだに見える遊びだが、しかしそれをすることによって、そのあとのレッスンで、
効率が、何倍も、よくなる。子どもたちの学ぶ姿勢が、ちがう。生き生きと、レッスンに
取り組んでくれる。

 それ以前のように、いやいや勉強する……という子どもが、ほとんど、いなくなった。

 で、今では、教室へ入ってくるやいなや、子どもたちは、「今日は、何〜イ?」と言うよ
うになった。が、こうなると、私のほうも楽しくなる。子どもたちと遊びながら、「来週は、
何にしようか」と考える。子どもたちの意見を聞くときもある。

私「来週は、折り紙をしようと思うけど……」
子「いやヨ〜。折り紙なんてエ〜」
私「じゃあ、何をしたい?」
子「戦争ごっこ」
私「それはダメ」

子「だって、ママに話したら、楽しそうだねって言ってたよ」
私「戦争ごっこなんかしたら、ぼくは、クビになってしまうよ」
子「いいから、いいから、ママには、だまっててあげるから」
私「もう、話してしまったくせに!」
子「だって、私、家では、姉ちゃんと、チャンパラごっこをしてるわよ」

私「ホント? 女の子でも、そんな遊びをするのオ?」と。

 こういう指導ができるのも、私と親との間に、信頼関係ができているから(多分?)。そ
れに甘えてはいけないが、こういうことができるようになるまでに、35年近い、歴史が
ある。キャリアと実績がある。

 そのクラスの子どもたちも、みな、2〜4年程度の飛び級をしている。英語の格言にも、
こういうのが、ある。

 「Happy learners learn the best.(楽しく学ぶ子は、
よく学ぶ)」と。

 それが私の教室のモットーにも、なっている。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【4年前に書いた原稿より】

++++++++++++++++

4年前というと、賞味期限はすっかり消え、
どこかカビ臭い感じがする。

しかし私にとっては、私そのもの。

読みなおしてみると、その当時の私が
そのまま頭の中で、よみがえってくる。

++++++++++++++++

●耐性のない子どもたち

一人の生徒(小4)が、レッスンの途中でトイレに行った。が、すぐ帰ってきてしまっ
た。理由を聞くと、「ゴキブリがいたから」と。

 あるいは別の日。私の家に遊びに来ていた中学生(中2女子)が、突然タクシーを呼ん
でくれと言った。理由を聞いても言わない。しかたないので、タクシーを呼んだ。で、そ
れからしばらくしてから母親に理由を聞くと、こう話してくれた。「あの子は、便座型のト
イレだと、よそのトイレが使えないのです」と。

 私が小学生のころは、ボットン便所が当たり前だった。トイレットペーパーすらなかっ
た。学校のトイレでは、新聞紙をノート大に切った紙がヒモでぶらさげてあって、それを
使った。もっとも、そのままでは使えない。使う前に、一度、手でもんで、ほぐさなけれ
ばならない。だからトイレでは、その新聞紙をクシャクシャとほぐす音が、いつも聞こえ
ていた。

 私が経験したような貧しい時代が、よい時代とは思っていない。しかし今の子どもたち
よりは、生活に対して、はるかに耐性があった。が、問題は耐性がなくなったことではな
い。今のような豊かな生活が維持できれば、それでよし。しかし生活がマイナス方向に進
みはじめたとき、果たして今の子どもに、それを乗り切る力があるかということ。

仮に明日から、「トイレはボットン便所にします」と宣言したら、子どもたちはパニック
状態になってしまうかもしれない。もっともこれは極端なケースだが、しかし便利さに
溺れるあまり、自分を見失っている子どもは多い。

 もう10年も前だが、高校生たちと旅行をしたことがある。が、帰るときになると、み
な、手ぶらである。驚いて「荷物はどうしたの?」と聞くと、「宅急便に預けた」と。で、
このことを当時、ある雑誌のコラムに書こうとしたら、編集長がこう言った。「林さん、知
らなかったのですか。今では、それが常識ですよ」と。

 夏になると、青い顔をして、苦しそうにハーハーとあえいでいる子どもは、いくらでも
いる。「クーラーがないと、何もできない」のだそうだ。皆さんはご存知ないかもしれない
が、今では、小さなハエが1匹教室に入ってきただけで、クラスはパニック状態になる。
いわんやゴキブリとなると、大騒動! 

私はそういう状態をみるたびに、「これでいいのか」と思ってしまう。いうまでもなく、
子どもたちには、山を登る力はある。しかし山をくだる力はない。いかにして山をくだ
るかを教えていくかも、教育の大切な役目ではないのか。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●山をくだる力

 教育というと、山を登ることばかり教える。

たとえば少し前まで、「勉強して、いい大学へ入れ」と教える親や先生は、いくらでもい
たが、子どもがすべったときの、心のケアまで考える親や教師はいなかった。みながみ
な、合格することだけを考えて、子どもの尻を叩いた。しかし山の登り方に劣らず大切
なことは、山の下り方である。こんな女の子(中学生)がいた。

 何でも「ここ一番!」というときになると、自ら手を引いてしまうのである。「私は、ど
うせダメだもん」と。そこで「どうして」と聞くと、こう話してくれた。

「だって、私はA小学校の入試に落ちたモン」と。

その子どもは、6年以上も前に、A小学校の入試に失敗したことを、気にしていた。し
かしこういうことは本来、あってはならない。

 子どもに向かって、「伸びろ!」とハッパをかけるのは、簡単なことだ。しかしその過程
で、挫折し、キズつく子どもがいる。そういう子どもはどうすればよいのか。もっと言え
ば、日本人は、目が上ばかり向いているから、弱者のことは考えない。

ひところ昔までは、たとえば大学入試についても、「落ちたら落ちた生徒が悪い。あとは
自分で考えろ」というのが、ごく一般的な考え方だった。成功者をワーワーともてはや
す一方、失敗者を容赦なく切り捨てた。……今も、切り捨てている。中には自分が弱者
であるにもかかわらず、その弱者であることを忘れてしまっている人がいる。

 私の母がそうだった。昔、「おしん」というテレビドラマがあった。貧しい家の少女が、
全国チェーンにまで、自分の店を育てるというドラマである。数年前に倒産した、ヤオハ
ンジャパンの社長の、Kさんがモデルと言われている。

そのヤオハングループのスーパーが、私の家の近くにでき、そのため私の家は閉店に近
い状態に追い込まれた。しかし当時の母は、毎日、涙をこぼしながら、「おしん」を見て
いた!

 こうした日本人独特の「おめでたさ」というのは、結局は体制側によってつくられたも
のと考えてよい。なかんずく教育そのものが、そうなっている。山に登ることばかり教え
るから、目が上ばかり向くようになる。下を見ない。下がわからない。さらに自分自身が
弱者であるにもかかわらず、その弱者であることすら忘れて、強者をたたえてしまう。

 山をくだる教育がどういうものかは、それからゆっくり考えることにして、これはまさ
に、日本の教育がもつ最大の欠陥といってもよい。今でも、「勉強ができないのは、できな
い子どもが悪い」と平気で言う人は、いくらでもいる。しかしこうした教育観は、基本的
な部分で、まちがっている!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【宗教について】

+++++++++++++++++

宗教について。

以前、書いた原稿を読みなおしている。

+++++++++++++++++

霊の存在

 霊は存在するか、それともしないか。

 この議論は、議論すること自体、無意味。「存在する」と主張する人は、「見た」とか、「感
じた」とか言う。これに対して、「存在しない」と主張する人は、「存在しないこと自体」
を証明しなければならない。

数学の問題でも、「解く」のは簡単だ。しかしその問題が「解けないことを証明する」の
は、至難のワザである。

 ただ若い人たちの中には、霊の存在を信じている人は多い。非公式の調査でも、約70
〜80%の人が、霊の存在を信じているという(テレビ報道など)。

「信ずる」といっても、度合いがあるから、一概には論ずることはできない。で、それ
はそれとして、子どもの世界でも、占いやまじないにこっている子ども(小中学生)は
いくらでもいる。またこの出版不況の中でも、そういった類(たぐい)の本だけは不況
知らず。たとえば携帯電話の運勢占いには、毎日100万件ものアクセスがあるという
(2001年秋)。

 私は「霊は存在しない」と思っているが、冒頭に書いたように、それを証明することは
できない。だから「存在しない」とは断言できない。しかしこういうことは言える。

私は生きている間は、「存在しない」という前提で生きる。「存在する」ということにな
ると、ものの考え方を180度変えなければならない。これは少しおかしなたとえかも
しれないが、宝くじのようなものだ。宝くじを買っても、「当たる」という前提で、買い
物をする人はいない。「当たるかもしれない」と思っても、「当たらない」という前提で
生活をする。もちろん当たれば、もうけもの。そのときはそのときで考えればよい。

 同じように、私は一応霊は存在しないという前提で、生きる。見たことも、感じたこと
もないのだから、これはしかたない。で、死んでみて、そこに霊の世界があったとしたら、
それこそもうけもの。それから霊の存在を信じても遅くはない。何と言っても、霊の世界
は無限(?) 時間的にも、空間的にも、無限(?) そういう霊の世界からみれば、現
世(今の世界)は、とるに足りない小さなもの(?) 

 私たちは今、とりあえずこの世界で生きている。だからこの世界を、まず大切にしたい。
神様や仏様にしても、本当にいるかいないかはわからないが、「いない」という前提で生き
る。

ただここで言えることは、野に咲く花や、木々の間を飛ぶ鳥たちのように、懸命に生き
るということ。人間として懸命に生きる。そういう生き方をまちがっていると言うのな
ら、それを言う神様や仏様のほうこそ、まちがっている。

 ……というのは少し言いすぎだが、仮に私に霊力があっても、そういう力には頼らない。
頼りたくない。私は私。どこまでいっても、私は私。

 今、世界的に「心霊ブーム」だという。それでこの文を書いてみた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●宗教について(1)

私の思い出

 小学1年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーの
おもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。
そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サンタクロースに祈るという
のもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣
は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできご
とがあった。ある英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広
島平和公園の中にある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳し
ていたときのことだ。

私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。そのとき
以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要とし
ている人がいる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの
願い事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のよ
うな人間に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たります
ように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多い。が、しかし
そんなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占い
コーナーには、1日100万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。どうせその程
度の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても1日100万件
とは! 

あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった25
年前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、
よっぽどこちらのほうが奇跡だ。その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは
……? 

人間の理性というのは、文明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれた
が、こんな子ども(小5男児)がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしてい
るのだ」と聞くと、こう言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あの
ビルを吹っ飛ばすことができる!」と。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●宗教について(2)

教育と宗教

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなること
がある。

たとえば親鸞の『回向論(えこうろん)』。『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』
という、あの回向論である。

これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の
命令によってしているにすぎない。だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚
偽に包まれてはいても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本
百科事典・石田瑞麿氏)となる。

しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱ
りわからなくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。

要するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことでは
ないか。悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、
浄土へ行ける」と。しかしそれでもまだよくわからない。

 そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当た
り前のことではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。つま
りそういう子どもこそ、ほめられるべきだ」と。もう少し別のたとえで言えば、こうなる。

「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。そういうのは教育とは言わない。
問題のある子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育という」
と。私にはこんな経験がある。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●宗教について(3)

地獄論

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。そ
の教団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。いわく、「この宗教を否定する者は、
無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害者が多いのは、そのためだ」(N
宗機関誌)と。

こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。あるいはその教団
には、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすように
なった。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方は、明らかにま
ちがっている。

他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、
彼らが言うところの慈悲ではないのか。私だっていつも、批判されている。子どもたち
にさえ、批判されている。中には「バカヤロー」と悪態をついて教室を出ていく子ども
もいる。

しかしそういうときでも、私は「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すれ
ばいい」とは思わない。神や仏ではない私だって、それくらいのことは考える。いわん
や神や仏をや。批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、
それはもう神や仏ではない。悪魔だ。

だいたいにおいて、地獄とは何か? 子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつと
いうことが地獄なのか。しかしそれは地獄でも何でもない。教育者の目を通して見ると、
そんなことまでわかる。

 そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなか
ったか、と。

ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外と
よく理解できる。さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。たとえ
ば「先生、先生……」と、すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、「自
分でしなさい」と突き放す。「何とかいい成績をとらせてください」と言ってきたときも
そうだ。

いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。
自分で努力することをやめてしまう。そうなればなったで、かえってその子どものため
にならない。人間全体についても同じ。スーパーパワーで病気を治したり、国を治めた
りしたら、人間は自ら努力することをやめてしまう。医学も政治学もそこでストップし
てしまう。それはまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーでは
なく、赤い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、
今でもはっきりと覚えている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●宗教について(4)

子どもの世界

 教育の場で、宗教の話は、タブー中のタブー。こんな失敗をしたことがある。1人の子
ども(小3男児)がやってきて、こう言った。「先週、遠足の日に雨が降ったのは、バチが
当たったからだ」と。

