はやし浩司(ひろし)

2006・10
はやし浩司
 HPのトップページ   マガジン・INDEX 

 マガジン・バックナンバー 

2006年 10月号
 はやし浩司


☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 10月 30日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page028.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****
+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●荒れる子ども

++++++++++++++++++++

掲示板に、つぎのような相談が寄せられた。

友だちに乱暴する、ウソをつくなど、母親の
Nさんは、そういう子どもを、「どうしたら
いいか」と。

++++++++++++++++++++

【Nさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。小1の男の子のことですが、この4月に小学校に入学してから、問題ばか
り起こすようになりました。

4月は、授業妨害と教室から飛び出す。(言葉尻を捉えて、面白いことをいう。叱られたら、
我慢できない。)

5月は、特定の子を嫌って、言葉の暴力を浴びせかける。(その子に非はありません。)

6月は、いじめっ子に応戦する形で、暴力を振るう。(棒で応戦。)

7月は、架空の話を作り上げ、特定の子供を犯人扱いする。(そのことは何のつながりもあ
りません。)

9月は、授業妨害。また作り話をして特定の子を犯人扱いする。自分で傘を壊しておきな
がら、嘘の出来ごとをでっちあげる。

入学してから、チックを指摘されたので、余程、抑圧されているのかと思い、厳しく叱ら
ず諭す形で接してきましたが、嘘をつくようになってからは、相当厳しく叱るようになり、
それがアダになったのか、嘘の頻度が増してしまいました。

チックは軽くなっています。

対処のしようがなく、とりあえず、嘘はすぐ見ぬくようにし、なぜ嘘ついたのか聞き、そ
のあとに、オモチャの禁止など、罰をあたえるようにしています。

本には、嘘をついてはいけないと思うけど、ついてしまう、などと気になることも言いま
す。

どういう教育をしたらいいのでしょうか?

家でくだらない嘘をつく事は無視すればいいのですが、学校で人に迷惑をかけてはいけな
いと思い、悩んでおります。

よろしくお願いします。

【はやし浩司よりNさんへ】

 いろいろな症状が複合しているように思います。多動性、衝動性、虚言癖、かんしゃく
発作など。授業妨害がはげしいようであれば、ADHD児の心配もあります。

 環境的には、極端な甘やかしと、極端なきびしさ。この2つが同居していたことが疑わ
れます。一方できびしくしながら、結局は、子どもの言いなりになってしまうような環境
です。

 虚言癖については、妄想性の虚言癖(空想的虚言癖)が疑われます。これも極端にきび
しい家庭環境、親の威圧的な過干渉、息を抜けないような過関心が原因ではないかと疑わ
れます。虚言癖については、このあとに、関連の原稿を添付しておきます(注※1)。参考
にしてみてください。

 しかしそれ以上に心配されるのが、子ども自身が、心のより所を見失ってしまっている
ことです。自分でも何がなんだか、わけがわからないまま、それに振りまわされていると
いった感じです。

 Nさんのお子さんがそうだというのではありませんが、あたかも脳が乱舞しているかの
ような印象を受ける子どもが、今、ふえています。私は、映像文化の影響、脳の微細障害
説などを、疑っています。

 このタイプの子どもは、やたらと頭の回転だけは速く、言動がめまぐるしく変化してい
くという特徴があります。それについての原稿も、このあとに添付しておきます(注※2)。
(さらに詳しくお知りになりたいときは、私のHPで、お読みください。随所で、取りあ
げています。)

 で、小学1年生ということですから、まだ自己意識もじゅうぶん、育っていません。つ
まり自己管理能力も、じゅうぶんではないということです。ですから、おとなを相手にす
るようにして、あれこれ説教しても、あまり意味はありません。言うべきことは言いなが
ら、今は、時の流れを待つしかありません。

 脳が乱舞しているような部分については、小学2年生を過ぎるころには、落ち着いてき
ます。

 また仮にADHD児であっても、自己意識が育ってくると、自分で自分を管理するよう
になりますから、小学3、4年生を境に、急速に落ち着いてきます。

 妄想的虚言癖については、家庭環境を猛省します。過度な過関心、過干渉になっていな
いかを、反省してみてください。暴力、威圧などは、この際、厳禁です。へたをすれば、
子どもの中にもうひとつの心を作ってしまいます。

 子どものウソについては、そのつど、ていねいにそれをつぶしていきますが、しかし罰
(ばつ)は、好ましくありません。おそらく今の状態では、いくら叱っても、効果はない
と思ってください。叱られたとき、罰がこわいから、それらしい雰囲気を表現するだけで
す。

 で、とりあえず落ち着かせるためには、(1)白砂糖などの甘い食品を一掃する。(2)
Ca、Mg、Kの多い食生活、つまり海産物中心の献立に切りかえる。(3)ばあいによっ
ては、カルシウム剤を投与する。(4)リン酸食品を避けるという方法をとってみてくださ
い。

 食生活を変えるだけでも、このタイプの子どもは、劇的に変化するはずです。徹底すれ
ば、1週間ほどで、効果が出てきます。これについても、簡単な原稿を、このあとに添付
しておきます(注※3)。とりあえずしてみるということで、参考になると思います。

 また最後に、こうした子どもの問題では、すでにNさんは、そうなさっておられるよう
ですが、『負けるが勝ち』と考えて、いつもこちらから頭をさげるようにします。これは、
あなたの子ども自身のためです。

 繰りかえしますが、この種の問題は、どうあせったところで、今は、どうにもなりませ
ん。が、時期(小学3、4年生ごろ)がくれば、急速に症状は収まってきます。それまで
に無理をしたりして、症状をこじらせないことが大切です。こじらせればこじらせるほど、
長引くということです。

 ADHD児については、その心配があるなら、小生のHPをご覧になってください。ま
たその心配があるなら、一度、専門のドクターに相談なさるとよいかと思います。学校の
ほうでも紹介してくれるはずです。今では、副作用もほとんどない、よい薬が開発されて
います。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司 

注※1
子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ

 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのよ
うにしてつくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。

 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示
(誇示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついてい
るという自覚がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、
母「手を見せなさい」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソを
つく。「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というの
がそれ。その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態
を、空想的虚言という。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども

 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長
男児)が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられた
と言うではありませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対では
なかったのですか!」と。ものすごい剣幕だった。

が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母親は、「どう
してそういうウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言っ
てもらっては困ります!」と。

 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバ
スの中で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげ
た。が、そのあとA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らか
の理由で母親の注意をそらすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、というこ
とになった。こんなこともあった。

●「お前は自分の生徒を疑うのか!」

 ある日、一人の女の子(小4)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バス
の中で落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っ
ていたはずの明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落と
すということは、常識では考えられなかった。

そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情のまま、やはりこと
こまかに話をつなげた。「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それでそのときカバ
ンがほとんど逆さまになり、お金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚えて
いるというのもおかしい。落としたなら落としたで、そのとき拾えばよかった……?

 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小2)からこんな話を
聞いた。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、
落としたという金額とほぼ一致していた。

が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことがたびたび続いた。「宿題が
できなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、そのつど、どこかつ
じつまが合わなかった。そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親にその女
の子の問題を伝えることにした。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒して、
こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。

そのときはじめてその女の子が、奥の部屋に隠れて立っているのがわかった。「まずい」
と思ったが、目と目があったその瞬間、その女の子はニヤリと笑った。

ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩
も引きさがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王
はいないよ」といくら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。
●空中の楼閣に住まわすな

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせ
てはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空
想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。

このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想
をもちこんだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そし
て一度、虚構の世界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに
「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないの
が、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる

 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最
後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れ
ば叱るほど、子どもはますますウソがうまくなる。

 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「でき
のいい子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、
教える側から見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えて
いるかわからない子ども」といった感じになる。

 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考
える。原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反
省する。とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子ども
をやってしまうことになるから注意する。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

注※2
子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ…
…、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、
話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞
しているかのよう。

動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思う
と、突然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲ
ラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。
まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。
小1児で、10人に2人はいる。

今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、1クラスに数人もい
ると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れか
ら、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」
と回答している。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、9
0%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちを
たたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破
ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、
調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使
う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に
出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなっ
た」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観
の差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指
導が難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)
と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「か
なり感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔
のような崩壊家庭は少なくなった。

むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味
もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、
アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、
乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこ
う言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけて
も返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けに
せよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。
ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられな
くなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、
静かに聞くことができない。

浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚
が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおも
しろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。
分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。

テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことが
ない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。
その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

注※3

●砂糖は白い麻薬

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、
突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考
えるとわかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)
である(アメリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大
量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、
それが脳の抑制命令を阻害する、と。

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のな
いものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、
子どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラ
ム。この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいは
キーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カ
ルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖は白い麻薬と考え、砂糖断
ちをしてみるとよい。子どもによっては一週間程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食
品を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出
してしまう。と言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。

たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリー
ム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インス
タントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プ
リン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味
を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるように
するため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処する。

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食物
を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどということ
は、不必要なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食
品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジ
ャンク・フードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アル
コール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
荒れる子ども 荒れる子供 脳が乱舞する子供 空想的虚言 虚言癖 子供のウソ 子供
の嘘 子どもの嘘)

【Sさんより、はやし浩司へ】

私が少し神経質で威圧的な性格であり、自分もその事を自覚していますので、叱る時と褒
める時のメリハリをつけるように心がけてきました。

それが、極端な甘やかしと、極端なきびしさなのかと思いました。

子供は確かに頭の回転が速く、礼儀正しく、大人の前ではいい子ちゃんを装っている節が
あります。ですから学校で注意を受けた時は大変驚きました。

先生や周囲の人に嫌われないように、迷惑にならないようにと指示するようになり、毎日
「今日はどうだった?叱られなかった?」と聞いていました。

今日からある程度は大目に見て、少し自由にさせて、寝る前に童話や伝記を読んでやるよ
うにします。

学校の事は本人から話すまで聞かないことにします。
甘いものはあまり食べない子供ですが、砂糖をなるべく排除します。

禁止にしているゲームは30分位の時間を切って解禁してやります。

虚言以外の行動は一度やってからはやらないので、ADHDは考えていませんでした。
なるべく外に連れ出して遊んでやる。

習い事を二つ行かせていますが一つにして本人の好きな事をやらせます。

これで落ち着かなければ心療内科の受診も考えます。

有難うございました。
おかげで何とかやっていく道筋が見えたような気がします。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月29日)

++++++++++++++++

ぼんやりとした天気。
それと同じくらい、ぼんやりとした頭。

軽い頭痛。頭痛といっても、神経痛。
左の後頭部が、ときおり、かすかだが、
ピリピリと痛む。

これから朝風呂に入って、気分を
入れかえるつもり。

++++++++++++++++

●書きたいこと

 昨日、自転車に乗っていたとき、ふと、書きたいことが、頭の中を横切った。そうでな
いときなら、メモに書いてそれを残しておくのだが、自転車に乗っていたので、それがで
きなかった。

 が、そういうことというのは、すぐ忘れてしまう。そのあと、ときどき、「何だったのか」
と考えるが、どうしても、それを思い出せない。

 いつもの経験によれば、こうして文を書いていると、また同じことが頭の中を横切るは
ず。そのとき、しっかりとそれをメモに残し、それについて書こう。


●脳年齢

 あちこちのサイトで、脳年齢を測定してくれる。最近では、電子辞書にまで、その機能
がついている。

 脳年齢……つまり、いろいろなテストをして、そのときの点数が、何歳の人の平均値か
を見ながら、その人の脳の年齢を測定しようというものである。

 で、私もいくつか試してみた。

 Aサイト(どこかの病院が運営するサイト)  ……31歳
 Bサイト(どこかの研究団体が運営するサイト)……34歳
 C電子手帳(S社の電子手帳)        ……32歳

 この数字は、事実である。しかも驚いたことに、31〜34歳と、脳年齢の誤差が、ほ
とんどない。もちろん別々のテストである。

 どれも一回勝負。ぶっつけ本番でしたもので、仮に、数回もつづけて訓練をすれば、も
う少し、点数はあがるかもしれない。脳年齢はさがるかもしれない。

 が、平均して「32歳」という数字を喜んでよいものやら悪いものやら。中学生や高校
生からみれば、32歳の男というのは、オジン。使い物にならないオジンということにな
る。私はそういう子どもたちを相手に、ものを教えなければならない。せめて25歳くら
いの脳年齢でないと、……とまあ、少しぜいたくなことを考えている。


●10月30日号

 この原稿は、マガジンの10月30日号用である。つまり月末。私も、今月、つまり1
0月に、無事満59歳になった。(この原稿を書いているときは、まだ58歳だが……。)

 本当の誕生日は、10月27日だが、戸籍上は、10月28日になっている。おやじが、
市役所に届け出るとき、日にちをまちがえた。当時は、そういう時代だった。

 で、この年齢になると、誕生日がくるのが、少しもうれしくない。(かなりひねくれてい
るかな?)「あと1年で、60歳かア」「60代なんて、いやだな」と、そんなことばかり
考える。つまりこうして私は、自分で自分を、老人にしたてていく。それはものすごい力
で、いくら自分で、「私は、そうではない」と叫んでも、その力のほうが強い。その力が、
どんどんと自分を押しつぶしていく。

 「お前は、老人だあ」と。

 それは受験生をもつ親たちが、否応なしに子どもの受験戦争に巻き込まれていく様子に
似ている。いくら「うちの子は……」と思っても、まわりが騒々しくなると、自分まで、
それに染まってしまう。巻きこまれてしまう。

 これから先、私は、どうやって自分を支えていったらよいのか。年齢に関係なく、前向
きに生きていきばよいのか。この問題は、ますます大きなものになるだろう。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


●印象

+++++++++++++++++++++++

「文」で受ける印象と、「声」で受ける印象とは、
まったくちがう。

さらに実際、会ってみることで受ける印象とは、
まったくちがう。

こうした(ちがい)は、どうすればよいのか。
克服すればよいのか。

+++++++++++++++++++++++

 最近、こんなことがあった。

 ある仕事で、ある女性(30歳くらい)と、メールで連絡を取りあっていたときのこと。
私は、その女性に、悪い印象をもってしまった。

 ズケズケというか、何というか、礼儀知らずの言い方が、不愉快だった。こちらが何か
を書くと、「じゃあ、〜〜とは、どういうことですか?」と、すかさず、そんな返事が返っ
てきた。

 で、何度かメールでやりとりしたあと、今度は電話で私のほうから連絡をした。が、で
ある。驚いた!

 美しく、やさしい声だった。私は、それに驚いた! ラジオの道路交通情報か何かでし
ゃべる女性のような声だった。メールのやり取りで受けた印象とは、大ちがい。メールの
ほうでは、オバタリアンのような女性を想像していた。

 で、しばらくしてから、その女性と会うことになった。が、これまた、驚いた! 髪の
毛はボサボサ。化粧らしい化粧はしていなかった。まるで「女」を感じさせない女性だっ
た。30歳前後ということだが、どう見ても、40歳以上に見えた。

 ……という話は、フィクションである。ここに書いた女性は、架空の女性である。しか
しこれに似た経験は、よくする。つまりメールのやり取りで受ける、その人の印象ほど、
あてにならないものはない。つまりこのあたりに、(文)というか、(インターネット)の
限界がある。

 電話なら、表情まではわからないが、声の調子から、その人の心をつかむことができる。
しかしメールという(文)では、それすらもできない。そればかりではない。その人のメ
ールを、そのときのこちらの気分で読んでしまう。

 たとえば私の気分が、落ちこんでいたとする。そういうとき、ぶっきらぼうなメールを
受け取ったとする。とたん、不愉快になってしまう。相手に対して、悪い印象をもってし
まう。だれかが「お前、バカだなあ」と書いてきたとする。とたん、「バカとは何だ!」と
なってしまう。

 相手は、軽い冗談のつもりでそう書いてきただけなのかもしれないのだが……。

 だからメールのやりとりだけで、人間関係をつくるのは、たいへん危険なことと考えて
よい。ときには電話をして、直接その人の声を聞く。あるいは会う。これは何も、相手だ
けの問題ではない。こちら側の問題でもある。

 私も、知らず知らずのうちに、相手に悪い印象を与えてしまっているかもしれない。

 そこでこのところ、私は、それを避けるため、できるだけ電話を使うようにしている。
仮にメールで仕事の依頼を受けたとしても、返事は、電話でするようにしている。そうす
ることによって、相手に悪い印象を与えないようにしている。(電話のほうで、かえって印
象を悪くしてしまうということも、あるかもしれないが……。)

 ……ここまで書いて、ピカッとひらめいた!

 今度の新しい携帯電話は、動画まで送れることになっている。今は、もっぱらメールの
交換用に使っているが、動画のサイズを最小限にしたうえで、声でメールを送ればよい。
文で、ではなく、声で、メールを送る。さっそくあとで、何人かの人に、実験してみよう。

 携帯電話という(電話)を使って、(声)を送るというのもおかしなことだが、やってみ
るだけの価値はある。私の携帯電話では、メールは使い放題、無料ということになってい
る。

 話が脱線したが、仮にメールで相手に連絡するとしても、自分が書く文には、慎重であ
ったほうがよい。とくにはじめて連絡を取りあう人ほど、そうではないか。

(追記)今、私の携帯電話を調べてみたら、ちゃんと、そういう機能がついていた。(ボイ
スメモ)という機能である。つまりあらかじめ自分の声(ボイス)をメモしておき、それ
を添付ファイルとして、相手に送るという機能である。

 知らなかった!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●恐怖症

 自転車に乗っていたとき、頭の中を、こんなことが横切った。子どもの不登校について
で、ある。

 自分の子どもが、「学校へ行きたくない」などと言おうものなら、ほとんどの親は、その
瞬間に、パニック状態になる。冷静に子どもの心を知ることさえできなくなる。

 そして親は、子どもに向かっては、「学校へ行きなさい」と叱りつつ、そのまま自分が感
ずる不安や心配を、子どもにぶつけてしまう。が、子どもは、「行きたくない」のではなく、
「行けない」のだ。

 そういう子どもの心理を、どう親に説明したらよいのか。私は、自転車に乗りながら、
それを考えていた。

 で、こういう話し方をすれば、多分、親に理解してもらえるだろうということを思いつ
いた。この原稿の冒頭で書いた、「ふと、書きたいことが、頭の中を横切った」というのは、
そのことをいう。

 たとえばこんなことがある。

 私は、高所恐怖症で、大屋根にのぼっただけで、足の裏がスカスカとして、おりられな
くなってしまう。29歳のときのこと。テレビのアンテナをつけるために大屋根にのぼっ
たところまではよかったが、そのまま足がすくんでしまって、おりられなくなってしまっ
たことがある。

 平気な人にすれば、「どうして?」と思うかもしれないが、ともかくも、そのときは、そ
うなった。

 で、さらに最近も、(……といっても、もう3年になるが)、同じような経験をしている。

 裏庭に、家を増築した。そのときのこと。何かのことで大屋根にのぼろうとしたのだが、
その前に足がすくんでしまって、のぼることができなかった。言いようのない恐怖心が、
全身を包んだ。

 いくら自分に、「何でもない」「傾斜は、それほどない」「遊園地のすべり台より楽なはず」
「仮に足をすべらせたとしても、足場がしっかりと作ってあるから、だいじょうぶ」と自
分に言い聞かせても、だめだった。

 こうした恐怖症は、理性や知性で、コントロールできるようなものではない。脳みその
別の部分が、勝手に別の指令を出してしまう。そしてその指令というのは、理性や知性で
考える部分よりも、何千倍も、何万倍も強い。(こういうとき、「千」とか「万」とかいう
数字を出すのは、正しくないが……。)

 「心」というのは、そういうものである。

 多くの親は、子どもに向かって、「気のもちよう」とか、「気のせい」とか、言う。しか
しそんな簡単なことではない。簡単なことでないことは、この一例をもってもわかるはず。
子どもは、本当に学校へ行けないのだ! 「行きたくない」のではなく、「行けない」のだ。

 そういう子どもの心を無視して、無理をすればどうなるか。たとえば私を、無理に大屋
根の上に乗せたら、どうなるか。私はそのまま、屋根の上で、小さく体を丸めてしまうか
もしれない。

 実際、あのときもそうだった。あのときも当初は、アンテナの工事費を浮かすためにそ
うしたが、結局は、近くの電気屋さんに来てもらった。2人がかりで、大屋根からおろし
てもらった。時間的には、それまで1時間ほどあったが、その間中、私は、大屋根の真ん
中で、体を丸めて座っていた。

 ……ということを、書きたかった。で、今、それを書いたので、頭の中がすっきりした。

 みなさん、おはようございます。まだときおり、頭痛がしますが、そのうち、収まるで
しょう。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●公式レートというインチキ

++++++++++++++++++++

K国内での、韓国企業は、K国の労働者に、
毎月、1人当たり、63ドルものお金を
渡しているという。

日本円になおせば、約7300円という
ことになるが、このお金には、ウラがある。

+++++++++++++++++++++

 現在、K国にある開城工業団地では、韓国側は、そこで働くK国労働者に対して、1人
当たり、平均、月63ドル(日本円で、約7300円)の給料を渡している。しかしK国
側は、自国の労働者に、ドルで渡しているのではない。そのドルを、一度、自国の通貨(ウ
ォン)に換えて、渡している。

 話をわかりやすくするために、一度、その流れを、チャート化してみる。

(韓国側、一人あたりアメリカドルで、63ドルの賃金を払う)→(K国の指導者がそ
れをドルで受け取る)→(そのドルを、公式レートにしたがって、ドルをウォンに換算
する)→(K国の労働者に、ウォンで、支払う。その額、1人当たり約5000ウォン)
と。

 日本の基準からすれば、少額だが、しかしこの金額には、ウラがある。

 まずその給料は、アメリカドルで、韓国側が、K国側の指導者(高官)に、まとめて渡
される。K国の公式レートでは、63ドルは、約5000ウォンということになる。K国
の労働者の平均賃金は、2000〜3000ウォンと言われているから、それよりは、2
倍程度、高い給料ということになる。

 が、ここで待った! ここから先は、算数の問題である。

 K国には、(1)K国が勝手に定めた、公式レートと、(2)実際の取り引きで使われて
いる闇レートの、2つがある。公式レートでは、1ドル=約143ウォン。しかし闇レー
トでは、1ドル=約2000〜3000ウォン。あるいは最近はもっとさがって、それ以
下。1ドル=約4000ウォンという人もいる。

 そこで63ドルを、闇レートで換算すると、15万7500ウォンということになる(6
3x2500=15万7500)。これで計算すると、15万7500ウォンというのは、
平均的労働者の給料を2500ウォンとして計算すると、約63人分の給料ということに
なる。

 わかるかな?

 つまりK国は、自国の労働者に対して、韓国から受け取る給料の、約31分の1程度し
か払っていないことになる(15万7500ウォン÷5000=31・5)。残りのドルは、
ゼ〜ンブ、K国の指導者(高官)のふところに入ることになる。しかもアメリカドルとい
う、現金で!

 言いかえると、韓国側は、そういう形で、K国に、現金を渡していることになる。

 もしK国の労働者に、K国の通貨で、5000ウォン支払うということなら、何も公式
レートによらなくても、中朝国境あたりでK国ウォンをかき集めてきて、支払えばよい。
そうすれば、2ドル程度ですむはず。

 2ドルですむところを、わざわざ63ドルも支払っている。ということは、残りの61
ドルは、そのまま、K国の指導者(高官)のふところに入ることになる。そしてそのお金
は、まわり回って、核開発や生物化学兵器、さらにはミサイル開発費として使われている。

韓国のN大統領は、「(使われているという)その証拠はない」とがんばっているが、も
ともとお金に名前など、つけられない。「その証拠はない」と言うくらいなら、「使われ
ていない」という証拠を出すべきではないのか。

それを日本やアメリカの政府は、問題にしている!

 さて今月だけも、韓国側は、開城工業団地だけでも、約50万ドルもの現金を、K国側
に渡している。日本円になおすと、約5800万円。年間になおすと、600万ドル。7
億円。開城工団地の韓国企業15社で働く、K国の労働者約8000人に渡す給料(1人
当たり最低63ドル=約7300円)だ、そうだ。
(06年9月29日記)

 
Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●安倍内閣、誕生!

+++++++++++++++++++

安倍総理大臣を中心とする安倍内閣が、誕生した。

戦後の日本において、国際社会で通用する、
はじめての総理大臣といってもよい。

おそらく世界の人たちも、そういう目で、
安倍総理大臣を見ているにちがいない。

この先のことはわからないが、安倍総理大臣が
誕生したと知ったとき、私は、さわやかな清風が
日本中をかけ抜けたように感じた。

+++++++++++++++++++

 JNNの調査で、安倍内閣の支持率は、73%。同じく共同通信社の調査で、65%。
平均して約70%という高い支持率を得て、安倍内閣は、誕生した。タカ派だとか、右派
だとか言われているが、「そうメチャなことはしないだろう」という安心感というか、安定
感がある。が、何よりも、すばらしいのは、あくまでも現時点での話だが、外国人の目か
ら見て、はじめて日本は、総理大臣らしい総理大臣を、トップにかかげたということ。

 安倍総理大臣は、従来型の、どこか胡散(うさん)臭い政治家たちとは、一線を画して
いる。若いということもあるが、その分だけ、知的である。頭もキレそう。演説などを聞
いていると、どこかまだたどたどしい感じがしないわけではないが、そのたどたどしさの
中に、かえって私は、安倍総理大臣の誠実な人柄を感ずる。

 私の予想では、あくまでも、現時点での予想ということになるが、安倍政権は、かなり
の長期政権になるだろうと思う。「現時点」にこだわるのは、政治の世界は、いつも、一寸
先は闇。この先、何があるかわからない。わからないが、何もなければ、ここに書いたよ
うに、かなりの長期政権になるだろうと思う。

 また、総理在任中のY神社参拝については、JNNの調査で、参拝すべきが、33%で、
やめるべきが、53%。同じく共同通信社の調査では、参拝すべきが、33%で、すべき
でないが、51・3%であった。

 つまり日本の過半数の人たちが、総理大臣のY神社参拝に反対していることになる。私
自身は、なぜ、こうまで歴代の総理大臣たちが、Y神社参拝にこだわるのか、その理由が
よくわからない。背景に何かの哲学のようなものがあるならまだしも、それもない。前総
理大臣のY首相は、「反戦の誓い」という言葉をよく使ったが、「反戦の誓い」とは何か。
その根拠は何か。また反戦の誓いと、Y神社はどう結びつくのか。その前に、「反戦」とは、
何か。どのひとつをとっても、私には、いまだに、よくわからない。

 その点、安倍総理大臣は、どうなのだろうか。安倍総理大臣も、やはり「反戦の誓い」
とやらをするために、Y神社を参拝するつもりなのだろうか。

 私の印象では、安倍総理大臣は、Y神社参拝を強行するようなことはしないと思う。戦
後生まれの総理大臣であるだけに、国民の世論に対しては、よりフレキシブルに対処する
のではないか。

 ……ということで、今は、静観中。今、安倍内閣の中身というか、方向性が、私には、
まだよく見えてこない。安倍総理大臣自身も、手の内をそうは簡単には、見せないだろう。
安倍総理大臣は、今回は、あたりさわりのない内閣を組みながら、次の政権、さらには、
次々政権をにらみながら、いまごろは、長期的な戦略を立てているにちがいない。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【1945】

++++++++++++++++++

昨日、Eマガの読者が、1945人に
なった。1人、ふえた。

そこで、1945年!

++++++++++++++++++

 1945年といえば、広島、長崎に原爆が落とされた年である。

 記録によれば、広島では、半径500メートル以内の人たちは95%以上が、即死。死
者、行方不明者は、25万人。原爆投下後、キノコ雲は、1万7000メートルもの高さ
にまで届いたという。

 8月6日、この日、広島は、雲ひとつない天気。どういうわけか、午前8時すぎ、一度
出されていた空襲警報が、解除されている。それを聞いて、人々が、いつもの朝の仕事に
もどった、ちょうどそのとき、市内の細江町(現在の大手町)上空570メートルで、原
爆が炸裂(さくれつ)した。

 爆撃を指揮したのは、陸軍大佐のティベッツ。B29、「エノラゲイ」に搭載したのは、
ウラニウム爆弾。TNT火薬2万トンに相当する爆弾である。

 が、軍、つまり大本営は、この事実を、国民には知らせなかった。が、日本人にとって、
これ以上の悲劇はない。つづく翌9日には、今度は長崎に、原爆が投下される。

 なぜ、広島、長崎に原爆が投下されたのか。投下されなければならなかったのか。もし
威力の誇示ということだけなら、何も、広島や長崎に投下しなくても、たとえば日本に近
い太平洋上で爆発させるという方法もあったはず。東京湾の中心でもよかった。そうでな
くても、そのときすでに、日本中は、アメリカ軍によるジュータン爆撃で、ほとんどが焼
け野原になっていた。

 が、アメリカにしても、そうせざるをえない理由があった(?)。

 広島の原爆投下をさかのぼること、約20日前の7月17日。トルーマン、チャーチル、
トルーマンの3人が、ポツダムで戦後処理を話しあっている。そのあと、ポツダム会談の
内容をふまえ、いわゆる「ポツダム宣言」がなされている(7月26日)。

 内容は、日本に無条件降伏を迫るというものであった。が、日本政府は、これを「黙殺
する」と発表(7月28日)。

 ここでつぎの悲劇が起きる。

 日本政府は、「YESでも、NOでもない」という意味で、「黙殺」という言葉を使った
のだが、これが英語で、「IGNORE(無視)」と翻訳された。そしてその言葉だけが、
世界中を、かけめぐった。

 「IGNORE」という単語が、いかに、辛らつなものであるかは、英語を少し勉強し
たことがある人なら、わかるはず。日常の会話でも、「IGNORE」という単語が出てく
れば、ピンとした緊張感が走る。ただ単に、「NO」というよりも、相手に与える衝撃は強
い。「IGNORE」という単語は、そういう単語である。

 そこでアメリカは、ポツダム宣言、第13項に従い、広島、長崎に原爆を投下した。そ
の13項には、こうある。

 「日本国が無条件降伏しないかぎり、迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」と。

 もっともそれ以前から、原爆の投下は、用意周到に準備されていたわけだから、ポツダ
ム宣言は、原爆投下の口実をつくっただけとも考えられる。しかし流れとしては、(ポツダ
ム宣言)→(日本が無視)→(原爆投下)へと、つながった。

 そして日本は、原爆投下を見て、連合国に対して、無条件降伏を受諾する。8月15日
のことである。私が生まれる2年と2か月前のことである。

 で、そのあと、「耐え難きを耐え……」でよく知られている天皇による玉音放送(8月1
5日正午)、マッカーサーが厚木基地に到着(8月30日)、アメリカ軍艦ミズーリ上で、
日本側が降伏文書にサイン(9月2日)とつづく。

 こうした中、日本ではほとんど知られていないが、広島の惨状を見たオーストラリア人
の記者が、こんな記事を、イギリスのデーリー・エキスプレス社に書いている(「20世紀・
前記録」より)。

 「30日後の広島では、人がなおも死んでゆく。あのとき無傷であったというのに、原
爆の疫病としか描写するほかない何ものかによって死んでいく。

 (広島の様相は)、怪物大の蒸気ローラーが通り過ぎ、木っ端微塵に抹殺、壊滅したよう
だ。……この原爆の最初の実験場で、私は4年の戦争期間中、もっとも恐ろしい、戦慄す
べき荒廃をこの目で見た。

 (これにくらべると)、太平洋諸島の戦場は、エデンの園みたいなものである。

 この荒廃がもたらされた瞬間から、生き残った人たちは、白人を憎んだ。その憎悪のは
げしさは、原爆そのもにに劣らない」(バーチェット記者)と。

 「ノー・モア・ヒロシマ」という言葉は、彼の口から生まれた。

 歴史はこうして刻々と動いていく。しかしそれは同時に、私に、不思議な感覚をもたら
す。過去が自分に近づいてくるような感覚である。

 あと2年と2か月で、私は生まれる。あと2年と1か月で、私は生まれる……と。しか
し私は、そういう事実を、まったく知らなかった。感ずることもなかった。母の胎内にも
いなかったわけだから、その時点では、私は「無」だったということになる。

 仮に、もし「私」をつくった精子が、「私」の精子でなかったとしたら、今の私は、私で
はない。もし「私」をつくった卵子が、「私」の卵子でなかったとしたら、今の私は、私で
はない。今の「私」が私であるのは、数億分の1の、そのまた数億分の1の確率で、そう
なっただけということになる。

 サマージャンボの宝くじで、1等を、つづけて何本も当てるよりも、むずかしい。

 その精子と卵子との結合すら、そのとき、まだなかった。私はどこにいたのか? 今こ
うして、1945年の記録を読んでいると、それが不思議な感覚となって、私の心に充満
してくる。

 そうそうこの年、1945年の12月、抗生物質を発見したフレミングに、ノーベル賞
が与えられている。あの「奇跡の薬」ともてはやされたペニシリンを発見した、アレクザ
ンダー・フレミングである。
 
 実は私は、小学、3年生のとき、小児結核をわずらっている。が、そのペニシリンで命
が救われた。もしあのときペニシリンがなければ、私は、そのまま死んでいただろう。そ
れまでは結核という病気は、不治の病として、世界中で恐れられ、多くの人たちの命を奪
っていた。

 ……こう考えていくと、では、今ここにいる「私」は何かということが、さらにわから
なくなっていく。

 私が生まれるまで、あと1年と11か月。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================









☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 27日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page027.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室より】

++++++++++++++++

「ゲームをしよう」と、子どもたちは言う。
「ダメだよ」と私は、答える。

あとは、押し問答。

「どうしてダメ?」
「お父さんに叱られるよ」
「どうして?」「どうして?」と。

++++++++++++++++

 現在の教育内容は、子どもたちの知的好奇心を満足させるようには、できていない。ま
たそういう方向性を、もっていない。

 教科書にしても、「ここまで勉強しなさい」「しかしここまでやればじゅうぶん」という
内容になっている。だれが決めたのかはしらないが、そうなっている。

 50〜60%の子どもには、それでもよいのかもしれないが、しかし知的な意味で、好
奇心がおう盛な子どもには、不十分である。昨日も、小5クラスの子どもたちと、こんな
会話をした。

A子「こんど、囲碁をもってきてもいい?」「先生と、勝負する!」
私 「ダメだよ。ぜったいにダメ」
A子「どうしてエ〜?」
私 「あのね、そんなことをしていたら、お父さんに叱られるよ」
A子「だってエ〜、お母さんが、一度、林先生と勝負したらって、言っているよ」

B子「だったら、私も、将棋をもってくる」
私 「ぜったいに、ダメ!」
B子「いいじゃん。私、強いわよ」
私 「あのなア、そんなことをしていたら、先生は、クビになってしまうよ」
B子「ううん、そんなこと、ぜったいに、ない。だってエ、この前、パズルを解いて、先
生と遊んだとママに言ったら、よかったねと言ってたヨ」

 そう、あなたは、子どもたちがもつ、あの燃えさかるような好奇心に触れたことがある
だろうか。それは、まさに火傷(やけど)をするほど、熱い。そんな子どもたちが、つま
らない(失礼!)教科書を前に置いて勉強(?)をしている。

 それはたとえて言うなら、自由に飛び回っている小鳥を、小さなカゴの中に閉じこめる
ようなもの。だからときおり、子どもたちは、悶々とした欲求不満を、私にぶつけてくる。

私 「静かに、勉強しろ」
C君「もう、じゅうぶん、している」
私 「クラスで1番になれ」
C君「とっくの昔に、1番だよ。でも、1番なんて、つまらない。先生に当ててもらえな
い」
私 「どうして?」
C君「どうせ、できるからって、先生に、無視される」

A子、B子、「私も、そう。うちの先生も、私には、当ててくれない」「本当にそう。いや
になっちゃう」と。

 幸せな子どもたちである。英語でいう、「Gifted Children」と呼ばれる
子どもたちである。9人のクラスだが、ほぼ全員が、現在、中学校で使う教科書を使って、
勉強をしている。

 が、こう書くと信じてもらえないかもしれないが、私は、ほとんど何も教えていない。「わ
からないところがあったら、もってきな」とだけは言うようにしている。が、それについ
ても、「パパに教えてもらったからいい」とか、「ママに聞くからいい」とか言う。さらに
は、「先生だけには、教えてもらいたくない」とか、とんでもないことも言う。

 へたに私が何かを教えようとすると、怒りだしてしまう。泣き出してしまう子どももい
る。私に教えられるのが、よほど、くやしいらしい。「林を、やっつけろ」というのが、彼
らの合言葉になっている。

 私が教えなくても、子どもたちは子どもたちどうしで、刺激しあいながら、勝手に伸び
ていく。そういう意味では不思議なクラスだ。ワイワイと騒いでいるから、何もしないか
というと、そういうことはない。ちゃんと、やるべきことはしっかりとやって帰る。

 で、そういう子どもを伸ばすには、どうしたらよいのか。私は、好き勝手なことを言い
あっている子どもたちの姿を、横目で見ながら、それを考える。

 ひとつの方法としては、この10月だけでも、教科書を離れて、「数学」を教えるという
のがある。大きな書店へ行くと、数学の専門書がたくさん並んでいる。それを使って教え
る。

 さっそくだが、今日の午後は、その本を仕入れるために、街中にある書店へ足を運んで
みるつもり。私ができることは、せいぜい、その程度のことでしかない。

来週、子どもたちが喜ぶ顔が、楽しみだ。

 待っていろよ、子どもたち。君たちの脳みそを、グチャグチャに、引っかきまわしてや
るからな!


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●子どもの世界

++++++++++++++++

子どもの世界には、ウソがない。
自分を隠さないから、それがそのまま、
人間の本性ということになる。

その本性に触れるたびに、
「ああ、これが人間だ」と思う。

++++++++++++++++

 昨日も幼児たちと、こんな会話をした。おじいちゃん、おばあちゃんについてだ。ある
子ども(年長児)が、こう言った。「ぼくには、おじいちゃんとおばあちゃんが、3人、い
る」と。

 すると別の子が、「私は、4人」「ぼくは、2人」と言い出した。が、A君は、「ぼくには、
いない」と。

私「いないの?」
A「みんな、死んじゃった」
私「みんな?」
A「うん、死んじゃった」
私「それは、さみしいね」
A「ううん、ゼンゼン」

私「おじいちゃんが死んだとき、泣かなかったのか?」
A「泣かないよオ〜」
私「おばちゃんが死んだときは、どうだった?」
A「泣かないよオ〜」と。

 この時期の子どもは、「老人は死ぬもの」と考えている。「死んで、当たり前」という考
え方をする。「死」が「喪失感」につながるのは、子どもが、小学3、4年生以上になって
からと考えてよい。幼児教育をして、37年目になるが、いまだかって、幼児が、おじい
ちゃんやおばあちゃんが死んで、泣いたという話は、聞いたことがない。

 A君の話を聞きながら、「そういうものだろうな」と、自分を納得させる。つまりそれを
基盤に、子どもの心を考える。ついで、そこからはじまる、人間の心を考える。 

 つまりここにも書いたように、死について、喪失感がともなうようになるのは、子ども
が、小学3、4年生以上になってからである。そのころを過ぎると、「失う」ことへの恐怖
感が、悲しみに転化するようになる。

 しかしこれにも個人差がある。それまでの人間関係の濃密さの問題もある。私のばあい
は、20歳前後で祖母を、25歳前後で祖父をなくしている。生まれたときから同居して
きた祖父母である。

 その祖父のときは、涙をこぼしたような記憶はあるが、祖母については、ない。それま
で10年近くも寝たきりだったから、「ああ、死んだか」というような感じだった。

 母方の祖父は、私が3、4歳のときになくなっている。祖母は、高校生くらいのときに
なくなっている。祖母がなくなったとき、私は泣いたが、その祖母がなくなったというこ
とで泣いたのではない。

 伯父が、葬儀の席で、「おふくろ、ごくろうさんだった」「ごくろうさんだった」と泣い
ているのを見て、泣いた。

 話をもどすが、人間の心に宗教性が芽生えるのも、やはりそのころと考えてよい。つま
り小学3、4年生のころである。そのころ、不可思議なものへの関心が、「霊」という存在
につながっていく。うらないや、まじないに興味をもち出すのも、やはりこのころである。

 ところで話は大きく飛躍するが、その子どもが現実的であるか、現実的でないかは、そ
の子どものもつ合理性によるものと考えてよい。さらに合理性は何によって決まるかとい
えば、思考力による。思考するという習慣によって決まる。

 わかりやすい例では、たとえば夢うつつの状態がある。あなたがぼんやりと、半眠の状
態で、うとうととしているときを、頭の中で思い浮かべてみればよい。その夢うつつとい
う状態になると、思考力が低下する。そしてそういうときというのは、非現実的なものを、
現実的なものとして、受けいれてしまう。よい例が、『不思議の国のアリス』である。夢の
中の世界を、アリスという少女が冒険するという、あの話である。

 言いかえると、この時期までの思考力というか、思考する習慣が、子どもの合理性に大
きく作用するということ。知識や経験ではない。「思考するという習慣」である。それが子
どもをして、合理的に考える子どもにする。

 そんなわけで、この時期、子どもが、神や仏を否定しても、驚かない。またそれを悪い
ことと決めてかかってはいけない。むしろ、まだ判断力もない子どもに、神の存在や、仏
の心を押しつけるほうこそ、問題である。できれば少なくともこの時期までは、そういう
押しつけはしないほうがよい。

 「この時期」というのは、小学3、4年生ごろをいう。この時期というのは、ちょうど
自己意識が完成し始める時期と重なる。人間の記憶も、この時期を境に、急に鮮明になっ
てくる。子どもが自分で自分をコントロールすることができるようになるのも、やはりこ
の時期である。

 まあ、私も、その祖父になった。別に悲しんでほしいとは思わないが、私が死んだとこ
ろで、孫たちには、何ともないだろう。息子たちにしても、何ともないだろう。ひょっと
したらワイフにしても、私が死んだら、その解放感に酔いしれるかもしれない。

 考えてみればさみしいことだが、死ねばそのときは、そのとき。あとは何もわからない。
わからないまま、チリとなり、灰となる。

「ううん、ゼンゼン」と言った子どもの言葉を思い出しながら、改めて、「そういうもの
だろうな」と、自分を納得させる。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●教師の淫行

++++++++++++++++

またまた1人の教師が、淫行何とかで、
逮捕された(浜松市)。

朝食のとき、ワイフと、
それが話題になった。

++++++++++++++++

 朝食のとき、ワイフがこう言った。「今度は小学校の先生が、女子中学生とホテルへ行っ
ていたんだってエ」と。

 見ると、その記事が、デカデカと新聞に載っていた。

私「これだけつづくと、もう、うんざりだね」
ワ「ホント。どうして、そんなことするのかしら?」
私「はあ、ぼくにもよくわからない」と。

 2年ほど前だが、こんなことがあった。女子中学生、4、5人を連れて映画を見にいっ
たときのこと。帰りに、記念にと、みんなでプリクラ写真を撮った。

 もちろん親たちの承諾を得てから、そうした。で、その写真を、Rさんという女の子(中
2)が、学校で自分の友だちに見せたらしい。そしたら、その友だちが、私の顔を見て、
こう言ったという。

 「結構、かわいいじゃん」と。

 で、私が、「それ、どういう意味だ?」と聞くと、「つきあってもいいという意味だよ」
と教えてくれた。

 この話はここで終わったというか、つづいてRさんが、こんな話もしてくれた。何でも、
廊下に、ウンチがポタリと落ちていたというのだ。Rさんは、「男子のウンチだ」と言い張
ったが、私は、「女子のウンチだ」と言った。

 「どうして?」と聞いたので、「だって、男は廊下では、ウンチはできない。ズボンをは
いているから」と話してやった。

 女子中学生という年齢は、そういう年齢である。50歳をすぎた男を、「かわいい」と言
ってみる半面、廊下で、ウンチを落とす。今度の教師も、その女子中学生とつきあってい
たという。

私「先生なら、子どもというものがどういうものか、よくわかっているはずなのにね」
ワ「そうよねエ〜」と。

 私の印象では、こうした事件は、まさに氷山の一角。今の今も、学校の先生も含めて、
無数の男たちが、女子中学生や女子高校生と、ベッドの上や暗い部屋の一室で抱きあって
いるはず。それを止めるのは、もう、この日本では、不可能と言ってもよい。

 車もある。携帯電話もある。それにホテルもある。ないのは、倫理観、道徳観、宗教観、
それに思考力。

 夕方の街を歩いていると、そうした光景をあちこちで見かける。あやしげな雰囲気の男
と女。コンビニが、待ちあい場所になることが多い。そういう光景に、割って入ることが
できるというのか。

 私も、そういう光景を見ることは多い。しかしいつも、見て見ぬフリ。どうしようもな
い。

 だから私がいつも言っているように、こうした売春を止めるには、厳罰主義しかない、
ということになる。アメリカではもちろん、オーストラリアでも、そうしている。

さらにオーストラリアでは、そういう行為を見聞きしたものは、警察への通報義務まで
ある(南オーストラリア州)。それを怠ると、その見聞きした人まで、逮捕される。

 若い女性が近づいてきただけで、真っ青になる。そういう雰囲気さえできれば、この種
の事件は、少しは減る。

 人間にかぎらず、おしなべて動物がもつ性欲の力には、ものすごいものがある。ふつう
の理性や知性で、コントロールできるようなものではない。こうした事件を引き起こす学
校の先生たちは、はからずも、その「力」を、身をもって証明していることになる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●打倒、韓国!

++++++++++++++++++

サッカーだけが、国際試合ではない。

現在、経済の世界では、日本と韓国は、
まさに熾烈(しれつ)な戦いを繰り
ひろげている。

勝つか、負けるか。

しかしこの試合は、サッカーとは、
わけがちがう。日本の浮沈のみならず、
日本の将来がかかっている。

負けるな、日本!
打倒、韓国!

++++++++++++++++++

 ここにきて、日本側の猛烈な反撃が始まった。それはまさに、「猛烈な反撃」。サッカー
にたとえるなら、11人対11人の試合の中に、日本側が、20人以上もの選手を投入し
たような反撃である。

 反則? とんでもない。この世界には、反則というルールなど、ない。

 敵は、韓国のサムソン社(IT関連企業)、それに現代社(自動車製造会社)。ほかにも、
造船、鉄鋼など、いくつかの国策会社があるが、それは中国に任せればよい。

 まずアメリカ市場における、いくつかの事実を、並べてみよう。

 日本製のプラズマテレビ(42インチ、パナソニック製)……1999ドル
 韓国製のプラズマテレビ(42インチ、サムソン製)  ……2199ドル

 さらにこの値段から、パナソニックは、その場で200ドルの値引きをしている。だか
ら実勢価格は、何と、1799ドル! さらに日本のシャープは、同型で、韓国の液晶テ
レビより、約40%も安い値段で、販売している。40%だぞ!

 ハハハ。

 どうだ、韓国! 思い知ったか、日本の実力!

 自動車産業の世界でも、同じようなことが起きている。

 日本製の小型車(トヨタ、ビッツ)は、同型の韓国製の自動車の小型車(現代、ベルナ)
よりも、875ドル(約10万円)も、安く販売されている。10万円だぞ!

 その結果、トヨタのカローラは、昨年同期にくらべて、14%増。ホンダのシビックは、
11%も、今年に入ってから、売り上げを伸ばしている。トヨタのイストは、20%も、
伸ばしている。

 半面、韓国の自動車は、小型車のベルナなどは、13%減。準中型車のアバンテ(輸出
名エラントラ)とプライド(輸出名リオ)は、販売量も10%以上も低下している。

 わかるか? 10〜20%も売り上げを伸ばしている日本。その一方で、韓国は、10
〜13%も、売り上げを減らしている。

 ハハハ。

 が、ここにきて、さらに打倒、韓国の動きが加速してきた。台湾、インドへの肩入れで
ある。つまり韓国から日本外資を引きあげる一方で、その額を、台湾やインドに投資し始
めている。あの小泉首相は、つい先日、こう言い切った。「(反日も結構だが)、後悔するの
は、韓国のほうだ」と。

 で、なぜ、今、打倒、韓国なのかは、今さら言うまでもない。少し経済力をもったこと
をいいことに、そして、日本がおとなしくしていることをいいことに、韓国は、まさにし
たい放題。言いたい放題。

 今日(9月26日)も、こんなニュースが伝わってきている。

 何でも、K国の再建計画を韓国政府が立てたというのだ。それによれば、K国の核開発
問題にからんで、韓国は、3段階に分けて、K国の再建を支援するという(注※)。

現段階につづいて、6か国協議に応じた段階、さらに核開発を放棄した段階、と。電気、
道路、鉄道の整備など、まさにいたれりつくせりの援助だが、そのつど莫大な再建費用が
かかる。が、その費用については、「日本から出させる」と。

 バカめ!

 どうして韓国の考える再建計画に応じて、日本が、お金を出さねばならないのか。自分
を何様だと思っているのか。日本とK国の問題は、あくまでも日本とK国の間の問題。日
本は韓国の指導に従う必要はまったくないし、その前に、どうして韓国の指導に従わねば
ならないのか。

 とにかく、私には、韓国政府、とくにN大統領の考えていることが、まったく理解でき
ない。

 忘れてならないのは、日本は韓国なしでも生きていかれるが、韓国は、日本なしでは生
きてはいかれないということ。が、その韓国のN大統領は、こう言っている。「日韓首脳会
談の開催については、日本側がどのように出るかにかかっている」(同26日)と。

 さらに韓国外交通商省の次官でさえ、27日の定例会見で、日韓首脳会談の展望につい
て、「日本が日韓関係の諸般の葛藤解消に向け、真摯な姿勢を見せれば、いつでも可能だ」
と述べている。

 つまり「日韓会談をしたかったら、してやる」「それには、日本の態度次第」と。まだ安
倍総理大臣のほうからは、一言も、日韓首脳会談をしたいとは言っていない。にもかかわ
らず、そういうことを口にする。

 現状を見るかぎり、立場は逆ではないのか。

注※……権議員によると、統一部は今年3月に青瓦台(大統領府)に対し、この計画案を
提出したという。北朝鮮の6カ国協議復帰とその後の核廃棄を想定した経済協力ロードマ
ップの形で、現行の経済協力を1段階、核開発モラトリアムの進行と6か国協議への復帰
を2段階、核プログラムの完全放棄を3段階に設定している。2段階の経済協力計画には
「3大基本事業」が含まれており、電力、鉄道・道路、通信システムの支援が主な骨子とな
る。電力支援は200万キロワットの供給とそれ以前の重油提供(3年間)、それとは別途
に開城工業団地2段階推進時に発電所を建設するか、事業者が費用を負担する産業的送電
方式転換などを含む。鉄道・道路では京元線と国道3号線の連結、通信では北朝鮮内の電
話局建設など。このほか、金剛山完工地域を北朝鮮の固城地域まで拡大することも計画し
ているという。3段階には、朝鮮半島銃弾鉄道(TKR)とシベリア横断鉄道(TSB)
運営が含まれる。 

 予算については、2段階の3大基本事業の推進に最小39兆ウォン、適性費用としては
74兆ウォンが推算されているとしている。財源として、政府出捐金として毎年1兆ウォ
ンを追加、特別信託基金、銀行企業連合の構成、北東アジア銀行・ODA(政府開発援助)
支援の要請、日朝国交正常化の際の補償金活用、経済協力企業基金設置、目的税導入、な
どの案が検討されていると説明した。(ヤフーニュースより)
 
【補足】

++++++++++++++++++

少し前に書いた原稿をいくつか、
ここに載せておきます。

++++++++++++++++++

●もっとも立派だと思う国……日本

++++++++++++++++

韓国の反日ムードを嫌い、
このところ日本企業は、韓国から去り、
その目を、台湾に向け始めている。

++++++++++++++++

 今年1〜4月期の日本からの台湾投資は、2億1100万ドル(約238億円)となり、
前年同期比で、112%も増加した。

 とくに、薄膜トランジスタ液晶表示装置、半導体、自動車、電子および部品、機械、ゲ
ームプログラムという、5つの中心産業での投資が著しい。そしてこれらの産業は、すべ
て韓国の国内産業と競合するものばかり。

 具体的には、NECは、台湾に台湾光電という会社を設立。台湾企業に、日本の主要I
T企業の生産(OEM)基地としての役割をもたせようとしている。

また、ソニーとNECは、2004年から、毎年50億〜60億ドル程度のIT製品を
台湾から購入しており、台湾に,インターネット情報家電、および、半導体研究開発セン
ターを設立している。

 わかりやすく言えば、日本は、現在、打倒韓国の旗印のもと、静かに、かつ密かに、台
湾の基幹産業にテコ入れを始めたことになる。ターゲットは、もちろん、液晶パネル。す
でにその波及効果は、現れ始めている。

 韓国のL社といえば、液晶パネル生産では、一時は一世を風靡(ふうび)した会社とし
てよく知られている。昨年のはじめまでは、どこのショッピングセンターに行っても、L
社の液晶テレビが、店頭を飾っていた。が、時代は変わった。今年は、L社だけでも、数
百億円の赤字が見こまれている。

 こうした日本の動きに、嫉妬し、危機感をいだいているのが、韓国。韓国のI貿易研究所
主席研究員は、『日本と台湾が投資と提携をふやせば、台湾と主力輸出産業が重複する韓国
の輸出が、打撃を受ける可能性がある』と話している。

 こういうのを、韓国では、「ブーメラン効果」と呼んでいる。日本をたたけばたたくほど、
その効果は、ブーメランのようになって、韓国に打撃を与えるというもの。

 私たち日本人の知ったことではないが……。

 なお台湾のビジネス誌「遠見」によれば、全4質問中、「移民したい国」「立派だと思う
国」「旅行したい国」の3質問で、日本がトップになったという(06年6月29日)。

 調査は、台湾全土で、20歳以上、約1000人の人について、行われた。以下、その
結果。

「移民したい国」   日本……32.3ポイント
米国……29.1ポイント
カナダ…26.5ポイント

「最も立派と思う国」 日本……47.5ポイント
米国……40.3ポイント
中国……15.8ポイント

 日本は、こういう国を、もっと大切にしようではないか! 

 我愛台湾!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●極東アジア情勢

+++++++++++++++++++

極東アジア情勢が、目下、激変中!

米韓関係の崩壊、韓国に触手をのばす中国、
急接近する日米両国、崩壊寸前のK国。

ふつう、サッカーというのは、2チームで
戦うもの。だが、現在の極東情勢は、
まるで、4チーム、5チームが
混戦試合をしているようなもの。

どうなる、極東情勢!

+++++++++++++++++++

 日本のK首相が、8月15日に、Y神社を参拝すれば、「待ってました!」とばかり、韓
国のN大統領は、大騒ぎするはず。反日運動を開始するはず。今ごろは、手ぐすね引いて、
その時機を、うかがっているはず。今のN大統領には、反日しか、生き残る道はない。

 こういう状況の中、アメリカは、韓国からの撤退を、正式に発表した(8月7日、アメ
リカ国防省発表)。遅くとも2009年までには、そうなる。戦時作戦統制権を韓国に移譲
するということは、即、アメリカ軍の韓国からの撤退を意味する。

 どうしてアメリカ軍が、韓国軍の指揮下に入らなければならないのか。

 一方、日本は、韓国に対して、本気で、経済戦争をしかけ始めている。

 東芝は、8月はじめ、第4番目の半導体工場に着手した。投資規模は、6000億円。
2008年から、NANDフラッシュメモリーの量産体制に入る。

 さらに08年までに、総額1兆円の大型投資を予定している。もちろん敵は、韓国のサ
ムソン。

 また日本第2位の半導体メーカーの、エルピーダは、やはり今月はじめ、1兆円の投資
をして、半導体生産ラインを拡充すると発表。09年3月以前に、量産体制に入る。

そのほか、プラズマテレビの分野でも、松下、パイオニアも、相ついで工場を増設しつ
つある。

松下は、6月、主力工場である兵庫県尼崎工場の生産量を、年間340万枚にふやした。
さらに08年をめどに、同じ尼崎に、2番目の工場を建設しつつある。

パイオニアも、同じように300億円を投資し、山梨県に新工場を建設する予定でいる。

 シャープも負けていない。8月末から、いよいよ第8世代の液晶生産ラインと呼ばれる、
生産ラインを使って、液晶の量産体制に入る。

 サムスン電子の幹部は、「日本のメーカーがこのような攻撃的投資に乗り出しているのは、
業績回復に伴う自信が反映されている」(朝鮮N報)と話している。

実際、ソニー、松下、シャープ、東芝、キャノン、富士通など日本の電子メーカーは、
今年第1四半期では、一斉に黒字を計上しており、大型投資に乗り出す下地を確保して
いる。

 そして今まで、韓国内で下請けさせていた部品などについては、その工場を、台湾やそ
のほかの国々に、移しつつある。

 つまりこれらの一連の動きは、明らかに、打倒韓国を意識したもの。1、2年前から、
各社によって綿密にねられた作戦によるものと考えてよい。

「反日運動をするならするで結構。しかし日本だって、黙ってはいないぞ」という、強
烈なメッセージが、これらの動きの中にこめられている。

 が、ひとりノー天気なのが、韓国のN大統領。こうした日米の動きに反比例する形で、
急速に中国に接近を試みている。

 しかし、だ。中国がそんな甘い国でないことは、チベットを見ればわかるはず。台湾を
見ればわかるはず。へたをすれば、竹島(独島)どころか、38度線以北を、中国に乗っ
取られてしまう。

 またアメリカ軍が韓国から撤退すれば、再び、韓国を通貨危機を襲うかもしれない。そ
の可能性は高い。どこのだれが、そんなあぶない国に、投資などするだろうか。今の韓国
の平和がかろうじて維持されているのは、強力なアメリカ軍が駐留しているからにほかな
らない。

 そういえば、先ごろ、その通貨危機について、もし日本が通貨危機に陥れば、韓国は5
0億ドル、反対に韓国が通貨危機に陥れば、日本は100億ドルの金額を、それぞれ相手
の国に支援するという。そういう取り決めがなされた※。

 一見、何とも不平等な取り決めのように見えるかもしれないが、言いかえると、「日本は、
100億ドルしか支援しませんよ」という意思表示をしたことになる。前回、韓国がデフ
ォルト(国家破綻)したときには、100億ドルの緊急融資のほか、日本は、アジア開発
銀行などを通して、総額500億ドル近い支援をしている。

 儒教の国でありながら、韓国のN大統領という人は、そういうことについては、まった
く恩義を感じない人らしい。つまり日本は、先手を打って、「つぎは、100億ドルまで」
と決めこんだわけである。

 残るはK国。今では中国にも見離され、孤立無援。中国でさえも、「韓国は、(中国の)
親戚だ」(中国外交部・報道官・8月9日)と言いだした。で、そのK国だが、こんなおも
しろいエピソードが、もれ伝わってきている。

 国連安保理で、中国が非難決議案に賛成したときのこと。K国の外務省は、駐P中国大
使を呼びつけ、「裏切り行為」と非難したという。が、このあとが、実にK国らしい。ヤフ
ーのニュースを、そのまま紹介する。

「同じころ北京では、C・K国大使が、R中国外相に面会を求めた。しかし断られたこ
とから、K国のC大使は、大使館員10人とともに3台の車で中国外務省に押しかけ、
同省前で3時間以上にわたり、『裏切り者』などの言葉を荒々しく繰りかえした。同省は
無視しつづけたが、『現場の様子があまりに険悪で、警察を呼ぶ話もあった』(香港の中
国消息筋)という」と。 

 K国の大使館員たちが、中国の外務省前で、「裏切り者」と言って、3時間もねばったと
いうのだ。

 K国は、もう、ここまで狂っている。

 さて8月15日まで、あと残すところ、6日。日本のK首相は、Y神社参拝の参拝の腹
を決めたようである。が、もしこういう状況の中で、K首相がY神社を参拝すれば、どう
なるか。

 その日を境に、極東アジア情勢は、さらに混乱する。一次的には、中国、韓国の反日勢
力を勢いづかせる。二次的には、その勢力にのって、韓国のN大統領一派が、反日運動を
展開する。中国も、それに同調する可能性が、きわめて高い。

 具体的には、韓国はさらに竹島の実効支配を推し進めるだろう。中国は、尖閣諸島周辺
での油田開発を、堂々と推し進めるだろう。

 ますます極東アジア情勢は、不安定になる。つまり戦争への道を、日本は、一歩、踏み
出すことになる。ひとり日本のK首相は、「平和の誓いのため」と言っているが、そんな論
理は、日本の外では、通用しない。

私の知ったことではないが……。

(注※)日韓両国は通貨危機などの際、総額150億ドルで、互いに支援しあう通貨スワ
ッピング契約を締結することに合意した。 

 韓国のH副首相兼財政経済部長官と谷垣禎一財務大臣は、4日、東京で第1回、日韓財
務相会合を開き、このような内容を盛り込んだ合意分を発表した。 

 両国が発表した6項目からなる合意文によると、韓国の通貨危機時には、日本は100
億ドルを、日本の危機時には韓国は、50億ドルをそれぞれ支援することにしたという。

(この原稿は、8月9日に書いたものです。マガジンに載せる、9月13日には、情勢が
大きく動いているかもしれません。)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●逃げ出した資本

+++++++++++++++++

韓国から、資本が逃げ出し始めている。
人も、金も、そして技術も、だ。

+++++++++++++++++

 韓国から逃げ出す人たちが、このところ急速にふえている。

 現在、留学や語学研修のために、現地で、90日以上滞在している長期出国者は、05
年度で、10万2085人(朝鮮N報調べ)に達している。その数は、前年度(04年)
よりも、14%もふえている。

 さらに05年度に、アメリカの永住権を取得した韓国人は、2万5000人(同)。その
うち就職移民は、1万6167人(同)。この数は、前年度(04年)の、約2倍である。

 海外へ脱出している韓国人は、「韓国で働き口の見つからない若者たちだけではない。医
師、韓方医・看護師・研究員など、専門職の高級人材も韓国での生活に見切りをつけ、見
知らぬ地を目ざしている」(同)とのこと。

 一番人気はアメリカで、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドがつづく。(反米を
唱える国で、アメリカが一番人気というのも、おかしなことだが……。)

 当然、人が出て行けば、金(マネー)も出て行く。

 留学、研修の費用として持ち出される金額は、2000年には9億6000万ドル(約
1120億円)だったのが、昨年(05年)は33億7000万ドル(約3930億円)
と、3倍以上に増えた。

この額は、「現代(ヒョンデ)自動車が、ソナタ1台を売って手にする利益は1000ド
ル(約11万7000円)だ。つまりソナタ337万台を輸出してやっと稼げるほどの
外貨」(同)に等しいという。

 そのほか、今年(06年)に入ってから8月までに海外の不動産を購入するために持ち
出された金額も、2億5326万ドル(約294億円)におよぶ。その額は、昨年(05
年)、1年間に記録した932万ドル(約10億9000万円)の27倍にもなる。さらに、
海外の株式や債権を買い付けるのにも150億ドル以上がつぎ込まれ、その額は昨年より
50%以上増加している(同)。

 朝鮮N報は、社説の中で、こう書いている。

 「高賃金・政府規制・労使紛争に悩まされる企業が、韓国を脱出する光景は、もう見な
れたものとなってしまった。今年上半期の海外直接投資額(申告基準)は、70億800
0万ドル(約8250億円)で、昨年の同期より83%も増加した。N政権が発足してか
ら3年8か月の間に、人もカネも企業も先を争うように韓国を脱出している。 

 中身のない教育が生徒と保護者を海外に追いやり、雇用の不振が社会の要である青壮年
を追い出し、政権の気まぐれな増税が決して貧しくない人々を移民船に乗船させているの
だ」と。

 こうした中、異常なウォン高(注※)と、国内経済の停滞により、貧困層が、増えてい
る。

 韓国の総計庁の発表した資料によると、昨年(05年度)の貧困層の割合は、18%だ
った。その数は、03年度、16・9%、04年度、17・4%と、少しずつだが、ふえ
ている。世帯数では、約26万世帯。人口数では61万人が、新たに加わり、昨年度は、
世帯数では、284万2000世帯、人口数では869万3000人が貧困層ということ
になった。

 その結果、当然のことながら、韓国の経常収支は、現在、急速に悪化している。

 昨年(05年)、166億ドル(約1兆9350億円)の黒字だった経常収支は、今年(0
6年)の7月末までだけでも、6億4000万ドル(約7460億円)の赤字に転落して
いる。

 韓国の貿易協会のS博士は、「ドルに対しウォンが10%上がれば、4年にわたり、22
8億ドル(約2兆6600億円)の貿易赤字が発生、毎年 57億ドル(約6640億円)
の貿易収支悪化要因として作用するだろう」(同)と話しているという。

 N大統領が豪語しているように、「今年末には、黒字になる」というのは、どうやらあり
えない話ということになる。

 戦後、アメリカと日本が敷いてきた自由主義貿易体制の中に身を置きながら、反米、反
日を唱えれば、どうなるか。それを今、N大統領は、少しは知るべきではないのか。

注※……米国系大手証券会社JPモルガン・チェースのイム・ジウォン博士は、「韓国のフ
ァンダメンタル(経済的な基礎体力)を考慮すると、ウォン高になる理由がない」と説明
する。ウォン高は成長の質がよく、物価も低く、経常収支が黒字の時に起きるが、今の韓
国は正反対の状況だから、ウォン高になるのは異常だというのだ(朝鮮N報)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝(9月27日)、あれこれ

+++++++++++++++++

キーウィの棚を打つ、はげしい雨の
音。それで今朝は、目がさめた。

昨日から、ここ浜松地方では、時折、
集中豪雨的な雨が断続的につづいて
いる。

おかげで運動はストップ。どこか体
が重い。

が、書斎に入ると、ひんやりとした風。
その風の中に、秋の気配を強く感ずる。

バンザーイ、私の季節だ!

+++++++++++++++++

●1944年

 今朝(9月27日)、Eマガの読者が、1944人になった。その「1944」にかこつ
けて、1944年(昭和19年)の話。私が生まれる、3年前の話である。私は1947
年(昭和22年)の生まれ。

 1944年には、もちろん私は存在していなかった。父も、そのころは、台湾に出兵し
ていたのではないか。上に、長男のケンジ、二男のジュンジ、姉のミホコがいた。そのこ
ろ、兄のケンジは、小児マヒをわずらい、下肢が不自由になっていたと聞いている。

 その兄のケンジは、私が5歳か6歳のとき、なくなっている。葬儀の日、土間に無数の
履き物が散乱していたのは、よく覚えている。直接の死因は、日本脳炎と聞いている。暑
い夏の日に、父が兄を、自転車に乗せて、20キロほど山奥にある母の実家へ連れていっ
たのが原因だったという。

 そのほかのことは、ほとんど何も、覚えていない。ケンジと私は、10歳以上、年が離
れていた。二男のジュンジとは、9歳、姉のミホコとは、5歳、年が離れていた。

 こういう話になると、どうも、歯切れが悪い。私は、そう聞いたというだけで、確信が
もてない。あのあたりでは、だれも、本当のことを言わない。みなが、みな、世間体ばか
りを気にしている。自分に都合の悪い話はしないし、しても、そこにウソを混ぜる。

 だから話を聞くたびに、話の内容が変わる。そういうことは、よくある。

 兄のケンジは、本当に日本脳炎で死んだのか? 本当に小児マヒだったのか? だれの
責任というわけではないが、私の母は、いつも、「父ちゃん(=父)が悪い」と言っていた。

 話をもとにもどすが、1944年という年は、日本軍とアメリカ軍が、マリアナ沖で、
空前の激突をした年でもある(6月19日)。ちょうど同じころ、連合国が、フランスのノ
ルマンジーに上陸作戦を開始している(6月6日)。

 このあと、8月25日に、ドイツは連合国に降伏。が、日本は、さらに勝ち目のない、
破滅的な戦争へと突入していく。同年10月には、レイテ沖海戦で、戦艦・武蔵を失う。
11月には、東京大空襲を受ける。

 死んだ人は静かだと、人はよく言う。それはそのとおりだが、しかしまだ生まれていな
い人間にとっても、そうである。私はそういう世界で起きていた喧騒(けんそう)を、ま
ったく知らない。もちろん記憶の中にもない。

 しかしまったくの無縁だったかというと、そうではない。それぞれの時代には、その時
代がもつエネルギーがある。そのエネルギーは、そのあとも、無数のうねりとなって、つ
ぎの時代の人たちに大きな影響を与えていく。

 たとえば父は、台湾の戦地で、アメリカ軍の攻撃を受け、貫通銃創(じゅうそう)を受
けている。弾(たま)が2発、腹の中を通り抜けたという。いや、弾は2発ではなく、1
発だったかもしれない。こういう話は、いつも、おおげさに語られる。

 ともかくも、それが1つの遠因になって、やがて父は、日本に帰ってから酒に溺れるよ
うになった。いまでいう、PTSD(心的外傷後ストレス障害)だったかもしれない。は
じめのころは、夜中によくうなされたという話を聞いている。(この話も、確かではないが
……。)

 私にとっては、悲しくも、重苦しい幼児時代は、そうして始まった。

 ともかくも、自分の生まれる前の過去の話になると、私はそこに同時に、自分が死んだ
あとの世界をダブらせる。私が死ねば、少なくとも私は、生まれた前の世界にもどる、と。
静かで、どこまでも静かで、まったくの無の世界。すべての喧騒とは、無縁の世界。

 その世界には、私は、いなかった。生まれるという気配すら、なかった。父にしても、
母にしても、私を産むという意識すらなかったのではないか。やがてアメリカ軍による空
襲は、全国各地へと広がる。絶望的な戦況の中で、どうやって生き延びていくか。それだ
けを考えるのが、精一杯だったはず。

 私が生まれるまで、あと3年。「私」という存在すらないときのことだから、こういう言
い方は正しくない。それはわかっているが、私は、そのころは、静かに、自分が生まれる
のを待っていた……。暗い、暗い、闇の世界で。音もなく、風もなく、時もない、そんな
闇の世界で……。
(はやし浩司 私論1)

+++++++++++++++++

Eマガ(無料版)の読者の方の数に
合わせて、自分の過去を追いかけて
みたいと思います。

+++++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●人とのかかわり

+++++++++++++++++

人は、人とのかかわりをもって、
はじめて、人である。

人格の完成度をみるときも、その
人の、他者とのかかわり方をみて、
判断する。

+++++++++++++++++

 体というのは、使わないでいると、その部分の機能がどんどんと衰えていく。これを、「廃
用性機能低下」と呼んでいる。

 わかりやすく言えば、体のその部分が、サビついて、使い物にならなくなるということ。

 ……ということは経験的にも常識だが、しかし脳みその中でも、同じようなことが起こ
る。「心」、あるいは「精神」、さらには「知的能力」も、使わなければ、同じようにサビつ
いて、使い物にならなくなる。

 その中でも、とくに重要なのが、感受性。

 豊かな感受性は、それ自体が、心の重要な財産と、心理学の世界では考えられている。
EQ論(=人格完成論)でも、同じようなことをいう。その感受性を高めるための訓練法
も、いくつか用意されている。

 心がサビつくと、感受性そのものが、鈍くなってくる。喜怒哀楽の情が薄れてくる。冗
談が通じにくくなり、笑いが減る。他人の苦しみや悲しみに鈍感になる。無感覚になる。
無反応になる。

 では、その豊かな感受性を保つためには、どうすればよいか。

 ひとつの方法として、常に、人とのかかわりをもつというのがある。積極的に他人に話
しかけ、交際範囲を広める。決して、自分だけの小さな世界だけに閉じこもってしまって
はいけない。

 が、こうした感受性を豊かにするということは、結局は、あなた自身のためでもある。

 心がサビついてくると、いろいろな弊害が生まれてくる。たとえば意欲の減退、生きが
いの喪失など。生きる力そのものも弱体化する。わかりやすく言えば、そのまま生きる屍
(しかばね)になってしまうということ。

 (これから老齢期を迎える私たち団塊の世代には、とくに重要!)

