はやし浩司(ひろし)

2004・9
はやし浩司
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2004年 9月号
 はやし浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 29日(No.469)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO554

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画を見る

 昨夜、中学生たち6人をつれて、映画館へ、映画を見にいった。見たのは、『キング・ア
ーサー』。

 戦闘また戦闘の映画で、それほどおもしろいとは、思わなかった。★は、3つ。いや、
2つ? 

 映画館へ入る前に、女子3人には、ハンドバッグを買ってやった。みんな、うれしそう
だった。

 映画が終わったのが、午後8時40分。帰ろうとしたら、みなが、「プリクラをとりたい」
と言いだした。しかたないので、そのまま、そこで待つ。

 まあ、騒々しいというか、にぎやかというか……。キャッキャッと叫びながら、好き勝
手なことをしていた。私は、それを横で待ちながら、「若いって、いいなあ」と。

 おかげで、昨日は、夕食抜き。家に帰ってから、夜食ということになってしまった。そ
のせいか、今朝は、どうも胃が重い。


++++++++++++++++++++++++

●雑感について……

頭の中に飛来する、無数の雑感。ものを書くときは、まず、それが何であるかを知る。

 つぎに、その雑感の中から、「これは!」と思うものに、焦点をあて、切りこんでいく。
で、その雑感だが、今も、無数の雑感が、ザワザワと、祭の群集のように、頭の中で騒い
でいる。

 私のばあい、その雑感が、すぐ頭の中で、満杯になってしまう。放っておくと、頭が重
くなってしまう。(あくまでも、そう感ずるだけだが……。)

 そこで文章にして、それをたたき出す。よく「文章を書くのは、たいへんでしょう」と
言う人がいる。しかし私のばあい、書くというより、それをたたき出すのが、気持ちよい。
快感ですら、ある。うまくたたき出したときの、爽快(そうかい)感は、何ものにもかえ
がたい。

 で、今も、いろいろな雑感が、ザワザワしている。

 占星術という、どこか「?」な占いが、話題になっている。台風16号が、九州へ近づ
いている。オリンピックでハンマー投げで金メダルを取った人が、ドーピング検査で、ひ
っかかっている。……などなど。

 たわいもないテーマが、そのつど、現れては消える。

(1)占星術

 そこで私は、どれについて考えるかを決める。たとえばここに書いた、占星術がおもし
ろいと思ったりする。そこでその占星術について、書き始める。

たとえば私は、10月xx日生まれの、サソリ座。そういうことから、私の運勢が決ま
るという。

 馬鹿メ!

 反論するのも、バカバカしい。が、今、テレビを見ても、書店へ行っても、その占星術
が、大流行(はやり)。どこか日本人が、ますます愚かになっていくようで、さみしい。

 たしかに動物は、太陽の位置(四季)や、月の位置によって、心理的にも、生理的にも、
大きな影響を受ける。女性の生理が、約28日周期になっているのも、もとはといえば、
月の満ち欠けと関係がある。

 しかしそれは、種族全体の話であって、決して、個人の話ではない。人間も影響を受け
るとしたら、人間全体の話である。

 が、こうした星の位置で、個人の運勢が決まるという。しかし考えてみれば、これほど
自己中心的なものの考え方もない。

「私だけは特別」「宇宙の動きが、私に影響を与えている」と。そう思いたい心理は、わ
からないでもない。しかしものごとは、もっと常識で考えたらよい。仮に、百歩譲って、
そういう影響があるとしても、そうした運勢(運命)と、戦うところに、人間の生きる
美しさがある。最後の最後でふんばるところに、人間の生きる意味がある。

 先日もテレビを見ていたら、一人の女性占星術師が、若いタレントの女性にこう叫んで
いた。

 「あなたは、必ず、破滅します」「あなたの背中には、ヘビが取りついています。毎日、
風呂で、背中を洗いなさい」「この結婚は、失敗します」と。

 私はそういう話を聞くと、すぐ、その相手に、「どうして、そんなことがわかるのですか」
と聞きたくなる。が、だれも、その場にいた人は、聞かない。聞かないまま、つまり女性
占星術師に言われるまま、どこかおびえたような顔をしているだけ。

 しかし、これは考えてみれば、カルトではないのか? そう、カルト、カルトだ。あの
忌まわしいO教団がしている、カルトとどこもちがわない? もしそうなら、天下のテレ
ビ局が、そのカルトに手を貸していることになる。

 理性はどこにある? 知性はどこにある? 本当に、こんなことが、堂々と、まかり通
ってよいものか? 巨大なマスコミをとおして、日本中に報道されて、よいものか?

 こうして話題にするのもバカバカしい。バカバカしいが、おびただしいほどの数の日本
人が、今、それを信じている。しかも、子どもたちほど、信じている。

 そうだ、一度、この占星術について、調べてみよう。そしてもう少し、理論的に、反論
記事を書いてみよう。頭の中が、かなりザワついてきた。

 ……というようにして、私は、自分の原稿を書き始める。ほかにも、いくつか書きたい
テーマがある。あああ、時間がほしい。時間が足りない! ……というのが、私にとって
の雑感。

【補記】

 占いや、まじないに走る人は、それだけ、思考力のない人とみてよい。それはちょうど、
火山の噴火を見て、「山の神が怒った」と判断するのに似ている。自ら考える力がないから、
超自然的なパワーに、おびえ、そしてあこがれ、そこにものごとの解決策を見だす。

 少し前は、霊能力者だった。が、今は、占星術師。こうしたわけのわからないオカルト
が、海のうねりのように、日本の社会の中に現れては、消える。が、それこそ、時間のム
ダ。人生のムダ。

 それがわからなければ、数年前に死んだ、霊能力者(?)の、Bという女性を思いやって
みればよい。あのBは、いったい、この日本の社会に何を残したか? 日本人は、彼女か
ら何を学んだか? それを思いやってみればよい。

 が、おとなの世界の話なら、まだよい。娯楽として、割り切ることができる。

 こうしたおとなの社会を見ながら、つぎの世代の子どもたちが、大きな影響を受ける。
カルト教団が、何かの事件を起こすたびに、社会は大騒ぎをするが、それでは遅いという
こと。

 では、どうするか?

 ごくふつうの人が、ごく日常的に、理性や知性を働かせてこそ、私たちは、こうしたオ
カルトと戦うことができる。そしてそういうおとなの姿勢こそが、結局は、子どもたちの
未来を守ることになる。

 さあ、あなたも勇気を出して、子どもに向かって、こう叫んでみよう。

「占星術? バカなこと言ってないで、自分で考えなさい! 運命は、自分で切り開くも
のよ!」と。
(040827)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

行きづまりを打開する法(エゴを押しつけるな!)

親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。

 「思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、
大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼
育してきました。庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎
日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。

リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。な
のにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせ
ず、マイペースなのでしょう。旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子ど
もたちは地理が苦手。息子は出不精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばか
り。二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。

しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。私の子育ては
一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニケーションもと
れない状態。子どもたちとどう接したらいいの?」(K県・五〇歳の女性)と。

●親のエゴに振り回される子どもたち
 
多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こん
な相談があった。ある母親からのものだが、こう言った。

「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしています
が、二枚までなら何とかやります。が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進
もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。もう少し深刻な例だと、こんなのが
ある。

これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間
だけ授業を受けました。が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業
を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、
今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。仮に
これらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚や
らせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。そしてその子どもが
C中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに
親のエゴには際限がないということ。そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく
振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も
一瞬ドキッとした。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエ
ゴ。もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの
意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。

親の独善と独断だけが目立つ。「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教
えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました」「旅行好きの私が国内
外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。この母親
のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。
あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。この母親はすばらしいガイドであり、
保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。

とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。この母親が
見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャッ
プを感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」
であったのかどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどう
か。結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエ
ゴに気づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしが
みついている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表してい
る。

+++++++++++++++++++++++++++

子どもの心を破壊から守る法(子どもの心をゆがめるな!)

子どもの心が破壊されるとき 

●バッタをトカゲのエサに

 A小学校のA先生(小一担当女性)が、こんな話をしてくれた。「一年生のT君が、トカ
ゲをつかまえてきた。そしてビンの中で飼っていた。そこへH君が、生きているバッタを
つかまえてきて、トカゲにエサとして与えた。私はそれを見て、ぞっとした」と。

 A先生が、なぜぞっとしたか、あなたはわかるだろうか。それを説明する前に、私にも
こんな経験がある。もう二〇年ほど前のことだが、一人の子ども(年長男児)の上着のポ
ケットを見ると、きれいに玉が並んでいた。私はてっきりビーズ玉か何かと思った。が、
その直後、背筋が凍りつくのを覚えた。よく見ると、それは虫の頭だった。

その子どもは虫をつかまえると、まず虫にポケットのフチを口でかませる。かんだとこ
ろで、体をひねって頭をちぎる。ビーズ玉だと思ったのは、その虫の頭だった。また別
の日。小さなトカゲを草の中に見つけた子ども(年長男児)がいた。まだ子どもの小さ
なトカゲだった。「あっ、トカゲ!」と叫んだところまではよかったが、その直後、その
子どもはトカゲを足で踏んで、そのままつぶしてしまった!

●心が壊れる子どもたち

 原因はいろいろある。貧困(それにともなう家庭騒動)、家庭崩壊(それにともなう愛情
不足)、過干渉(子どもの意思を無視して、何でも親が決めてしまう)、過関心(子どもの
側からみて息が抜けない家庭環境)など。威圧的(ガミガミと頭ごなしに言う)な家庭環
境や、権威主義的(「私は親だから」「あなたは子どもだから」式の問答無用の押しつけ)
な子育てが、原因となることもある。

要するに、子どもの側から見て、「安らぎを得られない家庭環境」が、その背景にあると
みる。さらに不平や不満、それに心配や不安が日常的に続くと、それが子どもの心を破
壊することもある。

イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。抑圧的な環境が長く続くと、
ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、このタイプの子どもは、心のバラ
ンス感覚をなくすのが知られている。「バランス感覚」というのは、してよいことと悪い
ことを、静かに判断する能力のことをいう。

これがないと、ものの考え方が先鋭化したり、かたよったりするようになる。昔、こう
言った高校生がいた。「地球には人間が多すぎる。核兵器か何かで、人口を半分に減らせ
ばいい。そうすれば、ずっと住みやすくなる」と。そういうようなものの考え方をする
が、言いかえると、愛情豊かな家庭環境で、心静かに育った子どもは、ほっとするよう
な温もりのある子どもになる。心もやさしくなる。

●無関心、無感動は要注意

 さて冒頭のA先生は、トカゲに驚いたのではない。トカゲを飼っていることに驚いたの
でもない。A先生は、生きているバッタをエサとして与えたことに驚いた。A先生はこう
言った。「そういう残酷なことが平気でできるということが、信じられませんでした」と。
 
このタイプの子どもは、総じて他人に無関心(自分のことにしか興味をもたない)で、
無感動(他人の苦しみや悲しみに鈍感)、感情の動き(喜怒哀楽の情)も平坦になる。よ
く誤解されるが、このタイプの子どもが非行に走りやすいのは、そもそもそういう「芽」
があるからではない。非行に対する抵抗力がないからである。悪友に誘われたりすると、
そのままスーッと仲間に入ってしまう。ぞっとするようなことをしながら、それにブレ
ーキをかけることができない。だから結果的に、「悪」に染まってしまう。

●心の修復は、四、五歳までに

 そこで一度、あなたの子どもが、どんなものに興味をもち、関心を示すか、観察してみ
てほしい。子どもらしい動物や乗り物、食べ物や飾りであればよし。しかしそれが、残酷
なゲームや、銃や戦争、さらに日常的に乱暴な言葉や行動が目立つというのであれば、家
庭教育のあり方をかなり反省したらよい。子どものばあい、「好きな絵をかいてごらん」と
言って紙とクレヨンを渡すと、心の中が読める。子どもらしい楽しい絵がかければ、それ
でよし。しかし心が壊れている子どもは、おとなが見ても、ぞっとするような絵をかく。

 ただし、小学校に入学してからだと、子どもの心を修復するのはたいへん難しい。修復
するとしても、四、五歳くらいまで。穏やかで、静かな生活を大切にする。



++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近ごろ・あれこれ】

●最前線の子育て論

最前線の子育て論が、ここで、250号を迎えた。しかしこの数字には、ほとんど、意
味がない。1号の中に、いくつかのエッセーをまとめて書くことが多くなったからだ。
1号だから、1作ということではない。

で、201〜250号だけで、A4サイズ用紙で、570枚にもなった。ふつう、120
〜40枚で、単行本1冊の分量になるので、これだけで、単行本4〜5冊分ということ
になる。

 自分でも、よく書いたものだと思う。そう言えば、一人、「毎回、うんざりするほど、量
が多い」と言ってきた、読者がいた。そのことをワイフに話すと、「正直な人ね」と、感心
していた。(私も、そう思う。)

 ここらで、一つの区切りをつけ、明日からは、1301号〜ということで、がんばって
みよう。いつまでつづくかわからないが、こうしてものを書きつづけるのは、頭のボケ防
止には、よいのでは……? ボケるときは、ボケるそうだから、あまり意味はないそうだ
が、しかし、何らかの刺激には、なると思う。

 ボケ……。すでに何人か、頭のボケ始めた、同年齢の人たちを見ているので、これは深
刻な問題である。もっとも、自分もボケていたら、相手がボケているかはわからないそう
だ。だから、それがわかるということは、少なくとも、私のほうが、そういう人たちより、
ボケてはいないということになる。

 そう言えば、T先生も、先日、メールでこう言っていた。東大の薬学部長を勤め、日本
学士院賞を受賞したようなM先生でも、ボケてしまった、と。T先生のテニス仲間だそう
だが、そのため、最近は、クラブにも顔を出さなくなった、と。

 だから、こうしてものを書いているからといって、ボケないということはないらしい。
ただの気休めかもしれない。

 しかし体力と同じで、頭の働きも、50歳を過ぎることから、急速に衰えるようだ。若
い人には、それがわからないかもしれない。「私だけはちがう」と思いたい気持ちは、よく
わかるが、しかしその年齢がくると、みな、同じような症状が、出てくる。

 参考になるかどうかはわからないが、私のばあいを、書きとめておく。

(1)翻訳が、苦痛?

 こうして日本語を書くのは、苦痛ではない。英語の本を読むのも、苦痛ではない。しか
し英語を読んで、それを日本語に翻訳するのが、たいへん苦痛になってきた。(反対に日本
語を、英語になおすのは、それほど、苦痛ではない。)

 これはどういう現象によるものか? 私の印象では、右脳から左脳への情報伝達部分が、
サビついてきたのではないかと思う。

(2)記銘力が低下した?

 新しい言葉や、単語が、記憶に残らなくなった。いや、その前に、頭の中に焼きつけよ
うとする意欲がなくなってきた。たとえば何かの名前にしても、それを記憶しようとする
前に、つぎへと進んでしまう。だから結果として、記憶力が、弱くなった。

 若いころは、「この言葉は覚えておいたほうがいいぞ」という言葉に出会うと、その言葉
を1、2度反復して、頭の中にたたきこんだ。が、今は、それがない。だから、結局は、
それをすぐ忘れてしまう。

(3)口がついてこない?

 頭の中ではわかっているのだが、それが適切な言葉となって、口から出てこない。たと
えばパソコンショップへ行って、何かの質問をするとき、うまく言葉にならなくて、もど
かしく感ずることがある。

 文字で書いた専門用語は、よく理解できる。が、その割に、とっさの場面になると、そ
の専門用語が出てこない。店員さんが、その専門用語を口にすると、「ああ、それそれ」と
言うことが、多くなった。

(4)単細胞化してきた?

 だれかと話をしているとき、一つの話題について話していると、そのほかのことまで気
が回らなくなってきた。若いころは、一つの話題について話していても、その人の家族の
ことや、子どものことなど、いろいろと気を回したもの。

 そういう意味では、単細胞化してきた?

(5)思わず、口にしてしまう?

 「このことだけは話してはいけない」と思っていても、ふと、それが口をついて、出て
きてしまうことがある。たとえば、その人の夫が、何かの病気をわずらっていたとする。
で、その人の夫のことや、病気のことは話してはだめだと思っていても、つい、話題が、
そちらへ飛んでしまう。

 心理学でも、それを説明する専門用語があるが、そうしたコントロールが、弱くなって
きたように思う。

 ほかにも、度忘れなどが多くなってきた。名前が覚えられない、など。あるいは覚えて
も、すぐ忘れてしまう、など。

 やがて私も本当にボケてしまうかもしれない。そういう変化を読者のみなさんに知って
もらうのも、おもしろいのではないか。「このところ、林も、ボケてきたなあ」と。
(040827)


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http://bwhayashi.cool.ne.jp/page051.html

●成長を喜ぶ

 まずテスト。あなたの子どもは何か新しいことができるようになったり、おもしろいこ
とを発見したようなとき、あなたのところにやってきて、「見て、見て!」と言うだろうか。
もしそうならそれでよし。しかしそういう会話が親子の間から消えているようなら、あな
たはあなたの子育てをかなり反省したほうがよい。

 子どもを伸ばす三大要素に、(1)好奇心(いつもあらゆる方向に触覚がのびている)、(2)
生活力(自立し、自分で何でもできる)、(3)頭の柔軟さ(頭がやわらかく、臨機応変に
ものごとに対処できる)がある。

もちろん生まれつきの能力も関係するが、これは遺伝子の問題だから、教育的にはあま
り論じても意味がない。で、こうした三大要素を側面から支えるのが、家庭、なかんず
く「親」ということになる。こんな家庭があった。

 その家庭には三人の男の子がいたが、皆、表情が明るく、伸び伸びとしていた。そこで
その秘訣をさぐると、それは母親の言葉にあるのがわかった。子どもたちが何か、新しい
ことができるようになるたびに、その母親がそれを心底、喜んでみせるのである。下の子
が上の子のおさがりをもらうときもそうだ。母親は下の子に、上の子のおさがりを着させ
ながら、「おお、あんたもお兄ちゃんのが着られるようになったわね」と、喜んでみせてい
た。こうした家庭のリズムが、子どもたちを伸びやかにしていた。

 子どもを伸ばすためには、子どもの成長を喜んでみせる。ウソではいけない。本心から
そうする。そういう前向きな姿勢が親にあってはじめて、子どもも伸びる。が、そうでな
い親もいる。「あんたはダメな子ね」式の言い方をいつもする親である。子どもの表情が暗
くなって当然。こういう家庭では、子どもは決して、「見て、見て!」とは言わない。「ど
うせ、ぼくはダメだ」と逃げてしまう。

もしそうなら、今日からでも遅くないから、子どもの成長を喜ぶようにする。たとえテ
ストの点が悪くても、「去年よりはずっとよくなったわね」などと言う。そういう姿勢が
子どもを伸ばす。子どもの表情を明るくする。(はやし浩司のサイト:
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)


++++++++++++++++++++++

●子どもを知る

 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい、自分の子どものことを知るのは難しい。

親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、
その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてし
て子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。

 ある子ども(小六男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。

ある夜一人の父親が、A君(中一)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、
うちの子が不登校児になってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがん
ばったが、A君は学校でもいじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本
当に多い。

子どもの姿を正しくとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。
たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか「調子が悪かっただけ」と。

そう思いたい気持ちはよくわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いな
おす。子どものばあい、(やる・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではな
いが、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎ
のようにして判断する。

 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。

そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの
成績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあき
らめると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピア
がいう「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。(はやし浩司のサイト:
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【おまけ】*********************************

●理想的な夫像?

 夫を、どの角度からみるかによって、その夫像も変わってくる。

 まず、常識的な尺度でみたのが、つぎの表である。

 夫を、家族的かどうかでみるのが、(F)軸。
 夫を、仕事ができるかどうかでみるのが、(W)軸。

                    W
     仕事はするが         *     仕事もするが
     家庭をかえりみないタイプ   *     家庭も大切にするタイプ
      *******************************F
     仕事もしない。        *     仕事はしないが、
     家庭も大切にしないタイプ   *     家庭を大切にするタイプ

 理想タイプとしては、右上の(仕事もするが、家庭も大切にするタイプ)ということに
なる。

 問題は、(仕事もしない。家庭も大切にしないタイプ)。このタイプの夫は、少なくない。
家計はいつも火の車。にもかかわらず、仕事はしない。家にも帰らず、いつもどこかで趣
味ざんまい。あるいは女遊び。

 ……と書くのは、簡単なこと。教育的には、もう少し、ちがった見方をする。

 いつか書いたように、善人も悪人も、それほど、ちがわない。ほんの少しの方向性のち
がいが、長い時間をかけて、善人を善人にする。悪人を悪人にする。仕事をしたくても、
その仕事がない。あるいは何をやっても、うまくいかない。失敗ばかり。

 こういうことが重なると、とたんにやる気をなくす。その上、安らぐはずの家庭にいて
も、妻は、不平、不満をぶつけるだけ。

 こういう状態の中で、ここでいう(仕事もしない。家庭も大切にしないタイプ)の夫が
生まれる。そういうケースは、たいへん、多い。

 そういう意味では、家庭に入った妻の役目は、どこか教育者に似ている。アメリカでは、
こう言う。

 「夫は、頭。妻は首。決断するのは、夫の役目だが、その方向を決めるのは、妻の役目」
と。

 なかなか的(まと)を得た言葉ではないかと思う。(どこか男尊女卑的な感じがしないで
もないが……。)

 私は夫の立場にいるから、どうしても夫の立場で、ものを考えてしまう。その上、いつ
も挫折感を味わってばかりいる。だから、自分で、自分に反論するのもおかしな話だが、
あえて、こんな表も考えてみた。

 夫に対して、協力的かどうかでみるのが、(C)軸。
 夫に対して、理解があるかどうかでみるのが、(U)軸


                    C
     協力はするが、        *     協力はするし、
     夫を理解しないタイプ     *     夫を理解するタイプ
      *******************************U
     協力もしない。        *     協力はしないが、
     夫を理解しないタイプ     *     夫を理解するタイプ

 理想タイプとしては、右上の、(夫に協力的で、夫を理解するタイプ)ということになる。

 問題は、(協力もしないし、夫を理解しないタイプ)。このタイプの妻は、「仕事をして、
収入を得るのは、夫の役目」と、夫を突き放した上、夫の仕事を理解しようとしない。昔、
夫の仕事について、「うちのダンナは、ただの倉庫番でね。収入も少なくて、たいへんなの」
と吐き捨てるように言った女性がいた。

 少なからず好意を感じていた女性だったが、私は、こう思った。「こういう女性と結婚し
なくて、よかったア」と。(相手も、私に対して、そう思ったかもしれない。こういう思い
というのは、双方向性がある。)

 要するに、妻をつくるのは、夫。夫をつくるのは、妻ということになる。「夫が……」「妻
が……」と論じても、あまり意味がない。

 話はぐんと現実的になるが、ショッピングセンターなどで、夫婦で歩いている人を見る
と、中に実によく似た夫婦がいるのがわかる。

 服装から、しぐさ。それに雰囲気まで! 服装が似るのは、たいていは妻が、夫の衣服
を買いそろえているから。しかしその上、しぐさや雰囲気まで! 昔から「似たもの夫婦」
というが、夫婦も、10年、20年としていると、たがいによく似てくる。

 どこかヤクザ風の夫をもつと、妻も、どこかそれ風になる。そうそう、体型も似てくる
ことがある。夫も妻も、丸々と太っていたりする。これは食べ物が同じためだからではな
いか。

 そんなわけで、もしあなたが今、夫(妻)にあれこれ不満があるなら、その原因は、妻
(夫)である、あなた自身にあると考えてよい。一方的に夫(妻)を責めても意味はない。
また責めてはいけない。

 以上、教育的にみた、夫婦論。おしまい。(自分でも、こうまで耳の痛いエッセーを自分
で書いたことがない。ホント!)

+++++++++++++++++++++

●母親の病識

 うつ病といっても、症状は、軽重さまざま。理由も原因も、これまたさまざま。が、母
親が、そのうつ病になったら、どうなるか。子どもに、どのような影響を与えるか。

 この時点で、母親に、「私は病気だ」という意識、つまり病識があれば、まだ救われる。
しかしその病識がないときは、どうなるか。子どもに、どのような影響を与えるか。

 Aさん(40歳・女性)は、長野県の山村から、このH市に移り住んできた。H市は、
名古屋市につぐ、東海地方では、第二の大都市である。それが原因のすべてとは言えない
が、しかしAさんには、どうしてもこのH市が、なじめなかった。

 Aさんは、二番目の子どもを妊娠するころから、うつ病になった。……といっても、正
式に、そう診断されたわけではない。夫や、夫の両親が、さかんに病院へ行くようにと説
得したが、Aさんは、それをがんと、拒否した。「私は、何でもない!」「私は、病気では
ない!」と。

 Aさんの奇行(?)は、二番目の息子が生まれたころから始まった。1、2週間もの間、
一歩も部屋を出なかったことがあるかと思うと、突然、買い物に出かけたりするなど。色
ちがいだが、同じ洋服を何枚も買ったこともある。あるいはささいなことで、カッとなっ
て、二人の息子(4歳と1歳)に、ものを投げつけたこともあった。

 夫の収入は、それほど多くはなかった。それでAさんは、夫の両親、つまり義理の両親
から、家計を補助してもらっていた。そのこともあって、Aさんの生活は、ますます派手
になっていった。

 ……という話をここに書くのが目的ではない。

 それから数年後。Aさんの長男は、小学2年生になった。が、その長男に、精神障害が
現れ始めた。ふとしたことで黙りこくったかと思うと、意味のわからない言葉をブツブツ
言いながら、ニヤニヤ笑いだすなど。

 これまたAさんのうつ病が原因で、長男がそうなったとは言えない。しかし関係がない
とは、もっと言えない。

 こういうケースは、つまり、似たようなケースは、今、たいへん多い。虐待とまでは言
えないが、しかしそれに近い。しかし、虐待とは、言えない。本来なら、子どもを母親か
ら切り離したほうがよいのだが、その理由が見つからない。無理に切り離せば、母親は、
ますますその病状を悪化させてしまうかもしれない。そんなケースである。

 ここで、先にも書いたように、母親に、その病識があれば、まだ救われる。しかしこの
タイプの母親にかぎって、それがない。

 ささいなことで激怒し、子どもを罵倒したかと思うと、そのつぎの瞬間には、涙声で、「ご
めんなさい。ママが悪かった」と、子どもにあやまったりする。このつかみどころのなさ
が、子どもを不安にする。

 そこで登場するのが、父親ということになる。が、みながみな、母親のそういう心の病
気に対して、理解があるわけではない。仕事に追われ、家庭をかえりみない父親も、多い。
そのため母親はますます孤立し、病状を悪化させる。

 Aさんの夫も、どこかだらしないAさんの生活ぶりを見て、「なまけ病だ」「仮病だ」「わ
がままだ」と、Aさんを責めた。

 さらに不幸は重なる。二番目の息子に、もっとはげしい精神障害が現れ始めた。小学校
に入るころには、異常な過食が始まった。食べるものがないと、近所のゴミ箱をあさって、
食べていたというから、ふつうではない。ゲーゲーとものを吐き出すまで、ものを食べる
ことも、しばしばあった。

 Aさんはそれを知って、これまたはげしく叱ったが、もちろん効果はなかった。やがて
二番目の息子は、家出、火遊びを繰りかえすようになった……。

 こういうケースを知ったとき、あなたなら、どうするだろうか? どう考えて、どう行
動するだろうか?

 しかし率直に言おう。こういう問題とて、子育てにまつわる無数の問題の一つにすぎな
い。それはたとえて言うなら、波打ちぎわに打ち寄せる大波のようなもの。つぎからつぎ
へと、やってくる。「何とかしなければ……」と考えているうちに、つぎの大波が、またや
ってくる。

 話がそれたが、私ができることは、こういう問題があることを、一人でも多くの読者に
伝えること。そして今は、その病識がなくても、その傾向のある人に、自ら、それに気づ
いてもらうこと。ここにも書いたように、病識があれば、まだこの問題は、解決できる。「私
は、おかしい」と自覚するだけでも、子どもに対する接し方が変わってくる。

 たとえばAさんのケースでも、Aさんのほうから、「では、どうしたらいいでしょうか?」
という相談があれば。話もしやすい。相談に、のることもできる。しかしそもそも、その
病識のない人に対しては、それをすることもできない。「あなたは、少し、おかしいですよ」
と、言うことなど、絶対に、できない。

 
●子どもの不適応症状

 心の病気の二大前兆は、(1)不安感と、(2)抑うつ感である。

 この二つの症状が、子どもに見られたら、親は、家庭教育のあり方そのものを、猛省す
る。

 放置すれば、神経症からうつ病、さらには、不登校、学校恐怖症などの不適応症状とな
って、子どもに現れる。

 ただ不適応症状といっても、内容はさまざま。大きく、つぎの4つに分けて考える。

(1)攻撃型、(2)服従・依存型、(3)逃避型、(4)同情型。

(1)の攻撃型というのは、学校におけるツッパリ児や、家庭内暴力を繰りかえす子ど
もを想像すればよい。が、こうして外の世界に向う攻撃型を、プラス型とするなら、内
に向う攻撃型もある。

 猛烈なガリ勉をする子どもや、あまり意味のないスポーツの練習を一日中するのが、そ
れ。

 このタイプの子どもは、自虐的に自分を攻撃することで、自分のまわりに居心地のよい
世界をつくろうとする。

(2)の服従・依存型は、集団非行を繰りかえす子ども、(3)の逃避型は、不登校児に、
よく見られる。さらに(4)の同情型というのは、わざと病弱で、弱々しい自分を演ず
ることによって、自分にとって居心地のよい世界をつくることをいう。みながあれこれ
心配してくれるような状況を、自分のまわりにつくっていく。いつも何らかの病気や、
体の不調を訴えるのが、その特徴である。

 これらのタイプの子どもは、要するに、まわりの環境にうまく適応できないため、それ
を補う形で、こうした行動に出ると考えるとわかりやすい。

 が、実際問題として、こうした症状が出てくるような段階では、すでに、手遅れとみる。
たいていの親は、(それはある意味ではしかたのないことかもしれないが)、こうした症状
が出てきて、はじめて、自分の子育てに問題があったと気づく。「まだ何とかなる」「うち
の子にかぎって……」「そんなはずはない」と思って無理をすればするほど、それが悪循環
となって、深みにはまってしまう。

 そこで今、あなたの子どもは、どういう状況なのか、冷静に観察してみてほしい。不安
を訴えることはないだろうか。悶々と悩むようなことはないだろうか。ため息をもらした
り、ぼんやりともの思いにふけるようなことはないだろうか。

 もしそうなら、家庭教育のあり方そのものを、一度、反省してみてほしい。

【ある失敗例】

 勉強を、子どもをしごく手段にしている親は、少なくない。

 もう20年ほど前のことだが、こんなことがあった。

 小学1年生のクラスで、足し算の計算問題を、20問ほどやらせたことがある。で、私
のばあい、その子どもが懸命にしたかどうかで、子どもを判断する。そのときも、そうだ
った。

 Nさんという女の子だった。もともと計算が得意な子どもではなかった。が、そのとき
も、懸命にそれをした。

 で、丸をつけるときになってプリントを見ると、20問にうち、4、5問の答がちがっ
ていた。しかし私は大きな丸をつけ、「よくやったね」とほめた。

 が、その夜、母親から電話がかかってきた。いわく、「先生は。どうしてまちがっている
答にも、丸をつけるのか。今、娘に、やりなおさせている。いいかげんな丸をつけないで
ほしい」と。つまり、「しっかりと丸をつけろ!」と。

 そこで様子を聞くと、N子さんは、涙をポロポロとこぼしながら、それをしているとい
う。

 こういうのは、まずい。本当に、まずい。子どもから、やる気を奪ってしまう。それば
かりか、やがて勉強嫌いにし、ついでに、親子の関係も、破壊してしまう。だいたい、小
学1年生のときから、そんなにギスギス教える必要は、ない。

 それを母親に伝えると、母親は、こう反論した。

 「今から、しっかりと教えていかなければ、いいかげんな子どもになってしまいます」
と。

 今でも、こういう親は、珍しくない。しかし本当に、そうだろうか。このテーマは、「正
しい答をいつも出すことが、それほどまでに大切なことなのか」という問題にまで行きつ
く。だいたいにおいて、人生に、正しい答など、ない。絶対に、ない。

 で、予想どおりというか、N子さんの表情は、ますます暗くなっていった。私も、その
一見以来、神経質になってしまった。で、そのあと、N子さんが、どうなったか? 改め
てここに書くまでもないことだと思う。


●子どもの書く、文字

 ある学校の校長が、私にこう言った。「(漢字の)書き順は、最初から、しっかりと教え
る必要があります。一度、へんなクセが身につくと、なおすことができないからです」と。

 いろいろな意見があるだろう。こういう意見に対して、「そうだ」と言う人も多いはず。
しかし本当のところ、何が大切で、そうでないかを、もう一度、私たちは原点から問いな
おしてみる必要がある。

 文字がなぜあるかといえば、それは自分の思想を、相手に伝えるためである。文字をど
う書くかは、つぎのつぎの目的。あるいは目的にもならないかもしれない。現に今、私は、
文字を書いていない。キーボードをたたくことで、瞬時に文字を画面に呼び出している。

 書き方のことを言うなら、これほど、まちがった書き方はない。たとえば「口」の字を、
3画どころか、瞬時に、四角を書いているようなもの。ハネ、ハライ、トメにいたっては、
なぜそんなものが今どきあるのか、私には、どうしても理解できない。

 おかしなことばかりにこだわっているから、子どもは、考えることしのものから、逃げ
てしまう。作文にしても、「作文が好き」と答える子どもは、学年を経るごとにどんどんと
減る。中学生にもなると、大半の子どもが、「作文は嫌い」という。「大嫌い」と答える子
どもも、何割もいる。

 もともとこの社会は、いいかげんなもの。いいかげんであることが悪いのではない。子
どもは、そして人は、そのいいかげんな部分で、羽をのばす。無数のドラマも、そこから
生まれる。

 そういう社会を背中に背負いながら、子どもたちのだけ、ギスギスの(正確さ)を、押
しつけても、意味はない。もともと思想には、流儀はない。文章には、流儀はない。だか
ら文字にも、流儀はない。

(注)長男のときはともかくも、私は、二男、三男には、いっさい、書き順を教えなかっ
た。だから三男は、中学生のときも、たとえば、「口」という字も、クルクルと四角を書い
ていた。私はいつも、「書きたいように書けばいい」と教えてきた。

 ただ他人の子どもについては、そうばかりは言っておれないので、一応、正確に書くよ
うに指導している。あああ……。こうした矛盾は、どうやって克服すればいいのか!


●二男のWebsite(ホームページ)

 二男が、自分のホームページを、全面的につくりなおした。二男は、こうしたホームペ
ージを、C言語をつかって、自ら作る。(私は、ホームページ用に開発されたソフトを使っ
て、つくる。)

 しかも二男は、自分でプロバイダー(サーバー)を、運営している。仲間のために、無
料で、運絵しているという。

 興味のある人は、二男のサイトを訪問してみてほしい。

 で、そのサイトに書いてある英文を読んで、いくつか、「?」と思ったたことがある。

 まずトップページに、「Picture this」とある。

 「写真はここで」という意味らしい。私の習った英語では、「Pictute Here」
というのが、正しいということになる。

 また「Say hello to・・・」というのも、おかしい。これでは、「私のホー
ムページにようこそ」という意味よりは、だれか、ほかの人によろしくという意味になっ
てしまう。

 さらに、「最近掲載した写真」という意味で、「Last changed」とある。正
しくは、「Recently changed」ではないのか?

 で、さっそく、メールを送る。「私の知っている文法では、これらの英文は、おかしいと
思うが、これでいいのか?」と。すると、すぐ、デニーズから返事が届く。一応、州立大
学で、アメリカ文学の学位を取っている。首席で、卒業している。

 いわく、

All of the English grammar issues you mentioned are technically incorrect as far as 
standard rules are concerned. However, they are normal phrases in modern American 
slang. "Picture this" is what you say to someone when you want them to visualize a 
concept--we decided to use the play on words for our photo album. "Say hello to" is a 
slang way of introducing people. They say this on television game shows a lot when 
introducing guest contestants. "Last changed" is the way most people here say that 
something is most recently changed. We apologize for all of the confusion.

