はやし浩司(ひろし)

2004・4
はやし浩司
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2004年 4月号
 はやし浩司


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 30日(No.403)
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(1)子育てポイント**************************409

●左脳教育と右脳教育

 左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。

たとえば右脳を訓練すれば、記憶力が鋭くなる(直観像化)。漢字や英単語を、見ただけ
で暗記できるようになる(フォトコピー化)。あるいは二〇〜三〇個のものを、瞬時に数
えることができるようになる(高速処理化)という。

こうした事例は、現場でもしばしば経験する。たとえば暗算な得意な子どもがいる。頭
の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろばんを使って、瞬時に高度な計算をして
しまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。

読むというよりは、文字の上をななめに目を走らせるだけ。それだけで本の内容を理解
してしまう。しかし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、「神童」という
のは認めない。

もう少しわかりやすい例で言えば、数百種類の動物の、その一部を見ただけで名前を言
い当てたとしても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。

たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうで
ないこだわりを見せることが知られている。全国の電車の発車時刻を暗記したり、音楽
の最初の一小節を聞いただけで、その音楽の題名を言い当てたりする。

つまりこうしたこだわりが強ければ強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が潜んで
いるとみる。

たとえば右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を出し、そうした
成果の陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一
方で、変人というイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並
はずれた人物にしたと考えられなくもない。

言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あ
るべき人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら
(論理)、他人の心を静かに思いやること(分析)ができる子どものほうが、望ましい子
どもということになる。その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。

 右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。
しかしだからといって、それを脳のシステムが未発達な幼児に応用するのは、慎重でなけ
ればならない。

脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析を学ぶ。右脳ば
かりを刺激すればどうなるか? 

一つの例として、神戸で起きた「淳君殺害事件」をあげる研究家がいる。あの事件を引
き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画数の多い
難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「(百人一首を一晩で覚えたら五〇〇〇
円やると言ったら)、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともありま
す」(「少年A、この子を生んで」(文藝春秋))と。

少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の
区別がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。

その少年Aについて、「直観像素質者(一瞬見た映像をまるで目の前にあるかのように、
鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(それがこの非行の)一因子を構
成している」という鑑定結果が出されている。

 要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。
子どもに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。

(2)今日の特集  **************************

●突発的な衝動的行為

 この回転ドア事件の子どもの話とは別に、突発的に衝動的な行為に走る子どもが、ここ
10年、20年と、10年単位でふえているように思う。

 ADHD児にかぎらない。どこかゲーム感覚というか、突然、あるとき、突飛もないこ
とをする。

 脳の微細障害説を唱える学者もいる。最近のテレビゲームの影響を唱える学者もいる。
環境ホルモン(内分泌かく乱物質)説を唱える学者もいる。もちろん生来の遺伝子の問題
をとらえる学者もいる。

 以前、こんな原稿を書いた。中日新聞で発表してもらったら、何人かの先生から、電話
をもらった。反響の大きかった原稿である。

++++++++++++++++++++

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ…
…、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、
話がポンポンと飛ぶ。

頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。
動作も一貫性がない。騒々しい。ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思う
と、突然神妙な顔をして、直立! そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲ
ラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。
まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。
小一児で、一〇人に二人はいる。

今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もい
ると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%
が、「一名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科
書を出さない」子どもについては、九〇%以上の先生が、経験している。

ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちをたたく」(六六%)などの友だちへ
の攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(五二%)な
どの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使
う人もいる。

ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。
多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこ
ぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観
の差を感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指
導が難しい」(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)
と続く。

そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「かなり感ず
る」「やや感ずる」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。

家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごく
ふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたり
する。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。

実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的に
テレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけて
も返事もしませんでした」と言った母親もいた。

たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、
ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられな
くなる。

その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静か
に聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いてい
る!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃ
べる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。

ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左
脳である(R・W・スペリー)。テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。

こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与
えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ど
も」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。

++++++++++++++++++++

●予測できない、今の子どもの行動

 いつなんどき、事故が起きるかわからない……。しかもまったく予想外のことで……。

 それが今の、教育現場の現状である。

 突発的な行動。衝動的な行動。突飛もない行動。またそういう行動を繰りかえす子ども
のほうが、仲間でも受けがよい。たいていはリーダー格というより、中心格。ワーワーと
騒ぎながら、ほかの子どもたちを、自分のリズムに引き込んでいく。

 この段階になると、「なぜ事故が起きるか?」という疑問は、あまり重要ではない。「ど
うしたら事故を避けられるか?」が、重要である。もっと正直に言えば、「どうすれば、そ
の責任を回避できるか」が、重要である。

当然のことながら、ひとたび事故が起きれば、その責任は、すべて教師におおいかぶさ
ってくる。

 ある教師(小学校)はこう言った。「帰校するとき、子どもたちどうしが、けんかをしま
した。そのとき、A君がB君に、けがをさせました。そういうけがでも、『学校の責任だ』
と怒鳴りこんでくる親がいます」と。

 この事件にはつづきがある。

 そこでその教師が、「帰校時のことまでは、私は責任は負えない」と言った。常識で考え
れば当然の意見である。その教師は、正直な人だった。しかし母親は、それに納得しなか
った。「学校でのいじめがベースにあって、それが原因で、今回の事件が起きた」と。

 そこで校長をまじえて、三者で、話しあうことになった。……という話をここで書くの
は目的ではない。

 学校での行事はともかくも、今では、生徒を連れて出歩くなどということは、まさに自
殺行為(ほかに適当な言葉がない)としか、言いようがない。以前は、どこのおけいこ塾
でも、夏になると、キャンプに行ったり、登山に行ったりした。しかし、今は、そういう
ことをする塾は、ほとんどない。よほど無頓着な塾は別として、もし事故でも起きたら…
…。それだけで、その塾は、閉鎖に追いこまれてしまう。

 私もこういう仕事をして34年になる。そして最初の10年間ぐらいは、毎年、夏休み
は春休みには、キャンプや、登山、ハイキングなどに子どもたちをつれていった。しかし
そんなとき、埼玉県で学習塾を開いていた仲間のT氏(当時、私と同年齢)が、事故を起
こした。その話を聞いてから、そうした行事は、やめた。

 キャンプをしていたテントに、上から石が落ちてきた。だれかが上から投げたという話
もある。幸い命には別状がなかったが、一人の女生徒が、頭におおけがをして、1か月以
上も入院した。そのとき請求された補償額が、3000万円(当時)!

 T氏は、あちこちからお金を借りて、その3000万円を用意した。が、そのあと、T
氏は、塾をたたんだ。最後に電話で話したとき、T氏はこう言った。

 「林さん、よけいなことはしないほうがいいよ。無料奉仕の野外活動でも、責任を問わ
れるよ」と。

 たしかに最近の子どもたちの行動は、つかみどろこがない。予想が立たない。こうした
質的な変化に加えて、わがまま。ぜいたく。自分勝手。「手のつけようがない」というのは、
少し大げさかもしれないが、それに近い。

 だからその結果として、教育現場の教師たちは、ますます萎縮し始めている。隣のS市
の小学校で校長をしているW氏は、こう言った。

 「総合的な学習を利用して、いろいろなことをしたいのですが、あれこれ考えていくと、
どうしても小さくならざるをえまぜん。

たとえば近くに、結構広い池があるのですが、いかだ遊びはもちろん、模型の船を浮か
ばせて遊びたいと思っても、そんな遊びは、不可能です。学校の外へつれていくことさ
え、できません。事故でも起きたら、それこそたいへんです」と。

 子ども様々(さまさま)となった今、むしろおとなのほうが、子どもに頭をさげるよう
になってしまった。ウソだと思うなら、電車の中を見てみればよい。子どもが席に座って、
親やおとなたちが、通路に立っている!

 何かがおかしい。何かが狂っている。そういう状態のまま、子どもたちだけがどこか、
別の方向へ進み始めている。その結果、教育現場の教師たちは、ますます萎縮し始めてい
る。

 そうそうI町のI小学校の校長も、こう言っていた。

 「今では、生徒の頭をポカリとたたいても、親が、体罰だと怒ってきます。そういう時
代です」と。

 私も子どもが嫌いではない。しかしここ20年近く、こうした野外活動をしていない。


(3)心を考える  **************************

●忘れることの大切さ

 人は、忘れることを、「悪」と考える。しかし本当に、そうか?

 人は、楽しいことは、すぐ忘れる。しかし悲しいことや苦しかったことは、なかなか忘
れない。そのため、時間がたつと、いやな思い出ばかりが、脳を満たすようになる。これ
は人の脳がもつ、欠陥のようなものかもしれない。

 ある夫婦は、(私たち夫婦もそうだが)、夫婦喧嘩をするたびに、10年とか、20年と
か前の話をもちだす。ときには、結婚当初の、30年以上も前の話をもちだす。

 もうとっくの昔に忘れてよいはずなのに、そういう思い出ばかりが、脳の中に残る。

 私は、今、少し、自分の考え方を変えつつある。つまり「忘れる」ということは、むし
ろ大切なことではないか、と。

 話は飛躍するが、頭のボケた老人をみていると、あの人たちは、あの人たちで、あれで
いいのではないかと思うことがある。ボケることで、死の恐怖からのがれることができる。
何も考えないというのは、それ自体、快感でもある。だから「あれでいい」と。

 しかし私は、ボケたくない。だから、それにかわって、「忘れる」という操作が、どうし
ても必要になる。

 今まで、私たちは、「どうすれば忘れないですむか」ということばかり、考えてきた。「忘
れることは、悪だ」と。しかしそういうふうに、決めつけて考えてはいけない。

 いやなことは、忘れる。不愉快なことは、忘れる。……そういう心の操作を、する。そ
して自分の心を、そういったものから解放していく。

 つまり忘れたほうがよいことは、私たちの身のまわりには、山のようにある。それらを
じょうずに忘れていくというのは、この社会でじょうずに生きていくためには、とても重
要なことである。

 今夜、私は、それに気づいた。


●時の積み重ね

 自分の老後を、いかに予想していくか。これはとても重要なことだと思う。

 賢人は、何ごとも前もって用意する。愚人は、その場になってあわてる。

 最近、とくに気になるのは、脳梗塞を起こした人たちである。たいていは体半分の運動
神経がマヒする。

 それなりに不健康そうな人がそうなるというのであれば、まだ話もわかる。しかし見た
ところ、それをのぞいて、まったく健康そうな人を見ると、いろいろ考えさせられる。昨
日も、海辺で見た男性がそうだった。年齢は、60歳くらいだっただろうか。その男性は、
右腕だけをダラリと下へ落したまま、ジョギングをしていた。

 「ああは、なりたくない」と思う。しかし同時に、「明日は、わが身」と思う。私だけが
例外ということは、ありえない。だれにでも、老いは確実にやってくる。そして体のあち
こちが、故障してくる。

 若い人たちから見ると、20年先、30年先は、遠いありえない未来かもしれない。し
かし50歳、60歳の人たちから見ると、20年前、30年前は、つい昨日のような過去
でしかない。

 そういう現実に、いつ気づくかということ。そう、最近、私は、「時」というのは、流れ
るものではなく、積み重ねられるものではないかと思い始めている。「流れる」という感覚
でとらえると、過去、現在、未来という概念が生まれてくる。

 しかし「積み重ねる」という感覚でとらえると、少なくも、過去、未来という概念は、
消える。あるのは、現実。どこまでも現実。過去があるとすれば、それは記憶や記録の中
だけ。未来にしても、その現実の中にある。

 つまり過去は、どこかへ行ってしまったのではない。同じように、未来は、どこからか、
やってくるものではない。過去も、未来も、そこにある。

 さて、そう考えていくと、子ども時代のあなたが、今のあなたの中にあるように、老後
のあなたも、あなたの中にあるということになる。その老後を、今、しっかりと見据えて
いく。それが賢い生き方をする、賢人ということになる。

 たいへん、むずかしいことだが……。

 それにしても、脳梗塞は、恐ろしい病気である。脳細胞そのものを破壊する。もしそう
いうことになれば、過去や未来を知る、「私」自身もなくなってしまうことになる。

 改めて、予防法を考える。


●とんでもない詭弁(きべん)

 どこかの国の、どこかの宗教団体の指導者が、若者たちを集めて、こんなことを言って
いた。若者といっても、10代はじめの子どもたちである。

 「アラーの神のために、殉教せよ。神のために死ぬことを恐れるな。たとえ死んでも、
今とまったく同じ世界が、その向こうで待っている」と。

 その指導者は、要するに自爆テロをする子どもを養成していたようだ。

 しかし考えてみれば、これはとんでもない詭弁である。ウソ。インチキ。でまかせ。

 どうして死後の世界のことが、そこらの指導者にわかるのか。その指導者が、さも自信
ありげに、堂々と話していたのが、気になる。

 それにそんな子どもたちに死を教えるくらいなら、まず、自分が先に死んでみせればよ
い。恐れることはない。あの世は、今の世とまったく同じなのだから……。

 こうした「思いこみ」は、そこらの宗教団体の信者でも、よくする。たとえば「あの世
はある」と説く人がいる。そこで私が、「本当にあるのか。あなた自身は見たことがあるの
か」と言うと、「神がそう言った」とか、「経典にそう書いてある」とか言って、逃げてし
まう。

 私にはそれ以上のことはわからないが、やはり子どもたちには、自分で確かめた以上の
ことは話してはいけない。明らかにファンタジーとわかる話は別として、それ以上の話は、
してはいけない。それは今を生きるものが、つぎの世代に生きる人たちに対する、責任の
ようなものではないか。

 私自身は、あの世を見たこともないし、確認したわけでもないから、子どもたちには、「あ
る」と言ったことは、一度もない。あの世があれば、もうけものだが、それは死んでから
のお楽しみ。今は、「ない」という前提で、生きている。


(4)今を考える  **************************

●藤枝・蓮花寺池

 春うららかな日曜日。ワイフと、藤枝市の蓮花寺(れんげじ)池まで行ってきた。3月
28日。

 浜松駅から藤枝まで、片道、950円(おとな)。駅からはバスに乗って、20分ほど。
藤枝小学校の前を歩いていくと、目の前に蓮花寺池が見えてきた。

 蓮花寺池というから、寺があると思いきや、寺などない。近くに蓮正寺(れんしょうじ)
という寺があるが、その寺とは関係ないとのこと。売店でお菓子を売っていた女性が、そ
う言った。

 私とワイフは、一時間ほどをかけて、その池を一周した。しかし桜はなし、名物の藤の
花もなし。ただのにぎわいだけ。「佐鳴湖※のほうが、よっぽどいいね」「灯台、もと暗し
というのは、このことだ」と言いあいながら、歩いた。

 帰りもバス。よい運動になった。

 が、帰りの電車の中で、こんなハプニングがあった。

 ほとんど満員の電車だった。乗車率150%程度というのか。ほとんど自由に歩けない
ほど、車内は混んでいた。が、シルバーシートを見ると、ボーイスカウトの子どもたちが、
キャーキャーと騒ぎながら、席を陣取っているではないか!

 とたんいつもの、私の正義感。

 指導者らしき、その服装をした女性に、にこやかに、しかしはっきりとわかる言い方で、
こう言った。

 「あのう、あの席は、シルバーシートですよ。指導なさったら、いかがですか?」と。

 しかしその女性は、私の言葉を無視した。明らかに、「いらぬお節介」という表情をして
見せた。年齢は、40歳くらいだっただろうか。スポーツマンらしい、りりしい顔立ちを
していた。

 が、私は、そういう状態になると、絶対に、あとへは引かない。

 再度、にこやかに、さらにはっきりとした言い方で、こう言った。

 「だからね、あの席は、シルバーシートだと、私は申しあげているのです。お年寄りの
人たちも立っていることですから、指導なさってはいかがでしょうか?」と。

 今度は、その女性は、明らかに不機嫌な顔をした。そして私のほうには視線を合わせよ
うともせず、シルバーシートを陣取っている子どもたちのほうへ向かって、人をかきわけ
ながら、歩いていった。

 すぐに5、6メートル離れた人垣の向こうで、子どもたちが、不満そうに何かを言って
いるのが聞こえた。「疲れたよオ〜」「すわりたいよオ〜」と。

 それにしてもうるさい。ジャンケンゲームでもしているのか、キャーキャーというより、
ギャーギャーと騒いでいる。グリーンの帽子をかぶった男も二人いたが、注意する様子で
もない。

 私とワイフは、あまりの騒々しさにあきれて、その場を離れた。そして電車の後部のほ
うへ移動した。

 で、見ると、一人の女性の横があいているではないか。黄色いジャンパーが、そこに置
いてあった。私が、「そこは、あいてますか?」と聞くと、一度、ムッとした表情をしてみ
せたあと、「あいてます」と。

 これだけ電車が混んでいれば、わかりそうなものである。自分の荷物を置いたまま、平
気でいられるとは……! 年齢は60歳くらいの女性だった。私はそのジャンパーと、そ
の下にあったバッグをどかしてもらい、そこにワイフを座らせた。

 何とも、お粗末な光景である。隣では、先ほどから、20歳くらいの女性が、立ったま
ま、携帯電話をかけていた。

 言いたいことは、山ほどある。

 まず第一、その女性の指導員。自分の不注意を指摘されて、不愉快な顔をする人という
のは、それだけ性格がヒネクレていることを示す。ボーイスカウトには、3つの誓いがあ
る。私だって、それくらいは知っている。

(1)神(仏)と国に誠を尽くす。
(2)いつも他人を助ける。
(3)体を強くし、心を健やかにし、徳を養う。

 3本指をたてて敬礼するのも、そのためだ。

 つぎに、混雑した電車の中で、平然と荷物を置いている人の神経を、私は疑う。他人に
「あいていますか?」と聞かれるまで、その席に荷物を置いておく? しかも人生も晩年
に近い、女性が、である。

 またあれほど車内アナウンスで、「携帯電話を使わないでください」と言っているにもか
かわらず、それを守る人は、ほとんどいない? いや、ほとんどの人は守っている。がま
んしている。しかしそういうルールを平然と破る人もいる。

 まさに電車の中は、この日本の社会の縮図。しばらくすると、左側の高架を、新幹線が、
ものすごいスピードで、電車を追いぬいていった。私はそれを見ながら、「文明とは何か」
「文化とは何か」と、改めて考えさせられた。

 電車を出ると、ワイフが、こう言った。「やっぱり、家庭教育よ」と。しかし私はこう言
った。

 「家庭教育といってもね、親がなっていないんだよ。その親がなっていないのに、どう
して家庭教育など、期待できるの?」と。

悲しいかな、これが日本の現実である。
(※佐鳴湖……私の家から歩いて、10分ほどのところにある湖)


●回転式ドアで事故

 東京の六本木ヒルズで、6歳の男の子が回転式ドアに挟まれて死亡するという事故が、
起きた(04年3月)。

何とも痛ましい事故である。その場で、その地獄のような光景を、母親が、目の当たり
に見ていたという。母親のそのときの気持ちを察すると、本当に、ぞっとする。

 原因は、センサーが、子どもを感知できなかったことだという。センサーに盲点があっ
たという。まさに文明の機器の盲点といってもよい。一見、完ぺきに見える最新機器かも
しれないが、「完ぺきではなかった」ということになる。

 で、いくつかの点で、考えさせられる。

 一つは、その子どもは、一瞬のスキをつき、母親の手をふりほどいて、回転ドアに飛び
こんだという。こうした突発的な衝動的行為は、この時期の子どもによく見られる現象で
ある。

つまりそういう突発的な衝動的行為に、その回転ドアは、対応していなかったというこ
とになる。こうした機器は、そうした突発的な衝動的行為も、当然のことながら、計算
に入れて設計しなければならない。

 しかし、それは可能なのか。それとも不可能なのか。つまりあらゆる可能性に対応する
ことが可能なのか。もしそれができないというのであれば、こうした機器の設置には、そ
のつど慎重でなければならない。

 私も、あの回転ドアが、あまり好きではない。タイミングをズラすと、どこかで体をぶ
つけそうになる。手動でも、自動でも、事情は、同じ。毎日使って、なれている人には、
そうでないかもしれないが、たまに使う人には、こわい。

 私はドアの設計士ではないが、そこで、つぎのような方法を考えたら、こうした事故は、
防げると思う。

 その子どもは、回転ドアのドアと、左右の固定した壁の間にはさまれて死んだという。
だったら、その固定したカベのほうが、力が加わったとき、開くようにすればよい。かり
に万が一、だれかがはさまれ、センサーが不調であっても、ぐいと押すことで、壁が動け
ば、何も問題は、ない。

 あるいは回転ドア部分を、やわらかい素材にするとか……。さらに回転ドアの部分も、
力が加わったら、動くようにしてもよい。そういう二重、三重の安全策を講じておく。

 壁をしっかりと固定した状態で、風車のように回転ドアが回れば、理屈の上では、こう
した事故はいつ起きてもおかしくはない。ある意味で、起こるべきして起きた事故と言え
る。

 こうして考えてみると、同じような危険性は、いたるところにある。たとえばエスカレ
ーター。

少し前までは、よく、エスカレーターのすき間に靴をはさまれ、子どもがけがをすると
いう事故があった。そのせいかどうか知らないが、私はあのバリカンの歯のようなエス
カレーターが、いまだに好きになれない。小さい子どもをつれてエスカレーターに乗る
ようなときには、何とも言えない緊張感を覚える。

 ほかに最近では、駐車場のシャッターがある。

 タワー式の駐車場では、車を一度、車庫に格納してから、エレベーター方式であちこち
に移動する。その車庫の前に、シャッターがついている。そのシャッターが、ものすごい
勢いで、上下する。あれは、本当に危険。あぶない。

 どこかですでに事故が起きているのかもしれない。しかしいつ事故が起きても、おかし
くないのでは……? 私も、一度、あるところで、不用意に車庫の中をのぞいていたら、
突然、上から、ギロチンのようにシャッターが、ドスンと落ちてきた。そんな経験がある。

 ほかにもいろいろある。

 本当に、この世界、危険だらけ。どうやって子どもを守ったらよいのか。今度は回転ド
アだったが、新しい機器が登場するたびに、こうした危険は、つぎからつぎへとやってく
る。そしてそのたびに、犠牲者が出る。

 大切なことは、『見慣れない最新の機器には近づかない』ということ。こうした指導を、
私もこれから先、子どもたちに徹底していくしかない。


●英語の失敗
 
 学生時代に、イギリス人の家庭に食事に招かれたことがある。そこでのこと。家人が、
何かの料理をもってきて、「もっと食べるか?」と、すすめてくれた。

 それに答えて、私は、こう言った。「I have already had enough. 」と。「もうじゅうぶ
んいただきました」という意味で、そう言った。

 それを横で聞いていた友人(イギリス人)が、プッと笑って、こう言った。

 「ヒロシ、そういうときは、I have already had sufficiently.(じゅうぶん、いただ
きました)と言うよ」と。「I have already had enough.」というのは、「もう、たくさん!」
という意味になる? あわてて言いなおしたら、みなが、ドッと笑った。

 英語は、むずかしい。

 昨夜も、こんな失敗をしてしまった。

 三男を二週間、とめてくれた友人がいた。オーストラリアに住む、オーストラリアの友
人である。その間、あちこちへつれていってくれたりもした。

 そこで一言、礼をと思って、電話をした。電話には、友人の奥さんが、出た。

私、「Thank you very much for what you have done too much to my son.」と。

 私は「息子にいろいろしてくれてありがとう」という意味で、そう言った。しかし「too 
much」という部分が、まずかった。

 そう言った直後に、「いろいろ、やりすぎてくれて、ありがとう」という意味だというこ
とを知った。「もう、うんざり」というときも、「too much」という。

奥さんは、すかさず大声でケタケタと笑いながら、「ヒロシ、あなたの言っている意味、
わかる。あなたを理解できる」と。

 「しまった!」と思ったが、私には、どうすることもできなかった。

 やはり英語は、いつも使っていなければならない。しばらく日本だけにいると、どうし
てもカンが鈍る。「私としたことが……」と思いつつ、電話を切った。


●春休みの運動

 春休みは、二週間近くある。今日(3月29日)は、その春休み、二日目。

 まず起きて、ハナ(犬)と、散歩。佐鳴湖まで行ってきた。それからワイフとドライブ。
豊橋の先にある、伊良湖(いらこ)岬をめざす。しかし途中で横道へ入って、海岸まで。
そこで昼食。「伊良湖岬までは、あと1時間くらい」と、コンビニの店員に言われて、あき
らめた。遠すぎる……。

 伊良湖岬……愛知県豊橋市の南にある、島状の半島。

 夕方は、ワイフと散歩。一時間以上をかけて、佐鳴湖畔から、団地の北側を回る。この
ところ、急に、足腰が弱くなったように感ずる。とくに、ヒザが弱くなった? 自転車だ
と、10キロくらいなら、平気で走ることができる。しかし走ったり、歩いたりするのは、
どうも苦手。

 「春休みの間は、毎日運動しよう」と言うと、ワイフも、スンナリと同意してくれた。

今夜は、これから山荘へ行き、明日は、木を切る。もう少し暖かくなると、ハチが出て
くる。それからでは、遅い。


●山荘にて

 朝は、いつも鳥たちの大合唱で目がさめる。けたたましく、チョットコーイ、チョット
コーイと鳴くのは、コジュケイ。それにウグイス。今朝は、じょうずに、ホーケキョと鳴
いていた。それにヒヨドリ、カラス……。ときおり、ヒューイと鳴く鳥もいる。名前はわ
からない。あとは、何種類かの小鳥たち。チッチッと時折鳴いては、どこかへと去ってい
く。

 時計を見ると、6時半。そのまま風呂に湯を入れて、ドボーン!

 あとは、何も考えない。窓の外の景色を見ながら、時の流れるまま、身を任す。谷のは
ずれに住むKさんの庭先から、青い煙が立ちのぼっているのが見える。空は曇天。低い雨
雲が、すぐそこに見える。

 しばらくするとワイフも起きてきて、「もう、入っているの?」と。

 順に家族のことを思いやる。まず、三男。昨日から、授業が始まったはず。それに二男。
孫の誠司。そして長男。あとはもろもろのこと。脳の表層部分に、ランダムな光景が現れ
ては消える。そして忘れる。

 しばらくすると、ワイフが風呂に入ってきた。身をどかして、席をあける。

 「今朝、朝のチャイムが鳴った?」と、ワイフが聞いた。このあたりでは、朝の7時と
夕方の5時に、村のチャイムが鳴ることになっている。私は「聞こえなかった」と答えた。
春休みは、チャイムも、お休みか……?

 相変わらず、ウグイスが窓の外で鳴いている。先週、山荘へ来たときは、まだうまく鳴
けず、ケキョケキョケキョと鳴いていた。少しは練習したらしい。あるいはこのあたりの
新米?

 ウグイスは、縄張りを誇示するために、鳴くのだそうだ。そのせいか、谷あいの向こう
からも、聞こえてくる。そしてたがいに、かけあいながら鳴いている。

 考えてみれば、4日ぶりの風呂? ……ゾーッ。理由はともかくも、いろいろ重なって、
風呂に入る時間がなかった。

 バスタブから出て、いつもより念入りに石鹸をつけて、体を洗う。

 「ぼくはね、足の裏が油っぽくなると、夜、よく眠られないんだよ」
 「どうして?」
 「何となく、ベタベタした感じになって、気持ち悪い」
 「知らなかった……」と。

 意味のない会話がつづく。

 「朝風呂で気をつけなければいけないのは、心筋梗塞と、脳梗塞だそうだ。朝は、そう
でなくても、血液がドロドロになっているからね。だから水分を補給しないと、いけない
そうだ」
 「私、この水を飲むわ」
 「待て、今、もってきてあげるから」と。

 風呂から出て、台所へ急ぐ。つんとした冷気を感ずる。ペットボトルを手にもったまま、
再び、風呂の中にドボーン。

 水は、500メートルほど、パイプで山の中腹から引いている。水自体は問題ないが、
その水を一度、タンクにためてから配水している。そのタンクの中で、水が腐ることは、
よくある。

 暖かいフトンに包まれているような心地よさ。こうして春の一日は、始まった。

 「今日は、何をする?」
 「ごはんを食べてから、考えましょう」と。

 あとは、ひたすら目を閉じて、ぬるい湯に身をまかす。ときどき、水を飲む。時は、3
月30日。火曜日。「今日も、思いっきり遊ぶぞ」と、おかしな誓いを立てる。
(040330)

++++++++++++++++++

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●メールには、ご住所とお名前を!

 毎日、たくさんの方から、メールや相談をいただきます。
 ありがとうございます。

 で、そのメールや相談なのですが、どうか、ご住所、お名前をお書きくださるよう、お
願い申しあげます。

 件名(RE)のところには、お名前と、簡単なご住所を!
 本文には、とくにはじめての方は、お名前(フルネーム)と、正確なご住所をお書きく
だされば、うれしく思います。

 このところ、ご住所、お名前のない方からのメールが、たくさん届きます。メールをい
ただくこと自体は、うれしいのですが、しかし受け取る私の方は、言いようのない不安に
かられます。

 「男性なのかな」「女性なのかな」
 「この町の方なのかな」「遠方の方なのかな」
 「マガジンの読者なのかな」「ホームページをご覧なった方なのかな」などと、いろいろ
考えているうちに、返事が書けなくなってしまうこともあります。

 それ以上に、「ウィルス入りのメールだったら、どうしよう」と、考えることもあります。
めったなことはないことは、よくわかっていますが、こういう世界のことですから、どう
しても慎重にならざるをえません。

 またこのところいただくメールが多いため、返事を書かねばと思いつつ、それもままな
らなくなってきました。どうか当方の事情も、ご理解の上、ご協力くださいますよう、お
願い申しあげます。

 「この前、相談した件は、どうなりましたか」という、返事の催促メール。あるいは「こ
の前相談した件で、あの問題は解決しましたが……」というメールをいただくと、本当の
ところ、たいへん困ります。このところ、頭のボケも、少し進んでいるのかもしれません。

 一両日中に、返事がないばあいは、どうか、返事はないものと思ってください。いただ
いたメールは、一、二日程度保存したあと、削除しています。どうか当方の勝手をお許し
ください。

 以上、よろしくお願いします。

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 詳しくは、私のホームページの中に、書いておきました。

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 月額300円です。申し込みは、

 電話で、054−281−8870(静岡教育出版社)です。

静岡県内の方は、学校単位で、申し込みをしていただけます。
4・5月号では、ストレスについての特集記事を書かせてもらいました。

以上、お願いすることばかりで、恐縮なのですが、よろしくお願いします。

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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 28日(No.402)
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http://bwhayashi.cool.ne.jp/page063.html

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(1)子育てポイント**************************

子どもの自慰
●代償行為としての自慰●罪悪感をもたせない

(Q)「私が居間で昼寝をしていたときのこと。、六歳になった息子が、そっと体を私の腰
にすりよせてきました。小さいながらもペニスが勃起しているのがわかりました。注意し
たかったのですが、そうすれば息子のプライドをキズつけるように感じたので、そのまま
黙ってウソ寝をしていました。こういうとき、どう対処したらいいのでしょうか」(三二歳
母親)

(A)フロイトは幼児の性欲について、次の三段階に分けている。(1)口唇期…口の中に
いろいろなものを入れて快感を覚える。(2)肛門期…排便、排尿の快感がきっかけとなっ
て肛門に興味を示したり、そこをいじったりする。(3)男根期…満四歳くらいから、性器
に特別の関心をもつようになる。

 自慰に限らず、子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すときは、まず心の中の
ストレス(生理的ひずみ)を疑ってみる。子どもはストレスを解消するために、何らかの
代わりの行為をする。これを代償行為という。

指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、体ゆすり、手洗いグセなど。自慰もその一つと考える。

つまりこういう行為が日常的に見られたら、子どもの周辺にそのストレスの原因(スト
レッサー)となっているものがないかをさぐってみる。ふつう何らかの情緒不安症状(ふ
さぎこみ、ぐずぐず、イライラ、気分のムラ、気むずかしい、興奮、衝動行為、暴力、
暴言)をともなうことが多い。そのため頭ごなしの禁止命令は意味がないばかりか、か
えって症状を悪化させることもあるので注意する。

 さらに幼児の場合、接触願望としての自慰もある。幼児は肌をすり合わせることにより、
自分の情緒を調整しようとする。反対にこのスキンシップが不足すると、情緒が不安定に
なり、情緒障害や精神不安の遠因となることもある。

子どもが理由もなくぐずったり、訳のわからないことを言って、親をてこずらせるよう
なときは、そっと子どもを抱いてみるとよい。最初は抵抗するそぶりを見せるかもしれ
ないが、やがて静かに落ち着く。

この相談のケースでは、親は子どもに遠慮する必要はない。いやだったらいやだと言い、
サラッと受け流すようにする。罪悪感をもたせないようにするのがコツ。

 一般論として、男児の性教育は父親に、女児の性教育は母親に任すとよい。異性だとど
うしても、そこにとまどいが生まれ、そのとまどいが、子どもの異性観や性意識をゆがめ
ることがある。

(2)今日の特集  **************************

●家庭内宗教戦争

 こういう時代なのかもしれない。今、人知れず、家庭内で、宗教戦争を繰りかえしてい
る人は多い。夫婦の間で、そして親子の間で。

 たいていは、ある日突然、妻や子どもが、何かの宗教に走るというケースが多い。いや、
本当は、その下地は、かなり前からできているのだが、夫や親が、それを見逃してしまう。
そして気がついたときには、もうどうにもならない状態になっている。

 ある夫(43歳)は、ある日、突然、妻にこう叫んだ。

 「お前は、いったい、だれの女房だア!」と。

 明けても暮れても、妻が、その教団のD教導の話ばかりするようになったからである。
そして夫の言うことを、ことごとく否定するようになったからである。

 家庭内宗教戦争のこわいところは、ここにある。価値観そのものが、ズレるため、日ご
ろの、どうでもよい部分については、それなりにうまくいく。しかし基本的な部分では、
わかりあえなくなる。

 その妻は、夫にこう言った。

 「私とあんたとは、前世の因縁では結ばれていなかったのよ。それがかろうじて、こう
して何とか、夫婦の体裁を保つことができているのは、私の信仰のおかげよ。それがわか
らないのオ!」と。

 そこでその夫は、その教団の資料をあちこちから集めてきて、それを妻に見せた。彼ら
が言うところの「週刊誌情報」というのだが、夫には、それしか思い浮かばなかった。

 が、妻はこう言った。「あのね、週刊誌というのは、売らんがためのウソばかり書くのよ。
そんなの見たくもない!」と。

 こうした隔離性、閉鎖性は、まさにカルト教団の特徴でもある。ほかの情報を遮断(し
ゃだん)することによって、その信者を、洗脳しやすくする。信者自身が、自ら遮断する
ように、しむける。

だからたいていの、……というより、ほとんどのカルト教団では、ほかの宗派、宗教は
もちろんのこと、その批判勢力を、ことごとく否定する。「接するだけでも、バチが当た
る」と教えているところもある。


●ある親子のケース

 富山県U市に住む男性、72歳から相談を受けたのは、99年の暮れごろである。あと
少しで、2000年というときだった。

 U市で、農業を営むかたわら、その男性は、従業員20人ほどの町工場を経営していた。
その一人息子が、仏教系の中でもとくに過激と言われる、SS教に入信してしまったとい
う。

 全国で、15万人ほどの信者を集めている宗教団体である。もともとは、さらに大きな
母体団体から分離した団体だと聞いている。わかりやすく言えば、その母体団体の中の、
タカ派と呼ばれる信者たちだけが、別のSS教をつくって独立した。それがSS教という
ことになる。

 教義の内容も過激だったが、布教方法も過激であった。毎朝、6時にはその所属する会
館に集まり、彼らが言うところの、「勤行」を始める。それが約1時間。それが終わると、
集会、勉強会。そして布教活動。

 相談してきた男性は、こう言った。

 「ひとり息子で、工場のほうを任せていたのですが、このところ、ほとんど工場には、
姿を見せなくなりました。週のうちの3日は、まるまるその教団のために働いているよう
なものです。

 それに困ったのは、最近では、従業員はもちろんのこと、やってくる取り引き先の人に
まで、勧誘を始めたことです。

 何とか、やめさせたいのですが、どうしたらいいですか」と。

 部外者がこういう話を聞くと、「信仰の自由がある」「息子がどんな宗教を信じようが、
息子の勝手ではないか」と思うかもしれない。しかし当事者たちは、そうではない。その
深刻さは、想像を絶するものである。

 「本人は、楽しいと言っていますが、目つきは、もう死んだ魚のようです。今は、どん
なことを言っても、受けつけません。親子の縁を切ってもいいとまで言い出しています」
とも。


●カルトの下地

 よく誤解されるが、カルト教団があるから、信者がいるのではない。それを求める信者
がいるから、カルト教団は生まれ、そして成長する。

 だから自分の家族が、何かのカルト教団に入信したとしても、そのカルト教団を責めて
も意味はない。原因のほとんどは、その信者自身にある。もっと言えば、そういう教団に
身を寄せねばならない、何かの事情が、その人自身に、あったとみる。

 冒頭に書いた、ある夫(43歳)の例も、そうだ。妻の立場で、考えてみよう。

 どこか夫は、権威主義的。男尊女卑思想。仕事だけしていれば、男はそれでよいと考え
ているよう。その一方で、女は育児と家庭という押しつけくる。そういう生活の中で、日々、
窒息しそうになってしまう。

 何のための人生? なぜ生きているのか? どこへ向えばよいのか? 生きがいはどこ
にある? どこに求めればよいのか? 何もできないむなしさ。力なさ。そして無力感。

 しかし不安。世相は混乱するばかり。社会も不安。心も乱れ、つかみどろこがない。何
のために、どう生きたらよいのか。心配ごともつきない。自分のことだけならともかくも、
子どもはどうなるのか? 国際情勢は? 環境問題は?

 そんなことをつぎつぎと考えていくと、自分がわからなくなる。いくら「私は私だ」と
叫んでも、その私はどこにいるのか? 生きる目的は何か? それを教えてくれる人は、
どこにいるのか? どこにどう救いを求めたらよいのか?

 ……そういう状態になると、心に、ポッカリと穴があく。その穴のあいたところに、ち
ょうどカギ穴にカギが入るかのように、カルト教団が入ってくる。

 それは恐ろしく甘美な世界といってもよい。彼らがいうとところの神や仏を受け入れた
とたん、それまでの殺伐(さつばつ)とした空虚感が、いやされる。暖かいぬくもりに包
まれる。

 信者どうしは、家族以上の家族となり、兄弟以上の兄弟となる。とたん、孤独感も消え
る。すばらしい思想を満たされたという満足感が、自分の心を強固にする。

 しかし……。

 それは錯覚。幻想。幻覚。亡霊。

 一度、こういう状態になると、あとは、指導者の言いなり。思想を注入してもらうかわ
りに、自らの思考力をなくす。だから、とんでもないことを信じ、それを行動に移す。

 少し前だが、死んでミイラ化した人を、「まだ生きている」とがんばった信者がいた。あ
るいは教祖の髪の毛を煎じてのむと、超能力が身につくと信じた信者がいた。さらに足の
裏を診断してもらっただけで、100万円、500万円、さらには1000万円単位のお
金を教団に寄付した信者もいた。

 常識では考えられない行為だが、そういう行為を平気でするようになる。

 が、だれが、そういう信者を笑うことができるだろうか。そういう信者でも、会って話
をしてみると、私やあなたとどこも違わない、ごくふつうの人である。「どこかおかしの
か?」と思ってみるが、どこもちがわない。

 だれにでも、心の中にエアーポケットをもっている。脳ミソ自体の欠陥と言ってもよい。
その欠陥のない人は、いない。


●どうすればよいか?

 妻にせよ、子どもにせよ、どこかのカルト教団に身を寄せたとしたら、その段階で、そ
の関係は、すでに破壊されたとみてよい。夫婦について言うなら、離婚以上の離婚という
状態になったと考えてよい。親子について言うなら、もうすでに親子の状態ではないとみ
る。親はともかくも、子どものほうは、もう親を親とも思っていない。

 しかしおかしなことだが、あるキリスト系の教団では、カルト教団であるにもかかわら
ず、離婚を禁止している。またある仏教系の教団では、カルト教団であるのもかかわらず、
先祖の供養を第一に考えている。

 そして家族からの抵抗があると、「それこそ、この宗教が本物である」「悪魔が、抵抗を
始めた」「真の信仰者になる第一歩だ」と教える。

 こうなったら、もう方法は、三つしかない。

(1)断絶する。夫婦であれば、離婚する。
(2)家族も、いっしょに入信する。
(3)無視して、まったく相手にしないでおく。

 私は、第3番目の方法をすすめている。富山県U市に住む男性(72歳)のときも、こ
う言った。

 「息子さんには、こう言いなさい。『ようし、お前の信仰が正しいかどうか、おまえ自身
が証明してみろ。お前が、幸福になったら、お前の信仰を認めてやろう。ワシも入信して
やろう。どうだ!』と。

 つまり息子さん自身に、選択と行動を任せればよいのです。会社の経営者としては、す
でに適格性を欠いていますので、クビにするか、会社をつぶすかの、どちらかを覚悟しな
さい。夫婦でいえば、すでに離婚したも同然と考えます。

 そしてこう言うのです。『これは、たがいの命をかけた、幸福合戦だ』とです。そしてあ
とは、ひたすら無視。また無視です。

 この問題だけは、あせってもダメ。無理をしても、ダメ。それこそ5年、10年単位の
時間が必要です。頭から否定すると、反対に、あなたの存在そのものが、否定されてしま
います。

 あなたは親子の関係を修復しようと考えていますが、すでにその関係は、こわれていま
す。今の息子さんの信仰は、あくまでもその結果でしかありません」と。


●常識の力を大切に!

今の今も、こうしたカルト教団は、恐ろしい勢いで勢力を伸ばしている。信者数もふえ
ている。つまりそれだけ心の問題をかかえた人がふえているということ。

 では、それに対して抵抗する私たちは、どうすればよいのか。どう自分たちを守ればよ
いのか。

 私は、常識論をあげる。常識をみがき、その常識に従って行動すればよい、と。

 むずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思えばよい。たったそれだけの
ことが、あなたの心を守る。

 家族、妻や子どもに向かっては、いつもこう言う。「おかしいものは、おかしいと思おう
ではないか。それはとても大切なことだ」と。

 そしてそのために、常日ごろから、自分の常識をみがく。これも方法は、簡単。ごくふ
つうの人として、ふつうの生活をすればよい。ふつうの本を読み、ふつうの音楽を聞き、
ふつうの散歩をする。もちろんその(おかしなもの)を遠ざける努力だけは、怠ってはい
けない。(おかしなもの)には、近づかない。近寄らない。近寄らせない。

 あとは、自ら考えるクセを大切にする。習慣といってもよい。何を見ても、ふと考える
クセをつける。そういうクセが、あなたの心を守る。

 さあ、今日も、はやし浩司は戦うぞ! みなさんといっしょに、戦うぞ!

 世の正義のため、平和のため、平等のために! ……と少し力んだところで、このつづ
きは、またの機会に! 同じような問題をかかえていらっしゃる方は、どうか掲示板のほ
うに、書き込みをしてください。

 掲示板……  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
のトップページより!
(はやし浩司 カルト カルト信仰)


(3)心を考える  **************************

●山荘にて……

 今日は友人のお通夜があるという。一度は、行こうと思って、電車までは乗った。もし
そのとき金沢までの切符を買っていたら、金沢まで行ったかもしれない。しかし発車直前
ということで、乗車証明書だけをもらって、電車に飛びこんだ。

電車の中であれこれ考えているうちに、とても無理だと感じた。体がだるかった。それ
に気分が晴れなかった。

 昨日、友人に頼んで、香典だけは届けてもらうことにした。弔電も打った。しかし石川
県H市となると、どこかで一泊しなければならない。どこか風邪(花粉症)ぎみの私には、
つらい。

 途中、愛知県のS市でおりる。そこから浜名湖線にのって、金指(かなさし)まで。

 そこからバスに乗って、井伊谷(いいのや)まで。そこから地元のタクシーにのって、
山荘へ。

 山荘では、風邪薬をのんで、ベッドに横になる。寒気が全身を襲う。はじめは「山は、
まだ寒い」と思ったが、そのうち寒さが違うのにきづいた。温度計は、20度を示してい
た。ふとんを2枚かぶって寝たが、寒かった。また風邪薬をのむ。

 こうして3時ごろまで、眠る。わけのわからない眠り方だった。起きてからも、寒かっ
た。ワイフに電話をすると、「今、どこにいるの?」と。「山荘だ」と答えると、驚いてい
た。私も、バツが悪くて、山荘へ来ているとは言いづらかった。

 一度、のび過ぎたアカメガシを切ろうと、小屋をのぞいたが、電動ノコも、コードもな
かった。内心では、かえって「よかった」と思った。

 夕方、ワイフに山荘まで迎えにきてもらう。途中、「J」というイタリアン・レストラン
で、スパゲッティを食べる。悪寒は消えなかった。「焼き肉が食べたかった」と、ワイフに
言った。今夜は、フトンをうんと暖かくして寝るつもり。

 GOOD−NIGHT!
(040327)


(4)今を考える  **************************

●パソコン漬け

 ある雑誌に、こう書いてあった。「一日に、10回以上、メールをのぞくようなら、ビョ
ーキ」と。

 しかし私は、毎日、5〜7時間は、パソコンと向かいあっている。文章を書くためであ
る。そしてときどき、疲れたようなとき、ふと手があいたようなとき、メールをのぞく。

 ……ということで、私は回数にすれば、毎日、10回以上、メールをのぞいていた。だ
から私は、「ビョーキ」ということになった。

 そこであるとき、私は、自分の行動を、つぎのように決めた。

 まずパソコンを使い分ける。

 ワープロ用、インターネット用、そしてホームページ用、と。

 ワープロ用と、インターネット用とで、同じパソコンを使うから、一日に10回以上も
メールをのぞくことになる。しかし分ければ、そういうことはできない。

 つぎに、不要な情報には、どんどんフィルター(送信者禁止処分)をかけた。サーバー
(プロバイダー)からのウィルス情報、不要なスタンドからの宣伝、あやしげなサイトか
らのメールなどなど。容赦なく、フィルターをかけた。

 こうすることで、私のところに届くメールがぐんと減った。同時に負担が、ぐんと軽く
なった。そのため、メールをのぞくことも、少なくなった。

 そして最後に、自分に決めた。午前中は、2回。午後は、3回、と、メールをのぞく回
数を、計5回までに制限した。それ以上は、ビョーキ!

 携帯電話にせよ、パソコンにせよ、ハマると、本当にこわい。私は昔、パソコン通信(今
のインターネットの全身)で、ハマってしまったことがある。そのとき、パソコンのこわ
さを、イヤというほど、思い知らされた。だから、今、パソコンに対して、自分でブレー
キをかけるようにしている。

 「10回以上は、ビョーキ」というが、本当のところ、その「10回」の根拠は何か。
よくわからないが、その道の専門家がそう言うのだから、従うしかない。


●ふんばり勝ち

 この不況を逆手にとって、成功する道は何か? 

 こういう不況であるからこそ、ふんばる。こんな例がある。

 N県S市。人口が10万人足らずの小さな町である。

 その町には、昔は、10軒近い、自転車屋があったという。しかし平成時代に入ってか
ら、つぎつぎと、店をたたんだ。で、今、残っているのは、3〜4軒。

近くに大型スーパーができ、そこでも自転車を売るようになった。それで、また1〜2
軒が、開店休業に追いこまれた。

 が、ここで興味深いことが起きた。残ったのは、2軒だけだが、その2軒が、かえって、
繁盛し始めたというのだ。つまり同業者というライバルがいなくなった分だけ、その2軒
の自転車屋に、客が集まり始めた!

 値段的には、もちろんスーパーで売る自転車には、かなわない。しかし自転車には、修
理が必要である。あとあとの修理のことを考えると、自転車屋はやはり専門店で買ったほ
うがよい。……と、客のすべてが考えているわけではないが、そういうふうに考える客も、
少なくない。

 バイクをやめて、自転車に乗る人もふえた。健康のために、自転車に乗る人もふえた。
どこか粗悪品の自転車がふえたため、修理もふえた、などなど。知人の男(その残った自
転車屋の主人)は、こう言う。

 「ふんばり勝ちですよ」と。

 苦しいときもあったらしい。「うちも来年は、店を閉めよう」と思ったこともあったとい
う。しかしがんばった! その結果、生き残った。いくら不況になっても、自転車は必需
品。パンクの修理などは、残る。

 今、日本中が不況の嵐の中で、もがき苦しんでいる。政府は、さかんに「景気は好転し
た」と騒いでいるが、実際には、85%近い人は、「その実感はない」(Y新聞・3・25)
と答えている。

 こういう時代だから、ふんばる。ふんばった人が、勝ち。土俵のまぎわまで追いつめら
れた人が、ふんばる。そのとき足をゆるめれば、それでおしまい。今の不況は、そういう
不況と考えてよい。

 ただ、ふんばるといっても、職種のちがいもあるようだ。何がなんでも、ふんばればよ
いというものでもない。

 どんなに不況になっても、(なくては困る)という職種の人は、ふんばればよい。必ず、
勝つ。しかしもともと(なくても困らない)という職種の人は、ふんばっても、あまり意
味はない? たとえば私の仕事。

 ハハハ! (笑って、ごかます。)

 みなさん、がんばって、ふんばりましょう! 


●金正田コメディ

 A新社という出版社から、また「マンガ金正田入門」(2)が、発売になった。赤本の(1)
は、私も買った。今度のは、青本。立ち読みしているうちに、思わず、笑ってしまった。
本当かウソかは知らないが、こんなエピソードが載っていた。

 (内容は、コメディ映画風に、私がかなり脚色した。チャップリンなら、こういうふう
に脚本を書いただろうというように、書きなおしてみた。どうか、お許しいただきたい。)

+++++++++++++++++

 金正田が、自分とそっくりの替え玉をつくった。本物の金正田を、金正田Aとする。替
え玉を、金正田Bとする。

 で、金正田Bが、金正田Aのところに、あいさつにきた。

 それを金正田Aが見て、びっくり。自分とウリ二つだったからだ。ホクロの数、位置、
大きさはもちろんのこと、髪の毛の生え際まで、同じだったという。K国の整形技術も、
相当なものらしい。が、一番むずかしかったのは、体型だったとか?

 あのスイカの入ったような腹をつくるのに、金正田Bは、わざと便秘にさせられ、嫌い
な酒を飲まされたという。

 が、ここで金正田Bは、失敗する。本物の金正田Aが、金正田Bをほめたとたん、金正
田Bが、体を直角に曲げて、頭をさげてしまったというのだ。「ありがとうございます!」
と。

 これを見て、金正田Aが激怒。「金正田は、だれにも、頭はさげない! お前は、思想強
化所で、精神も、オレになりきってこい」と。

 そこで金正田Bは、思想強化所へ、送り込まれた。いわば収容所である。

 で、二か月後。思想強化所で徹底的に訓練を受けた金正田Bが、また金正田Aのところ
へ連れられてやってきた。そのとき、金正田Aは、金正田Bに、こんなことを言ったとい
う。

 「アメリカ軍が来て、どちらが、本物の金正田だと聞かれたら、お前は、最後の最後ま
で、私が、本物の金正田だと言わなければならない。殺されても、そう言いつづけるのだ。
わかったかア!」と。

 が、またまた金正田Bは、失敗をしてしまう。金正田Bは、こう返事をした。「わかりま
した、将軍様」と。

 これがまた金正田Aを激怒させた。金正田Aは、金正田Bに、こう叫んだ。「バカモン! 
様なんか、つけるな。様をつければ、オレが本物だと、バレてしまうだろ。だれが何と言
っても、私が、金正田だと言うのだ。わかったかア!」と。

 そんなわけで金正田Bは、再び、思想強化所へ、二か月間、送りこまれた。

 金正田Bは、今度は、さらに徹底した訓練を受けた。そしてかっこうばかりではなく、
心まで金正田になりきって、金正田Aのところに、もどってきた。

 金正田Aは、それを見て喜んだ。「ようし、今日から、お前が執務室へ入れ。そしてオレ
のかわりに仕事をしろ。オレは、24時間、毎日、ぶっつづけで仕事をしていることにな
っている」と。

 そして金正田Aは、金正田Bに、執務室で仕事をさせることになった。仕事といっても、
たいした仕事はない。毎日、ハンをつくだけの仕事。で、本物の金正田Aはというと、そ
のまま、秘密の地下道を通って、喜ばし組の女たちが待ている、歓楽会館へ。

 が、数日後、事件が起きた。

 ニセモノの金正田Bが、執務室でヒマをもてあましていると、そこへ喜ばし組ナンバー
ワンと呼ばれている女性がやってきた。美しい女性だった。そして金正田Bを見ると、欲
情をこらえきれず、そのまま金正田Bに抱きついていった。

 金正田Bは、見たこともないような美人に抱きつかれ、すっかりその気に。いや、どん
なことがあっても、自分は本物であると言わなければならない。そういうつもりで、その
美人と、数時間にわたって、やりまくった。

 一方、本物の金正田Aは、歓楽会館で、女ざんまい、酒びたりの生活。そういうところ
へ、金正田Bと、やりまくったその女性が、その翌日、もどってきた。そしてこう言った。
「将軍様、昨日は楽しかったです……」と。

 これを聞いた金正田Aは、これまた激怒。「オレの女に手を出すとは、許せない!」と。
金正田Aは、秘密の地下道を通って、執務室へ。が、ここでハプニングが起きた。

 執務室の前には、4人の警護兵がいたのだが、金正田Aと、金正田Bを見て、区別がつ
かなくなってしまった。

警備兵「どちらが本物の将軍様ですか?」
金正田A「オレだ。オレに決まっている」
金正田B「オレだ。オレに決まっている」と。

 金正田Bも、必死である。ここでニセモノとバレれば、また思想強化所送りである。

 が、歓楽会館から帰ってきたばかりの金正田Aは、どこかやつれ顔。風格もない。一方、
ニセモノの金正田Bには、風格があった。それで警備兵は、なんと、本物の金正田Aを、
逮捕してしまったというのだ!

