はやし浩司(ひろし)

2004・1
はやし浩司
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2004年 1月号
 はやし浩司


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04−1−30号(354)
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto829

●ああ、悲しき子どもの心

 虐待されても虐待されても、子どもは「親のそばがいい」と言う。その親しか知らないからだ。

中には親の虐待で明らかに精神そのものが虐待で萎縮してしまっている子どももいる。しかし
そういう子どもでも、「お父さんやお母さんのそばにいたい」と言う。ある児童相談所の相談員
は、こう言った。「子どもの心は悲しいですね」と。

 F氏という今年五〇歳になる男性がいる。いつも母親の前ではオドオドし、ハキがない。従順
で静かだが、自分の意思すら母親の、異常なまでの過干渉と過関心でつぶされてしまってい
る。

何かあるたびに、「お母ちゃんが怒るから……」と言う。母親の意図に反したことは何も言わな
い。何もできない。その一方で、母親の指示がないと、何もしない。何もできない。

そういうF氏でありながら、「お母ちゃん、お母ちゃん……」と、今年七五歳になる母親のあとば
かり追いかけている。先日も通りで見かけると、F氏は、店先の窓ガラスをぞうきんで拭いてい
た。

聞くところによると、その母親は、自分ではまったく掃除すらしないという。手が汚れる仕事はす
べて、F氏の仕事。小さな店だが、店番はすべてF氏に任せ、夫をなくしたあと、母親は少なくと
もこの二〇年間は、遊んでばかりいる。

 そういうF氏について、母親は、「あの子は生まれながらに自閉症です」と言う。「先天的なも
ので、私の責任ではない」とか、「私はふつうだったが、Jをああいう子どもにしたのは父親だっ
た」とか言う。しかし本当の原因は、その母親自身にあった。

それはともかく、母親自身が、自分の「非」に気づいていないこともさることながら、F氏自身も、
そういう母親しか知らないのは、まさに悲劇としか言いようがない。F氏の弟は今、名古屋市に
住んでいるが、F氏と母親を切り離そうと何度も試みた。それについては母親が猛烈に反対し
たが、肝心のF氏自身がそれに応じなかった。いつものように、「お母ちゃんが怒るから……」
と。

 親だから子どもを愛しているはずと考えるのは、幻想以外の何ものでもない。さらに「親子」と
いう先入観だけで、その人間関係を決めてかかるのも、危険なことである。

親子といえども、基本的には人間どうしの人間関係で決まる。「親だから……」「子どもだから
……」と、相手をしばるのは、まちがっている。親の立場でいうなら、「親だから……」という立
場に甘えて、子どもに何をしてもよいというわけではない。

子どもの心は、親が考えるよりはるかに「悲しい」。虐待されても虐待されても、子どもは親を
慕う。親は子どもを選べるが、子どもは親を選べないとはよく言われる。そういう子どもの心に
甘えて、好き勝手なことをする親というのは、もう親ではない。ケダモノだ。いや、ケダモノでも
そこまではしない。

 今日も、あちこちから虐待のレポートが届く。しかしそのたびに子どもの「悲しさ」が私に伝わ
ってくる。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●人格の分離

 日本人の子育て法で、最大の問題点は、親は親でひとかたまりの世界をつくり、子どもの世
界を、親の世界から切り離してしまうところにある。つまり子どもは子どもとして位置づけてしま
い、その返す刀で、子どもの人格を否定してしまう。

もっと言えば、子どもを、ちょうど動物のペットを育てるかのような育て方をする。その結果、親
にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコールよい子と位置づける。そうでない子どもを、
「鬼っ子」として嫌う。

(例1)ある女性(七〇歳くらい)は、孫(六歳くらい)に向かってこう言っていた。「オイチイネ(お
いしいね)、オイチイネ(おいしいね)、このイチゴ、オイチイネ(おいしいね)」と。子どもを完全
に子ども扱いしていた。一見、ほほえましい光景に見えるかもしれないが、もしあなたがその孫
なら、何と言うだろうか。「子ども、子どもと、バカにするな」と叫ぶかもしれない。

(例2)ある女性(七〇歳くらい)は、孫(一〇歳くらい)に電話をかけて、こう言った。「おばあち
ゃんの家に遊びにおいでよ。お小遣いあげるよ。ほしいものを買ってあげるよ」と。最近は、そ
の孫がその女性にところに遊びにこなくなったらしい。それでその女性は、モノやお金で子ども
を釣ろうとした。が、しかしもしあなたがその孫なら、何と言うだろうか。やはり「子ども、子ども
と、バカにするな」と叫ぶかもしれない。 

 こういう子どもの人格を無視した子育て法が、この日本では、いまだに堂々とまかりとおって
いる。そしてそれ以上に悲劇的なことに、こうした子育て法が当たり前の子育て法として、だれ
も問題にしないでいる。とたえ幼児といっても、人権はある。人格もある。未熟で未経験かもし
れないが、それをのぞけばあなたとどこも違いはしない。そういう視点が、日本人の子育て観
にはない。

 子どもを子ども扱いするということは、一見、子どもを大切にしているかのように見えるが、そ
の実、子どもの人格や人権をふみにじっている。そしてその結果、全体として、日本独特の子
育て法をつくりあげている。その一つが、「依存心に無頓着な子育て法」ということになるが、こ
れについては別のところで考える。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●だらしない子ども

ある母親からの相談。「うちの子ども(中二男子)は、何をしてもだらしなくて、困っています。風
呂へ入っても、タオルや石鹸は、そのまま。脱いだ服もそのまま。学校帰りに飲んだ缶ジュー
スの空き缶は、玄関の下駄箱の上に。トイレも、汚しっぱなし。食事をしても、片づけすらしませ
ん」と。

 こういうケースでは、まず三つのことを考える。@行為障害。A過干渉。それにB親自身の
子どもへの愛情。

 何ごとにもだらしなくなるというのは、行為障害の一つとみてよい。このタイプの子どもは、万
事に、例外なく、だらしなくなる。そのためほかにも、たとえば回避性障害(人との接触を避け
る)、摂食障害(過食、拒食など)、無駄な買い物グセなどの症状が、見られることが多い。

つぎに親の異常な過干渉や、過関心が、乳幼児期から慢性的につづくと、子どもは、内面化
(精神の発達)が遅れ、自分で考えて、自主的に行動できなることがある。このタイプの子ども
は、いわゆる(とんでもない行為や行動)をすることが多い。カーテンやのれんに、ライターで火
をつけて遊んでいた子ども(中一男子)などがいた。

 三つ目に疑ってみるべきは、親自身の問題。子どもへの愛情が不足し、何らかの大きなわだ
かまりがあると、親は、子どものすべての行動が気になるようになる。本来なら、大きな問題で
はないことまで、ことさら大げさに悩んでしまうなど。「だらしない」という基準をどこに置くかで、
子どもの見方も、大きく変わってくる。

 こういうときは、まず、近所や知りあいの親に、「あなたのうちでは、どうですか?」と聞いてみ
るとよい。たいていどこの家の子どもも、だらしないもの。とくに中学生ともなると、学校や友人
との間で、神経をすり減らすことも多い。そのため、家の中では、かえってぞんざいな態度をと
ることが多い。つまり子どもは、無意識のうちにも、外の世界で神経を使った分だけ、家の中
で、だらしなくなる。心のバランスをとる。

 最後に、人というのは、(もちろん親も)、他人の行動には気がついても、自分の行動には気
がつかないもの。人が、(もちろんこどもが)、だらしないと感じたら、「では、自分はどうなの
か?」と考えてみるとよい。結構、自分自身も、だらしないもの。

 私も自分が結構、だらしないので、あまり他人のことはとやかく言わない。言われるのも好き
ではない。

+++++++++++++++++
以前書いた原稿を、ここに掲載します。
(中日新聞投稿済み)
+++++++++++++++++

●帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子どもがふ
えている。S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。

「幼稚園で帰る時刻になると、うちの子は、どこかへ行ってしまうのです。それで先生から電話
がかかってきて、これからは迎えにきてほしいと。どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、園舎の
裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。そこで皆でさがすのですが、お
かげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」と。

私はその話を聞いて、「帰宅拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言えば、
家庭が、家庭としての機能を果たしていない……。まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。幼児の
ばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれて、当
然、家庭の役割も変わってくる。また変わらねばならない。

子どもは外の世界で疲れた心や、キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。つまり家庭
が、「やすらぎの場」でなければならない。が、母親にはそれがわからない。S君の母親も、い
つもこう言っていた。「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は家庭でのしつけを大切に
しています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』(アメリカの劇作家のソロー)という
のがある。つまり人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの頭の上に座
ったほうが、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、そのカボチャの
頭のようでなくてはいけない。あなたがピリピリしていて、どうして子どもは気を休めることがで
きるだろうか。そこでこんな簡単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみてほし
い。

もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめてよい人間関係に
ある。しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの姿を見ると、どこかへ逃
げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態にあると判断してよい。もう少しひ
どくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、ということになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不自然
に遅い。毎日のように寄り道や回り道をしてくる。あるいは外出や外泊が多いということであれ
ば、この帰宅拒否を疑ってみる。

家が狭くていつも外に遊びに行くというケースもあるが、子どもは無意識のうちにも、いやなこと
を避けるための行動をする。帰宅拒否もその一つだが、「家がいやだ」「おもしろくない」という
思いが、回りまわって、帰宅拒否につながる。

裏を返して言うと、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただいま!」と帰ってくるだけ
でも、あなたの家庭はすばらしい家庭ということになる。
(040121)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●文字という「個性」

 インターネットの時代になって、今まで経験しなかった現象が、私の心の中で起きつつある。
文体の好き嫌いは、前からあったが、その文体そのものが、個性をもち始めたということ。文
章として書いてあることではない。中身ではない。文体、である。

当然のことながら、相手が男性か、女性かによっても違うが、極端な言い方をすれば、文体に
も、顔に似た個性があるということ。

 文体を見て、相手を、好感をもつこともあれば、反対に、そうでないこともある。

 そこで実験をしてみる。同じことを、いろいろな言い方で書いてみる。みなさんは、それぞれ
の文章を読んで、どのような印象をもつだろうか。その印象を、さぐってみてほしい。

【文体A】

 今日は曇り。低い雲が、窓から見える。その向こうに、ぼんやりとした太陽の光。風はなく、音
もない。遠くで、新築の家の工事。ときおり、コンコンと、コンクリートをたたくような音が聞こえ
てくる。ああ、たった今、バイクに乗った人が、家の前を通りすぎた。

【文体B】

 今日は、曇りなんだ。知らなかったよ。窓をあけてみて、わかったよ。で、太陽もどこか元気な
さそう。静かだしさ。あの家、まだ工事してるの? コンコンと、音が聞こえているよ。ブルルン
って、今、バイクが通ったところ。

【文体C】

 今日は、曇り空です。窓のカーテンをあけて、はじめて気がつきました。太陽は、低い雲に隠
れて、鈍い光を放っています。静かな昼下がり。今も、あの家の工事はつづいているのでしょう
か。忘れたころ、湿った空気を通して、コンコンと音が聞こえてきます。ああ、今、バイクの音が
聞こえたところです。

【文体C】

 今日は曇りで、カーテンをあけるまで、それに気づかなかったが、見ると、太陽がそこにあっ
て、雲の向こうにぼんやりとした輪を作っていた。音はないし、どうも風ないようで、庭に木々の
葉っぱも動きを止めているといった感じ。近くの家の工事がつづいていて、ときどきコンコンと
いう音が聞こえてくるものの、どこか音も湿って、重たそう。

 (文体A)が、私が、そのままの自然体で書いた文体。当然のことながら、自分の書いた文章
が、一番、読みやすい。が、だからといって、同じような文体で文章を書く人が、好きというわけ
ではない。

 ただこういうことは言える。

 インターネットでは、文章は、できるだけ短くするほうがよい。たとえば「私は今日は、ワイフ
は、テニスクラブへ行っているので、手伝う仕事もなく、こうして書斎で、原稿を書いています」
ではなく、つぎのように書く。

 「ワイフは、今日は、テニスに。私は手伝う家事もないので、書斎でひとり。こうして原稿を書
く」と。

 どういうわけか、インターネットだと、ダラダラとした長い文章は、読みにくい。印刷された本で
は、そういうことは、感じないのだが……。

 また、一つの文章と、つぎの文章の間には、できるだけ空白(空行)をつくったほうがよい。文
章がぎっしりと詰まっていると、それだけで拒絶反応を起こしてしまう人もいる。

 ……というようなことで、文体にも、相性があることが最近、わかってきた。そしてその微妙な
違いから、私のばあい、その人の個性を感ずるようになってきた。文章の中ではなく、文体に、
だ。こうした経験は、インターネットをするようになって、はじめてした。

 そう言えば、コオロギのメスは、オスのコオロギのヒゲの長さに、恋をするそうだ。何かの本で
読んだ話なので、本当かウソか知らないが、ありえない話ではない。つまり、それとよく似てい
る?

 同じように、インターネット時代になって、文体によって、その人の好みが決まるようになるか
もしれない。「あなたの文体が好きです。『〜〜よ』という言い方が、セクシーです。恋をしまし
た」とか、何とか。

まあ、そこまで進む前に、やがて、動画や音声つきのメールが当たり前になるだろうから、こう
した現象は、一過性のものかもしれない。

 しかし今の段階では、ありえる?

 今朝も、パソコンを開くと、四〜五通のメールが入っていた。どの人も会ったこともないし、顔
を知らない人ばかりだが、文章を読んでいるうちに、その向こうに個性を感じてしまった。そし
て「この人はすてきな人だな」とか、「ネチネチしていて、いやだな」とか。

 多分、みなさんも、そうではないか。勝手にこう決めてかかってはいけないが、しかしそれほ
ど、ここに書いたことは、まちがってはいないと思う。

 さて、みなさんは、私の文体に、どのような印象をもっているだろうか? ジジ臭いのは、許し
てほしい。書けと言われれば、つぎのような文体でも書けなくはないが、どうも私の肌には、合
わない。

++++++++++

 今日は、一日座ってたって、感じ。。。

 というわけで、ずぅ〜っと、運動不足だし、そろそろって、考えてるわっけ。
 散歩に行こうか、近くのドラグストアに行こうか、あるいはこのあたりを一周しようかって考え
てるわけだけどぉ。。。

 やっぱ、お金、使わないほうがよいかなぁって、私的には、そんな感じ。。。どうもムダ買いば
かりしているしぃ〜???

+++++++++

 今じゃ、直木賞もこういう感じで書かないと受賞できない、らしい……。
(040121)


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【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況アラカルト】

●白髪

「このところ急に、白髪がふえたわね」と、ワイフが言った。教室でも、生徒のだれかが、そう言
った。

 ワイフは、風呂へ入るたびに、髪の毛を染めている。しかし私は、まったく気にしない。「ま
あ、長くもったほうだ」と、自分では、そう思っている。五六歳だ。この年齢で、毛根が、まだしっ
かりと頭皮にくっついているだけでも、恩の字。感謝しなければならない。はげることを思えば、
白髪など、何でもない。


●床板

このところ、台所の床が、歩くたびに、ギシギシと音をたてるようになった。

家というのは、冬場になると、乾燥するためか、あちこちが、おかしくなる。日本間につづく引き
戸も、柱から、一センチ前後、浮くようになってしまった。そのすき間から、冷たい風が入ってく
る。かえって換気になるのでは……と、思いつつ、あきらめる。

 要するに大切なことは、万事、あきらめながら生きるということ。それができる人を、賢人とい
う。それができなくて、あくせくする人を、愚人という。


●甘党

私は、甘い食べ物が好き。ぜんざいや、おしる粉を、よく食べる。が、皮肉なことに、甘い食べ
物を、たくさん食べると、頭が重くなる。

 とくにチョコレートがダメ。少し食べると、その数時間後くらいから、偏頭痛が始まる。だから、
チョコレートは、めったに食べない。

 ほかに……。「ぼくは、何を食べられないかね?」と聞くと、ワイフは、「鳥肉でしょ!」と。

 若いころは、鳥肉をほとんど食べなかった。生きている鳥が好きだったから。食べてもどうと
いうことはないが、「おいしい」と思ったことはない。

 嫌いな食べ物は少ない。ワイフが、横で、「あなたの嫌いなのは、グラタンね」と言った。そう
言えば、グラタンはどうしても、好きになれない。どうしてか?

 そうそうコーヒーは、一滴も飲めない。一杯も飲むと、そのあとゲーゲーと、吐いてしまう。胃
が、拒絶反応を起こす。どうしてか?


●偏頭痛

その偏頭痛で思い出したが、私は偏頭痛もち。若いころは、原因がわからず、苦しんだ。病院
でみてもらったが、専門のドクターでも、わからなかった。しかしそのうち、偏頭痛のメカニズム
が解明され、治療法も、そして個人的な対処法も、わかるようになってきた。

 三〇歳代のはじめころは、年に数回、はげしい発作が起きた。ふとんの中で、四転八転し
た。ふつうの頭痛薬は、胃が受けつけない。のんだとたん、ゲーゲーとあげてしまう。ひどいと
きは、「頭を切り落としてくれ」と、叫んだこともある。

 しかも偏頭痛のタチの悪いのは、たとえば休日になったりして、気がゆるんだとたんに、出る
こと。「さあ、これからみんなで、旅行だ」と思ったその日の朝に、偏頭痛が起きたりする。

 やがて、偏頭痛と仲よく暮らすようになった。どんなとき、どのような状態になると、偏頭痛が
始まるかも、わかるようになった。また、その前兆もわかるようになった。その前兆の前兆もわ
かるようになってきた。大切なことは、その前兆とわかった段階で、うまく回避すること。

 前兆の中で、一番重要なのは、頭重感。何となく頭が重くなり、こめかみあたりが、ズシンとし
てくる。気分も、どこか重くなる。

 たいていそういうときは、何か、心をふさいでいるものが、ある。しかしこの段階で、それを取
りのぞこうとしても、簡単ではない。ペタリと心に張りついたような状態になる。いわゆる心も、う
つ状態になる。

 私のばあい、こういう状態になったら、水分をたくさんとって、何らかの方法で、汗をかく。水
分をたくさんとるのが、ミソ。

偏頭痛というのは、血管がゆるんで、周囲の神経を圧迫して起こるという。水分を多量にとる
と、一時的には血管を拡張する。しかしそのあと尿量がふえると、一挙に、血管が収縮する…
…?

 これは私が勝手に考えた、治療のメカニズム。実際、水分を多量にとると、そのあと楽にな
る。もっとも、私のばあい、血圧が低いので、そのせいもあるのかもしれない。

 で、その前兆の状態が、数日とか、もっと長くつづくときがある。簡単には、とれない。そういう
ときは、奥の手を使う。

 エンジン付の草刈り機で、バリバリと、草を刈る。半時間もしていると、全身、ビッショリと汗を
かく。あるいは、熱い風呂に、さっと入る。と、同時に、頭重感は消える。(ただし、そのタイミン
グがむずかしい。ある一定の症状を超えた段階で、それをすると、かえってひどくなるときがあ
る。)

 で、それでも、症状が進んだら……。

 病院で処方された薬をのむ。どういう薬かは知らないが、これがよくきく。のんだあと、しばら
くすると、髪の毛がかゆくなる。そのかゆさが消えるころ、偏頭痛も、急速に消える。

 が、大きな問題がある。この薬をのむと、胃がやられる。のんだあと、半日は、胃の中が、ム
カムカとする。だからこの薬をのむときは、消化のよい食べ物を食べながら、のむ。そして同時
に、病院で処方してくれた胃薬も、のむ。

 この薬ができてから、偏頭痛になる回数が、ぐんと減った。「いざとなったら、あの薬をのめば
いい」という思いが、かなり気分を楽にした。しかし、それで偏頭痛がなくなったわけではない。
今でも、年に数回、その薬の世話になっている。

 職業がら、今は、そういう季節。気が滅入ることはあっても、明るい話題は、少ない。楽しいこ
とも、あまりない。それに忙しい。今は、その前兆の、そのまた前兆というか、どこか気分がは
っきりしない。それに今日は、午後から、講演も入っている。

 こういうときは、菜食主義にする。これは私の特効薬だが、アロエ+ヨーグルトのジュースを
飲む。もう一つは、トウガラシ漬けにしたニンニクを、少し焼いて食べる。肉類や、チョコレート
類は、厳禁。ストレス、心配ごとも、厳禁。

 要するに、ムダな神経は、使わないこと。わずらわしい話には、首をつっこまないこと。無責
任と言われようが、いいかげんと非難されようが、気にしないこと。偏頭痛になるような人は、も
ともと責任感が強く、まじめな人が多い。(ホント!)だから、よけいに、ズボラになることを考え
たらよい。クヨクヨするのが、何よりも、悪い。


●N03

先日、パソコンショップで、「N03」というソフトを買ってきた。ホームページ制作用のソフトであ
る。

 買う必要はなかったのだが、何となく、買ってしまった。私のばあい、分厚いマニュアルを手
にししただけで、ゾクゾクとした快感を覚える。(これはビョーキか?)

 しかしそのソフトを、インストールするかどうかで、今、迷っている。たいていこの種のソフトを
インストールすると、旧版でつくったファイルが、使えなくなる。表が破壊されたり、リンクの位置
が、めちゃめちゃになったりする。

 で、あれこれ別のパソコンで、予備的な実験を繰りかえしている。今も、このパソコンの横で、
その実験をしている。しかし、こうした実験も、また楽しい。別にあわてる作業ではない……。

 その旧版と、N03の大きな違いは、N03では、ビデオが公開できるということ。「ストリーミン
グ」とか何とか、言うのだそうだ。つまり画面を開いたとき、同時に、映像が動き出す。

 今度は、これに挑戦してみたい。おもしろそうだ。(そのうちマガジンのHTML版のほうで、紹
介したい。乞う、ご期待!)

【追記】
N03をインストールしてみたところ、やはり、画像が乱れてしまった。この原稿を書いている現
在、私のホームページは、そんなわけで、故障中。今のところ、29日まで、大きな休みはとれ
ないので、しばらくは、このまま。ごめんなさい。


●餓死者、数十万人!

K国の餓死者が、すでに数十万人になったという。ロンドンに本部を置く、国際アムネスティ
が、そう報告した(21日)。また月刊誌「S」によれば、人口2100万人のうち、300万人に対し
て、この一月から、食糧の配給が止まっているという。

 このままでは、餓死者は、さらにふえそうな勢いである。アメリカを含むいくつかの国が、緊急
に食糧援助をすることになったが、それがK国に届くのは、早くても三月とか。家族や近親者が
K国にいる人は、こういう話を聞くと、身を切られるほど、つらいに違いない。

 それにしても、あのK国は、いったい、どうなっているのか? ピョンヤンに住む、ほんの一部
の特権階級だけが、それなりの生活をしているという。韓国系の「朝鮮N報」は、つぎのように
伝える。

 「(K国の)中央テレビは美しい雪景色がピョンヤン市の各地で見られ、伝統名節(旧正月)を
控えて人々に、より多くの希望や抱負、ロマンチックな情緒を与えていると報じた」(同日)と。

 このギャップというか、違いは、いったい、どこからくるのか? 一方で、数十万人の餓死者を
出しながら、「より多くの希望や抱負、ロマンチックな情緒」とは! K国もK国なら、こうしたK
国の情報を、鵜(う)のみにして世界に配信する、韓国も韓国だ。

 金XXの生活は、さらに現実離れしているにちがいない。

 国際アムネスティは、つぎのように報告している。

 「飢えから、食糧を盗んだ住民を、公開処刑させている。しかもそれを子どもにまで見せてい
る」(同日、同報告)と。

 餓死者が数十万人と、簡単に言うが、その一歩手前の老人や子ども、弱い女性は、そのま
た何倍もいるにちがいない。そして今、この時点において、そういう人たちが、想像を絶する、
地獄絵図を繰り広げているにちがいない。

 ある脱北者は、こんなことを語った。

 ある日、ある家から子どもがいなくなった。親が必死にその子どもをさがしたら、その子ども
の肉が、ヤミ市場で、売買されていたという。見覚えのある、小さな子どもの手が、そこに並べ
られていたという。

 金XXよ、少しは、自分に恥じろ!


●養護学級(特殊学級)

数日前、ある小学校の校長と、学習障害児の話をした。

 三〇年ほど前の昔は、知能テストなどで、IQが、70前後の子どもを、境界線児などと言っ
た。が、今は、そういう言い方はしない。「学習障害児」(LD児)と呼ぶ。

 学習障害児というのは、脳のどこかに機能的、機質的な問題のある子どもをいう。前にも書
いたが、全体としてそうなっている子どもも、いないわけではない。しかしたいていは、ある一部
がそうなっているケースが多い。

 読解力はふつうだが、数の概念だけが、まったくない、など。

 現在、このS件では、ふだんのテスト結果などを参考に、ふだんの生活ぶりを観察しながら、
それとなく診断するという方法がとられている。が、もちろん診断基準が、あるわけではない。
(一部のモデル校では、知能テストをしたり、経過観察をしながら、判断するという方法が、とら
れている。)

 で、そういう子どもと判断されたときは、親に、養護学級(特殊学級)への、入級を勧める。し
かしこれは強制ではない。あくまでも、親の判断にゆだねられる。

 が、ここで最大の問題にぶつかる。

 ほとんどのばあい、この段階で、親が猛烈に、それに反対する。狂乱状態になる親もいる。
学校側としても、親の「入級願い」(あくまでも親のほうが、「願う」という形をとる)がないかぎり、
行動できない。

 この「入級願い」が、その校長と、話題になった。

校長「本来なら、学校独自の判断だけで、それができるといいのですが……。実際には、一年
の終わりとか、二年の終わりに、様子をみて、親を説得します」
私「日本では、簡単には進まないでしょうね」
校「集団から、はずれるということが、親にとっては脅威なのですね。それはわかりますが、一
日中、ボーッと無表情のままでは、子どもがかわいそうです」

私「思考が停止したような状態になりますからね」
校「そうですね。考えようとする前に、自らをカラの中に押しこんでしまいますから……」
私「で、そういうとき、親には何と言うのですか?」
校「まず、養護学級を、見学してもらいます。つぎに大切なのは、子どもの笑顔です。それを説
明します」

私「このタイプの子どもは、思い切って、学年をさげるという方法もあるのですが……」
校「そうですね。自分でも理解できる授業内容だと、突然、表情も明るくなります」
私「しかし学年をさげるというのも、日本では、現実的では、ありませんね」
校「だから、親を説得するしかないです。養護学級を見学してもらいます。みんなが楽しそうに
しているのを見ると、親も納得します。大切なのは、子どもの笑顔ですから」と。

 最後に校長が、「大切なのは、子どもの笑顔ですから」と言ったのが、印象に残った。

 私も三五年近く子どもたちと接してきたが、すべての結論は、ここに行きつく。教育において
は、すべてが、子どもの笑顔で始まり、すべてが、子どもの笑顔で終わる。それ以外に、何も、
ない。


●二男の英語力

 外国に、何年も住んだから、きちんとした文章が、英語で書けるようになるわけではない。

 ある知人は、ニューヨークで、寿司職人とて、一〇年以上、生活をした経験がある。もちろん
英会話は、ペラペラである。しかしそんな彼でも、手紙を書くことはできなかった。

 そういう意味で、(話す能力)と、(文章で、ものを書く能力)は、別と考えてよい。

 たとえば二男の書いた文章を見ると、きわめてアメリカ的な、きわめて英語的な英語を、書
く。表現力もある。しかしこまかいところで、語法的なミスが目立つ。

 先日も、二男は、床屋で髪の毛を切ってもらったという。そのときも、「I cut my hair.」と書いて
いた。正しくは、「I had my hair cut.」である。そのことをメールで伝えると、「ぼくの英語は、ダメ
だから」と。

 しかしこれは二男の英語力というよりは、日本語がわざわいしているとみたほうがよい。

 たとえば日本では、「今日は、学校がある」というような言い方をする。「プールがある」という
のもそれ。

 「今日は、学校で、授業がある。休みではない」「水泳の授業がある」という意味で、「学校が
ある」「プールがある」と言う。

 こうした日本語独特の表現が、そのまま英語になってしまうことがある。

 もう一つの例としては、「家を建てる」というのが、ある。建築会社に、家を建ててもらうときで
も、日本人は、日本語で、「家を建てる」と言う。正確には、「建ててもらう」である。

 それが英語でも、「I build my house.」となる。そしてそれを口にすると、向こうの人は、「オー、
あなたは、大工もできるのか!」と驚いたりする。

 日常的に英語で、何も考えないで会話をしていると、日本語での言い方が、そのまま英語に
なってしまうことがある。そしてそれが語法的なミスにつながることがある。……ということで、
私は改めて、二男に、日本語で書かれた英語の文法書を送ることにした。

【追記】昨日、書店へ行くと、高校生の参考書コーナーに、よいのがあった。二男は、高校生の
とき、ほとんど勉強をしなかった。週に一、二度という回数で、私が英語を教えたが、その程
度。その参考書を手にしたとき、私は、ふと、また高校生を教えてみたくなった。

 高校生を教えるときのおもしろさは、勉強だけではなく、いわゆる人間的な話がたがいにでき
るということ。もちろん一生つづく、人間関係も、できる。一方、幼児教育には、それがない。

 が、ここ五、六年、高校生からは遠ざかっている。体力的に限界を感ずるようになった。それ
に、高校生のばあい、どうしても受験教育になってしまう。私はそうでなくても、親や生徒は、そ
れを求めてくる。それが私には、つらい。


●学習塾を閉鎖する友人へ

 数年前から、「生活がきびしい」と訴えていた友人がいた。彼は、近くのK市の駅前で、中学
生を相手に、学習塾を開いている。私とのつきあいは、もう、二〇年以上になる。その彼が、
「今年度(三月)いっぱいで、学習塾を閉鎖する」と。

 1995年あたりから、全国の学習塾は、斜陽産業に入った。塾数、講師数ともに、このころを
境に、減少に転じた。少子化、不況、それにエリートの凋落(ちょうらく)などが、理由として、あ
げられる。

 そこで大手進学塾は、対象年齢をさげる、週のレッスン日をふやすなどの対策をとってきた。
かくして、一部では、受験競争は過熱している。

 が、その下の中小塾は、のきなみ経営危機に立たされた。ちなみに現在、浜松市内でも、個
人の学習塾は、ほとんど、つぶれた。今、残っている個人塾も、このあと数年は、もたないだろ
うと言われている。

 それはちょうど、旧商店街にある個人の商店が、今、のきなみ経営危機に立たされているの
に似ている。価格力、宣伝力など、どれ一つをとっても、大手のスーパーや、大型店に勝ち目
はない。

 そこでその友人は、学習塾とは別に、おとな相手のパソコン教室などを開いた。が、そのうち
それも行きづまり、A運送業の運転手なども、パートで、するようになった。で、これが数年前。
一時は、生き残りをかけて、NPOの活動にも力を入れ始めたが、長つづきしなかった。

 加えて、一〇年前に大改装した塾の改装費が、ここへきて、大きな負担になってきた。銀行
への返済だけで、利益のほとんどが消えてしまうようになったという。もちろん生徒数は、毎
年、10〜30%ずつ減少した。数年単位で、半分になった計算である。

 しかしこれは、近未来の私の姿でもある。来年か、再来年か、それはわからないが、私もそう
なる。今は、かろうじてがんばっているが、それを支えるエネルギーも、このところ、急速に弱く
なった。

 人間というのは、おかしなもので、そういうとき、これまたおかしな慰め方をする。

 「私も、五六歳だ。昔ならとっくの昔に定年退職している年齢である。それに大学の同窓生た
ちも、役人になったのはのぞいて、みな、リストラにあっているではないか。そういうことを考え
れば、今でも、仕事をつづけられていることだけでも、ありがたいこと。感謝しようではないか」
と。

 実は、ワイフもそう言っている。

 いろいろあったが、今まで、ほぼ無事に生きてこられた。今も、何とか、無事。だから、それに
感謝して、先のことは、あまり悩まないでおこう、と。

 もちろん、こういう慰め方をしたところで、問題は、何も解決しない。事情も変らない。どこまで
いっても、「私は私」だ。私は、その友人に、こんなメールを書いた。

 「ぼくらは、健康です。まず、それに感謝しようではないですか。これから先のことはわかりま
せんが、今は、ともかくも、健康です。

 もし不治の病をかかえたということであれば、また別の考え方をしなければなりませんが、健
康であることだけでも、ありがたいことです。

 ぼくも、そのうち今の幼児教室を閉鎖することになるでしょう。いくら心の中で、「ぼくは日本で
も最高の幼児教室をしている」と叫んでも、その声が、世間に届かなければ、それでおしまいで
す。

 実のところ、もうぼくには、この日本に対する未練は、ほとんど、ありません。期待もしていま
せん。こと幼児教育について言うなら、手間ひまかけた、濃縮された教育よりも、親たちは、フ
ァーストフードの料理のような教育のほうが、よいと言います。そういう世の中です。

 で、こうしてグチを言うのも情けないから、ぼくは、もうこの日本には、期待しないことにしまし
た。「なるように、なれ」とです。

 あとは、今までの自分の記録を、できるだけたくさん残しておくだけです。今、懸命に原稿を
書いているのも、そのためです。一応マガジンを、1000号までつづけるという目標をもってい
ますが、それまで健康がつづけば、それだけで、恩の字ですよね。

 ただ今は、三男の学費のこともありますから、何とか、あと三年は……と、思っています。そ
のあとのことは、わかりません。いつか夢に描いたように、最後の晩年は、オーストラリアで過
ごすようになるかもしれません。(あるいは、そのまま老人ホームへ? ハハハ!)

 加えて、ぼくの家にも……(省略)……。

 君も、よくここまでがんばったと思っています。先月、君の学習塾の前の通りを歩くことがあり
ましたが、時間がなくて、寄れませんでした。ごめん。しかし事情がわかっていれば、寄って、励
ますべきだったですね。重ねて、ごめん。

 何とか、転職のほう、うまくいくとよいですね。ぼくにもう少し力があれば、ぼくの仕事を手伝っ
てもらうことも考えられるのですが、今のぼくには、その力もありません。何といっても、この不
況。どうしようも、ないです。(ぼくも、君と同じ、2000円亭主です。ハハハ!)

 まあ、ぼくもやるだけのことはやってみます。幸か不幸か、ぼくのワイフは、ああいう楽天的な
人ですから、いつも、「家と土地を売れば、老後の資金にはなるわよ」と言っています。もともと
六畳一間のアパートで、同棲を始めた間がらですから、またもとに戻っても、悔いはありませ
ん。

 「がんばろう!」という言葉は、もう言いたくありません。ぼくらは、もうじゅうぶん、がんばって
きました。やりつくすだけ、やりつくしたという感じです。それでいいですよね。まあ、ぼくもそうす
るでしょうから、君も今は、ゆっくりと遊んで、好きなことをすればよいと思います。

 君は、中国派だから、中国へでも行ってきてはどうでしょうか。船旅でもよいし、鉄道であちこ
ちへ行くのもよいかもしれません。ぼくなら、オーストラリアへ行きます。そしてあのマレー川を、
何日もかけて、船でくだります。

 そしてあとは……。静かに、ぼくの運命に、身をゆだねます。どうあがいても、鳥は水の中を
泳ぐことはできません。どうあがいても、魚は空を飛べません。どうあがいても、ぼくには、ぼく
の運命があります。それに身をゆだねます。

 何とも湿っぽいメールになってしまいましたが、奥さんに、くれぐれもよろしくお伝えください。
また転職のほうが落ちついたら、また連絡してください。その日を待っています。

                              はやし浩司」と。


●悲しき束縛(?)

静岡県K町といえば、昔から、お茶の産地として知られたところである。そのK町にある先生
(小学校教師男性)が、こう言った。

 「このあたりでは三世代(同居家庭)が、ふつうです。そういうこともあって、いまだに長子相続
の考え方が、根強く残っています。

 農家の長男だと、『君は、おとなになったら何になる?』と聞いたりすると、みな、『ぼくは、茶
畑を継ぎます』などと答えるんですよ。まだ小学二年生の子どもが、ですよ。それも直立不動の
姿勢で、そういう言うのですよ」と。

 小さいうちから、祖父母から、「お前は、おとなになったら、この家の農業を継ぐことになる」と
言われつづけているのだろう。それはしかたのないことかもしれないが、問題は、女性。母親。
嫁。嫁といっても、そのための嫁であることも多い。

 「子どもを産めないため、離婚させられた女性もいます」とも。

 同じようなことは、このH市周辺でも起きている。周辺の農村へ行くと、あと取りが、そこの家
庭でも深刻な問題になっている。代々つづいたミカン農家。しかしそのあとを継ぎたがらない息
子たち。

 加えて、一昔前のように、老人たちがいばる時代は、もう去った。どこの家庭でも、嫁と姑、
嫁と舅(しゅうと)の問題をかかえている。一触即発という家庭も少なくない。あるいは、今で
は、同じ敷地内別居も、当たり前。

 が、それはさておき、こんなこともある。

 そのため祖父母たちが、息子や娘たちに、(学問をつけさせる)ことに反対しているというの
だ。

 「勉強なんかできると、かえって農家を継ぎたがらなくなってしまうから、勉強させてほしくな
い」と。

 2004年の現代、信じられないような話だが、これは本当の話。だからその祖父母は、その
先生に、こう言ったという。「うちの孫は、K農業高校でじゅうぶん。それ以外の道は、考えてい
ない」と。

 それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。そしてそれぞれの親は、それぞれの思いの
中で、子育てをしている。

 しかし子どもの人権を考えるなら、日本はまだまだ後進国。甘やかしたり、好き勝手なことを
させることが、子どもの人権を守ることだと考えている人は多い。そのため「日本は、子どもの
人権を守っている」と、誤解している人は多い。

 子どもの人権を守るということは、子どもの意思や考え方、さらには、その生きザマを尊重す
ること。……と考えて、私は、ここでハタと考えてしまった。

 子ども自身が、「ぼくは、農家を継ぎます」と言ったばあいは、どうなるのか、と。

 しかしこのばあいでも、子どもは自分で考えてそう言っているのではない。言わせられている
だけ。つまり子どもの人権を守るということは、こうした押しつけがあってもいけないということに
なる。

 もしこのことがわからなければ、あのK国を見ればわかる。

 幼稚園児たちが、鉄砲のおもちゃをもって、「将軍様を死守します!」などと、合唱している。
何でもあのK国では、日本人を見ると、子どもはそれだけで、泣き出して逃げていくという(「週
刊文春04年1月」)。

 そういう子どもの姿を見て、あなたは、子どもが本当に自分でそう考えて、そう言っていると思
うだろうか。答は「ノー」のはずである。

 これから先、しばらくこの「子どもの人権」について、考えてみたい。
(040123)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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●ホームスクール

 アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅
で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも
九七年度には、ホームスクールの子どもが、一〇〇万人を超えた。毎年一五%前後の割合で
ふえ、二〇〇一年度末には二〇〇万人に達しただろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は
家庭でこそできる」という理念がそこにある。地域のホームスクーラーが合同で研修会を開い
たり、遠足をしたりしている。またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、
こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を
引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始
まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるというこ
とを忘れてはならない」と。

 さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、次のように反論している。

「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。学校内部
で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。学校内部で少なくなったのは、
(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大き
い。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要
約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい
る。なお二〇〇〇年度に、小中学校での不登校児は、一三万四〇〇〇人を超えた。中学生で
は、三八人に一人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、四〇〇〇人多い。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●二番目の子は、親と疎遠?

 「三人兄弟の第二子は、両親に電話する回数が少なく、疎遠になりやすいことが東京大学大
学院のアンケート調査でわかった」(読売新聞〇二年五月)という。

 同大学院認知行動科学研究所が、全国の三人兄弟の大学生男女一二九人に、一か月に何
回、両親に電話するかを聞いたところ、

 長子…… 6・9回
 第二子……4・6回
 末子…… 5・9回と、第二子は明らかに少なかった。男女別に分けても、傾向は同じだった
という。

さらにその報告によれば、「出生順位と親子関係について、一九九八年にカナダで行われた研
究でも、長子や末子にくらべて、中間の子どもは両親をあまり親しい人物と考えていないという
結果が出ている」という。

理由として、「長子は両親が子育てにかける手間を独占できる期間があり、末子も、その後に
弟妹がいないので、親が世話をしやすいため」と分析している。そして「一方、じゅうぶんに手を
かけてもらっていない中間の子どもは、両親への親密度を減らす」とも。

 ……もっとも、こんなことは私たちの世界では常識で、何も「大学院のアンケート調査によれ
ば」と断らなければならないほど、おおげさなものではない。私もすでにあちこちの本の中で、
そう書いてきた。が、問題はその先。

 嫉妬による愛情飢餓の状態が、長くつづくと、子どもの心はゆがんでくる。表面的には、愛想
がよくなり、人なつこくなる。しかしその反面、自分の心を防衛する(飾る)ようになり、仮面をか
ぶるようになる。よい子ぶったり、優等生になっておとなの関心を自分に引こうとする。

が、さらにその状態が長くつづくと、心の状態と顔の表情が遊離し始め、親から見ても、何を考
えているかわからない子どもといった感じになる。この段階になると、ひがみやすくなる、いじけ
やすくなる、ひねくれやすくなる、つっぱりやすくなるなどの、「ゆがみ」が出てくるようになる。

タイプとしては、@暴力的、攻撃的になるプラス型と、Aジクジクと内へこもるマイナス型に分け
ることができる。大切なことはそういう状態になる前に、子ども自身が今、どう状態なのかを親
側が知ることである。ここにも書いたように、それが長くつづけばつづくほど、子どもの心はゆ
がむ。

 さて、読売新聞はこう結論づけている。「東大とカナダの調査結果は、(中間の子は、両親へ
の親密度を減らすという)学説を裏づけるデータと言えそうだ。同研究室は、『中間の子だけに
特有の性格があることは興味深い。電話以外の行動も調べてみたい』としている」と。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今朝の新聞から……】

 今朝(一月一九日)の読売新聞朝刊から。

●(イラクの)暫定当局狙い車爆弾、イラク人ら20人以上死亡

バグダットの中心部にある連合国暫定当局(CPA)の本部前で、大爆発。イラク人ら20人以上
が死亡し、60人近くが負傷したという。

 このニュースを読んで、ワイフが、「イラク人がイラク人を、殺してどうするの?」と言った。私
は、「これはイラク人のしわざではないと思う」と言った。「イラクの外からやってきた連中だと思
う」と。

 ……というようなことを論じても、意味はない。私はふと、「核兵器が使われるのは、もう時間
の問題」と思った。米軍報道官によると、爆発したトラックは、500キロ近い爆弾を積んでいた
という。しかも、無差別。

 だから世界は、核拡散防止条約を作って、核兵器の製造、貯蔵、運搬に目を光らせている。
が、中には、K国のような国もある。堂々と核兵器を作りながら、「製造をやめさせたかったら、
金をよこせ!」と。

 何としても、日本は、世界は、K国の無謀な野心を、つぶさなければならない。多少の火の子
はかぶっても、ここは正念場。東京で核兵器が爆発してからでは、遅すぎる。


●「がんに挑む」−(アメリカ)官民挙げ新薬開発

アメリカでは、製薬を一大産業と位置づけて、官民一体となって、がん撲滅運動を展開してい
る。

 日本とアメリカとでは、国のシステムそのものが、ちがう。日本の官僚制度の中では、すべて
が上意下達方式で、上から下へと、ものごとが流れる。その途中の役人たちは、権限と管轄に
しがみつき、余計なことは、いっさい、しない。できない。やらせない。

 アメリカでは、やる気のある人、アイデアのある人、力のある人が、どんどんと登用されてい
く。アメリカの公的機関で、介護の仕事をしているYさん(女性、二八歳)は、こう言った。

 「新しいアイデアを出して、あれをしましょう。これをしましょうと提案すると、上司が、すぐそれ
に応じてくれる。またそういうアイデアを出さないと、(たとえ公務員でも)、すぐクビになってしま
う」と。

 こうしたシステムのちがいが、新薬の開発競争にも現れている。ちなみにこの日本では、新
薬の臨床試験の届け出が、一〇年前の三分の一にまで減っているという(同新聞)。


●女子バスケ、五輪出場権獲得

女子バスケットボールのアジア選手権兼アテネ五輪アジア予選準決勝が、一八日、仙台市体
育館で行われた。その選手権で、日本が韓国を二度の延長の末に、81−72で破り、五輪の
出場権を獲得した。

 「仙台」と聞いて、すぐ仙台に引っ越していった、STさんを頭に思い浮かべた。ときどきメール
をもらう。昨年は、とりたてのサンマを、箱一杯、送ってくれた。(おいしかった。改めて、ありが
とう!)

 「五輪」の話は、今はまだ、あまり興味ない。「女子にも、バスケがあったの?」(失礼!)と思
ったほど。


●腎移植、順番ミス

コンピュータのプログラムミスで、本来、先に腎移植を受けられる人が、あとまわしになってしま
ったという。「本来なら、移植の機会が巡ってきたはずの待機患者六人が、順位を後回しにさ
れ、移植を受けられなかったことが一八日、わかった」と。

 腎臓を患っている人は、多い。知人の義理の父親も、そうで、週に何回かは、病院で透析を
受けなければならないという。そのためその知人が、病院への送り迎えをしているという。たい
へんな重労働らしい。その患者本人にとっても、また家族にとっても。

 賢い人は、一〇年後の健康を考えて行動する。さらに賢い人は、二〇年後の健康を考えて
行動する。さらにさらに賢い人は、三〇年後の健康を考えて行動する。

 ……と、どこかのコマーシャルにでも使えそうな文を考えた。雨もあがったし、今週も、一二単
位、自転車に乗るぞ!

 一単位……片道七キロの道を、時速二〇キロ前後で走ること。


●編集手帳

トヨタの例をあげ、企業と銀行の信頼関係の重要さを説く。「バブル崩壊後、デフレ不況は、銀
行と企業の関係を、ズタズタに切り裂いた。銀行は、貸しはがしに走り、企業は銀行の仕打ち
を恨む」と。

 どの国へ行っても、日本の銀行ほど、立派な建物の銀行は、ない。(都市の中心部にある本
店は別だが……。)

 アメリカなどでは、大きな民家かと思うような家が、そのまま銀行であったりする。しかも行く
たびに、銀行の名前が変っている。

 しかしこの日本では、どこへ行っても、銀行だけは、立派。「そういう建物でなければならな
い」という、おかしな先入観があるようだ。その発想は、暴力団の組事務所が、みな、似ている
のと、同じ。

 昔、オーストラリアへ行ったとき、ほとんどの銀行員が、高卒であると知って驚いたことがあ
る。日本では、銀行マンといえば、エリート。しかし向こうでは、ただの事務員。国によって職業
観はちがう。

 で、一人ひとりの銀行員に責任があるわけではないが、しかしあのバブル経済のころの銀行
マンは、あれは何だ! 今でもあのころの傲慢(ごうまん)な顔が忘れられない。

その銀行が、自らの失策を反省することもなく、今、つぎつぎと自分たちの生き残りのために、
企業をつぶしている。……というのは、言い過ぎかもしれないが、少なくとも、世間は、そう見て
いる。(以上、一面より)


●早大、授業料、タダ……入試上位91人(長引く不況、国立に対抗)

早稲田大学では、今年から、入試での成績上位者に卒業までの授業料を全額免除する「特別
奨学金」制度を新設する。各学部ごとに、入学定員の約1%にあたる新入生91を、特別奨学
生にする、と。

早稲田大学では、「本当は早稲田に来たいが、学費面で、国立を選ばざるをえないという学生
のために、来てもらうため」と説明している。

 欧米では、企業が、それぞれの独自の判断と権限で、学生に奨学金を支給している。その額
もハンパな額ではない。

 で、学生たちは、どこの大学へ入るかよりも、どこでどのような奨学金を得るかに、より大き
な関心をもっている。

 もちろん企業側にも、大きなメリットがある。学生に貸しをつくることによって、将来、その学
生を、社員として獲得できる可能性が高い。またこうした奨学金は、税控除の対象となる。企
業も、「どうせ税金で取られるなら……」と考える。

 またヨーロッパでは、大学の単位は、ほぼ共通化された。つまりどこの大学を出ても、同じ。
どこの大学を出たとか、どうかということは、ほとんど問題にならない。(ただしどこの大学で、
学位や博士号の認定を受けたかは、重要。)学生たちは、奨学金を手に、大学間を、自由に
渡り歩いている。日本のように、早稲田だとか、東京理科大学だとか、そういうブランドにこだ
わらねばならない理由そのものが、ない。

 日本も、そうすべきである!

@社員が五〇〇人以上の会社は、ある一定額の金額まで、学生の奨学金を支給することが
できる。
A支給した奨学金は、税制面で控除される。
B奨学生の選考は、公開の場でなされ、公平さを重要視する。社員とその家族は、この奨学
金を得る取ることができない、など。

さらにアメリカの企業では、夏休みなどに、ノーベル賞級の学者を講師に招いて、セミナーを開
いている。受講生は、各大学から、推薦された学生たち。もちろん無料。こうしたセミナーを通
して、さらに優秀な学生を選ぶ。日本的に言えば、「ツバをつける」。

 学生にしても、そういった第一級の研究者から学ぶ、メリットは大きい。

 さて、新聞報道だが、「91人を無料」という発想そのものが、おかしい。そのおかしさに日本
人が気づくころには、日本は、アジアの中でも、完全にマイナーな国になっていることだろう。


●校長が自殺……ゴール転倒、中三死亡の責任を感じて

静岡県のある中学校で、先日、強風にあおられてサッカーのゴールが倒れ、それで、一人の
中学生が志望するという事故があった。その事故の責任を感じて、その中学校の校長が、自
殺した。

読売新聞によれば、「一八日午前八時ごろ、静岡市Sの中学校長、Iさん(58)方で、Iさんが首
をつって、死亡しているのを、妻が見つけ、119番通報をした。……Iさんは、事故翌々日の一
五日、保護者を集めた説明会で、土下座をしてわびるなど、事故の責任を重く感じていたとい
う」とある。

 私とそれほどちがわない年齢の人だ。だからかもしれないが、「自殺」という言葉が、ズシリと
私の胸に響いた。

私「事故が原因で、うつになったのかもしれないね」
ワイフ「事故が引き金になってね」
私「だから、事故イコール、自殺とは考えられない」
ワ「(ゴールが倒れたのは)、まれにみる強風が原因だったしね」

私「そうなんだ。遺族の気持ちもわかるが、すべて校長の責任ということでもないような気がす
る」
ワ「そのあたりの区別が、頭の中でできなくなってしまったのよ、きっと……」
私「ぼくなんかも、落ちこむと、頭の中が混乱することがあるよ」
ワ「うつって、そういう状態になるの?」

私「そう。何もかも、めんどうで、わずらわしくなるよ」
ワ「死にたくなるって、そういうこと?」
私「死にたいのではない。生きているのがいやになる。その結果として、死を選ぶわけ」
ワ「あくまでも、自殺は、結果ということね」

私「そう。そういう状態になると、未来が真っ暗になる。明日は、今日よりも悪くなる。来年は、
今年よりも悪くなるって、つまりそういう妄想ばかりが、どんどんと大きくふくらんでいくわけ」
ワ「いいことを考えないのかしら?」
私「そういうときは、考えないね。考えても、すべてむなしく感じてしまう」
ワ「あなたも、気をつけてよ」
私「……」と。

 私も、基本的には、うつ型人間。いつも、うつ病と、となりあわせに生きている。だから、責任
ある仕事はしない。できない。背水の陣で臨むというような生き方は、私のようなタイプの人間
には、タブー。いつも、自分で、何らかの余裕をつくりながら、生きる。そうでもしなと、すぐ気が
めいってしまう。

 今日の朝刊では、この「校長の自殺」が、一番、ドキリとしたニュースだった。

以上、新聞評論は、おしまい。
(040119)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●常識

 幼稚園児に絵を描かせる。すると、たいていの子どもは、赤い色か、オレンジ色の太陽を描
く。

私「太陽は、本当に赤いの?」
子「そうだよ」
私「本当に、そう? 見たことある?」
子「あるよ。赤だよ」と。

 年長児のほとんどは、赤い太陽を描く。年中児だと、少し乱れるが、たいてい赤い太陽を描
く。ここ五〜六年、白い太陽や、黄色い太陽を描く子どもがふえてきた。しかしそれでも、大半
の子どもは、赤い太陽を描く。

 そこで小学二年生の子どもたちと、こんな会話をしてみた。

私「太陽は、赤いと、小さい子たちが言うけど、君たちは、どう思う?」
子「いいんじゃ、ない……」
私「でも、本当は、赤くないよ」
子「赤いよ。ぼく、見たことがあるよ」

私「本当に赤かったの?」
子「赤だよ」
私「アメリカでは、黄色だよ。中国では、白色だよ」
子(みんな)「ウソーッ!」と。

 「白」は、もともと、太陽を表す「日」という漢字から生まれた。だから中国では、「太陽は白い」
ということになっている。

 ……つまり、こうして子どもたちの常識、きわめて日本的な常識が作られていく。そしてその
常識は、一度、作られると、変えるのは、容易ではない。

私「白い太陽じゃ、おかしいの?」
子「おかしいよ。白い太陽なんて……」
私「でも、一度、白い太陽を描いてみてごらん」
子「やっぱり、おかしいよ」と。

 私がもっている常識。あなたがもっている常識。私が、その常識を、はじめて意識して疑った
のは、オーストラリアに留学したときだ。

 最初に案内された部屋は、ベッドが北向き(頭が北を向いていたという意味で北向き)に置い
てあった。

 私は、日本でも、とくに迷信深い家で、育った。母が、そうだった。だからふとんを敷いても、
枕を北側に置いただけで、母に叱られた。「死に枕だ!」と。

 そういう私がまず、ベッドを見て、驚いた。もっともすぐ、オーストラリアでは、南と北が、日本
の感覚とは逆、と気がついた。向こうでは、北が暖かいということになっている。が、今でもあの
とき感じたショックを忘れない。

 あるいは、こんなことも。あるとき、イギリス人の家庭に食事に誘われたときのこと。テーブル
に塩をこぼしたが、「不吉なこと」と、その場で言われてしまった。その人は、その塩を、右手で
つまむと、左の肩越しに、うしろへ捨てていた。「日本では、神聖な象徴として、塩をまくことが
あるのですが……」と、その人に言うと、その人は、仰天したような顔をして、驚いた。

 さらにメルボルンのボタニカル・ガーデン(植物園)では、トイレの柵にがわりに、竹が植えら
れていた。日本では神聖な木ということになっているのに! 

またギリシャ人は、何かあるたびに、相手にプップッと、ツバをかけていた。何でもそうすると、
魔よけになるのだそうだ。

 その人がもっている常識などというのは、実にいいかげんなもの。もちろん私のもっている常
識も、あなたがもっている常識も、だ。例外は、ない。大切なことは、そうした常識を、いつも疑
ってみること。決して、「絶対」と思ってはいけない。

 あのアインスタインは、こう言っている。『常識とは、その人が※』と。

 人が自由になる道は、決して一つではない。そしてその方法も、決して一つではない。自由に
なるための一つの方法として、あなたの中にある「常識」を疑ってみる。ときには、ぶちこわして
みる。意外と私たちは、「常識」というクサリで、体も心も、がんじがらめになっている。それが、
それでわかる。

 その一つのヒントとして、太陽の色について、考えてみた。

【常識を疑う】

 人間の行動は、すべて常識のかたまりと思ってよい。髪型から服装まで。歩き方から話し方
まで。

 行動面はそれでよいとしても、問題は、精神面である。

 このことを強く感じたのは、私がある友人に、「ぼくは、自転車通勤をしている」と話したときの
ことである。彼は、F県で、公認会計士をしている。彼は、こう言った。

 「そんな恥ずかしいこと、よくできるな。ぼくら、もし自転車に乗っていたら、それだけで、近所
の人に、バカにされてしまうよ」と。

 もちろん、私は、平気である。恥ずかしいなどと思ったことは、一度も、ない。しかし彼の世界
では、運転手つきの高級乗用車に乗ってはじめて、一人前に扱われるらしい?

 こんなこともあった。

 ガソリンスタンドを経営している、K氏と話していたときのこと。K氏は、こう言った。

 「林さんは、時間どおりの仕事をしていますが、もし今の私にそれをしろと言われたら、私は、
気が狂ってしまいますよ」と。

 K氏は、こう言った。つまり、私の仕事のように、午前X時から、午前X時Y分までというよう
な、三〇分きざみの仕事など、できない、と。つまりこまかいスケジュールにそった仕事は、で
きない、と。

 私はその話を聞きながら、「私は反対に、来るかこないかわからないような客を待って、一日
中、ぼんやりしているような仕事はできない」と思った。

 こうした私のもつ常識が、ある人と大衝突したことがある。ある雑誌社で、編集部の部長をし
ている人が、私にこう言った。「林さん、私たちは、あなたのような生き方をしている人を、認め
るわけにはいかないのだよ。それを認めるとね、私たちは、自己否定をしなければならない。
私たちは、何のために生きてきたのかとね」と。

 彼がこの話を言うまでには、いろいろないきさつがある。

 彼らの世界では、「人間は、ひとりでは生きていかれない」が、一つの合言葉になっている。
組織あっての人間、というのが、彼らの常識でもある。だから彼らは、フリーターという職業を
認めない。フリーターがしているような仕事は、仕事と認めていない。

 しかし私は、この三五年間、フリーターとして生きてきた。それは彼らにとっては、驚きである
と同時に、脅威でもある。彼らにしてみれば、私という人間は、成功しないまでも、決して、ふつ
うの生活をしてはならない人間なのである。

 つまり彼らは、常日ごろから、私たちのような人間を、否定しながら生きてきた。だから私の
ような人間が、彼らの正面に立つと、今度は、彼らが自らを否定しなければならなくなる。彼
は、それを言った。

 常識とは、何か。考えれば考えるほど、その奥が深いのがわかる。しかしこの常識というカベ
を破らないかぎり、私たちは、精神の自由を手に入れることはできない。本文の中にも書いた
ように、私たちは、ごく日常的に、「常識」というクサリで、体も心も、がんじがらめになっている
からである。


●こわれる子どもの心

この浜松市は、子どもの受験という意味では、無風地帯だった。「受験競争」があるとしても、
中学二年から、三年にかけてであった。早い人(子ども)でも、中学一年からだった。

 しかし数年前、市内の進学高校のひとつが、中高一貫校になってから、その様子は、一変し
た。当初、競争倍率は、六〇倍近くになった。とたん、雰囲気が変わった。

 受験競争が、低学年化した。小学五年前後から、親たちは、受験競争を意識するようになっ
た。それまで主に小学五、六年から生徒を集めていた大手、中堅の進学塾が、のきなみ小学
三年から、生徒を募集するようになった。

 それだけではない。

 市内の私立中学校、さらに以前からあった、S附属小学校への受験競争が、激化した。具体
的には、競争倍率が、少子化の流れとは逆行して、高くなった。

 こうした受験競争の低年齢化で、子どもたちの様子も、一変した。本当に一変した。と、同時
に、親たちの様子も一変した。(本当は、親たちが変わったから、子どもが変ったのかもしれな
いが、私には、先に、子どもが変ったように見える。)

 難解なワークブックをかかえる子どもが、ふえた。勢いづいた進学塾は、東京の私立中学校
の入試問題をもってきて、子どもの指導をするようになった。とたん、親たちは、パニック状
態!

