はやし浩司(ひろし)

2004・8
はやし浩司
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2004年 8月号
 はやし浩司



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8月25日・増刊号


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.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒     臨時・お礼号!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // 
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 25日(臨時お礼号)
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【読者のみなさんへ】

 静岡県のホームページ・コンテストへの、応援、メッセージ、ありがとうございました。
こんなにたくさんの方に協力していただけるとは、思っていませんでした。ありがとうご
ざいました。

 お礼のつもりで、臨時増刊号をお届けします。みなさんの子育ての場で、お役にたてれ
ば、うれしいです。

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●涙が出るほど、すばらしい子ども?

 A君(小2)が、歩きながら、私の目の前で、プーッと、おならを出した。

 聞きまちがいかと思った。が、「出したか?」と聞くと、「うん」と。

私「お前なア、人の前で、そういうもの、出しちゃ、いけないよ」
A「いいんだよ、先生の前では!」
私「先生だから、だめだなんだよ」
A「ハハハ」と。

 こういう行為を許せというのではない。しかし心が開放されている子どもは、平気で、
そういうことをする。つまり私に対して、それだけ心を許しているということになる。

 が、一度では、すまなかった。

 低いテーブルの前にすわって、パズルを解いていると、またA君がやってきて、30〜
40センチという至近距離で、音もなく、プスーッと。至近距離である。臭い!

私「バカヤロー。何てこと、するんだ! 臭いだろがア!」
A「おなら攻撃だ!」
私「それにしても、臭いなあ! トイレへ行ってこい!」と。

 つかまえて、こらしめてやろうと思ったが、もうそのときは、A君は、テーブルの反対
側に逃げたあとだった。

私「それにしても、臭いよ」
A「パパのは、もっと、臭いよ」
私「じゃあ、ママのはどうだ?」と。

 その質問をして、「しまった」と、思った。A君のお母さんは、女優のように美しい人だ
った。いつも穏やかな笑みを浮かべ、理知的な話し方する。結婚する前は、東京で、デザ
イナーの仕事をしていたという。

 すると、A君は、「ママは、しない」「ママのは、臭くない」と。

 それを聞いて、ほっとした。が、そのときA君のお母さんが、2歳になったばかりの妹
を連れて、教室へ入ってきた。

私、A君に向って、「おい、お前のしたこと、ママに話すぞ。いいかア?」
A「何もしてないよ」
私「いいのか、話してもオ?」
A「話したければ、話しな」と。

 そこで私は、A君のお母さんに、自分の鼻をつまみながら、こう言った。

 「お母さん、A君は、涙が出るほど、すばらしい子ですね。ホント!」と。

 それを聞いて、A君のお母さんは、事情を察して、笑った。A君も笑った。私も笑った。
まわりにいた子どもたちも、みんな、笑った。

 臭い話で、すみません。

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●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考
える前に、それについて、書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●子どもの意地

 こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚
園へ行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。

そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。し
かし幼稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもな
がらに、それはずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、
幼稚園にいることになった。またこんな子ども(年長男児)もいた。

 レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さん
が、「お兄ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。
そこで母親はもう一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザ
を食べたという。

「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。
 
今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなっ
た。心理学の世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SEL
Fとかいう。少し昔の日本人は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使う
が、どこか暴力的で、私は好きではないが……。)

教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリと
している。ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。

 ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がき
かなくなることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、
がんこ。また「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方
法で対処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)
を大切にする。

++++++++++++++++++

 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことに
こだわり、そこから一歩も、抜け出られなくなる。

 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常
なこだわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。

 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先
生に、一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、な
ど。

 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(が
んこさ)を示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わが
まま」と決めてかかって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめ
る。症状をこじらせる。

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、
臨機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔
軟な子どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」という
が……。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここ
でいう人格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた
子どもとみる。
(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)
(040824)

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●ホームページ・コンテスト

 この原稿が、マガジンに掲載されるころは、すでに、結果が出ていると思う。入賞すれ
ば、賞品は、N社の最新型ノートパソコンとか……!

 今年で3年目になる。しかし私のホームページは、多分、いつも、番外。審査の対象に
もならない……らしい。私も、まったく、期待していない。

 中身を審査するコンテストというよりは、どこか別の視点から、審査するコンテストの
ようだ。……となると、プロが入った作品が、有利に決まっている。さらに初年度は、読
者の投票によって、優劣が決まった。

 こうなると、インチキのし放題(?)。自分で、何10〜100票も、票を入れる人が続
出。「?」と思われるような作品が、一日で、何10票も、票をふやしたりした。

 で、今年も、応募した。2年前からのつづきで、自動的に応募した形になったが、とも
かくも応募した。

 が、締め切りまぢかになって、驚いた。見ると、私のホームページが、22、3票も獲
得しているではないか! 2300近いサイトの中でも、上位、18、9番だそうだ。

 とたん、ムラムラとやる気が出てきた。「こうなれば、みんなにお願いして、10位以内
に、入ってやる!」と。

 まず、息子たちに、それぞれ、1票を入れるように、頼んだ。つぎに、友人、数人に、
1票を入れるように頼んだ。そして1600人近くいる、私のマガジンの読者のみなさん
に、頼んだ。

 で、今日(8・22)までのところ、30票を獲得。上位9位に入った!

 しかしたった30票で、9位とは!

 そういうものである。

 インターネットの世界というのは、意外に、クール(?)。無数の情報が、怒涛(どとう)
のように行きかっていることもあって、情報の価値は、空を舞うチリのように軽い。その
分、人間関係も、希薄(?)。

 だからといって、読者の方を、責めているのではない。私自身もそうだし、もともとイ
ンターネットの世界というのは、そういうものである。

 が、今回、協力してくれた人が、2人もいた! おかげで上位9位に入った(8月23
日)。

 あとは、審査の結果を待つだけだが、今年も、たぶん、だめだろうと思う。せっかく協
力してくれた人には悪いが、私のホームページは、そもそもこうした(お祭り)には、向
かない。自分でも、それがよくわかっている。

 しかし、あのノートパソコン、ほしいなあ。ホント!


●ホームページ・コンテストへの応援メッセージより

 静岡県が主催する、ホームページ・コンテストへの投票をお願いしたら、多くの方から、
寄せ書きをいただきました(8月24日)。

 2300もある登録サイトの中で、一気に、ランキングが、15票(20位前後)から、
35票(8位)にまで上昇! さらに今日(8・24)、何と、46票になりました。

 ありがとうございました。

 みなさんがお書きくださったメッセージは、そのまま事務局のほうから、転送されてき
ます。

 そのまま、それらの中のいくつかを、紹介させていただきます。(無断で、転載しますが、
問題はないと思われますので、よろしくお許しください。)

+++++++++++++++

☆このホームページは育児にとても役立つと思います。これからも、ずっと購読していき
たいです。


☆鋭い、建前論でなく、本音での話しがいい。


☆ 子供達は、これからの日本を築いていく宝物です。
けれども子育ては難しく、手本はありません。皆それぞれ真剣に悩みながら、りっぱな社
会人に育てようと努力しています。そんな親達に、ご自身の経験をまじえながらユーモラ
スに励まし、指針を与えてくれるのがこのサイトです。

このサイトのお陰で、いったい何人の親達が、本当の愛情に気がつき、救われたか知れな
いと思います。このサイトで、幸せな子供、幸せな家庭が増えているのです。こういうサ
イトこそ、グランプリに相応しいと考えます。


☆現在娘が3歳で、妊娠中よりサイトや、
メールマガジンを読ませてもらってます。
失礼ながら、時間があるときにまとめて読ませて
もらったりしますが、時間と体力が続く限り、
気長に頑張ってください。中でも教室での話や
(通えないのでもっと知りたいです)
日常の話なども好きです。
メッセージは初めてですが、いつも応援して
おります。


☆ いつも「なるほど、そうか!」と感心させられる子育てに関するアドバイス。「わかっち
ゃいるけど・・・」と日々反省したり自分を励ましたり、とにかく子供のことのみならず
自分自身を見つめなおす機会を与えてくれるサイトです。はやしさん、応援者は日本中に
いますよ。気を楽にしてくださいね。


☆ 我が子はもう18歳になってしまっているので、もっと早く林先生のことを知りたかった
と思います。今はよそ様のお子さんの勉強を教える仕事をしていますので、ふむふむとう
なずく事が多くて参考になります。その他の話題も多岐にわたり、面白く読ませてもらっ
ています。フレーフレー


 ☆私は林先生のホームページをいつも頼りにしています。子どもとの接し方に迷ったとき、
子育ての考え方、ウチの子は変じゃないかしら?、と不安になるとき・・・など、つい読
みふけってしまいます。

内容が的を得ていて「なるほど」と納得することができます。先生の正直な人間性を感じ
ることも多々あります。これからも私たち若輩者のよき先輩(?)でいてください。


☆ 毎日の子育ての原点であり、活力です。なにげないありふれた子供との日々の生活を、
愛情の根源として、人間の成長として、貴重であり大切なものであることを教えてくれま
す。本当に大切なことそれは何か? その答えを導いてくれるすばらしいホームページで
す。

最近、思い悩んでる、はやし先生! ここは踏ん張ってほしいです。(日々前進する苦労も
相当なものなので、悩むというのも人間らしくて、私は親近感もわきますが。)

子育てにも人生にもこれが完璧であるというというものでなく、いかに自分らしく誠実で
前向きに生きるか? 自分と子育てをどう考えていくか、先生のホームページを読むたび
に考え直され、軌道修正し、活力となり日々の生活に役立っています。いつもいつもこん
な私を支えてくれて、本当にありがとうございます。月並みな言い方で申し訳ありません
が、これからも頑張ってください。応援しています!!


☆ 情熱あふれ、また、はやし先生のご年齢ならではの、達観したというか、私たち親世代
とは、深みと経験値の違う子供の捉え方が参考になります。


☆ 子育てのこと、教育のこと、徹底的に掘り下げて、具体例を示しながら解説しているH
Pです。どんな子供にも、どんな保護者にも問題がある、その問題に直面したときに、こ
のHPは絶対助けてくれます。

「子育ては許して忘れること」はやし先生の常々訴え続けていることです。半信半疑では
じめても、次第におおらかな気持ちで子供と接することができるようになり、子供も心を
開いてくれます。HPやマガジンを読むようになって、一年半。私自身が(良いほうに)
変わってきたなと思える瞬間も増えてきました。母親が安定し、夫とのけんかも減ると、
子供は本当に安定してきますね。

また、なにかネガティブなことを考えてしまうとき、先生から教えていただいたいろいろ
な言葉が歯止めになります。いつもありがとうございます。これからも先生から発信され
るたくさんの情報、楽しみにしています。


☆ メルマガをいつも楽しみに読ませて頂いています。
7月30日に父親になったばかりの新米です。立会い出産だったので生まれてくる赤ちゃん
を目の当たりにして、母親の偉大さと、生命の神秘に感動しました。夏休み中はミルクを
あげたり、沐浴したり長時間子供と一緒に過ごせて、とても充実していました。

一日一日変化していく子供の姿を見ていると、生命の力強さを感じます。子育てのスター
トではやし浩司さんのメルマガ、ホームページに出会ったことは幸運でした。有益な情報
をいつもありがとうございます。ご苦労は多いでしょうが、これからもよろしくお願い致
します。

☆ 少し長い文章を読み終えると、子育てが横道にずれていたのが、軌道修正されます。少
し(かなり?)大げさですが、子育ての聖書です! 子供が親になった時にも読ませてあ
げたいです。


☆ 小学校のPTA副会長やカブスカウトの副長を務めながら、ウチの子供だけではなく、
様々な子供と接しております。大変勉強させていただいております。実践で役に立つサイ
トです。


 ☆子育てのみならず、私自身の生き方としての指針として勉強させていただいています

++++++++++++++

【読者のみなさんへ……】

 こうしてみなさんから、思わぬ反応をいただき、本当にうれしかったです。いつも私の
ほうから、一方的に情報を発信するのみで、それはたとえて言うなら、丘の上から、空に
向って、ものを叫ぶようなもの。そのつど何とも言えない、はがゆさというか、虚しさを
感じていました。

 しかし、こうして見知らぬ方たちから、たくさんの励ましの応援メッセージをいただき、
心が温まりました。改めて、お礼申しあげます。ありがとうございました。

 自分では気がつかなかったのですが、落ちこんでいたときに書いたような文章は、知ら
ず知らずのうちに、読者の方を不安にしていたのですね。それには、本当に反省させられ
ました。一人、「最近、思い悩んでいる、はやし先生」というのもありました。正直言って、
ドキッとしました。心の中を見抜かれたような思いです。

 率直に、書きます。

 6月ごろは、(マガジンでは、7月号)、「マガジンをつづけるべきか、どうか」で、本気
で悩んでいました。読者の方からの反応はないし、何かにつけて、落ちこむ一方。

 ワイフに相談すると、ワイフは、ああいう女性なものですから、「ぐずぐず言うくらいな
ら、やめたら?」と。それでぐずぐず言うのをやめていたら、おかしなストレスばかり、
たまる。ますます、落ちこんでしまいました。

 しかし、今から思うと、体調も影響していたのかもしれません。6月ごろは、季節の変
わり目ということもあって、体はだるく、頭もぼんやりしたまま。ワイフは、「男の更年期
よ」と言いました。最初は、「そんなもの、あるか!」と思っていましたが、本当にあるの
ですね。男性のばあい、何かにつけて、調子が悪くなのだそうです。

 今も、あまりよくありませんが、しかし、うつ的な暗い気分は、消えました。ものの考
え方が、前向きになってきた感じです。自分でも、「よかった」と思っています。

 そして今回の、励ましの応援メッセージ。本当にありがとうございました。

 で、ほかの方たちのホームページをのぞいているのですが、どれも、力作ぞろい。私の
ホームページは、量こそぼう大ですが、デザイン的にも、つまらない。せっかく応援して
いただいてはいますが、そんなわけで、私自身、ほとんど期待していません。

 (得票数は、審査の対象にならないと、はっきりと書いてありますし……。)

 しかし結果はもう、どうでもよいです。みなさんからの応援メッセージのほうが、うれ
しかったし、これこそが、私に与えられた「賞」だと思っています。

 本当に、ありがとうございました。これからもがんばって、とにかく、マガジン100
0号に向けて、がんばります。その1000号の向こうに何があるか、わかりませんが、
きっと何かがあるでしょう。

 何かを見つけたら、必ず、みなさんに、報告します。どうか、楽しみにしておいてくだ
さい。

 浜松は、朝から、シトシト雨。涼しくて、たいへん気持ちのよい朝です。

 おはようございます!

 8月24日 午前6時30分。

 はやし浩司

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【ホームページ・コンテスト】

現在、静岡県では、県の主催で、ホームページ・コンテストを実施しています。

つきまして、小生のホームページを「GOOD!」と思ってくださる
方は、どうか、清き一票を、投票していただけないでしょうか。

よろしくお願いします。締め切りは、9月5日ということですが、早め
に投票してくだされば、うれしいです。

こんなことで、騒がしいマガジンを出して、すみません。
よろしくお願いします。

8月22日

はやし浩司


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【投票の依頼】
(この依頼は、公職選挙法には違反しませんので、ご安心ください!)

はやし浩司のホームページ(必要な方は、見てください。)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

ホームページ・コンテストの投票所(ここが投票所です。)
https://hpg.pref.shizuoka.jp/vote_form.cfm?entry_number=36

●コンテストでは、みなさんのメールアドレスを、書き込むだけです。
●できれば、何か、コメントを書いてくださると、うれしいです。
●確認のメールが、折り返し、主催者から届きます。
OKをクリックして、返信してください。
●それで私のホームページに、一票が加算されます。
●そのあと、みなさんへの負担などは、いっさい、ありません。


【私のサイトの特徴は、何といっても、ぼう大な量の情報です。
 それだけは、どこのサイトにも、負けないと思います。】

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現在、30票を獲得し、2300のホームページの中でも、上位9位に
ランクされています。(8月22日現在)

投票数は、審査には関係ないということですが、審査員の方に、注目
して見てもらえます。

一等賞は、ノートパソコンだそうです。私は、それをねらっています!

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では、投票を、よろしくお願いします!!!!

ホームページ・コンテストの投票所
https://hpg.pref.shizuoka.jp/vote_form.cfm?entry_number=36

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結果は、マガジンのほうで、また報告します!

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐       まだまだ暑い日が、つづきそうです。
 \※/           どうか、お体を、大切に!
          では、投票のほう、よろしくお願いします。















.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
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.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 2日(No.444)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
お休みします
+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO563

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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☆★☆☆☆☆★☆☆★☆☆☆☆★★☆☆☆☆★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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☆★★★★★☆☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★☆☆☆☆10月生・募集します☆☆☆
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【読者のみなさんへ、BW幼児教室のご案内】

●みなさんのお近くに、現在、園の年中児、年長児のお子さんは、
 いらっしゃりませんか。
 もしいらっしゃれば、私の教室(BW教室)の話をしていただ
 けませんか。
 現在、BW教室、10月入会生を募集しています。
 みなさんのご紹介であれば、自由に見学してもらえます。
 見学の申し込み、案内書の申し込みは、どうぞ、下記まで。
 みなさんからの、ご連絡をお待ちしています。
 
 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■


★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

友を責めるな

 あなたの子どもが、あなたからみて好ましくない友だちとつきあい始めたときの鉄則がこれ。
「友を責めるな、行為を責めよ」。イギリスの格言だが、たとえばどこかでタバコを吸ったとす
る。そういうときは、タバコは体に悪いとか、タバコを吸うことは悪いことだと言っても、決して相
手の子どもを責めてはいけない。名前を出すのもいけない。この段階で、たとえば「D君は悪い
子だから、つきあってはダメ」などと言うと、それは子どもに、「友を選ぶか、親を選ぶか」の、
二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあなた(親)を選べばよいが、そうでなければあ
なたと子どもの間に大きなキレツを入れることになる。あとは子ども自身が自分で考え、その
「好ましくない友だち」から遠ざかるのを待つ。こういうケースでは、よく親は、「うちの子は悪くな
い。相手が悪い」と決めてかかることが多いが、あなたの子どもがその中心格になっていると
考えて対処する。が、それでもうまくいかないときがある。そういうときは、つぎの手を使う。
 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。そこであ
なたは子どもの前で、相手の子どもをほめる。○○君は、おもしろい子ね。ユーモアがあって、
お母さんは大好きよ」とか。あなたのそういう言葉は必ず相手の子どもに伝わる。その時点で、
相手の子どもは、あなたの期待にこたえようとし、その結果、あなたの子どもをよい方向に導
いてくれる。いうなればあなたはあなたの子どもを通して、相手の子どもを遠隔操作するわけ
だが、これは子育ての中でも高等技術に属する。
 ほとんどの親は、子どもが非行に向かうようになると、子どもを叱ってなおそうとする。暴力や
威圧を加える親もいる。しかし一度こわれた子どもの心は、そんなに簡単にはなおらない。もし
そういう状態になったら、今より症状を悪化させないことだけを考えながら、一年単位で子ども
の様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果になるので注意する。(はやし浩司の
サイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 1日(No.457)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

相手を喜ばす

 子どもにとって(おとなもどうだが)、やさしい人というのは、思いやりのある人のことをいう。そ
の思いやりのある子どもに育てるコツがこれ、「相手を喜ばす」。
 たとえばスーパーなどでものを買い与えるときでも、直接子どもに買い与えるのではなく、「こ
れがあるとパパが喜ぶわね」とか、「あとでお姉さんに半分分けてあげてね。お姉さんは喜ぶ
わよ」とか言うなど。昔、幼稚園にこんな子ども(年長男児)がいた。見るといつも三輪車にだれ
かを乗せ、それをうしろから押していた。そこで私が、「たまにはだれかに押してもらったら?」
と声をかけると、その子どもはこう言った。「先生、ぼくはこのほうが楽しい」と。そういう子ども
をやさしい子どもという。
 よく誤解されるが、柔和でおとなしい子どもをやさしい子どもとは言わない。たとえばブランコ
を横取りされても、ニコニコ笑ってそのまま明け渡してしまうなど。むしろこのタイプの子どもほ
ど、表情とは裏腹のところでストレスをためやすく、その分、心をゆがめやすい。教える側から
見ると、いわゆる「何を考えているかわからない子」といった感じになる。
 子どものやさしさは、心豊かな環境で、はぐくまれる。そのためにも、乳幼児期にはつぎの三
つを避ける。@闘争心、A嫉妬心、B不満と不安。攻撃的な闘争心は、子どもの動物的な本
能を刺激する。ばあいによっては、善悪の判断ができなくなり、性格そのものが、凶暴化するこ
ともある。嫉妬心はえてして情緒不安の原因となる。赤ちゃんがえりに見られるように、本能的
な部分で子どもの心をゆがめることもある。またこの時期、不満や不安は、子どもの性格をゆ
がめる。攻撃的になったり、反対にものに固着したり執着したりする。さらに神経症や情緒不
安、さらには精神不安の原因になることもある。要するにこの時期は、心静かで穏やかな環境
を大切にする。
 やさしさというのは、作って作れるものではない。家庭環境の中から、自然に生まれてくるも
のである。(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ベッドタイムゲーム
 
 子どもは床についてから眠るまで、毎晩、同じことを繰り返す習性がある。これを英語
では「ベッドタイムゲーム」(日本語では、「就眠儀式」)という。

このベッドタイムゲームのしつけが悪いと、子どもはなかなか寝つかなくなるばかりで
なく、ばあいによっては情緒そのものが不安定になることもある。もしあなたの子ども
が寝る前になると決まって、ぐずったり(マイナス型)、暴れたりするようであれば(プ
ラス型)、このしつけの失敗を疑ってみる。

方法としては、(1)毎晩同じことを繰り返すようにする。(2)心安らかな状態を大切
にし、就寝前少なくとも一時間はテレビやゲームなど、はげしい刺激は避ける。(3)ベ
ッドのまわりにぬいぐるみなどを置いてあげ、心が暖まる雰囲気をつくるなどがある。

毎晩本を読んであげるとか、静かな音楽を聞かせるというのもよい。まずいのは子ども
を子ども部屋に閉じ込め、強引に電気を消してしまうような行為。こうした乱暴な行為
が繰り返されると、子どもは眠ることそのものに恐怖心を抱くようになる。

ところで今、年長児(満六歳児)でも、五人のうち三人が、「ほとんど毎朝、こわい夢を
みる」ことがわかっている(二〇〇一年・筆者調査)。「どんな夢?」と聞くと、「ワニに
追いかけられる夢」「暗い穴にいる夢」「怪獣の夢」という答が返ってきた。子どもの世
界がどこか不安定になっていると考えてよい。

ちなみに年中児で睡眠時間(眠ってから起きるまでのネット時間)は一〇時間一五分、
年長児で一〇時間(筆者調査)。子どもが小学生になると、睡眠時間はぐんと短くなるが、
それでも最低九時間半を確保する。

睡眠不足が知能の発育に影響を与えるというデータはないが、しかし睡眠不足が続くと
集中力が弱くなる。あるいは突発的に興奮することはあっても、すぐ潮が引くようにぼ
んやりとしてしまう。

園や学校などでの学習面で影響が出てくる。なお年中児になっても「昼寝グセ」が残っ
ているようなら、その時間ガムをかかせるという方法でなおす。

+++++++++++++++++

●参観授業

 私は、例外なく、すべてのレッスンを、父母に公開している。毎日が、参観授業。

 しかし暑い夏には、正直言って、つらい。手を抜けないとか、そういうことではない。
気が抜けない。それこそ、鼻がかゆくても、かくこともできない。

 コンディションのよいときは、そうではないが、悪いときには、つらい。が、それでも、
参観授業をやめるわけにはいかない。私は、こうすることで、教室の緊張感を維持してい
る。質を高めている。

 それに最大の問題は、プライバシーが筒抜けになってしまうこと。子どもの能力が、だ
れにも、そのまま、わかってしまう。

 そこで重要なことは、親たちを楽しませること。和気あいあいとした雰囲気の中に、親
を巻き込んでいく。緊張感をほぐしていく。

 大切なのは、子どもの能力ではない。前向きな姿勢である。それを長い時間をかけて、
わかってもらう。

 そういう意味でも、幼児教育は、母親教育である。私は子どものほうを向きながら、子
どもを教えているのではない。母親たちを教えている。

 その点、私の教室の父母は、すばらしい。本当にすばらしい。ここ数年、母親たちの意
識が、どんどんと変わってきているのを感ずる。子どもにとって、何が大切なのか、それ
がわかる父母が、ぐんとふえてきたように思う。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人格の完成度

 人格の完成度は、(1)自己からの離脱、(2)自己意識のコントロール性によって決ま
る。

 このうち、自己からの離脱は、具体的には、いかに利他的であるかによって、決まる。
他人への同情性、同調性、協調性、共鳴性など。これについては、最近、何度も書いてき
たので、ここでは省略する。

 が、もう一つ。人格の完成度は、いかに自己意識をコントロールできるかで決まる。わ
かりやすく言えば、いかに自分の感情をコントロールできるか。いかに自分に対して、き
びしいかで、決まる。

 言いかえると、自分の感情をコントロールできない人、自分に対して甘い人は、それだ
け人格の完成度が、低い人ということになる。

 ただ(感情)というのは、それ自体は、人間が人間である重要な要素である。感情を否
定したら、人間は、人間でなくなってしまう。

 それに感情というのは、それ自体が、脳ミソの「質」にかかわる問題である。だから精
神のように、完成させるか、させないとかいうレベルで、論ずることができない。

 大切なことは、その感情を、いかにコントロールするか、である。そのコントロールす
る力が、ここでいう自己意識、つまり精神力ということになる。

 そのコントロールがしっかりとできる人を、人格の完成度の高い人ということになる。
そしてその一方、感情のおもむくまま、感情に振りまわされる人を、人格の完成度の低い
人ということになる。

 一般論としては、自己意識のコントロールのできない人は、(1)感情の起伏がはげしく
なる。(2)衝動性が強くなり、感情に流されるまま、行動する。

 そこで人格の完成をめざすには、どうすればよいかということになる。

 それを釈迦は、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、説明した。

 いつも前向きに、努力する。決して、ゴールは、ない。死ぬまで、前に進む。停滞した
ときから、その人の人格の後退が始まる。だからいつも前に進む。

 それはどこか健康論に似ている。

 毎日、運動をする。体を鍛える。健康には、ゴールはない。運動をやめ、だらしない生
活をしたとたん、その人の健康は、後退する。すばらしい運動をしたからといって、その
人の健康が完成するなどということは、ありえない。

 さらに、では、「精進」とは何か。

 いろいろな解釈があるのだろうが、重要なことは、(考えること)である。いつも考える。
そしていつも、真理の探究をめざす。たとえ届かぬ星ではあっても、あるいは何万光年先
にある星であっても、私たちは、一歩、一歩、その星に向って進む。

 そういう人間のひたむきな生きザマにこそ、人間が人間として生きる価値がある。美し
さがある。
(はやし浩司 人格 人格の完成度 精進)
(040731)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ハッキング

 意図はわからない。目的もわからない。しかしR天のHPに、異常なアクセスがつづい
た。

 アクセス記録表示をみると、同一プロバイダーから、集中的に、アクセスされているこ
とがわかった。数秒から10秒前後に1回という割合である。

 おそらく、私のパスワードを盗もうとしているらしい。

 R天では、オークションを通じて、ものの売買ができる。それをねらっているのかもし
れない。

 さっそく、パスワードを、変更。

 それまでの7桁から、一挙に10桁に。文字と数字と記号を、ランダムにまぜた。こう
いう悪意を感ずるアクセスには、こうして対抗するのが一番よい。

 そのせいか、パスワードを変更したとたん、アクセスが減った。今のところ、一日に数
回程度。(おとといまでは、毎日、300〜400回もあった!)

 みなさんも、どうかご注意! この世界、油断もスキもあったものではない。

 定期的にパスワードを変えるのは、重要なこと。それにもう一つ。インターネットには、
決して、プライベートな情報はのせないこと。これは万が一のときのための、予防策であ
る。


●フーテンの寅さん 

 映画「男はつらいよ」は、まさに国民的映画である。主人公は、言わずと知れた、フー
テンの寅さん。

 ほのぼのとした人情にあふれる、心温まる映画である。(「ある」とあえて現在形にした
のは、映画の心は、今も、日本人の心の奥深くに生きているから。)

 しかし私が、「あの映画の人たちは、すべて、心を偽っている」と書いたら、みなさんは、
さぞかし驚くだろうと思う。だれが見ても、あの映画の中では、みなが、みなに心を開き
あっている。ウソをついている人はいないはず?

 が、やはり、主演の渥美清以下、みな、ウソをついている。心は閉じている。仮面とい
うのものが、どういうものかわからない人は、映画「男はつらいよ」を見ればわかる。

 理由は、簡単。あれは、映画である。フィクションである。そしてそこに登場する人た
ちは、役者。つまりすべて演技である。……という意味で、みな、仮面をかぶっている。
心を開きあうなどということは、演技である以上、ありえない。

 もう少し、身近な例で考えてみよう。

 あなたが近くの大型店へ買い物に行ったとしよう。そこであなたは、笑顔を絶やさない
店員に会う。その店員は、愛想よく、かつ親しげにあなたに話しかけてくる。

 しかし、いくらそういう様子を見せたからといって、その店員は、あなたに対して、心
を開いているわけではない。そういった表情は、いわば商売道具。

 このことは、反対の立場で考えてみるとわかる。

 私も仕事がら、親や子どもたちには、愛想よくふるまう。ときにカラ元気をふりしぼっ
て、にこやかに応対する。しかしそれは仕事だから、そうしているだけ。決して、相手の
親や子どもに、心を開いているわけではない。心を許しているわけではない。つまり、仮
面をかぶっているだけ。

 ときどき、自分でも、こう思う。「ありのままの自分で、子どもに接することができたら、
どんなに気が楽になることか」と。

 しかし人は、演技によって、かなりのところまで、心を開いているかのように見せるこ
とができる。私もそうだが、その一例が、映画「男はつらいよ」ということになる。

 (だからといって、その映画がつまらないとか、そんなことを言っているのではない。「男
はつらいよ」は、国民的映画である。すばらしい映画である。)

 私たちも、日常的に、だれかに対して、仮面をかぶり、ウソをつく。心を開いているか
のように見せることがある。自分の心を偽り、飾り、ごまかし、そして演技をする。

私「やあやあ、こんにちは! お元気そうですね。よかったですね」と。

 精一杯、明るい声で、相手に話しかけたりする。

 そういうとき相手は、そういう私を見ながら、「この人は明るく、すなおな人だ。心を開
いている人だ」と思うかもしれない。

 しかし、演技は、演技。

 私は、決して、心を開いていない。

 心を開くというのは、そういう意味でも、たいへんむずかしい。簡単にはできない。ま
た心を開ける相手というのは、一生のうちでも、数えるほどしか、めぐりあえない。配偶
者とか、親とか、子どもとか、かぎられた親友とか……。

 たとえばフーテンの寅さんを演じた、渥美清という役者は、死ぬまで、自分の自宅を、
公開しなかったという。タクシーで帰るときでも、自宅の近くまでは乗っていくが、そこ
から先は、歩いて家に帰ったという。

 実像としての渥美清と、映画の中で見る渥美清との間には、大きな距離があったようで
ある。つまり渥美清は、フーテンの寅さんを演技することで、観客に、心を開いている人
間を演じてみせた。

 映画とはいえ、私はあの映画をときどき見ながら、演技で、ここまでできるのかと、感
心したことがある。「さすが名優」と思ったこともある。

 しかし繰りかえすが、演技は、演技。一見、心を開いているかのように見える役者たち
だが、その実、心は開いていない。

 「あの映画の人たちは、すべて、心を偽っている」と書いた、私の真意を理解してもら
えただろうか。


●カレーライス

 ワイフが、どこかのレストランのチラシを見ながら、「こんなの、作ってみる」と言った。

 おいしそうなカレーライスだった。

 「手伝うよ」と言って、さっそく、料理にかかる。

 が、直前、そのチラシの下に、どこかのパソコンショップのチラシも重なっていた。私
は、それをソファの上に寝そべって、読み始めた。

 とたん、料理モードは、消えた。

 今、ほしいのは、シャープの「Z」。電子手帳。それにデジタルカメラ。お金に余裕があ
れば、新しいパソコンもほしい。この2年間、自分のためには、新しいパソコンを買って
いない。

 で、ほとんどできあがったところで、再び、「手伝おうか」と声をかけると、ワイフ、ど
こか不機嫌そうに、「ごはんを、盛って!」と。

 しぶしぶ起きあがりながら、「ちゃんと、味見をしてあげるから」と。

 あとはテーブルに、ジュースを出し、スプーンを出し、それに漬け物をいくつか出す。

 外は、台風10号による嵐モード。ときどき青空が見えたかと思うと、つぎの瞬間、庭
の土が舞いあがるような、はげしい雨。それが同時に、屋根や壁をたたきつける。

 「今年の夏は、水不足は心配なさそうだね」と言うと、ワイフも、「そうね」と。

 結構、おいしいカレーライスだった。昨夜の料理で残った海産物を入れたのが、正解だ
った。


●Sさんのボケ

 クラブ仲間の、Sさんの様子が少しおかしいと、ワイフが言った。

 Sさん。今年、55歳。まだ若い。

 「一つのことを指示すると、前に頼んだことを、忘れてしまうのね。ますますボケがひ
どくなってきたみたい」と。

 私も、ワイフの友人ということで、そのSさんと、よく会う。いっしょに食事をしたこ
とも、何度か、ある。ショッピングセンターでも、よく顔をあわす。いつも、おだやかな、
やさしい笑みを浮かべている。静かな人である。

私「ますます……?」
ワイフ「そうよ。ますます心配になってきたわ。クラブの仕事を、いくつか頼んであるの
だけど、心配よ」と。

 そう言えば、Sさん。私のことをよく知っているはずなのに、先日、通りで会ったら、
瞬間だが、「どこかで見たような顔だ」というような表情で、私を見つめた。ふつうなら、
すかさず、あいさつをかわす場面だったが……。

 多分、Sさんは、本当にボケ始めたのだと思う。いろいろなボケ老人に出会ってきたが、
どこか表情が、共通している。反応がないというか、表情がやさしくなるというか。そう
いう雰囲気になる。

 しかし、これは私にとっても、切実な問題である。

 Sさんと私は、年齢が、ほとんど、同じ。その話を聞いたあと、ヒゲをハサミで切りな
がら、自分の表情を、しげしげと見る。

 そう言えば、私の表情も、どこかしまりがなくなってきた。どこか穏やかな笑みを浮か
べているよう。

ゾーッ!

 
●女の先生

 幼稚園や保育園には、当然のことながら、女性の教師が多い。その女性教師について、
問題がないわけではない。

 ある私立幼稚園の理事長が、こう話してくれた。

 まず職業(プロ)意識の欠落。「結婚前の、一時的な腰かけのようにしか考えていない教
師も多い」と。

 もちろん大半の教師は、そうでない。しかし何割かの教師は、そうである。しかしこの
何割かの教師が、その幼稚園全体の雰囲気をこわしてしまう。

 つぎに、女性特有の症状というか、どうしても女性教師は、こまかいことに、こだわり
やすい。その一方で、大局的なものの見方ができない。経営的なものの考え方ができない。
これがときとして、幼稚園の経営方針と、激突する。

 その幼稚園で、大型のテレビモニターを導入することになったときのこと。理事長は、
はたしてそれだけの教育的効果があるかどうか、迷っていた。値段も、1台70万円もする。
それが10台で、700万円!

 それを若い女性教師に相談してみたところ、その教師は、こう答えたという。「(効果は)
置いてみないとわからない」と。

 理事長は、この無責任な発言に激怒した。

 ……というような例は、多い。

 女性には、男性がもつような、つまりは独特の狩人(かりうど)的なものの考え方は、
できない? 苦手? こまかいところで、こまかい計算をする。だからといって、それが
悪いと言うのではない。そうしたちがいも、理解した上で、つきあうしかない。

 そういうこと。


●本音と建て前

 日本人の本音と建て前論については、世界的によく知られている。

 言っていることと、ハラ(腹)の中は、ちがう。……ということは、日常的に経験する。

 オーストラリア在住の日系女性(夫は、オーストラリア人)が、こんなメールをくれた。

 「私の叔父は、何かのついでに、こう言いました。『人間なんていうのはね、ハラの底は
わからないもんだよ。同情しているようなフリをして、実は、ザマーミロと、相手の不幸
を喜んでいたりするもんだよ』と。

 私は、子どもながらに、『そういうものかなあ』と思いましたが、日本を離れてみて、そ
れが日本人独特のものの考え方だということを、思い知らされました」と。

 実際、欧米人(オーストラリア人、アメリカ人)というのは、ものの考え方が、ストレ
ート。自分をごまかすことができない。そういう習慣もない。(だからうつ病患者が多いと
いう説もある。)

 たとえば日本では、よく、こんな会話をする。

 「今度、遊びにおいでよ」
 「うん、わかった。またね」と。

 誘ったほうも、本気で、誘ったのではない。その場の雰囲気で、そう言う。

 一方、誘われたほうも、本気で誘われたとは思わない。その場の雰囲気で、そう答える。

 が、オーストラリアでは、こういう会話は通用しない。絶対に通用しない。アメリカで
も、通用しない。

 へたに「今度、遊び(食事)においでよ」などと言おうものなら、すかさず、「ありがと
う。いつ行けばいいですか?」と聞きかえされる。断ることは、かえって非礼になる。仮
に「またね」とあいまいな言い方をすれば、(そういうあいまいな言い方そのものがないが)、
かえって相手に対して失礼となる。

 表面では、同情したフリをしながら、ハラの中では、その人の不幸を笑う。

 しかし実のところ、そういうことをしていたのは、その叔父自身ではないのか。自分が
そうだから、他人もそうだと思ってしまう。こうした二面性のある人は、世の中のすべて
の人にも、二面性があると思ってしまう。

 が、ストレートな人は、ストレート。

 たとえば同じ日本人なのに、私のワイフは、私とくらべても、はるかにストレート。ハ
ラ芸ができない。浜松市という、東海地方でもナンバー2の都会で、生まれ育ったためで
はないか。少なくとも、岐阜県の山奥で育った私とは、ちがう。

 で、私のばあいだが、私は、ここでいうような(建て前)とは、決別した。まだ完全で
はないが、そう心がけている。

 本音と建て前を使い分けるののも、結構、しんどいこと。たとえばハラの中で、「ザマー
ミロ」と思うくらいなら、そもそも、そういう人とは、つきあわない。

 くだらないことかもしれないが、私はこうしてものを書くことについて、いくつかの原
則をもっている。その一つ。

いつも心の中を、整理しているということ。

決して、その人自身のことを書いているわけではないが、その人を念頭において、批判
したり、批評したりすることがある。

 そういう人とは、すでに、交際を、断交している。「今後、一生、つきあうことはない」
という前提で、ものを書く。また、そういうふうに、心の中を整理していかないと、やが
て、心の中が、ごちゃごちゃになってしまう。

 ウラで、その人を批判しながら、オモテで、「こんにちは」と笑うことは、私には、もう
できない。それこそ、時間のムダ。

 以前、こんな原稿を書いた。

+++++++++++++++++++++++

●あなたは裁判官

(ケース)Aさん(四〇歳女性)は、Bさん(四五歳女性)を、「いやな人だ」と言う。理
由を聞くと、こう言った。

AさんがBさんの家に遊びに行ったときのこと。Bさんの夫が、「食事をしていきなさい」
と誘ったという。

そこでAさんが、「いいです」と言って、やんわりとそれを断ったところ、Bさんの夫が
Bさんに向かって、「おい、B(呼び捨て)!、すぐ食事の用意をしろ」と怒鳴ったという。

それに対して、Bさんが夫に対して、家の奥のほうで、「今、食べてきたと言っておられ
るじゃない!」と反論したという。それを聞いて、AさんはBさんに対して不愉快に感
じたというのだ。

(考察)まずAさんの言い分。「私の聞こえるところで、Bさんはあんなこと言うべきでは
ない」「Bさんは、夫に従うべきだ」と。

Bさんの言い分は聞いていないので、わからないが、Bさんは正直な人だ。自分を飾っ
たり、偽ったしないタイプの人だ。だからストレートにAさんの言葉を受けとめた。

一方、Bさんの夫は、昔からの飛騨人。飛騨地方では、「食事をしていかないか?」が、
半ば、あいさつ言葉になっている。しかしそれはあくまでもあいさつ。本気で食事に誘
うわけではない。相手が断るのを前提に、そう言って、食事に誘う。

そのとき大切なことは、誘われたほうは、あいまいな断り方をしてはいけない。あいま
いな断り方をすると、かえって誘ったほうが困ってしまう。飛騨地方には昔から、「飛騨
の昼茶漬け」という言葉がある。昼食は簡単にすますという習慣である。

恐らくAさんは食事を断ったにせよ、どこかあいまいな言い方をしたに違いない。「出し
てもらえるなら、食べてもいい」というような言い方だったかもしれない。それでそう
いう事件になった? こういうときAさんは、ウソならウソでもよいが、「今、食べてき
たところです」と、言わなければならない。

(判断)このケースを聞いて、まず私が「?」と思ったことは、Bさんの夫が、Bさんに
向かって、「おい、B(呼び捨て)!、すぐ食事の用意をしろ」と言ったところ。

そういう習慣のある家庭では、何でもない会話のように聞こえるかもしれないが、少な
くとも私はそういう言い方はしない。私ならまず女房に、相談する。そしてその上で、「食
事を出してやってくれないか」と頼む。あるいはどうしてもということであれば、私は
自分で用意する。いきなり「すぐ食事の用意をしろ」は、ない。

つぎに気になったのは、言葉どおりとったBさんに対して、Aさんが不愉快に思ったと
ころ。

Aさんは「妻は夫に従うべきだ」と言う。つまり女性であるAさんが、自ら、「男尊女卑
思想」を受け入れてしまっている! 本来ならそういう傲慢な「男」に対して、女性の
立場から反発しなければならないAさんが、むしろBさんを責めている! 女性(妻)
は夫の奴隷ではない!

 私はAさんの話を聞きながら、「うんうん」と返事するだけで精一杯だった。内心では反
発を覚えながらも、Aさんを説得するのは、不可能だとさえ感じた。基本的な部分で、考
え方が、まったくちがう。

+++++++++++++++++++++++

●私のこと

 私とワイフのちがいについて、少し書いた。

 で、結婚して、30年以上になるが、いまだに、そのワイフについて、よく理解できな
いところがある。

 私は、ときどき、弁当を教室まで届けてもらうのだが、そういうとき、私のほうが遠慮
して、「今日は、いいよ。近くのレストランで食べるから」と電話をする。

 ワイフも、何かと、このところ、いそがしい。それに暑い。

 が、私は、そう言いながらも、内心では、ワイフが、弁当を届けてくれるのを期待する。
「そうは言っても、弁当は必要だから」と。

 しかしワイフは、私の言葉を、いつもストレートに解釈する。私が「いいよ」と言えば、
それっきり。絶対に、弁当を届けてくれない。(今まで、一度もない。)

 私がワイフなら、「まあ、そうは言っても、届けるわ」とか言って、届けるかもしれない。

 そういう意味では、ワイフは、欧米人に近いということになる。一方、それでさみしく
思う私は、純粋な大和民族。どこか(フー天の寅さん)的な人情味が、まだ残っている。

 どちらがよいとか、悪いとかいうことではなく、そうしたちがいというのは、30年以
上いっしょに住んでも、なかなか克服できないということ。

 最近、国際結婚がふえているが、こうした民族的なちがいまで乗りこえて、結婚生活を
つづけるというのは、たいへんなことかもしれない。くだらないことだが、この原稿を書
きながら、ふと、そんなことを考えた。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 27日(No.455)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●教室で……

 めんどくさがり屋の子どもがいる。
 算数の問題でも、ほとんど、読まない。

子ども「わかんナ〜イ」
私「もってきなさい。先生が教えてあげるから……」と。

【問題】

 魚が、3匹います。カメが、6匹います。魚とカメの、ちがいは、何匹ですか」

私「ええとねえ、何だって……? 魚が……。魚が空を飛んでいるの?」
子「ちがうよ。魚がいるのオ」
私「どこに?」
子「知らないよ」

私「知らないでは、困るよ。ちゃんとどこにいるか、教えてくれなくちゃア」
子「だって、そんなこと書いてないもん」
私「で、何だって……。カメもいるの?」
子「そうだよ」

私「魚とカメがいるの?」
子「そうだよ」
私「カメはどこにいるの?」
子「知らないよ。そんなこと」

私「で、魚とカメが、どうしたの? けんかしたの?」
子「ちがうよ。ちがいはいくつかってエ?」
私「そりゃあ、たくさんあるよね。魚には足はないし……。カメには足があるし……」
子「そんなことじゃ、ないよ」

私「魚とカメのちがいだろ?」
子「ちがうよ。魚が3匹で、カメが6匹って、書いてあるの」
私「だったら、それがどうしたの?」
子「どっちが、いくつ多いかって、聞いているの」
私「そりゃあ、カメのほうが、多いに決まってるさア」
子「だから、カメのほうが、ほら、3匹、多いじゃない」
私「ああ、そう。わかっているなら、いちいち聞きにこないでよ」
子「……」と。

 ときには、バカなフリをして、子どもを誘導する。決して、おとなの優位性を、子ども
に見せつけてはいけない。押しつけてもいけない。子どもが「こんな先生に習うくらいな
ら、自分でしたほうがまし」と、思うようにしむけるのも、指導。大切な指導。

 子どもはいつも、おとなを乗り越えて、前に進む。家庭でも、また、同じ。


●ひねくれた子ども

 ひねくれた子どもを観察していると、おもしろいことに気づく。

 同じ子どもの中に、もうひとり別の子どもがいる。そんな感じになる。

 その行動(心理)を観察してみると、ちょうどコンピュータの動きに似ているのがわか
る。コンピュータでは、まずCPU(中央演算装置)が、起動する。そのCPUが、イン
プットされたプログラムを、そのつど、実行する。

 子どもも、また、同じ。(少し、乱暴な意見だが、大筋では、そうだ。)

 あらかじめインプットされたプログラムにしたがって、子どもは行動しようとするが、
そのプログラムを別のところで、別のプログラムが、コントロールする。

 最初に行動を決めるプログラムは、コンピュータにたとえるなら、CPU(中央演算装
置)ということになる。あとでインプットされたプログラムは、基本プログラムというこ
とになる。もう少し、わかりやすく説明してみよう。

 たとえばある子どもに、「ジュースを買ってあげようか」と声をかけたとする。そのとき、
子どもは、(のどがかわいている)→(ジュースを飲みたい)→(ジュースがほしい)とい
うプロセスを経て、「うん、買って」と言う。

 これはいわば、CPUの働きということになる。

 ところがこのとき、同時に別のプログラムが働くことがある。
 
 「どうしてジュースを買ってくれるのか?」
 「飲むのを、がまんできないか?」
 「買ってくれる目的は何か?」
 「何か、仕事をさせられるのではないか?」と。

 そこでこの基本プログラムは、CPUに修正を加える。「あやしい人から、ジュースを買
ってもらっては、だめだ」「食事の前に、甘い飲み物を口にするのは、悪いことだ」「買っ
てと頭をさげて頼むのは、いやだ」と。

 そして結果として、すなおに「買って」とは言わなくなる。すねてみせたり、ひがんで
みせたりする。いじけたり、つっぱったりすることもある。

 (やはり、人間の心理を、そのままコンピュータにたとえることはむずかしい。考えて
みると、どちらがCPUで、どちらが基本プログラムなのか、わからなくなる。しかしど
ちらにせよ、このとき、子どもの頭の中では、二つのプログラムが、同時進行の形で、実
行される。)

 もう少し、わかりやすく図式化してみよう。

(のどがかわいている)→(ジュースがほしい)→(「買って」という)
           ↑          ↑
      (がまんできないか?)  (頭をさげたくない)

 この修正を加えていく部分が、その子どもの行動を最終的に決める。そして、ときに、
それが外の世界に、ひねくれ症状として現れる。

 ……と考えていくと、ここでは(基本プログラム)と、(修正プログラム)に分けるのが
よいということになる。(のどがかわいた)→(ジュースを飲みたい)と、心を動かすのが、
基本プログラム。あれこれそのプログラムの実行を、さまたげるのが、修正プログラムと
いうことになる。

 基本プログラムは、人間が、いわば生まれつきもつもの。それに対して、修正プログラ
ムは、人間が、後天的に取得していくもの。かなり乱暴な意見かもしれないが、そう考え
ていくと、一見複雑に見える子どもの心理も、ぐんとわかりやすくなる。

 これはとてもおもしろい見方だと思う。はやし浩司は、またまた新しい思想を、ゲット
した。ハハハ。

+++++++++++++++++++++++

●じゅうぶんな睡眠時間を

 目をさましてから起きあがるまでの時間には、特別の意味がある。この時間、人間の心
はもっとも静かな「時」を迎える。雑念や俗念、不安や心配、さらには恐怖や妄想から解
放される。

つまりこの時間、自分の「原点」をそこで見つめることができる。もっと言えば、その
人がもっともその人らしくなる……。

 パスカルは『思考が人間の偉大さをなす』(パンセ)と書いている。つまり考えるから人
間は人間である、と。言いかえると、考えるかどうかで、その人の「質」が決まる。知識
や知恵ではない。技術や肩書きでもない。反対に考えない人間がどうなるか。

その例というわけではないが、深夜のバラエティ番組に出てくる若者たちを見ればそれ
がわかる。実に「軽い」。軽すぎて、「これが同じ人間か」とさえ思うときがある。自ら
考える習慣のない人間は、そうなる。

 子どもに考えさせる習慣を身につけさせるもっともよい方法は、子どもがひとり、静か
に自分の時を過ごせるような時間と場所を用意することである。

総じてみれば日本人は、集団教育のし過ぎ(……され過ぎ)。一人で静かに考えるという
習慣そのものもないし、その価値を認めない。子どもが机に向かってひとりぼんやりし
ていたとすると、親や先生は、「何、しているんだ!」と、それを叱る。

しかし大切なことは、「自分で考えること」だ。子どもがあれこれ自分で考える様子を見
せたら、そっとしておいてあげる。

 で、その一つの方法というわけではないが、子どもが目をさましてから、起きあがるま
での時間を大切にする。そういう意味でも、静かな目覚めを大切にする。またそのために
も、睡眠時間はたっぷりととる。まずいのは、「もう起きなさい!」と、まだ眠気まなこの
子どもを、床の中から引きずり出すような行為。子どもが静かにものを考えることができ
る、せっかくの時間そのものを奪ってしまう。
 前回と今回は、子どもの睡眠について考えてみたが、もう少し子どもの睡眠には、親は
慎重であってもよいのではないか。

++++++++++++++++++++

●子どもを自立させる

 子育ての目標は、子どもを自立させること。その「自立」には二つの意味がある。

子ども自身の自立と、親の自立である。依存心というのは相互的なもので、子どもに依
存心をもたせることに無頓着な親は、一方で、自分自身もだれかに依存したいという潜
在的な願望をもっていると考えてよい。つまり子どもを自立させたいと思ったら、親も
また自立しなければならない。こんな親(六〇歳女性)がいた。

 会うと私にこう言った。「先生、息子なんて、育てるもんじゃないですね。息子は横浜の
嫁に取られてしまいました」と。

そしてさらに顔をしかめて、「親なんてさみしいもんですわ」と。その親は、息子が結婚
して、横浜に住んでいることを、「取られた」というのだ。

 こうした親は、親意識が強く、その強い分だけ、子どもを「モノ」と見る傾向が強い。
そして自分にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、よい子とし、親に反発す
る独立心の旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

こうした親の意識の背景にあるのが、依存心ということになる。もう少しわかりやすい
言葉でいうなら、「甘え」ということになる。

 子育ての目標は、子どもを自立させること。「あなたの人生だから、思う存分、あなたの
人生を生きなさい。たった一度しかない人生だから、思いっきり大空を飛びなさい。親孝
行……? そんなこと考えなくてもいい」と、一度は子どもの背中をたたいてあげる。そ
れでこそ親は親としての義務を果たしたことになる。

もちろんそのあと子どもが自分で考えて、親のめんどうをみるというのであれば、それ
は子どもの勝手。子どもの問題。

 日本人は、国際的にみても、互いの依存心が強い国民である。長く続いた封建時代とい
う時代が、こういう民族性をつくったとも言える。どこかの国に移住しても、すぐ日本人
どうしが集まり、そこにリトル東京(日本人街)をつくったりする。

親子関係もそうで、互いに甘え、甘えられる親子ほど、よい親子と評価する。しかし依
存心が強ければ強いほど、その人から「私」を奪う。しかしこれは、これからの日本人
の生き方ではない。少なくとも、こうした生き方は、世界ではもう通用しない。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●代償的利他

 人は、人を愛することで、利他を学ぶ。愛するから、相手の立場で、ものを考え、そし
てその相手を喜ばすことを考える。

 利他の心は、こうして生まれる。育つ。

 このことは、若い母親の変化を観察していると、わかる。

 子どもが生まれる前まで、かなり利己的だと思われる女性でも、子どもが生まれると、
変る。いつくしみの心が生まれる。

 子どもを、いとおしむという姿勢が転じて、利他の心を学ぶ。

 そういう意味でも、親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。

 しかしここで誤解してはいけないのは、利他というのは、他人の欲望を満足させるもの
であってはいけないということ。つまり利己の代償として、利他であってはいけないとい
うこと。

 たとえばあなたが、ブランドのバッグがほしかったとする。そのとき、自分でそれを買
うのをがまんして、まだ中学生の娘に、そのバッグを買ってあげたとする。しかしそれは、
利他ではない。

 娘を利用しただけである。

そのときあなたは、「娘は、それで満足しているはず」「喜んでいるはず」「親の私に感謝
しているはず」と考えがちだが、それはあなたの自己満足にすぎない。つまり娘の満足
する様子を見ながら、自分の満足感を充足しただけである。それを楽しんだだけである。

 これを私は、勝手に、「代償的利己」と呼んでいる。

 こういう例は多い。よく知られた例として、子どもの受験勉強に狂奔する親がいる。親
は、「子どものため」と思っているかもしれないが、親は、自分の不安や心配を解消する道
具として、子どもを利用しているだけ。あるいは中には、自分が果たせなかった、夢や希
望を、子どもに押しつけているだけというケースもある。

 一見、利他に見えるかもしれないが、利他ではない。代償的利己である。

 利他といっても、相手の欲望を満足させるものであってはいけない。ほかによくある例
としては、リッチな祖父母が、孫のかわいさに負けて、高価なものを買い与えるというの
がある。

 数万円もするような洋服を、孫の女の子に買い与えたり、同じく数万円もするようなゲ
ームセットを、孫の男の子に買い与えたりする。

 一見、利他に見えるが、自分がかわいいと思う心を、それによって、満足させているだ
け。あるいは孫を自分に、手なづけているだけ。つまり代償的利己である。

 利他というのは、同情心、共鳴心、協調心などによって決まる。いかに相手の立場で、
苦しみや悲しみを共有できるかによって決まる。キリスト教の世界では、それを「愛」と
いい、仏教の世界では、それを「慈悲」という。

 話はそれたが、親は、子どもの立場でものを考えることによって、利他の心を学ぶ。言
うまでもなく、その人の精神の完成度は、いかにその人が利他的であるかによって決まる。

 より利他的な人を、精神の完成度の高い人という。より利己的(自己中心的)な人を、
精神の完成度の低い人という。

 いくら裏切られても、相手の立場でものを考える。いくら失望をさせられても、相手の
立場でものを考える。そういう姿勢の中から、利他の心ははぐくまれる。

 やがて数年もすると、子どもをもつ母親は、子どもをもっていない女性と、はっきりと
区別ができるほど、ちがってくる。程度のちがいはあるが、親は子育てを通して、利他の
心を学ぶ。つまり精神的な完成度がちがってくる。

【補記】

 相手の欲望を満足させてやることは、利他ではない。それは自分の欲望を満足させるこ
とよりも、罪深いことである。

 ここにも書いたように、子どもがほしがりそうなものを、あるいはほしがっているもの
を、買い与えるのは、利他ではない。利己の代償(代わりのもの)としてするから、「代償
的利己」と、私は呼んでいる。

 モノを買い与えれば、子どもは喜ぶはず、感謝するはず、親子のパイプは太くなるはず
と、多くの親は考えがちである。

 しかしこれは誤解。むしろ人間関係そのものを破壊する。

 利他というのは、あくまでも心の問題。相手の立場で、悲しみや苦しみを分けもつこと
を、利他という。くれぐれも、誤解のないように。

 なお、欧米では、この利他精神が、日本よりも、生活のすみずみにまで、根をおろして
いる。

 たとえば庭をつくるときも、日本人は、その美を、自分だけの世界に取り込もうとする。
具体的には、庭を高い塀でぐるりと囲み、自分だけが楽しめるようにする。

 一方、欧米では、外の通りから歩く人の視点において、庭づくりをする。地域全体の景
観を考えながら、家づくりをするところも多い。

 こうした文化のちがいを、「押す文化(欧米)と引く文化(日本)」のちがいという視点
で、説明する人もいる。

 そういうこともあって、ボランティア活動一つとっても、日本と欧米では、質的にも大
きなちがいがある。それについては、また別の機会に考えてみたい。


●闘争心と嫉妬心

 目の前で、ヘビが車にひかれた。バリッという、どこか骨がくだけたような音がした。
瞬間「死んだ」と、私は思ったが、そのヘビは、そのままUターンして、木の植え込みの
中に、消えた。

 生命力のものすごさというか、そのヘビの生への執着心に驚いた。

 私はこうした(生存欲)というのは、広く、あらゆる動物にあると思う。またそれがあ
るからこそ、10万年単位の長い年月を、こうして生き延びることができた。

 人間も、例外ではない。

 その生存欲は、そのときどきに応じて、さまざまな形に姿を変える。たとえばそれが、
プラスの方向に向けば、攻撃心や闘争心になり、マイナスの方向に向けば、復讐心や嫉妬
心になる。生存欲を原点に考えれば、闘争心も嫉妬心も、方向性がちがうだけで、中身は、
同じということになる。

 (生存欲そのものが、弱くなるばあいもある。それについては、ここでは考えない。)

 一見、突飛もない意見に思う人もいるかもしれないが、こういう例は、多い。一見、複
雑に見える人間の心理だが、そのもとをただせば、単純なもの……。私はそれを、勝手に
「原始心理」と呼んでいる。

 たとえばミミズを見てみよう。

 私はあるとき、庭をはって移動しているミミズを見つけた。そこでそのミミズの頭を、
棒の先で、つついてみた。とたんミミズは、危険を感じて、体をちぢめた。防御体勢であ
る。

 そのミミズは、体をちぢめることによって、自分を守ろうとした。しかしそのパターン
は、引きこもりをする子どもの心理、そのものと言ってもよい。心理学の世界にも、「防衛
機制」という言葉がある。外の世界と、自らを遮断することによって、自分の心を守ろう
とする。

 ……と考えていくと、嫉妬心を、それなりに位置づけて考えることができる。たとえば
嫉妬心は、生存欲の変形したものであると考える、とか。

 嫉妬に狂って、相手をとことん恨んだり、苦しめたりする人がいる。子どものいじめに
しても、嫉妬が原因で、相手をいじめるというケースも、少なくない。こうした嫉妬のエ
ネルギーは、ときとして、想像を絶する力を発揮する。

 少し前、こんな事件が、ある国で起きた。

 ある資産家の家の娘(当時5歳)が、何ものかによって、性的ないたずらをされて殺さ
れるという事件である。

 その家には、事件当時、父親と母親、それに11歳になる、息子がいた。息子は、父親
のつれ子であった。父親は再婚、殺された女の子は、再婚した女性との間にできた子ども
だった。

 外部からだれかが侵入したという形跡はない。地下室の窓ガラスが割られていたが、そ
れは外部から、強盗か何かが侵入したと見せかけるために、だれかがあとでした、偽装工
作だったということがわかった。

 当初、父親が犯人として疑われた。いろいろな偽装工作が明るみになったからである。
しかもDNA鑑定の結果、父親の遺伝子と、娘の体に付着していた精子の遺伝子が、ほぼ
一致した。

 が、捜査は、難航。結局、この事件は、迷宮入りになってしまった。

 この事件は、その国をひっくりかえすほど、連日連夜報道されたので、ご存知の方も多
いはず。殺された娘の名前をとって、「N事件」と呼ばれた。

 常識で考えれば、犯人は、家族の中のだれかということになる。精子のDNAが一致し
たことから、父親か、もしくは?。

 しかし最初から、11歳の息子については、だれも疑わなかった。疑った人はいたかも
しれないが、それを口にする人はいなかった。一方、その夫婦は、だれかをかばうように、
捜査には、きわめて非協力的な態度をとりつづけた。

 しかし……。

 ごく一般論として、嫉妬がからむと、人は、相手を殺す寸前までのことをする。実際、
殺してしまうこともある。

 兄弟、姉妹の間でも、同じような事件が起きることがある。とくに、昔から、『年齢の近
い姉妹は、憎しみ相手』ともいう。私の知っている姉妹の中には、一人の男性(恋人)を
取りあって、壮絶な戦争を繰りかえした人もいる。

 しかしなぜか、そのN事件では、最後まで、11歳の息子が、捜査線上にのぼることは
なかった。なぜか? 11歳といえば、性的には、かなりのところまで成長する。ちょう
どはじめて、夢精や射精を経験する年齢でもある。

……という問題はさておき、つまりだれが犯人であるかということは、さておき、嫉妬
心がみせる、ものすごいエネルギーは、ふつうではない。そのふつうでないところが、
闘争心に似ている。

 親の前では、弟思いのやさしい兄を演じながら、その裏で、弟を殺す寸前までのいじめ
を繰りかえしていた子どもがいた。弟を逆さづりにして、頭から落したり、チョークをお
菓子だと偽って、弟に食べさせたりするなど。

 私は、そのN事件では、11歳の息子をもっと疑ってみるべきだったと思っているが、
これ以上のことは、ここには書けない。ただ嫉妬に狂った兄が、性的いたずらをしたあと、
妹を殺したという事件であっても、私は、驚かない。

 嫉妬心には、そういう力がある。

 そこで大切なことは、ふたつある。ひとつは、嫉妬するにしても、そのエネルギーを、
何らかの形で、別方向に向けていくということ。もうひとつは、嫉妬をコントロールする
だけの自己意識を高めるということ。

 嫉妬心を、前向きな向上心や、攻撃力に変化できれば、最善である。つぎに、自分の感
情をいかにすれば、コントロールできるかということ。感情のコントロールができない人
のことを、情緒の未熟な人といい、コントロールできる人のことを、情緒の完成度の高い
人という。

 嫉妬心というと、それが悪いという前提で、ものを考えやすい。しかし、そうとばかり
とは言えないのではないか……、というのが、ここでの結論ということになる。

 嫉妬については、さらに、この先、深く考えてみたい。


●感情のコントロール

 私は、若いころから、自分の中の二重人格性に苦しんだ。今も苦しんでいる。

 やさしくて、ひょうきんで、さみしがり屋の私。これをはやし浩司Aとする。

 合理的で、不平不満だらけ、孤独に強い私。これをはやし浩司Bとする。

 ふだんは、はやし浩司Aが優性。ときどきはやし浩司Bになっても、心のどこかではや
し浩司Aが、それをながめていて、「よせ、よせ。今のお前は、本物のお前ではない」など
と、声をかける。

 はやし浩司Aは、冗談好きで、めんどくさがり屋。細かい作業が苦手。が、はやし浩司
Bは、短気で、破滅的。行動力はあるが、心は冷たい。

 こういう私だから、もう一人の自分をつくる必要があった。二人の私を、さらに別のと
ころから監視し、コントロールする私である。これをはやし浩司Cとする。

 そのはやし浩司Cに気づいたのは、講演をしているときのことだった。

 講演中というのは、いつも二人の私が、そこにいる。一人の私は、講演をする。話す。
が、もう一人の私が、その上にいて、私にこう命令する。「残り時間は、あと30分だ。あ
の話とこの話はやめて、もっと別の話をしろ」「あと10分だ。そろそろ結論を話せ」と。

 私をいつも客観的に見つめながら、私をコントロールする私。それがはやし浩司Cとい
うことになる。

 そのはやし浩司Cの重要性に気づいたのは、ごく最近のことである。このはやし浩司C
こそが、自己意識による私ということになる。もろもろの感情のコントロールは、このは
やし浩司Cがする。

 はやし浩司Aになったときも、はやし浩司Bになったときも、別のどこかにいて、私を
コントロールする。

 ところで、どういうとき、私が、はやし浩司Aからはやし浩司Bになるか? 私のばあ
い、精神的にたいへん疲労しやすい。そういう欠点がある。決して、タフではない。不愉
快な人と会っていると、ものの半時間で、ヘトヘトに疲れてしまう。

 その疲れたとき、はやし浩司Bが、ムラムラと顔を出す。

 おもしろいと思うのは、前頭部が重くなること。実際、手でさわってみると、少し熱く
なっているのがわかる。そして一度熱くなると、はやし浩司Aにもどったあとも、この部
分がどこか重ぼったい。そしてそれが1、2日間、つづく。

 どちらにせよ、感情は、はやし浩司Cがコントロールする。何かのことで、情緒が不安
定になったときは、できるだけはやし浩司Cを、外に呼び出すようにする。決して、感情
のおもむくまま、行動してはいけない。

 とくに気をつけているのは、はやし浩司Bである。自分でも、それがわかっているから、
そういうときは、ぜったいに、何かの結論を出さないようにする。口を閉ざして、静かに
する。できるだけ、人との交際も避ける。でないと、そのあと、いつも後悔することにな
る。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】

●三男がオーストラリアに帰る

 当初は、2週間程度のつもりで、日本へもどってきた。しかしビザの更新がままならず、
約40日も、家にいた。

 その三男が、再び、今朝、オーストラリアへ旅立った。途中、シンガポールに立ち寄る。
たまたまオーストラリア人の友人夫妻が、シンガポールにいる。休暇で、シンガポールへ
来ている。あちこちを案内してくれるという。

 その友人いわく、「シンガポールでは、気温が、33度になると、暑いという。しかし2
7度になると、寒いという。一年中、湿度の高い国だ」と。

 昨夜、三男のホームステイ先のIさんに電話をすると、三男を、空港まで迎えにきてく
れるそうだ。一安心!

