はやし浩司(ひろし)

2006・9
はやし浩司
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2006年 9月号
 はやし浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 29日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学力格差

公立小中学校長の約9割が、「20年前に比べて家庭の教育力が低下している」と受け止
め、「将来、学力格差は広がる」と見ていることが、29日、東京大学基礎学力研究開発
センターの全国調査で明らかになった(読売新聞)。

 「学力とは何か」という定義もむずかしいが、私も、実際、「そうだ」と思っている。い
ろいろ理由はあるだろうが、私は、つぎの4つを、あげる。

(1)子どもの世界の多様化
(2)教育の無責任化
(3)学歴信仰、学校権威の崩壊
(4)親の価値観の変化

 また同調査によると、

「子どもの学力が20年前に比べ下がった」とみるのは小学校で42%、中学校では5
7%。小学校の76%、中学校の65%が「子どもを教えにくくなっている」と答えた
という(06年・7〜8月期、全国の小中学校の約3分の1の1万800校を対象に行
われ、約4割の校長から回答・読売新聞)。

 「教えにくくなった」ことについての第一の理由は、言うまでもなく、子どもの学力格
差が大きくなったこと。

 勉強をする子どもは、する。しない子どもは、しない。そのシロ・クロが、はっきりし
てきた。もっと言えば、子どもに勉強をさせる親は、させる。させない親は、させない。

 たとえば小学2年生で学ぶ、掛け算の九九にしても、1年生でスラスラと言える子ども
がいる反面、小学5、6年生になっても、あやふやな子どももいる。

 そこで、小学校の76%の教師が、「教えにくくなっている」と。しかしこれは、何も、
学習面だけの問題ではない。ある女性教師(小学校)は、私の家に来て、こう言った。

 「勉強以前の問題もあります」と。つまり家庭が、家庭として成りたっていない家庭も
多くなった、と。茶パツの子ども(小2)がいたので、それをやめるように親に指導しよ
うとしたら、反対に、親に怒鳴られてしまったとか。「個性の問題に、学校は、口出しをす
るな!」と。

 つまり相対的に、教師の権威が、さがってしまったということらしい。今では、子ども
どうしで、何かトラブルがあると、親たちはすぐ、「いじめだ!」と騒ぐ。先生が、頭を軽
く叩いただけで、親たちはすぐ、「体罰だ!」と、騒ぐ。

 私もあちこちの学校へ講演に行くたびに、「教えにくくなった」という話を耳にする。

 で、学力格差が生まれた。子ども自身の能力の問題もないわけではないが、格差が大き
くなればなるほど、学校では、授業そのものが、成りたたなくなる。

 まだ足し算や引き算があやふやな子どもに、どうして掛け算や割り算が教えられるのか。
掛け算では、足し算をしながら積を出す。割り算では、引き算をしながら、商を出す。

 この問題を解決するためには、2つの方法しかない。

(1)習熟度別指導
(2)個別的指導、である。

 私の実験教室では、(2)の個別的指導をしている。「進みたい子どもは、進みなさい」「わ
からないところがあれば、わかるまで、そこで学習していなさい」という指導法である。
しかしこの方法では、最大でも、1クラス、15人程度が限度。それ以上は、無理。が、
少なければ少ないほど、よいというのでもない。

 学習には、ある程度の緊張感が必要である。つまりは子どもどうしの刺激が必要である。
少なすぎると、(たとえば4〜5人程度だと)、その緊張感が生まれない。

 私の経験では、小学1〜3年くらいまでは、一斉指導でも構わないが、小学3年の中ご
ろからは、(1)の習熟度別指導、あるいは(2)個別的指導が望ましいと思っている。

 要は、教育自体が、環境の変化に応じて、フレキシブル(柔軟)に対応するということ。
そのために、教育は、より自由化されなければならないということ。今のように、北海道
から沖縄まで、そのつど、全体の意思統一を図りながら……というシステムでは、こうし
た変化に、柔軟に対応することはできない。

 アメリカなどでは、公立小学校でも、(公立小学校でもだぞ!)、PTAで話しあって、
児童の入学年まで、決めている。ちなみに、私の孫は、4歳になったばかりだが、この9
月から、地元の小学校に入学することになっている!

 そういうのを、「自由」という。

 これから先、学力格差は、大きくなることはあっても、小さくなることはない。とくに
公立校と私立校の格差は、大きくなる。そのため、ゆくゆくは、公立学校の民営化という
ことも、ありえなくはない。今は、その前兆期と考えてよいのではないだろうか。



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【子どもと受験】

●涼しい朝

++++++++++++++++

先ほど、Dさん(BW生の母親)から
メールが届いた。

その返事を書いた。

++++++++++++++++

 昨夜から降り始めた雨。そのせいか、今朝は、ぐんと気温が下がった。寒さを感ずるほ
ど、涼しい朝だ。言い忘れたが、今日は、9月1日。金曜日。

 こうして私はいつも、約1か月先の原稿を書いている。この原稿がマガジンに載るのは、
9月29日、金曜日。そのころ、私はどうなっているだろう……? 日本はどうなってい
るだろう……?

 マガジンを発行するようになって、困ったことがひとつある。こうして1か月先の原稿
を書いているせいか、ときどき今が、何月で、何曜日か、それがわからなくなるときがあ
る。何日かがわからなくなるときもある。子ども(生徒)たちに、「今日は何日だったっけ?」
と、聞くこともある。

 そういうとき子どもたちは、ふと心配そうな顔をしてみせる。「この先生、ボケたのか
な?」と。それは私の考えすぎかもしれない。が、私は、そう感ずる。

 ところで脳みその健康には、2つの意味がある。

 ひとつは、脳みそそのものが、健康であること。そういう意味では、ボケは、立派な病
気である。うつ病になったり、神経症や心気症(病気が過大に気になる)になったりする
のも、立派な病気である。

 もうひとつは、ものの考え方が、正常であること。「正常」の定義はむずかしいが、要す
るに、ゆがんでいないこと。おかしなカルト教団に身を寄せたり、極端な思想に染まった
りするのは、立派な病気と考えてよい。

 で、どうすれば、その病気を予防することができるか。

 脳みそそのものの健康は、(考えること)で予防できる。つまりジョギングをしたりして、
肉体の健康を維持するように、脳みそもまた、日々に鍛錬することで、その健康を維持す
ることができる。

 つぎにものの考え方を正常にする方法だが、ひとつの方法として、(子どもに接する)と
いうのがある。童心にかえって、子どもと接する。子どもの世界に飛びこむ。子どもとい
っしょになって、人生を楽しむ。

 そういうとき私は、それだけで自分の心が洗われていくような錯覚を覚えるが、同時に、
そのとき、私の脳みそは、正常になっているのかもしれない。言うまでもなく、子どもの
世界では、ウソやインチキは通用しない。

 ところで、今朝、Dさんという小5男児をもつ母親から、メールが届いた。Dさんは、
どこかの進学塾の説明会に行ってきたという。子どもの入塾テストでは、満点だったとい
う。

 で、その説明会で、電話帳のように分厚いテキストを見せられ、つぎに講師がこう言っ
たという。

 「……うちでは、成績順に席を並べます……」「……絶対、目標の学校に合格させてみせ
ます……」と。

 結局Dさんは、入塾を思いとどまったという。「勉強というのは、笑顔でするもの」と。

 教えを乞うべきほうは、むしろ、おとなのほうである。進学塾の講師のほうである。そ
んな家畜でもしないような指導法を、「教育」と思いこんでいる、講師のほうである。私は、
Dさんに、つぎような内容の返事を書いた。


 「受験というのは、すべったときのことを考えて準備します。恐怖と競争で子どもを追
い立てれば、それなりの効果はありますが、しかし効果は一時的。それよりももっと、こ
わいことは、それによって、子どもの心が、粉々に破壊されてしまうことです。

 合格すればしたで、不合格になれば、なおさら、子どもの心は、粉々に破壊されてしま
います。やさしさや、温もりが消えます。受験塾へ入ったとたん、心がゾッとするほど、
冷たくなる子どもとなると、珍しくありません。親は、『やっと、気構えができました』と
喜んでみせますが、これはとんでもない誤解です。

 しかも、『合格したからどうなの?』という部分がない教育ほど、(これはもう教育では
なく、訓練ですが……)、恐ろしいものはありません。競争馬がする、競走のようなもので
す。しかし子どもは(馬)ではありません。

 仮に目的の(?)学校へ入ったとしても、その時点で、燃え尽きてしまったり、荷卸し
症候群といって、学習意欲をなくしてしまうだけです。私は、そういう実例を、いやとい
うほど、見てきました。

 子どもにとって大切なものは、夢と希望です。その夢と希望の上に、目的ができます。
その目的が定まれば、子どもは、放っておいても、自分の力で、その目的に向かって進み
始めます。それを伸ばし、励ますのが、結局は、親の役目ではないでしょうか。

 ……もうおわかりかと思いますが、心の病気をもったおとなたちが、健康な心をもった
子どもたちを、わざわざ狂わせている。私には、そんな気がしてなりません。

 では、どうするか、ですね。

 Dさんのお子さんが、満点を取ったということ自体、今までの成果だと、どうかすなお
に喜んでください。今まで、私とDさんが協力して、がんばってきた成果です。あとは子
どもをほめる。「よかったね」「あなたは、すばらしい子よ」とです。

 あとの判断は、お子さんに任せます。それでも、そういうところで勉強したいと子ども
が言うなら、子どもに任すしかありません。そのときは、そのときですが、それは大学受
験のときまで待っても、よいのではないでしょうか。

 そのころになると、心の抵抗力もでき、そんなに簡単には、キズついたり、こわれたり
はしなくなります。

 しかし今は、まだ小学5年生です。心理学でも(内面化)と言いますが、(心をつくる段
階)です。こういう時期に、そういう異常な世界を体験させるのは、きわめて危険なこと
です。だから私は、Dさんの判断は、賢明だったと思います。

 これからもよろしくお願いします」と。


++++++++++++++++++

今まで書いた原稿の中から、いくつかを
ひろってみます。

Dさん、どうか、参考にしてください。

++++++++++++++++++

【BW教室から……】

●無責任な教え方(?)

 小学5年の女の子が、自分で勉強するようになった。放っておいても、どんどんとして
くれる。で、昨夜、小学5年の(上)が終わった。

 で、ロッカーをさがしても、5年の(下)がない。だれかに貸したままになっていた。

 しかたないので、「じゃあ、6年の上を勉強してみるか?」と声をかけると、かなり不安
そうな表情をしてみせた。

 「やってみな。自分を信じて!」と励ますと、「やってみる!」と。

 しばらく自分で本を読んでいた。何か、コツコツと作業をしていた。で、5分たち、1
0分がたった。

 すると私のところへ来て、こう言った。「先生、最大公倍数って何?」と。

 そこで私はこう言った。

 「昔、昔、おじいさんと、おばあさんがいてね。竹やぶの中で、竹の子をさがしていた。
するとね、一本だけ、光っている竹があったんだ。

 そこでおじいさんと、おばあさんは、その竹を切ってみることにしたんだよ……」

 「先生、その話と、最大公倍数とどういう関係があるの?」
 「ハハハ、ないよね。ごめん、ごめん」
 「もう、いい。私、自分で調べるから!」と。

 最近の教科書は、ていねいに書いてある。ふつうの本のように、ふつうに読めば、それ
なりに理解できるようになっている。しかし心のどこかに不安をいだいている子どもは、
その分だけ、それを依存性に変える。少しでもつまずくと、すぐ聞きに来る。

 しかし安易に教えてはいけない。自分でわかりそうなところは、自分でわからせる。が、
それでもわからなければ、教えるが、それには、タイミングというものがある。

 その女の子は、教科書を見ながら、ウーン、ウーンとうなっていた。

 が、やがて、大声で、「わかったア!」と。

 そこで私はこう言った。

 「いいか、教えられてできるのは、力ではない。またそんな知識など、すぐ消えてしま
う。しかし今、君は、自分で、それを理解した。それは君の力だ。その力は、君の身につ
いた。一生、君は、それを忘れないよ。よかったね」と。

 その女の子は、うれしそうに笑った。まわりにいた子どもたちも、みな、うれしそうに
笑った。

 ところで私は、子どもたちに何かを教えるときは、表情を見ながら、教える。表情とい
うよりは、その下に隠れている(心)というべきか。

 そこに、前向きな向学心を感ずれば、それでよし。そうでないときは、かなり警戒する。
ときとばあいによっては、そのまま、サボって、みんなでたこ焼きを食べに行くこともあ
る。

 こう書くと、「何てことを!」と思う人がいるかもしれない。が、ダラダラと2時間勉強
させるより、30分でも、サボったほうが、そのあと、はるかに効率よく子どもたちは勉
強するようになる。

 たこ焼きを食べて帰ってくると、子どもたちの表情が、パッと明るくなる。そういうこ
とは、よくある。

 こうした指導ができるのも、たがいの信頼関係があるから。親と私との間に、信頼関係
があるから。決してそれに甘えてはいけないが、しかし信頼関係がないと、こういう指導
はできない。

 その女の子も、やがて、自分でどんどんと勉強するようになる。もうそのコースに入っ
ている。私がすべきことは、そのコースに、じょうずに、子どもを乗せること。励ますこ
と。

 「やりなさい!」「今日はここまで勉強します」「テストをします」「テスト範囲はここま
で」「あなたは○○点です」「順位は、○番!」「あなたは、前から何番目に座りなさい」な
どという指導は、指導ではない。訓練。しかし家畜でも、そんな愚劣な訓練はしない。

 が、今、そんな愚劣な訓練ばかりが、大手を振って歩いている。そんなことを、その女
の子を見ながら、考えた。

 それにしても、理知的な目をしている。母親譲りだと、ふと、そう思った。

++++++++++++++++++

Dさんへ、

ついでにもう1作、添付します。

++++++++++++++++++

【子育て談話】

●服従的な生き方

 だれかに服従して生きるというのは、生き方としては、楽。相手が喜ぶことだけを考え
て、生きればよい。

 ある宗教団体では、入信すると同時に、「あなたは、教導様のために、何ができるか?」
と聞かれる。そして指導者のために何かをするかが、入信の条件となる。

 こうした服従的な生き方というのは、戦前の女性たちに、多く見られた。今でも、そう
いう生き方を、美徳と考えている人は多い。

 ところであのK国を見ていると、どの人も、「将軍様に、喜んでいただくために」という
言葉を使う。国民全体が、服従的になっていることを示す。しかしここで誤解してはいけ
ないのは、傍(はた)から見ると、何とも息苦しい社会だが、本人たちにとっては、そう
ではないということ。意外と、それは、心地がよい世界なのである。

 服従的であるということは、何も考えなくてもよいということ。(何も考えないから、服
従的になるということも、反対に考えられる。)

 子どもの世界にも、同じような現象が見られる。よい例が、高校野球である。あの野球
というゲームは、選手ひとりひとりは、ほとんど何も考えないで行動している。バッター
ボックスに立った選手ですら、つぎにどう打つか、その指示を監督に、ちくいち求めてい
る。

 そういう意味では、「考えるスポーツ」というよりは、「何も考えないスポーツ」という
ことになる。(だからといって、野球はつまらないと言っているのではない。誤解のないよ
うに……。)

 「学習」という世界でも、服従的な子どもは、いくらでもいる。言われたことだけを、
きちんとするが、それ以上のことは、何もしないというタイプの子どもである。一見、従
順で教えやすいが、それがよいことかということになると、悪いに決まっている。

 で、問題は、こうした服従性は、一度、その人の人生観に入りこむと、以後、さまざま
な形で、その人を支配するということ。そして一生、つづくということ。しかもその原点
は、子ども時代、なかんずく、幼児期に決まるということ。

 強圧的な環境、威圧的な育児姿勢が日常化すると、子どもは服従的になる。過度の過干
渉、過関心が原因になることもある。とくに母子の関係で、母親が、命令を主体とした子
育てをすると、子どもは、服従的になる。じゅうぶん、注意されたい。

 あなたが子どもに、何か不合理な仕事(あくまでも、不合理な仕事)を頼んだとき、あ
なたの子どもは、はげしくそれに反発するようなことがあるだろうか。もしそうなら、そ
れでよし。ハイハイと従順に従うようなら、ここに書いたことを参考に、子育てのあり方
を、反省してみてほしい。

●子育ては主義の問題

 ある母親から、こんなメールが届いた。私の講演を聞いたあと、今度は、S氏という評
論家の講演を聞いたというのだ。その結果、「頭の中が混乱してしまいました」と。

 S氏というのは、このあたりでも、貝原益軒(かいばらえっけん)の「養生訓」風の子
育て論を説くことで、よく知られている。貝原益軒というのは、江戸時代の儒学者である。
S氏も、「親の威厳こそが、家族をまとめるカギである」というようなことを、あちこちで
話している。

 私の考え方とは、180度違う。だからといって、私はS氏の思想を否定しているので
はない。人それぞれ。私は私。人は人。

 そこで大切なことは、いろいろな人の意見には、耳を傾けつつも、「私は私」という部分
を、自分の中につくること。でないと、この母親のように、混乱してしまう。

 子育てというのは、一見、ただの子育てに見えるかもしれないが、実は、そこに、その
人の「主義」がからんでくる。その人の生きザマや人生観が、そこに、集約される。学歴
信仰とはよく言ったもので、まさに「信仰」に近い部分もある。

 だから子育てをするとき、大切なことは、どんな小さなものでもよいから、そこに「主
義」をもつこと。これを心理学の世界では、「一貫性」という。一貫性が大切とか大切でな
いとかいうことではなく、その一貫性がない子育てほど、こわいものはない。

 たとえば貝原益軒なら貝原益軒でもよい。親が、一本、スジの通った主義をもてば、子
どもはそれに適応する。適応しながら、ときには、親を反面教師としながら、自分の生き
ザマを勝ち取っていく。まずいのは、「混乱」である。

 そこで私のばあいは、「教師は、子ども※」と決め、めったに、ほかの人の教育論は読ま
ないようにしている。話も聞かないようにしている。議論はよくするが、それは対等の立
場の議論。もし本を読む機会があれば、できるだけ教育とは無縁の本を読むようにしてい
る。

 それは私自身が、自分の主義を確立するためでもある。またそういう主義を、自分の育
児論の中に、織りこむためでもある。とくに私は、どこか迎合しやすい性質をもっている。
すぐ相手に合わせて、自分の意見をねじまげてしまう。

 私の講演を聞いて、つづいてあのS氏の講演を聞けば、だれだって、わけがわからなく
なる。私は、「親子といえども、一対一の人間関係」と説く。一方S氏は、「親の尊厳論を
説き、よい子どもを育てるためには、先祖の墓参りが重要」と説く。

 どちらをとるかは、それはみなさん、一人ずつの問題。私の意見がよいと思う人は、私
の意見を参考に、自分の主義をもったらよい。そうでない人は、そうでない主義をもった
らよい。それは私の問題ではない。冷たいことを言うようだが、仮に、あなたが私の意見
に同調してくれたとしても、私が得るものは、何もない。得をすることも、何もない。

 ただ私自身は、この宇宙に生まれた一つの証(あかし)として、ほんの数センチでも、
あるいはほんの数ミリでも、人間の社会を、一歩、前進させたい。そういう願いをもって、
ものを書き、自分の意見を述べている。

 だからその母親の意見には、こう答えるしかなかった。

 「あっちのカベ、こっちのカベにぶつかっていると、やがて子育ての輪郭が見えてきま
すよ。それがあなたの子育てです。混乱するということは、一歩、その手前にいるという
こと。恐れないで、もう一歩、前に、足を踏み出し、進んでみてください」と。
(はやし浩司 子供の服従性 服従する子供 子ども 子どもの服従 服従性)

※……これは私の重要な主義。子育て論を組み立てていて、わからないときがあると、本
を調べるよりも先に、子どもを観察し、子ども自身に問うことにしている。この世界へ入
ってからというもの、私はただひたすら、くる日も、くる日も、アンケート調査を繰りか
えした。「教師は子ども」というのは、そういう意味。

●役割形成

 子どもは成長しながら、自分の身のまわりで、自分の世界をつくっていく。たとえば男
の子とは、男の子らしくなる。女の子は、女の子らしくなる。だれが教えるわけではない。
子どもは、まわりを観察したり、自分の方向性に合わせたものを、自ら取り入れることに
よって、自分がどうあるべきかを、つくっていく。

 これを役割形成という。

 この役割形成が、混乱することがある。子どものもつ方向性を、じゃましたり、否定し
たりすると、そうなる。これをそのまま、「役割混乱」という。

 実は、親たちは、この役割混乱を、日常的に繰りかえす。繰りかえしながら、それに気
づかない。たとえば干渉。たとえば押しつけ。たとえば指導。たとえば教育。

 たとえば「花屋さんになりたい」と言っている子どもに向かって、「何よ、こんな成績!
 こんな成績では、○○中学へ入れないでしょ!」と言うのが、それ。

 子どもにしてみれば、「花屋と○○中学は、どういう関係があるの?」ということになる。
そしてここでいう役割混乱を、起こす。

 一般的に、役割混乱を起こすと、子どもにかぎらず、緊張状態に置かれ、情緒がたいへ
ん不安定になることが知られている。ささいなことでキレやすくなったりする。さらにこ
の混乱状態がつづくと、精神不安。さらには自己嫌悪から、自己否定へとつながる。

 「自己否定」が、いかに恐ろしいものであるかは、それを経験したことがあるものでな
いとわからない。それはたとえて言うなら、ひとりのサラリーマンに、スカートをはかせ
て会社へ行かせるようなもの。あまりよいたとえではないが、それに近い。中には、自己
否定から、自殺に走る人もいる。

 そこで大切なことは、子どもの方向性を見きわめたら、それを認め、それを励まし、そ
れを核として、子どもを伸ばすこと。たとえば子どもが花屋さんになりたいと言ったら、
植物の勉強につなげ、実際に、いろいろな植物を栽培してみる、など。

 今、夢のある子どもが少なくなった。夢がないわけではない。ただ親たちが、それをあ
まりにも無頓着に、つぶしているだけ。「花屋さんなんて……」と。その結果、子どもたち
は、夢をもてなくなった。

 だから大学へ入っても、目的がないから、遊ぶ。目的がないから、勉強しない。そうな
らないためにも、ここでいう「役割形成」を、考えなおしてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
役割形成 役割混乱)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●劣等意識

 学校に対する劣等意識が、そのままその子どもの劣等意識に、転化することがある。自
らに、ダメ人間のレッテルを張ってしまう。

 ところで人間の行動を律するものには、大きく分けて、二つある。(1)内的規範と、(2)
外的規範である。

 内的規範というのは、その人の倫理観や道徳観、哲学や宗教観をいう。

 外的規範というのは、その人の社会的地位や名誉、経歴などをいう。

 こうしたものが、いつも総合的にからみあいながら、その人の行動を律する。

 たとえばこんな例を考えてみよう。

 通りを歩いていたら、車が一台、窓をあけたまま、そこにあった。周囲には人影がまっ
たくない。遠くに家があるが、そこにも人の気配はない。

 車の窓の中を見ると、手さげバッグが無造作においてあり、そのバッグからは、札束の
一部が見えている。窓の中に手をのばせば、容易に、手が届く距離である。

 もしあなたがそういう状況に置かれたら、あなたはどうするだろうか。「もらっちゃえ」
と思って、バッグごと、持ち去る人もいるかもしれない。しかしほとんどの人は、この段
階で、自分の行動にブレーキをかける。そのブレーキをかける力が、ここでいう内部規範
と、外部規範ということになる。

 「自分に恥じることはしたくない」というのが、内部規範。「私には、私の立場がある。
もしバレたら、私は名誉のすべて失うから、しない」というのが、外部規範。しかし実際
には、外部規範の力は、それほど、強いものではない。たいていは、「バレたらたいへん…
…」という程度の力でしかない。

 ともかくも、ほとんどの人は、そういったお金には、手をつけない。しかし、だ。その
内部規範を、その人の内部から破壊するものがある。

 それが劣等意識である。この劣等意識は、いわば心の中のがん細胞のようなもので、そ
の人の倫理観や道徳観、哲学や宗教観を、少しずつ、むしばんでいく。最終的には、心そ
のものを破壊することもある。自暴自棄になり、善悪の判断すら、しなくなる。

 ところがこの劣等意識というのは、そのほとんどは、自分以外の人によって、植えつけ
られていくものである。友人とか、教師とか、あるいは親によるばあいもある。「君は、何
をやっても、ダメな人間だ」と言われることによって、劣等意識をもつようになる。 

 もう少し詳しく説明すると、こうなる。

 劣等意識は、長い時間をかけて、その人の中で、欲求不満として蓄積される。しかしさ
らにそれが慢性的につづくと、その劣等意識は、記憶のすみにおいやられ、人は無意識の
うちにも、自我の崩壊を防ごうとする。

 そこで多くのばあい、人は、その劣等意識を克服するため、つまり自我の崩壊を防ぐた
め、さまざまな行動に出ることが知られている。これを心理学の世界では、「防衛機制」と
いう。

 たとえば、勉強面で劣等意識をもった子どもが、スポーツ面でがんばる(=補償)、「勉
強なんて、どうせくだらない」と言って、勉強ができないことを、合理化する(=合理化)、
有名人のマネをして、自分がその有名人になったような気分になる(=同一視)、空想や非
現実的な世界にいりびたりになり、現実を忘れる(=逃避)、まったく別人となるよう、別
人格を自分の中につくる(=反動形成)などがある。

 しかしこれらも一定の範囲に収まっている間は、問題ない。むしろよい方向に作用する
ことが多い。

 が、その範囲を超えて、度を越すと、問題行動を起こすようになる。社会的に不適応症
状となって現れることもある。異常行動となって、犯罪に走るケースも、少なくない。

 つまり、人間がもつ、劣等意識を、決して軽く考えてはいけない。

 そこで最初の話にもどるが、こうした劣等意識は、子どもであればあるほど、鮮明にも
ちやすい。そしていくつかの過程を、一足飛びに飛び越えて、問題行動へとつながってい
く。

 「ボトム校」の問題と、劣等意識の問題は、こうして密接につながっていく。飛躍した
意見に聞こえるかもしれないが、現在の日本の教育には、こうした問題が隠されている。

 もう少し、かみくだいて説明してみよう。

 たとえば受験競争。勝ち組はともかくも、勝ち組が生まれる一方、当然、そこには負け
組みが生まれる。この負け組みは、毎日の学校生活を通して、「どうせ私は、ダメな人間な
のだ」という意識を、無意識のうちにも植えつけられていく。「少しくらいがんばっても、
どうにもならない」というあきらめも、そこから生まれる。

 つまり日本の教育制度の中では、一部のエリートを生み出す一方、同時に、無気力で、
従順で、もの言わぬ民(たみ)を生み出す。そういうしくみになっている。この後者の子
どもたちが、回りにまわって、勝ち組がリードする社会に対して、ブレーキとして、働く
ようになる。

 つまり勝ち組のつくりあげる社会を、負け組みがそれを打ち消すことで、相殺してしま
う。

 たとえば一方に、東大を出て、上級甲種の国家公務員試験に合格して、警察庁のエリー
トになる子どもがいる。が、もう一方に、受験競争から早い段階で脱落し、働いても働い
ても、夢も希望ももてず、その日暮らしの労務者がいる。犯罪を取り締まるのが前者で、
犯罪を犯すのが後者ということになれば、では、そもそも受験競争とは何かということに
なってしまう。

 少し極端な書き方をしてしまったが、おおまかな図式としては、それほど、まちがって
はいないと思う。つまりは、教育の世界では、「子どもを伸ばす」ことだけが最優先される
が、しかしそれよりも大切なことは、「子どもに劣等意識をもたせないこと」も、重要であ
るということ。

 そのためには、教育は、多様化されなければならない。自由化されなければならない。
学校以外に道はなく、学校を離れて道はないという世界のほうが、異常なのである。

 たとえば同じ学校にしても、アメリカやオーストラリアでは、学校単位で、自由にカリ
キュラムを組むことができる。入学年度すら、自由に設定できる(アメリカの公立小学校)。
あるいは生徒一人ひとりに合わせて、カリキュラムを組むこともできる(オーストラリア・
グラマースクール)。

 世界の学校は、すでに、そこまでしている!

 私の過ごした高校が、「ボトム校」と言われるようになって、もう20年になる。M高校
と、アルファベットで書かねばならないほどである。そうするのは、私が自分の母校を卑
下しているからではなく、現在、その高校に通っている子どもたちの心にキズをつけない
ためである。

 しかしバカげている。本当にバカげている。こうした序列ができていること自体、バカ
げている。

 そこでこれは私からの希望ではあるが、世の中には、反対にエリート校というのもある。
そういう学校は学校で、どうか、おかしなエリート意識を助長するような活動は、さしひ
かえてほしい。

 H市でもナンバーワンの進学校とも言われているSS高校ともなると、部活の総会とい
うだけでも、壇上には、OBたちがズラリと顔を並べる。気持ちはよく理解できるが、そ
ういうおかしなエリート意識が、回りまわって、どこかで、これまたおかしな劣等意識を
つくる。そしてそれが、日本人のみならず、社会のあり方そのものをゆがめてしまう。

 あえて言うなら、外的規範に頼らず、みながみな、内的規範によって、自分を律するこ
とができるような、そういう子どもを育てるのが、これからの課題と考えてよい。そのた
めには、学校教育はどうあるべきか。それを考えていかないと、日本は、ますます国際社
会から、取り残されてしまうことになる。

 「ボトム校」という言葉から感じたことを、書いてみた。
(はやし浩司 劣等感 劣等意識 防衛機制 補償 合理化 内的規範 外的規範 規
範)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(8月30日)

●JBちゃん事件

 「これで解決!」と思われたのが、あのJBちゃん事件。元教師のカーという男が、「私
が殺した」と、当局に申し出たからである。

 が、DNA鑑定の結果、シロ。当日は、別の場所にいたという、証人も出てきた。アメ
リカ・コロラド州の地方検察局は、カー容疑者の訴追を断念したという(28日・中日新
聞)。

 私は、当初から、JBちゃんを殺した犯人は、もっと近くにいると思っていた。今も、
その思いに、変わりはない。だからカーという男が、「私が殺した」と申し出たときには、
自分の耳を疑った。「そんなはずはない」と。

 だれが殺したかは、ここには書けない。書けないが、警察当局は、もう一人調べるべき
人物を、どういうわけか、まったく調べていない。JBちゃんの両親も、その人物の調査
には、まったくといってよいほど、非協力的だった。私は、その人物が、犯人だと思って
いる。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●おとなと子どもの境目(スーパーマン・リターンズ)

++++++++++++++++++++

子ども(生徒)たちを連れて、
『スーパーマン・リターンズ』を、見てきた。

おもしろかった。楽しかった。よかった。

星は、文句なしの5つ。★★★★★!

で、映画の中で、瀕死のスーパーマンのところへ、
ロイス・レインがやってきて、何かをつぶやく。

問題は、このシーン。

ロイス・レインは、そのとき、スーパー
マンに、何と言ったか?

それがわかる人を、おとなといい、
わからない人を、子どもという。

++++++++++++++++++++

 子ども(生徒)たちを連れて、『スーパーマン・リターンズ』を見てきた。ブランドン・
ラウス主演の新作、『スーパーマン』である。

 まず、冒頭の宇宙を航行するシーンに圧倒される。息をのむというか、息がつまるとい
うか……。「光速で宇宙旅行をすると、こうだろうな」と、ふと思った以外は、頭の中が、
からっぽになってしまった。

 で、感想は、文句なしの、星、5つ。おもしろかった。楽しかった。よかった。20数
年前、家族全員で前作シリーズを見に行ったときのことを、つい先日のことのように思い
出した。なつかしかった。

 今回は、自分さがしのために宇宙へ出ていたスーパーマンが、5年ぶりに地球へ戻って
くるというシーンから始まる。が、20数年間の5年後ではない。現代という5年後であ
る。新型のスペーズシャトルの実験機が飛ぶ、現代である。液晶テレビや液晶パソコンが、
ところ狭しと並ぶ、現代である。

 最初、少しだけ「?」と思ったが、かえって、そのほうがよかったのかもしれない。私
は、どんどんと映画の中に、吸いこまれていった。

 ところで宇宙を光速で飛ぶと、地球時間との間にズレが生ずるという。たとえば宇宙を、
光速で数時間飛んでみたら、(いかに光速に近いかにもよるのだろうが)、地球上では、5
年間が過ぎていた……ということもありえる。今回の映画も、そういうふうに考えると、
納得できる。

 スーパーマン自身は、ほんの数時間、地球を離れていた。しかし地球では、その間に、
5年も、過ぎていた。

 で、地球にもどってみると、スーパーマンの恋人だったロイス・レインは、別の男性と、
婚約してしまっていた。しかも1人の子ども(男児)までできていた。失意の中で、スー
パーマンは、心を取り乱す……。このあたりは、娯楽映画とはいえ、実にていねいに描写
されている。一級のロマンス映画に、優(まさ)るとも劣らない映画と言ってもよい。

 そこへいつもの悪役、レックス・ルーサーが登場する。この組みあわせは、前作シリー
ズと同じ。いろいろあって、スーパーマンは、人類の危機を救ったところで、力尽き、倒
れる。

 さて、いよいよ問題のシーン。

 人間で言えば、スーパーマンは、生死の境をさまよう、昏睡状態になる。そのときのこ
と。ロイス・レインが、そのスーパーマンのところへやってきて、枕元で、何かをスーパ
ーマンに伝える。

 もちろんその部分のセリフは、ない。ないが、その内容がわかる人を、(おとな)といい、
わからない人を、(子ども)という。つまりそのことを、今回、子ども(生徒)たちといっ
しょに見て、知った。

 映画館を出たとき、子どもたちに、こう聞いてみた。「あのとき、ロイス・レインは、ス
ーパーマンに何と言ったかわかる?」と。

 すると、全員、「わからない」と答えた。子どもといっても、今回、連れていった子ども
たちは、小学校の高学年児(小4〜6、8人)。どの子どもも、それぞれの学校で、トップ
クラスの、優秀な子どもたちである。

 私は、「わからない」と答えた子どもたちの顔を見ながら、「そういうものだろうな」と、
納得した。いくら知的な意味で、すぐれた子どもでも、子どもは、やはり子ども。そこに
は、限界がある。おとなにならないと理解できないことがある。

 が、私や同行してくれたワイフは、すぐわかった。

 ロイス・レインは、こう言った。「あの子は、あなたの子よ」と。

 まあ、こんなところで、答を言ってしまって、ごめん。これから映画を見に行こうとし
ている人もいるだろう。しかしそれがわかるかわからないかで、(おとな)と(子ども)の
境目を知ることができる。

 もしあなたがあなたの子どもを連れて、この映画を見る機会があったら、そのあと、あ
なたの子どもに、こう聞いてみるとよい。

 「あのとき、ロイス・レインは、スーパーマンに何と言ったかわかる?」と。

 それであなたは、あなたの子どもが、(子ども)か、それとも(おとな)か、それを知る
ことができる。

 お楽しみに!

 ともかくも、今回の『スーパーマン・リターンズ』は、子どもの映画というよりは、お
となの映画。子どものころ、テレビ映画で、胸をワクワクさせたことがある、そんなおと
なのための、おとなの映画。

久々に、楽しい映画を見た。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●謎の訪中劇 

++++++++++++++++++

現在(8月30日)、K国の金xxxは、
中国を訪問中(?)であるという。

金xxが使用する、特別列車は、偵察衛星
などによって、現在、中国国内にあることが
確認されている。

では、その目的は、何か?

++++++++++++++++++

ヤフーニュースは、韓国発として、つぎのように伝える。

「K国の金xxの訪中説が国際社会の関心を集めている。K国の特別列車が中国に到着
したことが衛星から確認されたという話や、金xxはすでに北京訪問を終えて平壌に戻
っているとの情報もある。が、韓国政府当局者は30日にこのどちらも事実ではないと
否定、あらゆる可能性を念頭に置き状況把握に努めていると説明した」と。

 こういうとき、だれも書いてないことを書くのは、楽しい。勇気がいるというより、楽
しい。

 私は、こう思う。思うだけで、根拠はないが、しかしそう考えると、一連の不可解な(動
き)を、うまく説明できる。

 まずすべての大前提として、現在、金xxの健康状態は、きわめて悪い。心臓病や肝臓
病が取りざたされているが、私は、ここにきて持病の糖尿病が、急速に悪化しているので
はないかと思っている。

 金xxは、今年に入ってから、激ヤセをしている。それにどこへ行くにも、サングラス
をかけている。激ヤセは、糖尿病末期の患者、特有の症状。サングラスをかけるのは、糖
尿病網膜症のためとも、考えられる。

 そこで私は、少し前、この時期に訪中するというようなことがあれば、病気治療が目的
ではないかと書いた。が、それについては、韓国政府当局者は、金xxの訪中説を否定し
ている。金xxのような男が、中国国内をウロウロしていれば、だれの目にも、とまるは
ず。胡錦涛(こきんとう)国家主席に会うために訪中したというのであれば、なおさらで
あろう。

 では、金xxは、今、どこにいるのか?

 私は、金xxは、K国内にいると思う。となると、現在、中国国内にあるとされる特別
列車は、何のためかということになる。

 そこで私の推理。先にも書いたが、ここから先に書くことは、あくまでも、私の推理。
その私は、こう思う。

 特別列車は、中国で、それなりの人物ご一行様を迎えるためのもの。ズバリ言えば、金
xxの病気治療に必要なドクターたちを乗せて帰るためのもの。わざわざ列車じたてにし
たのは、それなりの治療機材を積みこむためである。

 仮に糖尿病であり、それが悪化したとすれば、人工透析器や、その周辺の検査器具、治
療器具であることも、じゅうぶん、考えられる。人工透析治療のための器具一式というこ
とになれば、かなりの重量になる。飛行機で運ぶのは無理だが、列車なら、可能である。

 ならば、何も特別列車など、さしむけなくてもよいではないかと思う人もいるかもしれ
ない。中国側が、自分たちの列車で、運びこめばよい。しかしそこが儒教文明国家。西欧
文明を受けいれたわれわれとは、発想そのものが、ちがう。古典派に属する日本人ならわ
かると思うが、それが、彼らが言うところの、「礼儀」「作法」ということになる。

 金xxという男は、以前から、そういうことには、いつも、おかしな(こだわり)を見
せる。自分の命にかかわるということであれば、なおさらであろう。

 ……というのが、私の推理だが、しかしそう考えると、ここにも書いたように、一連の
不可解な(動き)を、うまく説明できる。あまり自信はないが、私は、そう思う。
(この原稿は、8月31日に書いたものです。)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●対米追従外交?

++++++++++++++++

たしかに日本の外交は、戦後一貫して、
「対米追従外交」(経済評論家・T氏談)
である。

事実は、事実。それは、もうだれの目にも、
疑いようがない。

しかし一方で、国際外交は、どこまでも
現実的でなければならない。

現実を見失ったとき、国際外交は崩壊する。
同時に、その国は、進むべき道を、
見誤る。

++++++++++++++++

 対米追従外交を、批判する人は多い。経済評論家のTJ氏も、そのひとりである。三井物
産時代のかつての同僚ということで、肩をもちたい気持ちもないわけではないが、ならば
聞く。今の日本にとって、どうして対米追従外交であってはいけないのか。

 「追従」「追従」というが、追従しなければならない「現実」がそこにある。

 あの中国は、ものの10分足らずで、(あるいは数分で)、日本中を廃墟と化すことがで
きる。それだけの核兵器を、すでに保有し、実践配備をすませている。

 忘れていけないのは、戦争というのは、兵器だけでするものではないということ。日本
にとって脅威なのは、兵器もさることながら、その兵器を底流で支える、士気である。反
日感情である。中国人がもっている、その反日感情には、ものすごいものがある。

 いったんどこかでそれに火がつけば、悲しいかな、今の日本に、それをくい止めるだけ
の武器もなければ、実力もない。もっとわかりやすく言えば、日本の平和がかろうじて守
られているのは、(中国側から見れば)、その背後に、アメリカという巨大な軍事国家がひ
かえているからにほかならない。

 また在日米軍を支えるための、多額の負担金を問題にする人もいる。たしかに日本は、
2006年度だけでも、「思いやり予算」(=在日米軍駐留経費)と称して、2326億円
もの負担金を支払っている。先に問題になった、沖縄からの基地移転費用についても、こ
れとは別に、「3500億円までなら支払ってもよい」と、日本側は、回答している。

 この額を多いとみるか、少ないとみるか?

 仮に日本有事ということにでもなれば、日米安保条約が発動されて、日本は、アメリカ
軍の庇護下に入る。が、そのときアメリカ側が負担する金額は、ぼう大なものになるはず。
あの韓国でさえ、こんな試算を出している。

「朝鮮半島有事の際には、韓国は、アメリカから1300兆ウォン(約158兆円)分
の軍事装備を、無償で借りることができる」(朝鮮日報・K論説委員)と。(158兆円
だぞ!)

 現に今、となりのK国は、日本攻撃を目的として、核兵器を開発している。が、そのK
国に対して、この日本には、満足な交渉能力すら、もっていない。拉致問題ひとつ解決で
きない日本が、どうして核開発問題を解決できるというのか。

 韓国にしても、いまや日本の同盟国と考えている人は、ほとんど、いない。いつなんど
き、中国と手を組んで、日本に襲いかかってくるか、わかったものではない。K国とさえ、
手を組むかもしれない。少なくとも、現在のN大統領政権というのは、そういう政権であ
る。

 日本は、そういう立場である。つまりそういう立場であることを棚にあげて、「自主権」
なるものをいくら唱えても、意味はない。わかりやすく言えば、日本は、アメリカに追従
するしか、今のところ、生き残る道はない。「追従」という言葉に語弊(ごへい)があるな
ら、「密接な協調」でもよい。

 戦後、日本という国が、かろうじて平和を保つことができたのは、日本人が、平和を愛
したからではない。(こういうばあい、「愛する」という言葉は、腸から出るガスくらいの
意味しかないが……。)

 日本が平和を保つことができたのは、背後にアメリカ軍がいたからにほかならない。が、
もしアメリカ軍がいなければ、そのつど日本は、毛沢東・中国、スターリン・ソ連、金日
成・K国、さらに李承晩・韓国に攻撃されていただろう。これまた悲しいかな、日本はそ
ういうことをされても文句が言えないようなことを、先の戦争でしてしまった。

 日本は、アメリカに追従せざるをえなかったし、基本的には、今も、その状態はつづい
ている。それが「現実」である。

 もちろん私も、このままではよいとは思っていない。いつか日本も、アメリカから独立
し、日本は日本として、独自の道を歩まねばならない。しかしその前提として、この極東
アジア、東北アジアに、相互の信頼関係が築かれなければならない。それがないまま、「日
本は日本だ」「日本が国内で何をしようが、日本の勝手」と言い切ってしまうのは、今の日
本にとっては、きわめて危険なことである。

 その一例が、日本のK首相によるY神社参拝問題ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司
 
●息子のBLOGより

+++++++++++++++++

息子のBLOGに目を通す。

若いころの自分が、そこにダブる。
目頭が、熱くなる。

忘れかけていた青春時代、
それを息子が、思い出させてくれる。

なお、息子に電話で聞いたところ、
「生地」は、「せいち」と読むそうだ。
いわゆる飛行場のこと。

ソロは、単独飛行、
ログは、計画表、
shipは飛行機のことだそうだ。

なお2生地ソロというのは、2つの飛行場を、
単独飛行で回ることを意味する。

+++++++++++++++++

【三男のBLOGより】

2生地ソロに行ってきた。

 朝から何だかすごく緊張していた。2生地は、ログが膨大な量になる:MAX12枚くらい
(普段は1枚程度)。そのため、前日の準備が半端なくきつい。せっかく準備したのに、
天気が悪くキャンセル、…なんてことが続いたら、本当、死んでしまう。で、今日は2
日目のトライ。何が何でも飛んでやる!、という意気込みが、余計に緊張感を誘ったの
かもれない。

 ソロの最低気象条件は普段の訓練(教官同乗の)よりも、かなり厳しい。それを何とか
かいくぐって、2生地実行にこぎつけた。一人でshipに乗り込み、エンジン始動の準備
をしていると、いきなり機体が大きく揺れた。びっくりして後ろを振り返ると、Y教官が
笑ってこっちを見ている。教官がふざけたのだ。こうして、教官は僕の緊張をほぐして
くれる。いつも。

 ランナップ済ませ、離陸するために、いよいよランウェイに進入する。一旦停止し、離
陸のプロシージャーを開始すると、原因不明の涙がこみ上げてきた。最後のソロ・フラ
イトだからなのか、緊張が一瞬ほぐれたからなのか、今でも原因はわからない。

でもあの瞬間を思い出そうとすると、やはり胸がいっぱいになってしまう。まっすぐ伸
びたランウェイ。その向こうには、この世で一番美しい真っ青な空だけが広がっている。
僕がそこに飛び込むのを待っている。すべてを忘れ、ただまっしぐらにそこへ助走を開
始する。地上の嫌なこともめんどくさいことも、すべて洗い流してくれる、あの青の中
を目指して…。

++++++++++++++++++

 三男のBLOGは、私のHPのトップページより、ご覧になっていただけます。息子も、
アクセス数がふえることを、何よりも楽しみにしているようです。もし興味のある人がい
たら、どうか、見てやってください。お願いします。

(親ばかより)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1506)

【息子の嫁より】

+++++++++++++++++

息子の嫁からのメールを読んでいると、
ときどき、日本人にはない発想に驚く。

たとえば自分の子どもについても、
「生まれた」とは言わない。

「やってきた(came)」と言う。

「私たちの家にやってきた」と。

子どもに対する考え方が、基本的な部分で
日本人とは、ちがうように思う。

+++++++++++++++++

 先日、息子が、突然、BLOGの閉鎖を宣言した。私は、少なからず、心配した。BL
OGの中で、このところ、「疲れた」と書いていることが目立った。それでそのことを心配
して、Denise(デニーズ)に、メールを書いた。その返事が届いた。

+++++++++++++++++

【デニーズより、はやし浩司へ】

Hello, Hiroshi! 

Thank you for your email. It is very touching that you care so much 
About  Soichi. 
ソウイチについてのお気遣い、ありがとうございます。

I wondered also why he decided to stop using his blog and asked him 
yesterday. He told me it was because he had not been posting entries 
very often lately and that he had less free time than before Mae came, 
so he needed to cut out some extra activities.

私もどうしてソウイチが、BLOGを閉鎖すると決めたのかと思い、昨日、ソウイチに聞
いてみました。で、ソウイチが言うには、芽衣が生まれて、何かと忙しくなったからだと
言いました。

He is happy in his personal life, I know, but he 
wants to strive for more professionally. (He doesn't say that to me 
because he doesn't want me to worry about him, but I know it's true.  

彼は私生活では、幸福です。私も、ソウイチがもっと専門的な仕事をしたいという気持ち
があることを知っています。(彼は、私に心配をかけまいとして、それを私には言いません
が、それは事実です。

We all need to feel accomplished in some way or another.) He is trying to 
develop a new software program that he hopes will change the computer 
world dramatically (mostly for software engineers).  

私たちは、みな、それぞれ何かの方法で、満足感を覚えることが、必要です。)
ソウイチは今、コンピュータの世界を、劇的に変えるソフトウェアの開発に取り組んでい
ます。(とくにソフトウェア開発技師にとって、ですが。)

He started it at the beginning of this year and his goal is to finish it by the beginning 
of next year. Things are going well, but in order to finish on 
schedule, he has to focus more of his time and energy on it.

彼はそれを今年のはじめに始め、来年のはじめに完成させるつもりでいます。
ものごとはうまくいっていますが、スケジュールどおりすますためには、彼はもっと多く
の時間と、エネルギーを、それに集中させねばなりません。

I've told him that I'll try to entertain the kids more at night so he 
can work on his project. But he wants to wait until they are asleep at 
9:00. He's really a great dad. 

夜は私が子どもたちのめんどうをみるからとソウイチに言いましたが、彼は9時に子ども
たちが眠るまで、仕事をするのを、待ちたいと言っています。彼はすばらしい父親です、

 I think you'd be amazed if you could 
see how he interacts with Sage and Mae on a daily basis. He plays with 
them a great deal, helps Sage ride his bicycle, and reads Japanese 
stories to him before bed every night. They are really lucky kids!

ソウイチが、日常レベルで、誠司や芽衣のいかにめんどうを見ているかを知ったら、あな
たも驚くと思います。子どもたちとよく遊んでくれます。誠司に自転車の乗り方を教え、
毎晩、日本の物語を、誠司に読んできかせています。子どもたちは、本当にラッキーな子
どもたちです。

I think the only thing you could possibly do to help him is just to let 
him know if you are proud of him. I think adults need as much 
encouragement as children; we just don't show the need as freely as they 
do. I know Soichi respects you a lot, and your opinion means a great 
deal to him.

もしあなたにお願いできることがあるとするなら、ソウイチに、あなたがソウイチを誇り
に思っているということを、知らせてほしいということです。

おとなも、子どもと同じように、励ましが必要です。それを自由に、口に出して言わない
だけです。ソウイチは、あなたを、たいへん尊敬しています。そしてあなたの意見は、ソ
ウイチには、たいへんな意味をもっています。

He really believes in his product, and I'm glad that he wants to live 
his dream. I love the quote, "The sin is not in failing. The sin is 
not in trying at all." I don't know who said that, but it has stuck 
with me ever since I first heard it. I'm glad that he is trying. So 
many people give up on their dreams too early.

彼は今、自分のしていることの価値をよく知っています。彼は自分の夢を実現したがって
います。私は、こんな言葉が好きです。「失敗することは、罪ではない。何もチャレンジし
ないことが、罪である」と。だれが言ったのかは忘れましたが、はじめて聞いたときには、
心を打たれました。私は、ソウイチが、チャレンジしていることがうれしいです。だって、
そんなにも多くの人たちは、自分の夢を、早くからあきらめてしまうからです。

How are you and Akiko? We are all well. Sage starts school again on 
Wednesday. This year he will attend three days a week from 8:00-3:00.  
It is much longer than last year, but he seems very excited.

アキコはいかがですか? 私たちは、みな、元気です。誠司は、水曜日から、学校に行き
ます。今年は、週に3日だけ、朝8時から3時まで、通います。去年よりずっと長くなり
ますが、誠司は、それを喜んでいます。

Thank you also for the video you sent with Shuichi. Sage thoroughly 
enjoyed it!

ビデオを送ってくださって、ありがとうございます。ソウイチは、それをたいへん喜んで
いました。

Denise

デニーズ

+++++++++++++++++++

 デニーズに無断で、勝手に転載してしまった。最初は、私のワイフのために翻訳するつ
もりだった。が、こうして改めて、翻訳してみると、何とも言えない切なさを覚える。1
組の、本当に心から愛しあっている夫婦が、今、懸命に生きている。たがいに励ましあい
ながら、助けあいながら、生きている。

それが何と言えないほど、私には、切ない。

息子は、本当にすばらしい女性と結婚したと思う。デニーズは、私が息子を誇りに思っ
ていると、息子に伝えてほしいと言う。もちろん私は、彼が子どものときから、息子を
誇りに思ってきた。今もその気持ちは変わっていない。しかし今、それ以上に、私はデ
ニーズを誇りに思い、そういう妻を選んで結婚した息子を誇りに思っている。

 Denise, I AM proud of you as well as my son, and I AM proud of my son who married 
to such a wonderful lady, Denise. 

 デニーズへ、息子と同じくらい、あなたを誇りに思っています。そしてあなたのような
すばらしい女性と結婚した息子を、誇りに思っています。

++++++++++++++++

二男について書いたエッセーを
思い出しました。

それをここに掲載します。

【ソウイチへ、】

どうか、このエッセーを、デニーズに
訳して読んであげてほしい。

++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。

二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。しば
らくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。
同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子ど
もというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。

が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房
が、「ソウイチよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近
は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれ
が皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、
その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労し
ているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 
(中日新聞投稿済み)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【最新、ロンドン事情】

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夏休みの間、ロンドンで過ごされた、
SKさん一家から、メールが
届きました。

紹介させてもらいます。

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【SKさんより、はやし浩司へ】

はやし先生。

土曜日の夜に、ロンドンから戻ってまいりました。まだ時差ぼけです。
8時間の時差なので、昼間が睡魔との闘い、夜はどうも眠りが
浅い、という状態です。

絵里は久しぶりのBWから嬉しそうに帰宅しました。
この知的刺激がとても心地よいようです。それと久しぶりの日本語の
洪水も。

キングズクロス駅にある、ハリーポッタープラットホーム。1年ぐらい前に
発行されたガイドブックではただの壁だったのですが、今回みたら
荷物用の手押し車が半分つっこんでありましたには、E子には、
「私たちは純血マグルだから入れないね」なんて話していました。
もちろん、旅行客はみんな、トローリーを押しての記念撮影をして
いました。

ロンドン。ちょっとしたいびつな都市になっていたのには驚きました。
アジア系の移民、インド系の移民やその二世たち、スペイン系の
移民、イタリア系の移民、EUに加盟したばかりの東欧圏の移民、
あまりに多種の移民があらゆる売店、カフェ、レストラン、ホテルに
いる状態で、「英語が通じない」都市になってきています。

とくにチェコやポーランド系の移民の多さに驚きました。
今後、近々EU加盟国が増えることになっているので、その問題を
ニュースで(BBCで)、頻繁に取り上げていました。

インド系二世の人たちは、イスラム教徒も多く、去年のバステロ事件、
今回の旅客機テロ未遂事件に関連しているようです。ロンドンで
イギリス人のフリをして育った敬虔なイスラム教徒が、大人になった
末に急進派になっている、というような報道が目に付きました。
(インド、というよりもパキスタンのようですが)

イギリスがイスラム国家になってほしい。イギリス人は酒飲みで
モラルが低い。イギリス人の女性は服装が乱れている、女性を
商品として見下している。同性愛なんて許せない!というのが
ムスリム(イスラム教徒)の考え方のようです。

かといって、二世は、帰れる国があるわけでなし。
英語を話し、イギリスの教育を受け、国家転覆を図っている。
何かがどこか、おかしいですよね。

日本でも、似たような図式があるわけですが…。

ロンドンの物価の高さにも驚きました。1ヶ月いた間も、どんどん進む
インフレを肌で感じました。ロンドン塔なんて、家族4人で入れば
43ポンド。1ポンド210円〜240円を推移していたので、入場料
だけで、1万円?!とため息ついて、外から眺めて帰ってきました。

ロンドンから電車で40分もいけば、ごくごく普通のイギリス的風景と
昔からずっとイギリス人だった人たちに囲まれます。ロンドンだけが
おかしい、と痛感しました。

物価の高さ、インフラの整っていない状態で、ほんとにオリンピックを
開催するんでしょうか?!と思ったのが正直な感想です。
日本円が大暴落していた、というのも確かですが。

お土産としてちょこちょことE子に持たせました。
喜んでもらえたようでなによりです。

SKでした。

【はやし浩司より、SKさんへ】

SKさんへ、

拝復

おみやげ、+メール、ありがとうございました。

おみやげについては、イギリス人の味に感動しました。
「ああ、これがイギリスの味なんだ」と、です。

ほとんど世界中へ行ったことがありますが、イギリス
だけは、立ち寄ったこともありません。

「いちか……」と思いつつ、「スコットランドだけは死ぬまでに……」と
思いつつ、こんなに年月だけが過ぎてしまいました。

スコットランドは、中学生のときから、あこがれていました。

「ロッホ・ローモンド」とか、「アフトン川」とか、そういう歌の
中でしか知らない地名に、あこがれました。
それにオーストラリアの友人の親たちの多くが、
スコットランド出身ということもあって、さらに、興味をもって
います。

あのウィリアム・ウォレスのスコットランドです。

今も、その気持ちは変わりません。

いただきました(お菓子)は、みなで、分けて食べました。
みな、はじめての味に、かなり戸惑っていたようです。

で、あの写真ですが、やはり、ハリーポッターに関する
写真でしたか。

私が、はじめ「そうだ」と言ったのですが、「ロンドン駅のではない。
キングスクロ駅のだ」と、お嬢さんが教えてくれました。

文字が少し読みづらかったので、目をこらして注意書きを
読むと、「この場所から、荷車を動かすな」とか、書いて
ありました。

久しぶりにお嬢さんに会いました。「ますます、頭がよくなったね」と
ほめてやったら、うれしそうでした。外国生活が、そのつど、
すばらしい刺激になっているようですね。

うらやましいです。

ロンドンの話ですが、それだけ実質的に円安になったという
ことですね。ユーロが暴騰していますし……。

今から30〜40年前の世界に戻りつつあるように思います。
当時、1ポンドが、確か1万円前後で、それを知った
だけで、「イギリスは金持ちなんだなあ」と、よく、ため息を
ついたものです。

ちなみにオーストラリアドルは、1ドルが400円の時代でした。

そうそうオーストラリアのメルボルンでも、アジア人が急増して、
それなりの問題を、あれこれ引き起こしているようです。

こうして世界は、……先進国は、「世界国家」へと向かって
いくのでしょうか?

今朝は、こうして4時起きです。これから数時間だけが、
私がものを書く時間=私の時間です。夏は暑くて、
昼間は、書斎に入る気さえ起きません。ゴロ寝ばかりです。

なお、いただきましたメールですが、プライベートな部分などは
伏せて、マガジンに掲載してもよろしいでしょうか。

よろしくご了解ください。いつもすみませんが、よろしくお願い
します。

8月もあと少し。昨夜ワイフが、「もう8月が終わるのオ?」と
驚いていましたが、私は、「新しい9月がやってくるんだよ」と
言い返してやりました。

いつまでも前向きに生きていきたいです。

おはようございます!

はやし浩司


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●中国・上海の子育て事情

+++++++++++++++++

今度(06年8月)に、中国の
上海に引っ越されました、
MTさん(BW・OB)より、
メールが届きました。

それを紹介させていただきます。

+++++++++++++++++

林先生
 
ご無沙汰しております。
上海に来て、今日(8月26日)で、9日目になります。
ずいぶん時間が経ったような気がしますが、まだ、9日目!

Y子(小2)は、8月28日から学校が始まります。上海日本人学校浦東校という学校で
す。この夏に、上海に来て、浦東校に通うようになった児童は、130人ほどだそうです。
上海市には、4万人も日本人がいるとか。
 
上海は都会ですが、日本の都会とはぜんぜん違います。人は多いです。街も大きく、建物
も道路も大きいです。私が行った場所は、洗練された所とは思えない所ばかりですが、こ
ちらには、富裕層が集まるショッピングモールや街があるそうです。

日本の普通のサラリーマン家庭ではとても購入できないような値段の品物が、ちょっとし
たデパートにも普通においてあります。いったい、誰が買うの?というような値段の品物
です。

本日行ったショッピングモールには、お昼ご飯が一人前で375円ぐらいという店がある
ウ一方で、その隣には、一人1500円ぐらい、あるいはもっと値段のかかるお店が並ん
でいます。子どもの水筒は、6千円から、7千円!

その同じフロアで、20円くらいの油揚げが売っていたりしています。こちらに来て一番
ショックを受けたのは、「物の値段」です。
 
日本の雑誌の上海版が、新聞スタンドで300円くらいで売っています。中を見ると、色々
なブランドのバッグや服が載っています。日本ブランドは、日本で購入するより少し高い
程度ですが、ヨーロッパの高級ブランドのバッグは、100万円以上です。

(日本で買っても、多分、50万円はしないと思います。それでも高いですが)。

こんな雑誌を、こちらの女性たちは、どんな思いで見ているのでしょう。中国という国が
これからどうなって行くのか、なんとなく不安になります。
 
話は変わりますが、こちらで感じたこと。人と人の距離が日本人より近いということです。
昔は日本もそうだったのかもしれませんが……。

私が二人目の子どもを妊娠中でも、浜松のレストラン、2歳になったばかりのY子を子供
用のいすに座らせてくれる従業員は、一人もいませんでした。今のところ、上海の飲食店
では、S子(妹)に子供用いすを頼むと、必ず、スタッフが座らせてくれますし、食事の
間も色々と世話を焼いてくれます。高級なお店でなくても、そうです。中国の人たちは子
供を大切にすると聞いていましたが……。
 
これからの数年、どんなことが起こるか。不安なような、楽しみなような心境です。今の
ところ日本のほうが良かった…ということはありません。

教育に関する費用が非常に高いのが、少し不安です。ちなみに、日本人向け幼稚園のひと
月の学費が、7万1000円、送迎バス代が、1か月1万1000円。小学校は入学金、
施設費で37万円ほど。学費は、1か月2万5000円、バスは1か月、1万7000円
です。(学費に関しては、会社負担ですが、バス代など、自己負担もあります)
 
日本の塾や予備校、音楽教室なども進出してきていますが、どこも高額です。
生活に慣れることが第一なので、しばらくの間は習い事は行かない予定です。
 
長々と、とりとめのないことばかり書きまして、申し訳ありません。
上海は、秋が来るのが早いような気がします。

日本はかなり暑いようですね。どうぞ、ご自愛ください。
では、また。
 
++++++++++++++++++

MTさんへ、

上海の子育て事情についてのレポート
ありがとうございました。

どんどん紹介させていただきたいと
思いますので、また教えてください。

また写真なども、もしよろしかったら、
送っていただけませんか。

そうそうMTさんが旅だたれる日、あの
OT君(Y子さんのファン)が、
「今日、Y子が、上海へ行くんだって」と、
ポツリとさみしそうに言っていました。

「そうだったのか、今日だったのか」と、
私も、さみしくなりました。

日本へお帰りの際には、どうかどうか、
BWへまた立ち寄ってください。

待っています。

【追記】

 学費の件ですが、日本では、(政府の補助金)→(各幼稚園ほか学校法人)という図式で、
補助金が流れていきます。

 が、ほとんどの国では、(政府の補助金)→(子どもをもつ親)→(学費という形で、幼
稚園や学校法人)という図式で、補助金が流れていきます。

 ですから一般的には、見た目には、日本では学費は安く、外国では高額に見えます。私
自身は、外国の方式にすべきだと、いつも説いています。そのほうが、教育が活性化する
と思います。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【田丸謙二先生の教育論文より】

●田丸謙二先生の、教育論文より

【これからの大学入試は、こうなる】

+++++++++++++++++

恩師の田丸謙二先生より、
教育論文を送っていただきました。

先生の許可を得て、HPに紹介
させていただきます。

先生の論文を読んでいただくと、
これからの日本の教育が、
どういう方向に向かって進んでいくか、
わかります。

今回は、大学入試についてです。

この中で、田丸先生は、

知識などというものは、たとえば
小型コンピュータなどで、いくらでも
手に入るようになる。

重要なのは、(考える力)と、
説いています。

実際に日本の教育を動かしていくのは、
田丸先生のような方です。

そういう意味では、たいへん参考になり
ます。

ぜひ、ご一読ください。

++++++++++++++++++

田丸謙二先生……東大総長特別補佐(副総長)、日本学士院賞受賞、日本化学会会長、国

触媒学会会長ほか、歴任。

余談ですが、田丸先生の娘さんのご主人が、先ごろ、『国家の品格』という大ベストセラー
本を出した、あの藤原氏です。

++++++++++++++++++

【「ものしり」から「思考力」の時代へ】

田丸謙二

●概要: 「詰め込み教育」から「クリエイティブな人創り」へ:

 ITがこの10年間に60倍増えたとのこと、猛烈な勢いで、時代が変化しております。 
2、30年先に社会を支える今の生徒たちへの現在の教育は将来の時代が求める人材を創
るものでなければいけません。 

この変化の早い時代に適応し、それをリードできるのは自立してcreative に考えること
が出来る人材です。 「ものしり」ではありません。 

欧米では元来教育(education)は生徒の個性を引き出し(educe)、伸ばすことです。 こ
の上にたって、この変化の早い時代に向けて現在世界中で大きく教育改革が進んでいま
す。 生来の資質を引き出し、育て、creativeな人材の育成に向けています。 「覚える
知識」の量は減らしても、「探究的に考える教育」に変貌しつつあります。 

日本では学校は知識を授け、「詰め込む」ところでした。 「探究的に考える」教育は日本
には元来ありませんでした。 そのままで世界のマネをして、「ゆとり教育」を取り入れ
ても、うまく行くはずはありません。

 生徒の「思考力」を伸ばし、自立したcreativeな資質を育て、本当の意味でのeducation
を一日でも早く日本に根付かせないと日本は駄目になります。 「共通一次試験」をする
ならば、「これからのあるべき教育」に沿って、正しく行われた教育がその結果に反映し、
プラスになるものでなくてはならず、全国的に○×方式でそれを実施することが出来るか
どうかが、大変に難しいな問題です。

 兎に角今のままではいけません。 まず教育関係者自身が時代の変化を理解し、自らの
能力を反省し、「これからのあるべき教育」に改革するのにプラスになる「思考力」を見極め
る「共通一次試験」方式があり得るかどうかを検討する時です。

 基本的にcreativeな教育を育成するにはどうすればいいのか、「共通一次試験」を止めて、
手を尽くしたクリエイティブな試験のできる二次試験を主にしての日本の教育改善方式も
含めて、基本的に検討するべき時期ではないでしょうか。

●教育と試験: 

教育のレベルはそれを評価するレベルで決まります。これを覚えているか、という質問、
しかも覚えてもしょうがない事柄、ばかりを並べる試験では、それに備える教育は、「く
だらない暗記物」になります。

これが分かっているか、という理解の程度を調べる問題に対しては、受験者への教育は
その理解のレベルを上げようとします。

 「理解して覚えれば」よい成績が得られるからです。

 理科の論理性を強調しようとするならば、その論理的な面の重要性を強調して試験問題
を創り、それに備えて教えればよい。

 論理的な面を身につけさせるには、頭を使って「ナルホド」と理解させる授業が必要です。 
これは理科教育の大変に重要な面ですが、しかし、論理的に理解したものを「詰め込んで」、
それを試験で吐き出すだけでは足りません。

 変化の早いこれからの時代には詰め込んだ基本から更に発展させ、新しいものを自分で
考え出す時代になってきました。 creativeな時代になって来たのです。

●これからの教育: 

アメリカを初めとする先進国では、15年以上前から理科を大幅に変えました。 遠か
らず携帯用のパソコンが出てくる時代です。 科学技術も含めて、時代の変化も加速度
的に早くなって来ました。 変化が早いだけに「これからの時代が求める教育」の必要性
が高くなります。

 このような時代をリードできるのは自分の頭でクリエイティブに考えることが出来る人
材です。 「ものしり」ではありません。 これも理科に限らない、歴史でも社会でも同様
です。 教育自体大きく改革をすることが求められているのが今の時代なのです。

例えばアメリカでは、それまで教育は地方的に実施していたのを改善して全国的に新し
い理科に変えました。

それまでは鯨の種類などを覚えさせていたのを止めて、science inquiry 、つまり探究的
に考える理科に変えて行きました.(1)。

「less is more」と称して、教えることは極く基本的なことに絞り、それに加えて「more」、
つまり時間をかけて、十分に探究的に考える教育に変えて行ったのです。 自分の頭で
考えると、自分なりの新しい考えが生まれます。 「More」にするには、それだけ時間
を余計にかけても、自立した知恵を育てるために鍛錬が必要です。

 コンピュータの時代に即応したこの種の教育改革は、今では欧米に広く拡まり、日本で
もそれを真似て「ゆとり教育」が始まりました。

 しかし残念ながら、日本には「思考力」を育てる風土が極めて乏しいために、混乱が生じ
ています。 これまで、「知識を詰め込む教育」はあっても、自分の頭で探究的に考える教
育がなかったからです。 

●日本の後進性; 

日本では「学ぶ」は「マネブ」(真似をする)から由来したように、知識を取り入れることは
しても、自分で自立して創造する教育、が殆どありませんでした。

 学校は知識を教える場所でしたし、「探究的に考える教育」などを受けた経験のある先生
は殆どいませんでした。 彼らが使う教科書も世界でもレベルの低いお粗末(欧米の三分
の一程度の内容)なものです。 

Creative な試験をするためにはcreativeな出題者がいなければいけないのです。 先ず
その前にcreative な教育のできる先生がいなければいけないのです。

しかし、「creative な人材を創る教育」、が、これまで日本にあったでしょうか。 「詰め
込み教育」はあっても、自分の頭で新しいことを考える教育を受けた経験のある先生が果
たしてどれだけいるでしょうか。

「分かったか、覚えておけ」。 多くの高校での理科の時間です。 この教え方が入試の
ためには最適の教え方です。 限られた時間にたくさんのことを教えることができ、「知
識偏重」の入試に成功させる最適の教え方なのです。

生徒は自分独自に新しいことを考える努力をすることもなく、先生の言うことを理解し、
受け取るだけです。 ですから、大学に来ても講義を聞いても質問は少ない。 受け取
るだけだからです。 大学院に来て初めて「自分で新しい独創的なことを考えよ」、とい
われても出来るはずがありません。

 教授の独創性も問題ですが、せいぜい練習問題的なテーマを貰ってこれが「研究」という
ものだと思い込む。 学生は生来の創造性を「引き出し」、育てることなく、一生損をする
被害者になります。

●入試の形態: 

欧米での一流の大学の入試についてみても、大学によりさまざまではありますが、全国
レベルの共通試験よりも、それぞれの大学の個性的な学生を選ぼうとすることが多い。

 近頃日本でも真似を始めたAO 方式です。 社会が最も必要とする人材、将来世の中を
支える人材を選ぼうとします。 基本は creative な素質を最も重要視をすることが圧倒的
に多い。

中にはleadershipをそれに加えることもあります。 自分で創造的に考えて、しかも人
の上にたつことが出来る人材を選ぶのです。

 Cambridge大学から出ている紹介にも書いてあります。 「教科書を覚えているだけのよ
うな学生は採らない、自分で考え、やる気のある学生を面接を通して採用する」、と。 社
会が真に求める人材を求め、評価する重要性を知っているからこそできる入試なのです。


●東大生は駄目か;

 『東大型の秀才(いわゆる学校秀才)の頭の特徴は、人から教えられることを丸暗記的
に覚えこみ、それを祖述する(その通りに繰り返す)ことは得意とするが、自分の頭で独
自にものを考える、クリエイテイブな思考は苦手と言うことである。 

日本の学校教育のシステムは、このタイプの秀才がよい成績をあげるように出来ている。 
上級学校の入試(東大入試もふくめて)も、このタイプの秀才が受かるようにできてい
るから、東大にはこのタイプの秀才がごろごろいる。 東大を卒業したあとに、そのよ
うな秀才が各界にエリートとしてふりまかれていくから、日本では、エリート層全体の
クリエイテイビテイが低い』

以上は今度立花隆が書いた、「天皇と東大」(文芸春秋)の中の一文です。この東大生に関
する記述は確かに一面の真理でもあり、記憶力、理解力は優れているけれども、却って
その知識にこだわって新しいアイデイアが生まれ難くなっている学生もいます。 これ
は東大だけでない日本の一流大学共通の問題です。

●日本の教育・入試の欠陥: 