そこで私はこう言った。「バチなんてものは、ないのだよ。それにこのところの水不足で、
農家の人は雨が降って喜んだはずだ」と。翌日、その子どもの祖父が、私のところへ怒
鳴り込んできた。「貴様はうちの孫に、何てことを教えるのだ! 余計なこと、言うな!」
と。その一家は、ある仏教系の宗教教団の熱心な信者だった。

 また別の日。1人の母親が深刻な顔つきでやってきて、こう言った。「先生、うちの主人
には、シンリが理解できないのです」と。私は「真理」のことだと思ってしまった。

そこで「真理というのは、そういうものかもしれませんね。実のところ、この私も教え
てほしいと思っているところです」と。その母親は喜んで、あれこれ得意気に説明して
くれた。が、どうも会話がかみ合わない。そこで確かめてみると、「シンリ」というのは
「神理」のことだとわかった。

 さらに別の日。一人の女の子(小五)が、首にひもをぶらさげていた。夏の暑い日で、
それが汗にまみれて、半分肩の上に飛び出していた。そこで私が「これは何?」とその
ひもに手をかけると、その女の子は、びっくりするような大声で、「ギャアーッ!」と叫
んだ。叫んで、「汚れるから、さわらないで!」と、私を押し倒した。その女の子の一家
も、ある宗教教団の熱心な信者だった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●宗教について(5)

宗教とは

 人はそれぞれの思いをもって、宗教に身を寄せる。そういう人たちを、とやかく言うこ
とは許されない。よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求
める信者がいるから、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。それに仮に、一
つの宗教が否定されたとしても、その団体とともに生きてきた人間、なかんずく人間のド
ラマまで否定されるものではない。

 今、この時点においても、日本だけで23万団体もの宗教団体がある。その数は、全国
の美容院の数(20万)より多い(2000年)。それだけの宗教団体があるということは、
それだけの信者がいるということ。そしてそれぞれの人たちは、何かを求めて懸命に信仰
している。その懸命さこそが、まさに人間のドラマなのだ。

 子どもたちはよく、こう言って話しかけてくる。「先生、神様って、いるの?」と。私は
そういうとき「さあね、ぼくにはわからない。おうちの人に聞いてごらん」と逃げる。あ
るいは「あの世はあるの?」と聞いてくる。そういうときも、「さあ、ぼくにはわからない」
と逃げる。霊魂や幽霊についても、そうだ。

ただ念のため申し添えるなら、私自身は、まったくの無神論者。「無神論」という言い方
には、少し抵抗があるが、要するに、手相、家相、占い、予言、運命、運勢、姓名判断、
さらに心霊、前世来世論、カルト、迷信のたぐいは、一切、信じていない。信じていな
いというより、もとから考えの中に入っていない。

 私と女房が籍を入れたのは、仏滅の日。「私の誕生日に合わせたほうが忘れないだろう」
ということで、その日にした。いや、それとて、つまり籍を入れたその日が仏滅の日だ
ったということも、あとから母に言われて、はじめて知った。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●宗教について(6)

孤独

 孤独であることは、まさに地獄。無間地獄。だれにも心を許さない。だれからも心を許
されない。だれにも心を開かない。だれからも心を開かれない。だれも愛さない。だれか
らも愛されない。

……あなたは、そんな孤独を知っているか? もし今、あなたが孤独なら、ほんの少し
だけ、自分の心に、耳を傾けてみよう。あなたは何をしたいか。どうしてもらいたいか。
それがわかれば、あなたはその無間地獄から、抜け出ることができる。

 人を許そうとか、人に心を開こうとか、人を愛しようとか、そんなふうに気負うことは
ない。あなたの中のあなた自身を信ずればよい。あなたはあなただし、すでにあなたの中
には、数10万年を生きてきた、常識が備わっている。その常識を知り、その常識に従え
ばよい。

 ほかの人にやさしくすれば、心地よい響きがする。ほかの人に親切にすれば、心地よい
響きがする。すでにあなたはそれを知っている。もしそれがわからなければ、自分の心に
誠実に、どこまでも誠実に生きる。ウソをつかない。飾らない。虚勢をはらない。あるが
ままを外に出してみる。あなたはきっと、そのとき、心の中をすがすがしい風が通り過ぎ
るのを感ずるはずだ。

 ほかの人に意地悪をすれば、いやな響きがする。ほかの人を裏切ったりすれば、いやな
響きがする。すでにあなたはそれを知っている。もしそれがわからなければ、自分に誠実
に、どこまでも誠実に生きてみる。人を助けてみる。人にものを与えてみる。聞かれたら
正直に言ってみる。あなたはきっと、そのとき、心の中をすがすがしい風が通りすぎるの
を感ずるはずだ。

 生きている以上、私たちは、この孤独から逃れることはできない。が、もし、あなたが
進んで心を開き、ほかの人を許せば、あなたのやさしい心が、あなたの周囲の人を温かく、
心豊かにする。

一方、あなたが心を閉ざし、かたくなになればなるほど、あなたの「孤独」が、周囲の
人を冷たくし、邪悪にする。だから思い切って、心を解き放ってみよう。むずかしいこ
とではない。静かに自分の心に耳を傾け、あなたがしたいと思うことをすればよい。言
いたいと思うことを言えばよい。ただただひたすら、あなたの中にある常識に従って…
…。それであなたは今の孤独から、逃れることができる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●宗教について(7)

常識をみがく

 おかしいものは、おかしいと思う。おかしいものは、おかしいと言う。たったこれだけ
のことで、あなたはあなたの常識をみがくことができる。大切なことは、「おかしい」と思
うことを、自分の心の中で決してねじ曲げないこと。押しつぶさないこと。

 手始めに、空を見てみよう。あたりの木々を見てみよう。行きかう人々を見てみよう。
そして今何をしたいかを、静かに、あなたの心に問いかけてみよう。つっぱることはない。
いじけることはない。すねたり、ひがんだりすることはない。すなおに自分の心に耳を傾
け、あとはその心に従えばよい。

 私も少し前、ワイフと口論して、家を飛び出したことがある。そのときは、「今夜は家に
は戻らない」と、そう思った。しかし電車に飛び乗り、遠くまできたとき、ふと、自分の
心に問いかけてみた。「お前は、ひとりで寝たいのか? ホテルの一室で、ひとりで寝たい
のか?」と。すると本当の私がこう答えた。「ノー。ぼくは、家に帰って、いつものふとん
で、いつものようにワイフと寝たい」と。

 そこで家に帰った。帰って、ワイフに、「いっしょに寝たい」と言った。それは勇気のい
ることだった。自分のプライド(?)をねじまげることでもあった。しかし私がそうして
心を開いたとき、ワイフも心を開いた。と、同時にワイフとのわだかまりは、氷解した。

 仲よくしたかったら、「仲よくしたい」と言えばよい。さみしかったら、「さみしい」と
言えばよい。一緒にいたかったら、「一緒にいたい」と言えばよい。あなたの心に、がまん
することはない。ごまかすことはない。勇気を出して、自分の心を開く。あなたが心を開
かないで、どうして相手があなたに心を開くことができるのか。

 本当に勇気のある人というのは、自分の心に正直に生きる人をいう。みなは、それがで
きないから、苦しんだり、悩んだりする。本当に勇気のある人というのは、負けを認め、
欠点を認め、自分が弱いことを認める人をいう。みなは、それができないから、無理をし
たり、虚勢をはったりする。

おかしいものは、おかしいと思う。おかしいものは、おかしいと言う。一見、何でもな
いことのように見えるかもしれないが、そういうすなおな気持ちが、孤独という無間地
獄から抜け出る、最初の一歩となる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●宗教について(8)

再び孤独について

 私は子どものころから、愛想のよい人間と言われてきた。しかしそれは仮面。本当の私
は、人嫌いで、むずかしがり屋で、わがまま。自分勝手で、傲慢(ごうまん)。だから友だ
ちの数は、少ない。本当に心を開いて、何でも話せる人というのは、ワイフくらいしかい
ない。あとは郷里にいる姉。そういう意味では、私は、実にさみしい人間。孤独な人間。

 そんな私だから、ときどき、こう考える。もしワイフや姉がいなくなったら、私はどう
なるか、と。第一に、私は生きる力をなくすだろう。第二に、今のような精神状態を保つ
ことはできなくなるだろう。第三に、……?

 私の知人のI氏(51歳)は、妻を病気でなくしたあと、自(みずから)も精神病院へ
入ってしまった。約6か月入院していたが、そのあと、別人のようになってしまった。私
との関係は、ここで切れたが、それから数年たって消息を聞くと、I氏はそのあと、全国
を旅して回ったという。I氏には暗くて、苦しい六か月だったに違いない。

これに似た話だが、昔、長谷川一夫という俳優がいた。日本人で彼の名前を知らない人
はいなかった。そういう俳優だったが、妻が死んだあと、そのあと数か月で、自分も死
んでしまった。毎日、毎晩、妻の仏壇の前で、彼女の死を悲しんでいたという。

 私たちはひとりでは生きられない。仮にあなたが巨億の富を手にして、あらゆる権力を
手にしたとしても、ひとりだったら、孤独に打ち克つことはできない。たいした富もない、
権力もない私がこう結論づけるのは、危険なことだが、こんなことは常識。少し頭を働か
せば、だれにだってわかる。

 そこで改めて、生きる意味を考える。私たちは、どうして生きているか、と。あるいは
どうすれば、生きることにまつわる孤独から、自分を解放することができるか、と。ある
いはそもそも生きる意味など、考える必要はないのか、と。「あるがままを生きて、死ぬと
きは、さっさと死ぬ。それでいい」と言う人もいる。「そのときはそのときだから、ジタバ
タしても、しかたないではないか」と。

実のところ、私もできれば、そうしたいと思っている。今は、今なりに、結構、ハッピ
ーなのだから、それでよいではないか、と。しかしこういう生き方は、あとでドンとツ
ケが回ってくるのではないかと、それがこわい。

 こうした恐怖感から逃れるために、ひとつの方法としては、宗教がある。神や仏に身を
寄せてしまえば、それはそれなりに楽になれる。実際には、同じ信仰をする仲間どうしが、
たがいに慰めあい、いたわりあうことで、楽になれる。しかし今の私には、それもできな
い。いや、とても残念なことだが、いまだかって、そういう宗教にめぐりあっていない。

 ああ、私は神や仏にすら、見放された人間なのか。ああ、私はそこまで孤独な人間なの
か。私はこの孤独から、いったいどうすれば逃れることができるのか。


【付記】

 以上の原稿は、私が、4年ほど前に書いた原稿である。一部「?」と思う部分もないわ
けではないが、そのままここに再掲載してみた。

 4年前というと、書いたことは覚えているが、内容までは覚えていない。しかし読んだ
とたん、内容がそのままスーッと頭の中に入っていく。それもそのはず、これらの文章は、
(私自身)だからである。

 その結果として、今の私がいる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本人の生活】

●生活が苦しい

++++++++++++++++

このほど、厚生労働省が、
国民生活基礎調査の調査結果
なるものを公表した。

それによると、国民の、
何と、56%が、生活が苦しいと
訴えているという。

ゾーッ!

++++++++++++++++

●月額48万円?

 このほど、厚生労働省が、国民生活基礎調査の調査結果なるものを、公表した(06−
06−29)。

(05年5〜7月期に、所得については、全国約6800世帯について、世帯について
は、約4万5000世帯について、それぞれ調査)

 それによれば、2004年度の1世帯あたりの平均所得は、前年比、0・1%増の、5
80万4000円だったという。

 話を先に進める前に、まず一言!

 580万4000円、だってエ?!

 月額になおすと、12で割って、48万円強。本当にそうだろうか?、というのが、私
の実感。

 あくまでも平均値だから、超高額所得者や、高額所得者が、その一方で、平均値をおし
あげていることは、容易に察することができる。
 
 が、48万円もあれば、それなりの生活ができるはず。

 オーストラリアやニュージーランドでは、月額20万円もあれば、かなり裕福な生活を
楽しむことができる。アメリカでは、2000万円も出せば、豪邸が買える。

 何かが、おかしい? どこかが、おかしい?

●目一杯の生活

 ときどき昼の番組で、「家計簿診断」というような番組が、放送される。ホームエコノミ
ストが、一般家庭からの依頼を受けて、その家庭の家計簿を診断するという番組である。

 つい先日見たのには、こんなのがあった。

 夫と妻の収入は、あわせて、40万円弱。しかし毎月、家計は赤字だという。で、調べ
てみると、11万円程度の家のローン。毎月、2〜3万円の車のローン、などなど。

 妻は趣味で集めている小物に、おしみなくお金を使っている。家の中は、その小物だら
け。

 言い忘れたが、夫は、32歳。妻は33歳。子どもは、7歳と5歳の女児2人。家のロ
ーンについては、完済するまでに、あと35年近くも残っているという。夫は、「満70歳
のとき、完済です」と、苦笑いをしていた。

見ると、家は、丘の上に建った、ほどほどの邸宅という感じだった。もちろん新築。車
は、2台。うち1台は、大型のバン。大型のバンは、家族のドライブ用だという。

 家計診断でよく知られた女性が、大型冷蔵庫の中をのぞくと、食品の山。中には、腐っ
た野菜まで!