 三男を車で駅まで送ったあと、帰りの車の中で、ふと、さみしさを感ずる。40日とい
うが、私には、貴重な40日だった。そういえば、昨夜、ワイフも、フトンの中で、そう
言っていた。

 「もう、今というときは、二度ともどってこないのね」と。

私「しかし、未来があるよ。今度は、みんな、孫をつれてもどってくるよ。そのときは、
まだ終わっていないよ」
ワイフ「あなたにしては、珍しいこと言うわね」
私「……?」
ワイフ「いつも、暗いことばかり言うくせに……」
私「そうだな。ははは」と。

 その友人いわく、私が「人生はドラマだ(Life is full of dramas)」と書いたこと
について、

 「ありふれた人生など、クソくらえ」と。英語では、「Situation Normal. All F**ked Up.」
※と言う。

 「ぼくの父親が、戦争で行進しながら、言った言葉だ」と教えてくれた。

その文を読みながら、オーストラリアでは、父と息子の間で、こんな会話をしているの
かと驚いた。「F**K」という単語を使っていること自体、日本では、考えられない。

 ……と考えて、今度、名古屋に住んでいるS君のお嬢さんを、我が家へ夕食に招待して
やろうと思った。今、S君の娘さんが、この浜松市の専門学校に通っている。何かと、ひ
とりでは、心細いだろう。

 とたん、心が軽くなった。家に帰って、ワイフにそれを話すと、ワイフも、うれしそう
な顔をして、「そうね」と同意してくれた。

※……As to life being full of dramas, my father told me of an old army saying 
"SNAFU".

Situation Normal. All F**ked Up. 

The older I get the truer this seems. 

SNAFU means that the situation is normally disorganised and
chaotic due to incompetant (army/navy) officers. Like you
said life is normally a mess. Or as some other cinic said
"Life is a bitch. And then you die"

(SNAFUは、「無能な上官のせいで、状況がめちゃめちゃになる」という意味。
君が言うように、人生というのは、ふつうは、ごちゃごちゃしている。
どこかの批評家が言っているように、「人生は、バイタ(娼婦の蔑視語)。それから
君は死ぬ」だ。

 友人の解釈は、私の解釈と、180度ちがうことに注目。

 私は「人生はドラマ。いろいろなことがあるから楽しい」と、とらえる。一方、友人は、
「人生は、ゴチャゴチャしすぎる。だから生きるのはめんどう」と、とらえる。

 このちがいが、解釈のちがいへとつながった。


●パソコンショップの若い男

 近くのパソコンショップ。「どうして?」と思えるほど、二男によく似た男がいる。年齢
は、聞くと、27歳だという。ちょうど二男の年齢である。

 顔も似ているが、ジェスチャもそっくり。目配りのし方も、そっくり。何か頼むと、ふ
と視線を上にそらして、ものを考える。

 いつしか私は、その若い男を、二男に思うようになってしまった。そして必要のないも
のまで、その若い男から、買うようになってしまった。あるいは、その若い男が、その店
にいないときは、ものを買わなくなってしまった。

 おかしなものだ。

 こういうのを、心理学では、「転移」というらしい。憎たらしい相手の乗っている車と同
じ車を見たりすると、不快感がわいてくる。心の中で、合理的に、ものごとを区別して考
えることができないために起こる現象と考えると、わかりやすい。

 同じように、自分の好きな相手の乗っている車と同じ車を見たりすると、親近感がわい
てくる。心の中で、合理的に、ものごとを区別して考えることができないために起こる現
象と考えると、わかりやすい。

 その若い男を見たとき起こる反応は、後者のものということになる。

 おもしろいと思うのは、この「転移」という現象が、年齢とともに、より多く、起こる
ようになったということ。若いころとくらべて、それだけ合理的な判断力が弱くなったせ
いかもしれない。あるいは判断力が、それだけ混乱するようになった?

 もともと「転移」というのは、幼いころの思い出が、同じような状況になったとき、そ
のまま思い出され、心理状態も、同じになることをいう。たとえば父親の酒乱で苦しんだ
子どもが、おとなになって、酒臭い男を忌み嫌うようになるなど。酒臭い男の中に、酒乱
の父親を見て、その酒臭い男を嫌う。

 過去の思い出が、現在の光景にダブるというような、なまやさしいものではない。過去
の心理状態が、そのまま再現される。その相手を、心底、憎んだり、嫌ったりする。あた
かもその相手に、酒乱の父親が乗り移ったかのように、憎んだり、嫌ったりする。

 心が、……というより、心が対象とするものが、別の人やものに転移する。だから「転
移」という。

 勝手な解釈で、その道のプロには笑われるかもしれないが、私は、若いころ、そう解釈
した。

 で、私が、そのパソコンショップの若い男を、二男に思いこむのは、ただ単に、イメー
ジがダブるということではないようである。どこか頭の中で、混在してしまう。そして二
男への思いが、そのまま感情となって、その若い男に、注がれてしまう。

 もちろん相手の若い男は、私のそんな心など、知るよしもない。私が自分のファンなど
とも、思っていない。いつも淡々とした様子で、あれこれ相談にのってくれる。ものを売
ってくれる。

 私は、そのつど、どこか歯がゆいような、ものわびしい思いにかられる。そしていつも、
うしろ髪をひかれるような思いで、店を出る。

 こういう思いも、若いころには、経験しなかったものだ。


●立ち読み

 今日も、近くの書店で、かたっぱしから立ち読みをした。私は、自称、立ち読みの神様。
1時間もあれば、雑誌から週刊誌まで、10〜20冊くらいは、読んでしまう。

 その中でも、いくつか気になった記事について……。

 K国からやってきた、Sさんの夫。Jさん。親しみをこめて、「Jさん」と呼ぶ。

 そのJさん、酒乱という情報が、重なっている。酒を飲むと、かなり人が変わるようだ。
Sさんを、殴ったりすることもあるという。

 そう言えば、Jさん。私の死んだ父に、顔つきが、どこか似ている? 私の父も、酒を
飲むと、人が変わった。飲まないときは、穏やかで静かな人だった。

 加えて、Jさんは、亭主関白だという。家父長的なものの考え方が、強いそうだ。私風
に言えば、悪玉親意識をもった権威主義者ということになる。「家事をいっさいしない」と
書いてある週刊誌もあった。

 つぎに気になったのは、やはりK国情報。月刊「S」が、おもしろい意見を発表してい
た。

 中国が、K国国境に、大軍隊をはりつけているのは、K国崩壊に備えてのものというの
だ。K国が崩壊したら、その軍隊で、イの一番にK国の核兵器を押さえるのだそうだ。中
国も、その核兵器が、第三国の手に渡るのを恐れている?

 全体としてみると、ほとんどの評論家は、韓国の外交政策を批判していたのが印象的だ
った。韓国の外交政策は、金大中大統領時代になってから、やることなすこと、すべてが
現実離れしている。たとえば最近、38度線上の、K国向けの広告塔を、早々と撤去した
ことなども、それに含まれる。

 ほかに皇太子妃のM子さんが、東宮御所を出るとか出ないとか。そんな記事もあった。
東宮御所を出るということは、事実上の離婚を意味する。

 あとは、パソコン雑誌、模型雑誌、月刊誌など。世界遺産シリーズの写真集も、見ごた
えがあった。

 そうそうどういうわけか、今日は、怪談ものを、いくつか読んだ。夏だ。が、若いころ
とちがって、恐ろしいと思ったのは、一つもなかった。読んでいる途中で、「バカな」「ア
ホな」「ありえない」「?」と思うばかりだった。

 最後に、今度新しく発売になった、「シンフォリーズ」(3)(マイファーストクラシック・
デルプラド社刊)を買った。アメリカに住む孫に送るためである。

 私自身は、つまらないと思ったが、孫(満2歳)は、喜んで見ているという。それを聞
いて、毎号、送ることにした。で、今日、その第3号が、発売になった。曲は、チャイコ
フスキーの「はなのワルツ」だそうだ。


●片山恭一の「世界の中心で、愛をさけぶ」を読む

 片山恭一の「世界の中心で、愛をさけぶ」を読んだ。どこかたよりなく、薄いガラス箱
のようなか弱さ。それでいて、キラキラと透明に輝く小説。(あるいは実話?)

 一気に読んだ。そして最後の、美しい夕日に向って、恋人の骨をまくところで、ホロリ
と涙がこぼれた。

 私が若いころには、「愛と死を見つめて」という小説があった。映画にもなった。歌謡曲
にもなった。みんな、その映画を見て、泣いた。歌を歌って、泣いた。そんなことを思い
出しながら、「世界の中心で、愛をさけぶ」を読んだ。

 淡々とした語り口。展開。飾らず、ありのままを書いていく。私が好きな書き方である。

 ……で、なぜ、読んだか?

 主人公の名前くらいは、覚えておかないと、今の若い人たちと会話ができない。それで
読んだ。

 アキは、白血病で死んだ、女性。朔ちゃん(朔太郎)は、相手の男性。

 あなたもためしに、あなたの息子や娘に、こう言ってみたらどうだろう。

 「美しい夕暮れに向って、アキの灰をまいたとき、朔ちゃんは、どんな気持だっただろ
うね」と。

 そこから親子の新しい会話が始まるかもしれない。

【この本をまだ読んでいない人のために……】

 中学時代、アキと朔ちゃん(朔太郎・さくたろう)が、出会う。交換日記をきっかけに、
二人は恋愛関係に。そして高校生になったある日、夢島に旅をする。

 が、その夢島から帰ってきてから、2か月後に、アキは、悪性貧血で倒れる。楽しみに
していたオーストラリアへの修学旅行の直前のことだった。

 以後、アキの闘病生活が始まる。それを、朔ちゃんが支える。そして「どうしてもオー
ストラリアへ行きたい」というアキの願いをかなえるため、病身のアキを、朔ちゃんが、
連れ出す。資金は、祖父から出してもらう。

 が、アキは空港で喀血し、そのまままた病院へ。そして、死ぬ。

 アキの遺灰をオーストラリアへもっていくが、朔ちゃんは、アキの遺灰を少しもって帰
る。

 中学時代から12年後、つまりはじめてアキと朔ちゃんが出会ってから、12年後。朔
ちゃんには、新しい恋人ができる。その恋人と歩いているとき、美しい夕陽が……。そこ
で朔ちゃんは、アキの遺灰をまく。

 「アキは僕の人生の終わりで待ってる」と。

 この本の中では、祖父の恋愛と、遺灰が、大きな伏線になっている。祖父は、昔の恋人
の遺灰を盗むために、朔ちゃんといっしょに、墓地へ忍びこむ。そういうシーンもある。

 最後のところで、ホロリと涙が出た。その涙が、この本のすべてを語る。「若い人には、
たまらない本だろうな」と思った。


●貧しいK国

 K国の、深刻な経済状況を示す数字が、朝鮮日報(韓国系新聞社)から、報道された(7・
27)。

 それによると、隣のK国では、

 白米1キロの価格が     …… 600ウォン
 勤労者の1か月平均給与   ……2500ウォン
(2002年7月の経済措置当時定められた市場価格、44ウォンの15倍)
 
 1ドルが1600ウォン(実勢交換レート)だから、アメリカドルに換算すると、勤労
者の1か月平均給与は、1ドル60セント。よくみて、2ドル。

 私は、この数字を見て、驚いた。最貧国とは聞いていたが、ここまで貧しいとは! わ
かりやすく言うと、K国の勤労者の1か月の平均給与は、日本円になおしても、たったの
200円弱。(200円弱だぞオ! 2万円とか、2000円ではないぞオ!)

 一日、たったの10円!

 しかも1か月の給料すべて、はたいても、白米、4・2キロしか買えないとは!

 これ以上のコメントは、さしひかえたいが、それにしても……??????

 金XXさん、核兵器の開発などやめて、国際社会の仲間入りをしなさい。ついでに、バ
カげた独裁政治など、やめなさい。いらぬお節介かもしれないが……。

 「恥」という言葉があるなら、今、すでに故国K国を捨てて、他国に脱出している人が、
30〜50万人(韓国、脱北支援団体推計。国連も、10万人余と推定)もいることこそ、
「恥」ではないのか。

 人一倍、メンツにこだわる金XXさんのことだから、こうした数字が示す重大さに、気
づかないはずはないと思うのだが……。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 25日(No.454)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●バニラ・チンチン

 小3のG君が、教室の隅においてあった、バニラの匂いがする芳香剤を見つけた。スプ
レー式の芳香剤である。

 その芳香剤を、あちこちにまき散らして遊んでいた。

私「そんなもの、まいてはダメだ」
G「つかまえられるもんなら、つかまえてみろ」と。

 教室といっても、広い。全体で22坪程度ある。そういう中で、活発ざかりの子どもを
つかまえるのは、容易ではない。実際には、できない。

 追いかけまわしている間にも、スプレーをまいていた。

 で、私は、あきらめた。あきらめたフリをしたとたん、G君も、席にもどった。

私「パンツにウンチがついているなら、席を離れていていい」
G「ぼくのは、ついてない」
私「臭いだろ」
G「臭くない」と。

 作戦を変えた。

 一枚、簡単なプリントを渡し、「できた人はもってきなさい」と。

 G君は、スラスラと、それをした。そして私のところへ、もってきた。

 私は、まだ細いG君の腕をがっちりとつかんだ。「アイ・ゴッチュ・ユー(つかまえた)」と。

 そしてG君をだきかかえ、そのスプレーでG君のズボンに、香水をかけた。

私「さあ、どうだ! 臭くなっただろ!」
G「そんなの、高級石鹸で洗えば、消える」
私「何だ、その高級石鹸というのは?」
G「ママが、もっている」
私「じゃあ、うんと臭くしておいてあげる」と。

 まわりにいた子どもたちが、「Gのチンチンは、バニラ・チンチンだ」と言い出した。

 私は、その言い方に笑った。みなも、笑った。

 そして今日。G君の弟(年長児)が、私の教室にきた。

私「お兄ちゃん、何か、言っていなかったか?」
弟「何も……」
私「おかしいな。何か言っていなかったか?」
弟「そう、ぼくのチンチンは、バニラチンチンだと言っていた」と。

 どういうわけか、その言い方がおかしくて、私は笑った。いっしょに来ていた、G君の母親も、
どこか恥ずかしそうに笑った。つられてまた、私は笑った。

 こういう笑いがあるから、幼児教室は、やめられない。楽しい。おもしろい。

++++++++++++++++++++++

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け

 子どもにより高価なものを買ってあげるのが、親の愛だと錯覚している人がいる。ある
いは「高価なものを買ってあげたから、子どもとのきずなは強くなった」と考える人がい
る。

親は子どもはそれで感謝するだろうと思ってそうする。あるいはそれで子どもの心をつ
かんだと考える。しかしこれは誤解。あるいはかえって逆効果。

先日も一人の祖母が、孫(小四女児)のために、数万円もするような服を買ってあげて
いるところがテレビで紹介されていた。レポーターが、「(そんな高価なもの)、いいんで
すか?」と聞くと、その女性は、「いいんです、いいんです。かわいい孫のことですから」
と言っていた。

が、こんな愚かなこと(失礼!)をするから、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。金銭
感覚そのものがマヒする。たとえ一時的に感謝することはあっても、その感謝は決して
長続きしない。

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのが
ある。子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行け
という意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。

少し前、どこかの自動車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モ
ノより思い出」。この思い出が親子のきずなを太くする。

 日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、
そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。

少し前、オーストラリアへ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングし
たものだった。それには、「友情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。日本
人がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、基本的な部分で違う。そし
てそれが親子関係にそのまま反映される。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫
にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿を振り返っ
てみてほしい。


+++++++++++++++++++++++

●反動形成

長い間、自分を偽っていると、いつしか、自然な形で(?)、まったく正反対の自分を演
ずるようになることがある。これを「反動形成」という。

よく知られた例としては、長男や長女が、下の子思いの、やさしいできのよい兄や姉を
演ずるのがある。

長男や長女は、そうすることによって、自分の立場を、とりつくろおうとする。心の内
では、親の愛情を半分取られたことによって、下の弟や妹に、はげしい憎悪の念をもっ
ている。しかしそれを外に出せば、自分の立場がなくなる。

「あなたはいいお兄ちゃんね」「やさしいお姉さんね」と言われているうちに、それにふ
さわしい自分を演ずるようになる。

同じような例としては、教職者や聖職者が、おかしな聖職者意識をもつことがある。こ
とさら、セックスの話を嫌ってみせたりする。聖人ぶったりする。

しかし仮面は、仮面。演技は、演技。反動形成を長くつづけていると、人格そのものが
バラバラになってしまう。当然である。

が、この反動形成が、親に現れることもある。

Sさん(40歳)は、近所では、やさしく、おだやかな母親として、通っていた。だれ
に会っても、柔和な笑みを絶やさなかった。

が、その裏で、Sさんは、中学生になったばかりの長男を、虐待していた。どんな虐待
をしていたかは、私には知る由もなかったが、そのため長男は、毎月のように胃潰瘍(か
いよう)で病院へ通っていた。

しかしSさんが、そうした母親を演ずるようになったのは、もっとずっと前からだった。
Sさんが、今の夫と結婚してからだと言う人もいる。もともと不本意な結婚だったらし
い。Sさんは、よい妻を演じ、よい嫁を演じ、その延長線上で、よい母親を演じていた。

が、さらにそのルーツはといえば、ひょっとしたら、Sさんが生まれ育った、家庭環境
にあったかもしれない。

Sさんは、3人兄弟の長女として生まれた。そしてSさんが、2歳のとき、妹の二女が
生まれ、さらにその3年後に、弟の長男が生まれた。

そういうところから生ずる、愛情飢餓感が、欲求不満になり、やがてSさんに反動形成
が生まれるようになった。Sさんは、その時点でも、よい姉という評判で通っていた。

このように一度、反動形成を経験すると、その人は、あらゆる場面で、その反動形成を、
繰りかえすようになる。

こうした例は、ほかにもある。

これは私の例だが、私は一度、飛行機事故を経験している。そのときは、飛行機恐怖症
で終わったが、それがいつしか、スピード恐怖症になったり、高所恐怖症になったりし
た。頭の中に、一定の思考回路ができるためと考えてよい。

その回路の中に、そのときどきにおいて、いろいろなものが、入ってくる。

そういう意味でも、心を偽るということは、こわいことである。こんな例もある。

B子さん(5歳)は、ふだんは、弟のめんどうをよく見、よい姉ということになって
いた。しかしある日のこと。母親が、弟を叱って、お尻をたたいたときのこと。その
B子さんが、手をたたいて、それを喜んでいたという。

母親は、B子さんの、心のゆがんだ部分を見せつけられたような思いで、ぞっとした
という。

そこであなたの子どもは、だいじょうぶか?

あなたの前で、ありのままを、そのまま表現しているか。

そういうことを、自然な形でできる子どもを、すなおな子どもという。一度、そんな
目で、あなたの子どもを観察してみるとよい。

【追記】

 よく学校の教師が、ハレンチ事件を起こしたりする。つい先日も愛知県の教師が、同僚
の女性教師の部屋を天井裏からのぞいて、逮捕されるという事件が起きた。

 分別もある、49歳のベテラン男性教師である。

 こういう事件が起きると、決まって周囲の人たちは、「教育熱心で、まじめな先生でした」
と言う。

 そう言わざる面もあるのかとは思うが、実際、そうだったのかもしれない。よい教師を
演ずる、その裏で、その教師は、自分の中のもう一人の自分を偽っていたのかもしれない。

 そこで改めて、本当の自分とは何か、それを考えてみる。

 大切なことは、日ごろから、本当の自分をさらけ出すことではないか。教師というのは、
どうしても、自分をつくってしまう。飾ってしまう。

 「教師」と言うだけで、人生の先輩、人格者と思われがちだが、むしろ、実態は、その
逆ではないのか。(だからといって、私は教師という職業を軽蔑しているのではない。私自
身も、含めて、そうだと思うから、そう書く。)

 人格者になるためには、それなりの苦労をしなければならない。幾多の苦労を経験して、
はじめて、人格者になることができる。教師には、教師なりのいろいろな苦労はあるだろ
う。しかし全体としてみると、今の教師たちが、ほかの民間企業に出たサラリ−マンより、
苦労をしているかといえば、それは疑わしい。

 そういう教師が、教壇に立ったとたん、聖職者と祭りあげられてしまう。つまりこの段
階で、すでに反動形成をつくりあげる要因が、完成していることになる。

 親に向って、「バカヤロー!」と言いたくなるときも、あるだろう。「家庭教育の失敗を、
押しつけやがって!」と、叫びたくなるときも、あるだろう。

 しかしそういうときでも、にこやかな笑みを浮かべ、人格者ぽく振るまわねばならない。
そういうところから、別の人間を演ずるようになってしまう。

 しかしそれにしても、教師によるハレンチ事件が、多すぎる? その理由の一つが、こ
こでいう反動形成によるものではないかと思う。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

特集【妻との離婚問題】


【GR氏(33歳・男性)からの相談より】

名古屋に住んでいるGR氏(33歳・男性)から、こんな相談が届いた。
 ここで、改めて、親・絶対教という、カルトについて、考えてみたい。
 今、GR氏は、結婚生活半年あまりで、妻と離婚すべきかどうかで、
 悩んでいる。

 日本の社会に深く根ざした、親・絶対教。そのカルト性に気づき、そ
 れを改めるのは、容易なことではないようだ。

 メールの内容は、大筋で、本題からはずれないよう、私のほうで許可※
 を得て、改変した。

++++++++++++++++++++++++++

【GRより、はやし浩司へ】

 私は、現在、名古屋にある、医療器械設計メーカーで、研究員をしています。近くの大
学で、講師の仕事もしています。私は、目下、妻と、離婚すべきかどうかで、悩んでいま
す。

 ことのいきさつは、こうです。

 私と現在の妻とは、昨年(03年)の終わりに結婚する予定でした。いっしょにいると
楽しかったので、そのまま結婚話へと進みました。

 が、その直前、妻の父親(義父)が、内臓のがんで倒れました。一時は結婚を延期しよ
うと考えましたが、義父のたっての希望で、今年(04年)の1月に結婚式をあげました。

 で、2月に、就職先(現在、住んでいる名古屋)が決まりましたので、私と妻は、それ
まで住んでいた富山を引き払い、名古屋に移り住んできました。その直後、義父は、手術
中に帰らぬ人となりました。

 が、ここで、大きな問題が起きました。妻の母親(義母)と妻の姉(義姉)を、富山に
残しておけないと、妻が言い出したのです。そこで一時は、義母と義姉を、名古屋に呼び
寄せることも考えました。

 が、義姉には、仕事があり、どうしても、富山を離れることができないと言い出しまし
た。

 妻は、義父の死で、かなりのショックを受けたようです。それはわかります。名古屋の
家に住むようになってからも、ほとんど、私とは、口をきかない毎日が、つづきました。

 が、今年の4月になってから、何かと富山に帰ることが多くなり、事件が起きました。

 妻が、富山に、家を買って、義母と姉といっしょに、暮らすと言い出したのです。

 で、私が富山まで行くと、すでに不動産屋とは話がついていて、私があとは、契約をす
るだけの段取りになっていました。5月の連休あけの日のことでした。

 しかし総額、4500万円です。35年の長期ローンになります。

 義母と義姉は、今、住んでいるマンションを売って、頭金にする。義姉の収入の何割か
を、ローンにあてると言い出しました。

 そして私には、名古屋で、学生が住むような安いアパートに住めばいい、と。

 しかし、ときどき富山へ帰って、義母の世話をするのと、35年ローンを組むのとでは、
中身がまったくちがいます。

 私も、どこかぶ然とした態度であったことは事実です。で、そのときは、契約をしない
で、私は、名古屋へもどってきました。

 が、その翌日のこと。富山にいた妻から電話がかかってきて、「何だ、あの態度は」「あ
なたは、私と母の夢をこなごなに破壊した」「私の家をめちゃめちゃにした」「男なら、も
っと男らしくしてよ」「妻の親に、孝行するのは、夫の義務」と。

 横に義母と義姉がいて、いっしょに、ワーワーとわめく声が聞こえてきました。「もう、
やめて!」と、義姉が叫んだほどです。で、そのとき義母も、倒れてしまったそうです。

 で、今は、妻は、「もう私は、実家にも帰れない」「しかしあなたのように冷たい男とも、
いっしょに暮らせない」と言っています。

 妻は、富山の実家(マンション)に帰ったままです。

 このまま離婚すべきでしょうか。どうしたらいいでしょうか。

++++++++++++++++++++++++++++

●親孝行論

 GRさんは、妻の一連の行動を、親孝行の一つとして理解すべきかどうかで、迷ってい
る。

(妻は、親孝行だと信じている。そして夫の生活が犠牲になっても、親孝行のためなら、
当然と考えている。)

 が、ここで登場するのが、親・絶対教という、カルトである。

 このカルトは、親から子へと、代々と引き継がれているため、その流れの中にいる人に
は、それがわからない。特徴としては、

(1)親は絶対であると考える。
(2)親のめんどうをみるのは、子どもの義務と考える。
(3)親のためなら、子どもの生活が犠牲になっても、当然と考える。

 この親・絶対教には、双方向性がある。

(1)親自身が、自分は絶対だと思う。
(2)子どもも、親が絶対だと思う。

 つまり親は親で、自分は絶対だから、子どもには、親に従えと教える。子どもは子ども
で、親のために犠牲になるのは、当然と考える。

 一方的な見方は、さしひかえたいが、GRさんの妻は、どうやら、親は絶対であると考
えているようである。

●ある事例

 10年ほど前だが、こんな事件があった。

 ある母親だが、息子が、外国へ行っている間に、預かっていた息子の財産を売りはらい、
そのお金で、家を改築してしまった。

 息子は、その母親に、自分で買った土地の権利書を預けておいた。ゆくゆくは、そこに
自分の家を建てるつもりでいた。が、母親は、それを「処分を任された」と、勝手に判断
してしまったらしい。

 そこでその息子は、中国のS市から帰ってきたあと、母親に泣きながら、抗議したが、
母親は、こう言い放ったという。

 「親が、先祖を守るために、息子の財産を使って、何が悪い!」と。

 この事例でも、その母親には、罪の意識は、まったくない。自分がしてはいけないこと
をしたという意識すら、ない。ないものは、ないのであって、どうしようもない。

 つまり、ここにカルト性がある。

 その母親にしてみれば、息子が、たとえ半年でも、日本を離れ、中国のS市で生活する
ようになったことは、「親を捨てた」ということになる。その母親は、息子が結婚したこと
についても、それ以前から、「息子を嫁に取られた」と言っていた。

 (ここまで書いて気づいたが、その母親にしてみれば、実家を離れて、息子が家を建て
るのが、許せなかったのかもしれない。だから土地を売ってしまったとも考えられる。)

 こうした事例は、多い。この日本では、本当に、多い。

●だれと結婚したのか

 カルトは、それ自体が、その人の価値観になっている。そしてそれがそのまま人生観の
柱になっている。だからそれを否定すると、その人は、猛烈に反発する。ときには、命を
かけることもある。

 それ以外の考え方を受けつけない。価値も認めない。同時に、それ以外の考え方を、排
斥する。

 たとえばGRさんの事例でも、キーパーソンは、義母である。こういうケースでは、義
母が、娘夫婦の幸福を最優先に考えなければならない。

 私がその義母なら、(と言っても、そういう考え方そのものが、その義母には理解できな
いだろうが)、GRさんの妻である娘にこう言う。

 「私たちは、どんなことがあっても、あなたたちには、迷惑をかけたくない。私たちの
ために富山へ帰ってこなくていい。高額なローンを組んで、苦労してほしくない。あなた
たちは、あなたたちで、幸福になってね」と。

 しかしもし、母親自身が、その親・絶対教の信者だったら、どうなるか。
 
 GRさんの義母は、娘の横で、泣き叫んだという。そのまま倒れてしまったという。妻
の言葉を借りるなら、「夢を、こなごなに破壊したからだ」という。

 となると、そもそもその結婚は、何だったのかということになる。

 義母や妻が描いた、理想の結婚生活(?)とは、義母と同居し、夫は、研究者としての
道を歩み……ということになる。いいかえると、そもそも妻は、夫と結婚するために結婚
したのではなく、心の何割かで、親のめんどうをみるために、夫と結婚したことになる。

 義母にしてみれば、娘として、それは当然のことということにもなる。

●喪失の苦しみ

 ただ妻は、少し前、実の父親をなくしている。そのショックは、それまでの親子関係に
もよるが、相当なものであったと推察される。

 父親をなくしたあと、精神を病む息子や、娘は、少なくない。知人の女性の中には、父
親をなくしたあと、そのままキリスト教団に入信してしまった人もいる。

 その悲しみや、苦しみは、いかばかりなものか。私やあなたがそうでないからといって、
そういう人たちの受けるショックを、軽くみてはいけない。

 GRさんの妻は、相当なショックを受けた。そのあとの母子関係をみていると、その関
係が、いかに濃密なものであったかが、容易に想像がつく。

 だからそういうショック状態にある妻の今の状況だけをみて、すべてを判断してはいけ
ない。またそのときの妻の判断が、正しいと思ってはいけない。妻は、ショックから、混
乱状態になり、さらにパニック状態になっている可能性がある。

 私なら、今は、結論を出さないだろう。少なくとも、もう少し妻が冷静になるまで、様
子をみる。ひょっとしたら、しばらく時間をおけば、妻も今の自分の考え方が、おかしい
と気がつくかもしれない。

 喪失の悲しみや苦しみは、それ自体が、心理学の世界でも、大きなテーマになっている
ほどである。

そう言えば、もう一人、男性だが、妻をなくしたあと、そのまま、勤めていた雑誌社を
やめてしまい、放浪の旅に出た人もいる。そのとき、その男性は、49歳。しばらくし
てから、その男性の動静を聞くと、周囲の人は、こう言った。「おかしくなってしまいま
した」と。

(もっともこの男性は、それから2年後、また別の出版社で、編集の仕事に復帰したか
ら、私は安心したが……。)

 この状態では、妻の悲しみや苦しみを理解することも、問題の解決のためには、重要
なポイントとなる。

●説得は、不可能

 あなたもどこかのカルト教団の本部の前で、「息子を返せ」「娘を返せ」と、泣き叫ん
でいる親の姿を、何かで見たことがあるだろうと思う。

 ある男性は、妻が、ある仏教系のカルト教団に入信してしまったことが原因で、離婚
してしまった。

しかしここで忘れてはならないことが、二つ、ある。

 ひとつは、カルト教団があるから、信者がいるのではないということ。それを求める信
者がいるから、カルト教団があるということ。だから、カルト教団をたたいても、意味は
ない。このことは、あの忌まわしいサリン事件を起こした、O教団を見ればわかる。

理性も分別もある、大学を出たようなエリートが、愚にもつかないような指導(?)に
従ってしまった。

 もうひとつは、夫にせよ、息子にせよ、だれであるにせよ、カルト教団に身を寄せたと
いう段階で、すでに、たがいの人間関係は、崩壊しているということ。その離婚した男性
にしても、彼は、「妻がその教団で、洗脳されてしまったため、離婚した」と言っていたが、
妻が入信した段階で、すでに、夫婦関係は、崩壊していたとみる。

 同じように、こうしたケースでは、つまりGRさんのケースでは、妻の親・絶対教が、
夫婦関係をおかしくしたとみやすいが、それは正しくないということ。すでにその原因は、
別のところの、どこかにあったとみる。

 カルトの最大の特徴は、その信者どうしの世界では、たいへん居心地がよいということ。
信者どうしが、親子以上の親子、兄弟以上の兄弟になる。この居心地のよさが、信者どう
しの結束を強くする。

 GRさんの妻は、母と姉との世界で、夫との世界以上の居心地のよさを、感じている。
つまりそれを否定することは、自分自身を否定することになる。

 あなたの妻は、命がけで、母や姉を守ろうとするかもしれない。つまりこの時点で、そ
れを理解しない夫は、そのカルトの外にいる、異端者でしかない。ある男性は、妻に向っ
て、こう言ったという。

 「オレの母に不満があるなら、お前こそ、この家から出て行け」と。そういう例もある。

●理解して、時を待つ

 親・絶対教の人に向って、それを否定しても、意味はない。またこの問題だけは、簡単
には解決しない。

もともと道理や理屈の通ずる世界ではない。しかもなおタチのわるいことに、それがそ
のまま日本の風土や、文化になっている。

だからこの問題に気づいた人は、相手を理解して、引きさがるしかない。争っても意味
はない。かえって、人間関係そのものまで、破壊してしまう。

私も、もともとは、古風な世界に生まれ育った。そのため、親類というより、その地域
の人たちは、そのほとんどが、親・絶対教の信者たちばかりである。

親の批判、批評すら許さない人も多い。そういう世界で、親・絶対教を否定したら、私
のほうが、はじき飛ばされてしまう。だから、それを知りつつも、それにあわせて、生
活するしかない.大切なことは、それぞれの人が、それぞれの世界で、それなりに平和で、
幸福な家庭を築くことである。

「親孝行が、家庭教育の要(かなめ)です」とだれかが言えば、「そうですね」と答えれ
ばよい。

カルトというものは、そういうもの。相手に向って、「あなたはまちがっている」と言う
こと自体、まちがっている。この世界では、そういう行為を、「ハシゴをはずす」と言う。
ハシゴをはずすのは、簡単なこと。しかしハシゴをはずされた相手は、そのあと、どう
すればよいのか。

そこでそういう人たちには、別の考え方があることを教えてやらねばならない。しかし
それは、実にたいへんな作業である。時間と努力の問題といってもよい。

GRさんのばあいも、そうで、GRさんの妻が、今の悲しみから立ちなおり、自分自身
のカルト性に気づくまでに、長い時間がかかる。決して、あせってはいけない。

【GRさんへ……】

夫婦の間には、いろいろな問題が起きます。

私の印象では、GRさんが現在かかえている問題は、それほど、大きな問題ではない
と思います。

こういう問題で、重要なことは、あなた自身の心だけは、決して、偽ってはいけないと
いうことです。飾ったり、ごまかしたりしてはいけません。すべてをさらけ出します。

あなたの本心は、どこにありますか?

あなたは妻を愛していますか? もしそうなら、まだまにあいますから、「好きだ」「別
れたくない」と言えばよいのです。

へんな意地は張らないこと。私たち夫婦も、何度か、離婚の危機に立たされたことがあ
ります。夫婦というのは、そういうものです。

そういう危機を乗り越えていくのも、結婚生活ではないかと思うのです。

親・絶対教は、たしかにカルトです。が、夫婦を別れさせるほどの力はありません。現
に私の友人の中には、夫は、熱心なクリスチャン、妻は、無関心。反対に夫は、無関心、
妻は、土日は毎日、布教活動という夫婦がいます。

しかし、みんな、それなりにうまくやっています。

ですから、妻が親を絶対と思っているならいるで、「そういう考え方もある」と理解し
た上で、あなたはあなたで、それを超えた考え方や思想をもつしかありません。「ぼく
も、お前の母さんを、大切にするよ」「努力するよ」「安心してよ」とです。

幸いにも、私のマガジンを購読してくださっているということですので、この問題に
ついては、これからもテーマとして、みんなで考えていきたいと思っています。

で、もう一度、繰りかえしますが、あなたは今、あなたの妻を愛していますか。もし
そうなら、プライドを捨て、「好きだ!」「別れたくない!」と、すなおな気持で、大
声で叫んでみてください。

そういう前提に立つなら、今の問題は、小さな問題となりますよ。そしてそれでも、
万が一、本当に離婚ということになっても、あなたは後悔しないはずです。すがすが
しい気持で、離婚できますよ。

一度、あなた自身はどうなのか、冷静に、静かに、判断してみてください。あとは、そ
れをすなおにさらけ出し、相手の判断を待てばよいのです。

++++++++++++++++++++++

 こうした問題は、いかにして未練を完全燃焼させるかということに行きつきます。別れ
るにしても、妻への未練を、完全に燃焼させておくということです。

 そのためにも、心を偽らないということです。あるがままの自分を、静かにみつめ、あ
とはそれに従って行動するということです。

 それには、あとで後悔しないためという意味も含まれます。あとで後悔するようなら、
別れなければよいのです。

とことん「好きだ」と言い、とことん「別れたくない」と言う。それでも相手が去って
いくなら、あきらめもつきます。ここでいうように、すがすがしい気持で、新しい人生
を歩むことができます。

 幸いにも(?)、子どもがまだいないということですので、今のあなたは、自分の心だけ
を見つめて、行動できます。子どもがいたら、そうはいかないと思います。

今日はたまたま休みで、家にいました。一日中、扇風機にあたって、昼寝をしていたと
いう感じです。

どうか、お体を大切に。今日は、これで失礼します。

マガジンのご購読、感謝しています。      はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●のど自慢INロンドン

 7月24日、夜、NHKで「のど自慢INロンドン」を見る。

 最初から最後まで、笑ってみた。ときに涙、あり。楽しかった。おもしろかった。

 ゲストは、森進一と小林幸子。

 日本とのちがいも感じた。

 歌い終わったあと、司会者が名前を聞くと、イギリス人は、ファーストネームしか言わない。

司会者「お名前は?」
女性「エルです」

司会者「お名前は?」
女性「ポリーです」と。

 ロンドン在住の日本人が、日本を思いながら、日本の歌を歌う。日本びいきのイギリス
人が、日本の歌を歌う。二世や三世が、祖父母から聞いた歌を歌う。

 演歌あり、唱歌あり、Jポップあり……。

 ところで話は、ずっと変わるが、私の孫の誠司(Sage)は、音楽を聞くと、体をス
イングさせる。二男が送ってくれたビデオの中に、そういうシーンがあった。

 まだ1歳にならない誠司が、である。それを見たとき、音楽に対する感覚が、日本とは
ちがうと思った。しかし今、逆に、イギリス人たちが、懸命に日本の演歌を歌っているの
を見ると、逆カルチャショックというか、そういうものを感じてしまった。

 とにかく、楽しかった。70分間という長い番組だったが、最後まで見てしまった。

 最後は、森進一の、「♪狼たちの遠吠え」。

 はじめて聞いた曲だった。私は「♪襟裳岬」を歌ってほしかったが……。

【追記】

 その名前のことだが、名字を大切にする日本人。ファーストネームを大切にする欧米人。
このあたりにも、日本人と欧米人の、「家」に対する感覚のちがいを感じた。

 (日本人の参加者は、みな、名字と名前を言っていた。)

 どちらがどうということではない。ただ、日本では、こんな会話は考えられないという
こと。

 司会者「お名前は?」
 私「浩司です」と。

 これをただ単なる、習慣のちがいと片づけてよいのか……と、考えながら、つぎの全国
ニュースを見た。


●ヒグラシ(2)

 先日、山荘で、ヒグラシの声を聞いた。

 あとでワイフに聞いたら、ワイフは、「よく眠っていたから、知らなかった」と言った。

 のんきな人だ。「あんなすばらしい声を聞かなかったのか?」と聞いたら、「そう言えば、
何かを聞いたような気がする」と。

 ワイフは、若いころから、一度眠ると、朝まで熟睡する。夢も、ほとんど、みないとい
う。

 そこで昨夜、土曜日の夜だったが、再び、山荘へ、やってきた。ワイフにヒグラシの声
を聞かせるためである。

 山荘へ着いたとき、時刻は、11時を回っていた。私たちは、しばらく庭で涼んだあと、
そのまま床についた。

 で、一方、私は、睡眠には、きわめて神経質。

 昔から、目覚まし時計は、実際には、必要ない。たとえば目覚まし時計を、6時にした
とすると、必ず、その前に目がさめてしまう。

 今朝も、そうだった。窓の外が、ほんのり明るくなるころには、もう目がさめていた。
静かに、ヒグラシの声を待った。

 遠くで、一匹だけ、かすかに、ヒグラシが鳴いた。

 ゆっくりと、どこか遠慮がちに。

 カナカナカナ……。

 するとそれを合図に、あちこちで、いっせいに、ヒグラシが鳴き始めた。

 カナカナカナ……
 カナカナカナ……
 カナカナカナ……と。

 私は横で眠っているワイフの体を、ゆすった。それに答えて、「聞いているわ」と、ワイ
フが言った。

 カナカナカナ……
カナカナカナ……
 カナカナカナ……
 カナカナカナ……と。

 やがてその合唱は、山々にこだまするようになった。大合唱である。

 どこかものわびしく、やさしい声。クレッシェンドで始まり、10回ほど鳴いて、やが
てデクレッシェンド……。そのまま朝もやの中に、声が吸いこまれていく。

 時折、二匹、三匹のヒグラシが、声を重ねる。二重唱になったり、三重唱になったりす
る。あたかも、本当に申し合わせているかのように、ピッタリと、呼吸が合うことがある。
それが和音になったり、奥深い鳴き声になったりする。

 声全体が、大海原の波が、砂浜に打ち寄せる潮騒のように、ゆるやかに耳に流れる。時
刻は、午前4時半少し前。あたりはまだ朝もやに包まれている。

 再び、ワイフに、「聞いているか?」と声をかけると、「聞いているわ」と。

 私は枕の下で手を組み、目を閉じて、その声に耳をすます。そう言えば、昨夜、ワイフ
は、寝る前にビールを飲みながら、こう言った。

 「私、このまま死んでもいいわ」と。

 町の中の風とちがい、山荘での風は、ここちよい。さわやかで、森の冷気をたっぷりと
含んでいる。

私「こんなところで死んでもらっては困るよ」
ワイフ「どうして?」
私「どうやって、死体を運ぶんだ?」
ワイフ「だから、あんたは、ムードがないのよ」と。

 が、今度は、私の番。

 私はヒグラシの声を聞きながら、「このまま死んでもいい」と思った。「こんな安らいだ
気分で死ねるなら、本望だ」と。

 しかしそのことは、ワイフには、言わなかった。もし言ったら、ワイフは、こう答えた
だろう。

 「どうやって、あんたの死体を運ぶの?」と。

 いつしか私は、再び、そのまま眠ってしまった。


●セルフィシュ(自己中心性)

 小学校の低学年児を観察していると、おもしろいことに気づく。何かにつけてセルフィ
シュ(自己中心的)な子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。

 セルフィシュな子どもは、(1)自分のことしか、しない。(2)自分の意見が、ぜった
い正しいと譲らない。(3)他人をキズつけることを平気で言ったり、したりする。(4)
自分は他人よりすぐれていると思う。(5)他人の意見に、耳を傾けない。がんこ。わがま
ま。(6)他人の好みを否定する、自分の好みを押しつける。

 セルフィシュな子どもは、それだけ、人格の完成度が低いとみる。言うまでもなく、人
格の完成度は、他人への同調性、同情性、協調性、調和性などによって、決まる。学力や
知力、あるいはその子どもがもつ情報量とは、関係ない。

 わかりやすく言えば、勉強ができる、できないということと、人格の完成度とは、関係
ないということ。むしろ(勉強)には、自己的利益の追求という側面がある。そのため、
勉強ができる子どもほど、どうしても利己的になりやすい。

 もちろん勉強ができる子どもの中にも、すぐれた人格をもった子どもはいる。勉強がで
きる子どもイコール、セルフィッシュな子どもというわけではない。

ただ、全体としてみると、利他的であればあるほど、その子どもの人格の完成度は高い
ということになる。そして逆に、その子どもが、より利己的であればあすほど、その子
どもの人格の完成度は、低いということになる。

 ……ということを考えながら、今日も、福井県を襲った大豪雨のニュースを見た。多く
のボランティアが、今、懸命に、救援活動をしている。この静岡県からも、たくさんの人
たちが参加している。

 ボランティア活動が、自然な形でできる人たちというのは、それだけ人格的にすばらし
い人たちということになる。

(追記)

 親子で、ボランティア活動に参加していた人たちがいた。子どもは、小学生である。母
親は、インタビューに答えて、「子どもに何かが残ればいい」と笑っていたが、私は感動し
た。必ず、子どもの中には、その何かが残る。

 みなさんも、機会があれば、こうしたボランティア活動に、親子で参加してみるとよい。
子どもの心の中に、すばらしい心の財産を残す。


●嫉妬(ねたみ)

 今日、ワイフと、嫉妬(ねたみ)について、話しあった。「嫉妬深い人ほど、それだけ心
がせまいということかもね」と、私が話したのがきっかけだった。

 「私」があれば、他人のことなど、気にならないはず。「私」がないから、人をねたんだ
り、うらやましがったりする。

 そうして考えてみると、嫉妬する人というのは、その「私」が、ない人ということにな
る。こんな事例がある。少しこみいった話だが、こうだ。

+++++++++++++++++

 A氏(60歳)は、かなりの財産家。郊外にだが、数十件の借家をもっている。そのA
氏には、二人の息子がいる。X氏(38歳)と、Y氏(35歳)である。その長男X氏の
妻が、Bさん(35歳)。

 A氏(義父)とBさん(嫁)は、それなりに仲がよかった。が、昨年、異変が起きた。

 一生、独身のままで、結婚しないだろうと思っていた、弟のY氏が、突然、結婚。その
ままY氏夫婦は、A氏と同居することになった。それまでA氏と、X氏、Y氏は、それぞ
れ別々のところに住んでいた。

 Bさんは、Y氏が結婚したその日から、A氏の家に寄りつかなくなってしまった。理由
は言わないが、A氏は、こう言う。

 「私が、Yの嫁ばかりをかわいがるから、やきもちを焼いているのでしょう」「孫(年長
児)にも会いたいが、Bが、会わせてくれない」と。

 しかし内情は、もう少し複雑のようだ。

 X氏とBさんは、見あい結婚。ハキのないX氏とBさんを、父親のAさんが、どこか無
理に結婚させたようなところがあった。そのBさんが、X氏と結婚したのは、X氏の財産
が魅力的だったからである。最初はそうではなかったのかもしれないが、いろいろあって、
やがてBさんは、X氏の財産をアテにするようになった。

 A氏は、折につけ、Bさんに、高額なものを買い与えた。外車も買い与えたことがある
というから、ハンパではない。

 そういうとき、Y氏が結婚した。Y氏の妻は、Bさんにとって、強力なライバルという
ことになる。しかもY氏の妻は、あろうことか、Bさんをさておいて、実家にあがりこん
だ。とたん、Bさんは、嫉妬。「長男である、私の夫のほうこそ、実家に入るべきだ」と騒
いだ。

+++++++++++++++++++

 この事例は、この先、こじれるかもしれない。親子でも、財産問題がからむと、こじれ
る。そこに嫁がからむと、さらにこじれる。こういう例は、多い。

 まずBさん(X氏の妻)の立場で、考えてみよう。

 Bさんは、X氏と結婚したときは、それなりに夢や希望があったのかもしれない。しか
しやがて、X氏(夫)との結婚生活に、幻滅するようになった。「こんなはずではなかった」
と思うようになった。

 一時は、離婚まで考えたが、そのとき、すでに、子どもは1歳になっていた。

 が、この時点で、祖父母(A氏夫婦)が、その孫を溺愛するようになった。季節の祝い
ごとがあると、A氏は、それをハデに祝った。

 そしてBさんが、「幼稚園の送迎用の車がない」とこぼすと、A氏は、外車を買い与えた。
「外車のほうが、事故を起こしても、安全だから」と。

 そのころから、Bさんは、子ども(A氏の孫)を利用して、A氏の財産を、操作するよ
うになった。「子ども部屋がない」と言って、家の改築費を、A氏に出させたこともある。

 そんなとき、予想に反して、夫の弟(Y氏)が結婚した。電撃的な結婚だった。そして
そのまま、A氏とY氏夫婦は、A氏の家で、同居することになった。

 Bさんにしてみれば、ゆくゆくは、A氏の財産は、すべて、自分のものになると思って
いた。が、ここで思惑が、大きく、はずれた。

 Bさんは、Y氏の妻に、はげしく嫉妬するようになった。Y氏の妻が、新しい服を買う
たびに、それをねたましく思った。

+++++++++++++++++++

 嫉妬心というのは、状況に応じて、心の奥底から、顔を出すもの。ふだんは、心の奥底
に隠れていて、外からは見えない。

 このことは、赤ちゃんがえりと言われる、子どもの症状を見ていると、わかる。それま
ではそうでなかった子どもが、下の子どもが生まれたことなどをきっかけに、赤ちゃんが
えりを起こすようになる。

 このとき、その赤ちゃんがえりという症状は、どこから来るのか? それとも新しく生
まれる感情なのか?

 実は、こうした嫉妬心は、人間が、広く、心の奥に内在するものである。それが何かの
きっかけで、外に出てくる。

 そこで子育てで、重要なことは、こうした嫉妬心を、いじらないということ。刺激しな
いということ。

 へたにいじったり、刺激したりすると、それが外に現れてくる。そして一度、現れると、
その嫉妬心は、いろいろな場面で、現れやすくなる。

++++++++++++++++++++

 嫉妬心をコントロールするものは、自己意識ということになる。

 だれにでも、嫉妬心はあるにせよ、その嫉妬心を、決して、それがあなたを操るままに
させてはいけない。その嫉妬心を抑制し、コントロールするのが、自己意識ということに
なる。

 それまでのBさんは、夫に不満はあったものの、義父のA氏とは、それなりにうまくや
っていた。

 が、夫の弟のY氏が結婚した。夫の実家に住み始めた。とたん、燃えるような嫉妬心が、
Bさんの心を包んだ。

 ……というほど、単純なものではないかもしれない。が、本来なら、ここで、Bさんは、
自分の心をコントロールしなければならない。

 A氏の財産にしても、Bさんには、相続権はない。Bさんが結婚した相手は、X氏であ
って、A氏ではない。本来、その結婚には、A氏の財産は、関係なかったはずである。

 が、Bさんは、自分の立場を、そういうふうに簡単に割り切ることができなかった。そ
してどこか混ぜん一体となった形で、嫉妬するようになった。

 しかし、Bさんは、だれに対して、嫉妬したのか?

 この問題には、もっと、別の問題が含まれる。

++++++++++++++++++++

 赤ちゃんがえりを例にとって考えてみよう。

 赤ちゃんがえりが、原罪的な嫉妬心が原因によって起こるものだとしても、では、その
子どもは、だれに対して、嫉妬しているのかということになる。

 母親か? 下の子どもか?

 しかしもともと嫉妬は、自分内部の欲求不満が原因となって、起こると考えられる。下
の子どもが生まれたことによって起こったといっても、それはきっかけにすぎない。

 Bさんは、はげしい嫉妬心を覚えたとしても、それはA氏や、Y氏、Y氏の妻に対して
ではない。Y氏の結婚が引き金にはなったが、しかしY氏の妻に嫉妬したのではない。

 これから先、満たされない欲求への不満感や、不安感が、原因と考えるべきである。

 ……少し話が、こみいってきたので、つづきは、また別に考えることにして、Bさんが
感じた嫉妬は、コントロール可能なものであった。コントロールできなくなったから、嫉
妬が嫉妬として、外に現れるようになった。

+++++++++++++++++++

●嫉妬心をコントロールする
 
 嫉妬心をコントロールすることは、はたして可能なのか。

 よく知られた、原罪的な嫉妬心に、鳥の嫉妬心がある。

 私の庭では、よく野生のハトが、巣をつくる。そしてたいてい二羽のヒナをかえす。そ
のヒナがやがて巣立ち近くになると、一羽のヒナが、もう一羽のヒナを、巣から、追い出
してしまう。

 追い出すというよりは、突き落とすというべきか。多分、親鳥のいないときを見はから
って、そうする。落とされたヒナは、まだじゅうぶん飛べない。そのままネコや犬に襲わ
れて死ぬ。

 こうした原罪的な嫉妬心は、実は、人間にもあるらしい。より優勢な子孫を後世に残し
たたいという、本能的なプログラムが、脳にインプットされているためと考えられる。

 で、問題は、そうした原罪的な、嫉妬心は……それを嫉妬心と言ってよいかという問題
もあるが、そういう嫉妬心は、人間の意思によって、コントロールできるかどうかという
こと。

 性欲や食欲とならんで、嫉妬心も、もし本能的なプログラムによるものだとするなら、
ことはやっかいである。簡単にはコントロールできないし、へたに扱い方をまちがえると、
人間性そのものまで狂わす。

 ……となると、やはり嫉妬心というのは、いじらないほうがよいということになる。と
くに子どもが乳幼児のときはそうで、子どもの心が定着するまで、おだやかで、静かな子
育てを大切にする。

 ……ということで、この問題は、ここまで。この先は、また別のところで考えてみたい。

 嫉妬には、大きな問題が隠されている。人間の本性全体にかかわるような大きな問題と
いってもよい。それが今日、わかった。
(040727)
(はやし浩司 嫉妬 嫉妬心 嫉妬論)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 23日(No.453)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの指導

 子どもを指導するとき、むずかしいのは、手綱を締めすぎても、またゆるめすぎても、
いけないということ。このかねあいが、むずかしい。

 「やればできるはず」と、締めすぎると、子どもは逃げてしまう。ゆるめすぎると、だ
らけてしまう。子どもといっても、相手は、生身の人間。好奇心とやる気をうまく引き出
しながら、それを学習へとつなげていく。

 しかしこの段階で、ガツガツするのは、よくない。エビでタイを釣る前に、そのエビを
釣るような行為は、かえって子どものやる気を奪ってしまう。じょうずにエビを泳がせな
がら、タイがくいついてくるのを、待つ。

 今、私の教室では、勉強の前に、パズルや知恵ワークをやらせている。周期的に、何か
テーマを決めて、そうしている。今は、パズルや知恵ワークである。

 隠し絵や、まちがいさがし、マッチ棒パズルなど。このとき、「できた人には、アメ玉一
個」という賞品をつける。勉強や学習に賞品をつけるのは避けたいが、これは(遊び)。ア
メ玉一個で、子どもたちは夢中になってやってくれる。

 こうして緊張感を高めたところで、「さあ、勉強しようか?」と、子どもたちを誘導して
いく。

 が、中に、1人、2人、まったく興味を示さない子どももいる。ひとりだけ、本を読ん
でいたりする。そういうときでも、私は、無理をしない。それぞれの子どもには、それぞ
れの儀式がある。その儀式が終わるまで、待つしかない。

 とくにこういう暑い日がつづくときは、そうだ。子どもたちは、学校で、ヘトヘトに疲
れてやってくる。どうしても能率が落ちる。脳細胞は、あまり暑いと、機能がにぶる。こ
と脳細胞についていえば、やや寒いほうが、よいかもしれない。あまり寒くて、ガタガタ
震えているようでも、ダメだが……。

 そう言えば、昔、私は、高校2年生のとき、AFS(アメリカン・フィールド・サービ
ス)の留学生試験を受けたことがある。三次試験まで生き残ったが、その三次試験で落ち
た。

 試験会場は、長野市にある女子高校だった。善光寺から歩いて、10分くらいのところ
だったと記憶している。ちょうど、東京オリンピックの開会式の日だったか、閉会式の日
だったか、そんな日だった。

 寒い日だった。予想外に寒い日だった。10月のある日だった。

 ほかの高校生たちは、親たちと来ていた。私だけ、ひとり。しかも学生服の下は、下着
一枚という軽装だった。

 私は試験会場で、ガタガタと寒さに耐えて震えていた。面接会場でも、そうだった。多
分それで落ちたのだと思う。(今、勝手にそう思っているだけだが……。)寒くて、寒くて、
脳細胞が、まったく機能しなかったのを覚えている。

 寒いのは、よくない。が、暑いのも、よくない。今朝(7・22)は、まだ涼しいが、
昨日は暑かった。おとといも暑かった。こういうときは、原稿を書こうとしても、アイデ
アそのものが、浮かんでこない。書きたいことはどこかにあるのだが、それが具体的な形
となって、出てこない。

 だから、こういうどうでもよいような文章になってしまう。私たちの世界では、ダ文と
呼んでいる。呼んでも、何も残らない。役にたたない。身につかない。そういう文章をい
う。

 それがよくわかるから、子どもたちには、こう言った。

 「暑かったね。まあ、今日は、のんびりとやろうね」と。

 テレビゲーム風にいえば、集中力……20%、攻撃力……35%、理解力……10%、
体力……25%と。これでは、ゲームにならない。相手からの攻撃をかわすだけで、精一
杯。

 昨日の授業は、そんな授業だった。あらためて、暑中、お見舞い申しあげます。


+++++++++++++++++++++++

●先生の悪口は言わない

 教育もつきつめれば人間関係で決まる。教師と生徒との良好な人間関係が、よい教育の
基本。この基本なくして、よい教育は望めない。

そこで大原則。「子どもの前では、先生の悪口は言わない」。先生を批判したり、あるい
は子どもが先生の悪口を言ったときも、それに相槌(づち)を打ってはいけない。打て
ば打ったで、今度は、「あなたが言った言葉」として、それは先生の耳に入る。必ず、入
る。

子どもというのはそういうもので、先生の前では決して隠しごとができない。親よりも、
園や学校の先生と接している時間のほうが長い。また先生も、この種の会話には敏感に
反応する。

 一方、先生もまた生身の人間。中には聖人のように思っている人もいるかもしれないが、
そういうことを期待するほうがおかしい。子どもと接する時間が長いというだけで、先生
とてこの文を読んでいるあなたと、どこも違わない。そこでこう考えてみてほしい。もし
あなたが教師で、生徒にこう言われたとする。「あんたの教え方ヘタだって、ママが言って
いたよ」と。そのときあなたはそれを笑って無視できるだろうか。中には、「あんたの教え
方ヘタだから、今度校長先生に言って、先生をかえてもらうとママが言っていた」と言う
子どもさえいる。あなたは生徒のそういう言葉に耐えられるだろうか。

 教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでもかけられる。しかし手を抜こうと
思うえば、いくらでも抜ける。ここが教育のこわいところでもあるが、それを決めるのが、
冒頭にあげた「人間関係」ということになる。実際、やる気を決めるのは、教師自身では
なく、この人間関係である。それを一方で破壊しておいて、「よい教育をせよ」はない。が、
それだけではすまない。

 あなたが先生の悪口を言ったり、先生を批判したりすると、子ども自身もまた先生に従
わなくなる。一度そうなるとそれが悪循環となって、(損とか得とかいう言い方は好きでは
ないが……)、結局は子ども自身が損をすることになる。仮に先生に問題があるとしても、
子どもの耳に入らないところで、問題を処理する。子どもが先生の悪口を言ったとしても、
「あなたが悪いからでしょ」と言ってのける。これも大原則の一つである。(はやし浩司の
サイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
 

【2】(雑感)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●両面感情

 少し前、両面感情についての原稿を書いた。それについて、今日の午後、ある人(女性)
と、こんな話をした。

 愛と憎の関係については、よく知られている。その人への愛情が、何かのことで、憎し
みに変わるということは、よくある。

 これは「愛」という感情が、「憎しみ」という感情と、ペアになっていることを示す。

 それについて、その女性は、「こうした両面感情は、ほかにもある」と。

 たとえば、期待感と落胆感、安心感と不安感など。

 考えてみれば、あらゆる感情には、両面性がある。東洋医学でも、相克(そうこく)論
を利用して、感情の両面性を説明している。

 だから感情をもつことは、人間だから、しかたないことだが、しかしその感情のとりこ
になっていると、自分でも、わけがわからなくなってしまうことがある。夢や希望に胸を
ふくらませていても、その夢や希望がつぶされたりすると、それが一挙に、落胆から絶望
感になってしまう。

 両面感情というのは、そういうもので、一つの感情の裏には、必ずといってよいほど、
その反対の感情がある。

 そこで重要なことは、要するに、それがよい感情であるにせよ、それに振り回されない
ということ。でないと、取り越し苦労や、ぬか喜びばかりを繰りかえすようになる。

 仏教にも、『縁にふんどうされる』という言葉がある。そのときどきの感情に押し流され
るまま、押し流されることをいう。そういう状態では、真理にたどりつくことはできない
らしい。

 言いかえると、感情の起伏は、必要最小限のほうがよい。『平常心』という言葉もあるが、
いつも平常心を保つ。

 どこか、その女性の言った言葉を、そのまま利用したようなエッセーになってしまった。
その女性はこう言った。「人間は、感情的になったら、おしまいね」と。

 私もそう思う。

 ついでながら、東洋医学でいう、感情の関係は、つぎのようになっている。

【7つの感情(七情論)】(霊枢・本神論篇)

 怒、恐、喜、驚、悲、思、憂の7つの感情を、七情という。

 これらの七情は、「気」の作用によって、起こるとされる。たとえば、「気が逆上して、
怒となる」など。

 ほかに、

 気が下降する……気が抜ける→恐れる
 気がゆるむ→喜ぶ
 気が動転する→驚く
 気が消える→悲しむ
 気がふさぐ→思う
 気をもむ→憂う。

 こうした気の流れは、精神面だけではなく、当然のことながら、健康面にも影響を与え
る。健康になるためには、気の流れを整える、つまり感情面での安定を大切にする。
(はやし浩司著「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)より)


●タンクトップ

ワイフと、近くの大型店へ買い物に行く。

 そこでの光景。若い女性たちが、胸の上から肩をむき出しの服装で歩いている。そうい
う服装を、タンクトップという。「時代も変わった」と驚いていると、ワイフが、「キャミ
ソールというのもあるわよ」と。

 そのタンクトップについて、私には、こんな思い出がある。

 学生時代、通訳のアルバイトをしていたときのこと。あるとき、アメリカ人の夫婦が、
高校生くらいの娘をつれて金沢へやってきた。

 その娘が、タンクトップを着ていた。当時の日本には、まだない服装だった。大きな胸。
はちきれそうな胸。私は通訳をしながら、しばしば歩けなくなっしまった。

 「歩けなくなってしまったよ」と私。
 「どうして?」とワイフ。

 わかっているくせに! 男というのは、そういう状態になると、歩けなくなる。

 それが今では、この日本でも、ごくふつうの服装になってしまった。もっとも今は、そ
んな服装の女性を見ても、歩けなくなるということは、ない。そんな元気は、もうない。

 「お前も、タンクトップを着てみたら?」と言いかけたが、やめた。ワイフがタンクト
ップを着たら、腹巻きならぬ、胸巻きになる。冗談にもならない。ハハハ。


●山荘では……

 都会に住んでいる人は、この話を信じないだろう。しかし事実は、事実。

 今日(7・22)も、浜松市内では、気温が、37度を超えた。が、山荘では、夕日が
沈むと同時に、冷気を含んださわやかな風が、谷間から、吹きあげてくる。今、この原稿
を書いているのは、午後11時だが、暑さを感じさせない。市内だったら、今夜も、クー
ラーをかけなければ寝ることができないだろう。

 しかしここでは、クーラー以上に、涼しい風が、窓から窓へと吹き抜けていく。

 緑のありがたさというか、改めて、森のもつ重要さを、思い知らされる。

 これから先、地球の温暖化が大きな問題になる。が、日本は、この問題では、本当にラ
ッキーな国だと思う。

 島国で、四方を、海で囲まれている。中央には、3000メートル級の山々がつらなっ
ている。温暖化の影響を受けるとしても、日本は、最後の最後。砂漠化の問題も、水不足
の心配もない。

 だったら、今から、10年後、20年後をみながら、緑をふやすことを、本気で考える
べきではないのか。とくに都会地域では、道路沿い、空き地、公園、公共施設などの周辺
には、どんどんと木を植えていく。

 町中を、すっぽりと緑で包んでしまう。

 こんなことを言うと、世界の人は怒るかもしれない。しかし私はあえて言う。「私たちは、
日本人は、最後の最後まで生き残って、世界が滅んだあと、その世界を再生してやろうで
はないか」と。

 どこかSF的だが、とりあえず、日本人の私たちがそう考えるのは、それほどまちがっ
ていないのではないかと思う。現に今、地球温暖化の影響をモロに受けて、破滅的な状況
を迎えている国は、多い。そういう国々へでかけ、木を植えたり、ダムをつくったりして
いる日本人は、多い。貧しい国々で、医療活動をしている医師も多い。

 さあ、みんなで、緑をふやそう。大切にしよう。……と考えながら、そろそろ、寝るこ
とにした。まぶたが重くなってきた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●冒険
 
 学生時代、私は、2、3000円というお金だけをもって、よく旅に出た。旅費は、ヒ
ッチハイクで浮かし、夜は、どこかの駅で寝た。たまに素泊まりの民宿で泊まったことも
ある。

 食事は、パンとか、そういうもの。

 この方法で、ほぼ、西日本全域を旅した。(どういうわけか、東京より、北へは行ったこ
とがないが……。)

 そういう冒険心が、消えたわけではない。今でも、したい。ひとりで、ぶらりと、あて
もなくさまよう。そういう旅をしてみたい。しかしそのあと結婚して、子どもができて、
私も落ちついた。静かになった。

 が、その冒険心も、若いころとは、質的に少し、変ってきたように思う。

 今、懸命に模索しているのは、どこか日本を離れて、外国へ移住すること。まだ健康な
うちに……。まだ元気なうちに……。

 第一候補。オーストラリアのビクトリア州南端にある、アポロベイ。
 第二候補。オーストラリアのビクトリア州のメルボルン。

 そういうところで生活をし、いよいよ動けなくなったら、日本へ帰ってきて、静かに死
ぬ。葬式も、墓もいらない。私の灰は、海へ流してくれればよい。

 そうそうどこかの宗教団体では、宇宙のどこかに、無数の霊魂が集まるところがあって、
死んだらみな、そこへ入ると教えている。巨大な、光のたまのようになっているそうだ。

 しかしそんな遠く(?)へ行かなくても、目の前に、海があるではないか。私は、その
海でよい。

 ……というようなことを書いたら、以前、「君は、海を汚染させるつもりか」と抗議して
きた人(男性)がいた。(ホントだぞ!)

