はやし浩司(ひろし)

2006・12
はやし浩司
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2006年 12月号
 はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 12月 29日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生きるということ】

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子どもたちの自殺が連鎖的につづいている。

それについて、……というより、少し視点
を変えて、雑談的に考えてみたい。

++++++++++++++++++

●学校でのいじめ

 学校でのいじめが、今、大問題になっている。が、実は、教師どうしのいじめにも、も
のすごいものがある。学校の教師というのは、外の世界に向かっては団結する。だれかが
外の世界から攻撃をしかけたりすると、それに対しては、猛烈に反発したりする。が、内
部では、そうではない。たがいに、いがみあったり、足を引っ張りあったり、いじめあっ
たりしている。どうしてそういう教師が、子どものいじめを防ぐことができるというのか。

 ただしここに書いた話には、確たる根拠はない。常識とまでは言わないが、風聞として、
よく耳にする話である。

●こだわり

 (こだわり)は、うつ病の典型的な症状の1つである。うつ病の人は、ひとつのことに
こだわると、そればかりを気にする。そしてそれについて悶々と悩んだり、苦しんだりす
る。

 たいていは、ささいなことである。隣の家の木が、自分の家のほうに伸びてきたとか、
上の階の人が、フトンをはたいて、ゴミを下に落としたとかなど。

 こうした(こだわり)は、(こだわり)として理解されるが、だからといって、その(こ
だわっている部分)を取り除いてやったからといって、うつ病がなおるわけではない。今
度は、また別のところで、ささいなことにこだわるようになる。

 子どもの世界でも、似たようなことがよく起きる。

 たとえば「A君がぼくをいじめる」と言うから、その子どもの周辺からA君を遠ざけた
とする。ばあいによっては、ほかの学校へ転校させたりする。が、今度は、別のところで、
「B君がぼくをいじめる」と言い出したりする。

 これを私は、「ターゲットの移動」と呼んでいる。A君からB君へと、ターゲットが移動
しただけということになる。つまりその子どもの心のベース(=基本的な部分)にある問
題を解決しなければ、結局は、その周辺の者たちが、(親や教師も含めてのことだが)、そ
の子どもに振り回されるだけということになる。

 以前は、子どものうつ病はないとされていた。しかし最近では、「小児うつ病」という診
断名もあることからもわかるように、ごくありふれた病気の1つになりつつある。子ども
だって、うつ病になる!

 もちろんいじめが、子どものうつ病の原因になることは、じゅうぶん考えられる。しか
しいじめはいじめとして別のところで考えるとして、同時に、そのいじめが引き金となっ
て起こす、心の問題にも焦点をあてなければならない。つまり心の問題を考えることなく、
いじめだけを問題にしても、意味はないということ。

 たとえば今、子どもたちの自殺が連鎖反応的につづいている。それに対して、おおかた
の人は、(いじめ)→(自殺)と短絡的にものを考える傾向が強い。

 しかし実際には、(いじめ)→(心の問題)→(自殺)と考えるのが正しいのではないの
か。あるいは(心の問題)→(いじめ)→(自殺)というケースも、ないとは言えない。

 要するに、子どもが何か特定のことで、異常なまでの(こだわり)を示したら、要注意!、
ということになる。

●「生きる」ということ

 「生きる」ということは、どこまでも現実的な問題である。「生きていること」自体が、
現実そのものと言ってもよい。

 だから現実論者は、「自殺」など考えない。自殺したところで、問題は、何も解決しない。
そのことをよく知っている。

 が、現実と空想の世界が混濁してくると、その境界があいまいになってくる。「死ねば楽
になる」と考えるのも、そのひとつ。死んでしまえば、苦楽を感ずる肉体そのものがない
わけだから、楽になったと感ずることはない。ないにもかかわらず、「死ねば楽になる」と
考える。

 また自殺することについて、「現実からの逃避」という言葉を使う人もいる。逃避するの
は、その人の勝手だが、死んでしまったら、逃避そのものができない。あるいは、どこへ
逃避できるというのか。

 そこで登場するのが、「あの世」である。「来世」という言葉を使う人もいる。神秘主義
者や超自然主義者、さらにはカルト教の信者たちは、この言葉をよく使う。わかりやすく
言えば、非現実主義に陥れば陥るほど、こうした言葉をよく使うようになる。

 実は私も、本当のところ、あの世があるのかどうか、わからない。わからないが、見た
こともない世界を、信じろと言われても困る。そこで私は、「あの世はない」という前提で、
今を、生きている。ただひたすら懸命に生きている。一瞬一秒を惜しんで、生きている。

 その私が死んで、あの世があれば、もうけもの。そのときはそのときで、あの世を認め
ればよい。それはたとえて言うなら、宝くじのようなもの。当たるか当たらないかわから
ないような宝くじをアテにして、家のローンを組む人はいない。ローンを組むのは、宝く
じが当たってからでよい。

 そこで再び、子どもの世界に目を移す。

 今、程度の差もあるが、小学生の中学年以上を中心として、約40%の子どもが、まじ
ないや占いを信じている。最近の占星術ブームが、それに拍車をかけている。わかりやす
く言えば、子どもたち自身が、現実と空想の混濁した世界で、おとなたちによって、いい
ように操られている。

 こういう無責任な状態を一方で放置しておいて、子どもたちに向かって、命の大切とや
らをいくら説いても、ムダ。意味はない。繰りかえすが、「生きる」ということは、どこま
でも現実的な問題である。

 前にも書いたが、あの占星術にしても、宇宙(=天)の動向と、個々の人間の運命はシ
ンクロナイズされているという神秘主義が基盤になっている。つまり立派なカルトである。

 そういうものを、毎晩のようにテレビという、超ハイテクの機器を使って、子どもたち
の世界にたれ流している。無責任といえば、これほど、無責任なことはない。

 では、どうすればよいか?

 みなが、自分で考える人間になればよい。自分で考えて、そういう連中のインチキを見
抜くようにする。

●「ぼくは、ものごと深く考えない主義です」

 ある若い男性タレント(俳優)が、臆面もなく、こう言った。「ぼくは、ものごとを深く
考えない主義です」(某雑誌社のインタビューに答えて)と。

 私たちの世界では、こういう人間を「バカ」と呼ぶ(失礼!)。……というのは、言い過
ぎだということは、私にもよくわかっている。(考えること)には、いつもある種の苦痛が
ともなう。それはたとえて言うなら、難解な数学の問題を解くときに感ずる苦痛に似てい
る。あるいは寒い夜にジョギングに出かけるとき感ずる苦痛に似ている。だれだって、で
きれば、考えることを避けたいと思う。思って当然。

 しかし人間は自ら考えるから、人間である。考えないということは、自ら、(生きる)と
いうことを放棄するようなもの。それがわからなければ、そこらにいるイヌやサルを見れ
ばよい。あるいは一日中、公園で、ぼんやりと時間をつぶしている老人たちを見ればよい。
……とういうのも、言い過ぎだということは、私にもよくわかっている。

 しかし、だ。もし「考えない」というのなら、その人は、何のために生きているのかと
いうことになる。多分、その男性タレントは、楽天的に生きるということを言ったのだろ
う。悲観的に生きるよりは、楽天的に生きるのがよい。が、それなりの俳優を目指すなら、
それなりに考えなければならない。演技をするとしても、体からにじみ出るような、深い
人間性がなければ、観客の心をとらえることはできない。

 今、この日本で何がいちばん欠けているかといえば、私は自ら考える力だと思う。ほと
んどの人は、(情報)と(思考)の区別さえつかないでいる。情報の多いことを、思考力と
錯覚している。また情報の多い人を、賢い人と誤解している。

 しかし(情報)と(思考)は、まったく別のものである。

 それがわからなければ、電車の中で、あたりの迷惑も考えず、一方的にペチャペチャと
しゃべりつづける、あのオジちゃんや、オバちゃんの話に耳を傾けてみることだ。ほんの
少しでも考える力があれば、そんなところで、しゃべりはしない。もちろん話しているこ
とといえば、その程度のこと。脳みその表面に飛来する情報を、ただ音声にかえているだ
け。

 子どもの世界でいえば、掛け算の九九をペラペラとソラで言えるからといって、その子
どもを賢い子どもとは言わない。九九を暗記する程度のことなら、幼児にだってできる。

 ものごとは、現実的に考える。それが「生きる」ということにつながっていく。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【M先生への手紙】

+++++++++++++++++++

M先生から、メールが届いた。
その返事を書いた。

+++++++++++++++++++

拝復

で、思考力について、子どもの思考力は、世代連鎖(世代伝播ともいう)します。何も虐
待だけが、世代連鎖するわけではないのです。親、とくに母親が、日常的に思考能力(思
考習慣)があれば、それがそのまま子どもに伝わります。ですから、とくに0歳〜2歳児
までの、親の育児姿勢が、子どもに大きな影響を与えます。

最近の研究では、人間にも、鳥類(卵からかえってすぐ2足歩行する鳥類)のようなイン
プリティングがあることがわかってきました。0歳から数か月という期間をかけて、刷り
込まれるのだそうです。

この期間を、「密着期」と呼んでいる発達心理学者もいます。

こうした現象は、たとえば、つぎのような事実からも証明されます。

たとえば4、5歳児に、「山を描いてごらん」「こんどは川を書いてごらん」「つぎに遠くに
家が見えます。家を描いてごらん」と順に指示して、絵を描かせます。(ほかに、「道があ
ります。道を描いてね」「木が2本立っています。木を2本描いてね」……と、指示してい
きます。つぎに何を描くかを教えないで、描かせます。子どもによっては、「どこに描こう
か」「どうしたらいいか」などと迷ったりしますが、助けてはいけません。)

論理的思考能力の高い子どもは、無意識のうちにも、山の下に川を描き、家は小さく描き
ます。

で、べつの場所で、まったく同じ問題を母親にやってもらいます。すると、母子間の密着
性の強い母子ほど、その両者は、ほとんど、同じ絵を描きます。つまりこうした無意識の
論理性は、母親から子どもへと伝えられるわけです。

私の経験でも、20〜30組に1組の母子は、不思議なことに、まったく同じ絵を描くこ
とがわかっています。(とくに山の形などは、そうです。)

つまり子どもの論理性は、母親からの影響が、きわめて強いということです。子どもから
の働きかけに対して、そのような育児姿勢を見せるかが、その子どもの論理性の発育に大
きな影響を与えるということです。

たとえば子どもが何かを質問したとき、あるいは質問だけにかぎらないことですが、何か
の問題にぶつかったとき、母親が、(もちろん父親も)、その瞬間に見せる、思考習慣が、
子どもの論理性の発育に大きな影響を与えるということです。

で、私が想像するところ、先生の論理性は、実は、小学校のころの教育によるものではな
く(先生は、そう書いておられますが)、先生の父親、母親からの影響というか、それから
受けついだ基盤があったからだと考えられます。

もし先生が言われるようなら、その小学校の生徒は、すべて、M先生になっていたはずで
す。

さらにアメリカでは、子どもに問いかけながら、会話をしますが、それと論理性は、直接
的には結びつかないのではないかと思います。この問題には、日本人独得の子ども観、育
児観の問題がからんでいます。

日本では、旧来より、親に甘える子ども(依存性の強い子ども)イコール、かわいい子イ
コール、よい子と考える傾向があります。

さらに昔から、「女、子ども」という言い方に代表されるように、女性や子どもは、人間で
はない……という考え方もあります。さらにまた言えば、キリスト教国では、子どもは神
の授かりモノという考え方をしますが、日本では、家のモノ、親のモノというように、私
物化する傾向が強いです。

そのためその家に障害をもった子どもが生まれたりすると、欧米では、みんなが助け合っ
て育てるという傾向が強いですが、日本では、「家の恥」として隠す傾向が、今でも残って
います。(彼らの教会を中心とする、互助精神には、いつも驚かされるものがあります。)

この問題は、そういう問題にからんでくるということです。つまり子どもの人権を尊重す
るということと、子どもの論理性とは、直接的には結びつかないということです。

で、問題は、母親の育児姿勢です。

一般的には、父親と母親は、同等に考えられていますが、これはまちがいです。(最近は、
出産時に父親を立ち会わせるラマーズ法などが一般化してきていて、母性愛、父性愛とい
う分け方をしないようですが)、実際には母親が子どもに与える影響は絶対的なものです。

父親は、母子の関係を是正する役目しかありません。母子関係を調整し、社会性を教える
のが、父親の役目というのが、一般的な通説です。(わかりやすく言えば、母子関係にクサ
ビを入れ、狩のし方を教えるのが、父親の役目ということになります。それを是正しない
ままにしておくと、子どもは、総じて、マザコン化します。)

その一例として、母子分離不安はありますが、父子分離不安というのは、ほとんど聞いた
ことがありません。(たまにはありますが、例外的です。)それは生後直後から、子どもは、
母親から、乳を受ける、つまり母親が命の源泉だからにほかなりません。

父親がいなくても、子どもは育ちますが、母親がいなければ、子どもは育ちません。この
ちがいを乗り越えてまで、父親は母親の代用をするわけにはいかないのです。

さて、では、こう書くと、教育とは何かということになってしまいます。

こうした論理性というか、思考習慣は、かなり早い時期に、子どもの身につくものです。
これが基盤になって、子どもは、その上で、ものを考える子どもになっていきます。たと
えば、先生のお嬢様を考えてみましょう。

お嬢様は、先生を見ながら、幼児期を過ごしています。この時点で、すでに世代連鎖は始
まっているのです。(だからお嬢様も、先生と、同じような道を歩んでおられます。)

「おや?」と思われるかもしれませんが、この時期を逸した子どもの例としては、192
0年前後に見つかった、インドのオオカミ姉妹、フランスのビクトール(少年)などの例
があります。

いわゆる野生児の問題です。

インドで見つかったオオカミ姉妹にしても、下の妹は、たしか推定年齢、1歳半でしたが、
そのあと感情表現をとりもどすことはなかったそうです。フランスのビクトールにしても、
推定年齢11歳でしたが、その後、手厚い教育によっても、言葉を覚えることはなかった
そうです。(自分でつくった単語を、50個前後、使ったというような記録はありますが、
フランス語は、最後まで話さなかったそうです。)

こうして考えていくと、0歳〜3歳児というのは、教育的な意味においても、きわめて特
異、かつ重要な時期だということがわかっていただけると思います。

事実、私は4歳児からの指導にあたっていますが、この時期までに、その子どものもつ、
方向性というのは、ほとんど決まっています。とくに重要なのは、満4・5歳から5・5
歳の、いわゆる幼児期から、少年少女期への移行期です。

この時期は、「なぜ?」「どうして?」の質問がとくに多くなります。それはそれまでに形
成される乳幼児の心理形成の修正期にもあたるからです。

ご存知かどうか知りませんが、乳幼児は、たとえば物活論(すべてのものは生きている)、
人工論(すべてのものは、親がつくったもの)、実念論(心で念ずれば、ずべて実現すると
考える)などという考え方をします(ピアジェ)。(ほかにもう一つ、乳幼児特有の自己中
心性をあげる学者もいます。)

よく赤ん坊が、風に揺れるカーテンを見て、生きていると思ったり(物活論)、「お月様を
取って」と泣く(人工論)のはそのためです。死んだモルモットを手にして、「乾電池を入
れ替えて」と言った子どもの例などが、報告されています。

結論を言えば、子どもの教育もさることながら、もっと重要なのは、母親自身ということ
になります。たとえば母親が迷信を信じ、占いやまじなばかりをしていたのでは、子ども
に論理性は育たないということになりますね。

子どもというのは、何か疑問をぶつけたとき、あるいはそうでないときでも、親の考える
姿勢を、そのまま身につけていくものです。姿勢だけではない。人間的な誠実さなど、無
意識の意識までです。ユングが説いた、シャドウ論も、その延長線上にあるのではないで
しょうか。その母親をさておいて、子どもにだけ、「考える人になれ」と言っても、無理な
話です。

子「どうしてお月様はあるの」
母「神様が作ったからよ」
子「どうしてお日様は暖かいの」
母「神様がそうしたからよ」では、そもそも子どもに論理性など育つわけがないのです。

その子どもの思考力は、その子どもがどれだけ思考する習慣があるかで決まります。手段
や方法ではありません。習慣です。

その習慣のないまま、メダカを育てても、球根を育てても、それでその子どもに思考力が
育つとは、とても考えられません。それはあくまでも各論だからです。

で、日本人論ということになりますが、日本人というのは、代々、自ら考える力に乏しい
民族ということになります。長くつづいた封建制度なども、その理由の一つかもしれませ
ん。あのマーク・トウェインがかつて言ったように、『皆と同じことをしていると感じたと
きは、自分が、変わるとき』という考え方が苦手なのですね。

反対に「長いものには巻かれろ」「出るクギは叩かれる」「みんなで渡ればこわくない」と。

こうした意識を代々、まさに世代連鎖として、大半の母親たちは、受けついでいますから、
これを変えていくのは、容易なことではありません。さらに「情報の量」「知識の量」をも
って、「思考」と誤解する、日本人独得の考え方もあります。いわゆる(もの知り)を(頭
のいい子)と誤解しているわけです。

(これについては、先生があちこちで、すでに指摘されていますので、省略します。)

つまりこの問題は、これから先、2代目、3代目を考えた、先の長い話になるということ
です。

そこでとりあえず、こうした問題を解決するためには、一つの方法としては、いわゆるエ
リート教育があります。全国一律の教育改革ではなく、(また日本人全体が、そうなるのを
待つのではなく)、一部でもよいから、こうした「考える教育」を始めるということです。
が、この教育にも、問題があります。現場では、いわゆる「飛び級」と言っているもので
すが、そこに受験戦争がからんでくると、わけがわからなくなってしまいます。(反対に、
いくら考える教育でも、受験に不利とわかれば、親にソッポを向かれてしまいます。)

私も、数年に1、2人と、飛びぬけて、頭のよい子どもに出会います。「おっ、こいつはM
先生級だな」と思うわけですが、悲しいかな、そういう子どもを育てる環境が、まだない
ですね。またさらに悲劇的なことに、そういう子どもを理解できる教師も少ないというこ
とです。

2年前、O君という少年を、8年間、教えました。小6のときには、中3生といっしょに
教えていましたが、東京の麻布中などは、不合格でした。社会が苦手だったことと、国語
が得意ではなかったからです。(現在は、HKラサール中学に在籍しています。)

しかし小4のときには、方程式を使わないで、方程式の問題をスラスラと解いていました。
が、学校では、問題児(?)。先生(女性)には、「生意気だ」とばかり、言われつづけた
そうです。(たしかに生意気そうな様子を見せる子どもでしたが……。)

こういう現実が、あるのですね。

先生がおっしゃった、GIFTED CHILDの問題もあります。それについては、私
も、何度か、エッセーにしてきました。

またメールを書きます。

先生も、どうか、お体を大切に! 

                            はやし浩司

Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●乳幼児の記憶

++++++++++++++++

乳幼児に記憶がない?

とんでもない。

想起(思い出す)できないだけで、
乳幼児にも、しっかりと記憶は
残る。

++++++++++++++++

 新生児や、乳幼児にも、記憶はある。科学的にそれを証明したのは、ワシントン大学の
メルツォフ(発達心理学)らである。しかもその記憶の量と質は、私たちが想像するより
も、はるかに濃密なものであると考えてよい。

 その一例として、野生児がいる。生後直後から、人間の手を離れ、野生の世界で育てら
れた人間をいう。よく知られた野生児に、フランスのアヴェロンで見つかった、ヴィクト
ールという少年。それにインドで見つかった、アマラ、カマラという二人の少女がいる。

 アヴェロンの野生児についていえば、発見されたときは、推定12歳ほどであったが、
死ぬまでの40歳の間に覚えた単語は、たった3つだけだったという。またインドの2人
の少女は、完全なまでに動物の本性と生活条件を身につけていたという。

感情表現もなく、おなかがすいたときに怒りの表情。肉を食べたとき、満足そうな表情
を見せた以外、生涯、ほほえむこともなかったという。

 この野生児からわかることは、乳幼児期の記憶、なかんずく、生活環境が、きわめて濃
密な形で、その人間の人格形成に影響を与えているということ。またその時期にできた、
いわゆる人格の「核」というのは、その後、生涯にわたって、その人のまさに「核」とな
って、その人の生きザマに影響を与えるということ。

 私たちは新生児や乳幼児を見ると、そのあどけなさから、「こういう幼児には記憶などあ
るはずがない」とか、あるいは、自分自身の記憶と重ねあわせて、「人間の記憶が始まるの
は、4、5歳の幼児期から」と考えやすい。しかしこれは誤解というより、まちがいであ
る。

 子どもは生まれたときから、そして乳幼児期にかけて、ここにも書いたように、きわめ
て濃密な記憶を、脳の中にためこんでいく。しかも重要なことに、人間は、自分の子育て
をしながら、自分が受けた子育てを、再現していく。

これを私は、勝手に「人格の再現性」と呼んでいる。子育てを再現するというよりは、
その人自身の人格を再現するからである。

 わかりやすい例でいえば、たとえば自分の子どもが中学生になると、ほとんどの親は、
言いようのない不安や心配を覚える。しかしそれは自分の子どもの将来についての不安や
心配というよりは、自分自身が中学時代に覚えた不安や心配である。将来に対する不安、
人間が選別されるという恐怖。それを自分の子どもを通して、親は再現する。

 私も、最近、こんな経験をしている。

 昨年、孫が生まれた。二男の子どもである。二男は、インターネットで、子育ての様子
を伝えてくれるが、その育て方を見ていると、二男は恐らく、自分では、自分は自分の子
育てをしているつもりかもしれないが、どこかしこというより、全体としてみると、私が
二男にした子育てと同じことを繰りかえしているのがわかる。

 こうしたことからも、つまり現象面から見ても、新生児や乳幼児にも、記憶がしっかり
と残っていることがわかる。そういう意味では、ワシントン大学のメルツォフらの研究は、
それを追認しただけということになる。

 さてここが重要である。

 あなたはあなたの子どもの記憶を、決して安易に考えてはいけない。子どもが泣いてい
るとき、あるいはひょっとしたら眠っているときでさえ、子どもの脳は、想像を超える濃
密さで、そのときの状況を、記憶として蓄積している。そしてそれがそのまま、その子ど
もの人格の核となっていく。

 これに対して、「私は自分の記憶を、4、5歳くらいまでしか、たどることができない。
だからそれ以前は、記憶はないのではないか」という意見もある。しかしこれについては、
もう一度、はっきりと否定しておく。

 記憶は、記銘(脳の中に記録する)、保持(その記憶を保つ)、そして想起(思い出す)
という操作を経て、人間の記憶となる。ここで重要なことは、想起できなからといって、
記憶がないということではないということ。事実、脳の中心部に辺縁系と呼ばれる組織が
あり、その中に海馬(かいば)という組織がある。

 この海馬には、ぼうだいな量の記憶が保持されている。が、その記憶のほとんどは、私
たちの意識としては、想起できないことがわかっている。いわば担保に取られた貯金のよ
うなもので、取り出すことはもちろん、使うこともできない。しかしそしてそうした記憶
は、無意識の世界で、その子どもを、そして現在のあなたを、裏から操る……。

 繰りかえすが、新生児や乳幼児の記憶を、決して、安易に考えてはいけない。
(030614)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
記憶 幼児の記憶メルツォフ 野生児 ビクトール アマラ タマラ 子どもの記憶 記
銘 保持 想起)

+++++++++++++++++
これに関連して書いた原稿が、つぎの原稿(中日新聞発表済み)である。
+++++++++++++++++

親が過去を再現するとき

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それま
ではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は言いようのない
不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「受験勉強」ではない。受
験にまつわる、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、
たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

つい先日も、中学1年生をもつ父母が、2人、私の自宅にやってきた。そしてこう言っ
た。「1学期の期末試験で、数学が21点だった。英語は25点だった。クラスでも40
人中、20番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかして
ほしい」と。2人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻
みに震えていた。

●「自由」の二つの意味

 この静岡県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、
最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したの
に驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に
気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。

行動の自由はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い
間、悩まされた。たいていはこんな夢だ。……どこかの試験会場に出向く。が、自分の
教室がわからない。やっと教室に入ったと思ったら、もう時間がほとんどない。問題を
見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎ
ていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がい
る。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代では
ない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。親は親
で、「すべては子どものため」と、確信している。

こうしたズレは、内閣府の調査でもわかる。内閣府の調査(2001年)によれば、中
学生で、いやなことがあったとき、「家族に話す」と答えた子どもは、39・1%しかい
なかった。これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答
えた親が、78・4%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。
つまり「親が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、
それではすまない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生
に話す」はもっと少なく、たったの6・8%! 本来なら子どものそばにいて、よき相
談相手でなければならない先生が、たったの6・8%とは! 先生が「テストだ、成績
だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉
強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってから
だ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、
違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行
こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。
……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。
気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。
それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中
学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていな
いだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。

あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返
ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あ
なたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。受験時代に、いやな思いをした人
ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
受験と子ども 親に相談する子供 先生に相談する子供 内閣府の調査 (はやし浩司 
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 野生児 アマラ カマラ イ
ンドのオオカミ少女 オオカミ姉妹 乳幼児の記憶 記憶 乳児の記憶 ワシントン大学
 メルツオフ メルッォフ)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●どうにも理解できない事件

++++++++++++++++++

どこかの産婦人科医が、15歳の女子
中学生に現金を払って、わいせつな
行為をしていたという。

産婦人科医の年齢は、59歳。私と同じ。
複数の産婦人科医院を経営していたという。

++++++++++++++++++

 産婦人科医がわいせつ行為? いったい、どういうこと? 産婦人科医であれば、毎日、
あきるほど、女性の体を見ているはず。……と書くのは、ヤボ。

 患者として医院にやってくる女性と、ドクターの間には、一定の壁がある。目で見たり、
手で触(さわ)ることはできても、そこまで。患者の前では、それなりの人格者として振
る舞わなければならない。心理学の言葉を使えば、仮面(ペルソナ)をかぶる。

 で、若いころ、市内のH総合病院で産婦人科医をしていた知人(当時、50歳くらい)
が、こう話してくれた。その知人とは、東洋医学の研究を、5、6年ほど、いっしょにし
たことがある。私が、「女性の体をのぞいていて、何も感じないのですか」と聞いたときの
こと。その知人は、こう言った。

 「30歳過ぎまでは、よく、感じましたよ。ときどき、ゴクンとつばを飲みこむほど、
感じたこともあります」と。

 実はその知人にも、愛人がいた。そこで私がさらに、「毎日、女性の体を見ていて、どう
して不倫なんかするんですか」と聞くと、さらにこう言った。「私らはね、体ではなく、心
を求めるんですよ」と。

 しかし今回の事件では、相手は、15歳の中学生だったという。つまりこのあたりが、
よく理解できない。が、あえて私なりの解釈を加えると、こうなる。

 その産婦人科医は、そういう行為をしながら、仮面を脱いでいたのではないか、と。仮
面をかぶりつづけるというのも、つらい。かといって、仮面を脱ぎ忘れると、人格そのも
のがゆがむ。

 ……と言っても、何も、その産婦人科医を擁護しているのではない。犯罪は犯罪である。
児童買春は、重罪である。それに新聞報道によれば、「警視庁は余罪があるとみて、追及し
ています」(C新聞・11月24日)とある。「警視庁」だと?

 地方で起きたハレンチ事件に、警視庁が出てきたというのも、ふつうではない。かなり
の余罪があるとみたから、警視庁が出てきた。が、そういう人物が、一方で、産婦人科医
として、複数の医院を経営していた? いったい、その産婦人科医は、自分の医院で、ど
ういう診療行為をしていたというのだろうか?

 多分周囲の人たちは、「診療熱心で、いいドクターでした」と言っているにとがいない。
複数の医院を経営するというのは、たいへんなことだ。学校の教師が同じような事件を犯
しても、みな、そう言う。「指導熱心な、いい先生でした」と。

 ちなみに、2005年度に警視庁が摘発した、児童買春がらみの事件は、1581件。
このうちサイトを通じて知りあった少女らとの性的行為などで摘発した事件は、1114
件。女性側1264人のうち、18歳未満は、84%を占めるという(「男と女の統計白書」
アントレックス社)。

さらに、(durex global sex survey 2006)によれば、援
助交際の経験者(男性)は、つぎのようであるという(同書)。

10代…… 3%
20代……12%
30代……22%
40代……27%
50代……31%

 50代では、何と、3人に1人の男性が、援助交際を経験しているという。わかりやす
く言えば、それなりの男性なら、みな、経験しているということになる。

 で、話をもどすが、産婦人科医にかぎらず、教師もそうだが、仮面をかぶるのはしかた
ないことだとしても、仮面は仮面として、いつもそれを意識する必要がある。「これは私の
本当の顔ではないぞ」と、である。

 つぎに大切なことは、毎日でもよいから、一度は、その仮面を脱ぐこと。脱いで自分ら
しさを取りもどすこと。それを忘れると、その抑圧感から、気が変になってしまう。

 問題は、その脱ぎ方だが、方法は、人それぞれ。私のばあいは、ワイフとバカ話ばかり
している。そういう方法で、仮面を脱いでいる。


●バカ話

++++++++++++++++++

私とワイフは、暇さえあれば、意味のない
バカ話ばかりしている。

たいていはダジャレだが、人の悪口も
多い。

つまり私のばあい、こうして自分の
仮面をワイフの前では、ぬぐようにして
いる。

++++++++++++++++++

 私とワイフは、暇さえあれば、いつも意味のないバカ話ばかりしている。私にとっては、
息抜きのようなものだが、同時に、そうすることによって、私は自分の仮面を脱ぐように
している。つまりありのままの自分をさらけ出すようにしている。

 私のような仕事、つまり「教育」に関係した仕事をしていると、どうしても仮面をかぶ
りやすくなる。それはそれでしかたのないことかもしれない。だれしも職場では、それな
りの仮面をかぶる。

 しかし仮面は仮面。大切なことは、仮面をかぶりながらも、それを(仮面)と、しっか
りと意識すること。それを忘れると、自分で自分がわからなくなってしまう。へたをすれ
ば、自分の精神そのものをゆがめてしまう。

 で、昨日も、1、2時間ほどワイフとドライブをした。私とワイフは、その間中、バカ
話ばかりしていた。年をとったら、夫婦も、電気を消して真っ暗にして、セックスをすれ
ばよい。それだけで、20歳は、たがいに若く見える、とか、など。

 こんな話もした。

 あるおばあちゃんだが、孫に食事を与えるとき、一度、自分でかんだものを、手に吐き
出し、それを孫の口の中に入れていたという。で、それを見た母親が、仰天して、その場
で、気を失ってしまったという。ウソのような話だが、これは本当にあった話である、な
どなど。

 こういう意味のない話ばかり、している。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●SKYPE(スカイプ)試行記

++++++++++++++++++++++

インターネットを介して、電話ができる。
考えてみれば、おかしなことだ。電話回線を使って、
電話ができる。それだけのこと。

しかしSKYPE、つまりスカイプを使えば、
パソコンどうしを、インターネットを介して
電話機としてつなぐことができる。

今日は、さっそく、それに挑戦してみた。

題して、「スカイプ試行記」。

++++++++++++++++++++++

 今日、近くのパソコンショップへ行ったら、「USBフォン」なるものを、ワゴンでセー
ルしていた。2台セットで、4400円。以前から一度は試してみたいと思っていたので、
さっそく、購入。

 私が購入したのは、C社製のUSBフォン。パッケージには、「インターネットを使った
電話ソフト、『スカイプ』(無料)加入で」とある。(少しおかしな日本語? 失礼!)

 つまりスカイプが利用できる、USBフォン(インターネット電話)ということ。パッ
ケージには、つづいて、こうある。

★USB接続
★エコーが少なく、快適な通話を実現
★ノイズを抑えてクリアな音声
★「SKYPE API」に対応した連携ユーティリティ付属
★手のひらサイズのコンパクト設計

家に帰ってワイフに、「これを使えば、インターネットどうしを電話でつなげる」と話すと、
「ヘエ〜」と。「まず、お前のパソコンにスカイプをインストールしてやるよ」と話すと、
「だいじょうぶ?」と。

 心配なソフトは、まずワイフのパソコンにインストールしてから安全性を確かめること
にしている。ワイフは、そういう私の意図をよく知っている。

私「だいじょうぶだよ。パソコンショップで、公然と売られているくらいだから」
ワ「……」
私「お前のパソコンと、ぼくのパソコンを電話機でつなぐことができる」
ワ「だからどうなの?」
私「つまりね、無料ということ。ふつうの電話とちがって、いくら長く話しても、無料だ
よ」
ワ「フ〜ン」と。

 スカイプというのは、USBフォンどうしをつなぐ、電話ソフトと考えるとわかりやす
い。電話機を接続しただけでは、電話はつながらない。スカイプをインストールすれば、
音声で、相手と話すことができる。ウィンドウ・メッセンジャーの電話版ということにな
る。

(1)ソフトをインストール

 付属のCDをパソコンのCDトレイに入れると、自動的にソフトのインストールが始ま
った。あとは、「OK」「了解」を順にクリックしていく。

 で、最後に「完了」でおしまい。ここまでは難なく、終了した。

(2)英語版と日本語版

 最初にインストールしたワイフのパソコンのOSは、(Me)。かなり古いパソコンであ
る。そのせいか、日本語がすべて文字化けした状態で、画面に現れた。しかたないので、「言
語選択」のところで、「English」を選ぶ。

 とたんすべてが英語表示に。「ぜんぶ、英語になってしまった」と言うと、ワイフはさら
に心配そうな顔をして見せた。

 「だいじょうぶだよ」を繰りかえしながら、あとは、ワイフの名前、パスワード、アド
レスを順に打ちこんでいく。

 が、1台だけでは、会話はできない。つぎに居間においてある私のノートパソコンに、
スカイプをインストールする。OSは、XP。ワイフのパソコンとは、4メートルも離れ
ていない。

 私のパソコンのほうへは、日本語版は、問題なくインストールできた。

 が、ここから、いつものあの悪戦苦闘。パソコンというのは、もともとそういう機械で
ある。やりだせば簡単なのだが、そのやりだすまでが、たいへん。ウィンドウ・メッセン
ジャーを日ごろから使いなれている人には、そうでないかもしれない。しかし私は、ウィ
ンドウ・メッセンジャーをほとんど利用したことがない。

 ときどき息子たちからウィンドウ・メッセンジャーを介してメールが届くことがある。
私はいつもそれを、めんどうに感じていた。

 で、何とか電話がつながった。とたん、会話がプツンと切れてしまった。「?」と思って、
さらに悪戦苦闘。「こんなだったら、使いものにならない」と思って、プラグを見ると、A
DSL回線がパソコンからはずれていた。よくある初歩的なミスである。

 ……とまあ、そういうこともあって、小1時間もすると、たがいにUSBフォンを介し
て会話ができるようになった。以下、私の感想。

(1)両方が、パソコンをたちあげていなければならない。

 USBフォンを使うときは、使うものどうしが、パソコンをたちあげておかねばならな
い。当然と言えば当然だが、日本人のばあい、家庭では、そのつどパソコンに電源を入れ
たり、落としたりしている。USBフォンを使うときは、事前に、たがいに連絡を取り合
う必要がある。その点は、ウィンドウ・メッセンジャーの使い方と似ている。

 ただ、SKYPEには、20秒間だけだが、無料で、伝言を残しておくことができる。
それをうまく使えば、事前の連絡も、無料でできることになる。

(2)固定電話機にも接続できる。

 USBフォンから、ふつうの固定電話機へ電話をかけることもできる。この場合は、無
料ではない。SKYPEのHPには、こうある。

 「SKYPEOUTなら、世界中の一般回線に1分あたり約2・4円という低料金から、
電話することもできます。

★アメリカにいるお友達と8分間話しても、約20円。 
★中国にいるお友達と20分間話しても、たった50円以下」と。 

 料金は、(SKYPEクレジット)なるものを購入して、支払うしくみになっている。が、
そこまでする必要はない。電話で話したければ、携帯電話機を使えばよい。

(3)音声が、あまりよくない

 たがいにふつうの声が届く範囲で、USBフォンを使ったためか、ワイフの声が、二重
になって聞こえた。直接音声で届く声と、USBフォンを通して聞こえる声が、ズレてい
る。それだけではないが、ふつうの電話機のように、(なめらかな会話)というわけにはい
かなかった。どこか、音声が、プツプツと切れるような感じがした。これはSKYPEの
限界というより、電話機の性能によるものかもしれない。(私が購入したのは、通常のUS
Bフォンの半額程度の機種だった。)

 で、今後の使い方としては、たとえば遠方にいる息子たちを話すばあいには、まずふつ
うの電話機を使って、たがいにUSBフォンを使う時刻を申しあわせる。「○時○分にスカ
イプする」とか何とか。

 そしてその時刻にたがいにパソコンをたちあげ、SKYPEを開く。そしてそれから息
子たちに、SKYPEを使って電話をかける。こうすれば、電話料を、大きく節約するこ
とができる。携帯電話でも、同一会社どうしの通話なら無料というところもあるが、基本
料はかかる。しかしことSKYPEに関していえば、その基本料もかからない。まったく
の無料。

 世界中、どこに電話をかけても、1分につき、2・4円というのは、たしかに魅力的で
ある。

 そのうち、……といっても、まだ10年以上も先の話かもしれないが、世界の携帯電話
が共通化されれば、国内サービスと同じように、同一会社どうしの通話は無料ということ
になるかもしれない。そうなれば、SKYPEも、その寿命を終えることになるかもしれ
ない。しかしそれまでは、たしかに安い。便利。

 が、私もワイフも、どちらかというと、熱しやすく冷めやすい。「楽しかった」「スリル
があった」と。ひととおり遊んだあとは、それでおしまい。

 以上、SKYPE試行記ということになる。ショップの人の話では、利用者は急増して
いるとのこと。しかしファイル交換ソフトの(W)の例もある。こうした新しいソフトの
導入には、慎重であったほうがよい。

 私の書斎にあるメイン・パソコンへの導入は、もうしばらく様子を見てからにしたい。
これはあくまでも、念のため……。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1705)

【講演のプロット】

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12月2日に、地元の入I小学校で、4校
合同の会場で、講演をする。

そのプロット(構成)を考える。

ふつうは、こうしたプロットを考えない。
会場の雰囲気を、その場で判断して、即興で
プロットを組み立てる。

男性が多い会場か、年配者が多い会場かで、
プロットを変える。会場の雰囲気もある。
プロットを立てたからといって、その通りに
講演ができるとはかぎらない。

会場がザワつけば、ショッキングな話を入れる。
沈みこんでくれば、笑い話を入れる。

しかし今回は、地元ということで、たいへん
緊張している。こうしたプロットを考えるのも
そのため。

ただプロットといっても、レジュメとはちがう。
ここにプロットを紹介するが、これだけでは
話の内容はわからない。言うなれば、プロット
というのは、道案内をしてくれる地図のような
もの。日本語では、「筋、構成」(日本語大辞典)
と訳す。

あるいは料理のレシピのようなもの。

このプロットの流れにそって、あとは時間が
あまりそうであれば、別の話を挿入する。
そうでなければ、部分を省略する。

++++++++++++++++++++

(1)ボブの話(ルールをがんこに守ったBOB)。
(2)植え込みにゴミを捨てた女性の話。
(3)善と悪(善と悪は、神の左手と右手)。
(4)善と悪は、平等ではない。トルストイ、ニーチェの言葉を引用。
(5)時間の中で熟成される善、極端化する悪。
(6)このつづきは、もう少しあとで……。
(7)簡単なあいさつ。
(8)【第一の話】
(9)子育てというのは、子どもを育てることではない。
(10)子育てのし方を教える、しみこませるのが子育て。
(11)子育ては本能ではなく、学習である。
(12)野生児の例。
(13)子供の幸福を願う親。
(14)が、それだけではない。人間として評価される。
(15)しかし、ウソやごまかしではいけない。
(16)仮面のもつ、恐ろしさ(ユング)。
(17)仮面をひきつぐ子供。
(18)善人になるのは、意外と簡単。
(19)約束を守る、ウソをつかない。
(20)【第二の話】
(21)「汝自身を知る」……スパルタのキロン。
(22)不幸にして不幸な家庭に育った人。
(23)子育てがぎこちない人。
(24)私のこと……家庭教育の「か」の字もない時代に生まれ育った。
(25)父は貫通銃創を受けて帰国、酒に溺れるようになった。
(26)母子間の基本的信頼関係の欠落。
(27)私は愛想のよい子どもとして、みなに見られた。
(28)「すなおな子供論」。
(29)私の心はゆがんでいた……小5のとき、好きな女の子をいじめた。
(30)私のパニック障害。
(31)30歳もすぎたとき、原因を知った。
(32)だれしも問題をかかえている。問題のなかった人など、いない。
(33)どうすればよいか。……自分の過去を冷静に見ればよい。
(34)【第三の話】
(35)4割の善と4割の悪論。子供の世界だけ、隔離することは不可能。
(36)思春期に肥大化するイド(フロイト)。性的エネルギーのものすごさ。
(37)子どもを非行から守るために。
(38)東洋医学的な発想で。子供の心に抵抗力を養う。
(39)夢と希望を育て、目標に向かうレールをつくる。
(40)(目的もなく大学を選ぶ学生たち。)(早稲田大学での事件。)
(41)私論……大工になりたかった私。
(42)工学部から文学部への転校、そして法学部へ。
(43)自己の同一性の問題。
(44)混乱する「私」。そして「私」さがし。
(45)大学から留学へ。
(46)世にも不思議な留学。各国の王族、皇族と。
(47)国によって異なる価値観。価値観の変化。
(48)そして商社マンから幼稚園教師へ。
(49)きびしかった現実。
(50)母への電話。「道を誤った」と泣き叫んだ母。
(51)一方、私を支えてくれたオーストラリアの友人たち。
(52)子育ては、よき家庭人として自立させること。
(53)子どもを信ずることのむずかしさ。親の真価が試されるとき。
(54)【第四の話】
(55)子育てのすばらしさ。至上の愛、無条件の愛。
(56)子供が親を育てる。
(57)「許して忘れる」。どこまで許し忘れるかで、親の度量が決まる。
(58)ミニチュアの世界かもしれないが、愛の尊さを教えられる。
(59)浜名湖での事故。奇跡的に助かった二男。
(60)「生きているだけでいい」と思って育てた二男。
(61)「自由論」。「自らに由る」ことのきびしさ。孤独との戦い。
(62)自由であることの限界。無の概念。自由という刑。
(63)アメリカ人と結婚した二男。
(64)二男から教えられた「無の概念」(サルトル)。
(65)親が子供の横に、友として立つ。親が謙虚になる。
(66)親に何かを教えるために、そこにいる子ども。
(67)【締めくくり】
(68)孫の話+HPの紹介。あいさつ。

++++++++++++++++++++++++


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

【2006年を振りかえって……】

++++++++++++++++++

この原稿は、電子マガジン・2006年12月
29日用。つまり2006年度、最後の
電子マガジンということになる。

++++++++++++++++++

●年賀状は、手書きのみ

 来年(07年)度は、さらにさらに、年賀状を失礼させてもらう。そのかわり、05年、
06年につづいて、年賀状はすべて手書きで、挑戦。「すべて」といっても、数十枚が限度。
その数十枚を、毎週5〜6枚ずつ、仕上げる。

 
●いよいよビスタ(パソコンのOS)が発売に

 1月には、ビスタ(OS)が、発売になる。楽しみ。すでに購入する機種は決まってい
る。メモリーは、2048MB。CPUは、ダブルコアx2。4MB、3・0GHz以上。
ハードディスクとグラフィックボードについては、ぜいたくは言わない。今のところ、と
くにしてみたいパソコンゲームというのはないし……。


●「今年もがんばった」?

 みな、こう言う。「今年もがんばった」と。私もそう言う。しかしがんばったといっても、
自分のため? 先日、女子マラソンの中継を見ていて、ふと、そんなことを考えた。

 「あの選手たちは、何のためにがんばっているのだろう?」と。

 ところで私の近所に、今年90歳を過ぎた女性がいる。最近、体調を悪くしたとかで、
床に伏せっている。その女性だが、元気なときは、いつも近所の草を刈っていた。が、今
は、草を刈る人は、だれもいない。そのため今は、そのあたりは雑草だらけ。空き地で小
さな畑もたがやしていたが、今では、見る影もない。

 その90歳を過ぎた女性はがんばった。みなのためにがんばった。そういう話なら、私
にも理解できる。しかしマラソン選手は、だれのためにがんばっているのか。ひょっとし
たら、自分のためにがんばっているだけではないのか。……というのは、言い過ぎかもし
れないが、一方でタレント活動をしている姿を見ていると、そんな感じがしないでもない。

 (だからといって、それが悪いと言っているのではない。誤解のないように!)

 そう考えていくと、「今年もがんばった」と、安易に言えなくなる。つまり私もがんばる
には、がんばった。が、つまるところ、自分のエゴ(=自己利益)の追求をしただけ。率
直に言えば、そういうことになる。

 
●電子マガジン

 2006年も、電子マガジンに始まり、電子マガジンに終わった。暇さえあれば、原稿
ばかり書いていた。……と言っても、その時間をつくるのがたいへん。みなが起きる前の
1〜2時間とか、昼間の数時間とか、あるいは、仕事の合い間とか、など。そういうとき
に、パソコンのキーボードを叩く。

 量にすれば、毎月単行本で、4〜5冊分の原稿は書いた。年間になおせば、50〜60
冊分ということか。

 しかしインターネットの世界というのは、不思議な世界だ。それだけの原稿を書いたに
もかかわらず、その実感が、ほとんど、ない。もちろん収入も、ほとんど、ない。唯一の
楽しみは、少しずつでも読者の数がふえることだが、実際には、1か月以上、まったくふ
えない月もあった。

 電子マガジンを発行するということは、常に、「何のためにこんなことをしているのだろ
うか」という思いとの戦いだった。この1年を振りかえってみると、そんな感じがする。

 ともあれ、今年も、何となく無事に(?)、1年が終わった。2007年は、どんな年に
なるのだろう? 現状が維持できれば、それでよし。とにかく電子マガジンは、1000
号まで、がんばってみる。

 その電子マガジンだが、今回(12月29日号)で、824号になった。あと、176
号。あと、14か月。がんばろう! 

**********************

月並みな言い方で、すみませんが、
どうか、みなさん、よい新年をお迎えください。

来年もどうかつづけてマガジンをご購読ください。
できれば、有料マガジン(まぐプレ・月額300円)を、
ご購読ください。

よろしくお願いします。

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よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

(4)落ちつきがない

Q 参観授業で見ても、騒々しく、落ちつきがありません。家でも集中力がなく、ワーワーと騒ぐ

けで、勉強もほとんどしません。(小一男)

A 騒々しい子どもがふえている。「新しい荒れ」と呼ぶ人もいる。ADHD児のほか、思
考が乱舞してしまう子どももいる。いろいろな原因が考えられているが、ひとつに、テレ
ビやテレビゲームがあげられる。瞬間的に、めまぐるしく変化する画面は、右脳を刺激す
るが、一方、左脳の働きをおろそかにする。論理や分析、つまり「ものごとを静かに考え
て判断」するのは、その左脳である。

 それはさておき、こうした問題が子どもにあったとしても、今は、それ以上、こじらせ
ないことだけを考えて、小学三、四年生になるまで様子をみる。そのころになると自意識
が発達し、子どもは、自分で自分をコントロールするようになる。「こういうことをすれば、
みんなに迷惑をかける」「嫌われる」「損をする」「先生に注意される」と。それ以前の子ど
もは、自分が騒々しいという意識すらない。

 ある中学生(男子)は、こう言った。低学年児のころは、落ちつきがなく、学校の先生
もたいへんだった。しかし「ぼくは、何も悪くなかった。みんながぼくを目のかたきにし
ただけ」と。おとなでも、自分の姿を客観的に知ることはむずかしい。いわんや、子ども
をや。

 むしろ問題は、無理な指導や強制的な指導、さらには、暴力をともなった威圧的な指導
が、症状をこじらせてしまうこと。せっかく自意識が発達しても、そのため子ども自身が、
立ちなおれなくなってしまう。

 子どもを指導するときは、言うべきことは繰りかえしながら言い、あとは時を待つ。そ
して少しでも、言ったことが守れるようになったら、それをほめる。かなり根気のいる作
業だが、このタイプの子どもと接するときは、まさに根気との勝負。家庭でも、決して短
気を起こしてはならない。

 が、悪いことばかりではない。言動が活発な分だけ、好奇心も旺盛で、生活力もある。
苦手な分野もあるが、しかしその分、学力もある。中学生になるころには、かえってよい
成績を示すようになることも珍しくない。子どものよい面を信じながら、あとは子どもに
合わせた生活を組みたてる。「30分座って、5分くらい勉強らしきことをすればよし」「勉
強と遊びが、ごちゃまぜになってもよし」と。繰りかえすが、このタイプの子どもは、叱
っても意味がない。子ども自身の力では、どうにもならない。

 問題のない子どもはいない。だから問題のない子育ても、ない。子育てというのはそう
いうもの。そういう前提で考える。しかしそれから生まれるドラマが、子育てをうるおい
豊かにし、親子のきずなを太くする。平凡は美徳だが、平凡からは何も生まれない。…そ
う考えながら、子育てを前向きにとらえる。


(5)反抗的な態度

Q 最近、子どもの態度が反抗的になってきました。一触即発という状態で、どこかピリピリして

ます。(小五女)

A よく誤解されるが、情緒が不安定だから、情緒不安というのではない。心の緊張状態
がとれないことを、情緒不安という。その緊張状態のところへ、不安や心配が入ると、そ
れを解消しようと、精神が一挙に不安定になる。情緒不安というのは、あくまでも症状。
 その症状としては、攻撃的暴力的になるプラス型、ぐずったり引きこもったりするマイ
ナス型、ものに固執する固着型などがある。

 そこで子どもが情緒不安症状を示したら、まず、原因が何であるかをさぐる。慢性的な
ストレスや欲求不満など。ある子ども(小6男児)は、幼児期に読んだマンガの本を大切
そうにもっていた。ボロボロだった。そこで私が、「これは、何?」と声をかけると、「ど
うチョ、読んではダメだと、言うのでチョ」と。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりであ
る。原因は父親にあった。父親は、ことあるごとに、その子どもをこう、脅していた。「中
学校へ入ると、勉強がきびしいぞ。毎日、3時間は勉強しなければならないぞ」と。子ど
もの未来をおどすのは、タブー中のタブー。それはそれとして、こうした脅しが、その子
どもの心をゆがめた。

 子どもが思春期の第二反抗期にさしかかると、子どもの情緒はたいへん不安定になる。
そこで大切なことは、家庭では、子どもが体を休め、心をいやすことができるようにする
こと。方法としては、子どもの側からみて、親の視線をまったく感じないようにするのが
よい。あれこれ説教をしたり、気をつかうのは、かえって逆効果。また家の中で、態度が
横柄になり、言葉づかいが乱暴になるなど、生活習慣が乱れることもあるが、「ああ、うち
の子は、外の世界で、がんばっているからだ」と、大目に見るようにする。「親に向かって、
何よ!」式に、頭ごなしに叱ってはいけない。

 なお子どもは、小学三年生くらいを境にして、急速に親離れを始める。学校であったこ
とを、親に話さなくなったり、女児だと、父親といっしょに風呂に入るのをいやがったり
するようになる。ただその親離れは、ある日を境に、急にそうなるのではない。日々に、
おとなぶったり、反対に、幼児のようになったり、それを繰りかえしながら、数年をかけ
て、親離れする。

 しかし症状が、ある範囲に収まっているなら、親は、こうした親離れを喜ばねばならな
い。子育ての目標は、子どもをよき家庭人として自立させること。子どもの反抗をすべて
容認せよというわけではないが、一方で、「ああ、うちの子は、自分の道を歩み始めている
…」と思いなおし、一歩、引きさがる。そういう姿勢が、子どもを自立させる。中学生に
なっても、「ママ、ママ」と、親に頼る子どものほうが、おかしい。
 

(6)口が悪い

Q うちの子は、口が悪くて困ります。私に向かっても、平気で「クソババー!」とか言います。
(小二
男)

A 子どもの口が悪いのは当たり前。それを許せというわけではないが、それが言えない
ほどまで、子どもを抑えつけてはいけない。もう少し専門的に言うと、こうなる。

 乳幼児の心理は、口唇期(口を使って口愛行動をする)、肛門期、男根期を経て発達する
(フロイト)。肛門期というのは、体内にたまった不要物を、外に排出する快感を覚える時
期と考えるとわかりやすい。(これに対して、男根期は、いわゆる小児性欲のこと。おとな
の性器性欲の基礎になる。)

 たとえばおとなでも、重大な秘密を知ると、それをだれかに話したいという衝動にから
れる。が、それを話せないとなると、悶々とした状態になる。そこで思いきって、だれか
に話す。そのとき感ずる快感が、ここでいう肛門期の快感と思えばよい。

 つまり子どもは、思ったことをズケズケと言うことで、自分の心の中にたまったゴミを
外に吐き出そうとする。それは快感であると同時に、子どもにとっては、精神のバランス
をとるためには、必要なことでもある。

 むしろそれを抑えつけてしまうことによる弊害のほうが、大きい。イギリスの格言にも、
『抑圧は悪魔をつくる』というのがある。心の抑圧状態が長くつづくと、ものの考え方が
悪魔的になることを言ったものだが、子どものばあい、それがとくに顕著に現れる。

 N君(小五)という、静かでおとなしい子どもがいた。従順で、これといって問題はな
かった。しかし私はある日、彼のノートを見て、びっくりした。そこには、首のない人間
や、血だらけになってもがき苦しむ顔、ドクロなどが描かれていた。原因は、父親の神経
質な過関心だった。

 言いたいことを言う。思ったことを言う。それができるから、家庭という。あの『クレ
ヨンしんちゃん』の中にも、母親のみさえが、義理の父親に向かって、こう怒鳴るシーン
がある(V16)。「ひからびた、ゆで玉子頭」と。そういうことが自由に言いあえる家庭とい
うのは、それだけでも、すばらしい家庭(?)ということになる。

 私も、よく生徒に、「クソじじい」と言われる。そこである日、こう教えてやった。

私「もっと悪い言葉を教えてやろうか」
子「うん、教えて、教えて」
私「でも、お父さんや、校長先生に言ってはだめだよ。約束するか?」
子「するする…」
私「ビ・ダ・ン・シ(美男子)」と。

 それからというもの、私のニックネームは、美男子になった。生徒たちは私を見ると、
うれしそうに、「美男子! 美男子!」と。私は一応、怒ったフリをするが、内心では笑っ
ている。
 

(7)親のトラブル

Q このところ親どうしのトラブルが原因で、憂うつでなりません。言った、言わないが、こじれ
て、
抜きさしならない状態になっています。

A 親どうしのつきあいは、如水淡交。水のように、淡く、無理なくつきあうのがよい。
つきあうとしても、できるだけ学校の行事の範囲にとどめ、個人的な交際は、必要最低限
にとどめる。ほかの世界と違って、間に子どもがいるため、一度こじれると、この種の問
題は、とことんこじれる。親によっては、たいへん神経質な人がいる。神経質になるのが
悪いというのではない。それは子育てにまつわる宿命のようなもの。人間にかぎらず、ど
んな動物でも、子育をしている間は、たいへん神経質になる。そこでこうしたトラブルを
避けるために、いくつかの原則がある。

(1)子どもの前では、学校や先生の批判はもちろんのこと、ほかの親の批判は、タブ
ー。子どもが先生の悪口を言っても、「あなたのほうが悪い」「そんなことは言ってはい
けない」と、たしなめる。相づちを打ってもいけない。相づちを打てば、今度はあなた
が言った言葉として、広まってしまう。それだけではない。子どもは、先生の指示に従
わなくなってしまう。そうなれば教育そのものが成りたたなくなってしまう。

 つぎに(2)子どもどうしの間でトラブルが起き、先生に相談するときも、問題だけを
先生に話し、あとの判断は、先生に任せる。相手の親や子どもの名前は、できるだけ出し
てはいけない。先生は、教育のドクター。判断するのは、あくまでも先生。それともあな
たは病院へ行って、自分で診断名をつけたり、治療法を決めたりするとでもいうのだろう
か。

 また(3)子どもどうしのトラブルがこじれたときには、まず、あなたのほうから頭を
さげる。この世界には、『負けるが勝ち』という、大鉄則がある。先にも書いたように、間
に子どもがいることを忘れてはいけない。大切なことは、子どもが気持ちよく学校へ通え
ること。またそういう状態を、用意してあげること。だから負けるが、勝ち。あなたが先
に「すみません」と頭をさげれば、相手も、「いいんです。うちも悪いから…」となる。そ
ういう謙虚な姿勢が、子どもの世界を明るくする。

 が、それでもこじれたら…。先生に問題の所在だけを告げ、一度、引きさがる。これを
「穴にこもる」という。穴にこもって、時間が解決してくれるのを待つ。そしてその間、
あなたはあなたで、子どものことは忘れ、したいことをすればよい。

 ふつう、それほど深刻な問題でないときは、一にがまん、二にがまん、三、四がなくて、
ほかの親に相談と決めておく。ほかの親というのは、一、二歳年上の子どもをもつ親のこ
とをいう。そういう親に相談すると、「うちもこんなことがありましたよ」というような話
で、たいていの問題は解決する。


(8)帰宅拒否

Q 学校からってくるとき、道草をくってばかりいます。家の中でも、どこか憂うつそうで、あいさ

をしても返事をしません。(小五男)

A 疑うべきは、帰宅拒否。家庭が、家庭としての機能、つまり体を休め、心をいやすと
いう機能を果たしていないことを疑う。そこでテスト。

 あなたの子どもは、学校から帰ってきたとき、どこでどのようにして、心や体を休めて
いるだろうか。あなたのいる前で、平然として、休めていれば、よし。しかしあなたの姿
を見ると、どこかへ逃げていくとか、好んでひとりになりたがるというようであれば、ま
ず家庭のあり方を反省する。その一つ、『逃げ場を大切に』。

どんな動物にも、最後の逃げ場がある。子どももしかり。子どもは、その逃げ場に入る
ことにより、体を休め、心をいやす。たいていは自分の部屋ということになるが、その
逃げ場を親が平気で荒らすようになると、子どもは、別の場所に逃げ場を求めるように
なる。トイレの中や犬小屋、近くの電話ボックスの中に逃げた子どもなどがいた。さら
にこじれると、家出ということになる。

 子どもが逃げ場へ入ったら、追いかけて説教したり、叱ったりしてはいけない。いわん
や部屋の中や、机の中を調べてはいけない。コツは、逃げ場から子どもが出てくるまで、
ただひたすら根気よく待つこと。

これに対して、親子の間に秘密はあってはいけないという意見もある。そういうときは
反対の立場で考えてみればよい。いつかあなたが老人になり、体が不自由になったとす
る。そのときあなたの子どもが、あなたの机の中やカバンの中を調べたとしたら、あな
たはそれに耐えられるだろうか。プライバシーを守るということは、そういうことをい
う。秘密をつくるとかつくらないとかいう次元の話ではない。子どもの人格を尊重する
ためにも、また子どもの中に、「私は私」という考え方を育てるためにも、子どもの逃げ
場は神聖不可侵の場所と心得る。

 また子どもに何か問題が起きると、「学校が悪い」「先生が悪い」「友だちがいじめた」と
騒ぐ人がいる。そういうこともたしかにあるが、しかし家庭が家庭としての機能を果た
していれば、問題は問題となる前に解決するはず。そのためにも、ここでいう家庭の機
能を大切にする。

 子どもというのは、絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむ。「絶対的」というのは、
疑いをいだかないという意味。その家庭がぐらつくと、子どもは心のより所をなくし、情
緒が不安定になる。攻撃的になったり、理由もなく、ぐずったりする。ものに固着するこ
ともある。神経症による症状(腹痛、頭痛、チック、吃音、爪かみ、髪いじり)を伴うこ
とが多い。ある女の子(小一)は、鉛筆のハシをいつもかじっていた。


(9)父親の無関心

Q 父親が育児、教育に無関心で困ります。何もしてくれません。負担がすべて、私にのしかか
ってきます。

A 子どもと母親の関係は、絶対的なものだが、子どもと父親の関係は、必ずしもそうで
はない。たいていの子どもは、自意識が発達してくると、「私の父はもっと、高貴な人だっ
たかもしれない」という「血統空想」(フロイト)をもつという。ある女の子(小五)は母
親に、こう言った。「どうしてあんなパパと、結婚したの。もっといい男の人と結婚すれば
よかったのに!」と。理屈で考えれば、母親が別の男性と結婚していたら、その子どもは
存在していなかったことになるのだが…。

 そんなわけで特別の事情のないかぎり、夫婦げんかをしても、子どもは、母親の味方を
する。そういえばキリスト教でも、母親のマリアは広く信仰の対象になっているが、父親
のヨセフは、マリアにくらべると、ずっと影が薄い?

 これに加えて、日本独特の風習文化がある。旧世代の男たちは、仕事第一主義のもと、
その一方で、家事をおろそかにしてきた。若い夫婦でも、約三〇%の夫は、家事をほとん
どしていない(筆者、浜松市で調査)。身にしみこんだ風習を改めるのは、容易ではない。

 そこで母親の出番ということになる。まず母親は父親をたてる。大切な判断は、父親に
してもらう。子どもには、「お父さんはすばらしい人よ」「お母さんは、尊敬しているわ」
と。決して男尊女卑的なことを言っているのではない。もしこの文を読んでいるのが父親
なら、私はその反対のことを書く。つまり、「平等」というのは、たがいに高い次元で尊敬
しあうことをいう。まちがっても、父親をけなしたり、批判したりしてはいけない。とく
に子どもの前では、してはいけない。

 こういうケースで注意しなければならないのは、父親が育児に参加しないことではなく、
母親の不平不満が、子どもの結婚観(男性観、女性観)を、ゆがめるということ。ある女
性(三二歳)は、どうしても結婚に踏み切ることができなかった。男性そのものを、軽蔑
していた。原因は、その女性の母親にあった。

 母親は町の中で、ブティックを経営していた。町内の役員もし、活動的だった。一方父
親は、まったく風采があがらない、どこかヌボーッとした人だった。母親はいつも、父親
を、「甲斐性(生活力)なし」とバカにしていた。それでその女性は、そうなった?