 若い夫婦が、まさに、目一杯の生活をしているのが、それでわかる。しかしこれが今の、
おおかたの夫婦の生活様式と考えてよい。

●世帯に関する調査

 現在、65歳以上の老人だけで住んでいる高齢者世帯は、800万世帯を超えていると
いう(同調査)。(全国の世帯数は、約4700万世帯。)「800万世帯」と言われてもピ
ンとこない。が、計算上では、17・7%となる。約20%!

 ところで、若いころ、外国を旅行していたとき、こんなことを教えてくれた人がいた。

 「街角に職を求めて浮浪者が立ち並ぶようになったら、失業率は、20%を超えたとみ
てよい」と。1960年代中ごろの韓国が、そうだった。

 つまり高齢者世帯が、20%近くになったということは、あなたのまわりにも、さがさ
なくても目立つほど、高齢者世帯がふえたということになる。私の近所でも、あそこも、
ここもというほど、目立つようになってきた。

 その一方で、18歳未満の子どもがいる家庭は、たったの、26・3%! 4世帯に1
世帯にすぎない。これも、少子化の一端と考えてよい。そのうち、子どもがいる家庭より
も、高齢者世帯のほうが、多くなる。

●所得層 

 今回の調査では、所得に応じて、つぎの5段階に分けたという。

(1)第一世帯……209万円以下
(2)第二世帯……372万円以下
(3)第三世帯……574万円以下
(4)第四世帯……893万円以下
(5)第五世帯……それ以上

 こうした統計をみるとき、一番注意しなければならないことは、どの層が、一番、多い
かということ。そういう意味では、平均値などというものは、まったく、あてにならない。
先にも書いたように、年収が1000万円の人と、年収が100万円の人がいたとすると、
その平均値は、550万円ということになる。

 その550万円をもって、「日本人の平均月収は……」と話を進めると、とんでもないこ
とになる。問題は第5世帯だが、先ごろ娘の誘拐事件に巻きこまれた美容整形外科医のば
あい、日収(日収だぞ!)だけでも、数百万円もあったという!

 また550万円あるから、それなりの生活ができるとは、かぎらない。

 言うまでもなく、それにもろもろの税金がそこから引かれる。日本全体が、国際的な標
準からしても、欧米の約2倍程度の、高コスト社会になっている。

 わかりやすく言えば、食品の価格も、家の価格も、欧米の約2倍の価格になっている。
理由など、今さら言うまでもない。つまりその分だけ、お役人たちの生活費を、私たち一
般庶民が負担しているということになる。

●ぜいたくが当たり前

 一方、私たちの時代と比較するのも、ヤボなことだが、今では、ぜいたくが当たり前の
時代になってしまった。

 若い人たちが、「ふつうの生活」というときは、先に、家計簿診断で登場した家族がして
いるような生活をいう。つまり何もかも、ひととおりそろった、ぜいたくな生活をいう。

 何が、家のローンだ!
 何が、車のローンだ!

 私はその番組を見ながら、その一方で、今の若い人たちのぜいたくぶりに、あきれた。
言い忘れたが、娘2人には、個室があてがわれていた。冷蔵庫は、大型。居間には、しゃ
れたソファと、棚。棚には、洋酒も並んでいた。

 家はともかくも、どうしてドライブ用に、大型のバンなのか!

 つまり最近の若い人たちは、「ふつうの生活」というものを、まず頭の中に描き、それに
合わせて、無理やり、現実をそれに合わせてしまう。収入とか、家計というのは、そのあ
とに考える。

 これでは、いくらお金があっても、「生活は苦しい」(報道)、ということになる。

●レベルをさげられない?

 話はぐんと現実的になるが、今どき、ボットン便所など、口に出しただけで、笑われる。
しかしボットン便所は、生活の原点でもある。すべては、ここから始まる。

 私たちの時代には、そうだった。それがやがて水洗トイレになったが、「水洗」といって
も、水で便を流すだけ。ボットン便所は、ボットン便所。便所は、臭いままだった。

 が、今はちがう。新婚当初から、近代的なシャー付きトイレ。においの「ニ」の字もし
ない。しかも今では、芳香剤は当たり前。小学生ですら、用をたしたあとには、スプレー
で臭いを消して、トイレを出る。

 冷暖房完備のトイレすら、珍しくない。

 こうした生活を一方でしながら、「生活が苦しい」は、ない。もし苦しいというなら、何
をもって、苦しいというのか。どこが、苦しいというのか。

 苦しかったら、レベルをさげればよい。トイレが、再び、ボットン便所になったところ
で、しかたないではないか。自動車だって、軽自動車でじゅうぶん。冷蔵庫も、収入に見
あった小型のものよい。

 ……というのは、少し、言い過ぎかもしれない。自分でも、よくわかっている。わかっ
ているが、総合的に判断すれば、そういう社会や若者たちを作り出してしまったのも、結
局は、私たちの責任ということになる。

 いや、私はすでに20〜30年も前から、こうなることがわかっていた。

●ジジバカ、バババカ

 孫が生まれると、まず、ジジ様とババ様がやってくる。かけつける。そして孫を見て、
手をかける。時間をかける。ついでにお金もかける。

 20〜30年前の当時ですら、ピアノ教室へ通うのは、当たり前。どこの家にも、場違
いなほど、大きなピアノが置いてあった。

 そしてやがてゲームの時代。

 新しいゲーム機器が店に並ぶと、ジジ様、ババ様たちが、孫のためにと、それを買い求
める。1台、2〜4万円もする、ゲーム機器である。

 こんなこともあった。

 夏場になると、青い顔をして、ハーハーとあえいでいる中学生がいた。理由を聞くと、「ク
ーラーのない部屋では、勉強ができない」と。

 あるいは、レッスンの途中で、「家に帰る」「タクシーを呼んで」と叫んだ女の子(小5)
がいた。

 あとで母親に理由を聞くと、「うちの子は、よそのトイレでは、便(大便)をすることが
できないからです」と。

 当時私は、何かのエッセーでこう書いた。「こういう子どもたちが、おとなになったら、
どうなるか」「親になったら、どうなるか」と。

 その結果が、今である。

●数字どおりなら……

 厚生労働省が公表した数字どおりなら、580万円も年収があるなら、みな、裕福な生
活ができるはず。

 あのK国と比較するのもヤボなことだが、あのK国では、労働者の平均月収は、(月収だ
ぞ)、1〜2ドル。日本円で、100〜250円程度。

 それでも、何とか、人間は生きていかれる。

 が、この日本では、そうではない。どこかがおかしい。狂っている。

 その(おかしな部分)については、これからよく考えてみることにするが、私は、この
ままでは引きさがらない。

 あと6〜7年もすれば、私の家庭も、その高齢者世帯になる。加えて、年収209万円
以下の第一世帯になる。そうなってから、あわてたのでは、遅すぎる。今のうちに、何と
か、しておかねばならない。

 これは、私にとっても、切実な問題である。

【付記】

 今回の調査で、高齢者世帯のほとんどが、年金と貯金の取り崩しで生活をしていること
がわかった。

 一般サラリーマンにしても、どういうわけか、手にする年金は、年々、減っている。私
のような自営業者は、国民年金ということになるが、もとあらアテにしていない。(アテに
できない。)

 そこで貯金ということになるが、老後になるころには、子どもたちの教育費、親の介護
費などで、ほとんどの人たちは、大半の貯金を使い果たしてしまっている。

 さあ、どうしよう?、……と考えたところで、この話は、おしまい。要するに働けるだ
け働いて、あとは、パッと死ぬ。結論を先に言えば、そういうことになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●織田信長論

 先日もテレビを見ていたら、こう言った知事(M県)がいた。「私は信長の生き方に共感
を覚えます。今の日本に必要なのは、信長型の政治家です」と。

 信長のもとで、いかに多くの善良な庶民が苦しみ、犠牲になったことか。京都の川原で
は、毎日40〜50人もの人が処刑されたという記録も残っている。少し冷静に歴史を見
れば、彼がまともな人間でなかったことは、だれにだってわかるはずだ。

私たちはともすれば、あの時代を、信長の目でしか見ない。が、一度でもよいから、信
長にクビを切られる庶民の立場で見てはどうだろうか。県知事という、権力のトップに
立ったような人には、信長は理想かもしれないが、しかし私はゴメン。もし今、信長型
の政治家が出てきたら、徹底的に私は戦う。

 日本以外の多くの国々では、外国の勢力によって、圧制に苦しんだという歴史がある。
そういう国々で、そうした外国勢力をたたえるようなドラマを流そうものなら、それだけ
で袋叩きにあう。

あのオーストラリアでさえ、英国総督府時代のイギリスを美化するだけで、袋叩きにあ
う。

しかし信長やそれにつづく封建領主たちのした圧制は、植民地の統治者でもしなかった
ような圧政である。ウソだと思うなら、一度、新居町(静岡県浜名湖の西にある町)の
関所跡へ行ってみることだ。当時は関所破りをしたというだけで、一族すべてが処刑さ
れた。そんな記録が残っている。

圧制は圧制でも、信長は日本人だったから許されるという論理は、それ自体、おかしい。
もし仮に信長が、朝鮮の李朝の出身者だったら、今ごろはどう評価されていることやら。
ほんの少しだけでもよいから、それを想像してみてほしい。それともあなたは、それで
も信長をたたえるだろうか。もしそうなら、鎌倉時代に、日本を襲った、蒙古のチンギ
スハン(モンゴル帝国の創始者、元の太祖)をたたえたらよい。信長より、ずっとスケ
ールが大きい。

 歴史は歴史だから、それなりの評価は大切である。しかしそれ以上に大切なことは、そ
の歴史を冷静に評価することである。あのナポレオンは、「歴史はみなが合意のもとにつく
った、作り話である」(ナポレオン「語録」)と書いている。

ときには、そういう冷めた目も大切である。で、ないと、「歴史は繰り返す」(ツキュデ
ィデス「歴史」)ということになりかねない。


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【雑感・あれこれ】

●グループ・ホーム

 兄が、グループ・ホームへ入居して、かれこれ、もう1年になる。何かと制約はあるよ
うだが、三食、昼寝つき。ときどき、マンツーマンで、買い物にも、連れていってもらえ
るという。

 費用は月額12〜3万円プラス、1〜2万円の雑費。病院の治療代や、床屋代などなど。

 「老人介護には、大学生並みの生活費がかかる」と、よく言うが、それは正しい。それ
くらいの費用はかかる。ならば自宅で……ということになるが、それはできない。実際に
めんどうをみるのは、私のワイフ。

 実の親の介護をしていても、介護ノイローゼになる人は多い。いわんや、義理の兄では、
ワイフも、たいへん。便をもらすこともある。廊下に便をこぼすこともある。が、それだ
けではない。

 頭は半分ボケていても、性欲だけは、人一倍、ある。下半身だけは、達者。詳しくは書
けないが、その対策を考えたり、始末をするだけも、たいへん!

 ……ということで、グループ・ホームに落ちついた。

 で、その兄は、スキをみては、介護士の女性に抱きついたり、胸にさわったりしている
そうだ。兄の性癖のようなものだから、これだけは、どうしようもない。まあ、兄にとっ
ては、天国のようなところかもしれないが……。

 そういう話を、昨夜、姉と、長々と電話でした。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●拉致問題

 横田めぐみさんの元夫が、韓国の実母、実姉と対面した。しかしあれほどの「茶番劇」(報
道)を、私も、知らない。

 ああいう茶番劇を、堂々と演じて見せるK国には、ただただ、あきれるばかり。が、そ
れ以上に不気味なのは、ああまで見え透いた小細工を、国ぐるみでする、その姿勢。テレ
ビ報道を見ながら、改めて全体主義国家の恐ろしさを、確認する。

 要するに、崩壊エネルギーが、こうしたゆがんだ国家姿勢に現れていると考えてよい。
ふつうの国家なら、とっくの昔に崩壊している。が、あの金xxは、独裁者として、それ
を許さない。

 そのエネルギーが、こうした茶番劇に集約されている。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●もっとも、移民したい国は、日本!