 何度も書いてきたが、精神の健康は、(1)ものの考え方が自然で、常識的であること、
(2)心のゆがみやひずみがないことで、判断される。精神が健康な人ほど、感受性が豊
かで、人ととのかかわりかたが自然ということになる。もちろん、友人も多い。

 さあ、あなたも外に出よう。出て、いろいろな人に会い、笑っておしゃべりをしよう。
つまりは、それが、心の健康法ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
廃用性機能低下 精神の健康法 人とのかかわり 感受性 豊かな感受性 心の健康法)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●日本の仏教

++++++++++++++++++

日本の仏教には、いくつかの謎がある。

その第一。なぜ、日本にある仏像は、
どれも例外なく、古代インドのそれではなく、
古代ギリシアの服装をしているのか。

その謎を解く、ひとつのカギがまたまた
見つかった。

++++++++++++++++++

 アフガニスタンの中部にあるバーミヤンで、このほど、5〜6世紀ごろの塔院跡や、高
さ3メートルはあったとみられる、立仏像のひざ下部が発見されたという。

 発見したのは、UNESCO(国連教育科学文化機構)。

 アフガン考古保護協会のゼマリアライ・タルジ代表は、「7世紀にバーミヤンを訪れたと
される、玄奘三蔵(三蔵法師のこと)が、『大唐西域記』の中で見たと記した幻の涅槃(ね
はん)像が近くにあるかもしれない」と話しているという(中日新聞06−09−25)。

 が、この記事の中で、私の目をひいたのは、つぎの部分である。

 「……しっくいで覆われた主仏塔側面の柱状の装飾部分には、ギリシア文化の影響を受
けた植物の葉の彫刻が施されていた」と。つまり「ギリシア文化の影響を受けた装飾が施
されていたという。

 バーミヤン遺跡というのは、一般には、5〜8世紀の造営とされているが、それ以前と
の説もある。アフガニスタンの首都カブール、西約240キロのところに、それはある。

 以前から、このバーミヤンで、インドから伝わってきた仏教と、古代ギリシア文明が融
合したという説はあった。日本の仏像が、どれも、古代インドの服装ではなく、古代ギリ
シアの服装をしているのも、そのためと考えてよい。

 ただ私が調べた範囲では、ここに書いた、玄奘三蔵(三蔵法師のこと)は、バーミヤン
までは来ていない。現在のチベットあたりまで来て、引きかえしているはずである。それ
はともかくも、三蔵法師は、インドまでは行っていない。これは動かしがたい事実である。

 つまり私たちが今、この日本で「仏教」と呼んでいるものは、原型をとどめないほどま
でに、その過程で、加工されたものと考えてよい。釈迦経典と言われているものについて
も、釈迦滅後、何百年もたってから、そのときどきの仏教徒によって書かれたり、編纂さ
れたものである。

 つまり、日本の仏教には、多くの矛盾がある。矛盾だらけと言ってもよい。少し前にな
くなったが、東大の中村名誉教授も、さかんに「大乗非仏説」を唱えていた。つまりイン
ドからヒマラヤ山脈の北を回って中国、日本へと伝わった仏教(大乗仏教、北伝仏教)は、
釈迦が唱えた仏教とは異質のものである、と。

 たしかにおかしな点も多い。たとえば、インドでは男性だったカノンが、日本では「観
音様」という女性になっている。

ここに書いたように、日本の仏像が、(ガンダーラの仏像もそうだが)、古代インドの服
装ではなく、すべてヘレニズム文化の影響を受けた古代ギリシアの服装を身につけてい
る。

また経典の中に、よく、貨幣の話が出てくるが、釈迦の時代にはまだ貨幣はなかったこ
と、などなど。

釈迦の生誕地に残る仏典(法句経)は別として、それ以外は、どうも?、というものが
多い。そういうものを根拠にして、仏教を説いても、あまり意味がないのではないのか。
さらに総じてみれば日本の仏教は、あのチベット密教の影響をモロに受けている。それ
が中国の土着宗教と結びついて、日本へ入ってきた。チベット密教そのものと言う人も
いる。

 だからといって私は仏教を否定しているのではない。仮に仏教が否定されたとしても、
その仏教とともに生きてきた、何億何千万もの人たちの人生まで否定することはできない。
ただ、盲信するのはいけない。中には、経典の一言半句にまで深い意味を求める人もいる
が、しかしここにも書いたように、矛盾がないわけではない。そういう矛盾、つまり明ら
かなまちがいまで押し殺して盲信するのは、危険なことでもある。

 大切なことは、自分で考えることだ。先日もある著名な仏教哲学者U氏の講演をテレビ
で見ていたが、その中でその哲学者はこう言っていた。「○○経にXXという言葉がありま
すが、つまり人間はみな、平等と釈迦は教えているのです」(NHK、02年6月)と。

しかし、だ。何もおおげさに経典の一節をもちださなくても、人間がみな平等というの
は常識ではないのか。ほんの少し自分自身の「常識」に照らし合わせれば、小学生にだ
ってわかる。それにその哲学者は、こうも言っていた。「人間は白人も、黒人も、黄色人
種も、みな平等だと、そういうことを釈迦は教えているのです。すばらしいことです」
と。

しかしこの話はウソ。釈迦の時代に、釈迦の周辺に、白人や黒人、黄色人種はいなかっ
た! その教授は、経典に、自説をこじつけたにすぎない。

 私たちは何の疑いもなく、日々の生活の中で、仏教的な儀式を繰り返している。そして
それがあるべき方法だと、信じて疑わないでいる。しかしそういう姿勢こそ、ひょっとし
たら、釈迦がもっとも嫌った姿勢ではないのか。話せば長くなるが、法句経で述べている
釈迦の精神とは、どこか違うような気がする。

 ここではこの程度にしておくが、もし興味があったら、あとは皆さんが、自分でたしか
めてほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
古代インド 古代ヘレニズム バーミヤン 大乗非仏説 中村元 日本の仏教)

【付記】

 過去を盲目的に踏襲するのは、正しくない。私たちは、そのつど、事実に照らしあわせ、
歴史を修正していかねばならない。

 たとえば仏像にしても、京都や奈良にある仏像が、絶対に正しいというわけではない。
考古学も進んでいることなのだから、衣装を、古代インドのそれに合わせて、仏像を作る
ということも、これからは重要なことではないのか。

 同じように、私たちが釈迦経典と呼んでいるものについても、もし「仏教」を信仰する
というのなら、一度、原点にたちかえって考えてみる必要があるのではないだろうか。


****************************

【読者のみなさんへ】

 こんな質問をいただきました。とくに時事問題について、リアルタイムで記事を読むに
は、どうしたらいいか、と。つまりマガジンに載せる原稿は、いつも1か月前に書いた原
稿ということになっている。それについて、「もっと早く読むには、どうしたらいいか」と。

 現在、つぎのような流れで、原稿を書いています。

(毎朝、原稿を書く)→(楽天の日記に転載する)→(日記を読みながら、自分の原稿を
推敲したり、手直ししたりする)→(マガジンに転載する)。

 つまり一度、書いた原稿は、楽天の日記として発表し、他人の目で、自分の原稿を読み
なおすようにしています。これを私は、勝手に、「熟成期間」と読んでいます。その間に、
頭を冷やしたり、別の角度から考えなおしたりします。あるいは、そのまま原稿をボツに
することもあります。

 ですから、もしリアルタイムに読みたいと思ってくださる方がいらっしゃれば、私のH
Pのトップページから、楽天日記のほうへ、おいでください。まだ荒削りの原稿ですが、
そこでその日に書いた原稿を読んでいただけます。

 また現在、無料マガジン(Eマガ、メルマガ)のうほうでも、HTML版(カラー版)
を、無料で読んでいただけるようにしてあります。どうぞ、安心して、HTML版のほう
も、お楽しみください。あとで購読料を請求するというなどということは、ぜったいにあ
りません。

(できれば、有料版のまぐプレを読んでほしいとは思っていますが……。現在、購読料
は、月額300円です。)

 で、HTML版マガジンのほうは、こういう手順になっています。

 ほぼ1か月分の原稿を書き終えたところで、まず、原稿を、HP上に転載します。そし
てそのあと、写真などで、それを飾っていきます。

 そのためマガジンに載せる写真などは、原稿より、新鮮なものとなっています。

 さらに当然のことですが、ウィルスチェックは、そのつど、こまめにしています。「絶対」
ということは、お約束できませんが、私のマガジン(HTML版)では、つぎのような方
法で、安全を確保しています。

(1)定期的なウィルスチェックと、スパイウエアチェックを欠かさない。
(2)プロバイダー(サーバー)のほうで、有料のウィルスチェックを通している。
(3)パソコンを使い分けている。

 とくに、HP用のパソコンは、超高性能のパソコンを使用しています。来年の1月以降、
ビスタ(OS)が発売になったら、さらに高性能のパソコンに乗り換えるつもりでいます。

 こんなわけで、どうか安心して、HTML版をお楽しみください。プラス、これからも
末永く、よろしくご購読くださいますよう、お願いします。

 1000号までの道のりは、まだまだ遠いです。がんばります!

                             はやし浩司

*****************************

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 25日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page026.html

謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●電話相談

++++++++++++++++

昼のあるテレビ番組の中に、「電話、生(なま)相談」
というようなコーナーがある。

視聴者が、あれこれ相談をもちかけ、それに対して、
番組の出演者が、自分の意見を述べるという番組である。

借金の問題、嫁・姑問題、不倫問題、家庭騒動、
さらには子育ての問題などなど。

テーマは、幅広い。が、いつも最後は、うやむやの
まま終わってしまう。

それもそのはず。ほとんどの問題は、こうした
電話で相談したくらいでは、何も解決しない。
はっきり言って、相談してきた人にとっては、
何も役にたたない。

ただそうした相談内容を、傍(はた)で聞いている
私たち視聴者には、役にたつ。

『他人の不幸話ほど、おもしろいものはない』と
言った哲学者もいたが、正直に言えば、それに
近い。「おもしろい」という言葉に問題があるなら、
「興味深い」と言いかえたほうがよいかもしれない。

「ああ、こんな問題もあるのだ」と、ときとして
驚くことがある。

しかし電話相談には、はっきりとした限界がある。

+++++++++++++++++

●際限がない、親の相談

 たとえば子どもの不登校を考えてみよう。

 Aさんは、「うちの子が、不登校児になってしまった、どうしたらいいでしょう」と相談
してきた。

 Bさんは、「うちの子は、週に、2、3日しか、学校に行かない。どうしたらいいでしょ
う」と相談してきた。

 Cさんは、「うちの子は、午前中だけしか学校に行かない。どうしたらいいでしょう」と
相談してきた。

 Dさんは、「うちの子は、学校へ行っても、ときどき保健室か理科室にこもってしまう。
どうしたらいいでしょう」と相談してきた。

 で、相談を受ける側は、そのつど、そのレベルで、あれこれアドバイスをする。しかし
親がもちかけてくる相談には、際限がない。

 子どもがやっとのことで、学校へ行くようになると、「何とか、毎日行かせたい」「午後
の終わりの会まで、行かせたい」となる。そしてそのつど、繰りかえし、相談がつづく。

 私が「週に2、3日、学校へ行くようになっただけでも、すばらしいことではないです
か。それをいっしょに喜んであげましょう」「午前中だけでも行くようになっただけでも、
すばらしいことではないですか。子どもをほめてあげましょう」と言っても、あまり意味
はない。

 その状態になればなったで、親は、「さらに……」「もっと……」と言い出す。

 さらに、子どもが学校へ通うようになると、親はこう言う。「不登校で遅れた分を、何と
か、取り戻したい。どうしたらいいでしょう」と。それがさらにエスカレートすると、「今
のままでは、D中学しか、入れたい。何とか、C中学。できれば、B中学に入れたい。ど
うしたらいいでしょう」となる。

●意味のないアドバイス

 しかも電話相談というのは、90%が、グチ。この世界では、「よき聞き役に回れ」とい
うのが、ひとつの鉄則になっている。しかしそのため、1時間前後の時間が、それでつぶ
れてしまう。

 私がしていた電話相談でも、平均して1人、40分前後。長いばあいには、1時間半と
か2時間とかになった。

 それにほとんどの親は、住所はもちろん、名前すら言わない。言っても、偽名であるこ
とが多い。それがわかっているから、こちらも、あえて聞かない。

 こうした電話が、数日おき、あるいは、週に1度とかいう割合で、かかってくる。が、
私のアドバイスに素直に従ってくれる人は、ほとんどいない。

 子どもの不登校の問題にしても、たとえば私が、「3か月はがまんしなさい」「何も言っ
てはだめです」「親は、子どもにとって空気のような存在になりなさい」と言っても、ムダ。
1、2週間もしないうちに、また電話がかかってきて、「昨日、学校へ連れていきましたが、
やっぱり、ダメでした」と。

 親にしてみれば、1か月でも長い。1週間でも長い。「このままうちの子は、ダメになっ
てしまう」という恐怖感から、あせる。

 あとは、この繰りかえし。

●達成感のない世界

 なぜこうなってしまうのか? つまり親は、子どもの問題を、必要以上に深刻に考えて
しまう。そしてそのつど、「どうしたらいい」と電話をかけてくる。なぜこうなってしまう
のか?

 一方、相談を受ける側は、いつもある種のむなしさを覚える。つまり、いくら相談にの
ってやっても、達成感がない。「相談にのってやって、よかった」という思いが、残らない。

 理由として考えられるのは、つまりは、親のエゴに振りまわされているだけということ
がある。親は、何か問題が起きると、自分のことは棚にあげて、子どもに問題があると考
える。自分を何とかしようと考える前に、子どもを何とかしようと考える。その尺度とな
っているのが、親がもつ(常識)ということになる。

 たとえば不登校の問題にしても、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、
ものを考える。子ども自身の気持ちは、つぎのつぎ。子ども自身は、学校へ行きたくない。
あるいはその多くは、心の問題をかかえている。「子ども自身はどうなのか」という視点そ
のものが、ない。子どもの姿が、どこにもない。

 だから私が、「いいじゃないですか、学校なんて! 行きたくなかったら、行かなくても
……」などと言おうものなら、ほとんどの親は、目を白黒させて驚く。「何てこと言うのだ!」
と、そのまま本当に怒ってしまう親もいる。

 「他人の子どものことだから、何とでも言える。よくもまあ、そこまで言いたいことを
言うものだ!」と、あとで、FAXで怒ってきた父親だって、いた。(ホントだぞ!)

 しかしそれが私の本音(ほんね)でもある。相談を受ける私は、そういう本音を、ねじ
まげて、相談にのってやらなければならない。つまり、達成感がないのは、そのためと考
えてよい。

●公的機関がすべき

 だから、電話相談は、やめた……と書くと、私の人間性を疑う人もいるかもしれない。
しかしやめたものは、やめた。いろいろいきさつはあるが、やめた。が、ムダだったかと
いうと、そうとは言えない。参考にはなった。テレビ番組の中の電話相談のように、「ああ、
こんな問題もあるのだ」と、それを知ることができた。

 しかしいつしか、口コミで私の電話相談のことが広がり、毎日のように電話がかかって
くるようになると、そうはいかない。土曜日も、日曜日もない。昼も、夜もない。居留守
を使うという手もあったが、ウソをつくのは、私のやり方ではない。

 さらに、反対に、「どうして相談にのってもらえないのか」と、叱られることもあった。
講演活動をしたり、新聞や雑誌にコラムを書いていると、私を、神様か、仏様のように思
う人もいるらしい。しかし私にも、生活がある。お金を稼ぐための仕事もしなければなら
ない。

 平均して、毎日、3〜4時間も、そのために時間を取られるのは、つらい。念のために
申し添えるなら、私はいまだかって、こうした相談で、1円も、お金を受け取ったことは
ない。さらに言えば、こと電話相談について言えば、そのあと、礼を言ってきた人は、ほ
とんどいない。100人に1人もいない。

 相談してくる親は、自分のことだけで精一杯。自分のことを考えるだけで、精一杯。そ
れはそれとしてわかるが、そのあとどうなったか、その報告だけはしてほしかった。

 だからあるとき、心を鬼にして、すべての相談を断ることにした。そのときは、3月末
という、ちょうどキレのよいときだったこともある。

 で、結論を言えば、こうした電話相談は、公的な機関が、きちんとした形で、組織的に
すべきだと思う。いくら親のエゴといっても、そのエゴに気づかないまま、日々、悶々と
悩んでいる親は多い。そういう人たちの相談にのってやるのも、公的な仕事のひとつとい
うことになる。90%は、グチかもしれないが、そのグチを聞いてやるだけでも、悩んで
いる人は救われる。

 で、最近も、ある人から電話相談をもちかけられた。しかし、断った。世話になった人
だから、何とかしてあげたいと思ったが、そのときも、心を鬼にして、断った。今では、
そういう相談を受け付ける公的な窓口も、あちこちにある。各地区の子育て支援センター、
公民館、保健所(保健センター)など。

 どうか、そういうところで、一度、相談してみてほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
電話相談 子育て相談 育児相談)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ストレスとは?】

●ストレス学説

+++++++++++++++++

適度なストレスは、生活のスパイス。
それは常識だが、では「適度なストレス」
とは、どの程度のストレスのことを
いうのか。

称して、「はやし浩司のストレス学説」

+++++++++++++++++

 適度なストレスは、生活のスパイス。それが、生活に、ある種の緊張感をもたらす。そ
れは常識だが、では「適度なストレス」とは、どの程度のストレスのことをいうのか。そ
れがわからない。

●正のストレス、負のストレス

 ストレス(生理的ひずみ)にも、2種類ある。たまたま、私は、それを同時に経験しつ
つある。

 来月(10月)から、数年ぶりに、言葉クラブをもつ。生徒も、5、6人、集まった。
で、これが今、ある種の緊張感となって、私の心を包んでいる。これが正のストレス。

 一方、この先ずっと、私は、グループ・ホームへ入った兄のめんどうをみなければなら
ない。ひょっとしたら、兄のほうが、私より長生きをするかもしれない。途中、いろいろ
な医療費も負担することになるだろう。それを考えると、気が重くなる。これが負のスト
レス。

 つまり前向きに、自分を発展させていくストレスが、正のストレスということになる。
一方、袋小路に入ったように、先が見えないストレスが、負のストレスということになる。

 適度なストレスとはいうものの、正のストレスなら、まだ何とかなる。ここでいう、生
活のスパイスになる。

 しかし負のストレスは、そうではない。それがいくら軽いものであっても、(重いものな
ら、当然だが)、心の内側にペタッと入りついて、その心を、重く苦しいものにする。

●住んでいる世界で異なるストレス

 心の広さというのは、千差万別。人によって、みな、異なる。

 井戸のような世界に住んでいる人は、小さな石ころが落ちただけで、それを大きなスト
レス(ストレッサー)にしてしまう。

 一方、大きな海のような世界に住んでいる人は、渦巻く台風のような風が起きても、平
気。

 つまりは住んでいる世界、あるいはその人の心の広さによって、同じストレスでも、感
じ方まで、異なってくる。

 それが正のストレスであれ、負のストレスであれ、事情は同じ。

 では、私たちは、ストレスに対して、どのように考え、どのように対処すればよいのか。

●ストレス学説 

 ストレスというのは、もともとは「圧力」を意味する(セリエ)。その圧力が、心理的負
担になり、心理的反応を示した状態を、「ストレス」という。「生理的ひずみ」と考えると、
わかりやすい。

 しかしそのストレスの受け方には、ここにも書いたように、個人差がある。たとえば同
じストレス(圧力)でも、人によって、それを重圧に思う人もいれば、そうでない人もい
る。そこで今では、ストレスに個人差、つまり個人変数を加えて考えるのが常識になって
いる(ラザラスとフォルクスマン)。

 同じストレスであるにもかかわらず、人によって個人差が出るのは、それぞれの人がも
つ認知プロセスがちがうからと考えられている。わかりにくい言葉だが、要するに、その
人が置かれた環境、心理状態、精神状態、経験などにより、その処理方法が異なるという
こと。

 たとえばある男性(40歳)は、こう言った。「オレは、借金がないと仕事をする気が起
きない」と。

 また別の男性(40歳)は、こう言った。「オレは、借金に追われるようになると、仕事
が手につかなくなる」と。

 同じ(借金)でも、それを受け取る側の認知プロセスによって、ストレスにするかしな
いかが決まってくる。こうしたストレスへの対処方法を総称して、「コーピング(copi
ng)」と呼ぶ学者もいる。

●では、どうするか?

 ストレスと戦うためには、2つの方法が考えられる。ひとつは、そのストレスそのもの
と戦うという方法。もう1つは、自分の住む世界を、より広く、大きくすることによって
対処するという方法である。
 つまり心理的圧力となるような原因を取り除くのが、前者。広い海のような心をもち、
小石が落ちたくらいでは、ビクともしない。そういう状態にもっていくのが、後者という
ことになる。

 で、私のばあいは、ストレスの原因となるようなストレッサー、とくに冒頭にあげた負
のストレスを、心のどこかで感じたばあいには、できるだけ早い段階で、それを解消する
ように努めている。もともとあまりストレスに強い精神構造にはできていない。

 つぎに、できるだけ広い心を用意する。具体的には、さまざまな経験をすることによっ
て、広い心をもつようにする。そのためには、情報が重要な役割をになうことが多い。そ
ういう意味では、無知、無学は、ストレスの大敵と考えてよい。

 ほかに、たとえば、心の防衛機制に準じて、(1)合理化、(2)反動形成、(3)同一視、
(4)代償行動、(5)逃避、(6)退行、(7)補償、(8)投影、(9)抑圧、(10)置
換、(11)否認、(12)知性化という方法などがある。

どう反応するかは、もちろんそれぞれの人によって異なる。が、人というのは、それを
ストレスと感じたときから、それに長く耐える力は、あまりない。これは幼児のばあい
だが、日中、ほんの5〜10分間程度ストレスを感じただけで、精神疲労症状を起こす
子どもは、少なくない。

 子どもによっては、頭痛、腹痛を訴えることもある。吐く息が臭くなったり、下痢症状
を示すこともある。それが周期的に長くつづいたりすると、心をゆがめることも少なくな
い。神経症を発症したり、さらに情緒障害、精神障害に発展することも珍しくない。

 話が脱線したが、今、あなたが何かのストレスを感じているなら、まずその中身を知る。
敵を知る。それがストレスと立ち向かう、第1歩ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ストレス、ストレッサー ストレス学説 正のストレス、負のストレス)

++++++++++++++++

ストレスについて、以前書いた原稿の
中から、いくつかを集めてみました。

++++++++++++++++

子どもが自慰をするとき

●ある母親からの質問

 ある母親からこんな相談が寄せられた。いわく、「私が居間で昼寝をしていたときのこと。
6歳になった息子が、そっと体を私の腰にすりよせてきました。小さいながらもペニスが
固くなっているのがわかりました。やめさせたかったのですが、そうすれば息子のプライ
ドをキズつけるように感じたので、そのまま黙ってウソ寝をしていました。

こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(32歳母親)と。

●罪悪感をもたせないように

 フロイトは幼児の性欲について、次の3段階に分けている。(1)口唇期……口の中にい
ろいろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期……排便、排尿の快感がきっかけとなっ
て肛門に興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期……満4歳くらいから、性
器に特別の関心をもつようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中の
ストレス(生理的ひずみ)を疑ってみる。

子どもはストレスを解消するために、何らかの代わりの行為をする。これを代償行為と
いう。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自慰もその一つと
考える。

つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(スト
レッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふ
さぎ込み、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気難しい、興奮、衝動行為、暴力、暴言)
をともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないだけではなく、かえ
って症状を悪化させることもあるので注意する。

●スキンシップは大切に

 さらに幼児のばあい、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることによ
り、自分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安
定になり、情緒障害や精神不安の遠因となることもある。子どもが理由もなくぐずったり、
訳のわからないことを言って、親をてこずらせるようなときは、そっと子どもを抱いてみ
るとよい。最初は抵抗するそぶりを見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。

 この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、
サラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとど
うしても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめ
ることがある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の性教育 性教育 子供の性 性 自慰 子供の自慰 自慰行為)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●子どものおねしょとストレス

 いわゆる生理的ひずみをストレスという。多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になる
ことが多い。

たとえば急激に緊張すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓
がドキドキし、さらにその結果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動
が活発になる。

が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振
や性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」
(新井康允氏)という。こうした現象はごく日常的に、子どもの世界でも見られる。

 何かのことで緊張したりすると、子どもは汗をかいたり、トイレが近くなったりする。
さらにその緊張感が長くつづくと、脳の機能そのものが乱れ、いわゆる神経症を発症する。

ただ子どものばあい、この神経症による症状は、まさに千差万別で、定型がない。「尿」
についても、夜尿(おねしょ)、頻尿(たびたびトイレに行く)、遺尿(尿意がないまま
漏らす)など。

私がそれを指摘すると、「うちの子はのんびりしています」と言う親がいるが、日中、明
るく伸びやかな子どもでも、夜尿症の子どもはいくらでもいる。(尿をコントロールして
いるのが、自律神経。その自律神経が何らかの原因で変調したと考えるとわかりやすい。)
同じストレッサー(ストレスの原因)を受けても、子どもによっては受け止め方が違う
ということもある。

つまり子どもによって、それぞれ認知プロセス(=ストレスに対する耐性)は異なる。

 しかし考えるべきことは、ストレスではない。そしてそれから受ける生理的変調でもな
い。(ほとんどのドクターは、そういう視点で問題を解決しようとするが……。)

大切なことは、仮にそういうストレスがあったとしても、そのストレスでキズついた心
をいやす場所があれば、それで問題のほとんどは解決するということ。ストレスのない
世界はないし、またストレスと無縁であるからといって、それでよいというのでもない。

ある意味で、人は、そして子どもも、そのストレスの中でもまれながら成長する。で、
その結果、言うまでもなく、そのキズついた心をいやす場所が、「家庭」ということにな
る。

 子どもがここでいうような、「変調」を見せたら、いわば心の黄信号ととらえ、家庭のあ
り方を反省する。手綱(たづな)にたとえて言うなら、思い切って、手綱をゆるめる。一
番よいのは、子どもの側から見て、親の視線や存在をまったく意識しなくてすむような家
庭環境を用意する。

たいていのばあい、親があれこれ心配するのは、かえって逆効果。子ども自身がだれの
目を感ずることもなく、ひとりでのんびりとくつろげるような家庭環境を用意する。子
どものおねしょについても、そのおねしょをなおそうと考えるのではなく、家庭のあり
方そのものを考えなおす。

そしてあとは、「あきらめて、時がくるのを待つ」。それがおねしょに対する、対処法と
いうことになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の夜尿症 おねしょ 頻尿 子どものおねしょ おねしょう)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私のストレス発散法

 ストレス(生理的なひずみ、あるいは「気」のうっ積)で苦しんでいる人は、多い。実
のところ、私は30歳〜35歳のころ、偏頭痛で苦しんだ。年に数回、あるいはもっと多
い頻度で、偏頭痛の発作が起きた。それこそ四転八転の苦しみを味わった。「頭を切ってく
れ!」と叫んで、ふとんの中でもがいたことも多い。その苦しみは、偏頭痛を味わったも
のでないとわかるまい。

 もっとも当時は、偏頭痛に対する理解も治療法もなく、(あったかもしれないが、私が相
談した医師は、別の診断名をくだしていた。ある大病院では、脳腫瘍と診断し、開頭手術
まで予定した)、市販の薬をのんでは、ゲーゲーとそれを吐き出していた。そういう意味で
は、まさに毎日がストレスとの戦いでもあった。

 そんな中、やがて自分なりの対処法を身につけるようになった。

 まず第一に自分はストレスに弱いことを自覚した。そのため、ストレッサー(ストレス
の原因)となりやすいものは、できるだけ避けるようにした。たとえば人と会う約束も、
1日1回にするとか、など。あるいはスケジュールには、余裕をもたせるなど。

 つぎに、当然のことながら、治療法をさがした。たまたま東洋医学の勉強もしていたの
で、あらゆる漢方薬を試してみた。しかし結局は、そのうち、たいへんよく効く西洋薬が
開発されて、それでなおるようになった。ただその薬は、のむと胃を荒らすので、できる
だけのまないようにしている。

 が、最善の治療法は、汗をかくこと。ただし、偏頭痛がひどくなってからでは、汗をか
くと、かえって……というより、運動することそのものができない。軽い段階で、思い切
って汗をかく。

運動がよいことは言うまでもないが、その中でも、私のばあい、エンジン付の草刈り機
で、バンバンと草を刈るのが効果的。一汗かくと、偏頭痛そのものが消える。だから「お
かしい」と感じたら、あたりかまわず草を刈ることにしている。理由はよくわからない
が、下半身は毎日、自転車できたえているため、走ったり、自転車にのっても、あまり
汗をかかない。しかし反対に、上半身は、ほとんど鍛えていないので、草を刈るとその
上半身を使うため、汗をかくのではないか……と、勝手にそう解釈している。

 今でも、少し油断すると、頭重が起きる。しかしそれは同時に、私の健康のバロメータ
ーでもある。持病もうまくつきあうと、それを反対に利用することができる。「少し頭が重
くなったから、仕事を減らせ」とか。そういうふうに、利用できる。

 この話は、子育てとは関係ないが、育児疲れや育児ノイローゼで、偏頭痛になる人も多
いので、参考のために書いた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●わずらわしい世界

 情報の時代というが、本当に、この世界、わずらわしい。昨夜も、居間でお茶を飲んで
いたら、若い女性から電話がかかってきて、息子の電話番号を教えろ、と。私が断ると、「何
を偉そうに!」と。勝手に他人の家に電話をかけてきて、「何を偉そうに!」は、ない。

 ひとり静かに生きることは、一見、楽なようにみえて、楽ではない。「一日」という時間
帯をみても、ひとり静かでのんびりできる時間のほうが、少ない。つぎからつぎへと、い
ろいろな事件が起きる。そのほとんどは、向こうからやってくる。

できるなら、そういうわずらわしさから、解放されたい。しかし、それは死ぬまで、不
可能だろう。ただ私のばあい、朝、5時ごろ目が覚めて、それから7時、8時まで、こ
うして原稿を書いているが、その時間ほど、「ひとり」でいられる時間はない。貴重な時
間だ。しかし、それでわずらわしさが消えるわけではない。

 こうしたわずらわしさがあれば、それと戦うしかない。受け身になったとき、そのわず
らわしさは、ストレッサーとなる。問題は戦い方だ。しかしひとたび情緒が不安定になる
と、それも簡単ではない。

子どものばあい、大きく分けて、三つのタイプに分かれる。(1)攻撃型、激情型、暴力
型、(2)内閉型、オドオド型、萎縮型、(3)執着型、こだわり型、依存型。

思いついたまま書いたので、正しくないかもしれないが、要するに、大声を出して暴れ
るタイプと、グズグズして引きこもるタイプ、それにモノにこだわって、それを異常に
こだわるタイプがある。

 おとなもそうで、私のばあいは、(1)の攻撃型と、(2)内閉型の間をいったりきたり
する。精神状態がフワフワし、自分でもつかみどころがなくなってしまう。爆発しそうな
自分を必死でこらえたり、反対に、電話に出るのも、おっくうになったりする。

あるいはときどき、(3)のモノにこだわるときもある。そういうときは、それまでほし
かった高価なものを、パッと買ったりする。それで気分が晴れることもある。あとはカ
ルシウム剤をたっぷりと飲んで、風呂に入って、よく眠る。「明日は明日の風が吹く」と、
そう思いながら、床につく。

 昨日も一日、何かとわずらわしいことがつづいた。そのため朝なのに、少し頭が痛い。
しかし考えても始まらない。「何とかなるだろう」と、自分をなぐさめながら、前に進むし
かない。がんばりましょう。がんばります。では、みなさん、おはようございます。
(02−11−16)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心のメカニズム

*****************

少し不謹慎な話で恐縮だが、セックス
をすると、言いようのない快感が、脳
全体をおおうのがわかる。これはセッ
クスという行為によって刺激され、脳
にモルヒネ様の物質が放出されるため
である。しかしこういう快感があるか
ら人は、セックスをする。つまり、種
族を私たちは維持できる。同じように、
よいことをしても、脳の中で、同様の
変化が起きる? それについて考えて
みた。

*****************

 まず、数か月前に私はこんなエッセーを書いた。その中で、私は「気持ちよさ」とか、「こ
こちよさ」という言葉を使って、「正直に生きることの大切さ」について書いてみた。

●常識の心地よさ 

 常識をみがくことは、身のまわりの、ほんのささいなことから始まる。花が美しいと思
えば、美しいと思えばよい。青い空が気持ちよいと思えば、気持ちよいと思えばよい。そ
ういう自分に静かに耳を傾けていくと、何が自分にとってここちよく、また何が自分にと
って不愉快かがわかるようになる。

無理をすることは、ない。道ばたに散ったゴミやポリ袋を美しいと思う人はいない。排
気ガスで汚れた空を気持ちよいと思う人はいない。あなたはすでにそれを知っている。
それが「常識」だ。

 ためしに他人に親切にしてみるとよい。やさしくしてあげるのもよい。あるいは正直に
なってみるのもよい。先日、あるレストランへ入ったら、店員が計算をまちがえた。まち
がえて50円、余計に私につり銭をくれた。道路へ出てからまたレストランへもどり、私
がその50円を返すと、店員さんはうれしそうに笑った。まわりにいた客も、うれしそう
に笑った。そのここちよさは、みんなが知っている。

 反対に、相手を裏切ったり、相手にウソを言ったりするのは、不愉快だ。そのときはそ
うでなくても、しばらく時間がたつと、人生をムダにしたような嫌悪感に襲われる。実の
ところ、私は若いとき、そして今でも、平気で人を裏切ったり、ウソをついている。自分
では「いけないことだ」と思いつつ、どうしてもそういう自分にブレーキをかけることが
できない。

私の中には、私であって私でない部分が、無数にある。ひねくれたり、いじけたり、つ
っぱったり……。先日も女房と口論をして、家を飛び出した。で、私はそのあと、電車
に飛び乗った。「家になんか帰るものか」とそのときはそう思った。で、その夜は隣町の
T市のホテルに泊まるつもりでいた。が、そのとき、私はふと自分の心に耳を傾けてみ
た。「私は本当に、ホテルに泊まりたいのか」と。答は「ノー」だった。私は自分の家で、
自分のふとんの中で、女房の横で寝たかった。だから私は、最終列車で家に帰ってきた。

 今から思うと、家を飛び出し、「女房にさみしい思いをさせてやる」と思ったのは、私で
あって、私でない部分だ。私には自分にすなおになれない、そういういじけた部分がある。
いつ、なぜそういう部分ができたかということは別にしても、私とて、ときおり、そうい
う私であって私でない部分に振りまわされる。しかしそういう自分とは戦わねばならない。

 あとはこの繰りかえし。ここちよいことをして、「善」を知り、不愉快なことをして、「悪」
を知る。いや、知るだけでは足りない。「善」を追求するにも、「悪」を排斥するにも、そ
れなりに戦わねばならない。それは決して楽なことではないが、その戦いこそが、「常識」
をみがくこと、そのものと言ってもよい。

●なぜ気持ちよいのか

 少し話が専門的になるが、大脳の中心部(大脳半球の内側面)に、辺縁系(大脳辺縁系)
と呼ばれる組織がある。「辺縁系」というのは、このあたりが、間脳や脳梁(のうりょう)
を、ちょうど包むようにフチどっていることから、そう名づけられた。

 その辺縁系の中には、認知記憶をつかさどる海馬(かいば)や、動機づけをする帯状回
(たいじょうかい)、さらに価値判断をする扁桃体(へんとうたい・扁桃核ともいう)があ
る。

その扁桃体が、どうやら、人間の善悪の感覚をつかさどっているらしいことが、最近の
研究でわかってきた。もう少しわかりやすく言うと、大脳(新皮質部)でのさまざまな
活動が、扁桃体に信号を送り、それを受けて、扁桃体が、麻薬様の物質を放出する。そ
の結果、脳全体が快感に包まれるというのだ。

ここに書いたケースで言えば、私が店員さんに50円のお金を渡したことが、扁桃体に
信号を送り、その扁桃体が、私の脳の中で、麻薬様の物質を放出したことになる。

 もっとも脳の中でも麻薬様の物質が作られているということは、前から知られていた。
そのひとつに、たとえばハリ麻酔がある。体のある特定の部位に刺激を与えると、その刺
激が神経を経て、脳に伝えられる。すると脳の中で、その麻薬様物質が放出され、痛みが
緩和される。私は23、4歳のころからこのハリ麻酔に興味をもち、一時は、ある研究所
(社団法人)から、「教授」という肩書きをもらったこともある。

 それはそれとして、麻薬様物質としては、現在数10種類ほど発見されている。その麻
薬様物質は、大きく分けて、エンドルフィン類と、エンケファリン類の二つに分類される。
これらの物質は、いわば脳の中で生産される自家製のモルヒネと思えばよい。こうした物
質が放出されることで、その人はここちよい陶酔感を覚えることができる。

 つまりよいことをすると、ここちよい感じがするのは、大脳(新皮質部)が、思考とし
てそう感ずるのではなく、辺縁系の中にある扁桃体が、大脳からの信号を得て、麻薬様の
物質を放出するためと考えられる。少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、心の働き
というのも、こうして、ある程度は、大脳生理学の分野で説明できるようになった。

 で、その辺縁系は、もともとは動物が生きていくための機能をもった原始的な脳と考え
られていた。私が学生時代には、だれかからは忘れたが、この部分は意味のない脳だと教
えられたこともある。

しかしその後の研究で、この辺縁系は、ここにも書いたように、生命維持と種族維持だ
けではなく、もろもろの心の活動とも、深いかかわりをもっていることがわかってきた。
そうなると人間は、「心」を、かなりはやい段階、たとえばきわめて原始的な生物のとき
からもっていたということになる。ということは、同属である、犬やネコにも「心」が
あると考えてよい。実際、こんなことがある。

 私は飼い犬のポインター犬を連れて、よく散歩に行く。あの犬というのは、知的なレベ
ルは別としても、情動活動(心の働き)は、人間に劣らずともあると言ってよい。喜怒哀
楽の情はもちろんのこと、嫉妬もするし、それにどうやら自尊心もあるらしい。

たとえば散歩をしていても、どこかの飼い犬がそれを見つけて、ワンワンとほえたりす
ると、突然、背筋をピンとのばしたりする。人間風に言えば、「かっこづける」というこ
とになる。そして何か、よいことをしたようなとき、頭をなでてやり、それをほめたり
すると、実にうれしそうに、そして誇らしそうな様子を見せる。恐らく、……というよ
り、ほぼまちがいなく、犬の脳の中でも、人間の脳の中の活動と同じことが起きている
と考えてよい。つまり大脳(新皮質部)から送られた信号が、辺縁系の扁桃体に送られ、
そこで麻薬様の物質が放出されている!

●心の反応を決めるもの

 こう考えていくと、善悪の判断にも、扁桃体が深くかかわっているのではないかという
ことになる。それを裏づける、こんなおもしろい実験がある。

 アメリカのある科学者(ラリー・カーヒル)は、扁桃体を何らかの事情で失ってしまっ
た男性に、つぎのようなナレーションつきのスライドを見せた。そのスライドというのは、
ある少年が母親といっしょに歩いているとき、その少年が交通事故にあい、重症を負って、
もがき苦しむという内容のものであった。

 そしてラリー・カーヒルは、そのスライドを見せたあと、ちょうど一週間後に再び、そ
の人に病院へ来てもらい、どんなことを覚えているかを質問してみた。

 ふつう健康な人は、それがショッキングであればあるほど、その内容をよく覚えている
もの。が、その扁桃体を失ってしまった男性は、スライドを見た直後は、そのショッキン
グな内容をふつうの人のように覚えていたが、一週間後には、そのショッキングな部分に
ついて、ふつうの人のように、とくに覚えているということはなかったというのだ。

 これらの実験から、山元大輔氏は『脳と記憶の謎』(講談社現代新書)の中でつぎのよう
に書いている。

(1)(扁桃体のない男性でも)できごとの記憶、陳述記憶はちゃんと保たれている。
(2)扁桃体がなくても、情動反応はまだ起こる。これはたぶん、大脳皮質がある程度、
その働きを、「代行」するためではないか。
(3)しかし情動記憶の保持は、致命的なほど、失われてしまう。

 わかりやすく言えば、ショッキングな場面を見て、ショックを受けるという、私たちが
「心の反応」と呼んでいる部分は、扁桃体がつかさどっているということになる。

●心の反応を阻害(そがい)するもの

 こうした事実を、子育ての場で考えると、つぎのように応用できる。つまり子どもの「心」
というのも、大脳生理学の分野で説明できるし、それが説明できるということは、「心」は、
教育によって、はぐくむことができるということになる。

 そこで少し話がそれるが、こうした脳の機能を阻害するものに、「ストレス」がある。た
とえばニューロンの死を引き起こす最大の原因は、アルツハイマー型などの病気は別とし
て、ストレスだと言われている。

何かの精神的圧迫感が加わると、副腎皮質から、グルココルチコイドという物質が分泌
される。そしてその物質が、ストレッサーから身を守るため、さまざまな反応を体の中
で引き起こすことが知られている。

 このストレスが、一時的なものなら問題はないが、それが、長期間にわたって持続的に
つづくと、グルココルチコイドの濃度があがりっぱなしになって、ニューロンに致命的な
ダメージを与える。そしてその影響をもっとも強く受けるのが、辺縁系の中の海馬だとい
う(山元大輔氏)。

 もちろんこれだけで、ストレスが、子どもの心をむしばむ結論づけることはできない。
あくまでも「それた話」ということになる。しかし子育ての現場では、経験的に、長期間
何らかのストレスにさらされた子どもが、心の冷たい子どもになることはよく知られてい
る。

イギリスにも、『抑圧は悪魔を生む』という格言がある。この先は、もう一度、いつか機
会があれば煮つめてみるが、そういう意味でも、子どもは、心豊かな、かつ穏やかな環
境で育てるのがよい。そしてそれが、子どもの心を育てる、「王道」ということになる。

 ついでに、昨年書いたエッセーを、ここに転載しておく。ここまでに書いたことと、少
し内容が重複するが、許してほしい。

●子どもの心が破壊されるとき

 A小学校のA先生(小1担当女性)が、こんな話をしてくれた。「1年生のT君が、トカ
ゲをつかまえてきた。そしてビンの中で飼っていた。そこへH君が、生きているバッタを
つかまえてきて、トカゲにエサとして与えた。私はそれを見て、ぞっとした」と。

 A先生が、なぜぞっとしたか、あなたはわかるだろうか。それを説明する前に、私にも
こんな経験がある。もう20年ほど前のことだが、1人の子ども(年長男児)の上着のポ
ケットを見ると、きれいに玉が並んでいた。私はてっきりビーズ玉か何かと思った。が、
その直後、背筋が凍りつくのを覚えた。

よく見ると、それは虫の頭だった。その子どもは虫をつかまえると、まず虫にポケット
のフチを口でかませる。かんだところで、体をひねって頭をちぎる。ビーズ玉だと思っ
たのは、その虫の頭だった。

また別の日。小さなトカゲを草の中に見つけた子ども(年長男児)がいた。まだ子ども
の小さなトカゲだった。「あっ、トカゲ!」と叫んだところまではよかったが、その直後、
その子どもはトカゲを足で踏んで、そのままつぶしてしまった!

 原因はいろいろある。貧困(それにともなう家庭騒動)、家庭崩壊(それにともなう愛情
不足)、過干渉(子どもの意思を無視して、何でも親が決めてしまう)、過関心(子どもの
側からみて息が抜けない家庭環境)など。威圧的(ガミガミと頭ごなしに言う)な家庭環
境や、権威主義的(「私は親だから」「あなたは子どもだから」式の問答無用の押しつけ)
な子育てが、原因となることもある。要するに、子どもの側から見て、「安らぎを得られな
い家庭環境」が、その背景にあるとみる。さらに不平や不満、それに心配や不安が日常的
に続くと、それが子どもの心を破壊することもある。

イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。抑圧的な環境が長く続くと、
ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、このタイプの子どもは、心のバラ
ンス感覚をなくすのが知られている。

「バランス感覚」というのは、してよいことと悪いことを、静かに判断する能力のこと
をいう。これがないと、ものの考え方が先鋭化したり、かたよったりするようになる。
昔、こう言った高校生がいた。「地球には人間が多すぎる。核兵器か何かで、人口を半分
に減らせばいい。そうすれば、ずっと住みやすくなる」と。そういうようなものの考え
方をするが、言いかえると、愛情豊かな家庭環境で、心静かに育った子どもは、ほっと
するような温もりのある子どもになる。心もやさしくなる。

 さて冒頭のA先生は、トカゲに驚いたのではない。トカゲを飼っていることに驚いたの
でもない。A先生は、生きているバッタをエサとして与えたことに驚いた。A先生はこう
言った。「そういう残酷なことが平気でできるということが、信じられませんでした」と。

 このタイプの子どもは、総じて他人に無関心(自分のことにしか興味をもたない)で、
無感動(他人の苦しみや悲しみに鈍感)、感情の動き(喜怒哀楽の情)も平坦になる。よく
誤解されるが、このタイプの子どもが非行に走りやすいのは、そもそもそういう「芽」が
あるからではない。非行に対する抵抗力がないからである。悪友に誘われたりすると、そ
のままスーッと仲間に入ってしまう。ぞっとするようなことをしながら、それにブレーキ
をかけることができない。だから結果的に、「悪」に染まってしまう。

 そこで一度、あなたの子どもが、どんなものに興味をもち、関心を示すか、観察してみ
てほしい。子どもらしい動物や乗り物、食べ物や飾りであればよし。しかしそれが、残酷
なゲームや、銃や戦争、さらに日常的に乱暴な言葉や行動が目立つというのであれば、家
庭教育のあり方をかなり反省したらよい。

子どものばあい、「好きな絵をかいてごらん」と言って紙とクレヨンを渡すと、心の中が
読める。子どもらしい楽しい絵がかければ、それでよし。しかし心が壊れている子ども
は、おとなが見ても、ぞっとするような絵をかく。

 ただし、小学校に入学してからだと、子どもの心を修復するのはたいへん難しい。修復
するとしても、四、五歳くらいまで。穏やかで、静かな生活を大切にする。
(02−11−23)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
心をゆがめる子供 扁桃体 ストレスと子供 子供とストレス)


+++++++++++++++++++++++

ここまでの原稿に関連して、
以前にマガジンで配送した原稿を、送ります。
前に読んでくださった方は、とばしてください。

+++++++++++++++++++++++

●性善説と性悪説

 胎児は母親の胎内で、過去数10万年の進化の過程を、そのまま繰り返す。ある時期は、
魚そっくりのときもあるそうだ。

 同じように、生まれてから、知能の発達とは別に、人間は、「心の進化」を、そのまま繰
り返す。……というのは、私の説だが、乳幼児を観察していると、そういうことを思わせ
る場面に、よく出会う。

たとえば生後まもなくの新生児には、喜怒哀楽の情はない。しかし成長するにつれて、
さまざまな感情をもつようになる。よく知られた現象に、「天使の微笑み」というのがあ
る。眠っている赤子が、何を思うのか、ニコニコと笑うことがある。こうした「心」の
発達を段階的に繰り返しながら、子どもは成長する。

 最近の研究では、こうした心の情動をコントロールしているのが、大脳の辺縁系の中の、
扁桃体(へんとうたい)であるということがわかってきた。

たしかに知的活動(大脳連合野の新新皮質部)と、情動活動は、違う。たとえば1人の
幼児を、皆の前でほめたとする。するとその幼児は、こぼれんばかりの笑顔を、顔中に
浮かべる。その表情を観察してみると、それは知的な判断がそうさせているというより
は、もっと根源的な、つまり本能的な部分によってそうしていることがわかる。が、そ
れだけではない。

 幼児、なかんずく4^6歳児を観察してみると、人間は、生まれながらにして善人であ
ることがわかる。中に、いろいろ問題のある子どもはいるが、しかしそういう子どもでも、
生まれながらにそうであったというよりは、その後の、育て方に問題があってそうなった
と考えるのが正しい。

子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、絶対に悪い子どもに
はならない。(こう断言するのは、勇気がいることだが、あえてそう断言する。)

 こうした幼児の特質を、先の「心の進化」論にあてはめてみると、さらにその特質がよ
くわかる。

 仮に人間が、生まれながらにして悪人なら……と仮定してみよう。たとえば仲間を殺し
ても、それを快感に覚えるとか。人に意地悪をしたり、人をいじめても、それを快感に覚
えるとか。新生児についていうなら、生まれながらにして、親に向かって、「ババア、早く
ミルクをよこしやがれ。よこさないとぶっ殺すぞ」と言ったとする。もしそうなら、人間
はとっくの昔に、絶滅していたはずである。

つまり今、私たちがここに存在するということは、とりもなおさず、私たちが善人であ
るという証拠ということになる。私はこのことを、アリの動きを観察していて発見した。

 ある夏の暑い日のことだった。私は軒先にできた蜂の巣を落とした。私もワイフも、こ
の1、2年で一度ハチに刺されている。今度ハチに刺されたら、アレルギー反応が起きて、
場合によっては、命取りになるかもしれない。それで落とした。殺虫剤をかけて、その巣
の中の幼虫を地面に放り出した。そのときのこと。時間にすれば10分もたたないうちに、
無数の小さなアリが集まってきて、その幼虫を自分たちの巣に運び始めた。

 最初はアリたちはまわりを取り囲んでいただけだが、やがてどこでどういう号令がかか
っているのか、アリたちは、一方向に動き出した。するとあの自分の体の数百倍以上はあ
るハチの幼虫が、動き出したのである!

 私はその光景を見ながら、最初は、アリたちにはそういう行動本能があり、それに従っ
ているだけだと思った。しかしそのうち、自分という人間にあてはめてみたとき、どうも
それだけではないように感じた。

たとえば私たちは夫婦でセックスをする。そのとき本能のままだったら、それは単なる
排泄行為に過ぎない。しかし私たちはセックスをしながら、相手を楽しませようと考え
る。そして相手が楽しんだことを確認しながら、自分も満足する。同じように、私はア
リたちにも、同じような作用が働いているのではないかと思った。つまりアリたちは、
ただ単に行動本能に従っているだけではなく、「皆と力を合わせて行動する喜び」を感じ
ているのではないか、と。またその喜びがあるからこそ、そういった重労働をすること
ができる、と。

 この段階で、もし、アリたちがたがいに敵対し、憎みあっていたら、アリはとっくの昔
に絶滅していたはずである。言いかえると、アリはアリで、たがいに助けあう楽しみや喜
びを感じているに違いない。またそういう感情(?)があるから、そうした単純な、しか
も過酷な肉体労働をすることができるのだ、と。

 もう結論は出たようなものだ。人間の性質について、もともと善なのか(性善説)、それ
とも悪なのか(性悪説)という議論がよくなされる。しかし人間は、もともと「善なる存
在」なのである。私たちが今、ここに存在するということが、何よりも、その動かぬ証拠
である。繰り返すが、もし私たち人間が生まれながらにして悪なら、私たちはとっくの昔
に、恐らくアメーバのような生物にもなれない前に、絶滅していたはずである。

 私たち人間は、そういう意味でも、もっと自分を信じてよい。自分の中の自分を信じて
よい。自分と戦う必要はない。自分の中の自分に静かに耳を傾けて、その声を聞き、それ
に従って行動すればよい。もともと人間は、つまりあらゆる人々は、善人なのである。
(02−8−3)

参考文献……『脳と記憶の謎』山元大輔(講談社現代新書)
      『脳のしくみ』新井康允(日本実業出版社)ほか
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
性善説 ストレスとは ストレス学説)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝(9月24日)

+++++++++++++++++

昨日の昼は、山の上の、あるレストランで
イタリア料理!

友人夫妻との会食。
おいしかった。楽しかった。

さらに夜は、スキヤキ。おかげで、今朝、
起きたとき体重をはかったら、
2キロ、オーバー!

さっそく、減量開始。

まず、自転車で、30分ほど走る。
ついでワイフに、「今朝は、朝食抜き」を
宣言。

そうそう、満腹感が残っているためか、
今朝は、頭の働きが鈍い。

考えるよりも先に、あくびばかりが、出る。

しかし今日も、とにかく、始まった。

がんばるしかない。がんばろう!

+++++++++++++++++

 昨日、友人夫妻の車で、浜名湖の西にあるレストランで、イタリア料理を食べた。山の
中腹にあるレストランで、浜名湖が一望できた。すてきなレストランで、一品ごと、ウエ
イターが、「これは〜〜です」「これは〜〜です」と、紹介してくれた。

 おいしかった。楽しかった。が、いつもの、食べすぎ。時計を見ると、レストランを出
たのが、午後3時。12時から食べ始めたから、何と、3時間も、そのレストランでねば
ったことになる。3時間だぞ! あのウエイター、きっと、「早く帰れ」と、内心では怒っ
ていたにちがいない。

 ああしたレストランでは、ワインで、儲けるしくみになっている。が、私たちは、その
ワインを飲まなかった。とくに私は、水(ウォーター)だけ。ゴメン!

 帰りの途中に、ワイフと夕食の献立の話になる。「何にする?」「何にしようか?」とい
うことで、スキヤキになった。鍋物は、私の得意芸。夕食は私がつくることにした。

 そんなわけで、夕食は、スキヤキ。味が少し薄かったが、まあまあのでき。(スキヤキと
いうのは、一度少量で煮こんだあと、一度、さまして、数時間そのままにしておく。その
あと、もう一度、熱を入れ、新鮮な野菜や牛肉を補充すると、おいしくなる。これは、私
流、スキヤキ料理法。しかし昨夜は、そのさましておく時間が、なかった。それで薄味に
なってしまった。)

 で、今朝起きたとき、眠気眼(ねむけまなこ)で体重計の上に乗ると、ギョッとして、
そのまま目がさめてしまった。いつもより、2キロもオーバー。2キロといえば、ペット
ボトル1本分!

 さっそく今日から、またまたダイエット。書斎にお茶を届けてくれたワイフに、「今朝は、
朝食を抜くよ」と宣言。私のばあい、1、2食抜けば、体重はすぐまたもとにもどる。そ
ういう意味では、私の体は、便利な体にできている。あとは、運動。

 しかし昨日は、美食日だった。口の中には、あのイタリア料理とスキヤキの味が、まだ
どこかしこに、残っている。しばらくは、ダイエット食と、野菜だけの献立がつづきそう。

 おかげで、今朝は、考えるより先に、あくびばかりが、出る。ア〜ア。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●指導力不足教師

++++++++++++++++

子どもに適切な指導ができないとして、
2005年度に、「指導力不足」と認定された
公立学校の教員は、506人だったという。

++++++++++++++++

子どもに適切な指導ができないとして、2005年度に、「指導力不足」と認定された
公立学校の教員は、506人だったという。9月22日、文部科学省のまとめで、わか
った。

この数は、04年度より60人減った。年代別では40代が45%、50代が37%と
ベテラン教員が8割強を占めたという。全国の公立小中高校の教員は、約89万800
0人。約1775人に1人が、指導力不足と判定されたことになる。

 T初等中等教育企画課長は、「年齢構成上、教員にはその年代が多いことも要因だが、
子どもの変化や、保護者の要望の変化に対応しきれていない部分もある」と分析している
(中日新聞)。

 この記事を読んで、「?」と思う部分が、いくつかある。

 その1。数が少なすぎる。全国で、たったの506人? しかしとてもそんな数でない
ことは、現場の先生たちなら、みな、知っている。「?」と思われる教師がいても、たい
ていは、学校内部で処理されてしまう。ここでいう506人という先生は、きわだって、
特別な先生ということになる。

 G先生(K市教育委員会所属)も、こう言った。「問題のある教師を、問題があると認
定するだけでも、たいへんなことです」「とくに40代前後の教師は、我流を身につけて
いますから、指導がむずかしいです。自分の教え方が絶対正しいと言い張って、一歩も譲
りませんから」と。

 その2。「子どもの変化や、保護者の要望の変化に対応しきれていない部分がある」と
いう部分。つまり対応できないから問題がある、と。言いかえると、私たちが頭の中で描
く、(指導力不足教師)とは、ややニュアンスがちがうのではないのか。

 私たちが(指導力不足教師)というときは、いわゆる(いいかげんで、無責任な教師)
をさす。子どもたちがワイワイと騒いでいても、すべきことはするが、それ以上はしない。
そういう態度で、そのまま授業を終わってしまう。そんな教師をさす。

 もっとも、今回の調査は、全国の都道府県と政令市の教育委員会を対象に実施したもの
だという。指導力不足の定義は教委ごとに違い、それぞれが医師、弁護士などによる委員
会を設けて判定したという。それを文科省が、結果を集約したという。

 どこかに一定の基準があったわけではない。

 ついでながら、認定者が一番多かったのは横浜市の23人。千葉、三重両県の22人だ
ったという。

 で、指導力不足と認定された教員で、05年度に研修を受けたのは342人。うち現場
に復帰できたのは116人と3分の1だったという。認定後、依願退職したのは103人。
研修後も指導力が身につかなかったとして、免職となった教員が6人いたという。

 つまりは、こうした調査は、不適格教師のクビを切るための、お膳立てに利用されてい
ると考えてもよいのでは?

 が、あえて、一言。「子どもの変化や、保護者の要望の変化に対応しきれていない部分
がある」という部分だが、現在のように、日本中の親や子どもたちが、総ドラ息子、総ド
ラ娘化している中で、今さらに、どうして(子どもの変化や、保護者の要望に対応できて
いない)が、問題になるのか。つまりこれ以上、子どもの変化や、保護者の要望に対応し
たら、教育そのものが、成りたたなくなってしまう。

 わかりやすく言えば、これ以上、親や子どもたちに振りまわされていたら、教育そのも
のが、成りたたなくなるということ。「教育」といっても、その底流では、親たちのドロ
ドロとした欲望が、渦を巻いている。そんなドロドロとした欲望に対応できないからとい
って、指導力不足とは?

 もっともお役人の使う言葉には、必ず、ウラがある。今回も、(不適格教師)のことを、
(指導力不足)と言いかえただけなのかもしれない。たとえば私が中学生のときは、隠れ
て酒を飲んでいる先生だっていた。そういう、つまりはだれの目から見ても、「?」な先
生を、(指導力不足)ということにしたのかもしれない。

 私には、よくわからないが……。医師や弁護士による委員会が判定したということだか
ら、そういう人たちの目から見て、そういう教師だったということなのだろう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
指導力不足 不適格教師 指導力不足教師)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【韓国情勢】

++++++++++++++++++

韓国政府の高官が、「日本は、アメリカの
寄生虫」と言ったとか。

何を言っても、私はもう驚かないが、そう
言えば、今朝のニュースによれば、あの
K国も同じようなことを言っている。

「(日本は)アメリカの対(北)朝鮮敵視政策に
追従し、主人の機嫌を取ろうとする政治的な醜態
を見せている」(読売新聞)と。

+++++++++++++++++++

●アメリカ空軍が撤退

 韓国のB国際安保大使は、21日、「日本は米国に寄生して、中国に対抗しようとしてい
るが……」と述べて、「寄生虫」という言葉を使った。

 何とでも言いたければ言うがよい。しかし逆に、日本の政府高官が、同じような言葉を
韓国に向けて言ったら、あのN大統領は、どのように反応するだろうか。きっと、狂った
ように、それを反日攻撃の材料にするにちがいない。

 ところで最近の大きな動きとしては、アメリカ空軍が、いよいよ韓国から出て行くこと
になりそうということ。

在韓米第7空軍司令官が、21日、「空対地射撃場の移転先問題が30日以内に解決され
なければ、駐韓米空軍の戦力を韓半島(朝鮮半島)の外に展開することもあり得る」と
語ったという(朝鮮N報)。

 アメリカは、「30日以内」という、タイムリミットをつけたことになる。米韓関係は、
予想以上のスピードで、破滅へと向かっている。

 が、韓国のあのおバカ大統領は、そんな動きにも、どこ吹く風。「K国が偽札を作ってい
るという証拠はない」「(開城工業団地でK国に渡している、毎月50マンドルの現金が)、
ミサイルや核開発のための使われているという証拠はない」(朝鮮N報)と、述べている。

 ほかに、「作戦統制権の話はアメリカ側から出たもの」(これはウソだったと、あとにな
って判明)とか、「韓国有事の際には、50〜60万人のアメリカ兵が、韓国を守ってくれ
る」(これも、アメリカ側が、そんな約束をした覚えはないと否定)などと言っている。

 さらに日米、中ロの間に立って、これら4か国の「バランサーになる」と豪語してはみ
たものの、実際には、日米関係を破壊し、肝心の中ロには、相手にされなくなってしまっ
た。4年前、大統領に就任したときは、「K国の核問題は、私が解決してみせる」と豪語し
た。が、結果は、ご覧のとおり。

●どうして韓国が韓国なのか

 それもそのはず。日米韓の3か国あっての韓国である。日米から遊離して、どうして韓
国なのか。中国やロシアの立場から見れば、そんなことは、だれにだってわかるはず。

 おまけに韓国最大手のU銀行が、開城工業団地を通して、K国の隠し口座を作っていた
という事実が判明。「一時的な便宜のため」と、韓国政府は弁明したが、それが18か月も
つづいていたという。

 もしこれが事実なら、マカオのバンコ・デルタ・アジア銀行(BDA)問題以上の問題
となる。仮にアメリカが、U銀行に対して、BDAと同じような調査を開始したら、韓国
経済は、息の根を止められることになる。

 わかっているのか、N大統領!

 もっともN大統領のハラは、K国の敵意を、日本やアメリカに向けさせることによって、
自分だけは安全圏に置こうというところにある。自国への矛先を、日本やアメリカにかわ
そうというわけである。そういう意味では、N大統領の外交政策は、成功しているかのよ
うに見える。

 が、それは同時に、反日、反米、そして親北政策となって、はねかえってくる。この東
アジアで、この日本を敵に回して、韓国は、どうやって生き延びていくことができるのか。
この数日だけでも、円に対して、ウォンが急騰している。100円=850ウォンが危険
水域とされていたが、それが800ウォンに近づきつつある(9月22日)。

 つまり韓国内の日本向け輸出企業は、そのほとんどが、その時点で、壊滅的打撃を受け
ることになる。(すでに、受けているが……。)

 ならばウォンを切り下げればよいということになるが、そうなればなったで、N大統領
が描いていた夢は、つゆと消えることになる。N大統領は、「韓国は、世界の10大先進国
になった」と、少し前まで、大声ではしゃいでいた。が、それはウォン高が背景にあった
からにほかならない。

 このまま行けば、またまた韓国は国家破綻(デフォルト)するかもしれない。先の国家
破綻のときも、100円が800ウォンになったところで、起きた。

 それにしても「寄生虫」とは?

 これから先のことは知らないが、もしそうなら、現在の韓国は、どうなのか? 現に今、
その韓国は、アメリカに寄生しているではないのか。経済では、日本に寄生している。こ
うした発言は、それが終わってから言うべきではないのか。

●以下、チャンネル2風に……

 あのね、B国際安保大使さんよ、アメリカは、韓国にせよ、K国にせよ、相手にしてい
ないの。それがわからなければ、あのアメリカの大地のどん真ん中に立って、もう一度、
自分たちの極東アジアがどういう位置にあるか、それを考えてみればよい。

 アメリカのほとんどの大学生は、韓国がどこにあるかさえも知らないよ。中国やロシア
のことは知っていても、韓国のことは、知らない。それともあなたは、南米のウルグワイ
や、パラグアイがどこにあるか、知っているとでもいうのか? アメリカ人にしてみれば、
韓国という国は、その程度の国なの。

 「韓民族」「韓民族」と声高に叫ぶのもよいが、今は、もうそういう時代ではないの。と
くにアメリカには、民族主義など、ない。あの国は、多民族で構成された移民国家。韓国
からの移民も、多いよ。自分たちの論理だけを振りまわして、「主権」だの、「民族の誇り」
などを訴えても、意味はないということ。

 おめでたいというか、おバカというか……。日本経済にずっと寄生してきたのは、ほか
ならぬ、韓国、あなたがたではないのか! 現在、韓国の産業の柱になっている、自動車、
電子、鉄鋼、それに造船の産業は、すべて、日本から奪い取ったもの。

 今、それらが今度はすべて、中国に奪われようとしている。日本の知ったことではない
が、「日韓の首脳会談を開いてもよい」(N大統領)とは、何ごとか! 頭をさげて、「首脳
会談を開かせてください」と言うべきは、実は、あなたがた韓国のほうではないのか!

 アメリカは、「現政権が変わっても、対韓国政策はもう、あと戻りはしない」と宣言して
いる。その点、日本は、まだ暖かいよ。今のN政権が、韓国の人たちの総意を代表してい
るなどとは、だれも思っていない。ただここで言えることは、N大統領よ、もうこれ以上、
日韓関係を破壊するような発言や行為は、おやめなさいということ。

 それこそ、本当に今度は、日本もあと戻りできなくなってしまう。しかしね、それはね、
同時に、韓国経済の終焉(しゅうえん)を意味することになるのよ。わかっていますか、
N大統領!

 それにね、太陽政策というのも、結構だが、相手は、あなたのウラのウラをかく、独裁
者なの。わかる? あなたは一見、K国を助けるフリをしながら、やがてはK国を自国へ
取りこもうとしている。これがウラ。しかしそんなウラは、とっくの昔に、バレバレ。だ
からK国は、矛先を日本やアメリカに向けたフリをしながら、さらに韓国から、援助を引
き出そうとしている。これがウラのウラ。

 K国の問題を考えるときにはね、貧者の論理で考えなければならないのよ。

 たまたま金持ちになった韓国がだよ、その札束を見せびらかして、それでもって、K国
が目を開くと思ったら、大きなまちがい。かえってK国は、門戸を閉ざすだけ。ひがむだ
け。いじけるだけ。

 相手は、共産主義者でも、社会主義者でもないのよ。ただの頭のおかしい、独裁者。ど
うして近くにいて、そんなことがわからないの? つまりね、それがわからないから、あ
なたはおバカなの。

【付記】

●K国に毎月、現金50万ドル!

+++++++++++++++++++

朝鮮N報にこんな記事が出ていた。
それを要約する。

何でも、毎月50万ドルもの現金が、
K国に渡っているという。

+++++++++++++++++++

ドルを満載した現金輸送車が、月2回、ソウル市内のU銀行本店を出発する。行き先は
K国の開城工業団地にあるウリ銀行の支店。現金輸送車に積まれたドルは、開城工団の
韓国企業15社で働く、K国の労働者約8000人に渡す給料(1人当たり最低58ド
ル=約6700円)だ。ひと月に約50万ドル(約5820万円)が現金輸送車に積ま
れ、開城工団に向かう。なぜウリ銀行は銀行送金せずにドル札を直接、K国に運ぶのか? 