 現代英語文法でみるかぎり、あなたが指摘したことは、正しくありません。「Pictu
re this」というのは、「ここを見てください」という意味で、広く使われています。
「Say hello」というのは、人々を紹介するために使う、スラングです。テレビ
番組などでも、広く使われています。また「Last changed」も、「最近かえた
写真」という意味で、広く使われています(要約)。

 英語の達人にたてついた、私が愚かだった。私は、英文も、二男が考えたものと思って
いた。二男の英語は、あまり信用していない。

 しかし、言葉はまさに生き物。英語も、どんどんと変化しているようだ。と、同時に、
懸命に二男をかばうデニーズが、いじらしい。「いい夫婦でよかった」と、別の心で、そう
思った。

 どうか、二男のサイトを訪問してやってください。誠司(孫)も、先日、満2歳になり
ました。


●雑談

 子どものころ、「♪かきに、赤い花、咲く……」という歌を歌った。その「かき」という
のは、「柿」のことだと思った。しかし柿の花は白い。そこである日、「あの歌の歌詞はま
ちがっている」と思ったことがある。が、「かき」というのは、「垣根」の「垣」のことだ
った。

 同じように、「♪おわれて見たのは、いつの日か……」という歌も歌った。私は子どもな
がらに、「どうして追われたのだろう」と思った。ちょうど毎日のように、どこかの畑に、
大根泥棒に入って遊んでいたころだった。私たちもよく農家の人に、追われた。それでそ
の歌に、自分の体験が重なった。

 本当は、「負われて」という意味だった。「おんぶされて見た」という意味。それを知っ
たのは、ずっとあとになってからのことだった。

 さらにこんなことも。「♪……こえ、かけた。こえ、かけた」という歌も歌った。そのと
きも、「お日様が、どうして、肥(こ)えをかけたのか?」と、不思議に思った。当時は、
し尿有機肥料のことを、「肥え」と言った。

 本当は、「声」という意味だった。

 ……というような話を、今日、ドライブをしているとき、車の中でした。それを聞いて
ワイフは、「あんたは、単純な人だったのね」と。「お前は、そういうことはなかったのか?」
と聞くと、「私は、なかったわ」と。

 ワイフは、かなり想像力が弱い子どもだったらしい。

 そう、こんなことも、よく覚えている。小学2年生のときのこと。音楽の時間に、私た
ちは、ハーモニカを練習した。そしてやっとのことで、「秋の虫」をひけるようになった。
が、二番のひきかたがわからない。そこで先生のところへ行って、「二番は、どうやってひ
くのですか?」と聞いた。

 すると先生は、笑いながら、「二番も、一番と同じだよ」と教えてくれた。

 そのとき受けた感動は、今も忘れない。どういうわけか、私は感動したが、今から思う
と、どうしてああまで感動したのか、よくわからない……。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

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 けませんか。
 現在、BW教室、10月入会生を募集しています。
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 見学の申し込み、案内書の申し込みは、どうぞ、下記まで。
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 (案内書の請求)

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 もちろん今までどおり、ご購読くださっても、結構です。うれしく思っています。

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 現在、無料マガジンと並行して、まぐまぐプレミア(通称「まぐプレ」)を発行してい
ます。月額200円です。

 今のところ、無料版も、有料版も、内容はほとんど同じですが、もしよろしかったら、
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 501号〜をめどに、以後、無料版のほうは、随時(ときどき)簡略版発行にするつも
りでいます。(現在、457号です。)

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 以上、率直なお願いです。

 これからも、ご購読、よろしくお願いします。

 ありがとうございました。
                     
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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 27日(No.468)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幼児クラス

 幼児(年長・年中児)クラスでは、知能テストをした。

が、採点はしない。そのつど、つまり一枚ずつテストをしながら、解答を説明して、す
ませた。ただ最後に、一人ずつ、大きな丸を描いて、「よくやったね!」とほめた。

 以前だが、2年間だけ、こうしたテストをし、採点し、その子どもの位置をグラフで示
したことがある。

 しかし、これは大失敗だった。テストのあと、親たちが、パニック状態になってしまっ
た。ついで、私と親たちの信頼関係を、こなごなに破壊してしまった。

 点数が悪かった子どもの親からは、質問や相談の嵐。「こんなはずはない!」と、抗議し
てきた親もいた。

 悪徳教室の経営者なら、こうした親の不安や心配をうまく利用して、金もうけにつなげ
るのだろう。実際、そういう方向で、親を誘導している教室は、少なくない。

 が、それはあえて言うなら、悪魔のささやきのようなもの。しかし、そんなことまでし
て、金もうけして、何になる? 自分の人生をけがして、何になる?

 生きるということは、美しい思い出を重ねながら、その上でやすらぎを覚えること。

 ……ということで、私は、その2年間だけで、幼児クラスでは、テストはしても、いっ
さい、採点はしていない。この時期は、ただひたすら、ほめる。ほめてほめて、ほめまく
る。それでよい。あとは、子ども自身が、自分のもつ力で、伸びてくれる。それを指導す
るのが、私の仕事なのだ。

 だいたい、子どもの点数が悪かったら、それは、それを教える私の責任ではないのか。
その責任を子どもに押しつけて、そういう残酷なことが平気でできるのは、もう人間では
ない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●教え方より、勉強ぐせ

 子どもの学習指導法は、どこか健康指導法に似ている。「教える」のではなく、子ども自
身に、「勉強ぐせ」を、身につけさせる。

 健康法についても、重要なのは、健康法ではなく、それをいかに、習慣として、生活の
中で定着させるか、である。一時的にあれこれしても、ほとんど意味がない。

 もう少し具体的に考えてみよう。

 ある女性(60歳)は、毎朝、犬の散歩にでかける。雨の日も、雪の日も。ぐるりと近
所を回ってくるだけで、帰ってくるころには、ジワリと汗をかいているという。その女性
は犬と散歩をすることにより、足腰を鍛えていることになる。

 これが私が言う、「健康法」である。ときどき、思い立ったように、自転車に乗ってみた
り、水泳教室に行ってみたりしても、ほとんど意味がない。あるいは健康器具を買って、
その場だけ、体をきたえてみても、ほとんど意味がない。

 私も、過去に、いろいろなことを試してみた。水泳クラブにも入ったことがある。テニ
スクラブにも入ったことがある。スポーツセンターの会員になったこともある。

 しかし、どれも結局は、長つづきしなかった。が、その一方で、毎日の自転車通勤こそ
が、私の健康を維持していることに、やがて気がついた。

 その自転車通勤だが、今年で、35年目になる。おかげで、成人病とは、無縁。今でも、
足腰だけは強い。太ももの太さも、同年齢の男性より、2倍近くもある。ただ、それで全
身の健康が維持されているかといえば、実は、そうではない。

 使っていない筋肉については、弱い。たとえば掃除機で、10分も掃除したりすると、
それだけで、疲れてしまう。ハーハーと息切れしてしまう。そういう自分を観察しながら、
「自転車に乗っていなかったら、今ごろは……」と考えるだけで、ぞっとする。

 子どもの勉強をみるときも、重要なのは、いかにして、勉強ぐせを、身につけさせるか、
である。一時的に、何かを教えても、ほとんど意味がないばかりか、かえって子どもに依
存心をつけさせてしまう。

【実際の例より】

 勉強ぐせのない子ども(小学生)を、4、5人の受験生(中学生)の間にすわらせてみ
る。そして何も指導せず、「好きな勉強をしてごらん」と、突き放してみる。

 たいていの子どもは、(混乱)→(観察)→(自学)というプロセスを経て、何となく、
自分で勉強をし始める。その期間は、子どもによってさまざまである。しかしよほど勉強
ぐせのない子どもでも、3〜6か月の間には、自分で勉強するようになる。

 コツは、指導しない。「わからないところがあったら、もってきなさい」とだけ、いつも
繰りかえし、言う。何とも無責任な指導法に見えるかもしれないが、これにまさる指導法
を、私は、知らない。

 よく誤解されるが、手取り、足取り教育は、その場ではたしかに効果的だが、長い目で
見れば、かえって子どものためにならない。もっとも警戒しなければならないのは、依存
心である。

 「言われたことだけをすればいい」「教えられたとおりにすればいい」と。

こうした依存心が、一度、身につくと、子どもは、先生の指導がないと、何もできなく
なってしまう。それこそ、参考書一冊、自分で選ぶことさえ、できなくなってしまう。

それについて、以前、こんな原稿を書いた。

+++++++++++++++

●子どもは環境で包む

 ウソか本当かは知らないが、ヨモギでも、麻(あさ)の中でいっしょに育てると、曲が
らず、まっすぐ伸びるという。中国の荀子(じゅんし)(中国戦国時代の儒者、紀元前三一
五〜二三〇)も、つぎのように書いている。

『蓬(よもぎ)麻の中に生(お)いて扶(たす)けずして、自ずから直し』と。

 こうしたたとえ話は、中国人や、そして日本人が、好んでよく使う。が、自然の中には、
そうでないケースもあるので、たまたまヨモギがそうであるからといって、ほかの植物が
そうであるとはかぎらない。こういうのを「コジツケ」という。

『青は藍より出でて、藍より青い』というのも、そうだ。そう言われると、何となく、「そ
うかなあ」と思ってしまう。しかしそれこそ、相手の思うツボ。相手は、そういう形で、
あなたの批判力を煙に巻く。

 しかし、だ。そうは言っても、この荀子の言っていることは、まちがってはいない。子
どもはまさに環境の産物。そういう環境におけば、そうなるし、そうでない環境におけば、
そうでなくなる。たとえば読書好きの親の子どもは、読書が好きになる。そうでない親の
子どもは、そうでなくなる。勉強好きの親の子どもは、勉強が好きになる。そうでない親
の子どもは、そうでなくなる。以前、こんなことがあった。

 その子ども(小五男児)は、どこかつっぱり始めていた。言葉や態度が乱れ、生活もだ
らしなくなっていた。母親が何かを言おうとすると、即座に、「ウッセー!」と。そこで相
談があったので、私は、その子どもをしばらく預かることにした。

 高校二年生が、四、五人集まるクラスがあった。私はそのクラスに、その子どもを入れ
てみた。高校生たちは、みな、受験生で、緊張感が違った。最初のころは、その子どもは
その雰囲気に圧倒されて、ガチガチだった。しかしそのうち、喜々として勉強するように
なった。そして半年もすると、あのつっぱり症状が、ウソのように消えた。理由があった。

 あとでその子どもの母親に、話を聞くと、こう教えてくれた。その高校生の中に、野球
部の生徒がいた。その子どもは、その生徒を、理想の先輩をとらえた。自分も野球が好き
だったこともある。「日曜日など、その高校生が出る試合に、いつも応援に行っていました」
と。

 つまりその子ども(ヨモギ、失礼!)は、高校生(麻?)の中で育つうちに、曲がり始
めた心を、まっすぐ、自ら伸ばしてしまったというのだ。すべての子どもが、このように
うまくいくとはかぎらないが、しかしこういうケースは、少なくない。子どもは環境で包
み、その環境の中で、伸ばす。

+++++++++++++++++

【勉強ぐせを破壊する親たち】

 幼児でも、小学生でも、中学生でも、この勉強ぐせを作るのは、容易なことではない。
それこそ半年単位の、根気と努力が必要である。

 たとえば毎日学校から帰ってきてから、30分(たった30分でよい)の勉強ぐせをつ
けさせるだけでも、ばあいによっては、1年とか2年もかかる。

 勉強ぐせというのは、そういうもの。

 しかし、その勉強ぐせをこわすのは、一週間で。じゅうぶん。数日でも、よい。が、親
にはそれがわからない。

 今は、受験指導からは、ほとんど足を洗ったので、あえて告白する。

 私の教室でも、かつては多くの受験生を指導していた。たいはんの子どもたちは、私が
幼稚園児のときから教えてきた子どもたちである。

 そういう子どもたちが、いよいよ受験を迎えるようになると、私は、その勉強ぐせづく
りに入る。具体的には、高校受験のばあいには、中学3年の5、6月ごろから、それを始
める。

 簡単な、しかも量の少ないワークブックを、毎日、1冊と決めて、子どもを指導する。
1日1冊である。一見、乱暴な指導法に見えるかもしれないが、「自学」にまさる学習法は、
ない。とくに警戒すべきは、依存心である。

 子どもに依存心ができると、見た目には、教師と生徒の関係は、良好になる。しかし長
い目で見れば、この依存心は、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。高校へ入った
とたん、宙ぶらりんになってしまう、など。

 で、最初、1、2週間は、子どももかなりてこずる。負担も大きい。しかしその苦しい
1、2週間をすぎると、コツを覚え、リズムもできてくる。私はいつものように、「わから
ないところだけ、もってきなさい」とだけ、指導する。

 が、夏休みに入ったとたん、その勉強ぐせが破壊される。どこかの進学塾の夏期講座に
入ったりするからである。それはたとえて言うなら、それまで堅実な生活をしていた人が、
突然、多額の借金をかかえこむのに似ている。あれこれアタフタとしている間に、そのリ
ズム、つまり勉強ぐせをこわしてしまう。

 私はこうした例を、無数に見てきた。そしてそのたびに、「どうして親は、こうまで毎年、
同じ失敗を繰りかえすのか」と思った。

 いろいろな考え方がある。指導方法もある。しかしここで言えることは、ただ一つ。子
どもの勉強ぐせをつけさせることは、あなたが日常生活の中で、健康法を身につけること
と同じくらい、むずかしく、たいへんだということ。

 それがわかってほしかった。

【補記】

 上級生の間にすわらせてみて、その上級生から、勉強ぐせをもらうという学習指導法は、
きわめてすぐれた指導法の一つである。

 イギリスのカレッジ制度の中でも、広く取り入れられている。

 大学に附属するカレッジでは、原則として、上級生が下級生を教えるという方法を採用
している。たいていは、各フロアには、講師以上級の教官が、いっしょに寝泊りする。勉
強だけではなく、学生の生活指導、さらには健康管理までしてくれる。

 私のばあい、風邪をひいたりすると、医学部の上級生がやってきて、注射をうってもら
ったこともある。

 大学での一般講義が終わると、カレッジの学生は、講義室に入り、そこで上級生から抗
議を受ける。時間的には、夕食前であったり、夕食後であったりする。

 で、この指導法のコツは、最初、「あれをしなさい」「これをしなさい」と、指示しない
こと。あくまでも、子どもの意思に任す。

 子どもよっては、何をしてよいかわからず、モジモジしたり、ソワソワしたりするが、
それも一巡すると、今度は、あきらめて自分で教科書を開いて、勉強し始める。しかしそ
れがその子どもの、勉強ぐせの第1歩と考える。その第1歩をうまくとらえ、ほめ、そし
てそれを少しずつ、伸ばす。
(はやし浩司 勉強ぐせ 勉強グセ 勉強癖 子どもの学習指導)

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おまけ

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子どもが伸びるとき

●伸びる子どもの四条件

 伸びる子どもには、次の四つの特徴がある。(1)好奇心が旺盛、(2)忍耐力がある、
(3)生活力がある、(4)思考が柔軟(頭がやわらかい)。

(1)好奇心……好奇心が旺盛かどうかは、一人で遊ばせてみるとわかる。旺盛な子ども
は、身のまわりから次々といろいろな遊びを発見したり、作り出したりする。趣味も広く、
多芸多才。友だちの数も多く、相手を選ばない。数才年上の友だちもいれば、年下の友だ
ちもいる。

何か新しい遊びを提案したりすると、「やる!」とか「やりたい!」とか言って、食いつ
いてくる。反対に好奇心が弱い子どもは、一人で遊ばせても、「退屈〜ウ」とか、「もう
おうちへ帰ろ〜ウ」とか言ったりする。

(2)忍耐力……よく誤解されるが、釣りやゲームなど、好きなことを一日中しているか
らといって、忍耐力のある子どもということにはならない。子どもにとって忍耐力という
のは、「いやなことをする力」のことをいう。

たとえばあなたの子どもに、掃除や洗濯を手伝わせてみてほしい。そういう仕事でもいや
がらずにするようであれば、あなたの子どもは忍耐力のある子どもということになる。あ
るいは欲望をコントロールする力といってもよい。目の前にほしいものがあっても、手を
出さないなど。こんな子ども(小三女児)がいた。

たまたまバス停で会ったので、「缶ジュースを買ってあげようか?」と声をかけると、こ
う言った。「これから家で食事をするからいいです」と。こういう子どもを忍耐力のある
子どもという。この忍耐力がないと、子どもは学習面でも、(しない)→(できない)→
(いやがる)→(ますますできない)の悪循環の中で、伸び悩む。

(3)生活力……ある男の子(年長児)は、親が急用で家をあけなければならなくなった
とき、妹の世話から食事の用意、戸じまり、消灯など、家事をすべて一人でしたという。
親は「やらせればできるもんですね」と笑っていたが、そういう子どもを生活力のある子
どもという。エマーソン(アメリカの詩人、「自然論」の著者、一八〇三〜八二)も、『教
育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重することである』と書いている。

(3)思考が柔軟……思考が柔軟な子どもは、臨機応変にものごとに対処できる。同じい
たずらでも、このタイプの子どものいたずらは、どこかほのぼのとした温もりがある。食
パンをくりぬいてトンネルごっこ。スリッパをつなげて電車ごっこなど。反対に頭のかた
い子どもは、一度「カラ」にこもると、そこから抜け出ることができない。ある子ども(小
三男児)は、いつも自分の座る席が決まっていて、その席でないと、どうしても座ろうと
しなかった。

 一般論として、「がんこ」は、子どもの成長にとって好ましいものではない。かたくな
になる、意固地になる、融通がきかないなど。子どもからハツラツとした表情が消え、動
作や感情表現が、どこか不自然になることが多い。教える側から見ると、どこか心に膜が
かかったような状態になり、子どもの心がつかみにくくなる。

●子どもを伸ばすために

子どもを伸ばす最大の秘訣は、常に「あなたは、どんどん伸びている」という、プラス
の暗示をかけること。そのためにも、子どもはいつもほめる。子どもを自慢する。ウソ
でもよいから、「あなたは去年(この前)より、ずっとすばらしい子になった」を繰り
返す。

もしあなたが、「うちの子は悪くなっている」と感じているなら、なおさら、そうする。
まずいのは「あなたはダメになる」式のマイナスの暗示をかけてしまうこと。とくに「あ
なたはやっぱりダメな子ね」式の、その子どもの人格の核に触れるような「格」攻撃は、
タブー中のタブー。

その上で、(1)あなた自身が、自分の世界を広め、その世界に子どもを引き込むよう
にする(好奇心をますため)。また(2)「子どもは使えば使うほどいい子になる」と
考え、家事の手伝いはさせる。「子どもに楽をさせることが親の愛」と誤解しているよ
うなら、そういう誤解は捨てる(忍耐力や生活力をつけるため)。そして(3)子ども
の頭をやわらかくするためには、生活の場では、「アレッ!」と思うような意外性を大
切にする。

よく「転勤族の子どもは頭がいい」と言われるのは、それだけ刺激が多いことによる。
マンネリ化した単調な生活は、子どもの知恵の発達のためには、好ましい環境とは言え
ない。
(はやし浩司 ビネー スタンフォード 知能検査 知能テスト IQ 生活年齢 精神
年齢 子どもの知的能力 知的能力 知能)
(040325)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●帰宅拒否を疑う

 不登校ばかりが話題になるが、それと同じくらい問題なのが、帰宅拒否。

今、園でも学校でも、家に帰りたがらない子どもがふえている。もっとも子どものばあ
い、「帰りたくない」とは言わない。態度や行動で、それを示す。そこでもしあなたの子
どもが、毎日家に帰ってくるのが、不自然に遅いとか、回り道をしてくるとか、あるい
はいつも友だちの家に寄ってくるというのであれば、この帰宅拒否を疑ってみる。こん
な子ども(年長男児)がいた。

 帰りのバスの時刻になると、決まってどこかへ隠れてしまうのだ。炊事室の中や、園舎
の裏など。で、そのたびに幼稚園中が大騒ぎ。やがて先生が手を焼き、親に迎えにきてほ
しいという手紙を出したが、このケースで、まず疑ってみるべきは、帰宅拒否である。「家
に帰りたくない」という思いが、子どもをしてこうした行動をとらせるようになる。

 もちろん原因は、家庭にある。家そのものが狭いとか窮屈ということもあるが、子ども
の側からみて、息が抜けない、気が休まらないなど。それをまず疑ってみる。親の神経質
な過干渉、過関心が原因となることも多い。ほかに家庭騒動、不和、崩壊などもある。家
庭が家庭として機能していないとみる。

 そこでテスト。あなたの子どもは、園や学校から帰ってきたとき、明るい声で、「ただい
ま!」と、意気揚々と帰ってくるだろうか。もしそうならそれでよい。しかしここに書い
たように、様子がへんだと感じたら、家庭のあり方をかなり反省したほうがよい。こうし
た状態が長く続けば続くほど、子どもの心に深刻な影響を与える。最悪のばあいには、外
泊、家出、さらには集団非行へと進みかねない。

 前にも書いたが、「家庭(ホーム)」は、子どもにとっては、心をいやし、心を休める場
所でなければならない。またそれができてこそ、「家庭」という。そういう家庭を用意する
のは、親の義務と考えてよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親のうしろ姿は見せない

 子育てのために苦労している姿。生活のために苦労している姿。そういうのを、この日
本では、「親のうしろ姿」という。

こうしたうしろ姿は、親が見せたくなくても、子どもは見てしまうものだが、しかしそ
れを子どもに押し売りしてはいけない。よい例が、窪田聡という人が作詞した、「かあさ
んの歌」である。「♪かあさんは夜なべをして、手袋編んでくれた……」というあの歌で
ある。


しかしあの歌ほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。そういう歌が、日本
の名曲になっているところに、日本の子育ての問題点が隠されている。ちなみに、歌詞
は、三番まであるが、三、四行目は、かっこつきになっている。つまりその部分は、母
からの手紙の引用ということになっている。

 「♪木枯らし吹いちゃ、冷たかろうて、せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間で、ワラ
打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪も溶けりゃ、もうすぐ春だで。畑が待っているよ」
と。

 あなたが息子であるにせよ、娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、それこ
そ羽ばたける羽もはばたけなくなってしまう。たとえそうであっても、親が子どもに手紙
を書くとしたら、「村祭りに行ったら、手袋を売っていたから、買って送るよ」「おとうは
居間で俳句づくり。新聞にもときどき、載るよ」「春になったら、みんなで温泉に行ってく
るからね」である。

 日本人は無意識のうちにも、子どもに、「産んでやった」とか「育ててやった」とか言っ
て、恩を着せる。子どもは子どもで、「産んでもらった」とか「育ててもらった」とか言っ
て、恩を着せられる。そしてそういう関係の中から、日本独特の親意識が生まれ、親孝行
論が生まれる。しかし子どもが親のために犠牲になる姿など、美徳でも何でもない。いわ
んや親がそれを子どもに求めたり、期待してはいけない。

親は親で、自分の人生を前向きに生きる。そしてそういう姿を見て、子どもは子どもの
人生を前向きに生きる。親子といえども、その関係は、一人の人間対一人の人間の関係
である。一見冷たい人間関係に見えるかもしれないが、一人の人間として互いに認めあ
う。それが真の親子関係の基本である。

あのイギリスのバートランド・ラッセル(イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)
もこう言っている。「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだ
けの訓練は施すけれども、決して限度を超えないことを知っている、そんな両親のみが、
家族の真の喜びを与えられる」と。(はやし浩司のサイト:
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

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子どもの心を変える法(信じて伸ばせ!)

親の口グセが子どもを伸ばすとき

●相変わらずワルだったが……  

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようとする。そうい
う性質を利用して、子どもを伸ばす。こんなことがあった。

 昔、私が勤めていた幼稚園にどうしようもないワルの子ども(年中男児)がいた。友だ
ちを泣かす、けがをさせるは、日常茶飯事。それを注意する先生にも、キックしたり、カ
バンを投げつけたりしていた。どの先生も手を焼いていた。が、ある日、ふと見ると、そ
の子どもが友だちにクレヨンを貸しているのが目にとまった。

私はすかさずその子どもをほめた。「君は、やさしい子だね」と。数日後もまた目が合っ
たので、私はまたほめた。「君は、やさしい子だね」と。それからもその子どもはワルは
ワルのままだったが、しかしどういうわけか、私の姿を見ると、パッとそのワルをやめ
た。そしてニコニコと笑いながら、「センセー」と手を振ったりした。

●子どもの心はカガミ

 しかしウソはいけない。子どもとて心はおとな。信ずるときには本気で信ずる。「あなた
はよい子だ」という「思い」が、まっすぐ伝わったとき、その子どももまた、まっすぐ伸
び始める。

 正直に告白する。私が幼稚園で教え始めたころ、年に何人かの子どもは、私をこわがっ
て幼稚園へ来なくなってしまった。そういう子どもというのは、初対面のとき、私が「い
やな子ども」と思った子どもだった。つまりそういう思いが、いつの間にか子どもに伝わ
ってしまっていた。人間関係というのは、そういうものだ。

イギリスの格言にも、『相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う』というのが
ある。つまりあなたが相手をよい人だと思っていると、相手も、あなたをよい人だと思
うようになる。いやな人だと思っていると、相手も、あなたをいやな人だと思うように
なる。

心理学の世界でも、これを好意の返報性という。

一週間や二週間なら、何とかごまかしてつきあうということもできるが、一か月、二か
月となると、そうはいかない。いわんや半年、一年をや。思いというのは、長い時間を
かけて、必ず相手に伝わってしまう。では、どうするか。

 相手が子どもなら、こちらが先に折れるしかない。私のばあいは、「どうせこれから一年
もつきあうのだから、楽しくやろう」ということで、折れるようにした。それは自分の職
場を楽しくするためにも、必要だった。もっともそれが自然な形でできるようになったの
は、三〇歳も過ぎてからだったが、それからは子どもたちの表情が、年々、みちがえるほ
ど明るくなっていったのを覚えている。そこで家庭では、こんなことを注意したらよい。

●前向きな暗示が心を変える

 まず「あなたはよい子」「あなたはどんどんよくなる」「あなたはすばらしい人になる」
を口グセにする。子どもが幼児であればあるほど、そう言う。もしあなたが「うちの子は、
だめな子」と思っているなら、なおさらそうする。

最初はウソでもよい。そうしてまず自分の心を作りかえる。人間関係というのは、不思
議なものだ。日ごろの口グセどおりの関係になる。互いの心がそういう方向に向いてい
くからだ。が、それだけではない。相手は相手で、あなたの期待に答えようとする。相
手が子どものときはなおさらで、そういう思いが、子どもを伸ばす。こんなことがあっ
た。

 その家には四人の男ばかりの兄弟がいたのだが、下の子が上の子の「おさがり」のズボ
ンや服をもらうたびに、下の子がそれを喜んで、「見て、見て!」と、私たちに見せにくる
のだ。ふつう下の子は上の子のおさがりをいやがるものだとばかり思っていた私には、意
外だった。そこで調べてみると、その秘訣は母親の言葉にあることがわかった。母親は下
の子に兄のおさがりを着せるたびに、こう言っていた。「ほら、あんたもお兄ちゃんのもの
がはけるようになったわね。すごいわね!」と。母親はそれを心底、喜んでみせていた。
そこでテスト。

 あなたの子どもは、何か新しいことができるようになるたびに、あるいは何かよいニュ
ースがあるたびに、「見て、見て!」「聞いて、聞いて!」と、あなたに報告にくるだろう
か。もしそうなら、それでよし。そうでないなら、親子のあり方を少し反省してみたほう
がよい。

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子どもに生きざまを教える法(懸命に生きてみ
せろ!)
子どもに生きる意味を教えるとき 

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。たとえば高校野球。私たちが
なぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもたちの懸命さを感ずるからではな
いのか。

たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私たちがしている「仕事」だって、意味が
あるようで、それほどない。「私のしていることは、ボールのゲームとは違う」と自信を
もって言える人は、この世の中に一体、どれだけいるだろうか。

●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。「♪私たちはな
ぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」と。

それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果と
いうわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを見い
だした。

 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。

『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛
すること。信ずること』(第五編四節)と。

つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、
(その味は)わからないのよ』と。

●懸命に生きることに価値がある

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。みん
な必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げられ、
そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだまする。一瞬
時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの絶叫が、同時に場内を埋めつくす……。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって、人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言う
なら、懸命に生きるからこそ、人生は光を放つ。生きる価値をもつ。

言いかえると、そうでない人に、人生の意味はわからない。夢も希望もない。情熱も闘
志もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を、無難に過ごしている人には、人
生の意味はわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」と、
子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、懸命
に生きる、その生きざまでしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほおばりながら、適当に試合をし
ていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そう
いうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生
からは、結局は何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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☆★★★★★☆☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★☆☆☆☆10月生・募集します☆☆☆
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【読者のみなさんへ、BW幼児教室のご案内】

●みなさんのお近くに、現在、園の年中児、年長児のお子さんは、
 いらっしゃりませんか。
 もしいらっしゃれば、私の教室(BW教室)の話をしていただ
 けませんか。
 現在、BW教室、10月入会生を募集しています。
 みなさんのご紹介であれば、自由に見学してもらえます。
 見学の申し込み、案内書の申し込みは、どうぞ、下記まで。
 みなさんからの、ご連絡をお待ちしています。
 
 (案内書の請求)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

 見学……みなさんのご都合に合わせて、随時、していただいています。
     どうか、お問い合わせください。
     お待ちしています。

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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          以上、よろしくお願いします!

●こわい三大主義

 子育てで避けたい主義に、スパルタ主義、完ぺき主義、それに極端主義がある。スパル
タ主義や完ぺき主義はともかくも、問題は極端主義。子育てはどこか標準的、どこかいい
かげん、どこかふつうという感じが大切。「どこか極端?」と感ずるような子育て法は、効
果よりもその弊害を疑ってみたほうがよい。

 ところでこの世界、つまり教育(子育て)評論の世界では、他人の子育て法には干渉し
ないという暗黙の了解がある。自分の正しさを前向きに主張しても、他人のそれは批判し
ない。しかし、だ。それでもおかしな教育法がある。

昔、Tヨットスクールという団体があった。それもそのひとつだが、最近でも、不登校
の子どもやそれをもつ親に向かって、「バカヤロー」とか、「おまえら!」とか叫んでな
おす(?)という女性が現れた。NHKテレビでも紹介されたというから驚きである(新
聞の広告)。私は彼女が書いた本を二冊ほど読んだが、とても読むに耐えない内容の本だ
った。感情的というか、感情的すぎるほどの本だった。だいたいにおいて、不登校を「悪」
と決めてかかる発想が、短絡的である。

 いうなればこれもここでいう極端主義である。彼女は「不登校を怒鳴ってなおす」と言
っているようだが、これは一方で、子どもの不登校問題を地道に考え、指導してきた人た
ちへの冒涜(ぼうとく)でもある。仮にそれでなおったかのように見えるとしても、さら
に大きなキズを子どもの心に残すかも知れない。このことはあのTヨットスクールですで
に証明されたことでもある。

 ときどき、しかも忘れたころ、こうした極端な教育法がこの世界をにぎわす。不安のど
ん底にいる人にとっては、魅力的な教育法に見えるかもしれないが、こうした極端な教育
法はまず疑ってみたほうがよい。あるいは近づかないほうがよい。

子育てというのは、あくまでも子どもという「人間」を見て判断する。しかしそれは難
しいことではない。もしそれがわからなければ、子どもを「あなた」と置き換えてみる
とよい。いつも「自分なら、それを望むだろうか」「自分なら、それができるだろうか」
「自分なら、どうなるだろうか」と考えればよい。それでよい。

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●教育カルトにご注意

 以前、たまごっちというゲームがはやった。そのときのこと。あの電子の生き物(?)
が死んだ(?)だけで、おお泣きする子どもはいくらでもいた。一方、その少しあと、今
度は、ミイラ化した死体を、「生きている」とがんばったカルト教団が現れた。

 この二つの事実は、まったく正反対で、関連性がないように思う人がいるかもしれない
が、その「質」は同じとみる。つまり生きていない生き物(?)を死んだと思い込む回路
と、死んだ人間を生きていると思い込む回路は、方向性こそ逆だが、その中身は同じ。子
どもも、そしておとなも、ふとしたきっかけで、こうした回路にハマりやすい。

 実のところ、教育の世界にもカルトは存在する。「S方式教育法」と言い出したら、あけ
てもくれても、「S方式」と言い出す。「M方式」と言い出したら、あけてもくれても「M
方式」と言い出す。親や子どもではない。教育者自身がそう言い出す。そしてそれを盲信
するあまり、ほかの教育法を徹底的に攻撃する……。次のような症状があれば、教育カル
トを疑ってみる。

 (1)「自分の教育法が絶対正しい」という反面、その返す刀で、「相手はまちがってい
る」という。

(3)絶対的な権威者をもちだし、その権威者を神か仏のようにあがめる。あがめる分
だけ、「私」がどこかへ消える。「この教育法で学んだすばらしい子どもたちの演奏
をお聞きください」と雑誌に書いていた人がいた。「私」というものがあれば、おこがまし
くて、ここまでは書けない。

(3)狂信的な説明が多くなる。常識ハズレなことを言い出す。「どこかおかしい」と感じ
るような発言が多くなる。「この方式で学んだ子どもたちが、やがてゾロゾロと東大の赤門
をくぐることになるでしょう」と書いている団体が、実際にある。

ひとつの教育法を盲信することは、その盲信する人にとっては、たいへん楽なことでも
ある。「考える」ということには、それ自体苦痛がともなう。そこで人は自分の思想を他
人に預ける。しかしこれはたいへん危険なことでもある。いつしかとんでもない世界に
ハマりながら、それにすら気づかなくなる。それこそミイラ化した死体を見ながら、「生
きている」とがんばるようなこともするようになる。

子育てではいつも「常識」を基準にして考える。(はやし浩司のサイト:http://w
ww2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

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子どもの親像を育てる法
(ぬいぐるみを抱かせろ!)