 これからは父親も母親と同じように、育児、教育に参加する時代である。今は、その過
渡期にあるとみてよい。同じく私の調査だが、やはり約三〇%の若い夫は、育児はもちろ
ん、炊事、洗濯、掃除など、家事を積極的にしていることがわかっている。

 …というわけで、この問題は、たいへん「根」が深い。日本の風土そのものにも、根を
張っている。あせらず、じっくりと構えること。


(10)友だちの問題

Q このところ、うちの子が、よくない友だちと交際を始めています。交際をやめさせたいのです
が、
どう接したら、いいでしょうか?(小六男)

A イギリスの教育格言に、『友を責めるな、行為を責めよ』というのがある。これは子ど
もが、よくない友だちとつきあい始めても、相手の子どもを責めてはいけない。責めると
しても、行為のどこがどう悪いかにとどめるという意味。コツは、「○○君は、悪い子。遊
んではダメ」などと、相手の名前を出さないこと。言うとしても、「乱暴な言葉を使うのは
悪いこと」「夜、騒ぐと近所の人が迷惑をする」と、行為だけにとどめる。そして子ども自
身が、自分で考えて判断し、その子どもから遠ざかるようにしむける。

 こういうケースで、友を責めると、子どもに「親を取るか、友を取るか」の二者択一を
迫ることになる。そのとき子どもがあなたを取れば、それでよし。そうでなければ、あな
たとの間に、深刻なキレツを入れることになる。さらに友というのは、子どもの人格その
もの。友を否定するということは、子どもの人格を否定することになる。

 またこういうケースでは、親は、そのときのその状態が最悪と思うかもしれないが、あ
つかい方をまちがえると、子どもは、「まだ以前のほうが、症状が軽かった…」ということ
を繰り返しながら、さらに二番底、三番底へと落ちていく。よくあるケースは、(門限を破
る)→(親に叱られる)→(外泊するようになる)→(また親に叱られる)→(家出する)
→(さらに親に叱られる)→(集団非行)と。

が、それでもうまくいかなかったら…。そういうときは、思いきって引いてみる。相手
の子どもを、ほめてみる。「あの○○君、おもしろい子ね。好きよ。今度、このお菓子、
もっていってあげてね」と。

 あなたの言ったことは、あなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。それを
耳にしたとき、相手の子どもは、あなたの期待に答えようと、よい子を演ずるようになる。
相手の子どもを、いわば遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも、高等技術に属す
る。あとはそれをうまく利用しながら、あなたの子どもを導く。

 なおこれはあくまでも一般論だが、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)
を経験した子どもほど、おとなになってから常識豊かな人間になることがわかっている。
むしろこの時期、無菌状態のまま、よい子(?)で育った子どもほど、あとあと、おとな
になってから問題を起こすことが多い。だから、親としてはつらいところかもしれないが、
言うべきことは言いながらも、今の状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、様子を
みる。あせりは禁物。短気を起こして、子どもを叱ったり、おどしたりすればするほど、
子どもは、二番底、三番底へと落ちていく。
 
 
(11)子育ての指針

Q 子育ての情報が多すぎて、どう子育てをしたらいいか、わかりません。指針のようなものは

りませんか。

A 子育てには、四つの方向性がある。まず未来を見る。子どもに子ども(あなたからみ
れば孫)の育て方を教える。それが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに、子
どもを育てるのですよ」「こういうふうに、子どもを叱るのですよ」と。見せるだけでは足
りない。幸せな家庭というのは、どういうものか、夫婦というのは、どういうものか、そ
れを子どもの体にしみこませておく。

 つぎに自分の過去をみる。もしあなたが心豊かで、満ち足りた幼児期、少年少女期をす
ごしているのなら、それでよし。しかしそうでないなら、あなたの性格は、どこかがゆが
んでいるとみる。ひがみやすい、嫉妬しやすい、いじけやすい、意地が悪い、冷たいなど。
そういうゆがみを知るために、自分の過去を冷静に見る。そしてよい面は、子どもに伝え、
そうでない面は、あなたの代で切る。子どもの代には、伝えない。

 三つ目は、あなたの子育てを、できるだけ高い視点から見る。最初は、近所の人や親類
の人の子育てと比較してみるのもよい。そしてそれができるようになったら、世界の子育
てと、自分の子育てを比較してみる。「日本の子育ては…」と考える。その視点は高ければ
高いほどよい。まずいのは、小さなカラにこもり、その中で、独善と独断で、ものの考え
方を先鋭化すること。これをカプセル化と呼ぶ人もいる。親は、一度このカプセルの中に
入ると、何をするにも、極端になりやすい。

 最後に、あなたの心の中をのぞいてみる。子育ては、ただの子育てではない。たとえば
ある母親は、自分の子どもが生死の境をさまよったとき、「私の命はどうなってもいい。私
の命と交換に、うちの子の命を助けて」と願ったという。こういう自分の命すら惜しくな
いという、まさに至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

 それだけではない。あなたは家庭という小さな世界であるにせよ、子どもに対して、神
の愛や、仏の慈悲を、そこで実践できる。それはまさに崇高な世界といってもよい。子ど
もの問題をひとつずつ克服しながら、神々しいほどまでに、すばらしい人になった母親は、
いくらでもいる。

 こうして自分の子育てを、いつも四つの方向から見るようにする。未来を見て、過去を
見る。上から見て、心の中を見る。

 最後に、親が子どもを育てるのではない。親は子育てをしながら、幾多の山を越え、谷
を越える。そういう苦労を繰りかえすうちに、ちょうど稲穂が実り、頭をたれるように、
姿勢が低くなり、人間的な丸みや深みができてくる。つまり親が子どもを育てるのではな
い。子どもが親を育てる。それに気づけば、あなたは子育てのプロ。もう道に迷うことは
ない。



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1993年(カルト)

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今朝、Eマガの読者が、1993人に
なった。

そこで1993年。

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 この2週間、Eマガの読者がまったく、ふえなかった。それで前回、1990年につい
て書いてから、今回の1993年まで、2週間も(?)、かかったことになる。長くて苦し
い2週間だった。ホント。

 そこで1993年。私が、満46歳になった年である。

 このころの私は、カルト教団を相手に、ひとりで戦っていた。毎週、土日になると、ワ
イフと2人で、あちこちに取材にでかけたりしていた。宗教論に関する本を5冊、つづけ
て出版したのも、このころである。いくつかの月刊誌や週刊誌にも原稿を寄稿していた。

 おかげで私は、いろいろな宗教団体から、攻撃されるハメに。毎週のように、5〜10
人の、その教団の信者たちがやってきて、あれこれ悪態をついて帰っていった。20人ほ
どの信者たちが私の家に押し寄せてきたこともある。

 一時は、殺されるのではないかと思ったこともある。が、無事、何とか、生き延びるこ
とができた。同時に、私から、(こわいもの)が消えた。

 で、その前後から、あのO真理教が世間の話題をひとり占めするようになり、私は、そ
うした活動から足を洗った。カルト教団があるから、信者、つまり犠牲者が生まれるので
はない。それを求める人たちがいるから、カルト教団は生まれる。

 つまりカルト教団をいくら叩いても、ムダ。それはモグラ叩きのモグラに似ている。こ
っちを叩いても、また別のところか、出てくる。それに気がついた。言いかえると、「あな
たはまちがっている」と言うことぐらいなら、だれにだってできる。しかしそれ以上に大
切なことは、そういう人たちのために、別の道を示してやること。

 それができないというのなら、安易にカルト教団といえども、それを叩いてはいけない。
信者は信者で、救いを求めて、懸命にもがいている。苦しんでいる。

 1990年から1993年。長い2週間だった。しかし実際の1990年から1993
年は、私にとっては、怒涛(どとう)のように過ぎた3年間だった。今にして思うと、そ
う思う。

 今でも、つまりあれから13年もたった今でも、ときどき、どこかの信者が、私の家に
やってきて、悪態をついて帰ることがある。しかし私が相手にしているのは、そういう末
端の、言うなれば純真な信者ではない。彼らをロボットのように操るカルト教団という教
団である。さらに言えば、そういう教団を求める人間の心の弱さである。

 個々の信者を相手にしても、しかたない。それぞれの信者が、それぞれの世界で、それ
なりにハッピーなら、それはそれでよいことではないのか。

 ただし、反社会的な行動をするカルト教団は、別である。人の心をもてあそぶ教団は、
別である。そういうのとは、容赦なく、戦う。

 その結果だが、私のワイフは、ときどきこう言う。「あのころは、楽しかったわ」「信心
もイワシの頭からというけど、本当ね」と。

 つまるところ、それが私たちの、そのころ得た結論ということになる。今は、静かにし
ているが、もう少し年をとったら、再び、カルト教団についての原稿(本)を書いてみた
いと思っている。

 その類(たぐい)のインチキ教団の幹部へ。覚悟しておけよ!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●マザコン型人間

+++++++++++++++++

マザコンタイプの男性(夫)は多い。
女性にもいる。

そのマザコン、つまりマザーコンプレックス
が高じたものが、「親絶対教」ということに
なる。

21世紀になった今でも、この日本には、
親絶対教の信者は、多い。

+++++++++++++++++

 親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。
このうち本能的な愛と代償的愛に溺れた状態を、溺愛という。そしてその溺愛がつづくと、
いわゆる溺愛児と呼ばれる子どもが生まれる。

 その溺愛児は、たいていつぎのような経過をたどる。ひとつはそのまま溺愛児のままお
となになるタイプ。もうひとつは、その途中で、急変するタイプ。ふつうの急変ではない。
たいていはげしい家庭内暴力をともなう。

 で、そのまま進むと、いわゆるマザーコンプレックス(マザコン)タイプのおとなにな
る。おとなになっても、何かにつけて、「ママ、ママ」とか、「お母さん、お母さん」と言
うようになる。

このマザコンタイプの人の特徴は、(1)マザコン的であることを、理想の息子と思い込
むこと。(圧倒的に母と息子の関係が多いので、ここでは母と息子の関係で考える。)

それはちょうど溺愛ママが、溺愛を、「親の深い愛」と誤解するのに似ている。そして献
身的かつ犠牲的に、母親に尽くすことを美徳とし、それを他人に誇る。これも溺愛ママ
が、自分の溺愛ぶりを他人に誇示するのに似ている。

 つぎに(2)自分のマザコンぶりを正当化するため、このタイプの男性は、親を徹底的
に美化しようとする。「そういうすばらしい親だから、自分が親に尽くすのは、正しいこと
だ」と。そういう前提を自分の中につくる。

そのために、親のささいな言動をとらえて、それをおおげさに評価することが多い。こ
れを「誇大視化」という。「巨大視化」という言葉を使う人もいる。「私の母は、○○の
とき、こう言って、私を導いてくれました」とかなど。カルト教団の信者たちが、よく
自分たちの指導者を誇大視することがあるが、それに似ている。「親孝行こそ最大の美徳」
と説く人は、たいていこのタイプの男性とみてよい。

G氏(54歳男性)もそうだ。何かにつけて、10年ほど前に死んだ自分の母親を自慢
する。だれかが批判めいたことを言おうものなら、猛烈にそれに反発する。あるいは自
分を悪者にしたてても、死んだ母親をかばおうとする。

 マザコンタイプの人は、自分では結構ハッピーなのだろうが、問題は、そのため、たい
ていは夫婦関係がおかしくなる。妻が、夫のマザコンぶりに耐えられないというケースが
多い。しかし悲劇はそれで終わらない。マザコンタイプの夫は、自分でそれに気づくこと
は、まずない。「親をとるか、妻をとるか」と迫られたりすると、「親をとる」とか、「当然、
親」と答えたりする。

反対に妻に、「親のめんどうをしっかりみてくれなければ、離婚する」などと言うことも
ある。そもそも結婚するとき、婚約者に「(私と結婚するなら)親のめんどうをみること」
というような条件を出すことが多い。親は親で、そういう息子を、できのよい息子と喜
ぶ。あとはこの繰りかえし。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●誇大視化

+++++++++++++++

ささいなまちがいや失敗を、ことさら
おおげさに取りあげて、騒ぐ。

カルト教団がよく使う手法である。

この種の手法には、じゅうぶん、注意
されたし。

+++++++++++++++

 カルト教団の指導法には、いくつかの特徴がある。その一つが「誇大視化」。「巨大視化」
と呼ぶ人もいる。ささいな矛盾や、ささいなまちがいをとらえて、ことさらそれを大げさ
に問題にし、さらにその矛盾やまちがいを理由に、相手を否定するという手法である。

 しかしこうした手法は、何もカルト教団に限らない。教育カルトと呼ばれる団体でも、
ごくふつうに見られる現象である。あるいは教育パパ、教育ママと呼ばれる人たちの間で
も、ごくふつうに見られる現象である。つい先日も、こんなことがあった。

 私はときどき、席を立ってフラフラ歩いている子どもに、こう言うことがある。「パンツ
にウンチがついているなら、立っていていい」と。もちろん冗談だし、そういう言い方の
ほうが、「座っていなさい」「立っていてはだめ」と言うより、ずっと楽しい(?)。そのと
きもそうだった。が、ここでハプニングが起きた。そばにいた別の子どもが、その子ども
(小2男児)のおしりに顔をうずめて、「クサイ!」と言ってしまったのだ。「先生、コイ
ツのおしり、本当にクサイ!」と。

 で、そのときは皆が、それで笑ってすんだ。が、その夜、彼の父親から猛烈な抗議の電
話がかかってきた。「息子のパンツのウンチのことで、恥をかかせるとは、どういうこと
だ!」と。私はただ平謝りに謝るしかなった。が、それで終わったわけではない。それか
ら3か月もたったある日のこと。その子どもが突然、私の教室をやめると言い出した。見
ると、父親からの手紙が添えられてあった。いわく、「お前は、教師として失格だ。あちこ
ちで講演をしているというが、今すぐ講演活動をやめろ。それでもお前は日本人か」と。

 ここまで否定されると、私とて黙ってはおれない。すぐ電話をすると、母親が出たが、
母親は、「すみません、すみません」と言うだけで、会話にならなかった。で、私のほうも、
それですますしかなかったが、それがここでいう、「誇大視化」である。

たしかに私は失敗をした。しかしそういう失敗は、こういう世界ではつきもの。その失
敗を恐れていたら、教育そのものができない。教育といっても、基本的には人間関係で
決まる。で、そういう一部の失敗をことさら大げさにとらえ、それでもって、相手を否
定する。ふつうの否定ではない。全人格すら否定する。

 そういえば、あるカルト教団では、相手の顔色をみて、その人の全人格を判断するとい
う。「死に際の様子を見れば、その人の全生涯がわかる」と説く教団もある。それはまさに
誇大視化である。皆さんも、じゅうぶん、この誇大視化には、注意されたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
誇大視 誇大視化 巨大視 巨大視化)


Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司

【親絶対教について】

+++++++++++++++++

親絶対教というのも、カルトのひとつ。
自ら親絶対教を信ずるのは、その人の
勝手だが、しかしだからといって、それを
自分の子どもに押しつけてはいけない。

+++++++++++++++++

●事例(1)……心を解き放て!

 今どき「先祖だ」「家だ」などと言っている人の気がしれない。……と書くのは、簡単だ。
またこう書いたからといって、その先祖や家にしばられて苦しんでいる人には、みじんも
助けにならない。

Yさん(45歳女性)がそうだ。盆になると、位牌だけでも300個近く並ぶ旧家にY
さんは嫁いだ。何でも後醍醐天皇の時代からの旧家だそうだ。で、今は、70歳になる
祖父母、Yさん夫婦、それに1男1女の3世代同居。正確には同じ敷地内に、別棟をも
うけて同居している。が、そのことが問題ではない。

 祖母はともかくも、祖父とYさん夫婦との間にはほとんど会話がない。Yさんはこう言
う。「同居といっても形だけ。私たち夫婦は、共働きで外に出ています」と。

しかし問題はこのことではない。「毎月、しきたり、しきたりで、その行事ばかりに追わ
れています。手を抜くと祖父の機嫌が悪くなるし、そうかといって家計を考えると、祖
父の言うとおりにはできないのです」と。しかしこれも問題ではない。

Yさんにとって最大の問題は、そういう家系だから、「嫁」というのは家政婦。「孫」と
いうのとは、跡取り程度にしか考えてもらえないということらしい。「盆暮れになると、
叔父、叔母、それに甥や姪、さらにはその子どもたちまでやってきて、我が家はてんや
わんやになります。私など、その間、横になって休むこともできません」と。

たまたま息子(中3)のできがよかったからよいようなものの、祖父はいつもYさんに
こう言っているそうだ。「うちは本家だから、孫にはA高校以上の学校に入ってもらわね
ば困る」と。

 Yさんは、努めて家にはいないようにしているという。何か会合があると、何だかんだ
と口実をつくってはでかけているという。それについても祖父はあれこれ言うらしい。し
かし「そういうことでもしなければ、気がヘンになります」とYさんは言う。

一度、たまたま祖父だけが家に残り、そのときYさんが食事の用意をするのを忘れてし
まったという事件があった。「事件」というのもおおげさに聞こえるかもしれないが、そ
れはまさに事件だった。激怒した祖父は、Yさんの夫を電話で呼びつけ、夫に電気釜を
投げつけたという。「お前ら、先祖を、何だと思っている!」と。

 こういう話を聞いていると、こちらまで何かしら気がヘンになる。無数のクサリが体中
に巻きついてくるような不快感だ。話を聞いている私ですらそうなのだから、Yさんの苦
痛は相当なものだ。で、私はこう思う。

日本はその経済力で、たしかに先進国の仲間入りはしたが、その中身は、アフリカかど
こかの地方の、○○民族とそれほど違わない。

もちろん伝統や文化はあるだろう。それはそれとして大切にしなければならないが、し
かし今はもう、そういうものを個人に押しつける時代ではない。「こういう伝統がある」
と話すのは、その人の勝手だが、それを受け継ぐかどうかは、あくまでもつぎの世代の
問題ということになる。私たちはその世界まで、立ち入ることはできない。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●事例(2)……心を解き放て!

 今、人知れず、家庭内宗教戦争を繰り返している家庭は多い。たいていは夫が知らない
間に、妻がどこかのカルト教団に入信してしまうというケース。しかし一度こうなると、
夫婦関係は崩壊する。価値観の衝突というのはそういうもので、互いに妥協しない。

実際、妻に向かって「お前はだれの女房だ!」と叫んだ夫すらいた。その妻が明けても
暮れても、「K先生、K先生」と言い出したからだ。夫(41歳)はこう言う。「ふだん
はいい女房だと思うのですが、基本的なところではわかりあえません。人生論や哲学的
な話になると、『何を言っているの』というような態度をして、私を無視します」と。で
は、どうするか?

 宗教にもいろいろある。しかしその中でも、カルトと呼ばれる宗教には、いくつかの特
徴がある。

排他性(他の思想を否定する)、
情報の遮断性(他の思想を遮断する)、
組織信仰化(個人よりも組織の力を重要視する)、
迷信性(外から見ると?、と思うようなことを信ずる)、
利益論とバチ論(信ずれば得をし、離れるとバチが当ると教える)など。
巨大視化(自説を正当化するため、ささいな事例をことさらおおげさにとらえる)を指摘
する学者もいる。

 信仰のし方としては、

催眠性(呪文を繰り返させ、思考能力を奪う)、
反復性(皆がよってたかって同じことを口にする)、
隔離性(ほかの世界から隔離する)、
布教の義務化(布教すればするほど利益があると教える)、
献金の奨励(結局は金儲け?)、
妄想性と攻撃性(自分たちを批判する人や団体をことさらおおげさに取りあげ、攻撃する)
など。

その結果、カルトやその信者は、一般社会から遊離し、ときに反社会的な行動をとるこ
とがある。極端なケースでは、ミイラ化した死体を、「まだ生きている」と主張した団体、
毒ガスや毒薬を製造していた団体、さらに足の裏をみて、その人の運命や健康状態がわ
かると主張した団体などがあった。

 人はそれぞれ、何かを求めて信仰する。しかしここで大切なことは、いくらその信仰を
否定しても、その信仰とともに生きてきた人たち、なかんずくそのドラマまでは否定して
はいけないということ。みな、それぞれの立場で、懸命に生きている。その懸命さを少し
でも感じたら、それについては謙虚でなければならない。「あなたはまちがっている」と言
う必要はないし、また言ってはならない。私たちがせいぜいできることといえば、その人
の立場になって、その人の悲しみや苦しみを共有することでしかない。

 冒頭のケースでも、妻が何かの宗教団体に身を寄せたからといって、その妻を責めても
意味はない。なぜ、妻がその宗教に身を寄せねばならなかったのかというところまで考え
てはじめて、この問題は解決する。

「妻が勝手に入信したことにより、夫婦関係が破壊された」と言う人もいるが、妻が入
信したとき、すでにそのとき夫婦は崩壊状態にあったとみる。そんなわけで夫が信仰に
反対すればするほど、夫婦関係はさらに崩壊する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
カルトの特徴 カルト カルト信仰の特徴)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●とんでもない論理

++++++++++++++++++++

久々に、とんでもない論理にぶつかった。
おそらく、K国系の人たちが開いている
HPなのだろう。

ただ気になるのは、それが朝鮮N報という、
韓国を代表する新聞社が発行しているHPに
紹介されていたこと。

その中にあった。

題して、『北は悪ですか?』。

++++++++++++++++++++

 頭のおかしな連中は、どこにでもいる。自分がもつ常識と照らしあわせてみて、「おかし
い」と感じたら、そういう連中は相手にしないこと。

 しかし久々に、とんでもない論理にぶつかった。もしそれがどこかの頭のおかしな連中
の言っていることなら、私は相手にしない。しかしそれは朝鮮N報という新聞社が発行す
るHPに載っていた。朝鮮N報と言えば、韓国を代表する新聞社である。

 それが、どうとんでもない論理であるかは、つぎの一節を読んでみればわかるはず。原
文のまま紹介する。

++++++++++++++

【北は悪ですか?】

 北朝鮮を悪だと思うことは、とっても簡単!! 3秒も有れば十分です。 
 さあ、ご覧下さい! 

 拉致は悪い→北朝鮮は日本人を拉致した→だから、北朝鮮は悪だ。

 こんな風にも、出来ますよ! 

 核実験は悪い→北朝鮮は核実験をした→だから、北朝鮮は悪だ。

 ね、とっても簡単だったでしょう!? 

・・・同様に、アメリカを悪だと思うことも簡単です。やっぱり、3秒も掛かりません。
・ちょっとやってみましょうか。

 戦争は悪い→米国は、しょっちゅう戦争をしている→だから、米国は悪だ。

 こんな風にも、出来ますよ! 

 核実験は悪い→米国は核実験をした→だから、米国は悪だ。

 ね、とっても簡単だったでしょう!? 
それでは、ここで問題です!!

 北朝鮮とアメリカ。悪いのは、ど〜っちだ?

+++++++++++++

つまり核実験をしたK国について、「アメリカだって、しているではないか」「だから悪
いのは、アメリカのほうだ」と。

 かつて日本にも、同じような論理をふりかざして、K国を擁護していた人がいた。「アメ
リカは、自分が核兵器をもっていて、どうしてほかの国に、核兵器をもつなと言うこと
ができるのでしょうか。自分だって、もっているくせに」と。

 記録は残っていないが、私は、ちゃんとこの耳で聞いた。日本でも当時、一番名前がよ
く知られた、KHというニュースキャスターだった。彼が、自分が司会する夜のニュース
番組の中で、そう言った。しかも吐き捨てるかのように!

 まちがえてはいけないのは、K国は、この日本を攻撃するために、核兵器を開発し、ミ
サイルを開発しているということ。現に、K国の政府高官たちは、ことあるごとに、そう
公言している。「核兵器は、日本を攻撃するためのもの」と。

 そういう事実を忘れて、K国をアメリカと同列に考えること自体とは!

 それに拉致問題は、現在進行中の問題である。拉致という重大犯罪の犠牲者が、現に、
K国にいる以上、そういう人たちを日本へ返せというのは、当然のことではないか。それ
を棚にあげて、「アメリカだって悪い」とは!

 たとえて言うなら、不注意で花瓶を割ってしまった子どもが、親に叱られたとき、「ママ
だって、この前、花瓶を割ったじゃないか!」と言い返すのに似ている。言い返したとこ
ろで、自分の不注意が正当化されるというものでもあるまい。

 韓国が、ますますわからなくなってきた。

 その韓国だが、来年1月1日からカタール・ドーハで開かれる第15回アジア大会で、
K国と統一旗をあげて入場行進することが決まった(11月21日)。こういう時期に、共
同で、(実際には、お情け的に)、共同行進するというのもどうかと思うが、その統一旗に
は、今回から、竹島(独島)が描かれることになったという。

 もし逆に日本が同じようなことをしたら、韓国はどのように反応するだろうか。そうい
うことも、少しは考えて、韓国も行動すべきではないのか。

 たとえば日本が国連安保理の理事国入りをめざしたとき、韓国のN大統領は、世界各国
に特使まで送って、(特使だぞ!)、それに反対した。が、一転、韓国の大臣が国連事務総
長に立候補すると、日本に対して支持を要請してきた。実際には、よほどバツが悪かった
のだろう。最後の最後のところで、支持を要請してきた。

 もしあのとき、日本が同じように、世界各国に特使を派遣して、それに反対していたと
したら、韓国は、いったい、どのように反応しただろうか。

 さらに今朝(22日)の朝鮮N報は、こう伝えている。

 「トヨタ自動車が中国北京モーターショーで、(新型カローラ)を発表し、打倒現代自動
車を宣言した」と。

 あのトヨタが、「打倒現在自動車」! ……そんなことを、世界のトヨタが言うはずがな
い。韓国という国は、今、まるで国中が、被害妄想のかたまりのようになってしまってい
る! ……まさにそんな感じ!


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子育て相談より

+++++++++++++++++++

以前、「ファミリス」という雑誌に書いた
原稿が見つかった。

私のHPのほうでも紹介しているが、もう
一度、ここに再掲載する。

+++++++++++++++++++

(1)子どものウソ

Q 何かにつけてウソをよく言います。それもシャーシャーと言って、平然としています。(小二
男)

A 子どものウソは、つぎの三つに分けて考える。(1)空想的虚言(妄想)、(2)行為障
害による虚言、それに(3)虚言。空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくり
あげ、それをあたかも現実であるかのように錯覚してつく、ウソのことをいう。行為障害
による虚言は、神経症による症状のひとつとして考える。習慣的な万引きや、不要なもの
を集めるなどの、随伴症状をともなうことが多い。

これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して考える。
ふつうウソというのは、自己防衛(言いわけ、言い逃れ)、あるいは自己顕示(誇示、吹
聴、自慢、見栄)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚
がある。

母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」
子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」
子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから…」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソを
つく。「ゆうべ幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのが、それ。  
その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空
想的虚言という。こんなことがあった。

 ある日一人の母親から、電話がかかってきた。ものすごい剣幕である。「先生は、うちの
子の手をつねって、アザをつくったというじゃありませんか。どうしてそういうことをす
るのですか!」と。私にはまったく身に覚えがなかった。そこで「知りません」と言うと、
「相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 結局、その子は、だれかにつけられたアザを、私のせいのにしたらしい。

イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせ
てはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその
空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。このタイプの子どもは、
現実と空想の間に垣根がなく、現実の世界に空想をもちこんだり、反対に、空想の世界
に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあげると、
それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シ
ャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、特徴である。

 どんなウソであるにせよ、子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうし
て」だけを繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に
子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソの世界に入ってい
く。


(2)勉強の遅れ

Q 学年がかわり、勉強の遅れが目立ってきました。このままでは、うちの子はどうなるかと、
心配
でなりません。(小四女)

A アメリカでは、学校の先生が、子どもに落第をすすめると、親は、喜んでそれに従う。
「喜んで」だ。これはウソでも誇張でもない。反対に子どもの学力が心配だと、親のほう
から落第を求めていくこともある。「まだうちの子は、進級する準備ができていない」と。
アメリカの親たちは、そのほうが子どものためになると考える。

 日本では、そうはいかない。いかないことは、あなた自身が一番よく知っている。しか
し、二〇年後、三〇年後には、日本もそうなる。またそういう国にしなければならない。
意識というのはそういうもので、あなたが今もっている意識は、普遍的なものでも、また
絶対的なものでもない。

 さて、もし子育てで行きづまりを覚えたら、子どもは『許して忘れる』。英語では、「フ
ォ・ギブ(許し)・アンド・フォ・ゲッツ(与える)」という。つまり「(子どもに)愛を与
えるために、許し、(子どもから)愛を得るために、忘れる」ということになる。子どもを
どこまで許し、どこまで忘れるかで、親の愛の深さが決まる。子どもの受験勉強で狂奔し
ているような親は、一見、子どもを愛しているかのように見えるが、その実、自分のエゴ
を子どもに押しつけているだけ。自分の設計図に合わせて、子どもを思いどおりにしたい
だけ。しかしそれは、真の愛ではない。

 否定的なことばかり書いたが、勉強だけがすべてという時代は、もう終わりつつある。(だ
からといって、勉強を否定しているのではない。誤解のないように!) 重要なのは、そ
のときどきにおいて、子どもが、いかに心豊かに、自分を輝かせて生きるかということ。
その中身こそが、大切。

 相談のケースでは、何かほかに得意なことや、特技があれば、それを前向きに伸ばすよ
うにする。子どもには、「あなたはサッカーでは、だれにも負けないわよね」というような
言い方をする。子どもの世界には、『不得意分野を伸ばすより、得意分野を、さらに伸ばせ』
という鉄則がある。子どもというのは不思議なもので、ひとつのことに秀でてくると、ほ
かの分野も、ズルズルと伸び始めるということが、よくある。

 さらにこれからは、一芸がものをいう時代。ある大手の自動車会社の入社試験では、学
歴は不問。そのかわり面接では、「君は何ができる?」と聞かれるという。そういう時代は、
すぐそこまできている。

 ところで『宝島』という本を書いた、R・スティーブンソンは、こう言っている。『我ら
の目的は、成功することではない。失敗にめげず前に進むことだ』(語録)と。あなたの子
どもにも、一度、そう言ってみてはどうだろうか。


(3)好きになれない

Q 自分の子どもですが、どうしても好きになれません。いい親を演ずるのも、疲れました。

A 不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」と、
どうしても気負いが強くなる。しかしこの気負いが強ければ強いほど、親も疲れるが、子
どもも疲れる。そしてその「疲れ」が、親子の間をギクシャクさせる。

 子どもが好きになれないなら、なれないでよい。無理をしてはいけない。大切なことは、
自然体で子どもと接すること。そして子どもを、「子ども」としてみるのではなく、「友」
としてみる。「仲間」でもよい。実際、親離れ、子離れしたあとの親子関係は、友人関係に
近い関係になる。いつまでもたがいに、ベタベタしているほうが、おかしい。

 ただ心配なのは、あなた自身に、何かわだかまりがあるとき。これをフロイト(オース
トリアの心理学者、1856〜1939)は、「偽の記憶(false memory)」といった。「ゆ
がめられた記憶」と私は呼んでいるが、トラウマ(精神的外傷)といえるほど大きなキズ
ではないが、しこりはしこり。心のゆがみのようなもので、そのためどこかすなおになれ
ないことをいう。そのゆがめられた記憶は、そのつど、あなたの心の中で「再生(recover)」
され、あなたの子育てを、裏からあやつる。もしあなたが子育てをしていて、いつも同じ
失敗を繰りかえすというのであれば、このわだかまりをさぐってみたらよい。

 望まない結婚であったとか、予定していなかった出産であったとか。仕事や生活に大き
な不安があったときも、そうだ。あるいはあなた自身の問題として、親の愛に恵まれなか
ったとか、家庭が不安定であったとかいうこともある。この問題は、そういうわだかまり
があったということに気づくだけでも、そのあと多少時間はかかるが、解決する。まずい
のは、そのわだかまりに気がつかないまま、そのわだかまりに振りまわされること。その
わだかまりが、虐待の原因となることもある。

 今、「自分の子どもとは気があわない」と、人知れず悩んでいる親は多い。東京都精神医
学総合研究所の調査によっても、そういう母親が、7%はいるという。しかもその大半が、
子どもを虐待しているという(同調査)。

 あるいは兄弟でも、「上の子は好きだが、下の子はどうしても好きになれない」というケ
ースもある。ある母親はこう言った。「下の子は、しぐさから、目つきまで、嫌いな義父そ
っくり。どうしても好きになれません」と。

 親には3つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どもの
うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。このタイプの親は、友として子ども
の横を歩くことだけを考えて、あとはなりゆきに任せればよい。10年後、20年後には、
あなたは必ず、すばらしい親になっている。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【バケツの底の穴】

+++++++++++++++++

フロッピーディスクを整理していたら、
こんな相談が出てきた。

そのときは相談してきた方の立場になって、
それなりに返事を書いたつもりでいる。

しかし、記憶というのは、いいかげんな
もの。「そういうことがあったな」という
程度には、思い出せるが、そこまで。
もし偶然であるにせよ、その相談を見ることが
なかったら、私は、そんな相談があった
ことすら、思い出すこともなかっただろう。

+++++++++++++++++

 何枚かのフロッピーディスクを、整理していたら、こんな相談が出てきた。パソコンか
らパソコンへの原稿の移動には、私は今でも、フロッピーディスクを使っている。

 まず、そのときの相談を、そのままここに転載する。当時、相談をしてきた方から、転
載許可をもらった記憶だけは残っている。

+++++++++++++++++

【YDより、はやし浩司へ】

以前にもご相談させていただきましたYDです。 今回は私と実父とのことで、ご相談
お願いしたいと思いました。 

18歳のときに、私は、今の主人とつきあい始めました。そのときは、私が進路未定の
状態だったので、私たちの交際は、猛反対されました。 

 幼稚だった私は当時、交際を隠し続けていたのですが、結局、親が知るところとなり、私
は家を飛び出し、主人の所に転がり込む形で、家族との縁を切りました。そのときから体
の不調が始まり、主人と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の
服用をしました。(主治医の先生によると「おびえ」という症状との見解でした。)

 実家とは絶縁状態のまま結婚、出産し、4年が過ぎたころ、実母が亡くなり、家の敷居を
またぐになりましたが、実父との関係は、今でも修復されないままでいます。

 母は子供の頃から誰にも言えない胸のうちを、私には話せるようで、愚痴聞き役のような
感じでした。家を出てからも、父に隠れながら、毎日のように電話をくれました。しかし
私の話より、自分の愚痴や不安を聞かされ、私が励ます内容の電話が多かったと思います。
そのせいか、私は心のどこかで、父を軽蔑していると自分では思っています。
 
 母が亡くなった事で、法事などで実家に行くこともありますが、主人は父を嫌って極力実
家には近づこうとしません。父にはそれがもの凄く不満のようで、「もっと(私を)大事に
してくれ」と訴えるのですが、主人は、自分の両親・姉でさえとも一線を引き付きあうと
ころが有り、自分と合わない人間とは付きあわないところがあります。主人の気持ちも考
えると、どちらにも強く言えないでいます。 

 このお正月に母のお墓参りに行きましたが、場所が北海道と遠いこともあり、また車で
行くということもあり、雪も降ったあとだったので、詳しい日程が立てられないまま行き
ました。

 結局、予定より2日も余裕ができたので、叔父達に会いに行くことができましたが、事
前に詳しく連絡を入れていなかったことで、父に迷惑がかかり、怒られる結果となりまし
た。

父は「相手の立場に立って思いやりを持って行動すべきだ。相手にも都合がある。正月
という時期だから、余計に考えるべきだった。自分(父)が何も知らないで勝手に決め
すぎだ」と言われましたが、今回は行き当たりばったりで、皆に迷惑をかけたのは確か
だと、自分では思っています。 

 事前に父に密に予定を話しておけば良かったことなのですが、私自身ごちゃごちゃ言わ
れたくないから、最低限のことだけ伝えればいいやと、父とのコンタクトを避けてしまっ
た結果だと、自分では思っています。 

 父は、私の家族であるリーダーは主人だから、私に言っても仕方なく、主人が考え、行
動すべきことであり、主人と話をすることを考えていると言っています。私は主人の性格
を考えると、余計に父を疎ましがるのではないかと思い、まずは私が父とコミュニケーシ
ョンを取れるようにならなければ、今の関係の改善は難しいと思うのですが。

 また、私たち家族が出向くことによって父が、叔父達に「よろしくお願いします」「お世
話になりました」と動けるように、私たちから働きかけるべきなのでしょうか? 父にそ
の必要があるのなら父から聞いてくればいいのにと、どこか反発心もありながら、社会を
見ないまま家庭に入った身として常識に欠けているのか判断ができずにいます。まず何か
ら改善すべきか見出せない現状です。

 文章が支離滅裂でお恥ずかしいのですが、先生はどう感じたでしょうか? 聞かせてい
ただけるととても嬉しいです。

++++++++++++++++++

 今回は、この相談について考えるのが目的ではない。私自身の記憶についてである。冒
頭にも書いたように、この相談を見つけたのは、偶然である。フロッピーディスクを整理
していたら、この相談が出てきた。

 ここで相談してきた人を「YDさん」としたが、もちろん仮名である。こうした記録を
残すときには、名前はもちろん、住所、さらには、その人自身とわかるような部分につい
ては、すべて書き改めるようにしている。

 だから今となってみると、YDさんといっても、どこのだれだか、わからない。文面に、
「以前にも……」とあるから、当時は、何度もメールをやり取りした人のようである。し
かしどうしても、思い出せない。なぜだろうと思う前に、自分で自分を信じられなくなっ
てしまう。はっきり言えば、自分がこわい。

 わかりやすく言えば、私の脳みその底に穴があいているような感じがする。記憶そのも
のが、その穴から、どんどんとどこかへ漏れていく。記憶だけではなく、知識もそうだ。
とくに新しい記憶や知識ほどそうではないか。

 発達心理学の世界では、(本当は「老化心理学」と呼ぶべきかもしれないが)、満55歳
前後を境として、人は、急速に回顧主義を傾くことが知られている。未来を展望するより、
過去を回顧することのほうが、多くなるというわけである。

 しかし実際にはそうではなくて、その年齢ごろになると、新しい記憶や知識ほど、どん
どんと忘れてしまい、その結果として、古い記憶や知識だけが脳みその中に残るからでは
ないのか。つまり加齢とともに、古い記憶や知識だけが、ますますクローズアップされる
ようになる。回顧主義に陥るのは、あくまでも、その結果ということになる。

 もし私が、YDさんからの相談を、20代のころ受けていたとするなら、私は、折につ
け、YDさんの相談を思い出していたかもしれない。しかしその相談を受けたのは、50
代の今。だから記憶に残ることもなく、そのまま忘れてしまった。

 回りくどい言い方になってしまったが、今回のこの事実は、私に重要な教訓を与えた。
要するに、(バケツの底の穴)ということになるが、その(穴)があることを知っているの
と、知らないでいるのとでは、老後の生きザマに大きな差が出てくる。

 つまりそういう(穴)があることを知り、穴から漏れ出る以上に、記憶や知識を、脳み
その中に注入していかねばならない。そういう作業を怠ると、やがて頭の中はカラッポに
なるばかりではなく、先にも書いたように回顧主義ばかりが強くなってしまう。それこそ
毎日、仏壇の金具を磨きながら日々を過ごすような、そんな生き方になってしまう。

 ……といっても、50歳を過ぎてから、新しいことを始めるというのも、勇気のいるこ
とである。60歳を過ぎれば、なおさらである。どうしてもものの考え方が、保守的にな
り、後退的になる。しかしなぜ人はそうなるかといえば、ここに書いた、(バケツの底の穴)
で、説明がつく。

 記憶そのものが、残らない。残っても、すぐどこかへ消えてしまう。知識も、そうだ。
だからこそ、人も50代、60代になったら、それまで以上に、新しい経験をし、知識を
補充していかねばならない。(バケツの底の穴)が防ぎようのないものであるとするなら、
そこから漏れ出る以上のものを、補ってやる。それしかない。

 今回、YDさんからの相談を読んで、別の心で、その思いを強くした。

++++++++++++++++

当時のことを思い出すために、
YDさんからの相談を、自分の
原稿集の中で、検索してみた。

で、さらに驚いたことに、この相談を
もらったのは、(06年 FEB)とある。

つまり今年の2月!

私はたった9か月前のことすら、
もう忘れてしまおうとしている!

ついでにそのときYDさんに書いた
返事を、そのままここに載せる。

+++++++++++++++++


●「家族」とは何か?

 多くの人にとっては、「家族」は、その人にとっては、(心のより所)ではあるが、しか
し一度、歯車が狂うと、今度は、その「家族」が、重圧となってその人を苦しめることが
ある。ふつうの苦しみではない。心理学の世界でも、その苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。

 そういった「家族」全体がもつ、束縛意識、結束意識、連帯意識を総称して、「家族自我
群」と呼ぶ学者もいる。こうした意識は、乳幼児期から、親を中心とする家族から本能に
近い部分にまで刷りこまれている。そのため、それから自らを解放させることは、容易な
ことではない。

 ふつう、生涯にわたって、人は、意識することがないまま、その家族自我群に束縛され
る。「親だから……」「子だから……」という、『ダカラ論』も、こうした自我群が背景とな
って生まれる。

 さらにこの日本では、封建時代の家督制度、長子相続制度、権威主義などが残っていて、
親子の関係を、特別視する傾向が強い。私が説くところの、「親・絶対教」は、こうして生
まれたが、親を絶対視する子どもは、少なくない。

が、ときに、親自身が、子どもに対して、その絶対性を強要することがある。これを私
は「悪玉親意識」と呼んでいる。俗に言う、親風を吹かす人は、この悪玉親意識の強い
人ということになる。こういう人は、「親に向かって、何てことを言うのだ!」「恩知ら
ず!」「産んでやったではないか!」「育ててやったではないか!」「大学まで出してやっ
たではないか!」というような言葉を、よく口にする。

 もともと権威主義的なものの考え方をする傾向が強いから、人とのつながりにおいても、
上下意識をもちやすい。「夫が上、妻が下」「男が上、女が下」と。「親が上で、子が下」と
いうのも、それに含まれる。さらにこの悪玉親意識が強くなると、本来なら関係ないはず
の、親類の人たちにまで、叔父風、叔母風を吹かすようになる。

 が、親子といえども、基本的には、人間対人間の関係で、決まる。よく「血のつながり」
を口にする人もいるが、そんなものはない。ないものはないのであって、どうしようもな
い。観念的な(つながり)を、「血」という言葉に置きかえただけのことである。

 で、冒頭に書いたように、(家族のつながり)は、それ自体は、甘美なものである。人は
家族がもつ安らぎの中で、身や心を休める。が、それには、条件がある。家族どうしが、
良好な人間関係を保っているばあいのみ、という条件である。

 しかしその良好な人間関係にヒビが入ると、今度は、逆に(家族のつながり)が、その
人を苦しめる、責め道具になる。そういう例は、多い。本当に多い。子ども自身が、自ら
に「親捨て」というレッテルを張り、生涯にわたって苦しむという例も少なくない。

 それほどまでに、脳に刷りこまれた(家族自我群)は、濃密かつ、根が深い。人間のば
あい、鳥類とは違い、生後、0か月から、7〜8か月くらいの期間を経て、この刷りこみ
がなされるという。その期間を、「敏感期」と呼ぶ学者もいる。

 そこで、ここでいう家族自我群による束縛感、重圧感、責務感に苦しんでいる人は、ま
ず、自分自身が、その(刷りこみ)によって苦しんでいることを、知る。だれの責任でも
ない。もちろんあなたという子どもの責任でもない。人間が、動物として、本来的にもつ、
(刷りこみ)という作用によるものだということを知る。

 ただ、本能的な部分にまで、しっかりと刷りこまれているため、意識の世界で、それを
コントロールすることは、たいへんむずかしい。家族自我群は、意識の、さらにその奥深
い底から、あなたという人間の心を左右する。いくらあなたが、「縁を切った」と思ってい
ても、そう思うのは、あなたの意識だけ。それでその刷りこみが消えるわけではない。

 この相談を寄せてくれた、YDさんにしても、家を出たあと、「体の不調が始まり、主人
と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしました」と書
いている。また実母がなくなったあとも、その縁を断ち切れず、葬儀に出たりしている。
 
 家族自我群による「幻惑」作用というのは、それほどまでに強烈なものである。

 で、ここで人は、2つの道のどちらかを選ぶ。(1)家族自我群の中に、身を埋没させ、
安穏に、何も考えずに生きる。(2)家族自我群と妥協し、一線を引きながらも、適当につ
きあって生きる。もう1つ、本当に縁を切ってしまうという生き方もあるが、それはここ
では考えない。

(2)の方法を、いいかげんな生き方と思う人もいるかもしれないが、自分の苦しみの
原因が、家族自我群による幻惑とわかれば、それなりにそれに妥協することも、むずか
しくはない。文字が示すとおり、「幻惑」は、「幻惑」なのである。もっとわかりやすく
言えば、得体の知れない、亡霊のようなもの。そう考えて、妥協する。

 YDさんに特殊な問題があるとすれば、あくまでもこのメールから私がそう感ずるだけ
だが、それはYDさん自身の、依存性がある。YDさんは、親に対してというより、自分
自身が、だれかに依存していないと、落ち着かない女性のように感ずる。そしてその依存
性の原因としては、YDさんには、きわめて強い(弱化の原理)が働いているのではない
か(?)。

 自信のなさ、そういう自分自身を、YDさんは、「幼稚」と呼ぶ。もう少し精神的に自立
していれば、自分をそういうふうに呼ぶことはない。YDさんは、恐らく幼いときから、「お
まえはダメな子」式の子育てを受けてきたのではないか。とくに父親から、そう言われつ
づけてきたように思う。

 そのことにYDさん自身が気がつけば、もっとわかりやすい形で、この問題は解決する
と思われる。

 あえてYDさんに言うべきことがあるとするなら、もう親戚のことや、父親のことは忘
れたほうがよいということ。YDさんがもっとも大切にすべきは、夫であり、父親ではな
い。いわんや、郷里へ帰って、親戚に義理だてする必要など、どこにもない。それについ
てたとえYDさんの父親が、不満を言ったとしても、不満を言う、父親のほうがおかしい。
それこそまさに、悪玉親意識。YDさんは、すでにおとな。親戚にまで親風を吹かす父親
のほうこそ、幼稚と言うべきである。詳しくは、このあとそれについて書いた原稿を添付
しておく。

【YDさんへ……】

 お元気ですか。ここまでに書いたことで、すでに返事になってしまったようです。

 私のアドバイスは、簡単です。あなたの父親のことは、相手のほうから、何か助けを求
めてくるまで、放っておきなさい。あなたがあれこれ気をもんだところで、しかたのない
ことです。またどうにもなりません。

 父親が何か苦情を言ってきたら、「あら、そうね。これからは気をつけます」と、ケラケ
ラと笑ってすませばよいのです。何も深刻に考えるような問題ではありません。

 あなたの結婚当初の問題についても、そうです。いつまでも過去をずるずると引っぱっ
ていると、前に進めなくなります。

 で、もっと広い視野で考えるなら、そういうふうにYDさんを苦しめている、あるいは
その原因となっているあなたの父親は、それだけでも、親失格ということになります。天
上高くいる神なら、そう考えると思いますよ。

 本来なら、そういう苦しみを与えないように、子どもを見守るのが親の務めです。あな
たの父親は、結果としてあなたという子どもを苦しめ、悲しませている。不幸にしている。
だから、あなたの父親は、親失格ということになるのです。

 そんな父親に義理立てすることはないですよ。

 今は、一日も早く、「ファーザー・コンプレックス(マザコンに似たもの)」を捨て、あ
なたの夫のところで、羽を休めればよいのです。あなたの夫と、前に進めばよいのです。
あなたの夫が、「実家へ行きたくない」と言えば、「そうね」と、それに同意すればよいの
です。

 私は、あなたの夫の考え方に、賛成します。同感で、同意します。

 では、今日は、これで失礼します。

 出先で、この返事を書いたので、YDさんとわからないようにして、R天日記のほうに
返事を書いておきます。お許しください。


【YDさんより、はやし浩司へ】

++++++++++++++++++

私が返事を書いた、翌日、
YDさんより、こんな
メールが届いた。

++++++++++++++++++

はやし先生

先ほど楽天日記を読ませていただきました。

心が楽になりました。ありがとうございまいた。

家族自我群にあてはまるのだと教えて頂き、とても感謝しています。先生のホームページ
から勉強させて頂きマガジンからも勉強させていただいていますが、私は自分の都合の良
い情報ばかりを集めて自分を正当化しようと思っているのではないかと思っていました。

先生のお書きになった通り、私は依存性が強い人間です。主人と付きあい始めた当初は自
分でも思い出したくないくらいです 苦笑。そして父から褒められた記憶はありません。

父は「言って聞かないなら殴る。障害者になってもいいんだ」という教育方針で、私が何
か悪いことをすると、殴られるのは当たり前でした。お説教の最中に物が飛んでくるのも
よくあることでした。なので、父からのお説教があってしばらくはもう二度と可愛いと思
ってもらえないかもしれないという恐怖心は強かったと、今になると思います。

それでも、学校をさぼったりしていたのは、何でだったのか、まだ当時の自分を自己分析
できずにいますが・・・。

「大切にされた記憶がない」と話すと、父は、「毎週(月曜日に剣道に通っていたのですが、
終わるのが夜の9時でした)、迎えに行っていたのになぁ」と言われた事があります。私が
父の愛情に気付いていなかっただけなのか、自分がされた嫌な事だけしか覚えていないか
ら私は自分を悲劇のヒロイン化させているのかと思っていました。

その反面、(私は中学生でしたが)、当時の心境は、「夜遊びに走らないように監視されてい
る」のが本当のところではなかったのかと思います。きっとその頃からひずみはすでに始
まっていたんでしょう・・・。

自分では私は「アダルトチルドレン」に入るのではないかと思っています。社会との繋が
りがうまく持てない焦りから、今の自分のままでは子供達の成長に良くないのではないか
と焦っています。父に「親や、その親、親の兄弟あってのお前なんだから、まわりを大切
にすべきだ」と強く言われる事で、自分を見失ってしまいました。

父の事を思い起こすと未だに震えが起こるので、きちんと文章になっているのか不安です
がお時間を割いて頂きありがとうございました。

追伸・「ユダヤの格言xx」という本の中で、「父親の生き方から夫の生き方に変え、逆境
のときは夫を支え、喜びを分かち合い、女中を雇う余裕があっても怠けることなく、話を
してくるものにはわけへだてなく対応し、困っている人には手を差し伸べる」(ユダヤ人の
伝統的な良き妻の像)と言う説を手帳に書き写したことがあります。楽天の日記を読ませて
いただきこの事を思い出しました。 

個人的なのですがこの本の先生の見解にとても興味があります。
長々と読んでいただきありがとうございました。

++++++++++++++++

悪玉親意識についての原稿を
添付しておきます。

++++++++++++++++

●悪玉親意識

 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子
どもを自分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。その悪玉親意識にも、こ
れまた二種類ある。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは依存型親意識。

 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分
の価値観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしよ
うとする。子どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をす
る。

これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもを
その「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなって
いるため、たいていは無意識のうちのそうすることが多い。親は親で「産んでやった」「育
ててやった」と言い、子どもは子どもで、「産んでもらいました」「育てていただきまし
た」と言う。

 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ
姿」という)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子ども
の歓心を買いながら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。

「あなたを育てるためにママは苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子ど
もにするのが前者。クリスマスなどに豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに
気に入られようとするのが後者ということになる。

以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、
先生の方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それ
もここでいう後者ということになる。
 これらを表にしたのがつぎである。

   親意識  善玉親意識
        悪玉親意識  非依存型親意識
               依存型親意識   押しつけ型親意識
                        コビ売り型親意識
 
 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようにな
る。それは当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。
はたしてあなたの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分
析してみると、おもしろいのでは……。

+++++++++++++++

もう1作……

+++++++++++++++

●子育て、はじめの一歩

 先日、あるところで講演をしたら、一人の父親からメールが届いた。いわく、「先生(私
のこと)は、親は子どもの友になれというが、親子にも上下関係は必要だと思う」と。

 こうした質問や反論は、多い。講演だと、どうしても時間的な制約があって、話のあち
こちを端(はし)折ることが多い。それでいつも誤解を招く。で、その人への説明……。

 テレビ番組にも良質のものもあれば、そうでないのもある。そういうのを一緒くたにし
て、「テレビは是か非か」と論じても意味がない。同じように、「(上下意識のある)親意識
は必要か否か」と論じても意味はない。親意識にも、つまり親子の上下関係にも、いろい
ろなケースがある。私はそれを、善玉親意識と、悪玉親意識に分けている。

善玉親意識というのは、いわば親が、親の責任としてもつ親意識をいう。「親として、し
っかりと子どもを育てよう」とか、そういうふうに、自分に向かう親意識と思えばよい。
一方、悪玉親意識というのは、子どもに向かって、「私は親だ!」「親に向かって、何だ!」
と、親風を吹かすことをいう。

 つまりその中身を分析することなく、全体として親意識を論ずることは危険なことでも
ある。同じように「上下意識」も、その中身を分析することなく論じてはいけない。当然、
子どもを指導し、保護するうえにおいては、上下意識はあるだろうし、またそれがなけれ
ば、子どもを指導することも、保護することもできない。しかし子どもの人格を認めると
いう点では、この上下意識は禁物である。あればじゃまになる。

親子の関係もつきつめれば、一対一の人間関係で決まる。「親だから……」「子どもだか
ら……」と、「だから」論で、たがいをしばるのは、ときとしてたがいの姿を見失う原因
となる。日本人は世界的にみても、上下意識が強い民族。親子の間にも、(あるいは夫婦
の間ですら)、この上下意識をもちこんでしまう。そして結果として、それがたがいの間
にキレツを入れ、さらにはたがいを断絶させる。

 が、こうして疑問をもつことは、実は、子育ての「ドア」を開き、子育ての「階段」を
のぼる、その「はじめの一歩」でもある。冒頭の父親は、恐らく、「上下関係」というテー
マについてそれまで考えたことがなかったのかもしれない。しかし私の講演に疑問をもつ
ことで、その一歩を踏み出した。ここが重要なのである。もし疑問をもたなかったら、そ
の上下意識についてすら、考えることはなかったかもしれない。もっと言えば、親は、子
育てをとおして、自ら賢くなる。「上下意識とは何か」「親意識とは何か」「どうして日本人
はその親意識が強いか」「親意識にはどんなものがあるか」などなど。そういうことを考え
ながら、自ら賢くなる。ここが重要なのである。

 子育ての奥は、本当に深い。私は自分の講演をとおして、これからもそれを訴えていき
たい。
(はやし浩司 親意識 親との葛藤 家族自我群 はやし浩司 幻惑 はやし浩司 家庭
教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 悪玉親意識 善玉親
意識 親風を吹かす親 上下意識)

【付記】

 今回、ここまでの原稿を再読してみて、いくつか気がついたことがある。

 そのひとつは、ここでいう「悪玉親意識」というのは、(親子の間)だけの話ではないと
いうこと。

 悪玉親意識、つまり親風を吹かす人は、あらゆる場面で権威主義的なものの考え方をす
る。たとえば弟や妹に対しては、兄風、姉風を吹かす。甥(おい)や姪(めい)に対して
は、叔父風、叔母風を吹かすなど。

 あらゆる場面で上下意識が強く、そのわずかな(差)の中で、人間の優劣を決めてしま
う。

 で、本人は、それでそれなりにハッピーなのかもしれない。また多くの場合、その周囲
の人たちも、それを認めてしまっているから、それなりにうまく(?)いく。兄風を吹か
す兄と、それを受け入れる弟との関係を想像してみればよい。

 こうした上下意識は、儒教の影響を受けた日本人独特のもので、欧米には、ない。ない
ものはないのであって、どうしようもない。はっきり言えば、バカげている。この相談を
してきたYDさんの父親にしても、ここでいう悪玉親意識のたいへん強い人だということ
がわかる。「親は親だ」「親は偉い」という、あの悪玉親意識である。YDさんは、父親の
もつその悪玉親意識に苦しんでいる。

 が、ここで話が終わるわけではない。

 今度はYDさん自身の問題ということになる。

 現在、YDさんは、父親の悪玉親意識に苦しんでいる。それはわかる。しかしここで警
戒しなければならないことは、YDさんは、自分の父親を反面教師としながらも、別のと
ころで自分を確立しておかないと、やがてYDさん自身も、その悪玉親意識を引きついで
しまうということ。

 たとえば父親が、亡くなったとしよう。そしてそれからしばらく時間がたち、今度はY
Dさん自身が、なくなった父親の立場になったとしよう。すると、今度は、YDさん自身
が、なくなった父親そっくりになるという可能性がないわけではない。

 ユングが使った「シャドウ」とは少し意味がちがうかもしれないが、親がもつシャドウ
(暗い影)は、そのまま子どもへと伝播(でんぱ)していく。そういう例は、多い。ひょ
っとしたらあなたの周辺にも似たようなケースがあるはず。静かに観察してみると、それ
がわかる。

 で、さらに私は、最近、こういうふうに考えるようになった。

 こうした悪玉親意識は、それ自体がカルト化しているということ。「親絶対教」という言
葉は、私が考えたが、まさに信仰というにふさわしい。

 だからここでいう悪玉親意識をもつ親に向かって、「あなたはおかしい」「まちがってい
る」などと言ったりすると、それこそ、たいへんなことになる。だから、結論から先に言
えば、そういう人たちは、相手にしないほうがよい。適当に相手に合わせて、それですま
す。

 実は、この私も、そうしている。そういう人たちはそういう人たちの世界で、それなり
にうまく(?)やっている。だからそういう人たちはそういう人たちで、そっとしておい
てやるのも、(思いやり)というものではないか。つまりこの問題は、日本の文化、風土、
風習の分野まで、しっかりと根づいている。私やあなたが少しくらい騒いだところで、ど
うにもならない。最近の私は、そう考えるようになった。

 ただし一言。

 あなたの住む世界では、上下意識は、もたないほうがよい。たとえば兄弟姉妹にしても、
名前で呼びあっている兄弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよいという調査結果もあ
る。

 「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼びあうよりも、「ヒロシ」「アキコ」と呼びあうほうが、
兄弟姉妹は仲がよくなるということ。

 夫婦についても、同じように考えたらよい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●希望と落胆

++++++++++++++++

希望と落胆は、ある一定の周期をおいて、
交互にやってくる。

希望をもてば、そのあとには、必ず
落胆がやってくる。しかしそこで終わる
わけではない。

朝のこない夜はないように、落胆の
あとには、これまた必ず希望がやってくる。

++++++++++++++++

 最近、何かと落ちこむことが多くなった。失敗(?)も重なった。調子も悪い。何をし
ても、空回りばかりしている。

 で、そういうときというのは、おかしなもので、自分の書いた原稿に慰められる。つま
り自分で書いた原稿を読みながら、自分を慰める。今朝もそうだ。ふと自分に、『私たちの
目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである』と言い聞かせたとき、それ
について書いた原稿を読みたくなった。

検索してみたら、3年前に書いた原稿が見つかった。

++++++++++++++++++

【私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである】

 ロバート・L・スティーブンソン(Robert Louise Stevenson、1850−1894)と
いうイギリスの作家がいた。『ジキル博士とハイド氏』(1886)や、『宝島』(1883)
を書いた作家である。もともと体の弱い人だったらしい。44歳のとき、南太平洋のサモ
ア島でなくなっている。

そのスティーブンソンが、こんなことを書いている。『私たちの目的は、成功ではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(語録)と。

 何の気なしに目についた一文だが、やがてドキッとするほど、私に大きな衝撃を与えた。
「そうだ!」と。

 なぜ私たちが、日々の生活の中であくせくするかと言えば、「成功」を追い求めるからで
はないのか。しかし目的は、成功ではない。スティーブンソンは、「失敗にめげず、前に進
むことである」と。そういう視点に立ってものごとを考えれば、ひょっとしたら、あらゆ
る問題が解決する? 落胆したり、絶望したりすることもない? それはそれとして、こ
の言葉は、子育ての場でも、すぐ応用できる。

 『子育ての目的は、子どもをよい子にすることではない。日々に失敗しながら、それで
もめげず、前向きに、子どもを育てていくことである』と。

 受験勉強で苦しんでいる子どもには、こう言ってあげることもできる。

 『勉強の目的は、いい大学に入ることではない。日々に失敗しながらも、それにめげず、
前に進むことだ』と。

 この考え方は、まさに、「今を生きる」考え方に共通する。「今を懸命に生きよう。結果
はあとからついてくる」と。それがわかったとき、また一つ、私の心の穴が、ふさがれた
ような気がした。

 ところで余談だが、このスティーブンソンは、生涯において、実に自由奔放な生き方を
したのがわかる。17歳のときエディンバラ工科大学に入学するが、「合わない」という理
由で、法科に転じ、25歳のときに弁護士の資格を取得している。そのあと放浪の旅に出
て、カルフォニアで知りあった、11歳年上の女性(人妻)と、結婚する。スティーブン
ソンが、30歳のときである。小説『宝島』は、その女性がつれてきた子ども、ロイドの
ために書いた小説である。そしてそのあと、ハワイへ行き、晩年は、南太平洋のサモア島
ですごす。

 こうした生き方を、100年以上も前の人がしたところが、すばらしい。スティーブン
ソンがすばらしいというより、そういうことができた、イギリスという環境がすばらしい。
ここにあげたスティーブンソンの名言は、こうした背景があったからこそ、生まれたのだ
ろう。並みの環境では、生まれない。

 ほかに、スティーブンソンの語録を、いくつかあげてみる。

●結婚をしりごみする男は、戦場から逃亡する兵士と同じ。(「若い人たちのために」)
●最上の男は独身者の中にいるが、最上の女は、既婚者の中にいる。(同)
●船人は帰ってきた。海から帰ってきた。そして狩人は帰ってきた。山から帰ってきた。(辞
世の言葉)
(03―1―1)

++++++++++++++++++

 希望を高くもてばもつほど、必ずそのあとに、落胆がやってくる。希望通りにものごと
が進む例など、100に1つもない。1000に1つもない。

 しかし希望のない人生は、そのものが闇。だからつぶされても、つぶされても、人は何
かの希望をもとうとする。そして再び、前に進もうとする。朝のこない夜はないように、
落胆のあとには、これまた必ず希望がやってくる。

 こうして人は、希望と落胆を、周期的に繰りかえす。そして歯をくいしばりながら、前
に進む。

 子育ても、また同じ。

 そこで大切なことは、仮に子育てをしていて、落胆したり、ときには絶望感を覚えたと
しても、決して、それがドン底であるとか、終わりであると思ってはいけないということ。

 私たちにとって大切なことは、『私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進
むことである』。

 今朝は、この言葉に、私は慰められた。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 22日
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みなさん、

メリ−クリスマス!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●生徒が去る

++++++++++++++++++

私は小さな塾を経営している。
塾といっても、最大で、12人しか
入れない。

そんな塾でも、つねに新しい出会いと
別れが、交錯する。しかし
私にとっての、(別れ)とは、
たぶん、読者のみなさんが想像している
(別れ)とは、意味がちがう。

++++++++++++++++++

 生徒が、私の教室(BW)をやめて去るときは、さみしい。それは当然のことだが、こ
ういう仕事を36年もしていると、そのつぎの瞬間にはそれを忘れて、自分のペースを取
りもどすことができるようになる。

 そういう意味では、(心の移譲)がうまくなる。X君が教室をやめたら、X君への思いを、
今度は、Y君に移す。そうしてX君のことは忘れる。思い出も消す。もしそれをしなかっ
たら、私自身の心がバラバラになってしまう。それはそれとして、私にとって、(別れ)と
は、もっと別のことをいう。そこにその生徒がいても、(別れ)を感ずることがある。「こ
の子は、遠くに行ってしまったなア」と。

 そういうときこそ、私は、さみしさを覚える。

 Aさんも、B君も、それにCさんも、みな、心がやさしく、暖かい子どもだった。しか
しそんな子どもでも、受験期にさしかかり、受験塾(進学塾)に通いはじめると、とたん
に人が変わる。わずか数か月で、別人のようになることもある。夏期講習を受けてきただ
けで、別人のようになることもある。

 それまでの穏やかさが消え、ぞっとするほど、心が冷たくなることもある。合理的で、
ドライになる。目つきそのものが、変わる。親たちはそういう自分の子どもを見ながら、「や
っと気構えができました」と喜んで見せる。が、そのツケを、いつか払うのは、親自身で
あり、子ども自身ということになる。

 こうした子どもの心理の変化に、どれほどの数の人が気がついているのか。またそれを
問題にする人も、少ない。この日本では、エリートと呼ばれている人は、多かれ少なかれ、
その受験戦争をくぐり抜けてきた人たちである。つまりそれが日本人の(特性)として、
定着してしまっている。自分で自分が、わからなくなってしまっている。

 もっとも、この日本では、受験競争に背を向けたら、社会そのものから、はじき飛ばさ
れてしまう。子どもの世界でいえば、その時点で、落ちこぼれになってしまう。しかしそ
れが現実であるとしても、だれも、このままでよいとは思っていない。

 しかしね、世の親のみなさん! みなさんは、子どもを伸ばす(?)ことだけしか考え
ていませんか? しかしね、伸ばすことよりも、もっと重要なのは、(今、子どもがもって
いる大切なもの)を、守り育てることなのですよ。

 それに伸ばすことは大切なことかもしれませんが、その一方で、受験競争の中で、もが
き、苦しみ、キズつき、かえって自信をなくしていく子どものことを忘れてはいけません
よ。子どもの受験というのは、受かることを考えてするのではなく、失敗したときのこと
を考えて、用意するものですよ。

Aさんも、B君も、それにCさんも、今でも、私の教室に来てくれています。しかし、
もう以前の子どもたちではありません。もうどうしようもないほど、遠くに行ってしま
いました。

 それが私にとっては、(別れ)ということになります。本当の意味での、(別れ)という
ことになります。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●AO入試

+++++++++++++++++++++++++

アドミッション・オフィス入試、略して、「AO入試」。


 簡単に言えば、志願者のそれまでの経験や成績、
志望動機など、さまざまな側面を評価し、
合否を決める入試方法をいう。

 従来のペーパーテスト、面接試験から、
さらに1歩踏み込んだ入試方法ということになる。

 当初は、慶応義塾大学で試験的になされていたが、
それが昨年度(05)は、国交私立、合わせて、
400を超す大学で実施され、最近では、
一部の小中学校でも採用されるようになった。

+++++++++++++++++++++++++
●AO入試とは

 AO入試について、(Gakkou Net)のサイトには、つぎのようにある。

「大学の 入試形態の多様化は既に周知の事実ですが、その中でもここ数年、センター入
試と並んで多くの大学で導入されているのが、AO入試(アドミッションズ・オフィス
入試)です。 

AO入試を初めて実施したのは慶応義塾大学の総合政策学部と環境情報学部で、199
0年のことでした。99年度には13の私立大学が導入していただけのAO入試も、2
001年度には、207大学と急増。その後もAO入試を実施する大学は、年々増加の
一途をたどっています。

自己推薦制などに似た入試形態です。 学力では測れない個性豊かな人材を求めることを
目的としていて、学力よりも目的意識や熱意・意欲を重視しています。

入試までの一般的な流れは、(1)エントリーシートで出願意志を表明し、(2)入試事
務局とやりとりを行ってから正式に出願するといったもの。

選考方法は面談が最も多く、セミナー受講、レポート作成、研究発表といった個性豊か
なものもあります。

出願・選抜方法、合格発表時期は大学によって様々で、夏休みのオープンキャンパスで
事前面談を行ったり、講義に参加したりする場合もあります。「どうしてもこの大学で学
びたい」受験生の熱意が届いて、従来の学力選抜では諦めなければならなかった大学に
入学が許可されたり、能力や適性に合った大学が選べるなど、メリットはたくさんあり
ます。

ただし、「学力を問わないから」という安易な理由でこの方式を選んでしまうと、大学の
授業についていけなかったり、入学したものの学びたいことがなかったといったケース
も考えられますから、将来まで見据えた計画を立てて入試に望むことが必要です。

AO入試は、もともとアメリカで生まれた入試方法で、本来は選考の権限を持つ「アド
ミッションズ・オフィス」という機関が行う、経費削減と効率性を目的とした入試とい
われています。 AOとは(Admissions Office)の頭文字を取ったものです。