 その理由は、ウリ銀行開城工団支店は輸出工業団地内にあるものの、ドル収入がまった
くなく、K国の労働者に渡すドルを、自給自足できないからだ。つまり、開城工団の各
企業は、韓国から原材料を受け取り、K国の労働力を使って単純加工し、再び韓国に運
ぶため、輸出による外貨収入が発生しないのだ。 

 またK国は、ウリ銀行開城工団支店に自己名義のドル建て口座を作れないので、給料は
現金で支給しなければならない。

 問題は、ソウルを出発した現金輸送車に積まれたドルが、K国側に渡る過程で、韓国政
府の為替当局(韓国銀行)に届け出る手続きがなく、現金輸送車に積まれたドルの金額を
いちいち確認する必要がないため、現金輸送が他の目的に利用される可能性もあるという
ことだ。 

 そのうえ韓国財政経済部は、今月から現金支給でも振り込みでも、K国への送金につい
ては申告義務を免除する特別措置まで取っている。 

 開城工団の韓国企業がこの現金を受け取り、K国の労働者に月給として直接支給するわ
けでもない。輸送されたドルはまず、K国の行政官庁に渡される。K国当局は各種社会保
障費や食糧配給の代価など、一種の税金を控除した後、労働者に月35ドル(約4080円)
ずつK国ウォン(K国の公式レートで約5000ウォン)で支給する。結局、ウリ銀行が
運んだドルは 100%、K国当局に渡るのだ。 

 巨額のドルを定期的にK国当局に渡すやり方に、国際社会の一部から懸念が出ているが、
こうした給与支給方式は変っていない。むしろ韓国政府は、ウリ銀行のK国に対する外貨
送金に、韓国銀行の申告義務をなくす特例条項まで設け、送金の便宜を図っている。 

 韓国政府当局者は「K国がこの現金を実際にどう使っているかは確認できないのが現状」
と話している。

【付記2】

 こうした韓国側の行為に、アメリカの政府高官が、不快感を示している。 

 たとえば対北強硬派で知られているレフコウィッツK国人権特使は、今年4月、議会の
公聴会で、「開城工業団地事業はK国に数億ドルを与えており、今後さらに多くの現金収入
をK国にもたらすだろう。韓国はこの事業で冷戦の壁を克服するとしているが、国際社会
は工場の労働者らに対する公正な処遇について疑問の声を上げている」と発言している。

 また昨年まで米ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)でアジア担当局長を務めて
いたマイケル・グリーン氏は、最近米国内のマスコミとのインタビューで、「開城工業団地
と金剛山事業は、K国の住民のためになる経済・社会体制上の変化を起こすことなく、余
りにも多くの現金がK国の支配層に渡っており、既存の体制を強化させることにつながっ
ているという点が問題になる」と語っている(以上、朝鮮N報より)。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 23日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page025.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●溺愛ママ

++++++++++++++++++

子どもの姿を見ようともしない。
自分勝手な判断だけで、自分勝手な
理由をつくりあげてしまう。

が、それで終わらない。
あげくのはてには、
「先生が悪い」「幼稚園が悪い」と。

今、そういう母親が、ふえている。

+++++++++++++++++++

●子どもを溺愛する母親

 親が子どもを溺愛する背景には、親側の情緒的未熟性や精神的な欠陥がある。つまりそ
うした未熟性や欠陥を代償的に補うために親は子どもを溺愛するようになる。

つまり子どもを溺愛す親というのは、どこかに心の問題をもった人とみてよい。が、親
にはそれがわからない。わからないばかりか、溺愛を親の深い愛と誤解する。だから人
前で平気で、その溺愛ぶりを誇示する。こんなことがあった。

●溺愛を「愛」と誤解?

 高校のワンゲル部の総会でのこと。指導の教師が父母たちに向かって、「皆さんはお子さ
んたちが汚してきた登山靴をどうしてますか?」と聞いたときのこと。一人の母親がまっ
さきに手をあげてこう言った。「このクツが無事息子を山から返してくれたと思うと、ただ
ただいとおしくて頬ずりしています!」と。

あるいは幼稚園で、それはそれはみごとな髪型をしてくる子ども(年中女児)がいた。髪
の毛を細い三つ編みにした上、さらにその、三つ編みを幾重にも重ねて、複雑な髪型をつ
くるなど。まさに芸術的! そこである日、その母親と道路であったので、それとなく「毎
日たいへんでしょう?」と聞いてみた。が、その母親は何ら臆することなく、こう言った。
「いいえ、毎朝、30分もあればすんでしまいます」と。毎朝、30分!、である。

●溺愛児の特徴

 親が子ども溺愛すると、子どもは子どもで溺愛児特有の症状を示すようになる。(1)幼
児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)退行的になる(目標や規則が守れず、
自己中心的になる)、(3)服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不
断)、(4)柔和でおとなしく、満足げでハキがなくなるなど。ちょうど膝に抱かれたペッ
トのように見えることから、私は勝手にペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった
感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではない。

●カラを脱がない子ども 

子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。
たとえば子どもには、満4・5歳から5・5歳にかけて、たいへん生意気になる時期が
ある。この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。

この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女期へと移行する。しかし溺愛児にはそれ
がない。ないまま、大きくなる。そしてあるとき、そのカラを一挙に脱ごうとする。が、
簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒動をともなう。子「こんなオレにしたのは、
お前だろ!」、母「ごめんなさア〜イ。お母さんが悪かったア〜!」と。

しかし子どもの成長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラを
うまく脱げない子どもは、超マザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦
さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主人公)という男性がいたが、そ
うなる。

 溺愛ママは、あなたの周辺にも一人や二人は必ずいる。いて、何かと話題になっている
はず。しかし溺愛は「愛」ではない。代償的愛といって、つまるところ自分の心のすき間
うめるための愛。身勝手な愛。一方的な愛。もっと言えば、愛もどきの愛。そんな愛に溺
れてよいことは、何もない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
でき愛 溺愛 溺愛ママ 溺愛する親)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司


【子どもが勉強から逃げるとき】 

++++++++++++++++++

勉強をするでもなし、しないでもなし。
しかし結局は、何もしない……。

今、そんな子どもがふえている。
しかも小学1年生のときから……。

原因は、(やりすぎ!)。

生まれたときから、子どもの能力を
はるかに超えて、やりすぎる。
与えすぎる。

これが子どもをして、『つまらない
子ども(……make Jack a dull boy)』
にしてしまう。

++++++++++++++++++

●フリ勉、ダラ勉、ムダ勉

 子どもは勉強から逃げるとき、独特の症状を示す。

まずフリ勉。いかにも勉強しているというフリをする。頭をかかえ、黙々と問題を読ん
でいるフリをする。しかしその実、何もしていない。何も考えていない。

次にダラ勉。一時間なら一時間、机に向かって座っているものの、ダラダラしているだ
け。マンガを読んだり、指で机をかじったり、爪をほじったりする。このばあいも、時
間ばかりかかるが、その実、何もしていない。

ムダ勉というのもある。やらなくてもよいようなムダな勉強ばかりして、時間をつぶす。
折れ線グラフをかくときも、グラフばかりかいて時間をつぶすなど。

●1時間で、計算問題を数問!

 こういう状態になったら、親は家庭教育のあり方を、かなり反省しなければならない。
こんなこともあった。ある母親から、「夏休みの間だけでも、息子(小2)の勉強をみてほ
しい」と。遠い親戚にあたる母親だった。

そこでその子どもを家に呼ぶと、その子どもはバッグいっぱいのワークブックを持って
きた。見ると、どれも分厚い、文字がびっしりのものばかり。その上、どれも子どもの
能力を超えたものばかりだった。

母親は難しいワークブックをやらせれば、それだけで勉強がよくできるようになると思
っていたらしい。案の定、教えてみると、空を見つめて、ぼんやりとしているだけ。ほ
とんど何もしない。同じ問題を書いては消し、また書いては消すの繰り返し。1時間も
かかって、簡単な計算問題を数問しかしないということもあった。小学低学年の段階で
一度こういう症状を示すと、なおすのは容易でない。

●意欲を奪う5つの原因

 子どもから学習意欲を奪うものに、(1)過負担(長い学習時間、回数の多い塾通い)、(2)
過関心(子どもの側から見て、気が抜けない家庭環境、ピリピリした親の態度)、(3)過
剰期待(「やればできるはず」と子どもを追いたてる、親の高望み)、(4)過干渉(何でも
親が先に決めてしまう)、それに(5)与えすぎ(子どもが望む前に、あれこれお膳立てし
てしまう)がある。

 たくさん勉強させればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人は多い。し
かしこれは誤解。『食欲がない時に食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない
勉強は、記憶をそこない、また記憶されない』と、あのレオナルド・ダ・ビンチも言って
いる。

あるいはより高度な勉強をさせればさせるほど、勉強ができるようになると考えている
人もいる。これについては誤解とまでは言えないが、しかしそのときもそれだけの意欲
が子どもにあればよいが、そうでなければやはり逆効果。

 要は集中力の問題。ダラダラと時間をかけるよりも、短時間にパッパッと勉強を終える
ほうが、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そうい
う勉強のし方をする。私が今知っている子どもに、K君(小4男児)という子どもがいる。

彼は中学1年レベルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。そのK君だが、「家
ではほとんど勉強しない」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学校へ行ってからし
ているようです」とも。

 ついでながら静岡県の小学5、6年生についてみると、

家での学習時間が30分から1時間……43%
1時間から1時間30分……31%だそうだ。
(静岡県出版文化会発行「ファミリス」県内100名について調査・2001年)。

●変わる「勉強」への意識

 もっとも今、「勉強」そのものの内容が大きく変わろうとしている。「問題を解ける子ど
も」から、「問題を考える子ども」へ。「知っている子ども」から、「何かを生み出す子ども」
へ。さらには「言われたことを従順にこなす子ども」から、「個性が光る子ども」へ、と。

少なくとも世界の教育はそういう方向に向かって動いている。そして当然のことながら、
それに合わせて教育内容も変わってきている。大学の入学試験のあり方も変わってきて
いる。

だから昔のままの教育観で子どもに勉強させようとしても、それ自体が今の教育にはそ
ぐわないし、第一、子どもたちがそれを受け入れない。たとえば昔は、勉強がよくでき
る子どもが尊敬され、それだけでクラスのリーダーになった。しかし今は違う。

「勉強して、S君のようないい成績をとってみたら」などと言うと、「ぼくらは、あんな
ヘンなヤツとは違う」と答えたりする。「A進学高校へ行くと勉強させられるから、A進
学高校には行きたくない」と言う子どもも、珍しくない。それがよいのか悪いのかは別
にして、今はそういう時代なのだ。

 ……などなど、そういうことも考えながら、子どもの勉強を考えるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の勉強ぐせ フリ勉 ダラ勉 時間つぶし 時間殺し ムダ勉 無気力な子供)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【自学の勧め】

●中国・上海のあるBLOGより

+++++++++++++++++

Self−study(自学)がいかに
重要か。

上海のある教育BLOGサイトで、
こんな興味ある書き込みを見つけた。

名前はわからないが、ある大学の
教授の書き込みと思われる。

それを紹介する。

なお私の教室(BW)では、
小学4年生になるころから、
この「自学」を教える。

生徒自身に、自分で本を読み、
自分で学んでいく力を身につけさせる。

長い目で見て、それがその子どもの
財産になるからである。

+++++++++++++++++
It is a dilemma whether university students should attend classes or learn by their selv
es. In China, it seems to be a tradition that students should not miss even a single cla
ss, and many a student complies with it. Here I'd like to demonstrate my point of vie
w.
大学生は授業に出席して勉強すべきなのか、自学すべきなのかについては、ジレンマが
ある。

中国には、学生は、授業をさぼってはいけないという伝統がある。で、私の意見を書い
てみたい。

As far as I am concerned, I observe self-study is of great importance, which can make a
 person more comprehensive and creative. On the contrary, lack of this ability will make
 Jack a dull. As is known to all, Chinese students often follow their teachers' instruction
s more firmly, and make more efforts to get high marks, compared to American students.
私が関するかぎり、自学は、とても重要である。そのほうが理解度もまし、よりクリエ
イティブになる。が、(自学といっても)、その能力のない子どもは、つまらない子ども
になってしまう。

よく知られているように、中国の学生は、アメリカの学生と比較すると、先生の指示に、
より従順で、よい点数を取ろうとする。

 However, Chinese students become less competitive without teachers' help, for they are 
not able to learn on their own efficiently. That's why only a few Chinese managed to w
in the Nobel Prizes. Therefore, it can be indicated that the ability of self-study should be
 concentrated in china as soon as possible.
が、中国の学生は、先生の助けなしでは、より競争しなくなってしまう。というのも、
自分で効率を考えて学ぶということができないからである。つまりこれが、中国人に、
ノーベル賞受賞者が少ないという理由でもある。したがって中国でも、自学する力をも
った学生を、できるだけ早く育てる必要性がある。

Another reason I choose not to attend classes is time spent on classes may be wasteful s
ometimes. In another word, self-study is more efficient. Can you put up with a teacher r
epeat a law again and again, which you have learnt by heart already? 
もうひとつの理由は、授業に出るということ自体が、ときには、時間のムダになるとい
うこと。言いかえると、自学のほうが、より効果的である。たとえばあなたがすでに暗
記しているような法律を、先生が何度も繰り返したら、あなたはそれに耐えることがで
きるだろうか。

The aim of a student is to learn and find out what we don't know, and surely listening 
to a professor is not everything. Thus, we should learn something we need by ourselves 
rather than waste time in classes.
学生が学ぶ目的は、私たちが知らないことを見つけ、学ぶことである。それに教授の言
うことがすべてではないことは、たしかである。それゆえに教室で時間を無駄にするよ
りは、自分で何かを学ぶ必要がある。

Different people have distinct characters. A Chinese poet named LiBai said:" everybody I
s of value to our country. " And only in the process of self-study can a student discover
 his or her interest without the influences made by teachers in classes. I believe self-stud
y is so important that can change one's life.
それぞれの人には、それぞれの性格がある。リー・バイという中国の詩人は、こう言っ
ている。『だれもが、国の財産である』と。自学する子どものみが、先生の影響を受ける
ことなく、自分の興味を発見する。自学は、その人の人生を変えるほど、重要なことな
のである。

Through some students argue that teachers are experienced, and they think the exams ma
y contain loads of what teachers have taught in classes, I am convinced everything will 
be on the right track if I myself do the self-study well. So, after considering all of thos
e above, I think you will agree with me that classes should be optional for students.
先生は、経験をつんでいるし、試験には、先生がクラスで教えたことが含まれているから
(ムダでない)という議論もあるが、自学をうまくすれば、すべては正しいコースにのる
ことを確信している。

これらすべてのことを考えると、授業に出るかでないかは、学生に任せればよいという私
の意見に、(あなたも)賛成するだろうと思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自学 自学の重要性 self-study)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【キレる子供・補足】

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった18名の学者が、緊急宣
言を行った。これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピー
ス・JAPAN)なものであった。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけ
ではなく、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力およ
び社会的適応性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性が
ある」と。つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。

が、これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモ
ンは、脳の発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こ
す。奇妙な行動を引き起こす。

多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。
人類の生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」
というのは、具体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シ
シリー宣言」・グリーンピース・JAPAN)のだそうだ。

 この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、
環境ホルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、
胎児の脳に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのもの
の発達を損傷する」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

(4)教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。
しかしながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないま
まキレる子どもの議論だけが先行している。ただその原因としては、

(1)親の過剰期待、そしてそれに呼応する子どもの過負担。
(2)学歴社会、そしてそれに呼応する受験競争から生まれる子ども側の過負担などが、
(3)考えられる。こうした過負担がストレッサーとなって、子どもの心を圧迫する。

ただこの段階で問題になるのが、子ども側の耐性である。最近の子どもは、飽食とぜ
いたくの中で、この耐性を急速に喪失しつつあると言える。わずかな負担だけで、そ
れを過負担と感じ、そしてそれに耐えることがないまま、怒りを爆発させてしまう。
親の期待にせよ、学歴社会にせよ、それは子どもを取り巻く環境の中では、ある程度
は容認されるべきものであり、こうした環境を子どもの世界から完全に取り除くこと
はできない。これらを整理すると、次のようになる。

(1)環境の問題
(2)子どもの耐性の問題。

●終わりに……

以上のように、「キレる子ども」と言っても、その内容や原因はさまざまであり、そ
の分野に応じて考える必要がある。またこうした考察をしてのみ、キレる子どもの問
題を正面からとらえることができる。一番危険なのは、キレる子どもを、ただばくぜ
んと、もっと言えば感傷的にとらえ、それを論ずることである。こうした問題のとら
え方は、問題の本質を見誤るばかりか、かえって教育現場を混乱させることになりか
ねない。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【砂糖は白い麻薬】

++++++++++++++++++

子どもの突発的な凶暴性は、
低血糖によると考えられている。

しかし、だからといって、
甘味料(白砂糖)の多い食品を
子どもに与えろということでは
ない。

誤解のないようにしたい。

+++++++++++++++++

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、
突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考
えるとわかりやすい。

そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)だそうだ(アメリカ
小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を
大量に摂取すると、インスリンが大量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であ
るセロトニンの大量分泌をうながし、それが脳の抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、4月のはじめ。U君がちょうど年長児になったとき
のことだった。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょ
う?」と。U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動
性が強くみられた。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと
母親はこう言った。

 「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残
したらもったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで計
算してみるとU君は一日、100〜120グラムの砂糖を摂取していることがわかった。
かなりの量である。そこで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それからが
たいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビ
スケットをくれ!」と叫ぶようになったという。

急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断ったときに出る禁断症状のようなものがあらわれる
ことがある。U君のもそれだった。夜中に母親から電話があったので、「砂糖断ちをつづ
けるように」と私は指示した。が、その一週間後、私はU君の姿を見て驚いた。

U君がまるで別人のように、ヌボーッとしたまま、まったく反応がなくなってしまった
のだ。何かを問いかけても、口を半開きにしたまま、うつろな目つきで私をぼんやりと
私を見つめるだけ。母親もそれに気づいてこう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいい
のでしょうか」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のな
いものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、
子どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約10〜15グラ
ム。この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいは
キーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カ
ルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効
果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間
程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食
品を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出
してしまう。

と言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。たとえば、ハム、ソ
ーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリーム(ねっとりとした
粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インスタントラーメン(や
わらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プリン(味にまる味を
つけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味を出すため)、粉末
飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるようにするため)など(以
上、川島四郎氏)。

かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を遠ざけることはできない。

●こわいジャンク・フード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食
物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどという
ことは、不必要なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食
品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジ
ャンク・フードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アル
コール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように
愚鈍性が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多
く、その期間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂
糖はカルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫
をおこす。脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しや
すく、回復がおそい。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、
機能が低下する」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの食生活 子供の食生活 ジャンクフード ジャンク・フード 低血糖児 砂糖
 白い麻薬)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月22日)

【Great News!】 

++++++++++++++++++++

三男の制作したビデオ作品が、今度、日本一
に選ばれて、世界コンテスト(ロシア)に出品
されることになった。

うれしかった!

++++++++++++++++++++

 息子のBLOGに、こうあった。

 いわく、「僕の作った航大紹介ビデオ、『Departure』は、選考の結果、何と部門1位、総
合1位、つまりは日本一というすばらしい評価を受けて、ロシア(世界大会)に飛ぶこと
になりました。頑張ってこいよ〜、デパーチャー!」と。

 さっそく電話をして、ことの真偽を確かめる。「本当か?」「そうだよ」と。

 うちの息子たちは、私たち夫婦に苦労もかけたが、夢もくれた。楽しませてくれた。親
として、それ以上、何を望むことができるか。どんどんと遠くに行ってしまう息子たちを
見ながら、「これでいいんだ」「そうね」と、ワイフと、何度も、なぐさめあう。

私「ぼくたちも負けずに、最後の人生を楽しもう」
ワ「そうよ。私たちだって、楽しまなくちゃア」と。

 同じ今日、二男のBLOGを見ると、家族で、叔父(デニーズの兄)の家に遊びに行っ
たときの写真が、載っていた。アイダホ州にある家だという。何とも、スケールの大きさ
に、驚く。ただただ驚く。圧倒される。「フ〜ン」とか、「ヘ〜エ」とか。

 三男と二男のことを書いたから、長男についても書く。

 長男は、目下、コンピュータの専門学校に通学中。毎晩のように、「こんなこともできる
ようになった」と、私たち夫婦に、新しい技術を見せてくれる。それにも、「フ〜ン」とか、
「ヘ〜エ」とか言って、驚く。来週は、期末試験とかで、毎晩夜遅くまで、勉強している。
長男は長男で、自分の道を見出しつつあるようだ。

 よかった!

 で、その私たち。明日は、友人夫妻と会食。どこか、山の上にあるレストランを見つけ
たそうだ。一度、友人夫妻の家に寄って、そこからいっしょに、車で行くつもり。

 楽しみだ。

【息子たちへ!】

 オーイ、ぼくたちも、お前たちに負けないよう、元気でがんばっているよ! ハハハ。
負けるもんか! お前たちはお前たちで、思う存分、この広い世界を羽ばたけよ! ハハ
ハ。

 人生は、1回しかないよ! 青春は、1回しかないよ! 自分をしっかりと見つめて、
悔いのない人生を送れよ! 親孝行? 家の心配? そんなものは、クソ食らえ! けっ
して、振りかえるな! まっすぐ前だけを見て、前に進め! ハハハ。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●原稿が消えた(合理化)!

 10枚ほど原稿を書いたところで、ネット検索をした。しかしこれがよくなかった。突
然、パソコンが、フリーズしてしまった。同時に、書いた原稿が、消えてしまった。

 OFFICE・XPでは、こういうときのために、原稿を保存しておいてくれる。が、
私が今、使っているのは、OFFICE・02。その機能は、ない。あああ……。

 で、こういうとき、いろいろとおもしろい心理が働く。『逃した魚は大きい』というが、
そうして消えた原稿ほど、よい原稿に思えてくる。「せっかく、よい原稿を書いたのに……」
と。

 つぎに、こういうことがあると、しばらく書く意欲が消える。ぼう然とまではいかない
が、パソコンを見るのもいやになる。

 そこでだが、ここで意欲が、大きく2つに分かれる。(1)改めて、もう一度、ゼロから
書きなおす。(2)二度と、そのテーマについては書かない、と。

 改めて書きなおしてやろうと思うときは、同時に、「失った原稿より、いいものを書いて
やる」と思う。しかしそれには、かなりのエネルギーが必要である。それがないと、(2)
の二度と、そのテーマについては書かない、となる。

 今は、(2)の、「二度と、そのテーマについては書かない」という心境。あれこれ自分
の書いた原稿にケチをつけて、自分をなぐさめる。「あんなジジ臭い原稿など、どうでもい
いや」と。

 こうした心理状態を心理学の世界でも、「合理化」と呼んでいる。自分で自分を合理化す
る。よくある現象である。

 まあ、気持ちを入れかえて、別のテーマで書いてみよう。


●同一視

 合理化の話を書いたので、「同一視」について。

 昨夜、街の中を歩いていたら、サッカーの中田選手そっくりの男に出会った。年齢は2
2、3歳くらいか。最初は、顔とヘアースタイルが似ていると思った。髪の毛の染め方ま
で、そっくり。が、よく見ると、歩き方まで!

 やや腰を曲げたような状態で、あごを前につきだして歩いていた。背は私より低かった
ので、瞬間、私は、「ミニチュア・中田だ」と思ってしまった。

 おそらく……というより、まちがいなく、その男は、中田選手を意識しているようだっ
た。そうすることによって、自分の存在感をアピールしていた。

 同一視……自分を、自分よりすぐれただれかと同一視することによって、劣等感をぬぐ
いさり、満足感を覚えることをいう。若い人によく見られる現象である。

 言いかえると、その人は、何か、大きな劣等感をもっていることになる。何かわからな
いが、おそらく、本人も、それを意識していないのではないか。意識することもなく、自
分を中田選手に見たてることによって、満足している。


●代償行動

 ついでにもう1つ。

 劣等感が肥大化すると、へたをすれば、自己否定から、自我の崩壊へと進んでしまうか
もしれない。そうならないため、心というのは、そこにいたる段階で、さまざまな心理的
反応を示す。

 「代償行動」というのも、それ。

 最近、こんな話をワイフから聞いた。ある女性だが、いわゆる『はらいせ婚』というの
をしたという。それまでつきあっていた男性に振られたので、別の男性と、はらいせのた
めに結婚したという。

 「うまくいくはずがないのに……」と私が言うと、ワイフはこう言った。

「結婚した相手が金持ちの息子で、その女性は、高級車を運転して、振った男の近所を、
毎日、見せびらかしながら走っている」と。

 これも代償行動の1つということになる。ひとつの大きな目標が達成できないとわかる
と、その目標をひとつさげて、自分を満足させる。つまりは自分を慰めるための行動とい
うことになる。

 人間の心理は、それぞれ、みなちがうようで、どこかに共通点がある。その共通点を集
合したのが、心理学ということになる。

 ……と、ここまで書いて、もう1つ、思い出した。「反動形成」である。よくある例は、
下の子の誕生で、上の子が、不自然なほどまでに、(いい兄)(いい姉)を演ずるケース。
その時点で、赤ちゃん返りを起こす子どもも少なくないが……。

 そこで上の子は、下の子を憎いはずなのに、いい兄、あるいはいい姉ぶってみせる。つ
まりそうすることによって、自分に対する親の評価を高めようとする。

 それについて書いた原稿が、つぎのもの。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【反動感情】

●反動感情

 人は、ときとして、本当の自分の心を隠し、それと正反対の感情をもつことがある。私
は、これを勝手に「反動感情」と呼んでいる。

心理学の世界に、「反動形成」という言葉がある。反動形成というのは、自分の心を抑圧
すると、その反動から、正反対の自分を演ずるようになることをいう。

たとえば性的興味を押し殺したような人は、他方で、人前では、まったく性には関心が
ないように振るまうことがある。

性に対して、ある種の罪悪感をもった人が、そうなりやすい。ほかに、たとえば神経質
な人が、外の世界では、おおらかな人間のフリをするのも、それ。その反動形成に似て
いるから、「反動感情」とした。

●Aさんのケース

 私がAさん(34歳女性、当時)に会ったのは、私が40歳くらいのことだった。もと
もとは奈良県の生まれの人で、夫の転勤とともに、このH市にやってきた。どこかその古
都の雰囲気を感じさせる、静かな人だった。Aさんは、いつもこう言っていた。「私は、夫
を愛しています」「娘を愛しています」と。

 当時、「愛する」という言葉を、ふだんの会話の中で使う人は、それほど多くはなかった。
それで私の印象に強く残ったのだが、話を聞くと、どうもそうではなかった。つまり私は
最初、Aさんの家庭について、心豊かな、愛に包まれた、すばらしい家族を想像していた。
が、そうではなかったということ。


 Aさんは、不本意な結婚をした。そしてそのまま、不本意な子どもを産んだ。それがそ
のとき6歳になる娘だった。

Aさんには、結婚前に、ほかに好きな人がいたのだが、ささいなことがきっかけで、別
れてしまった。今の夫と結婚したのは、その好きな人を忘れるため? あるいは、その
好きな人に、腹いせをするため? ともかくも、それを感じさせるような、どこか、ゆ
がんだ結婚だった。

 Aさんは、夫とは、フィーリングが合わなかった。合わなかったというより、「(信仰を
始める前までは)、夫の体臭をかいだだけで、気持ちが悪くなったこともある」という。が、
離婚はしなかった。……できなかった。Aさんの実家と、夫の実家は、同業で、たがいに
もちつ、もたれるの関係にあった。離婚すれば、ともに実家に迷惑がかかる。

 そこでAさんは、キリスト教系宗教団体に入信。そのまま熱心な信者になった。そして
その教え(?)に従い、「愛する」という言葉を、よく使うようになった?

●反動形成

 たとえばあなたがXさんを、嫌ったとする。そのときXさんと、それほど近い関係でな
ければ、あなたは、そのままXさんと距離をおくことで、Xさんを忘れようとする。「いや
だ」という感覚を味わうのは、不愉快なこと。人は、無意識のうちにも、そういう不快感
を避けようとする。

 が、そのXさんと、何かの理由で離れることができないときは、一時的には、Xさんに
反発するものの、やがて、それを受け入れ、反対に、自分の心の中で、反対の感情を作ろ
うとする。反対の感情を作ることで、その不快感を克服しようとする。

これが、私がいう「反動感情」である。このばあい、あなたはXさんを、積極的に自分
の心の中に入れこもうとする。わかりやすく言えば、好きになる。(正確に言えば、好き
だというフリをする。)好きになることで、不快感を克服しようとする。

 よくある例としては、(1)相手につくし、服従する方法。(2)相手に対して敗北を認
め、自分を劣位に置く方法。(3)自分の弱さを強調し、相手の同情を誘う方法などがある。

自分という「主体」を消すことで、相手に対する感情を消す。そして結果的に、「好き
(affection)」という状態をつくるが、このばあい、「好き」といっても、それはネガティ
ブな好意でしかない。若い男女が、電撃的に打たれるような恋をしたときに感ずるよう
な、「好き(love)」とは、異質のものである。

 特徴としては、どこか自虐的(自分さえ犠牲になれば、それですむと考える)、あるいは
どこか厭世(えんせい)的(自分や社会は、どうなってもよいと考える)な人間関係にな
る。

これに関してよく似たケースに、「ストックホルム症候群」※というのがある。これはた
とえば、テロリストの人質になったような人が、そのテロリストといっしょに生活をつ
づけるうち、そのテロリストに好意をいだくようになり、そのテロリストのために献身
的に働き始めるようになることをいう。

 先にあげたAさんのケースでも、Aさんは、口グセのように、「愛しています」と、よく
言ったが、どこか不自然な感じがした。あるいは、Aさんは、そう思いこんでいただけな
のかもしれない。Aさんは、夫や子どもに尽くすことで、自らの感情を押し殺してしまっ
ていた?

●偽(にせ)の愛

 Aさんが口にする「愛」は、反動感情でつくられた、いわば偽の愛ということになる。
しかし夫婦はもちろんのこと、親子でも、こうした偽の愛を、本物の愛と信じ込んでいる
人は、いくらでもいる。

 Bさん(40歳女性)は、こう言った。夫が、一週間ほど、海外出張で上海へ行くこと
になったときのこと。「飛行機事故で死んでくれれば、補償金がたくさんもらえますね」と。
「冗談でしょ?」と言うと、ま顔で、「本気です!」と。

しかしそのBさんにしても、表面的には、仲のよい夫婦に見えた。たがいにそう演じて
いただけかもしれない。そこで「じゃあ、どうして離婚しないのですか?」と聞くと、「私
たちは、そういう夫婦です」と。

 親子でも、そうだ。C氏(45歳男性)は、高校生になる息子と、家の中では、あいさ
つすらしなかった。たがいに姿を見ると、それぞれの部屋に姿を、隠してしまった。しか
しC氏は、人前では、よい親子を演じた。演ずるだけではなく、息子が中学生のときは、
その学校のPTAの副会長まで努めた。

 一方、息子は息子で、ある時期まで、父親に好かれようと、懸命に努力した。私がよく
覚えているのは、その息子がちょうど中学生になったときのこと。父親に、敬語を使って
いたことだ。父親に電話をしながら、「お父さん、迎えにきてくださいますか」と。

 しかしこうした偽の愛は、長くはつづかない。仮面をかぶればかぶるほど、たがいを疲
れさせる。問題は、そのどちらかが、その欺瞞(ぎまん)性に気づいたときである。今度
は、その反動として、その絆(きずな)は粉々にこわれる。もっともそこまで進むケース
は、少ない。たいていは、夫婦であれば、どちらかが先に死ぬまで、その偽の愛はつづく。
つづくというより、もちつづける。

 ここまで書いて、ヘンリック・イプセンの「人形の家」を思い出した。娘時代は、親の
人形として生活し、結婚してからは、夫の人形として生活した、ある女性の物語である。
その中でも、よく知られた会話が、夫ヘルメルと、妻ノラの会話。

ヘルメルが、ノラに、「(家事という)神聖な義務を果せ」と迫ったのに対して、ノラは
こう答える。「そんなこともう信じないわ。あたしは、何よりもまず人間よ、あなたと同
じくらいにね」(「人形の家」岩波書店)と。

そのノラが、親に感じていた愛、あるいは夫に感じていた愛が、ここでいう反動感情で
作られた愛ではないかということになる。もし、ノラが「愛」のようなものを感じてい
たとしたら、ということだが……。

 しかしこの問題は、結局は、私たち自身の問題であることがわかる。私たちは今、いろ
いろな人とつきあっている。が、そのうちの何割かの人たちは、ひょっとしたら、嫌いで、
本当は、つきあいたくないのかもしれない。無理をしてつきあっているだけなのかもしれ
ない。あるいは「私はそういうつきあいはしていない」と、自信をもって言える人は、い
ったい、どれだけいるだろうか。

 さらにあなたの子どもはどうかという問題もある。あなたの子どもは、あなたという親
の前で、ごく自然な形で、自分をすなおに表現しているだろうか。あるいは反対に、無理
によい子ぶっていないだろうか。そしてそういうあなたの子どもを見て、あなたは「私た
ちはすばらしい親子関係を築いている」と、思いこんでいないだろうか。

ひょっとしたら、あなたの子どもは、あなたと良好な関係にあるフリをしているだけか
もしれない。本当はあなたといっしょに、いたくない。いたくないが、し方がないから、
いっしょにいるだけ、と。もしあなたが、「うちの子は、いい子だ」と思っているなら、
その可能性は、ぐんと高くなる。一度、子どもの心をさぐってみてほしい。
(030314)

※ストックホルム症候群……スウェーデンの首都、ストックホルムで起きた銀行襲撃
事件に由来する(1973年)。その事件で、六日間、犯人が銀行にたてこもるうち、
人質となった人たちが、その犯人に協力的になった現象を、「ストックホルム症候群」
と呼ぶ。のちにその人質となった女性は、犯人と結婚までしたという。

※イプセンの「人形の家」……自己の立場と、出世しか大切にしない夫、ヘルメル。
好意でしたことをののしられてから、ノラは、一人の人間としての自分に気づく。そ
れがここに取りあげた会話。最後に、ノラは、偽善的な夫に愛想をつかし、ヘルメル
と、三人の子どもを残して、家を出る。

【付記】

 父親に虐待されていた子ども(小2男児)がいた。いつも体中に大きなアザを作ってい
た。そこでその学校の校長が、地元の教育委員会に相談。児童相談所がのり出して、その
子どもを施設へ保護した。

 が、悲しいかな、そこが子ども心。そんな父親でも、施設の中では、「お父さんに会いた
い、会いたい」と泣いていたという。そこで相談員が、「あなたはお父さんのことを好きな
の?」と聞くと、その子どもは、「好き」と答えたという。

 こうした子どもの心理も、反動感情で説明できる。つまり父親の虐待に対して、その子
どもは、本当の自分の感情とは反対の感情をもつことで、与えられた状況に適応しようと
した。

その子どものばあい、「いやだ」と言って、家を飛びだすわけにもいかない。また父親に
嫌われたら、生きていくことすらできない。そこでその子どもは、「好きだ」という感情
を、自分の中につくることで、自分の心を防衛したと考えられる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
同一視 代償行動 代償行為 反動形成)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用).  mQQQm
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 20日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page024.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【特集・キレる子ども】

++++++++++++

キレる子どもについて、
私の経験から……

++++++++++++

 突発的に、きわめて衝動的に暴力を振るう子どもというのは、たしかにいる。私は、大
きく、つぎの3つのタイプに分けて考えている。

(1)ピリピリ型(いつも神経がピリピリしているタイプ、頭のキレる子どもに多い)
(2)むっつり型(何を考えているかわからないタイプ。ふだんは静かで、穏やか)
(3)ゲーム型(目的もわからないまま、ゲーム感覚で、とんでもないことをする。)

 ピリピリ型というのは、ふだんから、神経が過敏状態になっていて、静かな落ち着きが
見られないタイプをいう。頭の回転が速く、その分、学習面で、優秀な成績を示す。ささ
いなことで、突発的に衝動的な行動に出る。

【Kさん(小6女児)】

 私が、いつもKさんが座る席でお茶を飲んでいたときのこと。休み時間でのことである。
突然、Kさんがうしろからやってきて、笑い声で、「やあ、先生!」と声をかけてきた。私
が、「ああ」と答えたその瞬間、もっていたバッグで、思いっきり、頭を側面から叩いてき
た。

 メガネはふっとび、私は、イスからころげ落ちた。

【Tさん(小5女児)】

 私が別の子ども(小5女児)と、何かのことでふざけて冗談を言いあっていたときのこ
と。Tさんが、私に何かを話しかけてきた。無視したわけではないのだが、そのまま別の
子を、笑いあっていた、そのとき。もっていた大型のワークブックで、私の頭を上からバ
シッと叩いてきた。衝撃で、メガネは下に落ち、鼻の横を1センチほど、切った。

 むっつり型というのは、ふだんは、何を考えているかわからないタイプの子どもをいう。
印象に残っている子どもに、R子(小6)がいた。4年前に書いた原稿だが、それをその
まま紹介する。

++++++++++++++++

●不自然さは要注意

 子どもの動作や、言動で、どこか不自然さを感じたら、要注意。反応や歩き方、さらに
はしぐさなど。「ふつう、子どもなら、こうするだろうな」と思うとき、子どもによっては、
そうでない反応を示すことがある。最近、経験した例をいくつかあげてみる。

【S子の例】

教室へ入ってくるやいなや、突然大声で、「先生、先週、ここにシャープペンシルは落ち
ていませんでしたか!」と。「気がつかなかった」と答えると、大げさなジェスチャでそ
の女の子(小5)は、あたりをさがし始めた。

しばらくすると、「先生、今日は、筆箱を忘れました」と。そこで私が、「忘れたら忘れ
たで、最初からそう言えばいいのに」とたしなめると、さらに大きな声で、「そんなこと
はありません!」と。そして授業中も、どうも納得できないというような様子で、とき
おり、あたりをさがすマネをしてみせる。私が「もういいから、忘れなさい」と言うと、
「いえ、たしかにここに置きました!」と。

【A君の例】

A君(小3男児)が、連絡ノートを忘れた。そこでまだ教室に残っていたB君(小3男
児)にそれを渡して、「まだA君はそのあたりにいるはずだから、急いでもっていってあ
げて!」と叫んだ。

が、B君はおもむろに腰をあげ、のんびりと自分のものを片づけたあと、ノソノソと歩
き出した。それではまにあわない。そこで私が「いいから、走って!」と促すと、こち
らをうらめしそうな顔をして見るのみ。そしてゆっくりと教室の外に消えた。

【R子の例】

R子(小6)が教室に入ってきたので、いつものように肩をポンとたたいて、「こんにち
は」と言ったときのこと。何を思ったからR子は、いきなり私の腹に足蹴りをしてきた。
「この、ヘンタイ野郎!」と。ふつうの蹴りではない。R子は空手道場に通っていた。
私はしばらく息もできない状態で、その場にうずくまってしまった。そのときR子の顔
を見ると、ぞっとするような冷たい目をしていた。

こうした「ふつうでない様子」を見たら、それを手がかりに、子どもの心の問題をさぐ
ってみる。何かあるはずである。が、このとき大切なことは、そうした症状だけをみて、
子どもを叱ったり、注意してはいけないということ。何か原因があるはずである。だか
らそれをさぐる。

たとえばシャープペンシルをさがした女の子は、異常とも言えるような親の過関心で心
をゆがめていた。B君は、いわゆる緩慢行動を示した。精神そのものが萎縮している子
どもによく見られる症状である。また私を足蹴りにした女の子は、そのころ両親は離婚、
母親には、愛人と再婚話をしている最中だった、など。

 一方、心がまっすぐ伸びている子どもは、行動や言動が自然である。「すなお」という言
い方のほうがふさわしい。こちらの予想どおりに反応し、そして行動する。心を開いてい
るから、やさしくしてあげたり、親切にしてあげると、そのやさしさや親切が、スーッと
子どもの心にしみていくのがわかる。そしてうれしそうにニコニコと笑ったりする。

「おいで」と手を広げてあげると、そのままこちらの胸に飛び込んでくる。そこであな
たの子どもを観察してみてほしい。何人か子どもが集まっているようなところで観察す
るとわかりやすい。もしあなたの子どもの行動や言動が自然であればよい。しかしどこ
か不自然であれば、あなたの子育てのし方そのものを反省してみる。子どもではない。
あなた自身の、だ。
(02−10−20)

++++++++++++++++

 この中に書いたR子については、そのとき受けた暴力がふつうではなかったため、とく
に印象に残っている。へたをすれば内臓が破裂していたかもしれない。それほど強烈な蹴
りであった。

 このR子については、そのあと母親とゆっくり話す機会があったので、そのことを報告
すると、母親はこう言った。

 当時R子の両親は離婚を前提とした別居状態であった。父親には愛人がいて、家に帰ら
ない日も多かったという。母親は「それが原因ではないでしょうか」と言った。

 もう1人印象に残っている子どもに、T君(小3・男児)がいた。

 ある日、子どもたちの解いた問題を順に採点しているときのこと。あと1、2人でT君
というときになったそのとき、突然、T君が、「ギャーッ」と動物的な声を張りあげて、暴
れ出した。

 あまりにも突発的で、制止する間はなかった。近くにあった机をもちあげると、それを、
となりの机に向かって投げた。私はT君にとびかかって、T君を床に押し倒し、上から自
分の体重で、T君を押さえた。

 あとで見たら、T君の解答用紙は、ほとんど白紙だった。

 また3番目のゲーム型についても、印象に残っている子どもに、F君(小4・男児)が
いた。つぎの原稿に出てくる、(2)の、(バランス感覚に欠け、善悪の判断ができない子
ども)というのが、その子どもである。

 この原稿は、「乱暴な子ども」というテーマで書いたもので、話が少し脱線するかもしれ
ないが、許してほしい。

+++++++++++++++++

●乱暴な子ども

乱暴な子どもといっても、一様ではない。いろいろなタイプがある。かなりおおざっぱ
な分け方で、正確ではないが、思いついたままあげてみると……。

(1)家庭不和など、愛情問題が原因で荒れる子ども……いわゆる欲求不満型で、乱暴の
し方が、陰湿で、相手に対して容赦しないのが特徴。先生に叱られても、口をきっと結ん
だまま、涙を見せないなど。どこかに心のゆがみを感ずることが多い。自ら乱暴をしなが
ら、相手の心を確かめるようなこともする。ふつう嫉妬がからむと、乱暴のし方が、陰湿
かつ長期化する。

(2)バランス感覚に欠け、善悪の判断ができない子ども……このタイプの子どもは、と
きとして、常識をはずれた乱暴をする。たとえば先生のコップに、殺虫剤を入れたり、イ
スの上に、シャープペンシルを立てたりする、など。(知らないで座ったら、おおけがをす
る。)相手の子どもがイスに座ろうとしたとき、さっとイスを引き、相手の子どもにおおけ
がをさせた子どももいた。してよいことと、悪いことの判断ができないために、そうなる。
もともと遅進傾向がある子どもに、よく見られる。

(3)小心タイプの子ども……よく観察すると、乱暴される前に、自ら乱暴するという傾
向がみられる。しかったりすると、おおげさに泣いたり、あやまったりする。ひとりでは
乱暴できず、だれかの尻馬に乗って、乱暴する。乱暴することを、楽しんでいるような雰
囲気になる。どこか小ずるい感じがするのが特徴。

(4)情緒不安定型の子ども……突発的に、大声を出し、我を忘れて乱暴する。まさにキ
レる状態になる。すごんだ目つき、鋭い目つきになるのが特徴。一度興奮状態になると、
手がつかられなくなる。ふだんは、どちらかというと、おとなしく、目立たない。

このタイプの子どもは、その直前に、異様な興奮状態になることが多い。直前といって
も、ほんの瞬間的で、おさえるとしても、そのときしかない。心の緊張感がとれないた
め、ふだんからどこかピリピリとした印象を与えることが多い。

(5)乱暴であることが、日常化している子ども……日ごろから、キックやパンチをしな
がら、遊んでいる。あいさつがわりに乱暴したりする。そのためほかの子どもには、こわ
がられ、嫌われる。

 乱暴な子どもについて考えてみたが、たいていは複合的に現れるため、どのタイプの子
どもであるかを特定するのはむずかしい。また特定してもあまり意味はない。そのときど
きに、「乱暴は悪いこと」「乱暴してはいけない」ことを、子どもによく言って聞かせるし
かない。力でおさえようとしても、たいてい失敗する。とくに突発的に錯乱(さくらん)
状態になって暴れる子どものばあいは、しかっても意味はない。私のばあいは、相手が年
少であれば、抱き込むようにしてそれをおさえる。しばらくその状態を保つと、やがて静
かになる。

【S君、小2のケース】

 ささいなことでキレやすく、一度キレると、手や足のほうが、先に出てくるというタイ
プ。能力的には、とくに問題はないが、どこかかたよっている感じはする。算数は得意だ
が、漢字がまったく書けない、など。

 そのS君は、学校でも、何かにつけて問題を起こした。突発的に暴れて、イスを友だち
に投げつけたこともある。あるいはキックをして、友だちの前歯を折ってしまったことも
ある。ときに自虐的に、机をひどくたたいて、自分で手にけがをすることもあった。私も
何度か、S君がキレる様子を見たことがあるが、目つきが異常にすごむのがわかった。無
表情になり、顔つきそのものが変わった。

 そういうS君を、乳幼児のときから、母親は、ひどくしかった。しばしば体罰を加える
こともあったという。しかしそのため、しかられることに免疫性ができてしまい、先生が
ふつうにしかったくらいでは効果がなかった。そこで先生がさらに語気を荒げて、強くし
かると、そのときだけは、それなりにしおらしく、「ごめん」と言ったりした。

 今、S君のように、原因や理由がわからないまま、突発的に錯乱状態になって暴れる子
どもがふえている。脳の微細障害が原因だとする研究者もいる。「まだ生まれる前に、母親
から胎盤をとおして、胎児の体の中に侵入した微量の化学物質が脳の発達に変化をもたら
し、その人の生涯の性格や行動を決めてしまうのではないか」(福島章氏「子どもの脳が危
ない」PHP新書)と。

じゅうぶん考えなければならない説である。

++++++++++++++++++++

 さらに私も、一度、こんな経験をしている。記録によれば、03年とあるから、もうそ
れから3年になる。しかしそのとき受けたキズは、今でも、目の上に、しっかりと残って
いる。私は、あやうく失明するところだった。

 そのとき書いた原稿をそのまま紹介する。

++++++++++++++++++++

●メガネ

 このところ朝起きると、どこかモノがかすんで見える。白内障か?、と思ったが、原因
は、メガネの汚れだった。もうこのメガネも、買って10年になる。硬質ガラスでできて
いるというが、表面は、すり傷だらけ。そろそろ買い替えの時期がきたようだ。

 私がメガネをかけるようになったのは、中学1、2年のころではなかったか。周囲にメ
ガネをかけている人が多く、私のばあい、メガネをかけるのに、それほど抵抗はなかった。
以来、40年以上、メガネをかけている。

 メガネを嫌う人も多いが、もしメガネをかけていなければ、私は、3度、失明していた
だろうと思う。1度は、山の中へタラの芽を取りに入ったときのこと。バシッとタラの木
が、私のメガネをたたいた。タラの芽を取ろうと、木を引き寄せたときのことだった。あ
とで見ると、メガネの上と下に、大きな切り傷ができていた。

 もう1度は、バイクで運転していたときのこと。S湖のまわりを猛スピードで走ってい
たら、これまたバシッと、メガネに何か当たった。見ると、コガネ虫だった。コガネ虫が
メガネに当たり、メガネの上で飛び散っていた。

 さらにもう1度は、こんな事件だった。中学2年生のM君と対峙して、数学を教えてい
たときのこと。私が目を閉じたまま、うつらうつらと、M君の話を聞いていた。そのとき
だ。何を考えたか、M君が、シャープペンシルを、私の顔と机の間に立てた。私はそれを
知らず、そのまま頭を下へ振った。とたん激痛!

 シャープペンシルの先はメガネのおかげで目をそれ、眉間の下に突き刺さった。とたん、
大量の鮮血が顔面に飛び散った。もしそのときメガネをかけていなければ、シャープペン
シルの先は、まともの眼球に突き刺さっていた。そういう位置関係にあった。

 だからメガネに、私は3度、目を守られたことになる。いろいろ不便はあるが、これか
らもずっとかけつづけるつもり。

 そのメガネについての余談だが、私は、いわゆるメガネ族だから、どういうわけか、メ
ガネをかけている人に親しみを覚える。女性でも、メガネをかけている人のほうに魅力を
感ずる。これはどういう心理によるものかわからないが、本当の話。

 もう一つ余談だが、あのシャープペンシルをつき立てたM君は、いわゆるお宅族と呼ば
れる子どもで、幼いときからテレビゲームばかりしていた。そのためか、ものの考え方が、
どこか現実離れしていた。恐らくシャープペンシルをつき立てたときも、ゲーム感覚では
なかったか? このタイプの子どもは、何かにつけて常識ハズレになりやすい。
(030216)※

++++++++++++++++++

 キレるといっても、内容はさまざま。それに応じて、原因もいろいろ考えられる。で、
私のばあい、こうした例が、あまりにも多いため、「子どもというのは、そういうもの」と
いう前提で、対処している。

 さらにここに書いた、(ピリピリ型の子ども)にしても、親に報告しても、ほとんど意味
がない。親(とくに母親自身)も、ピリピリした感じの人が多い。私の頭を側面からバッ
グでたたいてきたKさん(小6・女児)にしても、一度、母親にそのことを報告しなけれ
ばと思いつつ、結局は、その機会がないまま終わってしまった。

 母親に話したら、今度はその母親がキレて、娘のKさんに暴力を振るっていたかもしれ
ない。

 以下、参考までに、今まで書いた原稿のうち、いくつかをここに収録しておく。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【かんしゃく発作】

++++++++++++++++++++++++++

私のHPの掲示板の相談コーナーに、つぎのような相談がありました。
かんしゃく発作が、あまりにもはげしいので、どうしたらよいかというご質問です。
今回は、これについて、考えてみたいと思います。

++++++++++++++++++++++++++

生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝
る環境作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして
歩きまわらないと、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでした
が、至って健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、
怒ると手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかりま
すが、幼い頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらい
いか分からなくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみん
な反抗期+何でも自分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎
日気長に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキン
シップはたっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わ
がまま」と「頑固」の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎる
のかなぁと思い、相談させていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっ
と手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部
脱いでしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき
合ってあげて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2
歳だからどうがんばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげ
るようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足
を踏ん張って動かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸
し借りのルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はお
もちゃを「どうぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度
も重なると、手がつけられないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃ
くを起こしたときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分
のおもちゃは貸さない!と言ってすぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間にな
り眠たそうで機嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、
気が狂ったように泣き出しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとす
るから、阻止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すご
く激しく暴れるので何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしま
います。室内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさ
せてあげて、落ち着き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添っ
てくれて、笑顔を見せてくれるます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、い
つまでたっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格
闘しなきゃいけないことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見
るというのを通り越して、どこか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るよ
うに心配されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこね
る子だったので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで
激しいと私まで泣きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪
いと思ってしまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強
いので、自分が今遊びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでな
いものをきっちり選んで貸してあげます。なので我慢が爆発するという感じでもないで
す。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みた
いな笑顔を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言っ
てくれます。「イヤイヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞く
ので、反抗期が激しいのはいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸び
と伸ばしてあげるにはどう接していけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よ
ろしくお願いします。

++++++++++++++++++++++++++++++

【YK様へ】

 かんしゃく発作にしては、かなりはげしいようですね。2歳前後であれば、ダダをこね
る、がんこになる、泣き叫ぶ程度で、しばらくすると、静かになるはずですが……。

 私の印象では、脳内で、何らかの仰天現象が起きているように思います。突発的な興奮
性と、その持続性が気になります。こういうケースで最近、よく話題になるのが、セロト
ニン悪玉説です。

 脳内伝達物質にセロトニンがあり、それが過剰に分泌されると、子どもは、興奮状態に
なり、過剰行動に出ることが知られれています(アメリカのミラー博士ほか)。

 その過剰分泌を引き起こすのが、たとえば、インシュリンの過剰分泌と言われています。
つまりたとえば一時的に、甘味の強い食品(精製された白砂糖の多い食品)を多量に接種
すると、インシュリンが、ドッと、分泌されます。

 血糖値はそれでさがるのですが、そのあともインシュリンが血中に残り、さらに血糖を
さげます。こうしていわば、子どもが、低血糖の状態になるわけです。少し話がそれるか
もしれませんが、少し前に書いた原稿を、参考までに、添付します。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●キレる子どもの原因?

 キレる子ども……、つまり突発的に過剰行動に出る子どもの原因として、最近にわかに
クローズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。

つまり脳間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑
制命令を狂わすという(生化学者、ミラー博士ほか)。

アメリカでは、もう20年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言
うとこうだ。たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、イン
スリンが多量に分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原
因となるという(岩手大学の大澤名誉教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃
でスパスパとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていっ
たん怒りだすと、カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと
金切り声を出すことも珍しくない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いた
り、暴れたりする。興奮したとき、体を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、
カルシウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は
日もちをよくしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。

リン酸をとると、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出
してしまう。一方、昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。日本で
も戦前までは、カルシウムは精神安定剤として使われていた。それはともかくも、子ど
もから静かな落ち着きが消えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみる。ふつう子ど
ものばあい、カルシウムが不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座っていても
体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさせたりする。

 ここに書いたのはあくまでも1つの説だが、もしあなたの子どもに以上のような症状が
見られたら、一度試してみる価値はある。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても子
どもに缶ジュースを1本与えておいて、「少食で悩んでいます」は、ない。

体重15キロの子どもに缶ジュースを1本与えるということは、体重60キロのおとな
が、同じ缶ジュースを4本飲むのに等しい。おとなでも4本は飲めないし、飲めば飲ん
だで、腹の中がガボガボになってしまう。もしどうしても「甘い食べもの」ということ
であれば、精製されていない黒砂糖を勧める。黒砂糖には天然のミネラル分がバランス
よく配合されているため、ここでいうような弊害は起きない。ついでに一言。

 子どもはキャーキャーと声を張りあげるもの、うるさいものだと思っている人は多い。
しかしそういう考えは、南オーストラリア州の幼稚園を訪れてみると変わる。そこでは子
どもたちがウソのように静かだ。サワサワとした風の音すら聞こえてくる。理由はすぐわ
かった。その地方ではどこの幼稚園にも、玄関先に大きなミルクタンクが置いてあり、子
どもたちは水代わりに牛乳を飲んでいた。
(はやし浩司 切れる子供 キレる子供 突発的過剰行動 過剰な行動)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ…
…、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、
話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。

まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! 
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激
しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭
のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。

小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプ
の子どもが、1クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑
えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%
が、「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科
書を出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。

ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへ
の攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)な
どの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使
う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に
出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなっ
た」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観
の差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指
導が難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)
と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「か
なり感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔
のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこ
に恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。

そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタ
イプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲー
ムづけになっていたのがわかる。

ある母親はこう言った。「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをして
いるときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近
のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなし
にコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられ
なくなる。

その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静か
に聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いてい
る!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃ
べる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。

ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左
脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうし
た今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えてい
ることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」と
いうことになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。

(付記)

●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ
れている。

「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道
や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りに
された」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」
とも。

 北海道のある地方都市で、小学1年生70名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
 教師の指示を行動に移せない       ……17人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……9人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在
籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年2
10人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は3
55人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、9
6年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約52%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が417
1人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、
うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護
者などの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということであ
る。

●その対策

 現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラ
スを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策を
とっている(共同通信社まとめ)。

また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。

具体的には、小学1、2年について、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、
香川県では40人いるクラスを、2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで
引きさげる予定だという。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、
もう1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、
一部の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の4教科に、教科担任制を試験的
に導入している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で
実施している(01年度調べ)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
キレる子供 キレる子供 突発的に暴れる子供 暴れる子ども 子供の暴力 暴力行為
 衝動的 衝動性)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●キレる子どもの相談

++++++++++++++++

数年前、キレる子どもについて、
ある母親から、こんな相談が届いて
いる。

そのとき書いた原稿をそのまま
ここに紹介する。

++++++++++++++++

●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重15キロの子どもが、缶ジュースを1本飲むということは、体重60キロのおとな
が、四本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを4本は飲めない。飲めば飲ん
だで、腹の中がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔
よりも大きなソフトクリームを1個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困
っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの
子どもでまず疑ってみるべきは、低血糖。

一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげ
ようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残った
インスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう
状態になると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興
奮状態になって大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを
切るように、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」
として、20年ほど前に話題になったことがある。

日本でもこの分野の研究者は多い(岩手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなた
の子どもにそういう症状が見られたら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、
ダメもと。一周間も続けると、子どものによってはウソのように静かに落ち着く。

  話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげし
い」「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約50%が、この問題で悩
んでいる。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、
思いきって捨てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。
そして子どもが食事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親とい
うのは、たいてい無意識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、
間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)

(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつう
の家庭よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康
なら、小食(?)でも問題はないとみる。

++++++++++++++++++++++++

以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。

++++++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
 
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は5歳半になる年中児で、下に3歳半の妹がいます。

小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く
子でした。

それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。

真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている
態度には見えません。

走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないよ
うです。

そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
 
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方に
ついては、それでは分からないという事を伝える様にしています。

できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
 
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っていま
す。

心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係がある
のでしょうか。

また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰
りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なので
しょうか。

泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていま
すが、私が折れる事はありません。

その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブル
をゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な
動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中
させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成
ります。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、
「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要
もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、
子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎ
の原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと
思います。

+++++++++++++++++
 
●汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・7賢人の1人)だが、自分を知るこ
とは難しい。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中2男児)がいた。どこがどう問題児だっ
たかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。

「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。
するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目の
かたきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでし
まった。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難
しさを思い知らされたからだ。

ある日1人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好
きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小1男児)のように、
友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に
行くから、一緒に行ってほしい」と。

もちろん私は断ったが、問題は席決めことではない。その子どもにはチックもあったし、
軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」
ということのほうこそ、問題ではないのか。その親がすべきことは、抗議ではなく、そ
の相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分で
ない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがない
まま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、
もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」
と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」
のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、
ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の
中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくこ
となく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗
を繰り返すことである。

+++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということに
なります。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさ
い」と言っても、子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようも
ないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜
在意識というのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる
意識のことです。いろいろな説がありますが、教育的には、小学3、4年生を境に、急速
にこの自意識が育ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時
に、その自分を、自分でコントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ど
も自らの意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自
意識を期待しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ど
も自身は、自分ではそれがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケ
ースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣
く子でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がしま
す。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いてい
る態度には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ない
ようです。
●そのせいか、話し言葉も5歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満5歳の子どもに、理解できるはず
もありません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」
「落ち着いて会話しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と
言ったところで、ムダというものです。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、
ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだ
けでも、いろいろあります。

されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえり、
欲求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれません。またUYさんのメール
によると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、それによる過干渉、過関心、
心配先行型の子育てなども影響しているかもしれません。こうして考え出したら、それ
こそ数かぎりなく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「な
おそう」とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期に
よく見られる一過性の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。

むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視
することによって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれが
ダメ」「これがダメ」という指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまい
ます。生きザマそのものが、マイナス型になることもあります。

 私も幼児を35年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とか
なおしてやろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はな
いのですね。子どもというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然にな
おっていく。

UYさんのお子さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学3、4年生を境
に、症状は急速に収まってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言動をコン
トロールするようになるからです。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」「み
んなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっこよくしたい」「みんなに認められたい」
と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしな
いことだけを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、U
Yさんができることを、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自
信をもってください。私のHPを読んでくださったということだけでも、UYさんは、す
ばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中に
なっているようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私
が最近書いた原稿(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてく
ださい。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過
関心ではないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもあ
りません。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほ
とんどの人は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、
過関心や過干渉を繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育
児ノイローゼ気味なのかもしれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを
分担してもらったほうがよいかもしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりし
てテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)よ
うな乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、
意識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」と
いう部分についてですが、こう考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学1年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まっ
ていきます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますか
ら、見た目には、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよ
くわかりますが、一方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事
実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめ
ます。コツは、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで
愛情の糸を切らないというのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないこ
とです。

それを感じると、今度は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、それでも
暴れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込んでしま
います。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心を与えてはいけません。あくま
でも愛情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは何をしてもよいのです。
あまり神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学3、4年生になるころには、消えてい
ます。ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてく
ださい。そして、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、
そのときわかってくださると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろある
でしょうが、そこは、クレヨンしんちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってく
ださい。コミックにVOL1〜10くらいを一度、読まれるといいですよ。テレビのアニ
メは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に
掲載しますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点
があれば、至急、お知らせください。
(030217)

※……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考
える考え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。「生
物的意識」というのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というのは、生
物的意識がなくなった状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言われてい
る。この自己意識は、四歳くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成するといわれてい
る(静岡大学・郷式徹助教授「ファミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【YK様へ(2)】

 食生活がどうなっているのか、私にはわかりませんが、まず試してみるべきことは、(1)
食生活の改善、です。

 ここにも書いたように、MG、CA、Kの多い食生活(自然海産物中心の献立)に切り
かえてみてください。

 精製された白砂糖を多く含む食品は、避けます。(与えると意識しなくても、今では、あ
りとあらゆる食品に含まれています。幼児のばあい、2歳児でしたら、1日、10グラム
前後でじゅうぶんです。)

 感情の起伏がはげしく、手にあまるようなら、一度、小児科を訪れてみられてはいかが
でしょうか。以前とちがい、最近では、すぐれた薬も開発されています。(薬を使うときは、
慎重にしますが、そのあたりのことは、よくドクターと相談して決めてください。)

 食生活の改善……徹底してするのが、コツです。アイス、ソフト、乳酸飲料などは、避
けます。徹底してすれば、1、2週間ほどで、効果が現われてきます。

 同じようなケースを、もう一つ、思い出しました。その原稿を添付します。少し古い原
稿なので、先に書いたことと、内容が少し異なるかもしれませんが、異なっている部分に
ついては、先に書いたほうを、優先してください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・
小児栄養学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な
行動に出るタイプの子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフ
の殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあ
げられたことがある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野
節夫教授らが、この分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)
は私にこう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいい
でしょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱
していて、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを
母親が注意すると、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざ
みに動き回るという多動性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつ
んざくような金切り声をあげ、興奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そう
いう状態になると、手がつけられなくなった。私はその異常な興奮性から、H君は過剰
行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを
診断したり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治
療や治療方法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。
仮にその子どもが過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、
親から質問されてもそれを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たと
えば自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階
で止める。この過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向
かって、「あなたの子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。
教師としてすべきことは、知っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」
を開始することである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安
になり、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわ
れる」という。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応
じてインスリンが徐々に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂
糖)をとると、多量の、つまり必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果
として、子どもを低血糖児の状態にしてしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)
疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくると
いう(朝日新聞九八年2・12)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちを
している子どもにも共通してみられる症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿
病患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相
反する二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむと
き、「つかめ」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。
しかし低血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパ
スパとものを切るような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震
えるというよりは、手が勝手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制
命令が阻害されると、感情のコントロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく
怒りが増幅される。そして結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖
をとり過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。
体内のブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その
酸性化した血液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわか
りやすい。

体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)
脳の発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労
をしやすくまた回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)
という。わかりやすく言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しや
すく、また精神疲労を起こしやすいというのだ。甘い食品を大量に摂取していると、こ
のカルシウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達
物質であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。
アメリカの生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、
神経中枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マ
ザーリング」八一年(7)号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざ
まな子どもによる問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、
食品に含まれている白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビン
に入ったジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないというこ
とで、パンや紅茶など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう
進言した。が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げり
にしながら、「ビスケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。
母親は「麻薬患者の禁断症状のようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから
数日後。今度はH君が一転、無気力状態になってしまったという。私がH君に会ったの
は、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっていた。ボーッ
として、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、
ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、
イギリスでは、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさを
どこかで感じたら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の
多い食生活にこころがける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間とい
う短期間で、ほとんどの子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウ
ムを投与するだけでなおる」(「マザーリング」八一年(7)号)と述べている。効果
がなくても、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「う
ちの子は小食で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本
与えるということは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュー
スを四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、
精製されていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合され
ていて、ここでいう弊害はない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
過剰行動児 セロトニン悪玉説 キレる子供の原因 キレる子どもの原因 切れる子供 
原因 キレる子ども 原因 原因物質)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================



☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 18日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page023.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの暴力事件

++++++++++++++++

このところ校内暴力事件が、またまた
増加する傾向を見せ始めているという。

しかも小学校で、ふえているという。

++++++++++++++++

 このところ校内暴力事件が、またまた増加する傾向を見せ始めているという。しかも小
学校で、ふえているという。

 いろいろな意見があるのだろうが、つまりそれだけ、子どもたちの心に蓄積されるスト
レスが、増大しているということになる。ストレスという言葉は、もともとは、(圧力)(緊
張)を意味する(研究社・英和辞典)。そしてその原因はといえば、過重負担であることは、
今さら、言うまでもない。

 この浜松市を例にあげても、5、6年前に公立の中高一貫校ができてから、子どもの入
試環境が一変してしまった。受験戦争そのものが、低年齢化した。それまでにも中高一貫
の私立学校はあるにはあったが、この浜松では、公立学校より、レベルとしては、低位に
置かれていた。

 で、それまでは、入試といえば、高校入試をいった。受験戦争といえば、中学、高校で
のことをいった。

 が、今はちがう。それが小学4年生レベルにまで、引き下げられてしまった。それなり
の中学校を目ざす子どもたちは、4年生くらいから、進学塾に通い始める。これから内面
化……、つまり精神の形成期というその時期に、こうした受験競争を経験する子どもは、
不幸である。不幸というより、その弊害は、はかり知れない。

 校内暴力は、その1つにすぎない。が、本当の問題は、ここにあるのではない。

 なぜ親たちが、まだ幼さを残す子どもたちの受験競争に狂奔するか。その背景にまでメ
スを入れないと、この問題は解決しない。つまりこの日本そのものがもつ、格差社会、そ
こまでメスを入れないと、この問題は、解決しない。親たちは、それから生まれる不公平
を、日々の生活を通して、毎日、いやというほど、見せつけられている。だからこう言う。

 「何だかんだと言ってもですね、うちの子は、そこそこのいい学校に入ってもらわねば、
困るのです」と。つまりこれが現実である。

 話が脱線したが、これからも、さらに子どもたちを包む環境は悪化し、それに合わせて、
子どもたちの心は、より殺伐としたものになるだろう。

 ちなみに全国公立校05年度の集計調査によれば、小学生による校内暴力事件は、前年
度(04年度)にくらべて、128件増の、2018件もあったという。これで3年連続
で、過去最多を記録したことになる。

 中でも教員への暴力行為は、前年度の336件から、454件へと、38%も増加して
いる。加害児童が1人が、平均1・8人の教員に、暴力をふるっている。文科省は、「最初
の問題行動があったあとでも、学校で適切な対応ができず、繰りかえすケースがふえてい
る」(中日新聞)と述べている。

【資料】

●小学生による暴力事件(05年度・全国公立校集計結果)

 学校外での暴力行為……計2176件

 そのうち、子どもどうし……1073件(前年度、1126件)
      器物損壊  …… 582件(前年度、 544件)
      
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
校内暴力 子供の暴力事件 暴力事件 低年齢化する暴力)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【自己愛との戦い】

+++++++++++++++++

今日、ワイフと、車の中で、
こんな話をする。

自己愛者は、自分のことだけしか
しない、と。

だから自己愛者という。

人は、老齢になればなるほど、
その自己愛者になりやすい(?)。

自分のことしか、考えなくなる。

みながみな、そうではないが、
ふと油断すると、そうなりやすい。

+++++++++++++++++

●自己愛者

 もっとも忌み嫌い、軽蔑すべき人間。それが自己愛者ということになる。

 人はだれしも、ある程度は、自己中心的なものの考え方をする。幼児期から少年少女期
の初期には、とくにそうである。

 が、そのあと、成長とともに、心づくり、つまり心理学でいうところの内面化が始まる。
その「内面化」が何であるかを一言で表現するなら、自己中心性からの脱却ということに
なる。言いかえると、より自己中心的なものの考え方をする人は、それだけ精神の発達が
遅れた人とみてよい。

 しかし中には、内面化が遅れ、さらに自己中心的なものの考え方をするようになる人が
いる。その中でも、自己中心性が極端にまで肥大化し、他者との良好な人間関係に支障を
きたすようになった人を、「自己愛者」という。

 この自己愛者の特徴は、言うまでもなく、極端な自己中心性だが、そのため、他人に対
する許容範囲が、きわめて狭くなる。好き嫌いがはげしくなり、自分のもつワクの入らな
い人を、徹底的に排斥する。

 そのため、他者との関係において、ぎくしゃくなりやすい。結果として、自分のカラ(=
カプセル)に閉じこもり、自分だけの価値観を極端化しやすくなる。昔、こんな男性(7
0歳くらい)がいた。

 当時、すでに年金生活者だったが、自治会の会合に出ても、不平不満、あるいは文句ば
かり並べていた。他人の意見には、すべて反対。「自分だけが絶対、正しい」というような
ことを、平気で口にしていた。

 が、町内の仕事は、いっさい、しない。するのは、自分のことだけ。自分の身のまわり
だけ。あとは、何もしない。本当に、何もしない。それこそ、隣地の雑草一本、抜かない。
もちろんゴミが落ちていても、そのゴミも拾わない。

 こうした自己愛者は、自分の「得」になることはするが、それ以外のことは、何もしな
い。一見、他人のために働くように見せかけることもあるが、しかしよくよく観察すると、
すべてが計算づく。自分をよく見せるための、道具として、そうした行為を他人に、ひけ
らかす。

 ところで、この「自己愛者」という言葉は、戦後、外国から日本に入ってきた言葉であ
る。そのため、日本人には、あまりなじみがない。あるいは反対に、この日本では、「自分
を大切にする人」と、よい意味に誤解されることもある。

 しかし自己愛者は、冒頭にも書いたように、もっとも忌み嫌い、軽蔑すべき人間と考え
てよい。

 2年前に書いた原稿を、もう一度、ここで推敲してみたい。というのも、最近、私はこ
んなことを感ずるからである。

 人は老齢になればなるほど、ものの考え方が自己中心的になり、他人に対して無関心に
なりやすい。「とりあえず、自分さえよければ」というような考え方をするようになる。も
ちおろん、みながみな、そうというわけではない。しかしその傾向が強くなる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自己愛者

 自己愛が肥大化するから、自己中心的になるのか。それとも、自己中心性がきわまるか
ら、自己愛者になるのか。

 どちらにせよ、自己愛者は、生活のあらゆる面で、ものの考え方が、自己中心的になる。
が、ここで重要なことは、自己愛者自身が、自分がそうであっても、それに気づくことは
まず、ないということ。

 このことは、自己中心的な人を見ればわかる。自己中心的でありながら、その人が、そ
れに気づくことは、まずない。自分が自己中心的であるということは、その人が、自己中
心的でなくなったときはじめて、わかる。

 生きザマというのは、そういうもの。脳のCPUに関係しているから、自分の生きザマ
を客観的に知るということ自体、たいへんむずかしい。

 その自己愛の特徴として、ここであげる。

(1)異常なまでの自己中心性のほか、
(2)他人を信じない完ぺき主義、
(3)他人の批判を許さない。批判されると、極度の緊張状態に置かれるなどがある。

 こうした現象は、子どもの世界では、顕著に現れる。というのも、子どもというのは、
成長とともに、自己中心性から、利他的思考へと、自分を転換させる。(自己中心的なまま、
おとなになる子どもも、少なくないが……。)

 総じてみれば、幼児は、すべて自己愛者である。その幼児が、成長とともに、その自己
愛から、他人の立場でものを考えることができるようになる。

 こんなことがあった。

 幼児から、小学生にかけて、かなりはげしい多動性を示した子どもがいた。幼稚園でも、
そして小学校に入学してからも、毎日のように問題を引き起こした。

 しかしそんな子どもでも、小学3、4年生を境に、少しずつだが、落ちつきを見せるよ
うになった。自己意識で、自分をコントロールできるようになったからである。

 その子どもが、中学3年生になり、いよいよ卒業ということになったときのこと。私は
恐る恐る、その子どもにこう聞いてみた。

 「君は、小さいころ、先生や友だちに、かなり迷惑をかけたが、それを覚えているか?」
と。

 するとその子どもは、ケロリとした表情で、こう答えた。

 「ううん、ぼくは何も悪いことをしてないよ。先生も、みんな、ぼくが何も悪くないの
に、毎日、目のカタキにして、ぼくばかりを怒った」と。

 その子どもは、自分のことが何もわかっていなかった。私はその子どもを見ながら、改
めて、自分を知ることの難しさを、思い知らされた。恐らく、その子どもは、おとなにな
っても、自分が多動性のある子どもだったと気づくことはないだろう。教職の道に入り、
ADHD児についての研究者になっても、自分に気づくことはないだろう、と。

 自分を知るということは、そういうことをいう。

 ところで、話は、ぐんとそれるが、ブルース・ウィリス主演の映画に、『シックス・セン
ス』という映画がある。自分はすでに死んでいるのに、自分が死んでいるということに、
最後まで気がつかないという、あの映画である。

 あの映画では、最後に、ブルース・ウィリス演ずる、小児科医のマルコム・クロウは、
実は自分自身が幽霊であったことを知る。私はあの映画を見たとき、そういった衝撃とい
うのは、日常の生活の中では、よくあることではないかと知った。

 たとえばあのソクラテスは、『無知の知』という、有名な言葉を残している。「自分は無
知であるということを知る」という意味である。それなども、その一つである。

 あるとき自分がより高度な知恵を手に入れたとき、それまでの自分が、いかに無知であ
ったかを思い知らされる。あるいは、ある男性は、こう言った。「マザコンというのは、他
人のこととばかり思っていましたが、自分がそのマザコンだったと知ったときは、強いシ
ョックを受けました」と。そういうことは、よくある。

 同じように、自己中心的な生き方をしていた人が、ある日、何かのきっかけで、その自
分の自己中心性を思い知らされることがある。とたん、それまでの自分の生きザマが、つ
まらないものであったかを知る。

 これなども、どこかあの『シックス・センス』に似ている。……という意味で、あの映
画をとりあげてみた。

 実は最初にも書いたように、自己愛者は、自分がその自己愛者であることに、気づくこ
とはまず、ない。自分が、自己愛から離れてみて、それまでの自分が、自己愛者であった
ことに、はじめて気づく。

 そこで自己診断ということになるが、つぎの点で、いくつか自分に当てはまることがあ
るなら、あなたは、その自己愛者と思ってよい。

( )完ぺき主義で、他人に仕事を任せられない。
( )何でもかんでも、自分の思いどおりにならないと気がすまない(完ぺき主義)
( )この世界では、当然のことながら、「私」が一番、大切。
( )自分がいちばん正しい。ふだんの会話も、命令口調が多い。
( )まわりが自分を認めないときは、逆恨みしたり、不平不満をもちやすい。
( )他人に批判されたり、批評されるのを好まない。
( )他人に批評されたりすると、狼狽したり、混乱状態になる(自己の無謬性)。
( )独断性が強く、わがまま、自分勝手、自己中心的(自己中心性)。
( )孤独で、さみしがりや。友人が少なく、他人に気を許せない。
( )他人に心を許すことができない。そのためどうしても、ウソが多くなる。
( )ときとして常識ハズレ、過激な行動にでやすい(社会性の欠落)。
( )自分を飾り、仮面をかぶることが多い。よい人に見せる。
( )そのため他人と交際すると、必要以上に神経疲労を起こしやすい。

 こうした自己愛が自分に見られたら、利己から利他への転換をはかる。他人の心の中へ
一度、自分を置き、その状態から、その人の目を通して、あなた自身をみつめてみる。そ
の訓練を繰りかえす。

 これを繰りかえしていると、自分から自分が離れ、相手の立場になって、ものごとを考
えられるようになる。と、同時に、自己愛から、自分を解放させることができる。

 自己愛そのものは、孤独な生き方である。そして自己愛者の多くは、自己愛的に行きな
がら、それが「私らしい生き方」と、誤解している。しかし自己愛は、決して、個性的な
生き方ではない。もちろん望ましい生き方ではない。

 自己愛者が孤独なのは、いわば自業自得。しかし同じように、その周囲の人も、孤独に
なる。親子や夫婦でありながら、心の通わない状態がつづく。私の印象では、自己愛者の
親ほど、子どもと断絶しやすい。あるいは夫か妻か、どちらか一方が自己愛者であると、
離婚しやすい。統計的な数字があるわけではないが、実感として、そう思っている。

 実際問題として、自己愛者の人というのは、つきあうのに苦労する。一見、愛想がよく、
ひとづきあいもそれなりにうまい。しかし心は、閉じたまま。本人も疲れるが、その緊張
感を感じたとき、つきあう側も、疲れる。

 ただここにも書いたように、自己愛者が、自分が自己愛的であることに気づくことは、
まずない。自分が自己愛的であるかどうかは、自分自身が、利己から利他へ、転換できた
ときに、はじめてわかる。

 もしあなたが、ここでいう自己愛者であるなら、私が書いたことを参考に、自分の姿を
客観的に知るのもよいだろう。あの『シックス・センス』の中でブルース・ウィリスが覚
えたような衝撃(?)を、あなたも経験するのではないだろうか
(はやし浩司 自己愛者 自己愛 シックス・センス ブルース・ウィリス)

 【ある自己愛者】

 自己愛者の最大の特徴は、その自己中心性である。自分のことしかしない。自分のこと
しか考えない。自分にとって利益のあることは、仮面をかぶってでも、それをする。しか
し自分が損をすることは、まったくしない。

 ときに他人に対して献身的に行動することはあるが、それ自体も、どこかで自分の利益
を誘導するため。自分のことをよい人だと思っている人の間では、すこぶるよい人を演ず
る。しかしその一方で、自分のことを批判する人や、批評する人を許さない。ときに、徹
底的に、その人を攻撃したり、排斥したりする。

 自己愛者は、自分をよく見せるために、細心の注意を払う。仮面をかぶることも多いし、
当然、ウソも多い。だから他人に気を許せない。気を抜かない。どこかピンとした緊張感
が走る。この緊張感が、まわりの人を、息苦しくする。

 が、自己愛者は、孤独。さみしがりや。他人との良好な人間関係を築くことができない。
そのため、神経疲労を起こしやすい。他人と少しまじわっただけで、神経をすり減らす。
偏頭痛などを訴える。他人に対して心を開けない分だけ、集団行動が苦手。

 その一方で、気を許した人の間では、わがまま、独断、命令口調が多くなる。その人を
自分の思いどおりに動かそうとする。そのため、完ぺき主義に陥りやすい。

 S氏(60歳)が、そういう人だった。今は、もうなくなってしまったが、自分のこと
しかしない、自分勝手で、わがままな人だった。奥さんや子どもにすら、自分の心を開く
ことはなかった。どこか権威主義で、家父長意識が強かった。死ぬまぎわまで、「葬式だけ
は、しっかりとしてくれよ」が、口ぐせだった。

 が、実際には、S氏の葬儀ほど、静かで、ものわびしいものはなかった(知人の弁)。通
夜に訪れた人も、ほとんどいなかった。たぶん、S氏には、それがわかっていたのではな
いか。自己愛者というのは、そういう人のことをいう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
自己愛 自己中心性 自己愛者)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自己愛者は、孤独?

