はやし浩司(ひろし)

2006・11
はやし浩司
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2006年 11月号
 はやし浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 11月 29日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【4つの心の物語】(未完成の講演原稿です。)

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地元の入野中学校区での講演会まで、あと
1か月と少しになった。

昨日から、その講演用の原稿を書き始めた。
が、うまく、はかどらない。

おとといの講演会が、失敗だったこともある。
野球でいえば、三打席、ノーヒットで終わった
感じ。

どこか気分が重い。

入野中学校区での講演会だけは、失敗したくない。
ホームランなど、もとから期待していないが、
空振りの三振だけは、したくない。

全力で、取り組むしかない。
(10月28日記)

+++++++++++++++++++

とりあえず……ということでもないが、
今日、その「柱(プロット)」を考えて
みた。

これから先、この原稿を何度も推敲して、
当日に間に合わせたい。

+++++++++++++++++++

【4つの心の物語】

(1)子育ての学習(親を引きつぐ子どもたち)******************

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。
「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴え
た父親もいた。

あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力そのものがな
い母親すらいた。また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、
不幸にして不幸な家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。
つまりいわゆる「親像」のない人とみる。

●チンパンジーのアイ

 ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん
頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、ス
イッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが98年の夏、一度妊娠し
たことがある。

が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育
てができるかどうか」(新聞報道)だった。人工飼育された動物は、ふつう自分では子育
てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子ど
もを見て、逃げ回るのもいるという。いわんや、人間をや。

●子育ては学習によってできる

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」とい
う体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、
何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。

……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団体
から、猛烈な抗議が殺到する。先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」と
いうような記事を書いただけでその翌日、10本以上の電話が届いた。「離婚についての偏
見を助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結婚はでき
ないのか」など。「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。

私は何も離婚が悪いとか、離婚家庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が
離婚として問題になるのは、それにともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに
深刻な影響を与える。そのことを主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは
認めるが、しかし事実は事実として、冷静に見なければならない。

●原因に気づくだけでよい

 これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決した
とみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分
は解決したとみる。

それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親
類の家族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親
をなくしたが、叔父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の
人は、ある作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。

●幸福な家庭を築くために

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。
もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っている
なら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せて
おかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。

そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子
育てができるようになる。と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭
の中ではわかっていても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする
上での、一つの努力目標と考えてほしい。

 ……が、これだけではない。親から子どもへと、(子育て)は連鎖していくが、その過程
で、子どもは、親から、善と悪の価値基準まで、引きついでしまう。

●4割の善と4割の悪 

社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4
割の悪がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさな
いで、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカ
ナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をす
る者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマ
りやすい。ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもそ
の生徒を、プールの中に放り投げていた。

その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対しては
どうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできび
しいのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強
している親は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動
物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界にな
ってしまったら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の
世界を豊かでおもしろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書
についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすく
らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。
神はこう答えている。「希望を与えるため」と。もし人間がすべて天使のようになってしま
ったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこと
もするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間になることもできる。旧約
聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それ
がわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世
界だけをどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になった
が、それが問題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身に
ある。そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んで
いることについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。

私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校
生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際
をしていたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。「うちの娘
は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。

私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女
性が悪い」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界
をゆがめる。それが問題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけで
もない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社
会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変わる。

●やがて親が、評価される

 やがていつか、あなたという親も、子どもに評価される時代がやってくる。つまり対等
の、1人の人間として、子どもに評価されるときがやってくる。

 そのとき、あなたの子どもが、あなたを、「すばらしい親だった」と評価すれば、それで
よし。しかしそうでなければ、そうでない。

 そのときのためというわけではないが、あなたは1人の人間として、あなたも前に進ま
なければならない。

(付記)

●なぜアイは子育てができるか

 一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」
そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そ
のアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(01年春)。

これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、
ビデオを見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習
をしたからだと説明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。アイは確か
に人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によって、まさ
に人間の子どもとして育てられている。

アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。そ
れが今、アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。


(2)親子のきずな(過去を引きずるこどもたち)*****************

●信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外で
はない。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本
である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、
反対にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような
調子で、答えてあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人
間関係を結ぶことができる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

●基本的信頼関係

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基
本的信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。
これを第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、
友だちとの世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用して
いくことができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、
第三世界での信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後
の信頼関係の基本となる。だから「基本的信頼関係」という。

●一貫性

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親
側の情緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあ
い、子どもは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、
人間関係になる。これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分
野で現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ね
たみ症状などは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、
良好な人間関係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れ
る。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安
心して」というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分
をさらけ出しても、気にしない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意す
るのは、親の役目ということになる。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなこと
に注意したらよい。

★「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
★子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じよう
に接する。
★きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くな
るというのは、避ける。
(030422)


(3)心の抵抗力(夢、希望、そして未来へ、外に向かう子どもたち)********

●アイデンティティ

 自己同一性のことを、アイデンティティという。(もともとは、アイデンティティを、「自
己同一性」と翻訳した。)

 自己同一性とは、その言葉どおり、自分の同一性をいう。

 たとえば「私」。私の中には、私であって、私である部分と、私でない部分がある。その
私であって私である部分が、本来の「私」。その私が、そのままストレートに、外の世界へ
出てくれば、よし。そうでないときに、いろいろな問題が起きる。

 (あるいは問題があるから、ストレートに出てこないということにもなる。)

 その「私」の中でも、他人と比較したとき、きわだって、私らしい部分が、ある。これ
を、「コア(核)・アイデンティティ」という。

●子どものつかみどころ

 しかし、自分でそれを知るのは、むずかしい。私がどんなアイデンティティをもってい
るかということを知るためには、一度、視点を、自分の外に置かねばならない。他人の目
をとおして、自分を見る。ちょうど、ビデオカメラか何かに、自分の姿を映して見るよう
に、である。

 そこで、反対に、つまり自分のアイデンティティを知るために、他人のアイデンティテ
ィを、観察してみる。

 子どものばあい、このアイデンティティのしっかりしている子どもは、「この子は、こう
いう子どもだ」という輪郭(りんかく)が、はっきりしている。「こうすれば、この子は、
喜ぶだろう」「怒るだろう」「こう反応するだろう」ということが、わかりやすい。

 この輪郭というか、つかみどころを、「コア(核)」という。

 そうでない子どもは、輪郭が、どこか軟弱で、わかりにくい。つかみどころがなく、予
想がつかない。何を考えているか、わからない。

●たとえば……

 たとえばある子ども(年中児)が、ブランコを横取りされたとする。そのとき、その横
取りされた子どもが、横取りした子どもに向かって、「おい、ぼくが乗っているではない
か!」「どうして、横取りするのだ!」と、一喝する。ばあいによっては、取っ組みあいの
けんかになるかもしれない。

 そういう子どもは、わかりやすい。心の状態と、外に現れている様子が、一致している。
つまり、自己の同一性が守られている。

 が、このとき、中には、柔和な笑みを浮かべたまま、「いいよ」「貸してあげるよ」と言
って、ブランコを明け渡してしまう子どもがいる。

 本当は貸したくない。不愉快だと思っている「私」を、その時点で、ねじまげてしまう。
が、表面的には、穏やかな顔をして、明け渡す。……つまり、ここで本来の「私」と、外
に現れている「私」が、別々の私になる。不一致を起こす。

 一時的な不一致や、部分的な不一致であれば、問題ではない。しかしこうした不一致が
日常的に起こるようになると、外から見ても、いったいその子どもはどんな子どもなのか、
それがわからなくなる。

 ときには、虚飾と虚栄、ウソとごまかしで、身を包むようになる。世間体ばかりを気に
したり、見栄や体裁ばかりを、とりつくろうようになる。

 この時点においても、意図的にそうしているなら、それほど、問題はない。たとえばど
こかの商店主が、客に対して、そうする、など。しかし長い時間をかけて、それを日常的
に繰りかえしていると、その人自身も、自分でわけがわからなくなってしまう。自己の同
一性が、ここで大きく乱れる。

●「私」を知る

 そこで問題は、私(あなた)自身は、どうかということ。

 私は私らしい生き方をしているか。私はありのままの私で、生きているか。本当の私と、
今の私は、一致しているか。さらに「私は私」という、コアを、しっかりともっているか。

 くだらないことだが、私は、そのアイデンティティの問題に気づいた事件(?)にこん
なことがある。

 実は、私は、子どものころから、台風が大好きだった。台風が自分の住んでいる地方に
向ってくるのを知ったりすると、言いようのない興奮に襲われた。うれしかった。

 しかしそれは悪いことだと思っていた。だからその秘密は、だれにも話せなかった。と
くに(教師)という仕事をするようになってからは、話せなかった。台風が近づいてくる
というニュースを聞いたりすると、一応、顔をしかめて、「いやですね」などと言ったりし
ていた。

 つまりこの時点で、本当の私と、表面に現れている私は、不一致を起こしていたことに
なる。

 が、こんなことがあった。

●すなおな心

 アメリカ人の友人が、こう言った。彼はそのとき、すでに日本に、5、6年住んでいた。
私が50歳くらいのときのことである。

 「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。台風が、浜松市へくるとね、(マンションの)ベラン
ダに椅子を出して、それに座って台風を見ているよ。ものが、ヒューヒューと飛んでいく
のを見るのは、実に楽しいよ」と。

 私は、それを聞いて、「何〜ダ」と思った。「そういうことだったのか」と。

 そのアメリカ人の友人は、自分の心を実にすなおに表現していた。そのすがすがしさに
触れたとき、それまでの私が、バカに見えた。私は、台風についてですら、自分の心を偽
っていた。

 何でもないことだが、好きだったら、「好き」と言えばよい。いやだったら、「いやだ」
と言えばよい。そういう「私」を、すなおに外に出していく。そしてそれが、無数に積み
重なり、「私」をつくりあげていく。

 それがアイデンティティである。「私」である。

●さらけ出す

 さて、あなたはどうだろうか? 一度、あなた自身を、客観的に見つめてみるとよい。
なお、このアイデンティティが、乱れると、その人の情緒は、きわめて不安定になる。い
ろいろな情緒障害、さらには精神障害の遠因になる。よいことは何もない。

 そうであっても、そうでなくても、自分をすなおに表現していく。それはあなた自身の
精神生活を守るためにも、とても重要なことである。

 さあ、あなたも今日から、勇気をもって、「YES」「NO」を、はっきりと言ってみよ
う。がまんすることはない。とりつくろうことはない。どこまでいっても、私は私だ。あ
なたはあなただ。

●心理学でいう、アイデンティティ 

 心理学でいう「アイデンティティ」とは、(私らしさ)の追求というよりは、(1)「自分
は、他者とはちがうのだ」という独自性の追求、(2)「私にはさまざまな欲求があり、多
様性をもった人間である」という統合性の容認、(3)「私の思想や心情は、いつも同じで
ある」という一貫性の維持をいう。

 こうしたアイデンティティを、自分の中で確立することを、「アイデンティティの確立」
という(エリクソン)。

 ただ注意しなければならないのは、こうしたアイデンティティは、他者とのかかわりの
中でこそ、確立できるものだということ。

 暗い一室に閉じこもり、独善、独尊の世界で、孤立することは、アイデンティティでは
ない。「私らしさ」というのは、あくまでも、他者あっての「私らしさ」ということになる。

【補記】

 仮にアイデンティティを確立したとしても、それがそのまま、その人の個性となって、
外に現れるわけではない。ストレートに、そのアイデンティティが外に出てくる人もいれ
ば、そうでない人もいる。

 たとえば今、コップの中に、色水が入っているとする。その色水は、うすいブルー色で
あるとする。

 もしこのとき、コップが、無色の透明であれば、コップの外からでも、色水は、うすい
ブルー色に見える。

 しかしもしコップに、黄色い色がついていたりすると、コップの中の色水は、グリーン
に見えるかもしれない。

 このとき、コップの中の色水を、「真の私」とするなら、外から見える私は、「ニセの私」
ということになる。真の私は、外に出るとき、コップの色によって、さまざまな色に変化
する。

 たとえば私は、他人の目から見ると、明るく快活で、愛想のよい男に見えるらしい。し
かし真の私は、そうではない。どちらかというと、わがままで、むずかしがり屋。孤独に
弱く、短気。いつも不平、不満が、心の奥底で、ウズを巻いている。……というのは、言
い過ぎかもしれないが、少なくとも、(真の私)と、(外に出ている私)の間には、大きな
ギャップがある。

 真の私が入っているコップには、あまりにも、さまざまな色が混ざりすぎている。その
ため、私は、外の世界では、真の私とはちがった私に見られてしまう。

 まあ、私自身は、他人にどう見られようとかまわないが、しかし子どもを見るときは、
こうした視点をもたないと、その子どもを理解できなくなってしまうことがある。

 その子どもは、どんな色水の子どもか? そしてその子どもは、どんな色のコップに入
っているか? それを正しく判断しないと、その子どものアイデンティティを見失ってし
まうということ。

 アイデンティティの問題には、そんな問題も含まれる。


(4)人格の完成(利己から利他へ、内へ向かう子どもたち)***********

●人格の完成度

 子どもの人格の完成度は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。

●がんこ

 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことに
こだわり、そこから一歩も、抜け出られなくなる。

 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常
なこだわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。

 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先
生に、一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、な
ど。

 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(が
んこさ)を示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わが
まま」と決めてかかって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめ
る。症状をこじらせる。

●柔軟な思考性

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、
臨機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔
軟な子どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」という
が……。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここ
でいう人格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた
子どもとみる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●田舎暮らしに一言!

++++++++++++++++

定年退職をしたあと、田舎暮らしを考え
ている人は、多いという。

しかし現実は、そんなに甘くない。

……というような番組を、昨日、
NHKテレビが、報道していた。

++++++++++++++++

 定年退職をしたあと、どこかの田舎(いなか)に移り住んで、そこで生活することを考
えている人は、多いという(NHKテレビ報道番組、10月27日)。かいま見た数字なの
で不正確かもしれないが、全体の約30%の人が、そう考えているという。

 しかし現実は、そんなに甘くない。

 このあたりでも、定年退職をしたあと、都会から移り住んできた人の話を、ときどき聞
く。浜名湖の奥には、そういう人たちが集まってつくった村さえある。

 しかしその村も含めて、ほとんどが失敗している。「失敗」というのは、結局はその地域
の農村に溶けこめず、再び都会にもどることをいう。いくら自治体がラブコールを送って
も、その(精神)というか(心)は、末端の農家の人たちのところまでは、届かない。(よ
そ者)は、どこまでいっても、(よそ者)。

 もちろん中には、定住に成功した人もいる。しかしそういう人はそういう人で、かなり
の苦労をしている。その(苦労)という部分を乗り越えないと、田舎暮らしは、むずかし
い。

 NHKテレビの報道番組では、自然のよさだけでは、都会の人を農村に呼びこむことは
できないというようなことを言っていた。ほかに、医療の問題もある。

 しかし本当の問題は、(生きがい)である。いくら近くに釣りに最適な海があったとして
も、毎日、魚釣りばかりしているわけにはいかない。畑で野菜をつくったとしても、それ
がそのまま(生きがい)につながるかどうかは、疑わしい。

 大切なことは、その地域の人たちの交流であり、触れあいということになる。もっと言
えば、(心の交流)ということになる。(生きがい)も、そこから生まれる。それがないま
ま、プランターから、畑へ、自分を植えかえるようなつもりで、移り住んでも、うまくい
くはずがない。

 このことは、私自身も、経験している。

 私は現在の山荘を建てるまでに、6年もの月日を費やした。毎週、土日は、山の中で作
業を繰りかえした。

 で、やっと6年目に念願の山荘を建て、そこで遊ぶようになって、今年で、12年目に
なる。が、それでも、地域の人たちに溶けこむのはむずかしいと感じている。一度は、定
住も考えたが、結局は、あきらめた。

 一方、もし過疎化で悩んでいる地方の自治体が、本気で、都会からの定住者を呼びこも
うと考えているなら、都会と田舎の中間的な「村」を用意したほうがよい。はっきり言え
ば、モダンな別荘地のような雰囲気のある「村」である。

 たとえばアメリカにもオーストラリアにも、老人たちだけが集まってつくる村がある。
しかしそのほとんどは、まるで別荘地のように、明るくてモダンである。プールがあった
り、テニスコートがあったりする。もちろん医療施設も整っている。

それをいきなり元農家だった廃家を見せ、「ここに住んではどうですか」は、ない。そん
な発想では、都会の人たちを呼びこむことはできない。

 農家の人でさえ、見捨てた村である。都会の人たちが、少しくらいがんばったところで、
住めるようになるわけがない。だいたいにおいて、農村の人たちが、そういう人を迎え入
れるわけがない。

 さすがにNHKの報道番組の中では言わなかったが、それには理由がある。

 あの都会人独特の、鼻もちならない優越感。その優越感で、都会の人たちは、田舎の人
たちを、「田舎者」と位置づけて、下に見る。それが、農村へ入ってくると、どうしようも
なく目立つ。それを田舎の人たちは、不愉快に思う。そういう基本的な部分が、都会の人
たちには、わかっていない。

 田舎に住む人たちに言わせれば、「何が、都会人だ!」となる。私の友人のN氏は、こう
言った。N氏の家族は、代々、長野県で、りんご栽培をしている。

 「何が頭にくるかって、日曜菜園だとか何とか言って、都会の連中が、ハイヒールをは
いて、畑をたがやしている姿ほど、頭にくるものはない」と。そこで私が理由を聞くと、
こう言って、吐き捨てた。「オレたちは、命がけで、百姓をやっている。オレたちの仕事を、
あいつらは、なめている!」と。

 言いかえると、もしあなたが本気で、定年退職をしたあと、田舎暮らしを考えているな
ら、あなた自身がもつ、都会優越意識、さらには田舎蔑視意識を、捨てること。完全に捨
てること。そういった意識が残っているうちは、あなたは、絶対に、田舎暮らしに溶けこ
むことはできない。溶けこむ前に、そこからはじき飛ばされてしまう。

 ……というわけで、都会の人たちから見ても、また田舎の人たちから見ても、都会の人
たちが定年退職後、田舎に移り住むのは、たいへんむずかしい。そういうこと。

 
Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●11月29日号

+++++++++++++++++

今日は、10月29日。
11月29日号のマガジンの予約を
入れるところ。

やっと追いついた。「追いついた」
というのは、ちょうど1か月先の
マガジンの配送予約を入れることが
できたという意味。

今月(10月)は、忙しかった。
本当に、忙しかった。

++++++++++++++++

 今日は10月29日。日曜日。自衛隊の浜松基地で、航空祭がある。あとで朝風呂を浴
びたあと、見に行ってくる(つもり)。昨日は、あのトムキャットが、私の家の上空を、何
周も飛び回っていた。

 ところで、10月は、忙しかった。本当に忙しかった。毎日、サーカスのように、(おか
しなたとえだが……)、時間をやりくりしていた感じ。が、何とか、終わった。前半は、オ
ーストラリアの友人たちの接待で、明け暮れた。後半は、集中的に講演を繰りかえした。
明日(30日)も、島田で講演をすることになっている。

 そんなわけで、今月は、原稿をあまり書くことができなかった。自分の時間をみつける
ことさえ、むずかしかった。が、今は、一息。ホ〜〜〜ツという感じ。このあと、11月
29日号の配信予約を入れるつもり。やっと、追いついた。

 「追いついた」というのは、マガジンは、いつも、ちょうど1か月先に、配信予約を入
れることにしている。こうすることによって、読者のみなさんに、安定的にマガジンを配
信することができる。原油にたとえて言うなら、備蓄のようなもの。

 発行したり、しなかったりでは、読者のみなさんも不安に思うだろう。だから1か月先
に、配信予約を入れることにしている。

 が、これで作業が終わるわけではない。どこかで写真を撮ってきて、HTML版のほう
に張りつけなければならない。たまたま今日は、航空祭があるので、そこで写真を撮って
くるつもり。

 ……つまり、こうして私の一日は、始まる。今日もみなさん、おはようございます!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●韓国のスパイ疑獄事件

+++++++++++++++++++

韓国では、今、スパイ騒動がもちあがって
いる。何でも、「一心会」というスパイ
組織があったそうだ。

「金xxに、一心を捧げます」ということで、
「一心会」となったらしい。

が、問題は、その中の何人かが、野党の
幹部であったこと。そして現在のN政権の
中枢部の人間と、深くかかわっていたこと。

スパイ騒動が起きる直前、N政権の幹部の
1人が、辞表を提出している。韓国では、
この人物について、「スパイではなかったか」
という疑いがかけられている。

もっともN大統領自身が、「北の広報係」と
揶揄(やゆ)されているような人物である。

N大統領自身がスパイであったとしても、
私は、何も驚かない。
(10月29日記)

++++++++++++++++++++

 金剛山の観光客が、それまでの1500人から、10月9日に核実験を行ってから、一
日平均、800〜850人に減ったという。それでも、一日、800〜850人といえば、
そこそこの観光客ということになる。

 ちなみに浜名湖の北に、舘山寺温泉という、よく知られた観光スポットがある。現在、
19軒のホテル、旅館が営業しているが、合計の宿泊定員は、4200人。金剛山の観光
事業と、規模はそれほどちがわないということになる。

が、この数字だけをみて、金剛山観光を考えてはいけない。金剛山観光のほうでは、通
常の観光費用のほか、98年11月に金剛山観光が始まってから、今年8月までに、K
国に支払われた入域料は、総額4億5152万ドルであることがわかっている。(これに
はG社が、2000年8月に、K国における金剛山観光など、7大事業に対する30年
間の独占権と引き替えに、K国に支払った5億ドルは含まれていない。)

 さらに観光客そのものを、韓国政府は、支援している。

たとえば韓国政府は、金剛山を訪れる、教師や学生を、支援している。05年度も、
中高校生と教師らの金剛山観光経費を支援する方針を決め、06年3月までだけでも、
教師1万4000人と学生2000人を対象に、49億ウォン(約5億円)が策定さ
れている。

 まさに、韓国政府は、観光先の金剛山と、観光に行く人たちを、その双方から、両支
援していることになる。

 舘山寺温泉でたとえるなら、7年間で、約500億円の政府支援をし、さらに、観光
客についても、毎年、5億円を政府支援をしていることになる。つまり観光事業とは名
ばかり。K国に現金を渡すために、観光事業を隠れミノにしている!

 が、今回のスパイ摘発事件を、これらの事業の上に重ねてみると、「なるほど、そう
だったのか」と、いろいろな面で、合点がいく。

 捜査はこれからだが、進展状況によっては、N政権にとっては、致命傷ともなりかね
ない。そのせいか、政権幹部の中には、今回の捜査について、「親北政策に対する、敵
対行為だ」と騒いでいる人がいる。

 どうなろうと私たち日本人の知ったことではないが、「それにしても……」というの
が、私の今の実感である。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 11月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●メチャメチャな指導

++++++++++++++++++

教師の不適切な指導で、中学1年生の
子どもが、自殺を図ったという。

それは、まさに不適切! いまどき、
こんな指導法がまかりとおっているとは!
ただただ、驚きでしかない。

++++++++++++++++++

読売新聞、10月27日は、つぎのように伝えている。

「K県の公立中学校の男性教諭(37)が、不登校になっていた1年の女子生徒(12)
の自宅にあがりこみ、生徒がかぶっていた布団を引きはがして、『学校に行くのか、行か
ないのか』などと迫り、その直後、生徒が首つり自殺を図っていたことが26日、わか
った」と。

乱暴というか、メチャメチャ!

 で、「生徒は一命を取りとめたが、校長は『適切な行動だった』と、教師の対応に問題が
あったことを認め、27日にも男性教諭らが生徒と両親に謝罪する」という。

 なお、「学校や関係者によると、女子生徒は今年6月ごろ、部活動を巡って顧問の女性教
諭(25)から全部員の前で、しっ責された。女子生徒はその後、退部し、2学期から
学校に行かなくなった」(以上、読売新聞より)という。 

 こうしたとんでもない指導(?)を売り物にしている教育者は、いるには、いる。その
つど、テレビでも話題になった。古くはTヨット・スクールというのがあった。親や生徒
を罵倒して、なおす(?)という指導者もいた。最近でも、指導と称して、子どもを餓死
させた事件もある。
 
 あえて言うなら、みなさん、心、とくに子どもの心の問題を、あまりにも安易に考えす
ぎ。「自分がそうだから」という理由だけで、それを無理に子どもに押しつけようとする。
この無理が、かえって子どもの心をこじらせてしまう。

 原因は、無知、無学、無理解。もうひとつつけ加えるなら、あまりにも自己中心的。中
世の悪魔祓(ばら)いと、同じ。どこも、ちがわない。子どもの自宅へ押しかけ、寝てい
る女の子のふとんを、はがすとは! 多分、家族の同意はあったのだろうが、子ども本人
の人格、人権は、どうなる? いくら教師でも、そこまではやりすぎ! どこか、金八先
生的? この事件では、教師の思いあがりだけが、やたらと目立つ。

 教師にも、できることと、できないことがある。当然、その結果、してよいことと、し
ていけないことがある。

 教師には、子どもの心の問題を、なおすことはできおない。子どもの心の問題をなおす
ことができるのは、その家族だけ。だから教師は、その家族を指導して、子どもの心の問
題をなおす。その過程で、当然、カウンセラーや医師のアドバイスを受ける。

 たしかに今、日本中の教師たちは、萎縮している。「言葉の使い方、ひとつひとつに、神
経を張りめぐらせている」(某小学校、校長談)と。「子どもに何かあると、そら、学校が
悪い」となる。そのため指導がマヒしている学校となると、ゴマンとある。

 そういう中で、今回の事件は、起きた。「自宅に上がりこみ、生徒がかぶっていた布団を
引きはがして……」と。一見、熱血教師の行為に見えるが、熱血が熱血であるためには、
前提がある。

 まず、子どもの心理を理解すること。不登校(学校恐怖症、怠学)についての、最低限
の知識をもつこと。もしその片鱗(へんりん)でも知っていたら、こんな乱暴な指導はし
なかったはず。

 読売新聞の断片的な記事なので、全体像はわからない。その前に、親の不適切な対処が
あったのかもしれない。教師と生徒の間の、個人的な問題もあったのかもしれない。教師
と生徒といっても、その人間関係は、おとなのそれと同じくらい、複雑で、奥が深い。そ
こへ家族や、友人の問題がからんでくる。

 しかし、それにしても……! 

 学校の先生へ、

 学校の先生は、そこまでしてはいけない。いくら親に頼まれても、そこまではしてはい
けない。学校の先生がすべきことは、まず「教育」に専念すること。医師が「治療」に専
念するように、だ。

 余談だが、日本の教育も、結局は行き着くところまで行って、はじめて、自分で気がつ
くのだろう。そして最終的には、制度としては、カナダや、イタリアのようになる。アメ
リカやオーストラリアのようになる。今は、その転換期かもしれない。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●子どもとの同居(2006年度調査)

++++++++++++++++++

子どもと将来、同居したいと願っている
高齢者が、年々、減少している。
(読売新聞)

++++++++++++++++++

 子どもと将来同居したいと考えている高齢者は、約4割にとどまり、減少傾向がつづい
ていることが、内閣府が25日まとめた、「高齢者の住宅と生活環境に関する意識調査」で、
明らかになったという(読売新聞)。

 調査によると、子どもとの関係について、「現在同居しており、将来も同居のまま」、ま
たは、「現在別居しているが、将来は同居する」と答えた人は、計41・1%で、2001
年の前回調査から5・7ポイント減少したという。

 1995年の前々回調査と比べると、19・8ポイントも減ったことになる。

逆に「将来別居」と回答した人は、24%で、前回から6・1ポイント、前々回から1
1ポイントも増えたという。 


 つまり「同居したい」という人が少なくなり、「別居したい」という人が多くなったとい
うこと。この数字には、いろいろ考えさせられる。

+++++++++++++

「現在同居しており、将来も同居のまま」、または、「現在別居しているが、将来は同居
する」と答えた人……計41・1%

「将来別居」と回答した人……24%

+++++++++++++
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供との同居 子どもとの同居)

【付記】

 私も、老後は、子どもとは離れて住みたい。「住みたい」というよりは、子どもに迷惑を
かけたくない。そのときがきたら、自分で、介護施設に入って、そこで静かに最期を迎え
たい。

 そういう生き様を、「さみしい」と思う人もいるかもしれない。が、大切なことは、それ
までに、自分の人生を、完全燃焼させること。燃えカスになってから、ジタバタしても、
はじまらない。そのときは、そのときで、自分をすなおに、受け入れればよい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今年は、まだ2か月もある!

++++++++++++++++++

「もう、12月! 今年も、あっという間に
終わってしまった」「年齢とともに、1年が
過ぎるのが、速くなる」と、感じている人は
多いはず。

しかし、待った!

++++++++++++++++++

 「もう、12月! 今年も、あっという間に終わってしまった」「年齢とともに、1年が
過ぎるのが、どんどんと速くなる」と、感じている人は多いはず。

 しかし待った! (現在)から、(過去)をみると、どんな時間でも、短く感じられる。
10年前も、20年前も、そして30年前も。記憶のメカニズムというのは、もともと、
そういうもの。つまりそれだけで、「今年も、あっという間に終わってしまった」と、決め
てかかってはいけない。

もっと大切なことは、(過去)から(現在)をみること。「あのときからみると、今は、
どうか?」と。そのとき、「もう、あれから10年もすぎた」「20年もすぎた」と思え
るようなら、その人の人生は、充実していたことになる。つまり、人生の充実度は、(過
去)のある時点から、(現在)をながめて、判断する。

 わかりやすい一例として、同窓会をあげてみよう。同窓会というのは、周期的に、何年
かおいて開かれることが多い。そのため、(過去の時点)を定めるのに、最適である。たと
えば、こんなケースを考えてみよう。

 あなたは久しぶりに同窓会に出たとする。そのとき、だれかが、「5年ぶりね」と言った
とする。つまりあなたは、5年ぶりに、同窓会に出たとする。

 そのとき、「あのときから、たった5年しか、たっていないのか」と思えるようであれば、
あなたの人生は、その5年間を、充実して生きたことになる。つまりその瞬間、あなたは
(過去)のある時点を基準に、(現在)をみていることになる。

 私も先日、郷里の従兄弟(いとこ)会に出てみた。6年ぶりの再会である。そのときの
こと。みなは、「もう6年になるんですか」と、驚きあっていたが、私は、少しちがった感
じ方をしていた。「この6年間に、いろいろあったなあ」と。そしてその瞬間、「あれから
まだ、6年しかたっていないのか」と思った。

 つまり6年前の、そのときの(過去)を基準にして、(現在)という今をみると、その間
に、ぎっしりと思い出がつまっているように感じた。こういう例は、多い。

 たとえば何かの拍子に、昔、教えたことのある生徒を、思い出したとする。A君ならA
君でよい。(現在)という今から思い出してみると、A君を教えたのが、つい昨日のことの
ように感ずる。

 しかし今度は、そのA君に視点を移して、そのA君が、現在、40歳であることを知る
と、その間に、ぎっしりと思い出が詰まっているのを感ずることがある。ときには、「よく
もまあ、私も、こんな長い年月を、無事、生きてこられたものだ」と思うさえある。

 ……と、少し、話がわかりにくくなってきたが、時の流れは、(現在)から(過去)をみ
るだけで、判断してはいけないということ。(過去)から(現在)をみて判断する。そして
そのとき、ズッシリとした重みを感ずれば、その人の人生は充実していたということにな
る。そうでなければ、そうでない。

 従兄弟会に話を戻すが、ここにも書いたように、みなは、「もう6年になるんですか」と、
時の流れの速さに驚きあっていた。しかし私は、そうではなかった。その6年という短い
年月の間に、ぎっしりと思い出が詰まっているのを感じた。その間に、いろいろあった。
その6年を、10年分、20年分にして生きてきたように感じた。そのため、前回の従兄
弟会を、10年前、20年前のできごとのように感じた。

 だから「あれからまだ、6年しかたっていないのか」と驚いた。

 さて、もうすぐ、今年も終わる。「今年も、あっという間に終わった」という感覚もない
わけではない。しかしその一方で、だれかに、「林、この1年間のことを話してくれ」と頼
まれたら、私は、多分、こう答えるだろう。「いったい、何から、話せばいいのか」と。(過
去)から(現在)をみるということは、そういうことをいう。

 そう言えば、三男が少し前、「ぼくは、1日を、1年のように長く感ずる」と、BLOG
に書いていた。私も、学生時代、同じように思い、同じように感じたことがある。メルボ
ルン大学にいたころである。

 そのとき私は、日記にこう書いた。「ここでの1日は、金沢での学生時代の1年のように
感ずる」と。それは決して、言葉の文(あや)で、そう書いたのではない。本当に、そう
感じた。本当に、1日を、1年のように長く感じた。だから、そう書いた。

 今では、1日を1年のように長く感じながら生きるということは、もう望むべくもない
が、先日、安倍総理大臣が、同じようなことを言っていたのには、驚いた。「総理大臣に就
任してからというもの、1日を、1年のように長く感じている」と。

 その話を聞いたとき、私は、心底、安倍総理大臣を、うらやましく思った。50歳を過
ぎても、生き方によっては、そういうふうに感じながら生きることができる人もいるのだ
なあ、と。もし今の私が、1日を、1年のように長く感ずるほど、充実した日々を送るこ
とができたとしたら、1年を、365年にして生きることができる。

 時は2006年10月28日。「今年も、あと2か月しかない」ではなく、「まだ、2か
月もある」と考える。

 さあ、残りの2か月を、がむしゃらに生きてやるぞ! 1日を2日分にして! 1週間
を2週間分にして! 1か月を2か月分にして!
(10月28日、私の誕生日に記す)

【鉄則】

(1)今日というより、今、この瞬間にできることは、決して、あと回しにしない。
(2)したいこと、楽しいことは、何でも、先手、先手で進める。
(3)つねに新しいことにチャレンジしていく。ムダになるとか、ならないとか、そうい
うことは、考えない。結果は、つねにあとから、ついてくる。


【付記】

 たった今、アメリカに住む二男から、電話があった。孫の誠司が、電話口の向こうで、「♪
Happy Birthday」を歌ってくれた。「誕生日なんて、クソ食らえ」と思って
いたが、しかしうれしかった。

 ハハハ、私も、ジジバカの仲間入り!


++++++++++++++++++

ここまで書いて、3年前に書いた
原稿を思い出しましたので、再掲載
します。

++++++++++++++++++

●SZさんへ、

今日、リンゴの木を植えることだ!

 このところ、反対に読者の方に励まされることが、多くなった。一生懸命、励ましてい
るつもりが、逆に私が励まされている? 今朝(3月16日)も、SZさんから、そうい
うメールをもらった。「先生は、リンゴの木を植えていますよ」と。3月15日号のマガジ
ンで、つぎのように書いたことについて、だ。

「ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。1901年生まれというから、今、生き
ていれば、102歳ということになる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、
こう書いている。

 『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)す
るとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。」

 「二十五時」は、角川書店や筑摩書房から、文庫本で、翻訳出版されている。内容は、
ヨハン・モリッツという男の、収容所人生を書いたもの。あるときはユダヤ人として、強
制収容所に。またあるときは、ハンガリア人として、ルーマニア人キャンプに。また今度
は、ドイツ人として、ハンガリア人キャンプに送られる。そして最後は、ドイツの戦犯と
して、アメリカのキャンプに送られる……。

 人間の尊厳というものが、たった一枚の紙切れで翻弄(ほんろう)される恐ろしさが、
この本のテーマになっている。それはまさに絶望の日々であった。が、その中で、モリッ
ツは、「今日、リンゴの木を植えることだ」と悟る。

 ゲオルギウは、こうも語っている。「いかなる不幸の中にも、幸福が潜んでいる。どこに
よいことがあり、どこに悪いことがあるか、私たちはそれを知らないだけだ」(「第二のチ
ャンス」)と。たいへん参考になる。

 もっとも私が感じているような絶望感にせよ、閉塞(へいそく)感にせよ、ゲオルギウ
が感じたであろう、絶望感や閉塞感とは、比較にならない。明日も、今日と同じようにや
ってくるだろう。来年も、今年と同じようにやってくるだろう。そういう「私」と、明日
さえわからなかったゲオルギウとでは、不幸の内容そのものが、違う。程度が、違う。が、
そのゲオルギウが、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(し
ゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。

 私も、実はSZさんに励まされてはじめて、この言葉のもつ意味の重さが理解できた。「重
さ」というよりも、私自身の問題として、この言葉をとらえることができた。もちろんS
Zさんにそう励まされたからといって、私には、リンゴの木を植えているという実感はな
い。ないが、「これからも、最後の最後まで、前向きに生きよう」という意欲は生まれた。

SZさん、ありがとう! 近くそのハンガリーへ転勤でいかれるとか、どうかお体を大
切に。ゲオルギウ(Constantin Virgil Gheorgiu) は、ヨーロッパでは著名な作家です
から、また耳にされることもあると思います。「よろしく!」……と言うのもへんですが、
私はそんなうような気持ちでいます。(ただしもともとは左翼系の作家ですから、少し、
ご注意くださいね。)
(030316)


+++++++++++++++++++

同じころ書いた原稿を、もう1つ。

+++++++++++++++++++

●おとなの夢

 ある講演会で、「子どもの夢を伸ばすのは、親の役目」と話した。それについて、「おと
なの夢は、どう伸ばせばよいか」という質問をもらった。

 ……が、私は、この質問に、頭をかかえてしまった。第一、そういう視点で、ものを考
えたことがない。

 私たちの世界には、内政不干渉という、大原則がある。かりに子どもに問題があるとし
ても、親の側から質問があるまで、それについて、とやかく言うことは、許されない。わ
かっていても、わからないフリをして、親や子どもと接する。

 子どもに対してですら、そうなのだから、おとなである親に対しては、なおさらである。
たとえばレストランで、タバコを吸っている人がいたとしても、「タバコをやめたほうがい
い」などとは、言ってはならない。言う必要も、ない。それこそ、「いらぬお節介(せっか
い)」というもの。

 そういう意味で、「おとなの指導」については、どこか、タブー視してきた。

 それに、もう一つの理由、では、私自身はどうなのかということ。私には、夢があるの
か。またその夢を、自分で育てているのか、と。

●私の夢

私も40歳をすぎるころから、自分の限界を、強く感ずるようになった。「まだ、何かが
できるぞ」という思いが残っている一方で、「もうだめだ」という思いが、強くなった。

いくら本を出しても、私の本は、売れない。たいてい初版だけで、絶版。二刷、三刷と
増刷した本など、数えるほどしかない。

それだけではない。 
 
 数年前、一度、東京のMテレビで、一週間にわたって、ドクターの海原J氏と、都立大
学の宮台S氏と、対談したことがある。一応、たがいに議論したつもりだが、あとで送ら
れてきたビデオを見て、驚いた。私の意見のほとんどは、カットされていた。そして私は、
どこか司会者のように、仕立てられていた。

 海原氏にしても、宮台氏にしても、中央で活躍している著名人である。「やはり、地方に
いたのではダメだ」と、そのときほど、私は強く思い知らされたことはない。

 また地元のテレビ局で、4回にわたって、「T寺子屋」という番組に出させてもらったこ
とがある。しかし視聴率は、最低だった。(視聴率にも、ひかからないほど、低かったとか
……。)

 挫折することばかりだった。たとえば講演会にしても、東は大井川、西は名古屋を越え
ると、集まりは、極端に悪くなる。ときには、予定人数の、30%とか、40%とかにな
る。あるいは、それ以下になることもある。主催者は、「申しわけありません」とあやまる
が、本当にあやまりたいのは、むしろ、私のほうだ。

 で、このところ、もう夢は捨てた。夢をもてばもつほど、その挫折感が大きい。

 そんなわけで、いつしか私は、スティーブンソンの残した言葉で、自分を支えるように
なった。

 『我らが目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むことである』と。

●英語の「ドリーム」

夢を英語では、「ドリーム」という。で、日本語の「夢」のように、よく外国の友だちに、
「ぼくの夢はね……」と、私は話す。しかしそういうとき、外国の友だちは、「夢?」と、
よく聞きかえす。

 少し、言葉のニュアンスが、ちがうようだ。

 たとえばあのM・R・キング牧師は、「私は夢を見た……」と、演説をした。そのときも、
キング牧師は、「夢を見た」とは言ったが、「それが夢である」とは、言っていない。日本
語でいう「夢」というのは、英語では、「希望(Hope)」のことらしい。

 そこでネットサーフィンしながら、イギリスのあちこちのサイトをのぞいてみた。

 カール・サンバーグ(Carl Sandburg・詩人)という人は、こう言ってい
る。

 「最初は、すべて夢から始まる」(Nothing happens unless f
irst a dream.)と。

 このばあいも、「夢」というのは、私たちが眠っているときに見るような、あやふやな「映
像」をいう。

 だからやはり、つまり国際的な言い方をすれば、「夢」と言うのではなく、「希望」と言
うべきか。

●おとなの希望

 「明日は今日より、よくなるだろう」という期待が、人間を、前向きに、引っぱってい
く。またその期待が、あれば、人生も楽しい。困難や苦労を、乗り越えることができる。

 しかし反対に、生活が、防衛的になると、自分を支えるだけで、精一杯。さらに、「明日
が、今日より悪くなるだろう」とわかれば、生きていくことさえ、つらくなる。しかし、
今、ほとんどの人にとって、ほとんどのばあい、みな、そうではないのか。

 「幸福だ」と実感するときなど、一か月のうち、何日あるだろうか。その何日のうち、
何時間、あるだろうか。さらにその何時間のうち、何分、あるだろうか。

 否定的なことを書いたが、人生というのは、もともと、そういうもの? またそういう
前提で、つきあったほうが、気が楽になる。言いかえると、夢にせよ、希望にせよ、それ
はいわば、馬の前にぶらさげた、ニンジンのようなものかもしれない。

 いつまでたっても、馬(私たち)は、ニンジン(希望)にたどりつくことはできない。

 が、それでも走りつづける。同じく、カール・サンバーグは、こうも言っている。

 「私は、理想主義者だ。今、どこへ向って歩いているかわからない。しかしどこかへ行
く途中にいる」(I am an idealist: I don't know whe
re I'm going, but I'm on my way.)と。

 しかし、こうも言える。

 夢にせよ、希望にせよ、それは向こうからやってくるものではない。自分で、つかまえ
るものだ、と。さらにあえて言うなら、希望とは、その瞬間において、やりたいことがあ
ること。またそれに向って、前向きに取り組むことができること、ということになるのか。

 いくらがんばっても、手に入れることができないとわかっていても、馬(私たち)は、
それを手に入れるために、前に進むしかない。まさに「♪届かぬ星に届く」と歌った、「ラ
マンチャの男(ドンキホーテ)」の心境かもしれない。つまり、それが生きるということに
なる。

●子どもの夢を育てる

 講演の中で、たしかに私は、そう言った。

 しかしそれは、「自己同一性(アイデンティティ)」の問題として、そう言った。子ども
の役割形成の大切さを話し、そのために、「夢を育てる」と。

 このことは、反対の立場で考えてみると、よくわかる。たとえばあなたがやることなす
こと、だれかが、あなたの横にいて、「それなダメだ」「これはダメだ」と言ったら、あな
たはやる気をなくすだろう。

 さらに夢や希望をもっても、「そんなのはダメだ」と言ったら、あなたは生きる目的すら、
なくすかもしれない。

 子どものばあいも、そうで、えてして、親は、無意識のうちにも、子どもの夢や希望を
つぶしてしまう。たとえば「勉強しなさい」という言葉も、そうである。これも反対の立
場で考えてみればわかる。

 あなたが、「日本を車で、一周したい」という夢をもっていたとする。そういうときだれ
かが、横で、「仕事をしなさい」「お金を稼いできなさい」「出世しなさい」と言ったら、あ
なたは、それに納得するだろうか。

 つまり「勉強しなさい」「いい高校へ入りなさい」と、子どもに言うのは、むしろ、子ど
もに役割混乱を引きおこし、かえって子どもの夢や希望をつぶしてしまうことになる。私
は、それについて、講演で話した。

●では、どうするか……

 私たちは、どうやって、自分の夢や希望を育てたらよいのか。もっとわかりやすく言え
ば、私たちは、何をニンジンとして、前に向って走っていけばよいのか。

 これはあくまでも、私のばあいだが、今のこの時点での、私の夢は、「マガジンを100
0号まで、つづける」こと。

 最初は、読者の数を目標にしたこともある。「500人を目標にしよう」と。しかしすぐ、
私は、それがまちがっていることに気づいた。読者が、500人になるか、1000人に
なるかは、あくまでも結果であって、目標ではない。

 それに読者の数を気にすると、どうしても、ものの書き方が迎合的になる。コビを売る
ようになる。それに電子マガジンの特徴として、仮に、500人になっても、1000人
になっても、その実感が、まったくない。もちろん、それで利益になることもない。

 ただ、励みにはなる。実際、毎回、少しずつでも読者がふえていくのを知ると、うれし
かった。それは、ある。しかしそれは、夢でも、希望でもない。

 しかし「1000号までつづける」というのは、ここでいう夢になる。2日おきに発行
しても、2000日。約5年5か月! その間、私は、前に向って、歩きつづけることが
できる。その先に、何があるか、私にもわからない。しかしそれでも、私は前に向って歩
きつづけることができる。

 そう、それこそが、まさしく私が、自分で見つけた、ニンジンということになる。

【質問を寄せてくれた方へ】

 ご質問をいただいて、私も考えてしまいました。私はいつも、「おとな」の視点から、「子
どもの世界」をながめていました。しかし結局は、「子ども」イコール、「私」なのですね。

 私は講演の中で、「いい高校へ入る」「いい大学へ入る」というのは、もう「夢」ではな
いというような話をしました。

 昔は、「出世しろ」「博士になれ」「大臣になれ」というのが、「夢」ということになって
いました。親にも、そして学校の先生たちにも、いつも、そう言われました。しかしそれ
は、あくまでも、「結果」であって、「夢」ではないのですね。

 たとえば今の子どもたちは、「有名になりたい」とか、「お金もちになりたい」とか、言
います。しかし「有名になる、ならない」は、あくまでも結果。またお金があるとしても、
「では、そのお金でどうするのか」という部分がなければ、ただの紙くずです。

 つまり私たち、おとながいう「夢」とは、結局は、私たちの「生きザマ」の問題という
ことになります。さらにもっと言えば、「なぜ、私たちが、ここに生きているか」という問
題にまで、つながってしまいます。「夢」というのは、つまりは、「人生の目標」というこ
とにもなるからです。

 だから、考えてしまいました。で、その結果、私も、ふと気づきました。私には、夢が
あるか、とです。

 もちろんここにも書いたように、「夢」らしきものはあります。小さな夢です。「100
0号までつづける」といっても、その気にさえなれば、だれにだってもてる夢です。ある
いは、夢と言えるようなものではないかもしれません。今の私は、そういう夢に、しがみ
ついているだけかもしれません。だって、ほかに、何もありませんから……。

 ただ願わくは、あとは、私の3人の息子たちが、それぞれ独立して、幸福な生活をする
ようになってくれることです。あのクモは、自分の体を子どもたちに食べさせて、その生
涯を終えるということですが、今の私の心境としては、それに近いものです。

 こんな回答が、もちろんあなたのご質問の答にはならないことは、よく知っています。
しかし、何かの参考にしていただければ、うれしいです。では、今日は、これで失礼しま
す。
(031112)

●「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)す
るとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ」(「二十五時」・ゲオルギウ・ル
ーマニアの作家・1901年生まれ)

++++++++++++++++

この春に書いた原稿を、ここに
添付します。「希望」について
書いたつもりです。

3年前、私は、初老性の何とかで、
何かと、落ちこんでばかりいました。
そのころ書いた原稿なので、どこか
暗いです。
(03年)

++++++++++++++++

●春

 私のばあい、春は花粉症で始まり、花粉症で終わる。……以前は、そうだった。しかし
この8年間、症状は、ほとんど消えた。最初の1週間だけ、つらい日がつづくが、それを
過ぎると、花粉症による症状が、消える。……消えるようになった。

 一時は、杉の木のない沖縄に移住を考えたほど。花粉症のつらさは、花粉症になった人
でないと、わからない。そう、何がつらいかといって、夜、安眠できないことほど、つら
いことはない。短い期間なら、ともかくも、それが年によっては、2月のはじめから、5
月になるまでつづく。そのうち、体のほうが参ってしまう。

 そういうわけで、以前は、春が嫌いだった。2月になると、気分まで憂うつになった。
しかし今は、違う。思う存分、春を楽しめるようになった。風のにおいや、土や木のにお
い。それもわかるようになった。ときどき以前の私を思い出しながら、わざと鼻の穴を大
きくして、息を思いっきり吸い込むことがある。どこかに不安は残っているが、くしゃみ
をすることもない。それを自分でたしかめながら、ほっとする。

 よく人生を季節にたとえる人がいる。青年時代が春なら、晩年時代は、冬というわけだ。
このたとえには、たしかに説得力がある。しかしふと立ち止まって考えてみると、どうも
そうではないような気がする。

 どうして冬が晩年なのか。晩年が冬なのか。みながそう言うから、私もいつしかそう思
うようになったが、考えてみれば、これほど、おかしなたとえはない。人の一生は、80
年。その80年を、一年のサイクルにたとえるほうが、おかしい。もしこんなたとえが許
されるなら、青年時代は、沖縄、晩年時代は、北海道でもよい。あるいは青年時代は、富
士山の三合目、晩年時代は、九合目でもよい。

 さらに、だ。昔、オーストラリアの友人たちは、冬の寒い日にキャンプにでかけたりし
ていた。今でこそ、冬でもキャンプをする人はふえたが、当時はそうではない。冬に冷房
をかけるようなもの。私は、友人たちを見て、そんな違和感を覚えた。

 また同じ「冬」でも、オーストラリアでは、冬の間に牧草を育成する。乾燥した夏に備
えるためだ。まだある。砂漠の国や、赤道の国では、彼らが言うところの「涼しい夏」(日
本でいう冬)のほうが、すばらしい季節ということになっている。そういうところに住む
友人たちに、「ぼくの人生は、冬だ」などと言おうものなら、反対に「すばらしいことだ」
と言われてしまうかもしれない。

 が、日本では、春は若葉がふき出すから、青年時代ということになるのだが、何も、冬
の間、その木が死んでいるというわけではない。寒いから、休んでいるだけだ。……とま
あ、そういう言い方にこだわるのは、私が、晩年になりつつあるのを、認めたくないから
かもしれない。自分の人生が、冬に象徴されるような、寒い人生になっているのを認めた
くないからまもしれない。

 しかし実際には、このところ、その晩年を認めることが、自分でも多くなった。若いと
きのように、がむしゃらに働くということができなくなった。当然、収入は減り、その分、
派手な生活が消えた。世間にも相手にされなくなったし、活動範囲も狭くなった。それ以
上に、「だからどうなの?」という、迷いばかりが先に立つようになった。

 あとはこのまま、今までの人生を繰りかえしながら、やがて死を迎える……。「どう生き
るか」よりも、「どう死ぬか」を、考える。こう書くと、また「ジジ臭い」と言われそうだ
が、いまさら、「どう生きるか」を考えるのも、正直言って、疲れた。さんざん考えてきた
し、その結果、どうにもならなかった。「がんばれ」と自分にムチを打つこともあるが、こ
の先、何をどうがんばったらよいのか!

 本当なら、もう、すべてを投げ出し、どこか遠くへ行きたい。それが死ぬということな
ら、死んでもかまわない。そういう自分が、かろうじて自分でいられるのは、やはり家族
がいるからだ。今夜も、仕事の帰り道に、ワイフとこんな会話をした。

「もしこうして、ぼくを支えてくれるお前がいなかったら、ぼくは仕事などできないだ
ろうね」
 「どうして?」
 「だって、仕事をしても、意味がないだろ……」
 「そんなこと、ないでしょ。みんなが、あなたを支えてくれるわ」
 
「しかし、ぼくは疲れた。こんなこと、いつまでもしていても、同じことのような気が
する」
 「同じって……?」
 「死ぬまで、同じことを繰りかえすなんて、ぼくにはできない」
 「同じじゃ、ないわ」
 
「どうして?」
 「だって、5月には、二男が、セイジ(孫)をつれて、アメリカから帰ってくるのよ」
 「……」
 「新しい家族がふえるのよ。みんなで楽しく、旅行もできるじゃ、ない。今度は、その
セイジがおとなになって、結婚するのよ。私は、ぜったい、その日まで生きているわ」

 セイジ……。と、考えたとたん、心の中が、ポーッと温かくなった。それは寒々とした
冬景色の中に、春の陽光がさしたような気分だった。

 「セイジを、日本の温泉に連れていってやろうか」
 「温泉なんて、喜ばないわ」
 「じゃあ、ディズニーランドに連れていってやろう」
 「まだ一歳になっていないのよ」
 「そうだな」と。

 ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。1901年生まれというから、今、生きて
いれば、102歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いてい
る。

 『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)す
るとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。

 私という人間には、単純なところがある。冬だと思えば、冬だと思ってしまう。しかし
リンゴの木を植えようと思えば、植える。そのつど、コロコロと考えが変わる。どこか一
本、スジが通っていない。あああ。

 どうであるにせよ、今は、春なのだ。それに乗じて、はしゃぐのも悪くない。おかげで、
花粉症も、ほとんど気にならなくなるほど、楽になった。今まで、春に憂うつになった分
だけ、これからは楽しむ。そう言えば、私の高校時代は、憂うつだった。今、その憂うつ
で失った部分を、取りかえしてやろう。こんなところでグズグズしていても、始まらない。

 ようし、前に向かって、私は進むぞ! 今日から、また前に向かって、進むぞ! 負け
るものか! 今は、春だ。人生の春だ! 
(030307)

【追記】「青春」という言葉に代表されるように、年齢と季節を重ねあわせるような言い方
は、もうしないぞ。そういう言葉が一方にあると、その言葉に生きザマそのものが、影響
を受けてしまう。人生に、春も、冬もない。元気よく生きている毎日が、春であり、夏な
のだ!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝、あれこれ(10月26日)

+++++++++++++++

使う能力は、伸びる。
使わない能力は、後退する。

わかりきったことだが、
最近、それを実感することが
多くなった。

+++++++++++++++

 このところ、よく感ずるようになったことは、「漢字が書けなくなった」ということ。昨
日も、子ども(小3)に、「ヒメイ」という漢字をどう書くのかと聞かれ、瞬間、ハテ(?)
と思ってしまった。

 「ヒメイ」は、「悲鳴」である。

 少し前には、デパートで何かの贈答品を送るとき、書類に、「札幌(さっぽろ)」と書け
なくて、困ったことがある。

 それもそのはず。漢字を書くという機会が、ぐんと少なくなった。手紙もハガキも、そ
してこうした原稿も、すべて、パソコンを使って書いている。筋肉のみならず、脳みそも、
使わないでいると、どんどんと退化する。わかりきったことだが、それを、このところ、
強く実感する。

 で、再び、老人論。

 世間の人たちは、「老人になればなるほど、賢(かしこ)くなる」と考えている。しかし、
それはまったくの誤解。ウソ。自分で、その老人に近づいてみて、それがよくわかるよう
になった。

 が、中に、「老人になればなるほど、賢くなる」と説く、老人がいる。しかしその人は、
自分でそう思っているだけ。脳みそのCPU(中央演算装置)が退化すれば、自分が退化
していることさえ、わからなくなる。コンピュータにたとえるなら、クロック数というこ
とになる。

 クロック数……クロック周波数ともいう。コンピュータの動作タイミングの基準となる
信号周波数のこと(パソコン用語辞典)。ふつうは(現在は)、MHz(メガヘルツ)とい
う単位で示される。周波数が高ければ高いほど、処理速度が速くなる。

 つまり老人になればなるほど、その周波数が低くなる。低くなったのを基準に、自分を
見る。だから自分が低くなったことにすら、気づかない。わかりやすく言えば、人間の賢
さも、脳みその退化とともに、低下するということ。脳梗塞か何かになれば、なおさらで
ある。実際、バカなことばかりしている老人は、少なくない。

 もし老人が、賢く見えるとしたら、そういうふうに見せる技術がうまくなったと考える
のが正しい。どこかのカルト教団の指導者のように、さも、「私はできた人間でございます」
と、わかったような柔和な笑みを浮かべている老人は、いくらでもいる。

 ……となると、やはり、「精進(しょうじん)」ということになる。脳みそは、使う。使
って、使って、使いまくる。それは肉体の健康維持法と、同じ。どこもちがわない。

 が、それでも、脳みそは退化する。漢字が書けなくなったのも、そのひとつ。ほかに、
私のばあい、翻訳するのが、このところ、苦手になったように感ずる。日本語から英語、
英語から日本語への、スイッチングが、どうもうまくできなくなった。脳梁(のうりょう)
の、伝達物質が不足し始めたのかもしれない。

 脳梁というのは、右脳と左脳をつなぐ、太い電線のようなもの。英語は右脳、日本語は
左脳に格納されていると、何かの本に、そう書いてあった。

 つまりこうして私も、バカになっていく。バカになるだけならまだしも、おかしな回顧
主義にとらわれたり、復古主義にとらわれたりする。そう言えば、このところ、過去を振
りかえることが多くなったように思う。ゾーッ!

 そんなわけで、近く、私も、DS(子ども用のN社のゲーム機)、もしくは、PSP(同
じくゲーム機)を、買うつもり。子ども(生徒)たちは、DSがよいという。しかし雰囲
気的には、PSPのほうが、おとな的。しかし子どもたちといっしょに遊ぶなら、DSの
ほうがよい。

 さてさて、どうしようか?

 私の印象では、あくまでも私の印象だが、脳みその老化を防ぐためには、どんどんと新
しいことにチャレンジしていく。これが重要ではないかと思う。古いことを、今までどお
りに繰りかえしているようではいけない。

 それにもう1つ気になるのは、このところ、集中力が以前ほど、長くつづかなくなった
ということ。講演などをしていても、1時間ほどしたあたりで、ふと、気がゆるんでしま
うことがある。

 運動にたとえて言うなら、若いころは、1000メートルくらいは平気で走ることがで
きた。しかしそれが、加齢とともに、800メートルになり、500メートルになったと
いうこと。このままでは、そのうち、100メートル走っただけで、息切れをするように
なるかもしれない。

 これはかなり、深刻な問題と考えてよい。

 さあ、これから先、どうしようか……と考えたところで、この話は、おしまい。

(考えたところで、どうにもならないし……。)

(付記)

 「3時から4時までの間で、長い針と短い針が、一直線に並ぶのは、何時何分何秒か。
秒数は、10分の1の位まで、求めよ」……という問題なら、あなたは、何分で解くこと
ができるか。

 ためしに、私も、今、やってみた。

 ヨーイ、ドン!

 頭のよい子ども(小6)なら、計算機なしでも、3〜4分以内に解くだろう。つまりこ
のあたりが、ひとつの基準ということになる。(教える側は、それ以内に解かなければなら
ないので、キツイ! 正解は、3時49分5秒。)

 
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●公務員の世界

++++++++++++++++

公務員の世界は、煙(けむり)の
ような、不思議な世界。

そこにあるのは、人間関係を示す
組織だけ。

あとは、何も、ない。

++++++++++++++++

N県で、8年間で、たった5日しか勤務していなかった公務員が、問題になっている。
8年間で、たったの5日。おそらく、給料は、満額支払われていたのだろう。しかしこ
んな例は、いくらでもある。

 私が直接知っている例では、2年間休職し、数日、勤務したあと、また2年以上休職し
ている男性(40歳くらい)がいる(N県、県庁)。この男性のばあいは、4年間で、数日、
勤務しただけということになる。

 ほかにもいくつかあるが、では、なぜ、こんなことが起きるのか?

 公務員の世界というのは、不思議な世界である。そこにあるのは、人間関係を示す、組
織だけ。あえて言うなら、そこは煙(けむり)のような世界。県庁にせよ、市役所にせよ、
あの建物は、煙を閉じこめておくための箱。ただの箱。

 民間企業だと、「利潤追求」という共通の目的がある。しかし公務員の世界には、それも
ない。「お金は、天から降ってくるもの」と、ほとんどの公務員は考えている。一度だが、
H市で部長級の仕事をしている友人に、こう聞いたことがある。「公僕意識というのは、な
いのか」と。

 するとその友人は、こう言った。「そんなもの、絶対に、ありませんよ」と。

 具体的には、H市は、バブル経済のころ、テクノ団地を造成、販売した。バブル経済が
はじける直前に、うまく売り逃げ、莫大な利益をあげた。そこで私が、「その利益分だけ、
税金を安くするとか、そういうことは考えないのか」と聞くと、それについても、こう答
えた。

 「そういう発想は、公務員には、絶対に、ありませんよ」と。

 これが現実である。つまりこういう現実を前提として、公務員の世界を考える必要があ
る。

 が、問題は、こうした矛盾というか、事件というか、なぜ、こうまでつぎつぎと起こる
かということ。

 理由は簡単。矛盾を解決する以上に、新しい矛盾を、つぎからつぎへと作っている。わ
かりやすく言うと、1つの矛盾が出てきて、それを解決している間に、またべつの矛盾を
つくりあげている。

 それにしても、8年間で、5日の勤務とは! ここまでひどいとは、私も思っていなか
った。



●三男のBLOGより

++++++++++++++++++

三男が、仙台の分校に移った。
パイロットとしての、最終訓練に移った。

操縦しているのは、あのキングエア。

MSのフライト・シミュレーターにも、
その飛行機が収録されている。

文の末尾に、キングエアの機長席に座る
友人を紹介しながら、
「このコクピットに、ようやくたどり着きました」と
ある。

++++++++++++++++++

【仙台フライト課程】

 1年と半年前、パイロットのパの字も知らなかった僕が、宮崎に来て、最初に出会った
先輩が、まさにその時、宮崎フライト課程を修了し、仙台へ旅立とうとしていたところだ
った。その口から発せられる意味不明な単語の羅列。本気で同じ国の人とは思えなかった。
中には僕よりも年下の先輩もいたが、その背中はとてつもなく大きく、遠いものに感じら
れた。そこまでたどり着く道のりが、果てしなく長く、険しいものに感じられた。

 あれから、色んなことがあった。毎日が、これでもかと言わんばかりに充実していた。
すごい勢いで押し寄せては過ぎ去っていく知識と経験の波にもまれ、その一つ一つを逃さ
ぬように両手を一杯に広げ、倒されぬよう走り続けて来た。

初めて飛んだ帯広の空。細かい修正に苦労した宮崎の空。教官に叱咤激励され、同期と
切磋琢磨し、涙を流したことも数知れず。楽しかったが、決して楽な道のりではなかっ
た。その間に垣間見た、キングエアと仙台の空の夢。フライトを知れば知るほど、遠く
なって行くような気がしていた。途方に暮れてうつむくと、そこには誰かの足跡が。そ
う、あの時見た先輩たちの足跡だ。大きく見えた先輩たちも、この細く曲がりくねった
道を一歩ずつ這い上がって来たのだ。

 そして今日、僕は、空の王様、キングエアと共に再び空へ飛び上がった。ずっと想像し
ていただけの景色が、現実にそこに広がっていた。コクピットに座り、シートベルトを
締め操縦桿を握ると、ハンガーの向こう側から1年前の僕が見ている気がした。あの頃
の僕の憧れに、ようやくたどり着いたのだ。先輩たちが踏み固めてくれたあの道は、確
かに、この空に続いていたのだ。

人は成長する。それを強く実感した一日だった。毎日、少しずつでもいい。前進し続け
ること。小さな成長を実感し続けること。時々、何も変わっていないじゃないかと失望
することがあるかもしれない。それでも、諦めないこと。そうすることで人は、自分よ
りも何百倍も大きかった夢を、いつの間にか叶えることが出来る。そういう風に、出来
ているのだ。努力は必ず報われる。

 最高の教育と、経験と、思い出を、僕は今ここで得ている。一つも取りこぼしたくない、
宝石のような毎日だ。

このコクピットに、ようやくたどり着きました。

(以上、原文のまま。興味のある方は、ぜひ、息子のBLOGを訪れてやってみてくださ
い。私のHPのトップ画面より、E・HayashiのWebsiteへ。)


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●ベン・ハー

++++++++++++++++++

学生だった私に、映画『ベン・ハー』の
与えた衝撃は大きかった。

映画館では、1度しか見ていないが、その
あと、ベン・ハーのテーマ音楽がラジオか
ら流れてきただけで、興奮状態になった
のを、今でも、はっきりと覚えている。

そのテーマ音楽を、このところ、また、
毎日のように聴いている。

++++++++++++++++++

 1959年の11月、映画『ベン・ハー』が、劇場に登場した。W・ワイラー監督、C・
ヘストン主演。制作費、当時のお金で1500万ドル。上映時間、4時間。11のオスカ
ーを受賞している。

 私が、満12歳になった年である。私がその映画を見たのは、その翌年のことではなか
ったか。あまりの(すごさ)に、私はしばらくの間、その映画の虜(とりこ)になってし
まった。よく覚えているのは、近くの本屋で本を立ち読みしていたときのこと。ラジオか
ら、『ベン・ハー』のテーマ音楽が流れてきただけで、興奮状態になってしまったこと。急
いで家に帰り、自分のラジオにスイッチを入れたときには、すでにその音楽は終わってい
たが……。

 しかし私は、まだ子どもだった。あの映画が、キリストを主題にした映画だったとは、
当時は、気がつかなかった。ベン・ハーは、あくまでも、ベン・ハー。

 で、最近、自分の携帯電話に、その音楽を収録した。そのこともあって、このところ毎
日のように、その音楽を聴いている。当時の感動がそのまま……ということは、もうない
が、それでも、今、こんな不思議な経験をしている。

 『ベン・ハー』の中の、C・ヘストン演ずるベン・ハーは、架空の人物だが、こうして
半世紀近い時の流れを間においてみると、あたかも私自身が、その時代に生きたかのよう
な錯覚を覚える。つまり『ベン・ハー』という映画の中で見た世界が、自分自身の過去の
一部となっているのを知る。

 これは心理学でいえば、どういう現象なのか。「同一視」という現象があるが、それなの
か。当時の私は、自分自身を、ベン・ハーと同一視することによって、架空の世界の自分
に酔いしれた。それで今、そういう現象が起きている。多分?