これは国としても大変に重要な問題であります。 現在の教育が国の将来を決めるので
す。 ますます加速度的に変化の早くなる世界からcreativeでないために、その変化の
後追いか、置き去りに残されるのです。

何故そのようなことになっているのでしょうか。 事柄は簡単です。

日本では一流の大学の入試の仕方が creativity を評価しないからです。 その前に、日
本の風土、教育にcreativity を育て、評価する要素が欠けているからです。

教育は「教え込む」ことであって、自分で考え、資質を「引き出す(educeする)ことではな
い」のです。 言い換えれば、生徒の優れた素質を引き出す本当のeducationが根付いて
いないからです。 「教え込むこと」と本当の「引き出すエデュケイション」とは、正に
ベクトルが逆なのです。

これは何も東大だけの話ではなく、日本の教育の基本的な欠陥なのです。 この欠陥を
正すためには大学入試の果たす役割は大変に大きいのです。

ノーベル化学賞を受けられた福井謙一先生も言われていました、「今の大学入試は若い人
の芽を摘んでいるんです」と。 どうでもいい知識偏重の問題を出して、一点でも差を
つけて差別するのが公平な試験と思い込んでいる大学の先生たちがいけないのです。

このような大学の入試が高校以下の教育を悪くしています。 「若い人の芽を摘む」こと
をしながら、本人たちは微塵もその罪を感じていないのです(2)。

●ではどうしたらいいのか: 

私の孫に小学校2年までアメリカで教育を受けて、日本に帰ってきた男の子がいました。
 向うの小学校の校長先生に娘がどのような教育を心がけていますか、という問いに対
して、「independent thinker」 を育てたい、という答えがありました。

自分なりの意見を、個性的に持てる人材がこれからの変化の早い社会が求めているとい
うのです。 

そのためには、「君はどう考えるか?、こういう場合どうしたらいいと考えるか?」、各
人に深く考えさせるのです(3)。 共通の答えを要求してのことではありません。 各
人は「別」なのです。 「個々別々の素質を持っている」のです。 それぞれの生徒の優れ
た点をeduce引き出すのが本当のeducationであり、creativeな教育なのです。 

しかし、一方日本の小学校では「皆一緒、差別なし」、です。 Independent thinker
を養う重要性を心がけている小学校の先生はどれだけいるでしょうか。 何も学者を
作るためではありません。 どんな職業にしても、自分の頭でcreativeに考えるとき、
変化の早いこれからの時代に適応することが出来るのです。 

●一つの実例: 

その小学校2年の孫がアメリカから日本に帰ってきて何をするかといいますと(3)、例
えば、コップに水を入れてその中に自分の腕時計を入れていました。 「何をするのよ!」
と言うと,「これ防水と書いてある」、です。 実験なのです。

 「マミ、救急車がこちらに来る時は高い音なのに、向うに行く時は低い音になるのは何
故?」、「台風の芽はどうなっているの?」、「雷は何ボルトなのか、長い針金を空中に立
てて測れないかしら」、などなど幾らでも出て来ます。

(サンフランシスコにある自分で実験させてくれる科学博物館に行くと、このような好
きな子供たちが集まって、正に熱気に溢れていますが、矢張りそのような子供たちが
ますます好きになって育って行くのです。)

 たまたまのことであるかもしれませんが、私の孫について日本の小学校の先生が、「私は
長年教師をしていますけれど、こんな利口な子供は初めてです」と言っていました。 

ところがです、日本にいるほどに、見る見るうちに日本化して日本の普通の子供になっ
て行きました。 独自に考えることなしに、「思考とは無関係な、お粗末な教科書」を暗
記させられ、試験に備える教育を受けているうちに、見事に日本化して行くのです。 

「利口な子供」を「利口でない子供」にさせる日本の教育の「素晴らしさ?」は、大変に印
象的でした。 この子の場合「日本化への変化」を通してはっきりと分かる例ですが、一
般の生徒たちは生まれつき、「せっかく利口な頭」を持ちながら、その才能を引き出し、
育てることなく大きくなるのです。

 可愛そうに、日本には生来の素質を延ばし、引き出す本当の「education」がないのです。
 日本の教育関係者で本当にそのことを認識している人は何人いるのでしょうか。 上記
のような、日本のエリートたちがクリエイティブでないのは大学入試のためだけでなく、
国全体、小学校の教育からそうなっているのです。

●一つの入試形式: 

私はある新設大学で、入試に高校の教科書持参で行いました(4)。 この形式だと、「こ
れを覚えているか」などの問題は出せなくなります。 「ものしり」を避けて、「自立して
考える生徒」を選ぶのです。 

これは何故であるか、こういう場合はどうすればいいのか、と言う「考える問題」になっ
て来ます。 答えは記述式にするのです。 何も高校の教科書持参でなくてもその種の
問題を出せばいいのですが、出題者にそれだけの枠をはめてみたのです。

教科書に挟み込みは避けて、入学試験は問題なく出来ました。 福井謙一先生はそれを
聞かれて大変に褒めて頂きました。 やってみると、○×式などとは比べものにならな
いほど、個々の受験生の「考える力」が手にとるように分かります。 採点者による違い
など殆ど全く問題にならない。 

ただこの形式の試験では出題者の方の「考える力」がはっきりと分かってしまいます。
 普段知識だけを教えている「考えない」教授は「考える力」を調べる方法を知りません。
 慣れていないからでもありますが、入試問題を作れないのです。 

やはり、当然のことですが、creative な試験をするには creativeな出題者が不可欠であ
ることが分かります。 「ものしり」の程度は簡単に○×で測れますが、「思考力」を測る
のは容易ではありません。 

出題者自身がcreativeであり、それなりの「知恵」が必要です。 それに備える普段の授
業も、先ず教師が自分で考え、生徒と一緒に考えながらcreativeな授業をすることであ
り、試験はその成果を調べるのです。

具体的に、どんな試験問題がいいのか、参考までに化学について「考える問題集」
(http://kangaeru.is.ocha.ac.jp)をご覧下さい。 考える時間を十分に与えて(これは大
変に重要なことです)、記述式でこの種の問題に取り組ませるのです。

この問題集にはいろいろのレベルがありますから、生徒のレベルに応じてその中から選
べば一つの訓練になります。 毎授業の終る前にその中の一つを宿題に出すのもいいで
しょう。 授業中は(コンピュータを通したりして)質疑応答の成果がそのまま試験結
果にも反映するわけです。
 
以上のことから明らかなように、日本の教育を改善するためには、先ず日本の教育や教
師たちが本当のeducationを身につけ、creativeにならない限り、本当のこれからのある
べき教育は実現しません。 「思考力を調べる」など、「共通一次試験」に膨大な費用をか
けても、余り期待は出来ないことになります。 

これは非常に大事なことですが、日本のこれまでの教育の風土もあり、余程の努力をし
ないと、「言うは易く、しかし実行は必ずしも容易でない」ことなのです。

面接でしっかり人物評価をするCambridgeの入試のように、教科書をおぼえているだけ
のような生徒はさけるべきです。 これはエリートに限りません。 教育一般のあるべ
き姿なのです。

このような「思考力を育成する試験」は二次試験のような入試の場合は、東大はもちろん
のこと全ての大学で、手抜きをしないで是非実際にやってほしい方式です。 Creative
な人材を選び育てることです。 一次試験に似た試験をして、兎角手抜きをしがちな入
試が日本の教育を悪くしています。 時間をかけてもじっくりと考えさせて、記述式に
して、「creativeな思考力」を見分けることです。

人数を絞ってからCambridgeのように、面接で最後的に決めるのも悪くない。 実際に
実施した大学もあります。 探究的に考える教育をする大学の個性的特長を打ち出すこ
とですし、それが高校以下の教育を改革いたします。 うちの大学はcreativeな人材を
求め、学内でもそのように育てる教育をします、と言うのです。

これからの時代が求める模範的な大学になります。 これからの時代が求める人材はこ
のようなcreativeな入試形式を通して、育てられるのです。 これまでのような簡単な
○×式の共通一次試験で入試を決めるなどはこれからは決してしてはいけません。 
「これからあるべき教育」を阻害するもので、日本の教育の質を悪くするだけです。

●全国共通一次試験: 

しかし、このように手を尽くして「思考力をみる入試」をしようとしても、二次試験なら
やりようによって出来ますが、全国的な共通試験になると、必ずしも容易ではありませ
ん。

前述のように多くの「考えたことの乏しい教師たち」は問題の作り方が分かりませんし、
本当のeducationが欠如して、教育方法もわからないのです。 「ゆとり教育」が混乱し
ているのでも分かります。 その上、○×方式に限りながら、「考える力」を見る入試」
となると、ますます難しくなります。 
 
それにしても内容的にその方向に沿うよう、「creativeな教育」にプラスになるよう、(少
なくともマイナスにならないよう)その基本的な精神を出来るだけ反映させるものが果た
してどのようにできるのでしょうか。 

「知識偏重」を避けて、基本的な原理を発展的に考えさせる出題をすることですが、それ
が出来るcreativeな出題者がどれだけいるのでしょうか。 毎年違う類の問題を出せる
でしょうか。 

例のごとく「これを覚えているか」だけの試験は止めるべきです。 それに備える教育
は「探究的に考える教育」をだめにします。

新しい、「あるべきcreativeな教育育成」をする「共通一次試験」を考えるとき、私のし
た「高校の教科書持参で記述式の入試をしてみた私の経験からすると、悲観的になります。
 厳しく言えば殆ど不可能に近いかもしれません。 

「これからのあるべき教育改革を実行すること」が日本では如何に大変なものであるかが
分かります。 しかし何としてもしなければいけないものであるという意味で、出来れ
ば大学の「二次試験を考える入試に改革する」ことからでも、できそうなところからで
も何としても手をつけなければいけないのではないかと切実に考えております。

共通一次試験についても、「思考力」を見るのは大変に難しいとしても、非常に不完全な
形でも、兎に角今の日本の教育を根本的に改善する少しでもプラスな方向に行けないも
のでしょうか。 

「思考力を測るための「共通一次試験」を実施することが現実に極めて難しいことは明ら
かですが、それでも何かの形で「共通一次試験」をやると言うのでしたら、「共通一次試験」
の性格を基本的に変えることを考えることになります。

例えば、大変に不完全ながらも、極く基本的な考える問題を中心にして、それを発展的
に考えるできるだけ易しい問題で、「思考力」を見る方式をやりながら、段々に改善を重
ねて行くやり方もあり得ます。

「これからは「ものしり」よりも、探究的に考えながら、creativeな教育育成に向けて、
難しいのを承知の上で日本の教育改善のために新しい形式で共通一次試験を行います」
と宣言しながら、初めはとても不完全なものでも、日本の教育を時間をかけても改善の
方向に向けることです。 

その種類の苦労を通して、そのような雰囲気の中で日本に本当のcreativeなeducation
を根付かせるのです。 これからの本当の教育はこの方向に向けて努力しましょう、と
声をかけながら、根深く張り付いた日本の「マネブ」旧弊を改革するように、前向きな努
力をすることです。 

その上で、一方ではその不完全を補うために二次試験ではそれだけしっかりと「creative
な思考力」を、手抜きせずに実施することです。 兎に角、「若い人達の芽を摘むこと」な
しに、時間をかけても、日本の教育を本当のeducationを根付かせることです。 日本
の教育の改善に向けて希望を持とうではありませんか。 それなくして日本の将来は駄
目になります。

ついでながら、蛇足をつけ加えますと、もしも共通一次試験を何らかの形でやるとする
と、これまでの共通一次試験が日本の教育を悪くしていた例は幾つもあります。 

たとえば、大分前に「あるコロイドの粒子の持つ電荷についての問題が共通一次の化学に
出ました。 当時私が勤めていた化学系の教師20人以上にその問題を見せて尋ねまし
たら、2,3人しか知りませんでした。 

共通一次試験に出ることは「これを覚えろ」と言う命令に近いのですが、大学の化学の専
門家も殆ど知らないことを一般の高校生に覚えさせるのです。 

「考えても分からない、覚えてもしょうがない」そんな問題をどうして出すのでしょうか。
 こんな試験はやらない方が余程いい。 特殊な化合物の色を尋ねたりすることも止め
て欲しい。 展示実験には使われても、たとえ化学を専門にしても一生見ることもない
ようなアンミン錯体の色を尋ねたり、正に「化学を悪くするのは化学の先生」なのです。

 共通一次試験には、絶対に悪い問題は出してはいけません。 

●終わりに:

 わが国の教育関係者はしばしば言います。 「考えろと言っても物を知らなければ考える
ことが出来ない」と。 

もちろんそれは程度の問題でもありますが、現在は世界的にもその時代は去ってしまっ
ています。 携帯用のパソコンが出る時代です。 「教科書を覚えている学生は採らない」
というCambridge大学の高い見識を日本でも少しでも実感を持って受け取れる教育関係
者が一人でも増えて欲しいものです。

今度新しく米国化学会から発行された化学の本(5)でも分かりますが、最初から「考
える」問題です。 このことは如何に説明されるか、その説明が正しいことは如何にし
て示すか、他に出来る説明はないものか、はっきりした「英知を養う化学」であって
「化学は暗記物」の時代は遠くに去ってしまっています。

この新しい教育は教師も生徒と一緒に考えなければいけません。 自分の知識をただ与
えるだけで済む安易な授業ではいけません。 生徒は先生と一緒に考え、先生が考える
背を見て育つのです。 現在はコンピュータの普及、進歩と共にそういう新しい時代に
なりました。 

新しい時代にはそれに適応した教育や試験に変わらないといけません。 日本の教育権
威者は十年余り前には、驚くべきことには、高校学習指導要領から化学の最も基本的概
念の一つである「平衡」を取り除きました。 

「考えない化学」にしたのです。 

今から言えば正に時代に逆行したものでした。 それを決めた委員の一人を日本化学会
に来てもらって何故そんなことをしたのか、を尋ねました。 答えに曰く、「平衡を入れ
ると入試に平衡定数の計算が出たりするから」、正に本末転倒の答えでした。 こんな呆
れたことが文部科学省の下「教育権威者」によって決まるのです。

丁度その頃はアメリカでは150回以上も公開討論会を開き、4万冊の原本を配って「探
究的に考ええる理科」を根付かせていました。 両者は全く逆のことをしていたのです。

この両国の見識のレベルの違いはこんなにも大きいのです。 流石に今ではその点は治
っていますが、その歴然とした見識のレベルの差は当然関係者の中には未だ残っている
と考えなくてはなりませんだけに、日本の教育改革には余程の努力が必要です。

(余計なことかも知れませんが、丁度同じ頃日本化学会編として「高校化学の教え方」と
題し、副題に「暗記型から思考型へ」とした本が、私を編集委員長として丸善から出ま
した。 

日本では前述の教科書持参の入試でも、この本でもそうですが、十年早いと何時も冷た
い目で見られます。 教育は「時代を先取りして」二、三十年は先のことを考えないと
いけません。 これは非常に大事なことなのですが、悲しいかなそれが日本の風土なの
です)
 
今は世界的にも「新しい教育を求める改革時代」なのです。 それにプラスになるものが
如何にしたら出来るかどうかが問題です。 日本の教育関係者が、何もアメリカのマネ
でなくても、日本なりにもっと優れた「これからあるべき教育」をしっかりと把握し、高
い見識を持って、国際的にも勝るとも劣らないcreativeな教育を育てる大変に大事な時
期なのではないでしょうか。 

共通一次試験」を○×方式で、その線に従って改革ができるかどうかは関係者の見識と努
力の問題ですが、どの程度なら最低でも、形を成せるのか、いずれにしても相当の努力
が必要です。 その努力を通してでも日本の教育を本当に改革するにはどうすればいい
のか、がはっきりとします。 その自覚と改革の実行なくしては、日本はダメになりま
す。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【大学受験をひかえている、学生のみなさんへ】

 これからの大学入試がどうなるか? 具体的な入試問題が、それぞれの大学内部で検討
されています。どうか、参考にしてみてください。

http://kangaeru.is.ocha.ac.jp/

 このサイトは、それぞれの大学における入試問題作成委員会レベルの教授や、その教授
に影響を与えるレベルの人たちで、運営されています。

 大学受験(とくに理科系)をひかえている学生諸君、ならびに、そういう子どもをもつ
親は、一度、開いてみたらよいのではないでしょうか。

++++++++++++++++++

田丸先生に、原稿掲載の許可を求めましたら、
つぎのような返事がきました。(8月28日)

++++++++++++++++++

【田丸謙二先生より、はやし浩司へ】

林様:

  お忙しいのに大変なご協力を頂いて恐縮しています。
本当に厚く御礼申し上げます。 近いうちにその効果が現れ
ることを、心から期待しております。

  取り敢えず御礼まで。
  田丸謙二

  お話ししましたっけ。 長女のH子が4月からR大学
理学部化学科(物理化学)に移りました。 今まで産業科学技術研
究所にいた娘です。 その籍は私の東大時代の恩師、鮫島実三郎先
生が東大ご定年後に移られたところで、正に奇縁でした。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●息子のEへ、

++++++++++++++++

マガジンで紹介している、息子の
ビデオが、何かしらの賞を取りそうな
雰囲気になってきた。

息子のBLOGから記事をそのまま
紹介する。

++++++++++++++++

【息子、EのBLOGより】

TUBEに載せているDepartureが、2006年8月現在で8000ヒットを超え、コイ
ツのおかげでこのブログのヒット数も、載せる前の約2倍に膨れ上がった。なるほど、こ
うしてヒット数を増やしていけばいいのかと、よい勉強になった。

 軽い気持ちで作ったDepartureだが、方々の人たちから、ほんとに沢山の好評をいただ
き、大変嬉しく思う。航大生はもちろん、その家族や、航大を目指す人、空や飛行機が好
きな人などから嬉しいメールをいただいた。映像も音楽も、見る人・聞く人が最後にそれ
を完成させるのだと思う。僕の作品をいいものにしてくれた視聴者の皆さんに、厚くお礼
を言いたいと思う。

 先日、航大の監事、教頭に呼び出され、何かと思って行ってみたら、Departureを見たよ、
素晴らしかった!、と褒めてくれるではないか。訓練中にビデオばかり撮って!と怒られ
るものだとばかり思っていたから、意外だった。で、今度このDepartureが、正式に航大
のホームページに載るらしい。音楽は省かれるみたいだけど。

 さらに、このDeparture、『Fish eye 2006』という、国際映画祭・アマチュアビデオコン
テストに出品されることになった。まだ国内予選の段階だが、もし通れば、ロシアはイル
クーツクで行われる本選に、ただ(無料)で行けるらしい。当然僕は行けないので、誰か
代わりに行ってもらうことになるだろうけど、何だか面白いこになってきたと、わくわく
している。このコンテストについては、また動きがあり次第、このブログで紹介します。
とりあえず本日、応募用紙と共に、担当の方に渡しました。

 でも本当のことを言うと、僕自身、この映像に対する他人の評価なんてあまり興味がな
い・・・。一番楽しみなのは、何年後かにこの映像を再び見たときの、自分や、同期の反
応である。きっとめちゃめちゃ懐かしくなって、涙するに違いない。


【パパより、Eへ】

 今朝、DENISEさん(二男の妻)から、メールが入っていたよ。その中に、こんな
一文があったよ。

……"The sin is not in failing. The sin is 
not in trying at all." I don't know who said that, but it has stuck 
with me ever since I first heard it.……

 「失敗することは、罪ではない。罪というのは、チャレンジしないことだ」と。だれが
そう言ったかは忘れましたが、それを聞いたとき、私は、この言葉に感動しました。

 この文を読んで、「そうだなあ」と思ったよ。

 今は、思う存分、何でも好きなことをしたらいい。遠慮なんか、しなくていい。結果な
んてものはね、いつでも、あとからついてくるものだよね。

 お前の書いた、「……でも本当のことを言うと、僕自身、この映像に対する他人の評価な
んてあまり興味がない・・・。一番楽しみなのは、何年後かにこの映像を再び見たときの、
自分や、同期の反応である。きっとめちゃめちゃ懐かしくなって、涙するに違いない」と
いう部分が、大好きだよ。

 ぼくも、若いときから、他人の評価など気にしなかった。どう思われようと、知ったこ
とか……というような生き方をしてきたからね。そういう意味では、ぼくも、思う存分、
自分の人生を生きてきたという実感が、ある。

 お前ほどではないかもしれないけれどね。

 いつも、人生を楽しませてくれて、ありがとう。体に気をつけて、元気でがんばってほ
しい。

 ところでお前も何度か会ったことがある、あの田丸先生ね、このところ、少し体調を崩
されているみたいだ。昨日も、弱気なメールが届いた。それでね、ぼくも、少し、落ちこ
んでしまったというわけ。

 ぼくも、田丸先生といっしょに過ごした、あのメルボルン大学での学生時代が、人生の
中で、もっとも輝いているよ。そのとき書いた日記が、『世にも不思議な留学記』だよ。今
でも、それを読むと、涙がポロポロとこぼれてくるよ。

 青春時代というのは、決して、人生の出発点ではないよ。人生のゴールだよ。その時代
が、いつも、ぼくたちの人生を、灯台のようになって、導いてくれるよ。今という時代を、
大切に、大切に、どこまでも大切に、生きてほしい。自分に正直に、ね。

 では、賞の結果がわかったら、また教えてほしい。

 パパ公より
 (8月29日)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●HPの読者をふやすには……

++++++++++++++

HPの読者をふやすには、
どうしたらよいか?

HPを開いている人なら、
だれしも、そう考える。

で、及ばずながら、つまり
私の知る範囲で、その方法を
考えてみる。

++++++++++++++

 HPというのは、たとえて言うなら、「アイデア商品」のようなもの。読者をふやすとい
うことは、その商品を、より多くの人に売るということを意味する。

 売るためにまず重要なのが、「宣伝」ということになる。「広告」と言ってもよい。

 いろいろな方法がある。

(1)検索エンジン(サーチエンジン)への登録

 HPを開いただけでは、(商品を製造した)という状態と同じ。そこで「ここには、こう
いう商品がありますよ」ということを、世間の人たちに知らせなくてはいけない。それが
広告、つまり、「検索エンジンへの登録」ということになる。

 その検索エンジンに、自分のHPを登録すると、検索エンジンのほうで勝手に、あなた
のHPを開き、そこに出ている文字すべてを、検索可能な言葉として、登録してくれる。
こうした一連の操作を、この世界では、「ロボット巡回」と呼んでいる。

 仮想のロボットが、勝手にあなたのHPをのぞき、登録してくれるという意味で、そう
言うらしい。(私は、そう理解しているが……。)

 この検索エンジンへの登録には、2種類、ある。(1)有料登録と、(2)無料登録であ
る。

 本気で登録……ということであれば、有料登録のほうが確実で、効果も高い。が、「まあ、
そこそこに……」ということであれば、無料登録でも、それなりの効果はある。

 ちなみに、無料登録をしているサイトは、以下の2つがよく知られている。(下をクリック。)

http://www.infoseek.co.jp/Help?pg=help_addurl.html&lk=noframes&sf=1&svx=199700

http://www.google.com/addurl/?hl=ja&continue=/addurl

 ここでサイト登録をしておくと、やがてロボット巡回をしてもらえ、以後、あなたのH
Pは、検索エンジンで、検索可能なHPとなる。これを、この世界では、「公開」とか、「公
開デビュー」とか呼ぶ。

 なおサイト登録するとき、つぎの2つの方法があることを忘れてはならない。

 ひとつは、上記のサイトで登録をすると、HPのトップページのみが、登録されること
になる。トップページというのは、「表紙」という意味。

 が、これでは物足りないという人は、すべてのページを、別々に登録する必要がある。
その方法については、これらのサイトのどこかに、詳しく書いてあるので、その指示に従
うとよい。

(2)広告

 HPそのものを、直接、宣伝するという方法もある。このばあいは、もちろん、有料と
いうことになる。

 たとえばグーグルの検索エンジンを使って、「子育て相談」を検索してみよう。(下をク
リック。)

http://www.google.com/search?hl=ja&c2coff=1&q=%E5%AD%90%E8%82%B2%E3%81%
A6%E7%9B%B8%E8%AB%87&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr

 すると、「子育て相談」というキーワードを含むHPが、ズラリと左に並ぶ。で、その右
側に、「スポンサーサイト」というのがある。これがその広告である。

 これらのサイトは、検索エンジン会社にお金を払い、自分のHPを、宣伝してもらって
いるということになる。

 宣伝費用は、それぞれ、個人でするには、高額である。営業(収益)を目的としたHP
のばあいは、スポンサーとなって、こうした広告を考えるのもよいかもしれない。

(3)相互リンク

 HPを開設している人どうしが、たがいにたがいを紹介しあうというのが、「相互リンク」
である。

 相互リンクするばあいには、たがいに了解しあうというプロセスが必要であり、結構、
手間もかかる。またあまり人気のないHPどうしが、相互リンクしても、当然のことなが
ら、その効果を期待することは、むずかしい。

 以上、私が知る範囲で、より多くの人にHPを読んでもらう方法を、書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1502)

●「?」の韓国

++++++++++++++++

韓国という国を、となりの日本でながめていると、
現実が、どこにあるか、それがわからなくなる。

おそらく、当の韓国にも、わかっていないのでは
ないか?

アメリカに守ってもらいながら、「反米」を唱える。
K国と敵対関係にありながら、工業団地を提供している。

そんな韓国に、とうとうアメリカがキレた。
そしてこう言った。「2009年に、アメリカは韓国から撤退する」と。

++++++++++++++++

 韓国では、どこへ行っても、「反米」の大合唱。韓国では、「朝鮮が、南北に分断された
のは、アメリカの責任」と考えている人が、多い。つまり、「アメリカさえ介入してこなけ
れば、南北朝鮮は、分断されることはなかった」と。

 そこで現在のN大統領は就任するとすぐ、アメリカに特使を送り、「韓国からのアメリカ
軍の撤退」を訴えた。が、そのアメリカ、韓国に、思いとどまるようにと説得するかと思
いきや、「OK」と。「アメリカは、望まれない地域に、アメリカン・ボーイズ(兵隊)を
置かない」と。

 この返事は韓国にとっても、まったくの予想外だったらしい。

 で、それから3年半。いろいろあった。あった結果、とうとうアメリカがキレた。いわ
く、「2009年に、アメリカは、韓国から出て行く」と。

 ヤフー・ニュースは、つぎのように伝える。

「韓国の聯合ニュースは27日、ラムズフェルド米国防長官が、朝鮮半島の戦時作戦統
制権について、2009年に韓国軍に移譲すると正式に通達していたと報じた。

ラムズフェルド長官は今月中旬、尹光雄・国防相に書簡で伝えたという。

関係筋によると米側のこうした姿勢は、作戦統制権の単独行使に伴う軍事力整備を理由
に、移譲目標を2012年とする韓国政府との立場の違いが明白で、今後、韓米間の対
立も予想される」と。

 「戦時作戦統制権」を韓国に渡すということは、アメリカ軍が韓国軍の下に入ることに
なる。が、現実には、そんなことはありえない。つまり、事実上の、アメリカ軍の韓国か
らの撤退を意味する。もっと言えば、米韓軍事同盟の終焉(しゅうえん)を意味する。

 が、ここからが、韓国のわからないところ。朝鮮N報は、「アメリカ軍の撤退は、アメリ
カにとって、一石五鳥」と題して、こんな社説をかかげている。

 アメリカ軍が戦略的に柔軟性をもつことができることなどのほか、「……韓国に対して、
武器販売が増加する」「韓国国防部が統制権の単独行使に備え、購入を決めた武器だけでも
合計10兆ウォン(約1兆2190億円)にのぼる見込みだ。現在の韓国の武器体系はほ
とんどがアメリカ式だ。それだけに今になって急に購入元を他の所に変えるのは非常に難
しい。と。つまりアメリカは、より金儲けができる」と。

 ならば韓国に聞くが、現在の「今」、それだけの軍事費を提供しているのは、だれか、と
いうこと。その前に、どうしてアメリカが、それだけの軍事費を提供して、韓国を守らな
ければならないのか、ということ。

 今年(06年)、韓国は、在韓米軍の駐屯費用として6804億ウォン(約830億円)
を負担している。が、たったの、830億円! その額は、在韓米軍の駐留経費の20〜
30%にも、満たない。

 仮に朝鮮半島が有事ということにでもなれば、アメリカ軍は、10〜15兆円もの戦争
経費の出費を強いられることになる。どうしてそういう韓国で、今、反米闘争なのか!

 現実が、まったくわかっていない。

 もしここでK国が核実験でも強行すれば、その時点で、韓国にある外資は、いっせいに
韓国から引きあげることになる。韓国経済そのものが、崩壊の危機に立たされる。

にもかかわらず、現在のN大統領は、「K国が核開発するにも、一理ある」と、それをか
ばってみせた。そればかりか、金大中大統領の時代から、現政権までの間に、現金だけ
でも、600億円もの大金を、K国の金xxに、直接渡している。

 K国が、これらの大金を使って、核開発をしてきたことは、今さら、言うまでもない。

 話を最初にもどすが、「2009年」ということになって、韓国は、大あわて! が、こ
れに対して、当のN大統領は、「(10月の)ブッシュ大統領との会談では、強固な米韓関
係が確認されるはず」と、実にノー天気なことを言っている。

 「私のように、YES、NOをはっきり言う人間は、ブッシュ大統領に好かれているは
ず」とも。

 まあ、私の知ったことではないが、ここまで現実認識がズレてくると、韓国をどう理解
してよいのか、わからなくなってしまう。(実のところ、わからないが……。)

 10月に行われる予定の、アメリカのブッシュ大統領と、韓国のN大統領の会談の内容
もさることながら、それがどういう雰囲気の中で行われるか、たいへん見ものである。

【付記】

 近く、K国が核実験を強行するかもしれないという。その直前に、こうした通達が、ア
メリカ側から韓国になされたという点にも、注目したい。つまりアメリカは先手を打って、
韓国からの撤退を正式に発表したことになる。

 K国が核実験をしたあとで、こうした通達をすれば、アメリカは韓国を裏切ったことに
なる。反米感情は、さらに高まることになる。つまりアメリカは、それを避けたともとれ
る(?)。

 アメリカの国際外交のしたたかさは、こんなところにも、表れている。
(この原稿は、06年8月28日に書いたものです。)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 25日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●恐怖症

 私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症など。飛行機恐怖症という
のもある。

 この(恐怖症)のこわいところは、そのつど、対象物を変えて、いろいろな形で現れる
こと。5、6年前には、あわや大惨事に……というような交通事故寸前の恐怖を体験した。

 とたん、その日から、スピード恐怖症になってしまった。暗い夜道を自転車で走ってい
るのだが、車という車が、すべて自分に向かって突進してくるように見えた。私は、50
メートルくらいを走り、自転車をおり、しばらく心を整えてから、また自転車にまたがっ
た。

 あとで見たら、手のひらが、汗でぐっしょりだった。

 何とかその恐怖症からは、逃れることができた。自分に「だいじょうぶだ」と、何度も
言って聞かせることで、また自転車に乗ることができた。

 が、昨日(8月26日)、またまた同じような経験をしてしまった。

 いつものように、N高校横の坂道を、自宅のほうに向かって走っていた。歩道らしきも
のはない。道路に、白い線で、そのワクがかいてあるだけ。ハバは、1メートルもない。
50〜60センチほどか。しかも道路の片側だけ。

 さらにところどころに、電柱が立っている。消火栓の標識が立っている。

 その坂を、ややスピードを出しながら、私はくだっていた。(スピードを出したといって
も、自転車だから、たいしたことはない。時速20キロ前後ではなかったか。)

 そのとき、前方から、大型のランドクルーザーが、猛烈なスピードで私に向かって突進
してくるのがわかった。猛烈なスピードである。「ROVER」という文字をどこかで読ん
だ。ついで、運転している男の顔が見えた。

 男は左側に顔を向けていた。年齢は30歳くらいだったか。完全なわき見運転である。
私は自転車を、思いっきり、右側のコンクリート壁に寄せた。N高校の壁である。ザリッ
と、自転車のどこかの部分が壁をこすった。

 その瞬間、つまり私の前方5〜6メートルほどのところで、その車は、ヒラリと向きを
変え、そしてそのつぎの瞬間、私の左側をスピードをゆるめることなく、うしろへと、走
り去っていった。

 車は、あの細い道路で、つまり対向車とやっとすれちがうことができるような細い道路
で、80〜90キロ近いスピードを出していた(?)。

 私はヒヤリとしたものを、背筋に感じた。が、これが私の恐怖症の、引き金を引いてし
まった。

 何とか家には帰ったものの、明らかに精神が不安定になっているのが、わかった。自分
であって、自分でないような気分。感情そのものが平坦になってしまっている一方、何を
しても落ちつかない。

 いつもだったら、半時間でもヒマがあれば、書斎へ入って好き勝手なことをするのだが、
その意欲そのものが、わいてこない。パソコンを見るのもいやだった。さわるのもいやだ
った。

 何もしたくない。もちろん、自転車に乗るのも、車に乗るのもいや。外に出るのも、い
や。ついで、人に会うのも、いや。が、おかしなことに、食欲だけはあって、帰ってきて
から、昼食を、2人前前後、食べてしまった。

 で、そのあと猛烈な睡魔に襲われて床に横になったが、いつものように、眠られない。
神経が興奮状態になっているのが、自分にも、よくわかった。が、そのつどうたた寝はし
たらしい。が、どれも夢は、悪夢ばかり。

 最後は、ハチに追いかけられる夢で、目がさめてしまった。で、そのまま、起きてしま
った。

 そんなわけで、8月26日、土曜日は、私にとっては、最悪の日だった。今も、その後
遺症は、今もつづいているが、こうして文章を叩けるだけでも、症状が軽くなったのかも
しれない。

 鎌倉のT先生、上海のMさん、いつもなら、メールの返事をすぐ書くのですが、そんな
わけで、今日(27日)も、インターネットは、お休みです。明日にでもなったら、ゆっ
くりと返事を書きます。

 どうか、私の非礼をお許しください。

【補記】

 自転車は私にとっては、健康づくりには欠かせない乗り物ですが、年に1、2回は、ヒ
ヤリとさせらええます。そして数年に1度は、あわや……という思うようなことがありま
す。

 みなさんも、どうか、お気をつけください。


+++++++++++++++

恐怖症について書いた原稿を
添付します。

+++++++++++++++

【子どもが恐怖症になるとき】

●九死に一生

 先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、
こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。

が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、
すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じた。

私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった
……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。

 たとえば以前、『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ
行きたくない」と言う園児が続出した。あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがっ
たことがある。その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」
という子どもが続出した。

これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。そ
れが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、
ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)対人(集団)恐怖症……子ども、とくに幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、
ある程度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。

知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、
無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所でも、わがもの顔で騒いだりする。

が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失
語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる
(学校恐怖症)などの症状が表れる。さらに症状がこじれると、外出できない、人と会
えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。

(2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベータ
ーに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。

これはある子ども(小一男児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメ
ソメソし始めるという。親から相談があったので調べてみると、原因はどうやら学校へ
行くとちゅうにある、トンネルらしいということがわかった。その子どもは閉所恐怖症
だった。

実は私も子どものころ、暗いトイレでは用を足すことができなかった。それと関係があ
るかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするよ
うな恐怖感を覚える。

(2)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわ
がる、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。

何かのお面をかぶって見せただけで、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、1
5人に1人はいる(年中児)。

ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもな
かなか原因がわからないことが多い。また症状も、そのとき出るというよりも、その前
後に出ることが多い。

これも私のことだが、私は30歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。そ
のためそれ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。何とか飛行機には乗ることは
できるが、いつも現地ではひどい不眠症になってしまう。「生きて帰れるだろうか」とい
う不安が不眠症の原因になる。

また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表
れる。高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。脳の中にそういう回路(パ
ターン)ができるためと考えるとわかりやすい。私のケースでは、幼いころの閉所恐怖
症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。

●忘れるのが一番

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、叱
っても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場
で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無
理をすればするほど、逆効果。ますます子どもはものごとをこわがるようになる。いわば
心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるようにする。

症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。私のときも、その事故から数日間は、
車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせい
だ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。

が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせる
ことで、克服することができた。いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、
夜中でも興奮状態になってしまう。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道
理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。

(付記)
●不登校と怠学

不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症と
は区別する。この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。うつ病の一つと
考える学者もいる。不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因とな
ると考えるとわかりやすい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【考えることのすばらしさ】

++++++++++++++++++++++

あれこれと、思いつくまま、考える。
それが私にとっては、趣味のようにもなっている。

考えているだけで、楽しい。おもしろい。
そういう私だから、反対に、考えることが嫌いな子どもや、
おとなを見ると、「どうして?」と思ってしまう。

今朝も、いろいろ考えた。その考えたことを
ここに書く。

考える楽しさを、少しでもわかってもらえれば、
うれしい。
(06−08−24)

++++++++++++++++++++++

●ハレンチ教師による、ハレンチ事件

 今朝は、新聞の3面に、2つも、(2つもだぞ!)、ハレンチ教師が犯した事件について
の記事が載っていた。2つとも、この静岡県で起きた事件である。例によって例のごとく、
「18歳未満と知りながら、教え子に……」という事件である。

 で、それに対して、これまた例によって例のごとく、あの評論家が、もっともらしいコ
メントを寄せていた。引用するのも、バカ臭いが、一応、念のため。

 『……もともと子どもが好きな人、愛情を感じやすい人が教職に就く。多くの場合は、
教育愛になるが、それが性愛、恋愛感情に変わるのも紙一重』(C新聞・8月24日版、O
氏)と。

 O氏が、もう少し心理学を勉強していたら、こんな的ハズレなことは言わないだろう。
それに「教育愛」なんていう言葉は、はじめて聞いたぞ! 「教育愛」って、何? ドク
ターだったら、「治療愛」? 「おおくの場合は治療愛になるが、それが患者との性愛、恋
愛感情に変わるのも紙一重」? それとも「師弟愛」のまちがい? しかし師弟愛が、性
愛と紙一重だなんて、だれも、思わない。

 教師によるハレンチ事件があとを断たないのには、ひとえに、教職という職業がもつ、
職業的特殊性によるもの。わかりやすい例で考えてみよう。

 たとえば胸のうつくしい女の子を見たとしよう。中学生も、高校生でもよい。そういう
とき、健康な男性なら、だれしも、「おお、いいオッパイだな」と思う。思って当然。

 しかしそれを口に出して言うことはできない。これは何も、教師にかぎらない。口に出
して言えば、そのままセクハラ行為となる。

 が、教師は、その先まで行ってしまう。「教師たるもの、そんなことを思ってはいけない」
とか、「考えてもいけない」とか。自分で自分を、追込んでしまう。あるいは聖職意識の強
い教師なら、そういう雰囲気が自分のまわりにあることさえ、ことさら忌み嫌う。

 つまり仮面(ペルソナ)をかぶる。この仮面が、教師の心をゆがめる。ユングが説くと
ころの、シャドウをつくる。このシャドウが、ときとして、その教師の心をウラから操る。
それがこうした事件へとつながっていく……。

 だからこういう教師が逮捕されるたびに、周囲の関係者は、みな、こう言う。「指導熱心
な、いい先生だったのに……」と。

 教育愛(?)と性愛が紙一重だなんていう意見は、一見もっともらしく聞こえるが、と
んでもない意見ということになる。ハハハ。

 ここからは、ホンネ論。

 あのね、教師であっても、自分を作ることはないの。美しいオッパイの女の子を見たら、
すなおに、「美しい」と思えばいいの。わかる? そういう女の子の乳首が見えたら、「お
お、いいものを見たぞ」と、すなおに喜べばいいの。わかる?

 へたに聖職意識をもつから、自分で自分の心をゆがめることになるの! 仮面をかぶる
から、自分で自分の心をゆがめることになるの!

 あのね、学校の校長だって、教頭だって、みんなマスターベーションをしているよ! テ
ィシュペーパーでペニスを包んで、セコセコ、やっているの! 元気な教師だったら、毎
晩だって、やっている。わかる? 妻に手助けしてもらう人もいるでしょう。目を閉じて、
若い女性の肉体を想像してやっている人もいるでしょう。

 それはね、たとえて言うなら、女性の生理と同じ。理性の範囲の問題ではないというこ
と。もし性欲、……つまりね、フロイトの言うところのだよ、リピドーなるものがだよ、
理性でコントロールできるようなものだったとしたら、人類は、とっくの昔に絶滅してい
たはず。

 つまりそれくらい性欲というのは、強力、ということ。

 だったら、どうするか? 答は、簡単。私がいつも言っているように、教育のシステム
そのものを変える。あるいは、厳罰主義で臨む。教職者については、とくにそうで、18
歳未満の子どもと性交渉をもったら、即、懲役10年とか、そういうことにする。問答無
用式に、ね。

 向こうから女の子が近づいてきただけで、真っ青になるようになればいい。

 が、現実は、甘い。たいていは、「教職を追われているなど、すでに社会的制裁を受けて
いるから……」というような理由にもならない理由をつけて、執行猶予付きの判決ですま
してしまう。だから、あとを断たないの! わかる?

 教育のシステムを変えるということはね、たとえばカナダ方式や、イギリス方式がある。
アメリカ方式でもいい。教師が、自分の教室(クラス)以外で、生徒と個人的に会うこと
を、いっさい、禁止すればいい。

 カナダなんかではね、教師の住所、電話番号すら、親に、絶対に教えないよ! それが
わからなければ、大病院の診察室を想像すればいい。診察室が、大きな教室(クラス)だ
と思えばいい。

 診察室にいるドクター(教師)は、診察室(教室)内部でのことには、全責任を負う。
しかしその診察室(教室)から患者(生徒)が一歩でも足を踏み出せば、それはもうその
ドクター(教師)の知ったことではない。

 今のように、生徒の教育や進路指導はもちろん、しつけや家庭問題まで、教師が責任(?)
をもつというシステムのほうが、異常なの。わかる?

 そして教師は教師で、こう叫べばいい。「オレだって、教師である前に、人間だア!」と。
つまり心の風通しをよくするということ。仮面をかぶらないということ。すなおに自分を
さらけ出しながら、生きるということ。

 つまりね、親たちも、そういうことを納得した上で、先生とつきあえばいい。監視すれ
ばいい。だいたい親にしても、たった1人、2人の子どもさえ、もてあましている。そう
いう子どもを、30〜35人も、学校の先生に押しつけて、「しっかり、めんどうをみろ」
は、ない!

 「学校の先生だから、ふつうの人とはちがう」と考えるのは、誤解。誤解というより、
幻想。まったくの幻想。あなたやあなたの夫と、どこもちがわない。それともあなたは、
学校の女性教師には、生理がないととでも言うのだろうか? (これは少し言いすぎか
な?)

【付記】

 これは私の経験だが、こういうことも言える。

 学校の教師は、いつも子どもたちの世界に住んでいる。そういう教師が、学校という世
界で、自分が(おとな)と自覚するときは、職員室で同僚に会ったときだけ。しかし最近
では、その職員室で、同僚と話しあったりすることが、以前よりはるかに少なくなった。

 小学校の教師などは、空き時間が、週2〜3時間ほどしかない。そのため、今では、ど
の学校の職員室も、ガランとしている。

 で、そういう子どもたちの世界に住んでいると、いくつか、おかしな現象が起きる。私
がそれに気づいたのは、20代の半ばごろだったと思うが、たとえば、こんなことがあっ
た。幼稚園の園児たちが、(おとな)として、夢の中に出てくるようになったのである。

 ただ、夢の中に出てくるだけではない。幼稚園の園児たちが、顔や姿はそのままで、(お
とな)として出てくるのである。おとなの会話をし、おとなの行動をする。

 しかしこの現象を反対に見ると、園児がおとなとして出てくるのではなく、私自身が、
園児になり、彼らの世界に入ってしまったとも考えられなくもない。

 たとえば、今もそうだが、小学生を見たりすると、ものすごく大きな子どもに見えたり
する。中学生や高校生ともなると、子どもというより、おとなといった感じになる。さら
に20代、30代の人となると、完全なオジサン、オバサンといった感じになる。

 こういう現象を、どう説明したらよいのか。それについてはまた別の機会に考えること
にして、学校の教師にも、それがあるのでは? 子どもたちの世界に住むうちに、自分が、
(おとな)であることを忘れてしまう。つまり自分自身を、自分が接している子どもたち
と、同列に置いてしまう。

 ふつうの世界でなら、30代、40代の男が、15歳や16歳の女の子に性的な興味を
もてば、小児性愛者ということになる。異常者ということになる。しかし学校の教師とい
うのは、自らを(小児)として、その(小児)の世界で、子どもたちを見る。「見る」とい
うよりも、見てしまうようになる。

 本来なら、それを防ぐために、学校の教師たちは、同僚という(おとな)と、もっと接
しなければならない。自分と、子どもたちの世界との間に、一線を引かねばならない。教
室の中では、子どもたちと同じレベルに自分を置いても、職員室へ帰ったとたん、おとな
にもどる。そういう操作を繰りかえしながら、そのつど自分を取りもどす。が、先にも書
いたように、その機会が、以前と比べても、はるかに少なくなった。

 つまり顔や姿はおとなでも、意識だけは、子どもの世界に置いてしまう。そしてその世
界で、男を見、女を見る。そのため同年齢のおとなたちには、興味をもたなくなってしま
う一方、今度は反対に、中学生や高校生に、興味をもってしまう。

 こうした一連のハレンチ事件の背景には、こうした教職自体がもつ特殊性がからんでい
るのではないか?

 ただ念のため申し添えるなら、私のばあいは、全参観授業を貫くことによって、いつも、
そこに、親という(おとな)を置き、(おとな)と接している。それが今となってみれば、
よかったのではないかと思う。(おとな)と接することによって、そのつど、いつも、子ど
もたちの世界との間に、一線を引くことができた。

 もしそれがなければ、私も今ごろ、同じような事件を引き起こしていたかもしれない。
その可能性がなかったとは言わない。

そうそう言い忘れたが、こうした事件は、まさに氷山の一角。外部に漏れてバレるのは、
ほんの一部にすぎない。100に1つとか、2つとか、その程度ではないか。だからこ
の問題は、学校の教師たちが、そういうことをしているか、していないかの問題ではな
く、バレるか、バレないかの問題ということになる。

わかりやすく言えば、教師ならば、だれしもこうした危険なワナにはまりやすい。いつ
なんどき、そのワナに陥っても、おかしくない。教師という職業には、そういう危険性
が、いつもついてまわる。

つまりは、教育のシステム自体がもつ、欠陥のひとつというこことになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●夫婦げんか

 夫婦生活を30年以上もしていると、たがいに似てくる。よい面も悪い面も、似てくる。
無意識のうちに、そうなる。

 たとえば街をいっしょに歩く夫婦を見てみればよい。服装から、歩き方まで似ている。
話し方まで似ている。

 で、夫婦げんかだが、最近、私は、こんなことを発見した。

 私たちも、よくその夫婦げんかをする。月に1、2度はする。衝突する。

 が、いつもそのパターンは、同じ。夫婦げんかの始まり方も、やり方も、そして終わり
方も同じ。始まってから終わるまでの時間も、同じ。

 なぜ、そうなのか?

 実は、夫婦げんかというのは、夫婦でしているのではないということ。夫婦げんかとい
うのは、自分に対してしているということ。

 夫婦げんかというのは、相手の中に、自分のいやな面を見せつけられたとき、始まる。
つまり相手の中に、いやな自分がいて、その自分に向かって、する。わかりやすく言えば、
自己嫌悪。それが高じて、夫婦げんかになる。それを私は、発見した。

 だから最近は、こう思うようにしている。

 私のワイフのことで気に食わないことがあったとする。(たいてい、けんかを仕かけてい
くのは、私のほう。)そのとき、私は、こう思うようにしている。

 「その気に食わない点というのは、自分のことではないか」と。

 たとえば私のワイフは、私の言うことにイチイチ反論するときがある。そういう意味で
は、すなおさに欠ける女性である。……と思っていたが、長い時間をかけて、そういうワ
イフにしたのは、実は、この私ということになる。

 そしてふだんの自分を観察してみると、私自身が、ワイフと同じように、ワイフの言う
ことにイチイチ反論しているのを知る! とくに私は、口うるさい。すなおさに欠ける。

 夫婦げんかというのは、そういうもの。が、悪い面ばかりではない。夫婦げんかをし、
仲なおりしたときのワイフが、別人のように新鮮に見えることがある。あとは、この繰り
かえし。

 よく『夫婦げんかというのは、生活のスパイスのようなもの』という人がいる。つまり、
夫婦も、夫婦げんかをしなくなったら、おしまいということ。生活そのものが、味気なく、
つまらないものになるかもしれない。

 ……で、今度、あなたが夫婦げんかを始めたら、ここに書いたことを、心のどこかで思
い出してみてほしい。少しは、自分を再発見する、そのヒントになるかもしれない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●考えること

 子どもでも、おとなでも、考えることが好きな人もいれば、そうでない人もいる。しか
し、こと、私のBW教室(幼児教室)で訓練を受けた子どもは、みな、例外なく、考える
ことが好きになる。

 教育の世界には、(教えながら教える部分)と、(教えずして教える部分)の2つがある。

 私のばあい、いつも何かを考えている。ものを書いている。本を読んでいる。ヒマがあ
ればあったで、パソコン相手に将棋をさしたり、囲碁で遊んだりしている。最近は、携帯
電話を相手に、ゲームに夢中になっている。

 もちろん教室で、子ども(生徒)たちと対峙しているときも、そうである。

 つまりそういう私の姿を見て、子ども(生徒)たちは、考えるということはどういうこ
とかを、身につける。つまり私は、教えずして、子ども(生徒)たちに、考えるというこ
とはどういうことかを、教えていることになる。

 たとえば子ども(生徒)たちが、私にクイズをぶつけてきたとする。そういうとき私は、
すぐ、ムキになって、それを考える。ゲームをもってきて、私に挑戦してきたときも、そ
うだ。そういう姿勢が、私には、いつもある。そういう姿勢を見ながら、子どもたちは、
知らず知らずのうちに、私の影響を受けていく。

 ……何となく、手前味噌のような意見、つまりBW教室の宣伝ぽい意見だが、これは本
当のことである。(それにもう、宣伝してどうこうしようなどと考える時代は、私のばあい
は、終わった。)

 そこで重要なことは、園や学校の先生にかぎらず、重要なことは、考える先生であると
いうこと。子どもが何かを質問してきたときも、考えるクセのある先生は、その瞬間に、
いろいろと考える。雰囲気が、ちがう。そういう姿勢が、子どもの中で、考える力を伸ば
す。

 たとえば私の教室で、私が、何かクイズやトンチ(リドル)ぽい問題を出したとする。
そういうとき、どの子ども(生徒)たちは、例外なく、「やってやる!」「やらせて!」と
かなどと言って、食いついてくる。

 つまりは、それこそが、冒頭に書いた、(教えずして、教える部分)ということになる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 これで(考えること)のおもしろさを、理解してもらえましたか?

 考えることは、楽しいですよ!

 考えるということは、脳みその中で、宝さがしをするようなもの。あるいは未踏の原野
を、道をつくりながら歩くようなもの。

 そのスリルを感じたら、あなたも、考えることの魅力に取りつかれるはず。

 どうか、がんばってみてください!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ジュースとアイスクリーム

+++++++++++++++++

昨夜、10時すぎ、ワイフとデート
した。

近くのショッピングセンターまで行った。

何かと昨日は、いやなことが重なった。
それでそうした。

+++++++++++++++++

 「おい、どこかへ行って、アイスでも食べてくるか?」と声をかけると、ワイフがうれ
しそうに笑った。「今から〜ア?」と。

私「うん、今から……」
ワ「どこへ?」
私「Sにしようか? Jでもいい」と。

 それで、Jという、ショッピングセンターに行くことにした。

 こういうときというのは、私は、バカ話を連発する。たいていは、ひわいな話が多い。
そういう形で、ストレスを発散する。昨夜もそうだった。

 そういうときワイフは、いまだに、つまり結婚してもう36年になるというのに、そこ
らの小娘のように、恥ずかしがる。

私「あのなあ、お前。お前なんか、男がもう相手にしないよ。ぼくに相手にしてもらえる
だけでも、感謝しなよ」
ワ「そうかしら?」
私「お前の年齢になると、女のほうからお金を出さないと、男に相手にしてもらえないん
だよ」
ワ「いくらくらい……?」
私「まあ、30万円というところかな?」
ワ「30万円も出さないわよ」
私「いくらならいい?」
ワ「100万円もらっても、いやだわ」
私「バ〜カ。だれが、お前なんかに100万円も出すものか! 冗談にも、ほどがある」
と。

 夜と言っても、ドカッとした暑気(しょき)が、ムッとする。車の中のクーラーがきき
始めたころ、やがて話は、友人の息子氏夫婦の話になった。

私「やっぱり、あの夫婦は、もうだめみたいだ」
ワ「もうだめ?」
私「奥さんが、子どもを連れて家を出て、もう1週間になるんだってエ」
ワ「それは、あぶないわね……」と。

 大恋愛で結婚しても、別れる夫婦は、別れる。反対に、結婚当初から、あぶないと言わ
れていた夫婦が、生涯をともにするということも多い。この年齢になると、そういったド
ラマが、全体として、把握できるようになる。

 友人の息子氏夫婦も、そこそこの恋愛をしたあと、結婚したらしい。当初、友人はそれ
をたいへん喜んでいた。列席者が300人を超える、派手な結婚披露宴もした。が、どこ
かで歯車が狂った。

私「夫婦の問題は、その夫婦しかわからないよ」
ワ「そうね」
私「そっと、成りゆきを見守るしかないよ。ぼくのような他人があれこれ言うと、かえっ
て話がこじれてしまうよ」
ワ「そうね」と。

 実のところ、友人からは、そのつど、相談にのってやってほしいという依頼を受けてい
た。そういうこともあって、今年の春、息子氏の妻のほうから、私に電話があった。「離婚
を考えている。私といっしょに、義父母のところへ、話しあいに行ってほしい」と。

 しかしそんな話を友人にするわけにいかない。私は、立場的には、友人の側にいる。友
人の息子側にいる。妻側の立場に立って、離婚の話をすることなど、できない。だから断
った。断ったが、そのあと、その話を友人に伝えるべきかどうかで、迷った。

 実際には、そのあと、2度、3度、その友人に会ったが、その話を切り出すことができ
なかった。が、それとなく、息子氏夫婦の様子をうかがったことはある。友人は、そのた
びに、笑いながら、「うまくやっているようです」と。

 それで、ますます、話しそびれてしまった……。

 ショッピングセンターでは、おかしな、おかしなジュースを飲んだ。ワイフは、これま
た、おかしな、おかしなアイスクリームを食べた。まずいというよりは、奇異な味がした。
どれも南国の果物から作ったものだという。

 あまりにも奇異な味だったので、私は、その2つを、カップの中で混ぜてみた。少しは
味が変わるかと思った。が、味は、さらにおかしくなった。若いころ、コーヒーとコーラ
を混ぜて、失敗したことがある。昨夜の失敗は、それ以上のものだった。

私「こんなの、飲めないよ」
ワ「ホント! まずいわねえエ〜」
私「まずい、まずい……。ゲーッ」と。

 夫婦というのも、混ぜ方を失敗すると、とんでもない味になる。混ざるところでは混ざ
りあいながらも、どこかで自分らしさを保つ。他人ぽくしながら、新鮮さを保つ。そのほ
うが、それぞれの味もひきたつ。うまくいく。

そんなことを心のどこかで思ったが、それは、ワイフには言わなかった。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●K国情勢

+++++++++++++++++

K国が、近く、核実験をするかも
しれないという。

そんな中、K国の金xxが、
中国を電撃訪問するかもしれない
というニュースが、流れた。

+++++++++++++++++

 K国が、近く、核実験をするかもしれないという。場所はK国の北東部。日本海に近い
山の中。ここにきて、その可能性が、にわかに高まってきた。

 そんな中、K国の金xxが、8月の25日か、28日、中国を訪問する計画を立ててい
るというニュースが飛びこんできた(8月23日)。(拉致事件に抗議の念をこめて、「金x
x」とする。)

 理由は、あれこれと取りざたされている。

(1)核実験の事前報告と事前承認(サンケイWeb)
(2)中朝関係の確認
(3)中国が、核実験を思いとどまらせるために、金xxを招待した(東亜N報)

 しかしもっともありうるのは、現在の状況からして、(4)金xxの健康問題。

 サンケイwebは、つぎのように伝える。

 「……訪中計画の目的をめぐっては、病気治療だとの見方もある。金xxは、心臓と肝
臓の持病があるとされ、今年1月に訪中した際も、北京市内の(人民解放軍301病院)
で検査を受けたとされる」と。

 中朝関係は、崩壊寸前と言ってよいほどまでに、険悪化している。ここでK国が、核実
験などすれば、そのときは、中国は、もうこれ以上K国をかばうことはできない……とい
う態度で出てくるだろう。

 それを防ぐために、金xxが、訪中して、事前報告をするということは、じゅうぶん、
考えられる。大方の報道は、この線に沿った内容の記事を伝えている。

 しかしこうした報道は、総じて、共通のミスを犯している。つまり、「金xxは、まとも」
ということを前提として、記事を書いている。

 昨日も、雑誌「諸君」(2006年9月号)を買ってきた。読んだ。K国問題を特集して
いた。

●金xxの「戦略的射程」を見極めよ
●財務省が削減した「ミサイル迎撃」予算のツケ
●核・ミサイル開発を援助した在日「ミスターX」とは何者か
●テポドン・核実験、恐れるに足りず
●「脱北帰国者」を、どう迎え入れるべきか
●ココが変だよ日本のコリア論など。

一連のK国論を読んでいて、私は、随所で「?」と感じた。識者たちの意見に納得する
前に、「そうかなあ?」「そうではないと思うのだなあ?」と。どれも、「金xxはまとも」
という前提で、記事を書いている。「金xxの戦略的目的は何か」「意図は何か」「真意は
どこにあるか」とかなど。

 しかしこうした議論そのものが、ナンセンス(失礼!)。つまり金xxは、もう、(まと
も)ではない。自暴自棄になっているというか、支離滅裂。メチャメチャ。まるで一貫性
がない。つまり、はっきり言えば、狂っている。

 そんな狂った独裁者がすることについて、まともな議論を積み重ねても、意味はない。

 問題はなぜ、そうなのかということ。つまりなぜ、メチャメチャかということ。

で、私は、金xxの健康問題をあげる。とくに精神の健康問題をあげる。サンケイwe
bも伝えているように、「金xxは、心臓と肝臓の持病があるとされる」。心臓のことは、
はじめて聞いたが、肝臓については、かなり以前から、それが疑われていた。重度の糖
尿病という説もある。今年に入ってからの激ヤセについては、それが理由ではないかと
言われている。

 そういった人たちが、どういう精神状態になるか? それについては、私やあなたの周
辺の人たちを見ればわかるはず。みながみな、そうなるというのではないが、しかし中に
は、脳性の障害を併発する人も少なくない。

 私の印象では、金xxは、側近の者たちですら手をもてあますほど、症状が悪化してい
るのではないかということ。肉体的というより、精神的な面で、である。

ひょっとしたら、夜な夜な暴れて、酒ビンを、壁に叩きつけているかもしれない。ピス
トルで、側近の者たちを、バンバンと撃ち殺していかもしれない。

 そこで、「中国で、治療」ということになった(?)。

 これはあくまでも私の個人的な推察である。ほかに何か、確固たる根拠があるわけでは
ない。しかしそう考えると、K国の動きが、逆によくわかる。

 そこで、では、日本はどうすべきかという問題になる。が、これは前にも書いたように、
「もしあなたの近所に、そういう人がいたらどうするか」という視点で考えると、おのず
と答が出てくるはず。

 要するに、『障(さわ)らぬ神に、たたりなし』。私なら、そうする。金xx体制という
より、K国の自然崩壊は、近い。もう、すぐそこまできている!

 日本よ、あせるな! あせって、狂犬に手を出すようなことはするな!
(この原稿は、06年8月24日に書いたものです。)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●子猫を殺した、○○賞作家

+++++++++++++++++

どこかの女流作家が、新聞にこんな
コラムを書いた。

「糾弾(きゅうだん)されることはわかって
いるが……」と、前置きしたあと、
「子猫を殺したことがある」と。

+++++++++++++++++

 どこかの女流作家が、ある新聞にこんなコラムを書いた。○○賞という、あの賞をとっ
たことがある作家である。

 いわく、「糾弾されることはわかっているが……」と前置きをしたあと、「子猫を殺した
ことがある」「避妊手術をするのも、生後直後の子猫を殺すのも、同じことではないのか」
(要約)と。

 ものを書きなれた人ほど、サラサラと自分の思いを、そのまま文章として表現すること
ができる。ときには、無意識のまま、表現してしまう。○○賞もとったことのある作家と
いうことであるなら、なおさらだろう。

 そこでものを書く人間は、(書く能力)に合わせて、常に、(自分自身の内部)を磨くと
いうことを忘れてはいけない。自分を飾っては、いけない。ウソやゴマカシで書いても、
いけない。そういうのは、すぐバレる。メッキがはがれる。その前に一貫性が、なくなる。

 でないと、ふとした油断から、自分の人間性を、そのままモロに、外の世界にさらけ出
してしまう。今回の、この女流作家がよい例である。

 話は5、6年前にさかのぼるが、こんなことを書いた女流作家もいた。その作家も、同
じ、あの○○賞を受賞している。

 題は、「糞(ウンチ)」。同じように新聞のコラムとして発表されていたが、新聞紙の半分
ほど、全体で5〜6000字あまりのコラムであった(C新聞)。

 その中で、自分の糞(ウンチ)について、長々と書いていた。最初は、「?」と思って読
み始めたが、途中で、気分が悪くなった。最後まで読み終わったときには、吐き気すら、
覚えた。

 こういうのを作家の驕(おご)りという。「自分は作家だ。みなのもの、頭をさげて読め!」
「ミソでも、クソでも、ありがたく読め!」と。

 今回の子猫を殺したことがあると書いた、女流作家もそうである。そうそう、誤解して
はいけないことがある。

 作家というと、すぐれた人物を想像しがちだが、それは誤解。

 だいたい「もの書き」と呼ばれる人には、オタク族が多い。しかも超オタク族。ほとん
どが、そうではないのか。世間とのつながりをほとんどもっていない人もいる。

 だから人間性どころか、その前に常識に欠ける人も多い。多いというより、ほとんどが、
そうではないのか。少なくとも私が会ったことがある、いわゆる作家先生と呼ばれる人た
ちは、みな、そうだった。

 どこか、おかしい? ヘンチクリン? 病的?

 子猫を殺したという事実も、異常なら、それを堂々とコラムに書くのも、異常。しかも
自分で、それがわかっていて書く。「糾弾されることは、わかっているが……」と。

 常識がふつう程度に備わっている人なら、子猫など、殺さない。蹴飛ばすことぐらいま
でのことは、ひょっとしたら、するかもしれない。歌にもある。「♪……猫をかん袋に、押
し込んで……」(「山寺の和尚さん」久保田宵二作詞)と。

が、殺さない。避妊手術をするということと殺すということの間には、越えがたいほど
の距離感がある。それを同じにすること自体、狂っている。

 しかし、まあ、ねエ……?

 日本の文学界は、少しおかしいのではないでしょうか? ○○賞なる賞をとる作品にし
ても、どれも、どこか、暗〜イ。現実離れしたものばかり。今回のこの事件で、改めて私
は、そう感じた。

【付記】

 私は、20代のころ、そういうもの書きの人たちの集まる会合に、よく顔を出させても
らった。で、そういう印象をもった。つまり、どこか、ヘン(?)、と。

 以来、一度とて、自分の書いたものを、作品として、つまり賞をとるための応募作品と
して、出品したことがない。(一度も、ないぞ! 地元のタウン誌には、つきあいから、作
品を出したことがあるが……。)

 私の作品を評価するのは、私。他人ではない。私。他人が、どう評価しようが、私の知
ったことではない。また他人に評価などされて、たまるか! ……とまあ、これは肩書き
のない者の、ひがみのようなものかもしれない。

 その人が書いた文章が、本当にすぐれたものであるかどうかは、歴史が決めること。そ
こらの、どこか頭のおかしな、作家先生たちが決めることではない!


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1501)

●男と女

 ある団体の調査によれば、セックスレスの夫婦が、50%近くもいるそうだ※。30代
から、50代までの平均値だから、あまり精度は高くない。年を取ればとるほど、当然、
性欲そのものが衰える。

 しかし私が知っている範囲でも、結婚後、数年を待たずして、セックスレスになる夫婦
も、少なくない。理由や原因は、いろいろあるのだろう。

 で、こういう話を聞くと、「夫婦とは何か」というところまで考えてしまう。あるいは、
「不倫するのは悪と決めてかかるのは、まちがっているのかも」というところまで考えて
しまう。

 そこで夫婦で話し合って解決を……という話になるが、そうは、簡単ではないように思
う。

 男のばあい、(クソまじめ一筋と)いった感じになる。女のばあい、(生活臭)が、プン
プンと漂うようになる。つまり色気が消える。

 この色気というのは、たとえて言うなら、異性をひきつるローソクのようなもの。一度、
火が消えると、再び、それに火をつけるのが、むずかしい。ばあいによっては、カビが生
えたような状態になってしまう。

 あとは、悶々とした欲求不満をかかえながら、惰性で生きていくしかない。つまりセッ
クスレス夫婦というのは、そういう夫婦をいう(?)。

【※参考】(読売新聞記事より)(ヤフーニュースより、転載)

日本人夫婦の約半数が、「自分たち夫婦はセックスレス」と認識していることが、ドイツ
の製薬大手バイエル社の日本法人、バイエル薬品(大阪市)の調査で明らかになった。

 1年以上セックスをしていない夫婦が、全体の3分の1を占めるなど、欧米に比べて、
セックスに淡泊な日本人の性生活が、改めて浮き彫りになった。

 調査は日本人夫婦の寝室と性生活についての実態を明らかにするのが(ねら)い。6月
9〜12日、全国の30〜69歳の既婚男女約800人を対象に、インターネットを利
用して行った。

 その結果、日本人夫婦の年間平均セックス回数は17回で、1年以上セックスをしてい
ない夫婦は33・9%。夫婦間のセックスについて、60%が「大切だ」と回答しなが
らも、セックスレスと自認する夫婦は48・8%にのぼった。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 22日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●受験意識

++++++++++++++++

勉強は、楽しんでするもの……。

しかし子ども(生徒)のほうが、
先に、受験意識をもってしまう
ことがある。

勉強とは、受験のためにするもの、と。

小学4、5年生の子どもを教えていると、

ときどき、その意識のズレを感ずること
がある。

++++++++++++++++

 少し前、Tさん(5年生)が、パズルゲームをもってきた。さらにその少し前、Tさん
の母親が電話で、「うちの娘が、どうしても、林先生を負かしてやりたいと言っていますの
で、一度、相手にしてやってください」と言った。

 私は、「いいでしょう。コテンパーにやっつけてやります」と答えた。

 Tさんは、たいへん聡明な子どもで、現在は、中学1年の内容を、自分で勉強している。

 で、その日が、きた。Tさんは、大きな袋に、ゲーム一式をもってやってきた。名前は
忘れたが、陣取りゲームのようなもの。複雑な図形をしたコマがあって、そのコマを並べ
ながら、自分の陣地を広げていく。

 夏休み中ということもあって、約半数が、その日は、欠席していた。それにレッスンの
前に、そうして遊ぶことは、悪いことではない。子どものやる気を引き出すには、たいへ
ん効果的である。

 が、日本人は、「勉強」について、少し、ゆがんだ概念をもっている。「勉強とは、机に
向かって、黙々とするもの」という先入観も、そのひとつ。いわゆる受験生がするような
受験勉強的な勉強を、「勉強」と思いこんでいる。

 このちがいは、アメリカの小学校を見て、知った。向こうでは、図書館でも、みな、子
どもたちは、それぞれの方法で本を読んでいた。中には、床に寝転んで、本を読んでいる
子どもさえいた。

 私たちがもっている「勉強」についての概念は、決して、国際的な標準ではない。あえ
て言えば、日本のそれは、本山の小僧教育にルーツを求めることができる。「形」ばかりを
気にする。机の前にきちんと正座して、黙々と学ぶ。それが勉強、と。

 もともと「学ぶ」というのは、「マネブ」、つまり(まねをする)という言葉に由来して
いるという(T先生、指摘)。まねるためには、それなりの礼儀が必要というわけである。

 で、こうした概念を、親がもっている。しかも幼児をもつ親がもっている。子どもの姿
勢が悪かったりすると、「うちの子は、姿勢が悪い」と心配する。あるいは、少しふざけて
遊んでいたりすると、「集中力がない」と心配する。

 頭の中で、受験生が受験勉強するような姿を想像して、それを子どもに求める。まだ、
4、5歳の子どもに、だ。

 私は、そういうとき、こう答えるようにしている。「30分、机に向かっても、(何も机
に向かうことが勉強というわけではないのだが……)、5分、勉強らしきことをすれば、そ
れでよしとします。この時期、大切なのは、『勉強は楽しい』という意識を育てることです」
と。

 が、私の印象では、10人の母親のうち、3人は、それに納得しない。つまりそういう
ことも知った上で、幼児を指導する。私とて、スポンサーである親のニーズを無視して、
自分の仕事をすることはできない。

 ……という方針をもって、私は、子どもたちを指導している。で、その日も、ゲームを
した。

 誤解がないように言っておくが、ゲームといっても、きわめて知的なゲームである。そ
のまま幾何学の基礎としてもよいようなゲームである。私は、そう判断したから、子ども
たちの相手をした。

 4人、1組のゲームだったが、そのとき、J君(小5)は、部屋のすみで、自分の勉強
を始めた。が、それがまずかった。

 15分ほどでゲームは終わった。ゲームを知り尽くしていたTさんが、1位。私が、2
位、そして……、と。

 が、そのとき、J君の異変に気づいた。明らかに怒っている。不満そうに、顔をひきつ
らせている。いつキレても、おかしくないといったふうだった。

 私が「どうした?」と声をかけても、返事をしない。「理由を話しなよ」と、促しても、
無視。ピリピリとした緊張感が、教室の中に、漂った。私は、一枚の紙切れを渡し、「今の
気持ちを書きなさい」と指示した。それにたいして、J君は、こう書いた。

 「塾の中で、ゲームをするなんて、オレには、信じられない!」と。

 私は、ていねいにJ君にあやまった。J君は、ほかにも、ある受験塾へ通い始めた。つ
まりそこでの指導とは、ちがう、と。

 J君は、J君なりの、「勉強」についての概念をもち始めていた。明治の昔から、延々と
日本人の底流に流れている概念である。それ以前はといえば、江戸時代の寺子屋であり、
さらにそれ以前はといえば、先に書いたように、各本山における小僧教育に、ルーツを求
めることができる。

 しかも「勉強とは、受験のためにするもの」と。覚え、暗記し、テストを受け、順位を
出してもらう。「それが勉強」と。

 それが日本における(現実)だから、私は、否定しない。中学校も、高校も、予備校化
してしまっている現状では、そういう(現実)にひとり背を向けても、しかたない。私の
仕事にしても、(受験)を無視しては、成りたたない。

 だから私は、ていねいにJ君にあやまった。「ごめん、ごめん。さあ、勉強しよう!」と。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

【BW教室より】

●大悲劇

+++++++++++++++++

かわいそうなことをした。

虫を殺して、こうまで後悔したことはない。

それにしても、かわいそうなことをした。

++++++++++++++++

 ぼんやりと庭を見つめていると、おかしな虫がいることに気がついた。

 いや、最初はとても、虫だとは思えなかった。素早いというか、サササッと、直線的に
走って、1休止。そしてまたサササッと、別の方向に直線的に走り出す。

 見た感じ、つまり虫の大きさを自動車にたとえるなら、時速、50〜70キロ程度で走
っているような感じ。速い!