 もともとできるはずもない問題集である。そういうものをかかえて、子どもも、親も、「それが受
験勉強だ」と思いこむようになった。私のところへも、別の進学塾の問題集をもってきて、「先生
のところで、指導してほしい」と言ってきた、親がいた。さらに、どこかの進学塾で、テストを受け
たらしい。その結果、「成績が悪かった。何とかしてほしい」と言ってきた親もいた。

 常識で考えれば、とんでもない非常識なのだが、親には、それがわからない。パニック状態と
いうのは、そういう状態をいう。

 本当に、おかしな世界になってしまった。

 親は気がついていないかもしれないが、小学生のうちから、受験競争で、子どもを追えば、ど
うなるか? 心のかわいた、冷たい子どもになってしまう! 親にしてみれば、「いい学校へ入
ってくれさえすれば……」と思う。その気持ちはわからないでもない。これだけ保護格差という
か、不公平が蔓延(まんえん)した国になると、学歴のもつ意味は大きい。

 遠い昔だが、爪先で、ポンと月謝袋をはじいて、「おい、先生、あんたのほしいのは、これだ
ろ!」と、私に月謝を渡した高校生がいた。

 彼は市内でも、一番という進学校に通う子どもだった。彼にしても、中学生になったばかりの
ころは、まだ心の暖かい子どもだった。楽しい子どもだった。しかし二年、三年と受験勉強を経
験するうちに、子どもも、そういう子どもになる。

 日本の教育水準は、高い? ……とんでもない! 学力の低下は著しい。しかしそれ以上
に、日本人は、心の教育を忘れてしまった。それはちょうど、友情や、愛情の大切さを説く前
に、援助交際の仕方を教えてしまうようなもの。一件、華々しい社会だが、その下では、人間の
ドス黒い欲望が、ウズを巻いている!

 ……今さら、こんなことを私が言ってもはじまらない。今の日本は、そういう子どもや、そういう
子どもたちがおとなになった人の上に、成りたっている。先日も、ある経営者が、同乗したタク
シーの中で、こう言った。「弱肉強食は、当たり前でしょ。力のあるものが、それなりにいい生活
をする。やる気のないものは、貧乏になればいいのです」と。

 彼は、大都市の中心部で、コンピュータのソフト会社を経営している。しかし私たちが求めて
いる社会は、本当に、そういう社会なのか。そうであってよいのか。最後に、こんな話も。

 東京都のM市に住む、友人がこんな話をしてくれた。

 何でもある母親が、小学生の息子を、公園へ連れていったという。そしてその公園で、寝泊り
するホームレスの人たちを見せながら、こう言ったという。

 「あんたも、しっかり勉強しなければ、ああいう人たちになるのよ」と。

 その友人は、笑い話のひとつとして、その話をしたが、この話を笑って聞ける人は、今、この
日本に、いったいどれだけいるだろうか。
(040119)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【子どもの心、ワンポイント学習】

●観察学習

子どもは、自分で体験することよりも、周囲の人たちを見ながら、学習することが多い。量的に
は、はるかに多い。

たとえばA君が、園の玄関で、スリッパを並べて先生にほめられたとする。それをB君が見てい
て、「スリッパを並べれば、先生にほめられる」ということを、学ぶ。これが観察学習である。

だからたとえば幼児教室などでも、全員に同じことをさせる必要はない。一人、二人のモデル
を決めて、その子どもを、ほめたり、たたえたりする。それをほかの子どもたちが見て、自ら
も、学んでいく。


●内面化

 体の発達を、外面化という。たとえばその年齢になると、それにふさわしい身体的な発育が
見られる。運動やスポーツによって、それが増幅される。これが外面化である。

 一方、精神の発達も、進む。しかし精神というのは、年齢に応じて発達するわけではない。

 たとえばAさんが、母親を助けたとする。重い荷物をもったり、食卓の用意を手伝ったするな
ど。

 そのときAさんは、母親や、家族のみんなにほめられる。こうしてAさんは、母親を助けること
を繰りかえすようなり、やがて、自然に、そういう行為ができるようになる。これが内面化であ
る。

 子どもの精神の発達は、この内面化がどのように、どのような形で定着しているかをみなが
ら、判断する。

 たとえば約束をどこまで守れるか。目標をどこまで達成できるか。誘惑にどこまで抵抗力を示
せるか。どこまで忍耐強く、がまんできるかなど。乳幼児期は、まさにこの内面化の方向性をつ
くる、きわめて重要な時期といえる。

 たとえば子どもが、小さな約束を守ったとする。そのとき親は、その兆候をとらえて、それをほ
める。そしてそれを繰りかえす。こうして子どもは、約束を守ることの大切さを学び、やがて、自
然な形で、約束を守れるようになる。

頭からガミガミ言えばよいというものではない。むしろ叱ることによって、内面化が阻害されるこ
とのほうが、多い。「どうして、あなたは約束を守れないの!」(ピシャ!)と。こうした指導にな
れた子どもは、やがて自分で考える力をなくし、ますます非常識なことをするようになる。内面
化が遅れる。

 もっとも最近では、親自身が、精神的に未熟な人が多い。もう手遅れというか、そういう親を
もった子どもは、不幸である。しかし本当の不幸は、そのことではない。その未熟性に、親も、
子どもも、よほどのことがないかぎり、気がつかないことである。


●無力感

無力感は、自らつくり出すもの、学ぶものである。

たとえば、今の私が、そうかもしれない。

る時期、猛烈な勢いで本を発表したことがある。しかしそのつど、「これこそ!」と思って出して
みたものの、どれも売れなかった。ほとんどは、初版でそのまま絶版。たまに増刷がかかる程
度。よく誤解されるが、本というのは、増刷に増刷が重なって、はじめて利益になる。そうでなけ
れば、赤字。少なくとも、本を書く時間の分だけ、家庭教師でもしていたほうが、まし。そのほう
が、収入は多い。

 で、そのあと、いくつかの出版社から、出版の打診があったが、もうそのときには、やる気を
なくしていた。「かえって出版社に迷惑をかけてしまう」と。

 で、今は、無気力状態。実のところ、かろうじて、こうして毎日、マガジン用の原稿を書いてい
るが、本当に、「かろうじて」。中には、熱心に読んでくれる読者の方もいるかもしれないが、し
かし……(カット! グチになる)。

 で、今はもう、自分のために書いている。「1000号まで」という目標は、そのためにある。

 こういうのを、「学習性無力感」という。何度も失敗し、カベにぶつかるうちに、無気力症状
が、生まれてくることをいう。

 で、今の学校の教育で一番こわいのは、子どもたちに、無意識のうちにも、この学習性無気
力感を植えつけていくこと。いくら勉強しても、できるようにならない。少しくらいできるようになっ
ても、目立たない。評価されない。

 こうして子どもによっては、自ら、「ダメ人間」のレッテルを張っていく。さらに、いわゆる「もの
言わぬ従順な民」と、育てられていく。「ああ、やはり、自分は、ダメな人間だ」と。

 本来なら、子どもにこうした学習性無力感が見られたら、学年をさげるか、学校を去ったほう
がよい。しかし日本の現状では、それは無理。このあたりに、日本の教育がもつ、構造的な欠
陥というか、限界がある。このつづきは、またの機会に!


●神経性習癖

満たされない心の葛藤(かっとう)が、慢性的につづくと、子どもは、独特の症状を示すようにな
る。行動的な習癖としては、ものいじり、爪かみ、髪いじいり、鉛筆やものをかむ、おねしょ、頻
尿、チック、偏食、拒食、多食など。

(詳しくは、神経症診断シートをご覧ください。自己診断できるようになっています。はやし浩司
のHPのトップページから、「ビデオでごあいさつ」へお進みください。インターディスクに収録して
あります。)

 原因は、ここに書いたように、「満たされない心の葛藤が、慢性的につづいている」と考える。
またそれが原因のほとんどと考えてよい。

 神経質な育児姿勢(過関心、過保護、溺愛、過干渉など)、拒否的な育児姿勢(育児放棄、
暴力、虐待、家庭崩壊、家庭不和など)、子ども自身の問題(集団恐怖症、対人恐怖症、過敏
傾向、神経質など)がある。下の子が生まれたことによる、赤ちゃんがえりでも、同じような症
状を示すこともある。

 こうした症状が見られたら、「家庭教育の失敗」と考えて、子どもの心の中を、静かにのぞく。
原則として、子どもの行動には、ムダがない。すべての行動には、必ず、原因がある。その原
因を考える。

 つぎに親がすべきことは、「ほどよい親であること」「暖かい無視を繰りかえすこと」。

 ほどよい親というのは、子どもが何らかの愛情表現をしてきたり、求めてきたときは、それ
に、こまめに、かつていねいに応じてあげるということ。親の側から、やりすぎるのは、よくな
い。溺愛は、さらによくない。

 なおこうした神経症による、神経性習癖は、黄信号と考えて、警戒する。放置したり、無理を
すれば、情緒障害、さらには精神障害へと進行することもある。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

【子育て随筆byはやし浩司、第1500作を書き終えて……】

 今回で、「子育て随筆byはやし浩司」が、第1500号になった。膨大な原稿量である。A4サ
イズの原稿用紙(1500字前後/一枚)にして、約6000ページ。単行本、一冊分の枚数が、1
20〜150ページ前後だから、単行本にすれば、40冊分ということになる。

 私はこれらの原稿を、電子マガジンのほうで、随時、発表してきた。(たいはんの原稿は、メ
モ程度のクズのような原稿ばかりだが……。ごめんなさい!)

 もちろん読んでくれる人がいての原稿である。だから読者の方を意識しなかったと言えば、ウ
ソになる。しかし雑誌や新聞などとちがって、これらの原稿は、あくまでも自分のために書い
た。読者を意識することは、ほとんど、なかった。

 ときどき「こんなことを書くと、怒る人もいるだろうな……」と、発表する段階で、迷うことはあっ
た。しかしそういうときでも、「ええい、ままよ!」と自分に言ってきかせて、発表してきた。(結
果、怒ってきた人も、いるにはいた。)

 私の本音を言えば、できるだけたくさん読んでほしい。が、ほんの一部でも読んでもらえれば
と思っている。みなさんの意見では、「量が多すぎる」ということらしい。みなが、そう言う。自分
でも、それがわかっている。ワイフでさえ、毎回、「もう少し、減らしたら?」と言う。

 しかし実際には、この一、二か月、量は、ぐんと減っている。調子が悪くなったわけではない。
元気はあるのだが、HTML版を出すようになったことや、それに、写真を載せるようになったこ
となどがある。それにこのところ、雑用が、多くなった。そのため原稿を書く時間が、少なくなっ
た。

 ここで「子育て随筆byはやし浩司」は、ひとまず終了し、次回からは、新しい企画で、原稿を
書いてみたい。(「新しい企画」と言っても、タイトルが変るだけだが……。)

 ……とまあ、どこか、どこかの大手の雑誌社の編集長が書くようなあとがきを書いたが、本当
の私は、まさに「風前のともし火」。「こういうマガジンを出すのを、もうやめようか」という迷い
も、ないわけではない。ときどき、何のために出しているのか、わからなくなる。

 しかしまあ、何とか、こうして1500作を書いてきた。マガジンのほうは、第350号を数えると
ころまで、がんばってきた。ただ、最後に申しあげたいことは、「この文のここまで読んでくれた
方へ、ありがとう」ということ。そういう方が、ほんの少数でもいるということは、大きな励みにな
る。

 こうしたマガジンでは、月並みな言い方になってしまうが、最後まで、お読みくださいまして、あ
りがとうございました。
(040121)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

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      2004年1月21日    子育て随筆byはやし浩司・終了
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Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
ご覧ください。 
2・21 ……細江町「教育のつどい」
1・24 ……周智郡森町教育委員会
1・22 ……細江町中川小学校
詳しい講演日時は、
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●二男のホームページができました。よろしかったら、
のぞいてやってください。
Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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賛助会に協力してくださった方に、直筆のイラストをお送りします。詳しくは、賛助会コーナー
を、ご覧ください。(額は、ついていません。)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
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04−1−26号(352)
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto829

●西郷隆盛が理想の教育者?

 ある教育雑誌に、ある県会議員の教育改革論(?)が載っていた。いわく「西郷隆盛(明治維
新の元勲)こそが、私の尊敬する人物。彼の思想にこそ、これからの教育の指針が隠されてい
る」(雑誌「K」)と。

いろいろ理由は書かれていたが、私はこういう意見を読むと、生理的な嫌悪感を覚える。イギ
リス人がトラファルガーの海戦(一八〇五年)で勝利を収めた、ネルソン提督をあがめるような
ものだ。気持ちはわからないでもないが、どうしてものの考え方が、こうもうしろ向きなのだろう
とさえ思ってしまう。

西郷隆盛が西郷隆盛であったのは、あの時代の人物だったからにほかならない。西郷隆盛を
たたえるということは、あの時代を肯定することにもなる。もちろん歴史は歴史だし、歴史上の
人物は、それなりに評価しなければならない。しかし西郷隆盛に教育論を求めるとは……?

 彼は、大久保利通、木戸孝允らと並んで、明治維新の三傑とは言われたが、少なくとも民主
主義のために戦った人物ではない。平和や自由や平等のために戦った人物でもない。わかり
やすく言えば、武士階級の権威や権力の温存を求めて戦った人物である。

……というような反論をしても、この日本では意味がない。私のほうが異端児になってしまう。

先日も、「あなたは日本の歴史を否定するのか。それでもあなたは日本人か」と言ってきた人
がいた。しかし私は何も日本の歴史を否定しているのではない。それに私は上から下まで、完
全な日本人だ。日本の文化や風土、民族はこの上なく愛している。

しかしそのことと体制を愛するということは別のことである。西郷隆盛にしても、明治から大正、
昭和における歴史の教科書の中で、そのときどきの体制につごうがよいように美化された偉人
(?)にすぎない。その結果が、あの軍国主義であり、さらにその結果があの戦争である。だと
とするなら、なぜ今、西郷隆盛なのかという疑問を私がもったところで、それは当然のことでは
ないのか。

こうした復古主義は、社会の世相が混乱するたびに姿を現す。今がそうだが、こうした復古主
義がはびこればはびこるほど、「進歩」が停滞する。しかし私たちがすべきことは、「新しい家庭
観」の創設であって、決して復古主義的な家庭観ではない。改革の思想は、いつも混乱の中か
ら生まれる。混乱を恐れてはいけない。混乱の中から何かを生み出すという姿勢が、この混乱
を抜け出る唯一の方法である。

……何とも、カタイ話になってしまったが、読者のみなさんも、こうした復古主義にだけはじゅう
ぶん、注意してほしい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国によって違う職業観

 職業観というのは、国によって違う。もう三〇年も前のことだが、私がメルボルン大学に留学
していたときのこと。当時、正規の日本人留学生は私一人だけ。(もう一人Mという女子学生が
いたが、彼女は、もともとメルボルンに住んでいた日本人。)そのときのこと。

 私が友人の部屋でお茶を飲んでいると、一通の手紙を見つけた。許可をもらって読むと、「君
を外交官にしたいから、面接に来るように」と。私が喜んで、「外交官ではないか! おめでと
う」と言うと、その友人は何を思ったか、その手紙を丸めてポイと捨てた。「アメリカやイギリスな
ら行きたいが、九九%の国は、行きたくない」と。

考えてみればオーストラリアは移民国家。「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとはまっ
たく違っていた。

 さらにある日。フィリッピンからの留学生と話していると、彼はこう言った。「君は日本へ帰った
ら、ジャパニーズ・アーミィ(軍隊)に入るのか」と。私が「いや、今、日本では軍隊はあまり人気
がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の伝統ある軍隊になぜ入らないのか」と、やんや
の非難。

当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコール、そのまま出世コースというこ
とになっていた。で、私の番。

 私はほかに自慢できるものがなかったこともあり、最初のころは、会う人ごとに、「ぼくは日本
へ帰ったら、M物産という会社に入る。日本ではナンバーワンの商社だ」と言っていた。が、あ
る日、一番仲のよかったデニス君が、こう言った。

「ヒロシ、もうそんなことを言うのはよせ。日本のビジネスマンは、ここでは軽蔑されている」と。
彼は「ディスパイズ(軽蔑する)」という言葉を使った。

当時の日本は高度成長期のまっただ中。ほとんどの学生は何も迷わず、銀行マン、商社マン
の道を歩もうとしていた。外交官になるというのは、エリート中のエリートでしかなかった。この
友人の一言で、私の職業観が大きく変わったことは言うまでもない。

 さて今、あなたはどのような職業観をもっているだろうか。あなたというより、あなたの夫はど
のような職業観をもっているだろうか。それがどんなものであるにせよ、ただこれだけは言え
る。

こうした職業観というのは、決して絶対的なものではないということ。時代によって、それぞれの
国によって、そのときどきの「教育」によってつくられるということ。大切なことは、そういうものを
通り越した、その先で子どもの将来を考える必要があるということ。

私の母は、私が幼稚園教師になると電話で話したとき、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩
れてしまった。「浩ちャーン、あんたは道を誤ったア〜」と。母は母の時代の常識にそってそう
言っただけだが、その一言が私をどん底に叩き落したことは言うまでもない。

しかしあなたとあなたの子どもの間では、こういうことはあってはならない。これからは、もうそう
いう時代ではない。あってはならない。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
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       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●目標は、少しずつ

 今、年中児でも、文字に対して、何らかの嫌悪感を覚えている子どもは、全体の約二〇%は
いる。もっと、多いかもしれない。中には、文字を見ただけで、体をこわばらせてしまう子どもさ
えいる。

 原因は、家庭での、無理な学習である。

 この時期、子どもが、どんな文字を書いても、まず、ほめる。すべては、ここから始まる。「ほ
う、じょうずになったね」「この前より、うまく書けるようになったね」と。こうした前向きな暗示が、
子どものやる気を引き出す。

 が、中には、神経質な親がいる。トメ、ハネ、ハライは、もちろんのこと、書き順、さらには、書
体まで、あれこれ注意する。今でも、私が子どもが書いた文字に、大きな花丸をつけて返すと、
「もっとしっかりと、見てください」と言ってくる親がいる。

 しかし文字の役目は、見てくれではない。いかにして、自分の意思や考えを、相手に伝えるか
ということ。すべては、ここから始まり、ここに終わる。

 今、小学校の高学年児や中学生でも、国語イコール、漢字の学習と思っている子どもは、多
い。D君(小六男児)が、そうだった。書道の先生でも、そこまでじょうずに書けないだろうと思う
ような文字を書いていたが、作文は、まったく苦手だった。親は、子どもの書く文字を見て、「う
ちの子は、国語力はあるはず」と考えていたようだが、それは、まったくの誤解。

 もちろん、だからといって、文字を美しく書くのがムダと言っているのではない。

 日本人は、どうしても、型にこだわる。そういう民族である。その形にこだわりすぎるあまり、
中身を忘れやすい。オーストラリアでも、アメリカでも、そんな教育はしていない。

 アデレードの近くの小学校へ行ったときのこと。かべに張ってあった作文を見て、私はびっく
り。文法はもちろんのこと、スペリングまで、めちゃめちゃ。そこで私が、「なおさないのです
か?」と聞くと、その女の先生(小三担当)は、こう言った。

 「シェークスピアの時代から、正しいスペリングというのは、ないのです。意味がわかれば、そ
れでいいのです」と。

 こうした意見に対して、ある小学校の先生(校長)は、こう言った。「書き順は、最初からきち
んと教えておかないと、あとで苦労します」と。

 だったら、書き順などという、愚劣なものは、なくせばよい。英語のアルファベットは、たったの
二六文字しかないが、書き順など、ない。……少なくとも、トメ、ハネ、ハライなど、毛筆時代の
亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由など、もうない。

 さらにこうした私の意見に対して、「林さんは、日本語のもつ美しさを否定するのか」と言って
きた人もいる。

 美しいか、美しくないかは、それはその道の専門家が決めること。そういうものを、私たちや、
子どもたちに押しつけてもらっては、困る。「美しい」と思う人が、美を追求すればよい。

 今、小学生でも、作文が好きという子どもは、学年が大きくなればなるほど、減ってくる。一
方、作文が嫌いという子どもは、いくらでもいる。本をまったく読まない子どもも、多い。

 では、どうするか。

 子どもに与える目標は、少しずつ、段階的にするのが、コツ。

 まず、文字らしきものを書いたら、ほめる。つぎに、かろうじて読めるようになったら、ほめる。
さらに形がしっかりしてきたら、ほめる。

 こうした方式を、ステップ・バイ・ステップ方式という。しかしこの方式は、何も私が改めてここ
に書くまでもなく、幼児教育の常識。こわいのは、いきなり高い目標を与えて、子どもを失敗さ
せること。

 一度、この時期に失敗すると、あとがない。「あとがない」というより、それから立ちなおさせる
のは、容易ではない。たとえばこの時期に、一度、文字嫌いにしてしまうと、(文字が嫌い)→
(逃げる)の悪循環の中で、国語力(作文、読解力)は、ますます低下する。

 国語力は、すべての学力の基本である。決して、軽く考えてはいけない。ちなみに、「本が好
き」と答える子どもは、将来、確実に、勉強ができるようになる。
(040118)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

子どもの国語力が決まるとき

●幼児期に、どう指導したらいいの?

 以前……と言っても、もう二〇年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか
を調べたことがある。結果、次の三つの特徴があるのがわかった。

@使う言葉がだらしない……ある男の子(小二)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」とい
うような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。たまたま『戦国自衛隊』
という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞くと、その子どもはこう言
った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコプター、バリバリ」と。何
度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。

A使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで
会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「ま
あまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。

B正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの
子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のよ
うにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上に
イ〜、白い……へへへへ」と。

 原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ
メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!

●国語能力は幼児期に決まる

 子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。毎
日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をしてい
て、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケースでは、たとえめんどう
でも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。もうすぐバスが来ます」と言ってあ
げねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、本
を読んであげているから」と。

 言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水
のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。
内容はまったく理解していない。

なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を
自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」と
して認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。そ
んなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には「口
を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。

●幼児教育は大学教育より奥が深い

 今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って
いる人は多い。私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言
った。「そんなの誰にだってできるでしょう」と。しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基
本と方向性は、幼児期に決まる。そういう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が
深い。それを少しはわかってほしかった。

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教育が型にはまるとき

●「ちゃんと見てほしい」

 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メチャメ
チャだ。ちゃんと見てほしい」と。

私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したときのことである。あるいはときどき、
市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そういうときも私は同じように、大き
な丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がちがっているのに、どうして丸をつけるの
か!」と。

●「型」にこだわる日本人

 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。最
近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」と。

私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意され
た。書道の先生ということもあった。そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願す
ると、その先生はこう言った。

「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほうがよい」と。そのため二男は、
左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。書き順どころではない。
文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。

 一方、オーストラリアでは、スペルがまちがっている程度なら、先生は何も言わない。壁に張
られた作品を見ても、まちがいだらけ。そこで私が「なおさないのですか」と聞くと、その先生
(小三担当)は、こう話してくれた。「シェークスピアの時代から、正しいスペルなんてものはない
のです。発音が違えば、スペルも違う。イギリスのスペルが正しいというわけではない。言葉
は、ルール(文法やスペル)ではなく、中身です」と。

●「U」が二画?

 今、小学校でも、英語学習がなされている。その会議が一五年ほど前、この浜松市であっ
た。その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれ
た。

「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり二画と決まりました。同じようにMとW
は四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもないような書き順が、こ
の日本にあるとは!

そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、二五度傾けて書けと教えられたことがある。今
から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろく
ない。つまらない。

たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになっ
てしまう。日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの
文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。

だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくな
に守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。「型」と「個性」は、正反対の位置にある。子
どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。子どもはやる気をなく
す。

●左利きと右利き

 正しい文字かどうかということは、次の次。文字を通して、子どもの意思が伝われば、それで
よし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみを覚える。

オーストラリアでは、すでに一五年以上も前に小学三年生から。今ではほとんどの幼稚園で、
コンピュータの授業をしている。一〇年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、フロッピーデ
ィスクで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きかわった。先生と生徒
が、常時インターネットでつながっている。こういう時代がすでにもう来ているのに、何がトメだ、
ハネだ、ハライだ! 

 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきになったとし
ても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。それについては、
また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。

左利きにしても、人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三〜四%)。原因は、どち
らか一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生
活習慣によって決まるという生活習慣説などがある。

一般的には乳幼児には左利きが多く、三〜四歳までに決まるが、どの説にせよ、左利きが悪
いというのは、あくまでも偏見でしかない。冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き用にはできて
いるが、しかしそんなのは慣れ。慣れれば何でもない。

●エビでタイを釣る

 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが一生懸
命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。
これは幼児教育の大原則。昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」と。しかし愚かな人
はタイを釣る前に、エビを食べてしまう。こまかいこと(=エビ)を言って、子どもの意欲(=タイ)
を、そいでしまう。

(付記)
●私の意見に対する反論

 この私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその一つ。
それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教えておかな
いと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。

しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、ハライが
美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、そういう「美」を、
勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字の役目は、意思を相手に伝
えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的がどこかへ飛んでいってしまう。

私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよく思い
出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆をはさんで文字
を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し訳ないことをしたと思っ
ている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを織り込んだ。

(参考)

●経済協力開発機構(OECD)が調査した「学習到達度調査」(PISA・二〇〇〇年調査)によ
れば、「毎日、趣味で読書をするか」という問いに対して、日本の生徒(一五歳)のうち、五三%
が、「しない」と答えている。

●この割合は、参加国三二か国中、最多であった。また同じ調査だが、読解力の点数こそ、
日本は中位よりやや上の八位であったが、記述式の問題について無回答が目立った。無回答
率はカナダは五%、アメリカは四%。しかし日本は二九%! 文部科学省は、「わからないも
のには手を出さない傾向。意欲のなさの表れともとれる」(毎日新聞)とコメントを寄せている。

++++++++++++++++++++++

●子どもを伸ばす、こんな方法
        
 あなたは白いご飯に、チョコレートをかけて食べることができるか。ミルクか、ココアでもよい。
「できない」と思っているなら、一度、ためしてみたらよい。

そういうのを発想の転換という。一度、うちへホームステイしたオーストラリア人が、そういう食
べ方を教えてくれた。彼らは、豆腐にジャムをつけて食べていた!

 子どもの頭をよくしたいと思っているなら、そういう刺激を与える。もっと言えば、「あれっ!」と
思うような意外性を大切にする。意外性が大きければ大きいほど、脳の中の神経組織が発達
する。

マンネリはよくない。マンネリは、知能発達の大敵と考える。……といっても、お金をかけろとい
うことではない。発想の転換は、ごく身近で始まる。また身近であればあるほど、刺激も大き
い。庭の草木の葉っぱを、ちぎってかんでみる。おもちゃのトラックの中に、寿司を並べてみ
る、など。そうそう私も昔、子どものころだったが、動物の形をしたパンを見て驚いたことがあ
る。あのとき感じた新鮮さは、いまだに忘れない。

 ふつう頭のよい子どもは、発想が豊かで、おもしろい。パンをくりぬいて、トンネル遊び。スリ
ッパをひもでつないで、電車ごっこなど。時計を水の入ったコップに入れて遊んでいた子ども
(小三)がいた。母親が「どうしてそんなことをするの?」と聞いたら、「防水と書いてあるから、
その実験をしているのだ」と。

ただし同じいたずらでも、コンセントに粘土をつめる。絵の具を溶かして、車にかけるなどのい
たずらは、好ましいものではない。善悪の判断にうとい子どもは、とんでもないいたずらをす
る。

 その頭をよくするという話で思いだしたが、チューイングガムをかむと頭がよくなるという説が
ある。アメリカの「サイエンス」という雑誌に、そういう論文が紹介された。

で、この話をすると、ある母親が、「では」と言って、ほとんど毎日、自分の子どもにガムをかま
せた。しかもそれを年長児のときから、数年間続けた。で、その結果だが、その子どもは本当
に、頭がよくなってしまった。この方法は、どこかぼんやりしていて、何かにつけておくれがちの
子どもに、特に効果がある。……と思う。

 また年長児で、ずばぬけて国語力のある女の子がいた。作文力だけをみたら、小学校の
三、四年生以上の力があったと思う。で、その秘訣を母親に聞いたら、こう教えてくれた。「赤ち
ゃんのときから、毎日本を読んで、それをテープに録音して、聴かせていました」と。母親の趣
味は、ドライブ。外出するたびに、そのテープを聴かせていた。

 今回は、バラバラな話を書いてしまったが、もう一つ、バラバラになりついでに、こんな話もあ
る。子どもの運動能力の基本は、敏しょう性によって決まる。その敏しょう性。一人、ドッジボー
ルの得意な子ども(年長男児)がいた。

その子どもは、とにかくすばしっこかった。で、母親にその理由を聞くと、「赤ちゃんのときから、
はだしで育てました。雨の日もはだしだったため、近所の人に白い目で見られたこともありま
す」とのこと。子どもを将来、運動の得意な子どもにしたかったら、できるだけはだしで育てると
よい。

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
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【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【山荘より】

 おととい、珍しく、浜松でも、雪が降った。で、今日(一八日)、山荘へ来てみると、山の北側の
斜面には、まだ雪が残っていた。枯れた草の間で、ところどころ、白い雪が、鈍い光を放ってい
た。

 しかし空気は、澄んで、さわやか。「冬の景色も悪くないわね」と、ワイフが、さかんに言う。私
は、あたりかまわず、写真をとる。ときどき肌をさすような冷気。昔、オーストラリアの友人が、
同じような冷気を感じながら、「ぼくは、フレッシュな空気が好きだ」と言った。私も、それを思い
出し、ワイフに、こう言った。「空気がフレッシュだね」と。

 冬場になると、水がこおる。この山荘に住み始めたころには、よくこおった。しかしここ数年、
めったにこおらない。言うまでもなく、水がこおれば、そのまま断水。山荘生活は、ストップ。
が、その不便さが、何とも言えない。楽しい。不便だからこそ、山荘ライフなのだ。

 おかしなことだが、同じ生活でも、山荘のほうの生活には、生きているという実感がある。ま
わりの木々が、すべて生きているということもある。つまり生き物に囲まれている。

 一方、町のほうの生活には、それがない。道路にしても、ビルにしても、すべて死んでいる。
わかりやすく言えば、肌で感ずる温もりがない。

 だから同じ音楽を聞いても、その印象が、まったくちがう。今、聞いているのは、モーツアルト
のピアノ協奏曲。こうした曲は、山荘で聞くのがよい。こまかい旋律にあわせて、目の前の木々
が、踊りだす。冬の陽光をあびて、木の葉が、キラキラと輝き始める。

 色あせた冬の木に
 澄んだ陽光があたり、
 一枚一枚の葉が、
 それを白く照り返す。

 小枝はさざなみを、打ち、
 それにあわせて、大枝が
 ゆっくりと、身を動かす。
 のどかな、昼さがり……。

 酒を飲みながら作った音楽は、酒を飲むときに、よい。子どもを見ながら作った音楽は、子ど
もといっしょに歌うとよい。しかし自然の中から生まれた音楽は、自然を見ながら聞くとよい。

 そういう意味で、昔の作曲家たちは、自然の中に身を置いて、こうした音楽を作ったにちがい
ない。深い森の木々の間を、通りぬける風。初春の陽光に輝く木々の葉。澄んだ水色の空を、
音もなく、ゆっくりと流れる雲。そういうものに身も心も任せながら、心の中にわき起きてくる旋
律を、書きとめた?

 私のばあい、とくに好きな曲というのは、ない。ある時期、ある特定の作曲家が作曲した曲ば
かりを聞く。しかしその作曲家にあきると、つぎの曲に移る。ときに、音楽をまったく聞かないと
きもある。しかし、今日は、久しぶりに、モーツアルトを聞く。

 ワイフは、テーブルマットのゴミを、外ではらっている。私は、半分閉じかけた目で、こうしてパ
ソコンに文字を打ちこむ。庭のテーブルのイスには、先ほどから、黒いネコが座って、こちらの
様子をうかがっている。

 ここへ着いたとき、山荘のまわりの写真をとったので、その説明をしよう。

 この山荘を建てるとき、土地づくりは、私とワイフの二人でした。毎週、ユンボを借り、それで
山を削り、造成した。水道工事も、電気工事も、自分たちでした。家以外の、野外のテーブル
やイスなどは、ほとんど、自分たちで作った。

 この期間が、六年。工事をはじめてきたとき、息子たちはみな、小学生だった。道にゴザを敷
いて、その上で、弁当を食べた。が、今は、その息子たちも、おとなになってしまった。山荘に
も、ほとんど、来なくなった。

 HTML版のほうでは、写真を紹介できるようになった。それに簡単な説明文もそえておこう。
……それにしても、また眠くなってしまった。このところ、食事の量を、いつもの半分にしている
せいか、体に力が入らない。横になると、すぐ眠ってしまう。

 うつらうつらと、目が閉じる。私にとっては、至極の時。このやすらいだ気分こそが、山荘ライ
フの醍醐味ということか……。
(040118)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況】

●HP開設!

 I社が経営する、「C社」というところで、新しく、ホームページを開設した。

 年間、6000円で、300MB(メガバイト)までのHPを、作成することができる。たいへんな量
である。10MBもあれば、A四の原稿用紙(約1500字/1枚)で、約5000ページくらいの原
稿を載せることができる。

 しかし実際には、300MBも使わない。ホームページの容量としては、それでよいとしても、
パソコンのほうに、それだけの処理能力がないと、パソコンのほうが、すぐハングオーバーして
しまう。

現に今、私のHPのサイズは、約39MB前後のサイズだが、だが、ソフトをたちあげて、編集に
入るまでに、約30分。編集が終わって、FTP送信できるようになるまでに、また30分。終了し
て保存をかけると、それが終わるまでに、たっぷり2時間以上もかかる。急いで更新、送信して
も、計3時間半以上!(OSは、98。メモリーは、192MB。)

 だからHPの更新は、毎週土曜日と、決めている。

 しかし新しいHPを開設することにより、大量の画像データや、文書は、そちらで別に編集す
ることができる。そしてその仕事は、二年前に買った、F社のパソコンにやらせることにした。
(OSは、XP。メモリーは、512MB。)

 が、問題が起きた。

 私はN社のHP作成ソフトを使っているが、XPでは、FTP送信ができない。「送信」ボタンをク
リックすると、そのままパソコンがフリーズしてしまう。あああ。おまけにあちこちをいじっていた
ら、肝心のI・E(インターネット・エクスプローラー)の動きまで、おかしくなってしまった。 
 
 そこでまた、パソコンショップへ……。店の人にいろいろ聞くが、どうも要領を得ない返事ばか
り。しかたないので、ソフトを買いかえることにした。

 店先で、ソフトを選びながら、こんなことを考える。

 ……パソコン相手に、パソコンの仕事をしている人は別として、これだけパソコンの世界が急
速に進歩すると、それについていくだけで、本当にたいへん、と……。

 私にとっては、パソコンは道具。パソコンの勉強をしている時間そのものが、ない。数年前に
買ったソフトが、もう使えない。しかし使えないとわかるまでに、一、二時間もかかってしまう。
「故障じゃないか?」「設定がまちがっているのではないか?」と。そんなことを考えている間
に、ついでに、頭の中が、ごちゃ、ごちゃになってしまう。

 ワイフが、「またソフトを、買うの?」と、しぶいことを言う。「これも、ボケ予防のため。将来、
ぼくの介護をしたくなかったら、今のうちにお金を払っておいてほうがいいよ」と言うと、納得して
くれた。

 これからも私のHPは、かぎりなく進化する。どんどん進化して、ますます充実する。乞う、ご
期待というところか。


●餅まき

近所で、新築祝いの、餅まきがあった。

ワイフのテニス仲間の家ということで、二人でポリ袋をもってでかけた。ハナ(犬)も連れていっ
た。が、これが失敗だった。

 それだけ多くの人ごみの中に連れていったことは、めったに、ない。ポールにつないでおいた
のだが、キャンキャン、ウワンウワンと、あばれぱっなし。ときどきなだめるために、そばへもど
ってやるのだが、数分も、もたない。

 そのうちクサリを自分でほどいて、私のところへ来てしまった。それが、二度、三度……。私
は餅拾いをあきらめて、ハナのそばに。

 新築の家は、屋根全体を、ソーラーシステムでおおった、モダンな家だった。で、その前の空
き地が、餅まきの場所になっていた。が、驚いたことに、その空き地は、すでに腰をかがめた、
老人たちで陣取られていた。どの人も七〇歳前後の人たちだった。

 大きな袋をもった人、カゴをもった人、布袋をもった人。よほど年季が入っているとみえて、み
な、トレーナーのような服を着ていた。

 で、餅まきが、始まった。しかし、それは、もう何というか、見るに耐えないというか、驚くべき
光景だった。

 裕福な施主さんなのだろう。「これでもか」「これでもか」と餅まきが、つづく。私はハナのことも
あり、一番スミのほうで、こぼれてきた餅を拾った。それでも、三〇〜三五個は拾った。

 途中、若い女性が、「まだ、あるのオ!」と、悲鳴にも近い声をあげた。うしろのほうにいた、
中年の男たちは、「もう、いいよオ!」と、餅を拾うのを、やめ始めた。

 しかし、だ。最後の最後まで、服をドロだらけにしながらも、餅を拾っていた人たちがいた。あ
の老人たちである。

 とくに女性軍がすごかった。血相を変えてというか、必死というか、地面にバタバタとはいつく
ばって、餅を拾っていた。見ると、先ほどまで気がつかなかった、何と、バケツをもった人や、
箱をもった人までいた! 

 餅拾いというのは、片手で拾うのが、ルール(?)。それをバケツや、箱を真中において、両
手で取るのだから、たまらない。

 私は、その生命力に、驚いた。本当に、驚いた。老人パワーに、驚いた。プラス、あきれた!
 ときどき、こうして餅拾いをすることはあるが、今日のように、どこか退いて、客観的にながめ
たことはない。

 帰り道、ワイフにこう言った。「あのおばあちゃんたち、ものすごかったね」と。

ワ「ホント! ものすごかったわね!」
私「老い先、そんなに長くないのだから、もう少し、謙虚になったらいいのに」
ワ「ホント! 人間って、年をとればとるほど、ガツガツするものなのかしら」
私「若い人のほうが、もうじゅうぶんだって、先に立ったよ。でも、あのおばあちゃんたち、最後
まで、狂ったように餅を拾っていた……」

ワ「あんなにたくさん拾って、一年でも、食べきれないわよ」
私「ホント! 明日あたり、餅がのどにひかかって、死ぬ老人が続出するよ」
ワ「……かもね」と。

 奥ゆかしさも何も、あったものではない。教養や文化など、みじんも感じなかった。人生の大
先輩とは、とても言えない。……思えない。最後にワイフが、こう言った。

 「あのね、あの年になると、恥も外聞もなくなるのよ」と。

 だいぶ、ワイフも老人の心理がわかるようになってきたようだ。


●チャンス

英語で、「チャンス」というと、「よいチャンス」をいう。悪いチャンスは、「チャンス」とは言わな
い。

そのチャンスは、くるときは、向こうからやってくる。勝手にやってくる。しかしそういうときに限っ
て、人は、そのチャンスを見すごす。ムダにする。そしてチャンスが、自分から離れたとき、そこ
に、チャンスがあったことに気づく。

一方、そのチャンスは、こないときは、こない。まったくこない。天に祈っても、地に祈っても、こ
ない。どうあがいても、こない。

 一般的に言えば、若いときほど、チャンスはやってくる。年をとればとるほど、そのチャンスは
少なくなる。あるいは若いときのように、それがチャンスとわかるほど、大きなチャンスは、やっ
てこなくなる。

 三男に、少し前、電話でこう言った。

 「今、お前は、無数のチャンスに恵まれている。しかしそのチャンスは去るときは、去る。それ
は風のように気まぐれで、先がわからない。手でつかむこともできない。

 だからどんな小さなチャンスでも、ムダにしてはいけない。とくに今のように、前からお前のほ
うに向ってやってくるときは、真正面で、全身で受けとめろ」と。

 三男は、今の大学をやめて、今度はパイロットになるために、K大に移ることになった。しかし
それまでに一年近くの、猶予がある。そこで三男は、オーストラリアの友人のところで、英語の
勉強をすることになった。その話を進めていたら、F大学の学長自らが、三男に、メールをくれ
た。「力になるから、君の希望を、話してほしい」と。

 「あとは、その先生を信じて、前に進んだらいい。もう迷っているヒマはないよ」と。

 若いときは、えてして、チャンスを食い散らしてしまう。いつまでも、向こうからチャンスはやっ
てくるものと、思いやすい。しかし、チャンスは、ここにも書いたように、気まぐれ。

賢い人は、それを前もって、知る。愚かな人は、そのチャンスをなくしてから、知る。人生で成
功する人は、そのチャンスを大切に、一つずつを生かしながら、前に進む。そうでない人は、チ
ャンスをチャンスとも気づかないで、それをムダにする。
(040118)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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●教育と医学

 たとえば一人の子どもがいる。彼は「○○症」と言われる子どもである。

そういうとき、つまりその子どもを見る目は、教育と医学ではまったく違う。まず第一に、教育で
は子どもを診断し、ついで診断名をくだすことはしない。またしてはならない。だから「そうでは
ないか?」と思いつつも、あるいは知っていても知らぬフリをして教育を進める。

一方、医学では、まず診断名を確立し、その上で、「治療」を開始する。

 また指導という段階でも、教育と医学とではまったく違うとらえ方をする。たとえばその子ども
が何かと問題を起こして、クラスを混乱させたとしても、教育ではいつも「全体の問題」として、
それを考える。クラスが混乱したら、「混乱したクラス」を問題にする。が、医学では当然のこと
ながら、個人を対象に治療をすすめる。

 さらに教育では、いつも親や子どもに希望を与えることを大切にする。仮に「たいへんなおり
にくい問題」とわかっていても、「何とかしましょう」と言って、指導を開始する。医学では「治す」
ことを考えるが、教育では、「よりよくする」ことだけを考える。またそれでよしとする。

 こうした教育と医学の違いは、そのつど教師ならだれでも経験することである。が、それが原
因で、教師自身が大きなジレンマに陥ることがある。

たとえば「先天的な問題」をもった子どもがいる。しかしいくらそうでも、教師は、「先天的」という
言葉を使わない。「先天的」という言葉を使うこと自体、教育の放棄、つまり敗北と考える。

が、それを親のほうから指摘してくることがある。「うちの子の問題は、先天的なもので、私の
育て方の問題ではありません」と。

親としては、精一杯、自分の育て方についての責任を回避する意味でそう言うのだろうが、し
かしそう言われてしまうと、教師としてはつぎに打つ手がなくなってしまう。

さらに知識だけはやたらと豊富で、「遺伝子レベルで、この問題は解明されつつあります」とあ
れこれ説明してくれるが、それで終わらない。つづけてこう言う。「私のように、親に責任がある
という世間に偏見の中で苦しんでいる親も多いはず」と。

だれも親の責任など追及していないのだが、そう言う。

 教育と医学は、基本的な部分で違う。しかしそれを混同すると、教育そのものが成り立たなく
なる。教育と医学は、いつも分けて考えなければならない。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【雑感特集】

●体重が、六八キロ!

正月に少し太ったと思っていたが、六八キロとは!

さっそく、昨日から、ダイエット開始。どうりでこのところ、食事がおいしいはず。

 私のばあい、快適体重は、六五〜六六キロ。適正体重は、六三キロ。六八キロになると、体
を重く感ずる。

 食事の量を減らしつつ、運動量を多くする。自転車も、推定一〇〜二〇%、スピードをあげて
走る。坂でも、おりて歩かない。こうすれば、一週間前後で、また六六キロ台にもどるはず。が
んばろう!


●新しいおもちゃ

今、B社から、ミニチュアの飛行機の模型が、コンビニで、売りに出されている※。値段は、一
個、245円。塗装済みのプラモデルだが、これがまた、実によくできている。さっそく、何個か
買ってきて、作った。

 コクピット(操縦席)には、小さな人形が乗る。それにコクピットの文字盤まで刻んである。翼
の先には、翌端灯まで、塗ってある。驚きながら、組みたてる。

 ゼロ戦
九九式艦上爆撃機
グラマンF4Fワイルドキャット
ユンカースJuBスツーカ
ホーカーハリケーンなど。

団塊の世代には、たまらない機種ばかり。

とくに驚くのは、風防ガラスにまで、塗装が済んでいること。これは、ふつうなら、塗らない。塗
るとしても、塗っている間に、神経がどうかなってしまう。しかし、それにしても、すごい!

※……BANDAI社から売りに出されている、「WING CLUB」(パート2)コレクション。


●思考力低下?

ここ数日、頭が、よく働かない。いよいよボケの始まりか? 今朝も、ワイフが、こう言った。「ボ
ケると、ズボンのチャックをしめ忘れるって、ホント?」と。

私は、こう言った。「小便したあと、あげ忘れるのはボケではない。小便の前に、さげ忘れた
ら、ボケだ」と。

私も、ときどき、あげ忘れることはあるが、まださげ忘れることは、ない。一応、だいじょうぶと
いうことか。

 問題意識が弱くなったというか、ものごとをあまり深く考えられない。どこかものの考え方が、
投げやりになってきた。ときどき「こんなことをしていて、何になるのか?」と思う。当面の目標
は、電子マガジンを1000号まで出すことだが、こんな調子では、1000号なんて、とても無
理。

 さあ、どうしようか。のどかで、白い陽光が、私のパソコンを、左から照らしている。ときどき栗
の木の葉が、風で揺れるのが、その影でわかる。こうしてコタツの中に入っていると、いつもそ
のまま、眠くなってしまう。

 だからよけいに、頭の中は、カラッポ。いったい、私の脳みそは、どうなってしまったというの
だ! 少し、パソコン相手に、将棋でもして、脳みそを刺激してみることにする。(しばらく休
憩。)


●X氏への反論

M県のX氏から、質問というか、抗議のメールが入った。いわく、「家制度を否定するのも、どう
か?」と。

 私は家制度を否定しているのではない。(できれば否定したいが……。)家制度には、弊害も
多いということ。これは極端な例だが、「家のメンツ」が、「個人」よりも優先されるというケース
は、少なくない。「個人」が、「家」の犠牲になることも、少なくない。

 妻がその家の家政婦、さらには、奴隷のようになることもある。あるいは、妻や子どもが、家
を守るための道具になることもある。子ども(後継ぎ)を産めないという理由だけで、離婚させら
れた女性もいる。私は、こうした例を数多く、見聞きしてきた。

 「家」という実態のない架空の価値を守るために、今、生きている「個人」が犠牲になることの
おかしさを、日本人も、もう気づいてもよいのではないか。

 ある男性は、こう言った。「私の先祖は、S県のM藩家老のHだった」と。

 たいていの人は、先祖が、江戸時代の武士階級のどこかにいたことを、自慢する。しかしどう
してそんなことが、自慢の種になるのか?

 仮にM藩の家老のHが、五人ずつの子どもを作ったとすると、三〇年を一世代として、二世
代目には、五人。三世代目には、一五人。四世代目には……と計算して、一五〇年後の六世
代目には、二四七五家族が、「私は、Hの末裔(まつえい)だ」と言うようになる。

 さらに二七〇年後の一〇世代目には、一五三万人が、「私は、Hの末裔だ」と言うようにな
る。大都市の人口すべてが、すっぽりとその中に入る数である。「私は、Hの末裔だ」と言うほう
が、おかしい。

 それに「武士」というのは、それほど、誇るべき階級だったのかという問題もある。江戸時代
の武士というのは、身分制度の中で、支配階級として君臨した。むしろほかの人たちの犠牲の
上に、生きていた人たちではないのか。

 それがわからなければ、あのK国を見ればよい。ピョンヤンに住む、一部の特権階級だけが
よい生活をし、それ以外の人たちは、みな、餓死寸前の状態にある。実際、九六年以後、数百
万人の人たちが、餓死している。武士がしたことと、今のピョンヤンの特権階級がしていること
とは、どこがどう違うというのか。

 もちろん歴史は歴史だから、それなりに正当に評価しなければならない。しかし意味もなく美
化してはいけない。あの江戸時代にしても、世界の歴史の中でも、類を見ないほど、暗黒かつ
恐怖政治の時代であったことを忘れてはいけない。

 最近、一部の人たちの間には、武士道を見なおす動きもある。教育に取り入れようとする教
師の団体も、生まれた。軍国主義の反省もじゅうぶんしていない日本人が、今度は、一足飛び
に、武士道とは!

 江戸時代には、先祖がだれであるかは、きわめて重要な意味をもっていた。それで身分が定
まり、職業も、そして収入も決まった。だから先祖に一人でも、そういった権力者がいると、そ
の権力者にしがみついた。

 しかし江戸時代が終わって、もう一五〇年になる。私に言わせれば、いまだに、家制度が残
っていることのほうが不思議でならないのだが……。

 一方的にこう決めつける私の意見は、危険なこともよく知っている。ただ私のこうした意見
が、無節制に広がる復古主義に対して、何らかのブレーキになればよいと願っている。


●葬式

近所で葬式があった。ワイフが、今、その葬式から、もどってきた。「つい、先日、ダンナさんが
亡くなったばかりなのに……」と。

先月、その家のダンナさんが、なくなった。まだ六〇歳と少しだったという。そして今日は、その
ダンナさんの母親の葬式だった。

こういうケースは少なくない。それまでは平穏無事だったのだが、一人の人の死をきっかけに、
家族のほかの人が、バタバタとなくなっていく。私の印象に残っているのに、長谷川一夫(昔の
大俳優)がいる。奥さんがなくなったと、あとを追うように、長谷川一夫自身もなくなっている。

聞くところによると、奥さんが死んだあと、長谷川一夫は毎日、仏壇の前に座りこんだままだっ
たという。

 その近所の人も、息子をなくし、そのショックが遠因となって、死んだのかもしれない。他人の
死を軽々に、論じてはいけない。それはわかるが、しかし何となくその人の気持がわかるような
気がする。

 そのことをワイフに言うと、ワイフは、こう言った。

 「ううん、そのおばあちゃんね、ボケていて、何もわかっていなかったみたいよ。息子さんがな
くなった話も、おばあちゃんには、話してなかったみたいよ」と。
「……」

 ボケることも、ときとばあいには、必要なことなのか。私は、「そう……」と言ったきり、言葉に
つまった。


●五六歳という年齢

五六歳という年齢は、健康面において、微妙な年齢ではないか。仮に健康であるとしても、そ
の健康そのものが、たいへん不安定。ほんの少しズルをすれば、すぐ体が、なまる。(「なまる」
というのは、岐阜の言い方で、「だらしなくなって、調子が悪くなる」という意味。)無理をすれ
ば、疲れが残る。たまに不慣れな運動をすると、体のあちこちが、ガタガタになる。

若いころは、一〜二週間くらいなら、運動をしなくても、それほど運動不足を感じない。再び、数
日も運動をすれば、もとの調子に、もどる。仮に疲れても、一日、二日、休めば、疲れをとるこ
とができる。

 しかし五六歳になると。そうは、いかない。一度健康を崩すと、それがいつまでも尾を引く。と
きには、それがそのまま持病になってしまう。

 そして健康な人と、そうでない人の分かれ道が、この五〇歳から五五歳くらいにかけてある
のでは?

 この時期、健康な人は、ほぼ死ぬまで、そのまま健康を維持できる。しかしこの時期、不健
康になると、そのまま死ぬまで、病気との戦いということになる。言いかえると、五〇歳くらいま
でに、いかにその土台を作っておくかが、重要ということになる。健康というのは、その土台の
上にのった、家のようなもの。

 しかし健康はつくるものではない。維持するものでもない。いかにして、「運動(スポーツ)する
習慣」を、自分のものとするか。健康は、あくまでも、その結果でしか、ない。

 だから健康を守ろうとするなら、(偉そうなことは言えないが……)、いかにして運動する習慣
を身につけるかを、考える。当然のことながら、酒やタバコ、暴飲暴食はタブー。肥満も避け
る。

 少し前、ワイフと二人で、ベンチに座って、その寺に参拝にくる老人たちを観察してみたこと
がある。

 全体としてみると、健康な老人は、身が軽い。スタスタと動いている感じ。不健康な老人は、
どこかヨタヨタしている。

 そのスタスタ歩いている老人は、ムダなぜい肉がない。全身が、筋肉という感じ。動作もキビ
キビしている。どこか、体も、細い。

 適正体重というのがある。あの計算では、私は、六三キロ前後が、私の適正体重ということ
になる。しかしそれは若い人のばあい。老人のばあいは、その適正体重に、さらに、〇・八〜
〇・九くらいをかけた体重が、適正体重ということになるのでは? 私で言えば、五五キロ前後
ということになる。

 (身が軽いから動く)→(筋肉が発達する)→(内臓がじょうぶになる)の良循環の中で、健康
になっていく。そうでない人は、自らつくった悪循環の中で、病気になっていく。そういう人が、寺
に参拝にきて、「どうか、健康にしてください」は、ない。

 『健康は、第一の富である』(エマーソン)

 

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

【受験現場で……】

●『ソフィの選択』

神奈川県の住む一人の母親から、こんなメールが入った。

その母親には、二人の息子(ともに年長児、一卵性双生児)がいる。で、今度、神奈川県F市
にある、公立の小学校を受験することになった。その地域でもよく知られた、SS教育大学の附
属小学校である。

その願書を出しに行ったときのこと。受け付けの女性が、こう言ったという。「もし、どちらか一
方が落ちて、一方が、受かったら、どうしますか?」と。

この質問に母親がとまどっていると、その女性が、「一方の方だけでも、ちゃんと入学していた
だけますね」と。

 よくあるケースは、双子の子どものうち、一方が落ちると、両方とも入学を辞退するケース。
定員ワクをしっかりとっているような、公立小学校では、これは困る。俗にいう、「穴があく」とい
う状態になる。学校の事情も、理解できないわけではない。

 が、そこでその母親は、こう言ったという。「一方が落ちれば、もう一方も、入学を辞退します」
と。

 私はこの話を聞いて、その母親は、すばらしい母親だと思った。と、同時に、昔見た、『ソフィ
の選択』という映画を思い出した。メリル・ストリープが主演、W・スタイロン監督の映画である。

 この映画は、ナチスドイツにつかまった母と子(兄と妹)の映画である。ゲシュタポは、ソフィに
こう迫る。「どちらか一方を助けてやる。どちらか一方を選べ」と。

 そのときその母親、つまりソフィは、兄をとるか、妹をとるかの選択を迫られ、一方を捨てる。
しかしこれが彼女の苦悩の始まりでもあった。彼女は、死ぬまで、その罪悪感と絶望に苦し
む。

 こういうケース、つまり受け付けの女性に、「一方の方だけでも、ちゃんと入学していただけま
すね」と言われたとき、その母親の答は、二つしかない。「YES」か「NO」だ。しかし、「YES」な
どと、答える母親がいるだろうか。その前に、母親に、そんな選択をする心の余裕は、ない。当
然、母親は、二人の子どもが無事、合格することを願っている。どちらか一方が落ちるなどとい
うことは、考えていない。

 私は返事のメールに、こう書いた。

 「あなたの選択は正しかった。小学校や中学校によっては、どちらか一方だけでも入学すると
いう誓約書を書かせているところもあります。

 しかしそういう誓約書は、法律的に考えても無効であるばかりでなく、道義的に考えても、問
題があります。

 あなたは『NO』と言ったわけですから、学校側の選択は、今度は、(両方とも合格にする)
か、(両方とも不合格にする)かの、二つに一つということになります。

 ですから、あなたの言ったことは、正しかったということになります。つまり、あなたは、子ども
を守ったのです。いつか、そうして守ったという思いが、あなたの子育てを光り輝かせます。自
信をもって、前に進んでください。
 
 それで万が一、両方とも落ちたら、そんな愚劣な学校は、こちらから蹴(け)とばしてやればい
いのです」と。
(040116)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●面接で得する子ども、損する子ども

 能力もすぐれている。性格も悪くない。しかし面接で、損をする。そんな子どもがいる。

 二〇年ほど前に出会った、M君(中三・男子)がそうだった。野球が好きで、土日は、一日
中、野球をしていた。

 が、どこかツパッた表情をする。目を伏目にした上、さらに流し目にして、相手をみる。目つき
が鋭い。やや肩を落として歩く。そしてどこか投げやりな態度を示す。

 このタイプの子どもは、面接では、不利。どうしても試験官に悪い印象を与えてしまう。そこで
M君を、私は何度も注意した。が、一向になおらない。身についたクセというのは、そういうも
の。部屋に入った瞬間、着席した瞬間に、それが出てしまう。そのため一時的に注意したくらい
では、効果はない。

 で、案の定、高校入試では、成績は悪くなかったが、面接で落とされた(?)。が、母親がそれ
に納得しなかった。夜中に私の家に来て、「どうしてすべったか、説明してほしい」と。

 私は、「わからない」を繰りかえしたが、母親は、「M男は、テストはできたと言っている。うち
で採点しても、二〇〇点を超えている。私は明日、学校に抗議に行くから、先生もいっしょに、
行ってほしい」と。

 私がそれをていねいに断わると、母親はさらに怒って、こう言った。「うちの子どもを、一年
間、教えてきた、あなたの義務だ。いっしょに行ってほしい」と。

 そこでしかたないので、私は、「多分……」と前置きして、こう言った。「M君は、面接で、ひょ
っとしたら、ツッパリ症状が出たのかもしれません」と。が、この一言は、母親を、さらに激怒さ
せた。

 「うちの子は、ツッパッていません!」と。

 で、その翌朝のこと。M君の母親が、二人の男性を連れてきた。「先生は、うちの子がツッパ
ッていると言いますが、この二人の人は、M男のことをよく知っています。ツッパッていないとい
う証人になってくれます。先生が昨夜言ったことを、ここで訂正してください!」と。

 母親は、まさに狂乱状態だった。子どもの受験にかかわると、何割かの母親は、そうなる。こ
れは「子どもの受験」という魔物がもつ、宿命のようなもの。

 しかしやはり、M君のような子どもは、面接では不利である。

(ア)アカデミックなまじめさが感じられない。
(イ)動作や言動が、どこか攻撃的で、瞬間、人を見くだしたような態度をとる。
(ウ)話し方が乱暴。直感的。
(エ)理知的な表情というよりは、どこかヤクザぽい。

 子どもがこうした症状を示すようになる原因は、いくつかある。乳幼児期の欲求不満が、尾を
引くことが多い。とくに愛情不足、家庭不和、不安定な家庭環境などが、子どもの心に大きな
影響を与える。

 そしてそれが長い時間をかけて、子どもの中に、「質」として、定着する。

 一方、面接で有利な子どももいる。能力はそれほどではなくても、試験官に好印象を与えるタ
イプである。

(ア)どこかアカデミックで、すなおなまじめさが、感じられる。
(イ)こちらの誠意や、やさしさが、スーッとしみこんでいくような感じがする。
(ウ)理知的な受け答えができる。話し方がていねい。
(エ)心のゆがみ(ヒネクレ、イジケ、ツッパリなど)が、ない。
 
昔は、入試一本、つまり学力だけで、子どもの能力を判定した。しかし今は、ちがう。全国的
に、もう一歩、子どもの中に踏みこんだものを見て、判定する。そういう意味で、面接が、どこ
の学校でも重要視されるようになった。

 そこでどうするかということだが、親が、子どものそういう「質」に気づくことは、まず、ない。自
分の子どもしか見ていないこともあるし、親自身が、そういう「質」をかかえていることが多い。

 つぎに気がついたとしても、その「根」は深い。子ども自身がそれを注意したとしても、ふとし
た瞬間に、それが出る。試験官は、それを見落とさない。一二年間ほど、私立中学校の入試
にかかわりあってきたX氏は、こう言った。

 「学校というのは、万事、ことなかれ主義なんですよ。そのためそういう雰囲気のある生徒
を、敬遠するのです」と。

 書店へ行ったら、「受験の心得」のような本を売っていた。その中に、面接の受け方という項
目があった。私は読まなかったが、そういった技術だけでは、どうにもならない問題もあるとい
うこと。さらに最近では、「スパイ面接」という方法を、とるところが多い。

 子どもたちだけを自由に遊ばせながら、横から観察しながら、子どもをみるという方法であ
る。小中学校はもちろんのこと、会社の就職試験でも、採用するところがふえてきた。つまり
「付け刃(やいば)」では、ダメということ。やはり五、六歳までの教育が大切ということになる。
(040116)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!