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 11月 24日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page013.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●代償的過保護

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昨日、ある幼稚園で講演をしたとき、
代償的過保護の話をした。

時間がなく、どこか中途半端な
説明だったので、改めて、その
代償的過保護についての記事を、
ここに載せることにした。

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 同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思い
どおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。

 ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。

 しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味で
は、代償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。

 親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴が
みられるようになると書いている(1969)。

 服従的になる。
 自発性がなくなる。
 消極的になる。
 依存的になる。
 温和になる。

 さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(し
てよいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。

 この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、
親に追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその
温和性は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のも
のである。

 どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする
……といったふうになる。

 そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」
と誤解する傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。

 ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価してい
る。臆面もなく、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の
前では、借りてきたネコの子のようにおとなしく、ハキがない。

 子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題
は、そのことではない。

 つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その
呪縛性に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であ
るかわからないまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別
として、その重圧感は、相当なものである。

 もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に
気がつくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生ま
れてはじめて、解放感を味わった」と言う人もいた。

 題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画も
あった。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。

 ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。

【自己診断】

 ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、ま
ず、あなたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あ
なた自身の中の、(つくられたあなた)を知る。

( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。
( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにし
てきた。
( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。
( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことが
ある。
( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見
せた。
( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ず
る。

 これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と
考えてよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に
分析してみるとよい。

【補記】

 子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子ども
のため」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子
どもを利用する。

 あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用す
る。

 このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力
的、威圧的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。

 「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするな
ら、お涙ちょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見
せつけながら、子どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。

 どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、
操られているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、
異常なまでに依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)

【補記2】

 よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。

 しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生
まれながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子
ども自身が、かなり無理をしていると考えてよい。

 外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。
そして子どもの心を、ゆがめる。

 そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔
の表情とが一致している子どものことを、すなおな子どもという。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒
っているときは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。
そういう子どもを、すなおな子どもという。

 子どもは、そういう子どもにする。 
(はやし浩司 すなおな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【掲示板への相談より】

●間接虐待

++++++++++++++++++

Sさんという人から、父親の暴力に
ついての相談があった。

私は、それについて、自分の過去を
書いた。私も、子どものころ、父親の
暴力を、見て育っている。

++++++++++++++++++

【Sさんより、はやし浩司へ】

時々、登校拒否を起こす小学2年生の息子について相談させてください。

元夫との関係はDVでした。現在は息子と二人で自分としては息子を笑わせながらそれな
りに愉快に暮らしているつもりです。

ただ時々学校に行けなくなるのが問題です。確かに妊娠中から暴力を受け、かなりの緊張
状態の中に息子はあったと思います。学校にいく直前になるととても緊張し、寝癖や忘れ
物など必要以上に気にします。

どう父親の事を話すのが息子が納得できるのか、またおそらく息子には訳がわからない状
態をどう整理してあげればよいのか、悩みます。

息子が自信をもって学校に行かせる為に今私がなすべき事をよろしくご指導戴きたくお願
い申し上げます。

【はやし浩司より、Sさんへ】

 はげしい夫婦げんかを、私は、「間接虐待」と呼んでいます。当然、子どもの心に深いキ
ズを残します。

 「私論」(改)を読んでくださり、ありがとうございました。

(「私論」は、前回、マガジンで取りあげましたので、省略します。)


【Sさんより、はやし浩司へ】

社会においては見ないふりをしてしまいがちな心の闇に、道標をつけてくださいましてあ
りがとうございました。闇の心理に深い洞察と理解を示してくださったこと感謝申し上げ
ます。

暴力的な生活は一掃したつもりでしたが、息子の中に恐怖心が残って、それが息子を時々
コントロールしているのだということを今改めて認識することが出来ました。

息子は明るい性格で息子と私の今の笑いの絶えない生活は、普段はなんの問題もないので
すが、いざ学校に行く前になると、異常に神経質になりパンツを何度も取り替えたり、な
にかこう清水の舞台から飛び降りるような一大決心というような状況になります。

幼稚園の頃は甘やかしが原因と先生に言われておりました。しかし一方で私は「さびしい
のかな」とも思い、頭の中はいつも堂々巡りでした。

「恐怖心」というのは思いつきませんでした。息子を背後から操っている者の正体がやっ
と闇の中から浮かび上がってきました。暴力の現場がそれほどまでに子供に影響を与える
ということを認識していませんでした。

それを知るのと知らないのでは大違いです。知らなければ、息子を助けたくて、私自身が
迷路のなかでさまようところでした。

ひょっとすると先生ご自身が傷つく覚悟で、ご経験を聞かせてくださいまして本当にあり
がとうございました。先生が私共親子の闇を背負ってくださった現実があるからこそ、見
えにくい心の深部の問題に、明快な指針を戴き私共親子は救われました。


【補記】

●間接虐待

 直接虐待を受けなくても、まわりの騒動が原因で、子どもが、心理的に、虐待を受けた
のと同じ状態になることがある。これを私は、「間接虐待」と呼んでいる。

 たとえばはげしい夫婦げんかを見て、子どもがおびえたとする。「こわいよ」「こわいよ」
と泣いたとする。が、その夫婦には、子どもを虐待したという意識はない。しかし子ども
は、その恐怖感から、虐待を受けたときと同じキズが、心につく。これが間接虐待である。

 というのも、よく誤解されるが、虐待というのは、何も肉体的暴力だけではない。精神
的な暴力も、それに含まれる。言葉の虐待も、その一つである。言いかえると、心理的な
苦痛をともなうようであれば、それが直接的な虐待でなくても、虐待ということになる。

 たとえば、こんな例を考えてみよう。

 ある父親が、アルコール中毒か何かで、数日に1回は、酒を飲んで暴れたとする。食器
棚を押し倒し、妻(子どもの母親)を、殴ったり、蹴ったりしたとする。

 それを見て、子どもが、おびえ、大きな恐怖感を味わったとする。

 このとき、その父親は、直接子どもに暴力を加えなくても、その暴力と同じ心理的な苦
痛を与えたことになる。つまりその子どもに与える影響は、肉体的な虐待と同じというこ
とになる。それが私がいう、間接虐待である。

 が、問題は、ここにも書いたように、そういう苦痛を子どもに与えながら、その(与え
ている)という意識が、親にないということ。家庭内騒動にせよ、はげしい夫婦げんかに
せよ、親たちはそれを、自分たちだけの問題として、かたづけてしまう。

 しかしそういった騒動が、子どもには、大きな心理的苦痛を与えることがある。そして
その苦痛が、まさに虐待といえるものであることがある。

 H氏(57歳)の例で考えてみよう。

 H氏の父親は、戦争で貫通銃創(銃弾が体内を通り抜けるようなケガ)を受けた。その
ためもあって、日本へ帰国してからは、毎晩、酒に溺れる日々がつづいた。

 今でいう、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)だったかもしれない。H氏の父親は、
やがてアルコール中毒になり、家の中で暴れるようになった。

 当然、はげしい家庭内騒動が、つづくようになった。食卓をひっくりかえす、障子戸を
ぶち破る、戸だなを倒すなどの乱暴を繰りかえした。今なら、離婚ということになったの
だろうが、簡単には離婚できない事情があった。H氏の家庭は、そのあたりでも本家。何
人かの親戚が、近くに住んでいた。

 H氏は、そういうはげしい家庭内騒動を見ながら、心に大きなキズを負った。

 ……といっても、H氏が、そのキズに気がついていたわけではない。心のキズというの
は、そういうもの。脳のCPU(中央演算装置)にからんでいるだけに、本人が、それに
気づくということは、むずかしい。

 しかしH氏には、自分でもどうすることもできない、心の問題があった。不安神経症や、
二重人格性など。とくに二重人格性は、深刻な問題だった。

 ふとしたきっかけで、もう一人の人格になってしまう。しかしH氏のばあい、救われる
のは、そうした別の人格性Yをもったときも、それを客観的に判断することができたこと。
もしそれができなければ、まさに二重人格者(障害者)ということになったかもしれない。

 が、なぜ、H氏が、そうなったか? 原因を、H氏の父親の酒乱に結びつけることはで
きないが、しかしそれが原因でないとは、だれにも言えない。H氏には、いくつか思い当
たる事実があった。

 その中でも、H氏がとくに強く覚えているのは、H氏が、6歳のときの夜のことだった。
その夜は、いつもよりも父親が酒を飲んで暴れた。そのときH氏は、5歳年上の姉と、家
の物置小屋に身を隠した。

 その夜のことは、H氏の姉もよく覚えていたという。H氏は、その姉と抱きあいながら、
「こわい」「こわい」と、泣きあったという。その夜のことについて、H氏は、こう言う。

 「今でも、あの夜のことを思い出すと、体が震えます」と。

 心のキズというのは、そういうもの。キズといっても、肉体的なキズのように形がある
わけではない。外から見えるものでもない。しかし何らかの形で、その人の心を裏からあ
やつる。そしてあやつられるその人は、あやつられていることにすら、気がつかない。そ
して同じ苦痛を、繰りかえし味わう。

 間接虐待。ここにも書いたが、この言葉は、私が考えた。

【注意】

 動物愛護団体の世界にも、「間接虐待」という言葉がある。飼っているペットを、庭に放
置したり、病気になっても、適切な措置をとらないことなどをいう。


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この間接虐待に関連して、同じころ書いた
原稿を1つ、添付します。

+++++++++++++++++

●ある離婚

 昨夜、ハナ(犬)との散歩を終えて、家に入ろうとすると、そこにMさん(女性、41
歳)が立っていた。

 「どうかしましたか?」と、自転車を車庫に入れながら声をかけると、「先生、私、今度、
実家に帰ることにしました」と。

 懸命に笑顔をつくろうとしていたが、どこか苦痛に、その顔は、ゆがんでいた。車のラ
イトを背に、表情はよく見えなかったが……。

私「やはり、無理ですか……」
M「いろいろ努力はしてみましたが……」
私「お子さんたちは、納得していますか?」
M「まだ、話していませんが、しかたありません」と。

 Mさん夫婦の関係がおかしくなって、もう5年になるだろうか。いつだったか、Mさん
の夫が私にこう言ったことがある。「私たちは、もう形だけの夫婦なんです」と。

 その言葉が、頭の中を横切った。

 Mさんは、東北のY県から、嫁いで、このH市にやってきた。間に、友人のT氏がいて、
それで親しくなった。T氏が、Mさん夫婦の間をとりもった。夫のM氏に、奥さんのMさ
んを紹介したのも、T氏だった。

しかしこうした離婚騒動は、1度や2度だけではなかった。そのつど、私は、それに振
り回された。

私「Tさん(間の友人)に、相談しました?」
M「しても、どうせ、夫の味方をするだけですから……」
私「でも、こういう問題は、したほうがいいと思います」
M「しても、どうせ、ムダですから……」と。

 この5年間で、Mさんには、いろいろあった。育児ノイローゼ、うつ状態などなど。夫
のM氏やT氏が、Mさんを入院させようとしたこともある。しかしMさんは、がんとして、
それを拒んだ。

 そんなことを頭の中で思い浮かべていると、Mさんが、あれこれ不平、不満を並べ始め
た。

M「先生、Dさんを知っているでしょう? あのDさんが、私に意地悪をします。私が声
をかけると、わざと車のドアをバタンと閉めて、プイとするのです」「私の車に、いたずら
をする子どもがいます。近所の子どもなんですが、バックミラーにキズをつけました」な
どなど。

 Mさんの精神状態は、あまりよくないといったふうだった。こまかいことを気にして、
それをおおげさにとりあげた。

しかし不平や不満を並べるうちは、まだよい。こういうときは聞き役にまわって、Mさ
んの心の中にたまった、うっぷんを抜くのがよい。うまくいけば、離婚話をやわらげる
ことができるかもしれない。

 10分たち、20分がすぎた。Mさんは、立ったまま、私に、よどみなく話しかけてき
た。私は、自転車にもたれかかったまま、Mさんの話を聞いた。が、やはり、話題は、離
婚の話にもどった。

私「でも、やはり、お子さんの気持ちを聞いてみなくちゃ?」
M「でも、夫では、子どもを育てることはできません」
私「そう決めてかかってはいけません。お子さんたちが、さみしい思いをするでしょう?」
M「でも、私、こういう都会は、好きではありません。子どもを育てる環境としては、よ
くありません」と。

 Mさんは、今にも、私に体を投げ出しそうだった。「ワイフを呼んできますから、いっし
ょに相談してみますか?」と言うと、「それは勘弁してください」と。

しかし私には、どうすることもできなかった。両手で自転車のハンドルを握りなおした。

私「やはり、私のほうから、Tさんに相談してみてあげましょうか?」
M「いいです。それは……。もう決めましたから……」
私「決めたって……?」
M「来月、Y県の実家に帰ります」と。

 秋のかわいた風が、何度も、車の流れとともに、間に流れた。私は、「そういうものかな
ア?」と思いながら、その場を離れた。Mさんは、本当にそのまま離婚してしまうかもし
れないし、あるいはいつもの夫婦げんかで終わるかもしれない。

 いつか私のワイフは、私にこう言った。「女っていうのはね、離婚するときは、黙って、
だれにも相談せず、離婚するものよ」と。

 私のワイフのように、強い女性は、そうはいない。私も、ワイフとけんかすると、すぐ
「離婚してやる」とは言う。しかし、本気で、離婚を考えたことなどは、一度もない。そ
れは口グセのようなものかもしれない。あるいは出まかせのようなものかもしれない。自
分でも、よくわからないが……。

 家に入ってから、Mさんのことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

 「そうねえ……。前から思っていたんだけど、私は、離婚したほうがいいと思うわ」と。

 「そういう簡単な話でもないのだがなあ……」と私は思いながら、私は自分の書斎に入
った。T氏に手紙を書き始めた。

【Tさんへ】

 お元気ですか。先日は改築祝いにお招きくださって、ありがとうございました。あれか
らもう半年になります。新居の住み具合は、いかかがですか。

 ところで、今夜突然、手紙を書くことにしたのは、実は、あのMさん夫婦のことです。
かなり深刻な、様子です。M氏には、この数か月会っていませんが、ときどき奥さんのM
さんが、私のところへやってきます。

 今夜も、やってきました。私が散歩から帰るまで、そこでじっと待っていたようです。
で、いつもの離婚話です。どこまで本気で聞いてよいものやらという思いで、話を聞くだ
けは、聞いてあげました。

 奥さんのMさんは、Y県へ子どもを連れて帰ると言っています。ご存知のように、こう
した夫婦の問題は、私たちには、どうすることもできません。間に子どもがいれば、なお
さらです。しかも今の状態をみると、「離婚しないほうがいい」とか、「離婚してはだめだ」
と言うこともできません。M氏自身も、「私たちは、もう形だけの夫婦です」と言っていま
す。

 Tさんとしては、さぞかしつらい思いをなさっておられることだろうと思います。しか
し私の印象では、Mさん夫婦がこうなったことについて、だれにも責任はないと思います。
Mさんにしても、Tさんを、うらんだりしているような様子は、まったく見られません。

 しかしやはり問題は、3人のお子さんだろうと思います。養育費の問題もありますし、
今のM氏の収入では、生活もたいへんだろうと思われます。それはわかります。そこで奥
さんのMさんは、『私は仕事をする』と言っていますが、あの精神状態では、私は、無理で
はないかと思っています。率直に言って、それこそ何か、事件になるのではないかと、心
配しています。

 でも、本当の原因は、私は奥さんのMさん自身にあるのではないかと思っています。も
っとも、なぜ奥さんのMさんが、今のようなうつ状態になったかといえば、M氏にも責任
がないとは言えません。もう少し、奥さんのMさんのことを、心配してやるべきだったと
思っています。

 無知というか、無責任というか……。以前、奥さんのことを、Mさんは、『あいつは、怠
け病だ』と、私に言ったことがあります。もう少し、ことは深刻だったのですが、M氏に
は、奥さんの心の状態が理解できなかったようです。

 ともかくも、今は、こういう状態です。報告だけの、わけのわからない手紙になってし
まいました。私自身も、こういう手紙を書きながら、責任のがれをしているのかもしれま
せん。あとになって、『どうしてもっと、早く知らせてくれなかったのか』と言われるのが、
つらいからです。

 みんな無責任ですね。しかしやはり、どうすることもできません。最終的に、Mさん夫
婦のことを決めるのは、Mさん夫婦だからです。私としては、来週あたり、またケロッと
して、「先生、こんにちは!」と声をかけてくれるのを、望んでいますが……。

 奥さんのMさんが話してくれた、不平、不満を、箇条書きにしておきます。何かの参考
になればうれしいです。

(1)夫が子どもたちの教育に無関心。
(2)夫の収入だけでは、生活が苦しい。
(3)夫が、仕事ばかりで、ほとんど家にいない。
(4)生活環境がよくない。今のようなマンション生活はいやだ。
(5)(家が大通りに面していて)、騒々しくて、よく眠れない。
(6)このところ、駐車場にとめてある車に、いたずらをする人がいる。
(7)近所のXさんと、いつもけんかをしている。
(8)長男の友人がよくない。悪い遊びを覚えている、など。

 私の印象としては、ああまで趣味などがちがう夫婦ですから、いっしょに何かをすると
いうわけにも、いかないのではないかと思っています。もちろん考え方もちがいますし…
…。M氏は、のんびりとした性格。しかし奥さんのMさんは、異常なまでに、教育に熱心
です。

 先日も、となりのA小学校よりも、教える進度が遅れていると、学校へ文句を言ってい
ったそうです。長男には、毎朝6時に起こし、勉強をさせているそうです。今夜も、私が、
「そこまでさせてはだめです」と言ったのですが、聞いてもらえませんでした。過激とい
うよりも、めちゃめちゃといった感じです。

 奥さんのMさんの、育児ノイローゼは、そんなわけで、相変わらず、つづいているよう
です。今はまだ長男も小さいからいいのですが、そのうち、反抗するようになると思いま
す。

どう思いますか? 奥さんのMさんは、さかんに、「夫では、子育ては無理だ」と言って
いますが、本当のところは、M氏に任せたほうが、よいのではないかと思っています。
3人の子どもたちも、父親のM氏のほうを、より慕っているように思います。あくまで
も、私の感じた印象ですが……。

 もう少し、時間をおいて様子をみてみます。

 では、今夜は、これで失礼します。奥様によろしくお伝えください。おやすみなさい。

                         2004年X月X日 林 浩司

++++++++++++++++++

 Mさんは、ここにも書いたような精神状態で、自分のことを考えるだけで、精一杯。そ
んな感じである。

 「(Mさんの)子どもたちは、どう思っていますか?」
 「子どもたちは、東北へいっしょに帰りたいと言っていますか?」
 「ご主人は、どう言っていますか?」

……などと聞いても、「子どもたちは問題ない」「夫には相談する必要はない」と、そん
な言い方ばかりをする。

 自己中心的というか、他人の心まで、自分で決めてしまっている。Mさん自身が、厚い
カプセルの中に閉じこもってしまっている。話していて息苦しさを感ずるのは、そのため
である。はっきり言えば、自分勝手。わがまま。

 Mさんは、「あれが悪い」「これが悪い」と言う。しかし本当のところ、その原因は、M
さん自身にある。

 たとえばMさんは、こう言った。

 「近所のXさんと、けんかはした。私が悪かった。しかしそのあと、私は、お菓子をも
って、あやまりに行った。だけど、許してくれなかった」と。

 Mさんは、「お菓子までもってあやまりにいったんだから、許してくれてもいいハズ。も
う怒っていないハズ。トラブルは解決したハズ」と、すべてを、自分勝手な、「ハズ論」で
考えている。

 しかし一度こわれた人間関係は、そんな簡単には、修復できない。そういった常識が、
Mさんには、欠けていた。つまりそれこそが、自己中心性の表れということになる。

 はっきり言おう。

 離婚することが決して不幸と言っているのではない。幸福に形はない。だから、結婚す
るときも、反対に、離婚するときも、そのときどきにおいて、それぞれの人は、自分の道
を選べばよい。

しかし不幸になっていく人には、いつも1本の道がある。しかしその本人には、その道
が見えない。自分で、見ようともしない。見えないまま、その道にそって、まっしぐら
に、不幸になっていく。

 賢い人は、そこで立ち止まって、自分の道を見る。しかし愚かな人は、だれかがその道
を見せてくれても、それを自ら否定する。目を閉じる。

【補記】

 人格の完成度は、(1)他者との共鳴性、(2)自己管理能力、(3)他者との良好な人間
関係でみる。

 その中で、(2)の自己管理能力について言うなら、感情のおもむくまま、そして欲望の
おもむくまま、行動する人は、それだけ自己管理能力の低い人とみる。

 Mさんは、その自己管理能力に欠けていると思う。近所のXさんとのトラブルの原因も、
そこにあった。

 近所のXさんは、毎朝、ベランダでふとんをたたいていたのだが、たまたま風向きで、
大きなホコリが、Mさんの部屋のほうまで飛んできた。それでMさんが、Xさんに電話し
た。

 もしそのとき、ほんの少しだけ、Mさんに自己管理能力があれば、ほかの言い方もでき
たのだろう。しかしMさんは、電話口で、大声で怒鳴ってしまった。それで電話を受けた
Xさんも、感情的になってしまった。

 「フトンのゴミを落さないで!」「何よ、あんたんどころだって、フトンくらい、たたく
でしょう!」と。恐らく、そういう言い争いになったのだろうと思う。以後、ことあるご
とに、2人は、いがみあうようになった。

 またMさんの夫が、家族のことを、顧(かえり)みなくなったことについても、Mさん
にも責任がある。

 Mさんは私にさえ、こう言ったことがある。「夫の給料が少なくて、困っています。夫の
実家の助けを受けているくらいです。あの人が、もう少し、仕事ができたらいいんですが
……」と。

 恐らく、夫のM氏には、もっと直接的に、不満をぶつけていたにちがいない。「こんな給
料では、生活できないわよ」とか、何とか。夫のM氏が、家庭から遠ざかったとしても、
不思議ではない。

 もちろんすべての原因が、Mさんにあったというわけではない。しかしもう少し、Mさ
んが、自分が進んでいる道に気がついていたら、こういうことにはならなかったと思う。

【補記2】

 「私が絶対正しい」「私はまちがっていない」と思うのは、その人の勝手だが、他人に対
する謙虚さをなくしたとき、その人は、独善の道に入る。

 その独善の道に入れば入るほど、視野がせまくなる。自分の道が見えなくなる。Mさん
は、「子どもことは、私が一番よく知っている」と何度も言った。

 しかし本当にそうだろうか? 私の印象では、3人の子どもたちは、父親のM氏のほう
を、より慕っているように見える。ただ今は、まだ幼いということもあって、絶対的な母
子関係という呪縛の中に、とらわれているだけ。

 Mさんは、その呪縛をよいことに、3人の子どもを支配している。しかしその呪縛は、
それほど、長くはつづかない。もうあと、1、2年もすれば、長男のほうが、その呪縛か
らのがれ、個人化(私は私という生きザマを求める)を始めるようになる。

 子どもにとって母親は、絶対的な存在である。命を育てられ、生まれたあとも、乳を与
えられる。子どもは父親なしでも、生まれ育つことはできる。しかし母親なしでは、生ま
れることも、育つこともできない。それがここでいう呪縛ということになる。

 母親たちは、その呪縛に甘えてはいけない。その呪縛をよいことに、子どもをしばって
はいけない。子どもを支配してはいけない。

 Mさんは、そうした事実にも、気がついていない。気がつかないまま、「私は絶対だ」と
思いこんでいる。つまりこのタイプの母親ほど、子育てをしながら、子どもの心を見失う。
私の印象では、母親と子どもたちが断絶するのは、時間の問題だと思う。

【注】

 どこか男の立場だけで、Mさんの問題を考えたような気がする。もちろんMさんという
のは、架空の女性である。実在しない。ある読者から、いただいたメールをもとに、いろ
いろな例をまぜて、私が、想像して書いた。どうか、そういうことも念頭において、この
「ある離婚」を読んでほしい。

 
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(10月25日)

●かぎられた仲間

++++++++++++++++++

友だちは多ければ多いほどいいと、
人はいう。

しかしそれ以上に大切なことは、
少ない友だちでもいい。

深く、深く、そして、静かに、静かに、
つきあうこと。

それがこのところ、よくわかるように
なってきた。

++++++++++++++++++

 最近、私は、関係修復能力というか、「人との関係を修復しよう」という意欲が、急速に
薄れてきたのを、感ずる。「どうでもいいや」という投げやりな気持ちが、強くなったよう
に思う。

 たとえば、AさんならAさんが、私のことを悪く思っていたとする。私も、それを感じ
たとする。そういうとき私は、「どうぞ、勝手に」と思ってしまう。「どうとでも、思うが
いい」と。

 若いころの私なら、そこに誤解があれば、その誤解を解こうとするかもしれない。これ
からのことを考えて、少しでも、関係をよくしようと考えたかもしれない。が、今は、ち
がう。「だからどうなの……」という気持ちになってしまう。「ここで関係を修復したとこ
ろで、どうなの」と。相手も、それを望んでいないだろう。

 が、私のような生き方をしていると、私が望まなくても、向こうから、からんでくるこ
とがある。たとえば私のHPを盗み読みしては、ああでもない、こうでもないと言ってく
る。私は、「もう私のことはかまわず、放っておいてほしい」と思う。

 が、最近の私は、少し変わってきた。そういう人に対しても、「そうですね」と、平気で
言えるようになった。俗に言う、「タヌキ」になったということか。どうせ相手になるよう
な連中ではないし、また相手にしたところで、しかたない。

 ところで、バカな人からは、利口な人がわからない。(反対に利口な人からは、バカな人
がよくわかるが……。)「バカ」といっても、脳みその働きのことをいうのではない。バカ
なことをする人のことを、「バカ」という。

 私の近くにも、こんな人(女性・70歳くらい)がいる。宗教という宗教を、総ナメに
したような人だが、何かの哲学があって、そうしているのではない。「どんな神様でも仏様
でも、まちがっているはずはない」(その女性の弁)という理由で、そうしている。つまり、
迷信のかたまりのような人である。

 そういう人が、あれこれ私に説教してくるから、たまらない。狂信的というか、確信的
というか……。(さも、私は、できた人間でございます)という雰囲気で、電話をかけてき
たりする。

 こういうとき、恩師の田丸先生なら、「ごちそう様」と言うだろう。しかし私は、先生ほ
ど、口が悪くない。一応、説教は聞くことにしているが、さらに不愉快なことは、こちら
が頼みもしないのに、その人が属している教団の、指導者が書いた本を送りつけてくるこ
と。私の仕事をよく知っていて、教育に関するものが多い。

 私は、そういう本を手にすると、心底、ぞっとする。私自身というより、私の脳みそが、
粉々に分解されていくような恐怖感を覚える。たとえば、「信仰によって、子どもの自閉症
は治る」「親の因果、子にたたる」と書いてある。

 私は、そういう人と議論したくない。時間の無駄。それにその人はその人で、自分の道
を行けばよい。今さらその人のものの考え方を変えようとしても、また変えたところで、
意味はない。

 そんなとき、ふと、こう思う。「どうぞ、ご勝手に」と。

 友だちは多ければ多いほどいいと、人はいう。しかしそれ以上に大切なことは、少ない
友だちでもいい。深く、深く、そして、静かに、静かに、つきあうこと。無駄な交際は、
そのまま時間の無駄につながる。

それがこのところ、よくわかるようになってきた。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●1977年

+++++++++++++++

今朝(10月25日)、Eマガの
読者が、1977人になった。

そこで、1977年。

+++++++++++++++

1月……J・カーターが、アメリカ大統領に就任する。
2月……スペース・シャトル、ジャンボ機の背中で、初飛行に成功。
3月……スペイン領カナリア諸島で、ジャンボ機どうしが衝突。
4月……山下康裕、史上最年少(19歳)で、柔道日本一になる。
5月……オリエント急行、廃止される。
6月……ブレジネフ、ソ連共産党、最高幹部会議長に選任される。
7月……ニューヨーク、大停電。
8月……宇宙探査機、ボイジャーを打ちあげる。
9月……王貞治、756号目のホームランを打つ。
10月……ルフトハンザ機、乗っ取られる。
11月……映画『未知との遭遇』が、封切られる。
12月……リニア・モーター・カー、日向で、テスト走行開始。

 この年、私は、満30歳になる。その少し前、東京の羽田で飛行機事故に遭遇し、この
ころは、飛行機恐怖症になっていた。それまでは、毎週のように、外国を飛び歩いていた。
が、その事故以来、私は、飛行機に乗れなくなってしまった。

事故の1週間後、通訳として、イタリアへ行く仕事があった。が、前々日に、キャンセ
ル。その直後に、ブラジルへ宝石の買い入れに行く仕事もあった。それもキャンセル。

 偏頭痛がひどくなり、あわや開頭手術!、ということになりかけたのも、30歳のとき
ではなかったか。市内のS病院では、脳腫瘍と診断された。

 このころから私の仕事の内容は、大きく変わり始めた。貿易や通訳の仕事をしながら、
飛行機に乗れないというのは、私の仕事にとっては、致命的なことだった。当然、収入は、
激減。その前年、私は、現在住んでいる場所に、土地と住居を構えた。が、その費用は、
わずか4か月で稼いだ。

 ワイフが、「こんなところで子ども(長男)を育てたくない」とこぼしたので、自宅を建
てることにした。それが76年の8月ごろ。貯金はほとんどなかったので、それからお金
を稼ぎ始めた。私が生涯において、もっとも猛烈に働いたのは、そのときだった。その4
か月の間に、私は、1050万円(土地代500万円、家代550万円)というお金を作
った。

 が、このころの記憶は、それほど鮮明ではない。いつしか、私は、ものを書く仕事や、
教える仕事に専念するようになった。『東洋医学・経穴編』(学研)を書き始めたのも、こ
のころ。

 そうそう、その本に先立って私が書いた『東洋医学・基礎編』(学研)は、そののち、全
国の大学の医学部の教科書になった。当然、全国の鍼灸学校の教科書にもなった。前書き
の部分だけは、著名な先生に書いてもらったが、残りの部分は、1ページをのぞいて、す
べて私が書いたものである。

 しかしつぎの『東洋医学・経穴編』に手を出したのは、まちがいだった。その本が完成
させるまでに、7年という時間を、無駄にしてしまった。

 私は、当初、中国式の取穴法にこだわった。ところが日本経穴委員会のほうは、最後の
最後まで、日本式にこだわった。当時、中国式取穴法と日本式取穴法が、WHOを舞台に、
はげしい勢力争いを繰りかえしていた。日本経穴委員会のほうは、私が書いている本をタ
タキ台にして、日本式取穴法を世界に広めると言い出した。

 それで途中から、今度は、日本式取穴法に、変更。とたん、私は、やる気をなくした。
日本式取穴法は、実用的というよりは、あまりにも杓子(しゃくし)定規的。体の特定の
部位を基準に、そこから寸法だけをたよりに取穴するというものだった。

 「中国式に勝てるわけがない」と思いつつ、重い筆を毎日、握った。それで完成までに、
7年もかかった。原稿用紙だけで、旅行カバン、いっぱい分になった。

 こうして私は30代に突入。感じとしては、嵐のように過ぎ去った20代。腑(ふ)が
抜けたようにおとなしくなった30代。今から思うと、そんな感じがする。

 1977年。「あのジミー・カーターが大統領になった年か……」というだけで、それほ
ど私の印象に残っていない。

【付記】

 今日も、読者が4人、ふえた。それはそれで、うれしいが、しかしどうして、いつも4
人なのだろう? ふえるときは、いつも4人。ゼロか4人。どうしてだろう? 

ともかくも、今朝、マガジンの読者になってくれた、4人のみなさん、ありがとう!


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●10月2x日

++++++++++++++++++

私はもうすぐ、満59歳になる。

(生徒たちには、49歳と話しているので、
BWの父母のみなさんは、どうか、よろしく!)

59歳と知って、とくに何かを感ずるという
ことはない。

「ああ、59歳か」と思う程度。

++++++++++++++++++

 昨日、BWの子どもたちに、ふと、「ぼくは、もうすぐ49歳になる。いやだなあ」とも
らすと、みなが、「どうして?」と。

 「あのね、誕生日がくるたびに、先生は、ジジイになっていく。子どものころは、誕生
日がくるとうれしかったけど、今はちがう。うれしくない」と。

 するとA君(小1)がこう言った。「ぼくのママは、誕生日がくると、うれしいと言うよ」
と。

私「誕生日パーティは、うれしいけど、誕生日がくるのは、うれしくない」
子「どうしてパーティは、うれしいの?」
私「だって、プレゼントがもらえるだろ」
子「そうかあ。そうだね。……先生も、DS(ゲーム機)を、もらうの?」
私「うん、ぼくも、ほしい。先日、買いに行ったら、店にはなかった」
子「J(ショッピングセンター)に行けば、売っているよ」
私「フ〜ン、そうかア」と。

 しかし今年の誕生日プレゼントは、がまん。来年のはじめに、VISTA(新しいOS)
が発売になる。それをのせたパソコンを買うつもり。今は、情報収集のとき。

 そう言えば、DSもほしい。頭の体操によいらしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●人間のクズ?

++++++++++++++++++

「人間のクズ」が、また、話題になった。
ワイフが、「あの話をしてくれた、Aさんねエ」
と、話し始めた。

ここに書いた娘は、今年、28歳になるという。
まだ結婚していないという。

以前、書いた原稿をここに添付する。
私は、あのとき感じた怒りを、生涯、忘れない。

「何が、人間のクズだ! お前こそ、人間のクズだ!」と。

+++++++++++++++++++

 ワイフが、こんな話を聞いてきた。

 ワイフの友人に、一人の娘がいる。娘は、今年、25歳になるという。その娘に、伯母
(友人の姉)がいつも、こう言っているという。

 「あのね、あんたも、そろそろ結婚するんだろうけど、人間のクズのような男と結婚し
てはだめよ」と。

 そこでワイフの友人(娘の母親)が、「クズって、どういう人間をいうの?」と聞いた。
すると、その伯母は、臆面もなく、こう答えたという。

 「クズっていうのはね、町工場で働くような工員をいうのよ」と。

 激怒! 大激怒!

 久々に、その話を聞いて、私は、激怒した。いつもになく、激怒した。

私は、もちろんそのワイフの友人も、伯母も知らない。が、その伯母に激怒したのでは
ない。その伯母こそが、人間のクズ。そんなクズのような伯母など、どうでもよい。私
は、そういう狂った常識をつくった、日本の社会に激怒した。

 私も昔、「幼稚園の教師をしている」と言ったとき、同じような言葉を浴びせかけられた
ことがある。高校時代の担任の教師でさえ、こう言った。私がちょうど、30歳のとき、
同窓会に出たときのことである。

 「お前だけは、わけのわからない仕事をしているな」と。

 幼稚園で働くことを、「わけのわからない仕事」と。

 何も、会社勤めだけが、仕事ではあるまい。たしかに、この日本には、職業による差別
意識が、まだ残っている。が、おかしいのは、職業のほうではない。その差別意識のほう
だ。その差別意識が、おかしい。

私「じゃあ、その伯母様とやらは、どんな仕事をしているの? 伯母様のダンナ様とやら
は、どんな仕事をしているの?」
ワイフ「知らないわ……」
私「今度、ちゃんと、聞いておいてよ」と。

(マガジンにこの原稿を載せるまでに、聞いて、ここに書いておく。私の印象では、そ
の伯母様のダンナ様とやらは、士農工商制度の中の、武士階級の流れをくむ職業をして
いるのではないかと思う。でなければ、そういう発想は、生まれない。)

 それにしても、まあ、ヌケヌケと、よく言ったものだ。「クズ」とはねえ……!

 私はこういう狂った常識と戦うために、今、この日本で、原稿を書いている。まさにそ
こに、私の書く目的がある!

【付記】

 人生の先輩である、伯母ともあろう人が、姪(めい)に、そのように教える。教えなが
ら、何も、疑問に思っていない。

 ここまで書いて、ワイフに、その伯母様のダンナ様は、どんな仕事をしているか、改め
て、聞いてみた。

(この間、半日が過ぎた。ワイフが、その友人に、電話を入れてくれた。)

 ワイフが言うには、そのダンナ様は、今は、大阪府のT市に住んでいて、今は定年退職
をしているという。退職前は、XX局に勤めていたという。(ヤッパリ!)

 しかしこの怒りは、どこからくるのか。どう、この怒りをしずめたらよいのか。

 ……そこで思い出したのが、数年前、東京のM田市に住んでいる先生から聞いた話。

 何でもある夜、ある母親が、自分の子ども(小学5年生)を連れて、近くの公園へ行っ
たそうだ。そしてその公園で寝泊りするホームレスの人たちを見せて、その母親は、自分
の子どもに、こう言ったそうだ。

 「あんたも、しっかりと勉強するのよ。勉強しないと、ああいう人たちになるのよ」と。

 こういう愚かな伯母や、親がいるかぎり、日本の教育は、よくならない!


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●精進(しょうじん)

 ほとんどの人は、人は、老人になればなるほど、経験が豊かになり、人格的にも高邁(こ
うまい)になると考えている(?)。多分(?)。

 これはまったくの、ウソ。誤解。幻想。

 ウソであることは、自分が、その老人に近づいてみてわかった。

 老人になればなるほど、その住む世界が小さくなる。世間との交流も少なくなる。さら
に脳細胞がかたくなり、過去に固執するようになる。回顧性も強くなり、そこで進歩を止
める。

 が、もっと大きな問題がある。実は、知識も、経験も、知恵も、どんどんと減っていく
ということ。車の運転でたとえるなら、視野がせまくなり、まわりの様子が見えなくなる。
もちろん運転のしかたも、へたになる。注意力も散漫になる。

 しかし最大の悲劇は、そうなりながらも、老人のほとんどは、自分がそうであることに
気づかないこと。「私は、絶対正しい」と、思いこんでいる老人の、何と多いことか。過去
の職歴や栄華にしがみついている人が、何と多いことか。

 他人の意見に耳を傾けない。人の話を聞かない。だいたい、本も読まない。

 昨日も、オレオレ詐欺のことが、新聞に載っていた。その人は、500万円近く、だま
し取られたという。だますほうも、ますます巧妙になってきた。それはある。しかしこれ
だけ報道され、世間の話題になっているのに、まだだまされる人がいる。そのことのほう
が、問題なのである。

 言うまでもなく、だまされる人のほとんどは、老人。つまり、老人たちは、それくらい、
学習をしていない! 世間を見ていない!

 何度も言うが、健康論と人格論は、似ている。立ち止まったときから、その人の健康に
せよ、人格にせよ、後退する。

 そういう意味では、老人になればなるほど、毎日、新しい情報を吸収し、考え、それを
自分のものとしていかなければならない。それでも現状維持が精一杯。「進歩」などという
のは、もう望みようもない。現状維持ができるだけでも、御(おん)の字。

 「私は完成された人間だ」と思うのは、「私は完成された健康をもっている」と思うのと
同じくらい、愚かなこと。

 私がここに書いたことに疑問をもつなら、ためしにあなたの周辺の老人たちを観察して
みればよい。あなたの周辺で、いつも前向きに生きている老人は、いったい、何人いるだ
ろうか?

 ほとんどの老人たちは、かぎられた命の中で、ただ無意味に、時間を浪費しているだけ
……というのは、言い過ぎかもしれないが、現実には、そうではないのか。ほとんどの老
人たちは、明日死んでも、10年後に死んでも同じ……というような人生を送っている。

 しかし、それがよいとは、だれも思わない。他人のことを言っているのではない。私た
ちは、そうであってはいけないと言っている。

 だからあの釈迦は、「精進」という言葉を使った。「死ぬまで、生きて生きて、生き抜く。
それが精進だ」と。繰りかえすが、立ち止まったときから、その人の人格は、後退する。

【注、精進】……一心に仏道を修行すること。ひたすら努力すること。(日本語大事辞典)


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お休みします

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【私論】

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3年前に書いた原稿を読みなおす。

「私」とは何か、もう一度、それに
ついて、書いてみたい。

++++++++++++++++

●基底不安

 家庭という形が、まだない時代だった。少なくとも、戦後生まれの私には、そうだった。
今でこそ、「家族旅行」などいうのは、当たり前の言葉になったが、私の時代には、それす
らなかった。記憶にあるかぎり、私の家族がいっしょに旅行にでかけたのは、ただの一度
だけ。伊勢参りがそれだった。が、その伊勢参りにしても、夕方になって父が酒を飲んで
暴れたため、私たちは夜中に、家に帰ってきてしまった。

 私はそんなわけで、子どものころから、温かい家庭に飢えていた。同時に、家にいても、
いつも不安でならなかった。自分の落ちつく場所(部屋)すら、なかった。

 ……ということで、私は、どこかふつうでない幼児期、少年期を過ごすことになった。
たとえば私は、父に、ただの一度も抱かれたことがない。母が抱かせなかった。父が結核
をわずらっていたこともある。しかしそれ以上に、父と母の関係は、完全に冷えていた。
そんな私だが、かろうじてゆがまなかった(?)のは、祖父母と同居していたからにほか
ならない。祖父が私にとっては、父親がわりのようなところがあった。

 心理学の世界には、「基底不安」という言葉がある。生まれながらにして、不安が基底に
なっていて、そのためさまざまな症状を示すことをいう。絶対的な安心感があって、子ど
もの心というのは、はぐくまれる。しかし何らかの理由で、その安心感がゆらぐと、それ
以後、「不安」が基本になった生活態度になる。たとえば心を開くことができなくなる、人
との信頼関係が結べなくなる、など。私のばあいも、そうだった。

●ウソつきだった私

 よく私は子どものころ、「浩司は、商人の子だからな」と、言われた。つまり私は、そう
言われるほど、愛想がよかった。その場で波長をあわせ、相手に応じて、自分を変えるこ
とができた。「よく気がつく子だ」「おもしろい子だ」と言われたのを、記憶のどこかで覚
えている。笑わせじょうずで、口も達者だった。当然、ウソもよくついた。

 もともと商人は、ウソのかたまりと思ってよい。とくに私の郷里のM市は、大阪商人の
影響を強く受けた土地柄である。ものの売買でも、「値段」など、あってないようなもの。
たがいのかけ引きで、値段が決まった。

客「これ、いくらになる?」
店「そうですね、いつも世話になっているから、一〇〇〇円でどう?」
客「じゃあ、二つで、一五〇〇円でどう?」
店「きついねえ。二つで、一八〇〇円。まあ、いいでしょう。それでうちも仕入れ値だよ」
と。

 実際には、仕入れ値は、五〇〇円。二個売って、八〇〇円のもうけとなる。こうしたか
け引きは、日常茶飯事というより、すべてがその「かけ引き」の中で動いていた。商売だ
けではなく、近所づきあい、親戚づきあい、そして親子関係も、である。

 もっとも、私がそういう「ウソの体質」に気づいたのは、郷里のM市を離れてからのこ
とである。学生時代を過ごした金沢でも、そして留学時代を過ごしたオーストラリアでも、
この種のウソは、まったく通用しなかった。通用しないばかりか、それによって、私はみ
なに、嫌われた。

さらに、この浜松でも、そうだ。距離にして、郷里から、数百キロしか離れていないの
に、たとえばこの浜松では、「かけ引き」というのをまったくしない。この浜松に住んで、
三〇年以上になるが、私は、客が店先で値段のかけ引きをしているのを、見たことがな
い。

 私はウソつきだった。それはまさに病的なウソつきと言ってもよい。私は自分を飾り、
相手を楽しませるために、よくウソをついた。しかし誤解しないでほしいのは、決して相
手をだますためにウソをついたのではないということ。金銭関係にしても、私は生涯にお
いて、モノやお金を借りたことは、ただの一度もない。いや、一度だけ、一〇円玉を借り
たが、それは緊急の電話代だった。

●防衛機制

 こうした心理状態を、「防衛機制」といってよいのかどうかは知らない。自分の身のまわ
りに、自分にとって居心地のよい世界をつくり、その結果として、自分の心を防衛する。
自分の心が崩壊するのを防ぐ。私によく似た例としては、施設児がいる。生後まもなくか
ら施設などに預けられ、親子の相互愛着に欠けた子どもをいう。このタイプの子どもも、
愛想がよくなることが知られている。

 一方、親の愛情をたっぷりと受けて育ったような子どもは、どこかどっしりとしていて、
態度が大きい。ふてぶてしい。これは犬もそうで、愛犬家のもとで、ていねいに育てられ
たような犬は、番犬になる。しかしそうでない犬は、だれにでもシッポを振り、番犬にな
らない。私は、そういう意味では、番犬にならない人間だった。

 ほかに私の特徴としては、子どものころから、忠誠心がほとんどないことがある。その
場、その場で、相手に合わせてしまうため、結果として、ほかのだれかを裏切ることにな
る。そのときは気づかなかったが、今から思い出すと、そういう場面は、よくあった。だ
から学生時代、ある時期、あのヤクザの世界に、あこがれたのを覚えている。映画の中で、
義理だ、人情だなどと言っているのを見たとき、自分にない感覚であっただけに、新鮮な
感じがした。

 が、もっとも大きな特徴は、そういう自分でありながら、決して、他人には、心を許さ
なかったということ。表面的には、ヘラヘラと、ときにはセカセカとうまくつきあうこと
はできたが、その実、いつも相手を疑っていた。そのため、相手と、信頼関係を結ぶこと
ができなかった。いつも心のどこかで、「損得」を考えて行動していた。しかしこのことも、
当時の私が、知る由もないことであった。私は、自分のそういう面を、母を通して、知っ
た。

●母の影響

 私の母も、よくウソをついた。(ウソといっても、繰りかえすが、他人をだますためのウ
ソではない。誤解のないように!)で、ある日、私の中に「ウソの体質」があるのは、母
の影響だということがわかった。が、それだけではなかった。私の母は、私という息子に
さえ、心を開くことをしない。詳しくは書けないが、八〇歳をすぎた今でも、私やワイフ
の前で、自分を飾り、自分をごまかしている。そういう母を見たとき、母が、以前の私そ
っくりなのを知った。つまりそういう母を通して、過去の自分を知った。

 が、そういう私という夫をもつことで、一番苦しんだのは、私のワイフである。私たち
は、何となく結婚したという、そういうような結婚のし方をした。まさにハプニング的な
結婚という感じである。電撃に打たれるような衝撃を感じて結婚したというのではない。
そのためか、私たちは、当初から、夫婦というよりは、どこか友だち的な夫婦だった。い
つもいっしょにいた。いっしょに行動した。

 そういうこともあって、私は、ワイフと、夫婦でありながら、信頼関係をつくることが
できなかった。「この女性が、私のそばにいるのは、私がお金を稼ぐからだ」「この女性は、
もし私に生活力がなければ、いつでも私から去っていくだろう」と、そんなふうに考えて
いた。同時に、私は嫉妬(しっと)深く、猜疑心(さいぎしん)が強かった。町内会の男
たちとワイフが、親しげに話しているのを見ただけで、頭にカーッと血がのぼるのを感じ
たこともある。

 まるで他人のような夫婦。当時を振りかえってみると、そんな感じもする。それだけに
皮肉なことだが、新鮮といえば、新鮮な感じがした。おかげで、結婚後、五年たっても、
一〇年たっても、新婚当初のままのような夫婦生活をつづけることができた。これは男女
のどういう心理によるものかは知らないが、事実、そうであった。

 が、そういう自分に気づくときがやってきた。私は幸運(?)にも、幼児教育を一方で
してきた。その流れの中で、子どもの心理を勉強するようになった。私はいつしか、自分
の子ども時代によく似ている子どもを、さがすようになった。と、言っても、これは決し
て、簡単なことではない。

●自分をさがす

 「自分を知る」……これは、たいへんむずかしいことである。何か特別な事情でもない
かぎり、実際には、不可能ではないか。どの人も、自分のことを知っているつもりで、実
は知らない。私はここで「自分の子ども時代によく似ている子ども」と書いたが、本当の
ところ、それはわからない。無数の子どもの中から、「そうではないか?」と思う子どもを
選び、さらにその子どもの中から共通点をさがしだし、つぎの子どもを求めていく……。
こうした作業を、これまた無数に繰りかえす。

 手がかりがないわけではない。

 私は毎日、真っ暗になるまで、外で遊んでいた。
 私は毎日、家には、まっすぐ帰らなかった。
 私は休みごとに、母の実家のある、I村に行くのが何よりも楽しみだった。

 こうした事実から、私は、帰宅拒否児であったことがわかる。

 私は泣くと、いつもそのあとシャックリをしていた。
 静かな議論が苦手で、喧嘩(けんか)になると、すぐ興奮状態になった。
 私は喧嘩をすると、相手の家の奥までおいかけていって、相手をたたいた。

 こうした事実から、私は、かんしゃく発作のもち主か、興奮性の強い子どもであったこ
とがわかる。

 私はいつも母のフトンか、祖父母のフトンの中にもぐりこんで寝ていた。
 町内の旅行先で、母のうしろ姿を追いかけていたのを覚えている。
 従兄弟(いとこ)たちと寝るときも、こわくてひとりで、寝られなかった。

 こうした事実から、私は分離不安のもち主だったことがわかる。

 ……こうした事実を積み重ねながら、「自分」を発見する。そしてそうした「自分」に似
た子どもをさがす。そしてそういう子どもがいたら、なぜ、その子どもがそうなったかを、
さぐってみる。印象に残っている子ども(年長男児)に、T君という男の子がいた。
 
●T君

 T君は、いつも祖母につられて、私の教室にやってきた。どこかの病院では、自閉症と
診断されたというが、私はそうではないと思った。こきざみな多動性はあったが、それは
家庭不和などからくる、落ち着きなさであった。脳の機能障害によるものなら、たとえば
ADHD児であれば、子どもの気分で、静かになったり、あるいはおとなしくなったりは
しない。T君は、私がうまくのせると、ほかの子どもたちと同じように、ゲラゲラと笑っ
たり、あるいは気が向くと、静かにプリント学習に取りくんだりした。

 そのT君の祖母からいつも、こんなことを言われていた。「母親が会いにきても、絶対に
会わせないでほしい」と。その少し前、T君の両親は、離婚していた。が、その日が、や
ってきた。

 まずT君の母親の姉がやってきて、こう言った。「妹(T君の母親)に、授業を参観させ
てほしい」と。私は祖母との約束があったので、それを断った。断りながら、姉を廊下の
ほうへ、押し出した。私はそこにT君の母親が泣き崩れてかがんでいるのを見た。私はつ
らかったが、どうしようもなかった。T君が母親の姿を見たら、T君は、もっと動揺した
だろう。そのころ、T君は、やっと静かな落ち着きを取りもどしつつあった。

 T君が病院で、自閉症と誤診されたのは、T君に、それらしい症状がいくつかあったこ
とによる。決して病院を責めているのではない。短時間で、正確な診断をすることは、む
ずかしい。こうした心の問題は、長い時間をかけて、子どもの様子を観察しながら診断す
るのがよい。しかし一方、私には、その診断する権限がない。診断名を口にすることすら、
許されない。私はT君の祖母には、「自閉症ではないと思います」ということしか、言えな
かった。

●T君の中の私

 T君は、暴力的行為を、極度に恐れた。私は、よくしゃもじをもって、子どもたちのま
わりを歩く。背中のまがっている子どもを、ピタンとたたくためである。決して痛くはな
いし、体罰という体罰でもない。

 しかしT君は、私がそのしゃもじをもちあげただけで、おびえた。そのおびえ方が、異
常だった。私がしゃもじをもっただけで、体を震わせ、興奮状態になった。そして私から
体をそらし、手をバタつかせた。私が「T君、君はいい子だから、たたかないよ。心配し
なくてもいいよ」となだめても、状態は同じだった。一度、そうなると、手がつかられな
い。私はしゃもじを手から離し、それをT君から見えないところに隠した。

 こういうのを「恐怖症」という。私は、T君を観察しながら、私にも、似たような恐怖
症があるのを知った。

 私は子どものころ、夕日が嫌いだった。赤い夕日を見ると、こわかった。
 私は子どものころ、酒のにおいが嫌いだった。酒臭い、小便も嫌いだった。
 私は毎晩、父の暴力を恐れていた。

 私の父は、私が五歳くらいになるころから、アルコール中毒になり、数晩おきに近くの
酒屋で酒を飲んできては、暴れた。ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと、人が変わっ
た。そして食卓のある部屋で暴れたり、大声で叫びながら、近所を歩きまわったりした。
私と姉は、そのたびに、家の中を逃げまわった。

●フラシュバック

 そんなわけで今でも、ときどき、あのころの恐怖が、もどってくることがある。一度、
とくに強烈に覚えているのは、私が六歳のときではなかったかと思う。姉もその夜のこと
をよく覚えていて、「浩ちゃん、あれは、あんたが六歳のときよ」と教えてくれた。

 私は父の暴力を恐れて、二階の一番奥にある、物干し台に姉と二人で隠れた。そこへ母
が逃げてきた。が、階下から父が、「T子(=母の名)! T子!」と呼ぶ声がしたとき、
母だけ、別のところへ逃げてしまった。

 そこには私と姉だけになってしまった。私は姉に抱かれると、「姉ちゃん、こわいよ、姉
ちゃん、こわいよ」と声を震わせた。

 やがて父は私たちが隠れている隣の部屋までやってきた。そして怒鳴り散らしながら、
また別の部屋に行き、また戻ってきた。怒鳴り声と、はげしい足音。そしてそのつど、バ
リバリと家具をこわす音。私は声をあげることもできず、声を震わせて泣いた……。

 声を震わせた……今でも、ときどきあの夜のことを思い出すと、そのままあの夜の状態
になる。そういうときワイフが横にいて、「あなた、何でもないのよ」と、なだめて私を抱
いてくれる。私は年がいもなく、ワイフの乳房に口をあて、それを無心で吸う。そうして
吸いながら、気分をやすめる。

 数年前、そのことを姉に話すと、姉は笑ってこう言った。「そんなの気のせいよ」「昔の
ことでしょ」「忘れなさいよ」と。残念ながら、姉には、「心の病気」についての理解は、
ほとんどない。ないから、私が受けた心のキズの深さが理解できない。

●ふるさと

 私にとって、そんなわけで、「ふるさと」という言葉には、ほかの人とは異なった響きが
ある。どこかの学校へ行くと、「郷土を愛する」とか何とか書いてあることがあるが、私は、
心のどこかで、「それができなくて苦しんでいる人もいる」と思ってしまう。

 私はいつからか、M市を出ることだけしか考えなくなった。M市というより、実家から
逃げることばかりを考えるようになった。今でも、つまり五五歳という年齢になっても、
あのM市にもどるというだけでも、ゾーッとした恐怖感がつのる。実際には、盆暮れに帰
るとき、M市に近づくと、心臓の鼓動がはげしくなる。四〇歳代のころよりは、多少落ち
ついてはきたが、その状態はほとんど変わっていない。

 しかし無神経な従兄弟(いとこ)というのは、どこにでもいる。先日もあれこれ電話を
してきた。「浩司君、君が、あの林家の跡取りになるんだから、墓の世話は君がするんだよ」
と言ってきた。しかし私自身は、死んでも、あの墓には入りたくない。M市に葬られるの
もいやだが、あの家族の中にもどるのは、もっといやだ。私は、あの家に生まれ育ったた
め、自分のプライドすら、ズタズタにされた。

 私が今でも、夕日が嫌いなのは、その時刻になると、いつも父が酒を飲んで、フラフラ
と通りを歩いていたからだ。学校から帰ってくるときも、そのあたりで、何だかんだと理
由をつけて、友だちと別れた。ほかの時代ならともかくも、私にとってもっとも大切な時
期に、そうだった。

●自分を知る

 そういう自分に気づき、そういう自分と戦い、そういう自分を克服する。私にはずっと
大きなテーマだった。しかし自分の心のキズに気づくのは、容易なことではない。心のキ
ズのことを、心理学の世界では、トラウマ(心的外傷)という。仮に心にキズがあっても、
それ自体が心であるため、そのキズには気づかない。

それはサングラスのようなものではないか。青いサングラスでも、ずっとかけたままだ
と、サングラスをかけていることすら忘れてしまう。サングラスをかけていても、赤は、
それなりに赤に見えてくる。黄色も、それなりに黄色に見えてくる。

 たとえば私は子どものころ、頭にカーッと血がのぼると、よく破滅的なことを考えた。
すべてを破壊してしまいたいような衝動にかられたこともある。こうした衝動性は、自分
の心の内部から発生するため、どこからが自分の意思で、どこから先が、自分の意思でな
いのか、それがわからない。あるいはすべてが自分の意思だと思ってしまう。

 あるいは自分の思っていることを伝えるとき、ときとして興奮状態になり、落ちついて
話せなくなることがあった。一番よく覚えているのは、中学二年になり、生徒会長に立候
補したときのこと。壇上へあがって演説を始めたとたん、何がなんだか、わからなくなっ
てしまった。そのときは、「あがり性」と思ったが、そんな簡単なものではなかった。頭の
中が混乱してしまい、口だけが勝手に動いた。

 私がほかの人たちと違うということを発見したのは、やはり結婚してからではないか。
ワイフという一人の人間を、至近距離で見ることによって、自分という人間を逆に、浮か
びあがらせることができた。そういう点では、私のワイフは、きわめて常識的な女性だっ
た。情緒は、私よりはるかに安定していた。精神力も強い。たとえば結婚して、もう三〇
年以上になるが、私はいまだかって、ワイフが自分を取り乱して、ワーワーと泣いたり、
叫んだりしたのを、見たことがない。

 一方、私は、よく泣いたり、叫んだりした。情緒も不安定で、何かあると、すぐふさい
だり、落ちこんだりする。精神力も弱い。すぐくじけたり、いらだったりする。私はそう
いう自分を知りながら、他人も似たようなものだと思っていた。少なくとも、私が身近で
知る人間は、私によく似ていた。祖母も、父も、母も、姉も。だから私が、ほかの人と違
うなどというのは、思ったことはない。違っていても、それは「誤差」の範囲だと思って
いた。

●衝撃

 ふつうだと思っていた自分は、実は、ふつうではなかった。……もっとも、私は、他人
から見れば、ごくうつうの人間に見えたと思う。幸いなことにというか、心の中がどうで
あれ、人前では、私は自分で自分をコントロールすることができた。たとえばいくらワイ
フと言い争っていても、電話がかかってきたりすると、その瞬間、ごくふつうの状態で、
その電話に出ることができた。

 そう、自分がふつうでないことを知るのは、衝撃的なことだ。私の中に、別の他人がい
る……というほど、大げさなことではないが、それに近いといってもよい。自分であって、
自分でない部分である。それが自分の中にある! そのことは、子どもたちを見ていると
わかる。

 ひがみやすい子ども、いじけやすい子ども、つっぱりやすい子どもなど。いろいろな子
どもがいる。そういう子どもは、自分で自分の意思を決定しているつもりでいるかもしれ
ないが、本当のところは、自分でない自分にコントロールされている。そういう子どもを
見ていると、「では、私はどうなのか?」という疑問にぶつかる。

 この時点で、私も含めて、たいていの人は、「私は私」「私はだいじょうぶ」と思う。し
かしそうは言い切れない。言い切れないことは、子どもたちを見ていれば、わかる。それ
ぞれの子どもは、それぞれの問題をかかえ、その問題が、その子どもたちを、裏から操っ
ている。たとえば分離不安の子どもがいる。親の姿が見えなくなると、ギャーッとものす
ごい声を張りあげて、あとを追いかけたりする。先にあげた、T君も、その一人だ。

 その分離不安の子どもは、なぜそうなるのか。また自分で、なぜそうしているかという
自覚はあるのか。さらにその子どもがおとなになったとき、その後遺症はないのか、など
など。

●なぜ自分を知るか

 ここまで書いて、ワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「あなたは自分を知れと言う
けど、知ったところで、それがどうなの?」と。

 自分を知ることで、少なくとも、不完全な自分を正すことができる。人間の行動という
のは、一見、複雑に見えるが、その実、同じようなパターンの繰りかえし。その繰りかえ
しが、こわい。本来なら、「思考」が、そのパターンをコントロールするが、その思考が働
く前に、同じパターンを繰りかえしてしまう。もっとわかりやすく言えば、人間は、ほと
んどの行動を、ほとんど何も考えることなしに、繰りかえす。

 そのパターンを裏から操るのが、ここでいう「自分であって、自分でない部分」という
ことになる。よい例が、子どもを虐待する親である。

●子どもを虐待する親

 子どもを虐待する親と話していて不思議だなと思うのは、そうして話している間は、そ
ういう親でも、ごくふつうの親であるということ。とくに変わったことはない。ない、と
いうより、むしろ、子どものことを、深く考えている。もちろん虐待についての認識もあ
る。「虐待は悪いことだ」とも言う。しかしその瞬間になると、その行動をコントロールで
きなくなるという。

 ある母親(三〇歳)は、子ども(小一)が、服のソデをつかんだだけで、その子どもを
はり倒していた。その衝撃で、子どもは倒れ、カベに頭を打つ。そして泣き叫ぶ。そのと
たん、その母親は、自分のしたことに気づき、あわてて子どもを抱きかかえる。

 その母親は、私のところに相談にきた。数回、話しあってみたが、理由がわからなかっ
た。しかし三度目のカウンセリングで、母親は、自分の過去を話し始めた。それによると
こうだった。

 その母親は、高校を卒業すると同時に、一人の男性と交際を始めた。しばらくはうまく
(?)いったが、そのうち、その母親は、その男性が、自分のタイプでないことに気づい
た。それで遠ざかろうとした。が、とたん、相手の男性は、今でいうストーカー行為を繰
りかえすようになった。

 執拗(しつよう)なストーカー行為だった。で、数年がすぎた。が、その状態は、変わ
らなかった。本来なら、その母親はその男性と、結婚などすべきではなかった。しかしそ
の母親は、心のやさしい女性だった。「結婚を断れば、実家の親たちに迷惑がかかるかもし
れない」ということで、結婚してしまった。

 「味気ない結婚でした」と、その母親は言った。そこで「子どもができれば、その味気
なさから解放されるだろう」ということで、子どもをもうけた。それがその子どもだった。

 このケースでは、夫との大きなわだかまりが、虐待の原因だった。子どもが母親のソデ
をつかんだとき、その母親は、無意識のうちにも、結婚前の心の様子を、再現していた。

●だれでも、キズはある

 だれでも、キズの一つや二つはある。キズのない人は、いない。だから問題は、キズが
あることではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振りまわされること。そして
同じ失敗を繰りかえすこと。これがこわい。

 そのためにも、自分を知る。自分が、いつ、どのような形で、今の自分になったかを知
る。知ることにより、その失敗から解放される。

 ここにあげた母親も、しばらくしてから私のほうから電話をすると、こう話してくれた。
「そのときはショックでしたが、そこを原点にして、立ちなおることができました」と。

 しかし自分を知ることには、もう一つの重要な意味がある。

●真の自由を求めて

 自分の中から、自分でないものを取り去ることによって、その人は、真の自由を手に入
れることができる。別の言葉で言うと、自分の中に、自分でない部分がある間は、その人
は、真の自由人ということにはならない。

 たとえば本能で考えてみる。わかりやすい。

 今、目の前にたいへんすてきな女性がいる。(あなたが女性なら、男性ということになる。)
その女性と、肌をすりあわせたら、どんなに気持ちがよいだろうと、あなたは頭の中で想
像する。

 ……そのときだ。あなたは本能によって、心を奪われ、その本能によって行動している
ことになる。極端な言い方をすれば、その瞬間、本能の奴隷(どれい)になっていること
になる。(だからといって、本能を否定しているのではない。誤解のないように!)

 人間の行動は、こうした本能にかぎらず、そのほとんどが、実は、「私は私」と思いつつ、
結局は、私でないものに操られている。一日の行動を見ても、それがわかる。

 家事をする。仕事をする。育児をする。すべての行為が何らかの形で、私であって私で
ない部分によって、操られている。ショッピングセンターで、値ごろなスーツを買い求め
るような行為にしても、もろもろの情報に操られているといってもよい。もっともそうい
う行為は、生活の一部であり、問題とすべきではない。

 問題は、「思想」である。思想面でこそ、あらゆる束縛から解放されたとき、その人は、
真の自由を、手に入れることになる。少し飛躍した結論に聞こえるかもしれないが、その
第一歩が、「自分を知る」ということになる。

●自分を知る

 私は私なのか。本当に、私と言えるのか。どこからどこまでが本当の私であり、どこか
ら先が、私であって私でない部分なのか。

 私は嫉妬深い。その嫉妬にしても、それは本当に私なのか。あるいはもっと別の何かに
よって、動かされているだけなのか。今、私はこうして「私」論を書いている。自分では
自分で考えて書いているつもりだが、ひょっとしたら、もっと別の力に動かされているだ
けではないのか。

 もともと私はさみしがり屋だ。人といるとわずらわしく感ずるくせに、そうかといって、
ひとりでいることができない。ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」※は、どこかで
書いた。私は、そのヤマアラシに似ている。まさにヤマアラシそのものと言ってもよい。
となると、私はいつ、そのようなヤマアラシになったのか。今、こうして「私」論を書い
ていることについても、自分の孤独をまぎらわすためではないのか。またこうして書くこ
とによって、その孤独をまぎらわすことができるのか。

 自分を知るということは、本当にむずかしい。しかしそれをしないで、その人は、真の
自由を手に入れることはできない。それが、私の、ここまでの結論ということになる。

●私とは……

 私は、今も戦っている。私の体や心を取り巻く、無数のクサリと戦っている。好むと好
まざるとにかかわらず、過去のわだかまりや、しがらみを引きずっている。そしてそうい
う過去が、これまた無数に積み重なって、今の私がある。

 その私に少しでも近づくために、この「私」論を書いてみた。
(030304)(06−10−24改)

※ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」……寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、た
がいに寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつきすぎると、たがいのハリで相
手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。そこで二匹のヤマアラ
シは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体を温めあった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●シャルロット・チャーチ

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このとこと、ヒマさえあれば、
音楽を聴いてばかりいる。

私の携帯電話(ウィルコム004SH)
には、何百曲も、曲が入っている。

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 このところ、ヒマさえあれば、音楽ばかり聞いている。音楽中毒に陥(おちい)ったよ
うである。音が聞こえていないと、何となく、もの足りない。先ほど、ジョン・デンバー
の曲と、日本の民謡集(中部編)を、携帯電話に転送したところ。パソコン上で、ドラグ
するだけで、簡単に転送できる。

 映画音楽は、第1集から第4集まで、曲目数にすれば、100曲以上、すべて転送した。
何度も聞くのが、何といっても、『ベン・ハー』。ほかに『アラビアのロレンス』『ウエスト
サイド・ストーリー』『サウンド・オブ・ミュージック』など。最近のでは、『ブレイブ・
ハート』『タイタニック』『アポロ13』も、よく聞く。

 クラシックでは、フォーレの『レクイエム』。そのほかオーストラリアのブッシュ・ソン
グ(カントリーソング)などなど。タッチペンでタッチするだけで、簡単に曲を選べる。
この手軽さが、たまらない。

 シャルロット・チャーチの歌もよい。「♪夜とともに、私は眠る。そのとき、一四人のエ
ンジェルが、私を見守る。二人が、私の頭の上で、私を守り、二人が、私の足を案内し、
二人が、私の右手を導き、二人が、私の左手を導き……」(When at night I go to 
sleep)と。

++++++++++++++++++

そのシャルロット・チャーチについて
書いた原稿を思い出しましたので、
ここに添付します。

++++++++++++++++++

●山荘ライフ

 窓をいっぱいにあける。
 空気を、胸いっぱいに吸いこむ。
 そして、シャルロット・チャーチのアルバムを聞く。
 以前、NHKでシャルロットが紹介されたとき、
 声がすてきだったので、それで買った。
 
 しばらく聞いてなかったが、オーストラリアのB君が、
先日、「もっているなら、聞いたら?」と言ってくれた。
 彼は、敬虔(けいけん)な、クリスチャンだ。

 その中でも、私が好きなのが、この曲。 
 「I vow to Thee, My Country」(わが郷土よ、我はあなたにひざまずく)

 「♪わが郷土よ、我はあなたにひざまずく。
  その上にある、ありとあらゆるものを、
  すべての完ぺきなものを、そして愛の営みを……」

 私はこの曲が、好きだ。
 一度聞き始めると、何度も繰りかえし聞く。
 山荘の前に広がる山々の雰囲気、そのものと言ってもよい。
 
 ……ときどきシャルロットの清らかな声が、
 オーケストラに負けそうになる。
 が、シャルロットは、懸命に、
 空に向かって、声をはりあげる。
 そのかけあい(?)が、すばらしい。
 人間が生きる「力」そのものを、感ずる。

 「♪もうひとつの郷土があると、私は、昔、聞いた。
  それを愛するものに、親愛であれ。
  それを知るものに、偉大であれ……」

 若い女性なのに、ここまで歌うとは!
ここまで哲学のある歌を歌いこなせるとは!
 その違和感が、まったくない。  
 その力量が、ただただ、すばらしい。
  
 「♪汝に向かう敵はなし。
  汝を支配する王はなし。
  汝の要塞は、信仰深い心。
  そして人の魂から魂へと、
  汝の輝く絆は太くなり、
  汝の道は、やさしさへの道。 
  そしてすべての道は、やすらぎへとつづく……」

 何曲か曲がつづいたあと、今度は、
 「Amazing Grace」※になった。
 何と、日本語に訳したらよいのだろうか。
 「驚くべき優雅さ」では、まったく感じがつかめない。
「神の優しさ」とでも、訳すのだろうか。
 アメリカでは、第二国歌のようにもなっているというが、
 「アメージング・グレイス」として、
 そのまま日本でも、よく知られている。
 
……去年、となりの豊橋市で、
 結婚式場を開いた友人がいた。
 その結婚式のオープニング・
 セレモニーに招待されて行ったが、
 そこでも、この曲が披露された。
 チョコレートというより、
 ショコラ・チョコのようなすてきな結婚式場だ。
 私が「おいしそうな感じがしますね」と言うと、
 支配人のS氏は、うれしそうに笑った。
 今、シャルロットの曲を聞きながら、
 それを思い出した……。

 空はどんよりと曇り、
 風はない。
 すべてが、死んだように
 静まりかえっている。
 どこか肌寒い風が、
 心地よい。

 先ほど、ワイフが私を呼んだ。
 何か用があるようだ。
 最後の一曲を聞き終わったら、
 行くつもり。

 ……今、そのアルバム、最後の曲。
 『When at Night, I go to sleep』
 (夜とともに、私は眠る)

 「♪夜とともに、私は眠る。そのとき、
  一四人のエンジェルが、私を見守る。
  二人が、私の頭の上で、私を守り、
  二人が、私の足を案内し、
  二人が、私の右手を導き、
  二人が、私の左手を導き、
  二人が、暖かく私を包み、
  二人が、さまよう私を導き、
  二人が、そのとき、私を、
  天国へと、導く……。」

 この曲は、臨終を迎えたとき、自分で歌う歌らしい?
曲が終わったとき、
 外では、ウグイスが、鳴いていた。

 ……今日の私は、何となくクリスチャンになったような気分がする。
 神々しい気分になるのは、決して悪いことではない。
 心が、そのまま洗われるような、そんな感じがする。
 それに死んだとき、一四人もの天使が迎えにきてくれたら、
 きっと、さみしさも消えるだろう。

 しかし、残念ながら、私には、天使はやってこない。
 私はもともと、それに値する人間ではない。
 それに、だいたいにおいて、私はクリスチャンではない。
 が、今だけは、アーメン! みなさんにも、安らぎを!
(030719)

【シャーロット・グレイ】

 シャルロット・チャーチと同じ名前の映画に、『シャーロット・グレイ』というのがある。
(読み方で、シャルロットにもなるし、シャーロットにもなる。)最近ビデオ化された、ユ
ニバーサル映画だが、この映画は、まさに★★★★★(五つ星)!