 みなさんは、この話を信ずるだろうか。この話には、まだつづきがある。

 収容所へ送られた、本物の金正田Aは、ワイロをくばりまくって、その収容所から脱出
して、首都ピョンピョンにもどってくる……。そこでもまた、ハプニングが……。

 ここのつづきは、本のほうでまた読んでみてほしい。ありそうで、ありそうでなく、し
かしそれでいて、ありそうな話であるところが、何とも、おもしろい。

 『すべてをもつ独裁者は、すべてのものを恐れる』とは、どこかの哲学者が残した言葉。
何も恐れるものもなく、のんびりと暮らせる、私たちの生活に、私たちは、感謝しようで
はないか。
(040327)


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4・5月号では、ストレスについての特集記事を書かせてもらいました。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 26日(No.401)
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(1)子育てポイント**************************

自然教育の原点

●体に自然を染み込ませる●「原点」をつくる

 五月の一時期、野生のジャスミンが咲き誇る。甘い匂いだ。それが終わると野イチゴの
季節。そしてやがて空をホトトギスが飛ぶようになる…。

 浜松市内と引佐町T村での二重生活をするようになって、もう一〇年になる。週日は市
内で仕事をして、週末はT村ですごす。

距離にして車で四〇分足らずのところだが、この二つの生活はまるで違う。市内での生
活は便利であることが、当たり前。T村での生活は不便であることが、当たり前。

大雨が降るたびに、水は止まる。冬の渇水期には、もちろん水はかれる。カミナリが落
ちるたびに停電。先日は電柱の分電器の中にアリが巣を作って、それで停電した。

道路舗装も浄化槽の清掃も、自分でする。こう書くと「田舎生活はたいへんだ」と思う
人がいるかもしれない。しかし実際には、T村での生活の方が楽しい。T村での生活に
は、いつも「生きている」という実感がともなう。庭に出したベンチにすわって、「テッ
ペンカケタカ」と鳴きながら飛ぶホトトギスを見ていると、生きている喜びさえ覚える。

 で、私の場合、どうしてこうまで田舎志向型の人間になってしまったかということ。い
や、都会生活はどうにもこうにも、肌に合わない。数時間、街の雑踏の中を歩いただけで、
頭が痛くなる。疲れる。排気ガスに、けばけばしい看板。それに食堂街の悪臭など。いろ
いろあるが、ともかくも肌に合わない。

田舎生活を始めて、その傾向はさらに強くなった。女房は「あなたも歳よ…」というが、
どうもそれだけではないようだ。私は今、自分の「原点」にもどりつつあるように思う。
私は子どものころ、岐阜の山奥で、いつも日が暮れるまで遊んだ。魚をとった。そうい
う自分に、だ。

 で、今、自然教育という言葉がよく使われる。しかし数百人単位で、ゾロゾロと山間に
ある合宿センターにきても、私は自然教育にはならないと思う。かえってそういう体験を
嫌う子どもすら出てくる。自然教育が自然教育であるためには、子どもの中に「原点」を
養わねばならない。数日間、あるいはそれ以上の間、人の気配を感じない世界で、のんび
りと暮らす。好き勝手なことをしながら、自活する。そういう体験が体の中に染み込んで
はじめて、原点となる。

 …私はヒグラシの声が大好きだ。カナカナカナという鳴き声を聞いていると、眠るのも
惜しくなる。今夜もその声が、近くの森の中を、静かに流れている。

(2)今日の特集  **************************

●本能

 本能、つまり本能的行動には、(1)種別性、(2)生得性、(3)固定性、(4)不可逆
性の4つがあるという(深堀元文氏ほか)。

(1)種別性……同じ鳥でも、水をこわがる鳥もいれば、こわがらない鳥もいる。このよ
うに種別によって、本能的行動がちがうことをいう。

(2)生得性……だれに習わなくても、クモは、クモの巣の作り方を知っていることをい
う。

(3)固定性……一定のパターンで行動し、学習によって変えることができないことをい
う。

(4)不可逆性……一つのパターンで行動していたとき、途中でじゃまが入ったようなと
き、そのパターンがこわれることをいう。つまり途中から、もとの行動パターンにもどる
ことができないことをいう。(以上、同氏、「心理学のすべて」より。)


 そこで最大の命題。本能を、自分の意思でコントロールできるかということ。こんなジ
ョークがある。(これは私が学生時代に、人から聞いた、ジョーク。)

++++++++++++++

 ある寺の僧侶が、寺の後継者をだれにするかで、悩んでいた。自分の命が、それほど長
くないことを知っていた。

 そこで目立った、7人の弟子たちを本堂に集めて、こう言った。

 「これから、お前たちの中から、一人を選ぶ。お前たちの中で、もっとも、煩悩(ぼん
のう)にわずらわされないものを、わしの後継者とする」と。

 そこでその僧侶は、7人の弟子たちに、ペニスの先に、鈴をしばりつけるように言った。
弟子たちは、言われたとおりに、自分のペニスの先に、鈴をつけた。

 そしてしばらく僧侶と弟子たちが、瞑想(めいそう)にふけっていると、そこへ素っ裸
の女性が、入ってきた。美しい女性だった。そして弟子たちの前で、足を広げて、踊りだ
した。

 すると、どうだろう。あちこちから、かすかだが、鈴の音が聞こえてきた。チリチリ…
…、チリチリ……と。

 その音を聞いて、僧侶は、がっかりした。「何たることよ!」と。

 が、一人だけ、鈴の音が聞こえてこない弟子がいた。僧侶はそれを知って、その弟子の
ところにきて、こう言った。

 「お前こそ、この寺を継ぐべき男だ」と。

 するとそれに答えてその弟子は、申しわけなさそうな顔をして、こう言った。

 「いえ、ご僧侶様。私の鈴は、とっくの昔に、どこかへ飛んでいってしまいました……」
と。

+++++++++++++++

 聖職者は、性的関心をもってはならないとされる。少し前まで、教職者も、聖職者とみ
なされていた。しかしそんな話は、とんでもない幻想。ウソ。どこかの学校の校長だって、
夜な夜な、うらビデオを見ながら、マスターベーションしている。

 本能的行動というのは、そういうもので、その人の意思の力で、どうこうなるものでは
ない。いわんや、コントロールできるものではない。

無理に、自分に『ダカラ論』をかぶせて、「私は教師だから」とがんばる人も、中にはい
るにはいる。

 たとえばだれかが、ヒワイな話をしたりすると、露骨にそれを嫌ってみせたりする。し
かしそういうのを、心理学の世界では、「反動形成」という。つまりは、大仮面。『ダカラ
論』をかぶせるているうちに、自分でまったく別の自分をつくりあげてしまう。

 むしろこうした本能的行動が、人間のあらゆる活力の源泉になっている。あのフロイト
だって、リピドーという言葉を使ってそれを説明している※。「リピドー」つまり、生きる
力は、性的エネルギーである、と。

 女がいるから、男はがんばる。男がいるから、女はがんばる。一見、複雑にみえる人間
社会だが、すべては、そこから始まり、そこで終わる。もしその人から、性的エネルギー
を奪ってしまったら……。その人は、もう生きるシカバネでしかない。

 そこで結論。

 私たちは本能的行動によって、日々の生活の中で生かされている。しかしその本能的行
動は、いわば「無」から、「有」を生む行動といってもよい。そのことがわからなければ、
森に立つ木々を見ればよい。

 森に立つ木々には、本能的行動はない。だから、何と、その世界は、殺風景なことよ。
ドラマなど生まれる余地がない。(人間が木々を見て感動するのは、それは人間の勝手。木々
たちには、そういう感動はない。)

 一方、動物は、その「無」から、「有」を生みだす。その原動力が、性的エネルギーであ
る。

 もっとわかりやすく言えば、人間は、ほかの動物たちもみなそうだが、一見無意味な本
能的行動に支配されながら、その中から、「生きる」という「有」を生みだしているという
ことになる。もし映画『タイタニック』の中の、ジャックとローズが、男と女でなかった
ら、あの映画は、ただの船の沈没映画。

 しかしジャックとローズは、本能的行動に支配されて行動した。そしてあのドラマをつ
くりあげた。そしてその結果として、観客を、感動させた。つまり私たちが生きる意味は、
そこにある。

 本能とは何か? ……それをつきつめていくと、実は、それが、「無」から「有」を生み
出す、原動力となっていることを知る。つまりは、動物と、この自然界を分ける、壁であ
ることを知る。気が遠くなるほどの長い進化の過程で、人間は、(あるいはその前の動物と
しての人間は)、ただの物質としての生命体から、意思をもった生命体として、自らを区別
することができた。

 ……どこかの哲学者が書くような、わかりにくい文章になってしまって恐縮なのだが、
要するに、本能的行動こそが、私たちが人間であるという証拠、そのものにほかならない。

 大切なのは、そうした本能を前向きのとらえるということ。そしてその前に、何が本能
で、また本能的行動であるかを、冷静に知るということ。つまりは、いかに意思の力でコ
ントロールしていくかということ。たとえて言うなら、本能は、野生を走る野生馬のよう
なものかもしれない。

 その馬に乗る私たちは、その馬をうまくコントロールする。野生馬そのものは、悪でも
何でもない。むしろ野生馬を否定すれば、私たち自身の存在もあやうくなる。

 今日までの結論は、そういうことになる。このつづきは、もう少し頭がすっきりしてか
ら、考えてみたい。今朝の私は、どこかぼんやりとしている。頭がうまく働かない。
(はやし浩司 本能 本能的行動 本能論)
(040326)

(※)フロイトのこの学説に対して、ユングなどは、それを否定している。ここではフロ
イトの学説にそって、話をすすめてみたが、だからといって、私がフロイトの信奉者とい
うわけではない。誤解のないように!

(3)心を考える  **************************

【心を考える】

●回避性障害

 人と会いたくない。ひとりで、部屋の中に閉じこもっていたい。どこか気分が重い。人
と会うと、疲れる。こわい。自分がそのままボロボロになっていくように感ずる。

 これが回避性障害である。

 この状態のとき、本人が何も考えていないかというと、それはウソ。無数の「考え」と
いうより、無数の「感情」が同時に、自分の中でわき起きてくる。もう少し具体的に説明
しよう。

 引きこもっている人を見ると、一見、その人は、何も考えていないように見える。ぼん
やりと、時間が流れていくのに身を任せているように見える。実際、外から観察すると、
そう見える。

 しかし実際には、そうではなく、そのとき、その人を、無数の感情(考えではなく、感
情)が、襲っている。

 悲しい思い。楽しい思い。こわい思い。つらい思い。それぞれに何らかのエピソードが
付着することはある。そういった、とりとめのない感情が、つぎからつぎへとわき起こり、
その人を支配する。

 平常なときというのは、つまりそうでない(ふつうの人)は、そうした感情の中から一
つを選び、それに身を任すことができる。しかしこのタイプの人には、それができない。「自
分が何を考えているかわからない」というのではなく、そのため、「自分がどこにいるかわ
からない」という状態になる。

 だから世間との接触が、できなくなる。本当に、こわいのだ。

 そこで回避性障害を起こす人は、昼間の日の光を恐れるようになる。その光の向こうに、
人の気配を感ずるからだ。無数の人の気配イコール、自分のバラバラになった感情という
ことになる。

 だからただひたすら、目を閉じて眠る。眠くなくても、目を閉じる。遠くで聞こえる車
の走る音。人の声。歩く音。家族の動静。すべてが気になる。そしてそのつど、別々の感
情が心の中で起きてくる。

 そういう意味では、まさに心のビョーキということになる。感情のコントロールそのも
のができなくなる。一つの妄想がつぎの妄想を、呼び起こす。そしてそれらが混ぜん一体
となって、頭の中をかけめぐる。

 それがこわい。

 こうして回避性障害の人は、見た目には、昼と夜を逆転した生活をするようになる。夜
のほうが安心できるというのは、それだけ人の気配を感じないからだ。

 ……と、私もときどき、気分が落ち込むと、瞬間だが、回避性障害のような状態になる
ことがある。そういう自分を静かに観察してみると、そういう人たちの心の状態が、理解
できる。

 私がたまたま回避性障害と言われないですんでいるのは、その期間が、「瞬間的」である
からにすぎない。しかし一歩、まちがえば、いつその障害にとりつかれるか、わかったも
のではない。この文を読んでいる、あなただってそうだ。

 大切なことは、だれにでも、そういう兆候はあるということ。何も、特別な人が、回避
性障害になるわけではない。ごくふつうの人が、ふとしたきっかけでそうなる。

 つぎに大切なことは、そういう状態になる前に、できるだけ自分の心を静かに観察する
習慣と能力を身につけておくということ。そしてそういう状態になる前に、「今の私は、お
かしいぞ」と、自分の心にブレーキをかけるようにする。

 繰りかえすが、だれだって、心のビョーキになるのだ。回避性障害にだって、なる。同
じ人間だから……。


●夫の仕事、妻の仕事

 毎日、じっと何かに耐えながら、仕事をする。いやなことも、つらいことも、ぐいとが
まんしながら、仕事をする。

 仕事には、いつもそういう側面がある。ないとは言わない。この世界で、自分の仕事を
楽しんでしている人など、いったい、どれだけいるというのか。

 芸術家? 作家? 研究家? ……こういう人たちは、それなりに苦しいこともあるだ
ろうが、しかしサラリーマンのようなことはない。私のように、自営業者のようなことは
ない。

 私の恩師のT教授は、いつもこう言っている。「研究生活ほど、楽しい仕事はない。クリ
エイティブだし、もっともすばらしい仕事だ」と。

 そういう仕事にめぐりあうことができた人は、幸福だ。しかし大半の、つまり99%の
人は、そうではない。もししなくてもよいということになれば、今のこの瞬間から、その
仕事をやめてしまうだろう。

 私たちは仕事をしながら、その中に、ほんのわずかな「生きがい」を見出そうとする。
それは(あとから理由)かもしれない。(こじつけ)かもしれない。何であれ、そこに何ら
かの意味をもたせないと、仕事など、できない。

 もっともわかりやすいのは、(金儲け)である。お金を手に入れることを生きがいにすれ
ばよい。仕事イコール、金儲け。そのお金で、人生を楽しむ……。これならわかりやすい。

 ところでアメリカでは、外科医たちが、手術中に、音楽をかけながら手術をしていると
いう。今では、ごく当たり前の光景らしい。少し前の日本人なら、そうした行為を「不謹
慎」と、非難しただろう。

 事実、最近、マスコミで、こんな録音テープが暴露されて、問題になっている。何でも
その外科医たちは、手術中に、たこ焼きの話をしていたという。「あそこのたこ焼きは、う
まい」「タレが悪い」と。

 当然のことながら(?)、マスコミや、当の近親者たちは、その外科医たちを、まるでケ
ダモノのように批判していた。

 しかしいくら尊い仕事とはいえ、あの外科医たちのしている仕事ほど、過酷で、いやな
仕事はない。……と思う。私など、床に血が落ちているのを見ただけで、ゾーッとしてし
まう。それにその仕事には、いつも「死ぬ」「生きる」という問題がつきまとう。明るい日
向(ひなた)で、幼児を相手に遊ぶ仕事とは、根本的にちがう。

 で、あるとき、外科医を父親にもつ高校生とこんな会話をしたことがある。その外科医
は、そのあと、しばらくしてその総合病院の院長になっている。

私「君のお父さんは、毎日、人間の生死を見つめているような人だから、ほかの人とは、
ちがうだろうね」
高校生「ううん、別に……」
私「夜中でも、自分の患者の様態がおかしくなったら、病院へかけつけるんだろ?」
高「ううん、行かないよ」

私「どうして?」
高「だって、そんなことをすれば、翌日の手術に、さしさわりが出るから……」
私「さしさわりって……?」
高「居眠りしたら、たいへんだよ。手術で、失敗するよ」

私「じゃあ、そういうときは、どうするの?」
高「ちゃんと、担当の宿直医がいるよ。その人に任すことになっている」
私「じゃあ、休みの日は……?」
高「休みの日は、パパは、ジョギングに行くよ。水泳に行くこともある」
私「急患で呼ばれることはないの?」
高「ないよ。そういうときは、学会に行っていると、居留守を使うことになっている」と。

 私は何も、その医師を責めているのではない。むしろプロと呼ばれる人は、そういう人
のことを言うと思っている。でないというのなら、だれがあんな不気味な仕事(失礼!)
など、するだろうか。これは別の外科医師の息子(小5)から聞いた話だが、その子ども
の父親は、決して、焼き肉を食べないそうだ。

 その気持ちは、痛いほど、よく理解できる。

 つまり考えようによっては、あの外科医のする仕事ほど、忍耐が必要な仕事はないとい
うこと。3K(きつい、きたない、苦しい)ということになれば、その「3K」の上に「超」
がつく!

 だれしも、みな、じっと何かに耐えながら、仕事をする。いやなことも、つらいことも、
ぐいとがまんしながら、仕事をする。仕事というのは、そういうもの。

 ……実のところ、私もこのところ、ふと、そう思うようになった。あるいは気がつき始
めていると言ったほうがよいのか。「こんな仕事をいつまでも、していて、それが何になる
のだろうか?」と。これはこのところ、少し疲れてきたせいかもしれない。収入にしても、
それほど、魅力的でなくなってきている。

 まあ、もう少し、がまんしてみるか……。みんな、がんばっているし……。


(4)今を考える  **************************



●ホームレスの男

 私の教室から、数十メートル離れたところに、小さな公園がある。昔は、市役所がそこ
にあったという。今は、記念公園のようになっていて、中央に、消防夫の銅像が建ってい
る。なかなかの力作である。

 で、昨日、その公園を横切って教室へ行こうとすると、一人のホームレスの男が目に止
まった。ちょうど青いビニールシートを広げて、何やら、並べるところだった。

 私はどういうわけか、このところ、ホームレスの人たちに、親近感を覚えるようになっ
た。もともと私の生きザマも、彼らのそれに近いこともある。

 で、そのとき視線が合ってしまった。私がニコリと笑うと、その男も、どこかニコリと
笑った。顔の細い、60歳くらいの男だった。私が近寄ると、親しげに話しかけてきた。

 「これ、300円だよ。これがあると便利だよ。これは、200円でいい……」と。

 どこかはにかんだような、力ない、オドオドした言い方だった。

 みると、ゴミというか、どこかで拾ってきたようなものばかりを並べていた。実際、ど
こかで拾ってきたものだろう。使い古しのローソクとか、皿とか、栓抜きなどが並べてあ
った。

 その間に、観葉植物も並べてあった。私が買うとした、それしかない。

私「これはいくら?」
男「ああ、これね、500円でいいよ。いや、300円でもいいよ」
私「根はついているの?」
男「砂地にさしておけば、根はつくよ」と。

 観葉植物もどこかの庭から、引きぬいて盗んできたものだろう。それがありありとわか
るような観葉植物だった。

私「名前は何ていうの。この植物?」
男「知らないよ。でも、きれいな花が咲くよ」
私「こっちのは、いくら?」
男「これも、300円でいいよ」と。

 男はどこか遠慮がちだったが、必死だった。懸命に、観葉植物を並べなおして、それを
私に売りつけようとした。

私「おじさんは、生まれはどちら?」
男「ああ、おいらね。おいらはね、周智郡のM町だよ。あのM町から、バスで、30分く
らいのところだよ」
私「フウーン。ここ数日は、暖かくなってよかったね」
男「そうだね。やっと暖かくなったね」と。

 私は一つの植木バチを指差して、「それをもらうよ」と。

 男は、瞬間、輝くような喜びを見せて、「ああ、これね。300円でいいよ」と。

 が、男は、その植木バチから、一本だけを、引きぬいて、別の植木バチに植え替え始め
た。少し話がちがう? が、私は、何も言わなかった。

 男は、その一本だけを、別の植木バチにぐいと押し込んだあと、それを手で高くもちあ
げながら、「これでいいかなあ?」と。本当は、「一本だけとは思わなかった」と言いたか
ったが、言えなかった。人なつこそうな男の表情が、それをはばんだ。

私「どうせ、すぐ別の植木バチに植え替えるから……」
男「包まなくてもいいかい?」
私「いいよ」
男「ありがとうね」と。

 私がバッグからお金を出すと、男は、「その皿の上に置いてくれればいいよ」と。時刻は、
午後2時ごろだった。で、私が、「おじさん、今日は何か食べたの?」と聞くと、下を向い
たまま、だまってしまった。

 私は型どおりのあいさつをして、つまり左手に植木バチをつかんだまま、その場を離れ
た。とたん、右手にあの消防夫の銅像が見えてきた。左の石段では、先ほどから男女の高
校生が、何やら、たがいの体に触れあいながら、いちゃついていた。

 のどかな昼だった。雨がやんで、空気も澄んでいた。私は仕事の前に、どこかで昼食を
食べるつもりだった。しかしこのところ、太りぎみ。瞬間、私はふりかえった。男は、私
を見ていた。

 私は男のところにもどった。

 「おじさん、これぼくの昼飯代だけど、おじさん、何か買って食べナ」と。私はバッグ
から1000円札を取り出すと、男に渡した。「断られるかな」と思ったが、男は前にもま
してうれしそうな顔をした。

私「チップだよ」
男「ありがとうよ」と。

 心のどこかで「こんなことしていいのかなあ」と思いつつ、その場を離れた。今度は、
もう振りかえらなかった。

 公園を出るとき、ハトの一群が足元から、バタバタと飛び去った。
(はやし浩司 ホームレス ホームレスの男 随A)
(040327)


●白い顔

 我が家を改築してからのこと。ワイフが、いつもまっ白な顔をして、洗面所から出てき
た。「ナ、何だ、その白い顔は!」と言うと、ワイフは、「どこがア?」と。

 理由は、すぐわかった。

 洗面所に、二つの暖色系のランプがつけた。だいだい色の、明るいランプである。その
ランプのもとで化粧をしていると、どうしても、白味を帯びた化粧になる……らしい。

私「化粧をするときは、自然光の中でしたほうがいい」
ワ「そうね」と。

 以来、街をいっしょに歩いていて、まっ白な化粧をした人を見ると、私はワイフにこう
言う。「きっと、あの人の家の洗面所も、だいだい色のランプだよ」と。

 で、その化粧。

 私は、昔から、日本人は、化粧のしすぎだと思っている。どうごまかしても、日本人は
日本人。アジア人。黄色人種。肌の白さが、白人とは、基本的にちがう。少し前、「私、フ
ァンデーション、使ってません!」と叫ぶ、どこかの化粧品のコマーシャルがあった。だ
いたいにおいて、ファンデーションなど、使うほうが、おかしい(?)。

 こんな事件があった。

 ある日のこと。私の二男の妻が、近くのデパートへ、服を買いにいった。そこでのこと。
二男の妻が、試着室で、泣き出してしまったという。二男の妻は、生粋(きっすい)のア
メリカ人。いわく、「私が服を着ようとしたら、店員さんが、私の顔に袋をかぶせた。私は
伝染病など、もっていないのに……」と。

 それで私のワイフが、こう説明したという。「服に、ファンデーションがつくからよ。決
して、あなたを差別したからではないのよ」と。

 で、二男の妻に聞くと、アメリカ人の女性は、ほとんど化粧などしないという。使って
も口紅程度らしい。

 が、この日本では、もとの顔がわからないほどまでに、化粧をする。色を塗って、ツヤ
を出し、その上にまた色を塗る。マユや、鼻の線を描いて、さらにいろいろなものを、顔
や目につける。私のワイフなんかも、若いころは、原型をとどめないほどまでに、厚化粧
をしていた。アフリカの原住民にも、そういう種族がいるそうだ。顔から足の先まで、白
いドロを塗る。(まだ、そのほうが、わかりやすい?)

 つまり戦後、日本人は、あの過激ともいえる化粧品メーカーのコマーシャルに、踊らさ
れすぎた。S堂だの、K王だの、Pーラだの、いろいろある。

 で、今は、それが整形へとつながった。

 化粧にせよ、整形にせよ、それが悪いとは思わない。しかしものごとには、程度という
ものがある。限度というものがある。最近では、子どもに整形をほどこす親もいるという。
いいのかなあ?

 みなさん、もっと中身で勝負しようよ。……と言うのは、ヤボなこと。しかし世の女性
たちは、その化粧で、いかに多くの時間を浪費していることか。一人がすると、みながす
る。みながすると、われもわれもと、さらにみながする。こうして日本の化粧会社は、ほ
かの産業と比べても、特異な成長を遂げた。

 ところで話はかわるが、先日、100円ショップへ行ったら、100円化粧品というの
が、ズラリとあった。そこらの化粧品屋に売っているものなら、おおかた、すべてそろっ
ていた。

 私も、ためしに、つまりだまされたと思って、いくつかを買ってみた。整髪クリームや
ひげそりクリームなどなど。で、その結果だが、何も問題ない。ないというより、まった
くふつうの化粧品。

以来、私が使う化粧品は、すべて100円ショップのもの。そこで改めて、私は、こう
思った。

 「もともと100円程度のものを、莫大な広告費と宣伝費を上乗せされて、1000円
以上で買わされていたのではないか」と。

 とにかく日本の女性たちは、化粧のしずぎ。それだけは、国際的にみても、事実だと思
う。


●尖閣諸島(中国名・釣魚島)

日本と中国、台湾が領有権を主張する尖閣諸島に、中国人7人が上陸した。そこで日本
政府は、その中国人を逮捕し、沖縄まで連行した(3・25)。

 これに対して、日本のK首相は、「逮捕は、法治国家として当然!」(3・26)と。

 地図で見ると、その尖閣諸島は、まさに台湾のすぐそば。率直な疑問として、「どうして
そこが日本の領土なのかなあ」と思う。それはちょうど、北海道の東のはずれにある、ク
ナシリ島、エトロフ島を見て、「どうしてそこがロシアの領土なのかなあ」と思うのに、似
ている。

 だれも住んでいないのなら、よけいに、そう思う。「台湾のものだ」「いやちがう、日本
のものだ」「やあやあ、そこは中国のものだ」と争っても意味はない。何かしっかりとした
根拠でもあれば話は別だが、もともとあのあたりは、台湾に昔から住む部族(高砂族)が
活躍していたところ。沖縄の住民も、もともとは、その高砂族の一派だったという。ある
いは、日本本土というより、台湾に住む部族に近かったという。

 (こういうことを軽々に書くと、そのスジの人たちから、猛烈な反発がある。不勉強を
お許しいただきたい。今度、しっかりと調べておく。)

 ただ私は、こういうことが原因で、近隣の国の人たちと争い、それが戦争ということに
なれば、バカげていると思う。「小さな島だから、みんなで仲よく使いましょう」というわ
けには、いかないのだろうか。

 どうもこのところ、日本のK首相の言動は、過激になってきたように思う。私もどちら
かというと過激になりやすい人間だが、私のばあいは、いつも温厚で、穏便なワイフが、
私の言動にブレーキをかけてくれる。しかしK首相には、そういう人もいないようだし…
…。

 だれかがK首相にブレーキをかけないと、この日本は、たいへんなことになるぞ!……
と、私は、心配する。

 
●歩く

 ときどき、運動をかねて、自宅から浜松市内まで歩く。距離は、直線にして6〜7キロ。
やや速く歩けば、1時間と少し。ふつうに歩けば、1時間半の距離である。

 で、今日(3・25)も歩いた。今、その心地よい疲れが、下半身をおおっている。汗
も少しかいた。途中、パラパラと雨が降ってきた。万が一のときは、ワイフに助けを求め
るつもりだった。しかしその雨も、すぐやんだ。

 今日は、とくにこれはというドラマはなかった。道路工事をしている人や、学生たち、
そういう人たちとすれちがった。低い雲を見ながら、「あの雲の上は、銀色に輝いているの
だなあ」とか、そんなことを考えた。

 あとはただひたすら、大手を振って、前に向かって歩いた。そうそう一台、大型のベン
ツが横を通りすぎたとき、「ぼくの足は、ベンツだ。体は、BMWだ。頭は、IBMだ」と
思った。その車は対向車を避けるため、私の右肩をかすめていった。あぶなかった。

 あとはいつものコンビニで、お茶を買った。いつもの店員さんではなかったので、「いつ
ものメンバーは?」と聞くと、その店員さんは、こう言った。「今日だけ、交代です」と。

 で、その店を出て、ここへ来た。時刻は2時。今日は3時から、4月からの新年中児た
ちの説明会。もうこんなことを繰りかえして、30年以上になる。少し疲れた感じ。しか
しやるしかない。これが私の仕事なのだ。

 もう一度、簡単に掃除をして、イスを並べなおして、教材を置く。こうして私の新年度
は、毎年、始まる。


●本能

 本能は、意思の力によってコントロールできるか。

 本能といっても、内容は、一様ではない。しかし本能というのは、もともとは、生存に
関するものがほとんど。もしその本能を否定するようなことがあると、人間は、子孫を後
世に残せなくなる可能性もある。

 そのため本能が悪いのではない。要は、どうすればその本能におぼれないですむかとい
うこと。そういう意味で、本能は、恐ろしい。人間の本性そのものを、狂わす。

 たとえば私は、「男」だから、男としての本能をもっている。で、そういう自分を振りか
えってみて言えることは、「この本能ほど、やっかいなものはない」ということ。つまり本
能を、意思の力でコントロールするのは、たいへんむずかしい。

 今年度も、このS県でも、校長以下、7〜8人の教職関係者が、懲戒免職になっている。
全員が、ハレンチ行為が理由である。で、そのたびに、マスコミは、「教師にあるまじき行
為」と非難する。

 しかし本当にそうだろうか。私は、こうした問題は、「油断」の問題だと思う。油断した
ときに、その教師は、本能におぼれる。その教師自身の欠陥というより、心のスキの問題
である。

 正直に書く。本当に正直に書く。

 私は、22歳のときまで、ガールフレンドを何人ももち、遊びまくった。セックスが好
きだったし、楽しかった。しかしある夜を境に、それをやめた。

 以後、ただの一度も、本当にただの一度も、キャバレーとか、クラブへ、入ったことが
ない。もちろんその当時はやった、ピンクサロンへも、だ。そして少なくとも、それ以後
は、20歳以下の女性と、遊んだことはただの一度もない。本当にない。

 唯一の趣味は、ときどきストリップを見に行くことだった。しかしそれとて、裸の女性
を見るというよりは、その雰囲気を楽しむためだった。年に、数回は行っただろうか。し
かしここ15年は、一度も、行っていない。

 そういう私を見て、「教育評論家が、ストリップ?」と思う人はいるのだろうか。もしそ
う言って私を非難する人がいたとしたら、私は、こう叫ぶ。「私は、評論家である前に、男
だ。人間だ」と。

 だから正直に書くと、こうしたハレンチ行為で教職を追われた教師は、お気の毒としか
言いようがない。たまたま教職だったから、職場を追われた。それとも、ほかの公務員の
人たちも、同じように、懲戒免職になっているとでもいうのだろうか。

 私がたまたま品行方正なのは、それだけ自律心が強いからではない。たまたま、そうい
う本能におぼれる機会が、なかったからにすぎない。だからマスコミが騒ぐように、頭か
らそういう教師をたたくことが、どうしてもできない。

 本当に、本能というシロモノは、やっかいなものだ。

 これから先、もう少し、この問題は掘りさげて考えてみたい。


●友人、城下君を、悼む。

昨夜(3・25)、学生時代の友人、本多君(旧姓、城下君)の訃報を、聞く。金沢で弁
護士をしているK君と、本多君が住む、羽咋市で司法書士をしているA君から、ほとん
ど、同時に、連絡が届く。

 聞いたとたん、背骨が抜けたかのような衝撃を受けた。ひざが、ガクガクした。

 本多君は、3年前、石川門の前で、会ったばかりだった。翌年の、02年にも、同窓会
で会っている。元気だった。私とタイプが似ていたので、ふつう以上の親近感を覚えてい
た。その本多君が、死んだ!

 K君に電話する。しかし不在。つづいてA君に電話する。

私「どうしてだ?」
A「あいつ、10年前に、一度、脳腫瘍で手術をしてね。一度は、完治したんだ。で、ま
た頭痛があったのでみてもらったら、再発だよ。全身に転移していたよ。それでね……」
私「もう一人、脳腫瘍の人がいたじゃないか?」

A「そう、ぼくだよ」
私「知っていたよ。お前は、だいじょうぶか?」
A「つぎは、オレだろうな。これからは、みんな、バタバタと死んでいくと思うよ」と。

 浜松市に住んでいる同窓生の、I君に連絡をする。しかし夜10時ごろまで電話をかけ
つづけたが、不在。

私「葬式は、どうしたらいいだろうか?」
A「無理をするな。遠いから……」と。

 実家の私の母も、このところ寝たきりになっている。で、週末には、実家へ戻ることに
なっている。しかしそれは言わなかった。「葬式には、行けたら行くよ」と、そんないいか
げんな言い方も、したくなかった。

 本多君。

 この前会ったときは、ダジャレばかり言って騒いでいた。学生時代は、そうは思わなか
ったが、心の広い、大きな人間になっていた。その心の暖かさが、そのまま、まわりのも
のを包んでしまうような男になっていた。

 「彼も、いろいろあったんだなあ」とは思ったが、しかし脳腫瘍を経験していたとは…
…! 

私「急だったのか?」
A「頭が痛いというからみてもらったら、おかしな影が写ってね。それでね……。手術中
になくなってしまったよ。肺は、ガンが転移して、穴だらけだったそうだ」
私「……」
A「脳腫瘍は、急にくるよ。急だよ。症状がね」と。

 もう少し若いころの私だったら、心のどこかで、「ぼくでなくてよかった」と思ったかも
しれない。しかし今は、そうは思わない。私の中の、私の一部が、死んで消えてしまった
かのように感ずる。この喪失感は、どうしようもない。

 (このまま原稿が書けなくなってしまった……。)


●今日で、旧年度、終了! 3月26日!

 今日は金曜日。朝から曇天。昨日降った雨が、地面をぬらしている。

 やっと、昨日までに、いろいろなゴタゴタが片づく。おかげで今朝は、8時ごろまで、
ぐっすりと眠ることができた。

 昨日、書店で、アメリカやオーストラリアに住む友人たちに、いろいろな本や雑誌を買
う。花の本が好きな、Jさん。汽車が好きな、R君。それに孫の誠司に、英語の絵本。D
VDも買った。これはオーストラリアのB君のため。

 今日は、最後のレッスンが終わったあと、大掃除。気分は悪くないから、そのままワイ
フとどこかで、打ち上げ式をするつもり。「今年度も無事に終わった」と。と、同時に、来
年度の態勢も整った。

 教室も往年の活気はないが、それはそのまま私の体力の限界。もう昔のようには、仕事
はできない。これからは、自分の健康気づかいながらの、仕事となる。

 しかしこのぼんやりとした感覚は何だろう。友人の死か、それとも、春先の陽気か? 何
かしら気(け)だるい。

 明日、三男が、もう一度、グライダーに乗るという。昨日は、オーストラリア500キ
ロレースの出場選手たちの壮行会があったそうだ。三男は、そこで何かしらのアルバイト
をしたようだ。いくらか、お金を稼いだのだろうか。

 今度の日曜日に、バスか、セスナ機で、アデレードに戻る予定だという。天気がよけれ
ば、セスナ機で、遊覧飛行をしながら戻るという。あの国は、何かにつけて、日本とはス
ケールがちがう。

 長男の再就職先も決まった。「お祝い会をしようか」と声をかけると、「もう、いい」と。
誕生日が近いので、その日に、祝賀会は、まとめてするつもり。

 さてさて私も、春休みに入る。こういう長期の休みの最大の課題は、どうやって運動を
つづけるかということ。数日も運動をしないでいると、すぐ体がナマってしまう。毎日、
数時間は、自転車に乗ろう。……と、今、覚悟した。

 ああ、それにしても、はっきりしない朝だ。昨日の雨で、このあたりの桜も散ってしま
ったかもしれない。

今、ハナ(犬)が、遠慮がちにほえたところ。きっと散歩の犬が通ったのだろう。

 これから何人かに電話して、友人の葬儀に香典を届けてもらわねばならない。

 では、みなさん、Happy Spring−Time!
(040326)

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 みなさんの学校で、講演会の講師を考えておられるときは、どうか、一度ご検討
 くださいますよう、お願いします。

 詳しくは、私のホームページの中に、書いておきました。

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 月額300円です。申し込みは、

 電話で、054−281−8870(静岡教育出版社)です。

静岡県内の方は、学校単位で、申し込みをしていただけます。
4・5月号では、ストレスについての特集記事を書かせてもらいました。

以上、お願いすることばかりで、恐縮なのですが、よろしくお願いします。

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ふえつづけています。ありがたいことですが、一方で、申し訳なく思っています。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 23日(No.400)
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(1)子育てポイント**************************
抵抗力のある子ども
●子どもは自由に●非行は東洋医学的な発想で
 あやしげな男だった。最初は印鑑を売りたいと言っていたが、話をきいていると、「疲れ
がとれる、いい薬がありますよ」と。私はピンときたので、その男には、そのまま帰って
もらった。

 西洋医学では「結核菌により、結核になった」と考える。だから「結核菌を攻撃する」
という治療原則を打ちたてる。これに対して東洋医学では、「結核になったのは、体が結核
菌に敗れたからだ」と考える。だから「体質を強化する」という治療原則を打ちたてる。

人体に足りないものを補ったり、体質改善を試みたりする。これは病気の話だが、「悪」
についても、同じように考えることができる。私がたまたまその男の話に乗らなかった
のは、私にはそれをはねのけるだけの抵抗力があったからにほかならない。

 子どもの非行についても、また同じ。非行そのものと戦う方法もあるが、子どもの中に
抵抗力を養うという方法もある。

たとえばその年齢になると、子どもたちはどこからとなく、タバコを覚えてくる。最初
はささいな好奇心から始まるが、問題はこのときだ。たいていの親は叱ったりする。で、
さらにそのあと、誘惑に負けて、そのまま喫煙を続ける子どももいれば、その誘惑をは
ねのける子どももいる。

東洋医学的な発想からすれば、「喫煙という非行に走るか走らないかは、抵抗力の問題」
ということになる。そういう意味では予防的ということになるが、実は東洋医学の本質
はここにある。東洋医学はもともとは、「病気になってから頼る医学」というよりは、「病
気になる前に頼る医学」という色彩が強い。あるいは「より病気を悪くしない医学」と
考えてもよい。ではどうするか。

 子育ての基本は、自由。自由とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味。つまり
子どもには、自分で考えさせ、自分で行動させ、そして自分で責任を取らせる。しかもそ
の時期は早ければ早いほどよい。乳幼児期からでも、早すぎるということはない。

自分で考えさせる時間を大切にし、頭からガミガミと押しつける過干渉、子どもの側か
らみて、息が抜けない過関心、「私は親だ」式の権威主義は避ける。暴力や威圧がよくな
いことは言うまでもない。

「あなたはどう思う?」「どうしたらいいの?」と。いつも問いかけながら、要は子ども
のリズムに合わせて「待つ」。こういう姿勢が、子どもを常識豊かな子どもにする。抵抗
力のある子どもにする。

(2)今日の特集  **************************

●知能テスト

+++++++++++++++++++++

春休みが終わって、あちこちの園で、知能テスト
が実施されている。

それについて、M県にお住まいの、AAさんから、
「知能テストについて、詳しく教えてほしい」
「うちの子(年長児)は、IQ・105と診断さ
れたが、どういう意味か」という質問をもらった。

+++++++++++++++++++++

 現在、「ビネー式知能検査法」と呼んでいるものは、フランスの心理学者ビネーによって
開発された知能テスト法をいいます。

 それがアメリカで改良され、現在広く使われている、「スタンフォード・ビネー検査法」
という知能テストになりました。私たちが、「知能テスト」と呼んでいるものは、この「ス
タンフォード・ビネー検査法」のことをいいます。

 この「スタンフォード・ビネー検査法」の特徴は、子どもの知能を、(IQ、intelligent 
Quality)で、評化した点です。「うちの子のIQは……」というときの、「IQ」です。つ
ぎのような計算式で求めます。

  精神年齢
    IQ(知能指数)=-――――――――――x100
               生活年齢

 (精神年齢)というのは、検査テストの結果。(生活年齢)というのは、満6・0歳であ
れば、6x12=72ということになります。満10・0歳であれば、10x12=12
0ということになります。

 たとえば満6・0歳(精神年齢が72)の子どもが、テストで、80点をとったとしま
す。すると、そのIQは、80÷72x100=111ということになります。

 このスタンフォード・ビネー検査法で、130を超えると、天才、69以下だと、精神
遅滞と判定されます。ただし、いくつかの問題点があります。

(1)訓練によって、点数が伸びる……幼児教室によっては、こうしたテストを事前に実
施しているところがあります。ずるいですね。たとえばこの時期、慎重な子どもは、丸を
描くときも、ゆっくりと、ていねいに描きます。つまりそれだけ時間がかかります。そこ
でその丸をはやく、描かせます。少しだけ、時間がかせげるようになります。

ですから実際、ある程度訓練すると、10〜30点くらいは、点数が伸びるのは事
実です。しかし……??? 

(2)知能テスト、イコール、頭の性能ではない……知能テストで、よい成績をおさめた
からといって、その子どもの頭がよいということにはなりません。この種のテストは、要
領のよい子どもが、よい成績をおさめます。

またこの時期大切なのは、思考の柔軟性(やわらかさ)です。頭のやわらかい子ど
もは、そのまま伸びつづけます。そうでない子どもは、伸び悩みます。さらに空想
力、想像力、創造力となると、こうしたテスト法では、測定できません。たとえば
一定のオブジェ(形)を与え、その形を利用した絵を描かせるというテスト法(ド
ローイング・オブジェ法)があります。

このテスト法は、子どもの創造力を知るには、すぐれた方法ですが、しかし採点方
法が定型化できないという欠陥があります。採点は、あくまでも教える側の直感力
が基準になります。

(3)あくまでも標準値と比較しての話……スタンフォード・ビネー検査法は、あくまで
も標準値(生活年齢)と比較して、どうだというテスト法をいいます。ですから、約3分
の2の子どもは、85〜115の範囲に入るといわれています。必ずしも、絶対的なもの
ではないということです。

たとえば仮に、満6歳のとき、IQが、120と診断されたとしても、生活年齢が
あがれば、それが110になり、100になることもありえるわけです。もっとわ
かりやすく言えば、どこか早熟タイプの子どものほうが、よい成績をおさめるとい
うことです。

「子どものころは神童。二十歳を過ぎたら、ただの人」(失礼!)ということも、あ
りえないことではないということになります。

 このように知能テストというのは、あくまでもそのときの、能力のある部分を測定する
にすぎないということです。ですからそれで仮に悪い点を取ったからといって、それほど
深刻に考える必要は、(まったく)ありません。

 もし子どもの知能を伸ばそうと考えたら、それよりも大切なことは、「考える習慣」を身
につけさせることです。(もの知りで要領のよい子ども)ではなく、(深く、よく考える子
ども)です。

 つぎに大切なのは、(思考のやわらかさ)です。

 ところで、こんなことがありました。

 先日、あるところで、ある女性に会いました。年齢は、32歳ということでした。その
女性に、私は、こんなジョークを言ったのです。

 「ある男性が、バイアグラと、鉄分の入った錠剤を飲んで寝たら、翌朝、体は、北をさ
していた」と。

 しかしその女性は、キョトンした顔で、まったく反応を示しませんでした。ジョークを
話した私のほうが、驚いたほどです。内容を説明するといっても、きわどい話なので、そ
れもできませんでした。

 そのとき私は、「この女性は、頭のかたい人だな」と思ってしまいました。ふつうなら、
ゲラゲラと笑うはずなのですが……。

 子どもでも、伸びる子どもは、頭がやわらかいです。ずいぶん前ですが、ワールドカッ
プのとき、私はふと、こんなことを口にしてしまいました。「アルゼンチンのサポーターの
中には、女の人はいないんだってエ」と。

 すると子どもたち(年長児)が、「どうしてエ?」と。

 そこで私が、だって、「アル・ゼン・チンだもんね」と。

 このジョークは、幼児には無理かなと思った瞬間、一人だけ、ニヤニヤと笑った子ども
がいました。そういう子どもは、伸びます。

 この時期、大切なことは、子どもの頭をやわらかくする訓練です。具体的には、私の教
室のコマーシャルになって恐縮ですが、「同じことを、同じパターンでは教えない」です。
いろいろな角度から、いろいろな方法で刺激していきます。

 たとえばBW(私の教室)では、年間、44のテーマに分けて、一度たりとも同じレッ
スンをしないように心がけています。そういう刺激が、子どもの頭をやわらかくします。
子どもたちのもつ自由な発想を、うまく集約しながら、それを一つの考え方に結びつけて
いきます。

 というわけで、あくまでも知能検査(IQ)は、一つの目安にすぎません。

 最後に一言。書店などには、こうしたテストの訓練用のワークがおいてありますが、風
邪薬をいくらのんでも、風邪の予防にはならないと同じように、こうしたテストをしたか
らといって、頭がよくなるとは限りません。大切なのは、生活の場で、無数の刺激を受け
ながら、深く考える習慣です。どうか、それを大切にしてください。

 方法としては、いつも、子どもに向かって、「あなたはどう思う?」「あなたはどうした
らいいと思う?」と、話しかけることです。ぜひ、応用してみてください。

 参考までに、前に書いた原稿(中日新聞掲載済み)を、添付しておきます。

++++++++++++++++

子どもが伸びるとき

●伸びる子どもの四条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。(1)好奇心が旺盛、(2)忍耐力がある、(3)
生活力がある、(4)思考が柔軟(頭がやわらかい)。

(1)好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子ども
は、身のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味
も広く、多芸多才。友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年
下の友だちもいる。

何か新しい遊びを提案したりすると、「やる!」とか「やりたい!」とか言って、食いつ
いてくる。反対に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈〜ウ」とか、「もう
おうちへ帰ろ〜ウ」とか言ったりする。

(2)忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているか
らといって、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力という
のは、「いやなことをする力」のことをいう。

たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。そういう仕事でもい
やがらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。
あるいは欲望をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあっても、
手を出さないなど。こんな子ども(小三女児)がいた。

たまたまバス停で会ったので、「缶ジュースを買ってあげようか?」と声をかけると、こ
う言った。「これから家で食事をするからいいです」と。こういう子どもを忍耐力のある
子どもという。この忍耐力がないと、子どもは学習面でも、(しない)→(できない)→
(いやがる)→(ますますできない)の悪循環の中で、伸び悩む。

(3)生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなった
とき、妹の世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。
親は「やらせればできるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子
どもという。エマーソン(アメリカの詩人、「自然論」の著者、一八〇三〜八二)も、『教
育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重することである』と書いている。

(3)思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じい
たずらでも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食
パンをくりぬいてトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかた
い子どもは、一度「カラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小
三男児)は、いつも自分の座る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうと
しなかった。

 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくなに
なる、意固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動作
や感情表現が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜がか
かったような状態になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために

子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラス
の暗示をかけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソ
でもよいから、「あなたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り返
す。

もしあなたが、「うちの子は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。
まずいのは「あなたはダメになる」式のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あ
なたはやっぱりダメな子ね」式の、その子どもの人格の核に触れるような「格」攻撃は、
タブー中のタブー。

その上で、(1)あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むように
する(好奇心をますため)。また(2)「子どもは使えば使うほどいい子になる」と考え、
家事の手伝いはさせる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているようなら、
そういう誤解は捨てる(忍耐力や生活力をつけるため)。そして(3)子どもの頭をやわ
らかくするためには、生活の場では、「アレッ!」と思うような意外性を大切にする。

よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われるのは、それだけ刺激が多いことによる。
マンネリ化した単調な生活は、子どもの知恵の発達のためには、好ましい環境とは言え
ない。
(はやし浩司 ビネー スタンフォード 知能検査 知能テスト IQ 生活年齢 精神
年齢 子どもの知的能力 知的能力 知能)
(040325)

(3)心を考える  **************************

●集団の中の個人

 いつだったか、I県の県庁に勤める友人がこう言った。「官庁なんてものはね、規則で成
りたっているようのものだよ。規則を取ったら、組織はバラバラだよ」と。

 外から見ると、巨大な組織も、中身と言えば、無数の規則のかたまりでしかない、と。

 おもしろい見方である。心理学の世界でも、こうした規則の存在を認める。それを「規
範」という。

 たとえば街を歩いてみる。そこには無数の人がいる。しかし、たがいのつながりはない。
こうした人たちを、心理学では、「群集」と呼ぶ。しかしその群集が、何らかの規範を保ち
ながら集まったとき、その「群集」は、「集団」となる。

 官庁は、その規範で成りたっている。

 が、この規範には、いろいろな側面がある。便利な面もあれば、不便な面もある。わか
りやすく言えば、従順に従うか、反抗するかということになる。もちろんその中間も、あ
る。

 そこでこの「規範」に対する、人間の反応を、つぎの4つに分ける。

(1)従順、順応型……集団の規範を、何ら疑うことなく、受け入れる。
(2)挑戦、改良型……規範に対して、いつも改良を加え、住みやすくしようとする。
(3)抵抗、反抗型……規範に対して抵抗し、いつも反抗的態度をとる。
(4)逃避、退行型……規範から逃避し、自分だけの小さな世界に住もうとする。

 こうした4つのパターンは、そのまま、その人の生きザマとなって反映される。もちろ
んその組織は、官庁だけにかぎらない。「会社」という組織や、さらには「日本」という組
織も、その組織である。

 私は、この中でいう、(2)の挑戦、改良型タイプの人間である。どんな世界に入っても、
すぐワーワーと騒ぎ始める。「こうしたらいい」「ああしたらいい」と。今も、こうしてモ
ノを書きながら、そうしている。

 しかしときどき、(1)の従順、順応型であったら、どんなに気が楽になるだろうと思う
ことがある。私の知人の中には、そういう人も多い。組織という組織を、すべて受け入れ
てしまっている(?)。言われたことだけを、言われたようにやっている。

 で、今、ふと思ったのだが、画家や作家の中には、(4)の逃避、対向型の人が多いので
はないかということ。かなり話が脱線するが、許してほしい。ここから先は、まったく別
の話と思ってもらってもよい。

++++++++++

 最近でも、50万部を超えるベストセラーを出した人が、いる。しかし実際に会って話
をしてみると、完全な「お宅族」。社会や集団とのかかわりを、ほとんどもっていない。し
かし本だけは、売れた。

 そこでマスコミが担ぎ出し、その人の意見をあれこれ求める。しかし考えてみれば、こ
れはおかしなことだ。私は、この疑問を、かなり若いころにもった。

 日本を代表するような画家にせよ、小説家にせよ、ではそういう人たちが、社会的にす
ぐれた人物であるかどうかということになると、疑わしい。何かの研究家も、そうだ。む
しろどこか「?」な人ほど、そういう世界では、成功をおさめやすい? このことは、た
とえば教育の世界でも、言える。

 私が20代のころ、東京のA大学から、一人の教授が、このH市にやってきて、子育て
講演会をもった。題して「幼児教育とは」。しかし話の内容は、まったくチンプンカンプン。
あとでその教授の経歴を調べたら、その教授は、「赤ん坊の歩行のし方を研究し、その歩行
のし方から、人間の進化論を証明した人」ということだった。

 人間の赤ん坊は、ある時期、ワニやトカゲと同じような這(は)い方をする。

 それ自体は、すばらしい研究だが、ではその研究者が、どうして幼児教育を説くことが
できるのか。たまたま赤ん坊が研究テーマだったにすぎない。こうした誤解と、錯覚は、
ほかにもある。

 たとえば昔から、このH市は、楽器の町で知られている。それは事実だ。しかしそのH
市は、いつの間にか、音楽の町にすりかわってしまった。楽器と、音楽の間には、超えが
たいほど、大きな距離がある。以後このH市は、「音楽の町」として懸命に売りだそうとし
ている。が、今イチ、パッとしない。

 楽器と音楽。それは印刷機と文学と、同じくらい、離れている。印刷機の町だからとい
って、文学の町ということにはならない。同じように、楽器の町だからといって、音楽の
町ということにはならない。どこか話が、おかしい?

 さてさて話が脱線してしまったが、こうしたそれぞれの人の特性を見きわめないと、と
きとして、私たちは、その幻想と錯覚に振り回されてしまう。たとえば数年前、人間国宝
となっている歌舞伎役者が、若い愛人の前で、チンチンを出した事件があった。その写真
は、写真週刊誌にフォーカスされてしまった。

 しかしその役者が、人間国宝を返上したという話は聞いていない。その歌舞伎役者は、
役者としては、すぐれた人物かもしれないが、人間的には、「?」と考えてよい。つまり私
たちは、それぞれの人がもつ特性を、そのつど混濁してしまう傾向がある。端的な言い方
をすれば、有名人になれば、それだけ人格も高邁(こうまい)であると、誤解してしまう。

しかしそういうことは決して、ない。ないという意味で、ここに集団における人間の特
性を4つのパターンに分けてみた。もっとわかりやすく言えば、(4)の逃避、退行型の
人が、その世界で成功をおさめたあと、ついで、(2)の挑戦、改良型、あるいは(3)
の抵抗、反抗型の人間に化けることは、よくある。

 「さてあなたはどうか?」「私はどうか?」という視点で考えてみると、おもしろいので
は……?
(はやし浩司 集団 群集 規範)


●精神病は、危険か?

 神戸で起きた、『淳君殺害事件』は、いまだに多くの場所で語られている。そのため、自
分の子どものことで、それについて心配する親も多い。たとえば自分の子どもが、精神科
へ通うような状態になると、「うちの子は、だいじょうぶでしょうか」「うちの子どもも、
ああいう事件を引き起こすのではないかと心配です」と。

 しかしその事件を引き起こした少年Aが、そうであったかどうかという話は、別として、
一般論としては、精神病の患者(統合失調症※を含む)が事件を引き起こす割合が、そう
でない人が引き起こす割合より大きいというデータは、今のところ、存在しない。

 インターネットを使って、あちこちと調べてみたが、そういう事実は、浮かんでこない。
むしろごくふつうの子どものほうが、凶悪事件を引き起こす割合が、高い。だから精神的
に何か問題があるからといって、すぐそれを、「危険」と考えてはいけない。それこそ、ま
さに、偏見ということになる。

 日本人は、精神的に何か問題があると、それを隠そうとする。恥ずかしいこと、悪いこ
とと考える。しかし精神も、肉体と同じように、病気になる。なっても、まったくおかし
くない。

 非公式な意見だが、アメリカ人の3分の1は、うつ病だという学者もいる。あるいは3
分の1の人は、一生の間に、一度は神経症になるという説もある。40%が、何らかの精
神的病(やまい)をかかえているという説もある。内科へくる患者の、3分の2が、すで
にその段階で、心身症になっているという説もある。つまり今では、精神病というのは、
軽い風邪のようなもの。大げさに気にするほうが、おかしい。

 私も精神科の世話にはなったことこそないが、かかりつけの内科医師には、それに近い
相談をいつもしている。一応、睡眠薬とかそういう薬ももらっている。(めったに使ったこ
とはないが……。)若いころは、偏頭痛にも苦しんだ。

 むしろ、私のばあい、気をつけているのは、「ふつうに見える、ふつうでない人」だ。と
くに、執拗にからんでくる人には、注意している。アルツハイマー型痴呆症の人の、初期
のそのまた初期症状として、そういう症状を示すこともあるという。妙にかたくなになっ
たり、がんこになったりする。感情の繊細さが消えることもある。ズケズケとものを言う
のも、その症状の一つである。

 40歳のはじめで、その症状を示す人は、5%(20人に1人)とみるそうだ。

 親でも、こういう親にからまれると、とことん神経をすり減らす。その人が、ふつうで
ないと気づくまでに、時間がかかるからだ。このタイプの人は、ものの考え方が、自己中
心的。ある日、突然教室へやってきて、「ウソをつくな!」と怒鳴ったりする。理由を聞く
と、「夏になったら、紫外線がふえるから、帽子をかぶろう」と私が言ったことが、「ウソ
だ」と。つまり「帽子では、紫外線は防げない」と。

 自分勝手な妄想をふくらませてしまうため、会話そのものが、かみあわなくなってしま
う。

 で、40歳というと、ちょうど中学生の子どもをもっている親の年齢ということになる。
また5%というと、生徒でいえば、10人に1人ということになる。(親の数は、20人に
なる。)

 学校の教室では、30人クラスでは、何と、3人は、このタイプの親がいるとみてよい。
そういう親が、これまた先頭に立って、教室そのものを引っかきまわしてしまう。だから
最初から、警戒したほうがよい。

 このことは、親どうしのつきあいについても言える。

あなたの子どもが中学生なら、あなたの周辺にも、このタイプの親が、1人や2人は、
必ずいる。(しかしあなたは、絶対に、そのタイプの人ではない。なぜなら、アルツハイ
マー痴呆症の初期の初期症状を示す人は、こうしたマガジンを読まない。読んでも、す
でに理解できない。)

 ともかくも、精神病が危険であるという考え方は、まちがっている。根拠がない。偏見
である。むしろ、まじめな人ほど、精神病になりやすい。

 またまた原稿を書いているうちに、大きく話が脱線してしまった。このところ、こうし
て脱線することが多くなった。ひょっとしたら、これは痴呆症の始まりか……? ゾーッ!

 そんなわけで、この話は、ここまで!
(※……統合失調症。少し前まで、「精神分裂病」という診断名が使われていた。)


●催眠商法

 子どものころ、催眠商法というのを目撃したことがある。祖父だったか、だれかに連れ
ていってもらった。その催眠商法が、今でも、あるという。昨日、その催眠商法をしてい
た会社が、S市で、警察によって、摘発された。

 方法は、ご存知の方も多いと思うが、こうだ。

 まず安い商品で、相手をつる。タワシや歯ブラシから始まって、鍋やフライパンなど。
で、客が、鍋を買うと、その価格の2〜3倍近い景品を、それにつける。「おめでとう。鍋
を買ってくれた方には、この3000円の包丁をつけます!」と。

 こうして徐々に、高額商品へと客を誘導していく。すると客たちは、買わなければ損だ
という意識をもつ。ある種の興奮状態になる。

 そういう状態にしたあと、その最後に、30〜50万円にフトンを持ちだす。客たちは、
「高額のフトンだから、それなりのオマケがあるにちがいない」と錯覚する。しかしその
フトンには、おまけはない。「買った」と手をあげた客は、そのまま、その高額なフトンを
買わされてしまう。

 ……という話を、ここに書くのが、目的ではない。

 昔、私が20歳の後半のころ、私は一人のゴーストライターに出会ったことがある。名
前は、MK氏といった。当時、MK氏は、40歳くらいだった。

 いろいろなゴーストライターがいたが、MK氏の力は本物だった。相手に合わせて、た
くみに文章を書いた。文体も、その人に合わせた。

 しかしそういう生活を長くしてきたためか、自分では自分の文章を書けなかった。おか
しく思う人がいるかもしれないが、モノを書くということには、そういう側面がある。が、
そのMK氏の人生が狂うきっかけとなったのは、彼が一年間、交通刑務所に入ったことだ
った。

 MK氏は、それまでに二度、飲酒運転で逮捕されている。そして三度目。そのときも、
飲酒運転だった。(本当は、だれかの身代わりになったという話も聞いたことがある。)

 それで、交通刑務所に、一年間、入った。

 そのMK氏は、出所後も、しばらくはゴーストライターをしていたが、この浜松市では、
その仕事も少ない。で、MK氏は、先に書いた、催眠商法に手を出した。

 私が一度、「今は、何をしていますか?」と聞いたことがあるが、そのときMK氏は、ど
こかはにかんだ様子で、「フトンを売っているよ」と言った。

 で、それを最後に、MK氏とは、会っていない。ただMK氏をよく知る人とは、何度か
会ったことがある。その人の話では、今でも、MK氏は、今回、摘発された会社とはちが
うが、その催眠商法をしているらしい。

 ……という話を書くのも、この原稿の目的ではない。

 私はそのMK氏を思い出すたびに、こんなことを考える。人間の運命は、どこでどう決
まるのか、と。

 MK氏は、もともとまじめな人だった。才能もあった。もし彼が、東京とか、そういう
ところで仕事をしていたら、今ごろは、何かの賞でもとって、著名な作家になっていたか
もしれない。しかしこの浜松市では、モノを書いて生計を立てるのは、不可能。

 だからMK氏は、ゴーストライターをするようになった。彼は、衣料品販売会社の社長
の自伝を書いたり、いろいろなドクターの本を書いたりしていた。美容の本も書いたこと
がある。

 が、そのMK氏の運命は、交通刑務所へ入ったところで、大きく変わった。そしてその
あと、ここに書いた、催眠商法に手を出すようになった。

 もちろん催眠商法は、「悪」である。そしてそれをするMK氏は、「悪人」である。しか
しMK氏が、本当に悪人であるかどうかということになると、どうも、そうではないよう
な気がする。MK氏は、運命に翻弄(ほんろう)されるまま、いつしか、やがて、悪人に
育てられていった。

 実は、私が書きたいのは、このことである。

 世の中には、善人もいれば、悪人もいる。しかしその「差」は、ほとんど、ない。わず
かなチャンスに恵まれた人は、善人になり、そうでない人は、悪人になっていく。私やあ
なただって、もしMK氏と同じ立場になっていたら、そのまま悪人になっていたかもしれ
ない。

 反対に言いかえると、今、善人ぶっている人だって、一皮むけば……ということにもな
る。

 だからこのところ、私は、悪人を見ても、どうしてもその人が悪人には、見えない。「か
わいそうな人だ」とまでは、思わないが、それに近い感情をもつ。その摘発された会社の
社長は、顔を隠しながらも、どこかうなだれていた。私はそれを、テレビでかいま見たと
き、即座にあのMK氏を思い浮かべ、ついで私を思い浮かべた。私だって、一歩、道をあ
やまっていたら、今ごろは、ああなっていたかもしれない、と。

 どこがどうちがったのか、私にはわからない。あるいは、本当のところ、ちがいなど、
どこにもなかったのかもしれない。日々の、ほんのわずかな積み重ねが、MK氏をMK氏
にした。そして私を私にした。それだけのことかもしれない。

 そのニュースを、テレビでみながら、私は、そんなことを考えた。


●別れのニヒリズム

 教えるという仕事をしていると、いつも、出会いと別れが、ペアでやってくる。出会い
も、たいへんだが、別れは、つらい。

 そこで教えながらも、子どもには、感情を入れ過ぎない。入れすぎると、別れが、もっ
とつらくなる。

 では、どうするか?