一方、日本では、実は現時点でAO入試の明確な定義がなく、各大学が独自のやり方で
行っているというのが実情です。

しかし、学校長からの推薦を必要とせず、書類審査、面接、小論文などによって受験生
の能力・適性、目的意識、入学後の学習に対する意欲などを判定する、学力試験にかた
よらない新しい入試方法として、AO入試は注目すべき入試だということができるでし
ょう」(同サイトより)。

●推薦制度とのちがい 

 従来の推薦入試制度とのちがいについては、つぎのように説明している。

「(1)自己推薦制などに似た入試形態です。 学力では測れない個性豊かな人材を求める
ことを目的としていて、学力よりも目的意識や熱意・意欲を重視しています。

(2)高校の学校長の推薦が必要なく、大学が示す出願条件を満たせば、だれでも応募で
きる「自己推薦制・公募推薦制」色の強い入試。選考では面接や面談が重視され、時間や
日数をかけてたっぷりと、しかも綿密に行われるものが多い。

(3)模擬授業グループ・ディスカッションといった独自の選抜が行われるなど、選抜方
法に従来の推薦入試にはない創意工夫がなされている。

(4)受験生側だけでなく、大学側からの積極的な働きかけで行われている

(5)なお、コミュニケーション入試、自己アピール入試などという名称の入試を行って
いる大学がありますが、これらもAO入試の一種と考えていいでしょう」(同サイトより)。

●AO入試、3つのタイプ

大別して3つのタイプがあるとされる。選考は次のように行われているのが一般的のよ
うである。

「(1)論文入試タイプ……早稲田大学、同志社大学など難関校に多いタイプ。長い論文を
課したり、出願時に2000〜3000字程度の志望理由書の提出を求めたりします。面
接はそれをもとに行い、受験生の人間性から学力に至るまで、綿密に判定。結果的に、学
力の成績がモノをいう選抜型の入試となっています。

(2)予備面接タイプ(対話型)……正式の出願前に1〜2回の予備面接やインタビューを
行うもので、日本型AO入試の主流になっています。 エントリー(AO入試への登録)や
面談は大学主催の説明会などで行われるのが通常です。エントリーの際は、志望理由や自
己アピールを大学指定の「エントリーシート」に記入して、提出することが多いようです。 
このタイプの場合は、大学と受験生双方の合意が大事にされ、学力面より受験生の入学意
志の確認が重視されます。

(3)自己推薦タイプ……なお、コミュニケーション入試、自己アピール入試などという
名称の入試を行っている大学があるが、これらもAO入試の一種と考えていいでしょう」
(同サイトより)。

 詳しくは、以下のサイトを参照のこと。
   http://www.gakkou.net/05word/daigaku/az_01.htm

 また文部科学省の統計によると、

 2003年度……337大学685学部
 2004年度……375大学802学部
 2005年度……401大学888学部が、このAO入試制度を活用しているという。

++++++++++++++++

 年々、AO入試方法を採用する大学が加速度的に増加していることからもわかるように、
これからの入試方法は、全体としてAO入試方法に向かうものと予想される。

 知識よりも、思考力のある学生。
 ペーパーテストの成績よりも、人間性豊かな学生。
 目的意識をもった個性ある学生。

 AO入試には、そういった学生を選びたいという、大学側の意図が明確に現れている。
ただ現在は、試行錯誤の段階であり、たとえばそれをそのまま中学入試や高校入試に応用
することについては、問題点がないわけではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 AO入試 アドミッション・オフィス Admission Office 大学入試選抜)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育てで親が行きづまったとき】

+++++++++++++++++

「もうダメだ」と思うときは、
どんな親にもある。

子育てというのは、そういうもの。

+++++++++++++++++

●夫婦とはそういうもの    

 夫がいて、妻がいる。その間に子どもがいる。家族というのはそういうものだが、その
夫と妻が愛しあい、信頼しあっているというケースは、さがさなければならないほど、少
ない。

どの夫婦も日々の生活に追われて、自分の気持ちを確かめる余裕すらない。そう、『子は
かすがい』とはよく言ったものだ。「子どものため」と考えて、必死になって家族を守ろ
うとしている夫婦も多い。仮面といえば仮面だが、夫婦というのはそういうものではな
いのか。

もともと他人の人間が、一つ屋根の下で、10年も20年も、新婚当時の気持ちのまま
でいることのほうがおかしい。私の女房なども、「お前は、オレのこと好きか?」と聞く
と、「考えたことないから、わからない」と答える。

●人は人、それぞれ

 こう書くと、暗くてゆううつな家族ばかりを想像しがちだが、そうではない。こんな夫
婦もいる。先日もある女性(40歳)が私の家に遊びに来て、女房の前でこう言った。「バ
ンザーイ、やったわ!」と。

話を聞くと、夫が単身赴任で九州へ行くことになったという。ふつうなら夫の単身赴任
を悲しむはずだが、その女性は「バンザーイ!」と。また別の女性(33歳)は、夫婦
でも別々の寝室で寝ているという。性生活も数か月に1度あるかないかという程度らし
い。しかし「ともに、人生を楽しんでいるわ。それでいいんじゃ、ナ〜イ?」と。明る
く屈託がない。

要は夫婦に標準はないということ。同じように人生観にも家庭観にも標準はない。人は、
人それぞれだし、それぞれの人生を築く。私やあなたのような他人が、それについてと
やかく言う必要はないし、また言ってはならない。あなたの立場で言うなら、人がどう
思おうが、そんなことは気にしてはいけない。

●問題は親子

 問題は親子だ。私たちはともすれば、理想の親子関係を頭の中にかく。設計図をえがく
こともある。それ自体は悪いことではないが、その「像」に縛られるのはよくない。それ
に縛られれば縛られるほど、「こうでなければならない」とか、「こんなはずはない」とか
いう気負いをもつ。

この気負いが親を疲れさせる。子どもにとっては重荷になる。不幸にして不幸な家庭に
育った人ほど、この気負いが強いから注意する。「よい親子関係を築こう」というあせり
が、結局は親子関係をぎくしゃくさせてしまう。そして失敗する。

●レット・イット・ビー(あるがままに……) 

 そこでどうだろう、こう考えては。つまり夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、それ
自体が「幻想」であるという前提で、考える。もしその中に一部でも、本物があるなら、
もうけもの。一部でよい。そう考えれば、気負いも取れる。「夫婦だから……」「親子だか
ら……」と考えると、あなたも疲れるが、家族も疲れる。

簡単に言えば、今あるものを、あるがままに受け入れてしまうということ。「愛を感じな
いから結婚もおしまい」とか、「親子が断絶したから、家庭づくりに失敗した」とか、そ
んなようにおおげさに考える必要はない。つまるところ夫婦や家族、それに子どもに、
あまり期待しないこと。ほどほどのところで、あきらめる。そういうニヒリズムがあな
たの心に風穴をあける。そしてそれが、夫婦や家族、親子関係を正常にする。

ビートルズもかつて、こう歌ったではないか。「♪レット・イット・ビー(あるがままに
……)」と。それはまさに、「智恵の言葉」だ。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【教師が10%のニヒリズムをもつとき】

++++++++++++++++

どんなに全力投球をしても、
さいごの10%だけは、自分のために
とっておく。

それが教育。決して、100%の
全力投球をしてはいけない。

++++++++++++++++
●10%のニヒリズム

 教師の世界には10%のニヒリズムという言葉がある。つまりどんなに教育に没頭して
も、最後の10%は、自分のためにとっておくという意味である。でないと、身も心もズ
タズタにされてしまう。

たとえばテレビドラマに『三年B組、金P先生』というのがある。武田T也氏が演ずる
金八先生は、すばらしい先生だが、現実にはああいう先生はありえない。またそういう
先生を期待してはいけない。それはちょうど刑事ドラマの中で、刑事と暴力団がピスト
ルでバンバンと撃ちあうようなものだ。ドラマとしてはおもしろいが、現実にはありえ
ない。

●その底流ではドロドロの欲望

 教育といいながら、その底ではまさに、人間と人間が激しくぶつかりあっている。こん
なことがあった。私はそのとき、何か別の作業をしていて、その子ども(年中女児)が、
私にあいさつをしたのに気づかなかった。30歳くらいのとき、過労で、左耳の聴力を完
全になくしている。

が、その夜、その子どもの父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「お前は、うち
の娘の心にキズをつけた。何とかしろ!」と。私がその子どものあいさつを無視したと
いうのだ。そこでどうすればよいのかと聞くと、「明日、娘をお前の前に連れていくから、
娘の前で頭をさげてあやまれ」と。こんなこともあった。

●「お前を詐欺で訴えてやる!」

 たまたま5月の連休が重なって、その子ども(年中女児)の授業が、1時間分ぬけたこ
とがある。それについて「補講せよ」と。私が「できません」と言うと、「では、お前を詐
欺で訴えてやる。ワシは、こう見えても、顔が広い。お前の仕事なんかつぶすのは、朝飯
前だ!」と。浜松市内で歯科医をしている父親からの電話だった。信じられないような話
だが、さらにこんなこともあった。

 私はある時期、童話の本を読んでそれをカセットテープに録音し、幼稚園児たちに渡し
ていたことがある。結構、骨の折れる作業だった。カラオケセットをうまく使って、擬音
や効果音を自分の声の中に混ぜた。音楽も入れた。もちろん無料である。そのときのこと。

たまたまその子ども(年長男児)が病気で休んでいたので、私はそのテープを封筒に入
れ郵送した。で、その数日後、その子どもの父親から電話がかかってきた。私はてっき
り礼の電話だろうと思って受話器を取ると、その父親はいきなりこう言った。「あなたに
渡したテープには、ケースがついていたはずだ。それもちゃんと返してほしい」と。

ケースをはずしたのは、少しでも郵送料を安くするためだったが、中にはそういう親も
いる。だからこの10%のニヒリズムは、捨てることができない。

 これらはいわば自分を守るための、自分に向かうニヒリズムだが、このニヒリズムには、
もう一つの意味がある。他人に向かうニヒリズム、だ。

●痛々しい子ども
 
一人の男の子(年中児)が、両親に連れられて、ある日私のところにやってきた。会う
と、か弱い声で、「ぼくの名前は○○です。どうぞよろしくお願いします」と。親はそれ
で喜んでいるようだったが、私には痛々しく見えた。4歳の子どもが、そんなあいさつ
をするものではない。また親は子どもに、そんなあいさつをさせてはならない。

しばらく子どもの様子を観察してみると、明らかに親の過干渉と過関心が、子どもの精
神を萎縮させているのがわかった。オドオドした感じで、子どもらしい覇気がない。動
作も不自然で、ぎこちない。それに緩慢だった。

 こういうケースでは、私が指導できることはほとんど、ない。むしろ何も指導しないこ
とのほうが、その子どものためかもしれない。が、父親はこう言った。「この子は、やれば
できるはずです。ビシビシしぼってほしい」と。母親は母親で、「ひらがなはほとんど読め
ます。数も一〇〇まで自由に書けます」と。

このタイプの親は、幼児教育が何であるか、それすらわかっていない。小学校でする勉
強を、先取りして教えるのが幼児教育だと思い込んでいる。「私のところでは、とてもご
期待にそえるような指導はできそうにありません」とていねいに断わると、両親は子ど
もの手を引っ張って、そのまま部屋から出ていった。

●黙って見送るしかなかった……

 こういうケースでも、私は無力でしかない。呼びとめて、説教したい衝動にかられたが、
それは私のすべきことではない。いや、こういう仕事を35年もしていると、予言者のよ
うに子どもの将来が、よくわかるときがある。そのときもそうだった。やがてその親子は
断絶。子どもは情緒不安から神経症を発症し、さらには何らかの精神障害をかかえるよう
になる……。

 このタイプの親は独善と過信の中で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と思
い込んでいる。その上、過干渉と過関心。親は「子どもを愛している」とは言うが、その
実、愛というものが何であるかさえもわかっていない。自分の欲望を満たすため、つまり
自分が望む自分の未来像をつくるため、子どもを利用しているだけ。

……つまりそこまでわかっていても、私は黙って見送るしかない。それもまさしくニヒ
リズムということになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●12月22日号

++++++++++++++++++++

この原稿が、電子マガジンで配信されるのは、
12月22日、金曜日。

そのころは町の中も、クリスマス一色で、
にぎわっていることだろう。

MERRY CHRISTMAS!

++++++++++++++++++++

 今年は、どんなことでも、先手、先手で、処理してきた。人と会う約束にしても、でき
るだけ早く、それをしてきた。休みの過ごし方も、「思い立ったら、すぐ」を、モットーに
してきた。

 いやなことについても、決してあと回しにせず、先手、先手で、処理してきた。逃げた
り、隠れたりはしなかった。講演会のみならず、頼まれた仕事は、時間の許すかぎり、す
べて引き受けてきた。

 その一方で、家族とのつながりを大切にしてきた。夕食後の数時間は、できるだけワイ
フと時間を過ごすようにしてきた。同居している長男は別として、二男、三男とは、毎週、
連絡を取りあってきた。

 そうそう今年(06年)から、講演先には、ワイフも同行させるようにしてきた。ワイ
フも、それを望んでいた。またワイフが外出するときは、できるだけ私も同行するように
してきた。たがいにこうして刺激しあうことによって、ボケが防止できるのではないかと
考えきた。肉体の健康にもよい。

 心の緊張感を維持するため、電子マガジンについては、いつも1か月先の原稿を書くよ
うにしてきた。予定より1週間でも遅れたりすると、徹夜で原稿をしあげてきた。あるい
は早朝に起きて、それをしてきた。

 今年に入ってから、運動量をふやした。昨年までは、週5単位を目標にしていたが、今
年(06年)からは、10単位にふやした。1単位というのは、40分間、かなり高速で
自転車をこぐことをいう。自転車というのは、タラタラと乗っていたのでは、意味がない。

 加えて休みの日には、買い物でも、できるだけ歩いていくようにしてきた。旅先でも、
できるだけ歩くようにしてきた。

 おかげで、今年も、一応(?)、健康で過ごすことができた。大きな病気もしなかった。
夫婦げんかも、2、3か月に一度くらいに減った。息子たちも、健康で過ごしているらし
い。

 いろいろとやり残したことはあるが、ものごとには、限界というものがある。いくらが
んばっても、できないことは、できない。ほどほどのところであきらめて、自分を納得さ
せる。これも処世術のひとつではないか。そんなことを、このところ、強く思うようにな
った。

 ただ時間を無駄にすることについては、最近とくに敏感になってきたように思う。つま
らないテレビを見たりしたときは、「しまった!」と思う。人についても、そうだ。何も得
るものがない人と会ったりすると、やはり、「しまった!」と思う。『時は金なり』という
が、私にとっては、『時』そのものが、『金』ということになる。

 ひょっとしたら明日、私は脳梗塞か何かで倒れるかもしれない。もしそうなれば、万事
休す。そういう危機感を、このところ強く感ずるようになった。いくらがんばっても、肉
体だけは、年齢相応に老化していく。

 しかしやはり私の生きがいは、こうして原稿を書くこと。99%は、意味のない駄文だ
が、それでもときどき、書きながら、新しい発見をすることがある。それが楽しい。それ
に読者がひとりでも増えたりすると、うれしい。

 そんなわけで、コマーシャル!

 どうか、身近で、マガジンに興味をもってくださいそうな人がいらっしゃったら、どう
か、このマガジンのことを話してみてください。よろしくお願いします。


●クリスマス

 我が家では、クリスマスといっても、家族だけで、ささやかに祝うだけ。とくにこの1
0年は、私とワイフだけで、祝うことが多くなった。

 簡単なケーキを作って、プレゼントを交換する。それだけ。プレゼントといっても、こ
の数年は、日用品が多くなった。去年、私がもらったものは、たしか、下着のシャツでは
なかったか。「こんなものか?」と私が聞くと、ワイフは、「ついでだから」と言って笑っ
ていた。

 で、毎年、同じ会話をする。「お前は何が、ほしい」「私は、何もいらない」と。

 私は、私のワイフほど、無欲な女性を、知らない。結婚して、35年になるが、今まで、
「あれがほしい」「これがほしい」と、私にねだったことがない。よく、それなりの値段の
服を買ってあげたりしているが、着るのはいつも、中国製の安物ばかり。「どうして買って
あげたのを着ないのか?」と聞くと、「そのうち、着るわ」と。答はいつも決まっている。

 どうしてああまで、無欲になれるのだろう? 多分、子どものときから、7人兄弟にも
まれて、質素に育てられたせいではないか。4歳のときに、母親を病気でなくしている。

 一方、私は、子どものころから、ガツガツとしている。ほしいものを並べたら、キリが
ない。今は、最新型のパソコン。1月にビスタ(OS)搭載のパソコンが出るが、出たら、
まっ先に買うつもり。今は、じっとがまんのとき。

 しかしそれでも、私は悩む。今年は、みんなに、何をプレゼントしようか、と。

 そう言えば、もうそろそろ孫たちにプレゼントを買って送らねばならない。今からでも
間にあうかな? 今日は11月20日。クリスマスカードは、2週間前に送ったが……。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(11月21日)

++++++++++++++++

今朝といっても、もう時刻は、午後
11時15分。

とうとう風邪で、ダウン!

朝、いつものように目を覚ますと、
キリキリとした頭痛。風邪である。

++++++++++++++++

 今朝、11月22日、いつものように目を覚ますと、はげしい頭痛。キリキリとした痛
みが、頭全体に響いた。風邪である。昨夜から様子がおかしいとは思っていたが、こうま
でひどくなるとは、思っていなかった。

 台所へ行くと、ワイフが、朝食の用意をしていた。「風邪みたい」というと、「そう……」
と。

 昨夜、風呂から出たあと、居間で、紙風船を使って、バレーボールをしていたのがよく
なかったらしい。部屋に1本のヒモを張り、それをネットがわりにして、ワイフと遊んで
いた。

 そそくさと朝食をすますと、感冒薬(市販)と葛根湯(市販)を、お湯に溶かしてのむ。
そしてまたフトンの中へ。

 そして再び起きたのが、11時ごろ。おかげで頭痛は収まっていた。ほかに発熱などの
症状もない。よかった!

 ……ということで、今朝は、原稿書きはなし。今度の講演会のレジュメを書きなおした
あと、この文を書く。

 ところで頭痛にもいろいろある。原因もちがえば、症状もちがう。東洋医学(漢方)で
は、頭痛をいくつかのタイプに分けて考える。私のばあいは、大きくつぎの3つのタイプ
に分けて考えている。

(1)偏頭痛による頭痛
(2)二日酔いによる頭痛
(3)風邪による頭痛
(4)仮性うつ病による頭痛

 しかし今朝の頭痛は、いつものと少しちがっていた。眠っているときは、まったく何と
もない。しかし起きて頭を動かすと、とたんにズキンズキンと痛くなった。ふと「くも膜
下出血?」と疑ったが、くも膜下出血の痛さは、尋常ではないという。それこそ気を失う
ほどの痛さだという。

 しかし私は気を失うところまではいっていない。「だいじょうぶかな?」と自己診断しな
がら、再び、目を閉じる。


●差別発言

+++++++++++++++++

どこかの評論家(女性)が、差別発言を
したとかで、インターネットの世界では、
大きな問題になっている。

+++++++++++++++++

 どこかの評論家(女性)が、差別発言をしたとかで、インターネットの世界では、大き
な問題になっている。

 その評論家は、自動車会社に勤めるT社の期間工と呼ばれる工員と、どこかの飲み屋で
いっしょになったらしい。そしてこんな差別発言をしたという。

 「(期間工だから)、漢字も満足に書けないだろう」「そんな労働者に、年俸300万円も
払っているT会社は偉い(=気が知れない)」と。

 その評論家が、どんな活動をしているかはしらないが、こういうバカがいなくならかぎ
り、この日本は、よくならない。私たちがなぜものを書くかといえば、社会的不正義と戦
うためである。しかしそのとき重要なことは、視点を、いつも、「下」に置くということ。
しかし意図的に「下」に置こうとしても、できるものではない。

 自らを、「下」に置く。その上で、ものを考え、ものを書く。つまりこういう姿勢がしっ
かりとしていれば、傲慢な発想は消える。ウソや仮面ではいけない。そんなものは、いわ
ばメッキのようなもの。すぐはがれる。バレる。

 つまり今、問題になっているその運動家は、そのメッキがはがれたということ。

 それぞれの人は、それぞれの世界で懸命に生きている。しかしみながみな、うまくいく
とはかぎらない。この世界には、その力があっても、その力を伸ばしきれず、社会の片隅
に追いやられている人となると、何十万、何百万人といる。

 反対に、今をときめかす人たちにしても、その力があったからというよりは、そのほと
んどがチャンスに恵まれたから、そうなったという人が多い。言いかえると、(勝ち組)も
(負け組)も、紙一重。大きくちがうようで、どこもちがわない。

 そこで大切なことは、仮に勝ち組であっても、常に謙虚であること。その謙虚さから、
思いやりが生まれ、やさしさが生まれる。それがこの世界を、明るく、暖かいもののする。

 多分、その評論家は、聡明な女性なのだろう。頭もキレるかもしれない。しかしそうい
う評論家を、バカという。映画『フォレスト・ガンプ』の中で、フォレストの母は、フォ
レストにこう教えたという。

 「バカなことをする人を、バカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。まさに名言である。

 そんな評論家など、相手にしたくもないが、私は、この言葉を、その評論家に送りたい。

【補記】(infoseek newsより転載)

  評論家の池内H美さんのブログが、「炎上」している。T自動車の期間工について書
いた日記の中で、「彼らは『Txxxxx』を漢字で書くことができるのだろうか」な
どと発言したことが、発端だ。現在では該当する日記は削除されているが、その前日に
池内さんが書いた日記のコメント欄に、批判のコメントが殺到している。
  池内H美さんは、1961年生まれの夫婦・家族問題に詳しい評論家。テレビなど
マスコミへの露出も多い。 

「彼らは、なぜ私たちに声をかけたのか。『お姉さんたちって、なんか
儲かってそうじゃないですか。僕たちは今、飲みながら、いったい何を
やったら儲かるのかって、話してたところだったんで』へえ。そうです
か。(中略)でもね、同じ居酒屋で隣り合って飲んでるわけだから、あ
なたたちが自らを卑下するほどには、私たちも豊かではないと思うよ。
(彼らは『トヨタ』を漢字で書くことができるのだろうか、と、ふと思
いつつ)」

「強く言葉を発したのは経営者の彼女である。『向上心がなくて、勉強
もせず、平日の早い時間から連日飲んでいる男の子なんて、うちでは絶
対に雇わない。スタッフにはお願いして仕事をしてもらってんだから。
お願いしたくなる子じゃないと雇わない!』そうだよね。彼らに年間3
00万円以上も払っているT社は偉い」 

(注:原文には、会社名など実名が記されている。)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(1650)

●Eマガ配信されず!

+++++++++++++++++

ときどき、ある。今朝も、あった。

現在、Eマガで電信マガジンを配信
してもらっているが、ときどき、
配信されないで終わってしまうことが
ある。

今朝も、そうだった。

そこであわてて、11月22日号を、
配信する。それが午前8時ごろ。

+++++++++++++++++

 もともと無料のサービスだから、ぜいたくは言えない。苦情を言うこともできない。「無
料」というのは、そういうもの。

 現在、Eマガ社のほうで、電子マガジンを配信してもらっている。しかしときどき、配
信予約を入れたマガジンが、配信されないで終わってしまうことがある。今朝も、そうだ
った。

 そこであわてて、今朝、11月22日号を、配信予約を入れなおす。しかしそのとき、
ふと、こう思った。「おわび」と書くのもおかしいし、「再送信」と書くのもおかしい。一
応、毎回、午前0時に配信することにしているが、何も、午前0時でなければならないと
いうことはない。

 私が、勝手に、午前0時にしているだけである。

 が、中には、毎回、私のマガジンを楽しみに読んでくれている人もいるときどき励まし
のメールをもらう。しかしとても残念なことだが、そういう人は、少ない。少し前、アン
ケート調査をしたが、それに答えてくれた人は、40〜50人程度にすぎなかった。コメ
ントを寄せてくれた人は、2、3人にすぎなかった。

 きびしいが、これが現実である。いくら書いても、すそ野が広がっていかない。つまり
それが私の「力」の限界ということになる。マガジンの限界ということになる。

 この1か月、読者の数は、ほとんど、ふえていない。それもある。「何のためにこんなこ
とをしているのだろう」と思いつつ、今日も始まった。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●認知症?

++++++++++++++++++++

ワイフの友人の様子が、どうも、おかしい?
ワイフは、そう言った。

++++++++++++++++++++

 こんなことがあったという。その女性を、Xさんとしておく。年齢は、今年、65歳に
なるという。

 ワイフが、Xさんに、クラブの積立金、2000円を預けた。ワイフは、たまたまその
日、クラブに行けなかった。それでそうした。

 翌週、ワイフがクラブに行くと、積立金が未納のままになっていることを知った。しか
たないので、ワイフは、再び、その場で、2000円を納めた。

 で、そのあとXさんに電話をすると、Xさんは、こう言ったという。

 「あら、ごめんなさい。すっかり忘れていました。青い封筒に入れて、かばんの中に入
ったままになっていますから、来週、お返しします」と。

 よくある話である。で、そのときはそれで終わった。

 が、いろいろあって、ワイフは、そのお金のことを忘れていた。が、その翌月、同じよ
うに積立金を納めるときになったときのこと。ワイフは、Xさんに渡した2000円のこ
とを思い出した。

 で、Xさんに会って、こう言った。「あの2000円は、どうなりましたか?」と。

 するとXさんは、「何のこと?」と。

ワ「先月、2000円、あなたに渡したはずですが……」
X「知りませんよ、そんなお金」
ワ「だって、あなた、青い封筒に入れて、しまってあると言ったではないですか」
X「そんな話、した覚えはありません。青い封筒なんか、知りませんよ」と。

 そのときワイフは、狐(きつね)につままれたような気分になったという。Xさんの態
度が、あまりにも堂々としていたからだ。

 ……という現象も、認知症のひとつと考えてよいのか。

 ふつうに話していると、そんな感じはまったくしない。Xさんは、ごくふつうの女性で
ある。私も、ときどき会うことがあるが、とくに変わったところはない。ただ一度だが、
こんなことがあった。通りでバッタリと会ったときのこと。私がXさんにあいさつをした
のだが、Xさんは、ジロリと見ただけで、私を無視した。「ああ、近眼だから、私に気がつ
かなかったのだ」と思い、そのときはそれで終わった。ワイフも、そう言った。「あのXさ
んは、すごい近眼だから」と。

 が、その積立金の話を聞いてからというもの、私は、Xさんを疑ってみるようになった。
Xさんは、認知症になりかけているのかもしれない。で、この話をすると、「そういえば…
…」と、ワイフが、いろいろな話をしてくれた。

(1)連続性がない。

 クラブの部屋の戸締りの係を決めているのだが、別の人が、戸締りをするのを忘れて帰
ってしまった。それについて、Xさんから電話がかかってきた。そしてそれがさも大問題
であるかのように、Xさんは、長々とワイフに苦情を並べた。

 ワイフが、次回からは、戸締りの係を徹底させると約束して、その日は、それで終わっ
た。

 が、数日後、今度は、忘年会のことで電話がかかってきた。「去年したレストランが、よ
くなかったから、今年は、別のところでしたい」ということだった。ワイフは、「今度の会
合で、みなで、話しあいましょう」ということで、その日の電話を切った。

 ワイフは、こう言った。

 「Xさんは、数日おきに、あれこれと不満や苦情を言ってくるけど、しばらくすると、
そのことを、すっかりと忘れてしまっているのね。クラブの戸締りの件も、忘年会の件も、
会合の席では、何も言わないのよ。考えてみれば、おかしなことよね」と。

(2)一貫性がない

 Xさんで、もうひとつ気になるのは、一貫性がないこと。一般的な言い方をすれば、気
分屋。感情にムラがある。そのときどきに応じて、様子が別人のように変化する。

 妙に親しげに話しかけてきたかと思うと、その数日後には、別人のようにつっけんどん
になったりするなど。あまりにもつっけんどんだから、私のほうが、何か気に障(さわ)
るようなことを言ったのだろうかと、不安になってしまったこともある。

 そういうことを周期的に繰りかえす。だからワイフの友人ではあるが、つきあうほう私
のほうが、疲れてしまう。

私「人格の完成度をみるときでも、良好な人間関係が、ひとつのポイントになる。脳みそ
が老化すると、当然、人格の完成度は後退する。当然、他人と良好な人間関係を結べなく
なる。今のXさんが、そうかもしれないね」
ワ「いやねエ。年をとるということは、本当にいやねエ」と。

 そうそうこんな気になるデータが、公表された。

 内閣府がした調査だが、1人暮らしの男性高齢者のうち、4割以上が、「親しい友人はい
ない」と答えているという。「近所づきあいをしない」と答えた人も、約4人に1人にのぼ
ったという(2006年、11月21日発表。「世帯類型に応じた高齢者の生活実態に関す
る意識調査」より)。

 気になるのは、1人暮らしの高齢者のうち、近所づきあいに関して、「つきあいはない」
と回答した人は、男性で24・3%で、前回(2002年調査時)から8・9%も増えた
こと。女性でも、7・1%で、0・2%も増えている。

 この数字の中で気になるのは、調査そのものが、健康な老人を前提にしている点である。
程度の差もあるので正確な数字はわからないが、全体の30%前後が、認知症、もしくは
認知症の傾向のある人とみるなら、「近所づきあいしない老人」の大半が、認知症と関係が
あるのではないかということになる。

 で、そのXさんだが、ここ数年、クラブに顔を出すのも、年々少なくなり、最近では、
月に1度前後になってしまったという。Xさんも、アブナイ?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
認知症 近所づきあい 親しい友人)


+++++++++++++++++++++

……ということで、この数字には、あまり意味がないが、ここで「最前線の子育て論by
はやし浩司」の1650作目は、終わり。ページ数は、579になっている。つまりA4
サイズ(40字x36行)で、579ページということ。単行本でいえば、4〜5冊分の
分量である。

 次回からは、1700〜ということになる。

 時は、2006年11月22日、水曜日。午前11時45分。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 20日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自殺の連鎖

 子どもたちの自殺が、つづいている。こういうのを、「自殺の連鎖」という。その引き金
となっている(いじめ)も問題だが、自殺の連鎖は、自殺の連鎖として、別に考える必要
がある。

 わかりやすい例では、かつて有名歌手が飛び降り自殺したあと、何人かの若者たちが、
つづいて後追い自殺をしたケースがある。家族によって隠された例も多いから、自殺者の
数は、その10倍以上はあったとみるべき。

 この時期、(小中学生も含めてだが……)、若者の自己意識(自意識)は、きわめて強く
なる。「私こそ、世界の中心にいる」と思い込んでしまう。が、現実には、そうでない。つ
まりそのギャップの中で、若者たちは、もがき、苦しむ。

 つまり(自殺)という方法が、自己主張の場として、子どもの心の中で肥大化してしま
う。これがこわい。

 しかし自殺したところで、問題は何も解決しない。自分自身という(主体)が消えてし
まうわけだから、仮に自分の死後、だれかがそれを悲しんでくれたとしても、その本人は、
それを見ることも知ることもできない。

 ふつうの常識のある人なら、そう考える。が、自己意識が肥大化すると、それがわから
なくなる。自分を悲劇の主人公に祭りあげてしまう。もっと言えば、現実と空想の世界の
境目が、わからなくなってしまう。

 もちろんみながみな、そういう理由で、自殺しているというのではない。いじめが原因
で、追いつめられ、それで自殺する子どももいるだろう。しかし(死にたい)と思うこと
と、(実際に死ぬ)ことに間には、大きな距離がある。

 その(距離)を一気に縮めてまうのが、ここでいう(自己意識の肥大化)ということに
なる。それが高じて、死後の世界(=空想の世界)に、自分を託してしまう。

 もちろん、子どもにそんなことを説明しても、わからない。ただこれだけは言える。

 今の今も、子どもたちの世界では、占いやまじないが、大流行している。低劣なマスコ
ミが、それに拍車をかけている。書店へ行けば、その種の本が、ズラリと並んでいる。こ
ういう世界を、一方で放置しておきながら、子どもたちに、(生きることの大切さ)を説い
ても、無駄ということ。

 さらに一言。

テレビの報道番組などを見ていると、いじめだけが自殺の原因と考えている感じがする
が、この問題は、もっと、根が深い。子どもたちの世界そのものが、殺伐(さつばつ)
としてきている。そのあたりまでメスを入れないと、いじめの問題はなくならないだろ
うし、自殺の連鎖もなくならないだろうということ。

 いろいろ言いたいことはあるが、ここまで。遺族の人たちの深い悲しみを知るにつけ、
どうしても口が重くなってしまう。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【「自由」について】

++++++++++++++++

昨日、あるところで講演をしたとき、
少しだが、私の「自由論」を話した。

サルトル、ボーボワールという、どこか
古典的な哲学者の名前も出した。

しかし、今、サルトルとかボーボワール
という名前を知っている人は、どれほど
いるだろうか。

++++++++++++++++

●自由の限界

 いくら「私は自由だ」と叫んだところで、その「私」には、無数の糸がからんでいる。
父親としての糸、夫としての糸、家族の一員としての糸、男としての糸、社会的人間とし
ての糸、さらには人間そのものとしての糸。

 行動の自由はともかくも、魂の自由となると、自らを、その「糸」から解放させるのは、
容易なことではない。たとえば私がもっている、「意識」にしても、「私の意識」と思い込
んでいるだけで、本当は、だれかによって作られたものかもしれない。

 よい例が、カルト教団の信者たちである。

 彼らは、みな、一様に、満ち足りたかのような笑みを浮かべている。本当は、思想を注
入されているだけなのに、それを(自分の思想)と思い込んでしまっている。中には、常
識はずれな行動を平気でする人もいる。

 ためしにそういう人たちに、こうたずねてみるとよい。「あなたたちは、自分で考えて行
動していますか」と。すると彼らは、まちがいなく、こう答える。「私たちは、自分の意思
で、行動しています」と。

 今の私は、カルト教の信者とはちがうと思っている。しかし、実際には、それほどちが
わないのかもしれない。

 加えて本能の問題もある。

 先週も、ある温泉に泊まったが、実に無防備な温泉であった。近くに露天風呂があった
が、のぞこうと思えば、いくらでものぞけた。そこには、素っ裸で入浴している女性たち
がたくさんいたはず。

 近くに行けば、素っ裸の女性たちを見ることができたかもしれないが、結局は、私は、
その場所をわざと遠回りをして、避けた。

 つまり女性の裸に興味をもつのは、本能がそう思わせるだけであって、決して、「私」で
はない。私が見たいと思うのではなく、私ではない「私」が、私にそう思わせただけ。

 ……こう考えていくと、自由を問題にする前に、どこからどこまでが、(私の意識)であ
り、どこから先が、(作られた意識)なのか、わからなくなってくる。

 さらに加齢とともに、ボケの問題も、それに加わる。

 頭のボケた人を見ていると、自分がボケたことすら、気がついていないことがわかる。
つまりボケといっても、程度の問題。「私はボケていない」と思っている私やあなたにして
も、すでにボケは、始まっているのかもしれない、などなど。

 そこで、あのジャン・ポール・サルトル(1905〜1980)。サルトルは、1938
年に『嘔吐(はきけ)』という本を発表している。その中で彼は、「すべてが消えうせたあ
と……淫乱な裸形だけが残った」というようなことを書いている。

 私自身は、そんな気分になったことはないが、理屈の上では、理解できる。

 私が今、この目で見ているものにしても、「見ている」と思っているだけで、実は、脳の
後頭部にある、視覚野に映し出された映像を、脳みそが感知しているに過ぎない。しかも、
見ているものといっても、ある特定の波長の中にある、光の映像でしかない。

 そこにものがあるのか、ないのかということになれば、本当にあるのだろうか。今の今
も、パソコンの画面をこうして眺めながら文字を書いているが、パソコンと私の間には、
酸素分子や窒素分子がぎっしりと詰まっているはず。しかしそういうものは、見えない。
分子の密度ということを考えるなら、パソコンを構成している金属やプラスチックの分子
と、ほとんどちがわない。

 見えているもの、聞えているものだけをもとに、自分を組み立てていくと、とんでもな
い袋小路に入ってしまう。つまり私たちが言うところの意識には、そういう危険な側面が
隠されている。そういう危険な側面を知らないまま、いくら魂の自由を説いても、意味は
ない。

 むずかしい話はさておき、自由に生きるということは、それ自体、不安と孤独との戦い
であると断言してもよい。頼れるものは、私だけという世界である。サルトルが説いた「実
存」という世界は、そういう世界をいう。だからみな、こう言う。「(実存の世界では)、一
寸先は闇である」と。

 わかりやすく言えば、明日さえ、どうなるかわからない。さらに「私は自由だ」といく
ら叫んだところで、やがて「死」という限界の中で、人は、その自由を、すべて奪われる。
つまり究極的な自由というのは、存在しないということになる。そこでサルトルの場合は、
『存在と無』(1943)という言葉を使って、実存がもつ限界を打ち破る。

 昨日の講演では、それについて話した。もっとも、主題は、「子育て講演」だったから、
私の子育て論の中に、それを織り交ぜただけだが、ともかくも、それについて話した。が、
本当のところ、自分でも、よくわかっていない。わかっていないことを話したわけだから、
無責任といえば、無責任。

 そんなわけで、これからはしばらくもう一度、「自由」について、集中的に考えてみたい。
今朝が、その第一歩ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●子育てのすばらしさ

+++++++++++++++++

子育ては、ただの子育てではない。
子どもは、ただの子どもではない。

親は、子育てを通して、その子どもから
貴重なものを学ぶ。

+++++++++++++++++

●子をもって知る至上の愛    

 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を
教えられること。ある母親は自分の息子(3歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命
はどうなってもいい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命す
ら惜しくない」という至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自
分の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう
感じたことがある。その顔が父に似ていたからだ。そして一方、息子たちの姿を見ている
と、やはりどこかに父の面影があるのを知って驚くことがある。

先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手をかけた。そこ
に死んだ父がいるような気がしたからだ。いや、姿、形だけではない。ものの考え方や
感じ方もそうだ。私は「私は私」「私の人生は私のものであって、誰のものでもない」と
思って生きてきた。

しかしその「私」の中に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れ
のようなものがあり、それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育て
をしていると、自分も大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流
れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもな
い。死はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死
は不条理なり」とも言う。

そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、いつも孤独がそこにい
て、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽になることか。が、私に
はそれができない。しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐことがある。
自分の子どものできの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これを繰り返し
ていると、「人を愛することの深さ」を教えられる。

いや、高徳な宗教者や信仰者なら、深い愛を、万人に施すことができるかもしれない。
が、私のような凡人にはできない。できないが、子どもに対してならできる。いわば神
の愛、仏の慈悲を、たとえミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それ
が孤独な心をいやしてくれる。

●神や仏の使者

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子ど
もを大きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きる
ことにまつわる、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その
人の問題意識の深さにもよる。が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それ
でよい。それでわかる。

子どもというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、
そして生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、
未来永劫にわたって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えて
くれる。子どもはそういう意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あな
たがそれに気づいたとき、あなた自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何がすばら
しいかといって、それを教えられることぐらい、子育てですばらしいことはない。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●自由が育てる常識 

+++++++++++++++

私たちが求める常識といったものは、
外の世界にあるのではない。

私たちの中にある。中にあって、
私たちに見つけてもらうのを、
静かにまっている。

+++++++++++++++

 魚は陸の上にあがらない。鳥は水の中にもぐらない。そんなことをすれば、死んでしま
うことを、魚も鳥も知っているからだ。そういうのを常識という。

 人間も同じ。数10万年という気が遠くなるほどの年月をかけて、人間はその常識を身
につけた。その常識を知ることは、そんなに難しいことではない。自分の心に静かに耳を
傾けてみればよい。それでわかる。たとえば人に対する思いやりや、やさしさは、ここち
よい響きとなって心にかえってくる。しかし人を裏切ったり、ウソをついたりすることは、
不快な響きとなって心にかえってくる。

 子どもの教育では、まずその常識を大切にする。知識や経験で、確かに子どもは利口に
はなるが、しかしそういう子どもを賢い子どもとは、決して言わない。賢い子どもという
のは、常識をよくわきまえている子どもということになる。映画『フォレスト・ガンプ』
の中で、ガンプの母親はこう言っている。「バカなことをする人を、バカと言うのよ。(頭
じゃないのよ)」と。その賢い子どもにするには、子どもを「自由」にする。

 自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。無責任な放任を自由とい
うのではない。つまり子ども自らが、自分の人生を選択し、その人生に責任をもち、自分
の力で生きていくということ。

しかし自らに由りながら生きるということは、たいへん孤独なことでもある。頼れるの
は自分だけという、きびしい世界でもある。言いかえるなら、自由に生きるということ
は、その孤独やきびしさに耐えること、ということになる。子どもについて言うなら、
その孤独やきびしさに耐えることができる子どもにするということ。

もっとわかりやすく言えば、生活の中で、子ども自身が一人で静かに自分を見つめるこ
とができるような、そんな時間を大切にする。

 が、今の日本では、その時間がない。学校や幼稚園はまさに、「人間だらけ」。英語の
表現を借りるなら、「イワシの缶詰」。自宅へ帰っても、寝るまでガンガンとテレビがか
かっている。あるいはテレビゲームの騒音が断えない。友だちの数にしても、それこそ掃
いて捨てるほどいる。自分の時間をもちたくても、もつことすらできない。だから自分を
静かに見つめるなどということは、夢のまた夢。

親たちも、利口な子どもイコール、賢い子どもと誤解し、子どもに勉強を強いる。こう
いう環境の中で、子どもはますます常識はずれの子どもになっていく。人間としてして
よいことと、悪いことの区別すらできなくなってしまう。あるいは悪いことをしながら
も、悪いことをしているという意識そのものが薄い。だからどんどん深みにはまってし
まう。

 子どもが一人で静かに考えて、自分で結論を出したら、たとえそれが親の意思に反する
ものであっても、子どもの人生は子どもに任せる。たとえ相手が幼児であっても、これは
同じ。そういう姿勢が、子どもの心を守る。そしてそれが子どもを自由人に育て、その中
から、心豊かな常識をもった人間が生まれてくる。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●過去を再現する親たち

++++++++++++++++

私たちは無意識のうちにも、過去を
引きずりながら生きている。

つまり私であって私でない部分に、
いつも引きずられながら生きている。

++++++++++++++++

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。そのよい例が、受験時代。それま
ではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかると、たいていの親は、言いようのな
い不安感に襲われる。

受験勉強で苦しんだ親ほどそうだが、原因は、「勉強」そのものではない。受験にまつわ
る、「将来への不安」「選別されるという恐怖」が、その根底にある。それらが、たとえ
ば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由
はともかくも、問題は魂の自由である。

実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされた。たいていはこんな夢だ。…どこか
の試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと思ったら、
もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動かない。頭が
働かない。時間だけが刻々とすぎる…。

 親が不安になるのは、親の勝手だが、親はその不安を子どもにぶつけてしまう。そうい
う親に向かって、「今はそういう時代ではない」と言っても、ムダ。脳のCPU(中央処理
装置)そのものが、ズレている。親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。
が、それだけではない。

こうした不安が、親子関係そのものを破壊してしまう。「青少年白書」でも、「父親を尊
敬していない」と答えた中高校生は、55%もいる。「父親のようになりたくない」と答
えた中高校生は、80%弱もいる(平成十年)。この時期、「勉強せよ」と子どもを追い
たてればたてるほど、子どもの心は親から離れる。

 私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってからだ。試
験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、違っ
た方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行こう
よ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と、夢の中でも歌えるようになった。…
とたん、少し大げさな言い方だが、私の魂は解放された!

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない
まま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。そこで…。まず自分の過去に気
づく。それで問題は解決する。受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静
に見つめてみてほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

【今を生きる】

++++++++++++++++++

今を生きる。
口で言うのは簡単なこと。
しかしその「今」を生きることは、
たいへんなこと。きびしい。

++++++++++++++++++

●いつか死ぬ。だから生きる。

 病気があるから、健康のありがたさが、わかる。同じように、死があるから、生きるこ
とのありがたさが、わかる。

 もし病気がなかったら、健康のありがたさを、人は、知ることはないだろう。

 もし死がなかったら、生きることのありがたさを、人は、知ることはないだろう。

 しかし病気も、そして死も、できれば、避けたい。病気はまだしも、死は、その人の(す
べての終わり)を意味する。つまり人は、死によって、すべてをなくす。「私」という自分
のみならず、この宇宙もろとも、すべてをなくす。

●生きることの不安

 ……そう考えることは、たいへん不安なことである。つまり死ぬことを考えると、不安
でならない。しかしその不安が、「今」を生きる、原動力となる。「かぎりある人生だから
こそ、今を懸命に生きよう」と。

 こうした死生観、それにつづく「不安」を説いたのが、あのドイツのマルティン・ハイ
デッガー(1889〜1976)である。ハイデッガーは、フライブルク大学の総長をし
ていたとき、ナチス支持の演説をしたことで、戦後、批判の矢面(やおもて)に立たされ
た。そういう側面は別として、彼が残した業績は大きい。実存主義の骨格を作ったと言っ
ても過言ではない。

 ハイデッガーの説いた、「存在論」、「実存論」は、その後、多くの哲学者たちに、大きな
影響を与えた。

●不安との戦い

 で、話を少し、もどす。その不安を感じたとき、どうすれば、人は、その不安を解消で
きるか。つまり生きることには、いつも、何らかの不安がともなう。それはたとえて言う
なら、薄い氷の上を、恐る恐る、歩くようなもの。その薄い氷の下では、いつも「死」が、
「おいでおいで」と、手招きしている。そういう不安を、どうすれば解消することができ
るか。

 そういう点では、実存主義は、たいへんきびしい生き方を、人に求めるていることにな
る。今を生きるということは、「私は私であって、私にかわるものは、だれもいない」とい
う生き方のことをいう。

 たとえば地面を歩くアリを見てみよう。

●私しかできない生き様

 あなたがある日、その中のアリを一匹、足で踏みつけて殺してしまったとする。しかし
それでアリの世界が変わるということはない。アリの巣はそのまま。いつしかそのアリの
死骸は、別のアリによって片づけられる。そのあと、また何ごともなかったかのように、
別のアリがそこを歩き始める。

 そういうアリのような生き方をする人を、ハイデッガーは、「ただの人」という意味で、
「das Mann」と呼んだ。わかりやすく言えば、生きる価値のない、堕落した人と
いう意味である。

 今を生きるということは、だれにも、自分にとってかわることができないような生き方
をすることをいう。社会の歯車であってはいけない。平凡で、単調な人生であってはいけ
ない。私は、どこまでも私であり、私しかできない生き方をするのが、「私」ということに
なる。

●宗教

 少しわかりにくくなってきたので、話をわかりやすくするために、こうした生き様の反
対側にある、宗教を考えてみる。

 ほとんどの宗教では、「あの世」「来世」を教えることによって、この世を生きる私たち
の不安を、解消しようとする。「あの世がちゃんとあるから、心配するな」と。

 つまりほとんどの宗教では、死後の世界を用意することで、「死」そのものを、無意味化
しようとする。実際、あの世があると思うことは、死を前にした人たちにとっては、それ
だけでも、大きな救いとなる。あの世に望みを託して、この世を去ることができる。

 しかし実存主義の世界では、あの世は、ない。あるのは、どこまでも研ぎ澄まされた、「今」
しかない。が、そうした「今」に、耐えられる人は、少ない。私が知る人に、中村光男が
いる。

●中村光男

 一度だけ、鎌倉の扇が谷の坂道で、すれちがったことがある。中村光男の自宅は、その
坂道をのぼり、左側の路地を入ったところにあった。恩師の田丸先生が、小声で、「あれが
中村光男だよ」と教えてくれた。私は、それを見て、軽く会釈した。

 その中村光男は、戦後の日本を代表する哲学者であった。ビキニ環礁での水爆実験の犠
牲となった、第5福竜丸事件以来、反核運動の旗手として活躍した人としても、よく知ら
れている。

 その中村光男ですら、死ぬ1週間前に、熱心なクリスチャンであった奥さんの手ほどき
で、洗礼を受け、クリスチャンになったという。何かの月刊誌にそう書いてあった。

 私はそれを知ったとき、「あの中村光男ともあろう人物が!」と驚いた。つまり「死」は、
それほどまでに重大で、深淵である。だから今の私には、実存主義的な生き方が、はたし
て正しいのかどうか、わからない。またそれを貫く自信は、ない。

●あの世はないという前提で生きる

 だがこれだけは言える。

 私は、今のところ、「あの世」や「来世」は、ないという前提で生きている。見たことも、
聞いたこともない世界を信じろと言われても、私にはできない。だから死ぬまで、懸命に
生きる。私でしかできない生き方をする。

 あの世というのは、たとえて言うなら、宝くじのようなもの。当たればもうけものだが、
しかし最初から、当たることを前提にして、予算を立てるバカはいない。

 その結果、いつか、死ぬ。私とて、例外ではない。で、そのとき、あの世があれば、も
うけもの。なくても、私という(主体)がないのだから、文句を言うこともない。

●そこで私は……

 そのハイデッガーは、1976年に死去している。私がこの浜松で、結婚し、ちょうど
二男をもうけたころである。彼の死が、全国ニュースで報道された日のことを、私は、つ
い先日の日のように、よく覚えている。その少し前の1970年に、あのバートランド・
ラッセルが死んでいる。実存主義の神様と言われる、(実存主義の神様というのも、矛盾し
た話だが……)、ジャンポール・サルトルは、1980年に死んでいる。

 みんな、どんな気持ちで死んだのだろうと、今、ふと、そんなことを考えている。

 そうそう中村光男だが、田丸先生の家の前の家に住んでいた。で、彼が死ぬ1週間前に、
クリスチャンになった話を田丸先生にすると、田丸先生は、どこか感慨深げに、ポツリと
こう言った。「あの中村さんがねえ……」と、

 田丸先生も、それを知らなかったらしい。

 このエッセーをしめくくるために、最後に一言。

●ドラマにこそ、価値がある

 こうしてみなが、それぞれ一生懸命に生きている。その生きることから生まれるドラマ
にこそ、私は、価値があると思っている。実存主義であろうと、なかろうと、そんなこと
は構わない。だれが正しいとか、正しくないとか、そんなことも、構わない。

私は、そのドラマにこそ、人間の生きることのすばらしさを感ずる。
(06年6月15日の夜に……)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
ハイデッガー サルトル ジャンポール・サルトル バートランド・ラッセル 実存主義 
はやし浩司 存在論 実存論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(11月17日)

++++++++++++++++++++

昨日は、やや風邪気味。
「あぶない」と思って、警戒。
今日、明日と、講演がつづく。

で、昨夜は、風邪薬(葛根湯、ビタミンC、
それに市販の感冒薬、睡眠薬少し)を
のんで、いつもより、1時間ほど、
早く、床についた。

おかげで、今朝は、快調。

Good morning!

++++++++++++++++++++

●しつこいスパムメール

 このところ毎日、100通以上のスパムメールが届く。大半が英語の、つまり外国から
のものだが、日本語のものもある。

 阿子……どうして返事をいただけないのですか。
 保子……一度、会いたいです。302号室です。
 詐子……恥ずかしい写真を送ります。
 欺子……これで最後です。私、気が変になりそうです。
 馬子……このアドレスで、よかったですか。
 鹿子……一度だけ、ご連絡ください、と。

 女性の名前はそのつど変わっているが、同一人物が発信源になっていることは、件名を
並べてみれば、まるわかり。

何が目的なのか、どんな内容なのか、私は知らない。多分メールには、HPか何かを開
くようにと指示している文面があるはず。が、それを開いたら、最後。スパイウエアか
何かを、仕込んでくる。

 ……そんなわけで、近々、メールアドレスを変更するつもり。あちこちにアドレスが組
み込んであるので、たいへんな作業になりそうだが、しかたない。やるしかない。


●時計

 「古(いにしえ)の時計」という雑誌がある。それを1〜6号まで買うと、おまけに、
ゼンマイ仕掛けの時計が1個、もらえる。昨日、それが、届いた。

 今どきゼンマイ?、……と思う人もいるかもしれないが、これがどっこい。手にとって
みると、不思議な感動を覚える。両面が透明のプラスチックになっていて、中が、透けて
見える。歯車が、小刻みに動き回るのが見える。つまりそれが楽しい。

 しばらくは、この時計をかわいがってやることにする。


●6か国協議

 K国の核兵器問題を話しあうための、6か国協議が近づいてきた。これに対して、韓国
政府の高官は、「米朝の2か国協議をすべきだ」と。

 バカめ!

 では、どうして6か国協議では、ダメなのか? その理由もないまま、2か国協議にこ
だわること自体、K国の術中にはまったことを意味する。

 それほどまでに2か国にこだわるのなら、まず、韓国、あなたが先に、K国と会談して、
核兵器を放棄させてみたらよい。さんざん、偉そうなことばかり言ってきて、結局は、何
もできなかった。だから6か国協議になった。

 日本人の多くは、韓国イコール、K国と考え始めているぞ!
(この原稿は、11月17日に書いたもの。)


●日時、曜日

 「日時、曜日がわからなくなったら、ボケの始まり」だ、そうだ。

 しかしこのところ、その日時や、曜日を、よくまちがえる。今日は、11月17日だが、
先ほど、18日だと思ってしまった。また今月は、11月だが、それが10月になったり、
12月になったりする。

 電子マガジンを発行していると、それが混乱してくる。昨日は、12月18日号の「最
前線の育児論」の配信予約を入れた。で、たった今、11月18日号の「はやし浩司の世
界」の配信予約を入れた。

 今、書いている原稿は、12月20日用ということになる。おまけに、今朝配信された
「最前線の育児論」は、去る10月に書いたもの。つまりこういうことを繰りかえしてい
ると、今月が何月で、今日が何日か、わからなくなってしまう。

 これもボケ症状のひとつと考えてよいのか。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(11月19日)

+++++++++++++++++

今朝は、午前5時に、起床。
昨夜は、午後9時ごろ床についたから、
8時間ほど、睡眠時間をとったことに
なる。

が、寒い。いつもなら朝食時まで、
パジャマのままだが、今朝は、寒い。

起きてすぐ、衣服に着がえた。

+++++++++++++++++

●衰退する浜松市

 昨日、静岡県東部で活躍している県会議員のO氏と話をする機会があった。30分ほど、
いろいろと話をさせてもらった。

 そのO氏も、こう言っていた。「県西部、とくに浜松市の地位が、相対的に、さがってい
る」と。たとえば地価にしても、全体としてみると、浜松市と静岡市が、平均して、坪約
7万円。一方、東部は、坪約9万円ということになっている、と。

 「この浜松市が、あの静岡市と同じ?」とは、まさに驚きでしかない。

 浜松市は工業都市として栄えた町である。一方、静岡市は県庁所在地でありながら、工
業としては、見るべきものがない。あえて言えば、下駄の産地。周辺は、お茶の産地。

 しかし、たしかに浜松市は、衰退している。

 今度、この浜松市は、周辺の市町村と合併して、政令指定都市にはなる。が、政令指定
都市というのは、まさに両刃の剣。「自前で、税金を使ってもいいですよ」ということにな
るのだそうだが、同時に、それをウラから読むと、「自前でできなくなったとしても、だれ
も助けてくれませんよ」ということになる。

 実は、私も、ごく最近まで知らなかった。しかも東京からのニュースで、はじめて知っ
た。今、この浜松市には、大工場と呼ばれる大工場が、ひとつも、ない。自動車産業、オ
ートバイ産業、楽器産業の町ということになっているが、そのほとんどの工場が、この浜
松市から、姿を消してしまった。さらに「浜松は工員の町」と、よく言われているが、そ
の工員そのものがいない。……というより、工員の存在感そのものがなくなってしまった。

 かわりに浜松市が選択したのが、「音楽の町」であり、「花木(かぼく)の町」。

 しかし音楽にせよ、花木にせよ、そんなもので、外貨は稼げない。駅前には、数千億円
もかけて、大中、2つのホールができた。が、そんなところへ1回、1〜2万円の入場料
を払って、だれが足を運ぶというのか。少なくとも、「工員」と呼ばれる人たちは、行かな
い。……行けない。(私も、1万円以上の入場料を払って行ったことは、一度もないぞ!)

 新しく、文化芸術大学もできた。フラワーパーク、フルーツパーク、ガーデンパークも
できた。しかし浜松市が作るべきは、工業大学であり、工業展示館ではないのか。敷地が
あれば、大工場ではないのか。

 が、そういう事実を、私も含めて、浜松市民が知らなかったというのは、まさに悲劇で
しかない。

 考えてみれば、浜松市には、新聞社そのものがない。C新聞は、名古屋市に本社を構え
る。S新聞は、静岡市に本社を構える。こまごまとした地域のニュース、はっきり言えば、
どうでもよいようなニュースは、それなりに毎日、紙面を飾っている。が、浜松市全体の
利益を考えたニュースについては、どういうわけか、耳に入ってこない。

 その結果が、今である。

 県会議員のO氏も、そう言っていた。わかりやすく言えば、浜松市のもっている工業力
を、バラバラにして分散させる。県全体としては、それでもよいのかもしれないが、こと
この浜松市のためということになると、それではまずい。

 私が、「政令指定都市になることで、浜松市にはメリットがあるのでしょうか」と聞くと、
O氏は、笑いながら、こう言った。「ないでしょうね。これからは浜松市の財政は、もっと
きびしくなるはずです」と。

 わかりやすく言えば、税金はあがり、この浜松市は、ますます住みにくい町になるとい
うこと。

 そう言えば昨日も、浜松駅前だけは、若い人たちで、ごったがえしていた。しかし若い
人たちだけ。年齢は10代の後半から20代の終わりごろか。一見、華やかで、にぎわっ
ているかのように見えたが、しかしそういう人たちに、どれほどの生産力があるというの
か。言うなれば、そういう人たちというのは、花瓶にさされた生け花のようなもの。いっ
ときを飾ることはできても、その命は短い。底は浅い。

 これでいいのか、浜松市!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●不倫

++++++++++++++++

世は、まさに不倫、全盛期。
あの人も、この人も、みな、
不倫に不倫を重ねている。

++++++++++++++++

 私は私のワイフに聞いたことがない。「お前は浮気をしたことがあるか?」と。

 どうせ聞いても、本当のことは言わないだろう。つまりこれほど、無意味な質問もない。
同じように、ワイフも私に聞かない。私がどう答えたところで、ワイフは、私を信じない。

 で、世は、まさに不倫、不倫の全盛期。あの人も、この人も、みな、不倫に不倫を重ね
ている。男女統計調査(2006)によれば、つぎのようだそうだ(22〜55歳までの
既婚者対象)。

現在もしている……男   7%
              女   8%

したことがある……男  44%
              女  32%

 で、その結果、つまりその不倫がバレて、夫婦の間にキレツが入った人となると、ゴマ
ンといる。さらにその結果、そのまま離婚した人となると、これまたゴマンといる。が、
中には、何とかもちこたえて、かろうじて夫婦という形を守っている人もいる。

 しかしそれも夫婦。あれも夫婦。夫婦というのは、不倫にかぎらず、そういう形で山を
越え、谷を越え、つまりは、いろいろなドラマを残しながら、成長していく。

 で、仮にバレなくても、それを心の重荷として、よき夫、よき妻でいようと努力してい
る人も多い。そういう意味では、心に重荷を背負った夫や妻のほうが、よい夫やよい妻に
なることができるのかもしれない。いわゆる(罪の意識)というのである。もう少しむず
かしい言葉を使うなら、(しょく罪感)ということになる。

 しょく罪……犠牲や代償によって、罪をあがなうこと(日本語大辞典)。

 そういった(しょく罪感)をみごとなまでに表現したのが、あの『マジソン郡の橋』と
いうことになる。が、それについては、もう何度も書いてきたので、ここでは省略する。

 まあ、私の印象では、こういうことになる。

 不倫も結構だが、どうせするなら、命がけの不倫をしたらよい、と。もしその覚悟がな
ければ、やめること、と。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●日本とアメリカ

+++++++++++++++++

私は親米派?

そんなことは、当然のことではないか!

+++++++++++++++++

APEC出席のため、ベトナムを訪れている安倍総理は、アメリカのブッシュ大統領と会
談し、その親密ぶりを、ことさら大げさにしてみせた(06年11月)。私は、そういう日
本の総理大臣の姿を見て、ほっとした。

 いくら移民国家とはいっても、アメリカは白人の国。そういう国で、現在、私の二男が
アメリカ人の女性と結婚して、アーカンソー州というところで暮らしている。テキサス州
の北側に位置する州である。今でも州庁舎には、かつての南軍の旗がひらめいている。ア
メリカの中でも保守的な地域である。そのあたりでは、みな、あのジョン・ウェインそっ
くりの話し方をする。

 二男がアメリカ人の女性と結婚すると聞いたとき、私とワイフが最初に心配したことは、
人種差別である。アメリカでは、私たち黄色人種は、黒人よりも、「下」に見られている。
少なくとも、黒人は、そう見ている。

 先日も二男に電話で、「差別されることはないか?」と聞いてみたが、二男は、明るい声
で(?)、「あるよ」「そんな問題は、どこにでもある」と言って笑っていた。二男は、それ
でよいかもしれないが、今度生まれた孫たちは、どうなる? ……どうなのか? それを
考えると、心配しないほうが、おかしい。

 そこで、これはあくまでも個人的な願いだが、日本とアメリカの仲がよいことを、私は、
心から望んでいる。アメリカ人というのは、意外と単純(失礼!)。自分たちと仲がよい国
の人間を、大切にする。そうでない国の人間には、冷たい。そのあたりの白黒が、はっき
りとしている。

たとえば同じ黄色人種でも、このところ韓国人に対する風当たりが、急に冷たくなったと
聞いている。日本人は、ビザなしで訪米できるが、韓国人はできない。永住権、市民権を
取るのも、むずかしくなったという(朝鮮N報)。

 とくに孫たちのことを思うと、親米派にならざるをえない。いや、よく誤解されるが、
アメリカにはアメリカ人というのはいない。もともと移民国家。日系人も多い。それは、
たとえて言うなら、東京には、東京人というのは、いない。それと同じ。

 つまり日本とアメリカが仲よくなればなるほど、二男や孫にとっても、アメリカは、住
みやすい国になる。だから私は、ほっとした。

 私は、親米派? ……そんなことは、当然のことではないか!


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●1000号まで、がんばろう!

+++++++++++++++++++

もう何も考えたくない。
とにかく、1000号まで、つづけよう。
こうしてものを考え、ものを書けるというだけでも、
幸せ。感謝しなければならない。

+++++++++++++++++++

 現在の目標は、電子マガジンを1000号までつづけること。そのあとのことは、考え
ていない。とにかく、1000号! 1000号まで!

 少し前までは、読者がふえなかったりすると、それと闘うだけでも、たいへんだった。「闘
う」というのは、「もう書くのをやめよう」と思う心と闘うことをいう。

 最近も、この2、3週間、読者がまったくふえないでいる。そういう状態だから、ふと
油断すると、またまたあの気持ちが、わき起こってくる。しかし今は、前とはちがう。も
う何も考えない。考えたくない。

 わかりやすく言えば、成績など気にしないで、マイペースで進むということ。こうして
ものを考え、ものを書けるということだけでも、幸せ。感謝しなければならない。健康で、
脳みそがボケていないというだけでも、感謝しなければならない。(あるいは、もうボケ始
めているのかもしれないが……。)

 それを「無」の境地というのかどうかは知らないが、多分、それに近い心境だと思う。
読んでくれる人がいれば、それでよし。いなくても、それも、それでよし。しかし先ほど
ワイフには、私は、こう言った。

 「お前だけは読んでくれよな」と。まあ、それ以上、何を望むことができるのか。それ
に答えて、ワイフは、こう言った。「全部、読んでるよ」と。それでじゅうぶん!

 ここまで読んでくれた、読者のみなさん、ありがとう!