子どもに母性や父性が育つとき

●ぬいぐるみでわかる母性 

 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわか
る。しかもそれが、三〜五歳のときにわかる。父性や母性(父性と母性を区別するのも、
おかしなことだが……)が育っている子どもは、ぬいぐるみを見せると、うれしそうな顔
をする。さもいとおしいといった表情で、ぬいぐるみを見る。抱き方もうまい。

そうでない子どもは、無関心、無感動。抱き方もぎこちない。中にはぬいぐるみを見せ
たとたん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三児の約八〇%の子どもが、
ぬいぐるみを持っている。そのうち約半数が「大好き」と答えている。

●男児もぬいぐるみで遊ぶ

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオー
ストラリアに限らず、欧米では、子どもの誕生日に、ペットを与えることが多い。つまり
子どものときから、動物との関わりを深くもたせる。一義的には、子どもは動物を通して、
心のやりとりを学ぶ。しかしそれだけではない。

子どもはペットを育てることによって、父性や母性を学ぶ。そんなわけで、機会と余裕
があれば、子どもにはペットを飼わせることを勧める。犬やネコが代表的なものだが、
心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬいぐるみを与える。やわらかい素
材でできた、温もりのあるものがよい。

●悪しき日本の偏見

 日本では、「男の子はぬいぐるみでは遊ばないもの」と考えている人が多い。しかしこれ
は偏見。こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり男の
子がぬいぐるみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。

男児も幼児のときから、たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただし
ここでいう人形というのは、その目的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダ
ムとかいうのは、ここでいう人形ではない。

 また日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、
これも偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。その一つの例が、五月人
形。弓矢をもった武士が、力強い男の象徴になっている。三〇〇年後の子どもたちが、銃
をもった軍人や兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。どこかおかしいが、そのおかしさ
がわからないほど、日本人はこの出世主義に、こりかたまっている。「男は仕事(出世)、
女は家事」という、あの日本独特の男女差別思想も、この出世主義から生まれた。

●ぬいぐるみで育つ母性と父性

 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、静かな落ちつきがある。おだやかで、も
のの考え方が常識的。どこかほっとするような温もりを感ずる。それもぬいぐるみを抱か
せてみればわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみを見せた
だけで、スーッと頬を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、虐待パパや虐待マ
マにはならない。言いかえると、この時期すでに、親としての「心」が決まる。

 ついでに一言。「子育て」は本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があって
はじめて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どうも
心配だ」と思っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと遊び
ながら、子どもは親になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出される。

***************************************


子どもの心をつかむ法(恩を着せるな!)
子どもの心が離れるとき 

●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前
向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考え
なくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形
で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。

子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待す
るのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親
に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育てて
やった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」
と、恩を着せられてしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌
手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(二〇〇〇年夏)。「私は母の女手
一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」
と。はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。

しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくな
ってしまった。五〇歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで
追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のう
ちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかり
やすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく
当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』
である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。

戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着
せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、三番まであるが、
それぞれ三、四行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引
用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あ
なたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけな
くなってしまうに違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べ
ながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にも
ときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」であ
る。そう書くべきである。

つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々
と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中二男子)がいた。自分
のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そ
ういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取
り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはい
る。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければな
らない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢
が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。子どもを
育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本
では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し
売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美
徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こ
んな調査結果がある。

平成六年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若
者はたったの、二三%(三年後の平成九年には一九%にまで低下)しかいない。自由意
識の強いフランスでさえ五九%。イギリスで四六%。あのアメリカでは、何と六三%で
ある(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな
転換期にきているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親の
ものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のため
でもある。私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなけ
ればならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳
ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求め
た。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。

ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生
きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平
成六年)は、次のようになっている。
 フィリッピン ……八一%(一一か国中、最高)
 韓国     ……六七%
 タイ     ……五九%
 ドイツ    ……三八%
 スウェーデン ……三七%
 日本の若者のうち、六六%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏
から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 


【2】子育てのこと□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●孤独からの解放

ぼくには、信ずる人も、愛する人も、心を許せる人もいなかった。
いつも明るく、快活に振る舞ってはいたが、それはいわば仮面。
ぼくは、いつも、自分の心を偽っていた。他人をだましてばかりいた。
いい人に見せようと、そんなことばかり気をつかっていた。 

だからぼくは、社交的に見える反面、人とのつきあいが苦手だった。
人とまじわると、すぐ疲れた。本当は、人間嫌い? それとも、さみしがり屋?
どちらともわからず、30年が、過ぎた。50年が、過ぎた。

先日、私は、床に入ってから、ワイフに、こうわびた。
「今夜、お前に、あやまりたいことがある」と。そう言うと、ワイフは、
「またア……?」と。私が、いつもの冗談を言うと思ったらしい。

「ううん、まじめな話だ。ぼくは、結婚して30年になるというのに、
いまだにお前を信じていない。そういう夫をもって、お前も、
さみしい思いをしたことだろう。それを許してほしい」と。

孤独は、向こうからやってくるものではない。自分でつくるもの。
自分が心を開かないで、どうして相手が心を開けるのか。
相手の孤独を共有できないで、どうして自分の孤独を共有してくれと言えるのか。

しかし、孤独をいやすのは、簡単なこと。本当に簡単なこと。
相手の心の中に、自分を置けばよい。たったそれだけのこと。
それだけのことで、さみしさがいやされる。孤独が消える。

相手を信ずることのすばらしさ。相手を愛することのすばらしさ。
そして相手を許すことのすばらしさ。無条件で、見かえりを求めない。
裏切られることのない世界。不安に思うことのない世界。
さあ、あなたも、相手の心の中に、自分を置いてみよう。
そして勇気を出して、相手の悲しみや苦しみを共有してみよう。

そのとき、あなたは、孤独から解放される。真の自由を手に入れる。

【私のばあい】

 あるときのこと。ずいぶんと前のことだった。5年前だったかもしれない。10年前だ
ったかもしれない。そのとき私は、電車に乗っていた。

 通路をはさんで、向こうの席に、同年齢くらいの女性がすわっていた。その女性は、目
を閉じて、下を向いていた。

 私はそのとき、ふと、本当に、ふと、こう思った。「あの女性の心の中に入ってみよう」
と。

 それは今から思うと、おかしな心の実験だった。私は、懸命に想像力を働かせて、その
女性の心の中に入ってみた。
 
 「その女性から見ると、反対がわにすわっている私は、どう見えるか?」
 「その女性に、私は、どんな印象を与えているか?」と。

 すると、意外にも意外。実に簡単に、その女性の心の中に入ることができた。静かに目
を閉じると、その女性の中に入った私が、私自身を見ているのに気づいた。

 いつしか私は、簡単に、相手の心の中に入っていくことができるようになった。話しか
けられたとき。何かの相談をもちかけられたとき。相手の心の中に一度入って、そこから
ものを考えられるようになった。

 このことは、子どもを教えているときも、そうだ。やる気なさそうな顔をして、ぼんや
りと外を見ている子どもがいたとする。

 そういうとき、その子どもの心、つまりその子どもの視点を通して、自分もぼんやりと
外を見てみる。すると、そのときの子どもの心の様子が、手に取るようにわかる。

 以前の私なら、そういう子どもを見ると、頭ごなしとまではいかないにしても、自分の
立場だけを考えて、叱っていたかもしれない。しかし一度、子どもの心の中に自分を置く
と、叱れなくなってしまった。

 これは不思議な経験だった。

 それからというもの、道路ですれちがった人の心の中に入ってみたり、テレビの中で話
している人の心の中に入ってみたり……。

 方法はここにも書いたように、簡単。本当に簡単。ウソのように簡単。相手の心の中に
自分を置き、その人の目を通して、まわりを見る。

 で、最近は、さらにこんなことまでわかるようになった。

 この方法でも、その人の心の中に入れないときがある、ということ。

 今日も、自転車で、仕事場に向かうとき、1人の自転車に乗った若い男とすれちがった。
そのときのこと。いつものように、ふと、その若い男の心の中に入ってみようとした。

 しかし、とたん、何とも言えない不快感。小ずるくて、インチキ臭い。その目つきは、
獲物を求めてギラギラしている野獣のようでもあった。一片の知性も理性も感じなかった。
とたん、私は、その若い男の心の中に入るのをやめた。やめたというより、すごく窮屈な
感じがした。そのまま息がつまるような、閉塞感だった。

 それでその若い男の心の中に、入るのをやめた。

 そういうことは、ある。

 そう、私は、もともと自己中心的な男だった。だれかがどこかで不幸になったというよ
うな話を聞いたときも、「ああ、自分でなくてよかった」とか、「自業自得だ」とか、思っ
たりした。

 しかしこういう生きザマは、自分を孤独にするだけ。あるとき、それに気づいた。

 が、相手の心の中に自分を置くと、ものの考え方や見方が、一変する。その人の悲しみ
や苦しみが、そのまま自分のものになる。幸いにも、私は、想像力だけは、人一倍、たけ
ている。子どものころから、よくものを夢想した。

 だからそのときも、つまり電車の中で、通路をはさんで向こう側にすわった女性の心の
中に入ったときも、それほど、むずかしいことではなかった。相手の目を通して、「私」が、
そこにすわっているのが、ありありと想像できた。

 それからというもの、この方法は、子育て相談を受けるようなときにも、たいへん役に
立つようになった。一度、その人の心の自分を置いて考えることができるようになった。
その人の問題を、自分の問題として、考えることができるようになった。

 そんなわけで、もしあなたが、自分はどこか自己中心的と、さみしい思いをしているな
ら、ぜひ、この方法を、一度、試してみてほしい。あなたの心の世界が、それで、大きく
変わると思う。



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●被害妄想と過剰行動

 自分は、言いたい放題のことを言い、したい放題のことをしておきながら、相手が、少
しでも自分の気に食わないことを言ったりすると、ギャーギャーと騒ぐ。

 それが今のK国の姿だが、こうした被害妄想性と過剰反応性は、いったい、どこからく
るのか。

 ことのいきさつは、こうだ。

 アメリカのブッシュ大統領が、K国の金XXを、「暴君」と表現した。英語で何といった
のか、調べてみたが、わからなかった。和英辞書では、暴君は、「tyrant」となって
いる。ブッシュ大統領は、多分、その単語を使ったのだろう。

が、しかし「tyrant(暴君)」というのは、「無道な君主」(日本語大辞典)という
意味であって、それほど、おおげさに考えなければならないような単語ではない。つま
りここに、K国の、被害妄想性と過剰行動性がある。

 北朝鮮外務省スポークスマンは、ブッシュ大統領の発言に反応して、23日(04・0
8)、ブッシュ米大統領を「暴君中の暴君」とこきおろした上で、「ヒトラーをしのぐ暴君
で政治的未熟児」と非難した。

これを受けて、国営朝鮮中央通信社(KCNA)も、24日、「政治的愚者で人間のクズ
であるブッシュ大統領が、依然世界唯一の超大国の大統領官邸に居座り、世界の皇帝を
気取っていることは、最大の悲劇だ」(ロイター)と報道した。

 まあ、しかし、たった一言で、ここまで過剰反応するとは!

 こうした現象は、子どもの世界でも、ときどき見られる。

 先生のちょっとした言葉じりをつかまえて、ことさらおおげさに騒ぐ。「ほら、虐待だ」
「ほら、いじめだ」と。

 もともと信頼関係がないから、そうなるが、こうした子どもは、(親も)、本当に、扱い
にくい。何を言っても、それを悪いほうに、悪いほうに、解釈してしまう。が、信頼関係
だけでは、このタイプの子どもは、理解できない。

 このタイプの子どもは、心もゆがんでいる。

 つっぱり、いじけ、ひがみ……。そういったものが、複合化し、心の中でウズを巻いて
いる。すなおに自分の姿を、客観的に見ることすらできない。精神的には、きわめて自己
中心性が強く、未発達な子どもとみる。サロヴェイの「感情的知能」、つまり「EQ」とい
う概念を借りるなら、そのEQが、きわめて低い子どもとみる。

 K国の金XXも同じで、アメリカ政府の高官は、「K国は、割りにくいナッツ」(パウエ
ル)と表現した。K国のかたくなな外交姿勢を、評したものと思われる。

 が、それにしても、K国の被害妄想性と過剰行動性は、度を越している。K国にはK国
なりのいろいろなプライドもあるのだろう。が、そのプライドのことを言うなら、いまだ
に脱北者が、あとを断たないほうが、よっぽど、恥ずかしいことではないのか。

 19日も、新たに15人の脱北者が、北京の韓国大使館に逃げこんだ。現在、その韓国
大使館だけでも、110人もの脱北者が、韓国行きを待って、滞在しているという(ヤフ
ー・ニューズ)。

 K国の体制崩壊は近いと、だれもが言う。しかしその一方で、K国の民衆は、カルト信
者化しているので、そういうことはありえないと主張している人もいる。ふつうなら、と
っくの昔に崩壊していても、おかしくない国である。が、その「ふつう」の常識がまった
く、とおらない。とおらないから、わけがわからない。

 そこに金XXの心のゆがみをみるのは、はたして、私だけだろうか?

【補記】

 それにしても理解に苦しむのは、韓国の左翼化。反日、反米は、わかる。しかしなぜ、
親北なのか。つぎつぎと打ち出される政策をみると、ノ大統領イコール、金xx。そんな
印象すらもつ。あるいは、ノ大統領自身は、共産主義者かもしれない。ノ大統領は、K国
の核兵器を、内心では容認しつつ、南北の共和制をもくろんでいるという説もある。

 もしそうなれば、日本にとっては、一大事。韓国の経済力、未来的な軍事力に、日本は、
もっと警戒すべきではないのか。仮に共和制ということになれば、韓国はK国と並んで、
莫大な戦後補償を日本に要求してくる。「言うことを聞かなければ、日本を占領するぞ」と。

 今、注視すべきは、K国というより、韓国の動向である。

++++++++++++++++++++++

●相手を不愉快にする……!

 このところ、何人かの読者から、「公務員への攻撃をやめてほしい」「大学の人事制度を、
批判しないでほしい」という、意見をもらった。

 反省している。

 私は、個人攻撃をするつもりは、ない。しかしこうしてものを書いていると、どうして
も、どこかでだれかを、不愉快にしてしまう。そういうつもりはないのだが、不愉快にし
てしまう。

 本当なら、当りさわりのないことだけを、それとなく書いてすますのが一番、よい。あ
えて相手を不愉快にしたり、その上、あえて敵をつくることはない。だいたいにおいて、
私のような者が、いくら叫んでも、社会は、ビクともしない。ビクとも、動かない。

 本当のことを言えば、このところ、少し、疲れてきた。どこか投げやりの気持ちも生ま
れてきた。「どうでも、なれ!」と。

 しかしこれからは、もう少し、穏やかな書き方をしよう。読者の数もふえたので、今ま
でのように、無責任な放言は許されない。とくに政治や社会問題については、そうだ。

 北海道のAさん、岐阜市のBさん、それにホームページ・コンテストを通して、メッセ
ージを届けてくれた、Cさん。私の軽率な評論が、みなさんを不愉快にしたようです。ど
うか許してください。

 これからは、できるだけ、子育ての話題を中心に、原稿を書くことにします。



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話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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【読者のみなさんへ……】

●マガジンを発行するにあたって……

 このマガジンは、みなさんの子育てで、役にたっていますか?

 もし、そうなら、うれしいです。

 で、率直に……。マガジンを発行するについて、それなりの経費が、そのつど、かかる
のも事実です。そこで、「最前線の育児論」の読者の方には、賛助会への協力をお願いし
ています。

 賛助会のほうへ、ご協力を、お願いできないでしょうか。お気持ちのある方は、どうか、
ご協力ください。子育て相談などで、便宜をはからせていただきます。

 1年で、2000〜3000円の賛助会寄金を、お願いできたら、うれしく思います。

賛助会……

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 何かときびしいおりですが、よろしくご理解ください。

 もちろん今までどおり、ご購読くださっても、結構です。うれしく思っています。

●有料版「まぐまぐプレミア」について……。
 
 現在、無料マガジンと並行して、まぐまぐプレミア(通称「まぐプレ」)を発行してい
ます。月額200円です。

 今のところ、無料版も、有料版も、内容はほとんど同じですが、もしよろしかったら、
まぐプレの購読をお願いできないでしょうか。

 501号〜をめどに、以後、無料版のほうは、随時(ときどき)簡略版発行にするつも
りでいます。(現在、457号です。)

 マガジンの案内……

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 以上、率直なお願いです。

 これからも、ご購読、よろしくお願いします。

 ありがとうございました。
                     
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 24日(No.467)
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          以上、よろしくお願いします!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

新しく会員になってくださった方のために、(1)子育てポイントと、(2)子育て失敗
危険度(子育て狂騒曲)を、何篇か送ります・以前、お読みくださったかたには、【3】
(新作)より、お読みください。

+++++++++++++++

●まじめな子ども

 言われたことをきちんと、しかも従順にする子どものことを、まじめな子どもと考えて
いる人がいる。しかしこれは誤解。その子どもがまじめかどうかは、その子どもがどれだ
け自己規範(自分で考え、その判断に従って行動すること)を守れるかどうかで決まる。
こんな子どもがいた。

 ある日、バス停で一人の女の子(小三)に会った。以前の生徒だったので、「ジュースを
買ってあげようか」と声をかけると、その子はこう言った。「いいです。これから家に帰っ
て、夕ご飯を食べますから。ジュースを飲んだら、夕ご飯が食べられなくなります」と。
こういう子どもをまじめな子どもという。

 子どものまじめさは、家庭環境で決まる。しかも〇歳からの乳幼児期にかけて決まる…
…? そのことを、私は二匹の犬を飼ってみて知った。

 私の家には二匹の犬がいる。一匹は、保健所で処分される寸前にもらってきた犬(これ
をA犬とする)。もう一匹は、愛犬家のもとで手厚く育てられた犬(これをB犬とする)。

この二匹の犬は、我が家へ来てからずっと、性格は幼犬のときのまま。A犬は、もう一
五才にもなるが、忠誠心も弱く、裏の木戸があいていようものなら、すぐ遊びに出て行
ってしまう。だれにでもシッポを振るから、番犬にはならない。一方B犬のほうは、態
度も大きいが、忠誠心も強い。見知らぬ人が来たりすると、けたたましくほえる。

実のところ人間も犬と同じ。生後まもなくから、親の手を離れて育った子どもや、育児
拒否、家庭騒動、虐待を経験した子どもは、A犬のような性格をもつ。一方、心穏やか
な環境で、親の愛をたっぷりと受けて育ったような子どもは、B犬のような性格をもつ。
これ以上のことは、あれこれ誤解を招くので。ここでは書けないが、子どもをここでい
う「まじめな子ども」にしたかったら(当然だが……)、B犬が育ったような環境で、子
どもを育てる。

もっと言えば、子どもの側からみて、絶対的な安心感のある家庭で、子どもを育てる。「絶
対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。そういう家庭があってはじめて子
どもは、善悪を静かに判断して、それに従って行動できるようになる。(はやし浩司のサ
イト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

【注】この話をある講演会でしたら、あとで犬のことにたいへん詳しい人が、「そうばかり
とは言えない」というアドバイスをしてくれた。だれにでもシッポを振るようになるのは、
もっと別の理由によるものだ、と。参考までに……。


+++++++++++++++++++++++

●マトリックスの世界

 少し前、キアヌ・リーブズ主演の、『マトリックス』という映画があった。おもしろい映
画だった。仮想現実の世界を母体(マトリックス)と思い込んだ人たち(?)が、本当の
母体を知るという映画だったが、しかしそれは映画の世界だけの話ではない。

 子どもを育てるということは、人間を育てることをいう。教育というのがあるとするな
ら、それは子どもに生きるために必要な知識や経験を、武器として与えることをいう。し
かしそれが今、逆転している。教育のために、子どもを育てるのが、この日本では子育て
の基本になっている。そら進学だ、そら受験だ、と。

人間を育てる世界を母体(マトリックス)とするなら、教育の世界は、いわば仮想現実
の世界ということになる。が、ほとんどの親はその仮想現実の世界にハマりながら、そ
れが仮想現実の世界だとすら気づかないでいる……! 若いころ、こんなことがあった。

 K君(中一)という、本当にまじめな子どもがいた。ただ能力的には、あまり恵まれて
いなかった。私のところへ来ても、ただひたすらコツコツと勉強をしていたが、そんなわ
けで学校での成績は思わしくなかった。

で、最初の期末試験が終わったときのこと。K君の母親から電話がかかってきた。いわ
く、「成績が悪かった。もっと息子をしぼってほしい」と。しかし私はこう言った。「K
君には、よくがんばったねと言うことはできても、これ以上がんばれとは、私には言え
ない」と。

そのとき私は、まだ20代。今なら、もう少し、じょうずな話し方ができただろう。し
かしそのときは、できなかった。

すると今度は父親から電話がかかってきて、「うちの息子はどうしても、S高(静岡県で
も最難関の進学高校)へ入ってもらわねばならない。S高へ入れてもらえるか」と。そ
こで私が、「うちは進学塾ではありません」と言うと、「君はうちの子ではS高は無理と
言っているのか。失敬ではないか!」と、怒り出してしまった。

 この両親のばあいも、人間を育てるという本来の母体(マトリックス)を忘れてしまい、
仮想現実の世界で子どもを育てていた。本末転倒という言葉があるが、まさにその本末が
転倒していた。

 映画「マトリックス」は、もちろんSF(空想科学)映画だが、しかしSFとばかり言
えない面がある。一度仮想現実の世界にハマってしまうと、それが現実の世界だと思い込
んでしまう。さて、あなたも一度、あなたの仮想現実の世界を疑ってみたらどうだろうか。


【2】子育て狂騒曲(8)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

考えるだけムダ?
思考と情報を混同する日本の教育(失敗危険度★★)

●何も考えていない

 思考と情報の加工は、まったく別のもの。たとえばこんな会話。

A「今度の休みにはどこかへ行くの?」、
B「そうだな。伊豆へでも行こうか」、
A「伊豆なら、下田まで足をのばしたら」、
B「それはいい……」と。

 このAとBは、一見考えているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層
部分に蓄えられた情報を、そのつど加工して外に出しているにすぎない。しかしふつうの
人は、こういうのを「思考」と誤解している。錯覚と言ってもよいかもしれない。

●思考には苦痛がともなう

 思考にはある種の苦痛がともなう。それは複雑な数学の問題を解くような苦痛である。
だからたいていの人は、無意識のうちにも、できるだけ思考するのを避けようとする。あ
るいは他人の思考をそのまま受け入れてしまう人がいる。カルト教団の信者がそうである。
徹底した上意下達方式のもと、「上」からの思想をそのまま脳の中に注入され、彼らはそれ
を自分の思想と錯覚している。

それはちょうど教えられるまま、英会話を暗記している幼稚園児のようなものである。
「ハウ・アー・ユー?」と言ったりすると、即座に「アイ・アム・ファイン」と答えた
りする。英語をペラペラと口にすると、見たところ賢い子どもに見えるが、その実、意
味など何もわかっていない。何も考えていない。いわんや英語ができる子どもというこ
とにはならない。

●賢い子どもとは

 そういう視点で子どもの世界をのぞくと、また別の見方ができる。たとえば年中児にも
なると、本をスラスラと読む子どもが出てくる。一見、国語力のある子どもに見えるが、
その実、その本の内容はほとんど理解していない。ただ文字を音に変えているだけ。

 あるいはたいへんもの知りの子どもがいたとする。口だけは達者で、まさにああ言えば、
こう言う式の反論もしてくる。しかしだからといって、その子どもは頭のよい子というこ
とにはならない。賢い子どもということにもならない。もっと言えば、情報が多いからと
いって、思考力があるということにはならない。

●思想は宝石のようなもの 

先にも書いたように、思考するということは、それ自体たいへんなことである。そして
思考をしたからといって、何かの「考え」にたどりつくことができるとはかぎらない。
それはちょうど砂場の中で、小さな宝石を見つける作業に似ている。まさに見つかれば
もうけものという世界。だからこれまたたいていの人は、「考えるだけムダ」と考える前
に、考えることをやめてしまう。

 話は飛躍するが、日本の教育の最大の欠陥は、「思考」と「情報」を混同し、情報を与え
ることを教育と誤解している点である。このことは日本という島国を一歩離れてみるとす
ぐわかることだが、それについてはまた別のところで書く。


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ほら、カバン、カバン!
国語力を豊かにするために(失敗危険度★)

●会話環境と言葉

 「ほら、カバン、カバン! ハンカチは! バス、バス……、ほら、帽子!」と、こん
な話し方をしていて、子どもに国語力が育つはずがない。こういうときは、たとえめんど
うでも、「あなたはカバンをもちます。ハンカチはもっていますか。もうすぐバスが来ます
から、急いでしたくをしなさい。帽子を忘れないでください」と。こうした会話環境があ
ってはじめて、子どもは国語力を身につけることができる。が、こんな方法もある。

●バツグンの表現力

 一人、バツグンの国語力のある子ども(年長女児)がいた。作文力をみたら、小学四〜
五年生程度の力があったのではないか。紙芝居を渡しても、その場でスラスラと物語をつ
くってみせた。そこで母親にその秘訣を聞くと、こう話したくれた。

 母親の趣味はドライブ。そこでほとんど毎日、それもその子どもが乳幼児のときからド
ライブに連れていったのだが、そのとき母親は、自分の声で吹き込んだ物語のテープを聞
かせつづけたという。物語は、子ども向けのものから、もう少し年齢の大きい子ども向け
のものまで、いろいろあったという。

 確かにこの方法は効果的である。別の母親は、芥川竜之介の難解な小説(「高瀬舟」)を
吹き込んだカセットテープをその子ども(小一)に、毎晩眠る前に聞かせた。数か月もす
ると、その子どもはその物語をソラで言えるようになったという。

●読み聞かせのコツ

 この方法にはいくつかのコツがある。テープに録音するにしても、やはり一番よいのは、
母親の声。物語は何でもよいが、読んで聞かせる目的なら、二〜四年レベルの高いもので
も構わない。大きな書店へ行くと、いろいろな学校の教科書を売っている。そういうとこ
ろで、教科書を手に入れるとよい。値段も安いし、内容もよく吟味されている。また国語
にかぎらず、社会や理科、あるいは道徳の教科書でもよい。子どもが興味をもっているこ
となら一番よいが、あまりこだわる必要はない。

 さて冒頭の話だが、子どもの国語力の基本は、あくまでも親、なかんずく母親の国語力
による。あなたも子どもの前では、正しい日本語で話してみてほしい。


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友を選ぶか、親を選ぶか?
友を責めるな(失敗危険度★★★)

●行為を責める

 あなたの子どもが、あなたからみて好ましくない友だちとつきあい始めたときの鉄則が
これ。『友を責めるな、行為を責めよ』。イギリスの格言だが、たとえば子どもがどこかで
タバコを吸ったとする。そういうときは、タバコは体に悪いとか、タバコを吸うことは悪
いことだと言っても、決して相手の子どもを責めてはいけない。名前を出すのもいけない。

この段階で、たとえば「D君は悪い子だから、つきあってはダメ」などと言うと、それ
は子どもに、「友を選ぶか、親を選ぶか」の、二者択一を迫るようなもの。あなたの子ど
もがあなた(親)を選べばよいが、そうでなければあなたと子どもの間に大きなキレツ
を入れることになる。

タバコを吸うことは悪いことだけを言い、あとは子ども自身が自分で考え、その「好ま
しくない友だち」から遠ざかるのを待つ。こういうケースでは、よく親は、「うちの子は
悪くない。相手が悪い」と決めてかかることが多いが、あなたの子どもがその中心にい
ると考えてよい。が、それでもうまくいかないときがある。そういうときは、つぎの手
を使う。

●信じて伸ばす

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。
そこであなたは子どもの前で、相手の子どもをほめる。○○君は、おもしろい子ね。ユー
モアがあって、お母さんは大好きよ」とか。あなたのそういう言葉は必ず相手の子どもに
伝わる。その時点で、相手の子どもは、あなたの期待にこたえようとし、その結果、あな
たの子どもをよい方向に導いてくれる。いうなればあなたはあなたの子どもを通して、相
手の子どもを遠隔操作するわけだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。

●一度こわれた心はもどらない 

ほとんどの親は、子どもが非行に向かうようになると、子どもを叱ってなおそうとする。
暴力や威圧を加える親もいる。しかし一度こわれた子どもの心は、そんなに簡単にはな
おらない。もしそういう状態になったら、今より症状を悪化させないことだけを考えな
がら、一年単位で子どもの様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果になる
ので注意する。


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白砂糖は白い麻薬
子どもの体で考える(失敗危険度★★)

●缶ジュースを四本!

 体重一五キロの子どもがかん缶ジュース一本飲むということは、体重六〇キロの人が同
じ缶ジュースを四本飲むのに等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。
飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。しかし無頓着な人は、子どもに平気
で缶ジュースを一本与えたりする。ソフトクリームもそうだ。

横からみると、子どもの顔よりも大きなソフトクリームを子どもに与えている人がいる。
それがいかに多い量かは、一度あなたの顔よりも大きなソフトクリームを特別に注文し
てみればよい。そういうものを一方で子どもに与えておいて、「うちの子は小食で困りま
す」は、ない。(ちなみに約半数の親が、子どもの小食で悩んでいる。好き嫌いがはげし
い。食が少ない。ノロノロ食べるなど。)

●「いらんこと、言わんでください!」

 私は職業がら、そういう親子を見ると、つい口を出したくなる。先日もファミリーレス
トランで、アイスフロートのジュースを飲んでいる子ども(年長児)を見かけたので、に
こやかに笑いながらだったが、「そんなにたくさん飲まないほうがいいよ」と声をかけてし
まった。が、それを聞いた母親はこう叫んだ。「いらんこと、言わんでください!」と。い
らぬお節介というわけだ。

●砂糖は白い麻薬

 ほかにスナック菓子、かき氷しかり。世界を歩いてみても、日本ほどお菓子の発達(?)
した国は少ない。もっとも味についていえば、アメリカ人のほうが、日本人よりはるかに
甘党で、健康に害があるとかないとかいうことになれば、日本ではそれほど心配しなくて
もよいのかもしれない。

しかし一時的に甘い食品(精製された白砂糖が多い食品)を大量に摂取すると、インス
リンが大量に分泌され、それが脳間伝達物質であるセロトニンの分泌を促し、脳に変調
をきたすことが知られている。そしてそのため、脳の抑制命令が阻害され、子どもは突
発的に興奮しやすくなったりするという。

「白砂糖は白い麻薬」と言う学者もいる。もう二〇年ほど前に、アメリカで問題になっ
たことだが、もしあなたの子どもが日常的に興奮しやすく、突発的に暴れたり、ヒステ
リー状態になることが目立つようだったら、一度砂糖断ちをしてみるとよい。子どもに
よっては、たった一週間砂糖断ちしただけで、別人のように静かになるということはよ
くある。


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子どもの横を歩く(失敗危険度★★★★)

●親意識

 一方、親意識の強い人は、「子どものことは私が一番よく知っている」と、何でもかんで
も親が決めてしまう。子どもの意思など、まったくの無視。たとえばおけいこごとを始め
るときも、またやめるときもそうだ。「来月から、○○音楽教室へ行きますからね」「来月
から、今の教室をやめて、△△教室へ行きますからね」と。子どもは親の意向に振りまわ
されるだけ。

 ただ誤解をしないでほしいのは、親意識がすべて悪いわけではない。親意識にも二種類
ある。自分に向かう親意識と、外に向かう親意識がある。自分に向かう親意識というのは、
いわば親の責任感のようなもの。「私は親だから、それなりの責任を果たさねばならない」
というのがそれ。今、この親意識の薄い人が多い。

 ここでいう親意識というのは、親であるというカサを着て、子どもを自分の支配下にお
こうとする親意識をいう。昔は「親風を吹かす」と言った。この親意識が子育てをゆがめ
る。

●妊娠したときから始まる
 
こうした子育てのリズムは、親が子どもを妊娠したときから始まる。ある母親は胎教と称
して、毎日おなかの子どもに、クラッシックや英会話のテープを聞かせていた。また別の
母親は、時計とにらめっこをしながら、その時刻になると赤ちゃんがほしがらなくても、
ミルクを赤ちゃんの口につっこんでいた。さらにこんな会話をしたこともある。ある日一
人の母親が私のところにきて、こう言った。

 「先生、うちの子(小三男児)を、夏休みの間、サマーキャンプに入れようと思うので
すが、どうでしょうか?」と。その子は、ハキのない子どもだった。母親はそれを気にし
ていた。そこで私が「お子さんは行きたがっているのですか?」と聞くと、「それが行きた
がらないので、困っているのです」と。こうしたリズムは、一事が万事。そこでこんなテ
スト。

●子どもの横を歩く

 あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころ、(1)あなたは子どもの前を、子ど
もの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていただろうか。それとも(2)子どものうしろや
横に回りながら、子どものリズムで歩いていただろうか。(2)のようであれば、よし。し
かしもし(1)のようであれば、そのときから、あなたとあなたの子どものリズムは乱れ
ていたとみる。今も乱れている。そしてやがてあなたは子どもとこんな会話をするように
なる。

 母、「あんたは、だれのおかげでピアノを弾けるようになったか、それがわかっているの。
お母さんが毎週、高い月謝を払って、あなたを音楽教室へ連れていってあげたからよ」、子、
「いつ、だれが、お前にそんなことをしてくれと頼んだア!」と。

 そうならないためにも、子どもとリズムを合わせる。(子どもはあなたにリズムを合わせ
ることはできないので。)今日からでも遅くないから、子どもの横かうしろを歩く。たった
それだけのことだが、あなたはすばらしい親子関係を築くことができる。


【3】子どもの心・EQテスト□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【子どもの心の発達・診断テスト】

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【社会適応性・EQ検査】(P・サロヴェイ)

●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。

(1)いつも喜んでするようだ。
(2)ときとばあいによるようだ。
(3)いやがってしないことが多い。


(2)自己認知力
Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは
……

(1)雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)
(2)しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)
(3)聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)


(3)自己統制力
Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子
どもは……。

○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)
○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)
○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)


(4)粘り強さ
Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。

○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)
○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)
○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)

(5)楽観性
Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子ど
もは……。

○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)
○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)
○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)
 

(6)柔軟性
Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……

○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)
○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)
○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)

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(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。


 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

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順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(1)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(2)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。

 一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくな
になる、かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何ら
かの問題がある子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。

 朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをし
なかった子どもがいた。

 いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚
園でも、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。

 何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまって
しまう子どもがいた。

 先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」
と、最後までがんばった子どもがいた。

 症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができ
る。柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。

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 EQ(Emotional Intelligence Quotient)は、アメリカのイエール大学心理学部教授。ピ
ーター・サロヴェイ博士と、ニューハンプシャー大学心理学部教授ジョン・メイヤー博士に
よって理論化された概念で、日本では「情動(こころ)の知能指数」と訳されている(E
motional Education、by JESDA Websiteより転写。)

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【EQ】

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emo
tional Intelligence Quotient)」、つまり、「情動の知能指
数」では、主に、つぎの3点を重視する。

(1)自己管理能力
(2)良好な対人関係
(3)他者との良好な共感性

 ここではP・サロヴェイのEQ論を、少し発展させて考えてみたい。

 自己管理能力には、行動面の管理能力、精神面の管理能力、そして感情面の管理能力が
含まれる。

○行動面の管理能力

 行動も、精神によって左右されるというのであれば、行動面の管理能力は、精神面の管
理能力ということになる。が、精神面だけの管理能力だけでは、行動面の管理能力は、果
たせない。

 たとえば、「銀行強盗でもして、大金を手に入れてみたい」と思うことと、実際、それを
行動に移すことの間には、大きな距離がある。実際、仲間と組んで、強盗をする段階にな
っても、その時点で、これまた迷うかもしれない。

 精神的な決断イコール、行動というわけではない。たとえば行動面の管理能力が崩壊し
た例としては、自傷行為がある。突然、高いところから、発作的に飛びおりるなど。その
人の生死にかかわる問題でありながら、そのコントロールができなくなってしまう。広く、
自殺行為も、それに含まれるかもしれない。

 もう少し日常的な例として、寒い夜、ジョッギングに出かけるという場面を考えてみよ
う。

そういうときというのは、「寒いからいやだ」という抵抗感と、「健康のためにはしたほ
うがよい」という、二つの思いが、心の中で、真正面から対立する。ジョッギングに行
くにしても、「いやだ」という思いと戦わねばならない。

 さらに反対に、悪の道から、自分を遠ざけるというのも、これに含まれる。タバコをす
すめられて、そのままタバコを吸い始める子どもと、そうでない子どもがいる。悪の道に
染まりやすい子どもは、それだけ行動の管理能力の弱い子どもとみる。

 こうして考えてみると、私たちの行動は、いつも(すべきこと・してはいけないこと)
という、行動面の管理能力によって、管理されているのがわかる。それがしっかりとでき
るかどうかで、その人の人格の完成度を知ることができる。

 この点について、フロイトも着目し、行動面の管理能力の高い人を、「超自我の人」、「自
我の人」、そうでない人を、「エスの人」と呼んでいる。

○精神面の管理能力

 私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症にはじまって、スピード恐
怖症、飛行機恐怖症など。

 精神的な欠陥もある。

 私のばあい、いくつか問題が重なって起きたりすると、その大小、軽重が、正確に判断
できなくなってしまう。それは書庫で、同時に、いくつかのものをさがすときの心理状態
に似ている。(私は、子どものころから、さがじものが苦手。かんしゃく発作のある子ども
だったかもしれない。)

 具体的には、パニック状態になってしまう。

 こうした精神作用が、いつも私を取り巻いていて、そのつど、私の精神状態に影響を与
える。

 そこで大切なことは、いつもそういう自分の精神状態を客観的に把握して、自分自身を
コントロールしていくということ。

 たとえば乱暴な運転をするタクシーに乗ったとする。私は、スピード恐怖症だから、そ
ういうとき、座席に深く頭を沈め、深呼吸を繰りかえす。スピードがこわいというより、
そんなわけで、そういうタクシーに乗ると、神経をすり減らす。ときには、タクシーをお
りたとたん、ヘナヘナと地面にすわりこんでしまうこともある。

 そういうとき、私は、精神のコントロールのむずかしさを、あらためて、思い知らされ
る。「わかっているけど、どうにもならない」という状態か。つまりこの点については、私
の人格の完成度は、低いということになる。

○感情面の管理能力

 「つい、カーッとなってしまって……」と言う人は、それだけ感情面の管理能力の低い
人ということになる。

 この感情面の管理能力で問題になるのは、その管理能力というよりは、その能力がない
ことにより、良好な人間関係が結べなくなってしまうということ。私の知りあいの中にも、
ふだんは、快活で明るいのだが、ちょっとしたことで、激怒して、怒鳴り散らす人がいる。

 つきあう側としては、そういう人は、不安でならない。だから結果として、遠ざかる。
その人はいつも、私に電話をかけてきて、「遊びにこい」と言う。しかし、私としては、ど
うしても足が遠のいてしまう。

 しかし人間は、まさに感情の動物。そのつど、喜怒哀楽の情を表現しながら、無数のド
ラマをつくっていく。感情を否定してはいけない。問題は、その感情を、どう管理するか
である。

 私のばあい、私のワイフと比較しても、そのつど、感情に流されやすい人間である。(ワ
イフは、感情的には、きわめて完成度の高い女性である。結婚してから30年近くになる
が、感情的に混乱状態になって、ワーワーと泣きわめく姿を見たことがない。大声を出し
て、相手を罵倒したのを、見たことがない。)

 一方、私は、いつも、大声を出して、何やら騒いでいる。「つい、カーッとなってしまっ
て……」ということが、よくある。つまり感情の管理能力が、低い。

 が、こうした欠陥は、簡単には、なおらない。自分でもなおそうと思ったことはあるが、
結局は、だめだった。

 で、つぎに私がしたことは、そういう欠陥が私にはあると認めたこと。認めた上で、そ
のつど、自分の感情と戦うようにしたこと。そういう点では、ものをこうして書くという
のは。とてもよいことだと思う。書きながら、自分を冷静に見つめることができる。

 また感情的になったときは、その場では、判断するのを、ひかえる。たいていは黙って、
その場をやり過ごす。「今のぼくは、本当のぼくではないぞ」と、である。

(3)の「良好な対人関係」と、(3)の「他者との良好な共感性」については、また別
(4)の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 管理能力 人格の完成度 サロヴェイ 行動の管理能力 EQ EQ論 
人格の完成)



【4】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●寛大と寛容

 先日、「愛と寛大」というテーマで、エッセーを書いた。それについて、「林君、それは
寛大ではなく、寛容だよ。寛容という言葉のほうが、適切だよ」と言ってくれた人がいた。

 感謝!