 しかしあえて反論させてもらうなら、地球上のすべての人間の肉と骨を海に捨てても、
一日にして死ぬ魚の肉と骨の、何万分の1にもならない。あるいは、もっと少ないかも。
灰だけなら、そのままプランクトンのエサになる。

 まったく問題は、ない。海を汚染させるものは、もっと別のものだ。化学物質とか、化
学製品とか、そういったものだ。

 で、改めて考えてみれば、私の人生は、そのさすらいの人生だったように思う。(少し、
かっこよく書いたが……。)パンをかじりながら、駅で寝た。そんな人生だった。だから死
ぬまで、このままだろうと思う。今さら、私の生きザマを変えることはできない。

 だから自分の人生の最後の部分で、もう一度、その人生を確認してみたい。そのために
も、あの冒険の旅に出てみたい。

 そんなわけで、日増し……というよりは、年ごとに、そういった会話が、多くなった。
昨日もたまたまワイフと、そんな会話になった。

 「仕事をやめて、どこかへ行こうか」「いいわね」と。

 2年後か、3年後か、その時期は、近いように思う。がんばろう!


●水浴び

イヌのハナに、ときどき、水をかけてやる。しかし数度もすると、私が声をかけるだけ
で、逃げていくようになってしまった。イヌというのは、雰囲気で、それがわかるよう
になるらしい。

 いわゆる信頼関係が、崩壊したことを意味する。

 私は、そのほうが気持よいだろうと思うのだが、イヌには、ありがた迷惑? イヌは濡
れるのを嫌う動物だということは、聞いていたが、こうまで嫌うとは!


●「年だから……」という言い方

7月のはじめ、豪雨が、新潟県から福井県を襲った。

今は、その雨もやっと一息つき、各地で復旧作業が始まった。連日、その模様を、テレ
ビが、ニュースとして伝えている。

 その模様を見ていたときのこと。一つ、気になったことがあった。

 何人かの老人が出てきたが、たまたまどの老人も、こう言った。

 「私ら、年ですから……」
 「年ですからね……」
 「私も、この年ですから……」と。

 つまり老齢だから、こうした復旧作業は、きびしい、と。

 実は、無意識だったが、私も、ときどき、同じ言葉を使うようになってしまった。ワイ
フに向って、「オレも、年だからなあ」とか、息子たちに向って、「パパも、年だからな」
とか。

 つまりは、私はそう言いながら、ワイフや息子たちに、依存しようとしている。甘えよ
うとしている。自分でそう言いながら、ハッと我にかえって、「いやな言い方だ」と思って
しまう。

 もちろん復旧作業にあたっている老人たちには、きびしい作業だろう。やりなれた仕事
ならまだしも、こうした仕事は、使う筋肉もちがう。何よりもたいへんなのは、「ゴロリと
横になって、体を休める場所がない」(ある老人の言葉)ということだそうだ。

 だからそういう老人たちが、つい、「年だから……」と言いたくなる気持は、よく理解で
きる。しかし……。

 この言葉は、どこか(だから何とかしてくれ言葉)に似ている?

 よく依存性の強い子どもは、「のどがかわいたア!」「おなかがすいたア!」「退屈ウ!」
と言う。その子どもは、そう言いながら、親に向って、「だから何とかしてほしい」と言っ
ている。

 同じように、「年だから……」という言葉の裏で、こうした老人たちは、「だから、何と
かしてほしい」と言っている? 私にはそう聞こえる。

 昔、私の伯母にも、そういう人がいた。電話をかけてくるたびに、「オバチャンも、年だ
からねエ……」と。

 今から逆算してみると、そのときその伯母は、まだ、50歳になったばかり。今の私の
年齢より、若い。

 そこで私は、気がついた。人はともかくも、私は、死ぬまで、その言葉を使わないぞ、
と。自信はないが、そう心に決めた。

 このマガジンを書くときも、ときどき、似たような弱音を吐くことがある。しかし弱音
は、弱音。「もう、使わないぞ」と。

 年なんか、関係ない。体が弱くなり、頭の活動はにぶるかもしれない。しかしそれは当
然のことではないか。年のせいにしてはいけない。人間には、年はない。そんな数字にふ
りまわされて、自分をごまかしては、いけない。他人をあざむいては、いけない。

 なまけた心、たるんだ体……、それは年のせいではない。

 ……ということで、今日の教訓。私の辞書から、「年だから……」という、あのどこかず
るい、どこか甘えた言い方を、消す。

 そう言えば、私のワイフなどは、そういう言葉を使ったことがない。どうしてだろう。
あとで、その理由を聞いてみよう。

【ワイフの言葉】

 「私やね、年だなんて、思っていない」と、一言。ワイフの言うことは、いつも、単純、
明快。

 今でも、20歳の娘のようなつもりでいる。……らしい。おもしろい心理だと思う。

 「それにもう一つは、だれかに何かしてほしいとか、してもらいたいとか、そういう気
持ちにはならない。自分のことは自分で何とかしようと、いつも、それしか考えていない
から」と。

 ナルホド!

 「お前はいいダンナをもったな」と私が言うと、ワイフはヘラヘラと笑った。

 「そうじゃないか。オレが、苦労を全部、引き受けているからな」と私。

 ああ、これも依存性の変形か? ともかくも、私は、「年だから……」という言葉を使わ
ないことを、心に決めた。自信はないが……。

【追記】

 山荘の近くに、Kさんという男性がいる。いわゆる老人である。老人と書くのは、失礼
な言い方だが、年齢からすれば、老人ということになる。そのKさん。今年は、78歳に
なるが、今でも、現役で、山の中で仕事をしている。

 畑もあちこちにもっている。会うたびに、ヒョイヒョイと、体を動かして、農作業をし
ている。

 一方、50歳になったばかりというのに、太った体をもてあまし、ハーハーと、息も苦
しそうに歩いている人もいる。Sさんという男性である。聞くと、毎日、1、2本のビー
ルを飲み、ヒマさえあれば、ソファの上で、ゴロ寝をしているという。

 趣味は、テレビでプロ野球をみることだそうだ。

 この二人を頭の中で、単純に比較しても、やはり人間には、年はないということ。たし
かにKさんは、この10年の間に、かなりの畑を減らした。ミカン栽培もやめた。しかし
いつも、できる範囲で、仕事をしているといった感じ。決して、「年だから……」という弱
音を吐かない。

 一方、Sさんは、いつも、「年には勝てないよ」とか、「オレも、年をとってしまったよ」
と言っている。どこか生きザマが、うしろ向き。しかしそういうSさんにしたのは、Sさ
ん自身ではないのか……と、考えて、この話はここまで。

 しばらくこのテーマについて、考えてみたい。
(040723)


●オーストラリアの友人

 今、オーストラリアの友人夫婦が、シンガポールまで来ている。たまたま三男が、オー
ストラリアへ行く途中、シンガポールに立ち寄ることになっている。たがいに会う約束を
しているらしい。

 このところ、その友人夫婦は、毎年のように、長期の旅行をしている。ロンドンへ行っ
たり、イタリアへ行ったり……。

 うらやましいと思う。その友人は、私より1歳、若い。今は、悠々自適な、隠居生活と
いったところか。

【注】

 いつも、「どうしてそんなことができるのだろう?」と思う。

 しかし彼らの生活は、日常的には、実に質素。日本へ来たときも、本当に質素。どこか
生活に対するものの考え方が、基本的な部分でちがうように感ずる。

 それについては、また別の機会に考えてみたい。


●つらい言葉

 D氏(53歳)は、今、年老いた父親のめんどうをみている。D氏の父親は、今年80
歳になるが、元気。しかしがんこ。ただ足腰が弱くなったらしく、ほとんど外出しないと
いう。

 そのD氏が、昨夜、電話でこう言った。

 私が「たいへんですね。このところ暑いですから……」と話したときのこと。

 「世間では、私のことを、孝行息子と言っているようですが、とんでもない誤解です。
私は、ただ、見るにみかねて、世話をしているだけです」と。

 D氏は、40〜50世帯しかない、村の中に住んでいる。そのD氏が、いちばん、いや
なこととして、こんな言葉をあげた。

 「近所の人たちがね、私に、『Dさん(=私の父)も、いい孝行息子をもって、幸せだね』
と言います。そういう言葉を聞くと、真綿でクビをしめられるような、いやな気分になり
ます」と。

 D氏と父親の関係は、とっくの昔に冷え切っている。母親が若くして死んだのも、もと
はといえば、父親の浮気が遠因だった。父子の関係にありながら、あるいはそれゆえに、
たがいの憎しみも大きい。

 「私の家の内情を知らない人たちは、表面的な部分だけを見て、好き勝手なことを言い
ます。私は何も、世間の目を気にして、孝行しているわけではないのです。

 最近では父までが、『オレは、いい息子をもって、幸せだ』などと言うようになってしま
いました。まったく人の気持ちを理解できない人になってしまいました」と。

 それぞれの家庭には、それぞれの複雑な事情というものがある。批判するのはもちろん
のこと、その人をほめたり、たたえたりするのも、慎重でなければならない。


●最後の「家族」

 何もない。財産もない。名誉も、地位もない。肩書きもない。そんな私たちだから、最
後に残された家族だけは、大切にしようと、心に決めた。

 昨夜も、ドライブをしながら、ワイフと、こんな会話をした。

私「ぼくたちには、何もないから、せめて、家の中には、笑い声だけがひびくようにしよ
う」
ワイフ「そうね。それしかないもんね」と。

 最後の最後まで、助けあって、楽しく暮らす。貧乏になっても、そして病気になっても
……。

 少し湿っぽい話になったので、このつづきは、また……。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 20日(No.452)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●まじめな子ども

 言われたことをきちんと、しかも従順にする子どものことを、まじめな子どもと考えて
いる人がいる。しかしこれは誤解。

その子どもがまじめかどうかは、その子どもがどれだけ自己規範(自分で考え、その判
断に従って行動すること)を守れるかどうかで決まる。こんな子どもがいた。

 ある日、バス停で一人の女の子(小三)に会った。以前の生徒だったので、「ジュースを
買ってあげようか」と声をかけると、その子はこう言った。「いいです。これから家に帰っ
て、夕ご飯を食べますから。ジュースを飲んだら、夕ご飯が食べられなくなります」と。
こういう子どもをまじめな子どもという。

 子どものまじめさは、家庭環境で決まる。しかも〇歳からの乳幼児期にかけて決まる…
…? そのことを、私は二匹の犬を飼ってみて知った。

 私の家には二匹の犬がいる。一匹は、保健所で処分される寸前にもらってきた犬(これ
をA犬とする)。もう一匹は、愛犬家のもとで手厚く育てられた犬(これをB犬とする)。

この二匹の犬は、我が家へ来てからずっと、性格は幼犬のときのまま。A犬は、もう一
五才にもなるが、忠誠心も弱く、裏の木戸があいていようものなら、すぐ遊びに出て行
ってしまう。だれにでもシッポを振るから、番犬にはならない。

一方B犬のほうは、態度も大きいが、忠誠心も強い。見知らぬ人が来たりすると、けた
たましくほえる。実のところ人間も犬と同じ。生後まもなくから、親の手を離れて育っ
た子どもや、育児拒否、家庭騒動、虐待を経験した子どもは、A犬のような性格をもつ。

一方、心穏やかな環境で、親の愛をたっぷりと受けて育ったような子どもは、B犬のよ
うな性格をもつ。これ以上のことは、あれこれ誤解を招くので。ここでは書けないが、
子どもをここでいう「まじめな子ども」にしたかったら(当然だが……)、B犬が育った
ような環境で、子どもを育てる。

もっと言えば、子どもの側からみて、絶対的な安心感のある家庭で、子どもを育てる。「絶
対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。そういう家庭があってはじめて子
どもは、善悪を静かに判断して、それに従って行動できるようになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●マトリックスの世界

 少し前、キアヌ・リーブズ主演の、『マトリックス』という映画があった。おもしろい映
画だった。仮想現実の世界を母体(マトリックス)と思い込んだ人たち(?)が、本当の
母体を知るという映画だったが、しかしそれは映画の世界だけの話ではない。

 子どもを育てるということは、人間を育てることをいう。教育というのがあるとするな
ら、それは子どもに生きるために必要な知識や経験を、武器として与えることをいう。し
かしそれが今、逆転している。

教育のために、子どもを育てるのが、この日本では子育ての基本になっている。そら進
学だ、そら受験だ、と。人間を育てる世界を母体(マトリックス)とするなら、教育の
世界は、いわば仮想現実の世界ということになる。が、ほとんどの親はその仮想現実の
世界にハマりながら、それが仮想現実の世界だとすら気づかないでいる……! こんな
ことがあった。

 K君(中一)という、本当にまじめな子どもがいた。ただ能力的には、あまり恵まれて
いなかった。私のところへ来ても、ただひたすらコツコツと勉強をしていたが、そんなわ
けで学校での成績は思わしくなかった。

で、最初の期末試験が終わったときのこと。K君の母親から電話がかかってきた。いわ
く、「成績が悪かった。もっと息子をしぼってほしい」と。しかし私はこう言った。「K
君には、よくがんばったねと言うことはできても、これ以上がんばれとは、私には言え
ない」と。

すると今度は父親から電話がかかってきて、「うちの息子はどうしても、S高(静岡県で
も最難関の進学高校)へ入ってもらわねばならない。S高へ入れてもらえるか」と。そ
こで私が、「うちは進学塾ではありません」と言うと、「君はうちの子ではS高は無理と
言っているのか。失敬ではないか!」と、怒り出してしまった。

 この両親のばあいも、人間を育てるという本来の母体(マトリックス)を忘れてしまい、
仮想現実の世界で子どもを育てていた。本末転倒という言葉があるが、まさにその本末が
転倒していた。

 映画「マトリックス」は、もちろんSF(空想科学)映画だが、しかしSFとばかり言
えない面がある。一度仮想現実の世界にハマってしまうと、それが現実の世界だと思い込
んでしまう。さて、あなたも一度、あなたの仮想現実の世界を疑ってみたらどうだろうか。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●学歴

学歴をぶらさげて歩いている人は、多い。それはわかる。
夫の学歴をぶらさげて歩いている人も、多い。それもわかる。
さらに息子や娘の学歴をぶらさげて歩いている人も、多い。それもわかる。昔、あるこ
とで口論になったとき、私にこう叫んだ、女性(60歳くらい)がいた。

「私やね、こう見えても、息子を、東京のD大学を出しましたからね」と。

 しかし父親の学歴をぶらさげて歩いている、娘がいたのには、驚いた。本当に、驚いた。
「いい親子だなあ」と思う前に、正直言って、あきれた。

 しかも話を聞くと、それほど有名な大学でもなさそうだ。東京のT大学とか、京都のK
大学というのなら、まだ話もわかる。地方の、戦後の新設大学である。

 その父親は、いったい、その娘に、どんなプライドを植えつけたというのだろうか。(こ
れ以上のことは、ここには、書けない。ごめん!)

 ……という話から、私はいくつかの話を思い出した。

 この学歴意識と、「家柄(いえがら)」意識は、よく似ている。あるいは家柄意識の愚劣
さは、家柄を学歴に置きかえて考えてみると、よくわかる。

 人は、自分の自尊心のよりどころを何かに求めて、生きている。そのよりどころに身を
寄せることで、自分を支えたり、立てなおしたりする。それはわかる。

 しかし最終的に行きつくところは、(自分)である。釈迦も、こう言っている。『己こそ、
己のよるべ。己をおきて、たれによるべぞ』(法句経)と。「自分こそが、自分のよりどこ
ろ。その自分をさておいて、だれによることができるか」と。

 この話につづいて、さらにこんなことも思い出した。

 ある夫婦だが、夫婦で、泥棒行脚(あんぎゃ)をしているという。妻が、どこかで見張
り、その間に、夫が、他人の家にしのびこんで、空き巣を働くというものである。

 私はその話を聞いたとき、夫婦でしていることは別として、「いい夫婦だなあ」と思って
しまった。想像するだけでも、おもしろい。私のワイフなんか、そんなこと手伝ってくれ
と頼めば、その日のうちに、家を出ていってしまうだろう。薄情なものだ。

 いいかえると、夫の学歴にぶらさがる人にしても、息子や娘、さらには、父親の学歴に
ぶらさがる人にしても、その関係は、濃密(?)とみてよい。濃密だから、相手の価値観
やものの考え方を、そっくりそのまま受け継いでしまう。

 先の父親の学歴にぶらさがって生きる娘にしても、父親を思う気持が、そうさせている
のかもしれない。「私の父は、偉大だった」と。

 しかし考えてみれば、これは、ファーザー・コンプレックスではないのか……? 

 よくマザコンの男性が、母親を徹底的に美化するのに似ている。年をとればとるほど、
その回帰性からか、マザコンやファザコンになる人は多い。しかし若い女性が……?

 このあたりの心理については、私は、よくわからない。しかし結論としては、こんなこ
とが言える。

 あくまでも生きるのは、私であり、あなただということ。私が何をしたか。何をしてい
るか。これから先、何をするかが重要であって、もし相手がいるとしたら、その(かねあ
い)の中で、相手がいるにすぎない。

 その若い女性が、これから先、自分の愚劣さに気づき、ついで自分をつくるのに、まだ
まだ長い時間がかかるかもしれない。あるいはそれに気がつかないまま、一生を終えるか
もしれない。私の知ったことではないが……。


【追記】

 老人になると、回帰的傾向から、マザコン、ファザコンになる人は、多い。母親や父親
を、ことさら美化するようになる。自分の死が近づくと、先に死んだ、父親や母親を、よ
り濃厚に思い出すためではないか?

 ……実は、これは私自身の問題でもある。

 心理学の世界にも、「展望」と「回顧」という言葉がある。老人の心理を説明した言葉だ
が、老人になればなるほど、展望性がなくなり、回顧性が強くなるという。その分岐点は、
50〜60歳だという説もある。

 つまりこの時期を境に、急速に、回顧性が強くなるらしい? そしてその回顧性がきわ
まってくると、極端なマザコン、ファザコンになるらしい?

 今は、こうして他人ごとのような文章を書いているが、正直言って、自信がない。その
年齢になれば、私も、その年齢の人がするような人間になる。そういう意味では、私は、
たいへん平均的な人生を送ってきたように思う。つまり平均的な人間ということ。

 私ひとりが、特別と考えるのは、まちがっている。私ひとりが、みなとちがった生き方
ができると考えるのは、まちがっている。

 だからやがて、回顧性が強くなって、今とはちがった考え方をするようになるかもしれ
ない。

 まあ、それまで自分の変化を、静かに観察してみよう。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ヒグラシの大合唱

 朝、あけがたとともに、ヒグラシの大合唱が、始まる。

 その合唱が、大オーケストラの演奏のように、山々にこだまする。

 それはあたかも、大海の波のよう。やさしく砂浜に打ち寄せえては消え、そしてまた打
ち寄せては消える。

 カナカナカナ……
 カナカナカナ……
 カナカナカナ……。

 静かなクレッシェンドで始まり、同じようなデクレッシェンドで、消えていく。どこか
もの悲しく、ものわびしい。

 近くに、3、4匹のヒグラシがいるらしい。大オーケストラの演奏をバックにしながら、
ひときわ大きな声で、鳴きつづける。二重唱、三重唱、そして四重唱。その壮大さ、その
荘厳さ。

 私はいつしか、ヒグラシの大合唱に、身が包まれているのを知る。

カナカナカナ……
 カナカナカナ……
 カナカナカナ……。

 再び襲いくる睡魔。その睡魔と闘いながら、ヒグラシの声を耳にとめる。やや低い声で
一匹のヒグラシが鳴く。それをおいかけるようにして、もう一匹のヒグラシが、やや甲高
い声で鳴く。つぎにもう一匹……。

 朝もやの、薄明かりの中で、ふと隣を見ると、ワイフは、両手を左右にのばしたまま、
まっすぐ上を向いて眠っている。

 起きているのか?
 同じように聞いているのか?

 おだやかな顔をしている。が、私の意識も、そこで消えた。

 森の冷気。その寒さに体を震わせ、軽い毛布を、私の体とワイフの体にかける。そして
そのまま朝……。


●近所の老人が、倒れた!

 昼ごろ、救急車が近くで止まった。
 窓から外を見ると、ライトがパカパカと点滅しているのが見えた。

 こういうとき瞬間、迷う。見に出てよいものか、どうか、と。

 相手は見られることをいやがるにちがいない。しかしこちらは、気になる。だれだろう?
 どうしてだろう?

 玄関から外へ出ると、近所の人たちも心配そうに、その家をのぞいていた。その家には、
80歳をすぎた老人がいる。いつも電動の車椅子で、あちこちを動き回っている。

 その老人だろう……と思って見ていると、救急隊員が家の中から、その老人が、タンカ
ーで運ばれてきた。

 金属的な音。味気のない台。同じように金属的な光。

 その老人は、なにやらひとりで叫んでいた。痛いのかと思ったが、それはうわごとだっ
た。少し耳を傾けたが、何かにおびえているようだった。意味はわからなかった。

 やがて家人がいっしょに乗った。ドアがしめられた。しばらく何かの処置をしていると
いったふうだった。私は、その光景を、少し離れたところか見ていた。が、長つづきしな
かった。

 何か見てはいけないものを見たような気分で、私は、そのまま家の中に入った。ワイフ
が、そこに立っていた。

 「Wさんのおじいさんだった……」と私。
 「あの人ね、血圧が高いということだったから……」とワイフ。

 私がここに住むようになってすぐ、Wさんたちも引っ越してきた。そう意味では、いっ
しょに住むようになって、25年以上になる。血圧のせいなのか、それとも酒のせいなの
か。若いときは、結構、血気さかんな人だった。

 晩年は、何度か、心筋梗塞で倒れ、そのたびに、ぐいぐいと老人臭くなっていった。年
齢も離れていた。いっしょに、何かの行動をしたという思い出は、ほとんどない。道路で
会うと、あいさつだけをする。そういう間がらだった。

 が、何かしら、ふと、心の中を風が通るのを感ずる。何かしら、不吉な予感。

 「うわごとを言っていたよ」と私が言うと、ワイフは、「暑いのは、血圧によくないのよ
ね」と言った。

 義理の兄も、私より1歳だけ年上だが、昨年、それで倒れている。幸い、すぐ回復した
が、血圧が高いと、寒いのはよくないというが、暑いのもよくないらしい……?

(反対に、私のように低すぎるのも、よくない。ボケるそうだ。ちなみに、昨日、測っ
たら、107−70だった。このところ、少し高くなった感じ……。)

◆最大血圧 100〜139(mmHg) 
◆最小血圧 60〜89(mmHg)、が標準だそうだ(旭川保健医療情報センター)。

 「病院へ、見舞いに行かなくてもいいのかね?」と私。
 「いいんじゃ、ない」とワイフ。
 「でも、見てしまったし。知らぬ顔もできないだろ」
 「救急車で運ばれたときは、みんな、見舞いには行かないみたいよ」
 「どうして?」
 
「だって、入院したわけではないから」
 「入院したよ」
 「でも、そういう連絡が入ったわけではないでしょ」
 「……」
 「明日になれば、ケロッとして、また車椅子に乗っているわよ」
 「そうだといいけどね……」と。

 ふと、「明日は、ひょっとしたら、私かもしれない」と思った。明日でないにしても、来
年とか、再来年とか……。生きるということは、そういう点では、薄い氷の上を、恐る恐
る歩くのに似ている。その下では、死が、「おいで、おいで」と、いつも手招きして待って
いる。

 そういえば、話は少しかわるが、SGさんと、Jさん(昨日、インドネシアから帰って
きた、拉致被害者家族)、それに二人の娘さんたちをテレビで見ていると、どのシーンを見
ても、涙がポロポロとこぼれてきてしまう。

 涙もろくなったものだ。とくにSGさん。今でこそ、表情も明るいが、少し前まで、顔
を見るのもつらかった。体中で、鉄のような苦しみや悲しみを、受け止めているような感
じだった。

 「よかった、よかった」と思うたびに、つぎの瞬間、同時に涙がポロポロと出てきてし
まう。

 いろいろ意見はあるようだが、私は、SGさん、Jさん、それに二人の娘さんたちにつ
いては、日本政府は、日本は、最大限の世話をするべきだと思う。最大限、だ。国力をす
べて傾ける。

 それくらいのことをする責任は、日本政府にはある。日本人には、ある。それこそ、病
院全部を借りあげ、医師や看護師全員を借りあげてでも、そうしたらよい。

 そうすることによって、「日本は、日本人は、ここまで日本人一人ひとりを大切にするぞ」
という日本の姿勢を、K国の、あの独裁者に見せつけてやることができる。それがこうい
った拉致事件の、抑止力にもなる。

 ……と考えて、この話は、おしまい。Wさんについては、もう少し様子を見てから、見
舞いを届けようと思っている。


●書斎の移動

 書斎を、二階の部屋から下の居間に移した。暑くて、仕事にならない。

 居間にもクーラーはないが、深い栗の木にさえぎられ、涼しい。扇風機があれば、何と
か、しのげる。

 ときどきハナ(犬)が、庭へやってきて、セミを取る。言い忘れたが、うちのハナは、
セミを食べる。最初は「?」と思ったが、タンパク源としては、悪くないそうだ。

 そのハナに、ダニよけの薬をつけてやる。ハナはいやがるが、放っておくわけにもいか
ない。のどかな昼下がり。もう少ししたら、町へ仕事に行く。

 こういうときは、間断なく、お茶を飲む。私はそういう体質で、こういう暑い日は、昼
間だけで、毎日3〜4リットルもの水を飲む。午前中だけでも、2リットル。夕食後にも、
1リットル程度の水を飲む。合計すると、6〜7リットルにもなる。

 体中、水だらけといった感じ。少し水を飲まないでいたりすると、のどが乾くというよ
り、落ちつかない。だから座右には、いつも、ウーロン茶のペットボトル(2リットル)
が、置いてある。

 目の前では、扇風機が勢いよく回っている。あまりにも暑いせいか、セミの声も、どこ
か元気がない。のどかな、のどかな、ふとうたた寝したくなるような昼下がり。風が肌を
さする感触が、気持ちよい。

 昼寝モード。睡魔、ただ今、70%進行中。遠くで、カラスが鳴いた。冷蔵庫のモータ
ーが、ブルブルと回っている。白い光をあびて、キーウィの葉が、やさしく揺れる。

 ……もう、だめだ。昼寝……。ゴロリ、10秒前。9秒……。8秒……。


●つくる人間関係VSこわす人間関係

 人間関係をつくるには、長い時間がかかる。しかしこわすのは、簡単。ほんの1日でよ
い。数時間でよい。数分でよい。

 私も若いころは、愚かな人間だったから、(今も、そうだが……)、それまでの人間関係
を、平気でこわしてしまったことが、何度か、ある。そのときの感情に任せて、言いたい
ことを言ってしまう。したいことをしてしまう。そしてその結果として、人間関係をこわ
してしまった。

 が、それでも若いときは、まだ修復できた。時間が解決してくれるのを、待つことがで
きた。が、今は、そうではない。待つべき時間そのものが、もうない。こわれたら、最後。
こわれっぱなし。それで終わってしまう。

 なぜか。

 一度、こわれると、その関係を整理してしまう。そして整理してしまうと、もうあとも
どりできなくなる。そういう器用さが、なくなる。具体的に考えてみよう。

 ある夜のこと。居間でお茶を飲んで、そろそろ寝る準備をしようと考えていたそのとき、
電話がかかってきた。ある中学生の母親からのものだった。そしていきなり、こう怒鳴っ
た。

 「先生、長い間、お世話になりました。で、今夜かぎりで、先生の教室をやめさせても
らいます。ガチャン」と。

 理由も何も言わなかった。思い当たることもなかった。私はショックで、その夜は、夜
半過ぎまで、眠れなかった。くやしかった。なさけなかった。

 「私のしている仕事は、こんな程度のことだったのか」と。

 翌日も、気分は晴れなかった。幼児のときから、8年近くも教えてきた子どもである。
いろいろなやめ方はあるが、そんなやめ方は、ない。親は、「やめる」と言うが、私たちの
世界では、それを「クビ切り」という。どこもちがわない。

 そしてその夜までに、自分をもちなおし、なんとか不快感を心のすみに、追いやること
ができた。私は、その中学生のことは、忘れることにした。

 が、そのつぎの朝のこと。再び、その母親から、電話がかかってきた。そしてこう言っ
た。

 「先生、おとといは、すみませんでした。あの夜、息子と喧嘩をしていました。それで
私が、『そんなことを言うなら、BW(=私の教室)をやめさせる』と言いましたら、息子
が、『できるもんなら、やってみろ』と言いました。それであんな電話をしてしまいました。

 私は、息子をやめさせるつもりはありません。明日から、また先生のところへ行かせま
すので、よろしく」と。

 そのとき私は、まだ20代の後半。今なら、もう少しじょうずな言い方ができるかもし
れない。あるいは怒ったにせよ、その怒ったことを隠しながら、別の行動をとったかもし
れない。しかしそのときは、本気で怒ってしまった。私は、こう言った。

 「もし、そうなら、そうで、どうしてその夜、内緒でもいいから、電話をしてくれなか
ったのですかア!」と。

 このケースでは、私は、1度目の電話から2度目の電話の間に、心の整理をしてしまった
ことになる。だからそのあと、母親にあやまられても、どうしようもなかった。いわゆる
『覆水、盆にかえらず』というのである。

 ……この話は、実は、フィクションである。似たような話をいくつか集めて、私がアレ
ンジした。しかしこういう例は、多い。私の実感としては、年をとるほど、多くなったよ
うな気がする。

何かの事件が起きる。それでこちらは、その事件を忘れようと、心の整理をする。が、
相手は、それに気づかない。気づかないまま、あやまれば、またもとにもどると考える。
が、もうもとにもどらない……。

 こうした例は、インターネットの世界では、日常茶飯事。ものごとが、瞬時、瞬時に動
いてしまうからである。その上、それまでの蓄積がない。積み重ねて気きた(つながり)
がない。もともと顔も知らない人ばかり。ささいなことがきっかけで、人間関係は、その
ままこわれてしまう。

 たとえて言うなら、それはふくれては、消えるシャボン玉のよう。が、それでも昔は、
そうしたシャボン玉が、ゆっくりとふくれて、しばらく空にただよったあと、これまたゆ
っくりとはじけた。

 それが今では、数分でふくらみ、数日間、空をただよったあと、数分で、はじける。あ
るいはもっと早いかもしれない。しかも、そういうシャボン玉が、一つや二つではない。
無数に、ただよう。

 目まぐるしいなどというものではない。ときどき、何人かの人と、同時にメールを交換
していると、区別がつかなくなることがある。北海道のAさんからの、義父母とのトラブ
ルの相談。九州のBさんからの、娘の交際相手の相談。同時に答えていると、何がなんだ
か、自分でも、さっぱりわからなくなるときがある。

 そしてAさんとの関係が、何かの原因ではじけたりすると、そのままBさんとの関係も、
終わってしまう。

 ……ということで、ますます人間関係をつくるのが、かえってむずかしくなってしまっ
た。いや、つくるのは簡単でも、その関係を深め、つづけるのが、むずかしくなってしま
った。

 はからずも私のワイフは、こう言った。

 「インターネット時代になって、かえって人間関係が、混乱したのかもしれないわね。
人間関係のわずらわしさだけが、どんどん、飛びこんでくるといった感じイ」と。

 いつもワイフの言うことは、鋭い! ホント! 一つの人間関係がこわれるたびに、あ
とには、そのわずらわしさだけが残る。それがつぎからつぎへと、やってくる。

【補記】

 インターネットで一番困るのは、メールをくれた人が、頭の中で混乱してしまうこと。
文字情報の限界といってもよい。

 たとえばAさんと、Bさんと、同じような問題で、同時に交信していたりすると、頭の
中で、Aさんと、Bさんが、区別、つかなくなってしまう。

 本来なら、どこかで会って、顔や声、その雰囲気を知った上で、交信を始めればよいの
だが、それができない。

 インターネットの未来的な可能性を考えるなら、これも一過性の問題かもしれない。今
に、映像と声が、相互に同時交信できるようになるだろう。それまでがまんするしかない。


●ハンガーのない県

 昨夜、バラエティー番組を見た。クイズ番組だった。

 「日本で、ハンガーを使わない県がある。どこか?」と。

 何人かの出演者。それに司会者。たがいに「こうだ」「ああだ」と、意見をかわしていた。
が、そのうち、だれもわからないとわかると、司会者がヒント。「ハンガーは、何をするた
めのものですか?」と。

 私は、その番組を見ながら、ふと、「いったい、日本で、今、何%の人が、こういう番組
を見ているのだろう」と思った。平均視聴率からすると、5〜10%ということになる。

 間の7・5%をとると、約1000万人の人が見ていることになる。(視聴率イコール、
視聴者の数ではない。この計算は、正しくないかもしれないが、おおむね、そんなそんな
もの。)

 もともと娯楽番組だから、深く考える必要はない。出演者も、見るからに、その程度の
人たちだった。

 しかしその瞬間、日本中で、約1000万人の人が、この問題を考える。1000万人
だぞ!

 が、本当のところ、考えているのではない。情報を、頭の中で加工しているだけ。広く
誤解されているが、思考と情報は、まったく別。物知りだから、頭がよいということには
ならない。情報の加工は、あくまでも情報の加工。思考とは、区別する。

 このクイズの正解は、「福岡県」だそうだ。「服をかけない」=「ふくおかけん」=「福
岡県」と。

 こうした駄ジャレは、子どもの世界では、日常の会話のようにもなっている。たがいに
言いあっては、キャッ、キャッと笑いあっている。

 「ブツゾー(仏像)」「ドウゾー(銅像)」という定番ものから、「左右とは言うけど、右
左(ユウ・サ)とは言わない」「ユーサー(言うさア)」というのまで、ズラリとある。

 子どもの世界では、こうしたジャレは、いわば、遊び。娯楽は、娯楽。あくまでも一部。

 そこで改めて、『一億、総ハxチ化』(大宅壮一)について考えてみる。

 一億の人たちが、ノーブレインになる前提として、(1)単一化と、(2)バランスの欠
如をあげる。

 無数の駄ジャレがあって、無数のバリエーションがあればよい。それが一つの駄ジャレ
に、約1000万人の人が、共鳴する。これを単一化という。

 つぎに娯楽は、一方に、理知的な活動があってはじめて、娯楽となる。一方的に娯楽ば
かり追求していたのでは、バランスがとれなくなる。子どもにたとえて言うなら、一方で、
勉強をし、その合間に、駄ジャレを楽しむというのであれば、問題はない。大切なのは、
バランスである。

 そのバランスがなくなったとき、人は、ノーブレインの状態になる。

 私の印象としては、日本人は、ますますノーブレインになってきていると思う。ときど
き私自身はどうであったか。私の若いころはどうであったかと考えるが、今の若い人たち
よりは、もう少し、私たちは、ものを考えたように思う。根拠はないが、そう思う。

 「服をかけん」=「福岡県」か? なるほどと思うと同時に、こんなくだらないことで、
日本中が、騒いでいる? 私はそちらのほうこそ、問題ではないかと思った。それがわか
ったところで、考える人にはならない。またわかったからといって、頭のよい人というこ
とにはならない。

 いいのかな……? それともテレビ局は、日本人を、わざとノーブレインするために、
こういう番組を流しているのだろうか? ……とまあ、番組を見ながら、いろいろ、そこ
まで考えてしまった。

【追記】

思考……自分で考えること。思考には、独特の苦痛がともなう。それはたとえて言うなら、
寒い夜、自分の体にムチを打って、ジョギングに出かけるような苦痛である。そのため、
ほとんど人は、その苦痛を避けようとする。

情報……いわゆる知識をいう。経験として知っていることも、それに含まれる。いくらそ
の人の情報量が多いからといって、思考力のある人ということにはならない。この情報は、
思考と、はっきりと区別する。

情報の加工……知っている情報を、足したり引いたり、足して2で割ったりするのを、情
報の加工という。今まで、この情報の加工は、思考力の一つと考えられてきた。しかし情
報の加工は、思考力とは関係ない。学校で習う、数学の証明問題を考えてみれば、それが
わかる。パスルでもよい。それがいくらすばやく解けたところで、頭のよい人ということ
にはならない。それについては、また別のところで考えてみたい。

 
●情報の加工

 中学2年生で、三角形の合同を学ぶ。「2辺とその間の角が、それぞれ等しいので、△A
BC≡△DEF」という、あれである。

 こうした問題には、得意、不得意がある。得意な子どもは、スイスイと解く。そうでな
い子どもは、いくら教えても、コツを飲みこめない。

 しかしこうした問題には、そのコツがある。たくさん量をこなせば、よりむずかしい問
題が解けるようになる。が、それが解けたところで、思考力のある子どもということには、
ならない。

 私は、若いころ、一人の高校生(男子)を教えていて、それを知った。ある予備校でア
ルバイトをしていたとき、その予備校の校長に、頼まれて、家庭教師をした。その高校生
だった。

 その高校生は、こう言った。「この世の中のことは、すべて数学で証明できる」と。そう、
彼は「人間関係も、すべて証明できる」と言った。「その公式が見つからないだけだ」とも。

 実にヘンチクリンな高校生だった。常識に欠けるというか、常識そのものを感じなかっ
た。もちろん恋などとは、無縁。音楽も聞かなかった。ただひたすら、勉強、また勉強。

 だから日本でいう(勉強)は、実によくできた。当然のことながら、数学だけは、とく
に、よくできた。三角関数の微分問題でも、子どもが、掛け算の九九を唱えるように簡単
に解いていた。

 しかし私たちは、そういう子どもを、思考力のある子どもとは、言わない。数学という
情報を、組み合わせ、分解し、あるいは、集合させているだけ。あるいはそのつど、必要
な情報を、臨機応変に取り出しているだけ。

 わかりやすく言えば、ここで「掛け算の九九」と書いたが、いくら掛け算の九九をソラ
でスラスラと言っても、思考力のある子どもとは言わない。掛け算の問題がスラスラと解
けたからといって、思考力のある子どもということにもならない。

 数学のレベルこそ、ちがうが、その高校生も、そうだった。

 だから私は、あえて言う。情報の加工と、思考力は、区別して考える。

 思考力というのは、心の常識に静かに耳を傾け、自分がすべきことと、してはいけない
ことを、冷静に考え、判断する能力をいう。

 
●東京で、気温40度!

 今日の午後1時ごろ、千葉県市原市で40度を超えたほか、東京都心で、気温が、39・
5度にまであがった。観測史上、最高の気温だったという。それを聞いて、ワイフがこう
言った(7・20)。

 「私が子どものころは、めったに30度を超えることはなかったわ」と。

 その通り。一夏でも、30度を超える日というのは、めったになかった。合計しても7
日もなかったのでは? 30度を超えると、それだけでニュースになった。それが今では、
(去年は、まれにみる冷夏だったが)、9月の終わりまで、30度以上の気温が、つづく!

 地球は、いったい、どうなってしまったのか? この先、どうなるのか?

 ははは。

 考えてもしかたないので、ここは、笑ってすまそう。

 ただ心配されるのは、地温や水温があがると、土に中に含まれている、メタンガスが、
溶け出して、空中に放出されるということ。そうなると、温暖化は、一挙に、加速される。
すでに、シベリアのツンドラ地帯の凍土が溶け出しているという情報もある。

 もしそうなると、地球の気温は、二次曲線的に上昇し、一説によれば、2100年まで
に、400度になるという。400度だぞ!

 ははは。

 まあ、そんなことにはならないと思うが、しかし2100年で、気温上昇が止まるわけ
ではない。2100年は、だいじょうぶだとしても、2200年には、400度になるか
もしれない。2300年には、400度になるかもしれない。

 今から20数年前に、『第三の選択』という衝撃的な本が、発表された。地球温暖化が進
み、地球が破局を迎えたとき、そのとき、大気圏で核爆発を起こして、地球の大気圏内に
たまった熱を、宇宙へ放出するという内容の本だった。

 (核爆発を起こすのは三つの選択のうち、第二の選択。第一の選択は、地下都市をつく
り、そこに住むというもの。そして第三の選択は、他の惑星へ移住するというもの。)

 もちろん、それだけの核爆発を起こせば、その放射能で、地上の人間は、すべて死滅し
てしまう。そこで一部の人間だけを、ノアの箱舟よろしく、宇宙へ退避させるとか。そし
て地上の放射能が落ちついたら、また地上に、人間をもどす……。

 当時、その本は、サイエンス・フィクションなのか、暴露本なのか、という議論がわき
おこった。暴露本というのは、政府間どうしの密約を、だれかが暴露したというもの。し
かしやがて、その本は、フィクションということになった。が、その本の与えた衝撃は大
きかった。

 すでにそのとき、今の地球の温暖化を予想する科学者も、たくさんいた。その一方で、
たいはんの人たちは、「温暖化はありえない」という意見だった。一度、東大の教授(理学
部)に会ったとき、何かのついでに、私がその質問をすると、その教授ですら、こう言っ
ていた。

 「ハワイで二酸化炭素を測定しているが、二酸化炭素ほとんどふえていない。温暖化は、
心配ありません」と。1975年当時のことだった。(皮肉なことに、1975年くらいか
ら、急速に、二酸化炭素が、ふえ始めたが……。)

 どちらにせよ、ははは。

 みんなで、ここは笑ってすまそう。

 もうなったら、ジタバタしても、はじまらない。どうしようもない。ははは。

 ……しかしそれにしても、暑い。この浜松市でも、35度を超えたという(NHK定時
ニュース)。

 さあ、こうなったら、生きていることを、最大限、楽しんでやる。精一杯、生きてやる。
とことん、生きてやる。地球が破滅するなら、破滅してもかまわない。こんな暑さに負け
てたまるかア!


+++++++++++++++++++++++++++

【小説・205x年10月11日】

++++++++++++

 夏が過ぎて、秋になる。そんな常識が消えて、もう10年。秋のつぎには、冬がやって
くるはずなのに、その冬がない。夏のつぎは、夏。そしてその夏が終わると、秋と春が同
時にやってきて、そのまままた、夏になる。

 10月11日。昼前だというが、気温は、30度を超えた。今日も、33、4度になる
だろうか。太平洋をおおっている高気圧は、広く日本海まで届いている。

 昨日、友人の雄太が、避暑ツアーから、2か月ぶりに日本へ帰ってきた。元気そうだっ
た。夏の間、船で、アラスカ沖をまわり、北極海まで足をのばしたそうだ。あのあたりま
で行けば、クーラーなしでも過ごせるという。

 そうそう新型クーラーが飛ぶように売れている。イオン交換を応用したクーラーで、こ
れなら気温50度まで、冷房ができるという。しかし今年の夏のように、瞬間的であるに
せよ、気温が50度を超えたら、もう打つ手はない。新型クーラーでも、空気を冷やすこ
とはできない。

 雄太が心配そうに言っていた。「アラスカ沖でも、海から、無数の気泡が観測された」と。
海底深くに沈むドロから、メタンガスなどのガスが、熱で溶け出しているからだ。そのガ
スが、温暖化に拍車をかける。「夜でも青白い光を放ち、不気味な美しさだった」と、雄太
は言った。

 もう今では、年配者の自殺など、ニュースにもならない。私が住むこの町内だけでも、
今年は、25人くらいの人が、自ら命を断ったという。先日、町内会の会長が、そう言っ
ていた。みな、会うたびに、東北の高山や、北海道へ移住する話ばかりをしている。

 しかしそんなお金、どこにある? 暑い夏をがまんして、ここに住むか。それとも、北
海道で、窮屈な生活をするか。しかし気温といっても、その差は、1、2度もない。

私は、2004年生まれ。今年は満5x歳になる。体力も、限界にきている。

 早く11月にならないか。12月にならないか。11月になれば、少しは暑さもやわら
ぐだろう。私が子どものころには、この日本でも、雪が降った。川には、水も流れていた。
山々は緑の木々におおわれていた。しかしそんな夢のような景色は、今、どこにある。

 12月に北極で雪を見るツアーが、ある。私も妻と参加するつもり。楽しみだが、その
あとのことは考えていない。考えられない。

 そう言えば、そういう症状は、自殺者の初期症状だという。あるときを境に、その先の
未来が、すっぽりと闇に包まれしまう。私もその予備軍かもしれない。

死ぬ前に、一度でいいから、もう一度、あの白い雪を見てみたい。一面の雪景色だ。き
っと、天国も、そういう世界だろう。まっしろな銀色の世界。……そう思うのは、やは
り自殺者の初期症状なのか。

 それにしても、暑い。今日も、暑い。

【10月13日】

 今日は、妻と二人で、久しぶりに、海まで、歩いてみた。

 丘の上から見ると、昔はビルだったという、建物の残骸が、海の向こうに立っていた。
そのまわりを、洋上生活者の人たちが乗った、無数の船がとりまいていた。台風がくるた
びに、何千人という人が、溺れて死ぬ。しかしそれでも、洋上生活をやめることができな
い。

 もう地上には、住む場所がない。あるにはあるが、周囲を高い鉄条網で囲み、よそ者は、
中には入れない。小さな山ですら、その村の人が、銃をもって、管理している。

 村どうしの争いも絶えない。わずかな水を争って、殺しあいになることもある。

 

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 18日(No.451)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●こわい三大主義

 子育てで避けたい主義に、スパルタ主義、完ぺき主義、それに極端主義がある。

スパルタ主義や完ぺき主義はともかくも、問題は極端主義。子育てはどこか標準的、ど
こかいいかげん、どこかふつうという感じが大切。「どこか極端?」と感ずるような子育
て法は、効果よりもその弊害を疑ってみたほうがよい。

 ところでこの世界、つまり教育(子育て)評論の世界では、他人の子育て法には干渉し
ないという暗黙の了解がある。自分の正しさを前向きに主張しても、他人のそれは批判し
ない。

しかし、だ。それでもおかしな教育法がある。昔、Tヨットスクールという団体があっ
た。それもそのひとつだが、最近でも、不登校の子どもやそれをもつ親に向かって、「バ
カヤロー」とか、「おまえら!」とか叫んでなおす(?)という女性が現れた。

NHKテレビでも紹介されたというから驚きである(新聞の広告)。私は彼女が書いた本
を二冊ほど読んだが、とても読むに耐えない内容の本だった。感情的というか、感情的
すぎるほどの本だった。だいたいにおいて、不登校を「悪」と決めてかかる発想が、短
絡的である。

 いうなればこれもここでいう極端主義である。彼女は「不登校を怒鳴ってなおす」と言
っているようだが、これは一方で、子どもの不登校問題を地道に考え、指導してきた人た
ちへの冒涜(ぼうとく)でもある。

仮にそれでなおったかのように見えるとしても、さらに大きなキズを子どもの心に残す
かも知れない。このことはあのTヨットスクールですでに証明されたことでもある。

 ときどき、しかも忘れたころ、こうした極端な教育法がこの世界をにぎわす。不安のど
ん底にいる人にとっては、魅力的な教育法に見えるかもしれないが、こうした極端な教育
法はまず疑ってみたほうがよい。あるいは近づかないほうがよい。

子育てというのは、あくまでも子どもという「人間」を見て判断する。しかしそれは難
しいことではない。もしそれがわからなければ、子どもを「あなた」と置き換えてみる
とよい。いつも「自分なら、それを望むだろうか」「自分なら、それができるだろうか」
「自分なら、どうなるだろうか」と考えればよい。それでよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●教育カルトにご注意

 以前、たまごっちというゲームがはやった。そのときのこと。あの電子の生き物(?)
が死んだ(?)だけで、おお泣きする子どもはいくらでもいた。一方、その少しあと、今
度は、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。

 この二つの事実は、まったく正反対で、関連性がないように思う人がいるかもしれない
が、その「質」は同じとみる。

つまり生きていない生き物(?)を死んだと思い込む回路と、死んだ人間を生きている
と思い込む回路は、方向性こそ逆だが、その中身は同じ。子どもも、そしておとなも、
ふとしたきっかけで、こうした回路にハマりやすい。

 実のところ、教育の世界にもカルトは存在する。「S方式教育法」と言い出したら、あけ
てもくれても、「S方式」と言い出す。「M方式」と言い出したら、あけてもくれても「M
方式」と言い出す。親や子どもではない。教育者自身がそう言い出す。

そしてそれを盲信するあまり、ほかの教育法を徹底的に攻撃する……。次のような症状
があれば、教育カルトを疑ってみる。
 
(1)「自分の教育法が絶対正しい」という反面、その返す刀で、「相手はまちがっている」
という。
 
(2)絶対的な権威者をもちだし、その権威者を神か仏のようにあがめる。あがめる分だ
け、「私」がどこかへ消える。「この教育法で学んだすばらしい子どもたちの演奏をお聞き
ください」と雑誌に書いていた人がいた。「私」というものがあれば、おこがましくて、こ
こまでは書けない。

(3)狂信的な説明が多くなる。常識ハズレなことを言い出す。「どこかおかしい」と感じ
るような発言が多くなる。「この方式で学んだ子どもたちが、やがてゾロゾロと東大の赤門
をくぐることになるでしょう」と書いている団体が、実際にある。

ひとつの教育法を盲信することは、その盲信する人にとっては、たいへん楽なことでも
ある。「考える」ということには、それ自体苦痛がともなう。そこで人は自分の思想を他
人に預ける。しかしこれはたいへん危険なことでもある。いつしかとんでもない世界に
ハマりながら、それにすら気づかなくなる。それこそミイラ化した死体を見ながら、「生
きている」とがんばるようなこともするようになる。

子育てではいつも「常識」を基準にして考える。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもが落ちるとき……

 「私の子どものことは、私が一番よく知っている」と思っている親ほど、子育てで失敗
しやすい。ものの考え方が、そもそも自己中心的。その自己中心性が、強ければ強いほど、
子どもの心を見失う。見誤る。

 「教育に熱心」と言えば、まだ聞こえはよい。しかし実際には、自分の価値観を、子ど
もに押しつけているだけ。自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。

 典型的な例をあげて、考えてみよう。R君という小学1年生の男の子を考えてみよう。
架空の子どもである。

 この時期の子どもには、まだ従順さが残っている。母親は絶対。母親なしでの生活は、
考えられない。だから母親の小言を聞きながらも、母親に従う。耐える。

 そういう関係をよいことに、母親は、子どもを、きびしくしつける。学校でのテストで、
まちがえたところがあったりすると、「どうして、こんなのができないの!」と、子どもを
叱る。

 しかしやがて子どもの心は、離れ始める。しかし親は、それに気づかない。気づかない
まま、無理をする。この無理が、さらに親子のキレツを深くする。

 たとえて言うなら、親への従順性は、心に残った貯金のようなもの。それをよいことに
使いまくれば、やがてその貯金も、底をつく。

 しかしここでも、問題が起きる。この段階で、それに気づく親は、まず、いない。私の
ような立場の教師が、警告しても、ほとんどのばあい、意味がない。子どもの見せるあど
けなさに、親は、つい油断をしてしまう。「まさか、うちの子にかぎって……」「そんなは
ずはない……」と。

 R君は、母親に叱られながらも、それに耐えた。「ごめんなさい」と、あやまった。

母親「どうして、こんな問題ができないの!」
R君「時間がなかった……」
母親「時間がないって、こんな簡単な問題でしょ!」
R君「ごめんなさい」
母親「ぜんぶ、やりなおして、あとでママに見せなさい」
R君「わかった……」と。

 しかしそのR君も、小学3年生になった。体力も、ついた。腕力では、もう母親に負け
ない。大声も出る。当然のことだが、やがてR君は、学校であったことを、母親に話さな
くなった。もちろんテストも隠すようになった。

 母親は、ますますR君をはげしく叱った。そしてその足で、私のところへ相談にやって
きた。

 「先生、うちの子が、何も話してくれなくなりました」と。

 R君の母親は、ほとんど、泣きべそをかいていた。そしてこう言った。「どうしたらいい
でしょうか。先生のほうから、R男に、もっと学校のことを話してくれるように言ってく
れませんか」と。

 しかしこういうケースでは、私は、ほとんど無力でしかない。が、それだけではない。
こうした症状は、これから始まる、地獄の門への第一歩でしかない。母親は、今の状態を
最悪と思うかもしれないが、その最悪の下には、さらに別の最悪がある。これを私は、「二
番底」と呼んでいる。

 ますますイライラする母親。ますます無口になるR君。さらに強く叱る→態度が、さら
に悪くなるの悪循環の中で、日ましに、母親とR君の関係は、険悪なものになっていった。

 やがてR君は、私の予想どおり、その二番底へと進んでいった。お決まりのツッパリ症
状が現れるようになった。なげやりな態度、独特の野獣的なしぐさ、など。母親が何かを
たしなめると、それに対して、「ウッセー!」と言いかえすようになった。

 もうこうなると、勉強どころではない。学校どころではない。そんなとき、R君は、事
件を起こした。

学校へ行く途中にあるバス停の柱を、折ってしまった。ほかの子どもたちの話では、そ
こにあったベンチを投げつけて、折ってしまったという。

R君の母親は、学校に呼び出された。R君が、4年生になったときのことである。

 しかしもう、この段階では、何をしても、手遅れ。何かをすればするほど、すべてが裏
目、裏目に出るようになる。手がつけられないというよりは、手をつければつけるほど、
逆効果。本来なら、今の状況をより悪くしないことだけを考えて、様子をみるのがよい。

 しかしこのタイプの母親には、それができない。「まだ、何とかなる」「そんなはずはな
い」と、無理をする。その無理が、ますます子どもを、奈落の底へと、追いこんでしまう。

 もともと自己中心性の強い母親である。他人の意見など、聞かない。聞く耳を、もたな
い。R君の母親は、「どうしてうちの子が……」と、私の前で泣く。しかしその原因が、自
分にあるとは、絶対に、思わない。

 私は私で、どう説明したらよいのかわからず、ただただ、ため息だけを繰りかえす。


【2】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ドラ息子

******************

子どものドラ息子(娘)の兆候が現れると、
親は、子どもをなおそうとする。

しかし本当の問題は、親や親側にある。
親の育児姿勢にある。

大切なことは、その兆候をできるだけ
早い段階でつかむこと。

自分の子育ての問題点を、できるだけ
早い段階で知り、それをなおすこと。

******************

【現象】

 何でもかんでも、無摂生に、子どもを楽しませてしまう。子どもが望む前に、あるいは、
子どもが興味をもつ前に、「さあ、どうだ」「これでもか」と、楽しませてしまう。

 子どもがほしがりそうなものがあると、先に買い与えてしまう。子どもが食べたそうな
ものがあると、先に買い与えてしまう。

 子どもはより刺激的な楽しみを求めるようになり、またそれがないと、満足しなくなる。
より享楽的になり、ものの考え方がせつな的になる。欲望を満足できれば、それでよい(享
楽的)。その場だけを楽しめれば、それでよい(せつな的)。そういう生きザマになる。

 子育てに無責任で、無関心な父親。その反面、子どもを溺愛する母親。それなりに経済
的には、余裕がある。幼児に、2万円、3万円もするおもちゃを、ホイホイと買い与えて
しまう。またそれで親の努めを果たしたと思う。

 大きな誤解がある。

 子どもを楽しませれば楽しませるほど、また子どもに楽をさせればさせるほど、親子の
パイプは、太くなったと考える。あるいは、子どもは、親に感謝しているはずと考える。

 しかしこれは誤解。大きな誤解。誤解というより、実際には、逆効果。親子のパイプを
太くするというよりは、やがて破壊する。

 こういう家庭環境の中で、子どもは、ドラ息子化する。ドラ娘化する。

 やがて子どもは、小学3、4年生を迎える。この時期を境に、その子どもがドラ息子(娘)
になるかどうかが、だれの目にも、はっきりしてくる。

 おとなをおとなとも思わない、ぞんざいな態度。横柄なものの言い方。約束など、あっ
てないようなもの。目的や目標もない。お金が入れば、その場で、ほしいものを買ってし
まう。

 しかしこの段階で、それに気づいても、もう手遅れ。ほとんどの親は、マユをひそめ、
口を汚くして、子どもを叱る。しかし叱れば叱るほど、あとは底なしの悪循環。

 ずいぶんと前のことだが、D君(小3・男児)という子どもがいた。ひょうきんで、明
るく、笑わせ名人だった。頭も悪くなかった。しかし自分がいやだと思うことは、まった
くしなかった。

 私はそのD君の中に、すでに小学1、2年生のときに、ドラ息子の「芽」を見た。いや、
実際には、幼稚園の年中児でも、ていねいにみれば、それがわかる。

 しかしこの段階で、いつも迷う。親に言うべきか、どうかで、である。理由は、いくつ
かある。

 まず、親自身にそれだけの問題意識があるかどうか、ということ。その問題意識のない
親に、いくら説明しても、意味はない。

つぎに見た目には、親子関係は悪くない。子どももそれなりに楽しいそうだし、生き生
きしている。多少、生意気な点はあるが、大きな問題を起こすといったふうでもない。

 それにまちがったことを言ってしまったら、どうしようかという迷いもある。親に不要
な心配を与える。

 が、何よりも大きな理由は、子どもをなおす以上に、その子どもを包む環境をなおすの
は、むずかしいということ。わかりやすく言えば、これは子どもの問題ではない。親の育
児姿勢の問題である。子どもをなおす以上に、親の育児姿勢をなおすのは、むずかしい。

 何か問題が起きてから、それを指摘するというのは、簡単なこと。たとえていうなら、
肺がんになってから、タバコの害を説明するのは、簡単なこと。しかし今のところ健康な
人に、タバコの害を説明しても、意味がない。(たとえがあまりよくないかもしれないが…
…。)

 「お宅の子どもは、このままでは、やがて手に負えなくなりますよ」と言うことが、は
たして正しいのかどうか。あるいは、そこまで親に伝える義務が、はたして私にはあるの
か。

 もちろん親の側から、質問があれば、話は別である。そのときは、私は、ていねいに説
明するようにしている。しかし親が求めていないことにまで、クビをつっこむ必要はない。
こういうケースでは、親に大きな不安を与えたりすると、ほとんどのばあい、親は、子ど
もの手を引いて、そのまま教室をやめてしまう。

 「うちの子は、先生に嫌われた」と判断するためである。あるいは「うちの子は、この
教室にあわない」と判断するためである。中には、「いらぬお節介」と、怒ってしまう親も
いる。以前だが、「あんたは、だまって、息子の勉強だけをみてくれればいい」と言った親
すらいた。

 適切な言葉がないので、ストレートに表現するなら、「さわらぬ神にたたりなし」という
ことになる。あえて火中のクリを拾うことはない。

 こうして私は、だまる。だまって、与えられた仕事だけを、そこそこにこなす。

 ……と書いただけなら、子育てエッセーにならない。では、どうしたらよいのか。

【対策】

 一番よいのは、ここに私が書いたようなエッセーを、子どもがまだ小さいうちに読むこ
と。そして問題意識を、もつこと。その問題意識がないと、いくらドラ息子(娘)論を説
いても、意味がない。

 つぎに子どもをドラ息子(娘)にすれば、それ自体が、家庭教育の失敗であることを、
認識すること。将来、苦労するのは、結局は、子ども自身ということになる。親ではない、
子ども自身だ。

 ここに書いたD君の、つづきの話をしよう。

 そういうD君でも、私との間に、一対一の人間関係ができているときは、それなりにう
まくいく。私とD君の間には、親子ほどではないが、教師と私という人間関係ができてい
る。

 つまりは、私が、D君を支える、最後の防波堤ということになる。父親や母親の言うこ
とを聞かなくなっても、私の言うことは聞く。そういう関係を利用して、私は、D君を指
導する。

 が、そういう親だから、その(価値)に気づかない。D君がいよいよ4年生になるとい
うある日のこと。母親が私のところにやってきて、こう言った。「4年生になりますから、
そろそろ進学塾のほうへ、移ろうと思います。長い間、お世話になりました」と。

 異変が起きたのは、その日からだった。D君は、私にも裏切られたと感じたのかもしれ
ない。私の言うことさえ、まったく聞かなくなってしまった。ぞんざいな態度、投げやり
な学習姿勢。プリントを渡しても、いつも白紙のまま。ふてぶてしい言い方で、「疲れたな
あ」と。

 もうこうなると、私にできることは何もない。私は私で、D君を無視して、レッスンを
進めるしかない。そのためますますD君の態度は、横柄になっていった。

 この時点で、私とD君の関係を切ることは、たいへんまずい。私はD君を、年中児のと
きから教えている。たがいに気心がよくわかっている。それがわかっていても、私のほう
から、親の意向にさからうことはできない。

 このあとD君が、どうなるか? 結末は、火を見るより、明らかである。しかし私には、
何も言えない。何もできない。

 親というのは、自分で失敗してみて、それが失敗だと気づく。そしてやがて、行き着く
ところまで、行く。また行き着くところまで行かないと、失敗だったと気づかない。これ
は子育てにまつわる宿命のようなもので、どうしようもない。

 で、あと残りのレッスンが、3、4回というときのこと。D君の母親が、ニコニコ笑い
ながら、教室へ入ってきた。が、私は、正直にこう言った。

 「お母さん、D君ですが、まったく何もしなくなってしまいました。鉛筆を手にもとう
ともしません」と。

 とたん、母親の顔が、けわしくなった。引きつったというのが、正しいかもしれない。
突然、金切り声でこう叫んだ。「D! ちょっときなさい!」と。そのときすでにD君は、
廊下の向こうへ逃げていったところだった。

 それ以来、D君には、私は、一度も会っていない。

【付記】

 私は、自分の信念として、私のほうから、経営上の理由で、生徒にやめてもらったこと
は、一度もない。ほかの子どもたちが進学塾に移動したあとも、たとえ生徒が、数人にな
っても、そのままつづける。

 部屋代、労力を考えたら、赤字というより、損失である。それは私とその生徒との間に、
人間関係ができているからである。「もう経営できなくなりましたから、クラスを閉鎖しま
す」と言うことはできる。しかしそれは、その子どもを、外の世界に、突き放すことを意
味する。

 それは、私には、できない。

 が、今どき、こんな善意に、どれほどの意味があるというのだろうか。ほとんどの親は、
口にこそ出さないが、こう思っている。「あんたは、いらぬことは教えなくていい。だまっ
てうちの子の勉強だけをみていてくれればいい」と。

 私は、もともとその程度の立場の人間だし、その程度しか、期待されていない。それが
わかっているから、何もすることができない。与えられた時間の間、黙々と、何も考えず、
楽しく過ごすしかない。


●頭のジョギング

 楽T日記に、日記を書き込むと、いつも10〜20件ほど、アクセス件数がふえる。ど
こかで(新着日記)として、紹介されるためである。

 しかしこうしてアクセスしてくる人は、何か別の目的があって、そうする。大半が、物
品の販売が目的だったり、自分のホームページの紹介であったりする。私の日記を読むの
が、目的ではない。

 が、中に、ときどき、1人とか2人、まじめな読者がいたりする。そういう読者に出会
うと、うれしい。またそういう読者がいるから、日記を書く。

 同じように、今、電子マガジンを発行している。読者は、3誌合計で、1500人を超
えた。

 しかしその1500人が、私のマガジンを読んでいるわけではない。私の実感では、そ
の中でも読んでくれている人は、20〜30人程度ではないかと思っている。多くて、5
0人どまり。

 「エッ!」と驚く人もいるかもしれないが、現実は、そんなものである。

 昨日も、全員に、グリーティング・カードを出したが、それを開いてくれた人は、40
〜50人程度ではなかったか。(だからといって、がっかりしているというのではない。富
士市のTGさんのように、一人だけだが、返事をくれた人がいた。私は、そういう人に支
えられている。)

 ただとても残念なのは、無料マガジンだから、どうせその程度の人間が、その程度のこ
としか書いてないだろうと思われている(?)こと。反対の立場で、そういった読者の気
持ちが、私には、ヨ〜クわかる。

 だから最初から、私は、期待など、していない。一部だけも、あるいは目次だけでも目
を通してもらえれば、御の字と思うこと。こうして日記を書いたり、マガジンを発行して
いる人は、そういう現実をまず、受け入れなければならない。

 そしてその上で、結局は、自分のために書く。それはたとえて言うなら、健康を維持す
るためのジョギングのようなものかもしれない。毎日、黙々と、道路を走る。だれかに見
てもらおうとか、そういうことは考えない。走るのは、あくまでも自分のため。

 どうせあと10年もすれば、頭もボケる。20年もすれば、体力も消え、そのままあの
世行き。消えてなくなる。それまで私は、走りつづけるしかない。

 富士市のTGさん、カード、どうもありがとうございました!