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ほどほどの人生

+++++++++++++++++++

お笑いタレントの加藤C氏の具合が、
悪いらしい。

インターネットの報道によれば、もう
2週間も、集中治療室に入っているという。

何か、心臓の病気ということらしい。

+++++++++++++++++++

 お笑いタレントの加藤C氏の具合が悪いらしい。もう2週間も集中治療室に入っている
という。インターネットの報道によれば、どこか心臓が悪いという。

 原因は、「ストレスと過労」。I社のコメントには、そうある※。

 で、ふとこう思う。加藤C氏ほどの有名人ともなれば、遊んでいても、向こうからお金
がゴロゴロと音をたてて入ってくる。マスコミの世界では、昔の番組が何かの折に紹介さ
れただけで、「再放送出演料」として、出演者のところへ、当初の出演料程度のお金が送金
されてくるしくみになっている。

 加藤C氏が講演活動をしているかどうかは知らないが、加藤C氏ほどの有名人ともなれ
ば、講演料にしても、1回につき100〜150万円が相場。あるいはもっと多いかもし
れない。

 そういう人が、「ストレスと過労」というのも、どうも納得できない。いや、忙しいのは
わかるが、「もう、そこまで働く必要はないのではないか」という意味で、納得できない。
年齢も、63歳というから、若いというより、私と4歳しかちがわない。若いときは、大
声で笑わせてもらったタレントだから、私にとっては、とても他人ごとのように思えない。

 「私なら、月に2、3日働いて、あとは遊んで暮らすのに……」と、どうしても思って
しまう。

 どうかどうか、加藤C氏、いつまでも元気で。無理をしないで、うんと長生きをしてほ
しい。ときどきでよいから、私が80歳になっても、90歳になっても、テレビに出て、
私たちを笑わせてほしい。

注※……インフォシーク。NEWSより……都内の病院に「検査入院」したと報じられた
加藤C(63)が、実際は慶応病院に救急車で運ばれ、いまだに「集中治療室」に入院中
だということが明らかになった。

 加藤Cが入院したのは10月30日。かかりつけの病院から、そのまま転送されたとい
う。

 所属芸能事務所がこう言う。「加藤は1〜2年前、心臓の疾患で血管にステントという器
具を入れる手術をしています。主治医の病院でMRI検査をしたところ、再手術をした方
がいい、ということで慶応病院に転院し、手術は成功しています。追加の手術の必要や、
退院のメドはつきませんが、本人は元気です。集中治療室かって? 一般病棟ではありま
せん」と。


++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●反米、反日

++++++++++++++++

韓国の人たちは、平気で、反米、反日
という言葉を使う。

それはそれでしかたのないことかもしれ
ない。が、もし、アメリカ人や日本人が、
「反韓」という言葉を使ったら、彼らは、
それに対して、どう反応するだろうか。

きっと韓国の人たちのことだから、ギャー
ギャーと大騒ぎするにちがいない。

++++++++++++++++

 韓国の人たちは、平気で、反米、反日という言葉を使う。政党間の論争にも、そういう
言葉がよく飛び出す。

 それはそれでしかたのないことかもしれない。が、もしアメリカ人や日本人が、「反韓」
という言葉を使ったら、彼らはそれに対して、どう反応するだろうか。きっと韓国の人た
ちのことだから、ギャーギャーと大騒ぎするにちがいない。

 で、韓国の人たちで、どうしても理解できないところがある。これは私が交換学生とし
て韓国にいたときにも感じたことだが、精神構造そのものが、二重になっている。討論会
の場などでは、反日一色で、日本を責める。攻める。しかしそのくせ、日本を本当に嫌っ
ているかというと、そうでもない。個人的につきあうと、「日本が好きだ」と言ったりする。

 それはそれとして、つまり日本が嫌いなら嫌いでもよい。かまわない。反米、反日を旗
印にかかげるのも、よい。が、もし、日本人が、「反韓」という言葉を口にしたら……。私
のワイフは、こう言った。

ワ「そのあたりに、韓国の人たちの甘えがあるのね」
私「まあ、そうだね。言いたいことは言うくせに、自分たちが反対のことを言われると、
怒る。そういう場面は、多い」
ワ「どうしてかしら?」
私「それが依存性の問題ということになる。韓国の人たちは、基本的には、『自分たちは日
本の犠牲になった』と考えている」
ワ「すべてが、そこから始まるわけ?」
私「そういうこと」と。

 こういうことは、教育の世界でも、よく起こる。「あの先生はダメだ」と、親たちは、よ
く言う。しかしもし先生が、「あの親はダメだ」と言ったら、それだけで、大問題になる。
そう言えば、今、幼稚園児の間で、おかしな遊びがはやっている。いわゆる「金つかみ」
という遊びである。

 これは子どもが、男児や男の先生のアソコを手でつかむという遊びである。私も、よく
やられる。教材を配っているようなとき、ふいに、ぐいとアソコをつかまれる。男児でも、
女児でもやる。

 私はそのつど、しっかりと叱るのだが、ほとんど効果がない。つまりそれも(甘え)と
いうことになる。もし幼稚園の先生が、園児のアソコをつかんだらどうなるか? 改めて、
それをここに書くまでもない。

 いろいろ摩擦が起きている日韓関係だが、その(甘え)を理解しないかぎり、韓国を理
解することはできない。同時に、韓国もまた、その(甘え)から脱け出さないかぎり、お
となになることはできない。

 ……ということで、もうそろそろ「反米」「反日」という言葉を口にするのは、やめるべ
き時期に来ているのではないのか。戦後、60年以上もたったことだし……。ね!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育てポイント】

+++++++++++++++++

以前書いた、「子育てポイント」を
少し、書き改めてみました。

+++++++++++++++++

●はだし教育を大切に!

 子どもを将来、敏捷性(びんしょうせい・キビキビとした動き)のある子どもにしたか
ったら、子どもは、はだしにして育てる。敏捷性は、すべての運動の基本になる。子ども
がヨチヨチ歩きを始めたら、はだし。厚い靴底のクツ、厚い靴下をはかせて、どうしてそ
の敏捷性が育つというのか。もしそれがわからなければ、ぶ厚い手ぶくろをはめて、一度、
料理をしてみるとよい。あなたは料理をするのに、困るはず。

 子どもは足の裏からの刺激を受けて、その敏捷性を養う。その敏捷性は、川原の石ころ
の上、あるいは傾斜になった坂の上を歩かせてみればよい。歩行感覚のすぐれている子ど
もは、そういうところでも、リズミカルにトントンと歩くことができる。あるいは、階段
をおりるときを見ればよい。敏捷性のある子どもは、数段ずつ、ピョンピョンと飛び降り
るようにして、おりる。そうでない子どもは、一段ずつ、一度、足をそろえながらおりる。

 またあなたの子どもが、よくころぶということであれば、今からでも遅くないから、は
だしで育てる。
 

●言葉教育は、まず親が

 親が、「ほれほれ、バス! ハンカチ、もった? バス、くる、バス、くる! ティッシ
ュは? 先生にあいさつ、ね。ちゃんと、するのよ!」と話していて、どうして子どもに、
まともな(失礼!)言葉が育つというのだろうか。そういうときは、多少、めんどうでも、
こう言う。「もうすぐ、バスがきます。あなたは外でバスを待ちます。ハンカチは、もって
いますか。ティッシュペーパーは、もっていますか。先生に会ったら、しっかりとあいさ
つをするのですよ」と。

 こうした言葉教育があってはじめて、その上に、子どもは、国語能力を身につけること
ができる。子どもが乳幼児期に、親がだらしない(失礼!)話し方をしていて、どうして
子どもに国語力が身につくというのか。ちなみに、小学校の低学年児で、算数の応用問題
が理解できない子どもは、約30%はいる。適当に数字をくっつけて、式を書いたり、答
を出したりする。そのころ気がついても、手遅れ。だから子どもには、正しい言葉で話し
かける。つまり子どもの言葉の問題は、親の問題であって、子どもの問題ではない。


●正しい発音を大切に

 文字学習に先立って、正しい発音を子どもの前でしてみせる。できれば一音ずつ区切っ
て、そのとき、パンパンと手をたたいて見せるとよい。たとえば「お父さん」は、「お・と・
う・さ・ん」。「お母さん」は、「お・か・あ・さ・ん」と。ちなみに、年長児で、「昨日」
を正しく「き・の・う」と書ける子どもは、ほとんどいない。「きお」「きのお」とか書く。
もともと正しい発音を知らない子どもに向かって、「まちがっているわよ!」「どうして正
しく書けないの!」は、ない。

 地方によっては、母音があいまいなところがある。私が生まれ育った、G県のM市では、
「鮎(あゆ)を、「エエ」と発音する。「よい味」を、「エエ、エジ」と発音する。だから「こ
の鮎はよい味ですね」を、「このエエ、エエ。エジヤナモ」と発音する。そんなわけで、私
は子どものころ、作文が、大の苦手だった。「正しく書け」と言われても、音と文字が、一
致しなかった。

 子どもに正しく発音させるときは、口を大きく動かし、腹に力を入れて、息をたくさん
吐き出させるようにするとよい。テレビ文化の影響なのか、今、息をほとんど出さないで
発音する子どももいる。言葉そのものが、ソフトで、何を言っているかわからない。

 なお子どもの発音について、親はそれなりに理解できたり、親自身も同じような発音を
していることが多い。そのため親が子どもの発音異常に気づくことは、まずない。そうい
うことも頭に入れながら、子どもの発音を考えるとよい。


●同年齢の子どもと遊ばせる

子どもは、同年齢の子どもと、口論をしたり、取っ組みあいのけんかをしながら、社会
性を身につける。問題解決の技法を身につける。子どもどうしのけんかを、「悪」と決め
てかかってはいけない。

 今、その社会性のない子どもが、ふえている。ほとんどが、そうではないかと思われる。
たとえば砂場で遊んでいる様子をみても、だれがボスで、だれが子分かわからない。実に
のどかな風景だが、それは子ども本来の姿ではない。あるべき姿ではない。こう書くと、「子
分の子どもがかわいそう」「うちの子を、子分にしたくない」と言う親がいる。が、子ども
は子分になることで、実は、それと平行して親分になる心構えを学ぶ。子分になったこと
がない子どもは、同時に、親分にもなれない。子分の気持ちを、把握できないからである。

 またここ一〇年、親たちは、子どものいじめに対して、過剰反応する傾向がみられる。
いじめを肯定するわけではないが、しかしいじめのない世界はない。問題はいじめがある
ことではなく、そのいじめを、仮に受けたとき、その子どもが自分でどう処理していくか
である。ブランコを横取りされたら、「どうして、取るんだ!」と抗議すれば、それでよい。
ばあいによっては、相手をポカリとたたけば、それでよい。「取られた、取られた……」と
メソメソと泣くから、「いじめ」になる。

 子どもをたくましい子どもにしたかったら、できるだけ早い時期から、同年齢の子ども
と遊ばせる。(だから早くから保育園へ入れろということではない。誤解がないように!)
親と子どもだけの、マンツーマンの子育てだけで、すませてはいけない。


●ぬり絵のすすめ

 一時期、ぬり絵は、よくないという説が出て、幼児の世界からぬり絵が消えたことがあ
る。しかしぬり絵は、手の運筆能力を養うのに、たいへんよい。文字学習に先立って、ぬ
り絵をしておくとよい。

 子どもの運筆能力は、丸を描かせてみればわかる。運筆能力のある子どもは、スムーズ
なきれいな丸をかく。そうでない子どもは、多角形に近い、ぎこちない丸を描く。もしそ
うなら、ぬり絵をすすめる。小さなところを、縦線、横線、曲線をうまくつかってぬらせ
るようにする。ちなみに、横線は、比較的簡単。縦線は、それだけ手の動きが複雑になる
ため、むずかしい。実際、一度、あなた自身が鉛筆をもって、手の動きを確かめてみると
よい。

 また年長児で、鉛筆を正しくもてる子どもは、約50%とみる。(別に正しいもち方とい
うのはないが……。)鉛筆を、クレヨンをもつようにしてもつ子どもが、30%。残り、2
0%の子どもは、たいへん変則的なもち方をするのがわかっている(はやし浩司・調査)。
鉛筆をもち始めたら、一度、鉛筆をもつ練習をするとよい。コツは、親指と人さし指を、
ワニの口にみたてて、鉛筆をかませる。その横から中指をあてさせるようにするとよい。


●色づかいは、なれ

ぬり絵は、常識的な色づかいの練習にも、効果的。「常識的」というのは、色づかいにな
れている子どもは、同じぬり絵をさせても、ほっとするような、温もりのある色づかい
をする。そうでない子どもは、そうでない。

 たとえば同じ図柄の景色(簡単な山と野原、家と木)の絵を、四枚子どもに与えてみる。
そして、「夏の絵、冬の絵、夜の絵、雨の絵にぬってごらん」と指示する。そのとき、夏は
夏らしく、冬は冬らしく色がぬれれば、よしとする。そうでない子どもは、まだ色づかい
になれていないとみる。

 なおこの段階で、色彩心理学の立場で、いろいろなことを言う人がいる。が、私は、過
去35年以上、色の指導をしてきたが、今ひとつ、理解できないでいる。たとえばこの時
期、つまり満4歳から6歳までの幼児期というのは、子どもによっては、周期的に、好き
な色が変化することがある。

ある時期は青ばかり使っていた子どもが、今度は、黄色を使ったりするなど。しかしそ
ういう子どもでも、色づかいになれてくると、だんだん常識的な色づかいをするように
なる。今、色づかいがおかしいからといって、あまり神経質になる必要はない。

 ただし、色の押しつけはしてはいけない。昔、「髪の毛は黒よ! 肌は肌色よ!」と教え
ていた絵の先生がいたが、こういう押しつけはしてはいけない。髪の毛が緑でも、何ら、
おかしいことではない。


●ガムをかませる

 アメリカの『サイエンス』という研究雑誌に、「ガムをかむと、頭がよくなる」という記
事がのった。で、その話をすると、Nさんという母親が、息子(年長児)にガムをかませ
るようになった。で、その結果だが、数年後には、その子どもは、本当に頭がよくなって
しまった。

 その後、いろいろな子どもに試してみたが、この方法は、どこかぼんやりして、勉強が
遅れがちの子どもに、とくに効果的である。理由は、いろいろ考えられる。ガムをかむこ
とで、脳への血流が促進される。かむことで、脳が刺激される。眠気がとれて、集中力が
ます、など。

 コツは、言うまでもなく、菓子ガムは避ける。また一枚のガムを、最低30分はかませ
るように指導する。あとは、マナーの問題。かんだガムは、紙に包んで、ゴミ箱へ捨てさ
せる、など。

 またあまり多量の大きなガムは、口に入れさせてはいけない。咳きこんだようなとき、
ガムがのどに詰まることがある。年少の子どもにかませるときは、注意する。


●マンネリは知能の敵

 人間の脳細胞の数は、生まれてから死ぬまで、ほとんど変わらない。しかしその一個ず
つの脳細胞は、約10万のシナプスをもっている。このシナプスの数は、成長とともにふ
え、老化とともに、減る。そのシナプスの数と、「からまり」が、頭のよし悪しを決める。

 このシナプスは、子どものばあい、刺激を受けて、発達する。数をふやす。ほかのシナ
プスとからんで、思考力をます。刺激がなければ、そうでない。つまり子どもの教育は、
すべて「刺激教育」と言ってもよい。子どもには、いつも良質の刺激を与えるようにする。
もう少しわかりやすく言えば、「アレッと思う意外性」を大切にする。つまり、マンネリは、
知能発達の大敵。

 ……と言っても、お金をかけろということではない。日々の生活の中で、その刺激を容
易する。たまたま昨日も、年長児のクラスで、こんな教材を使ってみた。

(1)カタカナで「ヒラガナ」と書いた紙を見せ、子どもたちに「これは何?」と聞いた。
子どもが、「ひらがな!」と言ったら、すかさず、「これはカタカナだよ」と言う。つづい
て、今度は、ヒラガナで「かたかな」と書いた紙を見せ、「これは何?」と聞く。すると今
度は子どもたちは、「ひらがな!」と言う。またすかさず、「何、言ってるんだ。よく読ん
でごらん。か・た・か・なって書いてあるだろ!」と。

(2)子どもたちに「君たちは、ひらがなが読めるか?」と聞くと、みなが、「読める! 読
める!」と。そこで私はつぎのように書いたカードを、見せ、子どもに読ませた。「はい!」
「いや!」「よめない!」「しらない!」「みえない!」と。それらのカードを見せたとき、
子どもがどんな反応を示したか、多分、みなさんも容易に想像できると思う。やがて子ど
もたちは、「先生は、ずるい、ずるい」と言い出したが、それが私が言う「良質な刺激」で
ある。

 家庭では、いつも、何らかの変化を用意する。部屋の模様がえはもちろん、料理にして
も、休日の過ごし方にしても、そこに何らかの工夫を加える。ある母親は、おもちゃのト
ラックの荷台の上に、寿司を並べた。そういったことでも、子どもには、大きな刺激にな
る。


●抱きながら本を読む

 「教える」ことを意識したら、「好きにさせる」ことを一方で考える。それが子どもを伸
ばす、コツ。たとえば子どもの文字を教えようと思ったら、一方で、文字を好きにさせる
ことを考える。日本でも、『好きこそ、ものの上手(じょうず)なれ』という。「好きだ」
という意識が、子どもを前向きに伸ばす。

 満4・5歳(=4歳6か月)を境にして、子どもは、急速に文字に興味をもつようにな
る。それまでの子どもは、いくら教えても、教えたことがそのままどこかへ消えていくよ
うな感じになる。しかし決して、ムダではない。子どもは、伸びるとき、1次曲線的に、
なだらかに伸びるのではない。ちょうど階段を登るように、段階的に、トントンと伸びる。
たとえば、言葉の発達がある。子どもは、1歳半から2歳にかけて、急に言葉を話し始め
る。それまで蓄積された情報が、一度に開花するようにである。

 同じように、文字についても、そのあと子どもがどこまで伸びるかは、それまでに子ど
もが、文字に対して、どのような印象をもっているかで決まる。「文字は楽しい」「文字は
おもしろい」という印象が、あればよし。しかし「文字はいやだ」「文字はこわい」、さら
には「文字を見ると親のカリカリとした顔が思い浮かぶ」というのであれば、そもそもス
タート時点で、文字教育は失敗しているとみる。

 もしあなたの子どもが、満4・5歳前であるなら、(あるいはそれ以後でも遅くないから)、
子どもには、抱いて本を読んであげる。あなたの温かい息を吹きかけながら、読んであげ
る。そうすることにより、子どもは、「文字は温かい」という印象をもつようになる。いつ
か子どもが自分で文字を見たとき、そこにお父さんやお母さんの温もりを感ずることがで
きれば、その子どもは、まちがいなく、文字が好きになり、つづいて、本が好きになる。
書くことや、考えることが好きになる。
 

●何でも、握らせる

 ためしに、あなたの子どもを、おもちゃ屋へつれていってみてほしい。そのとき、あな
たの子どもが、つぎつぎとおもちゃを手にとって遊ぶなら、それでよい。(おもちゃ屋さん
は、歓迎しないだろうが……。)しかし見るだけで、さわろうとしないなら、それだけ好奇
心の弱い子どもとみる。が、それだけではない。

 最近の研究によれば、指先から刺激を受けることにより、脳の発達がうながされるとい
うことがわかっている。よく似た話だが、老人のボケ防止のためには、老人に何か、もの
を握らせるとよいという説もある。たとえば中国には、昔から、そのため、石でできたボ
ールがある。2個のボールがペアになっていて、それを手の先でクルクルと回して使うの
だそうだ。私も東南アジアへ行ったとき、それを買ってきたことがある。(残念ながら、現
地の人が見せてくれたようには、いまだに回すことはできないが……。)

 それだけではないが、子どもには、何でも握らせるとよい。「さわる」という行為が、や
がて、「こわす」「組み立てる」「なおす」、さらには「調べる」「分析する」「考える」とい
う行為につながっていく。道具を使う基礎にもなる。

 なお好奇心が旺盛な子どもは、何か新しいものを見せたり、新しい提案をしたりすると、
「やる!」「やりたい!」とか言って、くいついてくる。そうでない子どもは、そうでない。
また好奇心が旺盛な子どもは、多芸多才。友人の数も多く、世界も広い。そうでない子ど
もは、興味をもつとしても、単一的なもの。何か新しい提案をしても、「いやだ……」「つ
まらない……」とか言ったりする。もしそうなら、親自身が、自分の世界を広めるつもり
で、あれこれ活動してみるとよい。そういう緊張感の中に、子どもを巻き込むようにする。


●才能は見つけるもの

 子どもの才能は、見つけるもの。作るものではない。作って作れるものではないし、無
理に作ろうとすれば、たいてい失敗する。

 子どもの方向性をみるためには、子どもを図書館へつれていき、そこでしばらく遊ばせ
てみるとよい。一、二時間もすると、子どもがどんな本を好んで読んでいるかがわかる。
それがその子どもの方向性である。

 つぎに、子どもが、どんなことに興味をもち、関心をもっているかを知る。特技でもよ
い。ある女の子は、2歳くらいのときから、風呂の中でも、平気でもぐって遊んでいた。
そこで母親が、その子どもを水泳教室へいれてみると、その子どもは、まさに水を得た魚
のように泳ぎ始めた。

 こうした才能を見つけたら、あるいは才能の芽を感じたら、そこにお金と時間をたっぷ
りとかける。その思いっきりのよさが、子どもの才能を伸ばす。

 ただしここでいう才能というのは、子ども自身が、努力と練習で伸ばせるものをいう。
カード集めをするとか、ゲームがうまいというのは、才能ではない。また才能は、集団の
中で光るものでなければならない。この才能は、たとえば子どもが何かのことでつまずい
たようなとき、その子どもを側面から支える。勉強だけ……という子どももいるが、この
タイプの子どもは、一度、勉強でつまずくと、そのままズルズルと、落ちるところまで落
ちてしまう。そんなわけで、才能を見つけ、その才能を用意してあげるのは、親の大切な
役目ということになる。

 これからはプロの時代。そういう意味でも、才能は大切にする。たとえばM君(高校生)
は、ほとんど学校には行かなかった。で、毎日、近くの公園で、ゴルフばかりしていた。
彼はそののち、ゴルフのプロのコーチになった。またSさんは、勉強はまったくダメだっ
たが、手芸だけは、だれにも負けなかった。そのSさんは、今、H市内でも、最大規模の
洋品店を経営している。


●何でもさせてみる

 子どもには、何でもさせてみる。よいことも、悪いことも。そして少しずつ、様子を見
ながら、ちょうど、彫刻を削るようにして、よい面を伸ばし、悪い面を削りながら、形を
整えていく。まずいのは、「あれはダメ、これはダメ」と、子どもの世界を狭くしていくこ
と。

 たとえば悪い言葉がある。悪い言葉を容認せよというわけではないが、悪い言葉が使え
ないほどまで、子どもを押さえ込んではいけない。一応、叱りながらも、言いたいように
言わせておく……、そういう寛容さが、子どもを伸ばす。子どもが親に、「ジジイ!」と言
ったら、「何だ、未来のクソババア!」と言いかえしてやればよい……と私は考えているが、
どうだろうか。私は私の生徒たちに対しては、そうしている。

 威圧的な過干渉、神経質な過関心、盲目的な溺愛、精神的な過保護が日常化すると、子
どもは一見、できのよい子になる。しかしそういう子どもは、問題を先送りするだけ。し
かも先送りすればするほど、あとあと大きな問題を起こすようになる。この時期、『よい子
は悪い子』と考えるとよい。とくに親や先生に従順で、ものわかりがよく、しっかりとし
ていて、まじめで、もの静かな子どもほど、要注意!


●幼児教育は、種まき

 幼児教育は、すべて「種まき」と思う。教えても、すぐ効果を求めない。またすぐ効果
が出ないからといって、ムダと思ってはいけない。実際、ほとんどのことは、一見ムダに
なるように見える。しかしムダではない。子どもの心の奥底にもぐるだけと考える。

 言うべきことは言う、教えるべきことは教える、しかしあとは時間を待つ。が、それが
できない親は、多い。本当に多い。こんなことがあった。

 ある日、ひとりの母親が私のところにきて、こう言った。「先生は、うちの子(年長児)
が書いたひらがなに、丸をつけた。しかし書き順はメチャメチャ。字も逆さ文字(上下が
反対)、鏡文字(左右が反対)になっているところがある。どうして丸をつかたか。そうい
う(いいかげんな)教え方では困る!」と。

 その子どもは、たしかにそういう字を書いた。しかし大切なことは、その子どもが一生
懸命、それを書いたということ。私はそれに丸をつけた。字のじょうず、ヘタは、そのつ
ぎ。これも大きな意味で、種まきということになる。子どもには、プラスの暗示をかけて
おく。おとなが見たらヘタな字であっても、子どもにはそうでない。(自分の字がじょうず
かヘタか、それを自分で判断できる子どもは、いない。)「ぼくは字がうまい」という思い
が、子どもを前向き伸ばしていく。

 要するに、子どもに何かを教えるときは、心の中で、「種まき、種まき……」と思えばよ
い。


●えびで鯛(たい)を釣る

 『えびで鯛を釣る』という。えびをエサにするのは、もったいない話だが、しかしその
エビで鯛をつれば、損はない、と。子どもの学習をみるときは、いつも、この格言を頭の
中に置いておくとよい。が、中には、えびで鯛を釣る前に、そのえびを食べてしまう人が
いる。いろいろな例がある。少しこじつけのような感じがしないでもないが、最近、こん
なことがあった。

 A君(小三)は、勉強が全体に遅れがちだった。算数も、まだ掛け算があやしかった。
自信もなくしていた。そこで私はA君を、小2クラスへ入れてみた。A君は、勉強がわか
るようになったことが、よほどうれしかったのだろう。それまでのA君とは、うってかわ
って、明るい表情を見せるようになった。そして半年もすると、小3レベルまで何とか追
いつくことができた。私は、A君を小3クラスへもどした。

 が、ここで親の無理が始まった。追いついたことをよいことに、親はA君に、ドッサリ
とワークブックを買い与えた。勉強の量をふやした。とたん、再び、A君はオーバーヒー
ト。以前より、さらに気力をなくしてしまった。つまりA君のケースでは、せっかく(え
び)を釣ったのに、それで(鯛)を釣る前に、親が、その(エビ)を食べてしまったこと
になる。ちょっとわかりにくい例かもしれないが、その(エビ)をじょうずに使えば、A
君はそこで立ちなおることができたはず。

 ついでに……。こういうケースでは、二度目は、ない。しばらくすると、親は、「また1
学年さげてみてほしい」と言ったが、今度は、A君がそれに応じなかった。子どもの世界
では、1度失敗すると、2度目は、ない。


●やなぎの下には……

 何かのことで失敗したとき、子どもの世界では、2度目はない。子ども自身が、それに
応じなくなる。

 たとえばAさんは子ども(小5男児)のために、家庭教師をつけた。きびしい先生だっ
た。子どもとは相性が合わなかった。子どもは、「いやだ」「かえてほしい」と、何度も親
に懇願した。が、親は、「がまんしなさい!」と子どもを叱りつづけた。結果、子どもの成
績はさがった。無気力症状も出てきた。そのため半年後に、親は家庭教師を断った。

 ここまではよくあるケース。が、こうした失敗は、必ず、尾を引く。それから何か月か
たったときのこと。Aさんは、また子どもに家庭教師をつけようと考えた。「今度は慎重に
……」と思ったが、息子が、それに反発した。ふつうの反発ではない。部屋中をひっくり
返して、それに抵抗した。

 一般論として、何かのことで、一度挫折すると、子どもは同じパターンでものごとが始
まることを、避けようとする。親は「気のもちようだ」「乗り越えられる」と考えがちだが、
子どもの心理は、もう少し複雑。デリケート。いや、時間をかければ、乗り越えられなく
もないが、それよりも早く、子どもは大きくなっていく。乗り越えるのを待っていたら、
受験時代そのものが、終わってしまう。そんなわけで、この時期の失敗や、挫折は、子ど
もに決定的な影響を与えると考えてよい。

 『やなぎの下には、どじょうは……』と言うが、子どもの世界では、『失敗は、2度ない』。
この時期、つまり子どもの受験期には、「うまくやって成功する」ことよりも、「へたなこ
とをして失敗する」ことのほうが多い。成功することよりも、失敗しないことを考えなが
ら、子どもの受験勉強は組みたてる。


●航海のし方は、難破したことがある人に聞け

 イギリスの格言に、『航海のし方は、難破したことがある人に聞け』というのがある。子
どもの子育ても、同じ。スイスイと東大へ入った子どもの話など、実際には、ほとんど役
にたたない。本当に役だつ話は、子育てで失敗し、苦しんだり悩んだことがある人の話。
それもそのはず。子育てというのは、成功する人よりも、失敗する確率のほうが、はるか
に高い。

 しかしどういうわけか、親たちは、スイスイと東大へ入った子どもの話のほうに耳を傾
ける。またこういうご時世だが、その種の本だけは、よく売れる。「こうして私は東大へ入
った」とか、など。もちろんムダではないが、しかしそういう成功法を、自分の子どもに
当てはめようとしても、うまくいかない。いくはずもない。あるいは反対に、失敗する。

 そこであなたの周囲を見まわしてみてほしい。中には、成功した人もいるかもしれない
が、大半は失敗しているはず。そういう人たちを見ながら、あなたがすべきことは、成功
した人から学ぶのではなく、失敗した人の話に耳を傾けること。またそういう人から、学
ぶ。もしあなたが「うちの子にかぎって……」とか、「うちはだいじょうぶ……」と、高を
くくっているなら、なおさらそうする。私の経験では、そういう人ほど、子育てで失敗し
やすい。反対に、「私はダメな親」と、子育てで謙虚な人ほど、失敗が少ない。理由がある。

 子どもというのは、たしかにあなたから生まれる。しかし、あなたの子どもであって、
あなたの子どもでない部分のほうが大きい。もっと言えば、あなたの子どもは、あなたを
超えた、もっと大きな多様性を秘めている。

だから「あなたの子どもであって、あなたの子どもでもない」部分は、あなたがいくら
がんばっても、あなたは知ることはできない。が、その「知ることができない」部分を、
いかに多く知っているかで、親の親としての度量が決まる。「うちの子のことは、私が一
番よく知っている」という親ほど、実は、そう思い込んでいるだけで、子どものことを
知らない。だから、子どもの姿を見失う。失敗する。一方、「うちの子のことがわからな
い」と、謙虚な態度で子どもの姿を見ようとする親ほど、子どものことを知っている。
だから、子どもの姿を正確にとらえる。失敗が少ない。

 話がそれたが、子育ては、失敗した人の話ほど、価値がある。役にたつ。もしそういう
話をしてくれる人があなたのまわりにいたら、その人を大切にしたらよい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【不完全燃焼】

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ある日、母親は気がつく。
子どもから、「ババア」と呼ばれたとき。
夫に、浮気の兆候が見られたとき。

「今までの私は、いったい、何だったの」と。

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●母親から「女」へ

 ある日、母親は気がつく。子どもから、「ババア」と呼ばれたとき。夫に、浮気の兆候が
見られたとき。「今までの私は、いったい、何だったの」と。

 結婚によって、家庭に押し込められた女性の閉塞感には、相当なものがある。女性は家
庭に押し込められると同時に、それまでの夢や希望、それに目的、さらにはキャリアまで
犠牲にする。

 もちろん中には、「家庭に入ること」に、何ら疑問をもたない女性もいる。妻や、母親で
あることに徹して、それなりに幸福に暮らす。いろいろな調査結果をみても、約25%前
後の女性が、そうであるとみてよい。

 そういう女性は別として、つまり大半の女性は、家庭に押し込められることによる不満
を、何らかの形で、代償的に解消しようとする。育児に没頭するのが第一だが、それが高
じて、子育てそのものを生きがいにする人も多い。

 この時期、『子どもは、母親の芸術品』という。私が考えた格言だが、母親は、自分のも
てるものすべてを、子どもに懸(か)けてしまう。子どもは、まさに母親の芸術品となる。

 が、やがてその子育ても一段落してくる。子どもも小学3、4年生になると、そのころ
を境に、急速に親離れを始める。それまでは、「ママ、ママ……」と言い寄ってきた子ども
も、この時期を過ぎると、母親を敬遠し始めるようになる。そして、こう言う。「このクソ
ババア」と。

 そのとき母親は、ハッと我にかえる。気がつく。「私は、今まで、何をしてきたのだろう」
と。が、それで終わるわけではない。

 この時期にもなると、たいていの夫婦は、倦怠期という、どこか空気のよどんだような
時期を迎える。仕事ばかりしていて、自分を振り向かない夫。セックスをしても、どこか
事務的? どこかいいかげん? 

 外で仕事をする夫には、チャンスはいくらでもある。誘惑も多い。同僚と飲み食いする
うちに、「バーかクラブへ行こうか」となる。それなりに発散できる。が、妻には、そうい
うチャンスさえ、ない。夫が許さないというよりは、妻自身が、そうして遊ぶことに、大
きな罪悪感を覚える。その罪悪感が、自らの体をしばる。

 悶々とした毎日。自分を燃やしたくても、その場すら、ない。

 そうした女性の心理を、たくみに表現したのが、R・ウォラーの書いた、『マジソン郡の
橋』である。

+++++++++++++++++

 3年ほど前、埼玉県のRYさんという
方から、メールをもらった。

 それについて書いたのが、つぎの原稿
です。合わせて、『マジソン郡の橋』につ
いても、書きました。

+++++++++++++++++

●子どもの自立

 ある母親(埼玉県U市在住のRYさん)から、こんなメールが届いた。 

「私には二人の子どもがおります。
一番上の娘が中学2年生、下の男の子が小学校の4年です。
とても優しい子ども達に恵まれ毎日幸せに暮らしています。
 
私は自分の子どもに、自らの足で立ち、自分の思うままの人生を
自分で考えて歩いてゆける人間に育って欲しいと思っていますが
子どもの自立のために、何かよいアドバイスがあれば、いただけませんか。

いくら頭で考え、子どもの人生や価値観を尊重しようと思っても、
実際問題として、日本の社会は目立つものは排除する社会に思えます。
馬鹿な親ですが、自分の子どもには苦労をさせたくない、
社会に適応し、まわりの人とうまくやって欲しい……と
おろかな望みを抱いてしまいます」と。

 この母親のメールを読んで、最初に感じたことは、「これは子どもの問題ではなく、母親
自身の問題」ということ。その母親自身はまだ気づいていないかもしれないが、母親自身
が、自分の住む世界で、窒息している。

 以前、こんな原稿(中日新聞経済済み)を書いた。

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【母親がアイドリングするとき】 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。今、そんな女性がふえている。Hさん(32歳)もそうだ。

結婚したのは24歳のとき。どこか不本意な結婚だった。いや、20歳のころ、一度だ
け電撃に打たれるような恋をしたが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらく
して、今の夫と何となく交際を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある
田舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)
と。主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れ
ていた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。

つまりフランチェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受
性の殻に閉じこもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もま
た、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の
中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わ
ってしまった。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買い
に行く」と。

「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということ
だった。晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だ
った。私は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そうい
うものか。その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、2人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、
あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のよ
うなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。子育ても一段
落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それが終着点と
思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。

勇気を出して、アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間と
して。それでまた風は吹き始める。人生は動き始める。

++++++++++++++++++++++

【RYさんへ】

 それがよいことなのか、悪いことなのかは別にして、アメリカ人の生きザマを見ている
と、実に自由を謳歌しているのがわかります。それだけにきびしい世界を生きていること
になりますが、そういうアメリカとくらべると、日本の社会は、まさに「ぬるま湯社会」
ということになります。

 この「ぬるま湯」の中で、人生の入り口で権利を得た人は、たいていそのままずっと、
その権利をなくすことなく保護されます。それがRYさんが、おっしゃる、「日本の社会は
目立つものは排除する社会に思えます」ということではないでしょうか。社会そのものが、
見えない糸で、がんじがらめになっています。

 たとえば私の友人のユキコさん(31歳女性、日系人・アーカンソー州リトルロック在
住)は、今、アメリカで、老人福祉の仕事をしています。日本でいう公務員ですが、こう
言っています。「アメリカでは、公務員といっても、どんどん自分から進んで何かをしてい
かないと、すぐクビになってしまう。また自分で何かアイディアを出したり、新しいこと
をしたいというと、上司が、もっとやれと励ましてくれる」と。

 本当は、ユキコさんは、もっと過激なことを言っていますが、日本の社会の現状とは、
あまりにもかけ離れているため、ここでは控えめにしました。ユキコさんは、「社会のしく
みそのものが、そうなっている。日本のように、上から言われたことだけをしていれば、
安心という考え方は、通用しない」とも言っていました。

 こうした傾向はオーストラリアにもあって、私の友人の多くは、生涯において、何度も
職そのものを変えています。またそういうことをしても、不利にならないしくみそのもの
が、できあがっています。あのヨーロッパでは、EU全体で、すでに大学の単位は共通化
されていて、どこの大学で学んでも、みな同じという状態になっています。

 世界は、どんどん先へ行っている。アメリカだけでも、学校へ行かないで、家庭で学習
している、いわゆるホームスクーラーと呼ばれる子どもは、現在、200万人を超えたと
推計されています。もっと世界の人は、自分の人生を、子どもの人生を、自由に考えてい
る。あるいは自由という基本の上に置いている。日本人の悪口を言うのもつらいですが、
この程度の自由を、「自由」と思いこんでいる、日本人が、実際、かわいそうに見えます。

 RYさん、これはあなたの子どもの問題ではありません。あなた自身の問題です。あな
たが魂を解き放ち、心を解き放ちます。そしてあなた自身が、大空を飛びます。それはち
ょうど、森へやってくる、鳥の親子連れと同じです。子どもの取りは、親鳥の飛び方を見
て、自分の飛び方を覚えます。あなたが飛ばないで、どうして子どもが飛ぶことができる
でしょうか。

 「自分の子どもには苦労をさせたくない。社会に適応し、周りとうまくやって欲しい」
ですかあ? しかしそんな人生に、どれほどの意味があるというのでしょうか。私は、一
片の魅力も感じません。しかたないので、そういう人生を、私も送っていますが、しかし
心意気だけは、いつも、そうであってはいけないと思っています。

RYさんが言う「社会」というのは、戦前は、「国」のことでした。「お国のため」が、「社
会のため」になり、「お国で役立つ人間」が、「社会で役立つ人間」になりました。今の
中国では、「立派な国民づくり」が、中国の教育の合言葉になっています。日本も、中国
も、それほど違わないのではないでしょうか。

 今、行政改革、つまりは日本型官僚政治の改革は、ことごとく失敗しています。奈良時
代の昔からつづいた官僚制度ですから、そう簡単には変えることができません。それはわ
かりますが、この硬直した社会制度を変えないかぎり、日本人が、真の自由を手に入れる
ことはないでしょう。

今の今も、子育てをしながら、RYさんのように悩んでいる人は多いはずです。小さな
世界で、こじんまりと、その日を何とか無事に過ごしている人には、それはわからない
かもしれません。が、しかしこれからの日本人は、そんなバカではない。「しくまれた自
由」(尾崎豊「卒業」)に、みなが、気がつき始めている……。

 これは子どもの問題ではないのです。RYさん、あなた自身の問題なのです。ですから
あなたも勇気を出して、一歩、足を前に踏みだしてみてください。何かできることがある
はずです。そしてあなた自身をがんじがらめにしている糸を、一本でもよいから取りのぞ
いてみるのです。

 私は母ではない!
 私は妻ではない!
 私は女ではない!
 私は、一人の人間だア!、と。

 いいですか、RYさん、母として、妻として、女として、「私」を犠牲にしてはいけませ
んよ。自分を偽ってはいけませんよ。あなたはあなたの生きザマを、自分で追求するので
す。それが結局は、あなた自身の子育て観を変え、あなたの子どもに影響を与えるのです。
そしてそれが、今、あなたが感じている問題を解決するのです。

 家庭は、それ自体は、憩いの場であり、心や体を休める場です。しかしそれを守る(?)
女性にとっては、兵役の兵舎そのもの※。自分の可能性や、夢や希望、そういうものをこ
とごとく押しつぶされ、家庭に閉じ込められる女性たちのストレスは、相当なものです。(も
ちろん、そうでない女性も、約25%はいますが……。)仕事をもっている男性には、まだ
自由は、ありますが、女性には、それがない。

 だから家庭に入った女性たちほど、自由を求める権利があるのです。その中の一人が、
RYさん、あなたということになります。

 私たちは、ともすれば、自分の隠された欲求不満に気づかず、そのはけ口を子どもに求
めようとします。子どもを代理にして、自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに果た
させようとするわけです。しかしそんなことをしても、何ら解決しないばかりか、不完全
燃焼の人生は、不完全燃焼のまま終わってしまいます。

子どもにしても、それは負担になるだけ。あるいは子どもがあなたの期待に答えれば、
それでよし。しかしそうでなければ、(その可能性のほうが大きいのですが……)、かえ
ってストレスがたまるだけです。あるいはそれがわかるころになると、あなたも歳をと
り、もうやり返しのできない状態になっているかもしれません。

 だから私は、「これはRYさん、あなた自身の問題だ」と言うのです。さあ、あなたも勇
気を出して、その見本を、子どもに見せてやってください。

 「私は、自らの足で立ち、自分の思うままの人生を自分で考えて歩いているのよ。あん
たたちも、私に見習いなさい!」とです。それは、とっても、気持ちのよい世界ですよ。
約束します。

※「男は軍隊、女は家庭という、拘禁された環境の中で、虐待、そして心的外傷を経験す
※る」(J・ハーマン)。

+++++++++++++++

ついでに3年前、こんな詩を
書きました。

これは自分のことです。

+++++++++++++++
 
●人生

人生は、先の見えない荒野を、
一人で、草をかき分けながら
進むようなもの。
どこにいるのかさえ、わからない。

それはきびしく、険しい道。
頼れるものは何もない。
そこにはいつも、ひょうひょうと
かわいた風が舞っている。

ふと振りかえると、
そこには一本の細い道。
あちこちで曲がりくねって、
より道ばかり。

進んだつもりが、またもとの道?
何かをしてきたようで、
残っているものが、何もない?
そんな道を見ながら、ただ、ため息。

その先に、ゴールはあるのか。
あるいはゴールはないのか。
それすらわからない。
しかし立ち止まることもできない。

今できることは、とにかく前に
足を踏みだすこと。
今できることは、とにかく懸命に、
草をかき分けてみること。

人生は、先の見えない荒野を、
一人で、草をかき分けながら
進むようなもの。
しかし、とにかく前に進むしかない。
迷っている時間は、もう、私にはない。

++++++++++++++++

 この原稿の中で、私は、「不完全燃焼症候群」という言葉を使った。しかしその不完全燃
焼感を覚えることくらい、人生において、つらいことはない。晩年になればなるほど、そ
うである。

 そこで人は、つぎの2つのうちの、どちらかの道を選択する。(1)バカになりきるか、
それとも、(2)完全燃焼をめざすか。

 バカになりきるというのは、つまりは、何も考えないことをいう。与えられた現状に満
足し、それをよしとして、受けいれてしまう。よい例が、カルト教の信者たちである。カ
ルト教でなくても、どこかの宗教団体の狂信的な信者たちでもよい。

 彼らは、一見、思慮深い人のように見えるかもしれない。が、頭の中は、カラッポ。自
分の思想など、どこにもない。人間ロボットになりながら、ロボットになっているという
意識すらない。

 誤解していはいけないのは、情報と思考は、まったく別のものということ。もっている
情報がいくら多くても、自分で考えることのできない人のことを、「カラッポ」という。英
語では、「ノー・ブレイン」という。恩師の田丸先生は、「昆虫のような頭」と表現してい
たが、それでもよい。

 そこで人は、考える。「どうすれば自分の人生を、まっとうできるか」と。つまりこの時
点で、完全燃焼を目ざす。たった一度しかない人生だから、またその人生には、限りがあ
るから、私は私として、自分の人生を生きる。とことん、生きる。

 つまり(生きる)ということは、(いかにすれば、自分を完全燃焼させるか、それを考え
ること)ということになる。

 これには、男性も女性もない。

 ただ、むしろ女性のほうが、それに早く気づくという点でラッキーかもしれない。男性
のばあい、自分がリストラされたり、定年で退職したときに、それに気づくことが多い。「オ
レの人生は、何だったのかア!」と。

 さあ、あなたも思い切って、アクセルを踏んでみよう。アクセルを踏んで、前に出てみ
よう。……と書いたところで、この話は、おしまい。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

【宗教のもつ愚鈍性】

+++++++++++++++

人間ロボットに関して、3年ほど前、
こんな原稿を書きました。

参考までに!

+++++++++++++++

●宗教団体に、3000万円の寄付?

 この話は、宗教の根幹にかかわる話である。だからあまりストレートに書くことができ
ない。しかし実際に、こんなことがあった。

 ある女性の夫が、半年近い闘病生活のあと、死んだ。夫が36歳、妻が37歳のときだ
った。で、そのとき、生命保険金とか何かで、金額は、はっきりとはわからないが、50
00万円近いお金が、妻の手に入った。

 その女性は、ある宗教団体の熱心な信者だった。その宗教団体では、100万円以上の
寄付をする人を、「シルバー会員」、1000万円以上の寄付をする人を、「ゴールド会員」
と呼んでいた。特別扱いしていた。

 その女性は、手にしたお金のうち、何と、3000万円というお金を、その宗教団体に
寄付した。(3000万円!)「こんな大金が手に入ったのは、信仰していたおかげです」
と。

 この話は、その宗教団体内部では、美談として、大きく取りあげられた。機関紙にも、
匿名だが、取りあげられた。そして間接的ながら、私の耳にも入るところとなった。で、
話を聞くと、その女性は、決して裕福な家庭ではない。生前の夫は、ごくふつうのサラリ
ーマン。それからの生活を考えたら、寄付してはいけないお金だった。

 宗教のもつこわさは、こんなところにある。どこか常識をはずれる。どこかおかしくな
る。そしてそのおかしさに気がつかないまま、結局は、宗教団体の餌食(えじき)になっ
てしまう。それにこの話は、どこかおかしい。

 もしその宗教にそんな力があるなら、そもそも夫を殺さなかったはず。それにその宗教
団体に、ふつうの常識があるなら、そんな金額は、受け取らなかったはず。「あなたも、こ
れからの生活があるから、そんなに寄付してはいけません」と。

 しかしその女性は、3000万円も寄付してしまった。もちろんそのお金は、その女性
のもの。どう使おうと、その女性の勝手。私のような部外者がとやかく言っても、始まら
ない。

●政治は現実的であるべき

 が、政治の世界ともなると、そうはいかない。ちょうど30年ほど前のこと。韓国の前
大統領の金大中氏が、韓国のKCIAによって、東京のホテルから拉致(らち)されると
いう事件があった※。

 そのとき金大中氏は、KCIAによって殺される運命にあったという。しかしその情報
をいち早くつかみ、それを止めたのは、ほかならぬアメリカのCIAだった。つまり金大
中氏は、母国のKCIAに殺されかかったが、アメリカのCIAによって助けられた。

 そののちの金大中氏の政治信条は、この事件をきっかけに、大きく変わったとされる。
結果的には、狂信的なまでのクリスチャンになったという。そしてやがて金大中氏は、韓
国の大統領にまでのぼりつめるが、どこか政治手法が、現実離れしていたのは、そのため
ではないか。

 言うまでもなく、政治の世界では、「現実主義」が、第一。その柱でなければならない。
いくら大統領が、「私は清貧でいい」と思っていても、それを国民に押しつけてはいけない。
いくら大統領が、「私は、殺されても文句は言いません」と思っていても、それを国民に押
しつけてはいけない。あくまでも主人公は、大衆。それが政治。民主主義政治。

 ひょっとしたら金大中氏は、神の意思によって助けられたと思っているかもしれないが、
金大中氏を助けたのは、神ではない。アメリカのCIAである。実は、ここに宗教の愚鈍
性が潜んでいる。

●宗教のもつ、愚鈍性

 たとえばある人が病気になったとする。そこでその人は、一方でその人が身を寄せる宗
教に、毎日、毎晩おがむ一方、病院へ通ったとする。で、幸いにも、その人が、回復した
とする。

 このときその人は、「私は病院のドクターによって病気を治してもらった」とは、決して
思わない。「信仰によって、救われた」と思う。そして病院のドクターに感謝する前に、そ
してそれ以上に、その人が属する宗教団体に感謝する。

 しかしそれは、本当に信仰なのか? 正しい考え方なのか? キリスト教の世界にも、
「天(神)は自らを助けるものを助ける」という言葉がある。釈迦も、「島」という言葉を
使って、同じようなことを教えている。今風に言えば、「心の拠点」という意味か。それぞ
れが自分の世界で、自分で「法」を打ちたてよ、と。
 
 密教の世界では、信仰によって病気を治したり、国を治めようとする。ついでに金もう
けもしようとする。しかしそれは本当に、あるべき信仰なのか? が、信仰をしていると、
人は、どこかでご利益(りやく)を求めるようになる。「自分だけが、神(仏)の忠実な僕
(しもべ)である。だから自分だけは、守られる。神(仏)から、特別あつかいされる」
と。

 しかしそんなことは絶対にありえない。ありえないことは、ほんの少しだけ、神や仏の
立場になってみればわかる。

 私は神や仏ではないが、そういう私に、「先生、あなたのことを毎日、したって祈ってい
ます」と言われても、私はうれしくかゆくもない。何ともない。ないばかりか、その人に
は、こう言うだろう。「私のことは忘れて、どうか、自分の道を進んでください」と。

 そういう意味では、日本の宗教は、どこかおかしい? 徒党を組んで、利益活動までし
ている団体もある。またそうすることが、宗教活動だと、信者たちは思いこまされている。
今は「?」としておくが、おかしいものは、おかしい。そのおかしさの一端が、冒頭に書
いた、3000万円を寄付した女性である。

【補足】※大韓民国前大統領金大中氏が1973年8月8日、東京のホテル・グランドパ
レスから拉致された事件をいう。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●基本的信頼関係(社会関係)

++++++++++++++++

親子は、信頼関係が、どこまで
できているかによって、決まる。

「決まる」ということは、信頼関係
がすべて、ということ。

++++++++++++++++

 小学校4、5年生の子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、全員、
ニヤニヤ笑いながら、「嫌いだヨ〜」と答える。幼稚園の年長児でも、そうだ。

 しかし年中児くらいになると、恥ずかしそうに、「好き」という子どもが現れる。どうや
らその年齢あたりを境にして、子どもたちは、本音と建前を使い分けるようになるようだ。

 言うまでもなく、人間の信頼関係は、さらけ出しと、受け入れで決まる。この2つが相
互にあって、その基盤の上に、信頼関係が築かれる。もし、この2つが不十分なら、その
上に成りたつ信頼関係は、軟弱なものになる。

 さらけ出し……あるがままの自分を、そっくりそのままさらけ出すことをいう。思った
ことを言い、したいことをする。悲しかったら、悲しいと言う。つらかったら、つらいと
言う。きれいごとを言ったり、自分を飾ったりしない。へつらったり、愛想をよくしたり
しない。あるがままを、さらけ出す。

 受け入れ……相手が何を言っても、また何をしても、それを全幅に受け入れる。その典
型的な例は、母と子の関係に、みられる。子どもがウンチをしても、小便をしても、母親
というのは、それを自分のものとして、受け入れる。

 ここで大切なことは、自分がさらけ出すとき、そのとき自分が、どう感ずるかである。
相手に安心感を覚えれば、よし。あるがままをさらけ出そうとしたとき、「相手が、自分の
ことを悪く思うのではないか」「へんに思うのではないか」と思うようであれば、さらけ出
しはできない。

 そこで登場するのが、基本的信頼関係である。生後まもなくから、とくに母子の関係で、
この基本的信頼関係ができている人は、こうしたさらけ出しが、自然な形で、できる。そ
うでない人は、そうでない。人間関係が、どこか、ぎくしゃくしやすい。

 それはそれとして、つぎの問題は、どの人に対して、どの程度まで、さらけ出しをし、
受け入れをするかである。

 夫婦や、親子の関係を100とする。結婚を目的とした恋人関係も、それに近い。深い
友人関係や、師弟関係も、それに準ずる。こうした関係で、反対に、言いたいことも言え
ないとか、したいこともできないというようであれば、すでにその関係は、危機的な状態
にあるといってもよい。

 そこで冒頭の話。

 小学生たちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞く。この段階で、子どものほうは、
私との絶対的な信頼関係を求めていない。またそういう関係に、ない。だから、「嫌いだヨ
〜」とウソを言う。もちろんその背景には、「文化」もある。そういうことをあからさまに
言うことについて、文化的な抵抗感がある。

 だからそれを聞く私のほうも、肯定的な答など、最初から期待していない。ウソを言う
だろう、あるいは自分の本心を隠すだろうということを、知りつつ、そういう質問をする。
こうした関係を、基本的信頼関係に対して、基本的社会関係という。「基本的社会関係」と
いうのは、私が考えた言葉である。

●基本的社会関係

 私はいくつかの仮面をかぶっている。教師としての仮面。評論家としての仮面。そして
日常的にも、無数の仮面をかぶっている。

 もしその私が、赤裸々な自分をさらけ出したら、社会生活そのものがいとめなくなる。
たとえば容姿のすばらしい母親から、何かの子育て相談を受けたとする。そのとき私は、「あ
なたの肌はすてきですね」と内心で思ったとしても、それを口にしてはいけない。「あなた
の胸やおしりは、すてきですね」とか、さらに「あなたと一度、セックスしてみたい」な
どとは、さらに言ってはいけない。

 つまりそこに、さらけ出しの制約が生まれる。私はその母親の相談にのりながらも、そ
の母親と信頼関係を結ぶつもりはない。母親とて、それを求めていない。だからいつもの
ように、つまりは通りすがりの人として、その母親を軽くあしらう。母親の求めているも
のだけを与えて、それで別れる。

 これが基本的社会関係である。こうした関係は、人間が社会的生活をつづける間は、い
たる場所、いたるときに起こる。また起きたからといって、それが問題というわけではな
い。私たちは、ごく日常的に、仮面をかぶる。かぶって当然である。

 が、問題がないわけではない。

 ときとして、この基本的社会関係が崩れたり、誤解されることがある。さらには、こう
した関係に、限界を感ずることもある。実のところ、今の私がそうである。

 こういう仕事をしていると、無数の親たちから、いろいろな相談をもちかけられる。大
半が若い女性(母親)である。以前は電話での相談が多かったが、電話による相談は、す
べて断っている。それにかわって今は、インターネットになった。

 が、当然のことながら、インターネットでは、顔が見えない。見えない分だけ、感情(心)
がつかめない。それに、何人かの人から同時に相談を受けていると、だれがどの人か、わ
からなくなる。……なってしまう。一番つらいのは、「先月、相談しました、○○県のAで
す。そのあと、あの問題は……」というようなメールをもらったとき。懸命に記憶をたど
らなければならない。

 そこで私はさらけ出しの問題にぶつかる。相手は自分の問題をさらけ出してくる。しか
しそれを受ける私はそれを全面的に受け入れているわけではない。ここがものの売買とは、
違うところである。そこでそれを受ける私としては、いつも何かしら、不完全燃焼のまま、
相談に答え、そして別れる。

 そこでいくつか、心の実験をしてみた。私は、一人の女性にお願いして、自分の心をさ
らけ出してみた。……みることにした。すてきな女性だった。F市に住むMさんという方
だった。私はこうしてインターネットをするようになってはじめて、その女性に、こう頼
んでみた。「写真を送ってくれませんか」と。

 しかしこのあとのことは、その女性の了解を求めていないので、私は、何も書くことが
できない。ただ、その女性は、私の趣旨理解してくれ、写真を送ってくれた。が、そのと
き私が受けた衝撃は、ものすごいものだった。白黒の映画の中で、一本の花だけが、真っ
赤になっている……そんなシーンを見たような衝撃だった。

 そう、それは生まれてはじめて、女性に会ったような気分だった。インターネットの中
で、生まれてはじめて「女」を感じてしまった。母親と呼ばれる女性たちには、ごく日常
的に会っているのに、そのとき感じた新鮮さは、いったい何だったのか。

 それはひょっとしたら、私が感じていた悶々とした閉塞感に、風穴があいたためではな
いか。私は改めて、自己開示について考えなおしてみた。

●自己開示

 自分をどの程度まで、相手に開示できるか。それでその人との親密度を知ることができ
る。

(自己開示度1)自分の生年月日程度を開示する。
(自己開示度2)家族や、親類程度のことを開示する。
(自己開示度3)夫婦生活や、子どもの成績などを開示する。
(自己開示度4)夫婦生活や自分の過去、性体験などを開示する。
(自己開示度5)自分の犯罪歴、精神的な病や、性的性癖を開示する。

 この点、愛しあう男女は、自己開示度が高い分、信頼関係を結びやすい。素っ裸になり、
狂おしいほどに相手を求め、そして同じことを、相手に許す。夫婦であることのすばらし
いさ、セックスのすばらしさは、ここにある。

 言いかえると、夫婦でありながら、また親子でありながら、自己開示度が低いというこ
とは、そもそも家族が、家族として機能していないということになる。が、それはさてお
き、では、他人との関係は、どうなのかという問題がある。

 こうして考えてみると、自己開示度5まで開示できる相手というのは、きわめて限られ
ることがわかる。私にしても、ワイフや家族をのぞいて、ほんの数人ではないかと思う。
もっと厳密には、2、3人の友人でしかない。

●個人的な問題

 私は、そういう意味では、閉塞的な人間である。子どものころは、自己開示ができなか
った。わかりやすく言えば、他人には、簡単には、心を開かなかった。……開けなかった。
よく「浩司は、商人の子だからなあ」と言われた。愛想はよく、だれにも好かれようと、
へつらったからだ。しかしそれは本当の自分ではなかった。本当の自分は、もっと別のと
ころにいた。

 このことは社会人になってからも、同じだった。さらに結婚してからも、同じだった。
今のワイフと結婚してからも、隠しごとばかりだった。自分の家族関係などは、あまり話
さなかった。が、幸運にも、そのあと、私は幼児教育をするようになり、子どもと接触す
るようになった。そしてそういう子どもを見ながら、私が何であるかを、思い知らされる
ようになった。

 つまりは、「自分さがし」ということか。

 私はある日、思い切って、自分をさらけ出してみた。自分の過去を語ってみた。そのと
き私が最初に考えたのは、「相手がどう思うとかまわない」という居なおりだった。「どう
せ2人の人に、よい顔はできない」(イギリスの格言)と。

 しかしそれはすがすがしいほど、気持ちのよいものだった。そこでさらに自分をさらけ
出してみた。さらに気持ちよくなった。……あとは、この繰りかえし。私はいつしか、自
分をさらけ出すことで、私の中の私が、何であるか、わかるようになった。

 もちろん気まずいこともあった。後悔することもあった。不用意なさらけ出しで、相手
をキズつけてしまったこともある。そういう失敗もあるが、そういう流れの中で、私は、
自分らしく生きることのすばらしさを学んだ。

●みなさんへ

 さあ、みなさんも、勇気を出して、自分をさらけ出してみよう。
 あなたはあなただ。あなたにどんな問題があったとしても、
 それはあなたの責任ではない。あなたが恥じるべきことではない。

 指が5本、あるように。体が空気を吸って吐き出すように、
 あなたはあなたであって、あなたではない部分がある。
 そのあなたでない部分が、あなた自身を見えなくしている。
 そこではあなたは、本当のあなたが何であるかを知るために、
 自分をさらけ出してみる。「これが私だ。どこが悪い!」と。

 飾ることはない。見栄やメンツ、虚栄を張ることもない。
世間体という、他人の目を気にすることもない。あなたはあなただ。

それでその相手があなたを嫌うなら、その相手とは、それまで。
あなたに失望したりするようなら、その相手とは、それまで。
しかし本当の妻や夫、家族や友人は、それでも残る。
残ったとき、そこを基盤として、たがいの真の信頼関係ができる。

【追記】

 なんともまとまりのない文書ですみません。このつづきは、もう少し冷静になったとき、
考えます。ボツにしようかと考えましたが、記録として残すことにしました。考えてみれ
ば、私はこうしてマガジンを発行することによって、さらけ出しをしているのかもしれま
せん。読者のみなさんは、こうした文章を読んで、どのような印象をもちますか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●心の実験(あと始末)

++++++++++++++++++

大切なのは、あと片付けではなく、
あと始末。

日本人は、概して言えば、あと片づけには
うるさいが、あと始末には甘い。

++++++++++++++++++

 新幹線に乗ったときのこと。私の座った席の前のアミの中に、ごみが、いっぱい、あっ
た。空き缶に弁当箱など。それまで座っていた人が、そのままにしておいたらしい。

 私はそのゴミを見ながら、こう考えた。

 「始末してやるべきか、いなか」と。

 よく子どもたちに、何かをしてくれと頼むと、子どもたちはこう言う。「何で、ぼくがし
なければいかんのかア?」と。いやな言葉だ。先日も、「スリッパを並べて帰ってね」と頼
むと、小学2年生のN君も、そう言った。「先生、どうしてぼくがしなくちゃ、いけないの?」
と。そこで私が、「だれでもいいけど、君が一番先に、目についたから」と。

 そのあとN君は、しぶしぶ、本当にしぶしぶ、スリッパを並べてくれた。

 それを思い出しながら、私は再び、そのゴミを始末してやるべきかどうか、迷った。実
はそのとき、あのN君と同じ言葉が頭の中を、横切ったから。「どうして、私がしなければ
いけないのか?」と。

 何かよいことをすると、大脳の新皮質部から、脳の辺縁系の扁桃体というところに信号
が送られ、そこからモルヒネ様の物質が放出されるという。エンケファリン系、エンドロ
フィン系の物質だと言われている。そこで私は、心の実験をしてみることにした。

 私は自分のもっていたペットボトルを飲み干すと、アミの中からゴミを取り出した。そ
してそれらを一つの袋にまとめると、通路へ立った。あいにく、ゴミ箱は遠かった。しか
たないので、そこまで歩いた。

 歩きながら、自分の脳の中の変化を観察した。私の理論によれば、そして大脳生理学の
理論によれば、そのとき、扁桃体から、モルヒネ様の物質が放出されるはずだった。そし
て陶酔感に襲われるはずだった。しかし一向に、気持ちよくならない。

 私はゴミを捨てると、また自分の席に座った。しかしそれでも気持ちよくならない。は
っきり言えば、何の変化も起きなかった。「おかしいな?」とは思ったが、やはり何も起き
なかった。私の脳の中は、前と同じだった。

 で、実験は、終わり。「失敗」と書いたほうがよいのか。つまり、その程度の善行では、
モルヒネ様の物資は、どうやら放出されないらしい。それがわかった。あとでワイフに話
すと、ワイフは、こう言った。

 「そんなの、したければすればいい。したくなければ、しなくていい。したからいいこ
とをしたということにはならないわ。ああいうゴミは、ゴミを作った人が始末をすればい
いのよ。あなたの責任じゃ、ないわ」と。どうやら、それが、正解らしい。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親の喪失感

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ある母親は、自分の息子が結婚して家を出たとき、
その夜は、泣き明かしたという。

そればかりか、そのあとも、親戚中に電話をかけまくり、
「悔しい」「悔しい」と言って、泣きつづけたという。

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ある母親は、自分の息子が結婚して、家を出たとき、その夜は、泣き明かしたという。
そればかりか、そのあとも、親戚中に電話をかけまくり、「悔しい」「悔しい」と言って、
泣きつづけたという。

 で、それから10年あまり。再び、その母親に会う機会があった。ここに書いたような
ことを、ワイフから聞いていたので、そういった話題は避けたほうがよいと思っていた。
が、相手のほうから、その話題になってしまった。

 「林さん、息子を外に出すというのは、さみしいことですね」「息子なんて、育てるもん
じゃないですよ」「どうせ、嫁に取られてしまうんですから」と。ついでに「林さんところ
は、3人も息子がいるそうですね。かわいそうですね」とも、

 たしかにそういうさみしさ、つまり(息子を失ったという喪失感)は、ないわけではな
い。しかしそれは、育て方の問題ではないのか。

 たとえば今の今、私は、多くの子ども(生徒)たちを教えている。そういう子どもたち
を見ていると、親にべったりと依存されながら育てられている子どももいれば、そうでな
い子どももいる。

 「あんたは、いつか、親のめんどうをみるのよ。頼むからね」という育て方をしている
親もいれば、「あんたは、早くおとなになって、私を子育ての重荷から解放してね」という
育て方をしている親もいる。

 当然のことながら、前者のタイプの親ほど、子どもが巣立ったあと、喪失感は大きくな
る。どちらがよいということではない。前者のようなタイプの親をもつと、子ども自身も、
どこかマザコンタイプの子どもになりやすい。子離れできない親、親離れできない子とい
う関係になる。

 そこで私は、その母親にこう言った。

 「私は、早く子育てから解放されたいです」「解放されたら、ワイフと旅行をしまくるの
が、楽しみです」「ほら、人生で、一番楽しいのは、60代だと言うではないですか。夫婦
で好き勝手なことをして遊ぶことができる」と。

 しかしその母親は、そうでない。いまだに、その喪失感から抜け出すことができないら
しく、悶々とした毎日を送っている。そればかりか、息子の嫁と、張りあっているような
ところさえある。「私のほうが、すばらしい女だ」と。

 いろいろなタイプの親がいるが、こういうタイプの親もいるという意味で、ここに記録
しておく。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●K県のRさんより

+++++++++++++++++

K県のRさんより、メールが届いた。
息子たちと断絶状態にある。どうしたら
いいかという相談があった人である。

+++++++++++++++++

【Rさんより、はやし浩司へ】

以前、高校1年の息子と断絶状態にあると相談したものです。マガジンの方を読みました。
ありがとうございました。

あれから私の子供時代の記憶をたどっていきました。自分ができなかったことを、息子に
させ、して欲しかったことをしてやり、きっと子供にとっては、自分の行く先々を先回り
して、寄り道さえも軌道修正している、うっとおしい親だったのではないかと思っていま
す。

子供のことも振り返り、今思えば何度もSOSを発信していたのに、単なる愚痴のように
とらえてしまっていました。

上の子(現在、高3)が、中学校に入学してから、次男(現在、高1)は、次第に素行不
良になり、次男は中学に入学したとき、(そのとき長男は中3)、「お前はあの○○の弟だろ
う」と言われて、嫌な思いをしていたようです。

長男は高校に1年通いましたが、学校についていけず退学。その後通信制の高校に入学、
バイトなどをし、不規則な生活で、普通ではない家庭でした。

長男(キレやすい)とは、派手に何度ももめました。食卓も一緒に囲めない、顔も合わせ
ない、深夜徘徊はするという状態が続き、なるようにしかならないとあきらめてからは、
彼もいくらか落ち着き、(でも今でもキレやすいですが)、卒業後の就職のことを考えるま
でになりました。これからは歩いていく子供のうしろ姿を応援しながら、見ていけるよう
に努力したいと思います。いつの日かまた会話ができる日が来るのを待ちながら.……。

相談にのっていただき本当にありがとうございました。もっと早くに先生のHPを知って
いれば長男のときも、ここまでこじれずに済んだかも知れません。これからもここを愛読
させていただきたいと思います。

【はやし浩司よりRさんへ】

 「どこの家庭も似たようなものですよ」という言い方は、適切ではないかもしれません。
しかしあえて言えば、どこの家庭も似たようなものです。

 親子が仲よく、静かに会話をしあっている家庭など、今という時代には、さがさなけれ
ばならないほど、少ないです。つまり親子というのは、もともとそういうものだという前
提で、こうした問題を考えてください。

 1日のうち、一言、二言、会話があれば、まだよいほうです。あいさつさえ交わさない
親子も、珍しくありません。要するに、子どもには期待しないこと。

 が、子どもが、幼児や小学生のころは、そうでない。どんな親も、「うちの子にかぎって」
とか、「うちの子は、だいじょうぶ」とか、思いこんでいます。「休みには、どこかへ行こ
うか」と声をかけると、喜んでついてきます。

 しかしその歯車が、どこかで狂う。狂って不協和音を流し始める。最初は、小さな不協
和音です。その不協和音が、どんどんと増幅し、やがて手に負えなくなる。が、その段階
でも、それに気づく親は、まずいません。「まだ、何とかなる」「まさか……」と思う。思
って無理をする。子どもの心に耳を傾けない。

 親にしてみれば、あっという間の短い期間かもしれませんが、子どもにとっては、そう
ではありません。その(あっという間)に、子どもの心は、親から離れていく。本当に、
あっという間です。が、親のほうは、過去の幻想にしがみつく。「そんなはずはない」とで
す。

 しかし大きく見れば、それも巣立ちなのですね。いつまでも、「パパ」「ママ」と言って
いるほうが、おかしいのです。またこの日本では、(学校)というコースからはずれること
イコール、(落ちこぼれ)と考える傾向があります。が、そういう(常識)のほうが、おか
しいのです。

 そんなことは、ほんの少し、目を世界に向ければ、わかることです。日本の(常識)は、
決して、世界の(常識)ではありません。

 だから今のままでよいですよ。コツは、「今の状態を、今以上に悪くしないことだけを考
えて、静かに様子を見る」です。あとは、『許して、忘れ、時を待つ』です。これを繰りか
えしてください。

 あなたの子どもは、あなたの深い愛情を感じたとき、必ず、あなたのところに戻ってき
ます。そのときのために、今のあなたができることは、部屋の掃除をして、窓をあけてお
くことです。

 そして大切なことは、あなたはあなたで、自分の人生を生きる。前向きに、です。こう
した問題は、あなたが前向きに生き始めたとき、自然消滅の形で、解決します。ですから、
こう宣言しなさい。

 「あなたたちはあなたたちで、勝手に生きなさい。私は、私で勝手に生きるからね。つ
いでにあなたたちの分まで、がんばってやるからね」と。

 子どもといっても、いつか、あなたを1人の人間として、評価するときがやってきます。
そのとき、その評価に耐えうる人間であればよし。そういう自分をめざします。

 あとは、どういう状態になっても、あなたはあなたの子どもを信じ、支えます。おかし
な(常識)にとらわれないで、子どもだけをしっかりと見つめながら、そうします。

 幸いなことに、あなたの子どもには、それ以上の問題はないようです。今どき、不登校
など何でもない問題です。またキレやすいという部分については、思春期の病気のような
ものです。神経が過敏になっていますから。心の緊張感がとれないで、苦しんでいるのは、
子ども自身です。

 相手にせず、あなたはあなたで勝手なことをすればいいのです。相手にしたとたん、そ
れが子どものためではあっても、子どもは、それに反発します。まあ、何と言うか、そう
いうときというのは、被害妄想のかたまりのようになっていますから。心理学でも、そう
いった状態を、「拒否反応」と呼んでいます。そういうときは、何を言ってもムダと心得る
ことです。

 「親である」ということは、たいへんなことです。だったら、親であることを忘れてし
まえばいいのです。「私は親だ」という気負いがある間は、子どもは、あなたに対して心を
開くことはないでしょう。

 こんな原稿を書いたのを、思い出したので、ここに添付します。

+++++++++++++++++

【親が子育てで行きづまるとき】

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。

 「思春期の2人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、
大切にするということを、体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを
飼育してきました。

庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向か
い、読み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理もまめにつく
って、食卓も部屋も飾ってきました。

なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力も
せず、マイペースなのでしょう。旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子
どもたちは地理が苦手。

息子は出不精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。二人とも『自然』
になんて、まるで興味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪
くなるばかり。

私の子育ては一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニケ
ーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?」(K県・五〇歳の女性)
と。

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こん
な相談があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小3男児)は毎日、
通信講座のプリントを3枚学習することにしていますが、2枚までなら何とかやります。
が、3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでし
ょうか」と。

もう少し深刻な例だと、こんなのがある。これは不登校児をもつ、ある母親からのもの
だが、こう言った。「昨日は何とか、2時間だけ授業を受けました。が、そのまま保健室
へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいで
しょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」「2時間だけ授業を受けて、
今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。

仮にこれらの子どもが、プリントを3枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「4
枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。
「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。

そしてその子どもがC中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ
……」と。要するに親のエゴには際限がないということ。そしてそのつど、子どもはそ
のエゴに、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も
一瞬ドキッとした。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエ
ゴ。

もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの意
思や希望を確かめた形跡がどこにもない。親の独善と独断だけが目立つ。「生き物を愛し、
大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを
飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地
理が苦手。息子は出不精」と。この母親のしたことは、何とかプリントを3枚させよう
としたあの母親と、どこも違いはしない。あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の3つの役目である。この母親はすばらしいガイドであり、
保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。

とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。この母親が
見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャッ
プを感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」
であったのかどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどう
か。結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエ
ゴに気づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしが
みついている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表してい
る。

+++++++++++++++++

 今のRさんには、たいへんきびしい意見かもしれませんね。わかっています。しかしこ
れで冒頭に書いた、「どこの家庭も似たようなものですよ」の意味が、わかっていただけた
ものと思います。

 今の今も、実は、「これではまずいなあ」と思われる親子がたくさんいます。しかし私の
ような立場のものが、それにとやかく口をはさむのは、許されません。相手が相談してく
れば、話は別ですが、それまでは、わかっていても、わからないフリをする。そういう世
界です。

 そういう意味では、もっと、多くの人の、私のマガジンを読んでほしいと願っています
が、それとて、相手の決めることですね。

 これからも、末永く、ご購読ください。よろしくお願いします。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
親子の断絶 会話のない親子 思春期の子ども)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【付録】

【親子の断絶が始まるとき】 

●最初は小さな亀裂
最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限っ
て……」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音は
やがて大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は55%もいる。「父親のようにな
りたくない」と思っている中高校生は79%もいる(『青少年白書』平成10年)(※)。

が、この程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、
目と目をそむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、
子どもはやり返す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの
大喧嘩!