 なるほど、そのとおり。寛容の結果として、その人は、寛大になる。寛大になるかどう
かは、あくまでもその結果でしかない。

 ところで昔、私が子どものこと、私の父は、M会という、ある倫理研究団体に属してい
た。どこか宗教的な倫理団体で、父は、床の間に「天照大神」という掛け軸をかけ、いつ
も何やら、祈っていた。

 その掛け軸の横に、もう一つ、やや小ぶりな掛け軸があり、それに、「慈悲寛大」という
言葉が書いてあった。

 そのときは、意味がわからなかったが、それで私は、「寛大」という言葉を覚えた。しか
し今から思い出してみると、なかなか的(まと)をついた言葉のように思う。

 慈悲と寛大は、たしかにペアになっている。私がいう、「愛と寛容」と、どこもちがわな
い。慈悲は、他者に対する同調性をいう。寛大というのは、他者を自分の中に受けいれる
ことをいう。まさに精神の柱として、何ら、遜色のない言葉である。

 ……ということは、私は、意識こそしなかったが、父が信じていた言葉を、心のどこか
に残していたということになる。その可能性が、ないとは言えない。私自身は、M会のメ
ンバーになったことはない。会合といっても、私がときどき行ったのは、小学生のころで
ある。ただついて行ったというだけである。

 が、心のどこかに残っていた!

 「寛容かあ……」と思ったとき、ふと、子どものころ毎日見ていた掛け軸を思い出した。
それでこの原稿を書いた。

 慈悲にせよ、愛にせよ、寛大であるにせよ、寛容であるにせよ、すばらしい言葉である
ことには、ちがいない。

 もう一つ、その人は、「寛容も、愛の中に含まれるのではないか。分けて考える必要はな
いのではないか」と言った。

 私も、実は、そう思う。愛と寛容を並べて考えるか。あるいは寛容も愛に含めて考える
かは、ただ単なる、言葉の遊びのようなもの。ただ、愛と寛容を分けて考えると、より、
その意味がわかりやすくなるということ。そういう意味では、この二つを、分けて考える
ことは、ムダではないように思う。
 

●信ずることのむずかしさ

 「信ずる」という言葉は、相手を疑っているから、口から出てくる言葉。本当に相手を
信じていたら、「信ずる」という言葉など、出てこない。

 よい例が、若い恋人どうしの会話。

男「オレを、信じろ」
女「あなたを、信じているわ」と。

 たがいに疑っているから、そういう言葉が出てくる。

 同じように、今度は、「裏切る」という言葉がある。「信じていたのに、裏切られる」と
いうふうに使う。

 しかし本当に信じていたら、裏切るということもないし、裏切られるということもない。
「信じていない」からこそ、裏切られる。もう少しわかりやすい例で、説明してみよう。

 たとえばあなたが、夫を信じていたとしよう。あなたは、「私は夫を信じている」と言う。

 しかしそのとき、あなたは、本当に、あなたの夫を信じているだろうか。そのとき、あ
なたに多少の迷いや不安があるようなら、あなたは、あなたの夫を信じていないというこ
とになる。

 信ずるというこは、そもそもそういう迷いや疑いをもつことなく、全幅に、相手に自分
の心をゆだねることをいう。心の一体性をいう。見かえりを求めない、無償の一体性をい
う。

 たとえばあなたの夫の帰宅時刻が、不自然に遅かったとする。このところ何かにつけて、
あなたの夫の行動には、どこかおかしなところがある。

 そのとき、心の一体性があれば、あなたは、そもそも、何も疑わない。しかしそこに迷
いや不安が入りこむと、その一体性は、崩れる。そして一気に、「裏切る」という言葉が、
口から出てくる。

 しかし無償の一体性があると、そもそも疑うということはない。迷いや不安が入りこむ
ということもない。ひょっとしたら、「浮気をしたければすればいいじゃない。どうせ、熱
病よ。公衆トイレで、小便をするようなものよ」と、夫をのみこむことができるかもしれ
ない。

 「信ずる」ということは、そういうことをいう。

 またそういう状態では、「裏切る」という言葉など、口から出てこない。

 仮に事実として裏切られても、相手を責める前に、自分を責める。

 そういう意味でも、「信ずる」ということは、むずかしい。本当にむずかしい。

 ……という説明でもわからなければ、もっと、わかりやすい例で、説明してみよう。

 ある人は、熱心なクリスチャンだった。本当に熱心なクリスチャンだった。日曜日には、
必ず教会へでかけ、そこで礼拝していた。あるいは仏教徒でもよい。法事という法事は、
かかさずすべて、ていねいに実行していた。

 が、その人の子どもが、病気になった。そこでその人は、毎日、熱心に神や仏に、祈っ
た。が、その祈りもむなしく、その子どもは、死んでしまった。

 本来なら、その人は、その宗教をやめてもよいはず。神や仏に裏切られたということに
なる。しかしその人は、それからもずっと、熱心なクリスチャンのままだった。熱心な、
仏教徒のままだった。

 もともと疑っていないから、つまり、信ずることによって、見かえりを求めていなかっ
たから、たとえ子どもが死んでも、(凡人の常識で考えれば、裏切られたということになる
のだが……)、その人は裏切られたとは思わない。つまり、「信ずる」ということは、そう
いうことをいう。

 これで「信ずる」ことのむずかしさを、わかってもらえただろうか。「親ずる」ことのも
つ、深い意味を、わかってもらえただろうか。

 さて、あなたは夫(妻)を信じているか。あなたの子どもを信じているか。もう一度、
自問してみてほしい。

 「信ずる」と、口では簡単に言うことはできる。しかし、その中身は、かぎりなく濃く、
かぎりなく深い。


●何を「信ずる」か?

 信ずるといっても、イワシの頭では、困る。

 信ずるといっても、その中身が、大切。中身のないものを信じろと言われても、それは
できない。

 人間関係も、同じ。

 あなたが、妻(夫)に向って、「私を、信じなさい」と言ったとする。しかし言うのは簡
単。が、言われたほうは、困る。いったい、あなたの何を信じればよいのかということに
なる。

 信ずるにしても、信じられるにしても、中身がなければならない。人間について言うな
ら、信じるに足りる、人間的な中身がなければならない。その中身のないものどうしが、「信
じて」「信じているよ」と言いあうのは、マンガでしかない。

 そこで問題は、あなたには、その中身があるかということ。私には、その中身があるか
ということ。

 さらに、どうすれば、その中身ができるかということ。どうすれば、その中身を作るこ
とができるかということ。

 実は、これたいへんな作業である。気が遠くなるほど、たいへんな作業である。だから、
ますます、口が重くなる。「信ずる」という言葉が、口から出てこなくなる。

 信ずるというのは、その相手との、見かえりを求めない、無償の一体性をいう。もとも
と見かえりを求めていないから、裏切られても、裏切られたという意識すら、生まれない。
「自分がバカだった」で、すますことができる。

 しかしそこまで相手を信ずるのは、むずかしい。反対に、そこまで相手に信じられるよ
うになるのも、これまたむずかしい。

 だいたいにおいて、あなたは、あなた自身を信じているか。私自身を、信じているか。
自分すらも、信じられないあなたが、「私を信じなさい」と言うのは、おかしい。

 友人のR氏(60歳)の話。

 30歳くらいのとき、R氏は、当時の価格でも、50万円にも満たないような山林を、
500万円で買わされた。貯金を、すべて、はたいた。

 長野県にある美林ということだった。長年、世話になった男ということもあった。間に、
親類の一人が入ったということもある。それでR氏は、その男から、山林を買った。

 その山林だが、30年近くたった今も、(木そのものも、30年分、成長したが……)、
売っても、150万円にもならないという。当時の500万円といえば、家が、一軒、建
てられるほどの金額である。

 今、150万円というと、駐車場が作れるほどの金額でしかない。R氏は、買って20
年ほどしてから、「だまされた」と知った。

 R氏は、当時、つまり山林を買ったとき、その男には、数人の愛人がいることを知って
いた。いつもキンキラキンのローレックス(時計)を腕に巻き、トヨタのC車に乗ってい
たのも、知っていた。

 が、どういうわけだか、R氏は、その男を信用してしまった。「Rさん、いつか、この山
の木で、総ヒノキづくりの豪邸を建てなさい」と言われたのを、真に受けてしまった。

 しかし自分の妻ですら、平気で裏切るような男である。見栄やメンツだけにこだわるよ
うな男である。一片の哲学もなければ、倫理観もない。今になって思うと、「どうして、あ
んな男を信用したのか」ということになる。

 本来なら、R氏は、詐欺罪で訴えてもよいのかもしれないが、山林のばあいは、価格な
ど、あって、ないようなもの。相場を調べないで買った、R氏が、バカだったということ
になる。

 R氏は、私にこう言った。

 「そう言えば、あの男も、記憶のどこかで、私に、こう言ったことがある。『Rさん、私
を信じて、この山をもっていなさい』と」と。

 さて、あなたの夫(妻)は、あなたが信ずるに足りるような人物だろうか。あるいは反
対に、あなたの妻(夫)に信じられるに足りるような人物だろうか。

 こうして考えていくと、「信ずる」ということが、ますますむずかしいということがわか
ってくる。


●常識を信ずる

 ある宗教を信仰すると、さまざまな特徴が現れてくる。

 神秘化、誇大化、妄信化、美化正当化、非現実化、社会逃避性など。さらにカルトとな
ると、組織化、隷属化、上位下達化、信者の愚鈍化、固執化、排他性、閉鎖性などの現象
も現れてくる。

 もともとはその人内部の、依存性の問題と考えてよい。しかし本人自身は、決して、そ
うは思っていない。「私は正しい宗教を信仰している」と、思いこんでいる。この思いこみ
こそが、カルトの最大の特徴と考えてよい。

 ただ誤解してはいけないのは、宗教があるから、(それがカルトであるにせよ)、信者が
いるのではない。それを求める信者がいるから、宗教があるということ。だからその宗教
がおかしいからといって、その宗教を攻撃しても意味はない。

 かえって、それを信じている人たちを、不安にしてしまう。この世界の言葉では、それ
を、「ハシゴをはずす」という。「あなたたちは、まちがっている」と言う以上、そういう
人たちの受け皿を用意しておいてあげねばならない。かわりの思想を、用意しておいてあ
げなければならない。

 その受け皿もないまま、「まちがっている」と言うのは、たいへん危険なことでもある。
そういう人たちは、そういう人たちなりに、ハッピーなのである。そっとしておいてあげ
るのも、その外にいる人たちの役目ということになる。

 へたにハシゴをはずしてしまうと、その人は、情緒不安から精神不安へと陥ってしまう。

 ただその宗教が組織化され、たとえば政治や経済の分野まで影響をおよぼすようなとき
は、話は別である。たとえば政治とからんだ宗教ほど、その宗教が正しいとか正しくない
とかいう判断は別にして、危険なものはない。

 それに対しては私たちの良識をフルに働かせて、警戒しなければならない。「政教分離」
という民主政治の大原則も、そこから生まれた。当然のことである。

 大切なことは、自分で考える習慣と力を、身につけること。おかしいものは、「おかしい」
と言う勇気をもつこと。そして何よりも大切なことは、自分の常識をみがくこと。きたえ
ること。

 ごく自然な人間として、野や山に親しみ、音楽を聞き、絵画を鑑賞しながら、自分の常
識をみがく。ごくふつうの人として、ごくふつうの人とかかわりあいながら、ふつうの生
活をしながら、自分の常識をみがく。

 その常識に従って、人間は、過去、数10万年もの間、生きてきた。これからも生きて
いく。それがまちがっていると言うなら、それを言う人がまちがっている。

 みんなで、その常識を信じよう。守り、育てよう。

 ……ということで、少し話が脱線したので、この話はここまで。

【ワイフとの会話】

 これについて、ワイフと、こんな会話をした。

私「お前は、ぼくを信じているか?」
ワイフ「考えたことないわ」
私「ぼくなんて、信じちゃ、だめだよ」
ワイフ「それも考えたことはないわ」

私「ぼくが浮気しないと思っているのか?」
ワイフ「あんたと浮気する女性なんて、いないわよ」
私「わからないぞ」
ワイフ「まあ、だれかに相手をしてもらえるなら、してもらいなよ。私は、かまわないわ」

私「やきもちを焼かないのか?」
ワイフ「遊びなら、かまわないわ」
私「本気だったら?」
ワイフ「あのね、相手にも、男を選ぶ権利というものがあるのよ。いくらあなたが本気で
も、相手が本気にならなければ、浮気はできないのよ。それでおしまいよ。どうして、あ
なたは、それがわからないの? 本気で相手にしてもらえると、思っているの?」

私「どうして、ぼくは本気で、相手にしてもらえないの?」
ワイフ「三枚目だからよ。やること、なすこと、日本のミスター・ビーンみたい」
私「ミスター・ビーンだって、もてるぞ」
ワイフ「あなたには、ぜんせん、そのムードがないわ。本当に、あなたは、おめでたい人
よ」と。

 いつもワイフと会話をしていると、そういう話になってしまう。高尚な理念も、ワイフ
の頭の中では、ただの雑談。

 それにしても、ミスター・ビーンとは……! せめて、チャップリンくらいに考えてほ
しかった。チャップリンは、女性にもてたという話だ。

【補記】

神秘化……過去の人物にかこつけ、その宗教に神秘性をもたせる
誇大化……その宗教が、すべてと信者に思いこませる。
妄信化……絶対的な善であると、信者に妄信させる。
美化正当化……命をかけるに足りる宗教であると、信じこませる。
非現実化……現実遊離、現実逃避の思想を注入する。
社会逃避性……社会的なもの、人間的なもの、ついでに金銭は無意味と教える。
組織化……信仰が個人というワクをはずれ、組織化する。
隷属化……組織の中では、上下関係を明確にし、下位信者は、上位信者に隷属する。
上位下達化……思想、思想は、常に、上層部から、下層部へと一方的に伝えられる。
信者の愚鈍化……その信仰以外のことは考えさせない。
固執化……その信仰を離れたら、バチが当たるとか、不幸になるとか教える。
排他性……自分たちの信仰以外のものは、まちがっていると排斥する。
閉鎖性……外部との接触を、禁止する。

 これらの項目にあてはまれば、その宗教は、カルトと考えてよい。信仰といっても、「教
え」によってするもの。しかしその基盤は、人間が人間としてもっている常識である。ど
んな信仰をするにしても、その常識の目を曇らせてはいけない。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●性欲

 娘の夜遊びについての相談があった。宮崎県に住む、ある父親からのものだった。「中学
3年生の娘が、高校生の男子と遊んでいるようだが、どうしたらいいか?」と。

 東京女性財団(96)の調査によれば、男性(34%)は、「基本的欲求」としてセック
スをするという。

 一方、女性(53%)は、「愛情」のためにセックスをするという。

 このちがいは、当然である。セックスのあとにつづく、妊娠、出産、育児という重労働
を考えるなら、女性が、男性と基本的に異なったセックス観をもったところで、何ら、お
かしくない。男性にとっては、セックスというのは、あくまで、「排泄行為」でしかない。

 もっとはっきり言えば、一しずく!

 しかし、このちがいが、しばしば、男と女の関係において、多くの悲喜劇を生む。「セッ
クスを遊び」と考える、男。「セックスを、遊び」と考えない女。が、若いときのセックス
には、もうひとつ、こんな問題がある。

 一般的には、セックスといっても、「エロス」は、分けて考える。エロスというのは、「生
への欲動」のこと。このエロスが、人間が生きる、すべての原動力になっている(フロイ
ト・「リピドー説」)。あらゆる文化の基盤にもなっている。

もしエロスがなかったら、人間の社会は、味気ないものになるだけではない。人類は、
とっくの昔に、滅んでいたことになる。

 だからエロスを否定してはいけない。

 が、このエロスを放置すると、これまた、たいへんなことになる。つまりエロスは、人
間が生きる起爆剤であると同時に、使い方をまちがえると、その人自身、あるいは社会を、
こなごなに破壊してしまう。

 この「破滅的欲動」のことを、「タナトス」という。究極のタナトスは、言うまでもなく、
戦争ということになる。

 つまりセックスは、エロスとタナトスの、絶妙なバランスの上に成りたっていることに
なる。もう少し、具体的に考えてみよう。

 たとえば女性が、どこか挑発的な服装をするのは、エロスの作用によるものと考える。
大きくあけた胸元。短いスカートなど。ファッションも、そこから生まれる。

 が、同じ女性が、セックスの場におよぶと、あらわなかこうをして、全身を男の前に、
さらけ出す。このとき女性には、(男性にもあるが、女性ほど、露骨ではない)、「もう、ど
うなってもいい」という心理が働く。これがタナトスである。

 その瞬間、つまり女性がオルガスムスを感じている瞬間、(あるいは、若いときは、性的
に欲情し始めると)、女性からは、知性や理性が消える。私は女性ではないので、そのあた
りの心理は想像するしかないが、その瞬間には、妊娠、出産、育児という、その結果につ
いての認識も、消える。この傾向は、若い女性ほど、強い。

 そんなわけで、若い女性に、性の道徳や倫理を説いても、意味がない。性への衝動は、
知性や理性そのものを、はるかに超える。

 もっともこのあたりのことは、母親という女性なら、みな知っている。一方、父親とい
う男性には、それがわからない。わからないから、自分の娘が夜遊びでもして帰ってこよ
うものなら、それを「遊び」と考えて、はげしく叱ったり、説教したりする。

 (一方、母親というのは、その時点で、娘を、自分の心の中から切り離してしまうこと
が多い。「好きにしなさい」「勝手にしなさい」と。「自分の子ども」という意識すら、消し
去ってしまう母親も多い。)

 こうした父親の行為は、意味がないとまでは言わないが、まあ、ほとんど意味がないと
考えてよい。もともと叱ったり、説教したりする程度で、どうにかなる問題ではない。そ
れはたとえて言うなら、流れる川を、石ころでせき止めるようなもの。石を並べても、川
は、その上を通りこして、流れていく。

 つまりこの段階で、父親として、できることは、ただ一つ。

 性病予防のための性教育。妊娠予防のための性教育。結局は、そこへ行き着く。が、父
親には、この教育は、荷が重い。だったら、母親に任すしかない。……ということになる。

 最近では、非公式な調査によるものだが、約60%の女子が、高校を卒業するまでに、
セックスを経験するという。(あるいはもっと、多いかもしれない?)そういう時代である。
またそういう社会を、おとなの私たち自身が、つくってしまった。そんなわけで、言うべ
きことは言いながらも、あとの判断は、娘に任すしかない。

 念のために申し添えるなら、中学3年生というと、まだ子どもと考える人も多い。その
父親にしても、そうだ。平均的な子どもとくらべると、「やや早い」ということになるが、
しかしあと1、2年もすると、それがふつうになる。

 父親としてはつらいところだが、ここ、1、2年は、がまんするしかない。今は、深刻
な問題かもしれないが、1、2年もすると、笑い話になる。

 最後に、あまり参考にはならないかもしれないが、私が知るところ、こういうケースで
は、ほとんどの父親は、「勝手にしやがれ!」「もう、知ったことか!」と言って、つまり、
その問題から逃げることで、心を処理しているようである。
(はやし浩司 エロス タナトス)


●精神の健康

 精神的に健康な子どもというのは、どういう子どものことをいうのか。

 私は、子どもをみるとき、二つの面から判断している。

 一つは、消去法的にみて、心に問題がないということ。そしてもう一つは、他者とのか
かわりにおいて、良好な人間関係が作られること。

 これについて、国際精神医学会は、「健康な精神」について、つぎのように定義している
(要約)。

(5)身体、知性、情意が、調和していること。
(6)社会的に良好な人間関係がつくれること。
(7)私は幸福だという、幸福感をもっていること。
(8)能力を発揮でき、能率的な仕事をしていること。

 「消去法」というのは、子どもの心をみるとき、重要である。たとえば、もの静かな子
どもに出会ったとする。

 そのとき、一番、心配な問題から、順にみていく。「自閉症か?」「ノー」「自閉傾向があ
るか?」「ノー」「かん黙性があるか?」「ノー」と。

 そして最後に、何も問題がなければ、「問題はない」とみる。

 しかしそれだけでは足りない。

 今度は、他者のかかわり方を、観察する。「協調性はあるか?」「イエス」「同調性はある
か?」「イエス」「ほがらかな人間関係を結べるか?」「イエス」と。

 これら二つの面を見て、その子どもの精神状態を判断する。

 このとき注意しなければならないのは、子どもというのは、家庭という第一社会で見せ
る様子、園や学校という第二社会で見せる様子、そして友だちを中心とした、第三社会で
見せる様子は、すべてちがうということ。

 一つの社会だけの様子をみて、すべてを判断してはいけない。よく「うちの子のことは、
私が、一番よく知っています」と豪語する親がいる。しかしそういう親ほど、本当のとこ
ろ、子どものことが、何もわかっていない。

 10年ほど前のことだが、こんなことがあった。

 Y君という小学6年生の男児がいた。たいへんな多動性のある子どもだった。今、専門
の診療機関へ行けば、まちがいなく、ADHD児と診断されただろう。

 そういう子どもをもつ母親が、ある日、私のところにやってきて、こう相談した。

 「うちの子は、何かにつけて、学校の先生に、嫌われています。目をつけられていて、
ちょっとしたことで、すぐうちの子ばかりが叱られます。先日も、先生に向って、『小学校
の教師のくせに』と言ってしまいました。たしかにその言葉は、悪い言葉です。しかし学
校の先生は、そういった言葉じりをつかまえて、うちの子を、ひどく叱るのです」と。

 母親は、自分の子どもの多動性については、まったく気がついていないといったふうだ
った。私の印象では、「目をつけられている」ということではなく、つまり悪い意味で、目
立つから、そうされていると思った。

 母親は、しきりに、「あの先生には、問題がある」と言っていた。「先生をかえてもらう
方法はないか」とも言った。しかし問題は、それではない。Y君自身に、原因があった。

 しかし私には、そんなことは言えない。が、多動性があるかどうかということは、1、
2度、学校での授業参観をすれば、わかること。このタイプの子どもは、授業中でも、無
意味な叫び声をあげて、始終、騒々しく、動きまわる。

 子どもが6年生にもなっているのに、親はまだそれに気づいていないということ。むし
ろ私は、そちらのほうに、驚いた。

 自分の子どものことを知るのは、そういう意味でも、本当に、むずかしい。……という
話はさておき、ここでいう「他者とのかかわり」というのは、園や学校での様子、友だち
との様子をみて、判断する。

 「うちの中ではこうだから、学校でも、そうだろう」と考えるのは、誤解のもとである。

【ついでに、アドバイス】

 仮に自分の子どもに多動性があると気づいても、それを無理になおそうとしてはいけな
い。子ども自身がそれを自覚し、自らコントロールできるように指導する。言うべきこと
は、くりかえし言いながらも、それですます。

 問題は、多動性があるいということではなく、それまでに、無理な指導などで、症状を
こじらせてしまうこと。

 Y君のケースでは、母親の、きわめて強圧的な指導により、症状がこじれてしまってい
た。Y君は、母親の前だけでは、比較的おとなしくしていた。そのため、Y君の母親は、
自分の子どもの本当の姿を、見失ってしまっていた。


+++++++++++++++++++++++++++++++++

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け

 子どもにより高価なものを買ってあげるのが、親の愛だと錯覚している人がいる。ある
いは「高価なものを買ってあげたから、子どもとのきずなは強くなった」と考える人がい
る。親は子どもはそれで感謝するだろうと思ってそうする。あるいはそれで子どもの心を
つかんだと考える。

しかしこれは誤解。あるいはかえって逆効果。

先日も一人の祖母が、孫(小四女児)のために、数万円もするような服を買ってあげて
いるところがテレビで紹介されていた。

レポーターが、「(そんな高価なもの)、いいんですか?」と聞くと、その女性は、「いい
んです、いいんです。かわいい孫のことですから」と言っていた。が、こんな愚かなこ
と(失礼!)をするから、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。金銭感覚そのものがマヒ
する。たとえ一時的に感謝することはあっても、その感謝は決して長続きしない。

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのが
ある。子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行け
という意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動
車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、「モノより思い出」。この思
い出が親子のきずなを太くする。

 日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でもイギリス人でも、
そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し前、オーストラリア
へ行ったとき、友人がくれたみやげは、石にペインティングしたものだった。それには、「友
情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。日本人がもっているモノ意識と、彼ら
がもっているモノ意識は、基本的な部分で違う。そしてそれが親子関係にそのまま反映され
る。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫
にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿を振り返っ
てみてほしい。

++++++++++++++++++

●先生の悪口は言わない

 教育もつきつめれば人間関係で決まる。教師と生徒との良好な人間関係が、よい教育の
基本。この基本なくして、よい教育は望めない。そこで大原則。

「子どもの前では、先生の悪口は言わない」。先生を批判したり、あるいは子どもが先生
の悪口を言ったときも、それに相槌(づち)を打ってはいけない。打てば打ったで、今
度は、「あなたが言った言葉」として、それは先生の耳に入る。必ず、入る。

子どもというのはそういうもので、先生の前では決して隠しごとができない。親よりも、
園や学校の先生と接している時間のほうが長い。また先生も、この種の会話には敏感に
反応する。

 一方、先生もまた生身の人間。中には聖人のように思っている人もいるかもしれないが、
そういうことを期待するほうがおかしい。子どもと接する時間が長いというだけで、先生
とてこの文を読んでいるあなたと、どこも違わない。そこでこう考えてみてほしい。

もしあなたが教師で、生徒にこう言われたとする。「あんたの教え方ヘタだって、ママが
言っていたよ」と。そのときあなたはそれを笑って無視できるだろうか。中には、「あん
たの教え方ヘタだから、今度校長先生に言って、先生をかえてもらうとママが言ってい
た」と言う子どもさえいる。あなたは生徒のそういう言葉に耐えられるだろうか。

 教育というのは、手をかけようと思えば、どこまでもかけられる。しかし手を抜こうと
思うえば、いくらでも抜ける。ここが教育のこわいところでもあるが、それを決めるのが、
冒頭にあげた「人間関係」ということになる。

実際、やる気を決めるのは、教師自身ではなく、この人間関係である。それを一方で破
壊しておいて、「よい教育をせよ」はない。が、それだけではすまない。

 あなたが先生の悪口を言ったり、先生を批判したりすると、子ども自身もまた先生に従
わなくなる。一度そうなるとそれが悪循環となって、(損とか得とかいう言い方は好きで
はないが……)、結局は子ども自身が損をすることになる。

仮に先生に問題があるとしても、子どもの耳に入らないところで、問題を処理する。子
どもが先生の悪口を言ったとしても、「あなたが悪いからでしょ」と言ってのける。こ
れも大原則の一つである。

【2】子育て狂騒曲(7)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

別居か、さもなくば離婚
祖父母との同居(失敗危険度★)

●好かれるおじいちゃん
 祖父母との同居について、アンケート調査をしたことがある。その結果わかったことは、
「好かれるおじいちゃん、おばあちゃん」の条件は、(1)健康であること、(2)やさし
いこと、(3)経験が豊富であること、(4)控えめであることだった(一九九三年・浜松
市内で約五〇人の同居世帯で調査)。

●子どもが生まれる前から同居が望ましい

 反対に同居する祖父母との間のトラブルで一番多いのが、子育て上のトラブル。母親の
立場でいうと、一番苦情の多かったトラブルは、「子どもの教育のことで口を出す」だった。
「甘やかしすぎて困る」というのが、それに続いた。さらに「同居をどう思うか」という
質問については、子どもが生まれる前から同居したばあいには、ほとんどの母親が、「同居
はよかった」と答えているのに対して、途中から同居したばあいには、ほとんどの母親が、
「同居はよくない」と答えていた。祖父母との同居を考えるなら、子どもが生まれる前か
らがよいということになる。

●たいていは深刻な問題に

 そこで祖父母との間にトラブルが起きたときだが、間に子どもがからむと、たいていは
深刻な問題に発展する。母親もこと自分の子どものことになると、妥協しない。祖父母に
しても、孫育てが生きがいになっていることが多い。こじれると、たいてい別居か、さも
なくば離婚かというレベルまで話が進む。そこでこう考える。これは無数の相談に応じて
きた私の結論と思ってほしい。

(1)同居をつづけるつもりなら、祖父母とのトラブルを受け入れる。とくに子どもの教
育のことは、思い切って祖父母に任す。甘やかしなどの問題もあるが、しかし子育て全体
からみると、マイナーな問題。メリット、デメリットを考えるなら、デメリットよりもメ
リットのほうが多い。そういう視点で割り切る。

(2)子どもの教育は任せる分だけ祖父母に任せて、母親は母親で、前向きに好きなこと
をする。そうした前向きの姿勢が子どもを別の面で伸ばす。

(3)祖父母の言いたそうなことを先取りして子どもにいい、祖父母には「助かります」
と言いながら、うまく祖父母を誘導する。

(4)以上の割り切りができなければ、別居を考える。
 大切なことは、大前提として、同居を受け入れるか入れないかを、明確にすること。受
け入れるなら受け入れるで、さっさとあきらめることはあきらめる。この割り切りがうま
くできないと、子育ては混乱する。母親自身の精神にもよくない。


+++++++++++++++++++++

おとなになりたくない!
すばらしいと言え、親の仕事(失敗危険度★)

●どうしたらいいか

 こんなことがあった。その息子(高一)が、家業である歯科技工士の仕事を継ぐのをい
やがって困っているというのだ。そこで「どうしたらいいか」と。

 今、子どもたちの間で、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりという奇妙な現象が起きて
いる。自分の将来に不安や恐怖心をもつと、子どもはおとなになるのを無意識のうちにも
拒否するようになる。そして幼児期に使ったおもちゃや本を取り出し、それを大切そうに
もちあるいたりする。

一人の小学生(小六男児)が、ボロボロになったマンガの本をかばんの中に入れていた
ので、「それは何だ」と声をかけると、その子どもはこう言った。「どうちぇ、読んでは
ダメだと言うんでチョ、言うんでチョ」と。この子どものケースでは、父親に原因があ
った。父親はことあるごとに、「中学校へ入ると、勉強がきびしいぞ」「毎日五、六時間
は勉強しなければならないぞ」と、その子どもをおどしていた。こうしたおどしが、子
どもの心をゆがめていた。

●「ペコペコする仕事なんか、いやだ」

 で、私は先にあげた高校生を家に呼んで、理由をたずねてみた。するとその高校生はこ
う言った。「あんな歯医者にペコペコする仕事なんか、いやだ。それにオヤジは、いつも『疲
れた、疲れた』と言っている」と。

 そこで私は母親にこう話した。「これからは子どもの前では、家の仕事は楽しい、すばら
しいと言いましょう」と。結果的にその子どもは今、歯科技工士をしているので、私のア
ドバイスはそれなりに効果があったのかもしれない。

●未来に希望を!

 子どもを伸ばす秘訣は、未来に希望をもたせること。あなたはすばらしい人になる、あ
なたの未来はすばらしいものになると、前向きの暗示を与える。幼児でもそうだ。少し前、
『学校の怪談』というドラマがあった。そのため「小学校へ行きたくない」という子ども
が続出した。理由を聞くと、「花子さんがいるから」と。やはり幼児には、「学校は楽しい
よ」「友だちがいっぱいできるよ」「大きな運動会をするよ」と、言ってあげねばならない。
そして……。

 子どもには、「お父さんの仕事はすばらしいよ」と言う。いや、言うだけでは足りないか
もしれない。生き生きと楽しそうに仕事をしている前向きの姿勢をどんどんと見せる。そ
ういう姿勢が子どもを伸ばす。


++++++++++++++++++++++

交通事故に気をつけてね
寸劇指導法(失敗危険度★)

●指示は具体的に

 具体性をともなわない指示は、子どもには意味がない。よい例が「友だちと仲よくする
のですよ」とか、「先生の話をよく聞くのですよ」とかなど。こういうことを言っても、言
う親の気休め程度の意味しかない。こういうときは、たとえば「これを○○君にもってい
ってあげてね。○○君は喜ぶわ」とか、「今日、学校から帰ってきたら、終わりの会で先生
が何と言ったか、あとでママに話してね」と言いかえる。「交通事故に気をつけるのですよ」
というのもそうだ。

●下水溝で遊んでいた子ども

 交通事故について話す前に、こんな例がある。その子ども(年長男児)は何度言っても、
下水溝の中に入って遊ぶのをやめなかった。母親が「汚いからダメ」と言っても、効果が
なかった。そこでその母親は、家庭排水がどこをどう通って、その下水溝に流れるかを説
明した。近所の家からはトイレの汚水も流れこんでいることを、順に歩きながらも見せた。
子どもは相当なショックを受けたようだったが、その日からその子どもは下水溝では遊ば
なくなった。

●迫真の演技で

 交通事故については、一度、寸劇をしてみせるとよい。私も授業の中で、ときどきこの
寸劇をしてみせる。ダンボールで車をつくり、交通事故のありさまを迫真の演技でしてみ
せる。……車がやってくる。子どもが角から飛び出す。車が子どもをはね飛ばす。子ども
が苦しみながら、あたりをころげまわる……と。気の弱い子どもだと、「こわい」と泣き出
すかもしれないが、子どもの命を守るためと考えて、決して手を抜かないこと。迫真の演
技であればあるほど、よい。たいてい一回の演技で、子どもはこりてしまい、以後道路へ
は飛び出さなくなる。

 もしあなたの子どもが、何度注意しても同じ失敗を繰り返すというのであれば、一度、
この寸劇法を試してみるとよい。具体的であるがために、説得力もあり、子どももそれで
納得する。


+++++++++++++++++++

うちの子はどうして勉強しないのかしら?
母親が一番保守的?(失敗危険度★★)

●ワーク選びの基準

 本来、地位や名誉、肩書きとは無縁のはずの、いわゆるステイ・アト・ホーム・ワイフ
(専業主婦)が、一番保守的というのは、実に皮肉なことだ。この母親たちが、もっとも
肩書きや地位にこだわる。子供向けの同じワークブックでも、四色刷りの豪華なカバーで、
「○○大学××教授監修」という飾りのあるものほど、よく売れる。中身はほとんど関係
ない。中身はほとんど見ない。見ても、ぱっと見た目の編集部分だけ。子どものレベルで、
子どもの立場で見る母親は、まずいない。たいていの親は、つぎのような基準でワークブ
ックを選ぶ。

(1)信用のおける出版社かどうか……大手の出版社なら安心する。
(2)権威はどうか……大学の教授名などがあれば安心する。
(3)見た目の印象はどうか……デザイン、体裁がよいワークブックは子どもにやりやす
いと思う。
(4)レベルはどうか……パラパラとめくってみて、レベルが高ければ高いほど、密度が
(9)こければこいほど、よいと考える。中にはぎっしりと文字がつまったワークブッ
クほど、割安と考える親もいる。

●インチキ教授たち

 しかしこういうことは大手の出版社では、すでにすべて計算ずみ。親たちの心理を知り
尽くした上で、ワークブックを制作する。が、ここに書いた(1)〜(4)がすべて、ウ
ソであるから恐ろしい。大手の出版社ほど、制作は下請け会社のプロダクションに任す。
そしてほとんど内容ができあがったところで、適当な教授さがしをし、その教授の名前を
載せる。

この世界、肩書きや地位を切り売りしても、みじんも恥じないようなインチキ教授はい
くらでもいる。出版社にしても、ほしいのは、その教授の「肩書き」。「中身」や「力」
ではない。だいたいにおいて、大学の教授ともあろう人が、子どものワークブックなど
にかかわるはずがない。

●ワークブック選びは慎重に

 今でもときどき、テカテカの紙で、鉛筆では文字も書けないようなワークブックをとき
どき見かける。また問題がぎっしりとつまっていて、計算はおろか、式すら書けないワー
クブックも多い。さらにおとなが考えてもわからないような難解な問題ばかりのワークブ
ックもある。見た目にはよいかもしれないが、こういうワークブックを子どもに押しつけ
て、「うちの子はどうして勉強しないのかしら?」は、ない。

 私も長い間、ワークブックの制作にかかわってきたが、結論はひとつ。かなり進歩的と
思われる親でも、こと子どもの教育となると、保守的。それを批判したりしても、「そう
は言ってもですねエ……」とはねのけてしまう。しかしこの母親たちが変わらないかぎり、
日本の教育は変わらない。


+++++++++++++++++++++

お母さんが苦労するのは、お父さんのせいよ
父親は母親がつくる(失敗危険度★★)

●互いに高次元な立場で!