 自己愛者というより、自己中心的な人は、それだけ孤独な人と考えてよい。その根底に
は、「信じられるのは、自分だけ」という、根強い、他人への不信感がある。

 このタイプの人は、独善的である分だけ、他人の失敗を許さない。完ぺき主義。こまか
いことを、つぎつぎと指示して、自分の思いどおりにならないと、不愉快に思ったり、怒
ったりする。

 たとえば、昔、こんな女性がいた。

 その家は、江戸時代からの名家ということだそうだが、その女性は、その家の女主人。
ことさら伝統としきたりに、うるさい人だった。それはわかるが、長男の嫁が、たいへん
だった。

 床の間の飾りつけ一つにしても、ほんの少しでも位置がずれていたりすると、やりなお
しをさせられたという。

 この女性のばあい、自己愛というよりは、自家愛というべきか。嫁という「人間」より、
自分の「家」のほうが大切なのかもしれない。

 もちろんそれぞれの人には、それぞれの生き方がある。それぞれの人が、それで、それ
なりにハッピーであれば、問題はない。他人がとやかく言う必要はない。

 しかし自己愛にせよ、自家愛にせよ、それと引きかえに、孤独という地獄を背負うこと
になる。

 私も、ときどきこう思う。「私が死んだら、だれが悲しんでくれるだろう」と。

 別に悲しんでほしいわけではないが、そう考えたとき、ふと、「私が死んでも悲しむ人は、
だれもいないだろうな」と思ってしまう。たとえば先日も、同じ町内の班で、私と同年齢
の男性が死んだ。

 散歩のとき、ときどき顔を合わせる程度のつきあいしかなかったら、その人が死んだと
いう話を聞いたときも、ショックはショックだったが、悲しいという思いは、わいてこな
かった。

 が、それが親類や、さらに身内となると、そうはいかない。が、そのときも「その人が
死んで、悲しい」というよりは、「自分の過去が消えていく」というさみしさのほうが、先
にくる。その人の死を悼(いた)むというよりは、どこか自分のために、その人の死を、
悔やむといったほうに近い。

 では、家族は、どうか? これについては、こんな話がある。

 私も、晴れて孫をもち、ジジイの仲間入りをした。ジジイの気持ちが、理解できるよう
になった。そこである日、ふと、幼稚園児たちに、こう聞いてみた。

 「みんなには、おじいちゃん、おばあちゃんは、いるかな?」と。すると何人かの子ど
もたちが、「もう、死んだ」と答えた。

 そこですかさず、「おじいちゃんや、おばあちゃんが死んだとき、悲しかったかな?」と
聞いてみた。すると、最近、祖父母をなくした子どもたちですら、全員(4、5人)、「う
うん。悲しくなかった」「ゼンゼン」と答えた。

 「そういうものかなあ」と思った。「反対に、孫が死んだら、ジジイにせよ、ババアにせ
よ、狂ったように悲しむのに」とも。

●幸福の追求

 幸福の追求とは、何か。

 あるいは、どういう状態を、幸福というのか。

 おいしいものを食べ、きれいな衣服を身にまとい、快適な家に住むことなのか。

 私とて、お金は、嫌いではない。しかしお金では、幸福は、買えない。(反対に、お金が
なくて、不幸になる人は、いくらでもいるが……。)

 しかし幸福感ほど、わかりにくい感覚はない。欲望を満足させたときを幸福と言うのな
ら、それは、まちがっている。満腹になったとき。予定外のボーナスが、舞いこんできた
とき、そういうとき感ずる満足感は、ここでいう幸福感とは、無縁のものである。

 で、私は、最近、幸福とは、まわりの人たちの心の中で、やすらぎを感ずることではな
いかと思い始めている。まだそう思い始めたばかりで、それが結論というわけではない。

 しかし孤独から自分が解放されたと感じたとき。そういう状態を、幸福というのではな
いか、と。言いかえると、孤独との戦い。その戦いを通して、その反射的効果として与え
られる感覚が、幸福という感覚ではないか、と。

 そういう意味で、幸福と孤独は、コインの表と裏のようなものかもしれない。孤独と戦
うことで、その人は、幸福になれる。しかしいくら、欲望を満足させても、そこに孤独を
感ずるようであれば、その人は、決して、幸福とはいえない。

●孤独は、無間の地獄

孤独とは、究極の地獄と考えてよい。

 イエス・キリスト自身も、その孤独に苦しんだ。マザーテレサは、つぎのように書いて
いる。この中でいう「空腹(ハンガー)」とは、孤独のことである。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger 
for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself 
experienced this loneliness. He came amongst his own and his own received him not, 
and it hurt him then and it has kept on hurting him. The same hunger, the same 
loneliness, the same having no one to be accepted by and to be loved and wanted by. 
Every human being in that case resembles Christ in his loneliness; and that is the 
hardest part, that's real hunger. 

 キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼はただ食物
としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。

彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまり
だれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、
である。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつ
けつづけた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともき
びしい、つまりは、真の空腹ということになる。

 あのアリストテレスでさえ、「世界中のあらゆるものを手に入れたとしても、だれも、孤
独(friendless condition)は選ばないだろう(No one would choose a friendless existence 
on condition of having all the other things in the world. )」と述べている。

 孤独を、安易に考えてはいけない。「生きるということは、まさに孤独の闘い」と言って
も、言い過ぎではない。と、同時に、それは個人化が、いかにけわしい道であるかを意味
する。

 もっとも若いときは、その孤独の意味すらわからない。健康で、死への恐怖もない。毎
日がスリルと興奮の連続。そんな感じですぎていく。孤独を感ずることがあるとするなら、
何かのことでつまずき、ふと立ち止まったようなときだ。

 「私は私」という生きザマの中で、自分のカラに入ることは、同時に、その孤独を背負
うことを意味する。

 ではどうすればよいのか。

 そのヒントとして、マザーテレサは、「愛」があると、書いている。

●まず自分を知る

 まず、自分の中の自己中心性を知る。すべては、ここから始まる。

 が、これがむずかしい。どの人も、自分のことは、自分が一番よく知っていると思って
いる。ある意味ではそうだ。谷間に住んで、山に登ったことがない人には、自分の村の姿
の全体像はわからない。

 「私」もそうで、私を知るためには、一度、視点を、私の外に置いてみなければならな
い。私を、私の目を通して見ているかぎり、私など、ぜったいにわからない。

 先日も、私は幼児の前で、わざと計算ができないフリをしてみせた。「3たす5は……?
 エ〜と」と。そして電卓をパチパチとたたいてみせたら、一人の子どもが、こう言った。
「あんたは、本当に、センセイ?」と。

『無知の知』という言葉がある。ソクラテス自身が述べた言葉という説もあるし、ソク
ラテスにまつわる話という説もある。どちらにせよ、「私は何も知らないという事実を知
ること」を、無知の知という。

 ソクラテスは、「まず自分が何も知らない」ということを自覚することが、知ることの出
発点だと言った。

 実際、そのとおりで、ものごとというのは、知れば知るほど、その先に、さらに大きな
未知の分野があることを知る。あるいは新しいことを知ったりすると、「どうして今まで、
こんなことも知らなかったのだろう」と、自分がいやになることもある。

 少し前だが、こんなこともあった。

 子ども(年長児)たちの前で、カレンダーを見せながら、「これは、カーレンジャーとい
います」と教えたら、子どもたちが、こう言って、騒いだ。「先生、それはカーレンジャー
ではなく、カレンダーだよ」と。

 で、私は、「君たちは、子どものクセに、カーレンダーも知らないのか。テレビを見てい
るんだろ?」と言うと、一人の子どもが、さらにこう言った。「先生は、先生のくせに、カ
レンダーも知らないのオ?」と。

 私はま顔だったが、冗談のつもりだった。しかし子どもたちは、真剣だった。その真剣
さの中に、私はソクラテスが言ったところの、「無知」を感じた。

 しかしこうした「無知」は、何も、子どもの世界だけの話ではない。私たちおとなだっ
て、無数の「無知」に囲まれている。ただ、それに気づかないでいるだけである。そして
その状態は、庭に遊ぶ犬と変らない。

 そう、私たち人間は、「人間である」という幻想に、あまりにも、溺れすぎているのでは
ないか。利口で賢く、すぐれた生物である、と。

 しかし実際には、人間は、日光の山々に群れる、あのサルたちと、それほど、ちがわな
い? 「ちがう」と思っているのは、実は、人間たちだけで、多分、サルたちは、ちがわ
ないと思っている。

 同じように人間も、仮に自分たちより、さらにすぐれた人間なり、知的生物に会ったと
しても、自分とは、それほど、ちがわないと思うだろう。自分が無知であることにすら、
気づいていないからである。

 何とも話がこみいってきたが、要するに、「私は愚かだ」という視点から、ものを見れば
よいということ。いつも自分は、「バカだ」「アホだ」と思えばよいということ。それが、
結局は、自分を知ることの第一歩ということになる。

●利己から利他への転換

 自分の中の自己中心性を知るのは、そういう意味では、たいへんむずかしい。仮にあな
たがそうであるとしても、それに気づくことは、至難のワザである。が、もし、あなたが、
「さみしい」「孤独だ」「友がいない」「わかってくれる人がいない」と感じているなら、ま
ず、自分の自己中心性を疑ってみたらよい。

 すべては、ここから始まる。

 ひょっとしたら、あなたは、自分のカラに閉じこもり、自分だけを愛しているだけかも
しれない。幻想と幻惑にとりかこまれ、「私は愛されている」「愛されて当然」「尊敬されて
いる」「尊敬されて当然」と思っているだけかもしれない。

 本当のところ、だれも、あなたを愛してはいない。尊敬もしていない。もっと言えば、
あなたが死んだところで、だれも悲しまない。

 型どおりの葬儀。型どおりの弔辞。型どおりの法事。それを繰りかえすうち、やがてあ
なたのことなど、だれも話さなくなる。

 実は、そのことを、あなた自身が一番よく知っている。が、それを認めることは、あな
たにとっては、人生の敗北。だから懸命に虚勢を張って、そうでない自分を演出する。

 「私は、孤独ではない」「私には、友が多い」「私は、みんなから愛されている」と。

 このタイプの人間は、夜のバラエティ番組に出てくるタレントたちを見れば、わかる。
派手な衣装を身にまとい、金ピカピカの装飾品で、それを飾る。そして言うことは、いつ
も同じ。

 「X国の皇族たちとも、私は友人でして……」と。

 しかしそういうタレントが死んで、だれが悲しむだろうか。涙を流すだろうか。

 そう、あなたは孤独だ。あなたが身を置いて、その心を休める人は、だれもいない。

 ……と、そこまで気づいたら、あとは、簡単。本当に簡単。ウソのように簡単。

 一度、ためしに、相手の心の中に自分を置いて、その相手の心の中から、自分がどう見
えるか、ちょっとだけ試しに、見てみてほしい。

 あとは、少しずつ、その機会をふやしていく。それでよい。それであなたは、利己から、
自分を切り離すことができる。

 が、いつまでも利己にこだわっていると、あなたは、無間の孤独地獄から、解放される
ことはない。それについて、たびたび考えてきたので、今まで書いた原稿の中から、いく
つかを選んで、収録する。

+++++++++++++++++++

●孤独からの解放、それが自由

 イエス・キリストは、こう言っている。『真理を知らん。而(しこう)して真理は、汝ら
に、自由を得さすべし』(新約聖書・ヨハネ伝8章32節)と。「真理を知れば、そのとき
こそ、あなたは自由になれる」と。

 私が、「私」にこだわるかぎり、その人は、真の自由を手に入れることはできない。たと
えば「私の財産」「私の名誉」「私の地位」「私の……」と。こういうものにこだわればこだ
わるほど、体にクサリが巻きつく。実が重くなる。動けなくなる。

 「死の恐怖」は、まさに「喪失の恐怖」と言ってもよい。なぜ人が死をこわがるかとい
えば、それは死によって、すべてのものを失うからである。

いくら、自由を求めても、死の前では、ひとたまりもない。死は人から、あらゆる自由
をうばう。この私とて、「私は自由だ!」といくら叫んでも、死を乗り越えて自由になる
ことはできない。はっきり言えば、死ぬのがこわい。

が、もし、失うものがないとしたら、どうだろうか。死をこわがるだろうか。たとえば
無一文の人は、どろぼうをこわがらない。もともと失うものがないからだ。

が、へたに財産があると、そうはいかない。外出しても、泥棒は入らないだろうか、ち
ゃんと戸締りしただろうかと、そればかりが気になる。そして本当に泥棒が入ったりす
ると、失ったものに対して、怒りや悲しみを覚える。泥棒を憎んだりする。「死」もこれ
と同じように考えることはできないだろうか。つまり、もし私から「私」をとってしま
えば、私がいないのだから、死をこわがらなくてもすむ?

 そこでイエス・キリストの言葉を、この問題に重ねてみる。イエス・キリストは、「真理」
と「自由」を、明らかに対比させている。つまり真理を解くカギが、自由にあると言って
いる。言いかえると、真の自由を求めるのが、真理ということになる。

もっと言えば、真理が何であるか、その謎を解くカギが、実は「自由」にある。さらに
もっと言えば、究極の自由を求めることが、真理に到達する道である。では、どうすれ
ばよいのか。

 一つのヒントとして、私はこんな経験をした。話を先に進める前に、その経験について
書いた原稿を、ここに転載する(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++++++

●無条件の愛

真の自由「無条件の愛」

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私
は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。
が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。

 しかし、それは可能なのか…?  その方法はあるのか…? 

 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の
恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな
経験をした。

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、花嫁の居住地で式をあげる習わしにな
っている。式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けて、クリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

 その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグ
イと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、
さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「日本人をやめる、ということか…」
息子「そう」
私「…いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するが
ゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には「無条件の愛」という言葉
がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私
は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身の回りの、ありとあらゆる人やもの
を、許し、愛し、受け入れるということ。

「私」があるから、死が怖い。が、「私」がなければ、死を怖がる理由などない。一文
無しの人は、泥棒を恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おい
でになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができ
れば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。

その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、
しかし一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

●では、どうすればよいのか?

 問題は、いかにすれば、私から「私」をとるか、だ。それには、いろいろな攻め方があ
る。一つは、自分自身の限界を認める。一つは、とことん犠牲的になる。一つは、思索を
深める。

(自分自身の限界)私たち人間とて、そして私自身とて、自然の一部にすぎない。自然を
離れて、私たちは人間ではありえない。野に遊ぶ鳥や動物と、どこも違わない。違うはず
もない。そういう事実に、謙虚に耳を傾け、それに従うことが、自分自身の限界を認める
ことである。私たちは、自然を超えて、人間ではありえない。まさに自然の一部にすぎな
い。

(犠牲的である)犠牲的であるということは、所有意識、我欲、さらには人間が本来的に
もっている、貪欲、ねたみ、闘争心、支配欲、物欲からの解放を意味する。要するに「私
の……」という意識からの決別ということになる。「私の財産」「私の名誉」「私の地位」な
ど。「私の子ども」もそれに含まれる。

(思索を深める)「私」が、外に向かった意識であるとするなら、「己(おのれ)」は、中に
向かった意識ということになる。心という内面世界に向かった意識といってもよい。この
己は、だれにも奪えない。だれにも侵略されない。「私の世界」は、不安定で、不確実なも
のだが、「己の世界」は、絶対的なものである。その己の世界を追求する。それが思索であ
る。

 私から「私」をとるというのは、ひょっとしたら人生の最終目標かもしれない。今は「…
…かもしれない」というような、あいまいな言い方しかできないが、どうやらこのあたり
に、真理の謎を解くカギがあるような気がする。それは財宝探しにたとえて言うなら、も
ろもろの賢者が残してくれた地図をたよりに、やっとその財宝があるらしい山を見つけた
ようなものだ。

財宝は、その先? いや、本当にその山のどこかに財宝が隠されているかどうかさえ、
わからない。そこには、ひょっとしたら、ないかもしれない。「山」といっても広い。大
きい。残念なことに、それ以上の手がかりは、今のところ、ない。

 今はこの程度しか書けないが、あのベートーベンも、こう言っている。『できるかぎり善
を行え。自由を愛せよ。たとえ王座の前でも、断じて、真理を裏切ってはならぬ』(「手記」)
と。

彼の言葉を、ここに書いたことに重ねあわせてみても、私の言っていることは、それほ
どまちがってはいないのではないかと思う。このつづきは、これからゆっくりと考えて
みたい。

●「真理を燈火とし、真理をよりどころとせよ。ほかのものを、よりどころとするなかれ」
●(釈迦「大般涅槃経」)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
孤独 孤独論 利他 利己 自己愛 自己愛者)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月19日)

●おかしな健康法

+++++++++++++++++

ちょうどランチタイム時に、毎日、ある健康番組
が、テレビで流されている。

ときどき私もかいま見るが、「?」なものばかり。
昨日も、そうだった。

+++++++++++++++++

 ちょうどランチタイム時に、毎日、テレビで、ある健康番組が流されている。ときどき
見るともなしに、見てしまう。が、このところ、「?」なものばかり。昨日も、そうだった。

 おおざっぱに言えば、昨日の番組では、要するに、カルシウムは、腸内の悪玉脂肪分を
洗い流す作用があるというもの。だからカルシウムを適切に摂取すれば、ガンになりにく
くなる。そのためには、毎日牛乳を、コップ2杯程度、飲むとよい、と。

 詳しい内容は、忘れた。「コップ2杯」ではなく、「1杯」だったかもしれない。いつも
のクイズ形式で、司会者が、そんなようなことを言っていた。

 一見、「なるほど」と思うような番組だが、よくよく考えてみると、おかしい。カルシウ
ムにそういう作用があるとしても、牛乳イコール、カルシウムではないはず。牛乳には、
ほかにもいろいろな成分が含まれている。カルシウムは、その一部にすぎない。もちろん
脂肪分も含まれている。3〜5%は、含まれている。

 専門のドクターが、ゲストとして出演していたが、こうした重箱の隅をほじくりかえす
ような健康論には、もう少し慎重であるべきではないのか。「〜〜を食べたら、健康に悪い」
「〜〜を食べたら、健康にいい」と。そんな健康法に、どれだけの意味があるというのか。

 少し前も、「ウナギには、牛肉のx倍もの〜〜が含まれている。だから〜〜を補充するた
めには、ウナギがいい」というようなことを言っていた。

 しかし最近、ウナギの値段があがった。仮にウナギに、牛肉の2倍もの〜〜が含まれて
いるとしても、ウナギの値段が2倍だとするなら、牛肉を食べたほうが、安あがり。それ
に牛肉なら、毎日でも何とか食べられるが、ウナギとなると、そうはいかない。1度食べ
たら、少なくとも1週間は、食べられない。

 食と健康に関しては、東洋医学でも、詳しく論じている。しかし見方によっては、こう
した番組より、はるかに合理的である。

 たとえば酸っぱい味は「肝」に入りやすい。苦い味は「心」に入りやすい。甘い味は「脾」
に入りやすい……(素問・陰陽応象大論)と。

 もちろん東洋医学でいう、「肝」「心」「脾」は、現代医学でいう、肝臓、心臓、脾臓のこ
とではない。もう少し観念的なものである。東洋医学でいう「肝」とは、「きも」のこと。
「肝っ玉の太い人」というときの、「肝」である。「心」についても、同じ。

 詳しくは、私が書いた、『目で見る漢方診断』(HPに収録)を読んでほしい。

 で、こうした種々雑多な健康法を、仮に毎日見たとして、本当にその人は、健康になれ
るのだろうか。健康を維持できるのだろうか。まさに情報の洪水。聞くところによると、
司会者をしている、M氏は、たいへんなヘビースモーカーと聞いている。顔色も、どす黒
く、とても健康な人のそれとは言いがたい。

 さらに言えば、こういう番組を10年以上も流しているわけだから、それなりの健康論
を確立してもよさそうなものである。健康哲学である。それが無理だとするなら、せめて
「知識」だけでもよい。それが番組の進行上のやり方なのかもしれないが、M氏は、いつ
も、真っ白な脳みそで、番組を始める。まったくの素人。そんな感じで、番組を始める。

 わかりやすく言えば、M氏の学習能力は、ゼロ(?)。M氏自身が知識の洪水の中で、右
往左往しているだけ。つまり司会者がそうだから、それを見ている視聴者もまた、知識の
洪水の中で、右往左往しているだけ。

 牛乳の中のカルシウムを使って、町内の悪玉脂肪分を洗い流すというのなら、最初から、
牛乳など、飲まないこと。先にも書いたが、牛乳には、3〜5%もの脂肪分が含まれてい
る。

 仮にその意見が正しいとしても、数千種類もある食物の中から、1つや2つに注目した
ところで、それがどうだというのか。ここに書いたウナギにしても、いくら栄養価が高い
からといって、毎日それを食べていたら、たいへんなことになる。最近では有害な抗生物
質が、大量に、ウナギの養殖に使われているといううわさも流れている。そういう問題も
ある。

 つまるところ、総論のない各論の連続。それがあの番組の特徴ということになる。一見、
役に立つ番組に見えるかもしれないが、その一方で、この日本に、誤解と偏見、それをま
き散らしている。それはまさに「害」にこそなれ、「益」にはならない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●作られる老人

+++++++++++++++++

老人は、自ら、老人になるのではない。
老人は、老人につくられていく。

「定年」「退職」「老後」という意味のない言葉に
包まれるうちに、老人は、老人につくられていく。

+++++++++++++++++

 友人のGN先生から、手紙が届いた。今年の春、ある学校の校長を最後に定年退職し、
現在は、第二の人生を歩んでいるという。「第二の人生」というと、まだ聞こえはよいが、
民間企業でいえば、どこか窓際的な仕事(?)。GN先生の、やり場のない不満のようなも
のを、その手紙の中に感じた。

 しかし、それは同時に、私自身の「現況」でもある。

 つまりこうして私たちは、否応なしに、「老人」につくられていく。私たちが自ら、老人
になるのではない。老人につくられていく。しかしこれを、社会の矛盾と言わずして、何
と言う。欠陥と言わずして、何と言う。

 若い人たちは、「老人は、ぼんやりと庭いじりでもして、孫のめんどうでもみていればい
い」と、あまりにも安易に考えすぎているのではないか。「それがあるべき、老人の姿だ」
と。そしてそれに合わせて、社会のしくみそのまで、できあがってしまっている。

 が、現実に自分がその老人になってみると、(私自身は、絶対に、自分を老人だと思って
いないが……)、その実感が、まるでないのがわかる。何をもって、私を老人と位置づける
のか。むしろ、若いときより、行動的。活動的。心も体も、より健康!

 もちろん中には、愚かな老人もいる(失礼!)。おかしな親風ばかり吹かして、いばって
いる老人もいる。過去の亡霊にしがみついて、それをカサに着ていばっている老人もいる。
何もしないで、本当に庭いじりばかりしている老人もいる。しかしそういう老人たちと、
少なくとも私を、同じに見ないでほしい。

 が、どうもがいたところで、どうにもならない。私も、その無力感というか、挫折感を、
このところ、よく感ずる。だいたい、若い人たちが、私たちがしてきた経験や知恵に、耳
を傾けようとしない。「老人はバカ」「老人は役立たず」というレッテルを先に張ってしま
う。

 かつてボーボワールは、「女は女に作られていく」(「第二の性」)と書いたが、その言葉
を借りるなら、「老人は老人に作られていく」ということになる。あちこちで老人あつかい
をされるうちに、「そういうものかなあ」と、自分を納得させてしまう。

 たとえばすぐ近所に、今度、新しい床屋ができた。格安の床屋である。散髪と髭そりこ
みで、1600円。が、その料金を書いた看板の下のほうに、こうある。「60歳以上は、
1300円」と。

 私としては、それを喜ぶべきなのだろうが、どうも、そういう気持ちになれない。私は、
多分、60歳になっても、65歳になっても、1600円を払うだろう。「私は60歳です。
どうか、1300円にしてください」などと、どうして言うことができるのか。

 が、反対に向こうから、「あなたは60歳ですね。1300円で結構です」と言われたら、
どうなのか。相手としては、私にとってよかれと思ってそう言うかもしれない。が、私は、
断る。

 おかしな情けは、こと私に関しては、無用。認知症か何かになり、だれの目にも老人に
見えるようになるかもしれない。しかしそうなればなたっとき、また考えればよい。しか
し今は、まだ現役。これから先も、ずっと現役。

 そのかわり、私がする仕事には、若い人たちと同じ、一人前の料金を支払ってほしい。
仕事の内容をみて、料金を支払ってほしい。たとえば私の教室(BW教室)でも、「60歳
になりましたから、月謝は、30%引きでいいです」とは、私は、絶対に、言わないぞ。

 だれが、老人になってやるものか! バカヤロー!

【付記】

 しかし老人臭い老人が多いのも事実。自分自身を、どんどんと小さくしてしまう。もの
の考え方を、より保守的にし、防衛的にしてしまう。で、このタイプの老人が好んで使う
言葉が、「コンパクト」。

 コンパクトな生活、コンパクトな人生、コンパクトな……と。

 ああ、いやだ。そういう老人に出会うと、ぞっとする。私の恩師の田丸先生は、東大の
教授を退官する少し前から中国語を勉強し始め、やがて中国の化学会の総会で、基調講演
までしたぞ。しかも中国語で! (そのときの写真は、田丸先生のHPに載っている。そ
の写真には、「中国化学会成立50周年学術報告会」とある。)

http://www6.ocn.ne.jp/~kenzitmr/page023.html

 見習うべきは、そういう老人ではないのか。

 そう言えば、私はもうすぐ、つまりこの10月に、満59歳になる。その実感は、まっ
たく、ないが……。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●挫折(ざせつ)

+++++++++++++++++

挫折を知って、人は、はじめて、
やさしくなる。他人の心の暖かさが、
すなおにわかるようになる。

しかしだれしも、挫折を望んでいる
わけではない。

それはたとえて言うなら、病気の
ようなもの。重い病気のようなもの。

病気を経験して、人は、はじめて、
健康のありがたさがわかる。
運動の大切さが、わかる。

しかしだれが自ら、挫折を望むだろうか。
だれが自ら、病気を望むだろうか。

+++++++++++++++++

 病気を経験して、はじめて、人は、健康のありがたさがわかる。運動の大切さがわかる。
しかしだれが、自ら、病気を経験したいなどと、思うだろうか。重い病気であるなら、な
おさらだ。

 同じように、挫折を経験して、はじめて、人は、人生の底を流れる、その意味を知るこ
とができる。自分という人間を、(下)から見ることができる。ついで、人の世界を、(下)
から見ることができる。

 それはそのまま、その人の(暖かさ)となって、はねかえってくる。(やさしさ)となっ
て、はねかえってくる。

 しかしだれが、自ら、挫折を経験したいなどと、思うだろうか。健康にしても、できれ
ば、日々に、健康でありたい。いつも健康でありたい。同じように、人生は、できれば、
何ごともなく、平和でありたい。のんびりと安楽に暮らしたい。

 そこで賢人は、今そこにある(価値)を、失う前に知る。またそういう人を賢人という。
愚人は、それを失ってから、その(価値)を知る。またそういう人を愚人という。病気や
挫折を、かならずしも経験する必要はない。とくに病気というのは、その人の意思と努力
で、ある程度、予防することができる。そうでない病気もあるが、自分の意思と努力で、
まだ戦うことができる。

 挫折は、どうか? 実は、私も、一度、その挫折をしている。M物産という商社をやめ、
幼稚園講師になったときのこと。いや、講師になったことそのものは、自ら望んでなった
から後悔はしていない。が、そのあと母にだけは……と思って、そのことを母に告げたと
きのこと。私の母は、電話口の向こうで、オイオイというより、ギャーギャーと泣き崩れ
てしまった。

 そのとき、私は、生まれてはじめて、大きな挫折感を味わった。「死」を、すぐそこに感
じた。具体的には、毎日、「死んではだめだ」と、自分に言い聞かせながら、懸命に自分を
支えた。

 人間というのは、どん底に落とされると、2種類のタイプに分かれる。そのとき、それ
を学んだ。ひとつは、邪悪なまでに貪欲(どんよく)になるタイプ。もうひとつは、バカ
みたいに、クソまじめになるタイプ。中間は、ない。

 それにもうひとつ、私が学んだことがある。それは先にも書いたように、人は、人生の
底を流れる、その意味を知ることができるということ。何が大切で、何がそうでないか、
それを知ることができる。はっきりと知ることができる。

 決して、挫折することを、恐れてはいけない。だれしもそれを望むわけではないが、仮
にそういう状況を前にしても、恐れてはいけない。恐れたとたん、悪魔はキバをむいて、
私たちに襲いかかってくる。

 が、問題は、子どもたちである。年齢も20歳前後になり、それなりに処理能力の備わ
った子どもなら、まだよい。しかし10歳とか、15歳の子どもは、どうか?

 しかしこの時期、子ども自らが、挫折するということはない。だから絶望するというこ
ともない。挫折するためには、それなりに自分の生き様がかたまっていなければならない。
その生き様がかたまっていない子どもに、挫折ということは、ありえない。

 が、何かの失敗を、心のキズ(トラウマ)としてしまうことは、よくある。

 よい例が受験ということになる。しかし誤解してはいけない。それによって、子どもに
深い絶望感を与えるのは、子ども自身ではなく、親である。子どもが受験に失敗したとき、
同時に、親は、無意識的であるにせよ、子どもに、「あなたはダメな子」というレッテルを
張ってしまう。これが子どもに、深い絶望感を与えてしまう。言うなれば、親が覚える挫
折感を、そのまま子どもに移植してしまう。

 ……ということで、少し内容が脱線してきたので、この話はここまで。

 賢人になるか、愚人になるか。どちらを選ぶかかは、自ら考える習慣があるかどうかで、
決まる。繰りかえすが、賢人は、今そこにある(価値)を、失う前に知る。またそういう
人を賢人という。愚人は、それを失ってから、その(価値)を知る。またそういう人を愚
人という。

 健康しかり、人生の意味しかり、そしてまた子どものよさ、しかり。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●コバルトブルーの空

+++++++++++++++++

今朝(9月20日)は、午前4時に
起きた。

まだ明けやらぬ、海の写真を取りたかった。
それでその時刻に起きた。

まだ外は、まっ暗だった。

+++++++++++++++++

 ときどき、朝の海の写真を取るために、近くの中田島砂丘まで行く。しかしいつも、あ
る程度、明るくなってから。

 しかし今日は、ちがう。たまたまトイレへ行くために、起きたときのこと。時計を見る
と、午前3時半。決心するまでに、20〜30分かかった。が、私は、床から起きあがっ
た。「今日こそ、取ってやる!」と。

 再び時計を見ると、午前4時。外は、真っ暗。細い三日月が、東の空に、くっきりと見
えた。

 私はハナ(犬)に散歩用の綱をつけると、そのまま自転車にまたがった。海に向かった。
肌寒い風が、サーッと身を包んだ。

 ……ということで、今日は、その朝の海の写真を、思う存分、取ることができた。つい
でに、オリオン座が美しく輝く、夜空も取ることができた。

 そうそう、あなたはコバルトブルーの空を知っているか? 緑味を帯びた、淡い水色の
空だ。今朝の空が、そうだった。ほんのりと明るくなった東の空から、行く筋もの淡い水
色の光の帯が空に流れ、その間に、そのコバルトブルーの空が広がっていた。

 美しかった。本当に美しかった。まるで自分がまだ夢の中にでもいるような気分だった。
私は、夢中で、その空にめがけて、何度もシャッターを切った。ただデジタルカメラの限
界というか、そのつど取った写真をモニターで見たのだが、実際の色とは、ちがったもの
になっていた。(残念!)コバルトブルーかなという感じは出ていたが、私が見たものとは
ちがっていた。

 実に、微妙な色だった。しかしその雰囲気は、じゅうぶん味わってもらえると思う。こ
の原稿とともに、マガジン(楽天日記)のほうに載せておく。

 それにしても、朝の海は、気持ちよい。いつ行っても気持ちよい。また近く、行こう!

 みなさん、おはようございます! 今日は9月20日、水曜日。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●12月2日(土曜日)

++++++++++++++++

12月2日、土曜日。
今度、地元のI中学校区(4校合同)の
健全育成会で、講演をすることに
なった。

今回で、2度目の講演である。

私はこの講演を、自分の人生の
節目のひとつに考えている。

++++++++++++++++

 いろいろなところで講演をさせてもらった。が、地元の人たちから招かれる講演ほど、
うれしくも、光栄なことはない。

 地元といっても、このI町だけでも、人口は、3万人を軽く超えている。私の生まれ育
ったG県のM町より、はるかに大きい。そのI町には、I中学校を中心に、3つの小学校
がある。どれもマンモス校である。昨日、その講演会の打ち合わせをすました。

 多分、自由参加ができるはずなので、近くの人、このマガジンを読んでいる人で、「聞い
てやろう」と思う人は、どうか、どうか、聞きにきてほしい。この1年の総決算というよ
りは、私の人生の節目の1つとして、私は、この講演会をとらえている。全力を尽くす。

 どんな講演でも、私は壇上に立ったとたん、「今日が最後」と、自分に言って聞かせる。
決して、出し惜しみしない。すべてをさらけ出す。飾らない。偽らない。が、今度の講演
会には、もう1つ、別の意識が、それに加わる。「それを最後に、私は、もう死んでもいい」
と。私の人生で、最重要な講演と位置づけている。

 ……そう、私は、この浜松市では、ずっと、よそ者だった。35年前、あの木造の浜松
駅に降り立ったときから、そうだった。が、この浜松市は、私を、暖かく迎えてくれた。
やがてすぐ私は、この浜松市が大好きになった。

 数年もしないうちに、高校野球でも、故郷のG県代表よりも、この静岡県代表のほうを、
応援するようになった。ちょうど30歳になったころのこと。あの甲子園で、G県代表と
静岡県代表が対戦する試合があった。私は、静岡県代表のチームのほうを応援している自
分を知った。

 そのときから、私は、「私は、静岡県人だ」と、はっきりと自覚するようになった。

 が、よそ者はよそ者。私はいつもそこに、(入り込めないな壁)があるのを、感じていた。
今も、ないわけではない。しかし私自身は、そういう壁とは別に、自分の(根)が、しっ
かりと、この浜松の地に、根をおろしているのを知っている。

 ワイフは、この浜松市で生まれ育った女性である。3人の息子たちも、ここで生まれ、
育った。無数の友人や知人もできた。人口80万人というが、駅前を歩いていると、あち
こちに見慣れた顔の人を見る。

 そういう浜松市だが、しかしさらにその中でも、私が現在住んでいる地元の中学校での
講演となると、話は別である。「別」というより、ズシリとした重みを感ずる。3人の息子
たちは、そのI中学校を卒業している。

 ところでぐんと話は脱線するが、講演というのは、まさに気力と体力の勝負。講演があ
る日は、私は食事をしない。胃袋に何かが入っていたのでは、講演はできない。また講演
のある日は、朝早く起きて、運動にでかける。一汗、かく。そして入浴。

 講演が終わると、反対に、私は幽霊のようになる。そのあと数時間は、食欲も消える。

 中には、レジュメ(要旨)をまとめて、それを読むようにして講演する人もいる。が、
私は、そういうことはしない。当日、壇上に立った、その瞬間に、話のプロット(あらす
じ)を組み立てる。あくまでも聞きに来てくれた人の雰囲気と様子を見て、決める。

 男性が多いときには、男性向きの話。高齢者が多いときには、高齢者向きの話。若い女
性が多いときには、若い女性向きの話。そういうふうに、その瞬間に話のプロットを組み
立てる。その判断を誤ると、つまらない講演になってしまう。(多分?)

 今度のI中学校区での講演では、今まで温めてきたテーマについて、話す。洗いざらい、
すべて。出し惜しみすることなく、全力で。まさに「これで死んでもいい」という覚悟で
話す。

 講演まで、まだ2か月近くあるが、今日からその準備にとりかかりたい。

**************************

【講演会のお知らせ】

12月2日、土曜日。浜松市、入野中学校・体育館にて。
詳しい時間帯などは、追って、ご連絡申し上げます。

ぜひ、おいでください。よろしくお願いします。

**************************


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 16日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page022.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【人間らしく生きるための、10の鉄則】
(マズローの「欲求段階説」を参考にして)

+++++++++++++++++++++

A・H・マズローは、「欲求段階説」を唱え、
最終的には、「人間は自己実現」を目ざすと説いた。
人間は、自分がもつ可能性を最大限、発揮し、
より人間らしく、心豊かに生きたいと願うようになる、と。

マズローの欲求段階説をもとに、私は、
人間らしく生きるための10か条として、
つぎのように考えた。

AHマズローは、アメリカ心理学会の会長を
務めたこともある人物である。

●第1の鉄則……現実的に生きよう

●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう

●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう

●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう

●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう

●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう

●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう

●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう

●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう

●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう

+++++++++++++++++++++

 ここにあげた10の鉄則は、どれも、きわめて常識的なものと考えてよい。だれもが、「そ
うだ」と納得できることを、10の鉄則にまとめたにすぎない。

 しかしその常識的であるという点が、むずかしい。

 たまたま昨日(9月15日)、あの忌まわしい地下鉄サリン事件の首謀者である、A被告
の死刑判決が確定した。それについて、教団内部では、(1)A死刑囚の奪還計画、(2)
死刑執行とともに、信者たちの後追い自殺などの動きが見られるという(Yahoo・n
ews)。

 (常識)をはずれた人たちは、そこまで狂う。

 そこでどうすれば、その(常識)をみがくことができるかということになる。マズロー
は、そのヒントを私たちに与えてくれた。心理学者として、数多くの、人間の(心)をみ
つめてきた人である。その意見は、傾聴に値する。

 で、マズローの欲求段階説によれば、人間は、最終的には、「自己実現」をめざすという。
わかりやすく言えば、「私の確立」ということか? 崇高で気高い自己概念(=こうであり
たいと描く自分像)をもち、その自己概念に、現実自己(=現実の自分)を完全に一致さ
せる。そのとき「私」は、完成する。

 この10の鉄則の中で、最大のポイントは、「いかにすれば、現実的に生きられるか」で
ある。

 以前、こんな原稿を書いた。少し話が脱線するかもしれないが、「現実的に生きるための
ヒント」になれば、うれしい。

++++++++++++++++++

子どもに善と悪を教えるとき

●四割の善と四割の悪 

社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4
割の悪がある。

子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの
世界だけをよくしようとしても、無理。

子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする
(「クレヨンしんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をす
る者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマ
りやすい。ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもそ
の生徒を、プールの中に放り投げていた。

その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対しては
どうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできび
しいのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強
している親は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動
物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界にな
ってしまったら、何とつまらないことか。

言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。
無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすく
らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。
神はこう答えている。「希望を与えるため」と。

もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希
望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれ
る。神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それ
がわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世
界だけをどうこうしようとしても意味がない。

たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。問題は、そういう
環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないというのなら、あなたの
仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたはどれほどそ
れと闘っているだろうか。

私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校
生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。

「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君は許せるか」と。するとその男は笑い
ながら、こう言った。「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだから
ね」と。

私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女
性が悪い」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界
をゆがめる。それが問題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけで
もない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社
会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変わる。

(参考)
 子どもたちへ

 魚は陸にあがらないよね。
 鳥は水の中に入らないよね。
 そんなことをすれば死んでしまうこと、
 みんな、知っているからね。
 そういうのを常識って言うんだよね。

 みんなもね、自分の心に
 静かに耳を傾けてみてごらん。
 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。
 してはいけないこと、
 しなければならないこと、
 それを教えてくれるよ。

 ほかの人へのやさしさや思いやりは、
 ここちよい響きがするだろ。
 ほかの人を裏切ったり、
 いじめたりすることは、
 いやな響きがするだろ。
 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。
 
 あとはその常識に従えばいい。
 だってね、人間はね、
 その常識のおかげで、
 何一〇万年もの間、生きてきたんだもの。
 これからもその常識に従えばね、
 みんな仲よく、生きられるよ。
 わかったかな。
 そういう自分自身の常識を、
 もっともっとみがいて、
 そしてそれを、大切にしようね。
(詩集「子どもたちへ」より)

++++++++++++++++++

神や仏も教育者だと思うとき 

●仏壇でサンタクロースに……? 

 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーの
おもちゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。
そこで私は、仏壇の前で手をあわせて祈った。

仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、私にはそれしか思いつ
かなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣
は欠かしたことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできご
とがあった。

ある英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公
園の中にある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していた
ときのことだ。

私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。そのとき
以来、私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要とし
ている人がいる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの
願い事をしようと思っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

●身勝手な祈り

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のよ
うな人間に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たります
ように」とか、「商売が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多いが、しかしそ
んなことにいちいち手を貸す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占い
コーナーには、1日100万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。

どうせその程度の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても1
日100万件とは! 

あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった25
年前には、「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、
よっぽどこちらのほうが奇跡だ。

その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 人間の理性というのは、
文明が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、こんな子ども(小5
男児)がいた。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞くと、こう
言った。「先生、ぼくは超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことが
できる!」と。

●難解な仏教論も教育者の目で見ると

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなること
がある。

たとえば親鸞の『回向論(えこうろん)』。『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』
という、あの回向論である。

これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の
命令によってしているにすぎない。だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚
偽に包まれてはいても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本
百科事典・石田瑞麿氏)となる。

しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱ
りわからなくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。
要するに親鸞が言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことでは
ないか。悪人が念仏を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、
浄土へ行ける」と。しかしそれでもまだよくわからない。

 そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当た
り前のことではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。つま
りそういう子どもこそ、ほめられるべきだ」と。

もう少し別のたとえで言えば、こうなる。「問題のない子どもを教育するのは、簡単なこ
とだ。そういうのは教育とは言わない。問題のある子どもを教育するから、そこに教育
の意味がある。またそれを教育という」と。私にはこんな経験がある。

●バカげた地獄論

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。そ
の教団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。

いわく、「この宗教を否定する者は、無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身
体障害者が多いのは、そのためだ」(N宗機関誌)と。こんな文章を、身体に障害のある
人が読んだら、どう思うだろうか。あるいはその教団には、身体に障害のある人はいな
いとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすように
なった。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方は、明らかにま
ちがっている。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈って
やることこそ、彼らが言うところの慈悲ではないのか。

私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中には「バカ
ヤロー」と悪態をついて教室を出ていく子どももいる。しかしそういうときでも、私は
「この子は苦労するだろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。

神や仏ではない私だって、それくらいのことは考える。いわんや神や仏をや。批判され
たくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏では
ない。悪魔だ。

だいたいにおいて、地獄とは何か? 子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつと
いうことが地獄なのか。しかしそれは地獄でも何でもない。教育者の目を通して見ると、
そんなことまでわかる。

●キリストも釈迦も教育者?

 そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなか
ったか、と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりする
と、意外とよく理解できる。

さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。たとえば「先生、先生…
…」と、すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と
突き放す。「何とかいい成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。

いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。
自分で努力することをやめてしまう。そうなればなったで、かえってその子どものため
にならない。

人間全体についても同じ。スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人
間は自ら努力することをやめてしまう。医学も政治学もそこでストップしてしまう。そ
れはまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーでは
なく、赤い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、
今でもはっきりと覚えている。

+++++++++++++++++

第2の鉄則と、第3の鉄則は、
「あるがままに、世界を受けいれよう」
「自然で、自由に生きよう」である。
それについても、以前、こんな原稿を
書いたことがある。
なお私がいう「自由」とは、「自らに由(よ)る」
という意味である。
好き勝手なことを、気ままにすることを
自由とは言わない。

+++++++++++++++++

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもな
っている格言である。

「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結局は
何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはい
けません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人が
いる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大
学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、
ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自
分の人生を、自分のものにすることができない。

あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人
生を無駄にしてしまう。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、
偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、
一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の
位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。
しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現
実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だ
け。

だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないの
か。子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。
そういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、
大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」
ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといって
も、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではな
いか。それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったも
のを、真っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親た
ちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。

日本では「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらな
くてもいいのよ」と。ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日
本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲
れる』の本当の意味がわからないのではないか……と、私は心配する。

+++++++++++++++++++

●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。

法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自
分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自
分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、も
ともと「自らに由(よ)る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自
分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自
由とは言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込ん
でくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を
変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親
は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あ
なたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるい
は自分で行動させない。

いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。「乱
暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てをす
るなど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイ
プの子どもになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がな
い。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同
士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り
飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中2)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、
子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。

+++++++++++++++++

 自分を客観的に見るということと、
他者との共鳴性については、一見、
正反対の位置にあるように思う人が
いるかもしれないが、この両者は、
紙にたとえて言うなら、(表)と(裏)
の関係にある。

 つまり自分の視点を、他人の目の中に
置いてみる。その他人の目を通して、自分を見る。
その人自身の心の中を見る。

 方法は簡単である。

 たとえば通勤電車の中に座ったとしてみよう。
通路をはさんで、その向こうには、
ほかの客たちが座っている。

 そのとき、それぞれの客の中に、
自分を置いてみればよい。
最初は、「相手から見ると、自分はどんなふうに見えるだろう」
と想像するだけでよい。
あなたが相手を見るように、相手から見る自分を想像する。

 これを繰りかえしていると、自分の姿が、
より客観的に見えるようになると同時に、
その人の心の中に、入りこむことができる。
それがここでいう「共鳴性」ということになる。

 その「共鳴性」は、人格の完成度を知るための、
ひとつのバロメーターにもなっている。

 以前、子どもの人格論について、こんな原稿を
書いた。

++++++++++++++++

【子どもの人格】

●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考
える前に、それについて、書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++

●子どもの意地

 こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚
園へ行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。

そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。し
かし幼稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもな
がらに、それはずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、
幼稚園にいることになった。またこんな子ども(年長男児)もいた。

 レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さん
が、「お兄ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。
そこで母親はもう一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザ
を食べたという。

「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。
 
今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなっ
た。心理学の世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SEL
Fとかいう。少し昔の日本人は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使う
が、どこか暴力的で、私は好きではないが……。)

教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリと
している。ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。

 ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がき
かなくなることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、
がんこ。また「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方
法で対処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)
を大切にする。

++++++++++++++++++

 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことに
こだわり、そこから一歩も、抜け出られなくなる。

 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常
なこだわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。

 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先
生に、一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、な
ど。

 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(が
んこさ)を示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わが
まま」と決めてかかって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめ
る。症状をこじらせる。

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、
臨機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔
軟な子どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」という
が……。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここ
でいう人格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた
子どもとみる。
(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)

【付録】*******************************

 最後に、では、あなたの子どもはどうか、
(あなた自身でもよいが)、
その診断テストを考えてみたので、ここにあげる。

****************

【子どもの心の発達・診断テスト】

****************

【社会適応性・EQ検査】(P・サロヴェイ)

●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。

(1)いつも喜んでするようだ。
(2)ときとばあいによるようだ。
(3)いやがってしないことが多い。


(2)自己認知力
Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは
……

(1)雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)
(2)しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)
(3)聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)


(3)自己統制力
Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子
どもは……。

○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)
○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)
○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)


(4)粘り強さ
Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。

○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)
○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)
○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)

(5)楽観性
Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子ど
もは……。

○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)
○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)
○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)
 

(6)柔軟性
Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……

○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)
○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)
○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)

***************************


(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。


 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

***************************

順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(1)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(2)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。

 一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくな
になる、かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何ら
かの問題がある子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。

 朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをし
なかった子どもがいた。

 いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚
園でも、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。

 何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまって
しまう子どもがいた。

 先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」
と、最後までがんばった子どもがいた。

 症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができ
る。柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。

+++++++++++++++++++++

 EQ(Emotional Intelligence Quotient)は、アメリカのイエール大学心理学部教授。ピ
ーター・サロヴェイ博士と、ニューハンプシャー大学心理学部教授ジョン・メイヤー博士
によって理論化された概念で、日本では「情動(こころ)の知能指数」と訳されている(E
motional Education、by JESDA Websiteより転写。)

++++++++++++++++++++

【EQ】

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emo
tional Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指
数」では、主に、つぎの3点を重視する。

(1)自己管理能力
(2)良好な対人関係
(3)他者との良好な共感性

 ここではP・サロヴェイのEQ論を、少し発展させて考えてみたい。

 自己管理能力には、行動面の管理能力、精神面の管理能力、そして感情面の管理能力が
含まれる。

○行動面の管理能力

 行動も、精神によって左右されるというのであれば、行動面の管理能力は、精神面の管
理能力ということになる。が、精神面だけの管理能力だけでは、行動面の管理能力は、果
たせない。

 たとえば、「銀行強盗でもして、大金を手に入れてみたい」と思うことと、実際、それを
行動に移すことの間には、大きな距離がある。実際、仲間と組んで、強盗をする段階にな
っても、その時点で、これまた迷うかもしれない。

 精神的な決断イコール、行動というわけではない。たとえば行動面の管理能力が崩壊し
た例としては、自傷行為がある。突然、高いところから、発作的に飛びおりるなど。その
人の生死にかかわる問題でありながら、そのコントロールができなくなってしまう。広く、
自殺行為も、それに含まれるかもしれない。

 もう少し日常的な例として、寒い夜、ジョッギングに出かけるという場面を考えてみよ
う。

そういうときというのは、「寒いからいやだ」という抵抗感と、「健康のためにはしたほ
うがよい」という、二つの思いが、心の中で、真正面から対立する。ジョッギングに行
くにしても、「いやだ」という思いと戦わねばならない。

 さらに反対に、悪の道から、自分を遠ざけるというのも、これに含まれる。タバコをす
すめられて、そのままタバコを吸い始める子どもと、そうでない子どもがいる。悪の道に
染まりやすい子どもは、それだけ行動の管理能力の弱い子どもとみる。

 こうして考えてみると、私たちの行動は、いつも(すべきこと・してはいけないこと)
という、行動面の管理能力によって、管理されているのがわかる。それがしっかりとでき
るかどうかで、その人の人格の完成度を知ることができる。

 この点について、フロイトも着目し、行動面の管理能力の高い人を、「超自我の人」、「自
我の人」、そうでない人を、「エスの人」と呼んでいる。

○精神面の管理能力

 私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症にはじまって、スピード恐
怖症、飛行機恐怖症など。

 精神的な欠陥もある。

 私のばあい、いくつか問題が重なって起きたりすると、その大小、軽重が、正確に判断
できなくなってしまう。それは書庫で、同時に、いくつかのものをさがすときの心理状態
に似ている。(私は、子どものころから、さがじものが苦手。かんしゃく発作のある子ども
だったかもしれない。)

 具体的には、パニック状態になってしまう。

 こうした精神作用が、いつも私を取り巻いていて、そのつど、私の精神状態に影響を与
える。

 そこで大切なことは、いつもそういう自分の精神状態を客観的に把握して、自分自身を
コントロールしていくということ。

 たとえば乱暴な運転をするタクシーに乗ったとする。私は、スピード恐怖症だから、そ
ういうとき、座席に深く頭を沈め、深呼吸を繰りかえす。スピードがこわいというより、
そんなわけで、そういうタクシーに乗ると、神経をすり減らす。ときには、タクシーをお
りたとたん、ヘナヘナと地面にすわりこんでしまうこともある。

 そういうとき、私は、精神のコントロールのむずかしさを、あらためて、思い知らされ
る。「わかっているけど、どうにもならない」という状態か。つまりこの点については、私
の人格の完成度は、低いということになる。

○感情面の管理能力

 「つい、カーッとなってしまって……」と言う人は、それだけ感情面の管理能力の低い
人ということになる。

 この感情面の管理能力で問題になるのは、その管理能力というよりは、その能力がない
ことにより、良好な人間関係が結べなくなってしまうということ。私の知りあいの中にも、
ふだんは、快活で明るいのだが、ちょっとしたことで、激怒して、怒鳴り散らす人がいる。

 つきあう側としては、そういう人は、不安でならない。だから結果として、遠ざかる。
その人はいつも、私に電話をかけてきて、「遊びにこい」と言う。しかし、私としては、ど
うしても足が遠のいてしまう。

 しかし人間は、まさに感情の動物。そのつど、喜怒哀楽の情を表現しながら、無数のド
ラマをつくっていく。感情を否定してはいけない。問題は、その感情を、どう管理するか
である。

 私のばあい、私のワイフと比較しても、そのつど、感情に流されやすい人間である。(ワ
イフは、感情的には、きわめて完成度の高い女性である。結婚してから30年近くになる
が、感情的に混乱状態になって、ワーワーと泣きわめく姿を見たことがない。大声を出し
て、相手を罵倒したのを、見たことがない。)

 一方、私は、いつも、大声を出して、何やら騒いでいる。「つい、カーッとなってしまっ
て……」ということが、よくある。つまり感情の管理能力が、低い。

 が、こうした欠陥は、簡単には、なおらない。自分でもなおそうと思ったことはあるが、
結局は、だめだった。

 で、つぎに私がしたことは、そういう欠陥が私にはあると認めたこと。認めた上で、そ
のつど、自分の感情と戦うようにしたこと。そういう点では、ものをこうして書くという
のは。とてもよいことだと思う。書きながら、自分を冷静に見つめることができる。

 また感情的になったときは、その場では、判断するのを、ひかえる。たいていは黙って、
その場をやり過ごす。「今のぼくは、本当のぼくではないぞ」と、である。

(3)の「良好な対人関係」と、(3)の「他者との良好な共感性」については、また別
(4)の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 管理能力 人格の完成度 サロヴェイ 行動の管理能力 EQ EQ論 
人格の完成 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て は
やし浩司 人格の完成度 自己実現 人間性の確立)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月16日)

●講演

 これから市内のH小学校で、講演をすることになっている。で、その講演だが、このと
ころよく、その講演をしている最中に、自分であって、自分でないように感ずることがあ
る。「私の話したいことはもっと別のことなのに」と思いながら、それとは離れた話をして
いる。

 講演を聞きに来てくれる人たちは、大半が、若い母親たちである。このところ、そうい
う母親たちが、女子高校生たちと、区別できなくなってきた。だから話す内容といえば、
どうしても、初級的なことになってしまう。

 ところどころに具体的な例や、エピソードを入れなければならない。笑いも入れなけれ
ばならない。そういう自分が、どこか迎合的であるのがわかる。もし本気で、私の持論を
聴衆にぶつけたら、きっと、みな、眠ってしまうだろう。雑談で、講演が中断してしまう
かもしれない。

 「どうしたらいいのだ……!」と思いながら、これから、その支度(したく)にかかる。
いつものように……。

【講演・裏話】

 私の講演中、ときどき、雑談をしている人を見かける。そういうときは、こうする。

何かのことで、身振りを大きくし、机をドンとたたく。たたきながら、その身振りのド
サクサにまぎれて、その人たちを指差す。そしてキッとにらむ。

 あるいは、先日、こんなことも。

 私の講演が始まるとまもなく、居眠りを始めた男性がいた。50歳くらいの男性である。
そういうときは、そっと、そのままにしておくことにしている。が、途中、こんな話にな
ったときのこと。

 私が「その夜は、ワイフの乳首を口に含んで眠りました……」と。

 とたん、その男性は目をさまし、それからは、ずっと、私の話を熱心に聞いてくれた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●快調

 再び、このワープロ専用のパソコンが、快調に動くようになった。どういうことだろう?

 先週、このパソコンは、こわれてしまったはず。いくつかのソフトが、立ちあがらなく
なってしまった。そこでハードディスクの交換まで、覚悟した。

 で、「その前に……」と思い、Cディスクのエラーチェックを、3回ほど、繰りかえして
みた。1度目は、いつもの数倍もの時間がかかった。「バッド・クラスターを置きかえてい
ます」とか何とかいう文字が、つぎからつぎへと、ズラズラと並んだ。何百回も並んだ。

 それを見て、「ああ、もうダメだ」と思った。

 2度目は、それが1回のみに減った。3回目は、スンナリと、チェックが終わった。

 その結果が今。実に快適。気持ちよい。

 考えられる原因としては、ホームページ作成用のアップデート用ソフトを、このパソコ
ンで試してみたこと。ホームページ作成用のパソコンは、別にある。しかし念のためにと、
このワープロ専用のパソコンで、それを試してみた。そのとき、何かの操作を誤ったらし
い。

 パソコンの世界では、いらぬ冒険主義は、ときとして命取りになる。今の状態がよけれ
ば、それでよしとする。「ちょっと何かしてやろう」と考えたとたん、失敗する。これはパ
ソコンとつきあうときのコツ。

 ……そういえば、夫婦の関係も、それに似ている。平和で、のどかな状態なら、その状
態を悪くしないことだけを考えて、現状を維持する。

 では、今朝は、ここまで。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1528)

●米韓首脳会談

+++++++++++++++++++

9月14日、米韓首脳会談が、
無事(?)終わった。

「無事」というのは、アメリカ国防省の発言だが、
ワシントン・ポスト紙は、「スケートのリンク上で、
すれちがっただけ」と表現している。

+++++++++++++++++++

 アメリカのブッシュ大統領と、韓国のN大統領の会談が、無事(アメリカ政府高官)、終
わった(06年9月14日)。

 まず、世界各国の反応をあげてみる。

 ワシントン・ポスト紙……「意見が大きく隔たったまま、スケートリンク上で、すれち
がっただけ」「とくに進展した部分もなかったし、妥協した部分もなかった」

 ニューヨークタイムズ……「アメリカと韓国の隔たりは、日本海ほどある」「その隔たり
を隠すのは、不可能になった」

 ロイター通信……「6か国協議にはたがいに賛成したが、K国問題に関する意見のちが
いは、たがいに隠した」

 AP通信……「どうすればK国を、6か国協議の場に引きずりだすことができるかとい
う問題について、たがいに知らんふりをした」

 ブルームバーグ通信……「K国問題について、両国は何ら、突破口を見出すことはでき
なかった」

 朝日新聞……「K国の制裁問題については、何ら協議できなかったようだ」

 新華社通信……「会談の雰囲気はよそよそしく、無気力な会談だった」

 このため韓米首脳会談は共同声明もなく、ホワイトハウスで1時間ほど会談しただけ。
そんな短い会談だったが、N大統領は、合い間を縫って、あれこれ日本の悪口を言ったら
しい。靖国問題、竹島問題、従軍慰安婦問題など。

予想されていたことだが、ゆいいつ、韓国側がポイントをあげたのは、統制権移譲問題
について、「2009年まで」と定めながらも、「何かことが起きたら、それを延期する」
という約束を取りつけたことである。(以上、朝鮮N報参考)

 反米を唱えながら、一方で、韓国を守るのはアメリカの義務と、N大統領は考えている。
このあたりの異常なまでの依存性は、K国にも、共通している。つまり私には、理解でき
ない。

 こうした一連の流れを見ていると、韓国のN政権は(1)口先では、K国のミサイル問
題、核開発問題に反対しながら、内心では、それを容認している。(2)それよりも韓国は、
K国の崩壊、それにともなう、朝鮮半島の混乱を何よりも、恐れている。もちろん(3)
自暴自棄になったK国が、韓国に戦争をしかけてくるのを、心配している……ということ
がわかってくる。

 韓国の立場としては、そうだろう。理解できる。が、しかしひとつ、韓国のN大統領は、
大きな誤解をしている。こうした会談を論ずる前に、なぜ、アメリカは、韓国を守らなけ
ればならないのか、それがN大統領には、わかっていない。

 金前大統領は、今月(9月)に入って、こう述べている。「南北分断のそもそもの責任は、
アメリカにある。(韓国を助けてくれと、アメリカに頼んだ覚えは、一度もない。勝手にア
メリカが、朝鮮半島で、戦争をしかけただけ)」と。

 さらに今回の会談に先がけて、こうも言っている。「(アメリカ側の一方的な言いなりに
なるのではなく)、ベトナム戦争、イラク戦争など、韓国がアメリカに貢献してきたことも、
主張すべき」と。

 そういう韓国だから、最初から、米韓首脳会談が、うまくいくはずがない。「スケートの
リンク上で、すれちがっただけ」というのは、うまい表現だと思う。私は数年前から、「ど
こへ行く、韓国」というタイトルのエッセーを書いてきたが、その韓国は、本当に、どこ
かへ行ってしまった。

 なおこうした会談であったにもかかわらず、朝鮮N報は、ニューヨークタイムズ紙が、
日本海を「日本海」と表現したことを問題にしている。韓国では、国をあげて、つまり世
界中に特使まで派遣して、日本海を、「東海(トンヘ)」と呼称を変えるように働きかけて
いる。

 韓国にとっては、日本海は、たしかに「東海」だが、日本にとっては、そうでない。「北
海」もしくは、「北西海」である。ロシアにとっては、「南海」である。

 「東海」という呼称そのものが、きわめて自己中心的。言いかえると、この誇大妄想性
こそが、本当の問題ではないのか。

 韓国のN大統領が、自国を、すばらしい国と、韓国の国内で思うのは、N大統領の勝手
だが、だれも、韓国など、相手にしていない。それがわからなければ、テキサスの真ん中
に立って、アジアを見ることだ。韓国を見ることだ。帰りに立ち寄った、カルフォルニア
州でもよい。

 まるで自分にこと(国)が、わかっていない。その状態は、K国も同じ。まるで自分の
こと(国)が、わかっていない。

【付記】

 「誇張された民族主義(exaggerated nationalism)」(アイシュタイン)が、いかに危険
なものであるかは、世界の歴史を見れば、だれにもわかるはず。ほとんどの戦争は、こう
した誇張された民族主義が原因で始まっている。あるいはその原動力となっている。

 もちろんこの日本の中にも、誇張された民族主義を信奉する人は多い。「日本人はすばら
しい」「日本はすばらしい」と思うのは、その人の勝手だが、その返す刀で、「それ以外の
民族は劣っている」「それ以外の国は劣っている」と考えるのは、明らかにまちがっている。

 民族主義も極端になると、こうしたまちがったものの考え方を、平気でするようになる。
たいへん危険な思想ということになる。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 13日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page021.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●MTさんからのメール(上海より)

+++++++++++++++++

MTさんより、メールが届いた。
まだ掲載の許可を求めて
いないが、多分、了解してもらえる
と思う。
(9月13日)

+++++

MTさん、こんにちは!
お元気そうで、何よりです。

勝手に掲載して、ごめんなさい!