……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに
感謝されているはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。

●休まるのは風呂の中

あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察して
みてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気に
しないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好と
みてよい。

しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこ
かへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の
多くが、心が休まる場所としてあげたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに
(3)ふとんの中だそうだ(学外研・98年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。(1)権威主義、(2)相互不信、それに(3)リ
ズムの乱れ。

(1)権威主義……「私は親だ」というのが権威主義。「私は親だ」「子どもは親に従うべ
き」と考える親ほど、あぶない。権威主義的であればあるほど、親は子どもの心に耳を傾
けない。

「子どものことは私が一番よく知っている」「私がすることにはまちがいはない」という
過信のもと、自分勝手で自分に都合のよい子育てだけをする。子どもについても、自分
に都合のよいところしか認めようとしない。あるいは自分の価値観を押しつける。一方、
子どもは子どもで親の前では、仮面をかぶる。よい子ぶる。が、その分だけ、やがて心
は離れる。

(2)相互不信……「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親
が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、
鏡のようなものだ。

イギリスの格言にも、『相手は、あなたが思っているように、あなたのことを思う』とい
うのがある。つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなた
の子どもも、あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子
の間を密にする。が、そうでなければ、そうでなくなる。

(3)リズムの乱れ……三つ目にリズム。あなたが子ども(幼児)と通りをあるいている
姿を、思い浮かべてみてほしい。(今、子どもが大きくなっていれば、幼児のころの子ども
と歩いている姿を思い浮かべてみてほしい。)そのとき、(1)あなたが、子どもの横か、
うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)子どもの前に立って、子ど
もの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注意。今は、小さな亀裂かも
しれないが、やがて断絶……ということにもなりかねない。

このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」
と豪語する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、
それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、そう
だ。子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子
は、できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。あなたは、やがて
子どもと、こんな会話をするようになる。

親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるようになったか、それがわかっているの! お
母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ連れていってあげたからよ!」
子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。

●リズム論

子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が4拍子で、
子どもが3拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、2つの曲を同時に演奏すれ
ば、それは騒音でしかない。

このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続く
ということ。そのとちゅうで変わるということは、まず、ない。たとえば4時間おきに
ミルクを与えることになっていたとする。そのとき、4時間になったら、子どもがほし
がる前に、哺乳ビンを子どもの口に押しつける親もいれば、反対に4時間を過ぎても、
子どもが泣くまでミルクを与えない親もいる。

たとえば近所の子どもたちが英語教室へ通い始めたとする。そのとき、子どもが望む前
に英語教室への入会を決めてしまう親もいれば、反対に、子どもが「行きたい」と行っ
ても、なかなか行かせない親もいる。こうしたリズムは一度できると、それはずっと続
く。子どもがおとなになってからも、だ。

ある女性(32歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。
また別の男性(40歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。ど
こかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからん
でいるため、変えるのは容易ではない。

●子どものうしろを歩く

 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日から
でも遅くないから、子どものリズムにあわせて、子どものうしろを歩く。横でもよい。決
して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼ
くに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子
の断絶を防ぐ。

※……平成10年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を
※尊敬していない」の問に、「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」
※の問に、「はい」と答えたのは、51・5%。

また「父親のようになりたくない」は、78・8%、「母親のようになりたくない」は、
71・5%であった。

この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた55%の
子どもの中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。また、
では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。

この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。白書の性質上、
まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。それで
こうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

(参考)

●親子の断絶診断テスト 

 最初は小さな亀裂。それがやがて断絶となる……。油断は禁物。そこであなたの子育て
を診断。子どもは無意識のうちにも、心の中の状態を、行動で示す。それを手がかりに、
子どもの心の中を知るのが、このテスト。


Q1 あなたは子どものことについて…。
★子どもの仲のよい友だちの名前(氏名)を、四人以上知っている(0点)。
★三人くらいまでなら知っている(1点)。


Q2 学校から帰ってきたとき、あなたの子どもはどこで体を休めるか。
★親の姿の見えるところで、親を気にしないで体を休めているる(0)。
★あまり親を気にしないで休めているようだ(1)。


Q3 「最近、学校で、何か変わったことがある?」と聞いてみる。そのときあなたの子
どもは……。
★学校で起きた事件や、その内容を詳しく話してくれる(0)。
★少しは話すが、めんどう臭そうな表情をしたり、うるさがる(1)。


Q4 何か荷物運びのような仕事を、あなたの子どもに頼んでみる。そのときあなたの心
は…。
★いつも気楽にやってくれるので、平気で頼むことができる(0)。
★心のどこかに、やってくれるかなという不安がある(1)。

Q5 休みの旅行の計画を話してみる。「家族でどこかへ行こうか」というような話でよい。
そのときあなたの子どもは…。
★ふつうの会話の一つとして、楽しそうに話に乗ってくる(0)。
★しぶしぶ話にのってくるといった雰囲気(1)。

(評価)
15〜12点…目下、断絶状態
11〜 9点…危険な状態
8〜 6点…平均的


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【今朝・あれこれ】(11月14日)

+++++++++++++++++

息子のBLOGを読む。
親ばかなのか、息子のBLOGを読むと、
いつも、胸が熱くなる。

+++++++++++++++++

【EのBLOGより】

 僕は写真が好きだ。常にカメラを持ち歩き、ことあるごとにシャッターを押している。
同期の間ではいつの間にか記録係としての役割も任されているようだ。航大に来て、撮っ
た写真の数は述べ8000枚近くになった。プラス、動画も30GBを超えている。

 どんなに綺麗な写真でも、現実の景色に敵うものはない。そこには鮮やかな色があり、
温度があり、臭いがあり、音がある。ドラマがあり、心があり、思い出がある。写真でそ
のすべてを、未来の僕に伝えることは出来ない。だから僕は、一番いい景色には、レンズ
を向けない。ファインダー越しではなく、自分の目で見て、焼き付けておきたいから。写
真はあくまで、その最高の瞬間を思い出すためのきっかけに過ぎない。

 昨日、両親が仙台に遊びに来た。たった1泊と短い間だったが、一緒に街を巡り、一緒
に風呂に入り、同じ部屋に泊まって、同じものに感動した。小さい頃、父とはよく旅行を
したが、両親共に、は今回が初めてだった。

 航大にも来てくれた。父をキングエアの操縦席に座らせた。パイロットになる、なんて、
本当は反対したかっただろう父を、その気にさせた、『いつか本物の操縦桿を握らせてあげ
る』という2年越しの約束を、果たすことが出来た。

両親が来てくれたというのに、カメラの中はほとんど空っぽだった。綺麗な景色が、多
すぎたのだ。作並の紅葉はまた来年でも、その次でも、何十年後でも見られるだろう。
しかし、そこに両親がいる景色は、いったいあといくつ見ることできるだろうか。綺麗
な景色が、忘れたくない景色が、多すぎた。両親のいる景色を、目に焼き付けておきた
かった。

 来てくれて、ありがとう。

+++++++++++++++

おまえがカメラが好きだったとは、
知らなかった! ごめんな!

本物の操縦桿は、ズシリと重かった。
鉄アレイのような感じがした。

         パパより

+++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●打倒、韓国!(2)

++++++++++++++++

韓国が、日本にとってどういう国で
あるか、それが、この3〜4年で、
ヨ〜ク、わかった!

とくに現在のN政権になってからは、
そうである。

そこで、打倒、韓国! 日本がしかける
経済戦争は、静かに、しかし確実に、
目下、進行中!

++++++++++++++++

 韓国から外資が逃避し始めている。それは当然のことだが、その一方で、日本から台湾
への投資が急増している。

朝鮮N報紙によると、N紙が10月29日に入手した「外国人による証券投資資金の流
出入現況」という資料によると、今年に入って8月11日までに、韓国から流出した外
国人証券投資資金(株式、債券、配当金など)は、92億6400万ドル(約1兆83
8億円)にのぼるという。これは、1992年に株式市場を開放して以来、最大の額で
ある(06年)。 

 わかりやすく言えば、日本人投資家を中心として、韓国では、外国人投資家たちが、今
年に入ってから8月までの間に、約2兆円もの株式、債券などを、売り逃げているとい
うことになる。ここでいう「売り逃げ」とは、再投資を目的としない「逃避」をいう。

 が、その一方で、日本から台湾への投資が急増している。

 今年(06年)、1〜4月期の日本からの台湾投資は、2億1100万ドル(約238億
円)となり、前年同期比で、112%も増加している。(112%だぞ!)

 とくに、薄膜トランジスタ液晶表示装置、半導体、自動車、電子および部品、機械、ゲ
ームプログラムという、5つの中心産業での投資が著しい。そしてこれらの産業は、すべ
て韓国の国内産業と競合するものばかり。

 具体的には、NECは、台湾に台湾光電という会社を設立。台湾企業に、日本の主要I
T企業の生産(OEM)基地としての役割をもたせようとしている。

また、ソニーとNECは、2004年から、毎年50億〜60億ドル程度のIT製品を
台湾から購入しており、台湾に,インターネット情報家電、および、半導体研究開発セン
ターを設立している。

 わかりやすく言えば、日本は、現在、打倒韓国の旗印のもと、静かに、かつ密かに、台
湾の基幹産業にテコ入れを始めたということ。ターゲットは、もちろん、液晶パネル。す
でにその波及効果は、現れ始めている。

 数字の上で、結果をながめてみよう。

JPモルガンは、「台湾の加権指数(台湾株式市場の指数となる株価指数)は今年730
0まで上がり、07年には8000に至るだろう」と見ている。

 同じくJPモルガンは、「マイクロソフトのウィンドウズ・ビスタ発売でパソコンの需要
が見こまれ、TSMCが300ミリ・ウェーハファブ建設を発表するなど、半導体ファ
ウンドリ企業の見通しも明るい」と説明している。

 一方、韓国の半導体メーカー各社は、政府支援はさておき、ウォン高が足を引っ張り、
株価が大幅に下落している。

 韓国の現代証券によると、韓国の大手IT企業6社の株価は、今年初めから18・7%も
下がったのに対し、台湾の6社は0・7%の下落にとどまっている。さらにドル対ウォン
のレートは7%ウォン高になったが、ドル対台湾ドルのレートは1・1%ほど台湾ドルが
安くなっている。

つまり韓国とは対照的に、台湾の半導体企業は、実績も良く、投資も増えており、半導
体株は、現在はもちろん、来年の見通しも明るいということ。

 かつて日本の小泉首相は、「(反日も結構だが)、後悔するのは、韓国のほうだ」と、公の
場で、言い切った。その結果が、こうした数字に現れているとみてよい。

 もともと韓国の経済規模は、日本のそれとくらべると小さい。実力があるわけではない。
半導体を中心とする、IT産業にせよ、自動車産業にせよ、民間企業というよりは、国策
企業といったほうが、正しい。あらゆる面で政府支援を受け、手厚く保護されている。

 そこで日本は、台湾への投資をふやすことにより、台湾を日本のOEM基地化した。O
EMというのは、(Original Equipment Manufacturing)の略。方法はいろいろある。日
本のブランド製品を、台湾のメーカーに作らせたり、日本から技術を提供し、台湾メーカ
ーのブランドで作らせたりする。

 その結果、具体的には、世界最大の半導体ファウンドリ(受託加工)企業であるTSM
Cの今年7〜9月期売上は、824億8000万台湾ドル(約2950億円)で、去年同
期より17%も増加している。純利益は324億9000万台湾ドル(約1160億円)と、
前年同期比で33%も増加している。

 台湾ナンバー2の半導体メーカーであるUMCの7〜9月期の売り上げは、去年同期よ
り18%増の、278億5000万台湾ドル(約1000億円)を記録。純利益も、297%
増となっている。

 日本国内では、韓国に太刀打ちできるだけの安い製品を製造することができないから、
日本は、台湾にそれをさせている。わかりやすく言えば、台湾に代理戦争をさせている。

 目的は、もちろん、打倒、韓国! 負けるな、日本! ここが正念場! 何度も繰りか
えすが、これはサッカーの試合とはわけがちがう。日本という国の浮沈にかかわる、重大
な試合である。

●日本人よ、少しは世界を見ろ!

 韓国の俳優に、うつつを抜かすのも結構。NHKが、韓国のテレビドラマを、翻訳して
放映するのも結構。しかしそんなことをしたからといって、韓国人のもつ対日感情は好転
しない。

 日本人も、このあたりで、おかしな大国意識は捨てて、本気で経済戦争と取り組むべき
ではないのか。

 この浜松市を見ろ! 「浜松は工員の町」と思っていたら、今では、HONDAにせよ、
YAMAHAにせよ、SUZUKIにせよ、大工場は、みな、姿を消した。いつの間にか、
そうなってしまった。

 かわりに出てきたのが、花木産業(?)。しかし花木産業で、どれだけ市の財政が潤うと
いうのか。

楽器の町だったということは、私にもわかる。しかし楽器の町が、どうして音楽の町な
のか。ショパンコンクールだの、ロシアバレーだのと浮かれている間に、こうなってし
まった! 今では、YAMAHAにせよ、KAWAIにせよ、浜松市内に、工場は、ほ
とんど残っていない。

 わかりやすく言えば、「蝶よ、花よ」と浮かれている間に、こうなってしまった。

 そこで市のお役人たちが考えたことは、「市街地の活性化」。つまり、「化粧」。2000
〜3000億円もかけたAタワーにはじまって、毎年、500億円単位の税金を、惜しみ
なく市街地に注いでいる。

 市街地が活性化するかどうかは、あくまでも、「結果」。浜松市が発展すれば、その結果
として、市街地も活性化する。化粧で、ごまかせるような問題ではない。

 この浜松市は、そのまま日本の近未来を象徴している。韓国の俳優に、うつつを抜かす
のも結構。NHKが、韓国のテレビドラマを、翻訳して放映するのも結構。しかしその間
に、日本が、この浜松市のようになってしまったら、どうする?

 日本人よ、少しは頭を冷やして、足元をじっくりと見ろ!

【付記】

 少し前、愛知県の豊田市で講演をさせてもらった。その講演はともかくも、私は、あの
TOYOTA・シティを案内されて、驚いた。度肝を抜かれた。

 巨大なビル群、研究所群、それに工場群。10キロほど離れた、高速道路のパーキング
エリアから見ても、町全体が、さながら要塞のように大地に浮かびあがっていた。浜松市
にも、TOYOTAに匹敵するほどの自動車製造会社があるが、(……あったが)、町並み
の陰に、隠れてしまっている。

 これでいいのか、浜松!、と叫んだところで、この話は、おしまい。浜松市がこのまま
衰退していくのは、もうだれの目にも、明らか。もう、どうしようもない。今さら、何を
しても、遅い。手遅れ。しかし日本がそうなってはいけない。

 「ここが正念場」というのは、そういう意味。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●夫婦の不倫

++++++++++++++++

夫や妻の不倫は、配偶者をキズつける。
それは当然だが、問題は、なぜ、
夫や妻というより、人は、不倫をするか。

人というのは、もともと、そういう
生き物なのか。

++++++++++++++++

 性欲には、ものすごいパワーがある。それをあのフロイトは、「イド」という言葉を使っ
て説明した。性欲そのものが、生命力の源泉になっていると言っても過言ではない。

 で、問題は、その性欲を、人は、コントロールできるかということ。あるいはコントロ
ールするためには、どうすればよいかということ。

 結論から先に言えば、性欲を、知性や理性でコントロールすることは不可能ということ。
もしそんなことができるとしたら、人は、とっくの昔に絶滅していたはず。

 ノーベル文学賞をとったような、あの作家にしても、80歳をすぎた晩年になって、1
0代の若い女性に恋をしている。人間国宝にまでなった歌舞伎俳優にしても、やはり10
代の愛人をかこって、話題になったこともある。

 学校の教師によるハレンチ事件など、いまどき珍しくも何ともない。大学の教授ですら、
セクハラで、つぎつぎと職を失っている。

 なぜ、そうなのか?

 そもそも、性欲を司(つかさど)る脳みそと、それをコントロールする脳みそは、別の
場所にある。わかりやすく言えば、性欲を司る脳みそは、脳みその中心部にどっかりと腰
をおろしている。しかしそれをコントロールする脳みそは、前頭前野、つまり額の部分に、
限られている。

 それは、たとえて言うなら、性欲という像を、細い紐でコントロールしているようなも
の。

 そこで重要なのは、倫理であり、道徳ということになる。しかしそれにも、限界がある。
では、どうすればよいのか。

 私は、ここまでくると、もう2つの方法しかないと思う。

 ひとつは、宗教で、その人をしばるということ。もうひとつは、一夫一妻制そのものを、
一度、疑ってみるということ。とくに現代社会のように、夫婦といってもたがいの接触時
間の少なくなってしまった今は、そうである。夫は、毎日午前様。妻は夫の帰りを待つだ
け。朝は朝で、会話といっても、朝食のひとときだけ。

 そういう夫婦が、夫婦であること自体、おかしい。無理がある。

 が、だからといって、不倫を容認しているわけではない。不倫は、そのまま背信につな
がる。では、どう考えたらよいのか。

 世の中には、いろいろな夫婦がいる。あまり表には出てこないが、毎週のようにスワッ
ピングを楽しんでいる夫婦がいる。自分たちのセックスの様子を、見せあっている夫婦も
いる。さらには、混浴の会というのもある。日本版のヌーディストクラブのようなもので
ある。

 「どうしても不倫したい」ということなら、夫婦で話しあって、そういう会を利用する
のも、よいのではないか。ことセックスについていうなら、セックスそのものには、大き
な意味はない。食欲から生ずる食事のようなもの。便の排泄のようなもの。

 現にオーストラリアには、家族ぐるみのヌーディストクラブが、あちこちにある。(家族
ぐるみ、だぞ!)ときどき友人が、自分が属するクラブの写真を送ってきてくれるが、そ
の中には、子どもはもちろん、10代、20代の息子や娘も、いっしょに写っている。実
にあっけらかんとしていて、いやらしさがまるでない。

 割り切ることができるなら、そこまで、割り切ればよい。

 それを「浮気だ」「不倫だ」と、おおげさに構えるから、ことがおかしくなる。「背徳だ」
「背信だ」と、おおげさに考えるから、ことがおかしくなる。

 たしかに夫婦にも、倦怠期というのがある。食事にたとえるのも不謹慎なことかもしれ
ないが、毎日、毎晩、同じ料理では、食べるほうも、あきるだろう。そういうふうに思う
人がいたとしても、おかしくない。

 ただこの点については、「男」と「女」は、基本的に、考え方がちがうところがある。…
…と考えられていた。しかし、このところ、どうやらそれもあやしくなってきた。たとえ
ば高校生についてみるなら、セックスの体験率だけをみても、今では、男女ともに、差が、
ほとんどなくなってきている。

 つまり男も、女も、「性」を、厳粛なものから、楽しむものへと、意識を変えつつある。

 もっとも、この意識には、個人差がある。セックスを、便の排泄と同じように考える人
もいれば、夫婦の絆(きずな)の中心に置く人もいる。人それぞれだが、夫婦の間で、そ
の意識がちがったとき、多くのばあい、それはそのまま家庭騒動につながる。とくに日本
のばあい、「性」、なかんずく「セックス」に対して、根強い偏見が残っている。

 もう30年以上も前の話だが、スウェーデンの性教育協会の会長の、E・ベッテルグレ
ン女史の通訳として、日本中を回ったことがある。そのベッテルグレン女史が、こんな話
をしてくれた。

 スェーデンの大学では、セックスの実技を、講座として、みなの前でしてみせている、
と。

 教官が、「A男さん、B子さん、前に出てきて、セックスをしてみせてください」と。教
室の前には、マットが敷いてある。

 それに応じて、A男とB女が、みなの前で素っ裸になって、そのマットの上で、セック
スをしてみせる。教官は、それを見ながら、「ここは、もっと、こうするといい」「こうす
ると、相手がもっと喜ぶ」と指導している、と。

 日本人には信じられないような話かもしれないが、実は、当時の私にも、信じられなか
った。しかし、それは事実だった。その講義を撮影したスライドも、見せてみらったこと
がある。

 「裸」、それに「セックス」に対する考え方、そのものがちがう。たとえば北欧の国々で
は、サウナ風呂にしても、老若男女の区別はない。ないものは、ないのであって、それ以
上の言い方ができない。みなが、素っ裸で、混浴を日常的に楽しんでいる。

 「不倫」という問題も、その上で考えなければならない。言いかえると、こう考えてい
くと、何が不倫で、何が不倫でないか、わからなくなってくる。要するに、それぞれの夫
婦が、それぞれの自覚と責任をもって行動すればよいということ。遠慮する必要もないし、
それが道徳的でないとか、倫理的でないとか、そんなふうに考える必要もない。

 ちなみに私は、ワイフに、「お前は不倫をしたことがあるか?」と聞いたことがない。聞
いても、どうせ本当のことは言わないだろう。同じように、ワイフも私に聞かない。聞か
ないから、そういった質問に答えたことがない。

 もちろん、そこに「心」が入ってくれば、話は別である。それについては、また別の機
会に考えることにするが、「心」がはいってくると、夫婦の基盤そのものが、危機的な状況
に追いこまれる。それは警戒したほうがよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●ボケ症状

++++++++++++++++

相手の名前を忘れのは、ボケでは
ないそうだ。

朝食に何を食べたかを忘れのも、
ボケではないそうだ。

朝食を食べたことすら忘れてしまう。
それがボケだそうだ。アルツハイマー
病になると、そうなるそうだ。
(「中日サンデー」(11・12)版より)

++++++++++++++++

 記憶は、(記銘)→(保持)→(想起)というプロセスを経て、脳に格納され、保持され、
そして呼び出すことができる。ボケでは、このうち、(忘れる)ということに焦点をあて、
「もの忘れがひどくなったら、ボケ」というふうに、考えられている。

 しかし実際には、これはあくまでも、私の印象だが、このうちの(記銘力)が、極端に
弱くなった状態を、ボケというのではないか。このことは、子どもたちの世界を見ている
と、よくわかる。

 最初からやる気のない子どもに、何かを教えても、ムダ。教えたことがその子どもの頭
の中に入っていかない。たとえばいやいや掛け算の九九を暗唱している子どもを、想像し
てみよう。いやいやだから、脳の中に、掛け算の九九が、入っていかない。記銘されてい
かない。

 そういう子どもをさして、だれも、「この子どもはボケている」とは、言わない。

 同じように、たとえば今、私は、昨日の朝食について、何を食べたかを思い出そうとし
ているが、それがよくわからない。「いつもと同じものを食べた」という思いは、どこかに
残っている。が、それだけ。

 つまりそのとき、私は、新聞か何かを読みながら、朝食をとっていた。何を食べたか忘
れたのではなく、最初から、何を食べたか、記憶に残そうとしなかった。だから今、何を
食べたか思い出すことができない。

 で、最近、私は、こんな経験をしている。

 私の知人の中に、このところ、「?」と思う人がいる。Aさんなら、Aさんとしておこう。
今年、65歳くらいになる。念のため、申し添えるなら、65歳以上で、ボケ、つまり認
知症高齢者になる人は、約11%だそうだ。10人に1人ということになる。

 そのうちの約50%が、アルツハイマー病。39%が、脳の血管がつまって起こる脳血
管性認知症だそうだ(同、資料)。また18〜64歳までの間に発症したばあいを、若年性
認知症と呼んでいる。働き盛りの40〜50代に多いとされる。若年性認知症の患者は、
全国で、2万7000〜3万5000人もいるという。

 そのAさんだが、電話のたびに、様子が変化する。変化するというよりは、一貫性がな
い。連続性がない。

 何かの仕事を頼むと、そのときは、明るい声で、「いいですよ」「簡単なことです」と言
う。しかしつぎに電話をすると、そのことを、すっかり忘れてしまっている。そして私が
仕事を頼んだことについて、あれこれと不満を言い始める。

 気分屋というよりは、つかみどころがない。「心の暖かい人だな」と思ったそのあとには、
反対に、ぞっとするほど冷たくなったりする。

 こうした一貫性のなさ、連続性のなさも、ボケ症状のひとつと考えてよいのでは。つま
りボケというと、えてして(記憶)という部分にだけ焦点が当てられがちだが、一貫性、
連続性も、重要なポイントではないかということ。

 わかりやすく言うと、会うたびに様子が変化するとか、前回言ったことを忘れてしまっ
ているというようであれば、かなりアブナイということになる。

 それにもうひとつ気がついたことがある。そのAさんだが、たいへんこまかい。ふつう
なら、「昨日、郵便局でいやなことがありました」ですむような話でも、それについて、こ
とこまかく、説明をし始めたりする。

 「郵便局の玄関先に、傘立があって、その傘建てには、10本くらいの傘があって、そ
のうちの1本が、私の傘の模様に似ていた。私の傘は、水色の模様だが、その人の傘の模
様は、水色だが、波模様……」と。

 そういった話が、いつまでもつづく……というより、どんどんこまかくなっていく。

 仮にAさんの一連の症状が、ボケによるものだとするなら、どうでもよいようなことに、
異常なほどまでにこだわるのも、ボケの症状と考えてよいのではないか。もっとも、(うつ
病)と、(ボケ)は、どちらが(本病)で、どちらが(表病)か、わからないことが多いそ
うだ。

 うつ病になると、ボケに似た症状を示すことがあるという。反対に、ボケてくると、う
つ病に似た症状を示すことがあるという。(ほかにも、ボケに似た症状を示すものに、慢性
硬膜下血腫や、正常圧水頭症などもあるという。)言うまでもなく、(異常なこだわり)は、
うつ病の症状の代表的な症状のひとつである。

 ……となると、Aさんは、ボケではなく、うつ病ということになるのか? 私は専門家
ではないので、よくわからないが、このところ、こういったことが、たいへん気になる。
私自身が、その危険年齢に達したということもある。近隣の人たちの中に、そういった症
状を示す人がふえてきたということもある。

 人間が人間であるのは、脳みその機能が、ほかの動物たちとはちがうからである。しか
しその脳みそが、ほかの動物以下になってしまったら……。その時点で、私は私でなくな
ってしまう。あなたはあなたでなくなってしまう。

 これはきわめて深刻な問題と考えてよい。私も、10分の1の確率で、頭がボケる可能
性がある。

(注)昔は、「ボケ」といった。それを、少し前までは、「痴呆症」といった。最近では、
そのどれも、侮べつ的な響きがあるということで、「認知症」という。

 しかし言葉というのはおもしろいもので、認知症という言葉が定着してくると、今度は、
その「認知症」という言葉が、侮べつ的な響きをもつようになった。

 言葉を変えても、それに対する人の思いまでは、変えられないということか。私は、「ボ
ケ」という言葉をよく使う。他人に対して使う言葉というよりは、自分自身に対して使う
ことが多いからである。

 「私はボケたくない」という意味で、「ボケ」という言葉を使う。認知症の人たちを、決
して、侮べつしているのではない。誤解のないように!



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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 13日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●東京のおバカさん

++++++++++++++++++

東京のおバカさんが、またまたおバカな
発言をして、問題になっている。

権力者のおごりというか、人も、長い間、
権力の座についていると、ものの考え方が、
一般庶民とは、遊離してくるものらしい。

++++++++++++++++++

 私も、内心では、そう思った。思ったが、万に一つの可能性があるからこそ、それを言
葉に出して言うことができなかった。その前に、ものを書く人間の大鉄則として、人の「死」
については、それが未遂であれ、予告であれ、軽々しく論じてはいけない。人の「死」は、
それほどまでに重い。

 しかしその予定日は過ぎた。予告どおり、自殺事件は起きなかった。だから今にして言
えば、あの(自殺予告手紙)なる手紙は、いたずらだったということになる。

 が、あの東京のおバカさんは、テレビの対談番組の中で、こう述べたという(C新聞報
道)。

 「(手紙はいたずらだったという認識を示した上で)、予告して自殺するバカはいない。
今日はあれ(予定日)だったんじゃ、ないの。あと1時間ね。やるなら、さっさとやれて
いうの」と。

 「完全に人騒がせのおもしろがり。あれは中学生の文章じゃない。いじめという深刻な
問題に、こと借りて、いたずらをする存在を許してはいけない」とも。

 おバカさんは、10日の定例記者会見の席でも、「おとなの文章だね。あれだけの騒ぎに
なって、当人は死なないの? 死ぬの?」などと発言していたという(同、報道)。

 私も、当初から、いたずらとみていた。(おとなの書いた文)というよりは、(中学生の
書いた文字ではない)という点から、そう思った。トメ、ハネなどが、まったくない文字
だった。

 しかし万に一つの可能性、つまりひょっとしたら、どこかの中学生が本当に、自殺予告
で書いた手紙であるという可能性があるならば、ここにも書いたように、それを言葉に出
して言うことは、許されない。

 それがものを書く人間の良識というもの。いわんや、「やるなら、さっさとやれていうの」
とは!

 こういうのを、権力者のおごりという。世の中には、その日の生活を送ることにさえ苦
労している人がいる。苦しんでいる人がいる。そういう人をさして、「そうなったのは、お
前らが悪い」と言うのと同じくらい、傲慢(ごうまん)な意見である。人も長い間、権力
の座についていると、ものの考え方が、一般の庶民とは遊離してくるものらしい。

 もっとも、おバカさんの発言にも、一理ないわけではない。

 自殺というのは、予告してできるものではない。自殺というのは、もっと衝動的なもの。
(1、2週間も前から予告する)という冷静さのある人には、自殺など、できない。いわ
んや、子どもをや。

 ただ(死)への願望はあるかもしれない。その願望に、あるとき、突然、火がつく。そ
してそれが爆発的に肥大して、つまり衝動的に、自殺へとつながっていく。

 それに子どもの自殺は、連鎖性があることからもわかるように、おとなの自殺とは、や
や異なった側面をもっている。いわゆる自己主張としての自殺である。わかりやすく言え
ば、(死)をかぎりなく幻想的に美化する。それがベースにあって、追いつめられた自分を
解放させるために、子どもは、自殺を選択する。心に何らかの病気をもっているケースも、
もちろん、ある。

 つまり(いじめ)と(自殺)を短絡的に結びつけて考えてしまうと、子どもの自殺を理
解することができないばかりか、子どもの心を見誤ることになりかねない。しかしこうい
った話も、あくまでも一般論であって、個々の子どもの自殺について、それを当てはめて、
ものを言うのは正しくない。

 子どもにかぎらず、自殺をする人には、私たちが想像できないほど、深い、悲しみや苦
しみがある。先に「軽々しく論じてはいけない」というのは、そういう意味である。

 ますます庶民の心を見失っていく、東京のおバカさん。過去の栄光はともあれ、東京の
人たちも、一度、このあたりで、本当にあの人はすばらしい人なのか、一度、立ち止まっ
て見なおしてみる必要があるのではないだろうか。

 現に昨日(12日)も、この自殺予告手紙とは無関係だと思うが、埼玉県下で、中学3
年生の男児が、自宅敷地内で、首をつって自殺している。

ほんの15〜20年前には、「12歳未満の自殺はない」というのが、この日本の常識だ
ったのだが……。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【作並温泉(宮城県・仙台)旅行記】

++++++++++++++++

三男に会うために、仙台へ行ってきた。
考えてみれば、入学式のとき、横浜の
Y大学へ行ったきり。以来、私は一度も、
三男の大学へ、行ったことがない。

++++++++++++++++

●新幹線の中で……

電車が猛烈な勢いですれちがった。それを見てワイフが、『速いわね』と。

私「50代男のセックスみたいだ」
ワ「何よ、それ」
私「あっという間にすれちがうということ」
ワ「でも、瞬間よ」
私「そんなもの……。へたに長引かせると、あとでチン痛が起きる」
ワ「何、それ?」
私「言わなかったかい? 後遺症のようなもので、1、2日の間、痛いということ」
ワ「だから早くすますわけ?」
私「それに50代になると、出るのもほんの数滴になる。まあそのあたりでやめておいた
ほうがいい。へたにドバッと出すと、翌日、歩けなくなる」
ワ「女はそういうことはないわよ」
私「知らなかった……。女もそうかと思っていた……」と。

意味のない会話がつづく。 

大宮を出て、30分。やっとビルの群れが消えて、住宅地が見えるようになった。とき
どき、緑の小山や川も見える。

再びワイフが、「東京って大きいわね」」と。

私「あのね、もうここは東京ではないの。埼玉だよ」
ワ「東京からずっとつづいているから東京よ」
私「そう言われてみれば、そうだね」と。

携帯電話に、今日のために、数100曲も音楽をいれてきた。しかし肝心のイヤホンを
忘れてしまった。

パソコンももってきた。が、電源を入れたとたん、バッテリー切れ。コンセントをつな
がないまま、充電したらしい。何かとこのところ、へまをすることが多くなった。

しかたないので、携帯電話のメモ機能を使って、文章を書く。

やがて窓の外には田園風景が見られるようになった。東京8時28分発のはやてに乗っ
た。今、時刻は、9時25分。仙台には10時11分着の予定。

●あいにくの雨

外は霧。それとも雨? 視界は2キロもなかった。水墨画を、さらに白いフィルターを
通してみたような景色だった。「飛行機だったら、計器飛行だね」」と。

このところ何かにつけて、話題といえば、そのまま飛行機の話になる。

ときどき短いトンネルを抜ける。ワイフは目を閉じて眠り始めた。わたしは雑誌を読む。
外の景色とはうらはらに、社内はのどか。ゴーゴーという風を切る音にしても、海の潮
騒のよう。

座席は7号車の16AとB。前列から2列目。さきほどワイフが、「東北新幹線のほうが
せまいわね」と言ったが、心なしか、そんな感じがしないでもない。室内が暗いせいか
もしれない。床も天井も、すすけた灰色をしている。電気も暗い。そう言えば列車自体
が短い(?)。17番までしか座席がない。

何でもでもこのはやては、八戸まで行くそうだ。それを知って、フーンとうなづく。仙
台まであと半時間。せっかくの紅葉もくすんで見える。小さなトンネルを何度もくぐり
ぬける。

私もやがて目を閉じた。

++++++++++++++++

●旅館で……

 風の音に驚かされて、目が覚める。時刻を見ると、午前2時30分。昨夜は、午後9時
ごろ床についたはず。いつもより早いが、それでも6時間弱は眠った? 温泉での料理は、
海鮮を中心とした、たいそうなもので、いつもの数倍は食べた。

 眠る前に、もう一風呂、浴びた。

 宿の名前は、湯の花ホテル。料金はまだ聞いていないが、1泊2万円前後ではないか。
三男が予約してくれた、

 しばらく眠ろうと努力したが、やはり風の音。時折、遠くで、トタン板が、バンという
音をたてる。障子戸をあけて外を見ると、まっ白な雲にはさまれて、鮮やかな月がそこに
あった。

 「よかった」と思った。昨日は雨。せっかくの紅葉も、どこかくすんで見えた。「雨の紅
葉もいいものだ」と、負け惜しみも言ってみせた、本当は、陽光に映える紅葉が、一番。

●ただ券

 風の音をのぞけば、静かな夜だ。1時間ほどがんばってみたが、結局は眠られず、こう
して起きて、パソコンに電源を入れる。

 満ち足りたとき。おだやかに、心休まるとき。

 昨夜、夕食のとき、三男がこれからのことを話してくれた。今の航空大学校を卒業した
ら、J社かA社に入社したいとのこと。「できればJ社に」と。理由を聞いたら、「国際線
に乗りたい」と。そしてこう言った。

 「3か月勤務すると、パイロットは、ただ券をもらえる。そうなれば、たた券をパパや
ママにあげるから」と。つまりそれを使って、自由に世界一周旅行をしたらよい、と。

 本人も、世界一周旅行を計画しているらしい。「年間の有給休暇が20日間、もらえるか
ら」と。

●操縦

飛行機には無数の計器がついている。スイッチの数も、それ以上に多い。

飛行機のエンジンにスイッチを入れるとしても、まるでピアノの鍵盤をたたくように、
指先をリズミカルに動かす。それを数分間つづける。

エンジンを切るときもそうだ。「タービンのエンジンの温度が、適正温度にさがるまでま
たなければならない。でないと温度差で、タービンが破壊される」と。

思った以上に飛行機の操縦は複雑なようである。計器やスイッチは、飾りのためにある
のではないようだ。

私はそのつど説明を聞きながら、フーと、ため息をもらす。ついでに、「とてもぼくには
無理だ」と思った。

●グランプリ

 ところで三男の制作したビデオが、FISHEYE・国際コンテストで、グランプリ、
つまり最優秀賞を獲得した。夢のような話である。ヨーロッパではよく知られたコンテス
トらしい。

 で、宮崎Kテレビの友人2人が、三男に代わって、モスクワ(ロシア)まで表彰式に行
ってくれたという。「本物の金のトロフーがもらえた」と、三男は言った。「メッキだろ?」
と言うと、「本物だ」と。「ロシアは、金の産地だから」とも。ほかに馬頭琴なども、もら
ったとか。

 「こんなバカげたことがあるのか」と思ったが、それは言わなかった。

 何でも、11月23日に、九州の都城市の市民センターで、表彰式があるという。約1
300人の市民が、その会場をやってくることになっているという。しかもロシアから。
主催者の1人が、来賓としてやってくるという。地元のテレビ局が、大々的に、祝ってく
れるらしい。

 で、その受賞理由がおもしろい。

 「ほかの作品は、どれも、プロが一級のカメラを使って制作したものばかりだが、三男
の制作したビデオについては、まったくのアマチュアが、デジタルカメラを使って制作し
たところがいい」と。

 言い忘れたが、賞品は、そのとき、つまり11月23日に、三男にみなの前で手渡され
るという。

●巣立ち

子どもたちはやがて巣立っていく。子どもの方にはそういう意識はなくとも、親の方は、
子どもが去っていくと感ずる。その喪失感はどうしようもない。子どもたちは、みな、
自分のできなかったことをつぎつぎと成し遂げていく。心の中の恋人が遠くて行ってし
まうような感じがする。が、だからといって、どうすることもできない。子供には子供
の人生がある。私たちには私たちの人生がある。

で、どういうわけか息子たちを前にすると、自分の動作が老人臭くなるように感ずる。
歩き方まで、ふと気がつくと、老人臭くなる。

これはおそらく私が見てきた老人の姿が、脳みそにインプットされているせいではない
か。私の母などは、50代のころから、老人臭く見せることで、私たちの同情をかおう
としていた。それが無意識のうちにも、私の中で再現されているようだ。

これはおもしろい現象だと思う。

で、私はそういう自分と懸命に戦う。あえて若々しくふるまう。階段をのぼるときも、
道を歩くときも、元気よくする。

老人は老人になるのではない。自ら老人臭くなっていく。つまり自分の頭の中に老人像
をつくり、それに合わせようとする。

しかし老人って、何。どうして私たちは自ら老人臭くならなければならないのか。とく
に子どもたちの前ではそうだ。子どもたちには、不要な心配をかけたくない。「前向きに
生きろ」と教えることは、不要な心配をかけないといことだ。が、それは子どもたちの
ためであると同時に、実は自分のためでもある。

子どもが去っていくさみしさを感ずる暇がったら、自分も前向きに生きればよい。私た
ちには、死ぬまで終わりはない。終わりの準備をするとしても、それがわかったときか
らでよい。

……といっても、本当のところ私には自信がない。頭の中では、よくわかっているつも
りだったが、いざ自分がその立場に立たされると、自分をどうコントロールしてよいか
わからなくなるのではないか。はたして私は、そのときまで、現役のまま、がんばるこ
とができるだろうか。

息子の寝姿を見ながら、そんなことを考える。

●操縦桿

 昨日、航空大学校の格納庫で、生まれてはじめて本物の操縦桿を握った。飛行機は。ビ
ーチクラフト社製のキングエア。双発、ジェットプロポ機である。つまりジェットでプロ
ペラを回転させて飛ぶ飛行機である。

 握った感じは、ズシリと重い鉄のかたまりといったふう。ゲームで使うプラスチック製
のものとは、質量感が、まったくちがう。それに小さかった。全体でも両手を広げたほど
の大きさしかない。あるいは、それよりも、一回り、小さい。

 整備士の男性が、機内をあちこち説明してくれた。若い男性だったが、航空機の世界で
は、分業が、きわめて明確に徹底されている。整備士は整備士、機長は機長、と。それぞ
れが自分の持ち場に対して、責任をもつ。

 たがいに干渉しない。たがいに全幅に、信頼しあう。おもしろい世界だと思う。

●再び、ただ券

 この作並温泉といえば、宮城のこけしが有名。途中、大きなこけしの像が立っているの
を見かけた。ほかに仙台の笹かまぼこ。牛タンも有名だが、昨日、昼食で、それを食べた。
3人で、特上の牛タンを食べた。1人、2000円だった。

 牛タンと麦飯、それにとろろ汁がついていた。おいしかった。

 で、夕食は、先に書いた、旅館での豪華なもの。食べきれないほどの料理だった。いつ
もなら、その10分の1以下ですますところだ。

 が、三男との話が、はずんだ。

私「ただ券は。何枚でももらえるのか」
三「申請を出せば、何枚でももらえる。ただし2親等まで」
私「じゃあ、ぼくらももらえる?」
三「そう。それにね、世界の航空会社がそれぞれ提携しているから、世界中の飛行機に乗
ることができる」
私「それはいい。その年齢になったら、毎週のように、世界へ行ける」
三「そうだね」と。

 しかし人にものをもらうのは、気持のよいものでない。相手がたとえ三男であっても、
だ。

●紅葉

 風が収まってきたようだ。先ほどのようなトタンを揺らす音は消えた。明日の紅葉が楽
しみだ。昨日、この作並温泉へ来るとき、燃えるような紅葉を、ずっと見てきた。

 そう、私が、花や緑を好きになったのは、ここ10年ほどのことである。それまでは、
ほとんどといって、関心がなかった。が、山荘で生活するようになって、一変した。

 山の中の自然は、強烈だった。とくに5月の新緑の若葉には、感動した。つまりそれが
きっかけだった。それ以後は、美しい花を見たり、こうした紅葉を見たりすると、子ども
のように興奮し、はしゃぐようになった。

 ウソや体裁で、はしゃいでいるのではない。そういうものを見ると、ワーッと声をあげ
たくなるほど、感動する。

 昨日も、そうだった。三男が運転する車の中から、何度も、声をあげた。紅葉といって
も、このあたりでは、スケールそのものがちがう。野原全体、山全体、風景全体が、その
紅葉に包まれる。

●生きがい

 こういうときは、いろいろと人生について考える。「今までの私の人生は、何だったのか
なあ」と。同時に、「これからの人生は、どうなるのだろう」と。

 わかりやすく言えば、人は、夢と希望があれば、生きていかれる。その夢や希望から、
目標が生まれる。しかしもし、その夢や希望をなくしたら……。

 つまり生きるということは、最後の最後まで、その夢と希望をもちつづけること。それ
さえあれば、何とか生きていかれる。もちろん健康や収入も必要だが、しかしそれだけで
は、生きていかれない。

 悠々(ゆうゆう)自適な人生というが、毎日庭いじりだけをしてすごすというのは、人
生ではない。で、では、私の夢や希望は何かというと、どうもそれもはっきりしない。

 今は、電子マガジンを発行することが、生きがいになっている。毎日、しなければなら
ないことがあるというだけでも、ありがたい。しかしそれが私の夢や希望かというと、そ
れは疑わしい。

 あえて言うなら、読者がふえることだが、しかしそれについて「だから、どうなの?」
と聞かれると、これまた、どうも、はっきりしない。だから、どうなのだろう?

 それにこのところ、マガジンの読者は、頭打ち。かわって、BLOGのアクセス数が、
急速に伸びている。毎日、200〜300件近い人がアクセスしてくれる。今は、電子マ
ガジンの10分の1程度だが、やがてBLOGの読者のほうが、多くなるかもしれない。
そんな予感がする。

 私にとっては、それが夢や希望なのか?

 それが今、本当のところ、よくわからない。

●入野地区での講演会

 今、一番、気になっているのは、入野地区での講演会。私が現在、住んでいる町内であ
る。

 町内といっても、入野町だけでも、人口は3万人以上。ひとつの町ほどの大きさがある。
昔は「入野村」といって、浜松市から独立していた。その入野地区での講演会。ひとつの
中学校と3つの小学校がある。

 先週、回覧版で、その講演会の知らせが、各戸に配られた。ワイフが、テニス仲間から、
そういう話を聞いてきた。

 「いよいよか……」という思いが強くなる。なんと言うか、絶壁の淵(ふち)に立たさ
れたような気分。私は、今までの講演活動の締めくくりとして、自分をすべてさらけ出し
てみようと思っている。

 ありのままの自分、それを話してみたいと思っている。つまりは、それが(自分を知る
こと)であり、哲学の究極の目標ということになる。そう、ただの子育て論、ただの教育
論で、終わりたくない。

 できれば、それを最後に、講演活動から、足を洗いたい。あとはいくらやっても、同じ。
これから先、5年やっても、10年やっても、同じ。

1、2年どころか、半年もすれば、みな、私のことや私の言ったことなど、忘れる。

 そうそう講演会と言えば、おととい、北海道のD市から、講演依頼があった。うれしか
ったが、ていねいに断った。北海道で講演会など開いて、だれが来てくれるだろう。私の
知名度は、かぎりなくゼロに近い。それに遠方、すぎる!

●ヘマ

 ワイフと三男は、背中をこちらに向けて、安らかに眠っている。私は、窓際の廊下に出
て、パソコンのキーボードをたたく。

 今回の旅行では、いくつかのヘマをした。先にも書いたが、

(1)携帯電話のイヤホーンを忘れた。せっかく数100曲も音楽を収録してきたのに。
(2)パソコン用のメガネを忘れた。遠視用のものだが、今もパキーボードの文字がよく見えな
い。
(3)パジャマを忘れた。私は旅館の浴衣では、足がスカスカして眠られない。
(4)パソコンのバッテリーに充電してくるのを忘れた、などなど。

 一日前から、旅行の準備をしてきたのに、このザマ。私も、少しボケてきたのかもしれ
ない。

●山本さん

 航空大学校の仙台校を訪れて、一番先に思い出したのが、私の学生時代の先輩の山本さ
んだった。

 山本さんというのは、実名である。合唱団に席を置いていて、テノールの澄んだ声の持
ち主だった。

 その山本さんは、2年の終わりまで金沢大学の理学部にいて、3年になるとき、金沢大
学を中退して、航空大学校に入学した。

 で、三男が航空大学校に入学したあと、それが気になって、インターネットで、山本さ
んを検索してみたが、山本さんの名前を見つけることができなかった。あのまま航空大学
校を卒業していれば、今ごろは、どこかでパイロットをしているはず。

 一年先輩だったから、今年、満60歳ということになる。

 そのことを三男に話すと、「今度、調べておくよ」と約束してくれた。私は合唱団では、
どうしようもないほど、へたくそで、みなの重荷でしかなかった。が、山本さんだけは、
私に親切にしてくれた。あの(やさしさ)だけは、今も、忘れることができない。

●仙台市

 こちらへ来てみて驚いたこと。まず仙台市の大きさ。大都会である。浜松駅とくらべる
のもヤボなことだが、仙台駅の大きさだけでも、数倍以上は、ある。九州の博多駅ほどは、
ある。

 つぎに町並みの美しさ。緑が多い。青葉城跡公園へも行ってみたが、そこから見える仙
台の街は、緑の森に、すっぽりとおおわれていた。オーストラリアのメルボルン市を思い
起こさせてくれた。

 中央に東北大学があるのがよい。5、6年前のことだが、愛知万博の会議で、その東北
大学の学長をしていた山折先生と、何度か会ったことがある。「先生は、こんなところにい
たのだなあ」と、感慨深かった。山折先生は、私のことなど、覚えていないだろうが……。

 それに東北へ来てみて、本能的に感じたのは、人々のぬくもり。やさしさ。

 私が住む浜松市も、地方の大都市だが、人々が、このところ、ますますドライに、かつ
冷たくなってきているように思う。物価も高い。たとえば食堂でも、目一杯、客から金を
ふんだくってやろうという感じが、よくわかる。

 しかしこの仙台市には、ない。

 そう言えば、今も、この仙台市に住んでいるかどうか知らないが、佐藤さんという人も、
そう言っていた。「仙台へ来て、いかに浜松がつまらない町かがわかりました」と。

 仙台は文化都市というわけだが、この仙台に来てみて、それに納得した。ワイフも、一
目で仙台にほれてしまったらしい。さかんに、「こんな町に住みたい」と、言っていた。

●ワイフ

 たった今、ワイフがモゾモゾと体を動かしたあと、目を覚ました。時計をさがして、時
刻を見た。

 「何時?」と私が聞くと、「4時15分よ」と。

 あたりはまだまっ暗。風は、やんだ。いや、遠くで、かすかに山肌をこする風の音が聞
こえる。窓を通してみると、星空まではわからないが、黒い山のシルエットが、そこにく
っきりと見えた。

 ワイフを見ると、どこかあきれ顔で、目を閉じているのがわかる。私はこういうとき、
ワイフのことはお構いなしに、好き勝手なことをする。廊下のライトは、まぶしいはず。
いつも内心では「悪いな」と思っているが、ワイフは、こういうことで、私に不平を言っ
たことはない。

 そのかわり、あのいつものあきれ顔。

 こういうときワイフは、私のしていることにいっさい、干渉してこない。「眠れ」とも、
「暗くして」とも、言わない。そこが私のワイフのよいところ。ワイフは昔から、息子た
ちに対しても、干渉がましいことは、いっさい言わない。

 世の中には、過干渉ママとか、過関心ママとか呼ばれる人たちがいるが、私のワイフは、
ちがう。あえて言えば、無干渉ママということになる。無干渉ワイフでも、よい。いつも
裏方に回って、そこで母親として、息子たちを支えてきた。もちろん息子たちに、「勉強し
なさい」などと言ったことはない。ワイフがそう言っているのを、耳にしたこともない。

 今どきの母親としては、珍しい母親である。

 今もそう。本当は、「まぶしいから電気を消して」と言いたいのかもしれないが、それは
言わない。言わないかわりに、そう、もういびきをかいて、眠っている。のんきな性格だ。

●さあ、どうしよう。

 さあ、どうしよう。

 目がショボショボしてきた。温泉営業だという。このまま眠るのもよし。温泉につかる
のもよし。朝食は一番遅い、8時30分にしてもらった。まだ数時間は、眠られる。

 あるいは温泉につかってくる。しかし風呂の中で、脳卒中というケースもないわけでは
ない。やはり、ここは眠ったほうがよさそう。

 時は2006年、11月12日。午前4時30分。

 気持のよい朝だ。

++++++++++++++

●広瀬川にて……

 朝風呂を浴びる。その足で、カメラをもって、旅館の外へ。

 道路を渡ると、散歩道になっていた。その散歩道を川のほうへと、くだる。ゆっくりと
歩ける広さになっている。落ち葉のじゅうたん。枯れ枝と紅葉の織り成す、自然の造形。
自然の美術館が、コマ送りでつづく。

 私は時折、立ち止まって、デジタルカメラのシャッターを切る。ひんやりとした冷気。

 ……とそのとき、日光が雲の切れ間から光をのぞかせた。とたん、山々の紅葉が、パッ
とライトをあびて輝く。光る。水色の空が、それにつづく。息をのむ。夢中でシャッター
を切る。

 「紅葉の季節には、少し遅いです」と旅館の女将は、昨日、そう言った。「でも、今日の
雨で生き返ったみたいです」と。

 紅葉が生き返った。赤、黄色、それに白。その間にはさまれて、まだ残っている緑の葉
が、色彩を際立たせる。

 ふと「クマが出たら……」と思った。仲居さんは、「サルはいつもいます」と言った。

 川底まで、谷を下る。広瀬側。広瀬側の源流。透明な水の中にも、落ち葉が幾重にも重
なっている。それが水の表に反射して、ゆらゆらとゆれていた。

●朝食

 たった今、番頭さんがふとんを片づけてくれた。このあたりでは「番頭さん」と呼ぶの
だそうだ。地域によっては、「内務さん」と呼ぶこともある。

ワイフと一言、二言、会話を交わした。私は、キーボードをたたく。風呂から出て、1
時間にもなるのに、体の芯(しん)が、まだ暖かい。

 仙台にまつわる話を、あれこれ思い出す。

 昔、私がゴーストライターをしていた、あるタレント・ドクターは、青森県の弘前大学
医学部を出て、しばらく東北大学で、インターンをしていた。彼の伝記(?)を書くとき、
そのドクターがそんな話をした。

 ワイフも、何度か、そのドクターに会ったことがある。

私「あのドクターも、ここにいたんだね」
ワ「そうね」と。

 あとは、『♪広瀬川』。昨日も、車の中で、ワイフがその歌を口ずさんでいた。

 朝食も、夕食とは比較にはならなかったが、それでも、豪華だった。いつもだったら、
茶碗半分程度のご飯に、少しのおかずですます朝食だが、今朝は、何と、3杯もおかわり
をした。

 明らかに食べ過ぎである。

 しかしどうして旅館の朝食は、こうまでおいしいのだろう。温泉宿では、とくにそうで
ある。

 「明日からまたダイエットだ」と言いながら、朝食を終えた。

(2006年11月12日記 はやし浩司 作波温泉)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1992年

+++++++++++++++++++

今朝(11月13日)、Eマガの読者が、
1992人になった。先ほどまで、1993人
だったから、1人、購読を停止したことになる。

そこで1992年……。

+++++++++++++++++++

 Eマガの読者が、先週は、1人もふえなかった。ずっと1990人のままだった。それ
が昨日、1人減り、今朝、4人ふえて、1993人になった。が、先ほど、1人、また減
った。それで1992人。

 電子マガジンを読んでくれている人もいる。一応、読者数は、総計で2300人という
ことになっている。が、実際に読んでくれている人は、40〜50人程度とみている。あ
るいはもっと少ないかもしれない。

 本音を言えば、そんなわけで、ときどき、(本当はいつも)、自分のしていることが、な
さけなくなる。が、私は、だれかのために書いているのではない。自分のために書いてい
る。頭の脳みそのために書いている。

 それはよくわかっている。が、この(空しさ)は、いったい、どこから来るのか?