 こう書くと、すぐ「男尊女卑思想だ」と言う人がいる。しかしもしあなたという読者が、
男性なら、私は反対のことを書く。

 あなたが母親なら、父親をたてる。そして子どもに向かっては、「あなたのお父さんは
すばらしい人よ」「お父さんは私たちのために、仕事を一生懸命にしてくれているのよ」
と言う。そういう語りかけがあってはじめて、子どもは自分の中に父親像をつくることが
できる。もちろんあなたが父親なら、反対に母親をたてる。「平等」というのは、互いに
高次元な立場で認めあうことをいう。まちがっても、互いをけなしてはいけない。中に、
こんなことを言う母親がいる。

●父親の悪口を言う母親

 「あなたのお父さんの稼ぎが悪いから、お母さん(私)は苦労するのよ」とか、「お父
さんは会社で、ただの倉庫番よ」とか。母親としては子どもを自分の味方にしたいがため
にそう言うのかもしれないが、言えば言ったで、子どもはやがて親の指示に従わなくなる。
そうでなくてもむずかしいのが、子育て。父親と母親の心がバラバラで、どうして子育て
ができるというのか。こんな子どもがいた。

●男を男とも思わない

男を男とも思わないというか、頭から男をバカにしている女の子(小四)だった。M子
という名前だった。相手が男とみると、とたんに、「あんたはダメね」式の言葉をはく
のだ。男まさりというより、男そのものを軽蔑していた。もちろんおとなの男もである。

そこでそれとなく聞いてみると、母親はある宗教団体の幹部。学校でもPTAの副会長
をしていた。一方父親は、地元のタクシー会社に勤めていたが、同じ宗教団体の中では、
「末端信者」と呼ばれるただの信徒だった。どこかボーッとした、風采のあがらない人
だった。そういった関係がそのまま家族の中でも反映されていたらしい。

●夫婦像をつくるのは親

 で、それから二〇年あまり。その女の子のうわさを聞いたが、何度見合いをしても、結
婚には至らないという。まわりの人の意見では、「Mさんは、きつい人だから」とのこと。
私はそれを聞いて、「なるほど」と思った。「あのMさんに合う夫をさがすのは、むずかし
いだろうな」とも。

 子どもはあなたという親を見ながら、自分の親像をつくる。だから今、夫婦というのが
どういうものなのか。父親や母親というのがどういうものなのか、それをはっきりと子ど
もに示しておかねばならない。示すだけでは足りない。子どもの心に染み込ませておかね
ばならない。そういう意味で、父親は母親をたて、母親は父親をたてる。


++++++++++++++++++++++

日本の子どもは何もしない
使えば使うほどよい子(失敗危険度★★★★)

●子どもは使え

「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言って
くれ。私は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんた
の本を、何冊も読む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使う
ことです。使って使って、使いまくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身に
つける。自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。
この忍耐力や根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●「日本の子どもはスポイルされている」

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、一〇〇%、
スポイルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。そこ
で私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こ
う教えてくれた。

「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけな
い。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」
などなど。つまり、「日本の子どもは何もしない」と。反対に夏休みの間、アメリカでホ
ームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こうでは、明らかにできそ
こないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝っている」と。ちな
みにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子の症状

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自
分を喜ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりす
る。自分の思いどおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを
許さない。いつも自分が皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、
目標を定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放
棄してしまう。ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだ
らしなくなる。その場を楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費
的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、
自分勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従
って行動することができない、など。

あなたの子どもをドラ息子、ドラ娘にしたくなかったら、とにかく使うこと。それ以外
にあなたの子どもをよい子にする方法はない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●睡眠

 今日、N市で、友人たちに会うことになっていた。

 しかし朝、電話をしてキャンセル。「昨夜は、数時間しか眠っていないから……」と。

 私は、ときどき、眠りそこねる。「眠い」と思って、床に入るのだが、何かの拍子に、そ
の睡魔を逃してしまう。とたん、頭がさえてしまう。

 一度、こういう状態になると、そのまま数時間は、眠れない。

 で、昨夜は、最後に時計を見たのは、午前3時。横でワイフが心配そうな顔をしていた
ので、「明日は、行かないよ」「心配しなくていいよ」と。

 もう、無理をしていはいけない。無理ができない。睡眠不足のまま、炎天下で人と会え
ば、どうなるか……? そんなことはだれにだって、わかる。友だちと会うことよりも、
私には、ワイフに心配をかけないほうが、重要。大切。

 朝、7時に、友人に電話をすると、すぐわかってくれた。「じゃあ、林、今度の土曜日に
しよう」と。

 そのまま風呂に入って、また仮眠。年をとればとるほど、睡眠をコントロールするのが
むずかしくなる。そして一度、そのリズムをこわすと、ずっと尾を引く。

 私の別の友人は、ほとんど毎晩、睡眠導入剤をのんでいるという。それがないと、もう
眠ることもできないそうだ。私も月に、1、2度、その薬の世話になっているが、必要量
の、5〜8分の1を、ナイフで割ってのんでいる。丸々1錠ものんだら、翌日、起きられ
なくなってしまう。

 (私のばあい、丸々1錠ものむと、夢と現実が混濁してしまう。そんな幻覚に襲われる。)

 この種の薬はこわい。できれば世話にならないで、すませたい。
(040817)


●タレント

 今、ギリシアのアテネで、オリンピックが開かれている。その報道レポーターとして、
あるテレビ局では、タレントのX氏を起用している。

 夜の番組をにぎわす、あのタレントのX氏である。

 が、見るに耐えないというか、聞くに耐えないというか……。言うこと、なすこと、低
劣。だいたいにおいて、きちんとした会話すらできない。日本語が、日本語になっていな
い。ギャーギャー、ワーワーと、感情的な言葉をぶつけているだけ。

 そのテレビ局には悪いが、ああいうタレントをレポーターに選んだのは、完全な失敗で
ある。ああいうのを、見せつけられると、同じ日本人としてというよりは、同じ人間とし
て、自分がなさけなくなる。

 ノーブレインな人間というのは、どういう人間をいうのか? ああいうタレントを見れ
ば、それがわかる。


●アンケート調査

 マガジンに、アンケート調査コーナーをもうけたら、10人前後の読者の方から、励ま
しのメールをもらった(8・19日現在)。

 いくつかをそのまま、紹介する。

☆先日ホ−ムページ読ませていただきました。留学期とコラム、すごく楽しく最後まで(ち
ょっと長かったたですが)、読ませていただきました。読みながら、自分のこと、自分の実
家の家族のこと、現在の家族のことを考えていました。(中略)末筆ながら、林先生のます
ますのご活躍を影ながら応援いたしています。(静岡県HPグランプリに清き1票しまし
た!)(高知県・MSより)

☆メルマガを読みながら、両親からこんなふうに言ってもらえたらと、泣けることがあり
ます。無理は言いません。気力の続かれるうちは、人助けと思ってメルマガを発行してく
ださい。お願いします。(静岡県・SIより)

☆毎回、自分に当てはまることが多くてドキッ!としたり、うーん、と考えたり、反省し
たりしています。出産するまで保母をしていたのですが、自分の子となると全くうまくい
かなくて日々反省です。もうちょっとうまく「適当」にできればいいなぁと思うのですが
どうも完璧主義のようでいけないですね。。。これからもよろしくお願いします。(静岡県・
TTより)

 みなさん、ありがとうございます。がんばって、原稿だけは書きつづけたいと思ってい
ます。(そのうち、頭がボケてきたら、おしまいです。)


●オーストラリアの友人、BB君からのメール

 オーストラリア人は、日本をどう見ているか。どう考えているか。そのヒントになるよ
うなメールが届いたので、紹介します。

 日本人の私たちにはない発想なので、一読の価値があります。

 BB君は、私のメルボルン大学時代の友人です。

****************************

Hi Hiroshi,

やあ、浩司。

The pacific war was very nasty and neither side has much to be proud of.
Many people in South East Asia came to see it as the old colonial powers fighting the 
new colonial power over their land.

太平洋戦争は、つまらない戦争で、どちらの側も、誇るべきものではない。
東南アジアの多くの人たちは、(ヨーロッパの)古い植民地パワーと、(日本の)新しい植
民地パワーとの戦いであったとみるようになった。


If you take a long view of history, war between Japan and the USA was probably 
inevitable the day that Commodore Perry arrived in Edo Bay with his Black Fleet.

歴史を長い視点でみるなら、ぺりーが、黒船で江戸へやってきたときから、日米戦争は、
避けられないものであったかもしれない。

It was interesting to me to see a TV program last Sunday about the White Australia 
Policy.

先週の日曜日、オーストラリアの白豪主義のTV番組を見たが、それはとても興味あるも
のだった。

Just after Federation in 1901, laws were enacted in Australia to exclude all 
non-European migrants and to forcibly return home those that were already here.

1901年の連邦制のすぐあとから、オーストラリア政府は、非ヨーロッパ系移民を追放
するという法律が制定した。そしてそのあと強制的に、すでに移住していた人たちまで、
追放してしまった。

An outright ban on racial grounds was not acceptable to the British who had an 
Empire to run and to still had much influence over Australia. So the infamous 
Dictation Test was instituted. 

この人種差別に基づく差別法案は、オーストラリアにまだ強い影響力をもっていた大英帝
国には、受け入れがたいものだった。

Any person wanting to migrate to Australia was to be given a test on his ability to 
understand and write down a paragraph or two in English or any other language the 
Immigration Officer chose.

オーストラリアに移住したい人は、英語の文章の1つ、あるいは2つ、あるいは係官が選
んだ言語について、それを理解し、書く能力が試された。

This of course annoyed many people.

このことは、多くの人たちを当惑させた。

The Japanese government was particularly outraged since, to quote from the program, 
"they thought they were the equal of the European Colonial powers and superior to 
the rest of Asia". 

とくに日本政府は、この法案をひきあいに出し、怒った。日本人は、ヨーロッパ人と平等
であり、他のアジアよりすぐれていると思っていたからである。

Japan tried, by diplomatic means, several times early last century to force Australia to 
change. 

日本は、外交手段を用いて、1900年代、オーストラリアにその法案を何度も変えよう
とした。

WW2 and its aftermath was the beginning of the breakdown of this policy. 

第二次大戦は、この政策をこわすための始まりとなった。

By the mid seventies it was gone.
そして1970年の半ば、その法案は、廃止された。

Cheers,

BB

*****************************

私が日本人であることを意識した、つまりきわめて日本に好意的な意見ではある。が、こ
うした意見が、オーストラリア人の知識人の中にあるということは、うれしいことである。

 BB君が言おうとしているのは、日本が欧米に向って戦争を始めたのには、それなりに
理由があったというのだ。とくにオーストラリアは、アジア人に対して、人種偏見をもっ
ていた。日本は、それに対して、ずっと不満をいだいていた。そういう不満が、戦争のベ
ースになっていた、と。

 「そうかなあ?」という部分もないわけではないが、オーストラリア人が、日本人や、
日本がした戦争をどう見ているか、それを知るための、ひとつの手がかりにはなる。

 以上、参考までに……。
(040821)

+++++++++++++++++++++++++++++++

【K町・K小学校での講演・感想録】

2004年・6月xx日、K町のK小学校で、講演をしました。その感想録を、担当
のTJ先生が送ってくれました。そのまま、ここに紹介します。(選択なし、原文のまま。)

●人には「かがみ」が有ると分かり、これをきっかけに自分の子育てを見直し、子供と共
に生活していきたいと思うきっかけとなかった事が出来、参加して良かったと思います。
有難うございました。

●自宅に帰ってから、4つの方向性について考えてみました。特に今している子育ては、
親からでそれを子供から、孫に伝えていくという事。。。。今の子育てを客観的にみて、もう
一度考えてみようと思いました。

●私には1年生の息子を筆頭に、3人の子どもがいます。毎日毎日、あっという間で、「こ
れでいいのか」と思うこともよくありました。はやし先生の講演を聴き、気持ちが楽にな
りました。先生の二番目の息子さんのお話はある意味でとても感心させられました。「忙し
いから後で」じゃなく、子供の気持ちを優先させる子育てを目ざしたいです。

●毎日子供と接している中で、ふと考えること、悩むことを、今日のはやしさんの講演で
具体的にはっきりと言葉としてとらえることができたように思います。興味をもてる演題
であり、考えさせられた内容でした。子供に子育ての見本を見せる。……自信ないなあ。

●今日の講演会は、今まで、私が子育てをしてきたことは、一体何だったのか考えさせら
れました。一番印象に残った言葉が、子育ては本能ではなく、学習というのでした。子供
に子育ての見本を見せるということでした。今まで私は、子どもに、あんな子になってほ
しいとか考えていたので、口うるさく注意したり、叱ったりしていました。でももう一度、
4つのことを見直して、子育てしていきたいと思います。

●今日の講演会でのはやし先生の話は胸にぐっとくるものがいっぱいありました。子育て
をしていく上での、4つの方向性の話や、誰もが心のなかにもっているわだかまりの話、
そして親と子の基本的な信頼感の重要さ。その後の子供が成長していく上での基盤を私達
親が作っていかなければいけない。子供が一人立ちしていく上で大事なことなんだって実
感しました。すごく私にとっては価値のある話だったし、時間でした。ありがとうござい
ました。

●今朝も息子に声をあげました。正直言って毎日、何かしら声をあげています。これじゃ
あいけないと思いつつ、今日の講演を聞きました。ドキッとさせられたり、ハッと気づか
さられるところのある内容の講演でした。たしかに子供は親そっくりに、今の自分を見て
みると。。。声をあげるばかりではなく、まず自分を見ること、直すことからはじめなけれ
ばいけないと思いました。4つのポイントを常に頭におき、これからの育児を楽しみたい
と思いました。ありがとうございました。

●普段は家事。育児をただ漠然とこなしてきました。「自分がした子育てを子供が親になっ
た時に繰りかえす」これを今までと違った意識で子供に接していきたいと思います。とて
も参考になりました。ありがとうございました。

●世代連鎖を断ち切った陰にある、父親への想い。絶句が多くの言葉よりも強く私に想い
を語りました。絶対的なさらけ出しと絶対的な受け入れ。人は苦しみなしになすべきこと
はできないのだと感じ入りました。

●もう少し堅い、一般的なお話が、なごやかな進むであろうと想像していた私には、はや
し先生の全力投球の心の叫びのようなお話にただただ圧倒されるばかりでした。子育ては
思い通りにはいきません。私など、日々の生活をこなすだけでいっぱいかなという、ドタ
バタ的な毎日なので、何でも自分の心次第(楽しむも嫌も)だな〜。頑張ろう。。。の繰り
返し。熱い親父の子育てを聞かせていただいて、びっくりすること、成る程と思うこと、
様々でしたが、今、親になって思うのは、自分の親達の思い、苦労はどんなだったか。。。
生まれてきてくれた時は、五体満足で何よりと感謝し、他に望むことはない。ただ無事で
育ってくれればいいと思ったのに、少しずつ、あれもこれもと望んでしまう。はやし先生、
私は子どもの応援団(自分の役割)と思っています。でっかい母さんになりたいです。あ
りがとうございました。

●子育ての4つの方向性の中で、ゆがみに気づかないまま、子育てをしているかもしれな
いということを教えて頂いて良かったです。そのゆがみが、何なのか。自分の過去を見な
がら、なによりも家族を大切にしていく子育てなんだろうなと思いました。子どもに育て
られながら。。。

●今日は講演会に出席して、いいお話しが聞けてよかったです。「子育ては自立させる事」
という事は、難しい事だと思います。これから自立するまでには長い時間かかって、親も
子どもに教えてもらい、親も子供も一緒に自立できる様にがんばっていきたいです。「許し
て忘れる」という事も、大事な事です。心にとっておきたい言葉です。

●今、自分がしている子育ては自分の親がしてくれた子育てを繰り返していると聞き、な
るほど、叱り方、口ぐせまで私の同じ事を自分の子供にしていたと思い当たる部分があり
ました。見本になるというのは難しい。最後にはやし先生が質問に答える際、胸にジーン
ときました。

●FORGIVE & FORGET。。。いい言葉だと思いました。子育てwp振り返っ
てみると、許すことも忘れることもできず、不満ばかりがたまって現在になっているよう
に思います。今はそれを忘れるよう努力し、これからの新しい「育て方を教える子育て」
を目指したいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。

●まだまだ話を聞いていたいなと思った講演でした。「問題のない子というのはいない。子
育ては許して忘れる」先生のお話は。これからの長い子育てに役立つ事だけではなく、私
にとっては、現在の子育てに対して心が軽くなれたような気がしました。あと4つの方向
性を、子育ての中で、大切にしていきたいです。

●自分が受けた子育てを繰り返しているというお話を聞いて、なるほどと納得しました。
自分が親からイヤだなと思っていたことなのに、知らず知らず、自分の子供にしているこ
とに気づきます。それを変えたくても、むずかしいのですが、気づいて直す様に心掛ける
ことが必要だと思いました。他にも周りの人の意見を聞いたり、子育てを「外」から見る
こともだいじだなと思いました。

●毎日なにげなく過ごしている事のつみ重ねが、子供に対して何かを教えているのだと思
うと、親としては気が抜けないような感もあります。ただ、「私は私」であるので、肩に力
が入ることなく、自然に子供達にもさらけだして、お互いに成長していけたらなと思いま
した。考えさせられることもたっぷりの、講演会でした。ありがとうございました。

●「許して忘れろ」。。。この言葉が、頭から離れません。とても難しいことです。親とはそ
ういうものなんだと思えば、今より、少し気が楽になります。子育ては自分の子供に、子
育ての見本を見せる。この言葉は、今現在の私の子育てにそのまま当てはまると気づきま
した。知らず知らず、自分が親と同じことをしていると。。。

●はやし先生の迫力あるお話で、私も暑さを忘れ、集中して聞く事ができました。昨年度
のファミリスに連載されていたので、この講演会をとても楽しみにしていました。心に残
るお話はいくつかありましたが、「子供に子供の育て方を教える。子供が親を育てる。自分
自身を知る。」目の前の問題ばかりにこだわらず、もっと余裕を持って子育てができればい
いなと思いました。良い講演会でした。ありがとうございました。

●子供に子供の育て方を教える。考えさせられる言葉だなあと思いました。「子供はただの
子供ではない。」子供って、すごいなあと実感しています。私も一緒に成長していかないと
いけないと思っています。

●林先生は、子育ては、本能ではなく、学習であると言う言葉は、考えさせられました。
話しを聞き、自分の幼少の頃を思い返し、今の自分の子育てが、自分の親から受けたこと
を、良くも悪くも、繰り返している面があることを、確かに感じました。自分が良かれと
思い、子供に対し、厳しく怒ったりすることも、「我が身」に気づかない子育てをしている
のかもしれないと、現在までの自分の子育てを見直す、良い機会になりました。今の、私
の子育てが、自分だけで終わりになるのではなく、未来の子孫へと続くと考えると、大変
なことだと思います。先生の言うように、子は親に、親は子に育てられるというように、
お互い学習し、成長していきたいと思います。

●子育て真っ最中の私にとって、もう一度、子育てについて考えてみる、よい機会になり
ました。4つの方向性のお話で、子育ては子どもに子どもの育て方を教える。子育ては本
能ではなく、学習であることを知り、今までを振りかえる反省することばかりです。これ
から気持ちにゆとりをもち、見本になるような子育てをしていきたいと思います。

●「許して忘れる」の言葉が、すごく心に残りました。子供が小さいうちは、色んな事を
します。危険な事は何度も注意すべきだと思いますが、元気ないたずらは、許して忘れて
いきたいです。私の子育てが孫のためなんだと、しっかりと心に留め置き、自信をもって、
子供に接していきたいと思います。

●私の育て方が子供に伝わっていくとのお話には、なるほどと納得しました。私のやって
いることは、私の母親の子育てに似ているからです。これからは、このことを頭において、
じっくりと子育てをしていきたいと思います。とてもよいお話をありがとうございました。

●今日の講演を聞いて、先生の一言一言、なにかしら思い当たる事をみつけ、反省するこ
としきり。。。先生がおっぱいを吸う事も、要因はお父さんだったかもしれませんが、おっ
ぱいといえば、やっぱりお母さんに繋がるものかと思います。やっぱり母親の存在って大
きいなと考えさせられました。

●先生のお話を聞きながら、自分の子どもの頃を思い出しました。そして今、わたしの子
供への接し方、しかり方・・・ああ、母に似ている!とあらためて思いました。先生とお
父さんの関係、とても興味深かったです。

●「子育ては本能ではなく、学習だ」 先生のお話を聞いて、考えさせられることがたく
さんありました。子育てをしながら、親も、子供によって、成長していけるようにがんば
りたいと思いました。

●とても心に残る講演でした。子育てって、つくづく難しいなと思いました。はやし先生
の話を聞きながら、自分の子育てはどういうものだろうと考えてみました。反省する点が
とても多かったです。感情で思ってしまったり、忙しいとなかなか相手をしてあげなかっ
たり。自己嫌悪でした。これからは、今日の話を頭の片すみにいつもおき、後悔しない子
育てをしていきたいと思いました。

●末っ子がようやく入学し、「子育て最前線」といわれても、どんなお話かしらと思いまし
たが、幼児から成人するまでの親の心のあり方、子どもへの向き合い方など、とても具体
的で考えさせられました。四つの方向性の中の後半の二つは特に感動しました。親は子離
れするのが難しく、「許して忘れる」ことの愛の難しさも予想されますが、子どもの成長と
もに、親も修行かなと思いました。ありがとうございました。

●本日は遅れての参加となってしまい、誠に申しわけありませんでした。途中からですが、
はやし先生のお話を聞かせていただき、帰ってから、奥さんと二人で、話し合いをしまし
た。子育てに関して、相談する事自体が少ない中で、こういった事を通じて、話し合いが
出来ただけでも、よかったかなと感じています。本日はありがとうございました。


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.        =∞=  // (奇数月用)9
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 20日(No.465)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page047.html


★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749

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          以上、よろしくお願いします!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●じゅうぶんな睡眠時間を

 目をさましてから起きあがるまでの時間には、特別の意味がある。

この時間、人間の心はもっとも静かな「時」を迎える。雑念や俗念、不安や心配、さら
には恐怖や妄想から解放される。つまりこの時間、自分の「原点」をそこで見つめるこ
とができる。もっと言えば、その人がもっともその人らしくなる……。

 パスカルは『思考が人間の偉大さをなす』(パンセ)と書いている。つまり考えるから人
間は人間である、と。言いかえると、考えるかどうかで、その人の「質」が決まる。知識
や知恵ではない。技術や肩書きでもない。反対に考えない人間がどうなるか。

その例というわけではないが、深夜のバラエティ番組に出てくる若者たちを見ればそれ
がわかる。実に「軽い」。軽すぎて、「これが同じ人間か」とさえ思うときがある。自ら
考える習慣のない人間は、そうなる。

 子どもに考えさせる習慣を身につけさせるもっともよい方法は、子どもがひとり、静か
に自分の時を過ごせるような時間と場所を用意することである。総じてみれば日本人は、
集団教育のし過ぎ(……され過ぎ)。一人で静かに考えるという習慣そのものもないし、そ
の価値を認めない。

子どもが机に向かってひとりぼんやりしていたとすると、親や先生は、「何、しているん
だ!」と、それを叱る。しかし大切なことは、「自分で考えること」だ。子どもがあれこ
れ自分で考える様子を見せたら、そっとしておいてあげる。

 で、その一つの方法というわけではないが、子どもが目をさましてから、起きあがるま
での時間を大切にする。そういう意味でも、静かな目覚めを大切にする。またそのために
も、睡眠時間はたっぷりととる。まずいのは、「もう起きなさい!」と、まだ眠気まなこの
子どもを、床の中から引きずり出すような行為。子どもが静かにものを考えることができ
る、せっかくの時間そのものを奪ってしまう。

 前回と今回は、子どもの睡眠について考えてみたが、もう少し子どもの睡眠には、親は
慎重であってもよいのではないか。

+++++++++++++++++

●子どもを自立させる

 子育ての目標は、子どもを自立させること。その「自立」には二つの意味がある。子ど
も自身の自立と、親の自立である。

依存心というのは相互的なもので、子どもに依存心をもたせることに無頓着な親は、一
方で、自分自身もだれかに依存したいという潜在的な願望をもっていると考えてよい。
つまり子どもを自立させたいと思ったら、親もまた自立しなければならない。こんな親
(六〇歳女性)がいた。

 会うと私にこう言った。「先生、息子なんて、育てるもんじゃないですね。息子は横浜の
嫁に取られてしまいました」と。そしてさらに顔をしかめて、「親なんてさみしいもんです
わ」と。その親は、息子が結婚して、横浜に住んでいることを、「取られた」というのだ。

 こうした親は、親意識が強く、その強い分だけ、子どもを「モノ」と見る傾向が強い。
そして自分にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコール、よい子とし、親に反発す
る独立心の旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。こうした親の意識の背景にあるのが、
依存心ということになる。もう少しわかりやすい言葉でいうなら、「甘え」ということにな
る。

 子育ての目標は、子どもを自立させること。「あなたの人生だから、思う存分、あなたの
人生を生きなさい。たった一度しかない人生だから、思いっきり大空を飛びなさい。親孝
行……? そんなこと考えなくてもいい」と、一度は子どもの背中をたたいてあげる。そ
れでこそ親は親としての義務を果たしたことになる。もちろんそのあと子どもが自分で考
えて、親のめんどうをみるというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

 日本人は、国際的にみても、互いの依存心が強い国民である。長く続いた封建時代とい
う時代が、こういう民族性をつくったとも言える。どこかの国に移住しても、すぐ日本人
どうしが集まり、そこにリトル東京(日本人街)をつくったりする。

親子関係もそうで、互いに甘え、甘えられる親子ほど、よい親子と評価する。しかし依
存心が強ければ強いほど、その人から「私」を奪う。しかしこれは、これからの日本人
の生き方ではない。少なくとも、こうした生き方は、世界ではもう通用しない。

【2】子育て狂騒曲(6)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

あなたには本当のことがわかっていない
子どもの心を大切に(失敗危険度★★★★★)

●無理は禁物

 子どもの心を大切にするということは、無理をしないということ。たとえば神経症にせ
よ恐怖症にせよ、さらにはチック、怠学(なまけ)や不登校など、心の問題をどこかに感
じたら、決して無理をしない。中には、「気はもちようだ」「わがままだ」と決めつけて、
無理をする人がいる。

さらに無理をしないことを、甘やかしと誤解している人がいる。しかし子どもの心は、
無理をすればするほど、こじれる。そしてその分だけ、立ちなおりが遅れる。しかし親
というのは、それがわからない。結局は行きつくところまで行って、はじめて気がつく。

その途中で私のようなものがアドバイスしても、ムダ。「あなたには本当のところがわか
っていない」とか、「うちの子どものことは私が一番よく知っている」と言ってはねのけ
てしまう。あとはこの繰り返し。

●こわい悪循環

 子どもというのは、一度悪循環に入ると、「以前のほうが症状が軽かった」ということを
繰り返しながら、悪くなる。そのとき親が何かをすれば、すればするほど裏目、裏目に出
る。もしそんな悪循環を心のどこかで感じたら、鉄則はただ一つ。あきらめる。そしてそ
の状態を受け入れ、それ以上悪くしないことだけを考えて、現状維持をはかる。よくある
例が、子どもの非行。

子どもの非行は、ある日突然、始まる。それは軽い盗みや、夜遊びであったりする。し
かしこの段階で、子どもの心に静かに耳を傾ける人はまずいない。たいていの親は強く
叱ったり、体罰を加えたりする。しかしこうした一方的な行為は、症状をますます悪化
させる。万引きから恐喝、外泊から家出へと進んでいく。

●ウリのつるにナスビはならぬ

 子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎとりながら成長していく。また子どもの巣
立ちも、決して美しいものばかりではない。中には、「バカヤロー」と悪態をついて巣立っ
ていく子どもいる。しかし巣立ちは巣立ち。要はそれを受け入れること。それがわからな
ければ、あなた自身を振り返ってみればよい。

あなたは親の期待にじゅうぶん答えながらおとなになっただろうか。あるいはあなたの
巣立ちは、美しく、すばらしいものであっただろうか。そうでないなら、あまり子ども
には期待しないこと。昔からこう言う。『ウリのつるにナスビはならぬ』と。失礼な言い
方かもしれないが、子育てというのは、もともとそういうもの。またそういう前提で、
子育てを考える。

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うちの子は問題をよく読みません
音読と黙読は違う(失敗危険度★★)

●子どもの読解力

 小学三年生くらいになると、読解力のあるなしが、はっきりしてくる。たとえば算数の
文章題。読解力のない子どもは、問題を読みきれない、読みまちがえる、など。あちこち
の数字を集めて、めちゃめちゃな式を書いたりする。親は「どうしてうちの子は、問題を
よく読まないのでしょう」とか、「そそっかしくて困ります」とか言うが、ことはそんな簡
単なことではない。

●音読と黙読

 話は少しそれるが、音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分がまったく違う。音読は、
一度自分の声で文章を読み、その音を聞いて文の内容を理解する。つまり左脳がそれをつ
かさどる。一方黙読は文字を図形として認識し、その図形の意味を判断して文の内容を理
解する。つまり右脳がそれをつかさどる。そんなわけで音読ができるからといって、黙読
ができるとは限らない。

ちなみに文字を覚えたての幼児は、黙読では文を読むことができない。この時期の子ど
もは、文字を一度声(音)に出して読み、その自分の声を聞いて、文を理解する。そこ
で子どもが文字をある程度読むことができるようになったら、黙読の練習をさせるとよ
い。方法は、「口をとじて本を読んでごらん」と指示する。国立国語研究所の調査によれ
ば、黙読にすると、小学校の低学年児で、約三〇%程度、読解力が落ちるそうだ。

●読解力は、学習の基本

 で、冒頭の相談について。もしあなたの子どもの読解力が心配なら、つぎのようにする。
方法は二つある。一つは、あえて音読をさせてみる。たとえば先の文章題でも、「声を出し
て問題を読んでごらん」と言って、問題を声を出させて読ませてみる。読んだ段階で、た
いていの子どもは、「わかった!」と言って、問題を解くことができるはず。が、それでも
効果があまりないときは、こうする。

問題そのものを、別の紙に書き写させる。子どもは文字(問題)を一度文字で書くこと
によって、文字の内容を「音」ではなく、「形」として認識するようになる。少し時間は
かかるが、黙読が苦手な子どもには、もっとも効果的な方法である。

 読解力は、すべての科目に影響を与える。文章の読解力を訓練しただけで、国語はもち
ろんのこと、算数や理科、社会の成績があがるということはよくある。読解力を決して軽
くみてはいけない。


+++++++++++++++++++++++

隠しごとがないのが、いい親子?
逃げ場を大切に(失敗危険度★★★★★)

●逃げ場で心をいやす

 どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。もちろん人間の子どもにもある。子ど
もがその逃げ場へ逃げ込んだら、親はその逃げ場を荒らしてはいけない。子どもはその逃
げ場に逃げ込むことによって、体を休め、疲れた心をいやす。たいていは自分の部屋であ
ったりするが、その逃げ場を親が荒らすようになると、子どもの情緒は不安定になる。

ばあいによっては精神不安の遠因ともなる。あるいはその前の段階として、子どもはほ
かの場所に逃げ場を求めたり、最悪のばあいには、家出を繰り返すようになる。逃げ場
がなくて、犬小屋に身を隠した子どもや、近くの公園の電話ボックスで身を潜めていた
子どがもいた。

またこのタイプの子どもの家出は、もてるものをすべてもって、一方向に家出するとい
うと特徴がある。買い物バッグの中に、大根やタオル、ぬいぐるみのおもちゃや封筒を
つめて家出した子どもがいた。(これに対して目的のある家出は、その目的にかなったも
のをもって家を出るので、区別できる。)

●逃げ場は神聖不可侵

 子どもが逃げ場へ逃げたら、その中まで追いつめて、叱ったり説教してはいけない。子
どもが逃げ場へ逃げたら、子どものほうから出てくるまで待つ。そういう姿勢が子どもの
心を守る。

が、中には、逃げ場どころか、子どものカバンの中や机の中、さらには戸棚や物入れの
中まで調べる親がいる。仮に子どもがそれに納得したとしても、親はそういうことをし
てはならない。こういう行為は子どもから、「私は私」という意識を奪う。

●子どもの人格を守る

 これに対して、親子の間に秘密はあってはいけないという意見もある。「隠しごとがない
ほど、いい親子」と言う人さえいる。そういうときは反対の立場で考えてみればよい。い
つかあなたが老人になり、体が不自由になったとする。そういうときあなたの子どもが、
あなたの机の中やカバンの中を調べたとしたら、あなたはそれに耐えられるだろうか。プ
ライバシーを守るということは、そういうことをいう。

秘密をつくるとかつくらないとかいう次元の話ではない。私は今の女房と結婚して、も
う三〇年になるが、いまだかって一度も、女房のバッグに手を入れたことがない。たと
え許可があっても、手を入れることができない。が、だからといって、夫婦の関係が疎
遠であるということにはならない。

 むずかしい話はさておき、子どもの人格を尊重するためにも、子どもの逃げ場は神聖不
可侵の場所として大切にする。


++++++++++++++++++++

育児から解放されたい!
子どもは甘えるもの(失敗危険度★★★★)

●自然な「甘え」

 スキンシップの重要性は、今さら言うまでもない。で、そのスキンシップと同じレベル
で考えてよいのが、「甘える」という行為。

一般論として、濃密な親子関係の中で、親の愛情をたっぷりと受けた子どもほど、甘え
方が自然である。「自然」という言い方も変だが、要するに、子どもらしい柔和な表情で、
人に甘える。甘えることができる。心を開いているから、やさしくしてあげると、その
やさしさがそのまま子どもの心の中に染み込んでいくのがわかる。

 これに対して幼いときから親の手を離れ、施設で育てられたような子ども(施設児)や、
育児拒否、家庭崩壊、暴力や虐待を経験した子どもは、他人に心を許さない。許さない分
だけ、人に甘えない。一見、独立心が旺盛に見えるが、心は冷たい。他人が悲しんだり、
苦しんでいるのを見ても、反応が鈍い。感受性そのものが乏しくなることもある。

ものの考え方が、全体にひねくれる。私「今日はいい天気だね」、子「いい天気ではない」、
私「どうして?」、子「あそこに雲がある」、私「雲があっても、いい天気だよ」、子「雲
があるから、いい天気ではない」と。

●抱かれない子ども

こんなショッキングな報告もある(二〇〇〇年)。抱こうとしても抱かれない子どもが、
四分の一もいるというのだ。「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以
前はほとんど感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、四分の
一に及ぶことが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」
(中日新聞)と。

●原因は「抱っこバンド」?