 その1休止したとき、体を見ると、どこかハチに似ている。しかし体全体が、黒っぽい。

 「何だろう?」「何だ?」と思いながら、目をこらして、その虫を見ていると、やがてそ
の虫は、小さなくぼみの中に、身を隠した。

 私は、殺虫剤を手につかむと、庭へおどり出た。虫の正体を確かめたかった。「ひょっと
したら、宇宙人の乗った乗り物かもしれない」と思った。このところ、その種のビデオを
たてつづけに見ている。(1週間で、「ブラック・スカイズ」全10巻を見たぞ!)

 で、くぼみまでくると、その虫はそこにいた。が、見て、驚いた。

 それはハチだった。山のほうではよく見かけるハチだった。体全体が、黒っぽい。大き
さは、スズメバチほど。私は、容赦なく、殺虫剤を吹きかけた。ハチに対しては、私は、
容赦しない。

 で、動きを完全に止めるのを見届けてから、指先でつかんで、そのハチを見た。ハチは
ハチだったが、左側の羽が、根元から4分の1ほどを残して、切れていた。切れていたと
いうより、ちぎれていた。

 とたん、後悔の念が、心の中に充満した。「かわいそうなことをした」と思った。

 一部始終を居間から見ていたワイフに、「こいつ、羽がない。だから、地面を走っていた」
と。

 しかしハチが、地面を走るという話は聞いたことがない。しかも、ものすごいスピード
で、である。

 で、このことを、その日の午後になって、K君という、昆虫博士に聞いてみた。私は畏
敬の念をこめて、彼のことを、そう呼んでいる。小学5年生である。私が知るかぎり、こ
と昆虫に関しては、彼の右に出る子どもはいない。専門の研究者でも、少ない(?)。

 そのK君が、こう教えてくれた。

 「先生、それはね、モズかカラスにやられたんだよ。モズかカラスに、羽をちぎられて
ね。それでそうなったんだよ」と。

 「走るのが速かったよ」と私が言うと、さらにこう教えてくれた。

 「ふつうは、交尾ができなかったオスのハチは、羽が抜けて、地上におりるんだよ。地
上におりて、地面の餌を食べて、生き延びるんだよ。でも羽が残っていたということは、
モズかカラスに破られたとみていいよ」と。

 ナルホド!

 とたん、さらに後悔の念が、心の中に充満した。「本当にかわいそうなことをしてしまっ
た」と。

 しかしこういうことも言える。

 ハチは、そういう運命もあることを知っていて、地面を走るスピードを、進化の過程で、
身につけた、と。つまりあれほどまで速く走れるということは、すでにそういう運命もあ
ることを予想して、そういう遺伝子がDNAの中に、あらかじめ、組みこまれているとい
うこと。

 少しくらい練習したくらいで、あそこまで速く走れるようになれるはずがない。

 ならば、私のしたことは、それほど、悪いことではない、ということにもなる。

 どこか自己弁解がましいが、そういうふうに考えて、私は自分をなぐさめた。

 しかし、だ。ハチにそんな運命と、能力があることは知らなかった。もしみなさんが、
今度ハチをつかまえたら、羽を切り取ってみるとよい。みなさんも、ハチがもつ別の能力
に、驚くはず。

 あくまでも、みなさんの向学のため。

 で、K君の話を聞いたあと、私は、こうつぶやいた。

 「それにしても、ぼくの知らないことは、まだ山のようにあるんだなア……」と。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【K国の核実験】

+++++++++++++++

K国の核実験が、どうやら秒読みの
段階に入ったようである。

韓国側も、現在、監視体制に入った
(8月21日)。

+++++++++++++++

 K国の核実験が、どうやら秒読みの段階に入ったようである。K国は、その周辺に住む
住民を、疎開させたりしている。ウィスコンシン核軍備統制計画のゲーリー・ミルホリン
所長も、「K国はその気にさえなれば、数週間以内に核実験ができる力を持っている」と語
っている(18日)。

 が、ひとりノー天気なのは、韓国のN大統領の側近中の側近である、I統一部長官。

「韓米間で北朝鮮の核とミサイル関連情報は、ほぼ完璧なほど、お互いに情報を交換し
ている。関連するすべての事項について韓米間で情報を共有している」と、まずマスコ
ミに釘を刺した上で、「北朝鮮の核実験と関連して確認できる、いかなる情報も持ってい
ない」(韓国国会・特別委員会)と。

 I統一部長官は、先のミサイル発射実験では、発射直前まで、「ミサイルではない。人工
衛星だ」と、K国をかばっていた。こういう状態になっても、N大統領自身も、まだこう
いっている。

 「ま日本については、ありもしない脅威をでっち上げている」(韓国新聞記者団との会見
で。朝鮮N報・8月20日)と。

 金大中の時代から、現在のN大統領にいたる時代までに、韓国政府は、現金だけでも、
600〜700億円ものお金を、K国の金xxに直接渡している。今さら、そういう現金
が、ミサイル開発や核開発のためにつかわれたとは、とても言えないのだろう。

 で、ちょうど、同じころ、K国の収容所の記事が、朝鮮N報に掲載された。日本語に翻
訳されたものだが、読みづらいので、私のほうで、読みやすくして、ここに転載させても
らう。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【ある脱北者の証言より】

【1】

キム・ウンチョルさんは、自分が今日までこうして無事でいられたのは、国際社会の関
心があったからだと話した。

 キムさんは脱北後、スパイ容疑で、耀徳収容所に連行された。キムさんは幸い、革命化
区域に配置された。期限は決まってはいなかったものの、強制労働で生き残れば、出所
が可能という、収容所だった。

 K国でキムさんのような「罪人」は、死刑や終身刑を言い渡されることはないが、収容
所の完全統制区域に収監される。いわゆる「民族反逆者」に分類されるため、更正のチ
ャンスは与えられないというのが、脱北者らの共通した説明だ。

 キムさんは自分がこのような措置を受けなかったのは、99年11月、ロシアで外信記
者を相手に、脱北記者会見を行ったことと、北に強制送還された後も、国際人権団体が
救命を訴えてくれたためだと話す。

 キムさんは、「私たちがあまりにも外部に知られていたので、(K国当局が)、殺さぬよう
にと指示したのかもしれない。K国は外部から援助を受けて生きている社会であるため、
国際社会の持続的な関心と圧力は、無視できないようだ」と話した。また、「今からでも
遅くないから、K国に強制送還され、収容所で死んでいく数万人の脱北者たちに対し、
国際社会が、救命を訴えて欲しい」と強調した。

【2】

●一緒に捕まった脱北者と収容所で再会

キム・ウンチョルさんは、中ロ国境で一緒に捕まった6人の脱北者のうち、未成年だっ
たキム・スンイルさんを除く5人と、収容所で再会した。キム・スンイルさんは取り調
べの最中に亡くなったようだ。

パン・ヨンシルさん(「パン・ヨンスン」と誤って伝えられた)は取り調べの際に、鞭(む
ち)で打たれ続け、話にならないほど痛々しい姿になっていた。収容所に来た後は、名
前だけは「病院」となっているが、実際には何の治療施設もない施設でずっと過ごして
いた。

夫のホ・ヨンイルさんが彼女を助けようと力を尽くしたが、ついにミイラのように干か
らびた状態になり、その年に9月に亡くなった。私たちは彼女の遺体を牛車に乗せて収
容所内の墓地へ運び埋葬した。

キム・クァンホさんは終身収容所に送られた後、消息不明になった。ほかの3人は現在
出所して、それぞれの故郷で暮らしている。 

●最悪の仕事を割り当てられる
  
 わたしは健康な人が配置される建設小隊に行った。夏には早朝4時に起き、6時30分
まで作業をし、朝食をとった後は、夜真っ暗になるまで作業をした。その間の食事時間
は1時間ずつしかなかった。

ブロックを作るときは1時間しか寝られないときもあった。木の伐採、ハギの刈り取り、
草刈り、クワの葉の刈り取りなど、いろいろな仕事があった。斧(おの)で木を切って、
森の奥から積載場まで10里あまりの距離を引っ張ってこなければいけなかった。 

 収容所では食べ物をめぐる競争もあった。材木の積載場にトウモロコシの粉を練って作
った餅を用意して、約200人に競争させ、10番目以内に入ってきた人だけが1キロ
ずつ余分にもらえた。

ひどく腹が減ったので、それを食べるために死に物狂いで働いた。野山に自生している
クワの葉を刈り取り、一度に85キロも背負って下りてきたこともある。草刈りは一日
800キロが目標だったが、400キロしか刈り取れなかったりすると、配給量も半分
に減らされた。 

 収容所に初めて来た人は、6か月ほどの間は1日のノルマをまずこなせない。配給が減
らされれば元気がなくなり、元気がなくなれば配給が減らされるという悪循環だ。

そんな生活に6か月耐えられれば生き残れるが、耐えられなければ飢え死にしてしまう。
わたしが耀徳収容所でも、3年の間に、240人の収容者のうち約半数が亡くなった。
飢えて仕事ができなくても、担架に乗せて作業場に連れて行かれた。夏は日差しが照り
つけ、冬は極寒の作業場に座らせられた。

ネズミ、ヘビ、カエル、虫なども食べた。担架に乗せて連れて行くような弱った人でも、
ヘビを見たら3メートルは追いかけるという。飢えた腹を満たすためだ。 

 わたしが耀徳収容所に来てから6か月ほど経った2000年12月、とても疲れてこの
まま生きていけるのかと思えるほどになった。斧で木を切っていたついでに自分の足も
切った。死にたかった。ふくらはぎの骨は折れなかったが、おかげで2日間休むことが
できた。

【3】

●脱走に失敗すれば公開処刑

わたしが耀徳収容所にいたとき、公開処刑が2回あった。チェ・クァンホさんは200
0年8月、草刈り作業に向かったときにアズサの木の下で眠ってしまい、隊列から離れ
た。戻ったら鞭で打たれるのではないかと恐れ、しばらく隠れていたが、3日後に警備
隊に捕まった。

それからわずか10日後に公開銃殺刑になった。

またキム・ホシクさんは2003年2月28日、ハギの刈り取りに行ったときにジャガ
イモを盗み食いしようとして、そのまま逃亡した。保衛部が犬を放して捜索し、キムさ
んは顔を犬に噛みちぎられた姿で連行された。彼が連れてこられたとき、収容者が全員
集められ、「見ろ、逃げたらこうなる。われわれは外国だろうとどこだろうと、必ず捕ま
える」と言われた。彼はそれから5日後に処刑された。3人の軍人が6発ずつ銃撃した。 

●死を覚悟で脱出   

 2003年7月、どういう風の吹き回しか、突然出所命令が出た。「党の配慮で釈放する。
再犯の場合は死刑だ」といわれた。

当時、K国では韓国のテレビドラマや映画が流行していた。中国での経験があったので
ビデオを販売した。『オールイン運命の愛』『将軍の息子』『秋の童話』『野人時代』など
のビデオを売って、かなり稼いだ。脱北ではなく、商売のために中国へ出入りしたこと
もある。もちろん、保衛部の軍人にわいろをかなり渡した。 

 しかし、わいろを渡さなかった軍人に引っかかって危ない目にあったこともある。本当
に死ぬしかないと思った。わたしの一生はこれで終わるんだという思いで、K国を脱出
した。

幸いにも同胞に助けられ、韓国に来ることができた。26歳にして新しい生活の第一歩
を踏み出すことができた(以上、韓国・朝鮮N報・日本語版より)。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 K国の収容所では、想像を絶する、悲劇が繰りかえされているようだ。もし私のような
人間がK国にいたら、その命は、1時間も、もたないだろう。それにしても、ひどい話で
はないか!

 で、再び、K国による核実験問題。

 国際社会から追いつめられ、袋小路に入ってしまったK国。「最後に残されたカードは、
核」(読売新聞)とか。「ただ単なる、脅し」という意見もあるが、あの国を考えるときは、
(まともな論理)で考えてはいけない。

 何しろ、トップにいる金xxが、ふつうではない。はっきり言えば、狂っている。その
ことは、この脱北者の手記を読んでもわかるはず。

 私の印象では、K国は、近々、核実験をするだろうと思っている。が、うまくいくとは、
かぎらない。途中で暴発ということも考えられる。あるいは放射能が漏れて、周囲を汚染
するということも考えられる。不発のまま、終わるということも考えられる。

 パキスタンから技術援助を受けたということらしいが、周囲科学、周囲産業の整ってい
ないK国である。が、それだけに、大きな不安が残る。大量の放射能が空中に放出されれ
ば、その放射能は、風にのって、日本海を汚染する。ばあいによっては、北海道から東北
地方まで汚染する。

 アメリカ政府は、「やれるものなら、やってみろ」という姿勢のようだが、日本は、それ
では困る。今からでも遅くないから、放射能測定装置を、日本海側の市町村レベルまで、
各自治体に設置することぐらいのことは、しておいてほしい。
(06年8月21日記)

【付記】

 ところで、韓国内では、こんな報道もなされている。まず、それを読んでみてほしい。

 『またK国の核実験は、日本の軍事大国化に道を開くも同然の行動だ。日本のA外相は
前回のミサイル発射の際、「金xxに感謝しなければならない」と発言した。K国が核実験
を行えば、日本の首相も、金xxに感謝の言葉を述べるかもしれない』(朝鮮N報・8月2
1日)と。

 A外務大臣は、本当にこんな発言をしたのか?

 もししたとするなら、とんでもない外務大臣ということになる。が、もししていないと
するなら、韓国の朝鮮N報に、ただちに抗議すべきである。

 しかしどうしてあんな人物が、日本の外務大臣などしているのだろう。英語がまったく
話せないのは、しかたないにしても、それにしても、レベルが低すぎる!

 
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・雑感】

●眠い……

 今朝は、午前6時に起きた。昨夜は、午前0時過ぎに、床についたから、睡眠時間は、
6時間弱ということになる。このところ、毎日のように、1〜2時間の昼寝時間をとって
いる。だから全体の睡眠時間としては、それで足りないはずはない。

 しかし、それでも眠い……。

 今も、ぼんやりしたまま、こうして、ムダに時間を過ごしている。どうしてだろう?

 理由のひとつに、熟睡感がないことがある。暑いため、一晩中、扇風機はかけっぱなし。
顔だけに軽く当たるように調整しているが、それでも朝方になると、体が冷えすぎてしま
う。(さりとて、扇風機が止まると、これまた暑くて、すぐ目がさめてしまう。)

 それに今朝は、目をさます前、だれかに追いかけられる夢を見た。夢の中では、逃げて
も、逃げても、必ず、見つかってしまう。今朝の夢も、そうだった。

 私は自転車に乗って、悪党たちから逃げる。細い道から、さらに路地に入り、どこかの
民家の軒先に入る。念のため、その民家の家の中にまで入る。が、それでも見つかってし
まう。

 で、今から思うと、どうして逃げなければならなかったのか、その理由が、よくわから
ない。相手は、2人組。私がもっていた模型のヘリコプターの設計図がほしかったようだ。
が、そんなものなら、相手にくれてやればよい。

 そう言えば、夢の中で、こんな会話をした。

 私が、「どうしてこの隠れ場所がわかったのか?」と聞くと、ひとりが、こう言った。「人
間の心理は、みな、同じ」と。つまり「考えることは、みな、同じ」と。

 ナルホド!

 そのぼんやりとした頭で、いろいろ考える。まず、最初に頭の中に浮かんだのが、「定年
退職」。どういうわけか、それが頭の中に、浮かんだ。

●定年退職

 どうして定年退職という制度があるのか。世の中には、「早く、今の仕事をやめたい」と
思いながら、仕事をしている人がいる。しかしその一方で、「もっと今の仕事をしていたい」
と思いながら、仕事をしている人がいる。

 私のばあいは、仕事そのものが、生きがいになっている。同時に、今の仕事をやめたら、
精神的にも、自分で自分を支えることができないだろう。それが自分でも、よくわかって
いる。子どもたちとワイワイと騒いだとたん、心の中のモヤモヤが、そのままどこかへ吹
き飛んでしまう。消えてなくなってしまう。

 しかしそういう意思など、無視。一律に定年をもうけ、その定年になった人を、問答無
用式に、退職させる。定年退職という制度は、そういうのをいう。

 いや、私にも、怠(なま)け心というものがある。一日中、ぼんやりと、何もしないで
過ごしたいという気持ちもないわけではない。しかしそんなだらしない生活をすれば、あ
っという間に、私は、何かの病気になってしまうだろう。だから、心をひきしめて、運動
に、出かける。

 昨日(20日)も、ワイフと2人で、スーパーまでの、往復、7〜8キロの道のりを歩
いた。本当はもっと近いのだが、わざと、大回りをして、歩いた。車で行けば、5分足ら
ずの距離である。

 そんなわけで、定年かどうかは、あくまでも個人的な問題。それをたとえば「60歳で
定年」と、一律に年齢で、「斬(き)る」ほうが、おかしい。……といっても、それが社会
のしくみなのだから、私のようなものが、とやかく言ってもしかたない。

 ただ私は、定年など気にせず、がんばれるだけ、がんばってみたいと思う。もっと言え
ば、自分の年齢など、気にしないで、がんばれるだけ、がんばってみたいと思う。

●定年後

 定年になったからという理由で、それまでの仕事をやめ、別の仕事につく人は多い。が、
たいてい、そんな仕事は、長つづきしない。あるいは、そのとたん、老(ふ)けこんでし
まう人もいる。こんな例もある。

 昔、RKというアメリカ人の友人がいた。日本へ来る前まで、高校で、音楽の先生をし
ていたという。

 で、彼と知りあったのが、彼が、日本へ来て、2、3か月目のこと。RKは、どこかの
店先の椅子にポツンと座っていた。私のほうが声をかけた。そして以後、10回程度、私
の教室に講師として、来てもらった。

 それからは、順調だった。RKは、そのとき52歳だったが、62歳前後で、アメリカ
へ帰るまでには、一財産を築いた。毎月、100万円近い現金を、アメリカの自分の口座
に振りこんでいたという。

 で、アメリカへ帰ってから、一度、私は、彼の家に遊びに行ったことがある。驚くほど
の豪邸だった。地下室には、卓球場まで備えていた。が、RKの顔からは、日本にいたこ
ろ感じた、あの生気は、消えていた。

 いろいろ公的な仕事を、パートタイマー的に引き受けてはいたようだが、いかにも、「ヒ
マだからしている」といった感じだった。

 言い忘れたが、RKは、この浜松市内で、下は幼児から、上は、おとなまで、自宅で、
英会話を教えていた。

 そのRKだが、日本を去って、もう5、6年になる。最初の1、2年は、メールのやり
取りしていたが、何度か、メールにウィルスが入っていたということが重なって、そのま
ま疎遠になってしまった。(RKは、ウィルスには、まったくといってよいほど、無頓着な
人だった。)

 そのRKを思い出しながら、私は、こう思う。

 定年になったからといって、仕事を変えては、だめだ、と。そう言えば、この4月に小
学校の教師を退職した、NG先生は、数日前、こんな絵葉書をくれた。

 「……最近になって、やっと、生活のリズムが整いつつあります。中学生指導や、初任
者指導、S小学校での講演など、公務以外の仕事があったのが、よかったのかもしれませ
ん。補導のほうは、夏休み〜秋祭りの間は、忙しい時期です。(今の仕事は)非常勤とはい
え、盆の休みもありません。結構、忙しくしています」と。

 私はそれを読んで、「よかった」と思った。NG先生は、定年退職をうまく、乗り越える
ことができたようだ。もう少し涼しくなったら、NG先生の家に、遊びに行こう。

(多分、この文章を読んでいる、Mさん、お父さんのNG先生に、よろしくお伝えくだ
さい。)


●調子

 こうして文章を書いていると、だんだんと調子がもどってくるのがわかる。どこか重苦
しい朝の気分が、霧が晴れるように、軽くなってくる。頭の調子も、よくなる。脳みその
回転が速くなるというか、サクサクと動くようになる。

 今、時刻は、7時少し過ぎだから、調子をもどすのに、30分ほどかかったことになる。
言うなれば、これが私にとってのウォーミング・アップということになる。

 そう言えば、若いころよりは、このウォーミング・アップの時間が長くなったように感
ずる。若いころは、5〜10分もあれば、頭はフル回転になった。今は、それが3〜40
分もかかるようになった。

 やはり私の脳みそも老化してきたのか?

 定年退職がなぜあるかといえば、つまりは、体と脳みそが、老化するからにほかならな
い。わかりやすく言えば、使いものにならなくなる(失礼!)。

 が、これには、個人差がある。私が知っている人の中にも、まだ30代なのに、老人臭
い人もいれば、80歳を過ぎたのに、まだかくしゃくとしている人もいる。要は、生き様
(ざま)の問題ということ。年齢ではない。あくまでも、生き様!

 さあて、今日も始まった。夏休みも、終わった。やる気満々……というところまではい
かないが、元気で、こうして仕事ができることに感謝しよう。

 みなさん、おはようございます!

【付記】

 脳みそを活性化させるための、一番効果的な方法は、「怒り」を覚えること。東洋医学で
も言うように、「カッとなると、血(けつ)は、逆上する」。

 とくに私のように、血圧が低い人間には、効果的なようである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●マガジン(9月22日号)

++++++++++++++++

この原稿は、マガジンの9月22日
号に載ることになる。

苦しい戦いだった。

何かと忙しかったこともある。
しかしなにしろ、この暑さ。

身の置き場のない暑さである。

苦しい戦いだった……。

+++++++++++++++

 全号の9月20日号の発行予約をすましてから、もう3、4日になる。本来なら、マガ
ジンの発行に合わせて、2、3日おきに、つぎのマガジンの発行予約を入れていかねばな
らない。

 しかしこのところの、この暑さ。原稿を書くといっても、早朝の数時間にかぎられる。
昼ごろになると、まず体がだるくなる。ついで、頭がぼんやりしてくる。

 そこで運動、ということになる。

 しかし改めて、確認した。運動は、重要ということ。

 運動といっても、私のばあいは、自転車ということになる。しかしその自転車にしても、
タラタラと乗っていたのでは、運動にはならない。ほぼ全速力で、ハーハーとあえぎなが
ら走る。

 昨日も、そういう運動を、2単位(40分x2)した。おかげで、今朝は、快調。細胞
の1つひとつが、プチプチとはじけるような感覚すら残っている。脳みそも、すっきりし
ている。で、一気に、9月24日号を、こうして書きあげた。(といっても、予定の枚数よ
り、まだ数ページ足りないが……。)

 「運動って、大切だなあ」と、今、つくづく、そう思う。

 今日も暑い。しかし、私は負けない。これから自転車に乗って、運動に行ってくる。
(06年8月22日記)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●脳みその欠陥

++++++++++++++++

このところ、脳みそ自体がもつ欠陥
について、よく考える。

脳みそには、たしかに欠陥がある。

たとえば、人間の脳みそは、ものごとを
総合的に考えることができない?

ほかにもある……。

++++++++++++++++

 このところ脳みそ自体がもつ欠陥について、よく考える。ときどき、自分の脳みそすら、
信じられなくなるときがある。「これでいいのかなあ?」と。

 脳みそには、たしかに欠陥がある。たとえばそれまで、(ごくふつうの人)だった人が、
ある日、突然、カルト教団の信者になって、とんでもないことを言い出すことがある。私
は、これを「脳みそのエアーポケット」と呼んでいる。

 つまり、脳みそには、そういう部分があって、そのエアーポケットに落ちると、だれで
も、簡単にカルト教の信者になってしまう。例外はない。むしろ、「私はだいじょうぶ」と、
高をくくっている人ほど、あぶない。

 それにもうひとつ。
 
 人間の脳みそは、ものごとを総合的に考えることができない。たとえば身のまわりに、
重大な問題と、軽微な問題があったとする。そのとき軽微な問題にとりかかってしまうと、
その問題だけで頭の中がいっぱいになってしまう。重大な問題がもつ(重大さ)がわから
なくなってしまう。

 たとえば今、イランの核開発問題が、最終局面を迎えつつある。成りゆきによっては、
日本は深刻な影響を受けることになる。昨日のNHKニュースによれば、現在1バレル7
0ドル前後の原油が、100ドル近くまで高騰するかもしれないという。これは日本にと
って、(重大な問題)と考えてよい。K国による核実験についても、そうだ。

 しかしその一方で、軽微な問題もある。

 たとえば昨日(21日)、高校野球の決勝戦が、甲子園球場で行われた。20日の試合で、
決着がつかなかったため、再試合をしたという。で、その結果、東京都代表のW高校が優
勝した。

 昨夜(午後7時)のNHKの定時ニュースは、そのニュースで始まった。そしてそれを
5分近く、報道していた。同じその日、イランでは、最高指導者のハメネイ師が、国連安
保理の常任理事国とドイツの6カ国による包括的見返り案に、否定的な見解を示していた。
もしことの重大性ということを考えるなら、こちらの問題のほうが、はるかに重大である。

 が、脳みそは、そうした総合的な判断が、できない?

 ……これはNHKのニュースの話だが、同じようなことが、いつも私たちの脳みその中
でも、起きている。たとえば地球温暖化による影響が、もうだれにも疑いようがない状態
になっている。中国の重慶周辺では、連日、45度を超える猛暑がつづいている。(45度
だぞ!) にもかかわらず、ガソリンの値段を心配するなど。

 もし地球温暖化のことを心配するなら、ガソリンなど、1リットルあたり、1000円
くらいになったほうがよいのかもしれない。経済は、そのため大打撃を受けるだろう。が、
地球が火星のようになるよりは、よい。

 ほかにも脳みそには、いくつかの欠陥がある。

 たとえば記憶にしても、ファイルを積み重ねるように、古い記憶の上に、新しい記憶が、
積み重ねられていくのではない。「今」という時点でみると、10年前の記憶と、20年前
の記憶は、等距離にある。新しい記憶か、古い記憶かを判断するのは、脳の別の部分であ
る。

 たとえば高校生のときした修学旅行の記憶と、大学生のときした旅行の記憶は、記憶と
しては、等距離にある。が、どちらが古い記憶かと聞かれれば、(高校のとき)と(大学の
とき)という、別の事実をそこにダブらせながら、判断する。記憶そのものだけで、どち
らが古いかということを判断することはできない。

 もし人間の記憶が、ファイルを積み重ねるように、古い記憶の上に、新しい記憶を積み
重ねられていくなら、人間の脳みそは、もっと効率よく、記憶を整理できるかもしれない。
取り出すことができるかもしれない。が、それが、ない。

 つまり記憶は、てんでバラバラに、それぞれが好き勝手なところに、記銘(記憶)され
ている。たとえて言うなら、地震か何かで、本箱が崩れて、ゴチャゴチャになってしまっ
た図書館のようなもの。自分で、自分の記憶を整理することすら、できない。どこに何が
あるかさえ、わからない。

 まだ、ある。

 たとえばパソコンの世界には、(上書き)という機能がある。古い原稿を呼び出し、それ
に上書きをかけると、古い原稿はそのまま、新しい原稿に生まれかわる。

 しかし脳みそでは、それができない。古い記憶は古い記憶のままとして残ってしまう。
新しい記憶を記銘(記憶)しても、両方とも、それが残ってしまう。

 で、さらにタチの悪いことに、たとえば歳をとると、新しい記憶のほうが、先に削除さ
れてしまう。そしてその結果、古い記憶のほうが優勢になり、また生きかえってしまう。
まるでゾンビのように、だ。

 ……というように、脳みそには、いろいろな欠陥がある。

 もっともその欠陥があるからこそ、脳みそは、より柔軟に、周囲の環境に適応できる。
たとえば高校野球に熱中することで、深刻な問題がそこにあることを忘れることができる。

 あるいは必要な記憶だけを、そのつど取り出せるから、その前後に起きたいやな記憶を、
呼び出さないですますことができる。

 さらに年をとってからの記憶よりも、若いときの記憶のほうが楽しいに決まっている。
体も健康だ。すべてのものが、華やいで見える。

 考えようによっては、こうした欠陥が、生活を、心豊かなものにしていると考えられる。
だから欠陥があるからといって、それを否定してしまうことはできない。

 しかし欠陥は、欠陥。

 そうした欠陥があることを知った上で、脳みそとつきあうのと、知らないでつきあうの
とでは、大きくちがう。

 明けても暮れても、高校野球のことで頭がいっぱい、という人のことを、私たちの世界
では、「バカ」という(失礼!)。プロ野球にしても、サッカーにしても、そうだ。

 あるいは年をとってから、過去の栄光にしがみついて、それから一歩も足を踏み出せな
い人のことを、私たちの世界では、「バカ」という(失礼!)。地位や、肩書きにしても、
そうだ。

 さらにおかしな復古主義にこだわり、何でもかんでも、「過去がよかった」と主張する人
のことを、私たちの世界では、「バカ」という(失礼!)。武士道だ、論語だと騒ぐのも、
そうだ。

 ……ということで、この脳みその欠陥と戦うためには、ものごとを、いつもどこかで総
合的に考えるクセを身につけなければならない。たとえて言うなら、新聞を広げて、見出
しを見ながら、どれが重要で、どれが重要でないかを判断するようなことをいう。

 それを怠ると、たちまち脳みそ自体がもつ欠陥によって、私たちは袋小路に入ってしま
う。

 コワイゾー!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
脳の欠陥 思考の欠陥 脳みその欠陥 弱点 思考の弱点)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司


●「形」

++++++++++++++++++++

パソコンを相手に、何かをしていると、
ときおり、以前には経験したことがない
独特の不安感に襲われる。

たとえば今、私は、デジタルカメラで撮った
写真を、パソコン内部に取り入れた。

そこまでは、よい。

で、そのあと、メモリーカードに残っている
写真を、削除(フォーマット)しようとした
ときのこと。

またまた、あの不安感に、襲われた。

+++++++++++++++++++++

●パソコンの世界

 私は、基本的には、パソコンなる電気製品を、信用していない。便利すぎるほど便利な
電気製品だが、扱い方が、むずかしい。ひとたび扱い方をまちがえると、そのまま奈落の
底へと、叩き落される。

 1〜3時間もかかって書いた文章が、そのまま消えてしまうということもある。

 で、その道のプロに相談すると、(プロといっても、私の二男だが……)、こう教えてく
れた。

 「データは、二重、三重の方法で保存しておくのが、この世界の常識だよ」と。

 データを、パソコン本体に保存するだけではなく、外づけのハードディスクに保存した
り、DVDに焼いておくのが常識、と。私のばあいは、それでも安心できず、さらにイン
ターディスクにも、保存している。

(インターディスクというのは、インターネット上の架空のハードディスクをいう。い
ろいろなサービス会社があって、年間1万円ほどの費用で、1GB分までのデータを保
存してくれる。)

 が、それでも、不安が残る。今でも、ときどき失敗して、データを削除してしまうこと
がある。で、みなさんご存知のように、一度削除してしまったデータは、それこそ、まっ
たく跡形(あとかた)もなく、消えてしまう。

 こうした不安は、パソコンとつきあっていると、いつもつきまとう。たった今も、そう
だ。

 デジタルカメラのメモリーがいっぱいになったので、一度、撮った写真をパソコンの中
に取りこんだ。そのあとのこと。

 いつものようにメモリーの中の写真を削除するため、メモリーカードをフォーマットし
ようとした。そのとき、あの独特の不安感が、ふと、心の中を横切った。フォーマットす
るということは、撮った写真を、すべて消すことを意味する。

 「だいじょうぶかな?」「本当に、パソコンは、写真を取りこんでくれたかな?」と。

 そこでフォーマットする前に、もう一度、それを確認する。マイドキュメントの中の、
マイピクチャを開く。そしてその中に、たった今取りこんだ写真のフォルダがあることを、
確認する。

 しかしそれでも安心できない。フォルダを開いて、そこに写真があることを確認する。

 写真なら、つまりフィルムで撮った写真なら、こういうことはない。「形」として残るか
らだ。しかしパソコンの世界には、それがない。ないから、不安になる。

●形のない世界

 私たちは、長い間、形のある世界に生きてきた。何億年という長い間、だ。今も、基本
的には、形のある世界に生きている。

 野原も山も、空も、そしてこの地球も、だ。私たちも含めて、ありとあらゆる生物には、
「体」という形がある。

 しかしパソコンの世界は、まったく異質の世界と考えてよい。そこは電子と信号の織り
なす世界。たとえば今、私はこうして文章を、架空の便箋の上に書きこんでいる。そして
今、あなたはこうして私の書いた文章を、架空の便箋の上で、読んでいる。

 が、これらはすべて、架空の世界である。便箋など、どこにもない。文章にしても、画
面を下へスクロールしたとたん、上の文章は、そのままどこかへ消えてなくなってしまう。

 しかし私たち人間は、形ある世界を常識として、今まで生きてきた。ものを書いても、
写真を撮っても、それを、形あるものとして残すことによって、そこに安心感を覚えてき
た。もっとも安心感といっても、そのときは、そんなことも考えなかったが……。

 しかしパソコンの世界は、ちがう。形そのものがない。ほかにたとえばネット取り引き
がある。ネット取り引きで、株の売買をしても、動くのは、画面上の数字だけ。「儲けた」
「損した」と言っても、現実に札が、動くわけではない。実感がないといえば、これほど
実感のない世界はない。

 ほかにもある。

 たとえば単行本を出版する。そのとき初版で送られてきた本というのは、自分の子ども
のように、いとおしい。かわいい。私のばあいは、そのあと数日間、いつもそれを抱いて
寝る。

 が、パソコンの世界には、それがない。まったくない。現在、電子マガジンの読者が、
2200人ほどいる。HPへのアクセス数も、毎月、4000〜5000件ある。BLO
Gへのアクセスについては、毎月、1万件近くもある。

 単純に計算すれば、毎月、(毎月だぞ!)、2万人ほどの人たちが、私の書いた文章を読
んでくれていることになる。

 こんな数字は、単行本の時代には考えられなかったことだ。

 で、私としては、それを喜ばなければならないのだが、これまた不思議なことに、その
実感がない! まったくない!

 つまり、「形」のない世界というのは、そういう世界を言う。

●不安の中身 

 話はぐんと飛躍するが、そういう意味では、パソコンの世界と霊の世界は、どこか似て
いる。

 私自身は、霊の存在など、まったく認めていない。見たこともない世界のことだから、「あ
ると信じろ」と言われても、困る。それが私にとっては、常識ということになる。

 だからたとえばだれかが、こう言ったとしても、私は、安心しない。……できない。「あ
なたが死んでも、あの世はちゃんとあります。安心しなさい」と。

 そう言われると、かえって不安になってしまうこともある。ないなら、「ない」と、はっ
きり、そう言ってくれたほうが、よっぽど、気が楽。それを「ある、ある」というから、
かえって不安になってしまう。

 そう言えば、私が学生だったころ、こんなことを言う信者がいた。どこかのカルト教団
に属する男性だった。

 「(テレビなどの)電波は見えない。見えないけど、ある。同じように、霊も、見えない
だけで、ある。目で見えないからといって、簡単に否定してはいけない」と。

 そのときは、「なかなかうまいことを言うなあ」と感心したが、同じように考えると、パ
ソコンの世界も、形がないだけで、「ある」ということになる。霊とちがって、少なくとも、
こうして目で見ることだけはできる。

 で、もう一度、目の前の、この文章について、考えてみたい。

 私はこうして文章を、架空の便箋の上に書きこんでいる。そして今、あなたはこうして
私の書いた文章を、架空の便箋の上で、読んでいる。

 この便箋を、「ある」と言い切ってよいのか。便箋の上に書かれている文章を、「ある」
と言い切ってよいのか。

 しかし、私には、どうしても、「ある」と言い切ることができない。こうして書いたもの
が、自動的に横でプリントアウトされて、本として残れば、「ある」ということになる。そ
してその本が、何千部も印刷されて、書店に並べば、「ある」ということになる。

 が、それがない。その実感が、ない。つまり「ある」と言い切れないところに、不安が
残る。そしてその不安が、不安感となって、ときおり、私を襲う。

 わかりやすく言えば、私が死ねば、そしてだれかが、プロバイダーへの更新料を払いつ
づけてくれなければ、私の書いた文章や、撮った写真は、それこそ、完全に、この世から
消える。消えてなくなる。私が生きたという痕跡すら、この世から消えてなくなる。

 形のない世界というのは、そういう世界をいう。

 それが時折、不安感となって、私を襲う。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

【金相場】

●国際情勢のバロメーター

+++++++++++++++

イランの核開発問題が、
こじれてきた。

このままでは、この日本も
含めて、世界は、たいへんな
ことになる。

+++++++++++++++

 ことイランの核開発問題の動きを知りたかったら、金(きん)相場の動向を見ればよい。
私は、いつもそうしている。

 イランの核開発問題は、そのまま中東情勢に連動している。原油情勢に連動している。
わかりやすく言えば、中東情勢が不安定になればなるほど、原油価格は上昇する。同時に
金相場は上昇する。そうでなけば、そうでない。

 「金相場」というのは、そういう意味では、国際情勢の不安定さを知るための、ひとつ
のバロメーターと考えてよい。

 で、その金相場だが、中東情勢が不安定になるのに並行して、上昇の一途をたどった。
一時は、グラム2600円近くまで、上昇した。が、そのあとは、乱高下を繰りかえし、
現在は、2400円前後で取り引きされている。

 数年前には、グラム1100円程度だったから、2倍以上になったことになる。

 で、イランの核開発問題が決着しそうかなという雰囲気になったとき、暴落。が、それ
は一時的なもので終わってしまった。ここにきて、とくに今日(8月22日)、再び、急上
昇を始めた。

 イランの核開発問題が、デッドロックに乗り始めたことを意味する。イランの最高指導
者ハメネイ師が、21日、国営テレビで「核開発の続行を決定した」と述べたという。

つまりイランは、国連安保理の常任理事国とドイツの6カ国による包括的見返り案に、
22日に回答する予定だった。世界は、「多分、イランは、世界の要求をのむだろう」と、
期待していた。が、その原案を、拒否する姿勢を、その前日の今日、同師が鮮明にして
しまったことになる。

 このまま予定どおり、国連安保理で制裁決議案が可決されることにでもなれば、中東情
勢は、一気に、不安定になる。同時に、原油価格は上昇する。90%近い原油を、このあ
たりから輸入している日本にとっては、まさに死活問題といってよい。

 その動向を先行して示しているのが、金相場ということになる。

 その金相場だが、今日(8月22日)、グラム当たり、61円も、上昇している!


***************以上、1450作****************
(2006年 8月 23日、稿了)


●携帯電話用HP

 携帯電話からでも、私のHPを読んでもらうことができる。そのためのコラムももうけ
ている。

 しかし宣伝不足もあってか、アクセス数は、3200件程度で止まったまま。もし携帯
電話で……という人がいたら、

http://k.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/bwhayashi/

 にアクセスしてほしい。

よろしくお願いします。携帯電話でも読みやすいように、編集してあります。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

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    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

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このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 20日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●子どもの美容整形

+++++++++++++++++

子どもの整形手術がふえているという。
中には、その必要性があって、手術を
受ける子どももいる。

しかし最近、急増しているのは、
いわゆる「美容整形」。

ある医院(テレビ報道)では、
この数年だけでも、5〜6倍に
ふえているという。

+++++++++++++++++

 「そういう時代かな?」と思ってみたり、「いいのかなあ?」と思ってみたりする。この
ところ、子どもの整形手術がふえているという。

 もちろん中には、その必要性があって、整形手術を受ける子どもがいる。しかし最近、
急増しているのは、いわゆる「美容整形」。ある美容整形医院(東京都)では、この数年だ
けでも、その数が、5〜6倍にふえているという。

 もちろん子どもがそれを望んで、手術を受けるわけではない。親が、「そのほうがいい」
という理由で、子どもに手術を受けさせる。たまたま私が見た報道番組では、小学2年生
の男児が、紹介されていた。

 小学2年生の男児だぞ!

 その子どもは、目を大きくするための、二重まぶたにするための整形手術を受けていた。
親は、番組の中で、こう言った。「初対面の人などに、よい印象を与えるためです」と。

 しかし本当に、そうか?

 目にせよ、鼻にせよ、手術で整形したものは、私のような者にも、それとすぐわかる。
100%、わかる。どこか不自然。どこか不釣あい。で、かえってそういう人の顔を、ま
じまじと見つめてしまう。

 美しいから見るのではない。おかしいというより、ヘンだから見る。

 で、化粧と、整形美容は、基本的な部分で、同じではない。化粧は、そのつど、やりな
おしがきく。しかし整形美容は、やりなおしがきかない。いつか、その整形美容を恥じる
ことだってあるかもしれない。後悔することもあるかもしれない。

 そのとき、その人や、子どもは、どうするのか?

 ……というようなことを考えるだけでも、ヤボ。今は、そういう時代なのかもしれない。
またそういう時代にさからっても、意味はない。これから先も、自分の子どもに対する美
容整形は、どんどんとふえるだろう。

 ここらで私が、「見てくれを気にするヒマがあったら、もっと中身を磨きなさい」と言っ
たところで、今の時代の中では、焼け石に水。みながみな、その見てくればかりを気にし
ながら、生きている。子どもの美容整形は、ほんのその一部に、すぎない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●戦陣訓

++++++++++++++++++

その後の軍国主義をとばし、
いまだに武士道なるものを
美化する人が多いのには、
驚かされる。

武士道を説く人は、その武士道が、
戦時中、「戦陣訓(せんじんくん)」と
して、いかに多くの犠牲者を
生み出したことか。

それを忘れてはならない。

+++++++++++++++++

 明治時代、天皇は、軍の最高指揮官であった。その天皇が、明治15年(1882)に、
陸海軍のすべてに下した「勅諭(訓諭)」が、『軍人勅諭』である。

 陸海軍の兵士は、(1)忠節、(2)礼儀、(3)武勇、(4)信義、(5)質素を守るべし
とし、その一方で、天皇への絶対服従、天皇の神格化をはかった。

 もちろんその原型は、武士道なるものにあったことは、言うまでもない。わかりやすく
言えば、武士道が、そのまま明治天皇のもとで、軍人勅諭になった。そしてそれが、やが
て、あの東條英機によって、昭和16年(1941)、『戦陣訓』として、補足された。

『生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず』という、あの戦陣訓である。

 この戦陣訓のおかげで、日本兵たちは、最後の一兵まで、玉砕(ぎょくさい)を強いら
れた。日本は、いくら勝ち目のない、無駄な戦いであるとわかっていても、敵の捕虜にな
ることを許さなかった。

 武士道なるものを美化する人たちは、同時に、その武士道なるものが、明治、大正、そ
して昭和の時代に、どう利用されていったかも知らねばならない。つまりそうした負の側
面を見ることなく、一方的に、武士道なるものを称えることは、危険なことでもある。

 はっきり言おう。

 武士道なるものは、日本人が誇らなければならないような規範でも、心のより所でも、
なんでもない。ただの官僚道、ただの軍人道。それがわからなければ、あなた自身の祖先
を、静かに思いやることだ。

 あなたの祖先のたいはんは、農民であり、町民だったはず。刀をもった為政者たちに虐
(しいた)げられた、物言わぬ従順な民だったはず。その「民」が、どうして今、武士道
なのか?

 忘れてならないのは、あの江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほ
どの、暗黒かつ圧制の時代だった。現在のK国と、それほど、ちがわない。その時代を支
えたのが、武士道ということになる。が、それを忘れて、「武士道」「武士道」と、題目の
ように唱える。私には、そういう人たちの気が、理解できない。

 さらに悲しいことに、日本という国は、いまだかって、あの封建時代、さらには、それ
につづく軍国主義時代という時代を、その(歴史の流れ)の中で、一度たりとも清算して
いない。反省もしていない。別に中国や韓国の肩をもつわけではないが、事実は事実だか
ら、これはどうしようもない。

 幸か不幸か、(私は、それでよかったと思っているが)、戦後、日本は、アメリカ型では
あるにせよ、西洋文明を受けいれてしまった。自由、平等、平和、そして民主主義。そし
てそれまでの儒教文明とは、決別した。

 少し前にも書いたが、私たち日本人が進むべき道は、前にある。うしろではない。その
前にある道は、道なき道かもしれないが、それでも前にある。道に迷ったからといって、
今さら、うしろに戻ることは許されない。

 もちろん歴史は歴史だから、それなりの理解をすることは必要である。江戸時代には、
武士道なるものにも、それなりの存在意義があったかもしれない。しかしそれは日本人が、
全体としてつくりあげた、規範でもなければ、心のより所ではなかったはず。どうしてそ
んな武士道なるものを、現代の今、私たち日本人のルーツとして、賛美しなければならな
いのか。

【補足】

 つぎの憲法改正では、天皇を国家元首にするという。そういう動きが、ここにきて、急
にあわただしくなってきた。が、どうして「象徴」であってはいけないのか? いや、そ
の前に、今の天皇家の人たちが、そうなることに納得しているのか? あるいは一度とて、
天皇家の人たちに、おうかがいを立てたことがあるのか? その意思を確認したことがあ
るのか?

 それはものすごい重圧感と言ってよい。その重圧感がどのようなものであるかは、今の
皇后陛下を見ればわかるはず。今の皇太子妃を見ればわかるはず。

 日本という国が、今、過去へ過去へと、引き戻されていく。書店の店頭には、その種の
本が、ズラリと並んでいる。百万部を超えるベストセラーになった本もある。私は、そん
な印象をもっているが、はたして、それでよいのか? このままで、よいのか?

 私は、安易な復古主義には、断固、反対する!


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●論語

++++++++++++++++

今度、小学校でも、論語の朗読を
するようになったという。

しかし、今、なぜ、論語なのか?

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 論語……もともとは、孔子の現行を、弟子や孫弟子たちがまとめたもの。日本には、応
神天皇の時代に、百済の王仁という人物によって伝えられたとされる(ウィキペディア百
科事典)。

 その論語、日本では、律令時代においては、官吏必読の書となった。わかりやすく言え
ば、官僚たちの教科書だった。

 その論語を、今度、小学校でも、朗読するようになったという。しかし、なぜ、今、論
語なのか? 研究家がその範囲で読み、研究し、意見を述べるのなら、それはそれで構わ
ない。またそれまでは、私も否定しない。

 が、どうしてお役人たちの発想は、いつも、こうまでうしろ向きなのか? 私には、ど
うしても、それが理解できない。もし読むべき本があるとするなら、世界の自由と平和の
ために戦った人たちが書いた本である。人間の平等を求めて戦った人たちが書いた本であ
る。

 たとえばアメリカのトーマス・ジェーファーソが書いた独立宣言(1776)でもよい。
それには抵抗感を覚えるというのなら、フランスの人権宣言(1789)でもよい。

 フランスの人権宣言を、ここでおさらいしてみよう(資料、近畿大学・大学院)。

+++++++++++++++++

1条
人は、法律上、生まれながらにして、自由かつ平等である。 社会的差別は、公共の利益に
基づくのでなければ、存在することはできない。

2条 
すべての政治的組織の目的は、人間の生まれながらの、かつ取り消し得ない権利の保全で
ある。 それらの権利は、自由、所有権、安全、及び、圧政に対する抵抗である。

3条 
あらゆる主権の原則は、本質的に国民に存する。いかなる集団、いかなる個人も、明示的
に発せられていない権限を行使することはできない。

4条 
自由は、他人を害することのないもの全てを、なし得ることに存する。たとえば、各人の
自然権の行使は、それが社会の他の構成員に、これらと同じ権利の享有を確保すること以
外の限界を持たない。これらの限界は、法律によって定めることができるに過ぎない。

(以下、つづく)

+++++++++++++++++

 アメリカの独立宣言(前文)でも、「すべての人間は平等に造られている」と説き、不可
侵、不可譲の自然権として、「生命、自由、幸福の追求」の権利をあげている。

 この独立宣言が、明治時代になって、福沢諭吉らに大きな影響を与えたことは言うまで
もない。ついでながら、福沢諭吉が翻訳した、独立宣言を、ここにあげておく。

『天ノ人ヲ生スルハ、億兆皆同一轍ニテ之ニ附與スルニ動カス可カラサルノ通義ヲ以テ
ス。即チ通義トハ人ノ自カラ生命ヲ保シ自由ヲ求メ幸福ヲ祈ルノ類ニテ他ヨリ如何トモ
ス可ラサルモノナリ。人間ニ政府ヲ立ル所以ハ、此通義ヲ固クスルタメノ趣旨ニテ、政
府タランモノハ其臣民ニ満足ヲ得セシメ初テ眞ニ権威アルト云フヘシ。政府ノ処置此趣
旨ニ戻ルトキハ、則チ之ヲ変革シ、或ハ倒シテ更ニ此大趣旨ニ基キ人ノ安全幸福ヲ保ツ
ヘキ新政府ヲ立ルモ亦人民ノ通義ナリ。是レ余輩ノ弁論ヲ俟タスシテ明了ナルヘシ』(『西
洋事情』初編 巻之二より)』(ウィキペディア百科事典より抜粋)

 この独立宣言から、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)
という言葉が、生まれた。

 で、結論から先に言えば、今、日本は、再び、儒教文明国家に戻るのか、それとも、ア
メリカ型ではあるにせよ、西欧文明国家に向かってまい進するのか、その瀬戸際に立たさ
れている。

 どちらを選ぶかは、これからつづく若い人たちが決めればよいことかもしれないが、し
かしその(流れ)を決めるのは、あくまでも、若い人たち。その(流れ)を、国が勝手に
つくることは、許されない。

 しかし、どうして今、論語なのか?

【付記】

 日本は自由な国である。平和な国である。しかしこと「平等」ということになると、そ
れを自信をもっていえる人は少ない。

 天皇制という制度がある以上、この日本では、「人は、みな、平等です」とは、言いにく
い。どこか口ごもってしまう。

 が、福沢諭吉は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)
と書いた。しかし当時の常識からすれば、これはたいへんな文章と言ってよい。そのまま
読めば、天皇制の否定とも解釈できる。

 そこでときの知識人たちは、天皇制を否定することもできず、またその一方で、福沢諭
吉のような大人物を否定することもできず、大ジレンマに陥ってしまった。

 「人の上の人とは、だれのことか」と。

 で、この文章について、さまざまな解釈が加えられた。

 「人とは、人種のことである」という解釈や、「天皇は人ではないから、問題はない」と
いう解釈など。あるいは「福沢諭吉は、組織の中の上下を言ったものだ」という解釈など
が生まれた。詳しく知りたい人は、インターネットの検索機能を使って、「福沢諭吉 天は
人の」で検索してみればよい。

 しかし福沢諭吉は、天皇も含めて、日本の身分制度について、大いなる疑問を感じてい
た。

 その「天は人の上に……」が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つ
ぎのような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。そ
れに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという
態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源
頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も
関心を持っていないアメリカの社会制度に諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならない
のだ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造
らず、人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言
葉を生み出すことになる』と。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「片山さつき」という名前の国会議員

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片山さつき氏は、私の選挙区から選出された、
国会議員である。

ふつうは、こうしたエッセーでは、実名を伏せる
ことにしているが、ここでは、あえて、実名で
書かせてもらう。

雑誌「諸君」の中に、こんな記事があった。

「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」(片山さつき談)と!

++++++++++++++++++++++

 06年の8月。先の衆議院議員選挙(05年8月)が終わって、ちょうど1年になる。
同じ自民党の城内実氏を僅差で破って、衆議院議員になった。それが片山さつき氏である。
城内実氏は、郵政民営化に反対して、K首相の反感をくらった。

 つまり片山さつき氏は、城内実氏をたたき落とすために、中央から送り込まれた、刺客
ということになる。片山さつき氏は、財務省主計局主計官(防衛担当)を退官し、静岡県
7区から立候補した。

 私が住む、この選挙区で、である。

 その片山さつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、こんな気になる記事を書い
ている。

 『……片山さつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪では
ない、媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務
省キャリア」という自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が土
下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。

 そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、
自分が客観視できない、強すぎる主観の表れだ。

 「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もは
やお手上げなのだろう』(以上、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)と。

 この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、倉田
真由美氏に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。

 片山さつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという話
は、当時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座なんて
したら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかった。

 何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにした
発言はない。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではないか
とは疑っていたが、片山さつき氏は、まさにその通りの女性だった。

 私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは
何か? あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!

 もしこれらの発言が事実とするなら、私は片山さつき氏を許さない。片山さつき氏は、
まさに選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだ
け利用しておきながら、その私たちを、「田舎者」とは!

 そして先の選挙からちょうど1年になるが、片山さつき氏が、この1年間、この地元に
帰ってきて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフにも聞い
てみたが、ワイフも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言った。

 つまり、片山さつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言え
ば、自己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。

 しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、ま
かり通ってよいのか?

 ある日、突然、中央から、天下り官僚がやってくる。それまで名前のナの字も知らない。
もちろん地元のために、何かをしてきた人でもない。そういう人が、うまく選挙だけをく
ぐりぬけて、国会議員になり、また中央へ戻っていく! どうしてそういう人が、地元の
代表なのか?

 そののち片山さつき氏は、派手なパフォーマンスを繰りかえし、政界ではさまざまな話
題をふりまいている。しかしそれらは、あくまでも、自分のため。私たちの住むこの地元
の利益につながったという話は、まったく聞いていない。少なくとも、私は、まったく知
らない。

 片山さつき氏のポスターを、ここに紹介しておく。06年8月に、街角で見かけたポス
ターである。いまでもあちこちに、張ってある。みなさんは、このポスターを見て、どう
思うだろうか。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

【今朝・あれこれ】

●暑い!

 このところ原稿を書く時間が、かぎられてきている。朝の数時間。それ以外の時間は、
暑くて、ものを考えることさえ、できない。脳みそというのは、やや冷えた状態のほうが、
調子がよいようだ。


●ゲーム

 携帯電話のおまけに、「バブルなんとか」というゲームがついていた。最初は、単純なゲ
ームと思っていたが、それがどっこい! おもしろい。奥が深い。

 ルールは、簡単。5色のバブル(球)があって、2つ以上、同じ色のものが並んでいる
ときは、タッチペンで消すことができる。

 こうしてバブルを消していく。コツは、できるだけたくさん同じ色のバブルを並べてか
ら消すこと。数が多くなればなるほど、累乗的に、得点が多くなる。

 で、今までの最高点は、964点。平均点は、450点前後。けっこう、むずかしい。「今
度こそ、1000点!」と思って、がんばる。夢中になる。

今は、ヒマがあると、このゲームばかり、している。

 
●今日は、日曜日

 今日は、日曜日。昨日、何かと忙しかった。今日も、ワイフとあちこちへ行く予定を立
てていたが、やめた。「今日は、一日、静かにしているよ」と。

 とくにしたいことはない。しなければならないことも、ない。あえて言えば、今度封切
りになった、『スーパーマン・リターンズ』を見たい。しかしこの映画は、BWの子どもた
ちと、月末に見に行くことになっている。

 そうそう昨夜は、犬のハナと自転車で、散歩に行ってきた。暑かったせいもあるが、ハ
ナも年をとった。少し走っただけで、ハーハーと苦しそうに、あえぎだした。もう10歳
になるから、人間でいえば、70歳くらいということか。口のまわりには、白髪が生えて
きた。(犬でも、白髪が生えるんだぞ!)

 おかげで、私の運動にはならなかった。ハナの走る速度のあわせて、トロトロと自転車
をこいだ。そのかわり、遠出をした。1時間ほど、走った。

 帰ってきてから、冷たい牛乳を、2人で分けあって、飲んだ。おいしかった。


●仕事開始!

 夏休みも終わって、仕事開始。とはいっても、これとて大きな変化はない。淡々と、そ
の日のルーティーン(茶飯事)をこなすだけ。

 やりたいことは、いろいろある。しかしどれも、時間がかかることばかり。そのため、
とりかかる前に、何かと、おっくうになる。

 そういえば、昨日(19日)は、頭にカチンとくることがあった。あの片山さつき氏(静
岡県7区から立候補、当選)のことだ。

 片山さつき氏は、この選挙区(地方区)で敗れても、全国区の比例区で当選する段取り
になっていた。だから当時から、(熱意に欠ける選挙運動)が、問題になっていた。その片
山さつき氏が、東京へ戻ってから、こんなことを言っていたという。

「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」(倉田真由美氏指摘・「諸
君」)。

 ここまで書いて思い出したことがある。昔、ある都市銀行の部長をしていた知人が、私
にこう言った。

 「定年退職をしたら、郷里の長野県のS市に帰って、市長でもしようかな」と。

 片山さつき氏の発言は、その部長の発想の延長線上にある。何が、市長だ! バカヤロ
ー!

 何でもかんでも、「東京からきた」というだけで、ありがたがる田舎根性。それはたしか
に、この浜松市にもある。私は、否定しない。

 しかしその田舎根性を逆に利用して、中央からやってくる政治家たち。私は、そういう
政治家というより、そういう政治家を生み出す、この日本のシステムに腹が立つ。

 わかりやすく言えば、日本の民主主義も、この程度。みなが、何かに動かされるまま、
動かされてしまう。自分で、考えようとしない。自分で考えて、行動しようとしない。

 近く、もう少し涼しくなったら、この問題に取り組んでみよう。今は、暑くて、脳みそ
も、だらけがち。それに明日から、仕事が待っている。まず、私の生活を優先させなけれ
ばならない。

 がんばろう! がんばります!


●わかば耳鼻咽喉科医院のみなさんへ

 いつも、声援、ありがとうございます。ときどきくじけそうになると、みなさんからい
ただいたメールを読んで、励みにしています。

 いつも、(ほとんど毎日)、わかば耳鼻咽喉科医院の前を自転車で通るたびに、心の中で、
「ありがとうございます」とつぶやいています。そしてときどき、看護士さんらしい人を
見かけると、「Mさんかな……」と思ったりしています。

 私は道路の反対側を走るため、顔までは、よくわかりません。

 心からお礼、申しあげます。Mさん、本当に、ありがとうございます。

++++++++++++++++++

わかば耳鼻咽喉科医院では、私が発行する
マガジンを、待合室にコピーして、置いて
くださっているとのこと。

もしわかば耳鼻咽喉科医院へ行かれるような
ことがあれば、ぜひ、私のマガジンを
読んでみてください。

++++++++++++++++++


●8月20日

今日は、孫の誠司の誕生日! 満4歳になる。もっとも、アメリカは、まだ8月19日。
今夜遅く、電話をするつもり。

 エアロプレーン・ジージと、ロープウェイ・バーバより

 誕生日、おめでとう!

 Happy Birthday, Sage!

 from aeroplane−Jiji & Ropeway−Baba

(注)前回、私の家に来たとき、誠司は、私がつくったプラモデルを、片っ端から、破壊
してしまった。(毎日、2、3機ずつ、50機くらい、こわしたぞ!)

 そのときから私のことを、「飛行機・ジージ」と呼ぶようになった。

 またワイフと私が、一度、誠司を舘山寺(浜松市郊外の温泉地)へ連れて行き、そこで
ロープウェイに乗せてやったことがある。

 そのときからワイフのことを、「ロープウェイ・バーバ」と呼ぶようになった。


●アルツハイマー病

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アルツハイマー病には、初期症状の、
そのまま初期症状というのがあるという。

大切なのは、その初期症状のうちに
それに気づき、適切な措置を講ずる
ことだそうだ。

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 アルツハイマー病には、初期症状の、そのまた初期症状というのがあるそうだ。昨日も、
中日新聞のほうに、その記事が載っていた。

(1)感情の鈍磨
(2)自己中心性
(3)思考力の低下など。

 うつろな目つきで、ぼんやりとすることが多くなったら、要注意、ということだそうだ。

 で、この段階で、適切な措置を講ずれば、病気の進行を遅らせることができるそうだ。
が、その中でも、もっとも効果的なのが、足などの大きな筋肉を使った運動とか(雑誌「ク
ロワッサン」)。具体的には、ジョギングや散歩など。

 週に3回ほど、汗をじわっとかくほどの運動を、40分くらいするのがよいとのこと(同、
雑誌)。雑誌の中では、運動をする人と、しない人とでは、2〜3倍ほど、発病率がちがう
というデータも紹介されていた。

 ほかに、(1)新しいことに興味をもって、チャレンジしていく、(2)脳の運動をする
など。まあ、このあたりは、常識的なこと、ということになる。

 で、アルツハイマー病のこわいところは、まわりの人たちに迷惑をかけること。本人は、
脳のCPU(中央演算装置)が狂うわけだから、自分では、狂ったことさえわからない。

 別のテレビ番組では、老夫婦が、ともにアルツハイマー病になった例を紹介していた。
いわゆる(老々介護)の問題である。そのせいかどうか知らないが、このところ、少し、
ワイフを見る目が変わってきた。

 何かにつけて、「この人は、だいじょうぶかな?」と。そんな目で、ワイフを見る。

 で、そのことをワイフに話すと、ワイフはワイフで、私を同じような目で見ているのを
知った。「私も、あなたは、だいじょうぶかな?、って、見ているわよ」よ。

 肉体の健康は、努力で、まだ何とかなる。しかし脳の病気は、そういうわけにはいかな
い。進行を多少、遅らせることはできるかもしれないが、それを止めたり、なおしたりす
ることはできない。

 私の年代には、ガンとならんで、コワ〜イ、病気の一つということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●知人の糖尿病

++++++++++++++++++

息子の友人の父親が、糖尿病を悪化させ、
1日おきに、人工透析を受けているという。

父親といっても、今年、56歳。私より
3歳も若い。

目も、緑内障と白内障で、ほとんど見えない
という。

++++++++++++++++++

 息子の友人の父親が、糖尿病ということは知っていた。で、先日、息子の友人が、うち
へ遊びにきたとき、「お父さんは、どう?」と声をかけたら、いろいろ話してくれた。

 1日おきに、人工透析を受けている。
 透析には、半日かかる。
 緑内障と白内障で、目も、ほとんど見えない、と。

 息子の友人は、ヘラヘラと笑いながらそう話していたが、かなり重症らしい。「腎臓が、
ほとんど機能していないのか?」と聞くと、「そうだよ」と。

 近所の人なので、私も、その父親をよく知っている。が、見るたびに、道路をはさんで
反対側にある飲み屋で、酒ばかり飲んでいた。加えて、まれに見るヘビースモーカー。私
と会ったときも、休みなく、タバコを吸っていた。が、すでにそのころから、糖尿病だっ
たとは!

私「もっと、早くから、手を打つことができなかったのか?」
友「ハハハ、糖尿病は、うちの家系の持病のようなものだから……」
私「持病?」
友「おじいちゃんも、叔父も、みんな、糖尿病だから……」
私「君は、だいじょうぶなのか?」
友「今のところはね」と。

 いくら家系の持病でも、もっと早い段階で、防ぐことはできたはず。56歳という
は、あまりにも、若い。

 こういう話を聞くと、相手のことを心配するより先に、「明日は、わが身」と、体中がこ
わばるのが、わかる。息子の友人の父親の姿は、5年後の私の姿。10年後の私の姿。遅
かれ早かれ、私も、そうなる。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●健康診断

+++++++++++++++++

航空大学へ行っている息子から、電話。
今度、健康診断を受けるから、お金を
送ってほしい、と。

金額を聞くと、x万円!

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 航空大学という大学は、ほかの大学とは、かなりちがう。そのつど、適性検査や技術審
査というのがあって、それにパスしないと、容赦なく、退学させられる。留年とか、休学
というのは、認められない。追試とか、再試というものもない。

 が、それだけではない。健康診断といっても、ふつうのものではないようだ。わかりや
すく言えば、MRI(磁気共鳴画像法)という診断方法を使って、脳みその奥の奥まで、
調べられる。精神科医による、面接検査もある。

 私が冗談で、「HIV(エイズ)検査も含まれるのか?」と聞くと、息子は、「当然」と
だけ、答えた。

 それにプロのライン・パイロットになるには、無数の資格を取らなければならないらし
い。先日は、「ぼくも、プロの気象予報士の資格を取った」と言っていた。

 また飛行機の世界では、機種ごとのライセンスが必要となる。747を操縦していたか
らといって、727が操縦できるというわけではない。

 もちろん精神面、情緒面の検査も、徹底的になされる。少しでも疑問に思われると、こ
れまた即、退学。客を乗せて飛ぶパイロットの仕事というのは、そういう仕事らしい。

 で、その健康診断の費用が、x万円!

 こういう話を聞いていると、私は、こう思う。

 『みなさん、飛行機に乗るなら、JALか、ANAなど、日本の航空会社にしなさいよ。
息子もいつも言っていますが、ここまでお金をかけ、安全教育を徹底している国は、ほか
には、あまりないそうです。

 あぶないのは、ほかのアジアの国々の飛行機。中には、飛行機事故で死んでも、補償額
の上限が200万円と決められている航空会社もあります。あのK国の飛行機などは、ロ
クに計器も積んでいないそうです。

 多少、航空運賃が高くても、日本の航空会社は、それだけ安全ということになります。
安いから……と、格安チケットを買うのは、賢人のすることではありませんよ』と。

 飛行機恐怖症の私だが、息子の話を聞いているうちに、その恐怖症が少しずつ、和らい
でいくのを感ずる。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

【韓国問題】

+++++++++++++++++++

韓国の新聞には、毎日のように、
しかも、何かにつけて、日本の記事が
出ている。

まるで国中が、日本を相手に
受験競争をしているかのよう。

それはそれでかまわないが、
しかし、このところ、ますます韓国の
動きが、わからなくなってきた。

おかしいぞ、韓国!

+++++++++++++++++++

●Y田めぐみさんは死んでいる?

 最近になく驚いたのが、つぎの記事。何でも、Y田めぐみさん(拉致被害者)は、すで
に死んでいるというのだ。しかも、そのことを日本政府は、知りつつ、国民をだましてい
る、と。

 Y田めぐみさんの遺骨なるものついては、日本側は、すでに偽物(にせもの)という結
論を出している。その鑑定結果についても、「インチキ」と。その記事を、そのまま紹介す
る(朝鮮N報・8・18日)。

 『(韓国)拉致者家族の会のCS代表(54)は17日、「日本政府は、日本人拉致被害
者のY田めぐみさんが死亡している事実を確認していたにもかかわらず、これを意図的に
隠ぺい・わい曲し、政治的に利用した」と主張した。 

 CS代表は日本政府関係者の言葉を引用し、「日本政府はめぐみさんの遺骨であるとして、
北朝鮮から渡された遺骨を鑑定のために帝京大学に預けたときから、これを"偽物"とす
ることで方向性を定めた。

しかしこの後、反K国世論が高まり、引っ込みがつかなくなった」と述べた。また、「こ
れまで会った日本の関係者らもめぐみさんの死亡についてすでに知っていたが、世論の
ために口に出せずにいる」と主張した』と。

この記事を読んで、怒らない日本人は、いないと思う。つまり韓国の拉致被害者の家族
会の代表は、つぎのように言っている。

(1)日本政府は、Y田めぐみさんの死亡をすでに確認している。
(2)日本政府は、それを意図的に、隠ぺい、わい曲し、政治的に利用している。
(3)日本政府は、遺骨なるものを鑑定する前に、(偽物)とする方向性を定めていた。
(4)関係者の多くは、めぐみさんの死亡について知っているが、口に出せないでいる。

 K国のだれかが、そう言ったのなら、まだ話がわかる。しかしどうして韓国の拉致者家
族の会(=拉致被害者家族の会)の代表が、わざわざ、こんなことを言わなければならな
いのか。

 つい先日は、韓国の首相ともあろう人物が、従軍慰安婦問題にからめて、「韓国には、た
くさんのめぐみさんがいる」と発言している。韓国の首相は、使ってはいけない言葉を、
使ってしまった! めぐみさんの両親が聞いたら、(すでに聞いているとは思うが)、どん
なに悲しむことだろう。怒ることだろう。

 めぐみさんは、生きている。その可能性が、億分の1でもあるかぎり、私たちは、めぐ
みさんは生きているとみる。しかも、だ。めぐみさんが、「慰安婦だった」とは!