1992年といえば、私にとっては、まさに、そういう年だった。その前後には、多い
年は、年間10冊程度の単行本を発表していた。しかし私の本は、売れなかった。よく
て1〜2刷どまり。たいていは初版だけで、そのまま絶版に。そのうち本を書く気力も、
なくなってしまった。

 私はそんな自分を忘れて、山荘づくりに没頭した。このころは、毎週のように山へでか
け、ユンボで土地をならしたり、道を作ったりしていた。それはそれで楽しかったが、そ
の一方で、「日本のことなんか、知ったことか」と、いつもそう思っていた。

 日本人というのは、肩書きや地位でしか、人を判断しない。あるいは中央での知名度を
基準にして、その人の価値を判断する。その人の意見に耳を傾ける。私自身もそうだった
から、偉そうなことは言えない。しかし、この浜松市という地方都市に住んでいると、そ
れがよくわかる。

 が、基本的には、その状態は、今も変わらない。実際に読んでくれている、その40〜
50人の人を除いて、みな、そうであると考えたほうがよい。が、だからといって、そう
いう人を責めているのではない。それがまぎれもない、(現実)であるということ。

 1992年。私が満45歳になった年である。私はそれまでの教材制作に限界を感じつ
つ、文を書き始めたのが、このころである。そう言えば、雑誌『ハローワールド』を創刊
したのも、この年ではなかった。

 それについて書いた原稿がつぎのものである(中日新聞発表済み)。

+++++++++++++++

●子どものワーク教材

学研に「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌があった。私はこの雑誌に創刊時から
かかわり、その後「知恵遊び」を10年間ほど、協力させてもらった。

「協力」というのもおおげさだが、巻末の紹介欄ではそうなっていた。この雑誌は両誌
で、当時毎月47万部も発行された。この雑誌を中心に私は以後、無数の市販教材の制
作、指導にかかわってきた。

バーコードをこするだけで音が出たり答えが出たりする、世界初の教材、「TOM」や、
「まなぶくん・幼児教室」なども手がけた。11年ほど前には英語雑誌、「ハローワール
ド」の創刊企画も一から手がけた。

この雑誌も毎月27万部という発行部数を記録したが、そのときの編集長の大塚氏が見
つけてきたのが、西田ひかるさんだった。当時まだまったく無名の、高校1年生だった。

 ……実はこういう前置きをしなければならないところに、肩書のない人間の悲しみがあ
る。私はどこの世界でも、またどんな人に会っても、まずそれから話さなければならな
い。私の意見を聞いてもらうのは、そのあとだ。で、本論。私は以前、このコラムの中
で、「ワークやドリルなど、半分はお絵描(か)きになってもよい」と書いた。別のとこ
ろでは、「ワークやドリルほどいいかげんなものはない」とも書いた。

そのことについて、何人かの人から、「おかしい」「それはまちがっている」という意見
をもらった。しかし私はやはり、そう思う。無数の市販教材に携わってきた「私」がそ
う言うのだから、まちがいない。

 まず「売れるもの」、それを大前提にして、この種の教材の企画は始まる。主義主張は、
次の次。そして私のような教材屋に仕事が回ってくる。そのとき、おおむね次のような
レベルを想定して、プロット(構成)を立てる。その年齢の子ども上位10%と下位1
0%は、対象からはずす。残りの80%の子どもが、ほぼ無理なくできる問題、と。

点数で言えば、平均点が60点ぐらいになるような問題を考える。幼児用の教材であれ
ば、文字、数、知恵の3本を柱に案をまとめる。小学生用であれば、教科書を参考にま
とめる。

しかしこの世界には、著作権というものがない。まさに無法地帯。私の考えた案が、ほ
んの少しだけ変えられ、他社で別の教材になるということは日常茶飯事。こう書いても
信じてもらえないかもしれないが、25年前に私が「主婦と生活」という雑誌で発表し
た知育ワークで、その後、東京の私立小学校の入試問題の定番になったのが、いくつか
ある。

 子どもがワークやドリルをていねいにやってくれれば、それはそれとして喜ばねばなら
ないことかもしれない。しかしそういうワークやドリルが、子どもをしごく道具になっ
ているのを見ると、私としてはつらい。……つらかった。私の場合、子どもたちに楽し
んでもらうということを何よりも大切にした。

同じ迷路の問題でも、それを立体的にしてみたり、物語を入れてみたり、あるいは意外
性をそこにまぜた。たとえば無数の魚が泳いでいるのだが、よく見ると全体として迷路
になっているとか。あの「幼児の学習」や「なかよし学習」にしても、私は毎月300
枚以上の原案を描いていた。だから繰り返す。

 「ワークやドリルなど、半分がお絵描きになってもよい。それよりも大切なことは、子
どもが学ぶことを楽しむこと。自分はできるのだという自信をもつこと」と。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●西田ひかるさんのこと

 実名を出して、恐縮だが、西田ひかるという、すばらしい女優がいる。私はその女優が、
マスコミに出てくるたびに、あの夜のことを思い出す。そして人間どうしをからませる、
無数の縁の糸を、ふと感ずる……。

 私はそのとき、G社という日本でも大手の出版社で、企画の仕事を手伝っていた。そん
なある日、そのG社のO氏と、伊豆を旅することがあった。そして伊東の旅館に泊まった。

 その温泉につかっていると、O氏がこう切り出した。「林さん、ぼくね、英語の雑誌を考
えているんですよ。ついては、力を貸してくれませんか」と。私は、「雑誌はたいへんです
よ。ご存知のように、億単位の予算がかかりますから」と。そして最初は、その企画には
反対した。

 が、一泊して熱海でO氏と別れるころ、その間に、どういう会話があったのかは、忘れ
たが、「企画案だけは作っておきます」と、約束した。以後、数か月、私は英語雑誌の企画
に、没頭した。カセットテープも、20本近く試作した。自宅にあったカラオケセットを
利用して、それを編集した。

 が、それから半年近くは、何の音沙汰もなく、過ぎた。が、その企画が、ひょんなこと
から、G社でいう「社長会」の席で、通ってしまった。それについての経緯(いきさつ)
はいろいろあるが、それについてはここには書けない。ともかくも、その企画が通ったの
は、偶然に近いものだった。O氏自身も、「ひょうたんからコマです」と笑っていた。

 ふつう、単行本のばあい、人件費は別にして、安くて2〜300万円前後の予算があれ
ば、出版できる。カラー刷りの豪華本となると、1000万円前後。さらに全国販売の雑
誌となると、ここにも書いたように、億単位のお金がかかる。私は「雑誌が無理なら、単
発ものでも……」と思っていた。が、月刊雑誌になるとは! 予算規模がケタはずれに、
違う。

 で、正式に、試作品をつくることになった。雑誌の名前は、当初考えていた「ピーカー
ブー」から、「ハローワールド」に変更された。NHKに同じタイトルの海外報道番組があ
ったが、簡単に言えば、その名前を拝借した。たまたまNHKは、その名前を商標登録し
ていなかった。

 で、試作という段階になって、O氏は、英語が話せて、マスコットガールになる女の子
をさがし始めた。その部分については、私は報告を受けるだけの立場の人間だったから、
詳しい経緯は知らない。が、O氏は、こう言った。「内藤Y子さんの娘さんに、Kさんとい
う人がいますね。あの人を打診したら、ギャラが○○万円と言います。試作用の予算では、
とても無理です」と。

 そこで困り果てたO氏は、横浜のアメリカンハイスクールに、自ら出むいて、適当な子
をスカウトすることにした。「適当」という言い方は、今の西田ひかるさんには、たいへん
失礼な言い方になるが、当時は、そういう雰囲気だった。

そこで見つけたのが、その西田ひかるさんだった。「英語はもちろん、歌もうまいです。
すばらしい子ですよ」と。電話で報告してくれたO氏は、どこか興奮していた。

 そうして西田ひかるさんにお願いして、試作品が完成し、それからは月刊雑誌へと話が
トントンと進んでいった。その西田さんと私が最初に会ったのは、創刊号が出る数か月前
の、パーティの席だった。紺のジーパンをはいた、ごくふつうの高校1年生という感じだ
った。髪の毛も、ふつうのおかっぱ頭だった。で、私はどういうわけか、その西田さんの
横に座らせてもらった。

 もちろん西田ひかるさんは、私のことなど、覚えていない。ひょっとしたら、O氏のこ
とも覚えていない。その後の西田さんの活躍ぶりは、すでにみなさんご存知のとおり。あ
れよあれよと思うまもなく、日本を代表する女優となった。……なってしまった。

 で、最初の話。私はその西田ひかるさんを見るたびに、あの伊東の温泉を思い出す。い
や、このことはその後、O氏と会うたびに話題になった。「あの西田さんが、ああまで売れ
っ子になるなんて、思ってもいませんでしたね」「そうですねえ」と。

もちろんそういう西田さんが、今の西田ひかるさんになったのは、彼女自身のすばらし
い才能と努力があったからにほかならない。しかし人間の縁というのは、無数の糸がか
らみあってできるもの。もしあの夜、O氏が、英語雑誌の話をしなかったら。もしその
あと、私が企画を始めなかったら。もしそのあと、企画が、社長会を通らなかったら。
そしてもしそのあと、O氏が横浜のアメリカンハイスクールへ出むかなかったら、今の
西田ひかるさんは、いなかったと思う。

 西田ひかるさんの名前を聞くたびに、私はふと、人間どうしをからませる、無数の縁の
糸を感ずる。西田さんの熱烈なファンの一人として……。
(02―10―31)※

+++++++++++++++

●再び、1992年。

 これからも、読者のみなさん、末永く、ご購読ください。

 「量が多い」という苦情はよく届きますが、みなさんのお役に立てるよう、これからも
がんばって、書きつづけていきます。

 私は、いつも、この数字、つまり読者数に励まされています。ほかに何も、実感がとも
なわない世界です。そこにあるのは、パソコン上の数字のみ。紙に印刷した冊子のように、
目の前に山積みになれば、それなりに実感もわくのでしょうが、そういったものは、何も
ありません。

 おかしな、おかしな、本当に、おかしな世界です。

 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司    12月 11日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BWより】

●歌で覚える

 私の教室では、算数のポイントを、歌で覚えるようにしている。こうして作った、歌が、
50番近くまである。その中のいくつかを、紹介する。

(1)(♪スチャラチャ、チャチャチャン、スチャラチャ、チャチャチャンの音頭のあと…
…)
 イッ・キュウ
 ニイ・ハチ
 サン・ナナ
 ヨン・ロク
 ゴー・ゴー
 ロク・ヨン
 ナナ・サン
 ハチ・ニ
 キュ・イチ

(1―9,2―8,3―7……)と、(あわせて10の数)を、掛け算の九九のように暗記
させてしまう。これは繰り上がりのある足し算、繰り下がりのある引き算では、必須の知
識である。

(2)(♪スチャラチャ、チャチャチャン、スチャラチャ、チャチャチャンの音頭のあと…
…)
 足し算、ワー(和)
 引き算、サー(差)
 掛け算、セキセキ(積)
 割り算、ショー(商)

足し算の答を、「和」、引き算の答を、「差」という……ということを教えるときに使う。

(3)(♪スチャラチャ、チャチャチャン、スチャラチャ、チャチャチャンの音頭のあと…
…)
 掛け算、割り算、先にやる、
 かっこの中を、先にやる

計算の約束を教えるときに、この歌を教える。体をくねらせて踊るのがミソ。子どもたち
は結構、楽しそうに踊ってくれる。

(4)(♪スチャラチャ、チャチャチャン、スチャラチャ、チャチャチャンの音頭のあと…
…)
 0度、180度、90度
 (パチンと手をたたいて)
 ぐるっと回って、360度

分度器の勉強をするときに、この歌を歌う。「0度」「180度」「90度」……と言いなが
ら、両手でそれを表現しながら、踊る。

(5)(♪スチャラチャ、チャチャチャン、スチャラチャ、チャチャチャンの音頭のあと…
…)
45、45、90度
30、60、90度

これは三角定規の角度を教えるときに使う歌。この歌を歌うときも、手と腕で、その形を
表現しながら踊る。

 こうしてこの34年間に、50番近い歌を作った。中には、すでに全国で歌われている
歌もある。

学年が進むにつれて、子どもたちは歌わなくなる。そういうときは、「君たち、童心にか
えって、歌いなさい!」と指示する。それでも歌わないときは、「お母さんのおっぱいを
飲んでいる人は、歌わなくていい」などと、からかってやる。とたん、みな、元気に歌
いだす。

 何ごとも、楽しく学ぶのが一番。……ですね。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●親子の根くらべ

++++++++++++++++++++++++++++

Sさん(四八歳母親・浜松市在住)から、こんなメールが
届きました。
 
「親子断絶のトンネルから、やっと抜け出たような気持ちです。
重苦しい、よどんだ空気から解放されたような喜びを感じます。
やっと我が家にも、親子の会話が戻ってきました」と。

++++++++++++++++++++++++++++

●子育ては根競(くら)べ

 子育てはまさに、根競べ。小さい根競べ、大きい根競べ。それが無数につづいて、また
また大きな根競べ。まさにその連続。しかし恐れることはない。愛さえあれば、何も恐れ
ることはない。愛さえあれば、必ず、勝つ。勝って、鉄のようにかたまった子どもの心で
も、必ず溶かすことができる。

 まったく会話のない父子がいた。現在、父親は今、満50歳。息子は満25歳。もとは
といえば家庭騒動が原因だが、そのまま家族の歯車そのものが狂ってしまった。その父子
は、息子が中学生になるころから、まったく会話をしなくなってしまった。

いっしょにテレビを見ているときも、食事をしているときも、父親のほうは、それなり
に何かを話しかけるのだが、息子のほうは何も答えなかった。父親の姿が見えたりする
と、息子は、そのままスーッと姿を消したりした。はじめのころは、「何だ、その態度は!」
「うるせエ〜」というやり取りもあったが、それもしばらくすると、消えた。

 やがて息子は、お決まりの非行コース。ときおり外出しては、そのまま何時間も帰って
こなかった。外泊したこともある。真夜中に花火をあげて、近所の人に苦情を言われたこ
ともある。コンビニの前でたむろしたり、あるいは友人のアパートにあがりこんで、タバ
コを吸ったり、ときにはシンナーも吸ったりした。親子の間は、ますます険悪なものにな
っていった。

 が、そのとき父親は、仕事の過労も重なって、1か月入院。そのときから、父親のほう
に、大きな心の変化が生まれた。息子が高校1年生のときだった。それまでは息子のこと
となると、すぐカリカリしていたが、まるで人が違ったかのように穏やかになった。「一度
は、死を覚悟しましたから」と、母親、つまりその父親の妻がそう言った。

 が、一度こわれた心は、簡単には戻らない。息子は相変わらず非行、また非行。やがて
家の中でも平気でタバコを吸うようになった。夜と昼を逆転させ、夜中まで友人と騒いで
いることもあった。茶パツに腰パン。暴走族とも、つきあっていた。高校へは何とか通っ
たが、もちろん勉強の「ベ」の字もしなかった。学校からは、何度も自主退学をすすめら
れた。

しかしそのつど、父親は、「籍だけは残してほしい」と懇願した。ときどき爆発しそうな
ときもあったが、父親はそういう自分を必死に押し殺した。あとになって父親は、こう
言った。「まさに許して忘れるの、根競べでした」と。

 息子は高校を卒業し、専門学校に入ったが、そこは数か月でやめてしまった。そのあと
は、フリーターとして、まあ、何かをするでもなし、しないでもなしと、毎日をブラブラ
して過ごした。母親のサイフから小づかいを盗んだり、父親の貯金通帳から勝手にお金を
引き出したこともある。しかし父親は、以前のようには、怒らなかった。ただひたすら、
それに耐えた。

父親は、息子の意思でそうしているというよりは、心の病気にかかっていると思ってい
た。「これは本当の息子ではない。今は、病気だ」と。そうアドバイスしたのは私だが、
この段階で、「なおそう」と考えて無理をすると、このタイプの子どもは、つぎの谷底を
めざして、さらに落ちてしまう。今の状態をそれ以上悪くしないことだけを考えて、対
処する。

 そうして1年たち、2年がたった。この段階でも、親子の間は、いつも一触即発。父親
が何かを言おうとするだけで、ピリピリとした緊張感が走った。息子は息子で、ささいな
ことでも、何でも悪いほうに悪いほうにとった。しかしそれでも父親はがんばった。まさ
にそれは、血がにじみ出るような根競べだった。

「息苦しい状態がつづきましたが、やがて、息子がいても、いなくても、気にせず、自
分たちの生活をマイペースでできるようになりました。それからは多少、雰囲気が変わ
りました」と。

 私はいくつかのアドバイスをした。その一つ、何をしても、無視。その一つ、「なおそう」
と思うのではなく、今の状態を悪くしないことだけを考える。その一つ、ただひたすら許
して、忘れる、と。

 無視というのは、息子が何をしても、気にしないこと。生活態度がだらしなくなっても、
ムダなことをしても、親の意思に反することをしても、気にしないことをいう。子どもの
存在を忘れるほどまでになればよい。

 今の状態を悪くしないというのは、「今のままでよい」と、あきらめて、それを受け入れ
ることをいう。ここにも書いたように、この段階で無理をすると、子どもは、つぎのどん
底をめざして、まっしぐらに落ちていく。

 「許して忘れる」は、英語では、「フォ・ギブ(与えるため)・アンド・フォ・ゲッツ(得
るため)」という。「愛を与えるために、許し、愛を得るために忘れる」ということ。その
度量の広さこそが、親の愛の深さということになる。

 父親はそれに従ってくれた。そしてさらに1年たち、2年がたった。息子はいつの間に
か、24歳になった。突然の変化は、息子に恋人ができたときやってきた。父親は、その
恋人を心底喜んでみせた。家に招いて、食事を出してやったりした。それがよかった。息
子の心が、急速に溶け始めた。穏やかな表情が少しずつ戻り始め、自分のことを父親に話
すようになった。父親はそれまでのこともあり、すぐには、すなおになれなかった。しか
し息子が自分の部屋に消えたあと、妻と抱きあってそれを喜んだという。

 こうしたケースは、今、たいへん多い。「こうしたケース」というのは、親子が断絶し、
たがいに口をきかなくなったケースだ。そしてその一方で、子どもは親のコントロールの
を離れ、そこで非行化する。しかしこれだけは覚えておくとよい。

「愛」があれば、必ず、子どもの心を溶かすことができる。そして子どもは立ちなおる。
で、あとは根競べ。まさに根競べ。愛があれば、この根競べは、必ず、親が勝つ。それ
を信じて、愛だけは放棄してはいけない。ただひたすら根競べ。

 今まで無数のケースを見てきたが、一度だって、この方法で、失敗したケースはない。
どうか、どうか、私の言葉を信じてほしい。今、その息子は、運送会社で、倉庫番の仕事
をしている。母親はこう言った。

「とにかく息子の前では、夫婦で仲よくしました。そういう姿は、遠慮せず、息子に見
せました。息子に安心感を与えるためにです。それがよかったのかもしれません。もと
もと息子の様子がおかしくなったのは、夫に愛人ができたことによる、家庭騒動が原因
でしたから……」と。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●負担は少しずつ減らす

+++++++++++++++

子どもに課負担による症状が
見られると、親は、あわてて
負担を減らそうとする。

そのときのコツが、これ。

『負担は、少しずつ、減らす』。

+++++++++++++++

 ときに子どもは、オーバーヒートする。子どもはまだ後先のことがわからないから、そ
のときどきで、あまり考えないで、「やる」とか、「やりたい」とか言う。しかしあまりそ
ういう言葉は信じないほうがよい。子どもが、音楽教室などへ行くのをしぶったりすると、
「あんたが行くと言ったからでしょ。約束を守りなさい」と叱っている親を、よく見かけ
る。が、それは酷というもの。

 で、慢性的な過負担がつづくと、やがて子どもの心はゆがむ。ひどいばあいには、バー
ントアウトする。症状としては、気が弱くなる、ふさぎ込む、意欲の減退、朝起きられな
い、自責の念が強くなる、自信がなくなるなどの症状のほか、それが進むと、強い虚脱感
と疲労感を訴えるようになるなどが、ある。もっともこれは重症なケースだが、子どもは、
そのときどきにおいて、ここに書いたような症状を薄めたような様子を見せることがある。
そういうときのコツがこれ、『負担は、少しずつ減らす』。

 たとえば今、2つ、3つ程度なら、おけいこ塾をかけもちしている子どもは、いくらで
もいる。音楽教室に体操教室、英会話などなど。が、体の調子が悪かったりして、1つの
リズムがおかしくなると、それが影響して、生活全体のリズムを狂わせてしまうことがあ
る。そういうとき親は、あわててすべてを、一度にやめさせてしまったりする。A君(小
二)がそうだった。

 A君は、もともと軽いチックがあったが、それがひどいものもらいになってしまった。
そこで眼科へ連れていくと、ドクターが、「過負担が原因です。塾をやめさせなさい」と。
そこで親は、それまで行っていた塾を、すべてやめさせてしまった。とたん、A君には、
無気力症状が出てきた。学校から帰ってきても、ボーッとしているだけ。反応そのものが
鈍くなってしまった。

子どものばあい、突然、負担を大きくするのもよくないが、突然、少なくするのもよく
ない。こういうケースでは、少しずつ負担を減らすのがよい。おけいこごとのようなも
のについても、様子をみながら、少しずつふやす。ひとつのおけいこが、うまく定着し
たのを見届けてから、つぎのおけいこをふやすというように、である。そして減らすと
きも、同じように数か月をかけて、徐々に減らす。でないと、たいていのばあい、立ち
なおりができなくなってしまう。

 A君のケースでは、そのあと、無気力症状が、1年近くもつづいてしまった。もし負担
を徐々に減らしていれば、もっと回復は早かったかもしれない。さらにしばらくして、こ
んなこともあった。

以前のような子どもらしい活発さをA君が取り戻したとき、親が、「もう一度……」と、
音楽教室へ入れようとしたことがある。が、それについては、今度はA君は狂人のよう
になって暴れ、それに抵抗したという。もちろんそのため、A君は、勉強全体から遠ざ
かってしまった。今も、もう、それから数年になるが、遠ざかったままである。

 子どもというのは、一見タフに見えるが、その心は、ガラス玉のようにデリケート。そ
してこわれるときは、簡単にこわれる。もしそれがわからなければ、あなた自身はどうな
のか。あるいはどうだったかを頭の中に思い浮かべてみるとよい。あるいはあなたならで
きるか、でもよい。たいていその答は、「ノー」である。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●子どもの役割を認めてあげよう

++++++++++++++++

心の抵抗力。それが子ども自身を
守る。

その抵抗力をつけるためには、
子どもの方向性を見定め、それに
従う。

いわゆる目的をもった子どもは、
強い。その強い子どもにする。

++++++++++++++++

 それぞれの子どもには、それぞれの役割がある。自然にできる方向性といってもよい。
その役割を、親は、もっとすなおに認めてあげよう。

 よく誤解されるが、「いい高校へ……」「いい大学へ……」というのは、役割ではない。
それは目的ももたないで、どこかの観光地へ行くようなもの。行ったとたん、何をしてよ
いのかわからず、子どもは、役割混乱を引き起こす。

 たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき大切なのは、子ど
もの夢や希望に沿った言葉で、その子どもの未来を包んであげるということ。

 「そうね、花屋さんって、すてきね。おうちをお花で飾ったら、きっと、きれいね」と。

 そして子どもといっしょに、図書館へ行って花の図鑑を調べたり、あるいは実際に、花
を栽培したりする。そういう行為が、子どもの役割を、強化する。これを心理学の世界で
は、「役割形成」という。

 つまり子どもの中に、一定の方向性ができる。その方向性が、ここでいう役割というこ
とになる。

 が、親は、この役割形成を、平気でふみにじってしまう。子どもがせっかく、「お花屋さ
んになりたい」と言っても、子どものたわごとのように思ってしまう。そして子どもの夢
や希望をじゅうぶん聞くこともなく、「あんたも、明日から英語教室へ行くのよ!」「何よ、
この算数の点数は!」と言ってしまう。

 一般論として、役割が混乱すると、子どもの情緒は、きわめて不安定になる。心にすき
間ができるから、誘惑にも弱くなる。いわゆる精神が、宙ぶらりんの状態になると考える
と、わかりやすい。

 そこで「いい高校」「いい大学」ということになる。

 もう何年か前のことだが、夏休みが終わるころ、私の家に、二人の女子高校生が遊びに
きた。そしてこう言った。

 「先生、私、今度、○○大学の、国際関係学部に入ることにしました」と。

○大学というのは、比較的名前が、よく知られた私立の大学である。で、私が、「そう、
よかったね。……ところで、その国際カンケイ学部って、何? 何を勉強するの?」と
聞くと、その女子高校生は、こう言った。

 「私にも、わかんない……」と。

 こういう状態で、その子どもは大学へ入ったあと、何を勉強するというのだろうか。つ
まりその時点で、その子どもは、役割混乱を起こすことになる。それはたとえて言うなら、
あなたがある日突然、男装(女装でもよいが……)して、電車の運転手になれと言われる
ようなものである。

 ……というのは、少し極端だが、こうした混乱が起きると、心の中は、スキだらけにな
る。ちょっとした誘惑にも、すぐ負けてしまう。もちろん方向性など最初からないから、
大学へ入ったあとも、勉強など、しない。

 子どもの役割を認めることの大切さが、これでわかってもらえたと思う。子どもが「お
花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「すてきね。じゃあ、今度、H湖で、花博覧
会があるから行きましょうね」と話しかけてあげる。

 そういう前向きな働きかけをすることによって、子どもは、自分でその役割を強化して
いく。そしてそれがいつか、理学部への進学とつながり、遺伝子工学の研究へとつながっ
ていくかもしれない。 

 子どもを伸ばすということは、そういうことをいう。
(040219)

【追記】

●こうした役割形成は、何も、大学へ進学することだけで達成されるものではない。大学
へ進学しないからといって、達成されないものでもない。それぞれの道で、それぞれが
役割形成をする。

 昔は、(いい大学)へ入ることが、一つのステータスになっていた。エリート意識が、そ
れを支えた。

 大学を卒業したあとも、(いい会社)へ入ることが、一つのステータスになっていた。エ
リート意識が、それを支えた。

 しかしいまどき、エリート意識をふりかざしても、意味はない。まったく、ない。今は、
もう、そういう時代ではない。

 今、子どもたちを包む、社会的価値観が大きく変動している。まさにサイレント革命と
いうに、ふさわしい。そういうことも念頭に置きながら、子どもの役割形成を考えるとよ
い。

 まずいのは、親の価値観を、一方的に、子どもに押しつけること。子どもは役割混乱
を起こし、わけのわからない子どもになってしまう。

●誘惑に強い子どもにする。……それはこの誘惑の多い社会を生きるために、子どもに鎧
(よろい)を着せることを意味する。

 この鎧を着た子どもは、多少の誘惑があっても、それをはね返してしまう。「私は、遺伝
子工学の勉強をするために、大学へ入った。だから、遊んでいるヒマはない。その道に向
かって、まっすぐ進みます」と。

 そういう子どもにするためにも、子どもが小さいときから、役割形成をしっかりとして
おく。

 ここにも書いたように、「何のために大学へ入ったのか」「何を勉強したいのかわからな
い」という状態では、誘惑に弱くなって、当たり前。もともと勉強する目的などないのだ
から、それは当然のことではないか。

(はやし浩司 役割 役割形成 役割混乱 自我 自己同一性)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●頭のよい子ども

+++++++++++++++

頭のよい子には、よい子なりの
悩みや苦しみがつきまとう。

+++++++++++++++

 頭がよい子どもというのは、たしかにいる。しかしそういう子どもは、ズバ抜けて、頭
がよい。ふつうの頭ではない。「ズバ抜けて」だ。

 それはそのとおりだが、しかし問題は、それにつづく子どもたちである。頭はよい。し
かしズバ抜けてというほどではない。成績はよいが、しかしそれは、努力によるところが
大きい。そういう子どもたちである。

 よく能力平等論を説く人がいる。「人間のもつ能力は、平等である」と。「それぞれの子
どもには、それぞれ特有の能力が、総じて、平等にある」と。

 それもそのとおりだが、しかしこと、受験勉強という世界においては、平等ではない。
たとえば数学にせよ、英語にせよ、頭のよい子どもは、努力というものをほとんどしなく
ても、スイスイと理解し、受験競争を、通り抜けていく。

 一方、そうでない子どもは、いくら努力をしても、学校の勉強についていくだけで、精
一杯。実際には、ついていくことさえできない。

 このときも、問題は、ここに書いたように、ほどほどに頭はよいが、それほどでも……
という子どもたちである。親がそれに早く気づけばよいが、そうでないと、過剰期待や過
負担から、このタイプの子どもは、すぐオーバーヒートしてしまう。

 もっとも、オーバーヒートする程度なら、それほど問題はないが、その過程で、その子
どもは、もがき、苦しむ。そのため、ときには、情緒や、精神に、深刻な影響を与えるこ
ともある。もしそうなれば、それこそ、家庭教育の大失敗というもの。

 そこであなたの子どもについてだが、あなたの子どもは、つぎのどちらのタイプだろう
か。

(1)たびたび学校の先生でさえ舌を巻くほど、鋭い切れを示す。学校の勉強にしても、
簡単すぎて、話にならないといったふう。幼いときから、「できて当たり前」と、周
囲の人たちにも、一目置かれていた。

(2)学校の成績は、悪くない。いつもコツコツと努力をしているようだ。勉強は嫌いで
はなさそうだが、教えてもらったことは、そこそこにできる。しかし教科書から少し離れ
た問題だと、歯がたたない。

(1)と(2)のどちらに近いだろうか。もし(1)のほうなら、別の方法で、子ども
を伸ばす。(2)のほうなら、親の過剰期待、過負担を、ひかえめにする。……というふ
うに、杓子定規(しゃくしじょうぎ)に、指導法を決めてかかるのは、正しくないかも
しれない。

 しかし(2)のタイプの子どもほど、家庭教育で失敗しやすいのも、事実。

 一般論として、親が最初からあきらめているケース。子どもが親を超えて、はるかに優
秀であるばあい。この二つのケースについては、失敗は、ほとんどない。失敗するのは、
子どもが、その中間にいるときである。

 要は子どもの実力を、どのあたりで見定めるかである。言うまでもなく、正確であれば
あるほどよいが、しかしどこかに「無理」を感じたら、早目に手を引いたらよい。無理を
重ねれば重ねるほど、その反動として、失敗したとき、その被害も大きくなる。

【追記】

 しかし実際には、親は、行きつくところまで行かないと、気がつかない。よくあるケー
スは、「まだ、何とかなる」「うちの子は、やればできるはず」「せめてもうワンランク上の
学校を……」と、無理を重ねるケース。

 親の期待が高い位置にある分だけ、親は満足しない。だから子どもには、知らず知らず
のうちに、「あなたはダメな子」式の、マイナスの働き(ストローク)かけを、かけてしま
う。そしてその結果として、親自身が、子どもが伸びる芽を摘んでしまう。

 こういう失敗は、今、本当に多い。少子化の時代になって、かえってこの種の失敗がふ
えたのではないか。警告の意味もこめて、この原稿を書いた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
頭のよい子 頭のいい子)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●Great Ocean Road

++++++++++++++++++

学生時代のあるとき、私は、休暇ごとに、
デニス君の別荘(ビーチ・ハウス)のある、
海辺で過ごした。

その別荘の近くに、「Great Ocean
Road」の記念碑(アーチ)が立っていた。

「Great Ocean Road」というのは、
第一次大戦後、退役軍人たちが建設した道路である。

その記念碑の古い写真を、デニス君が送って
きてくれた。

私は、その写真を見たとき、あのころの自分が
そのまま戻ってきたように感じた。

……そのまま目頭が、ジンと熱くなった。

そのGreat Ocean Roadにまつわる
エッセーを、いくつか、ここに再掲載する。

++++++++++++++++++++

●ローンという避暑地

 グレート・オーシャン街道という道がある。第一次大戦のあと、退役軍人たちが戦勝を
記念して作った道だ。この街道がジーロンから、ローンという避暑地を通って、南オース
トラリア州まで続く。

友人のデニスの別荘は、そのローンの手前、車で半時間ほどのところにある。私は日本
へ帰国するまでの2か月間、この別荘で残りの日々を過ごした。と言っても、ずっとそ
の別荘にいたわけではない。ここを拠点に、メルボルンの間を往復したり、アデレード
まで足をのばしたりした。そうでないときは、ローンの町で、終日泳いだり、映画を見
たりして時間をつぶした。

そのローン。毎年大晦日には、数1000人の若者が集まるという。そして新年の合図
とともに、その若者たちが乱痴気(らんちき)騒ぎをするという。私たちも大晦日には、
ローンへ行くことにした。友だちの中には「行かないほうがよい」とアドバイスしてく
れた者もいた。が、そう言われれば言われるほど、好奇心がわいた。

 その日の午後。つまり12月31日は、よく晴れわたった暑い日だった。午後少しまで
泳いで、一度デニスの別荘まで戻った。そこで早い夕食をすますと、再びローンへ向かっ
た。あたりの様子は一変していた。あれほど閑散としていたローンの町が、若い男女であ
ふれかえっていたのだ。砂浜で野外映画の準備をしているグループ。かたまって騒いでい
るグループ。ギターを演奏しているグループなど。

大半はその間を行き来しながら、ビールを飲んだり、何かを食べていた。そう、砂浜の
中央には巨大なトランポリが置いてあり、それで遊んでいる若者もいた。

ふと見ると、デニスがホテルの壁をよじ登っているではないか。二階の窓から数人の女
の子に声をかけられ、その気になってしまったらしい。私は何度か呼びとめたが、私を
無視して、そのまま部屋の中に消えてしまった。私は一人だけになってしまった。知り
合いもいなかった。しかたないので、そのままデニスが戻ってくるのを待った。

こういうとき白人というのは、実に冷たい。徹底して、「私は私、お前はお前」という考
え方をする。

夜がふけると、あちこちで花火がなった。それに合わせて、歓声また歓声。さらに夜が
ふけると、ローンの町は、もう足の踏み場もないほどになった。デニスが戻ってきたの
は、そのころだった。そしてあのカウントダウンが始まった。

●そして皆……!

 「テン、ナイン、エイト……」。そして「ワン、ゼロ」となったところで、一斉に声が宙
を舞った。「ハッピーニューイヤー!」と。

とたん、まわりにいた若者たちが、一斉に衣服を脱ぎ始めたのだ。衣服といっても、簡
単な水着の者が多い。そういう者たちが、そのまま身につけているものを脱いだ。裸だ。
皆、素っ裸だ。男も女も、ない。皆、だ。

異様な雰囲気になった。興奮のあまり、ビール瓶や空き缶を商店めがけて投げつけるも
のもいる。ガチャンガチャンと、何かが割れる音がひっきりなしに聞こえてくる。花火
も最高潮に達した。

私は再度デニスと別れて、というより恐怖心に襲われて、ローンのはずれにある小さな
橋のところまで逃げて行った。私はガタガタと震えていた。いくら見ても、アジア人ら
しき人間は、私一人しかいない。いつ袋叩きにあってもおかしくない雰囲気だった。途
中騎馬警官が何人か来たが、その警官までもが、皆と一緒になって新年を祝っている。
取り締まろうという気持さえないようだ。こうして私は1971年の1月1日を迎えた。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

秋の夜のロマン、UFO

●資質を疑われるから、書かないほうが……

 私は超自然現象というものを信じない。まったく信じない。信じないが、UFOだけは
別。信ずるも信じないもない。私は生涯において、3度、UFOを目撃している。1度は、
ワイフと一緒に目撃している。(あとの2度については、目撃したのは私だけだから、だれ
にも話したことがない。文として書いたこともない。ここにも書かない。)

 が、私には、こんな不思議な体験がある。結婚したとき、ワイフにだけは打ち明けたが、
こうしてものに書くのははじめて。だから前もって断っておくが、これはウソではない。
ここにはウソは書かない。こういう話は、書けば書いたで、私の評論家としての資質が疑
われる。損になることはあっても、得になることは何もない。

事実、「林君も自分の仕事を考えたら、そういうことは人には言わないほうがよいよ」と
アドバイスしてくれた人もいる。それはわかっているが、しかしあえて書く。

●不可解な体験

 オーストラリアに留学していたときのこと。あと1か月ほどで、日本へ帰るというとき
のことだった。オーストラリアの暑い夏も、終わりに近づいていた。私は友人のD君にビ
ーチ・ハウス(海の別荘)で、最後の休暇を過ごしていた。ビーチ・ハウスは、ローンと
いう港町の手前、10キロくらいのところにあった。避暑地として有名なところで、その
あたりには、「グレートオーシャンロード」という名前の街道沿いに、無数の別荘が点在し
ていた。

 ある日のこと。D君の母親が、サンドイッチを作ってくれた。私とD君は、そのサンド
イッチをもって、ピクニックにでかけた。「ビクトリア州の最南端にある、オッツウェイ岬
(Cape Otway)に行こう」ということになった。時刻は忘れたが、朝、ほどよい時刻に出か
けたと思う。あともう少しで、オッツウェイ岬というところで、ちょうど昼食時になった
のを覚えている。小高い山の中に入って、私たちは車の上に座って、そのサンドウィッチ
を食べた。

 そこからオッツウェイ岬までは、車で半時間もかからなかったと思う。彼らがいうブッ
シュ(やぶ=雑木林)を抜けてしばらく走ったら、オッツウェイ岬だった。

 私たちは岬へつくと、100メートルくらい先に灯台が見える位置に車を止めた。そし
て車の外へ出ると、岬の先のほうへと向かって歩き出した。そのときのこと。どちらが言
ったわけではないが、「記念に大地に接吻をしよう」ということになった。背丈の短い雑草
が、点々と生えているような殺風景な岬だった。ほかに見えるものといえば、灯台だけだ
った。

たしか、「オッツウェイ岬」「オーストラリア、最南端」というような表示だけは、どこ
かにあったように思う。私たちは地面に正座してひざまづくと、そのまま体を前に倒し
た。そして地面に顔をあてたのだが、そこで記憶がとだえた。

 気がつくと、ちょうど私が顔を地面から離すところだった。横を見ると、D君も地面か
ら顔を離すところだった。私とD君は、そのまま車に戻り、帰り道を急いだ。ほとんど会
話はなかったと思う。

 そのオッツウェイ岬からは、舗装された道がつづいていた。そしてほどなく、アポロベ
イという港町に着いた。港町といっても、波止場が並ぶ、小さな避暑地だった。私たちは
そのひとつのレストランに入って、ピザを食べた。日はとっくに暮れていた。まっ暗とい
ったほうが正確かもしれない。

 この話はここで終わるが、それからほぼ一週間後のこと。そのとき私とD君は、D君の
両親の住むジーロンの町の家にきていた。そこで、ベッドに入って寝る前に、私はD君に、
こう切り出した。胸の中でモヤモヤしているものを、吐き出したかった。

 「D、どうしてもわからないことがある……」
 「何だ、ヒロシ?」
 「いいか、D、あの日ぼくたちは昼食を食べたあと、オッツウェイ岬に向かったね」
 「そうだ」
 「サンドイッチを食べたあと、すぐオッツウェイ岬に向かった。時間にすれば、30分
もかからなかったと思う」
 「そんなものだな、ヒロシ」
 「でね、D、そのオッツウェイ岬で、同時に2人とも眠ってしまった。そんな感じだっ
た。あるいは眠ったのではないかもしれない。同時に地面に顔をつけ、同時に地面から顔
を離した。覚えているだろ?」
 「覚えている……」
 「それでだ。ぼくたちは、オッツウェイ岬から帰ってきた。そしてあのアポロベイの町
で、夕食を食べた。ぼくはそれがおかしいと思う」
 「……?」
 「だってそうだろ。オッツウェイ岬から、アポロベイまで、どんなにゆっくりと走って
も、1時間はかからない。が、アポロベイへ着いたときには、外はまっ暗だった。時刻に
すれば、夜の7時にはなっていた。ぼくたちは、同時にあの岬で眠ってしまったのだろう
か」と。

 昼過ぎにオッツウェイ岬に着いたとしても、午後1時か2時だったと思う。それ以上、
遅い時刻ではなかった。が、そこからアポロベイまで、1時間はかからない。距離にして
も、30キロくらいしかない。が、アポロベイに着いたときには、もうとっぷりと日が暮
れていた! どう考えても、その間の数時間、時間がとんでいる!

 私はその話をD君にしながら、背筋がどこかぞっとするのを感じた。D君も同じように
感じたらしい。さかんに、ベッドの上で、首をかしげていた。

 そのオッツウェイ岬が、UFOの有名な出没地であることは、それから数年たって、聞
いた。D君が、そのあたりで行方不明になったセスナ機の事件や、UFOが撮影された写
真などを、そのつど届けてくれた。1枚は、あるカメラマンが海に向けてとったもので、
そこには、ハバが数100メートルもあるような巨大なUFOが写っていた。ただしその
カメラマンのコメントによると、写真をとったときには、それに気づかなかったという。

 さらにそれから5,6年近くたって、私たちと同じような経験をした人の話が、マスコ
ミで伝えられるようになった。いわゆる、「誘拐(アダプション)」というのである。私は
あの日のあの経験がそれだとは思いたくないが、どうしてもあの日のできごとを、合理的
に説明することができない。

簡単に言えば、私とD君は、地面に顔をつけた瞬間、不覚にも眠ってしまったというこ
とになる。そして同時に、何らかのきっかけで起きたということになる。しかも数時間
も! しかし現実にそんなことがあるだろうか。私はその前にも、そのあとにも、一度
だって、何の記憶もないまま、瞬間に眠ってしまったことなど、ない。電車やバスの中
でもない。寝つきは悪いほうではないが、しかし瞬間に眠ってしまったようなことは、
一度もない。

 私とD君は、UFOに誘拐されたのか?

 今になってもときどきD君と、こんな話をする。「ぼくたちは、宇宙人に体を検査された
のかもね」と。考えるだけで、ぞっとするような話だが……。

●再びUFO

 ワイフとUFOを見たときの話は、もう一度、ここに転載する。繰り返すが、私たちが
あの夜見たものは、絶対に飛行機とか、そういうものではない。それに「この世のもの」
でもない。飛び去るとき、あたかも透明になるかのように、つまりそのまま夜空に溶け込
むかのようにして消えていった。飛行機のように、遠ざかりながら消えたのではない。

 私はワイフとその夜、散歩をしていた。そのことはこの原稿に書いたとおりである。そ
の原稿につけ加えるなら、現れるときも、考えてみれば不可解な現れ方だった。この点に
ついては、ワイフも同意見である。

つまり最初、私もワイフも、丸い窓らしきものが並んで飛んでいるのに気づいた。その
ときは、黒い輪郭(りんかく)には気づかなかった。が、しばらくすると、その窓を取
り囲むように、ブーメラン型の黒いシルエットが浮かびあがってきた。そのときは、夜
空に目が慣れてきたために、そう見えたのだと思ったが、今から思うと、空から浮かび
あがってきたのかもしれない。つぎの原稿が、その夜のことを書いたものである。

++++++++++++++++++

以下の原稿は、中日新聞の発表した
ものです。

++++++++++++++++++
 
●見たぞ、UFO!

 見たものは見た。巨大なUFO、だ。ハバが1、2キロはあった。しかも私とワイフの
2人で、それを見た。見たことはまちがいないのだが、何しろ25年近くも前のことで、「ひ
ょっとしたら……」という迷いはある。が、その後、何回となくワイフと確かめあったが、
いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。

 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。時刻は真夜中の1
2時を過ぎていた。そのときだ。

何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわ
かった。私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。そう思
って、その数をゆっくりと数えはじめた。あとで聞くとワイフも同じことをしていたと
いう。

が、それを5、6個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。その丸いものを
囲むように、夜空よりさらに黒い、「く」の字型の物体がそこに現れたからだ。私がヨタ
カだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。「ああ」と声を出すと、その物体は
突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。

 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。その物体が基地のほうから飛んできたから
だ。が、どの部所に電話をかけても、「そういう報告はありません」と。もちろん私もそれ
がUFOとは思っていなかった。私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のも
ので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。

が、このことを矢追純一氏(現在、UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのU
FOの写真を届けてくれた。当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という
番組の企画を手伝っていた。矢追氏はその番組のディレクターをしていた。あのユリ・
ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。私とワイフは、その中の一枚の写真に釘づけに
なった。私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。

 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。人間だけが宇宙の生物
と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。そしてその宇
宙人(多分、そうなのだろうが……)が、UFOに乗って地球へやってきても、おかしく
はない。

もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、
私はその人と闘う。闘っても意味がないが、闘う。私はウソを書いてまで、このコラム
を汚したくないし、第一ウソということになれば、私はワイフの信頼を失うことになる。

 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。この話をすると、
「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。君の資質が
疑われる」と言う人もいる。しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きでは
ない。文を書くといっても、教育評論だけではない。小説もエッセイも実用書も書く。ノ
ンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も3冊書いたし、宗教論に関する本
も5冊書いた。うち4冊は中国語にも翻訳されている。

そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。たとえば
この世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。だからこそあえて、私は
それについて書いてみた。
(02−10−21)※

(追記)私は宇宙人が、この地球の近くにいると聞いても、驚かない。みなさんは、どう
ですか? そんなことを考えていると、秋の夜、星空を見あげるのも、楽しくなりますね。
まあ、「林もときどき、バカなことを書くものだ」とお笑いくださればうれしいです。そう
そう私とワイフと見たUFOですが、新聞記事に書いたあと、2人、同じものを見たとい
う人が、連絡をとってきました。この話は、またいつか……!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●韓国のバブル経済

++++++++++++++++

韓国ウォンが、急上昇している。
海外投資も、それにつれて激増。

韓国の投資家たちは、ウォン高に
ものを言わせて、海外の土地を、
買いあさっている。

それはそれで、結構なことだが、
それにつれて、韓国国内の土地価格も、
急上昇。

かつて日本で見られらバブル経済が、
そのまま韓国で、現在、進行中!

++++++++++++++++

 日本のバブル経済がはじけたとき、韓国の各誌は、「これで、日本はおしまい」と、連日
のように書きたてていた。もちろん日本の経済を心配して、そう書いていたのではない。
うれしくてたまらないというような雰囲気で、そう書いていた。

 が、それから19年。今度は、韓国がそのバブル経済で、踊っている。たとえば、こん
なニュースが、今朝の朝鮮N報(11月10日)に、載っていた。

いわく、ソウル中浪区忘憂洞(チュンラング・マンウドン)の錦湖(クムホ)で、31
坪の土地が、1週間の間に3000万〜4000万ウォン(443万円)上昇し、3億
3000万〜3億5000万ウォン(4300万円)にのぼった、と。

 現在、100円=795ウォンだから、それで計算すると、31坪の土地が、日本円で、
4300万円前後ということになる。韓国の物価水準(経済水準)からすると、これはも
う、メチャメチャな価格といってもよい。1坪あたり、138万円。ふつうの住宅地価格
が、である。

 東亜N報ですら、「天井知らずに上昇しつづける住宅価格のため、全国が騒然としている」
(11月9日)と報道している。

 そこで韓国の銀行は、いっせいに、貸出金利をあげることに決めた。たとえばウリ銀行
は8日から、優遇金利を廃止する方法で貸し出し金利を事実上0・2%ポイント引きあげ
た。ハナ銀行も来週から同じ方式で、金利を引きあげる計画、と。(ただし韓銀は、金利を
据え置くと発表。)

 こうした動きをみていると、日本がバブル経済崩壊前夜を、そのまま思い出す。韓国政
府は、連日、緊急会議なるものを開いているというが、果たして、どうなることやら? 貸
し出し金利をあげれば、当然のことながら、経済活動は萎縮する。が、その一方で、ます
ますウォン高となる。

 100円=800ウォンが、韓国にとっては、ウォン高の死守ラインとなっていたが、
先週、あっさりとそれを割りこんでしまった。現在は、ここに書いたように、100円=
795ウォン。

 一部の企業は、バブル経済に踊っているが、それはあくまでも一部。

 こうした動きをみて、外国投資家たちの逃げ足も速まっている。K国の核実験後、一時
は、買い戻しの動きもあったが、現在(11月10日)、以来、約9兆500億ウォン(1
兆2000億円)の韓国株が売られたままになっている。

 そういう事実を知ってか知らずか、韓国の各紙は、「アメリカのバブル経済がはじけた」
(朝鮮N報ほか)と、そんなような記事を書きたてている。つまりこのあたりに、韓国の
オメデタさが、見え隠れしている。

 反米を唱えるのは結構なことだが、在韓米軍司令部が解体されれば、それをまっ先に喜
ぶのは、K国である。同時にアメリカ経済が低迷すれば、まっ先に、その影響を受けるの
が、韓国である。現在のN政権は、そういうことが、まるで、わかっていない?

 日本はバブル経済崩壊後、何とか、もちこたえているが、韓国は、どうか? へたをす
れば、そのまま再び、奈落の底へと落ちてしまうかもしれない。いわゆるデフォルト(国
家破綻)の再来である。

 前回のときは、日本は、総額で1000億ドル近い緊急融資をして、韓国を助けた。が、
その結果が、今である。もし韓国が再びそうなっても、日本は、決して安易に、つまり気
前よく韓国を助けてはならない。そのことが、この2〜3年のできごとを通して、よくわ
かった。

 今の状況を見るかぎり、韓国のバブル経済がはじけるのは、時間の問題と考えてよい。



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   12月 8日
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page019.html

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●巣立ち

++++++++++++++++++

岐阜県在住の、Yさん(母親)より、
こんな相談があった。

「高校2年の息子と、断絶状態にあるが、
どうしたらいいか」と。

メールには、「転載、引用、お断り」と
あったので、詳しくは、紹介できない。

++++++++++++++++++

 岐阜県のF市に住む、Yさんという方より、こんな相談があった。家族構成は、わから
ない。

 Yさんは、目下、Yさんの、高校2年生になる息子と、断絶状態にあるという。それに
ついて、「どうしたらいいか」と。

 メールには、「転載、引用、お断り」とあった。私のほうで、簡単にまとめてみる。

(1)朝食を食べないで学校へ行く。用意しても無視する。
(2)ときどき、学校をサボって、部屋の中に引きこもってしまう。
(3)部屋の中で、何をしているかわからない。
(4)小遣いがあると、ヒーローものの人形を、買い集めている。
(5)夕食も、ひとりで食べる。家族との接触を避ける。
(6)会話は、ない。話しかけると、すぐけんかになってしまう。
(7)けんかといっても、一方的にキレてしまい、会話にならない。
(8)「(中学時代)、行きたくもない塾に行かされた」と、Yさんを責める。
(9)「こんなオレにしたのは、お前だ」と、Yさんを責める。
(10)無気力状態で、勉強をしない。成績はさがった。
(11)中学2年生ごろまでは、いい子で、Yさんに従順だった。
(12)中学生のころには、成績もよく、クラスでもリーダー的な存在だった。

 子どもは小学3、4年生を境に、急速に親離れを始める。(ほとんどの親は、それに気が
つかないが……。)この時期、たいていの親は、「うちの子にかぎって……」「まだ何とかな
る……」と考えて、子どもの心を見失う。あるいは「親離れ」というものが、どういうも
のかさえ、わかっていない。

 ただ「親離れ」といっても、一次直線的に、親離れしていくのではない。ときに幼児ぽ
くなったり、ときに、妙におとなびてみたりを繰りかえしながら、徐々に親離れしていく。
これを「ゆりもどし」と呼ぶ。

 女児であれば、この時期を境に、父親との入浴をいやがるようになる。男児であれば、
学校でのできごとを話さなくなったりする。同時に、第3世界(子供どうしの世界)が、
急速に拡大する。相対的に第1世界(家族の世界)が、小さくなる。

 そのあと、子どもは、思春期に入り、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になる。
自我(私は「私」でありたいという意識)が強くなってくると、「私さがし」を始めるよう
になる。

 そのとき自己概念(私は、こうでありたいという自己像)と、現実自己(現実の自分)
が一致していれば、その子どもは、たいへん落ちついた様子を見せる。自己の同一性(ア
イデンティティ)が、確立されているからである。

 が、この両者が不一致を起こすと、子どもは、(おとなもそうだが)、ここに書いたよう
に、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になる。これを「同一性の危機」と呼ぶ。
わかりやすく言えば、心が、スキマだらけになる。誘惑に弱くなり、当然、非行に走りや
すくなったりする。

 それは、たとえて言うなら、嫌いな男性と、いやいや結婚した女性の心理に似ている。
あるいは不本意な仕事をしている男性の心理に似ている。

 こうした状態が慢性的につづくと、それがストレッサーとなって、子どもの心をゆがめ
る。それから生まれる抑うつ感が、うつ病などの精神病の引き金を引くこともある。それ
はたいへんな抑うつ感といってよい。決して、安易に考えてはいけない。

 Yさんの息子は、メールを読むかぎり、小中学生のころは、親に従順で、(いい子)であ
ったようである。Yさんも、それに満足していた。そして多分、世間で起きているような
子どもの非行問題を横目で見ながら、「うちの子は関係ない」「うちの子は心配ない」と思
っていたはずである。

 が、そんな子どもでも、ある時期から、急変する。その時期は、ここにも書いたように、
内的な性的エネルギーが急速に肥大化する、思春期ということになる。

 大きく分けて、(1)攻撃型と、(2)引きこもり型がある。症状はまったく反対だが、
引きこもり型でも、突発的にキレて、大暴れすることも、珍しくない。

 Yさんの息子について、いくつか気になる点は、過去の問題をとりあげて、被害妄想的
に、それを親の責任にしていること。「行きたくもない塾に行かされた」「こんなオレにし
たのは、お前だ」という言葉に、それが集約されている。

 しかしこうした言葉を、Yさんに浴びせかけるようであれば、まだ症状は軽いとみる。
この段階で、対処のしかたを誤ると、子どもは、さらに二番底、三番底へと落ちていく。
はげしい家庭内暴力を繰りかえしたり、あるいは数年単位の引きこもりを繰りかえしたり
するようになる。(ご注意!)

 で、こういう症状が出てきたら、鉄則は、ただ1つ。

(1)今の状態を、今以上に悪くしないことだけを考えながら、1年単位で様子をみる。
(2)進学、学習は、あきらめて、なるように任す。高校中退も念頭に入れる。
(3)「がんばれ」「こんなことでどうするの」式の励まし、脅しは、タブー。
(4)キレる状態がはげしければ、一度、心療内科で相談してみる。

+++++++++++++++

以前書いた原稿を、1作、
ここに添付しておきます。

+++++++++++++++

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親
子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶさ
れると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけ
なければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親が
いた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたも
のです」と言った父親もいた。

が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが大きくな
り、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言っ
たまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃
れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。

私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉
で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに
苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、
じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、い
つもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生は手
記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもう
この世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道
を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(1872〜1970)は、こう書き残してい
る。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜
びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだ
ろうか。
 
++++++++++++++++

 問題のない子どもはいないし、したがって、問題のない家庭はない。いわんや、親の願
いどおりに育っていく子どもなど、さらに、いない。つまり子育てというのは、そういう
もの。またそういう前提で、子育てを考える。

 Yさんの息子のケースでは、遠くは、母子間の信頼関係が、じゅうぶん育っていなかっ
たことが考えられる。心配先行型の子育て、不安先行型の子育てだった可能性は、じゅう
ぶん、考えられる。あるいはそれ以上に、Yさん自身の過関心、過干渉があったことも、
考えられる。子どもの心を確かめないまま、子育てをしてきた。親のリズムだけで、子育
てをしてきたかもしれない。

 だからYさんの息子は、思春期に入るまでは、(いい子)だった。子どもの側から見れば、
(いい子)であることによって、自分の立場をとりつくろってきた。が、ここにきて、一
変した。Yさんにとっては、つらい毎日かもしれないが、それも巣立ちと考えて、親は、
1歩、退くしかない。

 子どものことは、子どもに任す。もしYさんの心が袋小路に入って、悶々とするような
ら、つぎの言葉を念ずればよい。

 『許して、忘れる。あとは時の流れに任す』と。

 子育てというのは、基本的には、そういうもの。あるいはYさん自身は、どうであった
かを考えてみるのもよい。あなたは、あなたの親に対して、ずっと(いい子)であっただ
ろうか。たいていの人は、「私には問題がなかった」と思っているが、そう思っているのは、
その人だけ。

 先にも書いたように、子どもは、小学3、4年生を境に、急速に、親離れをする。しか
し親は、それに気がつかない。親が、子離れするようになるのは、子どもが高校1、2年
生になったころ。

 「このクソババア!」と叫ばれて、はじめて親は、自分に気がつく。そして子離れをす
る。それはさみしくも、つらい瞬間かもしれない。しかしそれを乗り越えなければ、子ど
もは子どもで、自立できなくなってしまう。

 忘れていけないのは、Yさん自身も苦しいかもしれないが、それ以上に苦しんでいるの
は、子ども自身だということ。その子どもが今、懸命に、Yさんの助けを求めている。が、
肝心のYさん自身は、自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。

 こんな状態で、どうしてYさんの息子が、Yさんに、自分の悩みや苦しみを、心を開い
て話すことができるだろうか。

 先にも書いたが、こうした問題には、必ず、二番底、三番底がある。今の状態を、決し
て「最悪」と考えてはいけない。むしろ事実は逆で、Yさんの息子は、まだじゅうぶん立
ちなおることができる状態にある。悪い面ばかり見るのではなく、息子のよい面もみる。
ほかの子どもよりは、独立心がおう盛で、かつ自分の人生を、真剣に考えている。親は、
自分の(常識)の範囲だけでものを考えようとするが、一度、その常識をはずして考えて
みることも、大切なのではないだろうか。

 「あなたは、あなたの道を行けばいい。それがどんな道であっても、お母さんは、あな
たを信じ、支持するからね」と。

 今、Yさんの息子が待っている言葉は、そういう言葉ではないだろうか。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心的外傷後ストレス障害(PTSD、Post traumatic Stress D
isorder)、私のばあい】

++++++++++++++++++

PTSD、つまり心的外傷後ストレス
障害で苦しんでいる人は、多いですね。

私も苦しみました。

そんな経験を、書いてみました。

++++++++++++++++++

●PTSD 

 その人の処理能力を超えた、強烈なストレスが加わると、その人の心に、大きな影響を
与える。そのときそれがふつうの記憶とは異なり、脳に外傷的記憶として残ることがある。
そして日常生活において、さまざまな症状や障害を示すことがある。こうした一連のスト
レス性障害を、心的外傷後ストレス障害という。

 Aさんは、あやうく上の子どもを、水死させるところだった。家族でキャンプに行った
ときのことだった。水から救い出したときには、すでに意識はなかったが、幸い、父親が
人工呼吸をほどこしたところ、息を吹きかえした。上の子どもが6歳、したの子どもが4
歳のときのことだった。

 以後しばらくは、その子どもが無事だったとことを喜んだが、しかしそれが落ちつくと、
ここでいう心的外傷後ストレス障害が現れた。当時の事故のことを思い出すと、極度の不
安状態になるという。あるいはその事故のことを忘れようと、思えば思うほど、当時の状
況が、思い出されてしまうという。届いたメールから、引用させてもらう。

★私は、それ以来今では少なくなっていますが、夜ふとんに入ると思い出して眠れなくな
ってしまうことがあります。

★子どもの下校時間が近づくとそわそわして、家の中と外とを行ったりきたりしてしまい
ます。

★これから先もずっと心配していかなければいけないかと思うと将来が不安でしかたがあ
りません。

★まわりに相談しても、助かったんだからとか、子離れしたらとか言われます。

★主人もいろいろ考えてはくれますが、どうしたらいいのか分からないみたいです。結局
は自分の中で勝手にいろいろ想像して勝手に悩んでいるだけなのですが、何とかこの状態
からぬけだしたいです。

●フラッシュバック

 心的外傷後ストレス障害では、その種の状況になると、強い感情的反応が現れることが
知られている。言いようのない不安感や恐怖感、絶望感や虚脱感など。ときに当時の状況
をそのまま再体験、もしくは心の中で再現したりする。これを「フラッシュバック」とい
う。

 強度の心的外傷後ストレス障害になると、日常生活にも影響が出てくる。感情鈍麻、麻
痺、回避性障害(人と会うのを避ける)、行為障害(ふつうでない行動を繰りかえす)など。
多く見られるのが、不眠である。

【心的外傷後ストレス障害、私のばあい】

 私もまったく同じような経験をしている。家族で、近くの湖へ海水浴に行ったときのこ
とである。3人の息子を連れていったが、とくに二男については、今、こうして命がある
のは、まさに奇跡中の奇跡である。

 その直後の私は、たしかにおかしかった。二男が生きているにもかかわらず、生きてい
ることを不思議に思い、思うと同時に、背筋が何度も凍りつくのを感じた。「ほんのもう少
しまちがっていたら、私が殺していた」という、自責の念にかられた。そして夜、床につ
いたあとなど、その日のことを思い出すと、そのまま興奮状態になり、眠られなくなって
しまった。

 それは恐怖、そのものであった。しかしその恐怖は、外からくる恐怖ではなく、自分自
身の内部から、襲ってくる恐怖であった。つかみどころがなかった。「もしもあのとき……」
と、そんなことを考えていると、妄想が妄想を呼び、わけがわからなくなってしまった。
それに、思い出したくはないのだが、事故の生々しい様子が、心にペッタリと張りついて、
それが取れない。かきむしっても、かきむしっても、取れない。

 本来なら、二男が生きていることを喜べばよいのだが、そういう気持ちにはなれない。「よ
かった」と思うより先に、「どうしてあんなことをしたのだろう」と、自分を責めてしまう。
そして一度、そういう状態になると、足元をすくわれるような不安状態になってしまう。
じっとしておられないというか、何をしても、手につかない状態になってしまう。

 よく覚えているのは、そのあと、湖を見るのもこわかったということ。実際には、それ
以後、一度も、湖へは行っていない。正確には、海水浴には、行っていない。おかしな妄
想が頭にとりついたこともある。「今度、息子たちを湖へ連れていったら、湖の悪魔に、命
を取られるぞ」と。そういうオカルト的な現象など、まったく信じていない私が、である。

 私のばあいは、「湖」とか、「海水浴」が、心的外傷後ストレス障害のキーワードになっ
ていた。それでそれを避けることで、やがて、少しずつだが、気持ちが和らいでいった。
あれからもう、25年になるが、こうして思い出してみると、いつの間にか、それが一つ
の思い出になっているのに、今、気づく。以前のような、フラッシュバックに陥るという
ことは、もうない。

 ただあのとき、二男を湖から救い出してくれた恩人(私はいつも「恩人」と呼んでいる)
については、その恩を忘れたことはない。二男に何かあるたびに、私とワイフ、ときには
二男を連れてあいさつに行っている。中学を卒業したとき。アメリカへ出発したときなど。
相手の人は、ひょっとしたらそういう私たちを迷惑がっているかもしれないが、私はどう
しても、それをしたい。しないわけにはいかない。つまりすることによって、二男が、助
かるべきして助かったという実感をものにしている。

 専門的には、心的外傷後ストレス障害の人に対して、グループ治療や、行動療法が効果
的という説もある。私のばあいは、精神科のドクターの世話になることはなかった。ただ
ワイフが、たいへん精神的にタフな女性で、その点では、ワイフに助けられた。私がフラ
ッシュバックに襲われたときも、私に、「あんたは、バカねえ。助かったのだから、それで
いいじゃない」と言ってくれたりした。

【Aさんへ】

 私の経験では、こうした心的外傷後ストレス障害は、なおらないということ。そのため、
なおそうと思わないことだと思います。それを悪いこと、あるいは、あってはならないこ
とと思ってしまうと、かえって自分を責め、ストレスが倍加してしまいます。

 もっとも効果的な方法は、とにかく忘れること。そのため、その事故を思い起こさせる
ようなできごとを、自分から遠ざけることです。私のばあい、一時は、湖の方角さえ向き
ませんでした。ただそのあと、水泳の能力の必要性を痛感し、息子たちを水泳教室へは入
れました。

 そしてここが重要ですが、あとは時間が解決してくれます。『時は、心の治療人』と考え
てください。こうしたもろもろの心の問題は、心的外傷後ストレス障害にかぎらず、時が
解決してくれます。悪いことばかりではありません。

 とくに二男は、生きていることのすばらしさを、そのあと、教えてくれました。また心
的外傷後ストレス障害といいますが、そういう状態になると、感性がとぎすまされ、他人
が見ることができないものが、見えてきたりします。言いかえると、そういう経験をとお
して、あなたの子どもは、今、あなたに何かを教えようとしているのです。

 ここに添付したような原稿(中日新聞に発表済み)は、そういう私の気持ちを書いたも
のです。どうか、参考にしてください。何かのお役にたてるものと思います。今の私の立
場で言えることは、「どうか、一日も早く、いやな思い出は忘れて、明るい太陽の方に顔を
向けてください」という程度でしかありません。

●苦しんでいるAさんへ、

 心を解き放て!
 解き放って、空を飛べ!
 あなたは、今、生きている。
 あなたの子どもも、今、生きている。
 それを、友よ、すなおに喜ぼうではないか。

 苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
 あなたには、他人に見えないものが見える。
 命の尊さ、命の美しさ、
 そして命のあやうさ、
 だからあなたは、人一倍
 自分の人生を大切にする。
 生きる尊さを、まっとうする。

 事故?
 とんでもない!
 あなたの子どもは
 あなたに、生きる意味を、教えるために
 今、そこにいる。
 それを、友よ、すなおに受け入れようではないか。
 そして、友よ、あなたの子どもに感謝しようではないか。
 あなたのおかげで、私は生きる意味がわかったわ、と。

 苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
 真理への道は、いつも苦しい。
 その苦しさを通ってのみ、
 あなたは、その真理にたどりつく。
 だから友よ、恐れてはいけない。
 だから友よ、逃げてはいけない。
 あなたは自分を受け入れ、
 あなたの子どもを受け入れる。

 さあ、友よ、明日からあなたは、
 新しい人生を歩く。
 勇気を出して、歩く。
 もうこわがるものは、何もない。
 なぜなら、あなたは、今、
 生きる意味を、知っている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
PTSD 心的外傷後ストレス症候群 ストレス障害 心的外傷後ストレス障害)

++++++++++++++++++++++++++

よろしかったら、お読みください。また二男については、
私のホームページのトップページから、二男のサイトに
アクセスできます。去年、かわいい孫が生まれました。
一度、見てやってください。あなたの子どもも、いつか、
孫をつれてあなたのところにやってきますよ。

(何度もマガジンで取りあげた原稿なので、以前、
お読みくださった方は、とばしてください。)

++++++++++++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校
に入ったときのことだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。

しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走している
のよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。
その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子ど
もというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろ
から女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近
は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれ
が皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、
その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労し
ているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝、あれこれ(11月9日)

+++++++++++++++++

地元のC新聞では、このところ毎日、一面で、
行政改革についての特集を組んでいる。

はっきり言えば、お役所仕事は、ムダ
のかたまり。そのムダを省いて、行政をもっと
スリムにしようというのが、行政改革。

しかし、お役人の抵抗にも、ものすごい
ものがある。

+++++++++++++++++

 浜松市の郊外に、H町という、閑静な住宅街がある。この浜松市でも、昔から、超一等
地として知られている住宅街である。豊かな緑に包まれ、どの家も、「家」というよりは、
「邸宅」といったほうがよい。そんな邸宅が、そのあたりには、立ち並んでいる。

 その一角に、市長公社がある。

 木造2階建ての居住棟と、鉄筋2階建ての会議室。それぞれ広さは、260平方メート
ル、480平方メートル。坪数で言えば、78坪、145坪。しかし敷地は、2700平
方メートル。818坪!

 この市長公社に対して、浜松市の行政改革推進審議会(通称「行革審」、スズキ自動車会
長・鈴木修氏座長)は、「全廃」を答申した。

 が、当の審議会の答申を受けたK浜松市長は、「災害、緊急時でも短時間で登庁できる」
「自宅より警備しやすい」などという理由により、反対意見を表明(C新聞報道)。審議会
に拘束力はないので、結局、そのまま存続されることになった。

 ところで、お役人たちは、「災害」「緊急時」を口にすれば、何でも許されると思ってい
るらしい。たとえば駅前に、Aタワーという、超豪華なビルが建っている。45階建て。
建築費だけでも、2000億円とも、3000億円とも言われている。

 あのAタワーの頂上に、いまだかって一度も使われたことのないヘリポートが載ってい
る。タワーの高さを、21世紀にかこつけて、約210メートル(212・77メートル)
にした。そのため、ヘリポートを、タワーからさらに上にもちあげた。その費用だけでも、
つまりタワーの高さを210メートルにするため、ヘリポートをもちあげた分の費用だけ
でも、30〜50億円もかかったという。

しかしヘリポートは、何のため? それに答えて、市の職員は、「地震などが起きたとき
の災害時に使うため」と答えている(当時の報道番組)。

 バカめ!

 地震が起きたとき、だれが、あんなヘリポートなど使うものか! だいたい、エレベー
ターが満足に動くかどうかさえ、わからない。救助隊にしても、45階から、どうやって
下まで、おりてくるのだ!

 考えられるのは、火災だが、火災にしても、ふつうの屋上があれば、それでじゅうぶん。
ギンギラ銀に輝く、UFO状のヘリポートを、わざわざ用意する必要など、まったく、な
い。

 同じように、市長公社。

 会議棟にしても、05年度に使われた回数は、たったの11回。が、これに対して、市
側は、「年間維持費は、居住棟については、61万円。会議棟については、205万円」と
回答している(C新聞)。つまり、微々たる費用だ、と。

 バカめ!