 これはあくまでも私のばあいだが、別れると同時に、その子どものイメージを、つぎの
子どもに焼きつけてしまう。A君ならA君が去ったら、そのA君のイメージを、A君によ
く似た、B君に焼きつけてしまう。

 親にしてみれば、「入会も、退会も自由」と思うかもしれないが、教育は、ものの販売と
はちがう。サービス業とはいうが、そのサービス業ともちがう。当然、教える側と、学ぶ
側は、一本の人間関係という「糸」で結ばれる。

 それはたとえて言うなら、親が子どもを手放すのに、似ている。そこまでは深刻ではな
いにしても、その何百分の一くらいの、さみしさはある。

 それと同時に、「退会」というのは、一般の会社でいえば、「クビ切り」にほかならない。
親は簡単に、「今月いっぱいでやめます」と言うが、私には、それが「今月いっぱいで、あ
なたのクビを切ります」と言っているように聞こえる。

 だから長い間、こういう仕事をしていると、自分の心を守るため、いつも心のどこかで
自分の心にブレーキをかける。いつ別れがやってきてもよいように、心の準備だけはして
おく。

 しかしおかしなもので、その別れが近づいてくると、それとなく雰囲気でわかる。子ど
もによっては、どこか投げやりな態度を示すようになる。私の指示に従わなくなることも
ある。そういうときは、「ああ、この子との別れも、近いな」と、自分で覚悟する。

 もちろんだからといって、その親や子どもを、責めているのではない。もともと私がし
ている仕事というのは、その程度の仕事。自分でもわかっている。いつだったか、同業の
I先生も、こう言った。「ぼくらは、教え子の結婚式に呼ばれることは、まずありまあせん
から……」と。

 とくに私は、幼児を相手にしている。人間関係が、育たない。それに自分のしたことが、
いくらその子どもの(土台)になっていることがわかっていても、そこまで私を理解して
くれる親は少ない。この仕事には、そういさみしさが、いつもついてまわる。

 だからこの世界には、「20%のニヒリズム」という言葉がある。昔、だれかが、そう教
えてくれた。「どんなに、教育に没頭しても、最後の20%(10%でもよい)は、自分の
ためにとっておけ」と。それがないと、こういう仕事をしているものは、あっという間に、
身も心も、ボロボロにされてしまう。


(4)今を考える  **************************

●いかりやCさんの死去

 人気コメディグループ「D」のリーダーだった、いかりやCさんが数日前になくなった。
そのCさんには、こんな思い出がある。

 私が金沢で学生だったころ、私は、下宿の近くにあった観光会館というところで、よく
アルバイトをしていた。

 そこへ三波春夫という歌手の歌謡ショーがやってきた。私の記憶では、最前列よりも前
に立って(座って?)、上を見あげていたので、警備のようなアルバイトだったかもしれな
い。その三波春夫ショーの前座だったか、途中だったかで、「D」が、一列に並んで、何か
しらコントを披露していた。

 まだ「D」が、かけだしのころだったかもしれない。当時は、三波春夫の全盛期でもあ
った。

 私には、高木Bさんという、やけに太った人のほうが、強く印象に残った。(名前は、ず
っとあとになってから、知った。)ほとんど舞台装置もないような状態で、どこか寸劇風な
コントをしていた。そうそう今、思い出した。私がしていたのは、警備ではなく、そのと
きは、何か舞台の飾りつけをするようなアルバイトだった。その飾りつけを操作するため
に、そこにいた。

 「おもしろかった」という印象はなかったが、「私も仲間に入れてもらおうかな」と思っ
た。当時は、まだそんな雰囲気だった。

 つぎに記憶のあるのは、何かの拍子に、三波春夫の楽屋へ入りこんでしまったこと。狭
い楽屋で、4〜5畳くらいしかなかったのでは? そこに三波春夫が立っていて、私を何
かの重要人物とまちがえたのか、直立不動のまま、あいさつをしてくれたのを覚えている。

 そのあと、私は、三波春夫の話は、みなにしたのは、覚えている。「D」の話は、しなか
った。しかし今、その当時のことを思い出してみると、つまり今という時点でみると、三
波春夫は、消え、「D」のいかりやCさんだけが、残っている。

 だからどうというわけではないが、人気商売の流れのようなものを、私は感ずる。一つ
の流れがやってきて、そしてしばらくすると、つぎの流れがやってくる。そしてつぎの流
れがやってくるころには、前の流れは、消えていく。「世の無常」というのは、少しおおげ
さかもしれないが、それに近い。

 私自身は、いかりやCさんのコントよりは、渋い刑事風の演技が好きだった。が、その
Cさんもなくなった。そのことについて、今朝、ワイフが、こう言った。

 「古い人が、どんどんとなくなっていって、さみしいわね」と。私は、それに答えて、「う
ん、そうだね」と言った。そう言いながら、あの日、あのコントを見あげていた自分を思
い出していた。


●町の活性化?

 浜松市内のZシティ・中央館が、経営危機に陥(おちい)っている。この原稿が、みな
さんのところに届くころには、「市」としての、基本的な方向づけがなされていることと思
う。

 もともとこの開発計画は、無理な計画だった。それが私のような素人にも、よくわかっ
た。そこで浜松市は、今年になって、Zシティに、10億円単位の公的資金を注ぎ込もう
とした。しかしそれも、どうやら暗礁に乗りあげてしまったようだ。当然だ。17人程度
の地権者(商店主)の懐(ふところ)を守るために、10億円! しかもそれが、この先、
何年つづくかわからない。

 もう、やめよう。こんなバカな政治! 全国のみなさんが、1、2の3で、号令をかけ
れば、それですむ。

 官僚と政治家と土建業者。この三者が一体となって、全国に、箱モノと呼ばれる、豪華
な公共施設ばかりを作った。しかしその大半は、破綻(はたん)。役人の天下り先としては、
機能しているが、それ以上の価値はない。

 結局、そのツケは、つぎの世代の子どもたちが払うことに。払うというより、絶対に払
えない。本当に、これから先、日本は、どうするつもりなのか?


●国際情勢

 昨日、パレスチナの指導者(ハマスの精神的指導者のヤシン師)が、イスラエルによっ
て暗殺された(3・21)。これで中東情勢は、一気に不安定になった。……と、わかった
ようなことを書いたが、私は、本当のところ、中東情勢については、よく知らない。しか
し忍び寄る不安だけは、感じとることができる。

 一方、台湾では、二大政党が激突し、韓国でも、大統領の弾劾(だんがい)をめぐって、
二大政党が激突している。アジア情勢も、わけがわからなくなってきた。もっともこれら
は国内問題だから、それぞれの国に任せればよい。日本も、60年安保、70年安保のと
きは、大騒乱を経験している。

 問題は、K国だ。今の今も、せっこらせっこらと、核兵器を製造している。本来なら、
韓国がK国をおさえなければならないのだが、その韓国は、これまたせっこらせっこらと、
そのK国を助けている。

 いったい、どうなっているのか?

 こうなってみると、日本は、島国で本当によかった。海が、外敵から日本を守るための
堀(ほり)になっている。もし島国でなかったら……? 今ごろ日本は、どうなっていた
ことやら?

 今日の私は、どこかぼんやりとして、ものごとを深く考えられない。だからこんな上っ
面(うわっつら)なエッセーしか書けない。ここまで読んでくれた人に申し訳ない。ごめ
ん。


●送信者禁止処分

 前回、ストーカーメールについて書いた。しつこいメールを遮断(しゃだん)する方法
についても書いた。

 こういう機能がOE(アウトルック・エキスプレス)にあるということは、その種の悪
質メールで、困っている人が、多いということ。世の中には、心のない人が多い。よい例
が、コンピュータウィルスだ。そういうものを作って、どうして楽しいのか。時間と能力
のムダ。そういうことが平気でできる人というのは、人生をムダにしていることになる。
その愚かさに、いつか気がつくときがくるのだろうか。

 こう考えてみると、この問題は、自分の問題だと気がつく。私自身も、いつもどこかで、
その愚かなことをしている。そして自分の人生をムダにしている。

 私がよく後悔するのは、若いころ、他人のために本を書いていたことだ。ほかのことは
知らないが、自分の思想を切り売りするというのは、娼婦が体を売るのに似ている? い
くらお金のためとはいえ、してよいことと悪いことがある。あるとき私は、そう感じた。

 つまり「生きる」ということは、どこかでその「愚かさ」を知り、それと戦うことを意
味する。が、どうすれば、その愚かさを知ることができるのか。

 戦うべき、「私」には、つぎのようなものがある。

(1)自己中心性(利己主義、他人を犠牲にすること。)
(2)虚栄性(自分を飾るために生きること。)
(3)自己閉鎖性(生い立ちの中で身につけた、閉鎖性。他人に心を開けないという欠陥。)

 こうしたものが、私を愚かな人間にしている。そして「私」が、気がつかないところで、
コソコソとコンピュータウィルスを作って遊んでいるバカと、同じことをしている。

 しかしそのときは、気づかない。毎日、こうして前に進んでいると(多分?)、その結果
として、過去の私が愚かだったことを知る。そういう意味で、釈迦は、「精進(しょうじん)」
という言葉を使った。立ち止まったとたん、その人は、自分を見失う。

 こうして考えてみると、この世の中に、他人の愚かさを笑える人は、いったい、どれだ
けいるのかということになる。あるいは、ひょっとしたら、いないのかも? いろいろ考
えさせられる。


●マガジンが400号!

 やっとマガジンが、第400号を超えた。やっと、だ。目標は、1000号。あと、2
倍半! まだまだ道は遠い。がんばろう!

 一番苦しかったのは、200〜300号あたりか。よく覚えていないが、何度もくじけ
そうになった。が、そのたびに、多くの人に励ましてもらった。もしそれがなければ、こ
の400号まで、つづけられなかったと思う。

 しかしまだ、600号もある! が、このところ、少し自信がなくなってきた。ワイフ
はときどき、こう言う。「無理をしないでね」と。

 そう、どこか無理をしている感じがする。それに、どうしてこんな無理なことを、自分
に課してしまったのか、よくわからない。だれかに頼まれたわけでもないのに……、とよ
く思う。

 趣味なのか? 道楽なのか? それとも自分との戦いなのか? よくわからない。わか
らないまま、毎日、こうしてヒマを見つけては、原稿を書いている。

 読んでくれる人に申し訳ないので、できるだけ役にたつことを書きたいと思っている。
しかし本当に、読んでくれる人がいるのだろうか。そういう不安もある。まあ、できると
ころまで、やってみよう。その先に何があるかわからないが、やれるところまでやってみ
る。そのあとのことは、そのときに考えればよい。

(今夜の私は、かなり弱気になっている……? 多分?)

 しかしここは、すなおに喜ぼう。やったぞ、400号! 原稿用紙にすれば、400x
25=10000枚! 単行本にすれば、80冊! よくも、ここまで書いたものだ。ホ
ント! みなさん、ありがとう!
(040324)



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 詳しくは、私のホームページの中に、書いておきました。

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 月額300円です。申し込みは、

 電話で、054−281−8870(静岡教育出版社)です。

静岡県内の方は、学校単位で、申し込みをしていただけます。
4・5月号では、ストレスについての特集記事を書かせてもらいました。

以上、お願いすることばかりで、恐縮なのですが、よろしくお願いします。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 21日(No.399)
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http://bwhayashi.cool.ne.jp/page060.html

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(1)子育てポイント**************************

●不思議な糸巻き

 問題のない子どもはいない。だから楽な子育てというのもない。(財)日本女子社会教育
会の調査によると、七二%の母親が「子どものことで、イライラする」と答えている(九
五年)。

要は、そういう前提で子育てを考えればよい。以前読んだヨーロッパの童話に、こんな
のがある。『不思議な糸巻き』という物語だった。主人公の名前などは忘れたので、私が
勝手につけた。内容も多少違うかもしれない。

ヨハンという少年が、仕事をするのがいやで、森に逃げ込んできた。うしろのほうから父親が、
「ヨ
ハン、まき割りの仕事を手伝ってくれ」と叫んでいるのが聞こえた。

ヨハンが木の陰に隠れていると、魔女が現れて、こう言った。「あなたに不思議な糸巻きをあげ

う。
いやなことがあったら、この糸を引くといい。引いた分だけ、時間が過ぎる」と。

それからというもの、ヨハンはいやなことがあるたびに、その糸巻きの糸を引いた。父親に仕
事を
言いつけられたとき。学校でいやなことがあったとき。が、ある日、ヨハンはこう思った。「はやく

となになって、ハンナと結婚したい」と。

そこでヨハンは、糸をどんどん引いた。そして気がついてみると、ヨハンはおとなになり、ハンナ

結婚していた。

しばらくは平穏な生活が続いたが、やがて二人の間に子どもが生まれた。が、ヨハンは、子育
てが
苦手だった。そこでヨハンは、「子どもを早くおとなにして、自分の仕事を手伝わせよう」と考え
た。
そしてヨハンはまた、糸をどんどん引いた。気がついてみると、子どもはすっかりおとなになっ
てい
た。しかしヨハン自身も、老人になっていた。

が、自分をふりかえってみると、ヨハンには思い出が何もないことがわかった。そこでヨハン
は、再
びあの森に戻った。するとそこにあの魔女がいた。ヨハンは魔女にこう言った。

「私の人生はあっという間に終わってしまった。私の人生は何だったのか」と。すると魔女は笑
って
こう言った。「では、もう一度だけ子ども時代に戻してあげよう」と。

気がつくとヨハンは、子どもに戻っていた。うしろから父親が、「ヨハン、まき割りの仕事を手伝
って
くれ」と再び叫んだのを聞いたとき、ヨハンは明るい声でこう答えた。「お父さん、今、行くよ」と。

 童話とはいえ、この物語には、人生に対する考え方が織り込まれている。いろいろと考
えさせられる。つまり……。

誰でも苦しみや悲しみ、それにいやなことは、できるだけ避けたい。できれば毎日をの
んびりと楽しく暮らしたい。しかし自分の人生から苦しみや悲しみを取り除いてしまっ
たら、この人生は何と味気なくつまらないものになってしまうことか。もちろん逃げて
もいけない。その分だけ、時間が飛んでしまう。ヨハンは思い出のない自分に気づき、
人生そのものをムダにしたことに気づく。

 子育ての最中というのは、本当にたいへんだ。しかしそれも終わってみると、その時代
が人生の中で光り輝いているのを知る。無数の苦労が、ひょっとしたらその苦労が大きく、
多ければ多いほど、それから報われる喜びも大きい。ドラマもそこから生まれる。

……とまあ、こんなことを書くと、「誰にだって言うことぐらいならできる」と叱られそ
うだ。しかし心のどこかでそう思うことも、必要ではないのか。そういう冷めた見方が、
あなたの子育てに風を通す。

一度、子どもの前でこの童話を、声を出して読んでみてほしい。(よろしく!)

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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 くださいますよう、お願いします。

 詳しくは、私のホームページの中に、書いておきました。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page291.html


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 月額300円です。申し込みは、

 電話で、054−281−8870(静岡教育出版社)です。

静岡県内の方は、学校単位で、申し込みをしていただけます。
4・5月号では、ストレスについての特集記事を書かせてもらいました。

以上、お願いすることばかりで、恐縮なのですが、よろしくお願いします。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page091.html

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(2)今日の特集  **************************

【みなさんからの、ご質問に答えて……】

+++++++++++++++++++

今週も、たくさんの方から、相談や質問を
いただきました。ありがとうございました。
その中から、いくつかを選んで、少し考え
てみます。

ほかにもいろいろ相談をいただきましたが、
時間の都合で、お答えできません。どうか、
お許しください。

+++++++++++++++++++

●エスの人

 フロイトは、人格、つまりその人のパーソナリティを、(1)自我の人、(2)超自我の
人、(3)エスの人に分けた。

 たとえば(1)自我の人は、つぎのように行動する。

 目の前に裸の美しい女性がいる。まんざらあなたのことを、嫌いでもなさそうだ。あな
たとのセックスを求めている。一夜の浮気なら、妻にバレることもないだろう。男にとっ
ては、セックスは、まさに排泄行為。トイレで小便を排出するのと同じ。あなたは、そう
割り切って、その場を楽しむ。その女性と、セックスをする。

 これに対して(2)超自我の人は、つぎのように考えて行動する。

 いくら妻にバレなくても、心で妻を裏切ることになる。それにそうした行為は、自分の
人生をけがすことになる。性欲はじゅうぶんあり、その女性とセックスをしたい気持ちも
ないわけではない。しかしその場を、自分の信念に従って、立ち去る。

 また(3)エスの人は、つぎのように行動する。

 妻の存在など、頭にない。バレたときは、バレたとき。気にしない。平気。今までも、
何度か浮気をしている。妻にバレたこともある。「チャンスがあれば、したいことをするの
が男」と考えて、その女性とのセックスを楽しむ。あとで後悔することは、ない。

 これら三つの要素は、それぞれ一人の人の中に同居する。完全に超自我の人はいない。
いつもいつもエスの人もいない。

 これについて、京都府にお住まいの、Fさんから、こんな質問をもらった。

 Fさんには、10歳年上の兄がいるのだが、その兄の行動が、だらしなくて困るという。

 「今年、40歳になるのですが、たとえばお歳暮などでもらったものでも、無断であけ
て食べてしまうのです。先日は、私の夫が、同窓会用に用意した洋酒を、フタをあけて飲
んでしまいました」と。

 その兄は、独身。Fさん夫婦と同居しているという。Fさんは、「うちの兄は、していい
ことと悪いことの判断ができません」と書いていた。すべての面において、享楽的で、衝
動的。その場だけを楽しめばよいといったふうだという。仕事も定食につかず、アルバイ
ト人生を送っているという。

 そのFさんの兄に、フロイトの理論を当てはめれば、Fさんの兄は、まさに「エスの強
い人」ということになる。乳幼児期から少年期にかけて、子どもは自我を確立するが、そ
の自我の確立が遅れた人とみてよい。親の溺愛、過干渉、過関心などが、その原因と考え
てよい。もう少し専門的には、精神の内面化が遅れた。

 こうしたパーソナリティは、あくまでも本人の問題。本人がそれをどう自覚するかに、
かかっている。つまり自分のだらしなさに自分で気づいて、それを自分でコントロールす
るしかない。外の人たちがとやかく言っても、ほとんど、効果がない。とくに成人した人
にとっては、そうだ。

 だからといって、超自我の人が、よいというわけではない。日本語では、このタイプの
人を、「カタブツ人間」という。

 超自我が強すぎると、社会に対する適応性がなくなってしまうこともある。だから、大
切なのは、バランスの問題。ときには、ハメをはずしてバカ騒ぎをすることもある。冗談
も言いあう。しかし守るべき道徳や倫理は守る。

 そういうバランスをたくみに操りながら、自分をコントロールしていく。残念ながら、
Fさんの相談には、私としては、答えようがない。「手遅れ」という言い方は失礼かもしれ
ないが、私には、どうしてよいか、わからない。(ごめんなさい!)

 
●孫のかわいさ

 前にも書いたが、どの人も「孫は、かわいい」と言う。私から見て、それほど「?」と
思うような子どもでも、「かわいい」と言う(失礼!)。

 浜松市に住んでおられる、Kさん(女性)から、「お孫さんは、かわいいですね」という
メールが届いた。それについて、一言。

 で、私も、私の孫が「かわいい」と思う。自分が、ジジイになってみて、はじめてその
感覚が理解できるようになった。恐らく、他人が見れば、エイリアンのような印象をもつ
かもしれない。やたらと目ばかりが大きくて、どこか現実離れしている。しかしどういう
わけか、私には、かわいい。

 何というか、誠司の写真を見ていると、心が洗われるように感ずる。「天使」という言い
方は少しおおげさに聞こえるかもしれないが、私には、天使に見える。これもジジイにな
ってみて、はじめてわかった感覚である。

私「みんな、自分の孫がかわいいと言うだろ。ぼくも、自分がジジイになって、それがは
じめてわかった」
ワイフ「そうね。しかし誠司は、たしかにかわいいわよ」
私「うん。しかしそう思うのは、ぼくたちだけだよ」
ワ「いいじゃない。他人がどう思おうと。私たちは私たちよ。私たちの孫だし……」
私「そうだな」と。

 だからこのところ同年齢の仲間が、「孫はかわいいよ」と言うと、すかさず、私はこう言
う。「本当に、そうだよな」と。やっと、少し、私も、すなおな気持ちになってきたようだ。


●赤ちゃんがえりのあとに……

 下の子どもが生まれると、上の子どもが、赤ちゃんがえりを起こすことは、よくある。
それはそれだが、そのとき、上の子どもが、下の子どもに、執拗な攻撃性を示すことがあ
る。

 ふつうの攻撃性ではない。「殺す」寸前のところまでする。そのため、下の子どもが、上
の子どもに、恐怖心さえもつようになることがある。

 ……という話は、この世界では常識だが、今日、こんなメールを、ある女性(埼玉県U
市在住、TEさん)から、もらった。

 その女性は、三人兄弟(上から、兄、自分、妹)の、まん中の子どもだった。兄とは、
4歳ちがい。妹ととは、1歳ちがいだった。いわく……。

 「私は、もの心つくころから、兄にいじめられました。そんな記憶しかありません。父
や母に訴えても、相手にしてもらえませんでした。兄は、父や母の前では、借りてきたネ
コの子のように、おとなしく、静かだったからです。

 で、私は毎日、学校から家に帰るのがいやでなりませんでした。兄は、父や母の目を盗
んでは、私と妹を、(とくに私を)、いじめました。何をどういじめたかわからないような
いじめ方でした。意地悪というか、いやがらせというか、そういういじめ方でした。

 よく覚えているのは、私が飲んだ牛乳に、兄が、何かへんなものを入れたことです。お
かしな味がしたので、すぐ吐き出したのですが、かえって母に叱られてしまいました。『ど
うして、そんなもったいないことをするのか!』とです。

 で、私が中学生になったとき、とうとうキレてしまいました。兄ととっくみあいの喧嘩
になり、兄の顔に、花瓶をぶつけてしまいました。そのため兄は、下あごの骨を折ってし
まいました。

 たいへんな事件でしたが、それ以後は、兄のいじめは止まりました」と。

 ……と書いて、私は、今、おかしな気分でいる。

 今の仕事を35年近くもしてきたにもかかわらず、こういう問題があることに気づかな
かった。自分の盲点をつかれた感じである。赤ちゃんがえりを起こした子どもについては、
よく考えてきた。が、しかし、その赤ちゃんがえりを起こした兄や姉の下で、いじめに苦
しんだ、弟や妹のことについては、考えたことがなかった。

 つまり赤ちゃんがえりを起こす子どもの側だけで、私は、ものを考えてきた。そして赤
ちゃんがえりを起こした子どもについて、「被害者」という前提で、その対処法を書いてき
た。しかしその赤ちゃんがえりを起こした子どもは、一方で、下の子どもに対しては、加
害者でもあった。

 実際、このタイプの子どものいじめには、ものすごいものがある。ここにも書いたよう
に、(下の子どもを殺す)寸前までのことをする。そういう意味で、動物がもつ嫉妬という
感情は、恐ろしい。人間がもつ本性そのものまで、狂わす。

 弟を、家のスミで、逆さづりにして、頭から落とした例。自転車で体当たりした例。シ
ャープペンシルで、妹の手を突き刺した例。チョークをこまかく割って、妹の口の中につ
っこんだ例などがある。

 このタイプのいじめには、つぎのような特徴がある。

(1)執拗性……繰りかえし、つづく。
(2)攻撃的……下の子を、殺す寸前までのことをする。
(3)仮面性……上の子が、親の前では、仮面をかぶり、いい子ぶる。
(4)計画的……策略的で、「まさか」と思うような計画性をもつ。
(5)陰湿性……ネチネチと陰でいじめる。

 この中で、とくに注意したいのが、(3)の仮面性である。もともと親の愛情を、自分に
取りかえすための無意識下の行為であるため、親の前ではいい子ぶることが多い。そのた
め下の子どもが、上の子どものいじめを訴えても、親が、それをはねのけてしまう。親自
身が、「まさか」と思ってしまう。

 で、さらに一歩、踏みこんで考えてみると、実は、こうした陰湿な攻撃性をもつことに
よって、上の子ども自身も、心のキズを負うということ。将来にわたって、対人関係にお
いて、支障をもちやすい。こうした陰湿な攻撃性は、外の世界でも、別の形で現れやすい。

 たとえば学校などで、陰湿ないじめを繰りかえす子どもというのは、たいてい、長男、
長女とみてよい。

 そういう意味でも、人間の心は、それほど、器用にはできていない。結局は、その子ど
も自身も、苦しむということになる。

 さらにいじめられた下の子どもも、大きな心のキズをもつ。たとえば兄に対してそうい
う恐怖心をもったとする。その恐怖心が潜在意識としてその人の心の中にもぐり、その潜
在意識が、自分が親となったとき、自分の子どもへのゆがんだ感情となって、再現される
ということも考えられる。

 実はここに書いた、埼玉県のTEさんも、そうだ。最初は、「上の兄(8歳)を、どうし
ても愛することができない」という悩みを、私に訴えてきた。その理由としては、TEさ
ん自身の子ども時代の体験が、じゅうぶん、考えられる。断定はできないが、その可能性
は高い。

 何度も今までにそう書いてきたが、決して赤ちゃんがえりを、軽く考えてはいけない。
この問題は、乳幼児期の子どもの心理においては、重大な問題と考えてよい。
(はやし浩司 赤ちゃんがえり 赤ちゃん返り 負の性格 下の子いじめ 攻撃性)


●負の性格

 「負の性格」という言葉は、私が考えた。

 その人がもつ、好ましくない性格を、「負の性格」という。たとえば、いじけやすい、ひ
がみやすい、つっぱりやすい、ひがみやすい、くじけやすい、こだわりやすいなど。

 こうした性格は、その人を、長い時間をかけて、負の方向にひっぱっていく。他人との
関係で、いろいろなトラブルの原因となることもある。

 問題は、こうした負の性格があることではなく、そういう負の性格に気づかないことで
ある。気づかないまま、その負の性格に、操られる。そして自分では気づかないまま、同
じ失敗を繰りかえす。

 こうした現象は、子どもたちを見ていると、よくわかる。ひとつのパターンに沿って、
子どもは行動しているのだが、子ども自身は、自分の意思でそうしていると思いこんでい
る。
 
 ただここで注意しなければならないのは、仮にひがみやすい性格であっても、その子ど
もが、いつも、そうだということにはならないということ。

 相手によっては、素直になることもある。明るく振る舞うこともある。そういう意味で、
人間の心というのは、カガミのようなものかもしれない。相手に応じて、さまざまに変化
する。

 言いかえると、子どもを伸ばそうと考えたら、この性質をうまく利用する。こうした変
化は、子どもほど、顕著に現れる。そして仮に負の性格があっても、それをなおそうとは
考えないこと。簡単にはなおらないし、また「それが悪い」と決めてかかると、子ども自
身も、自信をなくす。

 で、問題は、私たちおとなである。

 こうした子どもの問題を考えていくと、その先には、いつも、私たちがいる。「私たち自
身はどうか?」と。

 考えてみれば、私も、いじけやすい、くじけやすい、それにひがみやすい。そういう負
の性格をいっぱい、かかえている。で、そういう性格が、おとなになってから、なおった
かというと、そういうことはない。今でも、いじけやすい、くじけやすい、それにひがみ
やすい。

 ただ、そういう自分であることを知った上で、じょうずにつきあっている。どこか、ふ
と袋小路に入りそうになると、「ああ、これは本当の私ではないぞ」と思いなおすようにし
ている。「自分を知る」ということは、そういうことをいう。

 だれしも、二つや三つ、四つや五つ、負の性格をもっている。ない人は、いない。要は、
それといかにじょうずにつきあうかということ。そういうこと。
(はやし浩司 負の性格 いじけやすい ひがみやすい)


●放火と火遊び

(S市のMUさんのご質問に、お答えして……。)

 親の目を盗んで火遊びする子どもは、少なくない。心身症の一つと考えてよい。抑圧さ
れた心理状態が長くつづくと、子どもの心はさまざまに変調する。その一つとして、火遊
びがある。

 ライターで、ものを燃やす。マッチに火をつけて遊ぶ、など。

 火遊びが、放火行為とちがうのは、火を燃やすスリルそのものを楽しむこと。放火は、
まさにそのものを消滅させる行為をいうが、火遊びには、それがない。燃やしては、消す。
燃やしては、消す。これが子どもの火遊びの特徴である。

 もちろん消すとき、それに失敗して、火事になることもある。しかしそれはあくまでも、
結果。子どもが隠れて火遊びをすると、たいていの親はあわてる。気持ちはわかるが、放
火行為とは区別して考える。

 で、子どもが火遊びをすると、親は、猛烈に叱ったりする。説教したり、怒鳴ったりす
る。しかしこういうケース、つまり心が変調している子どものばあい、説教したり、叱っ
ても、意味はない。原因そのものを考えないと、かえって、親の目を盗んで火遊びをする
ようになるだけ。

 私も焚き火がすきで、冬場になると、庭でよく焚き火をする。

 その焚き火だが、不思議な魅力がある。パチパチと燃えていく、木や葉を見ていると、
静かな興奮状態とともに、心がいやされていくのがわかる。そういう私の気持ちと、子ど
もの火遊びをいっしょにすることはできない。しかし炎(ほのお)には、何かしら、不思
議な魅力があるのは、事実である。

 そこで子どもは、火遊びをする。

 A君(小5)は、カーテンの下端を燃やして遊んでいた。最近のカーテンは、不燃材を
使っている。だからライターで火をつけたくらいでは、燃えない。火であぶっても、黒く
かたまるだけ。

 ほかにA君は、ときどき古いレコードや、カセットを、燃やすこともある。しかしレコ
ードは、燃やすと、モクモクと煙が出る。強い異臭がただよう。そのためA君は、隣の家
との境へ入って、レコードを燃やしていた。

 そういうA君を、母親は強く叱ったが、ほかにもA君には、病的な虚言癖もあった。あ
りもしないことを、あたかも現実であるかのように、シャーシャーとウソをついた。周期
的に、軽い過食と虚飾も繰りかえしていた。つまりA君の火遊びは、そうした一連の心身
症による症状の一つに、すぎなかった。

 原因は、親の神経質な、育児態度。過干渉と過関心。子どもの側からみて、息が抜けな
い家庭環境が、A君の心をゆがめた。つまりこうした原因を放置したまま、子どもの火遊
びだけを責めても、意味はない。

 もともと不安感の強い子どもと考えて、暖かいスキンシップが、有効である。添い寝、
手つなぎを、積極的にしてやるとよい。
(はやし浩司 子どもの火遊び 火遊び)


●精神不安

 S県のKKさん(女性)が、精神不安で悩んでいるという。

 「何をしても落ちつきません。夫は『気はもちようだ』と言います。わかっていますが、
この不安感は、どうしようもありません。とくに何か、問題があるというわけではないの
ですが、不安でなりません」と。

 不安イコール、情緒不安と考えてよいのでは……? 精神そのものが、不安定になって
いる。そこへ心配ごとや、不安なごとが入ると、情緒は、その心配ごとや、不安なことを
解消しようと、一気に不安定になる。

 イライラしたり、反対に怒りっぽくなったりする。突発的に、喜怒哀楽がはげしくなっ
たりする。ささいなことで、激怒することもある。

 こうした症状は、だれにでもあるのでは……? 私は、花粉の季節(毎年2月末〜3月)
になると、心身のだるさを覚え、ついで精神状態が、不安定になる。毎年のことだから、
このところは、自分で自分をコントロールする方法を、身につけた。「ああ、今の自分は、
本当の自分ではないぞ」と。

 幸いにも、ワイフが、きわめて安定した女性なので、そういうときは、すべての判断を
ワイフに任す。「お前は、どう思う?」「お前なら、どうする?」と。たいていの問題は、
それで解決する。

 あとはCA、MGの多い食生活にこころがける。CAの錠剤も、私には、効果的である。
戦前までは、CA剤は、精神安定剤として使われていたという。

 もともと私は、基底不安型の人間だから、心配性。そのため、いつも不安とは、隣りあ
わせにいる。とくに、今は、いろいろ問題があって、何かにつけて、落ちつかない。

私の欠陥は、いくつかの問題が同時に起きたりすると、パニック状態になること。具体
的には、大きな問題も、小さな問題も、同時に悩んでしまう。

 だからそうなる前に、つまり自分がそうならないように、気をつける。この世界でも、
予防こそが、最大の治療法なのである。だから、あまり変ったことはしない。「平凡」を感
じたら、それがベストだと思うようにしている。そしてその状態を、できるだけ長く守る
ようにしている。あとは、よく眠る。運動も効果的。

 あまり参考にならないかもしれない。どうか、めげないで、前に向って進んでほしい。


●健康診断

 それで思いだしたが、明日は、健康診断の日。先ほど、書類に、必要事項を記入した。
私は午前中ですむが、ワイフは、午前と、午後の二回もあるそうだ。

 で、毎年、どういうわけか、胃のほうで、「要精密検査」となる。私は日常的に水分をた
くさんとるため、胃の上部に空気だまりが大きくできるためだそうだ。つまりその部分が、
レントゲンに写らない? よくわからないが、毎年、それでひっかかる。

 既往症なし。病歴なし。まあまあ、今のところ、健康のようだ。しかし実は、昨夜、こ
んな失敗をした。

 近くのドラグストアへワイフと散歩がてら行ったら、便秘薬を売っていた。おもしろい
名前の薬だった。「どっさりウンチ」とか何とか。ワイフとゲラゲラと笑ってみていたら、
店員さんが、試供品をくれた。

 で、おもしろそうだったので、それを飲んでしまった。それが夜の9時ごろ。おかげで、
夜中の1時ごろまで、何度も、トイレ通い。腹は痛くなるし、ゴロゴロ鳴るし……。ウト
ウトとしかけると、ゴロゴロ……。そこでトイレへ……。昨夜は、そんなことを、10回
近くも繰りかえした。

 おかげで今朝は、睡眠不足。原稿も、あまり書けなかった。

 で、今夜は、早めに寝ることに……。では、みなさん、おやすみなさい! おたがい、
体だけは、大切にしましょう!


●義理の兄夫婦の離婚問題

 もう一通、N県にお住まいの、SHさん(女性、35歳)からのメール。いわく、「義理
の兄夫婦が、離婚寸前。仲が悪そう。こういうとき、私は、どうしたらいいか。毎月のよ
うに離婚騒動を繰りかえしている。しかし離婚はしないようだ……」と。

 夫婦というのは、おかしなもので、結論を言えば、夫婦のことは、夫婦にしかわからな
いということ。殴られても、蹴られても、「今の夫がいい」と言う妻がいる。あるいはまっ
たく収入がなく、一日中パチンコばかりしている夫でも、「今の夫がいい」と言う妻がいる。

 もちろんその反対の妻もいるだろう。要するに、夫婦の問題は、どこまでも夫婦の問題。
その夫婦に任せるしかない。

 では、夫婦を最後の最後で結ぶ、「絆(きずな)」は何か。

 私は(やすらぎ)だと思う。その(やすらぎ)が、ほんの瞬間でもあれば、夫婦は夫婦
でいられる。反対にそれがないと、いくら体裁をとりつくろっても、夫婦の関係は、やが
て崩壊する。

 で、私たち夫婦のばあい、その(やすらぎ)とは何かを、私はよく考える。

 これは結婚当初からの習慣になっているが、どちらかが夜、床にはいるときは、必ず、
いっしょに入るようにしている。とくに、冬の寒い日は、ワイフのぬくもりは、ありがた
い。つまりそれが私にとっては、(やすらぎ)であるように思う。

 この(やすらぎ)があるから、あとは一日中、それぞれが勝手なことをしていても、私
たちは夫婦でいられる。仮に見た目には、大喧嘩をしても、また元のサヤに収まることが
できる。夫婦というのは、そういうものか?

 多分、SHさんの義理の兄夫婦にも、どこかにその(やすらぎ)があるのかもしれない。
またそれがあるからこそ、離婚しないで、最後のところで、たがいにふんばっているのか
もしれない。外見だけを見て、その夫婦を判断してはいけない。

 その点、欧米人の夫婦には、学ぶべき点が多い。たとえば寝室にしても、ほとんどがダ
ブルベッドで寝ている。50歳になっても60歳になっても、そうだ。つまり一日のうち
の三分の一から、四分の一を、いっしょに過ごすことで、夫婦の絆を守っている?

 誤解のないように言っておくが、アメリカは別として、今では、日本の夫婦の離婚率の
ほうが、ヨーロッパ各国の夫婦の離婚率より高いことを忘れてはならない。

 さてあなたは、今の夫(妻)に、どこでどのような(やすらぎ)を覚えているだろうか。
これは私の勝手な解釈によるもので、何も参考にならないかもしれない。しかし今の私の
考えによれば、その(やすらぎ)を、どこかで覚えれば、それでよし。そうでなければ、
ひょっとしたら、あなたも、離婚予備軍かもしれない。

 反対に言うと、たがいにその(やすらぎ)をもつということは、夫婦円満のカギになる
ということ。毎晩、同じベッドで、たがいの寒さを防ぎあって寝るというのも、その一つ
の方法かもしれない。

 そう言えば、ここ数日、彼岸をすぎたというのに、寒い。しばらくストーブを使ってい
なかったが、ここ数日は、使っている。そのせいか、昨夜は、改めてワイフの体のぬくも
りを、ありがたく感じた。
(はやし浩司 夫婦絆 夫婦のきずな やすらぎ 夫婦のやすらぎ)


●生徒の依存性

 教える立場のあるものは、いつも、生徒の依存性に注意を払わなければならない。はっ
きり言えば、「生徒に、依存心をもたせてはいけない」。

 仮に教師が、生徒に依存性をもたせると、(教育)というよりも、それは(カルト)に近
い関係になる。教師は、どこまでも教師。カルト教団の教祖であっては、いけない。

 たとえば教師と生徒は、いつかどこかで出会い、そして別れる。わかりやすく言えば、
教師と生徒の関係は、その出会ってから、別れるまでの関係である。つまり、教える側も、
学ぶ側も、その(別れ)をいつも、心のどこかに用意して、教え、そして学ぶ。

 そういう意味では、(教育)というのは、その人の(土台)のようなもの。

 私は中学時代、M氏という、バリバリの共産党員の先生に習った。塾の先生だった。何
度も市長に立候補したが、最後まで当選することはなかった。

 しかし私は、心の中で、いくらその先生を尊敬していても、私自身は、共産党員にはな
らなかった。私が尊敬したのは、そのM先生の生きザマだった。

 たとえばM先生は、正月の年賀状も、自分で歩いて配達していた。夏になると、毎日、
長良川で水泳をしていた。そういう生きザマだった。事実、M先生は、(当然のことだが…
…)、塾の中では、共産党の話は、まったくしなかった。マルクスの「マ」の字も、話さな
かった。

 だから私は、M先生を尊敬しながらも、M先生を自分の土台とすることができた。恐ら
く私も、M先生も、いつかくる(別れ)を予想しながら、つきあっていたのだと思う。

 そんなわけで、教師は、生徒に依存心をもたせてはいけない。「いつか、そのときがきた
ら、あなたはあなたで勝手に生きていきなさい。あとのことは、私は知らない」と。そう
いうクールさ(=ニヒリズム)をもつ。

 それが私は、教師と生徒の、あるべき関係だと思う。余計なお節介かもしれないが……。
(はやし浩司 理想の教師 教師と生徒 生徒と教師)

(3)心を考える  **************************

【お休みします】

(4)今を考える  **************************

【恐怖のインターネット・ストーカー】(実話)

●喜びも、つかの間

 Aさん(32歳・女性)は、やっとの思いで、自分のホームページを開いた。そのため
に、公民館での、パソコン教室にも通った。近所の、大学生にも、手伝ってもらった。が、
それが、恐怖の始まりだった……。

 Aさんは、几帳面(きちょうめん)な人だった。それに、実のところ、ホームページに
ついては、無知に近かった。Aさんは、自分のホームページを開いたうれしさもあって、
そこに、自分のことをすべて書いてしまった。

 住所、電話番号、本名、家族の名前、メールアドレスなど。それに家族の写真まで。

 「仲のいい友だちに読んでもらえればと思って、そうしました」と、Aさんは、言った。

 しかしホームページには、個人の特定につながるような情報は、載せてはいけない。し
かしAさんは、そういう常識を知らなかった。


●アクセスカウンター

 1か月ほどたったところで、Aさんは、自分のホームページにアクセスカウンターを張
りつけた。カウンターをつければ、何人の人が、ホームページを訪れたかが、わかる。

 Aさんは、毎日、そのカウンターの数字が、一人、二人と、ふえていくのを楽しみにし
た。

 で、さらに1か月ほどたったところで、Aさんは、もっと多くの人に、自分のホームペ
ージを読んでもらいたいと願うようになった。日記風のエッセーも載せた。自分で描いた
イラストも載せた。パソコンに詳しい友人に相談すると、「ホームページをもっている人と、
相互リンクを張ればよい」と教わった。

 そこでAさんは、あちこちのホームページをのぞきながら、その掲示板に、自分のこと
を書いた。が、ここでまた、大きなミスをした。

 Aさんは、自分の住所と本名を、その掲示板に書いてしまった。「偽名では、相手の方に、
失礼かと思って、そうしました」と。

 こうしてAさんのホームページは、実名とともに、この世界に広まってしまった。


●最初のメール
 
 最初にその男性から、メールが届いたのは、正月もあけて、まもなくのことだった。名
前も、住所もなかった。

 Aさんは、何ら警戒することもなく、その男性からのメールを読み、返事を書いた。以
下は、Aさんから聞いた話である。

 「最初は、見知らぬ男性とメールを交換するのが、楽しかったです。私のホームページ
を見てくれた人ということで、親近感も覚えました。メールの内容は、儀礼的なあいさつ
が中心でしたが、相手の質問には、いつもていねいに答えていました。

おかしいなと思ったのは、相手の文章が、妙になれなれしい言い方のメールだったこと
です。まるで親しい友人に書いてくるようなメールでした。

 それに何というか、私のことを、よく知っているような言い方をするのですね。しかも
近所に住んでいるかのような言い方をするのです。たとえば『このところ、ここらも、急
に春めいてきましたね』とか。

 で、最初の数週間ほどは、私も、そうしたメールを交換するのが楽しくて、こまめに返
事を書いていました。しかしそれを過ぎても、その男性は、自分の名前も、住んでいると
ころも、言いませんでした。

 『どちらにお住まいですか』と、一度聞いたことがあるのですが、『まあ、いいじゃない
ですか。住所は、この日本かな……』という感じでした。

 で、私のほうも、もう聞くのもおっくうになりました。それで返事を書くのをひかえ始
めたのですが、ひかえ始めたとたん、相手からのメールが、どんとふえました。多い日は、
一日に、5〜6通とか、そんな感じでした」と。


●個人情報の削除

 私がそれに気づいたのは、たまたまAさんを、よく知る立場にあったからである。私の
ところにも、「私のホームページを開きました。どうか訪問してみてください」というメー
ルが届いた。

 が、私はAさんのホームページどころか、メールを見て、びっくり。メールの末尾に、
住所、氏名、それに電話番号まで書いてあった。すぐAさんに、メールを出した。「個人情
報は、すべて消しなさい!」と。

 個人情報から、パスワードが推察されるということはよくある。たいていの人、とくに
女性は、自分の名前のイニシャルと、生年月日、もしくは住所と組みあわせたパスワード
を使うことが多い。家族のイニシャルを使うこともある。

 パスワードを盗まれると、どんないたずらをされるか、わかったものではない。

 ホームページを出すというのは、まさに世間に、自分をさらけ出すことを意味する。そ
れなりの覚悟があるなら話は別だが、そうでなければ、個人情報の公開は、最小限におさ
えたほうがよい。

 100人のうち、一人は、まともでない人がいる。1000人のうち、一人は、さらに、
まともでない人がいる。そういう人にからまれたら、不愉快な思いをするのは、そのホー
ムページを開設した人自身ということになる。

 が、ときすでに、遅かった。


●執拗なメール

 Aさんに、さらに執拗なメールが届き始めたのは、5月に入ってからだった。

 「奥さん、今日は、洗濯ですか。今日は洗濯日和(びより)ですね」
 「奥さん、お子さんは、もう学校へ行きましたか。これから何をしますか」
 「奥さん、今夜のおかずは、何ですか。好物の、鍋物ですか」と。

 ホームページのどこかに日記風に書いた記事を、その男性は読んでいたらしい。それを
もとに、あれこれ書いてきた。

 いつも「奥さん……」で始まるメール。Aさんは、こう言った。「あっという間に、私は、
気持ち悪いのを通りこして、パソコンに触れるのさえ、いやになりました」と。

 そこでAさんは、その男性からのメールを、「送信者禁止」にした。こうすれば、着信と
同時に、そのメールは、「削除済みアイテム」に送りこまれる。一度、インターネットを閉
じれば、メールそのものが削除される。

 が、相手の男性も、「開封確認」を入れていたらしい。自分のメールが開封されないまま
削除されているのを知ると、今度は、Re(件)名のところに、長々と、文面を入れてく
るようになった。

 「Re:奥さん、どうか削除しないで、読んでくださいな。かわいそうだと思ってくだ
さい」
 「Re:奥さん、とうとう、怒らせてしまいまいましたか。そんな気じゃ、ないのです。
すばらしい奥さんに一言、ごあいさつをしたかったからだけです」
 「Re:奥さん、ホームページから写真をはずしましたね。でも、ぼくのほうで、ちゃ
んとプリントアウトしてありますよ」
 「Re:奥さん、私、こう見えても、決して悪い男じゃ、ないんです」と。

 相手の男性のアドレスを調べると、どこかの無料プロバイダーを利用しているようだっ
た。


●対抗策

 私に相談があったのは、その前後のことだった。私は、つぎのように教えた。

 「まず、送信者禁止はそのままにする。そして削除済みのアイテムに、その男性からの
ものらしきメールが入っても、絶対にのぞかないこと」と。

 Aさんは、それまでは毎日のように、パソコンを開いていたが、そのころになると、一
週間に一度くらいになってしまったという。が、そのとき、Aさんを、まさに恐怖のドン
底にたたき落すようなことが起きた。

 「久しぶりだからもういいだろう」と思って、その一週間目に、インターネットを開く
と、メールの送受信が、受信状態になったまま止まらなくなってしまったという。

 やっと止まったところで、恐る恐る「削除済みアイテム」をのぞいたとたん、Aさんの
顔は、みるみるうちに青ざめてしまった。体も震えだした。

 そして私があれほど、「だれからか見てはいけない」と言ったにもかかわらず、Aさんは、
その「削除済みアイテム」を開いてしまった!

 すべて、「奥さん……」で始まる、その男性からのものだった。そして件名だけで、一連
の文章になるようになっていた。それが何と、100通以上! 数え切れないほどだった
という。

 「Re:奥さん、お元気ですか」
 「Re:奥さん、このところ返事がいただけませんね」
 「Re:奥さん、お体のぐあいでも、悪いのですか」
 「Re:奥さん、そういえば、花粉症でしたね」と。


●現在

 Aさんは、ホームページを閉鎖した。同時に、パソコンを閉じた。そのAさんは、こう
言う。

 「ホームページは、もうこりごり。パソコンを開く気もしません。メールアドレスも、
個人は、公開してはいけませんね。その恐ろしさが、よくわかりました」と。

 Aさんのようなケースは、決して例外ではない。私自身も、ときどき、しかも定期的に
似たようなことを経験する。

 しかし免疫性ができたというか、今は、容赦なく、フィルターをかけたり、削除したり
して、対処している。いちいち気にしていたら、前に進めない。もちろん、5、6年前に、
同じような経験を、はじめてしたときには、かなり、不愉快な思いをした。

 で、こうしたメールが届いたときの、鉄則。決して、相手を、責めたり、攻撃したりし
てはいけない。批判してもいけない。ただひたすら、無視するのがよい。

 よくあるのは、ホームページの掲示板への、不良書き込み。私は、間髪を入れず、削除
することにしているが、そういうばあいでも、相手にしてはいけない。たいてい数回、削
除を繰りかえすと、相手もあきらめるのか、書き込みをしなくなる。

 しかしAさんが経験したような男性も、いるにはいる。だから注意するにこしたことは
ない。で、そのばあいも、相手にしないこと。「書き込みをやめてください」「もうメール
は結構です」などと書くと、かえって相手の思うツボにはまってしまう。

 が、それでもいやがらせがつづいたら……。相手のプロバイダー(@マーク以後)を調
べ、そのプロバイダーに連絡するとよい。「こういうメールが、届いていますが、善処して
ください」と。(本当のところ、そういうこともしないほうがよいが……。)

 大切なことは、個人情報は、最小限に。できればホームページには、載せないこと。知
らせないこと。とくに女性は、注意したほうがよい。はっきり言えば、この世界には、ど
こか頭のおかしい「人」が、多すぎるほど、いる。

 どうか、みなさんも、しっかりと自衛策を講じながら、ホームページを開設してくださ
い。こわいですよ……! ホント! ゾーッ!
(040321)

【私のばあい】

 私も、メールアドレス、ホームページ、実名を公開しているため、「?」なメールは、よ
く届く。抗議や、いたずら、いやがらせなど。掲示板への不良書き込みや、チャットルー
ムへのいたずら書きも、あとを絶たない。(掲示板への不良書き込みは、毎週のようにあ
る!)

 件名だけのメールも、ときどき届く。【未承認広告】と書いてあるほうは、まだよいほう。
個人の人からのメールだと思って、プレビュー画面に開いてみたら、その種の宣伝だった
ということも多い。

 で、私のばあいも、一度でも、そういうメールをくれた相手に対しては、「送信者禁止」
※にして、対処している。つまり着信と同時に、削除。件名も、読まないほうがよい。(読
※めば、気になるので……。)

 いろいろな雑誌にも書いてあるが、そういうメールは、無視するのが、一番よいとのこ
と。反論のため返信を書いたりすると、そのままこちらのアドレスがわかってしまうため、
かえってめんどうなことになることがあるそうだ。また中には、(私は経験していないが)、
いやがらせのため、ウィルスつきのメールを送りつけてくる人もいるという。

 (とくにウィルスつきのメールについては、その相手に、あれこれ返事を書いてはいけ
ないそうだ。最近のウィルスは、差出人を詐称するという。つまり勝手にその人のアドレ
スを使って、メールを送り届けてくるという。気をつけよう!)

 インターネットは、便利な面もあるが、扱い方をまちがえると、かえってめんどうに巻
き込まれてしまう。実に、わずらわしい。その点、携帯電話に似ているのかも? 便利さ
を悪用する人も、いるということ。じゅうぶん、注意してつきあうのが、よい。

 ここにも書いたように、とくに女性の方は、注意したほうがよい。(幸いにも、私は男な
ので、「こわい」と感じたことはない。)今夜もワイフに、ここに書いたAさんの話をする
と、こう言った。「私も気をつけよう」と。決して、他人ごとではない。

 そうそうウィルス対策だけは、しっかりとしておいたほうがよい。

 ウィルス対策ソフト、ウィンドウズのUPDATEは、今どき、常識。さらに私のばあ
い、プロバイダーのウィルス・チェック・サービスに加入し、かつパソコンを使い分けて
いる。

 ウィルスのこわさは、もう何度も、経験している。だからへたな温情、好奇心は、禁物。
「?」「あやしい」「だれかな?」「何だろ?」と思ったら、即、削除。また削除。容赦なく、
削除。「削除済みアイテム」にメールが入っていても、絶対に、のぞかない。とくに件名の
ところが、英語になっているのは、要注意。

 なお※「送信者を禁止にする」ためには、その人からのメールを、一度、白黒反転させ
たあと、上の「ツール」から、「送信者を禁止にする」をクリックすればよい(アウトルッ
ク・エキスプレスのばあい)。

そのとき「削除しますか?」と聞いてくるので、「YES」をクリックする。そうすれば、
そのつぎから、自動的に、その人からのメールは、すべて「削除済みアイテム」の中に、

 あとはAさんのように、いくらそのアイテムが太字になっても、開かないこと。心を鬼
にして、そうする。そういう習慣が、あなた自身と、あなたのパソコンの健康を守る。

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.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
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.       m\ ▽ /m〜= ○
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 19日(No.398)
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今回は、HTML版は、つごうにより、お休みします。

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 講師としてお招きくださるときは、県のほうから補助金が支給されます。

 みなさんの学校で、講演会の講師を考えておられるときは、どうか、一度ご検討
 くださいますよう、お願いします。

 詳しくは、私のホームページの中に、書いておきました。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page291.html


●雑誌「ファミリス」購読のお願い

 雑誌、「ファミリス」を、どうか、ご購読ください。

 月額300円です。申し込みは、

 電話で、054−281−8870(静岡教育出版社)です。

静岡県内の方は、学校単位で、申し込みをしていただけます。
4・5月号では、ストレスについての特集記事を書かせてもらいました。

以上、お願いすることばかりで、恐縮なのですが、よろしくお願いします。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page091.html

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 現在、メルマガのほうは、不定期発行になっています。定期的にご購読して
 くださる方は、どうか、Eマガ(無料・TEXT版)もしくは、
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どこかで宣伝していただいているのか、メルマガの読者の方が、このところも
ふえつづけています。ありがたいことですが、一方で、申し訳なく思っています。

 Eマガのほうは、以前と同じように、月・水・金と、週3回、発行しています。

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(2)今日の特集  **************************

●子どもの神経症(心身症)

【長野県にお住まいのSSさんより】

はやし先生はじめまして 四月に入学を控えている6才と1才(ともに12月生ま
れ)の男児をもつ、N市(長野県)の、SSと申します。

長男のことで悩んでおります。ネットで色々検索し、先生のHPにたどり着きました。
これまでモヤモヤと長男についておかしいと思っていた事が神経症の症状にすべてあ
てはまり、また自分にも心あたりがあります。

神経症の診断をしてみたところA24、B12と高得点でした。

(A24というのは、現在、思い当たる症状の合計点。それが24点ということ。またB
12というのは、過去にそういう症状があったという症状の合計点。それが12点という
こと。平均はそれぞれ3〜5点。24点というのは、異常な高得点と考えてよい。障害が
現れる一歩手前の状態と考えてよい。診断テストを希望の方は、はやし浩司のサイト→ト
ップページ→ビデオでごあいさつ→資料庫へ。はやし浩司、注)

今のところ一番ひどいのは、手洗いと臭いかぎの潔癖症と疑惑症、靴下をつねに上にひっ
ぱっている症状です。一緒にいるとガマンしきれずとがめてしまいます。

以前はやたらと手を洗っていたのですが、近頃はかなり儀式化しており、たとえば入
浴後パジャマを着終わると手を洗う、決まった取っ手を触ったら洗うなどです。

今夜も、「お風呂に入ってきれいになって、きれいなパジャマを着たんだから手を洗わな
くても大丈夫だよ」と言うと「僕はオチンコを触ったら絶対に手を洗いたいんだ」
「あと、ちょっとでも汚い物を触った時も手を洗いたいんだ」と言いました。

この子の神経症の原因はやはり家庭にあると思います。初めての育児で私はかなり気
負い型の育児をしてきました。

結婚したと同時に夫の両親と同居しています。初孫とあって育児にも何かと口を出さ
れ、よくイライラしていました。

その事で夫ともよく衝突し、息子が2歳になる頃に義父が亡くなりました。一家の中
心だった義父が亡くなり家の中は一気に険悪めちゃくちゃになり

私は孤立しました。息子が3歳になった頃、半年間は完全に家庭内別居でした。
離婚も真剣に考え、決心した所で夫と歩み寄る事ができ少しずつ関係修復に努めてき
ました。

しかし、その間は私の情緒が乱れに乱れ、間近にいた長男は相当傷ついていると思い
ます。
親の修羅場を見せてしまった罪悪感は今も消えずずっとその事が気がかりでした。

夫とはお互い努力を重ねて関係修復し、長男が年中になった春、ちょうど2年前に次
男を妊娠しました。

妊娠初期から切迫流産の危機で入院、長男は実家に預けました。
退院後もつわりがひどく、次は早産の危険もあるハイリスク妊婦のため
安静生活をよぎなくされました。ずっと抱っこもしてあげられず、息子はけなげに耐
え気遣ってくれていました。相当のストレスだったと思います。

その頃はつめ噛みと小さい頃気に入っていた、しまじろうの人形をまたひっぱり出して
きて肌身離さず持っていました。

妊娠後期、少しずつ動けるようになり息子との時間を持てるようになりました。検診
について行きたがったので、幼稚園を休ませ、のんびりバスにゆられて(普段は車生
活です)、のんびり過ごしました。私が動けるようになると同時に情緒も安定するのが
よくわかりました。

そして5歳の誕生日の4日後に次男誕生。一緒に妊娠生活を乗り越えてくれた長男は
当然のように出産にも立ち会いました。しかし、難産で私が苦しむ姿(痛い、死にそ
うーと叫んだ)を見てかなりのショックを受けたようで、それ以後、不安症が出てきま
した。

そして出産したとたん、それまでいい子にしていたガマンが爆発するかのように赤ち
ゃん返り。半年間は長男優先で育児をしてきたつもりです。

そして、今回の症状が出始めた昨年夏ごろ、次男が動くようになり後回しにはいかな
くなりました。と同時に次男のベビーベッドをやめ息子二人と三人で寝るようになり
ました。が、これが次男真ん中で私と長男は離れる形態になってしまったのです。長
男は夫と就寝ですが夜中目覚めると私と次男の間にねじ入ってきました。

秋から冬にかけ手洗いの症状はエスカレートしました。幼稚園に相談すると、とくに
園生活に問題はなく少しトイレが近いかな、との事でした。スキンシップを大切にと
のアドバイスを受けましたが、私を含め皆であの手この手で手洗いを阻止しようとそち
らへ意識が向いてしまっていました。

手洗い意外にもいじけ、すねるのもひどく何か叱るだけで、「ママ僕の事きらいなん
だ、MMちゃん(弟)の方が大事なんだ」と、毎日毎日何回もネチネチと言い続けてき
ました。その都度「そんな事ないよ。二人とも大事だよ」と返して来ましたがあまりの
しつこさに「こんなに大事って言うのにどうしてそんなにわからないの!」と怒鳴っ
てしまった事も数回あります。

振り返ると、長男にずっといいお兄ちゃんを求めてしまっていました。嫌がるのにお
もちゃを貸すように強要しました。手洗いなどの潔癖は弟がおもちゃをなめて汚すよ
うになってから出てきました。

「どうしてそんなに手を洗うの?」と聞くと「僕は汚れた手でおもちゃを触っておも
ちゃが汚れるのがいやなんだ」と言いました。私への悪態も日に日にひどくなってい
ます。

先生のHPを知り、著書も読ませていただきました。

スキンシップは心がけていましたが、やはり要所要所で足りなかったようです。ベッド
のレイアウトも変え、私が真ん中で長男次男と川の字で寝るようになると、体は授乳で
次男側を向いていても嬉しそうに、私の背中へ寄り添ってきます。次男が遊びに夢中に
なっている時に長男においでと呼ぶと、これまた嬉しそうに膝の上に座って甘えます。

寝る前の絵本や長男の小さい頃の思い出話もとても喜びます。

一番驚いたのは「TGちゃん(長男)が一番大事だよ。ママは大好きだよ。」と、初
めて'一番好きだよ'と言ったとたんに、口癖だった「ママは僕の事が嫌い」という
イジケがなくなったのです。

そして、可愛がっていた次男を拒絶するようになりました。帰宅拒否でしょうか?
のんびりマイペースで遊べる義母の居間に入り浸っています。

もっと早く先生の育児論を知っていたら、ここまでひどい症状には至らなかったと思っ
ています。

私は今のままスキンシップを心がけていけば大丈夫でしょうか?  手洗いは好きにさせ
ていいのですか? 思いこんでいることに対し、洗う必要がないよと言わなくていいです
か?