●過関心国家

 母親の世界には、過関心ママ、過干渉ママというのがいる。自分の子どものことが、気
になってしかたない。明けても暮れても、考えるのは、自分の子どものことばかり……。

 現在の韓国を見ていると、まさに、それ。まるで日本を相手に、受験競争をしているか
のよう。明けても暮れても、「日本が……」「日本は……」と、そんな記事ばかりが、目立
つ。それはそれでかまわないが、しかしだからといって、日本とK国の問題に割ってはい
って、K国寄りの発言を繰りかえすのは、どうか。

 ついでながら、典型的な過干渉ママの会話を紹介しよう。

私、子どものほうに向かって、「○○君は、夏休みに、どこかへ行ってきたの?」
母親、会話に割ってはいりながら、「○○! おばあちゃんの家へ行ったでしょ。だったら、
そう言いなさい!」
○○君「……」
私、また子どものほうに向かって、「そう、おばあちゃんへ行ったの。楽しかった?」
母親、またまた会話に割ってはいりながら、「○○! 楽しかったでしょ。だったら、楽し
かったと言いなさい」
○○君「……?」と。

 つまりこの過干渉ママと同じことを、今、韓国が、国ぐるみで、している。Y田めぐみ
さんの遺骨なるものの鑑定結果が出た段階でも、韓国は、自分たちの技術レベルを基準に
しながら、「(焼いた骨では)、鑑定できるはずはない」と主張していた。

●戦時作戦統制権

 その韓国が、今、「戦時作戦統制権」なる問題で、大揺れに揺れている。

 現在、韓国軍は、アメリカ軍の作戦統制権下にある。わかりやすく言えば、アメリカ軍
の下に、韓国軍がある。形の上では、「米韓連合司令部体制の下で、戦時作戦統制権を共同
行使している」(I元国防長官)ことになっているが、アメリカ軍が韓国軍を動かすことは
できても、韓国軍が、アメリカ軍を動かすことはできない。

 これに「待った!」をかけたのが、金前大統領であり、現在のN大統領である。韓国の
自主権を問題にしながら、戦時作戦統制権の返還を、アメリカ側に迫った。

 つまり、韓国では、アメリカ軍は、韓国軍の下に入れ、と。

 が、こんな申し出に、アメリカが同意するはずがない。その前に、どうしてアメリカが、
韓国など、守らなければならないのか? そのあたりの基本的な部分が、韓国には、まっ
たくわかっていない。

 戦時作戦統制権が韓国側に渡るということは、そのまま、米韓同盟の崩壊を意味する。
が、韓国側にも、思惑がないわけではない。

(1)仮にアメリカとK国が、交戦状態になっても、韓国は、部外者でいられる。
(2)仮にアメリカと中国が、交戦状態になっても、韓国は、部外者でいられる。
(3)仮に日本とK国が、交戦状態になっても、韓国は、部外者でいられる。

 つまり韓国のN大統領は、「主権」という言葉をさかんに使っているが、ホンネを言えば、
自分たちだけは、安全圏の中にいたいということ。他国の戦争に、巻きこまれたくないと
いうこと。事実、N大統領は、こうも言っている。

 「(アメリカと中国が戦争状態になったようなとき)、在韓米軍が、その戦争に介入する
ことについて、韓国は、拒否権を行使する」と。

 わかりやすく言えば、韓国内のアメリカ軍は、韓国を守るためのだけのものであり、そ
れ以外の目的のために行動するのを許さない、と。

 さらに、だ。

 アメリカ軍には、事実上、出て行けと最後通牒(つうちょう)をつきつけながら、その
一方で、アメリカに向かって、「韓国が有事の際には、韓国を守るべき、その保証せよ」
と。

 こんなバカげた意見に、アメリカが同意するはずがない。韓国の朝鮮N報ですら、「こん
な非常識な話があるだろうか」(社説)と、書いている。

そこでにわかに急浮上してきたのが、アメリカ軍の撤退問題である。事実、すでにアメ
リカ側は、その方向に沿って、撤退の意思を固めてしまった。

●K国の核実験

 さらにここにきて、K国の核実験問題が、浮上してきた(8月17日、ABC放送)。

 韓国のN大統領は、「同胞の韓国に、核兵器を使うはずはない」「これだけ援助してやっ
ているのだから、韓国に向けてミサイルを撃ちこんでくるはずはない」と、妄想的に確信
しているようである。

 「K国が核兵器をもてば、南北統一後の朝鮮にとって有利になる」(N政権高官)と暴言
を吐いたこともある。

 しかしK国が、そんな国でないことは、一連の流れを見れば、わかるはず。先の南北閣
僚級会談(プサン・06年)で、K国の代表団はこう言っている。

 「K国の核兵器で、韓国を守ってやるから、米を50万トン、よこせ」と。

 言いかえると、「米を50万トンよこさなければ、韓国を、核兵器で攻撃する」と。

 こういう現実を前にしても、まだ、韓国は、K国をかばっている。K国が核兵器を実用
化すれば、一番の脅威に立たされるのが、韓国である。日本もあぶないが、それ以上にあ
ぶないのが、韓国である。そういう現実が、まるでわかっていない!

●K国イコール、韓国?

 Y田めぐみさんについての発言もさることながら、K国イコール、韓国と考えたほうが
よい。もっと正確には、K国イコール、現在のN政権と考えたほうが、よい。N大統領の
ことを、K国の顧問弁護士と揶揄(やゆ)する人もいる。感覚そのものが、国際常識から
かけ離れてしまっている。

 K国は、核実験をする。可能性として50−50という意見もあるが(ABC放送)、そ
れ以外に、K国が、今、取るべき道は、ない。が、そうなればなったで、K国は、国際社
会から、徹底的に糾弾(きゅゆだん)される。本来なら、韓国にその責任を取ってもらい
たいが、あの国には、もうその能力も、自覚もない。

 そればかりか、再び妄想的被害者意識を発揮させ、N大統領は、「K国を、核実験に追い
こんだのは、アメリカだ」と言い出すかもしれない。「日本が悪い」と言い出すかもしれな
い。その可能性は、じゅうぶんある。

 ちなみに、現在、韓国内におけるN大統領の支持率は、先の選挙時の19%から、さら
にさがって、14%台になっている。戦時作戦統制権の問題にしても、N大統領自身が、
部下(国策研究院)に、「文章を書くように命令したが、だれも書かなかった(=大統領の
指示に従わなかった)」と、吐露している(新聞社幹部との昼食会の席で、8月19日)。

(注※)『……U党(与党)と国防部は、16日、戦時作戦統制権が韓国の単独行使に切り
替わることにより予想される、安保上の懸念に対処するため、韓米相互防衛条約の維持、
在韓米軍の駐留維持や有事の際の米軍追加派遣、情報資産など韓国軍の弱点分野に対す

持続的支援、戦争抑止力や共同対応態勢の維持の4項目を保証するよう、事前に米国の理
解を得るとした。 
 こんな非常識な話があるだろうか』(朝鮮N報の社説より)と。

【付記】

 K国が核実験をすれば、国連安保理による、『制裁決議案』が、可決される可能性が高い。
しかしそれにひとり、背を向けるのが、韓国ということになる。

 そこで日本は、アメリカと協調して、韓国も含めて経済制裁……ということにしたいが、
現状では不可能。

 では、どうするか。

 日本は、韓国経済の中枢をになう、S社、あるいはG社を標的にして、経済戦争にもっ
ていくしかない。とくにS社である。

 この1社だけをねらいうちにして、経済戦争をしかけていけば、あとはドミノ倒しのよ
うに、韓国経済は、総崩れになる。韓国の経済人ですら、そう言っている。「S社が、(国
家破綻の)震源地になる危険性がある」と。

 日本に核兵器が使われる危険性が、ぐんと高まった今、私たち日本人は、この問題とは、
正面から取り組んでいかねばならない。
(この原稿は、06年8月19日に書いたものです。)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●敏感な子ども

++++++++++++++

敏感な子ども。昔は、
「神経質な子ども」といった。

++++++++++++++

 A子さん(年長児)は、見るからに繊細な感じのする子どもだった。人前に出るとオド
オドし、その上、恥ずかしがり屋だった。母親はそういうA子さんをはがゆく思っていた。
そして私に、「何とかもっとハキハキする子どもにならないものか」と相談してきた。

 心理反応が過剰な子どもを、敏感児という。そしてその程度がさらに超えた子どもを、
過敏児という。敏感児と過敏児を合わせると、全体の約30%が、そうであるとみる。

一般的には、精神的過敏児と身体的過敏児に分けて考える。心に反応が現れる子どもを、
精神的過敏児。アレルギーや腹痛、頭痛、下痢、便秘など、身体に反応が現れる子ども
を、身体的過敏児という。A子さんは、まさにその精神的過敏児だった。

 このタイプの子どもは、

(1)感受性と反応性が強く、デリケートな印象を与える。おとなの指示に対して、ピリ
ピリと反応するため、痛々しく感じたりする。
(2)耐久性にもろく、ちょっとしたことで泣き出したり、キズついたりしやすい。
(3)過敏であるがために、環境になじまず、不適応を起こしやすい。集団生活になじめ
ないのも、その一つ。そのため体質的疾患(自家中毒、ぜん息、じんましん)や、神経症
を併発しやすい。
(4)症状は、一過性、反復性など、定型がない。そのときは何でもなく、あとになって
から症状が出ることもある(参考、高木俊一郎)。A子さんの場合も、原因不明の発熱に悩
まされていた。


 結論から先に言えば、敏感児であるにせよ、鈍感児であるにせよ、それは子どもがもっ
て生まれた性質であり、なおそうと思ってなおるものではないということ。無理をすれば
かえって逆効果。症状が重くなってしまう。

が、悪いことばかりではない。敏感児について言えば、その繊細な感覚のため、芸術や
ある特殊な分野で、並はずれた才能を見せることがある。ほかの子どもなら見落として
しまうようなことでも、しっかりと見ることができる。

ただ精神的な疲労に弱く、日中、ほんの10数分でも緊張させると、それだけで神経疲
れを起こしてしまう。一般的には集団行動や社会行動が苦手なので、そういう前提で理
解してあげる。……というようなことは、教育心理学の辞典にも書いてある。が、こん
なタイプの子どももいる。

見た目には鈍感児(いわゆる「フーテンの寅さん」タイプ)だが、たいへん繊細な感覚
をもった子どもである。つい油断して冗談を言い合っていたりすると、思わぬところで
その子どもの心にキズをつけてしまう。

ワイワイとふざけているから、「パンツにウンチがついているなら、ふざけていていい」
と言ったりすると、家へ帰ってから、親に、「先生にバカにされた」と泣いてみせたりす
る。このタイプの子どもは、繊細な感覚をもちつつも、それを茶化すことにより、その
場をごまかそうとする。心の防御作用と言えるもので、表面的にはヘラヘラしていても、
心はいつも緊張状態にある。先生の一言が思わぬ方向へと進み、大事件となるのは、た
いていこのタイプだ。

その子ども(小3男児)のときも、夜になってから、親から猛烈な抗議の電話がかかっ
てきた。「パンツのウンチのことで、息子に恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。
敏感かどうかということは、必ずしも外見からだけではわからない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
敏感な子ども 神経質な子供 神経質な子ども 感受性の強い子供 敏感児 神経衰弱)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●子育ての宿命

 緘黙児の子ども(年長女児)がいた。症状は一進一退。少しよくなると親は無理をする。
その無理がまた、症状を悪化させる。私はその子どもを一年間に渡って、指導した。指導
といっても、母親と一緒に、教室の中に座ってもらっていただけだが、それでも、結構、
神経をつかう。疲れる。このタイプの子どもは、神経が繊細で、乱暴な指導がなじまない。

が、その年の年末になり、就学前の健康診断が始まった。が、その母親が考えたことは、
「いかにして、その健康診断をくぐり抜けるか」ということ。そしてそのあと、私にこ
う相談してきた。

「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れてもらえます。で
すから心理療法士にかかることにしました。ついては、先生(私)のところにもいると、
パニックになってしまいますので、今日限りでやめます」と。「何がパニックになるので
すか」と私が聞くと、「指導者が二人では、私の頭が混乱します」と。

 緘黙児に限らず、子どもの情緒障害は、より症状が重くなってはじめて、前の症状が軽
かったことに気づく。あとはその繰り返し。私が「3か月は何も言ってはいけません。何
も手伝ってはいけません。子どもと視線を合わせてもいけません」と言った。が、親には
一ヶ月でも長い。一週間でも長い。そういう気持ちはわかるが、私の目を盗んでは、子ど
もにちょっかいを出す。

一度親子の間にパイプ(依存心)ができてしまうと、それを切るのは、たいへん難しい。
情緒障害は、半年、あるいは1年単位でみる。「半年前とくらべて、どうだったか」「1
年前は、どうだったか」と。1か月や2か月で、症状が改善するということは、ありえ
ない。が、親にはそれもわからない。

最初の段階で、無理をする。時に強く叱ったり、怒ったりする。あるいは太いパイプを
作ってしまう。きわめて初期の段階で、つまり症状が軽い段階で、それに気づき、適切
な処置をすれば、「障害」と言われることもないまま終わる。

が、私はその母親の話を聞いたとき、別のことを考えていた。はじめて母親がその子ど
もを連れてきたとき、私はその瞬間に緘黙児とわかった。母親も、それを気づいていた
はずだ。しかし母親は、それを懸命に隠しながら、「音楽教室ではふつうです」「幼稚園
ではふつうです」と言っていた。

それが今度は、「心理療法士にかかっていると言えば、学校でも、ふつう学級に入れても
らえます」と。母親自身が、子どもを受け入れていない。そういう状態になってもまだ、
メンツにこだわっている。もうこうなると、私に指導できることは何もない。私が「わ
かりました。ご自分で判断なさってください」と言うと、突然取り乱して、「そんな冷た
いこと言わないでください!」と。

 子どもの情緒障害の原因のほとんどは、親にある。親を責めているのではない。たいて
いの親は、その知識がないまま、それを「よかれ」と思って無理をする。この無理が、症
状を悪化させる。それはまさに泥沼の悪循環。そして気がついたときには、にっちもさっ
ちもいかない状態になっている。

つまり親自身が、自分で失敗して、その失敗に気づくしかない。確かに冷たい言い方だ
が、子育てというのはそういうもの。子育てには、そういう宿命が、いつもついて回る。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●言葉による虐待

+++++++++++++++

言葉による虐待が、問題になって
います。

暴力による虐待も問題ですが、
言葉による虐待も、それ以上に
問題とすべきです。

+++++++++++++++

 虐待にも、いろいろある。暴力による、肉体的な虐待のほか、無視、冷淡、拒否的態度
など。しかしこれらと同列、それ以上に深刻に考えてよいのが、「言葉による虐待」である。

 ある母親と話していたときのこと。A子さん(小6)の弟(小3)のB君の話になった。
そのとき、B君の母親は、ふと、「Bは、バカだから」と口をすべらせた。どこかはき捨て
るような言い方だった。

 いろいろな母親がいるが、自分の子どもを、「バカ」と呼ぶ親は少ない。その言葉が、ず
っと私の耳に残った。

 それから数年後。私はそのB君と、接する機会があった。夏休みになって、まもなくの
ことだった。が、私はB君を見て、驚いた。ナヨナヨしていて、まるでハキがない。オド
オドしているといったほうが正確かもしれない。

私が何かを言っても、「ママが、怒るから……」と、力ない声で言った。ときにブツブツ
と、ひとりごとを言い、何を言っているか、わからないこともあった。

 私は、A子さんを通して、B君のことを聞きだそうとした。しかしA子さんの言葉は、
さらに衝撃的だった。

私「B君も、もうすぐ中学生だね」
A「あんなヤツ、嫌い」
私「嫌いって……?」
A「あいつ、バカだもん」
私「でも、あなたの弟でしょ。いっしょに、遊ばないの?」

A「遊ばない」
私「どうして?」
A「私、Bなんて、大嫌い。Bがバカなのは、生まれつきよ」
私「生まれつきって、どうして、それが君にわかるの?」
A「ママが、いつも、そう言っている」と。

 A子さんの母親は、B君を産むとまもなく、離婚。現在の夫は、再婚した夫だった。そ
の母親にしてみれば、B君は、望まない子ども(unwantede child)だったかもしれない。
あるいはその前後の家庭騒動が、影響を与えたのかもしれない。こういうケースは、少な
くない。

 つまり望まない結婚から、望まない子どもを産んだ。その結果として、その子どもに愛
情を感ずることができず、その子どもを、虐待するようになる。これは別のケースだが、「自
分を捨てた男にそっくりだったから……」という理由で、中学生の男の子を虐待していた
母親もいた。

 言葉による虐待には、つぎのような特徴がある。

(1)日常的につづく。ささいなことで叱る、怒る。
(2)冷淡、無視、拒否的態度、否定的姿勢。
(3)「あなたはダメな子」式の、人格の否定。子どもへの不信感。
(4)親の命令的な口調、姿勢。子どもに向かっては、服従を強いる。
(5)神経質な過干渉。行動の制限。過関心。

 一方、親は(母親に多いが)、そうした自分の虐待を隠すために、人前では、むしろ子ど
も思いの、よい親を演ずることが多い。ことさら子どもを愛していると言う。そして子ど
もに現れた症状を正当化するため、「(子どもが萎縮しているのは)、生まれつき」という言
葉をよく使う。「うちの子が、ああなのは、生まれつきです」と。

 しかし生まれたときから、その子どもが萎縮しているかどうかは、熟練した産婦人科医
でもわからない。「生まれつき」という言葉を使う親は、それだけ卑怯(ひきょう)な親と
考えてよい。

 結果、子どもは、大きく、二つのタイプに分かれる。(1)攻撃的に、反発するタイプ。
(2)性格が内閉し、萎縮するタイプ。

同じ兄弟でも、兄が萎縮し、弟が粗放化するというケースも、珍しくない。どちらにせ
よ、(ますます虐待する)→(症状が悪化する)の悪循環の中で、最終的には、行き着く
ところまで、行く。

 言葉による虐待は、肉体的な虐待とちがい、外からは、たいへんわかりにくい。母親自
身も、それを隠す。あるいは反対に、その反動形成として、むしろ子ども思いの、よい母
親を演ずることが多い。心理学の世界には、代理ミュンヒハウゼン症候群※という用語も
ある。

しかし冒頭にも書いたように、深刻さという点では、肉体的な虐待と同等に考えてよい。

 さらに深刻なのは、その背景に、子どもに対する、憎しみ、嫌悪感があること。こうし
た感情が、姿を変えて、子どもを虐待する。つまりこうした感情を克服しないかぎり、言
葉による虐待は、解決しない。ついでに、B君の症状について、当時の記録を、ここに載
せておく。

【B君、小6】(私の記録より)

 柔和で、おだやかな表情をしているが、ハキがない。すべてに自信がなさそうで、逃げ
腰。「どんなテレビを見ているの?」と聞くと、「ママが、怒る」と。そしてあとはブツブ
ツとひとり言を言い始める。意味がよくわからない。

緩慢行動、言葉のオウム返しもみられた。軽い自閉傾向も観察される。何をしたいとか、
何をしなければならないということが、わかっていないよう。

命令には従順に反応するが、自分では何もしようとしない。B君の書いた文字は、異常
にきれいで、ていねい。最近ローマ字を覚えたらしく、こちらが求めもしないのに、自
分からローマ字を書いてみせてくれた。軽くほめてあげると、はじめてニッコリと笑っ
た。

(注※)代理ミュンヒハウゼン症候群

 昔、自分を病人に見たてて、病院を渡り歩く男がいた。そういう男を、イギリスのアッ
シャーという学者は、「ミュンヒハウゼン症候群」と名づけた。ミュンヒハウゼンというの
は、現実にいた男爵の名に由来する。ミュンヒハウゼンは、いつも、パブで、ホラ話ばか
りしていたという。

 その「ミュンヒハウゼン症候群」の中でも、自分の子どもを虐待しながら、その一方で
病院へ連れて行き、献身的に看病する姿を演出する母親がいる。そういう母親が見せる一
連の症候群を、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という(「心理学用語辞典」かんき出版)。

 このタイプの母親というか、女性は、多い。こうした女性も含めて、「ミュンフハウゼン
症候群」と呼んでよいかどうかは知らないが、私の知っている女性(当時50歳くらい)
に、一方で、姑(義母)を虐待しながら、他人の前では、その姑に献身的に仕える、(よい
嫁)を、演じていた人がいた。

 その女性は、夫にはもちろん、夫の兄弟たちにも、「仏様」と呼ばれていた。しかしたっ
た一人だけ、その姑は、嫁の仮面について相談している人がいた。それがその姑の実の長
女(当時50歳くらい)だった。

 そのため、その女性は、姑と長女が仲よくしているのを、何よりも、うらんだ。また当
然のことながら、その長女を、嫌った。

 さらに、実の息子を虐待しながら、その一方で、人前では、献身的な看病をしてみせる
女性(当時60歳くらい)もいた。

 虐待といっても、言葉の虐待である。「お前なんか、早く死んでしまえ」と言いながら、
子どもが病気になると、病院へ連れて行き、その息子の背中を、しおらしく、さすって見
せるなど。

 「近年、このタイプの虐待がふえている」(同)とのこと。

 実際、このタイプの女性と接していると、何がなんだか、訳がわからなくなる。仮面と
いうより、人格そのものが、分裂している。そんな印象すらもつ。

 もちろん、子どものほうも、混乱する。子どもの側からみても、よい母親なのか、そう
でないのか、わからなくなってしまう。たいていは、母親の、異常なまでの虐待で、子ど
ものほうが萎縮してしまっている。母親に抵抗する気力もなければ、またそうした虐待を、
だれか他人に訴える気力もない。あるいは母親の影におびえているため、母親を批判する
ことさえできない。

 虐待されても、母親に、すがるしか、ほかに道はない。悲しき、子どもの心である。
(はやし浩司 ミュンヒハウゼン症候群 代理ミュンヒハウゼン症候群 子どもの虐待 
はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 言
葉の虐待 言葉による虐待)

+++++++++++++

もう1作、これと関連した
原稿を掲載しておきます。

+++++++++++++

●器用でない心

 Aさんに対しては善人で、Bさんに対しては、そうでない。……ということができるほ
ど、人間の心は、器用にはできていない。

 こんな事件があった。

 ある母親は、表面的には、やさしく思いやりのある母親を演じながら、その裏で、当時、
中学生だった長男を虐待していた。冷酷、無視、冷淡、拒否的な育児態度など。暴力とい
っても、言葉の暴力。それを毎日のように、長男に、浴びせかけていた。

 「お前なんか、早く死んでしまえ」
 「用なし」
「役立たず」
 「お前のような親不孝者は、地獄へ落ちる」と。

 こういうのを代理ミュンヒハウゼン症候群という。ミュンヘハウゼンというのは、18
世紀にいた、男爵の名前に由来する。「ホラ吹き男爵」としても、よく知られている。

このタイプの母親は、たとえば息子が病院へ入院したりすると、医師や看護婦の前では、
神様のようにやさしい母親を演じてみせたりする。背中をやさしくさすってみせたりす
る。そういうことが平気でできる。他人の視線を気にしたとたん、豹変する。

 で、その母親には、もう1人、娘がいた。

 長男とは、10歳近く年齢が離れていたせいもある。が、その娘が、30歳になるころ
から、母親の態度が変わり始めた。娘氏はこう言う。

 「私が30歳になるころまでは、母とは割りと良好な人間関係でした。が、そのうち、
母の私に対する態度が変わってきたのを感じました。情け容赦ないというか、冷酷になり
ました」と。

 理由や事情は、いろいろあるのだろう。親でも、長男に対する育児姿勢と、二男に対す
る育児姿勢が微妙にちがうということは、よくある。しかしそれはあくまでも、誤差の範
囲。

 冒頭に書いたように、「Aさんに対しては善人で、Bさんに対しては、そうでない。……
ということができるほど、人間の心は、器用にはできていない」。母親にしても、長男に対
する育児姿勢と、娘に対する育児姿勢が、大きくちがうということは、ありえない。

 その母親は、長男を虐待しながら、やがてその一方で、娘を、まるで奴隷のように、使
い始めた。

 「私は結婚して、家を出た身分です。でも、そんな私に、ときどき、『うちにきて、庭掃
除くらいしなよ』などと、母は電話をかけてきます。

 そこで私が実家に帰ると、今度は、別人のようにしおらしい顔をして、『お前がいると、
助かる。ありがたいことだ』などと言います。母の心が、さっぱり理解できません」と。

 ここに書いた話は、新潟県に住んでいるUさんという女性からのメールを、まとめたも
のである。

 しかしつぎのように考えると、その母親の心が理解できるのではないか。

 その母親は、長男や娘に対してですらも、心を開くことができない。新潟県という土地
柄もあって、親意識、家父長意識が、ことさら強いのかもしれない。ものの考え方が、権
威主義的。その母親は、私がいう親・絶対教の信者かもしれない。

 その母親が、なぜ長男を虐待したかについては、わからない。しかしその虐待するとい
う精神構造が基礎にあって、今度は、娘を奴隷のように使うようになった。一見、バラバ
ラに見える育児姿勢だが、その精神構造までほりさげて考えると、それが一つの基盤につ
ながっているのがわかる。

 自分の支配下に入った長男は虐待し、自分の支配下に入らなかった娘については、同情・
依存という手段で、娘を自分の支配下におこうとした。こういうケースは、よくある。決
して珍しくない。

 さらにその原因はといえば、母親自身の精神的欠陥、あるいは情緒的未熟性によるもの
と考えてよい。

 私はUさんに、つぎのような返事を書いた。

 「とてもかわいそうだと思いますが、あなたのお母さんは、子どもを愛せないタイプの
女性のようですね。あるいは子どもにすら、心を開くことができない。不幸にして不幸な
過去(幼児期)を背負った方だと思います。

 で、虐待の直接的な原因ですが、たとえば望まない結婚であったとか、望まない子ども
だったとか、そういうことがあるのかもしれません。

 さらにその原因は、ここにも書いたように、お母さん自身の不幸な生い立ちがあるのか
もしれません。

 ともかくも、今、あなたのお母さんは、あなたの兄に対しては、攻撃的に虐待し、そし
てあなた自身に対しては、依存し、同情を求めながら、あなたを支配下におこうとしてい
ます。

 こういうケースは、多いです。そこにも、ここにもあるというほど、多いです。

 先日も、埼玉県の女性から、こんなメールをもらいました。『母は、私の前では、数歩、
歩くのも苦しそうな様子を見せますが、私がいないところでは、スタスタと歩いています。
駅で母がスタスタと歩いているのを見かけたときは、別人かと思うほど、驚きました』と。

 つまり埼玉県のその女性の母親は、弱々しい老人を演ずることで、その女性を、自分の
支配下におこうとしたのですね。

 実は、代理ミュンヒハウゼン症候群を示す親というのは、もともと子どもも含めて、他
人と良好な人間関係を結べない人と考えてよいのではないでしょうか。それが変質して、
そうなる? 私はそう考えています。

 もう少し、この問題については、別の角度から深く考えてみたいですが、ともかくも、
そのように考えていくと、あなたも、あなたのお母さんの心理状態が理解できるのではな
いでしょうか。

 そういう意味では、あなたのお母さんは、心のさみしい、かわいそうな人ということに
なります」と。

 ……と書きながら、こんな問題もある。

 実は、その代理ミュンヒハウゼン症候群だが、一方で、義父母を虐待しながら、世間的
には、やはり神様のように演じている女性(嫁)もいるということ。

 しかし虐待されている義父母は、その女性(嫁)が、こわくて、それを他人に話すこと
もできない。

 そんな事例も、私のところには、伝わってきている。とても、恐ろしい話ではないか? 
ホント!
(はやし浩司 代理ミュンヒハウゼン症候群)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【権威主義】

+++++++++++++++

いまだに権威主義的なものの考え方をする人は、
多いですね。

しかも最近の傾向としては、その権威主義を
復活させようとする動きすらあります。

その種の本が、書店の店頭を飾り、
ベストセラーとなっています。

このままでよいのでしょうか?

+++++++++++++++

●権威

今でも、権威や権力をカサに着て、威張り散らす人は、少なくない。傍(はた)から見
れば、バカげているのだが、当の本人には、そうではない。威張ることが、その人にと
って、ステータスになっている。生きる哲学になっている。

 このタイプの人は、異常なほどまでに、上下意識にこだわる。たった1年でも先輩は、
先輩、後輩は後輩というような考え方をする。組織の中では、地位や、役職にこだわる。
そして目上の人(?)には、必要以上にペコペコし、目下の人(?)には、必要以上に、
威張り散らす。

 こうした上下意識は、まさに封建時代の亡霊と考えてよい。その亡霊が、軍国主義時代
になって、軍人たちによって、引き継がれた。そしてそれが、戦後は、政治家や官僚、さ
らには、会社という組織の中で生き延びた。

 もっとも、今の若い人たちにこんな話をしても、理解できないかもしれない。威張ると
いうことが、どういうことかさえ知らない人も多い。いや、知らないなら知らないでも、
かまわない。しかしそれも知らないまま、過去を美化してはいけない。安易な復古主義に
陥っては、いけない。

 で、今でも、威張り散らす人は、少なくない。ときどき政治家の中に、そういう人を見
かける。胸を張り、ふんぞり返って歩いたりする。そしてことあるごとに、「無礼だ!」と
か、「失敬だ」とか言ったりする。こういうのを、私の世界では、「権威主義」と呼んでい
る。いくつかの特徴がある。

(1)強い上下意識
(2)職業による差別意識
(3)男尊女卑思想
(4)見栄、体裁、世間体意識
(5)「偉い人」に代表される、偉人意識
(6)度を越した礼儀意識
(7)権威、権力への隷属意識

 ざっと思いつくまま書きあげたが、こうした権威主義は、そのまま民主主義の発展をさ
またげる、「敵」と考えてよい。権威主義がはびこればはびこるほど、民主主義は、後退す
る。あるいは、権威主義は、民主主義の完成度を知るためのバロメーターにもなる。

 よい例が、あの『水戸黄門』である。

 今でも、あのテレビ番組は、20%前後の視聴率を稼いでいるという。しかしそれは同
時に、日本の民主主義の未熟さを示していると考えてよい。三つ葉葵の紋章を見せただけ
で、まわりの者たちは、地面に額(ひたい)をこすりつけて、それに答える。

 実にバカげた世界なのだが、日本人には、そうは思わない。そういう場面を、「痛快」と
思う。つまりそれだけ、ものの考え方が権威主義的というか、権威に対して、あこがれを
いだいている。

 実を言うと、私も、子どものころは、あの『水戸黄門』をよく見た。痛快に思ったこと
もある。しかしあるときから、体が、それを受けつけなくなった。で、今は、見れば見る
ほど、バカらしく思う。今の私なら、三つ葉葵の紋章を見せつけられても、多分、こうい
い返すだろう。

 「だから、それがどうしたというの?」と。

 もっとも、そんなことを江戸時代に言えば、そのまま首をはねられたにちがいない。私
は、それがバカげていると言う。

 が、ここで誤解しないでほしいのは、だからといって、こうした権威主義を否定してい
るのではない。歴史の中のある過程では、こうした権威主義が必要な時代もあった。江戸
時代も、そういう時代だったかもしれない。

 上下意識によって、社会秩序を維持することができる。またそれがあったからこそ、時
の為政者たちは、江戸時代という(時代)をつくることができた。が、それは同時に、多
くの人たちの、犠牲の上に成り立った時代とも言える。

 いかに多くの人たちが、その上下意識という意識の中で、押しつぶされたことか! そ
の話はまた別の機会に考えることにして、この上下意識を支えるのが、「権威」ということ
になる。

 「どうして上の者が上なのか?」「下の者が下なのか?」……それを説明するのが、権威
ということになる。

 「上だから、上」「下だから、下」と。

 この権威主義が家庭に入ると、「親が上で、子が下」「夫が上で、妻が下」「兄が上で、弟
が下」となる。理由など、ない。あるわけがない。

 しかし今、この権威主義が、再び、日本の社会の中に台頭し始めている。それについて
書いた本が、ベストセラーとなり、書店の店頭で、平積みにされている。中には、「武士道
こそ、日本人のアイデンティティ」と説く本もある。あるいは「英語教育不要論」を説く
本もある。

 こうした復古主義を唱える人たちは、伝統とか文化、さらには「過去」を背負っている
だけに、強い。少なくとも未知の道を歩きつづける私たちより強い。

 しかし、権威主義など、クソ食らえ!

 それがわからなければ、韓国のあのN大統領を見ればよい。何を、ああまで威張ってい
るかと思うるほど、威張っている。悪しき儒教文明の亡霊を、そのまま引きずっている。
多分、N大統領自身は、それが大統領としてあるべき姿だと思っているかもしれない。が、
冒頭にも書いたように、傍から見れば、バカげている。

 私たちは、前に進もう。道なき道かもしれないが、前に進もう。自由と平等と、そして
平和を求めて、前に進もう!

+++++++++++++++++

2作、以前書いた原稿を添付します。
内容が、少しダブりますが、
お許しください。

若いころ(?)書いた原稿なので、
かなり過激な部分もあります。
あらかじめ、ご承知おきください。

+++++++++++++++++

●権威主義の象徴「水戸黄門」

 権威主義。その象徴が、あのドラマの『水戸黄門』。側近の者が、葵の紋章を見せ、「控
えおろう」と一喝すると、皆が、「ははあ」と言って頭をさげる。

日本人はそういう場面を見ると、「痛快」と思うかもしれない。が、欧米では通用しない。
オーストラリアの友人はこう言った。

「もし水戸黄門が、悪玉だったらどうするのか」と。フランス革命以来、あるいはそれ
以前から、欧米では、歴史と言えば、権威や権力との闘いをいう。

 この権威主義。家庭に入ると、親子関係そのものを狂わす。Mさん(男性)の家もそう
だ。長男夫婦と同居して15年にもなろうというのに、互いの間に、ほとんど会話がな
い。別居も何度か考えたが、世間体に縛られてそれもできなかった。Mさんは、こうこ
ぼす。

「今の若い者は、先祖を粗末にする」と。Mさんがいう「先祖」というのは、自分自身
のことか。

一方長男は長男で、「おやじといるだけで、不安になる」と言う。一度、私も間に入って
二人の仲を調整しようとしたことがあるが、結局は無駄だった。長男のもっているわだ
かまりは、想像以上のものだった。問題は、ではなぜ、そうなってしまったかというこ
と。

 そう、Mさんは世間体をたいへん気にする人だった。特に冠婚葬祭については、まった
くと言ってよいほど妥協しなかった。しかも派手。長男の結婚式には、町の助役に仲人
になってもらった。長女の結婚式には、トラック二台分の嫁入り道具を用意した。そし
てことあるごとに、先祖の血筋を自慢した。

Mさんの先祖は、昔、その町内の大半を占めるほどの大地主であった。ふつうの会話を
していても、「M家は……」と、「家」をつけた。そしてその勢いを借りて、子どもたち
に向かっては、自分の、親としての権威を押しつけた。少しずつだが、しかしそれが積
もり積もって、親子の間にミゾを作った。

 もともと権威には根拠がない。でないというのなら、なぜ水戸黄門が偉いのか、それを
説明できる人はいるだろうか。あるいはなぜ、皆が頭をさげるのか。またさげなければ
ならないのか。だいたいにおいて、「偉い」ということは、どういうことなのか。

 権威というのは、ほとんどのばあい、相手を問答無用式に黙らせるための道具として使
われる。もう少しわかりやすく言えば、人間の上下関係を位置づけるための道具。命令
と服従、保護と依存の関係と言ってもよい。そういう関係から、良好な人間関係など生
まれるはずがない。

権威を振りかざせばかざすほど、人の心は離れる。親子とて例外ではない。権威、つま
り「私は親だ」という親意識が強ければ強いほど、どうしても指示は親から子どもへと、
一方的なものになる。そのため子どもは心を閉ざす。

Mさん親子は、まさにその典型例と言える。「親に向かって、何だ、その態度は!」と怒
る、Mさん。しかしそれをそのまま黙って無視する長男。こういうケースでは、親が権
威主義を捨てるのが一番よいが、それはできない。権威主義的であること自体が、その
人の生きざまになっている。それを否定するということは、自分を否定することになる。
が、これだけは言える。

もしあなたが将来、あなたの子どもと良好な親子関係を築きたいと思っているなら、権
威主義は百害あって一利なし。『水戸黄門』をおもしろいと思っている人ほど、あぶない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●家族主義

 日本人は、古来より上下意識の強い国民である。男が上で女が下。夫が上で、妻が下。
先生が上で生徒が下、と。

たった一年でも先輩は先輩、後輩は後輩という関係をつくる。そしてそれが組織の秩序
となる。で、この秩序を支えるのが、権威。もともと上下関係には、理由などない。根
拠もない。「偉いものは偉い」という権威が、その関係を支える。日本人はこの権威に弱
い。あるいはその権威にあこがれを抱く。そのよい例が、「水戸黄門」。

水戸黄門の取り巻きが、葵の紋章を見せて、「控えおろう。これが目に入らぬか!」と一
喝すると、周囲の者が、「ははあ」と言って頭をさげる。日本人はそういう世界を「痛快
だ」と思う。しかし水戸黄門は絶対的な善玉だからよいようなものの、もし悪玉だった
ら、どうする。日本人のことだから、それでも頭をさげるに違いない。実際、秀吉や家
康といった圧政暴君たちが、この日本では必要以上に美化され、英雄になっている!

 この権威主義は、教育にも暗い影を落としている。「大学の教授」というだけで、一も二
もなく、日本人は皆、頭をさげる。しかし実際には、大学の教員の世界は、完全に年功序
列の世界。「そこに人がいるから人事」が、長年慣行化している。

幼児教育の世界に限ってみても、実際幼児教育などしたこともないような教授が、その
道の権威者になっている。日本でも有名なA教授は、たった数か月間、幼児の心理を調
査しただけ。またN教授は、ラジオのトーク番組の中で、ふとこう口をすべらせている。
「私は三人の孫で、幼児教育を学びました」と。たった三人である! 

ある幼稚園で講演をしたときのこと。「S大学附属幼稚園」という名前がついていたので、
「教授たちは来ますか」と聞くと、そこの副園長がこっそりこう教えてくれた。「たまに
ね。来てもお客様ですから」と。そういう教授でも、「教授」というだけで、皆、頭をさ
げる。

 家族主義というと、小市民的な生き方を連想する人は多い。99年の春、文部省がした
調査でも、「一番大切にすべきもの」として、約40%の人が、「家族」をあげている。が、
これに対して、さっそくその夜、あるテレビの解説者が、「日本人は小市民的になった」と
評した。

とんでもない。とんでもない誤解である。

家族主義は、新しい国家観、新しい愛国心にもつながる。昔の日本人は、国、つまり天
皇制という体制を守るために戦場に出かけたが、これからはもうそういう時代ではない。
家族の集合体としての「国」を考える。そしてもし戦争することがあるとするなら、私
たちは「家族を守るために」戦う。愛国心も、そこから生まれる。

 日本は欧米化したとよく言われるが、それは表面的な部分だけ。日本は日本。しかも旧
態依然のまま。今でも日本は、世界から見ると、「わけのわからない国」ということになっ
ている。欧米化が必ずしもよいというわけではないが、世界の人に安心してつきあえって
もらえる国民になるためには、欧米化は避けて通れない。

これからは「家族を大切にします」「一番大切なものは家族です」と、日本人も胸を張っ
て言う時代になった。家族主義は、決して恥ずかしいことではない。 


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司


●同時的二重人格

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多かれ少なかれ、だれにも
二重人格性はある。

二重人格というほど、重篤(じゅうとく)な
ものではないかもしれない。

しかし、だれにも、ある。

が、本当の問題は、大半の人は、
それに気づかないでいること。

気づかないまま、本来の自分でない
自分の引き回されてしまう。

+++++++++++++++++

 ふつう二重人格というときは、人格そのものが入れかわると同時に、別人格になったと
き、もう一方の人格の記憶がなくなってしまうことをいう。つまり記憶の連続性がないと
いうこと。よい例が、スティーブンソンが書いた、『ジキル博士とハイド氏』である。

 ジキル博士のときのジキル博士は、ハイド氏としてしたことは、まったく覚えていない。
が、ひとたび、ハイド氏になると、今度は、ジキル博士のしたことは、まったく覚えてい
ない。

 が、そうでない二重人格もある。別人格になりながら、もう一方の人格を、意識してい
る二重人格がある。記憶も、そのまま残っている。これを「同時性二重人格」とか、「同時
的二重人格」という。

たとえばあるきっかけで、夫婦げんかになったとたん、その人は別人格になるのだが、
同時に、もう一方の人格が心の別のどこかにいることを知っている。あるいは感じてい
る。そして夫婦げんかをしながらも、別の自分が、「やめろ」「疲れるだけだ」「仲なおり
しろ」と命令したりする。

 もちろん記憶は、そのまま残る。夫婦げんかが終わったあとも、けんかをしている最中
のことをよく覚えている。

 こうした二重人格性、つまり二重人格というほど重いものではないが、そういう傾向が
あるという意味での二重人格性というのは、多かれ少なかれ、だれにも、ある。何かの拍
子に、本来の自分でない自分が、顔を出し、その自分が支配的になったりする。

 原因は、幼児期に経験した、心的外傷(トラウマ)、というのが、通説になっている。

 この時期に、何か耐えがたい心的経験をすると、それから逃れたいという一念が、その
人の二重人格性を形成する。そしてそれがさらに極端になったのが、同時的二重人格であ
り、さらに極端になったのが、二重人格ということになる。

 親の虐待、暴力、家庭騒乱など。ふつうでない不安感や恐怖感、さらには慢性的な心配
ごと。はげしい離婚騒動が、引き金になることもある。またここでいう虐待には、性的虐
待も含まれる。

 この二重人格性の特徴は、ただ単に、人格が入れかわるということだけではなく、価値
観、人生観まで、入れかわってしまうということ。ある男性(50歳)は、妻とけんかを
始めたとたん、別人格になってしまうという。

 「それまでの自分は、さみしがりやで、ひょうきん者なのですが、妻と言い争いになっ
たとたん、南米のジャングルでも、ひとり旅ができるのではないかと思えるほど、自分が
強くなったように感じます」と。

 しかし本当の問題は、当の本人が、二重人格性をもちながら、それに気づかないこと。
そのつど、「私は私」と、自分で自分を納得させてしまう。この点でも、自分を知ることは、
本当にむずかしい。

 そこであなた自身は、どうか? 簡単なチェックテストをしてみよう。

(1)カッと興奮したようなとき、別人のように、暴れたり、暴言を吐いたりする。
(2)別人のようになったとき、ときに破滅的なものの考えかをし、自暴自棄になる。
(3)別人のようになったとき、それまでの価値観とはちがった価値観をもつ。
(4)別人のようになったとき、好きだったはずの人まで、嫌いになったりする。
(5)別人になったとたん、それまで心のどこかでがまんしてきた不平、不満が顔を出す。
(6)別人になったとたん、グチぽくなり、過去にこだわりやすくなったりする。
(7)しばらくすると、またもとの自分にもどるが、まるで他人事のように忘れてしまう。
(8)もとの自分のもどっても、気分の悪さだけが、心のどこかに残ることが多い。

 こうした症状がみられたら、あなた自身の二重人格性を疑ってみたらよい。たいていの
人は、こう言う。「そのときは、どっちの自分が、本当の自分なのか、わからなくなります」
と。

 つまり本来の自分(生活時間の大半を占める自分)と、別人格(何かの拍子に、短期間
だけそうなる自分)とでは、ものの感じ方、考え方、感情の表れ方まで、変わってしまう。
そしてそれぞれが、たがいに、もう一方の人格を否定する。

 そこで重要なことは、まず、自分が、そういう自分であることに気づくこと。まずいの
は、気づかないまま、同じ失敗を繰りかえすこと。

 そういう自分であることに気づけば、これは心の病気一般に通ずることだが、あとは、
時間が解決してくれる。1年とか2年では、無理かもしれないが、10年とか20年をか
けて、時間が解決してくれる。

 なおつぎのようなことにも注意しなければならない。

 たとえば夫側か妻側か、どちらか一方に、二重人格性があったとする。当然、このタイ
プの夫婦のばあい、夫婦げんかも、並はずれて激しいものになりやすい。で、こうした夫
婦げんかを繰りかえしていると、長い時間をかけて、もう一方の妻側か夫側のほうも、二
重人格性をもちはじめることがあるということ。

 こうした(伝染性)は、心の病気では、よく観察される。よく知られた例に、うつ病が
ある。家族のうちのひとりがうつ病になったりすると、いつの間にか、家族全員が、同じ
うつ病になったりすることがある。もちろん、親子の間でも、伝染することがある。ほか
に、最近、私が聞いた例では、こんなのもある。

 ある会社のある課で、課長がうつ病になったという。で、しばらくすると、その課のほ
ぼ全員の社員まで、うつ病になってしまったという。

 二重人格性についても、そういう例は多い。そんなわけで、この問題は、あなた個人の
問題ですますというわけにはいかない。繰りかえすが、そのためにも、まず、自分を知る。
すべてはここから始まる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
二重人格 同時的二重人格 同時性二重人格 多重人格 心的外傷 トラウマ)

++++++++++++++++++++

私が、私自身の二重人格性に気づいたのは、
私が、45歳くらいのときではなかったか。

それまでは、私は、いつも、「私は私」と
思っていた。

しかし私の中には、たしかにもう1人の私が
いる。

そんな私について書いたのが、つぎの原稿
である。

日付を見ると、03年とあるから、もう、3年前の
原稿ということになる。

++++++++++++++++++++

●多重人格性

 私が自分の多重人格性に気づいたのは、45歳もすぎてからではないか。それまでは、
多重人格者の話を聞いても、他人ごとのように思っていた。そして自分とは、関係のない
話だと思っていた。

 しかし私は、多重人格者かもしれない。いや、こう断言するのは危険なことだが、程度
の差こそあれ、どんな人でも、そういう側面があるのかもしれない。たとえば怒りを感じ
たとき、ただ怒りを感ずるのではなく、人格そのものまで、いつもの自分とは違ってしま
う。

 ふだんの私は、冗談好きで、おだやか。お茶目なところがあって、さみしがり屋。よく
「おもしろい人」と評される。人を笑わすのがうまい。これを「私A」とする。

 が、怒りを感ずると、別人のように強くなる。これを「私B」とする。そういうときは、
「これからヨットを買って、ひとりで太平洋を横断してやる」とさえ思うことがある。こ
わいものが消える。相手が暴力団の親分でも、平気で直談判できるような気がする。

 その怒りを感ずるときというのは、いろいろなばあいがある。よくあるのは、ワイフと
の夫婦げんか。あるいは、何か目の前で不正なことを見せつけられたようなとき。頭にカ
ッと血がのぼると、見境なく、相手に向って行ってしまう。

 ただおかしなことに、そういうとき、もう一人の「私A」が、別のところにいて、「私B」
を見ているということ。そしてときどき、「やめろ」とか、「よせよせ」とブレーキをかけ
る。が、怒りを感じているときの「私B」は、「うるさい」「黙っていろ」とか言って、そ
れをはらいのけてしまう。

 もしこのとき、つまり「私B」になったとき、「私A」であるときの記憶が消えたりすれ
ば、人格障害者(?)ということになる。が、私のばあい、まだ記憶に連続性があるから
救われる。どちらの自分になっても、もう一方の自分の言ったことや、したことをよく覚
えている。

 そこでさらに自分を観察してみると、「私」という人間は、それぞれのとき、それぞれの
人格になって微妙に変化するのがわかる。ワイフに話すと、「だれにでもそういうことはあ
るわよ」と言ったが、本当にそうか? 他人の心の中に入ったことがないのでわからない
が、しかしこういうことはある。

 ふだんの「私A」が、ふだんの生活をしていたとする。そこで何か事件が起きたとする。
そのときは、私はそれを笑ってすます。しかし、何かのことで、「私B」とか、「私C」と
かになったとき、私はあれこれ、それをほじくりかえして、そのことについて怒る。たぶ
ん「私A」が気にしないことでも、「私B」とか、「私C」が別のところにいて、それを気
にしているためではないか。

 たとえば私の大切にしている何かが、だれかにこわされたとする。そのときは、「まあ、
いいや」という思いで、それを笑ってすます。しかしずっとあとになって、「私B」になっ
たようなとき、「どうして、あれをこわしたのだ!」と、相手を責めたりする。

 こうして考えてみると、人間の人格には、多重性があるということになる。私という1
人の人間だけをみて、そう判断するのは、ここにも書いたように危険なことである。しか
しいろいろな人に会って話を聞いてみると、みな、同じようなことを言う。私のワイフで
すらも、何かのことで不愉快になったとたん、まったくの無口になってしまう。ものの言
い方がつっけんどんになり、何かにつけて反抗的になったりする。

 この問題は、私自身のこととも関係しているので、これから先、もう少し、ほりさげて
考えてみたい。今日はこれから何人かの人に会わねばならないので、ここまで。

 ところで今の私は、多分「私C」。論理的で、冷静。学者風で、紳士。しかしこの「私C」
というのは、どこか本当の私ではないような気がする……。多分、仮面をかぶった私かな
……?
(030620)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】


●地球温暖化

 地球温暖化は、年を追うごとに、顕著になってきた。今では、だれも、それを疑う人は
いない。で、このまま温暖化が進めば……。

 その一例というわけではないが、現在、中国の重慶市周辺では、深刻な干ばつに襲われ
ているという。気温も、45度を超える日がつづき、約1000万人の人たちが、水不足
に苦しんでいるという(8月16日)。

 報道されている写真を見るかぎり、住民の人たちは、穏やかそうな顔をしている。みな
で助けあっているかのように見える。しかしその裏で、どんな地獄絵図が繰り広げられて
いることやら……? それを想像するだけで、ゾッとする。

 幸いなことに、本当に幸いなことに、日本は島国。周囲を、海に囲まれている。そのた
め気候異変といっても、重慶のような、極端なことには起きない。が、日本だけが無関係
というわけには、いかない。

 立秋も過ぎたというのに、この日本でも、連日、35度を超える猛暑がつづいている。
昔とちがって、台風の動きも、メチャメチャ。今度の台風10号も、四国から九州に向か
って、進んでいる。

 こうした無数の「?」が重ねながら、地球温暖化は、ますます進む。

 中国の重慶は、そのまま、日本の近未来の姿ということになる。


●ガソリンが、1リットル、144円

 「まだ余裕があるかな……?」というところで、ガソリンを満タンにした。車は、トヨ
タのビッツ。ワイフの愛車。

 で、請求された金額を見て、びっくり。何と、5000円弱。

 ガソリンの値段が、あがっている。見ると、1リットル、144円とある。つまりは、
その分だけ、アメリカのドルが、暴落したとみてよい。言うまでもなく、原油は、そのド
ルで売買されている。

 それにしても、みなさん、大きな車に乗っている! 近くのショッピングセンターでさ
え、大型のバンで乗りこんでくる。しかも若い人ほど、大きな車に乗っている。

 「どうして、あんな若い人が、あんな大きな車に乗れるのだろう」と、ときどき思う。
ついでに、「さぞかし、ガソリン代が、たいへんだろうな」とも思う。いらぬ心配かも知れ
ないが……。


●漁船が、銃撃される

 北海道の漁船が、ロシア側の海域でカニを密漁中、ロシア側に発砲された。1人の船員
が、そのため死んだ。

 日本側は、「何も、そこまでしなくても!」と、現在、ロシア側に抗議している。一方、
ロシア側は、わかりやすく言えば、「何度取り締まっても、言うことをきかないから、発砲
した」と、弁解している。

 「日本側の海域では、乱獲のためか、漁獲量が、少ない。それでロシア側まで行って、
密漁する漁船が、あとを絶たない」(新聞報道)ということらしい。最初は、「密漁ではな
い」「組合長をしているような人が、密漁など、するはずがない」とがんばっていた、漁業
関係者たちも、船に3トンものカニが残っていたと知ってからは、口をつぐんだ。(ロシア
側の発表によれば、大半のカニは、逃げる途中、海へ捨てたという。)

 なお「何も、そこまでしなくても!」という日本側の抗議に対しては、ロシア側は、「た
またま弾が当たってしまった」と、これまた弁解している。「波が高く、弾が当たってしま
った」と。

 日本側の漁業関係者たちは、「これからはこわくて、その海域では操業(=密業)もでき
ない」(新聞報道)と話しているという。

 何とも、あと味の悪い事件である。歯切れの悪い事件である。もともとあの海域は、日
本の領土。そういう視点に立って、ロシア側も、もう少し謙虚になってほしい。が、もし
そうなればなったで、乱獲につづく乱獲で、そのあたりから、カニは、消えてしまうかも
しれない。

 今回の事件は不幸な事件だが、日本側も、反省すべきところは反省しないと、この種の
事件は、これから先も、また起きるだろう(06年8月17日)。


●痴呆症

 いくらがんばっても、アルツハイマー型痴呆症は、病気だから、なる人は、なる。防ぎ
ようがない。あのレーガン大統領も、それになったという。『ベン・ハー』で主役をした、
チャールス・ヘストンも、それになったという。

 私のよく知っている人に、川崎敬三という司会者がいた。昔、NETで、『アフタヌーン・
ショー』という番組の司会者をしていた。私は、その火曜日版の企画を書いていた。

 その川崎敬三も、それになったという。

 みんな、それなりに、頭のよい人たちで、しかもそれなりに頭をよく使っていた人たち
である。

 で、このところ、痴呆症、なかんずく、アルツハイマー型痴呆症が、気になってしかた
ない。つい先ほども、ワイフとこんな会話をした。

私「なあ、お前。ぼくって、最近、ヘンじゃないか?」
ワ「どこか?」
私「感情が平坦になったとか、がんこになったとか、ジコチューになったとか……?」
ワ「別に……」
私「そんなことないよ。たとえばぼくの書く原稿が、浅くなったとか、つまらなくなった
とか……。そういうことはないか?」
ワ「あなたは、だいじょうぶよ。毎日、ちゃんと頭を鍛えているから……」と。

 このところ、思考力が低下してきたように思う。暑さのせいもあるのだろうが、根気も
つづかない。ものを考えても、すぐ、めんど臭くなってしまう。

 そんなわけで、このところ毎日のように、インターネットで、アルツハイマー型痴呆症
の検索ばかりしている。


●台風

 またまた台風が、2つ。この日本をめざして、北上している。台風、10号と11号で
ある。

 さっそく、ひまわりの衛星写真で、台風の様子を見る。で、驚いたことに、巨大な雨雲
が、あのK国の上空に、居座っているではないか。あわせて気象庁の天気図を見ると、前
線がK国を横切っていることもわかった。

 今ごろK国は、またまた猛烈な集中豪雨に見舞われているはず。しかも台風10号は、
日本列島を横切ったあと、朝鮮半島に向かうらしい。台風というのは、高気圧のヘリに沿
って、移動するそうだ。

 K国の人たちには、まことにもって、お気の毒としか、言いようがない。


●昼寝

 昼食後、けだるい睡魔に襲われた。で、そのまま寝室に入って、昼寝。

 10分ほど……と思って寝たが、気がついてみると、2時間。午後1時ごろ、横になっ
たのだが、起きてきて時計を見ると、3時!

 昨日は、旅行で、大坂まで行ってきた。その疲れが出たのかもしれない。気温は30度
を軽く超えていたが、扇風機ひとつで、気持ちよく眠ることができた。

 何か夢を見ていたのだが、起きると同時に忘れてしまった。

 何だったのだろう? あまり楽しい夢ではなかったような気がするが、どうしても、思
い出せない。


●3Dチャット

 3Dチャットというのが、ある。バーチャルな世界で、それぞれの人が別のキャラクタ
ーになりすまして、会話をするというものだ。

 さっそくチャレンジしてみる。が、どうもうまくいかない。が、暑いせいか、根気がつ
づかない。「こんなものか」と思いながら、画面を閉じる。もう少し涼しくなったら、再度、
一度チャレンジしてみよう。


●ハチの巣

 山荘の屋根の軒下に、大きなハチの巣ができている。先週、ワイフが見つけた。

 今夜、そのハチの巣を、退治するつもり。下からライトで照らしながら、殺虫剤を、容
赦なくぶっかける。

 私は、ほかの動物たちは、殺すことができないが、毒ヘビと、ハチだけは、平気で殺す
ことができる。容赦しない。結構、私は、残忍な性格の持ち主のようだ。

 ところでそのハチだが、体は足長バチに似ているが、それよりは、大きい。それに全体
に黒い体をしている。数年前、ワイフを刺したのは、そのハチだ。町に住むハチと、山の
中に住むハチは、種類が明らかにちがう。


●アルツハイマー病

 90歳を超えた母が、このところ、少し様子がおかしいという。そこで介護をしている
姉が、病院でみてもらうと、アルツハイマー病の心配があるとのこと。

 そう言えば、この数年、母は、他人にはともかくも、私たち子どもに向かっては、ズケ
ズケとひどいことを言った。私に、「お前は、地獄に落ちる!」と言ったこともある。

 で、そのアルツハイマー病だが、2種類あるそうだ。

 家族で遺伝するタイプと、そうでないタイプ。原因はいろいろだが、これといって治療
法はないそうだ。ただ80歳を過ぎると、約15%の人が痴呆症になり、そのうち、何割
かは、このアルツハイマー病だそうだ。

 姉は、「90歳だから……」「でも、口と手だけは、達者で……」と言っていた。私は、「施
設に入れようか?」と言いかけたが、やめた。


●三男が松山に

 九州の航空大学にいる三男から、たった今、電話がかかってきた。何でも、今日、四国
の松山(愛媛県)まで、教官と行ってきたらしい。

 航空大学生は、九州の地を離れることができないことになっているのだが、今日は、特
別に許可がおりたそうだ。

 松山では、タッチ&ゴー(タッチー)だけだったそうだが、どこかうれしそうだった。
何かの技術認定試験だったらしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●めぐみさんは、xx婦?

韓国のH首相が、こう言った。

「強制動員や拉致は北朝鮮であれ他の国であれ、あってはならない。日本は(横田)め
ぐみさんの話で堂々としていたいのであれば、韓国にいる、数多くのめぐみさんのよう
な方々の問題を先に解決しなければならないだろう」と。そして従軍慰安婦問題の解決
に消極的な日本政府を批判したという(朝鮮N報よりそのまま)。

 日本側の報道では、「この見解は拉致と強制連行問題などを同一視する、K国の主張と似
通っており、日本の拉致被害者家族らの反発を呼びそうだ」(時事通信)とある。

 微妙かつ、遠まわしな言い方だが、つまりめぐみさんは、xx婦だった、と。

 しかしこの言葉は、最後の最後まで、使ってはならない言葉だった。だれしも、心の奥
底で、そういう心配はしていたかも知れないが、それでも、使ってはならない言葉だった。

 このH首相のもつ言葉の衝撃度は、計り知れない。とくにめぐみさんの両親には、そう
だろう。

 「何てことを、言う!」というのが、私の率直な感想。

 ……といっても、今日、8月15日、日本のK首相は、Y神社を参拝した。中国や韓国
は、矢継ぎ早に、日本攻撃のボルテージをあげ始めている。

 こういう動きを見ていると、「戦争って、こうして始まるんだな」と思う。私たちが知ら
ない世界で、声の届かない世界で、政治家たちが、たがいに意地を張りあいながら、つっ
ぱりあう。

 そのつっぱりあいが、やがて戦争へと、つながっていく。

 しかし私の力は、ここまで。いろいろ訴えてきたが、私のようなものがいくら叫んでも、
私の声など、そのままどこかへかき消されてしまう。だれにも届かない。

 何とも言えない、無力感。虚脱感。空虚感。それに敗北感。

 これでは、日本のK首相のしていることは、K国の金xxと同じではないか。たがいに、
相手の立場で、ものを考えることができない。いや、その前に、日本のK首相のY神社参
拝を、いちばん喜んでいるのは、K国の金xxのはず。

 これで金xxは、国際的な孤立から抜け出ることができる。

 日本よ、日本人よ、私たちが進むべき道は、前にある。自由と平等と平和。それを目指
して、前に進む。けっして、うしろではない。前にある。

 どうして日本よ、日本人よ、それがわからないのか!

 話はそれたが、それにしても、めぐみさんが、xx婦とは!

 韓国のH首相は、決して口にしてはならない言葉を口にしてしまった! 決して言って
はならないことを、言ってしまった!

 いくら冷静であれと言われても、この言葉だけには、冷静でいられない。バカヤロー!
(06年8月15日記)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

夏休み中なので、子どもの話は、お休みします。(8月15日記)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ビデオ『男たちの大和』

+++++++++++++++++

楽しみにしていた、ビデオを見た。
『男たちの大和』。

よかった。何度も涙をこぼした。
こまかい点では、いろいろ言いたい
こともある。が、日本映画にしては、
よくやった。

とくに仲代達也の演技が、光った!

+++++++++++++++++

 以前から楽しみにしていたビデオを見た。『男たちの大和』。何とも言えない、切なさに
包まれた映画だった。最後まで、しっかりと見た。何度も、泣いた。

 こまかい点では、いろいろ言いたいこともある。たとえば、かぎられた予算。それが見
ている私にも、よくわかった。それに脇役たちの、どこか不自然な演技。おおげさな演技。
ところどころで、ふと、白けた。

 しかし仲代達也の名演技は光った。(飛びぬけて、光りすぎかな?)それに長渕剛の歌も
光った。(これも飛びぬけて、光りすぎかな?)そういう点では、全体にバランスが、やや
欠けていた。

 あと1歩、ここにも書いたように、脇役がしっかりと脇をかためていたら、もっとすば
らしい映画になっていただろう。たとえば大和が出航するとき、家族たちが岸壁に立ち、
旗を振って見送るシーンがある。

 力んで、大声をあげているのは、主役とその家族だけ。あとの人たちは、無表情という
か、どこか間の抜けたような表情で、ただ旗を振っているだけ。そんな感じだった。

 また、飛行機の飛び方が不自然だった。大和の上を、アメリカのグラマン・ヘルキャッ
トが、旋回して飛び去るシーンが、数回出てきた。糸でつりさげて飛ばしたという感じが
よくわかった。飛行機というのは、水平を保ったまま、旋回はしない。加えて、同じシー
ンが、何度も使われていたのには、がっかり。

 (私は、飛行機には、うるさいのだ!)

 まあ、全体として、今までの日本映画のようなことはなかった。6億円(シネマトゥデ
ィ)かけてつくったという、大和のセットは、たしかにすばらしかった。

 もう少し予算があれば、もっとすばらし映画になっただろう。大和以外のセットは、小
さく、またそのため、アップの画面が多すぎた。ところどころで、舞台劇を見ているよう
な印象すらもった。

 が、どういうわけか、それでも私は、泣いた。先にも書いたように、切なかった。若い
水兵たちが、負けるとわかっていながら、大和に乗りこんでいく。死ぬとわかっていなが
ら、大和に乗りこんでいく。それが何とも言えないほど、切なかった。

 最後に……。

 ムダなセリフが多すぎる。

 たとえば最後に、大和が沈んだ海域で、娘役の鈴木京香が、遺灰を捨てるシーン。ああ
だこうだと説明する必要はない。ただ一言、「遺言でした」とだけ言えばよい。

 日本映画の悪いところ……ムダなセリフが多すぎる。おしゃべりが、多すぎる。せっか
くすばらしい演技力をもった女優なのだから、任すところは、任せばよい。……と思った。

 全体の構成というか、流れは、映画「タイタニック」に似ていた。それも残念といえば、
残念な点だった。

 きびしい批評を書いて、ごめん!

【付記】

 よくもまあ、こんなメチャメチャな戦争をしたものだと思う。改めて、それをこの映画
を通して、知った。戦艦ごと、3000人以上もの水兵たちが特攻していくなんて、いく
ら戦争とはいえ、常軌を逸している。

 もっと早く、白旗をあげていれば、無駄に死ぬ人も少なくて、すんだはず。映画の中で、
「ぼくたちは、新しい未来をつくるために、死んでいく」というようなセリフがあったが、
それこそまさに、犬死ではないのか? そんな必要はなかった。

 そう言えば、私のワイフの父親も、死ぬまで、こう言っていた。「申し訳ない」「申し訳
ない」と。映画の中で、仲代達也も、同じようなことを言っていた。

 ワイフの父親は、あのラバウルに第一陣として、出征している。が、日本へ帰ってきた
のは、第一陣で渡った3000人の中の、たったの300人。ワイフの父親は、その30
0人の中の1人だった。

 だからことあるごとに、「申し訳ない」「申し訳ない」と言っていた。

 「自分だけ、生きて帰ってきて、申し訳ない」という気持ちをこめて、いつもそう言っ
ていた。

+++++++++++++++++++++

孫の誠司が生まれたとき、息子が、それについて
書きました。

この原稿を書いてから、もう3年以上になるかも
しれません。

その原稿を、ここに添付します。

+++++++++++++++++++++

【二男のメモより……】

この前、弟に、どうしたら誠司の父親としてふさわしい人間になれるかっていうのは、結
局誠司が僕に教えてくれるんじゃないか、って思うようなことを言ったけれど、近頃僕が
誠司に教えてあげられること、言葉にできるようなことなんてそれほど重要性がないんじ
ゃないかな、と思う。 

僕が妻と接するとき、夫としてどうあるべきなのか、それは皆父がぼくの母にどうあった
かを僕の人生から学び、それを受け入れたり拒絶したりしながら僕の接し方に反映してい
るから分かるんだと思う。しかし、僕は二男として生きる意味が良く分からない。息子と
は何なのか? 父親とどう接していくものなのか? よく分からない。 

ぼくの人生には祖父、祖母といった人物がほとんど存在しない。僕は父が僕の祖父と一緒
にいるのを見たことがないし、僕の父は僕に「父」や「夫」が何であるかを教えてくれた
けれども、「息子」とか「孫」が何であるのかはほとんど空白のままだ。僕は、それが僕の
息子として生きる意味の曖昧さの原因なのだろうかと思う。 

義理の父(ジム)の家へ滞在するとき、ぼくはいつも彼と彼の父の関係から目が離せない。
空を飛ぶのを夢見ていた人間が、あるとき急に空を飛べるようになった感覚だろうか? 
ロイス(ジムの父)は高齢で、もうあまり身の回りのことができないのだけれど、会うと
いつも昔のリトルロックの話や、彼が太平洋戦争中に、艦船でペンキ塗りの仕事をしてい
た話などおなじみの話ばかりを繰り返す。

ジムはロイスを軽蔑しているようだけれど、好き嫌い、なんてことは僕には関係ない。僕
は彼らが「関係している」という事実そのものに学ぶべきことがあるような気がする。目
のあわせ方、話の聞きかた、食事中にお茶のお変わりを出すタイミング、そういったよう
な事の中に、「父」と「子」があって、今の僕にはいったいそれにどういう意味があるのか
言葉にはできない。けれどもそこになにか重大なものがあることは僕の血と魂から感じる。 

僕は、誠司にはぜひ、僕と父との関係の中に何かを見てもらいたい。僕が誠司に僕の父に
ついて話すとき、彼に僕の表情を見て欲しい。僕が父と話をするとき、彼に僕らが何をど
う話しているのか、テレビゲームをしながらでも耳にして欲しい。つまり、僕が父と関係
している、という事実そのものが彼の人生の一部にあって欲しい。 

父と祖父だけではなくて、あらゆる人と人との関係こそ、彼がこの世で学ぶ一番大切なこ
とだと思うけど、今日はそんな当たり前のことがふと頭に残った。

【宗市へ……、はやし浩司より】

 お前のエッセーを読んでいたとき、関係ないことかもしれないが、こんなことが頭の中
に浮かんだ。

 すべてを戦争の責任にすることはできないが、半世紀前の日本は、本当に貧しかったよ。
それがわからなければ、戦後の日本の、古い写真を見ればよい。

 ラムネ(国産)が、一本、5円の時代のときにね、バヤリースオレンジが、100円だ
った。それがね、店の一番奥の棚の上に、誇らしげに並べてあったよ。

 それを見ながら、ぼくは、「あんなの買う人がいるのだろうか」と思いつつ、「どんな味
か、一度、飲んでみたい」と思った。結局は、一度も飲まなかったけれどね。

 家族旅行などというのは、小学6年生までに、一度だけだよ。たったの一度だけ。しか
もね、行ったところが伊勢。ぼくらは、「お伊勢参り」と呼んでいた。

 旅館といっても、当時の旅館は、おおぜいの人との相部屋。そこで父は酒を飲んで暴れ
てしまい、夜中のうちに、岐阜のほうへ帰ってきてしまった。

 悲惨な少年期だったけれど、今から思うと、ぼくの父も、台湾で、アメリカ軍と戦い、
腹に貫通銃創を受けている。九死に一生どころか、千死に一生だね。ははは。それで心に、
深いキズを負っていた。今で言う、PTSDだね。夜中に、よくうなされて、暴れた。

 父親として、誠司の祖父として、じゅうぶんなことをしてあげられないのは、申し訳な
いと、いつも思っている。しかしこうまで時代が変るとは、このぼくでさえ、予想さえし
ていなかったよ。ホント!

 しかし、まあ、お前の祖父は、お前が生まれる前に死んでいる。祖母にしても、日本と
アメリカとでは、歴史的な背景もちがうだろう。ぼくたちが、デニーズの家族と同じこと
ができなかったからといって、あるいはしていないからといって、それはそれではしかた
ないことではないかと思っている。(弁解がましいが……。)

 まあ、お前はお前で、元気でやりなさい。いろいろさみしい少年期を送らせたことは、
悪かったと思う。まあ、その分、誠司に、心豊かな少年期を送らせるよう、がんばればよ
い。

 たった今、晃子が高校の同窓会から帰ってきた。何でもない生活に見えるかもしれない
けれど、これがぼくにとっては、きわめて大切な生活だよ。明日は英市が、オーストラリ
アから帰ってくる。たった今、「これから飛行機に乗る」という連絡が入った。

 30年前、50年前には、こんな生活は、考えられなかった。夢だった。今の生活は、
そんな夢のような生活だよ。ぼくにとってはね。そう、毎日、その気になれば、腹いっぱ
い、ごはんが食べられるだけでも、ぼくには、すばらしい生活だよ。毎週、その気になれ
ば、車で、ドライブができるだけでも、ぼくにはすばらしい生活だよ。

 幸か不幸か、(たぶん、不幸なのだろうが)、お前たちは、そういう貧しさを知らない。
その分だけ、今の価値がわからないのかもしれないね。

 いやね、25年前、自分の家を建てたとき、そこに水洗便所があるのを知ったとき、ぼ
くは、毎日、それをみがいていたよ。それまでは、どこでも、ボットン便所だったから…
…。ときどきは、そういう視点からも、日本を見て、家族を見てほしいよ。とても悲しい
ことだが、そのアメリカと日本は、60年前には、殺しあっていたんだよ。ぼくらには、
少しだけど、そのしこりは、まだ残っているよ。

 つまりお前が、アメリカ人になると言ったとき、ぼくは、そのしこりを、心の中で、つ
ぶさねばならなかった。その苦痛は、多分、お前には理解できないものだろうね。もしぼ
くの父、つまりお前の祖父が今、生きていたら、祖父は、お前たちの結婚は、絶対、認め
なかっただろうね。がんこで、生真面目な人だったからね。

 ぼくが子どものころでさえ、「天皇」と呼び捨てにしただけで、頭を殴られたよ。今のお
前から見ればおかしいと思うかもしれないけれど、しかしぼくは、ぼくの父が、なぜそう
であったかについて、今なら、父の気持ちが理解できるよ。

台湾でも、父の友人のほとんどが、アメリカ軍によって殺されている。晃子の父親は、
もっと悲惨だったよ。ラバウル島での戦闘がどういうものであったかは、お前も知って
いることと思う。

晃子の父親は、3000人の部隊の一人として、ラバウルに向かい、帰ってきたときに
は、300人もいなかったそうだ。日本へ帰ってきてからも、死んだ戦友たちに申しわ
けなくて、小さくなって生きていたそうだ。

 だから今、二つの気持ちが、ぼくの中にある。メジャーな気持ちとしては、「だから戦争
は、くだらない」という思い。もう一つは、マイナーな気持ちとして、「孫がアメリカ人と
いうのは、どういうことだ」という思い。

 すべてを戦争の責任にするわけにはいかないが、今、ぼくたちが、お前たち家族に対し
て、祖父らしいこと、祖母らしいことをできないからといって、……この話はやめよう。
グチになる。これからもがんばるよ。よき父親、よき祖父になれるように、ね。

 本当のところ、ぼくたちが見せることができなかった「家族」というものを、デニーズ
さんの家族が、お前に見せてくれていることについては、感謝している。喜んでいる。ま
あ、元気でやりなさい。

 晃子も、ぼくも、今、望むことは、いつまでもお前たちが、今のまま、幸福であること。

 ではね、バイ! また何かよいものを見つけたら、送るよ!