★★★★★★★★★★★★★★★★★★

●みなさんのお声を、
聞かせていただけませんか?

マガジンを発行して、もう二年に
なります。

みなさんのご家庭、子育てで、
このマガジンが、どのように
役にたっているか、
お声を聞かせていただけませんか。

みなさんのお声は、住所(X県Y市)
お名前(Zさん)という匿名で、マガジン
に掲載させていただきたいと思います。

一行でもよいですから、お声を
届けてくだされば、うれしく
思います。

よろしくお願いします。

お声は……

****@*****
まで。

●またお知りあい、ご近所の
方で、このマガジンを
読んでくださいそうな方が
いらっしゃれば、よろしく
お伝えください。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★

【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●浜松市のよいところ

 この浜松市に住んで、今年で、三五年目になる。自分でも、これほど長くいるつもりはなかっ
た。しかし何かがよくて、三四年間も、住んだ。人生の大半を、この浜松市に住んだことにな
る。

 この浜松市のよいところは、あきないこと。

 車で二〇〜三〇分も走れば、海(太平洋)がある。湖(浜名湖や佐鳴湖)がある。郊外の田
園地帯がある。それに気候がよい。冬にいくら寒いといっても、あの北陸地方で感ずるような、
肌を切る刻むような冷たさは、感じない。どこかおだやか。

 雪はめったに降らない。降っても、積もることは、まず、ない。ほんのうっすらと積もることは、
たまにあるが、たいてい数時間で、消える。

 そしてこの平成時代。どこもかしこも、不景気。この浜松市とて例外ではないが、しかし有効
求人倍率にみるまでもなく、ほかの地方より、まだよい。浜松市は、工業都市。ホンダやスズ
キ、ヤマハなどの大会社が、ズラリと並んでいる。

 このことは、ほかの地方へ行ってみると、よくわかる。少し前、愛知県のX市で講演をさせて
みらったが、駅をおりてから、会場までに行く間、浜松市にはない光景に驚いた。ある一画だ
が、朽ちかけたバラック様の民家が、数一〇軒ほど、並んでいた。人が住んでいる気配はあっ
た。

 タクシーの運転手に、「ここもたいへんですね」と声をかけると、「不景気だからね」と。

 そのせいか、冬場になると、北海道ナンバーをつけたトラックが、町の中を走るようになる。
ワイフは、「出稼ぎにくるのね」と言うが、本当の理由はわからない。何か税法上のカラクリが
あるのかもしれない。

 それに浜松市のよいところは、人がサバサバしていること。都会的というか、ドロ臭くない。も
ともと街道の宿場町として発展したということもある。いわゆる「よそ者」に、寛大。おおらか。暖
かい。

 私も、そのよそ者だが、今まで、大きな差別を受けたことがない。むしろこのあたりでは、よそ
者のほうが、いばっている。態度が大きい。

 食べ物の種類も豊富。海産物がおいしい。安い。(ただし飲食店などの物価は、めちゃめち
ゃ、高い。)交通が便利。東京と大阪の、ちょうど中間あたりにある。適当な起伏があり、緑も
豊か。一年中、緑が消えることはない。何と、このあたりでは、水仙が、一二月から一月にかけ
て、咲く。

 いつも浜松市の悪口ばかり書いているので、みなは、私が浜松市が嫌いかと思っている。た
しかに不平や不満も多いが、しかしほかの町よりは、よい。好き。だから、私は、とっくの昔に、
この浜松市で死ぬことを決めた。「骨を埋める」という言い方は、私の言い方ではない。「ここで
死ぬ」。

 そうそう言い忘れたが、三四年も住んでいると、当然のことながら、この浜松市について詳し
く知るようになる。今では、ワイフ(浜松市生まれの、浜松市育ち)よりも、私のほうが、よく知っ
ている。友だちも、できたし、人のつながりもできた。話し方も、すっかり浜松弁になった。方言
で困ることは、もうない。

 それにもう一つ。この浜松市には、外国人が多い。オーストラリア人や、アメリカ人も多い。い
つも町へブラリとでかけ、ただで、英会話の勉強もできる。

 I LOVE HM!

 浜松市のみなさん、私のようなよそ者を、暖かく迎え入れてくれて、ありがとう!
(040116)


Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
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2・21 ……細江町「教育のつどい」
1・24 ……周智郡森町教育委員会
1・22 ……細江町中川小学校
詳しい講演日時は、
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Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1260人(04年1月24日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
    Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。
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子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto819

●意識の違い

 意識は脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、仮に自分の意識がズレていても、それに
気づくことは、まずない。とくに教育の世界では、そうだ。

 今から三〇年前、私はオーストラリアの大学で学んでいたときのことだが、向こうの教授たち
は平気で机の上に座っていた。机に足をかけて座っている教授すらいた。今でこそ笑い話だ
が、こうした光景は当時の日本の常識では考えられないことだった。

さらにその少し前、東京オリンピックがあった(一九六四年)。その入場式のときのこと。日本
の選手団は一糸乱れぬ入場行進をして、高い評価(?)を受けた。当時ですら、アメリカの選
手団はバラバラだった。私はそのとき高校生だったが、「アメリカの選手たちはだらしない」と思
った。しかし……。

 一方、一〇年ほど前だが、こんなこともあった。アメリカ人の女性が私に、「ヒロシ、不気味だ
った」と言って、こんな話をしてくれた。何でもその女性が海で泳いでいたときのこと。どこかの
女子高校生の一団が、海水浴にきたというのだ。「どうして?」と聞くと、その女性は、「みんな、
ブルーの水着を着ていた!」と。

つまりその女性は、日本の高校生たちがみな、おそろいのブルーの水着を着ていたことが、不
気味だったというのだ。が、私には、その女性の意識が理解できなかった。「日本ではあたりま
えのことだ」とさえ思った。思って、「では、アメリカではどうなのか」と聞くと、こう言った。「アメリ
カでは、みんなバラバラの水着を着ている」と。

 このアメリカ人の女性の意識については、それからしばらくしてから、理解できるようになっ
た。

ある日のこと。当時、マスコミをにぎわしていたO教団という宗教団体があった。(今も名前を変
えて、あるが……。)その教団の信者たちが、どこかふつうでない白い衣装を身にまとい、頭に
これまたふつうでない装置(?)をつけて、道を歩いていた。

その様子がテレビで報道されたときのこと。そのときだ。私にはそれがぞっとするほど不気味
に見えた。と、同時に、「ああ、あのときあのアメリカ人の女性が感じた不気味さというのは、こ
れだったのだ」とわかった。

 意識というのは、そういうものだ。人にはそれぞれに意識があり、その意識を基準にしてもの
を考える。しかしその意識というのは、決して絶対的なものではない。その人の意識というの
は、常に変わるものであり、またそういう前提で自分の意識をとらえる。

今、おかしいと思っていることでも、意識が変わると、おかしくなくなる。反対に、今、おかしくな
いことでも、意識が変わると、おかしくなる。たとえば今、K国の人たちが、一糸乱れぬマスゲー
ムをしているのを見たりすると、それを美しいと思う前に、心のどこかで違和感を覚えてしまう。
が、もし三〇年前の私なら、それを美しいと思うかもしれないのだが……、などなど。

 進歩するということは、いつも自分の意識を疑ってみることではないか。言いかえると、自分
の意識を疑わない人には、進歩はない。とくに教育の世界では、そうだ。

。 __ 。/ ̄ ̄ ̄\。 ___。  
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【今週のBW教室から】

●じゃんけん

小学五年生の子どもたちに、こう言った。

「ぼくに、じゃんけんに買ったら、お年玉を、一〇〇〇円、あげる」と。すると一番、活発なY君
が、「ぼくが、やる!」と。

私「いいか、ぼくにじゃんけんに買ったら、一〇〇〇円、あげる」
Y「あいこだったら?」
私「あいこだったら、何もあげない」
Y「わかった。でも、ぼくが負けたら?」

私「何もしないよ。じゃあ、するよ」
Y「わかった……」
私「ぼくは、君に負けてあげたい。だから、ぼくは、グーを出そうと思う。いいか?」
Y「……うん、わかった……」

私&Y「じゃんけん、ポイ!」

 どちらが買ったか、みなさん、わかりますか?

 私は、正直にグーを出した。しかしY君も、グーを出した。

私「あいこだ」
Y「あいこだ」
私「だから、何もあげない」
Y「ゲーッ」

 つまり、Y君は、私がウラをかいて、チョキを出すと思った。だからY君は、グーを出した。

私「だから、ぼくは、グーを出すと言っただろ」
Y「本当に、グーを出すとは思わなかったよ」
私「君は、ぼくを日ごろから、疑っているから、そうなるのだよ」
Y「ははは」と。


●熱くなる頭

一時間なら一時間の間、子どもたちを興奮状態にすると、子どもたちの頭が、熱くなっている
のがわかる。

 レッスンのあと、子どもの頭を、手でなでてみれば、それがわかる。

 しかし、どうやってその興奮状態にもっていくかが、たいへん。そして重要。一つの方法として
は、とにかく子どもたちを楽しませること。笑わせること。

 たとえば今日のレッスン(一月一五日、木曜日、年長児クラス)でも、子どもたちは、一時間
の間、笑いつづけた。(参観の親たちが、七、八人いて、みなさん、私のマガジンを購読してく
れているので、ウソは、書けない。)

 で、五〇分のレッスンが終わったとき、「さあ、終わり」と私が言うと、全員(一二人)、「いや
だ」「もっとする」「何も勉強してない」と叫んだ。(これも、本当の話!)

 恐る恐る、「プリントが二枚残ったけど、来週、しようね」と言うと、これまた大抗議。蜂の巣を
つついたような騒動になってしまった。

 しかしこれが私のやり方。『楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ』(イギリスの格言)である。終わっ
たとき、一人ひとりに、ほうびのシールを張ってあげるとき、頭をなでてあげると、みな、熱い。
ふつうの熱さではない。ポーッと熱さがわかる熱さである。

 横にいた母親たちに、「子どもたちの頭にさわってみてください。熱いですよ。この時期、頭を
熱くすることは、とても大切なことですよ」と声をかけてあげると、母親たちは、うれしそうに笑っ
た。

こうい暖かい雰囲気が、子どもをさらに伸ばす。

見学■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
マガジンを購読なさってくださっている方で
お子さん(幼稚園児)をおもちの方は、見学を
していただけます。
電話で予約の上、お子さんと、おいでください。
053−452−8039、BW(留守番電話)
まで伝言をお残しください。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■BW

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
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   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●目で見える世界

 丸裸の、つまりは、「無私」の「私」とは、どんな私を言うのだろうか。
 
そこで、私は、目を閉じる。そして、暗闇の中で、「私」を想像する。

私は見知らぬ国に住む、見知らぬ私だ。遠い、アフリカでもよいい。南米でもよい。まだ行った
こともない国の、見たこともない人であればよい。それが「私」だ。

もちろん、そこに住む「私」には、私がない。今、あなたがもっているような、財産もなければ、
名誉も、地位も、ない。家族もない。あなたが今、かかえている、わずらわしい問題も、ない。

 その私は、何ももたない。何もほしがらない。何も求めない。

 が、その私に、やがて「あなたという私」がくっついてくる。「私の名誉」「私の地位」「私の財
産」「私の家族」「私の子ども」と。とたん、あなたのまわりが、にぎやかになる。騒々しくなる。

 そこで改めて考えてみる。

 どうして、私が私であり、あなたがあなたなのか、と。

 そのちがいは、「無私の私」の上にくっついた、欲望であるということになる。何となく、哲学め
いてきた話になってきたので、あまり深入りしたくはないが、簡単に言えば、そういうことにな
る。

 この欲望が、私を私らしくし、あなたをあなたらしくする。そういう意味では、人間は、まさに欲
望のかたまり。「私の名誉」「私の地位」「私の財産」「私の家族」「私の子ども」と。

しかし本当に、それが、「あなた」なのかというと、そうではない。いつしか人は、私が私であるこ
とを忘れ、その欲望に振り回されるようになる。そしてその結果、本来の「私」を忘れてしまう。

 考えてみれば、私が死ねば、私は、この世界から、消えてなくなる。と、同時に、私にとって
の、この宇宙も、消えてなくなる。「あの世がある」と説く人も多いが、私には、わからない。仮に
あるとしても、それは死んでからのお楽しみ。

 ともかくも、私が死ねば、すべてが消えて、なくなる。そのことがわからなければ、一〇〇年
前、一〇〇〇年前に死んだ人を、思い浮かべてみればよい。一人の例外もなく、人は、すべて
そうなる。

 唯一の望みは、「あの世」である。あの世があれば、消えてなくなるという恐怖からは、解放さ
れる。あの世でも、私は私として、生き残る(?)ことができる。

 しかし、その、あるかないかわからないようなものに、今の人生を、かけるわけにはいかな
い。それはちょうど、当たるか当たらないかわからない、宝くじのようなもの。それともあなた
は、宝くじが当たることをアテにして、家を建てるとでも言うのか?

 そこでもう一度、目を閉じてみる。そして、その暗闇の中で、私を思いやる。顔の形? 容
姿? そんなものに、どんな意味があるというのか。座右に、高級時計や、高級バッグがあっ
ても、そんなものに、どんな意味があるというのか。

 それがわからなければ、子どもたちのゲームを見ればよい。「ブルーアイズが何点」だの、
「融合カードがどうした」だの、そんな話ばかりしている。力の強さは、点数で表される。その点
数に、一喜一憂する。つまり、おとなの世界も、それと同じ。あるいは、どこがどう、ちがうという
のか?

 目を閉じれば、あなたが何か、わかるはず。暗闇の中で、静かに息をしている、あなたが何
か、わかるはず。もうそこには、あなたの肉体すら、ない。あるのは、ただ心だけ。あなたという
「心」だけ。

 さらに、理解を深めるために、その暗闇の中で、逆に、あなたの莫大な財産と、名誉や地位
を想像してみればよい。あなたは想像しながら、その無意味さを、同時に知るはず。仮に、「あ
の世」という無限の時の流れと、未来があるとすらなら、さらにそうだ。まだ話はわかりやすい。
この世や、この世のものに執着する必要など、どこにもない。

 私は私。それはわかる。しかし、その私は、何なのか。その私は、どこにいるのか。それを知
りたければ、静かに目を閉じて、暗闇の中で、自分をさぐってみればよい。そして欲望の一つ
一つを、あなたの心から、はがしてみればよい。やがてあなたも、目の前に広がる、この「見え
る世界」の、小ささに、気づくはず。

 子どもたちが、カードゲームに夢中になっている姿を横から見ながら、私は、ふと、そんなこと
を考えた。


●江戸時代の亡霊 

 人間の意識は、簡単には変らない。変らないというのではなく、変えようという意欲がなけれ
ば、変わらない。いや、その前に、学習しようとする意欲がなければ、その意識に、気づくことも
ない。

 「いまだにこの日本は、江戸時代の亡霊を引きずっている」と私が言うと、みなは、こう言う。
「そんなはずはない。江戸時代は、もう一四〇年前に終わった。それに日本は、明治維新を経
験している」と。

 しかし、あなたは、本当にそう言いきることができるか?

 男尊女卑思想、「家」意識、身分制度、家長制度、出世主義などなど。私たちの生活の、あり
とあらゆる部分に、江戸時代は、まだ生きている。生きていながら、いまだに、私たちの生活に
大きな影響を与えている。

 たとえば江戸時代の身分制度は、やがて学歴制度に、姿を変えた。その身分は、学歴や、
出身大学や高校で、判断される。家制度にしても、そうだ。最近でも、こんな話を耳にした。「最
近」と言っても、つい先週だ。

 N県の友人のところに、叔父から電話がかかってきたという。そしてその叔父が、友人に、こ
う言ったという。

 「お前のところで勝手なことをすると、代々つづいたD家(け)の家紋に、キズがつく。D家の恥
になるようなことはするな。行動には、くれぐれも、注意してほしい」と。

 D家といっても、今は、山林農家(失礼!)。友人の家で、その友人家族が、何か、世間で目
立つようなことをしたらしい。それで友人の叔父が、そう言ってきた。

 こうした意識を変えるためには、まず、その意識に気づくこと。つぎに、それぞれの人が、自
分で考えること。変える、変えないは、あくまでも、その結果でしかない。それをしないと、結局
は、過去の意識を、そのまま引きずってしまう。

 よい例が、学歴信仰だ。

 これほど、受験競争の弊害が問題になりながら、毎年、毎年、親たちは、同じことを繰りかえ
す。ほとんどの親たちは、教育イコール、勉強ができるようにすることだと思いこんでいる。

 もちろん勉強も大切だが、しかし教育は、それだけではない。またそれだけであってはいけな
い。が、親たちの意識は、昔のまま。少なくとも、三〇年前と、何も変っていない。

 だからといって、親たちを責めているのではない。親たち自身が、その意識に気づいていな
い。また考える機会も与えられていない。何がなんであるかも、またどうあるべきかもわからな
いまま、子育てを始める。そしてそのとき、手っ取り早く、自分の過去を再現する。

 一つの方法としては、あなたの周囲にも、封建時代そのままの人はいくらでもいる。そういう
人を、反面教師としたらよい。それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する
が、そういう人たちを見抜く力も、忘れてはならない。

 意識というのは、決して普遍的なものではない。また絶対的な意識というものも、ない。とりあ
えず、あなた自身がもっている意識を疑ってみること。すべては、そこから始まる。

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

一月一三日、火曜日の今日

●朝、起きる

 寒い朝は、起きるのが、おっくうになる。それで、何となく、いつまでもフトンの中にいる。

 本当の私は、睡眠障害? 寝つきは悪くないが、朝方、何度も、目が覚めてしまう。そしてそ
のたびに、目を閉じ、そのままぐいと、がまんする。すると、またいつの間にか、眠ってしまう。

 ときどき、目が覚めたとき、「今、何時だろう?」と思う。しかし電気をつけて、時計を見たので
は、そのまま本当に目が覚めてしまう。大きな目覚まし時計は、近くにあるが、それを手にとっ
て見ることはない。手にとったとたん、本当に、目が覚めてしまう。

 だから、いつも、そのままの姿勢で、目を閉じる。そして、がまんする。

 たいていは、夢を見て、目が覚める。もともと私は、右脳型人間なので、夢は、よく見る。それ
に私の夢は、リアル。よく「カラーの夢を見る人は、精神異常の人が多い」などというが、私は、
そのカラーの夢をよく見る。私は、精神異常者か?

 内容は、その日によって、ちがう。

 夢の中で、大笑いすることもある。しかしたいていは、恐ろしい夢。こわい夢。不安な夢。あと
で思い出してみると、それほど内容の濃い夢ではないのだが、夢の中では、感情が、何倍も、
増幅されるらしい。

 今朝の夢は、こんな夢だった。

 私の家の前に、大きな家が建った。そしてその家が、すぐ売りに出された。見ると、大御殿の
ような、家だった。

 で、その家を買った人がいた。で、そこに住むかと思っていたら、その買った人は、その家
を、どこかへもっていってしまった……。こわかった……。そんな夢だった。

 そう言えば、その大御殿のような家の屋根は、赤い屋根だった。やはり、私の夢は、カラーだ
った。

 で、目が覚めた。それで起きた。時計を見ると、午前六時。「八時までに、いくつか原稿を書
こう」と、心に決めて、パソコンの前にすわった。

 みなさん、おはようございます。


●突風

 今日は、猛烈な突風が、吹き荒れている。「台風みたいだ」と私が言うと、ワイフが、「台風よ」
と。

 朝方、眠っているとき、雨が、はげしく庭の木々をたたくのを、聞いたような覚えがある。「風
の音か」と思ったが、それは雨の音だった。

 こういう日は、自転車に乗るのが、たいへん。こいでも、こいでも、前に進まない。「追い風な
らいいけど」と私が言うと、「でも、西風みたい……」と、ワイフ。

 「西風なら、楽だ」
 「でも、帰りがたいへんね」
 「帰るころには、弱まっているよ」
 「そうね」と。

 自転車にまたがると、坂の下に向けて、自転車を、力いっぱい、こぐ。とたん、猛烈な突風。
首をすくめて、さらに力をいれてこぐ。そのとき、カラスが、宙に飛んだ。つづいてハトも飛ん
だ。「何だ、カラスとハトは、仲がいいんだ」と、どうでもよいことを考えながら、今度は、首をすく
める。

 そのまま大通りへ出ると、町に向かって走る。追い風だった。よかった。そう思いながら走っ
ていると、時折、自転車を倒さんばかりの横風。ハンドルを握りしめて、また走る。

 郵便局までは、約三キロ。読者の人が、本を七冊も買ってくれた。それに、オーストラリアの
友人に送る雑誌と、もう一人の友人に送るパソコンソフト。長い間の休みで、郵便局へ行く機
会がなかった。
 
 一〇分も走ると、風の冷たさが消え、体中がほてるように熱くなる。

 いつも通いなれた道だから、どうということはない。大型ショッピングセンターがあって、いくつ
かの医院がある。靴屋があって、自動車屋がある。あとは焼き鳥屋に酒屋……。

 郵便局へ着くと、私の横に、若い女性が、自転車を並べて置いた。どちらも、今にも倒れそ
う。私はポストの横に、自転車を隠した。その女性は、金網に立てかけて、自転車を置いた。
風さえなければ、のどかな昼さがり。日差しは、明るく、暖かい。そう思って、郵便局の中に入
る。

 何でもない、一日。本当に何でもない、一日。こうして私の、今日という一日が過ぎる。ときど
き「これでいいのか」と思うが、これ以外に、何ができる? 

 郵便局の外に出ると、案の定、カゴに入れておいた手袋が、風で飛ばされていた。重い手袋
だったので、近くにあった。そのとき、先に会った若い女性が、横にやってきた。

 「強い風ですね」と話しかけると、その女性は、ニコリと笑った。笑って、金網から自転車をは
ずすと、私とは反対方向に、自転車を向けた。

 私はそのまま、町へ、仕事に向かった。


●参観

最初は、年中児クラスだった。が、レッスンが始まるとすぐ、母親たちが、みな、外へ出ていっ
てしまった。

私の教室は、過去三〇年以上、全参観授業をつらぬいている。親たちに見てもらうことで、質
を高めてきた。親が見ているといないでは、緊張感がちがう。私はその緊張感を大切にしてき
た。

で、教室には、親が一人もいなくなった。私の教室では、たいへん珍しい。めったにないこと。
「?」と思いながら、レッスンを進めた。

 一月からは、「数」の学習を、集中的に進める。今日は、まず数の楽しさを、徹底的に印象づ
ける。方法は簡単。数の勉強をしながら、子どもたちを笑わせればよい。

 笑うことにより、子どもの心は解放され、そしてそこから前向きな姿勢が育つ。途中で、「数の
勉強、好きな人?」と聞くと、全員が、「ハーイ」と手をあげてくれた。しかしそれこそ、私のねら
い。

 この時期、年中児は、急に、少年、少女ぽくなる。幼児期から、少年、少女期への移行期と
みる。

 で、親たちが見ていないから、どこか軽いノリで、レッスンを進めることができた。私はもとも
と、冗談好き。ものまね大好き。じい様先生や、ばあ様先生のまねをしてやると、子どもたち
は、ゲラゲラ笑った。

 ダラダラとしたレッスンは、かえって学習効果を薄める。とくに幼児期はそうで、集中的に、パ
ッパッとレッスンを進めるのがよい。子どもの頭を興奮状態にする。実際、レッスンの前とあと
とでは、頭の熱さがちがう。頭をさわってみれば、それがわかる。

 で、私のところでは、四五分間なら、四五分間、子どもを笑わせつづけることも、よくある。一
度、そういう状態になると、それこそ風が吹いても、子どもは笑うようになる。だれかが、鉛筆を
落としても、笑うようになる。

 今日も、そうだった。

 レッスンが、終わるころ、母親たちが、ゾロゾロと教室へ入ってきた。

 「今日は、みなさん、どうかなさったのですか?」と声をかけると、一人の母親が、「銀行へ行
ってきました」と。別の母親は、「買い物に行ってきました」と。「また、子どもたちの勉強を見て
あげてくださいね」と言うと、「わかりました」と。

 こうした幼児教室で一番重要なことは、なごやかな雰囲気。母親たちがピリピリしだすと、そ
こで子どもの伸びも止まってしまう。それだけは、絶対に、避けなければならない。そんなことを
考えながら、みんなと別れた。


●空腹

当然のことながら、仕事をしているときは、夕食の時間は、決まっている。家にいると、おなか
がすいたときが、食事どきということになる。正月の休みの間は、ずっと、そうだった。そのせい
か、空腹に対する抵抗力が、ぐんと弱くなったように感ずる。

 今、時刻は、四時二〇分。三〇分間の休み時間がある。その間に、この文章を書いている。
が、それにしても、おなかがすいた。今日は、昼に、小さなパンを二個、食べただけ。

 お茶を飲んで、胃袋をだます。

 そのとき、ふと、「欲望とは何か」を考える。私たちは、常に、自分の欲望を満足させるため
に、生きている。ここでいう食欲もその一つだが、食欲だけとは、かぎらない。性欲に始まり、
所有欲、名誉欲、独占欲、出世欲などがある。こうした欲望を満足させようとするとき、私たち
は、いつも、何かのカベにぶつかる。

 言いかえると、私たちにとって、生きるということは、そのカベとの戦いということになる。つま
り欲望があるからがんばるのではなく、欲望の前に立ちふさがるカベがあるから、私たちはが
んばるということになる。

今の私が、そうだ。「食事をしたい。しかし、その時間がない」と。

しかしそのカベを取り払ったら、はたして人間は、自由になるのだろうか。よい例が、どこかの
国の独裁者である。

 独裁者は、最大限まで、そのカベを取り払った人と考えてよい。自分に反対する者、反抗す
る者を、殺してしまうことさえできる。もちろんほしいものは、この世にあるかぎり、何でも手に
入る。核兵器だって、手に入る。

 しかしそれが人間がもとめる究極の生活であるとは、だれも、思わない。むしろ、そういった
人物に、ある種のあわれみすら、感ずる。それは、なぜだろうか?

 実は、ここに限界の美しさがある。

 たとえば水の中を泳ぐ魚は、水の中から出て、陸を歩くことはできない。しかしときおり、水面
ではねて、外の空気を吸うことはできる。

 反対に空を飛ぶ鳥は、水の中を泳ぐことはできない。しかしときおり、水の中にもぐって、魚を
取ることはできる。

 それぞれが、その与えられた限界の中で、懸命に生きている。カベというのは、今の生活を
包む、その限界と考えてよい。

 空腹を懸命にこらえながら、仕事をする。子どもたちの前で、カラ元気を出す。「あと一時間
で、夕食にありつける」「あと三〇分で、夕食にありつける」「あと五分だ……」と。こうしてがん
ばるところに、生きる人間の美しさがある。

 人間は、だれしもそうした限界状況の中で、懸命に生きている。……とまあ、空腹のことを考
えていたら、そんなことまで考えてしまった。


●生意気な子ども

どうしてそうなるのか、わからない。心が壊れるためか。ときどき、……というより、ある一定の
割合で、生意気な子どもというのが、現れる。

 おとなの世界を、なめきっているような感じ。あるいはおとなを、おとなとも、思わない。先人
に対する、一片の敬意もない。教育でどうこうなる問題ではない。こうした子どもは、(家庭)が
原因で、そうなる。

 「勉強さえできればよい」と、考える子ども。「勉強さえできればよい」と、考える親。こうした環
境から、生意気な子どもが生まれる。これは家庭教育の問題というよりは、日本の社会が構造
的にかかえる問題といってよい。

 学校の教育で、どうこうなる問題ではない。いわんや私の指導で、どうこうなる問題ではな
い。私は、ただあきらめて、つまり、「まあ、そういうもの」と納得して、仕事をするしかない。


●帰り

仕事が終わったのが、午後九時過ぎ。電気を消し、ストーブを消して、簡単に掃除をする。

 それから分厚いコートを、ていねいに着て、駐車場へ。

 風は、相変わらず、強い。「これはたいへんだ」と思いながら、自転車を、道路へ出す。とたん
冷たい空気が、頬を切る。

 この時刻になると、自転車に乗っている人は、まずいない。いわんや、私の年齢で、自転車
に乗っている人はいない。どこか、わびしい。大型の高級乗用車が、私とすれちがうたびに、ど
んな人が運転しているのだろうと、窓の中をのぞく。

 しかし今夜の風は、例外。大通りに出ると、自転車が、前に進まない。ギアは、一番ローにし
てあるが、それでも、前に進まない。

 懸命にペダルをこぎながら、腕を手前に引く。ワイフが、「台風よ」と言ったのを思い出す。と
きおり、冷たい雨が、顔に当たる。

 しかし、いつもそうだが、一〇分もこいでいると、体が熱くなる。そしてそれが、全身に広がっ
たとき、それは心地よさに変わる。

 リズミカルに、こぐ。リズミカルに、息を吸って、吐く。結局、N中学校の坂を登りきるまで、サ
ドルにおしりをすえることはなかった。が、そこからは、長い、くだり坂。呼吸を整えながら、一
気に、坂をくだる。実は、その爽快感(そうかいかん)が、たまらない。

 サーファーが、波をくだるときの、爽快感?
 スキーヤーが、白い雪をまき散らしながらすべりおりるときの、爽快感?

 まあ、それに似たような爽快感? 自分では、勝手にそう思っている。

 家に帰るころには、さわやかな汗が、しっとりと全身をぬらす。そしてコタツに入り、ココアを飲
む。レーズンパンを、一つ、口に入れる。そしてこうして、パソコンに向って、文章を書く。

 ……ほどよい眠気が、ユラユラと身を包む。今、ワイフが、就眠儀式を始めたところ。見たこ
とはないが、洗面所で顔を洗って、化粧を落としているらしい。どうして女性は、毎日、あんなめ
んどうなことをするのか……と、思いつつ、私も、寝る準備をしなければならない。

 今日は、私の一日を書いてみた。では、みなさん、おやすみなさい。
(040113)

【追記】

 フトンの中に入ると、ワイフがこう言った。「今日、市役所の資産税課に行ったらね、『著述業
って何か?』て、聞かれたの。それで私、あれこれ説明したんだけど、『それは、職業ではない』
と言うのね。失礼しちゃうわ。会社勤めをすることだけが、仕事だと思っているのね」と。

 「だったら、今度から、職業論に、『無宿、無頼(ぶらい)』とでも、書いておけばいい。あんな
のまじめに書く必要はない」
 「今の若い人って、そうなのかしら?」
 「そうだね。自由業(フリーター)ってものを、認めていない」
 「学校だけが、勉強するところと考えるのと、同じ、発想ね」
 
「頭がカタイって、こと。そういう人というのは、組織あっての人間と考えるからね。組織からは
ずれた人の、価値を認めない。江戸時代の身分制度の名残だよ」
 「一五〇年以上も前の江戸時代が、いまだに日本人の心の中に生きているなんて、おかしな
感じがするわ」
 「そういうこと。日本人は、過去、一度も、封建時代を、清算していないからね」と。
 

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●家庭内、冬の陣

このところ、寒い。それで私も、いろいろ工夫をしている。

 数日前も、服を着たまま、その上にパジャマを着て、寝た。ワイフは怒った。私はこう言った。
「このほうが便利だ。起きたとき、パジャマを脱げば、そのまま仕事ができる」と。

 しかし、その寝苦しいことと言ったら、なかった。通気性が悪いため、ときどきフトンをはぐ。し
かししばらくすると、今度は、体が冷える。一晩中、その繰りかえし。

 で、朝になって、「やはり、寒くても、素肌にパジャマを着て寝たほうがよい」とワイフに言うと、
ワイフは、「フン」と言って笑った。

 そこで私は考えた。

 今度は、寝室につづく廊下に、脱いだ順に服を並べておいた。朝、起きたとき、その反対に
服を着ればよい。

 セーター、ズボン……最後に、靴下と。

 が、朝、起きてみると、廊下に何もない! あわててさがすと、すべて今のソファのところに山
積みになっている。私がせかっく並べておいてものを、ワイフが、片づけてしまった!

 「どうして片づけた!」と怒ると、「廊下に、脱いだものを置いておかないで!」と。ワイフには、
私のアイディアが理解できないようだ。

 で、一つ、告白。

 少し前、ワイフと、市内へ買い物にでかけた。歩いているとき、ワイフが、「あんた、少し、おか
しいんじゃない?」と。

 見ると、私は、パジャマの上に、ズボンをはいていた。そのパジャマが、ズボンのすそから、
下へはみ出ていた。が、そのときは、「いよいよボケの始まりか……」と、心底、私はゾーッとし
た。この話は、おまけ。

 で、今朝のこと。

 朝早く起きて、原稿を少し書いた。書き終わったところで、時計を見ると、まだ午前六時、ちょ
っと過ぎ。もう一度、寝なおそうと思って、寝室へ。そしてフトンの中に……。

 「おい、フトンの中で、出すなよ!」
 「あら、出た?」 
 「バカヤロー、臭いだろ!」
 「しかたないじゃない、出ちゃったんだから……」
 「出ちゃったって、お前のお尻だろ」
 「ごめん」と。

 しかし寒さには、がまんできず、フトンを二度、三度はたいて、私は、フトンの中に……。我が
家はまさに今、冬の陣の真っ最中。


●将棋(しょうぎ)

このところ、将棋にハマっている。パソコン相手に、しかし、悪戦苦闘。前にも書いたが、パソコ
ンは、それほど強くないが、しかしヘマをしない。だから強い。一方、私はヘマをする。だから、
弱い。

 そこで「ヘマ」とは何かを考える。

 人間の行動には、スキがある。油断や、無駄がある。こうしたものが総合して、ヘマになる。

 そこでもし、人間の行動から、ヘマがなくなったら、人間の生活は、どうなるか。ムダがない分
だけ、効率はよくなる。しかしそういう生活は、それこそ機械じかけの生活のようで、味気ない。
おもしろくない。つまらない。

 もっともパソコン相手の将棋では、私のほうがヘマをしたときは、手を戻す。クリック一つで、
簡単にできる。が、そのとき、また考える。

 人間が相手だったら、こうはいかないだろうな、と。

 人間なら、怒ってしまうにちがいない。しかしパソコンは、怒らない。しかし、これがまた、私に
とっては、おもしろくない。パソコンが、「待ったはなしだ!」と、怒鳴ってくれたり、「もう、やめ
た!」とでも言ってくれれば、おもしろいのだが……。

 そういうソフトも、そのうちできるだろうと思うが、しかしやはり、どこかもの足りない。

 今、私がもっているソフトは、レベルを調整できる。〇級から一〇級程度まで。で、私が、今し
ているレベルは、二〜三級程度。(本当は、一級程度。ハハハ)

 一応、まあまあ楽に勝てる程度にしてある。しかし簡単には、勝たない。

 勝ちそうになると、まず相手を、丸裸にする。王将以外のコマは、全部取る。そしてそのあと、
ゆっくりと、王将を追いつめる。それが、私には楽しい。

 こういうときでも、相手が人間なら、怒って駒を投げつけるか、投了する。が、パソコンは、し
ない。一応、最後の最後までがんばってくれる。

 この方法は、ストレスを解消するためには、結構、役にたっている。

(内緒の話だが、私はいつも、どこかの国のあの独裁者の名前を、その王将につけている。そ
して追いつめるとき、「さあ、どうだ、XXX」と、叫びながら、将棋をしている。)


●スケベな話

広島市に転勤した、Tさんから、メールが入った。「先生のマガジンには、ときどき教育マガジン
らしからぬ、スケベな話が入っていて、おもしろい」と。Tさんというのは、もちろん女性である。
以前は、この浜松市に住んでいた。

 私もスケベな話は嫌いではないが、このところ、ぐんと元気がなくなってきた。しかしこれは、
同時に、深刻な問題でもある。

 あのフロイトは、すべての人間の行動の原点に、(性的エネルギー)があると説いた。(フロイ
トも、結構、スケベな人だったらしい。)それはわかるが、もしそうなら、性的エネルギーが低下
するということは、生命力そのものが弱くなることを意味する。

 スケベであるかいなかは、若さのバロメーターということになる?

 五〇歳を過ぎたころから、おかしいと思うようになったのは、男と女の区別がつかなくなったこ
と。若いころは、女性を見ると、男の私とは、宇宙人ほどの「差」を感じたが、今は、「女性も男
性と同じなのだな」と思ったり、「男性も女性と変わらない」などと、思ったりする。(このことは、
前にも書いたので、ここでストップ。)

 で。Tさんは、こう言う。「私は、夫との回数は、平均的な夫婦よりは多いと思うのですが……」
と。

 こういう話が、若い母親から出るようになったことを、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。つ
まりますます、私は、中性化したということになる。若いころなら、こういう手紙を読んだだけで、
あらぬ想像をして、鼻血を出したかも……? 今は、「ふうん」と思って、それで終わる。

 しかし私の年代には、スケベな話は、「卑猥(ひわい)」とか、「陰湿」とか、そういうことになっ
ている。「隠すべきもの」という意識も強い。が、こうした意識が、日本独特のものであること
は、昔、スウェーデンの性教育協会会長のE・ベッテルグレン女史の通訳をしていたときに知っ
た。

 一〇年や二〇年前の話ではない。三〇年前の話である。

 スウェーデンの大学には、「性」に関する、講座もあるという。その講座では、教官が、学生た
ちに、マットを敷かせる。そしてつぎに名簿から、ランダムに男女、一名ずつの名前を呼び、そ
のマットの上で、裸になって、セックスをするように命ずるという。

 そのセックスの仕方を、みなで見ながら、どうしたらよいか、どうあるべきかを、討論したり、
議論したりするという。

 あまりにも当時の常識とはかけ離れた話で、通訳しながら、私ですら何度も、「本当です
か?」と聞いたほど。一度、ある女子短大で通訳したときは、学生たちがキャーキャーと騒ぎ出
して、講演がストップしてしまったこともある。

 日本人も、もっとオープンに「性」について論じたらよいのではないか。しかも、まだその元気
のあるうちに……。私のように、男と女の区別がつかなくなってからでは、遅すぎる!

 Tさん、がんばってくださいよ。まだまだお若いようですから!


●「風の又三郎」

車のダッシュボードの中から、一本のカセットテープが出てきた。息子のために、昔、買った、
朗読テープである。そんなわけで、ドライブをしながら、宮沢賢治の『風の又三郎』を、改めて、
聞きなおした。

この世界には、児童文学というジャンルがある。私は、その児童に毎日接しているが、その児
童文学というのが、どうもよく理解できない。「風の又三郎」も、その一つ。

 ストーリーは、ご存知の方も多いと思うが、物語は、谷川の小さな学校に、高田三郎という一
人の少年が転校してくるところから、始まる。

どこか都会的で、違和感のあるその三郎は、やがて又三郎ではないかと、うわさされる。その
地方には、風の精である、「風の又三郎」が、風を起こすという言い伝えがあった。

 物語り全体は、三郎と学校の子どもたちの微妙なやりとりが中心となって、進んでいく。その
やりとりが、この物語の主題になっている。とくに四年生の嘉助が、三郎を、「又三郎」と、思い
こむのが、ひとつの柱になっている。

 しかしどうも、その柱が、こじつけ的? 無理がある? 嘉助自身も、何度も、「(又三郎に)違
いねえ」と繰りかえしている。この「違いねえ」を繰りかえさねばならないところに、無理がある。
(私なら、三郎を、最初から、又三郎の化身として登場させる。そのほうが、話の内容がすっき
りする。)

 見せ場は、放牧してあった馬が逃げるところだが、それはまだこの本を読んでいない人のた
めに、ここには書かない。

 で、テープを聞き終えたあとの感じとしては、「まあ、こういうものかな?」というところ。私の印
象としては、子どもの「像」をつくりすぎているのではと、思った。もっともこうした名作となってい
る文学を批評するのは、勇気がいる。ヘタな批判をすると、反対に、私のほうが、はじき飛ばさ
れてしまう。

 だから批評は、ここまで。この物語には、いわゆる古きよき時代の「学校」というものが、よく
表されている。テープを聞きながら、「昔はこうだったなあ」という、懐かしさを感じたのは、事
実。


●肝機能低下+チアノーゼ

アルコールを多飲すると、それが原因で、アルコール性肝硬変へと進行するという。恐ろしい
病気である。

 症状はいろいろあるらしい。

 疲れやだるさなど。ただ肝臓は、「沈黙の臓器」と呼ばれているくらいで、かなり病気が進行し
た状態でないと、症状が現われないらしい。つまり症状が出たときには、かなり肝臓が悪化し
ているということ。

 で、さらに悪化すると、肝細胞ガンや、肝性脳症になるという。この段階になると、症状は、急
速に悪化するらしい。肝性脳症というのは、いわゆる「発狂寸前の状態」をいうらしい。インター
ネットで調べたら、いろいろわかった。

富山市民病院の富山医の吉本博昭氏のホームページには、こうある。

「全身倦怠感、腹がはる、食思不振である。他覚的には、肝腫大、クモ状血管腫、手掌紅斑、
女性化乳房、食道静脈瘤を認める。非代償期には、黄疸、腹水、浮腫、食道静脈瘤の破裂を
呈する」と。

 タイプとしては、大酒飲みの人、暴飲暴食ぎみの人に多いという。女性のばあい、男性と比較
して、より少量の酒で、アルコール性肝硬変になるという。またチアノーゼ(紫色の血行不良症
状)が出るというのは、内臓疾患でも、末期だそうだ。

 ここまで書いて、「そう言えば、あの人も……」と思い当たれば、あなたはかなりの国際通。

 今朝の朝刊の、ある週刊誌の見出しに、こうあった。

 「金XX重病、緊急入院。この迫真情報。モスクワより医師がピョンヤンに。肝機能低下、チア
ノーゼ症状」と。

 他人の病気をとやかく言ってはいけないが、しかしやはり言ってはいけない。どの人も、平等
に人間だし、病気で苦しんでいる人を、笑ってはいけない。喜んではいけない。(がんばってい
るぞ!)その人がどんな人でも、罪を憎んで、人を憎まず。(かなりがんばっているぞ!)そうい
う話を、おもしろおかしく聞いてはいけない。(がんばってる、がんばってる……)人間は、やは
り正々堂々と、論をかわさなければならない。(ああ、もう、だめだ!)

 さっそく、これからその「激震スクープ」とやらが載っている「週刊文春」を、買いに行ってくる。
ごめん!
(040115)

【追記】近くのコンビニによったら、すでに「週刊文春」は、売り切れ。同日発売の「週刊新潮」
は、全冊、まだ残っていた。大型のY書店へ行ってみると、「週刊文春」と「週刊新潮」は、8対1
0くらいの割合だった。「週刊文春」のほうが、たくさん売れていた? 私もワイフに一冊買っ
た。いかに金XXの記事が衝撃的かが、これでわかる。同時に、いかに多くの日本人が、金XX
の動静に関心があるかが、これでわかる(15日、午後4時現在)。このつづきは、次号で。ここ
でマガジン(1月22日号付)の配信予約を入れることにする。

ついでに一言。ああいうメチャメチャな独裁者は、K国の人たちのためにも、早く滅んだほうが
よい。「週刊文春」によれば、後継者として最有力視されているのは、あの正男氏(今は、まだ
「氏」をつけておく)だそうだ。何とか「まともな人」であってほしいと願うのは、私だけではないと
思う。

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
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2・21 ……細江町「教育のつどい」
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1243人(04年1月1日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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04−1−20号(349)
★★★★★★★★★★★★★★
子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto819

●固い粘土は伸びない

 伸びる子どもと伸び悩む子どもの違いといえば、「頭のやわらかさ」。頭のやわらかい子ども
は伸びる。そうでない子どもは伸び悩む。

たとえば頭のやわらかい子どもは、多芸多才。趣味も特技も幅広く、そのつどそれぞれの分野
で、自分を楽しませることができる。子どもにいたずらはつきものだが、そのいたずらも、どこ
かほのぼのとした子どもらしさを覚えるものが多い。食パンをくりぬいて、トンネルごっこ。スリ
ッパをつなげて、電車ごっこなど。

 一方伸び悩む子どもは、融通がきかない。ある子どもとこんな会話をしたことがある。子、「ま
ちがえたところはどうするのですか?」、私、「なおせばいい」、子「消しゴムで消すのですか」、
私「そうだ」、子「きれいに消すのですか」、私「そうだ」と。実際、小学三年生の子どもとした会
話である。

 簡単な見分け方としては、ひとりで遊ばせてみるとよい。頭のやわらかい子どもは、身の回り
からつぎつぎと新しい遊びを発見したり、発明したりする。そうでない子どもは、「退屈ウ〜」と
か、「もうおうちに帰ろウ〜」とか言ったりする。遊びそのものが限定されている。

また同じいたずらでも、知恵の発達が遅れ気味の子どもは、とんでもないいたずらをすること
が多い。先生のコップに殺虫剤を入れた中学生や、うとうとと居眠りしている先生の顔の下に、
シャープペンシルを突きたてた中学生などがいた。その先生はそのため、あやうく失明すると
ころだった。

幼児でも、コンセントに粘土をつめたり、溶かした絵の具をほかの子どもの頭にかけたりする
子どもがいる。常識によるブレーキが働かないという意味で、心配な子どもということになる。

 頭をやわらかくするためには、意外性を大切にする。子どもの側からみて、「あれっ」と思うよ
うな環境をいつも用意する。私も最近、こんな経験をしたことがある。

オーストラリア人の夫婦を、ホームステイさせたときのこと。彼らは朝食に、白いご飯にチョコレ
ートをかけて食べていた。それを見たとき、私の頭の中で「知恵の火花」がバチバチと飛ぶの
を感じた。それがここでいう意外性ということになる。

言いかえると、単調で変化のない生活は、子どもの知能の大敵と考える。生活の中に、いつも
新しい刺激を用意するのは、子どもを伸ばす秘訣であると同時に、親の大切な役目ということ
になる。

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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●母親は、息子の友人が成功すると、ねたむ。

『母親は、息子の友人が成功すると、ねたむ。母親は、息子よりも、息子の中の自分を愛して
いるのである』と言ったのは、あのニーチェである(「人間的な、あまりに人間的な」)。

 こういう例は、多い。たとえば息子や娘を代理に、受験競争に狂奔する母親など。このタイプ
の母親は、自分の子どもが、子どもの友人たちに敗れるのを、許さない。

 以前、ある幼稚園で、これから書くような事件が起きた。こうした事件は、内容が内容だか
ら、正確に、ありのままを書いて、中日新聞に発表した。

あとで、園児を足蹴りにした事件については、ある保育園の園長から、「あの記事を読んで、シ
ョッキングでした。しかしうちの園でも、似たような事件がありました」という連絡を受けた。決し
て少ない事件では、ないようだ。

++++++++++++++++++
●いじめの陰に嫉妬

 陰湿かつ執拗ないじめには、たいていその裏で嫉妬がからんでいる。この嫉妬というのは、
恐らく人間が下等動物の時代からもっていた、いわば原始的な感情の一つと言える。それだけ
に扱いかたをまちがえると、とんでもない結果を招く。

 市内のある幼稚園でこんなことがあった。その母親は、その幼稚園でPTAの役員をしてい
た。その立場をよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていたのだが、ライバルの母親の娘
(年中児)を見つけると、その子どもに執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。

その子どもの横を通り過ぎながら、わざとその子どもを足蹴りにして倒す。そして「ごめんなさい
ね」と作り笑いをしながら、その子どもを抱きかかえて起こす。起こしながら、その勢いで、また
その子どもを放り投げて倒す。

以後、その子どもはその母親の姿を見かけただけで、顔を真っ青にしておびえるようになった
という。

ことのいきさつを子どもから聞いた母親は、相手の母親に、それとなく話をしてみたが、その母
親は最後までとぼけて、取りあわなかったという。父親同士が、同じ病院に勤める医師だった
ということもあった。被害にあった母親はそれ以上に強く、問いただすことができなかった。

似たようなケースだが、ほかにマンションのエレベータの中で、隣人の子ども(三歳男児)を、や
はり足蹴りにしていた母親もいた。この話を、八〇歳を過ぎた私の母にすると、母は、こう言っ
て笑った。「昔は、田舎のほうでは、子殺しというものまであったからね」と。

 子どものいじめとて例外ではない。Tさん(小三女児)は、陰湿なもの隠しで悩んでいた。体操
着やカバン、スリッパは言うに及ばず、成績表まで隠されてしまった。しかもそれが一年以上も
続いた。Tさんは転校まで考えていたが、もの隠しをしていたのは、Tさんの親友と思われてい
たUという女の子だった。

それがわかったとき、Tさんの母親は言葉を失ってしまった。「いつも最後まで学校に残って、
なくなったものを一緒にさがしていてくれたのはUさんでした」と。Tさんは、クラスの人気者。背
が高くて、スポーツマンだった。一方、Uは、ずんぐりした体格の、どうみてもできがよい子ども
には見えなかった。Uは、親友のふりをしながら、いつもTさんのスキをねらっていた。そして最
近でも、こんなことがあった。

 ある母親から、「うちの娘(中二)が、陰湿なもの隠しに悩んでいます。どうしたらいいでしょう
か」と。先のTさんの事件のときもそうだったが、こうしたもの隠しが長期にわたって続くときは、
身近にいる子どもをまず疑ってみる。そこで私が、「今一番、身近にいる友人は誰か」と聞くと、
その母親は、「そういえば、毎朝、迎えにきてくれる子がいます」と。

そこで私は、こうアドバイスした。「朝、その子どもが迎えにきたら、じっとその子どもの目をみ
つめて、『おばさんは、何でも知っていますからね』とだけ言いなさい」と。その母親は、私のアド
バイス通りに、その子どもにそう言った。以後、その日を境に、もの隠しはウソのように消え
た。(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++++

 父親と母親とでは、育児の姿勢が、微妙に違う。父親にとって、子どもは、自分とは別個の存
在である。また、そういう前提で、子育てを始める。しかし母親にとって、子どもは、まさに、(自
分から出た自分自身)ということになる。さすが、ニーチェ。ものの見方が、鋭い。

 こうした現象を、私は、「一体化」と呼んでいる。母親が、自分の子どもと一体化することをい
う。昔、こんなことがあった。

 教室の前のほうに座っていたA君(年長児)が、B君(年長児)に向って、「おい、バカ!」と言
った。そのときのこと、うしろで参観していた、B君の母親が、A君の母親に向って、「バカとは
何よ!」と。

 B君の母親は、自分が「バカ」と言われたと思った。こういう現象を、一体化という。母親がも
つ、特殊な心理の一つということになる。溺愛ママ、過干渉ママほど、この一体化の傾向が強
い。

 ある母親は、息子(小六男児)が、修学旅行へ行った夜、泣き明かしたという。また別の母親
は、息子が結婚した夜、「悔しくて悔しくて、眠れなかった」と知人に、こぼしている。一体化が
進むと、自分と子どもの間の境界がなくなってしまう。自分イコール、子ども。子どもイコール、
自分という考え方をするようになる。

 子どもと一体化する母親は、もともと情緒的に未熟か、精神的に未完成な母親とみてよい。
そうした母親側の欠陥が原因で、母親は子どもを溺愛したりするようになる。
(040111)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

依存心をつけさせる育児法

●依存性

 子どもに依存心をつけさせる育児法は、いくらでもある。まず「親がいなければ、何もできな
い」という意識を、徹底的に植えつける。

 親の優位性、親の絶対性、親の尊厳性など。こうしたものを、あらゆる機会を通して、子ども
に植えつける。

 先日、ある家庭に行ったら、そこの女性(七〇歳くらい)が、手乗り文鳥を飼っているのを知っ
た。そしてしばらくしていると、その女性が、その文鳥に向って、自らは、戸のうしろに身をかくし
ながら、こう話しかけた。

 「ホラホラ、(私は)行ってしまうよ。行ってしまうよ」と。

 それに答えて文鳥が、さみしそうな声で、ピーッ、ピーッと鳴いた。

 私はそれを見ていて、「手なづける」というのは、こういう方法をいうのだと知った。と、同時
に、それが日本型の子育ての基本になっていることを知った。

●手なづける

ペットを飼う人は、当然のことながら、飼い主に対して、依存心をもたせるようにペットを育て
る。エサの与え方がポイントで、主人の言うことを聞かなければ、エサを与えないというような育
て方をする。

 しかしこれはペットのばあい。

 ペットは、それでよいとしても、人間の子どもは、それではいけない。むしろ依存心をつけさえ
ないように育てることこそ、重要。そうでなくても、子どもは、親に依存しやすい。その(しやす
い)という性質を逆手にとって、子どもの心を操ってはいけない。

 少し前だが、Nテレビのある番組で、日本でも有名な演歌歌手のI氏が、涙ながらに、自分の
母親について語っていた。いわく「私は、母に、女手一つで、育てていただきました。産んでい
ただきました。私は、その恩に報いたく、東京に出て、歌手になりました」と。

 日本では、こうした話は、即、美談としてもてはやされる。あの番組を見て、涙をこぼした人も
多いはず。

 しかしI氏の母親は、本当にすばらしい母親なのだろうか。もちろんI氏は、「すばらしい母」と
言っていたが、しかし子どもを、そこまで追いつめたのは、いったいだれなのかということにな
る。

 私は、その陰に、I氏の母親自身がいたと思う。I氏の母親は、たぶん、I氏が子どものときか
ら、I氏に向って、「産んでやった」「育ててやった」を口グセにしていたと思う。

●依存心をもたせるのは卑怯(ひきょう)

子どもは、ひとりでは、生きていかれない存在である。その子どもの弱点を、逆に利用して、子
どもに依存心をもたせる育児法は、そもそもまちがっている。

 それはたとえて言うなら、経済的に弱者の立場にある妻に向って、夫が、「この家から出て行
け」と言うのに似ている。相手を身動きできない状態にして、その相手を思いどおりにする。実
は、子どもは、生まれながらにして、いつもその状態にある。

 ほかにたとえば、母親が子どもに、父親の悪口を告げるのも、それ。「あなたのお父さんは、
稼ぎが少ないでしょう。だからお母さんは、苦労するのよ」と。子どもは、母親の言うことに、反
論することさえできない。