今、長男をここまでしてしまった罪悪感でかなり自信がなくなっています。こんな小
さいうちに神経症を発してしまい、将来が不安でたまりません。治る事にこだわって
いけないと頭で思っても心がついていきません。心配で不安で長男が卒園し、春休み
になった今、苦しくてプレッシャーでつぶれそうです。

先生、お忙しい中あつかましいですが、どうかアドバイスお願いします

+++++++++++++++++++++

【SSさんへ】

 神経症の診断結果は、高得点ですね。平均は、Aが5点、Bが3点です。20点以上と
いうと、かなりいろいろな症状が出ていると同時に、精神的にも、大きなダメージを受け
ていると思います。

 まず第一に、早く気づかれてよかったということ。「遅すぎた」というのではなく、「早
くてよかった」ということです。5〜6歳という年齢は、まだじゅうぶん、修復が可能な
年齢ということです。

青年期に、こうした症状が出てくると、もろもろの障害(摂食障害、行為障害、不安障
害、回避性障害、妄想性、睡眠障害)へ、そのまま結びついていきます。精神障害にな
ることもあります。

 で、順に、問題点を洗ってみます。

 TG君(長男)の心を不安定にしている最大の原因は、赤ちゃんがえりです。つぎに乳
幼児期の家庭騒動、家庭不安です。この時期、子どもは、絶対的な安心感の中で、心をは
ぐくみます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味です。

 しかしそれができなかった。TG君は、この先、何かにつけて、不安先行型の人生観を
もつものと思われます。赤ちゃんがえりそのものは、症状的には消えていきますが、それ
が原因でゆがんだ心(ひがみやすい、いじけやすい、つっぱりやすいなど)は、これから
も残っていきます。

 だからといって、SSさんの育児が失敗だったというのではありません。多かれ少なか
れ、みなそうだということです。問題のない家庭はないし、そのため、問題のない子ども
は、いません。もっとはっきり言えば、この程度の問題なら、みんなもっているというこ
と。

 どの家庭も、どの子どもも、外から見ると、みんなうまくいっているように見えますが、
それはあくまでも、「外見」。だから、今までは今までとして、これからは先だけを見て、
前に進むことです。

 私がSSさんで、すばらしいと思うのは、まだお若いはずなのに、よくも、ここまでご
自身のことを知っておられるということ。また子育てを、よくも、ここまで客観的に見て
おられるということ。

 いろいろあったご様子ですが、SSさんは、その結果、かなり精神的に成長なさったと
思います。あなたの年齢で、ここまで自分をしっかりと見つめておられる方は、そんなに
いません。その点について、まず、自信をもつこと。

 ふつうは、それにさえ気づかないで、我流、独断、独善で、ますます子どもの心をゆが
めてしまうものです。

 気になっている点から、順に話していきます。

●疑惑症、潔癖症について……

 これらはあくまでも、「外に出た症状」です。インフルエンザで言えば、「熱」のような
ものです。

 熱を冷ますために、水をかけてはいけないように、症状だけをみて、それを抑えようと
しても、うまくいきません。かえって症状をこじらせます。

 原因は、慢性的な欲求不満と、ストレスです。

 方法は、スキンシップに始まり、スキンシップに終わります。親側からベタベタする必
要はありません。『求めてきたときが、与えどき』と覚えておきます。子どもがそれとなく
求めてきたら、そのときは、濃密に、子どもが満足するまで、ぐいと抱いてあげたりしま
す。

 多少の抱き癖、依存性なども生まれますが、ここは無視してください。

 幸いにも、SSさんは、たいへん愛情豊かな方だと思われます。この世界では、『愛は万
能』といいます。愛が基本的にあれば、子どもの心はゆがみません。しかし愛がないと、
いくら体裁をとりつくろっても、失敗します。

 コツは、『許して、忘れる』です。(私のHPのあちこちに、それについて書いてありま
すので、またヒマなときに、お読みください。)

 こうした行為(手洗い、臭いかぎ)を、「悪」と決めてかかるのではなく、『暖かい無視』
をします。ときには、子どもの心になって、「あなたは、きれい好きなのね。お母さんも、
手を洗うわ」と、いっしょに洗ってみてください。

 まずいのは、子どもに罪悪感をもたせることです。扱い方をまちがえると、さらにやっ
かいな神経症(心身症)を併発します。火遊び、不登校、動物虐待など。だから今は、「な
おそう」と思うのではなく、「これ以上、症状を悪化させない」ことだけを考えて対処して
ください。

●赤ちゃんがえり……

 赤ちゃんがえりについては、今の対処法でよいと思われます。弟さんには悪いですが、
全幅に、TG君に、愛情を注ぎなおします。年齢的にも、自己意識が芽生えてくるころで
すから、症状が消えるまでに、それほど時間はかからないと思います。

 子どもは、小学3、4年生ごろから親離れを始めます。これから数年が、勝負ですね。
勝負ということは、濃密かつ良好な親子関係を取りもどす、最後のチャンスということで
す。

 また幼稚園では、先生が、「問題ない」とおっしゃったことですが、それだけTG君は、
外の世界では無理をしているのかもしれません。家の中では、その分、荒れたり、ぐずっ
たりするかもしれません。家の中では、ゆるめてあげてください。

とくに4月からは、小学校が始まりますので、神経質な育児姿勢は、禁物です。(慎重に
子どもの心を観察してみてください。無理強いはしてはいけませんよ。かなり不安定に
なっていますから、妄想性が、対人恐怖症になり、それが原因で、学校恐怖症、さらに
は不登校へと進む可能性は、ないとは言えません。)

 あくまでも子どもの心になって考えるということです。ときどきぐずったら、「そうね、
だれだって、ときどきは学校へ行きたくないときもあるわね」式の理解を示してあげてく
ださい。KG君には、とくに、それが必要です。

●子育てのプレッシャー……

 子どもというのは、不思議なもので、親が何かをしたから、育つものでも、また何もし
なかったから、育たないものでもありません。

 重要なことは、(子ども自身がもつ育つ力)を信ずることです。たしかにSSさんの育児
姿勢は、気負い先行型です。「いい親でいよう」「いい親はこういうものだ」「いい子どもを
育てよう」と、気負っておられる様子がよくわかります。

 さらに「私は親だ」「子どもの問題の責任は、すべて親にある」という、どこかN県独特
の親意識もあるようです。

 子ども自身のもつ力を、もっと信じなさい。それはちょうど、子どもが風邪をひいて寝
ているときのようなものです。親は、子どもの風邪をなおすために、薬をのませたりしま
すが、本当に子どもの風邪をなおすのは、子ども自身がもつ治癒力のようなものです。体
力といっても、よいかもしれません。

 私たちができることと言えば、せいぜい、その(子ども自身がもつ力)を、横から援助
することでしかないのです。すべてを、あなた自身が、背負ってはいけません。

 (多分、そういう意味で、あなた自身も、あまり恵まれた家庭環境で育っていない可能
性もあります。とくにあなたの父親との関係を疑ってみてください。)

 いいですか、今のKG君の症状が、これから先、いつまでもつづくと考えるのは、正し
くありません。同時に、しかし失敗すれば、さらに二番底、三番底へと落ちていきます。
今の症状がすべてではないということです。

ですからここは、先に書いたように、「これ以上、症状を悪化させない」ことだけを考え
て対処してください。しかもその様子は、半年単位でみます。「今日、改善したから、明
日なおる」という問題では、決してありません。

 このあと、いくつか、参考になりそうな原稿をいくつか張りつけておきます。参考にし
てくだされば、うれしいです。

 なお、いただきましたメールは、少し私のほうで改変し、小生発行の電子マガジンのほ
うで使わせてください。もし都合の悪い点があれば、至急、お知らせください。改めます。
同じような問題をかかえておられる、ほかの母親たちのためにも、よろしくご協力くださ
いますよう、お願い申しあげます。

+++++++++++++++++

●子どもの情緒不安

 子どもの発達をみるときは、次の四分野をみる。

情緒の安定度、精神の完成度、知能の発達度、それに運動能力。

そのうちの情緒の安定度は、体力的に疲れたと思われるときに観察して、判断する。

たとえば運動会や遠足から帰ってきたようなとき。そういうときでも、不安定症状(ぐ
ずる、ふさぎ込む、ピリピリする、イライラするなどの精神的動揺)がなければ、情緒
の安定した子どもとみる。

あるいは子どもは寝起きをみる。毎朝、不機嫌なら不機嫌でもよい。寝起きの様子が安
定していれば、情緒の安定した子どもとみる。子どもは2〜3歳の第一反抗期、思春期
の第二反抗期に、特に動揺しやすいということがわかっている。

経験的には、乳幼児期から少年少女期への移行期(4〜5歳)、および小学2年から4年
ぐらいにかけても、不安定になることがわかっている。この時期を中間反抗期と呼ぶ人
もいる。

 情緒が不安定な子どもは、心が絶えず緊張状態にあるのが知られている。外見にだまさ
れてはいけない。柔和な笑みを浮かべながら、心はまったく別の方向を向いているという
ことは、よくある。

このタイプの子どもは、気を許さない、気を抜かない、周囲に気をつかう、他人の目を
気にする。よい子ぶることもある。そういう状態の中に、不安や心配が入り込むと、そ
れを解消しようと一挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。

症状としては、攻撃的、暴力的になるプラス型。周囲に溶け込めず、引きこもったり、
怠学、不登校を繰り返したりするマイナス型に分けて考える。

プラス型は、ささいなことでカッとなることが多い。さらに症状が進むと、集団的な非
行行動をとったり、慢性的な下痢、腹痛、体の不調を訴えるようになったりする。

原因としては、乳幼児期の何らかの異常な体験が引き金になることが多い。たとえば親
の放任的態度、無教養で無責任な子育て、神経質な子育て、家庭騒動、家庭不和、恐怖
体験など。ある子ども(5歳男児)は、たった一度だが、祖父にはげしく叱られたのが
原因で、自閉傾向(親と心が通い合わない状態)を示すようになった。

また別の子ども(3歳男児)は、母親が入院している間、祖母に預けられたことが原因
で、分離不安(親の姿が見えないと混乱状態になる)になってしまった。

 子どもの情緒が不安定になると、親はその原因を外の世界に求めようとする。しかし原
因の第一は、家庭環境にあると考え、反省する。子どもの側から見て、息が抜けないよう
な環境など。子どもの心に負担になっているもの、心を束縛しているようなものがあれば、
取り除く。

一番よい方法は、家庭の中に、誰にも干渉されないような場所と時間を用意すること。
あれこれ親が気をつかうこと(過関心)は、かえって逆効果。

子どもが情緒不安症状を示したら、スキンシップを大切にし、温かい語りかけを大切に
する。叱ったり、冷たく突き放すのは、かえって子どもの情緒を不安定にする。

なお一般的には、情緒不安は、神経症(心身症)の原因となることが多い。たとえば、
夜驚(やきょう)、夢中遊行、かん黙、自閉、吃音(どもり)、髪いじり、指しゃぶり、
チック症、爪かみ、物かみ、疑惑症(臭いかぎ、手洗いぐせ)、かみつき、歯ぎしり、強
迫傾向、潔癖症、嫌悪症、対人恐怖症、虚言、収集癖、無関心、無感動、緩慢行動、夜
尿症、頻尿症など。症状は千差万別で、定型がない。

++++++++++++++++++++++

●子どもの神経症

 心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。脳
の機能が変調したために起こる症状と考えると、わかりやすい。

ふつう子どもの神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。そこで
あなたの子どもをチェック。次の症状の中で思い当たる症状(太字)があれば、丸(○)
をつけてみてほしい。

 精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖
症、赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こ
わがる)、不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだり
する)、不安発作(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからない
ことを言ったり、グズグズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほ
かに感情面での神経症として、赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、か
んしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の神経症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフ
ラフラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がない
まま尿もらす)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明
の慢性的な疾患(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、
口臭、脱毛症、じんましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、
チックなど。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものい
じり、ものをなめる、手洗いグセ(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、
あがり症、失語症、無表情、無感動、涙もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的
には精神面での神経症に先だって、身体面での神経症が現われることが多い。

 行動面の神経症……神経症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われ
る。不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲
不振、過食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こ
ることが多い。生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服
装で出歩いたりするなど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収
集クセ、かみつき、緩慢行動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火
遊び、散らかし、いじわる、いじめなど。こうして書き出したら、キリがない。

要するに心と身体は、密接に関連しあっているということ。「うちの子どもは、どこかふ
つうでない」と感じたら、この神経症を疑ってみる。ただし一言。こうした症状が現わ
れたからといって、子どもを叱ってはいけない。叱っても意味がないばかりか、叱れば
叱るほど、逆効果。神経症は、ますますひどくなる。原因は、過関心、過干渉、過剰期
待など、いろいろある。

 さて診断。丸の数が、10個以上……あなたの子どもの心はボロボロ。家庭環境を猛省
する必要がある。9〜5個……赤信号。子どもの心はかなりキズついている。4〜1個…
…注意信号。見た目の症状が軽いからといって、油断してはならない。

++++++++++++++++++

●愛情は落差の問題

 下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたりする。
(赤ちゃんがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、下の子に乱暴するのを
プラス型ということができる。)

本能的な嫉妬心が原因だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教しても意味がな
い。叱れば叱るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。

 こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわいがってい
ます。どうして上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみれば、フィフティフィ
フティ(50%50%)だから文句はないということになる。が、上の子どもにしてみれ
ば、その「五〇%」というのが不満なのだ。

つまり下の子どもが生まれるまでは、一〇〇%だった親の愛情が、五〇%に減ったこと
が問題なのだ。もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」
ではなく「落差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくったことを考
えてみればよい。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛人も平等に愛して
いる」とあなたに言ったとしたら、あなたはそれに納得するだろうか。

 本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤立させない
ように、上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、下の子どもが生まれ
てくるのを楽しみにさせるような雰囲気づくりをする。

「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなたの新しい友だちよ」「いっし
ょに遊べるからいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれたというような印
象を、上の子どもに与えること。そういう状態になると、子どもの心はゆがむ。ふつう、
子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争心はいじらないほうがよい。

 で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、(1)様子があまりひどいよう
であれば、以前と同じように、もう一度一〇〇%近い愛情を与えつつ、少しずつ、愛情を
減らしていく。(2)症状がそれほどひどくないよなら、フィフティフィフティ(五〇%五
〇%)を貫き、そのつど、上の子どもに納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカル
シウム、マグネシウムの多い食生活にこころがける。

++++++++++++++++

●子どもの分離不安

 ある女性週刊誌の子育てコラム欄に、こんな手記が載っていた。日本でもよく知られた
コラムニストのものだが、いわく、「うちの娘(むすめ)(三歳児)をはじめて幼稚園へ連
れていったときのこと。娘ははげしく泣きじゃくり、私との別れに抵抗した。私はそれを
見て、親子の絆の深さに感動した」と。

とんでもない! ほかにも詳しくあれこれ症状が書かれていたが、それを読むと、それ
は、「別れをつらがって泣く子どもの姿」ではない。分離不安の症状そのものだった。

 分離不安症。親の姿が見えなくなると、混乱して泣き叫んだり暴れたりする。大声をあ
げて泣き叫ぶタイプ(プラス型)と、思考そのものが混乱状態になり、オドオドするタイ
プ(マイナス型)に分けて考える。

私はこのほかに、ひとりで行動ができなくなってしまうタイプ(孤立恐怖)にも分けて
考えているが、それはともかくも、このタイプの子どもは多い。四〜六歳児についてい
うなら、一五〜二〇人に一人くらいの割合で経験する。

親がそばにいるうちは、静かに落ち着いているが、親の姿が見えなくなったとたん、ギ
ャーッとものすごい声をはりあげて、そのあとを追いかけたりする。

 原因は……、というより、分離不安の子どもをみていくと、必ずといってよいほど、そ
のきっかけとなった事件が、過去にあるのがわかる。はげしい家庭内騒動、離婚騒動など。
母親が病気で入院したことや、置き去りや迷子を経験して、分離不安になった子どももい
た。

さらには育児拒否、虐待、下の子どもが生まれたことが引き金となった例もある。子ど
もの側からみて、「捨てられるのではないか」という被害妄想が、分離不安の原因と考え
るとわかりやすい。

無意識下で起こる現象であるため、叱ったりしても意味がない。表面的な症状だけを見
て、「集団生活になれていないため」とか、「わがまま」とか考える人もいる。無理をす
ればかえって症状をこじらせてしまう。

いや、実際には無理に引き離せば、しばらくは混乱状態になるものの、やがて静かに収
まることが多い。しかしそれで症状が消えるのではない。「もぐる」のである。一度キズ
ついた心は、そんなに簡単になおらない。この分離不安についても、そのつど繰り返し
症状が現われる。

 こうした症状が出てきたら、鉄則はただ一つ。無理をしない。その場ではやさしくてい
ねいに説得を繰り返す。まさに根気との勝負ということになるが、これが難しい。現場で、
そういう親子を観察すると、たいてい親のほうが短気で、顔をしかめて子どもを叱ったり
しているのがわかる。「いいかげんにしなさい!」とか、「私はもう行きますからね」とか。
こういう親子のリズムの乱れが、症状を悪化させる。子どもはますます被害妄想をもつよ
うになる。

 分離不安は四〜五歳をピークとして、症状は急速に収まっていく。しかしここにも書い
たように、一度キズついた心は、簡単にはなおらない。ある母親はこう言った。「今でも、
夫の帰宅が予定より遅くなっただけで、言いようのない不安感に襲われます」と。姿や形
を変えて、おとなになってからも症状が現われることがある。
(040320)

(3)心を考える  **************************

【子どもの世界】

●ジコチュー

 自己中心的であるということ自体、その人の精神的未発達を意味する。言いかえると、
いかにして、その自己中心性と戦うか。つまりは、それが結果として、その人の精神的発
達を促すことになる。

 その人の精神の発達度は、協調性(他人と協調して行動できる)、同調性(他人の立場に
なって、その心を分けもつことができる)、調和性(みんなと仲よくできる)などによって、
知ることができる。わかりやすく言えば、いかに他人の立場になってものを考えられるか、
その度合によって、その人の精神の発達度を知ることができる。

 自己中心的というのは、そうした精神の発達が、未発達ということを意味する。

 特徴としては、(1)利己主義になりやすい、(2)独断と偏見をもちやすい、(3)自分
を絶対視しやすい、(4)他人の心を、自分の都合で、決めてしまいやすい、(5)他人と
協調して行動ができない、(6)心が冷たい印象を与えやすいなどがある。

 相手の立場になって考えることができないから、誤解やトラブルを引き起こしやすくな
る。自分勝手で、わがままということにもなる。こんな例がある。

 あるとき一人の母親から、電話がかかってきた。そしていきなり、「あなたの講演会を聞
いてみたいが、今度は、いつ、どこでありますか?」と。一方的な言い方だった。

 講演会といっても、一般の人が参加できるものとできないものがある。私の一存では決
められない。そこであれこれ迷っていると、「先生(私)のほうで、許可を取ってもらえな
いか」と。

 しかし実際には、そうした手続きは、けっこうめんどうなもの。主催者の方に頼めば何
とかなるが、その分、主催者の方も気をつかう。私が、それとなく断ると、「ああ、それな
らいいです」と、そのまま電話を切ってしまった。

 こうした自己中心性は、多かれ少なかれ、だれにもある。が、これが親子の間に入ると、
子育てそのものが、おかしくなる。たとえば親意識というのも、結局は、自己中心性の表
れの一つと考えてよい。ものごとを、「親」を中心に考えてしまう。

 そういう意味でも、「親である」という立場に甘え、親風を吹かす人は、精神的に、未完
成な人とみてよい。子どもの立場で、子どもの心になって、ものを考えることができない。
ずいぶんと前の話だが、電話で、こう言ってきた母親がいた。

 「先生、私はBW(私の教室)を、やめさせたいのですが、子どもが『どうしても行き
たい』と言っています。どうしたらいいでしょうか」と。

 私の立場のみならず、子どもの心も、まったく考えていない。自己中心的な親は、そう
いうものの言い方をする。

 
●短気

 おおむね、短気な親ほど、子育て、とくに学習指導で、失敗しやすい。子どもの心とい
うのは、数か月単位で考える。それでも、短いほうだ。半年、一年単位でみる。

 たとえば小学一年生くらいで、一度、勉強嫌いになると、親が、それを(なおす)のは、
容易なことではない。(逃げる)→(できなくなる)→(ますます逃げる)の悪循環の中で、
ますます勉強嫌いになる。

 で、私の出番ということになる。方法は、私にとっては、それほど、むずかしいことで
はない。楽しめばよい。子どもといっしょになって、楽しめばよい。「教えてやろう」とか、
「好きにさせてあげよう」とか、そういう気負いは、できるだけもたないようにする。

 ところで、今日、H市内で英語教室を開いているTさん(女性)から、こんなメールを
もらった。

 私が「私は、子どもと接しているときだけが、私でいられる。あとの私は、ゼーンブ、
仮面」と書いたことについて、「私は、その反対だ」と。つまりその女性は、「子どもと接
しているときだけ、仮面をかぶる。だからレッスンが終わると、ドーッと、疲れが出てく
る」と。

 私も若いときは、そうだった。しかしあるときから居なおって、教えるようになった。「こ
れが私だア!」と。

 もっともそういう教え方ができるようになるまでに、何年もかかった。親たちの信頼も
必要だった。

 だから今は、やりたいようにやっている。子どもたちが、サボリ・モードになってきた
ときは、いっしょにサボって遊ぶ。疲れたときは、疲れたときなりに、冗談を言いあった
り、ゲームをしたりして遊ぶ。みんなで、近くの店へ、タコ焼きを食べにいくこともある。

 「やめたければ、やめろ」「来たい人だけ、来ればいい」と。そんなふうに、言うことも
ある。つまり自然体で、接するようにしている。

 この傾向は50歳になって、さらに強くなった。で。おかしなことに、そのほうが、ま
た子どもも、伸びる。で、最終的には、「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうが
マシ」と思わせるようにしむける。実は、これも重要な教育技術である。とくに高校生を
教えるときには、そうする。

 若いころは、私自身のプライドもあり、なかなかうまくできなかったが、最近は、でき
るようになった。

 つまり子どもの自立を促す。「私は先生だ」と思っていると、教えるほうも疲れるが、生
徒も疲れる。気取ることはない。気負うこともない。

 少し話が脱線したが、そういう意味でも、幼児教室は、私にとっても息抜きの場になっ
ている。いくらワイフと夫婦喧嘩をして、ムシャクシャしていても、子どもたちに、「セン
セー」と言いよられたとたん、私は私にかえる。

 要するに、子どもの目線で、教える。そうすれば、子どもは伸びる。たとえば勉強嫌い
な子どもには、こう言う。「そうだよ。勉強なんて、ちっともおもしろくないよなア」と。

 すると子どものほうが、こう言う。「いいの? 先生が、そんなこと言ってエ?」と。そ
れに答えて、私はこう言う。「だって、本当だから、しかたないだろ」と。

 とたん、子どもの表情は、明るくなる。

 で、こうした方法で、子どもの心をつかみながら、(「つかむ」という意識をもつことも
ないが……)、子どもに勉強の楽しさを教えていく。具体的には、笑わせればよい。そして
半年単位で、子どもの方向性をつくっていく。

 しかし、ここでいつも大きな問題にぶつかる。

 親自身が、(ほとんどの親がそうだが……)、この段階で、つぎの無理を求めてくる。「や
はり、うちの子は、やればできる」「もう少し何とか」「もっと……!」と。

 これ以上のことは、スポンサーの悪口になるので、ここには書けないが、たとえて言う
なら、こうした親の無理は、やっと風邪がなおり始めた子どもに、冷や水をぶっかけるよ
うなものである。で、あとは、元の木阿弥(もくあみ)。

 こういう例は、多い。本当に、多い。親は、「やればできるはず」と、子どもを追いたて
るが、追いたてると、今度は、マイナスの方向性に、子どもを落としてしまうこともある。
そういうことが、まったくわかっていない。

 「この子の実力は、この程度です。この程度と認めてあげた上で、本人がやる気を出す
まで、静かに見守ってあげたほうがいいと思います」と言いたくても、それは言えない。
親が、それに納得しないからだ。

 だから失敗する。失敗して、行き着くところまで、行く。だからわかりやすく言えば、「子
どもの勉強では、短気な親ほど、失敗しやすい」ということになる。少しニュアンスがち
がうような気もするが……。まあ、何かの参考になれば……。


●今よりよくなれば……

 ほとんどの親は、(今より、よくなることだけ)を考える。だれも、(今より悪くなるこ
と)は、考えない。

 しかし子どもの成長には、いつも二面性がある。今より悪くなることだって、可能性と
しては、50%、ある。それを忘れてはいけない。

 たとえば子どもを、どこかの進学塾に入れたとする。そういう進学塾で、成績を伸ばす
子どもも、たしかにいる。しかしそれと同じくらい、かえって成績を落してしまう子ども
も、いる。親は「きびしければ、きびしいほど、いい塾」と考えるが、子どものもつエネ
ルギーにも限界がある。

 朝から夕方まで、学校でしごかれた上に、夜の進学教室である。仕事にたとえて言うな
ら、毎晩、夜遅くまで、残業するに等しい。その残業のほうで、エネルギーを使い果して
しまって、どうやって本業のほうで、がんばれるというのか。

 もちろん良心的な進学塾も多い。大半が、そうだろう。すべてが悪いというのでもない。
大切なのは、親側の心構えということになる。

 今年、K君という高校3年生を最後に、私は高校生の指導から、足を洗った。そのK君
は、東京工業大学の工学部に合格したが、私は、何も、特別なことをしたわけではない。
週1回だけ、いっしょに座って、話をしたり、いっしょに本屋へ行って、参考書を立ち読
みしたりしただけである。

 トップクラスをねらう高校生というのは、いつも、そういう高校生である。そのK君に
しても、年末近くまで来たので、私はある日、こう言った。「あのな、往復の時間がもった
いないだろ。もしそうなら、うちへは来なくてもいいから、自分で勉強しろ」と。

 数年前、H大医学部へ推薦で合格した、O君もそうだった。(彼は、地元の新聞に取り上
げられるほど、優秀な学生だった。)そのO君も、うちへくる日以外は、学校から帰ってく
ると、いつも寝てばかりいたという。(何度も、母親から、「だいじょうぶでしょうか?」
という相談をもらった。)

 もう少し専門的に言うと、「依存性」の問題である。

 ガンガンと教えれば、たしかにそれなりに効果はある。しかし同時に、子どもには、依
存性がついてしまう。自分で自立して勉強するという、姿勢をなくしてしまう。だから中
学入試や、高校入試では、それなりにうまくいっても、そこで伸びは止まる。

 10%前後の子どもは、高校へ入ったとたん。30%前後の子どもは、大学へ入ったと
たん、燃え尽きてしまう。

 いかに依存心をもたせないように教えるか。それがこうした学外指導では、重要なポイ
ントとなる。

 が、実際には、この依存性を逆に利用する進学塾も多い。ベタベタに塾づけにすること
によって、塾をやめられないようにしてしまう。「この塾をやめたら、成績がさがるぞ」と
いうような恐怖心を、親や子どもに与える。

 実にたくみな方法だが、こういう方法は、同業者の間では、公然と議論されている。「生
徒の定着率を高くするには、どうしたらいいか」と。

 仮にあなたの子どもが、100人中、30番前後だったとする。あなたは当然、何とか、
20番台にしようと考える。しかしあなたが何とかしようと考えたところで、へたをすれ
ば、40番台、50番台になることもあるということ。その可能性は、50%はあるとい
うこと。

 それを忘れてはいけない。
(040321)
 
(4)今を考える  **************************

【近況・あれこれ】

●初フライト

 私は子どものころ、パイロットにあこがれた。空を飛んでみたかった。

 今、三男は、そのパイロットになって、空を飛んでいる。オーストラリアでグライダー
に乗っている。昨日(3・20)、その第一報が届いた。

 が、昨日は、あいにく気温が低く、風が強かったらしい。気温が低いと、上昇気流が発
生しない。風が強いと、たとえ気流をつかまえても、すぐそれをはずしてしまう。

 こういうときは、フライトがむずかしいという。上下、左右に、グライダーは、はげし
く揺れる。

 三男は、70歳近い、超ベテランのパイロットに、乗せてもらった。が、降りてきたと
きには、「真っ青(PALE)な顔をしていた」(友人談)という。そこで友人が、「また乗
るか?」と聞いたら、三男は、「もういやだ」と。

 そこで、みんなで三男を説得したら、「また乗る」と言ったとか。「E(三男)は、セッ
クスと同じように、地獄と天国を、両方、一度に経験した」と私がメールを送ると、友人
は、こう言った。「天国を見るのは、若者の特権だ。ぼくらには、何をしても、地獄に見え
る」と。

 で、今日は、別の飛行場で、小型機を操縦するつもりらしい。オーストラリアには、い
たるところに飛行場がある。友人のいとこは、そこで教官をしている。

 うらやましい……、と思いつつ、私は、いつものように、MS社のフライトシミュレー
ターで、空を飛ぶ。そのゲームの中には、グライダーも収録されている。「多分、三男も、
こういうふうに飛んだのだろうな」と思いつつ、おもちゃの操縦桿を握る。

 オーストラリアへ行く前、三男は、こう言った。「(機長になって)初飛行するときは、
家族を、みんな招待できる。みんな無料で、飛行機に乗ることができる」と。

 パイロットになって、初飛行するときは、家族を、記念に、招待できるという。「それま
では生きていよう」と、ワイフに話す。しかしそのとき、飛行機が墜落したら……、その
ときは、私の家族は、ゼンメツ! (どうして私は、こうも、不吉なことばかり考えるの
か……?)

三男「ぼくは、国内便のパイロットでいい」
私「バカだなあ。あのな、世界を飛び回れ」
三男「日本だって広い」
私「それは、世界をまだ知らない人が言うセリフだ。そのために、オーストラリアへ、お
前は、行くんだ。世界を見るんだ」

 飛行機で一歩、日本の外に出ると、日本の小ささに驚かされる。本当に、小さい。どう
しようもないほど、小さい。日本に生まれ、日本だけに住んだことのない人には、それが
わからない。三男が、そうだ。

私「鹿児島県の徳之島の周遊パイロットになれと言われたら、お前はどうする?」
三男「いやだな……」
私「そうだろ。世界から見ると、日本を飛ぶというのは、それと同じようなものだ」
三男「日本と徳之島はちがうよ、パパ」
私「比率では、ほぼ、同じだ。世界からみると、日本は、徳之島※くらいしかない」と。

 若いときに、世界をみておくことは、とても重要なことだ。少なくとも、その人の常識
がかたまる前に、見ておく。常識がかたまってからでは、遅い。先日も、私に、「林君、君
は、欧米かぶれしすぎているよ」と言った、男性(55歳)がいた。自分自身は、欧米の
「オ」の字も知らないくせに、だ。  

 私は、何も、日本を否定しているのではない。「世界を見ろ」と言っている。たとえばア
メリカのテキサス州の砂漠の真中に立って、そこから日本を見てみるとよい。日本の影な
ど、どこにもない。大学生ですら、そのほとんどが、日本がどこにあるかさえ知らない。

 オーストラリアにしても、車で走ると、平原につづく平原が、打ち寄せる大海原(うな
ばら)のようにつづく。それが何時間も何時間もつづく。気が遠くなるほど、つづく。そ
んなところで、「私は日本人だ」と叫んでも、意味はない。ちょうど私たちが、ポーランド
人とデンマーク人の区別がつかないように、彼らもまた、アジア人と日本人の区別がつか
ない。

 日本人は日本人の伝統と文化を守る。アジア人はアジア人の、それぞれの伝統と文化を
守る。たがいにたがいの文化と伝統を、尊重する。それは重要なことだ。しかしどちらが
優越しているとか、劣っているとか、そういうことを議論しても、まったく意味がない。

 世界に出てみると、その愚劣さがよくわかる。「世界を知る」ということは、そういうこ
とをいう。

※……地球の面積=5億995万平方キロメートル、日本の面積=37万平方キロメート
ル。この割合になっている島を、日本の中でさがすと、鹿児島県の徳之島(247平方キ
ロメ−トル)が、その島ということになる。つまり世界から見た日本は、日本から見た徳
之島の大きさということになる。 


●日本人としての、アイデンテティー(同一性)

 ここで「日本人のアイデンテティー」の話が出たので、ついでに一言。

 「日本人とは何か」「私たちは日本人であるという、その根拠は何か」……、それがアイ
デンテティーの問題である。

 もっとわかりやすく言えば、「日本民族と、他民族のちがい」ということになるし、さら
にもっとわかりやすく言えば、「日本民族が、他民族よりすぐれているところは、何か」「日
本民族が、守り育ててきたものは、何か」ということになる。

 私は、第一に、「言葉」をあげる。

 こうしてモノを書く人間の特性かもしれない。本当は、国際的な言語で書いて、国際的
な立場で、自分の書いたものを発表したい。しかし私には、その「力」がない。(いや、今
度から、英語で、エッセーを書いてみようか。今、ふと、そんな欲望が、心を包んだ。)

 だからこうして書いているものを読んでくれるのは、第一に、日本語のわかる日本人と
いうことになる。

 もしこの日本語を、だれも理解できなくなってしまったとしたら……。考えるだけでも、
恐ろしい。

 で、今、私は、この日本という「ワク」の中に住んで、自由にものを考えて、話し、そ
して書いている。これが私は、日本人としてのアイデンテティーということになる。

 あとは、食べ物。風俗。文化。習慣。

 日本人としての、居心地のよさこそが、私たちが守るべき、アイデンテティーと考えて
もよい。

 こわいのは、民族主義。えてして、この民族主義は、「我らが民族を守るため」という大
義名分の中、相手の民族を否定する道具(方便)として使われる。国粋主義も、そこから
生まれる。

 私たちは、自分たちのアイデンテティーを追求するときは、同時に、相手のアイデンテ
ティーも認めなければならない。こうした働きかけを、外の国々に向って同時にしてこそ、
日本人は日本人のアイデンテティーを守れる。

 私は、決して、日本人としての、アイデンテティーを否定しているのではない。
(040321)

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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 16日(No.397)
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http://bwhayashi.cool.ne.jp/page058.html

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(1)子育てポイント**************************

形式主義からの脱却
●「型」を重んずる日本の教育●子どもの左利き

 10年ほど前、この浜松市で児童英語の研究会があり、その席でこんなことが決まった。
「U」は、左半分を先に書き、続いて右半分を書く。つまり二画、と。同じように「M」「W」
は四画、と。

 人類の約五%が、左利きといわれている(日本人は三〜四%)。原因は、どちらか一方の
大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣に
よって決まるという生活習慣説などがある。

一般的には乳幼児には左利きが多く、三〜四歳までに決まる。また女子のほうが左利き
が少ないのは、男子のそれはよいが、女子のそれはよくないという偏見による。

 小学生でも作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子どもは、
五人のうち三人はいる。多くの子どもは、作文の楽しさを覚える前に、その文字で苦しめ
られる。

このパソコンの時代に、なぜ書き順があり、画数があるのか。さらになぜトメ、ハネ、
ハライがあるのか。ある教師はこう言った。「低学年でしっかりと書き順を教えておかな
いと、なおすのがたいへん」と。

 以上の三つの話は、底流でつながっている。つまり「日本人ほど型にはまった教育が好
きな民族はいない」ということ。茶道や華道、相撲に見られるように、それはもう日本人
の性癖のようなものだ。

少し前オーストラリアの小学校を訪れたときのこと。私は壁に張られた子どもたちの作
文を見て、びっくりした。スペルがめちゃめちゃ。文法すらおかしい。そこで私が「な
おさないのですか」と聞くと、その先生(小三担当)は、こう話してくれた。「言葉はル
ール(文法)ではなく、中味です。それにシェークスピアの時代から、正しいスペルな
んてものはないのです」と。

 英語国にもない画数や書き順を決めるところが、実に日本人らしい。左利きにしても、
結局はどうでもよい部類の問題。ある教師は「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできてい
るから、なおしたほうがよい」と言った。

しかしそんなことは、慣れ。慣れれば何でもない。無理に右づかいを強要すれば、子ど
もがかえって混乱するだけ。少なくとも四、五歳をすぎたら、子どもに任す。

 作文についても、日本のアニメは世界一と言われている。が、その背景に日本人の文字
離れがあるとしたら、喜んでばかりはおれない。言い換えると「形式」からの脱却、それ
が日本の教育の大きなテーマの一つと言える。

(2)今日の特集  **************************

【みなさんからのメールに答えて……】

 毎日、たくさんの人から、メールをいただきます。ありがとうございます。このところ、
何かと忙しく、目を通すだけの状態がつづいています。どうか、お許しください。いただ
いたメールの中から、テーマとして取りあげることができるものについて、ここで考えて
みます。

●自宅で英語教室を開いている、Tさん(女性)から……
 
 Tさんは、「いくらがんばっても、何か、むなしい。子どもたちと、うまく人間関係がで
きない」と悩んでいる。「いろいろな行事をして、子どもたちを楽しませても、それを理解
してくれない」とも。

 こうしたむなしさは、子どもを相手に教えているものが、共通して感ずるむなしさと言
ってもよい。とくに私のばあいは、幼児が相手だから、そうなのかもしれない。しかしメ
リットがないわけではない。

 「私」という人間をみたとき、私が私でいられるのは、幼児を相手にしたときだけ。あ
との私は、ゼーンブ、仮面。ウソ。インチキ。

 幼児とワイワイと騒いでいるときだけ、自分を取りもどすことができる。ハメをはずし
て、笑いあう。そういうとき、「ああ、これが私なんだ」と思う。

 今日も、小1のクラスで、こんなことがあった。

 いつもふざけてばかりいる子ども(H君とI君)がいたので、プリプリと怒ってみせた。
そしてこう言った。

「先生の体の中には、大きな怒り虫がいる。とても大きな怒り虫だア! だれか、このハ
ンマーで、先生のお尻をたたいて、その怒り虫を外に出してくれエ!」と。

 ハンマーというのは、100円ショップで売っていた、おもちゃのハンマーである。い
くら強くたたいても、まったく痛くない。(音は、すごいが……。)

 するとみなが、「ぼくが出してあげる!」「私が出してあげる!」と。

 で、一番、力のありそうなK君に前に来てもらい、私のお尻をたたかせた。

そのとき、激痛で苦しむ顔をしてみせ、口からプイと、怒り虫が出たフリをしてみせる。
とたん、やさしい先生の顔になって、こう言ってやる。

 「K君、ありがとう。君のおかげで、怒り虫が外に出たよ」と。

 結局は、ふざけているのは、子どもたちではなく、私ということになる。

 しかしこういう(ふざけ)ができるのも、母親たちが、いつも参観しているから。つま
り母親たちの、暗黙の了解が、そこにある。もっとも、若いころは、ここまでは、できな
かった。しかしこの年齢になると、恥ずかしさも、どこかへ消える。どうせ母親たちも、
私を、男と見ていない。

 机に両手をかけ、K君にこう言った。「いいか、怒り虫は、力いっぱいたたかないと、出
てこない。しっかりたたいてくれ!」と。

 するとほかの子どもたちが、号令をかける。「イチ、ニーのサン!」と。

 そのあと、いろいろ作業をさせると、子どもたちはみな、うれしそうに、かつ楽しそう
にしてくれる。

 で、私の経験で言えば、「教えてやろう」という気負いが強ければ強いほど、教える側も
疲れるが、子どもたちもまた疲れるということ。コビを売ったり、機嫌をとったりすると、
さらに疲れる。だからせめて子どもと接するときは、自然体で!

 学校の先生がこんなことをすれば、社会問題になる。新聞ザタになる。しかし私たちは、
ならない。そこが私たちの仕事の、よいところ。すばらしいところ。

 昨日も、本気でとっくみあいの喧嘩をした子ども(小2男子どうし)がいたので、BW
(私の教室)のルールに従って、二人の子どもの頬に、キスをしようとした。(実際には、
逃げてしまったので、しなかったが……。本当のところは、キスなどするつもりはなく、「す
るぞ!」「するぞ!」と追いかけまわしただけ。)

 しかしこういうルール、つまり「喧嘩をしたら、頬にキスをする」だって、親の参観と、
暗黙の了解があるからはじめて、できること。学校の先生だったら、その一つで、クビが
飛んでしまうだろう。(女子にはしたことがない。念のため!)

 つまりは、信頼関係ということになるのか?

 Tさんの悩みには、何も答えていない感じだが、こうしたむなしさを回避するためには、
やはり親と教師の間の人間関係をつくるしかないと思う。Tさんは、幸い、女性だから、
そういう関係をつくりやすい。

 私は男だから、母親という「女の人」と関係をつくるといっても、そこには限界がある。
教室の外で、会って話をしたりするのは、タブー中のタブー。しかしTさんには、それが
できる。

 「私は先生」という気負いをはずして、友だちになったりして、自由に遊べばよい。そ
れがまた、Tさんの特権のような気がする。(私ができないので、よけいに強く、そう思う。)

 私もあるときから、こう思った。「子どもに教えてやろうという気持は捨てよう。そのか
わり、いっしょに楽しませてもらおう」と。

 とたん、肩の重荷が消えた。同時に、仕事が楽しくなった。そして親には、「私の教え方
に、文句があるなら、やめてください」と。もっとはっきり言えば、居直って、教えるこ
とにした。「それで生徒がいなくなったら、そのときはそのとき。知ったことかア!」と。

 中には、マユをひそめてやめる人もいた。しかし今でもこうして、かろうじてだが、B
W(私の教室)があるのは、そういう教え方を理解してくれる親たちがいるからである。

 そう、『笑えば、子どもは伸びる』。これが私の教え方の基本である。子どもは、自ら楽
しませて伸ばす。これも、私の基本である。とくに幼児のばあいは、笑わせて、笑わせて、
伸ばす。「勉強は楽しい」という思いだけを、徹底的に植えつけておく。あちは、子ども自
身が、自分のもつ力で、伸びてくれる。

 私もある時期まで、サマーキャンプをしたり、クリスマス会をしたりと、子どもたちに
サービスをすることばかり考えていた。しかし今は、そういう行事を、すべて廃止した。
入学式だろうが、卒業式だろうが、そういうことにはいっさい、関わらないでいる。

 規約の中にも、そう謳(うた)っている。「BW(私の教室)は、そうした行事は、いっ
さいしません」と。要は、中身で勝負。めんどうなこと、わずらわしいことは省略して、
中身で勝負!

 こうしたやり方が、Tさんの参考になるとは思わない。立場も、目的もちがう。しかし
この年齢になると、ときどき、「今のような仕事は、あと何年できるだろうか」と思う。体
力的にも、しんどくなってきた。一日、3時間程度が、限度のような気もする。4時間も
教えたら、ヘトヘトになってしまう。

 だからときどきワイフには、こう言う。「やれるだけやってみよう。あと3年(三男が大
学を卒業するまでの3年)、がんばってみる」と。

 そうそう、この3月で、BWをやめる年長児の母親(Nさん※)が、電話で、こう言っ
てきた。「下の弟(満1歳)が、大きくなったら、またお世話になりますから、そのときは、
よろしく」と。

 私は、内心では、こう思った。「それまで、生きているかどうか、わからないのに。生き
ていれば教えさせてもらいますよ」と。

もちろんそんなことは言わなかったが、私は、そう思った。価値がわかる人には、わか
る。わからない人には、わからない。わからない人など、相手にしないこと。

 つまりそれくらいのプライドをもたないと、この仕事はできないということ。

(Tさんへ……)

 我らが目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むこと、ですね。少し前
に書いた、原稿を送ります。私もこの言葉には、何度か、励まされました。苦しいとき、
念仏のように唱えてみてください。きっと、心が軽くなりますよ。

(※Nさんへ……)

 きついことを書いてしまいましたが、弟さんが大きくなったら、またBWへおいでくだ
さい。私のマガジンを読んでいらっしゃらないということでしたので、こうして書いてし
まいました。もし、万が一、この文が、目にとまったら、お許しください。さようなら!

+++++++++++++++++

 『私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである』

 ロバート・L・スティーブンソン(Robert Louise Stevenson、1850−1894)と
いうイギリスの作家がいた。『ジキル博士とハイド氏』(1886)や、『宝島』(1883)
を書いた作家である。もともと体の弱い人だったらしい。44歳のとき、南太平洋のサモ
ア島でなくなっている。

そのスティーブンソンが、こんなことを書いている。『私たちの目的は、成功ではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(語録)と。

 何の気なしに目についた一文だが、やがてドキッとするほど、私に大きな衝撃を与えた。
「そうだ!」と。

 なぜ私たちが、日々の生活の中であくせくするかと言えば、「成功」を追い求めるからで
はないのか。しかし目的は、成功ではない。スティーブンソンは、「失敗にめげず、前に進
むことである」と。

そういう視点に立ってものごとを考えれば、ひょっとしたら、あらゆる問題が解決する? 
落胆したり、絶望したりすることもない? それはそれとして、この言葉は、子育ての
場でも、すぐ応用できる。

 『子育ての目的は、子どもをよい子にすることではない。日々に失敗しながら、それで
もめげず、前向きに、子どもを育てていくことである』と。

 受験勉強で苦しんでいる子どもには、こう言ってあげることもできる。

 『勉強の目的は、いい大学に入ることではない。日々に失敗しながらも、それにめげず、
前に進むことだ』と。

 この考え方は、まさに、「今を生きる」考え方に共通する。「今を懸命に生きよう。結果
はあとからついてくる」と。それがわかったとき、また一つ、私の心の穴が、ふさがれた
ような気がした。

 ところで余談だが、このスティーブンソンは、生涯において、実に自由奔放な生き方を
したのがわかる。

17歳のときエディンバラ工科大学に入学するが、「合わない」という理由で、法科に転
じ、25歳のときに弁護士の資格を取得している。そのあと放浪の旅に出て、カルフォ
ニアで知りあった、11歳年上の女性(人妻)と、結婚する。スティーブンソンが、3
0歳のときである。小説『宝島』は、その女性がつれてきた子ども、ロイドのために書
いた小説である。そしてそのあと、ハワイへ行き、晩年は、南太平洋のサモア島ですご
す。

 こうした生き方を、100年以上も前の人がしたところが、すばらしい。スティーブン
ソンがすばらしいというより、そういうことができた、イギリスという環境がすばらしい。
ここにあげたスティーブンソンの名言は、こうした背景があったからこそ、生まれたのだ
ろう。並みの環境では、生まれない。

 ほかに、スティーブンソンの語録を、いくつかあげてみる。

●結婚をしりごみする男は、戦場から逃亡する兵士と同じ。(「若い人たちのために」)
●最上の男は独身者の中にいるが、最上の女は、既婚者の中にいる。(同)
●船人は帰ってきた。海から帰ってきた。そして狩人は帰ってきた。山から帰ってきた。(辞
世の言葉)


(3)心を考える  **************************

●心の残像

 Mさん(38歳、女性)は、たいへん心おだやかな人だ。無口で、静か。強引なところ
は、まるでない。

 しかし会話をしていると、どうも気分が暗くなる。

私「暖かくなりましたね」
M「明日から、雨で、また寒くなるそうです」
私「春は、いいですね」
M「私の子どもは、花粉症で苦しんでいます」

私「はやくなおればいいですね」
M「50歳をすぎるまで、なおらないそうです」
私「では、春は、あまり旅行などは、できませんね」
M「いえ、今年は、沖縄へ行ってきました」

私「よかったですか?」
M「どこも混雑していました」
私「物価はどうでしたか?」
M「観光客用のものは、みんな値段が高くて……」と。

 このMさんの会話の特徴に、みなさんは、お気づきだろうか。実は、Mさんは、私の言
葉を、ことごとく、否定している。まさに(ああ言えば、こう言う)式に、否定している。

 こういう否定のし方をされると、会話がつづかない。あるいはつづけていると、会話そ
のものが、暗くなってしまう。

 で、問題は、なぜ、Mさんが、こういう会話をするか、である。原因はいろいろ考えら
れるが、ツッパリ症状の残像と考えてよい。もう少し専門的には、「拒否的態度の残像」と
いうことになる。

 心の働きが変調してくると、子どもはさまざまな変化を見せる。とくに対人関係で変調
してくると、ここでいう拒否的態度が現れてくる。

親「このゲームを片づけてよ!」
子「ウッセーなあ!」
親「ちゃんと、片づけてよ!」
子「ちゃんと、やるから、ワーワーわめくなよオ!」と。

 こうした拒否的態度は、そののち、おとなになることで、表面的には消える。しかしそ
の残像が、残ることがある。冒頭に書いた、Mさんが、そうである。

 で、Mさんに話を聞くと、こう教えてくれた。

 「高校を卒業すると、東京でしばらく働きました。趣味は、バイクでした。女性で、ナ
ナハンとか、自動二輪に乗っている人は、今でも珍しいと思います。みんなでグループを
作って、あちこちをドライブしました。夜中に、国道を200キロ近いスピードで走った
こともあります」と。

 Mさんは、かなり、飛んだ女性だったようだ。わかりやすく言えば、準暴走族的な、青
春時代を過ごした(?)。Mさんの行動からは、そうした様子がうかがえる。つまり、Mさ
んは、若いころ、かなり、そういう状態であった。

 もちろんMさん自身には、その意識はない。「私は、ふつうでした」「とくに、つっぱっ
ていたということはない」と、言った。

 だからといって、Mさんが問題児だったと言っているのではない。しかしそのころ身に
ついた拒否的態度が、少し姿を変えて、母親になってからも出ていると考えられる。

私「お子さんも、沖縄へ行って、喜んだでしょう?」
M「それが、あんまり……」
私「また行きたいですか?」
M「私は、一度で、たくさんです」と。

 もっとも、こうした会話が、私という他人との間だけのものなら、問題はない。が、親
子の間でもそうだとすると、ときには、子どもの伸びる芽をつんでしまうことにもある。

 親の否定的態度は、子どもの心の発育に、マイナスのストロークをかけてしまう。

親「テストを見せなさい!」
子「がんばったよ」
親「何よ、この点数は! がんばったって、ウソでしょう!」
子「ちゃんと、一生懸命したよ」
親「どこが、一生懸命なのよ。こんな点数で!」と。

 若いころの心の変調が、おとなになっても残るということは、よくある。さて、あなた
はだいじようぶか? 