++++++++++++++++++++

もう1作、ワイフの父親について
書いた原稿を添付します。

私は、ワイフの父親を、心から尊敬して
いました。

内容が少しダブるかもしれませんが、
お許しください。

++++++++++++++++++++


●嫌われる老人

 これから先、この日本は、超高齢者社会を迎える。はっきり言えば、老人だらけの国に
なる。しかしこれは、これからその老人になる私たちにとっては、深刻な問題である。

 理由の第一。

 社会にとって、老人が、「お荷物」になるということ。「粗大ゴミ」という言葉を使う人
もいる。

 医療費や社会生活費の増大など、若い人たちのへの負担は、ますます大きくなる。もう
すでに今、パンク(破産)状態だと言う人もいる。そのうち、「医療費がしっかり払えない
ようなら、あなたはもう用なしですから、早く死んでください」と言われるようになるか
もしれない。

 理由の第二。

 日本型、家族社会の崩壊。昔は、二世代、三世代同居住宅がふつうであった。若い人が
老人の世話をするというシステムが、まだ機能していた。

 しかし今、そのシステムは、崩壊した。それはしかたないとしても、それにかわる受け
皿整備が、遅れてしまった。これからは、ひとり暮らしの老人が、ますますふえる。その
分だけ、孤独な老人がふえる。

 こうした超高齢社会を前にして、私たちは、どうすればよいのか。

 要するに、若い人たちに、嫌われず、役にたつ老人になるということ。つきつめれば、
そこへ結論が飛ぶ。

 そこでまわりの老人たちを観察してみる。あなたのまわりの老人たちでもよい。すると、
いろいろなタイプに、分類できるのがわかる。

(1)趣味、道楽型(毎日、道楽ざんまいで日を過ごす)
(2)引きこもり型(ほとんど社交せず、とじこもる)
(3)旅行、社交型(外出が多く、旅行ばかりしている)
(4)家族、孫育て型(家庭に入り、孫育てに没頭する)
(5)仕事、現役型(生涯、現役人間。仕事ばかりする)
(6)奉仕、献身型(他人のために奉仕活動をする)
(7)病弱、闘病型(病気ばかりしている。その繰りかえし)
(8)無益、無害型(いるのかいないのかわからない状態)
(9)権威、威圧型(過去の肩書きや役職をカサに着て、いばる)
(10)孤独、孤立型(ひとり暮しをする。友人もいない)

 ざっと思いつくまま、あげてみたが、もちろん複合型もある。状況や相手に応じて、変
わるということもある。

 しかし重要なことは、老人は老人として、その存在感をもたねばならない。人生の先輩
として、また経験者として、つぎの世代の人たちに、道を示せるようでなければならない。

 が、悲しいかな、事実は、逆である。この日本では、老人は、ないがしろにされている。
で、その責任はといえば、むしろ、老人自身にある。老人になるまでに、それなりの準備
と努力をしていない。決して、老後の資金だけの問題ではない。その結果として、この日
本では、年々、老人の影は、ますます薄くなってきている。

++++++++++

【例1】

 A氏は、今年、75歳。健康である。公団を退職してから、20年になる。妻も準公務
員をしていて、やはり退職してから、15年以上になる。

 そのA氏についていえば、どこか偏屈なところはあるが、性格は温厚。知的で、もの知
り。長い間、どこか別々の生活をしてきたということもあり、夫婦仲は、それほど、よく
ない。しかし他人の目から見ると、ごくふつうの夫婦。

 A氏の趣味は、盆栽。庭から、二階の物干し台まで、盆栽が、ぎっしりと並んでいる。
妻の趣味は、刺繍(ししゅう)と料理。二人の子どもがいたが、すでに独立。都会で、結
婚して生活している。

 そんなわけで、A氏夫婦は、けっしてぜいたくな生活ではないが、そこそこに、優雅な
生活を楽しんでいる。毎月のように、旅行会の旅行に参加し、年に、2、3度は、海外旅
行にもでかけている。

【例2】

 B氏は、55歳まで、中規模の工場に勤めていた。そのあと、家業の農業を引き継ぎ、
今にいたっている。現在、79歳。

 若いころから、町の世話役として活躍。今は、祭の屋台の新造に情熱を注いでいる。屋
台といっても、新造すると、1500万円もかかる。地元の自治会長を歴任し、このとこ
ろ、毎晩のように、金策のため、あちこちを動きまわっている。

 通りで会うたびに、「今夜は、A地区の寄りあいがあってねエ」と、酒の入った赤い顔で、
私にあいさつをしてくれる。

【例3】

 C氏は、市役所を退職するとまもなく、軽い心筋梗塞で倒れた。幸い、そのあとのバイ
パス手術が成功した。で、それからもう27年。が、健康というわけではない。

 「私の体は、病気のデパートみたいです」と言って、C氏は笑う。現在、83歳。

 年齢も年齢だが、このところ、数か月に一度は、救急車の世話になっている。軽い脳梗
塞も併発して、言葉もままならないような状態がつづいている。

 趣味は、とくにない。山を歩きながら、山草を集めたりしている。あとは、毎日、こま
ごまとした家事のみ。もともと器用な人で、電気器具をなおしたり、家具を自分でつくっ
たりしている。

+++++++++++

 以上、A氏、B氏、C氏の3人を考えてみた。もちろんみな、架空の人物である。私が、
勝手に想像した。

 しかしこれら3氏は、恵まれた人たちである。じゅうぶんな退職金と、じゅうぶんな年
金を手にしている。が、老人が、みな、この3氏のようであるとは、かぎらない。そうい
うことは別にして、好かれる老人は、B氏であり、そうでない老人は、A氏やC氏という
ことになる。

 実際、「好かれる老人」のナンバーワンは、健康であること。どんなアンケート調査をし
ても、そういう結果が、出てくる。が、実際には、それだけでは足りない。この世界では、
「人に迷惑をかけないから、いい老人」ということにはならない。また、それだけに甘え
てはいけない。

 そこでさらに、老人のもつ問題点を整理してみる。

(1)依存性(だれかに頼ろうとする)
(2)閉鎖性(自分のカラにこもる)
(3)隠遁(いんとん)性(世捨て人になる)
(4)独断性(人の意見に耳を傾けない)
(5)権威主義(老人は偉いという意識が強い)
(6)絶対意識(親・絶対教の信者である)
(7)懐古主義(何かにつけて、過去がよかったと口にする)
(8)否定主義(「今の若いものは……」と若い世代を否定する)
(9)虚無主義(何ごとにも無関心。世の不幸を笑う)

 ほかにも老人特有の自己中心性もある。しかしこうした自己中心性は、若いときからの
引きずっているだけで、老人になったからといって、自己中心性が現れるわけではない。

 もちろんボケによる、症状もそれに加わる。アルツハイマー型のボケになると、がんこ
になったり、融通がきかなくなったりする。無関心になったり、繊細さがなくなり、他人
に対して、鈍感になったりする。

 こうした状態になるのを覚悟するなら、生きザマは、二つに一つしかない。

 「我、関せず」と、(嫌われる・嫌われない)などを考えずに生きるか、あるいは、周囲
の人たちに好かれるように生きるか、である。

 が、実は、もう一つの生きザマがある。

 「だからどうなの?」と自分に問いかけながら、生きる、生きザマである。つまり自分
自身に、いつも、生きる理由を問いかけながら、生きる。

 つまり、好かれる老人は、いつも「だからどうなの」という部分が、はっきりしている。
そうでない老人は、そうでない。ただ無益に、長生きをしているだけ。しかしそういう人
生に、どういう意味があるというのか。そういう人が、長生きをしたところで、それが、
どうだというのか。

 今年死んでも、来年死んでも、同じ。ただ生ているだけ……という人生には、意味がな
い(?)。生きる以上は、そこに何らかの意味がなければならない。

 その生きる「意味」がここでいう、「だからどうなの」という部分になる。

 最後に、私の義父(ワイフの父親)について書く。

 義父は、戦時中は、ラバウル島にいた。3000人いた部隊だったが、生きて帰ってき
たのは、たったの300人! そういう戦争を経験している。

 その義父は、生きている間中、「オレは、一度、死んで、命をもらった」が、口ぐせだっ
た。が、その義父が、胃がんになった。

 病院へ行くときは、すでに手遅れ。最期を予期していたのかもしれない。身辺の整理を
静かにしてから、家を出た。

 そして私たちが見舞いに行くと、いつも、ベッドの上で正座をして、座っていた。義父
は、ただの一度も、弱音も、泣き言も言わなかった。「さみしい」とも、「つらい」とも、
言わなかった。最後の最後まで、そのままの様子だった。

 で、いよいよ最期の日。手術は、転移がひどいということで、開腹はしたが、そのまま
また縫いなおされてしまった。

 私はいろいろな人の死を見てきたが、私の義父ほど、堂々たる最期を見たことがない。
最期の最期は、みなの見ている前で、自分で延命器具を手ではずした。そしてそのまま静
かな眠りについた。

 私たちは、つまりあとに残されたものたちは、そういう生きザマの中から、何かを学ぶ。
義父は、それをしっかりと、私たちの脳裏に焼きつけてくれたが、それが、あるべき、私
たちの老後の姿ではないかと、私は、思う。義父は、老後を生きるとき、「だからどうなの?」
という部分を、いつも、大切にしていた。

 このテーマは、これから先、自分の問題として、ゆっくりと考えてみたい。

【補記】

 おいしいものを食べる……だから、どうなの?
 すばらしい車に乗る……だから、どうなの?
 楽しい思いをする……だから、どうなの?

 長生きをする……だから、どうなの? それがどうしたというの?

 老人たちよ、元気なら、まだ体が動かせるなら、そしてじゅうぶんな知力があるなら、
みんなに、その「命」を還元しようではないか。つぎの世代の人たちのために、何かをし、
何かを残していこうではないか。

 ただ優雅な隠居生活をしていてはいけない。
 趣味三昧(ざんまい)の生活をしていてはいけない。

 そうでないと、本当に私たちは、その「粗大ゴミ」になってしまう! あるいは結局は、
そうすることが、老人自身のためにもなる。生きがいにもなる。

 知人のI氏(神奈川県F市在住)は、いつもこう言っている。「その年齢をすぎたら、自
分の人生を、つぎの世代を生きる人たちに、還元(かんげん)しなければいけません」と。

 私はこの「還元」という言葉が好きである。決して、自分の「命」を、自分だけのモノ
と、思ってはいけない。

++++++++++++++++

もう1作、以前、こんな原稿を
書いたことがあります。

それを添付します。

++++++++++++++++

●だから、どうなの?

「だから、どうなの?」という部分がないまま、戦後、日本は、日本人は、ただがむし
ゃらに生きてきた。マネーを追い求めてきた。それがまちがっていたというのではない。
そのおかげで、今に見る、この日本ができた。

恩師のT先生は、いつも口グセのように、こう言っている。「日本は、いい国じゃあ、あ
りませんか」と。私が何か、日本について批判めいたことを口にしたときだ。

しかし、今、多くの日本人は、それではいけないと思い始めている。たしかに生活は豊
かになった。が、しかし、何か、ものたりない。そのものたりなさの理由は、何か、と。

今日の朝、私は、老人問題について、考えた。その中で、こう書いた。

たしかに日本人は、長寿になった。しかし、だから、それがどうなの?、と。

これはたいへん危険な意見でもある。「命」の否定にもつながりかねない。へたをすれば、
老人不要論にまでいってしまう。

さらに(だから、どうなの)論を、どんどんと拡大していくと、生きていること自体の
否定にもつながりかねない。事実、うつ病か何かになって、自殺を試みる人は、「生きて
いて、何になる?」というふうに考えるという。

それは、わかる。しかしその一方で、「だから、どうなの?」を考えないまま、突っ走る
のも、これまた危険なことである。欲望が欲望を呼びさまし、それこそ際限がなくなっ
てしまう。収拾がつかなくなってしまう。

一つの例をあげて、考えてみよう。

たとえばあなたは、今、一食、数万円もする料理を注文したとする。とてもおいしい料
理だ。珍しい食材に、特殊な調理法。それを料理した、コックは、全国大会でも、入賞
するほどの腕前をもっている。

あなたはその料理を食べた。おいしいと満足した。が、ここでクエスチョン。

だから、それがどうなの?

 せっかくすばらしい料理を食べたのだから、その分、何かがなければならない。この広
い世界には、満足に食べ物も手に入れることができる、苦しんでいる人が、何億もいる。
その「何か」がないまま、ただ「おいしかった」では、すまされない。あるいは、それで
すませて、本当に、よいのだろうか?

 この段階で、「ああ、おいしかった」ですませてしまうと、今度は、あなたは、さらに高
級な料理を求めて、さまよい歩くかもしれない。その結果、肥満、そして成人病(ギョッ!)。

 「命」というのは、実は、私のものであって、私のものではない。ウソだと思うなら、
あなたの手指をじっと、ながめてみることだ。あなたは、その手指を自分のものだと思っ
ているかもしれないが、あなたが、その手指を作ったわけではない。

 あなたの「命」は、あなたを超えた、はるかに大きな(流れ)の中で、過去から未来へ
と流れている。あなたはその一部、その一瞬を、みなと共有しているにすぎない。

 「だから、それがどうなの?」と考えることで、あなたは、その命の流れの中で、立ち
止まることができる。あなたよいうより、あなたの中に流れる、人間という命の欲望に、
ブレーキをかけることができる。

 本来、動物の行動には、すべてムダがないはず。昆虫でも、魚でも、鳥でも……。彼ら
の行動のすべてには、「だから……」という部分が、はっきりしている。

 私たち人間も、そういう原点に、一度、立ちかえってみる必要がある。

 ……とまあ、むずかしい話を書いてしまったが、あなたも、ためしに、何かをしたら、「だ
から、どうなの?」「それが、どうしたの?」と、自分に、問いかけてみてほしい。その時
点で、ものの考え方が一変するかもしれない。

 おいしいものを食べた……だから、どうなの?
 すばらしい車を買った……だから、どうなの?
 旅行に行って、温泉に入った……だから、どうなの?


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

●明日は、8月15日

 いよいよ明日は、8月15日。日本のK首相は、Y神社を参拝するつもりでいるしい。
ふだんは、ヘラヘラとした感じの人だが、それは表ヅラ。あれでいて、結構、狂信的なと
ころがあるようだ。

 ここへきて、中国や韓国の動きが、にわかにあわただしくなってきた。「中止を要請する」
(中国)、「強硬手段に出る」(韓国)と。

 反対派の人たちは、都内でローソク行進をしたという(13日)。一方、右翼の街宣車が、
反対派のデモの人たちと衝突したというニュースも、伝わっている。

 「参拝するかどうかは、個人の勝手」とがんばる、日本のK首相。
 「ミサイルを飛ばすかどうかは、K国の勝手」とがんばる、K国の金xx。

 まったく正反対のことを言っているようだが、中身は、同じ。脳みその構造は、同じ。
今回は、参拝することによるデメリットが、あまりにも大きすぎる。それがわかったら、
政治家、なかんずく総理大臣は、日本全体の国益を優先させて、参拝を中止すべきである。

 ……しかしこの無力感は、いったい、どこからくるのか? 日本のK首相が、Y神社で、
「反戦の誓い」とやらをすればするほど、極東アジア情勢が悪化する。戦争へと一歩ずつ、
近づいていく。

 そこまでいくことはないにしても、中国や韓国で、反日運動がさかんになる。この8月、
MTさん一家が、上海へ転勤することになった。いろいろと仕事がやりにくくなるだろう
なと、私は心配する。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

*************旅・2話**************

【乗鞍岳】

+++++++++++++++++

台風の動きを心配しながら、
ワイフと2人で、乗鞍岳に
登った。

絶好の登山日和(びより)。
ラッキーだった。

+++++++++++++++++

●どこかへ行こう

 地元の電車会社が経営するバス会社のツアーを利用して、岐阜県の乗鞍岳へ行ってきた。
その会社では、『バンビ・ツアー』と呼んでいる。

 息子たちが子どものころは、よく利用させてもらった。しかし一度、タバコの煙でこり
てからというもの、利用するのをやめた。が、先日、問い合わせると、「全車、禁煙です」
とのこと。

 行き先は、決めていなかった。何しろ、「どこかへ……」と思いたったのが、数日前。空
席があるところをさがしたら、そこしかなかった。つまり、乗鞍岳・お花畑ツアー。

 「ここにしようか?」「しかたないわね……」と。

●天気は最高

 料金は、おとな6900円。往復のバス代金と、昼食のお弁当つき。安い!

 が、心配なのは、天気。台風、7号、8号、9号が、相ついで日本に向かって進んでい
るときでもあった。が、7号は、日本列島をかすめて北上。8号、9号は、中国大陸に上
陸。

 8月11日は、日本は、おだやかな高気圧にすっぽりと包まれた。朝から、好天気。ワ
イフは、傘や雨合羽(がっぱ)まで用意していたが、その必要はなかった。

 私たちは、ウキウキ気分で、バスに乗った。ガイドさんも、乗ったとたん、「今日は、好
天気に恵まれました」と、さかんに言いだした。「おとといのツアーは、キャンセルだった
のです」と。

●高速道路

 バスは、一度東名高速道路に入り、岡崎から、東海環状自動車道を通り、美濃へ。そこ
から今度は、東海北陸自動車道に乗りかえ、郡上八幡へ。最後は、高山市内を経て、乗鞍
岳(のりくらだけ)へ。

 朝、6時40分に浜松の西インターを出発して、昼前には、乗鞍岳へ着いた。

 いつの間にか、高速道路が網の目のように、張りめぐされていた。「便利になった」と感
心する前に、「ムダなものばかり作っている」と。東名高速道路は、渋滞ぽくなっていたが、
東名高速道路をはずれると、車は、まばら。対向車となると、ときどき、ポツンポツンと、
すれちがう程度。

私「道路を作るのはいいが、こういう道路は、維持費がたいへんなんだよ」
ワ「立派な道ね」
私「立派過ぎるよ……」
ワ「今は、もっと、車が多くてもいいはずよ」
私「今でさえこんな程度だから、ふだんは、もっと閑散としているはずだよ」と。

 時は、夏休み。すでに盆休みをとっている人も多いはず。

●乗鞍岳

 バスは、どんどんんと山道を登った。曲がりくねった道だったが、それほど気にならな
かった。が、登るにつれて、まわりの美しい景色が、つぎつぎと目に飛びこんできた。

 「あれは槍ヶ岳だ」「そのこちらは穂高だ」と。本当は、名前しか知らなかった。その名
前を、口にした。が、乗鞍岳は、見えなかった。

私「この先に乗鞍岳があるのだろうか」
ワ「この先みたいね」と。

 バスは、深い林の中を、相変わらず、何度も方向を変えながら走りつづけていた。

 が、突然、その林が消え、背の低い木々、それにゴロゴロとした岩場が、目に飛びこん
できた。と、同時に、目の前に、おおいかぶさるように、高い山が見えてきた。

 それが乗鞍岳だった。そのころから、私は、あたりかまわず、デジタルカメラのシャッ
ターを切った。

●富士見岳

 バスのターミナルは、野球場ほどの広場になっていた。何台かの観光バスが、すでにと
まっていた。

 私はバスをおりると、これまた真っ先に、デジタルカメラのシャッターを、切った。

 何とも言えない開放感。青い空、緑の草原、それに澄んだ空気! 近くの山々が、どれ
も手が届くような距離に見える。遠近感が、まるでない!

 前に、富士見岳(2817m)、うしろに魔王岳(2831m)。広場から見て、右前方
に、コロナ観測所のある摩利支天岳(2872m)。

 私たちは、迷わず、富士見岳をめざした。これといった理由はなかったが、登れそうな
山で、一番高そうな山が、それだったからである。

●ワイフ

 私の足は、鍛えてある。しかしワイフは、そうでない。10分も歩くと、案の定、ワイ
フは、ハーハーとあえぎ出した。

 「空気が薄いわね」と、何度も言ったが、私には、それはわからなかった。さわやかな
高原の空気。下界では、35度を超えているということだったが、山頂は、肌寒さを感ず
るほどだった。

私「休もうか」
ワ「だいじょうぶよ」と。

 こんな会話を繰りかえした。が、気がつくと、私はワイフの手を引きながら、歩いてい
た。

私「あと半分だ」
ワ「……」
私「ここまで来て、引きかえすこともいやだしね」
ワ「……」と。

 ゴロゴロした岩がむき出しになっていた。道というよりは、その岩を避けながら、山道
を登った。

 こういう山では、距離感が、わからない。下にいる人と、山頂にいる人を見比べならが、
自分がどのあたりにいるかを知る。私たちは、その両者が、ほとんど同じくらいに見える
ところで、一休みした。

●山頂

 予想どおりだった。登った甲斐(かい)があった。すばらしかった。気持ちよかった。

 山頂には、10人前後の人たちがいて、それぞれ思い思いの場所に腰をすえたり、そこ
で立って写真を撮ったりしていた。風はあったが、春のそよ風といったふうだった。

 夏山では、ここまで晴れる日は珍しいとか。そのありがたさは、よくわからなかったが、
私は、そこで何十枚も写真を撮った。記念にと、だれかに写真も撮ってもらった。

 ワイフは、何度も、「天国みたい」と言った。私も、すなおにそれに同意した。

 「もし、天国があるなら、こういう世界を言うのかもね」と。

ワ「ずっと、このままで時間が止まるといいわ」
私「そうだな。このままでね」
ワ「止まらないかしら」
私「それは無理だよ」と。

 そのとき、少し高いところを、双発の小型機が飛んでいった。

私「英市も、ああして、空を飛んでいるのか」
ワ「昨日のBLOGでは、高度1万フィートまであがったとあったわ」
私「3000メートルくらいだよ」
ワ「ここと同じくらいね」
私「そうだな」と。

 飛行機は見る見るうちに遠ざかって、やがて、私たちはそれを見失ってしまった。

 とたん、また時が流れ始めた。

 私たちは、登ったときとは反対側の道をおりて、広場にもどることにした。「こちらのほ
うが、おりやすいみたい」とワイフが、言った。それでそうした。
(06年8月11日記)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

【男と女】

++++++++++++++++

男と女は、出会い、
そして関係をつくる。

が、出会いといっても、
電撃的な出会いもあれば、
そうでない出会いもある。

そうでない出会いは、
どこかさみしげで、淡く、
そして切ない……。

++++++++++++++++

●パック旅行

 先日、地元のバス会社が運営する、パック旅行で、大坂まで行ってきた。私とワイフは、
前から5列目にすわった。席は、バス会社のほうで、あらかじめ、決められていた。

 幸い、子ども連れは、1組だけ。私は、休みには、できるだけ、子どもの姿を避けるよ
うにしている。とくに、こうした旅行ではそうだ。仕事がら、子どもがいると、気になっ
てしかたない。

 ほかに何組かの団体、それに老夫婦。姉妹らしき女性たちや、兄弟らしき男性たちのグ
ループもあった。前日まで、23人の参加と聞いていたが、フタをあけてみると、40人
にふえていた。

 私たちはバスに乗ると、まず、あれこれ食べ物をテーブルに並べたり、もってきた雑誌
を、椅子のアミに入れたりした。ワイフは、コンビニで買ってきた、おにぎりと、ペット
ボトルの水を、自分のテーブルの上に置いた。

 さあ、旅の開始!

●前の席の男と女

 私たちの横には、兄弟らしき2人の男たちが座った。兄弟ということは、顔の骨格から、
すぐわかった。よく似た顔をしていた。うしろには、60代はじめと思われる夫婦。そし
て前には、1組の男女が、すわった。

 しかしその男女、どこか、ぎこちない。おかしい。それに、ぜんぜん、楽しそうでない。
ガイドが、それなりにおもしろい話をしても、まったく反応しない。心は上の空といった、
感じ。

男性のほうは、かなり女性に気をつかっているよう。しかし肝心の女性のほうは、表情
をこわばらせたまま、つんとしていて、そっけない。

 言い忘れたが、男性のほうは、45〜7歳というところか。女のほうは、40歳前。あ
るいはもう少し若い。髪の毛の様子から、年齢差は、10歳近くあったかもしれない。

 私が、「?」と思っていると、ワイフも、そう思ったらしい。耳のそばで、ワイフが、こ
う言った。

ワ「夫婦ではないみたいね」
私「うん……」
ワ「どういう人たちかしら……」
私「まるで、見合いした直後みたいだ」と。

●夫婦

 どこかでその男性と女性は、出会ったらしい。そこでたがいの心を確かめるために、い
っしょに、デートをすることになった。

 ……というのが、私たちの出した結論だった。

 が、男性のほうは、ボサボサ頭。後頭部はややはげ、白髪が混じっていた。それに不健
康に太った顔つき。油顔でギラギラしていた。一方、女性のほうは、こざっぱりとした服
装。それに紺色の、色鮮やかなTシャツを着ていた。

 夫婦だったら、こうしたチグハグな服装には、ならない。私たち夫婦もそうだが、夫の
服装は、たいてい妻が決める。そのため、夫婦の服装は、どこか似てくる。

 で、同業者の直感というか、私は、その男女が、ともに、学校の教師だと思った。それ
をワイフに伝えると、ワイフも、同意した。

 「2人とも、先生みたいだね」「そうね」と。

 パーキングエリアで、バスをおりたとき、それは疑いから、確信へと変わった。

●親密度

 2人は、歩いてトイレの方に向かった。しかしその感覚は、夫婦のそれではなかった。
心理学の世界でも、たがいの親密度は、たがいの距離でわかるという。親密度が高ければ
高いほど、当然、その距離は、短くなる。そうでなければ、長くなる。

 男のほうはともかくも、女のほうは、男を避けているといった感じだった。距離は、ど
んな歩き方をしても、腕と腕が触れあうという距離ではなかった。もちろん、手をつなぐ
ということも、なかった。

私「あれじゃあ、ダメだよ」
ワ「何が……?」
私「女性のほうが、避けている……」
ワ「そうだね。ぜんぜん、楽しそうでないし……」
私「じゃあ、なぜ来たんだろ?」
ワ「そうね……」と。

 どこかでその男性と女性は、出会った。そういう出会いを用意する会は、多い。で、あ
る程度意気投合した男女は、つぎのステップへと進む。いっしょにお茶を飲んだり、旅行
をしたりする。

 この段階で、そのまま別れる男女も多い。が、中には、そのまま、ラブラブの関係にな
り、結婚へと結びつけていく男女もいる。

●電撃性

 男女の出会いにも、そういう意味では、いろいろある。電撃に打たれるような、はげし
い衝撃を感じて恋愛関係に陥る男女もいれば、長い時間をかけて、恋愛関係に陥る男女も
いる。

 若いときであれば、そのまま結婚……というケースも少なくない。が、年齢を重ねると、
そうはいかない。電撃の量そのものが、少なくなる。若いときは、数10万ボルトの電撃
かもしれないが、30代、40代ともなると、それが、数万ボルト、さらには、数千ボル
トへと、減っていく。

 またそれほど、長つづきしなくなる。

 最近の研究では、こうした電撃性すらも、脳内ホルモンで説明されるようになってきて
いる。わかりやすく言えば、年齢を重ねれば重ねるほど、その脳内ホルモンの分泌が少な
くなる。弱くなる。

 加えて、男女の出会いも、打算的になる。功利的になる。老い先を考えたものになる。
若いときのように、何もかも忘れて、無我夢中に……というわけには、いかない。

 バスの前に座った男女には、その電撃性が、感じられなかった。淡々というか、たがい
に、冷めた感じだった。とくに、女性のほうが、そうだった。

●旅

私たちは私たちで、小さな旅行だったが、それを楽しんだ。ガイドの指示に従って、バ
スをおり、そして乗るだけ。どこをどう回ったかについては、別の機会に書くことにし
て、それなりに楽しかった。

 こうした旅行のよい点は、気が楽なこと。バスの中では、眠りたいときに、眠ることが
できる。道に迷うこともない。それに安い。7000円ほどの料金で、12時間程度の旅
ができる。それに昼食つき。観光案内つき。

 ゆいいつの欠点は、プライバシーがないこと。それに運が悪いときには、騒々しいグル
ープと同乗することもある。今回も、となりに座った兄弟らしき、2人の男は、よくしゃ
べった。ときおり、携帯電話もかけていた。

 が、そのうち、この問題は解決した。2人が、どっさりともちこんだコミック漫画を読
み出したからだ。

 私たちは、旅のほとんどを、うたたねをして過ごした。

●印象

 バスは、そのとき、帰路を急いでいた。盆も近い夏休みということで、高速道路での渋
滞が心配されたが、それはなかった。ほどよい疲れが、ぼんやりとした眠気を誘った。時
計を見ると、もう夕方の7時になっていた。

 相変わらず、前の席の男女は、そのままだった。多少女性のほうが、心を開いたかなと
いう印象はもったが、それは儀礼的なものであったかもしれない。「好きではないが、嫌わ
れるのも、いや」というような感じだった。

 こう書くからといって、私たち夫婦が、その男女のことを心配していたからではない。
関心があったからでもない。ただ、気には、なった。「どういう関係なのだろう?」という
疑問が、そのまま、そうなった。

 まあ、あえて言えば、旅の肴(さかな)のようなものだった。(ごめん!)

 もし夫婦であれば、気にはならなかっただろう。しかしその男女には、夫婦特有の自然
らしさが、まったくなかった。恋人どうしという不運域も、まったくなかった。

私「これじゃあ、ダメだね」
ワ「そうね」
私「男のほうが、つまらない。もっと、女性を楽しませなくてはいけない」
ワ「きっと、まじめな人なのよ」
私「あとは、別れ方をみればわかるよ。バスをおりたとき、どういう雰囲気で別れるか、
それでわかる」と。

●別れ

 が、バスがターミナル駅に近づくころ、ものすごい、尿意。私は、こうした旅では、い
つも、2リットル入りのペットボトルを、2本、用意する。暑い夏場は、もっと飲む。

 私は、ときどきそういう自分を、海生人のように思う。いつも水を飲んでいる。が、ト
イレの問題もある。バスは、ほぼ1時間間隔で、トイレ休憩をしてくれる。が、それでも
間にあわないときがある。

 うまく自分をコントロールしながら、水を飲む。

 が、あと1時間ほどで浜松……というところあたりで、私は、ペットボトルの水を、ぐ
いぐいと飲み始めた。油断した。しかし、これがいけなかった。

 ワイフが、「あなた、だいじょうぶ?」と何度も、声をかけてくれた。私は、「ああ」「う
ん」と答えるのが、精一杯だった。

 で、それは何とか、間にあった。バスを一番におりると、私はそのまま、その裏手にあ
るデパートのトイレへと、駆けこんだ。

 で、その帰り道。私とワイフは、こんな会話をした。

私「どうだった?」
ワ「あら、見ていなかった」
私「いっしょに歩いて行ったか?」
ワ「見ていなかった……」
私「だめじゃないか、ちゃんと、見ていなければ……」

ワ「だって、あなたのことが心配で……。まにあったの……?」
私「7割、床で漏らしてしまったよ」
ワ「エーッ?」
私「ウソだよ、ウソ」と。

 それきり、その男女のことは忘れた。私の印象では、あのままあの男女は、別れてしま
っただろう。男と女の出会いは、どこか心ときめくものだが、しかし同時に、別れるとき
は、淡く、切ない。

 そのときも、その切なさを、心のどこかで強く感じた。駐車場にとめてあった車に乗り
こむと、ワイフは、クーラーを入れた。その冷気が、心地よかった。

 おしまい。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【悪母3態】

+++++++++++++++++++++

悪い母親のタイプを、大きく、3つに
分けて考えてみた。

称して、「悪母3態」。

+++++++++++++++++++++

【1】独立を許さない親

 子どもが、親から離れ、独立していくのを許さない親がいる。子育てを生きがいにして
きた、どこか溺愛タイプの父親、母親に、多い。

 最初に申し添えるなら、溺愛は、「愛」ではない。自分の心のすき間を埋めるための、自
分勝手な愛をいう。もともと情緒的に未熟な人、精神的に未完成の人が、何らかのきっか
けで、溺愛に走るケースが、多い。

 ある母親は、自分の一人娘が結婚したあと、その娘にこう言ったという。「あなたを、一
生かかって、のろい殺してやる。親を捨てるとは、どういうこと。あなたが地獄へ落ちる
のを楽しみにしている」と。

 この話は、本当にあった話である。ワイフが、その女性に会って、直接、確かめている。
そして私には、こう言った。「世の中には、いろいろな親がいるのねえ」と。

 が、その子ども自身にとっても、これは不幸なことである。

 親が、子どもを溺愛し、その結果、子どもの自立、独立を許さないのは、親の勝手。親
のエゴ。が、そのエゴにからまれ、もがき苦しむ子どもも、少なくない。

 前にも書いたことがあるが、実母の葬式に出なかったことを、いまだに悔やんでいる男
性(55歳)がいる。実母は、10年ほど前、その男性が45歳のときに、なくなってい
る。

 いろいろ人には言えない事情があるらしい。それはそれとして、問題は、なぜその男性
が、悔やむかということ。もし私がその母親なら、天国なら天国からでもよいが、その男
性にこう言うだろう。「気にしなくてもいいのよ! あなたはあなたで、幸福になってね」
と。

 子どもは、ある年齢に達すると、「家族」というワク、これを心理学の世界では、「家族
自我群」というが、そのワクから、のがれようとする。最初は、抵抗、反抗という形で、
それを表現する。ときに家族、なかんずく親を否定することもある。

 こうしたを心理学の世界では、「内的促し」という。「内的」というのは、心の世界をい
う。肉体を「外的」というのに対して、精神を「内的」という。子どもは、自立、独立す
るために、精神の完成を自ら、求めるようになる。

が、こうした子どもの行為に対して、とくにこの日本では、それを悪いことと決めてか
かる傾向が強い。親に反抗しただけで、「親に向かって、何だ!」と、怒鳴り散らす父親
や母親は、多い。「非行」というレッテルを張ることも珍しくない。

 これを「内的つぶし」という。この言葉は、私が考えたものだが、親自身が、子どもの
自立や独立を、つぶしてしまうことも、珍しくない。そしてさらにその結果として、子ど
もは、自ら、罪悪感をもつようになる。先の男性が、その一例である。

 「私は、親の葬儀にも出なかった。私は、できそこないの息子だ」と。

 子どもは、小学3、4年生をさかいに、急速に親離れを始める。生意気になり、親に口
答えするようになる。反抗もするようになる。しかしそれは、国際的な基準でみるかぎり、
ごく自然な(流れ)であり、そういう流れの中で、子どもは、自立していく。

 もちろん日本には日本の風土、文化というものがある。親子関係も、どこか特殊? い
まだに「父親に求められるのは、威厳である」と説く人も、少なくない。最近では、家庭
教育に武士道をもちだす人まで、現れた。

しかしそれらは、ほとんどのばあい、どこか不自然な子育て観といってもよい。日本の
子どもだけは特別と考えるのは、おかしい。日本式の子育てが正しくて、外国の子育て
はおかしいと考えるのは、さらにおかしい。安易にそれを受け入れれば受け入れるほど、
あなたは、(自然な形での子どもの姿)を見失う。


【2】子どもを支配する親

 「代償的過保護」という言葉がある。

 ふつう、過保護というときは、その背景に、親の深い愛情がある。その愛情が、転じて、
親は子どもを、保護過多、つまり過保護にする。

 が、代償的過保護には、その背景に、親の深い愛情があっても、希薄。子どもを自分の
支配下に置いて、子どもを自分の思いどおりにしたいという過保護を、代償的過保護とい
う。

ただ、この代償的過保護は、見た目には、過保護と、たいへんよく似ている。区別がつ
かない。それにたいていのばあい、子どもに対して代償的過保護を繰りかえしながら、
親自身は、それを親の深い愛情と誤解している。

よくある例は、「子どもはかわいい」「かわいい」を口ぐせにしながら、その一方で、子
どもが、自立したり、独立していくことを、許さない、など。「渡る世間は鬼ばかり」と、
子どもを、ほとんど外出させなかった母親もいる。子どもといっても、30歳を過ぎた
子どもである。

 ……というような話は、前にも書いた。

 ここでは、その先を書く。

 こうした代償的過保護のもとで育つと、子どもは、当然のことながら、自立できない、
ひ弱な子どもになる。(反対に、親に猛反発する子どももいる。その割合は、7対3くらい。)

 が、それだけではない。

 子どもは、ある年齢に達すると、急速に親離れを始める。自立のための準備期間に入る。
その年齢は、小学3、4年生ごろ、満10歳前後とみる。

 これを発達心理学の世界では、「内的促し」(ボーエン)という。このころから、子ども
は、自立をめざし、内的、つまり精神面での完成をめざすようになる。

 この時期、子どもは、家族的自我群(家族としてのまとまりのある意識)から逃れ、自
分を確立していく。が、ここで誤解してはいけないのは、内的促しをするからといって、
その子どもが、家族を否定するようになるのではないということ。

 子どもは、内的促しをしながら、その一方で、家族との調和をはかる。つまりこうして
子どもは、精神的にバランスのとれた人間へと、成長していく。

 が、代償的過保護のもとで育つと、子どもは、この精神の発達を、阻害(そがい)され
ることになる。そしてその結果、自立できないばかりか、現実検証能力を失う。30歳を
すぎても、親のサイフからお金を盗んで使っていた男性がいた。親といっても、安い給料
の、サラリーマンだった。

 自分で、してよいことと、悪いことの区別がつかなくなる。自分ですべきことと、して
はいけないことの区別がつかなくなる。

 総じて言えば、代償的過保護には、親の過関心と過干渉がともなう。ある女性は、こう
言った。「母が兄を見る目つきは、いつもキリで心を突き刺すように、鋭かった」と。親自
身の精神的未熟性がその背景にあるので、問題の解決は、容易ではない。

 なお、子どもの受験勉強に狂奔する親がいる。明けても暮れても、頭の中は、子どもの
進学問題でいっぱい。……というような親は、ここでいう代償的過保護傾向の強い親とみ
てよい。一見、子どもの将来を心配しているようだが、その実、自分の不安や心配を、子
どもにぶつけているだけ。

 もう少し極端な例としては、ストーカーがいる。嫌われても嫌われても、その男性(女
性)をおいかけまわす。相手が迷惑していることすら、理解できない。つまり自分が置か
れた現実を理解できない。

 少し話がバラバラになってきたので、この話はここまで。

【代償的過保護・自己診断テスト】

( )いつも子どもの行動を知っていないと、落ちつかない。不安。心配。
( )いつも子どもにあれこれ指示を出し、命令している。勝手な行動を許さない。
( )子どものために、自分の人生を犠牲にしていると思うことが多い。
( )子どもの世話をやくのが、親の努めだと思う。めんどうみのよい親がよい親と思う。
( )うちの子は、外の世界では、ひとり立ちして生きていくのは無理だと思う。

 ここに書いたことが、いくつか思い当たれば、あなたは本当に子どもを愛しているか。
何か、おおきなわだかまり(固着、こだわり)をもっていないか。それを反省してみる。
それと同時に、あなた自身も、一人の人間として、ひとり立ちできているかどうかも、反
省してみるとよい。


【3】子どもを否定する親

 Kさん(60歳、女性)は、いつも自分の長男氏(34歳)について、「あの子は、バカ
で……」と言っていた。いろいろな母親がいるが、自分の息子を、「バカ」という親は少な
い。

 で、ある日、私がそれとなくKさんに、「そんなふうに言ってはいけない。ぼくには、そ
うは思えない」と話すと、Kさんは、こう言った。「あの子は、生まれつき、ああです」と。

 そのKさん。親類の間では、「仏様」と呼ばれていた。もう一人、1歳年下の妹がいたが、
子ども思いのよい母親と思われていた。人前では、おだやかで、やさしい母親を演じてい
た。

 しかしその長男氏は、ハキがなく、いつも何かにおびえたように、オドオドしていた。
明らかに、母親の否定的な育児姿勢が、その長男氏の自我を押しつぶしてしまっていた。

 こんなことがあった。

 そのKさんの横に、10坪くらいの空き地があった。花壇や畑になっていた。しかしそ
こを駐車場にすれば、車が4、5台、駐車できる。そこで私が、その長男氏に、貸し駐車
場にしたらよいのではと話すと、その長男氏は、こう言った。

 「そんなことを言うと、母さんに叱られる」と。

 30歳をすぎても、母親の威圧(幻惑)に、おびえていた。

私「駐車場にして貸せば、あそこだったら、毎月、10万円くらいの収入が見込める」
長「植木鉢は、どうする?」
私「横へ並べておけばいい」
長「そんなこと言ったら、母さんに叱られる」と。

 強烈な母親のイメージ。長男氏は、その呪縛の中で、もがき苦しんでいた。

 こうした否定的な育児姿勢が日常化すると、子どもは、つぎのような症状を見せるよう
になる。

(1)自信喪失
(2)判断力の低下
(3)自我の喪失
(4)現実検証能力の喪失
(5)強度な依存性(服従性)
(6)基底不安をもちやすい
(7)常識ハズレの行動
(8)萎縮性、自閉傾向など。

 Kさんは、長男に、こんな言い方をしているという。文にすると、その場の雰囲気を伝
えることができない。かなり、きつい言い方である。

(客が来たとき、Kさんは、長男氏に、お茶をもってくるように言った。そのときのこ
と)、「早くもって来なさい。どうせ、ぐずぐずもってくるんでしょ。ぐずぐずしている
と、お客さんが、帰ってしまうでしょ」と。

(客がくれた、みやげの菓子を長男氏に渡しながら)、「菓子だよ。あんたがもらっても、
私にはくれないけど、私は、ちゃんとあんたに、あげているよ」と。

(長男氏が菓子を食べていると)、「いらないと言っているくせに、どうせ全部、食べてし
まうのでしょ。あとで腹が痛いというんじゃ、ないよ!」と。

 長女は、私にこう訴えた。「母は、いつも一言、多いのです。その一言が、兄の心をキズ
つけます。しかし母は、それに気づいていません。が、何よりも不幸なのは、そういうあ
つかいを受けながら、兄が、母のその呪縛を解き放つことができないでいることです。ベ
タベタの依存性がついてしまって、兄は、母の指示がないと、ひとりでは何もできなくな
ってしまっています」と。

 「うちの子は、何をしてもだめだ」「何をしても心配だ」と、もしあなたがそう思ってい
るなら、それはあなたの子どもの問題ではない。あなた自身の問題と考えてよい。

 あなたの中にある、わだかまりやこだわり(固着)をさぐってみたらよい。望まない結
婚であったとか、望まない子どもであったとか、など。

 こうしたわだかまりやこだわりが、姿を変えて、否定的な育児姿勢になることは多い。
子どもの側からみて、何が不幸かといって、そういう親をもつことくらい、不幸なことは
ない。

 もしあなたがそうなら、まずそのわだかまりや、こだわりに気づくこと。気づくだけで
よい。少し時間がかかるが、あとは時間が解決してくれる。

 ついでに一言。

 よく「うちの子は生まれつき……」と言う親がいる。しかしこれほど、実に不愉快な、
しかも卑怯な言い方はない。

 あの赤子を見て、「生まれつき……」などとわかる人は、絶対にいない。えてして、親は、
自分の育児の失敗を、「生まれつき」という言葉でごまかす。親として、絶対に口にしては
いけない言葉である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
個人化 幻惑 個人志向 共同体志向 家族自我群 現実検証能力)
(040612)(060810改)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●日本の教育が遅れるとき 

+++++++++++++++++

いまだに、「英語教育は必要ない」と
説く識者(?)がいるのには、驚く。

偏屈な民族主義にしがみついて、
「武士道こそ、日本が誇る
アイデンティティ」と説く識者(?)も
いる。

+++++++++++++++++

●英語教育はムダ?

 D氏(65歳・私立小学校理事長)はこう言った。

「まだ日本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。

つまり小学校での英語教育は、ムダ、と。

しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないのに、
外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、火星に探査機を送る
のはムダ」と。

私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要はない。しっかり
とした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。

●多様な未来に順応できるようにするのが教育
 
これについて議論をする前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校で
は、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている(※1)。

たとえばルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、
4歳児から子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立
大学で講師をしている知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれた。

「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、
教育の目標だ」と。

事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べてい
る。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること(※2)」(長野県
経営者協会会合の席)と。

オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、子どもたち
は学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、「英語
を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文
法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者
になるには、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。

もともとその道の学者が作った体系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立た
ない。こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもた
ちはもっとかわいそうだ。

たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言葉を使って、いかにして自
分の意思を相手に正確に伝えるか、だ。それを動詞だの、三人称単数だの、そんなこと
ばかりにこだわっているから、子どもたちはますます英語嫌いになる。

ちなみに中学1年の入学時には、ほとんどの子どもが「英語、好き」と答える。が、一
年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と答える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの1次方程式や2次方程式にしても、それほど大切なも
のなのか。さらに進んで、三角形の合同、さらには2次関数や円の性質が、それほど大切
なものなのか。仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つ
というのか。

こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生
活を営む上で必要な基礎学力だ」と。

もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほ
しい。「なぜ中学1年で1次方程式を学び、3年で2次方程式を学ぶのか。また学ばねば
ならないのか」と、それを説明してほしい。その説明がないまま、問答無用式に上から
押しつけても、子どもたちは納得しないだろう。

現に今、中学生の56・5%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強しなけ
ればいけないのかと思う」と、疑問に感じているというではないか(ベネッセコーポレ
ーション・「第三回学習基本調査」2001年)。

●教育を自由化せよ

 さて冒頭の話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がない。
こういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。

早くから英語を教えたい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学
びたい子どもがいる。早くから学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべき
だという人がいる。早くから教える必要はないという人もいる。

要は、それぞれの自由にすればよい。そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダの
ようにクラブ制にすればよい。またそれができる環境をつくればよい。「はじめに学校あ
りき」ではなく、「はじめに子どもありき」という発想で考える。それがこれからの教育
のあるべき姿ではないのか。それでほとんどの問題は解決する。

注※1……州政府は学習内容を六つの領域に分け、一応のガイダンスを各学校に提示して
いるが、「それはたいへんゆるやかなもの」(同小学校、オクーイン校長)とのこと。各学
校はそのガイダンスの範囲内で、自由にカリキュラムを編成することができる。

注※2……ブレア首相は、教育改革を最優先事項として、選挙に当選した。それについて
在日イギリス大使館のS・ジャック公使は、次のように述べている。

「イギリスでは、1990年代半ば、教育水準がほかの国の水準に達しておらず、その
結果、国家の誇りが失われた認識があった。このことが教育改革への挑戦の原動力とな
った」「さらに、現代社会はIT(情報技術)革命、産業再編成、地球的規模の相互関連
性の促進、社会的価値の変化に直面しているが、これも教育改革への挑戦的動機の一つ
となった。

つまり子どもたちが急激に変化する世界で生活し、仕事に取り組むうえで求められる要
求に対応できる教育制度が必要と考えたからである」(長野県経営者協会会合の席で)と。

そして「当初は教師や教職員組合の抵抗にあったが、国民からの支持を得て、少しずつ
理解を得ることができた」とも。イギリスでの教育改革は、サッチャー首相の時代から、
もう丸四年になろうとしている(2001年11月)。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【相手を喜ばす】

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相手を喜ばすためには、何を、どうすればよいか。

よい思いをさせる。何か、ものをあげる。

しかしそのとき、何が一番重要かといって、
相手の、生きがいを知ることほど、重要な
ことはない。

相手の生きがいを知る。その生きがいに
なっていることを、助ける。ほめる。伸ばす。

それが相手を喜ばす。

私は、そのことを、子ども(生徒)を
教えていて、発見した。

++++++++++++++++++++

●生きがいを知る

 その相手を喜ばすためには、まず、その相手、つまりその人の生きがいが何であるかを
知る。その生きがいになっているものが何であるかわからないまま、何かをしてあげたり、
ものをあげたりしても、ほとんど、意味はない。

 たとえばゴルフをしたことがない人に、クラブをあげても意味はない。魚釣りをしたこ
とがない人に、釣竿をあげても意味はない。が、その人の生きがいを知るだけでは、足り
ない。

 子どもも、またしかり。

 サッカーの好きな子どもには、サッカーの話をする。ゲームの好きな子どもには、ゲー
ムの話をする。音楽の好きな子どもには、音楽の話をする。が、安易な迎合主義には、気
をつけたほうがよい。

 私も、最近、こんな経験をした。

 ある人が、私に、一冊の本をくれた。「よい親子関係は、幼児期に決まる」(仮称)とい
うタイトルの本だった。私が幼児教育に関心があるという程度のことは、その人は知って
いた。しかし私は、その本を、数ページ読んだだけで、そのまま本箱へしまってしまった。

 読むに耐えない内容の本だった。文章も稚拙(ちせつ)。その人はその人なりに、私を喜
ばそうと、懸命に考えたにちがいない。そしてその本を選ぶために、書店で、それなりに
苦労したにちがいない。

 しかし私には、とても、読むに耐えない内容の本だった! ……というようなこともあ
る。

●生きがい

 しかし生きがいといっても、いろいろある。出世主義の人は、出世だけを、生きがいに
している。名誉や地位を求めることだけに、夢中になっている人も、少なくない。

 さらに金儲けを生きがいにしている人もいる。明けても暮れても、考えていることとい
えば、お金(マネー)のことばかり。

 そういう人を喜ばすのは、簡単なこと。出世することや、お金儲けにつながるようなこ
とを、してあげればよい。そういう話をすればよい。が、それには限界がある。こちら側
も、それに同調できればよい。同調できなければ、こちら側のもつ主義主張と、その時点
で、衝突する。頭の中で、火花がバチバチと飛ぶ。

 出世することが、まちがっているというのではない。お金儲けをすることが、まちがっ
ているというのではない。しかし、それがどうだというのか? ……という疑問を感じて
しまうと、同調できなくなってしまう。

 たとえばある人は、市内で寿司店を経営していた。味もよく、結構、繁盛していた。で、
2代目のその人は、郊外に、もう1店、支店をもった。が、これが当たった。その人は、
こうして、2店目、3店目……と、店の数をふやしていった。

 その人は、今、県外に、店を構えることに、夢中になっている。そしてその目標に向か
って、がんばっている。つまりそれがその人の生きがいになっている。

 しかしそれが、どうだというのか……?、と、考えてしまうと、その人を助ける気持ち
など、どうしてもわいてこない。あるいは、どうやって喜ばせばよいのか。

●人、それぞれ

 その人の価値は、その人が、何を生きがいにしているかで決まるといっても、過言では
ない。そういう意味では、(生きがい)というのは、崇高であればあるほど、よい。

 出世主義や、金儲けを生きがいにしている人もいる。しかしその一方で、ボランティア
活動に夢中になっている人もいる。学者や研究者のように、真理の探究に夢中になってい
る人もいる。……といっても、名誉だけを先に追い求めている学者も、いないわけではな
いが……。

 さらに全国の山岳めぐりを生きがいにしている人もいれば、冒険を生きがいにしている
人もいる。本を書いたり、私のように、ものを書くのを生きがいにしている人もいる。さ
らに進んで、文学や芸術の世界で、真理の探究を生きがいにしている人もいる。

 もちろん子育てを生きがいにしている人もいる。親孝行を、生きがいにしている人もい
る。宗教活動を生きがいにしている人もいる。

 人、さまざまだし、それぞれ。その相手を喜ばそうとしたら、その人が何を生きがいに
しているかを、知る。

●適当につきあう

 だからといって、先にも書いたように、こちら側にも、できることと、できないことが
ある。生きがいというのは、私たち1人ひとりの、人生観、哲学と深く、かかわりあって
いる。

 いくら相手を喜ばすといっても、犯罪者に手を貸すわけにはいかない。カルト教の信者
に手を貸すわけにはいかない。

 そこで、私たちは、「適当につきあう」という方法で、こうした問題を回避する。盆暮れ
のつけ届けにしても、当たり障(さわ)りのない、菓子や食べ物で、すますとかなど。相
手が、それなりに喜んでくれれば、それでよしとする。またその程度のつきあいで、すま
す。

 よい例が、年賀状である。

 中には、その年の信念や抱負を書いている人もいるが、たいはんは、決まり文句を、1
0年一律のごとく書いている。不特定多数の人に、年賀状を出すには、そのほうが、よい
のかもしれない。無難。つまり、そういうつきあい方になる。

 が、そういうつきあい方に、どれほどの意味があるというのか? こういうのを、一般
社会では、「虚礼」と呼ぶ。

●虚礼

 ある年齢までは、それもできるだろう。しかしある年齢をこえると、突然、虚礼のもつ
むなしさというか、無意味さが、わかるようになる。

 よい例が年賀状だが、ほかに、法事もある。葬式がある。結婚式がある。ごく最近も、
私は、ある親族の息子の結婚式に出た。その結婚式だが、「式」には、それなりの意味を感
じた。が、披露宴なるものには、どうか?

 はっきり言えば、ただのバカ騒ぎ。私たちジジ、ババは、そういう披露宴の(飾り)で
しかない。そういうジジ、ババの1人として、私は、楽しむというよりは、じっと、それ
に耐えるしかなかった。

 ここでいう(ある年齢)というのは、それをいう。若いころは、バカ騒ぎができたかも
しれない。しかし、今は、もうできない。

 年賀状にしても、10年1律、20年1律の文章を書いてくる人には、ここ数年、返事
を書いていない。法事にしても、できるだけ、断るようにしている。

●孝行論

 で、もうひとつの例が、親孝行である。

 知人の中に、1人、猛烈なマザコンタイプの男性がいる。今年、60歳になるのではな
いか。会うたびに、「母が……」「母が……」と言う。自分の母が年老いていくのが、よほ
ど、つらいらしい。

 そうした気持ちは、程度の差こそあれ、みな、もっている。私にも、理解できる。が、
その知人は、自分の母を喜ばすことだけが、生きがいのようでもある。庭先には、母のた
めにと、小さいが、茶室まで、用意した。

 が、その一方で、親をうらみ、憎んでいる人も少なくない。親といっても、いろいろあ
る。親子関係も、さまざま。「自分がそうであるから」という理由だけで、それを相手に押
しつけてはいけない。

 その知人は、数か月おきに、母親を車椅子に乗せて、あちこちの温泉めぐりをしている。
が、ここで注意しなければならないのは、ではその知人が、すばらしいことをしているか
と言えば、そうとは言えない。

 その知人には妻がいたが、知人のマザコンぶりに耐え切れず、もう20年ほど前に、2
人の子どもを連れて、離婚している。その知人は、そのとき、自分の妻にこう言ったとい
う。

 「親のめんどうをきちんとみられないような嫁は、この家から出て行け!」と。離婚劇
の過程で、嫁と姑(しゅとめ)のはげしい、葛藤(かっとう)もあったらしい。

 それにもうひとつ。

 そういう知人の孝行ぶりを、母親自身が、喜んでいるかどうかというと、これも疑わし
い。私の目には、たがいに、ただ、ベタベタの親子関係を、つづけているようにしか、見
えない。

●再び、生きがい

 正直に告白する。

 私の現在の(生きがい)は、毎朝、こうして、エッセーを書くことである。ただ私は、
もともと、それほど、意思の強い男ではない。だから、自分で自分に、ノルマを課してい
る。

 週3回の電子マガジンを発行するというノルマである。1回分を、A4サイズの原稿用
紙(40x36字)で、20枚以上と決めている。

 そうでもしないと、すぐだらしなくなってしまう。が、ノルマを課すことによって、自
分で自分をおいつめることができる。つまりそれが、こうしてものを書く、原動力になっ
ている。

 で、そういう自分を喜ばすものは、何か?

 これまた正直に告白するが、読んでくれる人がいて、はじめて、文章は、文章としての、
意味をもつ。価値をもつ。

 読んでくれる人がいるということが、私には、大きな喜びを与える。

 もちろん中には、私の文章を読んで、怒っている人もいる。みながみな、私の意見に賛
同し、同調してくれているわけではない。で、それを知るひとつのバロメーターが、読者
数ということになる。

 本で言えば、発行部数ということになる。

 私は毎回、マガジンを発行するたびに、読者がふえていくのを、何よりも楽しみにする
ようになった。

●私は私

 これは私の話だが、それぞれの人には、それぞれ、何か、生きがいにしていることがあ
るはず。

 相手を喜ばすということは、まず、その生きがいが何であるかを知る。ただこの時点で、
大切なことは、それが何であれ、批評したり、批判したりしてはいけないということ。

 出世に情熱を注いでいる人がいても、金儲けに血眼(ちまなこ)になっている人がいて
も、人、それぞれ。それぞれの人に合わせて、その人を喜ばすことを考えればよい。

 ゴルフが好きな人には、ゴルフの話をすればよい。魚釣りが好きな人には、魚釣りの話
をすればよい。

 が、それができないとうのなら、適当につきあって、それですます。何も、こちらから
対立していくことはない。喧嘩を売ることはない。

 ただお願いがあるとするなら、私にも私の(生きがい)がある。主義主張もある。たい
したものではないが、哲学もある。

 そういう私の(生きざま)が気に食わないからといって、私の生きざまを批評したり、
批判したりしないでほしい。あなたがあなたであるように、私は私。あなたの(生きがい)
を、私に押しつけないでほしい。

●相手を喜ばす

 相手を喜ばすということを考えていくと、結局は、それが自分の問題となって、はね返
ってくるのがわかる。相手の生きがいを知るということは、同時に、自分の生きがいが何
であるかを知ることになる。

 その(生きがい)が、ときには、たがいに衝突する。その衝突したとき、自分の生きざ
まが、よりはっきりとした輪郭(りんかく)をもって、目の前に現れてくる。それまで気
がつかなかったものが、目の前に現れてくる。

 そして私は、自分にこう問う。

 「私は、いったい、何をしたいのだ!」と。ワイフも、ときどき、私にこう聞く。「あな
たは、いったい、何をしたいの?」と。

 実のところ、それがそこにあることはわかっている。しかし、どうしても(それ)がわ
からない。先ほど、読者の数がふえることが、生きがいになっていると書いたが、それに
ついても、「だからどうなの?」と問われると、返事のしようがない。

 そこでさらに掘りさげてみると、私のばあい、こうしてものを書きながら、何か新しい
ことを発見したとき、そこに喜びを感ずるのを知る。頭の中でモヤモヤしていたものを、
吐き出す。それは私にとっては、快感でしかない。

 で、あえて言えば、それが私にとっての(生きがい)ということにもなるし、(喜び)と
いうことになる。

 さて、あなたにとっての(生きがい)とは何か。(喜び)とは何か。

 もしそれがわからなければ、あなたは、だれに、どうしてもらったとき、一番、うれし
いか、それを考えてみるとよい。その第1歩として、だれでもよい。だれかを頭の中に描
きながら、その人を喜ばすには、どうしたらよいか、それを考えてみたらよい。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

【家族という呪縛】

++++++++++++++++++

私の知人が話してくれたことを、
そのまま書く。

家族とは、何か?

++++++++++++++++++

 もう15年ほど前になるだろうか。東京のM区に住んでいる友人(当時55歳くらい)
がこう言った。

 「親のめんどうなんて、もうコリゴリ。そのたいへんさを知っているから、私の息子や
娘たちだけには、そういう思いをさせたくありません」と。

 当時はまだ、今のような介護制度もなかった。親の老後は、子どもたちがみるというの
が、まだ常識(?)になっていた。そのため、その負担は、すべて、その子どもたちにの
しかかっていた。

 が、基本的には、この事情は、今も変わらない。

 先日、私の別の知人の母親が死んだ。享年、85歳だったという。しかしそれまでの1
0年間、その知人は、母親の介護で、もがき、苦しんだ。それは壮絶な戦いだったという。

 「良好な親子関係があれば、まだ救われます。が、私と母は、そうではありませんでし
た」と。

 で、母親が死ぬころには、財産のほとんどを食いつぶした上、多額の借金まで、残った
という。

 そこでその知人は、葬儀らしい葬儀もせず、(実際には、お金がなくて、できなかったの
だが……)、母親を見送った。が、これに、叔父、叔母たちが、猛反発! 「何という息子
だ! 葬式も満足にしないとは、何ごとか!」と。

 しかしその知人は、ひるまなかった。「お前らに、オレの苦しみがわかってたまるかア!」
と。

 以後、その知人は、親類との縁も切ったという。

 その知人は、こう言った。

 「あのね、林さん、親子といっても、いろいろあるんですよ。それぞれの家庭によって
も、事情がちがう。ちがって当然です。

 外の人には、何でもなく見えるような家庭でも、その奥は深い。親子であるがゆえに、
歴史もある。確執もある。

 私は、母のめんどうをみているとき、何がいやかって、親戚どもがあれこれ干渉してく
ることほど、いやなことはありませんでした。こちらの事情も知らないくせにね。

 それに家族の問題は、同じような問題をかかえた人でないと、理解できないものです。
経験した人でないと、わからない。そのわからない人たちが、とやかく言ってくる。もう、
うるさくて、たまりませんでした。

 簡単な葬式ですましましたが、私には、あれで精一杯です。叔父は、『借金してでも、や
れ』と言いましたが、もう勘弁してほしいです」と。そして同じように、こう言った。「家
族なんて、コリゴリです」と。

 家族って何だ!

 もう一度、それについて考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

【家族意識】

++++++++++++++++++++

家族は大切なものだが、しかしそのあり方を
まちがえると、今度は、家族を苦しめる、責め具
として機能する。

今、「家族」という重圧感の中で、もがき、
苦しんでいる人は多い。

それを知る、第一歩。

それが善玉親意識と悪玉親意識である。

++++++++++++++++++++

●善玉家族意識、悪玉家族意識

 家族意識にも、善玉と、悪玉がある。(善玉親意識と、悪玉親意識については、前に書い
た。)

 家族のメンバーそれぞれに対して、人間として尊重しようとする意識を、善玉家族意識
という。

 反対に、「○○家」と、「家(け)」をつけて自分の家をことさら誇ってみたり、「代々…
…」とか何とか言って、その「形」にこだわるのを、悪玉家族意識という。

 これは極端な例だが、こんなケースを考えてみよう。

 その家には、代々とつづく家業があったとする。父親の代で、10代目になったとする。
が、大きな問題が起きた。1人息子のX君が、「家業をつぎたくない。ぼくは別の道を行く」
と言い出したのである。

 このとき、親、なかんずく父親は、「家」と、「息子の意思」のどちらを、尊重するだろ
うか。父親は、大きな選択を迫られることになる。

 つまりこのとき、X君の意思を尊重し、X君の夢や希望をかなえてやろう……そういう
意味で、家族の心を大切にするのが、善玉家族意識ということになる。

 一方、「家業」を重要視し、「家を守るのは、お前の役目だ」と、X君に迫るのを、悪玉
家族意識という。

 それぞれの家庭には、それぞれの事情があって、必ずしもどちらが正しいとか、まちが
っているとかは言えない。しかし家族意識にも、二種類あるということ。とくに私たち日
本人は、江戸時代の昔から、「家」については、特別な関心と、イデオロギー(=特定の考
え方の型)をもっている。

 中には、個人よりも、「家」を大切にする人もいる。……というより、少なくない。それ
は多分に宗教的なもので、その人自身の心のよりどころになっている。だからそのタイプ
の人に、「家制度」を否定するような発言をすると、猛烈に反発する。

 しかしものごとは、常識で考えてみたらよい。「家」によって、その人の身分が決まった
江戸時代なら、いざ知らず。今は、もうそんなバカげた時代ではない。またそういう時代
であってはいけない。そういう過去の愚劣な風習をひきずること自体、まちがっている。

 ……という私も、学生時代までは、かなり古風な考え方をしていた。その私が、ショッ
クを受けた経験に、こんなことがある。

 オーストラリアでの留学生活を終えて、日本に帰ってきてからしばらくのこと。メルボ
ルンの校外に住んでいたR君から、こんな手紙をもらった。彼は少し収入がふえると、つ
ぎつぎと、新しい家に移り住み、そのつど、住所を変えていた。「今度の住所は、ここだ。
これが三番目の家だ」と。

 それからも彼はたびたび家をかえたが、そのときですら、「R君は、まるでヤドカリみた
いだ」と、私は思った。

 そのことを知ったとき、それまでの私の感覚にはないことであっただけに、私は、ショ
ックを受けた。「オーストラリア人にとって、家というのは、そういうものなのか」と。

 ……と書いても、今の若い人たちには、どうして私がショックを受けたか、理解できな
いだろうと思う。当時の、私の周辺に住んでいる人の中には、私の祖父母、父母含めてだ
が、だいたいにおいて、収入に応じて家をかえるという発想をする人は、いなかった。私
のばあいも、そういうことを考えたことすら、なかった。

 しかもR君のばあいは、より環境のよいところを求めて、そうしていた。15年ほど前、
最後に遊びに行ったときは、居間から海が一望できる、小高い丘の上の家に住んでいた。
つまり彼らにしてみれば、「家」は、ただの「箱」にすぎない。

 そう、「家」など、ただの「箱」なのである。ケーキや、お菓子の入っている箱と、どこ
もちがわない。ちがうと思うのは、ただの観念。子どもが手にする、ゲームの世界の観念
と同じ。どこもちがわない。

 さらに日本人のばあい、自分の依存性をごまかすために、「家」を利用することもある。
田舎のほうへ行くと、いまだに、「本屋」「新屋」「本家」「分家」という言葉も聞かれる。
私が最初に「?」と思った事件に、こんなのがある。

 幼稚園で教え始めたころのこと。一人の母親が私のところへきて、こう言った。

 「うちは本家(ほんや)なんです。息子には、それなりの学校に入ってもらわないと、
親戚の人たちに顔向けができないのです」と。

 私はまだ20代の前半。そのときですら私は、こう言った記憶がある。「そんなこと気に
してはだめです。お子さん中心に考えなくては……」と。

 このように今でも、封建時代の亡霊は、さまざまな形に姿を変えて、私たちの生活の中
に入りこんでいる。ここでいう悪玉家族意識もその一つだが、とくに冠婚葬祭の世界には、
色濃く、残っている。前にも書いたが、たとえば結婚式についても、個人の結婚というよ
りは、家どうしの結婚という色彩が強い。

 それはそれとして、子どもの発達段階を調べていくと、子どもはある時期から、親離れ
を始める。そして「家庭」というワクから飛び出し、自立の道を歩むようになる。それを
発達心理学の世界では、「個人化」※という。

 それにたとえて言うと、日本人は、全体として、まだその個人化のできない、未熟な民
族ということになる。その一つの証拠が、ここでいう悪玉家族意識ということになる。

個人化……子どもがその成長過程において、家族全体をまとめる「家族自我群」から抜
け出て、ひとり立ちしようとする。そのプロセスを、「個人化」という(心理学者、ボ
ーエン)。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
個人化 悪玉家族意識 善玉家族意識 冠婚葬祭)

【追記】

 この年齢になると、それぞれの人の生きザマが、さらに鮮明になる。たとえば私には、
60人近い、いとこがいるが、そういういとこだけをくらべても、「家」や「親戚づきあい」
にこだわる人もいれば、まったくそうでない人もいる。

 で、問題は、こだわる人たちである。

 こだわるのは、その人の勝手だが、そういう自分の価値観を、何ら疑うことなく、一方
的に、そうでない人たちにまで、押しつけてくる。問答無用のばあいも、多い。「当然、君
は、そうすべきだ」というような言い方をする。

 一方、それに防戦する人たちは、(私も含めてだが)、それにかわる心の武器をもってい
ない。だからそういうふうに非難されながら、「自分の考え方はおかしいのかな」と、自ら
を否定してしまう。

 それはたとえて言うなら、何ら武器をもたないで、強力な武器をもった敵と戦うような
ものである。彼らは、「伝統」「風習」という武器をもっている。

 これも子どもの世界にたとえてみると、よくわかる。

 子どもは、その年齢になると、身体的に成長すると同時に、精神的にも成長する。身体
的成長を、「外面化」というのに対して、精神的成長を、「内面化」という。

 日本人は、子どもを「家族」(=悪玉家族意識)というワクでしばることにより、この内
面化をはばんでしまうことが多い。あるいは中には、内面化すること自体を許さない親も
いる。親に少し反発しただけで、「親に向かって、何だ、その口のきき方は!」と。

 このとき、子どもの側に、それだけの思想的武器があればよいが、その点、親には太刀
打ちできない。親には、経験も、知識もある。しかし子どもには、ない。

 そこで子どもは、自らに、ダメ人間のレッテルを張ってしまう。そしてそれが、内面化
を、さらにはばんでしまう。

 これと同じように、家や親戚づきあいにこだわる人によって否定された、武器持たぬか
弱き人たちは、この日本では、小さくならざるをえなくなる。

 「家は大切にすべきものだ」「親戚づきあいは、大切にすべきものだ」と、容赦なく、迫
ってくる。(本当は、そう迫ってくる人にしても、自分でそう考えて、そうしているのでは
ない。たいていの人は、過去の伝統や風習を繰りかえしているだけ。つまりノーブレイン
(脳なし)。

 そこでそう迫られた人たちは、自らにダメ人間のレッテルを張ってしまう。

 しかし、もう心配は、無用。

 今、私のように、過去の封建時代を清算しようと、立ちあがる人たちが、ふえている。
いろいろな統計的な数字を見ても、もうこの流れを変えることはできない。その結果が、
ここに書いた、「鮮明なちがい」ということになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(8月11日・金曜日)

●読者のみなさん、ありがとう!

 6〜7月中、ほとんどふえなかった読者。しかし今週は、毎回、4人ずつ、読者がふえ
ました。月水金の週3回の発行ですから、計12人、ふえたことになります。

 ありがとうございました。おかげで、やる気(=書く気)が、またまた、わいてきまし
た。今朝も、こうして、朝、4時に起きて、書斎に入りました。これから6時まで、原稿
を書きます。


●……といっても、頭の中は、まだ睡眠状態

が、朝、4時は、まだ早い。きつい。眠い。出てくるのは、あくびばかり。今まで、あ
ちこちのニュースサイトをのぞいていました。が、思考力は、ゼロ。

 気になったのは、やはり韓国情勢。何も韓国のことを心配しているわけではありません。
ただこのところ、ここへきて、米韓関係が、急速に悪化しているということ。アメリカ軍
の完全撤退まで、言葉として、アメリカ側からささやかれるようになりました。

 現在の韓国のN大統領のもとでは、それもしかたのないことかもしれません。N大統領
のことを、「K国の、顧問弁護士」と、揶揄(やゆ)する人もいます。

 ……まったく何を考えているか、わからないN大統領。いつ見ても、ニンマリというか、
ニタニタというか、不気味な笑みを浮かべています。極東情勢は、どんどんと別の方向に
向かって動いているのに、「心配ない」「だいじょうぶ」と。どこかあの大統領は、(?=ヘ
ン)ですね。


●K国の核実験

 そんな中、K国の核実験のうわさが、飛びかっています。やるとしたら地下核実験とい
うことになりますが、おおかたの専門家は、「しないだろう」と読んでいます。

 K国のような小さな国で核実験をすれば、日本や韓国にまで、その死の灰が飛んでくる
ことになりますが、当然、中国にも影響が及びます。つまり中国を、その時点で、完全に
敵に回すことになります。

 K国は、そこまではしないだろうというのが、その根拠です。

 しかし何をしでかすか予想がつかないのが、あのK国。決して、油断できません。


●P社のガス湯沸かし器

 P社のガス湯沸かし器で、たくさんの人たちが犠牲になっていたという。当初、P社側
は、「不正改造が原因」とがんばっていました。しかしここにきて、その改造を、P社の社
員自身がしていたという事実が、明るみになってきました。ヤフー・ニュースは、つぎの
ように伝えています。

 「一酸化炭素(CO)中毒事故が相次いだ、P工業製の瞬間湯沸かし器に関し、P者側
の複数の元社員が読売新聞の取材に対し、安全装置が機能しないようにする不正改造を行
っていたと証言した」と。

 そうではないかと、私は、最初から思っていました。「改造」といっても、素人にできる
改造ではないからです。私の家でも、山荘のほうでは、その湯沸かし器を使っていますが、
カバーのフタをあけても、チンプンカンプン。自分で配線をつなぎなおすなどということ
は、実際には、不可能です。


●Y神社の非法人化?