+++++++++++++++++

【MTさんより、はやし浩司へ】

林先生
   
  お久しぶりです。日本は、すっかり、秋のようですね。

  上海は、例年なら10月半ばまで、夏なのに、今年は5日ほど前から急に涼しく、(…と
いうより寒く)なってしまいました。今年は、もう、このまま秋に突入するようです。
   
  パソコンの調子が悪く、ここしばらく使えない状態でした。
  やっと、本日復旧しました。
   
  もうじき、こちらに来て、一か月がたとうとしています。

  このところ、バスを利用しています。大体の区間は2元(約30円)。少し遠いところだ
と3元(約45円)で利用できるますので、タクシー(初乗り11元)より、ずっと得で
す。ただ、時間はかかります。バス路線も900本以上あるので、よくしらべて乗らない
と、とんでもないところに連れて行かれてしまいます。
   
  近所に市場があるので、そこも利用するようになりました。20元くらいも買い物をす
ると、運ぶのが大変なくらい、やさい、果物が買えます。ただ、鶏市場が横に併設されて
いるので、それが心配です。

  基本的には、上海では、市場に、鶏など家畜の売り場は置いてはいけないことになって
いるそうなのですが…。
   
  今のところ、大きなトラブルにも巻き込まれず、いやな思いもせずに過ごしています。
言葉が分からないから、何かいやなことを言われたとしてもわからないのですけどね。

  こちらの人たちは、エネルギッシュです。表情豊かです。愛想はないけれど、激しく言
い合いをしたり、楽しそうに笑いあっている姿を、よく見かけます。
   
  若い人たちは、おしゃれな人が多いです。上海女性は、昔から「上海美人」と、見目麗
(うるわ)しい人が多いようです。スタイルもいいです。日本の若い女性たちに見せたい
くらい。細ければいいというものじゃない!姿勢もいいですしね。

  若い男の子たちも、スタイル良く、さっそうとしています。

  私が住んでいる地区は、中心地ではないので、まだ、おしゃれな人は少ないですが、中
心地に行くと、素敵なファッションの人ばかりとか…。
   
  こちらの子供たちの教育水準は高いです。聞いた話ですが、ローカルの幼稚園では、年
長クラスになれば、算数や国語のお勉強を始めるし、年中でも、囲碁などの頭を使うゲー
ムをさせるようです。小学2年生の算数の問題集を見たら(中国の子供用)もう、割り算
をやっています。

  小学校に入学して3日もすると、毎日、宿題の山を抱えて帰ってくるとか。

  こちらで知り合いになった日本人(夫)、上海人(妻)の間に生まれたお嬢さんは、いま、
日本人学校に通っていますが、遊べるのは日曜日の午後だけだそうです。

  平日は習い事がびっしり。

  土曜日でも、朝7時から個人教授をしてくれる先生のお宅へ行き、その後、スイミング
スクール、ピアノのレッスン。ほかの曜日にはいったい何を習いに行っているのでしょう
か?

  日本人のお母さんたちも、危機感は強く、こちらでも小学校3年生になったら予備校へ
行かせるのは当たり前。(もちろん、行っていないお子さんもいます。)予備校へ行くため
に、今から中国元で貯金しないとなりません。
   
  先生がおっしゃっていた通り、時間が経つにつれて、感受性が鈍くなってきますね。に
おいや、乱暴な運転や、ルーズなところには慣れてきました。

  ただ、今でも思うのですが、中国で?、と感じることがあるのです。実は3年ほど前、
主人の友人(香港人)の結婚式で、上海を訪れました。そのときにも感じたこと。うまく、
説明できないのですが…。

  香港人の彼(A)と北京人の彼女(B)は共に、アメリカ留学経験者。二人ともプリン
ストン出です。中国の大学も出ています。実業家の父をもつAと、研究者の父を持つB。

Dは上海で会社を経営し、成功しています。結婚式は、上海の外資系の5ツ星ホテルで、
ガーデン形式で行われました。

式にはEU、アメリカ、香港、日本、世界各地から友人が集まり、美男美女のカップル
で、まるで映画を見ているようなすばらしい式でした。

  でも、ふと、庭の片隅に目をやると、ごみがところどころ散らかっていたり、お手洗い
の近くには、不用な家具類が乱雑に重ねてあったりしていました。日本人の感覚にすると、
「?」となってしまうのです。

  こういったものなの?と。

  今回は、そんな豪華なところに足を踏み入れていないのですが、来たばかりのころは、
毎朝、よく感じていた…?。

  住んでいるマンションは、こちらの平均的なサラリーマンから見れば、かなり、高級な
マンションです。マンションの周りには毎朝、お迎えの車がやってきます。日本人駐在員
を迎えに来る一般大衆車もあれば、BMW、AUDIといった高級車もかなりあります。
私がこんなところに住んでいるのって、…おかしい?と、思ってしまうのですが、こうい
った?は、どういったことなのでしょうか?
  
また、とりとめのないことばかりで、申し訳ないです。
   
(上海・MTより)

【はやし浩司よりMTさんへ】

 自分がもっている(意識)というか、(常識)をひっくりかえしてみるためには、外国へ
出かけるのが一番、ですね。が、旅行者の立場では、いけません。その国に住んで、その
国の人として、生活をしてみることです。

 しかもその時期は、若ければ若いほど、よい。仮に30歳も過ぎると、それを感じ取る
センサーそのものが、鈍ってしまいます。40歳や、50歳では、センサーそのものが、
機能しなくなります。時期的には、多感な、18〜23、4歳までがよいのではないでし
ょうか。

 そのころ、その人がもつ(意識)なり、(常識)が、かたまってきます。

 私がオーストラリアへ行ったころは、日本も貧しく、たいへんでした。日本〜シドニー
間の航空運賃だけでも、42、3万円でした。大卒の初任給が、やっと5万円から6万円
になったという時代です。

 現在の感覚にすると、160〜180万円(!)ということになりますね。ゾーッ!

 で、そのオーストラリアでは、見るもの、聞くもの、すべてが珍しかったです。日本に
はまだ、綿棒も乾燥機もない時代でした。おかしなことですが、向こうの学生たちが、ブ
ルーやグリーンのボールペンで、ノートにメモを取っているのを見ただけで、驚いたこと
があります。

 カラーの文字で、ノートをとることすら、当時の日本では考えられなかったことでした。
「文字は、黒」(?)と決まっていましたから……。

 こうして私がもっている(意識)や(常識)は、ことごとくひっくかえされたというわ
けです。

 つまり私たちが今、「ああ、これが日本だ」と、当たり前のように考えていることにして
も、ほんの30年前、50年前には、考えられなかったことも多いということです。そう
いう意味では、日本は、本当に変わりました。(日本だけに住んでいる人には、それがわか
らないかもしれませんが……。)

 そのころのエピソードは、「世にも不思議な留学記」(HP)で書きましたので、また機
会があれば、読んでみてください。

 で、中国ですが、その中国も、大きく変わりつつあるようですね。が、ここで注意しな
ければならないことは、(外観の変化)と、(意識や常識の変化)は、区別しなければなら
ないということです。

 外観の変化だけを見て、「中国も西欧化したな」とみるのは、まちがいのもとです。その
ことは、日本の社会を見れば、わかります。日本の地方に出かけていくと、見た目には、
都会とそれほどちがった生活をしていないのに、中身は戦前のままということは、よく感
じます。

 それがよいのか悪いのかという判断は、ここではしませんが、中国もそうだろうと思い
ます。中国が本当に変わるためには、中国人自身が、外国へ出て、そこで生活をしてみな
ければなりません。

 が、ここで大きな問題にぶつかります。いわゆる「中華思想」というのが、それです。
独特の優越感、独善性、自己中心性。それをまとめて「中華思想」といいます。

私が学生時代のころは、中国人というのは、どこへ行っても、中国人。その国に同化し
ないことでよく知られていました。たとえばマレーシアン・チャイニーズは、2代目、
3代目になっても、中国語を話していました。

 今も、そうでしょうか? 「自分たちこそ、アジアの盟主」という意識が強いのですね。
(たしかにそのとおりですが……。何と言っても、歴史がちがいます。華僑にしても、遠
くはアフリカ大陸まで進出し、そこであのチャイナタウンを作っていましたから……。)

 いつもながら、外国で生活をしているみなさんからメールをもらうたびに、ふと、後悔
の念に襲われます。私は20代のころ、毎月のように、世界中を飛び歩いていました。そ
んな私ですが、飛行機事故に遭遇してからは、飛行機恐怖症になってしまい、飛行機に乗
れなくなってしまいました。

 いや、何とか飛行機には乗れるのですが、その前後に、おかしな緊張感で、体がこわば
ってしまうのです。外国に行っても、そこで不眠症に悩まされます。しかし私は、外国に
いたほうが、楽しい。本音を言えば、そうです。

 何かとたいへんな面もあるでしょうが、今の経験をどうか前向きに生かして、何かをつ
かんで帰ってきてください。プラス、お体を大切に!

 そうそう中国の教育レベルの高さ(?)は、こちらでもよく報道されています。が、本
当のところ、そういうのを、「高い」とは言いません。たとえば小学2年生で割り算をして
いるからといって、「高い」ということにはなりません。

 それにあてている時間数、それができる子どもの割合などを見ていかないと、最終的な
判断は、できません。また計算力と、(考える力)とは、基本的な部分で、異質なものです。
私の教室にも、中国から来た親がいて、さかんに「日本の教育のレベルは低い」とこぼし
ています。「中国では、小学1年で、掛け算をする」とか、何とか……。

 そういうことを聞くたびに、「そういうものではないのだけれどなあ……」と私は、思っ
てしまいます。(たしかに日本の教育レベルは、このところ低下していますが……。)

それはたとえて言うなら、足の踏み場もないほど、電気製品がころがっている家を見な
がら、「生活水準が高い」と言うのに似ています。ものの見方というか、教育に対する考
え方そのものが、国によって、ちがいます。

 つまりそれが冒頭に書いた、(意識)であり、(常識)ということになります。

 どうか、また上海の事情について、教えてください。頭の中でバチバチと火花が飛び散
るのを感ずるのは、とても楽しいことです。そういう話は、大好きです。(飢えています!)

 こちらも、秋です。秋雨前線の最中にあり、この雨が終わると、本格的な秋到来です。
では、今日は、これで失礼します。(9月14日記)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●依存心

+++++++++++++++++

人間の関係を総じてみれば、
依存する人、依存される人の関係で
できている。

親子の関係も、またしかり。

+++++++++++++++++

 子どもに依存性をもたせることは悪いことだが、一方、親に依存性をもたせることも、
あまりよくない。

 私は、浜松に住むようになってから、すぐ、収入の約半分を、実家に仕送りするように
なった。が、感謝(?)されたのは、最初の数か月だけ。それを過ぎると、それが当たり
前になってしまった。

 (だからといって、私の親や家族を責めているのではない。それが当時の、その地方の
常識だった。念のため!)

 さらに、私が27、8歳のときからは、実家での法事の費用など、すべて私が負担する
ようになった。このほか、盆暮れに実家に帰るたびに、15〜25万円の現金を置いてく
るようになった。これも、感謝(?)されたのは、最初の1、2回だけ。それを過ぎると、
これまた、それが当たり前になってしまった。

 そのあとは、すべてが、その調子。テレビの映りが悪くなると、「テレビが映らん……(何
とかしろ)」、冷蔵庫が壊れると、「ものが腐る……(何とかしろ)」、「ステレオがほしい…
…(何とかしろ)」と。

 家業は自転車屋だったが、いつしか、その商品の仕入れ代金まで、私が負担するように
なっていた。もちろん、売れたからといって、代金は、1円も返ってこなかった。家の改
築費も、全額負担した。

 当時は、まだそういう時代だった。私はそういう時代に生まれて、そういう意識を、子
どものころから、徹底的に叩きこまれていた。親に孝行するのが、何よりも美徳とされて
いた時代である。

 で、そういう自分を振り返ってみると、今、こういうことが言える。「子どもに依存性を
もたせることは悪いことだが、一方、親に依存性をもたせることも、あまりよくない」と。
私のばあいは、金銭的負担感というよりも、その社会的負担感に、苦しんだ。それなりに、
実家の人たちが、私を評価してくれれば、私も救われただろう。

 しかしそうした私の行為というのは、母以外、だれも知らなかった。兄、姉はもちろん、
親類のだれも、もである。母にしても、そういうことを人に話すのは、「林家の恥」と考え
ていたようである。

 つまり私は、親に、ベタベタの依存心をつけさせてしまった。そのせいか、父が死んだ
あとも、(もちろんそれ以前も)、私の母は、ただの一度も、働いたことはない。周囲の人
たちには、「祖父の代からの財産で、生活している」と、ウソばかりついていた。

 その「私」という存在は、自分の息子たちには、依存心をもたせないように努力してき
た。しかしそれと同じように、親にも、依存心をもたせないように努力すべきだった。年
齢も年齢だが、母にしても、グループ・ホームに入った兄にしても、今でも、「だれかに助
けてもらうのが、当たり前」という生活をしている。

 ……ということで、この依存心というのは、かなりの曲者(くせもの)と考えてよい。
一度、それが相手にできると、たがいにそれが当たり前という前提で、相手は動き始める。
依存する側は、相手にベタベタに依存する。一方、依存される側は、それを拒絶すること
もできない。結局は、応じてしまう。そればかりか、周囲の人たちも、みな、そういう目
で見る。

 母に近いところにいる叔父などは、いつも口ぐせのように、こう言っている。「お前も、
大学まで出してもらったのだから、感謝しな、いかん」とか、「姉(=母)は、いい息子を
もって幸せだ。オレは、何も心配していないからな。(だからちゃんと親のめんどうをみろ
よ)」と。

 こういう言葉が、真綿のように、つまり(イヤミ)となって、私のクビを、ジワジワと
しめる。私は何も、好きこのんで、実家のめんどうをみているのではない。

 そういう私は、親に、何をしてもらったのだ! 兄に、何をしてもらったのだ! 母な
どは、私が子ども時代のアルバムひとつ、私にくれなかった。年に1、2度、菓子のよう
なものを送ってくれたことはあるが、それだけ。

 依存関係というのは、そういうのをいう。

 ところで子どもの世界には、ピーターパン・シンドロームというのがある。特徴のひと
つが、「(子どもは、稼いだお金を)、すべて自分のために使ってしまう」というのがある。
それを私の親のようなケースにたとえるなら、ダイバダッタ・シンドロームということに
なる。(多少ニュアンスが、ちがうが……。)

 法華経という経本に出てくる、提婆達多(だいばだった)である。一時、他人の子ども
を食い殺しながら生きていたという、あの提婆達多(だいばだった)である。わかりやす
く言えば、子どもの犠牲に上に安座する親をいう。(提婆達多自身は、自分の子どもの姿が
見えなくなったとき、はじめて、それまでの自分を恥じ、改心するが……。)

 ということで、依存性の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。親の問題も、それ
に含まれる。が、まだ、ある。あなた自身は、どうかという問題である。

 ある妻は、毎月の生活費が不足してくると、夫の実家(妻から見れば、義理の両親)の
ところへ行って、お金を無心しているという。言外に、「生活費を補充してくれなければ、
離婚する」ということを臭(にお)わせるのだそうだ。一方、実家の両親は、孫たちを手
放したくないため、そのつど、お金を渡している。

 これも立派な依存心である。

 こういうふうにみていくと、依存関係、被依存関係というのは、あらゆる人間関係に、
あることがわかる。そしてそれが一度できると、その関係が、その時点で、(当たり前)に
なり、人間関係をしばりだす。しばるほうも、しばられるほうも、その意識がないままに、
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
依存性 依存関係 依存心)

+++++++++++++++++

●子どもの依存性

子どもの依存性は、どうやってできるか。一つの例をあげて、考えてみよう。

 たとえば、子どもたちに、学校で使う教科書をもってくるように言ったとする。が、X
君(小5)は、それを忘れた。
 
 そこで私は、「来週は、もっておいでよ」と言いながら、私のもっている教科書を、X君
に貸してあげたとする。X君は、それを使って、学習する。

 が、X君は、そのつぎの週も、教科書を忘れた。「どうしてもってこなかったの?」と聞
くと、「今度は、もってくるから」と。そこで前の週と同じように、私の教科書を貸す。

 つまり、こうしてX君の心の中に、「忘れても、借りればいい」という、依存性が生まれ
る。これを数度繰りかえしていると、X君の心の中から、緊張感が消える。忘れることが、
平気になるというより、「もってこなければならない」という緊張感そのものが消える。

 こうした依存性というのは、だれにでもある。ふとした油断で、そうなる。そしてだれ
しも、いつも、依存できる人を、そのつど本能的な部分でかぎわけ、その人に依存できる
とわかると、その人に依存するようになる。まさに「スキさえ、あれば……」という心理
状態になる。

 そんなわけで、人間関係というのは、総じてみれば、無数の保護と、同じく無数の依存
の関係でできている。それが1人の人を中心に、幾重にもからんだクモの巣のようになっ
ている。そしてそのクモの巣は、別の人と、これまた幾重にもからみあっている。

 つまり同じ人でも、ある場面では、保護的になったり、また別の場面では、依存的にな
ったりする。ここにあげたX君にしても、忘れ物に対して依存的になっているのは、あく
までも教科書だけであって、そのほかの部分では、そうでない。

 たとえば私についても、仕事面では、ワイフの世話になることは、めったにない。しか
しそんな私でも、食事のこととなると、全面的にワイフに依存している。洗濯もそうだ。
だから私は、依存性がないとも言えないし、依存性があるとも言えない。

 が、この依存性のこわいところは、その依存する相手によっては、過度に依存し、その
人自身が、自立できなくなってしまうこと。とくに母子関係で、それが起こりやすい。

 ある母親は、自分の息子(小6)が、修学旅行にでかけた夜、それは1泊2日の修学旅
行だったが、夜通し、泣きつづけたという。「どうして?」と聞くと、その母親は、恥ずか
しげもなく、こう言った。「あの子は、私がいないと、何もできない子だからです」と。

 そしてそうして泣き明かしたことを、むしろ、誇っているようなところがあった。「私は
これほどまでに息子を愛している」「私こそ親のカガミだ」と。

 つまり母子の依存関係というのは、相互的なもので、子どもだけが一方的に依存性をも
つということはない。その背景には、子どもの依存性に甘い、親側の育児姿勢がある。こ
のタイプの母親は、親にベタベタと甘える子どもイコール、いい子と考える傾向が強い。

 そしてさらに、その母親自身も、そのまた親(母親の親たち)と、ベタベタの依存関係
にあることが多い。つまりこうして、依存性は、親から子へと、代々と伝播(でんぱ)し
やすい。

 そこで、どいうするか?

 先のX君のケースでは、ある日を境に、いっさい、忘れ物を貸さないという方法で、対
処する。一度、子どもにショックを与える。このショックが、別の緊張感を生む。X君は、
その日、何をしたらよいかわからず、ただモジモジしながら、1時間を過ごす。

 このとき大切なのは、しかったり、こちらが感情的になってはいけないということ。淡々
とやりすごす。ここでX君の中に、恐怖心を与えてしまうと、それこそ、『泣き面(つら)
に、ハチ』ということになりかねない。

こうしてX君の中から、依存性を消していく。

 総じてみれば、日本人は、よく依存型民族と言われている。ほかの民族とくらべても、
保護、依存の関係を作りやすい。「何とかなる」という考え方は、やがて、「だれかが何と
かしてくれるだろう」という考え方に、変化しやすい。

 そんなことも、心のどこかに置きながら、子どもの依存性を考えるとよい。
(はやし浩司 子どもの依存性 子供の依存性 依存性)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●動機づけ

++++++++++++++++++++

田丸先生は、こう言った。

「子どもの心の中に、灯(ひ)をともし、
それを引き出すのが教育だ」と。

よい言葉だ。

++++++++++++++++++++

 子どもの学習指導は、動機づけで始まり、動機づけで終わる。あとは、子ども自身の学
習意欲を、うまく、守り育てていく。わかりやすく言えば、「学ぶことは、楽しい」と思わ
せる。「楽しかった」という思いが原動力となって、その思いが、子どもを前向きに、ひっ
ぱっていく。

 「生徒の到達度を調査する国際学会」の調査によると、「小学生の理科と中学生の数学
では平均点が、10点ほど下がったほか、「勉強が楽しい」「その科目に自信がある」と
答えた割合は、下から数えて2番目か3番目と、極めて低かった」という(04年末)。

 中学生は世界46か国、小学生は25か国が参加した学力テストの結果である。

 それについて、日本の文科省のN氏は、「なぜ勉強しないといけないのかという動機づ
けが、まずできていない。とても世界のトップレベルとは言えない状況にあるということ
は、きびしく受け止めなければいけないと思っています」と、コメントを発表している(中
日新聞)。

 ここで「動機づけ」という言葉が出てくる。

 たとえば小学4年で、角度の学習をし、つづいて分度器の使い方を学習する。教える側
としては、「角の大きさは……」というような言い方をする。

 しかしその時点で、大半の子どもたちは、ほとんど、反応を示さない。もともと、その
必要性がないからである。実感もない。子どもたちの心を代弁すると、こうなる。

 「どうして、そんなことを勉強しなければ、いけないのか?」

 そこで話題を変える。

私「先が、とがっているものにさわると、痛いよね」
子どもたち「痛いよ」
私「ここに、いろいろなヤリがあるけど、どれが一番、痛そうかな?」と。

 プリントには、いっぱい、ヤリが描いてある。先のとがったのや、そうでないのがある。
その図を見せながら、子どもに、角度の概念を理解させる。

 中に、たいへん微妙なヤリがある。見た目では、どちらがよりとがっているかわからな
い。子どもたちは、「こちらかな?」「いや、こちらだ」と言い出す。しかしそれこそが、
教える側のねらいどころ。

 つまりこうして子どもたちに、問題意識をもってもらう。そしてそれを動機づけにつな
げていく。

 まずいのはいきなり、「では角度を測ってみましょう」「分度器の使い方を勉強しまし
ょう」などという、乱暴な指導。子どもは、その時点で、興味を半減させてしまう。

 なお、こうした動機づけは、1、2年前にしておくとよい。たとえばここでいう「角」
にしても、小学2、3年の段階で、それとなくしておくとよい。これを私は勝手に、「種
まき」と呼んでいる。つまり頭の中に、種をまいておく。それがやがていつか、花を咲か
せる。

 実際には、私は、たとえばサメの絵を子どもたちに見せる。サメの口の中には、いっぱ
い、とがった歯が並んでいる。そのサメの口の中を見せながら、「どの歯が、一番、とが
っているかな?」「かまれると、痛そうかな?」と。

 つまり小学2、3年生のときに、「遊び」として、子どもたちに、話しておく。種をま
くつもりで、そうする。するとその種は、子どもたちの頭の中に残り、1、2年で、大き
く成長する。(「1年だから角度は教えなくてもよい」とか、「角度を教えるのは、3年
でよい」とか、そういう固定概念にとらわれる必要はない。)

 そういう例は多い。

 ……ということで、私は私の幼児教室では、こうした無数の動機づけを、そのつど、し
ている。サメの歯が描いた教材も、その中の一つである。コツは、「教えてやろう」と構え
ないこと。子どもたちといっしょに楽しむつもりで、教えること。それにまさる動機づけ
は、ない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
はやし浩司 動機付け どうきづけ 子供の動機付け)

【補足】

 幼児教育は、結局は「動機付け」に始まって、「動機付け」に終わると言っても過言では
ない。「教えてやろう」とか、「知識を身につけさせよう」とか、そういうことは考える必
要はない。

 動機付けさえしっかりとしておけば、あとは、子どものほうから、それを求めてくる。「教
えて」とか、「もっと教えて」とか。

 それが「灯をともして、引き出す」ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●劣等感(コンプレックス)

++++++++++++++++++

劣等感は、なぜ生まれるか。
またその劣等感を克服するためには、
どうすればよいか。

++++++++++++++++++

 「こうでありたい」と思う自分。そういう理想の自分を、(希望的自分)と呼ぶことにし
よう。しかしたいていのばあい、その(希望的自分)は、(現実の自分)とかけ離れている
ことが多い。ほとんどの人が、そうではないか。

 この両者がかけ離れているとき、そのすき間から劣等感が生まれる(フロイト学説)。

 ただ日本語で「コンプレックス」というと、「劣等感」のことと思う人は多い。しかし「コ
ンプレックス」というのは、もともとは、「複合体」「合成物」のことをいう(研究社・A
pproach英和辞典)。それが転じて、心理学の世界では、「抑えられていて、本人は
意識していない異常な行動の原因となる感情」(同)を意味するようになった。

 コンプレックスというのは、日本語では、「こだわり」と考えると、わかりやすい。その
こだわりには、いろいろある。

 よく知られているのに、エディプス・コンプレックス、マザー・コンプレックス、ロリ
ータ・コンプレックスなど。カイン・コンプレックスというのもある。兄弟間の確執や、
葛藤を、そう呼ぶ。(詳しくは、私のHPを参考に!)

 たとえばここに1人の女子高校生がいる。彼女は、子どものころから、いつかすてきな
王女様のような女性になって、これまたすてきな王子様のような男性と結婚したいと願っ
ていた。

 それが彼女にとっては、(希望的自分)ということになる。

 しかし現実の彼女は、その王女様とは、かけ離れた存在だった。容姿も、あまりよくな
かった。勉強も、スポーツも苦手だった。学校でも、そのため、まったくと言ってよいほ
ど、目だたなかった。

 こうしてその女子高校生は、容姿に対して、大きな(こだわり)、つまり(コンプレック
ス)をもつようになった。

 ……というような例は、多い。多かれ少なかれ、こうしたコンプレックスは、だれしも
もっている。

 そこで大切なことは、こうしたコンプレックスを、心の中で、どう消化し、どう昇華し
ていくかということ。まずいのは、そうしたコンプレックスがあることに気がつかないま
ま、そのコンプレックスに、裏から操られることである。

 たとえばマザー・コンプレックスにしても、当の本人は、マザコンでありながら、それ
に気づくということは、まずない。一方で、母親を美化しながら、「私がそうであるのは、
それだけ私の母がすばらしいからだ」と、おかしな理由づけをしたりする。こういうのを、
「合理化」、あるいは「自己正当化」という。

 あるいは、こうしたマザー・コンプレックス(ファーザー・コンプレックス)は、親絶
対教の基盤になることもある。「親は、絶対」という考え方である。

 その人が、母親に大きな(こだわり)をもつのは、その人の勝手だが、そのため、いろ
いろな問題が起きることがある。それがやがて周囲に、影響を与えるようになることがあ
る。

たとえばマザコンタイプの男性は、いつも、マドンナ(聖母)的な女性を追い求めるよ
うになると言われている。そのため、仮に結婚しても、自分の妻に満足できず、夫婦関
係が、ギクシャクしやすい。浮気率も高く、離婚率も高いと言われている。

 それだけ理想の女性を求めて、女から女へと渡り歩く傾向が強いからである。

 そこで重要なことは、こうしたコンプレックス(こだわり)に、まず、自分で気がつく
こと。もしあなたが、何かのことで、劣等感を強く覚えるようなら、その背後に、どんな
(こだわり)があるかを知る。また、なぜ、そうなのかを知る。

 すべては、ここから始まる。

 そして、あとは、「時の流れ」に身を任す。この問題だけは、根が深い。簡単には、なお
らない。しかしそれに気がつけば、あとは、時間が解決してくれる。

 ただ誤解してはいけないのは、コンプレックス、イコール、「悪」ではないということ。
中には、そのコンプレックスと戦いながら、そのコンプレックスを昇華させていく人もい
る。自分を高めていく人がいる。

 芸術家や、作家、スポーツ選手などの中には、そういう人が多い。コンプレックスが一
つのバネとなって、その人を伸ばす。大切なことは、コンプレックスがあるということで
はなく、そのコンプレックスと、どうやって、うまくつきあうか、である。

 さて、あなたには、どんなコンプレックス(こだわり)があるか? 一度、あなたの心
の中を、のぞいてみると、おもしろいのでは……?
(はやし浩司 コンプレックス こだわり 劣等感 マザー コンプレックス)

【補記】

 私にも、子どものころ、たくさんの(こだわり)があった。

 まず、「庭」。子どものころ、太陽の日がさしこむような庭がほしかった。そういう庭の
ある家を見ると、本当に、うらやましかった。

 つぎに「暖かい家庭」。私の生まれ育った家には、私の居場所すらなかった。

 また、私は、気が小さいくせに、自分より強い男と、けんかばかりしていた。それにも、
何か別のコンプレックスがかかわっていたのかもしれない。今、考えても、よくわからな
いが……。

 で、こうしたコンプレックスが転じたのだろう。私はお金ができると、すぐ庭つきの家
を買った。庭といっても、10坪足らずの庭だったが、私は、そこで、つぎからつぎへと、
いろいろな野菜を作った。それは、今から思うと、それまでのコンプレックスを、一気に、
解消するためではなかったか。(もちろん無意識のまま、そうした。)

 つぎに「暖かい家庭作り」。しかしこれはあまり、うまくいかなかった。いつも気負いば
かりが先行して、家庭の中は、いつもギクシャクした。そういう意味では、ワイフや息子
たちには、苦労をかけたと思う。(ごめん!)

 ほかにもいろいろなコンプレックスがある。

 つまりは、人は、そうした無数のコンプレックスをかかえながら、そしてほとんどのば
あい、無意識なまま、それに操られて生きているだけなのかもしれない。

 「私は私」と、思いこみながら、である。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
コンプレックス 劣等感 マザコン マザーコンプレックス エディプス・コンプレック
ス、マザー・コンプレックス、ロリータ・コンプレックス カイン・コンプレックス)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【より高い人間性を求めて】(1)

++++++++++++++++++

古今東西、実に多くの哲学者たちが、
「どうすればより人間として、
人間らしく生きることができるか」という
テーマについて考えている。

ここでは、マズローの「欲求段階説」を
中心に、それを考えてみたい。

+++++++++++++++++++

 今日も、昨日と同じ。明日も、今日と同じ……というのであれば、私たちは人間として
生きることはできない。

 そこで「より高い人間として生きるためには、どうしたらよいか」。それについて、A・
H・マズローの、「欲求段階説」を参考に、考えてみる。マズローは、戦時中から、戦後に
かけて活躍した、アメリカを代表する心理学者であった。アメリカの心理学会会長も歴任
している。

●第1の鉄則……現実的に生きよう

 しっかりと、「今」を見ながら、生きていこう。そこにあるのは、「今という現実」だけ。
その現実をしっかりと見つめながら、現実的に生きていこう。

●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう

 私がここにいて、あなたがそこにいる。私が何であれ、そしてあなたが何であれ、それ
はそれとして、あるがままの私を認め、あなたを認めて、生きていこう。

●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう

 ごく自然に、ごくふつうの人として、当たり前に生きていこう。心と体を解き放ち、自
由に生きていこう。自由にものを考えながら、生きていこう。

●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう

 いつも他人の心の中に、自分の視点を置いて、ものを考えるようにしよう。他人とのよ
りよい人間関係は、それ自体が、すばらしい財産と考えて、生きていこう。

●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう

 過去や、因習にとらわれないで、いつも新しいものに目を向け、それに挑戦していこう。
新しい人たちや、新しい思想を受けいれて、それを自分のものにしていこう。

●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう

 いつも高い視野を忘れずに、地球全体のこと、人類全体のことを考えて、生きていこう。
そこに問題があれば、果敢なく、それと戦っていこう。

●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう

 考えるから人は、人。生きるということは、考えること。どんなささいなことでもよい
から、それをテーマに、いつも考えながら生きていこう。

●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう

 少人数の人と、より深く交際しながら生きていこう。大切なことは、より親交を温め、
より親密になること。夫であれ、妻であれ、家族であれ、そして友であれ。

●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう

 今、自分は、どういう人間なのか、それを客観的に見つめながら、生きていこう。方法
は簡単。他人の視点の中に自分を置き、そこから見える自分を想像しながら生きていこう。 

●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう

 あなたのまわりに、いつも笑いを用意しよう。ユーモアやジョークで、あなたのまわり
を明るくして生きていこう。
(はやし浩司 マズロー 欲求段階説 高い人間性)

【より高い人間性を求めて】(2)

 人格論というのは、何度も書いているが、健康論に似ている。日々に体を鍛錬すること
によって、健康は維持できる。同じように、日々に心を鍛錬することによって、高い人間
性を維持することができる。

 究極の健康法がないように、究極の精神の鍛錬法などというものは、ない。立ち止まっ
たときから、その人の健康力は衰退する。人間性は衰退する。

 いつも前向きに、心と体を鍛える。しかしそれでも現状維持が、精一杯。多くの人は、
加齢とともに、つまり年をとればとるほど、人間性は豊かにななっていくと誤解している。
しかしそんなことはありえない。ありえないことは、自分が、その老齢のドアウェイ(玄
関)に立ってみて、わかった。

 ゆいいつ老齢期になって、新しく知ることと言えば、「死」である。「死の恐怖」である。
つまりそれまでの人生観になかったものと言えば、「死」を原点として、ものを考える視点
である。「生」へのいとおしさというか、「生きることのすばらしさ」というか、それが、
鮮明にわかるようになる。

 そうした違いはあるが、しかし、加齢とともに、知力や集中力は、弱くなる。感性も鈍
くなる。問題意識も洞察力も、衰える。はっきり言えば、よりノーブレインになる。

 ウソだと思うなら、あなたの周囲の老人たちを見ればわかる。が、そういう老人たちが、
どうであるかは、ここには書けない。書けないが、あなたの周囲には、あなたが理想と考
えることができるような老人は、いったい、何人いるだろうか。

 せっかくの命、せっかくの人生、それをムダに消費しているだけ。そんな老人の、何と、
多いことか。あなたはそういう人生に、魅力を感ずるだろうか。はたしてそれでよいと考
えるだろうか。

 マズローは、「欲求段階説」を唱え、最終的には、「人間は自己実現」を目ざすと説いた。
人間は、自分がもつ可能性を最大限、発揮し、より人間らしく、心豊かに生きたいと願う
ようになる、と。

 問題は、どうすれば、より人間らしく、心豊かに生きられるか、である。そこで私はマ
ズローの「欲求段階説」を参考に、10の鉄則をまとめてみた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【人間らしく生きるための、10の鉄則】(マズローの「欲求段階説」を参考にして)

●第1の鉄則……現実的に生きよう

●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう

●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう

●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう

●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう

●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう

●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう

●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう

●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう

●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう


+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

●マズローの欲求段階説

 昨日、「マズローの欲求段階説」について書いた。その中で、マズローは、現実的に生き
ることの重要性をあげている。

 しかし現実的に生きるというのは、どういうことか。これが結構、むずかしい。そこで
そういうときは、反対に、「現実的でない生き方」を考える。それを考えていくと、現実的
に生きるという意味がわかってくる。

 現実的でない生き方……その代表的なものに、カルト信仰がある。占い、まじないに始
まって、心霊、前世、来世論などがもある。が、そういったものを、頭から否定すること
はできない。

ときに人間は、自分だけの力で、自分を支えることができなくことがある。その人個人
というよりは、人間の力には、限界がある。

 その(限界)をカバーするのが、宗教であり、信仰ということになる。

 だから現実的に生きるということは、それ自体、たいへんむずかしい、ということにな
る。いつもその(限界)と戦わねばならない。

 たとえば身近の愛する人が、死んだとする。しかしそのとき、その人の(死)を、簡単
に乗り越えることができる人というのは、いったい、どれだけいるだろうか。ほとんどの
人は、悲しみ、苦しむ。

いくら心の中で、疑問に思っていても、「来世なんか、ない」とがんばるより、「あの世
で、また会える」と思うことのほうが、ずっと、気が楽になる。休まる。

 現実的に生きる……一見、何でもないことのように見えるが、その中身は、実は、奥が、
底なしに深い。


●あるがままに、生きる

 ここに1組の、同性愛者がいたとする。私には、理解しがたい世界だが、現実に、そこ
にいる以上、それを認めるしかない。それがまちがっているとか、おかしいとか言う必要
はない。言ってはならない。

 と、同時に、自分自身についても、同じことが言える。

 私は私。もしだれかが、そういう私を見て、「おかしい」と言ったとする。そのとき私が、
それをいちいち気にしていたら、私は、その時点で分離してしまう。心理学でいう、(自己
概念=自分はこうであるべきと思い描く自分)と、(現実自己=現実の自分)が、遊離して
しまう。

 そうなると、私は、不適応障害を起こし、気がヘンになってしまうだろう。

 だから、他人の言うことなど、気にしない。つまりあるがままに生きるということは、(自
己概念)と、(現実自己)を、一致させることを意味する。が、それは、結局は、自分の心
を守るためでもある。

 私は同性愛者ではないが、仮に同性愛者であったら、「私は同性愛者だ」と外に向って、
叫べばよい。叫ぶことまではしなくても、自分を否定したりしてはいけない。社会的通念
(?)に反するからといって、それを「悪」と決めつけてはいけない。

 私も、あるときから、世間に対して、居なおって生きるようになった。私のことを、悪
く思っている人もいる。悪口を言っている人となると、さらに多い。しかし、だからとい
って、それがどうなのか? 私にどういう関係があるのか。

 あるがままに生きるということは、いつも(自己概念)と、(現実自己)を、一致させて
生きることを意味する。飾らない、ウソをつかない、偽らない……。そういう生き方をい
う。


●自然で自由に生きる

 不規則がよいというわけではない。しかし規則正しすぎるというのも、どうか? 行動
はともかくも、思考については、とくに、そうである。

思考も硬直化してくると、それからはずれた思考ができなくなる。ものの考え方が、が
んこになり、融通がきかなくなる。

 しかしここで一つ、重要な問題が起きてくる。この問題、つまり思考性の問題は、脳ミ
ソの中でも、CPU(中央演算装置)の問題であるだけに、仮にそうであっても、それに
気づくことは、まず、ないということ。

 つまり、どうやって、自分の思考の硬直性に、気がつくかということ。硬直した頭では、
自分の硬直性に気づくことは、まず、ない。それ以外のものの考え方が、できないからだ。

 そこで大切なのは、「自然で、自由にものを考える」ということ。そういう習慣を、若い
ときから養っていく。その(自由さ)が、思考を柔軟にする。

 おかしいものは、「おかしい」と思えばよい。変なものは、「変だ」と思えばよい。反対
にすばらしいものは、「すばらしい」と思えばよい。よいものは、「よい」と思えばよい。

 おかしなところで、無理にがんばってはいけない。かたくなになったり、こだわったり
してはいけない。つまりは、いつも心を開き、心の動きを、自由きままに、心に任せると
いうこと。

 それが「自然で、自由に生きる」という意味になる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
マズロー A・H・マズロー 欲求段階説 人間らしい生き方


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【掲示板への投稿記事より……】

+++++++++++++++++++++

昨日(9月13日)の講演について、
掲示板のほうに、Yさんという方から
書き込みがありました。

うれしかったので、報告します。

+++++++++++++++++++++

はやし先生、今日は、豊田町での講演会に参加させていただきました。
あっという間の2時間で、自分の子育てを振り返るいい機会になりました。改めて、
お礼を申し上げたいと思い、投稿しました。

いろいろなお話が印象に残っているのですが、特に、共感したのは、次男の方のお話
でした。私の長女も、小さい時に難病にかかり、死にかけたので、「生きていてくれたら
それでいい」という気持ちは、本当に同感でした。

私は、長女が死に直面していたとき、本当にどうしたらよいのかわかりませんでした。
代わってあげられるのなら、いくらでも代わってあげるのですが、そうすることもできず、
ただただ見ているだけの自分が情けなく、辛く、本当に子供が目の前で死んでしまったら
どうしたらいいのか・・・こんなことを考えてはいけないと思いながら、考えてしまい、
毎日、何とか泣かずに耐えていました。

ある時、ふっと、「そうだ、この子がひとりで死んでいくのが、そんなにかわいそうなら、
私もついていって、一緒に死ねばいいんだ」と思ったら、すごく気が楽になりました。子
供が、一人っ子だったから、こんな風に思えたのでしょうね。

幸い、長女は難病を克服し、今では、病気だったことがうそのようです。私も、3人の子
供の母となりました。

私は、「自分の死」より怖い「子供の死」に直面し、「自分の死」は、ある意味で平気にな
りました。・・・平気は、言いすぎですが・・・。

大きくなった長女に「将来の夢は?」と聞くと、「公務員」という返事が返ってきます。
昔は「コックさん」だったのに、なんて現実的になってしまったのでしょうか・・・。

はやし先生の講演を聞いて、「子供に夢をもってほしい」と思いましたが、まあ、現実的で
はありますが、これも「子供の夢」と思い、励ましていってあげたいと思っています。

また、私自身についても、すっかり大人になってしまいましたが、夢や目的を持った人生
を送っていけたら・・・、と思います。前向きな気持ちになれる、いい講演でした。

末筆にはなりますが、お体を大切に、これからもがんばっていってほしいと願っておりま
す。メルマガも楽しみです。

【Yさんへ、はやし浩司より】

 投稿、ありがとうございました。いつも、「今日の講演が最後」という思いで、講演に臨
んでいます。私にとっては、真剣勝負の場です。

 しかし終わってみると、いつも後悔ばかり。実は、昨日(9月13日)もそうでした。「2
時間」ということで、かなり余裕を感じながら話し始めたのですが、結局は、あちこちを
省略しながらの講演となってしまいました。

 いつだったか、間に15分間ほどの休息を入れて、4時間、話したことがあります。時
間的にはそれくらいほしいです。が、しかし、今では、4時間は、とても無理です。昨日
も、1時間ほど話したところで、スーッと意識が弱くなっていくのを感じました。講演は、
まさに体力、気力との勝負です。

 ほめていただいてうれしいのですが、私のできとしては、60点くらいです。あのよう
なすばらしい会場(大ホール)でしたから、もっとよい講演ができたはずと、悔やまれま
す。

 で、母親と父親のちがいは……と聞かれれば、Yさんのご指摘どおりです。「自分の命す
らも惜しくない」という、まさに至上の愛を感ずることができるのは、またそういう立場
に近いのは、実は、母親のほうなのですね。

 その至上の愛を知っているからこそ、母親は、強い。それが母親と、父親のちがいとな
って、表れてくるわけです。Yさんの書いてくださったことのほうが、私の講演した話よ
り、はるかに中身が濃い。深い。ホント!

 逆に、私の力の限界を感じてしまいます。

 しかしあの「幼稚園ママさん」が、講演に来てくださったとは! (ハンドル・ネーム
だけは、よく覚えています。)ひょっとしたら、以前と同じ話をしてしまったのではないか
と、心配になってきました。もしそうなら、お許しください。

 しかしすばらしい会場ですね。あの会場(アミューズ豊田・ゆやホール)での講演は、
今回で3度目ですが、本当に話しやすいというか、よくできたホールです。「今度、またあ
の会場で話す機会があったら、そのときこそ!」と思っています。つまり「今度こそ、1
00点満点の講演を」と。

 ともかくも、講演を聞きにきてくださって、ありがとうございました。マガジンのほう
も、どうか、よろしくお願いします。

 そうそう、講演のあと、控え室で、KさんやYさん(主催者代表)の方が、「本は出さな
いのですか」「新聞にはコラムを書かないのですか」と、聞かれてしまいました。

 いろいろ言い訳がましいことを言いましたが、本当は、もう、本も、新聞も、どうでも
よくなりました。今は、何と言っても、インターネットの時代です。こうして書いた文章
にしても、月に、1万5000人から2万人の人たちが読んでくれます。しかも世界中の
人たちが、です。

 私には、こちらのほうが、ずっと楽しいです。少しでも余分なエネルギーがあれば、電
子マガジンのほうに傾注しています。

 (電子マガジンのほうでは、単行本に換算して、月に、3〜4冊分の原稿を書いている
のですよ!)

 では、また! 投稿ありがとうございました。うれしかったです。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●そうだ! 英語で、BLOGを出そう!

+++++++++++++++++

今、ふと、こう思った。考えた。

「そうだ、アメリカで、英語で、
BLOGを出そう!」と。

できるかな。できそう。

やってみよう!

+++++++++++++++++

 上海のMTさんからのメールの返事を書いていたとき、ふと、こう思った。「英語で、し
かもアメリカで、BLOGを出してみよう」と。

 で、たった今、それができた! 5分もかからなかった。意外と簡単だった。

 ワーオウ!

 アドレスは、

 http://hiroshi-hayashi.blogpost.com/

 意外と簡単だった。自分の顔のイラストも入れてみた。おもしろいね! ホント! これ
でまた1つ、自分の世界が広がったような感じ。(広がったぞ!)

 これからはアメリカ人に向かって、直接、訴えていこう。

 居直るわけではないが、(居直っているが……)、英語なんぞ、意味が通ずればよいのだ。
ヘタクソとか、まちがっているとか、そういうことは関係ない。書いていれば、そのうち、
うまくなるかも?

Hello, my friends in the world as well as in US!

This is my good challenge that I have made up my mind to put my essays in English 
here-like in my own blog-site.

You are welcome to visit me anytime and please know a bit more about Japan and 
Education in Japan. I would like appreciating your having an interest in this site, 
hoping that we can exchange our opinions anytime as well.

It is really exciting to write things directly to the world-wide readers like this way.

Hiroshi Hayashi, Japan


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1524)

【今朝・9月15日、あれこれ】

●台風15号

 非常に強い台風、15号が、日本の九州地方をめがけて、目下北上中。気象庁の予報ど
おりとするなら、17日から18日にかけて、九州地方に上陸する恐れさえ、出てきた。

 「15号」と言えば、あの「伊勢湾台風」も、15号だった。

伊勢湾台風(いせわんたいふう)……1959年9月26日に紀伊半島に上陸し、東海
地方を中心に、近畿から東海の広範囲で大きな被害を及ぼした台風をいう。私が11歳
のときのことである。

死者・行方不明者は5098人、負傷者3万9000人にのぼり、明治以来最大の被害
をもたらした。ほかに、3000人以上の犠牲者を出した台風として、室戸台風、枕崎
台風があり、これら3つを合わせて、昭和の3大台風という。

 たまたまその台風15号は、私の郷里のM町を直撃した。台風の目に入ったとき、一時
的だが、青い空が見え、無風状態になったのを、今でもよく覚えている。が、その私とい
えば、風力計を回して、遊んでいた。まさかそんな巨大な台風だとは、思っていなかった。

 が、やがて私が住むG県も、家を根こそぎ揺らすような暴風雨圏に入り、窓が吹き飛ん
でしまった。少し窓をあけておいたのがまずかった。そのときのはずみで、棚の上の人形
ケースが落ち、私は右足におおけがを負った。そのときの傷は、今でも残っている。

 今度の台風にも、いやな予感がする。このままでは、九州地方に、大きな被害が出るか
もしれない。どうか、どうか、別のところへ行ってほしい。どこかとは言えないが、どう
か、別のところへ行ってほしい。


●扁桃腺炎

 昨夜、寝る直前になって、あやしげな悪寒。ゾクゾクとした寒気だった。扁桃腺炎であ
る。

 子どものころは、その持病に苦しんだ。が、それが今でもある。ただ子どものころとち
がって、その前兆をうまくとらえることができるようになった。

 で、いつもの、うがい。少し何かを食べて、大量のビタミンCの補給。厚着をしたあと、
葛根湯と頭痛薬。それをのんだ。

 案の定、夜中の2、3時ごろ、発熱と発汗。一度、下着をかえて、また眠りなおす。が、
眠ったのかどうか? それがよくわからないまま、午前7時に起床。体の節々がどこか痛
い。が、まあ、この程度なら、何とか、仕事ができる。

 今日は、10月予定の講演会のレジュメなどを作る日に決めていた。10月は、忙しい。
病気で休んでいるわけには、いかない。


●コタツ

 今度BW教室の一部に、コタツを置くことにした。90x150センチのコタツ、であ
る。前から、そういう雰囲気で、一度、子どもたちを教えてみたかった。

 で、昨日のクラスで、「コタツを置くよ」と子どもたちに言ったら、みな、歓声をあげて、
喜んだ。ひとり、「BWは、寒いから……」とこぼした子どももいた。

 ワイフは、「みんな、勉強なんかしないで、眠ってしまうんじゃない」と心配している。

 まあ、失敗したときは、そのとき。またもとに戻せばよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●グループ・ホーム

++++++++++++++++++

今日、近くの寿司屋で、グループ・ホームの
一行と、いっしょになった。

食事をしているときは、気がつかなかったが、
7、8人、全員、車椅子に乗った老人だった。

ワイフが勘定をすます間、私は、ずっと、
その老人たちが、マイクロバスに乗り込む
のを、見ていた。

++++++++++++++++++

 講演の帰り、駅まで迎えにきてくれたワイフと、近くの寿司屋で食事をした。いつもに
なく、にぎやかな雰囲気だった。見ると、何組かのグループに分かれて、7、8人の老人
たちが、向こう側の席で寿司を食べていた。

 その中の1人の老人の誕生日を祝っているといったふうだった。その老人だけが、花束
を手にかかえ、始終、うれしそうに笑っていた。

 で、帰るとき、それまでは気がつかなかったが、ふと見ると、全員、それぞれが、車椅
子に乗っているのがわかった。付き添いの介護士が、忙しそうに動き回りながら、老人た
ちの世話をしていた。

ワイフは勘定をすませていた。私は玄関先に立ち、老人たちがマイクロバスに乗りこん
でいくところを、ぼんやりと見ていた。マイクロバスには、「IRグループ・ホーム」と
いう名前が書いてあった。

 どの老人も、しっかりとした身だしなみをしていた。裕福そうな感じがした。温厚な顔
立ちをした人、理知的な顔立ちをした人、上品な感じのする人などなど。認知症を感じさ
せるような老人はいなかった。

 「ああいう人たちも、かつては、自分の時代があっただろうに」と思った。「それなりの
地位もあり、それなりに活躍した人もいるだろうに」と、つぎにそう思った。が、しかし
今は、自由に歩くことさえ、ままならない……。 

 ここで「明日は、わが身……」と書いてしまえば、ここで話は終わってしまう。それ以
上、何も書くことはない。しかし私は、そのときも、そう思った。「明日は、わが身……」
と。「ああはなりたくない」とは思ったが、私も、いつかは、そうなる。確実に、そうなる。

 もっともグループ・ホームに入れる人たちは、それなりに恵まれている人たちだ。グル
ープ・ホームでは、自活できることが、入居のためのひとつの条件になっている。それに
入居費も、安くない。個人負担として、毎月12〜3万円プラス小遣い程度の費用がかか
る。

 単純に計算すれば、年に156万円。10年で、1560万円の費用。こうしてすぐ計
算するのは正しくないかもしれないが、「この世は、すべて金次第?」。お金がなければ、
グループ・ホームに入ることさえ、できない。

 何ともさみしい世界だが、しかしこれが現実である。だれも逃れることができない、現
実である。

 しかし……。しかし……。そんな人生に、どれほどの意味があるというのか。ただ生き
ながらえるだけの人生に、どれほどの意味があるというのか。それがわかりながら、自分
で死ぬこともできず、その日、その日を生きていく……。

 ふと暗い気分になっていたところへ、ワイフが話しかけてきた。「今のうちに、うんと、
遊んでおかなきゃア」と。

 明るい、どこかノー天気な声だった。

私「お前には、デリカシーというものが、ないのか?」
ワ「そのときは、そのときでしょ」
私「そうだな……」と。

 車に乗りこむと同時に、その老人たちのことは、忘れた。ただ一言、ワイフは、こう言
った。「今度の日曜日も、どこかへ行かない?」と。私は「うん」と返事をした。「今度は、
伊豆方面がいい」と。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 11日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page020.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室から】

●イナバウワー

 イナバウワーの話が出た。体のやわらかい子ども(小3女児)がいて、体を、うしろへ
クネーッと曲げることができる。

 それを見ていて私は、こう言った。「ぼくは、イナバーバーというのができる」と。で、
「どんなの?」と聞いたので、バーさんのように、体を前に曲げて見せてやった。

 すると子どもたちは、こう言った。「それは、イナジージーだ」と。


●BWのカイダン

 学校の花子さんの話をしたあと、BWのカイダンの話をした。「BWのカイダンのほうが、
こわいよ」と。

 すると子どもたちが、「話して!」「話して!」と。

私「本当にこわいよ。見ないほうが、いい」
子「見せて!」「見たい!」と。

 そこで私は、教室から出て、BWの階段を見せてやった。「これがカイダンだア〜」と。


●愛の歌、恋の歌

 1年生でも、「愛」とか、「恋」とかいう言葉を知っている。そこで私は、こう言ってや
った。

 「みんなががんばったら、先生は、恋の歌を歌ってあげる」と。

 子どもたちは、それに答えて、「ゲーッ!」と。

 そう言いながらも、みんなはがんばった。で、そのあと、子どもたちが、「約束どおり、
恋の歌を歌ってエ!」「歌ってエ!」と。

 私は、どこかなまめかしいポーズをとりながら、こう歌ってやった。

 「♪屋根より高い、鯉のぼり……。大きな真鯉は、お父さん……」と。

 そのあと、子どもたちの猛攻撃を受けたことは、言うまでもない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生きるとは……】

++++++++++++++++++++

長野県に飯田市という、人口10万人ほどの
小都市がある。
その飯田市で、日夏耿之介(ひなつ・こうのすけ)
という詩人を知らない人はいない。

その日夏耿之介の記念館に、一枚のセピアカラーの
写真が飾ってある。

私はその写真を見たとき、その写真の前で、
釘づけになってしまった。

++++++++++++++++++++

長野県に飯田市という、人口10万人ほどの小都市がある。

その飯田市で、日夏耿之介(ひなつ・こうのすけ)の名前を知らない人はいない。飯田
市が産んだ、明治から、大正。昭和の時代にかけて活躍した、詩人である。市の東のは
ずれには、その日夏耿之介の記念館がある。

その記念館というか展示館というか、かつて日夏耿之介が住んでいた屋敷が、そのまま
再現され、そこに残っている。

 私とワイフは、また晩夏の暑さが消えやらぬ9月はじめ、その飯田市を訪れた。ついで
足の向くまま、日夏耿之介の記念館を訪れた。

 正直に言うが、私は、日夏耿之介という名前を、記憶のどこかで聞いた覚えはあるが、
それがどんな人物で、何をしていた人かというところまでは知らなかった。日夏耿之介と
いう名前すら、正確には読めなかった。日夏耿之介は、「ひなつ・こうのすけ」と読む。

 その日夏耿之介。飯田市の観光案内用のパンフによれば、つぎのようにある。

 ……明治23年に当時の飯田町に生まれる。詩人、文学者、翻訳家として、多彩な文芸
活動を展開。独特の美意識に貫かれた詩風は、高い評価を受け、自ら「ゴスィック・ロー
マン詩体」と称した。大学教授を歴任し、晩年は郷里で過ごした。第1回飯田市名誉市民
に選ばれている。

 その記念館を訪れたときのこと。こじんまりとした、いかにも文豪の住処(すみか)と
いった感じの屋敷だった。その壁のひとつに、当時の文豪たちが一堂にかいして写ってい
る、一枚の写真が飾ってあった。

 日夏耿之介が、何かの本を出版した折、それを祝って集まった文豪たちだという。で、
その写真の中には、芥川龍之介、北原白秋、室生犀星、堀口大学、三木露風という、錚々
(そうそう)たるメンバーが、並んでいた。数えてみたが、22人の人が写っていた。

 「大正7年1月、東京の京橋で開かれた晩餐会で」と、説明図の左下に書いてある。と
いっても、その写真は、よく知られた写真で、私は以前にも何度か、その写真を見たこと
がある。が、そのときは、どういうわけか、電撃に打たれたような新鮮さを感じた。私は
そのまま、その写真の前で、釘づけになってしまった。

 とくに目をひいたのは、芥川龍之介と室生犀星である。

 芥が龍之介は、まだ若い書生といった感じで、北原白秋のうしろに顔を半分隠して立っ
ていた。そしてその北原白秋の左隣に、室生犀星が立っていた。「♪故郷は遠きにありて思
ふもの」と歌った、あの室生犀星である。

 写真で見ると、芥川龍之介は、どこかいじけているといった感じ。一方、室生犀星は、
私が抱いていた印象とは、まるでちがった人物として、そこに立っていた。言うなれば、
ごつい顔をした、オジサン。そんな感じだった。

 私は、その時代の文豪たちの顔を1人ずつみつめながら、何度もため息をついた。遠い
過去を思いやるというよりは、自分の近い未来を見る思いがした。もちろんこうした文豪
たちと、私とでは、くらべるようがない。ないが、「この人たちも消えてしまったのだな」
という思いは、「やがて自分もそうなるのだな」という思いに変わった。

 明治時代も大正時代も、そして昭和の時代も、今と同じように、明るい太陽が輝いてい
たにちがいない。青い空もあっただろう。そこには純白の夏雲も浮かんでいたことだろう。

 しかしその時代に生きた人たちだけは、その写真のように、やがて色あせ、黄ばんだ写
真とともに、どこかへ行ってしまった。

 どこへ行ってしまったのだろう。

 私は、家に戻るとすぐ、インターネットを使って、それらの人を調べてみることにした。
芥川龍之介や北原白秋を知らない人はいない。で、私は、とりあえず、左端の人物から、
順に調べてみることにした。

●石井直三郎(いしいなおさぶろう)

大正3年、東京帝国大学文科大学国文科を卒業。六高在学中、六高短歌会に加わり、尾
上柴舟の指導を受ける。大正3年「水甕」の創刊により、社を自宅におきのち編集責任
者となる。大正14年「青樹」を創刊したが、昭和3年「水甕」と合併。生前の歌集は
「青樹」一冊で、厳選した147首を収めている。作風は典雅で流麗な調べが特色。

「おほぞらに ただよふくもの しらくもの さびしき秋に なりにけるかな 直樹」
 『水甕』の歌人、国文学者、石井直樹(本名直三郎=明治23〜昭和11)の代表作。
姉の嫁ぎ先に岡田家があり、『水甕支社』のあったこの地を、時おり訪れた。
歌碑は、昭和12年、縁故者 門人たちによって建立されたもの。自筆。
(相生市文学碑設立協会のHPより抜粋)

●斉藤勇

 東大元名誉教授斉藤勇氏は、戦前より讃美歌について文学的な研究をしていた。氏は讃
美歌に関わる文献を自ら渉猟・所蔵され、その研究成果を著書「讃美歌研究」の中で発表
している。
 
 それによると、1859年に日本にプロテスタント教が伝来した後、1874年(明治
7年)にはすでに数種の讃美歌集が出版していたとのことである。その当時讃美歌集を出
版するに当たっての難題が二つあったとのことだ。

 その一つは、当時はまだ耶蘇教禁止・嫌悪の時代であって、キリスト教関係の書類の上
梓はまだ一種の犯罪行為とみなされ、木版彫刻者の協力を得ることが至難であった。幸い
に版木が出来ても、出版者氏名も、はなはだしい場合は書名・題名すらないものがあると
いった有様であったという。

 他の一つは、キリスト教に接した当時の識者は、讃美歌合唱を歌舞音曲と見なし、はし
たないすさびと見なして、自ら筆をとって讃美歌を訳し、作詞し、歌うことを嫌ったこと
である。

 忍耐強い米英宣教師たちは、滞在すること10数年にして、讃美歌集を発行する運びと
なったのだが、日本語への翻訳には、来日した宣教師が日本語を習い覚えた後、自ら翻訳
した讃美歌の歌詞が数多く見られた。

 それらの讃美歌は、文学的にはもちろんのこと、日本語としても拙い訳の讃美歌が見ら
れた。斉藤氏によれば、米英宣教師の訳による讃美歌は笑止千万であるが、その失敗は訳
語の貧弱愚劣が、何よりも大きな原因であるとのことだ。

 その一例として、冒頭に掲載した英語賛美歌は日本語讃美歌集の第461番(主われを
愛す)であるが、明治5年に初めて日本語に翻訳された当時の歌詞は、次の通りであった。

          エスわれを愛す、   左様聖書申す
          愛すれば子たち、   弱いも強い
             はい、エス愛す、   はい、エス愛す
             はい、エス愛す、   左様聖書申す。

 この讃美歌はこの後数回の改訂の後、明治36年(1903年)に次のように改訂出版
され、この訳が現在までに引き継がれ、歌われている。

          主われを愛す     主は強ければ
          われ弱くとも      恐れはあらじ
             わが主エス      わが主エス
             わが主エス      われを愛す

  我が国における讃美歌の発祥から現行「讃美歌」の出版に至るまで、すなわち明治7
年から昭和29年までの80年間の間に、日本語讃美歌は驚くべき進歩を遂げた。その成
長ぶりは小学生が中年の紳士になったどころではないと、斉藤氏は感嘆しておられる。
(以上、村野四郎氏のHP「花と詩と音楽と」より)

●松永信

検索の結果、情報なし。

●祖父江登

検索の結果、情報なし

●柳沢健

柳沢健(やなぎさわ・けん)、作詞家、福島県出身。明治22年(1889年)11月3日生、。
昭和28年(1953年)5月29日没

 会津若松市に生を受けた詩人、外交官。柳沢家は旧・会津藩士の家系。祖父も父も教育
者だったこともあり、健は一高から東京帝国大学仏法科と進む高い教育を受けた。

 33歳の時(大正11年)、外務省事務次官に任命され、13年からは外交官として、フ
ランス、スウェーデン、メキシコなどに赴任した。

 文学者としては会津中学に在籍していた頃から、短歌や評論などを発表し、大学在学時
にまとめた詩集、『果樹園』が処女出版となる。

島崎藤村、三木露風に師事し、作品集としては訳詩集『現代仏蘭西詩集』『柳沢健詩集』、
随筆集『三鞭酒の泡』や、評論集『現代の詩及び詩人』、ヨーロッパ紀行をまとめたベス
ト・セラー『南欧遊記』などがある。

 故郷の会津ではたくさんの校歌の作詞をしたことでも知られ、詞を提供した学校は、計
26校に上るという。
(HP「d−score」より)

 まだほかにもあるが、この写真に写っている22人の中には、松永信や、祖父江登のよ
うに、現在において、ほとんど知られていない人もいるようだ。が、私は調べていくうち
に、こうした無名というか、ほとんど知られていない人のほうにこそ、心がひかれた。

 どこがどうちがって、有名な人は、有名な人になり、そうでない人は、そうでない人に
なったのか。

 おそらく当時においては、何か、大きな志(こころざし)をもっていた人たちであるに
ちがいない。そして彼らは彼らなりに、懸命に努力したにちがいない。しかし有名になる
とか、ならないとかいうことは、ほんの紙一重のちがいでしかない。才能や努力という点
では、それほどちがっていたわけではない。

 しかしその紙一重のところで、有名な人は、有名な人になり、そうでない人は、ほとん
ど記録らしい記録も残さないまま、この世から消えていく……。

 が、だからといって、有名になることがつまらないとか、無意味だとか、そういうこと
を言っているのではない。むしろ私が言いたいのは、その反対で、有名にならなかったか
らといって、その人の人生が無意味だったということにはならないということ。

 辛らつな言い方をすれば、一枚の写真の中に入ってしまえば、どの人も同じ。もっとわ
かりやすく言えば、人も、死んでしまえば、どの人も同じ。みんな黄ばんだ、セピアカラ
ーの写真の中に入ってしまう。どれが北原白秋で、どれが渡辺信であるか、写真の中で区
別するほうが、おかしい。また区別したところで、意味はない。まったく、ない。

 私はこのところ、ヒマさえあれば、その写真ばかり見ている。そしてその写真を見なが
ら、こう思う。

 私もやがてその写真に写っている人物たちのように、消えていくのだろう、と。いくら
「私は、私」「あなたは、あなた」と叫んだところで、死ねば無数の人たちと混ざりあって、
そのまま消えていく。つまり「私」という人間が、あたかも心の中のブラックホールに吸
いこまれいくように、どんどんと萎縮し、小さくなっていく。

 そしてそれが極限になったとき、ここで二つの考え方に分かれることがわかる。

(1)そのまま、虚無主義に陥るという考え方。
(2)ブラックホールが爆発して、また別の宇宙を作るという考え方。

 私は今まで、ここでいう(2)の考え方をしてきた。基本的には、今も、そうである。
そうではあるが、何というか、人生そのものがもつわびしさも、このところ強く感ずるよ
うになった。ふと油断すると、その虚無主義に、ふと、心をひかれる。

 その一枚のセピアカラーの写真は、強烈に私を刺激した。

【補足】

 運、不運という言葉がある。私は、芥川龍之介が芥川龍之介になり、北原白秋が北原白
秋になったのは、あくまでも「運」だと思う。しかしその「運」というのは、決して、神
がつくるものでも、あるいはもちろん神秘的な力が働いて、決まるものでもない。

 ただその人の努力かというと、そうでもないような気がする。努力だけでは、運はやっ
てこない。世の中には、たいへんな努力をしながらも、社会の底辺でもがき苦しんでいる
人は、いくらでもいる。が、その一方で、たいした努力もしていないのに、時流に乗り、
幸運をつかんだ人も、いくらでもいる。

 おかしな言い方だが、ここに書いた松永信や祖父江登が、なぜ松永信や祖父江昇になっ
たか。私はそちらのほうに、より強く興味をそそられる。

(今日の私は、少し暗いかな……?)(06−09−13記)

++++++++++++++++++

話は少し脱線しますが、これを書いていたとき
以前、書いた原稿を思い出しましたので、
それをここに添付します。

++++++++++++++++++

【生きるって、どんなことだろう?】

++++++++++++++++++

生きるということは、むなしいのか。
しかしだれも、そうであってはいけないと
思っている。

目の前には、明るい太陽が、さんさんと
輝いているではないか。

私たちは、その太陽に向かって、
まっすぐ前に進まねばならない。

決して、夜の闇を人生と思ってはいけない。

+++++++++++++++++++

●30年、一世代


 「世」という漢字は、もともと「十十十」、つまり「三十」を意味するという。ちょうど
30年で、一世代を繰りかえすことから、そういう字を使うようになったという。

 たとえば30年後、あなたの子どもは、あなたの年齢になり、あなたの子どもと同じ年
齢の子どもをもつようになる。反対に30年前には、あなたの両親が、今のあなたの年齢
で、あなたは今のあなたの子どもの年齢だった……。

 しかし私は、この30年という数字を、別の意味で、とらえている。

 私もこの浜松市に住むようになって、今年で、33年になる。ちょうど一世代分、この
町で生きたことになる。先日もそのことについて、ワイフと、こんな話をした。

 「この30年間で、ぼくたちのまわりは、すっかり変ったね」と。

 そう、この30年間で、大きく変わった。小さな店を経営していた商店主が、全国規模
の大会社の社長になったというようなケースがある一方で、浜松市でも一、二を争ってい
た資産家が、落ちぶれて、見る影もなくなってしまったというようなケースもある。

 まさに栄枯盛衰。仏教的無常観を借りるなら、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
※』(平家物語)ということになる。

 で、そういう世間を見ながら、かろうじてふんばっている我が身を知り、「こんな自分も、
いつまでつづくのか?」と、ふと、思う。

 ただ、だからといって、生きていることが、虚しいとか、そういうことを言っているの
ではない。成功した人がどうとか、失敗した人がどうとか言っているのではない。人は、
人それぞれだし、私は私だ。

 が、30年も生きてみると、世の移り変わりというものが、実感として、自分の心の中
でわかるようになる。そしてふと立ち止まったようなとき、「あのときの、あの人は何だっ
たのかなあ」と、思う。

 しかしそれは、そのまま私自身の未来の姿でもある。いつかだれかが、ふと、私のこと
を思い出しながら、「はやし浩司って、何だったのかなあ」と思うかもしれない。何もかも
あいまいな世界だが、はっきりしていることもある。

それは、つぎの30年後には、私はこの世から消えていなくなっているということ。ワ
イフの父親も、もう死んでいるし、私の父親も死んでいる。それと同じになる。

 「世」という漢字は、もともと「十十十」、つまり「三十」を意味するという。

 今、つくづくと、「なるほどなア」と思う。

++++++++++++++++

※祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声
諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色
盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂(つい)には滅びぬ
偏に風の前の塵(ちり)に同じ

+++++++++++++++

【追記】

●四法印

 私の先祖がまつってある墓地の入り口に、正方形の石碑が建っている。そしてその四面
には、(1)諸行無常(しょぎょうむじょう)、(2)一切行苦(いっさいぎょうく)、(3)
諸法無我(しょほうむが)、(4)涅槃寂静(ねはんじゃくせい)の、文字が刻んである。

 これを仏教の世界では、「四法印」と呼んでいる。つまり、この四法印こそが、仏教の教
義の根幹と思えばよい。

 つまり、この世の中のすべてのものは、流転して定まることはない(=諸行無常)。そし
て生きることには、困苦はつきもの。困苦のない人生など、ありえない(=一切行苦)。ま
たあらゆるものは、いわば幻想のようなもの。もっと言えば、「空」。つまり実体のあるも
のは、何ひとつない(=諸法無我)。で、最後に、すべての欲望から解放されたとき、人は、
はじめて心の静寂を自分のものにすることができる(=涅槃寂静)と。

 釈迦のこうした教えの基盤にあるのは、「救済」と考えてよいのでは……? つまり今、
苦しんでいる人を、どう救うかということ。そのため、釈迦仏教というと、どこか、暗い。
この四法印についても、そうだ。

 かつて、これについて書いた原稿があるので、ここに転載する。今から、3、4年前に
書いた原稿である。

++++++++++++++++++

●30年、一世代

 「世」という漢字は、もともと「十十十」、つまり「三十」を意味するという。ちょうど
30年で、一世代を繰りかえすことから、そういう字を使うようになったという。

 たとえば30年後、あなたの子どもは、あなたの年齢になり、あなたの子どもと同じ年
齢の子どもをもつようになる。反対に30年前には、あなたの両親が、今のあなたの年齢
で、あなたは今のあなたの子どもの年齢だった……。

 しかし私は、この30年という数字を、別の意味で、とらえている。

 私もこの浜松市に住むようになって、今年で、33年になる。ちょうど一世代分、この
町で生きたことになる。先日もそのことについて、ワイフと、こんな話をした。

 「この30年間で、ぼくたちのまわりは、すっかり変ったね」と。

 そう、この30年間で、大きく変わった。小さな店を経営していた商店主が、全国規模
の大会社の社長になったというようなケースがある一方で、浜松市でも一、二を争ってい
た資産家が、落ちぶれて、見る影もなくなってしまったというようなケースもある。

 まさに栄枯盛衰。仏教的無常観を借りるなら、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
※』(平家物語)ということになる。

 で、そういう世間を見ながら、かろうじてふんばっている我が身を知り、「こんな自分も、
いつまでつづくのか?」と、ふと、思う。

 ただ、だからといって、生きていることが、虚(むな)しいとか、そういうことを言っ
ているのではない。成功した人がどうとか、失敗した人がどうとか言っているのではない。
人は、人それぞれだし、私は私だ。

 が、30年も生きてみると、世の移り変わりというものが、実感として、自分の心の中
でわかるようになる。そしてふと立ち止まったようなとき、「あのときの、あの人は何だっ
たのかなあ」と、思う。

 しかしそれは、そのまま私自身の未来の姿でもある。いつかだれかが、ふと、私のこと
を思い出しながら、「はやし浩司って、何だったのかなあ」と思うかもしれない。何もかも
あいまいな世界だが、はっきりしていることもある。

それは、つぎの30年後には、私はこの世から消えていなくなっているということ。ワ
イフの父親も、もう死んでいるし、私の父親も死んでいる。それと同じになる。

 「世」という漢字は、もともと「十十十」、つまり「三十」を意味するという。

 今、つくづくと、「なるほどなア」と思う。

【補記】

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声
諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色
盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂(つい)には滅びぬ
偏に風の前の塵(ちり)に同じ

+++++++++++++++

【追記】

 仏教的無常観……つまり、何をしてもムダ、何をしても意味がない、という無常観は、
正しくない。当時は、そういう世相であったかもしれないが、それをそのまま受け入れる
と、たいへんなことになる。まさに(生きること)を、否定してしまうことになりかねな
い。

 私はこのことを、中学生のときに、感じたことがある。

 私は、中学生のころ、自分で空を飛んでみたかった。それ以前からそうだったが、毎日、
どうすれば、自分で空を飛べるか、そればかりを考えていた。

 小学4年生くらいのときには、板を切って、翼(はね)を作ったこともある。で、あれ
これいろいろ実験を繰りかえしていた。一度は、それを背中につけて、一階の屋根の上か
ら、飛び降りたこともある。

……というより、そんなわけで、中学生になるころには、飛行機が飛ぶ原理を、ほぼ完
ぺきに近いほど、知りつくしていた。

 そんな中、一人、たいへん冷めた男がいた。いつも私がすることを、遠巻きにして、ニ
ヤニヤと笑って見ているような男だった。今、ここで具体的にどんなことがあったかを、
書くことはできない。よく覚えていない。しかしその冷めた目つきだけは、今でも忘れな
い。

 軽蔑の眼(まなこ)というか、いつもそういう眼で、私を見ていた。

 つまり自分では、何もしないで、他人のすることを、あれこれ、批判、批評ばかりして
いた。「そんなことしても、ムダだ」とか、「意味がない」とか。

 仏教的無常観というのは、それに似ている。仏教的無常観を信ずる人は、その人の勝手
だが、しかしだからといって、この世の中で、懸命に生きている人を否定するための道具
に、それを使ってはいけない。

 先日も、こんなことを言った人(男性、60歳くらい)がいた。

 「林君、どうせ有名になっても、意味はないよね。死んで10年もすれば、たいてい忘
れられる。総理大臣だって、そうだ。今の若い人は、30年前の総理大臣の名前すら、覚
えていないだろ」と。

 たしかにそうだが、しかしだからといって、懸命に生きること、それを否定しては、い
けない。ちなみにその人は、どこからどう見ても、ただの平凡な男だった。

 仏教的無常観をもつ人は、どこか、独特の優越感を覚えることが多い。「冷めた考え方」
というのは、そういう考え方をいう。

 失敗してもようではないか。つまずいてもよいではないか。有名になれなくてもよいで
はないか。大切なことは、その人が、いかに充実した人生を、満足に送ることができるか、
だ。

 仏教にも、いろいろな側面がある。しかし私は、仏教がもつ、(あるいは宗教全般がそう
かもしれないが)、現世逃避的なものの考え方には、どうしても、ついていけない。ここで
いう仏教的無常観も、その一つである。

 私なら、平家物語を、こう書く。

++++++++++++++++++

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声
夢と希望の、明るい音色。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色
我らが目的は、失敗にめげず、前に進むこと
懸命に生きる、人の美しさ
未来に向かって、ひたすら生きる
その命、人から人へと、永遠につづく
そこに、人が生きる意味がある。価値がある。

+++++++++++++++++++++++

 しかし仏教というと、どうしてこうまで考え方が、うしろ向きなのだろうか。これはあ
くまでも私の印象で、こういう私の意見に猛反発する人もいるかもしれない。しかしさん
さんと明るく輝く、太陽のようなぬくもりはない。

 どこか、線香臭く、どこか、湿っぽい。本当は、そうではないのかもしれない。たとえ
ば、「あの世」についても、原始仏教の中では、つぎのように説いている。

+++++++++++++++++++++++

●あの世論

 あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典の
ひとつ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。

 「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。

わかりやく言えば、「ない」と。「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人
がいるかもしれないが、そうした常識は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上
の年月を経てからつくられた常識と考えてよい。もっとはっきり言えば、ヒンズー教の
教えとブレンドされてしまった。そうした例は、無数にある。

 たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護
摩(ごま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀式
であって、それ以外の何ものでもない。

むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」と教えている。(「バラモンよ、木片をたい
て、清浄になれると思ってはならない。なぜならこれは外面的なことであるから」(パー
リ原典教会本「サニュッタ・ニカーヤ」)と。

++++++++++++++++++

●なぜ生きるかについて

 ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎの
ように述べている。

 「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励
む人は死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、
「素行が悪く、心が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生
きるほうがすぐれている。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つ
ねに明らかな智慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気
力もなく一〇〇年生きるよりは、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれてい
る」(二四・三〜五)(中村元訳)と。

 要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きる
ことは美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二
〇年ではわからないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。

 先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかし
さが、どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら
覚えた。話を聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む
新聞はスポーツ新聞だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。

++++++++++++++++++++++

 少しきびしいことを書いてしまったが、仏教も、ほんの少しだけ視点を変えると、明る
さがましてくるのではないか。またそれが本来の仏教ではないか。「どうやって心安らかに
死ぬか」というのではなく、「どうやって明るく、前向きに生きるか」。それを教えている
のが、私は仏教だと思っているが……。

 この先は、またゆっくりと考えてみたい。少し、疲れた。
(05年9月24日)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

++++++++++++++++++++

たった今、マガジン(10月9日号)の
配信予約をすませた。

これから書く原稿は、10月11日号用の
原稿ということになる。

で、いつも、こう思う。「本当に、書けるの
だろうか?」と。

不安という不安ではないが、ふと不安に
なる。

++++++++++++++++++++

 マガジン用の原稿は、たいてい1か月前に、書くようにしている。10月11日号なら、
9月11日までに、書くようにしている。

 こうすることによって、マガジンを、安定的に、読者のみなさんにお届けすることがで
きる。私は、この「安定的」というのを、何よりも大切にしている。

 マガジンにかぎらない。

 家庭においても、また私が経営するBW教室においても、である。

 安定は、信用につながる。が、いつも、つぎのマガジンを書き始めるとき、不安という
不安ではないが、ふと軽い不安感を覚える。「次回は、だいじょうぶだろうか?」と。

 マガジンでは、毎回、A4サイズの用紙で、20〜30枚分の原稿を載せるようにして
いる。結構な量である。「そんなにたくさん、書けるだろうか?」と。

 が、不思議なもので、毎朝思いついたことを書いているだけで、分量が、10〜12枚
になる。それにあれこれ自分で調べたことを書き足していると、15〜18枚になる。さ
らに、それが20〜25枚になる。

 分量がそろったら、マガジンの配信予約を入れる。先ほど、10月9日号の配信予約を
すませた。分量は、26枚ほどになった。ほっと息をついだところで、いつもの、あの軽
い不安。「次回は、だいじょうぶだろうか?」と。

 で、現在、マガジンを発行するまで、つぎのような手順を踏んでいる。

(1)原稿を書く。
(2)その原稿を、楽天日記や、ほかのBLOGに載せてみる。
(3)読者の反応をみる。
(4)その反応をみながら、原稿を推敲(すいこう)しなおす。
(5)マガジン用に原稿を編集する。
(6)マガジンの配信予約を入れる。

 しばらくおいてから原稿を推敲しなおすというのは、ものを書く上において、とても重
要なことである。思想のゆらぎや矛盾点を、そのとき、訂正、修正できる。そのとき、ひ
とつのコツがある。できるだけ他人の目で、自分の原稿を読んでみるということ。そうす
ることによって、思想のゆらぎや矛盾点を、さらに正確に知ることができる。

 こうして私のマガジンは、みなさんのところに届けられるが、ここにきて、思わぬ副産
物というか、現象が起き始めている。ここにも書いたように、書いた原稿は、いわば荒削
りのまま、楽天日記や、ほかのBLOG載せている。

 私としては、どこか軽い気持ちでそうしている。が、その楽天日記だけでも、このとこ
ろ、毎日、400〜500件もアクセスされるようになった。ほかのBLOG(3誌)も
入れると、もっと多い。

 こうなると、いいかげんなことが書けなくなる。気持ちが、引き締まる。(もちろん、い
いかげんなことを書いているという気持ちは、さらさらないが……。)

 そこで私は、つぎのことに心がけている。

(1)書くときは、出し惜しみしない。
(2)ありのままを、そのまま書く。

 「出し惜しみしない」というのは、全力投球で書くということ。「ここから先は、つぎの
マガジンで書いてやろう」とか、「こんなことを書いたら、損をする」とか、そういうこと
は考えない。

 つぎに「ありのままを、そのまま書く」というのは、自分の一貫性を守る上においても、
とても重要なことである。自分を飾ったり、偽ったりすれば、そういったメッキは、やが
てすぐ、はがれる。せっかく読んでくれる人に、いらぬ不安感を与える。

 ともかくも、こうして10月11日号の原稿を書き始めた。「あさってまでに、20枚以
上、はたして書けるのだろうか?」という不安はあるにはあるが、書くしかない。

 (ちょうどここまでで、A4サイズで、2枚の原稿になった。あと18枚以上!)