 しかし問題は、若いときに、そういう問題があったということではなく、その問題に気
づかないで、それを繰りかえすこと。ある夫婦は、いつも同じパターンで、夫婦喧嘩を繰
りかえしている。

夫(妻が、勝手に電話を切ってしまったことについて)「どうして、電話を回さなかった?」
妻「あんたがいるとは思わなかったからよ」
夫「確かめればいいだろ」
妻「確かめたわよ」

夫「ウソをつくな!」
妻「ウソじゃないわよ」
夫「ミスをしたら、ミスをしたで、ごめんと言えば、それですむだろ!」
妻「すまないわよ。いつも、あんたは、怒るんだから!」

夫「もうこれ以上、オレに逆らうな!」
妻「逆らっていないわよ」
夫「逆らっている!」
妻「どこが、逆らっているのよ!」
夫「今、逆らっていないと言って、逆らっているじゃないか!」
妻「逆らっていないわよ」と。

 よくある、夫婦喧嘩のパターンである。で、こういうときは、こういう会話にすればよ
い。

夫(妻が、勝手に電話を切ってしまったことについて)「どうして、電話を回さなかった?」
妻「あら、ごめん。うっかりしていたわ」
夫「確かめればいいだろ」
妻「そうね、確かめればよかったわ……」

夫「そうだよ、ちゃんと確かめるべきだよ」
妻「そうね、ごめんなさい」
夫「まあ、いいけど。また電話がかかってくると思うよ」
妻「こちらから、かけなおそうか?」

夫「まあ、いいよ」
妻「大事な電話だったの?」
夫「わからないけど、久しぶりだったから」
妻「また電話する、って言ってたわ」
夫「じゃあ、待つか……」
妻「そうね」と。
(はやし浩司 心の残像 ひねくれ ヒネクレ症状 ヒネクレ)
(040317)

(4)今を考える  **************************

●山荘にて
 
 先週の週末には、いろいろあって、山荘へ行けなかった。だから今日(3月18日木曜
日)、平日だったが、朝早く起きて、山荘へ行ってきた。

 飲み水は、山荘からもってくることにしている。その飲み水がなくなった。

 で、朝、9時ごろ、山荘に到着。途中のコンビニで買った弁当(450円)を、二つに
分けて、雑炊にする。

 それを食べて、朝食は、おしまい。とたん、ものすごい眠気。ボンボンベッドの上で体
を休めていると、ワイフが、「コタツに入ったら……」と。で、居間のほうへ。そこで1時
間ほど、仮眠。

 それから風呂に入って、帰宅。その風呂の中で、今日、今年はじめてのウグイスの一声
を聞いた。コジュケイも鳴いた。静かだった。ちょうど雨あがりで、空が、洗われたよう
に澄んでいた。

 庭の草取りをして、キンカンを食べて、それに7分咲きのモクレンの花を写真にとった。
庭の隅(すみ)に、小さなきれいな花が咲いていた。その花を抜いてワイフのところにも
っていくと、「スミレよ」と。「スミに咲いているから、スミレか?」と、くだらないシャ
レを言う。

 数個、モクレンの花が咲いた枝を折って、ワイフに渡すと、「いいにおい……」と。「ど
れどれ……」と、私もかいでみたが、何もにおわなかった。ワイフがもう一方の手にもっ
ているコーヒーのにおいのほうが、気になった。

私「何もにおわないよ」
ワ「におうわよ。かすかなにおいだけど」
私「コーヒーのにおいだよ、これは」
ワ「におうわよ。甘いスイカのにおい……」
私「ゲーツ、スイカのにおい?」と。

 私はスイカのにおいは、あまり好きではない。くだらないことだが、オーストラリアで
は、スイカが一個、80円だという話を思い出していた。「E(三男)も、今ごろ、スイカ
を食べているかもしれない」と。

 風呂を出てからは、急いで帰ってきた。午後からは、あれこれ仕事があった。


●「私は私」

 晩年のパブロ・ピカソは、幼児が描くような絵ばかり、描いていた。ピカソが、絵画の
真髄をきわめたとき、そういう絵を描き始めたというのは、たいへん興味深い。

 つまり絵画を追求していったら、そこに「それ」があった。つまりピカソは、自分の原
点にたどりつき、自分を取りもどした。それでああいう絵を描くようになった。……とい
うのは、私の勝手な解釈によるものだが、私は、今、強く、こう思う。

 私も幼児から高校三年生まで、過去30年以上教えてきたが、教育の本当のおもしろさ
は、幼児教育にある、と。

 教えていて、私が私でいられるのは、幼児を相手にしたときだけ。幼児とワイワイと騒
いでいると、そのままこちらの心まで、洗われてしまう。濁った心や、ゆがんだ心は、そ
のままその場で、修正されてしまう。

 つまり教育が本当に教育らしい形を残しているのは、幼児教育である。……という意味
で、その心境は、晩年のピカソに近いのでは、と思う。

 教えていて一番つまらないのは、中学生。そのつぎが、高校生。そのつぎが、小学校の
高学年。これはよけいなことかもしれないが、受験がからんでくると、子どもの教育は、
本当につまらなくなる。

 が、私は、幼児を教えているときだけ、私でいられる。そのほかのときの私は、すべて、
仮面。このところ、つくづく、そう思うことが多くなった。

 ……と、否定的なことばかり書いていてもいけなので、私は、あえて提言したい。

 まず、幼児教育を確立する。その流れの先に、小学教育、中学教育を置く。そういう視
点で、現在の教育を、すべて見なおす。今の教育のように、どこかのエラーイ先生が、組
み立てた教育など、おもしろくもないし、役にもたたない。

 どこをどうするかは、各論になるので、別のところで書くが、しかし、教育を、上から
下へ組み立てていくのではなく、反対に、下から上へ組み立てていく。たとえば私は、年
間44のテーマにわけ、毎回、ちがった角度から、ちがった内容で、幼児を指導している。
もちろんオリジナルのカリキュラムである。

 ただ、誤解してもらっては困るのは、こうしたカリキュラムは、私が考えたものという
よりは、多くの母親たちが考えたもの。最初の10〜15年をかけて、私は、毎回、母親
たちと相談しながら、今のカリキュラムをつくった。毎回レッスンが終わるたびに、「次回
は何をテーマにしましょう」「どの程度まで、教えましょう」と、話しあった。そこには、
当然のことながら、無数の親たちの知恵とアイデアが結集している。

 こうした44のテーマを基盤に、その上に、つまりそれを発展させた形で、小学教育や
中学教育を組み立てる方法も、あるということ。そういう意味で、「下から上へ組み立てて
いく」と、私は、ここに書いた。

 多くの人は、幼児教育を、幼稚教育と誤解している。しかしこれはとんでもない誤解で
ある。不幸にして、そういう幼稚教育しか知らない人には、理解できないかもしれないが、
幼児教育は、奥が深い。ほかのどの年齢の教育よりも、深い。もちろん、その子どもに与
える影響は、決定的ですらある。私に言わせれば、そのあとの教育など、幼児教育の燃え
カスのようなもの。

 ピカソも、若いころは、かなりこった(?)絵を描いていた。写実的な絵も描いていた。
しかし冒頭にも書いたように、絵画の真髄を追求した結果として、ああいう絵を描くよう
になった。

 私は、そういう意味で、絵画と教育は、よく似ていると思う。


●先生を監禁

 どこかの高校で、校長が、先生を監禁するという事件が起きた。おおまかなストーリー
は、こうだ。

 どこかの高校生たちが、修学旅行に出かけた。その旅行先でのこと。「カラオケを歌わせ
ろ」「歌わせない」で、一人の引率の教師と、生徒たちが口論になった。よくある事件であ
る。

 で、その事件が原因で、「その教師と生徒たちとのトラブルを避けるために、校長が、そ
の教師を監禁した」(新聞報道)と。

 新聞報道だけを読むと、何とも、本末が転倒した事件ではないかと思う。生徒を監禁す
るなら、まだ話がわかる。しかし反対に、(正義感の強い教師?)を、校長が、監禁したと
いう。

 恐らくこの事件の背景には、何かあるのだろう。こうした事件は、単純ではない。表面
だけを見て判断すると、まちがえる。しかし現実問題として、一部の進学高校は別として、
最近の高校は、どこも似たようなものだと思ってよい。このH市でも、「放課後の教室は、
まるでラブホテルのようだ」(ある教師)そうだ。

 「高校」とは名ばかり。……ということになるが、問題は、どうしてこうした子どもが
生まれ、こうした事件を起こすかということ。私が知るかぎり、幼児期の子どもたちは、
ほとんどが純粋で、美しい。それに恵まれた環境の中に育っている。

 そういう幼児が、中学生や高校生になると、様子が変ってくる?

 もちろんその兆候がないわけではない。早い子どもだと、小学一年生で、ツッパリ始め
る。しかしこのときすでに、手遅れ。「なおす」のが、手遅れというのではない。本来なら、
家庭のあり方を猛省しなければならないが、それが期待できないということ。

 印象に残っている子どもに、U君(小1)がいた。彼は幼稚園を卒業するとき、代表で、
答辞を引き受けるほど、目だった子どもだった。が、小学一年生の夏ごろから、急に、ツ
ッパリ始めた。

 するどい目つき。投げやりな態度。乱暴な言葉など。

 そこでたまたま母親と会う機会があったので、そのことを母親に話すと、そのまま大騒
動になってしまった。父親がある宗教団体の熱心な信者で、私や母親の意見には、耳を貸
そうとしなかった。で、そのままその子どもは、私のもとを、離れた。父親は、どこか暴
力団風の人だった。

 で、その子どもは、高校へは入ったものの、暴走族に加わり、そのまま中退。このこと
からも、その後の彼が、どのような小学時代、中学時代を送ったかは、容易に想像がつく。

 実際問題として、学ぶ姿勢のない子どもに、ものを教えることほど、たいへんなことは
ない。すでにその段階で、学ぶ姿勢がないどころか、おとなたちに対して、不信感さえも
っている。もちろん学力も、ない。

 「そういう高校生は、とっとと学校から追い出せ」という意見もあるが、彼らとて、こ
のゆがんだ社会が生み出した、犠牲者にすぎない。あるいは、追い出されたあと、どこへ
行けばよいというのか。

 私は、ドイツやイタリアのように、高校は、基本的には単位制度にして、午前中で授業
を終えればよいと思う。そして午後は、クラブへ通えばよいと思う。「何もかも学校で……」
という発想そのものが、おかしい。

 この事件には、いろいろ考えさせられる。ただ、私は、幼児教育が主体だから、高校生
のことは、よくわからない。またあまり考えたことがない。だからこの程度のコメントで、
ここでは終わるが、何かしら、「?」と思う事件であることは事実。

 「先生も、たいへんだなあ」と思ってみたり、「修学旅行も考えなおさなければいけない
なあ」と思ってみたり……。本当に、いろいろ考えさせられた。

 
●レストラン

 仕事からの帰り道、いつも同じレストランの前を通る。

 65歳くらいの男性と、40歳くらいの女性が経営する、小さなレストランである。親
子だろうか。それとも夫婦だろうか。

 ちょうど空腹感が強いときなので、そのレストランが、いつも気になる。ときどき魚を
焼いた香ばしいにおいが、通りまで流れてくる。

 そのレストランができて、もう7、8年になる。たまたま開店の前日、その前を通り過
ぎると、二人が懸命に飾りつけをしていた。うれしそうだった。「ぼくたちの店だ」「やっ
と自分たちの店がもてたのね」と、そんなことを言いあっているような雰囲気だった。

 が、このところ、そのレストラン、元気がない。いつ見ても、店の中は、ガランとして
いる。客はいない。男性は、厨房に立ち、女性は、テーブルの一つに座って、ノートに何
やら書いている。おとといも、そうだったし、昨日も、そうだった。

 こういうレストランでは、一日、(イスの数)x(営業時間数)x(0・3)程度の客が
入らないと、経営は成りたたないという。具体的には、一日に、50食とか、100食な
いと、成りたたないという。

いつだったか、ある飲食チェーン店を経営している社長が、そう話してくれた。(この
「0・3」という数字は、それぞれの店の規模、性格で違うそうだ。)

 しかし50食というのも、たいへんである。5時間、営業をして、1時間当たり、10
人! 一人が、1500円程度の食事をするとして、あがりが、7〜8万円程度。利益が、
3〜4万円。月に20日間営業して、60〜80万円程度。

 私が見たところ、1日に、5〜6人も、客がいないのでは……? 見ているだけでも、
つらくなる。こうした(客待ち商売)のきびしさは、私も、子どものときから、いやとい
うほど、経験している。

 問題がないわけではない。そのレストランには、たとえば駐車場がない。目立たない。
それにまわりの環境が、あまりよくない。道路も狭い。場所さえよければ、もっと客が入
ってもよさそうなレストランである。私も何度か、食事をしたことがあるが、その男性の
腕前は、確かである。

 今夜も、そのレストランの前を通った。やはり客はいなかった。男性は厨房に立ち、女
性は、いつものテーブルに座っていた。

 人間というのはおかしなもので、いつもと同じように、同じことを考える。「親子だろう
か。それとも夫婦だろうか」と。

 ちょうど春めき始めたころで、私は携帯電話で、ワイフに電話をした。「今夜のおかずは
何?」と。するとワイフは、こう言った。「イカ丼よ」と。「それなら、どこかで夕食を食
べていくからいいよ」と言いかけたが、やめた。もうそのときには、レストランからは、
あと戻りできないほど、遠くまで来ていた。

 今度、どこかで外食することを考えたら、その店に行こう……と思いながら、自転車の
ペダルを、深くこいだ。


●運動不足(?)

 このところ、また運動不足になってきた。体重計をみると、68キロ! ギョッ! ま
たまた適正体重を、2キロもオーバー。本当は64キロくらいが、一番、調子がよい。さ
っそく、ダイエット開始。

 そのせいもあるが、どうも、このところ体が重い。自分でも、ノソノソしているのが、
よくわかる。運動は、きのうもサボってしまった。

 昨夜、ワイフが、こんなことを言った。歌手に、AMという女性がいる。私の年代の男
なら、知らない人はない。その女性が、ダイエットに成功したという。しかしこれはかな
り前の話。

 で、ワイフが、昨日テレビで見たら、その女性が、再び、丸々と太っていたという。あ
きらかにリバウンドしたらしい。

 「ダイエットといっても、ダイエットだけでは、ダメだよ。運動とペアにしなければ。
そしてね、運動といっても、その場だけの運動ではだめ。運動する習慣を身につけないと」
と、私。

 かなりわかったようなことを言うから、恐ろしい。

すこし生意気な意見かもしれないが、私はこう思う。

運動することが重要ではない。いかにして、運動する習慣を身につけるかが、重要。た
だ食事の量を減らしたり、薬(?)をのんだりしても、ダメ。私のばあいは、少し食事
の量を減らすと、そのまま体重も減るので、それなりに効果はあるが……。

 また運動の習慣にしても、大切なことは、いかにしてそれを、生活のリズムの中に溶け
こませるかということ。とってつけたような、つまり思いたってするような運動では、意
味がない。5年とか、10年とか、それくらいつづけて、はじめて効果が現れる。

 それにしても、このところ、体が重い。どうしてだろうか。コタツに入っても、すぐゴ
ロリと横になる。ワイフに相談すると、「あなたは、春先は、いつもそうじゃなア〜い?」
と。

 そう言えば、そうだ。どこかこのところ、花粉症ぽい。そのせいかもしれない。ようし、
今日は、自転車に乗るぞ! 春だ。春だ。人生の春だ! 負けるもんか!


●フィルタリング機能

 インターネット・エクスプローラー(IE)には、「フィルタリング機能」という便利な
機能がついている。みなさん、ご存知だろうか。

 たとえばしつこい相手から、何度もいたずらメールが届くようなとき、この機能を使え
ば、着信と同時に、そのメールを削除。そしてそのままゴミ箱へ捨てることができる。

 方法は簡単。そのメールのところを、白黒反転させたあと、(メッセージ)→(送信者を
禁止する)をクリックすればよい。あとはそれ以後、自動的に、その相手からのメールを、
削除してくれる。

 私は、未承認広告、プロバイダーからのウィルス警告、不要なお知らせ、広告、宣伝な
どを、この方法で、すべて削除している。もちろん不愉快な相手からのメールも。

 ここで重要なコツがある。

 IEで、送受信をすると、こうしたメールは、そのまま(削除済みアイテム)に送りこ
まれる。そしてそのとき、削除されたメールがあることを示すために、文字が、太字に変
化する。

 私は最初のころは、ここが太字になると、「だれからかな?」と思って、わざわざ見てい
た。しかし、そうした情報は、見ないこと。心を鬼にして、そうする。(見たら、フィルタ
リング機能を使っている意味がない。)

 しかし先日、その(禁止された送信者)の一覧表を見たら、ナ、何と、そのリストが、
ズラリと、40人くらいになっていた! いつの間にか、そうなっていた。もちろんリス
トにあがっているのは、アドレスだけだから、だれがどの人か、わからない。しかしその
つど、何かの思いをもって、禁止処分にした人たちである。

 覚えているのは、2年ほど前、執拗に私に攻撃をしかけてきた男性がいたこと。最初の
うちは、ていねいに反論していたが、そのうち、その弾性は、「お前の意見は、狂っている」
などというようなことを言いだした。それで(禁止された送信者)に加えて無視すること
にした。

 そうでなくても、この世界、わずらわしいことが多い。昔とちがって、インターネット
の世界では、すべてが瞬時、瞬時。瞬時に、情報を交換できる。しかも、不特定多数。こ
ういう方法を利用しないと、心がもたない。

 みなさんも、もし、だれかの執拗なメールに悩んでいたら、このフィルタリング機能を
使うとよい。あとは心を鬼にして、(削除済みアイテム)のコーナーを見ないこと。一度、
IEを閉じると、次回には、(削除済みアイテム)は、きれいにカラになっている。
(はやし浩司 フィルタリング)


●女子のADHD
 
 ADHD児というと、男子だけと思っている人がいる。しかし実際には、女子にもいる。
ただ男子と女子では、多少、症状がちがう。

 女子のばあいは、騒々しいという症状が、第一に出てくる。チョコチョコと動き回る多
動性は、あまり観察されない。

 で、その騒々しさだが、「抑えがきかない」という点では、男子のそれと似ている。強く
叱っても、効果はその場だけ。たいていは、目に涙をいっぱい浮かべて、反省したような
様子は見せる。

 その騒々しさには、つぎのような特徴がある。

 よくしゃべる(多弁性)のほか、しゃべっていることが、衝動的に、どんどんと変化し
ていく。深い思考力がなく、思いついたことを、ペラペラとしゃべるといった感じ。もの
ごとにあきっぽく、注意力も散漫で、感情的な言い方が目立つなど。

女「今日、学校でさあ、運動場でさあ……」
私「静かに!」
女「いいじゃん、少しくらい。だいじなことなんだからさア」
私「今は、そういう話をしてはいけない」

女「怒っている、怒っている。でもさあ、あまり怒るとさあ……」
私「いいから、口を閉じて!」
女「だってさあ、先生だって、しゃべるじゃん?」
私「みんなが、静かに考えているんだから、あなたも静かに!」

女「みんなさあ、がまんしてるだけじゃん。ああ、今日も、疲れたア!」
私「○○さん、静かに!」
女「だまっているのも、疲れるのよね」
私「……」と。

 こういう会話が、よどみなくつづく。そこでさらに強く叱ると、瞬間的には、涙をこぼ
したりして、「ごめん」とか言う。しかし効果は、その場だけ。数分もすると、また、しゃ
べり始める。

 騒々しさは、小学3〜5年でピークを迎える。それ以後は、自己意識の発達とともに、
自分で自分をコントロールするようになる。見た目には静かになるが、しかし騒々しさは
残ることが多い。

 大切なことは、この自己意識をうまく利用して、本人に、それと気づかせること。そし
て自分で自分をコントロールするように、しむけていく。ただこの段階でも、本人は、騒々
しいとは思っていないケースが目立つ。親自身も、気づいていないケースも、多い。
(はやし浩司 女子のADHD ADHD児 女児のADHD 多弁 多弁性)
(040319)

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 詳しくは、私のホームページの中に、書いておきました。

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 月額300円です。申し込みは、

 電話で、054−281−8870(静岡教育出版社)です。

静岡県内の方は、学校単位で、申し込みをしていただけます。
4・5月号では、ストレスについての特集記事を書かせてもらいました。

以上、お願いすることばかりで、恐縮なのですが、よろしくお願いします。

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ふえつづけています。ありがたいことですが、一方で、申し訳なく思っています。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 14日(No.396)
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(1)子育てポイント**************************
子育て四次元論
●未来、過去、外、内に向かうの四つの方向性
子育てには四つの方向性がある。

その(1)。子どもに子ども(あなたからみれば孫)の育て方を教えるのが、子育て。「あ
なたが親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子ども
を叱(しか)るのですよ」と。

もっと言えば、子育ての見本を見せるのが子育て。「親子というのはこういうものですよ」
「幸せな家庭というのはこういうものですよ」と。あなたの子どもは親になったとき、
あなたがした子育てを繰り返す。それを想像しながら、子育てをする。

 その(2)。あなたは今、自分が受けた子育てを繰り返しているにすぎない。そこであな
たの過去をさぐってみる。あなたは心豊かで、愛情深い家庭環境で育っただろうか。もし
そうならそれでよし。が、そうでなければ、あなたの子育ては、どこかがゆがんでいると
みる。その「ゆがみ」に気づくこと。

あなたはひょっとしたら、そのゆがみに気づかないまま、今の子育てをしているかもし
れない。そしてさらにそのゆがみを、あなたから、今度はあなたの子どもへ伝えている
かもしれない。…と、言ってもむずかしいことではない。この問題だけは、気づくだけ
でよい。それでなおる。

 その(3)。子育ては「上」から見る。自分の子育てを、他人のと比較する。兄弟や友人、
さらには近所の人たちのと比較する。もしできれば、世界の子育てと比較してみるのもよ
い。子育てでこわいのは、独善と独断。「子どものことは私が一番よく知っている」「私が
正しい」と豪語する親ほど、子育てで失敗しやすい。要は風通しをよくするということ。
そのために視野を高くもつ。

 最後に(4)。子育てはただの子育てではない。よく「育自」という言葉を使って、「子
育てとは自分を育てることだ」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育ては、
そんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越え、いやお
うなしに育てられる。

はじめて幼稚園へ子どもを連れてくるような親は、たしかに若くてきれいだが、底が浅
い。しかしそんな親でも、子育てで苦労するうちに、やがて姿勢が低くなり、人間的な
深みができてくる。親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。子どもが親
に、人間がどういうものかを教える。

 以上、子育てに、未来、過去、外、内の四つの方向性があることを、私は「子育て四次
元論」と呼んでいる。

(2)今日の特集  **************************

●モノにこだわる子ども 

 私が浜松市に住むようになったころのこと。講師をしていた進学塾の塾長に、ある中学
生の家庭教師を頼まれた。

 相手は、中学2年生の男子だった。

 たいへん頭のよい子どもだったが、どこか、心がつかめなかった。たとえばこちらが、
Aのつもりで話をしていても、それを、Bとか、Cとかに、ねじまげてしまうようなとこ
ろがあった。

 彼の名前を、A君としておく。

 そのA君は、中学へ入学するころから、時計を集め始めた。それ以前からも、時計には
興味があったらしい。A君の父親は、市内の大通りで、時計店を営んでいた。

 A君と対峙してすわるたびに、彼は、自分の時計を誇らしげに、私に見せた。当時でも、
珍しい、ドイツやスイスの時計を、A君はもっていた。数にすれば、40〜50個はもっ
ていたのではなかったか。

 A君は、集めた時計を一度、綿でくるんだあと、箱にしまい、そしてそれを、金庫の中
にしまった。大切にしたいという思いから、そうしたのだろう。が、そのあと、彼は、母
親や姉、妹に、金庫の前を歩かせなかった。金庫の置いてある部屋の掃除も、させなかっ
た。「その振動で、時計の動きが、おかしくなる」と。

 しかしどういうわけか、A君は、私にだけは、時計を、自由に、いじらせてくれた。も
っとも、このことはずっとあとになって、母親から聞いたことである。「A雄は、林先生に
だけは、気を許していたみたいです」と。

 が、A君の奇行は、ますますはげしくなった。手に入れたいと思う時計があると、その
時計を、父親の経営する店から盗んできて、それを、一日中、特殊な液剤をつけて、みが
いていた。

 が、そんなある日、事件が起きた。

 それを知った父親が、つまり家族にさえ、金庫の置いてある部屋を掃除させないという
ことを知った父親が、その金庫ごと、庭へ放り投げてしまったのである。

 そのときA君が、どういう反応を示したかは、私は知らない。しかしその数日後、A君
に会ってみると、A君の様子は、一変していた。ヌボーッとした表情のまま、それでいて、
顔は上気し、せかせかと落ち着きがなくなってしまっていた。目つきだけが、異様にギョ
ロギョロしていたのが、心に残った。

 明らかにA君は、もうふつうの子どもではなくなっていた。

 で、そのあとしばらくして、A君は、精神科の医院へ通院するようになり、さらにその
あと、部屋の中に閉じこもるようになってしまった。私は何度も家庭教師をやめたいと申
しでたが、母親がときには、涙まじりに、「やめないでほしい」と、私に頼んだ。

 私だけが、A君の話し相手になっていた。

●今から思うと……

 そのとき私はまだ23歳。

 何がなんだかわからない状態で、A君の家庭教師をしていた。それにどんな心の問題が
あったにせよ、私は、A君が嫌いではなかった。今でも、そのときA君がくれたオメガの
時計を、一つ、もっている。

 私が母親を通してその時計を返そうとしたことがある。しかし母親が、「A雄があげると
言ったのですから、もっていてください」と言って、受け取ってくれなかった。「それはA
雄が、一番大切にしていた時計ですから……」と。

 ただここで言えることは、A君にどんな問題があったにせよ、金庫を放り投げた父親の
行為は、適切ではなかったということ。当時の父親の気持ちがわからないわけではないが、
そういう行為は、あまりにも無謀である。

 とくにこうした収集癖のある子どものばあい、(多かれ少なかれ、そうした収集癖は、だ
れにでもあるものだが……)、それを強引にやめさせようとするのは、危険な行為と考えて
よい。自分の心を防衛するために、つまりは代償行為として、子どもが、モノにこだわる
ケースは、少なくないからである。

 わかりやすく言えば、子どもはモノに執着することによって、不安や心配から、自分を
回避させようとする。心理学の世界でも、これを「防衛機制」という。だからその子ども
が大切にしているものというのは、いわば心の聖域と覚えておくとよい。それがカードで
あれ、ゲームであれ、何でも、である。

 たとえば自閉症やアスペルガー障害の子どもは、よく、ある特定のモノに、異常なまで
にこだわることがある。これを、「固執行動」というが、こうした固執行動は、病気にたと
えるなら、あくまでも「熱」。

風邪をひいて熱を出して苦しんでいる子どもに、水をかけてなおすようなことはしない。
同じように、モノにこだわる子どもから、そのモノを取りあげたところで、自閉症やア
スペルガー障害が、なおるわけではない。かえって症状は、ひどくなる。

 子どもが何か、ある特定のモノにこだわる様子を見せたら、親は、「なぜそうなのか?」
という視点で、子どもの心の奥底を見なければならない。

●Z君のケース

 もう一人、印象に残っている少年にZ君(高校生)がいた。彼は高校へ進学すると同時
に、不登校を繰りかえすようになり、やがて中退してしまったが、そのZ君は、レコード
にこだわっていた。

 もっている枚数もすごかったが、それらのレコードが、1ミリの狂いもなく、棚に並べ
られていた。母親の話によると、家族のだれかが、ほんの少しさわっただけでも、Z君に
は、それがわかったそうだ。「だから、部屋の掃除なんて、とてもできません」と。

 Z君も、今でいう、広汎性発達障害の一つだったかもしれない。こんな事件があった。

 Z君には、5歳年下の弟がいた。その弟が、その中の一枚のレコードを勝手に持ち出し、
友人に与えてしまったことがあったという。

 Z君は、すぐその異変に気づいた。で、ふつうなら(「ふつう」という言葉は適切ではな
いかもしれないが……)、Z君は、弟を叱り、レコードを取りかえせばよかった。しかしZ
君には、それができなかった。オドオドしながら、「レコードがない」と、何度も、母親に
それを訴えた。

 が、ここでZ君に、もう一つ、悲劇が重なった。

 母親が、こうした心の病気に、あまりにも無知だったということ。今から25年ほど前
のことだから、しかたないと言えばそれまでだが、母親は、いつもZ君を叱りつづけた。「レ
コードの一枚くらい、どうしたの!」「バカ言わないでよ!」と。

 そのためZ君は、ますます萎縮した。そしてそれがきっかけで、つぎの事件が起きた。

 ときどきZ君は、わざとみなの前でころんだり、倒れてみせるようになった。それを見
たことがある人は、こう言った。「体を棒のように、まっすぐにしたままの状態で、地面に
バタンと倒れました」と。

 自傷行為である。精神的に追いつめられた人が、よく見せる行為である。が、この段階
でも、母親は、Z君を叱りつづけた。「バカなことを、しないで!」と。

 本来なら母親はZ君を病院へ連れていかねばならなかった。しかし「世間体が悪い」と
いう理由だけで、それをしなかった。当時はまだ、(今でも、そういう風潮はどこかに残っ
ているが)、家族の一員が、精神科の医院に通院するというのは、「恥ずかしいこと」「隠す
べきこと」と考える人が多かった。

 Z君の母親は、その世間体を、人一倍、気にする人だった。

●その後……

 A君にせよ、Z君にせよ、それから30年近い年月が過ぎた。で、その結果だが、A君
は、その後、いろいろあったようだが、立ちなおることができた。この原稿を書く前、消
息をたずねると、現在は、コンピュータのソフト会社を経営しているという。

 しかしZ君は、そのまま症状が悪化してしまい、いまだに母親とともに、ふつうでない
生活をしているという。Z君の妹氏から聞いたところによると、Z君は、そのあと放火事
件を起こし、近所でも大騒動になったことがあるという。

 幸い火事は、隣のコンクリートを黒くこがした程度ですみ、また警察も、たき火の不始
末と処理してくれたため、大事にはならなかったという。ただ残念なのは、そういう状態
になりながらも、母親は、Z君を叱りつづけたということ。

 私の印象では、母親自身にも、Z君に対して、何か、大きなわだかまりがあったように
思う。たとえば望まない結婚で、望まない子どもであったとか、など。よくわからないが、
少なくとも、Z君は、母親の愛情に恵まれてはいなかった。

 で、こうした二つのケースを見たとき、その分かれ道は、どこにあるかといえば、結局
は、「愛情」の問題に行きつく。

 母親の豊かな愛情に包まれたA君。一方、母親の冷淡、無視、拒否的態度の中で育てら
れたZ君。

 この二例だけではないが、親の愛情のあるなしが、その後の子どものあり方に、大きな
影響を与えるのは事実である。仮にA君の母親が、Z君の母親のようであったなら、A君
は、Z君のようになっていただろう。そして仮にZ君の母親が、A君の母親のようであっ
たなら、Z君は、A君のようになっていただろう。

 そういう意味で、親の愛情、とくに母親の愛情には、特別の力がある。魔法の力といっ
てもよい。

 「モノにこだわる子ども」というテーマで書いていたら、いつの間にか、母親の愛情の
話になってしまった。しかし決して、関連性がないわけではない。

 もしあなたの子どもが、何か、モノに異常なまでにこだわる様子を見せたら、あなた自
身の子どもへの愛情がどうなのか、ほんの少しだけ、心の中をのぞいてみるとよい。その
ときあなたが心の中に、何か温もりを感ずればよし。その温もりがあれば、その温もりが、
いつかやがてあなたの子どもの心を溶かす。
(040316)(はやし浩司 固執行動 広汎性発達障害 モノにこだわる子ども 物に
こだわる子ども ものにこだわる子供 物にこだわる子供 こだわり)

(3)心を考える  **************************

●子ども孝行

 石川県K市に住んでいるAさん(女性)のメールを読んで、考える。

 この世界では、一応「親が子どもを育てる」ということになっている。しかし実際には、
「親のために子どもが犠牲になる」というケースも、少なくない。

 Aさんは、結婚する前から、収入のない両親を、経済的に支えてきた。結婚してからも、
自分で働いて、そのお金を、両親に捧げてきた。「夫の給料から出してもらうのは、申しわ
けなくて……」と。

 しかしやがて父親は、他界。残された母親を引き取ろうとしたが、母親がそれを拒んだ。
「住みなれた家を離れるのはいやだ」と。が、その母親が、このところ、とみに体が弱っ
てきた。そのため、ほぼ一日おきに、実家へ。車で30分ほどのところだという。
 
で、こういう生活が、もう10年近くもつづいている。

 Aさんの人生は、親に始まり、親で終わるような人生だった。……と、Aさんは、そう
言う。「世間の人は、私のことを、親孝行のいい娘だと言いますが、私はそんなふうには、
思っていません。見るに見かねてというか、親だから放っておけないから、そうしている
だけです」と。

 それだけ母親が、Aさんに感謝していれば、まだAさんも救われる。しかし実際には、
いつも喧嘩ばかりという。不平、不満を並べる母親。それに反論するAさん。「親の世話も
たいへんです」「腰が痛いと言っては泣くのですが、もう治る年齢ではありませんし」と。

 「そういう施設へ預けたらどうですか?」と、私が返事を書くと、「母は、そういうとこ
ろはいやがりますので」と。かなりわがままな母親らしい。

 で、私は、ふと、こう考える。

 もしその母親に、Aさんのような娘がいなかったら、今ごろは、どうなっていただろう
か、と。人知れず餓死して、ミイラにでもなるのだろうか、と。実際に、そういう例も、
ないわけではない。

 が、考えてみると、その母親がAさんに依存するようになったのは、Aさんがいたから
ではなかったか、と。つまりAさんという存在が、母親の依存性を高めたともとれる。「世
話がたいへん」と、Aさんはこぼしているが、そういう状態をつくったのは、実は、Aさ
ん自身ではないか、と。

 こういう関係は、子どもの世界にも多い。子どもに一方で、依存性をもたせることをし
ておきながら、その依存性に悩む母親である。よい例が、過干渉であり、過保護であり、
溺愛である。子どもに対して、さんざん過干渉を繰りかえしておきながら、「どうしてうち
の子は、ハキがないのでしょう」と相談してくる親は、多い。

 Aさんは、結婚をする前から、実家に仕送りをしてきた。しかしそういう行為が、かえ
って、両親の自立を妨げてしまった可能性がある。……「ない」とは言えない。

 英語の格言にも、『崖から飛び降りてから、飛び方を学べ』というのがある。人は追いつ
められてはじめて、力を発揮する。ぬるま湯につかっていては、力は出てこない。つまり
両親は、Aさんのそういう行為に甘えてしまった?

 日本人は、「親」という言葉に、どうしても幻想をもちやすい。子どものみならず、親自
身も、である。しかしその親も、50歳をすぎれば、ただの人。少なくとも、「子」と、そ
れほど差があるわけではない。親をとおりこして、はるかにすばらしい人格者になる子と
なると、いくらでもいる。

 つまり親は、親であることに甘えてはいけない。親は親で、常に、自己鍛錬をしていく。
前に向って進んでいく。そして子どもは子どもで、親がそういうふうになっていくよう、
親を仕向ける。つまり子どもが親を、教育する。

 ほかにも、親の世話だけで、一生を終えたような人を、何人か知っている。本来なら、
もっと別の人生があったかもしれない。しかしその人は、その「親」にしばられて、何も
できなかった。

 私はAさんのような方の話を聞くと、「私は、そうはなりたくない」と思う。「息子たち
には息子たちの人生がある。そういう人生を、私という親が、奪うようなことだけは、し
たくない」と。

 私の印象では、世の人たちは、あまりにも安易に、「親孝行」という言葉を使いすぎると
思う。使うのはその人の勝手だが、かえってその言葉が、不必要に子どもを、しばってし
まう。それだけならまだしも、親自身の自立を妨げてしまう。そういうこともある。

 Aさんは、「話を聞いてくださるだけで、結構です。返事はいりません」と書いてきた。
だから返事は書かなかった。が、一言。

 「結局は、許して、忘れる。その言葉を信じて、前に進んでいきましょう」と。
(040317)


●現実検証能力

 心が変調すると、現実検証能力を失うことがある。わかりやすく言うと、自分の置かれ
た立場が、客観的に判断できなくなってしまう。

 たとえばよく知られた例に、家庭内暴力がある。家庭内暴力を起こす子どもは、家族を
とことん苦しめる。そのギリギリの限界まで、家族を苦しめる。そういう子どもに向かっ
て、「そんなことをすれば、あなた自身も、損なのだよ」と説明しても、意味はない。

 自分のしていること、自分がしていることがおよぼす結果や影響、自分の置かれた立場
など、そういうものが、理解できない。理解するための、思考力そのものが、ない。

 ほかにも、親の銀行通帳から、勝手にお金を引き出して使ってしまった子ども(女子高
校生)の例もある。が、さらにひどくなると、金銭感覚そのものがなくなることもある。

 これはある女性(母親)の例だが、夫の給料のほとんどを、衣服やバッグの購入のため
に使ってしまう人がいた。それも、一個、10万円もするようなバッグを、何個も、であ
る。

 夫が強く叱ると、そのときは、涙をこぼしながら反省するのだが、しかしもうその翌日
には、別のバッグを買ったりしていた。

 で、最近、ふと気がついたことだが、俗に言う、ノー天気な人、あるいはのんきな人と
いうのは、この現実検証能力のない人のことを言うのではないかということ。意外と、そ
ういう人は多いのでは……?

 たとえば慢性的なうつ状態が長くつづいたことが原因で、ものの考え方が、チャランポ
ランになる人がいる。お金の使い方がだらしなくなるだけではなく、人間関係や、生活態
度そのものが、だらしなくなる。一般には、「行為障害」とか、「行動障害」とか、言われ
ている。

 しかしその中身はというと、この「現実検証能力」の喪失ではないか。現実感をなくす
から、それが原因となって、さまざまな行為障害的な行為を繰りかえすようになる?

 こんな例がある。

 ある男子中学生だが、父親が来客用のみやげとして用意しておいた洋酒のボトルのフタ
をあけてしまったという。そこで父親が激怒して、「どうしてこんなことをするのだ!」と
叱ったところ、その中学生は、「ちょっと、飲んでみたかっただけ」と、泣きじゃくったと
いう。

 またある小学生は、薬のトローチを、お菓子がわりに、なめてしまったという。

 で、私の経験では、幼児期から少年少女期にかけて、一度、こうした現実検証能力を失
うと、その影響は、ほぼ一生、つづくのではないかということ。自信喪失から、自己嫌悪
におちいることもある。

 本来なら、早い時期に、親がそれに気づき、適切な措置をとるべきである。しかしそう
いう親に限って、支配欲が強く、子どもを、強圧や命令で、しばろうとする。具体的には、
(強く叱る)→(ますます子どもは現実感を喪失する)→(ますます強く叱る)の悪循環
の中で、子どもの症状は、さらに悪化する。だからその影響は、ほぼ一生、つづく。

 簡単な診断法としては、お年玉などのお金を、子どもに渡してみるとわかる。現実検証
能力の高い子どもは、そのお金を計画的に使う。何かの目的のために、大切に使う。そう
でない子どもは、もっているお金を、すべて使ってしまう。その場だけの楽しみのためだ
けに、使ってしまう。しかもあと先のことを考えないで、使ってしまう。

 こうした現実検証能力の弱さを感じたら、育児姿勢が過干渉、過関心、溺愛的になって
いないかを、謙虚に反省する。原因は、子どもにあるのではなく、家庭教育そのものにあ
る。そう考えて、反省する。

 実のところ、私も、このところ、現実検証能力が弱くなってきているのを感ずる。どこ
か自暴自棄になってきたというか、そういう感じ。「なるようになれ」とか、「なるように
しかならない」とか、そんなふうに考えることが多くなった。

 これは多分に、年齢のせいだと思う。あるいは「やるだけのことはやってみたが、やは
りダメだった」という敗北感のせいかもしれない。だから現実検証能力のない子どもの気
持ちが、よく理解できる。

 ただ念のために申し添えるなら、この「現実検証能力」という言葉は、私が考えた言葉
ではなく、心理学辞典にも載っている、心理学の用語である。決して、軽く考えてはいけ
ない。
(はやし浩司 現実検証能力 行為障害 自信喪失 自己嫌悪)


(4)今を考える  **************************

●コース
 
 私が、金沢で学生だったころ、一人の学生が、一年間休学して、北海道へでかけていっ
た。何でも、牧場で一年間働いてみるとのことだった。

 私は、その話を聞いたときの新鮮な衝撃を、今でも忘れない。「エーツ!」と言っただけ
で、つぎの言葉が出てこなかった。つまり当時の私には、その学生のそういう行為が、そ
れほどまでに信じられなかった。

 私たちには、私たちの「意識」がある。しかしその意識は、絶対的なものではない。普
遍的なものでもない。そういった意識は、その人が住む環境の中で、日々につくられてい
くものである。

 いくら「私は私」と思っても、「私」である部分は、意外と少ない。

 で、それから35年。今から思うと、あのときなぜ、私がああまで衝撃を受けたのかわ
からない。が、当時の私たちには、コースというものがあって、そのコースからはずれる
というのは、恐怖以外の何ものでもなかった。

 小学から中学、中学から高校、そして大学。就職。大学浪人という言葉もあったが、浪
人すること自体に、敗北感がただよった。留年、落第となると、さらに敗北感がただよっ
た。たとえば一人の仲のよかった友人(文科)が、留年するハメになったことがある。I
君という学生だった。そのときのこと。

 いっしょに犀川(金沢市内を流れる川)のほとりまでついていくと、その友人は、声を
ふるわせて泣き始めた。つまりそれくらい、留年というのは、私たちの時代では、考えら
れなかった。

 そういう時代に、わざと留年して、北海道へ行く……。私は、今の若い人たちには、想
像もつかないほど、強い衝撃を受けた。

 が、こうした衝撃がなくなったわけではない。

 私の三男が大学に入学したときのこと。私は三男にこう言った。「何も、まじめに卒業す
るだけが人生ではない。一年ぐらい、留年してもかまわないから、世界中を旅して歩いて
みろ」と。

 そのとき三男は、私の言葉に本当に驚いてみせた。「そんなこと、考えられない」といっ
たふうだった。

 しかしそれから4年。今、三男は、大学へ休学届けを出して、オーストラリアへ渡った。
そして05年からは、M航空大学へ進むことになっている。今度は、「パイロットになる」
と言いだした。

 そういう三男だが、そこまでの「自由意識」をもつまでに、かなり苦労をしたようだ。
言いかえると、いろいろなことがあって、ここまでたくましくなった。そう、この日本で
は、コースに沿って流れていくのは、とても簡単なこと。しかしそのコースにさからって
生きていくのは、たいへん。苦労も、多い。しかし「生きる」ということには、もともと
コースなど、ない。

 たとえて言うなら、未開の荒野を旅するようなもの。もちろんバスに乗って旅をすると
いう方法もある。しかしそんな旅に、どんな意味があるというのか。つまり、人生もそれ
に似ている。

 が、日本人には、まだそのコース意識が、しみついている。三男が、いろいろ悩んだと
いうのは、その意識があったからにほかならない。

 人は、「自由」という言葉を、簡単に使う。しかしその本当の意味を知っている人は少な
い。だから私は、三男にこう言った。駅まで、三男を送っていったときのこと。「いいか、
オーストラリアへ行ったら、フランス革命からつづいている、本物の自由をみてこい」と。

 幸福は一つかもしれないが、その幸福にたどりつく道は、決してひとつではない。そし
てどうせ一度しかない人生だったら、思う存分、自分の人生を生きる。私は、三男には、
そういう人生を生きてほしい。

 平凡な人生など、クソ食らえ!、だ。

【追記】

 たいていの親は、自分の子どもが不登校児になったりすると、その初期の段階で、混乱
状態になる。狂乱状態になる親もいる。

 なぜそうなるかといえば、親自身の中に、コース意識があるからだ。親にしても、自分
の子どもがコースからはずれていくというのは、まさに恐怖以外の何ものでもない。だか
らあわてる。

 しかしそういった意識も、結局は、作られたもの。あのマーク・トウェインはこう言っ
ている。『みなと同じことをしていると感じたら、そのときは、自分が変わるべきとき』(「ト
ムソーヤの冒険」)と。そういう意識を、「自由意識」という。

 ところで、オーストラリアのアデレードに住む友人が、三男を、未開の原野へ連れてい
ってくれるという。オーストラリアでは、「アウトバック」と呼ばれている地域である。

 そのアウトバックを、トヨタのランドクーザーで、走り回る。それは、実に爽快なこと
らしい。私には経験がないが、もちろん日本では、まねをすることができない。多分、三
男のことだから、大きな衝撃を受けることだろう。

 それから友人のいとこが、グライダー教室の教官をしているという。どうやらそのグラ
イダーの操縦もさせてくれるらしい。

 今日(3・16)の午後、その三男から、電話が入った。「無事、アデレードに着いた」
と。それに答えて、私は、思わずこう言ってしまった。「楽しんでこい」と。本当は、「し
っかりと勉強してこい」と言うべきだったが……。


●ホームステイ

 毎年、多くの高校生や大学生が、留学のため、外国へでかけていく。そしてその先で、
ホームステイを経験する。

 私の三男も、今日、オーストラリアへでかけて行った。高校の元教師の家で、ホームス
テイすることになった。

 出かけるとき、私は、三男にこう言った。

 「ホームステイというのは、その先で、家族の一員になることをいう。決して、お客様
になってはいけない。向こうでは、最低でも、つぎのことをするように。

(1)食事の用意、片づけは、すること。
(2)シャワーで壁を汚したら、きれいに流しておくこと。トイレも同じ。
(3)ベッドは、毎朝、起きたら、なおすこと。
(4)家事一般は、積極的に、手伝うこと。

 日本の子どもたちは、こういった仕事をほとんどしない。子どものときから、そういう
訓練を受けていない。だから、アメリカでも、オーストラリアでも、日本の学生は、嫌わ
れる。アメリカ人の友人は、こう言った。

 「ヒロシ、どうして日本の子どもたちは、何もしないのか?」と。

 さらにタチの悪い学生となると、宿泊先の母親を、お手伝いさんか何かのように思って
しまうらしい。「金さえ払えば、それでいい」と。しかしこれは大きな、誤解。誤解という
より、まちがい。

 中には、金儲け主義で、ホームステイさせる人もいるにはいる。しかし大半の人は、ボ
ランティア活動の一つとして、している。たとえば今、オーストラリアでは、1週160
〜70豪ドルで、学生を預かってくれる。日本円になおすと、15000円前後。月額に
して、6万円前後である。もちろん、毎日、二食つき。

 安いと言えば安いが、それに甘えてはいけない。

私「家事を手伝うんだぞ。お前は、決して、お客様ではないのだからな」
三男「うん。わかっているよ」と。

 恐らく、日本の子どもほど、家事を手伝わない子どもは、いないのではないか。その点、
オーストラリアにしても、ニュージーランドにしても、子どもたちは、本当によく家事を
手伝う。学校から帰ってきたあと、夕食の時間までは、家事を手伝う時間になっている。
料理や洗濯のほか、家の修理などなど。

 ホームステイは、その延長線上にある。

 もしあなたの子どもが、外国で、ホームステイすることになったら、ここに書いたこと
を、一度、話してきかせるとよい。

【追記】

 ところで今、ひそかに問題になっているのは、自活できない大学生たち。大学へは入学
したものの、自分の身のまわりのことができない。料理、洗濯、炊事などなど。高校を卒
業するまで、ご飯を炊いたことがない学生となると、いくらでもいる。

 一流と呼ばれる大学へ入った子どもほど、そうだそうだ。しかし考えてみれば、それも
そのはず。

 小さいときから、勉強しかしていない。親も、勉強しか、させていない。また「勉強す
る」「宿題がある」と言えば、すべての家事が免除される。そういう家庭環境で、育ってい
る。その結果、ここでいう、自活できない学生がふえた。


●Zシティ中央館に公的補助????

 浜松市中心部の西はずれに、Zシティと呼ばれる一角がある。市が数百億円の援助をし
て開発した地域だが、その中の一つが、経営不振にあえいでいる。(本当のところは、あの
あたりの開発ビルすべてが、経営不振にあえいでいる。)

 そこで「Zシティを破綻させたらたいへんなことになる」(K市長)ということで、急き
ょ、10億円近い公的資金を、補助することになった。(当初は、20億円程度だった。)
しかし「どうしてたいへんなことになるのか」という部分の説明がなかった。

 そこでこの補助は、ご破算になった。当然である。

 仮にここで補助すれば、市の財政は、ますます深みにはまってしまう。ドロ沼と言って
もよい。来年になると、さらに深みにはまってしまう。再来年になると、もっとはまって
しまう。こうして毎年、利息の不足分を補うだけで、10億円以上もの、税金を使うこと
になる。しかもそのZシティに関わる地権者というのは、たったの17人。

 わかりやすく言えば、市は、17人という民間人を助けるために、毎年、10億円以上
もの税金を使うことになる。

 (実際には、Zシティの中央館だけでも、負債額は、数十億円以上。この額は、これか
ら先、ふえることはあっても、減ることは、まずない。)

 もともと無謀な再開発であった。結局は、そのビルを建築した土建業者だけがもうけた
という再開発。地権者自身も、そういう意味で、被害者なのかもしれない。ここでZシテ
ィが破綻すれば、土地の権利そのものを、失う。

 しかし、それにしても、ムダな建物が、多すぎる? みなさんは、自分の周囲を見渡し
て、そうは思わないだろうか。公共の施設だけが、飛びぬけて、立派。場ちがいなほど、
立派。

 昨日(3・13)も、岐阜市の郊外を、バスで旅をしてみたが、どこも公共施設だけは、
飛びぬけて豪華。すばらしい。ぜいたく。

(昨日は、美濃→大矢田→武芸川→高富→岐阜のコースで、バスに乗った。)

バスは、途中、ある公共の保養施設の前でも止まったが、乗り降りする人はゼロ。時刻
は、一番忙しいはずの、午後5時ごろ。駐車場は、土曜日の祭日というのに、ガラガラ。
実際には、駐車してあった車は、多分、職員の車なのだろう。すみのほうに、数台あっ
ただけ。

 ご多分にもれず、その公共施設も、都内の一流ホテル以上に、豪華。重厚なつくりだっ
た。敷地も広く、屋根も高い。あなたが住んでいる地域の周辺も、まちがいなく、そうい
った施設があるはず。ひょっとしたらあなたは、「こうした豪華な施設は、このあたりだけ」
と思っているかもしれない。が、それは誤解。

 全国津々浦々。小さな寒村にすら、こうした豪華な施設、立ち並んでいる。

 どうして日本は、こういうアホなことばかりしているのだろう。あとあとの維持費のこ
とを考えたら、とてもできることではない。また、してはならない。

「ないよりはあったほうがよい」と。しかしこんな論理だけで、こんな豪華な施設ばか
り建てていたら、この日本は、どうなる? もうすぐ、国の借金が、一人当たり、10
00万円になる。4人家族なら、4000万円。5人家族なら、5000万円。幼稚園
児が200人で、20億円。それともあなたなら、その借金を返せるとでもいうのだろ
うか?

 日本は、気がついてみたら、とんでもない土建国家になっていた。先日、30年ぶりに
日本へ来たオーストラリアの友人も、日本の川や山々を見て、驚いていた。「どうして日本
人は、川や山をコンクリートでおおうのか」と。

 私はZシティを破綻させても、かまわないと思う。そして愚劣な土建国家の象徴として、
つまりこういうムダなものを、もうこれ以上つくらないためにも、その象徴として、幽霊
ビルにすればよいと思う。みんなが、そのムダづかいに気づいて、もっともっと、怒れば
よいと思う。その怒りが、こうしたムダづかいに、ストップをかける。長い目で見れば、
そのほうが、市民にとっても、得なはず。

 そんなムダなお金があったら、教育(校舎を建設することではないぞ!)や、文化のた
めに使え。日本人を、賢く、利口にするために!

【静岡空港】

 ないよりは、あったほうがよい。……だれだって、そう答える。しかしそのお金は、ど
こから降ってくるのか? わいてくるのか?

 第二東名だけで、工費が11兆円以上。国家税収の4分の1以上! 今、現存の東名高
速道路ですら、利用者が頭打ち。ここ数年のうちには、利用者は、減少に転ずるといわれ
ている。

 そして今度は、静岡空港。「あれば便利だろうな」と、私も思う。成田空港は遠いし、名
古屋空港も、不便なところにある。しかしこれ以上、つぎの世代の子どもたちに借金を残
してどうする。苦しむのは、子どもたちだけではないか。もしそうなら、多少の不便は、
がまんする。賢いおとななら、だれだって、そう考える。

 もう、やめよう! こんなアホな政治は! お金をかけるべきところが、ちがう。全国
のみんなが、一、二の三で、同時にやめれば、それですむことではないか。

 今、この日本は、官僚による、官僚のための、官僚の政策によって、破綻に向って、ま
っしぐらに進んでいる。いったい、どこまで行ったら、日本人は、それに気がつくのか? 

 私は何も、静岡空港の建設に反対しているのではない。ただ、これ以上、税金のムダづ
かいは、やめてほしいと言っているだけ。もしそんなお金があるなら、税金を安くし、医
療費を安くしてほしい。教育費を安くしてほしい。そして教育や文化に、もっと、お金を
使ってほしい。


●不景気

 日本は、ただ今、大恐慌のまっただ中!

 新しいタイプの大恐慌というべきか。火事にたとえて言うなら、火のない大煙に巻かれ
ているようなもの。みんな、青息吐息。本当に、青息吐息。

 友人は、岐阜県のO町で、不動産取引業を営んでいる。その友人と、今日、電話で話し
あう。人口が4万人前後の町だが、不動産取引業を営んでいるのは、二軒しかない。が、
それでも、「取り引きがなくて、仕事にならない」と。

 「近くに、土地区画整理で売りに出されているところがあるが、坪15万円。高すぎる
よ。そんな土地、売れるわけがないよ。10万円でも、むずかしいよ」と。

 10年前には、そのあたりの土地でも、坪20〜25万円と言っていた。バブル経済の
ころは、「どうしようもない荒地」(友人)ですら、坪30万円以上。それが今では、造成
した宅地ですら、10万円以下!

 ある経済学者に言わせると、こういう時代は、現金をもっている人が、有利とか。土地
などの値段がさがった分だけ、現金の価値があがるというわけである。「なるほど」とは思
うが、だからといって、土地を買ってもしかたない。いや、その前に、現金そのものが、
ない。

 さらに昨日あたりのニュース(中日新聞)によると、ほとんどの人は今、貯金を取り崩
しながら、生活しているという。しかしその貯金も、底をつき始めたという。青息吐息の
状態を通り越して、いよいよ息切れの状態というわけである。

 どこか他人ごとのように書いているが、本当のところは、私のことかもしれない。しか
し私のこととも書けない。こうした問題は、きわめてプライベートな問題である。いくら
マガジンでも、そこまで書けない。

 こうして日本も、少しずつだが、アジアの国の中でも、ごくふつうの国になっていく。「ふ
つうである」ことが悪いというのではない。しかしそのとき、日本人が、頭の切りかえが
できるかどうかということ。

 ほとんどの子どもたちは、自分たちは、アジア人ではないと思っている。「ぼくらはアジ
ア人とはちがう」と言う。そこである外国人(アフリカ人)が、「君たちの肌は、黄色いだ
ろ」と言うと、その小学生は、こう叫んだ。「ぼくらは、黄色ではない。肌色だ!」(某テ
レビ討論会)と。

 こうしたオメデタサは、だれしももっている。つまりこのアジアの中で、ふつうの国に
なるとしても、そこに至るまでに、日本人は、多くの心の葛藤(かっとう)をしなければ
ならない。

 少し前まで、「2015年ごろ、アジアにおいて、日本と中国の経済的立場は、入れかわ
る」と、多くの経済学者が、予想していた。しかしそれが今では、「2010年」になった。
つまり5年、早まったことになる。

 事実、東証に上場している外資系企業は、もう数えるほどしかない。一時は、130社
近くあったが、今では、30社もない。「仕事にならない」「翻訳料が高い」「財務省のハー
ドルが高すぎる」などが、理由のようだ。

 そのかわり、すでにアジアの経済拠点は、シンガポールに移ってしまっている。アメリ
カなどでは、日本の経済ニュースすら、シンガポール経由で入ってきている。

 こういう状態を一方で放置しておきながら、国内だけで、景気拡大をもくろんでも、う
まくいくはずがない。たとえて言うなら、波の状態をみないで、船の中だけで、船の揺れ
と戦っているようなもの。これでは、失敗は、目に見えている。現状維持が、よいところ。

 私たちは、今、意識の乗りかえを迫られている。先進国から、ふつうの国へ。経済大国
から、ふつうの国へ。欧米人意識から、アジア人意識へ。少なくとも、これからは、札束
を見せびらかして、相手の顔をひっぱたくような外交政策は通用しない。

 『平成』という時代は、やがて総括されるときがくるだろうが、「まさに日本が、ほかの
国と、平らに成った時代」と位置づけられるだろう。

 何とも歯がゆい感じもするが、かといって、私たち庶民には、どうすることもできない。
国の経済どころか、自分たちの家計ですら、あぶない。だから私たちができることと言え
ば、せいぜい、その覚悟だけはしておくということ。

 岐阜県のO町に住む友人は、こう言った。「今なら、土地は買いどきだよ。お金があるな
ら、買っておきな。このあたりでも、自己破産する人が、結構いてね……」と。それを聞
いて、ふと、「老後は、O町で過ごそうか」と考えたが、やめた。O町に住んだところで、
仕事がない。つまり私も自己破産するハメに。

ところで、竹中平蔵経済財政担当相は15日、3月の月例経済報告を関係閣僚会議に提
出し、その中で、景気の基調について、つぎのように述べている。「設備投資と輸出に支
えられ、着実な回復を続けている」と。

 つまり景気はよくなってきている、と。信じたいが、どう信ずればよいのか。こうした
効果が、地方都市にまで回ってくるのは、来年か、さ来年か。全国のみなさん、がんばり
ましょう! がんばるしかないのです!


●オーストラリアでの初日

 三男が無事、アデレードに着いた。友人が、空港まで出迎えてくれた。携帯電話で、そ
の連絡が入った。そしてその夜、友人から、メールが届いた。

++++++++++++++++++++

Hi Hiroshi,

Gave Eiichi the grand tour of Adelaide while I did some shopping. He seemed to enjoy 
himself. He started to get tired towards evening.

Have got him settled in at his home stay place.

May will bring him down to stay with this next weekend. She is doing some training in 
Emergency medicine at Flinders Medical Centre (Next to Flinders Uni), during this 
week.

Eiichi should have no worries doing his English study. I found his spoken English better 
than I had expected. We communicated quite well. He was even able to navigate and 
direct me to his home stay house using the Adelaide Street Directory.

My Mobile Phone Number is +61 417 xxxxxxx

Cheers,

PS : Eiichi has tried today traditional Aussie fish & chips and also a traditional meat
pie. He said he enjoyed both. I hope he wasn't being a very polite boy like his father. :)


E(息子)をアデレードの町を案内した。ぼくは買い物をした。彼は楽しんだみたいだ。
夕方になって疲れているように見えたので、ホムステイ先へ連れて行った。

ワイフが、週末にE(息子)を我が家に連れてくるつもり。ワイフは、今週は、フリンダ
ーズ大学の医療センターで、救急医療の訓練を指導している。(E(息子)のカレッジの隣)

E(息子)は、勉強をするのに、何も問題はない。彼の会話英語は、思っていたよりよい。
うまく会話できた。彼はアデレードの地図を見ながら、ホームステイ先まで、ぼくを案内
してくれた。

ぼくの携帯の電話番号はxxxxだ。

E(息子)は伝統的な、オーストラリアのフィシュ&チップスと、ミートパイを食べた。
両方とも、楽しんだようだ。ぼくは、彼が、彼の父親のように、ぼくには礼儀正しくない
ことを願う。

++++++++++++++++++++
 
G'day, Mate!

It is a vague morning today and I feel very relaxed now.
It is a matter of strangeness to say that he is now 22
years old, the same age when I saw you for the first time
in IH. He is my third son and I am too, to my parents.
Just 34 years have flown away! You have a wonderful
families and now I have too, though we have lost some
very important people.

I just wonder how my son will recall these days when
he gets older or does he repeat the same life as ours?

I told him to come back when he can't drink water there
in Australia. This is a kind of Japanese expression which
means "you can't get used to new surroundings". Some 
people can enjoy overseas life, but some can't. I hope 
Eiichi can enjoy it. We will see how he does. 