 ここにきて、Y神社の非法人化の動きが出てきました。つまり「宗教法人でなければ、
問題はないだろう」というのです。

 しかしこういう小ズルイことばかりしているから、日本は、世界から信用されないので
す。何とか抜け道を作って、世界の目をごまかそうとする……。そんなことばかりしてい
る。

 宗教法人であろうと、なかろうと、Y神社は、Y神社。むしろ非宗教法人化することに
よって、政治家たちは、堂々と、Y神社を、堂々と参拝することができるようになります。
「宗教法人ではないのだから、Y神社に参拝しても、宗教活動をしたことにはならない」
とです。

 戦争で死んだいった人たちを、英霊(=英雄)に祭りあげて、自分たちの責任を回避す
る。そんな醜い意図が、私には、見え見えなんですが……。

 どうして、日本の政治家たちは、「みなさん、ごめんなさい。みなさんを戦場に駆りたて
たのは、私たちです。みなさんの命を、むだにしたのは、私たちです」と、すなおに言え
ないのでしょうか。

 そういう視点に立てば、A級戦犯(=戦争遂行責任者)と、罪もない兵隊たちと、同じ
神社で祭る、そのおかしさがわかるはず。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●極東アジア情勢

+++++++++++++++++++

極東アジア情勢が、目下、激変中!

米韓関係の崩壊、韓国に触手をのばす中国、
急接近する日米両国、崩壊寸前のK国。

ふつう、サッカーというのは、2チームで
戦うもの。だが、現在の極東情勢は、
まるで、4チーム、5チームが
混戦試合をしているようなもの。

どうなる、極東情勢!

+++++++++++++++++++

 日本のK首相が、8月15日に、Y神社を参拝すれば、「待ってました!」とばかり、韓
国のN大統領は、大騒ぎするはず。反日運動を開始するはず。今ごろは、手ぐすね引いて、
その時機を、うかがっているはず。今のN大統領には、反日しか、生き残る道はない。

 こういう状況の中、アメリカは、韓国からの撤退を、正式に発表した(8月7日、アメ
リカ国防省発表)。遅くとも2009年までには、そうなる。戦時作戦統制権を韓国に移譲
するということは、即、アメリカ軍の韓国からの撤退を意味する。

 どうしてアメリカ軍が、韓国軍の指揮下に入らなければならないのか。

 一方、日本は、韓国に対して、本気で、経済戦争をしかけ始めている。

 東芝は、8月はじめ、第4番目の半導体工場に着手した。投資規模は、6000億円。
2008年から、NANDフラッシュメモリーの量産体制に入る。

 さらに08年までに、総額1兆円の大型投資を予定している。もちろん敵は、韓国のサ
ムソン。

 また日本第2位の半導体メーカーの、エルピーダは、やはり今月はじめ、1兆円の投資
をして、半導体生産ラインを拡充すると発表。09年3月以前に、量産体制に入る。

そのほか、プラズマテレビの分野でも、松下、パイオニアも、相ついで工場を増設しつ
つある。

松下は、6月、主力工場である兵庫県尼崎工場の生産量を、年間340万枚にふやした。
さらに08年をめどに、同じ尼崎に、2番目の工場を建設しつつある。

パイオニアも、同じように300億円を投資し、山梨県に新工場を建設する予定でいる。

 シャープも負けていない。8月末から、いよいよ第8世代の液晶生産ラインと呼ばれる、
生産ラインを使って、液晶の量産体制に入る。

 サムスン電子の幹部は、「日本のメーカーがこのような攻撃的投資に乗り出しているのは、
業績回復に伴う自信が反映されている」(朝鮮N報)と話している。

実際、ソニー、松下、シャープ、東芝、キャノン、富士通など日本の電子メーカーは、
今年第1四半期では、一斉に黒字を計上しており、大型投資に乗り出す下地を確保して
いる。

 そして今まで、韓国内で下請けさせていた部品などについては、その工場を、台湾やそ
のほかの国々に、移しつつある。

 つまりこれらの一連の動きは、明らかに、打倒韓国を意識したもの。1、2年前から、
各社によって綿密にねられた作戦によるものと考えてよい。

「反日運動をするならするで結構。しかし日本だって、黙ってはいないぞ」という、強
烈なメッセージが、これらの動きの中にこめられている。

 が、ひとりノー天気なのが、韓国のN大統領。こうした日米の動きに反比例する形で、
急速に中国に接近を試みている。

 しかし、だ。中国がそんな甘い国でないことは、チベットを見ればわかるはず。台湾を
見ればわかるはず。へたをすれば、竹島(独島)どころか、38度線以北を、中国に乗っ
取られてしまう。

 またアメリカ軍が韓国から撤退すれば、再び、韓国を通貨危機を襲うかもしれない。そ
の可能性は高い。どこのだれが、そんなあぶない国に、投資などするだろうか。今の韓国
の平和がかろうじて維持されているのは、強力なアメリカ軍が駐留しているからにほかな
らない。

 そういえば、先ごろ、その通貨危機について、もし日本が通貨危機に陥れば、韓国は5
0億ドル、反対に韓国が通貨危機に陥れば、日本は100億ドルの金額を、それぞれ相手
の国に支援するという。そういう取り決めがなされた※。

 一見、何とも不平等な取り決めのように見えるかもしれないが、言いかえると、「日本は、
100億ドルしか支援しませんよ」という意思表示をしたことになる。前回、韓国がデフ
ォルト(国家破綻)したときには、100億ドルの緊急融資のほか、日本は、アジア開発
銀行などを通して、総額500億ドル近い支援をしている。

 儒教の国でありながら、韓国のN大統領という人は、そういうことについては、まった
く恩義を感じない人らしい。つまり日本は、先手を打って、「つぎは、100億ドルまで」
と決めこんだわけである。

 残るはK国。今では中国にも見離され、孤立無援。中国でさえも、「韓国は、(中国の)
親戚だ」(中国外交部・報道官・8月9日)と言いだした。で、そのK国だが、こんなおも
しろいエピソードが、もれ伝わってきている。

 国連安保理で、中国が非難決議案に賛成したときのこと。K国の外務省は、駐P中国大
使を呼びつけ、「裏切り行為」と非難したという。が、このあとが、実にK国らしい。ヤフ
ーのニュースを、そのまま紹介する。

「同じころ北京では、C・K国大使が、R中国外相に面会を求めた。しかし断られたこ
とから、K国のC大使は、大使館員10人とともに3台の車で中国外務省に押しかけ、
同省前で3時間以上にわたり、『裏切り者』などの言葉を荒々しく繰りかえした。同省は
無視しつづけたが、『現場の様子があまりに険悪で、警察を呼ぶ話もあった』(香港の中
国消息筋)という」と。 

 K国の大使館員たちが、中国の外務省前で、「裏切り者」と言って、3時間もねばったと
いうのだ。

 K国は、もう、ここまで狂っている。

 さて8月15日まで、あと残すところ、6日。日本のK首相は、Y神社参拝の参拝の腹
を決めたようである。が、もしこういう状況の中で、K首相がY神社を参拝すれば、どう
なるか。

 その日を境に、極東アジア情勢は、さらに混乱する。一次的には、中国、韓国の反日勢
力を勢いづかせる。二次的には、その勢力にのって、韓国のN大統領一派が、反日運動を
展開する。中国も、それに同調する可能性が、きわめて高い。

 具体的には、韓国はさらに竹島の実効支配を推し進めるだろう。中国は、尖閣諸島周辺
での油田開発を、堂々と推し進めるだろう。

 ますます極東アジア情勢は、不安定になる。つまり戦争への道を、日本は、一歩、踏み
出すことになる。ひとり日本のK首相は、「平和の誓いのため」と言っているが、そんな論
理は、日本の外では、通用しない。

私の知ったことではないが……。

(注※)日韓両国は通貨危機などの際、総額150億ドルで、互いに支援しあう通貨スワ
ッピング契約を締結することに合意した。 

 韓国のH副首相兼財政経済部長官と谷垣禎一財務大臣は、4日、東京で第1回、日韓財
務相会合を開き、このような内容を盛り込んだ合意分を発表した。 

 両国が発表した6項目からなる合意文によると、韓国の通貨危機時には、日本は100
億ドルを、日本の危機時には韓国は、50億ドルをそれぞれ支援することにしたという。

(この原稿は、8月9日に書いたものです。マガジンに載せる、9月13日には、情勢が
大きく動いているかもしれません。)


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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


特集【子どもの評価】

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W県のある小学校で、こんな事件が起きた。

その学校の、あるクラス(2年生、児童数23人)
の1学期の通知表について、父母たちが、「評価が
きびしすぎる」と、先生に抗議をしたというのだ。

そこで学校側(教師)が、評価をしなお
し、再評価をしたところ、今度は、父母たち
が、「子どもたちが不信感を抱く」(読売新聞)
と、それを受け取るのを拒否したという。
(06年8月8日)。

+++++++++++++++++

W県のある小学校で、こんな事件が起きた。

その学校の、あるクラス(2年生、児童数23人)の1学期の通知表について、父母た
ちが、「(ほかのクラスより)、評価がきびしすぎる」と、学校側に抗議をしたというのだ。

そこで学校側(教師)が、評価をしなおし、再評価をしたところ、今度は、父母たちが、
「子どもたちが不信感を抱く」(読売新聞)という理由で、それを受け取るのを拒否した
という。

 「同小によると、2年生は2クラスあり、通知表は担任が、国語や算数など、計6教科
を30項目に分けて、A〜Cの3段階で絶対評価をつけることになっていた。50歳代の
女性教諭が担任するこのクラスでは、最高評価のAが、1人平均3・6個だった」(同新聞)
という。

 この事件について考える前に、子どもを評価する方法について、書いてみたい。よく知
られている方法に、偏差値というのがある。

●偏差値

 子どもを評価するとき、その尺度にするのが、(1)絶対評価と、(2)相対評価でああ
る。

 絶対評価というのは、一定の基準をもうけ、たとえば、「90点以上を取ったら、成績は、
A。80点以上を取ったら、成績は、Bとする」というもの。

 これに対して相対評価というのは、たとえば100人の生徒がいたとすると、「上位1〜
10位は、A。11〜20位は、Bとする」というもの。

 この相対評価を、さらに数学的に処理して、精度の高いものにしたのが、偏差値という
ことになる。

 平均点を50点に修正して、その50点を基準に、プラス・マイナス何点……というよ
うにして、その子どもの点数を決める。

 その偏差値を求める公式は、日本人が考えたものだという。が、それはさておき、個人
の偏差値を計算するためには、まず、(標準偏差)を求める。(一応、標準偏差を求める数
式を、ここに書いておく。)

【標準偏差】

 

X=個人の得点
M=その年齢集団の平均点
N=受験者数

たとえば平均点が40点、SDが、10点であれば、30〜50点の範囲に、3分の2
の子ども(受験者)が入っていることを示す。わかりやすく言えば、平均点プラス・マ
イナスSDの範囲に、3分の2の子ども(受験者)が入っていることを示す。

 さらにこの標準偏差が10、平均が50になるように、数学的に変換したのが、(偏差値)
ということになる。その偏差値は、つぎのようにして、求める。

【偏差値】

 

  SS=個人の偏差値
  SD=標準偏差
  X =個人の得点
  M=その年齢集団の平均点

 たいへんむずかしい計算のように思う人がいるかもしれないが、公式さえコンピュータ
に一度入力しておけば、あとはコンピュータが瞬時に、偏差値をはじき出してくれる。今
は、そういう時代である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
標準偏差 偏差値 絶対評価 相対評価 子供の評価 成績)

●親の抗議(?)

もう一度、なぜ親たちが、学校側に抗議をしたかについて、読売新聞から、そのまま引
用する。

「同小によると、2年生は2クラスあり、通知表は担任が、国語や算数など、計6教科
を30項目に分けて、A〜Cの3段階で絶対評価をつけることになっていた。50歳代
の女性教諭が担任するこのクラスでは、最高評価のAが、1人平均3・6個だった」(同
新聞)という。

 それぞれの子どもが、それぞれ30項目について評価を受けるわけだから、A、B、C
を均等に分散するなら、1人平均、10個のA、10個のB、10個のCという成績をも
らうことになる。

 しかしその担任は、「1人平均3・6個のAしか、与えなかった」という。

 つまりその分、BやCをもらう子どもが、多くなったということになる。

 しかし、だ。はっきり言おう。こんなことで、どうして親たちが、抗議をするのか! ま
た抗議をしなければならないような問題では、ない!

 30項目というが、実際には、それぞれの項目について、正確に評価するなどというこ
とは、不可能! 絶対に不可能! ふつうは、その子どもを大ざっぱに見て、あとは、「多
分、この項目はこうだろうな……?」というような評価のしかたで、点数をつける。

 で、その先生は、1人平均3・6個のAしか、子どもに与えなかった……。そこでその
クラスの親たちが、それに抗議をした。中学生や高校生なら、まだ話もわかる。しかし子
どもといっても、小学2年生!

 こうした抗議をすることで、親たちは、子どもをかばったとでも思っているかもしれな
い。が、こうした抗議をすることによって、先生(学校)と、子どもたちの間の関係は、
こなごなに破壊される。

 それによる被害のほうが、私は、よっぽど、深刻だと思う。へたをすれば、今後、教室
での授業そのものが、なりたたなくなってしまう。

 私はこの記事を読んだとき、私自身が経験した話をいくつか思い出した。それをここに
紹介する。今回の事件とは、直接関係ないが、何かの参考になれば、うれしい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【自分を知る親・知らない親】

●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・7賢人の1人)だが、自分を知るこ
とは難しい。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だっ
たかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。

「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。
するとその子どもは、こう言った。

「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のかたきにして、ぼくを怒った」と。
私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまった。いや、その子どものことで
はない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好
きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小1男児)のように、
友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に
行くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、
軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、そ
の相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分で
ない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがない
まま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、
もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」
と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」
のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。

ひがむ、いじける、ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、
ぐずるなど。自分の中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部
分とみてよい。それに気づくことが、自分を知る第一歩である。

まずいのは、そういう自分に気づくことなく、いつまでも自分でない自分に振り回され
ることである。そしていつも同じ失敗を繰りかえすことである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【学校の先生が許せない!】

●汝自身を知れ

 自分を知ることはむずかしい。本当にむずかしい。理由はいくつかあるが、それはさて
おき、自分の子どものことを知るのは、さらにむずかしい。

 一般論として賢い人には、愚かな人がよく見える。しかし愚かな人からは賢い人が見え
ない。もっと言えば、賢い人からは愚かな人がよく見えるが、愚かな人からは賢い人が見
えない。かなり心配な人(失礼!)でも、自分が愚かだと思っている人はまずいない。さ
らにタチの悪いことに、愚かな親には、自分の子どもの能力がわからない。これが多くの
悲喜劇のモトとなる。

●「ちゃんと九九はできます」

 学校の先生に、「どうしてうちの子(小4男子)は算数ができないのでしょう」と相談し
た母親がいた。その子どもはまだ掛け算の九九すら、じゅうぶんに覚えていなかった。そ
こで先生が、「掛け算の九九をもう1度復習してください」と言うと、「ちゃんと九九はで
きます」と。

掛け算の九九をソラで言えるということと、それを応用して割り算に利用するというこ
との間には、大きなへだたりがある。が、その母親にはそれがわからない。九九がソラ
で言えれば、それで掛け算をマスターしたと思っている。子どもに説明する以上に、こ
のタイプの親に説明するのはたいへんだ。その先生はこう言った。

 「親にどうしてうちの子は勉強ができないかと聞かれると、自分の責任を追及されてい
るようで、つらい」と。私もその気持ちが、よく理解できる。

●神経質な家庭環境が原因 

が、能力の問題は、まだこうして簡単にわかるが、心の問題となるとそうはいかない。
ある日、1人の母親が私のところへきてこう言った。「うちの子(小1男子)が、おもら
ししたのを皆が笑った」というのだ。母親は「先生も一緒に笑ったというが、私は許せ
ない」と。だから「学校へ抗議に行くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、その子どもにはかなり強いチック(神経性の筋肉のけいれん)
もみられた。その子どもがおもらしをしたことも問題だが、もっと大きな問題は、では
なぜもらしたかということ。なぜ「トイレへ行ってきます」と言えなかったのかという
ことだ。もらしたことにしても、チックにしても、神経質な家庭環境が原因であること
が多い。

●ギスギスでは教育はできない

学校という場だから、ときにはハメをはずして先生や子どもも笑うときがあるだろう。
いちいちそんなこまかいことを気にしていたら、先生も子どもも、授業などできなくな
ってしまう。

また笑った、笑われたという問題にしても、子どもというのはそういうふうにキズだら
けになりながら成長する。むしろそうした神経質な親の態度こそが、もろもろの症状の
原因とも考えられる。が、その親にはわからない。表面的な事件だけをとらえて、それ
をことさらおおげさに問題にする。

●子どもを知るのが子育ての基本

 まず子どもを知る。それが子育ての基本。もっと言えば子どもを育てるということは、
子どもを知るということ。しかし実際には、子どもを知ることは、子育てそのものよりも、
ずっとむずかしい。

たとえば「あなた」という人にしても、あなたはすべてを知っているつもりかもしれな
いが、実際には、知らない部分のほうがはるかに多い。「知らない部分のほうが多い」と
いう事実すら、気がついていない人のほうが多い。

人というのは、自らがより賢くなってはじめて、それまでの愚かさに気がつく。だから
今、あなたが愚かであるとしても、それを恥じることはないが、しかし、より賢くなる
努力だけはやめてはいけない。やめたとたん、あなたはその愚かな人になる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●過関心は百害のもと

 私自身も、こんな失敗をしたこともある。

 私はときどき、席を離れてフラフラ歩いている子どもにこう言う。「おしりにウンチがつ
いているなら、歩いていていい」と。しかしこの一言が、父親を激怒させた。その夜、猛
烈な抗議の電話がかかってきた。

いわく、「おしりのウンチのことで、子どもに恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。
その子ども(小3男児)は、たまたま学校で、「ウンチもらし」と呼ばれていた。小学2
年生のとき、学校でウンチをもらし、大騒ぎになったことがある。もちろん私はそれを
知らなかった。

 しかし問題は、席がえでも、ウンチでもない。問題は、なぜ子どもに友だちがいないか
ということ。さらにはなぜ、小学2年生のときにそれをもらしたかということだ。さらに
こうした子どもどうしのトラブルは、まさに日常茶飯事。教える側にしても、いちいちそ
んなことに神経を払っていたら、授業そのものが成りたたなくなる。子どもたちも、息が
つまるだろう。

教育は、『まじめ7割、いいかげんさ3割』である。子どもは、この「いいかげんさ」の
部分で、息を抜き、自分を伸ばす。ギスギスは、何かにつけてよくない。

 親が教育に熱心になるのは、それはしかたないことだ。しかし度を越した過関心は、子
どもをつぶす。人間関係も破壊する。もっと言えば、子どもというのは、ある意味でキズ
だらけになりながら成長する。キズをつくことを恐れてはいけないし、子ども自身がそれ
を自分で解決しようとしているなら、親はそれをそっと見守るべきだ。

へたな口出しは、かえって子どもの成長をさまたげる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●抗議、そして再評価?

話をもとにもどすが、「成績のつけ方がきびしすぎる」と抗議した親たち。子どもたち自
身が自分で考えて、そう抗議するのなら、まだ話がわかる。どうして親たちが、そんな
ところへ出てくるのか? その前に、何を基準に、親たちは、「きびしすぎる」と判断し
たのか?

 中学生だと、成績(内申書)が、高校入試の合否に大きくかかわることもある。しかし
今回の事件では、子どもといっても、まだ小学2年生!

 もっともだからといって、こうした抗議をしたい親たちを責めているわけではない。報
道には書かれていないが、親たちには、何か別の言い分があるのかもしれない。ここまで
問題がこじれるというのは、それ以前にもいろいろあったとみるほうが、自然である。つ
まり、それまでの不信感や不満が、積もりに積もって、こうした事件につながったとも考
えられる。表面的な部分だけをみて判断するのは、危険なことでもある。

 で、それはそれとして、学校側は、親たちの抗議を受けて、成績を再評価しなおしたと
いう。が、ここでも問題が残る。

どうして再評価したのか? その先生は先生なりに、ある信念をもって、そういう成績
をつけたのかもしれない。「私は、私のクラスの子どもたちに、もっとがんばってほしい
と思いましたから、きびしい成績をつけました」と。

 が、抗議を受けたとたん、再評価? ……考えてみれば、これもおかしい。

 相対評価といっても、決して、絶対的なものではない。たとえばふつうの学校ではトッ
プクラスの子どもでも、進学校へ入ったとたん、中位以下になるということも、ある。も
ちろん、その反対のこともある。

 だったら、それはそれでよいのではないのか? 国公立の大学のばあいは、各高校から
あがってくる内申書について、その点数を補正して使っている。そういうデータをしっか
りともっている。「A県のA高校は、平均偏差値は、59点。D高校は、43点」と。その
データに照らしあわせて、つまり内申書の内容を、一度、補正した上で、その子どもの学
力を評価している。

 「となりのクラスはともかくも、うちのクラスは、うちのクラスで、絶対評価をしてみ
ました。そのため成績のつけ方が、きびしくなりました」でも、よいのではないのか?

●先生も、たいへん!

 あなたという親は、平均して、2人前後の子どもを育てている。しかし2人といっても、
子どもを育てるのが、いかにたいへんなことかは、あなた自身も、よく知っているはず。
そういう子どもを、23人も押しつけて、「もっとしっかり、めんどうをみろ」「しっかり、
評価しろ」は、ない。実際には、無理。不可能。

 つまりこれが学校教育の限界ということにもなる。

 が、一方に、この日本には、信仰とも言ってよいほどの、学校神話がある。学校万能主
義、学校絶対主義も、そこから生まれた。つまり親たちは、学校の先生を、(人間)と見る
前に、神様か仏様のように思ってしまう。先生に無謬性(むびゅうせい=1点のまちがい
も、汚れもないこと)を求めてしまう。

 それに今回の事件には、「?」と思う部分がないわけではない。

 親たちは「もうひとつのクラスより、成績のつけかたがきびしい」と言って抗議をした
という。ならば、どうして、それがわかったのかという疑問である。

 それがわかるためには、まずクラス全員の子どもたちの成績を知らなければならない。
つぎに、もう1つのクラス全員の子どもたちの成績を知らなければならない。どうして、
またどうやって、親たちは、それを知ったのだろうか?

 それを知るためには、たいへんなエネルギーと、時間が必要である。親のほうばかりを、
一方的に責めるようでつらいが、それを想像するだけで、私は、息がつまる。こんなエッ
セー(中日新聞掲載済)を書いたことがある。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【勉強だけできればいいの!】

●基礎教養

 「教育」をどうとらえるかは、人それぞれ。そのハバもその深みも、その人によって違
う。

ある母親は娘(小2)を育てながら、一方で本の読み聞かせ会を指導し、乳幼児の医療
問題研究会を組織し、議会運動までしていた。母親教室にも通っていたし、学校のPT
Aの役員もし、クラス対抗のお母さんバレーも指導していた。

そういうのを「基礎教養」と私は呼んでいるが、その母親のまわりには、その基礎教育
があった。が、一方、その基礎教養がまったくない親がいる。ないまま、受験教育だけ
が「教育」と信じ、それだけに狂奔する。Rさん(35歳)がそうだ。

●なりふりかまわない子育て

 Rさんは、夫の実家が裕福なことをよいことに、家計にはほとんど関心をもたなかった。
夫はある運送会社で荷物の仕分け作業の仕事をしていた。が、Rさんは、子ども(小2男
児)の教育には惜しみなく、お金を注いだ。おけいこ塾も4つをかけもちした。空手道場、
ピアノ教室、英語教室、それに水泳教室、と。

水泳教室にかよわせたのは、子どもに喘息があったからだが、当然のことながら家計は
パンク状態。そのつど夫の実家から援助を受けていた。が、それだけではない。夫の1
か月の給料でも買えないような学習教材を一式買ったこともある。最近では子どもの学
習用にと、中古だがコピー機まで購入している。

●モチまきのモチ?

 Rさんのような母親を見ていると、教育とは何か、そこまで考えてしまう。不快感すら
覚える。それはちょうど、バイキング料理で、「食べなければ損」とばかり、つぎからつぎ
へと、料理をたいらげている女性のようでもある。あるいは、モチ投げのとき、なりふり
構わずモチを拾っている女性のようでもある。

「教育」と言いながら、その人を包み込むような高い理念がどこにもない。いや、そう
いう人にしてみれば教育とは、まさにモチまきのモチでしかないのかもしれない。

●私はハタと困った

 私はそのRさんのことをよく知っていた。が、あろうことか、ひょんなところから、そ
のRさんから子どもの教育の相談を受けるハメになってしまった。

最近、子ども(小2男児)が、Rさんの言うことを聞かなくなったというのだ。そこで
一度、面接してみると、その子どもには、いわゆるツッパリ症状が出ていた。すさんだ
目つき、乱暴な言葉、キレやすい性格など。動作そのものまで、どこか野獣的なところ
があった。ほうっておけば、まちがいなく非行化する。

●私は超能力者?

私のばあい、数分も子どもと接すると、その子どもの将来が手に取るようにわかる。今、
どういう問題をかかえ、これからどういう問題を起こすようになるかまでわかる。よく
「超能力者のようだ」と言われるが、30年も毎日子どもたちと接していると、それが
わかるようになる。

方法は簡単。まず今までに教えた子どもの中から、その子どもに似た子どもをさがす。
そしてその子どもがその後どうなっていったかを知る。さらに私のばあい、幼稚園の年
中児から高校3年生まで、教えている。しかも問題のあった子どもほど、印象に強く残
っている。あとはそれを思い出しながら、親に話せばよい。

そういう意味では、この世界では経験がモノを言う。が、この段階で、私はハタと困っ
てしまった。「それを親に言うべきか、どうか」と。

●間の距離が遠すぎる

 ここで出てくるのが、「基礎教養」である。もしRさんに豊かな教養があれば、私は迷わ
ず、その子どもの問題点を話すであろう。話すことができる。しかしその教養のない親に
は、話してもムダなばかりか、かえって大きな反発を買うことになる。それだけの教養が
ないから、説明のしようがない。

それはちょうどバイキング料理をむさぼり食べている女性に、栄養学の話をするような
ものだ。もっと言えば、掛け算もまだわからない子どもに、分数の割り算の話をするよ
うなものだ。たがいの間に感ずる距離が、あまりにもある!

Rさんはさかんに、それも一方的に、「はやし先生にみてもらえるようになって、うれし
いです。よかったです」と言っていたが、私は私で、「少し待ってください」とそれを制
止するだけで、精一杯だった。私の話すら、ロクに聞こうとしない。それだけではない。

このタイプの親というのは、もともと一本スジの通った哲学がない。ないから、成績が
さがったらさがったで、今度は私の責任をおおげさに追及する。それがわかっているか
ら、その子どもの指導を引き受けることができない。で、案の定というか、私が数日後、
電話で、力にはなれないと告げると、私の説明を半分も聞かないうちに、携帯電話をプ
ツンと切ってしまった。
 
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【受験ノイローゼ】

●受験ノイローゼ

 子どもが受験期を迎えると、受験ノイローゼになる親は多い。子どもではない。親がな
る。ある母親はこう言った。「進学塾の光々とした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼ
りました」と。「家でゴロゴロしている息子(中2)を見ただけで、気分が悪くなり、その
場に伏せたこともあります」と言った母親もいた。

 親が受験ノイローゼになる背景には、親自身の学歴信仰、それに親自身の受験体験があ
る。「信仰」という言葉からもわかるように、それは確信を超えた確信と言ってもよい。学
歴信仰をしている親に向かって、その信仰を否定するようなことを言うと、かえってこち
らが排斥されてしまう。

「他人の子どものことだから、何とでも言えるでしょ!」と。話の途中で怒ってしまっ
た母親もいた。私が、「これ以上ムリをすると、子ども自身が、燃え尽きてしまう」と言
ったときだ。

 また受験体験というのは、親は自分の子どもを育てながら、そのつど自分の体験を繰り
かえす。とくに心の動きというのは、そういうもので、子どもが受験期を迎えるようにな
ると、親自身がそのときの心を再現する。将来に対する不安や、心配。選別されるという
恐怖。そしてそれを子どもにぶつける。

もっと言えば、親自身の心が、極度の緊張状態におかれる。この緊張状態の中に、不安
が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に情緒が不安定になる。

 「受験ノイローゼ」と一口に言うが、それは想像を絶する「葛藤」をいう。そういう状
態になると、親は、それまで築きあげた家族の絆(きずな)すら、粉々に破壊してしまう。
家族の心を犠牲にしながらも、犠牲にしているという感覚すらない。小学5年の女児をも
つある母親はこう言った。

「目的の中学入試に合格すれば、それですべてが解決します。娘も私を許し、私に感謝
するはずです」と。その子どもは毎晩、母親の前で、泣きながら勉強していた。

 その受験ノイローゼにはきわだった特徴がいくつかある。そのひとつ、ふつうの育児ノ
イローゼと違うところは、親自身が、一方でしっかりと自分をもっているということ。た
とえば人前では、「私は、子どもが行ける中学へ入ってくれれば、それでいいです」とか、
「私はどこの学校でもいいのですが、息子がどうしてもS高校へ入りたいと言っているの
で、何とか、希望をかなえさせてやりたい」とか、言ったりする。

外の世界では、むしろ温厚でものわかりのよい親を演じたりすることが多い。

 もちろん育児ノイローゼに似た症状も出てくる。育児ノイローゼの症状を、まず考えて
みる。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞……どこかぼんやりとしてくる。うつろな
目つき、元気のない応答など。

(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶
力の低下)……同じことを考えたり、繰り返したりする。

(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪
失、日常活動への興味の喪失)……ものごとに興味がみてなくなる。

(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)……朝早く目が覚めたり、眠っても眠りが浅い。

(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)……不注意に

よる事故が多くなる。

(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)……万引きをしてつかまったり
する。衝動的に高額なものを買ったりする。同じものを、あるいは同じようなものを、同
時にいくつか買う。

(7)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)……ささいなことが頭から離れ
ず、それが苦になってしかたない。

(8)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロール
ができなくなる(感情障害)……怒っている最中は、自分のしていることが絶対正しいと
思うことが多い。ヒステリックに泣き叫んだりする。

(9)他人との接触を嫌う(回避性障害)……人と会うだけで極端に疲れる。家の中に閉
じこもる。

(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。……過食症や拒
食症になる。体重が極端に変化する。

(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)…
…ささいなことで、相手に謝罪の電話を入れたりする。自分のしていることが客観的に判
断できなくなる。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につな
がることも珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多
い。

●受験ノイローゼ

 受験ノイローゼも、ノイローゼという意味では、育児ノイローゼの一種とみることがで
きる。しかし育児ノイローゼに見られない症状もある。先に述べたように、「自分をしっか
りもっている」のほか、ターゲットが、子どもの受験そのもの、あるいはそれだけにしぼ
られるということ。

明けても暮れても、子どもの受験だけといった状態になる。

むしろ子どもの受験以外の、ほかのことについては、鈍感になったり、無関心になった
りする。育児ノイローゼが、生活全体におよぶのに対して、そういう意味では、限られ
た範囲で、症状がしぼられる。が、その分だけ、子どもの「勉強」「成績」「受験」に対
して、過剰なまでに反応するようになる。

 毎日、書店のワークブックや参考書売り場へ行っては、そこで1〜2時間過ごしていた
母親がいた。あるいは子どもの受験のためにと、毎日、その日の勉強を手作りで用意して
いた母親もいた。しかしその中でもナンバーワンは、Tさんという母親だった。
 
 Tさんは、私のワイフの友人だった。あらかじめ念のために書いておくが、私はこうい
うエッセーを書くとき、私が直接知っている母親のことは書かない。書いても、いくつか
の話をまとめたり、あるいは背景(環境、場所、家族構成)を変えて書く。それはものを
書く人間の常識のようなもの。そのTさんは、私が教えた子どもの母親ではない。

 そのTさんは、子どもが小学校に入ると、コピー機を買った。それほど裕福な家庭では
なかったが、30万円もする教材を一式そろえたこともある。さらに塾の送り迎え用にと、
車の免許証をとり、中古だが車まで買った。そして学校の先生が、テストなどで採点をま
ちがえたりすると、学校へ出向き、採点のしなおしまでさせていた。

ワイフが「そこまでしなくても……」と言うと、Tさんはこう言ったという。「私は、子
どものために、不正は許せません」と。

 こういう母親の話を聞くと、「教育とは何か」と、そこまで考えてしまう。そのTさんは、
いくつか、Tさん語録を残してくれた。いわく、「幼児期からしっかり子どもを教育すれば、
東大だって入れる」「ダ作(Tさんは、そう言った)を二人つくるより、子どもは一人」と。

Tさんの子どもが、たまたまできがよかったことが、Tさんの受験熱をさらに倍化させ
た。いや、もっともTさんのように、子どものできがよければ、受験ノイローゼも、ノ
イローゼになる前に、ある程度のレベルで収めることができる。が、その子どものでき
が、親の望みを下回ったとき、ノイローゼがノイローゼになる。

●特徴

 受験ノイローゼは、もちろんまだ定型化されているわけではない。しかしつぎのような
症状のうち、5個以上が当てはまれば、ここでいう受験ノイローゼと考えてよい。

あなたのためというより、あなたと子どもの絆(きずな)を破壊しないため、あるいは
あなたの子どもの心を守るため、できるだけ早く、あなた自身の学歴信仰、および自分
自身の受験体験にメスを入れてみてほしい。

(ア)子どもの受験の話になると、言いようのない不安感、焦燥感(あせり)を覚え、
イライラしたり、情緒が不安定になる。ちょっとしたことで、ピリピリする。

(イ)子どもがのんびりしているのを見たりすると、自分の子どもだけが取り残されて
いくようで、不安になる。つい、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ってしまう。


(ウ)子どもがテストで悪い点数をとってきたり、成績がさがったりすると、子どもが
そのままダメになっていくような気がする。何とかしなければという気持ちが強くな
る。

(エ)同年齢の子どもをもつ親と話していると、いつも相手の様子をさぐったり、相手
はどんなことをしているか、気になってしかたない。話すことはどうしても受験のこ
とが多い。


(オ)子どもが学校や塾へ言っているときだけ、どこかほっとする。子どもが家にいる
と、あれこれ口を出して、指示することが多い。子どもが遊んでいると、落ちつかな
い。

(カ)子どものテストの点数や、順位などは、正確に把握している。ささいなミスを子
どもがしたりすると、「もったいないことをした!」と残念に思うことが多い。

(キ)テスト期間中になると、精神状態そのものがおかしくなり、子どもをはげしく叱
ったり、子どもと衝突することが多くなる。たがいの関係が険悪になることもある。

(ク)明けても暮れても、子どもの学力が気になってしかたない。頭の中では、「どうす
れば、家庭での学習量をふやすことができるか」と、そればかりを考える。

(ケ)「うちの子はやればできるはず」と、思うことが多く、そのため「もっとやれば、
もっとできるはず」と思うことが多い。勉強ができる、できないは、学習量の問題と
思う。

(コ)子どもの勉強のためなら、惜しみなくお金を使うことが多くなった。またよりお
金を使えば使うほど、その効果がでると思う。今だけだとがまんすることが多い。(以
上、試作)
(02―9−30)※

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【親が過去を再現するとき】(中日新聞東掲載原稿より)

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それま
ではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない
不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受
験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。

それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つ
い先日も、中学1年生をもつ父母が、2人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。
「1学期の期末試験で、数学が21点だった。英語は25点だった。クラスでも40人
中、20番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほ
しい」と。2人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻み
に震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、
最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したの
に驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に
気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由
はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされ
た。たいていはこんな夢だ。

……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと
思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動か
ない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がい
る。「こんなことでどうするの!」と。

そういう親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言ってもムダ。脳のCPU(中
央処理装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものため」と、確信し
ている。こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(2001年)によ
れば、中学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、39・1%
しかいなかった。

これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、
78・4%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親
が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではす
まない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生
に話す」はもっと少なく、たったの6・8%! 本来なら子どものそばにいて、よき相
談相手でなければならない先生が、たったの6・8%とは! 

先生が「テストだ、成績だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親
子関係も、同じ。親が「勉強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れて
いく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってから
だ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、
違った方向に歩くようになった。

どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こうよ、オレたちは。あせって
みたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。……とたん、少しおおげさ
な言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。
気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。
それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。

が、子どもが中学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。あなた自身はど
うだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていないだろうか。今、
受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。

あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返
ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あ
なたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをした人
ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。

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【子育て狂騒曲】

●「あなたの教育方針は何か」

 ある日1人の母親が4歳になる息子をつれて音楽教室の見学にやってきた。音楽教室の
先生は、30歳そこそこの若い先生だった。音大を出たあと、1年間ドイツの音楽学校に
留学していたこともある。音楽教室の中では、そこそこに評価の高い先生だった。

しかしその母親は、その先生にこう食いさがった。「あなたの教育方針は何か」「子ども
の未来像をどう考えているか」「あなたの教育理念をしっかりと話してほしい」と。

●幼児と教育論?

 「たかが……」と言うと叱られるが、「たかが週1回の音楽教室ではないか」と、その音
楽教室の先生は思ったという。が、こうした質問にていねいに答えるのも仕事のうち、と
考えて、あれこれ説明した。が、最後にその母親はこう言って、その教室をあとにしたと
いう。「これから家に帰って、ゆっくり息子と話しあってきます」と。まさか四歳の息子と
教育論?

●「失礼」を知らない母親たち

 私のところにも、こんなことを相談してきた親がいた。「うちの子は今度、E英会話教室
に通うことにしましたが、先生がアイルランド人だというではありませんか。ヘンなアク
セントが身につくのではないかと心配です」と。さらに中には電話で、私に向かって、「あ
なたの教室と、K式算数教室とでは、どちらがいいでしょうか?」と聞いてきた母親さえ
いた。

さらに「うちの子はBW(私の教室の名前)に入れたくないのですが、どうしても入り
たいと言うのでよろしく」と言ってきた母親もいた。こういう母親には、「失礼」とか「失
敬」という言葉は通じない。で、私は私で、そういう失敬さを感じたときは、入会その
ものを断るようにしている。が、それすら口で言うほど簡単なことではない。

●「フン、何をお高くとまってんの!」

 こうした母親に入会を断ろうものなら、デパートで販売拒否にでもあったかのように怒
りだす。「どうしてうちの子は入れてもらえないのですか!」と。「紹介? あんたんどこ
は紹介がないと入れないの? フン、何をお高くとまってんの! そんな偉そうなこと言
える教室じゃないでしょ」と悪態をついて電話を切った母親すらいた。つい先日もこんな
ことがあった。

●初対面のときとは別人

 父親と母親につれられて中学一年生になったばかりの男子がやってきた。見るからにハ
キのなさそうな子どもだった。いやいや両親につれられてやってきたということがよくわ
かった。

会うと父親は、「どうしてもA高校へ入れてほしい」と言った。ていねいな言い方だった
が、どこかインギン無礼な言い方だった。で、一通り話は聞いたが、私は「返事はあと
で」とその場は逃げた。親の希望が高すぎるときは、安易に引きうけるわけにはいかな
い。

で、その数日後、私がファックスで入会を断ると、父親がものすごい剣幕で電話をかけ
てきた。「貴様は、うちの息子は教えられないというのか。A高校が無理なら無理と、は
っきりといったらどうだ!」と。初対面のときとはうって変わった声だった。

私が「息子さん能力とは関係ありません」と言うと、さらにボルテージをあげて、「今に
見ろ。ちゃんとうちの子をA高校に入れてみせる!」と怒鳴った。もっともこの父親は、
それから半年あまりあとに、脳内出血でなくなってしまった。私と女房は、妙にその事
実に納得した。「うむ……」と。
(02−9−30)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●終わりに……

今回は、親の問題点ばかりを、指摘した。私の文を読んでくれる人の大半が、その親で
ある。そういうことを考えると、こうしたエッセーは、マガジンに載せないほうがよい。
それはよくわかっている。

 が、私は、決して、あなたや、学校に子どもの成績のつけ方で抗議をした親たちを責め
ているのではない。まただからといって、学校の先生たちに問題がないと言っているので
もない。

 先にも書いたように、こうした事件の背景には、報道には書かれていない(何か)があ
る。そういう(何か)を知らないまま、一方的にどうのこうのと書くことは許されない。

 それにもし親と教師の間に、もう少し別の信頼関係があったなら、こうしたことは、笑
い話ですんだかもしれない。つまり笑い話ですまなかったという点に、今回の事件の特異
性がある。

 本当の犠牲者は、親と、先生の間にいる、子どもたちということになる。これから先、
親と教師は、どうやって信頼関係を取り戻していくのだろう。そしてその間にあって、子
どもたちは、どう振る舞っていくのだろう。

 親に対しても、また当事者である先生に対しても、何とも言えない、ある種の(やりき
れなさ)を感じたのは、決して、私だけではないと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
育児ノイローゼ 受験ノイローゼ 育児問題)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】


【今日・あれこれ】(8月9日)

●霊媒師(霊能力者)?

+++++++++++++++
またまた新しい霊媒師なる男性が
現れた。

昨夜も、テレビでその男性を紹介
していた。

+++++++++++++++

 またまた新しい霊媒師(霊能力者)なる人物がテレビ画面に現れた。今度は、男性の霊
媒師である。それを見て、「よくもまあ、つぎつぎと、テレビ局は、こういう人間を作りあ
げるものだ」と、まず、私は、それに感心した。プラス、あきれた。

 で、昨夜の番組は、こうだった。

 1人の若い娘が、脳腫瘍で死んだ。長い闘病生活の末のことだった。以後、両親とその
家族は、重くて苦しい毎日を送っていた。

 その家庭へ、その霊媒師なる男性がやってきた。そして「死んだ霊の言葉です」と前置
きしたあと、まことしやかに、ああでもない、こうでもない、と言い出した。

 「みんな、幸せになってほしい」「私のために悲しまないでほしい」「私は幸せだった」
と。

 そして食堂に入ると、その霊媒師なる男性は、「霊は、そこにいます」「そこから、いつ
もあなたたち家族を見ています」と。

 その言葉を聞いて、両親と家族は、さらにオイオイと涙を流し始めた……。

 両親と家族の気持ちを思いやると、今の私には、その霊媒師なる男性を批判することが
できない。霊媒師がどうのこうのという問題よりも、その両親と家族が背負っている苦し
みや悲しみのほうが、はるかに重い。大きい。そういう方法でも、両親や家族の苦しみや
悲しみが、少しでもやわらぐなら、それはそれでよいことかもしれない。

 が、矛盾がないわけではない。

 娘の霊(?)は、その霊媒師なる男性を介して、自分の気持ち(?)を、家族に伝えて
いた。しかしここで注意しなければならないのは、その話の中に、事実の暴露があるかど
うかということ。霊媒師はもちろん、家族も知らなかったようなことを、娘の霊が話した
というのなら、その霊媒師は、本物(?)ということになる。

 たとえば死んだ娘の霊が、こう言ったとする。

「私の好きだったA君から借りた本が、私の机の中に、入っている。その本を、A君に
返しておいてほしい」とかなど。あるいは殺されて死んだ人の霊だったら、「私を殺した
のは、Bという男だ。そのとき使った凶器は、Cという池の中に捨てられている」とか
でもよい。

 そこで家族のだれかが、死んだ娘の机の中を調べてみると、本当にA君の本が出てきた。
あるいはBという男を取り調べてみると、本当にその男が犯人だった……、というような
ことがあれば、まだ信じられる。またそういうのを、「事実の暴露」という。その事実の暴
露があれば、その霊媒師は、本物と考えてよい。

 で、私はその霊媒師なる男性が語る言葉の中に、その事実の暴露があるかどうかを、注
意深く観察してみた。が、結果は、ゼロ。まったく、なかった。

 ほかにも2人の人たちの霊についても、(1人は、交通事故で死んだ父親。もう1人は、
電車にはねられた子ども)、その霊媒師なる男性は、霊を透視(?)したという。が、やは
り、事実の暴露は、ゼロ。まったく、なかった。

 霊媒師なる男性は、先にも書いたように、もっともらしいことを、実にもっともらしく
話していただけ。

 それにもう1点、おかしなことに気づいた。

 日本では、死んだ人を、すべて「仏(ほとけ)」と呼ぶ。つまり死んだとたん、その人は、
釈迦と同列の「仏」として祭られる。しかしこうした仏教観は、日本独特のものと考えて
よい。

 昨日の番組の中でも、それを感じた。

電車にはねられて死んだ子ども(やっと歩き始めた男児)については、霊媒師なる男性
は、こう言っていた。「ぼくは、パパとママの子で、幸福だった」と。

 記憶によるものなので、言葉としては正確ではないかもしれない。しかしそういうよう
なことを言っていた。が、考えてみれば、これもおかしい。やっと歩き始めたような幼児
が、そんなことを考えるだろうか。言うだろうか。

 つまりこうして死んだ人を、若い女性であるにせよ、子どもであるにせよ、ここまで美
化するのは、日本独特の風習(?)と考えてよい。少なくとも、こうした風習は、世界で
も、あまり例がない。

 その霊媒師なる男性も、その風習の中で、つまり日本的な常識の中で、霊の心を代弁し
ていた(?)。その「日本的」という部分が、お・か・し・い。だいたい私が子どものころ
には、「霊」といえば、幽霊を意味した。「霊媒師」という言葉そのものが、どこか西洋的
(?)。

 悲しみにうちひしがれている家族の心を考えるなら、「インチキだ」とは、とても私には
言えない。言えないが、反対に考えると、テレビ局は、そういうふうに悲しみにうちひし
がれている家族の心を、全国に披露することによって、もてあそんだことになる。もしそ
うだとするなら、ことは重大である。

 そんなことが、堂々と、許されてよいものか!

むずかしい話はさておき、これから先、もしみなさんが、こうした番組を見る機会があ
ったら、私がここに書いた、「事実の暴露」という視点から、番組を見たらよい。事実の
暴露があるか、どうか、と。もし、それまでだれも知らなかったことを、霊が言ったと
したら、その霊媒師(?)は、本物と考えてよい。

 もっとも、その事実の暴露にすら、巧妙なトリックをしかける、自称、霊媒師なる人た
ちもいるから、じゅうぶん、注意したほうがよい。あらかじめ下調べをしておいてから、
あたかも霊がそれを教えたかのように言うケースも、考えられなくはない。

 ともかくも、私自身は、この手の霊媒師は、みな、例外なく、インチキだと思っている。

 あえて言うなら、テレビ局も、子どもたちに与える影響を考えて、この種の「?」番組
は、もっと自粛してほしい。あるいは最低でも、そういう内容を、中立な立場から批判し
たり、批評できる人を、番組の中で同席させてほしい。
 
【付記】

 以前、別の霊媒師なる女性が、テレビで紹介されていたことがある。その霊媒師なる女
性は、いろいろな霊を、自分の中に呼びこむことができるという。で、番組の中では、リ
クエストに応じて、霊媒師なる女性は、あのナポレオンの霊を呼びだした。(フランスの、
あのナポレオンだぞ!)

 その霊媒師なる女性は、こう言いだした。「苦しい……」「苦しい……。ここはどこだア?」
と。

 そういう場面が、5分とか10分もつづいた。意味のない言葉。支離滅裂な内容……。

 で、それを見ていた一人の男性が、番組の途中で、こう問いかけた。

男「あなたは、ナポレオンですか?」
女「そうじゃあ」
男「そこはどんな世界ですか」
女「暗い……、苦しい……、苦しい……」
男「苦しいですか?」

女「苦しい……、苦しい……」
男「ナポレオンさん、フランス語で何かをしゃべってください……」
女「苦しい……、苦しい……」
男「どうして、あなたは日本語が話せるのですか……」
女「苦しい……、苦しい……」と。

 結局、その霊媒師なる女性は、「苦しい……」という言葉を繰りかえすことで、その場を
逃げてしまった。

 もし本物の霊なら、そして本物の(?)霊媒師なら、フランス語で、ちゃんと答えられ
たはず。……ではないか? これも事実の暴露のひとつと考えてよい。

 パリヴ・フランセ? (フランス語が話せるか?)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●G県のK知事

+++++++++++++++++

作った裏金が、何と数億円以上!

県の幹部たちは、その裏金を、
飲み食いの遊興費に使っていたという。

が、それだけではない。

裏金が発覚すると、何と、その
処分に困り、金庫の中にあった
現金を、焼却処分までしていたという。

さらに……。

裏金作りに関与を否定しつづけていた
K県知事は、最近になって、
それを認める発言をしている!

いったい、G県という県は、
どういう県なのだあ!

++++++++++++++++

 まあ、あきれるというか、とんでもない事件が、G県で起きた。何でも作った裏金が、
数億円以上。県の幹部職員たちは、その裏金を使って、まさにしたい放題。飲み食いなど
の遊興費に使っていたという。

 しかもその裏金の存在が発覚すると、処分に困り、金庫の中にあった現金を、焼却して
しまったという。つまりお金を、ゴミとして、燃やしてしまった!

 とんでもない事件である。

 で、当初、元県知事のKは、「知らぬ」「関係ない」の一点張り。しかし直属の部下だっ
た男が、「県知事に、そのつど承認してもらっていた」と証言すると、一転、今度は、「知
っていた」と。

 G県よ、G県のみなさんよ、いったい、あなたたちの県は、どうなっているのか? 怒
りの声をあげる人もいないのか? 責任を追及する人もいないのか?

 ……と書いているが、こうした黒いウワサは、実は、私も、あちこちで耳にしていた。
あの県にまつわる、うさん臭い話は、山ほど聞いていた。何を隠そう、私も、そのG県の
元県人。G県庁の中には、高校や大学時代の友人も、多い。

 それにしても、現金を、焼却処分とは……?

 しかし私はそんなことは信じない。だれかの懐(ふところ)に、今ごろは、こっそりと
入っているはず。燃やしたことにすれば、返す必要はない。

 そのだれかとは、だれか? こういう小ズルイことをする人は、どこまでも小ズルイ。
まさに一事が万事。そう考えれば、そのだれかはだれか。それがわかるはず。

 それにしても、レベルの低い話ではないか。


●息子のBLOG

 毎日、息子たちのBLOGを読むのを、楽しみにしている。日課になっている。つまり
私の1日は、ここから始まる。

 EのBLOGには、こうあった。何でも、佐賀まで、ソロ(単独)飛行をしたらしい。
いわく、

 「……人生でソロは、あと一回だけ(仙台課程にはソロはない)。2生地ソロといって、
宮崎以外の2空港を回って帰ってくるというもの。朝出発して、夕方帰ってくる。一日が
かりのフライトだ。昼飯はどこかの空港で好きなものを。どこがおいしいかな。

Sぺーの出身地は鹿児島県川内市というところで、今日の1生地ソロで鹿児島空港へ行
く途中、川内の上空を通り、自分の生まれ育った街を見てきたんだそうだ。涙が出そう
だったらしい。

Iっちーはおばあちゃん家が大分にあり、上空を通過するとき、下で手を振っているお
ばあちゃんの姿が見えたそうだ。M先輩は実家が佐賀で、空港まで家族全員が見に来て
くれたんだとか。

九州に家族や友達がいると、こういう時いいなぁと思う。僕も誰か、見に来てくれない
かなぁ・・・」と。

 Eへ、今度、仙台へ移ったら、僕と晃子で、仙台へ、行くよ! 約束するよ!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 8日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。

この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパ
ン・シンドローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、
それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着
などがあげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わ
がまま。就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さ
らに親への依存性がとくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサイ
ト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間が
ふえているということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はた
またパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、
(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。さらには、そういう若者
が結婚し、子どもをもつ。そういうこともある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかも
しれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わ
ない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意
識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまり
が、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果
として、たとえば(給料をもらっても、1円も、家計には入れない)という症状になって
現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみ
る。親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うま
くできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、
いつも仮面をかぶるようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、
何を考えているか、よくわかりませんでした」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児
姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということに
なる。もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子
どもは、そうした感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげて
いる。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度が
だらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なの
だが、その多くは仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄
で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚が
ないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、
家庭という子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭の
あり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではな
いかと思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして
結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カ
イリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どう
するか?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然の
ように考えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さな
い、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにも
ならない。そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上
で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方
法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのば
あいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳
のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。
(040201)((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育
て はやし浩司 ピーターパン シンドローム)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●カルトに気をつけよう

 大不況、温暖化、国際情勢の不安定化、鳥インフルエンザ、SARSなどなど。私たち
を取り巻く環境は、ますます悪化しています。

 当然のことながら、人々の心は、それに並行して、不安定になります。私もそうですが、
あなたも、そうではないでしょうか。

 こういうとき、あやしげなカルト教団が、一挙に勢力を伸ばします。戦後直後の日本、
旧東ドイツ崩壊後のドイツ、旧ソ連崩壊後のロシアに例を見るまでもありません。

 現に今、私のまわりにも、実にあやしげなカルト教団が、近づきつつあります。たいて
いは終末論や末法論を唱え、「この信仰をしたものだけが救われる」などと、説きます。

 みなさん、常識を信じましょう!

 私たちが数十万年という長い年月を経て、身につけた常識です。その常識に従って、判
断し、行動しましょう。いえ、決して、むずかしいことではありません。おかしいものは、
おかしいと思えばよいのです。たったそれだけのことです。

 もし私たちがすることがあるとすれば、その常識をみがくことです。本を読み、映画を
見て、音楽を聞く。自然の中を歩き、人と会い、ごく日常的な生活をする。奇をてらった
修行をしたから、その境地に達せれるとか、しなかったから、達せられないとか、そうい
うことではありません。

 野に遊ぶ動物や、同じく野に咲く花を見れば、それがわかるはずです。動物や、花が、
そんなことを、しているでしょうか。私たち人間も、まさに自然の一部です。だったら、
自然に生きていきましょう。自然とともに、生きていきましょう。

 たしかにいろいろな問題が、起きてきています。そしてそのつど、私たちは、不安にな
ります。私たちだけのことならともかくも、子どもの未来を考えると、暗澹(あんたん)
たる気持ちになります。

 しかしそのときでも、常識に従って生きていきましょう。人間として、人間の道を生き
ていけば、それでよいのです。

 その結果、人間は、どうなるか? それは私にもわかりませんが、同時に、私は、人間
がもつ知恵や勇気、英知や努力を信じます。みんながそういう力を結集すれば、そういう
問題を、ひとつひとつ克服できるはずです。逃げるのではなく、絶望するのではなく、最
後の最後まで、戦うのです。

 みなさん、常識を信じましょう!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
やし浩司 カルト論 子供の信仰 子供の宗教)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
********回顧性と展望性***********

【老後は、どうあるべきか】

+++++++++++++++++

年をとればとるほど、戦わねば
ならないもの。

それが「回顧性」。

人間も、過去ばかりみて生きるように
なったら、おしまい。

半分、棺おけに足をつっこんだような
もの。

この4年間、私は、この問題を、ずっと
考えてきた。

最初は、(老後の準備)を考えた。
しかしやがて、そういう考え方、つまり、
老後を意識した考え方は、まちがって
いることに、気がついた。

++++++++++++++++++

●分岐点は、満55歳前後

 年齢とともに、人は未来をみることよりも、過去をみるようになる。過去をなつかしん
で、その過去に浸(ひた)るようになる。

 心理学などの本によると、その分岐点は、満55歳前後だという。つまりこの年齢を境
にして、人は、未来をみることよりも、過去をみるようになる。同窓会や同郷会、さらに
は「法事」に名を借りた親族会も、この年齢を境に、急に多くなる。

 要するに、満55歳を境に、人は、自らジジ臭くなり、ババ臭くなるということ。が、
それだけでは終わらない。

 回顧性が強くなればなるほど、思考力そのものが退化する。そのためその人は、融通性
を失い、がんこになる。過去を必要以上に美化し、心のよりどころを、そこに求めるよう
になる。

 つまり回顧性などといったものは、それが肥大化すればするほど、魂の死につながると
考えてよい。過去を懐かしんでばかりいる人は、いくら肉体は健康でも、魂は、すでに半
分、棺おけに足をつっこんだようなもの。

 そこで重要なことは、自分の中に、回顧性の芽を感じたら、それとは徹底的に戦う。戦
いながら、いつも目を未来に向ける。あの釈迦自身も、『死ぬまで精進せよ』(法句教)と
いうようなことを言っている。

 わかりやすく言えば、死ぬまで、前向きに生きろということ。

 2年半前に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●回顧性と展望性

 過去をかえりみることを、「回顧」という。未来を広く予見渡すことを、「展望」という。

 概して言えば、若い人は、回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い。老人ほど、回顧
性のハバが広く、展望性のハバが、狭い。

 幼児期から少年、少女期にかけて、展望性のハバは広くなる。数日単位でしか未来を見
ることができなかった子どもでも、成長とともに、数か月後、数年後の自分を見渡すこと
ができるようになる。つまりそのハバを広げていく。

 言いかえると、展望性と回顧性のバランスを見ることによって、その人の精神年齢を知
ることができる。つまり未来に夢や希望を託す度合が、過去をなつかしむ度合より大きけ
れば、その人の精神年齢は、若いということになる。そうでなければ、そうでない。

 ある女性(80歳くらい)は、会うと、すぐ、過去の話をし始める。なくなった夫や、
その祖父母の話など。こうした行為は、まさに回顧性の表れということになる。が、こう
した回顧性は、老人の世界では、珍しくない。ごくふつうのこととして、広く見られる。

 一方、若い人は、未来しかみない。時間は無限にあり、その未来に向かうエネルギーも、
永遠のものだと思う。それは同時に、若さの特権でもあるが、問題は、そのハバである。

 自分の未来を、どの範囲まで、見ているか?
 1年後はともかくも、20年後、30年後は、見ているか?

 いくら展望性があるといっても、それが数か月どまりでは、どうにもならない。「明日も
何とかなる」では、どうにもならない。

 そこで、このことをもう少しわかりやすくまとめてみると、こうなる。

(1) 回顧性と展望性のハバが広い人……賢人
(2) 回顧性のハバが広く、展望性のハバが狭い人……老人一般
(3) 回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い人……若い人一般
(4) 回顧性と展望性のハバが狭い人……愚人(失礼!)

 (1)〜(3)は、比較的、わかりやすい。問題は(4)の愚人である。

 過去を蹴(け)散らし、その場だけの享楽に身を燃やす人は、ここでいう愚人というこ
とになる。

 このタイプ人は、過去に対して、一片の畏敬(いけい)の念すらない。同時に、明日の
こともわからない。気にしない。その日、その日を、「今日さえよければ」と生きる。健康
も、またしかり。

 暴飲暴食を繰りかえし、今だけよければ、それでよいというような考え方をする。もち
ろん運動など、しない。まさにしたい放題。

 で、問題は、どうすれば、そういう子どもにしないですむかということ。一歩話を進め
ると、どうすれば、子どもがもつ展望性のハバを、広くすることができるかということ。

 ためしに、あなたの子どもと、こんな会話をしてみてほしい。

親「あなたは、おとなになったら、どんなことをしないか?」
親「そのために、今、どんなことをしたらいいのか?」
親「で、今、どんなことをしているか?」と。

 以前、こんな女の子がいた。小学3年生の女の子だった。たまたまバス停で会ったので、
近くの自動販売機で、何かを買ってあげようかと提案したら、その女の子は、こう言った。

 「私、これから家に帰って夕食を食べます。今、ジュースを飲んだら、夕食が食べられ
なくなるから、いいです」と。

 その女の子は、自分の未来を、しっかりと展望していた。で、その女の子で、もう一つ、
印象に残っていることで、こんなことがあった。

 正月のお年玉として、かなりのお金を手にしたらしい。その女の子は、それらのお金を
すべて貯金すると言う。

 そこで私が、その理由を聞くと、「お金を貯金して、フルートを買う。そのフルートで、
音楽を練習して、私はおとなになったら、音楽家になる」と。

 一方、そうでない子は、そうでない。お金を手にしても、すぐ使ってしまう。浪費して
しまう。飲み食いのために、使ってしまう。

 少し前だが、タバコを吸っている女子高校生とこんな会話をしたことがある。

私「タバコって、体に悪いよ」
女「知ってるヨ〜」
私「ガンになるよ」
女「みんな、なるわけじゃ、ないでしょう……?」

私「奇形出産のほとんどは、タバコが原因でそうなるっていう話は、どう?」
女「でも、そんな出産したという話は、聞かないヨ〜」
私「みんな、流産という形で、処置してしまうから……」
女「結婚したら、やめるヨ〜」

私「で、タバコって、おいしいの?」
女「別においしくないけどサ〜。吸ってないと、何となく、さみしいっていうわけ」
私「だったら、やめればいいじゃん」
女「また、病気にでもなったら、そのときはそのとき。そのとき、考えるわ」と。

 先の「フルートを買う」と答えた子どもは、ハバの広い展望性をもっていることになる。
しかしタバコを吸っていた子どもは、ほどんど、その展望性のハバがないことになる。

 こうしたちがいが、なぜ起きるかと言えば、結局は、私の説く「自由論」に行き着く。「自
らに由(よ)る」という意味での、自由論である。

 それについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。しかし結局は、子
どもは、(自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとれる子ども)にする。展望性のハバ
の広い子どもになるかどうかは、あくまでもその結果の一つでしかない。
(040125)(はやし浩司 回顧 展望 老後論 自由論)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 ちょうど57歳のとき、私も、中年期クライシスなるものを経験した。今から思うと、
あのときが、回顧性と展望性が、自分の中で交差するときではなかったと思う。その前後、
私の考え方が、急速にうしろ向きになっていったのを覚えている。

 そのとき書いた原稿が、つぎのものである。かなり暗い内容だが、少しがまんして読ん
でほしい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●中年期クライシス(危機)

 若い人たちを見ていると、「いいなあ」と思うことがある。「苦労がなくて」と。しかし
同時に、「いいのかなあ?」と思うときもある。目の前に、中年の危機がすぐそこまできて
いるのに、それに気づいていない?