 今朝も、がんばります。読者のみなさん、よろしくお願いします。先ほどからこのあた
りでも、ツクツクボーシが鳴き始めました。秋ですね。(9月10日記)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●もうすぐ、1947人!

++++++++++++++++++

もうすぐEマガ(Eマガ社発行のマガジン)
の読者が、1947人になる。

この「1947」という数字は、私には
特別な意味がある。

++++++++++++++++++

 現在、電子マガジンは、Eマガ社から2誌、まぐプレから1誌(有料版)、それにBIG
LOBE社から1誌の、計4誌出している。

 そのうちの1誌、Eマガの「最前線の子育て論byはやし浩司」の読者が、もうすぐ、
1947人になる。

 この「1947」という数字には、特別の意味がある。「1947」というのは、つまり、
私が生まれた年である。私は1947年の10月生まれ。

 そこで先ほど、ワイフとこんな会話をした。言うなれば、企画会議ということになる。

私「1947人になったら、ぼくが生まれたときのことを書く。1948人になったら、
ぼくが1歳のときのことを書く。1949人になったら、ぼくが2歳のときのことを書く」
と。

 つまり読者数に応じて、その数字の年の思い出を書く、と。個人的な電子マガジンだか
らこそできる、おもしろい企画である。

 ワクワク……。

 こうして書いていけば、私の一代記を、そのときそのまま、まとめることができる。「一
代記」というほど、おおげさなものではないかもしれないが、ともかくも、自分の一生を、
それで振りかえってみることができる。

 そして最後の現在は、読者が2006人になったときに書く。今年が、その2006年
である。

 ところで、私は、もうすぐ59歳になる。子どもたち(生徒たち)には、「48歳だよ。
もうすぐ49歳だよ」と話しているが、本当は、59歳である。(ここだけの内緒にしてお
いてほしい。)

 ちょうど、よい機会ということになる。多分、私の誕生日までには、読者の数も、20
06人になるだろう。(多分?)

 みなさん、これからも、よろしくお願いします。みなさんは、私に、(生きがい)をくれ
ます。私は、みんさんに、(子育て情報+something)を、お届けします。よろし
く、よろしくお願いします。


●パソコンがこわれた!

+++++++++++++++

愛用のパソコンがこわれた。
修理に半日を費やした。

そのため、楽天日記は、お休み!

+++++++++++++++

6年間使ったパソコンだが、今日、こわれた。F社のデスクパワーという機種。当時は
まだ珍しかった、17インチワイド画面モニター付きのパソコンである。

そのパソコンだが、数か月前、一度、調子が悪くなった。そのときハードディスクを交
換した。で、しばらくはだいじょうぶだろうと思っていたが、ここにきて、急速に、ま
た調子が悪くなった。

 いくつかのプログラムが起動しなくなった。

 で、再び、ハードディスクの交換を試みたが、今のところ、何度やってもうまくいかな
い。「?」マークを、20個くらい頭に思い浮かべたところで、ギブ・アップ!

 予備のパソコンに、外付けハードディスクを移し変えて、仕事、再開。こういうときの
ために、データファイルは、すべて外付けのハードディスクに保存している。予備のパソ
コンは、同じ仕事ができるように、いつも同期させている。

 時刻を見ると、午後7時半。今日は、半日が、パソコンの修理のためにつぶれてしまっ
た。そのため、楽天の日記は、お休み!

【付記】

 ハードディスクを交換するためには、一度、外付けのハードディスクに、ハードディス
クを丸ごとコピーしなくてはならない。そのとき使うソフトが、「コピーコマンダー8」と
いうソフト。

 で、以前はうまくいったのだが、今回は、何度トライしても、「現在、動作中のファイル
が、Cディスクにあります」という表示が出て、そこでストップしてしまう。つまり「動
作中のファイルがあるから、コピーできない」と。

 そんなはずはないのだが……。タスクマネージャーを見ても、動作中のファイルはない
はず……。やはりこのパソコンは、寿命なのか?

 ところで、パソコンの1年は、人間の10年に相当するとか?

 ……となると、このパソコンは、60歳で、寿命を迎えたということになる。少し若す
ぎる! 何とか、ビスタ(OS)が発売になるまで、使えればよいのだが……。


 しかしパソコンというのは、だましだまし使うもの。そのだましだまし使うところに、
また別の楽しさがある。何というか、人間と電子頭脳の知恵くらべのようなもの。

 早くビスタを載せたパソコンが、発売にならないかな。それを口実に、新しいパソコン
に乗りかえられる。発売予定は来年1月。待ち遠しい!


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【G県の裏金汚職問題】(2)

●自己愛者

+++++++++++++++

ジコチューが、極端なほどまでに
偏(かたよ)った人を、「自己愛者」
という。

このタイプの人は、一見、他人の
ために働くような様子をしてみせるが、
しかし、それも、結局は、自分のため。

自分をよく見せたいがために、
そうする。つまりすべての言動は、
計算づく。

自己愛者は、どこまでも自己愛者。
簡単には、なおらない。

+++++++++++++++

 G県の裏金問題が、さらに底なしの様相を見せ始めている。9月8日には、前知事のK
氏が、1か月ぶりに、(1か月ぶりにだぞ!)、公の場所に姿を見せ、(謝罪)した。

 しかし謝罪といっても、「事実関係については、棚上げにする」と答えたのみ。それに今
の段階では、「謝罪する」とか「しない」とかいうレベルの問題ではない。K前知事本人に、
大きな疑惑が向けられている。わかりやすく言えば、K前知事自身の、犯罪者としての責
任が問われている。

 謝罪ですむ段階ではない。

 「裏金をつくり、その裏金で飲み食いした」ということは、立派な、公金横領である! 
(横領だぞ! 犯罪だぞ!)それがわからなければ、どこかの泥棒が、県庁の金庫から、
17億円を盗んだことを想像してみればよい。

 そのK前知事だが、自分の責任を問われると、態度が変わったという。中日新聞による
と、「退職金返還の話になると、気色ばみ、それを否定した」(9月9日朝刊)ということ
だそうだ。

 退職金といっても、総額1億8000万円! (1億8000万円だぞ!)裏金も裏金
なら、退職金も退職金。こういう知事に牛耳られていた、G県人は、まことにもって、お
気の毒としか、言いようがない。もともと政治的には、保守的な地域。「保守的」というよ
り、「土着民族的」。何ごとも、オジチャン、オバチャンたちの「寄りあい談合」で決めら
れる土地がらである。

 たとえばなぜあの新幹線が、岐阜県内で大きく迂回(うかい)しているか、それを知っ
ている人は、今では少ない。もし新幹線が、名古屋からまっすぐ京都に向かっていたら、
東京〜大阪間は、今より、10〜15分ほど、短縮されていたという。

 あの新幹線を迂回させたのは、当時のG県出身の大野B氏(故人)と言われている。そ
の大臣の功績(?)にちなんで、新幹線のH駅(岐阜県内)には、今でも、大野B氏の銅
像が駅前に立っている。つまり政治的権力者たちが、好き勝手なことをしている。またそ
ういうことが、できる。県知事とて、例外ではない。それがG県といってもよい。

 今はそうではないかもしれないが、私が高校生のときですら、政治の話をするのは、タ
ブー視されていた。いわんや、お上にさからうなどということは、もってのほか! そう
いう風潮が、色濃く残っていた。

 で、中日新聞には、そのK知事の苦渋(?)に満ちた顔写真が大きく載っていた(9月
9日朝刊)。見るからに、誠実さのひとかけらもなさそうといった感じの顔だった。言うな
れば、タヌキ。タヌキはタヌキでも、大ダヌキ。そんな顔だった。

 当の本人は、高額の退職金返還について、「16年間命がけで県政に取り組んできた結果
だ」と、強く否定しているという(同新聞記事)。さらに裏金も返還についても、「県民に
見える形で誠意を示したい」と言いつつも、自身の返還額については、「責任に見合う負担
をしなければならない」と答えるにとどまっている。つまり使った分しか、返還しない、
と。

 もし本当に潔白なら、ふつうの人なら激怒するはず。「私もだまされた」とか、何とか。
激怒しないところに、うさん臭さが残る。

 またK前知事は、「命がけで……」と言うが、本当に、そうか? 自分の出世欲、名誉欲、
権勢欲を、あくまでも自分のために満たしてきただけではないのか。県知事という地位は、
そのための道具にすぎなかったのでがないのか(?)。そういう人を、心理学の世界では、
自己愛者という。自己中心性が、極端にまで偏(かたよ)った人のことをいう。

 このタイプの政治家は、身のまわりのありとあらゆる人たちを、自分のために利用する。
自分にとって、得な人か、損な人か、そういう損得勘定だけで、まわりの人たちの価値を
判断する。(もちろんK前知事がそうであったと言っているのではない。)

だいたい「命がけ」というくらいなら、なぜ退職金にこだわるのか。あるいは、命より、
お金のほうが大切とでもいうのか?

 それがいやなら、「命がけ」などという言葉を、軽々しく使わないことだ。

 まことにもって、実にお粗末な事件。結局この事件も、だれも責任を問うことなく、ま
た問われることもなく、うやむやのままの終わるのだろう。私が見るかぎり、攻める警察
にしても、どこか及(およ)び腰。県民の反応も、イマイチ。なぜか? なぜだろう? …
…というところに、この事件の根深さが隠されている。

まさにこの事件は、G県全体の体質にかかわる事件ということになる。この際、G県は、
徹底して、自らのウミを、外に出すべきだと、私は思う。私自身は、そのG県を離れて、
もう40年になるが、私が知るかぎり、いまだに、あの県だけは、40年前と、それほ
ど変わっていない。

 G市(G県の県庁所在地)は別として、一歩、地方に入ると、50年前のまま。ひょっ
としたら、戦前のまま。

 今こそ、そういう体質を変えるべきチャンスである。

 G県の人たちよ、もっと、怒れ! 怒って、怒りまくれ。そしてその(怒り)を、つぎ
の時代への礎(いしずえ)としたらよい!

【補記】

 見るに見かねてか(?)、今度この事件を、民主党の党本部(東京)が、調べることにな
ったという(9月11日)。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●体格検査

++++++++++++++++++++

私が中学生のときには、「体格検査」などという、
わけのわからない検査があった。

男子も、女子も、パンツ1枚になって、体育教師と
担任教師の前で、いろいろなポーズをとって
見せるという検査である。

もちろん健康診断や体力測定とは、ちがう。
パンツ一枚で、だ。
(男子も、女子も! 1年生から3年生まで、
約1400〜500人、全員! しかも毎年!)

そしてそのポーズの取り方まで、前もって
練習させられた。

1人ずつ生徒は、別の用意された個室に入り、
そこで両手をあげたりさげたり、体をひねって
みせたり、前にかがんでみせたり……。

何ともわけのわからない検査だった。
半世紀を越えて、今、ムラムラと、
そのときの怒りが、私の胸の中に充満してくる。

あのとき感じた、屈辱感。今でも、
私は、それを忘れない!

あれをセクハラと言わずして、何と言う!

4年前に、別のことで、こんな原稿を書いた。
その中で、私ははじめて、あのとき経験した
体格検査なる検査について、触れた。

++++++++++++++++++++
 
●母校意識
 
 S県のある町で、旧校舎の保存を求めて、町側と父母が対立している。で、町側が折れ、
保存を前提に、仮校舎の建設をした。そこで仮校舎に引っ越し、ということになったが、
これにも保存を求める父母側が反対した。

そこで「3学期の授業を保存が決まった本校舎で行うか」「当分は仮設の校舎を使うか」
で、今度は父母どうしが、はげしく対立しているという(02年12月末)。

 この事件の背景には、何か、もっと大きな問題が隠されているようだ。表面的な部分だ
けをみて判断すると、まちがいのもととなる。それにこのH市でも、小学校の統廃合につ
いて、市側と住民側が対立しているところがある。この問題は、部外者が考えるほど、単
純ではない。たいへんデリケートな問題と考えてよい。日本人にとっては、「学校」という
のは、特別の存在。日本人がもつ母校意識には、独特のものがある。

 H市のとなりにI町という町がある。そのI町にあるA小学校で講演をしたときのこと。
校長が学校のあちこちを案内してくれた。
「この校門は、地元のX氏が、私財を投じて作ってくれたものです。基礎の石を見てくだ
さい。これほど立派な石は、このあたりでも珍しいです」
「あの石垣を見てください。あの石垣は、村の人たちが総出でつくってくれたものです」
「学校のまわりの花壇は、このあたりの人たちが、毎日、交代で世話をしてくれています」
と。

 学校といっても、いろいろあるようだ。そしてこのA小学校のように、その地域の人た
ちの熱い思いが、歴史として、織りこまれているところがある。そういうところで、「母校
意識など、今どきムダなこと」などと言おうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 問題はこのことではなく、問題は、その先、というか、その中味。なぜ、日本人は、こ
うまで学校にこだわるかということ。その手がかりとして、私の子ども時代のことを書く。
 
 私が子どものころ、学校は、まだ絶対的な存在だった。学校の先生も、また絶対的な存
在だった。当時はまだ、戦前の軍国主義教育の面影が強く残っているころで、民主教育と
言いながら、親たちの学校をみる目は、戦前のままだった。

そういう中、たとえば生徒が、学校の先生にさからうなどということは、考えられなか
った。それこそ「裸になれ」と命令されたら、女子でも、裸になった。これは事実で、
私たちが中学生のときは、健康診断や体力測定のほか、体格検査というおかしな検査も
あった(G県M第1中学校)。

これは体育教師と担任教師の前で、1人ずつ、パンツ1枚の姿で、いろいろなポーズを
してみせるという検査だった。そしてとくに体格のよい生徒は、8ミリカメラ(動画)
で、体中を撮影されたりした。もちろん女子も、だ※。

 私がここで言いたいのは、今でも、そうした「絶対性」の片鱗(へんりん)が、残って
いるということ。そしてその片鱗が、あちこちで姿を変えて、今の母校意識というものを
つくりあげている。ひょっとしたら、冒頭にあげた校舎建てかえ問題もそのひとつかもし
れない。

部外者の私から見れば、「もう少し、気楽に考えたらよいのでは」と思うのだが、そうは
いかない。その気楽さの前にたちはだかるのが、ここでいう絶対性である。H市で起き
ている、学校の統廃合の問題にも、ここでいう絶対性がからんでいる?

 ……こう書くと、飛躍した意見に思う人がいるかもしれないが、不登校児の問題にも、
この絶対性がからんでいる。子どもが不登校児になったりすると、たいていの親は、まさ
に狂乱状態になる。なぜそうなのかと言えば、やはりそこに、「学校とは行かねばならない
ところ」という絶対性があるからではないのか。

 私の個人的な意見としては、母校意識というのは、その源(みなもと)で、江戸時代の
身分制度と結びついていると思う。思うから、過度な母校意識は、それなりに警戒したほ
うがよいと思う。

今でも、公官庁を中心に、そして学術の世界でも、学閥や学歴意識が、きわめて根強く
残っている。そういう意味での母校意識、もう少し正確に言えば、日本独特の「絶対性」
は、もう、なくすべき時代にきている。

 ヨーロッパでは、大学での単位は、完全に共通化された。高校、中学にしても、転籍は
自由。そういう時代が目の前にきている。だから私は、それほど、母校にこだわる必要は
もうないのではないかと思う。思うだけで、それ以上のことは言えない。

というのも、冒頭に書いたように、この問題には、デリケートな部分、もっと言えば、
私のような部外者では理解できないような、「住民たちの熱い思い」が、そこにこめられ
ている。そういう熱い思いは思いとして、理解してあげなければならないし、尊重して
あげねばならない。ものごとは、何でもかんでも合理的にというわけにはいかない。ま
たそういうふうに考えてはいけない。

 何ともあいまいな、どこか奥歯にものがはさまったかのような結論になってしまったが、
要するにこの問題は、当事者たちがみな、納得する形で解決するのが好ましい。一方的に、
だれかが決めるのではなく、また同じように一方的に反対するのではなく、話しあうのが
好ましい。

時間はいくらかかってもよい。また時間はかければかけるほどよい。これはまさに「意
識」の問題。その意識を理解し、変えるには、当然、時間がかかる。
(02−12−29)

【追記】

 先日、中学生たちが歌を歌ってくれと頼んだので、私は、舟木一夫の「高校三年生」を
歌ってやった。すると数分も歌わないうちに、皆が、「やめろ、やめろ!」と。

1人、「先生が高校生のときは、そんなつまらない歌を歌っていたの?」と言った子ども
がいた。たしかにそうかもしれないが、私にとっては、そうではない。それがここでい
う「熱い思い」なのである。仮につまらない歌であるにしても、それが私の人生の一部。
だから頭から「つまらない」と否定されると、私自身の過去を否定されたかのような気
分になる。

私がここでいう「デリケートな問題」というのは、そういう「思い」にからんだ問題を
いう。決して安易に考えてはいけない。

+++++++++++++++++++

 この体格検査について、それはずっとあとになってわかったことだが、そんな検査をし
ていたのは、母校のM市立M第1中学校および、いくつかの中学校のみということがわか
った。

 で、その証拠は、後日、ひょんなところから、手に入った。当時の記録(?)が、手に
入ったのだ。記録というよりは、一応学校でする検査だから、それなりのお膳立てという
か、弁解をするための記録とういったほうがよいかもしれない。肥満度、脊椎湾曲症など
の検査をするのが、一応、その目的となっていたようである。

 なお、ここに8ミリカメラ(動画)で撮影された話を書いたが、撮影された生徒につい
ては、当の本人より直接話を聞いている。体格のよい(?)生徒は、後日、別の日に学校
に呼ばれて、一人ずつ、裸で、体を撮影されたそうである。

 もちろん当時のことだから、ほかに、スティールカメラでの撮影もされているはずであ
る。

 こうした体格検査なる検査が、いかに、あやしげなものであるかは、その一部だけをと
りあげても、わかるはず。もし学校の教師が、女性となら女生徒でよいが、その生徒を個
室に呼び、パンツ一枚の姿にして、いろいろなポーズをとらせたら、あなたは、それをど
うとらえるだろうか。

 ここでいう体格検査というのは、そういう検査をいう。それにしても、あやしげな検査
だった。あのとき感じた、あの不愉快な思いだけは、今も、しっかりと胸の中に残ってい
る。

 
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【外国人の問題】

●窓の外へ、ポイポイとタバコの吸殻を……!

+++++++++++++++++

旧浜松市内(人口60万人、現在は合併に
より、80万人)だけでも、約3万人の外国
の人たちが住んでいる。

当初はどこか遠慮がちに住んでいたが、今は
ちがう。

堂々というか、我が物顔で住むようになって
きた。

+++++++++++++++++

 自転車で歩道を走っていたときのこと。車の窓から、3〜6個ずつ、タバコの吸殻を、
まとめて捨てている車に出会った。

 しかも車の中で掃除でもしているのか、数秒おきに、それを繰りかえしていた。パラパ
ラ、パラパラ……と。

 信号待ちでその車に追いついたので、注意してやることにした。見ると、タバコの吸殻
を捨てていたのは、助手席に座っていた若い女性だった。車を運転していたのは、若い男
性だった。

 一応、軽い笑顔をつくりながら、私は窓の下の、そのとき捨てたばかりの吸殻を指さし
て、こう声をかけた。「こういうことをしては、まずいのではないのですかねえ」「タバコ
の吸殻は……」と。

 が、若い女のほうが、逆ギレ! 突然、「Mxxx、Yxxx、Dxxx!」と、意味の
わからない言葉を、大声で怒鳴りかえしてきた。

 顔も姿も、まったく日本人のようだったが、P語を話す外国人だった。美しい顔だちを
していたが、中身は、どうか?

 私が相手にするような人間ではない。相手にしても、しかたない。私は、その場を無視
して、少し前に出た。私を追いかけてきて、けんかを売ってきたら、そのときは、そのと
き。私も本気で、怒鳴りかえしてやろうと思っていた。

 白い晩夏の日の光が、目にまぶしかった。信号が青になったので道路に出ると、まずそ
の車が、私を追い抜いていった。で、そのあとのこと。

 その車のすぐうしろの車を運転していた人も、それが気になったらしい。通りすがり、
クラクションを、小刻みに2度鳴らした。見ると、中年の夫婦が、車の中から、私に手を
振っていた。

 世の中、悪い人ばかりではないらしい。見ている人は、ちゃんと見ている!

 で、余談だが、この話を家に帰ってからワイフにすると、ワイフは、こう言った。

 「そういう連中は、相手にしてはダメよ。そういうことをして、殺されてしまった人も
いるから……」と。

私「いいや、ぼくは、あいつらに、のろい(=呪い)をかけておいたから、だいじょうぶ」
ワ「のろい?」
私「そう、のろいだよ。電柱に車をぶつけて、大けがをするという、のろいだよ、ハハハ」
と。

 しかしこの浜松市にも、外国人が多くなった。多くなりすぎた。それにつれて、以前は、
大半が出稼ぎ派だったが、今では定住派が主流になってきている。少数派だったときには、
まだ、それなりに遠慮がちなところも見られたが、最近は、そうではない。堂々してきた
というか、我が物顔で好き勝手なことをするようになってきた。それが目にあまるように
なってきた。

 このままでは、やがてこの浜松市でも、在来人(=日本人)と、渡来人(=外国人)と
の間で、衝突が起こるようになるかもしれない。すでにあちこちで、何かと摩擦を起こし
ているようだが、そのうち、その程度ではすまなくなるかもしれない。

 ちなみに浜松市における外国人登録者数は、3万0059人。人口の約3・7%。うち
B国人は、1万7255人(2005年、7月現在)。この数は、全国の都市の中で、もっ
とも、多い。

【補記】
 
 生活のリズム、パターンが、基本的な部分でちがうことが多い。金曜日の夜や土曜日の
夜などは、空き地でパーティを開いたりする。それを夜中の2時、3時までつづける。し
かもガンガンと音楽を平気で流す。

 どこかへ引っ越していくとき、(あるいは帰国するとき?)、ベッドなどの粗大ゴミを、
空き地などへ、平気で捨てていく。中には、車まで捨てていく人もいる。

私の家の近くでも、そういうことがあった。一度、警察に通報したあと、持ち主を調べ
たことがあるが、その持ち主(登記簿上の所有者)は、「ずっと前に、どこかの外国人に
売った車だから、知らない」と答えた。

念のため申し添えるなら、こと車に関しては、こういう言い訳は通用しない。だれに売
ろうが、登記簿上の所有者が、その責任を取ることになる。

 また私の家の近くに、市営の団地(4棟、約160室)があるが、今では、外国人専用
の団地になってしまった感じさえする。日本人の住居人が逃げ出し、そこへどんどんと外
国人が入ってきた。今は、まだ6(外国人)対4(日本人)の割合だそうだが、そのうち、
日本人の住居人は、ゼロになるのではないかと言われている。

 学校でも、いろいろと問題を起こしているようである。ある日突然入学してきて、また
ある日突然転校していく。教師と父母の連絡がうまくとれないため、「学校秩序そのものが、
破壊されていくように感ずる」とこぼした、小学校の校長もいる。

 さらに浜松市の調査によれば、約半数の子どもたちが、無保険状態にいるという。その
ため医療機関での診察、治療がじゅうぶんに受けられない子どもも多いという。

 しかし大切なことは、こうした事実を、マイナス要因としてとらえるのではなく、「では、
どうすればいいか」と、前向きに考えて、対処していくことではないか。

 たとえばこうした問題を解決するため、学校によっては、P語のわかる専門の通訳(=
就学支援員)を置くようになったところもある。また「言葉の教室」をもうけたり、「カナ
リーニョ教室」といって、日本語とP語の両方で授業を行う、バイリンガル教室などを、
もうけている学校も少なくない。

日本が国際社会で生き残っていくためには、外国人労働者の受け入れは、やむをえない。
少子化による労働者の不足を、こうした外国人が補うという役目もある。それに今は、
発展途上国かもしれないが、とくに南米のB国は、やがて中国、インドと並んで、経済
大国になると予想されている。資源は無尽蔵に眠っている。対日感情も悪くない。

 そういうことも考えて、つまり日本の将来も念頭に置きながら、対処していくことであ
る。たとえばこの浜松市では、「浜松市世界都市化ビジョン」なるものを策定し、外国人と
の「共生、協力、連携」などを、歌っている。

 このまま仲たがいするのではなく、彼らを日本の社会にじょうずに同化させていこうと
いうわけである。しかしもう少し、その歩調を速めてもよいのではないか。このところど
うも、日本人と外国人の関係がギクシャクしてきたように感ずるのは、はたして私だけだ
ろうか。

【付記】

 中には、短絡的なものの考え方をし、「(犯罪などが多くなるから)、外国人を追い出せ」
とか、「外国人が多くなると、日本人の職場が奪われる」とか主張する人がいる。

 しかしこれはとんでもない偏見と考えてよい。誤解と言ってもよい。日本が、今までの
ような経済的発展を維持し、これからも先進国として世界に君臨するためには、外国人労
働者は、必要なのである。ここにも書いたように、日本の社会の少子高齢化が進めば進む
ほど、必要なのである。

 よい例が、このあたりでは、みかん栽培がある。

 オーストラリアなどでは、その時期になると、外国人労働者を受け入れ、みかんの収穫
などの作業をさせている。が、この浜松市周辺では、それをしない。そのため、みかん栽
培農業者の高齢化の上に、人手不足が重なり、結局は、外国産のみかんに、市場を奪われ
てしまった。ほかにも身近な問題として、看護士の問題もある。

 もし外国人労働者を受け入れなかったら、日本は、どうなるか? 超・高コスト社会に
なったあと、(現在がそうだが……)、そのまま自滅の道を歩むことになる。あるいはその
前に、産業や工場は外国へ流出し、日本の空洞化が進むことになる。

 日本が日本として生き残るためには、外国人労働者は、必要なのである。そのため「浜
松市世界都市化ビジョン」には、おおいに賛成。この浜松市が、全国にさきがけて、その
モデル都市になったらよい。

 ……ということで、どこか外国人を批判するために書き始めたエッセーだが、やはりこ
こは「共存こそ重要」ということで、「タバコのポイ捨ての話」を、締めくくりたい。

日本人の中にも、タバコのポイ捨てをする人は、いくらでもいることだし……ネ。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10月 9日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page019.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育てポイント】

++++++++++++++++++

子育てポイントを2つ、
書いてみました。

++++++++++++++++++

●親孝行を美徳にしない

 日本では「親孝行」が、当たり前になっている。しかしそういう常識(?)の陰で、人
知れず、それに苦しんでいる人は多い。

親を前にすると体中が緊張する(34歳女性)、実家へ帰るのが苦痛(30歳女性)など。

しかし世の中には、親をだます子どもがいるが、子どもをだます親もいる。Tさん(7
0歳)がそうだ。Tさんは息子(45歳)がもっている土地の権利書を言葉巧みに取り
あげて、それを他人に転売してしまった。

権利関係が複雑な土地だったこともあるが、その息子はこう言う。「親でなかったら、訴
えているところです」と。が、当のTさんには、罪の意識がまったくない。間に入った
人がそれとなく息子の気持ちを伝えると、Tさんはこう言った。「親が息子の財産をつか
って何が悪い。私が息子たちにかわって、先祖や家を守ってやっているのだ」と。

 親孝行するかしないかは、あくまでも子どもの問題。もっと言えば、一対一の人間関係
が基本。「親が上で、子は下」という関係では、そもそも良好な人間関係など育たない。親
子はあくまでも平等だ。その基本なくして、親孝行はありえない。

言いかえると、親は、子どもを「モノ」とか、「所有物」として考えるのではなく、一人
の「人間」として認める。すべてはここから始まる。つまり親は子どもを育てながら、
自らも「尊敬される親」にならなければならない。

子どもが親を孝行するかしないかは、あくまでもその「結果」でしかない。さらに言い
かえると、子どもが親を軽蔑し、親孝行を考えなくなったとしても、その責任は子ども
にはない。そういう親子関係しか作れなかった親自身にある。きびしいことを言うよう
だが、親になるということは、それくらいたいへんなことでもある。

 親孝行を子どもに求める親というのは、それだけで、依存心の強い親とみる。「甘えてい
る」と言ってもよい。そういう親からは、自立した子どもは生まれない。

前にも書いたが、依存心というのは、あくまでも相互的なものである。そんなわけで子
どもを自立させたかったら、親自身も子どもから自立する。またそのほうが、結局は子
どもから尊敬される親になる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
孝行論 親孝行)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。

この世界、「教育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いてい
る。それに皆が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に
問題のある人もいる。さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、4
0歳前後で、20人に1人はいる。

このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そう
いうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。

あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも頭
をさげる。

あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集まる。
しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですか
ら……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが
勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。

あなたは子どものころ、あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。それに
相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、
よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつき
あいの大鉄則と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
如水淡交 親同士のトラブル 親どうしのトラブル 負けるが勝ち)


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【子どもの受験】

++++++++++++++++++++

子どもを愛することは難しい。
子どもを信ずることは、さらに難しい。

大切なことは、子どもを信じ、
子どもの心に耳を傾け、
子どもの心を知り、
友として子どもの横に立ち、
子どもといっしょに歩くこと。
それができる親を、賢い親という。
それができない親を、愚かな親という。

++++++++++++++++++++++

●不本意な結婚

 親は言う。「Xさん(男性30歳)は、すてきな人だから、結婚しろ」と。X氏の家系は、
その地域でも名が知られた財産家。祖父の代から、祖父、父親は、特定郵便局だが、その
郵便局の局長を勤めていた。

 しかしA子さん(女性22歳)は、結婚をためらっていた。ほかに好きな人がいたわけ
ではない。ないが、X氏が、自分のタイプではないことだけは、よくわかっていた。2、
3度会って、食事をしたこともあるが、どうもしっくりこない。会えば会うほど、自分の
心が乾いていくのを感じた。

 が、相手の親も、自分の親も、「結婚させたい」「結婚しろ」と。とくに母親は、毎日の
ようにグチを言った。「早く、孫の顔を見たい」「安心したい」「どうしてためらっているの」
「こんないい縁談はないのに」と。

 A子さんには、ほかにしたいことがあった。一度は都会に出て、自由な空気を吸ってみ
たかった。漠然(ばくぜん)とした思いではあったが、日を追うごとに、それがますます
強くなった。自分の心を覆うようになった。

 で、そういう状態が、半年近くもつづき、結局は、A子さんは、X氏と結婚してしまっ
た。「自分さえがまんすれば、みな、幸福になれる」と。

 しかし現実は、きびしいものだった。味気ない結婚生活。殺伐(さつばつ)とした夫婦
関係。家事をしていても、手が重い。ときに体が動かなくなることもあった。それを知っ
て、夫となったX氏は、毎日のように、A子さんを責めた。「お前は怠け者だ」と。A子さ
んは、自分の心がますます夫のX氏から離れていくのを感じた……。

●子どもの世界でも……

 ……これは夫婦の話だが、子どもの世界でも、これと似たようなことがよく起きる。こ
こでいうX氏を、受験校に置きかえてみると、それがよくわかる。

 親は「勉強しろ」と、一方的に言う。「SS中学校に入れ」という。親は、自分の知らな
いところで、進学塾の説明会に行き、勝手に申し込み書を出してしまった。「みんなが行く
から、あなたも行きなさい」と。

 子どもは言われるまま、進学塾に通い、受験のための勉強をする。分厚いテキストを与
えられる。毎日、毎晩、その宿題に追われる。その進学塾では、毎月、月末に学力テスト
が実施される。上位10番までの子どもは、塾からの通信に名前が載る。

 成績がよくても、安心してはおられない。少しでも成績がさがると、塾で並ぶ席が入れ
かわってしまう。さらにさがれば、AクラスからBクラスにさげらる。それをその塾では、
「マイナー落ち」と呼んでいる。メジャー(全国チーム)から、マイナー(地方チーム)
へ落ちることに似ているから、そう言う。

 こうして、たいはんの子どもたちは、勉強に追われるまま、悶々とした日々を過ごす。
心が晴れることはない。憂鬱(ゆううつ)な毎日。重苦しい毎日。たまの日曜日でも、家
で休んでいると、親は、すぐこう言う。「宿題はやっやたの!」「テスト勉強はしたの!」
と。少しでも親に反発しようものなら、すかさず、こう言いかえされる。「高い月謝を払っ
ているのは、私なんだからね」と。

 結局、SS中学校を断念し、AA中学校を受験。やっとの思いで入学したAA中学校だ
ったが、達成感がまるでない。満足感がまるでない。ある日母親が言った一言が、心を大
きく押しつぶす。母親はこう言った。

 「小さいころから、高い月謝を払って塾へ通わせたけど、ムダだったわね」と。が、そ
れですんだわけではない。

味気ない学生生活。殺伐(さつばつ)とした友人関係。勉強をしていても、手が重い。
ときに体が動かなくなることもあった。それを知って、母親は、毎日のように、子ども
を責めた。「あんたは怠け者だ」と。子どもは、自分の心がますます勉強から離れていく
のを感じた……。

●大切なことは……

 多くの……というより、ほとんどの親たちは、自分の子どもを、よりよい学校(?)に
入れることしか考えていない。それが自分の子どもにとって最善であると、信じて疑わな
い。が、つまるところ、親は、自分が感じている不安や心配を子どもにぶつけているだけ。

 が、こんな方法がうまくいくはずがない。仮にうまくいったとしても、つぎに今度は、
高校受験。さらにそこでうまくいったとしても、その先では大学受験。

 できる子どもはできる子どものレベルで、できない子どもはできない子どものレベルで、
勉強に追われる。息つくひまもない。休む間もない。で、こうして最後まで生き残る(?)
子どもは、数割もいない。たいはんの子どもたちは、その過程で、もがき苦しみ、心に大
きなキズをもって、ドロップ・アウトしていく。

 悲しいかな、世の親たちは、自分の子どもが成功することだけしか考えていない。失敗
したときの心のケアまで考えている親は、まず、いない。失敗といっても、ふつうの失敗
ではない。燃えつき症候群、荷卸し症候群、ピーターパン・シンドローム、ニート、引き
こもり、家庭内暴力、うつ病……。まさに何でもござれといった状態になる。

 怠学から非行に走るケースなどといったものは、まだよいほうだ。

 が、親にはそれがわからない。「うちの子にかぎって……」「まだ何とかなる……」と無
理をする。かりにその兆候が出てきても、「そんなはずはない」「まさか……」と見逃して
しまう。

 つまりこうして親たちは、やがて行き着くところまで行く。またそこまで行かないと、
気がつかない。いや、そういう状態になっても、まだ何とかしようと、あせる。子どもを
責める。脅(おど)す。自分のしてきたことは、すべて棚にあげて……。そしてこう言う。

 「私は子どものために、一生懸命しています」と。

 ……とまあ、否定的なことばかり書いたが、しかし今、こうして子育てで失敗していく
人が、あまりにも多い。本当に、多い。が、私のような者が、いくら叫んでもムダ。それ
はたとえて言うなら、流れる川の中で、一本の旗を立てるようなもの。流れを止めること
はもちろん、流れを変えることさえできない。

 明治の昔から、あるいはそれ以前から、日本人の体の中には、体質として、出世主義、
それにまつわる学歴制度が、しみついている。職業による身分制度的な意識も、まだ残っ
ている。それが親から子へと、代々と、引き継がれている。今、感じている、あなたの不
安や心配にしても、それはあたながあなたの親から引き継いだものである。

 そういう意味でも、世代連鎖というのは、恐ろしい。無意識のうちに、親から子へと、
そしてまわりの環境の中で、あなたに伝えられていく。が、ここで止まるわけではない。
勉強を嫌い、勉強から逃げているあなたの子どもでさえ、今度は自分が親になると、自分
の子ども(あなたから見れば孫)に対して、同じようなことをするようになる。

 それがわからなければ、あなた自身の過去をみることだ。それともあなたは、子どもの
ころ優等生で、勉強が好きだったとでもいうのだろうか。そういう人もいなくはない。が、
もしあなたが、「私は受験勉強が楽しかった」「みなを順位で負かすのが、気持ちよかった」
と思っているなら、同時に、あなたは、あなた自身の人間性を疑ってみたらよい。

 きっと、あなたの心は、冷たく、点数だけで人を判断するような人かもしれない。ある
いはどこか、心の欠けた人かもしれない。あなた自身は、それに気がついていないかもし
れないが……。

 ともかくも、中学時代に経験していた高校受験が、今では、小学時代に中学受験で経験
するようになった。3年、それが早まったということになる。

 中学生ともなると、親の言うことを聞かなくなる。だから小学生のうちに……というこ
とではないと思いたいが、しかしそれだけに、この時期、一度、つまずくと、あとがない。
それだけ大きく、子どもの心をキズつける。へたをすれば、生涯にわたって、その子ども
をうしろ向きに引っ張りつづけるかもしれない。ハキのない、ナヨナヨとした人生観の子
どもにしてしまうかもしれない。

 子どもの教育で重要なことは、(1)子どもの心の灯(ひ)をともし、(2)楽しませ、(3)
能力を引き出すことである。

 子どもを脅し、成績をつけ、順位でおいまくるような教育は、教育ではない。家畜の訓
練でも、そんなバカなことはしない。仮に「進学塾へ……」ということを考えることがあ
ったとしても、親は、1歩さがって、慎重に判断したらよい。子どもよっては、よい刺激
になることもないわけではない。またこの日本では、進学競争を無視して生きるというの
も、たいへんなことである。

 大切なことは、子どもを信じ、子どもの心に耳を傾け、子どもの心を知り、友として子
どもの横に立ち、子どもといっしょに歩くこと。それができる親を、賢い親という。それ
ができない親を、愚かな親という。進学塾へ行く、行かないは、あくまでもその結果とし
て考えることである。

 やがていつか、今の子育ても終わるときがやってくる。そのとき自分の過去、自分の子
育てを振りかえってみて、その中で光り輝くのは、自分の子どもを信じきった、愛しきっ
た、守りきったという、親としての実感である。

 見栄、メンツ、世間体に引きずられて、「勉強しろ」「勉強しなさい」と子どもを叱りつ
づけた思い出ほど、自分の過去を汚すものはない。それであなたの子どもが、一流大学に
進学したとしても、だ。その汚点は消えることなく、死ぬまでつづく。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の受験 受験 灯をともし、引き出す 親の宿命)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【教えにくい子ども】

+++++++++++++++++++

育てやすい子ども、育てにくい子どもというのが、いる。
それについては、少し前に書いた。

その原稿を、S市に住む、W先生(男性教師)が読んでくれた。
そしてこんな話をしてくれた。

+++++++++++++++++++

育てやすい子ども、育てにくい子どもというのが、いる。それについては、少し前に書
いた。

その原稿を、S市に住む、W先生(男性教師)が読んでくれた。そしてこんな話をしてく
れた。

 「教えにくい子どもというのも、いますね。いろいろなタイプの子どもがいますが、最
近、こんなことがありました」と。

 ある日、突然、その子ども(小3・女児)の母親が、職員室へ飛びこんできたという。
ものすごい剣幕だった。そこで応対した教頭は、その様子に驚き、授業中だったが、W先
生を職員室へ呼んだ。

 「何ですか?」と聞こうとする間もなく、その母親は、こう怒鳴ったという。「あなたは、
うちの子を殴ったそうですね。それも頭を!」「うちの子は、寝る前になって、シクシクと
泣いていましたア!」と。

  青天の霹靂(へきれき)とは、まさにそのこと。W先生には、まったく身に覚えがな
かった。しかも母親の言い分に耳を傾けるだけで精一杯。その母親は、興奮状態だった。
一方的に、まくしたてた。

 で、一通りあやまったあと、その場は教頭の取りはからいで、何とか、すますことがで
きた。が、どうしてそうなったか、W先生には、まったく理解できなかった。その母親の
子どもを、U子としておく。そのU子を、殴った覚えどころか、叩いた覚えもない。体に
触れたという記憶さえない。

 が、思い当たることが、ひとつだけ、あった。

 ふつう「すなおな子ども」というときは、(心の様子=情意)と、(顔の表情)が一致し
ている子どもをいう。このすなおさに欠けるようになると、(情意)と(表情)が、一致し
なくなってくる。

 どこかニンマリと笑っているような感じになる。いやなはずなのに、穏やかな表情をし
て、それに黙って従ったりする、など。教える側からすると、心がつかみにくくなる。何
を考えているか、わからないといったタイプの子どもになる。

 原因は、おしなべて家庭環境にある。とくに母子関係にある。

 威圧的な育児姿勢、過干渉、過関心などなど。要するに、親子、とくに母子関係の不全
を疑う。子どもは、母親の前で仮面をかぶることを覚え、それがひどくなると、外の世界
でも、自分を調整できなくなる。

 U子も、そんなタイプの女の子だったという。数の上では、決して少なくない。10人
もいれば、その中に、必ず、1人や2人は、いる。

 で、その前日、つまりその母親が怒鳴りこんでくる前日、こんなことがあったという。

 毎週、「X」という授業がある。その学校独自の授業で、それには、毎回、家族の協力が
必要であった。が、U子は、つづけて、その忘れ物をした。そこでW先生が、U子にこう
言ったという。

 「明日は、ちゃんと、もってきてくださいよ。もし忘れたら、ぼくのほうから、お母さ
んに電話をして頼んであげるから」と。

 W先生にしてみれば、軽いおどしのつもりだったという。が、(多分?)、U子は家の中
では、まったく別の反応を示した。

 (母親への不満)→(学校へ行くのがおっくう)→(先生に何かを言われるのが苦痛)
→(反撃!)と。

 U子は、W先生の悪口を言い始めた。それが「先生が、私を殴った」という言葉になっ
た。が、U子にしても、まさか、自分の母親が、学校まで怒鳴りこんでいくとは、思って
もいなかったらしい。ことが、おおげさになってしまった!

 こうしたケースでは、しばらく間をおくのが、よい。U子について言えば、そっとして
おくのが、よい。時間がたてば、みな、冷静になる。

 しかしそれからというもの、W先生は、U子については、あたかも腫れ物に触れるかの
ようにして、教えなければならなかったという。

 「何を考えているかわからない子どもを教えることほど、不気味さを感じさせるのはあ
りません。私のちょっとした不用意な言葉が、とんでもない方に、曲解されてしまうから
です。こわいです」と。

 さらに不幸なことに、U子の母親自身が、それに気づいていなかった。職員室では、「う
ちの子は、ウソをつくような子ではない」「あなたはうちの子がウソつきだと言うのかア!」
と、教頭やW先生に、かみついてきたという。

 あのシェークスピアも、こう書いている。「己の子どもを知るは賢い父親だ」(ベニスの
商人)と。

 以前、こんな原稿を書いたことがある。

+++++++++++++++++++

●子どもを知る

 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と書いたのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。

親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてし
て子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。

 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。

ある夜1人の父親が、A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、
うちの子が不登校児になってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがん
ばったが、A君は学校でもいじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本
当に多い。

子どもの姿を正しくとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。
たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか「調子が悪かっただけ」と。

そう思いたい気持ちはよくわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いな
おす。子どものばあい、(やる・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではな
いが、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎ
のようにして判断する。

 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。

そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れる。早
ければ早いほどよい。そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪
循環の中で、子どもの成績はますますさがる。

要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめると、それまで見え
ていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう「賢い父親」とい
うのは、そういう父親をいう。

+++++++++++++++++++

 つまりこういう子どもの親にかぎって、自分の子どもを見ていない。知らない。外の世
界では、柔和な表情をしているので、かえって、「うちの子は、できのいい子」と思いこん
でしまう。

 W先生は、こう言った。「教えにくい子どもというのは、たしかにいます。しかし何とか
対処できる子どもなら、まだ教えることができます。しかしU子のような子どもは、教え
にくいというか、教えていても、心底、神経をすり減らします」と。

 わから、わかる、その気持ち。

 子どもをそういうタイプの子どもにしないように、私の教室では、大声を出させたり、
大声で笑わせたりする。その時期は、年中〜年長のころがよい。年長児でも、夏休みを過
ぎるころから、急に少年、少女ぽくなる。それに従わなくなる。人格の「核」ができ始め
るからである。

 この「核」、心理学でいうところの、「コア・アイデンティティ」ができると、子どもの
心をいじることはできない。またいじってはならない。へたにいじると、子ども自身が、
自分に自信をなくしてしまう。ついでながらそういう状態を、心理学では、「同一性の危機」
と呼んでいる。

 W先生は、こう言った。「これからさまざまな問題を、いろいろ起こすでしょうね。が、
そのたびに、親や教師は、そういう子どもに振りまわされる。いつか親も、それに気づく
ときがくるかもしれませんが、そのころには、親子関係は、すでに破壊されているでしょ
うね」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
何を考えているかわからない子ども 仮面をかぶる子供 子供の仮面)

+++++++++++++++++

コア・アイデンティティについて
書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++

●自己同一性(アイデンティティ)

 若いお母さんでも、「アイデンティティ」という言葉を口にする時代になった。すごいこ
とだと、私は思う。「みんな、勉強しているんだな」と思う。

 そこでもう一度、そのアイデンティティについて、考えてみたい。日本では、「自己同一
性」と訳されている。

【アイデンティティ】

 もともとは、エリクソンが提唱した、精神分析概念をいう。他人とはちがう、本当の自
分、あるいは「自分らしさ」をいう。

 アイデンティティの確立した人は、自己の単一性、連続性、不変性、独自性の感覚があ
るという(「日本語大辞典」)。そしてその結果、「ある特定の対象や集団との間で、是認さ
れた役割と連帯感がもてる」(同)ようになるという。

 順にかみくだいて、考えてみよう。

(1)自己の単一性

 わかりやすさ……簡単に言えば、そういうことになる。「わかりやすい」というのは、「こ
の子は、こういう子だ」という、つかみどころをいう。教える立場でいうなら、「こういう
ことをすれば、この子は喜ぶだろうな」というふうに、予測のたてやすい子どもというこ
とになる。

(2)連続性

 いつも同じ調子であること。気分にムラがなく、性格や気質が安定している。感情が変
化することがあっても、「なぜそうなるのか」「なぜそうなったのか」ということが、わか
りやすい。突然、わけのわからないことをする……ということがないことをいう。

(3)不変性

 いわゆるシンのしっかりした子ども、ということになる。自分の意見をもち、その意見
に従って、行動する。フラつきがなく、目標に向ってがんばることができる。約束も、し
っかりと守る。

(4)独自性

 日本的に言えば、個性のこと。集団の中にいても、その子どもらしさが、光ることをい
う。他人と協調しながらも、いつも「私」をもっている。独自性のない子どもは、どこか
軟弱。その場、その場で、他人に迎合したり、同調したりする。

 こうしてアイデンティティの問題を考えていくと、いつも、「では、私はどうか?」とい
う問題に行きつく。

 実のところ、この私は、そのアイデンティティが、軟弱な人間といってよい。ときどき、
自分にさえ、自分がどこにいるかわからなくなることがある。犬にたとえていうなら、だ
れにでもシッポを振る。そんな人間である。

 そういう私だから、若いころは、集団とのかかわりが、苦手だった。いや、表面的には
社交的で、だれとでもうまく交際した。愛想もよく、口もじょうずだった。だから私が、「実
は、本当のことを言うと、ぼくは、集団が苦手だ」などと言うと、みんな、「ウソつけ」と
か、「そんなはずはないだろ」とか、言ったりした。

 しかし本当の私は、そうではなかった。自分をさらけ出せない分だけ、集団の中では疲
れた。エリクソンが唱えるところの、単一性、独自性に欠けた。

 なぜ、私がそうなったかといえば、理由はいろいろ考えられる。しかし自分の記憶をい
くらたどっても、満5、6歳を境に、それ以前は闇に包まれてしまう。自分を客観的に見
ることができない。そんなわけで、あくまでもこれは私の推察によるものだが、私は、き
わめて精神的に貧しい乳幼児期から幼児期を過ごしたのではないかと思う。

 で、こうしたアイデンティティは、いつも集団とのかかわりの中で、評価される。いく
らアイデンティティがあっても、集団とうまくかかわれないというのであれば、それはア
イデンティティとは言わない。「ある特定の対象や集団との間で、是認された役割と連帯感
がもてる」ということが、重要になってくる。

 つまりは、個人と集団との調和が、エリクソンの説く、アイデンティティということに
なる。「私がすべて。私以外は、みな、無価値」と考えるのは、アイデンティティでもなん
でもない。ただの独善という。

 そのアイデンティティを、子どもの中に育てるためには、どうするか?

【アイデンティティを育てる】

 アイデンティティをどう育てるか……というよりも、どうすれば、アイデンティティを、
つぶさないですむかと考えるほうが、実際的である。

 というのも、このアイデンティティは、自然な状態では、どの子どもも、みな、平等に
もっている。それが、親の過干渉、過関心、溺愛、過保護、さらには育児放棄、否定的な
育児姿勢の中で、つぶされてしまう。そういうケースは、少なくない。

 たとえば否定的な育児姿勢を考えてみよう。

 A子さん(年中女児)が、「私は、おとなになったら、花屋さんになりたい」と言ったと
する。そのとき大切なことは、「そうね、花屋さんって、すてきな仕事ね」と、親はそれを
前向きにとらえてあげる。

 そういう育児姿勢の中で、子どもは、自分の役割を、前向きに形成していくことができ
る。自分で花の本を読んだり、種を育ててみたりする。

 が、このとき親が、「花屋さんなんて、ダメ」「あなたは算数教室と英語教室に行くのよ」
と、それを否定したとする。(否定するつもりはなくても、否定することがあるので注意す
る。)

 すると子どもは、自分の意思に自信がもてなくなり、ばあいによっては、自己否定した
り、さらに罪悪感をもつようになる。役割混乱から、情緒不安定になることもある。

 よくある例は、親が、子どもの進路を勝手に変えてしまうようなケース。「成績がさがっ
たから、サッカークラブをやめなさい」とか、「受験が近づいたから、バスケットクラブを
やめなさい」とか言うのが、それ。子どもによっては、あたかも山が崩れるかのように、
人格そのものを、崩壊させてしまうことがある。

 が、実際のところ、否定的な育児姿勢といっても、それは日常的なものである。そして
さらにその背景はといえば、親の子どもへの不信感がある。「うちの子は、何をしてもだめ」
という不信感が、姿を変えて、否定的な育児姿勢になることが多い。

 そしてそれは、言葉によるというよりは、あくまでも「親の姿勢」によるところが大き
い。たとえば、こんな会話。

親「そのお弁当箱を洗っておいてよ。いいこと、しっかり洗うのよ。どうせあなたのこと
だから、いいかげんな洗い方をするのでしょうけど……」

親「やっぱり、いいかげんな洗い方ね。もう一度、洗いなさい。あれだけしっかり洗いな
さいと言ったのに、どうして、しっかりと洗えないの。ほら、まだごはんの食べカスが残
っているでしょ」

親「あんたみたいな子はね、ずるいから、いつか悪いことをして、警察につかまるかもし
れないわよ。そうなったとき、お母さんの言っている意味が、はじめてわかるのよ」と。

 過干渉にしても、過関心にしても、同じように考えてよい。子どもへの不信感が、子ど
もへの過干渉になったり、過関心になったりする。ここでいう否定的な育児姿勢になるこ
ともある。

【いつも前向きに……】

 エリクソンは、こう説く。

 赤ん坊がおなかをすかして泣いたとき、すかさず母親が乳を与えたとする。すると子ど
もは、自分が泣くことで、母親を動かしたことを知る。

 あるいは赤ん坊がおむつをぬらして、同じように泣いたとする。母親はそれを見て、お
むつをかえたとする。すると子どもは、自分が泣くことで、母親を動かしたことを知る。

 こうした一連の行動をとおして、赤ん坊は、自分が求められていることを知る。「自信」
という言葉が適切かどうかは知らないが、子どもは自分に自信をもつようになる。「安心感」
と言いかえてもよい。この自信や安心感が、「核(コア)」を形成する。

 エリクソンは、それをそのまま、「コア・アイデンティティ」と呼んだ。

 が、反対に、赤ん坊が泣いたとき、それをそのつど、否定したらどうなるだろうか。赤
ん坊がおなかをすかして泣いたとき、無視したり、冷淡にあしらったりする。あるいは、「待
っていなさい!」と叱って、あとまわしにしたりする。

 そうなると、子どもは、自分のしていることに自信がもてなくなる。不安になる。「私は
まちがったことをしているのではないか」と思う。この状態が、子どもから、(私らしさ)
をうばっていく。

 が、それだけではすまない。

 このコア・アイデンティティは、まさにその人の核(コア)になる。子どもというのは、
この核をふくらませる形で、年齢とともに成長していく。もっとわかりやすく言えば、母
子関係を、やがて、たとえば、先生との関係、友人との関係へと、応用していく。

 が、最初の段階で、つまり母子との関係で、核(コア)づくりに失敗した子どもは、た
とえば、先生との関係、友人との関係で、良好な人間関係を結べなくなる。ここでいうア
イデンティティも、同じように考えてよい。

 もうおわかりかと思う。

 子どものアイデンティティを育てるためには、いつも子どもを前向きにほめていく。と
くに乳幼児期は、「子どもを、こうしよう」「ああしよう」と考えるのではなく、ありのま
まを認めながら、「それでいいのだ」と教えていく。

 この時期は、多少、うぬぼれ気味、自信過剰気味のほうが、あとあとその子どもは、伸
びる。「ぼくは、すばらしい人間だ」「私は、何でもできる」と。そういう思いが、ここで
いうアイデンティティを明確にする。そしてそれが、その子どもを、さらに前向きに伸ば
していく。

 最後に私のばあいだが、私は、30歳をすぎるころから、自分さがしを始めたように思
う。それまでの私は、私が何であるか、どこにいるか、何を望んでいるかさえ、よくわか
らなかった。

 が、40歳をすぎるころからは、そのつど、居なおるようになった。たとえば私は、あ
のパーティが苦手だった。酒を飲めないこともある。大声で騒ぎながら、意味もないゲー
ムをしたり、歌を歌ったりする……。苦手というより、苦痛だった。

 だからそのころから、そういったパーティに出るのをやめるようにした。「私は私だ」と。

 それまでの自分は、みなに嫌われたくない。好かれたい。そういう思いを優先させ、が
まんしていた。が、そのがまんをするのを、やめた。

 この傾向は50歳をすぎてから、さらに強くなった。「私は、もっと私らしく生きるぞ」
と思うようになった。が、だからといって、自分のアイデンティティを確立したわけでは
ない。今でも、ふと油断すると、自分がどこにいるかわからなくなるときがある。

 そういう意味で、この問題は、まさに10年単位の問題と考えてよい。もしこの文章を
読んでいるあなたが、同じような問題をかかえているとしたら、10年単位で考えたらよ
いということ。決して、1年や2年で解決する問題ではない。

 ここでいうアイデンティティの問題には、そういう問題も、含まれるということ。

(はやし浩司 アイデンティティ アイデンティティー 自己同一性 コア コアアイデ
ンティティ コア・アイデンティティ エリクソン)
(040615)

【追記】

 今、ふと思ったが、私の年代の人間には、私のようにヘラヘラと、やたらと愛想がよく、
だれにでもシッポを振る人間が多いのでは……?

 戦後の貧しい時期に育児を経験したためかもしれないが、ひょっとしたら、あのギュー
ギューのつめられた、寿司詰め教育にも、その原因があるのではないか、と。

 私の時代には、50人クラスが当たり前だった。中学校のときは、1クラス55人だっ
た。

 いつも先生が、何かをガンガンと叫んでばかりいたような気がする。考えてみれば、そ
れもそうで、先生もたいへんだったなあと思うと同時に、ああいう世界では、そもそもア
イデンティティをもつことすら、許されなかったのではないか。

 あくまでも、今、ふとそう思ったというだけのことだが、近く、この問題についても考
えてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アイデンティティ 同一性 自己同一性)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(9月7日記)

●食べ物を残す

++++++++++++++++

「うちの子は小食で困っています」と
こぼす親は、多い。

しかし……?

++++++++++++++++

 私には3人の息子がいる。その息子たちに繰りかえし教えてきたことは、「食べ物は、残
さず食べなさい」だった。

 しかし今にして思うと、それが正しかったのかどうか、よくわからない。

 二男、三男は、私の言いつけをよく守り、今でも、最後の最後まで、そこに食べ物があ
れば、食べてしまう。一方、長男は、子どもときから、食べたい分だけ食べて、あとは平
気で残してしまう。その結果だが、長男は、いつも適正体重。ずうっと、スマートな体を
維持している。が、二男、三男は、油断すると、すぐ太る。肥満体になる。

 かく言う私は、戦後直後に生まれた人間ということもあって、(食べ物を残す)というこ
とについて、かなり強い抵抗感を覚える。だから今でも、ワイフの作ってくれた料理は、
すべて食べてしまう。残り物を見つけると、無意識のうちにも、それを口に入れてしまう。

 そのため、いつも、肥満→ダイエット→リバウンド→ダイエットの繰りかえし。

 で、先月、幼児クラスで、「よいこと・悪いこと」をテーマにして、それを子どもたちに
教えた。

あらかじめ、親たちからアンケートを取っておいた。で、その中に、こういうのがあっ
た。

 「うちの子は、食べ物をよく残します。全部食べるように、先生のほうから、よく指導
しておいてほしい」と。

 私はそれを読んで、考えこんでしまった。

 たしかに食べ物を残す、つまり粗末にすることは悪い。しかし一方、言われるまま、全
部を食べてしまうのも、よくないのではないか、と。

 適正な食事の量は、その子ども(人)の体(食欲)が、決めること。そういうメカニズ
ムがどこかで働いて、子どもは自分が食べる食事の量を、自然に調整する。そう考えると、
子どもが、あるところで箸をおき、食べるのをやめたとしても、つまり結果的に食べ物を
残すことになったとしても、それを「悪いこと」と決めてかかることもできないのではな
いか。

 今にして思うと、そう思う。

 だから長男のばあいは、食卓に並べる量を、やや少なめにしている。それで足りなけれ
ば、長男は、自ら、台所へ行き、食べ物を補っている。その判断は、長男に任せている。

 「うちの子は、食べ物をよく残す」とこぼす親は多い。しかしそれがその子どもにとっ
て適正な量であれば、それ以上、無理に食べさせるのも、よくないのではないか。小食の
問題も、同じように考えてよい。家庭によっては、基準そのものがちがうこともある。

 びっくりするような量の食事を出しておきながら、「うちの子は、小食で困っています」
とこぼす親は、多い。見ると、親も、そして子どもも、丸々と太っている!

 要は、健康であればよいということ。とくに子どもの腸は、おとなのそれより、はるか
に効率よく働く。栄養の吸収率が高い。だから見た目には小食であっても、それで元気な
ら、それでよしとする。

 「残さないで、ぜんぶ食べなさい!」と子どもに強要するのは、少し、考えものである。


●骨ツボ

++++++++++++++++++

今度愛知県の瀬戸市で、「せともの祭り」
なるものがある。

私とワイフは、そこへ行くつもり。

目的は、ズバリ、骨ツボさがし。

「骨ツボにいい焼き物があったら、
それを買ってこよう」と。

++++++++++++++++++

 今度、愛知県の瀬戸市で、「せともの祭り」なる祭りがある。「瀬戸物の瀬戸市」である。
土日をかけて、盛大に祭りが行われるらしい。

 で、私とワイフは、そこへ行ってみることにした。目的はズバリ、骨ツボさがし。私た
ち夫婦が入る、骨ツボである。

 私もワイフも、形、色など、それぞれいろいろな思いがある。しかし私は、ワイフの好
みに任せるつもり。私自身は、小さな花瓶でもよいと思っている。あるいは、何でもよい。

 私が先に死んだら、そのツボの中に先に入る。管理は、ワイフに任せる。ワイフが先に
死んだら、ワイフが、そのツボの中に先に入る。管理は、私が死ぬまで、私がする。あと
のことは、息子たちに任せる。

 2人の遺灰が入ったら、そのまま、海に捨ててもよし、山にまいてもよし。自由にすれ
ばよい。

 このことを、今朝(9月7日)、朝食のときワイフに言うと、ワイフは、こう言った。

ワ「そんな話、マガジンに載せないでよ」
私「当然、書くよ」
ワ「だってエ〜」と。

 どうやらワイフは、私といっしょの骨ツボには、入りたくないらしい。考えてみれば、
その気持ち、よ〜くわかる。

 一生の大半を、「私」という小うるさいダンナのそばで、棒に振った。死んでからも、ま
たいっしょとなると、いやだろうなと思う。せめて死んだあとくらいは、自由になりたい。
ワイフの気持ちは、よくわかる。

 まあ、何か目的があれば、旅行も楽しい。食器といっても、今、ほしいものは、ほとん
どないし……。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●金xxの健康状態

++++++++++++++

やっぱり、金xxの健康状態は
よくないらしい。

何も金xxの健康を心配して
いるわけではないが……。

++++++++++++++

 金xxの健康状態が、かなり悪いらしい。(私の予想通りだった!)