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」
が三三%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応
が二割前後見られ、調査した六項目の平均で二五%に達したという。また保育士らの実
感として、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で二〇%の赤
ちゃんから報告されたという。

さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児か
ら解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことが
わかったという。また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行
している「抱っこバンド」を使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)
二〜三割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシ
ップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話
している。

●「甘え」と「甘さ」

 ついでに……。よく誤解されるが、「甘える」という行為と、「甘い生活」とは、まった
く別のものである。同じ「甘」という文字を使うから誤解される。子どもが甘えるから、
甘い生活とは言わない。甘い生活というのは、結局は子どもの言いなりになってしまうよ
うな、ルーズな生活をいう。

 一方、「甘える」というのは、ここにも書いたように、心を開き、心を許している状態を
いう。子どもの側でいえば、自分をさらけだしている状態をいう。甘えるということがよ
いとか悪いとかいうことを議論する前に、子どもが親に甘えることができないというので
あれば、まず第一に、家庭が家庭として機能していないことを疑ってみる。そのままの状
態だと、子どもの心にも深刻な影響を与える。


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わかっていたら、どうしてもっと早くアドバイスしてくれなかったのだ!
行きつくところまで行く(失敗危険度★★★★★)

●「うちの子にかぎって……」

 子育ては、失敗してみて、それが失敗だったとはじめて気づく。その前の段階で、私の
ようなものがあれこれ言ってもムダ。ほとんどの親は、「うちの子に限って」とか、「まだ
何とかなる」と考えて、無理に無理を重ねる。が、やがてそれも限界にくる。

●燃え尽きる子ども

 よくある例が、子どもの燃え尽き(バーントアウト)。概してまじめで、従順な子どもが
なりやすい。はげしい受験勉強をくぐりぬけ、やっとの思いで目的の学校へ入学したとた
ん、燃え尽きてしまう。

浜松市内でも一番と目されている進学校のA高校のばあい、一年生で、一クラス中、二
〜三人。二年生で、五〜六人が、燃え尽き症候群に襲われているという(B教師談)。一
クラス四〇名だから、一〇%以上の子どもが、燃え尽きているということになる。この
数を多いとみるか、少ないとみるか? 

●初期症状を見落とすな

 燃え尽きは初期症状を的確にとらえ、その段階で適切に対処することが大切。登校前に
体や心の不調や、無気力、倦怠感を訴えたりする。不登校の初期症状に似た症状を示すこ
ともある。そういうとき親が、「そうね、だれだってそういうときがあるよ」と言ってあげ
れば、どれだけ子どもの心は救われることか。が、親にはそれがわからない。ある母親は
あとになって、私にこう言った。

「無理をしているという気持ちはどこかにありましたが、目的の高校へ入ってくれれば、
それで問題のすべては解決すると思っていました」と。もっともこういうふうに反省で
きる親はまだよいほうだ。中には、「わかっていたら、どうしてもっと早くアドバイスし
てくれなかったのだ」と、私に食ってかかってきた父親がいた。

●子どもの心を守る大原則

 結論を先に言えば、結局は親というのは、自分で行き着くところまで行かないと、自分
で気づかない。一度(無理をする)→(症状が悪化する)→(ますます無理をする)の悪
循環に入ると、あとは底なしの泥沼状態に陥ってしまう。これは子育てにまつわる宿命の
ようなものだ。そこで大切なことは、いつどのような形で、その悪循環に気づき、それを
その段階で断ち切るかということ。もちろん早ければ早いほどよい。そしてつぎのことに
気をつける。

(1)あきらめる……「あきらめは悟りの境地」という格言を以前、私は考えたが、あき
らめる。

(2)今の状態を保つ……「何かおかしい」と感じたら、なおそうと考えないで、今の状
態をそれ以上悪くしないことだけを考える。

一年単位でみる……子どもの「心」の問題は、すべて一年単位でみる。「心」の問題はその
つど一進一退を繰り返すが、それには一喜一憂しない。「半年前とくらべてどうだ」「一年
前とくらべてどうだ」というスタンスでみる。これは燃え尽きに限らず、子どもの心を考
えるときの大鉄則と考えてよい。

 たとえば親は子どもの症状が少しよくなると、つぎつぎとあれもこれもと言い出す。あ
る母親は、不登校でしばらく学校を休んでいた子どもが何とか学校へ行くようになったら、
とたんその子どもを進学塾へ入れた。親は「遅れを取りもどすため」と言ったが、再びそ
の子どもはオーバーヒート。その子どもはさらに長期間、学校へは行かなくなってしまっ
た。こういう失敗例は、実に多い。
 

+++++++++++++++++++++++

何を偉そうなことを!
子どもを叱れない親(失敗危険度★★★★★)

●こわくて叱れない

ある雑誌社から原稿依頼があった。「子どもを叱れない親がふえているが、それについて
記事を書いてほしい」と。それについて……。

子どもをこわくて叱れないというのであれば、すでに断絶状態にあるとみる。原因は(1)
リズムの乱れ(親側がいつもワンテンポ早い)、(2)価値観の衝突(親側が旧態依然の
価値観に固執している)、それに(3)相互不信(「うちの子はダメだ」という思いが強
い)。この状態で子どもを叱れば、あとはドロ沼の悪循環!

●親の三つの役目

親には三つの役目がある。(1)ガイドとして子どもの前を歩く。(2)保護者(プロテ
クター)として子どものうしろを歩く。(3)友(フレンド)として子どもの横を歩く。
日本人はこのうち三番目が苦手、……というより、「私は親だ」という親意識だけがやた
らと強く、子どもを友として見ることができない。

●今の状態をより悪くしない

もしあなたが子どもをこわくて叱れないというのであれば、まず子どものリズムで歩き、
親の価値観を一方的に押しつけるのをやめる。そしてここが重要だが、子どもを対等の
友として受け入れる。英語国では、親子でも「お前はパパに何をしてほしい?」「パパは、
私に何をしてほしい」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。また
一度断絶状態になったら、「修復しよう」などとは考えないで、今の状態をより悪くしな
いことだけを考えて対処する。

●叱ることはむずかしい?

 「叱る」というのは、本当のところは、たいへんむずかしい。子どもを叱るというのは、
叱る側にそれだけの「人格」がなければならない。たとえば教える立場でいうと、よく宿
題を忘れてくる子どもがいる。宿題ならまだしも、テキストや鉛筆すら忘れてくる子ども
がいる。

しかし私は、どうしてもそういう子どもを叱ることができない。理由は簡単。私自身も
よく忘れ物をするからだ。自分でもできないのに、どうして子どもを叱ることができる
のか。それともあなたは、あなたの子どもに向かって、「正しいことをしなさい」「まち
がったことをしてはだめだ」と堂々と言うことができるだろうか。もしそうなら、きっ
とあなたはすばらしい人だが、そんな人はいったい、どれだけいるというのか。

●何を偉そうなことを!

 私は幼児を教えるようになって、もう三〇年になるが、どういうわけだか「叱る」とい
うことについて、大きな抵抗を感ずる。ときどきは叱ることもあるが、そのたびに心のど
こかで、「何を偉そうなことを」と思ってしまう。

先日も図書館の中で騒いでいる高校生がいた。その高校生たちを注意してやろうと考え
たが、たまたま日本がかかえる不良債権のことが頭の中を横切った。「七〇〇兆円とか八
〇〇兆円とかいう、ぼう大な借金をつぎの世代に残して、何を偉そうなことを言えるの
か」と。とたん注意しようという気持ちが吹き飛んでしまった。……そういう意味でも、
子どもを叱るというのは、とてもむずかしい。



核兵器か何かで世界の人口が半分になればいい
自己中心ママ(失敗危険度★★★)

●もともとはわがままな性格

自己中心性の強い母親は、「私が正しい」と信ずるあまり、何でも子どものことを決めて
しまう。もともとはわがままな性格のもち主で、自分の思いどおりにならないと気がす
まない。

 このタイプの母親は、思い込みであるにせよ何であるにせよ、自分の考えを一方的に子
どもに押しつけようとする。本屋へ行っても、子どもに「好きな本を買ってあげる」と言
っておきながら、子どもが何か本をもってくると、「それはダメ、こちらの本にしなさい」
と、勝手にかえたりする。子どもの意見はもちろんのこと、他人の話にも耳を傾けない。 

●バランス感覚

 こうした自己中心的な子育てが日常化すると、子どもから「考える力」そのものが消え
る。依存心が強くなり、善悪のバランス感覚が消える。「バランス感覚」というのは、善悪
の判断を静かにして、その判断に従って行動する感覚のことをいう。

このバランス感覚が欠落すると、言動がどこか常識ハズレになりやすい。たとえばコン
セントに粘土を詰めて遊んでいた子ども(小一男児)や、友だちの誕生日のプレゼント
に、虫の死骸を箱に入れて送った子ども(小三男児)がいた。さらに「核兵器か何かで
世界の人口が半分になればいい」と言った男子高校生や、「私は結婚して、早く未亡人に
なって黒いドレスを着てみたい」と言った女子高校生がいた。

●家族のカプセル化

 ところで母親にも、大きく分けて二種類ある。ひとつは、子育てをしながらも、外の世
界に向かってどんどんと積極的に伸びていくタイプ。もう一つは自分の世界の中だけで、
さらにものの考え方を先鋭化するタイプである。外の世界に向かって伸びていくのはよい
ことだが、反対に自分のカラを厚くするのは、たいへん危険なことでもある。こうした現
象を「カプセル化」と呼ぶ人もいる。一度こうなると、いろいろな弊害があらわれてくる。

たとえば同じ過保護でも、異常な過保護になったり、あるいは同じ過干渉でも、異常な
過干渉になったりする。当然、子どもにも大きな影響が出てくる。五〇歳をすぎた男性
だが、八〇歳の母親の指示がないと、自分の寝起きすらできない人がいる。その母親は
ことあるごとに、「生まれつきそうだ」と言っているが、そういう男性にしたのは、その
母親自身にほかならない。

●悪循環に注意!

 子育てでこわいのが、悪循環。子どもに何か問題が起きると、親はその問題を解決しよ
うと何かをする。しかしそれが悪循環となって、子どもはますます悪い方向に進む。とく
に子どもの心がからむ問題はそうで、「以前のほうが症状が軽かった」ということを繰り返
しながら、症状はさらに悪くなる。

 自己中心的なママは、この悪循環におちいりやすいので注意する。


【3】孤独との闘い□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【孤独からの解放】

+++++++++++++++++++++++

真の幸福とは何か。その幸福を手にするためには、
私たちは、どう考えればよいのか。どうすればよいのか。

利己から利他へ。私は、そこに、この問題を解く
カギがあるのではないかと思っている。

+++++++++++++++++++++++

●自己愛について、さらに……

自己愛の特徴として、つぎのようなものがある。

(1)独善的、ひとりよがり
(2)完ぺき主義、仕事を他人に任せられない
(3)自分勝手、わがまま
(4)がんこになる。かたくなになる。
(5)批判されるのを許さない。批判されると、極端に気にする。
(6)キズつきやすい。
(7)自己中心性

 7番目に「自己中心性」をあげたが、この自己中心性こそが、自己愛の最大の特徴とい
うことになる。

 ここでは、もう少し、ほりさげて、具体的に考えてみたい。

●ある2組の夫婦

 ワイフが属するクラブに、こんな友だちがいるという。その友だちを、Dさんとしてお
く。

 夫とは、15歳近くも、年が離れているという。ワイフは、「それが理由よ」と言うが、
その夫は、妻に対して、実に寛大。おおらか。その妻が、一人で、外国旅行にでかけても、
何も言わないという。

私「奥さんが、一人で、外国へ遊びに行くのか?」
ワ「そうみたい。パック・ツアーだけどね。この前は、韓国へ、韓国料理を楽しむ会とい
うツアーに行ってきたみたい」
私「ダンナさんは、奥さんの浮気を心配しないのか?」
ワ「したければどうぞっていう雰囲気だってエ」と。

 それでいて、夫婦仲は、悪くないらしい。私も何度か、Dさんを見かけたことがあるが、
いつも、生き生きとしている。表情も明るい。通りで会ったりすると、「アラッ、林さん!」
と声をかけてくれる。

 その一方、妻を、絶対に外に出さない夫もいる。

 Uさん(女性)は、今年、56歳になるが、結婚してからこのかた、ただの一度も、夫
と離れて旅行など、したことがないという。病院へ入院することさえ、夫は、許さないと
いう。

 そのくせ、夫のほうはといえば、遊び放題。1週間近くも、愛人の家に入りびたりにな
って、家に帰ってこなかったこともあったという。

 Uさんは、もの静かで、おだやかな感じのする人だが、そういうこともあって、表情は、
いつも暗い。どこか自分を押し殺しているような雰囲気がある。

 この二つのケースを並べてみると、自己愛がどういうものか、その輪郭(りんかく)が
見えてくる。

 Dさんの夫は、妻を信じている……というより、みじんも、妻を疑っていない。妻の生
きがい、妻の意思を、何よりも大切にしている。つまりいつも、妻の立場で、ものを考え
ている。

 一方、Uさんの夫は、自分勝手で、わがまま。自己中心性が強く、自分の立場しか考え
ていない。妻といっても、いわば、「家」の飾りのようなもの。もっと言えば、家政婦? そ
んな感じがしないでもない。

 Uさんの夫は、妻を、信じていない。

●自己愛者は、孤独?

 自己愛者というより、自己中心的な人は、それだけ孤独な人と考えてよい。その根底に
は、「信じられるのは、自分だけ」という、根強い、他人への不信感がある。

 このタイプの人は、独善的である分だけ、他人の失敗を許さない。完ぺき主義。こまか
いことを、つぎつぎと指示して、自分の思いどおりにならないと、不愉快に思ったり、怒
ったりする。

 たとえば、昔、こんな女性がいた。

 その家は、江戸時代からの名家ということだそうだが、その女性は、その家の女主人。
ことさら伝統としきたりに、うるさい人だった。それはわかるが、長男の嫁が、たいへん
だった。

 床の間の飾りつけ一つにしても、ほんの少しでも位置がずれていたりすると、やりなお
しをさせられたという。

 この女性のばあい、自己愛というよりは、自家愛というべきか。嫁という「人間」より、
自分の「家」のほうが大切なのかもしれない。

 もちろんそれぞれの人には、それぞれの生き方がある。それぞれの人が、それで、それ
なりにハッピーであれば、問題はない。他人がとやかく言う必要はない。

 しかし自己愛にせよ、自家愛にせよ、それと引きかえに、孤独という地獄を背負うこと
になる。

 私も、ときどきこう思う。「私が死んだら、だれが悲しんでくれるだろう」と。

 別に悲しんでほしいわけではないが、そう考えたとき、ふと、「私が死んでも悲しむ人は、
だれもいないだろうな」と思ってしまう。たとえば先日も、同じ町内の判で、私と同年齢
の男性が死んだ。

 散歩のとき、ときどき顔を合わせる程度のつきあいしかなかったら、その人が死んだと
いう話を聞いたときも、ショックはショックだったが、悲しいという思いは、わいてこな
かった。

 が、それが親類や、さらに身内となると、そうはいかない。が、そのときも「その人が
死んで、悲しい」というよりは、「自分の過去が消えていく」というさみしさのほうが、先
にくる。その人の死を悼(いた)むというよりは、どこか自分のために、その人の死を、
悔やむといったほうに近い。

 では、家族は、どうか? これについては、こんな話がある。

 私も、晴れて孫をもち、ジジイの仲間入りをした。ジジイの気持ちが、理解できるよう
になった。そこである日、ふと、幼稚園児たちに、こう聞いてみた。

 「みんなには、おじいちゃん、おばあちゃんは、いるかな?」と。すると何人かの子ど
もたちが、「もう、死んだ」と答えた。

 そこですかさず、「おじいちゃんや、おばあちゃんが死んだとき、悲しかったかな?」と
聞いてみた。すると、最近、祖父母をなくした子どもたちですら、全員(4、5人)、「う
うん。悲しくなかった」「ゼンゼン」と答えた。

 「そういうものかなあ」と思った。「反対に、孫が死んだら、ジジイにせよ、ババアにせ
よ、狂ったように悲しむのに」とも。

●幸福の追求

 幸福の追求とは、何か。

 あるいは、どういう状態を、幸福というのか。

 おいしいものを食べ、きれいな衣服を身にまとい、快適な家に住むことなのか。

 私とて、お金は、嫌いではない。しかしお金では、幸福は、買えない。(反対に、お金が
なくて、不幸になる人は、いくらでもいるが……。)

 しかし幸福感ほど、わかりにくい感覚はない。欲望を満足させたときを幸福と言うのな
ら、それは、まちがっている。満腹になったとき。予定外のボーナスが、舞いこんできた
とき、そういうとき感ずる満足感は、ここでいう幸福感とは、無縁のものである。

 で、私は、最近、幸福とは、まわりの人たちの心の中で、やすらぎを感ずることではな
いかと思い始めている。まだそう思い始めたばかりで、それが結論というわけではない。

 しかし孤独から自分が解放されたと感じたとき。そういう状態を、幸福というのではな
いか、と。言いかえると、孤独との戦い。その戦いを通して、その反射的効果として与え
られる感覚が、幸福という感覚ではないか、と。

 そういう意味で、幸福と孤独は、コインの表と裏のようなものかもしれない。孤独と戦
うことで、その人は、幸福になれる。しかしいくら、欲望を満足させても、そこに孤独を
感ずるようであれば、その人は、決して、幸福とはいえない。

●孤独は、無間の地獄

孤独とは、究極の地獄と考えてよい。

 イエス・キリスト自身も、その孤独に苦しんだ。マザーテレサは、つぎのように書いて
いる。この中でいう「空腹(ハンガー)」とは、孤独のことである。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger 
for bread and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself 
experienced this loneliness. He came amongst his own and his own received him not, 
and it hurt him then and it has kept on hurting him. The same hunger, the same 
loneliness, the same having no one to be accepted by and to be loved and wanted by. 
Every human being in that case resembles Christ in his loneliness; and that is the 
hardest part, that's real hunger. 

 キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼はただ食物
としてのパンを求める空腹を意味したのではなかった。

彼は、愛されることの空腹を意味した。キリスト自身も、孤独を経験している。つまり
だれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれにも求められないという、孤独を、
である。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつけ、それからもキズつ
けつづけた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、もっともき
びしい、つまりは、真の空腹ということになる。

 あのアリストテレスでさえ、「世界中のあらゆるものを手に入れたとしても、だれも、孤
独(friendless condition)は選ばないだろう(No one would choose a friendless existence 
on condition of having all the other things in the world. )」と述べている。

 孤独を、安易に考えてはいけない。「生きるということは、まさに孤独の闘い」と言って
も、言い過ぎではない。と、同時に、それは個人化が、いかにけわしい道であるかを意味
する。

 もっとも若いときは、その孤独の意味すらわからない。健康で、死への恐怖もない。毎
日がスリルと興奮の連続。そんな感じですぎていく。孤独を感ずることがあるとするなら、
何かのことでつまずき、ふと立ち止まったようなときだ。

 「私は私」という生きザマの中で、自分のカラに入ることは、同時に、その孤独を背負
うことを意味する。

 ではどうすればよいのか。

 そのヒントとして、マザーテレサは、「愛」があると、書いている。

●まず自分を知る

 まず、自分の中の自己中心性を知る。すべては、ここから始まる。

 が、これがむずかしい。どの人も、自分のことは、自分が一番よく知っていると思って
いる。ある意味ではそうだ。谷間に住んで、山に登ったことがない人には、自分の村の姿
の全体像はわからない。

 「私」もそうで、私を知るためには、一度、視点を、私の外に置いてみなければならな
い。私を、私の目を通して見ているかぎり、私など、ぜったいにわからない。

 先日も、私は幼児の前で、わざと計算ができないフリをしてみせた。「3たす5は……? 
エ〜ト」と。そして電卓をパチパチとたたいてみせたら、一人の子どもが、こう言った。「あ
んたは、本当に、センセイ?」と。

『無知の知』という言葉がある。ソクラテス自身が述べた言葉という説もあるし、ソク
ラテスにまつわる話という説もある。どちらにせよ、「私は何も知らないという事実を知
ること」を、無知の知という。

 ソクラテスは、「まず自分が何も知らない」ということを自覚することが、知ることの出
発点だと言った。

 実際、そのとおりで、ものごとというのは、知れば知るほど、その先に、さらに大きな
未知の分野があることを知る。あるいは新しいことを知ったりすると、「どうして今まで、
こんなことも知らなかったのだろう」と、自分がいやになることもある。

 少し前だが、こんなこともあった。

 子ども(年長児)たちの前で、カレンダーを見せながら、「これは、カーレンジャーとい
います」と教えたら、子どもたちが、こう言って、騒いだ。「先生、それはカーレンジャー
ではなく、カレンダーだよ」と。

 で、私は、「君たちは、子どものクセに、カーレンダーも知らないのか。テレビを見てい
るんだろ?」と言うと、一人の子どもが、さらにこう言った。「先生は、先生のくせに、カ
レンダーも知らないのオ?」と。

 私はま顔だったが、冗談のつもりだった。しかし子どもたちは、真剣だった。その真剣
さの中に、私はソクラテスが言ったところの、「無知」を感じた。

 しかしこうした「無知」は、何も、子どもの世界だけの話ではない。私たちおとなだっ
て、無数の「無知」に囲まれている。ただ、それに気づかないでいるだけである。そして
その状態は、庭に遊ぶ犬と変らない。

 そう、私たち人間は、「人間である」という幻想に、あまりにも、溺れすぎているのでは
ないか。利口で賢く、すぐれた生物である、と。

 しかし実際には、人間は、日光の山々に群れる、あのサルたちと、それほど、ちがわな
い? 「ちがう」と思っているのは、実は、人間たちだけで、多分、サルたちは、ちがわ
ないと思っている。

 同じように人間も、仮に自分たちより、さらにすぐれた人間なり、知的生物に会ったと
しても、自分とは、それほど、ちがわないと思うだろう。自分が無知であることにすら、
気づいていないからである。

 何とも話がこみいってきたが、要するに、「私は愚かだ」という視点から、ものを見れば
よいということ。いつも自分は、「バカだ」「アホだ」と思えばよいということ。それが、
結局は、自分を知ることの第一歩ということになる。

●利己から利他への転換

 自分の中の自己中心性を知るのは、そういう意味では、たいへんむずかしい。仮にあな
たがそうであるとしても、それに気づくことは、至難のワザである。が、もし、あなたが、
「さみしい」「孤独だ」「友がいない」「わかってくれる人がいない」と感じているなら、ま
ず、自分の自己中心性を疑ってみたらよい。

 すべては、ここから始まる。

 ひょっとしたら、あなたは、自分のカラに閉じこもり、自分だけを愛しているだけかも
しれない。幻想と幻惑にとりかこまれ、「私は愛されている」「愛されて当然」「尊敬されて
いる」「尊敬されて当然」と思っているだけかもしれない。

 本当のところ、だれも、あなたを愛してはいない。尊敬もしていない。もっと言えば、
あなたが死んだところで、だれも悲しまない。

 型どおりの葬儀。型どおりの弔辞。型どおりの法事。それを繰りかえすうち、やがてあ
なたのことなど、だれも話さなくなる。

 実は、そのことを、あなた自身が一番よく知っている。が、それを認めることは、あな
たにとっては、人生の敗北。だから懸命に虚勢を張って、そうでない自分を演出する。

 「私は、孤独ではない」「私には、友が多い」「私は、みんなから愛されている」と。

 このタイプの人間は、夜のバラエティ番組に出てくるタレントたちを見れば、わかる。
派手な衣装を身にまとい、金ピカピカの装飾品で、それを飾る。そして言うことは、いつ
も同じ。

 「X国の皇族たちとも、私は友人でして……」と。

 しかしそういうタレントが死んで、だれが悲しむだろうか。涙を流すだろうか。

 そう、あなたは孤独だ。あなたが身を置いて、その心を休める人は、だれもいない。

 ……と、そこまで気づいたら、あとは、簡単。本当に簡単。ウソのように簡単。

 一度、ためしに、相手の心の中に自分を置いて、その相手の心の中から、自分がどう見
えるか、ちょっとだけ試しに、見てみてほしい。

 あとは、少しずつ、その機会をふやしていく。それでよい。それであなたは、利己から、
自分を切り離すことができる。

 が、いつまでも利己にこだわっていると、あなたは、無間の孤独地獄から、解放される
ことはない。それについて、たびたび考えてきたので、今まで書いた原稿の中から、いく
つかを選んで、収録する。

+++++++++++++++++++

●孤独からの解放、それが自由

 イエス・キリストは、こう言っている。『真理を知らん。而(しこう)して真理は、汝ら
に、自由を得さすべし』(新約聖書・ヨハネ伝八章三二節)と。「真理を知れば、そのとき
こそ、あなたは自由になれる」と。

 私が、「私」にこだわるかぎり、その人は、真の自由を手に入れることはできない。たと
えば「私の財産」「私の名誉」「私の地位」「私の……」と。こういうものにこだわればこだ
わるほど、体にクサリが巻きつく。実が重くなる。動けなくなる。

 「死の恐怖」は、まさに「喪失の恐怖」と言ってもよい。なぜ人が死をこわがるかとい
えば、それは死によって、すべてのものを失うからである。

いくら、自由を求めても、死の前では、ひとたまりもない。死は人から、あらゆる自由
をうばう。この私とて、「私は自由だ!」といくら叫んでも、死を乗り越えて自由になる
ことはできない。はっきり言えば、死ぬのがこわい。

が、もし、失うものがないとしたら、どうだろうか。死をこわがるだろうか。たとえば
無一文の人は、どろぼうをこわがらない。もともと失うものがないからだ。

が、へたに財産があると、そうはいかない。外出しても、泥棒は入らないだろうか、ち
ゃんと戸締りしただろうかと、そればかりが気になる。そして本当に泥棒が入ったりす
ると、失ったものに対して、怒りや悲しみを覚える。泥棒を憎んだりする。「死」もこれ
と同じように考えることはできないだろうか。つまり、もし私から「私」をとってしま
えば、私がいないのだから、死をこわがらなくてもすむ?

 そこでイエス・キリストの言葉を、この問題に重ねてみる。イエス・キリストは、「真理」
と「自由」を、明らかに対比させている。つまり真理を解くカギが、自由にあると言って
いる。言いかえると、真の自由を求めるのが、真理ということになる。

もっと言えば、真理が何であるか、その謎を解くカギが、実は「自由」にある。さらに
もっと言えば、究極の自由を求めることが、真理に到達する道である。では、どうすれ
ばよいのか。

 一つのヒントとして、私はこんな経験をした。話を先に進める前に、その経験について
書いた原稿を、ここに転載する(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++++++

●無条件の愛

真の自由「無条件の愛」

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私
は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。
が、もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。

 しかし、それは可能なのか…?  その方法はあるのか…? 

 一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の
恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな
経験をした。

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。

息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカでは、花嫁の居住地で式をあげる習わしにな
っている。式には来てくれるか」
私「いいだろ」
息子「洗礼を受けて、クリスチャンになる」
私「いいだろ」と。

 その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグ
イと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、
さすがに私も声が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」
私「日本人をやめる、ということか…」
息子「そう」
私「…いいだろ」と。

 私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するが
ゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には「無条件の愛」という言葉
がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私
は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身の回りの、ありとあらゆる人やもの
を、許し、愛し、受け入れるということ。

「私」があるから、死が怖い。が、「私」がなければ、死を怖がる理由などない。一文
無しの人は、泥棒を恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、おい
でになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれができ
れば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。

その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、
しかし一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

●では、どうすればよいのか?

 問題は、いかにすれば、私から「私」をとるか、だ。それには、いろいろな攻め方があ
る。一つは、自分自身の限界を認める。一つは、とことん犠牲的になる。一つは、思索を
深める。

(自分自身の限界)私たち人間とて、そして私自身とて、自然の一部にすぎない。自然を
離れて、私たちは人間ではありえない。野に遊ぶ鳥や動物と、どこも違わない。違うはず
もない。そういう事実に、謙虚に耳を傾け、それに従うことが、自分自身の限界を認める
ことである。私たちは、自然を超えて、人間ではありえない。まさに自然の一部にすぎな
い。

(犠牲的である)犠牲的であるということは、所有意識、我欲、さらには人間が本来的に
もっている、貪欲、ねたみ、闘争心、支配欲、物欲からの解放を意味する。要するに「私
の……」という意識からの決別ということになる。「私の財産」「私の名誉」「私の地位」な
ど。「私の子ども」もそれに含まれる。

(思索を深める)「私」が、外に向かった意識であるとするなら、「己(おのれ)」は、中に
向かった意識ということになる。心という内面世界に向かった意識といってもよい。この
己は、だれにも奪えない。だれにも侵略されない。「私の世界」は、不安定で、不確実なも
のだが、「己の世界」は、絶対的なものである。その己の世界を追求する。それが思索であ
る。

 私から「私」をとるというのは、ひょっとしたら人生の最終目標かもしれない。今は「…
…しれない」というような、あいまいな言い方しかできないが、どうやらこのあたりに、
真理の謎を解くカギがあるような気がする。それは財宝探しにたとえて言うなら、もろも
ろの賢者が残してくれた地図をたよりに、やっとその財宝があるらしい山を見つけたよう
なものだ。

財宝は、その先? いや、本当にその山のどこかに財宝が隠されているかどうかさえ、
わからない。そこには、ひょっとしたら、ないかもしれない。「山」といっても広い。大
きい。残念なことに、それ以上の手がかりは、今のところ、ない。

 今はこの程度しか書けないが、あのベートーベンも、こう言っている。『できるかぎり善
を行え。自由を愛せよ。たとえ王座の前でも、断じて、真理を裏切ってはならぬ』(「手記」)
と。

彼の言葉を、ここに書いたことに重ねあわせてみても、私の言っていることは、それほ
どまちがってはいないのではないかと思う。このつづきは、これからゆっくりと考えて
みたい。

●「真理を燈火とし、真理をよりどころとせよ。ほかのものを、よりどころとするなかれ」
釈迦「大般涅槃経」)。
(040815)

*******************************

●新種ウイルス

 このところ、またまた新しいタイプのコンピュータウイルスが現れたという。「スパイ・
ウイルス」という名前で呼ぶ人もいる。
 
 だれかのコンピュータの奥深くに潜んで、そこへ集まるデータだけを盗んで、特定の場
所に送信するというウイルスらしい。(よくわからないが……。)

 しかしまあ、よくも、こうした新しいウイルスが、つぎからつぎへと、生まれるものだ。
ホント! あきれる!

 こういうウイルスを作って、何が楽しいのか。


●台風15号

 台風14号が消えたと思ったら、今度は、台風15号。今、台湾の東を、ゆっくりと北
西に向って進んでいるという(8・17)。このまま行けば、つまり気象庁の進路予想によ
れば、台風は、九州の西を北上して、朝鮮半島を襲うことになる。

 韓国はともかくも、K国は、7月の豪雨で、かなりの被害を受けたらしい。K国自身が
公表したところによると、地域によっては、30%程度、穀物の収穫が減るそうだ(「朝鮮
日報」)。

 日本にせよ、韓国にせよ、こうした災害に対しては、かなりの抵抗力がある。水害と言
っても、それほど大災害になることは、めったにない。しかしK国は、ちがう。降れば洪
水。降らなければ干ばつ。

 もしこの台風15号が、予想どおりK国を襲うことになれば、K国は、たいへんな被害
をこうむるにちがいない。そうでなくても、食糧が不足している。しかも米などの穀物の
収穫前。それを望むわけではないが、しかし……。

 かわいそうなのは、K国の民衆。まさに踏んだり蹴られたり。あえて日本やアメリカが
「制裁」を考えなくても、K国は、自然災害という制裁を受けることになる。つまり本来
なら、こうした災害に備えて、準備しておかねばならない。

 しかしK国では、セメントにしても、そのほとんどが、軍事要塞作りのために使われて
いるという。「降れば洪水」と言われているのは、それが理由と考えてよい。自業自得とは
いうが、それではあまりにも、K国の民衆が、かわいそう。気の毒。今年の冬には、今ま
でにないほどの餓死者が出るかもしれない。

 何とかならないものか? 何とかできないものか?


●ついでに韓国のこと

 私には、ますます韓国がわからなくなってきた。反日、反米はわかるが、どうして親北
なのか?

 いや、親北なら親北でもよい。しかしなぜ今、あえて、反日、反米感情を、もりあげな
ければならないのか。こと自由主義貿易体制という視点から見るなら、日本あっての韓国、
アメリカあっての韓国。それとも韓国は、どういうルールで、世界と貿易していると思っ
ているのか。まさか、「主体主義貿易体制」というわけではあるまい?

 すでに米韓関係は、事実上、崩壊している。その間に立たされた日本は、何もできず、
ウロウロしているだけ?

 ノ大統領よ、もう少し、日本やアメリカに心を開いてほしい。過去にいろいろ問題はあ
ったが、ものごとは、足し算思考で考えてほしい。何かにつけて、引き算思考。日本が嫌
いなのは、よくわかる。わかるが、嫌い、嫌いと言っているだけでは、おたがいに前に進
めない。

 まあ、妥協するところは妥協し、仲よくするところは、仲よくする。そして協力すべき
ところは、協力する。今、大切なことは、K国の、危険な野望にブレーキをかけること。
あのK国が、韓国に対しては、核兵器を使わないと考えているなら、それはとんでもない
誤解。幻想。

 どうして韓国よ、そんなことがわからないのか? これから先、日本も韓国も、K国の
核兵器におびえながら、ビクビクして生きていかねばならない。今や、それはもう現実の
脅威になってしまった!

 ノ大統領は、選挙演説中に、アメリカの国旗を、破ってみせた。そして大統領になると
すぐ、アメリカに特使を送り、アメリカ軍の撤退を訴えてみせた。同時に、「K国の核問題
は、韓国が解決する」と、大見得を切ってみせた。

 しかし結果は、どうだ?

 アメリカ軍は、事実上の撤退。とたん、「撤退を延期してほしい」(8・17)と。もち
ろんK国の核兵器は、手つかずのまま。しかも国内経済は、瀕死状態。外資は逃げる。株
価とウォンの価値はさがる。支持率も、10%前後まで低落。

 が、この問題は、そのまま、この日本の問題。この日本からも、1〜2万人のアメリカ
軍が撤退するという。しかしはっきり言おう。

 戦後、かろうじて日本が平和を、謳歌できたのは、日本人が、平和を愛する民族だった
からではない。たまたまアメリカという国が、その軍隊を、日本に駐留させていたからに
ほかならない。

 アメリカ軍が日本に駐留していたため、毛沢東・中国も、李承晩・韓国も、金日成・朝
鮮も、日本には、手を出せなかった。その前には、スターリン・ソ連が、日本への攻撃を、
思いとどまった。今の今でも、もし、日本からアメリカ軍が撤退したら、K国が、イの一
番に、日本に攻撃をしかけてくるだろう。
 
 「私たちは平和を守ります」という宣言だけでは、平和は守れない。守れないことは、
日本人が一番よく知っている。戦前の日本は、そういう平和な国々を、それをよいことに、
どんどんと侵略していった。

どうして日本人よ、その「現実」がわからないのか。わかろうとしないのか。

 今朝(8・17)もテレビを見ていたら、映画監督のS氏が、さかんにこう言っていた。
「昭和という時代に、300万人もの日本人が、戦争で死にました。それを忘れてはいけ
ません」と。

 それはそのとおり。しかしその日本人が、同じく300万人もの外国人を殺したという
話は、どうなのか? そういう話は、まったく出てこなかった。日本人は、被害者である
前に、加害者なのだ。被害者意識だけでは、あの戦争は理解できない。説明できない。世
界も、それでは納得しないだろう。

 ノ大統領が反日思想をもつことについては、私たち日本人自身も、反省すべき点は多い。
それはわかるが、そればかりにこだわっていると、もう一つの現実が見えなくなる。言う
までもなく、K国という現実である。

 そのK国は、戦前の日本以上に、日本的。そんなK国を擁護するということは、結局は、
自分で自分のクビをしめることになる。いつか、「ああそうでしたね」と言うときには、へ
たをすれば、韓国はK国の支配下に入っているかもしれない。

 どうして韓国よ、それがわからないのか。わかろうとしないのか。


●件名:photos

 ほぼ1か月ぶりに、横浜のM君から、メール。件名に「photo」とある。M君は、
ときどき、写真を送ってくれる。

 しかしどこか、雰囲気が「?」。英語で、「photo」というのは、おかしい。しばら
くためらってから、本文を開く。

 案の定、おかしなマーク。ウィルス入りのメールである。

 で、即、削除。

 こうしたあやしげなメールには、絶対、手を出してはいけない。へたな好奇心をもつと、
そのまま命取りになる。

 で、一度、アウトルック・エキスプレスの画面にもどり、M君の住所をさがし、メール
を出す。

「元気ですか?

たった今、メールを見たら
 君から、ファイルつきの(写真つき?)の
メールが届いていた。

件名は、[photo]とだけ。
一応プレビューに開いてみたが、
ニコニコマークだけ。……???