Thank you for everything you have done to my son, and
please please tell your wife my best regards. I am sure
Eiichi will have wonderful days with you as I had with
you last time.

Thank you again.

Hiroshi
 
+++++++++++++++++++++

グッデイ、マイト

ぼんやりとした朝だ。気分はやわらいでいる。
彼が22歳だというのは、おかしな気分だ。
ぼくがはじめて、IHカレッジで君にあったときの年齢だ。
彼は三男で、ぼくも、その三男だった。
ちょうど34年が、過ぎたことになる。その間に君は
すばらしい家族をもった。ぼくももった。大切な人も
何人かなくしたけれどね。

いつか彼も、同じような人生を繰りかえし、
今の時代を思い出して、同じように思うのだろうか。

ぼくは彼に、「オーストラリアの水が飲めなければ、
日本へ帰ってくるように」と言った。つまりこれは
日本の言い方で、「新しい環境になれなければ、帰って
こい」という意味だよ。

外国生活を楽しむ人もいれば、そうでない人もいるからね。

息子にしてくれたことすべてに感謝するよ。くれぐれも
奥さんによろしく。E(息子)は、かつてぼくがそうであったように、
すばらしい日を送ると思う。

再び、ありがとう。

浩司

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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4・5月号では、ストレスについての特集記事を書かせてもらいました。

以上、お願いすることばかりで、恐縮なのですが、よろしくお願いします。

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4月19日号を、本日(12日)に発信してしましました。
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手違いを、どうか、お許しください。
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 12日(No.395)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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(1)子育てポイント**************************

【読者の方より……】

静岡県H市のYさんから、こんなメールが届いています。うれしかったです。掲載の許
可をいただけましたので、ここに紹介します。

++++++++++++++++

はやし先生

おはようございます。
すっかり春めいてきました。

マガジンいつも楽しみにしています。

二月から三月にかけては、
バイオリズムが低迷していたのか、
二女のケガから始まり、
どうも物ごとがうまく進まなかったり、
失敗があったりと・・・・・最悪でした。
精神的には落ち込むし、やる気はなくなるしで、
憂うつな日々でした。


その上家族が順番に風邪をひき、
私は疲労とストレスのピークに達していました。


些細なことですが救われるきっかけがありました。 

母「今年はおひな様どうしようか。」(かなり、やめようモードで聞きました。)
長女「ママ、大変そうだから出すのは、やめにしてもいいよ」
母「そうだね。今年はやめておこうか、たいへんだから」
長女「うん。」
---重〜い空気が流れました。---

そして翌日
母「夕べ考えたんだけど、やっぱりおひな様出そうか!」
長女「・・・?」
母「だっておひな様が、一年に一度この時を楽しみにしていたとしたら
人間の都合で勝手に出すのをやめたらかわいそうだと思って・・・」
長女「そうだね。私もそう思う。今度の土曜に一緒に出そうよ」

---部屋の隅で聞き耳を立てていた---
長男「僕は五人ばやしと、赤い顔のオヤジを出すよ」
(笑・笑・笑)

そして土曜日
人形やお道具を出しながら、
長女「ねえ、ママ、なんだか私、うれしくなってきた」
母「ママも」
---長女のいい笑顔---出してよかった〜〜と思いました。--- 

今年はほんの一週間しかおひな様が飾れませんでしたが、
子どもと一緒に、いい経験が出来ました。

私がおひな様を出そう!、と奮起出来たのは
マガジンの影響がすごくあります。
ホントにありがとうございました。

無料でも有料でも私にとっては
はやし先生のマガジンに、変わりありません。
(あまりに高額だと、そうも言ってはいられませんが(笑)).

子育ては毎日が迷いとため息とあきらめと、
感動と涙と笑いと・・・本当に疲れます。
(ちょっと吉本っぽくて、笑える文です。)

マガジンのお陰で、新しいエネルギーが補充されるようです。

はやいもので、マガジンを読み始めて、もうすぐ一年が終わります。
私は、昔から春休みのこの時期が大好きです。
木々も草花も自分に微笑んでいる
ようにさえ見えてくるのです(かなりジコチューです)

また、新しい一週間が始まります。

これからもよろしくお願いします。

       H市 Y(母親)より
  
++++++++++++++++++++

 毎日、読者の方から、平均して、20〜30通のメールをいただきます。できるだけ返
事を書くようにしていますが、このところ忙しくて、それもままならなくなってきました。
ときどき、数日おきに、「返事はどうなっているのか?」と催促してくる人もいますが、一
両日内に返事がないばあいには、私からの返事はないものと思って、どうかあきらめてく
ださい。

 当方の事情もご理解の上、こうした勝手を、どうかお許しください。

 当然のことながら、相談内容は、子育てに関することでお願いします。またご住所、お
名前のない方からのメールは、原則として、そのまま削除させていただいています。その
ため返事を書くということは、絶対にありえません。

 また、お名前、ご住所を書いていただいたからといって、必ずしも、返事を約束するも
のではありません。どうか、誤解のないように、お願いします。

 何か、テーマをいただけるようでしたら、どうか掲示板のほうに、お書き込みくだされ
ばうれしく思います。たとえば「自閉症について書いてほしい」などと、書き込んでくだ
されば、時間をみつけて、それについて考えてみるようにします。

++++++++++++++++++++

【Yさんへ】

 欧米では、「子育て」は、義務ではなく、権利であるという考え方をします。ですから、
たとえば、だれかに子育てをじゃまされたりすると、「私の権利を奪うな」などと言ったり
します。父親が残業を命じられたようなときも、そうです。

 欧米では、伝統的に、「家族と楽しいときをすごすために、収入を得る」という考え方を
するようですね。家族が「主」で、仕事が、「副」という考え方です。

 一方、日本では、仕事は、いつも出世の道具でしかありませんでした。だから少し前ま
で、「仕事のためなら、家族は犠牲になって当然」というような考え方をしていました。仕
事が「主」で、家族が、「副」というわけでした。

 今、この考え方が、大きく変わりつつあります。いろいろな調査結果をみても、日本人
も、「家族が大切」という考え方になりつつあるようです。

 実際、子育ても終わりに近づくと、後悔することばかり。「もっと、息子たちのそばにい
てやればよかった」とか、「どうしてあのとき、もっと息子の立場になって考えてやること
ができなかったのか」とかなど。

 一方、家族との楽しかった思い出だけが、心の支えとなっていることに気づきます。

 ですから、Yさんの判断は、正しかったと思います。子どもたちもそれを求めていたの
でしょうね。お雛様を飾ってあげることで、心が暖かくなったはずです。が、それだけで
はありません。いつか、あなたの子どもたちも、やさしいパパとママになり、幸福な家庭
を築くことができるようになります。

 子育てというのは、そういうものですね。

 子どもに子どもの育て方を教えていくのが、子育てというわけです。メール、ありがと
うございました。


(1)子育てポイント**************************

●ゲームづけの子ども

ゲームづけの子どもたち(ポケモン、遊戯王、そしてマジギャザ)

 小学生の低学年は、「遊戯王」。高学年から中学生は、「マジック・ザ・ギャザリング(通
称、マジギャザ)」。遊戯王について言えば、小学三年生で、約二五%以上の男児がハマっ
ている(二〇〇〇年一一月、小三児五三名中一三名、浜松市内)。

ある日、一人の子ども(小三男児)が、こう教えてくれた。「ブルーアイズを三枚集めて、
融合させる。融合させるためには、融合カードを使う。そうすればアルティミットドラ
ゴンをフィールドに出せる。それに巨大化をつけると、攻撃力が九〇〇〇になる」と。

子どもの言ったことをそのまま書いたが、さっぱり意味がわからない。基本的にはカー
ドどうしを戦わせるゲームだと思えばよい。戦いは、勝ったほうが相手のカードを取る
「かけ勝負」と、取らない「かけなし勝負」とがある。カードは、一パック五枚入りで、
一五〇円から三三〇円程度で販売されている。「アルティメット入りのパックは、値段が
高い」そうだ。

 あのポケモン世代が、小学校の高学年から中学一、二年になった。そこで当時ハマった
子どもたち何人かに、「その後」を聞くと、いろいろ話してくれた。M君(中二)いわく、
「今はマジック・ザ・ギャザリングだ。少し前までは、遊戯王だったけどね」と。カード
(一五枚で五〇〇円。デパートやおもちゃ屋で販売。遊戯王は、五枚で二〇〇円)は、一
〇〇〇枚近く集めたそうだ。

マジギャザというのは、基本的にはポケモンカードと同じような遊びをする。内容は高
度になっている。私も一時間ほど教えてもらったが、正直言ってよくわからない。要す
るに、ポケモンカードから始まった世代は、同じように遊戯王のカードを集め、今は、
マジギャザのカードを集めている。そしてそのカードを戦わせながら、遊んでいる。

 浜松市内の中学一年生について調べたところ、男子の約半数がマジギャザと遊戯王に、
多かれ少なかれハマっているのがわかった。一人がだいたい一〇〇〇枚近いカードをもっ
ている。中には一万枚ももっている子どももいるという。

マジギャザはもともとアメリカで生まれたゲームで、そのためアメリカバージョン、フ
ランスバージョン、さらに中国バージョンもあるという。カード数が多いのは、そのた
め。

「フランス語版は質がよくて、プレミヤのついたカードは、四万円。印刷ミスのも、四
万円の価値がある」と。さらにこのカードをつかって、カケをしたり、大会で賞品集め
をすることもある。「大会で勝つと、新しいカードをたくさんもらえる」とのこと。「優
勝するのは、たいてい二〇歳以上のおとなばかりだよ」とも。

要するにポケモン世代は、大きくなるにつれて、その思考回路はそのままで、より複雑
な遊びに転じているということになる。

 子どもをダシにした金儲けは、この不況下でも、大盛況。年間一〇〇億円から二〇〇億
円の市場になっている。たとえば今、「融合カード」は、発売中止になっている。子どもた
ちはそのカードを手に入れるためには、交換するか、友だちから買うしかない。希少価値
がある分だけ、値段も高い。

つまり子どもたちは、商魂たくましいおとなたちによって操られている。しかしこんな
ことが許されてよいものか。

(2)今日の特集  **************************

【子育て特集】

●人格の完成度

 人格の完成度、つまり内面化の完成度は、いかに相手の立場で、いかに相手の心情にな
って考えられるかで、決まる。

 同調性……相手の悲しみや苦しみに、どの程度まで、理解し、同調できるか。

 協調性……相手と、どの程度まで、仕事や作業を、仲よく、強調してできるか。

 調和性……周囲の人たちと、いかになごやかな雰囲気をつくることができるか。

 利他性……いかに自分の利益より、他人の利益を優先させることができるか。

 客観性……自分の姿や、置かれた立場を、どの程度まで、客観的にみることができるか。

 言うなれば、自己本位とその人の人格の完成度は、反比例の関係にある。つまり自己本
位の人は、それだけ人格の完成度が低いことになる。

 このことは満1〜2歳の子どもを見ればわかる。たとえば私の孫。

 息子夫婦が、今、孫の歯磨きの習慣づけに苦労している。歯を磨こうとすると、いやが
って逃げてしまうという。そのときのこと、孫(1歳6か月)は、自分で自分の両目を押
さえて、見えないフリをするという。

 つまり「自分が見えなければ、相手も自分を見えないはず」イコール、どこかへ隠れた
つもりでいるらしい。

 あるいはある幼児(年長男児)は、こう言った。

 「ぼくのうしろは、まっくらだ。だから何もない。ぼくがうしろを振り向いたときだけ、
そこにうしろの世界が現れる」と。

 これらは幼児の自己中心性を表す、典型的な例と言える。しかし同じようなことを、お
となたちもしている。

 世界のどこかで、飢餓に苦しみ人たちがいたとする。そういうニュースを新聞で見かけ
たとき、そのまま目をそらしてしまう人がいる。テレビのニュースそのものを見ない人も
いる。

 先日も、ある小さなラーメン屋に入ったときのこと。ちょうど午後7時になったので、
私が店の主人に、「NHKのニュースを見せていただけませんか」と言ったときのこと。「う
ちは、ニュースは見ないから……」と、断られてしまった。

 結局は、世界の狭い人ということになるが、それだけ世界への同調性が、低いというこ
とになる。つまり世界のニュースに目を閉じることによって、そういった事件は、ないも
のとして片づけてしまう。
(はやし浩司 人格の完成度 同調性 協調性)

(3)心を考える  **************************

●性欲

 乳幼児にも性欲があるといったのは、フロイトだが、それはともかくとして、男には、
たしかに排泄欲というものがある。

 たとえば、私は、銀行に行くと、ソファに座ったまま、頭の中で、よく銀行強盗を空想
する。しかしこれはあくまでも空想。ハリウッド映画の影響だと思う。

 だから実際には、銀行強盗をするような夢は見ない。つまり(空想)と、(現実)の間に
は、大きな距離感がある。

 しかし一方、若い銀行員の女性を見ながら、あらぬロマンスを想像することはある。し
かしこのばあいは、(空想)と、(現実)の間には、それほど距離感はない。だから実際に
は、夢の中でも、そういった夢を見ることがある。

 もちろん銀行強盗を空想するような、罪悪感はない。それはいわば排泄のための、排泄
行為のようなもの。あえて言うなら、空腹なとき、ごちそうを食べる夢を見るようなもの
ではないか。

 ところでフロイトは、その排泄欲を観察しながら、人格の完成度まで、段階化した。

(口唇期)……母親の乳房に口をあて、自分の快感を得るためだけの、自分勝手な性欲期。
(肛門期)……排泄だけを目的とし、排泄することによる快感だけを求める、性欲期。
(男根期)……女性を「女」と見ることにより、男としての優越性を求める性欲期。
(性器期)……たがいの心の交流を求めて、人間らしい、深い味わいを求める性欲期。

 しかし実際には、男には、こういう段階があるわけではなく、(フロイトを批判するのは、
たいへん勇気がいることだが)、いつもそれぞれの状態が、一人の男性の中に、混在してい
るとみるべきではないか。

 たとえば今という時点においても、私の中には、(口唇期)もあれば、(性器期)もある。
ときに(肛門期)もあり、(男根期)もある。ただ年齢と経験が加算されればされるほど、
相対的に(口唇期)の性欲が減り、より(性器期)の性欲を求めるというだけにすぎない。

 で、この状態は、40歳になっても、50歳になっても、変らない。だから今でも、と
きどき夢の中で、若い女性との、あらぬ夢を見ることがある。だからといって、それを浮
気だとか、不倫だとか、そういうふうに考えてもらっては、困る。

 あくまでも、排泄欲としての、セックスを想像するだけである。ただ若いときとちがっ
て、それが、夢精につながることは、少ない。そういう意味では、精力そのものは、たし
かに衰えた。しかし「男」としての性欲は消えるわけではない。

 フロイトは、性欲は、生きる力の源泉になっているという。考えてみればその通りで、
人間も、ほかの動植物と同じように、(種族の保存)を、生きるための最大の目的にしてい
る。もし性欲がなかったら、人間は、とっくの昔に絶滅していたことになる。

 性欲を悪と決めてかかるほうが、おかしい。俗な言い方をすれば、スケベな人ほど、そ
れほど、生活力も旺盛ということになる。スケベであることは、おおいに結構。男性のば
あい、(女性のことはよくわからないが……)、スケベでなくなったら、男も、おしまいと
いうこと。大切なことは、それをどうコントロールするか、である。

 で、ワイフのこと。

 ときどき、「今朝は、ヒワイな夢を見たよ」と、私が言うと、ワイフは、さも軽蔑したよ
うな目つきで私を見る。「いい年して、まだ、そんな夢を見るのオ?」と。しかしそれは誤
解。それを言いたくて、このエッセーを書いた。

 ところで、私の銀行強盗計画は、こうだ。(あくまでもハリウッド映画用の脚本として…
…。)

 まず地下のxxxから、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxx。ほかの仲間(ワイフ)はそのまま帰る。

 残った一人は、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxを一台、天井から、ゆっくりとつりあげる。

 そのxxxxxxxxxに、無線のxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxコピーする。

 翌朝、銀行業務が始まったら、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx。送金時刻は、銀行業務が
終わる、ギリギリの時刻に設定する。

 送金先は、反対に、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxx。そうすれば、xxxxxxxxたちが、その不正送金に気づく
ことはない。

 こうして別の仲間(私のワイフ)が、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx大金を自分のものとする。

 ハハハ。

 これが私の銀行強盗計画。今のところ、ワイフは、まったく相手にしてくれないから、
これはあくまでも私の空想。しかしだれかがやろうと思えば、そういうこともできるとい
うこと。銀行側も、そのための対策をしっかりと、とっておいたほうがよい。

 私の印象では、どこの銀行でも、xxxxxxxxxxxxxxxが、一つの大きな盲
点になっていると思う。

 ただし強盗をするほうも、時期を選ばないと、たいへんなことになる。xxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
xxxxxxx。

 (いいのかなあ、こんなことを、書いて……。やはり、この部分は、ボツにしよう。マ
ネをする人がいるといけないから……。「xxxxxxx」と、重要な部分を、伏せ字にす
ることにした。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●人格の完成度

 人格の完成度、つまり内面化の完成度は、いかに相手の立場で、いかに相手の心情にな
って考えられるかで、決まる。

 同調性……相手の悲しみや苦しみに、どの程度まで、理解し、同調できるか。

 協調性……相手と、どの程度まで、仕事や作業を、仲よく、強調してできるか。

 調和性……周囲の人たちと、いかになごやかな雰囲気をつくることができるか。

 利他性……いかに自分の利益より、他人の利益を優先させることができるか。

 客観性……自分の姿や、置かれた立場を、どの程度まで、客観的にみることができるか。

 言うなれば、自己本位とその人の人格の完成度は、反比例の関係にある。つまり自己本
位の人は、それだけ人格の完成度が低いことになる。

 このことは満1〜2歳の子どもを見ればわかる。たとえば私の孫。

 息子夫婦が、今、孫の歯磨きの習慣づけに苦労している。歯を磨こうとすると、いやが
って逃げてしまうという。そのときのこと、孫(1歳6か月)は、自分で自分の両目を押
さえて、見えないフリをするという。

 つまり「自分が見えなければ、相手も自分を見えないはず」イコール、どこかへ隠れた
つもりでいるらしい。

 あるいはある幼児(年長男児)は、こう言った。

 「ぼくのうしろは、まっくらだ。だから何もない。ぼくがうしろを振り向いたときだけ、
そこにうしろの世界が現れる」と。

 これらは幼児の自己中心性を表す、典型的な例と言える。しかし同じようなことを、お
となたちもしている。

 世界のどこかで、飢餓に苦しみ人たちがいたとする。そういうニュースを新聞で見かけ
たとき、そのまま目をそらしてしまう人がいる。テレビのニュースそのものを見ない人も
いる。

 先日も、ある小さなラーメン屋に入ったときのこと。ちょうど午後7時になったので、
私が店の主人に、「NHKのニュースを見せていただけませんか」と言ったときのこと。「う
ちは、ニュースは見ないから……」と、断られてしまった。

 結局は、世界の狭い人ということになるが、それだけ世界への同調性が、低いというこ
とになる。つまり世界のニュースに目を閉じることによって、そういった事件は、ないも
のとして片づけてしまう。
(はやし浩司 人格の完成度 同調性 協調性)

(4)今を考える  **************************

●愚かな人VS賢人

 愚かな人には、賢い人は理解できない。が、賢い人には、愚かな人が、よくわかる。自
分についても、同じ。人は以前より賢くなって、それまでの愚かさがわかる。

 このことは、文章を書く人なら、みな、知っている。

 私も、ときどき、20年前、30年前に、自分で書いた文章を読みかえすときがある。
そのとき、そのつど、自分の愚かさに、あ然とするときがある。

 (だからといって、若いころに書いた文章が、つまらないと言っているのではない。反
対に、その感性や、純粋さに驚くこともある。)

 では、愚かな人と賢い人のちがいは、どこにあるのか。

 私は、そのちがいは、思考力の深さと、考える習慣によると思う。どこか手前味噌のよ
うな意見だが、しかし「考える」ということは、山登りに似ている。高い山に登れば登る
ほど、それまでの山が低く見える。予想していたよりも、はるかに低く見える。

 同じように、一つの考えを自分のものにすると、それまでの自分が、愚かに見える。も
のすごく愚かに見える。

 あとは、その繰りかえし。(だからといって、私が賢人というわけではない。誤解のない
ように!)

 これは一つの例だが、今日も、道路へ、平気でゴミを捨てている若者を見かけた。何か
の紙くずを、手のひらの中で、クルクルと丸めて捨てていた。

 私から見ると、その若者は、愚かな人に見える。しかしその若者自身は、自分がそうで
あることには気づいていない。(ゴミを捨てない人)が、どういう人であるかさえ、知らな
いからである。つまり愚かな人からは、賢い人がわからない。 

 こういう例は、多い。子育ての世界にも、多い。

 こちらからは、親の考え方や、育て方、それに子どもの問題点や、これから先、どうな
るかということまで、手に取るようにわかる。しかし、その親には、それがわからない。
わからないまま、私にあれこれ指示してくる。

 ……という話は、ここまで。立場上、スポンサーの悪口は書けない。ただそういうとき
は、私のほうが、バカなフリをして、つまり知らぬフリをして、その場をやり過ごす。そ
れも大切な教育技術の一つだと、私は思っている。


●泥棒の家は、戸締りが厳重

 昔から『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。私は、この諺(ことわざ)の意味を、こ
のところ、毎日、考えている。

 私は、子どものころから、孤独だった。他人に心を開かない分だけ、当然のことながら、
他人を信用しなかった。よく「浩司は、愛想のいい子だ」と、伯父や伯母に言われたが、
それはいわば、仮面のようなものだった。

 本当の私は、人嫌いで、とくに集団行動が苦手だった。運動会にせよ、遠足にせよ、人
に気をつかう分だけ、よく疲れた。

 だからといって、ひとりでいることを好んだわけではない。ここにも書いたように、私
はいつも孤独だった。

 そういう意味では、私には、問題があった。対人関係を、うまく結ぶことができなかっ
た。孤独だったから、外に出て行った。しかし外の世界では、うまく、人と交際ができな
かった。

 で、30代、40代は、そういう自分との戦いだったような気がする。今でも、基本的
には、対人関係が、苦手である。ただ子どもたちと接しているときだけ、私は、私でいら
れる。ありのままの自分を、すなおに表現できる。

 このことと、『泥棒の家は、戸締りは厳重』と、どういう関係があるのか?

 実は、私は、そのため、ここにも書いたように、「人を信用しない」人間だった。「信用
しない」といえば、まだ聞こえはよいが、裏を返すと、「疑りぶかい」ということになる。
そう、私は、子どものころから、その疑りぶかい子どもだった。

 たとえばだれかが、私に何かをくれたとする。そのとき私は、それに対して、「ありがと
う」と言う前に、相手の下心をさぐってしまう。「どうしてくれるのか?」「私に何をさせ
ようとしているのか?」と。

 つまり私は、人を信用しない分だけ(=泥棒であるため)、他人を疑ってしまう(=戸締
りを厳重にする)。

 で、私とワイフの関係についても、同じようなことがいえる。今夜も私は、ワイフにこ
う聞いた。

 「お前は、ぼくといっしょにいて、さみしくないか? ぼくたちは長い間、夫婦をして
いるけど、ぼくは、お前のことを全幅に信じているわけではない。たとえばいつか、ぼく
が倒れて、仕事でもできなくなったら、お前はぼくを捨てていくだろうと思っている。心
のどこかで、ね。そういうぼくを、お前も感じているはずだ。だから、お前は、さみしい
思いをしていると思う」と。

 それに答えて、ワイフは、こう言った。「あなたは、かわいそうな人ね」と。

 私は泥棒なのだ。だから、戸締りを厳重にしている。そういう自分と、どう戦えばよい
のか。戸締りばかりしているのも、疲れた。もうそんなことは考えないで、家中の窓や戸
を、全部開けて、のんびりと暮らしてみたい。

 聞きなれた諺だが、このところ、この諺の意味を、あれこれ考える。


●ケータイをもったサル

 どこかのだれかが、「ケータイをもったサル」といようなタイトルの本(新書版)を書い
た。少し立ち読みをしただけなので、内容はよく知らない。しかし、このところ、「なるほ
ど、そうだな」と思うときが、ときどきある。

 今日も、ローカル電車に乗ったときのこと。若い人たちが、みな、ケータイを相手に、
きぜわしく、指先を動かしていた。中には、こっそりと、会話をしている人もいた。が、
その中でも、とくに一人の女性が、私の目をひいた。

 かなり大柄な女性だったが、始終、ひわいな笑みを浮かべて、メールを読んだり、送っ
たりしていた。表情を見ただけで、そういう話とわかるような雰囲気だった。しかも傍若
無人(ぼうじゃくぶじん)。よく満員電車の中で化粧をしている若い女性を見かけるが、私
が受けた印象は、それ以下だった。

それぞれの人が、何をしようと、それはその人の勝手。しかし私はその女性の笑みの中
に、一片の知性すら感ずることができなかった。まさにサル(失礼!)。本当にサル(失
礼!)。

 人間とサルとはちがうというが、私には、動物園で見たあのサルと、その女性が、まっ
たく区別がつかなかった(失礼! 本当に失礼だと思うが、事実は、事実。)

 ためしにみなさんも、今度、ローカル電車に乗ったようなとき、若い人たちの姿を見て
みるとよい。もちろん大半の若い人は、そうでない。しかし中に、ときどき、見るからに
低劣な人がいる。どう低劣かは、ここに書くことができないが、本当に、低劣。

 以前、私の恩師の一人が、「昆虫のような脳ミソ」という言葉を使ったことがある。理性
や知性を感じない人を評して、その恩師は、そう言った。たいへん失礼な言葉に聞こえる
かもしれないが、私はその言葉を思い出しながら、「ああいう人たちのような脳ミソを、昆
虫のような脳ミソというのだな」と思った。

 今、とても残念なことだが、その程度の脳ミソしかない人が、ふえている? ……多分?

【追記】

 ついでに、もう一つ苦情。

中高年の人たちも、うるさい。本当によくしゃべる。大声で。しかも「しゃべらなけれ
ば、損」といったふうに、しゃべる。

 自分もその中高年の一人だから、偉そうなことは言えない。が、もう少し、まわりの人
が受ける迷惑も考えるべきではないのか。

 今日もローカル電車で、岐阜へ行くとき、ハイキングにでかける一行(全員が、50〜
60代、4〜5人のグループが、二つ)と、いっしょになった。

 そのグループが、ワイワイ、ガヤガヤ。本当に、うるさい。どうしてああまで、うるさ
いのか? 一人がしゃべると、相づちをうって、ほかの全員が、これまた負けじとばかり、
大声でしゃべる。またそういうふうに、しゃべりあうのが、常識と考えているといったふ
う。

 おかげで眠っていこうと考えていた私の思惑は、完全にはずれた。席を離れて、となり
の車両に移ったら、そこにも、中高年の人たちのグループが! あきらめて一番手前の席
にすわって、私は、ただひたすら雑誌を読みつづけた。

 ……ずいぶんと失礼なことを書いてしまったようだ。今夜は、長旅で、少し疲れている
せいかもしれない。少し、気分がイラだっているようだ。

 でも、みなさん、電車の中では、もう少し、静かにしましょう


●三男の旅立ち

 明日、夕刻の飛行機で、三男が、オーストラリアへ旅立つ。「そんな大げさなものじゃな
い」と三男は言う。しかし今夜、家族で、そのお別れ会をした。

 このところ、私の周辺で、いろいろな問題が起きている。そのせいか、三男との別れが、
ぐいと胸に響く。ワイフが、こう言った。

 「私、E君(三男)と、二人だけで旅をしたことがないわ。だから明日は、東京まで、
いっしょに行ってあげたい」と。ワイフにはワイフの思いがあるようだ。私としては、そ
れに反対する理由など、どこにもない。

 その私は、三男とよく、二人だけで、旅をした。紀伊半島を回ったこともあるし、長野
県から岐阜県を、回ったこともある。タイへも、いっしょに行ったことがある。だから思
い残すことはない。ないはずなのに、どこか、さみしい。

 「恐らく、三男は、このまま、我が家にもどってくることはないだろう」と、私が言う
と、ワイフは黙っていた。それが、そのさみしさの原因かもしれない。つづいて、「親とし
て、できるだけのことはしてやろう」と言うと、「そうね」と。

 ……ここまで書いたところで、文がつづかなくなってしまった。淡い虚脱感というか、
力が抜けたというか。あまり考えたくないというか……。

私は子育てをしながら、むしろ、子どもたちに、人生を楽しませてもらった。だから息
子たちには、感謝しこそすれ、それができなくなったからといって、今、さみしく思わ
ねばならない理由などないはず。

それが、どういうわけか、さみしい。

 多分、このさみしさは、ひょっとしたら、人生が終わりに近づいたものがみな、感ずる
さみしさではないのか。子育てが終わったと思ったら、そこには、老後が待っていた……。
今日も何かのことで、カガミにうつった自分の顔をみて、こう思った。

 「はやし浩司も、ジジくさい顔になったなあ」と。

 自分でもいやになる。何かをしてきたようで、何もできなかった。これから先、あと1
0年生きても、20年生きても、この状態は、変らないかもしれない。「今日こそは……」
「今日こそは……」と、がんばって生きてきたが、夜になると、「やっぱり何もできなかっ
た……」と。毎日が、その繰りかえし……。

 そう、だから今日、三男に、車の中で、こう言った。

 「ぼくは、ちょうどお前の年齢のとき、オーストラリアへ行った。日本へ帰ってきてか
らは、ずっと、苦労の連続だったけれど、そんなぼくが、かろうじて道を踏みはずさない
ですんだのは、あの時代があったからだよ。

 お前は、その時代を、今、自分でつくろうとしている。いいか、今のこの時は、これか
ら先、お前の(核)となる時代になるんだよ。思う存分、羽を広げて、この広い世界を、
はばたいてみろ。悔いのない青春時代を生きてみろ。

 オーストラリアにはね、本物の自由がある。日本人が見たことも、聞いたこともない自
由だ。その自由にふれてこい。それがね、いつか、お前の心の中で、さん然と輝き始める
よ」と。

 そう言い終ったときも、私はさみしかった。本来なら、喜んでよいはずなのに、その喜
びがない。どうしてだろう。

 今夜は、早めに寝たほうが、よさそうだ。身も心も、疲れすぎている。ほんとうに、こ
の二日間、いろいろあった。

 
●思考

 「考えること」といっても、大きく分けて、二種類ある。考えていて、楽しいことと、
考えれば考えるほど、気が滅入ることである。

 そのちがいは、どこにあるかといえば、(わずらわしさ)。

 総じてみれば、わずらわしさの原因のほとんどは、人間関係から生まれる。人は、その
人間関係を避けて生きることはできないが、この人間関係は、一度こじれると、とことん、
こじれる。そして一度こじれたら最後。あとはわずらわしくなるだけ。

 だから気持ちよく生きるためには、そのわずらわしさから、自分を回避するしかない。
つまりは、その危険性のある人には、近づかない。昔、中国では、『君子、危うきに近寄ら
ず』と言ったが、その(危うき)というのは、まさに人間関係のことを言ったのではない
かと思う。

 E氏だったと思うが、あるノーベル賞受賞者が、こう言ったという。「ノーベル賞をとる
ような研究をしたかったら、名刺を捨てなさい」と。

 つまり、わずらわしい人間関係とは、決別しなさい、と。

 このE氏の言葉には、一理ある。何かの目標に向って、まっしぐらに進んでいくために
は、こうしたわずらわしさからは、できるだけ解放されたほうがよい。

 で、私も、毎日、いろいろと考える。考えること自体は、苦痛ではない。しかし考えれ
ば考えるほど、気が滅入ることも、少なくない。が、一方で、私は、あまり器用ではない。
何かにつけて、考えてしまう。そしてその結果、そういうわずらわしいことまで、同じよ
うに考えてしまう。そしてますます気が滅入ってしまう。

 そうして考えてみると、「考える」ということは、まさに両刃の剣ということになる。考
えることによって、自分を伸ばすこともあるが、使い方をまちがえると、自分を腐らせて
しまう。その使い分けをどうするか。これも、「考える」ことにまつわる、大切な問題だと
思う。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 9日(No.394)
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(1)子育てポイント**************************

最近の女子高校生は…?

●失敗作と笑えるか

市立図書館で、女子高校生六人に聞いてみた。「君たちは将来、何をしたいか」と。私は
当然、キャリアウーマン的な人生観をもっているものとばかり思っていた。が、五人ま
でがこう答えた。

「結婚して、はやく家庭に入りタ〜イ」「家庭でダンナの帰りを待ちながら、料理しタ〜
イ」と。

私が「家庭の主婦になるということか」と聞くと、「そうだヨ〜」と。そこでさらに、「仕
事はしないのか?」と聞くと、「したくないヨ〜。ダンナの給料だけでやっていきたいヨ
〜」と。

 見た感じ、ごくふつうの高校生である。ちょうどテスト週間で、図書館に来ていた。私
は質問を変えて、「では、どんな男と結婚したいか」と聞いた。すると一人が、「一にマス
ク、二に経済力…。『これオヤジのマンション』と言うような金持ちの息子がいい」と言っ
た。私が「心はどうする。結婚するというのは、心の問題だよ」と言うと、「マスクのいい
人は、心もいいに決まってル〜」と。

あれこれ話したが、政治の話をもちだすと、「ダサ〜イ」とはねのけられてしまった。私
「国の借金が七〇〇兆円もあるんだよ。一人六〇〇万円だよ。君たちの借金なんだよ。
それはどうするの?」高「私ら、そんな話、関係ないもんネ〜」「そうよネ〜」と。

 言いたいことは山ほどある。あるが、こういう現実を見せつけられると、自分をのろい
たくなる。五十歳をすぎても、日本の将来を心配している自分が、なさけなくなる。少し
飛躍した感想かもしれないが、なぜあの三島由紀夫が腹を切ったか、その心情がよくわか
る。私たちはこういう高校生をつくるために、がんばってきたのか、と。

 少し前だが、こんなこともあった。あるキャンプ場で国旗の掲揚をしたときのこと。何
人かの高校生が、「スター・スパングルド・バナー(星条旗)」を口ずさんでいるのを聞い
た。アメリカの国歌である。日本の国歌にも言いたいことはいろいろあるが、しかし今、
日本の若者たちがここまで脱線しているかと思うと、ゾッとする。

そう、何かがおかしい。何かが狂っている。しかし相手は子どもだ。日本の将来をにな
う子どもだ。そういう子どもをさして、「失敗作」と、どうして言えるだろうか。子ども
を笑うということは、即、自分を笑うということになる。そんなことは、私にはとても
できない。

 ……何ともやりようのない空しさを感じながら、私は図書館を出た。

(2)今日の特集  **************************

●離婚のあとに…… 
 
 Aさん(38歳、秋田県H市在住)。5年前、二人の子どもを夫に預けて、離婚。原因は、
Aさんの不倫。そのAさんは、現在、そのときの不倫相手と再婚。「今は、最高に幸福な生
活を送っている」(Aさんのメール)とのこと。

 が、その一方で、Aさんは、二人の子どもに対する、恋慕に苦しんでいる。二人の子ど
もは、上の子どもが、11歳(兄)、8歳(妹)。「会いたいが、会うべきではない」「もし
子どもたちが、自分を求めていたら、どうしたらいいのか」「この5年間、まったく連絡を
とっていない」と。

 前夫が再婚しているかどうかも、知らないという。現在、前夫の住んでいるところとは、
70キロくらい離れているとのこと。(以上、Aさんからのメールを要約。)

++++++++++++++++++

 メールの内容によれば、離婚相談のとき、Aさんは、「自分のわがままで離婚するのだか
ら、二人の子どもは、前夫に渡した」とのこと。しかしその文面からは、引き裂かれた母
子の苦しみが、にじみ出ていた。それで私に、「アドバイスしてほしい」と。

 しかし私は、こういう事例については、まったく無力でしかない。とても残念だが、私
の心には、Aさんを理解するだけの「心のポケット」がない。つまり人というのは、同じ
ような苦しみや悲しみを経験して、はじめて他人の苦しみや悲しみを理解できるようにな
る。それを昔、学生時代の私の恩師は、「心のポケット」と呼んだ。

 ただ、想像できなくはない。そしてそれほどまでの事例ではなくても、子どもと別れた
母親の事例は、いくつか経験している。ひとつずつ、順に、心の紐(ひも)をほどいてみ
よう。

 Aさんは、不倫をした。しかしそれは決して、「浮気」と言えるような、浅いものではな
かった。その証拠に、Aさんは、二人の子どもと別れて、その不倫相手の男性と再婚して
いる。

 そういうAさんを、だれが責めることができるだろうか。Aさんは、真剣だった。まじ
めだった。そして自分の心の、「強烈な命令」に従って、前夫と離婚した。その強烈な命令
は、Aさん自身の心の迷いという範囲を超えた、まさに「人間として、その根底から、わ
き起こる命令」だったにちがいない。

 Aさんは、何も、まちがったことはしていない。もしAさんの行為がまちがっていると
いうのなら、人間そのものがまちがっていることになる。

 Aさんは、結婚していた。二人の子どももいた。しかし電撃に打たれるような恋をした。
そしてそれに打ちのめされるようにして、離婚した。そこらの浮ついた男女が、遊びです
る浮気とは、中身も深みも、ちがっていた。

 で、その結果として、二人の子どもを、夫のもとに置いて、離婚した。そのときの判断
が正しかったかどうかは別として、Aさんにしてみれば、Aさんが感ずる「罪」に対する、
せめてもの「つぐない」だったかもしれない。Aさんは、こう言う。「前夫にすべてを捨て
ろというのは、できなかった」と。

 不幸か不幸でないかといえば、こうした結末は、二人の子どもにとっては、不幸に決ま
っている。とくに今の状態では、二人の子どもは、「母は、私たちを捨てた」と思っている。
またそう思って、当然である。

 いくらAさんが、「そうでない」と思っていても、それはAさんの身勝手。事実として、
Aさんは、二人の子どもを捨てた。この親としての「罪」は、決してつぐなえるようなも
のではない。夫に子どもたちを渡すことで、Aさんは、夫に対しては、つぐなったつもり
でいるが、それは夫に対して、だけ。

 そこでAさんは、子どもへの思いが断ちきりがたく、思い悩んでいる。「どうしたら
いいか」と。

 Aさんは、不倫相手と再婚はしたものの、一日とて、心の晴れる日はなかったはず。「今
は最高に幸福です」とは書いているが、それは精一杯の虚勢であるにちがいない。朝起き
れば、子どものこと。昼の時報を聞けば、子どものこと。夜、床に入れば、子どものこと。
近所の同年齢の子どもを見ては、自分の子どものこと。それを思いやりながら、「今ごろは、
9歳になったはず」「今ごろは、10歳になったはず」と。一日とて、いや一分とて、子ど
ものことを忘れたことはないはず。

 それはものすごい閉塞(へいそく)感である。おまけに、Aさんを見る、世間の目は冷
たい。恐らく、親戚中から、白い目で見られている。「ひどい女だ」「子どもを捨てた、悪
女だ」と。

 世間的な常識を言えば、そういうことになる。これに対して、Aさんが、抵抗したり、
否定したりしたところで、意味はない。先に書いた、「強烈な命令」の前には、世間的な常
識など、道端のスミにたまったホコリのようなもの。この強烈な命令が、いかに強烈であ
るかは、あの川端靖成をみればわかる。ノーベル文学賞までとった文学の大家でも、晩年、
10代の女性と、恋をしている!

 しかしこうした閉塞感は、何もAさんだけが経験しているものではない。Aさんは、子
どもと生き別れたが、死に別れた人だって多い。さらに子どもではなく、親や兄弟と、生
き別れたり、死に別れたひともいる。夫や妻と、生き別れたり、死に別れた人だっている。
恋人と生き別れたり、死に別れた人となると、五万といる。あるいはもっと多い。

 それぞれが、それぞれに重い十字架を背負っている。こんな例もある。

 B氏(50歳)は、そのとき、母親と決別状態にあった。だから母危篤(きとく)の報
を受けたときも、母親のもとには走らなかった。やがてすぐ母親はなくなったが、葬儀に
も出なかった。B氏が、45歳のときのことだった。

 そのB氏には、一人の妹がいた。身体に障害があり、介護がないと、満足にトイレへも
行けない状態だった。しかしB氏は、その妹を、叔母に預けた。(本当は、見るに見かねて、
叔母が、その妹のめんどうをみることになった。決して、叔母のほうから、引きとったわ
けではなかった。)

 このケースでも、B氏は、世間からは白い目で見られた。親戚からも、「ひどい息子」と
ののしられた。しかしそのB氏が、実は、父親の子どもではなく、祖父と母親との間にで
きた子どもだった。それにいろいろと複雑な家庭の事情がからんだ。B氏は、母親を、心
底、うらんでいた。

 が、それから5年。

 B氏の心が晴れることは、一日もなかった。B氏は、母親の死に目にもあわなかったこ
とを悔やんだ。葬儀に出なかったことも悔やんだ。そのときは「正しい決断」と思ってい
たが、時がたつにつれて、心が変化するということは、よくある。

 毎日が、その「悔やみ」との戦いでもあった。今になってB氏は、こう言う。「どうして
私は、もっと早く母を許せなかったのか」と。

 こうした事例は、形こそちがえ、いくらでもある。幸福な家庭は、どれもよく似ている
が、不幸な家庭は、みなちがう。顔もちがう。しかしつきつめれば、「不幸な思い」は、ど
の人も共通している。

 だからAさんについても、「あなただけではないですよ」と言いつつも、しかし今、Aさ
んが感じているであろう閉塞感は、B氏とは比較にならないほど、重いものであるにちが
いない。私やあなたが安易に、アドバイスできるような内容のものではない。メールには、
「私は幸福です」とはあるが、幸福になれるはずはない。

 これから先、Aさんがすべきことは、(今は、まだ子どもたちが小さいから、しないほう
がよい)、いつか、二人の子どもたちの前で、両手をついてあやまることである。しかしそ
のときでも、二人の子どもが許してくれるとはかぎらない。しかしそれでも、Aさんは、
あやまるべきである。

 そういう日は、必ず、やってくる。でないと、この種の閉塞感は、日増し、年ごとに大
きくなり、ますますAさんを苦しめる。「忘れよう」「忘れよう」と、もがけばもがくほど、
クモの巣のからんだ、あり地獄の中に落ちていく。はっきり言えば、今、Aさんが感じて
いる「幸福感」などというものは、紙のように薄いガラスでできた、箱のようなもの。

 つまりAさんは、こうした現実を、はっきりと認識しなければならない。逃げてはいけ
ない。認識する。それは同時に、とても苦しいことだが、それは自分がかかえた大病と、
真正面から向きあうのに、似ている。心の中の(わだかまり)を理解しないかぎり、その
人は、そのわだかまりと、戦うことすら、できない。

 本来なら、メールをくれたAさんに対して、「こうしたらいいですよ」というような返事
を書かねばならない。しかし職業柄、どうしても、私の視点は、捨てられた二人の子ども
のほうに、向かってしまう。「どれほど、さみしい思いをしただろうか」「つらい思いをし
ただろう」と。恐らく今の今も、二人の子どもは、Aさんを慕いながら、その一方で、そ
れ以上に、Aさんをうらんでいる。

 不倫がすべて悪というわけではない。

 真剣であるなら、不倫も許される。ある女性(35歳)は、一人の男性(43歳)と、
一年にわたって不倫をつづけた。週一回ほど会っては、濃厚なセックスを繰りかえした。
しかしその女性は、結局は、その男性と別れた。

 その女性は、別のところで、こんなことを言っている。「私は不倫をしました。あの世で
は、まちがいなく地獄に落ちます。その覚悟はできています。ただ不倫をした分だけ、私
は今の夫に尽くしています。ですから不倫をしたおかげで、おかしなことですが、夫婦の
仲もよくなりました」と。

 いろいろな不倫があるが、そういう不倫もある。今さら過去を取り消すことはできない
が、Aさんも、まだその段階であれば、いろいろ打つ手はあったのだろう。しかしその前
に、その不倫は、前夫の知るところとなってしまった。
 
【Aさんへ】 

 メール、ありがとうございました。

 多分、私に相談してくださっても、問題の根本が、解決しないかぎり、あなたの心が整
理されることはないと思います。お力になりたいのですが、私は、あまりにも無力です。
ゆいいつあなたができることと言えば、二人のお子さんの幸福を願うことだけですが、し
かしそれとて、もう、あなたとは、関係のない世界のことです。

 あなたは「ひょっとしたら、二人の子どもが、今でも私を求めているかもしれない」「私
はそれに答えてあげたい」というようなことを書いておられますが、それは、その通りで
あると同時に、まったく、その通りではありません。

 自分たちを捨てた(この表現は適切ではないかもしれませんが、お子さんたちは、そう
思っています)母親を、二人の子どもたちも、まさに毎日、恋焦がれています。それは当
たり前のことではないですか! しかし同時に、内心の奥深くではそうであるとしても、
それと同じくらい、あなたという母親をうらんでいます。それも当たり前のことではない
ですか!

 5年という歳月は、あまりにも長すぎます。母への恋慕が、うらみに変るのは、一日で
じゅうぶんです。もちろんあなたには、あなたの言い分があります。夫のもとに子どもを
置いていったのは、夫への罪滅ぼしということですね。それはわかりますが、言いかえる
と、あなたは自分の子どもを、取り引きの材料にしてしまったのです。

 多分、あなたは親意識の強い女性なのでしょう。子どもの心を確かめることもなく、ま
た聞くこともなく、一方的に、そうしてしまった? いただいたメールでも、子どもたち
自身の心が、まったく見えてきません。

 では、どうするか?

 答は簡単です。

 あなたは重い十字架を、死ぬまで背負います。重い、重い、十字架です。この十字架か
らのがれる方法は、残念ながら、ありません。いくら弁解しても、いくら自己正当化して
も、この十字架からのがれることは、できません。

 あなたの二人の子どもが幸福になっても、仮に不幸になれば、なおさら、あなたの心が
晴れることはありません。そういう現実を、しっかりと見つめ、あなたはあなたで、懸命
に今を生きていくしかないでしょう。

 だからといって、私はあなたを責めているのではありません。あなた自身ですら、「あな
たがあなたである前」の、「人間」という、まさにその人間から発する「強烈な命令」によ
って、自分の行動を決めたのです。

 ゆいいつの望みは、そういう「強烈な命令」を、いつか、あなたの二人の子どもも、理
解する日が、やってくるかもしれないということ。まさにあなたは、(命がけの恋)をした
わけです。しかしその命がけの恋は、二人の子どもの心に、ナイフを突き刺してしまった!
そのキズを、だれが、どうやっていやすことができるというのでしょうか。

 私は、不可能だと思います。

 しかしね、Aさん。

 これが人生なのですね。今はまだおわかりにならないかもしれませんが、そういった自
分も含めて、「人間って、そういうもの」と、わかるときがやってきます。40代とか、5
0代になると、です。

 いろいろなドラマを繰りかえしながら、同時に、無数のドラマを、人間は、あとに残し
ていく……。つまり「私」という人間を、「人間」という視点から、見ることができるよう
になります。そして、ですね、そこが不思議なところですが、そういう人間に、「美しさ」
を見ることができるようになります。

 あなたも、いつか、そうして悩み、苦しみながらも、そういう自分の中に、「美しさ」を
見ることができるようになります。ですから、今は、懸命に生き、懸命に幸福を求め、そ
して同時に、懸命に悩み、苦しんだらよいのです。

 逃げてはだめです。真正面から、ぶつかっていきます。そういう中から、あなたは、別
のあなたを見出していく。そしていつか、気がついたとき、あなたはふつうの人をはるか
に超えた、すばらしい人になっています。

 いいですか? だれしも、一つや二つ、そういう十字架を背負って生きています。この
一年間だけでも、こんな事例があります。

 一人息子(19歳)を、自殺に追いこんでしまった両親。同じく妻を、自殺に追いこん
でしまった夫。少し前には、自宅に放火して、娘を殺してしまった母親など。一見、極端
な例に見えるかもしれませんが、そういう人たちが背負った十字架とくらべると、あなた
の背負った十字架など、軽いものです。軽い、軽い、本当に、軽い!

 だからあなたはあなたで、前向きに生きていきなさい。

 あなたはあなたというより、人間が本性としてもつ「強烈な命令」に従った。それはま
ちがっていない。以前、こんな原稿(この返事のあとに添付)を書きましたので、送りま
す。中日新聞に掲載してもらったものです。何かの参考になると思います。

 そしてあなたは今の苦しみや悲しみを、つぎの段階にまで昇華させます。そうそう、先
に書いた、B氏ですが、今は、ボランティアで、老人福祉をしています。もう少し具体的
には、自分にも別の仕事があるので、妻に、その仕事をしてもらっています。その妻の仕
事を、応援しています。

 なぜB氏が、そうなのか? そうしているのか? あなたなら、その理由がわかるはず
です。

 たしかにあなたの二人の子どもは、あなたに捨てられた。これは事実です。心に大きな
キズを負った。これも事実です。

 しかし二人の子どもは、必ず、それを乗りこえます。すでに乗りこえているかもしれま
せん。子どもの側からしても、その程度の問題をかかえている子どもは、いくらでもいま
す。今どき、離婚など、珍しくも何ともないです。アメリカでも30%の夫婦が、離婚し
ています。意外と意外、この日本でも、離婚率は、ヨーロッパ各国より、高くなりつつあ
ります。

 ですから離婚の数だけ、あなたの二人の子どものような子どもも、いるわけです。(だか
らといって、あなたが背負った十字架を軽く感じてもらっては困りますよ。)

 私があなたなら、その分だけ、あなたの今の夫に、尽くします。尽くして、尽くして、
徹底的に尽くします。あなた自身の幸福というよりは、あなたの夫の幸福を、最優先しま
す。そしてできれば、あなたの周囲に、あなたの助けを必要としている子どもたちのため
に、尽くします。

 ある女性(現在45歳くらい)は、今の夫と結婚する少し前、別の男性と遊んで、妊娠
してしまいました。それで中絶したのですが、そのときつけた子宮のキズが原因で、妊娠
できない体になってしまいました。

 それでその女性は、それ以後、今に至るまで、何かの団体で、不幸な子どもたちの福祉
活動を繰りかえしています。つまりあなた自身も、何らかの形で、今の苦しみや悲しみを、
昇華させることができるはずということです。

 が、だからといって、あなたの心が晴れることにはならないでしょう。死ぬまで、晴れ
ることはないでしょう。あなたがまじめで、そして懸命に戦えば戦うほど、そうです。し
かし人生というのは、もともと、そういうものなのですね。そうでない人生を、さがすほ
うが、むずかしいくらいです。

 とにかく前向きに生きていきましょう。もう、どうにもならないことは、どうにもなら
ないのです。大切なことは、今日できることを、懸命にすること。明日は、その結果とし
て、必ず、やってきます。そして明日のことは、明日に任せればよいのです。

 そしていつか、あなたの二人の子どもは、あなたを求めてやってきます。そのとき、あ
なたはもうこの世の人ではないかもしれない。(もちろんその前に求めてきたら、あなたは
全幅に心を開いて、子どもたちを受け入れます。)

 そんなときでも、あなたはあなたの二人の子どもが、部屋の中に入ってくることができ
るように、しっかりと窓だけはあけておいてあげてください。「私の母は、すばらしい母だ
った」と思うような、そんな人をめざしてください。それが今できる、あなたの子どもた
ちへの、せめてもの罪滅ぼしではないでしょうか。

 長い返事で、参考になったかどうかはわかりませんが、どうかどうか、前向きに生きて
ください。

++++++++++++++++++++

母親がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。

今、そんな女性がふえている。Hさん(三二歳)もそうだ。結婚したのは二四歳のとき。
どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電撃に打たれるような恋を
したが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と何となく交際
を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。「どこにでもある
田舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声がある」(村松潔氏訳)
と。

主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れて
いた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。つまりフラン
チェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻に閉じ
こもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。

彼女もまた、「(戦後の)あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」とい
う状況の中で、アメリカ人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わ
ってしまった。だから今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買い
に行く」と。

「女を買う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということ
だった。晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だ
った。私は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そうい
うものか。その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。だから今、
あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流れは風のよ
うなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。

子育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、そ
れが終着点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。方法は簡単。勇気を出して、
アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間として。それでま
た風は吹き始める。人生は動き始める。
(040312)

(3)心を考える  **************************

【ストレス】

●ストレスが、障害の引き金に!

 行きつくところまで行かないと、親は気づかない。その途中で、「おかしい?」と思って
も、それを自ら、打ち消してしまう。「そんなはずはない」「うちの子にかぎって……」と。
そして無理に無理を重ねる。
 ある進学高校の先生が、こんな話をしてくれた。「入学の段階で、約5%が、すでに燃え
尽きてしまっている」と。「約20%の生徒に、無気力症状が見られる」とも。
 原因のすべてがストレスとは言えないが、ストレスが原因でないとは、もっと言えない。
その大半は、過負担、過剰期待、過激な受験競争と、無理な学習からくる、ストレスが原
因と考えてよい。が、それではすまない。中には、そのまま心をゆがめてしまう子どもも
多い。 
 摂食障害(過食、拒食)や、行為障害(ムダ買い、徘徊)、回避性障害(他人との接触を
嫌う)、精神障害(極度の不安状態になる、無関心、無感動になる)、感情障害(激怒しや
すい、感情をコントロールができない)などになる子どももいる。ストレスを、決して安
易に考えてはいけない。この種の障害は、無理をすればするほど、「まだ以前のほうが軽か
った」ということを繰りかえしながら、その症状は、一気に悪化する。

●前兆としての心身症
 大切なことは、その前兆症状をとらえて、適切に処理すること。たいていは、それに先
だって、心身症による症状が現れる。ただ心身症による症状は、まさに千差万別で、定型
がない。「どこかおかしい?」と感じたら、心身症を疑ってみる。
 ふつう子どもの心身症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。

 精神面の心身症……精神面で起こる心身症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖
症、赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こ
わがる)、不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだり
する)、不安発作(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからない
ことを言ったり、グズグズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほ
かに感情面での心身症として、赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、か
んしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の心身症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフ
ラフラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がない
まま尿もらす)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明
の慢性的な疾患(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、
口臭、脱毛症、じんましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、
チックなど。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものい
じり、ものをなめる、手洗いグセ(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、
あがり症、失語症、無表情、無感動、涙もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的
には精神面での心身症に先だって、身体面での心身症が現われることが多い。

 行動面の心身症……心身症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われ
る。不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲
不振、過食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こ
ることが多い。生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服
装で出歩いたりするなど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収
集クセ、かみつき、緩慢行動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火
遊び、散らかし、いじわる、いじめなど。

●暖かい無視と、ほどよい親

 こうした症状のうち、3〜5個、思い当たるようなら、黄信号と考えてよい。方法とし
ては、(1)『暖かい無視』と、(2)『ほどよい親』であることに心がける。
 (1)暖かい無視というのは、自然動物愛護協会の人たちが使い始めた言葉である。子
ども側からみて、「監視されていない」という状態を大切にする。また(2)ほどよい親と
いうのは、『求めてきたときが、与えどき』と覚えておくとよい。子どもがスキンシップや
助けを求めてきたときには、それにはていねいに答えてあげる。
(040311)

(4)今を考える  **************************

【近況・あれこれ】

●知的レベル

 こんな話を聞いた。

 その家には、やや知恵遅れの青年男性がいる。年齢は、45歳だという。その家に、近
所に住む叔母がときどきやってきて、家庭教師をしているという。そして何でも今は、掛
け算を教えているという。

 何ともほほえましい関係を想像するかもしれないが、内実は、かなりちがうようだ。そ
の青年が、その叔母の姿を見ただけで、オドオドとし、おびえてしまうという。その叔母
氏は、その青年に、かなりきびしい指導をしているらしい。

 その青年が、H市に住む妹氏に電話をしてきた。そしてこう言ったという。以下、その
妹氏から聞いた話。

青年「ぼく、掛け算、できない」
妹「いいのよ、掛け算なんか、できなくても……」
青「K町のJさん(=叔母のこと)が、ぼくを怒る……」
妹「どうして、怒るの?」
青「だって、ぼく、掛け算、できない」
妹「掛け算なんかできなくても、電卓を使えばいいじゃない」
青「でも、Jさんは、こんな計算もできないのって、怒る」と。

 その叔母氏には、叔母氏の考えがあってそうしているのだろう。しかしどこか、おかし
い。どこか、トンチンカン。

 しかし現実の世界は、そういうレベルで、動いている。その叔母氏にしてみれば、(学校
で習うような勉強ができること)イコール、(社会復帰)ということらしい。その叔母氏自
身も、学校神話の信者かもしれない。

 その話を聞いたとき、私は、ものすごい距離感を覚えた。その青年との間ではない。そ
の叔母氏との間に、である。

 「そういう叔母氏を指導するとなると、10年はかかるだろうな」と。あるいは永久に
不可能? 知的レベルというのは、そういうことを言う。

☆バカな人を、バカというのではない。バカなことをする人を、バカという。(『フォレス
☆ト・ガンプ』)


●為替レート

 オーストラリア・ドルが、今、1ドル84円だという(04年3月10日)。で、銀行で、
日本円を、オーストラリア・ドルに両替をしてもらった。が、その日のレートで、何と、
1ドル95円だという。

 手数料だけで、11円!

 それにしても、高い。いつの間にか、こんなにも高くなってしまった!