 人件費は、どうなる? 5人の役人を常駐させれば、それだけでも年間約5000万円
以上もの人件費がかかる。10人なら、1億円以上。アクトタワーについてもそうだが、
こうした人件費は、ゼロ円ということで計算しているから、お・そ・ろ・し・い。

 浜松市側は、行革審の答申を、ことごとく、はねのけている。で、結局、行政改革は、
すべて骨抜き。今になってみると、何のための行革審だったのかということになる。

 が、その一方で、現在、市側は、「市街地活性化」という言葉を、お題目のように唱えて
いる。500億円単位の税金を、市街地に、惜しみなく注いでいる。「駅前は、浜松市の看
板だ」という意見も、よく聞く。

 しかし今、この浜松市に残っている大企業の工場は、ほとんどない。HONDAもSU
ZUKIもYAMAHAも、すべて工場を、浜松市の外に移してしまった。かわりに浜松
市が力を入れているのが、花木産業(?)。

 フラワーパークがある。フルーツパークがある。ガーデンパークがある。ついでに楽器
博物館もある。

 何度も言うが、こんな金持ちの道楽のようなことばかりしていて、どうなる? 浜松市
は、それで発展するのか? 市街地の活性化問題にしても、それはあくまでも、「結果」。
浜松市が発展すれば、その結果として、市街地も活性化する。市街地を化粧すれば、それ
でよいという問題ではないはず。

 浜松市のみなさん、駅前の豪華なビル群を見て、「浜松も発展している」と思うな! だ
まされるな!

 ……ということで、この話は、おしまい。私のようなものがいくら叫んでも、行政側は
ビクともしない。つまり私のしていることは、負け犬の遠吠え。この無力感を覚えるよう
になって、もう20年以上になる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●雑感・あれこれ

+++++++++++++++++

今日は、これからY市で講演。
T中学校区での講演会である。
30分ほど、時間があるので、
この雑文を書く。

(11月9日)

+++++++++++++++++

●悪徳商法

 数日前、関西に住む、ある女性から電話がかかってきた。3人の子どもをもつ母親だっ
た。いわく、「右脳教育の教材を買ってしまったが、解約したい。どうすればいいか」と。

 値段を聞いて、ビックリ! 1セット、50万円だという。

 「幼児のころ、右脳教育をしておかないと、科学者にはなれません」「あなたのお子さん
も、辞書を一冊、丸暗記できるようになります」「あの卓球のIチャンも、利用していまし
た」などなど。そのセールスマンは、そう言ったという。

 それで50万円の教材を購入することに!

 バカめ! いや、その母親がバカと言っているのではない。そのセールスマンが、バカ! 
右脳教育の「ウ」の字も知らないで、右脳教育の教材を売りさばいている。

 私の近くにも、「S」という、これまた「?」な教材販売会社がある。月4回の家庭教師
こみで、年間、120〜30万円の費用を取っている。教材販売会社なのだが、家庭教師
をセットにしているところがミソ。

 つまり教材を解約しようとすると、「うちの教材は、あくまでも家庭教師の補助教材です」
と言って逃げる。家庭教師を解約しようとすると、「家庭教師はサービスとして派遣してい
ます。教材費実費はいただきます」と言って逃げる。

 私の生徒の親も、何人か、その被害にあっている。

 どうか、みなさん、お気をつけください!


●めんどう

 たった今、掲示板のデザインを変更した。このところ、不良書き込みが多くなった。そ
れでそうした。

 が、それがけっこう、めんどう。キーボードを指先で叩くだけの作業なのだが、それが
けっこう、めんどう。これはどうしたことか?

 よくよく考えてみると、キーボードを叩くのがめんどうというわけではない。頭を使う
のがめんどう。それがわかった。

 それはたとえて言うなら、数学の問題を解くようなもの。将棋や囲碁をさしたりするよ
うなもの。そういうことをするのが好きな人には、何でもない。しかしそういうことをす
るのが嫌いな人も多い。

 それに、今回は、不本意な作業。不良書き込みをなくすための作業。

 方法は、簡単。IEのフィルター機能のように、不良書き込みを、「迷惑書き込み」に指
定すればよい。そうすれば、以後、同じ送信者からの書き込みは、そのまま「迷惑トレイ」
に隔離される。

 簡単な作業なのだが、いつもになく、めんどう。そう感じた。

 それにしても、どうしてこういうバカが多いのだろう。ヘタクソな文章。文にもなって
いないような文章。書き込みをするならするで、もう少し、オツムを磨いてから、書き込
みをしろ!

 ちなみに、こんな書き込み。

 「オッス、3時間で、オラ、15万円、稼いだっス」
 「ホントかね。ホント。童貞さん、ひっぱりだこス」
 「いるんだね、それが。ヒマな奥さん。あなたも、5万円、稼ぐ?」と。

 同一人物からのものとは、文調から、すぐわかる。しかしそのつど、発信アドレスを変
えてくる。だから私の方も、そのつど、フィルターをかけなければならない。それが、ど
ういうわけか、めんどう。たかが指先の操作だけですむことなのに……。


●二人三脚

 このところ、いつも、講演会には、ワイフと2人で、でかける。講演会の主催者の方に
は、何かとめんどうをかけるが、そうしている。

 深い理由はない。が、あえて言うなら、こうして2人で出歩くことによって、ボケ防止
にはなる。ワイフは、若いころから、出歩くのが好き。しかし私は、あまり好きではない。
そういうこともある。

 だから主催者の方には、いつも、こう言うようにしている。「二人三脚でしていますから、
よろしく」と。

 ほかにとくに楽しみはないが、講演が終わったあと、いつも2人で食事をすることにし
ている。楽しみといえば、それが楽しみ。

 今日はこれからY市まで行ってくる。もちろんワイフも同行する。……してくれる。と
きどき、「あなたが心配だから」と言ってくれる。私が途中で、ぶっ倒れるとでも、ワイフ
は、思っているらしい。

 その心配は、ないわけではないが……。

 来年からは、講演活動は、できるだけ控えるようにしよう。体力も、そろそろ限界に近
づいてきたようだ。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●以前、書いた原稿より……

++++++++++++++++++

お役所仕事について、以前書いた原稿を
さがしてみた。

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●集団の中の個人

 いつだったか、I県の県庁に勤める友人がこう言った。「官庁なんてものはね、規則で成
りたっているようのものだよ。規則を取ったら、組織はバラバラだよ」と。

 外から見ると、巨大な組織も、中身と言えば、無数の規則のかたまりでしかない、と。

 おもしろい見方である。心理学の世界でも、こうした規則の存在を認める。それを「規
範」という。

 たとえば街を歩いてみる。そこには無数の人がいる。しかし、たがいのつながりはない。
こうした人たちを、心理学では、「群集」と呼ぶ。しかしその群集が、何らかの規範を保ち
ながら集まったとき、その「群集」は、「集団」となる。

 官庁は、その規範で成りたっている。

 が、この規範には、いろいろな側面がある。便利な面もあれば、不便な面もある。わか
りやすく言えば、従順に従うか、反抗するかということになる。もちろんその中間も、あ
る。

 そこでこの「規範」に対する、人間の反応を、つぎの4つに分ける。

(1)従順、順応型……集団の規範を、何ら疑うことなく、受け入れる。
(2)挑戦、改良型……規範に対して、いつも改良を加え、住みやすくしようとする。
(3)抵抗、反抗型……規範に対して抵抗し、いつも反抗的態度をとる。
(4)逃避、退行型……規範から逃避し、自分だけの小さな世界に住もうとする。

 こうした4つのパターンは、そのまま、その人の生きザマとなって反映される。もちろ
んその組織は、官庁だけにかぎらない。「会社」という組織や、さらには「日本」という組
織も、その組織である。

 私は、この中でいう、(2)の挑戦、改良型タイプの人間である。どんな世界に入っても、
すぐワーワーと騒ぎ始める。「こうしたらいい」「ああしたらいい」と。今も、こうしてモ
ノを書きながら、そうしている。

 しかしときどき、(1)の従順、順応型であったら、どんなに気が楽になるだろうと思う
ことがある。私の知人の中には、そういう人も多い。組織という組織を、すべて受け入れ
てしまっている(?)。言われたことだけを、言われたようにやっている。

 で、今、ふと思ったのだが、画家や作家の中には、(4)の逃避、対向型の人が多いので
はないかということ。かなり話が脱線するが、許してほしい。ここから先は、まったく別
の話と思ってもらってもよい。

++++++++++

 最近でも、50万部を超えるベストセラーを出した人が、いる。しかし実際に会って話
をしてみると、完全な「お宅族」。社会や集団とのかかわりを、ほとんどもっていない。し
かし本だけは、売れた。

 そこでマスコミが担ぎ出し、その人の意見をあれこれ求める。しかし考えてみれば、こ
れはおかしなことだ。私は、この疑問を、かなり若いころにもった。

 日本を代表するような画家にせよ、小説家にせよ、ではそういう人たちが、社会的にす
ぐれた人物であるかどうかということになると、それは疑わしい。何かの研究家も、そう
だ。むしろどこか「?」な人ほど、そういう世界では、成功をおさめやすい? このこと
は、たとえば教育の世界でも、言える。

 私が20代のころ、東京のA大学から、一人の教授が、このH市にやってきて、子育て
講演会をもった。題して「幼児教育とは」。しかし話の内容は、まったくチンプンカンプン。
あとでその教授の経歴を調べたら、その教授は、「赤ん坊の歩行のし方を研究し、その歩行
のし方から、人間の進化論を証明した人」ということだった。

 人間の赤ん坊は、ある時期、ワニやトカゲと同じような這(は)い方をする。

 それ自体は、すばらしい研究だが、ではその研究者が、どうして幼児教育を説くことが
できるのか。たまたま赤ん坊が研究テーマだったにすぎない。こうした誤解と、錯覚は、
ほかにもある。

 たとえば昔から、このH市は、楽器の町で知られている。それは事実だ。しかしそのH
市は、いつの間にか、音楽の町にすりかわってしまった。楽器と、音楽の間には、超えが
たいほど、大きな距離がある。以後このH市は、「音楽の町」として懸命に売りだそうとし
ている。が、今イチ、パッとしない。

 楽器と音楽。それは印刷機と文学と、同じくらい、離れている。印刷機の町だからとい
って、文学の町ということにはならない。同じように、楽器の町だからといって、音楽の
町ということにはならない。どこか話が、おかしい?

 さてさて話が脱線してしまったが、こうしたそれぞれの人の特性を見きわめないと、と
きとして、私たちは、その幻想と錯覚に振りまわされてしまう。たとえば数年前、人間国
宝となっている歌舞伎役者が、若い愛人の前で、チンチンを出した事件があった。その写
真は、写真週刊誌にフォーカスされてしまった。

 しかしその役者が、人間国宝を返上したという話は聞いていない。その歌舞伎役者は、
役者としては、すぐれた人物かもしれないが、人間的には、「?」と考えてよい。つまり私
たちは、それぞれの人がもつ特性を、そのつど混濁してしまう傾向がある。端的な言い方
をすれば、有名人になれば、それだけ人格も高邁(こうまい)であると、誤解してしまう。

しかしそういうことは決して、ない。ないという意味で、ここに集団における人間の特
性を4つのパターンに分けてみた。もっとわかりやすく言えば、(4)の逃避、退行型の
人が、その世界で成功をおさめたあと、ついで、(2)の挑戦、改良型、あるいは(3)
の抵抗、反抗型の人間に化けることは、よくある。

 「さてあなたはどうか?」「私はどうか?」という視点で考えてみると、おもしろいので
は……?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 集団 群集 規範)


●精神病は、危険か?

 神戸で起きた、『淳君殺害事件』は、いまだに多くの場所で語られている。そのため、自
分の子どものことで、それについて心配する親も多い。たとえば自分の子どもが、精神科
へ通うような状態になると、「うちの子は、だいじょうぶでしょうか」「うちの子どもも、
ああいう事件を引き起こすのではないかと心配です」と。

 しかしその事件を引き起こした少年Aが、そうであったかどうかという話は、別として、
一般論としては、精神病の患者(統合失調症※を含む)が事件を引き起こす割合が、そう
でない人が引き起こす割合より大きいというデータは、今のところ、存在しない。

 インターネットを使って、あちこちと調べてみたが、そういう事実は、浮かんでこない。
むしろごくふつうの子どものほうが、凶悪事件を引き起こす割合が、高い。だから精神的
に何か問題があるからといって、すぐそれを、「危険」と考えてはいけない。それこそ、ま
さに、偏見ということになる。

 日本人は、精神的に何か問題があると、それを隠そうとする。恥ずかしいこと、悪いこ
とと考える。しかし精神も、肉体と同じように、病気になる。なっても、まったくおかし
くない。

 非公式な意見だが、アメリカ人の3分の1は、うつ病だという学者もいる。あるいは3
分の1の人は、一生の間に、一度は神経症になるという説もある。40%が、何らかの精
神的病(やまい)をかかえているという説もある。内科へくる患者の、3分の2が、すで
にその段階で、心身症になっているという説もある。つまり今では、精神病というのは、
軽い風邪のようなもの。大げさに気にするほうが、おかしい。

 私も精神科の世話にはなったことこそないが、かかりつけの内科医には、それに近い相
談をいつもしている。一応、睡眠薬とかそういう薬ももらっている。(めったに使ったこと
はないが……。)若いころは、偏頭痛にも苦しんだ。

 むしろ、私のばあい、気をつけているのは、「ふつうに見える、ふつうでない人」だ。と
くに、執拗にからんでくる人には、注意している。アルツハイマー型痴呆症の人の、初期
のそのまた初期症状として、そういう症状を示すこともあるという。妙にかたくなになっ
たり、がんこになったりする。感情の繊細さが消えることもある。ズケズケとものを言う
のも、その症状の一つである。

 40歳のはじめで、その症状を示す人は、5%(20人に1人)とみるそうだ。

 親でも、こういう親にからまれると、とことん神経をすり減らす。その人が、ふつうで
ないと気づくまでに、時間がかかるからだ。このタイプの人は、ものの考え方が、自己中
心的。ある日、突然教室へやってきて、「ウソをつくな!」と怒鳴ったりする。理由を聞く
と、「夏になったら、紫外線がふえるから、帽子をかぶろう」と私が言ったことが、「ウソ
だ」と。つまり「帽子では、紫外線は防げない」と。

 自分勝手な妄想をふくらませてしまうため、会話そのものが、かみあわなくなってしま
う。

 で、40歳というと、ちょうど中学生の子どもをもっている親の年齢ということになる。
また5%というと、生徒でいえば、10人に1人ということになる。(親の数は、父親と母
親で、20人になる。)

 学校の教室では、30人クラスでは、何と、3人は、このタイプの親がいるとみてよい。
そういう親が、これまた先頭に立って、教室そのものを引っかきまわしてしまう。だから
最初から、警戒したほうがよい。

 このことは、親どうしのつきあいについても言える。

あなたの子どもが中学生なら、あなたの周辺にも、このタイプの親が、1人や2人は、
必ずいる。(しかしあなたは、絶対に、そのタイプの人ではない。なぜなら、アルツハイ
マー痴呆症の初期の初期症状を示す人は、こうしたマガジンを読まない。読んでも、す
でに理解できない。)

 ともかくも、精神病が危険であるという考え方は、まちがっている。根拠がない。偏見
である。むしろ、まじめな人ほど、精神病になりやすい。

 またまた原稿を書いているうちに、大きく話が脱線してしまった。このところ、こうし
て脱線することが多くなった。ひょっとしたら、これは痴呆症の始まりか……? ゾーッ!

 そんなわけで、この話は、ここまで!
(※……統合失調症。少し前まで、「精神分裂病」という診断名が使われていた。)


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●上海のMTさんより

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中国の上海在住のMTさんより、
みなさんに、メールが届いています。
(06年11月8日)

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はやし先生

こんにちは。

こちらは、3日ほど前から急に寒くなり、朝晩は、冬のコートが必要なほどになりまし
た。昼間は暖かいのですが…。

先生のご友人が、上海でスリ等々にあったとのこと、大変でしたね。でも、こちらでは
よくあることです。私自身は、幸いまだ遭遇していませんが、周囲の人たちは、一度は
経験しているようです。とられたものが惜しい、というより、後味の悪さ、衝撃のほう
が強いらしく、私は、経験したくないです。

知人が目撃した、スリの瞬間について、書きます。

そのあたりを、たくさんの自転車が走っていました。中国には、自転車や電動スクータ
ー多いです。若い女性が自転車に乗って走っていたのですが、その横を伴走するかのよ
うに、年齢は4、5歳の男の子が走っていたそうです。

知人はその男の子は、自転車を運転している女性の子どもだと思って、うしろから見て
いたそうですが、男の子は、走りながら、女性が斜めがけにしているショルダーバッグ
の中に手を入れて、なにやら物色し始めたそうです。しばらくゴソゴソ探っていたそう
ですが、収穫がなかったらしく、離れていったそうです。

日本人が多く集まる、ある地区では、スリの被害が増えています。ここは欧米人も多く
集まります。その地区にある某外資系スーパーでのこと。子どもの連れ去り未遂事件が、
少し前にありました。

被害者は白人の男の子でした。お母さんが目を離した隙(すき)に連れ去られ、気づい
た母親が、ガードマンに告げ、店の出入り口を封鎖。男の子はトイレで無事保護されま
したが、衣服は脱がされ、髪の毛も頭半分ほど坊主刈りにされていたそう。このスーパ
ーはとりあえず何でもそろうというので、日本人も多く、利用しています。近所には日
本食品店も何軒かあります。日系の進学塾もあります。

でも、ニューヨークや、東京よりは治安はいい、と、海外で生活してきた人たちは、み
な、言います。知人の友人はニューヨークで暮らしていますが、東京は怖くて行けない
と言っているそうです。上海は今のところ、凶悪事件は減ってきていると聞きます。そ
のかわり、スリなどは日常茶飯事。

(危険)に対する意識が低いのかな…と思うことが、時々あります。

たとえば工事中の歩道。狭い道で、そこを通るしかありません。ドリルのついた工事車
両がコンクリート(アスファルト?)の地面を掘り返しています。当たったら、かなり
痛いであろうと思われるような、そんなコンクリートの破片が、周囲に飛び散ります。
でも、飛び散りを防ぐ被いや、通行止めの柵もありません。ドリルが休む隙にそのすぐ
脇を通り過ぎます。私もそうしています。

これも知人から聞いた話です。

バス停に座っていたら、隣に座っていた女性が突然悲鳴を上げました。驚いて、その知
人が見ると、女性の手が見る見る腫れていきます。バス停の向かい側でビルの解体工事
をしていたのですが、そこから飛んできた破片が女性の手に当たったのです。4車線の
道路を挟んではいたのですが、やはり、防護シートなどは設置してありませんでした。

何事もそういう、お国柄です。

自分の身は自分で守る。どこの国にいてもそうなのですが、守らなければならない状況
が日本に比べ、多岐に渡っているように感じます。

信号や横断歩道を渡る機会は少ないですが、渡るにしても、よく気をつけないと、車に
ひかれてしまいます。信号のない道路を横切るほうが、気が張ってる分、安全な感じが
します。どちらにしても危ないですね…。ひとりのときはいいのですが、子どもづれの
ときは、気をつかって、大変です。

……というわけで、毎日、スリリングな(?)日々を送っています。

では、また。

 上海、MTより。


【MTさんへ、はやし浩司より】

 私も、若いころ、あちこちで、ひどい目にあいました。おかげで少しは、利口になりま
した。が、それが(現実)というか、(外国)なのですね。日本の常識は、どこかぬるま湯
的。外国では、通用しません。

 少し前にも書きましたが、アメリカ人は、道に迷っても、ぜったい、見知らぬ人には道
を聞きません。自分で地図を開いて、それとにらめっこをしながら、目的の場所をさがし
ます。で、あるとき、私が、「どうしてそのあたりの人に聞かないのか?」と聞くと、その
アメリカ人は、こう教えてくれました。

 「相手の人がこわがるから」と。

 ご存知ですか? アメリカでは道を聞くフリをして、その人に近づき、ピストルで脅(お
ど)してお金を奪うという犯罪が、少なくないそうです。ばあいによっては、ズドン!

 が、日本では、中学校で使う英語の教科書などには、道をたずねるという英会話が載っ
ていますね。「郵便局は、どう行けばいいですか、教えていただけませんか?」「この道を
まっすぐ行って、三つ目の角を、右に曲がってください」と。

 しかしそんなことをたずねるアメリカ人は、いません。つまりあれほど、ムダな英会話
というのもないということになります。

 で、MTさんのメールを読んでいて、感じたこと。……言うなれば、中国は、自己責任
の国ということでしょうか。あるいは社会制度そのものが、まだ未成熟? 日本では、大
雨が原因で洪水が起きても、住民は、市を訴えたりします。「行政の怠慢が原因で、洪水に
なった」と、です。つまりそれだけ、日本人というのは、(お上)に対して、依存性が強い
ということになります。

 それがよいのか悪いのか、私にはわかりませんが、こうした依存性は、教育の場にも、
たびたび見られます。

 少し前にも書きましたが、ある小学校で、こんな事件が起きました。

 ある子ども(小1、男児)が、学校の帰りに、同級生に石を投げられ、ケガをしたので
す。たいしたケガではなかったのですが、母親が、それに反発。翌日、学校へ行き、担任
に、「もっとしっかりと、子どもたちを監視してほしい」と申し出たそうです。が、その先
生は、正直な人だったのですね。その母親に、こう答えたそうです。

 「そこまでは、できません」と。つまり「帰り道のことまでは、責任を負えません」と。

 その言葉に、母親はさらに反発。今度は、その足で、校長室まで行って、校長に抗議し
たそうです。きっと「あの先生は、無責任だ」とか何とか、そんなようなことを言ったの
だと思います。

 しかし、実際問題として、先生が、そこまで監視するのは、不可能です。で、その先生
は、その日の終わりの会のとき、子どもたちの前で、「昨日、○○君に石を投げたのは、だ
れだ」と、言ってしまったというのです。

 が、これがまたまた大問題に発展してしまいました。

 それを聞いた母親が、「そんなことを先生がみなの前で言えば、うちの子がいじめにあっ
ているということが、みなにわかってしまう」「ますますいじめられるようになってしまう」
と。

 ……こうした一連の母親の行為の向こうに、私は、日本人独特の、あの依存性を感じて
しまうのです。もし自分の子どものことがそんなに心配なら、自分で、自分の子どもの送
り迎えをすればよいのです。多分、中国人なら、そうするでしょうね。しかしそういう発
想は、日本人には、ありません。

 「何でも、かんでも学校」という発想です。たまたま今夜も、NHKテレビで、国語力
についての報道番組がありました。最近、若者たちの国語力が、低下しているという内容
のものでした。

 その中で、ある作家(○○賞受賞者)が、こうコメントを述べていたのには、驚きまし
た。「学校での基礎教育を、もっと充実すべき」と。

 ここでも、また「学校」です。しかしどうして「学校」なのでしょう。私なら、「母親の
言葉教育から始めるべき」と言うでしょう。あるいは「母親の言葉教育を、もっと充実す
べき」と言うでしょう。

 言うまでもなく、子どもの国語力、なかんずく会話能力を決めるのは、母親自身の国語
力だからです。その国語力が、子どもの国語力の基礎となります(※)。

 わかりますか?

 「自分で何かをしよう」と考える前に、「お上(=学校)に何かをしてもらおう」という
発想です。こうした発想が、日本中の、すみずみにまで、行き渡っている。日本人の骨の
ズイのズイまで、しみこんでいる。

 (外国)は、もっときびしいですね。日本人の私たちが考えているより、はるかにきび
しい。MTさんからのメールを読んでいたとき、別の心で、そんなことを私は考えていま
した。ちがうでしょうか?

 ……ともあれ、お元気そうで、何よりです。しかし、MTさん自身がそうなのですから、
ご主人は、もっとたいへんな経験をなさっておられるかもしれませんね。風習や制度がち
がうというより、文化そのものがちがいますから……。むしろ戦前の日本人のほうが、中
国に同化しやすかったかもしれませんね。日本人は、よきにつけ、悪しきにつけ、戦後、
アメリカ型の西欧文明を受けいれてしまいましたから……。

 今、MTさんが感じておられるギャップというか、カルチャ・ショックは、その狭間(は
ざま)で生じているのだと思います。おおいに頭の中で火花を飛ばして、それを楽しんで
ください。少なくとも、お子さんたちには、たいへんよい刺激になっているはずですから
……。(少し、無責任な意見で、すみません。)

 で、日本は、今、秋たけなわといったところです。暖房はまだ必要ありませんが、ひん
やりとした寒気を感じる毎日になりました。

 また、どうか、上海の様子を知らせてください。よろしくお願いします。楽しみにして
います。

 (まだ転載許可をもらっていないのに、楽天の日記のほうに、MTさんのメールを紹介
してしまいましたが、お許しください。多分、いつものように了解してもらえるだろうと
思い、勝手にそうさせていただきました。ごめんなさい!)


(注※)子どもの国語力について

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう30年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣ってい
ると思われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこ
がどう違うかを調べたことがある。結果、つぎの3つの特徴があるのがわかった。

(1)使う言葉がだらしない……ある男の子(小2)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校
ジャン」というような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」
となる。

たまたま『戦国自衛隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」
と聞くと、その子どもはこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バ
ンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、ま
ったくわからなかった。

(2)使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウ
ン」だけで会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどう
だったの?」、娘「まあまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

(3)正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみた
が、どの子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を
習う外国人のようにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごら
ん」、子「山ア……、上にイ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそ
のことを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホン
トにモウ、ダメネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。

毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話
し方をしていて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケ
ースでは、たとえめんどうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。
もうすぐバスが来ます」と言ってあげねばならない。……と書くと、決まってこう言う
親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞い
ているからといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それ
こそ立て板に水のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を
音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、そ
の音を自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文
字を「形」として認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも
使う部分が違う。そんなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をす
るとよい。具体的には「口を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわか
ってもらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だ
と思っている人は多い。

私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言った。
「そんなの誰にだってできるでしょう」と。しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」
の基本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意味では、幼児教育は大学教育より重要
だし、奥が深い。それを少しはわかってほしかった。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親との時間短いと、非行に(?)

+++++++++++++++++++++++

親や大人と過ごす時間が短ければ短いほど、
子供は問題行動に走りやすいという調査結果が、
イギリスのシンクタンクより発表された。

+++++++++++++++++++++++

 親や大人と過ごす時間が短ければ短いほど、子供は問題行動に走りやすいという調査結
果が、イギリスのシンクタンクより発表された。

しかし、こうした調査結果を読むとき、注意しなければならないのは、どちらが卵で、
どちらがニワトリかということ。

 つまり(親との時間が短い)から(子どもが非行に走りやすくなる)のか、それとも、(子
ども非行に走るようになる)から(親との時間が短くなる)のかということ。さらに、(親
との時間)といっても、幼児期のことをいうのか、それとも非行が問題になる、少年、少
女期のことをいうのかという問題もある。

 短絡的に、(親との時間が短い)イコール、(子どもの非行)と考えると、誤解のもとと
なる。

 もう少し、調査結果をていねいに読んでみよう。TBS−iニュースは、つぎのように
伝える。

+++++++++++

……イギリスの有力シンクタンク、「IPPR」は11月6日、ヨーロッパ各国の青少
年の行動を調査した、30年に及ぶデータの分析結果を発表しました。

 それによりますと、15歳の子供で、暴力や飲酒、薬物、性行為などの行動をする割合
が高く、「ヨーロッパ・最悪の国」とされたのがイギリスでした。

 そのイギリスと、問題行動が少なかったイタリアのデータを比較したところ、「日ごろ、
家族と一緒に夕食を食べる」では、イギリスが64%、イタリアが93%、また、「親
とよく話をする」では、イギリスが62%、イタリアが86%などという結果になって
います。

 「親と一緒に過ごす時間の少ない若者が、反社会的な行動を、より取りやすいことを示
す膨大な証拠があります」(「IPPR」 ジュリア・マーゴ担当研究員)。

 ちなみに、日本のデータは、それぞれの質問で82%、58%でした。

 今回の調査結果は、子供たちの行動において、家庭の役割が、いかに大きいかを改めて
示していると言えます。

++++++++++

 もう少しわかりやすくするために、数字を整理してみよう。

●日ごろ、家族と一緒に夕食を食べる

  イギリス  ……64%
  イタリア  ……93%
  日本    ……82%

●親とよく話をする

  イギリス  ……62%
  イタリア  ……86%
  日本    ……58%

●上記2つの数値を平均してみると……

  イギリス  ……63%
  イタリア  ……90%
  日本    ……70%

 この平均値をみるかぎり、日本のそれは、イタリアよりも、イギリスに近いということ
になる。(イタリアとの差は20%、イギリスとの差は7%。)

 と考えていくと、親との時間が短いと、非行に走りやすいとは、必ずしも、言えないの
ではないのか。あるい意味で、「親と一緒に過ごす時間の少ない若者が、反社会的な行動を、
より取りやすい」というのは、常識。放任主義が、子どもの教育にとってよくないことは、
だれでも知っている。それを、あえて「それを示す膨大な証拠があります」とは!?

 かりに15歳のときはよくても、イタリアのばあい、そののち、おとなに近づくにつれ
て、非行化が急速に進む。

 ちなみに、犯罪被害者数の対人口比でみると、つぎのようになっている(OECD、F
actbook・2006)。

 イギリス  ……26・4人(2000年)
 イタリア  ……24・6人(1989年)(2000年度の資料なし)
 日本    ……15・2人(2000年)

 犯罪被害者数でみるかぎり、イギリスもイタリアも、それほど、ちがわないのがわかる。
なおこの調査結果によると、あのオーストラリアが1位で、30・0人(2000年)だ
そうだ。

 OECD諸国では、全体に、犯罪被害者数は、増加している。同じ、1989年で比較
すると、つぎのようになる。

イギリス  ……19・4人(1989年)
 イタリア  ……24・6人(1989年)
 日本    …… 8・5人(1989年)

 つまり、イギリスより、イタリアのほうが、はるかに犯罪被害者数が多いのである。

 こうした調査結果というのは、決して、一元的な側面からのみで、うのみにしていはい
けない。仮に、「IPPR」の ジュリア・マーゴ担当研究員の言っていることが正しいと
しても、見方を変えれば、それだけイギリスの子どもたちは、親から独立しているという
ことになる。

 ……で、今ごろは、どこかの教育団体や、教育者たちが、「そら、見ろ!」と、この数字
をとりあげて、「親との会話の重要性」と説いていることだろう。それはまちがっていない。
常識である。

 ただ現実問題として、ではどうすれば、親との会話の時間をふやせるかということにな
ると、ことは簡単ではない。『言うは易(やす)し、行なうは難(かた)し』ということに
なる。

 ……この私の考え方は、少しヒネクレているかな?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
親との対話 親子の触れ合い ふれあい 親と子どもの非行 子供の非行)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今朝・あれこれ(11月7日)

+++++++++++++++++++++

ここ数日は、ほとんど原稿を書かなかった。
調子が悪かった。

こういうときというのは、考えるのも、
おっくうにになる。「どうでもいいや」という、
投げやりな気持ちになる。

運動不足なのかもしれない。私のばあい、
運動不足になると、とたんに、頭の働きが、
鈍くなる。

+++++++++++++++++++++

●思いつくまま

 今朝は、午前5時半に起きた。昨夜は、午後9時半に床についたから、一応、8時間、
眠ったことになる。

 で、起きてすぐ、茶碗一杯のお茶をつくる。それをもって、書斎へ。書斎といっても、
元、息子の部屋。ものが、雑然と散らかっている。

 その部屋で、パソコンに電源を入れて、まずメールのチェック。このところ、スパムメ
ールが、倍増したように思う。今朝だけでも、25〜30通前後も、届いていた。

 が、すべて、削除。容赦なく、削除。何も考えず、削除。

 さらに最近では、私のHPの掲示板にまで、書きこんでくる連中(=バカ)がいる。「オ
ッス、おいら、ここで童貞を捨てました」「童貞を捨てて、5万円」とか、など。リンク先
を書きこんであるが、こうしたリンク先は、絶対に、クリックしてはいけない。その先に、
何が埋めこんであるか、わかったものではない。

 で、今朝、読者のみなさんに迷惑がかからないように、リンク表示の文字の色と、背景
の色を同一にした。こうすれば、リンク先の表示があったとしても、それを、見た目には
消すことができる。

 あとは、掲示板投稿の連絡がありしだい、即、削除。……という作業を、たった今、終
えたところ。(何だかんだで、1時間も、かかってしまった!)

 こうして、私の一日は、始まる。たいていは、(怒り)を感じながら、始まる。(怒り)
を感ずると、サーッと、頭に血がのぼってくるのが、わかる。眠気が消える。


●暖かい朝

 11月だというのに、この暖かさ!

 若いころは、11月といえば、身を切るような寒さを感じたもの。が、今は、パジャマ
一枚でも平気。地球温暖化は、確実に進行している。

 そういえば、昨日は、季節はずれの雷雨と集中豪雨。こういう地球にしてしまったのは、
私たち、おとなの責任。それを考えると、「何を、偉そうに!」となってしまう。つまり、
子どもたちに、申し訳ない気持ちにかられる。

 オーストラリアでは、干ばつの影響で、今年は、50%程度も、農作物の収穫が減少す
るという(NSW州)。9月はじめには、季節外れの霜が降り、農作物が大打撃を受けたと
いうニュースも、伝わってきている(南オーストラリア州)。

 さらに不気味なのは、中国の乾燥化、砂漠化が、年々、加速度的に進んでいるというこ
と。砂漠化だけならまだしも、表土が流出し、大地そのものが岩盤化している。わかりや
すく言うと、中国を右上から左下に、約半分にした上の部分は、年間降水量が400ミリ
以下の、砂漠地帯になりつつあるということ。

 その砂漠地帯は、どんどんと今の今も、南下しつつある。

 暖かいのはよいが、その(暖かさ)と引きかえに、今度は、食糧問題。11月なら11
月らしく、もう少し寒くてもよいと、私は思うのだが……。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●「太陽政策」って何?

+++++++++++++++++

韓国のN大統領が推(お)しすすめる、
「太陽政策」って、何?

わかりやすく言えば、
「独裁者延命政策」のこと?

それとも、
「核兵器製造、時間稼ぎ手助け政策」のこと?

あるいは、
「ストックホルム症候群政策」のこと?

+++++++++++++++++
 
 北朝鮮の朝鮮労働党元書記で、韓国で亡命生活を送るファン・ジャンヨプ氏は、11月
6日、韓国国会で開かれた「寧民フォーラム」の特別講演で、「南北関係で最も大事なのは
平和だと言うのは、金xxの奴隷になろうというのと同じことだ。(そういうことを言う人
は)欺まん者ばかりだ」と述べた(朝鮮N報)。 

まさに、同感である。またそれが世界の常識といってもよい。

N大統領が守ろうとしているのは、平和主義でも、民族の融和でもない。N大統領が、
結果的に支えているのは、金xxという、類をみない、頭の狂った独裁者であり、その
独裁者が率いる、独裁国家である。

さらに、ファン氏は、「太陽政策を主張する人々は、平和主義という仮面をかぶっている。
最近の南北関係や韓半島(朝鮮半島)情勢を目の当たりにしながら、平和より大事なこ
とはない、と言っているが、これは金正日の奴隷になろうとするものだ」と訴えた。 

 そして、「以前は軍事境界線で銃声が聞こえただけでも恐怖におびえていたのに、今は核
実験をしても、『韓国社会は安泰だ』とのたまう欺まん者たちがいる。こういう発言をす
る人々は、史上最大の欺まん者だと思う。彼らが『民族協調』『民族主義』『統一』など
といった仮面をかぶっている」と批判した(同、朝鮮N報)。 

 このような言葉は、N大統領や金大中前大統領が、お題目のように、よく口にするもの
だ。つまりこれらの大統領は、K国が、傾きかけると、直接現金を渡して、K国をささ
えてきた。その結果、韓国は、K国に、核兵器開発のための(時間)と、(資金)を与え
てしまった。今の今も、与えている。

こう考えていくと、では、太陽政策とは、いったい何かということになってしまう。

あえて言えば、「独裁者延命政策」ということになる。あるいは、「核兵器製造、時間稼
ぎ手助け政策」と言ってもよい。長い間、K国に脅されているうちに、韓国社会全体が、
ストックホルム症候群に陥ってしまったとも考えられる。

もっとも韓国政府の(ねらい)は、理解でできなくもない。N大統領は、こう考えてい
る。

「K国からの武力攻撃は、何としても、かわさなければならない。できれば、K国の攻
撃先を、日本、もしくは、日本国内の米軍基地に向けさせたい」と。わかりやすく言え
ば、日本とアメリカを悪者に仕たてながら、自分だけは、(いい子)でいようとしている。

が、そんな論理は、ことK国には通じない。通じないことは、今までの一連の流れを見
ればわかるはず。言いかえれば、韓国は、引くに引けないところまで、自分を追いこん
でしまった。今さら「私たちの太陽政策はまちがっていました」とは、とても言えない。

そういう弱みにつけこんで、K国は、「金剛山観光を中止すれば、戦争だ」と息巻いてい
る。援助を受けている側(K国)が、援助している側(韓国)に向かって、「それをやめ
たら、戦争だ」と。

こんなバカげた論理はないのだが、つまりK国は、そこまで狂っている。

 そこでファン氏は、「本当に平和を守りたいのならば、米国との同盟を強化し、韓国軍を
強化して、安全保障体制をより強化し、国家情報院や警察の機能もまた強化しなければ
ならない。平和主義というのは人をだますものだ。力と精神を培い、思想的に団結しな
ければならないのに、侵略者に対してゴマをすり、譲歩し、協調するようになってしま
った。このような者どもになぜだまされるのか。本当にずうずうしい」と述べている(同、
朝鮮N報)。 

 一度は、「核兵器を放棄する」と同意しながら、「原子力発電所建設が先」と、同意を反
故(ほご)にしたK国。一度は、「6か国協議に出る」と同意しながら、「経済制裁解除が
先」と、同意を反故にしたK国。そして今回も、「6か国協議に出る」と同意しておきなが
ら、「日本は不要」と、これまた同意を反故にしようと画策するK国。

 金xxは、絶対に、核兵器を放棄しない。彼にとって、核兵器とは、カルト教団の本尊
のようなもの。信仰というものがどういうものであるか知っている人なら、彼が、核兵器
に対してどのような思いをいだいているか、それを理解できるはず。時間がたてばたつほ
ど、金xxは、核兵器の数をふやし、核保有国として、今度は、日本のみならず、韓国を
も恫喝(どうかつ)してくるはず。すでに、それは始まっている。

 平和主義にもいろいろある。「殺されても、文句は言いません」という平和主義。反対に、
「いざとなったら、平和のために戦う」という平和主義。しかし「戦争はいやだ」と言っ
て、コソコソ逃げ回るのは、平和主義でも何でもない。ただの臆病(おくびょう)という。

 最後にファン氏は、韓国国会で行われた特別講演を、こう締めくくっている。

「今の状況から考えると、K国が連邦制(K国主導の統一)を宣言する日も、そう遠く
ないと思う。今のこうした間違った状況は正さなければならない」と(同、朝鮮N報)。

 わかりやすく言えば、韓国がK国をのみこむのではなく、K国が韓国をのみこんだ形で、
半島を統一する、と。韓国がどうなろうと、あおれが彼らの望む道であるなら、私たち日
本人の知ったことではないが、今度は、日本が、K国の脅威に、直接、さらされることに
なる。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●謎の隠密行動

++++++++++++++++++

去る8月、金xxは、実に不可解な行動を
繰りかえした。

謎の行動といってもよい。

そのとき書いた原稿を、まず、読んでみて
ほしい。

++++++++++++++++++

●謎の訪中劇 

++++++++++++++++++

現在(8月30日)、K国の金xxxは、
中国を訪問中(?)であるという。

金xxが使用する、特別列車は、偵察衛星
などによって、現在、中国国内にあることが
確認されている。

では、その目的は、何か?

++++++++++++++++++

ヤフーニュースは、韓国発として、つぎのように伝える。

「K国の金xxの訪中説が国際社会の関心を集めている。K国の特別列車が中国に到着
したことが衛星から確認されたという話や、金xxはすでに北京訪問を終えて平壌に戻
っているとの情報もある。が、韓国政府当局者は、8月30日にこのどちらも事実では
ないと否定、あらゆる可能性を念頭に置き状況把握に努めていると説明した」と。

 こういうとき、だれも書いてないことを書くのは、楽しい。勇気がいるというより、楽
しい。

 私は、こう思う。思うだけで、根拠はないが、しかしそう考えると、一連の不可解な(動
き)を、うまく説明できる。

 まずすべての大前提として、現在、金xxの健康状態は、きわめて悪い。心臓病や肝臓
病が取りざたされているが、私は、ここにきて持病の糖尿病が、急速に悪化しているので
はないかと思っている。

 金xxは、今年に入ってから、激ヤセをしている。それにどこへ行くにも、サングラス
をかけている。激ヤセは、糖尿病末期の患者、特有の症状。サングラスをかけるのは、糖
尿病網膜症のためとも、考えられる。ひどい緑内障に苦しんでいるのかもしれない。

 そこで私は、少し前、この時期に訪中するというようなことがあれば、病気治療が目的
ではないかと書いた。が、それについては、韓国政府当局者は、金xxの訪中説を否定し
ている。金xxのような男が、中国国内をウロウロしていれば、だれの目にも、とまるは
ず。胡錦涛(こきんとう)国家主席に会うために訪中したというのであれば、なおさらで
あろう。

 では、金xxは、今、どこにいるのか?

 私は、金xxは、K国内にいると思う。となると、現在、中国国内にあるとされる特別
列車は、何のためかということになる。

 そこで私の推理。先にも書いたが、ここから先に書くことは、あくまでも、私の推理。
その私は、こう思う。

 特別列車は、中国で、それなりの人物ご一行様を迎えるためのもの。ズバリ言えば、金
xxの病気治療に必要なドクターたちを乗せて帰るためのもの。わざわざ列車じたてにし
たのは、それなりの治療機材を積みこむためである。

 仮に糖尿病であり、それが悪化したとすれば、人工透析器や、その周辺の検査器具、治
療器具であることも、じゅうぶん、考えられる。人工透析治療のための器具一式というこ
とになれば、かなりの重量になる。飛行機で運ぶのは無理だが、列車なら、可能である。

 ならば、何も特別列車など、さしむけなくてもよいではないかと思う人もいるかもしれ
ない。中国側が、自分たちの列車で、運びこめばよい。しかしそこが儒教文明国家。西欧
文明を受け入れたわれわれとは、発想そのものが、ちがう。古典派に属する日本人ならわ
かると思うが、それが、彼らが言うところの、「礼儀」「作法」ということになる。

 金xxという男は、以前から、そういうことには、いつも、おかしな(こだわり)を見
せる。自分の命にかかわるということであれば、なおさらであろう。

 ……というのが、私の推理だが、しかしそう考えると、ここにも書いたように、一連の
不可解な(動き)を、うまく説明できる。あまり自信はないが、私は、そう思う。
(この原稿は、8月31日に書いたものです。)

++++++++++++++++

ここまで書いたあと、一度だけだが、
金xxが、公(おおやけ)の場に姿を
見せている。

最後の会談ということで、中国の唐委員らが、
核実験のあと、金xxと直接、面談している
(06年9月)。

そのときの金xxの様子は、テレビなど
でも報道されたが、その姿を見て、
驚かなかった人はいない。

劇ヤセした上に、腹だけが、奇妙なほどに
ポコリと丸く大きく膨(ふく)れあがっていた。

+++++++++++++++++

 私が8月31日に書いた原稿では、「腎臓病の疑いがある」と書いたが、ここにきて、肝
臓病の疑いが、にわかに濃くなってきた。

 市内で内科医院を経営している、医師のK氏は、こう教えてくれた。

 「(あくまでも外に現れた症状を見るかぎり)、肝硬変、もしくは肝臓がんの末期とみて
よいでしょうね」と。「ただ、金xxの周辺には、たくさんの医師団が取り囲んでいますか
ら、それなりの治療を集中的にしているはずです。今すぐ、どうこうということはないに
しても、重病であることには、まちがいないと思います」と。

 つまり腎臓病ではなく、肝臓病である、と。

 となると、これはあくまでも私の推理だが、あの特別列車が、中国から連れ帰ったのは、
腎臓病専門のドクターではなく、肝臓病専門のドクターだった可能性が、ぐんと高くなる。
しかも外科医。ズバリ言えば、肝臓移植を専門とする、ドクターたちである。

 その前後、2か月近く、金xxが、姿を消したことも考えると、その可能性は、きわめ
て高い。金xxは、肝硬変にせよ、肝臓がんにせよ、重度の肝臓病に侵され、肝臓移植手
術を受けた?

 これはあくまでも私の推理だが、そう考えると、あの8月の、金xxの不可解な行動を
説明することができる。

 しかしどうであれ、つまり腎臓病であれ、肝臓病であれ、金xxの健康問題がこじれて、
ここ数か月のうちに、K国情勢が、急変する可能性は、きわめて高い。

++++++++++++++

同じときに書いた原稿を、
少し手直しして、ここに
掲載します。

++++++++++++++

●対米追従外交?

++++++++++++++++

たしかに日本の外交は、戦後一貫して、
「対米追従外交」(経済評論家・T氏談)
である。

事実は、事実。それは、もうだれの目にも、
疑いようがない。

しかし一方で、国際外交は、どこまでも
現実的でなければならない。

現実を見失ったとき、国際外交は崩壊する。
同時に、その国は、進むべき道を、
見誤る。

++++++++++++++++

 対米追従外交を、批判する人は多い。経済評論家のTJ氏も、そのひとりである。M物
産時代のかつての同僚ということで、肩をもちたい気持ちもないわけではないが、ならば
聞く。今の日本にとって、どうして対米追従外交であってはいけないのか。

 「追従」「追従」というが、追従しなければならない「現実」がそこにある。

 あの中国は、ものの10分足らずで、(あるいは数分で)、日本中を廃墟と化すことがで
きる。それだけの核兵器を、すでに保有し、実践配備をすませている。

 忘れていけないのは、戦争というのは、兵器だけでするものではないということ。日本
にとって脅威なのは、兵器もさることながら、その兵器を底流で支える、士気である。反
日感情である。中国人がもっている、その反日感情には、ものすごいものがある。

 いったんどこかでそれに火がつけば、悲しいかな、今の日本に、それをくい止めるだけ
の武器もなければ、実力もない。もっとわかりやすく言えば、日本の平和がかろうじて守
られているのは、(中国側から見れば)、その背後に、アメリカという巨大な軍事国家がひ
かえているからにほかならない。

 また在日米軍を支えるための、多額の負担金を問題にする人もいる。たしかに日本は、
2006年度だけでも、「思いやり予算」(=在日米軍駐留経費)と称して、2326億円
もの負担金を支払っている。先に問題になった、沖縄からの基地移転費用についても、こ
れとは別に、「3500億円までなら支払ってもよい」と、日本側は、回答している。

 この額を多いとみるか、少ないとみるか?

 仮に日本有事ということにでもなれば、日米安保条約が発動されて、日本は、アメリカ
軍の庇護下に入る。が、そのときアメリカ側が負担する金額は、ぼう大なものになるはず。
あの韓国でさえ、こんな試算を出している。

「朝鮮半島有事の際には、韓国は、アメリカから1300兆ウォン(約158兆円)分
の軍事装備を、無償で借りることができる」(朝鮮日報・K論説委員)と。(158兆円
だぞ!)

 現に今、となりのK国は、日本攻撃を目的として、核兵器を開発している。が、そのK
国に対して、この日本には、満足な交渉能力すら、もっていない。拉致問題ひとつ解決で
きない。そういう日本が、どうして核開発問題を解決できるというのか。

 韓国にしても、いまや日本の同盟国と考えている人は、ほとんど、いない。いつなんど
き、中国と手を組んで、日本に襲いかかってくるか、わかったものではない。K国とさえ、
手を組むかもしれない。少なくとも、現在のN大統領政権というのは、そういう政権であ
る。

 日本は、そういう立場である。つまりそういう立場であることを棚にあげて、「自主権」
なるものをいくら唱えても、意味はない。わかりやすく言えば、日本は、アメリカに追従
するしか、今のところ、生き残る道はない。「追従」という言葉に語弊(ごへい)があるな
ら、「密接な協調」でもよい。

 戦後、日本という国が、かろうじて平和を保つことができたのは、日本人が、平和を愛
したからではない。(こういうばあい、「愛する」という言葉は、腸から出るガスくらいの
意味しかないが……。)

 日本が平和を保つことができたのは、背後にアメリカ軍がいたからにほかならない。が、
もしアメリカ軍がいなければ、そのつど日本は、毛沢東・中国、スターリン・ソ連、金日
成・K国、さらに李承晩・韓国に攻撃されていただろう。これまた悲しいかな、日本はそ
ういうことをされても文句が言えないようなことを、先の戦争でしてしまった。

 日本は、アメリカに追従せざるをえなかったし、基本的には、今も、その状態はつづい
ている。それが「現実」である。

 もちろん私も、このままではよいとは思っていない。いつか日本も、アメリカから独立
し、日本は日本として、独自の道を歩まねばならない。しかしその前提として、この極東
アジア、東北アジアに、相互の信頼関係が築かれなければならない。それがないまま、「日
本は日本だ」「日本が国内で何をしようが、日本の勝手」と言い切ってしまうのは、今の日
本にとっては、きわめて危険なことである。

 その一例が、日本のK首相によるY神社参拝問題ということになる。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●またまたハレンチ教師

++++++++++++++++++

山形県のA中学校に、Tという名前の
中学校教師がいる。

たいへん教育熱心な教師らしく、いくつ
かの教育論文を発表している。

その1つは、HPのほうにも収録されている。
いわく、「生徒間の良好な人間関係を築く、
指導の研究」ほか。

しかしその教師が……!

+++++++++++++++++++

 山形県のA中学校に、Tという名前の中学校教師がいる。たいへん教育熱心な教師らし
く、いくつかの教育論文も発表している。その1つは、HPのほうにも収録されている。
題して、「生徒間の良好な人間関係を築く、指導の研究」。

 「……人間関係を築く原点として、『自己肯定感』とたがいの考え方や、思いを通わせる
ための『交流』をあげた。自己肯定感は、肯定的な自己理解と自己受容の関連、そして他
者とのかかわりの中で深められる他者理解、他者受容から構成されている。……」と。

 全体で5ページほどの論文である。じっくりと読んでみたが、すばらしい。その一言に
尽きる。教育学をしっかりと勉強した人らしい。知識と経験が、論文の中に凝縮されてい
る。専門用語の使い方も適切。私が書く教育エッセーなど、足元にもおよばない。

 しかしそのTという中学教師が、今日(11月5日)、逮捕された。容疑は、脅迫。

 報道によれば、出会い系サイトで知りあった女子中学生に対して、「交際しなければ、写
真をバラまく」と脅迫していたそうだ。警察の取り調べに対して、Tという名前の教師は、
容疑をほぼ認めているという。

 ……というような事件は、多い。今では、話題にならないほど、多い。そしてこういう
事件が起きるたびに、周囲の人たちは、「教育熱心な教師でしたが……」というコメントを
発表する。

 が、今回は、私の手元には、そのTという名前の書いた教育論文がある。その教師が、
A中学校でどのような評価を受けていたかは別として、論文を読むかぎり、すぐれた(?)
教師であることにはちがいない。そんな教師が、闇の世界では、まったく別の顔をもって
いた?

 「写真をバラまく」と脅迫したというのだから、ふつうの写真でないことは確か(※)。
(ふつうの写真なら、バラまかれても、どうということはないはず。)またこの種の犯罪の
性格からして、その1件だけとは、とても考えられない。常識で考えれば、Tという中学
教師は、常習的に、そういうことをしていたと考えるのが、自然。

 問題は、なぜ、こういう事件が、教師の世界で、つぎからつぎへと起きるかということ。
しかも、(教育熱心)と評される教師たちが、そういう事件を起こす。今回は、かなりの人
物と考えてよい。そういう教師が、そういう事件を起こす。

 私は、ものを書く人間だから、その人が書いた文章で、その人を判断する。それによっ
ても、(かなりの人物)と考えてよい。

 そこで、もう一度、自分に問いただしてみる。「はたして私は、だいじょうぶか。そうい
う事件と無関係と言い切れるか」と。

 正直に告白するが、私には、自信がない。ふつう程度には、スケベだし、若い女性に興
味がないわけではない。自分から進んで……ということはないにしても、もし相手のほう
から言い寄ってきたら、それを断る自信は、ない。

 ただ女性といっても、私のばあい、30歳前後の女性に、もっとも強く魅力を感ずる。「美
しい」「すてきだ」と思うのは、その前後の女性である。しかもおかしなことに、私はメガ
ネをかけている女性に、強く引かれる。そういう性癖もある。

 こういうことを繰りかえしているから、学校の権威はさがる。教師の権威もさがる。教
育そのものの権威もさがる。「教育って、いったい、何だ」となる。

 ……という経過を経て、やがて日本の教育も、やがて欧米化する。大学の自由化に始ま
って、学校教育そのものも自由化する。また、そうならざるをえない。今は、その過渡期
ということになる。

【学校の先生たちへ】

 「オレたちも、ふつうの人間だア」と、もっと声をあげて叫びなさい。
 「オレたちにも、できることと、できないことがある」と、もっと声をあげて叫びなさ
い。
「ここまでは、できるが、それ以上のことはできない」と、もっと声をあげて、叫びな
さい。

何でもかんでも背負ってしまうから、結局は、自分で自分の首をしめてしまう。へたに
聖職者意識をもつから、自分の体にクサリを巻いてしまう。

 こうしたハレンチ教師を擁護するつもりはないが、その息苦しさがなくならないかぎり、
結局は、苦しむのは、現場の先生、あなたたちということになる。

(注※)……T容疑者は先月下旬、携帯電話の情報交換サイトで知りあったO地方に住む、
14歳の女子中学生に対し、言葉巧みに女子中学生のわいせつな画像を、自分の携帯電話
に送らせた上で、女子中学生の携帯電話に「一度会いたい。会わないと画像をばらまく」
などという内容のメールを送りつけ、脅迫した。(TBS−iニュースより)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心のポケット

 他人の不幸を外野席からながめながら、とやかく言うのは、簡単なこと。それなりに口
達者な人なら、だれにだって、できる。しかし、自分に、その心のポケットがあるならま
だしも、そのポケットがないなら、とやかく言ってはいけない。言われた人にもよるが、
中には、言われることによって、死ぬほどつらい思いをする人もいる。それに、事情は、
人、それぞれ。さまざま。

 「心のポケット」というのは、苦しみや悲しみを理解できる、心の広さをいう。同じよ
うな苦しみや悲しみを体験したことがある人だけに、そのポケットができる。たとえば不
幸にして、自分の子どもを交通事故か何かで、なくした人のケースを考えてみよう。

 その人は、子どもをなくしたことによって、想像を絶するような、苦しみ、そして悲し
みを経験する。つまりそのとき、「心のポケット」ができる。そういう人なら、同じように
子どもをなくした人に向かって、なぐさめの言葉をかけてやったり、あるいは自分の意見
を言うことができる。

 そのポケットもない人が、もっともらしい顔をして、同情してみせるのは、かえって相
手に対して失礼というもの。

 が、中には、その心のポケットのないまま、わかったようなことを言う人がいる。中に
は、演技で、さも相手に同情したようなフリをして見せる人もいる。しかしそれくらい非
人間的な行為もない。ふつうの神経をもっている人なら、絶対に、そういうことをしては
いけない。

 さらにここにも書いたように、事情は、人、それぞれ。さまざま。表に出てこない事情
だって、山ほどある。そういう事情も知らず、表面的な部分だけを見て、あれこれ言うこ
とは、許されない。とくに家族の問題については、そうである。いろいろなケースがある。

 少し前だが、私の掲示板に、つぎのような相談をしてきた女性がいた。内容は、おおま
かに言えば、こうである。

 『介護制度ができたといっても、親の介護は、たいへんです。
  デイサービスを受けて、親が家にいないといっても、安心できません。
  いつ、なんどき電話がかかってくるか、わからないからです。

  病院の送り迎え、部屋の掃除、便の始末、それに認知症による世話も
  かかります。
  1日とて、安穏としていることはできません。

  しかし義理の姉たち(2人)は、そういう事情も知らず、「親の
  世話をちゃんとみろ」というようなことを、平気で言ってきます。
  間接的な、言い方で、そう言います。イヤミな言い方です。
 
 「あんたに任せておけば、安心だから」とか、「あなたは親孝行の
  人だと、昔からわかっていました」とか。さらには、最近は、
 「あなたのおかげで、母も、幸せでしょう。ありがとうございます」と。 

  また先日は、こんなことも言われました。

 「今度の一日だけ、母の面倒をみさせていただけませんか。あなたが
  よければ、一日だけ、母を温泉に連れてやってあげたいのです」と。

  つまりそう言いながら、その姉は、「一日しか面倒をみないぞ」と
  言っているのですね。 

  その上、今度は、12、3年前に死んだ父親の、13回忌をやれと
  言ってきました。母親の介護だけで、(私にとっては、義理の母親ですが)、
  たいへんです。

  大小便をもらしますので、私は、介護施設に入れたいのですが、義理の
  姉たちにそんな話など、できません。私の体重も、この1、2年で、10キロ近く
  減りました。おまけに持病の腰痛が、このところひどくなってきました」と。

 私は、このメールをくれた女性に、つぎのような返事を書いた。「義理の姉は、そこらの
空き地にたむろして世間話に花を咲かせる、オバチャン連中だと思えばいいのです。相手
を呑(の)んでしまえばいいのです。本気で相手にしてはいけない。また本気で相手にす
る価値のある人たちではない。

 本気で相手にしたとたん、あなた自身も、彼女たちと同レベルの人間になってしまいま
す。そして一度、同レベルになったとたん、人間関係は、修羅場(しゅらば)と化します。
どうか気をつけてください」と。

 私のワイフも、この種の問題には、さんざん悩まされつづけた。ワイフやこちらの事情
も知らず、あれこれと詮索(せんさく)してくる人は多い。だからといって、どうして、
いちいちこちらの事情を説明しなければならないのか。

 こうした詮索好きの人たちは、たいていは一方的な情報だけを聞き、自分の人生観だけ
で、ものごとを判断する。判断するだけならまだしも、説教までしてくる。で、そういう
とき、私は、とにかく笑って無視するという方法をとることにしている。もともと相手に
しても、しかたのない連中だからである。ワイフにも、そう忠告している。

 ここに書いたことには、いくつかの教訓が含まれる。

(1)心のポケットのない人には、相談するな。
(2)心のポケットがないなら、相手の相談にのるな。
(3)心のポケットは、できるだけ多く、つくれ。
(4)相手には、どんな心のポケットがあるかを知れ。
(5)自分には、どんな心のポケットがあるかを知れ。

 ともかくも、他人の不幸話に介入するときには、細心の注意を払ったらよい。安易な介
入こそ、禁物。へたをすれば、あなた自身が、大やけどをする。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日・あれこれ(11月4日)

++++++++++++++++++++

今日は、忙しかった。とくに何かがあったわけでは
ないが、忙しかった。10分単位で、あちこちを
動きまわっていた感じ。

が、夜は、ポカンと穴があいたように、ヒマになった。
ときどき、こういうときがある。波にたとえて言うなら、
ドドッと、大波が寄せてきて、そのあと、突然、波が
消えてしまった。そんな感じ。

++++++++++++++++++++

●三男のビデオが、国際コンテストでグランプリ!

 夜、三男のEから、電話。何でも、彼が制作したビデオが、国際コンテストで、グラン
プリを獲得したとか。ロシアから直接連絡があったそうだ。本人自身が、「こんなことって、
あるの?」と、驚いていた。「おもしろ半分に作っただけなのに」と。

 もう一度、明日、本当かどうか、確かめてみよう。それにしても、たいへんなことにな
った。我が家の一員が、国際コンテストで、グランプリを取ったア?!

 ……しかしお祝いをしたくても、その実感がどうしても、わいてこない。「おもしろ半分」
ということは、「おもしろ半分」。しかも、彼にしてみれば、ビデオ歴、2、3作目にすぎ
ない。長い間、ビデオ制作にたずさわっていたとか、そういうことなら、まだ話もわかる。
その道の学生というのなら、まだ話もわかる。が、そういう経歴はない。まったくない。

 使ったカメラも、3〜4万円の、C社のデジタルカメラ。そのカメラのビデオ機能を使
って、制作した。

 そんなビデオが、国際コンテストでグランプリとは! 驚き桃の木、山椒の木とは、ま
さにこのこと?

 表彰式は、モスクワで行われるという。本人は、「行けない」と言っている。どうするつ
もりなのだろう?

 フ〜ン、それにしてもねえ……。

 興味のある人は、「はやし浩司のHP」のトップページより、楽天日記へ。その楽天日記
の、トップページから、どうぞ!


●すてきな夕食

 今夜は、Kさん宅で、夕食をごちそうになった。メニューは、大好物の、お寿司。手巻
き寿司。おいしかった。しかし食べたのは、山のようになっていた食材の、ほんの一部。
話に夢中になっていて、食べるのがいいかげんになってしまった。

 Kさん、ごちそうさまでした。おいしかったです。ありがとうございました。


●金xxの健康

 数日前、市内で開業している、内科医のM氏と食事をする。その席で、K国の金xxが
話題になる。

 最近、金xxは、劇ヤセをしている。この半年間だけでも、げっそりとやせた。が、あ
の腹だけは、そのまま。不自然なほど、ポコンと外に出ている。それについて、私が質問
すると、M氏は、こう言った。

 「肝硬変、もしくは肝臓がんの末期とみてよいでしょうね」と。「ただ、金xxの周辺に
は、たくさんの医師団が取り囲んでいますから、それなりの治療を集中的にしているはず
です。今すぐ、どうこうということはないにしても、重病であることには、まちがいない
と思います」と。

 で、ここ数日も、金xxの動静が、写真付で、報道されている(朝鮮N報紙ほか)。それ
を見るかぎり、金xxは、健康そうである。劇ヤセもなさそう。が、それらの写真には、
ただし書きがついている。「撮影場所、撮影日時は、不明」と。おそらく、今回、劇ヤセが
発覚する前に、どこかで撮った写真なのだろう。

 アメリカも中国も、(とくに中国は)、そういった情報を詳細に把握しているはずだから、
今ごろは、そういった情報の上で、これからのK国問題を考えているにちがいない。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●どうなる、浜松? 日本?

+++++++++++++++++

浜松市から、大企業の工場が、どんどんと
流出している。

そう言えば、HONDAにせよ、SUZUKI
にせよ、はたまたYAMAHAにせよ、
この浜松市には、もうそれらの工場はない。

いつの間にか、こうなってしまった。

市街地の活性化もいいが、浜松市は、ほかに、
もっとすべきことがあるのではないのか?

4年前に、こんな辛口原稿を書いた。

+++++++++++++++++

●NHKの大河ドラマ

 歴史は歴史として、正しく評価しなければならない。しかし必要以上に、美化してはい
けない。とくにあの封建時代を美化していはいけない。

 昨日(02年7月)も、NHKの大河ドラマの『利家とまつ』を見た。しかし前田利家
といえば、これまた類をみないほどの圧制暴君だった。どう暴君であったかは、また別の
ところに書くことにして、あの金沢城の中には、少し前まで刀の試し切りをした場所まで
残っていた。

つまり新しい刀ができると、利家らは生きている人間を裸にしてつりさげ、その人間を
その刀で切っていたという! NHKの大河ドラマを見ていると、利家たちはきわめて
人間味にあふれた、知的な人物に描かれているが、本当にそうか? そのまま信じてし
まうのは、たいへん危険なことでもある。

 だいたいあの当時の封建領主は、今の暴力団のようなもの。まともな人間を想像するほ
うがおかしい。いわんや民衆のために、民衆のことを考えて戦ったのではない。刀をもっ
た人間がいかに恐ろしい存在であったかは、数年前、佐賀県で起きたバスジャック事件を
思い出せばわかる。

あのときは、刃渡り40センチの包丁をもったたった一人の少年に、日本中がおびえた。
利家の時代といえば、ほんの一部の為政者にすべての富が集中する一方、ほとんどの民
衆は、恐怖政治のもと、極貧の生活を強いられた。しかもそういう時代が、そのあと、
300年もつづいた! 

 封建時代を美化するということは、時代の流れそのものを逆行させることになる。たと
えば今にみる、日本独特の男尊女卑思想、家制度、職業による差別意識(身分制度)、上下
意識、さらには権威主義、出世主義などなど。こうした問題はすべて、あの時代に由来す
る。役人による官僚政治も、その一つに加えてよい。が、それだけではない。

 10年ほど前、浜松市の駅前に、これまた豪華な高層ビルが建った。建築費が2000
億円とも3000億円とも言われている。(同じころ東京都庁ビルが建ったが、それは17
00億円。国立劇場は400億円。)土地代を含めたら、もっとになる。いったいいくらの
税金が使われたのか。使われなかったのか。複雑なカラクリがあって、私のような市民に
は知る由もない。

が、それにしても、ムダな建物である。地下にある2つのホールをのぞけば、あとは事
務所とホテル。展望台にしても、今は閑古鳥が鳴いている。そのビルについて、市役所
で部長をしている知人にそれとなく抗議すると、その知人はこう言った。

「ああいう建物は建てられるときに建てておけばいいのです。江戸時代の城のようなも
のです。後世に残るのは、ああいう建物です」と。

封建時代の築城精神がこうした人たちの心の中に生きている! 私はそれに驚いた!