 韓国の野党ハンナラ党の鄭亨根(チョン・ヒョングン)最高委員は、6日、つぎのよう
に述べている(ヤフー・ニュース)。

K国の金xxの健康悪化説に関連し、「金xxは肝臓と心臓が良くなく、糖尿がひどいた
め正常に歩くのは難しい」(慶尚北道慶州で開かれた党蔚山支部の勉強会で)と。北朝鮮
の動向について説明した。 

 鄭最高委員によると、「金総書記は20〜30センチメートル歩くたびに座って休まなけ
ればならないため、いすを持ってついて回る秘書がいる」ということらしい。もっとも
この説を、韓国の国家情報院は否定しているが……。

 このことを考慮に入れると、なぜ金xxを乗せた特別列車が、中朝の国境当たりで、行
ったり来たりしているかがわかる。中国側は、「金xxを招待した覚えはない」と断言して
いる。一方、韓国側は、「金xxの訪中は近い」と、繰りかえし報道している。

 わかりやすく言えば、金xxが訪中するのは、政治的目的からではなく、あくまでも個
人的な治療のためということになる。

 それにしても「20〜30センチメートル歩くたびに座って休まなければならないため、
いすを持ってついて回る秘書がいる」とは! いったい、金xxは、どういう歩き方をし
ているのだろう?

【訂正】今日の午後、再び同じニュースを見ると、「20〜30センチ」が、「20〜30
メートル」に訂正されていた。当初の「20〜30センチ」は、翻訳ミスと思われる。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●金xx、私の推理

+++++++++++++++

9月7日現在、K国の金xxは、
どこにいるのか。

どこにいて、何をしているのか?

現在、謎が謎を呼ぶ展開になっている。

+++++++++++++++

 K国の金xxは、現在、どこにいて、何をしているのか? これについての、私の推理
は、こうである。

 まず、それを書く前に、いくつかの(事実)を集めてみる。

(1)韓国の有力紙、中央日報は5日朝刊で、複数の外交消息筋の話として、K国の金x
xの特別列車がP市を出発し、中朝国境近くの新義州駅に到着したことが確認されたと報
じた(毎日新聞)。

(2)「金総書記の乗った専用列車が新義州に停車中」とし、「早朝に鴨緑江を経て、中国
丹東を越えた前例があることから、5日頃には訪中する可能性が高い」という(朝鮮N報)。

(3)国政府は6日、訪中間近とされるK国の金xxが、5日に中国国境付近の平安北
道新義州から別地域に移動したことを、衛星写真を通じ正式に確認したと明らかにした(聯
合)。

(4)中国外交部の秦剛報道官は5日の定例会見で、K国の金xxの訪中説を強く否定し
た(聯合)。

(5)一部のメディアは、金xxの特別列車が中国国境近くの都市、K国・新義州に到着
したことから、金xxが近く訪中するだろうと報じていた。しかし、新義州対岸の中国・
丹東では駅周辺の警備体制は強化されておらず、北朝鮮から特別列車が到着すると思わせ
る兆(きざ)しは一切ない(聯合)。

 金xxは、現在、どこにいて、何をしているのか。その謎を解くカギをにぎるのが、(1)
特別列車の動きと、(2)金xxの病状である。

 その特別列車は、8月末、一度中朝国境を越え、ペキンに停車している。これはアメリ
カの軍事衛星などによって、確認されている。

 つぎに金xxの病状だが、「(持病が悪化して)、歩くのも困難な状態」という(聯合)。

 以上の事実を、もう一度、まとめるとつぎのようになる。

 まず金xxが乗る特別列車が、中国のペキンへ行った。しかしその列車は、K国までも
どってきた。その列車には、金xxは、乗車していなかった。現在、その特別列車は、K
国と中国の国境近くにある、新義州に停車している。

 その新義州周辺で、金xxが、軍を視察しているという報道が流れた。

 しかしその特別列車は、新義州周辺で停車したまま。金xxの病状は、かなり悪いらし
い。韓国野党のハンナラ党の鄭最高委員によると、「金総書記は20〜30センチメートル
歩くたびに座って休まなければならないため、いすを持ってついて回る秘書がいる」とい
うことらしい。

 以上、これらの事実を総合すると、こうなる。これはあくまでも私の推理である。また
こうした見方をしている報道は、今のところ、ほかに、ない。

【私の推理】

 中国のペキンまで向かった特別列車は、そこで、金xxの持病を治療するための検査機
器、治療機器一式、それに中国のドクターたちを乗せて、K国までもどってきた(8月下
旬)。

 金xxは、現在、列車の中で、その診断および治療を受けている。が、金xxの病状は、
予想以上に悪いらしい。それで万が一に備えて、つまり万が一のときは、すぐペキンの大
病院へ移れるように、列車ごと、国境近くの町で待機している。

 これは私の個人的な推理だが、しかしこう考えると、一連の謎が、きれいに説明できる。
が、こう考えると、また別の謎がわいてくる。

 こんな簡単な推理を、なぜ、韓国、日本の外務省ができないかということ。少し頭を働
かせば、だれにもわかること。が、そういう推理をいっさいしないで、ああでもない、こ
うでもないと、どこか的ハズレな議論ばかりしている。金xxは、(まとも)という前提で、
でだ。「中朝の関係改善のため」とか、「核実験の了解を求めるため」とか、など。

 しかし金xxの精神状態は、すでに狂っているとみてよい。脳性障害が起きている可能
性すら、ある。そんな金xxが、中国の首脳と会って、まともな話しあいなど、できるわ
けがない。

 が、なぜか、韓国政府も日本政府も、この問題に、あえて触れようとしない。触れよう
としないばかりか、毎日のように、特別列車の動きを、逐一(ちくいち)報道している。
みんな、とぼけている感じ。なぜか? 韓国政府にいたっては、金xxの重病説すら、公
式に否定している(7日)。

 実はこの謎も、こう考えると、氷解する。

 すでに韓国政府も日本政府も、当然のことながら中国も、金xxの病状についての情報
を握っている。特別列車の、おかしな動きも、すべて知っている。そういうことをじゅう
ぶん承知の上で、韓国や日本が、ワーワーと騒ぎたてることによって、金xxが、治療の
ため、中国に渡るのを防いでいる、と。

 つまりこうまで世間が騒がしくなると、金xxは、とても中国へは行けなくなる。隠密
行動そのものが、不可能になる。が、それこそ、韓国政府、日本政府のねらいどころ! 金
xxを、自然死の状態にもっていくことができる。中国にしても、自国の中で、金xxが
死去したということにでもなると、メンツがつぶされてしまう。何としても、それだけは
避けたい。

 ともかくも、K国問題は、ここにきて、大きな山場を迎えつつある。早ければ、この原
稿が電子マガジンに載る10月9日までには、何らかの結論が出ているかもしれない。

 ただひたすら注視! また注視! 今は、そういう状態ということになる。
(この原稿は、9月7日に書いたものです。)

【補記】

 金xxという独裁者が死んだからといって、現在のK国問題が解決するわけではない。
またまたやっかいな問題が、起きてくる。それについては、別の機会にまた考えてみたい。

【訂正】今日の午後、再び同じニュースを見ると、「20〜30センチ」が、「20〜30
メートル」に訂正されていた。当初の「20〜30センチ」は、翻訳ミスと思われる。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司    10月 6日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page018.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
●電子マガジンを、HTML(カラー+写真版)でも、お届けしています。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室より】

●おかしな質問

 子どもというのは、ときとして、おかしな質問をぶつけてくる。数日前も、突然、私に
こう聞いた女の子(小2)がいた。

 「先生、先生のウンチ、かわいい?」と。

私、ギョッ!
子「だから、かわいい……?」と。

 たまたまそのときは、ダイエット中。ダイエット中のウンチは、やせ細って、小さい。
かわいいと言えば、かわいい。一瞬、「どうして、そんなことを知っているのだろう」と思
った。

私「ウンチは、かわいいとは、言わない」
子「先生のウンチは、かわいいかと思った」
私「……でも、ぼくは、ウンチはしないよ」
子「どうして?」
私「だって、ぼくは、原子力で動いているから」
子「エーッ、先生って、原子力で動いているの?」
私「そうだよ」と。

 子どもの質問をうまくかわしたつもりだった。が、ほかの子どもたちは、私の話を本気
にしてしまったらしい。「食事はどうするの?」「燃料はどうするの?」と、そんな話にな
ってしまった。

 子どもというのは、ときとして、おかしな質問をぶつけてくる。しかしそれにしても、
子どもたちは、私を、いったい、何だと思っているのだろう。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●老後の楽しみ

 息子たちが巣立っていく。それは切なも、さみしい瞬間だが、悪いことばかりではない。
そのときから、別の楽しみが、始まる。夫婦の楽しみが、始まる。

 私の姉は、いつか、こう言った。私があれこれと悩んでいるときのことだった。「浩ちゃ
ん、これからじゃないの。楽しいのは……!」と。

 息子たちの巣立ちイコール、子育てからの解放ということになる。親たちは、「親」であ
るという重圧感から解放される。そして父親、母親という立場から、もう一度、新婚時代
の夫婦にもどる。

 夫婦であることに何か目的があるとするなら、それは老後の夫婦に集約される。そのと
き、夫婦が夫婦であれば、それでよし。なんでもない、ふつうの夫婦である。そういう夫
婦を、心の中で、いつもめざす。

 先日もこんな光景を見た。

 電車で、長野まで行ったときのことだった。電車の中のトイレからもどりながら、ふと
見ると、65歳〜70歳くらいの夫婦が、そこに座っているのがわかった。見ると、2人
で、手をつなぎあっていた。

 で、そのあと、ワイフにこう言った。

私「なあ、あの前の人たち、あの人たちも、手をつないでいるぞ」
ワ「フーン」
私「ぼくらより、年上だぞ」
ワ「フ〜ン」と。

 若いころは、私たちは、いつも手をつないでいた。しかしその時間は、それほど長くは
つづかなかった。やがて3人の息子たちがつぎつぎと生まれ、様子が変わった。子育てに
埋没するあまり、夫婦が夫婦でなくなってしまった。

 もちろんそのときは、それがわからない。が、こうして息子たちが巣立ち、子育てから
解放されてみると、そうだったということが、よくわかる。

私「日本人も変わってきたね」
ワ「そうねえ……」
私「電車の中で手をつないでいるのは、ぼくたちだけかと思った……」
ワ「フーン」と。

 ワイフは、半分、眠っていた。そういうワイフの横顔を見ながら、私は、ふと、こう思
った。「こんな時代は、あと何年、つづくのだろう」と。と、同時に、こうも思った。「た
がいに健康なうちに、遊べるだけ、遊んでおこう」と。

 子どもたちが巣立ったあと、そこに残るのは、夫婦だけ。今、子育てに埋没している人
にはそれがわからないかもしれない。が、だれしも、いつか必ず、そうなる。そういうこ
とも、頭のどこかに置きながら子育てをすることも、大切なことかもしれない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【本音と建前】

●底なしのG県庁・裏金汚職

++++++++++++++

底なしの様相を見せ始めた、
G県庁・裏金汚職。

何しろわかった裏金だけでも、
17億円!

しかも幹部職員らが、分担して、
その裏金を隠していたという。

中には、ネコババしながら、
「燃やした」と弁明する職員も
いた。

++++++++++++++

 公務員の世界というのは、不思議な世界である。そこにあるのは、(人と人のつながりを
示す、組織)だけ。その(組織)を取ったら、あとには、何も残らない。

 民間企業のように、営業とか利益とか、運営とか経営とかいう概念は、まったくない。
給料などというものは、天をあおげば、その天から、自動的に降ってくる。その公務員が、
なぜ公務員かといえば、(権限)と(管轄)、それと(情報)を握っているからにほかなら
ない。

 もし公務員から、(権限)と(管轄)、それに(情報)を奪ってしまえば、公務員は、そ
の存在意義をなくす。だから公務員は、(権限)と(管轄)、それに(情報)にしがみつく。
絶対に、手放さない。

 これが公務員の(構図)だが、その構図は、中央官僚も、地方公務員も、基本的には同
じ。

 しかしそれにしても、17億円とは! ケタがちがう。今朝も、出先機関の職員(当時)
が、裏金470万円余りを自宅に隠匿していたという事実が、明るみになった(9月5日)。
高山市の県高山建設事務所(現・県高山土木事務所)の男性元職員である。

 数日前は、「(現金を)燃やした」と言っていた職員が、実はネコババしていたという事
実も、明るみになった。しかしその職員は、「飲み食いに使った」と弁明している。ご存知
のように、法律の世界では、飲み食いに使ったといえば、一応、返還義務を免れることが
できる。

 わかりやすく言えば、事件が発覚すると同時に、(あるいはそれ以前から……?)、職員
たちが17億円もの大金を山分けして、保管(?)していたことになる。「保管」と言えば、
聞こえはよいが、うまくいけば、そのままネコババできる裏金である。みな、こぞって保
管を申し出たにちがいない。

 ゾーッ!

 本来なら、県庁ごと、解体してしまうのが望ましい。が、そこは、公務員の世界。解体
しようにも、もともと、その実体がない。冒頭にも書いたように、そこにあるのは、(人と
人のつながりを示す、組織)だけ。わかりやすく言えば、煙(カスミ)でできた世界のよ
うなもの。建物だけを見ると、「おお、これが県庁か」と思う人も多いかと思うが、あれは
あくまでも、箱。煙をのがさないための、ただの箱。

 だからこういう事件が起きても、責任を追及することもできない。だいたい責任者なる
者がいない。問題の県庁の元県知事にしても、「知らなかった」と、逃げまくっている。

 そこで重要なのが、働く職員のモラルということになる。誠実さというか、英語で言え
ば、「honesty(正直さ)」。その誠実さが、私も、元G県民だったから言うが、あの
県には、それが欠けている(?)。まるで県全体が、小ズルさのかたまりのような県と言っ
てもよい(失礼!)。商売のし方にしても、名古屋商法というより、大阪商法に近い。

 客をだまして、金を取る……というのが、あのあたりの商法の基本になっている。「ウソ
(嘘)」に対する感覚も、明らかにこの静岡県とはちがう。G県の人たちは、日常的に平気
でウソをつく。「ウソ」という言葉に語弊があるなら、「本音と建前」と言いかえてもよい。

 それを実にたくみに使い分ける。口で言っていることと、中身が、まるでちがう。それ
がG県である。

 私は今回の一連の裏金汚職事件は、起こるべきして起きた事件だと思っている。この私
ですら、そういう黒いウワサは、もう15年以上前から耳にしていた。「県庁の役人たちが
飲み食いするときは、いつも領収書を2枚切ることになっている」(ある割烹経営者)、「タ
クシー券を、いつも10万円単位で購入している」(県庁職員)など。元県知事にまつわる
話も少なくない。

 G県の県民たちが怒るのは当然だとしても、それがG県という県がもつ体質であるとす
るなら、県民自身も、それなりに反省しなければいけないのではないのか……と、私は思
う。

なお英語では、「Honesty is the best policy.(正直は最
良の策である)」という。その「Policy」には、「政策」という意味も含まれる。

+++++++++++++++++

ここまで書いて、「飛騨の昼茶漬け」という
言葉を思い出しました。

本音と建前を、たくみに使い分けるのがうまい、
G県民の県民性というか、その一端が、
この言葉に集約されているように思います。

+++++++++++++++++

●飛騨の昼茶漬け

 日本人というより、G県の人たちは、本当にウソがうまい。日常的にウソをつく。ウソ
をウソとも思っていない。たとえばG県の飛騨地方には、『飛騨の昼茶漬け』という言葉が
ある。あのあたりでは、昼食を軽くすますという風習がある。で、道でだれかと行きかう
と、こんなあいさつをする。

 「こんにちは! うちで昼飯(ひるめし)でも食べていきませんか?」
 「いえ、結構です。今、食べてきたところですから」
 「ああ、そうですか。では、失礼します」と。

 このとき昼飯に誘ったほうは、本気で誘ったのではない。相手が断るのを承知の上で、
誘う。そして断るほうも、これまたウソを言う。おなかがすいていても、「食べてきたとこ
ろです」と答える。

この段階で、「そうですか、では、昼飯をごちそうになりましょうか」などと言おうもの
なら、さあ、大変! 何といっても、茶漬けしか食べない地方である。まさか昼飯に茶
漬けを出すわけにもいかない。

 こうした会話は、いろいろな場面に残っている。G県にかぎらない。ひょっとしたら、
あなたも日常的に使っているかもしれない。日本では、正直に自分を表現するよりも、そ
の場、その場を、うまくごまかして先へ逃げるほうが、美徳とされる。ことを荒だてたり、
角をたてるのを嫌う。何といっても、聖徳太子の時代から、『和を以(も)って、貴(とう
と)しと為(な)す』というお国がらである。

 こうした傾向は、子どもの世界にもしっかりと入りこんでいる。そしてそれが日本人の
国民性をつくりあげている。私にも、こんな苦い経験がある。

 ある日、大学で、一人の友人が私を昼食に誘ってくれた。オーストラリアのメルボルン
大学にいたときのことである。私はそのときとっさに、相手の気分を悪くしてはいけない
と思い、断るつもりで、「先ほど、食べたばかりだ」と言ってしまった。で、そのあと、別
の友人たちといっしょに、昼食を食べた。そこを、先の友人に見つかってしまった。

 日本でも、そういう場面はよくあるが、そのときその友人は、日本人の私には考えられ
ないほど、激怒した。「どうして、君は、ぼくにウソをついたのか!」と。私はそう怒鳴ら
れながら、ウソについて、私がそれまでに住んでいたG県の人たちとオーストラリア人と
では、寛容度がまったく違うということを思い知らされた。

 本来なら、どんな場面でも、不正を見たら、「それはダメだ」と言わなければならない。
しかし日本人は、それをしない。しないばかりか、先にも書いたように、「あわよくば自分
も」と考える。そしてこういうズルさが、積もりに積もって、日本人の国民性をつくる。
それがよいことなのか、悪いことなのかと言えば、悪いに決まっている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私はウソつきだった

 実のところ、私は子どものころ、ウソつきだった。ほかの子どもたちよりもウソつきだ
ったかもしれない。とにかく、ウソがうまかった。ペラペラとその場を、ごまかして、逃
げてばかりいた。私の頭の中には、「正直」という言葉はなかったと思う。

その理由のひとつは、大阪商人の流れをくんだ、自転車屋の息子ということもあった。
商売では、ウソが当たり前。このウソを、いかにじょうずつくかで、商売のじょうずへ
たが決まる。私は毎日、そういうウソを見て育った。

 だからあるときから、私はウソをつくのをやめた。自分を偽るのをやめた。だからとい
って、それですぐ、正直な人間になったわけではない。今でもふと油断をすると、私は平
気でウソを言う。とくにものの売買では、ウソを言う。自分の体にしみこんだ性質という
のは、そうは簡単には変えられない。

 そこであなたはどうかということを考えてみてほしい。あなたは自分の子どもに、どの
ように接しているかを考えてみてほしい。あるいはあなたは日ごろ、あなたの子どもに何
と言っているかを考えてみてほしい。

もしあなたが「正直に生きなさい」「誠実に生きなさい」「ウソはついてはいけません」
と、日常的に言っているなら、あなたはすばらしい親だ。人間は、そうでなくてはいけ
ない。……とまあ、大上段に構えたようなことを書いてしまったが、実のところ、それ
がまた、日本人の子育てで、一番欠けている部分でもある。そこでテスト。

 もしあなたが中央官僚で、地方のある大きな都市へ、出張か何かで出かけたとする。そ
して帰りぎわ、10万円のタクシー券を渡された。そのとき、あなたはそれを断る勇気は
あるだろうか。

さらに渡した相手に、「こういうことをしてはいけないです」と、諭(さと)す勇気はあ
るだろうか。私のばあい、何度頭の中でシミュレーションしても、それをもらってしま
うだろうと思う。正直に言えば、そういうことになる。

つまり私は、子どもときから、そういう教育しか受けていない。つまりそれは私自身の
欠陥というより、私が受けた教育の欠陥といってもよい。さてさて、あなたは、子ども
のころ、学校で、そして家庭で、どのような教育を受けただろうか。
(03年―1月―7日記)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●あなたは裁判官

(ケース)Aさん(40歳女性)は、Bさん(45歳女性)を、「いやな人だ」と言う。理
由を聞くと、こう言った。

AさんがBさんの家に遊びに行ったときのこと。Bさんの夫が、「食事をしていきなさい」
と誘ったという。

そこでAさんが、「いいです」と言って、やんわりとそれを断ったところ、Bさんの夫が
Bさんに向かって、「おい、B(呼び捨て)!、すぐ食事の用意をしろ」と怒鳴ったとい
う。

それに対して、Bさんが夫に対して、家の奥のほうで、「今、食べてきたと言っておられ
るじゃない!」と反論したという。それを聞いて、AさんはBさんに対して不愉快に感
じたというのだ。

(考察)まずAさんの言い分。「私の聞こえるところで、Bさんはあんなこと言うべきでは
ない」「Bさんは、夫に従うべきだ」と。

Bさんの言い分は聞いていないので、わからないが、Bさんは正直な人だ。自分を飾っ
たり、偽ったしないタイプの人だ。だからストレートにAさんの言葉を受けとめた。

一方、Bさんの夫は、昔からの飛騨人。飛騨地方では、「食事をしていかないか?」が、
半ば、あいさつ言葉になっている。しかしそれはあくまでもあいさつ。本気で食事に誘
うわけではない。相手が断るのを前提に、そう言って、食事に誘う。

そのとき大切なことは、誘われたほうは、あいまいな断り方をしてはいけない。あいま
いな断り方をすると、かえって誘ったほうが困ってしまう。飛騨地方には昔から、「飛騨
の昼茶漬け」という言葉がある。昼食は簡単にすますという習慣である。

恐らくAさんは食事を断ったにせよ、どこかあいまいな言い方をしたに違いない。「出し
てもらえるなら、食べてもいい」というような言い方だったかもしれない。それでそう
いう事件になった? こういうときAさんは、ウソならウソでもよいが、「今、食べてき
たところです」と、言わなければならない。

(判断)このケースを聞いて、まず私が「?」と思ったことは、Bさんの夫が、Bさんに
向かって、「おい、B(呼び捨て)!、すぐ食事の用意をしろ」と言ったところ。

そういう習慣のある家庭では、何でもない会話のように聞こえるかもしれないが、少な
くとも私はそういう言い方はしない。私ならまず女房に、相談する。そしてその上で、「食
事を出してやってくれないか」と頼む。あるいはどうしてもということであれば、私は
自分で用意する。いきなり「すぐ食事の用意をしろ」は、ない。

つぎに気になったのは、言葉どおりとったBさんに対して、Aさんが不愉快に思ったと
ころ。

Aさんは「妻は夫に従うべきだ」と言う。つまり女性であるAさんが、自ら、「男尊女卑
思想」を受け入れてしまっている! 本来ならそういう傲慢な「男」に対して、女性の
立場から反発しなければならない。が、そのAさんは、むしろBさんを責めている! 女
性(妻)は夫の奴隷ではない!

 私はAさんの話を聞きながら、「うんうん」と返事するだけで精一杯だった。内心では反
発を覚えながらも、Aさんを説得するのは、不可能だとさえ感じた。基本的な部分で、考
え方が、まったくちがっていた。

+++++++++++++++++++++++

●本音と建前

 日本人の本音と建前論については、世界的によく知られている。

 言っていることと、ハラ(腹)の中は、ちがう。……ということは、日常的に経験する。

 オーストラリア在住の日系女性(夫は、オーストラリア人)が、こんなメールをくれた。

 「私の叔父は、何かのついでに、こう言いました。『人間なんていうのはね、ハラの底は
わからないもんだよ。同情しているようなフリをして、実は、ザマーミロと、相手の不幸
を喜んでいたりするもんだよ』と。

 私は、子どもながらに、『そういうものかなあ』と思いましたが、日本を離れてみて、そ
れが日本人独特のものの考え方だということを、思い知らされました」と。

 実際、欧米人(オーストラリア人、アメリカ人)というのは、ものの考え方が、ストレ
ート。自分をごまかすことができない。そういう習慣もない。(だからうつ病患者が多いと
いう説もある。)

 たとえば日本では、よく、こんな会話をする。

 「今度、遊びにおいでよ」
 「うん、わかった。またね」と。

 誘ったほうも、本気で、誘ったのではない。その場の雰囲気で、そう言う。

 一方、誘われたほうも、本気で誘われたとは思わない。その場の雰囲気で、そう答える。

 が、オーストラリアでは、こういう会話は通用しない。絶対に通用しない。アメリカで
も、通用しない。

 へたに「今度、遊び(食事)においでよ」などと言おうものなら、すかさず、「ありがと
う。いつ行けばいいですか?」と聞きかえされる。断ることは、かえって非礼になる。仮
に「またね」とあいまいな言い方をすれば、(そういうあいまいな言い方そのものがないが)、
かえって相手に対して失礼となる。

 表面では、同情したフリをしながら、ハラの中では、その人の不幸を笑う。

 しかし実のところ、そういうことをしていたのは、その叔父自身ではないのか。自分が
そうだから、他人もそうだと思ってしまう。こうした二面性のある人は、世の中のすべて
の人にも、二面性があると思ってしまう。

 が、ストレートな人は、ストレート。

 たとえば同じ日本人なのに、私のワイフは、私とくらべても、はるかにストレート。ハ
ラ芸ができない。浜松市という、東海地方でもナンバー2の都会で、生まれ育ったためで
はないか。少なくとも、岐阜県の山奥で育った私とは、ちがう。

 で、私のばあいだが、私は、ここでいうような(建前)とは、決別した。まだ完全では
ないが、そう心がけている。

 本音と建前を使い分けるののも、結構、しんどいこと。たとえばハラの中で、「ザマーミ
ロ」と思うくらいなら、そもそも、そういう人とは、つきあわない。

 くだらないことかもしれないが、私はこうしてものを書くことについて、いくつかの原
則をもっている。その一つ。

いつも心の中を、整理しているということ。

決して、その人自身のことを書いているわけではないが、その人を念頭において、批判
したり、批評したりすることがある。

 そういう人とは、すでに、交際を、断交している。「今後、一生、つきあうことはない」
という前提で、ものを書く。また、そういうふうに、心の中を整理していかないと、やが
て、心の中が、ごちゃごちゃになってしまう。

 ウラで、その人を批判しながら、オモテで、「こんにちは」と笑うことは、私には、もう
できない。それこそ、時間のムダ。

 以前、こんな原稿を書いた。

●私のこと

 私とワイフのちがいについて、少し書いた。

 で、結婚して、30年以上になるが、いまだに、そのワイフについて、よく理解できな
いところがある。

 私は、ときどき、弁当を教室まで届けてもらうのだが、そういうとき、私のほうが遠慮
して、「今日は、いいよ。近くのレストランで食べるから」と電話をする。

 ワイフも、何かと、このところ、いそがしい。それに暑い。

 が、私は、そう言いながらも、内心では、ワイフが、弁当を届けてくれるのを期待する。
「そうは言っても、弁当は必要だから」と。

 しかしワイフは、私の言葉を、いつもストレートに解釈する。私が「いいよ」と言えば、
それっきり。絶対に、弁当を届けてくれない。(今まで、一度もない。)

 私がワイフなら、「まあ、そうは言っても、届けるわ」とか言って、届けるかもしれない。

 そういう意味では、ワイフは、欧米人に近いということになる。一方、それでさみしく
思う私は、純粋な大和民族。どこか(フー天の寅さん)的な人情味が、まだ残っている。

 どちらがよいとか、悪いとかいうことではなく、そうしたちがいというのは、30年以
上いっしょに住んでも、なかなか克服できないということ。

 最近、国際結婚がふえているが、こうした民族的なちがいまで乗りこえて、結婚生活を
つづけるというのは、たいへんなことかもしれない。くだらないことだが、この原稿を書
きながら、ふと、そんなことを考えた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 裏金は、17億円だという。しかし私は、そんな額ではないと思う。つい先月のはじめ
には、4億円前後と報道されていた。その少し前には、たしか数百万円ではなかったか。
それがいつの間にか、17億円!

 私の知人にも、G県の職員の人が何人かいる。そのうちの1人(大卒・45歳)は、8
00万円前後の年収を得ている。奥さんも、同じ県庁の職員だが、ダンナよりも給料がよ
いという。つまり2人で、1600万円以上の年収ということになる。

 この時代に、夫婦で1600万円以上というのは、きわめて恵まれた人たちということ
になる。そういう人たちが、組織ぐるみで、やりたい放題のことをしている。

 許せないというより、「これが現実か」と、ただただあきれるばかり。ホント!

(補記)今朝(9月6日)の朝刊(C新聞)では、その額が19億円以上になっていた。
それぞれの団体は、県に裏金を返還すると言っているが、身内どうしで返還しあって、そ
れでどうなるというのか。息子が、おやじの金庫から金を盗んだ。それがバレたので、息
子は、おやじに、金を返した。それで問題は解決? 一件落着? おしまい?

 結局、この事件は、うやむやのまま終わることになる。つまり、それが公務員の世界と
いうことになる。

 だれも責任を追及しない。だれも責任を問われない。だれも責任を取らされない。まさ
にそこは、煙のような世界ということになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●新車

 今、トヨタのビッツに乗っている。小型車である。そのビッツの車検が近づいてきた。
もう5年も、乗っている。

 で、このところ、新車の話を、よくするようになった。少し前まで、同じトヨタのプリ
ウスにしようかという話をよくした。で、懇意にしているディーラーの人に話を聞くと、「プ
リウスは、今度からスリー(3)ナンバーになりますよ」と。

 だからプリウスは、あきらめた。で、またまた急速に浮上してきたのが、カローラのセ
ダン。私たちは、長いあいだ、そのカローラに乗っていた。が、進化に進化を重ねて、い
までは、すっかり高級車。そんな感じがする。悪くない。

 近く、一度、展示場へ行ってみるつもり。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●7000万人!

+++++++++++++++

インターネットは、今、
私たちの生活を、
大きく変えつつある。

+++++++++++++++

 日本のインターネット人口が、7000万人になったという。ほぼ2人に1人という割
合である。

 で、私の生活も、大きく変わった。

(1)テレビのニュースを見なくなった。
(2)新聞を読む欄がかぎられるようになった。
(3)手紙を、めったに出さなくなった。
(4)図書館へ行かなくなった。

 まだ私は手を染めていないが、買いものにしても、たいていインターネットですませて
いるという人もいる。そう言えば、私も、証券取引は、すべてインターネットを通してし
ている。

 考えてみれば、これはものすごいことである。ものすごいことというか、ものすごい変
化である。

 さらに、もうひとつ。

 少し前まで、不可能と思われていたことが、インターネットの世界では、どんどんと可
能になってきている。

 たとえば映像にしても、今では、無料で、配信できるようになった。ほんの4、5年前
には、それができなくて、四苦八苦した。できなくはなかったが、どこの配信会社も有料
で、高額だった。

 が、困っていることが、今でもひとつある。

 HPの更新のとき、ファイルを保存するだけも、8時間半もかかるということ。メモリ
ーが不足するため、ハードディスクとの間で、スワップするためらしい。先日、メモリー
を、1GBから2GBに増設してみたが、事情はあまり変わらなかった。

 が、この世界は、まさに日進月歩。雑誌などによると、07年の1月に発売になる、ビ
スタ(OS)では、USBメモリーを使えば、この問題が解決できるようになるという。
USBメモリーほうを仮想メモリーとして使うということらしい。

 楽しみだ。そのとき、最新のパソコンに乗りかえるつもり。

【付記】

 インターネットの先進国、韓国では、「インターネット・オークション依存症」というの
が、問題になり始めている。買い物依存症に似ている。「安い」と思ったら、どんどんと買
いこんでしまうという。ある女性は、デジカメだけでも、4台も買ってしまったという。「安
いから、買わなきゃ、損」という心理が働くらしい。

 そのためその女性のばあい、毎日、4、5時間は、パソコンの前に座っているとか。や
がて日本にも、そういう人が出てくるかもしれない。あるいは、すでにそういう人がいる
のかも……?

 私のばあい、具体的には、つぎのような変化を感じている。

(1)テレビのニュースを見なくなった。
 
決まった時刻にテレビの前に座って待つのを、苦痛に感ずるようになった。
 あまり聞きたくないニュースまで見るのを、苦痛に感ずるようになった。

(2)新聞を読む欄がかぎられるようになった。

 まずインターネットでおおまかな記事を読む。その中で、とくに興味をもった記事だけ
を、新聞で読む。30ページほどある新聞の中で、目を通すのは、せいぜい2〜4ページ
程度。

(3)手紙を、めったに出さなくなった。

 手紙を書いて、封筒に入れ、それに切手を張って、ポストに入れる……。ときどき自分
が、たいへんムダなことをしているように感ずることがある。

(4)図書館へ行かなくなった。

 調べものは、すべて、インターネットを使ってしている。早いし、ムダがない。それに
最新の情報を、居ながらにして、手に入れることができる。

 もうこの流れを変えることはできない。7000万人という数字は、それを表している。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●貯蓄ゼロ(?)

++++++++++++++++++

貯蓄ゼロ(?)の世帯数が、全体の
25%近くにまでなったという。

「賃金が低ければ、蓄えもできない」
(C新聞)ということらしい。

しかし……

++++++++++++++++++

 貯蓄ゼロの世帯がふえているという。全体の25%近くもあるという(金融広報中央委
員会・06年公表)。

 25%といえば、4世帯に1世帯という割になる。私は最初この記事を読んだとき、「う
ちも似たようなものだ」と思った。銀行に貯金をするのがバカ臭くなって、もう10年以
上になる。

 で、その分、株に投資したり、外債を購入したりした。しかし記事を読むと、どうも、
そうではないらしい。「貯蓄ゼロ」ということは、「余裕のある資金がゼロ」ということら
しい。で、もしそうなら、ことは深刻である。

 「どうやって、生きていくのだろう」と、私は、思った。月によっては、何かと、予定
外の出費がつづくこともある。「そういうときは、どうするのだろう」と。

 私の年代、つまり団塊の世代は、生活の中で、何よりも貯蓄を優先させてきた。私の仲
間には、そういう人たちが多い。貯蓄ゼロの生活など、少なくとも私には、考えられない。
もしそうならそうで、不安で不安で、たまらないだろう。少なくとも1年くらい、できれ
ば数年は、貯蓄だけで生活できるようにしておく。とくに、私のような自営業をしている
者にとっては、そうである。

 「病気で倒れたら、どうするのだ」「事故にでもあったら、どうするのだ」と。そんなこ
とは、よく考える。私のばあいは、それで万事休す。退職金もなければ、補償金もない。
過労で死んでも、それを訴えていく相手さえいない。

 だからここでいう25%という人たちは、私とは、少し立場がちがうのかもしれない。
公務員とか何かで、収入そのものが、保証されている。そういう人たちが多く含まれてい
るのかもしれない。だから一概にどうこうのとは、言えない。

 で、C新聞は、こうつづける。

 「景気が回復してきているはずなのに、貯蓄ゼロ世帯が増える……。『勝ち組』が豊かな
生活をして個人消費を支える一方、『負け組』は、その日の暮らしにも窮している実体が、
(これで)、浮き彫りになる」と。

 しかしこれとて、若くて、健康な人たちの世界の話。私たちの世代は、もう少し、別の
見方をする。

 つまり年を取れば取るほど、私たちは、みな、例外なく、ここでいう『負け組』になっ
ていくということ。当然、収入は減るし、その減った分だけ、貯蓄ができなくなるばかり
か、毎月、少しずつ、貯蓄を切り崩していかねばならない。仮に貯蓄がゼロになったら、
今までにつくってきた財産を、処分しなければならない。

 だから『勝ち組』『負け組』という言葉を聞くと、つい、「何、言ってるんだ!」と思っ
てしまう。が、負け組には負け組の、負け組根性というものがある。何も、金持ちになる
ことだけが、幸福への切符(チケット)というわけでもない。「勝った」「負けた」は、も
っと別の尺度から計(はか)られるべきである。

 わかりやすく言えば、いかにすれば、心豊かで、前向きな生活を送ることができるか。
それでこれからの老後の勝ち負けが決まる。

 ただ余計なことかもしれないが、今の若い人たちに一言。

 あらかじめ、豊かな生活を頭に描いて、それに合わせて、目いっぱいの生活だけは、し
ないほうがよいということ。5、6年前だが、京都にあるP社(出版社)の編集長が、私
の家に遊びにきていて、こんなことを言ったことがある。

 「最近の若い人は、会社に勤めたとたん、都会的で、きれいな生活ができると思いこん
でいる。どこかのマンションに住み、夜はグラス片手に、DVDを見る。テレビのトレン
ディ・ドラマの影響でしょうね。しかしそんな生活など、できるわけがないのです。そう
いう現実が、まるでわかっていない。それが今の若い人たちです」と。

 「25%」という数字には、そういう若い人たちが多く含まれているのではないか?


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●自殺者が、約10%!

+++++++++++++++

消費者金融団体の調べによると、
実際の人数は明らかにされていないが、
支払総件数に占める自殺件数の割合は、
なんと9・1%にものぼるという。

+++++++++++++++

厚生労働省の、05年人口動態統計によれば、20歳以上の死亡者に占める自殺者の割
合は、2.8%だそうだ。

 わかりやすく言えば、今、100人のうち、3人は、自殺でなくなっているということ。
が、この数字に驚いてはいけない。

 消費者金融団体の調べによると、実際の人数は明らかにされていないが、支払総件数に
占める自殺件数の割合は、なんと9・1%にものぼるという。ヤフー・ニュースは、つぎ
のように伝える。

 「消費者金融10社が債権回収のため、借り手全員に生命保険をかけていた問題で、大
手5社で支払いを受けた件数が、昨年度1年間で延べ3万9880件あり、このうち自殺
によるものは判明しているだけでも、3649件に上ることがわかった。

この保険の支払い状況が明らかになるのははじめて。全体の件数の中には死因が分から
ないものも多く含まれており、借り手の自殺によって消費者金融に生命保険金が支払わ
れた件数は、さらに多いとみられる。多重債務者が自殺に追い込まれている深刻な実態
が、浮かんだ」と。

わかりやすく言うと、消費者金融からお金を借り、そのあとなくなった人の約10%が、
自殺していたということになる。しかもこの数字には、借りてから、1〜2年後に自殺
した人の数は、含まれていないという。だから実際には、もっと多いかもしれないとい
うことになる。

契約後1〜2年以上たったケースでは、死亡診断書などの提出を省略できるためだそう
だ。

 ともかくも、この約10%という数字だけでも、ここにも書いてあるように、きわめて
深刻な数字とみてよい。

 ただ誤解してはいけないのは、消費者金融からお金を借りた人のうち、約10%が自殺
したというのではない。また消費者金融からお金を借りたことが原因で、自殺したと考え
てはいけない。

 消費者金融でお金を借りる段階で、すでに、そういう人たちは、別の深刻な問題をかか
えていたということも、じゅうぶん考えられる。こうした統計上の数字を読むときは、細
心の注意が必要である。短絡的に、「消費者金融でお金を借りた人のうち、約10%が自殺」
と考えると、とんでもないことになる。

 が、それにしても、深刻である。「明日はわが身か」と思うと、なおさらである。つまり
それだけこの日本という国は、生きにくい国になりつつあるということ。見た目には豊か
な国になったが、心の中は、ますます砂漠化している。そんな感じがする。


●貧富の差

++++++++++++++++

貧富の差が広がっているという。
その貧富の差を示す指数が、
ジニ指数(ジニ係数)ということに
なる。

以前書いた原稿を、少し手なおしして、
ここに再収録します。

++++++++++++++++

●拡大する貧富の差とこれからの受験勉強

 この日本の社会では、静かに、密かに、しかし確実に、ジワジワと、貧富の差が拡大し
つつある。

 このことは、工場労働者の構成を見ればわかる。

 近くのX自動車の下請けメーカーの中堅社員が、こんなことを話してくれた。

「社員といっても、何種類もいる。正社員のほか、パート社員、期間社員、アルバイト、
人材派遣会社からの派遣社員などなど。

 さらに最近では、一応社員なのだが、独立した仕事だけをして帰る社員もいる」と。

 「どういう仕事ですか?」と聞くと、「たとえば会社で出す、人材募集のチラシを作った
り、社内報を作ったりする社員です。しかしこの社員は、社員というよりは、独立したア
ルバイトといった感じです。社会保険にも入れず、もちろんいっさいの保証はありません」
と。

 手厚く保護される正社員。しかしその一方で、冷遇されるそれ以外の社員(?)たち。
年俸にしても、数百万円以上もの差がある。が、「安い」だけではない。労働条件は、かえ
ってきびしい。少しでもヘマをすると、即、クビという環境だそうだ。

 この日本では、今、確実に、貧富の差が、広がりつつある。やがてそのうち、社会問題
化するのも時間の問題といってよい。数字を見てみよう。

 厚生労働省が04年6月に発表した、ジニ指数(世帯ごとの所得格差を示す)は、調査
を始めた84年から、7年連続で、拡大をつづけている。

 昨年(04年)は、そのジニ指数が、0・498と、かぎりなく0・5に近づきつつあ
る。

 0・5という数字は、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占めることを
意味する。残りの4分の3の人たちは、残った4分の1の所得を分けあうことを意味する。

 たとえば4人の人が、1000万円を稼いだとする。すると1人が、750万円を自分
のものにする。残りの3人は、残った250万円を、3等分して分ける。つまり1人当た
り、約80万円ということになる。わかりやすく言えば、それがここでいう「0・5」と
いう数字である。

 しかしこの数字を、深刻に考えている政治家は、少ない。……いない。経済界にいたっ
ては、なおさらで、むしろ、こうした格差を歓迎しているふうですら、ある。理由がある。

 「こうした差こそが、やる気のある人にやる気を出させ、経済を活性化させる」と。

 つまり力があり、やる気のある人がいい生活をして、そうでない人が、そうでない生活
をするのは、当然ではないか、と。そういう冷徹な論理である。が、どうもそれだけでは
ないようだ。

 「この世の中では、支配階級と、だまってそれに従う階級がなければ、そもそもマネー
社会(=マネー資本主義)は成りたたない」という論理がある。みなが平等になり、中産
階級になってしまえば、社会の活力そのものが、停止してしまうという。例がないわけで
はない。

 かつて私が留学していたころのオーストラリアが、そうだった(1960〜70年代)。

 当時のオーストラリアでは、年俸が、確か2万ドル(この数字は正確ではない)を超え
ると、とたんに、所得税率が極端にあがるしくみになっていた。だから、みな、2万ドル
分までは働くが、それ以上に働いても意味がないというように考えるようになった。

 こうして「レイジー・オージー(怠け者のオーストラリア人)」が生まれたわけだが、こ
の制度は、オーストラリアの活力そのものまで奪ってしまった。(もともと、土地を掘れば、
鉱物資源が無尽蔵に出てくるという、ラッキーな国であったことも事実である。)

 だから経済界あたりでは、むしろ、貧富の差を助長することこそ、重要であるというよ
うな考え方をする。はっきり言えば、マスター(ご主人様)がいて、それに従順に従う、
スレイブ(奴隷)がいたほうが、経済の活性化のためには、つごうがよいということにな
る。

 だから、官僚たちは、恥ずかしげもなく、こう言う。「林さん、労働者には、金(マネー)
をもたせてはいけないのですよ。金をもったとたん、働かなくなりますから。万博でも何
でもいい。そういうのを開いて、労働者に金を使わせる。貯金させてはいけないのですよ」
(ある知人談)と。

 これはある官僚から、私が直接聞いた言葉である。だから万博に反対というわけではな
い。経済界の論理というのは、そういうもの。

 それを知ってか、知らずか、地方の貧しい人たちが、バスに乗って、万博を見にくる。
マンモスの像を見て、「マンモスだ」「マンモスだ」と、喜んでみせる。そこにある種の悲
しさを覚えるのは、はたして私だけであろうか。

 話がそれたが、この貧富の差が大きくなればなるほど、またまた受験競争が燃えあがる。
だれしも勝ち組に入りたいと願っている。「せめて、自分の子どもだけは……」と願ってい
る。それが子どもの受験競争に拍車をかける。

 1995年〜2000年にかけて下火になってきた、いわゆる受験産業が、このところ
また息を吹きかえしつつ。そんな事情の背景には、こんな事実が隠されている。

 悲しいかな、今、この日本で、「受験」に背を向けて生きられる人(子ども)は、ほとん
ど、いない。そしてその傾向は、これから10年、さらにはげしくなる。貧富の差がはげ
しくなればなるほど、なおさらである。
(はやし浩司 ジニ指数 貧富の差 受験競争)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●歴史認識問題(?)

+++++++++++++++

日本は韓国の属国だったと、
韓国の人たちは考えている。

が、一方、韓国は中国の属国だったと、
中国の人たちは考えている。

ここにきて、歴史認識問題なるものが、
とんでもない方向に飛び火していく
可能性が出てきた。

+++++++++++++++

2004年に、中韓両国は、たがいに歴史問題に干渉しないようにと、口頭だが、了解
しあった。

 ところがそれから2年後の、2006年の今月(9月)。中国がその了解事項を突然破り、
「朝鮮半島は、中国の属国だった」というような研究論文を発表した(中国社会科学院)。

 いわく「……高朝鮮から渤海まで、歴史が一脈相通じる韓民族の歴史ではなく、古代中
国の地方民族政権の歴史で、中国歴史である」「とくに渤海については、中国唐王朝が直接
監督した郡地域に過ぎない」と。

これに韓国が猛反発! ともに民族主義的発想では、一歩も譲らない国々である。

「(この論文は)韓民族の古代史を根こそぎ否定するものだ」(朝鮮N報)と。

 韓国側が反発を強めているのは、その論文が中国社会科学院の張碧波研究員らによって、
書かれていること。張碧波研究員は、かねてから、「漢江(現在のソウル市の中心部を流れ
る川)の北部までが、中国の領土だった」と主張している。

 「そもそも漢江北部までが中国領土だったが、新羅や百済などの侵奪で、領土を失った」
(国際法と中国−北朝鮮の国境線問題論争)と。

さらに「箕子を殷代の甲骨文字と前秦の記録から確認することができる」とし、「かれが
韓半島に最初の地方政権を建てた」(箕子と箕子朝鮮)とも主張している。
 
 わかりやく言えば、「現在の朝鮮半島は、中国の領土だった。しかも朝鮮半島に最初の地
方政権をつくったのは、中国である」と。

 が、この時期に、こうした論文が、中国側から発表されることについては、もうひとつ、
重大な意味が隠されているのではないか(?)。かなり飛躍した意見に聞こえるかもしれな
いが、中国は、すでにK国併合を念頭に置いているとも考えられなくはない。

 つまりK国が崩壊したばあい、韓国は、そのK国を吸収する形で、南北統一を考えてい
る。が、他方の中国は、そんな甘い国ではない。へたをすれば、中国はK国を吸収合併し、
現在の38度線を、中国と韓国の国境にすることだってありえる。

 事実、それに呼応するかのように、このところ、中国側は、K国との国境での開発を急
ピッチで進めている。港湾を整備したり、白頭山の単独開発を推し進めたりしている。韓
国は、「独島(竹島)」「独島(竹島)」と叫んでいるが、その独島ごと、朝鮮半島の北側半
分を、中国にもっていかれる可能性さえ出てきた。

 つまりこのあたりに、現在のN政権(韓国)の視野の狭さというか、ノー天気ぶりが、
集約されている。反米、反日を唱え、親北、親中を唱える愚かさが、集約されている。

 要するに過去は過去。歴史は歴史。その歴史をもって、現在をしばるのは、正しくない
ということ。私たち日本人の知ったことではないが、中国と韓国の間で、おおいに、歴史
認識問題なるものを繰り広げてみたらよい。

 そうすれば、少しは、自分たちの愚かさも、自覚できるのでは? つまり今大切なこと
は、過去をほじくりかえして、どうのこうのと言うことではなく、視点を前に移して、未
来に向かって進むことである。あくまでも歴史は歴史として……。

 ところで、時は秋。私の庭でも、虫が鳴くようになった。

 ♪あれマツムシ(韓国)が、鳴いている。
  ドクトウ、ドクトウ、ドクトウと。
  あれスズムシ(中国)も、鳴き出した。
  ボッカイ、ボッカイ、ボッカイと。
  秋の夜ながを鳴き通す、
  ああおもしろい、ムシ(中韓)の声(歴史)。

 ……ちょっと辛口の、きつい替え歌で、スミマセン!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   10月 4日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page017.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。(9
月までは、200円でした。)Eマガ読者(無料版)の方も、どうぞ、おいでください。
********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【夏休みが終わって】(PART 2)

【Dさんより】

林先生へ

いつも、G男とY子が、お世話になっています。

 先日は、失礼なメールを送ってしまい、申し訳ありませんでした。子供のことになると、
どうも考えすぎてしまう自分に反省しました。

 実は、あれから試しにSS塾の入学試験を受けさせたのです。結果は、満点で合格。ど
んなものなのか入学説明会へ昨日いってきました。たくさんの母親がいました。熱弁をふ
るう教師。真剣に聞く親たち。その光景に、私一人、どんどん帰りたくなって来ました。

G男の良いところは、マイペースでも楽しく勉強するところ。電話帳のようなテキスト
と、SS高AA高に合格させてみせますという、恐ろしいほどの教師の熱弁、成績順に
席替えをしますというやり方に、違和感を感じ、ほかの親たちが入学願書を書き始める
中、私だけぽつんと何も書かず帰ってきました。

SS塾はやめました。G男には、笑いながら勉強してほしい。SS塾に行かなきゃ、A
A中学に合格できないのなら、(そのようなことを教師は言っていましたので)、G男は、
そこまで。私は本当に無知なので、そんな自分が腹立たしくなりました。

 これまでと変わらず、G男とY子を、よろしくお願いします。いろいろ考えるのはやめ
ました。ほんの少しでも他に目を向けた自分が恥ずかしいです。G男とY子が、勉強を
好きにしてくれたのは林先生なのに。

 本当に申し訳ありませんでした。
 
PS:Y子の、国語と英語のクラスはまだ間に合いますか? 時間的に間に合うか不安で
すが、ぜひお願いしたいので、詳細を教えてください。よろしくお願いします。 

(追伸)

林先生へ

 お忙しい中、返事、どうもありがとうございました。

考えてみれば、G男はまだ小5なんですよね。心ができ上がってない状態で厳しい世界
へ放り投げれば、間違った訓練をして気がついた時には、愛してくれている人たちを平
気で裏切れる人間になってしまっていたかもしれません。大げさかも知れませんが、私
個人はSS塾の講師に、少なくとも愛情は感じませんでした。

 なぜかG男は、勉強が好きだといい、成績も良い。

私の子ではないみたいです。Y子もです。しかし、好き=楽しいなんですよね。

 今日、下の紗也が、計算カードのテストで不合格になったらしく、私はそれを聞いてが
く然としましたが、家に帰ってきてからのY子の猛勉強にもビックリしました。少しも嫌
がらず、自分ひとりで自分の部屋に閉じこもって計算の勉強をしているのです。

小1で、です。1〜2時間やっていたかも知れません。よっぽど悔しかったみたいです。
Y子は、G男とは計算能力が少し違っているのかも知れませんが、誰にも何も言われな
くても自分で納得がいくまでとことんやる紗也の性格も褒めるべき点なのかなあと、親
ばかな私は感じています。

 SS塾に入れなくても、我が家の子供たちは、一生懸命頑張る、そして自分のためにや
る、そんな勉強をしているから、それでよしとします。

 そんな子供たちに成長したのも、林先生のおかげと感謝しています。

 Y子の英語も見てくださいね。よろしくお願いします。

 余談ですが、私がまずSS塾の校舎に入った時の、ロビーの風景にゾッとしたのを覚え
ています。全面大理石張りの、噴水がなんとも豪華で、すごく冷たい雰囲気が、私の断る
原因のひとつになった気がします。

こんなところでG男は勉強するのか? 自分の家がみすぼらしく思えてくるんじゃない
か? 私が払う月謝が、この素晴らしい建物に変わるのか?(ただのひがみです) 

少なくとも、子供たちが笑って入ってくる場所ではないような気がしました。私は古い
タイプの人間ですから。   

では、おやすみなさい。


【Mさんより】

はやし浩司先生へ
   
  今日は始業式でしたが、ひどいお天気でしたね。防災訓練もあり、ずぶぬれでの送り迎
えでスタートした、新学期でした。
   
  夏休みの自由研究へのアドバイスありがとうございました。O子は、今朝5時起きで、
パラパラ漫画を完成させ登校しました。木曜日にBW教室から帰宅するなり、パラパラ漫
画を作りたいと思いつめた表情で、こちらが、了解すると、水を得た魚のように作業に没
頭し、自分で早起きし事を終えていました。

月曜日に先生にも見てもらいたいと別に作成した作品を持参するつもりでいます。また
コメントお願いします。子供のやる気のすごさに感動中です。

すみません親ばかなメールを送らせてもらいます。     


【Yさん、Dさん、Mさんへ】

 まず最初に、みなさんは、すばらしいお母さんがたです。何が大切で、何がそうでない
か、よくわかっている!

 私も、二男が、受験勉強を放棄してしまったとき、内心では、正直言って、あわてまし
た。「受験勉強なんて、くだらない」と、です。中学2年生のときのことです。

 しかしやがて私は、二男の力を信じ、その二男を支持するようになりました。で、その
二男は、今、アメリカにいますが、親としての喜びは、自分の息子を信じきったというと
ころから生まれるのですね。

 三男もそうです。横浜のY大学を中退し、航空大学へ進みたいと言ったときのことです。
私は三男に、こう言いました。「お前は、金メダルを捨てて、銅メダルを自らもらうのか」
と。(本当は、危険な職業ということで、少し反対しました。)

 恩師の田丸先生も、「研究者としての道を歩みなさい」と、三男を説得してくれましたが、
私は、すぐあきらめました。と、同時に、三男を応援することにしました。

 その二男も三男も、今、自分の進むべき道を、生き生きと歩んでいます。親として、そ
れ以上、何を望むことができるというのでしょうか。

 言い忘れましたが、いろいろあって、長男も、今、また専門学校に通っています。「もう
一度、基礎から勉強しなおしたい」と言ったからです。

 子どもというのは、そういうものです。『だからどうなの?』という部分がないまま、受
験競争にかりたてたところで、意味はないということです。大切なのは、夢と希望、それ
に目的です。

 それさえしっかりしていれば、子どもたちは、自分の力で伸びていきます。つまずいて
も、つまずいても、前に進んでいきます。そういう力をすでに、もっています。

 私たち親ができることがあるとすれば、(また私が、みなさんのお子さんに対してできる
ことがあるとすれば)、その力に灯(ひ)をともし、その力を引き出し、そしてその力を励
まし伸ばすことでしかありません。そういう限界を知る親を、賢い親といい、すばらしい
親というのです。

 子どもを信じてあげましょう。また、いつか子ども自身も、それに気づくときがやって
きます。「私の親は、どんなときでも、私を信じてくれた」「支えてくれた」と。それが親
子の絆(きずな)を、確固たるものにします。

 私もこういう仕事をしているものですから、「さぞかし、あの林は、自分の息子たちに勉
強させたのだろう」と思う人は多いと思います。しかしそう思われることぐらい、私にと
って、不愉快ななことはありません。

 いいですか、子どもの受験競争に狂奔している親というのは、自分の不安や心配を子ど
もにぶつけているだけですよ。つまり自分のエゴのために、子どもを利用しているだけ。
口では、「愛しているから」と言いますが、そんなのは、愛でも何でもない。

 愛というのは、もっと苦しいもの。さらに一言付け加えるなら、自分の子どもを信ずる
ということは、本当にむずかしい。だまされても、だまされても、信じているフリをしな
がら、あとは許して忘れる。

 そういう親こそが、「真の親の喜び」(バートランド・ラッセル)を与えられるのです。

 なお、ご安心ください。

 私が責任をもって、Yさん、Dさん、Mさんのお子さんたちを、すばらしい子どもにし
ます。子どもたち自身が、自らの力で、伸びていくように、指導させていただきます。

 どうか、お任せください。これからもよろしくお願いします。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掲示板への相談より

++++++++++++++++++++

9月3日、日曜日。長旅から帰ってみると、
掲示板に、2件の書き込みがありました。

今すぐ返事を書きたかったのですが、今日は疲れました。
そのため相談だけをここに、紹介させていただきます。

Nさん、しんさん、どうか、勝手をお許しください。
(9月3日記)

+++++++++++++++++++

【Nさんより、はやし浩司へ】

5月と7月に、大1の息子のことで相談させていただきましたNです。
たびたび書き込みをして、申し訳ございません。

今朝、息子の元彼女の母親から、電話ありました。
主人が出ました。 

「(息子の)赤ん坊は生まれました。息子さんと連絡つかないので、その旨、伝えてくださ
い」という内容でした。主人は、「そうですか」しか、答えなかったそうです。

息子にそのことを伝え、どうするのか聞きました。息子はもうすでにそのことを知ってい
ました。が、息子の返事は、「まだ考えてないので、考えたら連絡する」でした。

先生のおっしゃる通り、今まで静観してきました。が、今回の電話では、とくに要求はあ
りませんでした。

息子はまるで人ごとのようです。私も主人も、妊娠6か月まになるまで、何も知らせてく
れなかった、元彼女と両親に対して、憤慨しています。が、その一方で、息子には責任を
とってもらいたいという気持ちもあります。

主人はまだ、静観しようと言います。 それでいいのでしょうか?!

9月からも、大学に行くかどうかさえ分からない息子。
なのに、車の免許をとったので、車買う!とまで言う、無責任な息子。
まだまだ、こうした状態を受け入れ、口にチャックをし、水が流れように、今の状態を見
守ったほうがいいのでしょうか?!

(まだ私は、子離れできていませんね。しかし人が一人、この世に生まれてきたのです。
息子のように、安易でいいとは、どうしても思えないのです。)
何度も何度もお許しください。


【しんさんより、はやし浩司へ】

長男、高校2年の息子のことで、ご相談させていただきます。

家族構成は、夫48歳、(自分)44歳、長女高校3年、長男です。夫の両親共に、74歳。
6人家族です。KN県在住。

長男は公立中学校を卒業した後、東京都内の、農学部のある大学の付属高校へ通っていま
す。

小さいころから、生き物など大好きで、中学に入ってからは、果樹や熱帯果樹に興味をも
ち、今では狭い庭ですが、季節ごとに色々な果樹が実りを見せてくれます。

中学のときの成績は中の上で、進路を決めた高校も、長男の学力に見合った学校と思って
いました。推薦入試ののち、一般入試で受けた、難関クラスへ入学しました。

(難関クラスというのは、長男が入学する年にできた、国公立大や有名大をめざすクラスの
ことです。)

部活はハンドボール部に入部しました。親としては小柄で、痩せていて、体力がなく、通
学にも1時間半かかるので、賛成できない気持ちもありましたが、本人の強い意志に任せ
ました。

ところが高1年の3学期ごろから、気持ち悪い、頭痛を訴えるようになりました。中学の
ころからの慢性じんましん症状を訴えていましたが、そんなわけで、通学途中、何度とな
く電車を途中下車して、引き返してくることがありました。

高校1年の2学期ころから、集中力がない自分に気づいたようです。あとはあせればあせ
るほど、勉強が手につかなくなる。そういう状態でした。

成績も下がりはじめ、2年の1学期に、さらに成績は落ちていきました。

そして2年の1学期の成績で赤点2つ。夏休み直前に担任と面談しました。このとき、こ
の先、自分はどうするかを考えて報告するという約束を、学校側にしました。が、その結
果、7月末に、息子は、担任へ、「退学」を宣言してしまいました。私には「部活も友達も
いいから、(いらないから)、学校を辞めたい」と言いました。

(難関コースから進学コースへの変更はできないとのことです。)

私からみても自信がなさそうで、ただ時間に追われている長男に気づいたのは、春休みぐ
らいのことでした。膨大な量の宿題もはかどらず、部活に追われていました。でも心の内
は話してもくれませんでした。私はただ漠然と悩み、さらに日々、一方的な『あらねば論』、
つまり「あなたはこうあるべきだ」というようなことを、長男に言いつづけていました。

2年の1学期期末テストが終わったぐらいから、行動も投げやりになり、何とか、かろう
じて生き抜いているといった状態でした。そういう中、ネットで調べて、(はやし浩司のH
Pにたどりつき)、やっと親の過干渉や抑圧と、度を越した勉強管理で、息子が自立できな
いで、苦しんでいることが判りました。

私はカウンセリングをうけたあと、長男に対して、すべての話しかけは辞めています。そ
のため息子の表情は、少し柔らかくなり、機嫌のいい時は、息子のほうから話をしてくれ
ます。

が、夏休み中、学校からの転校の提案がありました。「東京都内では可能だが、神奈川では
無理」ということでした。それで、9月から不登校をつづけています。

自立しなくてはいけない子どもに、余計な働きかけをしてはいけないことは、承知してい
ます。が、私たち親も信じられず、学校は行けない後ろめたさとか、退学すると宣言して
も、本心は学校に行きたいなどの気持ちなど、このまま誰にも心を明かすことなく、息子
が、孤独と戦っていかねばならないのかと思うと、どこかでカウンセリングを無理にでも
受けたほうがいいのかとも考えてしまいます。

今度のことで今までの自分がいかに子どもを信頼していなかったか気づき、ありのままの
長男を受け入れられる自信がでてきたのですが、自分だけが楽になっているように思い、
こうして相談させていただくことにしました。

よろしくお願いします。


【はやし浩司より、Nさん、しんさんへ】

 Nさんのやり場のない、怒りというか、不安というか、そういうものが、私にも、ひし
ひしと伝わってきます。一日とて、心が晴れることもない。安心して、眠ることもできな
い。忘れようとすればするほど、こうした問題は、心の内側にペッタリと張りつき、気を
ふさぎます。それが私にも、よくわかります。

 しんさんも、そうだろうと思います。「この先、うちの子はどうなるのだろう」という、
心配と不安。それらが、しんさんの心の中で、渦を巻いている。一日、一日が、機械じか
けの責め具のように、胸を押しつぶす。それも、私には、よくわかります。

 他人の子どもなら、足で蹴飛ばして、「ハイ、さようなら」と言うこともできるかもしれ
ません。が、それができない。できないから、Nさんも、しんさんも、宿業と言えるよう
な、大きなジレンマの中で、もがき、苦しんでしまうのです。

 しかしね、Nさん、しんさん、どこの家庭も、そしてどこの親子も、みな、同じような
問題をかかえているものですよ。外から見ると、みな、うまくやっているように見えます
が、それはあくまでも、外見。問題のない家庭などないし、問題のない親子など、ないの
です。

 こうした問題が、家族の中で起こると、だれしも、「どうして、うちの子が……」「どう
して、うちの子だけが……」と思うものです。しかしこの種の話は、いまどき、珍しくも、
何ともありません。ゴマンどころか、ジューマン単位で、あります。

 一見、子どもの問題に見えますが、これは子どもの問題ではありません。要は、その運
命を、受け入れるかどうかという問題です。受け入れてしまえば、何でもないのです。

 Nさんについて言えば、「孫ができた」。それだけのことです。形にこだわることはない
のです。また家族に、形など、ありません。結婚して子どもができた直後に離婚……とい
うケースは、いくらでもあります。

またしんさんについて言えば、「高校を中退した」。それだけのことです。が、Nさんも、
しんさんも、「コース」にこだわっている。そのコースにこだわり、自分を、がんじがら
めにしている。

 そして自分の心配や不安を妄想的にふくらませ、ああでもない、こうでもないと悩んで
いる。

 アメリカなどでは、女子高校生の妊娠、出産など、まさに日常茶飯事ですよ。高校の中
に託児所があるほどですから。また同じくアメリカには、現在、ホームスクーラー、つま
り学校へ行かないで、自宅で学習している子どもが、推定で、200万人以上、いますよ。

 シングルマザーにしても、みな、たくましく、自分の子どもを育てています。あえて結
婚という形を選ばない、シングルマザーたちです。

 運命というのは、それを恐れたとき、悪魔となって、キバをむいて、あなたを襲ってき
ます。しかしそれを笑えば、運命というのは、向こうから退散していきます。Nさんも、
しんさんも、運命を恐れるあまり、自分を見失ってしまっている。

 私には、そんな感じがします。

 で、どうでしょう。もうこの際ですから、自分の運命を、前向きに受け入れてしまって
は……? 何でもないことですよ。もっと言えば、私もあなたも、息子さんたちも、今、
こうして元気で、この地球の上で生きている。そこを原点にして考えれば、何でもないこ
とですよ。

 ハハハと、「少し早いけど、孫ができちゃった」と、笑えばいいのです。
 ハハハと、「うちの子も、高校を中退しまして」と、笑えばいいのです。

 「もう一度、子育て、やってやるか」と、前向きに考えればいいのです。
 「何年後でもいい。そのうち専門学校で勉強したくなったら、勉強すればいい。今は、
心を休めるとき」と、前向きに考えればいいのです。

 だって、どうにもならないでしょ。いや、あなたがたが、何とかしようとあせればあせ
るほど、かえって、ものごとは、(あくまでもあなたがたにとっての話ですが)、悪いほう
へ、悪いほうへと、進んでしまう。

 私も、自分の子育てをしながら、いろいろな問題にぶつかりました。実家の問題も、あ
ります。でもね、そのつど、そうした運命を受け入れることで、そうした問題を乗り越え
ることができました。

 「さあ、来たければ来い」とね。そして、その分、私はこう思うようにしました。「お前
たちの分まで、がんばってやる!」と。そう思ったとたん、気持ちがウソのように楽にな
ったのを覚えています。またそれがバネとなって、私に生きる活力を与えてくれました。

 以前、その女性についての原稿を書いたことがありますが、Nさんや、しんさんのかか
えている問題など、何でもないと言えるほど、深刻で不幸な境遇の人(女性、30歳くら
い)がいました。

 父親は、その女性が、3、4歳のとき、自殺。以後、養女として、親戚をたらい回しに
されたあと、叔父に強姦され、家出。それが中学2年生のとき。そのあとは、お決まりの
流転生活。非行。妊娠、中絶。その繰りかえし。やっと現在の夫と結婚し、2人の子ども
をもうけたが、そのころ、今度は、兄が自殺。おまけに下の子(8歳)が、重い病気に…
…。

 その女性は、「もう何がなんだか、わけがわからなくなりました」と手紙に書いていまし
たが、そんな女性でも、今、懸命に生きていますよ。明るく、前向きに生きていますよ。「今、
ここで幸福を逃がしたら、私は、本当に不幸になってしまう」「幸いにも、夫は、私を愛し
てくれています」「すばらしい家庭を築いています」と。

 Nさんについて言うなら、養育費の問題が出てきたら、そのときは、そのとき。それを
バネにして、あなたはもう一度、人生にチャレンジすればいいのです。またしんさんにつ
いて言うなら、もう学校など、あきらめなさい。

 何が、難関コースですか!! 笑わせるな!! そんな愚劣な高校なら、あなたのほう
から、蹴飛ばしてやりなさい。つまずいて、ころんでいく子どもに転校を勧めるような学
校は、もう学校ではありません。ただの訓練校。進学塾。バカを育てる、家畜の養育場。

 そういう学校に背を向ける、あなたの子どものほうが、よっぽど、正常です。わかりま
すか? ただしばらく、今までの後遺症が残り、ここ数年は、あなたの子どもは、宙ぶら
りんの状態になるかもしれません。

 しかし大切なことは、あなたたちは、自分の子どもを最後の最後まで、信ずることです。
だまされても、だまされたフリをして、無視することです。わかりますか?

 あなたたちの子どもは、あなたたちの過干渉と、過関心で、心の中がズタズタにされて
いる。私があなたたちの子どもなら、「もう、いいかげんにしてくれ」と、叫ぶでしょうね。
きっと……。うるさくてしかたない……。何かをするたびに、ああでもない、こうでもな
いと、否定ばかりする。たまらないでしょうね。きっと……。

 とくにNさんは、何かあるたびに、ものごとを悪いほうに、悪いほうに考えてしまう(?)。
車の運転免許を取ったら、だれだって、つぎに車をほしがうようになりますよ。どうして
それが悪いことなのですか。親の価値観を、子どもに押しつけないこと。

 こうした身勝手さが、あなたと、あなたの子どもの間を遠ざけている。そういうことを、
あなたは考えたことがありますか? あなたは、いつも、自分のことしか、考えていない!
 あるいは自分の不安や心配を、自分の息子にぶつけているだけ! 自分がしてきた、数々
の、失敗は、すべて棚にあげて、それを正面から見ようともしていない。それともあなた
は、「私はすばらしい母親だった」「すばらしい母親になるために、努力してきた」と、あ
なたは胸を張って、それを言えるとでもいうのでしょうか。

 あなたにして、あなたの子どもなのです。

 だから、もう運命を受け入れなさい。前にも書いたと思いますが、あなたの孫が生まれ
たのです。今は、愛情は感じないかもしれませんが、会って、世話をするうちに、あなた
の感情も変わってくるはずです。もしあなたが心のどこかで、祖母としての、責任を感ず
るならの、話しですが……。

 毎回、きびしいことを書いていますが、これはあなた自身を救うためと、許してくださ
い。しかしもしここであなたが、この問題から逃げるようなことがあれば、つまりあなた
の息子に問題を押しつけて逃げるようなことがあれば、あなたはあなたのままだというこ
とです。

 しかし運命を前向きに受け入れれば、あなたはこの時点を境に、もっとすばらしい世界
をそこに見ることになります。あなたは、すばらしい女性になることができます。

 どうですか? それができますか? が、もしそれができないというのなら、もう私の
ような人間に相談するのは、やめなさい。相談したところで、問題は、何も解決しません
よ。あなたはいつまでも、ジクジクと悩みつづけるだけです。

 しんさんも、同じです。今、あなたの子どもは、自分の命をかけて、あなたに何かを教
えようとしているのです。それに謙虚に耳を傾ければよいのです。「あなたは苦しかったの
ね」と、です。

 いいですか、親が子どもを育てるのではありませんよ。子どもが、親を育てるのですよ。
幾多の山を越え、谷を越えるうちに、親が、子どもに育てられるのです。それに気づけば、
あなたたちは、すばらしい親になれます。と、同時に、こうした問題は、笑い話となって、
闇のかなたに消えていくのです。

 あと一歩ですよ、みなさん! がんばってください! 