 危機。「クライシス」という。そして中高年の男女が感ずる危機を、総称して、「中年期
クライシス」という。

 健康面(心臓疾患、高血圧症、糖尿病などの、生活習慣病)、精神面(抑うつ感、うつ病)
のクライシス。仕事面、交遊面のクライシスなど。もちろん夫婦関係、親子関係のクライ
シスもある。

 こうしたクライシスが、それこそ怒涛(どとう)のように押し寄せてくる。若い人は、
遠い未来の話と思うかもしれないが、そのときになってみると、あっという間に、そうな
る。それがまた、中年期クライシスのこわいところでもある。

●中年期クライシス、私のばあい

 私は、もうそろそろ中年期を過ぎて、初老期にさしかかっている。もうすぐ満57歳に
なる。

 まず健康面だが、このところ、ずっと、どうも心が晴れない。軽いうつ状態がつづいて
いる。それに仮性うつ病というか、頭が重い。ときどき偏頭痛の前ぶれのような症状が起
きる。

 仕事は楽で、ほどほどに順調だが、何かと悩みごとはつきない。ときどき「私は、もう
用なしなのか」と思うことがある。息子たちも、ほぼ、みな、巣立った。ワイフも、あま
り私の存在をアテにしていないようだ。「あんたが死んだら、私、息子といっしょに住むわ」
などと、平気で言う。

 私を心配させないためにそう言うのだろう。が、どこかさみしい。

 性欲は、まだふつうだと思うが、しかしここ数年、女性が、急速に遠ざかっていくのが、
自分でもわかる。若い母親たちのばあい、(当然だが……)、もう私を「男」と見ていない。
それが自分でも、よくわかる。

 だから私も、気をつかうことが、ぐんと少なくなった。「どうせ私を男とみてくれないな
ら、お前たちを、女とみてやるかア!」と。

 しかしこの世の中、「女」あっての、「男」。女性たちに「男」にみてもらえないのは、さ
みしい。

 そう、中年期クライシスの特徴は、この(さみしさ)かもしれない。

 たとえばモノを買うときも、「あと○○年、もてばいい」というような考え方をする。何
かにつけて、未来的な限界を感ずる。

 あるいは今は、ワイフも私も、かろうじて健康だが、ときどき、「いつまで、もつだろう
か?」と考える。「そのときがきても、覚悟ができているだろうか?」と。そういう私の中
年期クライシスをまとめると、こうなる。

(1)健康面の不安……体力、気力の衰え。自信喪失。回復力の遅れなど。
(2)精神面の不安……落ちこむことが多くなった。うつ状態になりやすい。
(3)家族の不安……子どもたちがみな、健康で幸福になれるだろうかという心配。
(4)老後の不安……収入面、仕事面での不安。何か事故でもあれば、万事休す。
(5)責任感の増大……「私は倒れるわけにはいかない」という重圧感。

 こうしたもろもろのストレスが、心を日常的に、おしつぶす。そしてそれが、食欲不振、
頭重感、抑うつ感、不安神経症へとつながる。「心が晴れない」というのは、そういう状態
を、総合していう。

●何とかごまかして、前向きに生きる

 自分の心を冷静に、かつ客観的にみることは大切なことだが、ときとして、自分の心を
だますことも必要なのかもしれない。

 楽しくもないのに、わざと楽しいフリをしてみせて、まわりを茶化す。おもしろくもな
いのに、わざとおもしろいと騒いでみせて、まわりをごまかす。

 しかしそれも、疲れる。あまりひどくなると、感情が鈍麻することもあるそうだ。よく
言われる、「微笑みうつ病」というのも、それ。心はうつ状態なのに、表情だけはにこやか。
いつも満足そうに、笑っている。

 そう言えば、Mさんの奥さん(60歳くらい)も、そうかもしれない。通りであっても、
いつも、ニコニコと笑っている。が、実際、話してみると、どこか上(うわ)の空。会話
が、まったくといってよいほど、かみあわない。

 ただ生きていくことが、どうしてこんなにも、つらいのか……と思うことさえ、ある。
ある先輩は、ずいぶんと昔だが、つまりちょうど今の私と同年齢のときに、こう言った。

 「林君、中年をすぎたら、生活はコンパクトにしたほうがいいよ。それに人間関係は、
簡素化する」と。

 生活をコンパクト化するということは、出費を少なくするということ。60歳を過ぎた
ら、広い土地に大きな家はいらない。小さな家で、じゅうぶん。

 人間関係を簡素化するということは、交際範囲を狭くし、交際する人を選ぶということ。
ムダに、広く浅く交際しても、意味はない。

 が、なかなか、その切り替えができない。「家を小さくする」といっても、実際には、難
題である。心のどこかには、「がんばれるだけ、がんばってみよう」という思いも残ってい
る。

 交際範囲については、最近、こう思うようになった。

 親戚や知人の中には、私のことを誤解して、あれこれ悪く言っている人もいる。若いこ
ろの私だったら、そういう誤解を解くために、何かと努力もしただろうが、今は、もうし
ない。「どうでも勝手に思え」という、どこか投げやり的な、居なおりが、強くなった。

 どうせ、みんな、私も含めて、あと20年も生きられない。そういう思いもある。

 が、考えたところで、どうにかなる問題ではない。だから結論はいつも、同じ。

 そのときまで、前向きに生きていこう、と。生きている以上、ここで死ぬわけにはいか
ない。責任を放棄するわけにもいかない。だから生きていくしかない。自分をごまかして
も、偽っても、生きていくしかない。

 そしてそれが中年期クライシスにある私たちの、共通の思いではないだろうか、……と、
今、勝手にそう思っている。
(040619)
(はやし浩司 中年期クライシス 中年クライシス 中年期の危機)

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同じころ、書いたのがつぎの原稿である。

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●展望性と回顧性(2)

 自分の未来や将来は、どうなのか。どうあるべきなのか。それを頭の中で組み立てるこ
とを、展望性という。未来や将来に、夢や希望をはせらすことも、それに含まれる。

 一方、自分の過去は、どうであったのか。どこにどんな問題があったのかを反省するこ
とを、回顧性という。思い出にひたったり、過去をなるかしむのも、それに含まれる。

 賢人は、ハバ広い展望性と、回顧性を、いつも同時にもつ。しかし愚人は、そのどちら
もハバが狭い。その場だけを、享楽的に過ごす。それでよしとする。

 概して言えば、若い人は、よりハバの広い展望性をもち、老人は、よりハバの広い回顧
性をもつと言われている。そこであなた自身の展望性と、回顧性が、どの程度のハバをも
っているかを知るとよい。それによって、あなたの精神年齢を、推定することができる。

 もしあなたが今でも、未来に向かって、目標や目的をもち、生き生きとしているなら、
展望性のハバは広いということになり、あなたは精神的に若いということになる。しかし
いつも過去をなつかしんだり、過去の栄華や、過去の思い出にひたってばかりいるという
のであれば、あなたの精神年齢は、老人のそれということになる。

 その展望性と回顧性は、満60歳前後を境として、入れかわると言われている。つまり
満60歳を過ぎると、展望性よりも回顧性のほうが、強くなるという(心理学者のB・ボ
ナーら)。

 実は、私も何かにつけて、このところ回顧性が強くなったように思う。昨夜も、ある飲
食店で、オーストラリアの旅行案内書を読んでいたときのこと。その一頁に、ジーロン(メ
ルボルンの南にある町)から、ローン(避暑地)を経て、アデレード(南オーストラリア
州の州都)にのびる街道のことが、書いてあった。

 「グレート・オーシャン・ロード」という名前の道路である。第一次大戦の退役軍人ら
が建設した道と聞いている。

 その街道の記事が、その本に載っていた。

 その記事を読んでいたときのこと、いつしか私の目は、涙で、うるんできてしまった。
私には、思いで深い街道だった。今でも、私の机の上には、その街道の写真が飾ってある。

 「また行きたいな」という思いと、「もう死ぬまで行けないかもしれない」という思いが、
その記事を読んでいるとき、複雑に交錯した。

 つまりそのとき、自分の心の中で、ここでいう展望性と回顧性が、同時に交錯したこと
になる。もちろん若いときは、そういう感情をもつことは、なかった。「もう死ぬまで……」
などとは、考えもしなかった。未来は、永遠につづくように思っていた。

 だからといって、回顧性をもつことが悪いということではない。若いころの自分を回顧
することで、私の中の心のハバを広くすることができる。ただ、それにひたりすぎるのは、
よくない。あくまでも、過去は過去。未来を、よりよく生きるために、過去は、ある。

 あえて言うなら、こうして過去を回顧することによって、生きることにまつわる「いと
おしさ」のようなものを知ることができる。生きることのすばらしさというか、美しさと
いうか、そういうものである。おかしな感覚だが、懸命に生きてきた、自分が、どういう
わけか、かわいい。いとおしい。そして当然のことながら、なつかしい。

 が、そのままここに、立ち止まるわけには、いかない。

 私は、今、こうしてここに生きている。そして、まだまだ生きなければならない。生き
ることをあきらめるわけには、いかない。そこで大切なのは、いかにして、展望性のハバ
を広くするかということ。

 一〇年後も、二〇年後も、今日と同じように、「今」はある。青い空がそこにあって、冬
であれば、冷たい風が吹いている。そのとき、私は、いったいどうなっているだろうか。
今のままなら、多分、一〇年後も、今と同じように元気で、生きていると思う。しかし二
〇年後は、わからない。そのときも、私は今の私のように、まだ心の荒野の中を、前に向
って進んでいるだろうか……。健康や生活は、どうだろうか……。

 展望性と回顧性。この二つには、より心豊かに生きるための、重要なカギが隠されてい
るように思う。今は、その程度のことしか、わからないが、この先、機会があれば、また
ゆっくりと考えてみたい。
(040201)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 しかし私は、まちがっていた。やがてそれに気がついた。人は年をとっても、コンパク
トに生きる必要はない。またコンパクトな生き方をしてはいけない。

 何も、自ら好き好んで、死ぬための準備など、する必要はない。最後の最後まで、自分
をまっとうさせる。

 そうした変化を自分の中で感じたのが、つぎの原稿を書いたときである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●小さく生きる人、大きく生きる人

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老人になると、小さくなっていく
人と、大きくなっていく人がいま
すね。

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 人は、人、ぞれぞれ。生き方も、人、それぞれ。最近、老人観察をつづけている。この
ところ、老人の生き様が、気になって、しかたない。それについては、少し前にも、書い
た。

 で、大別して、老人になればなるほど、より小さく生きる人と、より大きく生きる人が
いることがわかる。その間にあって、(その日、その日を、ただ生きている人)もいるが、
そういう老人は、ここでは考えない。

【より小さく生きる人】

 より小さく生きる人は、生活そのものを、コンパクトにしようとする。しかしそれはそ
れで賢明なことかもしれない。欧米人でも、高齢化すればするほど、そういう生き方をす
るのが、ふつうのようである。

 たとえば、住環境を縮小したり、人間関係を整理したりするなど。収入も減り、健康に
も自信がなくなれば、それは当然のことかもしれない。

 しかしそれにあわせて、自分という人間そのものまで、小さくしてしまう人がいる。わ
かりやすく言えば、より自己中心的になる。

 より利他的な生き方をする人を、人格のより完成した人とみるなら、より自己中心的に
なるということは、それだけ、人格が後退したとみる。より自己中心的になれば、やがて、
自分のことだけしかしなくなる。自分さえよければというような、考え方をするようにな
る。

 たとえば世間的な活動には、まったく参加せず、個人的な趣味だけしかしないという老
人は、少なくない。で、このタイプの老人にかぎって、少しでも、自分の生活圏が侵され
たりすると、猛烈に反発したりする。

【より大きく生きる人】

 これに対して、自分の生活を、より大きくしようとする人がいる。「大きい」といっても、
住環境を拡大したり、新しい人間関係を求めるというのではない。ある男性は、いつも口
ぐせのように、こう言っている。

 「私は今まで、こうして無事に生きてくることができた。それを最後には、社会に還元
するのが、私の最後の務めである」と。すばらしい生き方である。

 つまりこのタイプの人は、より、利他的になることによって、人格の完成度を高めよう
とする。ある女性は、80歳をすぎてからも、乳幼児の医療費、完全無料化のための運動
をつづけていた。「どこからそういうエネルギーがわいてくるのですか?」と私が聞くと、
その女性は笑いながら、こう言った。「私は、ずっと保育士をしてきましたから」と。

 その人の人生は、その人のもの。だから他人がとやかく言ってはいけない。最近の私は、
「とやかく思ってもいけない」と、考え始めている。仮にあなたの隣人が、優雅な年金生
活をしていたとしても、それはその人の人生。批判したり、批評したりすることも、いけ
ない。

 反対の立場で言うなら、他人にどう思われようが、気にすることはない。

 大切なことは、私は私で、納得のできる老後の道をさがすこと。あくまでも、私は、私。
が、これだけは、言える。

 愚かな人からは、賢明な人がわからない。しかし賢明な人からは、愚かな人がよくわか
る。同じように、人格の完成度の低い人からは、完成度の高い人はわからない。しかし完
成度の高い人からは、、完成度の低い人がよくわかる。

 それはちょうど、山登りに似ている。低いところにいる人は、高いところから見る景色
がどんなものか、わからない。しかし高いところにいる人は、低いところにいる人が見る
ことができない景色を見ることができる。

 そしてより広い景色を見た人は、きっと、こう思うだろう。「今まで、こんな景色を知ら
なかった私は、愚かだった。損をした」と。

 ……といっても、それはあくまでも、相対的なもの。こんなことがあった。

 私が、地域の公的団体の主催する講演会で、講師をしたときのこと。少し自慢げに、恩
師のT先生にそのことを話したら、T先生から、すかさず、一枚の写真が送られてきた。
その写真というのは、T先生が、「中国化学会創立50周年記念」で、記念講演をしている
ときの写真だった。しかも添え書きには、「中国語でしました」とあった。

 T先生は、いつも私が見たこともない世界で、仕事をしている。だから私ができること
といえば、先生の言葉の断片から、その見たこともない世界を想像するだけでしかない。
そのT先生から見れば、私の住んでいる世界などというものは、まるでおもちゃの世界の
ようなものかもしれない。

 そうそう、もう一人、別の恩師は、こうメールを書いてきた。その恩師も、世界を舞台
に、あちこちで、講演活動をしている。いわく、「林君、田舎のおばちゃんたちなんか、相
手にしていてはだめだ」と。

 ずいぶんときつい言葉である。そのときは、「そんなことを女性たちが聞いたら、怒るだ
ろうな」と思った。しかし同時に、「そういうものかなあ?」と思った。その恩師にしても、
私の世界をはるかに超えた世界で、仕事をしている。

 まあ、このところ、私の限界も、はっきりしてきた。「私の人生は、こんなもの」と、心
のどこかで、ふんぎりをつけるようになった。だから後悔はしないが、しかしこれで私の
人生が終わったわけではない。

 できれば、これから先、ここに書いた、(より大きく生きる老人)になりたいと願ってい
る。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

ちょうど上の原稿を書いたころ、こんな原稿も書いた。

内容が少しダブるかもしれないが、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●過去と未来

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわるとい
う。ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかしこ
れには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反対
に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんどち
らがよいとか、悪いとかいうのではない。ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、
過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大き
くなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど毎
日、幼児や小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあって
も、過去は、ない。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。
今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。10
年後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているか
なあ」という程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※をい
くら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、
天国の話はしているが、ここでいう前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏教
典のほとんどは、釈迦滅後4、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミッ
クスされてできた。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したのが、
ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あれ
ばもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわから
ないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私の
ようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はやし
浩司など、相手にしない。どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。大
きな正義を貫く勇気も、度胸もない。小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があるとし
ても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。それ
しかない。それに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが、表に出てくる
のがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをなつ
かしむようになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華や
肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、いく
らでもいる。が、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進」という言葉を使って、「日々に前進する
ことこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。

わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。そういう釈迦の教えにコ
メントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。人間が生きる意味は、日々を、
懸命に、しかも前向きに生きるところにある。過去ではない。未来でもない。「今」を、
だ。

 一年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

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前向きの人生、うしろ向きの人生

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしまい。
偉そうなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわからな
い。しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自信は
ないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(70
歳)がいた。その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産を
築いた人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時は
従業員を五人ほど雇うほどまでになった。

が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸
前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなって
から2年後に他界している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方を
していた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、私
と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。

「母は、異常なまでにケチになりました」と。たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買
ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したという。「それも、私がどこ
にあるか忘れてしまったようなものです。値段も、2000円とか3000円とかいう
ような、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎへ
と、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。波
がなければないで、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわい
のは、方向がわからなくなること。同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰り
返しだったら、生きている意味はない。死んだほうがましとまでは言わないが、死んだも
同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチン
コ。読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという人
がいる。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りがう
まくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗記
しても、それがどうだというのか。そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はある
会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だった。
乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生きし
た顔色を見て驚いた。

「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言っ
た。「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そ
ういうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。しか
しそういう航海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマが
あるからだ。そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の大
波小波は、できれば少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそれ
以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝かせ
る。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがう
しろ向きになる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あく
までも信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、
人がいなければ、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのよ
うな矛盾をどうやって説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でも
ある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっと
したら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。その
あと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化し
て、昆虫人間になるということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、
その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅を
もたらしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜に
は神はいなかったのかということになる。

数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数10万年など、マバタ
キのようなものだ。お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。し
かし数10万円では、パソコン1台しか買えない。数億年と数10万年の違いは大きい。
モーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年〜60
00年ほど前のこと。たったの6000年である。それ以前の数10万年の間、私たち
がいう神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定してい
るのではない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることより、
はるかに多い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているのかも
しれない。そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味もふく
めて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だからと
いって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇跡
を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待し
てするものではない。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(スッ
タニパーダ「ダンマパダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えて
いるのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きる
かどうかを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばる
からこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎日、
毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。同じ
ようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。

たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもが
いる。そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先
生」と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが……)、さらに困
る。もしそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不
合格なら不合格で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人がい
る。「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。
そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。が、何
も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその
女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性
の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。

この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。
言ってはならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、
ハシゴをはずすようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意して
あげねばならない。何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、
人として、してはいけないことと言ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことである。
どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、うし
ろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになっ
たら、人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか私
はそういう人生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもない。
保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れるよ
うになるかもしれない。私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にた
とえて言うなら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふん
ばっている。歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、
おしまい。あっという間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。

しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。
もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれ
る。……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のことが、
よく気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあれこ
れ観察する。先日も、そうだ。

「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どんな生きがいや、生きる目的をもっ
ているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているのだろう」「今、どんなことを考
えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬間、その人の中身というか、
深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実
の問題から逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせれ
ばそれでよいと考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人
もいる。クシャクシャになったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老
人もいる。

人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。
愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽
をつんでしまうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、いつ
の間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは実
に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということに
なる。何も考えなければ、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じで、
日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダは、
それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心と精
神はブヨブヨに太り始める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。つま
りいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。

 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念場
だ」と。
(030613)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

そして昨年(05年)の1月に、つぎのような原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心に残る人たち

 個性的な生き方をした人というのは、それなりに強く印象に残る。そしてそれを思い出
す私たちに、何か、生きるためのヒントのようなものを与えてくれる。

 たとえば定年で退職をしたあと、山の中に山小屋を建てて、そこに移り住んだ人がいた。
姉が中学校のときに世話になった、Nという名前の学校の先生である。その人が、ことさ
ら印象に強く残っているのは、郷里へ帰るたびに、姉が、N先生の話をしたからではない
か。

 「N先生が、畑を作って、自給自足の生活をしている」
 「半地下の貯蔵庫を作って、そこできのこの栽培をしている」
 「教え子たちを集めて、パーティを開いた」など。

 ここまで書いたところで、つぎつぎと、いろいろな人が頭の中に浮かんでは消えた。

 G社という出版社で編集長をしていた、S氏という名前の人は、がんの手術を受けたあ
と、一度、元気になった。その元気になったとき、60歳になる少し前だったが、自動車
の運転免許証を手に入れた。車を買った。そしてこれは、あとから奥さんから聞いた話だ
が、毎週、ドライブを繰りかえし、なくなるまでの数年間、1年で、10万キロ近く、日
本中を走りまわったという。

 またS社という、女性雑誌社に勤めていた、I氏という名前の人は、妻を病気でなくし
たあと、丸1年、南太平洋の小さな島に移り住み、そこで暮らしたという。一時は、行方
不明になってしまったということで、周囲の人たちはかなり心配した。が、1年後に、ひ
ょっこりと、その島から戻ってきた。そしてそのあとは、何ごともなかったかのような顔
をして、10年近くも、S社の子会社で、また、健康雑誌の編集長として活躍した。

 で、それからもう20年近くも過ぎた。山の中に山小屋を建てて住んだNという先生は、
とっくの昔に、なくなった。G社の編集長をしていたS氏も、なくなった。女性雑誌社に
勤めていたI氏は、私が知りあったとき、すでに50歳を過ぎていた。私が、25歳のと
きのことだった。だから今、生きているとしても、80歳以上になっていると思う。

 I氏からは、あるときまでは、毎年、年賀状が届いた。が、それ以後、音信が途絶えた。
住所も変わった。

 そうそうG社という出版社に、Tさんという女性がいた。たいへん世話になった人であ
る。そのTさんは、G社を定年で退職したあとまもなく、大腸がんで、なくなってしまっ
た。

 その葬式に出たときのこと。こんな話を聞いた。

 そのとき、私は、そのTさんにある仕事を頼んでいた。その仕事について、ある日の昼
すぎに、電話がかかってきた。Tさんが病気だということは知っていた。が、意外と、明
るい声だった。Tさんは、いつものていねいな言い方で、私の頼んだ仕事ができなくなっ
たということをわびた。そして何度も何度も、「すみません」と言った。

 そのことを葬儀の席で、Tさんをよく知る人に話すと、その人は、こう言った。「そんな
はずはない。Tさんが、あなたに電話をしたというときには、Tさんは、すでに昏睡状態
だった。電話など、できるような状態ではなかった」と。

 おかしな話だなと、そのときは、そう思った。あるいはそういう状態のときでも、ふと、
意識が戻ることもあるそうだ。Tさんは、そういうとき、私に電話をかけてくれたのかも
しれない。

 親類の人たちや、友人は別として、その生きザマが、印象に残る人もいれば、そうでな
い人もいる。言うなれば、平凡は美徳だが、平凡な生活をした人は、あとに、何も残さな
い。だからといって、平凡な生活をすることが悪いというのではない。「私らしい生きザマ」
とは言うが、しかしそれができる人は、幸せな人だ。

 たいていの人は、世間や家族、さらには親類などのしがらみに、がんじがらめになって、
身動きがとれないでいる。いまだに「家」を引きずっている人も、少なくない。そういう
状況の中で、その日、その日を、懸命に生きている。

 それにこうした個性的な生きザマを残した人にしても、私たちに何かを(残す)ために、
そうしたわけではない。私たちに何かを教えるために、そうしたわけでもない。結果とし
て、私たちが、勝手にそう思うだけである。

 ただ、こういうことは言える。

 それぞれの人は、それぞれの人生を懸命に生きているということ。悲しみや苦しみと戦
いながら、懸命に生きているということ。その懸命に生きているという事実が、無数のド
ラマを生み、そのドラマが、そのあとにつづく私たちに、ときに、大きな感動を残してく
れるということ。

 で、かく言う私はどうなのかという問題が残る。

 ここ数か月以上、私は、「老人観察」なるものをしてきた。その結論というか、中間報告
として、ここで言えることは、私は、最後の最後まで、年齢など忘れて、がんばって生き
てみようということ。

 ときに、「生活をコンパクトにしよう」とか、「老後や、死後に備えよう」などと考えた
こともあるが、それはまちがっていた。エッセーの中で、そう書いたこともある。まだ、
その迷いから完全に抜けきったわけではないが、私は、そういう考え方を捨てた。……捨
てようとしている。

 つまりそういう生きザマを、こうした人たちが、私に教えてくれているように思う。私
たちはその気にさえなれば、最後の最後まで、何かができる。それを教えてくれているよ
うに思う。

 N先生……私自身は一面識もないが、心の中では、いつも尊敬していた。
 S氏……そのS氏が、私にエッセーの書き方を教えてくれた。
 I氏……いっしょに健康雑誌を書いた。……I氏の実名を出してもよいだろう。I氏は、
主婦と生活社の編集長をしていた、井上清氏をいう。健康雑誌の名前は、『健康家族』とい
う雑誌だった。その名前を覚えている人も、中にはいると思う。

 そしてTさん。電話では、自分の病状のことは、何も言わなかった。それが今になって、
私の胸を熱くする。私は、そのTさんの葬儀には、最後の最後まで、つきあった。藤沢市
の会館で葬儀をし、そのあと、どこかの火葬場で、火葬にふされた。アメリカ軍の基地の
近くで、ひっきりなしに、飛行機の爆音が聞こえていた。私は、Tさんが火葬されている
間、何度も何度も、その飛行機を見送った。

 遠い昔のことのようでもあるし、つい先日のことのようにも思う。みなさん、私に生き
る力を与えてくれてありがとう。私も、あとにつづきます!

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●終わりに……

 老後の敵、それはここに書いた「回顧性」ということになる。その回顧性を感じたら、
すでにあなたも、老人の仲間入りをしたということになる。

 もし、それがいやなら、つまりジジ臭くなったり、ババ臭くなるのがいやだったら、回
顧性とは、戦うしかない。

 私は死ぬまで、現役。あなたも、死ぬまで、現役。いつまでも、若々しく、前向きに生
きていく。

 繰りかえすが、毎日、過去をなつかしみながら、仏壇の金具を磨きながら日を過ごすよ
うになったら、その人も、おしまい。そういうこと。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
回顧性と展望性 展望性と回顧性 老後 老後の問題)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【付記】0608月06日

 生き様の問題は、どこまでいっても、その人個人の問題。仮にその人の生き様が、あな
たの意見とはちがったものであったとしても、私たちは、それについて、何も言ってはい
けない。干渉してはいけない。

 同じように、それぞれの老人が、それぞれの生き方をしていたとしても、私たちは、そ
れについて、何も言ってはいけない。干渉してはいけない。

 人は、みな、それぞれ。

 ここで私は、「人は、老後を、どう生きるべきか」というテーマで、エッセーを書いた。
しかしこのエッセーは、決して、他人のために書いたのではない。あくまでも、自分のた
めに書いた。

 そして最初から読んでくれた人には、わかってもらえたと思うが、私はこの数年間だけ
でも、自分の考え方が、大きく変化したのを知っている。

 (老後に備えて、コンパクトに生きよう)という考え方から、(それに疑問をもつ考え方)。
そして今は、(老後になっても、前向きに生きることこそ、大切という考え方)に変わって
きた。

 が、ここで結論が出たわけではない。

 この問題だけは、そのウラで年齢がからんでくるだけに、今、ここで結論を出すことが
できない。この先、年齢とともに、考え方が、変わってくることもありえる。事実、この
原稿を読んでくれた恩師のT先生は、こう言った。

 「(私の意見は)、若い人の考え方で、老人向きではありませんね」と。

 尊敬する先生の意見だけに、その言葉は、私の胸に、ズシリと響いた。

 これからもこの問題については、考えつづけてみたいと考えている。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今日・あれこれ】(8月7日)

●台風シーズン

 現在、日本の南では、3つの台風(7号、8号、9号)が、時を同じくして、発生して
いる。そのうち2つ(7号と8号)は、九州直撃コースに入った。(9号は、このまま直進
すれば、中国大陸に向かうと予想される。)

 「3つが1つにならなくてよかった」と、思った。同時に、「日本を避けて、ほかの国に
行ってほしい」とも思った。具体的には、あのK国を頭の中で思い浮かべた。が、先月の
集中豪雨で、かなりの被害が出たらしい。死者、行方不明者、あわせて2万人という説も
ある。

 そうでなくても、灌漑施設は、かなりのダメージを受けているはず。もしまたここで、
台風の直撃ということにでもなったら、さらに多くの被災者が出るかもしれない。しかし
悪いのは、独裁者である金xx。K国の民衆ではない。

 そう考えると、K国の民衆は、本当にかわいそう。お気の毒。今ごろ、被災者を中心に、
私たちが想像もつかないような、地獄絵図が繰りひろげられているにちがいない。報道な
どによると、子どもの人肉さえ、闇で売買されているという。

 今後、台風が、どちらへ向かうか。日本にも来てほしくないが、さりとて、「K国に向か
え」とは、とても書けない。自然現象であるがゆえに、どこへ行くかは、自然に任せるし
かない。

この2、3日、目が離せない。


●心の病をかかえる社員が、6割?!

 読売新聞の見出しに、こんなのがあった。

 「心の病をかかえる社員が増加。30歳代が6割」と。

 ギョッ! 6割! ……しかし、いくらなんでも、そんなことはありえない。社員の半
数以上が、何らかの心の病気(うつ病、ノイローゼなど)をかかえているということにな
る。そこで記事をていねいに読むと、こうあった。

 「6割を超える企業で、(心の病)を抱える社員が増加傾向にあることが、社会経済生産
性本部の実施したアンケート調査でわかった」と。

 つまり6割の企業で、心の病をかかえる社員がいるということがわったというのだ。「3
0歳代で6割」ということではないようだ。

 ……となると、どう考えても、この見出しは、おかしい。どうして読売新聞は、こんな
見出しを書いたのだろう。「?」と思ったところで、これについてのコメントは、おしまい。


●冷え込む日韓関係

+++++++++++++++++++++++++++

読売新聞社と韓国日報社が実施した「日韓共同世論調査」で、
日韓関係が「悪い」と見る人が、日本ではほぼ6割に上り、
過去最悪となったという(読売新聞)。

+++++++++++++++++++++++++++

 韓国でも、日本のK首相の靖国神社参拝に反感を抱く人や、日韓両国が領有権を主張し
ている竹島(韓国名・独島)問題の解決に、悲観的な人が大多数を占めた。「靖国」「竹島」
での対立が、両国民の意識に、暗い影を落としているようだ。

 調査は06年6月下旬から7月上旬にかけて、両社がそれぞれ日韓の有権者を対象に、
面接方式で行った。

 現在の日韓関係を「良い」と見る人は、日本では計36%で、昨年(05年)の前回調
査に比べ24ポイント減。逆に「悪い」と見る人は同24ポイント増の計59%に上り、
1995年以来、計5回の共同調査で最悪となった。

 つまり日本人の約6割は、「現在の日韓関係は悪い」とみている、と。

韓国では「良い」は計12%、「悪い」が計87%で、前回調査と比べ、あまり変化はな
かった。 

 日本は、日本の論理で動く。韓国は、韓国の論理で動く。

 日本は、「首相のY神社参拝は、日本の問題。心の問題。だから日本人が日本国内で、何
をしようが、それは日本の勝手」という論理で、ものを言う。

 韓国は、「独島(竹島)は、韓国の島だから、韓国が何をしようと、韓国の勝手」という
論理で、竹島を、事実上支配する。日本の新聞社がセスナ機を飛ばしただけで、韓国は、
ジェット戦闘機で、それに応戦(?)する。

 たがいに、相手の立場でものを考えることができない。

 先の戦争では、300万人もの日本人が死んだ。しかし同時に、その日本人は、日本の
外で、同じく300万人もの外国の人たちを殺している。K首相は、こう言う。「日本のた
めに犠牲になっていった御霊(みたま)を、参拝して、何が悪い」と。

 では、K首相に聞くが、日本人によって殺された、300万人もの外国の人たちは、ど
うなのか、と。それにK首相は、ことあるごとに、「日本のために犠牲になった」と言うが、
本当にそうか? そう言い切ってよいのか? 大半の日本人は、国に逆らうこともできず、
否応なしに、戦場へと駆り立てられて行ったのではないのか? 「犠牲になった」のでは
なく、「犠牲にさせられた」。そちらのほうが、事実に近いのではないのか?

 K首相が、Y神社参拝を強行するたびに、悪化する、日韓関係、それに、日中関係。そ
してそのたびに、迷惑するのが、韓国や中国で働いている日本人たち。先のアジアカップ
杯では、日本人サポーターたちは、中国側のサポーターたちに、ものを投げつけられた。
罵声を浴びせかけられた(中国・北京)。

 国の威信を問題にす人も多い。しかし「国の威信」とは何か?

 「日本人は正しかった」といつまでも、がんばることが、果たして、威信なのか? 威
信につながるのか?

 むしろ、そうではなくて、国としての威信を守るということは、すなおに、「私たちはま
ちがっていました」と、頭をさげることではないのか? 正直に、すなおに生きる。国と
しての威信は、そういう国としての国民性が積み重なって、生まれてくるのではないのか?

 韓国のN大統領は、たしかに、おかしい。中国のK主席も、たしかに、おかしい。しか
し彼らと同じくらい、日本のK首相も、おかしい。それぞれの国の人は、自分たちの指導
者について、そうは思っていないかもしれない。しかし、おかしいものは、おかしい。

 そうした(おかしさ)が、それぞれの国で増幅されて、こういう調査結果になった。

 日韓関係が悪いと答えた日本人……59%
 日韓関係が悪いと答えた韓国人……87%

 日本のK首相が8月15日に、Y神社参拝を強行すれば、この数字は、さらに悪化する
はず。その8月15日まで、あと8日!

【付記】

 竹島問題について言えば、今すぐ結論を出そうと考えるのではなく、たがいに50年先、
100年先を見つめながら、ゆっくりと話しあえばよい。あんなちっぽけな島を取りあっ
て、戦争!、というのも、バカげている。日本にはその気はなくても、日本が竹島を実行
支配しようとすれば、韓国のほうが、戦争をしかけてくる。

 しかし50年先、あるいは100年先には、この極東アジアも、ヨーロッパのようにな
るはず。またそうならなければ、日本も韓国も、生き残れなくなる。そうなったとき、竹
島の問題は、自然消滅する。

 日本は、そういう未来をめざせばよい。そしてそういう未来図を頭に描きながら、韓国
と交渉すればよい。

 一部の人たちは……、(というより、そういう意見の人は結構、多いが)、「竹島に自衛隊
を派遣せよ」とか、「竹島に自衛隊を派遣してみれば、日米同盟の有効性が確認されるはず」
と主張している。

 しかしこういう攻撃的な好戦論こそが、もっとも、危険。へたをすれば、日本そのもの
を、破滅に導いてしまう。

勇ましい好戦論には、じゅうぶん、注意しよう!

【補記】

 日韓関係、日中関係の悪化をよそに、中国と韓国が、このところ急速に接近している。

 時期は不明だが、最近の世論調査によると、中国人の90%が韓国人に好感
を持っているという結果が出たという(韓国国政広報部調査)。この結果をふ
まえながら、中国外交部のRK氏は、「おそらく、韓国人も中国人に対して似
たような数値の好感を持っているだろう」と、述べている(8月7日、朝鮮N
報)。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 6日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもたちの夏休み

+++++++++++++++

Aさんが、聞いた。「自由研究は、
何をすればいい?」と。

私は「好きなことをすればいい」と
答えた。

今度は、B君が聞いた。
「読書感想って、何を書けばいい?」と。

私は「思ったとおりを書けばいい」と
答えた。

+++++++++++++++

 Aさん(小5)が、バッグから、顕微鏡を取り出しながら、こう聞いた。「自由研究では、
何をしたらいい?」と。見ると、倍率が300倍の顕微鏡。「これなら、かなりのものまで
見えるね」と。しかし……?

 それを横で見ていたB君(小4)が、こう聞いた。「読書感想文って、何を書いたらいい
の?」と。

 みんな、そえぞれに頭を悩ましているようだ。しかし答は簡単。「したいことをすればい
い」「書きたいことを書けばいい」と。

私「あなたは何をしたいの?」
A「これを使って、何を調べたらいいの?」
私「だから、何を調べたいの?」
A「……?」と。

私「思ったとおり書けばいい」
B「何て?」
私「くだらなかったら、くだらない。つまらなかったら、つまらい。おもしろくなかった
ら、おもしろくない。そう書けばいい」
B「それじゃあ、感想文にならないよオ」
私「いいや、それが感想文だよ」と。

 Aさんは、鳥が好き。イラスト画を描かせたら、Aさんの右に出る子どもはいない。だ
ったら、Aさんは、なぜそういう分野での研究を深めないのか?

 B君は、ハリーポッターのファン。だったら、どうしてその本についての感想文を書か
ないのか。著者の生い立ちなどを調べ、それがどうハリーポッターにつながっていったか
を書いてもよい。

 みな、「研究」とか、「読書」とか言って、気負うから、話がおかしくなる。また自分か
ら、かけ離れたところで、研究をしたり、読書をしたりしても、意味はない。あとに何も
残らない。

 私は、小学生のころ、自由研究では、戦闘機について調べて書いたことがある(小6)。
飛行機が好きだったからだ。また工作も好きだったから、毎年、いろいろなものを作った。
組み立て式のボートを作ったこともある(小5)。が、感想文というのは、ほとんど記憶が
ない。書いたような覚えはあるが、何をどう書いたかは、覚えていない。自分のしたいこ
ととは、かけ離れていたからだ。

 つまり仮にAさんが、顕微鏡を使って何かを調べたとしても、あとに何も残らないだろ
う。またB君が、推薦図書なる本を読んで感想文を書いたところで、あとに何も残らない
だろう。

 (だいたいあの推薦図書と言われている本ほど、つまらないものはない。取ってつけた
ような美談ばかり。ウソだと思うなら、一度でもよいから、書店で立ち読みをしてみるこ
とだ。失礼!)

 まず、自分が何に一番興味をもっているかを、知る。そしてそれがわかったら、あとは、
それにすなおに従えばよい。すべては、ここから始まる。たとえば今、私が料理や、テニ
スについての原稿を書けと言われたら、それだけで、脳みそが重圧感でおしつぶされてし
まうだろう。

Aさんへ……鳥の研究をしなさい。同じすずめでも、イギリスのすずめと、日本のすずめ
は、顔がちがう。その顔のちがいを調べても、おもしろい。また1か月かかって、コミッ
ク漫画を描いてもよいでしょう。あるいは私があなたなら、アニメ機能つきのデジタルカ
メラを使って、アニメ漫画を作ります。

B君へ……好きな本をまず読みなさい。読んだあと、心に浮かんだ通りを、文にして書き
なさい。文というのは、飾ってはだめ。気取ってはだめ。ありのままの自分を書く。それ
が基本です。で、その本がおもしろかったら、あとは、どこがどうおもしろかったかを書
けばいい。それが感想文です。

 以上! みんな、がんばれ!


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司


●同一性の崩壊(子どものやる気)

+++++++++++++++++++++

心の病気のほとんどは、自己同一性の崩壊が
原因で起こると考えてよい。

言いかえると、自己同一性の崩壊さえ回避すれば、
心の病気の予防になる。また自己同一性を確立
すれば、心の病気は「なおる」ということにな
る。

+++++++++++++++++++++

 自分のしたいことを、前向きにしている人は、生き生きとしている。明るく輝いている。
そうでない人は、そうでない。

 こうした心理的なちがいを、心理学の世界では、「自己同一性」(アイデンティティ)と
いう言葉を使って説明する。

 「私はこうあるべきだ」「こうしたい」という、自分が心の中に描く自己像を、「自己概
念」という。一方、その人には、その人の現実的世界がある。そういう現実的世界におけ
る自己像を、「現実自己」という。

 この自己概念と現実自己が一致している人のことを、「自己同一性(アイデンティティ)
の確立している人」という。このタイプの人は、ものごとに対して積極的で、行動力もあ
る。静かに落ちついている。動じない。

 が、何らかの原因で、自己概念と、現実自己が、ズレることがある。

 わかりやすい例で考えてみよう。

(1)Aさん(女性)は、好きで好きでたまらない人と結婚した。
(2)Bさん(女性)は、好きでも嫌いでもない人と結婚した。
(3)Cさん(女性)は、顔を見るのもいやな人と、ハプニングで結婚してしまった。

 この3つのケースで、Aさんは、好きで好きでたまらない人と結婚したわけだから、満
足感はきわめて大きいということになる。毎日、夫が食べる食事を用意するのも、楽しく
てならない。

 Bさんは、好きでも嫌いでもない人と結婚したわけだから、満足感もないが、同時に、
不満もないということになる。

 が、Cさんは、嫌いな人と、ハプニングで結婚してしまった。その結果、毎日の結婚生
活が、苦痛でならない。つまり不満感は、きわめて大きいということになる。毎日、夫が
食べる料理を用意するのも、めんどう。おっくう。

 つまり(自分はこういう男性と結婚したい)という思いが、「自己概念」ということにな
る。そして(今、現実に結婚している相手)が、「現実自己」ということになる。

 が、ここでいう自己同一性は、決して安定的なものではない。常に流動的である。

 再び結婚生活にたとえて考えてみる。

 好きで好きでたまらない人と結婚しても、結婚したあと、しばらくしてから、気が変わ
るということもある。反対に、それほど好きでもない人と結婚したのだが、そのあと、苦
楽をともにするうちに、相手を愛するようになるということもある。

 反対に、さらに嫌いになって、離婚……ということもありえるが……。

 ともかくも、自己同一性は、かならずしも、不変のものではないということ。日々に流
動的であり、また変化して当然。たとえば「この道しかない」と思って、その職業につい
てはみたものの、2年、3年とその仕事をするうちに、その仕事がいやになることだって
ありえる。

 そういうとき、いわゆる自己同一性は、危機的な状況を迎える。そしてそういう状態を、
「同一性の危機」と呼ぶ。

 つまりこうした変化に、そのまま適応できれば、よし。そうでなければ、そうでない。
こうした変化は、大きなストレッサーとなって、その人を襲う。つまりそれが心の病気の
引き金を引いてしまう。ときには精神障害の遠因となることもある。

 ……という話は、おとなの世界の話だが、この話は、そのまま、子どもの世界の話とし
ても、応用できる。

 今、あなたの子どもは、どんな自己概念を抱いているか。そしてその自己概念は、現実
の子どもの姿と一致しているか。

 この1点だけを正確に、かつ、しっかりとみていけば、あなたの子どもの心の問題は、
事前に予防することができる。さらに今、すでに何らかの心の病気をもっているなら、そ
の病気を改善することができる。

 要するに子どもにとって、重要なことは、子ども自身がしたいことを、夢や希望をもっ
て、その子そもが、前向きにするということ。やる気や目標も、そこから生まれる。また
そういう状態に子どもを導き、それができる家庭環境を用意するのが、結局は、親の務め
ということになる。

 まずいのは、親の意向にそって、子どもをミスリードすることだが、それについては、
また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供のやる気 やる気 自己同一性 同一性の危機)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●「日本」の謎

++++++++++++++++++

「日本」がもつ、最大の謎。
それは、日本が、なぜ「日本」なのか。

日本という国の名前を、「ニッポン」と、
音読(中国式の読み方)すること自体、
おかしい。

また、「日本」とは、読んで字のごとく、
「日の本(もと)」、つまり、
「太陽が昇る国」という意味
である。

が、どうして日本が、その
「太陽が昇る国」なのか?

++++++++++++++++++

 私がUNESCOの交換学生で、韓国にいたとき、こんな話を聞いた。話してくれたの
は、金素雲という名前の歴史学者だった。当時の韓国を代表する文化人でもあった。

 「日本の都の奈良は、韓国人が創建した都市だ。韓国から見て、(地の果てにある国)と
いう意味で、『奈落』とした。『ナラ』という言葉は、今でも、韓国語では、『国』を意味す
る。

 しかし『奈落』では、まずい。で、そのあと、『落』という文字を、『良』にかえ、『奈良』
とした」と。

 私が「証拠がありますか?」と食い下がると、金素雲氏は、笑いながら、こう言った。「仁
徳天皇の墓を発掘すれば出てくるはずです」と。

 で、この話と少し関連するかもしれないが、日本が、なぜ、「日本」なのかという謎があ
る。わかりやすく言えば、いつ、だれが、この国を、日本と呼ぶようになったかというこ
と。

 「日本」という国の名前は、もともとは、「日の本(もと)」という意味である。「太陽が
昇る国(Country of the Rising Sun)」という意味である。となると、おかしなことになる。
日本は、自ら、自分の国を、「太陽が昇る国」と名づけたことになる。

 つまり日本が、その太陽が昇る国であるかどうかは、日本の西側にある国に住んでいる
人でないとわからないはず。日本人自身が、自らの国を、「太陽が昇る国」と名づけたとす
るなら、その視点そのものが、おかしい。(反対に日本が、「日没の国」という名前であっ
たとしたら、どうなるのか。そういう視点で考えてみると、わかりやすい。)

もし「日本」という名前を決めた人が、日本人であるとするなら、その人は、きわめて
国際的な感覚をもっていた人ということになる。少なくとも、一歩でも、日本から外へ
出たことのある人でないと、そういう発想は、わいてこない。

 日本は、その昔、「倭(わ)」と呼ばれていた。「倭の国」とも呼ばれていた。「倭」とい
うのは、「伽耶※(かや)」(任那の古称。その任那には、日本府が置かれた)の別称でもあ
った。その「倭の国」が、いつごろからか、今の「日本」という名前で呼ばれるようにな
った。

 それについて、韓国の、ある貿易会社の理事(S社P氏)は、こう書いている。P氏は
貿易会社の理事をしながら、一方で、歴史学者としても、知られている。

 「『日本』という国号を創案したのは、7世紀の高句麗僧・道顕である」と。

 つまり日本という名前を考案したのは、韓国人(高句麗人)だった、と。

 たいへんショッキングな意見だが、しかし、この説に従うと、日本がなぜ『日本』なの
かという謎が、解ける。韓国から見れば、日本は、たしかに「太陽が昇る国」である。だ
から日本は、「日本」になった?!

 P氏は、こうつづける。「つまり古墳時代はもちろん、奈良時代まで、古代日本の主流階
層は、韓半島(朝鮮半島)から渡った渡来人だった」(同氏著「日本の源流を訪ねて」(サ
ムエ社刊)と。

 まあ、こうした説は、日本の外では、常識。ここに書いた、「任那の日本府」(正確には
「任那日本府」という)にしても、日本では、あたかも日本が韓国を支配下に置くために
設置した、出先機関のような印象をもって語られている。私も、学生のころ、歴史で、そ
う習った。しかししかし韓国では、「ただの使途集団にすぎなかった」というのが常識。

 日本の歴史辞典(「角川新版日本史事典」)ですら、「百済または伽耶が設置した機関とす
る説もあるが、倭国が伽耶の安羅国に送りこんだ、使臣集団とする説が有力」※と書いて
いる。

 なぜ日本が、「日本」なのか? そんなことを考えた人は少ないと思う。だいたい日本と
いう国名を、「ニッポン」と、音読(中国式の読み方)すること自体、おかしい。なぜ日本
という国名が、中国式の読み方になっているのか。日本が、「日(ひ)の本(もと)」であ
っても、何ら、おかしくない。それについては、岩波書店の広辞苑には、つぎのようにあ
る。

 「……大和(やまと)を国号とし、(日本はその昔)、『やまと』『おほやまと』といい、
古く中国では「倭」と呼んだ。

 中国と修交した大化改新頃も、『東方』すなわち『日の本』の意から、『日本』と書いて、
『やまと』と読み、奈良時代以降、ニホン・ニッポンと音読するようになった」と。

 中国では、「東方にある国」という意味で、「日本」と書いて、「やまと」と呼んでいたと
いうのだ。

(マルコポーロの時代には、中国では、日本は、「Chipangu」(「東方見聞録」)
と呼ばれていたらしい(日本大百科事典)。「日本国」を、元の時代には、そう発音した
らしい。通説では、それが「ジパング」となり、さらに「ヤーパン(JAPAN)」とな
り、英語式の発音で、「ジャパン」となった。ただしこれについては、諸説が氾濫してい
る。

ここに書いたように、「ジパング」が、Japanとなったという説のほか、「日本」を、
南シナで「Jipenguo」と呼んでいたのが、Japanとなったという説などが
ある。)

もちろんここに書いたのは、数多くある「日本」説の中の一説にすぎない。しかしこと、
この「日本」にかかわる問題だけに、重大な問題と考えてよい。

 なぜ、日本が「日本」なのか? 考えれば考えるほど、謎が深まる。

(注※)(任那の日本府)……任那日本府は、倭国(日本の前身)の属領もしくは貢納国
であり、任那地域に一定の経済利得権(おそらく製鉄の重要な産地があった)を持ってお
り、事実上の属領であったと考えられていた。

しかし、1960年代ごろから、大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国で研究が進み、ま
た日本でも1970年代ごろから新たな視点から再検討が行われた結果、ヤマト朝廷の
任那支配は疑問視されるようになり、任那日本府については、倭と関連する集団(倭臣、
倭人集団)が、任那地域に一定の経済利得権を持っていたとする説が有力となっている。

近年、日本特有の墳墓であるとされていた前方後円墳が、任那に相当する地域から相
次いで発見され、その関連性が指摘されている(以上、ウィキペディア百科事典)。

(注※)「伽耶※(かや)」の「耶」は、人偏に、「耶」の字。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 日本論 任那日本府 任那の日本府 倭 日本の謎 大和 大和朝廷)

【付記】

 日本と韓国の歴史を比較していて興味深いのは、日本では、「献上」となっているところ
が、韓国では、「下賜」となっていることが多いということ。

 たとえば日本の歴史で、「朝鮮の使節団が、天皇に宝物を、献上した」というような部分
が、韓国の歴史では、「日王(=天皇)に下賜した」となっているなど。

 考えてみれば、当時の朝鮮(百済、任那、新羅、高句麗)が、日本の天皇に頭をさげな
ければならない理由など、どこにもない。当時の上下関係からすると、「下賜」のほうが正
しいということになる。

 私はそのことを、韓国の慶州へ行ったときに知った。バスの窓から、巨大な古墳群が、
まるで海の波のようにつながっているのを見たときのことである。私はそのスケールの大
きさに、ただただ圧倒された。

このことからだけでも、どちらが「上」か「下」かということになれば、明らかに、日
本が、「下」。当時の上下関係を、今ここで論ずること自体、おかしい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●青年の樹

+++++++++++++++++++++

試験(チェック)にパシしなければ、即、退学。
これが航空大学の掟(おきて)らしい。

息子が通うその航空大学で、私が知るかぎり、
2人目の退学者が出たという。当初、18人の
同期生がいたというが、これで残ったのは、
14人になった。

それにしても、きびしい!

+++++++++++++++++++++

 テレビドラマの影響とかで、息子が受験したときには、入試倍率は60倍を超えていた。
みな、飛行機が好きでたまらない受験生たちである。中には、4〜5回目の受験、という
学生もいたという。

 しかしそれでも、途中で、つまり意半ばにして、大学を去る学生もいるという。

 息子のBLOGには、こうある。

+++++++++++++++

 HDという同期がいる。頑固者で、繊細で、回期一の努力家で、島根出身の元ヤン英語
教師。帯広の後半では班員として、とりわけ厳しい教官のもと、苦楽を共にした。

 HDにとって、パイロットへの道は苦労の連続だった。僕がもし彼の立場だったら、も
うとっくに辞めてしまっているだろう。だが彼は、決して逃げ出したり投げ出したりせず、
今日の今日まで、すべてのチェックをクリアし、全力で走り抜けてきた。

 今日、特別進度審査というものがあって、HDが不合格になった。それはFail、つ
まり退学を意味する。

 僕は次の日、NO FLIGHTだったので、HDを誘って、鳥秀という店に飲みに行
った。全力を出し切った、という彼の顔には、悔しさや不甲斐なさの影は見られず、むし
ろスッキリしているように見えた。

だが、話がおふくろさんのことになると、声が少しだけうわずった。飛行機にまだ一度
も乗ったことのないおふくろさんに、俺が空の上からの景色を見せてあげたかった。箱
根へ連れて行ってあげたかった・・・。どんな顔して帰ればいいか、それがわからない、
と。彼のお母さんは、箱根駅伝の大ファンだった。

 それから、同期全員が集まってお疲れさん会を催したり、みんなでプールに落ちて風呂
に入ったり、温泉に行ったりしながら、同期のそれぞれが他愛のない会話を彼と交わし
た。遠くから見るHDの笑顔は、ときどき泣いているかのように見えた。その場を惜し
んでか、HDはなかなか温泉の湯船から上がらなかった。

長風呂が苦手な同期も、いつまでもそれに付き合った。上がってからHDに、いやぁ、
やっぱ温泉はいいねと話しかけると、島根にもいい温泉はいっぱいあるから、遊びに来
てよと言う。とても同期の言葉とは思えなかった。空港へは全員で見送りに行った。ま
た、パイロットシャツに寄せ書きをした。まだ書いてない人がいたので渡せなかったが、
あとで送るからと、ガラス越しにそのシャツを見せると、HDは目頭を押さえて泣いた。

 もっと何かをしてあげられたんじゃないかと、おこがましいことを何度も思う。僕は同
期同期といいながら、結局自分のことだけになっていたのではないだろうか。もう二度と
同期を失いたくないと心に刻んだ帯広最後の一週間。あれから僕は、同期のために何をし
てきたのだろう。何を心に刻んだのだろう。たった一人、苦悩と戦い続けたHD。その苦
しみ、悲しみを、共有することができなかったことが、悔やしくて、涙が出た。

 HD最後のフライトは、種子島から宮崎へのナビゲーションだった。視程がよく、雲も
なく、どこまでも続く水平線を眺めることができたんだそうだ。綺麗だ、と思ったんだそ
うだ。チェック中なのに、HDはフライトを楽しんでいたという。今までで初めてだった
んじゃないか、と問うと、あぁそうだったかもしれないね、と言った。最後の最後で初め
て飛ぶことの楽しさを見つけたHD。それを聞いて、少し嬉しくなった。

 最後まで諦めなかったHっち。死力を尽くして戦ったHっち。胸を張って帰ればいい。
誰が君を恥じるものか。君が見せてくれたものは、この世のどんなものよりも立派で、綺
麗で、頑丈で、僕たちの心の中にいつまでも花を咲かせ続けるだろう。

エアマンシップという名の花を。君の姿が、そのままエアマンシップ。そんなことを思
ったよ。Hっちのあの『手』をもう見れないと思うと悲しい。俺の角度はまだ甘いのに、
もう指導してくれないのかと思うと……。たくさんの思い出をありがとう。力をありが
とう。いつか君の操縦で、おふくろさんを箱根に連れて行こう。約束、忘れないよ。

 本当に、お疲れ様。

++++++++++++++++

 この文章を読んで、私も、思わず、もらい泣きをしてしまった。いつの間にか、私は、
こういう感動を忘れてしまった。ジジ臭くなってしまった。そして久しぶりに、「♪青年の
樹」という歌を口ずさんだ。

 私にも、遠い昔、青春時代があった。この歌を歌うたびに、私はそのころの私を思い出
す。

 この息子のBLOGにはあまり関係ない原稿かもしれないが、以前書いた原稿を、ここ
に添付します。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●青年の樹(き)

雲が流れる 丘の上
花の乱れる 叢(くさむら)に
共に植える ひともとの
ひともとの
若き希望と 夢の苗
空に伸びろ 青年の樹よ


嵐すさぶ 日もあらん
憂いに暗い 夜もなお
腕組み合わせ 立ち行かん
立ち行かん
熱き心と 意気地もて
森に育て 青年の樹よ


多感の友よ 思わずや
祖国の姿 今如何に
明日の夜明けを 告げるもの
告げるもの
我等をおきて 誰かある
国を興(おこ)せ 青年の樹よ

(作詞、東京都知事・石原慎太郎氏)

 私は学生時代、悲しいことやつらいことがあると、決まってこの歌を口ずさみ、自分を
なぐさめた。今でも、ときどき、この歌が、口から出てくる。

 で、この歌には、こんなエピソードがある。

 私がオーストラリアのカレッジで、この歌を歌っていると、一人の友人(オーストラリ
ア人)が、「それは何の歌か?」と。そこで私が、「これはすばらしい歌だ。訳してあげよ
う」と言って、訳してやった。

「雲が、丘の上に流れて、みんなで青年の木という木を植えた。その木よ、伸びろという
歌だと教える」と、その友人は、顔をかしげて、「何だ、そんな歌か」というような顔をし
た。

 で、私が「いい歌詞だろ」とたたみかけると、「ヒロシ、雲が丘の上にあるって、そんな
ことは何でもないではないか」と。彼らには、日本的なデリカシーが理解できないようだ。

 しかし、これと反対のことがある。

 ずいぶんと昔だが、一人の高校生(男子)が、興奮したおももちで私のところにやって
きて、こう言った。「先生、すばらしい歌がある。翻訳してほしい」と。

 それがロッド・スチュアートの「セーリング」だった。が、訳してみると、何でもない
歌詞。

 「ぼくは、航海している。ぼくは航海していると、何でもないよ。海を横切って、あな
たのところへ帰るって、ね」と。

 その高校生は、がっかりした様子だったが、それからしばらくしたあとのこと。私はそ
の曲を聞いて、たいへんなまちがいをしたことを思い知らされた。「セーリング(sail
ing)」は、すばらしい曲だった。

 あとで、その高校生にあやまったことは、言うまでもない。

●Sailing

               
I am sailing, I am sailing,
home again 'cross the sea.
I am sailing, stormy waters,
to be near you, to be free.


I am flying, I am flying,
like a bird 'cross the sky.
I am flying, passing high clouds,
to be with you, to be free.


Can you hear me, can you hear me
thro' the dark night, far away,
I am dying, forever trying,
to be with you, who can say.


Can you hear me, can you hear me,
thro' the dark night far away.
I am dying, forever trying,
to be with you, who can say.


We are sailing, we are sailing,
home again 'cross the sea.
We are sailing stormy waters,
to be near you, to be free.


Oh Lord, to be near you, to be free.
Oh Lord, to be near you, to be free,
Oh Lord.

(Written by Rod Stewart)

 若いお父さん、お母さんは、「青年の樹」も、「セーリング」も知らないかもしれない。
不思議なものだ。しかしこういった歌を口ずさむと、そのときの光景のみならず、友の顔、
雰囲気、心の様子まで心の中によみがえってくる。歌というのは、そういうものか。

 そしてもう一つ。そういう歌が出てくるときというのは、そのときの心情と共通すると
き。「青年の樹」が出てくるということは、今がそのさみしいとき、つらいときかもしれな
い。がんばろう!
(030831)

●ロッド・スチュアートは、最後にこう歌う。
「♪オー、主よ。あなたに近づくために、魂を解放するために。
  オー、主よ、あなたに近づくために、魂を解放するために。
  オー、主よ」と。

 こういう歌を堂々と歌える人が、うらやましい。
 

Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●いとこ会

 近く、いとこ会を開くという。姉から、昨日、そう連絡が入った。
 
 前回のいとこ会は、楽しかった。「またやろう!」とみなで、声をかけあった。しかしそ
れからほぼ、5年。6年かな? たがいの事情も、それぞれに変わった。

 どうしようか?

 ちょうどその日から、私は仕事を始める。自由なようで自由でないのが、私の仕事。1
日のうちでも、たった1、2時間、拘束されるだけ、その日は、身動きが取れなくなる。

 もう一度、スケジュールを調整してみて、あとで姉に報告するつもり。


●メモリーを2GBに!

 一台のパソコンのメモリーを、1GBから、2GBに増設した。今、そのパソコンを、
私の左側でテストをしているところ。

 メモリーを増設すると、パソコンの動きがよくなるという。しかしその実感があまりな
い。どうしてだろう?

 考えてみれば、2GBなんて、ひところ昔には、夢のような話。私が最初に買ったパソ
コンは、たったの2KB。つまり2000バイト。

 2GBと言えば、20億バイト。お金でいうと、2000円と20億円のちがいという
ことになる。2000円だと、2人で昼食をとることくらいしかできない。しかし20億
円もあったら、……? 想像もつかない。

 それにしても、すごい話だ。2GBとは!

 ひとつだけ気になるのは、パソコンのCPUのクロック数と、メモリーのクロック数が、
ちがっていること。だいじょうぶかな? ……という不安はあるが、今のところ、サクサ
クと軽快に動いている。


●「ダーク・スカイズ」と見る

 ビデオの「ダーク・スカイズ」が、ビデオショップで、全巻(1〜10巻)を、計10
00円で売っていた。宇宙人と人間の戦いをテーマにしたビデオである。

 今からちょうど10年くらい前の作品である。

 このビデオを毎日、少しずつ、見ている。が、結構、おもしろい。

 毎晩、ワイフとああでもない、こうでもないと言いあって、見ている。私とワイフは、
30年近くも前になるが、夜、散歩しているとき、巨大なUFOを目撃している。ハバが
1〜2キロはあろうかと思えるほど、巨大なUFOである。

 「頭がおかしい」と言われようが、なんだろうが、見たものは見た。それでこの種のビ
デオには、たいへんx100倍、興味がある。


●トマト

 今年は、トマトがたくさんできた。豊作である。私は赤くなったものから、もぎ取って、
食べている。

 そのときのこと。私が、「このトマトは、18、9歳の女の子のおっぱいみたい」と言う
と、ワイフが、すかさず、「あぶないわよ」と。

私「どうして?」
ワ「18歳未満の女の子と遊ぶと、逮捕されるわよ」
私「オー、あぶない、あぶない」
ワ「でも、どうして18、9歳なの?」
私「まだ、かたさが残っているから……」
ワ「どうして、そんなこと、知っているの?」

私「想像だよ、想像……ハハハ」
ワ「40歳の女性のおっぱいは、どうなの?」
私「温室育ちのトマトという感じかな?」
ワ「やわらかいということ?」
私「水っぽくて、まずいということ」

ワ「じゃあ、50歳の女性のおっぱいは……?」
私「まあ、たとえて言うなら、のびたラーメンみたいかな?」
ワ「干し柿みたいと言う人もいるわよ」
私「ワー、そんなかたくないよ。たるんで、ペラペラしているよ」と。

 ときどきこんな会話をしながら、ワイフは、本当に女性なのかと思ってしまう。いや、
多分、うちのワイフは、自分では、女性だと思っていないと思う。何かにつけて、私より、
男っぽい。

 今日も、トマトの話をしながら、それを感じた。


●ニュース

 毎朝、起きると一番に、インターネットを立ちあげ、ニュースを読む。が、そのとき、
こんなことに気がついた。

 私がまず目を通すのは、国際ニュース。つぎに国内の政治ニュース。芸能ニュースとか、
スポーツニュースには、ほとんど目を通さない。……というより、まったく興味がない。

 「それではいけない」とは思っているが、私のような人間も、少なくないはず。とくに
つまらないのが、芸能ニュース。日本の「芸能界」は、まさに作られた世界。俳優といっ
ても、どこかのプロダクションの商品のようなもの。もっと言えば、人間商品。

 そういう芸能ニュースに、どれほどの意味があるというのか。

 昨夜も、民放で、ある邦画を見た。あまりのレベルの低さに、驚く。タイトルは忘れた
が、ストーリーは、どこかの女子高生たちが、ジャズバンドを結成し、最後は、大会に出
場するというもの。比較するのもヤボなことだが、日本版「ミュージック・オブ・ハート」
ということになるのか?

 が、内容は、不自然な演技。とってつけたような表情。それに流れが、不自然、チグハ
グ。ケチをつけたら、キリがない。

 ……どうしてこうまで日本の映画のレベルは、低いのか? ……ということで、ますま
す芸能ニュースには、興味をなくした。

 で、この夏、最後の望みは、「俺たちの大和」。あと少しで、そのDVDが、ビデオショ
ップに並ぶ。もしこの映画で、裏切られたら、さらにさらに、私は、邦画から遠ざかるだ
ろう。


●プロ野球

 少し前、頭のボケた兄が、こう言った。「野球なんて、いつ見ても、同じ」と。

 頭のボケた兄にしては、なかなか鋭いことを言うなと、そのときは、そう思った。しか
し兄は、ほかのテレビ番組を見たかったから、そう言っただけ。それはそれとして、私も、
実は、そう思っている。

 「野球なんて、いつ見ても、同じ」と。

 つまり脳みそには、一定の容量がある。それはたとえて言うなら、穴のあいたバケツの
ようなもの。上から水(=情報)を入れれば、一方で、下の穴から水(=情報)が漏れて
いく。その一例が、プロ野球ということになる。

 去年の試合を忘れた分だけ、新しい試合が、その中に入ってくる。そして来年の試合が
始まると、今度は、今年の試合を忘れていく。あとは、この繰りかえし。

 もちろん娯楽は娯楽だから、そのときは、それで楽しめばよい。しかしハマりすぎると、
思考そのものがループ状態になる。ばあいによっては、退化する。結局は、貴重な時間を
ムダにすることになる。

 野球を見ながらも、心のどこかで、「たかがボールのゲーム」と、まあ、そんな冷めた目
をもつことも、大切なことだと、私は思う。


●思考のループ

 ものを考えるときに、一番、こわいのが、「思考のループ」。同じことを、一定周期で、
繰りかえし考えることをいう。

 年を取れば取るほど、この思考のループが多くなる。そしてそのループから、抜け出せ
なくなる。が、それだけではない。

 脳みそというのは、体の一部。前向きに鍛えてこそ、その健康を保つことができる。だ
らしない生活をすれば、即、肉体の健康は害される。それと同じように、だらしない生活
をすれば、即、脳みその健康も害される。

 ただボケるということではない。おかしな思想にハマったり、非常識な考え方をするよ
うになることもある。脳みその健康というときには、そうした問題も含まれる。

 ただここで重要なことは、もし私やあなたが、まわりの人たちと同じように思考のルー
プ状態になり、同じように脳みそが不健康になったとしたら、自分でそれに気づくことは
ないということ。

 肉体の健康と同じように、脳みその健康も、他人と比較してみて、それがわかる。

 だからそのためにも、人は、いつも新しい世界に興味をもち、その世界にチャレンジし
ていかなければいけない。恩師の田丸先生は、こう言った。「その道で認められた人に、も
っと会いなさい」と教えてくれた。が、それだけでは、足りない。

 先に、脳みそは、穴のあいたバケツのようなものと書いた。そのバケツだが、年を取れ
ば取るほど、穴が大きくなり、容量そのものが、小さくなる。つまり新しい世界にチャレ
ンジしながらも、穴が大きくなるのはしかたないとしても、同時に、その容量を大きくす
ることを考えなければならない。

 そのためには、どうすればよいか?

 具体的には、「自ら考える」。この一語に尽きる。それはたとえて言うなら、ジョギング
のようなもの。ジョギングをして肉体を鍛えるように、考えることで、脳みそを鍛える。
つまりこうすることで、脳みその容量そのものを、大きくすることができる。

 (このエッセーそのものにしても、以前書いた原稿に、どこか似ている。つまり、私自
身も、思考のループ状態に陥っているということになる。ゾーッ!)


●K首相のY神社参拝問題

 今日は、8月6日。日曜日。ワイフは、法事で、一日、家にいない。パソコンのモニタ
ーをながめながら、ふと、K首相のY神社参拝問題を考える。

 ……といっても、私のような人間がいくら叫んでも、東京という中央には、私の声は届
かない。何かしら、言いようのない空しさだけが、心に残る。で、そのK首相だが、8月
15日に、Y神社を参拝するつもりらしい。で、それについて、ある国務大臣は、こう言
って、K首相をかばった。「心の問題だ」「個人の問題だ」と。

 ならば言うが、どうして日本は、K国のミサイル問題で、かくも、大騒ぎをするのかと
いうことになる。

 K国は、かねてより、こう言っている。「これはK国の主権問題だ」と。つまり「ミサイ
ルの実験をするかしないかは、われわれの自由だ」と。

 しかしそのミサイル問題では、日本は、大騒ぎする。ということは、同時に、ではなぜ、
K首相のY神社参拝で、中国や韓国が大騒ぎしてはいけないのかということになる。

 話がゴチャゴチャしてきたが、要するに、私が言いたいのは、日本のK首相も、K国の
金xxも、相手の立場で、ものを考えることができない人だということ。K首相も、「これ
は心の問題だ。日本国内で、日本人が何をしようが、それは私の勝手」というようなこと
を言っている。

 しかし(心の問題)は、考えようによっては、(ミサイルの問題)よりも、深刻である。
相手によっては、心の一番奥まで、グサリと刺さる。

 日本のK首相が、今、すべきことは、相手の立場に立って、「どうして私が、Y神社を参
拝することが、そんなにも不愉快なのか」と、相手に聞くことである。問いただすことで
ある。

それもしないで、一方的に、K国のミサイルに大騒ぎすることは許されない。つまり日
本のK首相ともあろう人物が、相手の立場に立ってものを考えることができない。そう
いうK首相が、どうして、K国の金xxを責めることができるというのか。

 たがいに自己中心的な世界で、自分勝手なことをしているだけ。そういうことになる。

 狂信的と言ってよいほど、Y神社参拝にこだわる日本のK首相。「やっぱり、K首相も、
その程度の人だったのだなあ」と、パソコンのモニターをながめながら、改めて、それを
思い知る。


●東京という中央

 ついでにこの浜松市に住んでいると、東京という中央が、ときどき、どこか遠い国のよ
うに思えてくることがある。

 たとえばそのY神社にしても、私たちには、ほとんどといってよいほど、なじみがない。
「東京には、そういう神社もあるんだなあ」という思いしか、わいてこない。

 そういう東京という中央が、いつも、私たちの意思を無視して、好き勝手なことばかり
している。中央集権国家がもつ、悪しき弊害のひとつと考えてよい。

 言いかえると、K首相ならK首相でよいが、東京という中央の論理だけで、ものを考え、
行動をしてほしくないということ。首相というのは、あくまでも、日本という国全体の代
表である。東京という中央だけの首相ではない。

 しかしその視野は、いつも東京という中央に固定されている。狭い。首相というよりも、
東京都知事。東京都知事というよりも、霞ヶ関の自治会長。ひょっとしたら、その視野は、
この私よりも、狭いのではないか?

 かたや、この浜松市もそうだが、東京という中央から流れてくる情報を、一方的に受け
取るだけ。反論することはもちろん、自分たちの考えを伝えることすら、できない。まさ
にそこは上意下達方式の世界。

 そういう世界で、今、K首相によるY神社参拝問題が、論じられている。私たち地方に
住む人間には、どうでもよいというよりは、どうしようもない問題である。私が今感じて
いる言いようのない空しさは、多分、そういうところから生まれているのだと思う。

 が、しかし、私は、めげない。繰りかえす。あえて、言う。

 K首相よ、Y神社参拝は、おやめなさい! それができないというのなら、K国のミサ
イル問題については、もう口を閉ざしなさい!
(8月6日、広島原爆の日に)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 9月 4日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●育てやすい子、育てにくい子

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親からみて、育てやすい子と、
育てにくい子がいる。

同じ兄弟なのに、兄は、育てやすいが、
弟は育てにくい……というケースも、
少なくない。

+++++++++++++++++

 親からみて、育てやすい子と、育てにくい子がいる。同じ兄弟なのに、兄は育てやすい
が、弟は、育てにくいというケースも少なくない。

 そして親によっては、こう言う親がいる。「子育てが、こんなに楽なものでいいのかと、
ときどき思う」と。一方、そうでない親もいる。「子育てなんて、もうこりごり。二度と子
育てなんか、したくない」と。

 一般的に言えば、育てやすい子というのは、つぎのようなタイプの子どもをいう。

(2)性質……温厚で、おだやか。すねたり、ひがんだりしない。
(3)性格……ほがらかで、明るい。いつもニコニコ笑っている。
(4)態度……言いたいことを言い、したいことをしている。YES・NOが明確。
(5)生活……規則正しく、よく眠り、よく遊ぶ。
(6)世話……何でもひとりでやってしまうので、手間がかからない。
(7)能力……平均以上の能力があり、とくに教えなくても、自分で学んでしまう。
(8)反応……楽しいことがあると、それをすなおに喜ぶ。
(9)根気……何かに関心をもつと、それに夢中になる。
(10)食事……好き嫌いがなく、何でもよく食べる。
(11)活動……行動的で、何でもテキパキとやりこなす。
(12)対人……だれとでも、心を開き、うちとける。友だちが多い。
(13)感覚……まわりの変化に敏感で、好奇心が旺盛。清潔好き。

 育てにくい子というのは、つぎのようなタイプの子どもをいう。

(1)性質……ささいなことでキレやすく、感情が不安定。
(2)性格……全体的に暗く、何を考えているか、わからない。いじけやすい。
(3)態度……ぐずぐずすることが多く、いつまでもネチネチと気にしたりする。
(4)生活……生活が不規則で、夜中でも起きて、騒いだりする。
(5)世話……何をするにも、手間がかかる。自分では、何もしようとしない。
(6)能力……能力的には、平均以下で、なにかにつけて、みなより遅れがち。
(7)反応……人の心のウラを見るようなところがある。いじけたり、嫉妬しやすい。
(8)根気……ものごとにあきっぽく、集中力がない。単一の遊びしかしない。
(9)食事……好き嫌いがはげしく、わがままで、自分勝手。
(10)活動……内向的で消極的。めんどくさがり屋。命令しなければ動かない。
(11)対人……好き嫌いがはげしく、人との交際を嫌う、
(12)感覚……まわりの変化に鈍感で、不潔なままでも、気にしない。

 ここでは、親の目から見た子どもについて書いた。同じように、教える側からみた、教
えやすい子と、教えにくい子がいる。

 一般的に言えば、教えやすい子というのは、心の状態が外に表れていて、心がつかみや
すい子どもをいう。一方、教えにくい子というのは、いわゆる(何を考えているかわから
ない子ども)をいう。

 で、ここでは、「どうしたらよいか」という問題はさておき、その先について、考えてみ
たい。つまり、あなた自身は、どうだったかということ。あなた自身は、あなたの親から
みて、育てやすい子だったか。それとも、育てにくい子だったか。

 こういう質問をすると、ほとんどの人は、こう答える。「私は、問題なかった」「私は、
親からみて、育てやすい子だった」と。しかし考えてみれば、それもそのはず。

 自分を客観的に判断するという、自己認識力が育ってくるのは、小学3〜4年生くらい
にかけてである。それまでは、ない。こんな例がある。

 ひとり、ADHD児と診断された子どもがいた。幼児期から、小学1〜4年にかけて、
その多動性のために、周囲の人たちは、それぞれに、たいへんな思いをした。で、その子
どもが、中学2年生くらいになった。そのころは、もちまえのバイタリィティが、よい方
に作用して、クラスでも、リーダー的な存在になっていた。名前を、U君としておく。

 その子どもにある日、私は、こう聞いた。

私「U君は、子どものころ、学校でもみんなに、迷惑をかけたが、覚えているか?」
U「ううん、ぼくはだれにも、迷惑をかけたことはない」
私「でもU君は、学校の先生に、よく叱られただろ?」
U「ううん、ぼくは叱られなかった。ただ先生やみなが、ぼくだけを、目の敵(かたき)
にして、いじめた」
私「目の敵にした?」
U「ぼくが何も悪いことをしていないのに、いつも、ぼくだけを怒った」と。

 だからほとんどの人は、「自分は、問題はなかった」と答える。あのU君ですら、そうだ
った……という言い方は、U君には、失礼かもしれない。しかしあのU君のおかげで、私
の教室も、毎回、メチャメチャにされてしまった。しかしU君には、その意識は、まった
くなかった!

 自分の子どもを知るということは、結局は、自分自身を知るということになる。はたし
てあなたは、どういう子どもだったのか。それを知れば、あなたは自分の原点を知ること
ができる。

 なお、育てやすい子どもは、全体の40%前後、育てにくい子どもも、全体の40%前
後とみる。もちろん親の許容性、受忍性の問題もからんでくるので、一概に、どうこうと
は言えない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
育てやすい子 育てにくい子)


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司


●子どもの同性愛(3)

++++++++++++++++

同性愛的傾向を示す子どもは、
少なくない。

そういう傾向があることを知ると、
たいていの親は、あわてる。

しかしこうした同性愛的傾向は、
子どもの世界では、珍しくない。

++++++++++++++++

 同性愛といっても、いろいろある。(1)完全同性愛、(2)両性的同性愛、(3)機会的
同性愛(「心理学」・西東社)。

 完全同性愛というのは、同性の人にしか恋愛感情をもてない人をいう。両性的同性愛と
いうのは、同性と異性と、その双方に対して、恋愛感情をもてる人をいう。また機会的同
性愛というのは、ある特殊な環境で、過渡的に、同性愛的傾向を示すことをいう。

 子どものばあい、そのほとんどが、この機会的同性愛と考えてよい。

 「フロイトによると、人間の性愛の対象は、成長の過程で、自己→同性→異性と変わっ
ていく。したがって思春期における同性愛的感情は、むしろ自然なことである」(同書・渋
谷昌三)と。

 たとえば女子高などでは、こうした傾向を示す子どもは、いくらでもいる。(私も、映画
館のいちばんうしろの席で、女子高校生どうしが、接吻をしているのを、見たことがある。)
ほかに、寺院や刑務所でも、多いという(同書)。

 私自身は、同性に対して恋愛感情をいだいたことはない。が、そのかっこよさに、あこ
がれたことはある。高校生のときは、何といっても、西郷輝彦にあこがれた。加山雄三に
あこがれた。その少し前、つまり子どものころは、長谷川一夫にあこがれた。市川雷蔵に
あこがれた。

 こうした同性に対するあこがれは、今でもある。が、それは恋愛感情とは、まったく異
質のものである。

 ここでいう恋愛感情とは、ズバリ、セックス(性交)を目的とした恋愛感情をいう。つ
まり自己から同性、さらには異性へと(あこがれ)の対象が変化するにつれて、そこから
徐々に、恋愛感情が生まれるようになる。

 その過程で未分化のまま、恋愛感情まで発展してしまう状態が、同性愛ということにな
る。言いかえると、子どもが同性愛的傾向を示したら、「機会として」、異性との交流の多
い環境の中に、子どもを置くという方法で、対処する。またそのあたりが、指導の限界と
いうことにもなる。たいていは、そのま、何ごともなかったかのように、その時期を過ぎ
ていく。

 で、いろいろなケースを見聞きしてきたが、ことこの問題だけは、人間の「性(さが)」
に関するものだけに、なるようにしかならないということ。あとのことは、子どもに任す
しかない。またそういう目で、一歩、退いて見るしかない。

 この世界には、(正常)という言葉は、存在しない。何がノーマル(正常)で、何がアブ
ノーマル(異常)なのか、その定義すらない。また定義づけること自体、まちがっている。
要は、どこまでいっても、その子ども(人)自身の、きわめて個人的な問題ということに
なる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
同性愛 追記)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【父と子】

+++++++++++++++

奈良県で起きた、16歳の少年による
放火殺人事件を、覚えている人は、多い
かと思う。

この事件では、少年の家族3人が、
その犠牲となった。

この事件の特異性は、父親のきびしい
勉強の強制が、事件の背景にあったこと。

そして母親を含む、家族が犠牲に
なったこと。

この2点に集約される。

その事件について、弁護士が、父親の
手記を、このほど、公開した。

+++++++++++++++

奈良県T町の医師(47)宅放火殺人事件で、現住建造物等放火や、殺人などの非行事
実で奈良家裁に送致された長男(16)の付添人弁護士が、8月2日、長男と事件後初
めて面会した際のやりとりをまとめた、父親の手記を公開した。

父親は、長男に対して、「暴力をふるったパパを許してくれ」と謝罪する一方、「パパは
死ぬまで、一緒になって罪を背負って生きていくつもり」と語りかけ、長男は、終始泣
きながら、「ごめんなさい」と繰りかえしたという。

一方、同家裁(I裁判長)は,同日開いた第2回少年審判で、長男の精神鑑定の採用を
決定した。

●面会のやりとり 父親が手記

手記は父親が付添人にあてたもので、今月8月1日に届いた。長男の家裁送致翌日にあ
たる7月13日、父親が奈良少年鑑別所に出向いて面会した際に、父親が抱いた印象や
長男の様子、具体的なやりとりなどがつづられている。

 冒頭、面会の際の様子を示した部分では、父親は、「まず、会ってすぐ、直立して『ごめ
んなさい』と謝ってくれました」と長男の様子を伝え、「事件を起こしたときも、捕まっ
た後も、人生をほかして(捨てて)いるような感じ」「自分から望みを絶ったのかもしれ
ません」と案じている。その一方、「私の愛情に非常に飢えている様子」とし「できるだ
け会って、少しでも心を開かせたい」と決意を述べていた。

 長男とのやりとりでは、父親は、「家にいるのが辛かったやろ」「パパを許してくれ」と
謝罪し、「もう勉強しろとは言わない。パパは死ぬまで、一緒になって罪を背負って生き
ていくつもり」「今は一層反省して謝罪すること。それが償いの始まりや」と語りかけ、
「もう一度やり直せる可能性があると信じている。若いから、まだまだやり直せる」と
励ました。

 長男は面会の間、終始泣きじゃくっていたといい、父親に「(亡くなった)3人に対し、
今はどう思ってるんや」と問われると、「ごめんなさい、ほんとにひどいことをしてしま
ったと思ってる。僕の代わりに毎日花、供えたって……」と話した。

 また、長男は、事件後も自分を親身に心配してくれている友人がいることを聞いて一層
強く泣き、父親も多くの人が長男の更生を願っていることを教えたという(以上、ほぼ
原文のまま、ヤフー・ニュースより転載)。

 こうした事件が起きるたびに、私は、こう思う。「彼らだって、犠牲者にすぎない」と。
「狂った日本の学歴制度、受験競争の犠牲者にすぎない」と。

だからといって、日本の教育システムが、すべてまちがっているというのではない。た
だこうした事件が起きた、その背景には、それを支える学校神話があり、そのさらに背
景には、不公平社会が横たわっている。

 あえて言おう。

 こうした事件は、まさに氷山の一角の、そのまた一角。そのすぐ下には、その一歩手前
の状態で、かろうじて踏みとどまっている親子が、ゴマンといる。予備軍となると、もっ
と、多い。子どもの心を粉々に破壊しながら、その意識すらない。そういう親となると、
さらに、多い。

 ほとんどの親は、「うちの子にかぎって……」「そんなはずはない……」「まだ、何とかな
る……」とか思って、自分の子どもを、受験勉強にかりたてる。さらに「このままでは、
うちの子だけが、損をする」と思って、受験勉強にかりたてる。

 不安と心配と焦燥。こういったものが、混然一体となって、親の心を重く、苦しいもの
にする。親は、それをそのまま、子どもにぶつけてしまう。

 奈良県で起きたあの悲惨な事件は、何も、特別な背景があって起きた事件ではない。報
道を読むかぎり、どこの家でも起こりそうな事件である。ひょっとしたら、明日、あなた
の家で、同じような事件が起きたとしても、何ら、おかしくない。

 「爆弾」という言い方は好きではないが、受験生をもつ家庭なら、どこでも、その爆弾
をかかえている。

 父親はこう言ったという。「もう勉強しろとは言わない。パパは死ぬまで、一緒になって
罪を背負って生きていくつもり」と。

 結局は、親というのは、行き着くところまで行かないと、それに気がつかないものなの
か。この一文を読んだとき、グサリとその言葉が、私に心に突き刺さった。プラス、何と
もやりきれない気持ちだけが、心に残った。

 いったい、教育って、何だ!