 あの時代はいくら美化しても、美化しきれるものではない。美化すればするほど、自己
矛盾に陥(おちい)ってしまう。そんな冷めた目であの番組を見ているのは、私だけだろ
うか。

++++++++++++++++

●日本は官僚主義国家

 日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。

学生時代、私が学んだオーストラリアの大学で使うテキストには、「日本は官僚主義国家」
となっていた。「君主(天皇)官僚主義国家」となっているのもあった。

日本は奈良時代の昔から、天皇を頂点にいだく官僚主義国家。その図式は、21世紀に
なった今も、何も変わっていない。たとえばこの静岡県でも、知事も副知事も、みんな
元中央官僚。浜松市の市長も、元中央官僚。この地域選出の国会議員のほとんども元中
央官僚。

「長」は、中央からありがたくいただき、その長に仕えるというのが、このあたりでも
政治の構図になっている。その結果、どうなった?

 今、浜松市の北では、第2東名の道路工事が、急ピッチで進んでいる。その工事がもっ
とも進んでいるのが、この静岡県。しかも距離も各県の中ではもっとも長い(静岡県は、
太平洋岸に沿って細長い県)。

実に豪華な高速道路で、素人の私が見ただけでもすぐわかるほど、金がかかっている。
現存の東名高速道路とは、格段の差がある。もう少し具体的にデータを見てみよう。

 この第2東名は、バブル経済の最盛期に計画された。そのためか、コストは、1キロあ
たり、236億円。通常の一般高速道(過去5年)の5・1倍のコストがかかっている。

1キロあたり236億円ということは、1メートルあたり2300万円。総工費11兆
円。国の年間税収が約五〇兆円だから、何とこの道だけで、その5分の1も使うことに
なる。

片側3車線の左右、6車線。何もかも豪華づくめの高速道路だが、現存の東名高速道路
にしても、使用量は、減るか、横ばい状態。つまり今の東名高速道路だけで、じゅうぶ
んということ。

国交省高速国道課の官僚は、「ムダではない」(読売新聞)と居なおっているそうだが、
これをムダと言わずして、何という。何でもないよりはあったほうがマシ。それはわか
るが、そんな論理で、こういうぜいたくなものばかり作っていて、どうする。

静岡県のI知事は、高速道路の工事凍結が検討されたとき、イの一番に東京へでかけ、
先頭に立って凍結反対論をぶちあげていたが、そうでもしなければ、自分の立場がない
からだ。

 みなさん、もう少し、冷静になろう! 自分の利益や立場ではなく、日本全体のことを
考えよう。私とて、こうしてI知事を批判すれば、県や市の関係の仕事が回ってこなくな
る。損になることはあっても、得になることは何もない。またこうして批判したからとい
って、1円の利益にもならない。

 あの浜松市の駅前に立つ、Aタワーにしても、総工費が2000億円とも3000億円
とも言われている。複雑な経理のカラクリがあるので、いったいいくらの税金が使われた
のか、また使われなかったのか、一般庶民には知る由もない。

が、できあがってみると、市民がかろうじて使うのは、地下の大中の2つのホールだけ。
あの程度のホールなら、400億円でじゅうぶんと教えてくれた建築家がいた。

事実、同じころ、東京の国立劇場は、その400億円で新築されている。豪華で問題に
なった、東京都庁ビルは、たったの1700億円! 浜松市は、「黒字になった」と、さ
かんに宣伝しているが、土地代、建設費、人件費のほとんどをゼロで計算しているから、
話にならない。が、それでムダな工事が終わるわけではない。その上、今度は、静岡空
港!

 これから先、人口がどんどん減少する中、いわゆる「箱物」ばかりをつくっていたら、
その維持費と人件費だけで、日本は破産してしまう。このままいけば、2100年には、
日本の人口は、今の3分の1から4分の1の、3000〜4000万人になるという。

日本中の労働者すべてが、公務員、もしくは準公務員になっても、まだ数が足りない。
よく政府は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。が、
これはウソ。まったくのウソ!

国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公団、
公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。これらの職員の数
だけでも、「日本人のうち7〜8人に1人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。

が、これですべてではない。この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関とし
て機能する、協会、組合、施設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。
この組織は全国の津々浦々、市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だ
けでも、こうした外郭団体が、1800団体近くもある。

 今、公務員の人も、準公務員の人も、私のこうした意見に怒るのではなく、少しだけ冷
静に考えてみてほしい。「自分だけは違う」とか、「私一人くらい」とあなたは考えている
かもしれないが、そういう考えが、積もりに積もって、日本の社会をがんじがらめにし、
硬直化させ、そして日本の将来を暗くしている。

この大恐慌下で、今、なぜあなたたちだけが、安穏な生活ができるか、それを少しだけ
考えてみてほしい。もちろんあなたという個人に責任があるわけではない。責任を追及
するわけでもない。が、もうすぐ日本がかかえる借金は、1000兆円を超える。国家
税収がここにも書いたように、たったの50兆円。あなたたちの生活は、その借金の上
に成り立っている!

 こういう私の意見に対して、メールで、こう反論してきた人がいた。「公共事業の70%
は、人件費だ。だから公共事業はムダではない」と。

 どうしてこういうオメデタイ人がいるのか。やらなくてもよいような公共事業を一方で
やり、そのために労働者を雇っておきながら、逆に、「70%は人件費だから、ムダではな
い」と。

これはたとえていうなら、毎日5回、自分の子どもに、やらなくてもよいような庭掃除
をさせ、そのつどアルバイト料を払うようなものだ。しかも借金までして! それとも
あなたは、こう言うとでもいうのだろうか。「アルバイト料の70%は、人件費だ。だか
らムダではない!」と。

 日本が真の民主主義国家になるのは、いつのことやら? 尾崎豊の言葉を借りるなら、
「しくまれた自由」(「卒業」)の中で、それを自由と錯覚しているだけ? 

政府の愚民化政策の中で、それなりにバカなことをしている自由はいくらでもある。ま
たバカなことをしている間は、一応の自由は保障される。巨人軍の松井選手が、都内を
凱旋(がいせん)パレードし、それに拍手喝さいするような自由はある。人間国宝の歌
舞伎役者が、若い女性と恋愛し、チンチンをフォーカスされても、平気でいられるよう
な自由はある。しかし日本の自由は、そこまで。その程度。しかしそんなのは、真の自
由とは言わない。絶対に言わない。

 少し頭が熱くなってきたから、この話は、ここでやめる。しかし日本が真の民主主義国
家になるためには、結局は、私たち一人ひとりが、その意識にめざめるしかない。そして
それぞれの地域から、まずできることから改革を始める。政治家がするのではない。役人
がするのではない。私たち一人ひとりが、始める。道は遠いが、それしかない。
(02−11−5)

●官僚政治に、もっと鋭い批判の目を向けよう!
●ムダなことにお金を使わず、子どもの養育費の負担を、もっと軽くしよう!


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●1990年

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今朝(11月6日)、Eマガの読者が、
4人ふえて、1990人になった。

しかし、どうして、いつも4人なのだろう?

ふえるときは、いつも4人。さもなければ、
ゼロ。「?」と思いながら、1990年。

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1990年……。このころ、私は、山荘づくりに没頭していた。浜松の近郊にある小さ
な山を買い、その山を、ユンボで削ったり、土地をならしたりしていた。

 ほとんど毎週、土日は、それでつぶれた。

 土地があるからといって、すぐ山荘を建てられるわけではない。山といっても、日光の
当たる南側に面した土地のほとんどは、農地になっている。その農地に家を建てるために
は、農地を、一度、山林に転用した上、さらに宅地に転用しなければならない。

 山林に転用するためには、木を植え、5年ほど、待たなければならない。

 宅地になったからといって、すぐ山荘を建てられるわけではない。「隣地承諾」といって、
その土地に接する、すべての地主たちの承諾が必要である。それがないと、山荘を建てる
ことができない。

 言い忘れたが、農地から山林へ転用するとき、すべての農地が、山林に転用できるとい
うわけではない。農地には、無数の「農業保護」がかかっている。その農業保護を、もつ
れた糸をほぐすように、一本ずつ、はずしていかねばならない。

さらに赤線(農家の人が通る小道)、青線(水の流れ道)の問題もある。公図の上に、赤
線や青線があると、宅地転用は、まず不可能と考えてよい。どうしても宅地に、という
ことになれば、農地委員会の承諾が必要となる。

が、農地委員会の承諾といっても、これまた簡単ではない。何度も足を運び、委員たち
に頭をさげなければならない。もちろん手ぶらでは、相手にしてもらえない。実際には、
山荘の建築は、不可能。さらに山林ともなると、権利関係が複雑で、だれが地主か、わ
からないところが多い。

 山林から宅地に転用するときも、今度は法務局の検査が入る。その検査にパスしないと、
宅地として認めてもらえない。木を植えてから、5年ほど待たされるのは、そのためであ
る。

 そんなわけで、山林の中に山荘を建てるばあい、たいていの人は、そういっためんどう
がいやで、あきらめてしまう。が、その地域の人が見放したような、北側の斜面であれば、
そういっためんどうなことはない。しかし北側では、日当たりがよくない。

 私たちは、南側に面した、その土地に山荘を建てたかった。

 杉の苗を育てるために、草刈りつづける一方、土地を造成した。石垣を組んだ。道をつ
くった。テントを持ちこんで、一夜をそこで過ごしたことも、何度かある。……とまあ、
そのときの苦労話を書いたら、キリがない。

 が、何と言っても最大の問題は、「水」だった。電気やガスは、何とかなるが、水は、そ
うはいかない。農家の人たちは、山の湧き水を利用している。が、だからといって、その
湧き水を分けてもらうことはできない。そうでなくても、冬の渇水期には、水がかれる。「よ
そ者」であれば、まず、不可能。

 排水の問題もある。

 私の山荘のばあい、都市で使う浄化槽を2つつけた上、30〜50メートルほど離れた
ところに沈殿式の池を作った。浄化槽と沈殿式の池は、パイプでつないだ。そういった工
事も、自分たちでした。

 いろいろあったが、昼休みになると、いつも、ワイフや子どもたちと、丘の上に座って
弁当を食べた。あとになって、近隣の農家の人たちに聞くと、それがよかったらしい。農
家の人たちは、こう言いあっていたという。

 「あの連中は、あそこまでして、ここに住みたいと願っている。あそこまでするなら、
まあ、この村に迎えてやるか」と。

 木を植えて1、2年もすると、農家の人たちとみな、友だちになった。道にゴザを敷い
て弁当を食べていると、ときどき山の果物を届けてくれたりした。私たちも、そのつど、
町のみやげを届けたりした。が、もしそういうプロセスがなかったら、私たちは、今の場
所に、山荘を建てることはできなかっただろうと思う。

 こうして私たちは、約800坪の土地を手に入れることができた。私が満43歳のとき
のことである。

【付記】

 山道にしても、それぞれの農家の人たちが、自分の土地を提供して作った道が多い。そ
ういう道を、「道」と思って自分勝手に使っていると、農家の人たちの反発を買うことがあ
る。「あいつら、オラの土地を勝手に使っている」と。

 たとえばAさんならAさんが、自分の畑の横に、道をつくる。すると今度は、その隣地
のBさんが、その道につなげて、自分の道をつくる。……こうして、順に道がつながって、
一本の道になる。

 そんなわけで、山間部にある農村では、道にしても、そのあたりの人たちの私有地と考
えたほうがよい。またそういう意識をもって、道を使う。その謙虚さがないと、村の人た
ちと、仲よくやっていくことはできない。村の人たちに、はじき飛ばされてしまう。

【付記2】

 ときどき客人を山荘へ連れてくると、その客人が、2つのタイプに分かれるのを知る。「こ
こはすばらしいところですね」と、そのまま山荘ライフに溶けこんでくれる人と、「ここは、
おっかないところですね」と、山荘ライフに違和感を覚える人である。

 私の山荘へたどりつくためには、数百メートルほど、坂道をくだらなければならない。
トラック1台がやっと通れるほどの一本道である。ガードレールはない。一方は山に接し
ているが、もう一方は、がけになっている。

 「おっかない」というのは、その道のことをいう。「自然の中の生活というのは、そうい
うもの」と、最初から割り切っている人には、なんでもない道である。しかし「都会生活
が最善」と考えている人には、おっかない道となる。

 中には、「こんな道を、夜、酔っぱらって運転することはできませんね」と言った人も、
いた。がけ下へ落ちれば、そのまま一巻の終わり。

 さらに「このあたりには、タヌキやイノシシがいます」と私が言うと、「それは楽しいで
すね」と、それを喜んでくれる人と、「こわいですね」「いやですね」と、それを拒否する
人に分かれる。

 2つのタイプの人が、きれいに分かれるから、おもしろい。その中間の人というのは、
あまりいない。で、私は、前者のようなタイプの人を、「自然派」、後者のようなタイプの
人を、「都会派」と呼んでいる。

 私は完全な自然派だから、都会派の人たちの気持ちが、あまりよく理解できない。しか
し、人は、人それぞれ。私がそうであるかといって、相手も、それを喜ぶだろうと考えて、
それを押しつけてはいけない。

 山荘ライフと、客人と楽しむためには、それなりの慎重さと謙虚さが必要である。


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●Mさんへ

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上海に住む、Mさんより、近況が届いて
います。

+++++++++++++++++++

はやし先生
   
  ご無沙汰しております。お変わりありませんでしょうか?

  前回メールを送ってから、あっという間に、いつの間にか、11月になってしまいまし
た。
 
 また、我が家のPCには日本語版ウィンドウズと、中国語版ウィンドウズが入っていまし
て、日本語版がウイルスに感染してしまったりして、なかなか、メールできませんでした。
   
  10月半ば過ぎより上海K大学という学校の日本人向け中国語講座に通っています。週
3日、1日3時間ですが、ひさしぶりの授業で、疲れ気味です。

  先生は若い女性で、去年は日本の早稲田で、中国語を教えていたとかいう先生です。

  生徒は駐在員の妻3人、駐在員なのだけど、中国語の全くできない会社員、こちらで会
社経営している友人を手伝いに来たという、父母子の3人。計7人です。同じ時間帯に私
たちのクラス以外にも日本人、韓国人向けのクラスがたくさんあります。

  学校自体は語学を教える学校ではないので、商売(?)として開講している講座です。
3か月のコースです。1時間当たり、150円程で教えてもらっています。日本にいる間
も、少しだけ中国語を習いに行きましたが、非常に高額でした。こちらの人には決して言
えないくらい。
   
  最近バスによく乗ります。学校に行くときは、時間がないのでタクシーですが、帰りは
バス。このバスが日本では見かけないほど古いです。路線によっては新しいものも走って
いますが、私が使う路線は古い車ばかり。幸い、今まで故障に遭遇したことはありません
が、先日煙を出してとまっているバスを見かけました。タクシーも、ボンネットから煙を
出して止まっているのをよく見ます。こういったトラブルに巻き込まれたときのためにも
早く中国語をマスターしたいです。
   
  最近気がついたのですが、外に出ると常に緊張しています。予期せぬ出来事が起こるの
を恐れています。タクシーに乗って、道を間違えられたり、ごまかされたりしたらどうし
よう。スーパーのレジで何か聞かれて、分からなかったらどうしよう。小さなことなので
すが、言葉ができないということは、すごいストレスです。今までは、そのストレスを感
じる余裕がなかったのだと思います。

  こちらの人は、よく道を尋ねてきます。それに答えることができないのもストレスです。
市場で話しかけてきたおばあちゃんに応対できないのも寂しかったです。顔見知りになっ
た果物屋のおじさんとも話ができません。キャッチセールスの人を無視したら悪口を言わ
れ、(これは中国語の先生に教わっていたので分かった)、言い返せず、悔しい思いをした
り。
   
  見ていてほっとすることもたくさんあります。

  バスや地下鉄の中で、お年寄りがいるとすぐ席を譲る人が多いです。譲る人がいないと、
バスの切符切りの人が適当な人をどかして座らせています。

  世話焼きの人も多いのかな? 近所のおまんじゅう屋さんに行った時、肉包(肉まん)
しか分からないで行ったのですが、あいにく肉まんは1つだけしか残っていませんでした。
全部で5個ほしかったのに、ほかのものの名前が分からないで、お店のお兄さんともめて
たら、そばにいたおばさんたちが集まってきていろいろ口出ししてきます。何を言ってい
るのか分からないけれど、適当に入れてあげなよ、とか、代わりにこれでいいじゃない、
みたいな事を言っていたのではないでしょうか。

結局、中身の分からないおまんじゅう4個と、肉包1個を買いました。中身の分からない
ものは肉菜包という肉と青梗菜のおまんじゅうでした。
   
  上海では物乞いをよく見かけます。中国語の先生いわく、彼らは職業(?)乞食だから
無視してください。本当に援助の必要な人(働くことが困難な人)は、国が助けているか
ら。私も見て見ぬふりをしています。中には赤ちゃんを連れて、道端に座り込んでいる若
い女性もいます。

でも、子供は商売道具なのだそう。先日、ショッキングなことがありました。夜、私たち
4人で外を歩いていたときのこと。夫が少し離れて私たちの前を歩いていました。そこへ、
5歳くらいの子供を抱えたみすぼらしい身なりの男性が近づいていきました。後ろから見
ていて物乞いの人だな、と思っていました。夫に何か話しかけて、その後、後ろにいた私
たちを見て、離れていきました。「子供要らないか?」と夫は聞かれていたのです。お金を
くれ、ではなく。抱えられていた子供は一見、眠っているようでしたが…。
   
  上海は都会かもしれません。でも、都会という点よりも空虚さのほうを強く感じること
がよくあります。新しいビルがどんどん建ち、高級マンションも次々売りに出され、それ
を買う富裕層たち。反対に、取り壊される建物、廃墟となっているビル、物乞いの姿。
   
  上海は短い秋を迎えています。キンモクセイが、いたるところで香っています。
  今の季節が一番過ごしやすいのかも知れません。すぐに寒くて長い冬がやってきます。
   
  上海、Mより。

【Mさんへ、はやし浩司より】

拝復

 メール、ありがとうございました。たいへんx10、興味深く読ませていただきました。
この日本でも、ここ数年、貧富の差がひどくなってきたように思います。浜松はまだよう
ほうですが、郷里の田舎のほうへ行くと、それを強く感じます。

 そうそうその浜松ですが、HONDAなど、大企業の工場が、どんどんと他県へと移転
しています。SUZUKIもYAMAHAも、です。今、残っている工場は、もう、ほと
んどないほどです。

 Aタワーに始まって、「音楽の町づくり」だとか、「花博」だとか、金持ちの道楽のよう
なことばかりしているうちに、こうなってしまいました。ここ20年のことです。工員を
大切にしないのも、浜松の特徴です。

 日本の将来も心配ですが、この浜松のことも心配です。この町は、いったい、これから
先、どうなるのでしょうね。市のおバカさんたちは、「市街地の活性化」という言葉を、お
題目のように唱えていますが、市街地が活性化するかどうかは、あくまでも、「結果」です。
結果としてそうなるのです。

 駅前だけ、500億円単位の、莫大な費用をかけて、化粧して、それですむという話で
もないのです。すべきことは、市の産業を活性化させること。それとも、浜松を、花木(か
ぼく)の町に変身させようとでもいうのでしょうか。

 基本的な部分で、市の行政は、おかしいです。近視眼的というか、浜松の中からしか、
この浜松を見ていない。

 ……とまあ、暗い話になってしまいましたが、中国から見ると、それがよくわかってい
ただけるのではないかと思います。

 プライベートな部分は省略させていただきましたが、以下のように、Mさんのメールを、
マガジンに転載したいのですが、よろしくご協力ください。どこか都合の悪い点があれば、
ご連絡ください。

敬具


【Mさんへ、はやし浩司より、追伸】

 数週間前、オーストラリア人の家族たちが、私の家にホームステイしていきました。来
る途中、上海に寄り、数泊したそうです。

 で、その中の1人が、こう言いました。ホテルは豪華。しかし一歩、外へ出たら、道路
は未舗装で、石ころだらけだった、と。

 おまけに、その中の1人が、スリにあい、カードとか、身分証明書、それに、小切手な
どを盗まれてしまったそうです。

 みな、かなり印象を悪くしたようで、中部国際空港に着くやいなや、中国の悪口ばかり。
当然です。

 ……ということで、あれだけの大国をまとめるのも、たいへんだなあと思ってしまいま
した。

 で、アドバイス。(生意気にも……!)

 外国へ行ったら、バカになって、その国に溶けこむしかないですよ。どこかで突っ張っ
ていると、やがてその国から、はじき飛ばされてしまうか、あるいは、自分がおかしくな
ってしまうかのどちらか、です。『郷に入れば、郷に従え』です。

 中国の最大のよさは、あの(広大さ)にあると思います。日本のそれとは、比較になら
ない。スケールがちがう。揚子江にしても、今では、600キロもの船旅ができる川に変
身しました。一度、行ってみられたらどうでしょう? せっかくのチャンスですから……。
 
 いえね、中国の人たちは、日本の歴史は、自分たちの歴史の一部と考えているでしょ。『東
洋史』という視点で、日本を考えているわけです。日本に生まれ育っていると、そういう
史観は、なかなか理解できませんが、中国へ行ってみると、それがよくわかります。

 そういうふうにして、中国を見なおしてみるのも、よいかもしれません。私は、率直に
言えば、Mさんが、うらやましいです。どうか、その(うらやましいと思う部分)を、十
分、楽しんできてください。 この日本だけに住んでいると、自分が、どんどんと小さくな
っていくのが、実感としてわかります。

 いやですね。ホント!

 何かとご苦労もあるようですが、どうかまたメールを送ってください。楽しみにしてい
ます。

                               はやし浩司より


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   06年 12月 1日(No 812)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室より】

++++++++++++++++

子どもの心は、おとなの私たちが
考えているより、はるかに複雑。

決して、安易に考えてはいけない。

++++++++++++++++

●キモイ

 どこかの県で、友だちに「キモイ」と言われたのが原因で(?)、自殺した女の子がいた。

 こういう事件についての話をするのは、子どもたちの前では、タブー。子どもの世界に
は、「連鎖反応」という、よく知られた現象がある。どこかで子どもが自殺し、それがマス
コミによって大きく報道されたりすると、あちこちで、同じような事件が、連鎖的に起き
る。

 が、その翌日には、つまり、その女の子が自殺した事件の翌日には、ほとんどの子ども
たちが、それを知っていた。小学1年生の子ども(男児)ですら、「キモイって言われたか
ら、死んだんだってエ」と。

 これには、驚いた。

 子どもたちは、そういう情報を、どこから仕入れるのか? 親か、それとも、友だちか。
小学1、2年生の子どもが、テレビやインターネットの報道で、それを知るということは、
考えられない。

 で、そのあと、何人かの子どもたちが、私に向かって、「先生、キモイ!」と言った。

私「そういう言葉を、使ってはダメ」
子「ママも、そう言っていた」
私「じゃあ、どうして、そんな言葉を使うんだ」
子「だって、先生、キモイもん」と。

 このあたりでも、「キモイ」という言葉は、よく使われる。子どもたちの間では、日常語
にさえなっている。が、今回の事件で、さらに拍車がかかった。


●作り話

 思春期の子どもたちを教えるのは、たいへん! 気を使う!

 少し前、子どもたちの様子を、デジタルカメラに撮ったことがある。それを、テレビ画
面に映して、見せた。デジタルカメラには、ほかの写真も、たくさん収録してあった。

 で、そのことを、A君(小5)が、話題にして、こう言った。

 「先生のカメラには、エロい写真が、いっぱい、入っていた」と。

私「エロいって、どういうこと?」
A「エロい写真だよ」
私「どんな写真だった?」
A「ぼく、見たもん」と。

 こういう作り話は、困る。ときには、仕事上、致命傷にすら、なりかねない。

私「あのね、そういう話を、軽々しく言ってもらっては、困る」
A「だって、見たもん」
私「だから、どんな写真だった? それを言ってごらん」と。

 押し問答を数回繰りかえしていると、A君が、「みんなも、見ただろ」と、周辺の子ども
たちを、巻きこもうとした。が、こうなると、さらに困る。何人かの同調者が出てくる。
心理学の世界でも、このタイプの子どもを、「アジテーター(扇動者)」と呼んでいる。

 私は、キレた! 語気を荒くして、こう叫んだ。

私「ウソをつくな。ぼくだって、どんな写真だったか、覚えていない。君が、そういうウ
ソをつくと、君のお父さんや、お母さんだって、そう思うだろ。どんな写真だったか、し
っかり言ってみろ!」
A「……忘れた」
私「忘れただと? ウソだった、ウソと、みんなの前で、はっきり言え。どんな写真を見
て、君は、エロいと思ったのか。それをはっきりと言え」と。

 が、やがて、理由が、わかった。

 写真をテレビ画面で、映して見せているとき、だれだったかは忘れたが、私にこう言っ
た子どもがいた。「先生は、エロ写真を見たことがあるか」と。私は、そういうときいつも、
「もう、見飽きた」と答えるようにしている。どうやら、それでA君が、それでそういう
作り話をしたらしい。

 つまり、おとなの世界でいう、「カマ」である。つまりA君は、「エロい写真が、いっぱ
い、入っていた」と言って、私にカマをかけた。

 ……しかし、それにしても……? この時期の子どもたちは、別の心で、とんでもない
ことを考えている。誤解というより、ときには、作り話をして、私にカマをかけてくる。
そんな子どもさえいる。が、カマですめば、まだよい。ときとして、こういう作り話は、
勝手に、ひとり歩きを始める。

 それが、こわい!

 そう言えば、先週、ある中学校で講演をしたとき、その学校の校長が、こんな話をして
くれた。

 「教師による体罰を問題にするのは、その生徒本人ではないのですね。教師と生徒の間
に、信頼関係がある間は、体罰は、何も問題にならない。教師は、信頼関係の上で、生徒
に体罰を加える。生徒も、信頼関係があるから、それを受け入れる。

 体罰が体罰として問題になるのは、それを見聞きした生徒が、親に話すからです。つま
りは、つげ口から問題になる。『あの先生が、X君を、殴っていた』と。で、それを聞いた
ほかの親たちが、騒ぎ出す。99%のケースが、そうです」と。

 「先生のカメラには、エロい写真が、いっぱい、入っていた」と言った子どものケース
でも、そうである。こういう発言を野放しにしておくと、ほかの子どもたちが、家に帰っ
て、どうそれを親に伝えるか、わかったものではない。だから、こうした発言は、その時
点で、徹底的につぶしておく。

語気を荒くして、その子どもを叱ったのも、そのためである。


●女の子には、指1本、触れるな!

 幼児教育の世界に入るとき、ときの園長が、私にこう言った。「林先生、どんなことがあ
っても、頭と手以外、女の子には、指1本、触れてはだめですよ。わかりましたね」と。

 以来、36年になるが、私は、女の子には、指、1本、触れていない。ただし、親が近
くにいて、親の了解を求めたあと、その子どもを抱くことはある。抱いてみるだけで、そ
の子どもに、何かの情緒障害があるかどうか、簡単に診断できることがある。

 いわんや、小学生や中学生には、頭と手意外は、指1本、触れたことがない。が、それ
でも、誤解を招く。

 たとえば、何気なく、女の子の肩をポンと叩いたとする。叩かれた女の子は、それをあ
いさつと思う。が、それを見ていた別の女の子は、そうでない。中には、嫉妬(しっと)
する子どもさえいる。

 その嫉妬がこわい。「林先生が、B子さんの体に触っていた」と言い出す。(実際に、そ
ういうことがあった!)

 思春期の子どもというのは、そういう意味で、指導が、むずかしい。どこでどう、私の
心を曲解するか、わからない。だから、さらに心を引き締める。それが「指1本、触れな
い」となる。

 さらに……。この話は、以前にも書いたが、こんなことがあった。

 女の子によっては、向こうから、「先生!」と言って、私に抱きついてくる子どもがいる。
C子さん(小3)も、そのタイプの子どもだった。

 こういう子どもは、本当に、困る。すかさず体を突き放すのだが、その突き放し方も、
むずかしい。子どもの心にキズをつけるようなやり方をすると、これまた家に帰って、お
かしなことを言い出す。

 C子さんも、そうだった。あるとき、C子さんを、私は、きつくしかった。おそらく、
それで、C子さんは、私に嫌われたと思ってしまったらしい。

 その1、2週間後、C子さんが、学校で、ほかの友だちに、「林先生が、私の体に触った」
「エッチなことをした」と話しているのを知った。私は、その話を聞いて、すかさず、C
子さんの家に電話を入れた。

 幸いにも、母親が、C子さんのそういう性癖をすでに知っていて、「うちでも困っていま
す」と言ってくれたからよかった。「何度注意しても、男の人に抱きついていくのです」と。

 が、学校で、そういう話をしてもらっては困る。本当に、困る。私はC子さんを電話口
に出してもらい、そのことを懇々(こんこん)と説明した。

 要するに、女の子には、どんなことがあっても、指1本、触れない。これは子どもを指
導するも者にとっては、大原則ということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●観察学習

+++++++++++++++

子どもの世界には、「観察学習」と
呼ばれる、よく知られた現象がある。

子どもは、まわりの人たちの様子を
見ながら、自ら学習していく。

それを「観察学習」という。

+++++++++++++++

 子どもの世界には、「観察学習」と呼ばれる、よく知られた現象がある。子どもは、まわ
りの人たちの様子を見ながら、自ら学習していく。それを「観察学習」という。

 この観察学習のすぐれている点は、子どもが自発的に学んでいくという点で、それがよ
い方向性をもっているものであれば、きわめて効果的であるということ。(もちろん、その
反対もあるが……。)

 たとえばあることをして、隣のA君が、先生にほめられたとする。すると、その子ども
はそれを見ながら、「自分も同じことをすれば、先生にほめられる」ということを学ぶ。そ
してつぎの機会に、その子どもは、A君がしたことと同じようなことをして、先生にほめ
られようとする。

 子どもは、さまざまな経験を通して、自分自身の精神力を、(強く)していく。これを発
達心理学の世界でも、「強化」という。わかりやすく言えば、(やる気につなげていく)と
いうこと。たとえば(何かをする)→(先生にほめられる)→(それがよいことだと学ぶ)
→(さらに同じことを繰りかえす)と。

この強化が重なって、子どもは、自発的に、かつ、前向きに行動するようになる。

 観察学習は、直接、自分で経験するのではないという意味で、「代理強化」と呼ばれてい
る。が、そのモデルは、必ずしも、現実のものとはかぎらない。テレビや本の主人公をモ
デルにすることもある。映画のヒーローを見ながら、モデルにすることもある。

 たとえば私は子どものころ、自分がその子どもであることを忘れて、よくこう言った。「ぼ
くは、女と子どもは相手にしない」と。多分、何かの映画の中で出てきたセリフを、その
まま口にしていたのだと思う。それを口にしたとき、どこか、自分がヒーローにでもなっ
たかのように気分がよかったのを、今でも、よく覚えている。

 で、この観察学習には、二面性がある。先にも書いたように、それがよい方向性をもっ
ていればよい。しかし、ときとして、それが悪い方向性をもつこともある。

 たとえばB君ならB君が、何か悪いことをして、得をしたのを、ある子どもが見たとし
よう。万引きでもよい。B君が、万引きをして、その子どもがほしかった、ゲーム機器を
手に入れたとする。それをその子どもが見ていたとする。

 このときその子どもは、万引きをすれば、自分のほしいものを手に入れることができる
ということを、学習する。が、こうしたケースでは、それが発覚すれば、当然のことなが
ら、罰を受けることになる。(万引きをする)→(罰を受ける)、と。それを見ながら、今
度は、その子どもは、「万引きをすることは、悪いことだ」ということを学習する。

 そこで重要なことは、子どもは、子ども時代に、できるだけ多くの経験をし、行動のレ
パートリーをたくさんもつということ。もちろんその中には、ここでいう観察学習も、含
まれる。多ければ多いほど、よい。万引きをして得をした子どもだけではなく、万引きを
して、親に叱られる子どもも、同時に観察しておかねばならない。

 まずいのは、たとえば親子だけのマン・ツー・マンの世界をつくりあげ、その中で子ど
もを育てること。子ども自身は、一見、ものわかりのよい子どもになるが、レパートリー
が少ない分だけ、小回りができなくなる。臨機応変に判断し、行動できなくなる。判断す
るとしても、どこか偏(かたよ)ったものになる。

 話が脱線したが、私は、「子どもの先生は、子ども」と考えている。だから私が主宰する
BW教室では、ある学年(小学4、5年生)を過ぎるころから、上級生といっしょに座ら
せて、勉強させるようにしている。

 こうすることによって、上級生から(勉強ぐせ)を受け継ぐことができる。言うなれば、
これも観察学習ということになる。

 この方法のすぐれている点は、1年先、2年先の自分の未来像を、子ども自身がもつこ
とができるということ。わかりやすく言えば、未来に向かう(地図)を手に入れることが
できる。

 またまた話が脱線したが、この「観察学習」という言葉を、心のどこかに留めておくと、
子どもを指導する上で、役立てることができる。子どもが、子どもの目を通して、そのと
き、何を見、何を考えているかを知る。それだけでも、子どもの指導法が、大きく変わっ
てくる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
観察学習 強化 代理強化 モデル)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな

+++++++++++++++++++++++

スペインの格言に、「沈黙の価値のわからない者は、
しゃべるな」というのがある。

その「沈黙」には、重大な意味が隠されている。

+++++++++++++++++++++++

 スペインの格言に、「沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな」(Don't speak unless you 
can improve upon the silence. )というのがある。

 正確には、この英文は、どう訳せばよいのか。「しゃべるとしても、沈黙の価値を知った
上で、しゃべれ」ということか。要するに、「沈黙」には、しゃべること以上に、重要な意
味がある。しゃべるとしても、その重要性を知った上で、しゃべる。

 簡単な例では、ウソがある。昔、オーストラリアの友人が、私にこう言った。「ウソをつ
くくらいなら、黙っていたほうがいい」「聞かれるまで、本当のことを言う必要はない」と。

 一理ある。

 もちろん言うべきときには、言う。しかしそれも相手による。言う価値のない相手だっ
たら、沈黙を守ったほうがよい。たとえば少し前、私に意味のない説教をしてきた人(男
性、70歳くらい)がいた。が、その瞬間、私は、相手を見て、沈黙した。実際には、「そ
うですね。そのとおりです」と言って、笑って逃げた。

 相手にしても、しかたのない人だったからである。その相手は、私の表面的な部分だけ
を見て、あれこれと言った。反論することもできたが、それには、こちらの事情も話さな
ければならない。それがめんどうだった。

 あとは、沈黙。

 つまりこうしたケースでは、ムキになって、反論する必要はない。相手が、それなりの
人徳者なら、話は別。が、そうでないなら、そっとしておいてやるのも、(思いやり)とい
うもの。その人には、その人なりの人生がある。その人生を支えてきた哲学(?)がある。
たとえばこんな例がある。

 この話は、すでに何度もマガジンで取りあげたことがあるので、覚えている人もいるか
もしれない。

 ある女性のことだが、現在は、カナダに住んでいる。で、その女性の実の父親が危篤状
態になったときのこと。その女性は、2人の子どもを夫に預けて、カナダから急きょ、帰
国した。で、その夜のこと。

 父親の容態がひとまず安定したので、その女性は、実家に帰って休むことにした。長旅
の疲れもあった。が、それについて、姉の義理の叔父が、(血縁関係のない、姉の義理の叔
父だぞ!)、その女性を責めた。

 「実の娘なら、たとえ長旅で疲れていても、寝ずの看病をするのが当たり前だ。何とい
う娘だ」と。

 この言葉に、その女性は、かなりのショックを受けた。私にメールで相談してきたのは、
その直後のことだった。言い忘れたが、その女性は、35歳。義理の叔父は、70歳だっ
た。

 こういうケースのばあい、その叔父というのが、ここでいう(相手にする価値もない相
手)ということになる。ムキになって反論したところで、意味はないし、またそれで納得
して、引きさがるような相手でもない。

 それに70歳という年齢を知ると、それなりの人格者を想像する人も多いかもしれない。
しかし70歳は、70歳。実際には、加齢とともに、人格そのものが後退する人となると、
ゴマンといる。脳みその活動がコチコチになる人というと、さらに多い。

 そういう人は、相手にしない。

 つまり沈黙を守る。言葉はきついが、相手を、サルかイヌとでも、思えばよい。私のば
あいは、即座に相手の背景を見抜き、相手にすべきかどうか、その場で判断するようにし
ている。たとえば、道路で、チンピラ風の男にからまれたようなとき、など。「すみません」
と言って、頭をさげて、その場を離れる。

 つまり、それが沈黙の価値ということになる。ときには、悔しい思いをすることもある
だろう。不愉快さが、心をふさぐこともあるだろう。が、しばらくすると、その分だけ、
自分の心が広くなったように感ずる。そしてそれを繰りかえしていると、沈黙のもつ価値
が、わかるようになる。

 しゃべるとしても、その上で、しゃべる。その価値を熟知した上で、しゃべる。

 それが「沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな」(Don't speak unless you can improve 
upon the silence. )という格言の意味ということになる。

 この英文を直訳すると、「沈黙の上に発展したものでなければ、しゃべるな」ということ
になる。そしてその意味は、「沈黙の価値を知り、その沈黙を知り尽くしたものだけが、し
ゃべれ」ということになる。

 まことにもって、「ナルホド」と納得できる、格言だと、私は思う。

【補記】

 二男の妻のデニーズに、さっそく、問いあわせる。

 その返事が、届いた。

Hello, Hiroshi! 

Another way of saying, "Don't speak unless you can improve upon the 
silence." might be "Don't say anything unless it's something worth 
hearing." Mindless chatter is not valuable. Silence is better. If a 
person wants to speak, he should make sure that what he says is useful 
or beneficial.

こんにちは、ヒロシ!

「Don't speak unless you can improve upon the silence.」の、もうひとつの言い方は、「そ
れが聞く価値のないものであるなら、何も言うな」ではないかと思います。意味のないお
しゃべりは、価値がありません。沈黙のほうが、ベターです。もし人がしゃべりたいなら、
自分の言っていることが価値あることかどうか、あるいは相手に恩恵を与えるものである
かどうかを、確かめるべきです。

How are you and your family? Did you have a nice birthday? I enjoyed 
your picture at the flower park; it reminded us of when we visited in 
autumn 3 years ago.

家族のみなさんは、いかがですか。よい誕生日でしたか。あなたのフラワーパークでの写
真を楽しみました。3年前の秋、そこを訪れたのを、その写真は、思い起こさせました。

Denise

デニーズ


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●沈黙の価値(2)

++++++++++++++++++

日本では、昔から、『負けるが、勝ち』と
いう。

同じように、『沈黙は、勝ち』と覚えて
おくとよい。

相手にもよるが、とるに足りない相手な
ら、言いたいように、言わせておけば
よい。

それができる人を、度量の大きい人と
いう。

++++++++++++++++++

 近所づきあい、親類づきあいというのは、とかく、わずらわしい。子どもの親どうしの
つきあいとなると、さらにわずらわしい。

 こういうときの鉄則は、ただひとつ。『負けるが、勝ち』。相手の言ったことを真(ま)
に受けて、決してムキになってはいけない。ムキになった瞬間、相手と同等のレベルの人
間になったことを意味する。

 では、どうするか。

 『負けるが、勝ち』なら、『沈黙は、勝ち』と覚えておくとよい。沈黙を守って、その場
をやりすごす。言いたいこともあるだろう。不愉快に思うこともあるだろう。悔しい思い
をすることもあるだろう。しかしそこは、ぐっとがまん。

 それができる人を、度量の大きい人という。

 ところで私は、つい先日、満59歳になった。50代の終わりということだが、心理学
の世界では、「満55歳が、ひとつの節目」と考えられている。この年齢を境に、展望性(未
来に向かうエネルギー)と、回顧性(過去に向かうエネルギー)が、ちょうど、交差する
という。わかりやすく言えば、未来を展望する力よりも、過去を回顧する力のほうが、強
くなるということ。

 80歳をすぎても、乳幼児の医療費無料化運動に取り組んでいた女性がいた。このタイ
プの女性は、展望性が強い人ということになる。反対に、ある女性(65歳くらい)は、
会うたびに、仏壇の金具をみがいてばかりいた。このタイプの女性は、回顧性が強い人と
いうことになる。

 どちらを選ぶかは、その人の自由だが、しかしこの時期、つまり満55歳前後を境に、
ほとんどの人は、進歩することを、自ら放棄してしまう。が、人がもつ精神力というか、
精神的エネルギーというのは、つねに補充していかないと、どんどんと減少する。

 それはたとえて言うなら、穴のあいたバケツのようなもの。加齢とともに、その穴は、
ますます大きくなる。だから人は、加齢とともに、さらに多くの情報を吸収し、さらによ
くものを考えなければならない。

 が、それでも現状維持が精一杯。進歩など、もう望むべくもない。が、進歩することを
やめたとたん、その人の人格は、後退し始める。精神力は低下し、精神的エネルギーは、
減少する。

 それは健康論に似ている。究極の健康法というのは、ない。健康というのは、日々の体
の鍛錬(たんれん)のみによって、維持される。鍛錬をやめたとたん、その人の健康は、
低下する。

 話が脱線したが、私の年齢になると、その人が健康であるかどうか、一目(ひとめ)で
わかるようになる。同じように、その人の精神的レベルも、一目でわかるようになる。つ
まり相手にすべき人かどうか、それが一目でわかる。

 そこで沈黙論。

 相手にすべきでないとわかったら、沈黙する。これにまさる対処法はない。仮にそれで
も、その相手がからんできたら、適当にあしらって、その場から去る。

 時の流れは無限だが、こと個人について言えば、有限である。私にしても、平均寿命の
年齢まで生きられれば、御(おん)の字。しかしそのころには、頭もボケて、生きる屍(し
かばね)となっているかもしれない。だから(生きる)ということになれば、あと5年か、
10年。そのうち、大病が襲ってくるかもしれない。

 だから無駄にできる時間など、ない。『時は金(マネー)なり』というが、私にとっては、
『時そのものが、金(ゴールド)』ということになる。だからこそ、よけいに、つまらない
人たちを相手にして、時間を無駄にしたくない。そういう思いが強くなる。

 そんなわけで……というのでもないが、このところ毎日のように、『沈黙の価値のわから
ない者は、しゃべるな』の意味ばかり、考えている。私は、今まで、あまりにも、おしゃ
べりだった。時間を無駄にした。

 そうそう嫁のデニーズが、おもしろいことを言った。

 『相手にとって、価値のないこと、恩恵のないことは、しゃべるべきではない』と。ま
さにその通りだと思う。卑近な例では、人の悪口、中傷、批判、それにグチは、言うべき
でないということになる。ナルホド!


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●今朝・あれこれ(10月30日)

++++++++++++++++

このところ、睡眠調整がむずかしく
なったように感ずる。

毎日、昼前後に、30分〜1時間、昼寝を
するようにしているが、その昼寝がうまく
できなかったりすると、とたんにその影響が、
夜の睡眠時間に現れる。

なかなか寝つかれなくなったり、あるいは
朝早く、目が覚めたりする。

そしてそれが数日もつづくと、頭の働きが
極端に低下する。考えるのも、おっくうに
なる。

今朝が、そうだ。

こういうときは、どうするか。

私のばあいは、まず、気が向くまま、
好き勝手なことをすることにしている。

たまたま今は、画像の編集をしたい。
そこで、画像編集ソフトをたちあげて、
最近撮った写真の編集を、し始める。

するとやがて、頭の中に、血がもどって
くるのを感ずる。頭の脳みそがスポンジか
何かのようになっていて、そのすき間に、
血がじわじわと入りこんでくる。

私のように低血圧の人間には、
本当に、それが実感として、わかる。

と、同時に、いつものように、脳みそが
働き始める。

手始めは、またまた「沈黙」について。

++++++++++++++++

 昨日、「沈黙」について、書いた。「相手にとって、価値のないこと、役に立たないこと
は、話すな」と。『沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな』ともいう。

 で、そのあと、ずっと、それについて考えていた。私は今まで、おしゃべりだった。沈
黙の価値など、考えたこともなかった。今、こうしてものを書いていることでさえ、見方
によっては、(おしゃべり)ということになる。

 が、今日からでも、遅くない。実際、昨日は、沈黙の価値をずっと、かみしめながら行
動した。「かみしめた」というのは、「自分に言い聞かせながら」という意味である。たと
えば何人かの母親たちと会話を交わしたが、そのつど、相手にとって、価値のあること、
役にたちそうなことだけを、心がけて話した。

 子ども(生徒)たちにもそうした。「この子どもは、何を求めているだろう」「この子に
は、どんな話をすればいいだろう」と。しゃべる前に、一呼吸、おくことにした。が、そ
れについてワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。

 「向こうから、話しかけてきたら、どうしたらいいの?」「中には、ゴシップ好きの人も
いるわ」と。

 女性の世界には、女性の世界独特の雰囲気というものがある。おしゃべりの人も多い。
一日中、ムダなことを、ペチャペチャとしゃべっている。

私「相手にしないことだよ」
ワ「そんなわけには、いかないわよ」
私「だったら、最初から、そんな質問を、ぼくにするな」
ワ「どうして?」
私「うるさい。それがおしゃべりということ」と。

 私のワイフも、おしゃべり。沈黙の価値というのが、わかっていない。

 そうそう先日、地元のバス会社が運営する、Bツアーというので、長野県のほうまで行
ってきた。「うまいもの、食べ歩き」という名前のツアーである。

 そのときのガイドのうるさいことといったら、なかった。意味のない、どうでもよいこ
とを、何時間も、ひとりでしゃべっていた。本人はあれで、ガイドをしているつもりなの
だろうが、あまりの低レベルに驚いた。「みやげものの日本一は、xxx。二番目は、yy
y……」と。

 しかも甲(かん)高い声で、キンキンと言っては、自分で笑っていた。

 私は紅葉を始めた山々の景色をのんびりと楽しみたかった。が、それができなかった。
だから帰りに渡された、会社へのアンケート用紙には、こう書いてやった。

 「ガイドの低劣なおしゃべりには、閉口しました」と。

 そう言えば、数日前に、市内のあるところで、瀬戸物祭というのがあった。先日、愛知
県の瀬戸市の瀬戸物祭に行ってからというもの、このところ、瀬戸物に興味がある。それ
で、その会場へ、行ってみた。

 その瀬戸物祭の会場でも、中央に、大きなラジカセを置き、ガンガンと音楽を流してい
た。若い女の子が好みそうな、キャンキャンとした音楽だった。まさに、騒音! それが、
うるさくてたまらなかった。

 ガイドのおしゃべりと、瀬戸物祭での音楽。これも、「沈黙」の価値の知らないものによ
る、無駄なおしゃべりと同じに考えてよいのではないだろうか。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掲示板への投稿より

+++++++++++++++++

Hさんという方から、掲示板への
書きこみがあった。

うれしかった。

Hさんへ、これからも、よろしく、
お願いします。

1000号まで、あと、201号!
(現在、799号、11月1日)です。

++++++++++++++++++

【Hより】


はやし先生、はじめまして。

2年前に次男が通う保育園で育児講演会をしていただいて以来、先生のHPを拝読させて
いただき、多くの有益な示唆をいただいています。ありがとうございます。ずっと「拾い
読み」の状態でしたが、中3の長男が受験期を迎え、いつのまにか先生のHPを拝見する
のが、日課となっていたことに、はたと気づき、遅まきながら「有料読者」の仲間入りを
させていただきました。

教育関連のテーマからはひとまず離れますが、朝鮮半島の情勢について大いに関心をもっ
ていらっしゃる先生に、僭越ながら以下の情報源をご紹介させていただきたく、書き込み
させていただきました。昨今の情勢を「別の視点」から捉えた記事ですが、私にとっては
「脳の活性化」に役立っております。

では、今後とも益々ご健勝、ご活躍をお祈り申し上げております。


【Hさんへ、はやし浩司より】

 書きこみ、ありがとうございました。また「まぐプレ」(有料版)への申しこみ、ありが
とうございました。今のところ、Eマガ、まぐプレは、同じ内容になっています。メルマ
ガのほうは、月曜日発行のみの、簡略版になっています。メルマガは、やがて廃刊するつ
もりでいます。

 Eマガのほうは、ゆくゆくは、記録用マガジンにするつもりでいます。Eマガ社は、過
去のマガジンをすべて、保存しておいてくれます。そういうこともあって、今、しばらく
は、このまま発行をつづけるつもりでいます。まぐプレのほうは、これから先も、がんば
って、発行しつづけるつもりでいます。よろしくお願いします。

 現在、まぐプレのほうは、購読料は、月額300円になっています。私としては、みな
さんに、まぐプレのほうを読んでいただきたいと願っています。しかし現実は、きびしい
です。

 朝鮮半島問題は、交換学生として、韓国にいたこともあり、以来、関心と興味をもって
います。いろいろな人とのかかわりもあり、原稿を書いています。政治的な目的や意図は、
まったくありません。あくまでも、日本の平和と安全を第一に考えています。日本で核兵
器が使われてからでは、遅いですから……。

 貴重な情報、ありがとうございました。


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

●一貫性(人格の連続性)

++++++++++++++++

ボケるから一貫性がなくなるのか。
それとも、一貫性がなくなることを、
ボケの初期症状ととらえてよいのか。

その一貫性について……。

++++++++++++++++

一貫性、つまり人格の連続性には、2つの意味がある。

(1)精神的、情緒的、連続性
(2)知的、論理的、連続性

(1)精神的、情緒的、連続性

 たとえば会うたびに、気分が変化しているというのは、それだけで一貫性がないという
ことになる。

 印象に残っている男性(当時50歳くらい)に、F氏という人がいた。そのF氏だが、
会うたびに、様子がちがっていた。妙になれなれしく、愛想がよいと思ったその数日後に
は、私があいさつをしても、むっとした表情で、私をにらみ返したりするなど。

 私のほうが、どう対処してよいか、困ったことさえある。

 そのF氏は、7〜8人ほどの従業員を使って、弁当屋を経営していたが、私が「?」と
感じ始めたころから、経営がおかしくなったと聞いている。従業員との間でトラブルを連
発するようになり、そのあと、F氏は、今で言う認知症と診断され、入院。その5、6年
後に、なくなってしまった。

(2)知的、論理的、連続性

 言っていることに連続性がないというのも、困る。

 こんなことがあった。地域の子ども会の役員をしていたときのこと。ある催しものをす
ることになり、Aさんという女性(当時、60歳くらい)に、仕事を頼んだことがある。

 電話で、私がそれを頼むと、Aさんは、明るい声で、「いいですよ。そんなことは。何で
もありませんから。ちょっと、車を走らせれば、それですむことですから」と。

 私は安心して、その仕事を、Aさんに任すことにした。が、である。

 無事、その催し物がすんで、Aさんの家に電話を入れると、様子が一変していた。私は、
お礼を言うつもりだけだった。が、Aさんは、あれこれ苦情を並べ始めた。「Bさんが、あ
と片づけしないで、帰ってしまった」「Cさんにも仕事をしてもらったが、Cさんが、ブツ
ブツ、不平を言っていた」と。

 さらに数日後、今度は、Bさんのほうから電話があり、Bさんは、私にこう言った。「あ
のAさんが、林さんから、一方的に仕事を押しつけられたとかで、怒っていますよ」と。

 私は、何がなんだか、わけがわからなくなってしまった。

 一方、一貫性のある人は、精神的な面でも、また知的な意味においても、一貫性がある。
この一貫性こそが、良好な信頼関係をつくる、基礎となる。友人や知人だけには、かぎら
ない。親子の間でも、そうである。

 よきにつけ、悪しきにつけ、親は、一貫性をもつ。これも、子育ての基本のひとつと考
えてよい。たとえば親が、そのときどきの気分に応じて、子どもに甘くなったり、反対に
きびしくなったりしていて、どうして親子の間で、安定的な人間関係を結ぶことができる
というのか。

 ここでいう「よきにつけ、悪しきにつけ、一貫性をもつ」というのは、たとえば過保護
的であるにせよ、あるいは過干渉的であるにせよ、「いつもそうである」という一貫性をも
つことをいう。その一貫性さえあれば、やがて子どものほうが、親に合わせて、自分を調
整するようになる。

 その一貫性だが、10年ほど前、私は、こんなことを経験している。当時の私は、毎日
のように電話相談を受けていた。

 ある母親からの、子どもの不登校についての相談であった。子どもはそのとき、小学2
年生だった。

 最初は、「何とか、学校へ行かせたい」という相談だった。で、何か月かあとには、その
母親が望むように、何とか、昼間の数時間だけだが、その子どもは、学校へ行くようにな
った。が、しばらくすると今度は、「毎日、学校への送り迎えがたいへん」「時間がとられ
る」「勤務先で、上司に注意された」と。

 そこでまた、あれこれと相談にのっていると、その子どもは、何とか、みなと同じよう
に、朝、自分で学校へ行くようになった。が、学校では、理科の実験室に閉じこもったま
ま。そこで今度は、その母親は、「何とか、教室で勉強できるようにしたい」と。

 そこであるとき、私は、その母親にこう言った。

 「問題は、少しずつかもしれないが、1つずつ解決している。少なくとも、今は、いい
方向に向かって、ものごとが進んでいる。まず、そのことを、すなおに喜びましょう」と。

 実際、このタイプの母親の要求には、際限がない。子どもが教室で勉強できるようにな
ると、「何とか、給食時間まで」となる。そして子どもが給食を食べるようになると、今度
は、「何とか、終わりのあいさつの時間まで」となる。

 中には、別の母親のことだが、こんなことを言ってきた人もいた。

 「2年間も不登校児でした。やっと学校へ行くようになったが、勉強の遅れを取りもど
すためには、どうしたらいいか」「進学の準備もしたいが、どうしたらいいか」と。

 これも、やはり一貫性の問題と考えてよい。相談にのっている私のほうが、そのつど、
振りまわされるだけ。こういう例は、多いが、問題は、人はなぜそうなるかということ。

 で、最近、自分自身がその危険年齢に達したこともあるが、こんなことに気づいた。一
貫性のある、なしは、頭のボケ症状と関連があるのではないかということ。ボケとは、直
接関係なくても、頭の働きが鈍くなると、一貫性がなくなる(?)。あくまでも素人判断だ
が、そのように感ずる場面が、しばしばある。

 頭のボケ始めた人は、そのつど、言うことがクルクルと変わる。そのことに気づいたの
は、こんな事件があったからだ。

 私のワイフが、Xさん(女性、65歳くらい)のお金を、何かのことで、立て替えて支
払ったことがある。金額は、6万円だった。

 で、1、2か月後、ワイフが、Xさんに電話をすると、Xさんは、こう言ったという。「あ
のお金は、水色の封筒に入れて、バッグの中に入れたままにしてある。返すのを忘れた」
と。

 で、それからさらに数か月後。再び、そのお金のことで、Xさんに電話をすると、「そん
なお金のことは知らない」と。水色の封筒についても、「そんな話をした覚えはない」と。

 ワイフは、「あのXさん、ボケたみたい」と言っていたが、やはりそのXさんには、一貫
性がないということになる。

 言い忘れたが、EQ論(=人格の完成論)でも、この一貫性のあるなしを、ひとつの目
安にしている。言うまでもなく、一貫性、つまり人格の連続性のある人ほど、人格の完成
度が高い人ということになる。そうでなければそうでない。

 言いかえると、一貫性のある人は、他者と安定的な人間関係を結ぶことができる。そし
て良好な人間関係を築くことができる。が、その一貫性がないと、他者と安定的な人間関
係を結ぶことができない。ボケが進むと、その一貫性が消える。精神面はもちろん、知的
な意味でも、きわめて不安定になる。

 繰りかえすが、親子の間でも、そうである。子どもの前では、努力して、この一貫性を
守る。ここではボケとからめて一貫性について考えてみたが、ボケていなくても、一貫性
のない親というのは、いくらでもいる。

さて、あなたは、だいじょうぶか? (あるいは、私もあぶないかもしれない……。)

(付記)

 ここに書いたXさんだが、ワイフは、こう話してくれた。

ペラペラとよくしゃべるが、そのつど、思いついたことをしゃべっているだけという感
じだそうだ。しかもひとつのことについて話していると、話の内容が、どんどんとこま
かくなっていくという。

 電話で話していても、一方的にしゃべるだけ。そしてそれが終わると、突然、ガチャン
と電話を切ってしまう、とか。

 ワイフは、こう言う。「以前から、大局的にものを考えて、総合的に判断することができ
ない人だとは思っていたけど、このところ、ますますその症状がひどくなってきたみたい」
と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
親子の一貫性 良好な人間関係 人格の完成度 子供の心理 親の心理 人格の一貫性 
連続性)


Hiroshi Hayashi+++++++++NOV.06+++++++++++はやし浩司

●1982年

++++++++++++++++++

今朝(10月30日)、Eマガの読者
が、1982人になった。

そこで1982年。

++++++++++++++++++

 私は、ずっと西暦を使っている。年号(和暦)は、めったに使わない。そのため、年号
で言われると、「いつのことだったかな」と思ってしまうことが、よくある。とくに困るの
が、年数の計算。

 「昭和40年から、平成5年までは、何年間?」と聞かれて、すぐ答が浮かんでくる人
は、年号に、かなりなれた人とみてよい。私などは、そのつど、一度西暦になおして、計
算しなければならない。

 しかしそれぞれの国が、それぞれの年号で、年月を表示したら、世界は、どうなるのだ
ろう? よく覚えているのが、台湾へ行ったときのこと。向こうの人は、向こうの年号を
使っている。いちいち計算しなおすのが、たいへんだった。

 それはさておき、1983年。この年の2月、日航機(JAL)が、異常操縦で、東京
湾に墜落している。記録によれば、「精神分裂病の機長が、逆噴射」(「20世紀・全記録」
講談社)とある。死者、24人! 「逆噴射」という言葉は、そのまま、当時の流行語に
なった。

 その飛行機だが、墜落すれば、ほぼ全員が死亡する。「事故率は少ないから、タクシーよ
り安全」という説もあるが、私は、信用していない。私も、羽田空港で、飛行機事故に遭
遇している。私が29歳のときのことである。

 あのとき感じた恐怖感は、今も忘れない。以後、私は、飛行機恐怖症になってしまった。
が、皮肉なもので、今、三男がその飛行機のパイロットをめざして、航空大学校に通って
いる。内心では、(あくまでも内心では)、それに反対したが、しかしそのうち、すぐあき
らめた。

 息子の人生は、どこまでいっても、息子のもの。私のものではない。今にして思うと、
つまり生き生きと学生生活を送っている三男の姿を見ると、「これでよかった」と思うと同
時に、あのとき、「反対」という言葉を口に出さなくてよかったと思う。

 私は、「どうせ受験するなら、本気で受験せよ」「大学を休学してでもよいから、予備校
へ通え」と忠告した。三男は、「何もそこまでしなくても……」とか、「(予備校への)学費
がもったいない」とか言ったが、私は、自分の意見を押しとおした。「60倍」という受験
倍率は、ふつうの倍率ではない。私には、それがよくわかっていた。

 私自身も、子どものころ、パイロットにあこがれた。大空を自由に、飛んでみたかった。
息子に言わせると、「だれしも、一度はパイロットになりたいと思うものだよ」ということ
らしいが……。

 その1982年。4月には、フォークランド諸島をめぐり、アルゼンチンとイギリスが
武力衝突している。その前月の3月には、東京の永田町のホテル・ニュージャパンで、火
災が発生。防火設備の不備で、33人の人が命を落としている。

 映画では『E・T』が、大ヒット(6月)、東北新幹線が開通(6月)、映画俳優のイン
グリッド・バーグマン、ヘンリー・フォンダが死去(8月)。ついで、その翌月には、ハリ
ウッド女優から王妃になった、あのグレース王妃も、交通事故で死去(9月)。

イングリッド・バーグマンにしても、グレース・ケリーにしても、本当に美しい人だっ
た。

 この浜松市でも、大事件が起きている。

 浜松市にある、航空自衛隊基地で行われた航空祭でのこと。国産の超音速機に機種を変
更したばかりのブルーインパルスが、その最中に墜落事故を起こした(12月14日)。急
下降しながら、6機の飛行機が6方向に散るという曲技飛行中、うち一機が、地面に激突。
14人が負傷した。

 私と家族も、その航空祭に車で向かう途中、その事故を目撃している。ドンという鈍い
爆発音とともに、黒鉛がモクモクとそのあたりからわきあがったのを、覚えている。たし
かあのとき、パイロットは、墜落直前、飛行機からパラシュートで脱出したのではなかっ
たか。私の記憶ちがいだったら、ごめん。

 この年、私は、満35歳。個人的には、これといって、大きな思い出はない。平凡な、
どこにでもいるような、ただの男。夫。父親。それに平凡な人生。あのころの私は、毎日、
息子たちに、何かしらのみやげを買って帰るだけが、楽しみだったような気がする。

この年、私は、満35歳になった。
 

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●1986年

++++++++++++++++++

今朝、Eマガの読者が、1986人の
なった。

そこで、1986年。

++++++++++++++++++

 この年の1月、フロリダ州のケープ・カナベルから打ちあげられたチャレンジャーが、
発射72秒後に爆発。スコビー船長ら、7人が、全員、死亡している。

 2月には、フィリッピンでマルコス大統領が追放され、かわって、アキノ夫人が、大統
領に就任している。

 3月には、ハレー彗星が、76年ぶりに、地球に大接近している。前年の11月ごろか
ら、光度をまし、その3月には、6等級の明るさになった。ふつうの望遠鏡でも、見るこ
とができるようになった。

 このハレー彗星で、覚えているのが、「ハレー彗星の絵」。私の教えていた女の子が、当
時、完成間近の「子ども科学館(浜松市南側駅前)」のシンボルマークに、応募した。中心
に丸を描き、それを取り囲むように、カラフルな帯が右上方に流れているという絵である。

 その絵がみごと、一等賞になり、子ども科学館のシンボルマークに採用された。うれし
かった。今でも、そのシンボルマークを見るたびに、あの女の子のことを思い出す。

 4月には、ロシアのチェルノブイリ原子力発電所が爆発。同発電所の4号炉で、タービ
ンの実験中、超高温になった核燃料が爆発。原子炉内にあった、核燃料のうち、3〜4%
が空中に飛び散った。

 その後の惨事は、改めて、ここに書くまでもない。しかしあれでたったの3〜4%だっ
たとは! もし、原子炉内の核燃料が、すべて飛び散っていたとしたら……! 改めて、
放射能の恐ろしさを知る。

 5月には、チャールズ皇太子が、ダイアナ王妃をともなって、日本を訪れている。だれ
もが、ダイアナ王妃の美しさに、圧倒された。

 6月、7月、8月は、これといって大きなニュースはない。

 9月には、第10回、アジア大会が、ソウルで開かれている。金の獲得数では、日本は、
中国、韓国に敗れ、第3位に。

 10月も、これといって大きなニュースはなかったが、11月には、あの伊豆大島の三
原山が大噴火を起こしている(11月15日)。黒い山肌をなめるように、真っ赤な溶岩が、
火柱を立てながら、伊豆大島の住宅を飲みこんでいった。

 その実況中継を見ていたとき、足がガクガクと震えたのを、私は覚えている。

 12月には、ヨーロッパ全土を、記録的な大寒波が襲っている。「数10年ぶりの大寒波
だった」という。パリでも、マイナス12・1度を記録。ヘルシンキでは、マイナス34・
6度を記録(87年1月12日)、などなど。

 この年、私は、満39歳になっている。東洋医学から足を洗い、東京でしていた仕事も、
それに合わせて、激減した。教材制作に限界を感じていたころでもある。折からの塾攻撃
で、塾生も激減。「明日はどうしよう」と、いつも塾の床に寝転んで、天井ばかり見ていた。

 私の教室は、F小学校の生徒が多かった。多かったというより、ほとんどがそうだった。
そのF小学校が、学校をあげて、塾禁止令(?)を出したのだからたまらない。「塾へ行く
子どもは、残り勉強」と。

 新聞報道も、それに拍車をかけた。「塾、必要悪論」を展開した。私たち夫婦のこととい
うより、小学校へ通っている3人の息子たちのことを、心配した。「父親が塾教師」という
だけで、白い目で見られた。「今年で、塾はやめよう」と、毎日のようにワイフと話しあっ
ていた。私の生涯において、もっともつらかったのが、この時期だった。

 もっとも、私は、黙っていたわけではない。当時、毎月のようにNHKテレビでは、塾
特集を組んで報道していたので、私も何度かそれに出て、持論をぶつけた。が、焼け石に
水。巨大な組織を相手に、ひとりで闘っても、所詮、勝ち目はない。……なかった。

 が、私は、それまでの郊外の小さな塾から、市内へと、場所を移した。私にとっては、
大きな賭けだった。しかしそれで腹は決まった。「それでもダメなら、オーストラリアへ移
住しよう」と。

 同じころ、日本経済は、未曾有(みぞう)のバブル経済へと突入しつつあった。


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