 そういう弱者の立場にある子どもに、つまり、もとから依存しなければ生きていかれない子ど
もに、依存心をもたせるのは、実は、簡単なこと。簡単すぎるほど、簡単なこと。そういう親の
立場を利用して、あえて、子どもに依存心をもたせるのは、まさに卑怯、ということになる。

●依存心をもつ子どもたち

親に対して依存心をもった子どもたちが、自分の親への依存性に気づくことは、まず、ない。こ
れは脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分で自分がおかしいということがわからな
い。わからないまま、たとえば一方的に親に依存したり、その依存性をごまかすために、親を
美化したり、権威化したりする。

 「私が親にこれだけ依存するのは、それだけ親がすばらしいからだ」と。

 こうして親子の間で、ベタベタの人間関係を形成する。俗に言う、マザコン人間は、こうして生
まれる。ためしにあなたの近くにいるマザコンタイプに、親を批判するようなことを言ってみると
よい。

 このタイプの人は、自分では、決してマザコンだとは思っていない。思っていないばかりか、そ
うであることが、人生の哲学になっていることが多い。だからあなたに、こう反論する。「そういう
話は、聞きたくない!」「親の悪口を言うヤツは、許さない!」と。

●再び、日本型の子育て論

日本では、古来より、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子として
きた。そして親孝行をことさら重要視、それを子育ての「柱」にすえてきた。今でも、孝行論を家
庭教育の柱にしている、教育団体は、多い。

だからといって、孝行論を否定しているのではない。親を粗末にしてよいと言っているのでもな
い。しかし日本人は、今まで、孝行論を盾(たて)にとり、その甘い関係を、あまりにも美化しす
ぎてきた。親は、その孝行論に甘え、子どももまた、親に対して犠牲になることを、美徳と考え
てきた。

 こうした日本文化の特殊性は、外国へ出てみると、よくわかる。

 もちろんアメリカにも、オーストラリアにも、親思いの子どもは、いくらでもいる。子ども思いの
親も、これまたいくらでもいる。しかしそこにあるのは、純然たる、一対一の人間関係。その関
係の中で、親子でも、一対一の人間として、認めあっている。尊敬しあっている。……と、そこ
まで大げさでなくても、日本の親子関係とは、明らかに違う。

●子どもに求めない 

 仮にあなたが、依存心ベタベタの、マザコンタイプの人間であるとしても、それはそれで構わ
ない。あなたは、どこまでいっても、あなただ。

 しかしそれを今度は、あなたの子どもに求めてはいけない。子どももまた、どこまでいっても、
子どもだ。

 えてしてマザコンタイプの人は、ここにも書いたように、脳のCPUそのものが、どこかズレて
いるため、自分でそれに気づくことはない。それはたとえていうなら、カルト教団の信者のような
もの。おかしなことを一方でしながら、自分では、おかしなことをしているとは、思っていない。

●親であることのきびしさ

 では、どう考えたらよいのか。

 まず、親自身が、親であることのきびしさを、認識する。そのきびしさを、認識するところか
ら、子育てを始める。

 いつかあなたの子どもは、あなたの人間性を見ぬくときがやってくる。今までは、それでも、
「親だから……」「子だから……」という甘えの中で、その人間性をごまかすことができた。しか
しこれからは、そういう時代ではない。また、そうであってはいけない。

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。そのためには、親自身も、また、自立しな
ければならない。子どもはそういう親の姿を見て、自らも、自立することを学ぶ。

 イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二
〜一九七〇)は、こう書き残している。

『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施(ほどこ)す
けれど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを
与えられる』と。

 この言葉のもつ意味は、深い。
(040113)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

溺愛は、愛でない

●ある男性の追跡観察から……

「追跡」というほど、大げさなものではないかもしれない。しかし私は、R君という子どもをとおし
て、「溺愛は愛ではない」ということを学んだ。

 溺愛は、愛ではない。多くの人は、親の愛が、異常に高揚した状態を、溺愛と考えている。つ
まり溺愛は、愛の一種である、と。しかしそれはまちがっている。……という前置きは、それくら
いにして、そのR君について、思い出すまま、ここに書く。

●R君のこと

私が最初に、そのR君を知ったのは、R君が、高校一年生のときのことだった。そのときすで
に、R君と母親の関係は、かなりこじれていたという。しかしそれについては、そのとき私は、知
らなかった。

 ある夜のこと。R氏の母親から電話がかかってきた。受話器を取ると、母親は、こう言った。

 「先生、あのR雄が、夏休みに、アメリカへホームスティしたいと言っています。しかしつい先
日も、ああいう飛行機事故があったでしょう。何とか、思いとどまらせて、いただけないでしょう
か。R雄も、先生の言うことなら、聞きます。

 でね、先生、たいへん申し訳ないのですが、私から、こういう電話をしたということを、R雄に
は、内密にお願いしたいのです。くれぐれも、よろしくお願いします」と。

●あやつられるR君

しばらくしてR君と会った。で、それとなく、ホームスティの話を切り出してみた。するとR君は、こ
う言った。

 「お母さんは、行ってもいいと言っているけど、一度、先生に相談してみろと言っている。先生
が、いいと言えば、ホームスティしてきてもいいと言っている」と。

 R君の母親は、明らかに二枚舌を使っていた。しかし私は、母親が私に言ったことは、R君に
は話せなかった。スポンサーあっての、仕事である。スポンサーの意向に逆らうことはできな
い。そのとき私は、ある進学塾の塾長に頼まれて、R君の家庭教師をしていた。

「しかし今は、勉強したほうがいいと思うけど……」と私。
「来年になったら、受験勉強をすればいい。今年は、まだ、ぼくは、自分のしたいことをしたい」
とR君。
「ぼくは、あまり賛成しないな」
「どうして? この前まで、行けるなら行ってこいって、先生、言ってたじゃない」
「……」と。

●R君の過去

R君には、二人の姉がいた。上の姉は、そのとき、二二、三歳だったと思う。下の姉は、R君よ
り、数歳、年上だった。私は、下の姉も、彼女が中学生から高校生にかけて、同じ進学塾で、
四年間教えた経験がある。

 その姉が、ある日、こう話してくれた。「R雄は、今でも、お母さんといっしょに、お風呂に入っ
ている」と。R君は、そのとき、小学六年生だった。「赤ん坊のときから、ずっと寝るときも、一緒
よ」と。

 それだけではないが、私は、R君の母親が、R君を、溺愛しているのを知った。

「R雄がね、六年のとき、修学旅行に行ったのよ。そのとき、うちのお母さん、泣いていたのよ。
『どうしたの?』と声をかけると、『ひとりであの子は、だいじょうぶかしら』とね。お母さんは、そ
う言って、泣いていたのよ」と。

●母と子の対立

そのR君が急速に、親離れを始めたのは、R君が、中学三年生になったころではなかったか。
R君が、母親にはげしい罵声を浴びせかけ、時には、母親に対して、暴力をふるうようになった
という。

 そのときはまだ私はR君を教えていなかったから、生徒の弟の話として、一定の距離を置い
て聞いていた。しかし、こういうケースは、珍しくない。

 溺愛された子どもが、ある日突然、その溺愛を、重荷に感ずるようになる。

 ふつう、子どもというのは、その成長過程において、ちょうど昆虫が、一枚ずつカラを脱皮す
るようにして、成長していく。幼児期から少年期。少年期から思春期へ、と。しかし溺愛児に
は、それがない。ないまま、大きくなる。

症状としては、いつも満足げで、ハキがない。ちょうどひざに抱かれたペットのようだから、私
は、「ペット児」と呼んでいる。ずいぶんと失礼な呼び方に聞こえるかもしれないが、症状として
は、たいへんそれに近い。

 が、ある日、子ども自身が、それに気づく。そしてこう叫ぶ。「オレをこんなオレにしたのは、お
前だろ!」と。

今まで脱げなかったカラを、そのとき、一挙に脱ごうとする。しかしふつうの脱ぎ方ではない。い
くつもの反抗期を重ねたような反抗の仕方をする。暴力をともなうことも、珍しくない。

 そのときのR君が、そうだった。

●ホームスティを断念

結局、R君は、私の意見を聞き、ホームスティを断念した。「大学へ入ってからしても、遅くな
い」という私の意見に従ってくれた。が、私には、何かしら、割り切れないものが残った。

 実のところ、それからのR君については、私は、あまりよく覚えていない。ふつうの生徒とし
て、まじめに勉強してくれたと思う。そして、地方の大学だったが、国立大学へ入学した。と、同
時に、私との関係は、切れた。

 そのR君のことを、ほとんど忘れかかっていたときのこと。そのR君が、大学四年の夏休み
に、私の家にやってきた。そしてこう言った。

「先生、今の大学を卒業したら、ぼく、オーストラリアの大学へ進学しようと思っているのです。
ついては、先生の推薦状を書いてもらえませんか」と。

 私の推薦状など、一片の価値もない。しかしR君は、「どうしても、先生に、推薦してもらいた
い」と。

 で、結局、私が、R君の留学先の世話をすることになってしまった。大学の選定から、書類の
提出。学生ビザの取得から、航空チケットの購入まで。

●駅ではじめてわかった

私は、そういうこともあって、三月に、R君が、オーストラリアへ旅立つ日、駅まで、R君を見送り
にでかけた。

 父親と母親も、そこに来ていた。数人のR君の友人たちも、そこにきていた。それに少し遠巻
きにしながら、二人の姉たちもいた。

 が、その雰囲気が、どうもおかしい。私は、決して感謝されるのを目的で、R君を助けたわけ
ではない。しかし、私は、当然、両親は、私に感謝しているものとばかり思っていた。しかしR君
の両親は、私から視線をはずし、どこかよそよそしかった。

「しまった!」と、そのとき、はじめてわかった。

 私はR君の言うことだけを信じて、そのつど、両親の了解を求めることをしなかった。とくに母
親は、私に冷たかった。列車がプラットフォームを離れたときでさえ、母親は、私には、一言も
口をきかなかった。父親は、「いろいろお世話になりました」と言ったが、それだけだった。

●姉から電話

それから一〇年あまり。縁というのは、おかしなものだ。ある幼稚園へ講演に行ったら、そこに
R君の下の姉がいた。姉は、そこで幼稚園の先生をしていた。そしてそれがきかっけで、私
は、R君というより、母親とR君の関係についての、相談を受けるようになった。

 しかし姉から聞いた話は、私の常識では、理解できないものだった。

 R君は、日本へ帰ってきたあと、名古屋市に本社を置く、資材会社に就職した。そしてそこで
一人の女性と知りあい、同棲(どうせい)生活を始めた。

 そのことがわかった夜のこと、R君の母親は、まさに狂乱状態になり、なりふり構わず、泣き
じゃくったという。「悔しい」「悔しい」と。つまりR君が、一人の女性と同棲するようになったこと
を、「悔しい」と言うのだ。

 が、R君の母親は、R君の前では、そんな様子は、おくびにも出さず、相変わらず、やさしい、
理解のある母親を演じてみせたという。

●父親の死、そして……

が、まもなくして、父親が死んだ。で、母親は、上の姉夫婦と同居することになった。そのころか
ら、母親の様子が、また少しずつ、変わってきた。R君の母親は、ことあるごとに、R君の家を
訪問し、そのつど、R君から、五〜一〇万円単位の、小遣いをせびるようになったという。

 最初は、「お前のかわりに、貯金をしておいてあげる」「あとですぐ返す」とか言っていたが、そ
のうち、泣き声を混ぜ、生活がきびしいと言ったりした。

 しかしそんなはずはなかった。父親が死んだとき、母親には、数千万円の生命保険がおり
た。また祖父の代から、敷地の横で、計六室ある、アパートも経営していた。上の姉は、大手
の自動車会社で、設計技師をしていた。裕福というわけではないが、お金に苦労するような環
境ではなかった。

 が、R君の母親は、R君から、お金を取りつづけた。「法事があるから」「伯父の葬儀があるか
ら」「盆に、寺の住職を呼ぶから」「甥(おい)が結婚するから」と。

 そのつど理由はさまざまだったが、それはもう、執念に近いものだった。

●嫉妬が転じて、うらみに

溺愛から嫉妬。そしてその嫉妬から、うらみに。

R君の母親の心情の変化を、簡単に言えば、そういうことになる。母親は、R君が、幸せになる
のを、許さなかった。そしてそのうらみは、いつしか、R君から、奪い取れるものは、すべて取れ
という姿勢に変わった。

 しかし母親は、R君(もうR君というよりは、R氏と言ったほうが正しいかもしれないが……)の
前では、やさしい、気弱な母親を演じてみせた。R君が、母親に、「お母さん、お金はあるか?」
と聞くと、母親は、こう言ったという。

「母さんはね、みんなの残り物を食べているから、心配しなくていいよ。旅行も、○○さん(伯
父)が、ときどき連れていってくれるから、それでいいよ」と。

 母親は、決して「お金がない。」「お金がほしい」と言わない。R君を、言葉巧みに、誘導した。
そしてそのたびに、R君は、五〜一〇万円のお金を、母親に届けた。


●そして事件が起きた

そのとき母親は、上の姉夫婦と同居していた。しかしあまり居心地のよい世界ではなかったら
しい。母親は、敷地の横に、自分の家、つまり離れを建てることにした。

 その間の、こまかいいきさつは、私は知らないが、その建設資金は、R君が出すことになっ
た。R君名義の家ということで、R君が、銀行から、お金を借りた。毎月、五、六万円の返済額
だったというが、決して楽なお金ではなかった。ボーナス月には、二〇万円近い、お金の返済
を迫られた。

 そんなとき、事件が起きた。

 R君が、半年の予定で、中国の上海に出張に行くことになった。子どもがいなかったこともあ
って、R君の妻も、いっしょに行くことになった。そのときのこと。何かあってはいけないからとい
うことで、R君は、自分の土地の権利書と印鑑などを、母親に預けた。

 土地は、名古屋市の校外に買い求めた、四〇坪あまりの土地の権利書だった。R君は、ゆく
ゆくは、そこに、自分の家を建てるつもりだった。

 しかし、だ。半年後にR君が、日本へ帰ってみると、その土地は、母親によって、他人に転売
されていた。

●母親と決裂

その夜、R君は、母親に泣いて抗議した。長い電話だったが、最後に母親は、こう言ったとい
う。「親が、先祖を守るために、息子のお金を使って、何が悪い。お前を大学を出すために、私
が、いくらお金を使ったと思っている。まず、そのお金を、返せ!」と。

 それは、いつもの、あのやさしい、ネコなで声で話す母親の声ではなかった。ぞっとするほ
ど、冷たく、はげしい言い方だったという。

 R君は、こう言う。

「親をだます子どもの話は、よく聞きますが、世の中には、子どもをだます親だっているので
す。この一件で、私と母親の関係は切れました。

 今でも、あのやさしい母が、心の中にいないわけではありません。ですから母を思うと、心の
中が、バラバラになってしまいます。

 で、それから一〇か月もの間、私は、毎晩、怒りと悔しさで、体がほてり、眠ることさえ、まま
になりませんでした。そのたびに妻が、私を介抱してくれました。

 しかしその一〇か月が過ぎたとき、私の中に、別の怒りが、ムラムラとわき起こってきまし
た。私の子ども時代を溺愛というクサリで、がんじがらめにした母への怒りです。

 今でも母はそのことを口にして、『お前をかわいがってやった』『だいじに育ててやった』と言い
ます。

 親類の伯父や、叔母も、『R雄は、お母さんにだいじに育ててもらったではないか』と言いま
す。

 つまり、まったくとぼけています。それからもう一〇年近くになりますが、あの話、つまり土地
の転売の話になると、母は、突然人が変わったように狂乱状態になります。手がつけられませ
ん。

 ですから私も、その話には、触れないようにしています」と。

●溺愛は、愛ではない

 親は、情緒的な未熟性、精神的な欠陥(けっかん)があって、子どもを溺愛するようになる。

 その愛は、どこかストーカーがもつ、「愛(?)」に似ている。一方的な思いこみによって、相手
を、自分の心のすき間を埋めるための道具として、使う。母親のばあいも、溺愛を、深い親の
愛と誤解することが多い。中には、子どもを溺愛しながら、「私こそ、親のカガミ」と思いこんで
いる人もいる。

 しかし自分勝手で、身勝手な愛であることには、ちがいない。こういうのを、代償的愛と呼ぶ。

 つまりは、「愛もどきの愛」ということになる。一見「愛」に見えるが、それは愛ではない。親子
のばあいは、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりに動かそうとする。

 だからこのタイプの母親は、子どもが自立していくのを望まない。あるいは、それをさまざまな
形で、阻止(そし)しようとする。最初に、私に電話をかけてきたときがそうだった。R君の母親
は、R君が、アメリカへホームスティすることに反対したのではない。飛行機事故を心配したの
でもない。R君の母親は、R君が、自分から離れていくのを、恐れた。

 いつか通りで会ったとき、R君の母親は、私にこう言った。

「先生、息子なんて、育てるもんじゃ、ないですね。あのR雄は、名古屋の嫁に取られてしまい
ました。親なんて、さみしいもんですわ」と。

 その言葉だけは、今も、鮮明に記憶の中に、残っている。
(040112)

●「親は絶対」……もしあなたが今、そう思っているなら、そういう考え方は、改めたほうがよ
い。あなたがそう思うのは、あなたの勝手だが、そう思うことによって、今度は、あなたは無意
識のうちにも、あなたの子どもに対して、子どもがそう思うのを、求めるようになる。何か、子ど
もがあなたに反抗したりすると、「何よ、親に向かって!」と。

こうした親意識(私は「悪玉親意識」と呼んでいるが……)は、あなたの子どもがそれを受け入
れれば、それなりに親子関係はうまくいくが、そうでないときは、親子の間に、大きなキレツを
入れることになる。くれぐれも、注意してほしい。

●悪玉親意識……親意識には、善玉親意識と悪玉親意識がある。「私は親だから、親の責任
と義務を果たす」と考えるのは、善玉親意識。一方、「親に向かって!」と親風を吹かすのを、
悪玉親意識という。悪玉親意識は、悪玉コレステロールのようなもので、長い時間をかけて、
親子のパイプをつまらせる。

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況】

●ハッサクの収穫

今日、山荘で、レモンとミカン、それにハッサクの収穫をした。レモンは、数個しかなっていなか
ったが、ハッサクは、大豊作。二メートル足らずの木だが、一〇〇個近く、取れた。

 「このあたりは、日当たりがいいから」とワイフが言ったが、ハッサクの木のあるところは、一
日中、日が当たる。

 私が大きなハサミで、枝ごと、ハッサクを切り落とす。それを下で、ワイフが、木からもぎとっ
て、袋に入れる。私はいまだに、あの酸味が好きになれない。しかしワイフは、そうでない。「私
は子どものころから、ハッサクを食べていた」が、口グセ。ワイフは、純粋な静岡県人。生まれ
も育ちも、この浜松市。

 私が子どものころは、ハッサクなど、食べたことがない。(当時は、まだなかったのか?)ミカ
ンといえば、温州(うんしゅう)ミカン。それも、箱売りではなく、一個とか二個とかいう、バラ売り
のを買って食べていた。たまに夏ミカンを食べたことがあるくらい。しかしあの夏ミカンほど、す
っぱいミカンはなかった。その思いが、ハッサクには、残っている。

 話は前後するが、その前に、ミカンの収穫もした。こちらは、ほんの数える程度。大半は、野
鳥やハクビシンのエサになったようだ。ワイフがミカンをもいでいる間、することもないので、私
は周囲の雑木を、斧(おの)で、何本か、切り倒した。

 これが結構な重労働。五、六本切り倒したところで、ハーハーあえぎながら、ダウン。

……部屋へもどると、さっそく、ワイフが、ハッサクをむいてくれた。私は、それを食べながら、
まさに今、この原稿を書いている。

レモンが、水色の陽光をあびて、
黄色く光っている。
一個、二個、三個と……。

「いつごろが食べごろ?」と聞くと、
ワイフが、「もう少しよ」と。

その向こうには、すすけた色の緑の森が、
幾重にも重なってつづく。

一つ、二つと、ハッサクの実を口に入れる。
私は、袋さら、食べるのが好き。
何かのコマーシャルではないが、
食べだしたら、止まらない。

外は、身を切るような冷たい風。
が、家の中は、上着を脱ぐほど、暖かい。
その暖かさを感じながら、
また一つ、ハッサクの袋を、口の中に入れる。


●世間のわずらわしさ

偉大な研究家や、偉大な芸術家になるための、第一条件は、世俗的な、わずらわしさから、無
縁になることだそうだ。その中でも、とくに、人間関係のわずらわしさから、解放されることだそ
うだ。言いかえると、人間関係のわずらわしさは、その人を小さくする。

 たとえば近隣や親戚との人間関係。こうした人間関係に巻き込まれると、自分が自分でなく
なってしまう。こうした人間関係から生まれる問題のほとんどは、どうでもよい、ささいなことが
多い。その相手がそれなりの人ならまだしも、たいていは、そうでない。ためしに、バスや電車
の中で、しゃべりつづける、あのオバサンや、オジサンの会話に耳を傾けてみるとよい。

 実にくだらないことを、さも、人生の達人であるかのように、話しつづける。その人にとって
は、自分は、裁判官であり、学識者であり、そして神や仏なのだ。

 「あの人の息子は、親孝行の、いい息子や。毎年春になると、親を、○○温泉へ連れていく
そうや」
「いやいや、△△さんどこの息子さん。あの人が一番や。あの息子さんは、親に、二〇万円も
するような羽根布団を買ってあげたそうな」
「そうですか。それは、うらやましい話ですな。子どもは、そういうふうに育てないかんですな」
と。

 そしてやがて話は、そのわずらわしい話へと飛ぶ。

 「ところで、XXさんどこの娘さんだが、親の死に目にも、会わなかったそうや」
 「いくら、大阪に住んでいるといっても、それはいかんですな。いくら羽振りのいい生活をして
いても、人間としては、失格や」
 「それで伯父にあたる人が、その娘さんに説教してやったそうですよ。そしたらその娘さん
が、泣いて謝ったそうや」
 「そりゃあ、そうやろ。子どもには、子どもの務めというものがありますかね」と。

 こうした話が、いつまでもつづく。

 あのノーベル賞を受賞した江崎氏は、「(ノーベル賞を取るような研究をしたかったら)、名刺
を捨てろ」というようなことを言ったという。何かのついでに聞いた話なので、本当にそう言った
かどうかは知らないが、一理ある。人間関係のわずらわしさに関わっていては、すばらしい研
究などできるわけがない。 

 だからといって、人間関係を粗末にしてよいということではない。よい人間関係は、その人が
生きる原動力にもなる。またその人間関係の中で、自分をみがくことができる。しかしひとたび
こじれると、それは足かせ、手かせとなって、その人を苦しめる。ときに、押しつぶす。

 たいていどこの世界にも、あれこれ節介を焼いてくる人がいる。表面的なことだけを見て、安
っぽい正義感を振りかざす。そういう人が、そのわずらわしさを、さらにひどくする。ある女性
(四六歳)は、こう言った。「もう、親戚づきあいなんて、コリゴリ」と。その女性は、母親の死をき
っかけに、親戚づきあいを、すべてやめた。

 会社、近隣、そして子どもの教育。人間はそれぞれの場所で、無数の人間関係を築く。そし
てそれがクモの巣の糸のようにからんで、あなたのまわりの世界をつくる。そこで教訓。

 こうした人間関係で、わずらわしさを感じたら、その人と離れられるようなら、無視して別れ
る。そうでなければ、こちらから頭をつこんでいく。逃げていたのでは、ますますわずらわしくな
る。

 これは私がこの五六年間で得た、生活の知恵のようなもの。皆さんの参考になるかどうか
は、わからないが……。


●S・スピルバーグ監督の「TAKEN」(1〜3)を見る

昨夜、S・スピルバーグ監督の「TAKEN」の(3)を見る。(3)で完結するかと思っていたら、そ
れはまちがい。何でも、シリーズで、(10)までつづくとか。

 がっかりしたというか、とても(10)までは、見られない。私のエネルギーは、せいぜい(3)ま
で。(10)まで見たいとは思わない。

(私の家の近くのビデオショップには、(3)までしか、なかった……。)

 改めて、文庫本のほうを読みなおす。が、そのあとがきに、こうあった。「どうやらスピルバー
グはがエイリアンに関する何らかの極秘情報に関与していることだけは事実のようだ。やはり
『テイクン』は、単なるフィクションではなかったのである!」(品川四郎氏)と。

 これはあくまでも、あとがきを書いた、品川氏の憶測だが、しかしこのビデオが、かなり、いろ
いろな資料に忠実なのは、たしか。(おかしなところも多いが……。)

 そう言いながらも、ビデオショップに、(4)以後が並べば、多分、また借りてきて見ると思う。
私もあの夜、ワイフと見た、あの巨大なUFOが、何だったか、知りたい。


●恩師のT先生のところに、天皇陛下がやってきた

T先生が、日本化学会の会長をしているとき、その大会に、天皇陛下が、来賓で来てくれたと
いう。そのあと、T先生は、日本学士院賞を受賞し、天皇陛下の前で、御進講をしたという。

 そういうさまざまな縁があったのだろう。天皇陛下と美智子皇后陛下が、T先生が会長を努め
る鎌倉の、Kテニスクラブへ、テニスをしにきてくれたという。

 T先生と知りあって、もう、三五年になる。私は、そのT先生と、メルボルン大学のあのカレッ
ジで、三か月の間、寝食をともにできたことを、何よりも誇りに思っている。

 そののち、T先生は、東大の副総長(総長特別補佐)や、国際触媒学会の会長などを、歴任
した。そんな先生だが、ときどき、私の著書の前書き推薦文なども、書いてくれた。私の自宅
や、山荘へも、遊びに来てくれた。そして今も、現役で、教育論を書いている。

 風貌が、あの中曽根元首相そっくりで、「この前、群馬の温泉に入ったら、中曽根さんとまち
がえられた」と笑って話してくれた。


●ブッシュさんは、怒るだろうな?

「一一日付の米紙ワシントン・ポスト紙は、米高官の話として、北朝鮮を訪問していた米専門家
や議会スタッフらに対し、使用済み核燃料棒を再処理し抽出したプルトニウムを公開した」と報
じた。

 K国としては、精一杯の誠意を演出したつもりなのかもしれないが、K国のすることは、どう
も、やることなすこと、すべて、おかしい。常識から、はずれている。

 暴力団が、警察の査察に対して、「ピストルの部品は、ちゃんとあります」と見せたようなも
の。K国としては、「まだ核兵器は作っていない。しかし会議で、いい条件を出さなければ、いつ
でも核兵器を作ってやる」という姿勢を見せたかったのだろう。しかしそうは、うまくいくものか。
これはK国が打って出た、一か八かの、大勝負とみてよい。

 ブッシュさんが、それにおびえて、「はい、わかりました。では会議をしましょう」と言えば、K国
の思惑どおりになる。しかし、ブッシュさんは、そういう脅しに乗るような人ではない。私は、今
回の「公開」は、かえって、ブッシュさんを怒らせるのではないかと思う。つまり逆効果。

今回の「公開」は、K国が、アメリカやそのほかの国々をだましていたことを、自ら、告白するよ
うなもの。その政治的パターンは、あの拉致問題と、まったく、同じ。どこも違わない。

 さんざん「拉致はない」と、あらゆる会議で怒鳴り散らしてきたくせに、金XXが、拉致を認めた
とたん、今度は、「日本は、(被害者をK国へもどすという)約束を守らない」と、トンチンカンなこ
とを言いだした。

 今回もさんざん「核兵器の開発には興味はない」と、あらゆる会議で怒鳴り散らしてきたくせ
に、プルトニウムを公開している。そして「こうして開発に乗り出したのは、アメリカの圧力があ
ったからだ」と。被害妄想も、ここまでくると、驚くというより、あきれる。

 ここ数日のうちに、アメリカがどう反応するかが問題だが、アメリカにしてみれば、この段階で
は、もう会議をしても意味がない。同じ「凍結」でも、「核開発に入る前の凍結」と、「プルトニウ
ムを、核爆弾に装着する前の凍結」では、意味がちがう。「ピストルにいつでも、弾をこめること
ができる」という状態で、何を話しあえというのか。

 「公開」というのなら、「核兵器をもっていません」ということを、外の人が信用できる形で、公
開すべきである。今回の査察でも、「私たちは核燃料棒に、何も手を加えていません。去年の
ままです」というであれば、話もちがっただろう。またそういうことであれば、「公開」にも、意味
がある。

しかしどうであれ、残念ながら、今のK国を信用する国は、中国やロシアも含めて、どこにもな
い。Y新聞は、「もっと別のところで、秘密裏に核開発をしているはず」というような論評を加えて
いる。私も、そう思う。

 さあ、どすうする、金XXさん?
 

●マガジンの限界?

二年前、私と同じころ育児マガジンを発行した友人がいた。彼は、Mというマガジン社から配信
していたが、その後のことを聞くと、「昨年(03)の六月から、ほとんど出していない」とのこと。
理由を聞くと、「読者がふえないから……」と。

 一時は、毎回、倍々と、読者の数がふえたそうだ。しかし一〇〇人を超えたところから、頭打
ちになって、以後、少しずつ減り始めとか。それで「いやになった」と。

 私は、最初から、読者の数は、問題にしなかった。「どうせやるなら、一〇〇〇号まで出して
やろう」と心に決めた。「読者が一〇〇〇人」ではない。「一〇〇〇号」だ。

 そのとき、もう一つ、心に決めた。A四サイズ原稿一枚でも、一号は一号。毎日、日記形式で
軽く書いても、一号は一号。だから、「A四サイズで、二〇枚。二日に一度の発行をする」と。

 しかし実際には、これはたいへんな作業だった。毎朝五、六時に起きて、一応の原稿を書き
終えるのが、九時とか一〇時。それからマガジンの発送予約。

 最近は、HTML版も発行している。作業そのものは、本気ですれば一〇分足らずでできる
が、それに写真を挿入したりする。だからまた、プラスアルファの仕事が、ふえてしまった。

 しかし全体としてみると、電子マガジンの時代は、そろそろ頭打ちになってきているのではな
いのか? 同じHTML送信だが、このところ各社ホームページの充実ぶりが、ものすごい。カ
ラフルで、動きもある。それに組織的。私のような個人が、とても戦えるような相手ではない。

 たとえば読者も、「アンケートに答えてくれたら、抽選で、一〇人の方に、一〇〇万円!」とい
うような集め方をする。そういう方法だと、あっという間に、数千人から一万人を超える読者が
集まるらしい。そういうところは、わざわざマガジン社を通さなくても、自前で、マガジンを発行す
ることができる。

 「個人で発行するマガジンには、限界があるのでは……」と、その友人は、言う。私も、実は、
そう思い始めている。一時は、無限の可能性を信じて発行し始めた電子マガジンだが、このと
ころ、何となく、自信がなくなってきた。

 やはり売れなくても、本業の出版のほうに力を入れるべきなのか。原稿を、またあちこちの雑
誌社に売りこむべきなのか。……と、悶々と悩みながら、Eマガの読者数を調べたら、今朝は、
三人、ふえていた(一月一二日朝)。

 私は、それを知って、思わず、「ありがとう」と、つぶやいてしまった。こうした励ましがなかっ
たら、私も、とっくの昔に、マガジンの発行をやめていただろう。一月一二日の朝、マガジンの
購読を申しこんでくださった、読者の方へ。そしてすべての読者の方へ。ありがとうございます。
今年も始まったばかりですが、何とか、一〇〇〇号まで、つづけます。よろしくお願いします。

*********************
お知りあいの方で、このマガジンがお役にたて
そうな人がいっらしゃれば、このマガジンのこ
とを話していただけませんか。
よろしくお願いします。
*********************
(040112)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
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2・21 ……細江町「教育のつどい」
1・24 ……周智郡森町教育委員会
1・22 ……細江町中川小学校
詳しい講演日時は、
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のぞいてやってください。
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はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1243人(04年1月1日現在)
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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心の貧しい人たち

 金持ちでも心の豊かな人。金持ちでも心の貧しい人。貧乏でも心の豊かな人がいる。最高級
車を乗り回しながら、ゴミを窓の外にポイと捨てる人は、金持ちでも心の貧しい人。清貧を大切
にしながら、近所の清掃をしている人は、貧乏でも心の豊かな人ということになる。しかし問題
は、貧乏で、心の貧しい人だ。そういう人はいくらでもいる。

 ただここで誤解しないでほしいのは、人はすべてここでいう四つのタイプに分けられるという
のではない。人は、そのつど、いろいろなタイプに変化するということ。あなたや私にしても、心
が豊かな面もあれば、貧しい面もあるということ。さらに金持ちかどうかは、あくまでも相対的な
ものでしかない。いくら貧乏といっても、五〇年ほど前の日本人のような貧乏な人は少ないし、
どこかの貧しい国の人よりは、はるかによい生活をしている人はいくらでもいる。

 で、そういう前提で、心の貧しい人を考えるが、そういう人は、実のところ、いくらでもいる。見
栄、メンツ、世間体にこだわる人というのは、それだけで心の貧しい人と言ってよい。

このタイプの人は、いつも他人の目の中で生きているから、ものの価値観や幸福感も、相対的
なものでしかない。自分より不幸な境遇にいる人をさがしだしてきては、そういった人を見くだ
すことによって、自分の立場を守ろうとする。だから会話も独特のものとなる。

「あの家の息子さんは、引きこもりなんですってねえ。先生の息子さんでも、そうなるのですね
え」「あの家は昔からの財産家だったのですが、今は見る影もないですねえ」とか。

他人の不幸や失敗が、いつも話のタネとなる。中には一見、同情するフリをしながら、ことさら
それを笑う人もいる。「かわいそうなものですねえ。人間はああも落ちぶれたくはないものです」
と。こういう人を心の貧しい人という。

 つまるところ自分自身や自分の生きざまに、いかに誇りをもつかということだが、心の貧しい
人は、他人の不幸を笑った分だけ、今度は、自分で自分のクビをしめることになる。

ある女性(八〇歳)は、老人ホームへ入ることを、最後の最後までこばんでいた。理由は簡単
だ。その女性はそれまで、老人ホームへ入る仲間をさんざん笑ってきた。人生の落伍者である
かのようにさえ言ったこともある。「あわれなもんだ、あわれなもんだ」と。

 学歴や地位、名誉、さらには家柄にこだわるということは、それだけでも自分を小さくする。
が、それだけではすまない。こだわりすぎると、心を貧しくする。「形」を整えようとするあまり、
自分を見失う。B氏(六〇歳、現在退職中)は、ある日私にこう言った。

「ぼくは努力によって、ここまでの人間になったが、君は実力で、ここまでの人間になったのだ
ねえ」と。自分のことを、「ここまでの人間」という愚かな人は少ない。B氏は過去の学歴におぼ
れるあまり、自分を見失っていた。

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
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       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●他人を喜ばす喜び

 他人を喜ばす……。それはとても気持のよいものだ。脳の扁桃体(へんとうたい・脳の辺縁
系の中にある組織の一部)というところで、モルヒネ様の物質が、放出されるためと考えられて
いる(伊藤正男氏)。つまりそれが、「人」としての、感情の原点ということになる。

 よく誤解されるが、人間の感情は、大脳の連合野(新皮質)で作られるのではない。たとえば
複雑な数学の問題を解くのは、その大脳の連合野。しかし解いたとき、その喜びを感ずるの
は、連合野ではない。

 「解けた」という情報は、一度、辺縁系の中の扁桃体という組織に伝えられる。その扁桃体が
反応して、モルヒネ様の物質を放出する。そしてそれが心地よさを引き起こす。そしてそれがま
た大脳の連合野にもどされ、感情として、表現される。「ヤッター、デキター!」と。

 私が学生のころは、この辺縁系は、「原始脳」と言われ、すでに機能をなくした脳ということに
なっていた。しかしそれは、まちがいだった。むしろ、人間が人間であるために、重要な脳とい
うことがわかってきた。

 そこで実験として、(すでに、他人を喜ばすことが、日常的にできる人は別だが……)、他人を
喜ばせるようなことをしてみてほしい。すると、うっとりするような陶酔感を覚えるはず。それが
扁桃体の働きである。

 で、こうしたメカニズムは、幼児期のかなり早い時期に、子どもの脳の中に形成される。私の
印象では、満四歳前後から、満六歳前後ではないかと思っている。満四歳以前の子どもは、ま
だ、ほとんど反応しない。しかし満六歳を過ぎると、反応の度合いが、定型化してくる。

 満六歳前後で、その「やさしさ」のある子どもは、ずっと、「やさしい子ども」になる。そうでない
子どもは、そうでない。自分勝手で、自己中心的。どこか心の冷たい子どもになる。

 そこでこの時期の子どもは、つぎのように指導してみてほしい。

 たとえば子どもを連れて買い物に行くときでも、その子ども自身の欲望を満足させるような買
い方ではなく、だれかを喜ばすように、しむける。「これがあると、パパが喜ぶわね」「これを、お
じいちゃんに買ってあげようね。おじいちゃんは、喜ぶわ」「今夜のおかずは、お兄ちゃんが喜
ぶものにしてあげようね」と。

 つまり子どもの脳の中に、一つの思考回路(大脳生理学では、「思考パターン」という)を作っ
てあげる。子どもは、やがてその思考回路に沿って、ものを考えるようになる。そしてその結
果、扁桃体の活動が刺激され、その子どもは、心地よさを覚えるようになり、さらにその結果、
やさしい子どもになる。

子どもをやさしい子どもにする……それは、子どもの中に、すばらしい財産を残すことを意味す
る。やがてその子どものまわりには、たくさんの友だちが集まるようになる。心豊かな世界をも
つようになる。

 さて、子どもはともかくも、あなた自身は、どうだろうか。あなたは、他人を喜ばす喜びを知っ
ているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかしそうでないなら、あなたの貧弱な幼児期を疑
ってみたらよい。貧弱な家庭環境を疑ってみたらよい。今、あなたが、何かしら満足できない、
どこか心のさみしい人生を送っているなら、それは、あなたの責任というより、その原因は、あ
なたの貧弱な過去にあるということになる。

 が、問題は、このことではない。

 あなたが貧弱な心の持ち主であるのは、しかたないとしても、こうした貧弱な心は、そのま
ま、あなたの子どもに伝わってしまう。そしてあなたの子どももまた、いつか、心のさみしい人生
を送ることになる。

 だから、今、勇気を出して、あなたの過去をのぞいてみてほしい。あなたの過去は、本当に、
心豊かで、暖かいものだっただろうか。子どものころから、親から、「勉強しろ!」「宿題はやっ
たの!」「成績はどうだったの!」と言われつづけた人ほど、要注意。そういう貧弱な心は、決し
て、あなたの子どもに伝えてはいけない。
(040111)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親子の触れあい

 (財)経済広報センターの調査によれば、「全国のサラリーマンや、家庭の主婦たちの七〇%
以上が、家庭内で、親子の触れあう機会が、減少したと感じている」ことが、わかったという(0
3年末)。

 「家庭で親が。子どもに、社会のルールを教えたり、親子でスキンシップをとったりする機会
が、自分の子どものころとくらべて、どう変化しているか」という質問に対して、

    減った  ……75・4%
    ふえている……10・1%

 「小学校入学前の子どもに対して、親として実際に心がけたスキンシップについて」という質
問については、

    毎日、必ず会話をする ……50・8%
    食事をいっしょにする ……46・8%
    毎晩、本を読んであげる……32・0%

    毎日、一日に一回は抱きしめる……31・2%(30歳代以下)
                  …… 7・0%(60歳以上)  
    
 この調査結果をみると、最近の親たちは、昔とくらべて、親子の触れあう機会が減ったと感
じ、その一方で、「子どもを抱く」というスキンシップが、ふえていることがわかる。親子の触れあ
いが減ったのは、それだけ親の側に時間的余裕が少なくなったことを示すということになるの
だが……?

 また「抱く」というスキンシップがふえたのは、欧米の影響を受けたためと考えられる。実際、
アメリカ人にせよ、オーストラリア人にせよ、とくにアメリカ人だが、本当に、スキンシップを大切
にしている。「大切にしている」という意識さえ、ないのかもしれない。日本人の私たちから見る
と、ベタベタしている。

 日本では、いまだに、「抱きグセ」が問題になるが、親側が、ベタベタと子どもを抱くのがよくな
いことは、常識。しかし子どもの側がそれを求めてきたら、こまめに、かつていねいに応じてあ
げる。

 ぐいと抱いてあげるだけでもよい。手をつないであげるだけでもよい。こうした親側の対応
が、子どもの心(情緒)を、安定させる。

 最後に「触れあい」だが、「減った」と感ずる親の意識は、「渇望感」と考えてよい。

実際に、ほかの調査などでは、親子がともに過ごす時間は、それほど、減っていない。にもか
かわらず、「減った」と感ずるのは、わかりやすく言えば、親側の欲求不満。同じ時間、子どもと
接していても、子どもと心が通いあえば、親は満足する。そうでなければ、そうでない。心の触
れあいは、量ではなく、質の問題である。

 たとえば私のばあいも、子ども(生徒)たちと触れあう時間は、それほど変っていないはずな
のに、何かしら、触れあう時間が減ったように感ずることがある。しかしそれは時間の問題とい
うよりは、中身の問題。つまりそれだけ、子どもたちの心がつかめなくなったためと、私は考え
ている。

 最近の子どもたちの価値観は、急速に変化しつつある。多様化しつつある。そのため、自分
の子ども時代の価値観を、そのまま当てはめることができなくなってきた。

 親たちが子どもに感ずる、渇望感は、そういうところから生まれる。そしてそしてそれが、回り
まわって、親をして、「触れあいが減った」と感じさせているのでは?

 だからどうしたらよいか……ということは、別に考えるとして、今は、そういう過渡期にあると
考えるのが正しい。昔のように、単一な親がいて、単一な子どもがいる。そしてそこに単一な親
子関係があるという時代は、もう終わった。

 今は、多様化した親がいて、多様化した子どもがいる。そして多様化した親子関係があると
いう時代になりつつある。だから結果として、親子の間で、心が行きかう部分が減少した。私は
そう考える。

 ちなみに私が子どものころは、家族旅行というのは、ほとんど、なかった。今では、毎週のよ
うに、みな、それをしている。「触れあう機会が、ふえたか、減ったか」ということになれば、確実
にふえている。
(040109)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●詮索されるのことの不快感

 久しぶりに、郷里のM市へ帰った。そこでのこと。高校時代の知人に会った。親しい男ではな
い。何かにつけて、私をライバル視する、いやな男だ。その彼が、こう言った。

 「林君、君のホームページを見たよ。君も、なかなか言うねエ。息子さんも、三人もいるのか
ア」と。

 彼は、とっくの昔に、子育てを終わっている。私のホームページなど、読んでも、何の役にも
たたないはず。私も、いろいろな読者を頭の中で考えるが、彼のような人間だけには、読んで
ほしくない。

 ……で、型どおりのあいさつをして別れたあと、私は、同時に、自分自身の中の、(いやな部
分)に気づいた。

 私も、インターネットを始めたころ、グーグルや、ヤフーの検索エンジンを使って、片っ端か
ら、昔の友人や知人を検索したことがある。もちろん興味本位である。

 つまり彼が私に対してしたことは、それと同じだった。どこかで私の名前を聞き、それで私を
検索してみたらしい。そして私のホームページをヒットし、それを読んだ。

 何とも言いいようのない不快感が、心をふさいだ。心臓のカベに、ゴミが張りついたような、不
快感だ。しかしそれは、その男に対する不快感というより、同じことをした自分に対する不快感
だ。

 で、私は、心に決めた。「必要もないのに、他人を詮索するのはやめよう」と。

 そのサエたるものが、あのテレビのワイドショーである。今朝もワイドショーは、タレントの私
生活を、あれこれ暴露していた。中には、そういうふうに暴露させながら、自分の宣伝に使って
いるタレントもいると聞くが、そういう私生活を詮索して、それがどうだというのか。何になるとい
うのか。それに、そういう詮索(ゴシップ)をおもしろおかしく報告しているレポーターたちの、あ
の低俗な表情は、何か!

 もっとも、こうしてホームページを公開したり、電子マガジンを発行するということは、自分を
公開するということになる。だからそういう読者を、最初から、排除することはできない。そうい
う読者もいるという前提で、記事を書かねばならない。詮索されるのがいやだったら、最初から
ホームページなど、開かないこと。電子マガジンなど、発行しないこと。

 それはわかっているが、しかしそれでも、不愉快であることには、違いない。九九・九%の読
者の方は、私の記事が役にたつと思っているから、読んでくれていると思う。しかしごく一部に、
そういう不愉快な読者がいる。

 そこでお願いだが、私こと、はやし浩司の動向や心情を、詮索するためにホームページや、
電子マガジンを読んでいる人は、即刻、私から離れてほしい。町であった、高校時代の知人、
あなたも、だ。

 ……と、書くのも、不愉快なこと。こうした不快感から逃れる方法は、ただ一つ。「どうぞ、ご勝
手に!」だ。無視することだ。そして私は、もう一度、心に決めた。

 「私は、これから先、他人を詮索しない。その必要もないのに、他人を詮索するようなことはし
ない。そのためにインターネットを使わない」と。それをすればするほど、私は、タレントの私生
活を、おもしろおかしく暴(あば)いて笑っている、あの低俗な人間と同じになってしまう。ああ、
いやだ!
(040109)

【追記】

●他人を詮索すればするほど、今度は、あなたは他人の詮索におびえるようになる。そしてお
びえればおびえるほど、ますます他人の詮索をするようになる。こうして一度、詮索の悪循環に
入ると、あとは底なしの詮索地獄。気がついたときには、あなたは「世間体」だけで生きる人間
になってしまう。

あなたは、今、他人の目を、どこまで気にして生きているだろうか。もし今、他人の目がうるさく
てしかたないというのなら、まず、あなた自身が、他人の詮索をやめることだ。それ以外に、こ
の詮索地獄から、逃れる方法は、ない。

●小さな地域社会の中だけで、住んでいると、こうした詮索、つまりは、ゴシップに、いやおうな
しに巻きこまれる。先日も、ワイフのところに、こんな電話がかかってきた。「お宅のご主人、入
院なさったの?」と。

ワイフが、あわてて、「いえ、そんなことありません」と。だれかが、どこかの大病院で、私によく
似た人物に出会ったらしい。それで、そう誤解した。しかしその電話をかけてきた人は、私のこ
とを心配して、電話をかけてきたのではない。ただの興味本位。

こうした詮索好きの人には、いくつかの特徴がある。いかにも相手のことを心配しているという
ような、フリをする。そのフリがうまい。フリをしながら、こちらの動きをさぐる。しかしフリはフリ。
ときどき涙声になって、相手に同情するようなフリをするが、決して、涙は流さない。

私たちが必要なのは、助言ではなく、手助けなのだ。

さあ、あなたも、努めて今日から、他人を詮索すことをやめよう。「私は私」「あなたはあなた」
「他人は他人」なのだ。相手が助言を求めてきたり、助けを求めてきたら、そのときは、ていね
いに、それに応じてあげよう。それまでは、そっと静かにしておいてあげよう。それが、あなたの
やさしさということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●「?」の親論

 ある道徳教育研究会の機関誌。その冒頭に、その会の副会長という女性が書いた、こんな
エッセーが載っていた。

 その女性が、南米のあるインディオの部落を、訪問したときのこと。その部落の人たちが、総
出で、山芋の料理を出してくれたという。その女性はこう書いていた。

 「私は、どこへ行っても、また何を食べても、おいしく感ずる。だから私は、世界のどこへ行っ
ても、みんなと友だちになることができる。私に、そういう胃袋と、食感をつくってくれた、父親と
母親に感謝する」と。

 私はこの原稿を読んだとき、どうしてそこに父親や母親の話が出てくるのか、理解できなかっ
た。何となく、こじつけのような感じさえした。

 というも、私も、二七歳のときまでは、世界のどこへ行っても、その国の料理を食べることが
できた。そして、おいしいと思った。その時点までは、その女性の意見に従えば、親に感謝しな
ければならないということになる。

 しかし二七歳のとき、アルゼンチンへ行ったのをきっかけに、外国の料理が、口に合わなくな
ってしまった。理由はわからないが、そのときから、世界のどこへ行っても、日本料理か、中華
料理を、求めて食べるようになってしまった。つまりその女性の意見に従えば、私は、その時
点からは、親に感謝しなくてもよいということになる。

 環境適応能力が、変化したため?

 当時の私は、そう考えた。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 私が中学生のときのこと、学校の先生が、私たちにこう言った。「五体満足な体をつくってくれ
た、あなたがたの両親に感謝しなさい」と。

 この論法がまかりとおるなら、では、身体に障害のある人は、親に感謝しなくてもよいというこ
とになるのか、ということになる。あるいは、親をうらめということになる?

 だからといって、感謝しなくてよいと言っているのではない。私は、こういう女性の意見を読む
と、どこか焦点がズレているように感ずる(失礼!)。南米のインディオの料理を食べて、おいし
いと思ったら、それでよいではないか。どうしてそこに、父親や母親が出てくるのか。

 私の生徒の中には、卵アレルギーの子どもがいる。お米アレルギーの子どももいる。毎日の
食生活の中で、親も、子どもも、たいへん苦労している。そういう親や子どもが、このエッセーを
読んだら、どう感ずるだろうか。

 実は私も、きわめて貧弱な家庭環境に育っている。そのため、ありとあらゆる精神病を、広
く、浅く、まんべんなく、もっている。しかしそれは親のというよりは、戦後の混乱期という、あの
「時代」の責任である。そしてさらに言えば、それは、まさに「あのバカげた戦争をした、戦争当
事者たち」の責任である。

 親たちにしても、その被害者にすぎない。私は、さらに、その被害者にすぎない。本当のこと
を言えば、もう少しまともな家で、育ててほしかった。そうすれば、今、もう少し、精神的にタフな
人間になれた……と思う。

 えてして、親との間で、ベタベタの依存関係をもつ人は、その依存関係を正当化するために、
親を、必要以上に美化し、権威化する。そして孝行論を、最前面にもってくる。「私が親を、これ
だけ思うのは、それだけ親がすばらしいからだ」と。

 もちろんその人が、そう思うのは、その人の勝手。それでその人が、ハッピーなら、他人が、
とやかく言う必要はない。しかしえてして、このタイプの人は、今度は、それを子どもに求めるよ
うになる。押しつけるようになる。「私は親だ」「私は偉いのだ」と。

 そのとき、子どもがその人と同じような価値観をもては、それでよし。それなりにうまくいく。し
かしそうでないときに、悲劇が起きる。ふつうの悲劇ではない。大悲劇である。

 冒頭にあげた女性も、その女性がそう思って、親に感謝するのなら、それは、その女性の勝
手。しかしそれを自分の子どもや、他人に押しつけてはいけない。「何でも食べられる胃袋を、
親に作ってもらったのだから、親に感謝しろ」と。

 ウーン。私は、こういうエッセーを読むと、正直言って、頭の中の思考回路が、ショートを起こ
してしまう。バチバチと火花を飛ばす。私も、親になって、二八年になるが、そのように考えたこ
とは、一度も、ない。だいたいにおいて、「作ってやった」という意識そのものが、ない。

 私の三人の息子たちは、みな、私に似て、大きな鼻の穴をもっている。むしろそういう鼻の穴
を見たりすると、申し訳なくさえ、思う。「悪いところばかり、ぼくに似たね……」と。そしてその一
方で、「足の短いのは、似なくてよかったね……」と。

 反対に、長男は、今、タバコを吸っている。あれほど禁煙教育をしてきたにも、かかわらず、
だ。どこかで覚えてしまった。そういう長男をみると、自分の努力のなさを恥じることはある。し
かし「感謝せよ」と思ったことは、一度もない。本当に、ない。

 私は息子たちのおかげで、自分の人生を楽しむことができた。今も、苦労はあるが、その苦
労が、かえって生きがいになっている。先日も、ワイフとこんな会話をした。

 「(三男の)Eは、まだこれから三年も、大学に通わねばならない。何がなんでも、ぼくは、あと
三年は、がんばって仕事をするよ」と。

 だから今日も、自転車に乗って、運動にでかけた。つまり、子育てが、私を生かしている。そ
ういう息子たちに向って、どうして感謝せよと言うことができるだろうか。

 そのあと、息子たちが、私に感謝するとかしないとか、そういうことは、どうでもよい。もとか
ら、期待などしていない。考えてもいない。仮に、彼らが、私を捨てたとしても、私は、うらまな
い。むしろ、私は、息子たちの重荷にはなりたくない。そのときがきたら、さっさと、生命維持装
置をはずしてもらう。

 私が死んだあとのことは、ワイフや息子たちが考えればよい。私は、それについては、何も、
考えていない。本当に、何も考えていない。
(040109)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【近況】

●ワイフの友人の家に、空き巣! 

 ワイフの友人の家に、空き巣が入ったそうだ。その友人が、近くのH神社へ、初詣(はつもう
で)に行っている最中のことだった。その友人は、こう言っているという。「もう二度と、初詣なん
かに行かない!」と。

 で、盗まれたのは、現金だけ。同窓会費として預かっていた、一五万円が盗まれたという。

 「警察が調べてくれたけど、『これはプロの仕業(しわざ)』と感心していた。指紋はなし、足跡
はなし。モノや通帳、小銭には、いっさい手をつけず、現金だけ、もっていった」と。

 指紋を残さないようにするには、手袋を使うのだそうだが、足跡を消すためには、たとえばス
ーパーで使うような買い物袋を使うのだそうだ。それを靴全体にかぶせて家の中に、入ると
か。

 「どこから侵入したの?」と私が聞くと、「窓ガラスを、きれいに丸く割って中に入ったそうよ」
(ワイフ談)とのこと。

 で、この話には、つづきがある。何と、その数日後、今度は、その家の、数軒となりの家に、
同じ空き巣が入ったというのだ。手口が、まったく同じだったという。「やはり、プロだな」と、今
度は、私が感心した。

 ところで、そういうニュースを聞くと、その空き巣は、いったい、どういう人間なのかと、興味が
わいてくる。……と書いたところで、こんな事件を思い出した。

 私とワイフが結婚して、まだアパートに住んでいたときのこと。朝、寝ていると、玄関でチャイ
ムが鳴った。何かのセールスだろうと思って、無視していると、やがてドアのカギをガチャガチ
ャと、何やら操作する音が聞こえてきた。

 私は直感で、空き巣と思った。そう思って、玄関へ飛び出すと、その男は、自転車に乗って逃
げるところだった。そこですぐ、一一〇番通報。

 それからほぼ一か月後のこと。

 アパートの大家さんが、私の部屋にやってきて、こう言った。何でも、その大家さんが、警察
から、感謝状を贈られたというのだ。大家さんは、こう言った。

 「どうして私が表彰されたか、わからないのです。警察から来てほしいと頼まれたので、行っ
てみると、表彰されました。何でも私が、全国でも有名な空き巣の逮捕に、協力したというので
す」と。

 その空き巣は、二桁ナンバーをつけられるほど、有名な空き巣だったらしい。「空き巣XX号」
と。有名な空き巣ほど、二桁ナンバーで呼ばれる慣わしになっているという。私は警察に通報
するとき、アパートの名前は言ったが、自分の名前は言わなかった。それで、大家さんが、表
彰されたらしい。

 で、今でも、その空き巣のうしろ姿をよく覚えている。

 年齢は、五〇歳くらいか。薄茶色の上下の作業服を着ていた。自転車は、うしろに荷台のあ
る、大きな黒塗りのものだった。髪の毛もボサボサで、見た感じは、どこかヨボヨボの老人とい
ったふうだった。通りですれちがっても、その姿さえ印象に残らなかっただろう。

 プロの空き巣というのは、そういう男をいうのかもしれない。どこか私みたい? みなさんも、
どうか、くれぐれも、ご注意!


●加熱する受験競争

 この四、五年、また受験競争が過熱する傾向を見せ始めた。たとえばこのH市の、A附属小
学校でも、五、六年前までは、受験者数が、どちらかというと減少傾向にあったが、四、五年前
から増加傾向に転じた。

 そして来年度、つまり今年の受験者数は、初日の受け付けだけで、軽く定員の八〇人を突
破。例年だと、一〇〇人弱だから、今年は、一五〇人を超えるかもしれない?

 ちなみに、ここ94年〜の受験者数(男女、計)の推移は、つぎのようになっている。

     94年……  69人、64人  計133人
     95年……  73人、82人  計155人
     96年……  60人、49人  計109人
     97年……  66人、67人  計133人
     98年……  65人、54人  計119人
     99年……  46人、50人  計 96人
     00年……  52人、60人  計112人
     01年……  71人、51人  計122人
     02年……  72人、73人  計145人
                  (定員は、80人)

 ひとつのきっかけになったのが、数年前に新しくできた、公立の中高一貫校。初年度は、何と
六〇倍の倍率になった。この一貫校にひきずられる形で、もう一つのA附属中学校の受験者
数がふえた。私立中学校の入試が、さらに拍車をかけた。そしてそれがさらに、今度は、A小
学校の入試に、火をつけた。

 流れは、それで理解できるが、受験競争を緩和しようとして(?)できた、中高一貫校だが、そ
れがかえって裏目に出たということになる。もちろんその裏には、進学受験塾の商魂がある。

 その中高一貫校の、初年度の入試の直後、一か月もおかないうちに、そのための受験クラ
スができたのは、驚きだった。そして親たちの受験競争に、油を注いだ。

 昔から、このH市は、どちらかというと、静かな町だった。受験競争といっても、中学二、三年
のときが、一つの山で、つまり一過性の問題として、考えられていた。だから東京や大阪の、あ
の異常なまでの受験競争の話を聞いても、「へえ、そんなの?」という感じだった。

 が、このH市も、都会並みになった? 無風地帯に、大風が吹き始めた感じだが、この先、ど
うなることやら?