 そうそう、このところ、ワイフだって、私のマガジンを読むのをサボっているよう。あ
んなワイフ、もう離婚だア! ……というのは、ウソ。私のほうが、もうそろそろ離婚さ
れそう……。


●フォーム

 無料「フォーム」というサービスがある。

 「フォーム」というのをご存知ない方も多いと思う。私も、あちこちのホームページで
よく見てきたが、それが「フォーム」という名前だったということまでは知らなかった。

 フォーム……名前、性別、年齢、住所、メールアドレス、意見などを書きこむ用紙のこ
とをいう。それを書きこんだあと、「確認」をクリックすると、一度、確認画面が出る。そ
の段階で、記述内容に不備があったりすると、再度、記入して、「確認」をクリックする。

 それがすむと、今度は「送信」をクリックする。それが、相手に、メール形式で、届く。

 私のホームページに、それをつけた。興味のある方は、どうか、(下)をクリックしてみ
てほしい。ついでに、アンケートに答えていただければと思う。

http://form1.fc2.com/form/?id=4749

 何か新しいことができるようになるたびに、自分自身が、どこか進化したような気分に
なる。もう少し率直に言えば、一人前になったような気分になる。これを心理学の世界で
も、自己効力感という。

 この自己効力感が、さらに自分をのばす。

 よく「子どもを伸ばすには、どうするか?」かが話題になる。しかし自分でそれを経験
してみると、なるほどと、よくわかる。「子どもを伸ばすのは、こういう自己効力感をうま
く利用すればよいのだ」と。

 そんなわけで、今夜は、どこか気分がよい。ハハハ!


●いばる男

 もう15年ほど前のことだった。弁当屋の前で、「まだかア!」「いつまで待たせやがる
んだア!」と怒鳴り散らしていた男がいた。50歳くらいの男だった。ドイツの高級車の
BZに乗っていた。

 車の中には、もう一人女性がいて、その女性も不機嫌な顔をしていた。

 「たかが、500円とか600円の弁当ではないか」と、そのときは、そう思った。私
も数人の人と並んで、弁当ができるのを待っていた。

 が、今日も、同じような光景を見た。

 港町にある、海産物屋へ、みやげを買いに行ったときのこと。午後、その友人の家に遊
びにいくことになっていた。

 そこに、先に来た、一人の男がいた。年齢は、45歳前後ではなかったか。その男は、
今日宅配便が手配できないとわかると、店の若い女性に、こう言った。

 「どうして今日、発送できないんだね」と。

 それに答えてその若い女性は、「注文の量が多すぎて、処理できません」というようなこ
とを言っていた。

男「だったら、近くの宅配業者を教えなさいよ」
女「はあ、この先にありますが……」
男「この先では、わからんよ。地図を書いて」
女「地図ですか……」と。

 若い女性は、メモ用紙に地図を書き始めた。それを見て、男がこう言った。「ちゃんとわ
かるように書いてよ」と。

 若い女性は、懸命にああでもない、こうでもないと地図を書いている。それを横で見な
がら、その男は、「そこからそこまで、何キロ」「そんな地図では、わからんよ」「どこから
どこまでが、1キロとか、そういうふうに書かなければ、地図としての意味はないだろ」「目
印はあるのかね」と。

 インギン無礼な言い方だった。私は見るに見かねて、思わずこう言いそうになった。「あ
んた、何をいばっているんだ!」と。

 しかし言わなかった。見るからに、どこかの学校の教師といった雰囲気だったからだ。
私たち同業のものは、同業者を、本能的にかぎわけることができる。ただ私とちがうとこ
ろは、私は、いつも生徒に頭をさげながら生活をしている。しかし学校の教師は、そうで
はない。

 男は、手を前でクルクルと丸めたまま、動かそうともしない。ちょうど、キツネが立っ
ているような姿である。そして口先とあごだけで、その若い女性に、あれこれ指示してい
た。

 少し離れたところにいた私は、ワイフにこう言った。

私「何をいばっているんだろうね?」
ワイフ「ホント。イヤな男ね」
私「あれは、学校の先生だよ」
ワイフ「私も、そう思う。まるで生徒に対する言い方ね」と。

 権威主義的なものの考え方をする人は、その瞬間において、目上の人には、必要以上に
ペコペコし、下の人には、必要以上にいばってみせる。電話のかけ方をみれば、それがわ
かる。

 相手が自分の上司だったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。ハイハイ、おうせの
とおりにいたします」などと言ったりする。しかしつぎの瞬間、今度は部下から電話がか
かってきたりすると、突然背筋をのばして、「君イ、ねえエ〜」と。

 無意識のうちにも、人間関係の上下を判断する。

私「ああいう人の奥さんは、かわいそうだね」
ワイフ「私なら、一日で、離婚よ」
私「同じ男でも、腹が立つ」
ワイフ「ああいう先生に習う、生徒がかわいそう」
私「ホント!」と。

 最初は、「どこかの塾の教師かな」とも思った。しかし塾の教師は、外の世界の人には、
低姿勢。「頭をさげて月謝をもらう」という姿勢が、まだどこかに残っている。

 つぎの「公務員かな」とも思った。しかし公務員なら、生徒に地図を書かせるような言
い方はしない。会話がもう少し、やわらかくなる。が、学校の教師は、相手を下とみたと
たん、教師特有の言い方をする。独特の専門用語を使う。

 もちろんみなが、みな、そうというわけではない。ほとんどの教師は、学校内部と、外
の世界を、区別する。区別して行動する。しかし何割かの教師は、区別をしない。そうい
う教師が多い。

 ある元教師は、テレビのインタビューで、相手のレポーターに向かって、こう言ってい
た。「君は、子どものころ、算数は、何点だったのかね?」と。これは教師の悪しき職業病
のようなもの。性癖のようなもの。

 もちろん他人ごとではない。これは私自身の問題でもある。私とて、ふと油断すると、
おかしな優越感から、その男のような態度をとることがある。

 しかしそれにしても、ああいう男がいることが、残念でならない。ただ念のために申し
添えるなら、その男が、本当に教師であったかどうかは、わからない。あくまでも私のカ
ンと経験から、そう思っただけである。まただからといって、学校の教師を非難している
のでもない。

 「私も気をつけよう」「先生たちも、気をつけよう」という意味で、つまり私もその中の
一人として、このエッセーを書いた。


●祖父母の財産目当て?

 結婚当初から、そうだったというわけではない。結婚した当初には、それなりの夢や理
想があった。しかしそれが、長い時間をかけて、少しずつだが、やがて変質する。

 「こんなはずではなかった」という思い。あるいは夫や生活への不満。そういったもの
が蓄積されるうちに、やがて離婚を考える。

 が、それもままならない。子どもの将来のことを考えると、不安や心配が、つのるばか
り。そこで、最初は、ほんのでき心(?)というか、ふと、祖父母のもつ財産に目をつけ
る。

 かなりある? 財産がかなりある? あと10年か? それとも20年か? 祖父母が
死ねば、その財産は、夫のものとなり、ついで、自分のものとなる。

 やがてその女性は、祖父母の財産を自分のものしようと、画策するようになる。自分の
ものにしようとする。いや、実際には、子どもを猫かわいがりする祖父母を見ながら、「こ
れでいい」と考える。「子ども(祖父母からみれば孫)を、うまく利用すれば自分のものに
なる」と考える。

 ……というような例は、多い。この種の話は、あなたのまわりにも、一つや二つは、あ
るはず。

 しかしつぎのような話は、それほど、多くない。

 これとはまったく反対の立場で、娘夫婦の財産をねらっている母親がいるという話であ
る。私も最初、その話を聞いたとき、自分の耳を疑った。

 その母親は、自分の娘が、資産家の一人息子と結婚したことをよいことに、その財産を、
自分のものにしようとしている。実際には、いろいろ口実をつくって、娘夫婦と同居する
ようになった。

 幸いに(?)というか、婿(むこ)の両親(老夫婦)は、高齢で、体も弱い。父親のほ
うは、軽い脳梗塞を起こしたこともあり、思考力も弱い。その母親は、婿の父親の世話を
するフリをして、その家にもあがりこむようになった。

 問題は、こういう話があるということではなく、こういう話が、あなたの影響力がおよ
ぶ範囲で起きたとしたら、どうするかということ。そのときの両親(老夫婦)が、あなた
の知りあいや身内であったら、どうするかということ。

 その母親のしていることは、もちろん犯罪ではない。しかも見た目には、みな、うまく
いっている。老夫婦は、老夫婦で、嫁の母親が、足しげく自分の家に通ってくれるのを、
喜んでいるといったふうである。

 もちろん娘も、そして彼女の夫も、それなりに楽しく生活している。その母親の隠され
た意図を知りながらも、それはそれとして、生活している。

 そう言えば、昔、こんな老人(85歳くらい・男性)がいた。息子の嫁が、預かってい
た貯金通帳から勝手にお金を引き出して、使いこんでいたという。が、それを知ったその
老人は、こう言った。

 「いいじゃないですか。そんなお金で、みんなが幸福になれるなら」と。

 その老人は、何かを悟っていたようだ。そういう老人もいるから、部外者の私やあなた
が心配してもはじまらない。それが人生。これも、あれも、人生。そういうものかもしれ
ない。


●からんでくる人たち

 子育て相談をしていて、困るときがある。いろいろと返事を書いてやるのだが、その返
事に、あれこれ反論してくる。

 「お宅のお子さんは、ドラ息子化していませんか」などと書いたりすると、「あなたのよ
うな第三者に、うちの子をドラ息子と言われる理由はありません」と。

 兄弟との確執に苦しんでいる女性に、「兄弟のことなど忘れて、家族を中心に考えなさい」
などと書いたりすると、「あなたの意見を聞いていると、ますます兄弟が離反してしまう」
と。

 「あなたの意見は、狂信的だ」と書いてきた人もいる。

 だったら、最初から相談などしてこなくてもいいのにと、私は、思う。しかし悩んでい
る人は、深刻である。それぞれがそれぞれの思いをもって、相談にくる。だから私がけな
されることくらいで解決するなら、それはそれでよい。私に反論することで、何かの救い
道を発見するなら、それはそれでよい。

 しかし一言。

 こういうからみ方をする人は、すでにその段階で、かなり精神が疲弊しているとみてよ
いのでは……? ささいな問題をとらえて、針小棒大に、ものごとを考えてしまう。ふつ
うなら、「そういう意見もあるのかなあ」と軽く笑ってすませるようなことでも、一度、精
神がそういう状態になると、そうはいかない。

 ものごとを、何でも悪いほうへ、悪いほうへと、つまりは深刻に考えてしまう。

 しかしこうした(からみ)が、教室で起こると、たいへんである。さらに公教育の場で
起こると、さらにたいへんである。

 こうした親にからまれて精神を病む幼稚園や学校の先生は、あとをたたない。たいてい
どこの幼稚園にも、そして学校にも、そういう先生が、一人や二人は、かならずいる。

 子どもの前で、教える側として立つ者は、その子どものうしろにいる親の影をいつも感
ずる。その影がなごやかなものであればよい。しかし神経質で、ピリピリしたものであれ
ば、その時点で、教育は成りたたなくなる。

 だから私はある日、幼児を教えながら、こう思ったことがある。「幼児教育は、母親教育
である」と。この視点は、今も、ほとんど、変わらない。


●残りの人生

 子育てをしている間は、子育てに夢中になっているから、それがわからない。しかし子
どもが大学へ入ったりすると、そのとたん、どっとやってくるのが、老後。いつの間にか、
年をとった自分の姿をしみじみと見つめながら、「私もジジ臭くなったものだ」と思ったり
する。

 この年齢、つまり56歳になると、とたんに、未来が小さくなる。余裕がなくなる。若
いときは、失敗も恐れない。失敗したら、またやりなおせばよいと考える。しかしこの年
齢になると、そういう心の余裕がなくなる。

 そして同時に、残りの人生をどう生きるかが、大きなテーマになってくる。

 手っ取り早い方法としては、周囲の老人たちを観察してみるという方法がある。みな、
どの人も懸命に生きている。そういう生きザマの中から、自分はどう生きるべきかのヒン
トを手に入れる。

 私の父や母は、どうだったのか。親類の叔父や叔母は、どうだったのか。近所の老人た
ちは、どうだったのか、と。

 その中でも、光り輝く老後を送った人と、そうでない人がいるのがわかる。わかりやす
く言えば、ここでも、「利他」と「利己」が、問題になる。つまりより「利他的」に生きた
人はすばらしい。光り輝いている。が、そうでない人は、そうでない。

 結構、死ぬまで、私利私欲にとりつかれ、その我欲の中で悶絶しながら死んでいった人
も多い。言いかえると、人格の完成などというものは、年齢とともに自然に向こうからや
ってくるものではないということ。

 もともと人格の完成というのは、本来、ありえない。どこかのカルト教団の長が、よく
「私は仏だ」「悟った」などと言うことある。しかしそんなことは人間が、動物である以上、
ありえない。メシを食べ、クソをする間は、ありえない(失礼!)。

 人格の完成、つまりいかに利他的であるかは、日々の精進の中で、その人が手に入れる
もの。その精進を怠ったとたん、その人の人格は、後退する。

 そのことも、まわりの老人たちを見ていれば、わかる。その年齢になっても、自分のこ
としかしない。自分の死後のことしか考えない。自分の利益や名誉しか考えない。そうい
う老人が、あまりにも多すぎる。

 つまり、そういう老人たちは、ただの人!

 そこで私は、そうではありたくないと願う。

 老後のテーマ。それはつまり、いかにすれば、利他的でありえるかということになる。
しかしこの問題には、いつも、(現実)的な問題がつきまとう。今日の食事もない人に向っ
て、利他的であれと願うのは、あまりにも酷である。生きていくだけで精一杯という人に
向って、利他的であれと願うことは、あまりにも酷である。

 老後の生活の基盤を、どうやってつくっていくか。この問題がクリアされないかぎり、
老後を考えることはできない。

 さあ、どうしようか……と考えたところで、この話は、おしまい。

 ふと、今、こう思った。

 私が死んでも、世の中、何も変らないだろうな、と。

 青い空は青い空のまま。緑の木々は緑のまま。それでいけないと言っているのではない。
世の中というのは、そういうもの。その中で、いかに最後の時を、自分らしく生きるか…
…。これは本当に、大きな問題だと思う。


●インターネット

 こういうホームページを出したり、マガジンを出したりしていると、いつなんどき、ど
こから横ヤリが入ってくるか、わかったものではない。

 批評、批判はもとより、抗議、中傷などなど。

 で、こうしたメールが入ってきたら、何も考えず、さっさと、相手の要望にこたえてや
るのがよい。相手も、それぞれの思いの中で、何か不愉快な思いをしている。いくらこち
らが正当と思っても、反論したり、弁解したりしてはいけない。またその必要もない。

 あとは、その人とは、交流など、しないこと。はっきり言えば、無視。そして忘れる。

 しかしこうまで、瞬時、瞬時に、情報がやり取りされるようになると、そら恐ろしさす
ら覚える。昔なら手紙を書いて、一日。ポストに入れて、一日。相手に届くのに、一日…
…とかかった。

 が、今では、まさに瞬時。しかも量と人数がちがう。ばあいによっては、一日、10〜
20人の人と、昔でいう「文通」をする。ときどき「いいのかなあ」と思いつつ、インタ
ーネットに向かう。

 「いいのかなあ」と思うのは、あまりにも情報の量が多すぎて、かえって人間関係が希
薄になってしまうのではないかということ。だれにどんな返事を書いたか、それすら忘れ
てしまう。記憶に残らない。

 たとえばインターネットでは、相手の顔は見えない。声も聞こえない。文字情報だけ。
しかも最近では、住所や名前のないメールも多い。

 だからよけいに不安になる。そういう不安感があるからこそ、やはり、批判や批評には、
すなおに応ずるのがよい。相手がどんな心情をもっている人か、わからない。

 まあ、インターネットをするには、それなりの図太さも必要ということ。繊細な人、神
経の細い人には、向かない。

 そう、私もインターネットをするようになって、改めて、「文字」のもつ恐ろしさを感ず
るようになった。文字だけが、勝手にひとり歩きする恐ろしさである。こちらはその人を、
半ばたたえて文章を書いているのに、相手の人は、そうは思わないことがある。「?」と思
いつつも、それ以上、弁解することもできない。

 改めて自分に言って聞かせる。

(1)どんなばあいも、実名を書かない。
(2)どんなばあいも、その人とわかる文章は残さない。
(3)実名を書くのは、引用したときに限る。そして引用文献を、明記する。
(4)わずらわしい人たち&サイトとは、いっさい、かかわりをもたない※。

 これはインターネット、なかんずく、ホームページに文章を載せるときの大鉄則である。
ホント!

【追記】

 文章による情報は、どうしてもぶっきらぼうになる。相手は、そのときの相手の心の状
態で、こちらの文章を読む。これが誤解をうむ。

 だからとくにはじめてのときは、相手に、ていねいな文章を書くのがよい。低姿勢で、
謙虚な言い方で書く。メールでは、ふつうの手紙以上に、そういう意味では、神経をつか
ったほうがよい。

 いきなり、「あなたの言っていることは、まちがっている」では、そのまま喧嘩(けんか)
になってしまう。人間関係も、おしまい。

 少し前までは、自分が個人としてつきあう人間関係と、マスコミを通じてつきあう人間
関係が、別々であった。が、今は、それが混在するようになった。どこからどこまでが、
個人としてつきあう人間関係なのか、どこから先が、マスコミを通じてつきあう人間関係
なのかわからなくなってきた。

 一人対無数の人間という、関係になった。もう少し、わかりやすく説明しよう。

 たとえば自分で書いた本が、5000冊、売れたとしよう。読者も、5000人いるこ
とになる。しかしその5000人というのは、5000人という、まとまった一人の読者
である。

 私とのかかわりは、まったく、ない。間に出版社がいるから、その読者との関係は、そ
こで切れる。売れた本が、1万冊でも、この関係は、変らない。事実、私が書いた本で、
1冊だけだが、14、5万冊、売れた本がある。しかしそれはただ単なる、数字でしかな
い。

 が、インターネットは、ちがう。それぞれの人との関係が、私対読者の関係になる。一
対一の人間関係、もしくは、それに近いものになる。ここにインターネットの特性がある。

 で、私は(4)番目に、「わずらわしい人たち&サイトとは、いっさい、かかわりをもた
ない」をあげた。

 少しでも、わずらわしさを感じたら、それを最後に、その人やサイトとは、いっさい、
かかわりをもたないようにする。反論したり、弁解したりしないというのは、そういう意
味である。無視するのが、一番、よい。

 このことは、反対の立場でも、そうで、ただ一度のメールが、その相手との人間関係を
破壊することもある。相手が、「二度とつきあわない」と判断したばあい、それをくつがえ
すのは、容易ではない。だから、「とくにはじめてのときは、相手に、ていねいな文章を書
くのがよい」ということになる。

  
●T氏

 今度、T氏が、自費出版で、短歌集を出した。たまたま昨日、T氏の家に遊びにいった
ら、T氏が、うれしそうに、その中の一冊を私にくれた。私は、しばし、その短歌集に見
入った。

 そういうときのT氏の気持ちは、本を出したものでないと、わからない。自分の子ども
以上の子ども。本というのは、そういうもの。自分の命、そのものと言ってもよい。

 死んだあとも、何かしらの足跡を、この世に残したいという思いは、T氏も私も、同じ
ようにもっている。

 もちろん本にもいろいろある。

 一番、くだらないのが、代筆で書いた本。つぎに教材などの実用本、指導書など。こう
いった本は、本ではない。商品。ただの商品。

 つぎに評論や随筆など。これらには、ある程度、「私」が残る。しかしどこかで読者の目
を意識した本は、やはり私の本ではない。

 皮肉なことに、自費出版で出した本にこそ、その「私」が残る。自分のお金で出版する
わけだから、だれにも遠慮する必要がない。ありのままの自分を、そのまま書くことがで
きる。

 しかし大きな問題が、一つ、残る。

 読者あっての、本である。だれも読みたがらないような本を出しても、意味がない。た
だのひとり言になってしまう。だからどうしても、そこで読者とのかけ引きが始まる。

 「読んでください」と頭をさげつつ、その中に、自分の読んでもらいたいことを、織り
こむ。いつだったか、「M」という子育て雑誌の編集長をしていた知人が、私にこう話して
くれた。

 「林さん、まず読者を喜ばすことです。読者が喜びそうな記事を、90%、書きます。
残りの10%のうち、5%だけ、自分の意見を書きます。それでじゅうぶんです」と。

 具体的には、「あなたは、すばらしい。いい人だ」と、90%の部分を使って書き、5%
で、「でも、こうすればもっと、すばらしい人になりますよ」と書く。

 雑誌と本は、立場も目的もちがう。だからこの意見が、そのまま本にも当てはまるとは
思わないが、一理ある。

 私はそうして自費出版できるT氏を、うらやましいと思った。私などは、どうしてもど
こかで読者の目を意識してしまう。またそういう自分になってしまった。

 今夜は、少し時間があるので、そのT氏の短歌集を、じっくりと読むつもり。自費出版
にありがちな、独善的なところがない。すべてを、ありのままにさらけ出しているといっ
た感じ。読みごたえのある本である。

 Tさん、ありがとうございました。


****************************

T氏の「米寿のうた」を読む

****************************

 米寿(88歳)の記念出版ということもあって、T氏の新刊には、友や知人の死を悼む
短歌が多い。

 その短歌、それぞれに寄せられた注釈を見ると、改めてT氏の人脈の広さというか、太
さを、思い知らされる。人脈というか、心のパイプの太さといったほうがよいかもしれな
い。

 T氏の父母への思いをつづった短歌につづいて、小学3年生で、T氏と知り合った、鈴
木D君という子どもについて詠んだ短歌もあった。もちろん自分自身の闘病記についても
……。

 その中でも、つぎの短歌には、はっとさせられた。

 ●こと更に病気のことにふれぬげにわれをきづかふ妻はかなしも

 記述をみると、平成5年から7年にかけてと、ある。無頓着というか、鈍感というか、
そのころ、T氏が入院していたとは、知らなかった。何という不覚!

 T氏の短歌は、つづく。

 ●気がつけば我が病室に一輪の椿さしあり手術日の朝

 ●あなうれし芭蕉もきけり馬のしと音たてて出る我がいばりかな

 このあとの短歌には、「手術後尿の出て喜ぶ」と注が書き添えてある。

 ワイフは、さきほどから居間のソファに座って、T氏の短歌集を読んでいる。ワイフも、
一冊もらって、うれしそうだった。


【雑感・あれこれ】

●批評・批判

 私はよく実例を書く。しかしその実例というのは、ほとんどのばあい、実例ではない。
当然である。

 とくに子どもに関する記事については、注意をはらう。その子どもと特定できる記事は、
絶対に書かない。書くとしても、状況を変えたり、いくつかの話をまぜたりする。当然だ。
もとの話がぜったいにわからないほどまでに、ズタズタに料理する。(この世界では、「料
理」という言葉を使う。)

 反対にあまりにも架空の話にしたため、現実の話と一致することがある。そういうとき
は、これまた当然のことながら、怒ってくる読者がいる。

 そういうときは、その人の事件が起こる前に、その記事を書いたという証拠を見せるこ
とにしている。私の原稿には、ほとんど、その原稿を書いた日付が入っている。

 (040710)というのは、2004年の7月10日に書いたという意味である。

 「この原稿は、あなたのことを書いたものではありません。私のHPに、この原稿を発
表したのは、あなたに会う前です」と。

 とくに、私は、自分の教え子については、悪口を書かない。同じような話題にふれるこ
とはあるが、しかしそれは例外である。ただたまに、あまりにも過激な事件が起きたとき
は、それを書くこともある。

 もしそれもだめというなら、もう原稿など、書けない。

 しかし私だから書けるという原稿もある。もし学校の先生だったら、その一文だけで、
クビが吹っ飛んでしまうという原稿も多い。実際、そういう例は、少なくない。

 もう私は、個人というワクを超えた。広く、子どもの世界の実態を知ってほしいから、
こうして原稿を書いている。(少し、かっこいい?)私を知る人も、知らない人も、それぞ
れの立場で、よりよい子育てをしてもらえれば、それでよい。目的は、そこにある。

 どうか、くれぐれも、誤解のないように、してほしい。


●暑い

 今日も暑かった。夕暮れになってはじめて、一息、ついた。

 さきほど、Nさんという男性(65歳)から、電話がかかってきた。「孫(小3)がいつ
も、学校から帰ってくるのが遅いようだ」と。

 事情をあれこれ聞くと、どうやら帰宅拒否のよう。家庭が家庭としての機能を果たさな
くなると、子どもは無意識のうちにも、家に帰るのをしぶるようになる。そのため、毎日
のように道草を食ったり、寄り道したりするようになる。

 毎日、真っ暗になるまで、学校から帰ってこないというのであれば、この帰宅拒否を疑
ってみる。

 が、問題は、母親にあるようだ。

 その男性はこう言う。「嫁が、ガミガミと孫を叱るのです。叱り方がはげしいので、それ
で家に帰るのがいやなのかもしれません」と。

 それはそうだろ。「テストは何点だったの?」「宿題はやったの?」と、子どもを追いま
くれば、子どもだって、家に帰るのがいやになる。

 「暑い」というテーマで書き始めたのに、おかしなエッセーになってしまった。

 ワイフも、今日は、料理をする気力は、まったくなし……といった感じ。たまの日曜日
なので、みんなで、近くの中華料理屋へラーメンを食べにいくつもり。

 福井や富山では、大雨による洪水がつづいているとか。こちら東海地方は、カラカラの
猛暑。足して2で割るわけには、いかないのか。

 そう言えば、韓国や中国東部も、大洪水とか? その間にあるK国も、大洪水のはず。
しかしK国の情報は、まったく入ってこない。いったい、あの国は、どうなっているのか。

 もうすぐ、SGさん家族が、インドネシアのジャカルタから日本へ帰ってくる。お帰り
なさい! K国の人たちも、たいへんだな。ああいう独裁者ががんばっている間、安穏た
る日々は、やってこない。心配はしないが、かわいそうだと思う。


●セミの声

 夕方、ソファでうたた寝をしながら、ワイフが、こう言った。

 「セミの声を聞いていると、子どものころを思い出すわ」と。

 考えてみれば、騒々しい虫だ。工場の機械のように、一日中、鳴いている。風邪をひい
たときの、耳鳴りのようでもある。

 しかし、どこか憎めない。隣人が、石を削るときに出す音に似ているが、本質的に、ち
がう。恐らく人間が、とくに日本人が、太古の昔から、夏になるたびに耳にしてきた鳴き
声である。

 私が赤ん坊のころも鳴いていた。子どものころも鳴いていた。おとなになってからも、
鳴いていた。

 そういうつきあい(?)がある。

 しかし、どうして、ああまで一日中、鳴いているのだろう。もし鳴くことが、生命維持
のために必要というのなら、メスだって、鳴くはず。

鳴くことで、オスは、自分の位置をメスに教えているのだろうか。しかしそれだって、
一日中、鳴くことはないはず。みながみな、いっせいに鳴いたら、どれが自分の声であ
るかさえも、わからなくなってしまう。

 私だったら、ガールフレンドができるまでは鳴くが、できれば、鳴くのをやめて、少し
は休む。あるいは、ときどき鳴く。

 ……と思っていたら、セミ、イコール、私に思えてきた。

 こうしてヒマさえあれば、文章を書いている私は、セミのようなもの。必要もないのに、
カタカタとキーボードをたたいている。「これが生きることだ」と思いこんで、そうしてい
る。

 さあ、今日も私は鳴くぞ! カタカタカタ、カタカタカタ……、と。セミなんかに、負
けてたまるかア!

【追記】

 世界には、セミのいない地方もある。去年、ちょうど今ごろ、オーストラリアの友人夫
婦が、2か月近く、私の家にホームステイしていった。そのとき、彼らは、「セミはうるさ
い」とこぼしていた。

 オーストラリアの彼の住む地域には、セミはいないという。そういえば、「秋の虫もうる
さい」とこぼしていた。

 となると、「セミの声を聞いていると、子どものころを思い出すわ」というのは、ひょっ
としたら、日本人の私たちだけかもしれない。ここで「本質的にちがう」と書いたが、そ
れはまちがっているかもしれない。

 まあ、どうでもよいことだが……。しかし考えてみれば、セミの声は、本当に、騒々し
い。森の近くに住むのも、考えものである。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 16日(No.450)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの英語

 いくら「シックス(6)」と教えても、「セックス」と言う子どもがいる。口を横へひっ
ぱって言わないから、そうなる。日本人の「イ」の発音は、甘い。(英語は、思いっきり口
を横へ引っ張って、E〜という。)

 それに吐き出す息の量が、少ない。英語を話すときは、(とくに練習するときは)、相手
にツバをひっかけるようなつもりで話すとよい。

 さらに同じ「ア」の音でも、英語では、先に口の形を、「ア」にしておいて、瞬間的に、
「ア」と発音する。日本語では、口の形をつくりながら、同時に「ア〜」と、声を出す。

 こうしたちがいは、教えて教えられるものではない。徹底的に、マネさせる。

 で、私はぬいぐるみのカエルを、相棒に使う。腹話術で、それを使う。……使うように
なって、もう30年になる。

 今では、小学3年生の子どもでも、だませるほど、腹話術がうまくなった。(あとで、「こ
のカエル、本当に生きているの?」と聞く子どもがいる。ホントだぞ!)

私「どうしたの? 元気がないよ」
カエル「ぼく、おうちに帰る。疲れた。……眠い……」
私「まだ、レッスン、始まったばかりじゃない」
カエル「抱っこして……」
私「もう寝るの?」
カエル「ウン」

私「しかたないな……」
カエル「ママのおっぱい、ほしい」
私「ぼくは、ないよ。男だもん」
カエル「オッパイ!」
私「わかった、わかった」

私、ハンカチを胸に入れて、おっぱいをつくる。

カエル「小さい」
私「ぜいたく言うんじゃ、ない」
カエル「それに一つしかない……」
私「わかった、わかった。もう一つ、つくればいいんだね」
カエル「うん……」

私、ハンカチをもう一つ入れて、おっぱいをつくる。

私「これでいい……?」
カエル「おばあちゃんのオッパイみたい……」
私「どうして?」
カエル「だって、下すぎる……」
私「上にあげればいいの?」
カエル「そう……」

私、ハンカチを、胸の上のほうにあげる。

私「これでいい……?」
カエル「うん」
私「じゃあ、寝るんだよ」
カエル「……子守唄も、歌ってエ……」
私「ぜいたく言うんじゃない!」
カエル「歌ってエ!」

私「わかった、わかった、歌うよ。♪……笹の葉、サラサラ……」
カエル「だめ。それじゃ、ない」
私「じゃあ……。♪……どんぐりコロコロ……」
カエル「ちがう!」
私「♪ABCDEFG HIJLLMN……」

カエル、スヤスヤと眠り始める。そこでカエルをそっと、机の上に置き、ハンカチを、タ
オルケットのようにしてかけてあげる。

こうして英語の歌に導いていく。

 ほとんどの子どもは、そうした様子を、うっとりとした表情で、見ている。

 なおカエルの名前は、「ケロちゃん」。よろしく!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●帰宅拒否を疑う

 不登校ばかりが話題になるが、それと同じくらい問題なのが、帰宅拒否。

今、園でも学校でも、家に帰りたがらない子どもがふえている。もっとも子どものばあ
い、「帰りたくない」とは言わない。態度や行動で、それを示す。

そこでもしあなたの子どもが、毎日家に帰ってくるのが、不自然に遅いとか、回り道を
してくるとか、あるいはいつも友だちの家に寄ってくるというのであれば、この帰宅拒
否を疑ってみる。こんな子ども(年長男児)がいた。

 帰りのバスの時刻になると、決まってどこかへ隠れてしまうのだ。炊事室の中や、園舎
の裏など。で、そのたびに幼稚園中が大騒ぎ。やがて先生が手を焼き、親に迎えにきてほ
しいという手紙を出したが、このケースで、まず疑ってみるべきは、帰宅拒否である。「家
に帰りたくない」という思いが、子どもをしてこうした行動をとらせるようになる。

 もちろん原因は、家庭にある。家そのものが狭いとか窮屈ということもあるが、子ども
の側からみて、息が抜けない、気が休まらないなど。それをまず疑ってみる。親の神経質
な過干渉、過関心が原因となることも多い。ほかに家庭騒動、不和、崩壊などもある。家
庭が家庭として機能していないとみる。

 そこでテスト。あなたの子どもは、園や学校から帰ってきたとき、明るい声で、「ただい
ま!」と、意気揚々と帰ってくるだろうか。もしそうならそれでよい。しかしここに書い
たように、様子がへんだと感じたら、家庭のあり方をかなり反省したほうがよい。こうし
た状態が長く続けば続くほど、子どもの心に深刻な影響を与える。最悪のばあいには、外
泊、家出、さらには集団非行へと進みかねない。

 前にも書いたが、「家庭(ホーム)」は、子どもにとっては、心をいやし、心を休める場
所でなければならない。またそれができてこそ、「家庭」という。そういう家庭を用意する
のは、親の義務と考えてよい。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親子の確執】

************************

現在、東京都F市にお住まいの、NEさんという
方から、親子の問題についてのメールをいただき
ました。

転載を許可していただけましたので、みなさんに
紹介します。

このメールの中でのポイントは、2つあります。

子離れできない、未熟な母親。
家族自我群の束縛に苦しむ娘、です。

旧来型の親意識をもつ、親と、人間的な解放を
求める娘。この両者が、真正面からぶつかって
いるのがわかります。

NEさんの事例は、私たちが、子どもに対して、
どういう親であるべきか、それを示唆しているように
思います。

みなさんといっしょに、NEさんの問題を
考えてみましょう。

***********************

【NEより、はやし浩司へ】

はやし浩司さま

突然のメールで、失礼します。
暑いですが、いかがお過ごしですか?

今回のメールは、悩み相談の形をとってはいますが、ただ単に自分の気持ちを整理するた
めに書いているものです。返信を求めているものではないので、どうかご安心ください。

結婚後、三重県S市で生活していた私たち夫婦は、主人が東京都の環境保護検査師採用試
験に合格したこともあり、今春から東京で生活することになりました。実は、そのことを
めぐって私の両親と大衝突しています。

嫁姑問題ならまだしも、実の親子関係でこじれて悩んでいるなんて、当事者以外にはなか
なか理解できない話かもしれません。このような身内の恥は、あまり誰にも相談もできま
せん。人生経験の浅い同年代の友人ではわからない部分も多いと感じ、人生の先輩である
方のご意見を聞かせていただけたら…(今すぐにということではなく、やはり問題解決に
至らなくて、どうにもならなくなったときに、いつか…)と思い、メールを出させていた
だきました。

まずはざっと話させていただきます。

事の発端は、私たち夫婦が東京に住むことになったことです。
表面上は…。

私の実家は、和歌山市にあります。夫の実家は、東京都のH市にあります。東京へ移る前
は、三重県のS市に住んでいました。

けれども、日頃積もり積もった不満が、たまたま今回爆発してしまったというほうが正確
なのかもしれません。

母は、私たちが三重県のS市を離れるとき、こう言いました。

「結婚後しばらくは三重県勤務だが、(私の実家のある)和歌山県の採用試験を受験しなお
すと言っていたではないか。都道府県どうしの検査師の交換制度に申し込んで、三重県か
ら和歌山県に移るとかして、いつかは和歌山市にくるチャンスがあれば…と、待っていた。
それがだめでも、三重県なら隣の県で、まあまあ近いからとあきらめて結婚を許した。そ
れが突然、東京に行くと聞いて驚いた。同居できなくてもいいが、できれば、親元近くに
いてほしかった。あなたに見棄てられたという気分だ」と。

親の不安と孤独を、あらためて痛感させられた一件でした。「いつか和歌山市にくるかもし
れない」というのは、あくまで両親の希望的観測であり、私たちが約束したことではあり
ません。母も体が丈夫なほうではないので、確かにその思いは強かったかも知れませんが
…。

ですので、いちいち明言化しなくても、娘なら両親の気持ちを察して、親元近くに住むの
が当然だろう、という思いが、母には強かったようです。

しかし、最初からどんな条件をクリアしようと、結婚に賛成だったかといえば疑問です。
昔風の理想像を、娘の私に押しつけるきらいがありました。

たとえ社会的地位や財産のある(彼らの基準でみて)申し分ない結婚相手であっても、相
手を自分たちの理想像に押し込めようとするのをやめない限り、いつかは結局、同様の問
題が噴き出していたと思うのです。

配偶者(夫)に対して、貧乏ゆすりが気に入らないだとか、食べ物の好き嫌いがあるのが
イヤだなどと…。配偶者(夫)と結婚したのか、親と結婚したのかわからないほど、結婚
当初は、親の顔色をうかがってばかりいました。両親の言い分を尊重しすぎて、つまらぬ
夫婦喧嘩に発展したこともしばしばありました。

いつまでも頑固に、私の夫を「気に入らない!」と、わだかまりを抱えているようでは、
近くに住んでもうまくいくとは思えません。両親にとって、娘という私の結婚は、越えら
れないハードルだったのかもしれませんね。

結婚後、実家を離れ、三重県で生活していても、「そんな田舎なんかに住んで」とバカにし
て電話の一本もくれませんでした。私が妊娠しても「誰が喜ぶと思ってるんだ」という調
子.結局、流産してしまったときも「私が言った(暴言)せいじゃない(←それはそうか
丑.もしれませんが、ひどいことを言ってしまって謝るという気持ちがみられない)」と。

出産後も頼れるのは、夫の母親、つまり義母だけでした。実の母は「バカなあんたの子ど
もだから、バカにきまってる」「いまは紙おむつなんかあるからバカでも子育てできていい
ね」などなど。なんでそんなことまでいわれなければならないのかと、夢にまでうなされ
夜中に叫んで目がさめたこともしばしば…

そんな調子ですから、結婚後、実家にかえったことも、数えるほどしかありません。行く
たびに面とむかってさらに罵詈雑言を浴びせられ、必要以上に緊張してしまうことの繰り
返しです。

このまま三重県生活を続けていてもいいと考えたのですが、子どもが生まれると近くに親
兄弟の誰もいない土地での生活は大変な苦労の連続。私の実家のある和歌山市と、旦那の
実家のある東京のそれぞれに帰省するのも負担で、盆正月からずらして休みをとってやっ
と帰る…などをくりかえしていました。そのためお彼岸のお墓参りのときには、何もせず
に家にいるだけというふうでした。

さらに子どもの将来の進路・進学の選択肢の多さ少なさを比較すると、このまま三重県で
暮らしていていいのだろうかと思い、それで夫婦ではなしあった結果、今回思いきって旦
那が東京を受験しました。ただでさえ少子化の今の時代ですから、近くに義父母や親戚、
兄弟が住んでいる街で、多くの目や手に支えられた環境の中で子育てしていこう!、との
結論にいたったのでした。

このことについて実の母に相談をしませんでした。事後報告だったので、(といっても相談
なんてできるような関係ではなかったですし)、和歌山市の両親を激怒させたことは悪かっ
たとは思います。しかし、これが発端となり、母や父からも猛攻撃が始まりました。

「親孝行だなんて、東京に遠く離れて、一体何ができるっていうの? 調子いいこと言わ
ないで!」
「孫は無条件にかわいいだろうなんて、馬鹿にしないで! もう孫の写真なんか送ってこ
なくていいから」
「偽善者ぶって母の日に花なんかよこさないで!」
「言っとくけど東京人なんて世間の嫌われ者だからね」云々…。

電話は怖くて鳴っただけで体のふるえがとまらなくなり、いつ三重までおしかけてこられ
るかと恐怖でカーテンをしめきったまま、部屋にとじこもる日々でした。それでも子ども
をつれて散歩にいかなければならないと外出すれば、路上で和歌山の両親の車と同じ車種
の車とでくわしたりすると、足がすくんでうごけなくなってしまい、職場にいる主人に助
けをもとめて電話する…そんな日々がしばらく続きました。

いつしか『親棄て』などと感情的な言葉をあびせかけられ、話が大上段で感情的な応酬に
なってしまっています。親の気持ちも決して理解できないわけではないのですが…。

ふりかえると、両親も、夫婦仲が悪く、弟も進学・就職で家を離れ、私がまるで一人っ娘
状態となり、過剰な期待に圧迫されて共依存関係が強まり、「一卵性母娘」関係になりかけ
た時期がありました。

もしかするとその頃から、親子関係にほころびが生じてしまったのかもしれません。こち
らの言い分があっても、パラサイト生活の状態だったので、最後には「上げ膳据え膳の身
で、何を生意気言ってるの!」とピシャリ! 何も反論できませんでした。

親が憎いとか、断絶するとか、そんな気持ちはこちらにはないのです。実の親子なのです
から、ケンカしても、必ず関係修復できることはわかっています。でも、うまく距離がと
れず、ちょっと苦しくなってしまったというだけ。

「おまえは楽なほうに逃げるためにあんな男つれてきて、仕事もやめて田舎にひっこんで
結婚しようとしてるんだ」
「連中はこっちが金持ちだとおもってウハウハしてるんだ」
「人間はいつのまにか染まっていくもの。あんたもあんな汚らしい長家に住んでる人間た
ちと一緒になりたければ、出て行けばいい」などなどと、吐かれた暴言は、心にくいとな
ってつきささり、ひどく傷つきました。

結婚に反対され、家をとびだし一人暮らしを始めたのも、「このままの関係ではまずい」と
思ったことがきっかけでした。ついに一人ではそんな暴言の嵐を消化しきれず、旦那や義
父母に泣いてすがると、私の両親は「お前が何も言わなければ、そんなことあっちには伝
わらなかったのに。余計なことしゃべりやがって。あっちの親ばっかりたてて、自分の親
は責めてこきおろして…。よくもそんなに人バカにしてくれたね。もう私達の立場はない
じゃないか。親が地獄のような日々おくっているのに、自分だけが幸せになれるなんて思
うなよ」と。

そんな我が家の場合、もう一度、適切な親子の距離をとり直すために、もめるだけもめて、
これまでの膿を全部出し切っていくという、痛みをともなうプロセスを、避けて通れない
ようです。

本や雑誌で、家族や親子の問題を扱った記事を目にすると、子ども側だけが一方的に悪い
わけではないようだと知り安心するものの、それは所詮こじつけではないか?、と堂々巡
りに迷いこみ、訳がわからなくなってしまいます。

娘の幸せに嫉妬してしまう母、愛情が抑圧に転じてしまう親、アダルトチルドレン、心理
学用語でいう「癒着」、育ててもらった恩に縛られすぎて、自分の意思で生きていけない子
ども…などなど。そんな事例もあるのだなーと飽くまで参考にする程度ですが、どこかし
らあてはまる話には、共感させられることも多いです。

世間一般には、「スープの冷めない距離」に住むことが親孝行だとされています。私の母は、
「近所のだれそれさんはちゃんと親近くに住んでいる。いい子だね」という調子で、それ
にあてはまらない子は、「ヘンな子ね、いやだわ」で終わり。スープの冷めない距離に住め
なかった私は「親不孝者だ…」と己を責め、自分そのものを肯定できなくなることもあり
ます。

こんな親不孝者には、子育ても人間関係も仕事もうまくいくわけがないのだ。親を棄てて、
幸せだなんて自己満足で、いつか必ずしっぺ返しをくらって当然だ。父母の理想から外れ
た人生を選び、それによってますます彼らを傷つけている私に、存在価値なんてあるのだ
ろうか…などと。

子どもは24時間待ったなしで愛情もとめてすりよってきますが、東大に入れて外交官にし
て、おまけにプロのピアニスト&バイオリニストなどにでもしなければ、子育てを認めな
いような、かたよった価値観の両親のものさしを前に、無気力感でいっぱいになってしま
います。よってくる我が子をたきしめることもできずに、ただただ涙…そんな日々もあり
ます。

実はこの親子関係がらみの問題は、私の弟の問題でもあります。

彼は転職する際、両親と大衝突し、罵詈雑言の矛先が選択そのものにではなく、人格にま
で向けられたことに対して、相当トラウマを感じているようです。(事実、1年近く、実家
との一切の関わりを断ち切った時期もあったほどです)。

結局、転職先は両親の許容範囲におさまり、表層は解決したように見えるのですが、本質
的な信頼の回復には至っていません。子の人生を受け入れることができない両親の狭量さ
を、彼はいまだに許していません。

弟は「親は親の人生、子は子の人生。親の期待に子が応えるという、狭い了見から脱して、
成人した子どもとの関係を築こうとしない限り、両親が子どもの生き方にストレスをため
る悪循環からは抜け出せないよ」と、両親を諭そうとした経験があります(もちろん人間
そう簡単には変わりませんが…)。

今回の私の件も、問題の根本は同じであると受け止め、(今後、彼の人生にもあれこれ影響
が出てくるのは必至なので)、「他人事ではない」と味方についてくれました。

まだ人生経験が浅い私には、親が遠距離にいるという事実が、将来的に、今は予想もつか
ないどんな事態を覚悟しておかねばならないのか、具体的なシミュレーションすらできて
いません。(せめて今後の参考に…と思い、ある方が書いた、「親と離れて暮らす長男長女
のための本」を借りてきて、眺めたりしています。)

親の不安と孤独を軽減するには、一にも二にも顔を見せることですね。夫の実家に子ども
を預けて、和歌山市にどんどん帰省しようと思います。そういう面では、親戚など誰も頼
る人のいない三重県S市在住の今よりも、ずっと帰省しやすくなるはずです。あとはお互
いの気持ちの問題です。そう前向きに思うようにはしたいのですが…

人は誰にも遠慮することなく、幸せをつかむ権利があり、そうした自己完結的な充足の中
に、ある面では躊躇を感じる気質も持ち合わせていて、そこに人間の心の美しさがあるの
かもしれない…そんなことを言っている人がいました。

私はこれまで両親から受けた恩に限りない感謝を覚えていますし、折に触れてその感謝を
形に表していきたいと思っています。が、今はそんな思いは看過ごされ、けんかばかり。「親
棄て」の感情論のみ先行してしまっていることが残念です。

我が家の親子関係再構築の闘いは、まだまだ続きそうです。でも性急さは何の解決も生み
出しません。まずは悲観的にならず、感情的にならず、静かに思慮深く、自分の子どもに
しっかり愛情注いで過ごしていくしかないと思います。

そして、原因を親にばかりなすりつけるのではなく、これまで育ててもらった愛情に限り
ない感謝の気持ちを忘れずに、折々に言葉や態度で示しつつ、前進していかなければ…と
思っています。

理想の親子関係って何でしょうね?
親孝行って何でしょうね?

勝手なおしゃべりで失礼しました。
誰かの助言ですぐに好転する問題ではないので、急ぎの回答など気にしないでください!
こうして打ち明けることで、もう既にカウンセリング効果を得たようなものですから。(と、
言っている間にも、状況はどんどん変わりつつあり、解決しているといいのですが…)

ただ、私が最近思うことは、私の両親の意識改革も必要なのではないかということです。
彼らの親戚も、数少ない友人もほとんどつきあいのない隣り近所も誰も、彼らのかたよっ
た親意識にメスを入れることのできる人はいない状況です。

先日は父の還暦祝いに…と、弟と二人でだしあって送った旅行券もうけとってもらえず、
ふだんご無沙汰している弟が、母の日や父の日にひとことだけ電話をいれたときにも話し
たくなさそうに、さも、めんどくさそうに、短く応答してすぐブツリときられてしまった
そうです。

彼らはパソコン世代ではありません。親の心に染入るような書物を紹介する読書案内のダ
イレクトメールですとか、講演会のお知らせなどを、(私がしむけているなどとは決してわ
からないように)、ある日突然郵送で何度か、繰り返し送っていただくことはできませんで
しょうか?

そのハガキに目がとまるかどうかが、彼らが意識を改革できるかどうかの最後のきっかけ
であるような気がしてならないのです。

そういうふうに、相手にかわってくれ!、と望んでいる私の姿勢も無駄なんですよね。

はやしさんのHPにあった親離れの事例などは、うちよりもさらに深刻な実の母親のスト
ーカーの話でしたから、最近の世の中には増えてきていることなのだろうと思いました。

友達に相談しても、早くから親元はなれてそういう衝突したことのない人からみれば、ま
ったくわからない話ですし、「あなたを今まで育ててくれたご両親に対する、そういう態度
みてあきれた」と、去っていった友人もいました。また、あまり親しくない人たちのまえ
では、実の親子なんですからもちろんうまくいっているかのようにとりつくろわなければ
ならず、非常に疲れます。

時間はかかるでしょうが、両親があきらめてくれるかもしれないきっかけとしては、いろ
いろやるべきことがあるようです。たとえば両親の家は、新築したばかりの家ですので、
和歌山市に帰って年老いた両親のかわりに、家の掃除や手入れなどをひきうけること。私
が仕事(検査助手)に復帰し、英検・通検などを取得すること。小さい頃から習い続けて
きて途中で放棄されたままのピアノも、もういちど始めること(和歌山市の実家に置き去
りになっているアップライトのピアノがある)。母の着物一式をゆずりうけるために気付な
ど着物の知識をしっかり勉強すること。同じく母の花器をつかって玄関先に生けてもはず
かしくないくらいのいけばなができるようになること。梅干やおせち料理、郷土料理など
母から(TVや雑誌などでは学べない)母の味をしっかり受け継ぐこと…などなどが考えら
れます。

東京で勤務し続ける弟とは、両親に何かあればひきとる考えでいることを話し合っていま
す(実際にはかなり難しいでしょうが…)。弟も私が和歌山市に戻り、ここまでこじれても
一言子どもの立場から折れて謝罪すれば、ずいぶん状況が違うだろうといってくれてはい
るのですが、ほんとうに謝る気もないのにくちさきだけ謝ったとしても、いつかは親の枕
もとに包丁をもって立っていた…なんてことにもなりかねません。謝ってしまうと親のね
じまがった価値観を認めることになりそうでそれは絶対にできません。

万一のときには実家に駆けつけるつもりですが、正直、今の気持ちとしては何があろうと
親の顔も見たくありません。

すみません。長くなりました。

急ぎではありませんので、多くの事例をご覧になってきたはやしさんの立場から何かご意
見がございましたら、いつかお時間に余裕ができましたときにお聞かせいただければと思
いました。

HPでは現在ご多忙中につき、相談おことわり…とありましたのに、それを承知でお便りし
てしまいまして、勢いでまとまらない文章におつきあいくださいましてありがとうござい
ました。

暑さはこれからが本番です。
どうぞお体ご自愛なさってお過ごしください。

現在は東京都F市に住んでいます。 NEより

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【ああ親意識! されど親意識!】

●子どもの幸福に、嫉妬する親

 子どもの幸福に嫉妬する親は、少なくない。「親をさておいて、自分だけ、幸福になると
は、何ごとか」と。「親不孝者は、地獄へ落ちる」と、子どもを脅す親もいる。

 もともと精神的に未熟な、依存性の強い親とみる。そういった未熟性に、日本に古来か
ら伝わる、独特の親意識が重なる。私が「悪玉親意識」と呼んでいるのが、それである。

 この嫉妬は、さまざまな形に、姿を変える。

 息子や娘に対して、攻撃的になる親。弱々しい親を演じ、同情を求める親。子どもにベ
タベタと依存しようとする親。そして子どもに対して、逆に服従的になり、言外に子ども
に、「私(親)のめんどうをみろ」と迫る親、など。

 これらのパターンが、複合化して現れることもある。貧しいフリをして、息子の同情を
かい、そういう方法で、いつも息子の財産(マネー)を、まきあげるなど。

 息子が、「母さん、生活はだいじょうぶか?」と、心配して電話をかけると、「心配しな
くていいよ。冷蔵庫には、先日買った、魚の缶詰が、まだ残っているからね」と。

●「産んでやった」と言う母親。「産んでいただきました」と答える子ども

 依存性の強い母親は、いつもどこかで、恩着せがましい子育てをする。無意識のうちに
というか、伝統的な子育て法を、そのまま踏襲する。

 このタイプの母親(父親も)は、子どもに対して、「産んでやった」「育ててやった」を、
日常的に口にすることで、子どもを束縛しようとする。

 一方、子どもは子どもで、それに答えて、「産んでいただきました」「育てていただきま
した」と、言うようになる。

 相互にこうした依存関係ができたときには、親子関係も、それなりにうまくいく。たが
いにベタベタの親子関係をつづけながら、親は息子(娘)を、「できのいい孝行息子(娘)」
と思うようになる。息子(娘)は、「私の母親(父親)は、すばらしい人だ」と思うように
なる。

 が、もともとそれを支える人間的基盤は、弱い。軟弱。わかりやすく言えば、たがいに
自立できない人間どうしが、たがいになぐさめあって生きているにすぎない。ちょっとし
たことで、この人間関係は、崩れやすい。

●親・絶対教

「親は絶対である」と、考える人は、多い。だれかが、ほんの少しだけ、その人の親を
批判しただけで、「(オレの)親の悪口を言うヤツは許さない」と、絶叫してみせたりす
る。

 それがどこかカルト的であるから、私は「親・絶対教」と呼んでいる。

 カルトだから、理由など、ない。根拠もない。「偉いから、偉い」というような考え方を
する。それに日本古来の先祖崇拝意識が重なることもある。

 このタイプの人に、そのカルト性を指摘しても、意味はない。反対に、「お前の考え方の
ほうがおかしい」と、排斥されてしまう。相手の意見を聞く耳すら、もたない。と、同時
に、それがその人の人生観や哲学になっていることも多い。

 親・絶対教を否定するということは、その人の人生を否定することにもなる。だから、
このタイプの人は、猛烈に反発する。

 「親の悪口を言うヤツは、許さない!」と。「お前ら、人間の道を踏みはずしている」と
言った人もいる。

 あたかもそう叫ぶことが、子どもとしての努めであるというような、行動をとる。

●犠牲心

 こうした親・絶対教の信者に共通するのは、「子育ては、親の犠牲の上に成りたっている」
という考え方である。「産んでやった」「育ててやった」という言い方は、そういうところ
から生まれる。

 さらにストレートに、「お前を大学へ出してやった」「高い月謝を払って、ピアノ教室へ
通わせてやった」と言う親さえいる。

 そこで問題は、なぜ、こうした犠牲心が生まれるかということ。もう少し正確には、犠
牲的子育て観が生れるかということ。

 本来、子どもというのは、一組の夫婦の愛の結晶として生れる。そしてその子どもが生
れてきた以上、その子どもを育て、最終的には、その子どもを自立させるのは、親の義務
である。

 義務だ!

 その義務を放棄して、「産んでやった」「育ててやった」と言う。つまり、ここに日本型
の子育ての(おかしさ)が、集約されている。事実、英語には、そういう言い方、そのも
のがない。ないものは、ないのであって、どうしようも、ない。

●不幸な家族観

 日本独特の「家」制度は、同時に、個人の自立を、いつもどこかで犠牲にする。またそ
の犠牲の上に、「家」制度が、成りたっている。

 このことは、その「家」の跡取りとなった、長男をみれば、わかる。今でも、この日本
には、「長男だから……」「長女だから……」という、『ダカラ論』が、色濃く残っている。
そのため、そのダカラ論にしばられ、悶々と過ごしている長男、長女は、いくらでもいる。

 こうした意識の背景にあるのは、親にしても、自分たちの愛の結晶としての子どもを産
むというよりは、自分を離れた(他者)、つまり(家)のために、子どもを作るという意識
である。

 「本当は、産みたくなかったが、家のためにしかたないから、産んだ」と。

 ここまで極端なケースは、少ないかもしれないが、まったくないわけではない。が、中
には、不本意な結婚、不本意な出産をした人も多い。このタイプの人は、どうしても、こ
こでいう犠牲心をもちやすい。

 「私は子どものために、自分の人生をムダにしている」「したいことも、できず、犠牲に
なっている」と。

 その理由は、人それぞれ。しかし結果として、親は、心のどこかで犠牲心をもってしま
う。そしてそれが、冒頭に書いた、嫉妬へと、いつしか変質する。

●父親の役割

 母子関係と、父子関係は、基本的には、同一ではない。それは母親は、子どもを妊娠し、
出産し、そのあと、乳を与え、命をはぐくむという特殊性のちがいといってもよい。

 一方、父親と子どもの関係は、あくまでも(精液一しずくの関係)でしかない。

 そこでどうしても母子関係は、特殊なものになりやすい。が、特殊であることがまちが
っているというのではない。たとえば人間が原点としてもつ基本的信頼関係は、良好な母
子関係がってはじめて、はぐくまれる。

 この母子関係が不全になると、子どもは、生涯にわたって、その後遺症をひきずること
になる。

 こうした特殊な母子関係を修正し、調整していくのが、父親の役割ということになる。
放っておくと、母子関係は、ベタベタの関係になってしまう。子どもは、ひ弱で、自立で
きない人間になってしまう。

 父親は、そこで、子どもに狩のし方を教え、社会的ルールを教える。こうした操作を繰
りかえしながら、子どもを、濃密な母子関係から切り離していく。

 この父親の役割があいまいになったとき、えてして母親は子どもを溺愛するようになる。
それが相互依存関係をつくり、やがてベタベタの人間関係へと、発展していく。

●演歌歌手のK氏

 いつだったか、NHKのテレビ番組に、「母を語る」というのがあった。

 その中で、演歌歌手のK氏は、涙まじりに、こう語っていた。

 「私の母は、女手一つで、私を育ててくれました。私は、その恩に報いたくて、東京に
出て、歌手になりました」と。

 K氏は、さかんに、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言っていた。
それはそれだが、私は最初、「Kさんの母親は、すばらしい母親だ」と思った。しかし5〜
10分も見ていると、ふと、心のどこかで疑念がわいてくるのがわかった。

 「待てよ」と。

 「本当にK氏の母親は、すばらしい母親だったのか?」と。

 K氏は「すばらしい母親だ」と言っている。それはわかる。しかし、「産んでいただきま
した」「育てていただきました」と、思わせたのは、実は、母親自身ではなかったのか、と。

 心理学でいう、「家族自我群」による束縛で、K氏をしばりあげたのは、実は母親自身で
ある、と。

 「女手ひとつ」だったということだから、苦労もあったのだろう。それはわかる。が、
K氏の母親は、そうした恩を、K氏に日常的に着せることで、母親としての自分の役目を
果たそうとした(?)。

 こうした例は、決して、珍しくない。日本人は、ごく当たり前のこととして、それを受
けいれてしまっている。よい例が、窪田聡という人が作詞した、あの『かあさんの歌』で
ある。

 あれほどまでに、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はないと、私は思うのだが、日本
人は、こうした歌を、名曲として、受けいれてしまっている。

●家族自我群からの自立

 こうした問題を考えるとき、私たちは、どうしても親という立場だけで、ものを考えや
すい。しかし本当の問題は、このあと、子どもの側に起きる。

 「産んでいただきました」「育てていただきました」と、子どもの側が、それなりに、親
に呼応している間は、たがいの人間関係は、うまくいく。

 しかしその成長過程においても、子どもは、こうした家族自我群からの自立を目ざす。
これを「個人化」という。

 よく誤解されるが、個人化は、家族の否定ではない。家族との調和をいう。

 が、この個人化が、うまく進まないときがある。親の溺愛にはじまって、過干渉、過関
心、そして過保護など。親の否定的な育児姿勢が、個人化を阻害することもある。家庭崩
壊、育児拒否、冷淡、無視、暴力、虐待なども、個人化を阻害する。

 この個人化が、うまく進まないとき、さまざまな弊害が起きる。

 その一つが「幻惑」(ボーエン)という現象である。

●幻惑

 本来、子どもが自立し始めたら、親は、自分自身も子離れを始めると同時に、子どもも
またじょうずに、親離れできるように仕向けなければならない。

 子離れということは、子ども自身に親離れさせることを意味する。

 「あなたは、あなたよ。あなたの人生は一度しかないから、思う存分、この広い世界を
はばたいてみなさい」と。

 子どもは、こうした親の姿勢を感じてはじめて、自分自身を自立させることができる。
が、それがないと、子どもは、その「幻惑」に苦しむことになる。

 親離れすることを、罪悪と考えるようになり、家族自我群の束縛と、個人化のはざまで、
悩み苦しむようになる。

 さらにその幻惑が進むと、自らにダメ人間というレッテルを張ってしまい、さらには、
自己否定するようになってしまう。

 親自身が、息子や娘に、このレッテルを張ってしまうこともある。「このできそこない! 
親不孝者め!」と。

●伝統的子育て観

 子育ては本能ではなく、学習によって、決まる。そういう意味でも、子育ては、代々と、
親から子へと繰りかえされやすい。

 そこで日本型の子育ての特徴はといえば、常に子どもが、親、先祖、家に対して犠牲的
になることを、美徳としてきたところにある。

 ある母親は、息子夫婦が海外へ赴任している間に、息子の財産(土地)を、勝手に売却
してしまった。

 それについて息子が母親に抗議すると、その母親は、こう答えたという。

 「親が、先祖を守るために、息子の財産を使って、何が悪い!」と。

 こういうケースでは、親が口にする「先祖」というのは、「親」という自分自身のことを
いう。まさか「親が、自分の息子の財産を使って、何が悪い!」とは言えない。だから「先
祖」という言葉をもちだす。

 それはそれとして、こうした伝統的子育て観が一方にあって、親は、子どもに犠牲を強
いるようになる。あるいはそれを強いながら、強いているという意識がないまま、強いる。

 こうして日本独特の子育て観は、代々と、親から子へと受け継がれる。今も、受け継が
れている。

●親子の確執

 親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。人間と人間の関係である。

 が、この親子関係が特殊性をおびるのは、ひとえに、文化でしかない。その文化が、親
子関係を特殊なものにする。

 だからといって、それが悪いと言うのではない。人間生活そのものが、その「文化」の
上に成りたっている。文化を否定すれば、人間は、原始の世界の動物に、逆戻りする。

 大切なことは、そういう人間関係に、どういう文化を乗せるかである。あるいはその基
礎に、どういう文化を置くかである。

 その文化に、ズレが生じたとき、親子の間に緊張感が高まり、それが、確執へとつなが
っていく。しかも、親子であるがゆえに、その確執のミゾも深くなる。他人なら、たがい
に、「はい、さようなら」と別れることができる。しかし親子では、それができない。でき
ないから、もがき、苦しむ。

 たとえば、日本人の多くは、「産んでもらった」、だから、「親のめんどうをみるのが当然」
という、相互依存関係をつくりやすい。

 しかしなぜそうなったかといえば、先に書いたように、そこには「家」制度がある。さ
らには、社会保障制度の不備もある。最近になって、老人介護という言葉が使われるよう
になったが、私が若いころには、そんな言葉すらなかった。

 子どもは親なしでは生きていかれない存在だが、老人もまた、子どもなしでは生きてい
かれない存在であった。が、問題は、さらにつづく。

●欧米の例

 オーストラリアでもアメリカでも、親が老後の苦労を、子どもにかけないという姿勢が、
社会制度の中で定着している。またそういう社会的制度も、充実している。

 オーストラリアの南オーストラリア州でも、平均的なオーストラリア人は、つぎのよう
な過程を経て、人生を終える。

 結婚→子育て→子どもの独立→老後は市内のアパート(自分の家)→老人ホーム→死去、
と。

 日本の家族のように、複数世代が、同居するということは、まず、ない。興味深いのは、
子どもが高校生くらいになると、親自身が、子どもの自立をうながすこと。同じ敷地の中
に、バンガローを建てて、そこへ子どもを住まわせる親も、少なくない。

 こうして親は親で、死ぬまで、自分の生活と、その生活する場(人生)を確保する。こ
どものために自分の人生を犠牲にすることは、まず、ない。

 たとえば大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければ
ならないほど、少ない。たいていは奨学金を得たり、自ら借金をして通う。

 が、それでいて、人間関係が希薄かというと、そういうことはない。むしろいろいろな
統計結果をみても、手をかけ、金をかける日本の親子関係より、濃密なばあいが多い。

●親自身の自立性 

 あなたと親の関係はともかくも、今度は、あなたと子どもの関係において、あなたとい
う親は、いつも人間として自立することを念頭に置かねばならない。結局は、そこへすべ
ての結論が、行きつく。

 親としてではなく、一人の人間として、どう生きるかという問題である。

 その(生きる)部分に、(親意識)を混在させてしまうと、人生そのものが、わけのわか
らないものになってしまう。よくある例が、自分の生きがいを、子どもに託してしまう親
である。

 明けても暮れても、考えることは、子育てのことばかり。自分の人生のすべてを、子育
てにかけてしまう。

 一度、こういう状態になると、そこから抜け出るのは、容易なことではない。それなり
に親子関係が順調なときは、それほど問題にはならない。しかしひとたびそれが崩れると、
自己犠牲心は、被害妄想に。愛情は、憎悪へと変身する。……しやすい。

 「親をさておいて、自分だけいい生活をしやがってエ!」と、息子に叫んだ母親がいた。
 「あんたは、だれのおかげで、日本語がしゃべれるようになったか、わかっているの!」
と、娘に叫んだ母親もいた。

 息子が家を新築したことに対して、「親の家を改築するのが、先だろう」と怒った、母親
すら、いた。

 ほかにも、息子が結婚して、郷里を離れたことについて、「悔しい」「悔しい」と泣き明
かした母親もいる。「息子を、嫁に取られてしまった。息子なんて、育てるもんじゃない」
と、会う人ごとにこぼしていた母親もいる。

 こうした親たちに共通する点はといえば、つまりは、自立できない、精神的に未完成な
人間性である。

●では、どうするか?