++++++++++++++++++++

話は変わりますが、運命について書いた
原稿を、一作、添付しておきます。

++++++++++++++++++++

●ある姉妹の運命

+++++++++++++++++

それぞれの人には、それぞれ、
クモの糸のように、無数の
人間関係がからんでいる。

そしてそのクモの糸にからまれている
うちに、その人の人生がどうあるべきかが
決まってくる。

それを「運命」というなら、運命は、
だれにでもある。

+++++++++++++++++

 運命というのは、それを受け入れた者には、喜びを与え、それを拒否する者には、苦痛
と悲しみを与える。運命というのは、それを前向きに構えた者には、笑顔を見せ、それに
背を向けたものには、キバをむく。

 大切なことは、どこでどう、その運命を受け入れ、どこでどう前向きに構えるかという
こと。……というほど大げさな問題ではないが、最近、こんなことがあった。ワイフの友
人の問題だが、それには、いろいろ考えさせられた。

それを話す前に、少し、説明しておきたいことがある。

子育ての世界には、「代償的過保護」という言葉がある。一見、過保護のように見えるが、
過保護ではない。過保護には、その背景に、深い親の愛情が見え隠れするが、代償的過
保護には、それがない。

 子どもを自分の支配下において、子どもを自分の思いどおりにしたいというのが、代償
的過保護。つまりは、過保護もどきの過保護。もっと言えば、子どもを、親の心のすき間
を埋めるための、道具として利用する。よい例が、子どもの受験勉強に狂奔する親たち。「子
どものため」と言いながら、何も、子どものことなど、考えていない。自分の不安や心配
を解消するために、子どもをして、受験勉強にかりたてる。あるいは自分が果たせなかっ
た夢や希望を、子どもを通して達成するために、子どもを利用する。それが、「代償的過保
護」。

 この代償的過保護になる親には、共通のパターンがある。

(1)心のすき間、つまり精神的未熟さ、情緒的不安定さがある。
(2)いつも満たされない欲求不満をかかえている。
(3)「産んでやった」「育ててやった」を口ぐせにしやすい。
(4)子どもの自立、独立を阻止しようとする。自分から離れていくのを許さない。
(5)ベタベタの親子関係をつくりやすい。子どもに依存心をもたせやすい。
(6)自己愛的傾向が強く、ものの考え方が、自己中心的で、人格の完成度が低い。
(7)独得の子ども観をもっている。

 最後の「独得の子ども観」というのは、親にベタベタ甘える子どもほど、いい子で、か
わいい子と考えやすいことをさす。そして、子どもを大切にするということは、子どもに
いい思いや、楽をさせることと誤解する。

 Aさん(60歳、女性)は、まさに、そんなタイプの母親だった。虚栄心が強く、世間
体を、異常なまでに、気にした。その上、自分勝手でわがまま。2人の娘がいたが、その
娘たちとは、はやくから絶縁状態。顔を合わせることもあったが、会うたびに、Aさんは、
娘たちに、「親不孝者め!」とか、「地獄へ落ちるぞ!」とか言って、娘たちをおどした。
Aさんは夫とは、その5年ほど前に、死別していた。

 が、不幸は突然やってきた。不幸といっても、Aさん自身のことではない。娘たちの不
幸である。ある朝、Aさんは、脳梗塞を起こして、倒れてしまった。幸い、症状が軽く、
運動マヒは残らなかった。しかし人格が、変ってしまった。「母は、まるで別人のように、
無表情で、怒りっぽくなった」(妹)とのこと。しかしそれは同時に、娘たちの苦しみのは
じまりだった。

 2人の娘は、たがいにけんかをした。「あんたが長女だから、めんどうみろ」「あんたの
ほうが、母にかわいがってもらったのだから、あんたが、めんどうをみろ」と。

 結局、生活費は妹夫婦が負担して、姉のほうが、Aさんのめんどうをみることになった。
暗黙の了解ということだったが、娘たちは、自分の人生をのろった。とくに姉のほうが、
その負担を大きく感じた。

 姉は、毎週のように妹の家に来て、グチを言った。そのグチが、ときには、1時間以上
もつづくことがあった。姉は、介護ノイローゼから、うつ病の一歩手前という状態ではな
かったか。

 夜眠れない。朝早く、目がさめてしまう。耳鳴りがひどい。食欲がない。血圧があがっ
た。腰が痛い。頭痛がする。吐き気がする、などなど。

 そして母親のささいなことを取りあげて、ああでもない、こうでもないと不平、不満を
並べた。たとえば、インスタントラーメンが、台所のシンクの穴につまっていた。洗面所
のお湯が流しっぱなしになっていた。パンが、戸だなの中で、腐っていた。植木鉢の花が、
枯れてしまった、など。

 そしてあれこれ理由を並べて、妹が出すお金では、足りないと不満を言った。「往復する
だけでも、20キロはある。ガソリン代が高い」と。

 妹のほうは、言われるまま、そのつど、2万円とか3万円とか、払っていた。が、それ
が当たり前になると、今度は、「時間が取られる」「夫の仕事が手伝えなくなった」「旅行に
行けなくなった」と、妹に訴えた。

 母親はまだ、そのとき、65歳になっていなかった。一応、身の回りのことは、自分で
できるので、介護の認定審査も受けられなかった。姉は、母親を、グループ・ホームへ入
れたいと言った。が、月々の費用だけで、13万円。プラス、小遣い。

 が、ここで、事件が起きた。母親が、姉に、それまでは自分で隠しもっていた、銀行の
通帳と印鑑を、渡した。見ると、そこには、1000万円近い金額があった。夫、つまり
姉妹の父親の生命保険金も、それに含まれていた。姉は、「私が預かる」と言って、その通
帳と印鑑を、自分のところへもっていってしまった。が、このことは、妹には、話さなか
った。

 しかし、それは、やがて妹の知るところとなった。母親が、妹のほうへ、電話をした。
その通帳と印鑑の話をした。妹は、即、姉に電話をして、金額をたしかめた。が、姉は、「見
ていない」「計算していない」「300万円くらいかな」と、とぼけた。

 とたん、妹は、姉への不信感をもつようになった。それまでは姉の健康に気をつかって
いた。母親のめんどうをみない自分に恥じて、姉の言うままに、お金を出していた。その
妹は、私のワイフにこう言った。

 「母も母ですが、姉も姉です。私たち姉妹は、母のおもちゃのようなものでした。ウソ
のかたまりというか、何が本当で、そうでないのか、わからない人でした。私たちは、母
に、いいように操られていただけです。そういう自分に気がついて、母とは絶縁しました
が、姉まで、ウソつきと知って、もう何を信じていいのか、わからなくなりました」と。
そして、こう言ったという。

 「しばらくしてから、私の心の中に、大きな変化が起きたのがわかりました。姉に対し
て、平気でウソをつくようになってしまったということです。たとえば毎週のように私の
家までやってきて、グチを言っていましたが、それに対して、私と夫は、居留守を使うよ
うになりました。息子たちにも、口裏をあわせさせています。

 電話機をナンバーディスプレイにして、姉からの電話を受けないようにしました。携帯
電話の番号も変えました。姉には、携帯電話はもうやめたと話してあります。

 で、姉が来そうな日には、わざと何か用をつくって、家にはいないようにしています。
以前の私なら、それだけでも、罪の意識をもったでしょうが、今は、もう、ありません」
と。

 こうした現象は、シャドウ論で説明できる。

 人はだれしもある程度の「仮面(ペルソナ)」をかぶる。仮面をかぶって生きている。よ
い例が、ショッピングセンターの女性である。いつもにこやかな笑みを絶やさない。しか
しそれは仮面。

 で、その仮面を仮面と気づいている間は、問題ない。しかし中には、その仮面を脱ぎ忘
れてしまう人がいる。仮面を仮面とわからなくなってしまう。そして自分を、「善人」と錯
覚してしまう。

 ここに書いた、Aさんが、そうではなかったか。妹は、こう言う。「私の母は、他人の前
では、まるで牧師か何かのように振る舞います。しかしその他人の目の届かないところで
は、他人の悪口ばかり。他人の不幸が、何よりも楽しい、といった感じの話し方をします」
と。

 が、やがて、2人の娘たちと疎遠になると、Aさんは、その娘たちにも、まるで牧師の
ような振る舞いをするようになったという。で、あるとき、妹が、Aさんにこう言ったと
いう。「母さん、私に、そんな手を使っても、無駄ですよ。私は、母さんが、本当は、どん
な人かよくわかっていますから」と。

 しかしもうそのときには、Aさんには、妹の言った言葉を理解する能力がなかった。仮
面が、仮面であるとさえわからなくなっていた。

 が、仮面をかぶればかぶるほど、自分の中の邪悪な部分を、心のどこかに閉じこめよう
とする。意識的にそうすることもあるし、無意識的にそうすることもある。そしてその邪
悪な部分については、あえて「私ではない」と、言い切ったりする。

 その一例として、反動形成がある。牧師が、ことさらセックスや不倫の話を嫌ってみせ
たりするのが、それ。よい人間を演じつづけていると、その反動として、邪悪なものを、
おおげさに遠ざけようとする。

 が、問題は、ここで終わるわけではない。

 こうして仮面をかぶることにより、その邪悪な部分が、心の奥に閉じこめられる。しか
しそこでその邪悪な部分が消えるわけではない。その邪悪な部分が、その人のシャドウ(影)
となって、その人をウラから、操ることがある。

 が、それはそれ。その人の勝手。実は、親がこうしたシャドウをもつと、そのシャドウ
を、子どもが引きついでしまうことがある。そういう例は、たいへん、多い。Aさんのケ
ースで言うなら、姉が、Aさんのシャドウを引きついでしまったことになる。妹は、こう
言う。

 「姉も、私も、あれほど母を嫌っていたのに、その姉が、母そっくりの人間になってい
ったのには、驚きました。もちろん姉は、それに気づいていません。今でも、『私は、母と
はちがう』と思っているようです。しかし一歩退いてみると、つまり私から見ると、母と
姉は、一卵双生児のようによく似ています」と。

 ここまで書いて、私は、2つの話をしなければならない。ひとつは、「運命論」。冒頭に
書いたのが、それ。もうひとつは、「代償的過保護論」。これはそのつぎに書いた。

 まず運命論についてだが、姉が、心安くなるためには、運命を受け入れるしかない。が、
現状では、姉は、その運命を拒絶している。だから、つぎからつぎへと、問題が起きてく
る。もっともこれについては、私のワイフは、こう言う。

 「愛情の問題ではないかしら。その姉妹に、母親に対する愛情があれば、問題は、問題
でなくなってしまうはずよ」と。つまりその愛情が欠落しているから、母親の介護が重荷
になるのでは、と。

 そこで、問題なのは、なぜ、その姉妹の愛情が消えてしまったかということ。その理由
が、実は、代償的過保護ということになる。Aさんは、もともと、娘たちを愛してはいな
かった。口では、「かわいがってやった」とよく言うそうだが、娘たちは、そうは思ってい
ない。

 姉が結婚するときも、妹が結婚するときも、「スープが冷めない距離」を条件に出したと
いう。
とくに妹のほうは、そのため、遠地に住む恋人と別れねばならなかったという。つまりA
さんは、姉妹の幸福よりも、自分の幸福を優先させた。それが長い時間をかけて、現在の
親子関係を、つくった。

私「今のままじゃあ、姉のほうも、たいへんだね」
ワ「要するに、2人とも、Aさん(母親)を、心の中では、うらんでいるのね」
私「そういうこと。が、うらめばうらむほど、母親のもつシャドウの呪縛のとりこになっ
てしまう。クモの巣の糸にからまれるように、ね」
ワ「母親を嫌えば嫌うほど、母親のような人間になってしまうということ?」

私「そういうケースは、多いよ。本来なら、親子関係を清算するのがいいのだけれど、そ
れはできないしね」
ワ「すべての原因は、Aさんにあるのよね。子育てそのものが、最初から、ゆがんでいた。
Aさん自身の生きザマにも、問題があったと思うわ」
私「ぼくも、そう思う。で、姉のほうもたいへんだろうけど、妹さんのほうは、これから
先、もっとたいへんだろうね。Aさんが死ぬまで、10年とか、20年も、この問題はつ
づくからね……」と。

 運命というのは、それを受け入れた者には、喜びを与え、それを拒否する者には、苦痛
と悲しみを与える。運命というのは、それを前向きに構えた者には、笑顔を見せ、それに
背を向けたものには、キバをむく。

++++++++++++++++++

【補記】

 ここに書いた、Aさんというのは、架空の母親です。もともと、この話は、私の義姉か
ら聞いたものです。その話をワイフが私にしたので、さらに詳しくということで、私が義
姉に会って、内容をたしかめてきました。

一部、その人とわからないようにするため、説明不足の点もありますが、それはお許し
二部、ください。義姉から、「Aさんがだれか、ぜったいにわからないように書いてね」
三部、と、強くクギを刺されています。

 なお、本文の中で、「代償的過保護」「シャドウ」という言葉を使いましたが、それは義
姉との会話の中で、私が、義姉に説明した部分です。「そういうのを、代償的過保護という
のですよ」とか、「シャドウとかいうのですよ」とか。

 それについても、どこか説明不足なところもありますが、この原稿は、また日を改めて、
書きなおしてみたいと思います。

【付記】

 ウソをつく人に会うと、こちらまで、ウソをつくことに抵抗感がなくなってしまう。そ
してさらにその人と、長く会っていると、ウソをつくことが平気になってしまう。

 こうしてウソつきのまわりには、ウソをつく人ばかりが集まるようになる。そして一趣、
独特の世界をつくるようになる。

 だから、ウソをつく人とは、できるだけ早く、別れたほうがよい。距離をおいたほうが
よい。でないと、自分の人間性まで、腐ってしまう。長い時間をかけて、そうなる。

 親や、兄弟、親類、縁者のばあいは、そうは簡単ではないかもしれない。そこで重要な
ことは、ウソにはウソで返すのではなく、そのつど、自分と戦う必要がある。心して、正
直、誠実をつらぬく。

 実は、ここに書いた妹さん自身も、すでに、姉のウソの呪縛の虜(とりこ)になりつつ
ある。居留守を使ったり、ナンバーディスプレイの電話にしたり、さらには、「携帯電話は
もうやめた」とウソをつくことなど。息子たちに、口裏をあわせるように指示することに
よって、今度は、息子たちが、その呪縛の虜になってしまう可能性もある。

 このままでは、妹さんのほうも、やがて、Aさんのシャドウに巻きこまれてしまう。も
ちろん妹さんも、それに気づいていないが……。ユングが説いた、シャドウ論の本当のこ
わさは、ここにある。
(はやし浩司 代償的過保護 親の育児姿勢 シャドウ シャドウ論 兄弟の確執 親子
の確執)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●受験競争国家の終焉

+++++++++++++++++

今から20〜25年も前のこと、
韓国の受験競争のはげしさは、
日本の比ではなかった。
まさに異常だった。

現在も、基本的には、それがつづいている。

しかしその韓国。それが一段落すると、
国をあげて、受験競争に狂奔することになった。

「先進国になる」「アジアの大国になる」と。

そのため、韓国のニュースは、
連日、数字の羅列(られつ)。

「○○業は、世界3位」
「○○の分野では、世界4位」と。

その韓国が、GDPで、今度、
世界10位から、12位に転落した。

彼らが受けるそのショックは、
私たち日本人が考えているより、はるかに大きい。

「これで韓国はダメになった」と、
そんな悲鳴に近い声さえ、聞かれる。
「韓国はへたをすれば、アジアの中でも
最貧国になるかもしれない」という声さえも
聞かれるようになった※1。

何も、ダメになったわけではないと、
私は思うのだが……。

+++++++++++++++++

 今の韓国の人たちに、「豊かさとは何か」と問いかけても、あまり意味はない。彼らにと
っての豊かさとは、狭い家の中に、電気製品や、コンピュータなどが、ところ狭しと並べ
られている状態をいう(?)。

 ここまで書いて思い出したが、もう10年ほど前になるだろうか。個人所得額で、オー
ストラリアがシンガポールに抜かれたときのこと。「君は、どう思う?」と、オーストラリ
アの友人に聞いたとき、その友人は、こう答えた。

 「それがどうした? だれもシンガポールに負けたとは思っていないよ」と。つまりお
金(マネー)だけで、国やその個人の豊かさは、決まらない、と。友人は、それを言った。

 そう言えば、アメリカに住む二男も、同じようなことを言ったことがある。「アメリカ人
の家の中は、どこも、ガランとしている。それとくらべると、日本人の家の中は、電気製
品で、あふれかえっている。(そういうものが多いからといって、リッチということにはな
らない)」と。

 その韓国だが、つい先日まで、「世界の10大、大国になった」と、はしゃいでいた。つ
いでに、「我々も、先進国首脳会議に出席する資格がある」と。が、それは長つづきしなか
った。

 今、韓国経済は、急速に萎縮し始めている。その結果、GDPで、12位に転落してし
まった。朝鮮N報は、つぎのように伝える(06年9月)。

 「3年以上続く内需沈滞により経済が活力を失い、輸出が混迷する『内憂外患』に陥っ
ている。さらに深刻なのは将来の展望だ。企業家の士気が失墜し、投資が萎縮しているほ
か、経済の未来を担保にした成長潜在力が急激に失速している」と。

 自由主義貿易圏に自分を置きながら、反米、反日を唱える、そのおかしさ。親北、親中
を唱える、そのおかしさ。現在のN政権は、まずそれに気づくべきである。もっとも仲よ
くすべき日本に、ツバをひっかけるようなことばかりしておいて、何が、先進国だ!

 一方、私たち日本人も、貴重な教訓を学んだ。「韓国は、味方ではない。敵である」とい
う教訓である。ノー天気なオバチャンたちが、韓国の映画俳優にうつつを抜かすのは構わ
ないが、これがまぎれもない、そこにある現実である。

で、この8年、韓国がしてきたことと言えば、まさに受験競争。日本を敵性国家と位置
づけ、「日本に追いつけ」「追い越せ」の、かけ声ばかり。日本のバブル経済がはじけた
ときには、「もうこれで日本の再生はない」「今がチャンス」と、韓国の経済紙は、連日
のように書きたてた。よほど、それがうれしかったらしい。

 が、日本とてバカではない。現在、打倒韓国の旗印のもと、韓国の基幹産業である、電
子産業、自動車産業にターゲットをしぼり、猛烈な巻きかえし戦略に出始めている。これ
らの産業への集中的な投資に平行して、台湾、インドに、日本外資を移動しつつある。

 とたん、韓国は、今の韓国になった。

 現在、あらゆる韓国の経済指標は、負の方向に向かい始めている。「(経済の)早老化現
象だ」「韓国は、老いつつあるトラ」とか、などなど。そして今回の、「最貧国論」である。
私の知ったことではないが、ただひとつ、韓国のN大統領が、誤解していることがある。

 それは、日本が、いまだにこのアジアの中では、指導的な先進国であるということ。韓
国以外の国々では、日本は信頼され、尊敬されている※2。それを忘れてはいけない。


注※1……モルガン・スタンレーアジア太平洋本部の、アンディ・シェ(謝國忠)首席エ
コノミスト(45)。「韓国経済は現在、成長を実現させる原動力が、徐々に縮小していく
症状に悩まされている。韓国の高度成長時代も、もはや過去の話となり、今や年5%台の経
済成長すら危うい状況にある。今後もこうした状況が続くと、どうなるのだろうか。 
 
韓国が潜在成長力を伸ばすことに失敗すれば、中国の辺境をなす一小国やフィリピンと
同レベルの貧困国に転落することもあり得る」と。


注※2……読売新聞社は、韓国日報社、ギャラップ・グループと共同で、「アジア7か国世
論調査」を実施した。

 東南アジア諸国では、「日本との関係が良い」と見る人が9割以上に達した。「日本を信
頼できる」人も7〜9割を占め、対日感情の良さが裏づけられた。

一方、急速な経済発展を背景に、東南アジアでの中国の好感度も増しており、関係強化
の進展が示された。

 調査は、インド、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム、韓国および日本の7か
国で、6月下旬から、7月中旬にかけて面接方式により実施した。アジアの複数国で同
時に世論調査を行ったのは1995年、96年に続き3回目。

 日本との関係が「良い」は、インドネシアとタイでは「非常に」と「どちらかといえば」
を合わせてそれぞれ96%に達し、ベトナムで計92%、マレーシアでは計91%に上
った。

この4か国では、同じ質問をした95年調査でも「良い」が9割超だった。初めてこの
質問をしたインドでも「良い」は計89%に上った(読売新聞より転載)。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【新・日本論】(修正・採録版)

+++++++++++++++++++++

日本が、日本(NIPPON)であること自体、
おかしな話なのです。

どうして日本が、「日本(NIPPON)なのか、
あなたは考えたことがありますか。

+++++++++++++++++++++

 「日本」というのは、読んで字のごとく、「日の本(もと)」。つまり「太陽が生まれる国」
という意味。

 しかし日本が、太陽が生まれる国であるというのは、日本の西、つまり朝鮮半島や中国
から見た発想。日本に生まれて、日本で育った人の発想ではない。「日本」という国の呼び
方にしても、そうである。どうして、「NIPPON」と、音読みにするのか? 音読みと
いうのは、いわゆる「中国式の読み方」ということになる。

 ……ということで、少し前、それについての原稿を書いた。が、これを補足するような
事実が、またまた明るみになってきた。森博達著、『日本書紀の秘密』(中公新書)という
本が、それである。

 この本でいう「秘密」とは、「日本書紀」の内容そのものではなく、それが記された過程、
特に誰が書いたのかという謎を指している。 

 著者はこの研究を通じて、「日本書紀」が2つの部分、すなわち完ぺきな中国式の漢文を
駆使した「アルファ群」と、日本式の漢語や単語選択の誤りが目につく「ベータ群」が混
在していることを明らかにしている。そのため、背景が異なる複数の著者が執筆を行った
可能性が高いという。 

 著者は中国から渡ってきた学者が執筆したアルファ群(第14〜21巻、第24〜27
巻)と、新羅に留学した日本人僧侶が書いたベータ群(第1〜13巻、第22〜23巻、
第28〜29巻)、そしてどちらにも属さない第30巻に分けられると結論づけている。 

 これを手がかりに、著者は「日本書紀」が執筆された7世紀末の状況を推理している。
同書は日本で第54回毎日出版文化賞を授賞しているという。

 もしこんな本を戦前の日本で発表したら、即、何かの罪で、投獄されたにちがいない。
もちろんこの私とて、無事ではすまない。「日本書紀」といえば、日本人のルーツ。民族主
義者たちのバイブルにもなっている。

 が、この日本を一歩離れてみると、そこには、まったく別の世界がある。別の歴史が流
れている。

 日本の天皇(日王)にしても、韓国や中国では、朝鮮から渡った騎馬民族の一派である
という説が、常識になっている。わかりやすく言えば、邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)と、
日本の天皇は、どこをどう調べても、つながっていない! 言うなれば、ここが日本の歴
史の中の、ミッシング・リンクということになる。

 が、日本という国を、「東洋史」という世界でみつめなおしてみると、こうした矛盾が、
一気に解決する。「日本も、東洋の一部である」という歴史観である。縄文式文化はともか
くも、弥生式文化にしても、中国大陸から戦乱を避けて、のがれてきた中国人たちが作っ
た文化であると考えると、弥生式文化にまつまる数々の謎が、氷解する。

 同じように、「日本」という国にしても、そうだ。「奈良(ナラ)」という都にしても、そ
うだ。

 が、だからといって、私は何も、日本という国を否定しているのではない。日本という
国は、今、ここにあるし、これからも、ずっと、ここにある。しかし歴史は歴史として冷
静に見ていかないと、日本人はいつまでたっても、井の中の蛙(かわず)で終わってしま
う。

++++++++++++++

もう一度、少し前に書いた原稿を、
ここに再掲載しておきます。

++++++++++++++

●「日本」の謎

++++++++++++++++++

「日本」がもつ、最大の謎。
それは、日本が、なぜ「日本」なのか。

日本という国の名前を、「ニッポン」と、
音読(中国式の読み方)すること自体、
おかしい。

また、「日本」とは、読んで字のごとく、
「日の本(もと)」、つまり、
「太陽が昇る国」という意味
である。

が、どうして日本が、その
「太陽が昇る国」なのか?

++++++++++++++++++

 私がUNESCOの交換学生で、韓国にいたとき、こんな話を聞いた。話してくれたの
は、金素雲という名前の歴史学者だった。当時の韓国を代表する文化人でもあった。

 「日本の都の奈良は、韓国人が創建した都市だ。韓国から見て、(地の果てにある国)と
いう意味で、『奈落』とした。『ナラ』という言葉は、今でも、韓国語では、『国』を意味す
る。

 しかし『奈落』では、まずい。で、そのあと、『落』という文字を、『良』にかえ、『奈良』
とした」と。

 私が「証拠がありますか?」と食い下がると、金素雲氏は、笑いながら、こう言った。「仁
徳天皇の墓を発掘すれば出てくるはずです」と。

 で、この話と少し関連するかもしれないが、日本が、なぜ、「日本」なのかという謎があ
る。わかりやすく言えば、いつ、だれが、この国を、日本と呼ぶようになったかというこ
と。

 「日本」という国の名前は、もともとは、「日の本(もと)」という意味である。「太陽が
昇る国(Country of the Rising Sun)」という意味である。となると、おかしなことになる。
日本は、自ら、自分の国を、「太陽が昇る国」と名づけたことになる。

 つまり日本が、その太陽が昇る国であるかどうかは、日本の西側にある国に住んでいる
人でないとわからないはず。日本人自身が、自らの国を、「太陽が昇る国」と名づけたとす
るなら、その視点そのものが、おかしい。(反対に日本が、「日没の国」という名前であっ
たとしたら、どうなるのか。そういう視点で考えてみると、わかりやすい。)

もし「日本」という名前を決めた人が、日本人であるとするなら、その人は、きわめて
国際的な感覚をもっていた人ということになる。少なくとも、一歩でも、日本から外へ
出たことのある人でないと、そういう発想は、わいてこない。

 日本は、その昔、「倭(わ)」と呼ばれていた。「倭の国」とも呼ばれていた。「倭」とい
うのは、「伽耶※(かや)」(任那の古称。その任那には、日本府が置かれた)の別称でもあ
った。その「倭の国」が、いつごろからか、今の「日本」という名前で呼ばれるようにな
った。

 それについて、韓国の、ある貿易会社の理事(S社P氏)は、こう書いている。P氏は
貿易会社の理事をしながら、一方で、歴史学者としても、知られている。

 「『日本』という国号を創案したのは、7世紀の高句麗僧・道顕である」と。

 つまり日本という名前を考案したのは、韓国人(高句麗人)だった、と。

 たいへんショッキングな意見だが、しかし、この説に従うと、日本がなぜ『日本』なの
かという謎が、解ける。韓国から見れば、日本は、たしかに「太陽が昇る国」である。だ
から日本は、「日本」になった?!

 P氏は、こうつづける。「つまり古墳時代はもちろん、奈良時代まで、古代日本の主流階
層は、韓半島(朝鮮半島)から渡った渡来人だった」(同氏著「日本の源流を訪ねて」(サ
ムエ社刊)と。

 まあ、こうした説は、日本の外では、常識。ここに書いた、「任那の日本府」(正確には
「任那日本府」という)にしても、日本では、あたかも日本が韓国を支配下に置くために
設置した、出先機関のような印象をもって語られている。私も、学生のころ、歴史で、そ
う習った。しかししかし韓国では、「ただの使途集団にすぎなかった」というのが常識。

 日本の歴史辞典(「角川新版日本史事典」)ですら、「百済または伽耶が設置した機関とす
る説もあるが、倭国が伽耶の安羅国に送りこんだ、使臣集団とする説が有力」※と書いて
いる。

 なぜ日本が、「日本」なのか? そんなことを考えた人は少ないと思う。だいたい日本と
いう国名を、「ニッポン」と、音読(中国式の読み方)すること自体、おかしい。なぜ日本
という国名が、中国式の読み方になっているのか。日本が、「日(ひ)の本(もと)」であ
っても、何ら、おかしくない。それについては、岩波書店の広辞苑には、つぎのようにあ
る。

 「……大和(やまと)を国号とし、(日本はその昔)、『やまと』『おほやまと』といい、
古く中国では「倭」と呼んだ。

 中国と修交した大化改新頃も、『東方』すなわち『日の本』の意から、『日本』と書いて、
『やまと』と読み、奈良時代以降、ニホン・ニッポンと音読するようになった」と。

 中国では、「東方にある国」という意味で、「日本」と書いて、「やまと」と呼んでいたと
いうのだ。

(マルコポーロの時代には、中国では、日本は、「Chipangu」(「東方見聞録」)
と呼ばれていたらしい(日本大百科事典)。「日本国」を、元の時代には、そう発音した
らしい。通説では、それが「ジパング」となり、さらに「ヤーパン(JAPAN)」とな
り、英語式の発音で、「ジャパン」となった。ただしこれについては、諸説が氾濫してい
る。

ここに書いたように、「ジパング」が、Japanとなったという説のほか、「日本」を、
南シナで「Jipenguo」と呼んでいたのが、Japanとなったという説などが
ある。)

もちろんここに書いたのは、数多くある「日本」説の中の一説にすぎない。しかしこと、
この「日本」にかかわる問題だけに、重大な問題と考えてよい。

 なぜ、日本が「日本」なのか? 考えれば考えるほど、謎が深まる。

(注※)(任那の日本府)……任那日本府は、倭国(日本の前身)の属領もしくは貢納国
であり、任那地域に一定の経済利得権(おそらく製鉄の重要な産地があった)を持ってお
り、事実上の属領であったと考えられていた。

しかし、1960年代ごろから、大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国で研究が進み、ま
た日本でも1970年代ごろから新たな視点から再検討が行われた結果、ヤマト朝廷の
任那支配は疑問視されるようになり、任那日本府については、倭と関連する集団(倭臣、
倭人集団)が、任那地域に一定の経済利得権を持っていたとする説が有力となっている。

近年、日本特有の墳墓であるとされていた前方後円墳が、任那に相当する地域から相
次いで発見され、その関連性が指摘されている(以上、ウィキペディア百科事典)。

(注※)「伽耶※(かや)」の「耶」は、人偏に、「耶」の字。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
日本論 任那日本府 任那の日本府 倭 日本の謎 大和 大和朝廷 新日本論 日本書
紀 NIPPON)

【付記】

 日本と韓国の歴史を比較していて興味深いのは、日本では、「献上」となっているところ
が、韓国では、「下賜」となっていることが多いということ。

 たとえば日本の歴史で、「朝鮮の使節団が、天皇に宝物を、献上した」というような部分
が、韓国の歴史では、「日王(=天皇)に下賜した」となっているなど。

 考えてみれば、当時の朝鮮(百済、任那、新羅、高句麗)が、日本の天皇に頭をさげな
ければならない理由など、どこにもない。当時の上下関係からすると、「下賜」のほうが正
しいということになる。

 私はそのことを、韓国の慶州へ行ったときに知った。バスの窓から、巨大な古墳群が、
まるで海の波のようにつながっているのを見たときのことである。私はそのスケールの大
きさに、ただただ圧倒された。

このことからだけでも、どちらが「上」か「下」かということになれば、明らかに、日本
が、「下」。当時の上下関係を、今ここで論ずること自体、おかしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1514)

【まじめに生きる】

++++++++++++++++++
大阪で宗教活動をしている友人の、
Y氏が、今度、自著を出版することになった。
その連絡が届いた。

 以前は、毎月のように連絡をとりあっていた。
 いろいろ励まされた。教えられた。

 いろいろな宗教家がいるが、Y氏は、いつも
 自分の生き様をしっかりと見つめ、
 人間がもつ(心の問題)を、真正面から
 とらえようとしている。

 その真摯な姿は、気高くも、美しい。

++++++++++++++++++
 
Yさんへ

拝復

 返事の連絡が遅れてすみません。ご自著を出版されたと聞き、少なからず、喜んでいま
す。とうとう、意思を完遂なさったのですね。おめでとうございます。1冊、お手数です
がお送りくだされば、喜んで購入させていただきます。

 紹介にありますように、「日本を良くする」ということは、私も同感です。またその必要
性を、強く感じています。私もおよばずながら、Yさんとは、方法や歩んでいる道はちが
うかもしれませんが、それを目的として、がんばっています。Yさんの本が、「どうしたら
いいのか?」と迷っている人たちの、道しるべになれば、うれしく思います。

 Yさんの、まじめなといいますか、真摯な宗教観は、必ず、多くの人たちの心を捉える
と思います。これからも、よろしくご指導ください。と、同時に、Yさんのますますの精
進を、心から楽しみにしています。

 ご出版の連絡、ありがとうございました。Yさんの達筆な文字を見るにつけ、気後れが
してしまいます。私は、こうしてほとんどの文章を、パソコンで書いています。改めて、
その味気なさを思い知らされています。本来なら、手書きで挑戦しなければならないので
すが、どうか、非礼をお許しください。

 本当に、奇跡的なご健康の回復、喜んでいます。またそうした事故にもかかわらず、そ
れをバネとして、前に進まれたYさんは、すばらしいと思います。ふつうなら、つまりほ
とんどの人は、その段階で、めげてしまうのですが……。

 こちらのほうは、何ということもない、平凡な人生を、淡々と歩んでいます。Yさんの
お気持ちを借りれば、砂漠のような無味乾燥した世界かもしれません。心のより所はすぐ
近くにあるはずなのに、手だけが届かない。そんな感じです。

 まあ、私なりにがんばってみるしかないと思っています。

 今朝は、一転、どこかの高山にでもいるかのような、気持ちのよい朝でした。こうして
文章を打っていても、何か、心がはずみます。「秋だなあ……」という感じです。

 これからも、どうかお体を大切に。無茶をなさいませんように。末永く生きて、しぶと
く、ともに、この世を見てやろうではありませんか。

 では、これで失礼します。

 電話をしようと思ったのですが、FAX番号しかなく、こうして手紙を書くことにしま
した。ていねいなお手紙をいただきながら、こうして返事が遅れたことを、重ねて、お許
しください。

 では、本が届くのを楽しみにしています。

                                  敬具


【補記】

 まじめに生きている人と接するのは、それだけでこちらの心が浄化されるようで、気持
ちがよい。Yさんという方は、宗教家でありながら、飾らず、気さくな人で、会うたびに、
すがすがしさを覚える人である。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                     
 
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            発行人 はやし浩司(ひろし)
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   このマガジンは、購読登録してくださった
.QQ ∩ ∩ QQ         方のみに対して、Eマガ社、BIGLOBE
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      まぐまぐ社より、配信しています。
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒      購読解除は、末尾、もしくは、それぞれの
. みなさん、   o o β     会社の解除方法にしたがってください。  
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/  
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 10月 2日(No 786 )
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版・カラー・写真版★★★
**********カラー版です。写真の紹介もしています***********
まぐまぐプレミア読者の方のために、HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html

【謹告】まぐまぐプレミアの購読料は、06年10月から、月額300円になります。
(9月までは、200円でした。)Eマガ読者(無料版)の方も、どうぞ、おいでくださ
い。

 10月2日現在、マガジンは、786号になりました。1000号まで、あと、214
号です。がんばります!!!!

********安全は確認しています。どうか安心して、お読みください*****

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【夏休みが終わって……】

+++++++++++++

Yさん、Dさん、Mさん、
3人のお母さんがたから、
この9月に入って、3通の
メールをもらいました。

それらをここに紹介させて
もらいます。

+++++++++++++

【Yさんより】

こんにちは。
今朝は、涼しかったですね。
秋の虫たちの声が心地いい朝でした。

先日は、延長レッスンしていただきありがとうございました。
お礼が遅くなってしまいすみませんでした。

先生の今朝のブログ拝見いたしました。
息子の受験のことでは、迷うことばかりです。

私個人のことですが、今年は子ども会の役を仰せつかり、
この夏休みは、子ども会の運営、夏祭り大会の準備など、
かなりハードでした。

このことが、多分(?)よかったと思う、いや、思いたいのですが、
息子の受験から、私自身かなり関心がそれていたと思います。
いわゆる、「夏休み中、受験勉強に奔走する親」にならなくてすむ状態でした。

よいほうに解釈すれば、本人に任せていました。

そんなとき、同級生の受験生のお母さん二人と、お話しする機会があり
考えさせられることがありました。

●A男君のおかあさん

「うちでは、勉強をしないから、今度から家庭教師もつけることにした。
それでも心配だから、日曜日の午前中は、夫に勉強をみてもらっています」

「学校の宿題もたくさんあって、本当に大変。」

「もう、毎日毎日こんなことで疲れちゃう。下の娘の時も
こんな思いをするのかと思うと、いやになっちゃう」

●B子さんのおかあさん

「今の成績では無理と、進学塾の先生に言われて、ついでに特訓教室に
申しこんできたわ。週2コースと週3コースがあって、週3コース
にしました」

「B子は、もう、どこの学校でもいいって言い出してしまって
困ってるの」

「毎晩、勉強しなさい、いやの、親子げんかばかり」

私は、それを聞いて、言葉を失いました。
「子どもの人生だから、子どもに任せるしかないから〜〜。」
などと、あやふやな受け答えをしながらも、少々焦る自分が、そこにいました。

そこで、このA男さんとB子さんとの会話を、そのまま息子に話してみました。
そして、感想を聞いてみました。

息子「私は、自分でやりたいから。勉強している横で、監視されたり
ぼくの意見も聞かないで夏期講習やら模試やら決められたら、絶対にイヤだ!!」

「自分がどうしなきゃいけないか自分が一番よくわかってるから
いちいち言われたら、やる気なくすよ。」

「親にそんなことされたら伸びるモンも伸びないよ。
私だったら耐えられない。」

……と、息子は、かなりはっきりとした口調で意見を言いました。

親が考えているよりも、多分子どもは真っ正面から、
受験に立ち向かっているのだと思いました。
そりゃあ、冷静に考えてみれば
子ども自身の方が緊張しているのは当たり前なのですよね。

実際、息子も仲良しのK君に誘われて夏期講習を受けてきました。
息子に聞いてみると、5日間で、かなり中身が、ぎっしりでした。

毎回、テストがありました。ベスト10は名前が張り出されたようです。
1日目、周りの状況にかなり驚いたようで、どこか気おくれしたと言っていました。
しかし、これが2日目、3日目と尻上がりにやる気が出てきて
ベスト10に名前が載るまでになりました。

うれしいことですが、こんなやり方は5日間ぐらいが限界だな。と
正直、思いました。

ですが、発見しました。
自分を発揮できる力がついてきていると、いうことです。

私は、本当に「BWのおかげだな」と思いました。
年が上の子どもたちから学習の姿勢を学び、物事をよく考える力
をつけていただいたことです。
とにかく「前向きにやろう!」という気持ちが、あふれて見えるのです。

「これは、何年もかけて、はやし先生やほかのBWの子どもさんから
学んで培ったことだな」と思いました。
そして、学習させられるという意識ではなく
「自分は今学習すべき時。自分は負けたくない。だからがんばる。」
と、いうことがよく判断できるまでに、成長しているなと思いました。

息子は「ぼくは、やるときはやるんだからねっ!!」 と、
そんなことを言いたげな様子でした。

で、夏休みも終わりに近づく頃こんな会話をしました。

私「夏期講習どうだった?」
息「結構、刺激になったよ。できる人いっぱいいたしね」
私「でも、いつもいつも順番つけられて勉強するのってどう?」
息「まあ、いつもいつもはイヤだね。でも、たまには刺激になっていいかも」
私「あの塾に通っている子は、1年間とか2年間、毎回やってるんだよ」
息「ぼくは、遠慮する。BWがいいよ。なんか安心する」

S中の説明会には約1500人が来ていたそうです。
単純にその半分(半数は保護者)が受験するとしても
かなりなモノです。

親子共々緊張していた帰り道、BWの前を通ったとき
ちょうどはやし先生と出くわしました。

息「ヘンなおやじ。(失礼!)だけど、癒し系だね。
なんか緊張とれたみたい。はっはっはっ。」

と、そんなことを言っていました。

私自身、正直、焦ります。
本当に、これでいいのかな……と。
周りのお母さんの話やら説明会の人数やら
色んな情報が入ってくるたびに焦ります。

でも、何とか踏みとどまることができているのは
やはり、はやし先生のマガジンや、子どもたちへの対応の仕方などの
影響がかなり大きいと思います。

思春期にさしかかり、息子への対応が以前より難しいなあ〜。
と思うこともしばしばです。

そんなときは 「自分が6年生の時はどうだったであろう」と
考えるようにしています。
何だか、もう一度、子ども時代を疑似体験しているような
そんな気持ちになります。

秋は、私のテニスクラブの試合や子どもたちの学校行事も
目白押し、もちろん子ども会の仕事も…。

息子に負けないように私は私の持ち場で精一杯がんばろうと思っています。

また、いろいろとご助言ください。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【アスペルガー障害】

++++++++++++++++++++

症状から、明らかに「アスペルガー障害」と
思われる子どもについての相談があった。

++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、GN先生へ】

GN先生へ

拝復

 お手紙、ありがとうございました。相談のあった子どもを、以下、T君(男児)として
おきます。

 私はドクターではありませんので、子どもを診断することはできませんが、症状からす
ると、T君は、アスペルガー障害(アスペルガー症候群)と、活発型自閉症の複合したタ
イプと考えてよいのではないでしょうか。それが基本にあって、不適切な家庭環境と指導
で、症状がこじれてしまっている。私は、そう判断しました。

 以下、アスペルガーついて、いくつかの文献から、資料をあげてみます。


+++++++++++++

●文献より

【臨床心理学・稲富正治・日本文芸社】

 自閉性障害の中でも、言葉や、記憶の発達に遅れがないケースを、「アスペルガー障害」
と呼ぶ。

 対人関係の障害と興味や活動が限定されているという点が、特徴である。

 高機能自閉症とともに、高機能広汎性発達障害に含まれる。

 圧倒的に男児に多く、知能は平均以上であるものの、コミュニケーションがうまく取れ
なかったり、不器用であるため、孤立しやすくなる。

 計算や文字、地図など限定されたものに対して、異常なほどの関心を示し、その中で独
創性を発揮する人もいる。が、自分が守っている範囲に、他人が侵入してきたり、乱され
たりすることに対して、著しく、攻撃的になる。

 原因は、中枢神経の障害であると言われているが、まだ解明されたわけではない。遺伝
の要素も強く、パーソナリティ障害や情緒障害と診断されるケースもあるため、診断には
最新の注意が必要。

 最近では、対人関係のトラブルをどのように解決するかを意識的にトレーニングする、
行動療法などの治療法がある。


【発達心理学・山下富美代・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、言語発達に遅れがみられないほか、知能も高い水準を維持してい
るといわれる。しかし自閉症と同様に、相互的な対人関係の障害がみられること、ある特
定のものに対する関心の程度が高すぎることなどが特徴である。

 また自閉症とともに、男の子に多い障害でもあり、医学的な治癒は難しいとされている。

 特徴としては、(1)正常な対人関係をもつことは困難、(2)特定のものに対する、こ
だわり、興味の偏(かたよ)りがみられる。(3)言語障害はみられない。


【心理学用語・渋谷昌三・かんき出版】

 ……ウィングは、自閉症には、3つの特徴があると説明している。

(1)社会性の問題

 自分の体験と他人の体験が重なりあわない。(他人がさっと顔色を変え、怒った表情をす
れば、自分が悪いことをその人に言ったのではないかと思うが、自閉症の人は、こうした
他人の感情を推し量るのが、非常に苦手。)

(2)コミュニケーションの問題

 言葉の遅れから、双方のコミュニケーションが、うまくとれない。(声の大きさや、イン
トネーションの調整が苦手、自分の意見を言うとき、どのように言うべきかを迷う。)

(3)想像力の遅れ

 1つの対象に、異常なほど興味を示す。特定の儀式にこだわる。

 これらの特徴のうち、コミュニケーションの障害が、非常に軽いものを、「アスペルガー
症候群」と呼ぶ。軽い遅れというのは、冗談が通じにくい、比喩を使った表現が理解しに
くいことをいう。

 すなわち、アスペルガー症候群は、言語発達の遅れが目立たず、知的には正常だが、生
まれつき社会性の障害と、こだわり行動をもっている自閉症を指す。


【臨床心理学・松原達哉・ナツメ社】

 アスペルガー障害は、乳児期後半から特徴が出始め、6〜7歳に顕著になる。ほとんど
男児のみにみられる障害である。

 言語的な発達には遅滞はないが、言葉は単調で、抑揚がないという特徴がある。言語や
容貌に子どもらしさがなく、コミュニケーションがとれず、集団の中では孤立することが
多い。

 特定の対象、数字・文字・地図・貨幣などに興味を示し、独創性もあり、知能は平均以
上と推定される。しかし自己の領域を侵されると、パニックを起こし、攻撃的になる。ま
た、多くの全体的な知能は正常だが、著しく、不器用であることが多い。

 青年期から成人期へ、症状が持続する傾向が強いが、統合失調症(精神分裂病)の診断
基準は満たさないので、成人後も、精神分裂病にはならないといわれている。

 治療法は、その子どもの特性を理解し、それに合った、治療・教育をすれば、じゅうぶ
ん社会に適応できるようになる。大切なことは、病態に対する周辺の理解であり、治療に
おいても、社会福祉的な領域が重要になる。

 ……アスペルガー症状は、自閉症と類似しており、自閉症の軽度の例にもみえるため、
それぞれの診断は困難である。

症状の例として、本人のやっていることを中断させると、突然、怒り出すなどがある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガー症)

++++++++++++++++ 

●親自身の問題

 こうした事例で、まず注意しなくてはいけないのは、親自身が、すべてを話しているか
どうかということです。つまりほとんどの親は、自分に都合の悪いこと、たとえば不適切
な対処法で、子どもの症状を、かえってこじらせてしまったようなことについては、話し
ません。

 無意識のうちに、こじらせてしまうというケースもありますが……。

 T君について言えば、乳幼児期から多動性があったということですが、この段階で、母
親が、かなりきびしく叱ったり、怒ったり、あるいは体罰としての暴力を振るったことも、
じゅうぶん、考えられます。

 T君にみられる、一連の不安症状、さらには、基本的な不信関係は、そういうところか
ら発生したと考えられます。母親からの報告内容にしても、まるで他人ごとのような観察
記録といった感じで、私はそれを読ませてもらったとき、「?」と思いました。あたかも、
「うちの子は、生まれつきそうで、それは、私の責任ではない」と言わんばかりの内容で
すね。

 で、私の経験を話します。

●私の経験より

【U君(小3児)のケース】

 U君を最初に預かったのは、まだ、「アスペルガー症候群」という言葉が、ほとんど知ら
れていないころでした。1990年代の中ごろです。(1944年に、オーストリアの小児
科医のアスペルガーが、その名前の由来とされていますが、日本でこの名称が使われ始め
たのは、90年代に入ってからです。)

 最初、自閉症かなと思いましたが、知的能力の遅れはなく、言語障害も、みられません
でした。が、いくつかのきわだった特徴がみられました。

(1)ほかの子どもと仲間になれない

 そのあと、U君が小学校を卒業するまで、私が週2回指導しましたが、最後の最後まで、
結局は、友だちができませんでした。いつも集団から1歩、退いているといった感じで、
軽い回避性障害もありました。集団の中へ入ると、心身が緊張状態になってしまうからで
す。

(2)ずば抜けた算数の力

 計算力はもちろん、算数全般について、ずば抜けた能力を示しました。知的能力は、平
均児より高かったのですが、最後まで、乱筆には、悩まされました。文字を書かせても、
メチャメチャでした。こうした不器用さは、アスペルガー障害の子どもに、共通していま
す。こまかい作業が苦手で、それをさせると、混乱状態から、突然、キレた状態になるこ
ともあります。

(3)極端な自己閉鎖性

 U君のばあいは、まちがいを指摘しただけで、突然、キレて、激怒することもありまし
た。(軽いばあいは、顔をひきつらせて、大粒の涙だけを流す、など。)たとえば計算問題
などで、まちがいを見つけ、「やりなおしなさい」と指示しただけで、キレてしまう、など。

(キレないときもありましたが、あとでノートを見ると、エンピツで、きわめて乱暴に、
それを塗りつぶしてあったりしました。)

 こうした特徴を総合すると、U君には、心の持続的な緊張感、特別なものへのこだわり、
自己閉鎖性があったことになります。

 幸いなことに、U君のケースでは、母親が、たいへん穏やかで、心のやさしい人でした。
ですからそれ以上、心がゆがむということは、U君のばあいは、ありませんでした。私は、
当時は、「U君は、ほかの子どもとはちがう」と判断し、U君はU君として、指導しました。

●治療は考えない

 こういうケースで重要なのは、アスペルガー症候群にかぎらず、子どもの心の問題に関
することは、「治そう」とか、「直そう」と思わないことです。

 「あるがままを認め」、「現在の状態を、今より悪くしないことだけを考えながら」、「半
年、あるいは1年単位で、様子をみる」です。

 で、相談をいただきましたT君にケースですが、全体に、周囲の人たちが、「治そう」と
か、「直そう」とか、そういう視点でしかT君をみていないのが、気になります。「少しよ
くなれば、すぐ無理をする」。その結果、症状を再発させたり、悪化させたりしている。あ
とは、その繰りかえし。そんな感じがします。

 U君のケースのほか、兄と弟でアスペルガー障害のケースなど、「アスペルガー」という
言葉がポピュラーになってから、(2000年以後ですが……)、私は、4例ほど、子ども
を指導してきました。

 (最近は、体力の限界を感ずることが多く、指導を断るケースが、多くなりました。)

 その結果ですが、アスペルガー障害そのものの(治癒)は、たいへんむずかしいという
ことです。そのかわり、小学3、4年生ごろから、自己意識が急速に育ってきますから、
それを利用し、子ども自らに自己管理させることで、見た目には、症状を落ち着かせると
いうことはできます。

 子ども自身が、自分で自分を管理できるように、指導していくわけです。

 しかしこれも、1年単位の根気と、努力が必要です。とくに指導する側は、その生意気
な態度のため、カッとなることもあります。たとえばU君のばあいでも、私がまちがいを
指摘しただけで、私に向かってものを投げつけてきたことがあります。あるいは、ぞんざ
いな態度で、「ウルセー」と、言い返してきたこともあります。

 そういうとき、ふと、その子どもが、アスペルガー障害であることを忘れ、「何だ、その
態度は!」と叱ってしまうこともありました。「根気が必要だ」というのは、そういう意味
です。

 先生からいただいた報告の中に、担任の教師が、かなり乱暴な指導をしたという記録が
書いてありますが、それもその一例と考えてよいのではないでしょうか。記録だけを読む
と、担任の教師が悪いように思われますが、このタイプの子どもの指導のむずかしさは、
ここにあります。

子どもがキレた状態になったとき、きわめて生意気な様子をしてみせるからです。ふつ
うの態度ではありません。おとなを、なめ切ったような態度です。

●親側の問題

 で、先にも書きましたが、現在、T君と母親の関係についても、考えなければなりませ
ん。親というのは、こういうケースでは、自分に都合の悪いことは、話しません。そうい
う母親がよく使う言葉が、先にも書きましたが、「生まれつき」という言葉です。

 「うちの子は、生まれつき、こうです」と。

 子どもの症状を悪化させながら、その意識も、自覚もない。もっとも、だからといって、
親を責めてもいけません。親は親で、そのときどきにおいて、懸命に子育てをしているか
らです。懸命にしている中で、客観的に自分を見る目を失ってしまう。よい例が、不登校
児です。

 子どもが「学校へ行きたくない」などとでも言おうなら、その時点で、たいていの親は
パニック状態になり、子どもを、はげしく叱ったり、暴力的に学校へ行かせようとします。
この無理が、症状を悪化させてしまいます。

 たった一度の一撃でも、子どもの心が大きくゆがむということは、珍しくありません。

 で、その時点で、親が冷静になり、「そうね。どうして行きたくないのかな? 気分が悪
ければ、無理をしなくていいのよ」と親が言ってやれば、不登校は不登校でも、それほど
長期化しなくてすんだかもしれません。そういうケースも、私は、やはり何十例と経験し
てきました。

●年単位の観察を

 先生からいただいた報告書を読むかぎり、親も、担任の教師も、みな、少しせっかちす
ぎるのではないかと思います。先にも書きましたが、この問題だけは、1年単位、2年単
位で、症状の推移をみていかなければなりません。

 「先月より今月はよくなった」ということは、本来、ありえないのです。ですから週単
位、月単位の変化を記録しても、意味はありません。またそうした変化に一喜一憂したと
ころで、これまた意味がありません。もう少し、長いスパンで、ものを考える必要があり
ます。

 簡単に言えば、現在のT君を、あるがままに認め、そういう子どもであるということに
納得し、(もっとわかりやすく言えば、あきらめて)、対処するしかありません。T君は、
給食におおきなわだかまりをもっているようですが、そういう子どもと、先に認めてしま
うのです。

 それを何とか、食べさせようと、みなが無理をする。それが症状をして、一進一退の状
態にしてしまう。あるいはときに、もとの木阿弥にしてしまう。

 ……といっても、年齢的に、小4ということですから、症状は、すでにこじれにこじれ
てしまっていると考えられます。本来なら、乳幼児期にそれに気づき、その時点で、親が
それに納得し、指導を開始するのが望ましいのですが、報告書を読むかぎり、そういった
記録がありません。

 ご指摘のように、T君の親は、学校側の指導法ばかりを問題にしているようですね。し
かし、これでは、いけない。本来なら、専門のドクターに、しっかりとした診断名をくだ
してもらい、そうであると親自身が納得しなければなりません。

 で、指導する側の私たちとしては、「知って、知らぬフリ」をして指導するわけです。私
が指導してきた子どもたちにしても、現在、指導している子どもたちにしても、私は、「知
らぬフリ」をして、指導してきました。今もそうしています。もちろん私のほうから、診
断名をくだすということは、絶対に、ありえません。またしてはなりません。

 が、親のほうから、たとえば「アスペルガー」という言葉が出てきたときは、話は別で
す。そのときはそのときで、「アスペルガー」という言葉を前面に出し、指導します。しか
しそれまでは、知らぬフリ、です。

 ただ「そうでない」という判断はくだすことがあります。自閉症の子どもではないかと
心配してきた親に対して、「自閉症ではないと思います」というように、です。そういうこ
とは、しばしばあります。

●親の無知

 で、やはり、ここは親に、それをわかってもらうという方法をとるしかありません。し
かしこれも、むずかしいですね。

 最近でも、明らかにADHD児の子ども(小5)がいました。で、それとなく親に聞い
てみたのですが、親は、まったく自分の子どもがそうであることさえ疑っていないのを知
り、がく然としたことがあります。「うちの子は、活発な面はあるが、ふつうだ」と。

 つまり親の無知、無理解をどう克服するかという問題も、生まれてきます。アスペルガ
ー障害であれば、なおさらでしょう。幼児教育の世界でも、この言葉がポピュラーになっ
たのは、ここ5、6年のことですから……。

 以上、私の独断で、T君を判断してしまいましたが、まちがっていることもじゅうぶん、
考えられます。一番よいのは、私自身が、T君を直接観察してみることです。また機会が
あれば、そっと遠くから観察してみてもよいです。ご一考ください。

 あまりよい返事になっていませんが、さらに最近の研究では、環境ホルモンによる脳の
微細障害説を唱える学者もいます。アスペルガー障害にかぎらず、このところ、どこか「?」
な子どもがふえているのは、そのためだ、と。

 あくまでも、参考的意見として、お読みいただければうれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。

 長々とすみませでした。相談いただいたことをたいへん光栄に思い、感謝しています。
ありがとうございました。


敬具


                                はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アスペルガー アスペルガー障害 アスペルガー症候群 アスペルガーの子ども)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●父親の不倫

++++++++++++++++++++

T県に住んでいる女性(34歳)がいる。
その女性から、つぎのような相談をもらった。

++++++++++++++++++++

【YYさんより、はやし浩司へ】

父に不倫をやめてもらうということは、無理なことでしょうか?
(父は現在60歳です。バイアグラを所持していたこともあります。)

私がどんなに訴えても、私の心は、父には届かないのでしょうか?

「勝手にすればいい」と思うこともありますが、母の気持ちや、離婚後の母の生活(経済
的に)を考えると、放置しようという気持ちにもなれません。

母は、証拠をつかんだら、愛人から慰謝料をもらいたいと言っています。
(相手が誰なのかは知っています。)
証拠など簡単につかめるものではないのですが・・・。

父に直接問い詰めても、父は、白を切るだけです。

愛人には、「誰にも迷惑はかけていない。これは俺の楽しみだからやめる気はない」と言ってい
るようです。

(家族には、十分迷惑をかけていると思うのですが・・・)

母には、「今は冷静に父を観察して 時期が来たら、(夫の年金を半分受け取れるようにな
るらしいです)、愛人がいる、いないにかかわらず、離婚届をつきつけたらいいよ」と言っ
たことがあります。

(母は父の裏切りに対する憎しみで、いっぱいなんです。父にどうやって復讐をしてやろ
うと、それをいつも考えているといった感じです。)

父に心を入れかえてもらうことが無理なら、私は母に対してどう対応していけばいいので
しょうか?


【はやし浩司よりYYさんへ】

拝復

私の知人の中にも、何人か、不倫をしているのがいます。
その中のひとりは、立派な肩書きもあり、社会的地位もあり、
広く人望も集めています。

「どうして別れないのか?」と聞くと、「できない」と。

そうそうその男性は、あなたのお父さんと同じ、60歳です。

「性」のもつ力には、ものすごいものがあります。どの人も
最初は、遊びで始めるのですが、そのうち、ハマってしまう……。

こんな話もあります。

若いころ、日本を代表する文豪と呼ばれる人と、
近くで交際させてもらったことがあります。
名前を出せば、100%の人がよく知っている、人物です。

その文豪と呼ばれる人が、あるとき私にふと、こう言いました。

「オレは、若いころから無精子症なんだよな」と。

私が驚いて、「だって、先生には、息子さんがいるではないですか……!?」と
言うと、その先生は、笑ってこう答えました。

「ええじゃねえか」「ええじゃねえか」と。

つまり妻の浮気は公認していたというのです。その奥さんは、
その文豪と言われていた人物が死ぬまで、ずっとベッドの横についていました。
片時も離れず、です。

私は最初会ったとき、あまりにもみすぼらしい服装をしていたので、
家政婦さんか、何かと思ったほどです。

で、こういうケースでは、あなたがたが、復讐を考えたり、仕返しを考えたり
するほど、あなたの父親は、あなたたちから遠くへ行ってしまうでしょう。

あなたの父親が求めているのは、(やすらぎ)だからです。たいへん
むずかしいことかもしれませんが、『許して、忘れる』ということは、
できませんか?

最大の復讐は、「後悔させること」です。不倫をしたことを、心底、後悔
させることです。もっともそれをするには、こちら側が、その何倍も、
心が広くなければなりませんが……。

父親に対する、「親」という幻想を捨てなさい。また父親と母親の関係に対しても、
「男と女」という関係で、みなさい。ただの「男と女」です。

そういう視点でみると、意外と、道は見えてくるものです。「親だから許せない」
と、あなたが思っているとしたら、あなた自身も、たいへん権威主義的な
人ということになりますが、ちがうでしょうか。

こうした問題は、あせっているときは、どうにもならないものです。
やがて水が、低い場所を求めて流れていくように、その時機が
くれば、すんなりと解決するものです。

ですからここは、お母さんの相談役にはなっても、あなたがカリカリ
しないこと。カリカリしても、どうにもなりませんから……。

あなたはあなたで、親たちを反面教師としながら、自分の幸福をめざしなさい。
あとは、ここにも書いたように、時間が解決してくれます。時機がくれば、
そのとき、解決します。

いただいたメール、少し改変して、使用することを、お許しください。

では、今日は、これで失礼します。

はやし浩司

【付記】

●男の不倫

++++++++++++++++

夫が不倫をしたからといって、
それまでの過去を、すべて否定してよいものか?

結婚し、家庭を築き、子をもうけ、
子を育てた。

そのドラマまで、否定してよいものか?

夫が不倫をしたからといって、
裏切られたと思いはしかたないとしても、
復讐を考えてよいものか?

しかしそれこそ、自分の過去を否定することになる。

何度も人生があるなら、それもよし。
しかし一度しかない人生の、その過去を否定するとしたら、
それこそ、自分自身を否定することになるのでは?

++++++++++++++++

 セックス(性行為)を目的とした、不倫願望は、どんな男性にもある。それがない男性
は、いない。もし不倫願望がないというのなら、その男性は、(男)として、健康ではない
と考えてよい。

 男性にとって(射精)は、まさに、(排泄行為)の一部でしかない。

 が、その範囲を超えて、つまりセックスだけの関係から、人間と人間の関係になったと
き、不倫は不倫となる。

 ただ(思い)と、(行動)の間には、不倫にかぎらず、どんなばあいも、そこには(距離)
がある。たとえば「若い女性とセックスをしてみたい」と思うのと、実際に、行動を起こ
すということとの間には、距離がある。

 その距離の長い人を、自己規制力の強い人といい、そうでない人を、自己規制力の弱い
人という。

 その(距離)を長くするのが、その人の道徳観であり、倫理観である。それらが自己規
範となって、その人を規制する。心理学の世界では、その規範を、内的規範と外的規範に
分けて考える。内的規範というのは、要するにその人の精神的な強靭(きょうじん)さを
いう。外的規範というのは、社会的地位や名誉をいう。

 しかし、こと、こうした本能に根ざす問題のばあい、外的規範というのは、恐ろしく無
力でしかない。よい例が、学校の教師による、ハレンチ事件である。「先生だから……」と
いう『ダカラ論』ほど、こういうケースのばあい、アテにならないものはない。

 かく言う私は、(私を、平均的な男とみてよいかどうかという点については、疑問に思う
人もいるかもしれないが)、ごく平均的な男である。しかしそんな私でも、心の奥底では、
いつも異性である女性を意識している。セックス(性行為)を目的とした、不倫願望とな
ると、いつでもある。四六時中、ある。

 本能の力、つまりフロイト流の言い方を借りるなら、「イド」、性の力は、それほどまで
に強力である。生きる原動力にもなっている。もともと個人の理性や知性で、コントロー
ルできるような代物(しろもの)ではない。

 だから不倫を避けるためには、確固たる価値観をつくりあげ、それを道徳観や倫理観で、
自分を補強するしかない。が、それとて、たいへんなこと。簡単ではない。それこそ信仰
者がするような、きびしい修行をしなければならない。……と書いていくと、絶望的にな
らざるをえない。言いかえると、一夫一妻制そのものが、人間が動物としてもっている本
能に、そぐわないのではないか。話がそこまで飛躍してしまう。

 つまり一生の間、同一の配偶者を愛し、その配偶者だけと性生活を営み、それで満足し
ろというほうが、無理なのかもしれない。恋愛感情にしても、最近では、それは脳内ホル
モン(フェニルエチルアミン)によるものという説が有力になっている※。しかも賞味期
間というのがあって、長くても、3〜4年ということだそうだ。

 わかりやすく言えば、どんな恋愛でも、そのままでは、3〜4年もすれば、火は消える
ということ。 

 さて、YYさんの話に戻るが、YYさんは、女性ということもあって、母親の立場だけ
でものを考えている。そんなきらいが、ないわけではない。が、私は男だから、少しだけ、
ちがった見方をする。YYさんの父親が、「誰にも迷惑はかけていない。これは俺の楽しみ
だからやめる気はない」と言ったことについては、身勝手な論理だと思う。そこまでは、
納得できる。

 しかしそれをもって、「裏切られた」とか、「復讐する」とかいうことになると、それは
どうかと思う。言いかえると、配偶者に対する忠誠心というのは、あくまでも双方向的な
ものである。YYさんの父親は、不倫という形で、YYさんの母親を裏切ったことにはな
る。が、では、YYさんの母親は、YYさんの父親に対して、それを責めるだけに足りる
忠誠心があったかどうかということになると、それは疑わしい。

 「私は良妻だ」と思っている女性にほど、悪妻が、多い。「私は夫を愛している」と公言
する女性ほど、自分のエゴのために、夫を利用しているケースが多い。もちろんYYさん
の母親がそうであると言っているのではない。しかし「復讐」という言葉を使うこと自体、
そもそもその基盤に、(愛情)がなかったのではないか。あるいはとっくの昔に、夫婦関係
は破綻していたのかもしれない。

 そのため、YYさんの父親は、その愛情飢餓という砂漠から抜け出るため、別の女性に
救いを求めたのかもしれない。話がわかりにくくなってしまったが、要するに、YYさん
の父親にも、それなりの言い分というものがあるのかもしれないということ。その言い分
に耳を傾けてやるのも、こういうケースでは、必要なことではないのか。

 で、それに納得できなければ、「復讐」ということは考えず、さっさと、年金を等分して、
離婚すればよい。復讐のため離婚するとしたら、YYさんは、残り少ない自身の人生を、
自ら、汚(けが)すことになる。つまりそれこそ、結婚生活全体、ひいては、人生の大半
を、自ら否定することになる。

 夫婦として、楽しかった思い出まで、否定してしまうのか? 家族として、楽しかった
思い出まで、否定してしまうのか? 結婚し、家庭を築き、子をもうけ、その子を育てた
という過去まで否定してしまうのか? もしそうなら、それこそ、自己否定につながって
しまう。

 「私の人生は、まちがっていた」と。復讐を考えるということは、そういうことになる。

 しかし、それはおかしい。日本人は、仏教(チベット密教)の影響を強く受けているか
ら、「結果」だけをみて、すべてを判断する傾向が強い。しかし大切なのは、結果ではない。
そこにいたるプロセスである。

 私は多くの不倫劇、そしてそれにつづく離婚劇を見聞きしてきた。が、最近では、「それ
もドラマ」と、納得できるようになった。不倫が悪いとか、離婚が悪いとか、頭から決め
てかかってはいけない。もっと言えば、もともと(男)と(女)の関係は、そういうもの。
最近の私は、そう割り切ることができるようになった。

 だからこそ、夫婦というのは、夫婦である過程で、それなりに何かを積み重ねていかな
ければならない。(男)と(女)という関係を、超えて、(人間)と(人間)という関係で、
つねに、何かを積み重ねていかねばならない。決して、安住の地に、満足してはいけない。
そうでないと、夫婦の関係といっても、こわれるときには、もろくも、こわれる。

 もっとわかりやすく言えば、夫婦の価値というのは、その歴史の長さと、深さで決まる。

 その歴史があれば、仮に不倫願望があったとしても、配偶者への背信行為におのおいて、
それができなくなる。自分に恥じて、それができなくなる。

 またそうした人間関係があれば、ひょっとしたら、配偶者の不倫に対しても、もう少し、
別の考え方ができるのではないか。

「夫がそれで本当に幸福になれるというのなら、私は愛する夫のために、妻の座をおり
ます」と。それは決して、不可能なことではない。

あの文豪なる人物が言った、「ええじゃねえか」「ええじゃねえか」という言葉の中に、
私は、そういった、つまりは極限にまで昇華された夫婦の関係をみるが、あなたはどう
だろうか。

【注】この「男の不倫」は、ボツ原稿にしようかと迷いましたが、このまま収録、掲載し
ます。実にまわりくどく、意味のない原稿です。支離滅裂。文もヘタクソです。これが他
人の原稿で、採点を頼まれたら、(ABC評価)で、まちがいなく、Cをつける原稿です。
お許しください。今は、このままにしておき、近く、もう一度あとで、推敲してみます。

 
Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

【注※】

●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。

 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というのだ。

その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くはない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態になる。体が、その
物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、その効果が、なくなって
しまうからである。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。

 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。

 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。

 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4〜5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。

 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。

が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。

 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ〜ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?
(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性)

+++++++++++++++++++

 つまり、恋愛にも寿命があるということ。今風に言えば、賞味期限があるということ。
しかもそれを繰りかえせば繰りかえすほど、賞味期間は、短くなる。

 だから……というわけでもないが、不倫は不倫として、あるいは浮気は浮気として、さ
らにそれから恋愛感情が生まれたとしても、決して、急いで結論を出してはいけない。ど
うせ、冷める。時間がくれば、冷める。人間の脳ミソというのは、もともと、そうできて
いる。

 知人のケースでいうなら、こうした不倫は、静かに見守るしかない。へたに反対すれば、
恋心というのは、かえって燃えあがってしまう。しかし時間がくれば、冷める。長くても、
それは4年以内。だから私は、こう言った。「放っておけばいい。そのうち、熱も冷める。
バレたときは、奥さんにぶん殴られればいい。それですむ」と。

 しかし不倫や浮気ができる人は、それなりに幸福な人かもしれない。いや、不幸な人な
のかもしれない。よくわからないが、私の知らない世界を、そういう人たちは、知ってい
る。ただこういうことは言える。

 「真剣にその人を愛してしまい、命がけということになったら、それは、もう、不倫で
も、浮気でもない」と。夫や妻の間で、それこそ死ぬほどの苦しみを味わうことになるか
もしれないが、そのときは、そうした恋愛を、だれも責めることはできない。人間が人間
であるがゆえの、恋愛ということになる。

 どうせ不倫や浮気をするなら、そういう不倫や浮気をすればよい。そうでないなら、夫
婦の信頼関係を守るためにも、不倫や浮気など、しないほうがよい。いわんやセックスだ
けの関係ほど、味気なく、つまらないものはない。(……と思う。)それで得るものより、
失うもののほうが、はるかに多い。(……と思う。)

 いらぬお節介だが……。

 昔、別の、直木賞も取ったことのある、ある作家は、私が、東京の築地にある、がんセ
ンターを見舞うと、こう話してくれた。

 「所詮、性(セックス)なんて、無だよ」と。私も、そう思う。しかしその「無」にど
うして人は、こうまで振り回されるのだろう。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                  
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================










トップへ
トップへ
戻る
戻る


はやし浩司(ひろし)