 この問題は、A附属小学校の倍率が明らかになった段階で、もう一度、考えてみたい。


●消える地域社会

岐阜県のS市といえば、昔から、刃物の町として栄えた町である。有名な、「関の孫六」も、ここ
から生まれたという。私が子どものころには、まさに飛ぶ鳥も落すような勢いで発展した町だ
が、今は、もうその面影はない。

 以前から「ひどい」とは聞いていたが、ここまでひどくなるとは! 町の中の商店街の、約半分
以上は、シャッターをしめたまま。日曜日の昼間でも、通りを歩く人は、まばら。原因は、校外
に大型店ができたためという。車社会に、うまく対応できなかった。

 こういう話を聞くと、つまり私の実家も、そういう時代の流れの中で翻弄(ほんろう)されつづけ
たこともあるが、地域の文化とは何か、改めて考えさせられる。

 私が子どものころには、商店といっても、そこには、ある種の温もりがあった。近くに、かしわ
屋(鶏肉屋)や、ブリキ屋があった。私はそういうところで、ニワトリが、かしわ(鶏肉)に調理さ
れるのを見たり、一枚のブリキから、いろいろな食器ができるのを、最初から最後まで見ること
ができた。

 隣は、内職で、キャラメルを作っていた。ときどき、そのキャラメルを分けてもらったこともあ
る。もう一つの隣は、小さなパチンコ屋だった。家の向かい側は、髪結いだった。道の反対側
は、時計屋、八百屋、それに薬屋だった。今でいう美容院。何もかもが、半径一〇〇メートルく
らいの範囲の中にあった。

 そしてそういう(つながり)の中から、地域社会が生まれ、地域文化が生まれた。町内の旅行
会や演劇会、映画会、そして祭りも生まれた。

 しかし町内の店の半分が、シャッターをしめたとなると、もうその地域の(つながり)は、崩壊し
たとみてよい。そのS市にも、それなりの(つながり)があり、地域文化もあっただろう。

 ではなぜ、こうまであのS市のことが気になるのか?

 理由の、一つ。私の高校時代のガールフレンドが、その商店街で店を構える男と、結婚した
からだ。私が、大学二年のとき、一度、彼女の顔を見たのが最後で、以来、一度も会っていな
い。しかし心のどこかでは、ずっと、気にしていた。

 いつか、その店に買い物に行き、彼女をびっくりさせてあげようと考えていた。(もちろん、彼
女にとっては、迷惑なことだろうが……。)しかしその店も、人づてに聞くと、「シャッターをしめ
た」と。

 今ごろは、もう息子さんや娘さんの代になっているから、引退でもして、別のことで楽しく暮ら
しているだろうと思う。そう願っているが、しかし、どこかさみしい気がしないでもない。

 そう、あのガールフレンドは、本当に美しい人だった。きゃしな体つきで、花にたとえるなら、
白いカトレアのような感じ。……S市の話を書いていたら、いつの間にか、ガールフレンドの話
になってしまった。

 今、全国で、そしてこの浜松市でも、地域社会が、どんどん崩壊しつつある。私のように、さ
みしい思いをしている人は、多いはず。何とかならないものかと思いつつ、何ともならないこの
歯がゆさを、私は、いったい、どうしたらよいのか。


●本格的なサイクリング

今日は、久しぶりに、自宅と市内を、自転車で往復した。距離は、片道、六・五キロ。往復一三
キロ。

 距離的にはそれほどでもないが、途中に、山坂がある。これがきつい。

 その坂を登るとき、今日は、たいへんだった。この正月の連休で、足腰が弱ったのが、自分
でもよくわかった。しかし私は、何としても、あと三年は、現役でがんばらなくてはいけない。三
男が、大学を卒業するまで、だ。

 その坂を登るとき、あと一〇〇メートルほどのところで、ギブアップ……しかけたが、やめた。
歯をくいしばった。腕に力を入れて、ペダルをこいだ。

 そのときのこと。私は、思わず、四人の名前を呼んだ。一つこぐたびに、ワイフ、長男、二男、
三男の名前を呼んだ。

 はじめての経験だった。一人呼んでは、ペダルをこぎ、つぎにまた一人呼んでは、ペダルをこ
いだ。

 そして無事、頂上まで着いた。うれしかった。どっと汗が流れ、体中から、ガクリと力が抜け
た。

 その坂は、私の体力を測る、バロメーターになっている。この坂をスイスイと登れるときは、体
調がよい。そうでないときは、そうでない。

 もう少し若いころは、苦労もなくその坂を登ることができた。が、今は、ちがう。調子のよいと
きでも、三度に一度は、自転車をおりて、歩く。高校生でも、おりて歩くような坂である。だから
歩いたところで、しかたのない坂なのだが……。

 あとで、そのことをワイフに話すと、「無理しないで」と言った。しかしここにも書いたように、私
は、あと三年は、どうしてもがんばらなくてはいけない。

 負けてたまるか!
(040110)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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●イラストは、パナソニックパソコン付録の、フリーソフトを使いました。

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04−1−16号(347)
★★★★★★★★★★★★★★
子育て最前線の育児論by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi 
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★子育てポイント
★特集
★心に触れる
★フォーラム

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2月21日・細江町「教育のつどい」にどうか、おいでください!
全力を尽くします!
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto819

●考える人、考えない人

 私が五〇歳を過ぎたためかもしれない。しかしこの年齢になると、考える人と考えない人が、
はっきりとわかるようになる。

考える人は独特の話し方をする。独特の様子を見せる。反対に考えない人は、独特の話し方
をする。独特の様子を見せる。

ただこの時点で大切なことは、考える人からは考えない人がどういうものかはよくわかるが、恐
らく、考えない人からは、考える人がどういう人なのかはわからないだろうということ。

それはちょうど、賢い人からは愚かな人がよくわかるが、愚かな人には、賢い人がどういう人
かわからないのに似ている。(私が、考えない人がよくわかると書いても、私がその賢い人と言
っているのではない。誤解のないように……。)

 考えない人というのは、どこかペラペラと調子がよいだけで、話している内容に深みやハバが
ない。何かを問いかけても、表面的な答しか返ってこない。通俗的というか、こちらの予想通り
の答であったりする。

そういうとき私は、その人の意見の違いに驚くというよりは、互いの間の「距離」を感じて、思わ
ず身を引いてしまう。「この人からは何も得るものはないぞ」と。あるいは「この人を説得するの
は、不可能だ」とさえ思うときもある。

とくに相手が、五〇歳とか六〇歳の人であったりすると、絶望感すら覚える。先日も私に向かっ
て、「子どもが親のめんどうをみるのは当たり前でしょう」「親なら子どもを愛しているはず」「子
どもは親に従って当然」と言った人がいた。

言葉ではそのつど、「そうですね」と返事をしたものの、もうそれ以上、議論する気にはなれな
かった。「どうぞ、ご勝手に」という気分に襲われた。
 
一方、考える人というのは、何を話しかけても、こちらの言葉が相手の脳の中に深く沈んでいく
のがわかる。それは子どもでもそうで、ひとつの問題を投げかけても、いろいろな方向から考
えようとする。

たとえば「人をいじめることは悪いことだよね」と話しかけたとする。するとよく考える子どもは、
そのまま深く黙りこくってしまったりする。あれこれ自分の周囲で起きているいじめを思い出して
いるふうでもあるし、自分自身の経験を思い出しているふうでもある。そしてその一方で、私が
どの程度の答を求めているかをさぐろうとする。

 ……ということになると、考えるか考えないかは、習慣の違いということになる。能力ではな
い。その習慣の違いが、長い時間をかけて、考える人とそうでない人を分ける。そしてそれが
人生の晩年になると、はっきりとわかるようになる。

そしてそのことを裏返すと、人生の晩年になってから気づいたのでは、もう遅いということ。習
慣というのは、一朝一夕にはできるものではないし、また突然、変えられるものではない。冒頭
で「五〇歳」という数字をあげたが、この年齢というのは、その節目ということになる。

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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【特集】子どもの叱り方

★子どもに恐怖心を与えないこと。

そのためには、

子どもの視線の位置に体を落とす。(おとなの姿勢を低くする。)
大声でどならない。そのかわり、言うべきことを繰り返し、しつこく言う。
体をしっかりと抱きながら叱る。
視線をはずさない。にらむのはよい。
息をふきかけながら叱る。
体罰は与えるとしても、「お尻」と決める。
叱っても、子どもの脳に届くのは、数日後と思うこと。
他人の前では、決して、叱らない。(自尊心を守るため。)
興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。(叱ってもムダ。)

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子どもを叱るときは、
@目線を子どもの高さにおく。
A子どもの体を、両手で固定する。
B子どもから視線をはずさない。
C繰り返し、言うべきことを言う。

++++++++++++++++++++

@子どもが興奮したら、中止する。
A子どもを威圧して、恐怖心を与えてはいけない。
B体罰は、最小限に。できればやめる。
C子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてはいけない。
D人の前、兄弟、家族がいるところでは、叱らない。
Eあとは、時間を待つ。
Fしばらくして、子どもが叱った内容を守ったら、
「ほら、できるわね」と、必ずほめてしあげる。

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ほめ方

★人前でおおげさにほめること。

古代ローマの劇作家のシルスも、
「忠告は秘かに、賞賛は公(おおやけ)に」
と書いている。
頭をなでるなど、スキンシップを併用する。
繰り返しほめる。
ただしほめるのは、
努力とやさしさにとどめる。
顔、スタイルは、ほめないほうがよい。
「頭」については慎重に!

はやし浩司
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(叱り方・ほめ方)

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)

 子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考
える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、
そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。
叱るときは、次のことを守る。
@人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、
A大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳か
ら遠い」と考える。聞いた説教が、脳に届くには、時間がかかる。
B相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おとなの体を低くすること(威圧感を与えない
ため)。視線をはずさない(真剣であることを、子どもに伝えるため)。子どもの体を、しっかりと
親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこと。にらむのはよいが、体罰は避ける。特
に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。実際、約五〇%の親
が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。
 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そ
のとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

とくに子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめな
いほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気に
するようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。

また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめす
ぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。
 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもか
らやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。
結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の
前向きの理解を示してあげる。

 叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。
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こんな怒り方は、がまんのし方は、
子どもを、ダメにする!
はやし浩司

「別冊PHP」(1997年・7月号より転載)

 子育ては、言わば、条件反射の集まりのようなものです。そのとき、その場で、いちいち考え
て子どもを叱ったり、怒ったりする人はいません。たいていの人は、「頭の中ではわかっている
のですが、その場になると、ついカーッとして……」と言います。

 ただ最近の傾向としては、小子化の流れの中で、子どもの機嫌をそこねまいと、叱るべきと
きに叱らない親、怒るべきときに怒らない親がふえています。あるいは強く叱ったあとに、「さっ
きは、ごめんね。お母さんが悪かった」と、子どもに謝る親も珍しくありません。こういう親の心
のスキ間をねらって、子どもはドラ息子、ドラ娘化します。

 また子育てに不安を抱いていたり、子どもに何らかの不信感をもっている親は、どうしても子
どもを必要以上に強く叱ったり、怒ったりします。「いったい、いつになったら、あなたは私の言
うことが聞けるの!」と、です。あとはこの悪循環の中で、子どもはますます自分で考えたり判
断したりすることができなくなり、親の叱り方はますますはげしくなるというわけです。

 が、何が悪いかといって、親の情緒不安ほど悪いものはありません。先週は子どもがお茶を
こぼしたときは何も言わなかった親が、今週は、子どもがお茶をこぼしたりすると、子どもの顔
が青ざめるほど子どもを怒鳴り散らすなど。こういう環境では、子どもの性格は内閉し、さらに
悪い場合には、精神そのものが萎縮してしまいます。

 園や学校などでも、皆が大声で笑うようなときでも、皆と一緒に笑えず、口もとをゆがめてクッ
クッと笑うなど。なお悪いことに、このタイプの親は、静かで従順な子どもほど、「いい子」と誤解
して、ますます子どもを悪い方向に追いやってしまう傾向があります。

 叱り方、がまんのし方は、子育ての中でも要(かなめ)と言えるほど、重要であり、またそれだ
けに難しいことおです。叱るときや、がまんするときは、「ここが教育」と心してあたるようにしま
す。

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ポイント1

朝、ぐずぐずする。……ストレスを発散させてやる

 子どもは、自分の精神状態をうまくコントロールできません。そのため、心理的な抑圧状態が
続いたり、欲求不満が蓄積すると、それを「ぐずる」という方法で、表現します。暴れたり、暴言
を吐いたりするのをプラス型とするなら、ぐずるタイプはマイナス型ということになります。

 だから表面的な症状だけをとらえて、それを悪いことだと決めてかからないこと。対処方法と
しては、ぐずるだけぐずらせながら、(たいていはぐずることによって、子どもはストレスを発散
させる)、様子をみます。それでもぐずるようであれば、原因をさがしますが、情緒が不安定な
子どもの場合、原因そのものがはっきりしないのが、ふつうです。

そういうときは、カルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、スキンシップを、より
濃厚なものにします。叱ったり、つきはなしたりすることは、かえって逆効果で、症状をこじらせ
ます。


ポイント2

忙しいときに、まとわりつく……早めに子離れ、親離れの準備を

 こんなことがありました。あるオランダ人夫妻(夫はイギリス人、妻はオランダ人)の家に遊び
に行ったときのこと。五歳になる女の子が、たまたま読書をしていたお母さんに話しかけてきま
した。そのときお母さんは、ひととおり女の子の言い分に耳を傾けたあと、その女の子にこう言
いました。「お母さんは、今、本を読んでいます。じゃましないでね」と。

 欧米人は(自分の時間)(子どもと接する時間)というのを、実にはっきりと使い分けていま
す。欧米流の子育て法が、必ずしもよいというわけではありませんが、こういう毅然(きぜん)と
した態度が、「私は、私。あなたはあなた」というものの考え方を育てていきます。

 つまるところ子育てというのは、子どもを自立させ、よき家庭人に育てることです。そういう視
点に立つなら、親はできるだけ早い時期に、子離れの準備をし、子どもには親離れの心がまえ
をもたせます。忙しかったら、「忙しいから、あとでね……」と言う。子どもの遠慮する必要はあ
りません。


ポイント3

外出時に言うことを聞かない……自己主張には耳を傾ける

 自己主張とわがままは区別します。また自己主張と、とじこもり(がんこ)は区別します。自己
主張には、それをする理由がありますが、わがままにはありません。「お兄ちゃんは、この前、
○○をしてもらったのに、ぼくはしてもらっていない」と訴えるのは、自己主張ですが、理由もな
く、「あれほしてほしい、これをしてほしい」と騒ぐのは、わがままです。また自分の「カラ」に閉じ
こもり、がんこになることは自己主張とは言いません。

 そこで子どもがワーワーと、その自己主張を始めたら、反論すべきことは反論しながらも、子
どもの言い分には、耳を傾けるようにします。その自己主張をする子どもほど、あとあとたくま
しい子どもになります。根性(がんばる力)や、忍耐力(いやなことをがまんしてする力)も、そこ
から生まれます。

 わがままに対しては、一般的には、無視するという方法で対処します。わがままは言ってもム
ダだという環境を整えるようにします。子どもの「がんこ」については、生まれつきの問題、さら
には情緒の問題がからむため、無理をすれば、かえって逆効果です。


ポイント4

片づけをしない……こまごましたことは言わない

 子どもに「先生の話をよく聞くのですよ」とか、「友だちと仲よくするのですよ」と言っても、意味
がありません。具体性がないからです。そういうときは、「先生が、どんな話をしたか、あとでマ
マに話してね」とか、「この○○を、Aさんにもっていってあげてね。きっとAさん、喜ぶわよ」と言
いなおします。同じように、子どもに、「部屋のあと片づけをしなさい」と言っても、意味がありま
せん。子どもには、その必要性がないからです。

 こういうときは、たとえば「おもちゃは一つ」と教えます。遊ぶおもちゃはいつも一つ、と決めさ
せるわけです。こうすれば、子どもは次のおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃは片づけ
るようになります。

 しかし一言。子どもにとっては、家庭は休息とやすらぎの場所だということを忘れてはなりま
せん。アメリカの劇作家は、こう言っています。「ビロードのクッションの上よりも、カボチャの頭
の上に座ったほうが、気が休まる」と。子どもが外の世界をもつようになったら、こまごまとした
ことを、あまりうるさく言わないことです。


ポイント5

兄弟げんか……よき聞き役に

 兄弟げんかについて、いろいろ言われています。「歳の近い姉妹は、憎しみ相手」とか、「仲
のよい兄弟ほど、よくけんかする」とか、など。さらに下の子どもが生まれると、本能的な嫉妬
心から、上の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたり、下の子どもに陰湿かつ執拗(しつよう)ない
じめを繰り返すこともあります。

 しかし常識の範囲内の、ふつうの兄弟げんかなら、させたいだけさせます。子どもは兄弟げ
んかを通して、社会性を学び、問題解決の技法を学びます。互いのライバル心が、子どもどう
しを伸ばすこともあります。

 ただしいくつかのルールがあります。まず暴力に訴え始めたら、制止すること。次に互いの言
い分をよく聞きながらも、親側が判断をくだしたり、一方的に一方を責めたり、罰したりしないこ
とです。

 要するに「よき聞き役」になるということですが、たいていはそれで兄弟げんかはおさまりま
す。


ポイント6

勉強しない……勉強は楽しいものと思わせる

 子どもの勉強ぐせをそぐものに、次の四悪があります。無理、強制、条件、それに比較です。

 能力を超えた勉強を与えることを無理、時間を決めたりノルマを課し、それを強要すること
を、強制といいます。さらに「100点を取ったら、おこづかいを1000円あげる」というのが、条
件。「○○君は、もう小二の漢字が読めるのよ。あなたは読めないわね」というのが、比較で
す。条件づけが日常化すると、子どもは自分自身(「私は私」という考え方)を見失ってしまいま
す。

 ただ幼児の場合、勉強するとかしないとかいうことではなく、「勉強は楽しいものだ」という潜
在意識をつくることに心がけます。イギリスの格言にも、「楽しく学ぶ子どもは、よく学ぶ」という
のがあります。この時期、一度、勉強嫌いにしてしまうと、その後、立ち直るのが、たいへんむ
ずかしくなります。そのためにも四悪は避けます。


ポイント7

泣きやまない……ぼんやりする時間をふやし、ズキンシップを多くする

 子どもの泣き方にもいろいろあります。

 シクシク泣く、くやし泣き。サメザメ泣く、悲し泣き。グズグズ泣く、ぐずる泣き。ワーワー泣く、
訴え泣き。ギャーギャー泣く、ヒステリー泣きなど。また子どもにも、うつ症があります。ささいな
ことを気にして、いつまでも泣く、ジクジク泣いたりします。あるいは突発的に大声をあげて泣き
出したり、暴れたりすることもあります。ほかにかんしゃく発作による、キーキー泣きもありま
す。

 園や学校などで、いい子ぶり、ストレスをためやすい子どもほど、注意します。このタイプの子
どもの対処方法は、まず@一人でぼんやりとできる時間と場所を用意してあげること。家族の
人があれこれ気をつかうのは、かえって逆効果です。次にAカルシウム、マグネシウム分の多
い食生活にこころがけ、Bやさしいスキンシップを大切にします。スキンシップには、人知を超
えた(?)不思議な力があります。魔法の力といってよいかもしれません。特に情緒が不安定な
子どもには、有効です。理由もなく、いつまでも泣き続けるようであれば、このスキンシップを濃
厚にしてみてください。


ポイント8

ものを大切にしない……ハングリーな子どもは伸びる

 ものを大切にしないというのは、いわゆるドラ息子(娘)症候群の一つですが、このタイプの子
どもが裕福な家庭の子どもばかりかというと、そうではないというのが、最近の傾向です。

 その背後には、飽食と甘やかしがあるわけですが、小子化がそれに拍車をかけます。子ども
が何かをほしがる前に、何でもホイホイと与えてしまう、などです。

 子どもの生活力を養う秘訣は、常に子どもをややハングリーな状態に置くことですが、家庭で
はこんなテストをしてみてください。紙とクレヨンを与え、「ここに魔法の木があります。あなたの
ほしいものが、何でもできる不思議な木です。木を描いて、あなたのほしいものをいっぱい描い
てみてください」と指示します。子どもが次々とほしいものを描けばよし。「ほしいものがない」と
か、何か一種類のものだけを描くようであれば、飽食を疑ってみます。生活力の旺盛な子ども
ほど、あらゆる方向に触覚が向いていて、その分だけ、ほしいものをいっぱいもっています。


ポイント9

言葉づかいが悪い……人前できちんと話せればよしとする

 子どもの口にフタをすることはできません。神様でもできません。つまり子どもの口が悪いの
は、当たり前。また言葉づかいが悪いからといって、それを責めても意味がありません。ムダ
です。むしろ悪い言葉も使えないほど、子どもを追いやってしまってはいけません。時にはお母
さんに向かって、「ババア」と言うこともありますが、ものを自由に言うということも、幼児の心の
発達には必要なのです。

 むしろ言葉で注意しなければならないのは、@正しい言葉であるか、A豊かな言葉である
か、です。「ジュース、ほしい」ではなく、「私はジュースを飲みたいです」と言えるかどうか。また
夕日を見たとき、ただ「わー、すごい、すごい」だけではなく、「美しい」「感動的」「ロマンチック
ね」と、いろいろな言葉で表現できるかどうか、です。こうした基本的な言葉能力は、家庭環
境、特に母親の言葉能力によるところが大きい、です。もしあなたの子どもの言葉能力が貧弱
であれば、子どもを責めるのではなく、あなた自身が反省すべきだということです。


ポイント10

テレビゲームばかりする……頭ごなしの禁止命令は避ける

 もう一〇年以上も前から、教育界では、この問題について大論争が続けられています。そし
てその結論は、「時代の流れには逆らわない」です。

 私が子どものころには、マンガの功罪がさかんに論じられていたように思います。一時は「マ
ンガ禁止令」まで出されたことがあります(岐阜県)。しかし当時すでに手塚治虫氏が活躍して
いましたから、今から思えば、ずいぶんと時代錯誤の禁止令だったと思います。

 ただマニアは別です。テレビゲームに夢中になるあまり、現実と空想の世界の区別がつかな
くなってしまったり、四六時中、そのことが頭から離れなくなったり……、というのは、もう「ゲー
ム」ではありません。ある男の子(小五)は、真夜中にまで起きて、一人でゲームをしていまし
た。こうなればやめさせます。

 ふつうは時間と場所を決めて許すとか、反射運動型のゲーム(指先の器用さだけを競うゲー
ム)は避けるという方法で対処します。

(注意)「テレビゲーム」の悪影響については、私がその後、あちこちの原稿で指摘しています。


ポイント11

おねしょ……マイナスは無視。プラスはほめる。

 最近の研究では、おねしょは、多尿症や頻尿症と並んで、大脳生理学の分野で、機能障害
の一つとして説明されるようになってきています。つまり叱ってもムダであるばかりか、かえって
症状をこじらせたり、長引かせたりしまいますから注意してください。よく毎晩、真夜中に子ども
を起こしてトイレへ連れていくというようなことをする人がいますが、子どもをかえって神経質に
してしまい、やはり逆効果です。

 ではどうするか? 子どものおねしょは、「ほめてなおす」です。つまりおねしょをした朝は、そ
れを無視。おねしょをしなかった朝は、それをほめるという方法です。そしてあとはあきらめま
す。

 あるお母さんは、「ようし、あと一、二年は覚悟するぞ。したければしなさい」と宣言しました
が、そう宣言したとたん、いつの間にかおねしょはなおってしまったそうです。

 おねしょというのはそういうものです。子どもにとっては、とても気持ちのよいもの(濡れたふと
んは別!)であることを、理解してあげてください。
(以上、「PHP別冊」、投稿済み)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

EQ(Emotional Quality、人格指数)

●EQとは……

 IQ(Intelligence Quality、知能指数)に対して、EQ(人格指数)という言葉がある。

 IQは、

 IQ=((精神年齢)÷(生活年齢))×100で、計算される。

 精神年齢というのは、知能テストの結果など。生活年齢というのは、その人(子ども)が、生ま
れてから、テストを受けるまでの年齢をいう。

 要するに、IQで、頭のよしあしがわかるということ。しかしここで誤解してはいけないことは、I
Qが高いから、その人(子ども)の人格の完成度が高いということにはならないということ。えて
して、この日本では、(頭のよい人)イコール、(すぐれた人)イコール、(人格の完成度が高い)
とみる。しかしこれは誤解というより、幻想。幻想というより、ウソ!

 しかしその人(子ども)の人格の完成度は、もっと、別の方向からみなければならない。それ
が、EQである。

●EQ

 EQを最初に提唱したのは、D・ゴールマンである。彼は、ハーバード大学を出たあと、ジャー
ナリストとして活躍しているうちに、「EQ、こころの知能指数」を発表。この本は、たちまちベスト
セラーになり、日本でも翻訳出版された。一九九〇年代の中ごろのことだった。

 一般論として、以前から、IQの高い人(子ども)ほど、心が冷たいとよく言われる。それは、
(頭がよい人間)の特有の症状と考えてよい。

 ある子ども(小五男児)は、こう言った。「みんなバカに見える」と。「算数の授業でも、ほかの
ヤツら、どうしてこんな問題が解けないのかと、不思議に思うことが多い」と。

 彼は進学塾でも、飛び級をして、学習をしていた。

 こうした優越感が、ほかの子どもとの間に、カベをつくる。そして結果として、その子どもだけ
が、遊離してしまう。そしてさらにその結果、他人から見ると、「心の冷たい子ども」ということに
なる。

 しかしこれは、多分に誤解による部分もないとは言えない。

●IQの高い子どもは、誤解されやすい 

 私の印象に残っている子どもに、N君という子どもがいた。私は、彼を、幼稚園の年中児のと
きから、小五まで教えた。

 そのN君が、年中児のときのこと。ふと見ると、彼が、箱の立体図を描いているのがわかっ
た。この時期、箱の立体図を、ほぼ正確に描ける子どもは、数百人に一人もいない。(あるい
は、もっと少ない。)

 それまでは、私は、N君は、どこか得体の知れない子どもとばかり思っていた。しかし彼がそ
う見えたのは、彼にしてみれば、まわりが、あまりにも幼稚すぎたからである。

 以後、N君は、天才的ともいうべき能力を発揮した。が、N君の母親はいつも、こう悩んでい
た。

 「いつも先生や、友だちに、生意気だと言って、嫌われます」と。

 たしかにN君は、一見、生意気に見えた。中学生が方程式を使って解くような問題でも、N君
は、独自の方法で、解いてしまったりした。彼が小学四、五年生のころのことである。

●しかしEQも大切

が、だからといって、私は、(IQの高い子ども)イコール、(人格者)と言っているのではない。事
実は、その逆のことが多い。

 一般的に、IQの高い子どもには、つぎのような特徴が見られる。

(2)自分の優秀性を信ずるあまり、ほかの人(子ども)を、見くだす。
(3)そのため、仲間から遊離しやすく、孤独になりやすい。
(4)協調性がなく、人間関係をうまく調整できず、がり勉になりやすい。
(5)結果的に友人が少なくなる。心を開けなくなる。独善、独断に陥りやすい。

 そこでIQの高い人(子ども)は、同時に、EQを高めなければならない。そのEQは、つぎのよ
うな視点から、判断される。

(1)感情のコントロールは、できるか。
(2)統率力、判断力、指導力はあるか。
(3)弱者や下位の者に対して、共鳴力、共感力はあるか。
(4)決断力、行動力、性格の一貫性はあるか。

 この中で、とくに重要なのは、(3)の、弱者や下位の者に対して、共鳴力、共感力はあるかと
いう点である。わかりやすく言えば、より相手の立場になって、ものを考えられるかということ。

●EQは、思春期までに完成される

 このEQは、思春期までに完成され、それ以後、そのEQが、大きく変化するということは、な
い。つまりこの時期までの、人格の完成度が、その後の、子どもの人格のあり方に、大きく影
響する。

 しかしこの日本では、ちょうどこのころ、子どもたちは、受験勉強を経験する。この受験勉強
の弊害をあげたら、キリがないが、その一つが、ここでいうEQへの悪影響である。

 私は幼児から高校三年生まで、一貫して子どもを教えているが、この受験期にさしかかると、
子どもの心が、大きく変化するのを知っている。この時期を境に、ものの考え方が、どこか非
人間的(ドライ)になり、かつ合理的、打算的になる。

 親は、成績がよくなることだけを考えて子どもに勉強を強いる。あるいは、進学塾へ、入れ
る。が、こうした一方的な教育姿勢が、心の冷たい子どもを作る。そしてその結果、回りまわっ
て、今度は、親自身が、さみしい思いをすることになる。

 「おかげで、いい大学へと、喜んでみせる、そのうしろ。そこには、かわいた秋の空っ風」と。

 受験勉強は、この日本では、避けては通れない道かもしれないが、子育ては、それだけでは
ない。そういう視点から、もう一度、EQを考えてみてほしい。

子育ては、失敗してみて、それが失敗だったと、はじめてわかる。だれも、「うちの子は、だいじ
ょうぶ」「うちにかぎって……」と思って、無理をする。そして失敗する。あああ。私の知ったこと
か!
(040107)

【追記】

 あなたの親類でも近所でもよい。とくに戦後直後の、出世主義の教育を受けた人ほど、そう
だ。

 そういう人の中で、高学歴をもって、有名企業に入った人を観察してみるとよい。
 
 もちろん中には、そうでない人も多いが、一方、全体としてみると、あなたはそういう人ほど、
心の冷たい人だと知るだろう。それについて書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●受験勉強

 受験勉強は、「勉強」ではない。ただ言われた知識を吸収して、それをいかにうまく吐き出す
か。それで決まる。それが受験勉強。

 問題は、受験勉強がそういうものであるということではなく、そういう受験勉強で、人間の価値
が決まってしまうということ。「価値」という言い方には、語弊(ごへい)があるが、一般世間の人
は、そう考えている。

 昔、とんでもないほど、ヘンチクリンな高校生がいた。どうヘンチクリンかは書けないが、私は
その子どもを、頼まれるまま、半年間、教えた。週二回の家庭教師だった。

で、その子どもは、やたらと頭だけはよかったが、中味はどこか狂っていた。その高校生は、
やがてS大学の医学部に合格したが、親たちの感謝の言葉とは裏腹に、私はその合格を、ど
うしても喜ぶ気にはなれなかった。むしろ「これでいいのかなあ?」と、疑問に思った。

 つぎにその子どもの消息を聞いたのは、一〇年ほどたってから。そのときその子どもは、M
大学の大学病院で講師をしていた。が、さらに一〇年後。その子ども(「子ども」という言い方
は、適切ではないが……)は、驚いたことに、H市内で、開業した。私はその話を聞いたとき、
ワイフにこう言った。「どんなことがあっても、あの医院だけは行くな」と。

 私は無数の子どもたちをみてきた。若いころは、受験塾の講師もしていたから、同じく無数の
受験生を、大学へ送ってきた。しかしあのころの自分を振りかえって言えることは、「もう受験
指導など、こりごり」ということ。ああいう指導を、何の疑問ももたずにできる講師、つまり受験
屋というのは、やはりどこか頭がヘンチクリンと考えてよい。まともな人間なら、数年で、気がヘ
ンになってしまう。

 たとえば……

 合格した子どもに向かって、「おめでとう」を言ったあとに、振りかえって、不合格だった子ども
に、「残念だったね」と言う。まさに金の切れ目が、縁の切れ目。「教育」と言いながら、どこにも
教育の要素など、ない。

受験指導は、あくまでも「指導」。もっとはっきり言えば、要領の問題。小ズルイことを、スイスイ
とうまくできる子どもほど、有利。またそういうことを教えるのが、受験指導。

 つい先日も、その種の本の広告が、新聞に大きく載っていた。並べてみる。

「スイスイ、一流大学、合格法」(仮題)とか。

●直感で、「できない」と思った問題には手をつけるな。
●面接では、あたりさわりのないことを言え。奇抜なことを言うな。
●時間配分をまちがえるな。簡単な問題はミスをするな。
●作文テストは、減点法で勝負、など。

 たしかにその通りだが、こうまで堂々と書かれると、「どうか?」と思ってしまう。しかし現実に
受験競争がある以上、それにさからってもしかたない。が、どこか低レベル。「本当に、これで
いいのかな?」と思うほど、低レベル。ワイフにそのことを話すと、「こういう人間を見ない教育
はこわいわね」と。私も、そう思う。

 もっとも、今、受験生をもつ親や、受験勉強で苦しんでいる子どもに向かって、こんなことを言
ってもはじまらない。それはちょうど、金持ちが、「お金なんてむなしいものです」と言うのに似て
いる? どこかの大学の総長が、「学歴制度なんて、もうありません」と言うのに似ている? そ
のお金や学歴を、死ぬほど乞い求めているいる人だっている。

 しかし今、それこそワラをもつかみたい思いで苦しんでいる人に向かって、受験の心得と
は? それはちょうどガンで苦しんでいる人に向かって、あやしげなガン治療薬を売りつけるよ
うなものだ。そもそも、こういう受験屋に向かって、良心を求めるのがおかしい? だから批判
したり、批評したりしても、ムダ?

 日本の教育制度は、どこか狂っている。その狂った教育制度の中から、これまた狂った子ど
もたちが生まれている。それだけではない。この狂った教育制度が、いかに親子のきずなを破
壊し、ついで家庭を破壊していることか。そしてその結果、それほど「力」のない人が、王座に
君臨する一方、まじめで良心的な人たちが、食いものになっている!

たとえばこの日本では、人生の入り口でほんの少しだけがんばって、高級官僚になれば、あと
は死ぬまで、地位と収入が保証される。仕事も役職も、つぎつぎと回ってくる。しかしその入り
口をはずすと、一生、そういう仕事には、ありつけない。ガードはかたい。採用試験すら受けら
れない。まず、その採用試験すら、ない。それともあなたは、職安の掲示板に、「○○図書館、
館長職、募集中」などという張り紙を見たことがあるだろうか。

 この日本では、どんな形でもよい。役人のポストがあれば、それについたほうが、絶対、有
利。得。安全。無事。生涯、食いはぐれることはない。しかしみなが、そう思ったら、この日本は
どうなる? みなが、そう思って、公務員になったら、この日本はどうなる?

 そういう社会の入り口に、実は、受験競争がある。言いかえると、受験勉強も、ヘンチクリン
な子どもも、結局は、その狂った社会の申し子にすぎない。その狂った社会が、今の日本の社
会の基盤になっている。

 ……と、またまた頭が熱くなってしまった。少し過激な意見になってしまった。自分でもわかっ
ている。しかしこれだけは言える。

 どんな年齢になっても、またどんな回り道をしても、その人がその時点からがんばったとき、
その人の実力が認められるような社会にしないと、本当に日本はダメになるということ。

そんなにがんばらなくても、公的な保護や恩恵を受けてヌクヌクと生きている人が、ふえればふ
えるほど、本当に日本はダメになるということ。それでもよいなら、私は、もう何も言わない。そ
ろそろ、私の心の中には、こんな思いが芽生え始めている。「どうぞ、ご勝手に!」と。「もう、知
ったことか!」と。あるいは、尾崎豊の言葉を借りるなら、「クソ食らえ!」か。このところ、こうい
う問題を考えるのも、疲れてきた。

+++++++++++++++++++

こう書くと弁解がましく聞こえるかもしれないが、私は何も、公務員の人を、個人攻撃している
わけではない。だからあなたがもし公務員でも、あるいはあなたの近くに公務員の人がいると
しても、そういう人に、この問題をあてはめないでほしい。

数年前も、「あなたはそう言うが、私の夫は、公務員として、その責務をまじめに果している。そ
ういう人もいるということを忘れないでほしい」という抗議の手紙をもらったことがある。それに
は長々と、その夫の一日のスケジュールまで書かれていた。

しかし私が問題としているのは、個々の公務員といわれている人の問題ではなく、あまりにも
肥大化しすぎた公務員社会、もっと言えば強大化しすぎた官僚制度である。この日本では、何
をするにも、資格だの、免許だの、許可がいる。そしてそういう許認可権のもとじめに、役人が
いて、日本の社会をがんじがらめに、しばりあげている。

ここにメスを入れないと、日本の社会は、本当にダメになる。それを言っている。

どうか誤解のないようにしてほしい。

+++++++++++++++++++

●EQ

その人のEQは、先にも書いたように、「弱者や下位の者に対して、共鳴力、共感力はあるか」
で決まる。

 言いかえると、もし、あなたが今、自分で心の冷たさに気づいたら、いつも相手の立場でもの
を考えるようにするとよい。時間はかかるが、やがてあなたは自分のEQを、高めることができ
る。

 かく言う私も、はげしい受験勉強を経験している。そしてその時期を境に、ものの考え方が変
ったのを知っている。しかしそれに気づくのに、一〇年。少しだけ自分を変えるのに、さらに一
〇年はかかった。そんなことを考えながら書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●問題のある子ども

 問題のある子どもをかかえると、親は、とことん苦しむ。学校の先生や、みなに、迷惑をかけ
ているのではという思いが、自分を小さくする。

よく「問題のある子どもをもつ親ほど、学校での講演会や行事に出てきてほしいと思うが、そう
いう親ほど、出てこない」という意見を聞く。教える側の意見としては、そのとおりだが、しかし実
際には、行きたくても行けない。恥ずかしいという思いもあるが、それ以上に、白い視線にさら
されるのは、つらい。

それに「あなたの子ではないか!」とよく言われるが、親とて、どうしようもないのだ。たしかに
自分の子どもは、自分の子どもだが、自分の力がおよばない部分のほうが大きい。そんなわ
けで、たまたまあなたの子育てがうまくいっているからといって、うまくいっていない人の子育て
をとやかく言ってはいけない。

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが、苦手。目が上ばかり向いている。たとえばマスコ
ミの世界。私は昔、R社という出版社で仕事をしていたことがある。あのR社の社員は、地位や
肩書きのある人にはペコペコし、そうでない(私のような)人間は、ゴミのようにあつかった。電
話のかけかたそのものにしても、おもしろいほど違っていた。

相手が大学の教授であったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。おおせのとおりにいたしま
す」と言い、つづいてそうでない(私のような)人間であったりすると、「あのね、あんた、そうは
言ってもねエ……」と。それこそただの社員ですら、ほとんど無意識のうちにそういうふうに態
度を切りかえていた。その無意識であるところが、まさに日本人独特の特性そのものといって
もよい。

 イギリスの格言に、『航海のし方は、難破したことがある人に聞け』というのがある。私の立場
でいうなら、『子育て論は、子育てで失敗した人に聞け』ということになる。実際、私にとって役
にたつ話は、子育てで失敗した人の話。スイスイと受験戦争を勝ち抜いていった子どもの話な
ど、ほとんど役にたたない。

が、一般の親たちは、成功者の話だけを一方的に聞き、その話をもとに自分の子育てを組み
たてようとする。たとえば子どもの受験にしても、ほとんどの親はすべったときのことなど考えな
い。すべったとき、どのように子どもの心にキズがつき、またその後遺症が残るなどということ
は考えない。この日本では、そのケアのし方すら論じられていない。

 問題のある子どもを責めるのは簡単なこと。ついでそういう子どもをもつ親を責めるのは、も
っと簡単なこと。しかしそういう視点をもてばもつほど、あなたは自分の姿を見失う。あるいは
自分が今度は、その立場に置かされたとき、苦しむ。

聖書にもこんな言葉がある。「慈悲深い人は祝福される。なぜなら彼らは慈悲を示されるだろ
う」(Matthew5-9)と。この言葉を裏から読むと、「人を笑った人は、笑った分だけ、今度は自分
が笑われる」ということになる。そういう意味でも、子育てを考えるときは、いつも弱者の視点に
自分を置く。そういう視点が、いつかあなたの子育てを救うことになる。
(040107)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
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       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

世界から……

●異常気象?

今年の冬も暖かい?

地球温暖化は、進んでいるのか?

三〇年程前には、オーストラリアのメルボルンは、世界でももっとも住みやすい場所ということ
になっていた。春夏秋冬を通して、一年中、気候が温暖で、かつ、寒暖の差が、あまりなかっ
た。

 しかしここ一〇年、その気候は、大きく変わった。とくにこの四、五年、夏になると、気温が四
〇度を超えることも珍しくない。そして今年、つまり今のことだが、メルボルンに住むD君のメー
ルによると、「一〇〇年来の、記録的な猛暑だ」という。

 日本は、ラッキーな国だ。四方を海に囲まれ、中央には、三〇〇〇メートル級の山々が連な
っている。この地形的な特徴のため、気候が、ほかの地域にくらべて、穏やかに保たれてい
る。が、オーストラリアには、大きな砂漠がある。この砂漠で熱せられた熱波が、メルボルンの
ような海岸線にある都市を、襲う。

 去年の夏、ヨーロッパ大陸を襲った熱波は、まだ記憶に新しい。フランスなどは、記録的な猛
暑で、何百人という人が、熱射病で死んでいる。日本はその分、冷夏だったが、しかし冷夏と
言い切ってよいのか。五〇年前の日本の夏は、毎年、そうだった。

 私が子どものころには、夏の盆が過ぎると、突然、冷たい風が吹き始め、川へ入ることすら
できなかった。今とくらべても、夏は、ずっと短かったように思う。が、今では、九月に入っても、
気温が三〇度を超えることも、珍しくない。数年前には、一〇月に入っても、三〇度を超えてい
た!

 気象庁は、よく、「平年」という言葉を使うが、あれは、過去三〇年間の平均気温をいう。三〇
年ごとに、気温が、一度ずつあがっても、「平年並み」ということになってしまう。

 地球の温暖化が進んでいることは、もうだれの目にも疑いようがない。しかもその進行速度
は、学者たちが予想しているよりも、はるかに速い。このまま進めば、西暦二一〇〇年を待た
ずして、地球の気温は、三〇〇度とか、四〇〇度になるかもしれない。そんな説も、実際に、な
いわけではない。

 こうした地球温暖化を防ぐために、いろいろな会議が開かれている。そしていろいろな方策
が考えられている。人間の英知が、この問題を解決することを、私は願うが、しかし科学者だ
けに任せておくことはできない。私たちは私たちで、しておくべきことがある。

 つまり、心の準備である。

 やがてこの地球上では、人類がかつて経験したことがないような、地獄絵図が繰りひろげら
れることになるかもしれない。気温が三〇〇度とか、四〇〇度とかになることはないにしても、
平均気温が数度あがっただけで、この日本でさえ、夏には、灼熱(しゃくねつ)地獄になる。仮
に日中の気温が、四五〜五〇度になれば、クーラーさえ、きかなくなる。

 そのとき、私たちは、どういう行動をするだろうか。

 灼熱の暑さで苦しんでいる人を助け、励ますだろうか。それとも、我こそはと、より涼しい場所
を求めて、その場所を奪いあうだろうか。どちらであるにせよ、これだけは言える。

 そういう「最期のとき」が来たとき、(あくまでも仮定の話だが……)、私たちはその最期を、静
かに、迎え入れることができるよう、心の準備をしておかねばならないということ。そのとき、あ
わてててジタバタしても、始まらない。なぜなら、今、私たちは、あまりにも好き勝手なことをしす
ぎている。

 そういう好き勝手なことを、し放題しておきながら、温暖化は困るというのは、あまりにもムシ
がよすぎる。

 一つの方法は、今から、私たちは、できることをする。一つは、地球温暖化に結びつくような
ことはしない。もう一つは、あとで悔いが残らないように、懸命に生きる。懸命に生きて、生き抜
く。そうすれば、仮に最期のときがきても、その最期を、安らかな気持で迎え入れることができ
る。

 何とも暗いエッセーになってしまった。しかし、安心してほしい。

 すでにいくつかの方法が、考えられている。宇宙空間に、亜硫酸ガスをまいて、太陽光線を
遮断するという方法など。どこかSF的だが、そのときがくれば、人間も、必死で、その打開策を
考える。地球の温暖化を、最後の最後のところでくい止める方法は、ないわけではない。

 が、それでも失敗したら……。

 何%かの人類を、宇宙空間へ避難させるという方法もあるし、同じく、地下都市に住むという
方法もある。地球温暖化を前提としたような実験も、世界中で始まっている。

 が、それでも失敗したら……。

 かつて恐竜が絶滅したように、人類も絶滅するかもしれない。しかしそのときでも、わずかな
生命の痕跡(こんせき)は残り、それが次世代の生命として、進化していくかもしれない。たとえ
ばゴキブリ。

 あのゴキブリは、生き残り、一億年後か、二億年後かに、進化して、今の人間のようになるか
もしれない。なって、社会をつくり、文化を発展させるかもしれない。もちろん学校もつくる。そし
て、ある日、ゴキブリの先生が、子どもたちに向かってこう言う。

 「みなさん、これからヒトの骨の発掘調査に行きましょう。もなさんも、ご存知のように、今から
二億年前、この地上には、ヒトと呼ばれる大きな生き物が住んでいました。

 愚かな生物で、殺しあったり、奪いあったりしているうちに、環境を、自ら破壊してしまい、結
局は絶滅してしまいました。

 そのとき私たちの祖先は、ヒトに嫌われ、見つけられると、すぐ殺されました。私たちの祖先
は、ヒトには、嫌われていたのですね。

 さあ、みなさん、ここにあるのが、そのヒトの骨です。大きいでしょう。足の大きさだけでも、皆
さんの数百倍はあります。二億年前には、こんな大きな生物が、この地上を、ノシノシと歩いて
いたのですね」と。

 それを聞いた、ゴキブリの子どもたちは、こう言って、歓声をあげる。

 「ワー、これがそのヒトの骨〜エ? 大きいなア」と。

 すると先生が、またこう言う。

 「そう、それは、ヒトの中でも、バカナヒトザウルスの骨です。発掘調査により、この骨のヒト
は、名前もわかっています。で、その名前は、ええとですね、ハヤシ・ヒロシという名前だったそ
うです」と。

 最後の部分は、冗談だが、しかしこの宇宙では、二億年なんて、一瞬。星がキラリとまばたき
する間にすぎる。かつて恐竜の時代に、私たちの先祖がネズミのような生き物だったことも考
えれば、何も、「命」を、人間だけにこだわることもない。

 つまりそういう視点も、忘れてはならない。これが私がいう、「心の準備」ということになる。

 しかし……。私たちは、よい。一応、それなりに人生を楽しむことができた。しかしこれからの
子どもたちのことを考えると、正直言って、気が重くなる。私たちが好き勝手なことをしたおか
げで、子どもたちが、あるいは私たちの孫たちが、その地獄絵図を見ることになるかもしれな
い。

 何とも申しわけない気持になるのは、私だけか……?
(040107)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況】

●野鳥の死

 今朝、起きると、ワイフが、居間にいて、こう言った。「たった今、野鳥が、窓ガラスに当たっ
た!」と。

 見ると、見たこともない美しい鳥が、地面にうずくまっていた。ハナ(犬)は、前回のこともあ
り、神妙な顔をして、遠巻きに、それをながめていた。

 数週間前、ハナは、同じように巣から落ちてきた、キジバトの子どもをかみ殺すという、信じ
がたい残虐なことをした。そのとき、私は、ハナの尻を、思いきり蹴とばした。ハナも、少しは、
学習したらしい。

 手でくるんで居間へもってくると、体は動くものの、首がたれて、動かない。「首の骨が折れて
るみたいだ」と言うと、ワイフが心配そうな顔をした。

 「もう、ダメ?」
 「みたいだな……」と。

 果物が入っていたバスケットをあけると、そこに白い紙を敷いた。そしてその上に、そっと、野
鳥を置いた。一瞬、私を見たようだった。そして、それにあわせて、一瞬、羽をバタバタさせた。
しかしそれが最期だった。

 しばらくすると、動きをやめた。まぶたが、ゆるんだ。

 私はそれを日当たりのよい暖かい床の上に置いた。美しい鳥だった。

 「どこかで子育てをしていたかもしれないな」と私。
 「そうかもしれないね」とワイフ。
 「子どもは、お母さんが帰ってこないから、心配しているよ」
 「お父さんはいないのかしら?」
 「さあね……」と。 

 私は、そのまま、自分の生活にもどった。新聞を読み、それから靴下をはいた。しばらくする
と、ワイフがうしろから、こう言った。

 「どんどん、体が冷たくなっているわ」と。

 鳥は死ぬと、すぐ冷たくなる。そして体の硬直が始まる。私は、「死んだな」と思った。しかしそ
れは言わなかった。

 のどかな朝だった。風もない。見るとハナがそこにいて、私の方を心配そうに見ていた。「い
いか、鳥は、友だちだ。殺してはいけないよ」と。

 朝ごはんを食べているときも、野鳥は、まったく動かなかった。食べ終わったときも、まったく
動かなかった。

 ワイフが、「目を閉じたわ」と言った。「さっきね、まぶたをさげてあげた……」と、私は言った。

 死は厳粛なもの。しかしやってくるときは、本当にあっけなく、やってくる。私はその野鳥の静
かな表情を見ながら、そう思った。


●ビデオ「TAKEN」を見る

S・スピルバーグ監督の「TAKEN」を見る。

 少し前、文庫本(竹書房文庫)を読んだので、興味があった。好き好きもあるのだろうが、結
構、楽しかった。今日までに、ビデオのVOL・1と、VOL・2の二つを見た。午後から、VOL・3
を見るつもり。

 内容は、まさにUFOづくし。今までの映画のように、どこかもったいぶったような出方はしな
い。UFOが、随所に、サラサラと出てくる。しかしあまりにもサラサラと出てくるため、かえって
違和感を覚える。

 本の帯には、「未知との遭遇、E・Tにつづく、スピルバーグ永遠のテーマ、ここに完結」とあ
る。スピルバーグ自身も、「異性人による誘拐(アブダクション)には、ずっと興味をもってきた
んだ。アブダクションを題材にした、無限の可能性を秘めたストーリーを追求しつづけること
に、楽しみを見出しているんだよ」(同文庫)と語っている。

 ビデオを見ながら、「本」と、「ビデオ」の違いを考える。もっとも、本そのものが、映画撮影と
同時進行で書かれたものなので、基本的には、内容は同じ。しかし本から受ける印象と、映画
から受ける印象は、かなり違う。

 おもしろさという点では、ビデオのほうが、本より、ダントツに、おもしろい。

 また映画のできとしては、★★★(★が三つ)。UFOファンの人なら、星を、四つ、つけるかも
しれない。

 「?」と思う場面もなかったわけではない。たとえば宇宙人が、人間の姿や、ぬいぐるみに化
けるところ。「もしそれほどまでに高度な技術(?)があるなら、何も、そんなことをしなくても…
…」と、あちこちで、思った。

 しかしVOL・1と、VOL・2を見ると、どうしても、VOL・3を見たくなる。それで、今日の午後、
見ることにした。

 「あんなバラバラの映画にしてしまって、最後は、どうやってまとめるのかね?」とワイフに話
すと、ワイフも、「そこが問題ね」と笑った。また、その報告は、次回に!
(040109)


●焼津(やいづ)へ行く

 昨日(一月八日)は、午後からヒマだったので、ワイフと焼津へ行ってきた。

 目的は、おいしい魚料理を食べること。

 電車で、約一時間弱。料金は、浜松駅から、片道一人、1110円。

 以前から「一度は、行ってみよう」と、ワイフが言っていた。それに、数か月前、沼津へ行った
とき、よい思いをした。それが忘れられなかった。それで今回も、と思って、出かけた。

 沼津も焼津も、昔から漁港として、栄えた町である。その沼津へ行ったときのこと。漁港の近
くの小さな店に入った。そこで私たちは、びっくりするほど安い料金で、びっくりするほどおいし
い、海鮮どんぶりを食べた。

 それが忘れられなかった。

 が、今回は、期待はずれ! まったくの、期待はずれ!

 焼津の駅から、タクシーで、漁港まで。海産物を売っている女性に、「おいしいところはありま
すか?」と聞くと、「そこのYよ」と。

 が、あいにくと、その「Y」という店は、休業中。で、しかたないので、少し歩いて、「X」という近く
の寿司屋へ。「昼定食」という看板にひかれて、中に入った。

 私は、寿司定食(1200円)、ワイフは、マグロ丼定食(900円)を注文した。しかし、がっか
り! 小さな寿司が六個に、小さなテンプラと、少しだけのザルソバ。おまけに、量の少ないこ
と! ワイフのマグロ丼も、そうだった。切手のように薄いマグロの刺身が、どんぶりの上をお
おっているだけ! 「こんな定食が、1200円ねえ?」「900円ねえ?」という思いで、それを食
べた。

 しかし食べ物のうらみというのは、恐ろしい。私はその定食だけで、焼津が、すっかり嫌いに
なってしまった。「二度と、こんな店には来ないぞ!」という思いで、外へ出た。

 駅までの帰りの道は、歩いた。歩きながら、その寿司屋の悪口ばかり。昼ごはんを食べたば
かりというのに、空腹感を消すことができなかった。で、駅の下にあるコンビニで、お弁当を買
いなおす。ワイフは、鯛焼きを買う。

 しかし、さあ、電車に乗ろうと、駅の二階の通路にあがったとき、どちらかが、「このまま帰る
のは、もったいない」と言い出した。言い出して、どこかを観光することした。

 「焼津には、花咲(はなざわ)の里というのがある」「大崩(くず)れ海岸というのもある」というこ
とで、私たちは、花咲の里を選んだ。「花咲」と書いて、「はなざわ」と読むのだそうだ。

 花咲の里までは、タクシーで、二〇分ほど。料金は、一四〇〇円前後。が、そのタクシーの運
転手が、かわっていた。

 軽い脳梗塞でも起こした人なのか、言葉のロレツが、回らない。おまけに運転のし方が、ユニ
ーク。数秒おきに、アクセルとブレーキを交互に踏む。いろいろな運転のし方があるが、私は、
そういう運転のし方をする人を見たことがない。

 ブーとエンジン音が聞こえたかと思うと、今度は、スーッと車が止まる感じ。これを、数秒おき
に、繰りかえす。「ガソリンの節約か?」とも思ったが、どうも、そうではないようだ。タクシーをお
りたとき、私は軽い船酔いのような状態になっていた。

 で、花咲の里。

 まさにゴースト村(失礼!)。入り口から、上手にある、天台宗・法華寺までを往復したが、そ
の一時間半あまりの間、出あった村人は、一人だけ。「シーズンには、ハイキングの人でにぎ
わう」ということだったが……。

 昔は、ミカン農家として栄えた部落だそうだが、私は窒息しそうなほどの息苦しさを覚えた。

 「こういう部落は、見るのはいいけど、そこに住むとなると、たいへんだろうね」と私。
 「そうね、古いしきたりや、風習があって、たいへんよ」とワイフ。
 「一度、長老の機嫌をそこねたら、それこそ村八分。そんな感じがする」
 「江戸時代の日本、そのままね」と。

 立派な門構えの家が並ぶ。黒塗りの木の塀が、独特の空間をつくる。途中、水車小屋もあ
り、それなりに楽しい。しかし、どうも、なじめない。私は、こうした農村の、その下に潜む、ドロ
ドロというより、グチャグチャになった人間関係をよく知っている。多分、それを知らない都会の
人たちは、ノー天気に、「すてきなところね」と言うかもしれないが……。

 やはり、食べ物のうらみは、大きい。何もかも、悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまう。休憩
所というコーナーが作ってあった。そこで私たちは、駅で買った、弁当などを食べた。

 結局、最後まで、私は、焼津の町を好きになることは、できなかった。「もう、二度とくることは
ないだろう」と、自分に言って聞かせながら、帰りの電車に乗った。
(040109)

【観光】

 花咲の里は、春や晩秋のころには、すてきなハイキングコースになるとのこと。村は、美しい
清流に沿って、位置する。

 ただ浜松から行くとなると、それだけの時間とお金をかけて行くほどの価値はないと思う。焼
津へ行ったついでに……ということなら、お薦めスポット。
(マガジンのHTML版のほうで、そのときとった、写真を紹介)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
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2・21 ……細江町「教育のつどい」
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1・22 ……細江町中川小学校
詳しい講演日時は、
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Soichi Hayashi (林 宗市のホームページ) http://dstoday.com
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子育て最前線の育児論byはやし浩司(Eマガ)+最前線の育児論byはやし浩司(メルマガ)+
はやし浩司の世界(Eマガ)……総読者数(Nr. of Readers)、1243人(04年1月1日現在)
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto819

●思考回路

 東京へ行くことになった。そこで私がまずしたことは、JRの浜松駅に電話をして、発車時刻を
調べること。が、なかなか電話はつながらない。

が、そのとき気がついた。今では電話などしなくても、インターネットを使えば、発車時刻など即
座にわかる。思考回路というのはそういうもので、一度、できると、それを改めるのは容易では
ない。私は昔から、電車の発車時刻は、電話をして確かめていた。それが今になっても、つづ
いている?

 実のところ、思考回路には、便利な面もある。人間の行動をパターン化することにより、行動
そのものをスムーズにする。

たとえばテーブルの上に置かれた湯飲み茶碗を手にするとき、右手でとろうか、左手でとろう
かなどと考えてからとる人は、いない。自然に右手が出て、そしていつものように茶碗をもちあ
げる。しかしその思考回路にハマりすぎると、それ以外の考え方ができなくなってしまう。そうい
うとき思考回路は、かえって思考のじゃまになる。

 が、思考回路があることが問題ではない。問題は、その思考回路が、柔軟なものかどうかと
いうこと。

たとえば子どもたちの行動パターンを観察すると、おもしろい連続性を発見することがある。た
とえばポケモンカードがある。年齢的には小学校の低学年児に人気がある。それが中学年に
なると遊戯王になり、高学年になると、マジックザギャザリング(通称「マジギャザ」)になる。より
複雑なゲームになるというよりは、子どもたち自身が、ひとつの思考回路にハマっているといっ
たほうが正しい。

友人関係にせよ、遊び仲間にせよ、さらにはごく日常的な会話にせよ、全体としてひとつの思
考回路となっているから、途中で、それを変えるのは容易なことではない。仮にカードゲームか
ら離れて、趣味が読書に向かうとしたら、それまでの環境すべてを変えなければならない。

 ……と書いて、実はこれはおとなの問題でもある。思考回路というのは、年をとればとるほど
柔軟性をなくす。冒頭にあげた例がそのひとつ。

そこで問題は、いかにして思考回路の柔軟性を確保するかということ。いろいろな刺激を与え
ればよいことは、私にもわかるが、体そのものが新しい刺激を受けつけないということもある。
日常的な行動そのものがパターン化されている現状で、どうすれば新しい刺激を自分に与える
ことができるのか。

もっとも私のばあいは、たとえば旅行で、たとえば読書でと、そういったところで刺激を受けるよ
うにしている。が、本当の問題は、このことでもない。本当の問題は、いかにすれば固定した思
考回路をつくらないですむか、だ。

あのマーク・トウェーン(「トム・ソーヤの冒険」の著者)はこう書いている。『皆と同じことをしてい
ると感じたら、そのときは自分が変わるべきとき』と。

自分の中にひとつの思考回路を感じたら、その思考回路そのものと戦う。そしてそれをつくらな
いようにする。そういうのを自由といい、進歩という。行動面はともかくも、思想面では、思考回
路は、思考そのものの障害となることもある。そういう視点で自分の思考回路をながめる。

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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●私は、どんな親か?