 ついでに、オーストラリア・ドルを売るときは、84円引く11円で、73円だという。
つまりオーストラリア・ドルを売買するだけで、1ドルにつき、22円も、手数料がかか
ることになる。

 いくら銀行が冬の時代とはいえ、これはめちゃめちゃな手数料と考えてよい。しかも護
船団方式というか、この手数料は、どこの銀行でも、ほぼ、同じ。こういうのを談合とい
うのではないのか。カルテルというのではないのか。ずるいぞ、銀行!

 これ以上は、グチになるので、やめよう!

【安価な送金方法】

 海外に住む息子や娘に送金する方法は、いくつかある。その中でも、よく使われている
のが、銀行から銀行への送金。しかしこれも最近は、手数料が高くなった。

 一番安い方法というと、クレジットカードでの送金方法がある。日本で、お金を振り込
みつつ、外国では、カードで支払うというもの。

 この場合だと、1・60%の手数料だけですむ。

 仮に10万円程度をオーストラリアへ送金すると、銀行では、5000円前後の手数料
がかかる。しかしクレジットカードでなら、1600円。


●東京文化

 以前、こんなことを感じた。

 九州や、四国が、台風に襲われても、台風のニュースは、そのときだけ。しかし東京が
台風に襲われると、小さな台風でも、一日中、台風のニュース。

 文化、報道の世界も、日本は、中央集権国家。すべてが東京から始まる!

 それはわかるが、昨夜も寝る前に、ワイフが、こう言った。「毎日、Nさん(元巨人軍の
監督)のニュースばかりだけど、そんなに大切なことなのかしら?」と。

 Nさんは、東京では、重要な人かもしれない。何と言っても、元巨人軍監督。私とて関
心がないわけではないが、こうまでガンガンとニュースで言われると、「?」と思ってしま
う。

 H市の地元で、電子マガジンによるタウン誌を発行している、S氏も、こう言った。「日
本人は、N氏のニュースだけが、ニュースに思っているのではないか」と。

 東京というのは、中央でも何でもない。関東地方の、ただの地方都市。たまたまその東
京が、この日本で目立つのは、奈良時代からつづいた、日本人の中央集権意識によるもの。
これについて、アメリカ人に話を聞くと、「アメリカには、そういう意識はない」とのこと。

 クリントン元大統領も、ブッシュ大統領も、それぞれアーカンソー州、テキサス州など
の、「地方」から、大統領になっている。民主党のケリー候補も、そうである。何でもかん
でも、「東京から来た」というだけでありがたがる、この日本人の地方根性とは、かなりち
がう。

 ホント!

 どうすれば、この日本人の地方根性は、なくなるのか? 都会(東京)コンプレックス
と言ってもよい。

 つい先日も、あのノーベル賞を受賞した、K氏が、このH市で講演した。H市でも、最
高級の会場で、である。たまたま、その講演を、父親と聞きにいった子どもがいたので、「ど
んな講演だった?」と聞くと、「パパも、みんな、眠ってた」と。「となりの人は、グーグ
ーといびきをかいていた」と。

 こういう現実を、目の当たりに見せつけられても、まだ「東京」「東京」となびく。だい
たいにおいて、地方都市に住む人自身が、自分たちの住む地方をバカにしているのだから、
話にならない。

 少し前だが、私が「今度、東京のMXテレビで、討論会に出るよ」と言ったときのこと。
「どうして、あんたなんかがア?」と、思わずもらした女子中学生がいた。

 何も、その中学生を責めているのではない。しかしこうした意識は、多かれ少なかれ、
みな、もっている。しかしこの意識が改められないかぎり、日本には、民主主義は、育た
ない。

 言うまでもなく、官僚主義と中央集権意識は、密接不可分の関係にある。何でも中央か
ら、「下にイ〜」「下にイ〜」という土壌では、民主主義は、育たないということ。いつに
なったら、このH市の人たちも、自分たちの地方根性に気がつくのか。

【一言】

 そのノーベル賞に異議あり!

 たしかにK氏が、ノーベル賞を受賞した。しかし実際には、その装置を、苦労に苦労を
重ねてつくりあげたのは、地元のH社の社長たちである。

 わかりやすく言えば、巨大な望遠鏡を作ったのは、地元のH社の社長たちである。その
望遠鏡を使って、それまで見えなかった星を確認したからといって、どうしてその発見者
が、ノーベル賞なのか。

 ノーベル賞を受賞すべきは、H社の社長である。「採算を度外視して協力した」と、H社
の社長は、地元の新聞などで、その苦労話を披露している。K教授との間にも、いろいろ
あったようだ。

 ……というのは、私がその当初からもっている疑問である。これから先、この問題は、
もう少し、資料を集めた上で、じっくりと考えてみたい。

ノーベル賞は、すばらしい賞だが、幻想をいだくのはよくない。その幻想にだまされる
のは、さらによくない。「みんな、眠っていた」と、その子どもは言ったが、(決して、
オーバーに書いているのではない!)、それがどういう意味なのか。もう一度、この言葉
のもつ意味を、みんなで考えようではないか。

 
●煮干

 近所の魚屋で、(おやつ煮干)を買ってきた。教室の子どもたちに食べさせるためである。
が、そのまま渡さない。

 まず、子どもたちの前で、食べてみせる。食べる前は、少しボケたフリをする。そして
一匹ずつ食べたあと、利口になったフリをする。

 そのあと、おもむろに、子どもたちに、こう言う。「君たちも、食べたいか?」と。

 するとみな、「食べたい」「ほしい」と言う。子どもたちに煮干を渡すのは、そのあと。
例によって、例のごとく、あの歌を歌いながら……。

 「♪魚、魚、魚を食べると、
   頭、頭、頭、頭がよくなる……」と。

 子どもには、CA、MGのたくさん含んだ食品を与えるとよい。これは食生活の常識。
もし子どもの献立で迷ったら、海産物を中心とした食生活にするとよい。もともと人間は、
海から生まれた。何万年も、何万年も、その海の中で暮らしていた。

 だから健康になるためには、海にもどればよい。そして海のものを食べればよい。考え
てみれば、これほど、わかりきったこともないのでは……。

 子どもたちは、煮干が大好き。本当に好き。少し食べさせると、「もっとほしい」と言い
出す。

 紙コップ一杯程度の量くらいなら、あっという間に、食べてしまう。


●目に刺さったシャープペンシル

 A子さん(中2)と、机をはさんで話をしていたら、そこへ横から、B君(中2)がや
ってきた。生徒の気配を感じた。が、そのままA子さんと話していると、B君が、「先生…
…」と。私はそのとき、A子さんと、こっくりこっくりと、目を閉じて話していた。

 何かなと、瞬間、気をゆるめたそのとき、B君が、私の顔と、机の間にシャープペンシ
ルをつきたてた。とたん芯の先がメガネのところではじけ、目の付け根に突き刺さった。
突然、パッと血が吹きだすのが、自分でもわかった。

 「何をするんだ!」と叫ぶのが、精一杯だった。タラタラと血が、鼻の横を通って、机
の上に落ちた。B君は、その血を見てあわてたのか、床に頭をこすりつけながら、「すみま
せん」「すみません」と、何度もあやまった。

 悲しかった。怒るよりも、先に、悲しかった。どうしてかわからないが、悲しかった。
裏切られたという思いよりも、「私はこの子に、何を教えてきたのだろう」という思いにか
られた。

 しかし子どものいたずらと、笑ってすませる話ではない。もともと多動性のはげしい子
どもだった。しかし私に対して、そういうことをするとは思っていなかった。老眼になり、
目も疲れやすくなっていた。「目を大切にしよう」と考えていた。その矢先のできごとだっ
た。

 こういうとき、私は、だれに、どのように責任を求めればよいのか。怒りをぶつければ
よいのか。

 まだ私だからよかったが、これが生徒どうしの事件だったら、監督責任は、私にある。
仮にそれで一人の子どもが失明したとしたら、私がその責任を負わねばならない。

 とにかく悲しい事件だった。怒るに怒れないというか、砂をかむような虚しさを覚えた。
若いときなら、目を閉じて話すこともなかったし、パッと体をかわして、それを避けるこ
とができただろう。しかしこのところ、自分でもよくわかるほど、動きがノソノソしてき
た。

 とても残念だが、これからは、このタイプの子どもの指導は、断るしかない。私の手に
は、とても負えない。

 レッスンのあと、B君の母親に電話で理由を説明して、退塾を、お願いした。

幸いにも、急所ははずれていた。しばらく傷口を押さえていたら、血も止まった。しか
し今でも、眉毛の付け根あたりには、小さいが、傷口が残っている。


●メール

 一部のまじめな方には、不愉快な思いをさせているかもしれない。しかし私あてのメー
ルには、住所と名前を書いてもらうことにしている。そして、住所、名前のない方からの
メールには、返事を書かないことにしている。

今までも、住所と名前を書いてくれるようにお願いしてきたが、今後は、さらに徹底し
たい。(よろしくお願いします。)

 実際、住所とか名前のわからない人からのメールほど、不気味なものもない(失礼!)。
相手の方の年齢は、おろか、性別すらも、わからない。そうした思いは、こうしたメール
をもらった人なら、だれにでもわかるはず。(多分?)

 で、いただいた質問に答える段階になると、どう答えてよいのか、わからなくなる。年
配の方なら、それなりに。あるいは20代の若い方なら、それなりに答えなければならな
い。

 しかし、こういうふうに、ホームページや、Eメールアドレスを公開しているものにと
っては、そうとばかりは言っておれない。それぞれの人が、それぞれに思い悩んで、メー
ルをくれる。返事を書かないですますと、かえってあと味が悪い。しかし……。

 数日前も、あった。私のホームページを読んだ人からのものだった。

「自我って、何のことですか。
 子育てって、どう考えたらいいですか」と。

 文面からすると、女性で、しかも若い方だとわかる。しかし子どもをもっておられるの
かどうか、わからない。子どもの年齢もわからない。わからないまま、返事を書く。

「メール、ありがとうございました。
 返事が遅れたことを、おわび申しあげます。
 いろいろ雑用が多くて、失礼しました。

 ご質問の件ですが、「自我」というのは、
 (私は私)という、人格の核のようなものを
 いいます。

 その人のつかみどころのようなものです。
 人は、いつも、自分のしたいことに従って、
 行動しますね。その原動力となる、(自分)を
 (自我)といいます。

 この自我の発達が遅れると、ナヨナヨとした
 性格になり、ものの考え方そのものが、
 軟弱になったりします。

 (自分さがし)というのは、自分であって自分で
 ない部分を知ることをいいます。

 私たちの行動の大半は、その自分であって、
 自分でない部分によって、コントロール
 されています。

 まず、それに気づくこと。そしていつ、どのような
 形で、そういう自分ができたかを知ること。
 それが(自分さがし)です。

 子育てについては、私のホームページ、
 またマガジンで、そのつど、報告しています。
 今後も、どうか、参考にしていただければ、
 うれしいです。

 ホームページの閲覧、ありがとうございます。
 これからも、よろしくお願いします」と。

 送信ボタンを、クリック。

 しかしそのあと、「あれでよかったのかな?」とか、「わかってもらえたのかな?」と、
いろいろ考える。あるいは、心のどこかで、ふと、「どうして私がこうしたメールに、返事
を書かねばならないのか」とも、思う。

 で、やはり、今後は、このようにした。住所(簡単な住所でよい)と、名前のない人か
らの相談、質問には、原則として、返事は書かない、と。私としては、本当につらいとこ
ろだが、心を鬼にして、そうすることにした。

 どうか、お許しの上、ご協力のほどを、お願いします。

【メールについて……】

 内容は、「子育て」に関するものだけにお願いします。ご質問、テーマなどは、できるだ
け掲示板にお願いします。なおメールをいただいたからといって、必ずしも返事を約束す
るものではありません。一両日内に返事がないばあいには、返事はないものとご理解くだ
さい。「なぜ、返事をもらえないのか?」式の、お問い合わせには、いっさい、お答えでき
ませんので、よろしくお願いします。


●スケジュール

 自分が時間でしばられるのは、いやなくせに、その一方で、そのスケジュールをたてな
いと、行動できない。いったい、この矛盾を、どう考えたらよいのか。

 「今日は、11時に風呂に入って、12時ごろ、銀行に行くから」と、今朝も、起きて、
ワイフに、そう言った。

 つまりそういうふうに、自分の行動に区切りを入れないと、ダラダラと時間だけが流れ
てしまう。緊張感も生まれない。

 人間というのはおかしなもので、「さあ、時間はたっぷりあるぞ。何か原稿を書け」と言
われると、とたん、ものが書けなくなってしまう。しかし、「あと2時間しかないぞ。さあ、
どうする」と言われると、とたんに、スラスラと文章が、頭の中から出てくる。

 しかしこれは、私だけの現象か?

 昔、幼稚園バスの運転手がこう言った。「私らは、きちんとスケジュールを決めてもらわ
ないと、仕事ができない」と。同じころ、ガソリンスタンドを経営している男は、こう言
った。「時間単位のスケジュールを決められたら、息苦しくて、気が狂ってしまう」と。

 人は、人それぞれで、生活の中で、その人につくられていく。

 私も、そうで、今の私も、結局は、自分の仕事の中で、つくられた「私」にすぎない。

 そしてこのこと、つまりこうした私がかかえる矛盾は、人生という、大きな流れの中に
も、ある。

 人生の中では、「時間」が、「年齢」になる。

 「〜〜歳までには、こうしよう」「〜〜歳になったら、こうしよう」と考える。本当のそ
うするかどうかは別にして、たとえば「65歳になったら、老人ホームへ入ろう」とか、「7
0歳になったら、世界を一周しよう」とか、そういうふうに、考える。

 もっとも、それは、順調にいったらの話で、その前に、いろいろあるかもしれない。交
通事故、重い病気などなど。もともと自由というのは、そういうふうにして自分の体をし
ばっている、ヒモやクサリを解き放つことをいう。が、しかしそういうヒモやクサリが、
向こうから、勝手にからんでくることがある。

 そういうふうに考えていくと、本当のところ、人生のスケジュールを決めるのは、「年齢」
ではない、「健康」だ。「頭の能力」だ。……ということがわかってくる。

 私の身のまわりにも、頭がボケてしまって、使いものにならなくなってしまった人が、
たくさんいる。それなりに、平和に暮らしてはいるが、私からみれば、死んだも同然。人
間は、考えるから、人間なのだ。

 私も、もうすぐその(死んだも同然)の人間になるかもしれない。それまでの勝負。私
は、どこまで生きられるか。どこまで深く、生きられるか。この緊張感があるから、今日
も、こうして原稿を書く。……書ける。

 それにしても、最近私が書く原稿は、どれも駄作ばかり。鋭さが、どんどんと消えてい
くのが気になる。

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 7日(No.383)
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http://bwhayashi.cool.ne.jp/page054.html

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(1)子育てポイント**************************
●自我の強い子どもは伸びる
フロイトの自我論は有名だ。それを子どもに当てはめてみると…。

 自我が強い子どもは、生活態度が攻撃的(「やる」「やりたい」という言葉をよく口にす
る)、ものの考え方が現実的(頼れるのは自分という考え方をする)、創造的(将来に向か
って展望をもつ。目的意識がはっきりしている。目標がある)、自制心が強く、善悪の判断
に従って行動できる。

 反対に自我の弱い子どもは、ものごとに対して防衛的(「いやだ」「つまらない」という
言葉をよく口にする)、考え方が非現実的(空想にふけったり、神秘的な力にあこがれたり、
まじないや占いにこる)、一時的な快楽を求める傾向が強く、ルールが守れない、衝動的な
行動が多くなる。たとえばほしいものがあると、それにブレーキをかけられない、など。

 一般論として、自我が強い子どもは、たくましい。「この子はこういう子どもだ」という、
つかみどころが、はっきりとしている。生活力も旺盛で、何かにつけ、前向きに伸びてい
く。反対に自我の弱い子どもは、優柔不断。どこかぐずぐずした感じになる。何を考えて
いるかわからない子どもといった印象を与える。

その自我は、伸ばす、伸ばさないという視点からではなく、引き出す、つぶすという視
点から考える。つまりどんな子どもでも、自我は平等に備わっているとみる。子どもと
いうのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、その自我は強くなる。

反対に、威圧的な過干渉(親の価値観を押しつける。親があらかじめ想定した設計図に
子どもを当てはめようとする)、過関心(子どもの側からみて息の抜けない環境)、さら
には恐怖(暴力や虐待)が日常化すると、子どもの自我はつぶれる。

そしてここが重要だが自我は一度つぶれると、以後、修復するのがたいへんむずかしい。
たとえば幼児期に一度ナヨナヨしてしまうと、その影響は一生続く。特に乳幼児から満
四〜五歳にかけての時期が重要である。

 人間は、ほかの動物と同様、数十万年という長い年月を、こうして生き延びてきた。そ
の過程の中でも、むずかしい理論が先にあって、親は子どもを育ててきたわけではない。
こうした本質は、この百年くらいで変わっていない。子育ても変わっていない。変わった
と思うほうがおかしい。要は子ども自身がもつ「力」を信じて、それをいかにして引き出
していくかということ。子育ての原点はここにある。

(2)今日の特集  **************************

●ストレス
 
人間関係ほど、わずらわしいものはない。もし人が、そのわずらわしさから解放されたら、
どんなにこの世は、住みやすいことか。いうまでもなく、我々が「ストレス」と呼ぶもの
は、その(わずらわしさ)から、生まれる。

このストレスに対する反応は、二種類ある。攻撃型と、防御型である。これは恐らく、人
間が、原始動物の時代からもっていた、反応ではないか。ためしに地面を這う、ミミズの
頭を、棒か何かで、つついてみるとよい。ミミズは、頭をひっこめる。

同じように、人間も、最初の段階で、攻撃すべきなのか、防御すべきなのか、選択を迫ら
れる。具体的には、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、心拍を速くし、脳や筋肉の活
動が高まる。俗に言う、ドキドキした状態になる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原因)
が、その人の処理能力を超えたようなときは、免疫細胞と言われる細胞が、特殊な物質(サ
イトカイン)を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。そのため副腎機能の更新
ばかりではなく、「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などのさま
ざまな反応」(新井康允氏)が引き起こされるという。その反応は「うつ病患者のそれに似
ている」(同)とも言われている。

そこで人間は、自分の心を調整するため、(1)攻撃、(2)防衛のほか、つぎの3つの心
理的反応を示す。(3)同情(弱々しい自分をことさら強調して、同情を求めようとする)、
(4)依存(ベタベタと甘えたり、幼児ぽくして、相手の関心をひく)、(5)服従(集団
の長などに、徹底的に服従することで、居心地のよい世界をつくる)、ほか。。

(1)攻撃というのは、自分の周囲に攻撃的に接することにより、居心地のよい世界をつ
くろうとするもの。具体的には、つっぱる子どもが、それに当たる。「ウッセー、テメエ、
この野郎!」と、相手に恐怖心をもたせたりする。(自虐的に、自分を攻撃するタイプもあ
る。たとえば運動を猛練習したり、ガリ勉になったりする。)

(2)防衛というのは、自分の周囲にカラをつくり、その中に閉じこもることをいう。が
んこになったり、さらには、行動が自閉的になったりする。症状がひどくなると、
他人との接触を避けるようになったり、引きこもったり(回避性障害)、家庭内暴力
に発展することもある。

大切なことは、こうした心の変化を、できるだけその前兆段階でとらえ、適切に対処する
ということ。無理をすれば、「まだ、前のほうがよかった」ということを繰り返しながら、
症状は、一気に悪化する。症状としては、心身症※がある。

こうした心身症による症状がみられたら、家庭は、心をいやす場所と考えて、(1)暖かい
無視と、(2)「求めてきたときが与え時」と考えて対処する。「暖かい無視」という言葉は、
自然動物愛護団体の人が使っている言葉だが、子どもの側から見て、「監視されていない」
という状態をいう。また「求めてきたときが与え時」というのは、子どもが自分の心をい
やすために、何か親に向かって求めてきたら、それにはていねいに答えてあげることをい
う。

++++++++++++++++++++

心身症診断シート

 心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、心身症という。脳
の機能が変調したために起こる症状と考えると、わかりやすい。ふつう子どもの心身症は、
(1)精神面、(2)身体面、(3)行動面の三つの分野に分けて考える。

 精神面の心身症……精神面で起こる心身症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖
症、赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こ
わがる)、不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだり
する)、不安発作(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからない
ことを言ったり、グズグズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほ
かに感情面での心身症として、赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、か
んしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。

 身体面の心身症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフ
ラフラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がない
まま尿もらす)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明
の慢性的な疾患(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、
口臭、脱毛症、じんましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、
チックなど。指しゃぶり、爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものい
じり、ものをなめる、手洗いグセ(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、
あがり症、失語症、無表情、無感動、涙もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的
には精神面での心身症に先だって、身体面での心身症が現われることが多い。

 行動面の心身症……心身症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われ
る。不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲
不振、過食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こ
ることが多い。生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服
装で出歩いたりするなど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収
集クセ、かみつき、緩慢行動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火
遊び、散らかし、いじわる、いじめなど。

こうして書き出したら、キリがない。要するに心と身体は、密接に関連しあっていると
いうこと。「うちの子どもは、どこかふつうでない」と感じたら、この心身症を疑ってみ
る。

ただし一言。こうした症状が現われたときには、子どもの立場で考える。子どもを叱っ
てはいけない。叱っても意味がないばかりか、叱れば叱るほど、逆効果。心身症は、ま
すますひどくなる。原因は、過関心、過干渉、過剰期待など、いろいろある。

+++++++++++++++++++++

母親が育児ノイローゼになるとき

●頭の中で数字が乱舞した    

 それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子
ども(四歳児)を連れていくとちゅうのできごとだった。次に風呂にお湯を入れていたと
きのことだった。気がついてみると、バスタブから湯がザーザーとあふれていた。しかも
熱湯。すんでのところで、下の子ども(二歳児)が、大やけどを負うところだった。次に
店にやってきた客へのつり銭をまちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動かなか
った。あせればあせるほど、頭の中で数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくなってしま
った。

●「どうしたらいいでしょうか」

 Aさん(母親、三六歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診察を受けたら、
うつ病と診断されたかもしれない。しかしAさんは病院へは行かなかった。子どもを保育
園へ預けたあと、昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになっ
た。食事の用意は何とかしたが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。そうい
うAさんを、夫は「だらしない」とか、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。昔から
の米屋だったが、店の経営はAさんに任せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をしていた。

 そのAさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は通りで会
ったのに、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、
「ハア……、別に気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめ
と泣き始めた。そしてこう言った。「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありま
せん。どうしたらいいでしょうか」と。冒頭に書いた話は、そのときAさんが話してくれ
たことである。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低
下)、
精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)、
睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールがで
きなくなる(感情障害)、
他人との接触を嫌う(回避性障害)、
過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。

また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうした兆候が見
られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくな
い。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●夫の理解と協力が不可欠

 ただこうした症状が母親に表れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんど
ない。脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつ
う」と思い込む。あるいは症状を指摘したりすると、かえってそのことを苦にして、症状
が重くなってしまったり、さらにひどくなると、冷静な会話そのものができなくなってし
まうこともある。Aさんのケースでも、私は慰め役に回るだけで、それ以上、何も話すこ
とができなかった。

 そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。A
さんも、子育てはすべてAさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、無関
心であった。それではいけない。子育ては重労働だ。私は、Aさんの夫に手紙を書くこと
にした。この原稿は、そのときの手紙をまとめたものである。

(3)心を考える  **************************

●ある母親の嘆き

 ワイフの友人が、ワイフに、こんな話をした。

 ある母親の子ども(女子中学生)が、万引きをして、補導された。よくある話である。
とくに大きな事件ではなかった。その母親を、Xさんとしておく。

 しかしそのあと、その母親は、軽い風邪をひいていたこともあったが、そのまま、寝こ
んでしまった。娘の万引き事件が、よほどこたえたらしい。

 しかしその母親が寝こんでしまったのには、理由がある。

 自分の娘が、その万引きをして、補導されたところを、たまたま、同じ学校の生徒たち
に見られてしまったこと。が、本当の理由は、それではなかった。

 その少し前、こんな事件があった。

 その母親には、宿命のライバルというか、娘が小学生のときから、対立関係にある母親
がいた。そのライバルの母親を、Yさんとしておく。

 そのYさんの娘が、万引きをして、やはり補導された。で、それを知ったXさんは、こ
のときぞとばかり、その事件を、みなに、言いふらした。「あのYさんの娘さんが、万引き
をした」と。

 そのことは、Yさんの耳に入るところとなった。が、万引きしたのは、事実だし、また
Xさんの言い方がたくみであったこともあり、Yさんは、何ら、抗議できなかった。Xさ
んは、こういう言い方をした。

 「かわいそうですねエ〜。本当に。Xさんがかわいそうです。本当にかわいそうです。
私もXさんの身になると、つらいです。本当に、つらいです。あんないい子が、万引きす
るなんてエ……!」と。

 いかにもYさんに同情しているかのような言い方をして、その話を、みなに広めた。

 で、そういとき、今度は、Xさんの娘が万引きをして、報道された! しかもそれを同
じ学校の生徒たちに見られてしまった!

 他人の不幸を笑ったものは、同じ立場に立たされたとき、今度は、その何倍も苦しむ。
Xさんの立場は、そういう立場だった。

 そこで教訓。

 絶対に、自分の子どもを、競争馬にしてはいけない。自分の子どもの、できがよいこと
を他人に誇ったり、他人の子どもについて、できの悪いことを、笑ってはいけない。そう
いうことをすればするほど、いつか、自分で、自分のクビをしめることになる。

 ワイフの友人は、こう言った。「Xさんは、かわいそうなくらい、落ちこんでいました。
しかしそれだけではありません。親子関係まで、おかしくなったそうです」と。

 どうして親子関係までおかしくなったか? その理由など、ここに改めて書くまでもな
い。


●火をつける子ども

 それに最初に気づいたのは、親戚の叔母だった。たまたまその家に遊びに来ていて、気
づいた。

 のれんの下が、少し、焦げていた。つぎに、となりの家との間に、コンクリートの壁が
あったが、その壁の一部が、黒く、こげていた。そのあたりに、CDのゆがんだ燃えカス
が残っていた。

 そこで母親が、息子(小4)の引き出しを調べると、何とそこには、ライターが、7、
8個もあったという。

 こういうケースでは、子どもを叱っても意味はない。強く叱れば叱るほど、子どもの心
は、ますますゆがむ。というのも、「火をつける」という行為は、危険認識を超えていると
いう点で、精神そのものが、かなり病んでいるとみてよい。はっきり言えば、心の病気。

 同じようなレベルの行為に、自殺、自殺未遂、自傷行為、動物虐待などがある。病的な
窃盗グセなども、これに含まれる。威圧的な家庭環境の中で、慢性的な欲求不満がつづく
と、子どもでも、心が、かなりゆがむ。

 しかしこういうケースに遭遇すると、親は、まず強く叱ったり、はげしく説教したりし
て、それをなおそうとする。

 しかしそういう行為は、かえって、逆効果。それは肺炎か何かで、熱を出して寝ている
子どもに、水をかけるような行為といってもよい。(ますます子どもの心はゆがむ)→(ま
すます親が、それを叱る)→(ますます子どもの心はゆがむ)の悪循環の中で、やがて子
どもの症状は、行きつくところまで、行く。

 そこで、こういう状態になったら、あるいはそういう症状を子どもが見せたら、「すべて
をあきらめる」。あるがままを認め、受け入れる。この段階で、たとえば、まだ子どもの勉
強や、受験にこだわっていたりすると、それこそ、取りかえしのつかない状態になる。そ
れともあなたは、肺炎で熱を出して苦しんでいる子どもをたたき起こして、勉強をさせる
とでも言うのだろうか。

 心の病気は、外から見えにくい分だけ、安易に考えやすい。しかし病気は、病気。その
上、心の病気は、なおるのに、半年単位の時間がかかる。半年でも、短いほうである。仮
に小学校の高学年児で、このような症状を示したら、なおるまで(?)に、数年、あるい
はそれ以上、かかる。

 数年前も、神社に放火した中学生がいた。つかまえてみると、余罪が、ぞくぞくと出て
きた。その子どもは、「むしゃくしゃしてたから、火をつけた」(報道)などと答えていた
が、この問題は、そういうレベルの問題ではない。



(4)今を考える  **************************

●究極の食事法 


 オーストラリアの友人が、新しいジョークを作って、送ってくれた。

  ...for those of you who watch what you eat, here's the final word on 
  nutrition and health. It's a relief to know the truth after all those
 conflicting medical studies:
(食事に注意を払っている人に、究極の食事法が、ある。医学的問題に
かかわっている人には、この事実を知ることは、とてもよいことだ。)


  1. The Japanese eat very little fat and suffer fewer heart attacks
  than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(日本人は、脂肪をほとんどとらないし、そしてアメリカ人、オース
トラリア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が少ない。)


  2. The Mexicans eat a lot of fat and also suffer fewer heart attacks 
than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(メキシコ人は、たくさんの脂肪をとるが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


  3. The Japanese drink very little red wine and suffer fewer heart
attacks than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(日本人は、ほとんどワインを飲まないが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


  4. The Italians drink large amounts of red wine and also suffer fewer 
  heart attacks than the Americans, Australians, British, or Canadians.
(イタリア人は、大量の赤ワインを飲むが、アメリカ人、オーストラリ
ア人、イギリス人、カナダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


  5. The Germans drink a lot of beer and eat lots of sausages and fats 
  and suffer fewer heart attacks than the Americans, Australians, 
British, or Canadians.
(ドイツ人は、たくさんのビールを飲み、たくさんのソーセージと脂肪を
とるが、アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、カナダ人より、
心筋梗塞になる人が、少ない。)


  6. Ukrainians drink a lot of vodka, eat a lot of perogies, cabbage 
rolls and suffer fewer heart attacks than the Americans, Australians, 
British, or Canadians.
(ウクライナ人は、たくさんのウォッカと、たくさんのペロシチ巻きを
たくさん食べるが、アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人、カナ
ダ人より、心筋梗塞になる人が、少ない。)


  CONCLUSION: Eat and drink what you like. Speaking English is 
apparently what kills you.
(結論:好きなだけ、飲んで食べろ。英語を話すことが、心筋梗塞の原因
ということが、これで証明された。)

+++++++++++++++++++

お返しに、私も、ジョークを考えた。
こういうケースでは、つまり友人が
何かジョークを言ったら、それに答
えて、何か有益な知識を、返すのが
この世界の礼儀になっている。

+++++++++++++++++++

日本では、鼻先から、唇までの長さが、ペニスの長さということに
なっている。古くは、中国の医学書にも、そう書いてある。
(The length between the bottom of the nose and the edge of the upper
lip shows the length of dick, as has been written in Chinese Medical
book.)

つまりこの部分が、長い人は、ペニスも長いということになる。
このことから転じて、スケベな心境になることを、この日本では、
『鼻の下を長くする』という。
(This means those who has longer length between them has a longer
dick. And we say, therefore, in Japan, "he has a longer length under the
nose", which means that he is horny.)

しかし英語では、ペニスを「角(つの)」にたとえる。
スケベを意味する、「H(エッチ)」は、「ホーニィ」、つまり「角
のようになった(ペニス)」という意味から、きている。
(In English, however, the dick is often imitated as a horn and therefore
English people would often say, "he is horny", or he is sexually excited.)

いろいろな説があるが、これは、「H(エッチ)」という言葉が
日本でも使われ出したころ、私が、アメリカ人の男性に直接聞いて
確かめたことである。
(And then we say, "he or she is H, which means he or she is a sex maniac.")

で、どちらが科学的かというと、やはりアジア人のほうに、軍配
があがる。
(But which is more scientifically logical? Or Chinese medical is much
more logical.)

人間には、九つの穴(女性は、十)がある
(We have 9 holes in our body. Ladies have 10. Count them when you feel free.)

これらの穴の大きさは、比例しているという。つまり女性器の
性能(まさに「性」能)は、その穴の大きさで決まる。もちろん
小さければ、小さいほど、よい。先ほど、不慮の交通事故で
なくなった、ダイアナ王妃のようでは困る。(日本語で、「ダイアナ」
は、「大きな穴」を意味する。念のため。)
(Those who have bigger holes have bigger holes and small holes, small
holes. Those who have big nose-holes have bigger 10 holes.
For example the ex-Princess of England, Ms. Dyana had bigger nose-holes.
This means she had big holes. As a matter of fact "Dyana means
in Japanese, Dai=big ana=holes.

そこで元来、鼻先から、唇までの長さが短い白人の男性と、
元来、鼻の穴の大きな白人の女性が、結婚したらどうなるか。
(Then what happens in case when the white man who has a shorter
length between the nose and lip marry to a woman who has big nose-holes?)

【結論】つまり、それが白人社会では、離婚率が高いという理由である。
Conclusion…(This is the reason why more couples get divorced in western world.)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●今朝の悪夢

 朝、起きてみると、タンスの引き出しが、一様に、引き出されていた。空き巣である。

 別の部屋を見ると、ものが、散乱していた。あちこちを物色したらしい。

 で、金庫のある部屋に行ってみると、金庫は無事だった。しかしよく見ると、扉がこわ
されていた。

 心臓がドキドキして、そこで目が覚めた。

 夢だった。……いやな夢だった。時計を見ると、朝、5時。起きる時刻だった。が、そ
のままフトンの中で、あれこれ考えた。

 まず思い出したのが、D氏のこと。D氏は、それまで住んでいた市内の土地を手放した。
当時の価格で、1億5000万円で売れた。ちょうどバブル経済がはじける、その直前だ
った。

 が、そのお金を、現金のまま、金庫にしまっておいた。すぐそのお金で、別の土地を買
うつもりだった。

 そのD氏が、空き巣にやられた。1億5000万円を、そっくりそのまま、もっていか
れた。

 私は、その話を、D氏自身から、数か月後に聞いた。そのときですら、D氏は、元気が
なかった。私は、「エーッ、本当ですか?」と言っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。

 空き巣というのは、そういうもの。

 私自身は、空き巣に入られたことはない。しかしこうして夢の中で、模擬体験をしてみ
ると、その不快感が、よくわかる。いや、不快感などというものではない。不快感をとお
りこした、絶望感。それに近い。

 適切な言葉がない。

 心臓のドキドキは、消えなかった。自分で、「ただの夢ではないか」と、何度も言って聞
かせた。しかし心臓は、相変わらず、ドキドキしていた。

 またD氏のことを、考えた。「さぞかし、悔しかっただろう」と思った。もともとは、D
氏の父親の土地だったという。考えようによっては、そのD氏の父親が、一生かかって稼
いだ財産を、一日にして失ったことになる。

 D氏の父親は、市内のビルの一角で、不動産屋を営んでいた。アパートの賃貸だけを専
門にする不動産屋で、まじめで、実直な人だった。私も一度、世話になったことがある。

 その空き巣について……。

 先日も昼のワイドショーか何かで、空き巣の特集番組を流していた。こういうご時世だ
から、空き巣が急増しているという。例によって、例のごとく、実に軽薄そうな司会者と、
同じくらい軽薄そうなコメンテイターたちが、おもしろおかしく、空き巣について語って
いた。

 ときどき、突然しおらしい顔をして、もっともらしいことを言っていたが、私の胸には
響かなかった。

 そう言えば、5、6年前に、近所に、連続して空き巣が入ったことがある。私の家の前
の2軒が入られ、私の家をとんで、裏の1軒が入られたという。

 警察がやってきて、「お宅は、だいじょうぶでしたか?」と。

 そのときは、空き巣にも無視されたかと、心のどこかで、何か悔しさのようなものを感
じた。多分、私の家に空き巣が入らなかったのは、イヌが2匹、放し飼いにしてあったか
らではないか。うち1匹は、カンの強い犬で、かすかな物音でも、ワンワンと吠える。

 ともかくも、無事でよかった。

 フトンから出るとき、パソコン雑誌のソフトが気になった。

 今度、C社から、人の動きを感知して、記録する、パソコンカメラが売りに出された。
定価は、カメラとソフトつきで、8500円という。私も以前、同じような製品を考えた
ことがある。今では、どこの家にもパソコンがゴロゴロしている。使わないで、放置して
あるパソコンもある。そういうのをうまく使えば、防犯にも利用できる、と。

 今度、長期間、家をあけるときは、それをつけておこう。空き巣に対しては、守りの姿
勢だけは、勝てない。こちらから攻めることも大切。

 バッチリと顔をとって、インターネットで流してやる。相手が名誉毀損で訴えてきたら、
そのまま刑事告発すればよい。

 そこまで考えたとき、やっと、心臓のドキドキが消えた。

 さあ、今朝も起きて、原稿を書くぞ……と思って書いたのが、この原稿。

 みなさん、おはようございます。はやし浩司は、今朝も、悪夢で、目が覚めた。
(040308)


●三男の引っ越し荷物

 三男の引っ越し荷物が、届いた。その量の多さを見て、驚いた。

 部屋は、八畳一間だったはず。しかしダンボール箱で、30箱近くもあった。それに机
とかコタツとか、冷蔵庫に洗濯機。電子レンジもあった。ゾーッ。

 「どこにこんなたくさんあったのか!」と、しばし荷物の山を見て、ボウゼン!

私「あれほど、捨ててくるか、友だちにあげてこい言ったのに……」
ワイフ「ホント!」と。

 こういうときワイフは、がまん強い。黙々と、あと片づけを始めた。が、肝心の三男様
は、今日は旅行とか。家にいない。何ということだ!

 少し手伝ったが、私はやめた。「明日、E(三男のこと)が、帰ってきたら、自分でさせ
ればいい」と。そして書斎にもどって、腹いせまじりに、この原稿を書く。

 それにしても、量が多い。「今どきの大学生は、こんなものか」と思ってみるが、それに
しても、多い。私が学生のときは、コタツと本だけ。それだけであちこちを移動した。

 それにしても、モノが多い。多すぎる。日本中に、モノがあふれかえっているといった、
感じ。しかしこういうのを、本当に、豊かな国というのだろうか。改めて、しばし、自分
の机のまわりをながめてみる。

 この部屋だけで、パソコンが、5台。プリンターが、2台。スキャナーが2台。書類と
本の山。それにパソコンソフトのパッケージなどなど。

 この部屋の分だけでも、引っ越しとなったら、ダンボール箱に、10箱くらいになるの
かも。あるいは、もっとなるかも? コタツや、机、本箱もある。「必要だから買う」とい
う、単純な行動を繰りかえしていたら、こうなってしまった。

 大切なことは、不便を当たりまえとし、その不便さの中で、工夫(くふう)しながら、
生きることだ。でないと、すぐ、私たちの生活は、モノの山の中に埋もれてしまう。


●韓国の離反

 反米親北をかかげて韓国の大統領の座についた、ノ氏。それはわかるが、このところ、
ますます反日の旗印を、色濃くしている。

 北朝鮮を恐れるためか。それとも行きづまった国内経済への批判を、かわすためか。戦
時中の日本軍への協力者をあぶり出し、処罰してみたり、小泉首相の靖国神社への参詣に
ついて、「黙っているからといって、いい気になるな」というような発言までしている。

 韓国は、北朝鮮と共和制を敷いたあと、アメリカとの軍事同盟を破棄したあと、最終的
には、中国の経済圏に自らを組みこむことを、もくろんでいる。そのためか、一時、今の
ノ政権の高官は、「北朝鮮の核を容認する」というような発言までしている。「核があれば、
韓国にとっても、将来的に、有利になる」と。

 これに対して、アメリカの政府高官(元国務大臣)は、「米韓関係は、崩壊の一歩、手前」
と発言している。米韓のキレツ、それにともなう、日韓のキレツは、予想以上に大きいよ
うだ。

 その北朝鮮は、核武装をしたあと、その核で日本を脅し、莫大な戦後補償を引きだそう
としている。その額、驚くなかれ、400億ドル。日本円で、4兆円以上。人口が日本の
約8分の1だから、日本にあてはめて計算すると、何と、32兆円規模の戦後補償という
ことになる。(日本の人口、約1億6000万人。北朝鮮の人口、2200万人。4兆円を、
2000万人で割ると、一人あたり、20万円!)

 仮に日朝戦争ともなれば、韓国は統一旗をあげて、その北朝鮮の側に立つ。

 こういう流れの中での、六か国協議である。日本にとっては、まさに、「友人はアメリカ
だけ」という状態だが、ゆいいつ救われるのは、アメリカと中国が、予想以上に接近して
いること。

一方、中国と北朝鮮が、予想以上に、仲が悪いこと。この2月からロシアは、北朝鮮に
対する無償援助を中断している。3月からは、中国も、中断するむねを、北朝鮮に通告
している。さらに北朝鮮の国内経済が、ほぼ壊滅状態に近いこと。「すでに戦争をしかけ
る能力を失った」と評する人もいる。

 とくに、この日本に対しては、ミサイル以外、手も足も出せない。何しろ、海軍力その
ものがない。2隻ある軍艦も、旧ソ連から払いさげられた、オンボロ船だけ。だからやは
り、ミサイルということになる。核兵器、化学兵器、細菌兵器ということになる。

 では、この日本は、どうするべきか。ここが正念場ということになるが、そのカギを握
るのは、中国ということになる。

 アメリカと日本は、北朝鮮の核問題を、最終的には、国連安保理へ付託することをねら
っている。当然である。しかしそれに対して、中国とロシアは、今のところ、拒否権を行
使する構えである。

 そこでアメリカと日本は、中国とロシア(とくに中国)を、自分たちの陣営に取りこも
うとしている。六か国協議は、そのためのおぜん立てにすぎない。あの民主党の大統領候
補のケリー氏も、そう言っている。「ブッシュ政権には、はじめから、協議を成功させるつ
もりはない」と。

 日本にとって、最良のシナリオは、金XX政権が、自然崩壊すること。そして韓国との
間で、ゆるやかな共和制が敷かれ、やがて北朝鮮が、韓国に吸収合併されていくこと。そ
の思いは、アメリカ、中国、韓国も同じではないか。

 ただこの段階で、日本にとって、一つ気がかりなことは、このシナリオで北朝鮮問題が
解決すると、日本のすぐ横に、強大な軍事力をもった反日国家が出現すること。そしてか
つてのベトナムを例にとるまでもなく、そのあまりあまった軍事力の矛先を、そのまま日
本へ向けてくる可能性がある。かつてのベトナムは、アメリカを追い出したあと、カンボ
ジアに侵攻している。

 そういう意味で、今のノ政権の動きは、不気味ですらある。あるいは共和制を敷いたあ
との、布石ともとれる。

 日本は、今、戦後最大の危機を迎え、正念場を迎えている。つぎのことに注意したい。

(1)中国、韓国を、刺激しない。
(2)北朝鮮の挑発にのらない。
(3)アメリカとの関係を、最善状態にする。

 そのために日本がどうあるべきかは、それは各論の話ということになる。日本政府の動
きを、慎重に観察したい。


●ぼんやりと見る

 ぼんやりとまわりの様子を見る。

 そのとき、無数のものが、ばくぜんと、目の中に飛びこんでくる。

 目の網膜でとらえられた映像は、一度視床下部(ししょうかぶ)を経由して、脳のうし
ろにある、大脳の後頭葉(こうとうよう)の視覚野(しかくや)に送られる。

 (網膜)→(視床下部、外側膝状体)→(大脳後頭葉、視覚野)

 しかしこの段階では、すべての情報がばくぜんと、脳の中のモニターに映されることに
なる。カーテンも、机も、カメラも、印刷用紙も……。

 そこで私は、その映像の中から、必要な情報だけを選びださなければならない。

 たとえば私は、ここで、パソコンのモニターだけを見たいとする。しかもその中でも、
文字だけを見たいとする。

 そこで視覚野に映った映像は、いろいろに加工される。これを大脳生理学の分野では、
二次加工、三次加工と呼ぶらしい。

 (視覚野の映像)→(二次加工)→(三次加工)

 そのあと、こうして加工された映像は、主に二つのルートを通って、大脳の各部に送ら
れる。

 (加工された映像)→頭頂葉連合野(1)
          →側頭連合野(2)

(1)の頭頂葉連合野へ送られた映像は、空間的な処理がなされるという。たとえば脳
の中でも、この部分にダメージを受けると、自分の位置関係がわからなくなると
いう。

(2)の側頭連合野に送られた映像は、ものを認知するための処理がなされるという。

この部分が、ダメージを受けると、形がわからなくなるという。人の顔も区別できなく
なることもあるという。

こうして目から入った情報は、瞬時のうちに脳の中をかけめぐり、処理され、判断され
る。

 私はこうしてぼんやりと、カーテンごしに、外を見ている。何でもない行為だが、その
裏で、無数の情報処理がなされていることになる。

 こうした処理を直接頭の中で見ることはできないが、しかし想像することはできる。

 「あっ、今、後頭部に信号が送られたぞ」「二次加工されているぞ」「側頭連合野で判断
されているぞ」と。

 もちろんこれは私の勝手な想像によるものだが、それが結構、楽しい。

【追記】

 私たちが「そこ」に見ているものは、実際に、そこにあるものを見ているのではない。
たとえて言うなら、大脳後頭葉の視覚野というのは、モニター画面のようなもの。つまり
私たちは脳の中に映し出された、総天然色(?)の映像を見ているだけということ。

 もっとわかりやすく言えば、テレビを見ているようなもの。まさに光と影がおりなす、
幻想の世界を見ているにすぎないということになる。

 そう考えていくと、少し、不思議な気分になる。

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.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 5日(No.382)
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http://bwhayashi.cool.ne.jp/page053.html

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(1)子育てポイント**************************

「偉い」を廃語にしよう

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たよ
うな言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。

日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あ
まり偉い人とは言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題に
しない。
 
そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。

中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止
して、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。こ
れだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。
しかし……?    

実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧
の生活を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。

由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その
刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近くの小川は血で染ま
り、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。

家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実
は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結
果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。そこで提言。

「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世
主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治
にそれが利用されると、とんでもないことになる。

「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民
主主義は完成しない。

(2)今日の特集  **************************
++++++++++++++++++++++++

(前号からのつづきです)

もう一つ、ショッキングな事実を、掲載しておきます。

+++++++++++++++++++++++++

日本の教育を考える     

●遅れた教育改革

 少し、古い資料で恐縮だが、二〇〇二年一月の段階で、東証外国部に上場している外国
企業は、たったの三六社。この数はピーク時の約三分の一(九〇年は一二五社)。

さらに二〇〇二年に入って、マクドナルド社やスイスのネスレ社、ドレスナー銀行やボ
ルボも撤退を決めている。

理由は「売り上げ減少」と「コスト高」。売り上げが減少したのは不況によるものだが、
コスト高の要因の第一は、翻訳料だそうだ(毎日新聞)。悲しいかな英語がそのまま通用
しない国だから、外国企業は何かにつけて日本語に翻訳しなければならない。


 これに対して金融庁は、「投資家保護の観点から、上場先(日本)の母国語(日本語)に
よる情報開示は常識」(同新聞)と開き直っている。

日本が世界を相手に仕事をしようとすれば。今どき英語など常識なのだ。しかしその実
力はアジアの中でも、あの北朝鮮とビリ二を争うしまつ。日本より低い国はモンゴルだ
けだそうだ(TOEFL・国際英語検定試験で、日本人の成績は、一六五か国中一五〇
位・九九年)。

日本の教育は世界の最高水準と思いたい気持ちはわからないでもないが、それは数学や
理科など、ある特定の科目に限った話。日本の教育水準は、今ではさんたんたるもの。
今では分数の足し算、引き算ができない大学生など、珍しくも何ともない。「小学生レ
ベルの問題で、正解率は五九%」(国立文系大学院生について調査、京大・西村)だそ
うだ。

●日本の現状

 東大のある教授(理学部)が、こんなことを話してくれた。「化学の分野には、一〇〇〇
近い分析方法が確立されている。が、基本的に日本人が考えたものは、一つもない」と。

オーストラリアあたりでも、どの大学にも、ノーベル賞受賞者がゴロゴロしている。し
かし日本には数えるほどしかいない。あの天下の東大には、一人もいない。(退職教授で
も、たったの一人だけ。)

ちなみにアメリカだけでも、二五〇人もの受賞者がいる。ヨーロッパ全体では、もっと
多い。

「日本の教育は世界最高水準にある」と思うのはその人の勝手だが、その実態は、たい
へんお粗末。今では小学校の入学式当日からの学級崩壊は当たり前。はじめて小学校の
参観日(小一)に行った母親は、こう言った。「音楽の授業ということでしたが、まる
でプロレスの授業でした」と。

●低下する教育力

 こうした傾向は、中学にも、そして高校にも見られる。やはり数年前だが、東京の都立
高校の教師との対話集会に出席したことがある。その席で、一人の教師が、こんなことを
言った。

いわく、「うちの高校では、授業中、運動場でバイクに乗っているのがいる」と。する
と別の教師が、「運動場ならまだいいよ。うちなんか、廊下でバイクに乗っているのが
いる」と。そこで私が「では、ほかの生徒たちは何をしているのですか」と聞くと、「み
んな、自動車の教習本を読んでいる」と。

さらに大学もひどい。大学が遊園地になったという話は、もう一五年以上も前のこと。
日本では大学生のアルバイトは、ごく日常的な光景だが、それを見たアメリカの大学生
はこう言った。「ぼくたちには考えられない」と。

大学制度そのものも、日本のばあい、疲弊している! つまり何だかんだといっても、
「受験」が、かろうじて日本の教育を支えている。もしこの日本から受験制度が消えた
ら、進学塾はもちろんのこと、学校教育そのものも崩壊する。

確かに一部の学生は猛烈に勉強する。しかしそれはあくまでも「一部」。内閣府の調査
でも、「教育は悪い方向に向かっている」と答えた人は、二六%もいる(二〇〇〇年)。
九八年の調査よりも八%もふえた。むべなるかな、である。

●規制緩和は教育から

 日本の銀行は、護送船団方式でつぶれた。政府の手厚い保護を受け、その中でヌクヌク
と生きてきたため、国際競争力をなくしてしまった。しかし日本の教育は、銀行の比では
ない。護送船団ならぬ、丸抱え方式。教育というのは、二〇年先、三〇年先を見越して、「形」
を作らねばならない。

が、文部科学省の教育改革は、すべて後手後手。南オーストラリア州にしても、すでに
一〇年以上も前から、小学三年生からコンピュータの授業をしている。メルボルン市に
ある、ほとんどのグラマースクールでは、中学一年で、中国語、フランス語、ドイツ語、
インドネシア語、日本語の中から、一科目選択できるようになっている。

もちろん数学、英語、科学、地理、歴史などの科目もあるが、ほかに宗教、体育、芸術、
コンピュータの科目もある。芸術は、ドラマ、音楽、写真、美術の各科目に分かれ、さ
らに環境保護の科目もある。もう一つ「キャンプ」という科目があったので、電話で問
い合わせると、それも必須科目の一つとのこと(メルボルン・ウェズリー・グラマース
クール)。 

 さらにこんなニュースも伝わっている。外国の大学や高校で日本語を学ぶ学生が、急減
しているという。カナダのバンクーバーで日本語学校の校長をしているM氏は、こう教え
てくれた。

「どこの高等学校でも、日本語クラスの生徒が減っています。日本語クラスを閉鎖した
学校もあります」と。こういう現状を、日本人はいったいどれくらい知っているのだろ
うか。

●規制緩和が必要なのは教育界

 いろいろ言われているが、地方分権、規制緩和が一番必要なのは、実は教育の世界。も
っとはっきり言えば、文部科学省による中央集権体制を解体する。地方に任すものは地方
に任す。せめて県単位に任す。

だいたいにおいて、頭ガチガチの中央に居座る文部官僚たちが、日本の教育を支配する
ほうがおかしい。日本では明治以来、「教育というのはそういうものだ」と思っている人
が多い。が、それこそまさに世界の非常識。あの富国強兵時代の亡霊が、いまだに日本
の教育界をのさばっている!

 今まではよかった。「社会に役立つ人間」「立派な社会人」という出世主義のもと、優良
な会社人間を作ることができた。「国のために命を落とせ」という教育が、姿を変えて、「会
社のために命を落とせ」という教育に置きかわった。

企業戦士は、そういう教育の中から生まれた。が、これからはそういう時代ではない。
日本が国際社会で、「ふつうの国」「ふつうの国民」と認められるためには、今までのよ
うな教育観は、もう通用しない。いや、それとて、もう手遅れなのかもしれない。

 いや、こうした私の意見に対して、D氏(六五歳・私立小学校理事長)はこう言った。「ま
だ日本語もよくわからない子どもに、英語を教える必要はない」と。つまり小学校での英
語教育は、ムダ、と。

しかしこの論法がまかり通るなら、こうも言える。「日本もまだよく旅行していないのに、
外国旅行をするのはムダ」「地球のこともよくわかっていないのに、火星に探査機を送る
のはムダ」と。私がそう言うと、D氏は、「国語の時間をさいてまで英語を教える必要は
ない。しっかりとした日本語が身についてから、英語の勉強をしても遅くはない」と。


●多様な未来に順応できるようにするのが教育

 これについて議論を深める前に、こんな事実がある。アメリカの中南部の各州の小学校
では、公立小学校ですら、カリキュラムを教師と親が相談しながら決めている。

たとえばルイサ・E・ペリット公立小学校(アーカンソー州・アーカデルフィア)では、
四歳児から子どもを預かり、コンピュータの授業をしている。近くのヘンダーソン州立
大学で講師をしている知人にそのことについて聞くと、こう教えてくれた。

「アメリカでは、多様な社会にフレキシブル(柔軟)に対応できる子どもを育てるのが、
教育の目標だ」と。

事情はイギリスも同じで、在日イギリス大使館のS・ジャック氏も次のように述べてい
る。「(教育の目的は)多様な未来に対応できる子どもたちを育てること」(長野県経営者
協会会合の席)と。

オーストラリアのほか、ドイツやカナダでも、学外クラブが発達していて、子どもたち
は学校が終わると、中国語クラブや日本語クラブへ通っている。こういう時代に、「英語
を教える必要はない」とは!