 今まで、こうしたケースを、私はたくさん経験している。経験したというよりは、多く
の相談を受けてきている。

 その結果というか、結論を先に言えば、こうした親たちを説得するのは、不可能という
こと。先にも書いたように、カルト化している。さらにそういった生きザマ自体が、その
人の人生観の骨格にもなっている。

 それを否定することは、その人自身の人生を否定することに等しい。だからそもそも、
別の考え方を受けいれようとしない。

 で、こういうケースでは、あきらめて、納得し、その上で、妥協して生きるしかない。

 そして自分の問題としては、心理学でいう「幻惑」から、できるだけはやく自分を解放
する。

 親が子どもに対して、冷たく「縁を切る」とか、それに類することを口にしたときには、
それを悩むのではなく、「はい、そうですか」と割りきる。この割りきりが、あなた自身を
幻惑から解放する。

 幻惑にとりつかれ、悶々と悩むということは、あなた自身が、すでに親がもつ親意識を、
引き継いでいることを意味する。つまりあなた自身も、すでにマザコンであるということ。
そのマザコン性に気がつくことである。

 なぜ幻惑に苦しむかといえば、自分自身の中のマザコン性を、処理できないためと考え
てよい。

【NEさんへ……】

 長い前置きになりましたが、回答のいくつかは、すでにこの前置きの中に書いたと思い
ます。

 あなたは(いい娘)でいようとしています。そのために、たとえばあなたは、

「両親の家は、新築したばかりの家ですので、和歌山市に帰って年老いた両親のかわり
に、家の掃除や手入れなどをひきうけること。

私が仕事(検査助手)に復帰し、英検・通検などを取得すること。

小さい頃から習い続けてきて途中で放棄されたままのピアノも、もういちど始めること
(和歌山市の実家に置き去りになっているアップライトのピアノがある)。

母の着物一式をゆずりうけるために気付など着物の知識をしっかり勉強すること。

同じく母の花器をつかって玄関先に生けてもはずかしくないくらいのいけばなができる
ようになること。梅干やおせち料理、郷土料理など母から(TVや雑誌などでは学べない)
母の味をしっかり受け継ぐこと…などなどが考えられます」と書いています。

 はっきり言いましょう。

 あなたはここでいう「幻惑」に苦しみながら、その一方で、自分自身の中のマザコン性
に気がついていないのではないでしょうか。あるいは、親離れできていない?

 どうしてそうまで、あなたは親に対して、(いい子)で、かつ親に好かれなければならな
いのでしょうか。あなたが今、一番大切にすべき人は、あなたの夫です。それに子どもで
す。視点を、親からはずして、そちらに向けなさい。

 あなたの母親が、「孫の写真など、送ってくれなくてもいい」と言ったら、そのとおりに
すればよいのです。それを、旅行券などを送って、どこかで無理をする。そういうあなた
を見て、一番困っているのは、ひょっとしたら、あなたの夫(配偶者)かもしれません。

 あなたはあなたで、堂々と、前を向いて生きなさい。あなたが言うように、いざとなっ
たら、そのときは、助けに入ればよいのです。それまでは、そっとしておいてあげるのも、
あなたの務めかもしれません。

 そしてあえて言うなら、あなたも、親に対してもっている、「親である」という幻想を捨
てなさい。メールから読み取るかぎり、あなたの母親は、つまらない、ただの「女」です。
多分、あなたの母親は私と同年齢かと思いますが、私から見ても、つまらない人です(失
礼!)。

 そう、実につまらない。

 「親だから、そんなはずはない」とあなたは思いたいのでしょうが、人間というのは、
そういうもの。30歳過ぎたら、よほどのことがないかぎり、進歩はないものと思ってく
ださい。今では、あなたのほうが、人間的にも、あなたの母親より、はるかに「上」を進
んでいます。つまり、つまらない母親など、本気に相手にしないこと。

 適当につきあって、適当にすませば、それでよいのです。つまらない人を本気で相手に
していると、あなた自身も、つまらない人になってしまいますよ。

 そして今、あなたの心の中でウズを巻いている幻惑から、できるだけはやく、あなた自
身を解放することです。

 あなたは何も悪いことはしていません。罪の意識に悩むことは、まったく、ないのです。
あなたはできるだけのことは、してきた。今も、している。それでよいのです。

 ただあなたの子どもにだけは、同じ思いをさせてはいけません。私自身も、親(とくに
母親)に、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と、さんざん言われ
て育った経験があります。

 だから自分の子どもをもったとき、それだけは、口に出して言わないように、心に誓い
ました。

 そして今、ほとんど子育てが終わった今、子どもたちに感謝することはあっても、子ど
もたちに何かを求めることは、まったくありません。「お前たちのおかげで、人生を楽しむ
ことができた。ありがとう」と、です。

 残りの人生は、どちらかひとりになるまで、夫婦で楽しく生きようと言いあっています。
励ましあっています。もちろん子どもたちの世話になることなどは、考えていません。ま
ったく考えていません。そのうち、土地と家を売って、老人ホームへ入ることを、考えて
います。

 そこで残りの人生を、有意義に過ごします。

 これからは、望むと望まざるとにかかわらず、そういう方向に向って、日本も進むと思
います。それが国際的な常識だからです。

 今、多いですよ。本当に多いですよ。親子の確執の中で、もがき苦しんでいる人は、多
いです。

 数年前、母親教室で、ふとその話題に触れたとき、「私も……」「私も……」と声をあげ
た人(若い母親)が、30%近くもいたのには、驚きました。

 みんなどの人も、人知れず、悶々と悩んでいたのですね。「自分は、人間として失格者な
のだ」と。

 しかし、反対に考えてみたらどうでしょうか。つまり、良好な(?)親子関係を結んで
いる人のほうが、少ないのだ、と。ここでいう「良好」というのは、あくまでも、旧来型
の親子観でみたばあい、という意味ですが……。

 が、これからはもう、そういう時代ではないし、またあってはいけないのです。現代と
言う時代は、その二つの価値観が激突している過渡期ということになるのかもしれません。

 最後にメールの転載許可、ありがとうございました。ほとんどの方が断っておいでにな
るという現状の中で、読者の方の大きな参考になると思います。より多くの読者の方が、
あなたのメールを読み、自分の子育てを見なおすきっかけになればと願っています。

 ありがとうございました。

                                はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●M・ムーアの「アホでマヌケなアメリカ白人」を見る

 今、話題になっている、M・ムーア監督の「アホでマヌケなアメリカ白人」を見る。(英
語のタイトルは、「the Awful Truth(ひどい真実)」。)少し前、アメリカ
のブッシュ大統領をヤユした映画を制作、公開したことで、波紋を広げた監督である。

 ビデオショップへ行くと、すでに3巻まで公開されていることがわかった。私は第2巻
を借りてきた。

 すでに見たことがあると言った息子は、「(第1巻は)おもしろかった」と言った。それ
で私は、かなり期待して、それを見た。が、私の評価は、「途中で、あくびが出て、おしま
い」。★は、なし。

 具体的に評論してみよう。

 黒人が、サイフやキーをポケットから取り出そうとして、それを銃と誤解され、警官に
射殺されるという事件があいついだ。

 そこでムーアは、黒いサイフと、オレンジ色のサイフを、交換する運動を始める。

 「黒いサイフは、危険だ」「黒いサイフは、ピストルと誤解される」と。

 チョコバーをもっている黒人については、「そのチョコバーは、危険だから」と言って、
スプレーで、オレンジ色に塗る。あるいは道路を歩くときは、両手を空にかかげて歩くよ
うに指導する。

 どこかパロデー風。しかしどこかバラエティー番組風。

 が、どうしては、私には笑えない。

 一見、黒人(有色人種)を擁護しているようでいながら、その黒人を、どこか蔑視して
いる感じ。その一つ。金持ちが、貧乏人に、パイを投げつけさせるシーンも登場する。

 ムーア氏は、金持ちの傲慢さをきわだてようとしているのだろうが、かえって逆効果。
パイを顔中にぶつけられている黒人に向って、「今日は、腹いっぱい、パイを食べれてよか
ったね」というようなことまで言っている。

 そしてつぎのテーマは、死刑執行。

 死刑者の数を、あたかもゲーム感覚で、州ごとに競いあわせていた。逆説的に死刑反対
論を唱えているのだろうが、逆説的すぎて、かえって、不愉快になった。

 ……と、このあたりで、見るのをやめた。

 ムーア氏のほか、別の若い男や女が、レポーターをしていたが、見るからに、ノーブレ
イン風。そのベースに、深い知性や理性があり、その上で、こうした映画をつくるなら、
それなりに意味がある。説得力もある。過去において、人種差別反対運動をしてきたとか、
死刑廃止のための運動をしてきたという実績があるなら、話もわかる。

 が、構成はきわめて衝動的。事件のきわめて一部を、針小棒大にとらえて、大げさに騒
いでいるといった感じ。

 そうそう、こんなシーンもある。交換して回収した黒いサイフを、ムーア氏は、トラッ
クで、警察署の前にもっていく。そしてそのサイフを、道路にまき散らす。

 困った様子の警察官の前で、「回収しろ」「処分しろ」と。

 本当に黒人のことを考えているなら、サイフなど、道路にまき散らしてはいけない。警
察官でなくても、怒るのは、当然ではないか! つまりこのあたりに、ムーア氏の人間性
の限界があらわれている。

 社会や世間に対して、攻撃的になることは、しかたのないことである。評論という仕事
は、もともとそういうものである。

 しかしそこにはいつも、ある一定の節度というものが、ともなう。わかりやすく言えば、
攻撃と抑制の関係である。評論するものは、いつもこの攻撃と抑制のバランスの上で、も
のごとを評論する。

 いくら「官僚制度はおかしい」と避けんでも、「霞ヶ関を爆破せよ」とは、書いてはいけ
ない。考えてもいけない。読者にそう思わせてもいけない。それが抑制である。理性であ
る。ここでいう「ブレイン(知性)」である。

 が、ムーア氏の評論には、それがない。「アホでマヌケなアメリカ白人」というのは、日
本人が考えた、日本向けビデオのタイトルだろう。しかしこれは、ムーア氏が、白人だか
らこそ、使えたタイトルである。

もしムーア氏が黒人だったら、そういうタイトルはつけられない。そういうタイトルの
映画を制作したら、逆人種差別になる。さらに白人が、「アホでマヌケなアメリカ黒人」
というタイトルの映画を作ったら、どうなる? アメリカ中で、大暴動が起こるにちが
いない。

 ムーア氏が、一見、黒人の擁護をしているようで、結局は、黒人を蔑視しているという
私の意見は、そういうところから生まれる。(私たち日本人も、アメリカでは、黒人と同じ、
有色人種であることを忘れてはいけない。)

 私は、ビデオのスイッチを切ったとき、ワイフにこう言った。

 「どうしてこんな人が作った映画が、話題になるのかねえ」と。ワイフもそれに答えて、
こう言った。「ホント!」と。

 M・ムーア氏は、昨年3月のアカデミー賞授賞式の席で、「ブッシュよ、恥を知れ!」と
叫んだという。それで話題になった。そしてそれ以後、反戦を唱え、さらに日本へやって
きて、「日本は腐ったブッシュと手を切れ」(週刊G)とまで言っている。

 しかしそれこそ、マスコミ人間のおごりではないのか。

 長い間、その過去において、戦争を考え、反戦を考え、またそれに不随する運動を積み
重ねてきたというのなら、話は別。しかしそういう実績もない人間が、マスコミを利用し
て、ある日突然、いきなり反戦運動家になりすます(?)。

 私は、むしろ、こちらのほうに、ソラ恐ろしさを感ずる。……感じた。


●自由

 自由というのは、自分が自由でなくなったとき、はじめて、それがわかる。自由でない
というのは、自分が自由になったとき、はじめて、それがわかる。それまでは、わからな
い。ぜったいに、わからない。

 今日も、昼のワイドショーで、K国問題をとりあげていた。K国でもエリート中のエリ
ートが集まるといわれる、K大学と、K外国語大学を特集していた(7・13)。

SGさん(拉致被害者)の娘さんは、その中のK外国語大学に在籍しているという。

 テレビのレポーターは、「今回はじめて、大学の取材が許可されました」と言っていた。
そしてK外国語大学を訪問し、その中の学生に、日本のファッション雑誌を見せながら、「ど
う、思いますか」と、質問していた。

 何という愚かな質問!

 その雑誌を見ながら、K国の学生は、こう答えていた。「アジア人には、(こういうファ
ッションは)、似あわないと思います」と。

 たぶんそのレポーターは、心のどこかである種の優越感を感じながら、そう質問したの
だろう。しかしK国の学生たちは、自分たちが自由でないとは、ぜったいに思っていない。
その一方で、K国の学生たちは、日本の学生たちが、より自由であるとは、ぜったいに思
っていない。

 34年前にオーストラリアへ渡ったときのこと。私も、そのときはじめて、それまで私
が知っていた自由が、オーストラリアでいう自由とは、ほど遠いものであることを知った。
尾崎豊の言葉を借りるなら、それまでの自由は、「しくまれた自由」(「卒業」)にすぎなか
った!

 だから今、K国の学生たちに、「あなたは自由だと思いますか」と質問しても、意味がな
い。K国の学生たち自身が、自由を知らない。彼らは彼らなりに、自分たちは、自由だと
思っている。……思いこんでいる。

 K国の学生たちが、自分たちが自由でないことを知るためには、一度、K国の外に出て、
自由というものがどういうものであるかを、知らねばならない。
 
 一方、「私たちは自由だ」と思っている日本人だって、本当の自由は知らないのではない
のか。そのレポーターは、髪の毛を赤く染めることが自由とでも思っているのだろうか。
大学の教授に、こう質問していた。

 「あなたの娘さんが、茶パツにすると言ったら、あなたはどうしますか?」と。

 自由というのは、もっと根源的なもの。人間の魂の奥深くに根ざしたもの。もっと言え
ば、魂を取り巻いている無数の糸から、解放し、広い世界へ、自分自身を解き放つことを
いう。ファッションや髪の毛の色で、決まるものではない。

 それにしても意識というのは、おもしろい。目の前に、水槽がある。その中には、20
匹近くがいる。そういう魚でも、自分たちは自由だと思っているかもしれない。が、海か
ら連れてこられた魚だったらどうだろう。魚ではなく、鳥だったら……。

 私は子どものころ、よくスズメをつかまえた。エサを用意し、ワナをしかけた。そのス
ズメのばあい、カゴに入れると、それこそ死ぬまで暴れる。くちばしが割れ、血が出ても、
暴れる。自由というのは、そういうものかもしれない。

 それにしても、あのK国は、いろいろと私たちに教えてくれる。私はそのワイドショー
を見ながら、自由とは何か、それを改めて考えなおした。

 そうそう、その大学の教授は、レポーターの質問に答えて、こう言った。「(うちの娘が、
茶パツにすることなど)、考えられません」と。

 しごく当然の答である。


●K国版・大河ドラマ

 隣のK国で、このたび、K国版・大河ドラマが始まったという(朝鮮日報・7・13)。
 
 内容は、戦後の復旧期を背景に、黄海(ファンへ)製鉄所の労働者と技術者が、金日成
(キム・イルソン)主席の方針を貫徹させる過程を描いたものだという。全部で13作。

 ナルホドなあと、思う。しかし当のK国の人たちは、何も疑わず、そういう番組を、「す
ばらしい」と思って見ているにちがいない。

 意識というのは、そういうもの。それはちょうど日本人が、織田信長や徳川家康の大河
ドラマを、すばらしいと思ってみるのと、同じ。(似ているのではなく、同じ。)

 私たちは、そういうK国の人たちの心情を察しながら、「さぞかし、窮屈なことだろうな」
と思いがちである。しかしそれは誤解。

 ある特定の人を信奉し、その人に徹底した服従を誓い、隷属していくことは、きわめて
楽な生き方である。その人自身は何も考えなくてもよい。たとえて言うなら、それは、解
答用紙を丸写しにしながら、夏休みの宿題をするようなものである。

 そのことは、カルト教団の信者たちを観察してみても、わかる。いつも「上」からの指
導をありがたくいただきながら、それに従っているだけ。指導者の人間ロボットになりな
がら、そのロボットになっているという意識すら、ない。

 戦前の日本人にも、似たようなところがあった。だからあんな、もともと無茶苦茶な戦
争を、世界に向って、しかけていった。

 たしかに少し前まで、K国の重工業は、韓国のそれにまさるとも劣らないほど、隆盛を
きわめた。K国には、原料も燃料(石炭)もある。しかし今はもう、見る影もない。もし
描くとしたら、なぜそれほどまでに一度は発展した重工業が、ここまで衰退してしまった
か、だ。

 が、もちろんそんなドラマは、金XXが許すはずもない。

(もうそろそろ金XXという書き方は、改めようと思う。SGさんはじめ、拉致被害者
の家族たちが、一応は日本側にもどってきた。私は今まで、拉致への抗議の意味もこめ
て、金XXと書いてきた。)

 今のK国を見ていると、いかにその国民というものが、為政者の手でいいように操られ
るかがわかる。操られる国民にしても、操られながら、操られているとも思わないまま、
操られる。またそういうふうにして、国民を、操る。この日本とて、例外ではない。

 それについては、また別のところで考えるとして、朝鮮日報(韓国系新聞社)の記事を
読みながら、私は「ナルホドなあ」と思った。


●デニーズ

 デニーズが、デジタルカメラをこわしたらしい。「ひざの間に置いたら、そのまま下へ落
してしまった」という。それで「胃が痛い」と。

 たまたま二男の誕生日も近い。そこでさっそく、デジタルカメラを買って送ることにし
た。

 「心配しなくてもいい。新しいカメラを買って、送ってあげるから」と。

 アメリカ人というのは、自分を飾らない。ウソをつかない。ストレート。日本人のよう
に、本音と建て前を、使い分けるということ知らない。そういう器用なことが、できない。
まったくありのまま……という感じ。

 国民性のちがいというより、民族性のちがいか。オーストラリア人も、ストレート。

 一方、日本人というのは、子どものときから、心を隠すことを学ぶ。それがよい面とし
て作用することもあるが、そうでないときも、ある。

 だからアメリカ人に言わせると、日本人は何を考えているかわからないという。日本人
に言わせると、アメリカ人は、合理的でドライだという。たがいの見方が、相対的なちが
いとなって現れる。

 私自身は、長い間、幼児教育をしているせいもあって、ストレートな人間性を好む。先
日も、幼稚園児たちに、「君たちは、ママのおっぱいが好きか?」と聞いたときのこと。

 年中児の子どもたちだったが、恥ずかしそうに、「嫌いだよオ〜」と言った。そこですか
さず、私は、こう怒鳴ってやった。

 「ウソをつくんじゃ、ない! 好きだったら、好きと言いなさい! 正直に、ママのお
っぱいは、好きと、そう言いなさい!」と。

 すると子どもたちは、少しためらいながらも、「好きだよオ〜」と。

 こうしたちがいは、子育ての場でも、よく経験する。オーストラリア人たちは、自分の
子どもに、ことあるごとに、「正直でいなさい(Be honest.)」と教える。しかし
私は幼児教育をするようになって、母親が子どもに、「正直でいなさい」と言っているのを
聞いたことがない。

 「正直でいなさい」というのには、二つの意味がある。「ウソをつくな」という意味と、
「自分に誠実に」という意味である。

 「自分に誠実に」というのが、ここでいう「ストレート」という意味である。が、それ
がむずかしいことは、日本人なら、だれでも知っている。もしそんなことをすれば、共同
体そのものから、はじき飛ばされてしまう。

 日本人は自分を正直に主張するよりも、ナーナーで、ものごとを丸く収めようとする。
またそのほうが、生きやすいことを、よく知っている。

 デニーズは、決して私にカメラを買ってほしいから、そう書いてきたのではない。私が
あげたカメラをこわしてしまったから、正直に、それを言って、あやまってきた。「あなた
から買ってもらった、高価なカメラをこわしてしまいました。ごめんなさい」と。

 それに答えて、私は「心配しなくてもいい。新しいのを買ってあげるから」と。どこま
でもアメリカ的なデニーズと、どこまでも日本的な私。もし私がアメリカ人の父親なら、
こう言って、終わっただろう。

 「それは残念だね」と。

 おかしな親子だが、今のところ、そんな感じで、うまくいっている。間に立っている二
男は、どんなふうに思っているか、それは私にはわからないが……。

(追記)
 
その翌日、デニーズから、返事のメールが入っていた。私が「新しいカメラを送る」と
書いたことに対して、「ありがとう。楽しみにしている。これからは注意深く使います」と。

 このストレートさが、私は好きだ。日本人の嫁さんならこういうとき、一応、「悪いから、
結構です。どうか気にしないでください」などと、書くかもしれない。

 
●異変?

 最近、こんなおかしなことが起きている。

 ふつう女の子というと、ピンク色を好むものとばかり思っていた。

 しかし、である。最近は、水色の好きな女の子がふえてきたような気がする。「好きな色
は?」と聞くと、「水色!」と答えたりする。

 たまたま今日、小1の女の子、6人。小3の女の子、6人に聞いたところ、全員(全員
だ)、「水色!」と答えた。

 「環境ホルモンのせいか?」と、少なからず、驚いた。

 ちなみに、男子のばあいは、赤、青、とくに好きな色はない、黄緑など、さまざま。子
どもたちの世界で今、何かしら大きな変化(異変?)が、起きつつあるようだ。


●塾悪玉論

 昨日、テレビを見ていたら、人間の脳についての番組があった。脳梗塞で倒れた人が、
リハビリで機能を回復するという番組だった。一度死滅した脳細胞でも、リハビリによっ
て、機能を取りもどすことができるという。

 で、番組の中に、一人の若い、大脳生理学の教授が登場した。北海道にあるH大の教授
だった。その教授いわく。「最近、子どもたちの様子がおかしい」「原因は、外で遊ばなく
なったこと。塾通いだ」と。

 この発言には、「?」を、10個ほど、並べたい。

 現に、1995〜7年をピークにして、塾数、塾の講師数、塾へ通う子どもの数すべて
が、減少に転じている。少子化以上に、その数は、減っている。加えて、農村部の子ども
ほど、外で遊ぶ時間が少ないという調査結果も報告されている。(私のHPのどこかに、そ
の調査結果を収録してある。)

 原因はテレビ、テレビゲームである。

 また学外レッスンは、今や世界の常識。たとえば、ドイツやイタリアなどでは、クラブ
制度が発達していて、子どもたちは、むしろ学校の外で、自由に自分の好きな勉強をする
のが、主流になっている。

 何でも、「学校で……」という発想そのものが、時代錯誤。学校外での子どもの指導を、
すべて「悪」と決めてかかるのも、その一つ。このタイプの人は、学校の中ですることは、
すべて正しくて、外ですることは、すべてまちがっていると、考えやすい。学校絶対主義、
万能主義の変形とみてよい。あるいは権威主義者?

そういうものの考え方をする人は、今でも多い。このタイプの人は、子どもに何か問題
が起きると、その責任を、すべて塾に押しつける。

 たしかに進学塾と呼ばれる塾には、いろいろな問題がある。しかしたとえば英語や英会
話などの学習のような教科は、学外のクラブに任せたほうがよい。音楽教室や水泳教室、
英会話教室、各種のスポーツクラブなどの成功例も多い。

 私は、教育も自由競争に任せるべきではないかと思っている。そのほうが、たがいに刺
激しあい、より密度の濃い、教育ができる。

 私はその教授を見ながら、「どうしてこうまで10年一律、20年一律の意見しか言わな
いだろう」と思った。しかも情報不足。他人の職業をけなすくらいなら、今の大学教育の
かかえている問題を、もっと謙虚に反省したらよい。

 たとえば、とりあえずは大学の教官の、1年任期制を採用してみたらどうだろうか。や
る気のない教官、力のない教官を、どんどんクビにする。

権利の王国にどっかりと座りながら、自分たちこそが教育の王者であるかのような振る
まいは、どうにもこうにも不愉快でならない……というのは、言い過ぎかもしれない。
自分でもわかっている。しかし私は、その教授に意見に、かなりカチンときた。

 わかってほしいのは、私たちは、日常的に、そういうきびしい世界で生きているという
こと。1年どころか、半年先すら、どうなるかわからない。H大のような国立大学では、「そ
こに人がいるから人事」が、伝統的になされているという(失礼!)。講師→助教授→教授
の人事が、まさにトコロテン方式でなされているという(失礼!)。

 そういう事実を、もっと、正直に公表したらどうなのか。

 仮に塾通いが悪いとしても、なぜ親たちが、子どもを塾へ通わせるかといえば、そうい
う教授を頂点とした学歴社会があるからではないのか。その頂点にいる教授が、「子どもた
ちがおかしいのは、塾が原因だ」と。

 少し、言い過ぎではないのか。あるいは、今の大学の教官で、大学へ入るにあたって、
進学塾の世話になっていない教官が、いったい、何割いるというのか。何人いるというの
か。

 かなりはげしい意見を書いてしまった。自分でもわかっている。その番組の中では、ク
ラ〜イ表情の子どもの写真まで紹介していたが、しかし世の中には、私の教室のように、
子どもたちの笑顔の絶えない教室もあるということ。どうか、どうか、忘れないでほしい。


●ヤミ献金、100000000円(1億円!)

「日本歯科医師会」(日歯)の前会長・臼田貞夫被告(73)らが、2001年7月の参
院選の直前、自民党橋本派(平成研究会)に1億円を提供していたという(7・14)。

 ナルホド!

 最近、歯科医院へ行くと、こまごまとした検査が、されるようになった。必要もないの
に(?)、いちいちレントゲンをとられ、基礎データ(?)をとられる。歯科医師救済のた
めの、実質的な、診療費の値上げである。

 しかも驚いてはいけないのは、この1億円は、まったくのヤミ献金!

橋本元首相が代表者を務める橋本派の政治団体「平成研究会」の収支報告書では、同年
中の日歯連からの献金は、セミナー会費の計100万円だけになっているそうだ。

「橋本元首相の資金管理団体、新政治問題研究会、元首相が代表の自民党岡山県第4選
挙区支部の収支報告書には、日歯連からの献金の記載はなかった」(Y新聞)と。

 この1億円について、当の橋本元首相は、13日、読売新聞社の取材に、「金をもらった
記憶はない。派閥の金も直接受け取ることはない。だが、指摘を受けたので調べる」(Y
新聞)と話したという。

 よくもまあ、ヌケヌケと! ホント! あきれる!

 あのバブル経済を引き起こした超本人が、当時の宮沢首相と橋本大蔵大臣。この二人の
コンビが、日本の経済をメチャメチャにした。その上、ウラでこんなことをしていたとは!

 もう、私は、怒りを超えた! 評論するのも、疲れた!

 どうしてこういう政治家を罰することができないのだろうか。今度の参議院議員選挙
(7・11)でも、あの北海道の鈴木M氏は、落選はしたものの、数十万票もの得票を得
たという。結局は、そういう政治家を支える、ノーブレインな国民がいるということ。

 そこに本当の問題がある。

 そうそうその鈴木M氏。今度の選挙でも、行く先々で、若い女性や女子高校生たちに取
り囲まれ、満面に笑顔を浮かべていた(テレビ報道)。女性は女性で、キャッキャッと甲高
い歓声をあげ、中には抱きついて、いっしょに携帯電話で記念写真をとる人も!

 そこで鈴木M氏は、こう勝利宣言(?)をした。「落選はしたが、私は選挙には勝った」
と。

 みんなで、もっともっと考えよう。考える人間になろう! このままでは、日本人はみ
な、本当に「ケータイをもったサル」になってしまう!


●韓国の国際競争力、「技術8位、科学19位、総合35位」

「韓国の技術競争力が昨年の27位から8ランク上昇した一方で、科学競争力は昨年より3段

下落した19位と評価された」 ……と韓国の朝鮮日報は、報じた(7・16)。

 私は韓国の経済力には、あまり興味はない。だから技術力が8位でも、科学力が19位でも、

んなことは、どうでもよい。

 問題は、そのことではなく、韓国の報道を見ていると、この種の(順位)が、頻繁に出てくると
いう
こと。韓国の人たちは、よほど順位が好きらしい。気になるらしい。

 実は、ここに韓国の国民性というか、韓国の人、独特のものの考え方の特徴がある。韓国の

験勉強の比は、日本の比ではない。ものすごい……というよりは、そのすごさを超えて、狂乱し

いる。

 そういうはげしい受験競争をくぐりぬけてきた人たちが、今の韓国の経済、政治、社会を牛耳

ている。だから、こういう(数字)が気になる。……らしい。

 つまりそれだけ、自分を順位で評価するしくみができているということ。その順位があがれ
ば、安
心し、そうでなければ、心配する。まさに国全体が、受験勉強をしているよう。

 しかしこの姿は、60年代から70年代にかけての、日本の姿に似ている。つまり韓国の報道
姿
勢をながめていると、あのころの日本を思い出す。あのころの日本は、「欧米においつけ、追
い越
せ」と、毎日のように、その数字が公表されていた。

 とくに話題になったのが、GNP(国民総生産高)値である。私たちはいつしか、そのGNP値
が、
国家の力、国民の豊かさと誤解するようになった。と、同時に、「日本も豊かになったものだ」と

んだ。

 しかしGNP値をそこまで気にしていたのは、日本人だけ。つまり私たち日本人が、受験生的
な目
で、日本をながめていたにすぎない。外国へ行っても、どの人も、「そんな数字、知らない〜イ」
と。

 私たちは今、韓国のそうした報道を見ながら、こう考える。

 「あまり順位だとか、そういうことは気にしないで、もっと本質的なことを気にしたらいいのに…
…」と。「いくら豊かになったといっても、今の日本の家庭のように、家の中に、モノだけがゴロ
ゴロ
しているような生活が、本当に豊かな生活なのか」と。

 でないと、(もう韓国も、すでにそうなのかもしれないが)、韓国の若者たちも、いつか、ケータ
イを
もったサルになってしまう。そこで、順位。

★モノ占有率(モノが部屋を占める割合)、韓国3位(日本、1位)
★ムダな買い物率(ムダ買い率)、韓国2位(中国、1位・日本、2位)
★ムダ話率(ムダな会話率)、韓国1位(日本、2位)
★ケータイをもったサル度、韓国2位(日本、1位)

 いらぬお節介かもしれないが……。


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.        =∞=  // (偶数月用)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 13日(No.449)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page057.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

●幼児教育32年

 幼児を見つづけて、今年で、32年になる。1972年から2004年。

 が、同時に、母親たちを見つづけて、今年で、32年になる。

 幼児はいつも、幼児のままだが、母親はちがう。若いころは、どの母親も、コワ〜イ、
おばちゃんに見えた。

 しかし今は、どの母親も、高校生のよう。高校生と区別がつかない。ときどき、「いいの
かなあ……?」と、心配になることもある。「こんな若い母親で、いいのかなあ……?」と。

 しかしその分、私がジジイになったということか? 

 そう言えば、今週は、英語を教えた。

 「♪A、B、C、D、E、F、G……」と。

 子どもたちは、「G」のところへくると、うれしそうに、私に向って、「ジジイ」「ジジイ」
と叫ぶ。私は、本気で、怒ったふりをしてみせる。すると子どもたちは、さらに大声で、「ジ
ジイ」「ジジイ」と叫ぶ。

 このかけあいが、おもしろい。楽しい。

 この時期、言葉というのは、理屈ではなく、感覚。感覚で覚えるもの。英語だけで物語
を話してあげたり、簡単な算数の問題を出してあげたりする。最初はとまどっていた子ど
もたちも、やがてなれてきて、「YES」とか「NO」とか、言い出したりする。

 30分も指導していると、足し算や引き算も、英語でできるようになる。英語の学習は、
この時期、とても効果的である。この時期というのは、満2〜5歳をいう。機会があるな
ら、子どもに英語を勉強させたらよい。

 最後に何らかの理由をつけて、こう言って、レッスンをしめくくる。

 「君は、英語、じょうずだね。本当にじょうずだ。これからも、英語を勉強するんだよ」
と。

 子どもたちは、それぞれうれしそうに、うなずく。幼児教育では、いつも、こうしたプ
ラスの暗示をかけて終わる。決して、どんなことがあっても、叱りっぱなしたり、否定し
たままで終わってはいけない。叱ったり、注意したりしても、必ず、押さえをしっかりと
しておく。

「ほら、君は、ちゃんとできるではないか。すばらしいよ」と。

それは、とても重要なことである。


●金銭欲

 子どもの金銭欲は、年長児くらいから小学2年生くらいまでの間に完成する。

 このころ身につけた金銭欲が、その後の子どもの金銭感覚の基本となるということ。損
をした、得をした。儲けた、ふえた、減ったという感覚は、このころ身につく。

(反対に、あなたが今もっている金銭感覚は、そのころ完成したとみてよい。)

 それまでの幼児にとっては、お金は、ただの紙切れであり、コインでしかない。しかし
子どもは、その紙切れや、コインで、自分の欲望を満足させることができることを学ぶ。

 このことは、チンパンジーの実験でも、証明されている(カウルズほか)。

 だからこの時期の金銭教育については、慎重でなければならない。「100円くらいなら
いいだろう」という安易な考え方をしていると、やがて子どもは、親の手に負えなくなる。

 幼児のときは100円でも、小学生になると、1000円になる。高校生や大学生にな
ると、それが1万円になったり、10万円になったりする。

 つまりエスカレートしやすいということ。

 そこで100円を渡すについても、それなりの苦労をわからせるようにする。ものを買
い与えるにしても、それなりの理由づけをしっかりとする。


●ホメオスタシス

 人間の体は、外界の変化に対して、自動的に適応しようとする。

 たとえば人間の体は、私たちが意識しなくても、自動的にそれに適応しようとする。寒
いときには、自動的に血圧をあげて、それに対処しようとするのもその一つ。こうした体
の中の自動調整機能のことを、「ホメオスタシス」という(キャノン)。

 しかしその変化が、ある一定の限度を超えたとき、人間の体は、「生理的欲求」として、
何らかの行動に出ることが知られている。

 たとえば寒さが限度を超えたようなとき、人間は、コタツに入って暖をとりたいと願う
ようになる。あるいは熱いスープを求めたりするようになる。こうした生理的欲求は、こ
こでいうホメオスタシスによる機能が、限界を超えたとき起こるものと考えられる。

 そこで子どもの行動を観察してみる。

 その点、子どもというのは、正直というか、ストレート。子どものとる行動には、万に
一つも、ムダがない。一見、ムダに見える行為や行動にしても、何か、必ずその背景には、
理由や原因がある。

 たとえば指しゃぶり。

 心が緊張状態におかれると、その緊張状態をほぐすために、脳内では、アドレナリンが
分泌される。心臓の鼓動をはやめたりする。

 しかしそれでも緊張状態をほぐすことができないときは、指先や口唇からの刺激を受け
て、脳内に、エンケファリンやエンドロフィンなどのモルヒネ様の物質を放出して、それ
をしずめようとする。

 つまり指しゃぶりは、ここでいうまさに生理的欲求ということになる。ホメオスタシス
だけでは、調整できないため、指をしゃぶることで、緊張状態を回避しようとする。

 この時点で、無理に指しゃぶりをやめさせたりすると、子どもは、その緊張感を処理で
きず、情緒は、一気に不安定になる。

 三重県のGさん(母親)より、子どもの指しゃぶりについての相談があったので、少し
考えてみた。
(はやし浩司 ホメオスタシス 生理的欲求 指しゃぶり)


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【コマーシャル】

 10月からの、年中児、年長児生を募集しています。
 浜松市内・近辺にお住まいの方で、一度、見学を希望なさる
 方は、どうか、ご連絡ください。

 053−452−8039
 です。

 この電話は、常時留守番電話になっています。伝言を
 残してくだされば、後日、私のほうから、連絡いたします。


 来年度(05年4月)からの新年中児クラスの受けつけは、
 この10月以後、始めます。見学を歓迎します。

 見学には、必ず、入会予定のお子さんを、連れてきてください。
 現在BWへ通ってきてくださっている方の紹介があれば、
父母だけの見学を許可しています。

一度、その方に、相談してください。

 05年4月からは、月謝12000円、入会金10000円を
 予定しています。(幼児クラス)

******************************

●ワイフのチンチン

ワイフの膝枕で、ウトウトと、昼寝。
おっぱいを触ろうと手でさぐると、
そこには、三段バラの肉。

それをモミモミしながら、
「おっぱい大きくなってよかったね」と言うと、
ワイフは、こう言った。

「私のチンチンよ」と。

ドキッ!

その一言で、目がさめた。

……この話だけは、マガジンに書くなとワイフは
言ったが……。

みなさんも、目がさめましたか……。


【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自己効力感

 「自分でできた」「自分でやった」という達成感が、子どもを伸ばす。これを自己効力感
という。

 子どもを伸ばすコツは、この自己効力感をうまく利用すること。

 反対に、この自己効力感を、阻害(じゃま)するようなことがあると、子どもは(1)
それに大きく反発するようになり、(2)ついで、心が極度の緊張状態におかれるようにな
ることが知られている。

 それを阻害するものに対して、反抗するようになる。

 が、それだけではない。子どもは、ますます、そのものに固執するようになる。こんな
ことがある。

 A君(小4)は、サッカークラブで、やっとレギュラー選手になることができた。A君
はA君なりに、努力をした。

 が、小5になるとき、母親は、A君を、進学塾へ入れた。そしてそれまで週3回だった
サッカーの練習を、週2回に減らすように言った。当然、そうなると、A君は、レギュラ
ー選手からはずされる。

 A君は、猛烈にそれに反発した。が、やがてその反発は、母親への反抗となって現れた。
すさんだ目つき、母親への突発的な暴力行為など。

 もうそうなると、進学塾どころではなくなってしまう。あわてた母親は、進学塾をやめ、
再び、サッカークラブにA君をもどした。が、今度は、A君は、そのサッカーにすら、興
味を示さなくなってしまった。母親はこう言う。

 「あれほど、毎晩、サッカーをさせろと暴れていたのに、サッカークラブへ再び入った
とたん、サッカーへの興味をなくすなんて……」と。

 子どもの心理というのは、そういうもの。A君の母親は、それを知らなかっただけであ
る。A君が母親に反抗したのは、サッカーをしたいからではなかった。自分の自己効力感
(達成感)を、阻害されたからである。そのことに対して、A君は、反抗したのである。

 少し話がちがうかもしれないが、こんな例もある。

 若い男女が、恋愛をした。しかし周囲のものが、猛反対。そこでその男女は、お決まり
の駆けおち。そして子どもをもうけた。

 やがて周囲のものが、あきらめ、それを受け入れた。とたん、たがいの恋愛感情が消え
てしまった。

 この例でも、若い男女が駆けおちしたのは、それだけたがいの恋愛感情が強かったから
ではない。周囲のものに反対されることによって、より結婚に固執したからである。だか
ら、結婚を認められたとたん、恋愛感情が消えてしまった。

【教訓】

 子どもの得意芸、生きがいは、聖域と考えて、決して、土足で踏み荒らすようなことは
してはいけない。へたに阻害したりすると、かえって子どもは、それに固執するようにな
る。最悪のばあいには、親子関係も、それで破壊される。
(はやし浩司 自己効力感 自己達成感 一芸論)


●高度な欲求不満

 欲求不満といっても、決して一様ではない。心理学の世界には、欲求不満段階説(マズ
ローほか)さえある。このことは、子どもの発達過程を観察していると、わかる。

【原始的欲求不満】

 愛情飢餓、愛情不足など。飢餓感や不足感が、欲求不満につながる。この欲求不満感が、
子どもの心をゆがめる。よく知られているのは、赤ちゃんがえり。下の子どもが生まれた
ことなどにより、飢餓感をもち、それが上の子どもの心をゆがめる。

 生命におよぶ危機感、安心感の欠如から生まれる欲求不満も、これに含まれる。

【人間的欲求不満】

 人に認められたい、人より優位に立ちたい、目立ちたいという欲求が、満たされないと
き、それがそのまま欲求不満へとつながる。「自尊の欲求」(マズロー)ともいう。この人
間的欲求は、自分がよりすぐれた人間であろうとする欲求であると同時に、それ自体が、
社会全体を、前向きに引っ張っていく原動力になることがある。

 が、子どもの世界では、こうした人間的欲求は、変質しやすい。

 ある子ども(中2男子)は、私にある日、こう言った。「ぼくは、スーパーマンになれる
なら、30歳で死んでもいい。世の中の悪人をすべて退治してから死ぬ」と。

 こうした人間的欲求は、幼児にも見られる。みなの前でその子どもをほめたりすると、
その子どもは、さも誇らしそうな顔をして、母親のほうを見たりする。

 子どもの中に、そうした人間的欲求を感じたら、静かにそれをはぐくむようにする。こ
れは子育ての大鉄則の一つと考えてよい。
(はやし浩司 マズロー 自尊欲求 自尊の欲求 人間的欲求)


●親のうしろ姿は見せない

 子育てのために苦労している姿。生活のために苦労している姿。そういうのを、この日
本では、「親のうしろ姿」という。

こうしたうしろ姿は、親が見せたくなくても、子どもは見てしまうものだが、しかしそ
れを子どもに押し売りしてはいけない。

よい例が、窪田聡という人が作詞した、「かあさんの歌」である。「♪かあさんは夜なべ
をして、手袋編んでくれた……」というあの歌である。

しかしあの歌ほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。そういう歌が、日本
の名曲になっているところに、日本の子育ての問題点が隠されている。ちなみに、歌詞
は、三番まであるが、三、四行目は、かっこつきになっている。つまりその部分は、母
からの手紙の引用ということになっている。

 「♪木枯らし吹いちゃ、冷たかろうて、せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で、ワラ打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪も溶けりゃ、もうすぐ春だで。畑が待っているよ」と。

 あなたが息子であるにせよ、娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、それこ
そ羽ばたける羽もはばたけなくなってしまう。

たとえそうであっても、親が子どもに手紙を書くとしたら、「村祭りに行ったら、手袋を
売っていたから、買って送るよ」「おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき、載る
よ」「春になったら、みんなで温泉に行ってくるからね」である。

 日本人は無意識のうちにも、子どもに、「産んでやった」とか「育ててやった」とか言っ
て、恩を着せる。子どもは子どもで、「産んでもらった」とか「育ててもらった」とか言っ
て、恩を着せられる。

そしてそういう関係の中から、日本独特の親意識が生まれ、親孝行論が生まれる。しか
し子どもが親のために犠牲になる姿など、美徳でも何でもない。いわんや親がそれを子
どもに求めたり、期待してはいけない。

親は親で、自分の人生を前向きに生きる。そしてそういう姿を見て、子どもは子どもの
人生を前向きに生きる。

親子といえども、その関係は、一人の人間対一人の人間の関係である。一見冷たい人間
関係に見えるかもしれないが、一人の人間として互いに認めあう。それが真の親子関係
の基本である。

あのイギリスのバートランド・ラッセル(イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)
もこう言っている。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだ
けの訓練は施すけれども、決して限度を超えないことを知っている、そんな両親のみが、
家族の真の喜びを与えられる」と。(はやし浩司のサイト:
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幼児の緩慢行動

 心理的抑圧状態(欲求不満を含む)が、日常的につづくと、子どもはさまざまな、心身
症による症状を示すことがある。が、その症状は、子どもによって、千差万別。定型がな
い。

 「どうもうちの子、おかしい?」と感じたら、その心身症を疑ってみる。

 その中のいくつかが、緩慢行動(動作)であったり、吃音(どもり)であったりする。
神奈川県に住む、Uさん(母親)から、多分、緩慢行動ではないか(?)と思われる相談
をもらった。

 ここでは、それについて、考えてみたい。

+++++++++++++++++++++

【Uより、はやし浩司へ】

私には、4歳(年少)の娘、M子(姉)と、1歳8ヶ月の息子S夫(弟)がいます。
先日、娘の幼稚園の個人懇談がありました。

そこで、先生に言われたのが

「M子(姉)ちゃんはいつもマイペースで、マイペースすぎてもうちょっとスピードアッ
プして欲しいんですけどね」でした。

「急がないと行けない時にもマイペースでね、今(年少)はあまりする事も少なくて、他
の子と差は出てこないと思いますけど、これから先、年中、年長となるにつれてその差は
広がっていきますからね」

「急がないといけない時に、急げるようなボタンがあればいいんですけどねー(笑)。そこ
を押せば、急いでくれるっていう風に・・・・(笑)」と冗談まじりではあったのですが、
最後に夏休み中にお母さんから、M子ちゃんに急ぐって事を教えてあげておいてください
と言われました。

「急ぐという事を教えるといわれても・・・・先生どうしたらいいんでしょう?」って聞
いたのですが、イマイチよく分かる回答がなかったような気がします。

怒って「急いで!急いで!急いで!」とまくし立てるのも良くないと思いますし、言った
所で出来るわけでもないですし。

普段、出来るだけ怒らないように大声をあげないように、出来たら大げさに誉めてあげて、
を心がけているのですが今の私のやり方では、夏休みあけても同じだろうし・・・・どう
したらいいのだろう?、と考えこんでしまいます。

何がどうマイペースか具体的に言うと、給食の時間になって先生が、「後に給食の袋を取り
にいって準備して下さい」って言っても、上の方を見てボーッと椅子に座っていることが
時々あって、「M子ちゃん、準備よー急いでー!」って言っても、とりわけ急ぐ様子もなく
ゆっくりらしいです。

又、今メロディオンの練習をしているようなのですが、M子(姉)は指でドレミファソを
弾く事は出来るみたいなのですが、ホースを口にあてて息を吹く事が分からなかったみた
いで、一人だけ音が出なかったみたいです。

先生が側で、「M子ちゃん吹くんですよー」って言っても分からなくて、挙句の果てには、
ホースに口をあててホースに向かって、ドレミファソを言いながら、けん盤を弾いていた
ようです。

先生も??、だったみたいで、「違うよM子ちゃん! 吹くのよ!!」って言うと今度は、
何でそんなに先生は私に怒ってるの?、っていう反応だったようです。

あと、空想にふけっていたりするみたいです。

他にも日々の行動で色々あるようです。

M子(姉)は私に似ているのか、よく言えばおっとりで悪く言えば、どこかのろい所があ
って入園の際、私もそれが少し気にはなっていました。

のびのび保育の幼稚園を選べば、そんな事を考えなくて良かったのかもしれませんが、私
的には、小学校でお勉強を始めるより、幼稚園で少しでも触れていれば気遅れなく、M子
(姉)もやっていけるのではと考えたのですが、やはりその分要求される事も多いんです
ね・・・。

今は、本人は幼稚園が大好きでお歌の時間もプリントの時間も体操の時間も楽しいとは話
しています。

楽しく通ってくれれば、私はそれで大満足なのですが年中、年長になった時、まわりの早
さについて行けなくなって幼稚園が楽しくなくなったら、やはり園を変えた方がいいんで
しょうか?

また、もっとスピードアップさせるにはどうしたらいいのでしょうか?

また、M子(姉)には、時々どもりがあります。ほとんど指摘しないように聞きながして
いるのですが、ちょっと気になっています。

はっきりとした原因は分かりませんが、下の子を出産する際引き裂かれるように、私と離
れ離れになってしまって、10日間ほど離れて暮らしていたのが悪かったのかな?、と反省
しています。

長々と下手な文章で好きな事を綴ってしまいましたが、アドバイス頂けますようお願い申
し上げます。

これからもまぐまぐプレミアをずっと購読していこと思っています。毎日暑いですが、ど
うぞお体にお気をつけ下さい。


【はやし浩司より、Uさんへ】

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。感謝しています。

 ご相談の件ですが、最初に疑ってみるべきは、緩慢行動(動作)です。原因の多くは、
親の過干渉、過関心です。子どもの側から見て、過負担。それが重なって、子どもは、気
うつ症的な症状を見せるようになり、緩慢行動を引き起こします。

 ほかに日常的な欲求不満が、脳の活動に変調をきたすことがあります。私は、下の子ど
もが生まれたことによる、赤ちゃんがえり(欲求不満)の変形したものではないかと思っ
ています。

 逆算すると、M子さんが、2歳4か月のときに、下のS夫君が生まれたことになります。
年齢的には、赤ちゃんがえりが起きても、まったく、おかしくない時期です。とくに「下
の子を出産する際引き裂かれるように、私と離れ離れになってしまって、10日間ほど離
れて暮らしていたのが悪かったのかな?」と書いているところが気になります。

 たった数日で、別人のようにおかしくなってしまう子どもすらいます。たった一度、母
親に強く叱られたことが原因で、自閉傾向(一人二役のひとり言)を示すようになってし
まった子ども(2歳・女児)もいます。決して、安易に考えてはいけません。

 で、その緩慢行動ですが、4歳児でも、ときどき見られます。症状の軽重もありますが、
10〜20人に1人くらいには、その傾向がみられます。どこか動作がノロノロし、緊急
な場面で、とっさの行動ができないのが、特徴です。

 こうした症状が見られたら、(1)まず家庭環境を猛省する、です。

 幸いなことに、Uさんの子育てには、問題はないように思います。そこで一般の赤ちゃ
んがえりの症状に準じて、濃密な愛情表現を、もう一度、M子さんにしてみてください。

 手つなぎ、抱っこ、添い寝、いっしょの入浴など。少し下のS夫君には、がまんしても
らいます。

 つぎに(2)こうした症状で重要なことは、「今の症状を、今以上に悪化させないことだ
けを考えながら、半年単位で様子をみる」です。

 あせってなおそう(?)とすればするほど、逆効果で、かえって深みにはまってしまい
ます。子どもの心というのは、そういうものです。

 とくに気をつけなければいけないのは、子どもに対する否定的育児姿勢が、子どもの自
信をうばってしまうことです。何がなんだかわけがわからないまま、いつも、「遅い」「早
く」と叱れていると、子どもは、自分の行動に自信がもてなくなってしまいます。

 自信喪失から、自己否定。さらには役割混乱を起こす子どももいます。そうなると、子
どもの心はいつも緊張状態におかれ、情緒も、きわめて不安定になります。そのまま無気
力になっていく子どももいます。

 「私はダメ人間だ」という、レッテルを、自ら張るようになってしまいます。もしそう
なれば、それこそ、教育の大失敗というものです。

 そこで(3)子どもの自己意識が育つのを静かに見守りながら、前向きの暗示をかけて
いきます。

 「遅い」ではなく、「あら、あなた、この前より早くなったわね」「じょうずにできるよ
うになったわね」と。最初は、ウソでよいですから、それだけを繰りかえします。

 「先生もほめていたよ」「お母さん、うれしいわよ」と言うのも、よいでしょう。

 ここでいう「自己意識」というのは、自分で自分を客観的にみつめ、自分の置かれた立
場を、第三者の目で判断する意識というふうに考えてください。

 しかし4歳児では、無理です。こうした意識が育ってくるのは、小学2、3年生以後。
ですから、それまでに、今以上に、症状をこじらせないことだけを考えてください。

 とても残念なことですが、幼稚園の先生は、せっかちですね。その子どものリズムに合
わせて、子どもをみるという、保育者に一番大切な教育姿勢をもっていないような気がし
ます。

 おまけに、「年長になったら……」と、親をおどしている? ある一定の理想的(?)な
子ども像を頭の中に描き、それにあわせて子どもをつくるという、教育観をもっているよ
うです。旧来型の保育者が、そういうものの考え方を、よくします。(今は、もうそういう
時代ではないのですが……。)

 M子さんに、ほかに心身症による症状(「はやし浩司 神経症」で、グーグルで検索して
みてください。ヒットするはずです。
あるいは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html)が出てくれば、この時期
は、がまんしてその幼稚園にいる必要は、まったくありません。

 子どもの心に与える重大性を考えるなら、転園も、解決策の一つとして、考えてくださ
い。

 そして(4)「うちの子を守るのは、私しかいない」と、あなたが子どもの盾(たて)に
なります。先生から苦情があれば、「すみません」と一応は謙虚に出ながらも、子どもに向
かっては、「あなたはよくがんばっているのよ」「すばらしい子なのよ」と言います。そう
いう形で子どもの心を守ります。

 まちがっても、そこらの保育者(失礼!)がもっている理想像(?)に合わせた子ども
づくりを、してはいけません。

 子育てもいつか終わりになるときがやってきます。そういうとき、あなたの子育ての思
い出を、光り輝かせるものは、「私は、子どもを守りきった」「私は、子どもを信じきった」
という、親としての達成感です。

 今が、そのときです。その第一歩です。

 最後に(5)M子さんに合わせた、行動形態にすることです。「のろい」と感ずるなら、
あなたも、もう一歩、自分の歩く早さを、のろくすればよいのです。どこかに子育てリズ
ム論を書いておきましたので、また参考にしてください。

 とても幸いなことに、Uさんは、たいへん愛情豊かな方だと思います。それに自分の子
育てを客観的にみつめておられる。とてもすばらしいことです。(プラス、私のマガジンを
読んでいる!)

 子どもといっしょに、子どもの友として、子どもの横を歩いてみてください。楽しいで
すよ。セカセカと歩いていたときには気づかなかったものが、たくさん見えてきますよ。

 そうそう、最後に一言。

 こうした緩慢行動(動作)は、子どもの自己意識が育ってくると、自然に消えていくも
のです。子どもが自分で判断して、自分で行動をコントロールするようになるからです。
どうか、安心してください。

 私の経験でも、乳幼児期の緩慢行動(動作)が、そのまま、小学5、6年生まで残った
というケースを知りません。小学3、4年生ごろには消えます。(ただしこじらせると、回
復が遅れますが、そのときは、もっと別の、ある意味で深刻な、心身症、神経症による症
状が出てきます。

 また親は「のろい」「のろい」と心配しますが、第三者から見ると、そうでないというケ
ースも、たいへん多いです。これは親子のリズムがあっていないだけと考えます。)

 吃音(どもり)については、ここ1〜3年は、症状が残るかもしれません。環境が大き
く変わっても、クセとして定着することもあるからです。吃音については、あきらめて、
濃密な愛情をそそいであげてください。これも時期がくれば、症状は消えます。

 どんな子どもでも、一つや二つ、三つや四つ、そうした問題をかかえています。全体と
してみれば、マイナーな、何でもない問題です。

 あまり深刻にならず、ここは、おおらかに! なお先取り教育は、失敗しますので、注
意してください。それについては、またマガジンのほうで取りあげてみます。

 なおこの原稿は、(いただいたメールの転載も含めて)、8月13日号で掲載する予定で
す。どうか転載のご承諾をお願いします。不都合な点があれば、書き改めます。至急、お
知らせください。

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

                                  はやし浩司

++++++++++++++++++++++ 

【子育てリズム論】
●子どもの心を大切に
子どものうしろを歩こう
 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、
子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、
それは騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、(1)
あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)
子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注
意。

今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタ
イプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪
語する。

へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。
そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。
子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、
できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。

父「お前は、パパに何をしてほしいのか」
子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。

この段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのよう
に聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし日本人
よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続く
ということ。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(32歳)は、こう
言った。

「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。

別の男性(40歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこか
でそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでい
るため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。早ければ早い
ほどよい。

もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、今日からで
も、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたは子
育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことが
できる。

++++++++++++++++++++++++

【補記】

 旧来型の保育者は、よく「遅れる」(昔は「後れる」と書いた)という言葉を使う。

 しかしいったい、何が、どう遅れるのか?

 このタイプの保育者は、ある一定の幼児像(=コース)を頭の中に想定し、その幼児像
にあわせて、子どもを作ろうとする。

 子どもを一人の人間としてみているのではなく、子どもを、モノ、あるいは、ペットと
してみている(?) ……そう決めてかかるのは、言い過ぎかもしれないが、子どもを、
一人の人間としてみたことがない人には、この感覚は、理解できない。

 つまりこうした旧来型の保育者でも、口では、いっぱしに、「私は子どもを一人の人間と
してみています」などと、言う。そして世話をするのが、保育。めんどうをみるのが、保
育。しつけるのが、保育と考えている。

 その保育のし方をみていると、あたかも家畜の飼育小屋で、家畜にエサを与えている姿
勢に似ている。どこか、おかしい? どこか、まちがっている?

 たとえばNHKの「お母さんとxx」という番組がある。

 私もときどきあの番組をみるが、少なくとも私がしている幼児教育とは、明らかにちが
う。あの番組の中の幼児には、個性がない。子どもたちは、ペットでもしないような、ア
ホな踊りをさせられているだけ。

 「♪お手々が、ブラブラブラ……」と。

 そこで、一度、年中児の子どもたちにこう聞いたことがある。

 「君たちは、ああいう踊りをさせられて、自分たちが、バカにされていると思わないか?」
と。

 すると子どもたちは、(年中児の子どもたちが、だぞ!)、こう答えた。

 「思う」「思う」と。「バカにされていると思う」と言うのだ。

 私はよく「子どもの人権」という言葉を使う。しかしこの日本では、本当に子どもの人
権は、確立されているのか?

 それがわからなければ、もう一度、「遅れる」という言葉の意味を考えてみたらよい。「後
れる」でもよい。

 いったい、子どもは、何から、どう遅れるのか?
(はやし浩司 子どもの人権 遅れる 後れる リズム論 子育てリズム論)
(040713)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●小話

 「マガジンの読者をふやしたかったら、むずかしい話はやめて、小話を多くしなよ」と
は、ワイフの言葉。

 ナルホド!

 子育て小話、か。

 今までの経験の中から……。いろいろ、あったなあ……。

 うれしかったこと、悲しかったこと、つらかったこと……と、書きたいが、実は、あま
り、ない。それが幼児教育の特徴かもしれない。

 相手が幼児では、人間関係ができない。つくれない。期待できない。

 10年とか、20年とかたって、「先生、お元気ですか?」と言ってきた子どもは、いな
い。いや、一人だけ、いた。

 そのとき彼女は高校生になっていて、ある日、突然やってきて、こう言った。

 「先生って、小さい人だったんですね」と。

 彼女は、身長が170センチくらいの女の子になっていた。「私が幼稚園児のときは、す
ごく大きい人かと思いました」と。

 ナルホド!

 しかし記憶というのは、こわいものだ。脳ミソのどこかに、無数の思い出がつまってい
るはずなのに、今、こうして思い出してみようとするのだが、それが浮かんでこない。

 若いころは、つらいこともあった。しかしそのうち、利口になったというか、世渡りが
うまくなったというか、最初から、キズつかないように用心するようになった。

 いくら幼児教育に没頭しても、最後の10〜20%は、自分のためにとっておく。それ
は子育て相談の世界でも、同じ。

 インターネットの相談にしても、2、3時間かけて返事を書くことがある。が、そのま
ま何も連絡をくれない人も多い。礼までは期待していないが、一言でも、「役にたった」と
でも言ってくれれば、私も、どんなに私も救われることか。

 だから最初から、そういう人も、20〜30%はいるという前提で、相談にのる。いち
いちそれでキズついていたら、この仕事は、できない。

 しかし実際には、そう思っていても、ガクリとすることは、ある。ないわけではない。
そういう意味では、私はすでに、全身、キズまるけ。

 が、反対に、楽しいと言えば、職場そのものが、私にとっては、ストレス発散の場にな
っている。幼児たちと、ワーワーと騒いでいるだけで、気分が楽になる。(体力的には、し
んどいが……。)

 最近は、もう言いたいことを言い、したいことをしている。遠慮しない。それで文句が
あるなら、私の教室など、こないことだ。……と、心のどこかで思うことができるように
なった。

 ときどき、今の仕事も、あと何年できるだろうと考えることがある。もう、自分に妥協
したくない。自分をごまかしたくない。

 小話を書こうと思ったが、まじめな話になってしまった。ゴメン!


●参議院議員選挙

 昨日(7・11)、参議院議員選挙があった。夕方、少し涼しくなってから、投票に行っ
てきた。

 結果は、やはり私は、「浮動票の王様」だった。私が動くところ、国政も動く! ……と
いうのは、少しおおげさ。しかしいつも、そうなる。

 今回の選挙は、「年金選挙」ということになっていた。たしかに年金問題が、最大の焦点
になっていた。しかし私たちが問題にしているのは、(年金の複雑さ)でもなければ、(将
来への不安)でもない。

 問題にしているのは、(年金の不公平さ)である。

 たとえば私が住んでいる地区には、旧国鉄のOBたちが、たくさん住んでいる。このあ
たりは、新幹線の線路工事のとき、同時に開発された住宅団地である。そういうつながり
がある。

 が、どのOBも、満55歳で定年退職してから、月額30〜35万円(妻の年金含む)
もの年金を受け取っている。まさに優雅な年金生活者たちということになるが、その財源
は、借金。その額は、すでに20兆円を超えたとされる。(日本の国家税収は、42兆円程
度。)

 もちろん、それぞれのOBに責任があるわけではない。しかし現実には、いろいろなカ
ラクリがあって、旧三公社五現業の中でも、旧国鉄OBの年金額が、一番、高い。

 (注……以前は、公務員共済は、退職直前の1年間の平均給与を基準として、決められ
ていた。そのため、退職直前に役職をあげたりするなどの方法で、年金を増額する方法が、
一般的になされていた。

 さらに通常、公務員は、3月31日付けで退職するのに対して、旧国鉄職員だけは、4
月1日付けで退職していた。つまりこうして勤続年数を1年加算することによって、旧国
鉄OBたちは、自分たちの年金をふやしていた。)

 私はこの旧国鉄OBの年金に、年金の不公平さを見る。

 近くに住む、X氏(今年82歳)は、いつもこう言う。「私ら、現役時代に納めたお金を、
国から返してもらっているだけです」と。

 しかし本当に、そうだろうか?

 そのX氏にしても、ざっと計算しても、満55歳の定年退職時から、27年x12か月
x33万円=1億700万円もの、現金を手にしている。1億円だぞ!

 旧国鉄OBですら、ここまで手厚く保護されている。いわんや、ほかの国家、地方公務
員をや!

 が、それだけではない。本当の問題は、給料である。

 とてもおかしなことだが、いまだに、公務員たちがいったい、いくらの給料を手にして
いるのか、それを正直に公表している自治体は、ひとつもない。

 が、概算方法がないわけではない。

 年間予算から、公務員一人当たりの人件費を計算すると、約1000万円という数字が
出てくる。この数字から、共済費、健康保険料などの雇用者負担分をさしひくと、約80
0万円という数字が浮かびあがってくる(伊藤惇夫氏指摘、「文芸春秋・5月号」)。

 この額は、一般民間サラリーマンの平均年収の448万円(国税庁・02年)よりも、
はるかに高い。

 が、さらに大きな問題がある。

 国家公務員、地方公務員を合わせた、いわゆる私たちが「公務員」と呼んでいる人たち
の、人件費総額が、約40兆円に達しているということ(伊藤惇夫氏指摘)。40兆円とい
えば、日本の国家税収分にほぼ匹敵する。(日本の国家税収は、約42兆円!)

 わかりやすく言えば、国家税収のすべてが、公務員の給料に消えているということにな
る。しかしこんなバカげた国が、いったい、どこにある!

 もう、いいかげんにしろ、日本!

 ……ということで、今回の参議院議員選挙は、終わった。とても悲しいことだが、恐ら
く、今回の選挙でも、日本は、何も変らないだろう。日本は、世界に名だたる官僚主義国
家。奈良時代の昔から、官僚主義国家。そう、簡単には、変らない。変えられない。

 ちなみに、自民党の小泉氏も、民主党の岡田氏も、元中央官僚。この静岡県のばあい、
県知事も、副知事も、主だった都市の市長も、そして国会議員のほとんども、みな、元中
央官僚。

 本当に日本は、民主主義国家なのか? 民主主義国家と言えるのか?