 親は、子育てをする。それはわかる。しかしそのとき、親は、自らを、「上」に置いて、子育て
をする。日本式の子育ては、おしなべて、そうであると言ってよい。

 「私は親だ。だから、子どもよりすぐれた存在である」と。

 しかし本当にそうか? 今、多くの人たちが、その親に反旗をひるがえし始めている。つい先
ほども、カナダに住む女性から、こんなメールが届いた。

 「……私の母は、病的な盗癖のある人で、私の貯金通帳からも、平気で、お金を盗んで使っ
ていました。その母は、私が二九歳のときに死にましたが、死んだとたん、肩の荷が、ぐんと軽
くなったのを感じました」と。

 こういう話は、三〇年前、四〇年前には、聞かなかった。日本人は、独特の親観をもってい
て、「親の悪口を言うのは、もってのほか」と考える。しかし、今、多くの人たちが、勇気を出し
て、自分の親を、語り始めている。

 私は、このことを、七、八年前に、母親教室を開いたときに知った。一人の女性が、「私は、
盆や正月に、私の実家へ帰り、両親に会うのが苦痛でなりません」と言ったときのこと。「私も
そうだ」という人が、続出した。

 全体として、二〇〜三〇%の人が、そうでなかったか。こういう人たちは、日本の常識(?)の
中で、人知れず、悩んでいる。「私は、子どもとして、失格だ」と。

 しかし現実には、嫁いで家を出た娘に向って、「親不孝者。のろい殺してやる」と言っている母
親すら、いる。息子が、アメリカへ行っている間に、息子の土地を、無断で転売してしまった母
親だっている。さらに、結婚して家を出た娘に対して、執拗なストーカー行為を繰りかえしている
母親もいる。

 これらの話は、そうでない人には信じがたい話かもしれないが、すべて事実である。

 そこで問題は、親のことではなく、あなた自身はどうかということ。あなたは、あなたの子ども
にとって、どんな親だろうかということ。

 たぶんあなたは、「私は、すばらしい親だ」「子どもは、私を尊敬しているはず」と考えている
かもしれない。しかし、そう思いこんでしまうのは、少し、待ってほしい。

 この世界では、「私はいい親だ」と思っている人ほど、そうでないケースが多い。むしろ「私は
できの悪い親だ」と思っている人ほど、そうでないケースが多い。大切なことは、子育てに対し
て、どこまで謙虚かということ。つまりは、子育てに謙虚な親ほど、子どもにとっては、よい親と
いうことになる。

 少し前までは、親の権威だけで、子どもを「下」に置くことができた。が、今は、その権威で子
どもをしばる時代ではない。またそうであっては、ならない。親子といえども、そこは、純然た
る、一対一の人間関係。たがいの関係も、こわれるときには、こわれる。またこわれたからとい
って、それを「悪」と決めてかかってはいけない。

 あなたの周囲にも、親の重圧感と、呪縛の重荷の中で、もがき苦しんでいる人は、いくらでも
いる。あなた自身がそうであるかもしれない。言いかえると、あなたの子どもも、いつか、そうな
るかもしれないということ。

 そこで大切なことは、今、この時点で、あなたという親は、あなたの子どもにとって、どういう親
なのか、冷静に反省してみるということ。決して、あなたは、親であるという立場に甘えてはいけ
ない。安住してはいけない。親であるということは、ぞれ自体、きびしい立場であること。それを
謙虚に反省してみてほしい。

 そしていつか……。あなたの子どもが、あなたを軽蔑するようになっても、あなたは、子どもを
うらんだりしてはいけない。その責任は、子どもにあるのではなく、今のあなた自身にある。

 多くの親は、子育てというと、子どもを育てることしか考えない。しかしそれ以上に大切なこと
は、あなた自身が、子どもにとって、どういう親であるかということ。親というより、どういう人間
であるかということ。それを考えながら、子育てをするということ。

 そういう意味でも、親であることは、きびしい。本当にきびしい。そういう視点で、あなたという
親は、今、どういう親なのか、少しだけ振りかえってみてほしい。
(040107)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●神の力

 イランで起きた地震は、まだ記憶に新しい。その救助作業の中、何と、八日ぶりに、九七歳
の女性が、かすり傷一つなく、救出されたという。

 ロイターは、つぎのように伝える。

「大地震に見舞われたイラン南東部で活動する赤新月社の当局者によると、同国のバムで三
日、地震発生から八日ぶりに、崩れた建物の中から九七歳の女性が救出された。

 この女性はシャフルバヌ・マザンダラニさんで、顔にはかすり傷一つなく、健康状態も良好と
いう。

 マザンダラニさんは収容された病院で、赤新月社当局者に対し、『神が生かしてくれた』と喜
びを語った」と。

 こうした話は、よく聞く。

 私がよく覚えている事件に、こんなのがある。

 ある女性(三五歳くらい)の夫が、急病で死んだ。数日、熱を出したと思ったら、それが原因
で、肺炎になり、そのまま死んでしまった。あまりにも急な死だった。

 が、そのあと、その女性に、三〇〇〇万円の保険金がおりたという。どういういきさつでおり
たのかは、私は知らない。しかしその女性は、その三〇〇〇万円のうち一〇〇〇万円を、自
分が所属する教団に寄付してしまった。

 いわく、「これだけ多額の保険金が入ったのは、(その教団で)、信仰していたおかげです」
と。

 その教団では、(一〇〜一〇〇万円未満)の寄付をする信者を、「二桁信者」。(一〇〇〜一
〇〇〇万円未満)の寄付をする信者を、「三桁信者」、(一〇〇〇万円以上)の寄付をする信
者を、「四桁信者」として、区別していた。

 しかし、この話は、どこから聞いても、おかしい。

 もし彼らが信仰する「神」にせよ、「仏」にせよ、そんな「力」があるなら、そもそも、夫を殺すよ
うなことはしないはず。冒頭にあげた、九七歳の女性は、「神が生かしてくれた」というが、で
は、残りの死んだ人たちは、どうなのか。あるいは、その女性は、神が殺したとでも、言うの
か。

 こういうのを、信仰的盲目性という。その女性の気持は、わからないでもないが、その女性を
救ったのは、神ではない。もう少し、わかりやすい例で、考えてみよう。

 これは一〇年ほど前の話だが、ある寺に行くと、一人の女性が、うれしそうにその寺の住職
と、話をしていた。何でも、その寺で信仰したおかげで、息子の病気が治ったというのだ。

 しかしその息子の病気を治したのは、実際には、病院の医師である。が、その女性は、その
ことについては、一言も触れなかった。私は、その話を横で聞きながら、こう思った。

 「もし、その子どもの病気が治らなかったら、どうだったのか。その女性は、その住職に、何と
言うだろうか。また治療にあたった医師に、何と言うだろうか」と。

 ……こう書くには、私には、理由がある。

 小学二年のときから三年にかけて、私は小児結核をわずらった。そのとき私は、ペニシュリ
ンという強烈な薬を使って、それを治すことができた。アメリカが日本を占領するとき、アメリカ
から持ちこんだきた薬である。

 そのときのことを、ときどき思い出しながら、今でも、こう思う。もし、私が、あと数年早く、小児
結核になっていたら、私は、とっくの昔に死んでいただろう、と。あるいはペニシュリンの開発
が、あと数年遅れていたとしたら、私は、とっくの昔に死んでいただろう、と。

 私は、当時のほとんどの子どものように、何も、信仰していなかった。両親は、していたが、
私の家には、神棚もあり、仏壇もあり、布袋様(ほていさま)もあった。ほかにも、いくつかの神
様が祭ってあった。まさに何でもありだった。(だからどの神様が治してくれたのか、本当のとこ
ろは、よくわからないが……。)

 となると、今、私が生きているのは、なぜか?

 回りくどい言い方は、やめよう。要するに、その九七歳の女性を救ったのは、神でも何でもな
い。奇跡でもない。無数の偶然が重なっただけ。現に、四万人弱もの人が、その地震でなくな
っているではないか。

 信仰は、「教え」によって、するもの。神がかった、スーパーパワーを求めてするものではな
い。また、そんなパワーは、ない。求めてもいけない。もしそういうパワーがあるとするなら、私
やあなたより、何千倍、何万倍も、それを必要とする人のために、譲ってやるべきだ。祈るとし
ても、そういう人たちのために、祈るべきだ。

 話が少し、過激になってきたが、ロイターのニュースを読んだとき、私は、頭のどこかで、ふ
と、そんなことを考えた。
(040105)

【神が神である理由】

 神が神である理由は、何か。私は、その理由は、三つあると思う。

 「教え」「スーパーパワー」、それに「愛」である。

 「教え」はともかくも、「スーパーパワー」というのは、いわゆる超能力のようなもの。手のひら
をかざしただけで、難病を治したりする力のことをいう。

 問題は、「愛」だが、それには、当然、行動がともなわねばならない。行動のともなわない愛な
ど、ただの、「思い過ごし」。だいたいにおいて、「愛」ほど、自分の心の中で実感しにくい感情
は、ない。

 となると、やはり神といえども、「教え」が、その柱になるはず。いつか私は、釈迦にせよ、キリ
ストにせよ、もともとは「教師」ではなかったかと書いたが、今でも、そう思う。またそう思って、
仏典を読んだり、聖書を読んだりすると、意味がよくわかる。

 しかし信仰する側は、そうでない。仏の慈悲や、神の愛を求めながら、その一方で、そのスー
パーパワーに、恋焦がれる。「宝くじが当たりますように」「商売が繁盛しますように」と。予言と
いうのも、その一つだ。

 しかし神や仏にせよ、とくに神のばあい、仮に「いる」とするなら、そんなことで、人間に力を貸
すだろうかという疑問がある。もし貸すとするなら、たとえば今回のイランでも、その地震に先
立って、そこに住む人たちに、「早く逃げなさい」と警告を出しただろう。また、そうすべきだっ
た。

 また話が回りくどくなってきたが、要するに、信仰は、その「教え」によってするもの。「教え」に
始まって、「教え」に終わる。その「教え」をどう理解し、どう判断し、どう現実の生活の中で利用
していくかは、すべて、私たち自身の問題だということ。

 ずいぶんと勝手な判断で、不愉快に思う人も多いかもしれないが、私は、そう思う。この先
は、もう少し、時間をおいてから、考えてみたい。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●二〇〇四年

 私は、年号を、西暦で読んでいる。そんなわけで、ときどき、今は、平成何年なのか、わから
なくなる。しかしこんな小さな島国で、年号の読み方を別にするというのも、おかしな話だ。もし
世界中の国々が、それぞれの年号の読み方をするようになったら、世界は、どうなる?

 たとえば台湾にも元号があるが、日本とは、スケールが違う。それはそれとして、一番困るの
が、昭和五〇年から、今年まで何年というように、昭和と平成とまたがって年月を計算すると
き。大正一〇年でもよい。明治一〇年でもよい。そのたびに、一度、いちいち、西暦になおし
て、計算しなければならない。

 昔、通訳の仕事をしていたとき、「私は、昭和一〇年の生まれです。昭和四〇年に、アメリカ
へ行きました」などと、その人が言ったりすると、さあ、たいへん。私が生まれた、昭和二二年、
つまり一九四七年を基準に、頭の中で、即座に足し引き算をしなければならなかった。

 だからといって、元号が必要とか、必要でないとか、言っているのではない。なくせと言ってい
るのでもない。ただ公式には、もう西暦を使うべきだということ。このことは、反対に、台湾や、
東南アジアの国々へ行ったときに、よくわかる。その国の元号で「年」を言われると、何とも表
現のしようがない違和感を覚える。自分が、その世界から、はじき飛ばされるような、違和感で
ある。

 だから私は、この三〇年以上、元号を使ったことは、ほとんど、ない。私たちが結婚した年
も、息子たちの生年月日も、西暦では即座に言うことができるが、元号では、言えない。「昭和
何年ですか?」と聞かれたりすると、ハタと困ってしまう。(覚えても、すぐ忘れてしまうし……。)

 こういう私の意見に対して、元号は、便利だとか、その年の思い出がしみついていて、わかり
やすいという意見もある。しかしそれは、「慣れ」の問題。先日も、オーストラリアの友人が、私
の家に泊まってくれたときのこと。そのとき彼は、「一九七五年と、一九八三年に、日本へ来
た」というようなことを言った。

 元号に慣れ親しんだ人には、聞きづらい数字かもしれないが、私には、そのほうがわかりや
すい。即座に、「今から、何年前……」というような計算が、頭の中で、できる。あるいは、私
は、その友人に、反対に、元号になおして言わせるべきだったのか? 「The forty-fifth year 
of the Emperor of Showa(昭和天皇第45番目の年に……)」とか……?

 日本は、奈良時代の昔から、官僚主義国家。だから、役所では、元号を好んで使う。学校と
いう教育の場でもそうだ。つまり元号を使うことが、官僚主義国家の象徴にもなっている。もち
ろんその頂点には、天皇がいる。

 だから私が、「私は元号を使いません」などと言ったりすると、「君は、天皇制に反対なのか」
とか、言う人がいる。しかし私は、何も、そこまで深く考えてそうしているわけではない。ただ願
わくは、日本も、早く、今の官僚主義体制をやめて、民主主義体制に移行すべきだとは、思っ
ている。また、そういう方向で、ものを書いている。天皇制の問題は、そのつぎの問題である。

 さて、今年は、二〇〇四年。平成何年だったけ……? (ふつうなら、ここで調べて書くのだ
が、今日は、あえて調べない……。)
(040106)

【追記】

 毎年、どんどん小さくなっていく、鏡餅。今年は、今日まで、そこにあるのにさえ気づかなかっ
た。ワイフが、その上のミカンをとりさげたとき、「ああ?」と思ったほど。

 「いつ、それを買ったの?」と聞くと、ワイフは、「これね、実は、去年の鏡餅」と。

 ギョッ!

 「去年?」
 「そう、冷蔵庫に入れておいたら、そのまま残ったの……」
 「腐ってないか?」
 「多分ね……」と。

 昔は、つまり息子たちが小さいころは、毎年、餅つきまでして、鏡餅を作った。が、今は、スー
パーで買ってきて、そなえる。そこまではわかるが、しかし去年の鏡餅を使うとは!

 我が家も、だらしなくなったものだ。

 「だったらさ、しめ飾りも、しまって、来年も使ったら?」と私。

 このところ、しめ飾りも、結構、高額。小さなものでも、一五〇〇円前後もする。それに私のと
ころでは、自宅、山荘、教室と、三か所も用意しなければならない。結構な出費になる。

 「それはできないわ」とワイフ。
 「どうして?」
 「どうやって、しまっておくの?」
 「袋につめて、戸棚に入れておけばいい」
 「何だか、わびしいわね」
 「鏡餅は、わびしくないのか?」
 「……」と。

 若いころは、正月は、たしかに生きる節目になっていた。しかし今は、違う。新年になるたび
に、「また、年をとったか」という思いだけがつのる。人が「おめでとう」と言うほど、めでたくな
い。

 しかしどうせ毎年同じことを繰りかえすのなら、正月に使うものだって、そのとき使ったあと、
しまっておけばよい。そして来年、また使えばよい。おせち料理を入れる、重箱のように……。
(何ともせこい話で、すみません。)
 
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       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●宇宙のロマン

 昔、東洋医学の本を書いているとき、どうにもこうにも理解できない文章に行き当たった。そ
れについて書いていると、かなり長くなるので、ここでは省略する。

 手短に言えば、当時の科学の常識とは、極端にかけ離れた内容の文章に出あった。黄帝内
経(こうていだいけい)という本の中に、「この大地の上は、虚。その上は、太虚。大地の下も、
虚。その下も、太虚。この大地は、虚空の中央に浮かんでいる」(「五運行大論編」(京都・仁和
寺所蔵版)と書いてあった。

 さらにわかりやすく言うと、この地球は、大虚、つまり空気も何もない、まったくの真空の中に
浮かんでいる、と。

 同じところには、この大地は、「球体」で、宇宙を回転しながら移動しているというようなことま
で書いてあった。

 私は、この一文で、黄帝内経の虜(とりこ)になった。なって、本を、三冊も書いた。うち二冊
は、現在の今でも、全国の大学の医学部や鍼灸学校の教科書にもなっている。

●人間はどこから来たか?

人間は、どこから来たか。どうして、今、人間は、人間なのか。黄帝内経という本は、私に一つ
の大きなヒントを与えてくれた。

 つづいて私は、中国の古代文明に興味をもち、その結果、仰韶(ヤンシャオ)文明に行き着
いた。

 この文明は、実に不思議な文明で、かつ、驚くべき科学力をもった文明だと、わかった。そし
てさらに調べていくと、同じころ、チグリス・ユーフラテス川流域で栄えた、メソポタミア文明と、
多くの点で、類似性があることがわかった。

 メソポタミア文明を栄えさせたのは、シュメール人だが、これまた当時の常識とは、かけ離れ
た文明を築いた民族として、知られている。

 仰韶人とシュメール人。いつしか私は、これら二つの民族は、同一の起源から生まれた民族
ではないかと考えるようになった。根拠がないわけではない。

 たとえば仰韶人は、甲骨文字。シュメール人は、楔形文字を使っていた。ともによく似た文字
だが、たとえば甲骨文字では、「帝」を、「米」に似た文字で書く。光が、八方に広がった様子を
示す。楔形文字でも、同じように書く。

 また両者の発音も似ている。甲骨文字では、「di」と発音し、楔形文字では、「dingir」と発音
する。

 つまり文字の形と、意味と、発音がよく似ているということになる。それだけではない。ともに
彼らの神(帝)は、天の星からやってきたという。かなり大ざっぱな書き方なので、少しいいかげ
んに聞こえるかもしれないが、大筋は、こんなところである。

●火星探査機

 一月五日。アメリカ航空宇宙曲の無人火星探査機『スピリット』が、火星への着陸に成功し
た。

 アメリカから日本のどこかにホールインワンをしたようなものだと、マスコミは書いていた。着
陸地点はかつて湖があったと推測される、赤道付近のグセフ・クレーターだ、そうだ。水があっ
たとするなら、生物がいた可能性は、きわめて高い。

 このニュースを聞いたとき、またまた私のロマンが、かぎりなくふくらんだ。火星には、生物が
いたのではないか。しかもその生物は、自ら、火星そのものを破壊してしまうほど、高度な文明
をもっていたのではないか、と。

 一説によれば、火星が今のような火星になってしまったのは、そこに住む生物によって、環
境破壊が進んだからだという。ちょうど、今の地球で起きていることと同じようなことが、火星で
も起きたということになる。

 この地球も、あと一〇〇年とか、二〇〇年もすると、温暖化がさらに加速され、ゆくゆくは、今
の火星のようになるかもしれないと言われている。つまり、火星にも、かつて環境破壊を起こす
ほどの生物がいたということになる。

 犬やネコのような生物ではない。人間のような生物である。

●人間は、火星人の子孫? 

 ここから先は、荒唐無稽(こうとうむけい)な、ロマン。空想。そういう前提での話だが、しかし
もし、人間が、それらの火星人によって作られた生物だとするなら、これほど、楽しい話は、な
い。

 最近、人間は、遺伝子の中のDNAを組みかえる技術を、身につけた。この方法を使えば、
陸を歩く魚だって、作れることになる。空を飛ぶ、リスだって、作れることになる。

 もし火星人たちも同じような技術をもっていたとしたら、自分たちの脳ミソをもった、サルを作
ることなど、朝飯前だっただろう。いや、ひょっとしたら、人間は、そうした技術によって、火星人
ではないにしても、だれかによって作られたのかもしれない。

 そこで、これはあくまでも、仮定の話だが、もし火星人たちが、地球に住んでいたサルを見つ
け、そのサルの遺伝子の中に、自分たちの遺伝子を組みこんだとする。そしてこの地球上に、
新しい生物が生まれたとする。で、そのあとのこと。火星人たちは、その新しく生まれた生物
に、何をするだろうか。

 私が、火星人なら、その生物たちを、教育しただろうと思う。言葉を教え、文字を教え、そして
生活に必要な知識を教えただろうと思う。

 もちろんこれは、ロマン。空想。しかし順に考えていくと、どうしても、そうなる。つまり、私が若
いころ出あった、東洋医学、なかんずく黄帝内経(こうていだいけい)は、こうして生まれた本で
はないかと、いつしか、私は、そう考えるようになった。

●壮大なロマン

 私は、いつでも、どこでも、コロリと眠ってしまう割には、よく、夜、ふとんの中に入っても、眠ら
れないときがある。

 そういうとき、私は、この壮大なロマンを、頭の中に描く。

 かつて仰韶人と、シュメール人は、同一の「神」をもっていた。仰韶人の神(帝王)は、黄帝。
シュメール人の神は、エホバ。天を駆けまわる神々は、黄河流域に住む仰韶人に、科学を。そ
してチグリス・ユーフラテス川にすむ、シュメール人には、宗教を与えた。

 こうして地球上で、人間による文明は、始まった……。

 しかしこういう話をまともに書くと、まず、私の脳ミソが疑われる。実際、こうした荒唐無稽な話
をかかげて、おかしな活動をしている宗教団体は、いくつか、ある。

 ただ私のばあい、こうした話はこうした話として、生活の一部に、しまっておくことができる。ロ
マンは、ロマン。空想は、空想。いつもいつも、頭の中で、考えているわけではない。

 が、こういう壮大なロマンを頭の中でめぐらせていると、いつの間にか、眠ってしまう。それは
ちょうど、私が子どものころ、『鉄腕アトム』や、『鉄人28号』を、頭の中で想像しながら眠ったと
同じ。そのころの習慣が、そのまま残っている。そう、私には、その種の話でしか、ない。また
読者のみなさんも、そういうレベルの話として、このエッセーを読んでほしい。

 では、おやすみなさい!
(040105)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生徒募集

 今年も、来年度(〇四年四月から)の生徒さんを、募集をすることになりました。

 もし私の教室に興味がある方は、どうか、メールをください。見学日などを、お知らせします。

 とくにお勧めするのは、幼児教室です。年間四四のテーマにわけて、レッスンを進めます。
「あいさつ」「善悪」「動物」「英語」「文字」「数」「知恵」「作業」など。

 私の教室の特徴は、一回でも、同じレッスンをしないということ。毎回、内容を、変えます。

 そして何よりも大切にしているのは、「子どもの笑い声」です。

 こう書くと、「?」と思われる方も多いと思いますが、それこそ、鉛筆を一本落としただけでも、
子どもたちは、ゲラゲラと笑います。そういう雰囲気を大切にしています。

 『笑えば、子どもは伸びる』が、私の教育の「柱」になっています。つまり、「勉強は楽しい」「考
えることは楽しい」という、前向きな姿勢が、子どもを伸ばす原動力となります。

 「教える」のではなく、『灯をともして、引き出す』のです。いつかあなたの子どもが、今のこの
時期を思い出したとき、この時期が、その子どもの原点になっていることを知るでしょう。私は、
過去三三年間、そういう教え方をしてきました。

 週一回だけのレッスンですが、子どもは、それ以外の日には、私の教室の話ばかりをするよ
うになります。どの子どもも、みんなそうだから、あえて、ここで自信をもって、そう書きます。

 四月からの新年中児のみなさん、新年長児のみなさん、どうか、一度、ご検討ください。みな
さんからのご連絡をお待ちしています。 

【浜松市内、周辺の方は……】

   電話(053)452−8039(常時留守番電話)まで、伝言を残してください。
   折り返し、電話いたします。

   あるいは、メールで。メールは、はやし浩司のサイトのトップページから。
   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

+++++++++++++++++++++++

【私の教室のこと】

 そもそも、私の教室は、実験教室として、スタートしました。その当初は、幼稚園で働くかたわ
ら、何かと問題のあるお子さんだけを集めて、私のほうから頼んで教えさせてもらうという形式
をとりました。そのため、当然のことながら、費用は、無料でした。

 そのうち、園のほうから、いろいろな指導を任され、やがて教室という形式をとるようになりま
した。そのとき、とくに私が興味をもったのは、「知恵ワーク」でした。

 が、当時は、知恵ワークそのものが、日本には、まだない時代でした。

 私は別の翻訳や、通訳の仕事もしていましたから、その仕事を利用して、世界中から、いろ
いろな幼児教育教材を集めてきました。

 その中でも、一番、役にたったのは、イギリスの教材でした。私は、当初は、それを翻訳した
り、コピーしたりして、自分の教室で使いました。

 こうした教材をベースに、私は、独自の教材を開発していったわけですが、そのかたわら、自
分が作った教材を、いくつかの出版社へ送ってみました。

 その中でも、学研の幼児開発局(当時)が、私の教材に興味をもってくれました。たまたま学
研が、「幼児の学習」と「なかよしがくしゅう」を創刊するときと重なり、私は、その創刊に参画す
ることができました。

当時、この二誌だけで、毎月四七万部前後も売れましたから、みなさんの中には、これらの雑
誌をご存知の方も多いと思います。

 こうして私は、以後、幼児教育の教材作りの世界に入ることになり、以後、二〇年近く、その
仕事をさせていただきました。

 その中でもとくに印象深かったのは、学研の大塚氏と開発した、『ハローワールド』という雑誌
です。その雑誌を創刊するとき、大塚氏が、横浜のアメリカンハイスクールでみつけてみた女
の子が、西田ひかるさんでした。

 その雑誌は、一時は、毎月三〇万部も売れるという記録を残しました。

 それとは少し話がそれますが、このことに関連した原稿を、ここに添付します。

+++++++++++++++++++++

子どもがワークをするとき 

●西田ひかるさんが高校一年生

 学研に「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌があった。今もある。私はこの雑誌に創刊時
からかかわり、その後「知恵遊び」を一〇年間ほど、協力させてもらった。

「協力」というのもおおげさだが、巻末の紹介欄ではそうなっていた。この雑誌は両誌で、当時
毎月四七万部も発行された。

この雑誌を中心に私は以後、無数の市販教材の制作、指導にかかわってきた。バーコードを
こするだけで音が出たり答えが出たりする世界初の教材、「TOM」(全一〇巻)や、「まなぶく
ん・幼児教室」(全四八巻)なども手がけた。

一四年ほど前には英語雑誌、「ハローワールド」の創刊企画も一から手がけた。この雑誌も毎
月二七万部という発行部数を記録したが、そのときの編集長の大塚薫氏が横浜のアメリカン
ハイスクールで見つけてきたのが、西田ひかるさんだった。当時まだまったく無名の、高校一
年生だった。

●さて本題

 ……実はこういう前置きをしなければならないところに、肩書のない人間の悲しみがある。私
はどこの世界でも、またどんな人に会っても、まずそれから話さなければならない。私の意見を
聞いてもらうのは、そのあとだ。

で、本論。私はこのコラム(中日新聞「子どもの世界」)の中で、「ワークやドリルなど、半分はお
絵かきになってもよい」と書いた。別のところでは、「ワークやドリルほどいいかげんなものはな
い」とも書いた。そのことについて、何人かの人から、「おかしい」「それはまちがっている」とい
う意見をもらった。しかし私はやはり、そう思う。無数の市販教材に携わってきた「私」がそう言
うのだから、まちがいない。

●平均点は六〇点

 まず「売れるもの」。それを大前提にして、この種の教材の企画は始まる。主義主張は、次の
次。そして私のような教材屋に仕事が回ってくる。そのとき、おおむね次のようなレベルを想定
して、プロット(構成)を立てる。

その年齢の子ども上位一〇%と下位一〇%は、対象からはずす。残りの八〇%の子どもが、
ほぼ無理なくできる問題、と。点数で言えば、平均点が六〇点ぐらいになるような問題を考え
る。幼児用の教材であれば、文字、数、知恵の三本を柱に案をまとめる。小学生用であれば、
教科書を参考にまとめる。

しかしこの世界には、著作権というものがない。まさに無法地帯。私の考えた案が、ほんの少
しだけ変えられ、他社で別の教材になるということは日常茶飯事。

こう書いても信じてもらえないかもしれないが、二五年前に私が「主婦と生活」という雑誌で発
表した知育ワークで、その後、東京の私立小学校の入試問題の定番になったのが、いくつか
ある。

●半分がお絵かきになってもよい

 子どもがワークやドリルをていねいにやってくれれば、それはそれとして喜ばねばならないこ
とかもしれない。しかしそういうワークやドリルが、子どもをしごく道具になっているのを見ると、
私としてはつらい。……つらかった。私のばあい、子どもたちに楽しんでもらうということを何よ
りも大切にした。

同じ迷路の問題でも、それを立体的にしてみたり、物語を入れてみたり、あるいは意外性をそ
こにまぜた。たとえば無数の魚が泳いでいるのだが、よく見ると全体として迷路になっていると
か。あの「幼児の学習」や「なかよし学習」にしても、私は毎月三〇〇枚以上の原案をかいてい
た。だから繰り返す。

 「ワークやドリルなど、半分がお絵かきになってもよい。それよりも大切なことは、子どもが学
ぶことを楽しむこと。自分はできるという自信をもつこと」と。

++++++++++++++++++++

 つまり、私の教室は、そんじょそこらにの、いいかげんな教室(失礼!)とは、違うということで
す。わかっていただけましたか?

 ぜひ、一度、BW教室の門をたたいてみてください。みなさんの、ご来訪をお待ちしています。
(040107)

【ご注意】見学と同時に、面接もかねさせていただくこともあります。よろしくご了解ください。

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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto819

(以前、書いた原稿から、三作を選んで、お届けします。さらに読んでくださる方は、はやし浩司
のサイトのトップページから、「子育てポイント集」へ、お進みください。)

●過関心は子どもをつぶす

 子どもの教育に関心をもつことは大切なことだが、しかしそれが度を超すと、過関心になる。
こんなことがあった。

ある日一人の母親が私のところへやってきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、
『好きな子どうし、並んでいい』と言ったが、うちの子(小二男児)のように友だちがいない子ども
はどうすればいいのか。そういう子どもに対する配慮に欠ける行為だ。これから学校へ抗議に
行くので、あなたも一緒に来てほしい」と。さらに……。

 子どもが受験期になると、それまではそうでなくても、神経質になる親はいくらでもいる。「進
学塾のこうこうとした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼる」と言った母親もいたし、「子ども
のテスト週間になると、お粥しかのどを通らない」と言った母親もいた。しかし過関心は子ども
の心をつぶす。が、それだけではすまない。母親の心をも狂わす。

 子どものことでこまかいことが気になり始めたら、育児ノイローゼを疑う。症状としては、ささ
いなことで極度の不安状態になったり、あるいは激怒しやすくなるのほか、つぎのようなものが
ある。

@どこか気分がすぐれず、考えが堂々巡りする、Aものごとを悲観的に考え、日常生活がつま
らなく見えてくる。さらに症状が進むと、B不眠を訴えたり、注意力が散漫になったりする、C無
駄買いや目的のない外出を繰り返す、D他人との接触を避けたりするようになる、など。

 こうした症状が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

 過関心にせよ、育児ノイローゼにせよ、本人自身がそれに気づくことは、まずない。気づけば
気づいたで、問題のほとんどは解決したとみる。そういう意味でも、自分のことを知るのは本当
にむずかしい。『汝自身を知れ』と言ったのはキロン(スパルタの七賢人の一人)だが、哲学の
世界でも、「自分を知ること」が究極の目的になっている。

で、このタイプの親は明けても暮れても、考えるのは子どものことばかり。子育てそのものにす
べての人生をかけてしまう。たまに子どものできがよかったりすると、さらにそれに拍車がかか
る。いや、その親はそれでよいのかもしれないが、そのためまわりの人たちまでその緊張感に
巻き込まれ、ピリピリしてしまう。学校の先生にしても、一番かかわりたくないのが、このタイプ
の親かもしれない。

 あなたがここでいう過関心ママなら、母親ではなく、妻でもなく、女性でもなく、一人の人間とし
て、生きがいを子育て以外に求める。ある母親は、娘が小学校へ入学すると同時に手芸の店
を開いた。また別の母親は、医療事務の講師をするようになった。そういう形で、つまり子育て
以外のところで、自分を燃焼させる場をつくり、その結果として子育てから遠ざかる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●進学は話題にしない

 病気の人に、「何の病気?」「どこが悪いの?」「どこの病院へ通っているの?」などと聞くもの
ではない。同じように受験生をもった親に、「どこを受験するの?」「受験日はいつ?」「何学部
に受験するの?」などと聞くものではない。

私はいつか、『受験家族は病人家族』という格言をつくったが、その通り。受験生をかかえる家
族は、(もちろんそうでない家族も多いが)、「病人家族」と考え、そっとしておいてあげることこ
そ、心づかいというもの。が、中には無神経な人がいる。先日も会うと、いきなりこう話しかけて
きた女性(五〇歳)がいた。

 「あら、林さん、お宅の子、今年受験なさったのでないかしら? で、どこを受験なさいました
の? 林さんのお子さんのことですから、さぞかしいいところに入ったのでしょうね」と。元、幼稚
園の教師で、数年間一緒に仕事をしたこともある女性だった。私はあまりのレベルの低い会話
にア然とした。いや、それ以上に、その女性が私を彼女と同レベルに思い込んでいる様子が不
愉快だった。

 こうした会話がいかに愚劣なものかは、世界を歩いてみるとわかる。たとえば台湾やシンガ
ポールでは、相手の出身大学を聞きあうのが初対面の会話のようにもなっている。「あなたは
どこの大学ですか?」「で、学位は?」とかなど。

新しいタイプの身分意識といってもよい。どこか時代が逆戻りして、封建時代へ向かいつつあ
るかのような錯覚すら覚える。今のこの日本ではそこまでひどくはないが、一〇年前には、ある
いは二〇年前には、台湾やシンガポール以上に、学歴を気にした。今でも気にしている人は多
い。

 しかしやはりこうした会話は、相手が進んでするばあいは別として、するものではない。家族
によっては、極度の緊張状態にある家族もある。子どもが受験期を迎えると、大半の親たちは
食事もノドを通らないほど、それを気にする。それがおかしいとか、おかしくないとかいう前に、
事実はそうなのだ。だから「進学校は話題にしない」。これは会話のエチケットのようなものだ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●祖父母との同居

 祖父母との同居について、アンケート調査をしたことがある。その結果わかったことは、「好
かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、@健康であること、Aやさしいこと、B経験が
豊富であること、C控えめであることだった(一九九三年・浜松市内で約五〇人の同居世帯で
調査)。

 反対に同居する祖父母との間のトラブルで一番多いのが、子育て上のトラブル。母親の立場
でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だった。「甘やか
しすぎて困る」というのが、それに続いた。

さらに「同居をどう思うか」という質問については、子どもが生まれる前から同居したばあいに
は、ほとんどの母親が、「同居はよかった」と答えているのに対して、途中から同居したばあい
には、ほとんどの母親が、「同居はよくない」と答えていた。祖父母との同居を考えるなら、子ど
もが生まれる前からがよいということになる。

 そこで祖父母との間にトラブルが起きたときだが、間に子どもがからむと、たいていは深刻な
嫁姑戦争に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父母にしても、
孫が生きがいになることが多い。こじれると、別居か、さもなくば離婚かというレベルまで話が
進んでしまう。そこでこう考える。これは無数の相談に応じてきた私の結論のようなもの。

(1)同居をつづけるつもりなら、祖父母とのトラブルを受け入れる。とくに子どもの教育のこと
は、思い切って祖父母に任す。甘やかしなど問題もあるが、しかし子育て全体からみると、マイ
ナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリットよりもメリットのほうが多いので、割り切
ること。

(2)子どもの教育は任せる分だけ祖父母に任せて、母親は母親で、前向きに好きなことをす
ればよい。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばすことになる。

(3)祖父母の言いたそうなことを先取りして子どもにいい、祖父母には「助かります」と言いな
がら、うまく祖父母を誘導する。

(4)以上の割り切りができなければ、別居を考える。

 大切なことは、大前提として、同居を受け入れるか入れないかを、明確にすること。受け入れ
るなら、さっさとあきらめるべきことはあきらめること。この割り切りがまずいと、母親自身の精
神生活にも悪い影響を与える。

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【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●日本の教育改革

公立小中学校・放課後補習について

 文部科学省は、公立小中学校の放課後の補習を奨励するため、教員志望の教育学部の大
学生らが児童、生徒を個別指導する「放課後学習相談室」(仮称)制度を、二〇〇三年度から
導入した。

 文部科学省の説明によれば、「ゆとり重視」の教育を、「学力向上重視」に転換する一環で、
全国でモデル校二〇〇〜三〇〇校を指定し、「児童、生徒の学力に応じたきめ細かな指導を
行う」(読売新聞)という。

「将来、教員になる人材に教育実習以外に、実戦経験をつませる一石二鳥の効果をめざす」と
も。父母の間に広まる学力低下への懸念を払しょくするのがねらいだという。具体的には、つ
ぎのようにした。

 まず全国都道府県からモデル校を各五校を選び、@授業の理解が遅れている児童、生徒に
対する補習を行う、A逆に優秀な児童、生徒に高度で発展的な内容を教えたり、個々の学力
に応じて指導した。

 しかし残念ながら、この「放課後補習」は、確実に失敗しつつある。理由は、現場の教師な
ら、だれしも知っている。順に考えてみよう。

第一、学校での補習授業など、だれが受けたがるだろうか。たとえばこれに似た学習に、昔か
ら「残り勉強」というのがある。先生は子どものためにと思って、子どもに残り勉強を課するが、
子どもはそれを「バツ」ととらえる。「君は今日、残り勉強をします」と告げただけで泣き出す子
どもは、いくらでもいる。「授業の理解が遅れている児童、生徒」に対する補習授業となれば、
なおさらである。残り勉強が、子どもたちに嫌われ、ことごとく失敗しているのは、そのためであ
る。

第二、反対に「優秀な児童、生徒」に対する補習授業ということになると、親たちの間で、パニ
ックが起きる可能性がある。「どうしてうちの子は教えてもらえないのか」と。あるいはかえって
受験競争を助長することにもなりかねない。今の教育制度の中で、「優秀」というのは、「受験
勉強に強い子ども」をいう。どちらにせよ、こうした基準づくりと、生徒の選択をどうするかという
問題が、同時に起きてくる。

 文部科学省よ、親たちは、だれも、「学力の低下」など、心配していない。問題をすりかえない
でほしい。親たちが心配しているのは、「自分の子どもが受験で不利になること」なのだ。どうし
てそういうウソをつく! 

新学習指導要領で、約三割の教科内容が削減された。わかりやすく言えば、今まで小学四年
で学んでいたことを、小学六年で学ぶことになる。しかし一方、私立の小中学校は、従来どおり
のカリキュラムで授業を進めている。

不利か不利でないかということになれば、公立小中学校の児童、生徒は、決定的に不利であ
る。だから親たちは心配しているのだ。

 非公式な話によれば、文部科学省の官僚の子弟は、ほぼ一〇〇%が、私立の中学校、高
校に通っているというではないか。私はこの話を、技官の一人から聞いて確認している! 「東
京の公立高校へ通っている子どもなど、(文部官僚の子どもの中には)、私の知る限りいませ
んよ」と。

こういった身勝手なことばかりしているから、父母たちは文部科学省の改革(?)に不信感をい
だき、つぎつぎと異論を唱えているのだ。どうしてこんな簡単なことが、わからない!

 教育改革は、まず官僚政治の是正から始めなければならない。旧文部省だけで、いわゆる
天下り先として機能する外郭団体だけでも、一八〇〇団体近くある。この数は、全省庁の中で
もダントツに多い。

文部官僚たちは、こっそりと静かに、こういった団体を渡り歩くことによって、死ぬまで優雅な生
活を送れる。……送っている。そういう特権階級を一方で温存しながら、「ゆとり学習」など考え
るほうがおかしい。

この数年、大卒の就職先人気業種のナンバーワンが、公務員だ。なぜそうなのかというところ
にメスを入れないかぎり、教育改革など、いくらやってもムダ。ああ、私だって、この年齢になっ
てはじめてわかったが、公務員になっておけばよかった! 死ぬまで就職先と、年金が保証さ
れている! ……と、そういう不公平を、日本の親たちはいやというほど、思い知らされてい
る。だから子どもの受験に狂奔する。だから教育改革はいつも失敗する。

 もう一部の、ほんの一部の、中央官僚が、自分たちの権限と管轄にしがみつき、日本を支配
する時代は終わった。教育改革どころか、経済改革も外交も、さらに農政も厚生も、すべてボ
ロボロ。何かをすればするほど、自ら墓穴を掘っていく。

その教育改革にしても、ドイツやカナダ、さらにはアメリカのように自由化すればよい。学校は
自由選択制の単位制度にして、午後はクラブ制にすればよい(ドイツ)。学校も、地方自治体に
カリキュラム、指導方針など任せればよい(アメリカ)。設立も設立条件も自由にすればよい(ア
メリカ)。いくらでも見習うべき見本はあるではないか!

 今、欧米先進国で、国家による教科書の検定制度をもうけている国は、日本だけ。オースト
ラリアにも検定制度はあるが、州政府の委託を受けた民間団体が、その検定をしている。しか
し検定範囲は、露骨な性描写と暴力的表現のみ。歴史については、いっさい、検定してはいけ
ないしくみになっている。

世界の教育は、完全に自由化の流れの中で進んでいる。たとえばアメリカでは、大学入学後
の学部、学科の変更は自由。まったく自由。大学の転籍すら自由。まったく自由。学科はもち
ろんのこと、学部のスクラップ・アンド・ビュルド(創設と廃止)は、日常茶飯事。なのになぜ日本
の文部科学省は、そうした自由化には背を向け、自由化をかくも恐れるのか? あるいは自分
たちの管轄と権限が縮小されることが、そんなにもこわいのか?

 改革をするたびに、あちこちにほころびができる。そこでまた新たな改革を試みる。「改革」と
いうよりも、「ほころびを縫うための自転車操業」というにふさわしい。もうすでに日本の教育は
にっちもさっちもいかないところにきている。このままいけば、あと一〇年を待たずして、その教
育レベルは、アジアでも最低になる。あるいはそれ以前にでも、最低になる。小中学校や高校
の話ではない。大学教育が、だ。

 皮肉なことに、国公立大学でも、理科系の学生はともかくも、文科系の学生は、ほとんど勉強
などしていない。していないことは、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。

その文科系の学生の中でも、もっとも派手に遊びほけているのが、経済学部系の学生と、教
育学部系の学生である。このことも、もしあなたが大学を出ているなら、一番よく知っている。
いわんや私立大学の学生をや!

そういう学生が、小中学校で補習授業とは! 日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な
光景だが、それを見たアメリカの大学生はこう言った。「ぼくたちには考えられない」と。大学制
度そのものも、日本の場合、疲弊している!

 何だかんだといっても、「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受
験制度が消えたら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。確かに一部の
学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。

内閣府の調査でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇
〇年)。九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

 もう補習をするとかしなとかいうレベルの話ではない。日本の教育改革は、三〇年は遅れ
た。しかも今、改革(?)しても、その結果が出るのは、さらに二〇年後。そのころ世界はどこま
で進んでいることやら! 

日本の文部科学省は、いまだに大本営発表よろしく、「日本の教育レベルはそれほど低くはな
い」(※1)と言っているが、そういう話は鵜呑みにしないほうがよい。今では分数の足し算、引
き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。

「小学生レベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京都大学西
村和雄氏)(※2)だそうだ。

 あるいはこんなショッキングな報告もある。世界的な標準にもなっている、TOEFL(国際英語
検定試験)で、日本人の成績は、一六五か国中、一五〇位(九九年)。「アジアで日本より成績
が悪い国は、モンゴルぐらい。北朝鮮とブービーを争うレベル」(週刊新潮)だそうだ。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。しかし日本に
は数えるほどしかいない。あの天下の東大でも、たったの一人。ちなみにアメリカだけでも、二
五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと多い(田丸謙二氏指摘)。

 「構造改革(官僚主導型の政治手法からの脱却)」という言葉がよく聞かれる。しかし今、この
日本でもっとも構造改革が遅れ、もっとも構造改革が求められているのが、文部行政である。
私はその改革について、つぎのように提案する。

(1)中学校、高校では、無学年制の単位履修制度にする。(アメリカ)
(2)中学校、高校では、授業は原則として午前中で終了する。(ドイツ、イタリアなど)
(3)有料だが、低価格の、各種無数のクラブをたちあげる。(ドイツ、カナダ)
(4)クラブ費用の補助。(ドイツ……チャイルドマネー、アメリカ……バウチャ券)
(5)大学入学後の学部変更、学科変更、転籍を自由化する。(欧米各国)
(6)教科書の検定制度の廃止。(各国共通)
(7)官僚主導型の教育体制を是正し、権限を大幅に市町村レベルに委譲する。
(8)学校法人の設立を、許認可制度から、届け出制度にし、自由化をはかる。

 が、何よりも先決させるべき重大な課題は、日本の社会のすみずみにまではびこる、不公平
である。

この日本、公的な保護を受ける人は徹底的に受け、そうでない人は、まったくといってよいほ
ど、受けない。わかりやすく言えば、官僚社会の是正。官僚社会そのものが、不公平社会の温
床になっている。この問題を放置すれば、これらの改革は、すべて水泡に帰す。今の状態で教
育を自由化すれば、一部の受験産業だけがその恩恵をこうむり、またぞろ復活することにな
る。

 ざっと思いついたまま書いたので、細部では議論もあるかと思うが、ここまでしてはじめて「改
革」と言うにふさわしい。

ここにあげた「放課後補習制度」にしても、アメリカでは、すでに教師のインターン制度を導入し
て、私が知るかぎりでも、三〇年以上になる。オーストラリアでは、父母の教育補助制度を導
入して、二〇年以上になる(南オーストラリア州ほか)。

大半の日本人はそういう事実すら知らされていないから、「すごい改革」と思うかもしれないが、
こんな程度では、改革にはならない。少なくとも「改革」とおおげさに言うような改革ではない。

で、ここにあげた(1)〜(8)の改革案にしても、日本人にはまだ夢のような話かもしれないが、
こうした改革をしないかぎり、日本の教育に明日はない。日本に明日はない。なぜなら日本の
将来をつくるのは、今の子どもたちだからである。

(※1)
 国際教育到達度評価学会(IEA、本部オランダ・一九九九年)の調査によると、日本の中学
生の学力は、数学については、シンガポール、韓国、台湾、香港についで、第五位。以下、オ
ーストラリア、マレーシア、アメリカ、イギリスと続くそうだ。理科については、台湾、シンガポー
ルに次いで第三位。以下韓国、オーストラリア、イギリス、香港、アメリカ、マレーシア、と。

この結果をみて、文部科学省の徳久治彦中学校課長は、「順位はさがったが、(日本の教育
は)引き続き国際的にみてトップクラスを維持していると言える」(中日新聞)とコメントを寄せて
いる。東京大学大学院教授の苅谷剛彦氏が、「今の改革でだいじょうぶというメッセージを与え
るのは問題が残る」と述べていることとは、対照的である。

ちなみに、「数学が好き」と答えた割合は、日本の中学生が最低(四八%)。「理科が好き」と答
えた割合は、韓国についでビリ二であった(韓国五二%、日本五五%)。学校の外で勉強する
学外学習も、韓国に次いでビリ二。一方、その分、前回(九五年)と比べて、テレビやビデオを
見る時間が、二・六時間から三・一時間にふえている。

で、実際にはどうなのか。東京理科大学理学部の澤田利夫教授が、興味ある調査結果を公表
している。教授が調べた「学力調査の問題例と正答率」によると、つぎのような結果だそうだ。

この二〇年間(一九八二年から二〇〇〇年)だけで、簡単な分数の足し算の正解率は、小学
六年生で、八〇・八%から、六一・七%に低下。分数の割り算は、九〇・七%から六六・五%に
低下。小数の掛け算は、七七・二%から七〇・二%に低下。たしざんと掛け算の混合計算は、
三八・三%から三二・八%に低下。全体として、六八・九%から五七・五%に低下している(同じ
問題で調査)、と。

 いろいろ弁解がましい意見や、文部科学省を擁護した意見、あるいは文部科学省を批判し
た意見などが交錯しているが、日本の子どもたちの学力が低下していることは、もう疑いようが
ない。

同じ澤田教授の調査だが、小学六年生についてみると、「算数が嫌い」と答えた子どもが、二
〇〇〇年度に三〇%を超えた(一九七七年は一三%前後)。反対に「算数が好き」と答えた子
どもは、年々低下し、二〇〇〇年度には三五%弱しかいない。原因はいろいろあるのだろう
が、「日本の教育がこのままでいい」とは、だれも考えていない。

少なくとも、「(日本の教育が)国際的にみてトップクラスを維持していると言える」というのは、も
はや幻想でしかない。

+++++++++++++++++++++

(※2)
 京都大学経済研究所の西村和雄教授(経済計画学)の調査によれば、次のようであったとい
う。

調査は一九九九年と二〇〇〇年の四月に実施。トップレベルの国立五大学で経済学などを研
究する大学院生約一三〇人に、中学、高校レベルの問題を解かせた。結果、二五点満点で平
均は、一六・八五点。同じ問題を、学部の学生にも解かせたが、ある国立大学の文学部一年
生で、二二・九四点。多くの大学の学部生が、大学院生より好成績をとったという。)
(040105改)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●山へ登る

 ワイフのよいところは、行動的なところ。年齢は、私とX歳しか違わない。しかし気だけは、若
い?

 私も行動派だが、少し、中身が違う。ワイフは、外の世界で、敵を作らない。だれとでも、仲よ
くする。私は、外の世界に、体当たりしてしまう。そのため、いつも、そこで、だれかと衝突す
る。

 先日、そのワイフが、こう言った。「今度、鳳来山(ほうらいさん)に登ろう」と。こういう申し出を
断ると、あとがこわい。だから、気分は何となく重いが、今日、その山に登ることにした。

 「坂はあるけど、石の階段がつづいているそうよ」
 「階段なら得意だ。荷物は、もってあげる」と。

 鳳来山というのは、愛知県の最東部。浜松から見れば、もっとも浜松寄りにある。真言宗の
修行寺である。徳川家康とのゆかりも、深いという。日本三大東照宮の一つも、そこにある。

 天気は、上々。少し肌寒いが、正月にしては、暖かい。途中、山荘に寄って、ツエと帽子と、
それに手袋などを車に積みこむ。(「積みこむ」というほど、おおげさなことでもないが……。)そ
の山荘からは、鳳来山まで、約二五キロ。車で走れば、約三〇分の距離である。

 ワイフは、若いころから、ドライブが好き。結婚した当初は、毎日のように、ドライブに出かけ
た。途中、オーストラリアの友人が、クリスマスプレゼントにと送ってくれた、CDを、車の中で、
かける。

 日本人男性と、オーストラリア女性の純愛をテーマにした、『Japanese story(日本物語)』
という映画の、サントラ版。あまり期待していなかったが、聞き出したら、とてもよい。

 プロが作曲したにしては、少し、チャチかなと思った(失礼!)。しかし聞いていると、何とも言
われない、なつかしさに、包まれた。ところどころに、沖縄の民謡が流れる。聞きながら、改め
てCDのジャケットに目を通すと、どうやら主人公の男性は、沖縄出身らしい。「なるほど」と思
いながら、曲に耳を傾けた。

 途中、一回、道をまちがえたが、それからは、スンナリと、鳳来山に着いた。有料の駐車場に
車を止めた。料金は、四〇〇円。正月の日曜日ということだったが、周囲は、ガラガラ。

 「正月なのにねエ……」と私。「参拝する人も、少ないのね」とワイフ。

 が、それからが、たいへんだった。

 石段を登り始めると、ワイフが、「この石段は、一〇〇〇段以上もあるのよ」と。ゾーッ!

 しかし私は、自転車で、足の筋肉を鍛えている。意外と、スイスイと登ることができる。それを
知ったとき、何とも言えない優越感を覚えた。二〜三〇段ずつ、ホイホイと登ったあと、下にい
るワイフに向って、「手をもってあげようかア!」「待っていてあげるヨ!」と。

 が、それは甘かった。

 途中、山門が見えたときも、また坊舎が見えたときも、そこがゴールだと思った。しかしその
つど、まだ先があることを知った。私は、何度も、ゾーッとした。「たいへんなところへ来てしまっ
た!」と、思った。

 石段、また石段。それにつづく、また石段! 話には聞いていたが、これほどまでに険しい石
段だとは、思ってもみなかった。

 「こんな石段を、よく作ったものだ」と私。
 「ホント」とワイフ。

 同じ会話を、何度も、何度も、繰りかえす。しかしまだゴールは、見えない。最後に行きかった
人に、「まだありますか?」と聞くと、「この先が、急になりますよ」と。またまたゾーッ!