 思いっきり感動してみたい人には、お薦め。とにかくよい映画だった。最後のシーンで
は、思わず、涙がポロポロとこぼれた。(ボロボロかな?)「私はあなたに伝えたいことが
ある……」と。このつづきは、どうかビデオのほうを、見てほしい。映画『タイタニック』
に、まさるとも劣らない映画……と、私は思う。

 そう、映画のオープニングは、マリー・ローランサンの絵画を思わせる、夢のように美
しいシーンから始まる。(私は一時期、ローランサンが好きで、リトグラフを、何枚か買い
集めたことがある。)それでよけいに釘づけになってしまった。……やはりここから先は、
ビデオのほうを見てほしい。

※……アメージング・グレイス

Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now am found 
Was blind, but now I see
'Twas grace that taught my heart to fear
And grace my fears relieved
How precious did that grace appear
The hour I first believed
Through many dangers, toils, and snares
I have already come
'Tis grace has brought me safe thus far
And grace will lead me home
The lord has promised good to me
His word my hope secures
He will my shield and portion be
As long as life endures

アメージング・グレイス……何とやさしい言葉か。
みじめな私を、その言葉が救ってくれた。
私はかつて道に迷ったが、今、それを見つけた。
私はかつて、暗闇にさまよったが、今は見る。
それが神のやさしさだった。それが私の心に恐れを教え、
そしてその言葉が、その恐れから私を救った。
何と、やさしさの尊いことよ。
あぶないこともあった。苦労もあった。誘惑もあった。
それをとおして、はじめてその言葉を信じたとき、
神のやさしさが、ここまで私を守ってくれた。
主は、私に、善なるものを約束した。
彼の言葉が、私の希望をたしかなものにした。
私の人生がつづくかぎり、神が私を守り、
私の苦しみや悲しみを、分けもってくれるだろう。
(訳、はやし浩司)

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 そのせいなのか? つまり音楽ばかり聴いているせいなのか、ここ数日、私は、涙もろ
く、何を考えても、いとおしく、そしてさみしい。そこに真理があるはずなのに、それが
どうしても、つかめない。手が届かない。

 告白しよう。ときどき、私は、自転車に乗って家路を急ぐとき、天に向かって話しかけ
るときがある。どういうわけか、そういうとき、私は英語を使う。記憶をたどってみると、
オーストラリアに留学時代に身につけたクセらしい。

 たいてい「Father(父よ)……」で、話し始める。つい数日前は、こんなことを話しか
けた。

 「Father, listen to me. I am here and talking to you. I've been following you though I've 
never seen you nor felt you beside me. Where are you? And when will you show me the 
way to go? ……(父よ、聞いてほしい。私はここにいて、あなたに話しかけている。私は
あなたを見たことも、近くに感じたこともないけど、ずっと、あなたを追いかけてきた。
あなたはどこにいるのか? そしていつ、あなたは私に進むべき道を見せてくれるのか?
……)と。

 私のひとり言のようなものだから、大きな意味はない。しかし「私にとって神とは何か」
と聞かれれば、私は、「天」だと思う。空の「天」である。悲しいかな、人間が見ることが
できるもっとも広い世界は、その「天」でしかない。下から見あげる「天」でしかない。

 その「天」にすれば、教会や、その中に飾ってある偶像など、チリかホコリのようなも
の。ただ「天」といっても、昼間の青い空ではない。私にとっての「天」とは、星々が輝
く、夜の「天」である。だから私は、青い空に向かって話しかけるということはしない。
話しかけるとしても、夜の「天」である。

 そこに神がいるにせよ、またいないにせよ、その「天」にまさる、広大な空間はない。
その広大さが、私にとっては、「Father(父)」ということになる。そう言えば、若いころ
から、星々が輝く、満天の空を見ると、理由もなく、私は、泣いた。回数も減ったが、そ
のクセ(?)は、今も、残っている。

 それがここに書いた、天に向かって話しかけるという、他人が見たら、「?」と思うよう
な、どこか「?」な習慣になったのだと思う。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●1973年

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今日、Eマガの読者が、1973人に
なった。

そこで1973年。

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 1973年……この年に起きた大きな事件と言えば、韓国の金大中が、東京の飯田橋の
ホテル・グランドパレスから、5人組の男に、拉致されたことがある(8月8日)。私は直
後、韓国のKCIAの犯行と直感した。たてつづけに、何通も、抗議の電報を、韓国大使
館あてに打った。

 不愉快な事件だった。そのあといろいろあって、時の総理大臣は、日本国の誇りをかな
ぐり捨てて、この事件について、政治決着をしてしまった。正義を犠牲にして、はっきり
言えば、(マネー)を選んだ。

 ほかにパブロ・ピカソ死去(4月8日)、ソ連の超音速旅客機墜落(6月)、アルゼンチ
ンで、ペロン大統領、18年ぶりに返り咲く(9月)、第一次石油危機始まる(10月)、
江崎玲於奈氏のノーベル賞受賞(12月)などなど。

 1973年には、私は浜松に住んでいた。今のワイフと結婚していた。ワイフといっし
ょに、駅前にあった電報局へ電報を打ちに行ったのを覚えている。もちろん韓国大使館へ、
である。つまり何かのできごとと、そのときの自分の様子を見ながら、「ああ、あのときが、
1973だったのか」と、思い出す。

 が、このほかに、とくに思い当たることはない。当時の私は、まさに(仕事の虫)。毎日、
何かに追い立てられるように、仕事ばかりしていた。

 幼稚園で働くかたわら、代筆、翻訳、テレビ番組の企画、予備校の講師、家庭教師、貿
易、貿易代行など。自分でも、よくそこまで働いたと思うほど、よく働いた。1か月に、
休みが1日くらいしかなかったのを覚えている。

 そういう点では、お金は稼いだ。当時、M物産に同期で入社した社員の給料が、10万
円になったという話を聞いたとき、何だ、たったそれだけかと思ったことも覚えている。
カタログ1枚、英語に翻訳すると、2〜3万円を手にすることができた。本を1冊、代筆
すると、50〜70万円になった。

 また、当時、日本テレビに11PMとか、NET(当時)にアフターヌーンショーとか
いう番組があった。ほかに『3時のあなた』という番組もあった。そうした番組の企画料
だけでも、毎週(テレビ局の企画制作料は週払いになっていた)、4〜5万円、もらってい
た。今のワイフを、ときどきスタジオの中へ連れていってやったこともある。(11PMも、
アフターヌーンショーも、当時は、すべて生番組だった。)

 が、その一方で、お金もよく使った。今のワイフと、遊んでばかりいた。ついでに私は
毎週のように外国へでかけていった。当時、日本と香港の往復航空運賃は、11万円弱だ
ったが、私には、何でもなかった。

 貿易の手伝いをするかたわら、香港で上海製の医療機器を買ってきて、日本へもってく
ると、それが数倍の値段で売れた。英語を話せる人は、少なかった。貿易の知識のある人
は、さらに少なかった。あのYAMAHA(ヤマハ)ですら、単独では、まだ輸出入をす
るノウハウをもっていなかった。三井物産の名古屋支店が統括していた。(そのあと、しば
らくして、貿易部ができたが……。)

 東洋医学に興味をもったのもこのころ。『ニューズウィーク』という雑誌に、中国でのハ
リ麻酔の記事が載ったのが、きっかけだった。台湾工科大学の張という名前の先生が、毎
週、台湾からやってきて、東京の青山にある厚生年金会館というところで、東洋医学の講
義をした。

 受講料は、当時のお金で、30万円近くであった。大金だったが、うまくスポンサーを
見つけて、助けてもらった。私とワイフは、毎週、土曜日の夕方は、その講義を受けるた
め、上京した。で、いつも泊まるホテルは、ホテル・ニューオータニか、帝国ホテルと決
めていた。今、思い出しても、それ以外のホテルには、泊まった記憶がない。

 それにあるタレント・ドクターが、リンカーンのコンチネンタルを貸してくれたことも
ある。ふつうのバスほどの長さもある、大きな真っ白な車である。もちろん運転手つき。
私は、それで東京と浜松を、何度も往復した。

 当時の私は、そういう人間だった。つまり、何というか、成り金趣味というか、おのぼ
りさん的というか、そういうことをしながら、人生を楽しんでいた。

 が、肝心の幼稚園での給料は、たったの2万円。しかし幼稚園での仕事は、私にとって
は、お金が目的ではない。私の生きがいになっていた。2万円でも、楽しい仕事は、楽し
い。100万円でも、いやな仕事は、いや。

 まあ、今にして思えば、「もう少し、まじめに基礎を作っておけばよかったかな」と思う。
が、貯金は、ほとんど考えなかった。ときどき郷里から母がやってきて、そのつど、私か
らごっそりとお金をもって帰っていった。

 そうそうそんなころ、アメリカからリンという、中国系のアメリカ人がわざわざ私をた
ずねてきて、「今度、東京に、プレイグラウンドをつくる。ついては、君が副園長をしない
か」という話がもちかけられた。

 私は、断った。しかしそれがのちに、あのディズニーランドのことだとは、知らなかっ
た。私は当時、日本のあちこちにある、遊園地を想像していた。直接的には、浜松市の郊
外にある、「P」という名前の遊園地を想像していた。「M物産をやめて、遊園地の園長な
んかになれるか!」という、おかしなプライドもあった。「サラリーマンだけは、こりごり」
という思いもあった。

 そういう生活だから、一度だけだが、銀行で働き始めた友人を見たとき、その友人が、
バカに見えた(失礼!)。「何で、自分の人生を、こんなところで浪費するのだろう」と。
もっとも、多分、当時の常識からして、その友人から見れば、私がバカに見えたことだろ
う。当時は、まだ、風来坊(今でいうフリーター)を認める社会にはなっていなかった。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司


●水が半分のコップ?

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ますますわからなくなってきた、
韓国。中立系(?)と思われて
いた朝鮮N報まで、最近、おか
しなことを言い出した。

++++++++++++++

 先に、中国の唐委員と、K国の金xxの会談が行われた。その会談の成果について、唐
委員に同行した武外務次官は、日本のA衆議院運営委員長に対して、こう言ったという。「6
か国協議と、K国の核兵器放棄は、決して楽観できない」(産経新聞)と。

 つまり、K国に対する説得工作は、失敗だった、と。

 それに呼応するかのように、その直後、中国は、矢継ぎ早に、銀行間の取り引きを停止
するなどの、金融制裁を実施している。

 が、ひとり韓国だけは、中朝会談直後から、「金xxは、謝罪した」「6か国協議への復
帰への意思表示をした」「(金xxが、金日成の遺訓だから)、韓半島の非核化を順守すると
いう立場を明らかにした」(朝鮮N報)などと発表。

 あの金xxが、謝罪した?

 しかしその直後、中国の胡主席と会談した、アメリカのライス国務長官は、「そんな話は、
聞いていない」と否定。つまりこのあたりから、何がなんだか、話がわからなくなってき
た。

 わかりやすく言えば、K国側に立って、「会談は成功だった」「アメリカは、柔軟に出る
べき」と主張する韓国。「会談は平行線のままだった」「金融制裁を強化する」と主張する
アメリカ。

 会談が、成功した?

 そしてとうとう朝鮮N報は、アメリカの共和党議員の言葉を引用して、こうまで言い出
した。「ブッシュ大統領は、北との対話をすべき」と。国連決議にそって、制裁を実施する
どころか、「核実験をするまでK国を追いこんだアメリカのほうが、悪い」と。「北の融和
メッセージを無視するアメリカ」(10月24日)という記事まである。「せっかくK国が
折れてきたのに、アメリカは、それを無視した」と。

 「?」「?」「?」。

 が、これに驚いてはいけない。さらにこんな社説まで。

 「アメリカは、K国の再実験を期待している」(10月24日)と。

 いわく、「韓元外相は、『アメリカは、K国による2回目の核実験の可能性について懸念
というより、むしろ期待している』と語った」と。

 金xxが、謝罪したという事実は、どうやら、韓国側が勝手に拡大解釈した、デマと断
定してよい。また「6か国協議に復帰してもよい」という発言には、前提条件がつけられ
ていた。「金融制裁を解除すれば……」という前提条件である。

 こうした事実のわい曲は、韓国の新聞のお家芸である。例をあげたらキリがない。

 では、実際には、どうだったのか? 金xxは、唐委員に何を、どう言ったのか?

 それについては、ライス国務長官が、「とくに驚くことはなかった」と言ったことからも
わかるように、K国側の発言内容は、従来どおりだったと考えるのが、正しい。もしその
会談で、K国側が柔軟な姿勢を示していたとするなら、まっさきに、中国は、それを「成
果」として発表していただろう。金融制裁など、しなかったはず。

 が、さらにわからないのが、韓国の「政府当局者」。同じく朝鮮N報は、こう伝えている。
じっくりと読んでみてほしい。

 「韓国政府の当局者は、これを(日米と、中韓の見解が分かれたことについて)、現在の
K国核問題を、どのように見るかという各国の視点の差をそのまま表すものだ。韓国政府
の当局者は、これを水が半分のコップにたとえ、『水が半分もある』という側と、『水が半
分しかない』という側の差であるようだと評した」(10月23日)と。

 「水が半分もあるから、K国には、問題がない」と主張する韓国政府当局者、「水が半分
しかないから、K国には問題がある」と主張するアメリカということか? それとも反対
に、「水が半分もあるから、K国には、問題がある」と主張するアメリカ、「水が半分しか
ないから、K国には問題がない」と主張する韓国ということか?

 こうしたあいまいな観念論をもちだすところが、恐ろしい。重大な国際問題を、たくみ
な言葉で、煙に巻いている。

 水が半分のコップとは、何をさすのか? 韓国側の主張にそって言えば、「アメリカは、
K国との直接対話に臨むべきだ。その可能性(=水が半分)があるなら、アメリカも柔軟
に応ずるべきだ」ということらしい。

 しかし、待った!

 K国のねらいは、最終的には、アメリカとの間に、「相互不可侵条約」を結ぶことである。
つまり「たがいに本土を攻撃されなければ、たがいに手を出さない」という条約である。
もしそんな条約が、米朝間で結ばれた、この日本はどうなるのか? 

 仮にK国が日本を攻撃しても、アメリカはそれに対して、手も足も出せなくなる。つま
り日米安保条約は、その時点で死文化する。同時に、K国は、日本に対して、やりたい放
題、言いたい放題のことができるようになる。

 日本にとっては、まさに死活問題である。そういう死活問題を、日本を無視して話題に
するような韓国は、もはや、日本の同盟国でも、友邦国でもない。(もともと同盟国でも、
友邦国でもないが……。)韓国イコール、K国と位置づけても、何ら、さしつかえない。

 これに対して、クラウチ・アメリカ大統領副補佐官は、つぎのような声明を発表してい
る。「K国は、過去の合意を欺いた。直接交渉をすべきだという人もいるが、それはまちが
いだと、ブッシュ大統領は信じている」「6か国協議の枠外の2国間交渉には、応じない」
(時事通信・10月24日)と。

 遅かれ、早かれ、K国は、自滅する。行き着くところまでいって、そこで自滅する。中
国や韓国は、それを恐れているようだが、そのときがくれば、自然とそうなる。その前に、
金xxの健康問題もある。やせ細った体に、異様にふくらんだ腹。それがどんな病気によ
るものかは、専門家でなくても、わかる。ここには書けないが、私にも、わかる。

 金xxを、(まともな人)と考えて論じていると、たいへんなことになる。またその発言
の一言一句をあれこれ解釈しあっても、意味はない。今、忘れてならないのは、K国は、
たいへんな危険な国であるということ。それを(現実)として、ものを考えること。

 それにしても、「水が半分のコップ」とは、何? 韓国の政治家も、レベルが低い。本当
に、低い。
(この原稿は、10月24日の朝、書いたものです。みなさんの目に届くときには、極東
情勢は大きく変化しているかもしれません。)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●反面教師

++++++++++++++++

「反面教師」という言葉がある。
だれか、近くの、自分にとっては批判の
対象でしかない人を見ながら、
「自分はそうでありたくない」と
思いつつ、その人を教師にすること
をいう。

しかしその「反面教師」には、
もう1つの「反面」がある。

反面のそのまた反面と言うべきか。

これがこわい。

++++++++++++++++

「反面教師」という言葉がある。だれか、近くの、あなたにとっては批判の対象でしか
ない人を見ながら、「自分はああはなりたくない」と思いつつ、その人を教師にすること
をいう。国語大辞典(講談社)には、つぎのようにある。

 「否定的なことを示すことによって、肯定的なものをいっそう、明らかにするのに役立
つこと」と。

しかしその「反面教師」には、もう1つの「反面」(シャドウ)がある。これがこわい。

 たとえばあなたの父親が、たいへん権威主義的な人であったとしよう。親風を吹かし、
親の権威をことあるごとに、あなたに押しつけたとしよう。いばっている。あなたが、何
か口答えでもしようものなら、「親に向かって、何だ!」と、怒鳴り散らす。

 そういう父親を見ながら、あなたは、「私は、父のようにはなりたくない」「私は、父の
ようにはならない」と思ったとする。そして父親が見せる権威主義的な部分を、ことごと
く否定したとする。「私の父は、まちがっている」と。

このばあい、あなたの父親は、あなたに、反面教師として、権威主義の愚かさを教えて
いることになる。

 しかし反面教師が近くにいる間は、それはそれでよい。あなたは父親に反発しながら、
一応、(自分)というものをもちつづけることができる。

 が、その父親がなくなったとする。あるいは、別れて住むようになったとする。つまり
その時点で、あなたは反面教師としての父親を失ったことになる。そのとき、あなたは、
多分、こう思うだろう。

 「長い間、権威主義の愚かさを身近で見てきたから、私は、権威主義者にはならない」
と。

 ところが、である。反面教師を失った人は、あたかもつっかい棒をなくしたかのように、
今度は、急速に、その反面教師のようになっていく。親子、兄弟、親類のように、親密度
が高い人ほど、そうなっていく。

 なぜか。

 あなたは父親という反面教師を批判しながら、その一方で、父親のもつシャドウ(ユン
グ)を引きついでしまうからである。同じような例は少なくない。

 たとえばあなたがAさんのある部分を、「いやだ」「嫌いだ」と思っていたとする。自分
では、それに反発しているつもりなのだが、いつの間にか、そのいやな部分、嫌いな部分
を、引きついでしまうことがある。話し方や、しぐさの中に、ふと気がつくと、自分の中
にAさんそっくりの部分があることを知って、驚く。

 親子、兄弟、親類であればなおさらである。しかも近くで、いっしょに住んでいれば、
さらに強く、その影響を受ける。

 なぜか。

 理由は、簡単である。あなたは、たとえば父親を反面教師として批判しながらも、その
一方で、(自分)をつくるということしなかったからである。もっとわかりやすく言うと、
これは、批評家についても言えることだが、批評するだけでは、ものごとは、足りないと
いうこと。

 批評するならするで、その一方で、「では、どうあるべきか」という答を常に、用意しな
ければならない。もっと言えば、二階の屋根へあがった人に対して、ハシゴをはずすのは、
簡単なことである。しかしもっと重要なことは、どうすれば二階の屋根にあがった人を、
下へおろしてやることができるかを考えること。それを忘れると、批評は、ただの批評で
終わってしまう。

 同じように、ある特定の人、(このばあいは、あなたの父親ということになるが)、その
人を反面教師にするだけでは、足りないということ。

 父親の権威主義を批判するならするで、他方で、それにかわる、それ以上に確固たる(主
義)を自分の中でつくらなければならない。それがないと、結局は、自分自身も、その反
面教師のようになってしまう。もしあなたの父親が権威主義的なものの考え方をする人な
ら、あなた自身も、いつか、その権威主義的なものの考え方をするようになる。

 その危険性はきわめて高い。

 が、悲しいことに、本人自身が、それに気づくことは、まず、ない。それに気づくのは、
周囲の人たちである。あるいはひょっとしたら、あなたの子どもかもしれない。いつか、
あなたという親を見ながら、あなたの子どもは、こう言う。
 
 「お父さん、あなたは権威主義者だ!」と。

 繰りかえすが、人を批判するのは、簡単なこと。しかし自分の中に、(それ以上のもの)
をつくることは、むずかしい。もしあなたの近くに、あなたにとって反面教師と言えるよ
うな人がいたら、いつもこのことを念頭に置くとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
反面教師 シャドウ)


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●反面教師

++++++++++++++

昨日、反面教師について書いた。
同じようなテーマで書いた原稿があった。

++++++++++++++

 反面教師という言葉がある。できの悪い教師をもった生徒が、そのできの悪さを見なが
らかえって成長するということをいったものだが、これはそのまま「親」にも当てはまる。

いろいろな親がいたが、その中でもとくに印象に残っているのが、K君(高1)だった。
彼は現役で医学部に推薦入学で入ったほどの能力をもっていたが、あとでK君の家を見
て驚いた。家といっても、駐車場の奥の一室だけ。ベニヤ板で二つに分けただけの部屋
だった。しかも母親はいない。父親はアル中で、毎晩のように酒を飲み、ときにはK君
に暴力を振るっていたという。

 こういう極端な例は少ないとしても、あなたの身のまわりにも、似たような話はあるは
ずだ。たとえばH君。彼は中学を卒業するころ、父親とおおげんか。そのまま家出。12
年間ほど音信がなかったが、その12年目のこと。一級建築士の免許をとって実家へ帰っ
てきたという。

大検で高卒の資格をとり、鉄工場に勤めながら免許を取得した。その彼の父親も、とて
も「親」と言えるような親ではなかった。もう1人の娘がいたが、娘の貯金通帳を盗み、
勝手にお金を引き出してしまったこともある。

 K君もH君も、こうした親をもったがゆえに、それをバネとして前に伸びたわけだが、
だからといってそういう環境が好ましいということにはならない。第1、皆が皆、伸びる
わけではない。失敗する可能性のほうが、はるかに高い。

それに「教師」と言いながら、反面教師をもったがために、心に大きなキズをのこすこ
ともある。ふつう不安定な家庭環境に育つと、子どもの情緒は不安定になり、それが転
じて、いろいろな神経症を引き起こすことが知られている。

ひどくなると、それが情緒障害や精神障害になることもある。私も「温かい家庭」への
あこがれは強いものの、実際のところそれがどういうものか、よく知らなかった。戦後
の混乱期のことで、私の親にしても食べていくだけで精一杯。家族旅行など、小学6年
生になるまで、一度しかなかった。

その上私の父はアル中で、数日おきに酒を飲んで暴れた。そのためか今でも、何か心配
ごとが重なったりすると、極度の不安状態になったりする。しかしこういうことは、本
来あってはいけない。また子どもにそういうキズをつけてはいけない。たとえそれでそ
の子どもが、俗にいう「立派な子ども」になったとしても、だ。

 もう1つこんな例もある。高校生のとき、古文の教師の声が小さく、聞き取ることがで
きなかった。それで古文の勉強は、自分ですることにした。結果、私はほとんどの古文を
全集で読みきるほどまで古文が好きになった。そういう反面教師もいる。

これはあくまでも余談だが……。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司
 
●母親が一番保守的?

++++++++++++++++

教育の世界には、いろいろな謎
がある。

これもその1つ。

かなり進歩的な考え方をする親
でも、こと子どもの教育となると
保守的。

どうしてだろう?

+++++++++++++++++

 本来、地位や名誉、肩書きとは無縁のはずの、いわゆるステイ・アト・ホーム・ワイフ
(専業主婦)、略してSAHWが、一番保守的というのは、実に皮肉なことだ。

この母親たちが、もっとも肩書きや地位にこだわる。子供向けの同じワークブックでも、
4色刷りの豪華なカバーで、「○○大学××教授監修」と書かれたものほど、よく売れ
る。中身はほとんど関係ない。中身はほとんど見ない。見ても、ぱっと見た目の編集部
分だけ。子どものレベルで、子どもの立場で見る母親は、まずいない。たいていの親は、
つぎのような基準でワークブックを選ぶ。

(1)信用のおける出版社かどうか……大手の出版社なら安心する。
(2)権威はどうか……大学の教授名などがあれば安心する。
(3)見た目の印象はどうか……デザイン、体裁がよいワークブックは子どもにやりやす
いと思う。
(4)レベルはどうか……パラパラとめくってみて、レベルが高ければ高いほど、密度が
こければこいほど、よいと考える。中にはぎっしりと文字がつまったワークブックほど、
割安と考える親もいる。

 しかしこういうことは大手の出版社では、すでにすべて計算ずみ。親たちの心理を知り
尽くした上で、ワークブックを制作する。が、ここに書いた(1)〜(4)がすべて、ウ
ソであるから恐ろしい。大手の出版社ほど、制作は下請け会社のプロダクションに任す。
そしてほとんど内容ができあがったところで、適当な教授さがしをし、その教授の名前を
載せる。

この世界には、肩書きや地位を切り売りしても、みじんも恥じないようなインチキ教授
はいくらでもいる。出版社にしても、ほしいのは、その教授の「力」ではなく、「肩書
き」なのだ。

 今でもときどき、テカテカの紙で、鉛筆では文字も書けないようなワークブックをとき
どき見かける。また問題がぎっしりとつまっていて、計算はおろか、式すら書けないワー
クブックも多い。さらにおとなが考えてもわからないような難解な問題ばかりのワークブ
ックもある。見た目にはよいかもしれないが、こういうワークブックを子どもに押しつけ
て、「うちの子はどうして勉強しないのかしら」は、ない。

 私も長い間、ワークブックの制作にかかわってきたが、結論はひとつ。かなり進歩的と
思われる親でも、こと子どもの教育となると、保守的。むしろ進歩的であることを、「そ
うは言ってもですねエ……」とはねのけてしまう。しかしこの母親たちが変わらないかぎ
り、日本の教育は変わらない。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●父親は母親がつくる

+++++++++++++++++

父親と母親は、高度な次元で平等である。
「高度な」というのは、たがいに高めあって、
という意味である。

子どもの前では、父親、母親の批判、悪口は
タブーと考えてよい。

+++++++++++++++++

 こう書くと、すぐ「男尊女卑思想だ」と言う人がいる。しかしもしあなたという読者が、
男性なら、私は反対のことを書く。

 あなたが母親なら、父親をたてる。そして子どもに向かっては、「あなたのお父さんは
すばらしい人よ」「お父さんは私たちのために、仕事を一生懸命にしてくれているのよ」
と言う。そういう語りかけがあってはじめて、子どもは自分の中に父親像をつくることが
できる。もちろんあなたが父親なら、反対に母親をたてる。「平等」というのは、互いに
高次元な立場で認めあうことをいう。まちがっても、互いをけなしてはいけない。中に、
こんなことを言う母親がいる。

 「あなたのお父さんの稼ぎが悪いから、お母さん(私)は苦労するのよ」とか、「お父
さんは会社で、ただの倉庫番よ」とか。母親としては子どもを自分の味方にしたいがため
にそう言うのかもしれないが、言えば言ったで、子どもはやがて親の指示に従わなくなる。

そうでなくてもむずかしいのが、子育て。父親と母親の心がバラバラで、どうして子育
てができるというのか。こんな子どもがいた。

男を男とも思わないというか、頭から男をバカにしている女の子(小4)だった。M子
という名前だった。相手が男とみると、とたんに、「あんたはダメね」式の言葉をはく
のだ。男まさりというより、男そのものを軽蔑していた。もちろんおとなの男もである。

そこでそれとなく聞いてみると、母親はある宗教団体の幹部、学校でもPTAの副会長
をしていた。一方父親は、地元のタクシー会社に勤めていたが、同じ宗教団体の中では、
「末端」と呼ばれるただの信徒だった。どこかぼーっとした、風采のあがらない人だっ
た。そういった関係がそのまま家族の中でも反映されていたらしい。

 で、それから20年あまり。その女の子のうわさを聞いたが、何度見合いをしても、結
婚には至らないという。まわりの人の意見では、「Mさんは、きつい人だから」とのこと。
私はそれを聞いて、「なるほど」と思った。「あのMさんに合う夫をさがすのは、むずかし
いだろうな」とも。

 子どもはあなたという親を見ながら、自分の親像をつくる。だから今、夫婦というのが
どういうものなのか。父親や母親というのがどういうものなのか、それをはっきりと子ど
もに示しておかねばならない。示すだけでは足りない。子どもの心に染み込ませておかね
ばならない。そういう意味で、父親は母親をたて、母親は父親をたてる。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●知識はメッキ

++++++++++++++++

知識を過信してはいけない。
知識というのは、いわばメッキの
ようなもの。

それがあれば便利だが、しかし
知識イコール、思考力ではない。

++++++++++++++++

 私も法律の勉強を、5年間もした。私にとっては、おもしろくない勉強だった。いくつ
かの資格はとったが、卒業後、その資格を生かしたことはただの1度もない。で、それか
ら30年。同窓会に出て、法曹の道に進んだ仲間と話しても、会話がうまくかみあわない。
つまりそれだけ「法律」とは遠ざかってしまったということ。専門用語を忘れてしまった
ということもある。

では、私の法律の勉強がムダだったのかというと、そうでもない。ものの考え方という
か、論理的に思考を積み重ねていくクセだけは残った。反対によく雑誌などで他人の教
育論を読んだりするが、ときどきあまりの論理性のなさに、驚くことがある。中には感
情論だけで教育論を組みたてている人がいる。つまりそういうことがわかるということ
は、やはり私が法律の勉強をしたためとみてよい。

 あのアインシュタイン(1879〜1955、ドイツの物理学者)は、こう言っている。

『教育とは、学校で習ったことをすべて忘れ去ったあとに残っているものをいう』(「教
育について」)と。

学校で習ったことを忘れたからといって、教育がムダだったということにはならない。
むしろ「忘れる」ことを理由に、教育を否定する人のほうが、問題だ。……と言っても、
知識教育をそのまま肯定することもできない。知識そのものは、生きるための武器であ
り、ないよりはあったほうがよい。

しかし知識が多いからといって、アインシュタインが言うところの、「あとに残ってい
るもの」になるとは限らない。大切なのは、その中身であり、思考プロセスということ
になる。

 こうした前提で、子どもの教育を考えると、教育がどうあるべきかがわかってくる。た
とえばこんなことがある。

中学生に教えているとき、その子どもがもっている能力のほんの少し先の問題を出して
みると、ただ「できない」「わからない」「まだ習ってない」とこぼし、自分では考えよ
うともしない子どもがいる。が、反対にあちこちテキストを見ながら、調べ始める子ど
もいる。

この時点で重要なことは、「その問題が解ける、解けない」ということではない。「解く
ためにどのような思考プロセスを働かすか」ということである。もちろん「できない」
とこぼす子どもより、調べだす子どものほうがすばらしい。またそういう方向に子ども
を導くのが、教育ということになる。

 教えられてできるようになるのが、知識教育。しかしそれで得た知識は、メッキのよう
なもの。時間がたてば、必ずはげる。しかし思考プロセスは残る。残ってあらゆる場面で、
それが働くようになる。

たとえば私のことだが、先に書いたように、いつもものごとを論理的に考えるクセだけ
は残った。こういった文章を書くについても、あいまいな言い方だけはしていないつも
りである。あいまいなことは書かないというよりも、書く前に筆を止めてしまう。自分
なりに結論が出た部分のみを書くようにしている。それが私が学生時代に受けた「教育」
ということになる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(10月23日)

+++++++++++++++++

昨夜から、雨。今朝も、小雨。肌寒い
風が、かえって心地よい。

昨日は、長男と、10〜2キロ近く、
散歩した。いろいろ話した。いろいろ
話してくれた。

いつだったか、長男が生まれたあとのこと。
まだ赤ん坊のままの顔を見ながら、
「こいつといつか、人生を語りあう
ようになるのだろうか」と思ったこと
がある。

長男と語りあいながら、別の
心で、ふと、それを思い出した。

長男も、すっかり、おとなになっていた。

……おかげで、今朝は、ふとももが、
だるい……。

+++++++++++++++++

 父親というのは、自分の息子が、いつ自分を超えるか、いつもそれを気にしているもの
なのか。私のばあいは、今まで、ずっと、そうだった。

 昨日(22日)、久しぶりに、長男と2人だけで、散歩した。往復、10〜12キロは歩
いただろうか。あちこちに寄り道をしたから、もっと歩いたかもしれない。そんなとき、
長男が、ふと、「ぼくは、ときどき、ぼくがどこにいるかわからないときがある」と、弱音
を吐いた。私は、それを聞いて、親として、率直に、それをわびた。

 長男が、そうなったのは、すべて私に原因がある。

 私には、満足な父親像すらなかった。父親像がないまま、長男をもうけ、育てた。当時
の私やワイフを、助けてくれる人は、ひとりもいなかった。無我夢中だった。何がなんだ
か、わけがわからないまま、毎日が過ぎていった。長男が、そういう私たちをどんなふう
に感じていたか、私には、知る由もなかった。

私「ぼくは、父親に抱かれたことすら、なかった」
長「……」
私「おかしな家庭でね」
長「……」
私「父は、酒を飲んで、暴れてばかりいた」
長「……」と。

 私はそういう父をうらんだ。憎んだこともある。しかしやがて、当時の父の苦しみとい
うか、さみしさを理解できるようになった。父は父で、必死だった。

 直接的には、出征先の台湾で、貫通銃創を受けたことがある。今でいう、PTSD(ス
トレス障害)に苦しんでいたのかもしれない。しかしそれ以上に、父自身の子ども時代に、
その原因があった。

 私の祖父(銀吾)と、祖母(たま)は、いわゆる(できちゃった婚)だったらしい。祖
父には、別に、結婚を約束していた女性がいた。が、祖父は、根っからの遊び人で、その
遊んでいる最中に、子ども、つまり私の父を、もうけてしまった。

 そういう意味では、父は不幸な人だった。祖父は、父が生まれてからも、家には寄りつ
かず、ずっと、愛人、つまり元婚約者の家に入りびたりになっていた。そこで幼い父の仕
事(?)といえば、その愛人の家の近くに行って、その家に向かって石を投げることだっ
たという。

 私の祖母が、父にそれをさせていた。

 私の父自身が、(父親像)を知らないまま、育った。だから私という息子を、抱くことさ
えしなかった。私の母は、「父ちゃんは、結核だったから」とよく言ったが、父が私を抱か
なかった理由は、もうひとつ別にある。それについては、まだ母が健在だから、ここには
書けない。

 ともかくも、私の祖父から私の父、そして私を経て、私の長男に、その影響が、流れと
してつづいている。私は、長い時間をかけて、それを私の長男に話した。

私「お前が、今、苦しんでいるのは、いわゆる基本的不信関係というのだよ。心理学の教
科書にも載っている言葉だから、一度、自分で調べてみるといい」
長「それが、ぼくを苦しめているのか?」
私「そうだよ。だから(自分のしたいこと)と、(していること)が、いつもくいちがって
しまう。お前も、アイデンティティという言葉を聞いたことがあるだろ」
長「ある……」と。

 長男は、子どものころから、自分をさらけ出すことができないタイプの子どもだった。
いつも(いい子)でいようとしていた。(いい子)でいることで、自分を支えていた。

私「お前がペルソナ、つまりね、仮面をかぶっているということは、ぼくも、よく知って
いた。だからあるときから、いろいろ努力はしてみたよ。しかし気がついたときには、手
遅れだった」
長「手遅れ?」
私「そうだ。基本的信頼関係ができるかどうかは、0〜2歳期の問題だからね。絶対的な
(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。この2つが基盤にあって、その上に、親子の信
頼関係が生まれる」
長「……」

私「その時期に、お前は、その(さらけ出し)ができなかった。『絶対的』というのは、『疑
いすらもたない』という意味だよ」
長「じゃあ、ぼくは、どうすればいい? ぼくは、バラバラになったままなのか」
私「いいや。お前も、そろそろそれに気づく年齢になってきた。今までのお前では理解で
きなかったかもしれないが、これからは理解できる」
長「じゃあ、どうすればいい?」
私「自分がそういう人間であることに気づけばいい。あとは、時間が解決してくれる」と。

 私も、それに気づいたのは、35歳も過ぎてからだった。それまでの私は、(自)と(己)
が、バラバラだった。何をしたいか、何をすべきか、それがわからなかった。自分がどこ
にいるかさえわからなかった。

 しかし自分の過去を冷静にみることによって、やがて自分というものが、おぼろげなが
らにもわかるようになった。私は、それを長男に説明した。

私「それがアイデンティティ、つまりね、自己の同一性ということになるんだよ」
長「ぼくにできるかなあ」
私「できるとも。お前は、まだ30歳だ。ぼくが気づいたときよりも、5年も早い。あと
は時間が解決してくれる。1年とか2年では無理だけど、5年とか10年とかいう年月を
かけてね」
長「……」

私「お前はお前であればいい。居なおるんだよ。いい人間に見せようとする必要はない。
あるがままの自分をさらけ出して生きるんだよ」
長「ぼくも、それは感じている。無理をすれば、疲れてしまう」
私「そう。いつか、オレはオレだあって、空に向かって叫べるようになったとき、お前は
今の問題を、空のかなたに向かって、吹き飛ばすことができるよ」
長「パパ、いつか、ぼくも、いい父親になれるだろうか。ぼくは、パパがもっている、流
れを、ぼくの代で断ち切りたい」
私「お前は、いい父親になれるよ。今度は、ぼくがお前のそばについていてやるから。心
配するな」と。

 途中で、何でもカメラを構えて、写真をとった。コスモスが、秋のそよ風に吹かれて、
ゆらゆらと揺れていた。アゼリアも、ダリアも、ゆらゆらと揺れていた。

 途中で、「帰ろうか」「うん」と声をかけあうとき、長男は時計をのぞいた。私ものぞい
た。1時間半近くも歩いていた。「何か食べたいか?」と聞くと、長男は、「コンビニのハ
ンバーガーでいい」と答えた。私たちは、白く乾いた大通りに出て、コンビニに足を向け
た。

 父親というのは、自分の息子が、いつ自分を超えるか、それをいつも気にしているもの
なのか。先を歩く長男の背中を見ながら、私は、長男が、すっかり私を超えているのを知
った。

++++++++++++++++

信頼関係について書いた原稿を
いくつか添付します。

++++++++++++++++

●信頼関係

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外で
はない。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本
である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、
反対にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような
調子で、答えてあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人
間関係を結ぶことができる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基
本的信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの3つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。
これを第1世界という。園や学校での世界。これを第2世界という。そしてそれ以外の、
友だちとの世界。これを第3世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第2世界、つづいて第3世界へと、応用して
いくことができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第2世界、
第3世界での信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後
の信頼関係の基本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親
側の情緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあ
い、子どもは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、
人間関係になる。これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分
野で現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ね
たみ症状などは、こうした基本的不信関係から生まれる。第2世界、第3世界においても、
良好な人間関係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れ
る。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安
心して」というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分
をさらけ出しても、気にしない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意す
るのは、親の役目ということになる。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなこと
に注意したらよい。

●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じよう
に接する。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くな
るというのは、避ける。
(030422)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●不安なあなたへ

 埼玉県に住む、一人の母親(ASさん)から、「子育てが不安でならない」というメール
をもらった。「うちの子(小3男児)今、よくない友だちばかりと遊んでいる。何とか引き
離したいと思い、サッカークラブに入れたが、そのクラブにも、またその友だちが、いっ
しょについてきそうな雰囲気。『入らないで』とも言えないし、何かにつけて、不安でなり
ません」と。

 子育てに、不安はつきもの。だから、不安になって当たり前。不安でない人など、まず
いない。が、大切なことは、その不安から逃げないこと。不安は不安として、受け入れて
しまう。不安だったら、大いに不安だと思えばよい。わかりやすく言えば、不安は逃げる
ものではなく、乗り越えるもの。あるいはそれとじょうずにつきあう。それを繰りかえし
ているうちに、心に免疫性ができてくる。私が最近、経験したことを書く。

 横浜に住む、三男が、自動車で、浜松までやってくるという。自動車といっても、軽自
動車。私は「よしなさい」と言ったが、三男は、「だいじょうぶ」と。で、その日は朝から、
心配でならなかった。たまたま小雨が降っていたので、「スリップしなければいいが」とか、
「事故を起こさなければいいが」と思った。

 そういうときというのは、何かにつけて、ものごとを悪いほうにばかり考える。で、と
きどき仕事先から自宅に電話をして、ワイフに、「帰ってきたか?」と聞く。そのつど、ワ
イフは、「まだよ」と言う。もう、とっくの昔に着いていてよい時刻である。そう考えたと
たん、ザワザワとした胸騒ぎ。「車なら、3時間で着く。軽だから、やや遅いとしても、4
時間か5時間。途中で食事をしても、6時間……」と。

 三男は携帯電話をもっているので、その携帯電話に電話しようかとも考えたが、しかし
高速道路を走っている息子に、電話するわけにもいかない。何とも言えない不安。時間だ
けが、ジリジリと過ぎる。

 で、夕方、もうほとんど真っ暗になったころ、ワイフから電話があった。「E(三男)が、
今、着いたよ」と。朝方、出発して、何と、10時間もかかった! そこで聞くと、「昼ご
ろ浜松に着いたけど、友だちの家に寄ってきた」と。三男は昔から、そういう子どもであ
る。そこで「あぶなくなかったか?」と聞くと、「先月は、友だちの車で、北海道を一周し
てきたから」と。北海度! 一周! ギョッ!

 ……というようなことがあってから、私は、もう三男のドライブには、心配しなくなっ
た。「勝手にしろ」という気持ちになった。で、今では、ほとんど毎月のように、三男は、
横浜と浜松の間を、行ったり来たりしている。三男にしてみれば、横浜と浜松の間を往復
するのは、私たちがそこらのスーパーに買い物に行くようなものなのだろう。今では、「何
時に出る」とか、「何時に着く」とか、いちいち聞くこともなくなった。もちろん、そのこ
とで、不安になることもない。

 不安になることが悪いのではない。だれしも未知で未経験の世界に入れば、不安になる。
この埼玉県の母親のケースで考えてみよう。

 その母親は、こう訴えている。

●親から見て、よくない友だちと遊んでいる。
●何とか、その友だちから、自分の子どもを離したい。
●しかしその友だちとは、仲がよい。
●そこで別の世界、つまりサッカークラブに自分の子どもを入れることにした。
●が、その友だちも、サッカークラブに入りそうな雰囲気になってきた。
●そうなれば、サッカークラブに入っても、意味がなくなる。

小学3年といえば、そろそろ親離れする時期でもある。この時期、「○○君と遊んではダ
メ」と言うことは、子どもに向かって、「親を取るか、友だちを取るか」の、択一を迫る
ようなもの。子どもが親を取ればよし。そうでなければ、親子の間に、大きなキレツを
入れることになる。そんなわけで、親が、子どもの友人関係に干渉したり、割って入る
ようなことは、慎重にしたらよい。

 その上での話しだが、この相談のケースで気になるのは、親の不安が、そのまま過関心、
過干渉になっているということ。ふつう親は、子どもの学習面で、過関心、過干渉になり
やすい。子どもが病弱であったりすると、健康面で過関心、過干渉になることもある。で、
この母親のばあいは、それが友人関係に向いた。

 こういうケースでは、まず親が、子どもに、何を望んでいるかを明確にする。子どもに
どうあってほしいのか、どうしてほしいのかを明確にする。その母親は、こうも書いてい
る。「いつも私の子どもは、子分的で、命令ばかりされているようだ。このままでは、うち
の子は、ダメになってしまうのでは……」と。

 親としては、リーダー格であってほしいということか。が、ここで誤解してはいけない
ことは、今、子分的であるのは、あくまでも結果でしかないということ。子どもが、服従
的になるのは、そもそも服従的になるように、育てられていることが原因と考えてよい。
決してその友だちによって、服従的になったのではない。それに服従的であるというのは、
親から見れば、もの足りないことかもしれないが、当の本人にとっては、たいへん居心地
のよい世界なのである。つまり子ども自身は、それを楽しんでいる。

 そういう状態のとき、その友だちから引き離そうとして、「あの子とは遊んではダメ」式
の指示を与えても意味はない。ないばかりか、強引に引き離そうとすると、子どもは、親
の姿勢に反発するようになる。(また反発するほうが、好ましい。)

 ……と、ずいぶんと回り道をしたが、さて本題。子育てで親が不安になるのは、しかた
ないとしても、その不安感を、子どもにぶつけてはいけない。これは子育ての大鉄則。親
にも、できることと、できないことがある。またしてよいことと、していけないことがあ
る。そのあたりを、じょうずに区別できる親が賢い親ということになるし、それができな
い親は、そうでないということになる。では、どう考えたらよいのか。いくつか、思いつ
いたままを書いてみる。

●ふつうこそ、最善

 朝起きると、そこに子どもがいる。いつもの朝だ。夫は夫で勝手なことをしている。私
は私で勝手なことをしている。そして子どもは子どもで勝手なことをしている。そういう
何でもない、ごくふつうの家庭に、実は、真の喜びが隠されている。

 賢明な人は、そのふつうの価値を、なくす前に気づく。そうでない人は、なくしてから
気づく。健康しかり、若い時代しかり。そして子どものよさ、またしかり。

 自分の子どもが「ふつうの子」であったら、そのふつうであることを、喜ぶ。感謝する。
だれに感謝するというものではないが、とにかく感謝する。

●ものには二面性

 どんなものにも、二面性がある。見方によって、よくも見え、また悪くも見える。とく
に「人間」はそうで、相手がよく見えたり、悪く見えたりするのは、要するに、それはこ
ちら側の問題ということになる。こちら側の心のもち方、一つで決まる。イギリスの格言
にも、『相手はあなたが相手を思うように、あなたを思う』というのがある。心理学でも、
これを「好意の返報性」という言葉がある。

 基本的には、この世界には、悪い人はいない。いわんや、子どもを、や。一見、悪く見
えるのは、子どもが悪いのではなく、むしろそう見える、こちら側に問題があるというこ
と。価値観の限定(自分のもっている価値観が最善と決めてかかる)、価値観の押しつけ(他
人もそうでなければならないと思う)など。

 ある母親は、長い間、息子(21歳)の引きこもりに悩んでいた。もっとも、その引き
こもりが、3年近くもつづいたので、そのうち、その母親は、自分の子どもが引きこもっ
ていることすら、忘れてしまった。だから「悩んだ」というのは、正しくないかもしれな
い。

 しかしその息子は、25歳くらいになったときから、少しずつ、外の世界へ出るように
なった。が、実はそのとき、その息子を、外の世界へ誘ってくれたのは、小学時代の「ワ
ルガキ仲間」だったという。週に2、3度、その息子の部屋へやってきては、いろいろな
遊びを教えたらしい。いっしょにドライブにも行った。その母親はこう言う。「子どものこ
ろは、あんな子と遊んでほしくないと思いましたが、そう思っていた私がまちがっていま
した」と。

 一つの方向から見ると問題のある子どもでも、別の方向から見ると、まったく別の子ど
もに見えることは、よくある。自分の子どもにせよ、相手の子どもにせよ、何か問題が起
き、その問題が袋小路に入ったら、そういうときは、思い切って、視点を変えてみる。と
たん、問題が解決するのみならず、その子どもがすばらしい子どもに見えてくる。

●自然体で

 とくに子どもの世界では、今、子どもがそうであることには、それなりの理由があると
みてよい。またそれだけの必然性があるということ。どんなに、おかしく見えるようなこ
とでも、だ。たとえば指しゃぶりにしても、一見、ムダに見える行為かもしれないが、子
ども自身は、指しゃぶりをしながら、自分の情緒を安定させている。

 そういう意味では、子どもの行動には、ムダがない。ちょうど自然界に、ムダなものが
ないのと同じようにである。そのためおとなの考えだけで、ムダと判断し、それを命令し
たり、禁止したりしてはいけない。

 この相談のケースでも、「よくない友だち」と親は思うかもしれないが、子ども自身は、
そういう友だちとの交際を求めている。楽しんでいる。もちろんその子どものまわりには、
あくまでも親の目から見ての話だが、「好ましい友だち」もいるかもしれない。しかし、そ
ういう友だちを、子ども自身は、求めていない。居心地が、かえって悪いからだ。

 子どもは子ども自身の「流れ」の中で、自分の世界を形づくっていく。今のあなたがそ
うであるように、子ども自身も、今の子どもを形づくっていく。それは大きな流れのよう
なもので、たとえ親でも、その流れに対しては、無力でしかない。もしそれがわからなけ
れば、あなた自身のことで考えてみればよい。

 もしあなたの親が、「○○さんとは、つきあってはだめ」「△△さんと、つきあいなさい」
と、いちいち言ってきたら、あなたはそれに従うだろうか。……あるいはあなたが子ども
のころ、あなたはそれに従っただろうか。答は、ノーのはずである。

●自分の価値観を疑う

 常に親は、子どもの前では、謙虚でなければならない。が、悪玉親意識の強い親、権威
主義の親、さらには、子どもをモノとか財産のように思う、モノ意識の強い親ほど、子育
てが、どこか押しつけ的になる。

 「悪玉親意識」というのは、つまりは親風を吹かすこと。「私は親だ」という意識ばかり
が強く、このタイプの親は、子どもに向かっては、「産んでやった」「育ててやった」と恩
を着せやすい。何か子どもが口答えしたりすると、「何よ、親に向かって!」と言いやすい。

 権威主義というのは、「親は絶対」と、親自身が思っていることをいう。

 またモノ意識の強い人とは、独特の話しかたをする。結婚して横浜に住んでいる息子(3
0歳)について、こう言った母親(50歳)がいた。「息子は、嫁に取られてしまいました。
親なんてさみしいもんですわ」と。その母親は、息子が、結婚して、横浜に住んでいるこ
とを、「嫁に取られた」というのだ。

 子どもには、子どもの世界がある。その世界に、謙虚な親を、賢い親という。つまりは、
子どもを、どこまで一人の対等な人間として認めるかという、その度量の深さの問題とい
うことになる。あなたの子どもは、あなたから生まれるが、決して、あなたの奴隷でも、
モノでもない。「親子」というワクを超えた、一人の人間である。

●価値観の衝突に注意

 子育てでこわいのは、親の価値観の押しつけ。その価値観には、宗教性がある。だから
親子でも、価値観が対立すると、その関係は、決定的なほどまでに、破壊される。私もそ
れまでは母を疑ったことはなかった。しかし私が「幼児教育の道を進む」と、はじめて母
に話したとき、母は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と泣き崩
れてしまった。私が23歳のときだった。

 しかしそれは母の価値観でしかなかった。母にとっての「ふつうの人生」とは、よい大
学を出て、よい会社に入社して……という人生だった。しかし私は、母のその一言で、絶
望の底にたたき落とされてしまった。そのあと、私は、10年ほど、高校や大学の同窓会
でも、自分の職業をみなに、話すことができなかった。

●生きる源流に 

 子育てで行きづまりを感じたら、生きる源流に視点を置く。「私は生きている」「子ども
は生きている」と。そういう視点から見ると、すべての問題は解決する。

 若い父親や母親に、こんなことを言ってもわかってもらえそうにないが、しかしこれは
事実である。「生きている源流」から、子どもの世界を見ると、よい高校とか、大学とか、
さらにはよい仕事というのが、実にささいなことに思えてくる。それはゲームの世界に似
ている。「うちの子は、おかげで、S高校に入りました」と喜んでいる親は、ちょうどゲー
ムをしながら、「エメラルドタウンで、一〇〇〇点、ゲット!」と叫んでいる子どものよう
なもの。あるいは、どこがどう違うのというのか。(だからといって、それがムダといって
いるのではない。そういうドラマに人生のおもしろさがある。)

 私たちはもっと、すなおに、そして正直に、「生きていること」そのものを、喜んだらよ
い。またそこを原点にして考えたらよい。今、親であるあなたも、5、60年先には、こ
の世界から消えてなくなる。子どもだって、100年先には消えてなくなる。そういう人
間どうしが、今、いっしょに、ここに生きている。そのすばらしさを実感したとき、あな
たは子育てにまつわる、あらゆる問題から、解放される。

●子どもを信ずる

 子どもを信ずることができない親は、それだけわがままな親と考えてよい。が、それだ
けではすまない。親の不信感は、さまざまな形で、子どもの心を卑屈にする。理由がある。

 「私はすばらしい子どもだ」「私は伸びている」という自信が、子どもを前向きに伸ばす。
しかしその子どものすぐそばにいて、子どもの支えにならなければならない親が、「あなた
はダメな子だ」「心配な子だ」と言いつづけたら、その子どもは、どうなるだろうか。子ど
もは自己不信から、自我(私は私だという自己意識)の形成そのものさえできなくなって
しまう。へたをすれば、一生、ナヨナヨとしたハキのない人間になってしまう。

【ASさんへ】

メール、ありがとうございました。全体の雰囲気からして、つまりいただいたメールの
内容は別として、私が感じたことは、まず疑うべきは、あなたの基本的不信関係と、不
安の根底にある、「わだかまり」ではないかということです。

 ひょっとしたら、あなたは子どもを信じていないのではないかということです。どこか
心配先行型、不安先行型の子育てをなさっておられるように思います。そしてその原因は
何かといえば、子どもの出産、さらにはそこにいたるまでの結婚について、おおきな(わ
だかまり)があったことが考えられます。あるいはその原因は、さらに、あなた自身の幼
児期、少女期にあるのではないかと思われます。

 こう書くと、あなたにとってはたいへんショックかもしれませんが、あえて言います。
あなた自身が、ひょっとしたら、あなたが子どものころ、あなたの親から信頼されていな
かった可能性があります。つまりあなた自身が、(とくに母親との関係で)、基本的信頼関
係を結ぶことができなかったことが考えられるということです。

 いうまでもなく基本的信頼関係は、(さらけ出し)→(絶対的な安心感)というステップ
を経て、形成されます。子どもの側からみて、「どんなことを言っても、またしても許され
る」という絶対的な安心感が、子どもの心をはぐくみます。「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味です。

 これは一般論ですが、母子の間で、基本的信頼関係の形成に失敗した子どもは、そのあ
と、園や学校の先生との信頼関係、さらには友人との信頼関係を、うまく結べなくなりま
す。どこかいい子ぶったり、無理をしたりするようになったりします。自分をさらけ出す
ことができないからです。さらに、結婚してからも、夫や妻との信頼関係、うまく結べな
くなることもあります。自分の子どもすら、信ずることができなくなることも珍しくあり
ません。(だから心理学では、あらゆる信頼関係の基本になるという意味で、「基本的」と
いう言葉を使います。)具体的には、夫や子どもに対して疑い深くなったり、その分、心配
過剰になったり、基底不安を感じたりしやすくなります。子どもへの不信感も、その一つ
というわけです。

 あくまでもこれは一つの可能性としての話ですが、あなた自身が、「心(精神的)」とい
う意味で、それほど恵まれた環境で育てられなかったということが考えられます。経済的
にどうこうというのではありません。「心」という意味で、です。あなたは子どものころ、
親に対して、全幅に心を開いていましたか。あるいは開くことができましたか。もしそう
なら、「恵まれた環境」ということになります。そうでなければ、そうでない。

 しかしだからといって、過去をうらんではいけません。だれしも、多かれ少なかれ、こ
うした問題をかかえているものです。そういう意味では、日本は、まだまだ後進国という
か、こと子育てについては黎明(れいめい)期の国ということになります。

 では、どうするかですが、この問題だけは、まず冷静に自分を見つめるところから、始
めます。自分自身に気づくということです。ジークムント・フロイトの精神分析も、同じ
ような手法を用います。

まず、自分の心の中をのぞくということです。わかりやすく言えば、自分の中の過去を
知るということです。まずいのは、そういう過去があるということではなく、そういう
過去に気づかないまま、その過去に振りまわされることです。そして結果として、自分
でもどうしてそういうことをするのかわからないまま、同じ失敗を繰りかえすことです。

 しかしそれに気づけば、この問題は、何でもありません。そのあと少し時間はかかりま
すが、やがて問題は解決します。解決しないまでも、じょうずにつきあえるようになりま
す。

 さらに具体的に考えてみましょう。

 あなたは多分、子どもを妊娠したときから、不安だったのではないでしょうか。あるい
はさらに、結婚したときから、不安だったのではないでしょうか。さらに、少女期から青
年期にかけて、不安だったのではないでしょうか。おとなになることについて、です。

 こういう不安感を、「基底不安」と言います。あらゆる日常的な場面が、不安の上に成り
たっているという意味です。一見、子育てだけの問題に見えますが、「根」は、ひょっとし
たら、あなたが考えているより、深いということです。

 そこで相手の子どもについて考えてみます。あなたが相手の子どもを嫌っているのは、
本当にあなたの子どものためだけでしょうか。ひょっとしたら、あなた自身がその子ども
を嫌っているのではないでしょうか。つまりあなたの目から見た、好き・嫌いで、相手の
子どもを判断しているのではないかということです。

 このとき注意しなければならないのは、(1)許容の範囲と、(2)好意の返報性の二つ
です。

(1)許容の範囲というのは、(好き・嫌い)の範囲のことをいいます。この範囲が狭け
ればせまいほど、好きな人が減り、一方、嫌いな人がふえるということになります。こ
れは私の経験ですが、私の立場では、この許容の範囲が、ふつうの人以上に、広くなけ
ればなりません。(当然ですが……。)子どもを生徒としてみたとき、いちいち好き、嫌
いと言っていたのでは、仕事そのものが成りたたなくなります。ですから原則としては、
初対面のときから、その子どもを好きになります。
 
 といっても、こうした能力は、いつの間にか、自然に身についたものです。が、しかし
これだけは言えます。嫌わなければならないような悪い子どもは、いないということです。
とくに幼児については、そうです。私は、そういう子どもに出会ったことがありません。
ですからASさんも、一度、その相手の子どもが、本当にあなたの子どもにとって、ふさ
わしくない子どもかどうか、一度、冷静に判断してみたらどうでしょうか。しかしその前
にもう一つ大切なことは、あなたの子ども自身は、どうかということです。

 子どもの世界にかぎらず、およそ人間がつくる関係は、なるべくしてなるもの。なるよ
うにしかならない。それはちょうど、風が吹いて、その風が、あちこちで吹きだまりを作
るようなものです。(吹きだまりというのも、失礼な言い方かもしれませんが……。)今の
関係が、今の関係というわけです。

 だからあなたからみて、あなたの子どもが、好ましくない友だちとつきあっているとし
ても、それはあなたの子ども自身が、なるべくしてそうなったと考えます。親としてある
程度は干渉できても、それはあくまでも「ある程度」。これから先、同じようなことは、繰
りかえし起きてきます。たとえば最終的には、あなたの子どもの結婚相手を選ぶようなと
き、など。

 しかし問題は、子どもがどんな友だちを選ぶかではなく、あなたがそれを受け入れるか
どうかということです。いくらあなたが気に入らないからといっても、あなたにはそれに
反対する権利はありません。たとえ親でも、です。同じように、あなたの子どもが、どん
な友だちを選んだとしても、またどんな夫や妻を選んだとしても、それは子どもの問題と
いうことです。

 しかしご心配なく。あなたが子どもを信じているかぎり、あなたの子どもは自分で考え、
判断して、あなたからみて好ましい友だちを、自ら選んでいきます。だから今は、信ずる
のです。「うちの子は、すばらしい子どもだ。ふさわしくない子どもとは、つきあうはずは
ない」と考えのです。

 そこで出てくるのが、(2)好意の返報性です。あなたが相手の子どもを、よい子と思っ
ていると、相手の子どもも、あなたのことをよい人だと思うもの。しかしあなたが悪い子
どもだと思っていると、相手の子どもも、あなたのことを悪い人だと思っているもの。そ
してあなたの前で、自分の悪い部分だけを見せるようになります。そして結果として、た
いがいの人間関係は、ますます悪くなっていきます。

 話はぐんと先のことになりますが、今、嫁と姑(しゅうとめ)の間で、壮絶な家庭内バ
トルを繰りかえしている人は、いくらでもいます。私の近辺でも、いくつか起きています。
こうした例をみてみてわかることは、その関係は、最初の、第一印象で決まるということ
です。とくに、姑が嫁にもつ、第一印象が重要です。

 最初に、その女性を、「よい嫁だ」と姑が思い、「息子はいい嫁さんと結婚した」と思う
と、何かにつけて、あとはうまくいきます。よい嫁と思われた嫁は、その期待に答えよう
と、ますますよい嫁になっていきます。そして姑は、ますますよい嫁だと思うようになる。
こうした相乗効果が、たがいの人間関係をよくしていきます。

 そこで相手の子どもですが、あなたは、その子どもを「悪い子」と決めてかかっていま
せんか。もしそうなら、それはその子どもの問題というよりは、あなた自身の問題という
ことになります。「悪い子」と思えば思うほど、悪い面ばかりが気になります。そしてあな
たは悪くない面まで、必要以上に悪く見てしまいます。それだけではありません。その子
どもは、あえて自分の悪い面だけを、あなたに見せようとします。子どもというのは、不
思議なもので、自分をよい子だと信じてくれる人の前では、自分のよい面だけを見せよう
とします。

 あなたから見れば、何かと納得がいかないことも多いでしょうが、しかしこんなことも
言えます。一般論として、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経験し
ておくことは、それほど悪いことではないということです。あとあと常識豊かな人間にな
ることが知られています。ですから子どもを、ある程度、俗世間にさらすことも、必要と
いえば必要なのです。むしろまずいのは、無菌状態のまま、おとなにすることです。子ど
ものときは、優等生で終わるかもしれませんが、おとなになったとき、社会に同化できず、
さまざまな問題を引き起こすようになります。

 もうすでにSAさんは、親としてやるべきことをじゅうぶんしておられます。ですから
これからのことは、子どもの選択に任すしか、ありません。これから先、同じようなこと
は、何度も起きてきます。今が、その第一歩と考えてください。思うようにならないのが
子ども。そして子育て。そういう前提で考えることです。あなたが設計図を描き、その設
計図に子どもをあてはめようとすればするほど、あなたの子どもは、ますますあなたの設
計図から離れていきます。そして「まだ前の友だちのほうがよかった……」というような
ことを繰りかえしながら、もっとひどい(?)友だちとつきあうようになります。

 今が最悪ではなく、もっと最悪があるということです。私はこれを、「二番底」とか「三
番底」とか呼んでいます。ですから私があなたなら、こうします。

(1)相手の子どもを、あなたの子どもの前で、積極的にほめます。「あの子は、おもしろ
い子ね」「あの子のこと、好きよ」と。そして「あの子に、このお菓子をもっていってあげ
てね。きっと喜ぶわよ」と。こうしてあなたの子どもを介して、相手の子どもをコントロ
ールします。

(2)あなたの子どもを信じます。「あなたの選んだ友だちだから、いい子に決まっている
わ」「あなたのことだから、おかしな友だちはいないわ」「お母さん、うれしいわ」と。こ
れから先、子どもはあなたの見えないところでも、友だちをつくります。そういうとき子
どもは、あなたの信頼をどこかで感ずることによって、自分の行動にブレーキをかけるよ
うになります。「親の信頼を裏切りたくない」という思いが、行動を自制するということです。

(3)「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめます。子どもの世界には、『あきら
めは、悟りの境地』という、大鉄則があります。あきらめることを恐れてはいけません。
子どもというのは不思議なもので、親ががんばればがんばるほど、表情が暗くなります。
伸びも、そこで止まります。しかし親があきらめたとたん、表情も明るくなり、伸び始め
ます。「まだ何とかなる」「こんなはずではない」と、もしあなたが思っているなら、「この
あたりが限界」「まあ、うちの子はうちの子なりに、よくがんばっているほうだ」と思いな
おすようにします。

 以上ですが、参考になったでしょうか。ストレートに書いたため、お気にさわったとこ
ろもあるかもしれませんが、もしそうなら、どうかお許しください。ここに書いたことに
ついて、また何か、わからないところがあれば、メールをください。今日は、これで失礼
します。
(030516)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●音楽を聴かない人

++++++++++++++

驚いた。
世の中には、音楽が嫌いという
人もいる。

そのため「音楽など、聴いたことが
ない」と。

ついでに「映画も見ない」と。

「ビデオは?」と聞くと、
「ビデオなんか見ていると、頭が
痛くなる」と。

+++++++++++++++

 Eさん(55歳くらい、女性)は、昔から、一風、変わった人だとは思っていた。かな
りジコチューで、その上、多弁。いつも自分の言いたいことだけを一方的に言って、それ
でおしまい。人間的な深みというか、中身が感じられなかった。

 知識だけは、豊富で、何かを聞くと、あれこれとペラペとしゃべる。それはそれでよい
のだが、少し前、会って話を聞くと、こんなことを言った。「私は、音楽が嫌い」と。「歌
も嫌い」と。

 「ビデオは見るの?」と聞くと、「ビデオを見ていると、頭が痛くなるから、見ない」と。

 そう言えば、Eさんの家には、いろいろなものが飾ってある。が、芸術を感じさせるよ
うなもの(?)は、まったくない。絵にしても、昔から、値段で決めるようなところがあ
る。「この絵は○万円」「あの絵は○万円」というような言い方をする。「ヘエ〜」と驚いた
ところで、つぎの言葉が出てこなかった。

 そう言えば、こんなことを話してくれたアメリカ人がいた。長い間、アメリカの高校で、
先生をしていた人で、そのときは、市内のある高校で、英語を教えていた。いわく、

 「ヒロシ、日本の中学の野球部は、おかしい」と。

私「どんなところを見て、そう思うのか?」
ア「朝も、夕方も、それに毎日、野球ばかりしている」
私「アメリカでは、どうなのか?」
ア「アメリカにも野球部があるが、たとえば週に1、2度は、映画鑑賞をしたり、絵を描
いたりしている。音楽会に行くこともある。野球だけ、という指導はしない。もしそんな
ことをしたら、PTAから抗議される」と。

 つまりクラブを中心として、ほかの活動も、幅広くしているということらしい。

 今、頭の中で、Eさんと、そのアメリカ人の言ったことが、ダブる。人間が人間として、
心豊かになるためには、音楽も聴き、美術も鑑賞し、映画も見なければならないというこ
と。でないと、どこか、「?」な人間になってしまう。

 が、ここで問題が起きる。その人が、「?」かどうか、その人自身が、それに気がつくこ
とがないということ。「私は私」と思いこんでしまっている。ウラを返して言うと、私や、
あなた自身も、その「?」な人かもしれないということ。その可能性は高い。

 この問題だけは、あくまでも相対的なもの。心の広い人には、際限がない。上には上が
いる。もちろん、その反対に、下には下がいる。

 たまたまそんなことを考えているとき、ワイフが、オーストラリアの雑誌を私に見せて
くれた。先日、うちに泊まっていったオーストラリア人のだれかが、置いていったものだ。
それを見て、ワイフは、こう言った。「まるで夢の中みたいね」と。

 南オーストラリア州の南東に、マウント・ガンビアという不思議な湖がある。私は、そ
こへ2度、行ったことがある。が、湖の美しさもさることながら、山からみおろす家々の
庭に、馬がいたのには、驚いた。

 馬は、放し飼いだった。

 その雑誌の中にも、そういう写真が、何枚かあった。それを見て、ワイフが、こう言っ
た。「本当に、豊かな生活というのは、こういう生活を言うのね」と。

 そのオーストラリアだが、国民1人あたりの所得では、日本よりはるかに低い。シンガ
ポールにさえ、負けている。しかしだれも、オーストラリア人の生活が、日本人より低い
とは思っていない。シンガポール人より低いとは思っていない。あるとき、オーストラリ
アの友人(大学講師)にそれを話すと、彼は、ポツリとこう言った。

 「それがどうした?」と。つまり、「そんなことで、勝った、負けたは、決まらない」と。

 その国の、そこに住む人たちの生活の豊かさというのは、もっと別の尺度で、計られな
ければならない。その豊かさのひとつが、ここでいう(心の広さ)ということになる。お
金やモノではない。(心の広さ)ということになる。

 で、その(心の広さ)は、たとえば音楽を聴いたり、楽しんだり、あるいは絵画や芸術
を鑑賞することで、養われる。冒頭に書いたEさんだけを見てそう判断するのは、危険な
ことかもしれない。しかしEさんの言ったことが、あまりにも「?」だったので、ここに
それを記録しておくことにする。

 ホント!