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 11日(No.448)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●成長を喜ぶ

 まずテスト。あなたの子どもは何か新しいことができるようになったり、おもしろいこ
とを発見したようなとき、あなたのところにやってきて、「見て、見て!」と言うだろうか。
もしそうならそれでよし。

しかしそういう会話が親子の間から消えているようなら、あなたはあなたの子育てをか
なり反省したほうがよい。

 子どもを伸ばす三大要素に、(1)好奇心(いつもあらゆる方向に触覚がのびている)、(2)
生活力(自立し、自分で何でもできる)、(3)頭の柔軟さ(頭がやわらかく、臨機応変に
ものごとに対処できる)がある。

もちろん生まれつきの能力も関係するが、これは遺伝子の問題だから、教育的にはあま
り論じても意味がない。で、こうした三大要素を側面から支えるのが、家庭、なかんず
く「親」ということになる。こんな家庭があった。

 その家庭には三人の男の子がいたが、皆、表情が明るく、伸び伸びとしていた。そこで
その秘訣をさぐると、それは母親の言葉にあるのがわかった。

子どもたちが何か、新しいことができるようになるたびに、その母親がそれを心底、喜
んでみせるのである。下の子が上の子のおさがりをもらうときもそうだ。母親は下の子
に、上の子のおさがりを着させながら、「おお、あんたもお兄ちゃんのが着られるように
なったわね」と、喜んでみせていた。こうした家庭のリズムが、子どもたちを伸びやか
にしていた。

 子どもを伸ばすためには、子どもの成長を喜んでみせる。ウソではいけない。本心から
そうする。そういう前向きな姿勢が親にあってはじめて、子どもも伸びる。が、そうでな
い親もいる。

「あんたはダメな子ね」式の言い方をいつもする親である。子どもの表情が暗くなって
当然。こういう家庭では、子どもは決して、「見て、見て!」とは言わない。「どうせ、
ぼくはダメだ」と逃げてしまう。もしそうなら、今日からでも遅くないから、子どもの
成長を喜ぶようにする。たとえテストの点が悪くても、「去年よりはずっとよくなったわ
ね」などと言う。そういう姿勢が子どもを伸ばす。子どもの表情を明るくする。(はやし
浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもを知る

 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。

親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてし
て子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。

 ある子ども(小六男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。

ある夜一人の父親が、A君(中一)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、
うちの子が不登校児になってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがん
ばったが、A君は学校でもいじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本
当に多い。

子どもの姿を正しくとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。
たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちは
よくわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。

子どものばあい、(やる・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、
親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのよう
にして判断する。

 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。

そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れる。早
ければ早いほどよい。そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪
循環の中で、子どもの成績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、
不思議なことにあきらめると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようにな
る。シェークスピアがいう「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。(はやし浩司
のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●義母との確執

 義母との折りあいが悪くて、悩んでいる女性(35歳・福井県在住)がいる。「どうして
も、うまく、交際ができない」という。

 夫は、義母との同居を望んでいるらしい。が、その女性は、それができない。そのため、
夫の実家の近くに、アパートを借りて住んでいる。「義母との同居をはっきりと断るときと
いうのは、離婚するとき」と。

 義父母との折りあいがうまくできないと悩んでいる女性は、多い。実の父母とすら、う
まくできないと悩んでいる人さえ、多い。

 が、この日本では、それを許さない。「嫁」意識が、まだ残っている。「嫁というのは、
家の付随物にすぎない」と。そういう日本的な、どこまでも日本的な常識が、こうした女
性たちを、かぎりなく苦しめる。その女性も、こう書いている。

 「何ごとにつけ、長男、長男と、夫に仕事を押しつけてくる」と。その女性の夫は、そ
の長男である。

 もちろんアメリカにも、オーストラリアにも、こうした長男、長女意識はない。まった
く、ない。ないものはないのであって、どうしようもない。この種の話題について、会話
すらできない。へたに、「長男だから……」という『だから論』を口にしようものなら、そ
れだけで、彼らは首をかしげてしまう。

 が、義母との折りあいが悪かったら、どうするか?

 鉄則は、ただ一つ。

 妥協する。落語にも、こんな話がある。

 「義母を殺したいと憎んでいた嫁がいた。そこである人のところに相談に行くと、その
人が、その嫁に、毒薬を渡しながら、こう言った。

 『この毒薬をのませれば、あなたの義母は死ぬ。しかし今すぐ、毒をもってはいけない。
今、もれば、殺したのは、あなただと、すぐバレてしまう。

1年、がまんしなさい。その間、あなたはいい嫁のフリをして、義母に尽くしなさい。
そうすれば、あなたが殺したと、バレないから』と。

 それからというもの、その嫁は、義母の前では、努めていい嫁のフリをした。『お母様、
お母様』と、義母の世話をした。

 で、予定の1年がたった。その1年が過ぎたときのこと。毒をくれたある人が、その嫁
にこう言った。

 『1年たちましたから、もう義母を殺してもいいでしょう。今なら、だれも、あなたを
疑わないから』と。

 すると、嫁は、こう答えたという。『いいえ、もう殺す必要はなくなりました。今、私た
ちはとても、いい関係です』と」と。

 心理学にも、「好意の返報性」という言葉がある。あなたがAさんならAさんを、よい人
だと思っていると、そのAさんも、あなたのことをいい人だと思うようになる。好意とい
うのは、相互に反応するという意味である。

 この相談の女性のばあいも、「義母はいやな人だ」と思っているが、そう思うということ
は、その義母も、その女性のことを、いやな嫁だと思っているもの。こうした現象は、教
育の場でも、しばしば経験する。

 それについて書いた原稿を、このあとに添付しておく。

 もっとも、実際には、こうした問題は、頭の中で考えるほど、単純なものではない。傷
口にできた、かさぶたのように、しっかりと心の中に、くいついている。そうしたかさぶ
たを溶かすのは、容易なことではない。

 そこでもう一つの方法は、その義母を人間的に、はるかに超越して、無視できるように
すること。どこかに対等意識がある間は、こうした問題は、解決しない。それについては、
また別の機会に考えてみたい。

++++++++++++++++++++

好意の返報性

内容的にダブるところがありますが、
今まで、「好意の返報性」について
書いた原稿を集めてみました。

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●好意の返報性

 心理学の世界に、「好意の返報性」という言葉がある。あなたに好意をもっている人には、
あなたはよい印象をもち、反対に自分に反感をもっている人には、悪い印象をもつように
なる。つまり相手の心の状態が、こちらがもつ印象に影響を与える。それを好意の返報性
という。

 こうした好意の返報性は、子どもには、とくに強く現れる。「この子はいい子だ」と、親
や教師が思っていると、子どもも、その親や教師に、よい印象をもつようになる。反対に、
そうでないときは、そうでない。この性質をうまく利用すると、子どもを伸ばすことがで
きる。

 私も若いころ、初対面で、「この子は、教えにくい子どもだ」と思ったことがある。そう
いう子どもはたいてい、半年、一年もすると、「林先生なんて、嫌い」「幼稚園へ行きたく
ない」と言い出した。

 そこで私は、初対面のとき、仮にそういう思いが心の中を横切っても、それを打ち消す
ようにしている。そして心底から、「この子はいい子だ」と思いなおすようにしている。す
ると子どものほうも、やがて私に対してよい印象をもつようになり、「林先生が、好き」と
言い出す。しかしそれはその子どものためというよりは、私自身のためでもある。私はそ
うすることで、自分の仕事をしやすくする。

 そこで教訓。もしあなたが自分の子どもに対して、「うちの子はダメ」「うちの子は心配」
と思っているなら、そういう思いは、今すぐ、改める。そして最初はウソでも構わないか
ら、「うちの子は、すばらしい」「うちの子は、いい子」と思うようにする。これはあなた
の子どものためというよりは、あなた自身のためである。

+++++++++++++++++++

●好意の返報性(2)

 あなたが周囲の人を嫌ったり、批判したりすると、そのときはあなたに同調する人も現
れるかもしれないが、やがてあなた自身も、嫌われたり、批判されたりするようになる。
こうした現象も、好意の返報性で、説明される。

 たとえばあなたが園や学校の先生を、嫌ったり、批判したりしたとする。あるいは先生
の悪口を言ったとする。その人があなたと親しい人なら、あなたの意見にそのときは、耳
を傾けるかもしれない。しかしやがて、今度は、あなたが嫌われたり、批判されたりする
ようになる。

 そこであなたが皆に、好かれるためには、この反対のことをすればよい。あなたがあな
たの周囲の人を好きなったり、ほめたりすればよい。そのときは多少、反発する人もいる
かもしれないが、やがてあなたは、皆に好かれるようになる。

 家庭では、こんなことを注意する。

 あなたは子どもの前では、夫や家族を、ほめる。楽しいできごとだけを口にして、それ
を喜ぶ。そして夫や家族の前では、子どもをほめる。子どものすばらしい面だけにスポッ
トをあて、それを皆で、たたえる。こうした相互作用が、あなたの評価を高める。それだ
けではない。家庭全体が、温もりのある家庭になる。

++++++++++++++++++++

●好意の返報性(3)

英語の格言に、『友を責めるな、行為を責めろ』というのがある。仮にあなたの子どもが、
あなたからみて好ましくない友だちと交際していても、その友だちを責めてはいけない。
名前を出してはいけない。その友だちの行為の、どこがどう悪いかだけを指摘して、あ
とは子どもの判断に任せる。

 それについて以前、こんな原稿(中日新聞発表済み)を書いたので、ここに転載する。
この中で書いた、「遠隔操作」も、好意の返報性の一つと考えてよい。

++++++++++++++++++++

●友を責めるな、行為を責めよ

 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはど
うするだろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。
こういうときの鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリ
スの格言だが、こういうことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、
子どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもが
あなたを取ればよし。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入る
ことになる。

友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろという
のは、子どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、
あなたの子どもは窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへ
んまずい。ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」
「夜ふかしすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人が
いる」とか、など。コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身
に判断させるようにしむける。そしてあとは時を待つ。

 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一
歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』
と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そうい
う子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの
子はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。
このプレゼントをもっていってあげてね」とか。

そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。そしてそれを知
った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分を演ずる
ようになる。つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわ
けだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親
がいる。しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑
ってみること。祭で酒を飲んで補導された中学生がいた。

親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格
だった。……というようなケースは、よくある。自分の子どもを疑うのはつらいことだ
が、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。だからよけいに、友
を責めても意味がない。何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と
思わせるような、名格言である。

+++++++++++++++++++++++

●好意の返報性(4)

 子育ての要(かなめ)は、こういうわけで、子どもの叱り方にあるということになる。
これについても、以前、こんな原稿(中日新聞発表済)を書いたので、ここに転載する。

+++++++++++++++++++++++

●子どもの叱り方、ほめ方

 子どもを叱(しか)るとき、最も大切なことは、恐怖心を与えないこと。『威圧で閉じる
子どもの耳』と覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。
が、反省しているから、そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱る
ほどには、効果はない。叱るときは、次のことを守る。

(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)

(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳か
ら遠い」と覚えておく。説教が脳に届くには時間がかかる

(3)相手が幼児の場合は、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えな
いため)。視線を外さない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の
両手で固定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部
への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても「お尻」と決めておく

(4)子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、

(5)叱ったことについて、子どもが守れるようになったら「ほら、できるわね」とほめ
てあげる。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも『忠告は秘(ひそ)かに、賞賛は
公(おおやけ)に』と書いている。子どもをほめるときは、少しおおげさにほめる。その
とき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめ
る。特に子どものやさしさ、努力については、遠慮なくほめる。

が、顔やスタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関
心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間にな
ると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。

また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので慎重にする。頭
をほめすぎて子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。すでに悩んだり、苦しんだり、さら
には頑張っている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。意味がないばかりか、か
えって子どもから、やる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなこと
では!」式の脅しもタブー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなときはなおさ
ら「あなたはよく頑張った」式の前向きの理解を示してあげる。

++++++++++++++++++++++++

好意の返報性(5)

 「好意」といっても、それがいつも好ましいものとはかぎらない。好意をもたれること
で、かえってその人に嫌悪感を覚えることだってある。

 たとえばあなたが財産家であったとする。そういうあなたに、何かのセールスマンが近
寄ってきて、あれこれあなたをほめたとする。しかしそういうときあなたは、そのセール
スマンの言うことなど、信じないだろう。あるいは反対に、そのセールスマンを毛嫌いす
るかもしれない。このばあい、あなたは、セールスマンの行為に、下心があるのを知るか
らである。

 好意が好意として、返報性をもつためには、同調性が必要である。「同調性」というのは、
こちら側もまた、相手の好意に対して、同調するということ。もう少しわかりやすく説明
してみよう。

 たとえばあなたが、絵を描いて、何かの賞をもらったとする。そのときまったく絵のこ
とを知らないAさんが、その絵を見て、「あなたの絵はすばらしい」と言ったとする。する
とあなたは、「何、言ってるのよ!」と思うかもしれない。

あるいは日ごろからあなたの悪口ばかり言っているBさんが、同じようにほめたとする。
するとそのときも、あなたは、「何、言ってるのよ!」と思うかもしれない。つまり同調
性がないことになる。

 ほかにたとえば、ここでいう下心を、ほめられたほうが感ずると、同調性が消える。つ
まりそういう状態で、相手が、いくら好意を表現しても、効果がない。ないばかりか、か
えって逆効果になることもある。子どもも、また同じ。

 子どもをほめるときは、それなりに、ほめる側にも、同調性がなければならない。そこ
でつぎのことに注意するとよい。

○おせじ的なほめ方はしない。へつらわない。機嫌をとらない。

○子どもに同調するために、こちら側のレベルもあげる。子どもをほめるときには、なぜ
ほめるかという理由を、はっきりともつ。「レベルをあげる」というのは、ほめる側も、
それなりの知識をもつということ。具体的には、なぜほめるか、その理由を、しっかり
と子どもに伝えられるようにするとよい。「あなたの絵は、見る人をほっとさせるよう
な、やさしさがあるわ。そういうところが、審査員の先生たちの心をとらえたのね」と。

○好意には、下心をもたない。心底、無の状態で、子どもをほめる。親にとっては、なか
なかむずかしいことかもしれないだが、努めて、そうする。

このように「好意の返報性」といっても、奥が深い。家庭で子どもを指導するときの、
一つのコツとして覚えておくと、役にたつ。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】

●調子がもどる?

 今日になって、やっと調子がもどってきた。体が楽になった。気分もやわらいだ。

 三男に、「ipod」という、ウォークマンのお化けのようなものを買ってやった。Ma
c社製の新製品で、これ一台で、4000曲ぐらいの音楽が収録できるという。

 それにしてもすごい! 名刺サイズの本体に、ハードディスク並の、15Gバイトとは!

 自分のためなら買わない。買っても意味がない。私の左の耳は、完全に聴力をなくした。
突発性……何とかという病気で、そうなった。聴覚神経が、耳から脳に届くどこかで断線
したらしい。

 治療は、不能。

 だから三男が音楽を楽しむ様子を、横で見ながら、楽しむ。「ちゃんとステレオで聞こえ
るか?」と聞くと、うれしそうに、「うん」と。

 一つずつ、体のどこかが故障して、全部が故障したら、最後は、あの世行き。まだ左耳
だけだから、感謝しなければならない。友人の中には、もうあの世へ行ってしまったのが、
何人もいる。

 しかしそれにしても、苦しい一週間だった。心の緊張状態は、とれないまま。人に会う
のも、新聞を読むのも、いやだった。パソコンに向うことすら、つらかった。

 おまけに食欲はなく、頭が重かった。胃の中は、いつもムカムカしたまま。頭痛薬は、
この一週間で、市販のものを、いくつかのんだ。偏頭痛薬も1錠。それに胃薬も! やっ
と今朝になって、気分がよくなった。それで、今日は、町で買い物。

 「よく生きていたものだ」というのは、少しおおげさだが、瞬間だが、そんなふうに思
ったこともある。「生きていて、何になるのか?」「生きているのも、むなしい」とも。

 気分がなおったのは、ワイフと濃厚なセックスをしたため。……というのは、ウソ。読
者のみなさんを、少し、ドキッとさせてみたかった。

 これからビデオを見るつもり。ビデオを、3巻借りてきた。夜は、山荘へでかけ、泊ま
ってくるつもり。今日は、村で祭のある日。花火もあがる。

 心だって、少しは、風邪をひく。そのときは苦しいが、なおってみると、「どうしてそう
だったのか?」と、反対に、そのときの自分が、おかしく思える。私のばあい、落ちこん
だときは、何か買い物をすると、なおる。……らしい。

 そうそう、今週は、ラジコンのヘリコプターも買った。室内用のかわいいヘリコプター
だ。明日、それを飛ばしてみるつもり。

 横浜のM君、富士市のTさん、励ましのメール、ありがとう!


●告白

 気分が落ちこんでくると、ものの考え方が、どうしてもうしろ向きになる。ものごとを
悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまう。

 電子マガジンを出していることについても、「どうしてこんなことをしているのだろ
う?」と思ってしまう。

 で、そういうときというのは、苦情のメールばかりが、気になる。ほとんどの人は、(多
分?)、マガジンを、喜んでくれていると思う。また多くの人の子育てに、役立っていると
思う。しかしそういうときというのは、ネガティブな妄想ばかりがふくらむ。

 「量が多すぎる」とか、「むずかしすぎる」とか、など。「そうかな?」「そうなんだ」と
思っているうちに、どんどんと気分だけが沈んでいく。

 が、心が快方に向うと、反対に、ものの考え方が、前向きになってくる。攻撃的になっ
てくる。「私は私だ」と。そしてあれこれ苦情を言ってくる人に対しては、「文句あるなら、
読むな!」(失礼!)と。

 そうだ、そうなんだ。

 文句があるなら、読むな!

 本来の私は、そういうタイプの人間。グズグズしたり、ネチネチしたりするのは、私の
やり方ではない。

 私はこれからも原稿を書いてやる。どんどんと書いてやる。そしてマガジンを読んでく
れる人のために、役立つ記事を、書いてやる。

 ……と、かなり意気ごんだところで、一息。

 読者のみなさん、これからもよろしくお願いします。少しはげしいことを書いてしまい
ましたが、どうか文句があっても、またなくても、購読してください。読者あっての、私
です。みなさんが私に生きがいを与えてくれる分だけ、私はみなさんのために情報を、提
供します。


●ADHD児とカルタ取り

 ADHD児を簡単に見分ける方法の一つとして、カルタ取りがある。簡単なひらがなカ
ルタでよい。それを、5〜8人のグループでしてみる。

 ADHD児は、(1)多動性があり、(2)集中力がない分だけ、こういったゲームが、
苦手。

 症状としては、

(1)そわそわと落ちつきなく、動き回る。動きが突発的かつ衝動的。予測がつかない。
(2)視線を固定することができない。目つきが定まらない。
(3)カードの文字や、絵を静かに判断できない。どこを見ているか、わからない。
(4)強く制しても、その「おさえ」がきかない。叱っても効果は、一時的。
(5)結果として、このゲームが苦手。カルタを取る枚数が、少ない。ゲームに負ける。

 反対に、多動性があっても、こうしたカルタ取りに熱中できるようであれば、ADHD
児ではない。……と、私のようなものが決めてかかるのは、少し危険かもしれないが、私
は、この方法で、ADHD児を見分けている。

(追記)こうした私だけが知っている事実を、インターネットで公表したりすると、早い
ときには、数か月後には、どこかのだれかによって、パクられてしまう。

 いやな世の中。

 もしどこかで、「ADHD児はカルタ取りをさせてみればわかる」などという記述を見た
ら、どうか、私に一報を! 数日前も、テレビを見ていたら、私が作った新語(「親像」と
いう言葉ほか)を使って、
堂々と、自分の意見のようにして話していた女性(医師)がいた。ああいうのは、本当に
頭にくる。ホント!


●ついでに、基底不安の人について

 乳幼児期に不幸な家庭で育てられたため、何ごとにつけ、不安になりやすい。心配性で、
取りこし苦労ばかりする。

 たまの休みになっても、考えることは、休み明けの仕事のことばかり。外で食事をして
いても、考えることは、家の心配ばかり。

 母子関係の欠陥が、人をして、そういう人にする。ベースに、いつも不安があることか
ら、「基底不安」という。

 このタイプの人(子ども)は、どこかセカセカしていて、落ち着きがない。人にへつら
うから、愛想もよい。商売人としては、うまいが、しかし心の中は、いつもある種の緊張
状態にある。

 このタイプの人を見分ける簡単な方法は、食事している様子を見ればわかる。

 このタイプの人は、食事をしていても、やはりセカセカと食べる。食事を楽しむという
よりは、食事をしながら、すでに食後のことを考えている。だから落ち着いて食べること
ができない。

 人は、長い時間をかけて、心が命ずるままの人間像をつくりあげる。そしてそれを外に
現すようになる。これも、その一つ。


●権威主義の人

 「私は親だ」というのが、親意識。この親意識が強いと、子どもはどうしても親の前で
いい子ぶるようになる。もう少しわかりやすく言うと、仮面をかぶるようになる。その仮
面をかぶった分だけ、子どもの心は親から離れる。

 親子の間に亀裂を入れるものに、三つある。リズムの乱れと相互不信、それに価値観の
ズレ。このうち価値観のズレの一つが、ここでいう親の権威主義である。もともと権威と
いうのは、問答無用式に相手を従わせるための道具と考えてよい。

「男が上で女が下」「夫が上で妻が下」「親が上で子が下」と。もっとも子どもも同じよ
うに権威主義的なものの考え方をするようになれば、それはそれで親子関係はうまくい
くかもしれない。が、これからは権威がものを言う世界ではない。またそういう時代で
あってはならない。

 そこであなた(あなたの夫)が権威主義者かどうか見分ける簡単な方法がある。それに
は電話のかけ方をみればよい。

権威主義的なものの考え方を日常的にしている人は、無意識のうちにも人間の上下関係
を判断するため、相手によって電話のかけ方がまるで違う。地位や肩書きのある人には
必要以上にペコペコし、自分より「下」と思われる人には、別人のように尊大ぶったり
いばってみせたりする。

このタイプの人は、先輩、後輩意識が強く、またプライドも強い。そのためそれを無視
したり、それに反したことをする人を、無礼だとか、失敬だとか言って非難する。

もしあなたがそうなら、一度あなたの価値観を、それが本当に正しいものかどうかを疑
ってみたらよい。それはあなたのためというより、あなたの子どものためと言ったほう
がよいかもしれない。

 日本人は権威主義的なものの考え方を好む民族である。その典型的な例が、あの「水戸
黄門」である。側近のものが三つ葉葵の紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すると、周囲
のものが皆頭をさげる。

ああいうシーン見ると、たいていの日本人は「痛快!」と思う。しかしそれが痛快と思
う人ほど、あぶない。このタイプの人は心のどこかでそういう権威にあこがれを抱いて
いる人とみてよい。ご注意!


●パソコンが4万8000円!

 市内で、「C」というパソコンショップが、新装オープンした。たまたま近くの店に用が
あったので、帰りに寄ってみた。

 N社製のデスクトップが、15インチモニターつきで、4万9000円で売っていた。
アウトレット商品だというが、ほとんど新品。それが山積みになっていた。

 CPUは、Pen3の1ギガヘルツ。ウィンドウ2000、ワード・エクセルつき。メ
モリーは、256MB。ふつうのパソコンとして使うなら、何ら、遜色はない。

 店の男が、「ワード・エクセルのソフトだけでも、○万円しますから」と笑っていた。

 ほしかったが、買わなかった。もう私の家の中は、パソコンだらけ。居間だけでも3台。
書斎にも3台。ほかにノートが、2台。買っても、どこへ置くのだ!

 しかし安くなった。

 今、困っているのは、ホームページ。ホームページ用に、N社製のノートを使っている
が、ソフトをたちあげ、編集し、FTP送信をして、保存が終わるまでに、約5時間以上
かかる。

 ソフトのたちあげに、30〜40分。
 編集は、だいたいいつも20〜30分。
 FTP送信準備のために、30分前後。
 FTP送信のために、5〜10分前後。
 保存のために、3時間半!
 計、5時間以上。

 CPUは、1Gヘルツ。メモリーも、512MBを実装。それでも、これだけの時間が
かかってしまう。店の男に相談すると、「もっと、性能のいいパソコンを買ってください」
とのこと。4万9000円のパソコンでは、どうしようもない。

 今年の10月に新しいパソコンを買うつもりだったが、来年までがまんすることにした。
多分、そのころには、もっと値段も安くなっているはず。性能もよくなっているはず。

 ところでそのパソコン。FTP(無線)送信しているとき、ひんぱんにエラーが出るよ
うになった。

 そこで場所を、無線ルーターの近くに移して送信すると、今度は、だいじょうぶ。どう
やら電波障害が起きているようだ。

 私の印象としては、扇風機と、すぐそばの蛍光灯を消してから送信すると、調子がよい
ので、原因は、その扇風機か、蛍光灯のどちらかではないかと思う。多分?


●三男のビザ

 7月13日に、オーストラリアへ行くことになっていたが、ビザが取れなくて、航空チ
ケットを、キャンセルした上、延期。のんきな子どもで、明日から、再度、ビザを取りな
おすという。

 (そのたびに、私のほうは、数万円の出費!)

 理由はいろいろあるようだ。それには納得したが、ふと心のどこかで、こう思う。「これ
から先、もういっしょにいる時間はないだろう。こうしていっしょにいる時間は、理由は
ともあれ、貴重だ。まあ、ここは、おおらかにかまえてやるか」と。

 それで今日は、市内のそば屋で、そばをみんなで食べた。

 (怒ってもしかたないし……。)

【ビザが取れなかった理由】

 前回、学生ビザを取るとき、息子は、東京のS病院で、健康診断を受けた。そのときの
健康診断書は、1年間有効ということだった。そこで今回一時帰国し、再度、ビザ取得の
申請をしたとき、息子は、その健康診断書を流用しようとした。が、領事館のほうが、そ
の健康診断書を、どこかへ紛失してしまったらしい。そのやり取りをしているだけで、時
間だけが過ぎてしまった。


●ホームページコンテスト

 今年も、静岡県主催のホームページコンテストが、始まった。

 連続して出場して、もう3年目になる。が、過去2回とも落選。はじめから、期待など
していない。

 初年度のときには、応援投票数が多ければ多いほど、有利だったようだ。しかしそんな
もの、簡単にインチキができる。(……できた。)いわゆる自薦投票というのである。

 そのつぎの年のコンテストでも、入賞したのは、どこかのプロが制作したものばかり。
これまた当然のことである。

 はっきり言って、中身を見ないコンテストなど、意味はない。入賞作品を見たが、どこ
かバラエティ番組風のものばかり。審査員の人たちも、どこかそういった感じがする人た
ちばかり(失礼!)。

 そこで今年から、(1)自薦投票ができなくなった。(2)プロの製作会社の作ったホー
ムページを、区別するようになった。当然だ!

 ……となると、私のホームページが、がぜん、有利になる。しかし残された問題は、審
査員。そこで今、改めてチェックしてみたが、今年は、メンバーを書いたページが見つか
らなかった。どうしてか? ……と思いつつ、読者の皆さんにお願い。

 どうか、日本のため、私のため、今ここで、清き一票をお願いします。毎年、一等賞は
ノートパソコン。ほしい!

 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/より
 あるいは、直接、
https://hpg.pref.shizuoka.jp/vote_form.cfm?entry_number=36
 まで!


●アクエリアス

(1)

 コンビニで、「メモリー・タイム」(カバヤ食品)を買う。値段は、315円。昔のメロ
デイーが、2曲ずつ入っている。一応、ガムのおまけがついている。(本当はCDのほうが、
おまけなのかもしれない。)

 しかしどんな曲が入っているかは、わからない。封を切ってからのお楽しみ。

 が、今夜は、当たり!

 The 5th Dimension(ザ・フィフス・ダイメンション)の、「♪アクエ
リアス」が入っていた。ミュージカル、『ヘアー』の主題曲である。

(2)

 メルボルンでの生活が終わるころ、私は、ジルと、シドニーへ行った。キングスクロス
の劇場で公演していた、『ヘアー』を見るためである。1971年の2月。オーストラリア
の夏も終わるころだった。

 私とジルは、そのミュージカルを見ながら、ずっと泣いていた。私はともかくも、ジル
は泣いていた。

 私には、切ない、どこまでも切ない思い出でしかない。

 そのとき私は、日本への帰国を、数日後にひかえていた。ジルは、白血病をかかえてい
た。毎日たくさんの薬をのんでいて、体も心も、ボロボロの状態だった。

(3)

 夜、同じキングスクロスにある、安ホテルに泊まった。最初は、いっしょに寝るつもり
だったが、ジルが、「今夜はひとりで寝たい」と言った。それで、私は、もう一部屋、別の
部屋をとった。

 そのときジルの精神状態は、きわめて不安定だった。劇場へ入るときは、あれほどはし
ゃいでいたのに、出るときは、暗く沈んでいた。何も、話さなかった。が、私にはどうす
ることもできなかった。

 私は、2、3度、ジルの部屋のドアをたたいてみたが、返事はなかった。私はしばらく
ジルの部屋のドアに背をあてて、すわって眠った。そのあとのことは、よく覚えていない。

 朝、起きると、私は自分の部屋のベッドの上で、横になっていた。多分、ビールを飲ん
だせいだと思う。頭がガンガンと痛かった。

(4)帰る

 帰りもバスだった。しかしもう、甘いささやきはなかった。ジルは、ずっと黙っていた。
私も、黙っていた。「すべてを終わりにしなければ」と、私は、自分に、そう言ってきかせ
ていた。

 ジルは、ジルで、何かを悟ったようだった。私には察しがついたが、それを口にするこ
とはできなかった。

 その1か月ほど前、ジルは、自分白血病であることを、私に告げた。私はそれを聞いて、
飲みかけていたコーヒーカップを、天井めがけて、投げつけた。「ウソつき!」と叫んだ。
そのときから、『ヘアー』を見るのが、私たち、最後の思い出ということになった。

(5)切なさ

 人は、それぞれ無数の思い出をひきずって歩くもの。楽しい思い出、悲しい思い出、つ
らい思い出。そして切ない思い出も、その中に含まれる。

 「別れる」というほど、大げさなものではなかった。そんな意識はなかった。ジルにと
っては、最初から、私との交際は、ただの遊び。今となっては、そうであったのか、そう
でなかったのかは、よくわからない。しかし、当時の私は、そう思っていた。

 背も低く、足も短い。どこから見ても、私は、おかしな風貌をしていた。日本にいたこ
ろは、そんなことは思ってもみなかったが、私の体は、向こうでは、まともではなかった。

 それに加えて、まだ白豪意識は、いたるところに生きていた。アジア人の私は、ジルと
いっしょにバスに乗っているだけで、どこか白い目で見られた。

 が、それ以上に、私とジルを遠ざけたのは、私の中に巣をつくっていた、男尊女卑思想
ではなかったか。私は、その男尊女卑思想を、自分でも、もてあましていた。

 「日本人の男と結婚できるような女は、日本の女しかいない」と、勝手に、私はそう結
論づけてしまっていた。

(6)アクエリアス

 よくジルは、アクエリアスを歌った。『ヘアー』を見る前のことだった。

 ♪月が、7番目の家に入り
  木星が火星と並んだとき、
  平和が惑星を導く
  愛が星々を方向づける
  そのときが、アクエリアスの夜明け
  アクエリアスの時代
  アクエリアス、アクエリアス!

 今、改めてこの曲を聞くと、ジルは、ザ・フィフス・ダイメンメンションの歌い方を、
そっくりまねていたことがよくわかる。ジルは、ボーカルの女性、そっくりの歌い方をし
ていた。

 リズムにのった、躍動あふれる歌い方。ハリのある声。天にも届く澄んだ声。それでい
て、低音部では、鼻にかけたような響きになる。

 私もよくいっしょに歌った。今でこそ、しょぼくれ、どうしようもないジジイ男だが、
こんな私にも、青春時代があった。そして今も、あのときと同じように、青い空と緑の山々
を見ている。

 アクエリアスを聞きながら……。

(ジルとの思い出は、『世にも不思議な留学記』の最終回のみで、収録。)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html
(↑世にも不思議な留学記)

●大恐慌

 「週刊G代」(7・17号)を、買う。気になる記事がいくつかあった。

(1)まず読みたかったのは、「日本破産に備えよ」(216)

 2010年に、日本は、破産するという内容のもの。日本の借金が700兆円以上もあ
るということ。それが回りまわって、国債の大暴落を引き起こし、日本は、ハイパーイン
フレの時代に突入する。それが、2010年に日本を襲う、と。

 決してありえない話ではない。常識で考えれば、そうなる。ただ、2010年かどうか
というと、そうではない。私は、もっとはやい時期にそうなるのではないかと思う。ちょ
っとしたきっかけで、そうなると思う。今、日本の経済は、たいへん、危機的な状況にあ
る。

 言うなれば、日本の経済は、断崖絶壁の岩肌に、かろうじてしがみついてがんばってい
る人の姿に似ている。上から小石でも落ちてこようものなら、それがショックとなって、
そのまま下へ落ちていく。

 「週刊G代」は、このように結論づける。

 「土地や株を購入しておくのが、最善策でしょう」と。「金や貴金属もいいでしょう。た
だし金はドルと連動しているので、ドルの状態を確認する必要があります。……とくに問
題なのは、現金のままにしておくことだ。インフレにより、価値はさがるし、先述の財産
税まで施行された日には、目もあてられない」とも。

 Q&A形式で書かれているが、だれがそのQを書いているかは、明記されていない。

 ただし、一言。

 大恐慌への、本当の準備は、今ある健康を、大切に守り、維持すること。健康さえあれ
ば、何とかなる。そうでなければ、いくらお金があっても、ただの紙くず。


(2)二子山親方、ガンと闘う

 二子山親方(元大関、貴ノ花)の病状がおもわしくないようだ。「この6月に入って、親
方の病状が急変する。東京・中野区にある貴乃花部屋3階の自室で、ついに吐血し、6月
9日、J病院に再入院することになった」と。

 二子山親方は、54歳。私より、2歳若い。そういう人の話を聞くと、とても他人ごと
には、思えない。が、それよりも、注意をひいたのは、二子山親方と、二人の息子の関係。

 週刊G代によれば、「長男の花田勝(元横綱、若乃花)は、ほぼ連日、病院に通っている。
しかし弟の貴乃花は、ただの一度も、父親を見舞っていないという。親戚筋は、もちろん
のこと、病状を説明したい医師からの再三のラ来院要請にも、無視を決めこんでいる」と
いう。

 週刊誌はあれこれ理由を書いているが、大きなわだかまりがあることだけは、事実のよ
うだ。週刊G代によれば、「どんな理由があるにせよ、死の影を背負った父親が、息子に会
うことすら拒否するのは、異常である。その事情を探っていくと、『骨肉の争い』という言
葉が、文字どおり当てはまる。醜く、壮絶な事実が、つぎつぎと明らかになっていった」
と。

 大筋で読むと、要するに、その裏で、マネーの問題がからんでいるらしいということ。
それもそうだろう。今の相撲協会の内部では、新聞配達が配る新聞のように、億単位のマ
ネーが、日常的に飛びかっている。私たちが口にするマネーとは、二桁も三桁も、額がち
がう。

 ひょっとしたら、この人たちも、マネーに毒されたかわいそうな人たちかもしれない。
その記事を読んで、私は、ふと、そう思った。

【補筆】

 わずかなマネーで、心を毒される人は、いくらでもいる。わずかなマネーだ。数十万円
とか、数百万で、だ。その中には、親子関係を破壊する人もいる。

 この日本でも、貨幣(マネー)が、一般社会に流通するようになったのは、江戸時代の
中期ごろからだと言われている。それまでにも貨幣はあったが、特別な意味で、特別な目
的のために使われていた。

 つまり人間の心は、マネーのもつ毒性にじゅうぶん対応できないまま、現代にいたって
いると考えることもできる。それはちょうど今、携帯電話やインターネットに振りまわさ
れている若者の姿に似ている。

 こうした状況と戦うためには、私たち自身が、それ以上に賢くなること。そのために、
自ら考える人間になること。私は、それ以外に、自分を支える方法はないのではないかと
思う。

 ところで二子山親方は、ひょっとしたら、きわめて権威主義的な考え方をする人かもし
れない。それが家族を、こうまでバラバラにしてしまったのではないのか……? これは
あくまでも、私の邪推でしかないが……。

 
(3)「日本は、腐ったブッシュと手を切れ」

 「華氏911」の映画監督、M・ムーア氏の毒舌的、ブッシュ評論。私も、アメリカが
今回、イラクを侵攻する前には、「今は、してはならない」「時期が早い」「戦争、反対」を、
訴えていた。当時の原稿は、そのまま私のHPのどこかに残っている。

 そして侵攻が始まると、何人かのアメリカの友人たちに、「やりすぎだ」と訴えた。

 が、ともかくも、戦争は始まってしまった。そしてその結果、フセイン政権は倒れ、今、
そのイラクは、アメリカの支配下にある。

 こうなってしまった以上、イラクもアメリカも、もう、もとにもどすことはできない。
国際政治は、どこまでも現実的。現実だけを見ながら、そこを原点として、未来を見、考
える。「これからはどうしたらいいのか」「これからは何をすべきか」と。

 「あれがまちがっていた」「これがまちがっていた」、だから「もとにもどせ」とは、言
えない。それが国際政治なのである。

 日本は、アメリカのイラク侵攻を支持してしまった。今になって反対するくらいなら、
どうしてもっとそのとき、しっかりと反対しておかなかったのかということになる。雲行
きがおかしくなったとたん、「反対!」では、道理が通らない。

 現に今、この日本は、アメリカが築きあげた自由貿易体制の上で、繁栄を謳歌している。
「アメリカの中東政策はまちがっている」と言うのは簡単なこと。しかしそのアメリカの
上に乗り、中東から原油を輸入しているのは、この日本にほかならない。「アメリカはズル
イ」と言うのなら、この日本は、もっとズルイ。

 週刊G代のその記事の冒頭には、こうある。「アメリカ国民は、ついに、"イラク戦争の
非"を認めたのだろうか?」と。

 イラク戦争は、「非」であった、と。

 しかし反対に考えれば、仮にイラクが核兵器などの大量破壊兵器の開発をしていたとし
たら、どの国が、それを止めただろうかという疑問も残る。

 たとえば今、隣のK国は、核兵器の開発を進めている。標的は、ズバリ、この日本! 韓
国やアメリカではない。日本だ。K国の高官たちは、ことあるごとに、アメリカや韓国の
高官にそう伝えている。

 こういう情勢の中で、K国の狂った野望を止めてくれる国が、今、どこにある? ロシ
アか、それとも中国か? これらの国は、アテにならない。K国の核兵器を、半ば容認し
ている。韓国は同胞意識をもりあげ、自分たちへの攻撃を回避しようとしている。

 日本は、このアジアの中だけでも、完全に孤立している。友人は、アメリカだけという
状況である。もし今、アメリカ軍が日本にいなければ、明日にでも、K国の金XXは、日
本本土へ、侵攻してくるかもしれない。

 「平和だ」「平和だ」と叫ぶのは、日本人の勝手だが、その日本は、中国やK国に侵攻さ
れても文句を言えないようなことを、戦前にしてしまった。そのことを忘れてはいけない。

 皮肉なことに、本当に、皮肉なことに、スターリン・ソ連、毛沢東・中国から日本を守
ったのは、ほかならぬアメリカなのである。李承晩・韓国、金日成・K国から、日本を守
ったのは、ほかならぬアメリカなのである。

 仮にブッシュ大統領が敗れ、ケリー大統領が誕生したら、どうなる? ケリー氏は、か
ねてより、K国との間で、相互不可侵条約を結んでもよいというようなことまで言ってい
る。

 もしそんな条約が結ばれたら、それこそ日本にとっては、一大事。K国は、日本に対し
て、好き勝手なことができるようになる。こうした現実を念頭に置くなら、今の日本は、
ブッシュ大統領を支持し、支えるしかない。バカだ、アホだと言われても、そうするしか
ない。

 アメリカも、たしかに傲慢(ごうまん)である。問題もある。問題だらけである。しか
し中国やK国よりは、まだまし? その判断を最終的にするのは、私たち自身だが、私は、
そう思う。

 ブッシュ大統領の「非」をあげつらうのは、簡単なこと。しかしもしそうなら、日本は
単独で、K国、中国、それに韓国、ロシアと対峙しなければならない。戦争も覚悟しなけ
ればならない。

 つまりそれだけの覚悟と準備があるなら、話は別。私自身は、M・ムーア氏の映画を見
て、とてもハハハと、笑うことはできない。むしろ私は、M・ムーア氏という個人がもつ、
独断と偏見のほうを心配する。それともM・ムーア氏自身は、日常生活において、それほ
どまでに人格的に高邁(こうまい)な人物なのだろうか。

 アメリカが侵攻する前、イラクはどんな国であったのか。K国ならK国でもよい。今、
K国は、どんな国なのか。そういうことを問題にしないで、一方的に、「ブッシュはまちが
っていた」と、言いきるのは、どうかと思う。

 『華氏911』を、安易に礼さんすることには、慎重でありたい。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 9日(No.447)
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【読者の方へ……】

 Eマガ、メルマガ(無料版)は、今回は、つごうにより、お休みします。
 どうか、当方の勝手を、お許しください。

 まぐまぐプレミアのほうは、勝手に休むと、ペナルティーが科せられるという、
 恐ろしいおきてがあります。(ホント!)今までどおり、がんばって、発行を
 つづけていきます。これからもよろしく、お願いします。

                             はやし浩司

 
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの体で考える

 体重一五キロの子どもがかん缶ジュース一本飲むということは、体重六〇キロの人が同
じ缶ジュースを四本飲むのに等しい。

いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲んだで、腹の中がガボガボ
になってしまう。

しかし無頓着な人は、子どもに平気で缶ジュースを一本与えたりする。ソフトクリーム
もそうだ。横からみると、子どもの顔よりも大きなソフトクリームを子どもに与えてい
る人がいる。それがいかに多い量かは、一度あなたの顔よりも大きなソフトクリームを
特別に注文してみればよい。

そういうものを一方で子どもに与えておいて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。
(ちなみに約半数の親が、子どもの小食で悩んでいる。好き嫌いがはげしい。食が少な
い。ノロノロ食べるなど。)
 
私は職業がら、そういう親子を見ると、つい口を出したくなる。先日もファミリーレス
トランで、アイスフロートのジュースを飲んでいる子ども(年長児)を見かけたので、
にこやかに笑いながらだったが、「そんなにたくさん飲まないほうがいいよ」と声をかけ
てしまった。が、それを聞いた母親はこう叫んだ。「いらんこと、言わんでください!」
と。いらぬお節介というわけだ。

 ほかにスナック菓子、かき氷しかり。世界を歩いてみても、日本ほどお菓子の発達(?)
した国は少ない。もっとも味についていえば、アメリカ人のほうが、日本人よりはるかに
甘党で、健康に害があるとかないとかいうことになれば、日本ではそれほど心配しなくて
もよいのかもしれない。

しかし一時的に甘い食品(精製された白砂糖が多い食品)を大量に摂取すると、インス
リンが大量に分泌され、それが脳間伝達物質であるセロトニンの分泌を促し、脳に変調
をきたすことが知られている。

そしてそのため、脳の抑制命令が阻害され、子どもは突発的に興奮しやすくなったりす
るという。もう二〇年ほど前に、アメリカで問題になったことだが、もしあなたの子ど
もが日常的に興奮しやすく、突発的に暴れたり、ヒステリー状態になることが目立つよ
うだったら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。子どもによっては、たった一週間砂糖断
ちしただけで、別人のように静かになるということはよくある。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親孝行を美徳にしない

 日本では「親孝行」が、当たり前になっている。しかしそういう常識(?)の陰で、人
知れず、それに苦しんでいる人は多い。

親を前にすると体中が緊張する(三四歳女性)、実家へ帰るのが苦痛(三〇歳女性)など。

しかし世の中には、親をだます子どもがいるが、子どもをだます親もいる。Kさん(七
〇歳)がそうだ。Kさんは息子(四五歳)がもっている土地の権利書を言葉巧みに取り
あげて、それを他人に転売してしまった。

権利関係が複雑な土地だったこともあるが、その息子はこう言う。「親でなかったら、訴
えているところです」と。が、当のKさんには、罪の意識がまったくない。間に入った
人がそれとなく息子の気持ちを伝えると、Kさんはこう言った。「親が息子の財産をつか
って何が悪い。私が息子たちにかわって、先祖や家を守ってやっているのだ」と。

 親孝行するかしないかは、あくまでも子どもの問題。もっと言えば、一対一の人間関係
が基本。「親が上で、子は下」という関係では、そもそも良好な人間関係など育たない。親
子はあくまでも平等だ。その基本なくして、親孝行はありえない。

言いかえると、親は、子どもを「モノ」とか、「所有物」として考えるのではなく、一人
の「人間」として認める。すべてはここから始まる。つまり親は子どもを育てながら、
自らも「尊敬される親」にならなければならない。子どもが親を孝行するかしないかは、
あくまでもその「結果」でしかない。

さらに言いかえると、子どもが親を軽蔑し、親孝行を考えなくなったとしても、その責
任は子どもにはない。そういう親子関係しか作れなかった親自身にある。きびしいこと
を言うようだが、親になるということは、それくらいたいへんなことでもある。

 親孝行を子どもに求める親というのは、それだけで、依存心の強い親とみる。「甘えてい
る」と言ってもよい。そういう親からは、自立した子どもは生まれない。前にも書いたが、
依存心というのは、あくまでも相互的なものである。

そんなわけで子どもを自立させたかったら、親自身も子どもから自立する。またそのほ
うが、結局は子どもから尊敬される親になる。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●負けるが勝ち

 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこ
じれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともか
くも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教
育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。

それに皆が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題
のある人もいる。さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、四〇歳
前後で、二〇人に一人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それ
にズケズケとものをいう。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それ
こそたいへんなことになる。

 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。

あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集まる。
しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですか
ら……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが
勝ち。

 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているよ
うでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。
すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、
あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。それに相手が先生であるにせよ、
親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、よほどのことと考えてよい。

そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよい。(は
やし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)
 

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自己中心的な子ども

 わがままで、自分勝手。少しでも気にいらないことがあると、ワーワーと叫ぶ。が、そ
のくせ、がまんができない。

 精神の完成度は、いかに利他的であるかで知ることができる。つまり自己中心的であれ
ばあるほど、その人の人格の完成度は、低いということになる。子どもとて、例外ではな
い。幼児とて、例外ではない。

 その幼児のばあい、ていねいに観察すると、その「芽」を知ることができる。人格の完
成度の高い子どもになるか、どうかを、その段階で知ることができる。

 が、ここで大きな問題にぶつかる。

 たとえば今、ここにきわめてわがままで、自分勝手な子どもがいたとする。頭も悪くな
い。その上、もの知り。親も、子どもの教育に、熱心。手間をかけている。時間も、金も
かけている。が、典型的なドラ息子。ドラ娘。

 そういう子どもをもつ親に、子どもの問題点を指摘しても、意味がない。親自身が、そ
の自覚がないというより、私のもっている尺度と、ちがった尺度をもっている。むしろそ
ういう子どもほど、できのよい子どもと思っている。……思い込んでいる。

 そこで私は、そういう子どもを、教えたくないと思う。「知恵をつけるにしても、その知
恵をつけるのは、私でありたくない」と思う。若いころなら、もう少しフレキシブルに考
え、「お金のため」と割り切ることができた。しかし、今は、もうそういう妥協ができなく
なった。

 ワイフに言わせると、「あなたも、融通がきかなくなったわね」ということか。

 たしかにそうだ。そうかもしれない。脳が老化し始めたのかもしれない。あるいはアル
ツハイマー病の初期症状かもしれない。が、私は、そうは思わない。

 私の人生も、いよいよカウントダウンの段階に入ってきた。平均寿命からすれば、まだ
20年は生きられるかもしれない。しかし幼児教育は、実にハード。どうハードかは、恐
らくやっていない人には、理解できないだろう。1時間、幼児に接すると、それだけで、
体も心も、ヘトヘトになる。

 あと、3年か。あるいは5年か。そういうことを考えると、教えたくない子どもは、教
えたくない。私がここでいう、「大きな問題」というのは、それをいう。が、それだけでは
ない。

 ここ10年、若い母親たちと、女子高校生たちの区別が、つかなくなってきた。同じよ
うに見える。若い母親たちは、「私は高校生たちとはちがう」と思っているかもしれない。
しかしそれほど、差があるわけではない。

 ドラ息子、ドラ娘とは言うが、もし母親が、そのドラ娘だったら、どうするのか。つま
り子どもの人格の完成など、求めるほうが、無理。期待するほうが、無理。そういう母親
の子どもである。

 「お宅のお子さんですが……」と言い出しても、そのとき、パタリと、自分の口が閉じ
てしまう。

 もし、あなたの子どもが、わがままで、自分勝手なら……、いや、まず、親自身が、そ
れに気づかねばならない。それに気がつかない親に、いくら子どもの人格の完成度を説い
ても、意味はない。

 10年ほど前だが、こんな子どもがいた。中日新聞に発表した原稿を、そのまま掲載す
る。

++++++++++++++++++++++

●生意気な子どもたち

子「くだらねエ、授業だな。こんなの、簡単にわかるよ」
私「うるさいから、静かに」
子「うるせえのは、テメエだろうがア」
私「何だ、その言い方は」
子「テメエこそ、うるせえって、言ってんだヨ」
私「勉強したくないなら、外へ出て行け」
子「何で、オレが、出て行かなきゃ、ならんのだヨ。貴様こそ、出て行け。貴様、ちゃん
と、金、もらっているんだろオ!」と。そう言って机を、足で蹴っ飛ばす……。

 中学生や高校生との会話ではない。小学生だ。しかも小学三年生だ。もの知りで、勉強
だけは、よくできる。彼が通う進学塾でも、一年、飛び級をしているという。しかしおと
なをおとなとも思わない。先生を先生とも思わない。今、こういう子どもが、ふえている。

問題は、こういう子どもをどう教えるかではなく、いかにして自分自身の中の怒りをお
さえるか、である。あるいはあなたなら、こういう子どもを、一体、どうするだろうか。

 子どもの前で、学校の批判や、先生の悪口は、タブー。言えば言ったで、あなたの子ど
もは先生の指導に従わなくなる。冒頭に書いた子どものケースでも、母親に問題があった。

彼が幼稚園児のとき、彼の問題点を告げようとしたときのことである。その母親は私に
こう言った。

「あなたは黙って、息子の勉強だけをみていてくれればいい」と。つまり「よけいなこ
とは言うな」と。

母親自身が、先生を先生とも思っていない。彼女の夫は、ある総合病院の医師だった。
ほかにも、私はいろいろな経験をした。こんなこともあった。

 教材代金の入った袋を、爪先でポンとはじいて、「おい、あんたのほしいのは、これだろ。
取っておきナ」と。彼は市内でも一番という進学校に通う、高校一年生だった。

あるいは面と向かって私に、「あんたも、こんなくだらネエ仕事、よくやってんネ。私ゃ
ネ、おとなになったら、あんたより、もう少しマシな仕事をスッカラ」と言った子ども
(小六女児)もいた。やはりクラスでは、一、二を争うほど、勉強がよくできる子ども
だった。

 皮肉なことに、子どもは使えば使うほど、苦労がわかる子どもになる。そしてものごし
が低くなり、性格も穏やかになる。しかしこのタイプの子どもは、そういう苦労をほとん
どといってよいほど、していない。

具体的には、家事の手伝いを、ほとんどしていない。言いかえると、親も勉強しか、さ
せていない。また勉強だけをみて、子どもを評価している。子ども自身も、「自分は優秀
だ」と、錯覚している。

 こういう子どもがおとなになると、どうなるか……。サンプルにはこと欠かない。日本
でエリートと言われる人は、たいてい、このタイプの人間と思ってよい。官庁にも銀行に
も、そして政治家のなかにも、ゴロゴロしている。都会で受験勉強だけをして、出世した
(?)ような人たちだ。見かけの人間味にだまされてはいけない。

いや、ふつうの人はだませても、私たち教育者はだませない。彼らは頭がよいから、い
かにすれば自分がよい人間に見えるか、また見せることができるか、それだけを毎日、
研究している。

 教育にはいろいろな使命があるが、こういう子どもだけは作ってはいけない。日本全体
の将来にはマイナスにこそなれ、プラスになることは、何もない。

++++++++++++++++++++

 念のため申し添えるなら、こうして自分が一度でも教えた子どもの悪口を書くのは、私
の本意ではない。しかしあえて、現実を知ってほしいから、私は書いた。と、同時に、あ
なたの子どもには、そうなってほしくないから、私は書いた。

 そこで改めて人格の完成度。

 仮にたとえば今、ある幼児の母親が、私に、「あなたは黙って、息子の勉強だけをみてい
てくれればいい」と言ったとする。あるいはそれに近い態度を、見せたとする。

 子どもは、放っておけば、まちがいなく、ドラ息子、ドラ娘になる。そういうとき、あ
なたなら、どうするだろうか。

 お金のため……と、割り切って、仕事をつづけるか。それとも、……?

 もう一つの選択として、こうした親を説得して、親や子どものもつ問題点を理解しても
らうという方法もないわけではない。しかしそれには、ものすごい時間と労力がかかる。
それに今、このタイプの親は、ゴマンといる。決して、一人や二人ではない。

 一方、心のやさしい親や子どももいる。人格の完成度の高い人たちである。いきなりこ
ういう結論を書くと、どこか青年の主張のような、歯が浮いたような言い方になるが、今、
私は、こう思う。

 私がすべきことは、そういう親や子どもが、将来、少しでも住みやすい環境をつくって
あげること、と。それが今の私の、人生最後の仕事のような気がする。


●エリート意識

エリート意識にも、善玉と悪玉がある。

生きる誇りというか、プライドというか、そういうエリート意識を、善玉エリート意識
という。

 昔、アルゼンチンのブエノスアイレスでタクシーに乗ったときのこと。そのホテル直属
のタクシーだったが、その運転手の身のこなし方が、外交官以上に外交官のようであった
ことに驚いた。

 見るからに、その運転手は、自分の仕事に誇りを感じているようだった。そういうのが、
善玉エリート意識という。

 一方、悪玉エリート意識というのもある。

 ある市の役人は、堂々と(ヌケヌケと)私にこう言った。

 「林さん、このH市は工員の町ですよ。いいですか、工員を働かすためには、工員には、
金(マネー)をもたせないことですよ。そのために、市には、たくさん娯楽施設を作って、
工員に金を使わせるようにするのです」と。

 50歳を過ぎた、エリート職員だった。私は「30年も役人をしていると、こういう発
想をするようになるのか」と驚いた。

 が、こうした悪玉エリート意識は、その仕事の中で、作られていくものらしい。そして
いつか、それが常識になってしまい、そのおかしさが、自分でも、それがわからなくなっ
てしまう。

 こんなことを言う人もいた。彼はある都市銀行で、部長職にある人だった。

 「私は、道路工事で、旗を振っている人にもですね、頭をさげることにしています」と。

 つまり自分は、それだけ弱者の立場でものを考えることができる人間だと言いたかった
のだろう。しかし、その発想そのものが、悪玉エリート的。

 どうして道路工事で、旗を振っている人が、弱者なのか? 実は、そういう職種の人を
「下」に見ているのは、その人自身に、ほかならない。頭をさげることなど、当たり前の
ことではないのか。あるいは、そういうふうに気をつかうこと自体、失礼というもの。

 ……実は、こう書きながら、こうした悪玉エリート意識は、子どもの世界にもある。子
どもは、受験戦争というあの戦争を通りぬける過程で、それを身につける。何を隠そう、
私自身も、かなり長い期間、その悪玉エリート意識をもっていた。30歳くらいまでか。
それとも35歳くらいまでか。

 その悪玉エリート意識と、自分の中で戦うために、かなり苦労をした。そんな記憶が、
心のどこかに残っている。

 当時は、大学は、一期校と二期校に分かれていた。さらに旧帝大と旧高校との差もあっ
た。私が卒業した金沢大学は、その一期校だった。旧第4高等学校が、その前身だった。
私はいつしか、(当時のほとんどの学生がそうであったと思うが……)、「私はエリートだ」
と思うようになってしまった。

 つまり同じ大学生でも、そうでない大学の学生を、「下」に見るようになってしまった。

 しかしこんなエリート意識、「カエルのヘ」にもならない。そのことは、50歳を過ぎて
も、60歳を過ぎても、学歴にしがみついている愚かな人たちを見ると、よくわかる。く
だらないというよりは、かわいそうにすら思う。

 大切なことは、それぞれの人が、それぞれの立場で、生きる誇りというか、プライドと
いうか、それをもって、前向きに仕事をしていくこと。と、同時に、そういう人たちの、
生きる誇りというか、プライドを理解すること。

 それはちょうど、紙の表と裏の関係ではないのか。

 自分自身の善玉エリート意識を支えるためには、同時に、相手の善玉エリート意識を認
めなければならない。

 アメリカに住む、二男が、こんなエッセーを書いている。少し話がそれるが、参考にな
る。

++++++++++++++++++++

【林 宗市より】

シャワーの蛇口からポタポタと水滴が落ちていたのでその修理をした。例の水の元栓を
止めて(この元栓との戦いは以前詳しく書いた)、蛇口を取り外し、パッキング、ボール
ベアリングを分解した。

家のシャワーの水道管にはシャットオフバルブがついていなかったので元栓をとめなけ
ればいけなかったのだけど、この季節、芝生の草が勢いよく元栓の周りまで成長してい
て、そう簡単なものではなかった。 

 以前から思うことだけれど、アメリカの家というのはメンテナンスが実に簡単だ。消耗
するであろう、ほとんどのものがみな簡単に取り外し、取替えできるようになっている。
ロウズという大きなお店があって、Home Depotにおなじみの人は知っているかも知れな
いが、ここへ行くと家の建築、配管、配線、電気、大型家電、木材、カーペット、建築
道具など、とにかく家を建てるのに必要なものがすべて手に入る。 

 みんなアメリカに住んでいる人は「Do It Yourself」的な人が多いんだね、って言う人
が多いけれども、上に書いたとおり、基本的な家の修理って言うのはみなそこに住んで
いる人がするものであるという哲学みたいなのがあって、普通の人でも修理できるよう
にデザインされているものなのだ。プロに頼めばやってくれるけれども、待たないとい
けないし、ちょっとした修理でも数百$とらされる。 

 僕は配管工に関する知識はないし、蛇口の構造がどうなっているかも知識はない。では
皆どうやって修理をするのに必要な知識をみにつけるのか? 

ここに住むようになって初めはかなり感動したものだが、ロウズなどのお店へ行くと、
実は店員がもと配管工だったり、電気技師だったりするのだ。だから壊れた部品を持っ
ていって、彼らに見せれば、必要な部品、道具、そしてその構造や修理方法を、聞けば
事細かに何でも教えてくれるのだ。 

 日本ではどうなのだろう? 

 だから今日も僕は壊れたシャワーのボールベアリングを持って配管セクションへ行き、
そこら辺を歩き回っている店員にどうすれば(一番安く簡単に)修理できるかを教えて
もらったのだ。テフロンテープだとか、グリップレンチだとか、以前の修理で必要にな
った道具はみな持っているので、$20ほどの投資で、ものの見事に蛇口、パッキング
の取替え工事は終わった。

++++++++++++++++++

 これからは、プロの時代。みなが、プロ意識をもって、前向きに仕事をする。またそれ
ができる世界をつくる。

 私の近所に、もう70歳を過ぎたというのに、東京のS大学の出身であることを誇って
いる男がいる。地元のS大学OB会には、必ず顔を出し、寮歌を歌ったりしているという。
ものの考え方が、超権威的。つまり近所でも、威張り放題、威張っている。

 いつか自治会の人も、こう言っていた。「ああいう人は、つきあいにくいですね。自分を、
みなが大切にあつかうべきだという態度をしてみせますから」と。

 バカめ! 大バカめ! こういうバカがいなくならないかぎり、日本の教育は、よくな
らない!

【悪玉エリート意識・補足】

 今は、70歳をすぎたという、その男。以前、自治会の仕事で回っていたとき、私にこ
う言った。

 私が、幼稚園で働いていますと言ったときのこと、「君は、学生運動か何かをしていて、
どうせロクな仕事には、つけなかったんだろ」と。

 それで私のウラミを買った。(ハハハ。冗談! 私は、もとからあんな男など、相手にし
ていない。ホント!)

 しかし、このタイプの人間は、独特の人生観をもっている。独特の考え方をする。ここ
に書いた、超権威主義的というのも、その一つ。「私は偉い。だから、お前たち、従え」と
いうような態度を平気で、とる。

 家族に対しては、「オレは、お前たちを食わせてやっている」というような、態度をとる。
仕事第一主義人間で、「仕事さえしていれば、男は、一人前」というような考え方をする。

 そのせいか、何かの会合があっても、あとからやってきて、デンと、席の中央に座る。
平気で座る。お茶を出されても、そのあと始末すら、しない。そういう姿を見て、いつだ
ったか、ワイフがこう言った。「ああいうダンナだと、奥さんも、苦労するわね」と。

 いやだね、ああいう男。ホント!

 しかし今は、ああいう男も少なくなった。よいことだ。が、いないわけではない。もう
少し話を先に進めよう。

【仮面型・善玉エリート意識】

 人間関係をうまく結べない人は、その段階で、(1)攻撃型、(2)服従型、(3)同情型、
(4)依存型の4つのパターンのどれかをとる。

 このことは、前にも書いた。

 そこで悪玉エリート意識をもっている人は、そのエリート意識だけでは、世の中を渡り
歩くことができないことを知る。わかりやすく言えば、だれにも相手にされないことを知
る。

 そこでこのタイプの人は、上の(1)〜(4)のどれかのパターンをとり始める。

 よくあるケースは、いかにも私はよくできた人間でございますというような態度をして
みせること。謙虚で、礼儀正しく、穏やか。時に、相手に服従的になったり、相手の同情
を求めたりする。

 が、ベース(基本)は、そんなに変るわけではない。ささいなことで、そのエリート意
識をキズつけられたりすると、激怒してみせたり、反対に復讐的な行動に出たりする。

 このタイプの、つまりは、仮面型の人も多いから、注意する。
(040709)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●夏バテ

 ここ数日、本当にバテた。もうゲンナリ! 何でも昨日(7・8)は、全国的に、気温
が35度を超えたところが多いという。埼玉県では、37度を超えたという(NHK)。

 しかし、私は、そういうニュースを聞くたびに、「ウソだ」と思う。

 たとえば昨日、この浜松市でも、最高気温は、34〜5度だったという。が、市内では、
40度近くあったのではないのか。昼ごろ、教室へ入ったが、温度計は、そのとき、38
度を示していた。

 道路の照りかえしもある。それぞれのビルから、猛烈な熱気が放出されている。それが
容赦なく、窓から流れこんでくる。「いったい、どこで測ると、35度になるのか」と思う。

 暑いと、一時的には、気分が高揚し、イライラする。しかしそれも一巡すると、今度は、
うつ状態になる。食欲もなくなり、やる気もうせる。

 夕方、激辛のカレーライスを食べて、やっと、一息つく。まだまだ夏はつづく。がんば
ろう。がんばります。

 そうそう、夜、10時ごろ、自転車で、1時間ほど、走った。「負けてなるものか」と、
歯をくいしばって、走った。

 そのせいか、昨日から今朝にかけて、9時間も、眠った。熟睡だ。気持ちよく、朝、目
がさめた。

 体がだるいときほど、運動は大切。それを改めて確認した。ハイ!


●健康

 若いころは、夏が好きだった。どんなに暑くても、平気だった。その私も、ここ数年、
めっきり夏に弱くなった。ときどき、身の置き場がないほど、体をだるく感ずることがあ
る。

 とくに、どこが悪いということではない。腎臓も、肝臓も、悪くない。血圧が高いとか、
そういうこともない。しかしどうも、調子がよくない。

 夕方のニュースによれば、高気圧とフェーン現象によって、日本海側では、気温が37
度を超えるところがあったそうだ。37度だぞ! 東京や名古屋でも34度とか(NHK)。
「道理で……」と思うと同時に、「こんなことで、今年の夏を過ごせるのか」と、不安にな
ったりする。今日は、まだ7月8日。例年だと、9月の終わりまで、暑い日がつづく。

 思い当たることと言えば、運動不足。毎日、自転車には乗っているが、体の中でも、使
う筋肉は、かぎられている。

 それに「うつ」。このところ、何かにつけて気が滅入ることが多い。ワイフは、さかんに、
「男の更年期よ」と言う。私は、初老性のうつ病だと思う。私の同年齢の友人などは、そ
のため毎日、何錠もの薬をのんでいる。

 症状を列挙してみる。

 ささいなことが、気になる。そしてものごとを、悪いほうへ、悪いほうへと考えてしま
う。被害妄想というほど、おおげさなものではないと思うが、しかしそれに近い。

 このとき私の中には、いつも、もう一人の私がいる。その私が、どこかで私を冷静に見
ている。そしてこうささやく。「よせ、よせ、そいつは、本当の私ではない」と。

 本当の私は、楽天的で、ほがらか。冗談が好きで、どこかいいかげん。しかしうつ状態
が強くなると、何ごとにつけ、深刻に考えてしまう。

 こういうときは、(1)おいしいものを食べて、(2)よく眠る。あとで近くのレストラ
ンで激辛のカレーライスを食べる。いつも私の体の調子をみながら、香辛料を調整してく
れる。多分、それで調子を取りもどせるはず。


●小さな善意

 7月9日の昼下がり。今日も暑い。

 家を出るとき、ワイフから郵便物を預かった。それを自転車のカゴに入れて、通りを走
る。とたん、ムッとするような熱気。どこか気が抜けそう。

 白く輝く道路。肌を刺す強い光線。乾いた風。

 ポストは、道路沿いにあった。私はそのポストの前で止まると、カゴから、郵便物を取
り出した。何通かの手紙。それが輪ゴムで、まとめてあった。

 瞬間、輪ゴムをかけたままポストに入れようか、それともはずして入れようかと迷う。
が、つぎの瞬間、私はほとんど無意識のまま、輪ゴムをはずして、手紙をポストに入れた。
と、同時に、「地」というのは、こわいもの。同じように無意識のまま、私は、そのはずし
た輪ゴムを、地面に落した。

 無意識だった。
 
 しかし私は、ゴミを道路に捨てた!