写真を送ってくれましたか?

一応、念のため、そのまま削除。

もし大切な写真なら、また送ってください。
なお件名は、どうか、日本語で!

よろしくね。

この世界、いろいろとこわいことが起きるから……。

はやし浩司」と。

 するとすぐ返事。「やられた!」「ワームだ!」「みんなに、迷惑をかけてしまった!」と。

 ウィルスの種類は、ええと、名前を教えてもらったが、忘れた。ともかくも、よかった。
「君からのメールだかったら、あやうくファイルを開くところだった」と、返事を書くと、
「おかげで、いろいろな人と旧交を温めることに」と。のんきな人だ。しかしさぞかし、
肝を冷やしたことだろう。

 ウィルスが入ったら、それこそ、一日仕事になる。へたをすれば、パソコンに、リカバ
リーをかけなければならない。

 みなさんも、くれぐれも、注視してほしい。ホント!

 ついでに、スパムメールについて……。

 よく【未承諾広告】というのが、届く。スパムメールである。

 あのスパムメールだが、「必要のない方は、購読を解除してほしい」というコーナーがあ
る。しかし絶対に、そこへあなたのアドレスを打ちこんではいけない。相手は、相当のワ
ル。あなたからの解除の申し出を受けて、「わかりました」と、すなおに応ずるような連中
ではない。そういう善意など、ひとかけらもない。

 むしろ、そういう解除の手続きをすると、かえって、その種のスパムメールは、ふえる。
理由は、簡単。あなたのアドレスそのものが、ほかのスパムメール業者に、そのまま転売
されるからである。

 もう少し、詳しく説明しよう。

 Aという業者が、10万件のアドレスを、Bという業者から、50万円で買ったとする。
Aという業者は、その10万件に、自分の【未承諾広告】を送りつける。しかし、今、反
応は、ほとんど、ない。(こうしたスパムメールの信用度は、今や、ほとんどゼロに近い。
当然である。)

 そこで今度は、Aという業者は、その10万件のアドレスを、数人以上の別の業者に売
りつける。50万円ずつで売れば、数百万円の利益になる。

 そのとき、「死んでいるアドレス」は、価値がない。が、もしあなたが、購読解除の申し
こみをすると、あなたのアドレスは、生きていることを、自ら証明することになる。つま
り、価値がある。

 つまりこうしてあなたの「生きているアドレス」は、つぎからつぎへと転売されていく。
だから、購読を解除すると、かえってスパムメールは、ふえるということになる。

 では、どうするか。

 簡単な方法としては、フィルターをかけるという方法がある。つぎのようにするとよい。

++++++++++すでにご存知の方は、とばしてください+++++++++++

【フィルターのかけ方】

(1)Outlook Expressの編集画面を出す。
(2)上のほうに、「ツール」というタグ(コーナー)がある。
(3)そのツールを開くと、「メッセージ・ルール」というのがある。
(4)そこから(メール)→(メール・ルール)→(新規作成)へと進む。
(5)「件名に指定された言葉が含まれる場合」にチェックを入れる。
(6)つぎのボックスの「削除する」にチェックを入れる。
(7)下のボックスに、青字で、「指定された言葉が含まれる場合」とある。
(8)その青字をクリックする。
(9)文字記入のボックスが開かれるので、そこに「未承諾」と打ち込む。
(10)「追加」→「OK」をクリックすれば、次回から、件名に「未承諾」と
いう文字を含むメールは、すべて、そのまま削除される。

 不愉快な相手からのメールも、この方法で、すべて削除できる。

 もう一つ簡単な方法として、つぎのようなものがある。

(1)Outlook Expressの編集画面を出す。
(2)受け取りたくない人からのメールを、白黒反転させる。
(3)その状態で、上の「メッセージ」というタグ(コーナー)をクリック。
(4)「送信者を禁止する」をクリック。
(5)「禁止しますか」という確認画面が出るので、「はい」をクリック。

 以後、その人からのメールは、すべて、自動的に削除される。

 もうすでにご存知の方も多いと思う。しかしこの方法は、たいへん便利。スパムメール
や、不愉快な人からのメールで悩んでいる人は、この方法を使うとよい。
 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 17日(No.464)
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          以上、よろしくお願いします!


【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●相手を喜ばす

 子どもにとって(おとなもどうだが)、やさしい人というのは、思いやりのある人のこと
をいう。その思いやりのある子どもに育てるコツがこれ、「相手を喜ばす」。

 たとえばスーパーなどでものを買い与えるときでも、直接子どもに買い与えるのではな
く、「これがあるとパパが喜ぶわね」とか、「あとでお姉さんに半分分けてあげてね。お姉
さんは喜ぶわよ」とか言うなど。昔、幼稚園にこんな子ども(年長男児)がいた。見ると
いつも三輪車にだれかを乗せ、それをうしろから押していた。そこで私が、「たまにはだれ
かに押してもらったら?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「先生、ぼくはこの
ほうが楽しい」と。そういう子どもをやさしい子どもという。

 よく誤解されるが、柔和でおとなしい子どもをやさしい子どもとは言わない。たとえば
ブランコを横取りされても、ニコニコ笑ってそのまま明け渡してしまうなど。むしろこの
タイプの子どもほど、表情とは裏腹のところでストレスをためやすく、その分、心をゆが
めやすい。教える側から見ると、いわゆる「何を考えているかわからない子」といった感
じになる。

 子どものやさしさは、心豊かな環境で、はぐくまれる。そのためにも、乳幼児期にはつ
ぎの三つを避ける。(1)闘争心、(2)嫉妬心、(3)不満と不安。攻撃的な闘争心は、子
どもの動物的な本能を刺激する。ばあいによっては、善悪の判断ができなくなり、性格そ
のものが、凶暴化することもある。嫉妬心はえてして情緒不安の原因となる。赤ちゃんが
えりに見られるように、本能的な部分で子どもの心をゆがめることもある。

またこの時期、不満や不安は、子どもの性格をゆがめる。攻撃的になったり、反対にも
のに固着したり執着したりする。さらに神経症や情緒不安、さらには精神不安の原因に
なることもある。要するにこの時期は、心静かで穏やかな環境を大切にする。

 やさしさというのは、作って作れるものではない。家庭環境の中から、自然に生まれて
くるものである。

+++++++++++++++++

●ベッドタイムゲーム
 
 子どもは床についてから眠るまで、毎晩、同じことを繰り返す習性がある。これを英語
では「ベッドタイムゲーム」(日本語では、「就眠儀式」)という。

このベッドタイムゲームのしつけが悪いと、子どもはなかなか寝つかなくなるばかりで
なく、ばあいによっては情緒そのものが不安定になることもある。もしあなたの子ども
が寝る前になると決まって、ぐずったり(マイナス型)、暴れたりするようであれば(プ
ラス型)、このしつけの失敗を疑ってみる。

方法としては、(1)毎晩同じことを繰り返すようにする。(2)心安らかな状態を大切
にし、就寝前少なくとも一時間はテレビやゲームなど、はげしい刺激は避ける。(3)ベ
ッドのまわりにぬいぐるみなどを置いてあげ、心が暖まる雰囲気をつくるなどがある。
毎晩本を読んであげるとか、静かな音楽を聞かせるというのもよい。

まずいのは子どもを子ども部屋に閉じ込め、強引に電気を消してしまうような行為。こ
うした乱暴な行為が繰り返されると、子どもは眠ることそのものに恐怖心を抱くように
なる。

ところで今、年長児(満六歳児)でも、五人のうち三人が、「ほとんど毎朝、こわい夢を
みる」ことがわかっている(二〇〇一年・筆者調査)。「どんな夢?」と聞くと、「ワニに
追いかけられる夢」「暗い穴にいる夢」「怪獣の夢」という答が返ってきた。子どもの世
界がどこか不安定になっていると考えてよい。

ちなみに年中児で睡眠時間(眠ってから起きるまでのネット時間)は一〇時間一五分、
年長児で一〇時間(筆者調査)。子どもが小学生になると、睡眠時間はぐんと短くなる
が、それでも最低九時間半を確保する。睡眠不足が知能の発育に影響を与えるというデ
ータはないが、しかし睡眠不足が続くと集中力が弱くなる。あるいは突発的に興奮する
ことはあっても、すぐ潮が引くようにぼんやりとしてしまう。

園や学校などでの学習面で影響が出てくる。なお年中児になっても「昼寝グセ」が残っ
ているようなら、その時間ガムをかかせるという方法でなおす。

【2】子育て狂騒曲(5)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

心のゆがみのない子どもが、すなおな子ども
家庭教育の誤解(失敗危険度★★★★★)

●誤解

 家庭教育にはたくさんの誤解がある。その中でもとくに目立つ誤解が、つぎの五つ。こ
れらの誤解を知るだけでも、あなたの子育ては大きく変わる。

(1)忍耐力……よく「うちの子はサッカーだと一日中している。ああいう力を勉強に向
けさせたい」という親がいる。しかしこういう力は忍耐力とは言わない。好きなことをし
ているだけ。子どもにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。たとえば
台所の生ゴミを手で始末するとか、風呂場の排水口にたまった毛玉を始末するとか、そう
いうことができる子どもを忍耐力のある子どもという。

(5)やさしさ……大切にしているクレヨンを、だれかに横取りされたとする。そうい
ときニッコリと笑いながら、そのクレヨンを譲りわたすような子どもを、「やさしい子ども」
と考えている人がいる。しかしこれも誤解。このタイプの子どもは、それだけストレスを
ためやすく、いろいろな問題を起こしやすい。

子どもにとって「やさしさ」とは、いかに相手の立場になって、相手の気持ちを考えら
れるかで決まる。もっと言えば、相手が喜ぶように自ら行動する子どもを、やさしい子
どもという。そのやさしい子どもにするには、買い物に行っても、いつも、「これがある
とパパが喜ぶわね」「これを買ってあげるから、妹の○○に半分分けてあげてね」と、日
常的にいつもだれかを喜ばすようにしむける。

(3)まじめさ……従順で、言われたことをキチンとするのを、「まじめ」というのではな
い。まじめな子どもというのは、自分で自分を律することができる子どものことをいう。
こんな子ども(小三女子)がいた。

バス停でたまたま会ったので、「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけたときのこ
と。その子どもはこう言った。「これから家で夕食を食べますから、いらない。缶ジュー
スを飲んだら、ごはんが食べられなくなります」と。こういう子どもを「まじめな子ど
も」という。

(4)すなおさ……やはり言われたことに従順に従うことを、「すなおな子ども」と考えて
いる人は多い。しかし教育の世界で「すなおな子ども」というときは、つぎの二つをいう。

一つは、心の状態(情意)と、顔の表情が一致している子どもをいう。怒っているとき
には、怒った顔をする。悲しいときには悲しい顔をする、など。情意と表情が一致しな
いことを、「遊離」という。不愉快に思っているはずなのに、ニヤニヤするなど。教える
側からすると、「何を考えているかわからない」といった感じの子どもになる。こうした
遊離は、子どもにとっては、たいへん望ましくない状態と考えてよい。たとえば自閉傾
向のある子ども(自閉症ではない)がいる。このタイプの子どもは、心の状態と表情が、
まったくチグハグになることが知られている。

 もう一つ、「すなおな子ども」というときは、心のゆがみがない子どもをいう。何らかの
原因で子どもの心がゆがむと、子どもは、ひがみやすくなったり、いじけたり、つっぱた
り、ひねくれたりする。そういう「ゆがみ」がない子どもを、すなおな子どもという。

(5)がまん……子どもにがまんさせることは大切なことだが、心の問題がからんでいる
ときは、がまんはかえって逆効果になるから注意する。たとえば暗闇恐怖症の子ども(三
歳児)がいた。子どもは夜になると、「こわい」と言ってなかなか寝つかなかったが、父親
はそれを「わがまま」と決めつけて、いつも無理にふとんの中に押し込んでいた。一時的
には効果があるかもしれないが、こうした乱暴な行為は、さらに深刻な問題の原因になる
ことが多い。子どもの心の問題は、無理をしない。これは子育ての大原則と言ってもよい。

がまんさせるということは、結局は子どもの言いなりにならないこと。そのためにも 親
側に、一本スジのとおったポリシーがあることをいう。そういう意味で、子どものがま
んの問題は、決して子どもだけの問題ではないということになる。


++++++++++++++++++++++

あなたはダメな子ネー!
いつも前向きの暗示を(失敗危険度★★★★★)

●伸びやかな子は攻撃的

 「あなたはどんどんよくなる」「あなたはさらにすばらしい子になる」という、前向きの
暗示が、子どもを伸ばす。また前向きに伸びている子どもは、ものごとに積極的で攻撃的。
何か新しいことを提案したりすると、「やる」「やりたい」とか言って、くいついてくる。
これは家庭教育の常識だが、しかし問題は、子どもにというより、親にある。

 親自身がまず子どもを信ずること。「うちの子はすばらしい子だ」という思いが、子ども
を伸ばす。心というのはそういうもので、長い時間をかけて、子どもに伝わる。言葉では
ない。そこでテスト。

●「年齢はいくつ?」

 あなたが子どもを連れて街の中を歩いていたとする。すると向こうから高校時代の同級
生が歩いてきた。そしてあなたの子どもを一度しげしげと見たあと、「(年齢は)いくつ?」
と聞いたとする。そのときあなたはどのように感ずるだろうか。

 自分の子どもに自信のある親はこういうとき、「まだ」という言葉を無意識のうちにも使
う。「まだ五歳ですけど……」と。「うちの子はまだ五歳だけど、すばらしい子どもに見え
るでしょ」という気持ちからそう言う。

しかし自分の子どもに自信のない親は、どこか顔をしかめながら、「もう」という言葉を
使う。「もう五歳なんですけどねえ」と。「もう五歳になるが、その年齢にふさわしくな
い」という気持ちからそう言う。もちろんその中間ということもあるが、もしあなたが
後者のようななら、あなたの心をつくりかえる。でないと、あなたの子どもから明るさ
がますます消えていく。そうなればなったで、子育ては大失敗というもの。ではどうす
るか。

●うしろ向きに考える中学生

 子どもというのは、一度うしろ向きになると、どこまでもうしろ向きになる。そして自
ら伸びる芽をつんでしまう。こんな子ども(中学女子)がいた。ここ一番というところに
なると、いつも、「どうせ私はダメだから」と。そこで「どうしてそういうことを言うのか」
と、ある日聞いてみた。するとその子どもはこう言った。「どうせ私は、○○小学校の入試
で落ちたもんねエ」と。その子どもは、もうとっくの昔に忘れてよいはずの、しかも一〇
年近くも前のことを気にしていた。こういうことは子どもの世界ではあってはならない。

 そこでどうだろう。今日からでも遅くないから、あなたもあなたの子どもに向かっては、
「あなたはすばらしい子」を言うようにしてみたら……。最初はウソでもよい。しかしあ
なたがこの言葉を自然な形で言えるようになったとき、あなたの心は今とは変わり、あな
たの子どもの表情も明るくなっているはずである。


+++++++++++++++++++++

あんたにいつ頼んだア!
早期教育と先取り教育(失敗危険度★★★)

●要は「やり方」の問題

 よく誤解されるが、早期教育が悪いのではない。要は「やり方」の問題。たとえば極端
な例として、胎教がある。まだおなかの中にいる赤ちゃんに、何らかの教育をほどこすと
いうのが胎教だが、胎教そのものよりも、問題とすべきは、そうした母親の姿勢そのもの。

まだ子どもが望みもしないうちから(望むわけがないが……)、親が勝手に教育を始める。
子どもの意思など、まったく無視。こういうリズムは一度できると、それがずっと子育
てのリズムになってしまう。それが悪い。まだ子どもが興味をもたないうちから、ほら
数だ、ほら文字だとやりだす。最近はやっている英会話もそうだ。こうしたやり方は、
子どもからかえってやる気を奪ってしまう。が、それだけではすまない。

 これはずっと先の話だが、母親が高校生になった娘に、「あんたはだれのおかげでピアノ
がひけるようになったか、わかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週、ピア
ノ教室へつれていってあげたからよ。それがわかっているの!」と言ったとき、娘はこう
言ったという。「だれがそんなことしてくれと、あんたにいつ頼んだア!」と。あなたもい
つかそういう会話をするようになるかもしれない。

●幼稚園児に英語の文法?

 またたいていの親は、小学校でするような勉強を、先取りして教えるのを早期教育と誤
解している。年中児に漢字を教えたり、英語の文法を覚えさせたりするなど。「アイは、自
分のことだから、一人称。わかる? ユーは相手のことだから、二人称。わかる?」と。

もっとも漢字をテーマにすることは悪いことではない。漢字を複雑な図形ととらえると、
漢字はおもしろいテーマだ。それを使った応用はいくらでもできる。私もよく子どもた
ちの前で、漢字を見せるが、漢字を教えるのではなく、漢字のおもしろさを教える。た
とえば「牛」「馬」という漢字をみせて、牛の絵や馬の絵を描かせたりする。

ここに先取り教育と、早期教育の違いがある。ただこの日本では、「知識や知恵を身につ
けさせるのが教育」ということになっている。そして早期教育とは、知識や知恵をつけ
させることだと多くの親は思っている。これは誤解というよりも、偏見と言ったほうが
正しい。

●人間の方向性を決めるのが幼児教育

 幼児教育が大学教育より重要であり、奥が深いことは、私にはわかる。それを認めるか
どうかは、幼児教育への理解の深さにもよる。たいていの人は、幼児イコール幼稚、さら
に幼稚な教育をするのが、幼児教育と思い込んでいる。しかしこれは誤解である。……と
いうようなことを書いてもしかたないが、その幼児教育をすることは、これは早期教育で
も、先取り教育でもない。この時期、人間の方向性が決まる。その方向性を決めるのが、
幼児教育ということになる。その幼児教育が必要か必要でないかということになれば、そ
ういった議論をすること自体、バカげている。

 こみいった話になったが、幼児の教育を考えるときは、早期教育、先取り教育、それに
幼児教育の三つは、分けて考えるとよい。混同すればするほど、子どもの教育が見えなく
なる。


++++++++++++++++++

ほら、英語教室、ほら、算数教室!
知識と「考えること(思考)」は別(失敗危険度★★)

●知識と思考は別

 たいていの親は、知識と思考を混同している。「よく知っている」ことを、「頭のよい子」
イコール、「よくできる子」と考える。しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえば幼稚
園児でも、掛け算の九九をペラペラと言う子どもがいる。

しかしそういう子どもを、「頭のよい子」とは言わない。「算数がよくできる子」とも言
わない。中には、全国の列車の時刻表を暗記している子どももいる。音楽の最初の一章
節を聞いただけで、曲名をあてたり、車の一部を見ただけで、メーカーと車種をあてる
子どももいる。しかし教育の世界では、そういうのは能力とは言わない。「こだわり」と
みる。たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、こうしたこだわりをも
つことが知られている。

●考えることは苦痛

 考えるということには、ある種の苦痛がともなう。そのためたいていの人は、考えるこ
と自体を避けようとする。あるいは考えること自体から逃げようとする。一つの例だが、
夜のテレビをにぎわすバラエティ番組がある。ああいった番組の中では、見るからに軽薄
そうなタレントが、思いついたままをベラベラというより、ギャーギャーと言いながら騒
いでいる。彼らはほとんど、自分では何も考えていない。脳の、表層部分に飛来する情報
を、そのつど適当に加工して言葉にしているだけ。つまり頭の中はカラッポ。

●考えない人たち

 その「考えない人」には、いくつかの特徴がある。たとえば、思考のループ性。ほとん
ど毎日、同じようなことを繰り返して考えているだけ。たとえば子どもにもそれがあって、
子どもが書く日記を見ればそれがわかる。中には、毎日天気のことと、その日の予定しか
書かない子どもがいる。こうしたループ性がみられたら、その時点で思考は停止している
とみる。

 つぎに思考の省略。このタイプの人は、よく、「考えるだけめんどう」とか、「考えても
ムダ」とか言う。そして他人の思想や意見を自分の中に、そのまま取り入れながら、それ
を自分のものとしてしまう。あるカルト教団に属する人に、私が、「あなたもたまには指導
者の言うことを疑ってみたらどうですか」と言ったときのこと。その人はこう言った。「あ
の先生は、何万冊もの本を読んでいる。まちがいはない」と。

 三つ目は思考回路のパターン化。よくある例は、ものごとを何でも運勢占いや、暦で決
めてしまうこと。「来年は厄年だから、旅行はしない」「今日は日が悪いから、買い物しな
い」など。ある会社の社長だが、その社長は社員の採用すら、近くの神社の神主に決めて
もらっていた。こうした思考回路は一度できると、それから抜け出るのは容易
ではない。

●考えることを奪う教育

 パスカルは「パンセ」の中で、『人間は考えるアシである』と書いている。この文を読ん
で、「あら、私もアシ?」と言った女子高校生がいた。しかし先にも書いたように、「考え
る」ということは、もっと別のこと。

たとえば私はこうして文章を書いているが、数時間も書いて、その中に、「思考」らしき
ものを見つけるのは、本当にマレなこと。(これは多分に私の能力の限界かもしれないが
……。)つまり考えるということは、それほどたいへんなことで、決して簡単なことでは
ない。そんなわけで残念だが、その女子高校生は、そのアシですら、ない。彼女もまた、
ただ思いついたことをペラペラと口にしているだけ。

 さて多くの親は、「ほら、英語教室」「ほら、算数教室」と子どもに知識をつけさせるこ
とを、教育と思い込んでいる。しかし教育とはもっと別のこと。むしろこういう教育観(?)
は子どもから「考える」という習慣をうばってしまう。そのほうがはるかに損なことだと
私は思うのだが……。


+++++++++++++++++++++

うちの子は頭がいい?
計算力は早数えで(失敗危険度★★)

●計算力は早数えで決まる

 計算力は、早数えで決まる。たとえば子ども(幼児)の前で手をパンパンと叩いてみる。
早く数えることができる子どもは、五秒前後の間に、二〇回前後の音を数えることができ
る。そうでない子どもは、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えるため、どうしても遅く
なる。

●訓練で早くなる

 そこで子どもが一〜三〇前後までものを数えられるようになったら、早数えの練習をす
るとよい。最初は、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」でも、少し練習すると、「イチ、ニ、
サン……」になり、さらに「イ、ニ、サ……」となる。さらに練習すると、ものを「ピッ、
ピッ、ピッ……」と、信号にかえて数えることができるようになる。これを数の信号化と
いう。こうなると、五秒足らずの間に、二〇個くらいのものを、瞬時に数えることができ
るようになる。そしてこの力が、やがて、計算力の基礎となる。たとえば、「3+2」とい
うときは、頭の中で、「ピッ、ピッ、ピッ、と、ピッ、ピッで、5」と計算するなど。

 要するに計算力は、訓練でいくらでも早くなるということ。言いかえると、もし「うち
の子は計算が遅い」と感じたら、計算ドリルをさせるよりも先に、一度、早数えの練習を
してみるとよい。ただし一言。

●算数の力は別

 計算力と算数の力は別物である。よく誤解されるが、計算力があるからといって、算数
の力があるということにはならない。たとえば小学一年生でも、神業にように早く、むず
かしい足し算や引き算をする子どもがいる。親は「うちの子は頭がいい」と喜ぶが、(喜ん
で悪いというのではない)、計算力があるからといって、頭がよい子ということにはならな
い。

計算力は訓練で伸びるが、算数の力を伸ばすのはそんな簡単なことではない。子どもと
いうのは、「取った、取られた」「ふえた、減った」「多い、少ない」「得をした、損をし
た」という日常的な経験を通して、算数の力を養う。またそういう刺激が、子どもをし
て、算数ができる子どもにする。言いかえると、子どもの算数の力を伸ばそうと考える
なら、そういう日常的な体験を大切にする。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【生きるということ】

●相手の立場で、ものを考える

相手の立場で、ものを考える。
一見、簡単そうで、簡単でない。
しかし、一度、それをしてみると、
「なんだ!」と思えるほど、簡単。

最初は、心の実験のつもりで、
つぎに、それを繰りかえしてみる。

するとやがて、自分の心が、
やさしくなっていくのがわかる。
と、同時に、心の中に、ポッと、
暖かい灯がともるのが、わかる。

この世の中、負けるが勝ち。
力んでみても、つっぱってみても、
ほかの人を不愉快にするだけ。
自分でいやな思いをするだけ。

言いたいこともあるだろう。
不満もあるだろう。
しかし私たちがすべきことは、
遠くの前だけを見て、
まっすぐ、それに向って、進むこと。

さあ、あなたも勇気を出して、
相手の立場で、ものを考えてみよう。
相手の心の中に、自分を置いて、
そこからあなた自身を、見てみよう。

きっと、あなたの心の中にも、
すがすがしい風が、通りぬけるはず。

++++++++++++++++

【告白(1)】

 「私は家族のために犠牲になっている」と、私は、よく思ったことがある。「これだけし
てやっているのに……」とか、「どうして家族は、私に感謝しないのか……」とか。

 最初から、家族に、何かの見かえりを、心のどこかで求めていたように思う。そしてそ
の家庭とおう場所も、自分のエゴを満足させるところでしかなかったように思う。

 そういう意味では、結婚当初から、私は、暖かい家庭に飢えていたと思う。よく覚えて
いないが、そういう飢餓感はあったと思う。

 しかし本当に、ワイフや子どもたちの立場で、家族を考えていたかというと、そうでは
なかったのではないか。自分にとって、居心地のよい家族を念頭におき、それを求めてい
ただけなのかもしれない。

 そしてまさに自己流のやり方で、(家庭)をつくり、「これでワイフは満足しているはず」
「子どもたちは、私に感謝しているはず」という、どこか押しつけがましい(家庭づくり)
をしていたように思う。

 このことはやがて、子どもの受験勉強に狂奔する母親たちを見て、知った。

 そういう母親にかぎって、「子どものため」と言う。「子どもを愛しているから」と言う。
しかしそれは、あるべき、本当の親の姿ではない。

 このタイプの親は、自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。あるいは子ども
を利用して、自分の不安や心配を解消しようとしているだけ。自分の果たせなかった、夢
や希望を、子どもの託しているケースも、少なくない。ほとんどというより、まったく子
どものことなど、考えていない。

 そこで私はある日、その中の一人の母親に、こう言った。「こんなことをしていると、今
に、親子関係を破壊しますよ」と。

 すると、その母親は、こう答えた。「いいのです。息子に嫌われることくらい、何でもあ
りません。あの子が、目的の高校へ入ってくれれば、それでいいのです。そのとき、息子
は、私の苦労を知り、私に感謝するでしょう」と。

 そのあとも、同じようなケースを無数に経験したが、仮に目的の高校へ入ったとしても、
それで親に感謝した子どもなど、一人もいない。失敗すれば、さらに親子関係は、破壊さ
れる。

 少し形はちがうが、私も、ワイフや自分の子どもたちに向かって、同じように考えてい
たように思う。

 が、それは孤独の始まりでもあった。

 いつの間にか、家族の心は、バラバラになり始めていた。私は子どもたちに、いつも何
かを命令するだけの父親になっていたと思う。そしてワイフに対しては、自分の思いどお
りにならないことについて、その不満をぶつけるだけの夫になっていたと思う。

 結婚当初のころは、それ以上に、仕事に追われ、家族の心がどうなっているか、それに
気をくばる余裕などなかったのかもしれない。私はいつしか、多くの父親のように、「父親
は、仕事だけしっかりとしてれば、それでじゅうぶん」「それで一人前」と考えるようにな
った。

 犠牲心が生まれたのも、そのころではなかったか。

 仕事で疲れて帰ってくると、家の中では電気やテレビは、つけっぱなし。子どもたちは
ソファの上で、マンガを読んでいる。ワイフはワイフで、夕食の用意をしていない。……
そういう姿を見ると、つい、カーッとなって、怒鳴り散らしたものだ。

 「バカヤロー!」と。

 しかしそんな私が、これはいけないと気がついたのは、やはり、今の仕事をとおして、
である。

 あるとき高校生のクラスで、高校生たちにこう聞いた。「親と会話をしている人?」と。
すると、男女、7人のクラスだったが、全員、「ほとんど、しない」と。

 これには驚いたが、しかしそれはそのまま私の家の、近未来の姿であることを知った。
親たち自身が、子どもの心を見失ってしまっていた。

 しかしその原因は、実は、親自身にあることも知った。こんなことがあった。

 ある日、中学2年生の子ども(女子)をもつ母親が、私のところへ来て、こう言った。

 「先生、先生にうちの娘をお願いするようになって、もう1年になります。しかし成績
が、ほとんど、伸びません。どうしてでしょう?」と。

 そこで私は、その母親にこう言った。「一度、2時間、じっくりと、うしろで参観してみ
てください」と。

 その子どもは、まじめな子どもだった。私の教室では、騒ぐこともなく、ただひたすら、
黙々と勉強するタイプの子どもだった。それこそ額に汗を流し、ときには、涙を浮かべな
がら、がんばる子どもだった。

 母親が参観しているときも、そうだった。その姿は、まさに痛々しいと言ってよいほど
のものだった。

 で、参観が終わると、その母親は、帰り際、こう言った。「よくわかりました。これから
も、よろしくお願いします」と。

母親は、それまで、表面的な成績だけをみて、子どもを叱っていた。「こんなことでは!」
と、子どもを脅していた。が、そのときはじめて、母親は、子どもの立場に自分をおき、
子どもを見つめた。ついでに自分自身の姿を見た。

 その母親は、すばらしい人だった。しかし、そういう親は少ない。成績が伸びないと、
子どもを叱ったり、脅したりする。ついでに、お決まりの、塾めぐり。こういうことを繰
りかえしているうちに、親子関係が破壊される。子どもの心を、見失う。

 「ほとんど会話をしない」というのは、あくまでも、その結果でしかない。

 子どもの心をつかみたかったら、そして、家族を大切にしたかったら、まずそれぞれの
家族の立場で、その中に自分を置き、ものを考える。そしてその視点から、自分を客観的
にながめてみる。

 ここで私は、こう書いた。「するとやがて、自分の心が、やさしくなっていくのがわかる。
と、同時に、心の中に、ポッと、暖かい灯がともるのが、わかる」と。その書いた意味が、
きっと、あなたにもわかってもらえるはず。


+++++++++++++++++++++++++++

●真の自由

あなたには、自己中心的な人が、どういう人か、見えますか。
自分のことしか考えない、かわいそうな人たちです。
少し批判されたり、否定されたりすると、狂ったように、
反論する。自分の思いどおりにならないと、怒ったり、
不満に思ったりする。そして結局は、自分の思いどおりに、
人を動かしてしまう。居心地のいい世界をつくってしまう。

しかしそういう人は、同時に、まわりからどんどん、友をなくしていく。
思いどおりの世界をつくるのとひきかえに、たくさんのものをなくしていく。
気がついたときには、もう、そこには、だれもいない。

いつかそのさみしさに耐えかねて、その人は、こう思う。
「私の人生は、何だったのか」と。「私は、何のために、生きてきたのか」と。

決して、遅すぎるということはない。40歳になってからでもいい。
50歳になってからでもいい。ひょっとした、60歳になってからでも、
70歳や、80歳になってからでもいい。もちろん若ければ、若いほど、いい。

あなたも勇気を出して、「利己」を捨ててみよう。そしてほんの少しだけ、
ほんの少しだけでいい。「利他」の心で、相手の立場で、ものを考えてみよう。

どうしてあなたの妻(夫)は、苦しんでいるのか。なぜ、悩んでいるのか。
どうしてあなたの子どもは、あなたと話をしないのか。なぜ、逃げるのか。
どうしてあの人は、あなたを嫌っているのか。なぜ、あなたを避けるのか。
どうしてあの人は、あなたに冷たいのか。なぜ、あなたを粗末にするのか。

相手の心の中に、一度、自分を置いてみる。そしてそこからあなた自身を、
ながめてみる。できれば、そのとき、相手の苦しみや悲しみを、共有するといい。

あなたが、もし、自己中心的な人がどういう人かわからないというのであれば、
ひょっとしたら、あなた自身が、その自己中心的な人かもしれない。

自分勝手で、わがまま。負けることを嫌い、ゆずることを避ける。
あなたにとって、一番大切な人は、結局は、あなた自身。あなた自身だけ。
一番かわいい人は、結局は、あなた自身。あなた自身だけ。

あなたはあなたのために仕事をし、家族をつくっているだけ。
あなたはあなたのために仕事をし、働いているだけ。
つまりは、とても、心のさみしい人。孤独な人。

そう、孤独というのは、向こうからやってくるものではない。
孤独というのは、あなた自身が、自分でつくるもの。
もし孤独に苦しむというのであれば、孤独が原因ではない。
あなた自身が原因。あなたのさみしい心が、その孤独をつくっているだけ。

が、もしあなたにも、自己中心的な人がどういう人か見えるようになれば、
あなたは、利己から利他の世界に入ったことを意味する。
それは実におおらかで、ゆったりとした世界。心、豊かな世界。
そしてそのとき、あなたは孤独から解放されるだろう。
そう、そのとき、あなたは真の自由を手に入れることになる。

++++++++++++++++++++

【告白(2)】

 自己中心性が、肥大化すると、自己愛の世界に入る。「信じられるのは、自分だけ」「自
分だけがよければ、それでいい」「自分こそが、世界で、一番大切な人間」という世界であ
る。

 人は、一度、この自己愛の世界に足を踏みいれると、利己だけを前提に考える人間にな
ってしまう。自分の身のまわりから、利用できるものと、そうでないものを、動物的なカ
ンでよりわけ、利用できるものには価値を認め、そうでないものについては、容赦なく、
排斥する。

 人間関係も、そうである。

 そのため、自己愛の世界に入った人は、他人と、良好な人間関係が結べなくなる。結ん
でも、表面的、儀礼的。そのため、どうしても、その人間関係は、浅くなる。外から見え
る、華やかさにだまされてはいけない。このタイプの人ほど、社交的に、かつ明るく振る
まうことが多い。

 ビジネスの世界では、こうした人間関係は、ごく日常的に見られる。しかし問題は、家
族である。

 とてもおかしなことだが、結婚してからも、夫や妻にさえ、心を開けない配偶者は、多
い。子どもに対してでさえ、心を開けない親も、多い。

 心が開けないから、自己愛の世界に入るのか、あるいは自己愛の世界に入るから、心を
開けなくなるのか。その因果関係はともかくも、自己愛の特徴として、つぎのようなもの
がある。

(1)独善的、ひとりよがり
(2)完ぺき主義、仕事を他人に任せられない
(3)自分勝手、わがまま
(4)がんこになる。かたくなになる。
(5)批判されるのを許さない。批判されると、極端に気にする。
(6)キズつきやすい。
(7)自己中心性

 7番目に「自己中心性」をあげたが、この自己中心性こそが、自己愛の最大の特徴とい
うことになる。

 一見、自己愛というと、その人自身にとっては、生きやすい生きザマに見えるが、実は、
このタイプの人は、その代償として、「孤独」という大きな問題をかかえることになる。

 そこで私自身の告白ということになるが、私は、孤独だった。今も、基本的には、孤独
だが、しかし自己愛が抜け出ることによって、少しは、その孤独感がやわらいだように思
う。

 ただここにも書いたように、利己的な人は、自分ではそれがわからない。一度、利他の
世界を知ってはじめて、その人は、それまでの自分が利己的だったと気づく。

 それはちょうど、外国に出てみてはじめて、日本の本当の姿がわかるようなものである。

 そしてここが重要だが、利己的な人からは、利他的な人が、ただのバカか、お人好しに
見える。しかし利他的な人からは、利己的な人が、あわれで、かわいそうな人に見える。

 乳幼児期の子どもは、その自己中心性から、利己的な生きザマを示す。が、人格が完成
するにつれて、利他的なものの考え方を身につける。(そうでないまま、つまり人格的に未
完成なまま、おとなになる人も少なくないが……。)

 利他的になってはじめて、それまでの自分が利己的であったことを知る。

 私も、実は、そうだった。またそういう意味では、私は、実に人格的に、不完全な人間
だった。(今でも、不完全だが……。)いつも自分のことしか、考えていなかった。しかし
そのときは、自分自身に問題があるなどとは、思ってもみなかった。

 しかし、年をとるごとに、孤独感は大きなり、やがてそれをもてあますようになった。
気がついてみたら、私のまわりには、だれもいなくなってしまった。私の子どもたちはも
ちろんのこと、ワイフですら、「離婚」という言葉を口にしながら、私の世界から飛び出そ
うとしていた。