 「?」だから、音楽を嫌うのか。それとも、音楽を嫌ったので、「?」になったのか。し
かしそれにしても、音楽が嫌いな人が世の中にいることを知って、驚いた。本当に驚いた。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 11月 17日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学習性無気力

++++++++++++++++++

状況をコントロールできるかどうかで、
その子どもの(やる気)は、決まる。

「いくらやっても効果がない」「何も
変わらない」となれば、子どもでなく
ても、やる気をなくす。

ひょっとしたら、今の私が、そうかも
しれない。

++++++++++++++++++

 「教育」のこわいところは、一方で(できる子)をつくりながら、そのまた一方で、(で
きない子)をつくってしまうこと。つまり(できない子)は、悶々とした毎日を送りなが
ら、やがて、(やる気のない子)へと、つくられていく。

 それが悪循環となって、(やる気のない子)は、さらに(できない子)へとなっていく。

 こういう状態を、発達心理学の世界では、「学習性無気力」と呼ぶ。皮肉なことに、自ら
学習しながら、無気力になっていくという症状をいう。わかりやすく言えば、「何をやって
も、オレはダメな人間」と思いこむことによって、だんだんやる気をなくしていく。無気
力になっていく。

 話は飛躍するが、子どもというのは、状況を変える力を身につけてはじめて、やる気を
覚える。つまり自分のしたことで、状況が変わる。変わるのを見ながら、達成感を覚える。
それが子どものやる気につながる。わかりやすい例で考えてみよう。

 A君(中2)は、夏休み前に、決心した。「夏休みの間、勉強でがんばって、成績をあげ
よう」と。

 そこで進学塾の夏期講習に通いながら、毎日、そのほかに4〜5時間の勉強をした。そ
れまでの彼の勉強量にすれば、考えられないほどの勉強量である。

 が、夏休みあけの実力試験では、その成果は、まったく出なかった。得点は少しあがっ
たが、かえって順位はさがってしまった。(ふつう、こうした成果は、成果が出るとしても、
数か月おいて出てくるものだが、A君には、それがわからなかった。)

 とたん、A君は、やる気をなくしてしまった。「ぼくは、やっぱり、ダメな人間」と、自
らレッテルを、張ってしまった。

 ふつう学習性無気力に陥ると、つぎのような症状が現れるという(山下富美代著「発達
心理学」)。

(1)環境へ働きかけようとする意欲が低下する。
(2)学習する能力が低下する。
(3)情緒的に混乱する。

 山下富美代氏は、本の中で、興味ある実験を紹介している。

 体をしばった犬に電気ショックを与えつづけると、最初のころは、犬も、それからのが
れようと暴れたりするが、やがてあきらめて抵抗しなくなる、と。ショックを与えても、
うろたえるだけで、逃げようともしなくなる。セリグマンという学者のした実験だそうだ。

 つまり犬は、体をしばられているので、逃げ出すこともできない。そこで犬は、「何をし
てもダメだ」ということを学ぶ。それが、ここでいう学習性無気力症状ということになる。

 子どもの世界で言えば、先に書いた、「もの言わぬ従順な民」ということになる。

 A君の母親は、A君に、「あきらめてはだめ」「もう少しがんばってみたら」と声をかけ
たが、A君は、やる気そのものをなくしてしまっていた。机に向かって座ってはみるもの
の、ぼんやりとしたまま、ときには何もしないまま、眠ってしまったりした。どこからど
う、勉強に手をつけてよいかさえわからなくなってしまった。

 A君の心の様子に変化が見られるようになったのは、秋になってからである。A君の母
親が、「勉強」という言葉を口にしただけで、A君がカッとキレるようになってしまった。
「うるさい!」と怒鳴って、母親に、ものを投げつけることもあった。それまではどちら
かというと静かな子どもだった。A君の母親は、それに驚いた。

 ……というケースは、多い。もちろんここに書いたA君というのは、架空の子どもであ
る。また学習性無気力といっても、そんなに簡単になるものではない。1年とか、2年と
か、長い時間をかけてそうなる。ひょっとしたら、今の、あなた自身が、そうであるかも
しれない。

 こうした学習性無気力は、何も、勉強だけにかぎった話ではない。軽い例では、無関心
がある。政治的無関心、社会的無関心、人間的無関心などなど。私などは、女性に対して、
まったくといってよいほど、自信がない。ワイフはときどき慰めてくれるが、私は自分で
は、「私ほど、女性にモテない男はいない」と思っている。今のワイフについてでさえ、と
きどき、「どうしてこんな私のような男といっしょにいるのだろう」と思うことさえある。

 その結果、こと女性のこととなると、無気力になってしまう。

 これも学習性無気力の1つかもしれない。私は、若いころ、ドン底にたたきつけられる
ような失恋を経験している。それが原因で、自信をなくしたのかもしれない(?)。

 そこで……というわけでもないが、ほとんどの親たちは、自分の子どもを(伸ばす)こ
としか考えていない。それはそれで大切なことだが、しかし同時に、やり方をまちがえる
と、かえって逆効果になることもあるということ。そのひとつが、ここでいう学習性無気
力ということになる。それがひどくなると、荷卸し症候群、さらには、燃え尽き症候群へ
と進む。

 子どもを伸ばすコツは、「?」と感じたら、思い切って、手を引く。その割り切りのよさ
が、子どもの心を救う。「やればできるはず」「もっとできるようにしたい」と感じたら、
自分の心にブレーキをかける。子どもを追いこめば、追いこむほど、子どもは袋小路に入
ってしまう。子どもを無気力にする危険性はぐんと高くなる。

 ここに書いたA君のケースでも、親が、「結果なんか、気にしなくてもいい。あなたはよ
くがんばった。それでいい」というような言い方をしていたら、A君は、学習性無気力に
陥らなくてすんだかもしれない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
学習性無気力 無気力な子ども 無気力な子供)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【子育て一口メモ】

++++++++++++++++++

子どもをやる気のある子にする、
30の鉄則、です。

++++++++++++++++++

●強化の原理

子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起
きたとする。ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれる
とか。そういう何かよいことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを
「強化の原理」という。子どもの能力をのばすための大鉄則ということになる。


●弱化の原理

強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗し
たり、叱られたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるよ
うになる。これを弱化の原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の
原理が働くようになると、学習効果が、著しく落ちるようになる。


●内面化

子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、
心の発達を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱却)、
(2)自己管理能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳規範や倫
理観の発達、社会規範や、善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、こうした
発達を総称して、「しつけ」という。


●子どもの意欲

子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲
的な母親の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、
母親が意欲的過ぎるのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われ
る。とくに子どもに対しては、ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに
任せ、一歩退きながら、暖かい無視を繰りかえす。それが子育てのコツということになる。


●ほどよい目標

過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失か
ら、やる気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート
現象(燃え尽き症候群、荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なこ
とは、達成感。ある程度がんばったところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。
子どもには、ほどよい目標をもたせるようにする。


●子どもの恐怖症

恐怖症といっても、内容は、さまざま。対人恐怖症、赤面恐怖症、視線恐怖症、体臭恐怖
症、醜形恐怖症、吃音恐怖症、動物恐怖症、広場恐怖症、不潔恐怖症、高所恐怖症、暗所
恐怖症、閉所恐怖症、仮面恐怖症、先端恐怖症、水恐怖症、火恐怖症、被毒恐怖症、食事
恐怖症などがある。子どもの立場になって、子どもの視線で考えること。「気のせいだ」式
の強引な押しつけは、かえって症状を悪くするので注意。


●子どもの肥満度

児童期の肥満度は、(実測体重Kg)÷(実測身長cmの3乗)×10の7乗で計算する。
この計算式で、値が160以上を、肥満児という(ローレル指数計算法)。もっと簡単に見
る方法としては、手の甲を上にして、指先を、ぐいと上にそらせてみる。そのとき、指の
つけねに腱が現れるが、この腱の部分にくぼみが現れるようになったら、肥満の初期症状
とみる。この方法は、満5歳児〜の肥満度をみるには、たいへん便利。


●チック

欲求不満など、慢性的にストレスが蓄積すると、子どもは、さまざまな神経症的症状を示
す。たとえば爪かみ、指しゃぶり、夜尿、潔癖症、手洗いグセなど。チックもその一つ。
こうした症状を総称して、神経性習癖という。このチックは、首から上に出ることが多く、
「おかしな行動をする」と感じたら、このチックをうたがってみる。原因の多くは、神経
質で、気が抜けない家庭環境にあるとみて、猛省する。
(はやし浩司 子供の肥満 肥満度 子どもの肥満)

 
●伸びたバネは、ちぢむ

受験期にさしかかると、猛烈な受験勉強を強いる親がいる。塾に、家庭教師に、日曜特訓
など。毎週、近くの公園で、運動の特訓をしていた父親さえいた。しかしこうした(無理)
は、一事的な効果はあっても、そのあと、その反動で、かえって子どもの成績はさがる。『伸
びたバネはちぢむ』と覚えておくとよい。イギリスの教育格言にも、『馬を水場に連れてい
くことはできても、水を飲ませることはできない』というのがある。その格言の意味を、
もう一度、考えてみてほしい。


●「利他」度でわかる、人格の完成度

あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのとき、「マ
マ、もってあげる!」と走りよってくればよし。反対に、知らぬ顔をして、テレビゲーム
などに夢中になっていれば、あなたの子どもは、かなりのどら息子と考えてよい。子ども
の人格(おとなも!)、いかに利他的であるかによって、知ることができる。つまりドラ息
子は、それだけ人格の完成度の低い子どもとみる。勉強のできる、できないは、関係ない。


●見栄、体裁、世間体

私らしく生きるその生き方の反対にあるのが、世間体意識。この世間体に毒されると、子
どもの姿はもちろんのこと、自分の姿さえも、見失ってしまう。そしてその幸福感も、「と
なりの人より、いい生活をしているから、私は幸福」「となりの人より悪い生活をしている
から、私は不幸」と、相対的なものになりやすい。もちろん子育ても、大きな影響を受け
る。子どもの学歴について、ブランド志向の強い親は、ここで一度、反省してみてほしい。
あなたは自分の人生を、自分のものとして、生きているか、と。


●私を知る

子育ては、本能ではなく、学習である。つまり今、あなたがしている子育ては、あなたが
親から学習したものである。だから、ほとんどの親は、こう言う。「頭の中ではわかってい
るのですが、ついその場になると、カッとして……」と。そこで大切なことは、あなた自
身の中の「私」を知ること。一見簡単そうだが、これがむずかしい。スパルタのキロンも
こう言っている。『汝自身を、知れ』と。哲学の究極の目標にも、なっている。


●成功率(達成率)は50%

子どもが、2回トライして、1回は、うまくいくようにしむける。毎回、成功していたの
では、子どもも楽しくない。しかし毎回失敗していたのでは、やる気をなくす。だから、
その目安は、50%。その50%を、うまく用意しながら、子どもを誘導していく。そし
ていつも、何かのレッスンの終わりには、「ほら、ちゃんとできるじゃ、ない」「すばらし
い」と言って、ほめて仕あげる。


●無理、強制

無理(能力を超えた負担)や強制(強引な指導)は、一時的な効果はあっても、それ以上
の効果はない。そればかりか、そのあと、その反動として、子どもは、やる気をなくす。
ばあいによっては、燃え尽きてしまったり、無気力になったりすることもある。そんなわ
けで、『伸びたバネは、必ず縮む』と覚えておくとよい。無理をしても、全体としてみれば、
プラスマイナス・ゼロになるということ。


●条件、比較

「100点取ったら、お小遣いをあげる」「1時間勉強したら、お菓子をあげる」というの
が条件。「A君は、もうカタカナが読めるのよ」「お兄ちゃんが、あんたのときは、学校で
一番だったのよ」というのが、比較ということになる。条件や比較は、子どもからやる気
を奪うだけではなく、子どもの心を卑屈にする。日常化すれば、「私は私」という生き方す
らできなくなってしまう。子どもの問題というよりは、親自身の問題として、考えたらよ
い。(内発的動機づけ)


●方向性は図書館で

どんな子どもにも、方向性がある。その方向性を知りたかったら、子どもを図書館へ連れ
ていき、一日、そこで遊ばせてみるとよい。やがて子どもが好んで読む本が、わかってく
る。それがその子どもの方向性である。たとえばスポーツの本なら、その子どもは、スポ
ーツに強い関心をもっていることを示す。その方向性がわかったら、その方向性にそって、
子どもを指導し、伸ばす。


●神経症(心身症)に注意

心が変調してくると、子どもの行動や心に、その前兆症状として、変化が見られるように
なる。「何か、おかしい?」と感じたら、神経症もしくは、心身症を疑ってみる。よく知ら
れた例としては、チック、吃音(どもり)、指しゃぶり、爪かみ、ものいじり、夜尿などが
ある。日常的に、抑圧感や欲求不満を覚えると、子どもは、これらの症状を示す。こうし
た症状が見られたら、(親は、子どもをなおそうとするが)、まず親自身の育児姿勢と、子
育てのあり方を猛省する。


●負担は、少しずつ減らす

子どもが無気力症状を示すと、たいていの親は、あわてる。そしていきなり、負担を、す
べて取り払ってしまう。「おけいこごとは、すべてやめましょう」と。しかしこうした極端
な変化は、かえって症状を悪化させてしまう。負担は、少しずつ減らす。数週間から、1、
2か月をかけて減らすのがよい。そしてその間に、子どもの心のケアに務める。そうする
ことによって、あとあと、子どもの立ちなおりが、用意になる。

●荷おろし症候群

何かの目標を達成したとたん、目標を喪失し、無気力状態になることを言う。有名高校や
大学に進学したあとになることが多い。燃え尽き症候群と症状は似ている。一日中、ボー
ッとしているだけ。感情的な反応も少なくなる。地元のS進学高校のばあい、1年生で、
10〜15%の子どもに、そういう症状が見られる(S高校教師談)とのこと。「友人が少
なく、人に言われていやいや勉強した子どもに多い」(渋谷昌三氏)と。


●回復は1年単位

一度、無気力状態に襲われると、回復には、1年単位の時間がかかる。(1年でも、短いほ
うだが……。)たいていのばあい、少し回復し始めると、その段階で、親は無理をする。そ
の無理が、かえって症状を悪化させる。だから、1年単位。「先月とくらべて、症状はどう
か?」「去年とくらべて、症状はどうか?」という視点でみる。日々の変化や、週単位の変
化に、決して、一喜一憂しないこと。心の病気というのは、そういうもの。


●前向きの暗示を大切に

子どもには、いつも前向きの暗示を加えていく。「あなたは、明日は、もっとすばらしくな
る」「来年は、もっとすばらしい年になる」と。こうした前向きな暗示が、子どものやる気
を引き起こす。ある家庭には、4人の子どもがいた。しかしどの子も、表情が明るい。そ
の秘訣は、母親にあった。母親はいつも、こうような言い方をしていた。「ほら、あんたも、
お兄ちゃんの服が着られるようになったわね」と。「明日は、もっといいことがある」とい
う思いが、子どもを前にひっぱっていく。


●未来をおどさない

今、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす子どもがふえている。おとなになること
に、ある種の恐怖感を覚えているためである。兄や姉のはげしい受験勉強を見て、恐怖感
を覚えることもある。幼児のときにもっていた、本や雑誌、おもちゃを取り出して、大切
そうにそれをもっているなど。話し方そのものが、幼稚ぽくなることもある。子どもの未
来を脅さない。


●子どもを伸ばす、三種の神器

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。

 
●受験は淡々と

子ども(幼児)の受験は、淡々と。合格することを考えて準備するのではなく、不合格に
なったときのことを考えて、準備する。この時期、一度、それをトラウマにすると、子ど
もは生涯にわたって、自ら「ダメ人間」のレッテルを張ってしまう。そうなれば、大失敗
というもの。だから受験は、不合格のときを考えながら、準備する。


●比較しない

情報交換はある程度までは必要だが、しかしそれ以上の、深い親どうしの交際は、避ける。
できれば、必要な情報だけを集めて、交際するとしても、子どもの受験とは関係ない人と
する。「受験」の魔力には、想像以上のものがある。一度、この魔力にとりつかれると、か
なり精神的にタフな人でも、自分で自分を見失ってしまう。気がついたときには、狂乱状
態に……ということにも、なりかねない。


●「入試」「合格・不合格」は、禁句

子どもの前では、「受験」「入試」「合格」「不合格」「落ちる」「すべる」などの用語を口に
するのは、タブーと思うこと。入試に向かうとしても、子どもに楽しませるようなお膳立
ては、必要である。「今度、お母さんがお弁当つくってあげるから、いっしょに行きましょ
うね」とか。またそういう雰囲気のほうが、子どもも伸び伸びとできる。また結果も、よ
い。


●入試内容に迎合しない

たまに難しい問題が出ると、親は、それにすぐ迎合しようとする。たとえば前年度で、球
根の名前を聞かれるような問題が出たとする。するとすぐ、親は、「では……」と。しかし
大切なことは、物知りな子どもにすることではなく、深く考える子どもにすることである。
わからなかったら、すなおに「わかりません」と言えばよい。試験官にしても、そういう
すなおさを、試しているのである。


●子どもらしい子ども

子どもは子どもらしい子どもにする。すなおで、明るく、伸びやかで、好奇心が旺盛で、
生活力があって……。すなおというのは、心の状態と、表情が一致している子どもをいう。
ねたむ、いじける、すねる、ひねくれるなどの症状のない子どもをいう。そういう子ども
を目指し、それでダメだというのなら、そんな学校は、こちらから蹴とばせばよい。それ
くらいの気構えは、親には必要である。


●デマにご用心

受験期になると、とんでもないデマが飛びかう。「今年は、受験者数が多い」「教員と親し
くなっておかねば不利」「裏金が必要」などなど。親たちの不安心理が、さらにそうしたデ
マを増幅させる。さらに口から口へと伝わっていく間に、デマ自身も大きくなる。こうい
うのを心理学の世界でも、「記憶錯誤」という。子どもよりも、おとなのほうが、しかも不
安状態であればあるほど、その錯誤が大きくなることが知られている。


●上下意識は、もたない

兄(姉)が上で、弟(妹)が下という、上下意識をもたない。……といっても、日本人か
らこの意識を抜くのは、容易なことではない。伝統的に、そういう意識をたたきこまれて
いる。今でも、長子相続を本気で考えている人は多い。もしあなたがどこか権威主義的な
ものの考え方をしているようなら、まず、それを改める。


●子どもの名前で、子どもを呼ぶ

「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」ではなく、兄でも、姉でも、子ども自身の名前で、子どもを
呼ぶ。たとえば子どもの名前が太郎だったら、「太郎」と呼ぶ。一般的に、たがいに名前で
呼びあう兄弟(姉妹)は、仲がよいと言われている。


●差別しない

長男、長女は、下の子が生まれたときから、恒常的な愛情不足、欲求不満の状態に置かれ
る。親は「平等」というが、長男、長女にしてみれば、平等ということが、不平等なので
ある。そういう前提で、長男(長女)の心理を理解する。つまり長男(長女)のほうが、
不平等に対して、きわめて敏感に反応しやすい。


●嫉妬はタブー

兄弟(姉妹)の間で、嫉妬感情をもたせない。これは子育ての鉄則と考えてよい。嫉妬は、
確実に子どもの心をゆがめる。原始的な感情であるがゆえに、扱い方もむずかしい。この
嫉妬がゆがむと、相手を殺すところまでする。兄弟(姉妹)を別々に扱うときも、たがい
に嫉妬させないようにする。


●たがいを喜ばせる

兄弟を仲よくさせる方法として、「たがいを喜ばせる」がある。たとえばうち1人を買い物
に連れていったときでも、「これがあると○○君、喜ぶわね」「△△ちゃん、喜ぶわね」と
いうような買い与え方をする。いつも相手を喜ばすようにしむける。これはたがいの思い
やりの心を育てるためにも、重要である。


●決して批判しない

子どもどうしの悪口を、決して言わない。聞かない。聞いても、判断しない。たとえば兄
に何か問題があっても、それを絶対に(絶対に)、弟に告げ口してはいけない。告げ口した
段階で、あなたと兄の関係は、壊れる。反対に兄が弟のことで、何か告げ口をしても、あ
なたは聞くだけ。決して相づちを打ったり、いっしょになって、兄を批判してはいけない。


●得意面をさらに伸ばす

子どもを伸ばすコツは、得意面をさらに伸ばし、不得意面については、目を閉じること。
たとえば受験生でも、得意な英語を伸ばしていると、不得意だった数学も、つられるよう
に伸び始めるということがよくある。「うちの子は、運動が苦手だから、体操教室へ……」
という発想は、そもそも、その発想からしてまちがっている。子どもは(いやがる)→(ま
すます不得意になる)の悪循環を繰りかえすようになる。


●悪循環を感じたら、手を引く

子育てをしていて、どこかで悪循環を感じたら、すかさず、その問題から、手を引く。あ
きらめて、忘れる。あるいはほかの面に、関心を移す。「まだ、何とかなる」「そんなハズ
はない」と親ががんばればがんばるほど、話が、おかしくなる。深みにはまる。が、それ
だけではない。一度、この悪循環に入ると。それまで得意であった分野にまで、悪影響を
およぼすようになる。自信喪失から、自己否定に走ることもある。


●子どもは、ほめて伸ばす

『叱るときは、陰で。ほめるときは、みなの前で』は、幼児教育の大鉄則。もっとはっき
り言えば、子どもは、ほめて伸ばす。仮にたどたどしい、読みにくい文字を書いたとして
も、「ほほう、字がじょうずになったね」と。こうした前向きの強化が、子どもを伸ばす。
この時期、子どもは、ややうぬぼれ気味のほうが、あとあと、よく伸びる。「ぼくはできる」
「私はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす原動力になる。


●孤立感と劣等感に注意

家族からの孤立、友だちからの孤立など。子どもが孤立する様子を見せたら、要注意。「ぼ
くはダメだ」式の劣等感を見せたときも、要注意。この二つがからむと、子どものものの
考え方は、急速に暗く、ゆがんでくる。外から見ると、「何を考えているかわからない」と
いうようになれば、子どもの心は、かなり危険な状態に入ったとみてよい。家庭教育のあ
り方を、猛省する。


●すなおな子ども

従順で、親の言うことをハイハイと聞く子どもを、すなおな子どもというのではない。幼
児教育の世界で、「すなおな子ども」というときは、心(情意)と、表情が一致している子
どもをいう。感情表出がすなおにできる。うれしいときは、顔満面にその喜びをたたえる
など。反対にその子どもにやさしくしてあげると、そのやさしさが、スーッと子どもの心
の中に、しみこんでいく感じがする。そういう子どもを、すなおな子どもという。


●自己意識を育てる
乳幼児期に、何らかの問題があったとする。しかしそうした問題に直面したとき、大切な
ことは、そうした問題にどう対処するかではなく、どうしたら、こじらせないか、である。
たとえばADHD児にしても、その症状が現れてくると、たいていの親は、混乱状態にな
る。しかし子どもの自己意識が育ってくると、子どもは、自らをコントロールするように
なる。そして見た目には、症状はわからなくなる。無理をすれば、症状はこじれる。そし
て一度、こじれると、その分だけ、立ちなおりが遅れる。


●まず自分を疑う

子どもに問題があるとわかると、親は、子どもをなおそうとする。しかしそういう視点で
は、子どもは、なおらない。たとえばよくある例は、親の過干渉、過関心で、子どもが萎
縮してしまったようなばあい。親は「どうしてうちの子は、ハキハキしないのでしょう」
と言う。そして子どもに向かっては、「どうしてあなたは、大きな声で返事ができないの!」
と叱る。しかし原因は、親自身にある。それに気づかないかぎり、子どもは、なおらない。


●「やればできるはず」は禁句

たいていの親は、「うちの子は、やればできるはず」と思う。しかしそう思ったら、すかさ
ず、「やってここまで」と思いなおす。何がそうかといって、親の過関心、過負担、過剰期
待ほど、子どもを苦しめるものはない。それだけではない。かえって子どもの伸びる芽を
つんでしまう。そこで子どもには、こう言う。「あなたは、よくがんばっているわよ。TA
KE IT EASY!(気を楽にしてね)」と。


●「子はかすがい」論
たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよくある。夫婦のきずな
も、それで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならない。夫婦関係
がこわれかかっているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、子はまさ
に「足かせ」でしかない。日本には『子は三界の足かせ』という格言もある。


●「親のうしろ姿」論

生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では『子は親のうしろ姿
を見て育つ』というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がいる。「親のうし
ろ姿は見せろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見せたく
なくても、子どもは見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけない。)
恩着せがましい子育て、お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿を見せよ
うとする。


●「親の威厳」論

「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場にいるものには、
居心地のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。その分だけ、
上のものの前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというものは、
百害あって一利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の権
威」などというのは、封建時代の遺物と考えてよい。


●「育自」論は?

よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちがってはい
ないが、子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、
谷を越えている間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もち
ろん人間として、外の世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育
てとは関係のないこと。子育てにかこつける必要はない。


●「親孝行」論

安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的な「孝行」を子
どもに求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも子ども
の問題。子どもの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。たが
いにやさしい、思いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲
になるのも、子どもが親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。親子は、あくま
でも「尊敬する」「尊敬される」という関係をめざす。

●「産んでいただきました」論

よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えていただき
ました」と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そういうふうに思わせて
しまったその人の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして恩着せがまし
い子育てをしながら、無意識のうちにも、子どもにそう思わせてしまう。いわゆる依存型
子育てというのが、それ。


●「水戸黄門」論に注意

日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといって、
身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にどっぷ
りとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわからな
いほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ伏
せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いこ
とをしようとしたら、どんなことでもできる。ご注意!


●「釣りバカ日誌」論

男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、「男
は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこれこそ
まさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パーティ)
をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすということ
は、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、ゆ
がんだ男性観が、その基本にあるとみる。


●「MSのおふくろさん」論

夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民族は、世界広しといえども、
そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい人だ。しかしすばらし
すぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、こうした美化論にはじゅうぶん注
意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分のマザコン
性を正当化する傾向がある。


●「かあさんの歌」論

窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)は、かっこ(「」)つきに
なっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間
で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」
と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を
書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、
買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になっ
たら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。


●「内助の功」論

封建時代の出世主義社会では、『内助の功』という言葉が好んで用いられた。しかしこの言
葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるまでもない。し
かし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約23%の女性
が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。
※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」
という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。


 ●子育ては、考えてするものではない

だれしも、「頭の中では、わかっているのですが、ついその場になると……」と言う。子育
てというのは、もともと、そういうもの。そこでいつも同じようなパターンで、同じよう
な失敗をするときは、(1)あなた自身の過去を冷静に見つめてみる。(2)何か(わだか
まり)や(こだわり)があれば、まず、それに気づく。あとは時間が解決してくれる。


●子育ては、世代連鎖する

子育ては、世代を超えて、親から子へと、よいことも、悪いことも、そのまま連鎖する。
またそういう部分が、ほとんどだと考えてよい。そういう意味で、「子育ては本能ではなく、
学習によるもの」と考える。つまり親は子育てをしながら、実は、自分が受けた子育てを、
無意識のうちに繰りかえしているだけだということになる。そこで重要なことは、悪い子
育ては、つぎの世代に、残さないということ。これを昔の人、『因を断つ』と言った。


●子育ての見本を見せる

子育ての重要な点は、子どもを育てるのではなく、子育てのし方の見本を、子どもに見せ
るということ。見せるだけでは、足りない。子どもを包む。幸福な家庭というのは、こう
いうものだ。夫婦というのは、こういうものだ。家族というのは、こういうものだ、と。
そういう(学習)があって、子どもは、親になったとき、はじめて、自分で子育てが自然
な形でできるようになる。


●子どもには負ける

子どもに、勝とうと思わないこと。つまり親の優位性を見せつけないこと。どうせ相手に
してもしかたないし、本気で相手にしてはいけない。ときに親は、わざと負けて見せたり、
バカなフリをして、子どもに自信をもたせる。適当なところで、親のほうが、手を引く。「こ
んなバカな親など、アテにならないぞ」「頼りにならない」と子どもが思うようになったら、
しめたもの。


●子育ては重労働

子育ては、もともと重労働。そういう前提で、考える。自分だけが苦しんでいるとか、お
かしいとか、子どもに問題があるなどと、考えてはいけない。しかしここが重要だがが、
そういう(苦しみ)をとおして、親は、ただの親から、真の親へと成長する。そのことは、
子育てが終わってみると、よくわかる。子育ての苦労が、それまで見えなかった、新しい
世界を親に見せてくれる。子育ての終わりには、それがやってくる。どうか、お楽しみに!


●自分の生きザマを!

子育てをしながらも、親は、親で、自分の生きザマを確立する。「あなたはあなたで、勝手
に生きなさい。私は私で、勝手に生きます」と。そういう一歩退いた目が、ともすればギ
クシャクとしがちな、親子関係に、風を通す。子どもだけを見て、子どもだけが視野にし
か入らないというのは、それだけその人の生きザマが、小さいということになる。あなた
はあなたで、したいことを、する。そういう姿が、子どもを伸ばす。


●問題のない子育てはない

子育てをしていると、子育てや子どもにまつわる問題は、つぎからつぎへと、起きてくる。
それは岸辺に打ち寄せる波のようなもの。問題のない子どもはいないし、したがって、問
題のない子育ては、ない。できのよい子ども(?)をもった親でも、その親なりに、いろ
いろな問題に、そのつど、直面する。できが悪ければ(?)、もっと直面する。子育てとい
うのは、もともとそういうもの。そういう前提で、子育てを考える。


●解決プロセスを用意する

英文を読んでいて、意味のわからない単語にぶつかったら、辞書をひく。同じように、子
育てで何かの問題にぶつかったら、どのように解決するか、そのプロセスを、まず、つく
っておく。兄弟や親類に相談するのもよい。親に相談するのも、よい。何かのサークルに
属するのもよい。自分の身にまわりに、そういう相談相手を用意する。が、一番よいのは、
自分の子どもより、2、3歳年上の子どもをもつ、親と緊密になること。「うちもこうでし
たよ」というアドバイスをもらって、たいていの問題は、その場で解決する。


●動揺しない
株取引のガイドブックを読んでいたら、こんなことが書いてあった。「プロとアマのちがい
は、プロは、株価の上下に動揺しないが、アマは、動揺する。だからそのたびに、アマは、
大損をする」と。子育ても、それに似ている。子育てで失敗しやすい親というのは、それ
だけ動揺しやすい。子どもを、月単位、半年単位で見ることができない。そのつど、動揺
し、あわてふためく。この親の動揺が、子どもの問題を、こじらせる。


●自分なら……

賢い親は、いつも子育てをしながら、「自分ならどうか?」と、自問する。そうでない親は
親意識だけが強く、「〜〜あるべき」「〜〜であるべきでない」という視点で、子どもをみ
る。そして自分の理想や価値観を、子どもに押しつけよとする。そこで子どもに何か問題
が起きたら、「私ならどうするか?」「私はどうだったか?」という視点で考える。たとえ
ば子どもに向かって「ウソをついてはダメ」と言ったら、「私ならどうか?」と。


●時間を置く

葉というのは、耳に入ってから、脳に届くまで、かなりの時間がかかる。相手が子どもな
ら、なおさらである。だから言うべきことは言いながらも、効果はすぐには、求めない。
また言ったからといって、それですぐ、問題が解決するわけでもない。コツは、言うべき
ことは、淡々と言いながらも、あとは、時間を待つ。短気な親ほど、ガンガンと子どもを
叱ったりするが、子どもはこわいから、おとなしくしているだけ。反省などしていない。


●叱られじょうずな子どもにしない

親や先生に叱られると、頭をうなだれて、いかにも叱られていますといった、様子を見せ
る子どもがいる。一見、すなおに反省しているかのように見えるが、反省などしていない。
こわいからそうしているだけ。もっと言えば、「嵐が通りすぎるのを待っているだけ」。中
には、親に叱られながら、心の中で歌を歌っていた子どももいた。だから同じ失敗をまた
繰りかえす。


●叱っても、人権を踏みにじらない

先生に叱られたりすると、パッとその場で、土下座をしてみせる子どもがいる。いわゆる
(叱られじょうずな子ども)とみる。しかしだからといって、反省など、していない。そ
ういう形で、自分に降りかかってくる、火の粉を最小限にしようとする。子どもを叱るこ
ともあるだろうが、しかしどんなばあいも、最後のところでは、子どもの人権だけは守る。
「あなたはダメな子」式の、人格の「核」攻撃は、してはいけない。


●子どもは、親のマネをする

たいへん口がうまく、うそばかり言っている子どもがいた。しかしやがてその理由がわか
った。母親自身もそうだった。教師の世界には、「口のうまい親ほど、要注意」という、大
鉄則がある。そういう親ほど、一度、敵(?)にまわると、今度は、その数百倍も、教師
の悪口を言い出す。子どもに誠実になってほしかったら、親自身が、誠実な様子を、日常
生活の中で見せておく。


●一事が万事論

あなたは交通信号を、しっかりと守っているだろうか。もしそうなら、それでよし。しか
し赤信号でも、平気で、アクセルを踏むようなら、注意したほうがよい。あなたの子ども
も、あなたに劣らず、小ズルイ人間になるだけ。つまり親が、小ズルイことをしておきな
がら、子どもに向かって、「約束を守りなさい」は、ない。ウソはつかない。約束は守る。
ルールには従う。そういう親の姿勢を見ながら、子どもは、(まじめさ)を身につける。


●代償的過保護に注意
「子どもはかわいい」「私は子どもを愛している」と、豪語する親ほど、本当のところ、愛
が何であるか、わかっていない。子どもを愛するということは、それほどまでに、重く、
深いもの。中には、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと考えて
いる親もいる。これを代償的過保護という。一見、過保護に見えるが、その基盤に愛情が
ない。つまりは、愛もどきの愛を、愛と錯覚しているだけ。


●子どもどうしのトラブルは、子どもに任す

子どもの世界で、子どもどうしのトラブルが起きたら、子どもに任す。親の介入は、最小
限に。そういうトラブルをとおして、子どもは、子どもなりの問題解決の技法を身につけ
ていく。親としてはつらいところだが、1にがまん、2にがまん。親が口を出すのは、そ
のあとでよい。もちろん子どものほうから、何かの助けを求めてきたら、そのときは、相
談にのってやる。ほどよい親であることが、よい親の条件。


●許して忘れ、あとはあきらめる

子どもの問題は、許して、忘れる。そしてあとはあきらめる。「うちの子にかぎって……」
「そんなはずはない」「まだ何とかなる」と、親が考えている間は、親に安穏たる日々はや
ってこない。そこで「あきらめる」。あきらめると、その先にトンネルの出口を見ることが
できる。子どもの心にも風が通るようになる。しかしヘタにがんばればがんばるほど、親
は、袋小路に入る。子どもも苦しむ。


 ●強化の原理

子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起
きたとする。ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれる
とか。そういう何かよいことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを
「強化の原理」という。子どもの能力をのばすための大鉄則ということになる。


●弱化の原理

強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗し
たり、叱られたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるよ
うになる。これを弱化の原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の
原理が働くようになると、学習効果は、著しく落ちるようになる。


●内面化
子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、
心の発達を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱却)、
(2)自己管理能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳規範や倫
理観の発達、社会規範や、善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、こうした
発達を総称して、「しつけ」という。


●子どもの意欲

子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲
的な母親の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、
母親が意欲的過ぎるのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われ
る。とくに子どもに対しては、ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに
任せ、一歩退きながら、暖かい無視を繰りかえす。それが子育てのコツということになる。


●ほどよい目標

過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失か
ら、やる気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート
現象(燃え尽き症候群、荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なこ
とは、達成感。ある程度がんばったところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。
子どもには、ほどよい目標をもたせるようにする。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

+++++++++++++++++++

今朝は、心に、ポッカリと穴があいてしまった。
ぼんやりとした気分。どこかはっきりしない。
頭の中は、ざわざわしているが、つかみどころ
がない。

このけだるさは、いったい、どこから来るのか。
とくに疲れているというわけでもない。

そうそう、今日、教え子が、街で、
信州そばの店を開店した。あとで、知人を
誘って、その店に行くつもり。

年中児から、中学3年生になる
まで、その子どもを、私は教えた。

O君、おめでとう! よくやったね!

++++++++++++++++++++

●これからのこと

 昨夜、ワイフとこんな話をする。

 「ぼく、お前が死んだら、すぐ死ぬよ」と。するとワイフは、「そんなこと、してはダメ
よ。あなたは、あなたで、最後まで生きなければ!」と。

私「でも、ひとりで生きていく自信はない」
ワ「あのね、私が死んでも、あなたは生きていくのよ」
私「どうやって?」
ワ「どうやってって、がんばって生きていくのよ」
私「……ぼくね、ぼくが先に死んでも、葬式なんか、いらないよ」
ワ「でも、葬式をしなければ、みんなが、うるさいわよ」
私「ちゃんと、遺書に、そう書いておくからいい」と。

 このところ、ふと気弱になることが多くなった。その回数が、だんだんと、長く、多く
なったように思う。ものの考え方が、どこか投げやり的になる。無責任になる。このとこ
ろの講演つづきで、少し疲れているのかもしれない。

 気が晴れない。どこか重くるしい。原因はわかっている。しかし今の私には、どうしよ
うもない。あるがままを受け入れて、前向きに考えるしかない。

(中略)

 ところで今日、教え子のそば屋が開店する。信州そばの店だという。私が幼稚園の年中
児のときから、中3まで教えた子どもである。私が行かないというわけにはいかない。行
って、一言、「おめでとう」と言ってやりたい。

 写真をとってきて、HPのほうで紹介してやろうと考えている。

 あと、近々、従兄弟(いとこ)会があるので、そのみやげを買えたら、買ってくるつも
り。「買えたら」というのは、今月は、すでに予算オーバー。オーストラリア人たちの接待
で、かなりの出費を強いられた。

 で、今、ほしいのは、2GBのSDメモリー。これに音楽をジャンジャン書きこんで、
携帯電話で聞きたい。昨夜は、イヤホーンを2つに分けて、ワイフと2人で聞きながら、
眠った。「こんなこともできるの?」とワイフは驚いていた。

 みやげを買うべきか? それとも、2GBのSDメモリーを買うべきか? 今、迷って
いる。

(中略)

 国際情勢が、緊迫してきた。

 あの金大中は、トンチンカンなことばかり言っている。おかしな平和主義にとらわれ、
自分を、ガンジーか、ネールのような存在だと錯覚しているらしい。

 金大中が守ろうとしているのは、平和でも、何でもない。金大中が守ろうとしているの
は、ただの独裁者。気の狂った独裁者。その独裁者のもとで、何千万という人たちが、飢
えと圧制で苦しんでいる。

 ノーベル平和賞とかを手に入れたが、あとで、500億円(推定)近い現金を、金xx
に貢(みつ)いでいたことがわかった。つまり、現金で買った、ノーベル賞。

 今、重要なことは、そこにある(現実)と、みなが力を合わせて、戦うこと。わかりや
すく言えば、機関銃をもった暴力団がそこにいたら、近所の人たちと力を合わせて、戦う
こと。

 「へたに手を出せば、何をされるかわからない」と、逃げまわるのは、平和主義でも何
でもない。ただの卑怯者!

 ……少し(怒り)を感じたら、頭の中がすっきりとしてきた。よかった!

 今日も、これで原稿書きが、再開できる。

 これから庭掃除をして、それがすんだら、街まで、信州そばをワイフと食べに行くつも
り。

 一番乗りは、私だ! 待ってろよ、O君! 今、行くよ!


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司


●いやなことがあったときには……

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いやなときには、心の中で、
歌を歌おう。

歌って、あとは、ときの流れに、
静かに、自分を任そう。

+++++++++++++

 少し前、こんなことを教えてくれた子ども(小4)がいた。「ママに叱られて、ガミガミ
言われているときは、心の中で、歌を歌っている」と。

 そこで「どんな歌?」と聞くと、「ポケモンの歌。1番、好きだから……」と。

 そのときは、「それでいいのかなあ?」と思ったが、気がついてみると、いつの間にか、
私もそうしているのに気づいた。私も、何かいやなことがあると、心の中で、歌を歌うよ
うになっていた。ときに、ときとしてだれかにからまれ、ガミガミ言われたようなときで
ある。

 が、失敗もある。歌を歌っているとき、心の中で歌を歌っているつもりだったが、思わ
ず、口が動いてしまい、声がもれてしまったことがある。そのときは、相手の人に、「何か
言ってるの?」と、聞かれてしまった。

 そこで、コツがある。そういうときは、「口を閉じて」ではなく、「歯をとじて」歌う。
そうすれば、そういうヘマはしない。

 で、いくつか気がついたことがある。

 心の中で歌を歌っているときというのは、記銘力(脳に記憶を記録する能力)が、極端
に落ちる。そのときは、何を言われているかを理解しているものの、あとで思いかえして
も、何も頭の中に残っていない。

 「ガミガミ言われたけど、何だったかなあ?」となる。それでよい。

 が、最近、さらにこんなこともあった。

 日本には、日蓮が開いた、日蓮宗という仏教教団がある。あの一派に、S学会という、
日本でも最大級の宗教団体がある。そのS学会では、『南無妙法蓮華経』という題目を唱え
ている。「ナン・ミョウ・ホウ・レンゲ・キョウ」と読む。

 これに対して、身延山を総本山とする、日蓮宗各派では、「ナ・ム・ミョウ・ホウ・レン
ゲ・キョウ」と、最初の「ナ」につづけて、「無(ム)」を、しっかりと入れて、題目を唱
える。

 しかし同じ題目でも、S学会のほうが、ずっと唱えやすい。「ナン・ミョウ・ホウ・レン
ゲ・キョウ」というのは、ちょうど6拍子になっている。この6拍子である点が、偶然な
のだろうが、すばらしい。

 6拍子というのは、唱え方によっては、ワルツ的な3拍子にもなる。もちろん6拍子で
唱えれば、静かなブルースのようにもなる。つまりそのときどきの気分によって、楽しく
も、あるいは、もの悲しくも、唱えることができる。

 しかし身延山を総本山とする、日蓮宗各派では、ここにも書いたように、「ナ・ム・ミョ
ウ・ホウ・レンゲ・キョウ」と、7拍子とは言えないが、どこか、拍子が乱れた唱え方を
する。とくに連続して唱えるようなときに、困る。だんだん調子が、ズレてくる。

 そこで、この題目。私は日蓮宗の信者でも、S学会の信者でもないが、何かいやなこと
があったとき、心の中で、ときどき、題目を唱えるようにしている。(あくまでも、ときど
きだが……。)歌というと、そのときどきにおいて、何の歌にするか迷うが、しかし題目な
ら、そういうことはない。

 3拍子、もしくは、6拍子のリズムで唱えると、ちょうど歌を歌っているような気分に
なる。いやなことを、忘れることができる。で、実は、このことも、ある子どもから聞い
た。その子どもも、何かいやなことがあると、題目を唱えていると話してくれた。

 (こんなふうに題目を使うと、熱心な信者の人に、「不謹慎!」としかられそうだが、そ
こは許してほしい。)

 で、その『南無妙法蓮華経』という題目だが、インド大使館の領事部(東京)に問いあ
わせたところ、こう教えてくれた。

 「ナム」は、「帰依する」という意味のサンスクリット語だそうだ。今でも、インドでは、
「こんにちは」「さようなら」というときは、「ナム・ステ」(あなたに帰依します)と言う。
あいさつ言葉だから、深い意味を考えて、そう言っているのではない。

 つぎに「ミョウホウ」というのは、同じくサンスクリット語で、「不思議な」という意味
だそうだ。

 最後の「レンゲ」というのは、「物語」、もしくは、「因果な物語」という意味だそうだ。
それに、最後に、「経典」を意味する、「経」という語をくつけた。つまり「ミョウホウ・
レンゲ」というサンスクリット語に、中国で、「妙法蓮華」という漢字を当てたということ
になる。「南無妙法蓮華」というのは、あくまでも、当て字ということ。

 この説に疑いをもつ人は、インド大使館、領事部に問いあわせて、自分で、確かめてみ
たらよい。

 ともかくも、何か、いやなことがあったら、歌でもよい。ときには、題目でもよい。こ
心の中で歌ったり、唱えたりしていると、心をしずめることができる。ただし、必ず、歯
を、(口ではない、歯を)、閉じてすること。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●音楽

++++++++++++++++++

今日、2GB(ギガバイト)の、ミニSDメモ
リーカードを購入した。値段は、7800円。

さっそく、携帯電話に挿入。動作テスト。

これはうまくいった。

で、たった今、それに、CDで、7〜8枚分の
音楽を録音し終えたところ。曲数にすれば、
120〜130曲前後か。

メモリーの使用量をみると、それでも、
まだ、約30%前後。

改めて、その(すごさ)に驚く。つまり、
約2センチ四方のミニSDメモリーカードに、
数百曲も音楽が入るとは! ギョッ!

++++++++++++++++++

 この世界、本当に驚くことばかり! 毎日が、その連続! 今日も、ミニSD(2GB)
メモリーカードを買ってきて、それに音楽を録音してみた。(「転送」というのが、正しい
のかも。)

 2センチ四方のミニSDメモリーカードに、とりあえず、CDにして、7〜8枚分の音
楽を録音してみた。が、それでも、メモリーの使用量は、約30%前後。この分で計算す
ると、そんな小さなメモリーカードの中に、CDにして、27〜30枚前後の音楽が、録
音できることになる。

 「すごいなあ」と思ってみたり、「ヘエ〜」と感心してみたり……。そして同時に、ふと、
本当にふとだが、何とも言えないさみしさに襲われた。

 これから先も、この世界は、どんどんと進化に進化を重ねていくだろう。当然のことな
がら、私が死んでからも、ずっとずっと、それはつづく。私は、その進化を見届けること
ができない。それはたとえて言うなら、息子の将来を見届けることができないまま、命を
終える、親の気分に似ている(?)。

 いや、実際、先月、息子が一時的に大学から帰省したとき、私は息子にこう言った。「お
前の将来を、ぼくは想像することはできる。しかし、お前の将来を見届ける前に、ぼくは、
この世を去るだろう。しかしこれだけは忘れないでほしい。お前のもつすばらしさ、お前
のもつ可能性、それを一番よく知っていたのは、このぼくだと。すばらしい未来に向かっ
て、まっすぐ進めよ」と。

 この先、この世界は、どこまで進化するのだろうか。少し前まで、コンピュータのこと
を、「人工知能」と呼んだ。もしそうなら、その人工知能は、どこまで進化するのだろうか。

 私は、それを見たい。行き着くところを見たい。しかしそれはかなわぬ夢。夢のまた夢。
それが今、(さみしさ)となって、自分にはね返ってくる。あの田丸先生も、昔、私にこう
言った。「コンピュータの世界が、ここまで進むとは、予想さえしていなかった」と。

 ひょっとしたら、私が生涯かけて書いた原稿が、いつかマッチ棒の先くらいのメモリー
カードに、すべて記録されるようになるかもしれない。それを想像しながら、「すごいこと
だなあ」と思ってみたり、「そんなものかなあ」と思ってみたり……。

 できるだけ長生きをして、私は、その進化の先を見届けたい。……少しおおげさかな? 

 ところで今日も、新しい情報を手に入れてきた。何でもパソコンにつなぐだけで、電話
と同じ機能をもつソフトが開発されたそうだ。「スカイプ」というのが、それ。雑誌などに
よると、「夢のソフト」とか。

 挑戦してみない手はない。やってみたい。やってみよう。新しい目標がうまれた。……
しかし、こうまでつぎつぎと、新しいソフトが開発されてくると、ついていくだけでたい
へん。息切れしそう。お金もかかる。ホント!

【付記】

 パソコンの世界では、「私にはできない」と、その手前で、たじろいではいけない。だれ
かがやっているのを見たら、「私にもできるはず」と、自分を信ずること。信じて、自分で
挑戦してみること。

 たとえば今月は、私は、FLASH(HP上の動画)と、今回の音楽の録音に挑戦して
みた。最初は、「できるかな?」と心配だったが、やってみると、意外と簡単。で、今は、
「何だ、こんなことだったのか」と思っている。

 パソコンというのは、そういうもの。

 そうそう今、してみたいことは、私の電子マガジンにBGMを入れること。読者の方が、
クリックすると、その原稿にあった雰囲気の音楽が流れる……とか。想像するだけでも、
楽しい。近々、実験的に、ひとつ、やってみるつもり。おもしろそう!

 お楽しみに!

 
Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●寿大学での講演会

++++++++++++++++

H町の寿大学で、昨日、講演してきた。
ほぼ20年ぶりに、漢方(東洋医学)の
話をしてきた。

楽しかった。会場を出るまで、みなが、
うしろを振りかえって、拍手をしてく
れた。

うれしかった。

+++++++++++++++

 昨日(10月20日)、H町の寿(ことぶき)大学で、講演をしてきた。70歳以上の人
たちが学ぶ大学である。H町の前教育長も、来てくれた。H町町議会の議長も、来てくれ
た。

 何しろはじめての経験だったので、最初は、心配だった。しかしさすが……というか、「学
ぼう」という意欲のある人は、みな、顔つきがちがう。最前列から数列までの女性たちは、
みな、きちんとした和装で、そこに並んでいた。男性も、ほとんどがネクタイをしめてい
た。

 高齢者というと、すぐ認知症の人を連想してしまう。このところの私の悪いクセだ。し
かし実際には、そうでない人のほうが、はるかに多い。ほとんどの人たちは、ひょっとし
たら、若い人たちより、賢い。務めて、脳みその訓練に心がけている。

 最初は、ゆっくりとした話し方をしたが、そのうち、みなの反応に合わせて、いつもの
早口になった。が、そのつど、みな、笑ってくれた。話しやすかった。大きな会場だった
が、120〜30人以上の人たちが集まってくれた。

 帰りに、昼食を用意してくれたので、執行部の方たちと、それにワイフと、いっしょに
食べた。おいしかった。

【補記】

 私がはじめて、東洋医学の講演をしたのは、まだ20代のはじめのころ。場所は、東京
の東急デパートの中の特設会場だった。

 和田式痩身美容を主催する、和田氏と、いっしょにした。(名前は、忘れた。「コージ」
と言ったか、「コージロウ」と言ったか?)その和田氏は、私とほぼ同年齢だったが、あの
日航123便の墜落事故で、あの世の人となってしまった。1週間ほど、毎日、交替で講
演をしたので、和田氏のことはよく覚えている。

 一度、私の体重をみながら、「あと、3〜4キロはやせたほうがいいですね」と、私に笑
って言ったのを、よく覚えている。

 そうそうそのとき司会をしてくれたのが、今は有名な、あのお笑いタレントの、T氏で
ある。一度だけ、たまたま帰る方向が同じということで、小田原まで車に乗せてもらった
ことがある。

 寿大学で講演をしながら、あちこちで、その和田氏のことを思い出していた。私にとっ
ては、遠い、遠い、昔のできごとである。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●二つの最後通牒(つうちょう)

++++++++++++++++++

アメリカは、韓国に、
中国は、K国に、
ぞれぞれ、最後通牒を、つきつけた。

「韓国をアメリカの核の傘(かさ)の
もとにおくかどうかは、B司令官の
判断にゆだねる」とした、アメリカ。

「K国との友好条約を見なおす」とした
中国。

どれも韓国、K国にとっては、
ぞっとするほど、恐ろしい最後通牒
であったにちがいない。
(10月19日)

++++++++++++++++++

 アメリカのブッシュ大統領は、「日本は、アメリカの核の傘のもとにおき、同盟国として、
どんなことがあっても、日本を守る」と言明した。しかし韓国については、「(核の傘のも
とにおくかどうかは)、在韓米軍のベル司令官の判断に任す」と。

 一方、中国は、K国に対して、「北朝鮮に国際社会の強烈な反応を知らしめる必要がある」
(胡主席・10月17日)という強い警告をしたあと、唐委員らの政府高官をK国に派遣
していた(注1)。

 中国が何を伝えるためにK国に特使を送ったのかは、今のところ不明だが、手がかりは
ある。

 香港の時事週刊誌「開放」は、『K国の核実験により、第3国が侵略してくる場合は、相
互援助条約による軍事介入の義務を履行しないという内容の条約改正案を、K国外務部に
覚書形式で伝達した』と報じている。

経済専門誌「財経」も、『中国の学者たちが、北朝鮮と中国のうちどちらか1国が侵略さ
れた場合、自動的に軍事介入できるように定めた「中朝友好協力相互援助条約」の改正
について話し合っている』と報じている。 

 つまり、K国が核実験をして、アメリカがたとえK国を軍事的攻撃に出ても、中国は、
それに対して、軍事介入をしない」と。つまりこれは中国とK国の間の、中朝友好相互援
助計画の見なおしを示唆(しさ)したものと考えてよい(注2)。

 K国の意図は、見え見え。核でアメリカをおどしながら、アメリカに先に手を出させる
こと。アメリカが先に手を出せば、中朝友好協力相互援助条約が機能し、自動的に、K国
は、アメリカと中国の戦争にもちこむことができる。

 一方、アメリカのブッシュ大統領は、「日本を核の傘のもとにおき、同盟国として、どん
なことをしてでも、日本を守る」と言明したあと、韓国については、「核の傘のもとにおく
かどうかは、在韓米軍のベル司令官の判断に一任する」と言明した。

 韓国は、この場に及んでも、金剛山観光と開城工業団地事業について、「国連安全保障理
事会の決議には直接関連しないとの判断を共有し、両事業を継続させていく方針を決めて
いる」と言明している(10月17日)(注3)。

 つまり「これらの両事業は、国連決議には、抵触しない」と。

 そこでアメリカは、韓国にライス国務長官(事実上の外務大臣)を送り、先の通告をす
ることになった。「あまり勝手なことばかりすると、アメリカは、韓国を守らないぞ」と。

 この両者、つまり中国によるK国への政府高官の派遣、ライス国務長官による韓国訪問
は、時を同じくして、K国、韓国に、それぞれ、最後通牒(つうちょう)をつきつけたこ
とになる。

 もしK国が中国の最後通牒に応じなければ、また韓国がアメリカの最後通牒に応じなけ
れば、K国は韓国に軍事的攻撃をしかけるはず。そして50年という年月をおいて、再び、
南北間で、朝鮮動乱が始まる。

 状況は、そこまで差し迫っている!

 が、今のところ、K国はともかくも、韓国は、アメリカの説得に応ずる構えを見せてい
る。つまりアメリカの核の傘の中に入ろうと、必死で模索している。が、それを決断する
のは、在韓米軍のベル司令官。

 わかりやすく言えば、ブッシュ大統領は、「自分の国を守りたかったら、現地の司令官に
一任してあるから、その司令官の言うことを聞け」と、つまりは韓国を、つき放したこと
になる。

今まで、韓国のN大統領は、ことあるごとにその司令官に反駁(はんばく)してきた。
射撃場問題、基地移転問題、分担費負担問題などなど。司令官としても、何かとやりに
くかったのだろう。そこでブッシュ大統領は、きわめて重大な判断を、司令官にゆだね
ることによって、N大統領をだまらせようとした。

 これら2つの、それぞれの最後通牒が、K国と韓国を、どう動かすか。その結果は、ま
もなく出てくるものと思われる。今日、アメリカのライス国務長官は、K国で金xxと会
談した中国の唐委員から、報告を受けることになっている(20日)。

 私の印象では、K国の金xxが、無条件で、6か国協議に出てくるとは、思わない。ア
メリカは、「6か国協議に出てきたからといって、経済制裁を解除しない」と、言明してい
る。「検証可能な方法で、核兵器を放棄したら、解除する」と、言明している。

 K国の軍部が、それを受け入れるかどうかだが、私は、「受け入れない」とみている。「検
証可能な方法」というのは、K国を丸裸にすることを意味する。金xxは、それを恐れて
いる。

 丸裸になれば、軍事施設はもとより、今までしてきた数々の悪行が、白日のもとにさら
されることになる。拉致問題もその一部かもしれないが、金xxは、粛清(しゅくせい)
という名のものとに、一説によれば、20万人以上もの政治犯(?)と呼ばれる人たちを、
殺害している。その事実まで、明るみになってしまう。

 金xxには、そこまでの覚悟はできていない。

 韓国はともかくも、アメリカと中国の間では、すでに、K国崩壊のシナリオができあが
っているとみるべきではないか。

+++++++++++++++

(注1)……胡主席は17日、「北朝鮮に国際社会の強烈な反応を知らしめる必要がある」
と異例の強い調子で北朝鮮を非難した。メッセージは再度の核実験を実施した場合、対北
朝鮮支援の見直しを含めた強い措置を取ることを示した可能性もある。

ケーシー米国務省副報道官は19日の記者会見で、中国の唐家セン国務委員の北朝鮮訪問に
関して、「唐氏は新たな核実験自制などを求める中国政府の極めて強いメッセージを携えて
いた」と述べ、説得工作の成果に期待を表明した。

(注2)……唐委員には戴秉国、武大偉両外務次官が同行した。朝鮮中央通信によると、
会談には姜錫柱(カンソクチュ)第1外務次官や金桂冠(キムゲグァン)外務次官らが同
席した。

中国の学者たちが、北朝鮮と中国のうちどちらか1国が侵略された場合、自動的に軍事
介入できるように定めた「中朝友好協力相互援助条約」の改正について話し合っている、
と経済専門誌「財経」の最新号が報じた。 

 同誌は「北東アジアの風雲・核兵器、韓半島(朝鮮半島)に腰下ろす」と題する記事で、
多くの学者が「北朝鮮の核兵器開発が原因で戦争が発生する場合、中国には軍事介入の
義務がないということをはっきりさせるため、北朝鮮側に条約の改正を求めるべきだ」
と考えていることを明らかにした。 

 ところがこれについて、中国外交部の秦剛スポークスマンは、K国が核実験を断行する
前の今年9月15日、「中国は、朝中友好協力相互援助条約"の改正を検討していない」と否
定している。 

 しかし、中国外交部は「北朝鮮の核実験により、第3国が侵略してくる場合は、相互援
助条約による軍事介入の義務を履行しない」という内容の条約改正案を、K国外務部に覚
書形式で伝達した、と香港の時事週刊誌「開放」の最近号は報じている。

(注3)……政府と与党・開かれたウリ党は、19日、K国核実験以来論議されている金
剛山観光と開城工業団地事業について、国連安全保障理事会の決議には直接関連しないと
の判断を共有し、両事業を継続させていく方針をまとめた
(以上、2006年10月20日記)



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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●1969年

++++++++++++++++++

電子マガジンの時代は、終わった?
今は、BLOGの時代?
今は、そんな感じがする。

が、それでも、マガジンを発行する
たびに、1人、2人と、読者がふえる。

今朝、その読者が、1969人になった。
そこで1969年。

++++++++++++++++++

 1969年といえば、私が満22歳になった年である。ちょうどそのころ、私は、いく
つかの留学生試験を受けている。文部省主催のインド給費留学生試験、フルブライト・ア
メリカ留学生試験、それに日豪経済委員会主催のオーストラリア給費留学生試験など。し
かしオーストラリア給費留学生試験のほうに先に合格してしまったので、あとの試験は、
そのまま、うやむやになってしまった。

 就職先も、三井物産という会社に決まっていた。同時に伊藤忠商事にも決まっていたが、
「大きいほうがいい」ということで、三井物産にした。その三井物産のほうは、内定を1
年、延期してもらった。

 私が『人生で、最良の日』と感じたのは、その年の終わりごろである。私を包む世界が、
すべて、金色に輝いていた。私はまさに、天にも昇る気分だった。

 1969年。……といっても、その年の記憶は、ほとんどない。記録を読むと、『アポロ
11号着陸。人類、月に立つ』というのが、何よりも、私の目をひく。

 1969年、7月20日。日本時間で、午後4時17分40秒。

 私はそのときの模様を、岐阜県にある、飛騨白川郷のバス停で、テレビで見ていた。多
分、金沢から帰るとき、富山を回り、その足で白川郷に寄ったときのことだと思う。ちょ
うどバスを待っているとき、そのニュースが、テレビで流れてきた。小さな駄菓子屋の中
にあったテレビだったと思う。

 「午後4時17分40秒」とあるから、あのとき、夕方の午後4時17分だったのかと、
今、ふと、そう思う。7月20日といえば、まだ真昼のように明るかったはず。記憶の中
でも、そうなっている。さんさんと、まばゆいばかりの日差しが、自分を照らしていた。

 ほかに全共闘が、安田講堂で攻防戦を繰り広げたという記録もある(1月18日)。いわ
ゆる「東大闘争」の始まりである。

 このとき、恩師の田丸先生は、30代の若さで東大教授になり、この安田講堂のすぐ右
手奥に、自分の研究室を構えていた。これは最近になって田丸先生から聞いた話だが、ど
ういうわけか、化学教室だけは、被害を受けなかったそうだ。「窓ガラスが割られた程度の
ことはありましたが」と。

 「化学薬品がびっしりと並んでいましたから、学生たちも、手が出せなかったのではな
いでしょうか」とのこと。

 そう、1969年〜70年は、70年安保闘争をはずして、語ることはできない。日本
中の大学が、その安保闘争で、燃えた。騒いだ。揺れた。「全学連」「核マル」「全共闘」「日
本赤軍」などの文字が、まぶたの裏に浮かんでは消える。

私も、ときどきデモに参加したが、だからといって、共産主義を信奉していたわけでは
ない。共産主義がわかっていたわけでもない。これは「金沢」という土地柄もあるのだ
ろうが、みな、どこか、祭り気分だった。

 ワーワーと声を出して騒ぐ。それが結構、楽しかった。反対に、東京での闘争風景を見
て、「ヘエ〜」「あんなことまでするの!」と驚いたことがある。
 
 こうして私の1969年は、終わり、人生で最良の1970年を迎える。私にとっては、
まさに黄金の時代。はげしい恋もした。しかし同時に、はげしい失恋もした。人生にもリ
ズムがあり、そのリズムに、周期や振幅があるとするなら、そのときの周期や振幅は、ほ
かの時代とは比較にならないほど、速く、大きなものだった。

 こんなたとえは正しくないかもしれないが、その時代以後の私は、人生の燃えカスの中
で生きているようなもの。今にして思うと、そう思う。

 すでに読んでくれた人も多いと思うが、そのころの思い出を書いたエッセーや、『世にも
不思議な留学記』の中から、原稿をいくつか選んで、ここに添付する(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++++++++

●息子が恋をするとき

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。メールで、「今まで
の人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。それを女房に見せると、女房は「へええ、あ
の子がねえ」と笑った。その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。しかし長くは続かなかった。しばらく交際している
と、相手の女性の母親から私の母に電話があった。そしてこう言った。

「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。娘の結婚にキズが
つくから、交際をやめさせほしい」と。相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工
場を経営していた。一方私の家は、自転車屋。「格が違う」というのだ。

この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。が、2人には、立ちふ
さがる障害を乗り越える力はなかった。ちょっとしたつまづきが、そのまま別れになっ
てしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く…
…」と。オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエッ
ト」の中で、若い男がそう歌う。

たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言
えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。私たちおとなの世界
は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。

年俸が1億円も2億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんで
す」と顔をしかめてみせる。一着数100万円もするような着物(?)で身を飾ったタ
レントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。暴力映画に出演し、暴言ばか
り吐いているタレントが、東京都や外国政府から、日本を代表する文化人として表彰さ
れる。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受
け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。それは人が人生の中で唯一つ
かむことができる、「真実」なのかもしれない。そのときはじめて人は、もっとも人間ら
しくなれる。

もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。
しかしそんなことはありえない。ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ
打ちのめされる。そしてそれを見る観客は、その2人に心を合わせ、身を焦がす。涙を
こぼす。

しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。過ぎ去りし私たちの、その若
さへの涙だ。あの無限に広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるで、うたかた
の瞬間でしかない。歌はこう続く。「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美し
き乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。私は1日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて
寝ていた。6月のむし暑い日だった。ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こ
なごなになってしまいそうだった。

ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯
をくいしばった。しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことは
ない。そしてそれが今、たまらなくなつかしい。

私は女房にこう言った。「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。それに答え
て女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。私も、また笑った。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●最高の教育とは

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。皇后陛下の父君。そして
その正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本Y氏。坂本竜馬の直系のひ孫氏と
聞いていた。

私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はその委
員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くた
びに、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。

そんなある日、私は正田氏に、「どうして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞
いたことがある。正田氏はソバを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩
司の『浩』が同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会
えんのだよ」と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。私が寝泊りをすることにな
ったメルボルン大学のインターナショナル・ハウスは、各国の王族や皇族の子弟ばかり。
私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵大
臣の息子などなど。

毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってきて、夕食を共にした。
元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。ときどき
各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数か月単位で宿泊することもあった。

井口昌幸領事が、よど号ハイジャック事件で北朝鮮へ行った、山村政務次官を連れてき
たこともある。山村氏は事件のあと、休暇をとってメルボルンへ来ていた。

しかし「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生
活をしていることすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別
の生活をしていると思ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教
育だと思ったこともない。が、一度だけ、私は、自分が最高の教育を受けていると実感
したことがある。

 カレッジの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあ
った。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに50セント硬貨がのっていた。誰
かが落としたものを、別の誰かが拾ってそこへ置いたらしい。当時の50セントは、今の
貨幣価値で800円くらいか。もって行こうと思えば、誰にでもできた。しかしそのコイ
ンは、次の日も、そのまた次の日も、そこにあった。4日後も、5日後もそこにあった。
私はそのコインがそこにあるのを見るたびに、誇らしさで胸がはりさけそうだった。その
ときのことだ。私は「私は最高の教育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この
浜松市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園
で働いているという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。

しかしそんなときでも、私を支え、救ってくれたのは、あの50セント硬貨だった。私
は、情緒もそれほど安定していない。精神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だっ
たが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないですんだのは、あの50セント硬貨
のおかげだった。あの50セント硬貨を思い出すことで、私は、いつでも、どこでも、
気高く生きることができた。

【付記】

 『世にも不思議な留学記』は、私のHPより、読んでいただけます。

 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

【世にも不思議な留学記】

(PHOTOSは、HTML版のほうで、紹介します。)

隣人は西ジャワの王子だった【1】

●世話人は正田英三郎氏だった

 私は幸運にも、オーストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、
研究生活を送ることができた。

 世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。

 おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。私の寝泊りした、
インターナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。西ジャワの王子やモー
リシャスの皇太子。ナイジェリアの王族の息子に、マレーシアの大蔵大臣の息子など。ベ
ネズエラの石油王の息子もいた。

 「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。
「インドネシア語か、それとも家族の文字か」と。

 「家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族しか使わない文字というものがあ
った。また「マレーシアのお札には、ぜんぶうちのおやじのサインがある」と聞かされた
ときにも、驚いた。一人名前は出せないが、香港マフィアの親分の息子もいた。「ピンキ
ーとキラーズ」(当時の人気歌手)が香港で公演したときの写真を見せ、「横に立ってい
るのが兄だ」と笑った。

 今度は私の番。「おまえのおやじは、何をしているか」と聞かれた。そこで「自転車屋
だ」というと、「日本で一番大きい自転車屋か」と。私が「いや、田舎の自転車屋だ」と
いうと、「ビルは何階建てか」「車は、何台もっているか」「従業員の数は何人か」と。

●マダム・ガンジーもやってきた

 そんなわけで世界各国から要人が来ると、必ず私たちのハウスへやってきては、夕食を
共にし、スピーチをして帰った。よど号ハイジャック事件で、北朝鮮に渡った山村政務次
官が、井口領事に連れられてやってきたこともある。

 山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンに来ていた。その前年にはマダム・
ガンジーも来たし、『サー』の称号をもつ人物も、毎週のようにやってきた。インドネシ
アの海軍が来たときには、上級将校たちがバスを連ねて、西ジャワの王子のところへ、あ
いさつに来た。そのときは私は彼と並んで、最敬礼する兵隊の前を歩かされた。

 また韓国の金外務大臣が来たときには、「大臣が不愉快に思うといけないから」という
理由で、私は席をはずすように言われた。当時は、まだそういう時代だった。変わった人
物では、トロイ・ドナヒューという映画スターも来て、一週間ほど寝食をともにしていっ
たこともある。『ルート66』という映画に出ていたが、今では知っている人も少ない。

 そうそう、こんなこともあった。たまたまミス・ユニバースの一行が、開催国のアルゼ
ンチンからの帰り道、私たちのハウスへやってきた。そしてダンスパーティをしたのだが、
ある国の王子が日本代表の、ジュンコという女性に、一目惚れしてしまった。で、彼のた
めにラブレターを書いてやったのだが、そのお礼にと、彼が彼の国のミス代表を、私にく
れた。

 「くれた」という言い方もへんだが、そういうような、やり方だった。その国では、彼
にさからう人間など、誰もいない。さからえない。おかげで私は、オーストラリアへ着い
てからすぐに、すばらしい女性とデートすることができた。そんなことはどうでもよいが、
そのときのジュンコという女性は、後に大橋巨泉というタレントと結婚したと聞いている。

 ……こんな話を今、しても、誰も「ホラ」だと思うらしい。私もそう思われるのがいや
で、めったにこの話はしない。が、私の世にも不思議な留学時代は、こうして始まった。
一九七〇年の春。そのころ日本の大阪では、万博が始まろうとしていた。


 

合格通知書 


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


イソロクはアジアの英雄だった【2】

●自由とは「自らに由る」こと

 オーストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味
だ。こんなことがあった。

 夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一
人、二、三ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、二〇ドルの罰金ということになっ
ていた。で、私たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑
いながら、黙ってそれを受け取ってくれた。

 消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メートル
は吹っ飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんな
こともあった。

 一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその
朝、ガールフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び
込み、ベッドごと二人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運
んだ。公園といっても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。

 ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえる
と、二人は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑っ
た。公園にいた人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと
白かった。

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。
許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が
「おめでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブ
タの仕事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。彼
は「ブタ」という言葉を使った。

 あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとは
まったくちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、
と考えていたようだ。また別の日。

  フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るの
か」と。「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)
の、伝統ある軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス
政権下。軍人になることイコール、出世を意味していた。

 マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進
するだけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、
「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。
これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になっ
たという暗い歴史がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もう
そんなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はこと
あるごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言って
いた。ほかに自慢するものがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。

 私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を
選んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策
の中でつくられたものだった。私は、それを思い知らされた。

 時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。

 
ハウス裏手の公園


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


自由の国、オーストラリア【3】

●仲間になる洗礼

 彼らは「ブルシッツ」という耳慣れない単語をよく使った。意味を聞くと、「これはた
いへん重要な単語だから、ミスター・ディミック(寮長)に聞くことだ。彼はオーストラ
リアでも著名な言語学者だ」と。

 そこで寮長の部屋に行き、「失礼します。ブルシッツの意味は何ですか」と聞くと、寮
長はニコリともせず、私にこう言った。「出て行け」と。

 廊下へ出ると、仲間たちが立っていて、一斉に拍手。「やられた!」と思ったが、とた
ん、私は彼らの仲間になっていることを知った。「ブルシッツ」というのは、「牛のクソ」
のこと。「ウソ」という意味をこめた、下品語であった。私がハウスへ住むようになって、
数日後のことだった。

 こうしたいたずらは、仲間になるための洗礼のようなもの。やったりやられたり。まさ
に茶飯事。いちいち腹をたてていたら、学生生活そのものが、成りたたない。それを彼ら
はユーモアの一つと考えている。

 ただ日本人と違うのは、彼らは、シラフでそれをすること。相手をひっかけるのに、ま
ったく表情を変えない。民族性の違いというか、子どものときから鍛えられているという
か。それが実にうまい。が、それに慣れるのに、それほど時間はかからなかった。

●私は英雄?