 台湾のビジネス誌「遠見」によれば、全4質問中、「移民したい国」「立派だと思う国」「旅
行したい国」の3質問で、日本がトップになったという(06年6月29日)

 調査は、台湾全土で、20歳以上、約1000人の人について、行われた。以下、その
結果。

「移民したい国」   日本……32.3ポイント
米国……29.1ポイント
カナダ…26.5ポイント

「最も立派と思う国」 日本……47.5ポイント
米国……40.3ポイント
中国……15.8ポイント

 ことあるごとに、日本のアラさがしをしては、悪口を書きたてる、韓国の報道機関。最
近でも、「日本の株式市場は、新興市場」(朝鮮N報)とか、「指導国家としての資質なし」
(N大統領)とか、書きたてている。

 しかしここで誤解してはならない点が、ある。

 私の経験を書く。

 1960年代の終わり、私は、UNESCOの交換学生として、韓国に渡った。日韓の
間にまだ国交のない時代で、私たちは、どこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。

 そんなある日、大邸(テグ)大学での議論を終えたあと、私は、ひとり、大邸(テグ)
大学の屋上にのぼった。屋上からは、眼下に大邸の町並みが一望できた。

 そこでぼんやりとしていると、ひとりの学生が近づいてきた。私は、「こんなところでも、
また議論か……!」と身構えたが、その学生は、こう言った。つい先ほどまで、私たちを、
口汚く攻撃していた学生である。

 「ぼくは、日本へ留学したい。君は、何か、方法を知らないか」と。

 私は、その(落差)に驚いた。一方で、燃えるような反日感情をもちながら、その一方
で、「日本に留学したい」と(?)。

 つまり、こうした調査結果は、決して、数字だけで判断してはならないということ。現
に、台湾の人たちは、ことあるごとに、反日的な姿勢を示している。と、同時に、ではそ
の韓国が、反日的かというと、そうでもない。会って話をしてみると、個人的には、みな、
よい人たちばかりだ。

 が、何は、ともあれ、今回の「遠見」誌による調査結果には、ほっとした。「日本の近く
には、そういう国もあったのだ」と、改めて思い知らされた。と、同時に、日本は、台湾
のような国を大切にしなければならないと感じた。

 で、話は、ぐんと現実的になるが、パソコンの液晶モニターにしても、私は韓国製とい
うだけで、自分の選択肢からはずしている。買うなら、日本製。どうしても……というこ
となら、台湾製ということにしている。

 近く、液晶テレビを買うつもりだが、それもそうだ。性能のよい日本製にしようか、値
段の安い台湾製にしようか、今、迷っている。韓国製などは、もとから、眼中にない。ぜ
ったいに、韓国製だけは、買わない。

【付記】今朝(7月1日)も、朝鮮N報の記事をのぞいてみたが、1〜3番の記事は、ど
れも、日本がらみの記事ばかり。

(1)韓国の家は、実は日本の家より、狭い……。
(2)自負心調査では、日本、18位、韓国、31位……。
(3)韓国の殺人、性犯罪、日本の約2倍……と。

 「韓国の人たちよ、もう日本のことなどかまわず、自分たちの道を行きなさい」と、私
は言いたい。韓国の新聞に目を通すたびに、過関心ママに支配された子どものような心境
になる。受験ママでも、よい。つまり、イヤ〜ナ気分!


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●便の始末

 現在、年老いた母(90歳)のめんどうを、姉がみている。頭がさがる。

 その母が、このところ、大便をもらすようになったという。ときに、やわらかい便を、
部屋中にまき散らすという。

 それについて、姉は、こう言った。「私なら、そうなる前に、死ぬわ。子どもたちには、
めんどうを、かけたくないもの」と。

 しかし同じ言葉を、昔、母が言ったのを、私は、思い出した。私の母も、昔、まったく
同じことを言っていた。が、その母が、自分で便をもらすようになった。

 人は、そうは簡単には、死なない。死ねない。死にたいと思っても、死ねるものではな
い。

 一方、あっけなく死んでいく人もいるが、そうでない人は、そうでない。

私「(母の)食欲は、あるのか?」
姉「ものすごいわよ。私より、たくさん食べている」
私「そりゃあ、たいへんだ」
姉「その上、便秘症で、4〜5日に1度でしょ。それが、どさっと出るわけ」
私(ギョッ!)
姉「家中に臭うほど、臭いのよ」と。

 先日も、健康診断を受けたらしいが、一番、健康だったのが、頭のボケた兄。つぎに母。
どこにも病気がない。

 一方、その2人のめんどうをみている姉や、姉の夫は、病気だらけ。私も、兄や母ほど
は、健康ではない。つまりめんどうをみてもらえる人は、それに甘えて、優雅な(?)生
活を送ることができる。だから、ますます健康になる。が、めんどうをみる人は、そうで
はない。

 介護ノイローゼという言葉すらある。介護する人たちの負担というか、重圧感には、相
当なものがある。もちろん金銭的な負担も大きい。母まで施設に入れるとなると、兄と合
わせて、月額、30万円近くになる。

 どうしよう、どうしたらいい……と考えたところで、どうしようもない。この問題だけ
は、なるようにしか、ならない。

 気が重い日々が、まだまだつづきそう……。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●橋本R元総理大臣

 昨日(7月1日)、橋本R元総理大臣が、死んだ。急死である。直接の死因は、多臓器不
全。腸の中の大動脈がつまり、その結果、腸全体が、壊死(えし)してしまったためだと
いう。

 橋本R元総理といえば、あのテカテカの頭とテカテカの顔で、よく知られていた。テカ
テカの頭は、ポマードをたっぷりとつけていたためだという。そのポマードをつけた手で、
ついでに顔をなでる。そのため、顔も、テカテカになったのだという。

 何かの雑誌で、そう読んだ。

 テカテカの顔は、それだけでも、健康そうに見える。東洋医学(漢方)でも、顔のツヤ
は、(衛)という物質で、決まると教える。(衛)は、(栄養)の(栄)、あるいは、(営養)
の(営)に通ずる。

 ツヤのある人は、外邪、つまり外からの病気にも強いとされる。

 が、もちろん、ポマードでは、だめ。(衛)は、皮膚の内側から、分泌されるもの。それ
について、ワイフと話しながら、私は、こう言った。

 「健康そうに見えたけど、そうではなかったのかもしれないね」と。

 で、昨日は、橋本R元総理の追悼報道で、一色。元来、日本では、死んだ人は、すべて、
「仏様」ととらえる。そのせいかどうかは知らないが、橋本R元総理をたたえる報道ばか
り。「すばらしい政治家だった」「惜しい人をなくした」「米軍削減の道筋をつけた」「小さ
な政府の道筋をつけた」など。

 驚いたのは、野党の元党首ですら、橋本R元総理を、たたえていたこと。

 本当に、そうか? それでよいのか?

 橋本R元総理と言えば、M総理大臣のもと、大蔵大臣だったときには、あのバブル経済
を起こし、そのあと、日本の経済をメチャメチャにした、その張本人。私には、そういう
印象しかない。そして最近は、1億円というワイロを、日本S会から受け取ったという疑
惑をかけられながら、「覚えていない」と言って、逃げてしまった。

 たしかに橋本R元総理の残した業績は、多い。しかしそれらは、「総理」という立場上、
どれも、当然のことをしたものばかり。総理大臣ともなれば、想像もつかないほど強大な
権限を使って、国政を自由に操ることができる。

 ……とまあ、否定的なことばかり書いてはいけない。しかし私は、こんなところに、つ
まり、「死んだ人は、すべて仏様」、という発想の中に、日本人独特の、無責任思想が凝縮
されているように思う。

 遠くは、江戸時代という封建主義。近くは、戦前、戦中という軍国主義がある。

 どれも終わったとたん、「仏様」とばかり、美化してしまう。もちろん反省の、「ハ」の
字もない。

 こうした日本人独特の国民性は、外国のそれとくらべてみると、よくわかる。

 たとえばアルゼンチンでは、その政治家が死んだとしても、罪を許さない。死体が安置
されている廟(びょう)を襲って、その死体を、ズタズタにしたりする。機関銃か何で、
廟そのものが、ボロボロにすることもある。そのため、大物政治家の墓の前には、護衛を
つけたりする。

 私は、実際、そういう廟というか、廟の集まった墓地を、この目で見たことがある。墓
地のまわりを、高い塀で囲い、その出入り口のところに、銃をもった護衛を立たせていた。

 そういうことをするのがよいとは思わないが、本当に、「死んだ人は、みな、仏様なのか?」。
これは何も、橋本R元総理だけの問題ではない。私たち、みなの問題である。

 「死んだ人は、釈迦と同列の仏様」。だから「死んだ人を責めてもしかたないではないか」
という発想が、日本人独特の無責任体質の基盤になっている。死とともに、その人の過去
を、すべて(水に流して)しまう。

 それでおしまい?

 田中K元総理大臣のときもそうだったが、本人が死んだと同時に、お金まで消えてしま
った。しかし人間は消えることはあっても、お金が消えることはない。今ごろは、どこか
のだれかの懐(ふところ)に、ちゃんと納まっているはず。

 なぜ、そういうことは、問題にしないのか?

 あのテカテカの頭と、テカテカの顔を思い出しながら、私は、そんなことを考えた。

【付記】

 橋本R元総理大臣を、一方的に美化する報道ばかりなので、あえて、どこかヒネクレタ
視点から、私なりの意見をここに書いてみた。(ゴメン!)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 8月 2日(No760 )
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【あせる親たち】

●親は、なぜあせるか?

+++++++++++++++++++++++

自分の子どもが受験期を迎えると、親たちは、
言いようのない不安にかられる。かられるまま、
子どもに向かって、こう言う。

「勉強しなさい!」と。

なぜ、親たちは、自分の子どもが受験期を迎えると、
そうなるのか? おかしくなるのか?

ある母親は、こう言った。「頭の中では、いけない
とわかっているのですが、どうしても、あせりを
覚えてしまいます、と。

なぜか?

どうしたらよいのか?

+++++++++++++++++++++++

●不安の内容

自分の子どもが受験期を迎えると、親たちは、言いようのない不安にかられる。自分の
子どもは、だいじょうぶかしらという心配が、そのまま、その不安となって結びつく。
自分の子どもが選別されるという恐怖感もある。

 ある母親は、そうした不安感をこう表現した。

 「夜、進学塾のビルが、こうこうと明かりをつけているのを見ただけで、カーッと頭に
血がのぼるのを感じました」と。

 また別の母親は、こう言った。「子どものテスト期間になると、お粥しか、のどを通りま
せん」と。その母親の髪の毛は、ぼうぼう。ほんの数年前の、あの優雅な表情は、もうど
こにもなかった。

●過去を再現する親たち

親たちは、自分の子どもの子育てをしながら、そのつど、自分の過去を再現する。無意
識のうちにも、再現する。

たとえば自分の子どもが幼児のときは、自分自身が幼児であったころの自分を、親の目
を通して、再現する。これを心理学の世界でも、「世代連鎖」と呼んでいる。「世代伝播
(でんぱ)」ともいう。つまり子育てというのは、本能ではなく、学習によって繰りかえ
される。

わかりやすく言えば、親は、自分が受けた子育てを再現しながら、今度は、自分の子ど
もに対して、同じような子育てを繰りかえす。よく知られた例に、虐待や暴力がある。
しかし世代連鎖は、何も、虐待や暴力にかぎったことではない。

 同じように、自分の子どもが受験期を迎えると、親たちは、自分の受験時代をそこで再
現する。言いようのない不安感というのは、実は、自分自身が自分の受験期に覚えた不安
感をいう。

 そしてさらにその不安感は、そのまた親、つまり自分自身の両親から、植えつけられた
不安感をいう。こうして過去をどんどんとさかのぼっていくと、その不安感は、さらにそ
のまた親たちから植えつけられたものであるということがわかる。

●明治の昔から……

日本は、明治の昔から、今に見る、日本独特の学歴社会をつくりあげた。一部の「学卒」
と呼ばれる超特権階級が、日本を支配する一方、残りの多くの民衆は、いわゆる(もの
言わぬ従順な民)として、飼いならされていった。

 「飼いならす」という言い方は、不適切な言い方に聞こえるかもしれない。が、富国強
兵政策の国では、そういう人間こそ、「民」として、あるべき民の姿だった。国からの命令
とあれば、喜んで命を捨てていく、従順な民である。その結果が、日清戦争であり、日露
戦争ということになる。

 これらの戦争では、おびただしい数の若者たちが、その犠牲となっていった。

 つまり簡単に「学歴社会」とは言うが、その歴史の中には、おびただしい数の人間の血
がしみこんでいる。もちろんその学歴社会を通して、一般の人たちは、不公平社会をいや
というほど、見せつけられている。

 徹底して優遇される「学卒」組。かたや、徹底して冷遇される、「無学歴」組。江戸時代
からの身分制度が、それに拍車をかけた。親たちが今、感じている不安は、それほどまで
に「根」が深い。

●自分の子どもの受験競争に狂奔する母親たち

さらに結婚と同時に、職場を去り、家庭に入る女性には、それなりの大きなストレスが
ある。挫折感がある。加えて「女は家事と育児」という、伝統的な慣習もある。しかし
母親といっても、その前に人間である。その人間が、家庭という環境に、みな、順応で
きるというわけではない。

 いつしか母親たちは、子育て、なかんずく、自分の子どもの(でき・ふでき)に、生き
がいを見出すようになる。あるいは、そこに自分自身の生きがいを傾けることになる。

 それは壮絶な戦いと言ってもよい。概して言えば、父親より、母親の方が、子どもの受
験競争に狂奔しやすいという理由は、そこにある。しかも、そこに、母親独特の、本能的
な母性愛がからむことがある。虚栄心や嫉妬心がからむことがある。