 が、何とか、着いた。登り始めて、一時間はたったかもしれない。テニスコートぐらいの広場
があって、そこに、鳳来寺があった。が、どこから来たのか、結構、混雑していた。あとで聞い
たら、ほとんどの人は、鳳来山の裏手から車で、登ってきたという。

 私たちは、そのルートを知らなかった。道理で、門前町は、ガラガラ。私たちのように、まじめ
な方法(?)で登る人は、少ない? 「今度来るときは、車で来よう」と、ワイフに言った。

 鳳来寺の右手で、地元の女性たち(?)が、五平餅を、焼いて売っていた。一枚、二五〇円。
それを一枚、買う。おなかはすいているはずなのに、食欲があまりない。ワイフと、半分ずつ食
べる。そしてそのまま東照宮へ。

 しかし日光の東照宮を想像しないほうがよい。カラフルにペインティングしてあったが、どこか
色あせていた。私たちは、そこでも、また石段を登るはめに。

 「まだ、この先には、奥の院があるそうよ」と、ワイフ。またまた、ゾーッ。もう石段は、たくさ
ん! 「また今度にしよう」と私。

 しばらく休憩したあと、今度は、もと来た石段を……。「帰りは楽だ」と言っていたのも、つか
のま、ひざが痛みだした。私は歩くのには、弱い。もう少し正確には、振動には、弱い。足の鍛
え方が、ちがう。

 三分の一ほどくだったところから、関節がまがらないほど、痛みだした。ひざの関節が、反対
側に曲がるのではないかと思えるほど、ガクガクし始めた。「こんなはずではなかった……」と。

 ワイフを見ると、スイスイと歩いている。「痛くないか?」と声をかけると、「別に……」と。ワイ
フはテニスで、足腰を鍛えている。私は、自転車。足の構造が、違うようだ。

 が、何とか、ふもとまで。かろうじてというか、だましだましというか……。

 そのまま民家の間の細い道を通り抜けて、レストランへ。民営なのか、私営なのか、きれいな
レストランだった。私は、そこで盛りそばを頼んだ。

 「へえ、この盛りそば、海苔(のり)がかかっている」と私。
 「……?」
 「海苔がかかっているのは、ざるそば。海苔がかかっていないのが、盛りそば。東京の人が
見たら、笑うだろうね」と。

 しかし、正直に言うが、おいしかった。私は、あれほどまでにおいしいツユの盛りそばを、食
べたことがない。店を出るとき、「ツユは売っていませんか」と聞いたが、「ツユは、売っていな
い」とのこと。

 店を出て、鳳来山を改めて見あげる。たまたま近くにいた男性二人も私たちの会話に加わっ
て、「あれが、鳳来山だ」「いや、右手のあそこだ」「では、東照宮は……」「いや、あれが、東照
宮でしょう」とやり出した。

 しかしとても楽しい登山だった。帰りの車の中で、再びあのCDを聞きながら、ワイフと、「楽し
かったね」「楽しかった」と言いあった。関節は痛かったが、それは気持のよい痛さだった。
(040104)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●悪夢分析

 今日、昼寝をしたら、いやな夢を見た。それをそのまま、ここに書く。

 ……そのとき私は、細長いバスに乗っていた。席は一番、うしろだった。隣の席には、恩師の
M教授が座っていた。M教授は、何やら私に資料を見せて、「どう思うか」と私に聞いていた。
資料を見たが、文字がこまかくて読めなかった。

 気がつくと、それはバスではなく、電車だということがわかった。と、同時に、その電車は、ひ
とつの駅にとまった。「極楽駅」という名前の駅だった。私は荷物を片づけておりようと思った
が、机の上にパソコンが広がっていて、すぐには片づけることができなかった。「フロッピーディ
スクだけ、もっていこうか」と考えたが、パソコンをそのまま残しておくことはできない。

「早くおりなければ」と、気だけがあせった。しかしコードがあちこちにからんでいて、それもでき
ない。電車はドアをあけたまま、私がおりるのをまっている。窓の外には、のどかな田園風景
が広がっている。しかしそのとき、私はこう考えた。こういうケースでは、あわてておりようとした
とたん、ドアがしまっておりられなくなるもの、と。

映画でも、そういうシーンを何度か見たことがある。だからパソコンを片づけるのをやめた。「ど
うにでもなれ」と、自分で、そう思った。

 が、つぎの駅は地獄駅だという。そこでおりたら、地獄行き。多分、そのとき横にワイフがい
たと思う。そして私にこう聞いたような気がする。「ここでおりないと、地獄行きよ」と。そこで私
はこう言った。

 「電車なんてものはね、終着駅に着いたら、また戻ってくるもの。地獄駅でおりなければい
い。また帰りに極楽駅の前を通るから、そのときおりればいい」と。

 ……ここで夢から目がさめた。

 この夢は、状況や背景こそ違うが、私が見る悪夢の基本的な形になっている。たいていどこ
かを旅している。電車かバスが必ず登場する。そしてその電車かバスに乗り遅れそうになった
り、あるいは反対に、おりられなくなってしまう。

が、途中で、つまり夢を見ている途中で、どこか夢のもつ矛盾に気づき、居なおってしまう。(居
なおれないときは、はげしい心臓の鼓動とともに、目が覚める。汗をかいているときもある。)そ
こで私の夢分析。

 私の悪夢は、不安感が基本にある。が、こうした不安感は、実は私が日常的にもっているも
ので、それがそのまま夢の中に反映されるらしい。たとえば自由業といえば聞こえはよいが、
その実態は、毎日、薄い氷の上を、恐る恐る歩いているようなもの。その下では、病気や事
故、孤独や死が、いつも「おいで、おいで」と手招きして私を呼んでいる。

 またいつも旅をしている夢を見るのは、それだけ今住んでいる土地に、定着性がないためと
考えられる。別の夢では、よく、自分がどこに住んでいるかわからないときがある。あるいはま
ったく知らない家が出てきて、「これが私の家?」と思うこともある。

岐阜の故郷を離れてもう、四〇年近くになる。考えてみれば、私はこの四〇年間、風来坊のよ
うなものだった。そういう私の生きザマが、夢の中に、やはり反映されているらしい。

 で、最後に、私はよく夢の中で、居なおる。「いいじゃないか」と。これは私の自信によるもの
か。私は決してうぬぼれ型の人間ではないが、このところ、自分の生きザマは正しかったと思う
ことが多い。そういう自信が、こうした居なおりになるのではないかと思う。 

 友人に、この夢の話をすると、その友人はこう言った。「よく、そういう理屈っぽい夢を見る
な。林らしい」と。

 そう、私の夢は、いつも理屈っぽい。「帰りに極楽駅の前をまた通るから、そのときおりれば
いい」と思ったところが、それである。ただいつも不思議に思うのは、私は一度だって、同じ夢
を見ないこと。ここに書いたように、大きく見ればパターンは同じだが、しかしそのつど、場所や
背景が違う。夢だから、同じようなところがでてきても、おかしくはないのだが……。

 しかし悪夢はいやだ。いつになったら、こうした悪夢と決別し、おだやかで、心安らかな夢を
見ることができるのか……と、まあ、今はそう思っている。

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
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【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●作られる意識

 意識というのは、作られるもの。そんな話を、ワイフと、今日、車の中でした。

 「ぼくたちの年代は、年賀状に、こだわるだろ。しかしね、そういう意識というのは、ぼくたちが
子どものころ、国策として、政府によって作られたものではないかと思うんだ」と。

 私が、そう言うと、ワイフは、すんなりと、「そうかもね」と、認めた。

 最近の若い人は、年賀状に、ほとんど、こだわっていない。まったく出さない人も、ふえてい
る。ワイフのテニス仲間には、「今年は忙しかったから、出さなかった」という人もいる。中に
は、「出すのを忘れた」という、のんきな人もいる。私の世代の人間には、考えられないことだ。

 で、Y新聞を読むと、どこかの評論家が、こう書いていた。「年賀状は、その人の消息を知る、
大切な手段だ。毎年、年賀状を見ながら、その消息を知るのが楽しみ」と。

 しかし、問題は、その中身だ。

 そこで私のところへ届いた年賀状を見たが、年齢の違いもあるのだろうが、一、二行でも、消
息を書いてくれたのは、三分の一もいない。あとは儀礼的なあいさつだけ。

 「消息を知ったところで、それがどうだというのかね?」と私。
 「そう、そこが問題よ」とワイフ。
 「なっ、そうだろ……。ヘタをすれば、詮索(せんさく)になってしまう」
 「詮索好きな人にとっては、年賀状は、大切な手段かもね」と。
 
 だからといって、誤解しないでほしい。年賀状を否定しているのではない。もらってうれしい人
は、たしかにいる。今年も、私は、X百枚の年賀状を出した。これは長くつづいた習慣だから、
今、おいそれと変えるわけにはいかない。

 恐らくこれからも、私は、死ぬまで年賀状を交換するだろうと思う。ただここで言いたいのは、
冒頭の「意識というのは、作られるもの」ということ。

 私は、自分で考えて、「私」を作ったと思っている。しかしそういう意識の大半は、他人によっ
て作られたもの。恐らく、私の行動のほとんどは、他人によって作られた、そうした意識によっ
て動かされているに違いない。その一つが、年賀状である。
 
 なぜ、私は、年賀状に、こうまでこだわるのか? 問題は、ここにある。

 私のばあい、四〇歳の前半ごろから、出す年賀状の枚数が、飛躍的にふえた。そのふえて
いく間は、それなりに、緊張感もあり、楽しかった。財政的な負担は、決して軽くはなかったが、
私は、生きるために必要な、経費と考えていた。

 が、この四、五年、毎年、一〇〇枚単位で、減らしてきた。そのときのこと。それまで交換して
きた人に、出さなくなるというのは、たいへん、つらい。どこか身を切られるような、緊張感さえ
覚えた。

 なぜか? どうしてか?

 年賀状信仰をしてきたものが、その信仰を離れたためか? 

 同じような現象は、いろいろな場面に見られる。この浜松にも、皇居でなされる天皇の一般参
賀を、欠かしたことがないという人がいる。正月には、新幹線に乗って、出かけるのだそうだ。

私は、一般参賀をしたことがないから、その人の気持は、よくわからない。が、意識としては、
私が年賀状に対してもつ意識と、それほど、違わないのではないか。

 その人にとっては、それが正月なのだ。

 たとえば私には、無数の意識がある。そしてそのつど、その意識に支配されて行動している。
そしてその意識というのは、私のものであって、私のものではない。つまり自分の中で、自然発
生したものではなく、そのときどきにおいて、だれかによって作られたものだということ。すべて
ではないが、ほとんどの意識が、そうと考えてよい。

 お金にこだわるとき。モノにこだわるとき。名誉や地位にこだわるときなどなど。それぞれの
意識は、どこかで、だれかによって作られる?

年賀状の問題を考えていたとき、私は、そんなことを思った。
(040105)

●みんな、自分のもっている意識を、一度、疑ってみよう。新しい、自分が、その下に隠されて
いることを知ることができるかもしれない。

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●心をゆがめる子ども

 これはあくまでも教える側からの見方だが、心をゆがめ始める子どもには、いくつかの特徴
がある。その中でも最大の特徴は、@心がつかめなくなるということ。

もう少し具体的には、何を考えているかわからない子どもといった感じになる。よい子ぶった
り、見た目にはよくできた子といった印象を与えることが多い。静かで従順、何を言いつけて
も、それに黙って従ったりする。

この段階で、多くの先生は、「いい子」というレッテルを張ってしまい、子どものもつ問題を見落
としてしまう。そしてある日突然、それが大きな問題になり、「えっ!」と驚く……。不登校がその
一例。あとになって「そう言えば……」と思い当たることもあるにはあるが、それまではたいてい
の教師はその前兆にすら気づかない。

 つぎにA「すなおさ」が消える。幼児教育の世界で、「すなおな子ども」というときには、二つの
意味がある。一つは、心の状態と表情が一致していること。

悲しいときには悲しそうな顔をする。うれしいときにはうれしそうな顔をする、など。が、それが
一致しなくなると、いわゆる心と表情の「遊離」が始まる。不愉快に思っているはずなのに、ニ
コニコと笑ったりするなど。

 もう一つは、「心のゆがみ」がないこと。いじける、ひがむ、つっぱる、ひねくれるなどの心の
ゆがみがない子どもを、すなおな子どもという。

心がいつもオープンになっていて、やさしくしてあげたり、親切にしてあげると、それがそのまま
スーッと子どもの心の中にしみこんできくのがわかる。が、心がゆがんでくると、どこかでその
やさしさや親切がねじまげられてしまう。私「このお菓子、食べる?」、子、「どうせ宿題をさせた
いのでしょう」と。

 家庭でも、こうした症状が見られたら、子どもをなおそうと考えるのではなく、家庭のあり方を
かなり真剣に反省する。そしてここが重要だが、子どもの中に心のゆがみを感じたら、「今の
状態をより悪くしないこと」だけを考え、一年単位でその推移を見守ること。

あせればあせるほど、逆効果で、一度(何かをする)→(ますます症状が悪化する)の悪循環に
入ると、あとは底無しのドロ沼に落ちてしまう。

。 __ 。/ ̄ ̄ ̄\。 ___。  
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【2】正月雑感∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●「ハリー・ポッターU」を、ビデオで見る

 一度は見ておかねばならないと思って、ビデオ「ハリー・ポッターU」を見る。しかし、まあ、見
るに耐えないというか、まったく意味のないビデオ。三〇分ほど見たところで、シャットアウト!

 以前、本も読んだ。日本語版と、英語版の両方を読んだ。しかし全体の三分の一も、読まな
いうちに、バカ臭くなって、読むのをやめた。はっきり言おう。どうしてあんな、超くだらない本
が、一億冊も売れたのか! 私には、その理由が、どうしても、わからない。


●おじいちゃん、おばあちゃんへ

年中児や年長児を、一年にわたって教えていると、その間に、その子どもの、おじいちゃんや、
おばあちゃんが、ポツリポツリと、なくなっていく。ある日、ふと、子どもが、こう言う。「この前、
おじいちゃんが、死んだ」「おばあちゃんが、死んだ」と。

 そこで私が、「おじいちゃん(おばあちゃん)が、死んで、悲しかったか?」と聞くと、「別に…
…」とか、「ううん」とか、答える。そこで私は、改めて、聞き取り調査をしてみた。が、その結果
は、ショッキングなものだった。

 おじいちゃん、おばあちゃん、つまり子どもの祖父母が、死んで、「悲しかった」と答えた子ど
もは、幼稚園児、小学生全体で、ゼロ。二〇人近くの子どもたちに聞いた。もちろん「泣いた」と
答えた子どもは、ゼロ。子どもは、おじいちゃんや、おばあちゃんは、死んで当たり前と考えて
いるようだ。

 みなさんは、この結果を、どう思うだろうか。私も、そのおじいちゃんの、端(はし)くれ。「そん
なものかなあ」とか、「少し考えなおさなければいかんな」とか、かなり考えさせられた。

 「考えさせられた」というのは、つまり、私たちが孫を思うほど、孫のほうは、私たちのことを思
ってはいないということ。だからといって、薄情になれということでもない。しかし、それ以後、一
生懸命、孫の世話をしている老人を見たりすると、「ほどほどのところで、おやめなさい」「孫の
ことは考えなくてもいいから、自分の人生を生きなさい」と、つい言いたくなってしまう。

 しかしこれだけは、言える。

 おじいちゃん、おばあちゃんは、孫に、孫のほしそうなものを買い与えることで、孫の心をつ
かんだと思いがち。しかしそんなことで、孫の心は、つかめない。はっきり言えば、ムダ。

 小づかいを与えることも、同じ。孫は、その場では、喜んでみせるが、それは感謝して喜ぶの
ではなくて、自分の欲望を満足させて喜んでいるだけ。孫と同居しているケースでは、多少、そ
の関係もちがうのだろうが、基本的には、それほど、大きな差はない。

 要するに、おじいちゃん、おばあちゃんは、あまり孫のほうへは、顔を向けず、自分のしたい
ことを、前向きにしたほうが、よいということ。つまりは、生きザマで勝負するしかない。

もしどうしても、孫の心をつかみたいと考えるなら、モノやお金ではなく、いっしょに、思い出をつ
くること。孫の心の中に、生きザマを刻みつけること。

 そのあと、孫が、それをどう評価するかは、あるいは、しなくても、それは、孫の問題。孫の勝
手。原始時代よろしく、最長老の祖父母が中央に座り、その前に子ども、さらに、孫、ひ孫と並
んで、ハハーとかしずく時代は、もう終わった。


●先祖と子孫

 当然のことながら、「ご先祖様」という言葉をよく使う人ほど、一方で、「子孫」という言葉をよく
使う。正月のテレビを見ていたら、そういうシーンが、何度か、出てきた。

 こうした生きザマは、いわばその人の生きる哲学にもなっている。宗教にからんでいること
も、多い。だから尊重する部分は、尊重しなければならない。頭から否定すると、それこそ、大
ヤケドする。ひどい目にあう。

 自分というものを、親から子、そして孫へという「生命の流れ」の中に置くと、こうした考え方
は、実に合理的にできている。とくに江戸時代という封建時代には、「家」が、その人の身分を
決めた。「家」から離れては、生きていくことすら、むずかしかった。「先祖」「子孫」という、日本
独特の概念は、こうして生まれた。

 だから当時の人たちは、「家」にしがみついた。「生きること」イコール、「家」を守ることと考え
るようになった。こうした名残(なご)りは、田舎の農家に、今でも、広く、見ることができる。

 私の祖父は、もともと貧しい農家に生まれ、追い出されるようにして、町へ来て、鍛冶屋の小
僧になった。八歳くらいのときだったという。そして懸命に働いて、一八、九歳のとき、自分の鍛
冶屋をもち、やがて自転車屋を始めた。

 当時の自転車屋は、今でいう花形商売で、かなり儲かったらしい。そのため、祖父は、かなり
羽振りのよい生活ができたという。私に父は、その家の長男として生まれた。

 だから私は、一応、「林家」の人間ということになる。「家(け)」という言葉をつけるのも、どこ
かくすぐったい感じがするが、そういうことになる。しかし私には、子どものころから、「家(け)」
という感覚は、まったくと言ってよいほど、ない。私が子どものころには、自転車屋は、すでに斜
陽商売。祖父の時代の華やかさは、どこをさがしても、もう、なかった。

 もちろん中には、「家」を誇る人もいる。「家を守ることが、子の務め」と考えている人も、多
い。しかしそもそも、家があっての、人間なのか。それとも、人間あっての、家なのか。

 ご存知のように、欧米では、まず、ファースト・ネームを書く。つづいてファミリー・ネームを書
く。「林 浩司」は、「ヒロシ・ハヤシ」となる。名前の書き方を見ても、日本では、家あっての人間
ということになる。欧米では、人間あっての家ということになる。
 
 どちらが正しいとか、あるいは、よいとかという問題ではない。人、それぞれ。どちらの考え方
であるにせよ、たがいに尊重しあえばよい。ただ言えることは、これからは、「家」に対する日本
人の意識は、どんどんと変っていくだろうということ。今の若い人たちは、今の私たち以上に、
「家」にこだわらなくなる。

 山荘の隣人と、ワイフは、こんな会話をしたという。その隣人は、その山荘のある村でも、本
家(屋)。代々とつづいて、四〇〇年以上の歴史があるという。その隣人には、二人の息子が
いるが、二人とも、町へ出て生活している。しかし二人とも、その村にもどってくるつもりはない
という。

 隣人は、「この家も、私たちの代で、終わりです」と言ったという。

 このエッセーに、「先祖と子孫」というタイトルをつけたので、あえて一言。そういう言葉をよく
使う人が、あなたの周囲にいたら、(ひょっとしたら、あなた自身も、そうかもしれないが……)、
そういう人は、どういう哲学をもっているか、少しだけ観察してみるとおもしろい。ある種、独特
の哲学をもっていることが、多い。


●昔にしがみつく人たち

 現役時代の役職、肩書き、地位、名誉にしがみつく人は、多い。男性に多いが、しかし男性
ばかりとは、かぎらない。

 近所の女性(八〇歳過ぎ)は、少し立ち話をすると、すぐ、自分の過去を話し始める。「私の
おじいちゃんはね……」と。その女性の言いたいことは、その女性の祖先は、このあたりでも、
有力者だったということらしい。

 こうして過去にしがみつく人は、同時に、「今」に同化できないことを意味する。中には、「現
実」を否定する人もいる。近所のA氏などは、退職してから、もう二〇年以上になるが、いまだ
に、自分は偉い人物だと思っているらしい。そういう態度が、生活のあらゆる部分に、現れる。

 しかしここにも書いたように、昔にしがみつけばつくほど、「今」に同化できなくなる。「今」から
遊離してしまう。あるいは、「今」が見えなくなる。ここに書いたA氏にしても、偉いと思っている
のは、自分だけ。近所の人はみな、「あの人は、つきあいにくい人だ」と、言っている。

 ここにあるのは、「今」という現実だけ。もし「昔」に学ぶことがあるとすれば、「今」を生かすた
めの経験と知恵。失敗と教訓。そしてその「今」が積み重なって、「未来」へとつながっていく。


●信仰

 信仰は、あくまでも教えに従ってするもの。迷信や狂信、さらには、妄信は、人の心を狂わ
す。かえって危険ですら、ある。

 S市に住む、Aさん(女性、妻)から、以前、こんなメールをもらった。「私が、夫の宗教を批判
するたびに、夫は、『お前がそういうことを言うと、ぼくたちは、地獄へ落ちる』と言って、体をガ
クガクと震わせます」と。

 最初、そのメールを読んだとき、「冗談か?」と思った。その夫というのは、国立大学の工学
部を卒業したような、エリート(?)である。そんな人でも、一つの宗教を妄信すると、そうなる。

 もし、仮に、人間に、そういったバチを与える宗教があるとするなら、それはもう信仰ではな
い。少なくとも、神や仏の所作(しょさ)ではない。悪魔の所作である。だいたいにおいて、神や
仏が、いちいち人間のそうした行動に、関与するはずがない。

 たとえば私の家の庭には、無数のアリの巣がある※。アリから見れば、私は、彼らの神か仏
のようなもの。私はその気にさえなれば、彼らを全滅させることもできる。だからアリたちも、ひ
ょっとしたら、そう思っているかもしれない。「あの林は、我々の神様だ」と。

 そのアリの中の一匹が、私(=はやし浩司)の悪口を言ったとしても、私は気にしない。私を
否定しても、私は記にしない。もともと相手にしていないからだ。いわんや、バチを与えているよ
うなヒマなど、ない。

 人間社会を、はるかに超越しているから、神といい、仏という。もし神や仏がいるとするなら、
宇宙的な視野で、かつそれこそ一一次元的な視野で、人間社会を見つめているにちがいな
い。

 そういう神や仏が、いちいち人間に、バチなど与えるはずがない。ものごとは、もっと常識で
考えたらよい。

 信仰には、たしかにすばらしい面がある。しかしそれは、教えによるもの。あの釈迦も、法句
経の中で、『法』という言葉を使って、それを説明している。

※アリの大きさを、〇・五センチ。人間の大きさを、一七〇センチとすると、その面積比は、1:
115600となる。

私の家の庭は、約五〇坪(165平方メートル)だから、この五〇坪の庭は、そこに住むアリにと
っては、人間の住む広さに換算すると、165x115600/1000000=19(平方キロメート
ル)の広さということになる。

人間の社会で、一辺が約四キロメートル四方の社会が、この庭の中で、アリたちによって営ま
れていることになる。私が住んでいるI町(町内)だけでも、約一万世帯。約三万人の人が住ん
でいる。大きさも、約四キロメートル四方だから、私の庭は、アリにとっては、私が住む町内と、
同じ広さということになる。

多分、この庭に住んでいるアリも、約三万匹はいるのでは……? 初春の陽光をあびて、青い
草が、さわさわと風に揺れている。その庭を見ながら、ふと、今、そんな計算をしてみた。

(しかし、この計算は、どこかおかしい? 人間なら、四キロ歩くのに、約一時間かかる。しかし
アリが、この庭を端から端まで横切るのに、一時間はかからない。一〇分くらいで行ってしまう
のでは? あるいは、アリは、歩く速度が、速いのか。今、ふと、そんな疑問が、心をふさいだ。
ヒマな方は、電卓を片手に、一度、計算しなおしてみてほしい。)


●K首相の靖国神社参詣問題

 日本のK首相が、正月の一日に、靖国神社を参詣した。 

「何もこんな微妙な時期に!」というのが、私の印象。あえて靖国神社を参詣して、中国や韓国
の人たちの神経を、逆なですることもあるまいのに!

 日本人も、三〇〇万人、死んだ。それはわかる。しかしその日本人は、同じく、三〇〇万人も
の、外国人を殺している。その多くは、韓国人や中国人である。「殺したこと」を反省しないま
ま、一方的に靖国神社を参詣すれば、彼らだって、怒るに決まっている。

 どうして日本人は、逆の立場で、ものを考えることができないのか。

 今でも、先の戦争について、「日本は正しいことをした」と主張する人は多い。「日本は、韓国
や中国で、鉄道を敷き、道路を作ってやった」と。

 もしそうなら、反対に、今、中国や、韓国が、日本へやってきて、同じことをしても、日本人
は、文句を言わないことだ。

 つい先日も、私にこう言った人がいた。「日本は、満州を侵略したというが、ウソだ。なぜなら
満州には、だれも住んでいなかったからだ」と。しかも三五歳前後の若い男がそう言ったので、
私は、二重に驚いた。

 もしこんな論理がまかりとおるなら、明日にでも、ロシアが、北海道の原野へ軍隊を送りこん
できても、日本人は、文句を言わないことだ。

 今、日本は、たいへん微妙な時期にある。K国の核問題をかかえ、「さあ、これからどうしよ
う」と、悩んでいる、その最中にある。中国や韓国との連携が、今ほど、必要なときはない。そう
いうときに、日本人自らが、自分たちの軍国主義を、肯定するようなことばかりする。

 どうしてその日本が、K国の先軍政治とやらを、批判することができるというのか。

 K首相は、テレビの取材に答えて、「だれでも、年始には、神社を参詣するでしょう」と言った
とか。ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなことをしながら、「だれでも」
と居なおるところが、恐ろしい。……と書くのは、言い過ぎかもしれないが、少なくとも、中国や
韓国の人は、そう見ている。

 日本は、本当に島国だと思う。いや、日本人は、島国だということすら、わかっていないので
は。外から見たら、この日本は、どう見えるか。そういう視点をもたないと、日本は、いつまでも
島国のまま、終わってしまう。

 何も、私は、靖国神社参詣に、反対しているのではない。「何も、こんな微妙な時期に」と、私
は言っているのである。これでまた、中国や韓国との連携に、大きなヒビが入った。アメリカだ
って、不愉快に思っていることだろう。

 もう、私は、どうなっても、知らないぞ! 勝手にしろ!


●年賀状

 今年も、パソコンをフルに利用して年賀状を出した。宛名をプリントアウトするのに、半日です
んだ。昔は、ワイフと二人で、三〜七日がかりで書いたものだ。

 しかし問題が起きた。便利なのはよいが、だれに出したか、記憶に残らない。一応私が使っ
ているパソコンソフトは、年賀状を出したかどうか、わかるしくみになっている。しかし実際に
は、そのつどパソコンを開いて調べるのも、めんどうなこと。

 届いた年賀状を見ながら、「おい、この人、出したっけ?」「出したかしら?」というような会話
が、ワイフとの間で、つづく。

 で、案の定というか、年賀状の出し忘れが、続出。親類や友人から、「浩司(林)は、どうかし
たのかと、問いあわせがあったよ」と、連絡がはいる。

 年賀状は、ただのあいさつでは、ない。その人の動向を知る、一つの手がかりになっている。
かく言う私も、長年、年賀状をもらっていた人から来なくなったりすると、「どうしてだろう?」と、
思ってしまう。あるいは、「何か、気分を害するようなことをしたのだろうか?」と、心配になって
しまう。

 そんなわけで、ここ数年、元旦に、年賀状を見るのが、少し、おっくうになってきた。若いころ
のように、起きたらすぐ郵便受けに走る、というようなことは、もうない。それに正月の一日は、
その返事を書くだけで、つぶれてしまう。

 そこで改めて、また、年賀状について考える。「こんな習慣、必要なのだろうか?」と。その年
に世話になった人や、思い出に残った人に、年賀状を書くのは、それなりに意味がある。しか
し遠い、親類は、どうか? ここ二〇年とか、三〇年も会っていない知人は、どうか?

 ……とまあ、いろいろ考えてしまう。

 私の息子たちは、時間単位で、あちこちを走り回っている。一方、私は、コタツの中で、本を
読んだり、寝転んだりしている。人と会うよりは、こうしてボーッとしていたほうが、楽しい。つま
り、そういう、どこかおかしい(?)私が、年賀状論を説いても、意味がない。私の意見のほう
が、常識からはずれているのかもしれない?

 しかし私の世代は、どうしてこうまで、年賀状にこだわるのか。息子たちは、ほとんど書かな
い。もらわない。私が大学生のころは、私でさえ、三〇〜四〇枚は、きたと思う。しかし息子た
ちのところへは、きても、ほんの五〜一〇枚程度。しかも大半が、宣伝。

 こう考えると、この先、年賀状は、すたれていくと思う。インターネットという、通信手段もある
し……。一月一日に届いた人には、すべて返事を書いた。しかし明日、三日以後に届いた人
には、返事を書けそうもない。

 三日は、ワイフと、愛知県の山の登ることになっている。四日は、町で映画を見たあと、あれ
これ仕事の準備。それにマガジン再開! 五日は、多分、郷里へ帰ることになっている。その
あとは、仕事……。


●YUさんへ、ホーム・ページについて

YUさんへ、

 ホームページの開設、おめでとうございます。改めて、YUさんのエッセーや論文を、読ませて
もらっています。そして「なるほど」とか、「そうだ」と、うなずいています。

 私も初心者なので、偉そうなことは言えませんが、YUさんのご質問について、少し考えてみ
ました。

(1)ホームページの管理について

 ホームページは、いつも、だれかが管理していなければいけません。この先、YUさんも、掲
示板などを設置されると思いますが、おかしな書き込みをされることもしばしばです。そういうと
きは、見つけ次第、すぐ削除しなければなりません。

 ほかに管理といっても、大げさなものはありませんが、たとえばYUさんと、プロバイダーとの
間の契約が切れたとすると、そのままホームページも、消えてしまいます。この世界、『金の切
れ目が、縁の切れ目』という世界です。YUさんの論文などを、末永く、後世の人の目の届くとこ
ろにおくためには、だれかが管理しなければなりません。

 私も、万が一のときのために、いつもホームページをCDに焼きながら、備えています。そして
今は、知人の一人に、「万が一のばあいは、よろしく」と、頼んであります。

(2)掲示板と、アクセス・カウントについて

 掲示板については、無料サービスがいくつかありますので、そちらで登録なさると、すぐアドレ
スを教えてくれます。そのアドレスにリンクするようにすれば、ホームページの中で、掲示板が
使えるようになります。

 その掲示板については、ここに、リンクのし方を書いておきます。

 またアクセス・カウントについては、YUさんのばあい、プロバイダーはOCNですので、OCN
に問い合わせてみるとよいでしょう。無料で、カウント表示できるようになるはずです。(この世
界、できるだけ、無料ですますのが、コツです。チリもつもれば、何とか……と言いますから。)

 アクセス・カウントをつけると、何人の人が、ホームページを見てくれるようになったかが、わ
かります。

 とりあえず、今日のテーマ。掲示板(無料)の設置です。

 その方法を、これから説明します。ぜひ、YUさんのホームページに、掲示板を設置してみてく
ださい。楽しみにしています。

 一度にあれこれ言うと、YUさんの頭が混乱しますから、今日は、まず、掲示板です。

(以下、省略)


●住環境と、子どもの騒々しさについて

 大阪に住んでいるAEさん(母親)から、住環境と、子ども(三歳児)の騒々しさについての相
談があった(一月二日)。「アパートの二階に住んでいるが、子どもが騒々しいので、近所から、
よく苦情を言われる。どうしたらいいか」と。

 AEさんは、そのため子どもをよく叱るのだそうだが、叱り方は、あるのか。また、叱りすぎる
と、子どもは、萎縮しないかとのこと。

 イギリスの格言にも、『子どもは、見るもの。聞くものではない』というのが、ある。「子どもは、
見ているとかわいいものだが、その声を聞くと、うるさくてかなわない」という意味。つまり子ども
は、騒々しいのが当たり前。

その騒々しさを、無理におさえると、子どもは、神経質になる。長引けば、神経症を引き起こ
す。そしてその神経症が、情緒不安の原因となることもある。言うべきことは気長に言いながら
も、それで近所に迷惑をかけているようなら、ただひたすら、低姿勢で臨むのがよい。

 苦情を言われるほうは、それなりに不愉快かもしれない。しかし苦情を言うほうも、それなり
に不愉快なもの。「苦情が届く」ということは、相手にかなりの苦痛を与えていると考えてよい。
だから、ここは、低姿勢に! 「ご迷惑をかけて、すみません」と、まず頭をさげる。

 この世界には、『負けるが勝ち』という、大鉄則がある。ほかのことなら、ともかくも、間に、子
どもがいることを忘れてはならない。大切なことは、子どもにとって、居心地のよい世界を、用
意してやること。

 苦情が届いたとき、「何よ!」とやってしまうと、問題がこじれるばかりではなく、子どもに何ら
かの被害がおよぶことだって、ありえる。実際、そういう事件は、多い。だから、『負けるが、勝
ち』。

 私にも、こんな経験がある。

郵便局で並んで待っているときのこと。前に、子どもをおんぶした母親が立っていた。その子ど
もがアイスクリームを食べていたが、そのアイスクリームが、ポタリと私の服にかかった。

 私が「あのう、アイスクリームが落ちましたが……」と、恐る恐る声をかけると、その母親は、
こう言った。「子どものすることだから、し方ないでしょ!」と。

 当時私は、三〇歳前。そのまま黙ってしまったが、あのとき感じた不愉快さは、いまだに忘れ
ない。一言、母親が、あやまってくれたら、あの場の雰囲気も、かなりちがったものになってい
たはず。

 こと子どもがからむときは、親は、負けて、負けて、負けつづければよい。つらいことも、ある
だろう。くやしいことも、あるだろう。しかしそれでも、負ける。AEさんのばあいも、「多少のこと
は、がまんしてほしい」「子どものすることだから……」という思いもあるかもしれない。しかし、
それでも、先に、頭をさげる。

 しかし、こうした謙虚な姿勢が、結局は、親を育てることになる。親としての、奥深さも、そこか
ら生まれる。

 最後に、子どもの叱り方だが、こういうケースでは、親は、いつも、言うべきことは言いながら
も、その範囲にとどめる。大切なことは、「静かにしないさい」ではなく、しっかりとした理由づけ
をしてあげること。「騒ぐと、下の階の人が、眠れません」「ドタンバタンと暴れると、その音が、
下に届きます」と。

 三歳という年齢では、まだ理解できないかもしれないが、繰りかえし言うことによって、子ども
の心の中に、合理的な判断力が育つ。考える力も、育つ。あとは、親の根気くらべということに
なる。

 私も、結婚した当時は、アパートに住んでいた。一階に住んでいたが、幸いなことに、二階の
住人も、隣の住人も、同じくらいの年齢の子どもをもっていた。それで私のばあいは、こうした
問題は、起きなかった。

 もし問題がこじれたら、転居という方法も、考えてみたらどうだろう。


●どうも調子が悪い?

 正月に入ってから、体の調子が悪い。だるい。頭が重い。夜、ふとんの中に入ると、しばらく
動悸がつづく。体がほてる。

 軽い風邪をひいたのか? 一日の夜は、生ニンニクを、白いご飯に混ぜて、食べた。おかげ
で、翌、二日は、外出せず。ハナと散歩にでかけたのみ。運動不足かもしれない。毎日、二度
は、汗をかかないと、私のばあい、すぐ体がなまる。

 それに加えて、私は、貧乏性。仕事をしていないと、気が休まらない。あるいは、不安神経
症? あるいは、基底不安型人間?

 ワイフは、「休みなんだから、休めばいい」と言う。そこで私は、「お前は、仕事のことが気にな
らないか?」と聞くと、「ゼンゼン」と。ワイフは、昔から、そういう楽天的な人間だ。

 考えてみれば、私は、こうして長期の休みになったとたん、いつも、体の調子が狂う。リズム
が乱れるせいかもしれない。休みになったから、その分、原稿が書けるかというと、そうでもな
い。ダラダラと、時間をつぶしているだけ。頭の回転も、にぶくなる。だから、よい文章は、書け
ない。

 ああ、子どもたちの声を聞きたい。早く、仕事をしたい。私のばあい、職場そのものが、ストレ
ス解消の場になっている。こうして休みになると、何かとストレスばかりたまって、よくない。昨夜
も、ワイフに、私は、こう言った。

 「ぼくは、休みなんか、いらないよ。死ぬまで、仕事をするよ」と。
(040103)

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●夫婦の危機

 どんな夫婦も、それぞれ何かしらの爆弾をかかえている。かかえながら、懸命に、生きてい
る。

 問題のない夫婦など、いない。そのため、みな、その結婚生活において、一度や二度、ある
いは、何度か、離婚を考える。

 私たちも……という話は、ここでは書けないが、もともと夫婦というのは、そういうもの。「そう
いうもの」という前提で、夫婦を考える。新婚当初のような、熱いラブラブの関係が、一生、つづ
くと考えるほうが、おかしい。またそうでないからといって、結婚に失敗したとか、さらには、離婚
しなければと考えるほうが、おかしい。

 私もあるとき、発見した。夫婦が、仲よく生活するためには、たがいに、バカになること、と。
負けを認め、「どうぞ、お願いします」と、頭をさげればよい、と。

 結婚生活に、よいことは、一〇に一つもない。一〇〇に一つもない。一つでもあれば、もうけ
もの。あとは、ただひたすら、あきらめ、がまんする。過大な期待など、もたないこと。幻想に、
しばられないこと。

 朝、起きると、そこに、夫がいる。妻がいる。子どもたちがいる。そして毎日の生活が、始ま
る。味気ない一日だが、それが、家族。夫婦に形があるとすれば、その家族の「柱」のようなも
の。

 D市に住む、Yさん(女性、四〇歳)は、すこし前、離婚の危機に立たされた。夫に、愛人がい
たという。しかもその愛人というのは、夫が、Yさんと結婚する前から、交際していた女性だった
という。Yさんの受けたショックは、たいへんなものだった。

 こういうケースでは、私のような人間が、立ち入るスキなど、どこにもない。夫婦の問題は、夫
婦の問題。どんな夫婦にも、人に語りつくせない、一〇〇〇の物語がある。一万の物語があ
る。結論を出して、行動するのは、Yさん自身である。

 で、Yさんが出した結論は、「子ども(小六男子)のために、がまんする」というものだった。「夫
は、一応、その女性とは別れると言ってくれました」と。

 しかし、M氏(四五歳)のケースは、もう少し、深刻だった。

 M氏の妻が、狂信的団体として知られる、T教団に入信してしまった。M氏は、こう言った。

 「ときどき家に外から電話を入れるのですが、ここ一年ほど、家をあけることが多くなりまし
た。あとで理由を聞くと、友だちの家に行っていたと言うのです。それでその友だちのことを、あ
れこれ調べると、その友だちという人が、T教団の信者だとわかりました。

 何度か、妻に問いつめたのですが、私は、信じていないと言っていました。が、ある日、バッ
グの中から、見たこともないような立派なお守りが、ポロリと出てきました。それで妻の信仰が
わかったのです。

 それからというもの、『やめろ!』『やめない!』の、喧嘩ばかり。ふだんは静かな妻ですが、
こと信仰のことになると、人が変わったかのように、猛然と反発してきました。そして最後は、と
うとう、こう叫んだのです。

 『あんたと、私は、前世の因縁では、結ばれていなかったのよ。そのあんたと私が、こうしてか
ろうじて夫婦でいられるのは、私が、信仰しているおかげよ!』と。

 こうして私は、最後は、離婚か、さもなくば、私自身も、入信するかの瀬戸際まで追いこまれ
ました。しかし私は、ずっと、無神論者でした。しかも、その教団というのが、あのT教団です。
私は、ずいぶんと、悩みました。

 で、私が出した結論は、こうです。

 妻は、二〇年近く、無神論の私に合わせて、がまんしてくれた。だからこれから二〇年間は、
私が妻に合わせて、信仰をしてやろうと。

 私は、入信し、今は、仲よく、いっしょに教団に通っています。おかしな教団ですが、そこにい
る信者の人たちは、みな、いい人たちばかりです。何というか、世間の評判は別として、町内会
の集まりのような教団です。自分なりに、できるだけ、いっしょに、楽しむようにしています」と。

 夫婦の危機には、いろいろある。不倫、浮気に始まって、生活苦、性格の不一致などなど。
幸せな夫婦は、みな、よく似ているが、不幸な夫婦は、それこそ、千差万別。定型がない。

大切なことは、夫婦の間に不幸のかたまりを感じても、たがいに、それを見ないこと。夫は夫
で、妻は妻で、前を向いて生きていく。五年、一〇年とそれをつづけていくと、やがて、「時」が、
あらゆる問題を、解決してくれる。

 私たち夫婦も、無数の問題をかかえてきた。今も、かかえている。これから先、そういう問題
が、なくなるとは思わない。しかしその前に、もう私たちには、時間が、ない。

 自分の、シワがれた手を見る。ワイフの、白髪を見る。たがいの体力も、気力も、衰える一
方。生きザマも、防衛的になった。これから先、今以上に、健康になることはない。今ある、健
康を、懸命に維持して生きていくしかない。

 考えるのは、老後のことばかり。どう生きるかではなく、どう死ぬかを考える。しかしそうなる
と、性格の不一致など、とるに足らない問題。どうでもよくなる。つまりそのとき、あらゆる問題
が、解決する。

 どんなに苦しくても、夫婦をつづけなさい。その夫を選んだのは、あなた。その妻を選んだの
は、あなた。不平、不満があるとしても、それはすべて、そういう夫なり、妻を選んだ、あなたの
責任。

 もう、がんばる必要はない。あなたは、ただ静かに負けを認め、バカになり、あとは静かに、
それに従えばよい。もし、それでも不平や不満が解消しないというのなら、そのエネルギーは、
たがいに向けるのではなく、あなたの前の、外に広がる世界に向ければよい。決して、あなた
の夫や、妻に向けてはいけない。

 夫婦というのは、そういうもの。もともと、夫婦というのは、そういうもの。
(040103)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●夫婦のセックス

 性欲は、食欲とよく似ている。あるいは、同じ?

 だから性欲を、罪悪視してはいけない。そういう見方をしても、意味は、ない。私の息子たち
の部屋には、マスターベーションしたあとのティシュペーパーが、いつも、山のようになってい
た。今も、そうだ。

 ああいうのを見ると、性欲は、ただ単なる排泄欲だと思う。小便や大便をするのと、どこも違
わない。あるいは、どこが違うのか?

 夫婦も、同じ。なぜ、男と女が、いっしょに生活を始めるかといえば、たがいに、その排泄欲
を、ほどよく満足させるため。それだけではないかもしれないが、しかし大切な要素であること
には、違いない。

 だから、若い夫婦なら、セックスをして、して、しまくればよい。一日、二回でも、三回でも、し
たいだけ、すればよい。たがいにヘトヘトになるまで、すればよい。それが夫婦。夫婦の特権。
私の友人(男性)などは、結婚式が終わった夜、こう叫んだという。「さあ、これで思う存分、セッ
クスができるぞ」と。

 が、年をとると、セックスの回数も減るが、その内容も、目的(?)も、変化してくる。それをこ
こに書くと、何となく、わびしくなる。だからここでは書かない。それに今の私たちの現状を書く
と、またワイフが、怒る。だから、書かない。書けない。

 が、どうにもこうにも理解できないのは、セックスレス夫婦という夫婦。そういう話をワイフから
聞いたりすると、私などは、すぐ、「もったいない」と思ってしまう。男どうしというのは、そういう
話をあまりしないが、女どうしというのは、かなり平気で、そういう話をするようだ。それはともか
くも、その相手の女性が、私好みの、きれいな人だったりすると、とくに、そう思う。

 「ぼくが、かわりにセックスをしてあげると、言っておいて」と、ワイフに言ったりすると、ワイフ
は、すかさず、こう言う。「あのね、女性にも、男を選ぶ権利があるのよ。どうして、あんたは、
そうも、オメデタイの?」と。

 セックスというのは、たがいをさらけ出すための、よい方法である。肉体や欲望をさらけ出す
ことで、ついでに、心まで、さらけ出すことができる。その(さらけ出し)は、たがいの信頼関係を
築く、基盤になる。

 だからセックスをするときは、したいことをすればよい。してほしいことを、してもらえばよい。
遠慮することはない。変態に思われようが、そんなことを気にすることはない。セックスには、
基準も標準もない。形など、もとから、ない。

 ところで、オーストラリアの友人から、一枚の写真が届いた。彼が属しているヌーディストクラ
ブのものだそうだ。写真は「E」という雑誌から、切り抜いたものだという。私は、その写真を見
て驚いた。

 見ると、中学生や高校生らしい少女まで、中年の男たちといっしょに、いたからだ。多分、メン
バーの娘さんたちなのだろう。(その写真は、HTML版のほうで、顔がよくわからない程度まで
ぼかして、掲載しておく。)

 こういう写真を見ると、性欲とは何か、改めて考えさせられる。そしてますます、性欲、なかん
ずく排泄欲には、形がないということを、思い知らされる。

 少し話が飛躍した感じだが、要するに、性欲は、「無」ということ。意味があるようで、まったく
ない。まさに、食欲と同じ。いくら論じても、絶対に、結論に達することはできない。これから先、
人間が生きているかぎり、人間は、ものを食べ、セックスをする。そもそも、結論が出るような
問題では、ない。論ずること自体、意味がない?

 さあ、あなたも夫婦なら、思う存分、セックスをしたらよい。夫や妻の年齢が気になったら、電
気を消して、真っ暗にしてすればよい。あとは、頭の中で、思いっきり想像力を働かして、すれ
ばよい。ははは。
(040103)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

【今夜……】

 今夜、つまり、今は、一月四日、午前〇時二七分。

 先ほど、コタツの中で、一時間ほど、眠ってしまった。それで今は、目がさえて、眠れない。だ
から、こうして原稿を書く。

 それに今夜は、もう一つ、目的がある。

 Eマガの読者の数が、現在、998人。姉妹紙の、メルマガの読者の数が、140人。そのEマ
ガの読者の数が、あと2人で、1000人になる。多分、今夜、その1000人を突破する。私は、
その瞬間を、原稿を書きながら、見届けたい。

 Eマガを出している人なら、知っていると思う。編集(ログイン)画面を呼び出すと、そのときの
読者の数が、トップに、数字で示されるしくみになっている。「現在の読者数、998人です」と。

 このEマガを発行していて、いつも不思議に思うのは、発行した直後は、読者がふえるが、そ
うでないときは、まったくふえないということ。たまにふえることはあるが、それはマレ。

 で、私は、毎号、午前一時に、配信してもらえるように予約している。その午前一時まで、あと
三〇分! 配信と同時に、ふつうなら、読者が数人、ふえるはず。

私は、その一〇〇〇人目の人が、どんな人か知りたい。と、同時に、一〇〇〇人目の人には、
もちろんのこと、すべての読者の方に、心からお礼を言いたい。「ありがとうございます!」と。

 そこで今夜は、心に決めた。一〇〇〇人になるのを確かめるまで、起きていて、原稿を書く
ぞ、と。

 一〇〇〇人という数には、特別の意味がある。この世界には、「電子マガジンも、読者が一
〇〇〇人になって、一人前」という、合言葉がある。いつか、何かの雑誌で、そう読んだことが
ある。

 しかし一〇〇〇人というのは、簡単なことではない。簡単なことでないことは、姉妹紙のメル
マガ(140人)や、同じくEマガの『はやし浩司の世界』の読者(103人)が、ほとんどふえないこ
とからも、わかる。

 しかし私が、もう一つ、「一〇〇〇」という数字にこだわる理由がある。その理由は、もう少し、
先にならないと書けない。少なくとも、今は、書けない。(ごめんなさい! いつかそのときがき
たら、理由を告白します。)

 ともかくも、ここまで長い道のりだった。いつも、「読者の数は問題ではない。そのときどきで、
自分を燃焼しつくすことだ」と、自分に言い聞かせながら、原稿を書いてきた。しかし実際に
は、読者の数がふえることは、私にとっては、大きな励みになった。落ちこんでいるとき。調子
の悪いとき。そういうとき、読者の数が、一人、二人とふえたのを知ると、「がんばるぞ」という
思いが、ムラムラとわき起こった。

 しかし「数」にこだわる恐ろしさは、私もよく知っている。ふえたとき喜ぶと、今度は、それが減
ったとき、その反動として、ひどく落胆する。学校の成績のようなもの。若いときなら、そういう
変動を、うまく心の中で処理することができるが、この年齢になると、そういう小回りができなく
なる?

 (今、Eマガの読者の数をのぞいてみたが、998人から、997人に減った。こういうことも、よ
くある。で、少なからず、がっかり……。)

 やはり、数にこだわるのは、よくない。だからつぎの一月六日号からは、読者の数は、およそ
の合計数だけを表示することにした。「一〇〇〇人を超えれば、二〇〇〇人でも、三〇〇〇人
でも、同じ。一〇〇人でも、二〇〇人でも、同じ」と。

 (今、時刻は、午前一時を回った。Eマガは、無事、配信されたようだ。読者の数は、ふえてい
ない……。)

 やはり、今夜は、早く寝たほうがよさそうだ。今夜は、一月一〇日号の、配信予約を入れなけ
ればならない。しかしこの三日間、ほとんど、原稿を書かなかった。風邪をひいたというか、ひ
かなかったというか、どうも、体の調子がよくなかった。それに書斎のコタツにすわると、いつも
そのまま居眠り。

(今、見たら、また読者の数が、998人にもどっていた。よかった!)

 しかし、少し、眠くなってきた。私の意思は、それほど、強くない。少し前まで、「一〇〇〇人に
なるまで、見届ける」と思っていたが、その決意がかなり、ゆらいできた。目も疲れたし、このと
ころ、左目の乱視が、急に進んだようだ。

 多分、今は、みなさん、まだ正月気分だから、私のマガジンなど、読むこともないだろう。だか
ら読者も、ふえない……?

 このあたりで、原稿を一度、切りあげ、一月一〇日号として、配信したほうが、よさそうだ。で
は、みなさん、これで、おやすみなさい。また近くに、このマガジンに興味をもってくださいそうな
人がいたら、よろしくお伝えください。いつも、お願いすることばかりで、すみません。
(040104)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto819

心を開かない子ども

 心を開かない子ども……と、書いて、実はあなた自身のこと。あなたはだれかに対して、一人
だけでもよいが、心を開くことができるだろうか。あるいはそういう人がいるだろうか。

「心を開く」ということは、そういう意味でもたいへんむずかしい。実のところ、この私にしても、
「この人だけになら心を開くことができる」と思える人は、ほとんどいない。どうしても自分をさら
け出すことができない。そのためどうしても自分を作ってしまう。

 そこで「本当の自分」とは何かを考えてみる。……この間、一〇数分の時間が過ぎたが、本
当の自分と言われると、そこでまたハタと困ってしまう。本当の私は、小心者で、小ずるく、無
責任で、冷酷で、自分勝手。そういう自分がつぎつぎと浮かんでくる。

しかしそういう自分をさらけ出すことはできない。だれかと接するときは、どこかでそういう自分
と戦わねばならない。ありのままの自分をさらけ出したら、相手もびっくりするだろう。

 ここから先はたいへん不謹慎な話になるが、異性と、裸になってセックスをするときは、ひょっ
としたら、心を開いた状態なのかもしれない。肉体や感情や、それに欲望をさらけ出している
と、ついでに心までさらけ出すことになる。

もっともその前提として、互いに愛しあっていなければならない。自分の欲望を満たすために、
心を偽るようでは、心をさらけ出したことにはならない。「私はどうなってもいい」という思いの中
で、自分をさらけ出してこそはじめて、心を開いたことになる。

 ……と、書いて、子どもの話にもどる。親子だから、互いに心を開きあっているとは限らな
い。親のほうはともかくも、子どものほうが心を閉ざすケースはいくらでもある。「親がこわかっ
た」「親の前にすわると緊張する」「親に会うと疲れる」「実家には帰りたくない」「何か言われる
と、反発してしまう」など。

若い母親でも、約三〜四割の人が、そういう悩みをかかえている。子どもの立場でみて、自分
の親にどうしても心を開くことができないというのだ。

そこでさらに問題を掘りさげて、あなたという親と、あなたの子どもの関係はどうかということ。
あなたは子どもに心を開いているだろうか。反対にあなたの子どもはあなたに心を開いている
だろうか。

こういう質問をすると、たいていの人は、「うちはだいじょうぶ」と言うが、だいじょうぶでないこと
は、実はあなた自身が一番よく知っている。それともあなたは、あなたの親に対して、全幅の心
を開いていると自信をもって言えるだろうか。

 「心を開く」ということは、そんな簡単な問題ではない。またそんなふうに簡単に考えてもらって
は困る。私の経験では、生涯、心を開くことができる相手というのは、ほんの数人ではないかと
思う。あるいはもっと少ない……? 

こちらが心を開いても、相手が開かないとか、その反対のこともある。なかなかうまくいかない
のが人間関係だが、それはそのまま親子についても言える。はたしてあなたは本当にだいじょ
うぶか?

    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●基底不安

 何をしていても、不安。仕事をしていても、不安。遊んでいても、不安。寝ていても、不安。家
族といても、不安。友だちといても、不安。……そういう人は、少なくない。世間では、こういう人
を、不安神経症というらしいが、「根」は、もっと深い。

 乳幼児期の母子関係が不全だと、子どもは、生涯にわたって、ここでいう「不安を基底とした
生き方」をするようになる。これを「基底不安」という。この時期、子どもは、母親との関係にお
いて、絶対的な安心感を学ぶ。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。

 この絶対的安心感が、何らかの問題があって不足すると、子どもの心は、きわめて不安定な
状態に置かれる。心はいつも緊張した状態に置かれ、それが原因で、子どもの情緒は不安定
になる。それだけではない。この安心感があってはじめて、子どもは、自分のすべてをさらけ出
すことを学ぶ。そしてそれが、それにつづく人間関係の基本になる。

 このさらけ出しのできない子どもは、少なくない。自分をさらけ出すことに、大きな不安を覚え
る。「相手によく思われているだろうか」「相手は、自分のことを悪く思わないだろうか」「どうす
れば、自分は好かれるだろうか」「自分は、いい人間に見えるだろうか」と、そんなふうに考え
る。

 子どもでいえば、不自然なほど、愛想がよくなったり、反対に仮面をかぶったりするようにな
る。さらに症状が悪化すると、心の状態と顔の表情が遊離し、いわゆる何を考えているかわか
らない子どもになる。これに強いショックが加わると、多重人格性をもつこともある。

 うれしいときには、うれしそうな顔をする。怒ったときには、怒った顔をする。何でもないことの
ようだが、感情の表現が、すなおで、自然ということだけでも、子どもの心は、まっすぐに育って
いることを示す。

 一方、子どもの世界、とくに乳幼児期において、無表情というのは、好ましくない。うれしいは
ずなのに、どこかぼんやりとしている。同年齢の子どもと会っていても、反応を示さない。感情
表現がとぼしく、どこかヌボーッとしている、など。

 親は、「生まれつき、こうです」と言うが、そういうことは、あ・り・え・な・い。たいていは親の神
経質な育児姿勢、過干渉、過関心、威圧、暴力、暴言が、原因で、そうなる。親の短気、情緒
不安が、原因で、そうなることもある。

 子どもが、〇歳〜二歳の間は、絶対に子どもを怒鳴ってはいけない。おびえるほどまで、子
どもを叱ったり、威圧したりしてはいけない。無理な訓練や、学習をさせてはいけない。この時
期、必要なのは、暖かい愛情に包まれた、心豊かな人間関係である。親の立場で言うなら、た
だひたすら、がまん。忍耐。そしてあふれんばかりの、愛情である。

 この時期は、子どもを伸ばすことは、あまり考えなくてもよい。子どもの心を、つぶさないこと
だけを考える。どんな子どもも、すでに伸びる芽をもっている。あとは、それに『灯をともして』、
それを『引き出す』だけ(欧米の常識)。

 少子化のせいなのか? 今、子育てで失敗する親が、あまりにも多い。手をかける。時間を
かける。手間をかける……。それ自体は悪いことではないが、神経質な育児姿勢が、かえって
子どもの伸びる芽をつんでしまう。子どもの「私は私」という意識までつぶしてしまうこともある。

 この時期、一度、子どもの自信をつぶしてしまったら、もう、あとは、ない。生涯、ハキのな
い、ナヨナヨとした子どもになってしまう。自ら、「私はダメ人間」というレッテルを張ってしまい、
伸びることをやめてしまう。そういう状態に、子どもを追いこんでおきながら、「どうして、うちの
子は、ハキがないのでしょう」は、ない。「どうすれば、もっとハキハキする子どもになるでしょう
か」は、ない。

 子育てには、失敗はつきもの。しかし失敗してからはでは遅い。なおそうと考えても、その数
倍、あるいは数一〇倍の努力とエネルギーが必要。しかし、実際には、それはもう不可能。

 話がそれたが、この基底不安にしても、乳幼児期につくられ、それはその人を、ほぼ一生に
わたって、支配する。外から見ただけではわからないし、またこのタイプの人ほど、その不安と
戦うことで、その道では成功者となることが多い。そのため、まわりの人は、それこそ「ただの
不安神経症」と、安易に考えやすい。

 しかしその人自身は、生涯にわたって、その不安から解放されることはない。人と交わって
も、心を開けないなど。中には、家族にさえ、心を開けない人もいる。不幸かそうでないかとい
うことになれば、これほど、不幸なこともない。

 もしあなたが、ここでいう、不安を基底とした生き方をしているなら、その「根」は、あなた自身
の乳幼児期にある。まず、それを知る。そしてそれがわかれば、こうした不安感を消すことはで
きないにしても、コントロールすることは、できるようになる。

 どんな人でも、一つや二つ、こうした心の問題をかかえている。ない人は、いない。あとは、そ
れに気づき、仲よくつきあえばよい。
(031231)

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  。  。     \    。  
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●人格の未熟性

 子どものころ、一度、人格が未熟(軟弱)になると、その未熟性は、一生、つづく。おとなにな
ったあと、気力や体力で、表面的にはごまかすことはできても、その未熟性が、補われること
はない。あるいはおとなになってから、その人格が、完成するということはない。

 このことは、老人を観察してみると、わかる。私たちは「老人」に対して、ある種の幻想をいだ
きやすい。長老なのだから、知識も経験も豊富で、それなりの人格者だと思いがちである。

 極端な考え方だが、この日本では、死んだ人は、すべて、「仏様」として、あがめられる。「成
仏した」という言い方をするときもある。死んだとたんに、釈迦と同列になるというわけだが、老
人に対しても、同じように考える。

 しかし老人でも、人格が未完成の人は、いくらでもいる。若いときのままというより、若い人よ
り人格が軟弱な人も多い。名誉や地位には、関係ない。むしろ、名誉や地位にしがみついてき
た人ほど、愚劣になりやすいのでは?