●文法学者が作った体系

 ただ英語教育と言っても、問題がないわけではない。日本の英語教育は、将来英語の文
法学者になるには、すぐれた体系をもっている。数学も国語もそうだ。将来その道の学者
になるには、すぐれた体系をもっている。理由は簡単。

もともとその道の学者が作った体系だからだ。だからおもしろくない。だから役に立た
ない。こういう教育を「教育」と思い込まされている日本人はかわいそうだ。子どもた
ちはもっとかわいそうだ。たとえば英語という科目にしても、大切なことは、文字や言
葉を使って、いかにして自分の意思を相手に正確に伝えるか、だ。

それを動詞だの、三人称単数だの、そんなことばかりにこだわっているから、子どもた
ちはますます英語嫌いになる。ちなみに中学一年の入学時には、ほとんどの子どもが「英
語、好き」と答える。が、一年の終わりには、ほとんどの子どもが、「英語、嫌い」と答
える。

●数学だって、無罪ではない 

 数学だって、無罪ではない。あの一次方程式や二次方程式にしても、それほど大切なも
のなのか。さらに進んで、三角形の合同、さらには二次関数や円の性質が、それほど大切
なものなのか。

仮に大切なものだとしても、そういうものが、実生活でどれほど役に立つというのか。
こうした教育を正当化する人は、「基礎学力」という言葉を使って、弁護する。「社会生
活を営む上で必要な基礎学力だ」と。

もしそうならそうで、一度子どもたちに、「それがどう必要なのか」、それを説明してほ
しい。「なぜ中学一年で一次方程式を学び、三年で二次方程式を学ぶのか。また学ばねば
ならないのか」と、それを説明してほしい。

その説明がないまま、問答無用式に上から押しつけても、子どもたちは納得しないだろ
う。現に今、中学生の五六・五%が、この数学も含めて、「どうしてこんなことを勉強し
なければいけないのかと思う」と、疑問に感じているという(ベネッセコーポレーショ
ン・「第三回学習基本調査」二〇〇一年)。

●教育を自由化せよ

 さてさきほどの話。英語教育がムダとか、ムダでないという議論そのものが、意味がな
い。こういう議論そのものが、学校万能主義、学校絶対主義の上にのっている。

早くから英語を教えたい親がいる。早くから教えたくない親もいる。早くから英語を学
びたい子どもがいる。早くから学びたくない子どももいる。早くから英語を教えるべき
だという人がいる。早くから教える必要はないという人もいる。

要は、それぞれの自由にすればよい。今、何が問題かと言えば、学校の先生がやる気を
なくしてしまっていることだ。雑務、雑務、その上、また雑務。しつけから家庭教育ま
で押しつけられて、学校の先生が今まさに窒息しようとしている。

ある教師(小学五年担任、女性)はこう言った。「授業中だけが、体を休める場所です」
と。「子どもの生きるの、死ぬのという問題をかかえて、何が教材研究ですか」とはき捨
てた教師もいた。

そのためにはオーストラリアやドイツ、カナダのようにクラブ制にすればよい。またそ
れができる環境をつくればよい。「はじめに学校ありき」ではなく、「はじめに子どもあ
りき」という発想で考える。それがこれからの教育のあるべき姿ではないのか。

また教師の雑務について、たとえばカナダでは、教師から雑務を完全に解放している。
教師は学校での教育には責任をもつが、教室を離れたところでは一切、責任をもたない
という制度が徹底している。

教師は自分の住所はおろか、電話番号すら、親には教えない。だからたとえば親がその
教師と連絡をとりたいときは、親はまず学校に電話をする。するとしばらくすると、教
師のほうから親に電話がかかってくる。こういう方法がよいのか悪いのかについては、
議論が分かれるところだが、しかし実際には、そういう国のほうが多いことも忘れては
いけない。


(3)心を考える  **************************

●子どもをからかう

(1)丸を、5個かいた、カードを見せる。うち一個は、指で隠す。「いくつありますか?」
と聞く。すると子どもたちは、「4個!」と答える。

(2)「残念でした」と言って、指をとる。「丸は、5個でした」と。子どもたちは、「ずる
い!」と言って騒ぐ。

(3)今度は、丸を6個かいたカードを見せる。うち2個を指で隠す。そのとき、ほんの
少しだけ、隠した丸が見えるようにする。今度は、子どもたちは、「5個!」と答える。見
えている丸が、4個。それに1個、加えて、5個ということになる。(2)と同じように、
「残念でした、丸は6個でした」と言う。たいていこの段階で、子どもたちは、興奮状態
になる。

(4)つぎに丸を4個かいた、カードを見せる。中央部を大きく、指で隠したフリをする。
今度は、何も隠していない。が、子どもは、すなおに、「4個」とは言わない。「また隠し
ているんでしょう」とか、「5個かな、6個かな」と言う。

(5)そこで私は、指をはずして、「4個でした」と言う。

(6)さらに、今度は、すみのほうに、小さな丸をかいたカードをあげる。指先で軽く隠
す。丸は、小さな丸も含めて、5個。が、子どもたちは、疑い深そうにカードをながめな
がら、「4個かな……?」と答える。

こうして、レッスンをつづけていく。子どもたちは、ますます興奮状態になっていく。

……といっても、何も、私は、子どもをからかっているのではない。思考力を刺激する、
一つの方法として、ここに例をあげてみた。

 まず一枚のカードを見せる。この情報は、目を通して、網膜に反映される。その反映さ
れた情報は、視床下部を中継して、後頭葉にある視覚野に入る。

 その後頭葉の視覚野に入った情報は、一度、ここで、二次、三次の処理がなされて、必
要な情報だけが、よりわけられる。

 「カード全体」から、「丸」だけを抽出するわけである。

 そしてそこで処理された情報は、二手に分かれて、大脳の連合野に送られる。

 一つは、頭頂葉連合野。ここでは、位置関係などを判断するとされる。

 もう一つは、側頭連合野。ここでは、モノの判別をするとされる。

 こうして目でとらえられた情報は、大脳の中を瞬時にかけめぐり、丸の数を判断する。
4個の丸を見た子どもは、「4個!」と答える。

 実際には、こうした処理は、脳の中で、瞬時になされる。しかしこれはあくまでも情報
の処理でしかない。

 そこで私は、指をはずして、「5個だ」と教える。するとここで子どもは、その意外性に
驚く。「まさか先生が、だますはずはない」という先入観は、ここで破壊される。

 ここで重要なことは、固定回路の破壊である。人間は、一定の行動パターンで動いてい
ると、その行動パターンに支配される。

 決して悪いばかりではない。こうしたパターンがあるから、人間の行動は、スムーズに
流れる。が、その行動、および思考パターンが、子どものものの考え方を、固定化する。

 で、つぎに今度は、二個丸を隠したカードを見せる。

 すると子どもたちは、すでに学習しているため、今度は、見えている丸に、1を加えて、
「5個」と答える。

 が、隠れていたのは、2個。だから私は、「残念でした。6個でした」と言う。

 同じようなパターンで、子どもは、それまでの学習した経験を、この段階で、再び、破
壊する。

 こうして新しい神経回路が、脳の中に形成されていく。人間の大脳の中には、約100
億の神経細胞があるといわれている。その神経細胞そのもの数は、生まれてから死ぬまで、
ほとんど変らないとされている。

 しかし一個の神経細胞からは、約10万個のシナプスが伸びている。このシナプスが複
雑にからんで、思考回路を決定する。つまりこうした刺激を与えることで、子どもの脳の
中で、つぎつぎと新しいシナプスがからんでいく。

 で、100億x10万というと、DNAの遺伝情報の数を超えることになる。つまり脳
の神経細胞の働きは、遺伝情報の外にあるということになる。(ちなみに、人間のDNA情
報は、10の9から10乗と言われている。)

こうしてつぎつぎと、脳に刺激を与え、神経回路の発達を促していく。そしてそのつど、
子どもは学習し、その上にさらに新たな学習を重ねていく。

 最後に、何でもないカード。つまり「5個の丸をかいたカード」を見せても、子どもた
ちは、あれこれ考えて、答えなくなる。つまりそれが「思考する」ということになる。

 大切なことは、情報の量ではなく、思考する力である。そしていかにして、子どもの思
考力を養うかということ。ここに書いた、カードによる刺激法は、私が考えた。こういう
方法で、一度、子どもの思考力を養ってみるとよい。コツは、つぎつぎと、固定回路を破
壊していく。子どもの側からみて、「アレッ!」と思う意外性を大切にする。

 こうしたレッスンがうまくいくと、子どもたちは興奮状態になるが、そのあと、子ども
の頭にさわってみるとよい。手でその熱さを感ずるほど、熱くなっているのがわかる。
(040307)(はやし浩司 シナプス 思考回路 思考プロセス 神経回路 視覚野)

(4)今を考える  **************************

【近況・あれこれ】

●ゴミの中に咲く花

 ワイフとドライブしているときのこと。

 少し複雑な、六つ角(五本の道が、複雑に、三叉路と四つ角をつくっているところ)へ、
さしかかった。私たちは、進入してくる車のために、かなり手前に車をとめた。

 するとそこへ右のほうから、車がやってきて、その車も、かなり手前で、車を止めた。
やはり進入してくる車のためである。

 ふだんだと、その六つ角は、ギリギリまで車を寄せあうところである。そしてそのたび
に、不愉快な思いをするところである。ときに、進入してくる車と、「どけ!」「お前こそ、
どけ!」と、喧嘩になることもある。

 また手前に車を止めると、うしろからクラクションを鳴らされることもある。「前につめ
ろ」という合図である。あるいはさらにそういう止め方をすると、右方向からつぎつぎと
車がやってきて、自分たちの車は、大通りへ出られないこともある。

 しかし私たちは、いつも、かなり手前に、車をとめる。するとたいてい、右側からきた
車が、そこへ割りこんでくる。しかし、昨日は、ちがった。右側の車も、かなり手前に止
めた。

「珍しいね」と私が言うと、ワイフもそれに気づいたのか、「そうね」と。

 で、やがて信号が、青になった。車が一斉に、動き出した。そのときのこと。私たちが
遠慮がちに車を走らせると、右側の車も、どこか遠慮がちに、こちらの動きをうかがって
いるといったふうだった。

 で、そういうふうに、たがいに遠慮がちに車を走らせながら、私たちの車が先になって、
大通りへ出た。

「ああいう、いいドライバーもいるんだね」と私。
「本当に、いいドライバーね。この浜松では、珍しいわね」とワイフ。

 この浜松では、ここ数年、本当に、ドライバーのマナーが悪くなった。信号が黄色にな
って、車を止める人は、まず、いない。赤になっても止めない。さらに隣の信号が、青に
なっても、止めない。

 そのため、交差点は、あぶなくてしかたない。横断歩道でも、青になったから……と、
自転車で走りかけると、その前を、猛スピードで、車が走りぬけたりする。

 そういうとき、そういうドライバーを見ると、うれしくなる。車の中で、私が、「ゴミの
山の中で、小さな花を見たようだ」と話すと、ワイフは、「少しおおげさじゃあない」と。

 しかし、私は、そう感じた。


●日本語の不思議

私は、「草」と「臭い」は、関係があると思う。「草の臭いがするから」「臭い」。つまり
「臭い」の「クサ」は、「草」からきている、と。

 もともと日本語があったところへ、あとから中国語(漢字)がやってきた。こういう例
は、少なくない。

 「カミ」というときは、「紙」「神」「髪」「上」など、いろいろに意味する。しかし全体
としてみると、上にあるものを、「カミ」という。「紙」にしても、昔は、高価なものであ
ったらしい。あるいは祭事のときに、使われたのかもしれない。

 ほかにもこうした例はある。

 「車で、来る」など。「車」の「クル」は、「来る」から派生したとも考えられる。(どこ
か苦しいが……。)

 「木を切る」も、そうだ。「木」の「キ」と、「切る」の「キ」も、どこかつながってい
る。「木を切る」から、「木る」となり、それに、漢字の「切」をつけた。

 もともと日本語というのは、そういう意味で、単純な言語である。こういう例は、世界
を歩いてみると、よくある。

昔、タイの学生が、「タイの大学では、理科は、英語で勉強している」という話を聞いた
ことがある。「どうして?」と聞くと、「タイには、そういう専門用語が、まだないから」
と。

 語彙(ごい)の数が、不足しているというわけである。

 で、単純ということは、未完成ということにもなる。「私は東京へ行く」でも、「行くの
よ、私、東京へ」と言うこともできる。「東京へさ、行く、私」と言うこともできる。語法
など、あってないようなもの。

 つまりそれだけ、いいかげん。あいまい。

 で、今という時点においても、日本語が、どんどんと変化しているのがわかる。最近で
は、文の終わりに、「シー」をつける子どもが多い。

 「ぼくは、行きます」というのを、このあたりの子どもは、「ぼく、行くシー」という。
おかしな日本語だが、みなが使うようになると、そのおかしさが消える。つまり日本語は、
今の今も、進化中ということになる。(あるいは退化中?)

 しかしこれだけはげしく変化すると、私ですら、ついていけなくなる。「きちんとした日
本語で、話せ」と言うと、「先生の言っていること、おかしいシー」と。

 とくに乱れているのが、インターネットの世界。(正確には、携帯電話の世界というべき
か。)

「オイラのHPへの訪問ありがとうございます^^
人間ドックって体大丈夫なんですかぁ??^^;
ご家族のためにも健康でいてくださいね^^
でわまたのご訪問お待ちしていま〜す」と。

 無断で、あるサイトのBBSから拾ってみた。しかしまだこれなどは、よいほうなのか
もしれない。意味がわかる。

 ところで私の書いている文体を、みなさんは、どう思うだろうか。古臭いと思うだろう
か。多分、そうだろう。私も若いころ、50代、60代の人が書いた文章を、読むことが
できなかった。恐らく、みなさんも、そういう印象をもっているかもしれない。

 つまり日本語は、それくらいハ早いスピードで、変化しているということ。こんな例は、
ほかには、ないのではないかと思う。つまりそれだけ、日本語は、原始的ということ。少
なくとも、まだ言語として完成されていない。

 最初に私があげた、同音異義の言葉が多いというのも、その理由の一つと考えてよい。


●自己効力感

 自己効力感……わかりやすく言えば、達成感のこと。「ヤッター」「できたあ!」という
思いが、子どもを伸ばす、原動力となる。

 つまり子どもは、まわりの環境に対して、変化を与えることの喜びを感ずる。いいかえ
ると、子どもは、いつも、何らかの形で、周囲に、働きかけようとする。これをW・H・
ホワイトという学者は、『コンピテンス』と呼んだ。わかりやすく言うと、「環境に対する
交渉能力」ということになる。

 この能力をじょうずに育てることが、子どもをやる気のある子どもにするコツ、という
ことになる。

 といっても、むずかしいことではない。

 『求めてきたときが、与えどき』と覚えておくだけでよい。

 たとえば乳児であれば、おっぱいを求めてきたら、すかさず、ていねいに答えてあげる。
さらに大きくなって。何か新しいことができるようになったら、「よくできたわね」とほめ
てあげる。

 こういう環境の側からの反応を見ながら、子どもは、達成感を覚える。この達成感が、
自己効力感となり、その子どもを伸ばす。

 好奇心の旺盛な子どもは、こうして生まれるが、好奇心のあるなしは、子どもの行動を、
少し観察すれば、わかる。

 たとえばそっと、ひとり遊びをさせてみてほしい。そのとき、自分のまわりから、つぎ
つぎと新しい遊びを発見したりしていくようであれば、好奇心の旺盛な子どもということ
になる。そうでない子どもは、遊びも単一化され、固定化される。ひとり遊びをさせると、
「退屈ウ〜」「おうちへ帰ろうウ〜」とか言って、ぐずりだす。

 もちろん過干渉、過関心などによって、親の趣向をおしつけてはいけない。子どもは子
どもであって、あなたとは、別の人格をもった人間である。

 そういう一歩退いた見方が、子どもを伸ばす。


●子育て論と健康論

 子育て論は、どこか健康論に似ている。

 子育てがうまくいっている人には、子育て論は、必要ない。日々の子育てが、自然な形
で、できていく。

 同じように、健康な人に、健康論は、必要ない。日々の健康が、自然な形で、できてい
く。

 子育て論にせよ、健康論にせよ、それが必要になるのは、何か、問題が起きたとき。が、
問題がなければ、必要ない。

 そこで子育て論にせよ、健康論にせよ、どうすれば、必要がなくなるか。実は、それに
ついて話すのが、究極の子育て論であり、健康論ということになる。

 たとえばざっとみても、難解な(私が説くような)子育て論など、まったく知らないよ
うな人でも、実にじょうずに子育てをしている人がいる。

 一方、頭の中に、子育て論がいっぱい入っているはずなのに、子育てで失敗している人
もいる。

 それはたとえて言うなら、健康論に似ている。

日々に、とくに気をつかっているふうでもないのに、健康な人がいる。しかし健康に気
をつかいながら、毎週のように、あちこちの病院に通っている人もいる。

 こうしたちがいは、どこから生まれるか?

 それを知るためには、「原点」にもどればよい。

 野に遊ぶ鳥や動物たちは、だれに教わるわけでもないのに、じょうずに子育てをする。
もちろん健康である。

 同じように人間も、過去数十万年の間、そのほとんどの期間、子育て論も、健康論も、
必要なしに生きてきた。つまり私たちの内部に潜む、「原点」にもどればよい。

 ただ今は、社会や、親や子どもたちを包む環境が、あまりにも複雑になりすぎてしまっ
た。つまりその「複雑になりすぎた」分だけ、子育て論が、複雑になってしまった。しか
し健康論の原点が一つであるように、子育て論の原点も、一つである。

 むずかしいことではない。自然体にもどればよい。親も、子どもも、自然体にもどれば
よい。あるがままの状態の中で、あるがままの子どもを認め、あるがままに子育てをする。
無理をしてはいけない。へたにがんばってはいけない。それこそ、「トビをワシにする」よ
うなことはしてはいけない。

 あとは自然の成りゆきにまかす。

 健康だって、そうだ。不自然な生活をするから、病気になる。本来、体を動かすべきと
きに、動かさないから、病気になる。鍛えるべきときに、鍛えないから、病気になる。す
べきことをしないから、病気になる。あるいは、愚かな人は、タバコを吸ったりして、自
ら病気になっていく。

 このところ、「子育てって、もっと簡単なはずなのに」と思うことが多くなった。いろい
ろな親から、相談を受けるたびに、そう思うようになった。極端な例だが、たとえばある
母親が、「どうすれば、もっと勉強ができるようになるでしょうか?」という相談をしてき
たとする。

 そういうとき私は、ふと、「あきらめて、今の状態で満足しなさい」と言いそうになる。
しかし考えてみれば、これにまさる正論はない。その正論をねじまげようとするから、話
が、おかしくなる。複雑になる。

 私の健康を維持するために、私には、むずかしい医学論など、必要ない。私は今日も、
自分の健康を心のどこかで確認しながら、日課としての運動をこなせばよい。だからよけ
いに、こう思う。

子育て論は、どこか健康論に似ている、と。

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.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 4月 2日(No.381)
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http://bwhayashi.cool.ne.jp/page052.html
【まぐまぐプレミア読者の方へ】
 (毎週月・水・金発行)

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(1)子育てポイント*************************893

●家族の悪口は言わない

 ある母親は娘(小四)に、いつもこう言っていた。

「お父さんは、ただの倉庫番よ。お父さんの給料が少ないから、お母さん、苦労してい
るのよ」と。「お父さんは大学を出てないから、苦労してるのよ。あなたはお父さんのよ
うな苦労をしないでね」と言った母親もいた。

 母親は、自分の子どもを味方にしたり、自分の夢や希望をかなえてもらいため、そう言
っていたのだろうが、そういう言い方をすると、娘は父親の言うことは聞かなくなるばか
りか、それ以上に母親の言うことを聞かなくなる。

仮にそのとき、娘が同情したり、納得するフリを見せたとしても、それはあくまでもフ
リ。夫婦が一枚岩でも子育てがむずかしい時代に、こういう状態で、どうして満足な子
育てができるというのか。

 たとえそうであっても、母親は子どもの前では、父親を立てる。決して封建的なことを
言っているのではない。互いに高めあって、つまり高度な次元で尊敬しあってはじめて、「平
等」が成り立つ。

こういうケースでも、母親は子どもにはこう言う。「お父さんは、私たちのためにがんば
っていてくれるのよ」とか、「お母さんはお父さんの考え方が好きよ。会社でもみんなに
尊敬されているのよ」と。

 同じように、学校の先生についても、悪口を言ってはいけない。子どもが何か、悪口を
言っても、相づちを打ってもいけない。「あなたたちが悪いからでしょ」と言って、はねの
ける。

あなたが学校の先生の悪口を言うと、その言葉はどんな形であれ、(あるいは子どもの態
度をとおして)、先生に伝わる。教育は人間関係で決まる。そういう話が先生に伝わると、
先生は確実にやる気をなくす。そればかりではない。子ども自身が、先生に従わなくな
る。そうなればなったとき、教育は崩壊する。

 親にせよ、先生にせよ、悪口は、それを言えば言うほど、その人を見苦しくする。子育
てについて言えば、マイナスになることはあっても、プラスになることは何もない。

とくに子どもの前では、だれの悪口にせよ、言わないことこそ、賢明。子どもの前では、
その人のよい面だけを見て、それをほめるようにする。そういう姿勢が、他方で子ども
を伸ばす。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子育てのコツ@

 子どもの運動能力は、敏捷(びんしょう)性で決まる。敏捷性があれば、ほぼどのスポ
ーツもできるようになる。反対にその敏捷性がないと、努力の割には、スポーツはうまく
ならない。

で、その敏捷性を育てるには、子どもは、はだしにして育てる。反対に、靴下に分厚い
靴底の靴をはかせて、どうやって敏捷性を育てるというのか。それがわからなければ、
分厚い手袋をはめて、パソコンのキーボードやピアノの鍵盤をたたいてみればよい。

しかもその時期というのは、〇〜二歳までに決まる。ある子ども(男児)は二歳のとき
には、うしろむきにスキップして走ることができた。お母さんに秘訣を聞くと、「うちの
子は雨の日でもはだしで遊んでいます」ということだった。

 子どもの国語力は、母親が決める。もっと正確には、母親の会話能力が決める。将来、
国語が得意な子どもにしたかったら、「ほら、バス、バス、靴は?」という言い方ではなく、
「もうすぐバスがきます。あなたは靴をはいて、外でバスを待ちます」と、正しい言い方
で言い切ってあげる。

こうした日常的な会話が、子どもの国語力の基礎となる。その時期も、やはり〇〜二歳
が重要。この時期、できるだけ赤ちゃん言葉を避け、できるだけ豊かな言葉で話しかけ
る。たとえば夕日を見ても、「きれい、きれい」だけではなく、「すばらしいね。感動的
だね。ロマンチックだね」などと、いろいろな言い方で言いかえてみる、など。

 心のやさしい子どもにしたかったら、心豊かで、穏やかな家庭環境を大切にする。子ど
もは絶対的な安心感(つまり子どもの側からみて、疑いをいだかない安心感)の中で、心
をはぐくむ。

『慈愛は母のひざに始まる』と言ったのはバローだが、全幅の信頼感と、全幅の愛情に
包まれて育った子どもは、話していても、ほっとするようなぬくもりを覚える。心が開
いているから、親切にしてあげたり、やさしくしてあげると、その親切ややさしさが、
そのまま子どもの心にしみこんでいくのがわかる。

あとは会話の中で、だれかを喜ばすことを教えていけばよい。たとえば買い物に行って
も、「これがあるとパパは、きっと喜ぶわね」「これを買ってあげるけど、半分はお姉さ
んに分けてあげようね」と。やさしい子どもというのは、自然な形で、だれかを喜ばす
ことができる子どものことをいう。

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●教育は母のひざに始まり、幼年時代に伝え聞くすべての言葉が、性格を形成する。
(I.バロー)

Education starts in mother's lap and what children hear in those days
will form their character.

17世紀のイギリスの数学者、神学者。


 スキンシップには不思議な力があります。魔法の力と言ってよいかもしれません。子ど
もはお母さんの温かいスキンシップを通して、心をはぐくみます。そればかりではありま
せん。

子どもは疲れた心を、そのスキンシップの中でいやします。もし子どもがグズグズとわ
けのわからないことを言ったり、あるいは情緒不安症状を示したら、子どもを温かく抱
いてみてください。最初は少し抵抗する様子を見せるかもしれませんが、やがて静かに
なります。子どもの呼吸がお母さんの呼吸と一つになった時、子どもの心は安らかに、
落ちつきます。

 よく抱きぐせがつくといけないからという理由で、子どもとのスキンシップを避ける人
がいます。もちろんベタベタのスキンシップはよくありません。依存心の強い子どもにし
たり、それこそ親がいないと何もできない子どもにしたりします。あくまでも子どもの様
子を見ながら、判断します。

 そしてこのバローの言葉です。子どもの「心」は、お母さんの温かいスキンシップによ
ってつくられると思ってください。やさしさ、思いやり、心の温かさ、など。反対にじゅ
うぶんなスキンシップがないまま育てられた子どもは、いろいろ言われていますが、要す
るに心の冷たい子どもになると考えると、わかりやすいでしょう。

性格がゆがんだり、あるいはものごとに無感動、無表情になったりします。そんなわけ
で、子どもの「心」は、お母さんのひざの中でできると思い、温かいスキンシップを大
切にします。
 
私はこの名言を一歩進めて、次のように解釈しています。『心は抱いて語れ』です。こん
な例があります。

 一人、幼稚園で先生が手を焼くほど、いたずら好きの子どもがいました。走っている子
どもの間に自分の足を、すべりこませ、ころばせたり、すべり台の上から砂の入ったバケ
ツを落としたりする、など。友だちにけがをさせることも、しばしばありました。苦情を
受けるたびに、お母さんはその子どもを強く叱りました。しかし効果はありませんでした。
しばらくすると、また新手のいたずらを繰り返していました。

 がある日。お母さんが困り果てて、その子どもをひざに抱きながら、思い悩んでいた時
のことです。その子どもがふと、「お母さん、ごめんね」と言ったというのです。そのお母
さんは、「あれほど強く叱っても、あやまらなかった子どもが、ごめんねと言ったのには驚
きました」と、話してくれました。

 時として親は子どもに、自分の心を語らねばならない時があります。しかし相手は幼児
です。むずかしい話は理解できません。その上、心は言葉では語り尽くせません。そうい
う時は、子どもを抱いて、その心を伝えます。お母さんの心、特に心のやさしさは、その
まま子どもに伝わり、それが子どもの心となります。

(2)今日の特集  **************************

●予算案、衆議院を通過

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以下、時事評論的で、あまりおもしろくないので、興味の
ない方は、とばしてください。すみません。

私の性格としては、こういう文章が得意で、書くのが好き
なのです。

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 04年度の国家予算案が、衆議院を通過した。

 それによると……という話では、よくわからない。
 そこで、わかりやすく説明すると、こういうことになる。

 たとえて言うなら、今の日本の国家経済は、年収が420万円の人が、借金に借金を重
ねて、820万円の生活を維持しているようなもの。(税収42兆円。一般合計82兆円)

 で、そのたまりにたまった借金が、8130万円。(来年度で、810兆円)つまり年収
の、約20倍! 

(実際には、地方財政、公団、公社の借金もある。あの旧国鉄債務だけでも、プラス2
0兆円もある。特殊法人の負債額だけでも、255兆円(00年)。これらを合計すると、
軽く1000兆円を超える。つまり一家にたとえると、1億円以上の借金ということに
なる。ゾーッ。1億円の借金だぞ!)

 老人(年金受給者)をかかえているため、420万円のうち、半額以上が、その老人の
生活費のために使っている。しかたないので、今年も、1620万円(国債発行額は、1
62兆円)の借金。

 年収420万円の人が、その2倍もかかる生活をつづけ、毎年、1620万円も借金を
したら、どうなるか? 少し、家計簿をつけたことのある人なら、わかるはず。それにし
ても、8130万円とは! そんな借金、どうすればいいのだ!

 ……実は、これが日本の現状である。

 が、オヤジも、同居老人も、仕事はしない。かろうじてがんばっているのは、民間会社
に勤める、息子夫婦。少しは貯金もたまったようだ。オヤジも、同居老人も、それをアテ
にして、道楽ざんまいの生活。今年も、庭や、玄関先を美しくするために、お金をかける
ことにした。その額、320万円!

 あああ……という思いで、今日は、「日本の官僚主義」について、考えてみたい。

 念のため申しあげるなら、こうしたムダな生活のツケは、すべて、つぎの世代の子ども
たちが、払うことになる。

わかっていますか? 全国の、お父さん、お母さん!

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 月末のある日の、午後。郵便局で、立ったまま並んで待っていると、五、六人の老人た
ちが、それぞれが、100万円近い、札束を、手づかみで、袋に入れてもって帰る。

 年金受給者たちである。しかもその額からして、みな、元公務員の人たち。ごくありふ
れた光景かもしれないが、この世相のなかで見ると、どこか異様な感じがする。

 現在、現役の公務員(国家公務員と地方公務員)だけで、この日本には、450万人も
いる。が、実際には、これだけではない。

国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公団、
公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。

これらの職員の数だけでも、「日本人のうち7〜8人に一人が、官族」(徳岡孝夫氏)だ
そうだ。が、これですべてではない。

この日本にはさらに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、施
設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、
市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、
1800団体近くもある。

 もうめちゃめちゃな数といってよい。しかも驚いていけないのは、この「数」は、今の
今も、肥大化している。まさに日本が、官僚主義国家といわれるゆえんは、こんなところ
にある。

 以前、こんな原稿を書いた。一部、重複するが、許してほしい。

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●日本は官僚主義国家

 日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。学生時代、私が学んだオースト
ラリアの大学で使うテキストには、「日本は官僚主義国家」となっていた。「君主(天皇)
官僚主義国家」となっているのもあった。

日本は奈良時代の昔から、天皇を頂点にいだく官僚主義国家。その図式は、二一世紀に
なった今も、何も変わっていない。首相も、野党第一党の党首も、みな、元中央官僚。

全国四七の都道府県のうち、二七〜九の府県の知事は、元中央官僚。七〜九の県では副
知事も元中央官僚。七〜九の県では副知事も元中央官僚(〇〇年)。さらに国会議員や大
都市の市長の多くも、元中央官僚(筆者、調査)。

たとえばこの静岡県でも、知事も副知事も、みんな元中央官僚。浜松市の市長も、元中
央官僚。この地域選出の国会議員のほとんども元中央官僚。「長」は、中央から、ありが
たくいただき、その長に仕えるというのが、このあたりでも政治の構図になっている。(だ
からといって、それがまちがっているというのではない。誤解のないように!)

その結果、どうなった? 

 今、浜松市の北では、第二東名の道路工事が、急ピッチで進んでいる。その工事がもっ
とも進んでいるのが、この静岡県。しかも距離は各県の中ではもっとも長い(静岡県は、
太平洋岸に沿って細長い県)。

実に豪華な高速道路で、素人の私が見ただけでもすぐわかるほど、金がかかっている。
現存の東名高速道路とは、格段の差がある。もう少し具体的にデータを見てみよう。

 この第二東名は、バブル経済の最盛期に計画された。そのためか、コストは、一キロあ
たり、236億円。通常の一般高速道(過去五年)の5・1倍のコストがかかっている。
一キロあたり236億円ということは、一メートルあたり2300万円。総工費11兆円。
国の年間税収が約42兆円(04年)程度だから、何とこの道だけで、その四分の一も使
うことになる。

片側三車線の左右、六車線。何もかも豪華づくめの高速道路だが、現存の東名高速道路
にしても、使用量は、減るか、横ばい状態(02年)。つまり今の東名高速道路だけで、
じゅうぶんということ。

国交省高速国道課の官僚たちは、「ムダではない」(読売新聞)と居なおっているそうだ
が、これをムダと言わずして、何という。何でもないよりはあったほうがマシ。それは
わかるが、そんな論理で、こういうぜいたくなものばかり作っていて、どうする?

静岡県のI知事は、高速道路の工事凍結が検討されたとき(02年)、イの一番に東京へ
でかけ、先頭に立って凍結反対論をぶちあげていたが、そうでもしなければ、自分の立
場がないからだ。

 みなさん、もう少し、冷静になろう! 自分の利益や立場ではなく、日本全体のことを
考えよう。私とて、こうしてI知事を批判すれば、県や市関係の仕事が回ってこなくなる。
損になることはあっても、得になることは何もない。またこうして批判したからといって、
一円の利益にもならない。

 あの浜松市の駅前に立つ、Aタワーにしても、総工費が2000億円とも3000億円
とも言われている。複雑な経理のカラクリがあるので、いったいいくらの税金が使われた
のか、また使われなかったのか、一般庶民には、知る由もない。

が、できあがってみると、市民がかろうじて使うのは、地下の大中の二つのホールだけ。
あの程度のホールなら、400億円でじゅうぶんと教えてくれた建築家がいた。事実、
同じころ、東京の国立劇場は、その400億円で新築されている。豪華で問題になった、
東京都庁ビルは、たったの1700億円!

浜松市は、「黒字になった」と、さかんに宣伝しているが、土地代、建設費、人件費のほ
とんどをゼロで計算しているから、話にならない。が、それでムダな工事が終わるわけ
ではない。その上、今度は、静岡空港!

 これから先、人口がどんどん減少する中、いわゆる「箱物」ばかりをつくっていたら、
その維持費と人件費だけで、日本は破産してしまう。このままいけば、2100年には、
日本の人口は、今の三分の一から四分の一の、3000〜4000万人になるという。

日本中の労働者すべてが、公務員、もしくは準公務員になっても、まだ数が足りない。
よく政府は、「日本の公務員の数は、欧米と比べても、それほど多くない」と言う。が、
これはウソ。まったくのウソ!

国家公務員と地方公務員の数だけをみれば確かにそうだが、日本にはこのほか、公団、
公社、政府系金融機関、電気ガスなどの独占的営利事業団体がある。これらの職員の数
だけでも、「日本人のうち7〜8人に1人が、官族」(徳岡孝夫氏)だそうだ。が、これ
ですべてではない。

この日本にはほかに、公務員のいわゆる天下り先機関として機能する、協会、組合、施
設、社団、財団、センター、研究所、下請け機関がある。この組織は全国の津々浦々、
市町村の「村」レベルまで完成している。あの旧文部省だけでも、こうした外郭団体が、
1800団体近くもある。

 ちなみに、今の今、公務員(国家、地方公務員)だけでも、450万人もいる! 45
0万人だぞ!

 今、公務員の人も、準公務員の人も、私のこうした意見に怒るのではなく、少しだけ冷
静に考えてみてほしい。「自分だけは違う」とか、「私一人くらい」とあなたは考えている
かもしれないが、そういう考えが、積もりに積もって、日本の社会をがんじがらめにし、
硬直化させ、そして日本の未来を暗くしている。

この大恐慌下で、今、なぜあなたたちだけが、安穏な生活ができるか、それを少しだけ
考えてみてほしい。もちろんあなたという個人に責任があるわけではない。責任を追及
しているのでもない。

が、日本がかかえる借金は、1000兆円を超えた。国家税収がここにも書いたように、
たったの42兆円(04年)。国家税収の25倍以上! あなたたちの優雅な生活は、そ
の借金の上に成り立っている! 

 元公務員の人たちも、そうだ。毎年、「年金の支払いなどのため、一般会計の半額以上が、
特別会計(借金)に組み入れられている」(読売新聞)という事実を、あなたがたは、いっ
たい、どう考えているのか。わかりやすく言えば、あなたがたが手にする、月額30万円
前後の年金の半額以上は、国が借金に借金を重ねて、払っているということ。

 こういう私の意見に対して、メールで、こう反論してきた人がいた。「公共事業の70%
は、人件費だ。だから公共事業はムダではない」と。

 どうしてこういうオメデタイ人がいるのか。やらなくてもよいような公共事業を一方で
やり、そのために労働者を雇っておきながら、逆に、「70%は人件費だから、ムダではな
い」と。

これはたとえていうなら、毎日5回、自分の子どもに、やらなくてもよいような庭掃除
をさせ、そのつどアルバイト料を払うようなものだ。しかも借金までして! それとも
あなたは、こう言うとでもいうのだろうか。「アルバイト料の70%は、人件費だ。だか
らムダではない!」と。

 日本が真の民主主義国家になるのは、いつのことやら? 尾崎豊の言葉を借りるなら、
「しくまれた自由」(「卒業」)の中で、それを自由と錯覚しているだけ? 政府の愚民化政
策の中で、それなりにバカなことをしている自由はいくらでもある。またバカなことをし
ている間は、一応の自由は保障される。

巨人軍のM選手が、都内を凱旋(がいせん)パレードし、それに拍手喝さいするような
自由はある。人間国宝の歌舞伎役者が、若い女性と恋愛し、チンチンをフォーカスされ
ても、平気でいられるような自由はある(02年)。しかし日本の自由は、そこまで。そ
の程度。しかしそんなのは、真の自由とは言わない。絶対に言わない。

 少し頭が熱くなってきたから、この話は、ここでやめる。しかし日本が真の民主主義国
家になるためには、結局は、私たち一人ひとりが、その意識にめざめるしかない。そして
それぞれの地域から、まずできることから改革を始める。政治家がするのではない。役人
がするのではない。私たち一人ひとりが、始める。道は遠いが、それしかない。

●官僚政治に、もっと鋭い批判の目を向けよう!
●ムダなことにお金を使わず、子どもの養育費、学費の負担を、もっと軽くしよう!

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●公務員志望が、ナンバーワン

 02年度の冬のボーナスの結果が、出た。それによると、民間企業は、昨年度より、全
体に4〜5%の下落。しかしこの大恐慌下にあっても、公務員のボーナスだけは、反対に
ふえつづけている。全体に3〜4%の増加!

 数年前、財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが東京、ソウル、ニューヨー
ク、パリの中学二年生と高校二年生、計約3700人を対象に実施。その結果、希望する
職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは弁護士、
韓国は医師や先端技術者が多かった。

人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が61・5%と最も多く、米国は「地位
と名誉」(40・6%)、フランスは「円満な家庭」(32・4%)ということがわかった(〇
〇年七月)。

 それぞれの公務員の人に、責任があるわけではない。またそういう人の、責任を追及し
ているわけでもない。ただしかし、このままでよいかということ。こうまで日本で、公務
員や準公務員がふえ、またこうまでこうした人たちが優遇されると、日本の社会そのもの
が、活力をなくしてしまう。もちろん経済力も落ちる。そのことは、旧ソ連を見ればわか
る。今の北朝鮮をみればわかる。

元公務員の人たちも、そうだ。毎年、「年金の支払いなどのため、一般会計の半額以上が、
特別会計(借金)に組み入れられている」(読売新聞)という事実を、あなたがたは、い
ったい、どう考えているのか。わかりやすく言えば、あなたがたが手にする、月額30
万円前後の年金の半額以上は、国が借金に借金を重ねて、払っているということ。
 
お金は天から降ってくるものではない。地からわいてくるものでもない。しかしこの日
本では、そんなわかりきったことすら、わからなくなってきている? H市の市役所に
勤めるE氏(四五歳)は、はからずもこう言った。「デフレになったおかげで、私ら、生
活が楽になりました」と。

●知事も市長も、国会議員も、元官僚

 本来なら、政治によって、日本の流れを変えなければならないが、その政治そのものが、
官僚の思うがままに、動かされている。

総理大臣以下、野党の党首すら、元中央官僚。全国四七の都道府県のうち、27〜9の
府県の知事は、元中央官僚。7〜9の県では副知事も元中央官僚。7〜9の県では副知
事も元中央官僚(〇〇年)。さらに国会議員や大都市の市長の多くも、元中央官僚。明治
の昔から、全国の津々浦々まで、官僚が日本を支配するという構図そのものが、すでに
できあがっている。こういう国で、構造改革、つまり官僚体制の是正を期待するほうが、
おかしい。

その結果、国の借金だけでも813兆円(国の税収は42兆円)(04年)。そのほか、
特殊法人の負債額だけでも255兆円(〇〇年)。「日本は新しいタイプの社会主義国家」
と言う学者もいる。が、だ。さらに驚くべきことは、こういう日本にあっても、公務員
や準公務員、さらに官僚体制にぶらさがる団体の職員数は、減るどころか、今の今も肥
大し続けている!

●日本はこれでよいのか?

 この国がこれから先、どうなるか、そんな程度のことなら、中学生や高校生でもわかる。
日本は、やがて行きつくところまで、行く。が、こうなってしまったのは、結局は、日本
人が、そのつど、「考える」ということを放棄してしまったからではないのか。その責任は、
政府にあるのではない。官僚にあるのでもない。私たち自身にある。

もう一五年も前になるだろうか。明日は国政選挙の日というとき、一人の子ども(小五
男児)が、こう言った。「明日は、浜名湖で、パパとウィンドサーフィンをする」と。私
が「お父さんは、選挙には行かないのか?」と聞くと、「あんなの行かないって、言って
いる」と。こういう無関心が、積もりに積もって、今の日本をつくった。

 選挙のたびに、低投票率が問題になるが、その低投票率をもっとも喜んでいるのは、皮
肉なことに、官僚たちではないのか。国民の政治意識が薄くなればなるほど、好き勝手な
ことができる。

 また私のようなものが、こんなことを訴えても、何にもならない。彼らにしてみれば、
その立場にない私の意見など、腹から出るガスのようなものだ。その立場にある人でも、
この日本では、反官僚主義をかかげたら、それだけで、排斥されてしまう。仕事すら回っ
てこない。

あるいはこれだけ公務員や準公務員が多くなると、あなたの家族の中にも、一人や二人
は、必ずそういう人がいる。あるいはあなた自身がそうかもしれない。そういう現実が
あるから、内心ではおかしいと思っていても、だれも反旗をひるがえすことができない。
へたに騒げば、自分で自分のクビをしめることになる。

 公務員が、人気業種ナンバーワンというのは、そういう意味でも、実に悲しむべき、現
象と考えてよい。あなたもこの問題を、一度、じっくりと考えてみてほしい。

【追記】

すこし前、K県A高校の校長が、「フリーター撲滅論」を唱えた。「フリーターというのは、
まともな仕事ではない」と。「撲滅」というのは、「たたきつぶす」という意味である。私
はこの言葉に、猛烈に反発した。

その校長が言うところの、「まともな仕事」というのは、どういう仕事のことを言うのか。
仕事にまともな仕事も、まともでない仕事も、ない。

私は幼稚園講師になったとき、さんざんこの言葉を浴びせかけられた。母にも言われた。
叔父にも言われた。高校時代の担任にも言われた。その言葉で、私はどれほど自信をな
くし、キズついたことか。具体的には、30歳をすぎるまで、自分の職業を隠した。

しかし社会的なきびしさという点では、自分で選んだ道とはいえ、その校長とは、比較
にならない。そういうきびしさが、日本を下から支えているのだ。決して、こういう校
長が、日本を下から支えているのではない。それがわからなければ、一度でよいから、
この大不況下で、職業安定所を出入りする元サラリーマンの気持ちになって考えてみる
ことだ。

それともリストラにあった人は、「まともな人間ではない」とでも、言うのだろうか?


++++++++++++++++++++++

●公務員国家

 子どもをリーダーにするために……と書いて、ハタと困ってしまった。親たちがそれを
望んでいないケースも多い。いろいろな調査結果をみても、最近の親たちは、「子どもたち
に就(つ)いてほしい仕事」として、「公務員」を選んでいるのがわかる。理由は、「安定」
と「楽」。

 しかし「教育」というのは、「個人」の立場と、「全体」の立場の二つで考えなければな
らない。全体というのは、現時点では、「国」ということになる。国の未来を考えるなら、
「競争」と「きびしさ」がないと発展しない。つまり今までの日本がここまで発展できた
のは、その競争ときびしさがあったからである。またこれから先、日本の未来が暗いのは、
その競争ときびしさが、どこかへ消えてしまったからである。

たとえば今、アジアの経済拠点は、シンガポールに移ってしまった。2015年を境に、
日本と中国の立場は逆転するだろうと言われている。今の今、かろうじて日本が今の日
本の立場を守ることができるのは、日本全体が、いわば世界のサラ金的な役割をしてい
るからにほかならない。

 そういう世界情勢も一方でにらみながら、教育を考えなければならない。もっとはっき
り言えば、仮にこれ以上、(すでに限界を超えて肥大化しているが……)、公務員がふえて、
そういう人たちが、権利の王国に安住するようになったら、日本は、おしまいということ。

国家公務員、地方公務員の数だけで、450万人前後と言われている。が、それだけで
はない。電気ガス事業団体、公団、公社、さらにはこうした人たちの天下り先機関まで
含めると、日本人の労働者のうち、7〜8人に一人が、公務員もしくは、準公務員と言
われている。

 それぞれの人には、もちろん責任はない。しかし公務員というのは、本来的にリーダー
シップをもちにくい職種の人たちである。それはわかる。また組織上、そういうリーダー
シップをもてばもつほど、集団からは敬遠されるしくみになっている?

 こうした現状を打破するには、二つの方法がある。一つは、思い切って公務員の数を減
らす。もう一つは、公務員の世界にも、競争ときびしさの原理を導入する。あるいは二つ
を、同時進行させる。

公務員になったから、死ぬまで安泰という制度のほうが、おかしい。少なくとも、日本
を取り巻く世界の国々は、そういう常識では動いていない。
(040306)(はやし浩司 公務員 準公務員 原S)

【後記】

 こういう意見を述べると、「林は、共産党員か」と言う人もいる。しかし私はここで、は
っきりと明言しておく。

 私は、共産党員でも、何でもない。「おかしいことは、おかしい」と言う、ただの常識人
である。

 それに私が信奉するのは、共産主義ではない。民主主義である。むしろ今の日本の社会
は、「新しいタイプの社会主義国家」と評する学者がいる。これだけ公務員社会が肥大化し
てくると、それもまちがっていない。私は、その「新しいタイプの社会主義国家」にすら、
反対しているのである。

 どうか、誤解のないように。

 それに同じ公務員でも、学校の先生たちは、まったく別。忙しさという点だけでも、一
般公務員とは、比較にならない。

今、全国の自治体では、教員だけは、約20%アップの給料体系をとっている。しかし
それでも、足りないのではないのかというのが、私の実感である。

++++++++++++++++++++++++

もう一つ、ショッキングな事実を、掲載しておきます。

(次号へ、つづく……)

(3)心を考える  **************************

●ふと、昔のことを……

だれかが、記憶の向こうで、私の名前を呼んだ。
「声」というのは、おもしろいものだ。
いくら記憶でも、その人の声とわかる。
それだけ、しっかりと脳に、きざまれているためか。

「浩司!」「浩司!」と。
姉か。私の名前を呼んだのは、姉か。

私は、子どものときから、暖かい家庭に、飢えていた。
父がそこにいて、母がそこにいて、家族がそこにいて、
みんなが、笑って、コタツにでも入って、どこか楽しそうに、
話しあう、そんな暖かい家庭に、飢えていた。

しかし私の家には、私の居場所すら、なかった。
一応、私の部屋は、あてがわれていたが、二方を大通りに面した、
冬は、寒く、夏は、暑い、そんな部屋だった。
落ちつかなかった。何をしても、落ちつかなかった。

それでも、当時としては、まだよいほうだったのかもしれない。
南隣のOさんの家は、六畳二間と、土間しかなかった。
そんな家に、両親と、三人の子どもが住んでいた。

道をはさんだ、Iさんの家は、六畳ていどの小さな店と、
その奥に一間しかないような家だった。
そんな家に、祖父と、両親と、一人息子の四人が住んでいた。

だから私たちは、みんな、真っ暗になるまで、近くの寺や、
道路で遊んだ。公園や、山の中で遊んだ。毎日が、そうだった。

缶けり、ぞうり隠し、ゴム跳び、鬼ごっこ、隠れんぼ、
パンコ、コマ回し、人生ゲーム、ワンバウンドテニス、
紙鉄砲、模型作り、野球版ゲーム、ワンバウンド野球などなど。

親は親で、私たちのことなど、かまっていなかった。
喧嘩をしてケガをしようが、またケガをさせようが、
そんなことは、すべて、私たち、子どもの問題だった。

小遣いは、一日、五円がよいところ。五〇銭というコインも、
まだ使われていた。たしか画用紙が一枚、その五〇銭だった。
私は五〇銭をもらうと、その画用紙を買い、絵を描いたり、
そのあと、今度は、切ったりつないだりして、何かを作って遊んだ。

しかし私の心は、いつも、モヤがかかったように、ふさいでいた。
夕方になると、ほとんど毎日、言いようのない不安感に襲われた。
そう、その夕方になると、父が、近くの酒屋で、酒を飲んだ。
私は、それがいやだった。いやで、いやで、たまらなかった。

ふだんは、つまり酒を飲んでいない父は、静かで、ひょうきんな父だった。
しかし、ひとたびアルコールが、入ると、人が変わった。
本当に変った。顔つきも、様子も、歩き方も、そしてしゃべり方も、
すべて変った。変って、怒鳴ったり、家の中のものを、こわしたりした。

いつかその父の顔が、夏の日の夕日を浴びて、真っ赤だったのを覚えている。
酒を飲んだ顔だったかもしれない。だから私はいつごろからか、
夕日が、こわくなった。あの赤い夕日を見ると、今でも、
あのときの父の顔と重なり、背筋がこおる。体がちぢむ。

とっくに忘れてよいはずなのに、どうして今になって、
あのころの私が、これほどまでに鮮明に思い出されるのか。
どうしてこの年齢になっても、夕日が、嫌いなのか。こわいのか。

今日も、小学一年生の生徒たちの顔を見ながら、私は、
自分のその時代を思い浮かべていた。そして「この子たちは、
私のあの時代の中に生きているのだな」と思った。
が、その瞬間、そこに遠い、遠い、時の流れを感じた。

「君たちは、家に帰るのが楽しいか?」と聞くと、みな、
「うん、そうだよ」と笑った。屈託なく、笑った。
「お父さんと、お母さんは、仲がいいか?」と聞くと、みな、
「ラブラブだよ」「仲がいいよ」と、笑った。

目の前にいるこの私は、いまだに重い過去をひきずっているというのに、
この明るさは、いったいどこからくるのか。
「今の子どもたちは、いいなあ」と思ってみたり、その一方で、
「私の子ども時代は、いったい、何だったのかなあ」と思ってみたりする。

時代が、時代だったのか?
私たちは、いつも、おなかをすかしていた。
食べるものはあったが、どれも、私の空腹感を満たさなかった。
大根の煮付けや、ひじき、イモ、豆腐……。そんなものばかりだった。

おかしなことだが、私は、学校の給食が、大好きだった。
学校では、ミルクを飲めた。スープも飲めた。
パンや大学イモを食べることができた。
これらは、家では、絶対に食べることができないものばかりだった。

私にとっては、あの時代が、すべてが暗いトンネルの、
その向こうの世界のように見える。
しかし今、この青い空の下に、そのころの私が、ここにいる。
だからもう一度、小学一年生たちに聞いてみる。

「君たちは、いつか、先生のような、おじいさんになるのかな?」と。
すると、先ほどよりも、さらに大きな声で笑いながら、こう言った。
「ぼくたちは、おじいさんには、ならないよ」と。

子どもたちにしてみれば、彼らの老後など、遠くの、遠くの、
そのまた遠くの、暗闇の中の世界なのだ。
トンネルのこちら側と、むこう側に立って、
私と、子どもたちが、たがいに顔を合わせながら、笑っている。

「先生が子どものころはね、どこの家も、
ボットン便所だったんだよ」と言うと、「何、それ?」と。
「先生が子どものころはね、みんなね、
ゴム靴だったんだよ」と言うと、「何、それ?」と。

で、さらに、「みんなは、いいなあ。やさしいパパと、ママがいるから……」と、
声をかけると、「ううん。ママは鬼ママだよ」と。一人がそう言うと、
みながこれまたつられて笑った。「うちのママも、鬼ママだよ」と。

年をとればとるほど、そのトンネルは長くなる。どんどん長くなる。
今、そのトンネルの向こう側を、懸命にのぞきながら、
私の子ども時代を、今の子どもたちを見ながら、さぐる。

また、だれかが私の名前を呼んだ。
「浩司!」「浩司!」と。
今度も聞き覚えのある声だった。顔も見える。
祖父だ。茶色い着物を着た、祖父だ。

(4)今を考える  **************************

●受験シーズン

 今日は、国公立大学前期の合格発表の日(3月6日)。午後12時。ラジオのニュースは、
そのことばかり。

 「S県の、K県立大学では、合格に喜ぶ受験生たちが、たがいに胴上げをして祝ってい
ます」と。

 ついでレポーターが、合格した受験生にマイクを向けたらしい。

レポーター「だれに、報告しましたか?」
合格した受験生「両親に、電話をしました。それと、部活の顧問の先生です」
レ「喜んでくれましたか?」
受「みんな喜んでくれました。電話をしている間に、涙が出てきました」と。

 私は、そのニュースを聞きながら、K君のことを、心配した。東北にあるT国立大学を
受験したはずである。

私「K君は、どうだったのだろう?」
ワイフ「合格したかしら?」
私「あの大学は、むずかしいから……」と。

 K君は、幼稚園の年中児のときから、私の教室へ来てくれた。そしてつい数か月前の、
昨年の11月まで、通ってくれた。

 途中、父親が胃がんで倒れ、そのまま他界。それから5、6年。父親がわりとは言わな
いが、私は、その何百分の一かの思いをもって、週一回の家庭教師をつづけてきた。

 月謝は、14年前の月謝の半額。率直に言えば、1万円だった。

 本当は、ただでもよかったが、そうすれば、かえってK君やK君の母親が、負担に感じ
てしまう。だから1万円だけ、もらった。学生のアルバイトでも、3〜5万円が相場であ
る。医学部の学生だと、7〜10万円が相場である。

ワ「K君は、心のやさしい子だったわね」
私「そう、ああいう子どもが成功しないようでは、この世はおしまいだよ」
ワ「本当に、そうね」と。

 が、その日、数時間待ったが、K君からは、何も連絡はなかった。何度も、留守番電話
をのぞいてみたが、伝言も入っていなかった。

 そんなとき、書斎にいると、ワイフから、「○○町のAさんから、電話!」と。

 電話口に出ると、Aさん(A子さんの母親)が、興奮したおももちで、「先生、うちの娘
が、AA大学に合格しましたア!」と。

 Aさんというは、やはり幼稚園の年中児のときから、中学三年生まで教えた生徒である。
頭の中で、Aさんのことを懸命に思い出しながら、「よかったですね」と。喜んでみせるも
のの、どこか気分が晴れない。

 私は、もともとそんな器用な人間ではない。一応、その場をとりつくろうのはうまいが、
しかし心の中身まで、変えることはできない。やはりK君のことが気になる。

 夕方になって、青い空が色を失い始めたころ、昼のニュースを思い出していた。そして、
ふと、こう思った。

 「あのラジオの受験生は、部活の顧問の先生に報告したという。そしてその顧問の先生
は、その子どもの合格発表を、喜んだという。しかしそれは本当だろうか」と。

 とくに思い入れの深かった子どもは別として、10人の受験生のうち、5人が合格して、
5人が不合格だったら、その先生は、どんな気分になるのだろうか。先生にもよるのだろ
うが、私のばあい、不合格になった子どものほうが、合格した子どもよりも、何倍も、気
になる。

 合格した子どもと、不合格になった子どもが、半々のときは、喜びと落胆が半々になる
というわけではない。いや、そういうことはありえない。9人合格しても、1人不合格に
なれば、喜びは、帳消しになる。

 合格した子どもの電話を受け取って、喜んでみせる。が、その直後、今度は、不合格に
なった子どもの電話を受け取って、悲しんでみせる。そんな器用なこと、できるのだろう
か。

 夜になっても、K君からは電話がなかった。私もワイフも、そのことについては話さな
かった。どこか気分がふさいだままだった。

 そんな私から、みなさんへ、一言。

 私のような仕事をしているものが、本当にうれしいのは、子どもの合格ではない。本当
にうれしいのは、不合格になった子どもが、電話をしてきて、「先生、だめでした」と言っ
てくれること。

 不合格になったのがうれしいのではない。不合格になっても、それを乗りこえて、「がん
ばります」と言ってくれるのが、うれしい。

 私の幼児クラスの生徒たちも、毎年一月に、地元のS小学校の入学試験を受ける。私自
身は、入試の結果については、いっさい、関知しないようにしている。が、それでも、合
否の情報は、否応なしに、耳に入ってくる。

 私がいくら、「BW(=私の教室)は、受験塾ではありません」と言っても、その段階で、
教室を去っていく人は、何割かいる。合格したので、去っていく人。不合格だったので、
去っていく人。しかしそういう人の中で、不合格になっても、来てくれる人がいる。

 私は、そういう生徒をみると、本当にうれしい。どういうわけか、うれしい。私の指導
方針を本当に理解してくれる人というのは、そういう人をいう。だから、うれしい。

 そういうとき、私は、心の中で、こう叫ぶ。「あなたが来るというなら、いつまでも、ど
んなことがあっても、教えてあげるからね」と。

 K君も、そういう子どもだった。みんなが受験塾へ移るときも、彼だけは、残ってくれ
た。またK君は、高校入試では、地元でもナンバーワンと言われているS高校の受験にも
失敗している。それでも来てくれた。

 だから私は、最後の最後まで教えた。たった一人の生徒だったが、教えた。それが私の
やり方だった。

 夜、九時になった。電話はなかった。

 だから、私から、電話をしてみることにした。私のほうから、こういうことで電話する
のは、この10年で、はじめてのことだった。

 最初、電話には、K君の母親が出た。

母「大学は、東北大学をやめて、東工大にしました。で、結果発表は、10日なんです。
今のところ、慶応と、東京理科の両方に受かっています」と。

 つぎにK君が出た。

私「センター(試験)では、何点取ったのか?」
K「900点満点中、748点、取れました」
私「エーッ、すごいじゃないか。よくがんばったね」
K「うん」と。

 センター試験で、700点取れば、国公立大学の医学部にさえ進学できる。K君は、7
48点だという。

私「東工大は、心配ないね」
K「うん」と。

 よほど自信があるのか、声は明るかった。

 私は、ほっとした。うれしかった。本当に、うれしかった。何と言っても、私が14年
間、教えた子どもである。それも最後まで私の教室に残ってくれた。

 私はいつもそのK君を教えながら、「高校生を教えるのは、K君が最後だ」と、心に言い
聞かせていた。そう、K君が、その最後の生徒になった。これで私は、高校生の指導から、
心置きなく、引退できる。

 3月6日。今日は、国公立大学入試の合格発表の日。今、時刻は、9時20分になった
ところ。やっと、心の霧が晴れた。
(040306)(はやし浩司 最後の高校生 久保田君 大学入試 原E)

【高校生を教えるとき】 

 K君は、私にとって、最後の高校生になった。

 その高校生を教えるときの、最大のコツは、「教えないこと」。
 本人のやりたいように、やらせ、あとは、暖かく無視すること。もちろん質問をしてき
たときは、別である。そのときは、教える。しかし、暖かく無視するのが、一番、よい。
理由がある。

 週1回、2時間程度、家庭教師をしたくらいでは、絶対に、成績は、伸びない。大切な
のは、教えることではなく、勉強グセをつけること。

 よく予備校のコマーシャルか何かで、講師が、ガンガンと、がなって指導している風景
が紹介される。

 しかし高校生のばあい、そういう指導で、効果があるのは、それなりのレベルの学生と
考えてよい。K君のように、トップクラスをねらうときは、大切なのは、「勉強グセ」。教
える側は、ただ静かに、それを見守る。

 あとは、方向性だけは、つけてあげる。参考書の選び方や、勉強方法など。そう、教え
るのは、「方法」であって、「中身」ではない。

 本人は、そういう教え方を、不安に思ったりするかもしれない。そういうときは、受験
指導ではなく、今度は、人間的な指導をする。人生論や、哲学や心理学の話をする。それ
をするから、「指導」という。

 要するに、安心感を与えるということか。K君も、勉強というよりは、どこか息抜きに
きていたようなところがある。とくに高校三年生になってからは、そうだった。

 年末に近づいたとき、私は、K君に、こう言った。

 「もう、時間がもったいないと思ったら、来なくていいよ。自分で判断するんだよ」と。

 しかしK君は、最後まで来てくれた。そしてこれはあとからK君のお母さんから聞いた
話だが、K君は、「毎晩、かわいそうなくらい勉強しました」とのこと。つまり自分でそう
するように、子どもを誘導していく。

 が、実際、高校生を教えるのは、決して、楽ではない。まさに体力と知力の勝負。この
ところ、その限界を強く感ずる。だから、私は、K君を最後に、高校生の指導からは、手
を引くことにした。

 もしみなさんの中で、家庭教師にせよ、何であるにせよ、高校生を指導することがあっ
たら、ここに書いたことを、思い出してみてほしい。きっと、役にたつと思う。

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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