 これは当然の帰結ということになるが、しかし危険な側面もはらんでいる。母親がもつ、
本能的な母性が、母親自身の理性をつぶしてしまうことがある。またそういうケースは、
ゴマンとある。

 わかりやすく言えば、自分の子どもの受験競争に狂奔するあまり、自分自身を見失って
しまう。

 ライバルの母親の娘(年長児)を、人の目を盗んで、足蹴りにしていた母親がいた。(こ
れについて書いた原稿があるので、このあとに、添付しておく。)

●代償的愛

愛にも、いろいろある。本能的な愛もあれば、真の愛もある。が、もうひとつ、代償的
愛というのもある。

 「代償的愛」というのは、私が考えた言葉だが、つまりは、愛もどきの愛をいう。一見、
愛に見えるが、しかし、決して、愛ではない。自分の心のすき間を埋めるために、子ども
を利用するための愛、と考えるとわかりやすい。

 ここでいう子どもの受験競争に狂奔する親が、その一例である。「子どものため」「子ど
もの将来のため」と言いながら、何も、子どものことなど、考えていない。自分のエゴを、
子どもに押しつけているだけ。結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、
子どもを利用しているだけ。

 中には、自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに託す例もある。さらには、子ども
自身を、先にも書いたように、自分の虚栄の道具として、利用するケースもある。

ライバルの母親の子どもを、自分の子どもが、打ち負かす(?)。このタイプの母親にと
っては、それが何よりも痛快、ということになる。

 つまりは、代償的な愛というのは、親の、一方的な思いこみによる愛をいう。

●うちの子にかぎって……

親というものを、総合的にみると、ひとつの共通点があるのがわかる。つまりどの親も、
「うちの子にかぎって……」という、ものの考え方をする。それをベース(基礎)とし
て、自分の子育てを考える。自分の子育てを組み立てる。 

 「うちの子にかぎって、引きこもりや、家庭内暴力など、起こすはずはない」「うちの子
にかぎって、燃え尽きたり、荷卸し症候群にかかったりするはずはない」「情緒障害や精神
病になるはずがない」と。

 それもそのはず。

 どんな子どもでも、幼児期の子どもを見れば、その悲惨な将来を予測させるような部分
は、どこにもない。この時期の子どもは、あどけない。愛くるしい。従順で、親の言うこ
とにすなおに、従う。

 中には、「子どもは、教育によって、どうにでもなる」と言った母親がいる。「幼児期か
らしっかりと教育すれば、東大だって入れるはず」と言った母親もいた。

 が、その子どもも、思春期を迎えるころから、大きく変化する。崩れ始める。子どもは
子どもでなくなり、1人の人間として、自分のめざめる。が、そうなり始めても、それに
気がつかない親のほうが、多い。

 「うちの子にかぎって……」「こんなはずはない……」「まだ何とかなる……」「どうして
……?」と。

●家庭が修羅場

 そういう意味では、親というより、親であることは、因果な仕事(?)である。どんな
親でも、自分が子育てで失敗するとは、思っていない。あるいは、失敗してみて、そのと
きはじめて、それが失敗であると気がつく。

 さらに親子関係が崩壊した状態になっても、失敗と気づかない親も多い。

 毎日、毎晩、「勉強しろ!」「うるさい!」の大乱闘。憩いの場であるはずの家庭が、ま
さに修羅場。もちろん親子関係は、とっくの昔に崩壊。たがいの間には会話もなければ、
心の通いあいもない。廊下ですれちがっても、あいさつすら、しない。

 そういう状態になっても、まだ「うちはだいじょうぶ」とがんばる。「まだ、何とかなる」
とがんばる。

 ある母親は、こう言った。

 「あの子が、目的の学校にさえ入ってくれれば、それでいいのです。そのとき、あの子
は、私に感謝してくれるはずです」と。

●受験ノイローゼ

 子どもの受験にからみ、自分自身が、受験ノイローゼになる親は、少なくない。症状と
しては、うつ病に準じて考える。症状も、似ている。

 ある母親は、こう言った。

 「うちの子が、学校のテストで、98点を取ってきた、どうしたらいいでしょう」と。

 98点という点数は、決して悪い点数ではない。(マイナス2点)ということだから、ど
こかで小さなミスをしたにちがいない。で、私は、「何でもありませんよ」と言ったのだが、
その母親は、一歩も、ひきさがらなかった。「こんなことで困ります!」と。

 こうして受験ノイローゼになった母親は、ささいな問題点をとりあげ、それをことさら
大げさに問題にして悩んだりする。

 いくつかの特徴がある。

(1)誇大視性(ささいなことを、大げさに悩んだり、心配したりする。)
(2)不和随行性(デマやうわさに、左右されやすくなる。)
(3)狂奔性(明けても暮れても、考えるのは、子どもの受験のことばかり。)
(4)盲目性(客観的に、自分の子どもの姿を見ることができなくなる。)
(5)狂信性(学歴信仰に陥り、学歴こそ、すべてと考える。)
(6)闘争性(ライバルの子どもに、はげしい憎悪の念や嫉妬心をいだく。)

 あとは、お決まりのノイローゼ。そしてそのノイローゼにともなう、心的、および身体
的症状。不眠、食欲不振(あるいは過食)からはじまって、頭痛、腹痛、さらには、情緒
不安、精神不安へとつながっていく。

●破壊される親子関係

親が受験ノイローゼになるのは、親の勝手。しかし子どもこそ、たいへんな迷惑。が、
それだけではすまない。

 たいていこの時期を通して、親子の関係は、粉々に破壊される。

 最初は、親の指導や親の言うことに従っていた子どもも、その親に、疑問をいだくよう
になる。親のウラに隠された親の意図を見抜くようになる。そしてやがてお決まりの家庭
内騒動。それを繰りかえしながら、親の関係は、こわれていく。

 が、子どもの受験ノイローゼになった親には、それがわからない。わからないばかりが、
親子関係よりも、子どもの受験のほうを、優先させてしまう。ある母親は、こう言った。

 「あの子が目的の中学校へ入ってくれれば、それでいいのです。私は、そのために、犠
牲になってもいいのです」「あの子が目的の学校に入ってくれれば、あの子も、私のことを
理解してくれるはず」「感謝してくれるはず」と。

 しかし一度こわれた親子関係は、二度と修復されることはない。ほとんどのばあい、親
子は、そのまま断絶していく。

仮に受験でうまくいったとしても、それで親に感謝する子どもは、いない。ぜったいに、
いない。むしろ、親に対して、はげしい憎悪の念をもつようになる。

ことの深刻さを考えたら、はるかにこちらのほうが深刻。が、このタイプの親には、そ
れすらわからない。が、さらに問題は、つづく。

●独特の価値観

はげしい受験競争を経験した子どもほど、独特の価値観をもつようになることは、よく
知られている。

 人間の価値ですら、学歴や、点数で評価するのも、そのひとつだが、ほかにも、いろい
ろある。

 命の価値ですら、金銭的な数字に置きかえて判断する。損得だけで、人間関係を考える。
相対的な評価だけで、自分は幸福だと思ったり、不幸だと思ったりする。

 親に対しても、「親の恩も、遺産しだい」と。

 つまりは、独特の価値観をもった、冷たい人間になる。が、当の本人ですら、それに気
づくことはない。脳のCPU(中央演算装置)そのものが、狂うからである。

 しかし結局は、一番、損をするのは、その子ども自身ということになる。

 私の知人の中にも、定年退職をしたあとも、退職前の学歴や職歴(肩書き)を、そのま
ま引きずっている人がいる。そのため一般の社会に同化できず、孤独で、さみしい人生を
送っている。

 このタイプの人は、あなたの周囲にも、1人や2人は、かならずいるはず。

●変わる入試問題

しかし教育のほうだって、何も、こうした現状を前にして、手をこまねいて、おとなし
くしているわけではない。

 現在、教育は、欧米化をめざして、どんどんと変わってきている。教育の自由化もその
ひとつだが、受験体制、さらには、入試問題そのものも、大きく様変わりしてきている。

 いわゆる受験塾では、対処できない問題になりつつある。

 学校における内申書を重要視しながら、入試問題も、たとえば、総合的な判断力をみる
ものへと、変わりつつある。

 わかりやすく言えば、(できる・できない)よりも、(より深く考えられる。考えられな
い)という視点で、子どもを判断する。

 その一例として、こんな問題がある。

 環境の変化についてのさまざまなデータを、グラフや表で見せながら、「あなたは、これ
らのデータを見て、どう考えますか。200字以内で、自分の意見を書きなさい」(H市内
N高校中等部入試問題)と。

 こうした傾向は、そのまま高校入試、さらには、大学入試へとつづいている。

●では、どうするか?

簡潔に言えば、親自身が、賢くなること。これにまさる解決方法は、ない。賢くなる…
…、つまり親自身が、自分で考えて行動する。

 それはたとえて言うなら、荒野の一軒家で、夜の闇におびえながら、ビクビクしている
ようなもの。わずかの物音に驚き、ものの気配におびえる。

 しかしそんなところに住みながらも、物音の正体を知り、ものの気配といっても、思い
過ごしでしかないことを知る。夜の闇がこわければ、電灯をつければよい。ついでに戸締
りも厳重にすればよい。

 賢くなるというのは、そういうことをいう。

 人間(動物)の宿命として、バカからは、バカがわからない(失礼!)。自分がバカであ
ることにさえ、気づかない(失礼!)。しかしそのバカは、脳みその問題ではない。努力の
問題である。

 が、そのバカな人たちから一歩、抜き出てみると、あなたをとりまく世界は、一変する。
あなたがそれまでいた世界が、あたかも、サルの世界のように見えてくる。そして、同時
に、あなたにも、何が大切で、何がそうでないかがわかるようになる。子どもの教育が、
今、どうあるべきかが、わかってくる。

 つまりそういう形で、自分を昇華させながら、問題を解決する。

 その第1歩として、この原稿を書いてみた。

 あなたをよりよく知るための、その参考になれば、うれしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
受験ノイローゼ 子供の受験 受験勉強 育児ノイローゼ 子供の受験に狂奔する親た
ち)

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中日新聞紙上で発表した原稿を、3作、
転載します。

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●いじめの陰に嫉妬

 陰湿かつ執拗ないじめには、たいていその裏で嫉妬がからんでいる。

この嫉妬というのは、恐らく人間が下等動物の時代からもっていた、いわば原始的な感
情の一つと言える。それだけに扱いかたをまちがえると、とんでもない結果を招く。

 市内のある幼稚園でこんなことがあった。

その母親は、その幼稚園でPTAの役員をしていた。その立場をよいことに、いつもそ
の幼稚園に出入りしていたのだが、ライバルの母親の娘(年中児)を見つけると、その
子どもに執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。

その子どもの横を通り過ぎながら、わざとその子どもを足蹴りにして倒す。そして「ご
めんなさいね」と作り笑いをしながら、その子どもを抱きかかえて起こす。起こしなが
ら、その勢いで、またその子どもを放り投げて倒す。

以後、その子どもはその母親の姿を見かけただけで、顔を真っ青にしておびえるように
なったという。

ことのいきさつを子どもから聞いた母親は、相手の母親に、それとなく話をしてみたが、
その母親は最後までとぼけて、取りあわなかったという。父親同士が、同じ病院に勤め
る医師だったということもあった。被害にあった母親はそれ以上に強く、問いただすこ
とができなかった。

似たようなケースだが、ほかにマンションのエレベータの中で、隣人の子ども(3歳男
児)を、やはり足蹴りにしていた母親もいた。この話を、80歳を過ぎた私の母にする
と、母は、こう言って笑った。「昔は、田舎のほうでは、子殺しというものまであったか
らね」と。

 子どものいじめとて例外ではない。Tさん(小3女児)は、陰湿なもの隠しで悩んでい
た。体操着やカバン、スリッパは言うに及ばず、成績表まで隠されてしまった。しかもそ
れが1年以上も続いた。Tさんは転校まで考えていたが、もの隠しをしていたのは、Tさ
んの親友と思われていたUという女の子だった。

それがわかったとき、Tさんの母親は言葉を失ってしまった。「いつも最後まで学校に残
って、なくなったものを一緒にさがしていてくれたのはUさんでした」と。Tさんは、
クラスの人気者。背が高くて、スポーツマンだった。一方、Uは、ずんぐりした体格の、
どうみてもできがよい子どもには見えなかった。Uは、親友のふりをしながら、いつも
Tさんのスキをねらっていた。そして最近でも、こんなことがあった。

 ある母親から、「うちの娘(中2)が、陰湿なもの隠しに悩んでいます。どうしたらいい
でしょうか」と。先のTさんの事件のときもそうだったが、こうしたもの隠しが長期にわ
たって続くときは、身近にいる子どもをまず疑ってみる。