 ある日、公園の芝生の上で、みんなで遊んでいたときのこと。パトカーが急停止。何ご
とかと思っていると、二人の警官が出てきて、私たちを一列に並ばせた。芝生の上で遊ぶ
のは禁止。見つかれば罰金ということだった。

 で、順に名前を聞かれたが、私はわざと英語を話せないフリをした。フリをしながら、
「ネームね、ネーム。エイチ・アイ・アール・オー……」と。ジャパニーズ英語でゆっく
りと話した。そのたびに二人の警官が、「何だって?」「何だって?」と聞き返した。

 が、これだけは言っておく。日本で学んだ英語など、オーストラリアでは絶対に通用し
ない。いわんや日本式の発音など。(当時はそうだった。いや、今でもそうだ。オースト
ラリア英語で話しかけられたら、イギリス人でも理解できない。いつかイギリスから来て
いた留学生が、そう言っていた。)

 で、私だけ、時間のかかったことと言ったらなかった。聞き取りが終わり、警官が去っ
たとき、これまた拍手。「ヒロシ、よくやった! 君の勇気はすばらしい!」と。

●自由の原点

 大学の講義とて、例外ではない。退屈な授業で、ぼんやりとしていると、突然、教授が、
こう言い出した。「ところで君たちは、カトリックの神学校では、小便をしたあと、何回
までならアレを振っていいか知っているか」と。

 突然の質問にとまどっていると、「三回までだ。四回はダメ。四回以上は、マスターベ
ーションになるから」と。学生がどっと笑うと、「君はこうした教条主義をどう思うか」
と、たたみかけてくる。

 どこが違うのか。つまり日本人とオーストラリア人は、どこが違うのか。ひとつにはオ
ーストラリア人というのは、いつもストレートで、わかりやすい。感情をそのまま表現す
る。

 市内の映画館でも、静かに映画を見ている観客など、まずいない。抗議の口笛を吹いた
り、ワーワーと歓声をあげたり……。単純といえば単純。純朴といえば純朴。そのため裏
がない。裏がない分だけ、イヤ味がない。

 たとえば気に入らない相手だと、平気でビールに小便を混ぜて飲ませたりする。日本で
は考えられないいたずらだが、飲ませたほうはもちろん、飲まされたほうも、これまた平
気で笑ってすます。

 その明るさが、オーストラリア人の最大の特徴ということになる。抜けるような解放感
と言ってもよい。つまりその解放感こそが、彼らがいう「自由(フリーダム)」の原点に
なっている。

 
メルボルン大学を囲む
カレッジの一つ。
大学は広大な公園の中にあった。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


自由とは裸になること【4】

●「裸文化」のちがい?

 綿棒にしても乾燥機にしても、それまでの日本にはないものばかりだった。猫だって、
オーストラリアでは、首輪をつけ、家の中で飼われていた。また何と、あの国では、男が、
そして夫が、食後の皿洗いをしていた! 私はまさに浦島太郎の心境だった。見るもの、
聞くもの、すべてが珍しかった。

 が、何に驚いたかといって、「裸」に対する、彼らの感覚にほど、驚いたものはない。
女子学生にしても、ブラジャーをつけているものは、まずいない。下すらはいていない女
子学生もいた。そういう女子学生が、床に平気であぐらをかいて座る。

 またドライブをしていて、美しい海岸を見つけたりすると、皆一斉に、裸になって泳ぎ
始める。男も、女もない。何度かそういう機会はあったが、私にはできなかった。一度理
由を聞かれたことがあるが、私は「日本人には、武士道というものがあって、そういうの
は見せない」と、変な言い訳をしたのを覚えている。

 またある夜のこと。友人となったばかりの女子学生の部屋でお茶を飲んでいると、その
学生は、私の横で服を着替え始めた。そういう学生がパンティ一枚の姿で、私の横でウロ
ウロする。もっともそのときは驚くというよりは、「男」として意識してもらえない、自
分が情けなかった。

●ストリーキング

 そんな中、メルボルン大学でも、ストリーキングがはやり始めた。頭だけを紙袋で隠し、
すっ裸で走り回るという、あれである。ちょうどベトナム戦争の最中で、徴兵制の問題も
からんでい
た。大学には重苦しい空気が流れていた。一見無邪気に見える戯れにも、それなりの意味
があった。

 そういう流れの中で、私たちのハウスも、そのストリーキングをすることになった。が、
私たちのハウスは、男子カレッジ。女子がいない。そこで隣のセントヒルダ(女子)カレ
ッジに声をかけると、すぐ五、六人が応じてくれた。全員、オーストラリア人。

 アジア人が少ないということもあって、つまり身元がすぐバレてしまうということもあ
って、私は衣服の運び係をすることになった。皆が脱いだ服を、別の集合場所へ運ぶとい
う係である。時はランチタイム。場所は大学構内のカフェ(食堂)。その時間と場所には、
もっとも多くの学生が集まる。

 その日のことはよく覚えている。私が別の集合場所で待っていると、カフェのほうから、
スプーンでテーブルを叩く音が、ガチャガチャと聞こえてきた。ヒューヒューと口笛を吹
く音が、それに混じった。遠くから見ると、仲間たちが体をユサユサとゆらしながら、テ
ーブルの間を走り回っているのがわかった。そしてそのあとを、毛布を広げてもった職員
が、一人、二人と追いかけていた。

 一応つかまえるフリはしているが、つかまえる様子はまったくない。学生たちと一緒に
なって、笑いながら走っていた。

 それからちょうど三〇年。あの時代を振り返ってみると、それまでの金沢での学生生活
を「陰」とするなら、オーストラリアでの学生生活は「陽」ということになる。しぐれと
雪、そして曇天に象徴される金沢。一方、オーストラリアには、さんさんと輝く陽光と青
い空があった。

 今でこそ日本も豊かになったが、当時はそうではない。私は日本がオーストラリアの生
活水準に達するには、五〇年、あるいはそれ以上にかかると思った。永遠に不可能だと感
じたこともある。

 生活だけではない。人間そのものも、だ。自由に生きるということは、「裸」になるこ
と。身の束縛をはずして生きることをいう。オーストラリアの学生には、その自由感覚が、
骨の髄まで染(し)み込んでいた。

 
ハウスのコモンルームでの談話風景


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


ゲテモノ食い【5】

●日本食はゲテモノ?

 国変われば、食べ物変わる。あるとき何人かのオーストラリア人学生が、食堂でこう話
しかけてきた。「日本人は生の魚を食べるというが、病気にならないのか」「日本人は、
アルコール(日本酒)を火にかけて飲むというが、本当か。原理的にそういうことはあり
えない」と。

 その中の一人の学生は、両親がイギリスから移住してきたばかりで、キザな英語(スノ
ビッシュ)を話していた。アジアの学生の間では、人種差別者(レィシスト)と嫌われて
いた。私は「そうだ。日本人はいつもおかしなものを食べる」と言った。言って、彼らを、
食事に招待した。

 その夜、四人の仲間が集まった。私は白いご飯を、皿の上に載せると、その上に生卵を
かけた。白いご飯と生卵は、メルボルン市内の日本レストランから手に入れた。次に糸引
き納豆と、たくあんの入った袋の封を切った。

 私は「腐った大豆と、それにトイレの中で育った植物の根だ」と、説明した。糸引き納
豆と、たくあんは、井口領事の奥さんから分けてもらった。あたりに異様な臭いがたちこ
めた。たくあんの臭いは、まさに「あの」臭い。私はそれらを生卵の上に載せると、スプ
ーンで、それらを勢いよくかき混ぜた。そして口に入れる前にこう言った。

 「これが日本人の主食だ。君たちが日本を廃墟にしたため、ぼくたちにはこういうもの
しか、食べるものがない」と。仲間たちは、次に私が何をするか、じっと固唾(かたず)
を飲んで見守っていた。私はスプーンで一口、二口、口へ入れたあと、演技たっぷりに、
ゲーゲーと皿の上に吐き出してみせた。とたん、一人の仲間が、トイレへ走った。続いて
もう一人も、トイレへ走った。

 残った二人は、「ヒロシ、オー、ノー」と言ったきり、顔をまっ青にして、体をワナワ
ナと震わせた。トイレのほうからは、ゲーゲーと、ものを吐き出す声が聞こえてきた。

●友人の逆襲

 この話はハウス中の友人たちの知るところとなり、今度は私が逆襲を受けるはめになっ
た。マレーシアの留学生がやってきて、「食事に来ないか」と。仲のよい男だったので、
まさかと思いながら、彼の部屋に行くと、すでに数人の仲間が集まっていた。インスタン
トラーメンをごちそうしてくれるということだった。

 一人の仲間がこう言った。「日本のラーメンは、いい。すぐやわらかくなっていい」と。
あちらのラーメンは、見るからに粗悪品という感じのものだった。それはそれとして、さ
あ、できあがりというところで、一人が、アヒルの絵のついた缶詰をもってきた。そして
その缶詰を開けると、……何と、その中に、アヒルの頭が並んでいるではないか! しか
も目もくちばしも、そして羽までついている。

 ゾッとして見ていると、彼はそれをラーメンの中に入れて、スプーンの腹でぐいぐいと
つぶし始めた。私は完全に食欲をなくしていた。が、それで終わったわけではない。私が
目を丸くして驚いていると、一人がやおらアヒルの頭を口に入れ、それを舌の先に載せ、
「アーアー」と、私に見せつけた。今度は私がトイレへ駆け込む番となった。

 オーストラリア人は、腐ったチーズを食べていた。白いカビの生えたチーズだ。ニュー
ジーランドの学生は、海老をわざと腐らせて食べていた。スペイン系の学生たちは、生肉
をパイナップルにはさんで食べていた。うっすらと赤い血のついた生肉である。

 今でこそ知っている人も多いが、三〇年前はそうでない。私はそのつど、目を白黒させ
て驚いた。

 
ハウスのシニア・コモンルーム


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


アン王女がやってくる!【6】

●セントヒルダでのダンスパーティ
 
 暑さがやわらいだある日。ビッグニュースが、ハウスを襲った。

 エリザベス女王が、アン王女を連れて、メルボルンへやってくるというのだ。しかもア
ン王女が、セントヒルダ(女子)カレッジで、ダンスパーティをするという。

 オーストラリアの学生たちは、「ぼくが、アンをものする」と、それぞれが勝手なこと
を言い始めた。アン王女はそのときハイティーン。美しさの絶頂期にあった。

 しかし、そのうち、セントヒルダへ行けるのは、限られた人数であることがわかってき
た。今度は、誰が行けるか、その話題でもちきりになった。が、結局は、行けるのは、王
族や皇族関係者ということになってきた。

 私にも寮長のディミック氏から打診があったが、断るしかなかった。だいたいにおいて、
ダンスなど知らない。一度、サウンド・オブ・ミュージックという映画の中で、その種の
ダンスを見たことがあるだけだ。それに衣装がなかった。

 それまでもたびたびハウスの中で、夜会(ディナーパーティ)はあったが、私は、いつ
も日本の学生服を着て出席していた。日本を離れるとき、母が郷里の仕立て屋でスーツを
作ってくれ
たが、オーストラリアでは、着られなかった。日本のスーツは、何と表現したらよいのか、
あれはスーツではない。毛布でつくったズタ袋のような感じがした。

 その日の午後。選ばれた学生は、うきうきしていた。タキシードに蝶ネクタイ、向こう
ではボウタイと呼んでいたが、それをしめたりはずしたりして、はしゃいでいた。五、六
人の留学生に、同じ数のオーストラリア人の学生。

 留学生はともかくも、オーストラリア人の学生は、皆、背が高くハンサムだった。体を
クルクルと丸めてあいさつをする、あの独特のあいさつのし方を、コモンルームで何度も
練習していた。「王女妃殿下様、お会いできて、光栄に存じます」とか。人選からはずさ
れた連中は連中で、「種馬どもめ」と、わざと新聞で顔を隠して、それを無視していた。

 そのとき仲のよかったボブが、横から声をかけてくれた。

「ヒロシ、お前は行くべきだ。イギリスなど、日本の経済協力がなければ、明日にでも破
産する」
「ああ、しかしぼくには、あんな服がない……」
「服? ああ、あれね。あれは全部、貸衣装だ。知らなかったのか。コリンズ通りへ行け
ば、いくらでも借りられる」
「貸衣装?」
「そうだ。今度、案内するよ」
「ああ、君の親切に感謝する」と。

●そしてエリザベス女王は帰った……

 夜になって、ローヤルパレードの通りを歩いてみた。いつものように静かだった。特に
変わったことはなかった。行きつけのノートン酒場も、ふだんのままだった。いつもの仲
間が、いつものようにビールを飲んでいた。

 途中、セントヒルダカレッジのほうを見ると、カレッジ全体に、無数のライトがついて
いた。それがちょうどクリスマスツリーのように輝いていた。私はそれを見ると、何か悪
いことをしたかのように感じて、その場をそそくさと離れた。

 その翌日の夕方。エリザベス女王とアン王女は、メルボルンを離れた。カレッジから少
し離れたミルクバーのある通りが、その帰り道になっていた。私たちはその時刻に、女王
が通り過ぎるのを待った。

 夕暮れがあたりを包んでいた。暗くはないが、顔がはっきり見える時刻でもなかった。
女王は大きなオープンカーに乗って、あっという間に、通り過ぎていった。本当に瞬間だ
った。と、同時に、女王の話も、アン王女の話も、ハウスから消えた。
 
毎週のように、各国の政府要人
たちがゲストとしてやってきて、
スピーチをして帰った。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


反日感情【7】

●クラクションで破られた静かな朝

 毎朝五時ごろ、一頭だての馬車が、ハウスの前を通る。私の部屋は玄関のま上あたりの
三階にあった。時々、その馬車の通る音で目がさめた。牛乳配達の馬車だ。

 配達人がおりて、馬車から離れると、馬は言われなくても、自然に歩調をゆるめ、配達
人がもどってくるまで、そこで待つ。そして配達人がもどってくると、どこかためらいが
ちに、また走り始める。徹夜で勉強しているときは、その時刻になると、カーテンをあけ
て、その馬車が来るのを待ったこともある。カンカンと、道路を走る音が遠くから聞こえ
てくる。

 が、ある朝のことだ。私が見ていると、配達人が馬車から離れたところで、うしろから
一台の自動車がやってきて、ブブーとクラクションを鳴らした。馬は一瞬驚いて、跳ねあ
がった。配達人は、馬の声に驚いて、いつものなめらかな動きをやめ、さっと馬のところ
に走った。

 私はその光景を見ていて、何とも言われない不快感を覚えた。せっかちなその一台の自
動車のおかげで、あたりの静寂がかき乱されたからだ。が、続いてその不快感は、激怒に
変わった。

 見ると、その自動車を運転していたのは、アジア人だった。日本人だったかもしれない。
当時メルボルン市には、ビジネスマンやその家族を中心に、約五〇〇名の日本人が住んで
いた。オーストラリア人なら、こういうとき、決してクラクションを鳴らさない。静かに
待っている。つまりこういうことをするから、アジア人は嫌われる。日本人は嫌われる。

●反日感情はささいなことから

 オーストラリアの子どもは、アジア人を見ると、こうはやしたてる。「チャイニーズ、
ジャパニーズ、ギブミー、マネー(中国人、日本人、お金おくれ)」と。別のところでは、
私が日本人だとわかると、手を合わせて、「アッソ、アッソ(ああ、そうですか)」と言
ってきた子どもたちがいた。

 親日的だと喜んでいたら、あとで友人がこう教えてくれた。「ヒロシ、君はからかわれ
たのだよ」と。「アス・ソウ」というのは、ここに書くのもはばかれるが、「お尻の穴が・
痛い」という意味である。

 私は大阪万博(一九七〇)のとき、メルボルンにいたが、日本での評価はともかくも、
オーストラリアでの評価は、さんたんたるものだった。「トイレは携帯トイレが必要」「赤
く染めた日本人の髪は、まるで陰毛のよう。万博は、まるで陰毛博覧会」(新聞記事)と。
こんなのもあった。

 「大阪のガス爆発事故現場から一〇マイル。万博のガスパビリオンは、大口をあけて笑
っていた」と。当時の日本は、オーストラリアにとっては、重要な貿易国ではあったが、
まだアメリカに次いで、第二位の国だった。戦争体験をもった人も多い。だから日本に対
しては根強い反日感情が残っていた。

 そういう中、日本は急速に経済力をつけ、そして同時に傲慢になっていった。それがオ
ーストラリア人の国民感情を逆なでした。同じころ、こんな新聞社説もあった。「オース
トラリアの駐車場から、日本の車が消えるのを夢見ている」と。
 
 しかし国民感情などというものは、政府のプロパガンダだけで作られるものではない。
日々
のささいなことで作られる。もしあの馬車の光景を、オーストラリアの学生が見たとした
ら、それだけで反アジア感情をもったであろう。反日感情だったかもしれない。私は私を
からかった、オーストラリアの子どもたちの心情が、そのとき理解できたような気がした。

 
私の部屋から、ローヤルパレード通りを
見たところ。

 
大学の前の通り

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


オーストラリアの気候【8】

●車で大陸を横断する

 「君はどの島から来たのか」と聞かれたことがある。そこで私はムッとして、「島では
ない。メインランド(本州)だ」と答えると、皆は、どっと笑った。私が冗談を言ったと
思ったらしい。

 英語で「メインランド」というときは、中国大陸やヨーロッパ大陸のような大陸をいう。
しかし日本はやはり島国だった。

 その夜、私とボブとマイクは、車に乗った。夜の一〇を過ぎていた。寒い夜だった。冬
の気候としては、ありふれた気候だった。が、それがまちがいだった。私たちは徹夜で、
走ることにしていた。時速一二〇キロ前後で走れば、昼までにはアデレードへ着く……、
私たちはそんな計算をしていた。

 私は数枚の毛布と、かばんに日用品を詰めて車のうしろに載せた。そして、出発。一時
間も走ると、スミを垂れ流したかのような暗闇、また暗闇。牧場を突ききって走っている
はずだが、それは見えない。が、それからが地獄だった。

 気温が急激にさがり始めたのだ。最初、私が「寒い」と言った。運転しているボブは、
「ヒーターがきかない」と言い出した。確かに熱風が出ているはずなのだが、その熱気は、
すぐどこかへ消えてしまう。マイクもうしろの席で、毛布にくるまって震えていた。私も
座席に足をあげ、全身を毛布でくるんで小さくなっていた。が、それでも体の震えは止ま
らなかった。

 運転しているボブも寒いはずだが、彼だけは「寒い」とは言わなかった。運転しながら、
次々とパンをかじっていた。私はそのときほど人種の違いを意識したことはない。私はア
ジア人。寒さに弱い。マイクはユダヤ人。細い体つきで、寒さには強くないらしい。が、
ボブだけは、脂肪太りで丸々としていた。しかも全身が、剛毛でおおわれている。いつか
「ぼくの体には蚊も近寄れない」と笑っていたのを覚えている。

 つまりボブの祖先は、北欧民族だ。が、そのボブも、そのうち泣き言を言い始めた。ぞ
っとするような泣き言だ。いわく、「車が止まったら、ぼくたちは死ぬかもしれない」と。
さらに時間がたつとこう言った。「車がもたないかもしれない」と。身をズタズタに切り
裂くような寒さ。身の置き場がない。

 オーストラリアでは、「真鍮(しんちゅう)のサル(Brass Moinkey)」と表現する。ど
うしてそういう言い方をするのかは知らないが、真鍮のサルというのは、そういう寒さの
ことを言う。

●朝日が痛い!

 日本の気候を規準にして、大陸の気候を考えるのは、正しくない。いくら暑くても、ま
た寒くても、日本の気候は日本の気候。しかしオーストラリアの気候は、その日本人の常
識をはるかに超えていた。

 私は車の中で、何度か死を覚悟した。車は平原を走っていた。砂漠の端だったかもしれ
ない。ともかくも寒かった。が、南オーストラリア州へ入るころに、夜が白み始めた。ま
っ白な朝だ。そしてその下に広がる、まっ赤な大地。ボブは平静を装っていたが、内心は
穏やかではなかったと思う。気温はまださがり続けていた。が、そのときだ。

 まっ白な太陽が、うしろのほうから地平線に顔を出した。スーッと光の筋が流れた。そ
してその筋が、顔に当たった。「痛い!」と、私は感じた。光が痛いのだ。その光は車の
動きに合わせて右、左とゆれたが、そのたびに顔や手に当たった。やはり痛い。私はその
痛さを体の中に染み込ませるようにして、顔をなでた。そのときはじめてボブが、口を開
いて、こう言った。「グッド・モーニング」と。

 あのときのボブ、つまりロバート・ベアは、南オーストラリア州で農業指導員をしている。
マイク、つまりマイケル・アイゼンは、今、南オーストラリア州で医者をしている。

 
左からマイク、ボブ、マイケル(ボブの弟)
キース(ボブの父親)。
途中まで、迎えにきてくれていた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


モラトリアム【9】

●私がデモの指導者?

 「アイスオブマイ」……、日記にはそうある。カタカナで書いてあるため、今となって
は、それがどういう意味なのか、わからない。

 アイスオブマイ、つまり、その年の五月八日に予定されている、モラトリアム(反戦)
運動の別名である。アメリカで起きている反戦運動を、オーストラリアでもしようという。

 四月へ入ると、数人の学生が、私のところにやってきた。そして「デモのし方を教えて
くれ」と頼んだ。「ジグザグ行進のしかたや、スクラムの組み方を教えてくれ。できれば、
君が指揮をとってくれないか」とも。もちろん私は断った。

 留学生がそこまでしたら、国外退去を命じられる。それを言うと、「ノーワリーズ(心
配ない)。メルボルン大学すべてで、君を守る」と。私は再度、断った。が、結局、どう
いうわけだか、そのデモを指導することになってしまった。

 ある日の午後、構内へ呼ばれて行くと、そこにJ君とG君が立っていた。そしてそのう
しろに二〇〜三〇人の学生が集まっていた。見ると、全員が笛をもっている。私が「笛は
一人でいい」と言うと、「このほうがにぎやかだ」と。そこで指導を始めたが、リズムが
合わない。

 日本では、「アンポ・フンサイ」と、二拍子で言いながら行進する。しかしオーストラ
リアのそれは、「一、二、三、四、ベトナム戦争のクソッタレをやめろ、五、六、七、八、
ベトナム戦争のクソッタレをやめろ」を繰り返す。テンポが速い。速すぎる。

 同じジグザム行進をしても、ブラジルのサンバのような動きになってしまう。組んだ腕
を上下させるので、アヒルのダンスのようにも見える。悲壮感がまるでない。その上、そ
の間中、皆が笛を吹く。うるさくてたまらない。

 そこで今度はかけ声を変えてみた。「マオ、マオ、マオチュートン(毛沢東)、ホー、
ホー、ホーチミン(北ベトナムの指導者)」と。しかしそれでもテンポが速すぎる。

 そこで私が「相手はどんなのだ。機動隊が来るのか」と聞くと、「オーストラリアには、
まだそういうのはない」と。そこでさらに、「では、どんなのが来るのか」と聞くと、「多
分、騎馬警官だろう」と。オーストラリアには馬に乗った警官がいる。

 騎馬警官の威圧感は、想像する以上のものだ。そこで私は考え込んでしまった。馬を相
手にジグザグ行進しても、意味がない。蹴散らされるのがオチだ。で、このジグザグ行進
はしないことになった。

●数万人までにふくれあがった反戦デモ

 四月の中旬を過ぎると、オーストラリアの放送局は、毎日のように議会中継を始めた。
モラトリアムの是非を問う討論が、熱っぽく続いた。当時のオーストラリアは、保守政権。
一人の高校生が反戦バッジをつけたかどで、停学処分になったというニュースもあった。

 そして五月八日。その日はやってきた。私は朝から、町へ出た。そして私がデモに加わ
ると、あちこちで拍手がわき起こった。私はいつの間にか、「日本の活動家」ということ
になってしまっていた。そしてどんどん前へ前へと押し出されてしまった。

 心の奥で、「マズイ、マズイ」と思いながらも、私はどうすることもできなかった。当
時の私は、そういう優柔不断なところがあった。が、デモは、予想を上回る、大規模なも
のだった。当初は大学生を中心に、数千人程度だと思われていた。が、フタをあけてみる
と、数万人規模にふくれあがっていた。

 騎馬警官が無数に取り締まりにきていたが、圧倒的に多数の群集を前にして、手も足も
出せなかった。ここにある写真は、そのとき、私がうしろの方角を撮ったものである。

 

 
大規模なデモになった、
反戦(モラトリアム)運動

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 11月 13日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの心が離れるとき】 

●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前
向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考え
なくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形
で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。

子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待す
るのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親
に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育てて
やった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」
と、恩を着せられてしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌
手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(2000年夏)。「私は母の女手
一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」
と。

はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しか
しそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなって
しまった。50歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追い
つめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちに
も、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかり
やすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく
当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』
である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。

戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着
せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、3番まであるが、
それぞれ3、4行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引
用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あ
なたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけな
くなってしまうに違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べ
ながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にも
ときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」であ
る。そう書くべきである。

つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々
と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中2男子)がいた。自分
のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そ
ういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取
り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはい
る。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければな
らない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢
が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。

子どもを育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そうい
うのを日本では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはい
けない。押し売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美
徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こ
んな調査結果がある。

平成6年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若
者はたったの、23%(3年後の平成9年には19%にまで低下)しかいない。

自由意識の強いフランスでさえ59%。イギリスで46%。あのアメリカでは、何と6
3%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、
大きな転換期にきているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親の
ものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のため
でもある。

私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければなら
ない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではな
い。あなたの親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。
が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。

ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生
きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・
※平成六年)は、次のようになっている。

 フィリッピン ……81%(11か国中、最高)
 韓国     ……67%
 タイ     ……59%
 ドイツ    ……38%
 スウェーデン ……37%

 日本の若者のうち、55%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏
から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の自立 子どもの自立 生活 自立 子どもの依存心 依存性 子供の依存心 依存
性 親に依存する子供)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●保護と依存

++++++++++++++++++

依存性の強い人は、独特の言い方をする。
『だから何とかしてくれ言葉』というのが、
それである。

たとえば空腹になったときでも、「〜〜を
食べたい」とは、言わない。

「おなかがすいたア〜」と言う。つまり
そう言いながら、相手に向かって、「だか
ら、何とかしてくれ」と訴える。

++++++++++++++++++

 日本語の特徴と説明する人もいる。しかし依存性の強い人は、独特の言い方をする。『だ
から何とかしてくれ言葉』というのが、それである。

 たとえば空腹になったときでも、「〜〜を食べたい」とは言わない。「おなかがすいたア
〜」と言う。つまり、そう言いながら、相手に向かって、「だから、何とかしてくれ」と訴
える。

 同じように、水がほしいときは、「のどがかわいたア〜」と。トイレに行きたいときは、
「おしっこオ〜」と。

 子どもの世界では、よく見られる会話だが、しかし子どもの世界だけとは、かぎらない。
おとなの世界でも、そして年配者の世界でも、よく見られる。

 たとえば、「私も、年を取ったからねエ〜」というのが、それ。つまり「私も年を取った
から、何とかしろ」と。

 最近でも、私は、ある知人から、こんなハガキをもらった。暑中見舞いの最後に、こう
書き添えてあった。「静岡まで行けばいいですか?」と。つまり「静岡まで行けば、そこま
で迎えに来てもらえるか」と。

 私をその知人を、招待した覚えはない。何かの会話のついでに、そんなようなことを話
したのを、誤解されたらしい。それはともかくも、それを読んで、『だから何とかしてくれ
言葉』を使うのは、子どもだけではないと知った。

 もっとも、私の兄などは、若いころから、その『だから何とかしてくれ言葉』を、よく
使った。

 新しいテレビがほしくなると、電話をかけてきて、「近所の人は、みんな、衛星放送を見
ている」「うちのテレビは映らない」と。

 今は、半分以上頭がボケてしまったが、それでも、『だから何とかしてくれ言葉』をよく
使う。

 「ラジカセがこわれたア」
 「冬になると、寒い」
 「今のメガネは、よく見えない」と。

 こうした依存性は、一度身につくと、その人の生き方そのものになってしまう。だれか
に依存して生きることが、あたりまえになってしまう。が、その人自身の責任というより
は、半分以上は、まわりの人たちの責任と考えてよい。まわりの人たちが、そういう環境
を作りあげてしまう。

 子どもの世界でも、依存性のたいへん強い子どもがいる。しかしその子どもが問題かと
いうと、そうではない。よく調べていくと、そういう子どもの親も、また依存性の強い人
であることがわかる。自分が、依存性が強いから、子どもの依存性に、どうしても甘くな
る。あるいは、それに気づかない。

 反対に、このタイプの親は、親にベタベタと甘える子どもイコール、(かわいい子)イコ
ール、(いい子)としてしまう。だから子どもの依存心だけを問題にしても、あまり意味は
ない。そうなる背景には、親自身の情緒的な欠陥、精神的な未熟性があるとみる。つまり、
それだけ、「根」は深い。

 で、ついでに、私の兄のことだが、現在は、グループホームに入居している。個室が与
えられ、三食、昼寝つき。おやつもついているし、ときどき遠足にも連れていってもらえ
る。しかし兄にしてみれば、それが当たり前の生活になっている。

 が、グループホームといっても、大学生の生活費並みの費用がかかる。具遺体的には、
毎月12〜3万円プラス、諸経費、小遣い、治療代などなど。合計で、15万円ほど、か
かる。

 そういう兄だが、もちろん、私に対して、ただの一度も、礼など言ってきたことはない。
むしろ逆に、あれこれと不平や不満ばかりを並べる。またまわりの人たちも、間接的だが、
私に対して、「もっと、しっかりとめんどうをみろ」というようなことを言う。

 依存する側と、依存される側。それが長くつづくと、(実際、もう30年以上もつづいて
いるが……)、それが当たり前になってしまう。そしてそれを前提に、みなが、ものを考え
る。今では、兄自身の依存性を問題にする人は、だれもいない。「めんどうをみるのは、弟
の責任」と、決めてかかってくる。(私だって、いつボケるか、わからないぞ!)

 そんなわけで、子どもに依存心をもたせると、子ども自身も苦労をするが、そのツケは、
回りまわって、最後には、親のところにやってくる。家族のところにやってくる。

 だから……というわけでもないが、子どもには、依存心をもたせないほうがよい。いや、
その前に、あなた自身は、どうか。それを疑ってみたほうがよい。もしあなたが依存性の
強い人なら、あなたの子どもも依存性の強い子どもになる。その可能性は、きわめて高い。

 では、どうするか?

 その第一歩として、『だから何とかしてくれ言葉』を耳にしたら、すかさず、こう言い返
してやったらよい。

 「だから、それがどうしたの?」と。

 一見冷たい言い方に聞こえるかもしれないが、そのほうが、子どものため、あなた自身
のため、ということになる。

(付記)

 子育ての目標は、子どもを自立させること。欧米流に言えば、「よき家庭人として、自立
させること」。

 その一語に尽きる。

++++++++++++++

依存性について書いた原稿を
1作、添付します。

++++++++++++++

【日本人の依存性を考えるとき】 

●森S一の『おくふろさん』

 森S一が歌う『おふくろさん』は、よい歌だ。あの歌を聞きながら、涙を流す人も多い。
しかし……。

日本人は、ちょうど野生の鳥でも手なずけるかのようにして、子どもを育てる。これは
日本人独特の子育て法と言ってもよい。あるアメリカの教育家はそれを評して、「日本の
親たちは、子どもに依存心をもたせるのに、あまりにも無関心すぎる」と言った。そし
て結果として、日本では昔から、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、
「よい子」とし、一方、独立心が旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

●保護と依存の親子関係

 こうした日本人の子育て観の根底にあるのが、親子の上下意識。「親が上で、子どもが下」
と。この上下意識は、もともと保護と依存の関係で成り立っている。

親が子どもに対して保護意識、つまり親意識をもてばもつほど、子どもは親に依存する
ようになる。こんな子ども(年中男児)がいた。

生活力がまったくないというか、言葉の意味すら通じない子どもである。服の脱ぎ着は
もちろんのこと、トイレで用を足しても、お尻をふくことすらできない。パンツをさげ
たまま、教室に戻ってきたりする。

あるいは給食の時間になっても、スプーンを自分の袋から取り出すこともできない。で
きないというより、じっと待っているだけ。多分、家でそうすれば、家族の誰かが助け
てくれるのだろう。そこであれこれ指示をするのだが、それがどこかチグハグになって
しまう。こぼしたミルクを服でふいたり、使ったタオルをそのままゴミ箱へ捨ててしま
ったりするなど。

 それがよいのか悪いのかという議論はさておき、アメリカ、とくにアングロサクソン系
の家庭では、子どもが赤ん坊のうちから、親とは寝室を別にする。「親は親、子どもは子ど
も」という考え方が徹底している。こんなことがあった。

一度、あるオランダ人の家庭に招待されたときのこと。そのとき母親は本を読んでいた
のだが、五歳になる娘が、その母親に何かを話しかけてきた。母親はひととおり娘の話
に耳を傾けたあと、しかしこう言った。「私は今、本を読んでいるのよ。じゃましないで
ね」と。

●子育ての目標は「よき家庭人」

 子育ての目標をどこに置くかによって育て方も違うが、「子どもをよき家庭人として自立
させること」と考えるなら、依存心は、できるだけもたせないほうがよい。

そこであなたの子どもはどうだろうか。依存心の強い子どもは、特有の言い方をする。「何
とかしてくれ言葉」というのが、それである。たとえばお腹がすいたときも、「食べ物が
ほしい」とは言わない。「お腹がすいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。

ほかに「のどがかわいたア〜(だから何とかしてくれ)」と言う。もう少し依存心が強く
なると、こういう言い方をする。

私「この問題をやりなおしなさい」
子「ケシで消してからするのですか」
私「そうだ」子「きれいに消すのですか」
私「そうだ」子「全部消すのですか」
私「自分で考えなさい」子「どこを消すのですか」と。

実際私が、小学4年生の男児とした会話である。こういう問答が、いつまでも続く。

 さて森S一の歌に戻る。よい年齢になったおとなが、空を見あげながら、「♪おふくろさ
んよ……」と泣くのは、世界の中でも日本人くらいなものではないか。よい歌だが、その
背後には、日本人独特の子育て観が見え隠れする。一度、じっくりと歌ってみてほしい。

(参考)
●夫婦別称制度

 日本人の上下意識は、近年、急速に崩れ始めている。とくに夫婦の間の上下意識にそれ
が顕著に表れている。内閣府は、夫婦別姓問題(選択的夫婦別姓制度)について、次のよ
うな世論調査結果を発表した(2001年)。

それによると、同制度導入のための法律改正に賛成するという回答は42・1%で、反
対した人(29・9%)を上回った。前回調査(96年)では反対派が多数だったが、
賛成派が逆転。

さらに職場や各種証明書などで旧姓(通称)を使用する法改正について容認する人も含
めれば、肯定派は計65・1%(前回55・0%)にあがったというのだ。

調査によると、旧姓使用を含め法律改正を容認する人は女性が68・1%と男性(61・
8%)より多く、世代別では、30代女性の86・8%が最高。

別姓問題に直面する可能性が高い20代、30代では、男女とも容認回答が8割前後の
高率。「姓が違うと家族の一体感に影響が出るか」の質問では、過半数の52・0%が「影
響がない」と答え、「一体感が弱まる」(41・6%)との差は前回調査より広がった。

ただ、夫婦別姓が子供に与える影響については、「好ましくない影響がある」が66・0%
で、「影響はない」の26・8%を大きく上回った。

調査は01年5月、全国の20歳以上の5000人を対象に実施され、回収率は69・
4%だった。なお夫婦別姓制度導入のための法改正に賛成する人に対し、実現したばあ
いに結婚前の姓を名乗ることを希望するかどうか尋ねたところ、希望者は18・2%に
とどまったという。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【親子のきずなを深める法】

親子のきずなが切れるとき 

●親に反抗するのは、子どもの自由?

 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。「親
に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%。

この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、
中国15%。親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青
少年研究所・98年調査)。

日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗しては
いけないと考えている高校生が、ダントツに少ない。

こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評
論家O氏)と論評する人がいる。しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校
生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなってしまう。日本だけが
ダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 アメリカよりも個人主義
が進んでいると考えるのもおかしい。

●受験が破壊する子どもの心

 私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせる
と、祖父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、
そういう感動が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。
「何よ、この点数は! 平均点は何点だったの?」と。

さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダ
だったわね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなく
す。いや、その程度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、
さらには親子のきずなそのものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「85%」と
いう数字は、まさにその結果であるとみてよい。

●「家族って、何ですかねえ……」

 さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、
そのとき手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事
は行きづまってしまった。R氏には2人の娘がいた。1人は大学1年生、もう1人は高校
3年生だった。R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することがで
きたが、下の娘の学費が難しくなった。

そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘はそれに応じ
なかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの義務
を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻
まで、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。
そのR氏はこう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。

●娘にも言い分はある

 いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさ
い」と言うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言
われつづけてきた。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。

 今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車を
かけている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれ
が原因でないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿
題はやったの」という言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そ
こでどうだろう、言い方を変えてみたら……。

たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イー
ジィ(気楽にやりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉
だ。あなたの子どもがテストの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言っ
てみてほしい。「気楽にやりなよ」と。この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子
のきずなを深める。子どももそれでやる気を起こす。   


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】

+++++++++++

さわやかな秋晴れ。
気持ちのよい朝。
今朝は、午前8時まで、
ぐっすりと眠った。

……おかげで、原稿
を書く時間を失った。

これからいくつか、
雑務をこなさなければ
ならない。

+++++++++++

●口のうまい人

 私は、ここ10年以上、ウソをつかないように、心がけている。それ以前からも、そう
心がけていたが、ここ10年は、とくに、それを意識している。

 が、ウソをつかなければならない場面は、多い。で、そういうときは、口を閉じるよう
にしている。ウソをつくよりは、だまっていたほうがよい。

 で、自分でそうしてみると、ウソをつく人が、よくわかる。簡単な例では、口がうまい
人がいる。「口がじょうず」とも言う。ヘラヘラとへつらってきて、こちらの機嫌を取った
りする。心にもないことを言ったりする。

 概してみれば、商人と呼ばれる人に、このタイプの人は多い。その場で、瞬間的に、ウ
ソをつく。

 しかし口のうまに人は、結局は、信用されない。相手にされない。私たちの世界では、
そういう人を、「タヌキ」と呼ぶ。

 私は、この10年、そのタヌキだけにはなりたくないと、心がけてきた。私は、もとも
と正直な男ではない。それがわかっているから、私は、務めてそうならないよう、努力し
ている。


●携帯電話

 今使っている、W社の携帯電話は、すごい。使えば使うほど、それがよくわかってくる。
W社の004SHというタイプである。携帯電話といっても、小型パソコンといった感じ。

 写真や動画、それに音声は、そのままEメールとして送信できる。ワード、エクセルま
でついているから、どこでも文章を書くことができる。ゲームもできる。和英、英和、国
語辞典などもついている。パソコンと同期して、アウトルックなどの予定表をそのままコ
ピーすることもできる。が、それだけではない。

 昨日、やっと、その携帯電話に、音楽を録音することができるようになった。さっそく
ワイフに聞かせてやると、ワイフは、「ヘエ〜」と驚いていた。

 ただ今は、メモリーが256MBしかない。何かと不安。近く、それを8倍の、2GB
のものに交換するつもり。そうすれば、500曲くらい、音楽が入る。(……入るそうだ?)

 それを知って長男が、「500曲入れても、しかたないよ。そんなに聞かないよ」と。

 ナルホド。しかし何でも、ギスギスしているようりは、余裕があったほうがよい。しか
しここまでできるとは、思ってもみなかった。使い始めて、もう1か月以上になるが、そ
れにしても、すごい!


●原稿

 このところいろいろあって、原稿書きができなかった。おかげでマガジン用の原稿は、
ちょうど1週間遅れ! 

 今日は10月16日だから、本来なら、11月17日号の配信予約がすんでいなければ
ならない。しかし昨日、やっと、11月10日号の配信予約を入れたところ。

 どうしよう?

 ……今朝は、ここまで。今夜は、徹夜になりそう。

(付記)

 しかしこのところ、強い疲れを感ずることが多くなった。一定のサイクルで、周期的に
そうなるので、今は、そういう時期かもしれない。こういうときというのは、何となく、
書く気がしない。「こんなマガジンを出していて、何になるのだろう」という思いばかりが
強くなる。

 まあ、こういうときというのは、何も考えず、前向きにがんばるしかない!


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●1966年

++++++++++++++++

昨日、Eマガの読者が、1966人に
なった。

そこで、1966年!

++++++++++++++++

 1966年。晴れて私は大学1年生!

 あの息苦しい郷里から離れて、私は、生まれてはじめて、青い空に向かって飛んだ! あ
の解放感! あの開放感! それを今でも、忘れない。

 ところで、「解放」と「開放」は、どうちがうのか? 日本語大辞典(講談社)には、つ
ぎのようにある。

 解放……束縛を解いて、自由にすること。
 開放……だれでも自由に出入りできること。

 この年、中国では、あの文化大革命が始まる(5月〜)。ビートルズが日本にやってくる
(6月)。映画の世界では、『戦争と平和』(ソ連)、『ミクロの決死圏』(アメリカ)が、封
切られる。

 私はそのころ、それまでに体にしみついた鎖(くさり)のキズ痕(あと)を消すかのよ
うに、したい放題のことをした。今から思うと、たいしたことではなかったが、それでも、
私には、そのどれもが刺激的だった。楽しかった。

 毎晩、夜遅くまで、下宿の先輩たちと、将棋をさしたり、碁をさしたりして、遊んだ。
酒も、タバコも、このころ覚えた※。

 旅行はよくしたが、しかし、旅行というより、旅。どれもヒッチハイクだった。100
0円とか、2000円とかあると、それだけを握って、旅に出た。3000円で、金沢か
ら長崎まで行ったことがある。

 みなとワイワイと騒ぎながら旅をするという方法もあるにはあったが、私は、ひとり旅
のほうを好んだ。そのほうが、お金もかからなかったということもある。当時の私は、親
からの仕送りといっても、下宿代の9000円〜1万円だけ。あとの生活費は、アルバイ
トで稼ぐしかなかった。

 貧乏といえば、貧乏だったが、仲間の多くも、私と同じような生活をしていた。当時は、
まだそういう時代だった。

 あの時代は、私にとっては、いわば、心のリハビリのような時代だった。それまでの私
の心は、たしかに病んでいた。高校3年生のあるときなどは、自分のはいている靴が、鉄
の錘(おもり)のように重く感じたこともある。

 だから当時の、つまり大学1年生のころの私を知る人たちはみな、こう言う。「林は、メ
チャメチャ、明るかった」「活動的だった」と。

 そう、私は、明るかった。自分でもそれがよくわかっていた。毎日、解放感と開放感に
酔いしれた。

 一応、学生だから、勉強はした。「一応」というだけで、それほど、勉強したつもりはな
い。しかし、要領がよかったのかもしれない。あるいは、ほかの友だちが、あまり勉強し
なかったこともあるのかもしれない。

 1年の終わりに、学部変更を、学生課の教官に勧められた。「医学部に、欠員が1名でき
たが、そちらへ移らないか」と。当時、教養課程では、医学部(100人)と、法学部(1
00人)の学生は、同じ、講座を受けていた。

 私は断った。私の夢は、英語を勉強して、外国へ行くこと。それしか考えていなかった。
これはそれから4年後のことだが、4年後の1970年においてすら、日本〜シドニー間
の航空運賃だけでも、42〜3万円。1970年当時、大卒の初任給が、やっと5万〜6
万円になったという時代である。

 1966年のころのことは知らないが、その少し前、つまり私が高校生のころには、大
卒の初任給は、2〜3万円だった。

 「外国へ行く」ということは、当時の学生たちにとっては、夢のまた夢。あの時代、在
学中に、外国へ行ったことのある学生は、法学部(法文学部法学科)では、私(韓国)と、
M君(ハワイ)の2人だけではなかったか。

 私は、いつしか、商社マンになって、外国へ行く……それだけを考えるようになった。

 そうそうこの年、サルトルとボーボワールが、そろって来日している(9月18日)。哲
学のT教授が、それについて熱っぽく語っていた。その講義の様子だけは、よく覚えてい
る。

 「実存主義では、一寸先は闇ということだそうです」とか、何とか。

 1966人目の読者は、BWのN(=vivian)さん。Nさん、ありがとうござい
ました。これからも末永く、よろしくお願いします。

(※付記)現在、酒は一滴も飲めません。タバコのにおいも、瞬間、かいだだけで、気分
が悪くなるほどです。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●マリリン・モンローのネックレス

+++++++++++++++++++

マリリン・モンローのネックレスという
よく知られた話がある。

地元の中学校の入試問題にもとりあげられ
たこともある。

その話は、多分、つくり話だと思うが、しかし
現実に、同じような話を聞いたので、ここに
紹介する。

+++++++++++++++++++

 マリリン・モンローのネックレスという、よく知られた話がある。数学の世界では、よ
く知られた話であり、数年前だが、地元のある中学校の入試問題にも、取りあげられたこ
とがある。

 マリリン・モンローのネックレスという話は、つぎのようなものをいう。(数字は、話の
内容をわかりやすくするため、簡単にした。)

 ある日、マリリン・モンローが、ニューヨークの宝石店へやってきた。そして1万ドル
のネックレスを買った。

 が、翌日、再び、マリリン・モンローが、その店にやってきた。そしてこう言った。

 「昨日、ネックレスを買ったけど、気に入らないわ。そこで、このネックレスをあなた
に返すから、そこの2万ドルのネックレスを、私にちょうだい」と。

 驚いた店員が、「それはできません」と答えると、マリリン・モンローは、こう言ったと
いう。

 「昨日、1万ドル、現金で渡したでしょ。で、今日、この1万ドルのネックレスを返す
から、合計で2万ドルになるはずよ。だから、そこにある2万ドルのネックレスを、私に
ちょうだい」と。

 この話は、おかしい。中学生でなくても、それがわかる。しかし、だ。これと似た話が、
現実に、私の近くでも起きた。こんな話だ。

 2人の兄弟(兄が60歳、弟が55歳)がいた。父親が一人いたが、長い間、養護施設
に入っていた。月々の費用が、17〜8万円、かかったという。

 当初は、年金とそれまでの貯金で、何とかやりくりしていたが、10年目を過ぎるころ、
貯金が底をついた。そこで兄弟は、父親名義の土地を売ることにした。希望価格は、10
00万円。が、こういう時節である。不動産屋があれこれとがんばってくれたが、買い手
がつかなかった。

 そこでしかたないので、弟が、その土地を買うことにした。値段は、600万円。権利
書と実印は預かったが、土地は、父親名義のままにしておいた。だれかに、すぐ転売する
つもりでいた。1000万円の土地を、600万円にして買ったのには、理由がある。

現在、1000万円で土地を売っても、約40%弱が、税金でもっていかれる。手取り
は、600万円程度にしかならない。弟は、その税金分を先に計算して、600万円を
兄に渡した。

 が、まもなく父親が、なくなってしまった。

 問題は、そのあとに起きた。

 父親が残した財産は、600万円の現金と、その父親名義の1000万円の土地という
ことになった。合計で、1600万円。

 で、兄は弟に、こう言ったという。

 「1600万円を2人で分けると、1人、800万円ずつになる。オレのほうで、現在、
600万円の現金を預かっているが、これはオレのものだ。残りの200万円は、土地を
売ってつくってほしい」と。

 弟がいくら説明しても、兄のほうは、それが理解できなかったという。頭も少しボケた
のかもしれない。今でも「残りの200万円、よこせ」と言っているという。
 
 ……で、この兄の話を聞いて、即座に、「おかしい」と思った人は、脳みその働きが健康
な人と考えてよい。しかし、そうでない人は、そうでない。兄の言い分のほうが正しいと
思う人は、自分の脳みそをかなり、疑ってみたほうがよい。

 では、どう考えたらよいのか。

 まず父親の残した財産は、600万円だけということ。たとえ父親名義のままであって
も、その土地は、弟に売ってしまったのだから、父親のものではない。だから兄弟で分け
るとしても、300万円ずつ分けるのが、正解ということになる。だから兄は、自分がも
っている600万円のうち、300万円を、弟に返さなければならない。

 まだ、わからない? では、もう一度、話をわかりやすくしてみよう。こう考えればよ
い。

まず、その600万円は、弟に返して、一度、父親名義の土地を、もとのサヤにもどす。
もどした上で、兄弟が相続する。相続したあと、だれかに売り、その代金を、2人で分
ける。

 しかしこのばあいでも、相続税のほか、土地を売れば、やはり税金を払わなければなら
ない。仮に1000万円で売れたとしても、税金などを引いて、手取り額は、600万円。
その600万円を2人で分ける。このばあい、1人、300万円ずつということになる。

 つまりマリリン・モンローのネックレスの話と、この兄弟の話は、たいへんよく似てい
る。兄弟の話は、少し複雑かもしれないが、マリリン・モンローの思考能力と、兄の思考
能力は、ほぼ同じとみてよい。

 マリリン・モンローの話は、単純でわかりやすい。が、しかしこの種の話は、決して少
なくない。ひょっとしたら、あなたもすでに経験しているかもしれない。ご注意!

 ついでに一言。

 親、兄弟の間では、お金の貸し借り、不動産の売買は、しないほうがよい。贈与も、避
ける。あとあと、深刻な問題に発展するケースが、少なくない。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●運動

++++++++++++++++++

この2日間、片道、約8キロの道のりを
歩いた。

自転車だけでは、運動は、足りない。
それで歩いた。

+++++++++++++++++++

 どんなに疲れていても、自転車にまたがったとたん、体がシャキッとする。35年近く、
毎日、自転車通勤したおかげである。

 しかしそれでも、体の部位によっては、老化を感ずることがある。たとえば、同じ足に
しても、自転車をこぐ力はあっても、走ったり、歩いたりする力は、ない。とくにひざか
ら下の力が弱くなった。ふと立ちあがったようなとき、足がフラつくことがある。

 そこで私は、一念発起。昨日(16日)から、自転車通勤のうち、半分を歩くことにし
た。行きは、歩き、帰りは、自転車ということにした。

 片道は、地図の上では、7・5キロ。しかし実際に歩いてみると、早足でも、片道、1
時間半かかる。結構な距離である。秋になったとはいえ、仕事場に着くころには、全身が
汗で濡れる。

 が、たった2日目だが、みちがえるほど、体が軽くなったのを感ずる。スタスタという
か、スイスイと体が動く。気持ちよかった。うれしかった。必要もないのに、子どものよ
うに、あちこちをピョンピョンとはねてみたりした。

 「これからもつづけよう!」ということで、この話は、おしまい。というのも、実のと
ころ、いつまでつづくか、自分でもわからないから。私の意志は、それほど、強くない。

 
Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司
 
●トンチンカンな韓国の国際外交

+++++++++++++++++

国連安保理によるK国制裁決議が
採択されたあとも、韓国は、金剛山観光事業と、
開城工業団地開発をつづけると言明。
「これらは、制裁品目には、入って
いないから」と。

+++++++++++++++++

 またまたあの金大中(韓国前大統領)が、おかしなことを言い出した。アメリカの政府
に向かって、「アメリカはK国に特使を派遣すべき」と。そしてこうも言った。「もし(ブ
ッシュ大統領が)クリントン政権の政策を持続していたら、今ごろは、K国の核問題は、
解決していたはず」と。

 金大中は、回顧主義的妄想にとりつかれるあまり、そこにある(現実)を見失ってしま
っている。あるいはノーベル平和賞に固執するあまり、わざと(現実)をねじ曲げようと
している?

 さらに国連安保理の制裁決議が採択されたあとも、韓国のN大統領は、「金剛山観光事業
と、開城工業団地開発をつづける」と言明※。「K国の核は韓国を狙ったものではない」と
まで、言い切っている。

 政治、とくに国際外交というのは、(現実)がすべてである。(現実)に始まり、(現実)
に終わる。回顧主義や理想主義では、国際政治は動かない。歴史や、その理想とするとこ
ろは、国によって、みなちがう。いわんや仮定法をもちだして、ああだこうだと言っても
意味はない。

 現実(1)……K国は核兵器をもっている。ミサイルももっている。
 現実(2)……指導者は、すでに狂っている。
 現実(3)……国連安保理は、K国の制裁決議を採択した。
 現実(4)……一番あぶないのは、韓国、それに日本。

 こうした(現実)を前に置きながら、「さあ、どうしよう」と考えるのが、国際外交であ
る。それを忘れると、国際外交は、とんでもない方向に進んでしまう。とても残念なこと
だが、韓国の金大中も、N大統領も、(現実)を見失ってしまっている。

(注※)……政府与党は「金剛山観光事業と開城工業団地は、安保理決議とは無関係」 「北
朝鮮船舶の貨物検査は南北海運合意書に従ってすでに実施されている」といった発言を繰
りかえしている。そして「北朝鮮の核は大韓民国を狙ったものではない」という以前と同
じ根拠のない見方に固執している(朝鮮N報)。
(この原稿は、10月17日に書いたものです。)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学ぶ心のない子どもたち(4年前の原稿より)

 能力がないというわけではない。ほかに問題があるというわけでもない。しかし今、ま
じめに考えようとする態度そのものがない、そんな子どもがふえている。

 「享楽的」と言うこともできるが、それとも少し違う。ものごとを、すべて茶化してし
まう。ギャグ化してしまう。「これは大切な話だよ」「これはまじめな話だよ」と前置きし
ても、そういう話は、耳に入らない。

私「今、日本と北朝鮮は、たいへん危険な関係にあるんだよ」
子「三角関係だ、三角関係だ!」
私「何、それ?」
子「先生、知らないの? 男一人と女二人の関係。危険な関係!」
私「いや、そんな話ではない。戦争になるかもしれないという話だよ」
子「ギャー、戦争だ。やっちまえ、やっちまえ、あんな北朝鮮!」
私「やっちまえ、って、どういうこと?」
子「原爆か水爆、使えばいい。アメリカに貸してもらえばいい」と。

 これは小学5年生たちと、実際した会話である。

 すべてがテレビの影響とは言えないが、テレビの影響ではないとは、もっと言えない。
今、テレビを、毎日4〜5時間見ている子どもは、いくらでもいる。高校生ともなると、
1日中、テレビを見ている子どももいる。

よく平均値が調査されるが、ああした平均値には、ほとんど意味がない。たとえば毎日
4時間テレビを見ている子どもと、毎日まったくテレビを見ない子どもの平均値は、2
時間となる。だから「平均的な子どもは、2時間、テレビを見ている」などというのは、
ナンセンス。毎日、4時間、テレビを見ている子どもがいることが問題なのである。平
均値にだまされてはいけない。

 このタイプの子どもは、情報の吸収力と加工力は、ふつうの子ども以上に、ある。しか
しその一方、自分で、静かに考えるという力が、ほとんど、ない。よく観察すると、その
部分が、脳ミソの中から、欠落してしまっているかのようでもある。「まじめさ」が、まっ
たく、ない。まじめに考えようとする姿勢そのものが、ない。

 もっとも小学校の高学年や、中学生になって、こうした症状が見られたら、「手遅れ」。
少なくとも、「教育的な指導」で、どうこうなる問題ではない。

このタイプの子どもは、自分自身が何らかの形で、どん底に落とされて、その中で、つ
まり切羽(せっぱ)つまった状態の中で、自分で、その「まじめに考える道」をさがす
しかない。結論を先に言えば、そういうことになるが、問題は、ではどうすれば、そう
いう子どもにしないですむかということ。K君(小5男児)を例にとって、考えてみよ
う。

 K君の父親は、惣菜(そうざい)屋を経営している。父親も、母親も、そのため、朝早
くから加工場に行き、夜遅くまで、仕事をしている。K君はそのため、家では、1日中、
テレビを見ている。夜遅くまで、毎日のように、低劣なバラエティ番組を見ている。

 が、テレビだけではない。父親は、どこかヤクザ的な人で、けんか早く、短気で、もの
の考え方が短絡的。そのためK君に対しては、威圧的で、かつ暴力的である。K君は、「ぼ
くは子どものときから、いつもオヤジに殴られてばかりいた」と言っている。

 K君の環境を、いまさら分析するまでもない。K君は、そういう環境の中で、今のK君
になった。つまり子どもをK君のようにしないためには、その反対のことをすればよいと
いうことになる。もっと言えば、「自ら考える子ども」にする。これについては、すでにた
びたび書いてきたので、ここでは省略する。

 全体の風潮として、程度の差もあるが、今、このタイプの子どもが、ふえている。ふだ
んはそうでなくても、だれかがギャグを口にすると、ギャーギャーと、それに乗じてしま
う。そういう子どもも含めると、約半数の子どもが、そうではないかと言える。

とても残念なことだが、こうした子どもたちが、今、日本の子どもたちの主流になりつ
つある。そして新しいタイプの日本人像をつくりつつある。もっともこうした風潮は、
子どもたちの世界だけではない。おとなの世界でも、ギャグばかりを口にしているよう
な低俗タレントはいくらでもいる。中には、あちこちから「文化人」(?)として表彰さ
れているタレントもいる。日本人全体が、ますます「白痴化」(大宅壮一)しつつあると
みてよい。とても残念なことだが……。
(02−12−21)

●まじめに生きている人が、もっと正当に評価される、そんな日本にしよう。
●あなたのまわりにも、まじめに生きている人はいくらでもいる。そういう人を正当に評
価しよう。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●4年半前

++++++++++++++++++++

古い原稿を読みなおしている。
日付を見ると、4年半前の原稿ということに
なる。

しかしいくら古い原稿でも、
読んだ瞬間、「私の原稿」とわかる。
きっと頭の中で、自分自身と同調する
ためではないか。

ラジオの周波数を同調させるのに
似ている。

これはおもしろい現象である。

その中から、いくつかを手なおして、
ここに掲載する。

++++++++++++++++++++

●絶望論

 巨大な隕石が地球に向かっている。もしそれが地球と衝突すれば、地球そのものが、破
壊されるかもしれない。もちろん地球上の、あらゆる生物は死滅する。

 SF映画によく取りあげられるテーマだが、もしそういうことになったら……。人々は、
足元をすくわれるような絶望感を味わうにちがいない。自分が何であるかさえわからない
絶望感と言ってもよい。だれと話しても、何を食べても、また何をしても、自分がどこに
いるかさえわからない。そんな絶望感だが、しかしこうした絶望感は、隕石が地球に衝突
するという大げさな話は別として、つまり大小さまざまな形で、人を襲う。そしてそのつ
ど人々は何らかの形で、日々に、その絶望感を味わう。

 仕事がうまく、いかないとき。人間関係が、つまずいたとき。大きな病気になったとき。
社会情勢や、経済情勢が不安定になったとき。国際問題が、こじれたとき、など。

人間には、希望もあるが、同時に絶望もある。しかしこの二つは、対等ではない。希望
からは絶望は生まれないが、希望は絶望の中から生まれる。人々はそのつど、絶望しな
がら、その中から懸命に希望を見出そうとする。そしてそれが、そのまま生きる原動力
となっていく。

 SF映画の世界では、たいてい何人かの英雄が現れて、その隕石と戦う。ロケットに乗
って、宇宙へ飛び出す。観客をハラハラさせながら、隕石を爆破する。衝突から軌道をは
ずす。そしてハッピーエンド。

 が、現実の世界では、こうはいかない。大きくても、小さくても、絶望は絶望のまま。
ハッピーエンドで終わることなど、10に1つもない。たいていは何とかしようともがけ
ばもがくほど、そのままつぎの絶望の中へと落ちていく。そしてそのたびに、身のまわり
から小さな希望を見出し、それにしがみついていく……。

 何とも暗い話になってしまったが、そこでハタと、人々は気づく。絶望を、絶望と思う
から、絶望は絶望になる。しかし最初から、「望み」がなければ、絶望など、ない。つまり、
「今」をそのまま受け入れて生きていけば、絶望など、ないことになる、と。わかりやす
く言えば、そのつど、「まあ、こんなもの」と、受け入れて生きていえば、絶望することは
ない。

 仕事がうまくいかなくても、結構。人間関係が、つまずいても、結構。大きな病気にな
っても、結構。社会情勢や、経済情勢が不安定になっても、結構。国際問題が、こじれて
も、これまた結構、と。少し無責任な生き方になるかもしれないが、こうした楽天的な、
とらえ方をすれば、絶望は絶望でなくなってしまう。ということは、絶望は、まさに人間
自らがつくりだした、虚妄(きょもう)ということになる。

いや、こう書くと、「林め、何を偉そうに!」と思う人がいるかもしれないが、「絶望は
虚妄である」と言ったのは、私ではない。あの魯迅(1881〜1936・中国の作家、
評論家)である。彼は、こんな言葉を残している。

『絶望が虚妄なることは、まさに希望と同じ』(「野草」)

 が、そうは言っても、究極の絶望は、いうまでもなく、「死」である。この死だけは、そ
のまま受け入れることはむずかしい。死の恐怖から生まれる絶望も、また虚妄と言えるの
か。あるいは死にまつわる絶望からも、希望は生まれるのか。実のところ、これについて
は、私はまだよくわからない。が、こんなことはあった。 

 昔、私の友人だった、N君は、こう言った。「林君、死ぬことだって、希望だよ。死ねば
楽になれると思うのは、立派な希望だよ」と。

私が彼に、「人間は希望をなくしたら、つまり、絶望したら、死ぬのだろうね」と言った
ときのことだ。

しかしもし、絶望が虚妄であるとするなら、「死ねば楽になれるという希望」もまた、虚
妄ということになる。つまり「死に向かう希望」など、ありえない。もっとわかりやす
く言えば、「死ぬことは、決して希望ではない」ということになる。この点からも、N君
の言ったことは、まちがっているということになる……?

 もう一度、この問題は、頭を冷やして、別のところで考えてみたい。
(02−12−20)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●受験期の心がまえ

 子どもの受験は、受かることを考えて準備するのではなく、すべることを考えて準備す
る。こんな中学生(女子)がいた。

 「ここ一番!」というときになると、決まって、「私は、どうせダメだもん」と言って逃
げてしまうのだ。そこである日、理由を聞くと、こう言った。「どうせ私はS小学校の入試
に落ちたもんね」と。その中学生は、7、8年前の失敗を、まだ気にしていた!