 私はそんなことをボンヤリと考えながら、自転車のペダルをこいだ。が、10メートル
も進むと、不快感が、胸の中に充満した。

 「私は、ゴミを捨てた!」と。

 この30年間守ってきた、道徳が、そこで崩壊したのを感じた。私は、ポストの前にも
どることにした。

 「たかが輪ゴムではないか」と、邪悪な私が、どこかで叫ぶ。しかしそれが私の「地」
だ。私は子どものころ、そういったことが平気でできた。どこか小ずるくて、どこかイン
チキ臭い。そんな子どもだった。

 ポストの前に自転車を立てたが、輪ゴムは、見つからなかった。輪ゴムをはずしたとき
の私を、懸命に思い出そうとしたが、どこか記憶がはっきりしない。かわりに、おかしな
ことだが、つまりそのときは気づかなかったが、道路は、ゴミだらけ。小さな紙くず、棒、
フタなど。色とりどりのゴミが、散乱していた。

 「何だ、こんなものか!」と思ったとたん、少し気が楽になった。そしてそのまま輪ゴ
ムをさがすのをやめた。

 で、そのまま自転車のペダルをこいで、町(シティ)に向かった。

 しかしそれで不快感が消えたわけではない。が、人間の心理というのは、おかしなもの
だ。その反射的効果というか、私は、いつもになく、クソまじめになった。

 歩行者専用の信号でも、しっかりと青になるまで、そこで止まっていた。さらに、今日
は、こんなこともあった。

 町に近づくと、なだらかな坂になっている。その左手が中学校になっているところで、
私は道路に、野球部が使うようなボールが落ちているのを見つけた。

 少し黄味がかかった、硬式のボールだった。

 私は自転車をおりると、そのボールを拾って、中学校の敷地に投げてやろうと考えた。
しかしそこは高い土手になっていた。その向こうにフェンスがあり、部室らしい建物が、
そこをふさいでいた。

 しかたないので、私はボールをもったまま、歩いた。歩いて、ボールを投げ入れる場所
をさがした。

 そのときも、私は、こう思った。「どこかそのあたりに投げておけばいいではないか」と。

 もし輪ゴムの1件がなければ、そうしただろう。しかし私は、いつも以上に、クソまじ
めになっていた。ボールをもって、歩いた。そして体育館を過ぎ、裏手の門のところまで
やってきた。その向こうは通学路になっていて、景色が広くなっていた。私は、そこへボ
ールを投げた。

 私は、決して、善人ではない。……と思う。かろうじて善人ぶっているだけ。善人のフ
リをしている。「地」というのは、そういうもの。子ども時代にできた「地」など、そんな
に簡単に変えられるものではない。

 子どものころの私は、平気でゴミを道路に捨てていた。信号無視なんて、当たり前。そ
れに道路に何か落ちていたら、そのまま自分のものにしていた。ボールだったら、なおさ
らだ。

 私は、この文章を書きながら、こう考えている。

 今は、まだよい。気力もあり、自己意識も、はっきりしている。だから、自分の「地」
を隠すことができる。しかしもう少し年をとって、その気力や自己意識が弱くなったら、
どうなるのか、と。

 ぼけるということには、そういう意味も含まれるのかもしれない。私の中の「地」が、
どんどんと外に出てくるはず。そうなれば、私は、もっと見苦しい人間になるかもしれな
い。

 だから私は、さらに強く、心に誓う。

 もう、二度と、ゴミを道路には、捨てないぞ、と。それは、私の心を守る、最後の砦(と
りで)のようなもの。それを平気で破るようになったら、私は、おしまい、と。
(040709)


●ガツガツする人たち

電車にオバチャンたちご一行様が、乗りこんでくる。騒々しい。が、それだけではない。

 「あんた、ここあいてるわよ!」「ここに座るわよ!」「ここあいてますか?」と。席を
取るために、自分の荷物をドカドカと置いたりする。

 イヤ〜な雰囲気。

 幼稚園でも、こういう親が目立つようになると、とたん、アカデミックな雰囲気が消え
る。父母の世界が、低劣化する。どこかの幼稚園の園長も、そう言っていた。

 子どもをはじめて幼稚園へ連れてきたりすると、「あんた、ここに座るのよ。先生の前だ
から、話がよく聞こえるでしょう!」と。親が、子どもの席を決めてしまう。

 イヤ〜な雰囲気。

 その園長は、こんな話もしてくれた。

 その幼稚園の近くに、病院がある。その病院へ行くたびに、その幼稚園の駐車場に、車
をとめていく母親がいるという。

 そこである日その園長が、その母親にこう言った。「できるだけ、そういった行為はやめ
てほしい」と。

 私の言葉が、よほどその母親のプライドをキズつけたらしい。その母親は、そのまま子
どもを連れて、幼稚園をやめてしまったという。

 ガツガツすればするほど、その人はそれでよいかもしれないが、まわりが、イヤ〜な雰
囲気になる。電車の中や、レストランなら、まだよい。しかし教育の場では、それは困る。
「理由は……?」と聞かれると困るが、とにかく困る。

 教育の場は、アカデミックでなければならない。その雰囲気が、子どもの理性を伸ばす。
知性を育てる。だから「教育」という。ちがうだろうか?

【自慢】

 私は現在、小さいが、自分の教室を経営している。しかしその質の高さでは、ほかのど
こにも、負けない。子どもたちの質はもちろん、それを支える親たちの質も、高い。

 去年、全国的にあちこちで幼稚園を経営しているある男性(65歳)も、私の教室を見
て、驚いていた。「もったいないですね」と。

 最初、その意味がわからなかったが、そのあと、何度か会ううちに、その男性の言って
いる意味がわかった。うれしかった。

 こういう仕事だから、たまには、そのイヤ〜な雰囲気になることはある。しかしそれは
例外。仮にそういう雰囲気になったとしても、それは私の責任ということになる。私自身
は、そういう雰囲気をつくらないように、心がけている。

 まず、子どもを楽しませる。ついで、親も楽しませる。そういうなごやかな雰囲気が、
何よりも大切だと、私は、思っている。

 10月生の募集が、近づいてきた。興味のある方は、どうか、見学に来てほしい。絶対
に、自信がある! BW教室は、すごいぞ! がっかりさせないぞ! ホント!


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●マガジン休止

 7月はじめ、つまり8月号で、はじめて、マガジンを休止した。(マガジンでは、一か月
先の原稿を、書いている。)

 原稿が書けなかった。(まぐまぐプレミアのほうは、今までどおり、発行。)

 何かしら大きな敗北感を味わった。自分に負けたような気分になった。まあ、ありのま
まを知ってもらうのも、よいだろうということで、そのまま休止することにした。ここは
自然体でいくのが、よい。

【読者の方へ……】

 見た目には、原稿の量は減っていないように見えるのは、いつも1か月先の原稿を書
いているからです。8月6日号は、7月6日に書くというように、です。

 それがたとえば8月6日号を、7月6日には書けなくなり、7月10日とか、11日に
書いたりするようになると、いよいよあぶない、ということになるわけです。

 夏休みなったら、たくさん原稿を書きためておきたいと考えています。よろしく!

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Eマガ、メルマガ読者のみなさんへ、

内容は、ほとんど同じですが、できれば、
まぐまぐプレミア(有料版)のご購読を
お願いします。

1か月200円の負担ということになり
ますが、よろしくお願いします。

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●犬のダニ

 ハナに犬のダニが、まとわりつくようになった。毎日、シャンプーで体を洗ってやって
いるのだが、それでも朝になると、何匹か、体についている。

 草むらに入ったとき、そこでダニが、体につくようだ。

 そこで昨夜、近くのペットショップで、いくつかの薬を買ってきた。店の男は、「一度、
病院の薬をもらってきたほうがいいですよ」と、アドバイスしてくれた。あまりひどいよ
うなら、病院へ、連れていくつもり。


●学習塾、残酷物語

 昨日、ほぼ1年ぶりに、同業の友人に会った。彼は隣町のS市で、小中学生相手の学習
塾を経営している。対象は、小学4年から中学3年生まで。ほかに、午前中は、近くのフ
リースクール(NPO)で、ボランティアの講師もしている。

 その友人を、K氏としておく。K大学を卒業しているからだ。そのK氏が、いつもにな
く、弱音を吐いた。

 「うちは月謝を銀行振りこみにしている。で、その生徒の7月分と、8月分が、それぞ
れ半額になっていた。電話をかけて、理由を聞くと、その母親は、こう言った。『7月の後
半と、8月の後半は、実家に帰っていて、休みますから』と。

 大手の塾だったら、こうまでバカにはされないのですがね」と。

 以前、『お父さんxxx』という本を書いた、教育評論家(元塾教師)がいた。その評論
家も、その本の中で、こんなエピソードを書いている。

 「月末の最後の授業が終わったときのこと。一人の生徒(小4)が、『先生、これ』とい
って、メモを私に渡した。見ると、それには、『今月で、塾をやめます』と書いてあった。
私はそのメモを見て、体が震えた」と。

 どうして体が震えたか?

 恐らくその理由は、この世界の外のいる人には、理解できないだろう。私もしばしばそ
ういう場面に出会うが、本当に体が震える。いろいろなクビの切り方があるが、そういう
クビの切り方は、ない。残酷!

 もっとも私のばあいは、最初から、そういうものだと割り切っている。が、気にしない
わけではない。たとえばそういうメモをもらったら、その瞬間、その生徒のことは忘れる
ことにしている。そしてあとは、前向きに、生きていく。

 そうそうそのためにも、ボランティア活動は、重要である。「他人のために、損得を忘れ
て、働く」というのは、その人の心の度量を広くする。K氏が、フリースクールで講師を
しているのも、そのため。

 私も正直に書く。

 ホームページなどで、子育て相談を受けつけている。返事を書くだけでも、そのため、
早くても30分とか、1時間とか、時間がかかる。ばあいによっては、2時間以上かかる
こともある。

 しかしその返事というか、礼状が届くのは、3人のうちの、2人くらい。残りの1人は、
そのままナシのつぶて。最初から、「マガジンへの転載、お断り」とか書いてくる人もいる。

 が、そんなことでいちいちキズついていたのでは、こういう仕事(?)は、務まらない。
だから返事を書いた段階で、その人のことは忘れる。礼状だとか、返事は期待しない。

 つまりこうした日常的な活動が、私の度量を広くする。残酷な場面に出会っても、それ
を心の中でうまく処理することができる。

 もっとも、今は、外部の方からの子育て相談は、断っている。それだけの時間を見つけ
るのが、むずかしくなってきた。それにこのところ、体力的な限界を感ずることも多くな
ってきた。マガジンの発行をつづけるだけで、精一杯という感じ。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 6日(No.446)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page054.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【読者の方へ……】

 このところ、暑いですね。……といっても、この原稿は、7月8日に書いています。み
なさんにこの原稿が届くのは、1か月先ということになりますが……。

 しばらくEマガ、メルマガ(ともに無料版)のほうは、低調になりますが、どうか、お
許しください。

 まぐまぐプレミア版のほうは、今までどおり、発行していくつもりでいます。どうか、
これからもよろしくご愛読ください。感謝しています。ありがとうございます。

                      7月8日     はやし浩司

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Eマガ、メルマガ読者のみなさんへ、

内容は、ほとんど同じですが、できれば、
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お願いします。

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ますが、よろしくお願いします。

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子育ては楽しむ

 子育ては本来、楽しいもの。楽しくなかったら、どこかおかしいと思ってよい。実際に
は約七二%の母親が、「子どものことでイライラする」(日本女子社会教育会・平成七年)
と答えているが……。

ただこういうことは言える。子育てを楽しんでいる親の子どもは、表情が生き生きとし
て、明るいということ。そうでない親の子どもは、そうでない。

 子育てを楽しむ秘訣、それは子どもの世界に自分も入ること。相手が子どもだからとい
って、幼稚だとか、愚かだとか考えてはいけない。

子どもは未経験で知識はなく、未熟な面はあるが、しかしおとなが考えているよりはる
かにその世界は純粋で美しい。人間の「原点」がそこにあると言っても過言ではない。
いろいろなことがあった。

 幼稚園で一人、両手を下へおろしたまま走っている子ども(年長児)がいた。そこで私
が「手を振って走れ!」と号令をかけると、何を思ったかその子どもは、「先生、バイバー
イ、先生、バイバーイ」と言って走り出した。

あるいは子どもたち(年長児)に、「春になると木に芽が出てきます」と話したときのこ
と。何人かの子どもたちが、「こわい、こわい」と言い出した。「芽」を「目」と誤解し
たためだ。子どもといっても、心はおとな。私の子ども観を変えた事件に、こんなこと
があった。
 
一人静かな女の子(年長児)がいた。いつもはほとんど発言しなかったが、その日は違
っていた。たまたまその女の子の母親が授業参観に来ていた。何か質問すると、「ハーイ」
と言って元気よく手をあげた。

そこで私が少しおおげさにほめて、みんなに手を叩かせた。するとその女の子はポロポ
ロと涙をこぼし始めた。私はてっきりうれし泣きと思ったが、それにしても合点がいか
ない。そこで授業が終わったあと、「どうして泣いたの?」と聞くと、その女の子はこう
言った。「私がほめられたから、ママが喜んでいると思った。ママが喜んでいると思った
ら、涙が出てきちゃった」と。

その女の子は、母親の気持ちになって涙をこぼしていたのだ!

 子どもの世界はあなたが思っているよりはるかに広い。それに気づくか気づかないかは、
つまるところあなたの姿勢による。あなたも一度、まさに童心に返って、子どもとともに
その世界を楽しんでみたらどうだろうか。子育てもぐんと楽しくなる。そしてそれに合わ
せてあなたの子どもの表情も明るくなる。


●国語力を豊かにするために

 「ほら、カバン! ハンカチは! バス、バス……、ほら、帽子!」と、こんな話し方
をしていて、子どもに国語力が育つはずがない。

こういうときは、たとえめんどうでも、「あなたはカバンをもちます。ハンカチはもって
いますか。もうすぐバスが来ますから、急いでしたくをしなさい。帽子を忘れないでく
ださい」と。こうした会話環境があってはじめて、子どもは国語力を身につけることが
できる。が、こんな方法もある。

 一人、バツグンの国語力のある子ども(年長女児)がいた。作文力をみたら、小学四〜
五年生程度の力があったのではないか。紙芝居を渡しても、その場でスラスラと物語をつ
くってみせた。そこで母親にその秘訣を聞くと、こう話したくれた。

 母親の趣味はドライブ。そこでほとんど毎日、それもその子どもが乳幼児のときからド
ライブに連れていったのだが、そのとき母親は、自分の声で吹き込んだ物語のテープを聞
かせつづけたという。物語は、子ども向けのものから、もう少し年齢の大きい子ども向け
のものまで、いろいろあったという。

 確かにこの方法は効果的である。別の母親は、芥川竜之介の難解な小説(「高瀬舟」)を
吹き込んだカセットテープをその子ども(小一)に、毎晩眠る前に聞かせた。数か月もす
ると、その子どもはその物語をソラで言えるようになったという。

 この方法にはいくつかのコツがある。やはり一番よいのは、母親の声で録音したテープ。
物語は何でもよいが、読んで聞かせる目的なら、二〜四年レベルの高いものでも構わない。
大きな書店へ行くと、学校の教科書を売っている。そういうところで、いろいろな教科書
を手に入れて読んであげるとよい。値段も安いし、内容もよく吟味されている。また国語
に限らず、社会や理科、あるいは道徳の教科書でもよい。子どもが興味をもっていること
なら一番よいが、あまりこだわらなくてもよい。

 さて冒頭の話だが、子どもの国語力の基本は、あくまでも親、なかんずく母親の国語力
による。あなたも子どもの前では、正しい日本語で話してみてほしい。


●育児ノイローゼに注意

 子育てをしていて育児ノイローゼになる人は多い。圧倒的に母親に多いが、父親がノイ
ローゼになることも、珍しくはない。

精神的な打撃によって起こる心的障害のことをノイローゼというが、精神病というほど
重くはない。ないが、対処のし方をまちがえると、深刻な結果を招くことがある。次の
ような症状が続いたら、育児ノイローゼを疑ってみる。

(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞
(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶
力の低下)、
(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪
失、日常活動への興味の喪失)、
(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、
(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(7)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(8)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロール
ができなくなる(感情障害)、
(9)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。

もっとも育児ノイローゼになっても、本人がそれに気づくことはまずない。脳のCPU
(中央演算部分)が変調するため、本人はそういう状態になりながらも、「自分ではふつ
う」と思い込む。あるいは他人に「異常」を指摘されたりすると、反対に過度の罪悪感
に襲われ、かえって深く落ち込んでしまうこともある

そこで重要なのが、夫ということになるが、その夫の協力が得られないことが多い。で、
もしここに書いたような症状のうち、いくつかに思い当たることがあれば、「今の状態は
ふつうではない」という前提で、自分のまわりを見なおす必要がある。できれば子育てそのもの
から離れる。

でないと、(こういうことを書くと、ますます症状がひどくなってしまうかもしれないが)、
子どもに影響が出てくる。そんなわけで、もし症状がひどいようであれば、一度、精神
科のドクターに相談してみる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【みなさんの意見から……】

 当然のことながら、マガジンを発行していると、賛否両論、いろいろな意見をもらう。
今週も、あった。

(国旗について……)「日本は、そもそも単一民族だから、国旗や国歌にこだわる必要はな
いのではないか。国旗や国歌が必要なのは、多民族国家である。そういう国では、国をま
とめるために、国旗や国歌が必要である。しかし日本には、そもそも、その必要性がない。
なりゆきに任せればいい」(53歳・男性)

(先生と親とのトラブルについて……)「今は、スクールカウンセラーが、担当することに
なっている。トラブルがこじれそうになったら、カウンセラーが、その間に入ることにな
っている。そのため、もっとスクールカウンセラーを、学校でふやしてほしい。ちなみに、
私の子どもの通う中学校では、週1回しかきてくれない」(40歳・女性)

(父親を立てろという意見に対して……)「今は、父親が、なおざりになっている時代と言
っていい。母親と話していても、母親が、『主人が賛成してくれません。どうか主人を説得
してください』などと言う。そういう家庭が多い」(45歳・教師)

(注、かっこ内の年齢については、お子さんの年齢などから、推定でつけました。)

++++++++++++++++++

SKさんが、こんな返事をくれた。
SKさんは、少女時代を、アメリカで
すごしている。

++++++++++++++++++

【SKより……】

●プロ意識

プロはお金を代償としてもらうもの。そうなんですよね。
これは、アメリカの子どもたちが町中でレモネードを夏場に
売って小銭を稼ぐのと共通するかもしれません。

そういえば、こんなことも思い出しました。中学校のときに
友人が新聞配達のアルバイトをしていました。で、一週間の
夏休み中、私が代わりに仕事をしたことがありました。

もちろん、親の協力がないとできないバイトなのですが、
まずは新聞販売店に行って、自分の担当個所の分の新聞を
自分で先に全て「買い取って」くるのです。担当個所といっても、
20件ほど。それも、向こう(アメリカ)の新聞は分厚くて大きい。

最初に買い取ってきて、自転車にくくりつけて、自分で一軒
一軒配達にいく。で、配達先と事前に話をつけておいた日に
「集金」に行くのです。中学生が、自分で。集金できなければ
自分のふところが痛んだままなんです。

支払いをしぶる人とどう交渉するか。犬のいる家ではどんな
ふうにすり抜けるか。小切手で支払われたら銀行に行って
現金化してこないといけない。雨で濡れて台無しにしたら
その分の「収入」はないんです。それに、謝ってまわらないと
いけない。どんなに怒鳴られるかも分からない。

子どもながらに、責任が問われて、その分の代償が手に
入るようになっているのです。で、ボーイスカウトをやってる
ような子なら、こういう集金のときに、ついでに、ボーイスカウト
のクッキーを売って歩いたりするのです。

"Are you getting paid for this?" (お金を受け取っているか?)(注1)
とても大きなファクターになっていますね。逆に、"not getting
paid"なら、だれも構ってくれないぐらいで。

夏の一週間の新聞配達と集金を思い出しました。

(注1)これは、私(はやし浩司)が、ボランティアで
英語をオーストラリアの学生に教えているとき、彼らの
質問に答えられなかったことに対して、ひとりの学生が、私に
言った言葉。「お金を受け取っているなら、質問に答え
れないのを許さない」という意味で、その学生は、
そう言った。


●歴史

日本人は「国際社会に参加してる」と思っていますよね。ヨーロッパで、
アメリカで、「アジア人」という枠でどれだけ蔑まれているかを
知らないですよね。

それも、理由も、あるのだか、ないのだか分からない差別を。

でも、日本人は「アジア人である」という自覚もない。だからちょっとの
海外旅行でも不快な経験をされた方は少なくないのではないでしょうか。

もっと「アジア人」で、「日本人」であっていいと思うのです、この国民は。
でも、なんとなく「英語がしゃべれたほうがかっこいい」って具合に
会話の決り文句ばかりを覚えていくのですよね。

それじゃ、内容のある話はついてこないのに。どうして英語教育の
低年齢化ばかり進むのでしょうね。

文科省のみなさまには、もう少し現場を見つめてもらいたいものですね。
生徒達、先生方、父兄、みながこんなに悲鳴をあげているのに。


●原爆

アメリカの人たちに、原爆の話をしても、「パールハーバーを攻撃しなきゃ
よかったんだろ」という具合に話を転嫁してしまいます。

私が中2のときの社会科の授業で、「日本から見た」太平洋戦争の
一部分を、レポート提出した事がありました。もっとも、私の母が
知っている程度の知識を、英語で表現しただけでしたが。

私の社会科の先生はそのレポートをクラスで朗読しました。
金目のものは全部アメリカ軍に持っていかれた、だの、松やにをあつめて
燃料にした、だの。そういう話です。

クラスの仲間が、びっくりして、泣き出したのを今でも覚えています。
授業が終わってから、私に謝りにきたクラスメイトも数人いました。
知らないだけ、なんですよね。

歴史。日本人は、渡航すれば日本の代表です。1人でも多くの人が、
ほんのわずかでも、日本のことを語っていく必要がある。自覚をもって
「日本人」にならないといけないですよね。

ルーズベルト・アメリカか、スターリン・ソ連か。当時の日本にしてみれば
同じようなもの、だったでしょうね。同感です。そして朝鮮半島は
地理的に、分断されやすい場所にあったといえるのでしょうね。皮肉な
話です。


また長くなってしまいました。先生もお忙しいことでしょうから、
返信は不要です。またメルマガで思うところがあったら
メールします。

【SKさんへ……】

 いつも鋭い、ご指摘、ありがとうございます。実際の体験者であるだけに、ご意見には、
ほかにはない迫力があります。たいへん参考になりました。

 昨夜(7・5)は、10時ごろ床についたのですが、あれこれ考えているうちに、頭が
サエてしまい、1時間ほど、眠れませんでした。

 「このまま地球は、どうなってしまうんだろう」とか、そんなことを考えてしまいまし
た。中国の広東省の広州市では、熱波で、39人もの人が、死んだそうです(「北京青年報」)。

 いわく、「(気温が39度をこえ)、広州市救急センターの救急車出動件数は、7月1日が
331件、2日は277件で、例年平均を大幅に突破。一日の出動件数は『この10年間
で最高記録』(同センター)という。同市政府は、特に高齢者に対し不必要な長時間の外
出を控え、水分を十分に取るよう注意を呼び掛けている」と。

 あのメルボルン市では、今年の1月、気温がやはり、40度近くにまでなったそうです。
私が学生代のころには、世界一、温暖な気候で知られていた、あのメルボルン市で、です。

 たまたま火星探査機の計画が、話題になっていますね。どこか「地球も火星のようにな
るぞ」と、そんなふうに脅されているかのようにも思えます。これから先、この日本も、
熱波に襲われそうですね。

ただ日本は、四方を海に囲まれていますから、ラッキーと言えば、ラッキーですが……。
だからこそ、世界という場で、リーダーシップを発揮しなければならないのですが……。
いろいろ考えてしまいます。

 このマガジンが配信される、8月6日は、広島の原爆記念日の日です。(今日は、7月6
日です。ちょうど1か月先の原稿を書いています。まぐまぐプレミアのほうは、有料マガ
ジンで、発行を忘れたりすると、ペナルティーを科せられたりするからです。)

 今年も、どこかの小学生が、群集の前で、声高らかに、平和宣言をするのでしょうが、
私はああいうことを、平気でさせる、主催者の意図が理解できません。アルカイダの連中
が、少年に、自爆攻撃をさせるのと、どこがどうちがうというのでしょうか。

 つぎの世代の子どもたちのために平和を用意してあげるのは、私たち、おとなの役目で
す。「戦争はいやだ」という理由で、逃げまわるのは、平和主義でも何でもありません。
「いざとなったら、平和を守るためには、戦争をも辞さない」という、強い気がまえがあ
ってはじめて、平和は守れるのですね。しかしそんな宣言を、子どもたちにさせるわけに
はいかない……。

 「戦前の日本のように、もう外国を侵略しません」とでも、宣言するのなら、まだ話は
わかります。しかしそんなことは当たり前のことではないでしょうか。どちらにせよ、子
ども自身が自分で考えてそう宣言するならまだしも、おとなの操(あやつ)り人形のよう
に、子どもを利用するのは、許されないことです。

 ……と、まあ、いろいろ考えてしまいます。

 地球環境、戦争と平和、そして教育、日本の未来などなど。今、私たちがもっと真剣に
考えなければならないテーマは、多いですね。ただとても残念なのは、私の周囲でさえ、
こうした問題を考えている人たちが、少なくなってきているということです。地球温暖化
にしても、このまま、あれよあれよと思っている間に、どんどんと進んでいくのでしょう
ね。たいへん、こわいことですが……。

 ご意見をいただいたことについて、改めて、お礼申しあげます。ありがとうございまし
た。またどうか、どうか、ご意見をお寄せください。お待ちしています。

                            はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】

●健康管理

 昨日(7・5)、隣町のR中学校で、講演をさせてもらった。

 睡眠も、8〜9時間とった。朝、風呂に入って、コンディションも整えた。またR町へ
は、予定より、30分ほど早く、着いた。

 しかし、である。それでもあの暑さには、まいった。駅をおりて、タクシーに乗るころ
には、もうヘトヘト。「こんな調子で、どうして講演ができるのだろうか」と、思ったほ
ど。講演がなければ、家の中で、身を横たえ、休んでいたかもしれない。

 このところ、健康管理が、ますますむずかしくなってきた。どこがどうということはな
いのだが、自分の体を(ふつうの状態)に保つだけで、精一杯。しかし私などは、まだよ
いほうかもしれない。

 おととい、2か月ぶりに、京都の友人(57歳)と会った。彼などは、目の前で、堂々
と、いろいろな薬をのんでいた。「精神安定剤に、高血圧用。それに尿酸値が高いので…
…」と。

 私はまだ、そういった薬の世話にはなっていないのだが、それでも、健康管理が、たい
へん! 実は、今朝も、午前4時に目が、さめてしまった。クーラーにタイマーをかけて
寝たのだが、そのタイマーが切れるころ、目がさめてしまった。今では、もうクーラーな
しでは、眠ることさえできない。

(おととしまで、クーラーなしで、がんばったぞ!)

 さあて、これからもう一度、眠りなおすつもり。時刻は、午前6時。この書斎の扇風機
は、「中」。窓も大きくあけた。それでも、ドカンとした熱気。

 今日も暑くなりそう。先ほど、アメリカに住む息子に、こんなメールを書いた。

 「今、日本は、ハリー・ホッターの世界だ」と。ハリー・ポッターをもじった。

 全国のみなさん、おはようございます!


●経済的余裕

 子育てには、お金がかかる。本当に、かかる。で、そのお金だが、必要な額だけでは、
足りない。どう足りないかは、子育てをしたものだけが、わかる。

 かりに、学費が年間、300万円。生活費が年間、150万円かかるとする。合計で4
50万円ということになる。

 が、それではすまない。事故やけが、病気、失敗などの損金は、別。詐欺にひかかるこ
ともある。そうした費用を、10〜20%は、みておかねばならない。が、実際には、か
なり余裕がないと、そうした出費を、おおらかにとらえることができない。

 先日も、Aさん(母親)が、こう言った。「娘が、大学で落第して、1年、留年するこ
とになりました。それで、その間、半年くらい、オーストラリアで語学の勉強をすること
になりました。

 航空券も買い、さあ、出発しようという段階になって、ビザが、まだ取れていないこと
がわかりました。

 航空券は、キャンセル。向こうの大学も、キャンセル。何もかもおかしくなって、それ
でおしまい。が、当の娘は、のんきなもの。今度は、カナダへ行くと言っています」と。

 少子化が問題になっている。しかしこの日本では、子育てに、本当に、お金がかかる。
すべてを政治の責任にすることはできないが、どう考えても、政治が悪い。大学という法
人には、莫大な補助金を、どんどんと注ぐ。だから校舎だけは、どこも立派。本当に、立
派。

 しかし肝心の、子どもをもつ親には、いっさい、補助は、なし。

 だから私は、あえて言う。「子どもは、1人か2人まで。3人目、4人目は、およしな
さい。この日本では、家計がパンクしますよ」と。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●平和教育

 平和? ……平和を宣言したからといって、平和など守れるものではない。

 もう少し、具体的に考えてみよう。

 少し前、中国が、東シナ海で、天然ガスの試掘に成功した。日中の境界線(中間線)ギ
リギリのところである。

 これに対抗して日本側は、日本政府がチャーターした調査船「ラムフォームビクトリー」
(排水量一〇、二九七トン)で、資源探査を開始した。7月7日のことである。

 が、中国も、だまっていない。

 前後して、日本の鳥島周辺で、海底調査を始めた。まさにたがいに、(やられたら、や
り返す)の応報である。

 もちろん、こうした応報には、どこか軍事的な衝突の危険がともなう。日本が、東シナ
海で、資源探査を開始したそのとき、この日、古庄幸一海上幕僚長が、探査海域に近い海
上自衛隊那覇基地を訪れている。

海幕関係者は「以前から決まっていた部隊視察。政府の調査とは関係ない」としている
が、わざわざそう断らなければならいところが、問題。当然のことながら。中国側は、「高
い関心を払っている」(中日新聞)と。

 で、こうした流れからもわかるように、国際紛争というのは、ある日、突然、始まるの
ではない。少しずつ、たがいの軋轢(あつれき)が積もり、やがてそれが国際紛争へと、
つながっていく。

 戦争というのは、あくまでもその結果でしかない。また平和というのも、その結果でし
かない。さらに戦争は、まさに国際政治の延長線上にある。

 もし平和主義というものがあるとするなら、そのはるか手前の段階で、発動されなけれ
ばならない。つまりここに、平和教育のむずかしさがある。

 もし平和宣言とやらをするつもりなら、その前の前の段階。たとえば今の段階で、する
必要がある。

 「中国が、私たちの国の領海で、天然ガスを試掘しても、私たちは、文句を言いません。
どうぞ、自由に試掘して、貴国のお役にたててください」と。

 それができないなら、……つまり、「殺されても、文句は言いません」という平和主義を
貫くことができないようであるなら、平和もまた、現実的にとらえなければならない。「私
たちは戦争をしません」「平和を守ります」と、宣言したところで、何の意味もないのであ
る。また宣言したからといって、守れるものではない。


●限界

 マガジンを発行して、もう2年になる。しかしこのところ、何かと限界にきたようだ。
数日前も、ワイフとこんな会話をした。ありのまま……。

私「少し、マガジンを休もうか?」
ワイフ「そうね……」
私「少し、疲れた……」
ワイフ「週、1回程度にしたら……」
私「いや、それも疲れた……」と。

 ……ということで、いろいろ考えている。みなさんからご意見をいただけるようであれば、よろ
しく!


++++++++++++++++++++++++++

【空き巣物語】


●不審な男

 話せば長くなるが、30年ほど前、全国でも有名な空き巣を、つかまえたことがある。
つかまえたというより、逮捕に協力したことがある。

 そんなこともあって、私は、空き巣には敏感。独得のカンが働く。実は、今日もそうだ
った。

 私とワイフが、居間にいると、一人の男が、裏の戸をあけて、庭の中に入ってきた。そ
のとき、ワイフと視線があった。

 年齢は50歳くらい。髪の毛の80%前後が白髪(しらが)の男だった。

ワイフ「何か?」
男「このうちは、宮Nさんではないですか?」
ワイフ「ちがいますよ。この近くに宮Nという人はいません」
男「そうですか。失礼しました」と。

 庭へ入ってくるためには、うちの駐車場をくぐりぬけねばならない。裏には、塀があっ
て、カギがある。それを開けねばならない。簡単には入れないし、また簡単に入れるよう
な雰囲気ではない。

 私はワイフと男の会話を聞きながら、内心で、「こんなところまで入ってくるなんで、失
敬なヤツだ」と思っていた。

 が、私は、ちょうど出かけるところだった。そのまま、玄関のほうに出た。庭と玄関は
反対側にある。

 その玄関を出たところで、その男に、ばったりと出会った。

私「住所は、どこになっていますか?」
男「7xxxですね」
私「まったく、番号がちがいます。このあたりは16xxxです」
男「ははは、そうでうね。まったくちがいますね」と。

 見ると、明らかにカタログが入っている透明の封筒をもっていた。名前は、宮Nとある。
が、そのときピンときた。

 男は、ちょうど止めてあった、車にのるところだった。見たこともないようなボロボロ
の車だった。天井の塗装ははげ、めくりあがっていた。バンパーも似たようなものだった。

 私はポケットから携帯電話を取り出すと、その車の写真を、うしろからとった。

 私は車が出ていくのを見送ったあと、自転車で美容院に向かった。

●美容院で……

 その男への疑念が大きくふくらんできた。考えてみれば、おかしなことが多い。

(1)カタログなど、わざわざ配達するだろうか。
(2)もちろん郵便局でも、宅配便業者でもない。
(3)家の番号も調べないで、庭の中まで入ってくるだろうか。
(4)男は、ボロボロの車に乗っていた。

 美容室のイスに座ったまま、私は、ワイフに電話をした。

私「あのな、このI町に、宮Nという人がいるかどうか、町内の名簿で調べてみてほしい」
ワイフ「わかったわ」と。

 美容院の女性も興味をもったらしい。「空き巣ですか?」と聞いた。「そうかもしれない」
と、私は答えた。

美容院の女性「服装は、どうでしたか?」
私「まったく、ふつうの服装でした。上がTシャツで、下がズボン……」
美「顔は……」
私「まったくふつうでした。ごくふつうの男性という感じ。そう、とくに印象が悪いとい
ったふうでもありませんでした」と。

 しばらくしてからワイフに再び、電話した。

私「宮Nという人は、いたか?」
ワイフ「そんな名前の人は、この町内には、いないわ」
私「やっぱりね……。警察に電話したほうが、いいだろうか……?」
ワ「そうね……。一応、してみたら……」と。

●警察に……

 携帯電話から110番に電話すると、静岡県の本部につながった。事情を話すと、浜松
市の警察の電話番号を教えてくれた。

 その番号に電話すると、さらにその電話は、地元のKOBANに転送された。私は、一
部始終をていねいに話した。

私「庭へ来るといっても、用のない人は、簡単には入れないところです」
警察官「車のナンバーは覚えていますか」
私「はい、携帯電話で、とりましたから」
警「浜松ナンバーでしたか?」
私「たしか、そうだったと思います」
警「車は、どんな車でしたか?」
私「それがですね、見たこともないような、ボロボロの車でした」
警「ああ、そうですか。すぐパトカーをそのあたりに送ります」と。

 横で会話を聞いていたもう一人の美容師の女性が、「空き巣ですか?」と聞いた。私は、
「まちがいないでしょう」と答えた。

私「最近、多いですよ。こういう時勢ですから、軒並み、入られています」
美「こわいですね」
私「私のワイフのテニス仲間の友人なんか、今年に入って、二人も入られています」
美「二人も、ですか?」
私「それもね、一人は、初詣にでかけている間に入られましてね。『もう二度と初詣はしな
い』などと言っていますよ」

美「それはそうでしょうね。何を信じていいのか、わからなくなりますからね」
私「15、6万円も盗まれたそうです」
美「15、6万円も、ですか!」
私「同窓会の会費だったそうです」
美「いやですね」と。

 人を疑うことの不快感が、心のどこかに残った。「黙っていよう」という思いが、なかっ
たわけではない。しかし考えれば考えるほど、その男への不審感がました。そして自分に、
何度も、「まちがいない」と言って聞かせた。

●警察官

 美容院から帰ったとき、ワイフに、「警察は来たか?」と聞いた。ワイフは、「まだ……」
と答えた。と、そのとき、電話が鳴った。

 「林さんの宅ですね。警察のものですが、これからおうかがしていいでしょうか」と。
私は、それに答えて、「それまでに、携帯電話の写真を、プリントしておきますから」と約
束した。

 が、そのときワイフがこう言った。

ワイフ「向こうから、話しかけてきたのよ」
私「向こうから? お前の方ではなかったのか?」
ワ「向こうよ。ここは、宮Nさんのお宅ではないですか?、と」
私「それじゃあ、空き巣ではないかもしれない」

ワ「どうして?」
私「空き巣なら、先に逃げるだろ……」
ワ「でも、私のほうが先に見つけたから……」
私「逃げるに、逃げられなかったのかなあ……」
ワ「……そうかもね」と。

 写真をプリントアウトしたところへ、警察官が一人、やってきた。大型のパトカーだっ
た。私は、裏の庭へと案内した。

警察官「この通路を通らないと、庭へ入れないのですね」
私「そうなんです。ふつうの人は、入りません。宅配業者の人は、絶対に入ってきません」
警「そうでしょうね」と。

 屋根つきの駐車場といっても、人が通れる部分は、やっとその分の幅しかない。それに
暗いトンネルのようになっている。よほど私の家の勝手を知りつくした、重要な用のある
人ならともかく、ふつうの人なら、この通路は遠慮する。入り口には、「猛犬注意」の張
り紙がしてある。

警察官「あちこち、その車をさがしましたが、見つかりませんでした。色は何色でしたか?」
私「濃い、ブルーだったと思います。色だけは、しっかりと記憶しました」と。

 写真では、ナンバーまでは読めたが、その前のひらがなまでは、読めなかった。

警察官「浜松ナンバーでしたか?」
私「はいそうだったと思います」
ワイフ「私も、そう思います」
私「それに宮Nという人は、このあたりにいません。市内には、2人いますが、どの人も、
住所がちがいます。それに男がもっていたカタログの番地は、めちゃめちゃでした」
警「わかりました。写真は、もらっていってよいでしょうか」
私「もちろん、いいです」と。

 警察官は、あちこちをながめながら、20分ほどで帰っていった。

私「空き巣だったら、あの程度の小道具は、あらかじめ用意しているよ」
ワイフ「そうよね。そうでないと、いざというとき、あやしまれるから」
私「それにしても、あんなカタログ一枚を、わざわざ届ける人なんて、いないよ」
ワ「いないわよね」と。

 玄関に立ってそんな会話をしているとき、昼下がりの熱気が、道路から、ドカッと伝わ
ってきた。

 空き巣め! 私は許さないぞ! ぜったいに、つかまえてやる! 今日は7月6日、火
曜日。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 4日(No.445)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心を通訳しない

 英語にはときどき、ハッと思うような表現がある。たとえば「トランスレイト(通訳)」
という言葉。

相手の心を、「こうだろう」と思って代弁すると、「君の判断で通訳(トランスレイト)
しないでくれ」と言われる。が、日本では、甘い。親が子どもの心を決めてしまうこと
も、珍しくない。

 母「先日は、息子(年長児)が、いろいろお世話になりました。息子も『楽しかった』
と喜んでいます」と。しかし肝心の息子は、そ知らぬ顔でプイと遠くを見ている……。

 さらに程度が進むと、こんな会話をするようになる。

私、子ども(年長児)に向かって、「この前の日曜日は、どこへ行ったのかな?」
母、会話に割り込んできて、「おばあちゃんちへ行ったでしょ。ね、そうでしょ」
私、再び子子どもに向かって、「楽しかったかな?」
母、再び会話に割り込んできて、「楽しかったでしょ。そうでしょ! どうしてあんたは自
分で楽しかったと言えないの!」と。

 典型的な過干渉ママの会話だが、こうした会話は親子断絶の第一歩とみてよい。「子ども
のことは私が一番よく知っていると」と思い込む親。「親は何も私のことをわかってくれな
い」と思う子ども。

いや、子どもが小さいうちは、まだよい。子どもが親に合わせるが、少し大きくなると、
そうはいかない。子「うるさい!」、親「何よ、親に向かって!」となる。

 子どもの人格を認めるということは、子どもの心を大切にするということ。心を大切に
するということは、常に子どもの心を確かめるということ。自分がそう思うからといって、
子どももそう思うと考えるのは、まちがい。まったくのまちがい。そういう前提で、子ど
もの心を確かめる。

よくあるケースは、おけいこごとなど、親が勝手に決めてしまうケース。「来週から、ピ
アノ教室へ行きますからね」と。やめるときもそうだ。子どもの心を確かめることもな
く、「来月から別の教室へ行きます。今、行っているところは、今月でおしまい」と。
 子どもの心は通訳しない。これは正常な親子関係を築くための鉄則の一つと考えてよい。
(はやし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

++++++++++++++++++

●子育ての「時」は急がない(中日新聞掲載済み)

 時の流れは不思議なものだ。そのときは遅々として進まないようにみえる時の流れも、
過ぎ去ってみると、あっという間のできごとのようになる。

子育てはとくにそうで、大きくなった自分の子どもをみると、乳幼児のころの子どもが
本当にあったのかと思うことさえある。もちろん子育ては苦労の連続。苦労のない子育
てはないし、そのときどきにおいては、うんざりすることも多い。しかしそういう時の
ほうが、思い出の中であとあと光り輝くから、これまた不思議である。

 昔、ロビン・ウィリアムズが主演した映画に、『今を生きる』というのがあった。「今と
いう時を、偽らずに生きよう」と教える高校教師。一方、進学指導中心の学校側。この二
つのはざまで一人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、ひょっとしたら日本人に、一番欠けている生き方
ではないのか。ほとんどの親は幼児期は小学校入学のため、小学校は中学校入学のため、
中学や高校は大学入試のため、と考えている。子どもも、それを受け入れてしまう。

こうしたいつも未来のために「今」を犠牲にする生き方は、一度身につくと、それがそ
の人の一生の生き方になってしまう。社会へ出てからも、先へ進むことばかり考えて、
今をみない。結果として、人生も終わるときになってはじめて、「私は何をしてきたのだ
ろう」と気がつく。

実際、そういう人は多い。英語には『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな
生き方の代名詞にもなっているような格言だが、やっと楽になったと思ったら、人生も
終わっていた、と。

 大切なのは、「今」というときを、いかに前向きに、輝いて生きるか、だ。もし未来や結
果というものがあるとするなら、それはあとからついてくるもの。地位や肩書きや名誉に
してもそうだ。まっさきにそれを追い求めたら、生き方が見苦しくなるだけ。

子どももしかり。幼児期にはうんと幼児らしく、少年少女期には、うんと少年や少女ら
しく生きることのほうが重要。親の立場でいうなら、子どもと「今」という時を、いか
に共有するかということ。

そのためにも、子育ての「時」は急がない。今は今で、じっくりと子育てをする。そし
てそれが結局は、親子の思い出を深くし、親子のきずなを深めることになる。(はやし浩
司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

【補足】子育てが終わると、どっとやってくるのが、老後。それまでは子育てで夢中にな
っていて、自分が年をとることを忘れてしまう。

 しかし子育てが終わり、夫婦二人だけになってみると、子どもたちにかわって、そこに
老後サマが、どかっと座っているのを知る。

 垂れた腹、こけた足、
 輝きをなくした皮ふ。
 それを見て、はっと
 おどろく、老後かな。

+++++++++++++++++++++++++++

【参観の心得】

 子どもを伸ばす参観、子どもの伸びる芽をつむ参観……というのがある。

 最近、学校でも、前もって届け出さえすれば、自由に参観できるようになったところが
多い。しかし問題がないわけではない。

●子どもは、ほめる

 「子どもの欠点を見つけたら、ほめる」は、大鉄則!

 たとえばあなたの子どもが、あまり発言しなかったとき。あなたの子どもの声が小さか
ったとき。そういうときは、参観のあと、あなたは、あなたの子どもにこう言う。

 「あなたは、前より、じょうずに発言できるようになったわね」
 「あなたの意見、すばらしかったわよ」
 「あなたは、前より、声が大きくなったわね」
 「お母さん、うれしかったわよ」と。

 この時点で、欠点を指摘すると、それがマイナスのストロークになってしまう。子ども
はますます自信をなくしてしまう。

●姿勢が悪いのは、親の責任

 子どもが授業中、ダラダラしたとする。体をもてあまし、机におおいかぶさったり、だ
らしなく、体をクネクネさせたりする。

 そういうとき、子どもを叱っても、意味はない。

 子どもの姿勢は、親の責任。子どもに、責任はない。原因は、食生活。

 まず疑ってみるべきは、CA、MG不足。筋肉の緊張を維持するのは、カルシウムイオ
ン。そのカルシウムイオンが不足すると、子どもの体は、ダラダラする。

 海産物を中心とした献立にきりかえるだけでも、子どもの姿勢は、みちがえるほど、よ
くなる。

 同時に、甘い(白砂糖)の多い食品、リン酸食品を避ける。詳しくは、はやし浩司のサ
イトで。

●神経質な参観は、百害のもと

 中に矢のように鋭い視線を投げかける親がいる。そういう親が参観していると、教える
側も、授業がやりにくい。本当にやりにくい。

1、2度ならともかくも、そういった参観が何回もつづくと、教室全体の雰囲気が、ピ
リピリしてくる。親どうしも、ピリピリしてくる。が、それだけではない。もっと
深刻な影響が、子どもに現れてくる。

 子どもから、子どもらしい伸びやかさが消える。さらにひどいばあいには、子どもは内
閉し、萎縮する。(中に、反対に粗放化する子どももいる。)チラチラと親のほうばかりを
気にするようになる。

 子どもが親を見る瞬間は、時間にすれば、まさに瞬間。数分の1秒もないのではないか。
その瞬間に、子どもは、親の心の中にあるものを知る。

 もし子どもの授業を参観していて、イライラするようであれば、参観などしないこと。
これは子どものためでもあるし、あなた自身の健康のためでもある。

●報告、批判は、タブー

 参観をしたあと、ほかの親に、「お宅の子は、こうでしたよ」「あの先生の教え方は……」
などと、報告したり、先生の批判をしたりするのは、タブー中のタブー。

 親どうしの何気ない一言が、トラブルの原因になることは、多い。しかも間に子どもが
からんでいるため、大問題に発展することも。

 報告をするにしても、その子どもや、授業のよい点だけにとどめる。

はっきり言おう。

 親の笑顔を、決して信用してはいけない。笑顔は、まさに女性の化粧のようなもの。そ
の笑顔を信じて、あれこれ話すと、それこそたいへんなことになる。

 「私は、おおらかです」「私は、気にしません」「私は、子どもに勉強しろと言ったこと
はありません」「子どもは、伸びやかなのが一番です」と、ことさら、おおげさに言う親ほ
ど、要注意(失礼!)。

 親は、そして人は、外の世界では、あえて本当の自分とは、正反対の自分を演じてみせ
ることがある。これを心理学の世界でも、「反動形成」という。

 「私は気にしませんから、うちの子が、学校ではどんな様子か、何でも話してください」
と言われたときほど、何も話してはいけない。

●子どもに問題がなければ、参観は最小限に!

 参観は、それをする親は、親の勝手だと思うかもしれない。しかし同時に、参観するこ
とによって、ほかの子どものプライバシーをのぞくことにもなる。のぞかれることを、死
ぬほどつらく思う親もいるということ。それを忘れてはいけない。

 そんなわけで、不必要な参観は、できるだけひかえる。それは、問題をかかえた子ども
や、その親への(思いやり)ということになる。

 たとえば私の教室は、原則として、公開している。親たちの参観は、自由。しかし問題
がないわけではない。

 中には、「ほかの親たちが見ているから、いやです」と、入会を断ってくる親もいる。

 そこで私のばあい、子どもたちを楽しませることはもちろんのこと、参観している親た
ちをなごませることに、神経を使う。いっしょに、笑わせたりする。30年以上のキャリ
アの中で、私がつかんだ技法である。
 
●雑則

 ほかにも、いろいろルールはある。

(1)スパイ参観はしない。

 廊下かどこかに隠れて、こっそりと子どもの様子を参観する親がいる。親は、こっそり
と見ることで、子どもの姿をより正しく(?)知ろうとする。

 しかし教える側にとって、スパイ参観ほど、不愉快なものはない。何かしら、疑われて
いるようで、いやな気分になる。盗聴器か何かをしかけられ、監視されているかのような、
不快感である。

 参観するならするで、堂々とすること。

(2)親どうしのつきあいは、淡々と、教育だけの範囲にとどめる。

 10人に、1人は、神経質な親がいる。20人に1人は、「?」な親がいる。そういう親
にからまれると、それこそ転校(転園)ということにも、なりかねない。

 だから親どうしのつきあいは、淡々とするがよい。何年もつきあい、相手のことがよく
わかったあとであれば、話は別。しかし最初のころは、慎重に。

 私も、若いころは、母親たちが、みな、コワ〜イおばさんに見えた。幼児教育は楽しい
が、親とのつきあいは、そのため苦手だった。

 その「恐ろしさ」を、いやというほど、私は体験している。

 子どもを伸ばすも、つぶすも、参観のし方しだいということになる。

( )参観していると、気分が楽になり、楽しい。
( )自分の子どもというより、教室全体のムードが楽しい。
( )自分の子どもは、伸びやかで、明るい。どこへ出しても恥ずかしくない。

 ……というのであれば、参観をしたらよい。反対に、

( )教室へ入ると、重苦しく感ずる。いやな雰囲気。
( )全神経が、自分の子どもに集中する。子どものささいな言動が、そのつど気になる。
( )自分の子どもは、できが悪いように思う。問題が多いと思う。

 ……というのであれば、学校の先生に任せて、参観は、できるだけひかえたほうがよい。
(はやし浩司 参観 参観授業 参観の心得 授業参観)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本VSアメリカ

++++++++++++++++++++++++++

少し前、アメリカの教育について書いた。
それについて、少女時代をアメリカで過ごした
経験のあるSKさんという方から、メールを
もらった。

まず、SKさんの意見より……

++++++++++++++++++++++++++

【SKより……】

(前略)

……歴史教育、国としての意識というのは、どうしても教育現場で密接な
関係を持つものなので、「国のつごうのよいように、子どもを教育しては
いけない」という、先生の指摘されたスタンスはとても大事だな、と
思いました。

簡単に「都合のよいような教育」をしてしまう恐れがある
ものだから、良識の範囲で上手にブレーキをかけていくことが必要
ですよね。

 私が住んでいた町では「米国史」だけしか、高校生でも学んでいません。
選択科目に世界史があったかもしれませんが。で、教科書には
太平洋戦争なんかは「ある日、日本軍がパールハーバーを襲撃してきた」
で始まり、2行だけ「長崎、広島に原爆を落として戦争は無事に終了しました」
と書いてあるのです。

 アメリカから見た、アメリカ人教育の授業なのだから当然なのかもしれませんが。
12月7日は、在米の日本人はとても肩身が狭いのは今も変わらないと思います。
(特に車の工場地帯であるシカゴ、デトロイトなどでは。)生たまごを投げられたり
とか、罵声を浴びせられたり。

 アメリカでは原爆は「全てを終わりにしたヒーロー」なのですから、
スミソニアン博物館でエノラゲイの展示はされて当然なんですよね。

 国が違い、歴史観と意識が違うのだから、そのあとの国際理解は遠い
ですよね。せいぜい、ゲイシャ、フジヤマ、ポケモンなんですから。
Kill Billも、ここに入りますか。

 SATというのも、数学能力と英語運用能力だけを問うテストだから、
歴史や社会科のもろもろはテストには必要がないんですよね。

で、知ってしまわれると、世論に影響もでるから教えたくないというのが
アメリカの、学校側の言い分なのではないかな、と思うぐらいです。

 自分の居場所が大事だから、自分の国を擁護したいし守りたいから、
大人は都合のいいように理解をし、子どもに与えていく。それが
空気のように「常識」としてみなに浸透していくものだから、断ち切るのが
難しい。意識って、怖いですね。

 かといって、歴史教育は、年表を覚えるだけでは意味をなさないのは
長年の日本での教育現場で立証済みですが。

(メルマガより)

 「昨年も、アメリカの大学を訪れた、東大のある教授が、こう言って驚いていました。

 『休み時間になると、学生たちが列をつくって、教授室の前に並ぶんですね。みな、質
問だの、相談だのを、教授にするためです。日本では見たことがない光景だけに、驚きま
した』」と。

 はやし先生の、この話についてですが、
私のいた学校では、教室の黒板の片隅に必ず Extra Helpの時間が書いてありま
した。

わからないところがあれば、先生に聞きにいける放課後の時間です。(これは7
年生以上の全教室に書いてありました。)

 先生に提出した課題でも、できが悪いと、先生の方から Please come for
extra help.と書かれて戻されました。

小学校の頃からでも「知る権利」を子ども達は持っていて、それを先生にぶつけ
ていくシステムになっているんですよね。

そうやって、debate力も、小さい頃からつけ
ていく。だから、大学生になっても、教授はつかまえる対象なんです。

 日本の子どもたち、大学生たちが「私には知る権利がある!」なんて吠えることは
まずないでしょう。ほっておいても、教育が受けられると思っているでしょうから、
獲ってくるハングリー精神はないんですよね。

 アメリカだと、1人でも多くを出し抜くためには、どれだけ「奪ってくるか」は
本人にかかってます。これも、「待ってても知識はこない」ことを、知ってる人
たちだからです。

 「自由」「平等」「権利」 日本にはまだまだ、身にしみていない概念なのかも
しれません。しみていなくても十分生活ができるのですよね。

(メルマガより)

 昨夜、ビデオショップの宣伝につられて、『Kxxx Bxxx』という、和製、アメリ
カ映画を見ました。

 一人の若いアメリカ人女性が、自分の夫や子どもを殺されたことを復讐するため、単身、
日本へ乗りこんできて、日本刀で、バサバサとギャングを切りまくるという映画です。
 
これは、クゥエンティン・タランティーノ監督のKxxx Bxxxのことですよね。あ
れは、ハリウッド映画です。

タランティーノ監督は、PFという映画も撮っています。(これは評価
が高かったようですが)

 タランティーノ監督は、日本のやくざ映画などがお好きらしいですね。
日本映画もよくご存知のようで、そのモチーフや内容の多くを 
Kxxx Bxxxでも、織り込んでいるときいてます。

(私はみていないのでなんともいえませんが。)

 で、Kxxx Bxxx の第一作はあまりに評判が悪かったので、第二作はしっとり
まとまってるらしいというのも聞いています。

 Kxxx Bxxxも PFも、構成はバラバラ、らしいです。そういう手法
の監督なんでしょう。

 でも、「日本映画に関心がある」監督が、ハリウッドを意識したら、こういう映画に
仕上げてしまうところに怖さを覚えます。「奇異な国」を演出するのに都合の
いい映画になったことでしょう。

 と、アメリカにとって、日本は今、とても気になる無気味な国なんだと思います。

いろんな作品を手がけ、映画やアニメなどのソフトが大量に流れ出て、
でも、アメリカの根底を揺るがす力を「持ってしまっている」「理解できない
国」なんだと思います。

 そんな不安が Kill Billにも出ていたのではないでしょうか。
その不安を、日本人映画ファンたちはどう理解したのでしょうか。

+++++++++++++++++++++

【SKさんへ……】

 いろいろご指摘、ありがとうございました。

●Kxxx Bxxxについて、

 「Kxxx Bxxx」について、和製ハリウッド映画というのは、私のまちがいでし
た。(ごめんなさい)

 実は、あの原稿を書いた直後に、それに気づき、訂正しなければならないと思いつつ、
忘れてしまいました。

 しかし改めて言います。「意味のない映画です」と。突発的にキレては、無表情なまま、
人間をバサバサ切っていく。その繰りかえしの映画です。


●Extra Helpについて

 SKさんからいただいたメールの一部を、あとで、その教授に送っておきます。その教
授は、自分のHPのほうでも、それについて書いています。「驚いた」と。

 くだらないことですが、私は学生で、オーストラリアへ言ったとき、最初、この「ex
tra」という単語が、よく理解できませんでした。辞書をひくと、「余分の」とある。そ
こである日、友人に、使い方を聞いたら、こう教えてくれました。

 「一人、4個ずつクッキーを渡された。みんな4個ずつ、平等に食べた。しかし1個だ
けあまった。そこでその家のホステス(家長)が、その1個を、自分にくれた。その1個
が、extra oneになる」と。

 extra helpが、あるとは、私も知りませんでした。ご指摘、ありがとうござ
いました。

 アメリカでも、オーストラリアでも、大学での講座は、ちょうど私たちがデパートで、
ものを買うように、1講座ずつ買うのですね。(実際には、目的とする学位取得のために、
まとめて買うことが多いようですが……。もちろん1講座ずつ買うこともできます。)

 この「買う」という意識は、日本の学生には、ない意識なので、私も、当初、とまどい
ました。学生課へ相談に行くと、「君は、どの講座とどの講座を、選ぶのかね」と聞かれた
のを覚えています。

 だから向こうの学生は、シビアですね。

 このことは幼稚園教育でも、学校教育でも同じです。

 日本では、行政(県市町村)は、私立学校、私立幼稚園という法人に対して、補助金を
支給して、財政的支援をしますね。

 アメリカでは、直接、子どもをもつ親に、現金を渡します。「バウチャー」と呼ばれる、
クーポン券を渡すこともあります。

 つまり一度、親たちが、現金をにぎるわけです。そしてその現金をもって、親たちは、
つぎに幼稚園や学校の選択にかかるわけです。だから親もシビアなら、それに答える幼稚
園や学校もシビアになります。

 「教育は与えられるものではなく、自分たちで買うもの」という意識が強い、……とい
うより、この意識は、日本人の私たちにはないものです。このあたりの意識のちがいを理
解しないと、アメリカ人やオーストラリア人の考え方を理解できないのかもしれません。

●「奪ってくるもの」という意識

 私も、よくボランティアで、メルボルン大学の教室で、日本語を教えていました。その
ときのこと。

 一人の学生が、「助詞の『わ』と、『は』の使い方を教えてほしい。どういうときに、『私
が』となり、どういうときに、『私は』となるのか」と。

 私が、「わからない」と、とまどっていると、その学生は、つづけて、私にこう言いまし
た。

 「あなたは、この講座で、金を受け取っているのか?(Are you gettin
g paid for this lecture?)」と。

 そこで私が、「いいや、受け取っていない。ボランティアだ」と答えると、その学生は、
そっけなく、「それならいい」と。

 「金を受け取っているなら、容赦しない」というような雰囲気でした。

 SKさんの「うばってくる」という部分を読んで、私の体験を思いだしました。と、同
時に、競争主義社会のきびしさというか、それを改めて、思い知らされました。いえ、私
もアメリカ社会のこのきびしさを知っているのですが、日本の中で長く暮らしていて、そ
のきびしさを、忘れかかっていました。

 10年ほど前ですか、どこかの大学で研究生をしている女性が、こう言っていました。「ア
メリカでは、新しい分析機器が入っても、その使い方を、だれも教えてくれない。『知りた
かったら、自分で勉強しろ』という雰囲気です」と。

 あるいは、Yさんという日系のアメリカ人は、こう話してくれました。アメリカで、公
的機関で、福祉介護の指導員の仕事をしています。日本でいえば、公務員ですが、それで
も、「どんどん新しいアイデアを出していかないと、すぐクビになってしまう」と。

 さらに大学の講師として、1年契約制をとっているところが多い。ヘタな講義をして、
学生が集まらなかったりすると、その講座は、容赦なく、閉鎖される。と、同時に、その
講師は、クビ。

 ……いろいろありますが、そういうアメリカというか、外国の現状を知れば知るほど、
日本の社会が、ぬるま湯に見えてきます。

 そのぬるま湯に、どっぷりとつかって、「やはり、日本はいいなあ」と思っている人も多
いわけですが、しかし日本全体の未来を考えると、そうであってはいけないのではないで
しょうか。

●アメリカ史

 アメリカでは、パールハーバーと、広島、長崎の原爆しか教えていないという指摘につ
いてですが、私は、「そういうものだろうな」と思っています。

 地図で、日本と同じくらいの大きさの国を、さがしてみました。

 たとえばエチオピア。あるいは、ソマリアなど。アメリカから見れば、日本も、エチオ
ピアもソマリアも、同じなんですね。アメリカでは、中南部あたりへ行くと、大学生でも、
日本がどこにあるかさえ知らない。

 だからといって、アメリカ人を責めてはいけない。日本の高校生でも、アメリカがどこ
にあるかさえ、知らないのが、推定でも約40%はいる! ホント! 

 アメリカから見た日本は、日本から見た、ホンジュラスのようなもの? ホンジュラス
がどこにあるか、地図でそれを正確に指摘できる日本人は、まずいないと思います。

 ……何とも意味のない話になってきましたが、それだけに、アメリカ人にとっては、日
本は、「異質な国」なのでしょうね。70年代から80年代にかけては、「奇異な国(st
range country)」と呼ばれていました。

 今でも、その印象は変わっていないと思います。ただ悲劇的なのは、こうした外国から
見た、日本の印象について、当の日本人の私たちが、それに気づいていないということで
す。「私たちは、まともだ」と思いこんでいる? 

 私がオーストラリアにいたころ、よく日本の政治家がやってきて、ハウス(カレッジ)
で食事をしていきました。

 しかし日本の政治家で、食後、スピーチをして帰ったのは、一人もいない。みんな、何
を聞かれても、ニヤニヤと、笑っているだけ。「すべてわかっています」というような雰囲
気で、です。

 ほかの国の政治家は、みな、堂々とスピーチをして帰りました。韓国の金外務大臣(当
時)ですら、英語で、スピーチをして帰りましたよ。

 今でも、この状態は、変わっていないと思います。SKさんもお気づきかと思いますが、
国連大使ですら、へたくそな英語で、原稿を棒読みにしているだけ。見ている私のほうが、
つらくなることも、しばしばです。

 何かが、おかしいのです。この国は……。ホント! そのおかしさに、まず気がつくこ
と。すべては、ここから始まります。

 ……と、長い前置きになりましたが、日本と欧米では、歴史の教え方がちがうというこ
とは、私も、最近、知りました。(社会科教育には、ほとんど関心を払ったことがありませ
んので……。これは弁解。)

 日本のように、ダラダラと年表に応じて、歴史を教えるというよりは、一つのテーマを
決めて、その部分を徹底的に教え、学ぶというのが、欧米の歴史教育のし方みたいですね。
先日、スペインに在住の、Iさんという方から、そう教えてもらいました。たとえば数か
月をかけて、フランス革命について、勉強するとか、など。

 このあたりで日本式教育の常識についても、考えなおしてみる必要があるようです。も
ちろんすべてが悪いわけではない。しかし、改めるべきは、改める。

 東大の元教授の田丸先生(田丸謙二・元日本化学会会長)も、こう書いています。

 「アメリカなどではこの激動する時代に適応すべ、15年前頃から教育改革に乗り出し、
例えば、理科教育など、それまでは鯨の種類など理科的知識を教えていたのから、理科的
知識が生まれる過程を重視して、物事を探求的に考える考え方に重点を置くように切り替
え、その考え方が,歴史や社会など、すべての学科の基本になるという。

この改革の過程では関係団体とも連絡を取りながら、実に150回以上の公開討論会を
行ない,最後には4万冊の原案を各方面に配布して意見を集めて決めている。

我が国の教育改革のように文部科学省の密室の中で原案を作って、今回の「ゆとり教育」
のようにいざ始まってから、あまりの不評に取り繕いを余儀なくされる無責任体制とは
余りにも違っている」と。 

 要するに、アメリカは、「知識教育」から、「自ら考える子ども教育」への転換をはかっ
たということですが、こうした傾向が、あらゆる科目に浸透しているということでしょう
か。

●広島、長崎の原爆

 ちょうどこの原稿をマガジンで発表するころは、広島、長崎の原爆記念日のころですね。
(予定では、8月4日号)。

 私がいつも疑問に思うことは、こういうことです。

 広島に原爆が投下され、日本は敗戦した。しかしその約1週間後には、アメリカの原爆
調査団が、広島に入っている。

 そのときのこと。アメリカの原爆調査団は、各地で歓迎され、手厚いもてなしを受けて
いるということです。アメリカの原爆調査団に対して、ただの一発も、抵抗運動がなかっ
たということです。

 もともとあの戦争には、戦うべき、正義がなかったのですね。正義があれば、フランス
のレジスタンス活動のようなものがあったはずです。あるいは、今のイラクのような抵抗
運動でもよい。

 このあたりが、外国人には、理解できないところのようです。

 つい先日も、パキスタン人の男性(35歳くらい)と話しあったのですが、彼は私にこ
う聞きました。

 「日本人は、アメリカ人に、ひどいめにあっているではないか。広島、長崎の原爆を見
れば、それがわかるだろ。どうしてその日本人が、こうまでアメリカに追従するのか」と。

 どうしてでしょうね? 私なら、原爆調査団に、こう言って食ってかかっていったでし
ょうね。

 「どうして、こんなひどい爆弾を投下したのか! バカヤロー!」と。

 当時の日本人は、自分で考えて行動し、意見を言うということができなかったのかもし
れません。何でもかんでも、「上」の言いなり。まさに国民全体が、ロボット化していた? 
私には、そうとしか思えません。

 で、その結果が、SKさんが、おっしゃる、「アメリカでは原爆は、全てを終わりにした
ヒーロー」ということになるのでしょうか。

 アメリカ人の友人(元高校教師)は、こう言いました。

 「ヒロシ、もしあのとき、アメリカが、日本に原爆を落としていなかったら、日本は、
スターリン・ソ連の占領下に入っていただろうね。あの原爆を見て、スターリンは、北海
道侵攻を思いとどまったんだよ」と。

 彼は戦時中、水兵として、地中海で船に乗っていたそうです。そしてアメリカへ帰った
ところで、日本の原爆投下を知ったそうです。

 当時の日本にしてみれば、ルーズベルト・アメリカでも、スターリン・ソ連でも同じよ
うなもの。しかし結果的にみると、ソ連でなくてよかったと、心のどこかで思います。も
しソ連だったら、今ごろは、K国のようになっていたかもしれません。

 長い返事になってしまいましたが、最後まで(多分)、読んでくださって、ありがとうご
ざいました。

 またどうか、ご意見などあれば、お寄せください。たいへん(x100倍)、参考になり
ました。ありがとうございました。

 また、いただきましたメールの掲載など、どうかご許可ください。よろしくお願いしま
す。

                             はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【雑感・あれこれ】

●アジア人の歴史が、180万年!