そこで私が、「今一番、身近にいる友人は誰か」と聞くと、その母親は、「そういえば、
毎朝、迎えにきてくれる子がいます」と。そこで私は、こうアドバイスした。「朝、その
子どもが迎えにきたら、じっとその子どもの目をみつめて、『おばさんは、何でも知って
いますからね』とだけ言いなさい」と。

その母親は、私のアドバイス通りに、その子どもにそう言った。以後、その日を境に、
もの隠しはウソのように消えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
いじめ 子供のいじめ いじめ問題 嫉妬)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●生意気な子どもたち

 子「くだらねエ、授業だな。こんなの、簡単にわかるよ」
私「うるさいから、静かに」
子「うるせえのは、テメエだろうがア」
私「何だ、その言い方は」
子「テメエこそ、うるせえって、言ってんだヨ」
私「勉強したくないなら、外へ出て行け」
子「何で、オレが、出て行かなきゃ、ならんのだヨ。貴様こそ、出て行け。貴様、ちゃん
と、金、もらっているんだろオ!」と。
そう言って机を、足で蹴っ飛ばす……。

 中学生や高校生との会話ではない。小学生だ。しかも小学3年生だ。もの知りで、勉強
だけは、よくできる。彼が通う進学塾でも、1年、飛び級をしているという。

しかしおとなをおとなとも思わない。先生を先生とも思わない。今、こういう子どもが、
ふえている。問題は、こういう子どもをどう教えるかではなく、いかにして自分自身の
中の怒りをおさえるか、である。あるいはあなたなら、こういう子どもを、一体、どう
するだろうか。

 子どもの前で、学校の批判や、先生の悪口は、タブー。言えば言ったで、あなたの子ど
もは先生の指導に従わなくなる。

冒頭に書いた子どものケースでも、母親に問題があった。彼が幼稚園児のとき、彼の問
題点を告げようとしたときのことである。その母親は私にこう言った。「あなたは黙って、
息子の勉強だけをみていてくれればいい」と。つまり「よけいなことは言うな」と。母
親自身が、先生を先生とも思っていない。彼女の夫は、ある総合病院の医師だった。ほ
かにも、私はいろいろな経験をした。こんなこともあった。

 教材代金の入った袋を、爪先でポンとはじいて、「おい、あんたのほしいのは、これだろ。
取っておきナ」と。彼は市内でも一番という進学校に通う、高校1年生だった。

あるいは面と向かって私に、「あんたも、こんなくだらネエ仕事、よくやってんネ。私ゃ
ネ、おとなになったら、あんたより、もう少しマシな仕事をスッカラ」と言った子ども
(小6女児)もいた。やはりクラスでは、一、二を争うほど、勉強がよくできる子ども
だった。

 皮肉なことに、子どもは使えば使うほど、苦労がわかる子どもになる。そしてものごし
が低くなり、性格も穏やかになる。しかしこのタイプの子どもは、そういう苦労をほとん
どといってよいほど、していない。具体的には、家事の手伝いを、ほとんどしていない。
言いかえると、親も勉強しかさせていない。また勉強だけをみて、子どもを評価している。
子ども自身も、「自分は優秀だ」と、錯覚している。

 こういう子どもがおとなになると、どうなるか……。サンプルにはこと欠かない。日本
でエリートと言われる人は、たいてい、このタイプの人間と思ってよい。

官庁にも銀行にも、そして政治家のなかにも、ゴロゴロしている。都会で受験勉強だけ
をして、出世した(?)ような人たちだ。見かけの人間味にだまされてはいけない。い
や、ふつうの人はだませても、私たち教育者はだませない。彼らは頭がよいから、いか
にすれば自分がよい人間に見えるか、また見せることができるか、それだけを毎日、研
究している。

 教育にはいろいろな使命があるが、こういう子どもだけは作ってはいけない。日本全体
の将来にはマイナスにこそなれ、プラスになることは、何もない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●発作的に暴れる子ども

 ある日の午後。一人の母親がやってきて、青ざめた顔で、こう言った。「娘(年中児)が、
包丁を投げつけます! どうしたらよいでしょうか」と。

話を聞くと、どうやら「ピアノのレッスン」というのが、キーワードになっているよう
だった。母親がその言葉を口にしただけで、子どもは激変した。「その直前までは、ふだ
んと変わりないのですが、私が『ピアノのレッスンをしようね』と言ったとたん、別人
のようになって暴れるのです」と。

 典型的なかんしゃく発作による家庭内暴力である。このタイプの子どもは、幼稚園や保
育園などの「外」の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずることが多い。柔和で
おとなしく、静かで、その上、従順だ。

しかもたいてい繊細な感覚をもっていて、頭も悪くない。ほとんどの先生は、「ものわか
りがよく、すなおなよい子」という評価をくだす。

しかしこの「よい子」というのが、クセ者である。子どもはその「よい子」を演じなが
ら、その分、大きなストレスを自分の中にため込む。そしてそのストレスが心をゆがめ
る。つまり表情とは裏腹に、心はいつも緊張状態にあって、それが何らかの形で刺激さ
れたとき、暴発する。

ふつうの激怒と違うのは、子ども自身の人格が変わってしまったかのようになること。
瞬間的にそうなる。表情も、冷たく、すごみのある顔つきになる。

 ついでながら子どもの、そしておとなの人格というのは、さまざまな経験や体験、それ
に苦労を通して完成される。つまり生まれながらにして、人格者というのはいないし、い
わんや幼児では、さらにいない。もしあなたが、どこかの幼児を見て、「よくできた子」と
いう印象を受けたら、それは仮面と思って、まずまちがいない。つまり表面的な様子には、
だまされないこと。

 ふつう情緒の安定している子どもは、外の世界でも、また家の中の世界でも、同じよう
な様子を見せる。言いかえると、もし外の世界と家の中の世界と、子どもが別人のようで
あると感じたら、その子どもの情緒には、どこか問題があると思ってよい。

あるいは子どもの情緒は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときを見て、判断す
る。運動会のあとでも、いつもと変わりないというのであれば、情緒の安定した子ども
とみる。不安定な子どもはそういうとき、ぐずったり、神経質になったりする。

 なお私はその母親には、こうアドバイスした。「カルシウムやマグネシウム分の多い食生
活にこころがけながら、スキンシップを大切にすること。次に、これ以上、症状をこじら
せないように、家ではおさえつけないこと。暴れたら、『ああ、この子は外の世界では、が
んばっているのだ』と思いなおして、温かく包んであげること。叱ったり、怒ったりしな
いで、言うべきことは冷静に言いながらも、その範囲にとどめること。

このタイプの子どもは、スレスレのところまではしますが、しかし一線をこえて、あな
たに危害を加えるようなことはしません。暴れたからといって、あわてないこと。ピア
ノのレッスンについては、もちろん、もう何も言ってはいけません」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
スポイルされる子供たち 受験戦争の弊害)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【過去、現在、未来】

●輪廻(りんね)思想

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過去、現在、未来を、どうとらえるか?

あるいは、あなたは、過去、現在、未来を、
どのように考えているか?

どのようなつながりがあると、考えているか?

その考え方によって、人生に対する
ものの見方、そのものが変わってくる。

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 時の流れを、連続した一枚の蒔絵(まきえ)のように考えている人は、多い。学校の社
会科の勉強で使ったような歴史の年表のようなものでもよい。過去から、現在、そして未
来へと、ちょうど、蒔絵のように、それがつながっている。それが一般的な考え方である。

 あるいは、紙芝居のように、無数の紙が、そのつど積み重なっていく様(さま)を想像
する人もいるかもしれない。過去の上に、つぎつぎと現在という紙が、積み重なっていく。
あるいは上書きされていく。

 しかし本来、(現在)というのは、ないと考えるのが正しい。瞬間の、そのまた瞬間に、
未来はそのまま過去となっていく。そこでその瞬間を、さらに瞬間に分割する。この作業
を、何千回も繰りかえす。が、それでも、未来は、瞬時、瞬時に、そのまま過去となって
いく。

 そこで私は、この見えているもの、聞こえているもの、すべてが、(虚構)と考えている。

 見えているものにしても、脳の中にある(視覚野)という画面(=モニター)に映し出
された映像にすぎない。音にしても、そうだ。

 さらに(時の流れ)となると、それが「ある」と思うのは、観念の世界で、「ある」と思
うだけの話。本当は、どこにもない。つまり私にとって、時の流れというのは、どこまで
いっても、研(と)ぎすまされた、(現実)でしかない。

 その(時の流れ)について、ほかにもいろいろな考え方があるだろうが、古代、インド
では、それがクルクルと回転していくというように考えていたようだ。つまり未来は、や
がて過去とつながり、その過去は、また未来へとつながっていく、と。ちょうど、車輪の
輪のように、である。

 そのことを理解するためには、自分自身を、古代インドに置いてみなければならない。
現代に視点をおくと、理解できない。たとえば古代インドでは、現代社会のように、(変化)
というものが、ほとんどなかった。「10年一律のごとし」という言葉があるが、そこでは、
100年一律のごとく、時が過ぎていた。

 人は生まれ、そして死ぬ。死んだあと、その人によく似た子孫がまた生まれ、死んだ人
と同じような生活を始める。同じ場所で、同じ家で、そして同じ仕事をする。人の動きも
ない。話す言葉も、習慣も、同じ。

 そうした流れというか変化を、一歩退いたところで見ていると、時の流れが、あたかも
グルグルと回転しているかのように見えるはず。死んだ人がいたとしても、しばらくして
その家に行ってみると、死んだ人が、そのまま若返ったような状態で、つまりその子孫た
ちが、以前と同じような生活をしている。

 死んでその人はいないはずなのに、その家では、以前と同じように、何も変わらず、み
なが、生活している。それはちょうど、庭にはう、アリのようなもの。いつ見てもアリは
いる。しかしそのアリたちも、実は、その内部では、数か月単位で、生死を繰りかえして
いる。

 こうして、多分、これはあくまでも私の憶測によるものだが、「輪廻(りんね)」という
概念が生まれた。輪廻というのは、ズバリ、くるくると回るという意味である。それが輪
廻思想へと、発展した。

 もちろん、その輪廻思想を、現代社会に当てはめて考えることはできない。現代社会で
は、古代のインドとは比較にならないほど、変化のスピードが速い。10年一律どころか、
数年単位で、すべてが変わっていく。数か月単位で、すべてが変わっていく。

 住んでいる人も、同じではない。している仕事もちがう。こうした社会では、時の流れ
が、グルグルと回っていると感ずることはない。ものごとは、すべて、そのつど変化して
いく。流れていく。

 つまり時の流れが、ちょうど蒔絵のように流れていく。もっとわかりやすく言えば、冒
頭に書いたように、社会科で使う、年表のように、流れていく。長い帯のようになった年
表である。しかしここで重要なことは、こうした年表のような感じで、過去を考え、現在
をとらえ、そして未来を考えていくというのは、ひょっとしたら、それは正しくないとい
うこと。

 つまりそういう(常識?)に毒されるあまり、私あたちは、過去、現在、未来のとらえ
かたを、見誤ってしまう危険性すら、ある。

 よい例が、前世、来世という考え方である。それが発展して、前世思想、来世思想とな
った。

 前世思想や、来世思想というのは、仏教の常識と考えている人は多い。しかし釈迦自身
は、一言も、そんなことは言っていない。ウソだと思うなら、自分で、『ダンマパダ(法句)』
(釈迦生誕地の残る原始仏教典)を読んでみることだ。

 ついでに言っておくと、輪廻思想というのは、もともとはヒンズー教の教えで、釈迦自
身は、それについても一言も、口にしていない。

 言うまでもなく、現在、日本にある仏教経典のほとんどは、釈迦滅後、4〜500年を
経てから、「我こそ、悟りを開いた仏」であるという、自称(仏の生まれ変わりたち)によ
って、書かれた経典である。その中に、ヒンズー教の思想が、混入した。

 (それについて書いた原稿は、このあとに添付しておく。)
 
 過去、現在、未来……。何気なく使っている言葉だが、この3つの言葉の中には、底知
れぬ真理が隠されている。

 この3つを攻めていくと、ひょっとしたら、そこに生きることにまつわる真理を、発見
することができるかもしれない。

 そこでその第一歩。あなたは、その3つが、どのような関連性をもっていると考えてい
るか。

 一度、頭の中の常識をどこかへやって、自分の頭で、それを考えてみてほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【家庭内宗教戦争】

 福井県S市に住む男性(47歳)から、こんな深刻な手紙が届いた。いわく「妻が、新
興宗教のT仏教会に入信し、家の中がめちゃめちゃになってしまいました」と。長い手紙
だった。その手紙を箇条書きにすると、だいたいつぎのようになる。