 が、実は、そのように気にしたのは、その子ども自身ではない。まわりの親たちが、気
にした。それをその子どもが見て、自分でも気にするようになった。

 この時期の子どもには、まだ「受験」「合格」「不合格」を、客観的に判断する能力は、
ない。たとえば子どもが受験で失敗し、不合格になったとき、不合格がどういうものであ
るかを教えるのは、まわりの親たちである。子どもはその様子を見て、不合格というのが、
どういうものであるかを知る。

 ある母親は、息子(年長児)が、S小学校の入試に失敗したあと、数日間、寝こんでし
まった。また別の夫婦は、それがきっかけで離婚騒動を起こした。そのあと幼稚園を長期
にわたって休んだ親もいるし、何と、自殺を図った親もいる。子どもは、そういう親たち
の動揺を見て、不合格というのが、どういうものであるかを知る。……知らされる。

 そこで子どもの受験は、合格を考えて準備するのではなく、不合格を考えて準備する。
そしてそのときこそ、親の真価が試されるときと、覚悟する。仮に失敗しても、それは親
の範囲だけでとどめ、その段階で、握りつぶす。そして振り向いたその顔で、子どもには
明るいこう言う。「さあ、これからどこかでおいしいものを食べてこようね」と。そういう
姿勢が、子どもの心を守る。親子のきずなを守る。
(02−12−20)

++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●受験は淡々と

 人間が人間を選別する。受験の基本は、ここにある。しかしそれは恐ろしく、非人間的
なことでもある。それゆえに、受験期の子どもをもった親は、理解しがたい恐怖感と、そ
して不安感を覚える。

 こうした子どもの受験戦争に巻きこまれ、精神をおかしくする親も、少なくない。とく
に長男、長女のときは、そうなる。「学校の定期テストのたびに、お粥しかのどを通りませ
ん」と言った母親がいた。「進学塾の明かりを見ただけで、血がカーッとのぼるのを感じま
した」と言った母親もいた。

 しかしこうしたときこそ、親が親である、その本分を試される。たいていの親は、「子ど
もを愛しています」と言うが、本当のところ、それが「愛」であるかどうかは、疑わしい。
子どもを自分の支配下において、子どもを思いどおりにしたいという愛を、代償的愛とい
うが、ほとんどの親は、代償的愛をもって、子どもを愛していると錯覚する。しかし代償
的愛は、代償的愛。真の愛ではない。

 たとえば子どもが、学校のテストで悪い点をとってきたとする。家の中でも元気がない。
そういうとき、あなたは何といって、子どもに声をかけるだろうか。「何よ、この点数は!」
と、あなたは言うだろうか。あるいは「こんなことで、どうするの!」と、あなたは言う
だろうか。ほかにもいろいろな言い方があるが、英語酷では、こういうとき、「TAKE I
T EASY!」と言う。日本語に訳せば、「気楽にしな」という意味になる。

 この話をある会合ですると、ひとりの母親が笑いながら、こう言った。「そんなこと言え
ば、うちの子、本当に、何もしなくなってしまいます」と。一方、子どもは子どもで、こ
う言った。「もしもうちの親がそんなことを言ったら、いよいよ見放されてしまったかと、
かえって不安になる」と。そう言ったのは中学生だが、それを聞いた私は、思わず笑って
しまった。しかしこれだけは言える。「勉強しなさい!」と子どもを叱るのは、親の勝手だ
が、しかしその言葉ほど、親子の間にヒビを入れる言葉はない。反対の立場で考えてみれ
ばよい。

 あなたが作った夕食の料理をみて、あなたの夫が、「何だ、こんな料理。まずいぞ。65
点だ。平均点以下だ!」と言ったら、あなたはそれに耐えられるだろうか。が、それだけ
ではすまない。

 あなたが子どもに向かって、「勉強しなさい」と言えば言うほど、その責任は、親がとら
ねばならない。今、大学生でも、親に感謝しながら、大学へ通っている子どもなど、さが
さなければならないほど、少ない。お金を渡せば、そのときだけ、「ありがとう」と言うか
もしれないが、本当に感謝しているかどうかは、わからない。中には、「親がうるセ〜から、
大学へ行ってやる」と豪語(?)する高校生すら、いる。

 そんなわけで、子どもの受験は、淡々とすますのがよい。親のためでもあるし、子ども
のためでもある。さらに親子の絆(きずな)を守るためでもある。この日本では、受験競
争は避けては通れない道だが、その受験戦争で、家族の心がバラバラになってしまったら、
それこそ、大失敗というもの。また家族の心を犠牲にするだけの価値は、受験競争には、
ない。
(02−12−20)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●♪夕焼け、小焼け

 幼児クラスで、「♪夕焼け、小焼け」を歌った。歌いながら、こんなことを、子どもたち
に聞いてみた。

私「これは、朝の歌かな、夜の歌かな?」
子「夜の歌!」
私「でも、真っ暗ではないよね」
子「もうすぐ、夜になるの」
私「山には、何があるの?」
子「お寺!」
私「お寺の何が鳴るの?」
子「鐘!」
私「どんな音?」
子「キンコンカンコーン」

 私は、こういう発想が、大好き。とても楽しい。ふと、こう思った。「日本の寺も、いつ
までもゴーン、ゴーンにこだわっていないで、たまにはキンコンカンコンーにしてみては」
と。

 「伝統」とは、何か? 長くつづいた、固定化した文化を伝統というのか。当然、そこ
には、人間の経験が蓄積されている。あとの世界に生きる人は、その蓄積の上に、自分の
進歩を組みたてる。そういう意味では、伝統には、伝統としての意味がある。便利だ。が、
その伝統が、反対に、進歩の足カセになることもある。とくに「伝統」の名のもとに、そ
れがループ状態になり、考えることを放棄してしまったばあいに、弊害が出る。

 ……と考えると、この世界には、守るべき伝統と、そうでない伝統があるのがわかる。
あえて言うなら、善玉伝統と、悪玉伝統ということになる。それに意味のない、無害伝統
というのもある。

そこで、自分なりにこれら三つを分類してみようと考えて、ハタと困ってしまった。頭
の中では分類できると思ったが、それぞれの伝統そのものに、善玉的な部分と、悪玉的
な部分が共存しているのがわかった。たとえば、「地域の風習」。

 たとえば私が山荘を構えた、S村では、まだほんの10年前まで、その地域の最長老の
家に、毎月1回、その村の若い嫁たちが、食事を届けるという風習が残っていたそうだ。
明治時代や大正時代の話ではない。平成時代に入ってからの、「今」である。

 こうした風習は、善玉伝統なのか、それとも悪玉伝統なのか。はたまた意味のない、無
害伝統なのか。私が「どうして今は、しないのですか」と聞くと、当時自治会長をしてい
たN氏は、こう言った。「若い嫁さんたちが、いやがりましてね」と。つまり若い女性たち
の意識には、そぐわなくなったというのだ。

たしかに想像するだけでも、息苦しい。しかも毎月となると、手間もたいへんだ。その
地域の女性たちは、ほとんどが共働きをしている。時間をつくるのも、これまた、たい
へんだ。

 しかし一方、こうした風習には、牧歌的な温もりを感ずるのも、事実。現代人が忘れて
しまった、人のつながりさえ感ずる。どこかアメリカのインディアン的でもあるし、どこ
かオーストラリアのアボリジニー的でもある。(本当のところ、彼らにそういう風習がある
かどうかは、知らないが……。)私には、そうした風習が、「おかしい」とか、「まちがって
いる」とか言う勇気はない。

 さて子どもたちの話。私はこう言った。「そうだね、キンコンカンコーンだね。それは楽
しいね。もしそういうお寺があったら、みんなも喜ぶね」と。日本のお寺も、「お寺らしさ」
にこだわるのではなく、「自分らしさ」を追求してみたらどうなのだろうか。……というの
は、暴論だが、どうして「ゴーン、ゴーン」ではよくて、「キンコンカンコーン」ではダメ
なのかという問題の中には、伝統がかかえる本質的な問題が隠されているような気がする。
(02−12−21)

●伝統が創造されるといふのは、それが形を変化するといふことである。……伝統を作り
得るものはまた伝統をこわし得るものでなければならない。(三木清「哲学ノート」)


+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●裸の王様

 アンデルセンの童話に、「裸の王様」(原題は、「王様の新しい衣服」)という物語がある。
王様や、その側近のウソやインチキを、純真な子どもたちが見抜くという物語である。し
かし現実にも、そういう例は、いくらでもある。

 先日も、私が、「今度、埼玉県のT市で講演することになったよ」と言うと、「へエ〜、
どうしてあんたなんかが?」と、思わず口にした中学生(女子)がいた。その中学生は、
まさに裸の王様を見抜いた、純真な心ということになる。

 反対に、何かのことで思い悩んでいると、子どものほうからその答を教えてくれること
がある。H市は、市の中心部に、400億円とか500億円とかをかけて、商業開発ビル
を建設した。映画館やおもちゃ屋のほか、若い女性向けの洋品店などが並んだ。

当初は、結構なにぎわいをみせたが、それは数か月の間だけ。2フロアをぶちぬいて、
子ども向けの児童館も作ったが、まだ1年そこそこというのに、今では閑古鳥が鳴いて
いる。内装にかけた費用が5億円というから、それはそれは豪華な児童館である。どこ
もピカピカの大理石でおおわれている。もちろん一年中、冷暖房。まばゆいばかりのラ
イトに包まれている。

で、その児童館について、ふと、私は、こう聞いてみた。「みんなは、あそこをどう思う?」
と。すると子どもたち(小学生)は、「行かなア〜イ」「つまらなア〜イ」「一度、行った
だけエ〜」と。

 私の教室は、18坪しかない。たった18坪だが、部屋代はもちろんのこと、光熱費の
使い方にまで気をつかっている。机やイスは、厚手のベニヤ板を買ってきて、自分で作っ
た。アルバイトの学生を使いたくても、予算に余裕がなく、それもできない。が、それで
も私の生活費を稼ぐだけで精一杯。が、私にとっては、それが現実。

 しかし同じH市に住みながら、行政にいちいちたてつくことは、損になることはあって
も、得になることは何もない。それに文句を言うくらいなら、だれにだってできる。しか
もすでに完成している。いまさら文句を言っても始まらない。それで思い悩んでいた。が、
子どもたちは、あっさりと、「つまらナ〜イ!」と。それで私も、ホッとした。「そうだよ
な、つまらないよね。そうだ、そうだ」と。

 仮に百歩譲っても、日本がかかえる借金は、もうすぐ1000兆円になる。日本人1人
あたり、1億円の借金と言ったほうが、わかりやすい。あなたの家族が、4人家族なら、
4億円の借金ということになる。そんなお金、返せるわけがない。ないのに、まだ日本は
借金に借金を重ねて、道路や建物ばかり作っている。いったい、この国はどうなるのか? 
政治家たちは、この国を、どうしようとしているのか?

 もう、私にはわからない。「なるようにしか、ならないだろうな」という程度しか、わか
らない。が、かわいそうなのは、つぎの世代の子どもたちである。知らず知らずのうちに、
巨額の借金を背負わされている。

いつかあの児童館には、5億円もかかったことを知らされたとき、子どもたちは何と思
うだろうか。果たして「ありがとう」と言うだろうか。それとも「こんなバカなことを
したからだ」と、怒るだろうか。今の今でも、子どもたちが「あそこは楽しい」と言っ
てくれれば、私も救われるのだが……。まあ、本音を言えば、結局は、役人の、快適な
天下り先が、また一つ、ふえただけ? あああ。

 では、どうするか。私たちは、何を、どうすればよいのか?

 私はすでに、崩壊後の日本を考えている。遅かれ早かれ、日本の経済は、破綻する。そ
の可能性はきわめて高い。その破綻を回避するためには、金利をかぎりなくゼロにして、
国民のもつ財産を、銀行救済にあてるしかない。が、仮に破綻したとすると、日本はかつ
て経験したことがないような大混乱を通り抜けたあと、今度は、再生の道をさぐることに
なる。

が、皮肉なことに、その時期は早ければ早いほど、よい。今のように行き当たりばった
りの、つまりはその場しのぎの延命策ばかりを繰りかえしていれば、被害はますます大
きくなるだけ。となると、答は一つしかない。日本人も、ここらで一度、腹を決めて、
自らを崩壊させるしかない。そしてそのあと、日本は暗くて長いトンネルに入ることに
なるが、それはもうしかたのないこと。私たち自身が、そういう国をつくってしまった!

 ただ願わくは、今度日本が再生するにしても、そのときは、今のような官僚政治とは決
別しなければならない。日本は真の民主主義国家をめざさねばならない。新しい日本は、
私たち自身が設計し、私たち自身が建設する。そのためにも、まず私たち自身が賢くなり、
自分で考える。自由とは何か、平等とは何か、正義とは何か、と。それを自分たちで考え
て、実行する。またそういう国でなければならない。そのための準備を、今から、みんな
で始めるしかない。

 少し熱い話になってしまったが、子どもたちは、意外と正義を見抜いている。しかしそ
の目は、裸の王様を見抜いた目。ときどきは、子どもたちの言うことにも、耳を傾けてみ
たらよい。すなおな気持ちで……。
(02−12−21)

●子どもには、もっと税金の話、税金の使われ方の話をしよう。
●おかしいことについては、「おかしい」と、みなが、もっと声をあげよう。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●私はドンキホーテ

 セルバンテス(ミゲル・デーサーアベドラ・セルバンテス・1547〜1616・スペ
インの小説家)の書いた本に、『ドンキホーテ』がある。『ラマンチャの男』とも呼ばれて
いる。夢想家というか、妄想家というか、ドンキホーテという男が、自らを騎士と思いこ
み、数々の冒険をするという物語である。

 この物語のおもしろいところは、ひとえにドンキホーテのおめでたさにある。自らを騎
士と思いこみ、自分ひとりだけが正義の使者であり、それこそ世界をしょって立っている
と思いこんでしまう。そして少し頭のにぶい、農夫のサンチョを従者にし、老いぼれたロ
バのロシナンテに乗って、旅に出る……。

 こうした「おめでたさ」は、ひょっとしたら、だれにでもある。実のところ、この私に
もある。よくワイフは私にこう言う。「あんたは、日本の教育を、すべてひとりで背負って
いるみたいなことを言うね」と。最近では、「あなたは日本の外務大臣みたい」とも。私が
あれこれ国際情勢を心配するからだ。

 が、考えてみれば、私1人くらいが、教育論を説いたところで、また国際問題を心配し
たところで、日本や世界は、ビクともしない。もともと、だれも私など、相手にしていな
い。それはいやというほどわかっているが、しかし、私はそうではない。「そうではない」
というのは、相手にされていると誤解しているというのではない。私は、だれにも相手に
されなくても、自分の心にブレーキをかけることができないということ。そういう意味で、
ドンキホーテと私は、どこも違わない。あるいはどこが違うのか。

 よく、私塾を経営している人たちと、教育論を戦わすことがある。私塾の経営者といっ
ても、経営だけを考えている経営者もいるが、中には、高邁(こうまい)な思想をもって
いる経営者も、少ないが、いる。私が議論を交わすのは、後者のタイプの経営者だが、と
きどき、そういう経営者と議論しながら、ふと、こう思う。「こんな議論をしたところで、
何になるのか?」と。

 私たちはよく、「日本の教育は……」と話し始める。しかし、いくら議論しても、まった
く無意味。それはちょうど、街中の店のオヤジが、「日本の経済は……」と論じるのに、よ
く似ている。あるいはそれ以下かもしれない。論じたところで、マスターベーションにも
ならない。

しかしそれでも、私たちは議論をつづける。まあ、そうなると、趣味のようなものかも
しれない。あるいは頭の体操? 自己満足? いや、やはりマスターベーションだ。だ
れにも相手にされず、ただひたすら、自分で自分をなぐさめる……。

 その姿が、いつか、私は、ドンキホーテに似ていることを知った。ジプシーたちの芝居
を、現実の世界と思い込んで大暴れするドンキホーテ。風車を怪物と思い込み、ヤリで突
っ込んでいくドンキホーテ。それはまさに、「小さな教室」を、「教育」と思い込んでいる
私たちの姿、そのものと言ってもよい。

 さて私は、今、こうしてパソコンに向かい、教育論や子育て論を書いている。「役にたっ
ている」と言ってくれる人もいるが、しかし本当のところは、わからない。読んでもらっ
ているかどうかさえ、わからない。しかしそれでも、私は書いている。考えてみれば小さ
な世界だが、しかし私の頭の中にある相手は、日本であり、世界だ。心意気だけは、日本
の総理大臣より高い? 国連の事務総長より高い? ……勝手にそう思い込んでいるだけ
だが、それゆえに、私はこう思う。「私は、まさに、おめでたいドンキホーテ」と。

 これからも私というドンキホーテは、ものを書きつづける。だれにも相手にされなくて
も、書きつづける。おめでたい男は、いつまでもおめでたい。しかしこのおめでたさこそ
が、まさに私なのだ。だから書きつづける。
(02−12−21)

●毎日ものを書いていると、こんなことに気づく。それは頭の回転というのは、そのとき
のコンディションによって違うということ。毎日、微妙に変化する。で、調子のよいとき
は、それでよいのだが、悪いときは、「ああ、私はこのままダメになってしまうのでは……」
という恐怖心にかられる。そういう意味では、毎日、こうして書いていないと、回転を維
持できない。こわいのは、アルツハイマーなどの脳の病気だが、こうして毎日、ものを書
いていれば、それを予防できるのでは……という期待もある。

●ただ脳の老化は、脳のCPU(中央演算装置)そのものの老化を意味するから、仮に老
化したとしても、自分でそれに気づくことはないと思う。「自分ではふつうだ」と思い込ん
でいる間に、どんどんとボケていく……。そういう変化がわかるのは、私の文を連続して
読んでくれる読者しかいないのでは。あるいはすでに、それに気づいている読者もいるか
もしれない。「林の書いている文は、このところ駄作ばかり」と。……実は、私自身もこの
ところそう思うようになってきた。ああ、どうしよう!!

●太陽が照っている間に、干草をつくれ。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●命のあるかぎり、希望はある。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●自由のためなら、名誉のためと同じように、生命を賭けることもできるし、また賭けね
ばならない。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●パンさえあれば、たいていの悲しみは堪えられる。(セルバンテス「ドン・キホーテ」)
●裸で私はこの世にきた。だから私は裸でこの世から出て行かねばならない。(セルバンテ
ス「ドン・キホーテ」)
●真の勇気とは、極端な臆病と、向こう見ずの中間にいる。(セルバンテス「ドン・キホー
テ」)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】10月15日

+++++++++++++++++++

嵐のような10日間が過ぎた。
が、みな帰ってしまった。
心の中にポッカリと穴があいたよう。

オーストラリア人の一行は、現在、
揚子江を、船でくだっている。
4日間の船旅だという。

昨夜、その第1報が入った。

それには、

「……BIIIGG contrast to
Japan……(日本とは対照的に、デカ〜イ)」
とあった。

+++++++++++++++++++

 私はやはり、若いころ、オーストラリアに移住すべきだった。ここ数日、そんな会話を、
ワイフとよくする。

 相手がオーストラリア人だと、そのまま全幅に心を開いて話をすることができる。しか
し相手が日本人だと、残念ながら、それができない。いつも相手の心のウラを読まねばな
らない。

 少なくとも、私のオーストラリアの友人たちは、ウソは言わない。体裁も言わない。自
分を飾らない。言いたいことを言い、したいことをする。彼らが、「YES」と言えば、Y
ES。「NO」と言えば、NO。わかりやすい。

いつも、あるがまま。だからつきあうほうも、疲れない。

 しかし同じ人間なのに、どうしてこうまでちがうのだろう。私はここで「心を開く」と
書いたが、相手が日本人だと、どうしても心が開けない。何か言っても、まず、疑ってか
かる。「この人は、そう言いながら、本当は、何を言いたいのか」と。

 前にも書いたが、たとえば私の実家では、こんなトラブルがよく起きた。

 実家から帰るとき、その前の夜、私は、母にこう言った。「明日の朝は、早く帰らねばな
らないから、朝食はいらない」と。

 私は、体重調整も考えて、ときどき朝食をとらないときがある。

 が、朝、起きてみると、もう朝食が用意してある。それを見て、私が、「朝食はいらない
と言ったではないか」と言うと、母は、「いいから、食べていけ」と。

 こういうのを日本では、(やさしさ)という。しかしそれが万事におよぶと、何がなんだ
か、さっぱり、わけがわからなくなる。たとえば「生活費はあるのか?」と心配して聞く
と、母は、いつもこう言っていた。

 「ええ、ええ、心配せんでも。私は、近所の人たちがくれる、大根や菜っ葉を食べてい
るから」と。

 そう言われて心配しない息子は、いない。つまりは、腹のさぐりあいということになる。
もっとわかりやすく言えば、タヌキとキツネの化かしあいということになる。

 その世界にどっぷりとつかってしまった人には、それがわからないかもしれない。それ
なりに居心地のよい世界である。それはわかる。しかしその半面、(わかりやすい世界)に
一度なれてしまうと、そういう世界が、(ドロドロとした世界)に見えてくる。

 「自由」にも、いろいろな意味がある。行動の自由、精神の自由などなど。しかし自分
の心を開放させるというのも、その自由のひとつと考えてよい。その自由を一度知ったら、
カゴの中には、もう戻れない。

 合うか、合わないか……ということよりも、私はこのところ、日本の社会そのものに、
息苦しさを覚える。とくに、今はそうだ。みなが去ったというさみしさも、あるのかもし
れない。

 ところで知らなかったが、オーストラリア人の夫婦たちが何組かが、東北のほうまで行
ってきたらしい。そして、温泉に入ってきたらしい。みな、混浴だったという。私とワイ
フが驚いていると、逆に、「どうして驚くのか」と質問されてしまった。「ヒロシたちも、
来るべきだった。楽しかった」と。

 どうしてオーストラリア人たちは、やることなすこと、こうまでアッケラカンなのか。『世
にも不思議な留学記』の番外編ということになる。

+++++++++++++++

 私が書いた、『世にも不思議な留学記』が、好評のようだ。現在、金沢学生新聞のほうで、
連載してもらっている。一部は、『はやし浩司の世界』というマガジンのほうで、紹介した。
で、その留学記には、いくつかの番外編がある。「番外編」というのは、発表するのに、ど
こか抵抗を感じた原稿である。俗にいう、ボツ原。その中の一つが、「ペンシル・ペニス」。

+++++++++++++++

●ペンシル・ペニス

 オーストラリア人のもつ「肌」に対する感覚は、明らかに日本人のそれとは異なってい
た。簡単に言えば、彼らは平気で、裸になる。こんなことがあった。

 車、2台でドライブに行ったときのこと。男が5、6人に、女が、3、4人いた。暑く
なり始めた初夏のころだった。海沿いに走っていくと、きれいなビーチが見えた。とたん、
車を止めて、みなが、「泳ごう!」と、叫んだ。そう叫ぶのは勝手だが、私は水着を用意し
ていなかった。で、車の中でもじもじしていると、もう全員が、海に向かって走りだして
いた。走りながら、つぎつぎと着ていた服を脱いでいた。全員、素っ裸である。

 が、私は、彼らのあとを追いかける勇気はなかった。みなは、「ヒロシ、来い、来い!」
と叫んでいた。しかし私にはどうしてもできなかった。

 あとになって、一人が私にこう聞いた。「ヒロシは、どうしてこなかったのか?」と。私
はそのときどうしてそう答えたのかは知らないが、こう答えた。「日本には、武士道という
ものがあって、簡単には、人前では、アレを見せてはいけないことになっている」と。が、
この事件がきっかけで、私には、「ペンシル・ペニス」というニックネームがつけられてし
まった。「ヒロシのは、ペンシル・ペニス。だから、裸になれなかった」と。

●ペニスの大きさくらべ

 ペニスの性能は、大きさではなく、膨張率、それに硬度で決まる。そこである日私は、
私をペンシル・ペニスと呼び始めた、K君を私の部屋に呼んだ。そしてこう言った。「君の
と、どちらが性能がよいかくらべてみようではないか」と。K君は、半ば笑いながら、す
ぐ、それに応じてくれた。

 私とK君は、背中あわせに立ち、下半身を出して、アレに刺激を加えた。そしてほどよ
くその状態になったとき、アレに石膏(せっこう)を塗った。アレの型をとって、それで
大きさを比べるためである。

……5分くらいたったであろうか。10分くらいかもしれない。とにかく気がついたと
きには、石膏が半分くらいかたまり始めていた。で、それをゆっくりとはずそうと思っ
たとたん、激痛が走った。陰毛が石膏に入り込み、型がはずれなくなってしまっていた。
K君も、同じだった。大部分の石膏は割ってはずしたが、根元のは、はずれなかった。
あいにくナイフも、ハサミも、手元になかった。

●同性愛者

当時のオーストラリアでは、同性愛者は、「プフタ」と呼ばれて、軽蔑されていた(失礼!)。
少なくとも「プフタ」と呼ばれることくらい、不名誉なことはなかった。まだ同性愛者
に対する理解のない時代だった。

 私とK君は、石膏を、シャワールームで流して落とすことにした。しかし石膏の重みで、
体がゆれるたびに激痛が走る。私たちはそれぞれ下半身をタオルで隠した。隠した状態で、
両手で石膏を包むようにして、支えた。

私たちはドアの隙間から、だれもいないことを確かめると、廊下におどり出た。しかし
運が悪かった。あろうことか、うしろ側に、1人の学生が立っていた。そして私たちを
見ると、悲鳴に近いような大声をあげた。何しろ2人とも、うしろからは、お尻がまる
見えだった!

 そのあと、どうなったか? 私とK君は、予定どおり、シャワールームにかけこみ、そ
こで湯を流しながら、石膏を無事、はずした。しかしそれとは別に、私とK君は、今度は、
「プフタ」と呼ばれるようになってしまった。

 そのK君、今は、オーストラリアのM大学で教授をしている。専門が、人類学というか
ら、あのときの経験が少しは役に立ったのかもしれない。

++++++++++++++++

あのころの私が、なつかしい。
バカなことばかりしていたが、
そのバカなことに、こんなにも
意味があるとは、そのときは、
気がつかなかった。

ところで私の3男が、現在、
仙台にいる。その仙台で、
同じようにバカなことばかり
しているらしい。

++++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●1965年

++++++++++++++++

Eマガの読者が、昨日、1965人に
なった。

1965人目の人は、Y市の人だと
いうことがわかっている。

購読申し込みと同時に、コメントを
送ってくれた。

講演会で、駅から講演会場まで、
送り迎えをしてくれた人である。

そこで、1965年。

この年、私は、満18歳になった。

++++++++++++++++++

 満18歳。高校3年生。私にとっては、人生で、最悪の年だった。神様が「もう一度、
青春時代に戻してあげよう」と声をかけてくれても、あの時代だけは、もうコリゴリ。私
は、絶対に、それを断る。

1965年。

1月……イギリスの元首相、チャーチル死去。
3月……映画「サウンド・オブ・ミュージック」が封切られる。
7月……日韓、韓国内で反日運動が燃えさかる中、基本条約を結ぶ。
7月……名神高速道路開通。
(ビートルズ、人気絶頂期を迎える。)
11月……南海の野村、晴れの三冠王
11月……ボクサーのカシアス・クレイ、大活躍。向こうところ、敵なし。
12月……朝永振一郎、ノーベル物理学賞受賞。

 この中でも、とくに印象に残っているのが、映画、『サウンド・オブ・ミュージック』。
そのときは、一度しか見なかったが、ビデオ、レザーディスクの時代になってから、それ
ぞれ、最初に、買い求めた。DVD版ももっている。そのあと、何度も、見た。

 実は、私はあの映画の中の、リーズル(長女)役をした、シャーミアン・カーに、惚れ
た。大好きだった。映画を見るというよりは、いつも、リーズルの顔を見たくて、それを
見た。それについて、少し前に書いた原稿を添付する。

 話は、少しそれるが、許してほしい。

+++++++++++++++++

●DEPRESSION(落ちこみ)

 サウンド・オブ・ミュージクという映画の中に、「私の好きなもの(My favorite things)」
という歌がある。

 ある雷の落ちる夜、マリアが、大佐の子どもたちをなぐさめるために、子どもたちに、
ベッドの上で歌って聞かせる歌である。

「♪バラの上の雨粒、子猫のヒゲ
 ピカピカのやかんに、暖かい、手袋……」と。

 落ちこんでいるときは、楽しいこと、楽しい思い出を、頭の中にえがくのが、よい。最
初は、脳ミソが、抵抗するかもしれない。どこかすなおになれないかもしれない。しかし
しばらく、「私の好きなもの」を思い描いていると、少し時間差をおいて、気分が楽になる。

 これは心の中の、不思議な現象と考えてよい。

 で、私のばあい、何かのことで落ちこんでいたりすると、ある特定のことで、悶々と悩
んだりする。ささいなことである。まったくこちら側に非がなくても、どういうわけか、
悩んでしまう。

 食欲が減退したり、ため息が多くなる。気分が晴れず、身の置き場がないように感ずる
こともある。ときどきワイフをぐいと抱きしめてみたりするが、(あるいは、反対に抱いて
もらうのかもしれないが……)、どうも居心地がよくない。

 そういうときは、奥の手を使う。

 「私の好きなもの」を、頭の中で思い描く。

★今までで、一番、楽しかったこと。
★今までで、一番、美しいと思った場所
★今までで、一番、おいしいと思った食べ物。
★今まで、一番、自分が輝いていたときのこと。
★今、自分が、一番、したいこと。

こういうことを、順に、頭の中で、思い描いていく。すると、そのときは、すぐには気
分が晴れなくても、何かのことで、つぎの仕事や家事をしたりすると、そのあと、ふい
と心が軽くなる。

 そういう意味では、人間の心は、単純なものだ。落ちこんでいるときの(自分)から見
ると、そうでないときの自分が、信じられない。しかしそうでないときの(自分)から見
ると、落ちこんでいるときの(自分)が、信じられない。

 脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、どうしても、その時点において、そのとき
の脳の状態を基準にして、ものを考えてしまう。

 しかし落ちこんでいるときの(自分)は、病気。心の病気。ちょうど、風邪で体が熱を
出しているようなもの。その(熱)があるからといって、その熱が、永遠につづくわけで
はない。決して、そのように考えてはいけない。

 ……ということは、よくわかっているが、しかし風邪をひくときには、ひく。落ちこむ
ときには、落ちこむ。

 だから、そういうときの救済方法を、あらかじめ、こうして考えておくことは、決して、
ムダではない。その一つが、「私の好きなもの」ということになる。

 そうそう私は、映画、「サウンド・オブ・ミュージック」が、大好きだった。何度も見た。
ビデオ版もDVD版も、もっている。少し前まで、レザーディスク版ももっていた。

音楽もすばらしかったが、私は、生まれてはじめて、日本を離れた夢のような世界に、
この映画を通して触れることができた。

 それにもう一つ、理由がある。

 あの映画の中に出てくる、長女役の女性(リーズル役、シャーミアン・カー)が、大好
きだった。この話は、だれにも話していない、私の秘密だった。(ここではじめて、秘密を
暴露する。)

 ついでにインターネットで検索すると、その映画から35年後の7人の(子どもたち)
の写真が載っていた(「40周年後の同窓会」)。私はうれしくて、それをすべてコピーした。
(インターネットは、本当にすばらしい!)

 で、レーズル役のジャーミン・カーは、すっかり、私と同年代ぽく変身していた。(当然
のことだが……。)しかしこれは、あくまでも、余談。

+++++++++++++++++

 私の高校時代については、以前に何度も書いた。よい思い出は、ほとんど残っていない。
そのせいか、今でも、あの高校の近くへ行くと、ゾッとするような戦慄(せんりつ)を覚
える。同窓会に出ても、何も、楽しくない。

 小さな、田舎の高校だったが、その部分にだけは、黒い穴が開いている。そこはまさに
地獄へとつづく穴。地獄は地獄でも、受験地獄!

 が、まったく「無」の世界であったかというと、そうでもない。私は、そのころ、好き
なガールフレンドができた。よくデートした。「よく」といっても、全体で、4、5回程度。

 その思い出だけが、かろうじてあの時代の私を支えている。

 ……そう言えば、あのときの、あのSさんは、今ごろ、どうしているのだろう。

+++++++++++++++

以前、書いた原稿を紹介します。

+++++++++++++++

●消える地域社会

岐阜県のS市といえば、昔から、刃物の町として栄えた町である。有名な、「関の孫六」
も、ここから生まれたという。私が子どものころには、まさに飛ぶ鳥も落すような勢い
で発展した町だが、今は、もうその面影はない。

 以前から「ひどい」とは聞いていたが、ここまでひどくなるとは! 町の中の商店街の、
約半分以上は、シャッターをしめたまま。日曜日の昼間でも、通りを歩く人は、まばら。
原因は、校外に大型店ができたためという。車社会に、うまく対応できなかった。

 こういう話を聞くと、つまり私の実家も、そういう時代の流れの中で翻弄(ほんろう)
されつづけたこともあるが、地域の文化とは何か、改めて考えさせられる。

 私が子どものころには、商店といっても、そこには、ある種の温もりがあった。近くに、
かしわ屋(鶏肉屋)や、ブリキ屋があった。私はそういうところで、ニワトリが、かしわ
(鶏肉)に調理されるのを見たり、1枚のブリキ板から、いろいろな食器ができるのを、
最初から最後まで見ることができた。

 隣は、内職で、キャラメルを作っていた。ときどき、そのキャラメルを分けてもらった
こともある。もう1つの隣は、小さなパチンコ屋だった。家の向かい側は、髪結いだった。
道の反対側は、時計屋、八百屋、それに薬屋だった。今でいう美容院。何もかもが、半径
100メートルくらいの範囲の中にあった。

 そしてそういう(つながり)の中から、地域社会が生まれ、地域文化が生まれた。町内
の旅行会や演劇会、映画会、そして祭りも生まれた。

 しかし町内の店の半分が、シャッターをしめたとなると、もうその地域の(つながり)
は、崩壊したとみてよい。そのS市にも、それなりの(つながり)があり、地域文化もあ
っただろう。

 ではなぜ、こうまであのS市のことが気になるのか?

 理由の、一1。私の高校時代のガールフレンドが、その商店街で店を構える男と、結婚
したからだ。私が、大学2年のとき、1度、彼女の顔を見たのが最後で、以来、1度も会
っていない。しかし心のどこかでは、ずっと、気にしていた。

 いつか、その店に買い物に行き、彼女をびっくりさせてあげようと考えていた。(もちろ
ん、彼女にとっては、迷惑なことだろうが……。)しかしその店も、人づてに聞くと、「シ
ャッターをしめた」と。

 今ごろは、もう息子さんや娘さんの代になっているから、引退でもして、別のことで楽
しく暮らしているだろうと思う。そう願っているが、しかし、どこかさみしい気がしない
でもない。

 そう、あのガールフレンドは、本当に美しい人だった。きゃしな体つきで、花にたとえ
るなら、白いカトレアのような感じ。……S市の話を書いていたら、いつの間にか、ガー
ルフレンドの話になってしまった。

 今、全国で、そしてこの浜松市でも、地域社会が、どんどん崩壊しつつある。私のよう
に、さみしい思いをしている人は、多いはず。何とかならないものかと思いつつ、何とも
ならないこの歯がゆさを、私は、いったい、どうしたらよいのか。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 11月 8日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【いじめ】

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いじめの問題は、いじめそのものを問題にしても、
あまり意味はない。

なぜ、いじめが起きるか。その奥にまでメスを入れ
ないと、この問題は解決しない。いつまでもつづく。

いじめというのは、あくまでも、表面に現れた症状。
その症状を見ながら、言うなれば、対症療法ばかりを
繰りかえしても、根本的な解決には、結びつかない。

+++++++++++++++++++++

●北海道で起きた、ある事件

 昨年(05年)、北海道で、1人の女の子が自殺した。何通も、遺書を残しての自殺だっ
た。しかも、自殺をした場所が、学校の教室だったという。場所が場所だけに、たいへん
ショッキングな事件だった。その女の子には、女の子の何かの思いがあって、そうしたの
だろう。

 で、そのあと、学校側が、そのいじめを把握していたかどうかが、問題になった。当初、
「知らなかった」と言っていた学校側。それに対して遺族側は、「遺書にそう書いてあった
のだから、知っていたはず」と反駁(はんばく)した。

 そのあたりの詳しいいきさつは知らないので、これ以上のコメントは、しようがない。
遺族(家族)の無念さを思いやるにつれ、たいへん痛ましい事件であることには、ちがい
ない。こういう事件は、あってはならないことだし、また二度と、あってはならない。

 で、その上でというか、この事件からは一歩退いた上で、(いじめ)について考えてみた
い。なぜいじめは起きるのか。またどうしてこういう事件が起きるのか。

●いじめを把握するのは、不可能

 まず、率直な意見として、子どもどうしのいじめだが、それを学校側、つまり教師がそ
れを把握するのは、不可能と言ってもよい。たとえば10人の子どもたちが、集団でワイ
ワイと言いあっていたとする。

 ごくありふれた、どこにでもある光景である。そういう中で、どれがいじめで、どれが
そうでないか、それを見分けるのは、不可能と言ってもよい。笑いあっているから、いじ
めでないとは、言えない。深刻な雰囲気だから、いじめとも、言えない。遊びかもしれな
いし、悪ふざけかもしれない。

 仮にいじめであるとしても、いじめる側は、それをいじめと意識していないばあいが、
多い。ズケズケとものを言う子どもは少なくない。さらに今度は、受け取る側の問題もあ
る。「キモイ」と言われて気にする子どももいれば、そうでない子どももいる。さらにここ
にも書いたように、その場の雰囲気もある。

 もろもろの要素が複雑にからみあって、いじめはいじめになる。こうした事件につなが
る。

●どこからが学校の責任か

 で、そのいじめについて、どの程度以上が学校側、つまり教師の責任で、どの程度以下
が、学校側、つまり教師の責任でないかという判断も、むずかしい。いじめといっても、
暴力的なものもあれば、無視、冷淡、もの隠し、仲間はずれにするといういじめもある。
いろいろある。さらにいじめる側にしても、それをいじめと意識しているばあいはなおさ
ら、先生の目を盗んですることが多い。

 またいじめられている子どもにしても、仕返しを恐れたり、「いじめられる自分が悪いの
だ」と自分を責めることによって、かえって口を閉ざしてしまうケースが多い。もちろん
親に話すということもない。

 そこでたいていのばあい、……というより、ほとんどのばあい、親が自分の子どもの異
変に気づいてから、あわてて対処するということになる。不登校もそのひとつだが、その
前兆症状として、いろいろな神経症(心身症)による症状を示す。それを親が感じて、「ど
うも、うちの子はおかしい」「先生に相談してみよう」ということになる。

 実際、いわゆる「いじめ」という「いじめ」のほとんどは、親からの相談や通報によっ
て、発覚する。99%以上がそうではないか。ということは、こといじめに関しては、(1)
親自身がいつも子どもの様子の変化を把握していなければならない、(2)学校(先生)と
親の関係を、風通しよくしておかねばならない、ということになる。

 しかしだからといって、それでいじめがなくなるわけではない。

 たとえばこんな例がある。

●ピリピリとした雰囲気

 かなり前のことだが、一度だけ、私の幼児教室で、知能テストを実施したことがある。
アメリカの権威あるテストを、そのまま翻訳して、使ってみた。で、そのテスト結果をみ
ながら、私は、点数をつけ、それをグラフ化した。が、これが大失敗だった。

 それまで和気あいあいとしたムードだった親たちの様子が、一変してしまった。私がつ
けた点数にしても、「どうしてうちの子が、こんな点数なのだ」「どうしてあの子が、うち
の子より、いい点数なのだ」「うちの子は、先生に、1年以上も世話になっているのに、成
果が出ていないのは、どういうわけだ」となった

 まるでハチの巣をつついたような騒ぎになってしまった。言うなれば、それまで静かだ
った池に、大きな石を投げ入れたような感じといってもよい。

 で、その後遺症は、それからもずっとつづいた。というより、その時点を境に、教室の
運営さえむずかしくなってしまった。

 ……ということが、実は、日常的に子どもの世界で起きている。とくに受験期が近づく
と、ピリピリとした雰囲気になる。1人か2人、あるいはさらに数人が、その先頭にたっ
て音頭を取るようになる。

 たいていは頭が切れる、成績のよい子どもである。口も達者で、はきはきしている。が、
どこか心が欠けている。自分勝手でわがまま。ものの考え方が、自己中心的。リーダー格
だが、だからといって、友だちに好かれているわけではない。

 このタイプの子どもが、えてして、教室に、独特の緊張感をもたらす。ピリピリとした
感じになる。

 いじめも、こうした雰囲気から生まれると考えてよい。

●受験競争の弊害(?)

 現状では、いじめというのは、起こるべきして起こる。しかも、それを助長しているの
が、受験競争であり、それに狂奔する親たちである。そう断定してしまうのは危険なこと
かもしれないが、その可能性は、ないとは言えない。

 その時期を迎えると、親も子どもも、どこか雰囲気がおかしくなってくる。殺伐(さつ
ばつ)としてくる。「心豊かな教育」などという言葉は、どこかへ吹き飛んでしまう。

 が、皮肉なことに、ほとんど親たちは、自分の子どもがピリピリすればするほど、それ
を喜ぶ。反対に、自分の子どもが、のんびりとした様子を見せようものなら、「こんなこと
ではだめだ」と、子どもを叱る。親自身が、受験競争の弊害の恐ろしさを知らない。こん
なこともあった。

 1人、たいへん頭のよい子ども(小6・女児)がいた。「頭がよい」というのは、勉強が
よくできるという意味である。そういう子どもを、親はたいへん喜んでいたが、しかし親
は、その子どものもつ、心の冷たさには、気づいていなかった。

 ぞっとするほど、冷たかった。表面的には、明るく、ハキハキした子どもだったが、友
だちの価値まで、成績で決めてしまうようなところがあった。平気で、「あいつはバカだ」
「あいつはアホだ」と言っていた。

 で、そのことを母親に告げようとしたことがあるが、私は会ったとたん、何も言えなく
なってしまった。その母親自身も、やはりぞっとするとほど、心の冷たい人だった。それ
を知ったとき、私が言おうとしたことは、そのまま、喉の奥に引っこんでしまった。

 こういうケースは、たいへん、多い。

 つまりこうして加速度的に、いじめの温床が作られていく。

●学校だけを責めるのは、酷(?)

 北海道で起きた事件は、たいへん痛ましい事件である。そのことには、まちがいない。
そういう形で自分の娘をなくした親にしてみれば、その心痛はいかばかりか。それを思う
と、この私ですら、いたたまれない気持ちになる。しかもそれが、事故ではなく、いじめ
が原因ということなら、なおさらであろう。

 が、しか、しその一方で、学校側だけを責めるのも、私は酷だと思う。もちろん学校側
に責任がないと言っているのではない。あるいは、こうまで問題がこじれてしまった背景
には、私たちが知らない、何かの事情があるのかもしれない。

ただあえて学校側を擁護するなら、意図的にウソをついたというよりは、こと問題が、
ほかの子どもたちにからむ問題であるだけに、できるだけ穏便にすませようとする学校
側の意図が働いたとも考えられる。

 「だれがいじめた」「どうしていじめた」ということになれば、当然、子どもたち自身が
被告人になってしまう。私がその場にいた教師なら、それだけは何としても避けたいと願
うだろう。

 ……と書きながら、私が言えるのは、ここまで。先にも書いたように、私には、その内
情がよくわからない。新聞に報道された事実だけで、判断をくだすことも、これまた危険
なことである。ただ最後に、一言だけつけ加えるなら、その子どもを取り巻く環境が、も
う少し風通しのよいものであったら、この種の事件は、防げたかもしれないということ。

 その子どもが、親や先生に、そのときの気持ちや状況を、そのまま訴えることができた
としたら、親や先生も、適切に対処できたかもしれない。つまりそういう環境がなかった
ということも疑われる。というのも、実際問題として、先生自身が、子どもの世界に入り
こんで、いじめを発見するというケースは、きわめてまれだからである。

 ほとんどのばあい、親からの相談などで発覚する。あるいは何か、具体的な事件が起き
てから発覚する。

 そこで重要なことは、つまりこの種の事件の再発を防ぐためには、(風通し)をよくする
という、その一語に尽きる。親と学校側の風通しが大切であることは言うまでもないが、
子どもと親、子どもと学校の風通しをよくする。

 つまり子ども立場でいうなら、親にも、先生にも、何でも言いたいことを言い、相談し
たいことを相談できるという環境ということになる。それがとどこおったとき、この種の
事件は、起きる(?)。

 どうしてそれができなかったのか。考えれば考えるほど、今回のこの事件は、たいへん
残念な事件ということになる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1963年

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マガジンの読者が、今日、4人ふえて、
1963人になった。

不思議なマガジンで、読者がふえるときは、
いつも、プラス4人か、あるいは、ゼロ。

つまり4人か、ゼロ。

どうしてだろう……?

それはさておき、1963年。この年、私は、満16歳
になった。

高校1年生である。

+++++++++++++++++++++

3月……新幹線のスピードテストが行われる。
6月……女性宇宙飛行士のテレシコワ、地球を48周する。
11月…アメリカのケネディ大統領、ダラスで暗殺される。
12月…力道山、東京赤坂のナイトクラブで刺殺される。

 これらのできごとは、どれも、私は、よく覚えている。ただ力道山が刺されたのは、も
っと前のことだったと思っていた。小学5年生〜6年生くらいのとき(?)。が、記録を読
むと、1963年。だから、やはり、私が高校1年生のときということになる。

記憶の中では、私はそのニュースを、銭湯の中に設置してあったテレビを見て知ったよ
うに思う。

 たいへんな衝撃だった。しばらくテレビに釘づけになったのを覚えている。記録によれ
ば、その夜10時50分ごろ刺されたということだから、その時刻にテレビを見ていたこ
とになる。しかしそうすると、時刻が合わない。銭湯は、そんな夜遅くまで、開業してい
なかった。

 そこで調べてみると、力道山は、12月8日に刺されたあと、開腹手術を受けたものの、
15日の午前9時50分になくなっていることがわかった。となると、また時刻が合わな
い。私は、力道山のニュースを知って、衝撃を受けている。「力道山は死ぬはずはない」と、
私も含めて、だれもが、そう思っていた。力道山は、まさに日本のスーパーマンだった。

が、午前中になくなったとすれば、銭湯の中でなくても、その前に、それを知っていた
はず。銭湯は、毎日、夕方5時ごろ、開いていた。

 あるいは、当時というのは、そういう時代だったのかもしれない。つまりそれほどまで
に衝撃的なニュースでも、私たちの耳に届くまでには、半日もかかったということ(?)。
よくわからないが、私の記憶をたどっていくと、そういうことになる。

で、私はその力道山を、私の町へやってきたとき、直接、見ている。車の後部がデッキ
になった、今でいうマイクロバスのような車で、そのデッキの上で、力道山は、私たち
に手を振ってくれた。そうそう、そのとき、私は、まだ小学生か、中学だった。

 そうした雑多な記憶が、今、頭の中で、混信している。ひょっとしたら、銭湯で見たあ
の事件は、もっとべつの事件だったかもしれない。ウム〜〜?

 が、何といっても、最大のニュースは、アメリカの大統領のJ・F・ケネディが暗殺さ
れた事件。しかしこのニュースも、それから43年もたってみると、キューバ危機(19
62年10月22日)の事件と重なり、今では、どっちがどっちなのか、よくわからない。

 キューバ危機のニュースは、遠足の途中で、先生からその話を聞いた。1962年の事
件だから、その前年に起きた事件ということになる。あのときは、「もうこれで日本もおし
まい」と、本気でそう思った。

 そのとき感じた恐怖感が、J・F・ケネディ暗殺事件と重なる。

 記憶というのは、どうも、そういうものらしい。

 何はともあれ、私は、そのとき高校1年生。とくに何が楽しかったという時代ではない
が、そのころの私は、ただひたすら、勉強だけをしていた。いわゆるガリ勉タイプ。今か
ら思うと、つまらない学生だった。

 世間知らずで、井の中の蛙(かわず)。まったくの井の中の蛙。

 ところで、話はまったく変わるが、マガジンを出すと、そのつどマガジンの読者がふえ
る。しかしこのふえかたが、おかしい。

 そのふえ方だが、4人か、ゼロ。そのどちらかに決まっている。2人とか、3人とか、
そういうことはない。5人以上というのも、めったにない。4人か、ゼロである。

 どうしてだろう? どうして、いつも、4人か、ゼロなのだろう? だれか電子マガジ
ンに詳しい人がいたら、教えてほしい。

++++++++++++++++

記憶について、3年前に、こんな
原稿を書きました。

++++++++++++++++

●乳幼児の記憶

 新生児や、乳幼児にも、記憶はある。科学的にそれを証明したのは、ワシントン大学の
メルツォフ(発達心理学)らである。しかもその記憶の量と質は、私たちが想像するより
も、はるかに濃密なものであると考えてよい。

 その一例として、野生児がいる。生後直後から、人間の手を離れ、野生の世界で育てら
れた人間をいう。よく知られた野生児に、フランスのアヴェロンで見つかった、ヴィクト
ールという少年。それにインドで見つかった、アマラ、カマラという二人の少女がいる。

 アヴェロンの野生児についていえば、発見されたときは、推定12歳ほどであったが、
死ぬまでの40歳の間に覚えた単語は、たった3つだけだったという。またインドの2人
の少女は、完全なまでに動物の本性と生活条件を身につけていたという。

感情表現もなく、おなかがすいたときに怒りの表情。肉を食べたとき、満足そうな表情
を見せた以外、生涯、ほほえむこともなかったという。

 この野生児からわかることは、乳幼児期の記憶、なかんずく、生活環境が、きわめて濃
密な形で、その人間の人格形成に影響を与えているということ。またその時期にできた、
いわゆる人格の「核」というのは、その後、生涯にわたって、その人のまさに「核」とな
って、その人の生きザマに影響を与えるということ。

 私たちは新生児や乳幼児を見ると、そのあどけなさから、「こういう幼児には記憶などあ
るはずがない」とか、あるいは、自分自身の記憶と重ねあわせて、「人間の記憶が始まるの
は、4、5歳の幼児期から」と考えやすい。しかしこれは誤解というより、まちがいであ
る。

 子どもは生まれたときから、そして乳幼児期にかけて、ここにも書いたように、きわめ
て濃密な記憶を、脳の中にためこんでいく。しかも重要なことに、人間は、自分の子育て
をしながら、自分が受けた子育てを、再現していく。

これを私は、勝手に「人格の再現性」と呼んでいる。子育てを再現するというよりは、
その人自身の人格を再現するからである。

 わかりやすい例でいえば、たとえば自分の子どもが中学生になると、ほとんどの親は、
言いようのない不安や心配を覚える。しかしそれは自分の子どもの将来についての不安や
心配というよりは、自分自身が中学時代に覚えた不安や心配である。将来に対する不安、
人間が選別されるという恐怖。それを自分の子どもを通して、親は再現する。

 私も、最近、こんな経験をしている。

 昨年、孫が生まれた。二男の子どもである。二男は、インターネットで、子育ての様子
を伝えてくれるが、その育て方を見ていると、二男は恐らく、自分では、自分は自分の子
育てをしているつもりかもしれないが、どこかしこというより、全体としてみると、私が
二男にした子育てと同じことを繰りかえしているのがわかる。

 こうしたことからも、つまり現象面から見ても、新生児や乳幼児にも、記憶がしっかり
と残っていることがわかる。そういう意味では、ワシントン大学のメルツォフらの研究は、
それを追認しただけということになる。

 さてここが重要である。

 あなたはあなたの子どもの記憶を、決して安易に考えてはいけない。子どもが泣いてい
るとき、あるいはひょっとしたら眠っているときでさえ、子どもの脳は、想像を超える濃
密さで、そのときの状況を、記憶として蓄積している。そしてそれがそのまま、その子ど
もの人格の核となっていく。

 これに対して、「私は自分の記憶を、4、5歳くらいまでしか、たどることができない。
だからそれ以前は、記憶はないのではないか」という意見もある。しかしこれについては、
もう一度、はっきりと否定しておく。

 記憶は、記銘(脳の中に記録する)、保持(その記憶を保つ)、そして想起(思い出す)
という操作を経て、人間の記憶となる。ここで重要なことは、想起できなからといって、
記憶がないということではないということ。事実、脳の中心部に辺縁系と呼ばれる組織が
あり、その中に海馬(かいば)という組織がある。

 この海馬には、ぼうだいな量の記憶が保持されている。が、その記憶のほとんどは、私
たちの意識としては、想起できないことがわかっている。いわば担保に取られた貯金のよ
うなもので、取り出すことはもちろん、使うこともできない。しかしそしてそうした記憶
は、無意識の世界で、その子どもを、そして現在のあなたを、裏から操る……。

 繰りかえすが、新生児や乳幼児の記憶を、決して、安易に考えてはいけない。
(030614)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
記憶 幼児の記憶メルツォフ 野生児 ビクトール アマラ タマラ 子どもの記憶 記
銘 保持 想起)

+++++++++++++++++
これに関連して書いた原稿が、つぎの原稿(中日新聞発表済み)である。
+++++++++++++++++

親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それま
ではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない
不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受
験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、
たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

つい先日も、中学1年生をもつ父母が、2人、私の自宅にやってきた。そしてこう言っ
た。「1学期の期末試験で、数学が21点だった。英語は25点だった。クラスでも40
人中、20番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかして
ほしい」と。2人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻
みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、
最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したの
に驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に
気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。

行動の自由はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い
間、悩まされた。たいていはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の
教室がわからない。やっと教室に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を
見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎ
ていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がい
る。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代では
ない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親
で、「すべては子どものため」と、確信している。

こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(2001年)によれば、中
学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、39・1%しかい
なかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答
えた親が、78・4%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。
つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、
それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生
に話す」はもっと少なく、たったの6・8%! 本来なら子どものそばにいて、よき相
談相手でなければならない先生が、たったの6・8%とは! 先生が「テストだ、成績
だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉
強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってから
だ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、
違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行
こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。
……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。
気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。
それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中
学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていな
いだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。

あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返
ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あ
なたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをした人
ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
受験と子ども 親に相談する子供 先生に相談する子供 内閣府の調査)

 

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



●老人扱い

++++++++++++++++++++

「私は老人だから……」と、大切にされることを
要求する、日本人。

「私は老人ではない」と、老人扱いされることを
拒否する、オーストラリア人。

同じ老人なのに、どうしてこうまで生き様が
ちがうのか?

++++++++++++++++++++

 オーストラリア人たちをあちこち案内していて、気がついたことがある。その中には、
80歳前後の人たちが、何人かいる。

 私は、そういう老人たちの前向きな生き方、考え方を見て、驚いた。本当に、驚いた。
だれも、老人臭くない。つまり自分たちは、老人とは、思っていない。

 好奇心はおう盛。何か新しいことを発見するたびに、「どうしてだ?」「なぜだ?」と、
質問をたたみかけてくる。

 たとえば小さな食堂へ入っても、のれんを見つけて、「これは何だ?」「何のために、こ
んなものをつりさげておくのか?」と。「本当に、日本のそばでいいのか?」と私が聞くと、
「日本では、日本のものを食べたい」と。姿、形は、80歳前後かもしれないが、中身は、
まるで、子ども。子どもの遠足のように、そのつど、はしゃぎ、騒ぐ。

 日本人は、自ら、老人になっていく。あらかじめ(老人)の形をつくり、その中に、自
分をあてはめていく。「老人というのは、こういうものだ」と。そして「さも自分は、でき
た人間でございます」というような様子をしてみせる。

 一方、オーストラリアには、老人の形、そのものがない。……といっても、その(ちが
い)を説明するのは、むずかしい。ただここで言えることは、「老人だったら、どこの国の
老人も同じ」と考えるのは、明らかにまちがっているということ。

 どうして、こういう(ちがい)が生まれるのか? 

 ひとつには、彼らの生き様が、ストレートであること。裏、表が、ない。まったく、な
い。

 たとえば私の家で食事をすませたあとも、みな、さっと立って、洗いものをしてくれる。
男も、女も、だ。当初はそれに面食らったが、彼らにしてみれば、それが自然な行為なの
だ。いつも、自分たちの家では、そうしている。それを、そのまま、私の家でする。

 だからそうしてもらう私のほうは、彼らのしたいままにさせておく。オーストラリア人
というのは、したいことはする。したくないことは、しない。そのあたりの白黒が、はっ
きりしている。

 決して、儀礼でするとか、義理でするとか、かっこうをつけてするとか、そういうこと
をしない。ひとりはかなり金持ちの人だが、破れた靴下を、平気ではいている。そういう
ことを、何とも思っていない。

 だからつきあっていても、気が楽。初対面の人もいるが、何十年来の友人のように、心
が行きかう。私も、言いたいことを、言う。そのまま言えばよい。「今朝はワイフが、頭痛
がすると言っている」などと言うと、みなが、ワイフに気をつかってくれる。

 日本では、老人は、自ら老人になっていく。またそうであることが美徳とされている。
しかしオーストラリアでは、(老人)という意識が、まるでない。その(形)すらない。

 私は、今、その(事実)に強い衝撃を受けている。

 ……そう言えば、私の叔母の1人などは、電話をかけてくるたびに、弱々しい声で、「お
ばちゃんも、年を取ったからねエ……」と言ってくる。「だから、何とかしてくれ」という
ことなのだろうが、こと、オーストラリア人については、そういう言葉そのものがない。
発想もない。坂道や階段などで、へたに彼らの腕を取ろうものなら、「私はだいじょうぶ」
と、かえって、こちらの手を払いのけてしまう。

 老人扱いされることそのものに対して、強い拒絶反応を示す。

 私は、今、老人としての、新しい生き方を、考え方を、彼らを通して、学びつつある。
これは私にとって、すばらしい体験といってもよい。

で、今朝は、これからその中の2人を、中部国際空港まで送っていく予定。

 では、みなさん、おはようございます。私も、がんばります。

【提言】

 「老人」という、わけのわからない、プラス、意味のない言葉を、廃語にしよう!


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●厳戒態勢の日本 

++++++++++++++++

自衛隊では、現在、乙(おつ)装備
になっている。

戦闘機も、すべて実弾を積んでいる。

これが甲(こう)装備になると、自衛
隊員は基地内に缶詰。隊員たちは、靴
をはいたまま、眠ることになる。

今、その甲装備になる、1歩、手前。

++++++++++++++++

 自衛隊で幹部をしている友人が話してくれた。「現在、自衛隊では、乙装備を実施してい
る」と。「乙装備」というのは、「臨戦態勢」という意味だそうだ。

 自衛体内は、かなり緊迫しているらしい。すでに日本の領海内へ入ってくるK国の船舶
は、すべて臨検対象になっているという。「公海上ではまだできませんが、日本の領海内で
は、できます」とのこと。

 もちろん臨検対象は、核兵器。船に積んでこられて、日本の沿岸でドカンとやられたら、
たまらない。自衛隊も、それをよく知っている。

 が、アメリカ軍は、さらに危険レベルをあげている。たとえば九州の佐世保市では、市
内でも、検問がきびしくなっているという(佐世保市在住の知人)。そのアメリカ軍は、現
在、レベルBの臨戦態勢を敷いている。

 レベルAというのは、実戦体制。レベルは、Aから、B、C、Dと、4段階まである。

 K国がおかしな行動に出たら、すぐ、レベルAにひきあげられるという。

 日本も本気なら、アメリカも、さらに本気らしい。

 その自衛隊の幹部の人は、こう言った。「アメリカ軍は、規模がちがいますから」と。

 ……とうとうここまできてしまった、極東情勢。しかしこの場に及んでも、あの金大中
(韓国の前大統領)は、こう言っている。「ここでまでK国を追いこんだのは、アメリカだ。
(アメリカが悪い)」と。

 あの人も、ボケた。まるで現実が、わかっていない。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●上下意識

++++++++++++++++++++

オーストラリアには、日本でいう「上下意識」
というのが、まったく、ない。

ないものはないのであって、どうしようもない。

「兄が上で、弟が下」とか、「夫が上で、妻が下」
とか、そういう意識は、まったくない。

それだけではない。

親子の間でも、それがない。親も子どもも、対等。
まったくの対等。

それを知るにつけ、では日本人がもつ、この
「上下意識」は何かと、しばしば考えさせられる。

+++++++++++++++++++++

 この数週間だけで、中部国際空港(セントレア)と浜松の間を、何往復したかわからな
い。オーストラリアの友人や家族を迎えに行ったり、送っていったり。それぞれが別々の
行動をしている。彼らの言葉を借りるなら、「Follow the nose(足の向く
ままに)」となる。

 そういうオーストラリア人たちを見ながら、ワイフが、こう言った。「私、すばらしい勉
強をしたわ」と。

私「何を?」
ワ「老後の生き方よ」
私「そうだな」と。

 オーストラリアには、日本でいう「上下意識」というのが、まったく、ない。ないもの
はないのであって、どうしようもない。「兄が上で、弟が下」とか、「夫が上で、妻が下」
とか、そういう意識が、まったくない。

それだけではない。

親子の間でも、それがない。親も子どもも、対等。まったくの対等。それを知るにつけ、
では日本人がもつ、この「上下意識」は何かということになる。

 たとえばこんなことがあった。

 1人の女性(80歳)には、5人の子どもがいる。私の友人の母親である。母と息子と
いう関係になる。が、その2人、たがいにまったく、干渉しようとしない。母は母、息子
は息子という雰囲気である。そこで私のほうが、質問をした。

 「オーストラリア人の親というのは、息子が何をしても、何も言わないのか?」と。

 するとその母親は、「しない」「それは彼の人生だから」と。そこでさらに具体的に、「た
とえば離婚問題が起きたときはどうか?」と聞くと、それについても、「息子たちが判断す
ること」と。

 どうであっても、親は、その結果だけを知り、それに納得し、それを受け入れるという
ことらしい。子どもたちの生活には干渉しない。同時に、子どもたちには、干渉させない。
それがどうやらオーストラリア流の親子関係ということになる。

 が、この日本では、離婚問題ひとつとっても、かならずと言ってよいほど、そこに親が
割って入ってくる。親のほうが、大騒ぎするケースも少なくない。少し前だが、息子夫婦
の離婚問題で、毎晩のように電話をかけてきた知人(70歳くらい)がいた。

 相談内容は、要するに、「出て行く嫁には、財産を分けたくない。そのためには、どうす
ればいいか」ということだった。が、私の答は、簡単。「財産を分けてやるべきだ」「息子
さんの問題だから、息子さんに任せばいい」だった。が、そんなことは言えない。

その知人には、その知人の意識がある。日本的といえば、実に日本的。その意識の世界
にまで踏みこんで、ものを言うのは、たいへん危険なことである。へたをすれば、人間
関係そのものまで破壊してしまう。だからどうしても、あいまいな返事になってしまう。

 事実、そのあとその知人は、ことあるごとに、私のことを、「冷たい男だ」と言いふらし
ていた。「相談したのに、親身になって、相談にのってくれなかった」と。

 が、それがもしオーストラリアだったら、どうだろう。息子夫婦の離婚問題に、親がク
ビをつっこむということ自体、考えられない。息子夫婦の相談にはのるだろうが、「こうし
ろ」とか、「ああしろ」とかいう、干渉はしない。言うなれば、「友」としての親子関係が、
確立している。意見を言うとしても、「友」としての立場で、ものを言う。

 これについては、ほかのオーストラリア人たちも、みな同意見で、逆に私のほうが質問
されてしまった。「日本では、どうして親が、子どもの離婚問題に、クビをつっこむのか(=
干渉するのか)?」と。

私「日本では、子どもは、家の財産、親の財産という考え方をする」
オ「それは、おかしい(リディキュラス)」
私「わかっているが、大きな流れの中では、それに抵抗するのは、むずかしい」
オ「離婚するとか、しないとかは、あくまでも、子どもの問題」
私「そうはいかない。日本では、いまだに、家と家の結婚と考える人が多い。親のプライ
ドがキズつけられたと考える人も多い」
オ「オー、ノー」と。

 こうした(ちがい)を支えるのが、いわゆる(上下意識)ということになる。「親が上で、
子が下」という上下意識。親自身が、その意識をもつこともあるが、子どももそれをもつ。
親に隷属することが、子としての美徳と考えている人も多い。そしてそれがなお性質(た
ち)の悪いことに、この日本では、半ば、カルト化している。

 が、オーストラリア人たちは、どの年代の人も、「私は私」「あなたはあなた」という生
き方をしている。年齢に関係ない。私のワイフは、それを発見した。

ワ「老人だからといって、老人臭く生きなければならないというのは、おかしいわ」
私「そうだ。本当に、そうだ」
ワ「あのJさんだけど、あと20年生きて、100歳まで生きるってよ」
私「100歳?」
ワ「体をきたえるため、週3回、往復10キロも、散歩しているんだってエ」
私「老人扱いしてはいけないということだね。ぼくたちより、はるかに気が若い」
ワ「そうね」と。

 人間に上下など、ない。こんなわかりきったことでも、わからない人は、多い。意識と
いうのは、そういうもので、一度、心の中で形成されると、それを改めるのは、容易なこ
とではない。その意識を基礎に、あらゆる方向に、自分の思想や哲学を載せてしまう。そ
してそれが回りまわって、日本独特の上下意識、さらには親子関係、夫婦関係をつくりあ
げてしまう。

 ただ一言、このエッセーに注釈を加えるとしたら、こういうことになる。

 今回、私たちが世話をした、オーストラリア人一行は、南オーストラリア州に住む、ド
イツ系の家族が中心だったということ。約半数が、ドクターやその家族たちである。同じ
オーストラリア人でも、どの国からの移民かによって、考え方がちがう。もちろん中国や、
東南アジアからの移民も多い。

 そういう人たちも含めて、「オーストラリア人は……」と、ひとまとめにして論ずること
は、危険なことである。また日本でも、このところ、上下意識、つまり権威主義は、音を
たてて崩壊し始めている。

 ともあれ、日本が進むべき道は、まだまだ遠い。私は、それを感じた。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1605)

●韓国情勢

+++++++++++++++++++

空想の世界にハマると、現実認識ができなく
なる。

よい例が、カルトと呼ばれる狂信団体。

とんでもないことを信じながら、それが
とんでもないことだということさえ、
わからなくなる。

しかしカルトなら、まだよい。どこまでいっても、
それは個人の世界。個人の問題。

しかしそれが政治の世界に入ると、とんでも
ないことになる。

++++++++++++++++++++

 ますますわからなくなってきたのが、韓国のN大統領。おバカ大統領。「現実」から、ま
すます遊離してきている。

 K国がミサイルを発射した直後は、あれこれ言っていたが、結局は、何も変えなかった。
ミサイルを発射した当日の午後ですら、セメントを満載した船を、K国に向けて出航させ
ている。

 で、今回は、核実験。

 当初は、「きびしい態度で臨む」とは言ってみせたものの、わずか数日で、言うことを、
どんどんと変えている。順に拾ってみよう。

 N大統領は、K国の核実験のあと、こう述べている。「これまでのようにすべてに譲歩し、
K国がどんな行動に出ようとも受け入れるといった態度で臨むわけにはいかなくなったの
ではないか」(10月9日)と。つまり「金剛山観光と開城工業団地開発を見なおす」と。
が、それが翌々日の11日になると、こう変化した。

 「(北朝鮮の核実験に対する対応策には)制裁と対話という2種類の方法がある。立場の
違いにより、一方は強硬な制裁を進め、もう片方は対話で解決しようと話している。明ら
かなのは、この2つは共に有効であり、どちらか一つだけを選択できる問題ではないとい
うことだ」(11日、民主平和統一諮問会議の海外諮問委員懇談会の席で)と。

 さらにこうも述べている。

 「国連安保理の決議に対し、国連会員国として従うほかないが、(安保理決議は)具体的
な事業一つ一つにまで干渉するものではない。具体的な条項においては、韓国政府が(望
む方へ)行動し得る余地を探すことができるだろう。これは政治家が総論には賛成しつつ
も、各論について討議するようなものだ」と。さらに別の場では、「平和的解決の意味は、
アメリカとは異なる」(青瓦台で開いた外交安全保障分野の専門家らとの夕食懇談会の席
で)とも。

 つまり、制裁だけではいけない。対話という方法も大切だ。韓国は、対話を大切にする、
と。国連で制裁決議が確実になってきたという時点において、こういうことをヌケヌケと
言う。私には、大統領のその心理が理解できない。わかりやすく言えば、N大統領は、国
連決議を、あえて骨抜きにしようとしている。

 事実、そのあと、N大統領は、「国連決議案とは関係なく、金剛山観光と開城工業団地事
業は継続する」との内部方針を決めている。

 が、N大統領のおバカぶりは、これにとどまらない。「今までどおり、包容(太陽)政策
を推進する」と述べた上で、「核実験が行われたにもかかわらず、落ち着いて対応する雰囲
気が作られたのは、南北の和解・交流・協力が大きな進展を成し遂げたため」(12日、朝
鮮N報)と。

 つまりK国の核実験のあとも、韓国が落ち着いておられるのは、今までの、包容政策の
成果だ、と。バカめ!