 話は大きく飛躍するが、子どものやる気を引き出し、それを育てるには、3年とか、5
年はかかる。それは私の仕事。それだけを目的にして、私は、仕事にしている。

 しかしこわすのは、簡単。1か月でよい。1週間でよい。子どもがふつうにできる子に
なればなったで、親は、「もっと……」「さらに……」とか言って、子どもを受験勉強にか
りたてる。

 時は今は、夏。どこの受験塾でも、夏期講習でにぎわっている。しかしこんな講習が、
本当に、教育と言えるのか。今の今も、私の教え子たちが、そういう夏期講習に参加して
いる。そうところへ子どもを送るのは親の勝手かもしれないが、結局は、やる気を、粉々
に破壊されて、また私のところに戻ってくるだけ。仮にうまくいったとしても、つまり(そ
こそこの成果)があったとしても、その期間を境に、子どもの心は冷たく、殺伐とした心
なるだけ。

 勉強そのものを、「勝った」「負けた」という視点でしか、とらえなくなる。人間の価値
を、点数という数字だけでしか、判断しなくなる。もっと言えば、将来、あなたという親
の価値ですら、金銭的な尺度でしかみなくなる。「親の恩も、遺産しだい」と。

 いつになったら、親はそれに気がつくのか! いつになったら、親はこの愚かさに気が
つくのか!

 そうした思いが、ますます私の心を、重くする。

 まあ、みなさん、どうぞご勝手に……と言いたいが、今回の奈良県で起きた事件は、あ
まりにも重い。重すぎる。もう一度、私たちひとりひとりが、父と子、その両方の気持ち
になって、この事件を、その双方から見つめなおしてみる必要があるのではないだろうか。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝、あれこれ】(8月1日)

●アクセス数が、毎月、1万5000件!

 HPのアクセス数が、毎月4000〜4500件を超えるようになった。楽天の日記は、
毎月6000〜7000件。ほかにマガジンやBLOGの読者なども含めると、合計で、
毎月1万5000件前後。それだけの人たちが、私の書いた文章を、何らかの形で、読ん
でくれている。

 単行本の世界でも、1万冊も売れれば、「まあまあ、売れた本」ということになる。だか
ら自分としては、喜ばなくてはいけないのかもしれない。が、1万5000件とわかって
も、ピンとこない。「1万5000件ねエ?」と思ったりする。

 もちろん、「1万5000」という数字は、トータルの数字をいう。「1万5000人」
というわけではない。1人で、10〜100回、アクセスしてくれる人も含まれる。だか
ら正確には、「1万5000件のアクセス」ということになる。

 で、「これからは、インターネットの時代だ」と思う。それはわかっている。しかしイン
ターネットといっても、これまたおかしな世界で、そこは光と電子の織りなす「無の世界」。
実体感が、まるでない。本のように、自分の手でつかんで、「これが私の思想だ」という実
体感が、まるでない。

 加えて利益も、影響力も、ない。本の世界で、毎月、1万部も超える本を出版していた
ら、それだけで生活ができる。雑誌社や新聞社から執筆依頼がやってくる。しかしインタ
ーネットの世界には、それがない。どうも、紙を主体とする雑誌社や新聞社と、インター
ネットの世界は、相性がよくないようだ。

 かく言う、私は、もうこの5年ほど、1冊も本を書いていない。今は、全精力を、電子
マガジン発行に注いでいる。書いても、書いても、どこかつかみどころのない世界だが、
今の私には、このほうが楽しい。

 私から直接、読者の方に話しかけることができる。それに速い。今日考えたことを、遅
くとも来月までには、原稿として、届けることができる。その俊敏性は、ほかの何ごとに
もかえがたい。

 読者のみなさん、これからも、よろしくお願いします。

 プラス、もうひとつお願いがあるとすれば、どうか、マガジンは、「まぐまぐプレミア」
(有料版)のほうを、ご購読ください。月額300円です。よろしく、よろしく、お願い
します。


●イスラエルによるレバノン攻撃

 イスラエル軍は、48時間の停戦決定をしたにもかかわらず、今の今も、レバノンを攻
撃しつづけているという。

 イスラエルのオルメルト首相は、「人質が解放されるまで、停戦はない」と、強硬姿勢を
崩していないそうだ(TBS)。

 しかし人質といっても、軍人ということらしい。私には、人質を口実にした、ヒズボラ
壊滅作戦のようにしか思えない。それにもし、それが世界の常識というのなら、つまり人
質奪回のための戦争が正しいとするなら、日本は、あのK国に、とっくの昔に、戦争をし
かけていたはず。罪もない若い人たちが、この日本から拉致されてしまったのだから……。

 私は、イスラエルにしても、パレスチナの人にしても、もっと世界の良識を信じてもよ
いのではないかと思う。ただひたすら静かに、自分たちの思いを、世界に迎えて伝えてい
く。時間はかかるかもしれないが、そういう人たちを、ちゃんと見ている人もいる。そう
いう見ている人たちが、世界の良識となってやがて動きだす。

 今回(06年7月)に行われた、第13回ASEAN(東南アジア諸国連合)地域フォ
ーラム(ARF)の席でも、K国のP外相は、完全に仲間はずれにされていたという。P
外相と握手をかわす要人は、ひとりもいなかったという(朝鮮N報)。

 そういう形で、いつか、世界の良識は、判断をくだす。そういう良識をもっと、信じて
もよいのではないだろうか。


●吸水口事故

 S県のF市で、こんな痛ましい事故が起きた。流水プールで泳いでいた、小学2年生の
女の子が、吸水口にはさまれて、死亡した。

 ヤフー・ニュースによれば、「吸水口のふたの一部が外れていた」という。そのため警察
は、安全管理に問題があったとして、管理者を、業務上過失致死の疑いで、捜査を始めた
という。当然である。

 で、この記事を読んだとき、私も、子どものころ、用水の排水口に足をとられて溺れそ
うになったことを思い出した。

 こんな事故だった。

 私が生まれ育った町の西側には、通称「井掘(いぼり)」と呼ばれる、用水路がある。幅
は、4〜5メートルで、流れは、かなり速い。深さもある。その季節になると、深いとこ
ろで、2メートルくらいはあるのではないか。

 その用水には、ところどころに、田んぼや畑に水を取るための排水口がもうけられてい
る。大きさはさまざまだが、大きいのになると、直系が、30〜40センチはある。

 この排水口に足を取られると、猛烈な勢いで、体がそこに吸い寄せられてしまう。実際
には、一度足を取られると、自力で、そこから脱出するのは、不可能。

 私たちは子どものころ、並行して流れる長良川で遊ぶのにあきると、この用水に飛びこ
んで遊んだ。大きな浮き輪(自動車のチューブとか、そういうもの)にぶらさがりながら、
一気に、1〜2キロ下流へとくだっていく。

 それがおもしろかった。

 で、だれからというわけではないが、用水のフチに近寄るのはあぶないということを、
聞いて知っていた。排水口があるからである。

 が、ある日、私は、その用水で泳いでいるとき、排水口に足を取られてしまった。私が
小学3、4年生のときのことではなかったか。流れる用水の圧力も加わって、体全体が、
土手にたたきつけられるような衝撃を受けた。

 それほど大きな排水口ではなかった。それも幸いした。

 で、そのときは、高校生の姉たちが近くにいて、みんなで私を引き出してくれた。それ
で一命はとりとめたが、もしあのときそばにだれもいなかったら、私は確実に、死んでい
た。

 つまり私たちの世界では、排水口の恐ろしさは、(今回の事件では、吸水口ということに
なっているが……)、いわば常識。今回の事件では、管理者は、そんなことも知らなかった
のか、ということになる。

 さて、これからが夏本番。

 こうした事故は、ちょっとした油断で起きる。水をなめてはいけない。「絶対、安全」と
思われているプールですら、こんな事故は起きる。

それが私の率直な感想ということになる。

 
●イランの核開発問題

 考えようによっては、K国の核開発問題より、はるかに深刻なのが、これ。イランの核
開発問題。

 そのイランの核開発問題について、8月1日、国連の安全保障理事会は、イランに対し
て、ウラン濃縮活動の全面停止を義務づける決議案を採択した。

 もしイランが、8月31日までに、この決議に従わないばあいは、国連は、つぎに制裁
決議案を採択する予定だという。今回のは、いわば、その暫定的措置。

 しかしもしイランが、今回の決議に従わず、さらに8月31日以後、制裁決議案が採択
されるようなことにでもなれば、日本にとっては、たいへんなことになる。簡単に言えば、
中東からの原油輸入が、その時点で、ストップしてしまうかもしれない。

 イランのザリフ国連大使は、「事態を悪化させるだけだ」(TBS)と述べている。

 日本は、アザデガン油田の問題もかかえている。へたをすればその利権も、どこかへ吹
っ飛んでしまう。

 このマガジンが配信されるころ(9月4日)には、その結論が出ていることだろう。こ
れから先、どうなることやら?
(このエッセーは、8月1日に書いたものです。)


●国連とK国

 イランの核開発問題は、どこかでK国の核開発問題とからんでいる。そしてそれは、韓
国ともからんでいる。

 今度、国連の次期事務総長に、韓国のB氏が、なりそうだという。韓国は、その話題一
色といった感じだが、「そのカギを握るのが日本」(朝鮮N報)とか?

 しかし日本は、B氏の事務総長就任に、賛成はしない。反対まではしないが、賛成はし
ない。そのことを韓国も、よく承知している。朝鮮N報は、つぎのように伝えている。

 「日本は米国に次ぐ国連分担金支出国であり、米国にとってはアジア政策をめぐって緊
密に連携をとるパートナーだ。また次期事務総長が決まる可能性が高い10月に、安保理
議長国を務めることになっている。このように日本の影響力が大きい中で、韓日両国の対
立が相次ぎ、また日本の安保理常任理事国入りに韓国が反対したり、さらには北朝鮮の核・
ミサイル問題と、明らかな悪材料が存在している」と。

 そう、日本が安保理事国入りの運動をしていたころ、韓国のN大統領は、各国に特使ま
で送って、(特使だぞ!)、それに反対した。「日本には、その資格はない」とまで、言い切
った。中国で反日暴動が起きると、「これで日本の理事国入りは流れた」と、喜んでみせた。

 その日本が、どうして韓国のB氏を、推薦しなければならないのか!

 私の予想では、シンガポールの、ゴー・トクチョン氏がもっとも有力だと思う。前回の
予備選挙では、韓国のB氏が、指名第一位を獲得しているが、アメリカのボルトンも、日
本のA外務大臣も、それをよくは思っていないはず。

 表だって韓国のB氏に反対する必要はない。シンガポールのゴー・トクチョン氏の指名
に向けて、日本は活発に運動すればよい。それが日本にとっては、最善。これから先、1
0月に向けて、その動きが活発化するはず。

 もし今のN大統領の息のかかった国連事務総長が生まれたら、国連はどうなるか? 国
連そのものが、K国の手先になってしまうかもしれない……ということは、ありえないに
しても、何かにつけて、K国問題がやっかいになることだけは、事実。

 それだけは、今の日本としては、何としても避けなければならない!


●Viagrra

 バイアグラという薬がある。その薬について、このところ、海外から、しつこいほど無
数のスパム・メールが届いている。この2、3日だけでも、50〜100通は届いている。

 そこでフィルターをかけて処理しているのだが、そのつど、スペルを変えてくる。

 Viagrraa
 Vjagra
 ViJagrra、などなど。

 おかげで本当のつづりは、どうなのか。それがわからなくなってしまった。たぶん「V
iagrra」だと思うが……。

 こうした連中は、相手にしないほうが、よい。こういうズルイことをする人間は、一事
が万事。あらゆる面で、ズルイ。へたに信用して手を出すと、あとで大やけどする。

 こうしたメールが、無数に届くということは、それだけ需要があるということなのか。
しかしそんな薬をのむことを考えるなら、自転車で、足の筋肉をきたえたほうが、よっぽ
ど、よい。

 チンチンというのは、立つだけではいけない。持続力こそ、大切。その持続力は、足腰
の強さで決まる。……と、私は、勝手にそう思っている。今のところ、それを試す相手も
いない。つまり宝のもち腐れ……ということ。ハハハ。

 ……以上、8月1日、朝の雑感でした。これからやや遅い、朝食です。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●今朝は、4時半起き

 今朝、明け方にトイレに行きたくなった。それでトイレに行った。本当は、目を覚ます
直前に、ひどい夢を見た。その夢で脳が、興奮状態になってしまった。

 で、トイレから出て、そのまま書斎へ。時計を見ると、午前4時半だった。

 すぐパソコンに電源を入れ、いつもの日課。ニュースサイトを、あちこちのぞく。

 私のばあい、パソコンを目的別に使い分けている。電子メールを送受信するパソコン、
文章を打つパソコン、それにネット・サーフィンをするパソコン。とくに気を使っている
のが、HP作成用のパソコンである。

 プロバイダー(サーバー)のほうで、無料のウィルス検査をしてくれているが、さらに
有料のウィルス検査もしてもらっている。が、それで安心しているわけではない。現在、
どのパソコンにも、個別に、ウィルス検査ソフトとボット検査ソフトを導入。常時、それ
ぞれのパソコンをガードしている。

 あとはあやしげなメールは、即、削除、また削除。あぶないHPには、ぜったいに、近
づかない。

 おかげで、この5年ほどは、ウィルスなどによる被害は、ゼロ。この世界には、(やりす
ぎ)ということはない。

 そうそうもうひとつ、重要なウィルス対策をほどこしている。どのパソコンにも、外付
けのハードディスクを用意し、データ(文書とか、HPファイル)は、そちらに保存する
ようにしている。こうすることによって、万が一、パソコン本体にウィルスが侵入しても、
被害を最小限に食い止めることができる。

 いろいろ言われているが、基本さえしっかりと守っていれば、ウィルスなど、こわくな
い。インターネットは、実に便利で、安全な通信手段である。


●Mデパート

 浜松市内に、昔、Mデパートという、デパートがあった。戦前からの老舗(しにせ)中
の老舗のデパートで、アメリカ軍による空襲からも、生き残った。私が浜松へきたころに
は、デパートと言えば、そのMデパートをいった。

 が、バブル経済がはじけるころ、倒産、閉店。その直前に、巨額の投資をして、高級化
をねらったのが、裏目に出た。重厚かつ豪華な内装。エレベーターも、金色と銀色に輝い
ていた。
 
 私は、職場から近いということもあって、そのMデパートをよく利用した。しかし、こ
こにも書いたように、倒産、閉店。理由はほかにもいろいろ言われているが、要するに、
郊外にできた大型ショッピングセンターへと、客の流れが変わったということ。この浜松
市でも、市の中心部の空洞化が叫ばれるようになって、久しい。

 で、今度、そのMデパートが、再生されることになった。大阪に本社を置く、Dデパー
トが、経営に乗り出すという。中日新聞は、つぎのように伝える。

 「浜松市K町の百貨店Mデパート跡の再開発問題で、浜松市と開発事業者のAコーポレ
ーションは、7月31日、関西を主地盤にする百貨店大手のDと本格的な出店交渉に入る
と正式発表した。今後は賃料など具体的な交渉を進めるとともに、地権者の同意を取りつ
けるなどし、年内をめどに合意を目ざす」と。

 「しかしうまく、いくのかなあ……?」というのが、私の率直な感想。隣に並ぶZ・シ
ティ中央館と、西館(ともにデパート)は、赤字つづき。土日でも、閑散としている。ひ
とり元気なのは、駅前にあるEデパートだけ。しかしそのすぐ隣の、Iデパートでさえ、
最近、閉店したばかり。

 市は、ことあるごとに、「市の中心部の活性化」という言葉を、まるで金科玉条のごとく
に唱えつづけている。が、どうして中心部の活性化が、それほどまでに重要なのか。私に
は、それがよく理解できない。

 外国のどこの国へ行っても、鉄道の駅のある周辺というのは、どこも閑散としている。
むしろ、ほかの地域よりさびれているところが多い。つまり「駅前」という言葉に、こう
までこだわるのは、私たち日本人だけかもしれない。それに土日など、駅前を歩いてみれ
ばわかると思うが、目につくのは、チャラチャラとした若者たちだけ。一見、華々しく見
えるが、中身がまるでない。

 私自身も、「街まで行って買い物」という発想が、わいてこない。駐車場もなく、不便。
それに「街は物価が高い」という印象が根づいてしまっている。仮にMデパートが再生さ
れたとしても、わざわざそこまで買い物に行く気は、起きないだろう。

 「どうぞ、ご勝手に」と私は言いたいが、そうはいかないところもある。中日新聞は、
こうつづけている。

 「市も中心街活性化には、松菱跡を含め、大型商業施設の進出が欠かせないとの判断か
ら、テナント出店時に最大5億円の内装工事費補助制度を設け、事業所税などを減免する
方針を打ち出すなど、積極的な姿勢を示してきた」と。

 5億円といえば、合併前の浜松市民60万人で割ると、1人あたり、約5000円弱と
いうことになる。「それくらいはしかたないのかなあ」と思ってみたり、「もったいないな
あ」と思ってみたりする。もちろん市が中心部に注ぎこんでいる税金は、これだけではな
い。ここでいう5億円は、ほんの一部にすぎない。

何かしら、あの市の中心部が、ブラックホールのように思えてきた。お金をどんどんと
吸いこんでいくブラックホールである。……とまあ、そんなふうに思っているのは、果
たして私だけだろうか。


●TOBって、何?

「製紙業界最大手のOZ製紙は、M商事と業務提携する予定のHK製紙に対して、きょ
うから敵対的なTOB=株式の公開買い付けに踏み切ることになった」と、新聞記事に
は、ある。

 この記事を読んで、最初に「?」と思ったのは、「敵対的なTOBって、何?」という
こと。

 そこでまず、ウィキペディア百科事典(インターネットの無料百科事典)で、「TOB」
を検索する。便利になったものだ。そのウィキペディア百科事典によれば、「TOB」とい
うのは、「テイク・オーバー・ビッド(Take Over Bit)」のことだそうだ。
わかりやすく言えば、「会社の乗っ取り」のこと。

 「ある株式会社の経営権の取得(乗っ取り)などを目的に、株式の買い取りを希望する
企業や個人が、買い付け期間、買い取り株数、価格を公表して、不特定多数の株主から、
株式市場で株式を買い集める制度をいう」とある。

 が、「敵対」という言葉が気になる。どうして「敵」という言葉を使うのか。

 そこでさらに調べてみると、TOB(乗っ取り)には、2種類あることがわかった。「友
好的TOB」と、「敵対TOB」である。

 これは「買収される会社の経営陣の賛同を得て実施するのが、友好的TOB、賛同を得
ずに、一方的に行うのが、敵対TOB」(同)だそうだ。つまり相手が買収、吸収、合併を
望んでいないのに、一方的に、乗っ取りを目的として、企業や個人が、乗っ取りを画策す
るのが、「敵対的なTOB」ということになる。

 この記事を改めて読みなおして、「そういう世界なんだなあ」と思ったりする。つまり今
回、OZ製紙は、M商事と組んで、HK製紙がそれを望んでいないにもかかわらず、HK
製紙を乗っ取ろうとしている。「乗っ取り」という言葉は、ここで私が勝手につけた名前だ
が、「Take Over」という言葉は、もともと、そういう意味である。

 M商事の背後では、当然、元M銀行が構えている。資金は、豊富。つまりOZ製紙は、
それだけの価値があるとふんだから、HK製紙の乗っ取りにとりかかったということらし
い。

 それにしても、「敵対的なTOB」とは! この世界も、結構、物騒な世界らしい。

【付記】

 このOZ製紙のTOBに対して、HK製紙側は、「防衛」するという。今朝(8月3日)
のヤフー・ニュースによれば、こうある。

「製紙業界最大手のOZ製紙が、業界5位のHK製紙に対して、敵対的TOBを開始し
たことを受け、HK製紙側は買収防衛策の発動に向けた準備に入りました」と。

 これでは、まるで戦争ではないか! あるいは戦争用語を使って、ビジネスを楽しんで
いるみたい? 


●楽天日記

 8月2日、この半年で、はじめて、楽天日記をサボった。理由はいくつかあるが、どう
せグチになるから、ここには書かない。

 しかしそのときふと感じた解放感は、何か? 長い間、「書かねばならない」という思い
だけで、日記を書いてきた。そういう思いが、いつも、心のどこかにあった。

 私は、自分でも、どうしてこうまで生真面目(きまじめ)なのだろうと思う。ワイフも、
よく、そう言う。自分で自分を追いこんでしまうようなことがよくある。やらなくてもよ
いようなことを、そのままつづけてしまう。

 だからというわけでもないが、午後、市内のパソコンショップに行って、ムダ買いをし
て遊んできた。何を買ったかは、ワイフには内緒。それで少しは、心に穴があいた。風通
しがよくなった。で、今朝(8月3日)は、またまた日記の再開。

 そうそう昨日は、3単位(40分x3回分)の運動をしたぞ。だれかが「暑いからたい
へんでしょう」と言ったが、暑いときこそ、運動が大切。またそういうときにするから、
運動という。

 おかげで今朝は、気分は悪くない。いろいろあるが、グチを言ってはいけない。『我らの
目的は、成功することではない。失敗しても、それにめげず、前に進むこと』(スティーブ
ンソン)なのだア!


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司


●首相のY神社参拝

++++++++++++++++

日本のK首相が、8月15日の
Y神社参拝に向けて、準備を始めた。

当日の、Y神社周辺の警護や、
そのあとの記者会見が、予定に
あがり始めている。

++++++++++++++++

 東京の外交消息筋によると、日本のK首相の参拝に備え、首相官邸は当日の警護の準備
や記者会見などの日程の調整を、極秘裏に進めているという(8月3日)。

 K首相が終戦記念日に靖国神社に参拝した場合、日本の首相としては85年8月15日に
中曽根首相が参拝して以来、21年ぶりになるということだそうだ。

 しかしどうしてこんなときに、しかも、K首相にとっては最後の最後というところで、
K首相は、あえて中国や韓国の神経を逆なでするようなことをするのか?

 「反戦の誓い」というのなら、首相を近々やめるのだから、もう必要はないだろう。日
本人の大半も、それを望んでいない。そうでなくても、K首相が、Y神社を参拝するたび
に、日中関係、日韓関係は、悪化の一途をたどっている。今ここで、また、Y神社参拝を
強行すれば、中国や韓国の反日勢力を勢いづかせるだけ。

 とくに韓国のN大統領は、「ここぞ!」とばかり、反日活動にうって出るはず。

 こうした私の意見に対して、「日本人には日本人のアイデンティティがある」と説く人も
いる。しかし首相が、Y神社を参拝するのは、アイデンティティでも何でもない!

 アイデンティティというのは、(日本という国がどうあるべきか)という、国としての自
己概念と、(現実の日本はどうなのか)という、国としての現実自己が一致していることを
いう。

 日本は、民主主義国家である。自由と、平等と、平和を愛する国である。これが自己概
念。そしてその自己概念に向かって、一歩ずつ、駒を進めていくのが、現実自己。この両
者が一致した状態を、アイデンティティ、つまり「自己の同一性」という。

 K首相よ、もしそれほどまでに、「亡き英霊」と、戦没者をたたえるなら、なぜ、日本中
を焦土と化したアメリカに、今、ゲリラ戦法でも何でもよい、攻撃をしかけないのか? 一
方で、アメリカの大統領とプレスリーの歌をいっしょに歌いながら、何が、「亡き英霊」だ!

 K首相の国際外交のすばらしさは、私も認める。しかし今度だけは、Y神社を参拝して
はいけない。もしそれでも……というのなら、首相をやめてから、すればよい。1か月や
2か月、参拝の時期をずらしたところで、「亡き英霊」たちも、怒りはしないだろう。

 K首相よ、どうかどうか、ここは、これからの日本のことを考えて、Y神社参拝を、見
合わせてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●韓国の全教組

 韓国の教職員組合は、すごい! 韓国には、全国教職員労働者組合というのがある。短
くして、「全教組」という。

 今朝(8月3日)の、朝鮮N報によれば、こうある。

「今日の全教組が、どのような組織なのかを示す例は、枚挙にいとまがない。ソウルの
全教組は、『先軍政治万歳』というスローガンが書かれた北朝鮮の政治宣伝ポスターを、
教室の環境美化用に使うよう推奨し、インターネットに掲載した。

釜山全教組は金日成の抗日闘争を美化した北朝鮮の歴史書を丸写しし、教師研修用の教
育資料として使った。

京畿道富川で『国旗に対して敬礼をするな、軍隊には行くな』と教えていた教師も、全
教組だ。まさに今この瞬間にも、全国のどこかで全教組の教師が子供たちの頭の中に毒
素を注入している」と。

つまり韓国の全教組は、K国の金日成の抗日闘争を美化し、先軍政治を支持していると
いうのだ。朝鮮N報は、こうした全教組の活動を、「毒素」と断言したあと、こうつづけ
ている。

 「全教組の行為はこれだけにとどまらない。全教組突撃隊は教育関連の公聴会が開かれ
るたびに乱入し、騒動を巻き起こしている。

ある学校では教師らによる投票の結果、朝の授業開始時間を繰り上げる決定を下したと
ころ、全教組の教師らが抗議の意思表示だとして、頭を丸めて教壇に立った。全教組は
放課後の補習、学校の情報公開、成果給の支給、教師評価制度など、教育競争力を高め
ようとするあらゆる政策に『ノー』を叫んでいる。 

 このような全教組の性格は容易に変化しそうにはない。CH全教組委員長は、『われわれ
は数歩先に立って未来の価値観を見すえている。今、われわれが教えている価値観も、
5年から10年後には正しいものであったと判明するだろう』と語った」と。

 以前からうわさには聞いていたが、韓国の全教組が、ここまで過激だったとは、知らな
かった。が、それにしても、すごい! 朝鮮N報は、「邪教集団も、顔負け」と表現してい
る。ホント!

で、この記事を読んで、それ以上に忘れてならないのは、現在のN大統領率いる与党は、
こうした全教組という支持基盤の上に成りたっている政権だということ。朝鮮N報の社
説は、つぎのように結んでいる。

 「この邪教集団が、われわれの子どもたちを人質にとって、全国民を脅かしているのが
韓国教育界の現状だ。現政権が国民に選ばれた政府であるならば、保護者らに全教組の教
師を拒否する権利を保障しなければならない」と。

 全教組も全教組なら、朝鮮N報も朝鮮N報。両者たがいに、一歩も譲らずといった感じ
の、対立をつづけている。

 ここしばらくN大統領と、朝鮮N報の戦争は、ますますはげしくなりそうである。

【付記】

 日本政府は、こうした韓国内部の動きもにらみながら、自分たちはどうあるべきか、そ
れを考えなければならない。

 韓国のN大統領は、先日、「これからは、日本と対決していく」と宣言した。ときどきこ
ういう突飛(とっぴ)もないことを口にするのが、あの大統領だが、しかしそういう大統
領を利するようなことだけは、日本は、してはいけない。つまり今のN大統領にしてみれ
ば、「反日」しか、生き残る道はない。

 その「反日」に手を貸すようなことだけは、してはならない。

 つまり、今のN大統領が倒れれば、韓国は、再び、西側諸国の一員として、もどってく
る。すでにその(流れ)はできあがっている。日本は、その(流れ)を逆行させるような
ことだけは、してはいけない。


Hiroshi Hayashi++++++++++Aug 06+++++++++++はやし浩司

●謎のテポドン2号

+++++++++++++++++

テポドン2号は「完全な失敗」だったという。

ならば、大きな謎が、残る。
ならばなぜ、当初、韓国政府だけが、
「成功だった」と、マスコミに向かって、
発表していたのか?

+++++++++++++++++

 K国が打ちあげた、あのテポドン2号は、完全な失敗だった。

 毎日新聞は、つぎのように書いている。「K国が今月5日に発射した弾道ミサイル、テポ
ドン2号は、発射台から、1・5キロ以内の北朝鮮の領空内で爆発し、数十キロ以内の海
上に墜落したことが判明した」(7月30日)と。

その残骸は、アメリカの偵察衛星でも、確認されている。

……となると、大きな謎が残る。韓国政府は、テポドン発射前は、「あれは人工衛星を打
ちあげるためのロケットで、ミサイルではない」と、K国をかばっていた。が、テポド
ン2号が、ほかのミサイルとともに、打ちあげられると、今度は、「7分間で499キロ
飛行したのち、東海(日本海)に墜落したと推定される」(韓国国防部)と発表した。

 そのときの各国の報道は、つぎのようであった。

日本……テポドン2号は発射直後にトラブルが発生し、爆発して破片の一部が発射場から
数キロの地点に落下した(発射から2日後)。

アメリカ……テポドン2号は発射直後にトラブルが発生し、数秒後に統制不能状態に陥っ
た(CNN、発射から2日後)。

韓国……7分間で499キロ飛行したのち、東海(日本海)に墜落したと推定される(発
射当日)。

あのK国……「ミサイル発射実験は、すべて成功した」と発表。

 日本やアメリカは、発射直後から、「失敗だった」という見方をしていた。が、韓国政府
だけは、K国と肩を並べるかのように、「ほぼ、成功だった」と。この韓国とK国との、奇
妙な符号性は、いったい、何を意味するのか?

 朝鮮N報ですら、こう書いている。

 「結局、7分間で499キロ飛行したといった当初の分析は、韓国政府だけから出たこ
とになるが、国防部では当時なぜこのような判断をしたのかについては、追加説明を全く
行っていない。

国防部では韓国側の調査結果について、『ノーコメント』を通している。発射直後の『7
分間飛行した』という推定が、韓国の情報当局の独自の分析なのか、米国側の情報なの
かについてもコメントしていない」と。

 つまり韓国政府は、少なくともその根拠となる、独自のデータをもっていなかったこと
になる。ならば、韓国政府は、どこで、どのような形で、まただれから、「7分間で499
キロ」という情報を得たのかということになる。

 だれからか?

 賢明な読者諸氏なら、もうおわかりかと思う。その答はあえて、ここには書かない。で、
その韓国政府だが、N大統領は、今年5月、K国への(条件なしの援助)を惜しまないと
宣言している(ウォールストリート・ジャーナル)。

 さらに日本がなした経済制裁についても、N大統領は、「強い不快感」なるものを示して
いる。が、考えてみれば、これもおかしい。

どうして日本が、K国に対して、経済制裁をすることが、不快なのか。韓国は、この件
には、まったく関係ないはずである。

 ……こうした一連の流れというか、動きを見ていると、N大統領が、水面下で、どこか
のだれかとつながっているとしか、考えられなくなる。

 そのどこかのだれかとは、だれか?

 考えれば考えるほど、謎は、深まるばかりである。
(この原稿は、06年7月31日に書いたものです。マガジンに発表するまでに、また新
しい事実が出てくるかもしれません。)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●奨学金

++++++++++++++

「貸す」のではなく、「与える」のが、
奨学金ではないのか?

日本の奨学金制度は、どこか、おかしいぞ!

++++++++++++++

 子どものいる家庭にとって、教育費の負担は、相当なものである。「負担」というより、
「負担感」と言ったほうが、正確かもしれない。とくに、「幼稚園と大学段階の負担感が、
もっとも大きいとされる」(時事通信)。

 そのため、今度、文科省は、「返還分を所得控除対象とするなどの税制上の対応を求め、
卒業後の返還を支援することとした」という。

 わかりやすく言えば、奨学金を返還する際、その分は、所得分から控除されるという。
が、しかしそんなことで、負担感が、本当に軽減されるのだろうか? 借金は、借金とし
て、そのまま将来にわたって、残る。

 「奨学金」といえば、つまり欧米で、「スカラシップ」といえば、「ただ金」をいう。し
かもそういう制度が充実していて、アメリカでも、オーストラリアでも、親のスネをかじ
って大学へ通っている学生など、さがさなければならないほど、少ない。

 カラクリは、こうだ。

 各企業や団体は、奨学金として、返済不要の奨学金を、学生に提供する。しかしその分
だけ、つまり奨学金として提供した分だけ、各企業や団体は、税控除を受ける。わかりや
すく言えば、「国に税金を払うくらいなら、学生に奨学金として払った方が、得」という考
え方をする。

 各企業や団体にとっても、大きなメリットがある。優秀な学生に、前もって、ツバをつ
けておくことができる。

 日本の奨学金制度は、基本的な部分で、まちがっている。

(1)貧しいから払うという発想ではなく、払う価値のある学生に、無償で与えろ。

 日本の教育には、おかしな平等主義がはびこっている。もともとその能力も意欲もない
学生に対してまで、奨学金を貸与している。そしてその学生たちが、日本の将来を考え、
奨学金を貸与してくれる国に感謝しているかというと、そういうことはない。

 大半(私の印象では、80%以上)は、奨学金を、遊興費に回している。あるいはアル
バイトで得るお金の不足分として、利用している。

 今年度の奨学金貸与人員は109万人と、10年前の2倍以上にもなっている。事業費
は96年度の約2400億円から約8000億円に増加しているという(時事通信)。単純
に計算すれば、8000億円÷109万人で、1人あたり、73万4000円となる。

 この額を多いとみるか、少ないとみるか、意見は分かれる。73万円といえば、遊興費
としては、じゅうぶん。しかし学費としては、絶対的に少なすぎる。73万円で、どうし
て大学へ通うことができるのか?

 なおアメリカでもオーストラリアでも、子どもたち(高校生たち)は、どこの大学へ入
学するかということよりも、どこでどのような奨学金を得るかを、問題にする。たいてい
は、学校の学校長や教師にその推薦権があり、高校での成績や、その子どもの能力、やる
気をみて、学校長や教師が推薦文を書く。

 学校長や教師にしても、必死である。へたに、おかしな学生を推薦してしまったりする
と、次回から、その推薦権を取り消されてしまう。つまりその分だけ、その学校の評価が
さがってしまう。

 もちろん奨学金といっても、ハンパな額ではない。たいていはそれだけで、学生生活の
すべてをまかなえるほどの額である。が、中には、足りない学生もいる。そういう学生は、
銀行で、(銀行で、だぞ!)、自ら借金をして、それを補う。

 だから学ぶ学生も、必死! 東大のT名誉教授は、HPの中で、こう書いている。「アメ
リカなどでは、休み時間になると、教授室の前にズラリと学生が並ぶ。こういう光景は、
日本では、見たことがない」と。

 自分の体を削りながら、大学へ通う……。そういう精神があるから、アメリカの大学生
たちは、よく学ぶ。私の二男でさえ、大学生のとき日本へ帰ってきて、こう言った。

 「アメリカでは、大学生が、アルバイトをするなんて、考えられない。そんな時間は、
ない」と。

 日本の奨学金制度は、基本的な部分で、おかしい。現在、官僚たちが、天下りするため
に使う持参金(?)が、裏金まで含めると、年間、10兆円にもなるという。もし10兆
円もあるなら、全国、200万人の学生に、500万円の奨学金の奨学金を、無償で与え
ることができる。400万人の学生に、250万円の奨学金を無償で与えることができる。

 どうしてそういうふうに、そういうところで、お金を使わないのか?

 「貸与(貸し与える)」ではなく、「供与(ただでくれる)」にする。それが奨学金の基本
的な性格ではないのか。「貸与」なら、何も、文科省がしなくても、銀行に任せればよい。
事実、アメリカでは、そうしている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
奨学金制度 日本の奨学金)

+++++++++++++++

6年前に書いた原稿を
添付します。

+++++++++++++++

●本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そ
こで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。そ
れにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。「それ
だけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産次第というわけだ
が、今、こういう若者がふえている。

 1997年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後
のめんどうを、あなたはみるか」と。それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答
えた若者は、たったの19%! 

この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。さらに東南アジ
アの若者たちの、80〜90%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数字は、
その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。このことからもわかる
ように、若者たちのドラ息子化は、ますます進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになっ
た。金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、
平均27万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。だか
らどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。それこそ
爪に灯をともすような生活を強いられる。

が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。大学という巨大な遊園地で、遊びまくって
いる! 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。春先だったと
いうが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけでも、数万円も使っ
ていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもす
らいる。今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではない
か。大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるい
はブランドだけで、大学を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業
できたという学生もいる(新聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、
私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。私の話は、
すでに一世代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、さらにこう
言った。

「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だ
けでも、月に4万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親を、誰が笑うこと
ができるだろうか。

(補記)親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。月平均になおすと、約26・
6万円。毎月の仕送り額が、平均約12万円。そのうち生活費が6万5000円。大学生
をかかえる親の平均年収は1005万円。自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、
平均借金額は、182万円。1999年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

大学生の親、貧乏盛り

 少子化? 当然だ! 

都会へ今、大学生を1人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均11万7000円(99
年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。が、それだけではすまない。

アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に40〜
50万円はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インター
ネットも常識。

……となると、携帯電話のほかに電話も必要。入学式のスーツ一式は、これまた常識。
世間は子どもをもつ親から、一体、いくらふんだくったら気がすむのだ! 

 そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学
生、親、貧乏盛り」と言う。大学生を二人かかえたら、たいていの家計はパンクする。

 一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、
さがさなければならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も
税法上の控除制度があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。
しかも、だ。日本の対GNP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに
少ない。

欧米各国が、7〜9%(スウェーデン9・0、カナダ8・2、アメリカ6・8%)。日本
はこの10年間、毎年4・5%前後で推移している。大学進学率が高いにもかかわらず、
対GNP比で少ないということは、それだけ親の負担が大きいということ。

日本政府は、あのN銀行という1銀行の救済のためだけに、4兆円近い大金を使った。
それだけのお金があれば、全国200万人の大学生に、一人当たり200万円ずつの奨
学金を渡せる!

 が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育と
いうのはそういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」へ
の隷属意識は、世界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(た
た)き込まれている。

いまだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている!日
本人のこの後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育
を、あくまでも個人的利益の追求の場と位置づけている。

 世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と
考えている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こう
いう冷淡さが積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中す
る。

 日本の教育制度は、欧米に比べて、30年はおくれている。その意識となると、50年
はおくれている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。「こんなとこ
ろで、子どもを育てたくない!」と。「こんなところ」というのは、この日本のことをい
う。彼には彼なりの思いがいろいろあって、そう言ったのだろう。が、それからほぼ3
0年。この状態はいまだに変わっていない。もしジョン・レノンが生きていたら、きっ
1年。とこう叫ぶに違いない。「こんなところで、孫を育てたくない」と。

 私も3人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであ
ろう孫のことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかな
い。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●子どものセックス(性体験)、香港編

++++++++++++++++++++

香港でも、日本に負けないくらい、
子どもたちのセックスが、当たり前に
なっている。

香港の中学1〜2年生のうち、性交渉の
経験がある生徒は、全体の17%だ、そうだ。

しかし「これは氷山の一角」とか!

++++++++++++++++++++

 このほど、香港中文大学などが実施した調査によると、香港の中学1〜2年生のうち、
性交渉の経験がある生徒は、17%もいるそうだ。約5人に1人。7月28日、中国新聞
社が、その調査結果を、公表した。

 中学1〜2年生の性交渉経験者……17%
 中学3〜7年生の性交渉経験者……14%※
香港中文大学心理学科などは06年7月、12〜21歳の学生、3299人を対象に、
対面調査を実施した。

 またパートナーが妊娠したばあいの、対応については、

 避妊をする   ……25%
 自分が育てる  ……50%
 友だちに相談する……56%
 父母に打ち明ける……26%

 さらに父母に対する対面調査では、

 子どもに性教育をしている父親……5%以下
 子どもに性教育をしている母親……13%
 
 「娘が妊娠していると知ったとき、どうするか」については、

 「出産して育てるように勧める」と答えた父親……84%
 「人工中絶をするよう勧める」と答えた父親 …… 4%
 「人工中絶をするよう勧める」と答えた母親 ……42%

 しかしこれは、「氷山の一角」(「母親の選択」(Mother's Choice)の劉小草・主任)と
のこと。「未成年の性交渉はごく当たり前のことになっている」とも。

 この調査で、「?」と思ったのは、上記(※)の部分。中学3〜7年生(日本の中学3年
生〜高校2年生)の性交渉経験率が、中学1〜2年生より少ないこと。多分、上級生ほど、
本当のことを話していないのだろう。日本でも、非公式の調査だが、女子高校生の約60%
は、高校を卒業するまでに、セックスを経験するという。

 私たちの時代にも、中学生くらいのときから性交渉を経験していた子どもがいなかった
わけではない。しかしそれとて、ずっとあとになってから知ったこと。私たちが中学生、
高校生のときには、そうした雰囲気さえなかった。

 何はともあれ、セックスの解放(本当の意味での「性の解放」とは、意味がちがう。念
のため)は、このアジアでも、急速に進んでいるようだ。親である、みなさん! その覚
悟と準備は、もうできていますか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
香港 性の解放 性交渉事情 子供のセックス)


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

【BWの指導から(2)】(主張訓練法)

●「NO!」が、はっきり言える子ども

少し前、「YES」「NO」がはっきり言える
子どもについて書いた。

その根拠というか、それが見つかったので
報告します。

+++++++++++++++

心理学には、「行動療法」というのが
ある。

その中のひとつに、「主張訓練法」という
のがある。

これは子どもに、(おとなでも構わないが)、
「YES」「NO」をはっきり言わせることに
よって、
「対人場面における、不安感や緊張感を
軽減する方法」(臨床心理学・ナツメ出版)
である。

もう一度、そのとき書いた原稿をここに
添付しますので、どうか、参考に
なさってください。

+++++++++++++++

今週は、どのクラスでも、「NO!(いや!)」
とはっきり言える子どもの指導をしている。

指導というよりは、訓練。

大きな声で、しっかりと、「いや!」と言わせる。

この簡単な訓練だけで、子どもから優柔不断さが
消える。

+++++++++++++++

 今週は、幼児クラスを中心に、「いや!」とはっきり言う訓練をしている。方法は、こう
だ。

 まず、子どもたちがいやがるような、誘いをかけてみる。

私「ゴキブリ・ハンバーグをあげようか」
子「……いらないよう……」
私「だったら、『いや!』とはっきりと言いなさい」
子「いや……」
私「そんな声じゃ、だめだよ。いやだったら、はっきりと『いや!』と言わなくては……」
子「いや!」と。

 つづけて、

私「ねずみのシッポのからあげをあげようか」
子「いや!」

私「シカのウンチのから揚げをあげようか」
子「いや!」

私「ミミズのラーメンはどう?」
子「いや!」と。

 こうしたかけあいを、5〜10回繰りかえすと、子どもたちは、大声で、「いや!」と言
うようになる。

 そこでさらに、こう問いかける。いやらしい中年オジサンの雰囲気で……。

私「どこかへ連れていってあげようか?」
子「いや!」

私「お菓子を買ってあげようか?」
子「いや!」

私「そんなこと言わないで、車にのってよ」
子「いや!」

私「おもちゃを買ってあげるからさあ」
子「いや!」

私「じゃあ、おじさんのおうちに遊びに来る? お菓子がたくさんあるよ」
子「いや!」と。

 こうした方法は、心理学の世界でも、有効性が証明されている。「YES」「NO」を、
はっきりと言わせることによって、自我の確立を、より、めざすことができる。が、それ
だけではない。昨今、子どもを犯罪に巻きこむ事件が、相ついでいる。この方法は、そう
した事件に対する、予防策にもなる。

 もしあなたの子どもに、どこか優柔不断で、グズグズした雰囲気があるなら、一度、こ
の方法を試してみるとよい。

が、本当は、集団教育の場で、みなが大声を張りあげていうような場面が望ましい。1
人、2人だと、大声を出さない子どもでも、みなが大声を張りあげると、つられて自分
も大声を出すようになる。

 どこかの見知らぬおじさんが、「お菓子を買ってあげるから、いっしょに来ないか?」と
声をかけたとき、子どもが、最初に「いや!」とはっきり言う。犯罪の防止になるだけで
はなく、今のこうした社会では、とても大切なことだと思う。

【付記】

 この指導法を参観していた母親が、そのあと、こう言った。

 「私なんか、セールスがきても、はっきりと断れないため、よくトラブルに巻きこまれ
てしまいます」と。「私ははっきりと、いやと言うのですが、主人が、優柔不断で、困りま
す」といった母親もいた。

 もしそうなら、日ごろから、夫婦の間で、こうした訓練をしておくとよい。

夫「奥さん、おもしろい薬があります」
妻「いりません」
夫「お買い得ですよ」
妻「興味ありません」
夫「奥さん、元気が出ますよ。あのK国製ですから」
妻「いりません。お帰りください」と。

 私たち夫婦も、ときどき、この訓練法を自分たちに試している。私も、若いころは優柔
不断なところがあった。誘われると断りきれず、ついつい……ということがよくあった。
しかし最近は、ない。

 この訓練法のおかげである。

 なお、教育の場で、この訓練法をしているのは、私のBW教室だけである。(ほかの幼児
教室は、まねするな! ハハハ! 心が狭いかな?)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
返答訓練法 自我 YES NO はっきり言う子供 はっきりとした子供 行動療法 
対人訓練法 主張訓練法 子供の心理)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●原始反射

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赤ちゃんには、赤ちゃん特有の反射
的運動がみられる。

これを、「原始反射」と呼ぶ。

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 二男の娘(私の孫)が生まれて、もう2か月になる。名前を芽衣(Mae)という。最
近、やっと漢字の名前が決まった。

 その芽衣を想像しながら、改めて心理学の本(心理学用語辞典・かんき出版)を、ひも
とく。乳児と幼児は、必ずしも、連続的につながっているわけではない。たとえば、赤ち
ゃんには、赤ちゃん特有の、反射的運動がある。

 これを「原始反射」と呼ぶ。この原始反射の多くは、生後3〜4か月で、消失してしま
うことが知られている。

 その原始反射には、つぎのようなものがある(心理学用語辞典より)。

(1)把握反射
(2)バビンスキー反射
(3)モロー反射
(4)口唇探索反射
(5)自動歩行反射
(6)マグネット反射

 把握反射というのは、手のひらを指などで押すと、その指を握ろうとする現象をいう。

 バビンスキー反射というのは、新生児の足の裏を、かかとからつま先にかけてこすると、
親指がそりかえり、足の指が開く現象をいう。

 赤ちゃんの胸の前に何かをさし出すと、それに抱きつくようなしぐさを見せることをい
う。ドイツのモローによって発見されたところから、モロー反射と呼ばれている。

 口唇探索反射というのは、赤ちゃんの口のまわりを指などで触れると、その指を口にく
わえようとする現象をいう。

 自動歩行反射というのは、脇の下を支えながら、右足に重心をかけると、左足を前に出
そうとする。これを繰りかえしていると、あたかも歩いているかのように見えることをい
う。

 マグネット反射というのは、両脇を支えて立たせると、足が柱のようにまっすぐになる
現象をいう(以上、同書より要約)。

 これらの現象は、短いので、生後2〜4週間で、長くても、8〜10か月で消失すると
言われている。で、こうした現象から、つぎの2つのことが言える。

 ひとつは、乳児が成長して、そのまま幼児になるのではないということ。赤ちゃんには、
赤ちゃん特有の成長過程があり、その期間があるということ。

 もうひとつは、前にも書いたが、いわゆるネオトニー進化論の問題である。その原稿は、
このあとに添付しておくが、要するに、人間は、未熟なまま誕生し、その未熟さが、こう
した現象となって、現れるのではないかということ。

 本来なら、こうした原始反射といったものは、母親の胎内で経験し、誕生するまでに消
失しているべきということになる。つまりわかりやすく言えば、人間は、その前の段階で、
誕生してしまうということになる。

 ご存知の方も多いと思うが、人間は、(ほかの動物もそうだが)、母親の胎内で、原始の
時代からの進化の過程を、一度すべて経験するという。初期のころには、魚のような形に
もなるという。その一部が、誕生後も、こうした原始反射となって現れる(?)。

 もしあなたに、今、赤ちゃんがいるなら、一度、この原始反射を試してみるとよい。何
かの新しい発見ができるかもしれない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

日本人は、未熟な民族?

そんなことを考えさせられるのが、
ネオトニー進化論である。

+++++++++++++++++++

●幼児性の持続(ネオトニー進化論)

 人間は、ほかの動物たちとくらべても、幼児期から少年少女期までの期間が、著しく長
い。鳥の中には、孵化すると同時に歩き始め、エサを自分で食べ始めるのもいる。

 つまり人間は、未熟なまま、生まれる。そしてその分、親(とくに母親)の手厚い保護
を受けなければならない。

 ……という話は、常識だが、同じ人間でも、種族によって、その「期間」が違うのでは
ないか。

 私自身も、幼稚ぽいところがあったが、35年前に、オーストラリアの大学へ留学した
とき、向こうの学生たちが、みな、私よりはるかにおとなに見えたのには、驚いた。本当
に、驚いた。「これが同じ大学生か!」と。

 で、以来、ときどき、私は、この問題を考える。こうした「違い」は、なぜ生まれるの
か、と。

 それについては、いろいろな説がある。欧米と日本とでは、子育てのし方そのものが違
うという説。日本では、元来、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子と位置づ
ける。が、欧米には、そういう考え方は、ない。ないものはないのであって、どうしよう
もない。

 つまり、欧米では、子どもは、生まれながらにして、1人の人格者として、扱われる。育てられ
る。

 ……というふうに、私は考えてきた。しかしそれだけでも、ないのではないか。

 昨夜も、バラエティ番組なるものを、かいま見た。20〜25歳前後の若い女性が、1
0〜15人ほど、そこに並んでいた。私は、その若い女性たちの顔を見て、あ然とした。

 幼稚顔というよりは、まさに幼児そのもの。Sというよく知られた、司会者(お笑いタ
レント)に誘われてあれこれ意見を述べていたが、「これが20歳を過ぎた女性の意見なの
だろうか」とさえ、思った。

 一説によると、私たち日本人は、欧米人と比べても、幼児性を残したまま、おとなにな
る遺伝子をもっているという。生まれてからおとなになるまでの期間が長いとも解釈でき
るし、反対に、精神的におとなになりきれないまま、体だけはおとなになるとも解釈でき
る。

 前者の説をとるなら、日本人は、それだけ教育期間を長くしなければならないというこ
とになる。後者の説をとるなら、日本人は、民俗学的(生態学的)に、未熟な人間という
ことになる。さらに恐ろしい意見もある。

 日本人の子どもの前頭連合野の発育が、以前よりも、未熟になりつつあるというのだ(沢
口俊之著「したたかな脳」日本文芸社)。そのため、

「以前は、小学3年生でできていた課題が、今は、4年生の子どもでも、満足にできな
いというのが、現状です。

 これは状況を判断する力や、自己をコントロールする力が衰退しているということ、す
なわち、自分の行動を積極的に制御する脳の機能が未熟になっていることを示しています」
(同、P131)と。

 「小学3年生でできていた課題が、今は、4年生の子どもでも、満足にできないという
のが、現状です」という澤口氏の意見には、「?」を一つ、つけたいが、しかし、年々、子
どもたちが幼稚化しているのは、私も感ずるところである。

 とくに男児の幼稚化が著しい。たいはんが、どこかナヨナヨしていて、ハキがない。

 で、こうして、子どもたちは、幼児性(幼稚性)を残したまま、おとなになる。あるい
はおとなになりきれないまま、おとなになる。

 一般論として、子どもというのは、その年齢になると、その子どもの年齢にふさわしい、
「人格」が育ってくる。「核」というか、(つかみどころ)ができてくる。その年齢に比し
て、「子どもっぽく見える」というのは、日本では、あまり問題視されないが、国際的に見
れば、決して、好ましいことではない。

 そこで全体として、たとえば高校生や大学生をみると、日本の高校生や大学生は欧米の
子どもたちと比較すると、かなり子どもっぽいのがわかる。澤口氏の説によれば、つまり
その分、大脳前頭連合野の発達が、未熟(?)ということになる。

 こうした違いが生まれるのは、教育によるものなのか。それとも遺伝子によるものなの
か。

 「したたたかな脳」の著者の澤口氏は、「ネオテニー」という言葉を使って、日本人の幼
児性を説明する。

 「ネオテニーとは、(幼児成熟)、つまり幼い時期の特徴をもったままで成熟し、繁殖す
ることをいいます。

 その有名な例は、アホロートル(ウーパールーパー)です。アホロートルは、サンショ
ウウオの一種で、サンショウウオは、両生類です。

 ですから幼生期に水中でエラで呼吸し、成長すると、変態して、肺で呼吸するようにな
り、陸上で生活します。

 ところがアホロ−トルは、変態しません。つまりエラをもったまま、つまりは幼生期の
まま、水中で生活します。繁殖も幼生期のままの姿でします。いってみれば、カエルがオ
タマジャクシのままで、卵を産んでしまうようなものです。

 これをヒトにあてはめて考えた進化論が、「ネオテニー進化論」です。(中略)

 ネオテニー化が進むということは、進化の過程で、ヒトがネオテニー的な特徴をより多
く、身につけてきたという意味です。

 ネオテニー的な特徴とは、単純な言い方をすれば、外見的に、子どもぽいとか、未熟だ
とかいうことです。このような身体的な特徴から見ると、ヒトの大人は、幼児の姿をとど
めたまま成熟したチンパンジーのようにも見えます。

 そしてアジア人(モンゴロイド)が、年齢よりも若く見えるのは、より多く、ネオテニ
ー的な特徴を備えているということです。とくに日本人は、幼くみえるようです」(同書、
P133〜)と。

(わかりやすく言えば、欧米人は、たとえていうなら、サンショウウオ。アジア人は、幼
児成熟なままで発育が止まっている、ウーパールーパーということになる。)

 ナルホドと思ったり、そうだったのかと思ったり……。日本人は、極東の島国で生活し、
他民族のように、「血」の交流をほとんどしてこなかった。その結果、モンゴロイドとして
の特徴が、そのままより色濃く残ってしまったのかもしれない。骨相学的に見ても、日本
人の骨相(顔)が、悲しいかな、世界で一番、貧弱だと言われる理由も、そこにある。

 それはさておき、澤口氏の意見に従うなら、私たち日本人は、日本人のあり方そのもの
を、基本的な部分から、考えなおさなければならない。短い足や、貧弱な骨相はともかく
も、人格的な完成度という意味では、考えなおさなければならない。

 そしてそれが教育でカバーできるものであれば、「教育」そのものも考えなおさなければ
ならない。澤口氏の言葉を借りるなら、「状況を判断する力や、自己をコントロールする力」
を、どうやって養うかということにもなる。

 昨日、静岡市での講演に出かけるとき、駅構内で購入した本だったが、おもしろかった。
久々に、頭の中で、火花がバチバチと飛ぶのを感じた。興味のある方は、どうぞ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司は
やし浩司 幼児性 幼稚性 ネオトニー ネオトニー進化論 はやし浩司 原始反応 把
握反射 ウーパールーパー)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●あやしげなカルト教団

+++++++++++++++++

この日本にも、あやしげなカルト教団は、
いくらでもある。

信者を洗脳しながら、金品を捧げさせるというのが、
おおかたのカルト教団のやり方だが、中には、
女性の肉体を、もてあそぶのが目的というのもある。

今度、刑事告訴が検討されている、「S」という団体も、
そのひとつ。

+++++++++++++++++

 今、「S」というカルト教団が、元信者たちによって、刑事告訴が検討されているという。
その「S」という教団は、80年ごろ、韓国で設立された教団だという。毎日新聞によれ
ば、こうある。

 「この集団は、韓国で80年ごろに設立された「S」で、以前は「MS」とも称してい
た。キリスト教の聖書を独自解釈し、CM教祖(61)を崇拝の対象としている。CM教
祖は韓国で女性信者に対する性的暴行が表面化した99年に、同国を脱出。その後、強姦
容疑で同国の捜査当局に指名手配された。国際刑事警察機構(ICPO)を通じ、国際手
配されており、今春まで中国にいたとの情報もある」と。

 驚くべきことは、何とこの日本にも、2000人近い信者がいたということ。

刑事告訴を検討しているW弁護士らによると、日本では首都圏や関西の大学生を中心に、
約2000人の信者がおり、6割が女性。国立大や有名私立大でスポーツ、演劇、チア
リーダーなどのサークルと称して、学生を勧誘。「聖書の勉強をしよう」と教義を教えこ
み、「従わないと地獄に落ちる」などとマインドコントロールしたという。

 さらに毎日新聞は、こう報道している。

 「CM教祖は02年ごろまでしばしば来日。千葉県の信者宅などに滞在し、数人ずつ女
性信者を呼び出しては、(健康チェック)と称して、下半身を触るなどの行為を繰りかえし
ていたという。教義で服従させ抵抗できなかったことを理由に、準強姦容疑の適用を検討
している。W弁護士は、『強姦されたという5人前後を含め、十数人の女性から性的被害の
相談を受けている』と話している」とのこと。

 何ともポルノチックな教団ではないか。ワイドショーなどの報道によると、入信してく
る女性を、全裸にして、入信式をとりおこなったという。しかし問題は、そのことではな
い。「大学生を中心に……」という部分である。

 いまどきの大学生は、そんなにも、バカなのか? しかもこの手のインチキ教団は、ひ
とつやふたつではない。いくらでもある。社会的な問題となった教団だって、多い。にも
かかわらず、こういう教団にひかれ、そして餌食(えじき)となっていく。

 バカ!

 利益(りやく)論と、バチ論を並べて信者を洗脳する方法は、カルト教団の常套手段。「信
仰すれば、幸福になれる。金持ちになれる」、しかし「脱退すれば、地獄に落ちる。不幸に
なる。死ぬ」と。

 バカ!

 人知をはるかに超越した神や仏が、いちいち人間ごときに、バチなど、与えるものか!
 ものごとは、常識で考えろ! 人知をはるかに超越し、無量無辺に心が広いから、(それ
に甘えてもいけないが……)、神といい、仏という。

 バカ!

 それにしても、2000人! まさか韓流映画の影響ということでもないのだろうが、
それにしても、2000人! どうしてこういう怪しげな教団が、モグラ叩きのモグラの
ように、現れては消え、そのたびに、おびただしい数の若者たちが、犠牲になっていくの
か? いろいろ理由は考えられるだろうが、私はそのひとつに、低劣なテレビ文化をあげ
る。

 超能力者だの、占星術師だの、はたまた霊能者だの、そういったインチキな連中を、テ
レビに登場させて、みじんも、恥じない。こういった低劣文化が、いかに多くの子どもた
ちの心に影響を与え、ここでいう犠牲者の予備軍を作っていることか!

 これから先も、この種のカルト教団は、ふえることはあっても、消えることはない。理
由がある。

 こうした教団があるから、信者が生まれるのではない。そういう教団を求める潜在的な
信者がいるから、教団は生まれ、力をもつ。今回、問題になっている「S」というカルト
教団は、まさにその氷山の一角にすぎない。

【付記】

 改めて、人間が原罪的にもつスケベ力には、驚かされる。今、この種の事件が、ほとん
ど毎日のように報道されている。

 それにしても……? 全裸になって入信式とは……? これはもう信仰の世界の話では
ない。ポルノ映画の世界の話である。

++++++++++++++

以前書いた原稿を添付します。

++++++++++++++

●ゲームづけの子どもたち

 小学生の低学年は、「遊戯王」。高学年から中学生は、「マジック・ザ・ギャザリング(通
称、マジギャザ)」。遊戯王について言えば、小学3年生で、約25%以上の男児がハマっ
ている(2000年11月、小3児53名中13名、浜松市内)。

ある日、一人の子ども(小3男児)が、こう教えてくれた。「ブルーアイズを3枚集めて、
融合させる。融合させるためには、融合カードを使う。そうすればアルティミットドラ
ゴンをフィールドに出せる。それに巨大化をつけると、攻撃力が9000になる」と。

子どもの言ったことをそのまま書いたが、さっぱり意味がわからない。基本的にはカー
ドどうしを戦わせるゲームだと思えばよい。戦いは、勝ったほうが相手のカードを取る
「かけ勝負」と、取らない「かけなし勝負」とがある。カードは、1パック5枚入りで、
150円から330円程度で販売されている。「アルティメット入りのパックは、値段が
高い」そうだ。

 あのポケモン世代が、小学校の高学年から中学1、2年になった。そこで当時ハマった
子どもたち何人かに、「その後」を聞くと、いろいろ話してくれた。M君(中2)いわく、
「今はマジック・ザ・ギャザリングだ。少し前までは、遊戯王だったけどね」と。

カード(15枚で500円。デパートやおもちゃ屋で販売。遊戯王は、5枚で200円)
は、1000枚近く集めたそうだ。

マジギャザというのは、基本的にはポケモンカードと同じような遊びをする。内容は高
度になっている。私も一時間ほど教えてもらったが、正直言ってよくわからない。要す
るに、ポケモンカードから始まった世代は、同じように遊戯王のカードを集め、今は、
マジギャザのカードを集めている。そしてそのカードを戦わせながら、遊んでいる。

 浜松市内の中学1年生について調べたところ、男子の約半数がマジギャザと遊戯王に、
多かれ少なかれハマっているのがわかった。1人がだいたい1000枚近いカードをもっ
ている。中には1万枚ももっている子どももいるという。

マジギャザはもともとアメリカで生まれたゲームで、そのためアメリカバージョン、フ
ランスバージョン、さらに中国バージョンもあるという。カード数が多いのは、そのた
め。「フランス語版は質がよくて、プレミヤのついたカードは、4万円。印刷ミスのも、
4万円の価値がある」と。

さらにこのカードをつかって、カケをしたり、大会で賞品集めをすることもある。「大会
で勝つと、新しいカードをたくさんもらえる」とのこと。「優勝するのは、たいてい20
歳以上のおとなばかりだよ」とも。要するにポケモン世代は、大きくなるにつれて、そ
の思考回路はそのままで、より複雑な遊びに転じているということになる。

 子どもをダシにした金儲けは、この不況下でも、大盛況。年間100億円から200億
円の市場になっている。たとえば今、「融合カード」は、発売中止になっている。子どもた
ちはそのカードを手に入れるためには、交換するか、友だちから買うしかない。希少価値
がある分だけ、値段も高い。

つまり子どもたちは、商魂たくましいおとなたちによって操られている。しかしこんな
ことが許されてよいものか。


Hiroshi Hayashi++++++++++July 06+++++++++++はやし浩司

●悪化する韓国経済

+++++++++++++

ますます雲行きがあやしくなってきた、
韓国経済。

N大統領は、「一時的な停滞」と言っているが、
だれも、そんなふうには、みていない。

韓国の朝鮮N報ですら、「構造不況」と
書いている。

+++++++++++++

 韓国の経済が、ますます悪化している。(だからといって、韓国のことを心配しているの
ではない。誤解のないように!)今年(1〜6月)の半年だけで、自己破産者は、4万9
581人(約5万人)。この数は、昨年1年間の3万3931人より、はるかに多い。

 経済の3大指標である、(1)成長率、(2)物価、(3)経常収支ともに、悪化している
(朝鮮N報)。「対内的には投資・消費・雇用不振の中で物価が上昇しており、対外的には経
済の支柱となってきた、経常収支までが原油価格の高騰とウォン高の影響で、悪化し始め
た」(同)と。

 が、ひとり強気なのが、N大統領。「一時的な停滞にすぎない」と。しかし韓国経済の、
早老化現象を指摘する学者も少なくない。青年期から、一気に老年期に入ってしまったと
いうのだ。さらにN大統領はまだ気づいていないかもしれないが、アメリカが本気で韓国
から手を引いたら、韓国経済は、そのまま奈落の底へ。

 今、かろうじて韓国が韓国でいられるのは、アメリカ軍が、韓国に、まがりなりにも駐
留しているからにほかならない。もし韓国からアメリカ軍が消えたら、だれが韓国などに、
投資をするものか。残っていた外資も、いっせいに、ひきあげるだろう。

 なお、韓国に総務庁の発表によれば、「(06年)6月の産業活動動向によると、6か
月後の景気を予告する指標である景気先行指数(前年同月比)は、4.9%で、前月比0.
4%落ちた」(東亜N報)そうだ。今年の2月以後、5か月連続で、下降していることに
なる。が、ここで止まるわけではない。

LG経済研究院常務は、「単なる景気鈍化ではなく、下降局面に入ったと考えられる。建
設景気が引きつづき振わない中、成長動力だった輸出も世界景気の鈍化で、本格的な影
響を受け始めるだろう」と言っている(朝鮮N法)。

 もちろん日本側からの反撃にも、ものすごいものがある。前にも書いたが、韓国の基幹
産業をねらいうちする形で、台湾などへの投資を活発化させ、日本国内においても、各企
業へのテコ入れを本格化させている。

 朝鮮N報ですら、こう書いている。

 「松下の猛烈な低価格攻勢は、シャープ、ソニーなど液晶テレビを生産するメーカーは
もちろん、サムスンやLGなど、韓国の競争メーカーの価格引き下げ競争の引き金となり、
韓国と日本の電子メーカーの競争をあおっている。

 現在までなら、韓国の電子メーカーが克服しなければならない(第1のショック)は、
中国の低価格攻勢だった。しかし、今や日本メーカーによる、(第2の価格引き下げショッ
ク)のほうが恐ろしいということを北米市場が示している」と。

 具体的には、ソニーは、アメリカで、昨年末のブラビア40インチ発売当初から、サム
スン電子、LG電子の競争製品より、数百ドルも安い価格で発売している。今年に入って
からも3000ドル(約35万円)以下の40インチ液晶テレビを、他社メーカーに先駆
け発売している。

 負けるな、日本! がんばれ、日本! この戦いは、サッカーの試合とはわけがちがう。
日本全体の浮沈にかかわる重大問題である。

【付記】

 今こそ、みなさん、日本製を買おう。パソコンのモニターの分野などでも、韓国製が、
この日本には、多く出回っている。が、買うべきは、日本製。私も、韓国のS社製と、L
社製のモニターを使っているが、(パソコンの購入時に、同時に付属。表には日本のM社製
のロゴが入っていたが、裏面に、Made in Koreaと書いてあった)、性能は、
明らかに日本製のほうがよい。

 打倒、N政権! 負けるな、日本! 「日本人には、(先進国の仲間ということになって
いるが)、その資格はない」とまで言い切ったN大統領。ならば今こそ、日本は、その実力
を、N大統領に見せつけてやろうではいか!

(かなり過激な意見で、ごめん!)

【付記】

 韓国のおバカ大統領の論理は、一貫している。

 「K国が、ニセ札を作っているという証拠は、ない」
「証拠がないのだから、K国を、金融制裁するのはまちがっている」
「よって、アメリカのしていることは、正しくない」
「アメリカは禁輸制裁を解除すべき」
「どうして、アメリカを批判してはいけないのか」と。

 そして今度、フランスのパリで、インターポール(国際刑事警察機構)による、K国産
のスーパーノート(超精密偽造紙幣)の現況と対策について話しあうための、実務会議を
が行われた(7月26日)。

 それに世界中の加盟国が出席したが、韓国のN大統領だけは、「その必要はない」と、偽
造紙幣製造の関係者を送らなかった。

 当初、韓国の当局者は、その会議に出席するつもりでいたが、N大統領の雰囲気を感じ
て、出席をとりやめたという(朝鮮N報)。

 今、世界で一番、そのニセ札が流通しているのは、中国と韓国である。その韓国が、関
係者を送らなかったとは!

 いったい、あの大統領は、何を考えているのか。ファンタスチックな民族主義と、回顧
性の被害妄想。プラス儒教的権威主義。この3つの中で、N大統領は、現実を見失ってし
まった。私には、どうしても、そうとしか思えない。

 いいのか、韓国! このままで!


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はやし浩司(ひろし)