●明けても暮れても、妻が話すことは、教団の指導者のT氏のことばかり。

●ふだんの会話は平穏だが、少し人生論などがからんだ話になると、突然、雰囲気が緊迫
してしまう。

●「この家がうまくいくのは、私の信仰のおかげ」「私とあなたは本当は前世の因縁で結ば
れていなかった」など、わけのわからないことを妻が言う。

●朝夕の、儀式が義務づけられていて、そのため計二時間ほど、そのために時間を費やし
ている。布教活動のため、昼間はほとんど家にいない。地域の活動も多い。

●「教団を批判したり、教団をやめると、バチが当る」ということで、(夫が)教団を批判
しただけで、「今にバチが当る」と、(妻は)それにおびえる。

●何とかして妻の目をさまさせてやりたいが、それを口にすると、「あなたこそ、目をさま
して」と、逆にやり返される。

 今、深刻な家庭内宗教戦争に悩んでいる人は、多い。たいていは夫が知らないうちに妻
がどこかの教団に入信するというケース。最初は隠れがちに信仰していた妻も、あるとき
を超えると、急に、おおっぴらに信仰するようになる。そして最悪のばあい、夫婦は、「も
う一方も入信するか、それとも離婚するか」という状況に追い込まれる。

 こうしたケースで、第一に考えなければならないのは、(夫は)「妻の宗教で、家庭がバ
ラバラになった」と訴えるが、妻の宗教で、バラバラになったのではないということ。す
でにその前からバラバラ、つまり危機的な状況であったということ。それに気がつかなか
ったのは、夫だけということになる。

よく誤解されるが、宗教があるから信者がいるのではない。宗教を求める信者がいるか
ら、宗教がある。とくにこうした新興宗教は、心にスキ間のできた人を巧みに勧誘し、
結果として、自分の勢力を伸ばす。しかしこうした考え方は、釈迦自身がもっとも忌み
嫌った方法である。釈迦、つまりゴータマ・ブッダは、『スッタニパータ』(原始仏教の
経典)の中で、つぎのように述べている。

 『それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島
とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ』(二・二六)と。

生きるのはあくまでも自分自身である。そしてその自分が頼るべきは、「法」である、と。
宗派や教団をつくり、自説の正しさを主張しながら、信者を指導するのは、そもそもゴ
ータマ・ブッダのやり方ではない。ゴータマ・ブッダは、だれかれに隔てなく法を説き、
その法をおしみなく与えた。死の臨終に際しても、こう言っている。

 「修行僧たちよ、これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良く知
ってたもって、実践し、盛んにしなさい。それは清浄な行いが長くつづき、久しく存続す
るように、ということをめざすものであって、そのことは、多くの人々の利益のために、
多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐(あわ)れむために、神々の人々との利益・
幸福になるためである」(中村元訳「原始仏典を読む」岩波書店より)と。

そして中村元氏は、聖徳太子や親鸞(しんらん)の名をあげ、数は少ないが、こうした
法の説き方をした人は、日本にもいたと書いている(同書)。

 また原始仏教というと、「遅れている」と感ずる人がいるかもしれない。事実、「あとの
書かれた経典ほど、釈迦の真意に近い」と主張する人もいる。

たとえば今、ぼう大な数の経典(大蔵経)が日本に氾濫(はんらん)している。そして
それぞれが宗派や教団を組み、「これこそが釈迦の言葉だ」「私が信仰する経典こそが、
唯一絶対である」と主張している。それはそれとして、つまりどの経典が正しくて、ど
れがそうでないかということは別にして、しかしその中でも、もっとも古いもの、つま
り歴史上人物としてのゴータマ・ブッダ(釈迦)の教えにもっとも近いものということ
になるなら、『スッタニバータ(経の集成)』が、そのうちのひとつであるということは
常識。

中村元氏(東大元教授、日本の宗教学の最高権威)も、「原始仏典を読む」の中で、「原
典批判研究を行っている諸学者の間では異論がないのです」(「原始仏典を読む」)と書い
ている。で、そのスッタニバータの中で、日本でもよく知られているのが、『ダンマパダ
(法句)』である。中国で、法句経として訳されたものがそれである。この一節は、その
法句経の一節である。

 私の立場ではこれ以上のことは書けないが、一応、私の考えを書いておく。

●ゴータマ・ブッダは、『スッタニパーダ』の中では、来世とか前世とかいう言葉は、いっ
さい使っていない。いないばかりか、「今を懸命に生きることこそ、大切」と、随所で教え
ている。

●こうした新興宗教教団では、「信仰すれば功徳が得られ、信仰から離れればバチがあたる」
と教えるところが多い。しかし無量無辺に心が広いから、「仏(ほとけ)」という。(だから
といって、仏の心に甘えてはいけないが……。)そういう仏が、自分が批判されたとか、あ
るいは自分から離れたからといって、バチなど与えない。

とくに絶対真理を求め、世俗を超越したゴータマ・ブッダなら、いちいちそんなこと、
気にしない。大学の教授が、幼稚園児に「あなたはまちがっている」とか、「バカ!」と
言われて、怒るだろうか。バチなど与えるだろうか。ものごとは常識で考えたらよい。

●こうしたケースで、夫が妻の新興をやめさせようとすればするほど、妻はかたくなに心
のドアを閉ざす。「なぜ妻は信仰しているか」ではなく、「なぜ妻は信仰に走ったか」とい
う視点で、夫婦のあり方をもう一度、反省してみる。時間はかかるが、夫の妻に対する愛
情こそが、妻の目をさまさせる唯一の方法である。

 ゴータマ・ブッダは、「妻は最上の友である」(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカー
ヤ」第一巻三二頁)と言っている。友というのは、いたわりあい、なぐいさめあい、教え
あい、助けあい、そして全幅の心を開いて迎えあう関係をいう。夫婦で宗教戦争をすると
いうこと自体、その時点で、すでに夫婦関係は崩壊したとみる。

繰りかえすが、妻が信仰に走ったから、夫婦関係が危機的な状況になったのではない。
すでにその前から、危機的状況にあったとみる。

 ただこういうことだけは言える。

 この文を読んだ人で、いつか何らかの機会で、宗教に身を寄せる人がいるかもしれない。
あるいは今、身を寄せつつある人もいるかもしれない。そういう人でも、つぎの鉄則だけ
は守ってほしい。

(1)新興宗教には、夫だけ、あるいは妻だけでは接近しないこと。
(2)入信するにしても、必ず、夫もしくは、妻の理解と了解を求めること。
(3)仏教系の新興宗教に入信するにしても、一度は、『ダンマパダ(法句経)』を読んで
からにしてほしいということ。読んで、決して、損はない。
(02−7−24)

【注】
 法句経を読んで、まず最初に思うことは、たいへんわかりやすいということ。話し言葉
のままと言ってもよい。もともと吟詠する目的で書かれた文章である。それが法句経の特
徴でもあるが、今の今でも、パーリ語(聖典語)で読めば、ふつうに理解できる内容だと
いう(中村元氏)。しかしこの日本では、だいぶ事情が違う。

 仏教の経典というだけで、一般の人には、意味不明。寺の僧侶が読む経典にしても、ほ
とんどの人には何がなんだかさっぱりわけがわからない。肝心の中国人が聞いてもわから
ないのだからどうしようもない。

さらに経典に書かれた漢文にしても、今ではそれを読んで理解できる中国人は、ほとん
どいない。そういうものを、まことしやかにというか、もったいぶってというか、祭壇
の前で、僧侶がうやうやしく読みあげる。そしてそれを聞いた人は、意味もなくありが
たがる……。日本の仏教のおかしさは、すべてこの一点に集約される。

 それだけではない。釈迦の言葉といいながら、経典のほとんどは、釈迦滅後、数百年か
らそれ以上の年月をおいてから、書かれたものばかり。中村元氏は、生前、何かの本で、「大
乗非仏説」(チベット→中国→日本へ入ってきた大乗仏教は、釈迦の説いた仏教ではない)
を唱えていたが、それが世界の常識。こうした世界の常識にいまだに背を向けているのが、
この日本ということになる。

たとえば法句経をざっと読んでも、「人はどのように生きるべきか」ということは書いて
あるが、来世とか前世とか、そんなことは一言も触れていない。むしろ法句経の中には、
釈迦が来世を否定しているようなところさえある。法句経の中の一節を紹介しよう。

 『あの世があると思えば、ある。ないと思えば、ない』※

 来世、前世論をさかんに主張するのは、ヒンズー教であり、チベット密教である。そう
いう意味では、日本の仏教は、仏教というより、ヒンズー教やチベット密教により近い。「チ
ベット密教そのもの」と主張する学者もいる。

チベット密教では、わけのわからない呪文を唱えて、国を治めたり、人の病気を治した
りする。護摩(ごま)をたくのもそのひとつ。みなさんも、どこかの寺で僧侶が祭壇で
バチバチと護摩をたいているところを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズ
ー教の儀式であって、仏教の儀式ではない。釈迦自身は、そうしたヒンズー教の儀式を
否定すらしている。

『木片を焼いて清らかになると思ってはいけない。外のものによって、完全な清浄を得
たいと願っても、それによっては清らかな心とはならない。バラモンよ、われは木片を
焼くのを放棄して、内部の火をともす』(パーリ原点協会本「サニュッタ・ニカーヤ」第
一巻一六九ページ)と。

仏教は仏教だが、日本の仏教も、一度、原点から見なおしてみる必要があるのではない
だろうか。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
過去論 前世論 未来論 来世論 はやし浩司 仏教論 日本の仏教 法句教)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本VS韓国】

++++++++++++

心配していたとおり、
韓国のN大統領は、
メチャメチャなことを
やり出した。

国民の世論にあえて、
背を向けて、
共産主義国家への道を、
まっしぐら(?)。

++++++++++++

 サッカーのW杯が始まったとき、韓国チームのコーチは、こう言った。「日本だけには、
勝ってほしくない」と。コーチがオーストラリア人だったから、ここまでは、私にも、理
解できる。が、そのあと、こう言った。「日本には、負けてほしい。日本が決勝トーナメン
トに出ないことを願う」(朝鮮N報)と。

 これが当時の、韓国の人たちのおおかたの世論だったと考えてよい。朝鮮N報も、そう
伝えている。

 かたや日本は、どうか?

 日本がブラジル戦に破れ、日本が決勝トーナメントに出られないとわかったときのこと。
「日本の報道機関は、こぞって、『韓国に期待する』というコメントを発表した」(同、朝
鮮N報)と。

 このちがいが、わかるか?

 試合が始まる前、「日本だけは負けろ」と公言した韓国。しかしその日本は、「アジアで
残ったのは韓国だけ。だから韓国に期待する」と。日本は、悲しくも、その韓国にエール
を送った。

 以上の話は、朝鮮N報の社説に載った記事をまとめたものである。私が憶測で書いた記
事ではない。日本の報道機関が書いた記事でもない。韓国の朝鮮N報が書いた記事である。

 私は、この記事を読んで、うれしかった。どういうわけだか、うれしかった。おとなに
なった日本。成熟した日本。それを、私は、この記事の中に感じた。

 で、たまたま昨日から今日にかけて、東京で身代金目的の誘拐(ゆうかい)事件が起き
た。ある美容整形外科の娘が、誘拐された。犯人は、中国系の男と韓国系の男だったとい
う。

 私はその事件を見ながら、こう思った。もし同じような事件が、韓国で起きたとしたら、
韓国の人たちは、どのように反応するだろうか、と。つまり日本人が、韓国の女性を誘拐
して、身代金を要求したら、韓国の人たちは、どのように反応するだろうか、と。

 へたをすれば、反日感情に火がついて、各地で暴動を起こすかもしれない。日本製品の
ボイコット運動を起こすかもしれない。

 しかし韓国人が日本で犯す犯罪の数とくらべたら、日本人が韓国で犯す犯罪の数は、比
較にならないほど、少ない。凶悪性についても、だ。

 こういう事実を、韓国のN大統領や、韓国の人たちは、どう考えているのだろうか。が、
この日本では、犯罪は犯罪として、冷静に対処している。つまりそれだけ、日本のほうが、
いまや成熟した国ということになる。

 しかしその日本について、N大統領は、公式の場で、こう言い放った。「(日本は、未成
熟な国で)、指導国家にはなれない」(注1)(06年05月)と。

 よくも言ったり! ならば日本へやってくる、あの武装スリ集団は、いったい、何か?

 あるいは日本中にいる、韓国の産業スパイは、いったい、何か? 日本から、ありとあ
らゆる情報を盗み取っているのは、韓国のほうではないのか。韓国の産業スパイは、いま
や、市町村レベルの村にまで、はびこっている。しかも現在、韓国の基幹産業になってい
る、自動車、造船、電子の各産業のすべては、日本の(お株)を奪ってつくりあげたもの。

 もしそれほどまでに、日本が嫌いなら、日本から学ぶものは、何もないはず。私なら、
日本を無視する。仮に援助を申し出られても、断る。それが国家としての、プライド(威
信)というものではないのか?