 K国のミサイルの脅威にさらされている韓国の、その大統領が、「落ち着いている」とは? 
そう言えば、先のミサイル発射事件のときも、N大統領は、その直前まで、「あれは人工衛
星だ」「ミサイルではない」とがんばっていた。

 今回も、「核実験の兆候はまるでない」と、その直前まで、K国をかばってみせていた。

 まったくわけがわからない。韓国のN大統領の言語録を拾い読みしていると、あたかも
カルトを狂信している信者と話しているかのような錯覚にとらわれる。「現実」がどこにあ
るかさえ、わからなくなってしまう。

 「主権」を口実に、アメリカ軍を韓国から撤退させる道筋をつくりながら、「いざとなっ
たら、アメリカ軍が我々を守ってくれる」と発言してみせたり、「K国が核兵器をもつのに
も、一理ある」と、発言してみせたりしている。

 これはN大統領の発言ではないが、前大統領の金大中は、K国による核実験にあとにで
すら、こう発言している。「ここまでK国を追いこんだのは、アメリカだ」と。つまり、「ア
メリカが悪い」と。

 N大統領は、明らかに、金大中の論理をもとにして、政治運営をしている。ご存知の人
も多いかと思うが、その金大中は、きわめて熱心なクリスチャンである。

 ところで、この17日に、現代峨山のY社長が、K国を訪問することになっているとい
う。目的は、K国の高官に、金剛山開発を続行する旨を伝えるためだという。

わかりやすく言えば、Y社長は、こう伝えたいのだ。つまり、「韓国としては、制裁には
反対だ。金剛山開発をやめることになったとしても、それは韓国の責任ではない。国際
的な圧力に屈して、泣く泣くやめるだけだ」「だから報復するとしても、韓国にではなく、
日本や、日本の在日米軍基地を標的にしてほしい」と。
(この原稿は、10月14日朝、書いたものです。)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(10月7日)

++++++++++++++

さわやかな朝。
心地よい朝。
窓からはカーテン越しに、
まばゆいばかりの朝日。

もう一度体をよじらせて、
目を閉じる。

今日は、10月7日。
土曜日。

++++++++++++++

●家族自我群

 「家族自我群」という「束縛」に苦しんでいる人は、多い。もう6、7年前のことだが、
ある会合で、1人の母親が、こう言った。「盆や、正月が近づくと、憂鬱(ゆううつ)にな
ります」と。

 30人くらいの母親がいた会場だった。私が「どうしてですか?」と聞くと、「盆や正月
には、実家へ帰らねばなりません。私は、それがいやでなりません」と。

 するとこの話を聞いていたほかの母親たちも、「私も」「私も」と、言い出した。5〜7
人はいたのではなかったか。

 私はてっきり、夫の実家のことだと思ってしまった。が、話をよく聞くと、そうではな
かった。母親たちは、自分の実家へ帰るのが、「苦痛だ」と言った。

 理由は、さまざまだった。「父親のそばにいるだけで、息が詰まりそうになる」「自分の
居場所がない」「親孝行を請求してくる」などなど。中でも1人、とくに印象に残ったのは、
こう言った母親がいたことだ。

 「親は、自分の価値観を、問答無用式に押しつけてきます。時代も変わったし、ものの
考え方も変わったのだから、もう少し、今の時代に合わせてほしいです」と。その親は、
ことあるごとに、その母親に、「先祖(=自分という親のこと)を大切にしろ」と言ってい
るそうだ。

 こうした家族であるがゆえに発生する束縛感、あるいは呪縛(じゅばく)感を、「家族自
我群」と呼ぶ。本能の部分にまで刷り込まれている束縛感であるために、ひとたび人間関
係がこわれると、今度は、それが重圧感となって、その人を苦しめる。

 ふつうの重圧感ではない。ギシギシと音をたてて、その人の心を押しつぶす。しかも一
瞬たりとも、その重圧感は止むことがない。いつも心の外側にぺタリと張りついて、はが
れることがない。

 憂うつといえば、これほど、憂うつなことはない。

 が、一方、親側のほうは、「伝統」という言葉を使って、自分を正当化する。だから強い。
「慣わし」「習慣」「因習」という言葉を使うこともある。「昔からそうしているから、子ど
もは、それに従うのが当然」と。

 さらに……。

 最近だが、こんな話も聞いた。

 その女性(50歳くらい)の両親は、現在、奈良県に住んでいるのだが、このところ両
親とも、認知症の傾向が見え始めたという。そのため、デリケートな会話ができなくなっ
てきたという。

 とくにその女性の母親は、人の話を聞かない。聞かないまま、一方的に自分のことだけ
をしゃべり、そのまま電話を切ってしまう、とか。

 「以前は、子どもたちのことを、まだ相談できましたが、今は、その相談すらできませ
ん」と。

 こうなると、家族自我群は、ますます重圧感をともなって、その人を苦しめるようにな
る。「これから先のことを考えると、憂うつでたまりません。親類の中にも、うるさい人が
いて、ああでもない、こうでもないと干渉してきます」「最近では、親のめんどうをみるの
は娘の義務だから、それなりの覚悟しておくようにと言われました」と。

 こうした問題も、良好な親子関係、親戚関係があれば、まだ救われる。苦労も、苦労で
なくなる。が、それがないと、ここに書いたように、呪縛感をともなった重圧感となって、
その人を苦しめる。

 そこで私たちは、どうすればよいのか。

 ひとつは、親としてというより、1人の人間として、自分の子どもが、自分に対して、
どのような意識を作りつつあるか。あるいは今、もっているかを、冷静に判断するという
こと。

 決して大上段に構えて、「私は親だから当然」「お前は子どもだから当然」と、ものごと
を決めつけて考えてはいけない。つまるところ、親子関係も、一対一の人間関係で決まる。
親であることに甘えてはいけない。親の威厳を押しつけてもいけない。あくまでも一対一
の人間関係として、親子を考える。

 でないと、あなたはそれでよくても、あなたの子どもは、それで苦しむ。そうした不要
な苦しみ、(まさに不要な苦しみということになるが)、それを子どもに与えないようにす
るのも、親の義務ということになる。

 あなたの子どももいつか、社会に巣立つときがやってくる。そのとき、あなたの住む家
が、あなたの子どもたちの羽を休める古里になっていれば、よし。またそういう「実家」
を、あなたは、子どもたちのために、今からめざし、準備しておく。


●盗品の山?

 1年ほど前のこと。友人に誘われて食事にでかけたときのこと。ふと立ち寄った家の中
を見て、驚いた。

 何と、そこは盗品の山(?)。

 スーパーなどで使う押し車やカゴ、卸し市場で使う台車、それにプラスチック製の箱ま
であった。その箱には、「xx製菓」というロゴまで入っていた。

 あとで友人にそのことを話すと、「そうでしたか……」「気がつきませんでした……」と。

 たぶんその人は、どこかへ買い物にいくたびに、そこで使う押し車や箱を、そのままも
って帰っていたらしい。万引きとは少し意味はちがうが、しかしそれに近い。

 で、それからというもの、私はそういうものを見つけるのが目ざとくなった。が、同時
に、そういうものがある家の人は、信用しなくなった。一事が万事。そういうことが平気
でできる人というのは、それなりの人でしかない。

 ワイフは、これについて、今朝、こう言った。

 「名誉や肩書きは、その人を飾る勲章のようなものだけど、盗品というのは、その人を
おとしめる刺青(いれずみ)のようなものね」と。

 数年前だが、こんなエッセーを書いたことがある。

 ある女性(70歳くらい)だが、近所の家から植木鉢を盗んできては、それを自分の家
に飾っていた女性である。

 しかし、だ。

 盗んできた植木鉢を見て、その人は、本当に、その花の美しさを愛(め)でることがで
きるというのだろうか。私なら、その植木鉢を見るたびに、自分の邪悪な心を見せつけら
れるように感じ、とても花の美しさどころではなくなってしまう、と思う。

 つまり(盗んできたという邪悪な心)と、(花の美しさ)が、その時点で、頭の中でショ
ートしてしまう。

 古い原稿だが、こんな原稿を見つけた。この中で、Uさんというのは、ここでいうその
「ある女性」のことである。

++++++++++++++++++++

●しつけは普遍

 50歳を過ぎると、その人の持病がドンと前に出てくる。しかし60歳を過ぎると、そ
の人の人格がドンと前に出てくる。ごまかしがきかなくなる。

たとえばUさん(70歳女性)は近所でも、「仏様」と呼ばれていた。が、このところ様
子がおかしくなってきた。

近所を散歩しながら、よその家の庭先にあったような植木鉢や小物を盗んできてしまう
のだ。人はそれを、Uさんが老人になったせいだと話していたが、実のところUさんの
盗みグセは、Tさんが2、30歳のときからあった。ただ若いときは巧妙というか、そ
ういう自分をごまかすだけの気力があった。

しかし70歳近くもなって、その気力そのものが急速に弱まってきた。と同時に、それ
と反比例するかのように、Tさんの醜い性格が前に出てきた……。

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。
むずかしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、
そういうことで決まる。しかもそれはその人が幼児期からの心構えで決まる。子どもが中
学生になるころには、すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿って
おとなになるだけ。途中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。

たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一
度でゴミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強く叱っても、
その場だけの効果しかない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、人の見てい
ないところでは捨てたりする。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、
話がおかしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。人間がもつしつけなどというの
は、もっと常識的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに自分の心に問いかけて
みれば、それでわかる。

してよいことをしたときには、心は穏やかなままである。しかししてはいけないことを
したときには、どこか不快感が心に充満する。そういう常識に従って生きることを教え
ればよい。そしてそれを教えるのが、「しつけ」ということになる。

そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。そしてそういう意味で私は、「し
つけは普遍」という。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●教師は聖職者にあらず

 たまたま私はこの原稿を、O県のK市にあるホテルで書いている。小さな会議に出席す
るためにやってきた。約束の時刻までまだしばらくあるということで、何気なく、……と
いうより部屋の空気を入れかえるために窓をあけて眼下を見ると、露天風呂。しかも女湯! 
その無防備さに、私は我が目を疑った。私の部屋からその露天風呂までは、ちょうど10
階分の落差がある。女性たちがはっきりと見える距離ではないが、しかし遠過ぎるという
距離でもない。とたん、私の鼓動が高まるのを覚えた。

 人は私のことを勝手に「教育評論家」と呼んでいる。最初はこの言葉に大きな抵抗を感
じたが、今では自分からこの名前を使うことがある。しかしこの言葉はどこかいやだ。「教
育者」というイメージが強過ぎる。

たしかに私はいろいろな子育て論を論ずるが、しかし教育者ではない。いわんや教育者
という言葉から受けるような聖職者ではない。その証拠に、現に今、心臓がドキドキし
ている。この年齢になって、そんな世界とはまあ、半ばあきらめたというか、無縁の世
界にいるはずなのに、何という現象。何という愚かさ。

しかしそれにしても露天風呂の女性たちの大胆さといったらない。大きな石の上に、ま
さにあぐらをかいて連れ添った別の女性と話し込んでいる。小さな風呂だが、バシャバ
シャと足で蹴って、水しぶきをたてているのもいる。私はやがてそういう光景を見てい
る自分がなさけなくなった。今の私はまさに本能の虜(とりこ)になっている。「見たと
ころでどうということはないではないか」という私。これが理性のあるほうの私。しか
し「見ていたい」という私。これが本能の私。が、そのうち、こんなことに気づいた。

「こうした無防備さこそが、ホテル側の意図的な戦略ではないか?」「わざと私のような
人間に見せるようにしくんでいる?」と。とたん自分の心の中で、スーッと本能が冷め
ていくのを感じた。

 私はあえていう。教師は決して聖職者ではない。教師と言っても、あなたの夫や、あな
たの兄や弟とどこも違わない、ただの人間である。この私ですらそうなのだから……とい
う言い方は変だが、私はだれが見ても、「まじめな人間?」に見えるらしい。

その私ですらそうなのだから、少なくとも男の教師は皆、そうであるとみてよい。露天
風呂に遊ぶ若い女性を見て、「何も感じない」と、窓をしめる教師などいない。いたらい
たで、その「ふつうでないこと」を疑ってみたほうがよい。おなかがすけば何かを食べ
たくなる。それと同じように、こうした性欲はだれにでもある。もっともあったからと
いって、それがまちがっているというのではない。それが正常な人間ということになる。

 さて本論。よく教師による女生徒へのセクハラ事件が話題になる。教師がハレンチ事件
を起こすこともある。そういうとき世間は、鬼の首でもとったかのように騒ぐが、そもそ
もそういうスキを与えたのもその世間ではないのか。もっとはっきり言えば、教育のシス
テムをそういう前提、つまり教師といえどもただの人間であるという前提で組み立てるべ
きではないのか。私はそんなことを考えながら、今度は本気で窓を閉じた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
聖職論 聖職 教師論)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●仮面をかぶらせるな

 心(情意)と表情が遊離し始めると、子どもは仮面をかぶるようになる。表面的にはよ
い子ぶったり、柔和な表情を浮かべて親や教師の言うことに従ったりする。しかし仮面は
仮面。その仮面の下で、子どもは親や教師の印象とはまったく別のことを考えるようにな
る。これがこわい。

 すなおな子どもというのは、心と表情が一致し、性格的なゆがみのない子どものことを
いう。不愉快だったら不愉快そうな顔をする。うれしいときには、うれしそうな顔をする。
そういう子どもをすなおな子どもという。

が、たとえば家庭崩壊、育児拒否、愛情不足、親の暴力や虐待が日常化すると、子ども
の心はいつも緊張状態に置かれ、そういう状態のところに不安が入り込むと、その不安
を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。突発的に激怒する子どももいるが、反対
にそうした不安定さを内へ内へとためこんでしまう子どももいる。そしてその結果、仮
面をかぶるようになる。

一見愛想はよいが、他人に心を許さない。あるいは他人に裏切られる前に、自分から相
手を裏切ったりする。よくある例は、自分が好意をよせている相手に対して、わざと意
地悪をしたり、いじめたりするなど。屈折した心の状態が、ひねくれ、いじけ、ひがみ、
つっぱりなどの症状を引き起こすこともある。

 そこでテスト。あなたの子どもはあなたの前で、言いたいことを言い、したいことをし
ているだろうか。もしそうであれば問題はない。しかしどこか他人行儀で、よそよそしく、
あなたから見て、「何を考えているかわからない」といったふうであれば、家庭のあり方を
かなり反省したほうがよい。

子どもに「バカ!」と言われ怒る親もいる。平気な親もいる。「バカ!」と言うことを許
せというのではないが、そういうことが言えないほどまでに、子どもをおさえ込んでは
いけない。

子どもの心は風船のようなもの。どこかで力を加えると、そのひずみは、別のどこかに
必ず表れる。で、もしあなたがあなたの子どもに、そんな「ひずみ」を感ずるなら、子
どもの心を開放させることを第一に考え、親のリズムを子どもに合わせる。「私は親だ」
式の権威主義があれば、改める。そしてその時期は早ければ早いほどよい。満6歳前後
でこうした症状が一度出たら、子どもをなおすのに六年かかると思うこと。満10歳で
出たら、10年かかると思うこと。

心というのはそういうもので、簡単にはなおらない。無理をすればするほど逆効果にな
るので、注意する。 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子どもの仮面 子供の仮面 子どもの愛想 子供の愛想 愛想の良い子 愛想の悪い子)
 

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

お休みします

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1952年

++++++++++++++++++++

10月6日、Eマガの読者が、1952人に
なった。

そこで、私の1952年。私はこの年、満5歳
になった。幼稚園でいえば、年中児というこ
とになる。

++++++++++++++++++++

 1952年、私は満5歳になった。今で言えば、幼稚園の年中児ということになる。し
かし当時は、幼稚園へ通うとしても、就学前の1年保育が主流で、2年保育はなかったよ
うに記憶している。大半の子どもたちは、幼稚園へ通うこともなく、そのまま小学校へ入
学していた。

 だから当時の私は、満5歳のころは、家にいたはず。とくに何かをしたという記憶はな
い。よく覚えているのは、歩いて2、3分のところにある、寺の境内。あの境内が、私に
とっては、自分の家の庭のようなものだった。その境内で、毎日、真っ暗になるまで遊ん
でいた。

 ただ、遊ぶ場所には、こと欠かなかったようである。小さな町だったが、山もあれば、
川もあった。南の方角には、国鉄の駅もあったし、私鉄の駅もあった。子どもながらに退
屈をしたという覚えはない。そういう意味では、私は、人一倍、活発な子どもだったよう
である。

 ……ここで「とくに何かをしたという記憶はない」と書いたが、不思議なことに、こう
して文章を書いていると、つぎつぎとあのころのことが、思い浮かんでくる。

 まず浮かんだのが、道路。舗装されていない、でこぼこ道。そのでこぼこ道の上を、馬
にひかれた車が、ポカポカと音をたてて下のほうから、ゆるい坂道をあがってくる。妙に
ほこりっぽい道で、白い陽光が、道をユラユラと照らしている。

 ちょうどそのころから、道路の舗装が始まったと思う。いくつかの工事車両が、記憶の
中に浮かんでは消える。ロードローラーや、ショベルカーなど。ブルドーザーなど。どの
ひとつをとっても、5歳の子どもにとっては、胸をときめかすもの。私は道路が舗装され
ていくのを、いつまでも見ていた。

 その1952年。あれこれ記録を調べてみると、この年、本田技研(現在のHONDA)
が、自転車用補助エンジンを発売しているのがわかった(3月)。俗にいう、「ポンポン」
というバイクである。私は、稼業が自転車屋だったということもあって、そのポンポンの
ことはよく覚えている。私の祖父は、いわゆるハイカラ好きで、こうした新製品が発売に
なると、イチ早く、それを店に並べて、売っていた。

 言い忘れたが、走るとき、音が、ゴム風船をはじくように、ポンポンと音がしたので、「ポ
ンポン」と呼んだ。間口4間足らずの、小さな自転車屋だったが、当時は、結構、繁盛し
ていたようだ。

 ほかにこの年の4月28日。対日講和条約が成立し、日米安保条約が発効した。つまり
日本は、アメリカに守られながらも、まがりなりにも6年8か月ぶりに、独立したという
ことになる。アメリカのトルーマン大統領は、日本の独立について、こう述べている。

 「対日講和条約は、世界の平和と進歩に寄与する機会を、日本に与えるであろう」と。

 これに答えて、当時の吉田首相は、「世界各国の寛大で理解ある政治的見識に感謝する」
と表明している。

 が、それで日本に平和がもたらされたわけではない。翌5月には、警察官が皇居前広場
のデモ隊に発砲するという事件が起きている。『血のメーデー事件』と呼ばれる事件が、そ
れである。

 日本の外では、朝鮮戦争が、日ごとにはげしさを増していた。行き詰った休戦交渉を打
開するため、アメリカ軍は、北朝鮮と中国の国境沿いにある水豊発電所を猛爆している(6
月)。

 ……やはり私は、1年間しか、幼稚園に通っていない。記憶のどこをどうひっくりかえ
しても、1年分の記憶しか、もどってこない。

 私は幼稚園へ入る前は、何をしていたのだろう?

 川で魚を取ったり、虫をつかまえたり、木に登ったり……。当時の子どもならみなして
いたようなことをしていた。そうそう、今、思い出したが、当時、何よりも楽しみにして
いたのは、夏休みや春休みに、母の実家へ行くことだった。

 バスで、ちょうど1時間半くらいの山奥にあったが、母の実家は、私にとっては、まさ
に天国だった。わらぶきの家で、玄関を入ると、右手に馬屋があった。今でも鮮明に覚え
ているのは、奥の大黒柱につりさげてあった、日めくりのカレンダーだった。母の実家に
行くたびに、昭和xx年、昭和xx年と、数字だけが変わっていったのを、子どもながら
に不思議に思ったことがある。

 で、ちょうどそのころ、母の父、つまり私の祖父が、死んでいる。

 私がいとこのY君と柿の木に登って遊んでいたときのこと。だれかが私たちを呼びにき
た。で、行ってみると、祖父が、息を引き取るところだった。私といとこは、祖父の枕元
に並んで座って、祖父の死を見取った。

 あとは、通夜のこと。10人ほどのおとなたちが、仏壇の前に円陣を作ってすわってい
た。薄暗い部屋で、母がさめざめと泣いていた。ぼんやりとした記憶だが、その部分だけ
が、写真の中から切り取られたような感じで、記憶の中に残っている。

 ……「私にも幼児期があったのだ」という思い。しかし、それが過去の一時期のできご
とというよりは、それがそのまま自分の一部になっているのを知る。私は昔も今も、私。
幼児期の私だったのだから、私は、幼児であったはず。なのに、その実感はない。そのと
きの私と、今の私が、そのままつながっている。

 ただそのときの私が幼児であったことを教えてくれるのは、あの庭の広さだったり、家
の大きさだったりする。私といとこが登っていた、あの柿の木にしても、当時の私にとっ
ては、大木だった。少なくとも、記憶の中では、そうなっている。

 私にとっては、なつかしい時代である。遠い遠い昔のことでもあるようで、それでいて、
つい昨日のことのようにも思える。

 母の作る味噌汁のにおい。私の手をつかむ祖父の手のぬくもり。夜の冷たい風。天井の
木目模様。円形の食卓。自転車の油のにおい。……そういったものが、川の上ではじける
アワのように、記憶の中で浮かんでは、また消える。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ストレートな人々


++++++++++++++++++

おしなべて言えば、日本人は、口がうまい。
おしなべて言えば、オーストラリア人は、
口下手(べた)。ストレート。オーストラリア人
は、日本人のような、お上手を言わない。

だからオーストラリア人は、つまらないという。
デリカシーがないという。

しかしその分だけ、オーストラリア人は、
わかりやすい。心の中が、スケスケ。

「Yes」といえば、Yesを意味する。

「No」といえば、Noを意味する。

+++++++++++++++++++

 今日も、オーストラリア人の友だちや家族を、あちこち、案内して回った。そのときの
こと。オーストラリア人の女性が、バスが動き出すやいなや、私にこんなことを聞いた。

 「あの人は、何をしているのか?」と。

 見ると、それまで乗客の世話をしていた係員が、バスに向かって、深々と頭をさげてい
た。私は、「バスにあいさつをしている」と、答えた。が、その女性は驚いた顔をして、す
かさず、私にこう聞いた。

 「どうしてバスにあいさつをするのか」と。

 日本人の私たちには見慣れた光景だが、オーストラリア人のその女性には、よほど奇異
に見えたらしい。「バスの中の乗客に対して、さようならという意味で、あいさつをする」
と答えたが、「オー、イエ(Yes)」と言ったきり、黙ってしまった。

 質問されるほうも、頭のよい刺激になる。バチバチと頭の中で、火花が飛ぶ。が、こん
なことも。

 今年80歳になる母親を連れてきた友人がいた。私がその友人に、「今夜、君の母は、ベ
ッドにするか、それとも、タタミ・マットの上の布団(ふとん)にするか」と聞いた。す
ると、その友人は、こう言った。

 「ダイアン(母親のこと)に聞いてみないと、わからない」と。

 オーストラリア人というのは、こういうときでも、必ず、相手に、その意思を確かめる。
たとえ相手が、母親であっても、だ。勝手に、だれかがだれかの意思を決めたりすると、「通
訳しないでほしい」と、たしなめられる。つまり日本人なら、母親の気持ちを先に察して、
子どものほうが決めてしまうようなときでも、それをしない。

 アメリカで、友人の家に食事に招待されたときも、そうだった。親子の間でも、「お前は、
今日はパパに、何をしてほしい」「パパは、今日はぼくに何をしてほしい」と、日本では考
えられない会話をしていた。

 こういう習慣のない人には、この話は理解できないかもしれない。で、さらにこんなこ
とも。

 いろいろな料理を食べさせてやっている。が、口に合わないときは、合わないと、はっ
きりと言う。「まずい」というような言い方はしない。「合わない」という。あるいは、「好
きでない(=嫌い)」と、はっきりと言う。

 日本人なら、お世辞のいくつかを並べるようなときでも、そう言う。また彼らにしてみ
れば、そのほうが礼儀正しいということになる。ウソをついたり、自分をごまかすことの
ほうが、相手に対して、ずっと悪いことだと考えている。

 そういう姿勢をワイフが横から見ながら、ワイフは、こう言った。

ワ「オーストラリア人って、わかりやすわね」
私「そう。だからぼくは、オーストラリア人とつきあっているほうが、ずっと気が楽だよ」
ワ「日本人は、本音と建て前を使い分けるでしょ。あれって、いやね」
私「そう。会話をしていても、そのうち、何が本当で、何がウソかわからなってしまう」
と。

 明日は、みなを、いけばな教室に連れていくことになっている。何が起きるか、楽しみ。
頭の中でバチバチと火花が飛ぶのは、本当に、刺激的で、おもしろい!


●スリ

 今日、別のオーストラリア友人夫妻が、一行に合流した。中部空港(セントレア)まで、
迎えに行って来た。

 どこか不機嫌な様子だったので、「どうしたの?」と聞いたら、「スリにあった」と。「上
海で街の中を歩いていたら、サイフを盗まれた」「カードと免許証、それに小さなアルバム
を盗まれた」と。

 そのため昨夜は、上海のホテルで、一晩中、あちこちに電話をかけまくったという。「電
話料だけで、2万円近くもかかった」と、こぼしていた。

 私が、「カードは、キャンセルできたのか」と聞くと、「キャンセルするまでに、1時間
ほど時間があったから、使われたかもしれない」「詳しくは、月曜日の朝にならないと、わ
からない」とも。

 そのせいか、あとは出てくるは出てくるは、中国の悪口。おまけに中部空港まで乗って
きた飛行機の悪口まで。「操縦がへたくそで、左右に大きく揺れた」とか、「エンジンをふ
かしたかと思うと、突然減速したりて、怖かった」とかなど。言い忘れたが、乗ってきた
飛行機は、中国航空の飛行機だった。

 「上海空港では、3キロも歩かされた。大きいだけで、汚かった」
 「ホテルの中は豪華だが、1歩外に出ると、道はでこぼこだった」
 「上海でバスに乗ったが、まるでサーカスのような運転だった」と。

 これでまた中国嫌いのオーストラリア人が、数人ふえた。

 で、その話をワイフが聞いて、ワイフも、こう言った。「私も2年前のアジアカップ以来、
中国が嫌いになった。それまでは一度は中国へ言ってみたいと思っていたけれど、もう行
きたくない」と。

 サッカーのアジアカップでは、日本人側のサポーターたちは、中国側のサポーターたち
に、さんざんいじめられた。ものまで投げつけられた。

私「こうして考えてみると、日本は、いい国だね」
ワ「ホント」と。

 オーストラリア人たちとつきあっていると、オーストラリアのよさもわかる。が、同時
に、日本のよさもわかる。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●ボケ

+++++++++++++++++

その人の話になると、まず、
その人がボケていないかどうか、
それが話題になる。

55歳を過ぎると、そういう会話が
突然、多くなる。

+++++++++++++++++

 昨夜、親しくしている従兄弟(いとこ)と、2時間近く、電話で話した。夜9時から、
11時まで。

 その中で、いろいろな人の話をした。が、そういう人たちの話をする前に、必ず、こん
な会話から始まる。「○○さん、だいじょうぶ?」「あの人もボケたのかねえ」「あの人も、
少しボケたみたい」と。

 つまりその人の頭の具合が、まず話題になる。そしてつぎの会話へと移っていく。つま
りその人のボケ程度が、ひとつの基準になって、話が進んでいく。

私「だから、あの人の言うことは、本気にしないほうがいいよ」
従「そうだねえ」
私「きっと、自分のことさえ、よくわかっていないんだよ」
従「そう言えば、そんなところもある」と。

 ボケが始まると、いろいろな症状が出てくる。それはいろいろな専門家が書いていると
おりだが、ひとつの見分け方としては、繊細さがある。

 頭がボケてくると、繊細さが欠けてくる。デリケートな会話ができなくなる。ものの言
い方が、ズケズケとした感じになり、自分のことだけを一方的に話すようになる。わかり
やすく言えば、会話がかみあわなくなる。

 ペラペラとよくしゃべるから、ボケていないということにはならない。ボケにもいろい
ろなタイプがあるが、あるタイプの人は、ふつうの人以上に、よくしゃべる。頭の中に飛
来する情報だけを、そのまま口にする。だから一見、利発に見える。が、こちら側の話な
ど、まるで、上の空!

私「頭のボケた人は、こちらの言うことなど、聞いていないから……」
従「そう言えば、○○ちゃん、あの人も、そうみたい」
私「そうだね。あの人も、もうボケてもおかしくない年齢だから……」
従「だから、あの人の言うことなど、そんなに気にしなくて、いいみたい」
私「そうだね」と。

 現在、肉体的に健康な人でも、その年齢になると、体力も落ちる。あちこちに、ガタが
出てくるようになる。

 同じように、脳みその活動も鈍くなる。知力も落ちる。同時に、繊細な思考ができなく
なる。

 これには例外はない。しかも「私は、だいじょうぶ」と思っている人ほど、あぶない。
反対に、「私は、あぶない」と思っている人ほど、それなりの努力をする。その(努力)が、
ボケを防ぐ。 

 というのも、ボケというのは、脳のCPU(中央演算装置)の問題。そのCPUが狂う
から、仮に狂ったとしても、自分で、それに気づくことは、まずない。それがこわい。「私
はだいじょうぶ」と思っているうちに、どんどんとボケていく。

 それにしても、さみしい年齢になったものだ。このところ、つくづくと、それを強く感
ずるようになった。

【付記】
 人間がほかの動物たちより賢いと考えるのは、まちがっている。脳みそのある部分はす
ぐれているかもしれないが、それを除いたら、むしろ、劣っている部分のほうが多いので
はないか。

 そんなことを、最近、よく考える。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1602)

●1956年

+++++++++++++++++

今朝、Eマガの読者数が、1956人に
なった。

そこで、「1956年」。

私が満9歳になった年である。小学3年生の
ときである。

+++++++++++++++++

 小学3年というと、どういうわけか、あのことを、真っ先に思い出す。たわいもないこ
とだが、私は、「前」という漢字が、書けなかった。いつも、「前」の「月」と、「リ」を、
左右、反対に書いていた。

 それにレスリング。いつも休み時間には、学校の廊下で、レスリングをしていた。

 またその年、1年間だけ、NS先生という男の先生が担任になった。1年間だけだった
ということもあって、その先生との思い出は、小学3年生のときのことだったということ
になる。

 で、その先生が、これはずっとあとになってからのことだが、こんな話をしてくれた。

 「林君のことで忘れないのは、夏休みの自由研究だった」と。

 私は、夏休みの自由研究に、『おならの作り方』というのをした。先生には、ふざけた研
究に見えたかもしれないが、私は、子どもながらに、食べものと、呼吸で得た空気が、の
どのところで、うまく分別されることを不思議に思った。それでそういう研究になった。

 そこでその(うまく分別できる能力)を逆手に取って、「おならの作り方」となった。わ
かりやすく言えば、どうすれば、自分の体をだますことができるか、と。

 それが当時の先生たちの爆笑を買ったらしい。で、それがNS先生の印象に残った。

 その私だが、今でも、そのおならの作り方といういのをよく知っている。ときどき、そ
のとき考えた方法を実行してみるが、きわめて有効である。

 (この話は、臭い話なので、ここまで!)

 で、1956年。

 この年、レックス・ハリソンと、ジュリーアンドリュース主演の、ミュージカル『マイ・
フェア・レディ』が、ブロードウェイで、最高の賞賛を受けている(4月)。

 女優のグレース・ケリーが、モナコの王様と結婚(5月)同じ月、日本のマナスル登山
隊が、ヒマラヤにあるマナスル(8156メートル)に、登頂成功。

 マリリン・モンローが、作家のアーサー・ミラーと結婚(6月)。

 プレスリーが、『エド・サリバン・ショー』に出演(10月)。

 そしてオリンピック・メルボルン大会へとつづく(12月)。

 どのニュースも、ずっとあとになってから、私は、知った。当時の私には興味のない話
ばかりだったし、そういうニュースを見聞する機会さえなかった。私は、まさに田舎の子
どもだった。お山の大将だった。毎日、遊んでばかりいた。外が真っ暗になるまで、道路
で遊んだ。真っ暗になってからも、さらに遊んだ。

 私にとって、1956年という時代は、そういう時代だった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●意識

+++++++++++++++

日本人がもっている意識というのは、
決して、普遍的なものではない。
世界の常識でもない。

そんなことを思い知らされる日々が、
このところ、つづいている。

+++++++++++++++

 オーストラリア人たちとつきあっていると、彼らは、しばしば、とんでもない質問をぶ
つけてくる。

 日本の山々を見ながら、「木々が密集しているが、どうして日本では、そんなふうに、木
が生えるのか?」とか、「どうして、日本の卵は、白いのか?」とか、など。

 ふだん、私たちが考えたことがないようなことを、彼らは考える。

 オーストラリアでは、一部の地域をのぞいて、(あくまでも私が知る範囲の知識だが、ビ
クトリア州東部の、ブルーマウンテインから南にかけての地域)、木というのは、まばらに
生えるものといのが、常識になっている。

 また「どうして卵は、白いのか?」という質問に対しては、「我々は、白人(ホワイト・
マン)だから」と答えてやった。

 昨日は、地元のバス会社の旅行パックを利用して、長野県のほうまで行ってきた。が、
その間中、若いガイドが、しゃべりっぱなし。「みやげもの日本一は、どうのこうの」とか、
「浜松の名物は、どうのこうの」とか。旅行に関係のない話ばかり。

 「よくもまあ、こうまでおしゃべりができるものだ」と思うほど、よくしゃべる。

 その間中、オーストラリアの友人たちが、「今、何と言っているのだ」と。で、私は、こ
う言ってやった。

 「意味のない、すずめのおしゃべりだ」と。ついでに、オーストラリアではどうかと聞
くと、「もしオーストラリアなら、みな、ガイドに向かって、『座って、口を閉じろ』と言
うだろう」と。

 加えて、前の座席に座った2人の女性も、たがいにしゃべりっぱなし。合計で、8時間
以上は、しゃべっていた。それを見て、私が、「オリンピックの新記録だ」と笑うと、オー
ストラリア人たちも笑った。

 のどかで、平和な旅行だったが、私たちがもっている意識というのは、決して普遍的な
ものでもなければ、世界の常識ではない。それを改めて、思い知らされた。つまり意識と
いうのは、作られるもの。しかも、その意識というのは、やがて種々雑多な日常的な騒音
の中に埋もれてしまって、その輪郭(りんかく)さえ、わからなくなる。

 たとえば昨日も、日本語が話題になった。「日本語には、漢字(中国語)も含めて、30
00字以上ある」と話すと、みな、驚いた。「どうやって、そんなにたくさんの文字を覚え
るのか」と。あるいは、彼らは、みな、割り箸(ばし)を、割らないまま、それでもって
食事をする。私が「割れ」と教えても、「(割らないほうが)、使いやすい」と。

 日本人にとっては、何でもないことでも、彼らにはそうでない。(もちろんその逆も、あ
るが……。)

 大切なことは、そういう意識の違いというのは、たがいに、認めあうこと。自分たちの
もつ意識を、決して、押しつけないこと。要するに、彼らがしたいように、させてやる。
そしてその中から、学ぶべきものがあれば、学ぶ。つまりこうして、何が正しくて、何が
そうでないかを知る。

 自分たちのもつ意識を、絶対に、過信してはいけない。いつも疑って考える。その操作
を誤ると、偏屈で、狭小な人間になってしまう。今回も、改めて、それを思い知らされた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●K国の核実験 

+++++++++++++++++

とうとうK国は、核実験をしてしまった(?)。

しかし本当に核実験だったのか?

たまたまオーストラリアの友人の中に、
その方面で働いているのがいて、私が
そのニュースを伝えると、その友人は、
すかさず、こう言った。

「大量のTNT火薬を、爆発させた
可能性もある」と。
(10月9日)

+++++++++++++++++

 核爆発というのは、その調整が、たいへんむずかしいらしい。(よくわからないが……。)
ねらいどおりの爆発力を得るというのは、不可能ということらしい。とくにK国のように、
周辺技術が整っていない国にとっては、そうだろう。

 失敗するか、さもなければ、大爆発を起こすか、そのどちらかだという。が、今回、K
国による核実験(?)は、小型原爆程度の爆発力しかなかったという。それでそのオース
トラリア人は、そう言った。

 そういえば、K国は、今回の実験(?)に先立って、さかんにこう言っていた。「完全に
安全が担保された中で、核実験をする」と。この「完全に」というところが、臭い!

 つまりはじめから、TNT火薬によるインチキ実験を考えていたのなら、「完全に」とな
る。TNT火薬による爆発なら、放射能漏れなど、いっさい、ありえない。事件後、挑戦
通信(K国)は、「科学的で綿密な計算による今回の核実験では、放射能流出のような危険
が全くなかったことが確認された」と発表している。

 では、なぜ、そうしたか?

 限定的であるにせよ、アメリカの軍事攻撃を誘い込むため。……と私は考える。今なら、
まだ、自動的に中国が、K国を助けてくれる。そういう条約が生きている。それに「アメ
リカに先に攻撃された」となれば、軍の士気もあがる。韓国を攻撃する、大義名分も立つ。

 今のところ、マスコミ各社は、核実験だったと報道している。しかし核実験だったとい
う証拠は、今のところ、まだない。「核実験だったかもしれない」ということを示すのは、
K国の報道(あの国の報道ほど、アテにならないものはない)と、観測された地震波だけ
である。

 たとえば、核実験なら、それがたとえ地下深くでなされたものであっても、電磁波が観
測されるという。今のところ、その電磁波すら確認されていない(テレビ報道)。

 が、もちろん、「核実験ではなかった」という証拠もない。本当に核実験だった可能性の
ほうが、高いといえば、高い。

 どちらか? ……その結論が出るまでに、まだ1週間以上かかるという。その間に、K
国は、さらにつぎの核実験を準備している可能性もあるという(テレビ報道)。

 本当に愚かな国だ。バカな国だ。救いようがない国というのは、K国のような国をいう。
(10月10日記)

【補足】

 今回の核実験の規模について、各国は、つぎのような推測をしている。

 韓国地質資源研究院は、爆発の規模をTNT火薬に換算して0・8キロトン以上と推測。
 また同じく韓国の通信社・聯合ニュースによると、最大でも5キロトンとされ、核実験
としては小規模のものだという。同研究院が観測した地震の規模であるマグニチュー3・
58から計算してこうした数値を導き出した。

 1945年に広島と長崎に投下された原爆はそれぞれ15キロトン、22キロトンであ
ったことを考えると、K国の核兵器はかなり小さいことになる。

 これに対し、ロシアのイワノフ国防相は爆発の威力は「5〜15キロトン」との見方を
明らかにした。同国防相はまた、「これが核爆発であったことにいかなる疑いもない」と述
べ、核実験が行われた正確な場所も分かっているとつけ加えた。

 ついでながら、アメリカは、「核実験だったとしても、失敗に近いものだった」(ワシン
トン・ポスト紙)と発表している。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ジャパニーズ・イングリッシュ 

++++++++++++++++++

時として、外人は、日本の中にある
英語の看板を見て、驚き、そして笑う。

++++++++++++++++++

 実名を出して恐縮だが、H市内に、「BIG TOP」という店がある。その看板を見て、
一人のオーストラリア人が、こう聞いた。「あれは、サーカスの看板か?」と。

 私が「ちがう」と答えると、「英語で、BIG TOPというと、サーカスの大きなテン
トのことを言う」と。

 この程度ならまだよいほう。

 彼らは、「HARD−OFF」とか、「COX」とかいう看板を見ると、ゲラゲラと腹を
かかえて笑いだす。理由は、ここには書けない。これらはどれも、全国規模の、大きな会
社の名前である。

 もしあなたの近くに外人(英語人)がいるなら、一度、その意味を聞いてみるとよい。
あなたも、きっと腹をかかえて笑うはず。


●日本は、すばらしい

 今回、日本へやってきたオーストラリア人たちの中に、途中、中国の上海へ寄ってきた
人たちもいた。が、その中の1人の女性は、スリにあった。バッグの中の、サイフごと、
カードや、身分証明証などを盗まれた。

 「日本でそんなことがあったら、全国ニュースになる」と話すと、みな、うれしそうに
笑った。が、何よりも驚いたのは、「トイレの清潔さ」だという。どこへ行っても、みな、
「美しい」「清潔だ」と、驚いて出てくる。

 そういう話を聞くと、うれしくなる。日本も、いい国だ!

 とくに地方へ行くと、日本人的なというか、あたたかい人情を感ずることが多い。バス
にのっても、大柄のオーストラリア人のために、席をあけてくれたりする。電車に乗って
も、そうだ。

 レストランでも、箸(はし)のかわりにと、ナイフやフォークを並べてくれるし、座敷
でも、小さな椅子(スツール)を用意してくれる。そういうのを横で見ていると、気持ち
よい。楽しい。


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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 11月 3日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page004.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ゆがむ、子どもの心】

●子どもの心

+++++++++++++++++++++++++

どこかの進学塾に入ったとたん、心がゾッとするほど冷
たくなる子どもというのは、たしかにいる。

10人のうち、3〜4人は、そうではないか。さらにその
うちの1人くらいは、手がつけられなくなるほど、冷たく
なる。

「手がつけられない」というのは、指導の限界を超える
子どもをいう。

自分勝手でわがまま。異常なまでのジコチュー。ものの
考え方がドライ。人間の優劣まで、テストの点数や能力
だけで判断してしまう。

「あいつはバカだ」「こいつはアホだ」と、平気で言いだ
す。

中には、教室へ入ってきたとたん、「ああ、今日は、こ
の教室を学級崩壊させてやる!」と叫んで、一人で、騒
ぎまくる子どもさえいる。

親は、「おかげで、やっと気構えができました」と喜ん
でいるが、とんでもない、誤解!

小学校の4〜6年という、まさに心ができるその時期に、
こういう経験をする子どもは、不幸である。

いつになったら、親や社会や、そして進学塾の自称、
教育者たちは、それに気がつくのか?

+++++++++++++++++++++++++++

 少し前、Yさんという方から、メールをもらった(あとに添付)。それについて、私の掲
示板のほうに、こんな書き込みがあった(10月6日)。

+++++++++++++++

●中学受験の塾  

biglobe配信の「子育て最前線の育児論byはやし浩司」を、拝読しております。
「06年10月2日(No786)」を拝読し、思わず共感してしまい、投稿させて頂きま
した。

中学受験について、Yさんのメールが載っていましたが、将に、「同感!」
です。

子供は、小4男子ですが、今年から、塾に行き始めました。
たまたま、同級生が3年生から通っていたので、"一緒に"という気軽なつもりで、大手
進学塾にしました。

私の塾に対する調査不足だったのですが、入ってみて、勉強の進度、宿題の量、毎回のテ
スト、など、スゴイものでした。

私自身が中学受験経験者なので、自分のころと比較してしまい、"ここまでやらないと、
今の中学受験は受からないのか?!"と、非常に驚きました。

こんな状況を3年間も続けるのか?と、ビックリしながら、テストの成績が悪くて落ち込
む子供のため、分からない問題を説明し、宿題を一緒に見てあげたり。。。の日々を数ヶ月
過ごしました。

その成果が出たのか、毎回のテストが、60〜70点くらい取れるようにはなったのです
が、子供の様子が変になり始めました。

その1:チック症状(目の異常なまばたき)
その2:勉強の拒否、
が現れました。

勉強の拒否については、毎日やるテキスト(算数の小問形式10題)でがあるのですが、「や
りなさい」というと、数時間(2時間近くでも)、机の前に座ったまま、鉛筆も持たず、黙
ってジッとしているのです。

その時は、数時間も粘る根性に、スゴイと思うやら、あきれるやら、怒りをおぼえるやら。。。
いろいろでした。

このままでは、受験というより、勉強そのものが嫌いになって、問題だ!
人間は、いくつになっても勉強して、自分を成長させるものだというのが持論(私自身も、
まだまだ勉強中)なもので。。。

さらに、人間性が崩壊する!と感じ、受験を止めようと決心しました。

が、本人と話をしてみると、近所の中学ではなく、知人のお兄ちゃんが行っている私立校
に行きたいとのこと。。。
本人が、そう言うのであれば、と、いろいろ探しました。

じっくり探せば、ちゃんとありました。

小さな個人塾ですが、先生とお話をして、私が通っていた塾に近い雰囲気があり、"ここ
なら"と思い、行き始めました。

大手塾と違い、スケジュール通りに進まなかったり、たまには、授業の半分くらい雑談で
終わったりしているようですが、ダジャレで、地名を覚えさせようなど、先生の工夫が感
じられ、変えてよかったと思っています。

大手塾と違い、先生の目も行き届き、落ち着いてきました。成績順でのクラス替えが無い
ため、クラスメートとも仲が良いといった感じです。

受験にクラスメートと仲が良い必要は無いという意見もあるかもしれませんが、塾に行く
のが楽しい方が、楽しくないより良いと思っています。

時々、行きたくない(塾が嫌というより、単に、遊びたい)という発言は出ますが、それ
は、子供ですから。。。

以前行っていた大手塾は、大人でも、会社で、ここまで毎回査定されたら、行きたくなく
なるなぁ、という感じでした。

まだまだ、5年、6年と先が長いので、今後どうなるか分かりませんが、本人次第と思っ
ています。

Yさんのお子さんのように、自主性が付いてくれれば嬉しいのですが、「他人に負けたくな
い」ではなく、「自分に負けたくない」の精神で、勉強(その他、何事にもですが)に臨ん
で欲しいものです。

つい感想を述べたくて、長々と書いてしまい、お忙しいところ、すみませんでした。

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【Yさんからのメール】

以前、いただいたYさんからのメールを、
そのまま掲載します。
(マガジン、06年10月2日号より)

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【Yさんより】

こんにちは。
今朝は、涼しかったですね。
秋の虫たちの声が心地いい朝でした。

先日は、延長レッスンしていただきありがとうございました。
お礼が遅くなってしまいすみませんでした。

先生の今朝のブログ拝見いたしました。
息子の受験のことでは、迷うことばかりです。

私個人のことですが、今年は子ども会の役を仰せつかり、
この夏休みは、子ども会の運営、夏祭り大会の準備など、
かなりハードでした。

このことが、多分(?)よかったと思う、いや、思いたいのですが、
息子の受験から、私自身かなり関心がそれていたと思います。
いわゆる、「夏休み中、受験勉強に奔走する親」にならなくてすむ状態でした。

よいほうに解釈すれば、本人に任せていました。

そんなとき、同級生の受験生のお母さん二人と、お話しする機会があり
考えさせられることがありました。

●A男君のおかあさん

「うちでは、勉強をしないから、今度から家庭教師もつけることにした。
それでも心配だから、日曜日の午前中は、夫に勉強をみてもらっています」

「学校の宿題もたくさんあって、本当に大変。」

「もう、毎日毎日こんなことで疲れちゃう。下の娘の時も
こんな思いをするのかと思うと、いやになっちゃう」

●B子さんのおかあさん

「今の成績では無理と、進学塾の先生に言われて、ついでに特訓教室に
申しこんできたわ。週2コースと週3コースがあって、週3コース
にしました」

「B子は、もう、どこの学校でもいいって言い出してしまって
困ってるの」

「毎晩、勉強しなさい、いやの、親子げんかばかり」

私は、それを聞いて、言葉を失いました。
「子どもの人生だから、子どもに任せるしかないから〜〜。」
などと、あやふやな受け答えをしながらも、少々焦る自分が、そこにいました。

そこで、このA男さんとB子さんとの会話を、そのまま息子に話してみました。
そして、感想を聞いてみました。

息子「私は、自分でやりたいから。勉強している横で、監視されたり
ぼくの意見も聞かないで夏期講習やら模試やら決められたら、絶対にイヤだ!!」

「自分がどうしなきゃいけないか自分が一番よくわかってるから、
いちいち言われたら、やる気なくすよ。」

「親にそんなことされたら伸びるモンも伸びないよ。
私だったら耐えられない。」

……と、息子は、かなりはっきりとした口調で意見を言いました。

親が考えているよりも、多分子どもは真っ正面から、
受験に立ち向かっているのだと思いました。
そりゃあ、冷静に考えてみれば
子ども自身の方が緊張しているのは当たり前なのですよね。

実際、息子も仲良しのK君に誘われて夏期講習を受けてきました。
息子に聞いてみると、5日間で、かなり中身が、ぎっしりでした。

毎回、テストがありました。ベスト10は名前が張り出されたようです。
1日目、周りの状況にかなり驚いたようで、どこか気おくれしたと言っていました。
しかし、これが2日目、3日目と尻上がりにやる気が出てきて
ベスト10に名前が載るまでになりました。

うれしいことですが、こんなやり方は5日間ぐらいが限界だな。と
正直、思いました。

ですが、発見しました。
自分を発揮できる力がついてきていると、いうことです。

私は、本当に「BWのおかげだな」と思いました。
年が上の子どもたちから学習の姿勢を学び、物事をよく考える力
をつけていただいたことです。
とにかく「前向きにやろう!」という気持ちが、あふれて見えるのです。

「これは、何年もかけて、はやし先生やほかのBWの子どもさんから
学んで培ったことだな」と思いました。
そして、学習させられるという意識ではなく
「自分は今学習すべき時。自分は負けたくない。だからがんばる。」
と、いうことがよく判断できるまでに、成長しているなと思いました。

息子は「ぼくは、やるときはやるんだからねっ!!」 と、
そんなことを言いたげな様子でした。

で、夏休みも終わりに近づく頃こんな会話をしました。

私「夏期講習どうだった?」
息「結構、刺激になったよ。できる人いっぱいいたしね」
私「でも、いつもいつも順番つけられて勉強するのってどう?」
息「まあ、いつもいつもはイヤだね。でも、たまには刺激になっていいかも」
私「あの塾に通っている子は、1年間とか2年間、毎回やってるんだよ」
息「ぼくは、遠慮する。BWがいいよ。なんか安心する」

S中の説明会には約1500人が来ていたそうです。
単純にその半分(半数は保護者)が受験するとしても
かなりなモノです。

親子共々緊張していた帰り道、BWの前を通ったとき
ちょうどはやし先生と出くわしました。

息「ヘンなおやじ。(失礼!)だけど、癒し系だね。
なんか緊張とれたみたい。はっはっはっ。」

と、そんなことを言っていました。

私自身、正直、焦ります。
本当に、これでいいのかな……と。
周りのお母さんの話やら説明会の人数やら
色んな情報が入ってくるたびに焦ります。

でも、何とか踏みとどまることができているのは
やはり、はやし先生のマガジンや、子どもたちへの対応の仕方などの
影響がかなり大きいと思います。

思春期にさしかかり、息子への対応が以前より難しいなあ〜。
と思うこともしばしばです。

そんなときは 「自分が6年生の時はどうだったであろう」と
考えるようにしています。
何だか、もう一度、子ども時代を疑似体験しているような
そんな気持ちになります。

秋は、私のテニスクラブの試合や子どもたちの学校行事も
目白押し、もちろん子ども会の仕事も…。

息子に負けないように私は私の持ち場で精一杯がんばろうと思っています。

また、いろいろとご助言ください。

+++++++++++++++++++++

 進学塾の弊害は、何も、(できる子ども?)たちだけに現れるのではない。当然のことな
がら、(できない子ども)たちも、大きくキズつく。自らに、(自分はダメ人間)というレ
ッテルを張ってしまう子どもも多い。

 成績で順位をつけられ、その順位に従って自分の席が決まる……。今、このあたりの進
学塾では、みな、そうしている。大きな進学塾では、成績によって、さらにAクラス、B
クラスと分けられている。BクラスからAクラスにあがる子どもには、大きな励み(?)
になるかもしれないが、それと同じ数の子どもが、もがき、苦しむ。自信をなくす。親に
叱られる。

 こういう世界で、数か月も過ごせは、子どもは、どうなるか? 半年とか、1年も過ご
せば、どうなるか? 

 おそらく、どの子どもも、進学塾の中では、借りてきたネコの子のように、おとなしく
静かにしているのだろう。しかし私のところでは、様子が、急変する。私を、「テメエ」「コ
ノヤロー」と呼んでみたりするようになる。中には、突発的に、力任せに、バッグなどで、
私を殴りつけてくる子どもさえいる。

 何とかなだめて静かにさせるが、この時期の子どもの心は、ゆがむときには、そこまで
ゆがむ。

 が、気がつかないのは、親だけ。「やっと受験に対する気構えができました」と喜んでみ
せる。

 そういう親に対して、私は、何と答えればよいのか。「そうですね」とも言えないし、「そ
うではありませんよ」とも言えない。

 しかし本当の悲劇は、そのあとにやってくる。

 仮に受験にうまくいっても、一度、砂漠のようになってしまった心は、もとには、もど
らない。生涯にわたって、もどらない。もちろん受験に失敗すれば、その後遺症は、深く、
いつまでも残る。

 あえて告白しよう。

 私の二男は、中学2年生のときに、受験勉強を放棄してしまった。「受験勉強なって、く
だらない」と。しかしそれに対して、私は返す言葉がなかった。まさに、その通りだから
である。

 さらに三男は、学部2位という成績で、横浜のY大に入学しながら、その大学を中退し
てしまった。やはり、同じようなことを言った。「Y大へ入ってくるような連中は、みな、
おかしい」と。それに対しても、私は返す言葉がなかった。まさに、その通りだからであ
る。

 現在の受験競争の中では、どこかおかしな子どもでないと、勝ち残れないしくみになっ
ている。またそういう子どもほど、スイスイと、この受験競争を勝ち抜いていく。まとも
な思考力をもった子どもほど、その途中で、どんどんとふるい落とされていく。

 それともあなたが、もし、あなたの学力(能力や知力ではない、学力)に順位がつけら
れ、それでもって席が決まるような世界に押し込められたら、それに耐えることができる
だろうか。つまりそういうことが平気でできる子どもでないと、生き残ることができない。

 家畜の訓練でも、そんなバカなことはしないぞ!

 で、現在、多くの研究者たちが、「これではいけない」と考え始めている。つまり入試制
度、試験問題の内容、あり方について、考え始めている。恩師の田丸先生も、その1人で
ある。

 たとえばアメリカでは、成績だけでは、ハーバードやMITのような有名大学には、入
れない。絶対に、入れない。学校長の推薦文が必要である。つまり人間的な面での完成度
を、より問題にしている。

 そういうしくみが完成されるまでには、まだまだ長い道のりがあるが、しかしやがて日
本も、そうなる。またそうならなければならない。

 このままでは、日本の社会は、ますますゆがんでしまう。おかしくなってしまう。

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もう15年ほど前に書いた原稿ですが、
ここに1作、添付します。
(中日新聞掲載済み)

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●生意気な子どもたち

子「くだらねエ、授業だな。こんなの、簡単にわかるよ」
私「うるさいから、静かに」
子「うるせえのは、テメエだろうがア」
私「何だ、その言い方は」
子「テメエこそ、うるせえって、言ってんだヨ」
私「勉強したくないなら、外へ出て行け」
子「何で、オレが、出て行かなきゃ、ならんのだヨ。貴様こそ、出て行け。貴様、ちゃん
と、金、もらっているんだろオ!」と。そう言って机を、足で蹴っ飛ばす……。

 中学生や高校生との会話ではない。小学生だ。しかも小学3年生だ。もの知りで、勉強
だけは、よくできる。彼が通う進学塾でも、1年、飛び級をしているという。

しかしおとなをおとなとも思わない。先生を先生とも思わない。今、こういう子どもが、
ふえている。問題は、こういう子どもをどう教えるかではなく、いかにして自分自身の中
の怒りをおさえるか、である。あるいはあなたなら、こういう子どもを、一体、どうする
だろうか。

 子どもの前で、学校の批判や、先生の悪口は、タブー。言えば言ったで、あなたの子ど
もは先生の指導に従わなくなる。冒頭に書いた子どものケースでも、母親に問題があった。
彼が幼稚園児のとき、彼の問題点を告げようとしたときのことである。その母親は私にこ
う言った。

「あなたは黙って、息子の勉強だけをみていてくれればいい」と。

つまり「よけいなことは言うな」と。母親自身が、先生を先生とも思っていない。彼女
の夫は、ある総合病院の医師だった。ほかにも、私はいろいろな経験をした。こんなこ
ともあった。

 教材代金の入った袋を、爪先でポンとはじいて、「おい、あんたのほしいのは、これだろ。
取っておきナ」と。彼は市内でも1番という進学校に通う、高校1年生だった。

あるいは面と向かって私に、「あんたも、こんなくだらネエ仕事、よくやってんネ。私ゃ
ネ、おとなになったら、あんたより、もう少しマシな仕事をスッカラ」と言った子ども
(小6女児)もいた。やはりクラスでは、1、2を争うほど、勉強がよくできる子ども
だった。

 皮肉なことに、子どもは使えば使うほど、苦労がわかる子どもになる。そしてものごし
が低くなり、性格も穏やかになる。しかしこのタイプの子どもは、そういう苦労をほとん
どといってよいほど、していない。具体的には、家事の手伝いを、ほとんどしていない。
言いかえると、親も勉強しかさせていない。また勉強だけをみて、子どもを評価している。
子ども自身も、「自分は優秀だ」と、錯覚している。

 こういう子どもがおとなになると、どうなるか……。サンプルにはこと欠かない。日本
でエリートと言われる人は、たいてい、このタイプの人間と思ってよい。官庁にも銀行に
も、そして政治家のなかにも、ゴロゴロしている。都会で受験勉強だけをして、出世した
(?)ような人たちだ。見かけの人間味にだまされてはいけない。いや、ふつうの人はだ
ませても、私たち教育者はだませない。彼らは頭がよいから、いかにすれば自分がよい人
間に見えるか、また見せることができるか、それだけを毎日、研究している。

 教育にはいろいろな使命があるが、こういう子どもだけは作ってはいけない。日本全体
の将来にはマイナスにこそなれ、プラスになることは、何もない。

++++++++++++++++

もう1作、原稿を添付します。
(中日新聞掲載済み)

過負担、過過信が、子どもの心をゆがめる
こともあるという、その1例として、
読んでください。

++++++++++++++++
●発作的に暴れる子ども

 ある日の午後。1人の母親がやってきて、青ざめた顔で、こう言った。「娘(年中児)が、
包丁を投げつけます! どうしたらよいでしょうか」と。

話を聞くと、どうやら「ピアノのレッスン」というのが、キーワードになっているよう
だった。母親がその言葉を口にしただけで、子どもは激変した。「その直前までは、ふだ
んと変わりないのですが、私が『ピアノのレッスンをしようね』と言ったとたん、別人
のようになって暴れるのです」と。

 典型的なかんしゃく発作による家庭内暴力である。このタイプの子どもは、幼稚園や保
育園などの「外」の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずることが多い。柔和で
おとなしく、静かで、その上、従順だ。しかもたいてい繊細な感覚をもっていて、頭も悪
くない。ほとんどの先生は、「ものわかりがよく、すなおなよい子」という評価をくだす。

しかしこの「よい子」というのが、クセ者である。子どもはその「よい子」を演じなが
ら、その分、大きなストレスを自分の中にため込む。そしてそのストレスが心をゆがめ
る。つまり表情とは裏腹に、心はいつも緊張状態にあって、それが何らかの形で刺激さ
れたとき、暴発する。ふつうの激怒と違うのは、子ども自身の人格が変わってしまった
かのようになること。瞬間的にそうなる。表情も、冷たく、すごみのある顔つきになる。

 ついでながら子どもの、そしておとなの人格というのは、さまざまな経験や体験、それ
に苦労を通して完成される。つまり生まれながらにして、人格者というのはいないし、い
わんや幼児では、さらにいない。もしあなたが、どこかの幼児を見て、「よくできた子」と
いう印象を受けたら、それは仮面と思って、まずまちがいない。つまり表面的な様子には、
だまされないこと。

 ふつう情緒の安定している子どもは、外の世界でも、また家の中の世界でも、同じよう
な様子を見せる。言いかえると、もし外の世界と家の中の世界と、子どもが別人のようで
あると感じたら、その子どもの情緒には、どこか問題があると思ってよい。

あるいは子どもの情緒は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときを見て、判断す
る。運動会のあとでも、いつもと変わりないというのであれば、情緒の安定した子ども
とみる。不安定な子どもはそういうとき、ぐずったり、神経質になったりする。

 なお私はその母親には、こうアドバイスした。「カルシウムやマグネシウム分の多い食生
活にこころがけながら、スキンシップを大切にすること。次に、これ以上、症状をこじら
せないように、家ではおさえつけないこと。暴れたら、『ああ、この子は外の世界では、が
んばっているのだ』と思いなおして、温かく包んであげること。叱ったり、怒ったりしな
いで、言うべきことは冷静に言いながらも、その範囲にとどめること。

このタイプの子どもは、スレスレのところまではしますが、しかし一線をこえて、あな
たに危害を加えるようなことはしません。暴れたからといって、あわてないこと。ピア
ノのレッスンについては、もちろん、もう何も言ってはいけません」と。

+++++++++++++++++++++

 ここに書いた、(生意気な子ども)については、よく覚えている。名前をX君といった。
で、この事件があった直後、母親を、教室へ呼んで、話をしようとした。とたん、その母
親は、怒ってしまった。怒ったというより、不機嫌な顔をして、私をずっとにらんでいた。

 「あんたごときに、偉そうなことを言われる筋合いではない」といった雰囲気だった。

 で、そのあと、何の連絡もないまま、X君は、そのまま私の教室をやめてしまった。

 そのあとの消息は、聞いていない。

 またここに書いた、(包丁を投げつけた子ども)は、そのあとも、数年、私の教室に通っ
てくれた。名前を、Zさんと言った。そのZさんについてもう1作書いた原稿がある。そ
れを紹介する。この話の中に出てくる、(娘)というのは、そのZさんのことをいう。

 今回の話とは、直接関係ないが、何かの参考になれば、うれしい。

++++++++++++++++++++++

●親の心は、子の心

 親子の密着度が高ければ高いほど、親の心は、子の心。以心伝心という言葉があるが、
親子のばあいは、それ以上。子どもは親の話し方はもちろんのこと、しぐさ、ものの考え
方、感じ方、価値観すべてを受けつぐ。以前、こんな相談があった。

 「自分の娘(年長児)がこわくてなりません」と、その母親は言った。「娘は、私は思っ
ていることを、そのまま口にしてしまいます。私が義理の親のことを、『汚い』と思ってい
ると、親に向かって、娘が『あんたは汚い』と言う。ふいの客に、『迷惑だ』と思っている
と、その客に向かって、娘が『あんたは迷惑』と言うなど。どうしたらいいでしょうか」
と。

 私は「そういう関係を利用して、あなたの子どもをすばらしい子どもにすることもでき
ます」と言った。「あなたがすばらしい親になれば、いいのです」とも。

 こういう例は少ないにしても、親子には、そういう面がいつもついてまわる。あなたと
いう人にしても、あなたの親の影響を大きく受けている。「私は私」と思っている人でも、
そうだ。特別の経験がないかぎり、あなたも一生、あなたの親の呪縛(じゅばく)から逃
れることはできない。

言いかえると、あなたの責任は、大きい。あなたは親の代から受け継いだもののうち、
よいものと悪いものをまず、より分ける。そしてよいものだけを、子どもの代に伝えな
がら、一方で、自分自身も、新しく、よいものをつくりあげる。そしてそれを子どもに
伝えていく。……というより、あえて伝える必要はない。

あなたの生きザマはそのまま、放っておいても、あなたの子どもの生きザマになる。親
子というのは、そういうもの。だから子育てというのは、まさに自分との戦いと

いうことになる。


【Yさんからの追伸】

+++++++++++++++++

以上の原稿をYさんに送りましたら、
さっそくYさんから返事が届きました。

紹介させてもらいます。

+++++++++++++++++

【Yさんより、はやし浩司へ】

はやし先生


おはようございます。
また、雨ですね。
明後日は、私のテニスの地区大会。
明明後日は、幼稚園の運動会。
休日ですが、忙しくなりそうです。


メールありがとうございました。
みなさん同じ場所で同じように悩んでおられるのですね。
元気が出てきます。


最近の娘のクラスの出来事です。
今月末に野外訓練が予定されています。
それに伴って、部屋決め・グループ決め、仕事分担など
人間関係にかかわるたくさんの決定事項があったようです。


クラスの中で、以前から少々浮いている状態のA子さんという子がいました。
ここ数日にわたる、A子さんへの風当たりはかなり激しかったようです。
主張するタイプの子数名が、「A子はくさい」だの「キモイ」だの
「一緒の部屋になるなんて死んでもイヤだ。」だの……。
容赦ない言葉の攻撃があったようです。


娘は、クラスの中では特にリーダー的な存在ではありませんが
自分の許容に大幅に外れることがある時にはそれを許すことができません。
だからといって、自分の考えを皆の前で主張することもできないので
この、よくないクラスの流れを「どうしたらいいだろう…。」と
毎日のように悩んでいました。


A子さんへのあまりにもひどい攻撃を見つけたときには
後から、そっと「今の、大丈夫だった?」と何度か
言ってあげていたようです。


娘 「でも、A子さん何にも言ってくれないんだよね。悪口言われても
   そんなにイヤではないのかな…。」

私 「そんなにあからさまに悪口言われたら誰だってイヤだと思うよ。
   あなたにそっと優しい言葉かけてもらってすごくうれしいと思っていると
   思うよ。」

娘 「だけどね、あんまりA子さんをかわいそうがるのも私としてはいやなんだ
   よね。 だって、ちょっとA子さんに失礼な気がするし…。」


まあ、こんなような会話をここのところ毎日毎日しています。


娘は、毎年担任の先生から言われる言葉があります。
「リーダー性がつけばもっといいですね。」
「穏やかで友達も多い。友人関係がきわめて良好です。」

上の、2点はいつもの決まり文句のように先生から言われていることです。

私自身が子どもの頃は、児童会活動・クラブ活動等集団があれば
リーダーのような仕事をしていたので、娘のような立場の
子どもがよく理解できなくて、正直物足りないなあ と思って
いました。

でも、娘が高学年になった頃から私の娘に対する考えもかなり変わりました。
この子のいいところは、「友達に対して威圧感を感じさせないところだ。」
と、言うことです。
大事なことです。
「いつも目立って活躍する子と同じくらいあなたは重要なポジションだよ。」
と娘に言ってやります。
「そっと、さりげなく友達を救う。(救う!は大げさかもしれませんが)」
娘から教えてもらったことです。


受験は確かに目の前にある大きな目標でありストレスです。
ですが、学校である日々の出来事や家族との会話や人間関係など
そんな一見つまらなそうで地味に見える優しさの積み重ねこそが
最後には、「豊かな一生。」と思えるような気がします。


でも、はやしせんせい!  実際に受験は避けて通れないモノで
できれば合格してほしい。
そんな考えが先行するときもあります。
だから、焦るのです。不安なのです。
こんな気持ちが交差する日々です。


親が、しっかり地に足つけて「最後の砦」に
ならなければいけませんね。

最近娘は受験に対してこんなことを言います。
娘「私ってのんびりしてるよね〜。
 こんな、楽な生活している受験生いないよね〜。」

・・・・・と、です。

これは、私にとってはうれしい言葉です。
まさに、娘が自分自身を叱咤激励している言葉だと受け取れるからです。
受験も勉強も自分のことだ。さあ! やるぞ!と、思っているのでしょうね。
ですが、本当にの〜〜んびりで、ため息が出てしまいます。(笑)
(これが本音かもしれませんが)



先日見学させていただいたKZさんは上のおねえちゃんが
幼稚園から娘と同級生です。
実は、娘をずっと見ていて「どこかいい塾にでもいっているのかな」と
感じていたそうです。
娘を見て、そう思ってくれるとはうれしいことですね。


さすが、BWです!!!