 言いかえると、人格が未熟だから、名誉や地位にしがみつきやすいということにもなる。どこ
かの大臣が、精一杯、虚勢を張って、いかにもというかっこうで、肩をいからせて歩くのが、そ
れである。中身がないから、外見で自分を飾ろうとする。

 一方、子どもでも、人格がしっかりしている子どもは、これまたいくらでもいる。安定感があ
り、どっしりとしている。教育の世界では、「落ちついている」という表現を使う。ときに、ふてぶ
てしさを感ずることもある。

 こうしたちがいは、どこで決まるかといえば、すでに五、六歳の幼児期には決まっているか
ら、それ以前の乳幼児期に決まるということになる。しかもその時期は、〇歳から一、二歳まで
の時期と考えてよい。この時期の育て方で、その子ども(人)の、人格の方向性が決まる。

 この時期、安定した家庭環境で、ほどよい愛情に恵まれた子どもは、その時点で、人格の核
形成が進む。そうでないときは、人格が、軟弱になる。

 ほどよい愛情というのは、「子どもが求めてきたときが、与えどき」と覚えておくとよい。

この時期の乳幼児は、ふと思いたったように、母親や、ときには父親のところにもどってきて、
愛情表現(アッタチメント)を繰りかえす。そのとき母親や、父親は、ほどよくそれに応じてあげ
る。ぐいと抱いてやったり、あるいはひざの上にのせてやる。

 すると子どもは、しばらくその状態をつづけたあと、満足したかのような表情を見せたあと、別
の行動に移る。こうした(単独行動)→(アッタチメント)→(単独行動)を繰りかえしながら、その
過程で、子どもは、人格の核形成を進める。

 しかしその適切な対応が、何らかの障害があって、できないときがある。これもまた極端な例
だが、子どもの世界には、赤ちゃんがえりという、特異な現象がある。

 あの赤ちゃんがえりを起こした子どもの最大の特徴は、人格の核形成が、遅れること。赤ち
ゃん以上に、赤ちゃんぽくなり、グズグズしたり、ささいなことで突発的に、混乱状態になったり
する。人格の「核」そのものが、軟弱で、教える側からすると、「わけのわからない子ども」とい
った感じになる。

 原因は、下の子どもが生まれたことによる、愛情飢餓である。つまり欲求不満が、嫉妬とから
んで、赤ちゃんがえりという症状を引き起こす。

 こういう赤ちゃんがえりという現象を見ていると、人格の核形成は、「ほどよい愛情」によっ
て、形成されることがわかる。では、「ほどよい愛情」とは、何か。それについて、考えてみた
い。

 第一に、ここにも書いたように、「求めてきたときが、与えどき」と覚えておくとよい。その量と、
程度には、スタンダードはない。「お兄ちゃんは、これくらいだったから……」とか、「近所の子ど
もは、この程度だから……」という、基準を作ってはいけない。

 あくまでも、その子どもをみて、判断する。数時間おきに求めてくる子どももいれば、三〇分
おきに求めてくる子どももいる。大前提として、「子どもの行動には、ムダがない」と覚えておくと
よい。「子どもの行動には、すべて理由がある」と覚えておくのもよい。

 子どもが何らかの行動を示すときには、その裏に、それなりの理由があるということ。子ども
は、そういう意味で、まさに、「自然の申し子」である。

 もちろん親のほうから、ベタベタと、愛情表現する必要はない。またしてはならない。親自身
が、その乳幼児期において、愛情飢餓にさらされると、逆に、子どもを溺愛するようになる。こ
の種の溺愛は、子どもにとって害になることはあっても、よいことは何もない。

 発達心理学の世界には、「ほどよい親」という言葉がある。そのほどよい親になることが、子
どもの人格の核形成を進める、コツということになる。

 さて老人の話にもどす。

 私も、その老人のはしくれになりつつあるが、残念ながら、私の人格は、未完成というより、
未熟なままである。今は、何とか、自分の気力で押さえこんでいるが、こうしたごまかしが、いつ
までもできるとは、思っていない。そのうちボロが出て、なさけない自分を、白日のもとにさらす
ようになるだろう。

 恐らく、こうした「私」は、死ぬまでつづくと思う。いくらがんばっても、心というより、脳みその中
心部まで変えることはできない。これからも、ささいなことで、一喜一憂し、喧嘩したり、動揺し
たりして、生きていくと思う。私の乳幼児期の家庭環境は、あまりにも貧弱だった……。
(040101)

【追記】
 
 結婚して、男は女と、女は男と、生活を始める。しかしそのとき、相手(配偶者)が、同じ家庭
環境で育ったということはありえない。それぞれが、それぞれの、何らかのクセをもっている。
特異な性癖や、心のキズをもっていることもある。

 夫婦というのは、そういうクセを理解しあいながら、生きていくもの。決して自分の基準で、相
手をみてはいけない。つまりは、「ほどよい夫」であり、「ほどよい妻」であることが、夫婦円満の
カギということになる。余計なことだが……。

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●大晦日(おおみそか)

 三男と、ワイフと、私の三人で、山荘へ来る。長男は、今夜は、アルバイト。あとから来るとか
言っていた。あてにならない。

 夕方まで、小雨が降っていたが、夜になって、晴れた。明日の元旦には、きれいな朝日が、
おがめそう。

 山荘に着いてから、外で焼き鳥を焼く。風はない。白い月を背景に、いくつか、パンのような
丸い雲が見えた。三男が、双眼鏡をもって、外に出てきた。「何を見るんだ?」と聞くと、「飛行
機」と。

 「お前がパイロットになったら、ここにサーチライトをつけて、飛行機のほうを照らしてやるよ」
と私が言うと、うれしそうに笑った。ちょうど山荘の上空は、東京と大阪を結ぶ航路になってい
る。ひっきりなしに、飛行機が、行きかっている。

 「飛行機からは、どうやって合図するんだ?」と私。
 「どうやるんだろ?」と三男。
 「そうだな、着陸灯を点滅させればいい」
 「いいのかなあ、そんなことして?」
 「ときどき、飛行機どうしが、しているよ」
 「そうだね」と。 

 ワイフが、ビールをもって、外に出てきた。横にすわって、缶のプルタブを引く。勢いよく泡が
外に出る。焼き鳥も、うまく焼けたようだ。おいしそうなにおいが、冷たい風にまじって、鼻に届
く。

(この間、ほぼ一時間。食事が終わって、居間に集まる。)

 今日は、大晦日。二〇〇三年も、あと少し。正確には、あと二時間と二〇分。私はコタツにす
わって、この原稿を書く。三男は、ふとんにすわって、雑誌を読む。ワイフは、横でビデオを見
る。

 無事、二〇〇三年を過ごした。ありがたいことだ。しかし無事は無事だったが、今年も、結局
は、何かをしたようで、何もできなかった。不完全燃焼のままだった。「今日こそは……」「明日
こそは……」と、そんな思いで、その日を過ごしてきた。しかしやはり、何もできなかった。

 もう「来年こそ、がんばろう」という気持は、消えた。夢も期待もない。願わくは、現状維持。無
事、このまま過ごせること。何ともしみったれた願いだが、このあたりが、私の本音。そう言え
ば、この山荘へ来るとき、車の中で、ワイフも、そう言っていた。

 「明日が、元旦なんて、ゼンゼン、実感がないわね」と。
(031231)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●山の散歩

 一月一日。ワイフと、散歩に出る。コースは、山荘の前から、左へ折れ、山道をくだる。細い、
けもの道のような道。その道が、川の近くまでつづいている。途中、細葉の木の林や、杉の木
の林があり、それに種々雑多な森がつづく。

 このところ、杖をもって、散歩に出ることが多くなった。自分でも「老人臭くなったな」と思うこと
はあるが、山道の散歩には、杖は欠かせない。とくに昨日は、小降りだが、雨が降った。道が
すべる。

 一度、下の道路までおりた。そのあたりには、家は一軒しかない。Uさんの家だが、親しい人
ではない。どこか気難しそうな人で、この一六年間、ときどき顔をあわせることがあっても、軽
く、あいさつする程度。家に近づくと、飼い犬が、ワンワンとほえた。

 今朝、この散歩に出る前に、ワイフが、となりのおばさんと、会話をした。その会話の中で、
最近、このあたりで、イノシシを二頭つかまえたという話が出てきたという。その話を思い出しな
がら、杖を握りなおす。

 「イノシシが出たら、この杖で、撃退する」と私。

 しかし野生のイノシシは、大型の犬ほど、大きい。どう猛で、強い。棒のような杖では、太刀打
ちできるはずもない。それこそ、山師が使うような、刀ほどもあるような大型のナタでないといけ
ない。いつか、G県の伯父がそう言っていたのを思い出した。

 「イノシシは、人を見ると、襲ってくるそうだ」と私。
 「こわいわね」とワイフ。
 「人間にいじめられたことがあるイノシシほど、こわい」
 「どうするの?」
 「イノシシのほうに向って、棒をまっすぐ持てばいいそうだ」
 
「たたくの?」
 「たたいたくらいでは、ダメだ。そのまま逃げるのが、いい」
 「逃げるの?」
 「逃げるしかない」
 「イノシシって、バカだって言うけど、結構、利口みたいよ」

 「……? バカなんだろ?」
 「となりのおばさんがね、ワナを二つ仕かけたけど、そのワナにはかからなかったそうよ」
 「ワナを見破ったということか?」
 「そう、みたい……」と。

 イノシシは、バカというのが、このあたりの通説になっている。たとえば畑からイノシシを守る
ためには、「コ」の字型や、「ロ」の字型の柵を作る必要はない。イノシシが来る方向に向って、
一本「一」型の柵を作ればよい。イノシシは、バカだから、柵を回って、畑へ入るようなことはし
ない。「その知恵はない」と、友人のKさんが、いつか、そう話してくれた。

 「イノシシは、鼻がいいから、人間の臭いがすると、近づかないかもよ」
 「ワナに、人間の臭いがしみついていると、ダメね」
 「きっと、そうだよ。それでワナには、かからなかったんだよ」
 「イノシシも、人間がこわいのね」と。

 舗装された道へ出ると、ひんやりとした、森の冷気が体を包んだ。どこかの山深い寺に来た
ような気分になった。神妙な気分というか、神々しい気分というか……。「杉の林には、そういう
力があるようだ」と、今度は、そんなようなことを話しながら、その道を、村のほうへ歩く。

 途中、小さな分かれ道があった。土手を横切って、上へ、細い道が伸びていた。

私「この道は、どこへ行くのかね?」
ワ「この道が、さっきの道につながっているのかもしれないわ」と。

 山道をおりてくるとき、途中、一か所、分かれ道があった。その分かれ道で、ワイフが、「どっ
ちへ行こうか?」と言ったのを思い出した。私はそのとき、「そっちの道は、行き止まりだよ」と
言った。

 で、私たちは、下から、その分かれ道を登ってみた。で、一〇〇メートルほど登ると、先ほど
ワイフが迷ったところに着いた。「へえ、あの道は、ここへつながっていたんだ」と私。

 こういう道は、冬場はよい。夏場は、ヘビやハチがいる。そんなことも考えながら、またもと来
た道を、今度は、反対にくだる。

 舗装した道へ、再び足をおろすと、また村のほうに向って歩き出した。体から寒さが消え、ポ
ッと、汗がにじみ出るのがわかった。上を見あげると、水色の晴れた空に、何枚か、枯れた葉
っぱがヒラヒラと、鳥のように飛んでいるのがわかった。

 村までは、歩いて五分足らず。その村を通り抜けて、今度は、上り坂を登る。自動車が、楽に
すれちがうことができるほど、広い道だ。私たちは、杖でコンコンと、道路を叩きながら、登っ
た。

 途中、一か所、舗装した分かれ道があった。Kさんの作業小屋の手前で、その奥につながっ
ていた。「こっちへ行ってみようか」と私が声をかけると、ワイフは、黙ってついてきた。

私「この先に、だれかが、別荘を建てようとしたみたいだ」
ワ「どうして、建てなかったのかしら?」
私「町の人だから、常識がなかった」
ワ「常識って?」
私「つまりね、このあたりの農道は、すべて私有地なんだ。その私有地を通り抜けたところに別
荘を建てようとしても、農家の人が、ウンと言うはずがないだろ」と。

 たとえばAさんが、自分の畑へと、道を作ったとする。そこで道ができる。今度は、その道に、
Bさんが、自分の道をつなげたとする。こうしてAさんの道とBさんの道がつながる。

 町の人は、「ただの道」と思うかもしれないが、それは、AさんとBさんの、いわば私道というこ
とになる。その道の先に、今度は、町から事情を知らない人がやってきて、自分の別荘を建て
ようとしても、そうは、問屋がおろさない。

 その道を作った人は、そういう常識を知らなかった。自分の道をつなげたところで、農家の人
たちが、怒った。「勝手に、うちの道を使うのは許さん!」と。

 そこでその町の人は、道までは何とかつなげたが、別荘を建てるのは断念した。そのあと
が、そこに残っていた。

 私とワイフは、その場に立ちながら、「場所としては悪くないね」「しかし少し、坂がきついね」
「四WDの車なら、問題なさそう」「少し暗いかな」と。

 そんな話をしながら、一度道をもどったあと、さらに山道を登る。のどかな、風のないよい朝
だ。「今日は、初日の出をみんなが拝めたでしょうね」とワイフ。「よかったね」と私。

 山荘へもどると、長男が起きていた。台所で、戸棚をあさっていた。それを見て、ワイフがこう
言った。「朝食は、うちへもどってからにしよう」と。私は、それに同意した。同意して、片づけに
入った。

 戸じまり、ふとんたたみ、あと始末など。結構、忙しい。では、今日の散歩の話は、ここまで。
大急ぎで、書いた。

 みなさん、新年、あけまして、おめでとうございます。
(040101)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●返礼の法則

 たとえばAさんならAさんに、「一〇」のことをしてあげたと思う。親切にしてあげるとか、世話
をしてあげるなど。

 そのとき、(してあげるほう)は、一〇のことをしてあげたと思う。しかし(してもらうほうは)は、
七とか、八程度にしか思わない。

 こうした意識のズレは、日常生活の中で、よく経験する。

 そこで(してあげたほう)は、(してあげた人)について、「私は、一〇のことをしてあげたのに、
あの人は、私に、何もしてくれない」と思う。

 あるいは、その(してもらったほう)は、そのお礼にと、七とか八の、お礼をする。が、ここで、
ちょうど、逆の現象が起きる。

 (してもらったほう)は、七とか八のお礼をする。そのときお礼をしながら、「私は、それ相当
の、七とか八のお返しをした」と思う。しかし、(お礼をされたほう)は、今度は、それを、五とか
六とかのことしかしてもらってないと感ずる。

 そしてその結果として、「私は、一〇のことをしてあげたのに、あの人は、五とか六のことしか
してくれない」ということになる。

 一般論として、(してあげるほう)は、してあげることを、過大評価する。一方、(してもらうほう)
は、してもらったことを、過小評価する。この意識のズレが、ときに、人間関係を、ギクシャクさ
せる。

 こうしたズレ、つまり不協和音は、不愉快なもの。そこでこうしたズレを避けるためには、最初
から、見返りを求めないで、行動する。あるいは、仮に一〇の返礼がほしいと思うなら、その人
に対して、二〇とか、三〇とかの好意を示す。最近でも、こんなことがった。

 私は毎週(毎月ではない)、外国の友人に、日本の模型雑誌を送っている。定価が一五〇〇
円前後。それにSAL便で送っても、郵送料が、七〇〇円前後。月になおすと、ときに、一万円
前後の出費になることもある。

 率直に言って、軽い負担ではない。しかしその友人は、心の病をかかえ、かなり苦しんでい
る。私が送る雑誌を、何よりも楽しみにしている。私は、それを中断するわけにはいかない。そ
れで毎週、こうして送っているが、ときどき、ふと迷う。「こんなことをして、何になるのだろう
か?」と。

 そんな中、私の生徒のひとりが、その友人の住む国へ行くことになった。そこでその友人に、
大学や寄宿先について、問いあわせた。で、そのことであれこれ相談すると、ページ数にして、
一〇〇ページ近い資料を、インターネットで送ってくれた。いいかげんな資料ではない。彼が、
一日ががりで調べてくれた資料である。それを見たとき、友人の厚意に、心の中が、ポッと暖
かくなった。

 そこで今朝、ワイフと、車の中で、こんな会話をした。

私「見返りを求めず、損とか得とか考えず、他人のために行動することは、大切なことだと思
う」
ワ「してあげたと、思わないことね」
私「そうなんだ。そういうふうに、考えてはいけないんだ。相手が喜ぶようにしてあげればよい。
苦しんでいたら、それを軽くしてあげればいい」
ワ「何かを求めると、それが求められないとき、キズつくからね」
私「そうなんだ。もともと、求めなければいい」と。

 そういうことで、今朝、私は、ひとつの教訓を得た。それは、仮に他人のために、(家族でもよ
いが)、何かをしてあげるときには、そのしてあげることから、二〇〜三〇%、差し引いて考え
る。

 一方、何かをしてもらうときには、反対に、二〇〜三〇%、割増して考える。こうして(してあげ
ること)と、(してもらうこと)の、バランスをとる。厚意をお金にたとえるのは、よくないかもしれな
いが、わかりやすくいえば、つぎのようになる。

 一〇〇〇円のものをあげたら、「八〇〇円のものをあげた」と思うようにする。反対に、一〇
〇〇円のものをもらったら、「一二〇〇円のものをもらった」と思うようにする。あるいはそうい
うことを、いちいち考えるのが、めんどうなら、最初から、無私の状態で、相手に尽くせばよい。
返礼など、求めないこと。

 これが私が、今朝、発見した、返礼の法則である。
(021230)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●これからの老人たちよ、少し、考えよう!

あなたも、そして私たちも、やがて老人になる。老いはだれにでもやってくる。例外は、ない。髪
は白くなり、あるいは、はげる。肌はツヤをなくし、シワは、ふえる。何とかごまかしてきた持病
も、五〇歳を過ぎると、どんと、前に出てくる。そのときのこと……。

 「悠々自適の老後生活」という言葉がある。しかし「悠々(ゆうゆう)」だけでは、いけない。「自
適」だけでも、いけない。老人は、老人として、すべきことがある。

 私の近所には、年金生活者がたくさん住んでいる。ほとんどが、元公務員の人たちだが、中
には、地域の活動を熱心にしている人もいる。しかし中には、まったく、しない人もいる。現役
時代、地位(?)の高かった人ほど、何もしないのでは? 

たとえば公園の近くに住んでいるX氏などは、退職してから、もう一五年以上になるが、何か、
地域のための仕事をした姿を、私は、見たことがない。

 その]氏は、みごとなほど、何もしない。明けても暮れても、趣味ざんまい。道路のゴミすら、
拾ったことがない。近くの空き地の草が伸びれば、役所へ、すぐ電話する。手紙を書く。しかし
そういう老後が、本当に理想的とは、だれも思わない。

 人間は、社会的な動物である。社会とかかわりあってはじめて、人間は、人間である。そして
そのかかわり方には、二つの方向性がある。一つは、「今」という時点で、「世界」にかかわるこ
と。もう一つは、「今」という時点で、「過去」と「未来」にかかわること。

 社会的活動をしながら、他人のために働くことを、前者とするなら、自分が得た知識や経験
を、後世の人たちが役立つようにするのが、後者ということになる。小さな世界に閉じこもって、
自分だけのために好き勝手なことをするのは、そもそも生きザマとして、まちがっている!

 もう一人、近所に、腰のまがった女性がいる。年齢は、八五歳だという。その女性は、毎日、
近所の清掃をしている。自分の家の周辺だけではない。近くに中学校があるが、その前の道
路や、空き地の前の道路の清掃までしている。

 このところ急に、体が弱々しくなったようだ。それにときどき、道路にはみ出した草を刈ってい
るが、それはハサミでしている。家庭で使うような小さなハサミである。「?」と思う前に、ほほえ
ましく思う。

 そういう女性を見ると、本当に頭がさがる。老人というより、人間としての生きザマの美しささ
え感ずる。またそういう老人を見かけると、老人を大切にしなければという思いも、わいてくる。

 私たちは、自分の老後を、どう過ごすべきか。それについての答は、もう出たようなもの。

私たちは老齢になればなるほど、それまで生きてきたことを、社会に還元しなければならない。
それはちょうど、義務教育を受けている子どもたちが、学校の宿題をするようなもの。老人は
老人として、自分の生きザマを完成させる。そしてそれをつぎの世代の人に伝えていく。それは
この世の中を、無事生きてきたものの、義務と言ってもよい。

少なくとも、明日も、今日と同じ生活を繰りかえすだけの、ただ死を待つような人生に、意味は
ない。来年も、今年と同じ生活を繰り返すだけの、ただ死を待つような人生に、意味はない。
(031231)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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各地で講演会をもちます。詳しくはサイトのニュースを
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2・21 ……細江町「教育のつどい」
1・24 ……周智郡森町教育委員会
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詳しい講演日時は、
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【1】子育てポイント∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞upto819

新春・いくつかの提案

●「偉い」という言葉を、廃語にしよう。人に、偉い人も、そうでない人もいない。日本では、地位
や、肩書きのある人を、「偉い人」という。奈良時代や平安時代なら、いざ知らず、今は、そうい
う時代ではない。そのかわり、「尊敬される人」という言葉を使おう。だから子どもには、「偉い
人になれ」ではなく、「人から尊敬される人になれ」と、教えよう。

●「出世」という言葉を、廃語にしよう。日本では、昔から、「社会に役立つ人になれ」「立派な人
になれ」が、教育の柱になってきた。またそういうことができるようになった人を、「出世した」と
言った。しかし子どもには、こう言おう。「よき家庭人になれ」「よき市民になれ」と。そういう意識
が集合されて、一つの国民意識となる。それを民主主義という。

●「家制度」を、みんなで考えなおそう。「嫁をもらう」「嫁にくれてやる」「実家」「本家」「あと取
り」などなど。封建時代の家制度をそのまま思い出させるような言葉は、いまでも広く使われて
いる。家長制度も、まだ残っている。みんなで、こうした制度を考えなおそう。

●「産んでやった」「育ててやった」を、廃語にしよう。親は、子どもを育てる。しかしそれは義務
であると同時に、権利でもある。子どもに恩を着せるというのは、すでにその子育てが、子育て
の本質から逸脱していることを示す。

●「親孝行」論を考えなおそう。親子といえども、一対一の人間関係で決まる。日本では、昔か
ら、たがいに犠牲になることを美徳としてきた。しかし親が子どものために犠牲になるのも、子
どもが親のために犠牲になるのも、美徳でも何でもない。たがいに高度の次元で尊敬しあうこ
とこそ、重要。

●権威主義と戦おう。「親だから……」「子どもだから……」「お兄ちゃんだから……」「○○家
の人間だから……」という、『ダカラ論』で、子どもをしばっては、いけない。その背景にあるの
は、日本人独特の権威主義。その権威主義と、戦おう。人は、外身ではなく、中身を見て、判
断する。そういう人の見方を、子どものときから、子どもに教えていこう。

●「立派」という言葉を、廃語にしよう。物語「一寸法師」に代表される、立身出世主義を、もっ
と疑ってみよう。「桃太郎」に代表される、安易な性議論や孝行論を、もっと疑ってみよう。そし
て「立派」という言葉を、廃語にしよう。人間には、立派な人も、そうでない人もいない。懸命に
生きている人こそ、すぐれた人である。

●親のうしろ姿を、子どもに押しつけてはいけない。生活のため、子育てのために苦労してい
る姿を、日本では、「親のうしろ姿」という。そういう姿を、見せたくなくても、親は子どもに見せて
しまうが、しかしその「うしろ姿」を、子どもに押しつけてはいけない。それは、卑怯(ひきょう)と
いうもの。親は子どもを選べるが、子どもは、親を選べない。いわんや、子どもに恩を着せるた
めの、道具にしてはいけない。

●上下意識を表す言葉を、廃語にしよう。「先輩」「後輩」に始まる、上下意識を表す言葉は、
日本語には、多い。「主人」という言葉も、そうだ。こうした言葉は、廃語にしていこう。人間に
は、「上の人」も、「下の人」もいない。「親が上で、子が下」というのも、おかしい。

●人は学歴ではなく、中身で見よう。「どこの大学を出たか」ではなく、「何ができるか」で、人を
判断しよう。今でも、学歴にぶらさがって生きている人は多い。定年退職してからも、その亡霊
にとりつかれている人さえいる。

●エリート意識は、自分の責任のためにもとう。エリート意識にも、二種類ある。ひとつは、他
人を見くだすためのエリート意識。もう一つは、自分の責任を自覚するためのエリート意識。前
者を、悪玉エリート意識という。後者を、善玉エリート意識という。善玉エリート意識をもつことは
大切だが、悪玉エリート意識は、危険でさえある。こういうエリート意識がはびこれば、民主主
義は、確実に後退する。
(031228)

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    ミ ( ⌒⌒ ) 彡
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      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄    何か、テーマがあれば、
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄        掲示板にお書き込みください。

【2】特集∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

「親である」という幻想

●親を美化する人

 だれしも、「親だから……」という幻想をもっている。あなたという「親」のことではない。あなた
の「親」についてで、ある。

 あなたは自分の親について、どんなふうに考えているだろうか。「親は、すばらしい」「親だか
ら、すべてをわかっていてくれるはず」と。

 しかしそれが幻想であることは、やがてわかる。わかる人には、わかる。親といっても、ただ
の「人」。ただの人であることが悪いというのではない。そういう前提で見ないと、結局は、あな
たも、またあなたの親も、苦しむということ。

 反対に、親を必要以上に美化する人は、今でも、多い。マザーコンプレックス、ファーザーコ
ンプレックスをもっている人ほど、そうだ。それこそ、森進一の『♪おふくろさん』を聞きながら、
毎晩のように涙を流している。

 つまりこのタイプの人は、自分のコンプレックスを隠すために、親を美化する。「私が親を慕う
のは、それだけ、私の親がすばらしいからだ」と。

●権威主義

 もともと日本人は、親意識が強い民族である。「親は絶対」という考え方をする。封建時代か
らの家(先祖)意識や、それにまつわる権威主義が、それを支えてきた。たとえば江戸時代に
は、親から縁を切られたら、そのまま無宿者となり、まともに生きていくことすら、できなかっ
た。

 D氏(五四歳)は、近所では、親思いの、孝行息子として知られている。結婚して、もう三〇年
近くになるが、今でも、給料は、全額、母親に渡している。妻もいて、長女もすでに結婚したが、
今でも、そうしている。はたから見れば、おかしな家族だが、D氏自身は、そうは思っていない。
「親を粗末にするヤツは、地獄へ落ちる」を口グセにしている。

 D氏の妻は、静かで、従順な人だった。しかしそれは、D氏を受け入れたからではない。あき
らめたからでもない。最近になって、妻は、こう言ってD氏に反発を強めている。「私は結婚した
ときから、家政婦以下だった。私の人生は何だったの。私の人生を返して!」と。

 自分自身が、マザーコンプレックスにせよ、ファーザーコンプレックスにせよ、コンプレックス
をもつのは、その人の勝手。しかしそれを妻や子どもに、押しつけてはいけない。

 D氏について言えば、「親は絶対!」と思うのは、D氏の勝手。しかしだからといって、自分の
妻や子どもに向って、「自分を絶対と思え」「敬(うやま)え」と言うのは、まちがっている。が、D
氏には、それがわからない。

●親を見抜く

 まず、親を見抜く。一人の人間として、見る。しかしほとんどの人は、この段階で、「親だから
……」という幻想に、振りまわされる。とくにマザーコンプレックス、ファーザーコンプレックスの
強い人ほど、そうである。

 かりに疑問をもつことはあっても、それを自ら、否定してしまう。中には、他人が、自分の親を
批判することすら、許さない人がいる。

 U氏(五七歳)がそうである。

 U氏の父親は、数年前に死んだが、その父親は、金の亡者のような人だった。人をだまし
て、小銭を稼ぐようなことは朝飯前。その父親について、別の男性が、「あんたの親父(おやじ)
さんには、ずいぶんとひどい目にあいましたよ」と、こぼしたときのこと。U氏は、猛然とその男
性にかみついた。それだけではない。「あれは、全部、私がしたことだ。私の責任だ。親父の悪
口を言うヤツは、許さん」と。そのとき、そう言いながら、その男性の胸を手でつかんだという。

 U氏のような人にしてみれば、そういうふうに、父親をかばうことが、生きる哲学のようにもな
っている。私にも、ある日、こう言ったことがある。

 「子どもというのは、親から言葉を習うものです。あなただって、親から言葉を習ったでしょう。
その親を粗末にするということは、人間として、許されないことです」と。

 「親を見抜く」ということは、何も「粗末にする」ことではない。親を大切にしなくてもよいというこ
とでもない。見抜くということは、一人の人間として、親を、客観的に見ることをいう。つまりそう
することで、結局は、今度は、親である自分を知ることができる。あなたの子どもに対して、自
分がどういう親であるかを、知ることができる。
 
●きびしい親の世界

親であることに、決して甘えてはいけない。つまり、親であることは、それ自体、きびしいことで
ある。

マザーコンプレックスや、ファーザーコンプレックスが悪いというのではない。えてして、そういう
コンプレックスをもっている人は、その反射的作用として、自分の子どもに対して、同じように考
えることを求める。

 そのとき、あなたの子どもが、あなたと同じように、マザーコンプレックスや、ファーザーコンプ
レックスをもてば、よい。たがいにベタベタな関係になりながら、それなりにうまくいく。

 しかしいつも、そう、うまくいくとは、かぎらない。親を絶対化するということは、同時に親を権
威化することを意味する。そして自分自身をまた、親として、権威づけする。「私は、親だ。お前
は、子どもだ」と。

 この権威が、親子関係を破壊する。見た目の関係はともかくも、たがいの心は、離れる。

●親は親で、前向きに

 親は親で、前向きに生きていく。親が子どものために犠牲になるのも、また子どもが親のた
めに犠牲になるのも、美徳でも何でもない。親は、子どもを育てる。そしていつか、親は、子ど
もの世話になる。それは避けられない事実だが、そのときどきにおいて、それぞれは、前向き
に生きる。

 前向きに生きるというのは、たがいに、たがいを相手にせず、自分のすべきことをすることを
いう。かつてあのバートランド・ラッセルは、こう言った。「親は、必要なことはする。しかしその
限度をわきまえろ」と。

 つまり親は、子どもを育てながら、必要なことはする。しかしその限度を超えてはならない、
と。このことを、反対に言うと、「子どもは、子どもで、その限度の中で、懸命に生きろ」というこ
とになる。また、そうすることが、結局は、親の負担を軽減することにもなる。

 今、親の呪縛に苦しんでいる子どもは、多い。あまりにも、多い。近くに住むBさん(四三歳、
女性)は、嫁の立場でありながら、夫の両親のめんどうから、義理の弟の子どものめんどうま
で、押しつけられている。義理の弟夫婦は、今、離婚訴訟の最中にある。

 Bさんの話を聞いていると、夫も、そして夫の家族も、「嫁なら、そういうことをするのは、当
然」と考えているようなフシがある。Bさんは、こう言う。

 「(義理の)父は、長い間、肝臓をわずらい、週に二回は、病院通いをしています。その送り迎
えは、すべて、私の仕事です。(義理の)母も、このところ、さらにボケがひどくなり、毎日、怒鳴
ったり、怒ったりばかりしています。

 そこへ、(義理の)兄の子どもです。今、小学三年生ですが、多動性のある子どもで、一時間
もつきあっていると、こちらの頭がヘンになるほどです」と。

 こうしたベタベタの関係をつくりあげる背景に、つまりは、冒頭にあげた、「幻想」がある。家
族は、その幻想で、Bさんを縛り、Bさんもまた、その幻想にしばられて苦しむ。しかしこういう
形が、本当に「家族」と言えるのだろうか。またあるべき「家族」の姿と言えるのだろうか。

●日本の問題

 日本は、今、大きな過渡期を迎えつつある。旧来型の「家」意識から、個人型の「家族」意識
への変革期にあるとみてよい。家があっての家族ではなく、家族あっての家という考え方に、変
りつつある。

 しかし社会制度は、不備のまま。意識改革も遅れている。そのため、今、無数の家々で、無
数の問題も、起きている。悲鳴にも近い叫び声が聞こえている。

 では、私たちは、どうしたらよいのか。またどうあったらよいのか。

 私たちの親については、しかたないとしても、私たち自身が変ることによって、つぎの子ども
たちの世代から、この日本を変えていかねばならない。その第一歩として、私たちがもっている
幻想を捨てる。

 親子といえども、そこは純然たる人間関係。一対一の人間関係。一人の人間と、一人の人間
の関係で、成りたつ。「親だから……」と、親意識をふりかざすことも、「子どもだから……」と、
子どもをしばることも、これからは、やめにする。

 一方、「親だから……」「子どもだから……」と、子どもに甘えることも、心して、最小限にす
る。ある母親は、息子から、土地の権利書をだましとり、それを転売してしまった。息子がその
ことで、母親を責めると、母親は、平然とこう言ったという。「親が、先祖を守るため、息子の財
産を使って、何が悪い!」と。

 こういうケースは、極端な例かもしれないが、「甘え」も、行き着くところまで行くと、親でも、こ
ういうものの考え方をするようになる。

 もちろん子どもは子どもで、その重圧感で悩む。その息子氏とは、この数年会っていないの
で、事情がわからないが、最後にその息子氏は、私にこう言った。「それでも親ですから……」
と。息子氏の苦悩は、想像以上に大きい。

 さてあなたは、その幻想をもっていないか。その幻想で苦しんでいないか。あるいは、その幻
想で、あなたの子どもを苦しめていないか。一度、あなたの心の中を、のぞいてみるとよい。
(031227)

【追記】

 正月が近づくと、幼児でも、「お正月には、実家へ帰る」とか言う子どもがいる。しかし「実家」
とは何か? もし祖父母がいるところが、実家なら、両親のいるところは、「仮の家」ということ
になる。

 家族に、実家も、仮の家もない。こうした、封建時代の遺物のような言い方は、もうやめよう。

 農村地域へ行くと、「本家(屋)」「新家(屋)」という言い方も残っている。二〇年近くも前のこと
だが、こんなことを言った母親がいた。「うちは、あのあたりでも、本家だから、息子には、それ
なりの大学に入ってもらわねば、世間体が悪いのです」と。

 日本人の意識を「車」にたとえるなら、こうした部品の一つずつを変えていけないと、車の質
は変わらない。

【3】心に触れる(Touch your Heart)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞691

●欲望VSコントロール

 こんな男性(四五歳)がいた。子どものころから親の異常なまでの過干渉で、性格が萎縮して
いた。そのため、どこかふつうではなかった。

 その男性の特徴は、自分の欲望をコントロールできなかったこと。正月用に買い置きしてお
いた料理でも、食べてしまったり、生活費でも、パチンコ代に使ってしまったりした。そこで七〇
歳近い母親が、それを叱ると、「ちょっと食べてみたかっただけ」「ちょっと遊んでみたかっただ
け」と、弁解したという。

 この話を聞いたとき、私は、子どもにも、似たような子どもがいることを知った。その年齢であ
るにもかかわらず、とんでもないことをする子どもは、多い。先生のコップに殺虫剤を入れた子
ども(中学男子)や、無免許で、母親の車を乗りまわした子ども(高校男子)などがいた。そして
つぎのような結論を得た。

 「おとなになるということは、自分の欲望をコントロールすることだ」と。

 してよいことと、悪いことを冷静に判断して、その判断にしたがって行動することができる人
を、おとなという。またそれができない人を、子どもという、と。そしてこの部分に焦点をあてて
子どもを観察すると、人格の完成度がわかる、と。

 たとえば先日も、やや太った女の子に向かって、「お前、デブだな」と言っていた男の子(小
二)がいた。すかさず私はその男の子をたしなめたが、その子どものばあい、言ってよいことと
悪いことの判断が、つかなかったようだ。

 小学二年生ともなれば、もうそのあたりの判断力があっても、おかしくない。が、それがないと
いうことは、人格の完成度が遅れているということになる。

 こうした完成度は、年齢とは関係ないようだ。六〇歳とか七〇歳とかになっても、遅れている
人は、遅れている。つい先日も、こんな事件があった。

 ある知人(六四歳)から電話がかかってきて、こう言った。

 「うちの家内から、林君から、おかしな電話がかかってきたというが、何の用だった?」と。

 いろいろな事情があって、私はその電話のとき、彼の奥さんに、遠まわしな言い方をした。そ
れは事実だが、その電話を、「おかしな電話だ」と。たとえそうであっても、そういうことは、スケ
ズケとは言わない。「おかしな電話とは何だ!」と、思わず言いそうになったが、やめた。そうい
う人は、相手にしないほうがよい。

 もっとも、人間は、四五歳前後を境にして、脳の活動も、そしてそれを支える気力も、急速に
衰えてくる。それまでは、何かと人格者ぶっていた人も、それがメッキであったりすると、はげ始
める。そこに、老人特有のボケが加わると、さらに、はげ始める。

 ここでこわいのは、このとき、その人の人格の「核」が、モロに外に出てきてしまうこと。つま
り、「地(じ)が出る」。

 考えてみれば、人格者ぶることは、簡単なこと。多少の演技力があれば、だれにだってでき
る。さももの知りのような顔をして、だまっていればよい。しかし演技は演技。長つづきしない。
人格の「核」というのは、そういうもの。一朝一夕にはできない。と、同時に、実は、かなり早い
時期にできる。

 青年期か? ノー。もっと早い。少年、少女期か? ノー。もっと早い。私の印象では、その方
向性は、年長児のころに決まるのではないかと思っている。この時期の子どもを、少していね
いに見れば、そののち、人格者になるかどうか、だいたい、わかる。

 欲望の誘惑に強い子どもがいる。欲望の誘惑に弱い子どももいる。たとえば幼児でも、ある
一定のお金をもたせると、それをすぐ使ってしまう子どももいれば、そうでない子どももいる。中
には、「貯金して、お料理の道具を買う」と言う子どももいる。「その道具で、お母さんに料理を
作ってあげる」などと言う。

 こうした方向性は、すでに幼児期に、決まる。そしてそれが、ここでいう人格の「核」となってい
く。

 そこであなた自身の問題。あなたは、自分の欲望を、しっかりとコントロールできるだろうか。
もしそうなら、それでよし。しかしそうでないなら、あなたは、真剣に自分の老後を心配したらよ
い。私も実は、中身はボロボロ。欲望には、弱い。誘惑にも、弱い。今は、懸命にそういう自分
と戦い、それを隠しているが、やがて外に出てくる。

 冒頭にあげた男性の話を聞いたとき、「私のことではないか」と、思った。さあ、どうしよう?
(031226)

     ミ ( ⌒⌒ ) 彡
      ∞((((( )∞
      │6 6 b
      (" 。 "人
     ヽ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄ヽ
     ○  ヽ ABC ○        このマガジンが、お役に立てそうな
   ̄ ̄ ̄ヽ  ヽ    ヽ ̄ ̄ ̄     方が、いらっしゃいませんか?
       ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ̄ ̄         よろしくお伝えください!
【4】フォーラム∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●正直に生きる(PARTU)

 教育者というより、教育評論家として生きるのも、結構、疲れる。だいたいにおいて、お金に
ならない。ときどき、何のために、こんなことをしているのか、わからなくなる。

 その私が、なぜ、毎日、原稿を書いているかといえば、その先に何があるか知りたいから。
それはあえて言うなら、冒険のようなもの。荒野を、背丈よりも高いアシをかき分けながら進む
……。

 人のため、という意識は、あまり、ない。私は、そんな高徳な、博愛主義者ではない。ただ
の、平凡な、どうしようもない風来坊。みなさんや、みなさんの夫と、どこもちがわない。どこが
ちがうかと聞かれても、困る。人に誇れるような経験も、人一倍の苦労も、したわけでもない。
まったく、ふつうの人間。

 人格はボロボロ。精神もボロボロ。五〇年以上生きてきたが、地位も肩書きも、ない。受けた
賞も、あるにはあるが、どれもクズのようなもの。履歴に書くのも、はばかれる。

 私は、自分に正直に生きたい。あるがままの自分で、生きたい。飾ったり、気取ったり、虚栄
を張ったりしないで、私らしく、生きたい。何でもないようなことだが、どうしてそれが、私には、
できないのか。

 バカヤローと叫びたい。
 コンチクショーと叫びたい。
 クソッタレーと叫びたい。

 が、人前に出ると、私が私でなくなってしまう。

 ときどき、他人の目に映る私は、どんな私かと思う。どうでもよいことだが、気になるときがあ
る。多分、無味無臭の、クソまじめな男に見えることだろう。つまらない男に見えることだろう。

 背は低いし、足は短い。それに今では、子どもたちには、ジジイと呼ばれている。だからとき
どき、こう思う。

 もうまじめに生きるのは、やめよう、と。そう、もうやめよう。年末に、何人かの友だちに手紙
を書いていて、ふと、そう思った。もともとの私は、もっとチャランポランで、無責任で、いいかげ
ん。

 その私が、毎日、時間どおりに仕事にでかけ、時間どおりに、仕事から帰ってくる。途中寄る
のは、本屋、パソコンショップ、それにコンビニ。小遣いにしても、毎日、ワイフから渡される、
数千円だけ。

 人生って、こんなもの? これでよいの? これで終わるの? そんな思いが、いつも心をふ
さぐ。

 正直、言おう。よい女性がいて、OKしてくれるなら、浮気だって、したい。好意を寄せている
女性は、何人かいるが、そういう女性ほど、私には、見向きもしてくれない。

そう、私のひそかな趣味は、銀行強盗の計画。毎晩、寝るときには、いつも、それを考えてい
る。その銀行強盗も、いつか、実行してみたい。ワイフは、ときどき、シナリオを、アメリカのハ
リウッド映画会社に売ったらと、言う。バカめ。私が二〇年かけて考えたシナリオを、そう簡単
に人に渡して、たまるか!

 あとは、今の仕事を全部やめて、オーストラリアへ行くこと。海の見える、アポロベイ(ビクトリ
ア州南端の避暑地)で、のんびりと、暮らしたい。

 その私が、何の利益もない原稿を、毎日、こうして書いている。いくら私がほえても、世間は、
社会は、国は、ビクともしない。ときどき……というより、しょっちゅう、自分のしていることが、
虚しくなる。「一〇〇〇号まで書く」と、心に決めているが、だから、それがどうなのか?

 〇四年の最大のテーマ。私は、正直に生きる。まじめに生きるのが疲れた。ありのままに、
自分に正直に、自分をさらけ出して生きていく。少なくとも、いやなことは、はっきりと、「い
や!」と言う。他人の機嫌をとったり、心にもない、おじょうずを言うのは、やめた。したいこと
を、する。そういう生き方をしたい。
(031227)

【追記】

 私は子どものころから、愛想のよい子どもだった。それには、悲しい乳幼児期があった。私
は、そうすることで、自分にとって居心地のよい世界をつくってきた。

 イヌで言えば、捨てイヌ。だれにでもシッポを振る、捨てイヌ。しかし心を開くことを知らなかっ
た。……開けなかった。

 私の子ども時代を知る人はみな、「浩ちゃんは、明るくて、ほがらかな子だった」という。しかし
私は、幸福だったから、そうしていたのではない。いつも何か、大きな不安に包まれていた。そ
の不安を隠すために、自分をごまかして生きていた。

 今でも、そういう傾向は残っている。そして努力して、そういう自分と戦っている。しかし、それ
は簡単なことではない。自分の体に、「質」としてしみついた自分を変えるのは、容易なことでは
ない。

 私は、今、自分をさらけ出すことに全力をあげている。講演会でも、自分のすべてをさらけ出
している。こうして自分を、一度、さらけ出すことによって、私は、自分を取り戻そうとしている。
マガジンを発行しているのも、そのためかもしれない。

 そういう自分を振りかえってみて、この方法は、よかったと思う。おぼろげながらだが、自分
の輪郭(りんかく)が、見えてきた。

 F市のMさん、ありがとう! お元気ですか?

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


作られる常識

●足りなくなった、年賀状

 年賀状を書いた。今年は、枚数をケチったため、印刷している間に、枚数が、足りなくなって
しまった。

 そのときのこと。

 ワイフが、「コンビニへ行けば、(年賀状を)売っているわ」と。

 しかし、だ。年賀状は、どうして年賀状でなければ、いけないのか。ふつうのハガキでも、かま
わないハズ。あるいは、パソコンショップで売っている、ハガキサイズの用紙でも、かまわない
ハズ。

 ワイフも、私も、郵便局で売っている、あの年賀状にこだわっている。問題は、こだわってい
ることではなく、なぜ、こだわるか、ということ。私は、このことを、子どもたちの会話を聞いてい
て、知った。

●小六の子どもたちの会話

 教室から帰るとき、子どもたちが、たがいの住所を聞きあっていた(一二月)。年賀状を出す
ためだそうだ。

A「あんたの住所は、○○町ね?」
B「そうよ。でも、今年は、うちは、出せないの」
A「どうして?」
B「おばあちゃんが、死んだから……」

A「おばあちゃんって? あんたの家、おばあちゃん、いたの?」
B「ううん、埼玉のおばあちゃんが、死んだの」
A「どうして、おばあちゃんが、死んだら、年賀状を出せないの?」
B「親族だから……」

A「シンゾクって、何?」
B「親族って、親しい人のこと」
A「おばあちゃんは、親族なの?」
B「そうみたい……」と。

 記憶にはないが、私も、子どものころ、そうした会話を、どこかでしたはず。そして、そういう会
話を繰りかえしながら、今、私がもっている「常識?」が、作られていったにちがいない。

★正月には、年賀状を出すという常識。
★年賀状は、郵便局で売っている年賀状で出すという常識。
★年賀状の、こまかな作法、常識。たとえば、干支(えと)を大切にする。喪中の人は出さな
い。もらわない。元旦に届くのが、よい。……などなど。

しかし一つ一つ考えると、これらの常識すべてが、作られた常識であることがわかる。たとえば
私が子どものころは、年末といえば、学校では年賀状づくりが、恒例になっていた。今から思う
と、郵政省と文部省が、一体なって、そういう指導をしたのではないかと思う。もちろん、郵政省
の収入をふやすためである。

●もっと自由に考えよう

 私たちは、もっと、自由に考えてよいのではないか。たとえば年賀状にこだわる必要はない。
封書でも、何でもよい。また年賀状は、年賀状でという考え方も、古い。喪中だから、出さない
というのも、合理的ではない。どうして喪中の人は、新年を祝ってはだめなのか。

 出したければ出す。出したくなければ、出さない。喪中といっても、中には、うるさいジイ様が
死んで、喜んでいる人だっているはず(失礼!)。遺産か何かが、どっさりと入って、喜んでいる
人もいるはず(失礼!)。そういう人がしおらしい顔をして、「年始のごあいさつを、遠慮させてい
ただきます」などとは?

 そこでワイフにこう言った。

私「用紙なら、パソコンで使う用紙がある。あれを使えばいい」
ワ「でも、あれは、年賀状ではないでしょ」
私「そういう常識を、破るのだ!」
ワ「破るって?」
私「どうでもいいって、こと」と。

 考えてみれば、日本人ほど、「形」にこだわる民族は、そうはいない。「みなと同じことをしてい
れば、安心」という、集団意識による。しかしそういう「形」が決まれば決まるほど、生活は、一
見便利になるが、他方で、窮屈(きゅうくつ)になる。

 自由になるということは、身近なところから、そういう常識を、一つずつ、見なおしていくこと。
とくに冠婚葬祭には、この種の常識が多い。私たちはもっと自由に、おかしいものは、おかしい
と言う。そういう小さな勇気が、この日本を変えていく。

【宣言】

 私は、これから先、自分がもっている常識を、もっと疑ってみる。その第一歩が、年賀状。ほ
かにもいろいろあるが、それについては、これからの課題としたい。
(031226)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

エリート意識

 先日、何かの出版記念パーティに招待されたときのこと。一人の男性(六〇歳くらい)が、こう
言って、祝辞を述べた。

 「私は、努力して、ここまでの人物になりましたが、ここにおられる○○先生は、実力で、ここ
までの人物になられた方です」と。

 自分のことを、「ここまでの人物」と言う人は、少ない。急いで、その男性の経歴を、隣の席の
人に聞くと、その人は、「あの人は、AA商科大学卒、元BB都市銀行部長」と教えてくれた。

 エリート意識には、二種類ある。他人を見くだすためのエリート意識。これを悪玉エリート意識
という。

 もう一つは、自分の責任を自覚するためのエリート意識。これを善玉エリート意識という。

 エリート意識といっても、どちらのエリート意識かは、そのつど、判断しなければならない。概
して言えば、学歴や経歴にぶらさがるのは、悪玉エリート意識ということになる。このタイプの人
は、他人を、肩書きや地位だけで判断しやすい。無意識のうちにも、人間を上下関係で判断す
る。

 自分より立場が上の人に向っては、必要以上にペコペコし、そうでない人には、必要以上
に、威張ってみせる。旧来型の出世主義にこりかたまった人ほど、そうである。

 もちろん善玉エリート意識は、問題ない。生きる誇りも、そこから生まれる。自尊心も、そこか
ら生まれる。問題は、どうやって悪玉エリート意識と戦い、善玉エリート意識を育てるか、であ
る。

 たとえば、たいへんおかしなことだが、このH市では、その出身高校で、人を判断するという。
もう、何度か、そういう話を聞いたことがある。

 私はもともと「よそ者」だから、そういう意識はない。それにあまり理解できない。それを話して
くれた人に、「バカげていますね」と言うと、その人は、こう言った。「それは、このH市を知らな
い人の言うことです」と。

 そのせいかどうかは知らないが、たしかに、このH市では、S高校出身の人は、いばってい
る。数年前だが、そのS高校の、ある部活の年次総会に、父母の一人として、出たときのこと。
壇上に、OBたちがズラリと並んでいたのには、驚いた。そしてあいさつのとき、「○○年度卒
業生OB」「△△年度卒業生OB」と、自分を紹介していた。

 私はその光景を見ながら、それは悪玉エリート意識のなせるワザなのか、それとも善玉エリ
ート意識のなせるワザなのかと、考えてしまった。

 もしこれらの卒業生が、そのS高校ではなく、B高校、あるいはC高校の卒業生だったら、こう
した年次総会に顔を出すだろうか、と。多分、そういう人ほど、顔を出さないのでは? 私は、
そのC高校レベルの年次総会にも顔を出したことがあるが、そういう学校では、OBは、ほとん
ど出てこない。

 ……となると、やはり、悪玉エリート意識ということになる。こういう人たちは、他人を見くだす
ために、過去の学歴にしがみついている? そう、言い切るのは失礼なことかもしれないが、
私は、そう感じた。たかが高校の部活ではないか。いくら伝統ある高校といっても、そこは子ど
もの世界。大のおとなが、顔を出すような場所ではない。

 私なら、頼まれても、顔を出さない。もっとも、私の出身高校は、私がいたころとはちがい、今
は「ボトム校」(同窓会生談)になってしまったという。大学進学率も落ちるところまで、落ちてし
まった。その進学率の高さで、その学校が評価されるというしくみも、おかしいが、人間まで評
価されたら、たまらない。

 こうして考えてみると、日本はまだ、あの封建時代や、明治から昭和にいたる、過去の亡霊
をしっかりと、受けついでいるのがわかる。出世主義、権威主義、立派な社会人思想。そして
それを支える学歴社会、受験戦争、学校神話などなど。学校に序列があるのも、そうだ。悪玉
エリート意識は、そういう流れの中から生まれた。

【悪玉エリート意識】

 「自分はすぐれた人間」と思うのは、その人の勝手だが、それを他人に押しつける。あるい
は、さらにそれが進むと、「他人は自分を尊敬しているはず」という、前提で、ものを考えてしま
う。

 ここにも書いたように、このタイプの人は、無意識のうちにも、相手を地位や肩書きをみて、
判断する。さらにこうした体質が、二〇年、三〇年とかけて体質として、しみこんでくると、それ
自体が、生きる哲学にもなってしまう。定年退職をしてからも、自分のことを、「ここまでの人
物」と言うようになる。

 少なくなったとはいえ、古い世代を中心に、日本には、まだこのタイプの人は多い。
(031228)
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況】

●スーパーで……

 スーパーの、天ぷら売り場の前で、一人の老人(男性、七〇歳くらい)が、軽く咳きこんだあ
と、ゲー・ペッと、痰を吐いた。見ると、小さなティッシュペーパーで、それを受け止め、その紙
を、手のひらで小さく丸めて、床のすみに投げるところだった。

 何とも不愉快な光景だった。とたんワイフも私も食欲をなくし、その場を離れた。離れながら、
ワイフにこう言った。

 「老人になると、ああいうことが平気でできるようになるのかね?」と。

 その人の人間性というのは、長い年月を経て、熟成される。若いときは、そのときどきで自分
をごまかすこともできる。が、年をとると、その気力も、弱くなる。弱くなって、その人の人間性
が、そのまま表面に出てくるようになる。

 老人は、嫌われるのではない。嫌われるようなことをするから、嫌われる。言いかえると、老
人は、好かれることを考える必要はない。嫌われないことだけを考えればよい。と言っても、そ
の人間性は、老人になればなるほど、体のシンから、にじみ出てくる。

 恐らくその老人は、若いころから、痰を平気で道路などに吐いていたのだろう。そういう人は
多い。しかしスーパーの中の、その天ぷら売り場の前で、痰を吐く人は少ない。その老人も、若
いころなら、そういうところで痰を吐くのは、遠慮していたかもしれない。しかし年をとって、その
歯止めがきかなくなった?

 その人の人間性は、一朝一夕にできるものではない。まさに日々の積み重ねが月となり、
月々の積み重ねが、年となり、その人の人格となる。

 むずかしいことではない。小さなことでよい。人に迷惑をかけないとか、ウソをつかないとか。
約束や時間を守るとか。そういう日々の行いが、積み重なって、その人の人格となる。

私「ああいう人を見ると、日本人の文化も、まだまだだと思う」
ワ「低いわね……」
私「自然なマナーとして、そういうところでは、そういうことはしないという文化が、育つまでに
は、まだ何十年もかかるだろうね」
ワ「そうね」と。

 私は、その老人が紙を捨てるシーンで、思わず目をそむけた。だからその紙がどうなったか
知らない。そのあと、その老人が、どうしたかもしらない。何とも言えない、不快感だけが残っ
た。

 「ぼくたちも、もうすぐ老人になるけど、ああいうことだけはしたくないね」とワイフに言うと、ワ
イフも、「そうね」と言った。


●Bというタレント

人気タレントに、Bという人がいる。日本では、もっともよく知られたタレントの一人である。しか
し、ああいう人に、マユをひそめる人も、多いはず。実は、私も、その一人。

 少し前も、「もっとも望ましい上司のタイプ」として、そのB氏が選ばれていた。どこかの雑誌社
が主催した、人気投票の結果である。しかし、こうした人気投票は、基本的な部分で、おかし
い。

 たとえばここに二人の人物がいる。

 X氏は、全国放送によく出てくるタレント。X氏を知る人は、一〇〇万人いる。
 Y氏は、マスコミにはほとんど、顔を出さない。Y氏を知る人は、一〇万人程度。

 そこで人気投票をしたとする。仮に八割の人が、「X氏はおかしい」と思ったとしても、X氏は、
二〇万票を獲得することになる。一方、八割の人が、「Y氏はすばらしい」と思ったとしても、Y
氏は、八万票しか獲得できない。その結果、当然、X氏が一位になる。

 この日本では、何かにつけて、知名度が優先する。しかもその知名度は、中央(東京)で、い
かに頻繁(ひんぱん)に、テレビに出ているかで決まる。B氏なども、その一人。私とほぼ同年
代だが、その同年代の人間としてみたとき、私は「?」と思うことはあっても、すばらしい人と思
ったことは、一度もない。

 そういうB氏が、東京都や日本を代表する文化人となっている。そのことについて、よく考えて
みると、その責任は、もちろんB氏にない。その責任は、そのB氏を取りまく、フジツボ産業に
ある。

 マスコミの世界には、有名人にとりついて、それを金儲(もう)けにつなげていく産業が、無数
にある。ペタペタと張りつくところから、私は「フジツボ産業」と呼んでいる。こういう産業が、そう
いう有名人をさらに祭りあげる。相互に祭りあげる。そしてその相乗効果で、その有名人は、さ
らに有名になっていく。

 高い文化性など、あればかえって邪魔。俗悪な論理だけが、優先される。そしてその結果、
見るからに俗悪な人が、ときに、文化人ということになってしまう。B氏が、その一人とは言わな
いが、みなさんも、一度、冷静な目で考えてみてほしい。「本当に、ああいう人が、日本を代表
する文化人なのか?」と。

 もっともこの日本では、Y氏のような、見るからに低劣な人が、O府の知事になったりする。そ
してそのY氏が、ハレンチな事件を起こして、政界から消えたとしても、だれも責任をとらない。
だれも恥じない。またそういう失敗から、だれも、何も学ばない。

 たしかに日本は豊かになった。不況、不況といいながらも、世界的にみれば、まだ最高水準
の生活レベルを維持している。しかしその日本。「だから、どうなの?」という部分を、置き去り
にしたまま、お金だけは、手に入れた。

 おいしいものを食べられるようになった。……だから、どうなの?
 すばらしい車に乗ることができるようになった。……だから、どうなの?
 快適な生活ができるようになった。……だから、どうなの、と。

 そういう部分を考えることなしに、今に至った。そしてその結果、なぜ生きているか、その説明
のないまま、ただその場さえ楽しければよいという生きザマが、日本人の生きザマになってしま
った。Bというタレントは、そういう流れの中で生まれた?

 私は、日本という国は、すばらしい国だと思って生きてきた。今も、その気持はあるにはあ
る。が、しかしその一方で、「ひょっとしたら、そうではないのかもしれない」という疑問ももってい
る。とくに、最近、疑問をもつようになったのは、いわゆる東京文化である。

 政治や経済の中心は、たしかに東京にある。しかし文化は、どうか? 日本では、東京文化
イコール、日本文化ということになっている。しかし政治や経済は別として、東京から流れてくる
文化には、俗悪なものが多い。むしろ、地方のほうが、東京より、文化レベルが高いのでは?
 これはあくまでも余談だが、ふと、今、そう考えた。


●強情な子ども 

 強情な子どもというは、いる。机の上のものを、不注意で落としても、決して、「ごめん」とは言
わない。「先生が、こんなところに置いておくから悪いのよ」「私は、わざと落としたのではない
から、あやまる必要はない」「あやまっても、どうせ許してくれないんでしょ」などと言って、反論
する。

私「あのね、落としたのは、あなただから、あやまりなさい」
子「どうして、あやまらなければならないの? こんなことで!」
私「こんなことだと思うなら、すなおにあやまればいいじゃない?」
子「先生だって、この前、落としたじゃ、ない」

私「いつ?」
子「私、ちゃんと見てたから……」
私「だから、いつ、ぼくがそんなことをした?」
子「忘れたわ。でも、ちゃんと覚えている」

私「でも、今、落としたのは、君なんだから……」
子「じゃあ、あやまればいいのね」
私「そうだ。あやまればいい」
子「うるさいわね。……ごめん」と。

 実際、こういう子どもにからまれると、こちらまで気がヘンになる。しかもタチの悪いことに、本
人には、その自覚がまったくない。むしろ自分では、そうしてがんばることが、正しいことだと思
いこんでいる。

 最初に、「ごめんなさい」と言えば、それですむことを、このタイプの子どもは、最後の最後ま
で、がんばる。その途中で、ささいな言いちがいをとらえて、それを問題にすることもある。

私「君は、自分では悪いと思っていないのか?」
子「いつ、私が、そんなことを言ったの」
私「でも、同じことだろ?」
子「言ってもいないことで、私を責めないでよ」

私「『あやまればいいのね』というのは、そういう意味だ」
子「言ってもしないことで、私を責めないで」
私「まあ、そうは言っていないけど、ぼくには、そう聞こえた」
子「何でも、私が悪いということになるのね」と。

 原因はいろいろある。全体としてみると、貧弱な家庭環境が背景にあるとみてよい。何らか
の大きな欲求不満が、慢性化して、子どもの心をゆがめたと考える。

 しかしそれ以上に重要なことは、こうした、いわゆるヒネクレ症状は、ほぼ一生の間、つづくと
いうこと。おとなになってから、なおるということは、まずない。その前に、おとなになってから
も、自分がそういう症状をもっていることに気づく人は、まずいない。自分では、「ふつうだ」と思
っている。脳のCPU(中央演算装置)が、変調しているからである。

 そこであなたの子どもは、どうだろうか。あなた自身は、どうだろうか。何か失敗したとき、す
かさず、すなおな気持で、「ごめん」と、言うだろうか。……言えるだろうか。もしそうならそれで
よし。しかしここに書いたように、強情をはるようであれば、一度、その子どもの育った家庭環
境や、あなた自身の子どものころの家庭環境を、静かに思い出してみたらよい。自分を発見す
る、何かの手がかりになるかもしれない。
(031230)

Hiroshi Hayashi, Japan∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
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