 が、韓国のN大統領は、そうでない。日本を、あろうことか、「仮想敵国」(朝鮮N報、
06年06月)とまで、位置づけた。日本における民団(韓国系)と、総連(K国系)の
「歴史的和解」(朝鮮N報)につづく、発言である。

 しかし日本の対応もすばやかった。

 民団と総連が和解したとたん、民団を、民団イコールK国の一派と位置づけ、民団の各
施設に対して、非課税措置を撤廃、課税措置を強化した。民団系の遊戯団体(=パチンコ
店)にも、片っ端から税務査察を入れた。そののち、民団は、「歴史的和解を白紙にもどす」
と発言したが、すでに時、遅し。日本は、日本としての制裁を開始してしまった(注2)。

 日本としては、当然の制裁行為である。韓国のN政権イコールK国と考えて、防戦を張
った。

 が、N大統領の、珍言は、これで終わったわけではない。「テポドンは、ミサイルとはか
ぎらない」とか、「日米は、テポドン問題について、過剰反応をしている」とか、など。N
大統領は、今回のミサイル問題を、「テポドン問題」と呼んでいる。今の段階では、ミサイ
ルとは断言できないからだそうだ。

 それにしても、韓国は、今、どちらに向かって、進もうとしているのか? 米韓同盟は、
いまや風前のともし火。在韓米軍は、韓国から空軍の撤退まで口にし始めた。N大統領自
身も、2011年ごろまでに、米韓同盟の解消をもくろんでいる。そればかりか、アメリ
カ軍に対して、「朝鮮動乱以前の状態にして、韓国から出て行け」とまで、言い出した。

 そのくせ日本とアメリカが歩調を合わせればあわせるほど、「ああでもない」「こうでも
ない」と、やきもちを焼く。日本がイラクへの派兵を決めたときでさえも、「日本には、行
かせるな」と、ブッシュ大統領に進言。

 まあ、何をしようが韓国の勝手だが、このままでは、N大統領の任期が終わるころには、
米韓関係はもちろん、日韓関係も、めちゃめちゃになっていることだろう。ついでに韓国
経済も、めちゃめちゃになっていることだろう。韓国のコスダック指数にしても、今年だ
けでも、20%弱の下落率を記録ている(06年上半期)。この数字は、世界45か国中、
最下位。

 今回の民団への制裁行為に見られるように、日本も、ただだまって韓国の言いなりにな
っているわけではない。口にこそ出さないが、確実に、韓国を、しめあげている。それを、
韓国国内では、「ブーメラン効果」と呼んでいる。

 日本をたたけばたたくほど、ブーメランのようになって、韓国にそれが影響してくると
いう意味である。それを望むわけではないが、その結果についての責任は、すべて今のN
大統領自身にある。

 近く、早ければ今年中に、韓国のバブル経済ははじける。悪くすれば、韓国は、そのま
ま再び、国家破綻する。そのとき重要なことは、日本は、N大統領ではなく、その向こう
にいる、良識をもった韓国の人たちと、連携を保つことである。

 N大統領の支持率は、すでに10%台にまで落ちこんでいる。韓国の内部にも、N大統
領の政策に、批判的な人も多い。「日本は、友邦国だ」と主張している人も少なくない(注
3)。今の日本にとって重要なことは、こうした人たちまで、日本の敵に回してしまわない
こと。

 日本は、あくまでもポストN大統領をにらんで、これからの日韓関係を構築していく。

+++++++++++++++
 
(注1)盧大統領は「時間のかかる難しいことであっても、明確な対応をしていくべき」
と話した。「日本は(韓国の領土を侵奪しようとする)行為を続ける限り、国際社会で経済
力と民主的水準に見合った指導的国家になることはできないだろう」とした。

(注2)横浜市は今月初め、在日本大韓民国民団(民団)関連施設に対し、固定資産税な
どの減免措置の取り消しを通告した。追加で課せられる税額は年間270万円に上る見込
みだ。日本の当局は対北朝鮮制裁措置の一環として、総連施設に対し、税金の減免を取り
消すなどの経済制裁措置を行っていた。しかし、民団に対しこうした制裁措置が取られる
のは初めてだ。民団会館などの民団施設は町内会の会館と同様、公益性を認められ、税金
の減免対象となっていた。
 
(注3)韓日両国の対立について鄭議員は「日本が見せているさまざまな対応は、韓国と
して到底容認できるものではないが、日本は基本的に友邦と見なすべきだ。日本を敵視す
るムードが政府内にあるような印象を受けるが、それは間違っていると思う」と述べた。
(以上、朝鮮N報の記事より)


Hiroshi Hayashi++++++++++June 06+++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】

●同窓会

 先日、名古屋で、大学のミニ同窓会があった。みんな元気だった。それを知っただけで、
うれしかった。励まされた。

 まだまだがんばれるぞ、と! つまり同窓会というのは、その元気をもらうところ。お
かげで、今週は、気分も、そう快。自分でも、生き様が前向きになっているのを感ずる。

 みんな、いつまでも元気で、がんばろう! これからも、よろしく!


●心の健康

 先日、(心の健康)についてのエッセーを書いた。その(心の健康)は、(1)生き様が
攻撃的で、積極的であるか、(2)生き様が、独立心が旺盛で、はっきりしているか、(3)
生き様が現実的で、柔軟であるか、(4)生き様に一貫性があり、計画的で、誘惑に強いか
で決まる。

 そうでない人は、そうでない。

(1)生き様が依存的で、服従的であったり、(2)生き様が、優柔不断で、ナヨナヨし
ていたり、(3)神秘的なものにあこがれ、占いやまじない、宗教にハマりやすくなって
いたり、(4)生き様が享楽的で、誘惑に弱いというのであれば、それだけで、心が病ん
でいるとみてよい。

 そこで心の健康を守るためには、どうすればよいかということになる。当然のことなが
ら、(心)というのは、外から見えない。見えない分だけ、どういう状態なのか、わかりに
くい。それに表面的には、いくらでも、ごまかしがきく。

 では、どうすればよいか? どうすれば、心の健康を守ることができるか?

 私は、たいへん手前勝手な意見で申し訳ないが、幼児と接することが、そのひとつの方
法ではないかと思う。子どもでもよい。

 幼児や子どもたちと接していると、ときどき、自分の心が、シャワーか何かで、サーッ
と洗われていくかのような錯覚を覚えることがある。子どもの世界では、ウソやインチキ、
それに、ごまかしは通用しない。

 そんなわけで、もしみなさんにも、幼児や子どもたちと接する機会があれば、どんどん
とそれを利用したらよい。自ら、その中に、飛びこんでいけばよい。

 そのときコツがあるとするなら、年長者であるという気負いは、捨て去ること。童心に
返って、それをする。心を解き放つ。ワーワーと幼児や子どもたちといっしょになって、
騒ぐ。

 私のばあい、それ以上に、(心の健康)を守る方法を知らない。知らないので、この方法
を、みなさんに勧める。


●K国のミサイル

 ロシアの政府高官(元K国駐在大使)が、こう言った。K国のミサイル発射実験につい
て、である。

 「ミサイルでも何でも、発射させてみればいい。飛ばさせてみればいい。着弾させてみ
ればいい。(どうせ、飛ばないから)」と。

 私も、実は、同意見である。アメリカのミサイルの専門家たちも、そう言っている。「K
国のミサイルは、初歩的なものだ」と。

 ただし背後で、中国やロシアが、K国を助けているなら、話は別。しかし今のところ、
そういう話は、伝わってきていない。


●狂った世界

 ある県で、医師の息子が、家族を殺害したあと、自分の家に放火するという事件が起き
た。

 理由は、「英語の成績が悪かったことが、父親にバレるのが、いやだったから」(報道)
とか。

 日本の受験競争の、狂った側面が、この事件に集約されている。が、この事件は、まさ
に氷山の一角。その一歩手前で、かろうじて家族の体裁を保っている家庭は、多い。二歩
手前となると、もっと多い。受験生をかかえる、ほとんどの家庭がそうであると言っても、
過言ではない。

 子どもに、親のエゴを押しつけてはいけない。押しつけたところで、意味はない。それ
をこの事件は、私たちに教えている。


●またまたダイエット開始

 私のばあい、少し油断すると、すぐ体重がふえる。数日前も、計ってみたら、何と、6
5キロ! 自分で設定している適性体重を、2キロもオーバー!

 さっそく、ダイエット開始。

 が、このところ、食事がおいしくてならない。何かにつけて、ついつい食べてしまう。
それがよくない。

 そこで私は気がついた。

 空腹感というのは、(逆・依存症)のことである、と。

 たとえば喫煙がある。あれほど意味のない習慣はないと思うが、一度その依存症になっ
てしまうと、喫煙を断つのは、むずかしい。

 同じように、空腹感と戦うのも、むずかしい。本当に、むずかしい。その(むずかしさ)
という点で、依存症と、空腹感は似ている。中身は、正反対かもしれないが、似ている。
だから(逆・依存症)。

 今日こそ、がんばってみよう。その空腹感と、戦ってみよう。


●共依存

 「共依存」という言葉がある。夫婦の間で、たがいに依存しあいながら生きている様子
をいう。が、ふつうの依存のし方ではない。ふつうの依存のし方ではないから、「共依存」
という。

 よくある例は、仕事もせず、暴力を繰りかえす夫と、それにただひたすら献身的に仕え
る妻との関係。ともに、自分の心の隙間(すきま)を埋めるために、相手を利用する。

 同じような「共依存」は、親子の間に見られることもある。

 ベタベタに子どもを愛する親と、これまたベタベタに、親に依存する子ども。マザコン
タイプの子どもを、想像すればよい。一見、仲がよい親子に見えるが、しかしこういうの
は、「仲がよい」とは言わない。

 ともに、たがいの心の隙間、つまり情緒的欠陥や、精神的な未熟性を補っているだけ。
ともに独立した人格をもてないから、依存しあって生きている。

 今、原因や理由はともあれ、この共依存関係に陥っている親子が、あまりにも多いのに
は、驚かされる。


●おかしなウグイス

 山荘では、この時期、今でもウグイスが鳴いている。そのウグイスだが、先日、山荘の
近くにやってきたウグイスは、こんな鳴き方をしていた。ふつう、ウグイスというのは、「ホ
ーケキョ」と鳴くものだが、そのウグイスは、「ホーキョキョ」と。

 夏も近づくと、ウグイスも、そういう鳴き方になるのか? しかし私は、そんな鳴き方
は、はじめて耳にした。

 ワイフに、「脳の微細障害が原因かもしれないね」と言ったが、意外と当たっているかも
しれない。ひょっとしたら、環境ホルモンか何かが、ウグイスの脳みそに、影響を与えて
いるのかもしれない。

 不気味な話だが、私には、そうとしか考えられない。万年単位でつづきてきた鳥の鳴き
声が、ここ10年とか、20年のうちに変わるはずがない。変わったとしたら、何か、微
細な変化が、ウグイスの脳みその中で起きたと考えるのが妥当である。

 ワイフも、「おかしな鳴き方」と言って、笑っていた。


●時計

 今日、本物の懐中時計がおまけについた雑誌が、発売になる。第4号である。

 1〜3号については、何と、3冊ずつも買ってしまった。息子たちにやったり、外国の
友人に送ったりした。

 で、今回の時計は、写真で見るかぎり、こげ茶色で、鯉(こい)の図柄が浮き彫りにな
ったケースに収まっている。

 楽しみだ。

 昼になったら、買いに行くつもり。2つ、買うつもり。1つは、私のため。もう1つは、
オーストラリアの友人のため。

 いつになっても、(おまけ)というのは、うれしいものだ。ハハハ。


●戦争ごっこ

 的当て遊び用に買ってきた、ピストルのおもちゃで、子どもたちが勝手に、戦争ごっこ
を始めた。

 2つのグループに分かれて、机をはさんで、ポンポンとそのピストルで撃ちあう。

 弾(たま)といっても、やわらかい発砲スチロールでできている。至近距離で目に当た
っても、痛くない。安全性は、確認してある。が、それにしても、戦争ごっことは!

 私が、「あのなア、学校で、そんな遊びをしたら、学校の先生は、クビになるよ」と声を
かけると、子どもたちは、「いいの、いいの、先生。ぼくらはだれにも言わないから」と。

 で、いつの間にか、私が、その審判に。弾が当たったら、その場で、「君は、死んだ」「退
場!」とか言う。

 「いいのかなあ?」「こんなことをしていて?」と思いながら、それをつづけた。

 しかし私が子どものころには、私たちは、毎日のように戦争ごっこをしていた。しかも
こんな生易(やさ)しいものではない。相手の敵をつかまえたら、捕虜にして、リンチま
で加えていた。

 リンチといっても、壁に立たせて、ボールを当てるというものだったが……。

 今の子どもは、そういう遊びをしない。してはならないという風潮すら、ある。だいた
い、「ごっこ遊び」というのを、しない。子どもとっては、とても大切なあそびのひとつだ
と思うのだが……。

 BWの親のみなさん、こんな遊びをして、ごめんなさい。したのは、2度だけ。今は、
そのピストルはすべて、片づけてあります。


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