秋も深まってきましたね。
季節の変わり目、お体には気をつけてくださいませ。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



【ドメスティック・バイオレンス】

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家庭内暴力、称して、「ドメスティック・バイオレンス」。
略して、「DV」。

「配偶者(たいていは夫)、もしくは、恋人からの暴力」
をいう。

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●夫婦喧嘩のリズム

 周期的に夫婦喧嘩を繰りかえす人がいる。(私たち夫婦も、そうだが……。)その夫婦喧
嘩には、一定のリズムがあることがわかる。【安定期】→【緊張期】→【爆発期】→【反省
期】というパターンで、繰りかえされる。

【安定期】

 夫婦として、何ごともなく、淡々とすぎていく。朝起きると、夫がそこにいて、妻がそ
こにいる。それぞれが自分の持ち場で、自分勝手なことをしている。日々は平穏に過ぎ、
昨日のまま、今日となり、今日のまま、明日となる。

【緊張期】

 たがいの間に、おかしな、不協和音が流れ始める。夫は妻に不満を覚える。妻も、夫に
不満を覚える。忍耐と寛容。それが交互にたがいを襲う。何か物足りない。何かぎこちな
い。会話をしていても、どこかトゲトゲしい……。ピリピリとした雰囲気になる。

【爆発期】

 ささいなことがきっかけで、どちらか一方が、爆発する。相手の言葉尻をつかまえて、
口論になったり、言い争いになったりする。それが一気に加速し、爆発する。それまでの
鬱積(うっせき)した不満が、口をついて出てくる。はげしい口答え。もしくは無視、無
言。

【反省期】

 爆発が一巡すると、やがて、反省期を迎える。自分の愚かさを、たがいにわびたり、謝
ったりする。が、それも終わると、今度は反対に、相手に、いとおしさを覚えたりする。
たがいに安定期より、深い愛情を感ずることもある。心はどこか落ち着かないが、「これで
いいのだ」と、たがいに納得する。

 これが夫婦喧嘩のリズムだが、そのうちの【爆発期】に、どのような様相を示すかで、
それがただ単なる夫婦喧嘩で終わるのか、DV(ドメスティック・バイオレンス)になる
かが、決まる。

●ドメスティック・バイオレンス

 東京都生活文化局の調査によれば、

   精神的暴力を(夫から)受けたことがある人……55・9%
   身体的暴力を(夫から)受けたことがある人……33%、ということだそうだ。
 (1997年、女性からの有効回答者数、1553人の調査結果)

 DVの特徴は、大きくわけて、つぎの2つがあるとされる(渋谷昌三・心理学用語)。

(1)非挑発性……ふつうならば攻撃性を誘発することのないことに対して、攻撃性を感
ずること(同書)。
(2)非機能性……攻撃しても、何の問題解決にもならないこと(同書)と。

 わかりやすく言うと、DVが、ふつうの夫婦喧嘩と異なる点は、攻撃される側にしてみ
れば、夫が、どうして急に激怒するか、その理由さえわからないということ。またそうし
て夫が激怒したからといって、問題は何も解決しないということ。もともと、何か具体的
な問題があって、夫が激怒するわけではないからである。

 ではなぜ、夫は、理由もなく(?)、急激に暴力行為におよぶのか。

 私は、その根底に、夫側に自己嫌悪感があるからではないかとみている。つまり妻側に
何か問題があるから、夫が暴力をふるうというよりは、夫側が、はげしい自己嫌悪におち
いり、その自己嫌悪感を攻撃的に解消しようとして、夫は、妻に対して、暴力行為におよ
ぶ。(もちろんその逆、つまり妻が夫に暴力をふるうケースもあるが……。)

 ただ暴力といっても、身体的暴力にかぎらない。心理的暴力、経済的暴力、性的暴力、
子どもを利用した暴力、強要・脅迫・威嚇、否認、責任転嫁、社会的隔離などもある(か
ながわ女性センター)。

 アメリカの臨床心理学者のウォーカーは、妻に暴力をふるう夫の特徴として、つぎの4
つをあげている(同書)。

(1)自己評価が低い
(2)男性至上主義者である
(3)病的なほど嫉妬深い
(4)自分のストレス解消のため、妻を虐待する、と。

 これら4つを総合すると、(夫の自己嫌悪)→(自己管理能力の欠落)→(暴力)という
構図が浮かびあがってくる。

 実は私も、ときどき、はげしい自己嫌悪におちいるときがある。自分がいやになる。自
分のしていることが、たまらなくつまらなく思えてくる。ウォーカーがいうところの、「自
己評価」が、限りなく低くなる。

 そういうとき、その嫌悪感を代償的に解消しようとする力が、働く。俗にいう『八つ当
たり』である。その八つ当たりが、一番身近にいる、妻に向く。それがDVということに
なる。

 が、それだけではない。その瞬間、自分自身の問題をタナにあげて、妻側に完ぺき性を
求めることもある。自分に対する、絶対的な忠誠と徹底的な服従性。それを求めきれない
と知り、あるいはそれを求めるため、妻に対して暴力をふるう。

 こうした暴力行為は、本来なら、その夫自身がもつ自己管理能力によってコントロール
されるものである。自己管理能力が強い人は、自分を管理しながら、そうした暴力が理不
尽なものであることを知る。が、それが弱い人や、そうした暴力行為を、日常的な行為と
して見て育った人は、そのまま妻に暴力をふるう。

 マザコンタイプの夫ほど妻に暴力をふるいやすいというのは、それだけ、妻に、(女とし
ての理想像)を求めやすいということがある。

 で、自己管理能力を弱くするものとしては、その人自身の精神的欠陥、情緒的未熟性、
あるいは、慢性化したストレス、精神的疾患などが考えられる。うつ病(もしくはうつ病
タイプ)の夫が、突発的にキレた状態になり、妻に暴力をふるうというケースは、よく知
られている。

●対処方法

 妻側の対処方法としては、(あくまでも通常の夫婦喧嘩のワクを超えているばあいだが)、
その雰囲気を事前に察したら、

(1)逆らわない
(2)口答えしない
(3)「すみません」「ごめんなさい」と言って逃げる、に尽きる。

 決して口答えしたり、反論したり、言い訳をしてはいけない。夫が心の病気におかされ
ていると考え、ただひたすら、「すみません」「ごめんなさい」を繰りかえす。この段階で、
反論したりすると、それが瞬時に、夫側を激怒させ、暴力につながる。

 で、DVも、冒頭に書いたように、4つのパターンを繰りかえしながら起きるとされて
いる。(学者によっては、【緊張期】→【爆発期】→【反省期】の3相に分けて考える人も
いる。)つまりその緊張期に、どうそれを知り、どう夫をコントロールするかが重要という
こと。

 方法としては、気分転換ということになる。要するに、「内」にこもらないということ。
サークル活動をするのもよし、旅行をするのもよし。とくにこのタイプの夫婦は、たがい
に見つめあってはいけない。たがいに前だけを見て、前に進む。

 ただこの世界には、「共依存」(注※)というのもある。暴力を繰りかえす夫。それに耐
える妻。その両者の間に、おかしな共依存関係ができることもある。

 ここでいう【反省期】に、夫が、ふだん以上に妻にやさしくする。一方、やさしくされ
る妻は、「それが夫の本当の姿」と思いこんでしまう。こうしてますますたがいに、依存し
あうようになる。夫の暴力を、許容してしまうようになる。

 DVは、夫婦という、本来は、何人も割って入れない世界の問題であるだけに、対処の
しかたがむずかしい。今では、DVに対する理解も進み、また各地に、相談窓口もふえて
きた。

 この問題だけは、決してひとりでは悩んではいけない。もし夫の暴力が、耐え難いもの
であれば、そういう相談窓口に相談してみるのもよい。

なおこの日本では、『配偶者からの暴力の防止および被害者の保護に関する法律』も、2
001年度から施行されている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
DV ドメスティック・バイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力 暴力行為 ドメスティッ
クバイオレンス)


++++++++++++++++

共依存について書いた原稿を
添付します。

++++++++++++++++

注※……共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依
存症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型
的な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻
に怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知っ
ていて、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、
苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なの
だ。だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうを
みることで、依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子ども
はいない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事か
ら帰ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバ
イスした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこ
んでいるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、
依存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせる
といったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れ
ていってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、
夫に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に
大きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったとい
うことで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心
理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えま
す。このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられる
のではないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特
徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかり
のよさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『ア
ダルト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレ
ン依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレン
になるわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄など
によっても、ここでいうような症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか
……という疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠
牲心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしてい
る。世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫
に依存するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」
であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、
息子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。
わざと、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、
先週買ってきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依
存していたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せって
みせたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとス
タスタと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかま
りながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日
には、友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」
と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題
ではない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンと
いる。決して珍しくない。

で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、
子ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例で
ある。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを
想像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性の
マザコンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっ
しょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、そ
れほど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
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コン 女性のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴
力 ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

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DVとは関係ありませんが、
人間関係の複雑さを教えてくれるのが、
つぎの人からのメールです。

参考までに……。

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【親子の確執】

************************

現在、東京都F市にお住まいの、NEさんという
方から、親子の問題についてのメールをいただき
ました。

転載を許可していただけましたので、みなさんに
紹介します。

このメールの中でのポイントは、2つあります。

子離れできない、未熟な母親。
家族自我群の束縛に苦しむ娘、です。

旧来型の親意識をもつ、親と、人間的な解放を
求める娘。この両者が、真正面からぶつかって
いるのがわかります。

NEさんの事例は、私たちが、子どもに対して、
どういう親であるべきか、それを示唆しているように
思います。

みなさんといっしょに、NEさんの問題を
考えてみましょう。

***********************

【NEより、はやし浩司へ】

はやし浩司さま

突然のメールで、失礼します。
暑いですが、いかがお過ごしですか?

今回のメールは、悩み相談の形をとってはいますが、ただ単に自分の気持ちを整理するた
めに書いているものです。返信を求めているものではないので、どうかご安心ください。

結婚後、三重県S市で生活していた私たち夫婦は、主人が東京都の環境保護検査師採用試
験に合格したこともあり、今春から東京で生活することになりました。実は、そのことを
めぐって私の両親と大衝突しています。

嫁姑問題ならまだしも、実の親子関係でこじれて悩んでいるなんて、当事者以外にはなか
なか理解できない話かもしれません。このような身内の恥は、あまり誰にも相談もできま
せん。人生経験の浅い同年代の友人ではわからない部分も多いと感じ、人生の先輩である
方のご意見を聞かせていただけたら…(今すぐにということではなく、やはり問題解決に
至らなくて、どうにもならなくなったときに、いつか…)と思い、メールを出させていた
だきました。

まずはざっと話させていただきます。

事の発端は、私たち夫婦が東京に住むことになったことです。
表面上は…。

私の実家は、和歌山市にあります。夫の実家は、東京都のH市にあります。東京へ移る前
は、三重県のS市に住んでいました。

けれども、日頃積もり積もった不満が、たまたま今回爆発してしまったというほうが正確
なのかもしれません。

母は、私たちが三重県のS市を離れるとき、こう言いました。

「結婚後しばらくは三重県勤務だが、(私の実家のある)和歌山県の採用試験を受験しなお
すと言っていたではないか。都道府県どうしの検査師の交換制度に申し込んで、三重県か
ら和歌山県に移るとかして、いつかは和歌山市にくるチャンスがあれば…と、待っていた。
それがだめでも、三重県なら隣の県で、まあまあ近いからとあきらめて結婚を許した。そ
れが突然、東京に行くと聞いて驚いた。同居できなくてもいいが、できれば、親元近くに
いてほしかった。あなたに見棄てられたという気分だ」と。

親の不安と孤独を、あらためて痛感させられた一件でした。「いつか和歌山市にくるかもし
れない」というのは、あくまで両親の希望的観測であり、私たちが約束したことではあり
ません。母も体が丈夫なほうではないので、確かにその思いは強かったかも知れませんが
…。

ですので、いちいち明言化しなくても、娘なら両親の気持ちを察して、親元近くに住むの
が当然だろう、という思いが、母には強かったようです。

しかし、最初からどんな条件をクリアしようと、結婚に賛成だったかといえば疑問です。
昔風の理想像を、娘の私に押しつけるきらいがありました。

たとえ社会的地位や財産のある(彼らの基準でみて)申し分ない結婚相手であっても、相
手を自分たちの理想像に押し込めようとするのをやめない限り、いつかは結局、同様の問
題が噴き出していたと思うのです。

配偶者(夫)に対して、貧乏ゆすりが気に入らないだとか、食べ物の好き嫌いがあるのが
イヤだなどと…。配偶者(夫)と結婚したのか、親と結婚したのかわからないほど、結婚
当初は、親の顔色をうかがってばかりいました。両親の言い分を尊重しすぎて、つまらぬ
夫婦喧嘩に発展したこともしばしばありました。

いつまでも頑固に、私の夫を「気に入らない!」と、わだかまりを抱えているようでは、
近くに住んでもうまくいくとは思えません。両親にとって、娘という私の結婚は、越えら
れないハードルだったのかもしれませんね。

結婚後、実家を離れ、三重県で生活していても、「そんな田舎なんかに住んで」とバカにし
て電話の一本もくれませんでした。私が妊娠しても「誰が喜ぶと思ってるんだ」という調
子.結局、流産してしまったときも「私が言った(暴言)せいじゃない(←それはそうか
もしれませんが、ひどいことを言ってしまって謝るという気持ちがみられない)」と。

出産後も頼れるのは、夫の母親、つまり義母だけでした。実の母は「バカなあんたの子ど
もだから、バカにきまってる」「いまは紙おむつなんかあるからバカでも子育てできていい
ね」などなど。なんでそんなことまでいわれなければならないのかと、夢にまでうなされ
夜中に叫んで目がさめたこともしばしば…

そんな調子ですから、結婚後、実家にかえったことも、数えるほどしかありません。行く
たびに面とむかってさらに罵詈雑言を浴びせられ、必要以上に緊張してしまうことの繰り
返しです。

このまま三重県生活を続けていてもいいと考えたのですが、子どもが生まれると近くに親
兄弟の誰もいない土地での生活は大変な苦労の連続。私の実家のある和歌山市と、旦那の
実家のある東京のそれぞれに帰省するのも負担で、盆正月からずらして休みをとってやっ
と帰る…などをくりかえしていました。そのためお彼岸のお墓参りのときには、何もせず
に家にいるだけというふうでした。

さらに子どもの将来の進路・進学の選択肢の多さ少なさを比較すると、このまま三重県で
暮らしていていいのだろうかと思い、それで夫婦ではなしあった結果、今回思いきって旦
那が東京を受験しました。ただでさえ少子化の今の時代ですから、近くに義父母や親戚、
兄弟が住んでいる街で、多くの目や手に支えられた環境の中で子育てしていこう!、との
結論にいたったのでした。

このことについて実の母に相談をしませんでした。事後報告だったので、(といっても相談
なんてできるような関係ではなかったですし)、和歌山市の両親を激怒させたことは悪かっ
たとは思います。しかし、これが発端となり、母や父からも猛攻撃が始まりました。

「親孝行だなんて、東京に遠く離れて、一体何ができるっていうの? 調子いいこと言わ
ないで!」
「孫は無条件にかわいいだろうなんて、馬鹿にしないで! もう孫の写真なんか送ってこ
なくていいから」
「偽善者ぶって母の日に花なんかよこさないで!」
「言っとくけど東京人なんて世間の嫌われ者だからね」云々…。

電話は怖くて鳴っただけで体のふるえがとまらなくなり、いつ三重までおしかけてこられ
るかと恐怖でカーテンをしめきったまま、部屋にとじこもる日々でした。それでも子ども
をつれて散歩にいかなければならないと外出すれば、路上で和歌山の両親の車と同じ車種
の車とでくわしたりすると、足がすくんでうごけなくなってしまい、職場にいる主人に助
けをもとめて電話する…そんな日々がしばらく続きました。

いつしか『親棄て』などと感情的な言葉をあびせかけられ、話が大上段で感情的な応酬に
なってしまっています。親の気持ちも決して理解できないわけではないのですが…。

ふりかえると、両親も、夫婦仲が悪く、弟も進学・就職で家を離れ、私がまるで一人っ娘
状態となり、過剰な期待に圧迫されて共依存関係が強まり、「一卵性母娘」関係になりかけ
た時期がありました。

もしかするとその頃から、親子関係にほころびが生じてしまったのかもしれません。こち
らの言い分があっても、パラサイト生活の状態だったので、最後には「上げ膳据え膳の身
で、何を生意気言ってるの!」とピシャリ! 何も反論できませんでした。

親が憎いとか、断絶するとか、そんな気持ちはこちらにはないのです。実の親子なのです
から、ケンカしても、必ず関係修復できることはわかっています。でも、うまく距離がと
れず、ちょっと苦しくなってしまったというだけ。

「おまえは楽なほうに逃げるためにあんな男つれてきて、仕事もやめて田舎にひっこんで
結婚しようとしてるんだ」
「連中はこっちが金持ちだとおもってウハウハしてるんだ」
「人間はいつのまにか染まっていくもの。あんたもあんな汚らしい長家に住んでる人間た
ちと一緒になりたければ、出て行けばいい」などなどと、吐かれた暴言は、心にくいとな
ってつきささり、ひどく傷つきました。

結婚に反対され、家をとびだし一人暮らしを始めたのも、「このままの関係ではまずい」と
思ったことがきっかけでした。ついに一人ではそんな暴言の嵐を消化しきれず、旦那や義
父母に泣いてすがると、私の両親は「お前が何も言わなければ、そんなことあっちには伝
わらなかったのに。余計なことしゃべりやがって。あっちの親ばっかりたてて、自分の親
は責めてこきおろして…。よくもそんなに人バカにしてくれたね。もう私達の立場はない
じゃないか。親が地獄のような日々おくっているのに、自分だけが幸せになれるなんて思
うなよ」と。

そんな我が家の場合、もう一度、適切な親子の距離をとり直すために、もめるだけもめて、
これまでの膿を全部出し切っていくという、痛みをともなうプロセスを、避けて通れない
ようです。

本や雑誌で、家族や親子の問題を扱った記事を目にすると、子ども側だけが一方的に悪い
わけではないようだと知り安心するものの、それは所詮こじつけではないか?、と堂々巡
りに迷いこみ、訳がわからなくなってしまいます。

娘の幸せに嫉妬してしまう母、愛情が抑圧に転じてしまう親、アダルトチルドレン、心理
学用語でいう「癒着」、育ててもらった恩に縛られすぎて、自分の意思で生きていけない子
ども…などなど。そんな事例もあるのだなーと飽くまで参考にする程度ですが、どこかし
らあてはまる話には、共感させられることも多いです。

世間一般には、「スープの冷めない距離」に住むことが親孝行だとされています。私の母は、
「近所のだれそれさんはちゃんと親近くに住んでいる。いい子だね」という調子で、それ
にあてはまらない子は、「ヘンな子ね、いやだわ」で終わり。スープの冷めない距離に住め
なかった私は「親不孝者だ…」と己を責め、自分そのものを肯定できなくなることもあり
ます。

こんな親不孝者には、子育ても人間関係も仕事もうまくいくわけがないのだ。親を棄てて、
幸せだなんて自己満足で、いつか必ずしっぺ返しをくらって当然だ。父母の理想から外れ
た人生を選び、それによってますます彼らを傷つけている私に、存在価値なんてあるのだ
ろうか…などと。

子どもは24時間待ったなしで愛情もとめてすりよってきますが、東大に入れて外交官にし
て、おまけにプロのピアニスト&バイオリニストなどにでもしなければ、子育てを認めな
いような、かたよった価値観の両親のものさしを前に、無気力感でいっぱいになってしま
います。よってくる我が子をたきしめることもできずに、ただただ涙…そんな日々もあり
ます。

実はこの親子関係がらみの問題は、私の弟の問題でもあります。

彼は転職する際、両親と大衝突し、罵詈雑言の矛先が選択そのものにではなく、人格にま
で向けられたことに対して、相当トラウマを感じているようです。(事実、1年近く、実家
との一切の関わりを断ち切った時期もあったほどです)。

結局、転職先は両親の許容範囲におさまり、表層は解決したように見えるのですが、本質
的な信頼の回復には至っていません。子の人生を受け入れることができない両親の狭量さ
を、彼はいまだに許していません。

弟は「親は親の人生、子は子の人生。親の期待に子が応えるという、狭い了見から脱して、
成人した子どもとの関係を築こうとしない限り、両親が子どもの生き方にストレスをため
る悪循環からは抜け出せないよ」と、両親を諭そうとした経験があります(もちろん人間
そう簡単には変わりませんが…)。

今回の私の件も、問題の根本は同じであると受け止め、(今後、彼の人生にもあれこれ影響
が出てくるのは必至なので)、「他人事ではない」と味方についてくれました。

まだ人生経験が浅い私には、親が遠距離にいるという事実が、将来的に、今は予想もつか
ないどんな事態を覚悟しておかねばならないのか、具体的なシミュレーションすらできて
いません。(せめて今後の参考に…と思い、ある方が書いた、「親と離れて暮らす長男長女
のための本」を借りてきて、眺めたりしています。)

親の不安と孤独を軽減するには、一にも二にも顔を見せることですね。夫の実家に子ども
を預けて、和歌山市にどんどん帰省しようと思います。そういう面では、親戚など誰も頼
る人のいない三重県S市在住の今よりも、ずっと帰省しやすくなるはずです。あとはお互
いの気持ちの問題です。そう前向きに思うようにはしたいのですが…。

人は誰にも遠慮することなく、幸せをつかむ権利があり、そうした自己完結的な充足の中
に、ある面では躊躇を感じる気質も持ち合わせていて、そこに人間の心の美しさがあるの
かもしれない…そんなことを言っている人がいました。

私はこれまで両親から受けた恩に限りない感謝を覚えていますし、折に触れてその感謝を
形に表していきたいと思っています。が、今はそんな思いは看過ごされ、けんかばかり。「親
棄て」の感情論のみ先行してしまっていることが残念です。

我が家の親子関係再構築の闘いは、まだまだ続きそうです。でも性急さは何の解決も生み
出しません。まずは悲観的にならず、感情的にならず、静かに思慮深く、自分の子どもに
しっかり愛情注いで過ごしていくしかないと思います。

そして、原因を親にばかりなすりつけるのではなく、これまで育ててもらった愛情に限り
ない感謝の気持ちを忘れずに、折々に言葉や態度で示しつつ、前進していかなければ…と
思っています。

理想の親子関係って何でしょうね?
親孝行って何でしょうね?

勝手なおしゃべりで失礼しました。
誰かの助言ですぐに好転する問題ではないので、急ぎの回答など気にしないでください!
こうして打ち明けることで、もう既にカウンセリング効果を得たようなものですから。(と、
言っている間にも、状況はどんどん変わりつつあり、解決しているといいのですが…)

ただ、私が最近思うことは、私の両親の意識改革も必要なのではないかということです。
彼らの親戚も、数少ない友人もほとんどつきあいのない隣り近所も誰も、彼らのかたよっ
た親意識にメスを入れることのできる人はいない状況です。

先日は父の還暦祝いに…と、弟と二人でだしあって送った旅行券もうけとってもらえず、
ふだんご無沙汰している弟が、母の日や父の日にひとことだけ電話をいれたときにも話し
たくなさそうに、さも、めんどくさそうに、短く応答してすぐブツリときられてしまった
そうです。

彼らはパソコン世代ではありません。親の心に染入るような書物を紹介する読書案内のダ
イレクトメールですとか、講演会のお知らせなどを、(私がしむけているなどとは決してわ
からないように)、ある日突然郵送で何度か、繰り返し送っていただくことはできませんで
しょうか?

そのハガキに目がとまるかどうかが、彼らが意識を改革できるかどうかの最後のきっかけ
であるような気がしてならないのです。

そういうふうに、相手にかわってくれ!、と望んでいる私の姿勢も無駄なんですよね。

はやしさんのHPにあった親離れの事例などは、うちよりもさらに深刻な実の母親のスト
ーカーの話でしたから、最近の世の中には増えてきていることなのだろうと思いました。

友達に相談しても、早くから親元はなれてそういう衝突したことのない人からみれば、ま
ったくわからない話ですし、「あなたを今まで育ててくれたご両親に対する、そういう態度
みてあきれた」と、去っていった友人もいました。また、あまり親しくない人たちのまえ
では、実の親子なんですからもちろんうまくいっているかのようにとりつくろわなければ
ならず、非常に疲れます。

時間はかかるでしょうが、両親があきらめてくれるかもしれないきっかけとしては、いろ
いろやるべきことがあるようです。たとえば両親の家は、新築したばかりの家ですので、
和歌山市に帰って年老いた両親のかわりに、家の掃除や手入れなどをひきうけること。私
が仕事(検査助手)に復帰し、英検・通検などを取得すること。小さい頃から習い続けて
きて途中で放棄されたままのピアノも、もういちど始めること(和歌山市の実家に置き去
りになっているアップライトのピアノがある)。母の着物一式をゆずりうけるために気付な
ど着物の知識をしっかり勉強すること。同じく母の花器をつかって玄関先に生けてもはず
かしくないくらいのいけばなができるようになること。梅干やおせち料理、郷土料理など
母から(TVや雑誌などでは学べない)母の味をしっかり受け継ぐこと…などなどが考えら
れます。

東京で勤務し続ける弟とは、両親に何かあればひきとる考えでいることを話し合っていま
す(実際にはかなり難しいでしょうが…)。弟も私が和歌山市に戻り、ここまでこじれても
一言子どもの立場から折れて謝罪すれば、ずいぶん状況が違うだろうといってくれてはい
るのですが、ほんとうに謝る気もないのにくちさきだけ謝ったとしても、いつかは親の枕
もとに包丁をもって立っていた…なんてことにもなりかねません。謝ってしまうと親のね
じまがった価値観を認めることになりそうでそれは絶対にできません。

万一のときには実家に駆けつけるつもりですが、正直、今の気持ちとしては何があろうと
親の顔も見たくありません。

すみません。長くなりました。

急ぎではありませんので、多くの事例をご覧になってきたはやしさんの立場から何かご意
見がございましたら、いつかお時間に余裕ができましたときにお聞かせいただければと思
いました。

HPでは現在ご多忙中につき、相談おことわり…とありましたのに、それを承知でお便りし
てしまいまして、勢いでまとまらない文章におつきあいくださいましてありがとうござい
ました。

暑さはこれからが本番です。
どうぞお体ご自愛なさってお過ごしください。

現在は東京都F市に住んでいます。 NEより


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝、あれこれ

+++++++++++++++++

ここ数日間は、FLASHに没頭した。
FLASHというのは、HPなどでときどき
見かける、あの動画をいう。

パッパッと写真や絵が動いて、文字が現れたり、
消えたりする。

あれが、あのFLASHである。

+++++++++++++++++

 ここ数日間は、FLASHに没頭した。ご存知の方も多いと思うが、FLASHという
のは、HP(ホームページ)などでよく見かける、あの動画をいう。パッパッと写真が動
いて、文字が現れたり、消えたりする。

 かなり以前から、そのFLASHを、私も、自分でも作ってみたいと思っていた。他人
の作ったFLASHを見ながら、「どうすれば、自分もできるだろう」と、よく考えた。が、
最初のネックは、ソフトの高額さ。L社、I社、M社などから発売されているが、どれも
3〜5万円もする。

 が、今度(06年9月)に、A社から、手ごろな廉価(れんか)版が発売になった。て
いねいなガイドブック付で、1万円弱。「これならできる!」と思って、即、購入。

 で、……というか、悪戦苦闘の結果、何とか私もできるようになった。が、できるよう
になったとたん、「なんだ、こんなものだったのか!」と。

ちなみに、試作第1号は、無事、私のHPに載せるまでに、2日間、計、4〜5時間も
かかった。が、2作目からは、10〜20分で、できるようになった。

 こうして私は、FLASHを、マスター(?)した。と、同時に、この2日間、原稿書
きは、ほとんどできなかった。今朝、あわてて、11月1日号のマガジンの発行予約を入
れたところ。予定より遅れること、5日。

今日から、11月3日号の作成にとりかかる。


●騒がしいK国の核実験

 ここ数日、K国の核実験宣言に、世界は揺れに揺れている。「核実験をする」と叫ぶ、K
国。「妥協はない」とがんばる、アメリカ。その間で、オロオロとうろたえる、韓国。

 K国は、K国国内でも、「核実験をする」と報道しているようである。となると、近く、
核実験が行われる公算は、きわめて大きい。K国の革命記念日の10月10日前後になる
というのが、今のところ、おおかたの見方である。

 つまり、K国は、いよいよ終わりの終わりに近づいたということ。

 しかし問題は、そのあとに起こる。こうした独裁国家というのは、静かには崩壊しない。
ああでもない、こうでもないと、悪あがきをする。その(悪あがき)が、日本も含めて、
周辺の国々に、たいへんな迷惑をかける。恐らく、今回も、そうなるだろう。

 日本は日本として、ここはしっかりと手綱を握りなおし、それなりの覚悟をしておこう
ではないか。


●失ったアザデガン油田

 K国の核実験宣言に隠れて、あまり目立ったニュースにはなっていないが、日本は、と
うとうイランのアザデガン油田開発の利権を、失ってしまった(10月5日)。

 つい先日は、シベリアにおける油田開発が、暗礁に乗りあげたばかりである。それも考
えると、今回のアザデガン油田の利権を失ったということは、日本の石油戦略にとっては、
大打撃と言ってもよい。戦争にたとえるなら、ミッドウェー海戦(1937年)で、日本
機動部隊が、空母4隻を失ったくらいの損害に匹敵(ひってき)する。

5年後、10年後を考えたばあい、その影響は、はかり知れない。が、それだけではな
い。

イランは、さっそく、「日本のかわりに、中国か、ロシアに利権を渡す」というようなこ
とを言っている。もし中国に開発利権が渡るようなことにでもなれば、少なくとも石油
戦略においては、(つまり石油争奪戦においては)、日本と中国の立場は、ここで逆転す
ることになる。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 11月 1日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 お休みします。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不安

++++++++++++++++

80歳をすぎた近所の女性が、
数日前、救急車を呼んだ。

あとで理由を聞くと、便に
大量の血が混ざっていたからだという。

その女性は、自分が、がんになったと早合点して、
そうしたらしい。

しかし、がんではなかった。シロだった。ただ単なる、
切れ痔にすぎなかった。

++++++++++++++++

 私は知らなかったが、近所に住む女性が、救急車を呼んだという。今年、80歳になる
女性である。

 あとで人づてに理由を聞くと、便に大量の血が混ざっていたからだという。その女性は、
それをがんと早合点してしまったらしい。が、病院での検査の結果は、シロ。がんではな
かった。ただ単なる切れ痔にすぎなかったという。

 最初、この話をワイフから聞いたとき、私は笑ってしまった(失礼!)。その女性のよう
な心気症の人(=大病ではないかと、そのつど、大げさに悩む人)は多い。実は私もその
1人だが、しかし便に血が混ざっていたくらいでは、救急車は呼ばない。

 しかもその女性は、80歳だという。

私「80歳になっても、死ぬのがこわいのかねエ?」
ワ「何歳になっても、こわいみたいよ」
私「そういうものかねエ」と。

 そう言えば、私の母も、89歳になり、足が思うように動かなくなったとき、それを治
せない医師を、「ヤブ医者」と言って、怒っていた。姉が、「89歳にもなれば、みんなそ
うよ」と懸命になだめていたが、母には、理解できなかったようだ。

 この問題には、つまりその人の生死にかかわる問題には、年齢は関係ないようだ。老齢
になったからといって、死に対する恐怖感がやわらぐということはない。考え方が変わる
ということもない。

 むしろ現実は逆で、老齢になればなるほど、「生」に執着する人は、多い。ほとんどの人
がそうではないか。中に、「私はいつ死んでもいいですよ。覚悟はできていますよ」などと
言う人がいるが、たいていは、そう言いながら、かっこつけているだけ。本心でないと考
えてよい。

 「死」を受け入れるということは、たいへんなことである。

 イギリスのBLOGから、「死」について書いた賢人たちの言葉を、集めてみる。

★I live now on borrowed time, waiting in the anteroom for the summons that will 
inevitably come. And then - I go on to the next thing, whatever it is. One doesn't 
luckily have to bother about that.

私は借りてきた時間の中で、召喚のための小部屋で待ちながら、生きている。それは避け
られないもの。で、それから私は、どうあっても、つぎの部屋に行く。幸運にも、人は、
それで心をわずらわす必要はない。
Agatha Christie, "An Autobiography"(アガサ・クリスティ「自叙伝」)


★I shall tell you a great secret my friend. Do not wait for the last judgement, it takes 
place every day.

友よ、私はあなたに偉大な秘密を話してやろうではないか。最後の審判を待ってはいけな
い。それは毎日起きていることなのだから。
Albert Camus

★To the well-organised mind, death is but the next great adventure.

よく準備された心には、死は、ただ単なるつぎの冒険でしかない。
Albus Dumbledore

★Even in the desolate wilderness, stars can still shine.

人に見放された荒野のようなところでも、星はまだ、輝いている。
Aoi Jiyuu Shiroi Nozomi (青い自由、白い望み?)

★A Lizard continues its life into the wilderness like a human into heaven. Our fate is 
entirely dependent on our life

とかげは、野生の中に向かって生きつづける。人間が天国に向かって生きつづけるように。
我々の運命は、私たちに生命に完全に支配されている。
Andrew Cornish

★This existence of ours is as transient as autumn clouds. To watch the birth and 
death of beings is like looking at the movements of a dance. A lifetime is a flash of 
lightning in the sky. Rushing by, like a torrent down a steep mountain.

我々の存在は、秋の雲のように、一時的なもの。人の生死を見るということは、踊りの動
きを見ているようなもの。人生というのは、空に光る稲妻の閃光でしかない。あるいは、
急な山を下る急流のようなものでしかない。
Buddha (c.563-c.483 B.C.)(釈迦)

★100 per cent of us die, and the percentage cannot be increased.

私たちのうち100%は死ぬ。そのパーセンテージがふえるということは、ない。
C.S. Lewis, "The Weight of Glory"

★Who chants a doleful hymn to his own death?

だれが、自分の死に際して、悲しげな賛美歌を歌うだろうか。
Shakespeare

★We are here to laugh at the odds and live our lives so well that Death will tremble to 
take us.

私たちは、おおいに笑い、楽しく生きるために、ここにいる。そうすれば死は、私たちを
連れ去るのを、躊躇(ちゅうちょ)するだろう。
Charles Bukowski

★All God does is watch us and kill us when we get boring. We must never, ever be 
boring. 

★すべての神は、私たちをずっと見ていて、私たちがいつ、生きるのに飽きるかを見てい
る。だからそれゆえに、私たちは決して、自分の人生に飽きてはいけない。
 Chuck Palahniuk, "Invisible Monsters"

 人生が瞬間的なものなら、80歳になるのも、瞬間にやってくる。若い人たちからみれ
ば、老後は、ありえないほど遠い未来に見えるかもしれないが、その老後は、瞬間にやっ
てくる。それがわからなければ、自分の過去をみることだ。

 少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、「私は生きた」という実感をもっている人は、
きわめて幸福な人だと思う。もし少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、それが何のた
めにあるかといえば、その「生きる実感」をつかむためにある。

 その「実感」が、灯台となって、それからのその人の人生の歩む道を、照らす。

 で、この年齢になってますますはっきりとわかってきたことがある。それは青春時代と
いうのは、人生の出発点ではないということ。青春時代は、人生のゴールそのものである
ということ。それはちょうど、あのサケが、最後には自分の生まれた源流をさかのぼり、
そこで死を迎えるようなもの。

 しかし悲しいかな、少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、その最中にいる人には、
それがわからない。「人生は永遠」と考えるのはまちがってはいないが、「永遠」と思うあ
まり、その時代を浪費してしまう。

 しかしその時代は、1回ポッキリで終わる。……終わってしまう。「まだ先がある……」
と思って、人は、生きていく。が、先は、ない。ないから、その日、その日を、悶々とし
た気分で過ごす。

 それが不完全燃焼感となって、心をふさぐ。悔いとなって、心をふさぐ。老後になれば
なるほど、それがより鮮明になってくる。

 冒頭に書いた女性だが、今回は、シロだった。が、この先、何年、生き延びることがで
きるというのだろうか。5年だろうか。10年だろうか。体の不調が起きるたびに、ビク
ビクしながら生きていくにちがいない。「生きる」といっても、死を先に延ばすだけの人生。
明日、その死がやってくるかもしれない。明日はだいじょうぶでも、あさって、やってく
るかもしれない。

 では、どう考えたらよいのか。どう死をとらえたら、よいのか。生きることを考えたら、
よいのか。

『友よ、私はあなたに偉大な秘密を話してやろうではないか。最後の審判を待ってはい
けない。それは毎日起きていることなのだから』と書いた、Albert Camus。『よく準備さ
れた心には、死は、ただ単なるつぎの冒険でしかない』と書いた、Albus Dumbledore。

 彼らの言葉の中に、その答につながるヒントがあるように、私は思う。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●今、してみたいこと

+++++++++++++++++

今、してみたいことがある。

パソコンショップへ行くと、「FLASH」という
ソフトを売っている。

動画を作るソフトだが、これを使うと、HP上で、
動きのある画面を表示することができる。

値段は、1万4000円前後。ソフトとしては、
決して安くない。

しかし、今、私はそれをしてみたい。

++++++++++++++++++

 大手の会社のHPをのぞいていると、ときどき動きの速い動画を見ることがある。クル
クルと紐(ひも)が巻いたかと思うと、それがリボンに変化して、その中から花が出てく
る、とか。

 その会社の旗が、風にゆるやかになびくというのもある。

 これらの動画は、FLASHというソフトを使って作成したものである。大きなパソコ
ンショップへ行くと、そのソフトを売っている。値段は、1万4000〜5000円前後。

 かなり以前から私も、そういう動画に一度、挑戦してみたいと思っていた。が、簡単な
動画を載せるだけで、1万4000円! ……ということで、ためらっていた。

 が、そろそろ限界。一度は試してみる価値はある。やってみたい。今朝もワイフが、「今
度の誕生日に、何がほしい?」と聞いたので、「FLASH」と答えた。

ワ「それで何をするの?」
私「ぼくのホームページを、動画で飾ってみたい」
ワ「飾って、どうするの?」
私「別に、どうということはない。まあ、頭の体操のようなものだよ」と。

 私は、どういうわけか、あの分厚い説明書を手にすると、ゾクゾクとした快感を覚える。
パラパラとめくっていると、何とも言えない満足感を覚える。

ワイフは、それを「ビューキ」と言うが、私は、そうとは思っていない。ここにも書い
たように、それは私にとっては、頭の体操。もっとわかりやすく言えば、頭の健康器具。
自転車が、肉体の健康器具なら、新しいソフトは、頭の健康器具ということになる。

 それをワイフに言うと、「しかたないわねエ……」と。

 ハハハ。さっそく、これからパソコンショップへ行って、それを買うつもり。今日は、
10月1日。誕生日までには、まだ先があるが、こういうのを、誕生日プレゼントの先取
りという。

 今、できること、したいことは、決して、先延ばしにしない。それがここ数年の、私の
モットーになっている。(これはこじつけかな?)

(注)値段を、1万4000〜5000円と書いたが、もう少し高かったかもしれない。
あまり値段が高ければ、今回は、あきらめることにする。

【顛末記(てんまつき)】

 私が購入したのは、Free Mxxxx という、FLASH作成ソフト。値段は、
ガイドブック付で、1万円弱。

 で、何とか簡単な動画を作成したものの、そのあとの操作が、わからない。「Free M
xxxで作成したファイルは、SQF形式で保存されます。……このままではFLASH
として公開できないため、SWF形式のファイルとして、書き出す必要があります……」
と。

 で、このあと何度、ガイドブックの指示どおりに作業をしても、私のHP上では、まっ
たく反応なし。3〜4時間ほど悪戦苦闘してみたが、やはりダメ。ほかのBLOGにも、
ファイルを張りつけてみたが、これまた反応なし。

 ああああ……というところで、今夜は、おしまい。

 以前、はじめてHPを作成したとき、FTP送信できなくて、やはり四苦八苦したこと
がある。パソコンそのものをパソコンショップへもちこんだこともある。「電話ではよくわ
からないから、ここでやってみせてくれ」と。が、当時は、FTP送信という言葉すら知
らない店員もいた。どこか知ったかぶりに、「フリーソフトを使ってください」と教えてく
れた店員もいたが、今から思うと、とんでもない指導だった。

 しかし「ここであきらめては、何もできない」と思って、そのあと、あちこちに電話を
かけまくった。そのせいか、はじめて自分のHPをモニター上で見たときには、涙が出る
ほど、うれしかった。

 今、あのときのことを、あれこれと思い出す。

 ……ということで、明日は、あちこちに電話をかけまくるつもり。ここであきらめては、
いけない。ぜったいに、あきらめてはいけない。FLASHを、私のHPに載せてやる!
 どんなことがあっても、載せてやる!

 しかし、楽しかった! こうして悪戦苦闘しているときというのは、本当に楽しい。こ
の楽しさがあるから、パソコンはやめられない。


Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司

●韓国からの外資の逃避

+++++++++++++++++

予想されていたこととはいえ、
現実になってしまった。

韓国からの外資の逃避が、雪崩(なだれ)を
うって、始まった。

+++++++++++++++++

 2009年までに、統制権を、アメリカは韓国に移譲すると宣言した。つまりアメリカ
軍は、韓国軍の指揮下に入る、と。

 しかし現実には、そんなことはありえない。ありえないということは、統制権の移譲と
は、事実上、アメリカ軍の韓国からの撤退を意味する。

 事実、9月29日、在韓米軍の中核戦力である米軍第2師団を率いる在韓米軍の、第8
軍司令部が、韓半島(朝鮮半島)を離れる可能性について、言及している。この日開かれ
た記者懇談会で、米軍第8軍司令部の解散の有無を問われたベル在韓米軍司令官は、これ
を否認せず、改編の可能性を強く示唆したという。

 が、アメリカあっての韓国である。こうした動きに並行して、今、韓国からの外資の逃
避が、急ピッチで進んでいる。とくに、アメリカとイギリスを中心とする、外資の逃避が
著しい。

朝鮮N報紙によると、N紙が29日に入手した「外国人による証券投資資金の流出入現
況」という資料によると、今年に入って8月11日までに、韓国から流出した外国人証
券投資資金(株式、債券、配当金など)は、92億6400万ドル(約1兆838億円)
と、1992年に株式市場を開放して以来、最大値を記録したという。 

 このような外資の「資金離脱ラッシュ」は、外国人が株式を売ることにより生じた資金
を韓国の金融機関などに預金し、再び機会を見計らっては投資するといったサイクルと
はちがい、完全に韓国を去ってしまう現象であることから、着目されている(N紙)。 

 ちなみに、過去、韓国の証券市場における外国人の資金は、02年(8億3000万ド
ル=約971億円)と、05年(24億3000万ドル=約2843億円)の2回にわ
たり、純流出(流出額が流入額を上回ること)を記録しているが、その額は、今年ほど
深刻ではなかった。

 わかりやすく言えば、02年に8億ドル、05年に24億ドルだった流出が、今年は、
8月までの8か月だけで、92億ドルを超えたということになる。これは韓国経済にとっ
ては、たいへんな数字ということになる。

 が、ここで外資の流出が止まるわけではない。N政権の反米、反日色が濃くなればなる
ほど、アメリカ、イギリスにつづいて、日本外資の逃避も始まる。あるいはすでに始まっ
ている。日本は韓国から外資を引きあげる一方で、その資金を、台湾やインドに投資し始
めている。

 韓国のN政権イコール、K国と考えるなら、日本が韓国を助けなければならない理由な
ど、どこにもない。日本の経済が、バブル経済のあと、どん底をはっていたとき、それを
連日のように喜んでいたのは、ほかならぬ韓国である。「これで韓国と日本の立場は逆転す
る」という見出しが、連日のように新聞各紙のトップを飾った。

 今でも、その流れの中にある。今回も、ソニーが全世界から自社製の乾電池を回収する
ということになったときも、韓国側の新聞各紙は、「韓国製の乾電池が大躍進!」※と報じ
ている。

 まるでソニーの失敗が、うれしくてたまらないといったような報道である。

 これはもう戦争といってもよい。経済戦争という戦争である。そんな韓国に遠慮する必
要は、まったくない。

 私たちは、戦う。日本のために、戦う。……戦わねばならない。

 日本の投資家たちよ、今こそ、韓国から、資金を引きあげようではないか!

(注※)……「韓国メーカーが大躍進」……ソニーが苦戦する間、サムスンSDI、LG
化学など国内メーカーが躍進し、大逆転した。世界2次電池市場は2000年初めにサン
ヨー、ソニー、松下、日立など日本メーカーが市場の95%を占めていたが、最近では状
況が異なっている。 

 サムスンSDIは、9月27日、「忠清南道天安工場のリチウム電池生産量が単一企業と
しては世界で初めて月3400万セルCelll=電池を数える単位)を超えた」と発表し
た。今年初めに生産量が月2200万セルだった点を考慮すると、9か月の間に生産量が
55%増加したことになる(朝鮮N報)。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(10月2日)

+++++++++++++++++

昨日は、FLASH(動画)の作成で、
半日がつぶれた。

が、いまだに、HP上に、それを載せる
ことさえ、できない。

イライラ……、悶々……。

++++++++++++++++

●クールな世界

 今日は月曜日。仕事が始まる日。にもかかわらず、気分は晴れない。不完全燃焼? 何
かをやり残した感じ。もちろん昨日の午後から、原稿書きは、ストップ。今朝も、ストッ
プ。

 FLASH(動画)に挑戦しているが、最後のところで、どうもうまくいかない。FT
P送信するところまでは、何とかできるのだが、HPを開いても、動画が表示されない。
その部分のワクが、黒く表示されるだけ。

 で、メーカーに問い合わせているのだが、「サポート番号がちがう」と、そのつど送信を
拒絶されてしまう。もう、こうなると、打つ手なし! お手上げ!

 しかしここであきらめてはいけない。とりあえず、HP作成用のソフトを開発している、
I社に電話をしてみよう。受けつけは、午前10時から。あと1時間。

 ところで、こういうとき、パソコンに詳しい人が近くにいるとよいのだが、おかしなこ
とに、パソコンの世界では、横とのつながりが、できにくい。友だちができない。理由が
ある。

 パソコンに詳しいかどうかは、どの段階であっても、相対的なもの。私自身もそうだが、
私よりパソコンについて知らない人とは、つきあいたくない。それと同じ理由で、私より
パソコンに詳しい人は、私とはつきあいたがらない。

 それに、今回もそうだが、パソコンの世界では、その部分だけが、極端に専門化すると
いうことが、ある。今回も、SQF形式で作成した動画を、SWF形式のファイルとして
書き出すという部分で、つまずいた。

 しかし「SQF」って、何だ。「SWF」って、何だ。それがさっぱり、わからない!

 ……ということもあって、この世界では、それがわずかな差であっても、すぐ、おかし
な上下関係ができてしまう。「たがいに教えあって……」ということは、まず、ない。考え
てみれば、クールな世界だ。

【補記】
 現在、HP,マガジンHTML版(カラー版)などの最上部を飾っているのが、そのF
LASHです。まだ試作段階ですが、一度、ご覧になってください。(10月4日)


●訃報の回覧

 朝食のとき、テーブルのすみを見ると、訃報の知らせが届いていた。X班のTさんとい
う人が、なくなったという。年齢は、76歳だったという。

 喪主と死亡者の名前が、同じになっている。「?」と思って見ていると、横でワイフがこ
う言った。「ひとり住まいだったみたいね」と。

私「ひとりで、どうやって葬式をするの?」
ワ「きっと、親戚の人がきて、するのよ」
私「フ〜ン」と。

 「76歳かア?」と思ってみたり、「どういう人生だったのかなア?」と思ってみたりす
る。

 ……で、今、気がついた。今朝は眠い。理由がある。

 昨夜は12時半すぎまで、フランスでの競馬の実況中継を見ていた。「凱旋門賞レース」
という、レースである。何でも、世界で、もっとも権威のあるレースだそうだ。そのレー
スに、あのディープ・インパクトが出場した。

 結果は、残念ながら、3位。期待が大きかっただけに、がっかり。専門家の分析によれ
ば、集団に囲まれて、最初から飛ばしすぎたのが負けた理由ということらしい。ディープ・
インパクトは、初半はそこそこに走って、後半で、ほかの馬をごぼう抜きにするという走
り方を得意とする馬だそうだ。

 負けた瞬間、「ア〜ア」と声が出ただけ。そのまますぐテレビのスイッチを切って、床に
入った。


●10月

 今日は10月2日。月曜日。もうすぐオーストラリアの友人と、友人の母親が、この浜
松へやってくる。あちこちを案内することになっている。今月は、忙しい月になりそう。

 ……ということで、今朝は、ここまで。これから風呂に入り、出たら、教材作り。月末
も忙しいが、月はじめも、同じように忙しい。

 がんばります。


【付記】

 FLASHを、やっと、本当にやっと、HPに載せることができた!

 うれしかった!

 悪戦苦闘すること、4、5時間。挿入方法をまちがえていた。私が使っているNinj
a(HP作成用ソフト)では、オブジェクトの挿入という方法で、FLASHをHPに載
せるのだそうだ。(説明書には、そんなことは、どこにも書いてないぞ!)

 小さな1歩だが、この先、奥は、深い。長い.

 がんばってやってみよう!

 ハハハ!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●1946年

+++++++++++++++++++++

昨日、Eマガの読者が、1946人になった。
そこで、「1946年」。

私が生まれる、1年前ということになる。

+++++++++++++++++++++

 1946年。

 この年の1月。天皇は、年頭詔書(しょうしょ)で、あの「人間宣言」をしている。「私
が神だというのは、架空の観念にもとづくものだ」と。

 『朕(ちん)と国民の間の紐帯(ちゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛で結ばれ、た
んなる神話と伝説とのよりて生ぜるものにあらず。天皇をもって、現御神(あきつみかみ)
とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族にして、世界を支配すべき運命を有
するとの架空なる観念にもとづくものにあらず』(年頭詔書)

 つまり天皇といっても、1人の人間である、と。

 このときから、日本の戦後が始まったといっても、過言ではない。翌月の2月から、天
皇は、「天皇巡幸」として、神奈川県を皮切りに、全国を回り始める。実は、私自身も、そ
の天皇巡幸を、目撃している。時代はずっとあとになるが、私が小学1年生か2年生のと
きのことではなかったか。

 私たちは天皇の乗った車が通る道路沿いに、一列に並び、旗を振った。大きな、黒い馬
車のような車だったということは、よく覚えている。あっという間のできごとだった。車
のうしろのほうに、人の影が見えたような気はする。が、覚えているのは、それだけ。…
…ということは、天皇巡幸は、それから10年以上もつづいたことになる。天皇には天皇
の思いがあって、そうしたのだろう。

 戦争というのは、始めるのは簡単。一部の勇ましい好戦論者が、声高に叫べば、それで
よい。しかしそれを終結させるのは、たいへん。しかもその後遺症は、何十年にもわたり、
世代を超えて残る。

 また、このほかに同じ年の5月に、「東京裁判」が開かれたことも忘れてはいけない。東
条英機らA級戦犯とされた28被告が、東京市谷にあった旧陸軍大講堂に集められた。こ
の問題も、それから60年たった現在も、Y神社問題として、尾を引いている。

 そんなわけで……というのでもないが、戦争の危機を感じたら、1にがまん、2にがま
ん。叩かれても叩かれても、1にがまん、2にがまん。1度カッとなって、引き金を引い
たら、最後。あとは収拾のつかないドロ沼の底へと落ちていく。

 もし平和主義というものがあるとするなら、その主義とは、この忍耐力をいう。何度も
書くが、「私は戦争は嫌いです」「いやです」と逃げて回るのは、平和主義でもなんでもな
い。「卑怯」という。「いざとなったら、平和のために戦う」「子どもたちのために戦う」。
そういう気構えをもつ。それが平和主義である。

 それにもうひとつつけ加えるなら、一国の平和というのは、相手の国の平和なくして、
維持できないということ。相手の国の平和をまず考える。一国の平和は、その反射的効果
として、やってくる。それが平和主義である。

あのインドのネール元首相も、こう書き残している。『ある国が平和であるためには、他
国の平和もまた保障されねばならない。この狭い、相互に結合した世界にあっては、戦
争も、自由も、平和も、すべてたがいに連動している』(「一つの世界をめざして」)と。

 日本には最初から、そういう視点が欠けていた。おかしな民族主義にかられ、「大和民族
こそ、世界で最高の民族である」という妄想をもってしまった。そしてことあるごとに、
武力でもって、相手の国への侵略を繰りかえしていった。

 いろいろな意見はあるだろう。異論、反論もあるだろう。しかし、あの戦争は、明らか
にまちがっていた。大義名分すら、なかった。

なお今度の安倍総理大臣は、A級戦犯の戦争責任について、こう述べている。

 「わが国はかつて、植民地支配と侵略で、アジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与え
た」と述べた上で、「戦争の主体はさまざまな議論があり、政府として具体的に断定するこ
とは妥当ではない」(10月2日、衆議院本会議にて)と。

 暗い話がつづいたが、1947年の11月3日に、新憲法が公布される。記録によれば、
その式典は、質素なものであったという。明治憲法が発布されたときのような、ぎょうぎ
ょうしい行事はいっさい行われず、天皇は、菊の花束のみが飾られた、杉葉ぶきのアーチ
という式台の上で、深々と頭をさげたという。

 1946年。もうすぐ私は、母の胎内で、命を授かることになる。あと、少し。暗い暗
い、何もない、闇の世界で……。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●すぐれた人

++++++++++++++++++

人間にも、優劣がある。

賢い人からは、愚かな人が、よくわかる。
しかし愚かな人からは、賢い人がわからない。

利口な人からは、バカな人がよくわかる。
しかしバカな人からは、利口な人がわからない。

このばあい、賢い人、利口な人を、すぐれた人という。
愚かな人、バカな人を、劣っている人という。

「バカな人」というのは、バカなことをする人のことをいう。
頭のことではない。

++++++++++++++++++

 あえて言おう。人間にも優劣がある。すぐれた人もいれば、そうでない人もいる。

 たとえば賢い人からは、愚かな人が、よくわかる。しかし愚かな人からは、賢い人がわ
からない。

利口な人からは、バカな人がよくわかる。しかしバカな人からは、利口な人がわからな
い。

このばあい、賢い人、利口な人を、すぐれた人という。愚かな人、バカな人を、劣って
いる人という。

 ほかにもある。

 他人の苦しみや悲しみのわかる人を、慈悲深い人という。心の暖かい人という。しかし
心の冷たい人には、慈悲深い人がわからない。心の暖かい人が、わからない。心の暖かい
人を、すぐれた人という。心の冷たい人を、劣っている人という。

 友だちの多い人を、心の豊かな人という。友だちの少ない人を、心のさみしい人という。
友だちの多い人からは、少ない人がよくわかる。しかし友だちの少ない人からは、多い人
がわからない。友だちの多い人を、すぐれた人という。少ない人を、劣っている人という。

 こうして人間には、優劣の(差)ができる。つまり、人間的にすぐれた人からは、劣っ
ている人がよくわかる。しかし劣っている人からは、すぐれた人がわからない。それはち
ょうど、山登りに似ている。

 「低い」と思って登ってみても、そんな山でも、登ってみると、意外と視野が広いのに
驚くことがある。遠くの町や、海が見えることもある。そして山の上から、こう思う。

 「山って、登ってみるものだなア」と。つまり山というのは、登ってみるまで、その(高
さ)がわからない。しかし登ってみると、それまで自分がいた世界が、すごく小さく、狭
かったことに気づく。

 同じようなことが、子育てについても、言える。

 できのよい子どもをもっている親からは、ドラ息子、ドラ娘というのが、どういうもの
かがよくわかる。しかしドラ息子やドラ娘をもっている親からは、できのよい子どもがわ
からない。そういう子どもでも、ふつうの子どもと思ってしまう。

 ただここで注意しなければならないことは、地位や立場、名誉や貧富の(差)では、人
間の優劣は決まらないということ。ここでいう(優劣)というのは、あくまでも、(心)の
問題である。

 むしろ、地位や立場、名誉や貧富の(差)で、優越感を覚えている人には、ここでいう、
劣っている人が多い。「私は金持ちだ」「私は地位が高い」と。こういう人たちは、それだ
け、世俗的な常識に毒されているということになる。もちろん、人間的にすぐれた人が、
それなりの名誉や立場、名誉や富みを得ることはあるが……。しかしそれはあくまでも、
結果。結果として、そういったものは、あとからついてくる。

 さらにこういうことも言える。

 世俗的な常識に毒されている人ほど、回り道をすることになる。人生も長ければ、回り
道も、それなりに許される。しかし人生は、短い。回り道をしているヒマなど、どこにも
ない。しかも一度回り道をすると、もとの道にもどるのに、たいへんなエネルギーを必要
とする。つまりその分だけ、時間もかかる。

 わかりやすい例で考えてみよう。

 ここに一人のインチキ高利貸しがいる。電柱に電話番号を張りつけて、お金を借りにく
る人を待っている。そういう人にとっては、お金で困っている人は、カモということにな
る。そのお金で困っている人から、さらにお金をまきあげる。

 こういう人は、それなりの財産(?)をつくるかもしれない。しかしその人は、その一
方で、もっと大切なものをなくす。一度汚れた心をもとにもどすのは、不可能とは言わな
いが、たいへんなことである。先にも書いたように、人生が長ければ、それも可能かもし
れないが、人生は、短い。

 私は、それを、「時間のムダ」と呼んでいる。

 ……ということで、人間の優劣を、こと心の問題として考えることは、まちがってはい
ない。さらにその優劣がわかるようになると、愚かな人やバカな人を、相手にしなくなる。
さらにその優劣がわかるようになると、あわれみすら覚えるようになる。

 ……とまあ、偉そうなことを書いてしまったが、ゴメン! 自分で読みかえしても、顔
が赤くなるほどだが、これは私自身の努力目標でもある。私自身は、いまだにその愚かな
人たちや、バカな人たちの世界で、右往左往している。何とかそういう世界から抜け出た
いと思っているが、どうもうまくいかない。ふと気がつくと、世俗的な常識の中で、ああ
でもない、こうでもないと、もがいている。

 そうそう、こういうエッセーを、恩師の田丸先生に送ると、いつも先生は、「ごちそうさ
ま」と返事を書いてくる。だから、こういうエッセーは、先生には、送らない。

 ただ一度、先生に、「どうすればいいですか?」と聞いたことがある。「どうすれば、自
分をより高い立場に置くことができますか?」と。すると先生は、こう教えてくれた。

 「すぐれた人に会いなさい」と。

 「ウ〜ン」と思っただけで、私は、それについては、返事ができなかった。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●1949年

++++++++++++++++++

今朝、Eマガの読者が、1949人に
なった。

それにかこつけて、1949年のこと。
私が、満2歳のときの年である。

++++++++++++++++++

 私は幼児のころ、ときどき、こんな不思議な夢を見た。「幼児のころ」というのは、その
ときまで、繰りかえし見た夢という意味である。だからこそ、よけいに、その夢のことを
よく覚えている。

 夢の中は、薄暗い。その薄暗い世界で、長いヒモでつながれた、大きな鐘がゆれる。そ
の鐘が、ゆっくりと、向こうから手前に、そして手前から向こうにゆれる。

 鐘は、教会の鐘のようでもあるが、同時に、寺の鐘のようなものである。それがゆっく
りと、まるでスローモーションの映画でも見ているかのように、ゆれる。

ヒモの上の部分は見えない。下のほうは、深い……というより、底なしの世界のようで
もある。薄暗いまま、どこまでもつづいている。

 夢としては、たわいもない夢だが、私は、そんな夢をよく見た。理由は、わからない。
どこかでそういう鐘を見たという記憶もない。

 で、私はその夢について、すでに子どものころ、ひょっとしたら、私は生まれたときか
らその夢を見ていたのではないかと思うようになった。あるいは、母の胎内にいる間から
見ていたのではないかと思うようになった。

 もちろん母の胎内では、鐘のことはわからないはず。いや、鐘というよりは、何か大き
な振り子のようなものだったかもしれない。それが音もなく、ゆれる。もしそうなら、そ
の振り子というのは、私自身だったかもしれない。母の胎内でゆれる、私自身だったかも
しれない。

 その夢は、私が2歳のときには、見ていたはずである。2歳、つまり1949年である。

 この年、中国では毛沢東が活躍している。GHQの指導で、1ドルが360円に固定さ
れる。東西ドイツが正式に分離されるなどなど。歴史をみるかぎり、この年をもって、東
西冷戦時代が始まったとみてよい。

 明るいニュースとしては、ミュージカル「南太平洋」が、ブロードウェイでロングラン
を記録する(5月)。上野動物園にインドのネール首相から、象のインディラが送られる(1
0月)。湯川秀樹が、中間子の研究で、ノーベル賞を受賞している(11月)などがある。

 もちろん私は、そのどれひとつも現実には記憶していない。ただ湯川秀樹の名前は、子
どものころ、耳にタコができるほど、よく聞かされた。

 ほかに……。私がよく覚えていることに、こんなことがある。

 私の寝床に、「く」の字型のつい立が置いてあった。そのつい立には、いろいろな雑誌や
絵本から切り抜いた写真や、絵が張ってあった。私はいつしか、それを見ながら、眠るよ
うになった。

 で、その中の1枚の絵のことを、たいへんよく覚えている。これはずっとあとになって
知ったことだが、その絵というのは、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』
という話の一部を描いた絵だった。

 1人の精霊が、トップハットを片手に、壁の中から体半分を残して、すり抜けてくる絵
だった。

 不思議な絵だった。つまり不思議な絵だったからこそ、記憶に残った。あのころの私が、
満2歳ごろの私ではなかったか。記憶はさだかではないが、しかしまったく、ないわけで
はない。

 たとえば私がおむつを取りかえてもらうシーンなどは、おぼろげながらだが、記憶に残
っている。いや、今から思うと、そういうシーンを思い出したのは、私が私の息子たちの
おむつを取りかえていたときのことである。

 ある日、息子たちのおむつを取りかえていたときのこと。「ああ、私もこうしてもらった」
という思いが、そのまま、自分の過去の記憶へとつながった(?)。

 1949年という年は、私にとっては、そういう年だった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●K国の核実験宣言

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K国が、核実験をすると、
公式に発表した。

だれにも相手にされなくなると、
悪あがきしてみせる。

「ならず者」の典型的な
行動パターンである。

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 とうとうというか、ついに、K国が、核実験を公式に宣言した。「アメリカの反共和国(反
北朝鮮)孤立圧殺策動が限界点を越えた状況にあって、われわれはこれ以上、傍観してい
るわけにはいかない」(10月3日・K国外務省)というのが、その理由だそうだ。

 アメリカが悪い。だから核実験をするのだ、と。

 とんでもない意見に聞こえるかもしれないが、貧者には貧者の論理(※)というものが
ある。その日の食べ物に困っている人にしてみれば、腹いっぱい、おいしいものを食べて
いる人を見ただけで、腹がたつもの。それはわかる。しかしそれを考慮に入れても、K国
のこの言い分には、(?)マークが、何個も並ぶ。

 が、もし核実験をすれば、それで本当に、K国は、おしまい。おしまいの、おしまい。
あとは自己崩壊するしかない。つまりK国は、現在、そこまで追いつめられている。K国
というより、金xxによる独裁政権は、そこまで追いつめられている。

 日本としては、金xx独裁政権を、自己崩壊させるのが、もっとも好ましいシナリオと
いうことになる。拉致問題も、それで解決する。

 しかし、問題は、韓国。いまだに、「同胞、同胞」と、K国にすりよっている。どこか演
歌的? どこか浪曲的? あのN大統領は、「北朝鮮の核は一理がある」とさえ言ったこと
がある。最近にいたっては、「K国が核実験をしても、戦時作戦統制権の単独行使には影響
しない」とまで言い切っている。「K国が核事件をしても、アメリカ軍は、必要ない」と。

 天下のおバカ大統領である。K国が核兵器をもてば、韓国内の軍隊は、すべて「紙くず」
(朝鮮N報)と化す。にもかかわらず、そういうことが、まるでわかっていない。あるい
はそのうち、「K国をここまで追いこんだのは、アメリカだ。日本だ」と言い出すかもしれ
ない。

 何度も書くが、K国の金xxは、もう(まとも)ではない。はっきり言えば、狂ってい
る。そういう人間を相手に、まともな議論などしても意味はない。金xxの言動を、いち
いち分析しても意味はない。真意はどうの、目的はどうのと、論じても意味はない。

 私たち日本人は、そういう前提で、K国問題を考え、K国の核開発問題を考える。K国
が自己崩壊すれば、韓国や中国は困るかもしれない。が、今の段階では、そんなことは日
本の知ったことではない。そういうのを、私たちの世界では、「自業自得」という。

 それにしても、とうとうここまで来たか……というのが、今の私の実感である。
 
【貧者の論理】

 若いころ、オーストラリアの大学で、ある教授が口にした言葉である。名前は忘れたが、
その教授は、『貧困による公害(pollution by Poverty)』という言葉を使った。

 つまり貧者には貧者の論理というものがあり、その論理を忘れて貧者を語ることはでき
ないというものだった。

 たとえば1人の金持ちと、1人の貧者がいたとする。金持ちは、自分が豊かであること
を、見せつけるともなく、見せつける。そして貧者に向かって、こう言う。「君も、ぼくの
ようになりたかったら、努力しなさい」と。

 金持ちは、貧者に努力の大切さを教えたつもりかもしれないが、貧者は、そうはとらな
い。貧者は、やがてその金持ちを、ねたむようになる。そしてこう思うようになる。「お前
たちのような人間がいるから、オレたちは貧しいのだ」と。

 そのよい例が、現在のK国である。

 情報が遮断(しゃだん)されていることもあるが、K国の人たちは、だれも、自分たち
の指導者がまちがっているとは思っていない。とくに金xxを取りまく人たちは、そうで
ある。

 西側の豊かさを見聞きするたびに、それをうらやましいと思う前に、「西側が、オレたち
の発展をじゃまするから、オレたちは貧しいのだ」となる。豊かな生活といっても、その
実感そのものがない。

 そのため貧者は、貧者であるがゆえに、屈折したものの考え方をする。そしてそのため、
貧者の世界では、勝者の論理は、ことごとく否定される。「核兵器を拡散させたら、世界は
たいへんなことになる」と説くのは、勝者の論理である。貧者は貧者で、別の論理で考え
る。そしてこう言う。

 「自分たちは核兵器をもっていて、何てことを言うのだ!」と。「第三世界」という言葉
も、そういう過程で生まれた。

 こうして勝者と貧者は、あらゆる場面で、ことごとく対立する。おおざっぱに言えば、
それがアメリカ流民主主義が、その世界でしか通用しないという理由でもある。さらにお
おざっぱに言えば、西側の経済論理が、その世界でしか通用しないという理由でもある。

 こうした貧者の論理にメスを入れ、それを解き明かそうとする努力も、いろいろな場面
でなされている。が、そのどれも結局は中途半端で終わってしまうのは、いつも勝者が勝
者の立場で、貧者を論ずるからではないのか。
(06年10月4日記)


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