 今朝のY新聞によれば、ジャワ原人の起源が、180万年前までさかのぼれることがわ
かったという。180万年、である!

 いわく「アフリカで進化したとされる、人類が180万年前には、アジア東部に進出し
ていた可能性が高いことを、国立科学博物館のKB研究者らが突き止めた」と。

 これまでは、中国北部の遺跡、約135万年前が、最古の証拠と考えられていた(同)。

 現在の人間が、ジャワ原人の子孫であるとはかぎらないが、それにしても、180万年
とは!

 私はそのニュースを読んで、しばらくしてから、ワイフにこう言った。「その間、神様は
何をしていたんだろうね」と。

 人間の歴史は、シュメール人によるメソポタミア文明と、黄河流域に住んでいたヤンシ
ャオ人(?)による黄河文明で、幕をあける。それまでを石器時代という。

 つまり人間の歴史は、長くみても、たかだか5500年にすぎない。かりに180万年
を180センチの糸にたとえると、人間の歴史は、最後の1センチの半分にすぎない。「神
が人間をつくったというのなら、その間、神は何をしていたのか」ということになる。

 そこで二つの仮説が考えられる。

 人間の歴史、つまり歴史を生み出すほど人間を知的な生物にしたのは神、と考えるなら、
人間の遺伝子と、神とは、深くからんでいる。これが第一の仮説。わかりやすく言えば、
神が、人間の遺伝子を操作した。

 反対に、進化論おける突然変異という考え方を取り入れるなら、人間は、今から550
0年前に、何らかの方法で、突然変異をした。そしてそのとき、同時に、神という概念を
自ら、つくりあげた。わかりやすく言えば、人間が神をつくった。

 私には、この先のことはわからない。

 しかし先の仮説をさらに推し進めると、こんな仮説も生まれる。

 ある日、どこか遠い天体から、私たちが言うところの宇宙人が、この地球へやってきた。
そして地上に遊ぶ原人たちを見て、その原人たちに自分たちの遺伝子を組みこんだ……。

 この説は、すでにいくつかのカルト教団が信奉している説であり、その中には、かなり
活発に活動している教団もある。その中でも、たとえばHというアメリカの教団は、集団
自殺事件まで起こしている(99年)。

 だからこうした説を唱えるには、慎重でなければならない。このところ、SF(科学空
想)とカルトの境界が、どこかあいまいになってきている。

 しかしその一方で、人間だけが、この宇宙でゆいいつの知的生物であると考えるのは、
人間だけが、この地球でゆいいつの生物であると考えるのと同じくらい、無理がある。

 宇宙には、太陽のような星だけでも、中田島砂丘にある砂粒の数よりも多くの星々があ
る。そしてそれらの星々は、これまた無数の、地球のような惑星を従えている。私たちが
太陽と呼ぶ星にしても、星の中では、小さいほうだ。いわんや、地球をや。地球の直径は、
その太陽の、数百分の一。

 私は、個人的には、人間の遺伝子は、知的な生物によって、いじられているという説を
信ずる。事実、脳の中でも、新・新皮質部と呼ばれる部分は、特異な進化(?)の過程を
経ていると言われている。

 しかし180万年前とは!

 今、私はこの原稿を、山荘にこもり、エンヤ(イーニャ)の曲を聞きながら、書いてい
る。そのせいもあるのかもしれない。ふと、こんなことを感じた。

 「1万年前も、10万年前も、そして100万年前も、今、私が見ているのと同じ景色
が、そのときどきの人間の目の前に広がっていたのだなあ」と。時空を超えた感動という
か、そんなものが、胸に伝わってくる。

 燃えるように輝く、夏の日の木や草。さわやかな風。青く澄みとおった空。森のにおい、
木々の香り。一見、平面的に見える世界だが、その世界は、無数の世界が積み重ねられて、
今の世界をつくりあげている。

 「人間はどこからきたのか? それを改めて考えさせられた」と書けば、あまりにも見
えすいた結論になるのかもしれないが、私は、頭の中で、そんなことを考えた。

【追記】

 コンピュータ(人工知能)、遺伝子工学、そして核エネルギー。これら三者は、知的生物
の三種の神器(まさに神器だが)とも言われている。

 これら三者が、時を同じくして、人間の世界に生まれたというのは、ただ単なる偶然な
のだろうか。もちろん相互に関連しあいながら、発達したのは事実。遺伝子の解析には、
コンピュータの力が必要だった。

 で、今朝も犬のハナにエサを与えながら、こう思った。「この犬が、コンピュータを操作
できるようになるまでには、まだ100万年はかかるかもしれない。しかし人間の遺伝子
をハナの中に組みこめば、この犬だって、5000年を待たずして、コンピュータを操作
できるようになるかもしれない」と。

 しかしそれがその犬にとって、幸福なことであるかどうかは、わからない。犬は犬のま
まのほうが、ひょっとしたら、幸福なのかもしれない。ということは、人間は、へたに頭
がよくなった分だけ、不幸になったとも考えられる。

 人間はともかくも、ほかの生き物たちは、私たち人間のおかげで、ずいぶんと迷惑をさ
せられている。生物の種類と数からいえば、人間より、ほかの生物のほうが、はるかに多
い。

 死んだあと、何かに生まれ変わるということがあるとしても、人間が、人間に生まれ変
わる確率は、ぐんと少ない。人間以外の生物に生まれ変わる確率のほうが、はるかに高い。

 ひょっとしたら人間は、「パンドラの箱※」をあけてしまったのかもしれない。この結果
というか、結論は、1万年とは言わない。ここ100年とか、1000年の間に、出るだ
ろうと思う……。

※パンドラの箱
ゼウスが、すべての悪と災難を封じいれて、パンドラに与えたという禁断の箱。これを
あけてしまったため、中から貪欲、中傷、虚栄などの諸悪が飛び出し、あとには、希望
だけが閉じこめられたという。パンドラの壺(つぼ)という説もある。


●貪欲、中傷、虚栄

 パンドラの箱について、「日本語大辞典」(講談社)を調べていたら、「貪欲」「中傷」「虚
栄」の三つの言葉が出てきた。

 もとの単語、つまり原語では、どんな単語を使っていたのかは、わからないが、この中
で、私は、「虚栄」という言葉に、心がひかれた。「そうだったのか。虚栄も、悪だったの
だ」と。

(日本語への訳語が正しくないということは、よくある。それに原語と訳語とでは、ニ
ュアンスが微妙にちがうということも、よくある。)

 貪欲や中傷が悪だというのは、わかる。しかし虚栄も悪だったとは……?

 その虚栄。しばしどんよりと曇った空を見ながら、考えさせられる。台風7号と8号が、
日本近海にいるせいかもしれない。どこか雲行きが、あやしい。そんなことは、どうでも
よいが、しかし……。

 昔、虚栄心のかたまりのような女性がいた。そう言えば、「金色夜叉」(こんじきやしゃ)
(尾崎紅葉原作)の中でも、寛一が、お宮に向って、「お前は、虚栄心の強い女だ!」と叫
ぶようなシーンがあったような気がする。

 虚栄は、その人の心を狂わす。そればかりか、その虚栄に操られた人たちを、不幸にす
る。実際、虚栄心の強い人の近くにいると、疲れる。こちらまで、気がヘンになる。

 その虚栄心のかたまりのよう女性だが、年齢は、35歳くらいだった。いつも幼稚園へ、
和服姿でやってきて、ザーマス言葉を使っていた。私も、そしてほかの先生たちも、みな、
その女性は、大金持ちの奥様か何かだと思っていた。

 しかしある日のこと。ワイフとドライブをして、郊外のスーパーへ立ち寄ったときのこ
と。私は、その姿を見て、心底、驚いた。

 ……ただ、こう書くといって、そういうところで働いている人が、「下」とか、そういう
ことを言っているのではない。和服を着てはだめとか、ザーマス言葉を使ってはだめとか、
そういうことを言っているのでもない。どうか、誤解のないようにしてほしい。私は、あ
まりの落差に驚いたということ。

 その女性は、惣菜売り場の奥で、惣菜料理をしていた。

 私とワイフは、見てはいけないものを見たような気分になり、そそくさとその場を離れ
た。

 それからも1年ほど、その女性を、よく見かけた。最後の最後まで、つまり幼稚園を去
るまで、ずっと和服姿だったし、ザーマス言葉を使っていた。遠い昔のことだが、その女
性は女性で、そういう形で人生を楽しんでいたのかもしれない。「虚栄」とは言いきれない
ところもある。

 しかしそのときは、私も若かったこともあり、そういう女性を理解できなかった。

 多かれ少なかれ、だれでも虚栄を張って生きている。私もあなたも、だ。そう言えば、
犬だって、虚栄を張ることがある。

 私はよくハナ(犬)を、散歩に連れていく。その散歩でのこと。どこかの飼い犬がハナ
を見つけて、けたたましくほえたりすると、あのハナが、背筋をピンとのばし、速度をあ
げて走り始めるのである。

 明らかに、相手の犬を意識しているよう。それまで、ハーハーとあえぎながら走ってい
たにもかかわらず、そういうときは、背筋をピンとのばす。そのつど、私は、「犬だって、
虚栄を張るのだなあ」と思う。

 ……となると、虚栄が悪だとは言えないのではないか。ただ親の虚栄で、夫や妻、さら
にはその子どもたちが犠牲になるということは、よくある。親の虚栄で、無理やり進路を
変えられてしまった子どももいる。

 そういう虚栄は、悪である。

 しかしその人自身が、その人だけの世界で虚栄を張るのであれば、問題はない。見方に
よっては、それがドラマ。人間が織りなす、ドラマ。そのドラマが、人間の世界を、うる
おい豊かなものにする。一概に、悪と決めてかかることはできない。
 

●サッカー選手

 今夜、東京で、JOMOオールスター・サッカーの試合が行われている。ワイフと、そ
の試合を見る(7・3、Jイースト対Jウェスト戦)。

 現在、私の教室(BW教室)に、その中の二人の選手のお嬢さんたちが、通ってきてく
れている。応援しないわけがない。Fさんと、Tさんである。父親のF選手と、T選手は、
ワールドカップの出場選手にも選ばれている。

 F選手は、ときどきいっしょに教室へやってきて、お嬢さんのレッスンを参観している。
見るからにスポーツマンというような、ハンサムな人だ。

 ただ教室の中では、その話題には、いっさい、触れないようにしている。私がすべきこ
とは、陰で応援すること。ただひたすら、密かに! F選手、T選手、がんばれ!


●「親を捨てた!」

 K国から脱北し、46年ぶりに日本へ帰ってきた女性(60歳)がいた。今は、家族と
ともに、韓国に住んでいるという。

 その女性が、その46年ぶりに、日本に住む母親に会った。しかしその母親は、その娘
に、こう言った。「私はお前に会いたくない」「お前は、借金だけを残して、日本を出て行
った」「お前は死んだものと、あきらめていた」「今さら、会いたくない」と。

 テレビの報道番組の1コマだったので、会話の内容は、不正確。しかし大筋では、こん
なような会話だった(7月4日)。

 私は、親子が泣きながら、再開を喜びあう光景を期待していた。しかし実際には、そう
ではなかった。この46年間に、たがいの間に、いろいろなことがあったのだろう。また
その女性が、K国に渡るについても、いろいろなことがあったのだろう。私のような人間
には、思い知ることのできない、複雑な事情があるようだ。

 が、全体のニュアンスでみると、母親の心情としては、「親を捨ててK国へ行った娘など、
今さら、会いたくない」ということらしい。その女性は、母親の家から帰ってくる、その
バスの中で、外を見ながら、さめざめと泣いていた。

 何があったのだろうか。

 その報道を見ながら、いろいろ考えてみた。しかし幸福な家庭というのは、どれもみな、
よく似ている。どんな様子か、容易に想像がつく。しかし不幸な家庭というのは、決して
一様ではない。そのため、私がもっている経験と情報だけでは、理解できないことが多い。

 どうしてそこまでこじれてしまったのだろうか。そうなる前に、もっと何かできなかっ
たのだろうか。

 在日朝鮮人と結婚して、K国へ渡った娘。この段階で、その母親には、きわめて不本意
な結婚だったのかもしれない。……という判断も、してはいけない。「私だったら、こうだ
から……」という考え方も、してはいけない。安易な推察は、かえってその人たちを苦し
めることになる。それに失礼だ。

 それにそんなことをしても、何も問題は解決しない。できない。その人たちのもつ不幸
が軽くなるわけでもない。

 何とも重苦しさだけが残る、報道番組だった。ただゆいいつ救われたのは、飛行機に乗
って家族の待つ韓国へ帰るとき、その女性が、どこかさわやかな表情をしていたことだ。
私はそれを見て、「よかった……」と思った。

【追記】

 話は変るが、外国の男性と結婚して、外国へ出て行った女性に対して、概して見れば、
日本の親たちは、冷たい(?)。無理解。

 不安や心配を押し殺す形で、愛を憎に変える(?)。ある女性(日本人)は、ある国の男
性と結婚した。その男性は、アフリカ系の肌色の黒い人だった。それについて、その女性
の両親は、「恥ずかしい」という理由で、その女性(娘)を勘当(かんどう)してしまった
という。

理由ははっきりわからないが、その男性の皮ふの色が、気に入らなかったからではない
か。

 勘当……聞きなれない言葉だが、もともとは、「罪を勘案し、刑を与えること」(日本語
大辞典)という意味だが、それが転じて、「主従、師弟、親子の縁を断つこと」「江戸時代
以降は、親が子を絶縁すること。勘当されると、相続権を失った。義絶」(同)とある。

 もちろん現在の民法上の拘束力は、ない。

 しかしなぜ……?、という質問は、ヤボである。なぜ、その両親は、娘を勘当してしま
ったのか。この問題をつきつめていくと、そこに日本人独特の島国意識が見えてくる。

 が、こうした偏見は、その偏見をもつ側は、いつも優越感にひたることができる。しか
し、偏見をもたれるほうは、そうでない。しかしその気持ちとて、自分が、外国へ出てみ
て、はじめてわかる。

 たとえばアメリカでは、アジア人は、「イエロー」と呼ばれている。多くの日本人は、自
分たちはアジア人ではないと思っているが、彼らは区別しない。区別できない。

 その「イエロー」は、同時に、「臆病者(おくびょうもの)」という意味でも使われる。
映画『バック・ツー・ザ・フュチャー・3』の中でも、その言葉が使われている。

 主人公のマーティは、相手の男に、「イエロー」とバカにされたことで、決闘することを
決意する。そんなシーンが出てくる。覚えている人も多いと思う。

あの西部開拓史時代でも、アジア人だけは、銃をもたなかったことが理由とされる。つ
まり白人の世界から見ると、アジア人は、ことアメリカにおいては、黒人以下と見られ
ていた。(黒人は黒人で、人種偏見をもっている。少なくとも、黒人は、アジア人を、は
るかに下に見ている。)

 もちろんこんな偏見は、まちがっている。おかしい。くだらない。が、日本だけに住ん
でいると、こういう国際的な偏見に、気づかない。気づかないまま、「自分たちが世界の中
心に住んでいる」と思いこんでしまう。

 しかし自分の娘が、肌の黒い男性と結婚すると言い出したら……。そのときあなたなら、
どう、するだろうか。どう判断するだろうか。

 実はこの問題は、逆の立場で、私自身が、経験した問題である。

 二男はアメリカ人の女性と結婚した。私のほうにも、いろいろと克服すべき問題はあっ
たが、相手の両親には、もっと大きな問題があったはず。

 もともと人種差別、偏見が色濃く残っている、アメリカの中南部地方である。そこは、
ジョンウェィンの世界であり、映画『風と共に去りぬ』の世界である。私の実感としては、
「よく相手の両親が、承諾してくれたな」というところか。相手の両親にしてみれば、「ま
だ黒人と結婚してくれたほうが、まし」ということになる。

 が、この日本では、同じアジア人との結婚にすら、偏見をもっている(?)。在日朝鮮人
と結婚した日本人妻たちが、国を追われるようにして、K国へ渡っていった背景には、そ
ういう偏見があったのではないのか。

 ……というようなことを考えながら、私は、今、ふと、こう思った。

 「その母親もまた、そういう偏見を克服することができなかったのではないのか?」と。
「だから46年ぶりに自分をたずねてきた娘に、すなおな気持ちで会えなかったのではな
いのか」と。


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【近ごろ・あれこれ】

●BW教室から

 今週は、「形」の学習をした。

 「点」「線」を教えたあと、粘土と棒で、三角形や四角形を作ってみせた。

 が、この時期、粘土は、たいへんやわらかくなる。棒を粘土にさして、形をつくってみ
せるが、途中で、ダラリと粘土が抜けてしまう。

 子どもたち(年長児)は、それを見て、最初は遠慮がちに、しかしやがてゲラゲラと笑
い出す。

 私は、クソまじめな顔をして、何度も、試みて、そして失敗する。もちろんこれは私の
演技である。

 粘土に深く棒をさすフリをするが、実際には、深くはさしてない。つまりわざとすぐ抜
けるようにしてある。

 そのあと、いくつかのワークをしたあと、最後は、形あわせで、終わる。

 「これと同じ形は、どれですか?」と。

 すると子どもたちは、「3番と、オ・ン・ナ・ジ!」と言う。この地方の方言なのだが、
それが、「女痔(おんな・じ)」に聞こえる。

私「おんなじ、ではなく、オ・ナ・ジ! 男だって、ジ(痔)になるよ」
子「何、ジって?」
私「恐ろしい病気だよ」
子「どんな病気?」
私「ウンチの出口のところに、スイッチができる病気だよ。そのスイッチに、ウンチがさ
わると、ギャーッって、痛いんだよ」と。

 意味がわかったのか、わかってないのか、子どもたちは、「オナジ」と正しく言うように
なる。(こういうとき、参観の母親たちは、必死で笑いをこらえているふう。)

 ところで、小学3年生で、角度の勉強をすることになっている。しかし「角度」といっ
ても、理解できない子どもも多い。そういうときは、「ツクンツクンしていて、とがって痛
いところ」というような教え方をする。とたん「わかった」と、理解してくれる。

 こうした教育的操作(?)は、幼児を教えるときには、必須である。子どもの目線で、
子どもにわかる表現方法で、説明する。

 別れるとき、みなに、アイスクリームを渡した。「お母さんと、半分ずつ食べるんだよ」
と。

 昨日も、暑かった。ホント! 


●夏の暑さ

 カラリと晴れわたった空。ひざしは強いが、かわいた、さわやかな風。庭も、木々の葉
っぱも、白い太陽光線をあびて、まばゆいほどに輝いている。

 夏だ。絵に描いたような夏だ。

 すずめが時折、ズイン、ズインと、庭先の木陰の下で鳴く。子どものころ、いつも聞い
た声だ。

 こういうとき、どういうわけか、私は頭の中で、半ズボンと、麦わら帽子をイメージす
る。若いころ好きだった歌にも、こんなのがある。『少年時代の夏休み』というような歌だ
った。吉田拓郎が、ギターを弾きながら、歌っていた。

 「♪麦わら帽子はもう消えた
  田んぼのカエルはもう消えた
  それでも待ってる夏休み……」と。

 夏休みが終り、その切なさを歌った歌だ。私とワイフは、その歌を歌いながら、恋に落
ちた。結婚した。いろいろと思い出のある曲である。

 私は、その夏が、大好き。四つの季節の中でも、一番、好き。

 夏になると、川で泳いだ。母の在所で、夏休みをすごした。そんな、つまり夏には、楽
しい思い出が、ぎっしりとつまっている。

 さあ、今日も、汗をかくぞ。

 こういう日だからこそ、運動をする。汗をかく。そのあとの爽快感がたまらない。

【追記】

 今、ワイフと三男が、公民館で、テニスをして、ちょうど帰ってきたところ。何やら、
三男が、ワイフの仲間に、いろいろとからかわれたようだ。

 「あのオバチャンたち……(省略)」と、ワーワーとしゃべっている。

 こういう日に、公民館で、インドアテニスをすると、全身が汗だくになる。ワイフに言
わせると、みんな、汗で、乳首の形と色まで外に出てくるとのこと。

 「セクシー」と思いたいが、私は、あのメンバーには、興味がない。どこか、みんな、
おっかない女性たちばかり。そういう女性たちに、三男も、いびられたらしい。三男が、
どういう思いをもったかは、容易に想像できる。ハハハ。

 夏だ、夏だ、大好きな夏だ。明日は土曜日。思いっきり、遊ぶぞ!

++++++++++++++++++

【みんなで歌おう】

麦わら帽子はもう消えた
 田んぼのカエルはもう消えた
  それでも待ってる夏休み

絵日記つけてた夏休み
 花火を買ってた夏休み
  ゆびおり待ってた夏休み 

畑のとんぼはもういない
 あの時逃がしてあげたのに
  一人で待ってた夏休み 

すいかを食べてた夏休み
 水まきしたっけ 夏休み
  ひまわり 夕立 セミの声

  (吉田 拓郎 『夏休み』より)


●ヌケガラ

 脳ミソが疲れてくると、私は、どういうわけか、駄ジャレばかりが口から出てくる。

ワイフ「今度、S銀行では、手のひらの静脈で、本人を確認するそうよ。手のひらを、機
械の上にのせると、その人かどうか、確認できるんだってエ」
私「遅れてるウ。今度、H銀行では、チンチンの静脈で、本人を確認することになったよ」
ワイフ「どうやってするのよ?」
私「穴の中に、チンチンをつっこんで、確認するよ」

ワイフ「大きさは、どうするのよ?」
私「いやね、小さいときは、『もう少し、大きくします』とか何とか言って、マッサージが
始まるよ」
ワイフ「女性は、どうするのよ?」
私「……そこまでは、考えていなかったネ」と。

 昨夜(7・3)は、満月。薄い黄色の、空にシールでも張りつけたような月が、出てい
た。近くのビデオショップへ行く途中のことだった。

ワイフ「あの月、元気がないわね」
私「そう、シャセイ(射精)したあとみたいだね」
ワイフ「どうしていつも、あんたは、そういう発想しかできないの?」
私「??? ……ぼくは、だれかが絵を描いたかもしれないという意味で、シャセイ(写
生)したと言ったんだよ」
ワイフ「ウソばっかり……」

私「そう言えば、あの月、ヌケガラみたいだね」
ワイフ「そういえば、今日、セミのヌケガラをみたわ」
私「ぼくは、チンチンのヌケガラみたいだと言ったんだよ」
ワイフ「あんたのはヌケガラではなくて、モヌケのカラでしょ」

私「ぼくのは、ちゃんと、入っているよ」
ワイフ「入っていないわよ」
私「ちゃんと、入っているよ。……お前こそ、ヌケガラだろ」
ワイフ「どういうことよ?」
私「息子を産んだとき、ヌケガラになったということ。女は、みんなそうだ」と。

 ビデオは、『ニモ』を借りてきた。明日の土曜日にでも見るつもり。


【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●実念論

 乳幼児の心理の特徴の一つに、「実念論」がある。聞きなれない言葉だが、要するに、乳
幼児は、「念力」を信じているということ。

 実念論……どこか「?」な言葉だが、最初に、外国の論文を翻訳した学者が、そういう
訳語をつけたのだろう。「念じて、ものごとを実現させる」という意味である。

 私も幼児のとき、クリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザがほしくて、心の中で何
度も念じたことがある。ほかにもいろいろ念じたことがあるが、それについては、あまり
よく覚えていない。

 つまり、乳幼児は、現実と幻想の世界の区別が、あまりつかないということ。

 しかし問題は、このあとに起こる。

 こうした実念論は、やがて修正され、成長とともに、思考パターン(回路)の中でも、
マイナーな領域へと追いやられる。子どもは、より現実的なものの見方を身につけていく。

 しかしその実念論が、子どもの中に必要以上に残ることがある。あるいは、その実念論
が、かえって、増幅されることがある。

 少しくだらないことだが、こんなことがあった。

 まだ私が幼稚園で働いていたときのこと。ある日、あるところへ行ったら、そこでばっ
たりと、幼稚園の同僚の先生(若い女性)に出会った。「こんなところで何をしているの?」
と聞くと、その先生は、恥ずかしげもなく、こう言った。

 「ここで私の運勢を、占ってもらっていたんです」と。

 見ると、その一角が、ボックスで仕切られたブースになっていた。そして小さいが、そ
こには、看板がかけられていた。「○○占星術研究会」と。

 私はそのとき、ほんの瞬間だが、「こんな先生に指導される子どもたちは、かわいそうだ」
と思った。体はおとなだが、心は、乳幼児のまま(?)。

 もちろんそのころには、私は、実念論という言葉は知らなかった。(まだそういう言葉は、
なかったように思う。)が、乳幼児が、ときどき空想と現実を混濁するという現象は、経験
していた。 

イギリスの格言にも、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわ
せてはならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしそ
の空想の世界にハマるようであれば、注意せよという意味である。この格言を、私はす
でに25年前に知っていた。

 が、今は、念力ブーム。現象としては、あの『ポケモンブーム』のときから、加速され
たように思う。自分の願いごとを、スーパー・パワー(超能力)のようなもので実現させ
ようとする。こんなことがあった。

 ある中学生が、何やら真剣な表情で、ビルの一角をじっとにらんでいた。「何をしている
の?」と声をかけると、その中学生は、こう言った。

 「先生、ぼくね、念力で、あのビルを吹っ飛ばしてみたい」と。

 そのポケモンブーム全盛期のころのことである(99年)。私は、こう言った。「吹っ飛
ばしたいと思うのは、君の勝手だが、吹っ飛ばされる人たちの立場で、少しはものを考え
なよ」と。

 乳幼児の実念論。こうした現象が、どうして乳幼児にあるかは別にして、できるだけ、
そうした実念論からは、子どもを遠ざけていく。あるいはそれにかわる思考パターンを、
植えこんでいく。

 これは幼児教育においては、とても重要なことだと思う。

 つまり、先生が、占いや、まじないを信じていたのでは、話にならない!、ということ。


●物活論

 この実念論と並んで、よく知られている乳幼児の心理に、「物活論」がある。乳幼児が、
ありとあらゆるもの、無生物も含めて、すべてのものは、生きている」と考える現象をい
う。

 人形やおもちゃは言うにおよばず、風にそよぐカーテン、点滅する電気、自動車、石こ
ろ、本など。

 ある子どもは、姉が本を何かで叩いたとき、「本が痛がっているから、やめて」と言った。
反対に、飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池をかえれば、また動く」と主張した
子どももいた。

 物活論の特徴は、(1)すべてのものは、生きている。(2)すべてのものには、感情が
ある、と考えるところにある。

 これも広い意味では、現実と空想の混濁。乳幼児の視点に立ってみると、それがよくわ
かる。つまり乳幼児には、まだ生物と無生物を区別するだけの知力や経験が、ない。

 が、こうした物活論を修正していくのも、幼児教育の重要なポイントということになる。
わかりやすく言えば、「生物」と、「無生物」の区別を指導する。

 私には、こんな経験がある。

 10年ほど前、たまごっちというゲームが流行したことがある。そのときこと、私は不
注意で、その中の生き物(?)を殺してしまったことがある。スイッチの押し方をまちが
えてしまった。

 とたん、その女の子(年長児)は、「先生が、殺してしまったア!」と、おお泣きした。
で、「私が、死んではいないよ。これはゲームだから」と何度も言って聞かせたが、結局は、
ダメだった。私を責めつづけた。

 (反対に、生物を無生物と思いこんでしまうこともある。これはたいへん危険な現象と
考えてよい。これについては、また別のところで、考えてみる。当時、ちょうど同じころ、
死んでミイラ化した死体を、『まだ生きている』と主張した、おかしなカルト教団が現れた
のを覚えている。

無生物を生物と思いこむ子ども。死んだ人を生きていると思いこむ信者。現象としては、
正反対だが、これら両者は、一本の糸でつながっている。)

 風でそよぐカーテンを、「生きている」と思うのは、どこかロマンチックな感じがしない
でもない。しかし子どもは、さまざまな経験をとおして、やがて生物と無生物を区別する
知力を身につける。

 それを指導していく、つまり論理的(ロジカル)なものの考え方を教えていくのも、幼
児教育の一つということになる。

【付記】

 そういう意味では、乳幼児期の教師(先生)の選択には、きわめて慎重でなければなら
ない。

 思想性はもちろんのこと、とくに宗教性には、慎重でなければならない。この時期の教
師としては、論理的で知的な教師であればあるほど、よい。社会的に認知されていない、「?」
的なカルト教団に染まっているような教師は、好ましくない。(当然だが!)
(はやし浩司 実念論 物活論 乳幼児の心理)

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以前、こんな原稿を書いた。(中日新聞投稿済み)

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教師が宗教を語るとき

●宗教論はタブー 

 教育の場で、宗教の話は、タブー中のタブー。こんな失敗をしたことがある。一人の子
ども(小三男児)がやってきて、こう言った。

「先週、遠足の日に雨が降ったのは、バチが当たったからだ」と。そこで私はこう言っ
た。

「バチなんてものは、ないのだよ。それにこのところの水不足で、農家の人は雨が降っ
て喜んだはずだ」と。

翌日、その子どもの祖父が、私のところへ怒鳴り込んできた。「貴様はうちの孫に、何て
ことを教えるのだ! 余計なこと、言うな!」と。その一家は、ある仏教系の宗教教団
の熱心な信者だった。

 また別の日。一人の母親が深刻な顔つきでやってきて、こう言った。

「先生、うちの主人には、シンリが理解できないのです」と。

私は「真理」のことだと思ってしまった。そこで「真理というのは、そういうものかも
しれませんね。実のところ、この私も教えてほしいと思っているところです」と。

その母親は喜んで、あれこれ得意気に説明してくれた。が、どうも会話がかみ合わない。
そこで確かめてみると、「シンリ」というのは「神理」のことだとわかった。

 さらに別の日。一人の女の子(小五)が、首にひもをぶらさげていた。夏の暑い日で、
それが汗にまみれて、半分肩の上に飛び出していた。そこで私が「これは何?」とその
ひもに手をかけると、その女の子は、びっくりするような大声で、「ギャアーッ!」と叫
んだ。叫んで、「汚れるから、さわらないで!」と、私を押し倒した。その女の子の一家
も、ある宗教教団の熱心な信者だった。

●宗教と人間のドラマ

 人はそれぞれの思いをもって、宗教に身を寄せる。そういう人たちを、とやかく言うこ
とは許されない。

よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がいる
から、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。

それに仮に、一つの宗教が否定されたとしても、その団体とともに生きてきた人間、な
かんずく人間のドラマまで否定されるものではない。

 今、この時点においても、日本だけで二三万団体もの宗教団体がある。その数は、全
国の美容院の数(二〇万)より多い(二〇〇〇年)。それだけの宗教団体があるというこ
とは、それだけの信者がいるということ。そしてそれぞれの人たちは、何かを求めて懸
命に信仰している。その懸命さこそが、まさに人間のドラマなのだ。

●「さあ、ぼくにはわからない」

 子どもたちはよく、こう言って話しかけてくる。「先生、神様って、いるの?」と。私は
そういうとき「さあね、ぼくにはわからない。おうちの人に聞いてごらん」と逃げる。あ
るいは「あの世はあるの?」と聞いてくる。そういうときも、「さあ、ぼくにはわからない」
と逃げる。霊魂や幽霊についても、そうだ。

ただ念のため申し添えるなら、私自身は、まったくの無神論者。「無神論」という言い方
には、少し抵抗があるが、要するに、手相、家相、占い、予言、運命、運勢、姓名判断、
さらに心霊、前世来世論、カルト、迷信のたぐいは、一切、信じていない。信じていな
いというより、もとから考えの中に入っていない。

私と女房が籍を入れたのは、仏滅の日。「私の誕生日に合わせたほうが忘れないだろう」
ということで、その日にした。いや、それとて、つまり籍を入れたその日が仏滅の日だ
ったということも、あとから母に言われて、はじめて知った。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●息子の初恋について

 息子(中3)の初恋について、「今は、受験期なので、何とかやめさせたいが、方法を教
えてほしい」という相談をもらった。岐阜県に住む、HMさんという母親からのものだっ
た。

 この種の感情に、ブレーキをかけることはできない。親が反対すればするほど、恋心と
いうのは、燃えあがる。

 心理学の世界にも、「自己決定感」という言葉がある。「自分で決定することによる満足
感」をいう。この自己決定感がもつ問題は、それ自体が重要というより、それが阻害(じ
ゃま)されたとき、子どもの心理に、さまざまな弊害を起こすということ。

 ここでいう「恋」には、それをおぎなうための代わりのものが、ない。

 たとえば人間は、何かの欲求を、じゅうぶんに満たされないとき、その欲求を、別のも
ので満たそうとする。そしてその方法により、自分を満足させる。これを「代償的満足感」
という。

 よく知られた例としては、マスターベーションがある。性交への満たされない欲求を、
男性のばあい、ヌード写真を見ながら、マスターベーションをしたりする。

 しかしこの方法では、一時的に、性欲を吐き出すことはできても、最終的な満足感を得
られることはない。反対に欲求不満が、つのるということがある。ここに代償的満足感の
限界がある。

 そこで子どもは、自分の自己決定感を満足させようとするが、このとき、それを阻害(じ
ゃま)するものが現れると、それを「敵」とみなして、徹底的に攻撃しようとする。

 この攻撃性が、必要以上に、ここでいう恋心を燃えあがらせることがある。「必要以上」
というのは、本来、その子どもが思っている以上に、自分が、その相手の女の子を好きに
なったと思いこむことをいう。

 (よくある例は、親の猛反対を押しきって、かけおちまでしたようなカップルが、「いっ
しょに生活してよい」と周囲に認められたとたん、その恋心がさめてしまう、など。周囲
に反対が、本人たちどうしが思っている以上に、恋心があると錯覚させてしまうことによ
り、そうなる。)

 こうした子どもの攻撃性には、二面性がある。前向きに攻撃していくタイプと、内にこ
もってしまうタイプである。

 よくあるのは、親が、「受験期になったから、(好きだった)サッカーをやめなさい」と、
子どもの生きがいを奪ってしまうような例。

 親としては、「サッカーをしていたエネルギーを、勉強に向けさせたい」と思って、そう
するが、子どもは、当然のことながら、猛反発する。暴力的な反発も珍しくないが、それ
ができないと、今度は子どもは内にこもり、大きく心をゆがめる。

 その(ゆがめ方)が、常軌を逸することもある。異常な嫉妬心、ねたみ、いじめに走る
こともある。非行の原因になることもある。

 子どもの指導で重要なのは、この「自己決定感」を、うまく引き出し、それを利用しな
がら子どもを伸ばすということ。

 さて本題だが、子どもの初恋は、(1)暖かく無視する。(2)アドバイスを求められた
ときは、ていねいにそれに応じてあげる、という方法で対処する。

 反対しても意味がない。意味がないことは、ここに書いたとおりである。扱い方をまち
がえると、子どもの心をゆがめるだけではなく、親子の絆(ぱいぷ)を切ってしまうこと
にもなりかねない。

 恋心という、人間が、そしてあらゆる生物が、本能的にもっている感情というのは、そ
ういうものである。親の立場では、「熱病にでもかかった」と思い、あきらめるしかない。

【教訓】

●子どもの一芸は、聖域と考えて、親が踏みこんで、それを荒らしてはいけない。
●子どもの初恋は、(1)暖かい無視、(2)求めてきたときが与えどきと心得る。

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●H幼稚園に在園児をもつ、SSさんからの相談

 先日、市内のH幼稚園で、講演をした。その幼稚園に園児を通わせているSSさんとい
う方より、相談をもらった。

【SSより……】

 小1の娘と、年少の息子をもつ、母親です。

 下の息子が、いまだに赤ちゃん言葉を話します。まわりの人たちも、年少ということで、
甘やかしています。

 私もあれこれ手をかけてしまいます。

 このままでは、だいじょうぶかと心配です。上の娘とは、いつもままごとをして遊んで
います。このままでは、息子が女性化するのではないかと、心配です。

 また下の息子が生まれたときは、夫婦げんかばかりをしていました。心に何かきずが残
っているのではないかと、心配です。

 その一方で、私の趣味や、上の姉の習いごとなどで、ひとり遊びをさせることが多く、「こ
れでいいのか」と、悩んでいます。よいアドバイスをお願いします。

【はやし浩司からSSさんへ】

 心配先行型の子育てのようです。お子さんへの不信感が、根底にあるものと思われます。
さらに言えば、出産時の夫婦げんかが、心の中の(わだかまり)になっていることも考え
られます。

 あなたの心配だ、不安だという思いが、下の弟さんの心理に微妙な影響を与えているこ
とは、じゅうぶん、考えられます。

 下の弟が、赤ちゃんがえりを起こす例も、なくはありませんが、多分、赤ちゃんがえり
ではないと思います。心身(神経)症もしくは、欲求不満による退行症状ではないかと思
われます。あなたの不安感や心配感を、お子さんが、そのまま反映していることが、じゅ
うぶん考えられます。

 まず、あなた自身の心の安定を、第一に考えられることです。

 順に考えていきましょう。

 手のかけすぎが、子どもによくないことは言うまでもりません。しかしその背景には、
子どもを人格者として認めるのではなく、子どもを、ペットのように考える、日本独特の
子育て観があります。

 もしそうなら、こうした子育て観を改めます。友として、子どもの側に立ちます。

 あなたは女性ですから、男の子の育て方に大きなとまどいがあるのは、しかたのないこ
とです。が、同時に、そのとまどいが大きいようであれば、あなたと、あなたの父親との
関係を疑ってみてください。

 多分、あなたの中には、(父親像)が、じゅうぶん、ないのではないかと心配されます。
不幸にして、不幸な家庭に育ったとか、あるいはいつもあなた自身の父親を拒絶して、大
きくなったとか。

 この問題は、根が深いですから、そのあたりまで、あなたの心にメスを入れてください。

 なお、だからといって、心配することはありません。この問題は、それに気づくだけで
も、問題のほとんどは、解決したものとみます。あとは時間が解決してくれます。

 つぎに、ままごとについてですが、「ままごとをするから、女性化する」というのは、偏
見でしかありません。男児と女児の遊びをコントロールするのは、ある特殊なホルモンで
あることは、よく知られています。

 そのホルモンが、女児を男性化するということは、あります。が、男児の女性化は、そ
れだけでは説明できない部分があります。

 そこで(お父さんの登場)ということになります。

 お手紙によれば、どこか(お父さん不在的)であるのが、気になります。男児(もちろ
ん女児も)の子育てを受けもつのは、お父さんの役目です。お父さんが、「男」というもの
は、どういうものかを教えていきます。ともすれば、濃厚な母子関係で、マザコン化しが
ちな子育てを、修正していくのが、お父さんの役目ということになります。

 行動の限界や、社会的なルールを教えていくのが、お父さんの役目ということです。

 むしろ心配されるのが、母親中心型家庭における、子どものマザコン化です。

 女性化するというのと、マザコン化するというのは、別の問題です。どうか混同しない
でください。

 お母さんが、そのかわいさに負けて、子育てに溺れてしまうと、子どもはマザコン化す
ることがあります。どうか、気をつけてください。

 この際、重要なことは、お父さんを、もっと子育ての場に、引き出すことです。方法としては、

(1)お父さんを、立てる、です。

 重要な決定は、お父さんに任す。なにごとにつけ、「あなたのお父さんは、すばらしい」
と子どもに教える。お父さんの立場で、「ぼくがいないと、何も進まない」という雰囲気を
つくりだします。

 まずいのは、子どもの前で、お父さんをけなしたり、批判したりするような行為です。
これを心理学でも、「三角関係」と呼びます。子どもの情緒が不安定になるばかりか、家庭
教育そのものが、崩壊します。「夫婦げんかばかりをしていた」ということだそうですので、
この点が、強く心配されます。だいじょうぶですか?

 SSさんの問題は、広く、多くのお母さんたちが、平等でかかえる問題です。このアン
サーだけでは、じゅうぶん答えられたとは思っていません。これからも、マガジンのほう
で、いろいろな角度から考えていきたいと思っています。

 どうか、マガジンの購読を、お願いします。(このところ、低調で、かなり腐っています。
ハハハ!)

 お手紙、ありがとうございました。ところで、H幼稚園の、原N園長先生は、すばらし
い先生ですね。今回、お会いして、本当に驚きました。この浜松市にも、ああいう園長先
生がいるということは、誇るべきことです。少子化の中で、H幼稚園だけは、園児の入園
を断っているというのは、驚きでしかありません。何かの機会がありましたら、くれぐれ
も、原N先生に、よろしくお伝えください。

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参考までに、「男らしさVS女らしさ」について
書いた原稿を、添付しておきます。

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●男らしさ、女らしさ

 男らしさ、女らしさを決めるのが、「アンドロゲン」というホルモンであることは、よく
知られている。

男性はこのアンドロゲンが多く分泌され、女性には少ない。さらに脳の構造そのものに
も、ある程度の性差があることも知られている。

そのため男は、より男性的な遊びを求め、女はより女性的な遊びを求めるということら
しい。(ここでどういう遊びが男性的で、どういう遊びが男性的でないとは書けない。そ
れ自体が、偏見を生む。)

男と女というのは、外観ばかりでなく、脳の構造においても、ある程度の違いはあるよ
うだ。たとえば以前、オーストラリアの友人がこう教えてくれた。

その友人には二人の娘がいたのだが、その娘たち(幼児)が、「いつもピンク色のものば
かりほしがる」と。そこでその友人は、「男と女というのは、生まれながらにして違う部
分もあるのではないか」と。

 が、それはそれとして、「男らしく」「女らしく」という考え方はまちがっている。また
そういう差別をしてはならない。とくに子どもに対して、「男らしさ」「女らしさ」を強要
してはいけない。しかしこんなことはある。ごく最近、あった事件だ。

 私はこの世界へ入ってから、一つだけかたく守っている大鉄則がある。それは男児はか
らかっても、女児はからかわない。男児とはふざけて抱いたり、つかまえたりしても、女
児には頭や肩以外は触れないなど。(頭というのはほめるときに、頭をなでるこという。肩
というのは、背中のことだが、姿勢が悪いときなど、肩をぐいともちあげて姿勢をなおす
ことをいう。)

が、女児の中には、相手から私にスキンシップを求めてくるときがある。体を私にすり
よせてくるのだ。しかしそういうときでも、私はていねいにそれをつき放すようにして
いる。こういう行為は誤解を生む。その女の子(小三)もそうだった。

何かにつけて私にスキンシップを求めてきた。私がイスに座って休んでいると、平気で
そのひざの中に入ってこようとした。しかし私はそれをいつもかわした。が、ところが、
である。その女の子が学校で、彼女の友だちに、「あのはやしは、私にヘンなことをする」
と言いふらしているというのだ。

私が彼女を相手にしないのを、どうも彼女は、ゆがんでとらえたようである。しかしこ
ういう噂(うわさ)は決定的にまずい。親に言うべきかどうか、かなり迷った。で、女
房に相談すると、「無視しなさい」と。

 この問題も、アンドロゲンのなせるわざなのか? 男と女は平等とは言いながら、その
間には微妙なニュアンスの違いがある。それを越えてまで平等とは、私にも言いがたいが、
しかしその微妙な違いを、決して「すべての違い」にしてはいけない。

昔の日本人はそう考えたが、あくまでもマイナーな違いでしかない。やがてこの日本で
も、「男らしく」「女らしく」と言うだけで、差別あるいは偏見ととらえるようになるだ
ろう。そういう時代はすぐそこまできている。そういう前提で、この問題は考えたらよ
い。

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●教師は聖職者か?

 知性(大脳新新皮質)と、生命維持(間脳の視床下部ほか)とは、つねに対立する。い
ざとなったら、どちらが優位にたつのか。また優位なのか。わかりやすい例で言えば、性
欲がある。

 この性欲をコントロールすることは、不可能? 

よく聖職者や出家者は、禁欲生活をするというが、禁欲などできるものではないし、ま
たそれをしたところで、あまり意味はない。知性(大脳新新皮質)の活動が、すばらし
くなるということはない。もともと脳の中でも、機能する部分が違う。(性行動そのもの
は、ホルモン、つまり男性はアンドロゲンで、女性はエストロゲンとプロゲステロンに
よって、コントロールされている。)

あるいはホルモンをコントロールすれば、性行動そのものもコントロールできることに
なるが、それは可能なのか。いや、可能かどうかを論ずるよりも、コントロールなどす
る必要はない。性欲があるから、聖職者や出家者として失格だとか、性欲がないから失
格でないと考えるほうが、おかしい。

 私はよく生徒たちに、「先生はスケベか?」と聞かれる。そういうとき私は、「君たちの
お父さんと同じだよ。お父さんに聞いてみな」と言うようにしている。同性愛者でないこ
とは事実だが、性欲はたぶんふつうの人程度にはあると思う。

が、大切なことは、ここから先。その性欲を、日常生活の中でうまくコントロールでき
るかどうかということ。これについては、まさに「知性」がからんでくる。もっと言え
ば、「性的衝動」と、「行動」の間には、一定の距離がある。この距離こそが、知性とい
うことになる。

 ひとつの例だが、夏場になると、あらわな服装で教室へやってくる女子高校生がいる。(最
近は高校生をほとんど教えていないが、以前は教えていた。)そういう女生徒が、これまた
無頓着に、胸元を広げて見せたり、あるいは目の前で大きくかがんだりする。

そういうとき目のやり場に困る。で、ある日、そのとき私より三〇歳くらい年上の教師
にそれを相談すると、その教師はこう言った。「いやあ、そういうのは見ておけばいいの
ですよ」と。

 一見、クソまじめに見える私ですらそうなのだから、いわんや……。この先は書けない
が、ともかくも、私は過去において、性欲は自分なりにコントロールしてきた。だからと
いって知性があるということにはならないが、しかしこんなことはある。

 私は二〇代のころは、幼稚園という職場で母親恐怖症になってしまった。また職場はも
ちろんのこと、講演にしても九九%近くは女性ばかりである。そういう環境で三〇年以上
も仕事をしてきたため、多分、今の私なら、平気で混浴風呂でも入れると思う。つまり平
常心で、風呂の中で世間話ができると思う。(実際にはしたことがないが……。)

とくに相手を、「母親」と意識したとき、その人から「女」が消える。これは自分でも、
おもしろい現象だと思う。長い前置きになったが、よく「教師は聖職者か」ということ
が話題になるが、私はこうした議論そのものが、ナンセンスだと思う。

+++++++++++++++++++++

●男女平等

 若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残って
いるのが、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をして
いた。そのベッテルグレン女史はこう言った。

「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリーセックスとは、性
にまつわる偏見や誤解、差別から、男女を解放することだ」
「とくに女性であるからという理由だけで、不利益を受けてはならない」と。

それからほぼ三〇年。日本もやっとベッテルグレン女史が言ったことを理解できる国に
なった。

 実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は
……」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、し
たことがない。

たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば
遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ
思い出がまったくない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっていたこ
とを思い知らされた。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったと
きだ。

つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは
何人ものドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。
正確には、「妊娠後三か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎
児は、Y遺伝子の刺激を受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。
分化しなければ、胎児はそのまま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)とい
うことらしい。

このことを女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目
が、一八〇度変わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も
消えた。言いかえると、「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがって
いる。「男らしく」「女らしく」という考え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史
は、それを言った。

 これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・七%い
るが、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいる。

つまり「昔のままでいい」と。男性側の意識改革だけではなく、女性側の意識改革も必
要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」と答えた
女性は、半数以上の五二・三%もいる(厚生省の国立問題研究所が発表した「第二回、
全国家庭動向調査」・九八年)。こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。

「家事、育児で夫に満足している」と答えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、
前回一九九三年のときよりも、約一〇ポイントも低くなっている(九三年度は、六〇・
六%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻も、五二・五%もい
た。 

+++++++++++++++++++++
家庭とは、本当に天国か?
世の男たちは、そう思っているかもしれないが、
家庭に閉じ込められた女性たちの重圧感は、
相当なものである。それについて書いたのが
つぎの原稿です。
+++++++++++++++++++++

●家庭は兵舎

 「家庭は、心休まる場所」と考えるのは、ひょっとしたら、男性だけ? 家庭に閉じ込
められた女性たちの重圧感は、相当なものである。

 心的外傷論についての第一人者である、J・ハーマン(Herman)は、こう書いて
いる。

 「男は軍隊、女は家庭という、拘禁された環境の中で、虐待、そして心的外傷を経験す
る」と。

 つまり「家庭」というのは、女性にとっては、軍隊生活における、「兵舎」と同じという
わけである。実際、家庭に閉じ込められた女性たちの、悲痛な叫び声には、深刻なものが
多い。

「育児で、自分の可能性がつぶされた」「仕事をしたい」「夫が、家庭を私に押しつける」
など。が、最大の問題は、そういう女性たちの苦痛を、夫である男性が理解していない
ということ。ある男性は、妻にこう言った。「何不自由なく、生活できるではないか。お
前は、何が不満なのか」と。

 話は少しそれるが、私は山荘をつくるとき、いつも友だちを招待することばかり考えて
いた。で、山荘が完成したころには、毎週のように、親戚や友人たちを呼んで、料理など
をしてみせた。が、やがて、すぐ、それに疲れてしまった。私は、「家事は、重労働」とい
う事実を、改めて、思い知らされた。

 その一。客人でやってきた友人たちは、まさに客人。(当然だが……。)こうした友人た
ちは、何も手伝ってくれない。そこで私ひとりが、料理、配膳、接待、あと片づけ、風呂
と寝具の用意、ふとん敷き、戸締まり、消灯などなど、すべてをしなければならない。そ
の間に、お茶を出したり、あちこちを案内したり……。朝は朝で、一時間は早く起きて、
朝食の用意をしなければならない。加えて友人を見送ったあとは、部屋の片づけ、洗いも
のがある。シーツの洗濯もある。

 で、一、二年もすると、もうだれにも山荘の話はしなくなった。たいへんかたいへんで
ないかということになれば、たいへんに決まっている。その上、土日が接待でつぶれてし
まうため、つぎの月曜日からの仕事が、できなくなることもあった。そんなわけで今は、「民
宿の亭主だけには、ぜったい、なりたくない」と思っている。

 さて、家庭に入った女性には、その上にもう一つ、たいへんな重労働が重なる。育児で
ある。この育児が、いかに重労働であるかは、もうたびたび書いてきたので、ここでは省
略する。が、本当に重労働。とくに子どもが乳幼児のときは、そうだ。

これも私の経験だが、私も若いころは、生徒たち(幼児、四〇〜一〇〇人)を連れて、
季節ごとに、キャンプをしたり、クリスマス会を開いたりした。今から思うと、若いか
らできたのだろう。が、三五歳を過ぎるころから、それができなくなってしまった。体
力、気力が、もたない。

 さて、「女性は、家庭で、心的外傷を経験する」(ハーマン)の意見について。「家庭」と
いうのは、その温もりのある言葉とは裏腹に、まさに兵舎。兵舎そのもの。そしてその家
庭から発する、閉塞感、窒息感が、女性たちの心をむしばむ。

たとえばフロイトは、軍隊という拘禁状態の中における、自己愛の喪失を例にあげてい
る。つまり一般世間から、隔離された状態に長くいると、自己愛を喪失し、ついで自己
保存本能を喪失するという。

家庭に閉じ込められた女性にも、同じようなことが起きる。たとえば、その結果として、
子育て本能すら、喪失することもある。子どもを育てようとする意欲すらなくす。ひど
くなると、子どもを虐待したり、子どもに暴力を振るったりするようになる。その前の
段階として、冷淡、無視、育児拒否などもある。東京都精神医学総合研究所の調査によ
っても、約四〇%の母親たちが、子どもを虐待、もしくは、それに近い行為をしている
のがわかっている。

東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏らの調査によると、約四〇%弱の母親が、虐待
もしくは虐待に近い行為をしているという。妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待
の度合を数字で示している。

妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項
目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「し
ばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あ
り」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、
六一%であったという。

 今まさに、家庭に入った女性たちの心にメスが入れられたばかりで、この分野の研究は、
これから先、急速に進むと思われる。ただここで言えることは、「家庭に入った女性たちよ、
もっと声をあげろ!」ということ。

ほとんどの女性たちは、「母である」「妻である」という重圧感の中で、「おかしいのは私
だけ」「私は妻として、失格である」「母親らしくない」というような悩み方をする。そ
して自分で自分を責める。

 しかし家庭という兵舎の中で、行き場もなく苦しんでいるのは、決して、あなただけで
はない。むしろ、もがき苦しむあなたのほうが、当たり前なのだ。もともと家庭というの
は、J・ハーマンも言っているように、女性にとっては、そういうものなのだ。大切なこ
とは、そういう状態であることを認め、その上で、解決策を考えること。

 一言、つけ加えるなら、世の男性たちよ、夫たちよ、家事や育児が、重労働であること
を、理解してやろうではないか。男の私がこんなことを言うのもおかしいが、しかし私の
ところに集まってくる情報を集めると、結局は、そういう結論になる。今、あなたの妻は、
家事や育児という重圧感の中で、あなたが想像する以上に、苦しんでいる。

●「男は仕事、女は家庭」という、悪しき偏見が、まだこの日本には、根強く残っている。
だから大半の女性は、結婚と同時に、それまでの仕事をやめ、家庭に入る。子どもがで
きれば、なおさらである。しかし「自分の可能性を、途中でへし折られる」というのは、
たいへんな苦痛である。

Aさん(三四歳)は、ある企画会社で、責任ある仕事をしていた。結婚し、子どもが生
まれてからも、何とか、自分の仕事を守りつづけた。しかしそんなとき、夫の転勤問題
が起きた。Aさんは、泣く泣く、本当に泣く泣く、企画会社での仕事をやめ、夫ととも
に、転勤先へ引っ越した。今は夫の転勤先で、主婦業に専念しているが、Aさんは、こ
う言う。「欲求不満ばかりがたまって、どうしようもない」と。こういうAさんのような
ケースは、本当に、多い。

私もときどき、こんなことを考える。もしだれかが、「林、文筆の仕事やめ、家庭に入っ
て育児をしろ」と言ったら、私は、それに従うだろうか、と。育児と文筆の仕事は、ま
だ両立できるが、Aさんのように、仕事そのものをやめろと言われたらどうだろうか。
Aさんは、今、こう言っている。「子どもがある程度大きくなったら、私は必ず、仕事に
復帰します」と。がんばれ、Aさん!
(はやし浩司 心的外傷論 J・ハーマン(Herman))


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【世間体意識】

●世間体で生きる人たち

 世間体を、おかしいほど、気にする人たちがいる。何かにつけて、「世間が……」「世間
が……」という。具体的には、「そんなことをすると、世間が許さない」「世間が笑う」「世
間体が悪い」などという言い方をする。

 子どもの成長過程でも、ある時期、子どもは、家族という束縛、さらには社会という束
縛から離れて、自立を求めるようになる。これを「個人化」という。

 世間体を気にする人は、何らかの理由で、その個人化の遅れた人とみてよい。あるいは
個人化そのものを、確立することができなかった人とみてよい。

 心理学の世界にも、「コア(核)・アイデンティティ」という言葉がある。わかりやすく
言えば、自分らしさ(アイデンティティ)の核(コア)をいう。このコア・アイデンティ
ティをいかに確立するかも、子育ての場では、大きなテーマである。

 個人化イコール、コア・アイデンティティの確立とみてよい。

 その、世間体を気にする人は、常に、自分が他人にどう見られているか、どう思われて
いるかを気にする。あるいはどうすれば、他人によい人に見られるか、よい人に思われる
かを気にする。

 子どもで言えば、仮面をかぶる。あるいは俗にいう、『ぶりっ子』と呼ばれる子どもが、
このタイプの子どもである。他人の視線を気にしたとたん、別人のように行動し始める。

●ある中学生との会話

 少し前、ある子どもとこんな議論をしたことがある。私が、「道路を歩いていたら、サイ
フが落ちているのがわかった。あなたはどうするか?」という質問をしたときのこと。そ
の中学生は、臆面もなく、こう言った。

 「交番へ届けます!」と。

 そこですかさず、私は、その中学生にこう言った。

 「君は、そういうふうに言えば、先生がほめるとでも思ったのか」「先生が喜ぶとでも思
ったのか」と。

 そしてつづいて、こう叱った。「サイフを拾ったら、うれしいと思わないのか。そのサイ
フをほしいと思わないのか」と。

 するとその中学生は、またこう言った。「そんなことをすれば、サイフを落した人が困り
ます」と。

私「では聞くが、君は、サイフを落して、困ったことがあるのか?」
中学生「ないです」
私「落したこともない君が、どうしてサイフを落して困っている人の気持ちがわかるのか」
中「じゃあ、先生は、そのサイフをどうしろと言うのですか?」
私「ぼくは、そういうふうに、自分を偽って、きれいごとを言う子どもが、嫌いだ。ほし
かったら、ほしいと言えばよい。サイフを、もらってしまうなら、『もらうよ』と言えばよ
い。その上で、そのサイフをどうすればいいかを、みんなで考えればいい。議論も、そこ
から始まる」と。

 こうして子どもは、人は、自分を偽ることを覚える。そしてそれがどこかで、他人の目
を気にした生きザマをつくる。言うまでもなく、他人の目を気にすればするほど、個人化
が遅れる。「私は私」という生き方が、できなくなる。
 
 いろいろな母親がいた。

 「うちは本家です。ですから息子には、それなりの大学へ入ってもらわねば、なりませ
ん」

 「近所の人に、『うちの娘は、国立大学へ入ります』と言ってしまった。だから国立大学
へ入ってもらわねば困ります」ほか。

 しかしこれは子どもの問題というより、私たち自身の問題である。

●他人の視線

 だれもいない、山の中で、ゴミを拾って歩いてみよう。私も、ときどきそうしている。

 大きな袋と、カニばさみをもって歩く。そしてゴミ(空き缶や、農薬の入っていたビニ
ール袋など)が落ちていれば、それを拾って、袋に入れる。

 そのとき、遠くから、一台の車がやってきたとする。地元の農家の人が運転する、軽ト
ラックだ。

 そのときのこと。私の心の中で、複雑な心理的変化が起きるのがわかる。

 「私は、いいことをしている。ゴミを拾っている私を見て、農家の人は、私に対して、
いい印象をもつにちがいない」と、まず、そう考える。

 しかしそのあとすぐに、「何も、私は、そのために、ゴミを拾っているのではない。かえ
ってわざとらしく思われるのもいやだ」とか、「せっかく、純粋なボランティア精神で、ゴ
ミを集めているのに、何だかじゃまされるみたいでいやだ」とか、思いなおす。

 そして最後に、「だれの目も気にしないで、私は私がすべきことをすればいい」というふ
うに考えて、自分を納得させる。

 こうした現象は、日常的に経験する。こんなこともあった。

 Nさん(40歳、母親)は、自分の息子(小5)を、虐待していた。そのことを私は、
その周囲の人たちから聞いて、知っていた。

 が、ある日のこと。Nさんの息子が、足を骨折して入院した。原因は、どうやら母親の
虐待らしい。……ということで、病院へ見舞いに行ってみると、ベッドの横に、その母親
が座っていた。

 私は、しばらくNさんと話をしたが、Nさんは、始終、柔和な笑みを崩さなかった。そ
ればかりか、座っている息子の背中を、時折、わざとらしく撫でてみせたり、骨折してい
ない別の足のほうを、マッサージしてみせたりした。

 息子のほうは、それをとくに喜ぶといったふうでもなく、無視したように、無表情のま
まだった。

 Nさんは、明らかに、私の視線を気にして、そうしていたようである。
 
 ……というような例は、多い。このNさんは別にして、だれしも、ある程度は、他人の
視線を気にする。気にするのはしかたないことかもしれない。気にしながら、自分であっ
て自分でない行動を、する。

 それが悪いというのではない。他人の視線を感じながら、自分の行動を律するというこ
とは、よくある。が、程度というものがある。つまりその程度を超えて、私を見失ってし
まってはいけない。

 私も、少し前まで、家の近くのゴミ集めをするとき、いつもどこかで他人の目を気にし
ていたようなところがある。しかし今は、できるだけだれもいない日を選んで、ゴミ集め
をするようにしている。他人の視線が、わずらわしいからだ。

 たとえばゴミ集めをしていて、だれかが通りかかったりすると、わざと、それをやめて
しまう。他人の視線が、やはり、わずらわしいからだ。

 ……と考えてみると、私自身も、結構、他人の視線を気にしているのがわかる。つまり、
世間体を気にしている。

●世間体を気にする人たち
 
 世間体を気にする人には、一定の特徴がある。

その中でも、第一のあげる特徴といえば、相対的な幸福観、相対的な価値観である。

 このタイプの人は、「となりの人より、いい生活をしているから、自分は幸福」「となり
の人より悪い生活をしているから、自分は不幸」というような考え方をする。

 そのため、他人の幸福をことさらねたんでみたり、反対に、他人の不幸を、ことさら喜
んでみせたりする。

 15年ほど前だが、こんなことがあった。

 Gさん(女性、母親)が、私のところにやってきて、こう言った。「Xさんは、かわいそ
うですね。本当にかわいそうですね。いえね、あのXさんの息子さん(中2)が、今度、
万引きをして、補導されたようですよ。私、Xさんが、かわいそうでなりません」と。

 Gさんは、一見、Xさんに同情しながら、その実、何も、同情などしていない。同情し
たフリをしながら、Xさんの息子が万引きしたのを、みなに、言いふらしていただけであ
る。

 GさんとXさんは、ライバル関係にあった。が、Gさんは、別れぎわ、私にこう言った。

 「先生、この話は、どうか、内緒にしておいてくださいよ。Xさんが、かわいそうです
から。ひとり息子に、すべてをかけているような人ですから……」と。

 もう一つの特徴としては、当然の結果なのかもしれないが、世間を基準とした価値観を
つくるということ。他人の目の中で生きるということは、それを意味する。

 処世術としては、たいへん楽な生き方ということになる。自分で考えて、自分で責任を
とるまえに、「他人はどうだ?」というようなものの見方をする。

 前例主義、復古主義、保守主義、追従主義など、それから生まれる生きザマは、いろい
ろある。

 しかしこうした主義をもてばもつほど、ノーブレイン(思考力ゼロ)の状態になる。自
分では、自主的な行動が、できなくなる。

●世間体との決別

 今、世間体を気にしている人は、多い。あなた自身もそうかもしれないし、あなたの夫
や妻も、そうかもしれない。

 あなたの親戚の中には、ひょっとしたら、世間体だけで生きている人がいるかもしれな
い。

 しかし一度、世間体にとらわれると、それと決別するのは、容易なことではない。この
ことは、子どもたちの世界をのぞいてみると、わかる。

 たとえば先にも書いた、「ぶりっ子」の問題がある。このタイプの子どもは、あらかじめ、
「こういうことをすれば、みなに、いい子に思われるだろう」、「こういうことを言ったり、
したりすれば、先生にほめられるだろう」ということを、計算しながら、行動する。

 それ自体が、その子どもの自己主張の場になっているから、それを改めさせるのは、簡
単なことではない。つまりこうした生きザマは、子どものときから始まっている。それだ
け「根」が深い。それに気づいたからといって、明日やあさってに、改められる問題では
ない。

 それに他人の目、つまり世間体をまったく否定してしまうと、かえって問題が起きるこ
とがある。人は、周囲の社会生活とうまくなじんでこそ、人である。そのために、世間体
が、人間関係を、スムーズにすることもある。

 あまり深く考えなくてもよい問題については、それなりに世間体に身を任すことによっ
て、より楽に解決できる。とくに冠婚葬祭の世界においては、そうである。私も結婚式の
祝儀、あるいは葬式の香典などは、そのつど、世間体に相談しながら、決めている。

 ただ、ここで言えることは、そんなわけで、世間体がもつ問題は、まさに10年単位の
問題であるということ。一朝一夕(いっちょういっせき)に、生きザマを確立することが
できないように、自分の中に潜む世間体と戦うことは、簡単なことではない。

 むしろ年齢とともに、多くの人は、ますますがんこになり、世間体に固執するようにな
る。世間体の上に、さらに世間体を塗り重ね、独特の価値観を築くことも少なくない。あ
る女性(80歳くらい)は、会う人ごとに、いつもこう頼んでいた。

 「私は何も望みません。ただ私が死んだら、どうか葬式に来て、線香の一本だけでも立
ててください。どうか、どうか、さみしい葬式だけはしないでください。よろしくお願い
します」と。

 その女性は、最後のしあげとして、自分の葬式のあり方に、こだわっていた。

【付記】

 この原稿を読みかえしてみて、私は、「仮面」と、「世間体」を混同していることに気づ
いた。「他人の目を気にして生きる」という点で、共通点を私は、求めた。が、無理がある
ようだ。少しおかしなところはあるが、このまま収録し、後日、また書き改めることにす
る。
(はやし浩司 世間体論 世間体)
(040703)

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