++++++++++++++++++++++++

●よりよい家庭をつくるために……

あなたはあなたの家族を、愛しているか。
本当に、愛していると、自信をもって、言えるか。

ひょっとしたら、あなたは、自分のために、
家族を愛しているだけかもしれない。

愛というのは、無私の状態で、相手の心の中に自分を置くこと。
相手の立場でものを考え、相手の苦しみや悲しみを共有すること。

慈悲というのは、無私の状態で、相手がいいように、してあげること。
相手のやすらぎを考えてあげる。そこからあなたは、自分のやすらぎを得る。

夫婦の間が、おかしいと苦しんでいる、あなたへ、
親子の間が、うまくいかないと悩んでいる、あなたへ、
方法は、簡単。本当に簡単。
夫(妻)や子どもの立場でものを考え、そこから自分をながめるだけ。
あとは、ただひたすら、「許して、忘れる」。
これだけを、繰りかえす。

あとは、すべて、時間が解決してくれる。
あなたがすべきことは、そのときがくるのを、
ただひたすら、静かに、待つだけ。
ただただ、静かに、待つだけ……。

++++++++++++++++++++++

【告白(3)】

 先日、テレビを見ていたら、ある夫婦を紹介していた。

 夫は、45歳くらい。妻も、同じくらいではなかったか。5人の子どもをかかえ、苦労
している夫婦が、テーマになっていた。

 その番組の中で、気になったことが一つある。それは妻が、ことあるごとに、夫を、け
なしていたこと。

 「この人は、稼ぎが少なくてねえ」
 「名前だけは、大黒柱。笑ってしまいますよ」
 「もう少し、働いてくれればねえ」
 「死ぬ気でがんばってほしいです」と。

 まさに言いたい放題。

 私はそういう番組を、どうしても、夫の立場で見てしまう。「夫がかわいそう」と思うと
同時に、「何という悪妻」と思ってしまう。

 で、考えた。「この妻は、自分のことしか、考えていない」「夫を、自分のために利用し
ているだけ」と。

 つまりその妻は、夫を愛していない、と。

 ただその夫という人は、どこかヌボーッとした人で、妻にそう言われながらも、ニコニ
コ笑っているだけ。気にしているような様子でもなかった。私はそれを見ながら、「もし、
私のワイフがそんなことを口にしたら、その場で、家を出てやる」と思った。

 夫婦だから、愛しあって結婚したはず。愛しあっているはずという、『ハズ論』ほど、い
いかげんなものはない。またそういう『ハズ論』の上で、夫婦を考えるから、話がおかし
くなる。

 いつも同じような失敗を繰りかえしているようなら、ここにも書いたように、一度、相
手の立場で、ものを考えてみるとよい。あなたも、それまで気づかなかったことを、気づ
くようになるかもしれない。


++++++++++++++++++++

●死ぬのがこわいと恐れている、あなたへ

死ぬのがこわい?
そう思ったら、あなたのまわりの人のことを考えてみよう。
あなたが死ぬことで、悲しむ人たちのことを思ってみよう。

あなたは死ぬことを心配してはいけない。
心配すべきことは、あなたの死を悲しむ人たちのこと。
そういう人たちの心を、少しでも、いやしてあげること。
やすらいであげること。
あなたの死を悲しまないように、してあげること。

いや、あなたが死をこわがるのは、
あなたの死を悲しむ人がいないからではないのか。

もしそうなら、それこそ、孤独。無間の孤独。

決して、遅すぎることはない。
明日、死を迎える人でも、それに気がつけば、
あなたは、永遠の平和と、心のやすらぎを
手にすることができる。

【告白(4)】

 この散文詩は、このままボツにしようかと迷った。あまりにも大上段な意見で、不愉快
に思われた人も多いかと思う。

 これについては、今夜、夕食を食べながら、ワイフと、こんな会話をした。

私「ぼくね、思うんだけど、ぼくが、死んでも、悲しむ人は、一人もいないよ」
ワイフ「そんなことないわよ。私は悲しむわ」
私「無理しなくて、いいよ。わかっているから」
ワ「だから、あなたは、かわいそうな人なのよ。人を信ずることができない人なのよ」

私「でも、おかしな気分だ。そう言ってもらうと、うれしいけど、それでお前が悲しむよ
うなら、つらい」
ワ「じゃあ、悲しまなければいいの?」
私「悲しんでほしいけど、悲しんでほしくない」

ワ「じゃあ、どうすればいいのよ?」
私「まあ、一時的には悲しんでも、それ以上、悲しんでほしくない。ぼくが先に死んだら、
ちゃんと、あの世で待っててあげるから」
ワ「別に、待っててくれなくてもいいわよ。あの世で、いい人がいたら、その人と、いっ
しょになればいいじゃない」

私「だから、お前は、冷たい」
ワ「冷たくないわよ。あなたがひとりで、かわいそうだと思うから、そう言うのよ」
私「じゃあ、お前は、どうする?」
ワ「ゆっくり、死ぬわ。再婚してもいいし……。でも、もう結婚は、うんざり。一度で、
たくさん」
私「……」と。

 ワイフと会話をしていると、崇高な理念も、どこかへ吹き飛んでしまう。だからやはり、
この原稿はボツにしたほうがよいのかもしれない。明日、もう一度、読みなおしてから、
それを決めよう。
(040814)

*****************************
おまけ
*****************************

●街の中を歩く

 久しぶりに、街の空気を吸ってみたかった。そこで教室に行き、花に水を与えたあと、
ワイフと、通りに出た。

 コースは、伝馬町(てんまちょう)から、一度、鍛治町(かじまち)へ出て、駅前まで。
遠鉄デパートの8階で、寿司を食べて、フォルテ(ビル名)へ寄り、そこから教室まで。

【宝くじを買う】

 その場で当選がわかるという、スクラッチくじを、5枚、1000円で買う。コインの
先でこすると、「当たり」「はずれ」がわかるという、あのくじである。

 結果は、5枚とも、はずれ。

 で、そのくじをコインでこすりながら、「簡単にインチキができる」と、わかった。

 当たり・はずれの文字の上には、銀色の塗装がしてある。その塗装をコインでこすると、
その塗装がはがれるしくみになっている。恐らく、X線ですかしても、見えないようにな
っているのだろう。

 しかしこういう手口がある。

 まず、宝くじ屋のだれかが、スクラッチくじを、xx線程度にこすってみる。細い線状
に削るだけでよい。それで(当たり・はずれ)がわかる。

 そのあと、はずれの券には、もう一度、xxxxxxxxxxよい。そしてそれを何食
わぬ顔をして、私のような、一見善良で、アホに見える客に売りつければよい。

 見たところ、銀色の塗料は、どこにでも売っているような塗料である。もし塗料がなけ
れば、xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxをまぜて、それで塗料をつくればよ
い。もちろん当たり券は、そのまま別の人になりすまして、換金すればよい。

 私が、「こんなインチキならだれでも思いつく。もう、すでに、どこかでだれかがしてい
るかもしれない。一度、疑ってみたほうがいいね」と。

 ワイフは、私を見ながら、あきれた顔をしていた。私は、それを見て、こう言った。

 「あんなのインチキだから、もう、ぼくは、二度と買わない」と。

 ……こう書くと、私が犯罪を教唆(きょうさ)しているように思うかもしれないが、そ
うではない。こういう盲点を、政府は、どう考えているかということ。それを見直してほ
しいから、あえて、こういう手口も考えられるという視点で、この原稿を書いた。

 どうか、誤解のないように……!


【カレーライスが食べられない】

 遠鉄デパートの地下に、いつも行く、カレーライス店がある。おいしい。が、今日は、
夏休みの日曜日ということで、満員。10人ほどが、並んで、順番を待っていた。しかた
ないので、そのまま8階へ。

 8階では、いろいろなイベントが催されていた。宮崎XXのアニメのDVDも販売され
ていた。英語版もあったので、買おうと思って値段を見ると、4800円! 高い! で、
やめた。

 今、日本では、ミニバブルが起きているようだ。一部だが、しかし決して一部とは言え
ないほど、物価があがり始めている。あのバブル経済のころには、一つ、4万円とか、5
万円もするサイフが、ズラリと並んでいた。今も、それに近くなってきた。

 それを見ながら、「だれがこんなもの買うのだろう」と思った。


【寿司を食べる】

 私は、一番安い、寿司。ワイフも、一番安い、どんぶり。それでも、二人で、2600
円! 「100円の回転寿司だったら、26皿だよね」と、しみったれたことを言いなが
ら、食べる。

 で、その間に、こんな会話。

私「ほら、テキサスへ行ったとき、寿司屋へ行っただろ。あの寿司屋では、ブロッコリー
に、かつお節をかけて、前菜として出していたよね」
ワイフ「そう、あれには、驚いたわ。あんな料理、日本では、見たことがないわ」
私「だろ……。日本人なら、だれだって、おかしいと思うよね」
ワ「そうよね」

私「でもさ、今朝のY新聞を読んでいたら、こんな記事があったよ。何でも、イタリアの
ピザ職人が、日本のピザを見て、驚いたというんだ」
ワ「私は、読んでないわ」
私「つまりね、イタリア人から見れば、日本のピザは、とてもピザらしからぬピザという
ことになる」

ワ「テキサスの寿司を、笑うことはできないということね」
私「そうなんだ。そうなんだよ」と。

 日本に長く住んでいると、どうしても日本という国を中心にして、世界を見てしまう。
私たちもそうで、そのテキサスでは、二人で笑いながら、アメリカの寿司を食べた。

 しかし同じ日本人の私たちが、実は、それ以上のことを、この日本の中でしている。し
ていながら、それに気づかないでいる。そういうことは、多い。話題は、戦争の話になっ
た。

私「今日(8・15)は、終戦記念日だ。『終戦』と言えば、まだ聞こえはいいが、本当は、
『敗北』記念日だ。日本人にとっては、悲しむべき日なんだ。しかしアジアのほかの国々
では、戦勝・独立記念日なんだよ」
ワ「そうよね。でも、どうして日本人は、被害者意識をもっているのかしら?」

私「そこなんだよ。たしかに300万人の日本人が死んでいるけど、その日本人は、同じ
く、300万人もの外国人を殺しているんだよ。それも、日本の外でね」
ワ「でも、日本人は、殺されたという話はよくするけれど、殺したという話は、あまりし
ないわよね」

私「そうなんだよ。そこなんだよ。それを、外国の人たちは、いまだに怒っているだよ」
ワ「どうして、日本人には、それがわからないのかしら?」
私「それが、ぼくにも、わからない。本当に、わからない。同じ、日本人なのにね」と。

 
【香水を買う】

 いつだったか、ある時期、私たちは、ハーブにこった。庭中に、無数のハーブの植木鉢
を並べたことがある。全部で、100鉢ほどはあった。ホント!

 しかしやがて、すべて、犬のハナに、バラバラにされてしまった。

 穴を掘るのが趣味のような犬で、畑はもちろんのこと、花壇、小さな苗木、すべてバラ
バラにされてしまった。

 7階には、そのハーブコーナーがあった。若い店員が、「カモミールは……」「ジャスミ
ンは……」「ローズマリーは……」と、さも知ったかぶりに、私たちに説明してくれた。

 「みんな知っているよ」と言いかけたが、やめた。美しい女性だった。

 ワイフも詳しいはず。しかし謙虚な様子で、その若い店員の説明に耳を傾けていた。

店員「これは、精神を安定させる作用があります」
ワイフ「そうですか……」
店員「これは、眼精(ガンセイ)疲労に効果があります」と。

 それを聞いてすかさず、私が割りこんだ。「何ですって? ダンセイ(男性)疲労? そ
れはいい。買いますよ」と。

店員「男性疲労ではありません。眼精疲労です。フフフ」
ワイフ、私をにらみながら、「やめなさいよ、あなた。セクハラよ」と。

 結局、香水入の石鹸を買わされた。一個、1600円! 男というのは、一度、説明を
聞くと、何か買ってやらなければという気分になる。相手が若い女性なら、なおさらだ。

 しかし小さな石鹸一個が、1600円! 浮気心は、いつも高くつく!


【パソコンショップ】

 順序が逆になるが、デパートへ来る前、私たちは、パソコンショップに寄った。私には、
遊園地のように楽しい場所である。そういうところで、新製品に見いるのが、何よりも楽
しい。

 今は、カメラと電子手帳に興味がある。カタログを何枚か集めた。

 いつもワイフに説明してやっているので、ワイフも、かなり詳しくなったようだ。「あら、
あなた、このカメラ、600万画素だって! すごいわね」と。一人前に、わかったよう
なことを言う。

 少し前までは、DVDで映画を見終わったとき、「どうすれば巻き戻しできるの?」なん
て、聞いていたくせに……。(DVDでは、巻き戻しなんか、しなくてもいいの! ハハハ!)

私「600万画素もあっても、しかたないのよ」
ワイフ「あら、どうして? それだけきれいな写真が、とれるのでしょう」
私「いくらこまかくても、プリンターにも能力があってね。そんなに必要ないの」
ワ「じゃあ、どうして、600万画素のカメラがあるのよ?」

私「ある部分を拡大してね、写真を引きのばしたいとき、引きのばしても、美しい写真が
プリントできるんだよ。でも、引きのばすことがなければ、300万画素で、じゅうぶん。
インターネットで使うんだったら、100万画素でも、じゅうぶん」
ワ「フ〜〜ン」と。

 こうしてワイフは、私から一生懸命情報を吸収する。そしてワイフのクラブ仲間に、そ
れを伝える。

 きっと今度の会合では、ワイフの友だちに、ワイフは、こう言うにちがいない。

「あんた、デジタルカメラなんてね、300万画素もあればじゅうぶんなのよ。だってね、
600万画素もあってもね、プリンターのほうに、それだけの能力がなければ、意味がな
いでしょ」と。

 一応、ワイフは、ワイフの仲間の間では、パソコン通ということになっているらしい。
よく相談の電話がかかってくる。


【デザートを食べる】

 駅のとなりに、どこかガラス張りの建物がある。「F」という建物である。そこで、私た
ちは、休んでジュースを飲んだ。1階が、そのような場所になっている。

 建物の中では、赤ちゃんの写真展が開かれていた。0歳から2歳前後までの、子どもの
顔が、所せましと、パネルに張ってあった。

 それを見ながら、孫の誠司のことを思い出す。

 「かわいいわね」「わわいいね」「でも、誠司もかわいいわよ」「ぼくらにはね……」と。

 だれにとっても、自分の子どもや、孫の顔が、一番、かわいい。かわいく見える。私と
ワイフにとっては、誠司が、一番、かわいい。多分、他人が見れば、目だけがやたらと大
きな、エイリアン(宇宙人)に見えるだろう。しかし、私たちにとっては、誠司が、一番、
かわいい。

私「他人が見ても、誠司は、かわいい子どもに見えるかな?」
ワイフ「それはわからないわ。でも、こうして他人の子どもを見ていると、どの子も、そ
れぞれかわいく見えるでしょう。その程度には、他人も、誠司のことをかわいいと思って
くれるわよ」
私「そうだな……」と。

 楽天のHPには、このところ、誠司の写真を載せるのが、日課になってしまった。もう
すぐ、満2歳になる。8月20日が、誕生日だ。

 その誠司。先日、電話で話したら、「Wao〜〜u! ba〜i!(ワォー、バイ)」で、
電話を切ってしまった。一応、会話をしたつもりらしい。実に、単純、わかりやすい会話
だった。それにあっという間に、終わった。

 そのあと、7階のHxxx(国際友好協会)に寄って、パンフレットや、浜松市の案内
書を手に入れる。デニーズに頼まれた。デニーズは、いつか、日本で、英語を教えてみた
いと言っている。

 あとは、そのまま教室へ。結構、歩いたような気がする。気温は低く、過ごしやすい一
日だった。

***************************

【お願い】

 どなたか、このマガジンを読んでいる方で、学校での
外人講師の情報をもっている人はいませんか。デニーズ
は、いつか、日本の学校で、英語を教えたいという夢を
もっています。どうか、力を貸してください。

 よろしくお願いします。

***************************


●オリンピックが始まった!

 このところ毎晩、床につくのが、12時過ぎになった。オリンピックのせいである。い
や、本当は、それを見たい、私自身のせいである。

 少し見始めると、結果はどうなるか、それが知りたくて、ついつい終わりまで、見てし
まう。それでいつも12時すぎまで……。

 昨夜は、柔道。私も、高校へ入るまで、民間の柔道場へ、5年間、通った。結構、いい
ところまで進んだが、高校へ入るとき、やめた。二回、右の鎖骨を折る事故が重なったこ
ともある。

 当時は、体重別という区別がなかった。私の体は、平均的。私より大きな体の対戦相手
には、勝てるはずもなかった。それで自分なりに限界を感じて、やめた。今のように、「4
0キロ級」とか、「50キロ級」とか、そういうふうに区別されていたら、もう少し、柔道
をつづけていたかもしれない。

 その試合を見ながら、ワイフが、「寝技(ねわざ)は、どうすれば決まるの?」と。

 寝技は、得意! とくに女性との寝技は、得意。ハハハ。「あとで、ふとんの上で教えて
あげるよ」と言うと、「結構!」という言葉が、はねかえってきた。

 ……というのは、ジョークだが、私が子どものころ知っていた柔道とは、かなり様子が
変わってきたようだ。

 動きが速くなったというか、どこかレスリングのよう。とくにヨーロッパの選手たちの
スタイルが、ヘン(?)。頭をさげたまま、試合をする。両手で、相手をめったに、つかま
ない。

私が子どものころは、一度、たがいに相手の柔道着をつかんでから、試合が始まった。「始
め!」と。

 そういう意味では、今よりはずっと、紳士的なスポーツだったように思う。いかに美し
く、相手を投げるかを競うのが、柔道だった。卑怯なことをすれば、その場で、みなに、
白い目で見られた。

 その試合を見ながら、あの白い柔道着を、自転車の前にぶらさげて、町の中を走る自分
を思い出していた。誇らしかった。それだけで自分が強くなったように感じた。

 で、昨夜(8・15)までの成果は、金メダル2個、銀メダル1個。

 しかし本当のことを言えば、柔道で一番おもしろいのは、無差別級。その無差別級は、
どうなるか? 楽しみだ。絶対に見るぞ。応援するぞ。がんばれ、日本!


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【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

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●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

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このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

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【読者のみなさんへ……】

●マガジンを発行するにあたって……

 このマガジンは、みなさんの子育てで、役にたっていますか?

 もし、そうなら、うれしいです。

 で、率直に……。マガジンを発行するについて、それなりの経費が、そのつど、かかる
のも事実です。そこで、「最前線の育児論」の読者の方には、賛助会への協力をお願いし
ています。

 賛助会のほうへ、ご協力を、お願いできないでしょうか。お気持ちのある方は、どうか、
ご協力ください。子育て相談などで、便宜をはからせていただきます。

 1年で、2000〜3000円の賛助会寄金を、お願いできたら、うれしく思います。

賛助会……

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 何かときびしいおりですが、よろしくご理解ください。

 もちろん今までどおり、ご購読くださっても、結構です。うれしく思っています。

●有料版「まぐまぐプレミア」について……。
 
 現在、無料マガジンと並行して、まぐまぐプレミア(通称「まぐプレ」)を発行してい
ます。月額200円です。

 今のところ、無料版も、有料版も、内容はほとんど同じですが、もしよろしかったら、
まぐプレの購読をお願いできないでしょうか。

 501号〜をめどに、以後、無料版のほうは、随時(ときどき)簡略版発行にするつも
りでいます。(現在、457号です。)

 マガジンの案内……

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 以上、率直なお願いです。

 これからも、ご購読、よろしくお願いします。

 ありがとうございました。
                     
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 15日(No.463)
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 現在、BW教室、10月入会生を募集しています。
 みなさんのご紹介であれば、自由に見学してもらえます。
 見学の申し込み、案内書の申し込みは、どうぞ、下記まで。
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 見学……みなさんのご都合に合わせて、随時、していただいています。
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     お待ちしています。

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          以上、よろしくお願いします!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●逃げ場を大切に

 どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。もちろん人間の子どもにもある。子ど
もがその逃げ場へ逃げ込んだら、親はその逃げ場を荒らしてはいけない。

子どもはその逃げ場に逃げ込むことによって、体を休め、疲れた心をいやす。たいてい
は自分の部屋であったりするが、その逃げ場を荒らすと、子どもの情緒は不安定になる。
ばあいによっては精神不安の遠因ともなる。あるいはその前の段階として、子どもはほ
かの場所に逃げ場を求めたり、最悪のばあいには、家出を繰り返すこともある。

逃げ場がなくて、犬小屋に逃げた子どももいたし、近くの公園の電話ボックスに逃げた
子どももいた。またこのタイプの子どもの家出は、もてるものをすべてもって、一方向
に家出するというと特徴がある。買い物バッグの中に、大根やタオル、ぬいぐるみのお
もちゃや封筒をつめて家出した子どもがいた。

(これに対して目的のある家出は、その目的にかなったものをもって家を出るので、区
別できる。)

 子どもが逃げ場へ逃げたら、その中まで追いつめて、叱ったり説教してはいけない。子
どもが逃げ場へ逃げたら、子どものほうから出てくるまで待つ。そういう姿勢が子どもの
心を守る。が、中には、逃げ場どころか、子どものカバンの中や机の中、さらには戸棚や
物入れの中まで平気で調べる親がいる。

仮に子どもがそれに納得したとしても、親はそういうことをしてはならない。こういう
行為は子どもから、「私は私」という意識を奪う。

 これに対して、親子の間に秘密はあってはいけないという意見もある。そういうときは
反対の立場で考えてみればよい。いつかあなたが老人になり、体が不自由になったとする。
そういうときあなたの子どもが、あなたの机の中やカバンの中を調べたとしたら、あなた
はそれを許すだろうか。プライバシーを守るということは、そういうことをいう。秘密を
つくるとかつくらないとかいう次元の話ではない。

 むずかしい話はさておき、子どもの人格を尊重するためにも、子どもの逃げ場は神聖不
可侵の場所として大切にする。

++++++++++++++++++

●友を責めるな

 あなたの子どもが、あなたからみて好ましくない友だちとつきあい始めたときの鉄則が
これ。「友を責めるな、行為を責めよ」。

イギリスの格言だが、たとえばどこかでタバコを吸ったとする。そういうときは、タバ
コは体に悪いとか、タバコを吸うことは悪いことだと言っても、決して相手の子どもを
責めてはいけない。名前を出すのもいけない。

この段階で、たとえば「D君は悪い子だから、つきあってはダメ」などと言うと、それは
子どもに、「友を選ぶか、親を選ぶか」の、二者択一を迫るようなもの。あなたの子ども
があなた(親)を選べばよいが、そうでなければあなたと子どもの間に大きなキレツを
入れることになる。

あとは子ども自身が自分で考え、その「好ましくない友だち」から遠ざかるのを待つ。
こういうケースでは、よく親は、「うちの子は悪くない。相手が悪い」と決めてかかるこ
とが多いが、あなたの子どもがその中心格になっていると考えて対処する。が、それで
もうまくいかないときがある。そういうときは、つぎの手を使う。

 子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、自分のよい面を見せようとする。
そこであなたは子どもの前で、相手の子どもをほめる。○○君は、おもしろい子ね。ユー
モアがあって、お母さんは大好きよ」とか。

あなたのそういう言葉は必ず相手の子どもに伝わる。その時点で、相手の子どもは、あ
なたの期待にこたえようとし、その結果、あなたの子どもをよい方向に導いてくれる。
いうなればあなたはあなたの子どもを通して、相手の子どもを遠隔操作するわけだが、
これは子育ての中でも高等技術に属する。

 ほとんどの親は、子どもが非行に向かうようになると、子どもを叱ってなおそうとする。
暴力や威圧を加える親もいる。しかし一度こわれた子どもの心は、そんなに簡単にはなお
らない。もしそういう状態になったら、今より症状を悪化させないことだけを考えながら、
一年単位で子どもの様子をみる。あせって何かをすればするほど、逆効果になるので注意
する。

【2】子育て狂騒曲(4)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか?
それ以上、何を望むか(失敗危険度★★)

●子育てで失敗した

 法句経にこんな説話がある。法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つ
だと思えばよい。あるとき一人の男が釈迦のところへ来て、こう言う。「釈迦よ、私は死ぬ
のがこわい。どうしたらこの恐怖から逃れることができるか」と。それに答えて釈迦はこ
う言う。『明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ』と。

 これまで多くの親たちが、こう言った。「私は子育てで失敗しました。どうしたらいいか」
と。そういう親に出会うたびに、私は心の中でこう思う。「今まで子育てをじゅうぶん楽し
んだではないか。それ以上、何を望むのか」と。

●母親とのきずなが虐待の原因?

 子育てはたいへんだ。こんな報告もある。東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏に調
査によると、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大
半が何らかの形で虐待しているという。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほ
ど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。

七%という数字が大きいか小さいか、評価の分かれるところだが、しかし子育てという
のは、それ自体大きな苦労をともなうものであることには違いない。言いかえると楽な
子育てというのは、そもそもない。またそういう前提で考えるほうが正しい。いや、中
には子どものできがよく、「子育てがこんなに楽でいいものか」と思っている人もいる。
しかしそういう人は、きわめて例外。

●子育てが人生を豊かに

 ……と書きながら、一方で、私はこう思う。もし私に子どもがいなければ、私の人生は
何とつまらないものであったか、と。人生はドラマであり、そのドラマに価値があるとす
るなら、子どもは私という親に、まさにそのドラマを提供してくれた。たとえば子どもの
ほしそうなものを手に入れたとき、子どもたちの喜ぶ顔が早く見たくて、私はよく家路を
急いだ。もちろん悲しいことも苦しいこともあったが、それはそれとして、子どもたちは
私に生きる目標を与えてくれた。

もし私の家族が私と女房だけだったら、私はこうまでがんばらなかっただろう。その証
拠に、息子たちがほとんど巣立ってしまった今、人生そのものが終わってしまったかの
ようなさみしさを覚える。あるいはそれまで考えたこともなかった「老後」が、そこに
あるのを知る。今でも悩みや心配のタネはつきないが、しかしさらに別の心で、子ども
たちに感謝しているのも事実だ。「お前たちのおかげで、私の人生は楽しかったよ」と。

 ……だから、子育てに失敗などない。絶対にない。今まで楽しかったことだけを考えて、
前に進めばよい。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【特集・子育て狂騒曲】
 
いつになったら、できるの! 
己こそ、己のよるべ(失敗危険度★★★)

●自由とは、「己による」こと

 同じく法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのも
ある。釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」
と。つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、も
ともと「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行
動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは
言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

●考えさせない過干渉ママ

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込ん
でくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を
変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親
は今の夫と、今でいう「できちゃった婚」をした。どこか不本意な結婚だった。だから子
どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」
と、はげしく叱っていた。

●行動させない過保護ママ

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるい
は自分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、
精神面での過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護のもとだけで
子育てをするなど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」と
いうタイプの子どもになる。外へ出すと、「すぐ風邪をひく」。

●責任をとらせない溺愛ママ

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がな
い。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親は、「子ども(小六男児)
が合宿訓練にでかけた夜、涙がポロポロと出て眠れなかった」と言った。私が「どうして
ですか?」と聞くと、こう言った。「あの子は私がいないと何もできない子です。みんなに
いじめられているのではないかと思うと、かわいそうで、かわいそうで……」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、
子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。


++++++++++++++++++++

まず頭をさげる!
つきあいは水のように淡く(失敗危険度★★)

●親たちとのつきあい

 この世界、子どもをはさんだ親どうしのトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないが
こじれて、転校ザタ、さらには裁判ザタになるケースも珍しくない。ほかのことならとも
かくも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。

 まず親どうしのつきあいも、『如水淡交』。「水のように淡く交際する」のがよい。この世
界、「教育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それ
に皆が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある
人もいる。ふだんはそうでなくても、子どものこととなると、人が変わる人はいくらでも
いる。その人の表向きの様子には、だまされてはいけない。

●最初に頭をさげる

 つぎに『負けるが勝ち』。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。
相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」
とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろ
う。しかしそれでも頭をさげる。

あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集まる。
しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですか
ら……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが
勝ち。が、こんなこともあった。

●がんとして頭をさげなかったS君

 その小学校に、乱暴な子ども(小四男児)がいた。いつも友だちを泣かせていた。そこ
で正義感の強いS君(小四男児)が、その乱暴な子どもと言い争いになり、そしてその乱
暴な子どもを殴って、けがをさせてしまった。が、問題はこのあと起きた。

 S君の家庭は、母子家庭。S君の母親はある工場で事務員をしていたが、その乱暴な子
どもというのは、その会社の社長の長男であった。そこでS君の母親はS君をつれて、そ
の社長の家にあやまりに行った。が、S君は何度母親がうながしても、がんとして頭をさ
げなかったという。

 この話は女房から聞いたものだが、そのとき女房はこう言った。「こういうときでも、頭
をさげなければならないの?」と。

 もちろん頭をさげるといっても、ケースバイケース。微妙なときもある。また私は子ど
もに頭をさげさせろと言っているのではない。ただ私もこの話を聞いたとき、しばらく考
え込んでしまった。「S君はさぞかし、くやしかっただろうな」と。。

●つきあいの大鉄則

 このS君のケースはさておき、私が「最初に頭をさげなさい」と言うと、「それでは子ど
もがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわからないのが、自分の子
ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではないことは、実はあ
なた自身が一番よく知っている。

あなたは子どものころ、あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。それに
相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういう人たちから苦情が耳に届くという
ことは、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、『負けるが勝ち』。これは親ど
うしのつきあいの大鉄則と考えてよい。


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学ぶものは山に登るごとし
知識と学力(失敗危険度★★★)

●知識と学力は別

 もの知りの人が、賢い人ということにはならない。知識と学力は本来別のものであり、
これを混同すると、教育そのものが混乱する。たとえば幼稚園児が掛け算の九九をペラペ
ラと口にしたとしても、その子どもが賢い子どもということにはならない。いわんや算数
ができるとか、頭のよい子ということにもならない。

が、もしその子どもが、「車が三台では、そのタイヤの数は一二」と、即座に計算できれ
ば、算数のできる子どもということになる。その計算方法を自分で考えだしたとしたら、
さらに頭のよい子ということになる。

●知識教育が教育?

 ところがこの日本では、子どもに知識をつけさせることが教育だと思い込んでいる人が
多い。教育の体系そのものが、そうなっている。たとえば学校でも、「わかったか」「覚え
たか」「ではつぎ……」という教え方が基本になっている。

アメリカやオーストラリアでは、「どう思う?」「それはいい考えだ」という教え方が基
本になっている。またこの日本では、入試内容にしても、学力をためすというよりは、
知識をためすものになっている。いろいろな改善策がこころみられてはいるが、基本的
にはこの構図は明治以来、変わっていない。

その結果というか、今でこそやや少なくなったが、三〇年前にはどこの進学高校にも、
いわゆるどこかヘンという子どもがいた。勉強しかしない、勉強しかできない、頭の中
は成績の数字だけという子どもである。しかしそういう子どもほど、スイスイと一流大
学の一流学部(「一流」という言い方は本当にいやだが……)へ進学していった。

私は進学塾の講師をしながら、そのときはそのときで、「こんなことでいいのか」と、少
なからず疑問に思ったことがある。

 では、学力とは何か。また学力はどうやって養えばよいのか。実はその答はあなた自身
が一番よく知っている。あなたが今、三五歳なら三五歳でよい。あなたは二〇歳のときか
ら今までの一五年間で、何かを自ら学ぼうとしたか。あるいは学んだか。何かを発見した
とか、何かを新たにできるようになったとか、そういうことでもよい。

そのとき「知識」は除外する。知識は学力ではない。するとたいていの人は、何もない
ことに気づくはず。もともと学ぶということにはある種の苦痛がともなう。美濃部達吉
も「語録」の中で、『学ぶ者は山に登るごとし』と書いている。「学ぶということは楽で
はない」と。

だからたいていの人は学ぶことを、自ら避けようとする。私やあなたとて例外ではない。
学力とはそういうものであり、また学力を養うということはそういう苦痛との戦いでも
ある。つまりそれだけたいへんだということ。教育のテーマそのものと言ってもよい。

ここでもう一度、あなたにとって子どもの教育とは何か、それをじっくりと考えてみて
ほしい。


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私こそ親のカガミ!
代償的過保護(失敗危険度★★★★★)

●代償的過保護

 本来、過保護というのは親の愛がその背景にある。その愛があり、何かの心配ごとが引
き金となって、親は子どもを過保護にするようになる。しかしその愛がなく、子どもを自
分の支配下において、自分の思いどおりにしたいという過保護を、代償的過保護という。
いわば自分の心のスキ間をうめるための、過保護もどきの過保護と思えばよい。親のエゴ
にもとづいた、自分勝手な過保護ということになる。

 代償的過保護の特徴は、(1)親としての支配意識が強く、(2)子どもを自分の思いど
おりにしたいという欲望が強い。そのため(3)心配過剰、過干渉、過関心になりやすい。
(4)子どもを人間というよりは、モノとして見る傾向が強く、子どもが自立して自分か
ら離れていくのを望まないなどがある。そしてそういう愛を、理想的な愛と誤解すること
が多い。「私こそ、親のカガミ」と言った母親すらいた。

●子どもを自分の支配下に

このタイプの親は、一見子どもを愛しているように見えるが、(また親自身もそう思い込
んでいるケースが多いが)、その実、子どもを愛するということがどういうことか、わか
っていない。わからないまま、さまざまな手を使って、子どもを自分の支配下に置こう
とする。もともとはわがままな性格の人とみてよいが、それゆえにものの考え方がどう
しても自己中心的になる。「私は絶対正しい」と思うのはその人の勝手だが、その返す刀
で、相手を否定したり、人の話に耳を傾けなくなる。がんこになることもある。

●お前には学費が四〇〇〇万円かかった!

ある父親は、息子が家を飛び出し、会社へ就職したとき、その会社の社長に電話を入れ、
強引にその会社をやめさせてしまった。またある母親は、息子の結婚にことごとく反対
し、そのつど結婚話をすべて破談にしてしまった。息子を生涯、ほとんど家の外へ出さ
なかった母親もいるし、お金で息子をしばった父親もいる。「お前には学費が四〇〇〇万
円かかったからな」と。

結果的にそうなったとも言えるが、宗教を利用して子どもをしばった親もいた。ことあ
るごとに、「親を粗末にすると、バチが当たるぞ」と教えている親もいる。そうでない親
には信じられないような話だが、実際にはそういう親も少なくない。ひょっとしたら、
あなたの周囲にもこのタイプの親がいるかもしれない。

いや、あなたという親にも、いろいろな面があり、その中の一部に、この代償的過保護
的な部分があるかもしれない。もしそうならそうで、あなたの中のどの部分が代償的過
保護であり、あるいはどこから先がそうでないかを、冷静に区別してみるとよい。

●自分に気づくだけでよい

この問題は、どこが代償的過保護的であるかに気がつくだけで、問題のほとんどは解決
したとみる。ほとんどの親は、それに気づかないまま、代償的過保護を繰り返す。そし
てその結果として、親子の間を大きく断絶させたり、反対に子ども自立できないひ弱な
子どもにしたりする。


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うちの子は何を考えているかわからない!
仮面をかぶらせるな(失敗危険度★★★★)

●仮面をかぶる子ども

 心(情意)と表情が遊離し始めると、子どもは仮面をかぶるようになる。表面的にはよ
い子ぶったり、柔和な表情を浮かべて親や教師の言うことに従ったりする。しかし仮面は
仮面。その仮面の下で、子どもは親や教師の印象とはまったく別のことを考えるようにな
る。これがこわい。

●心と表情の一致

 すなおな子どもというのは、心と表情が一致し、性格的なゆがみのない子どものことを
いう。不愉快だったら不愉快そうな顔をする。うれしいときには、うれしそうな顔をする。
そういう子どもをすなおな子どもという。

が、たとえば家庭崩壊、育児拒否、愛情不足、親の暴力や虐待が日常化すると、子ども
の心はいつも緊張状態に置かれ、そういう状態のところに不安が入り込むと、その不安
を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。突発的に激怒する子どももいるが、反対
にそうした不安定さを内へ内へとためこんでしまう子どももいる。そしてその結果、仮
面をかぶるようになる。一見愛想はよいが、他人に心を許さない。あるいは他人に裏切
られる前に、自分から相手を裏切ったりする。

よくある例は、自分が好意をよせている相手に対して、わざと意地悪をしたり、いじめ
たりするなど。屈折した心の状態が、ひねくれ、いじけ、ひがみ、つっぱりなどの症状
を引き起こすこともある。

●言いたいことを言わせる

 そこでテスト。あなたの子どもはあなたの前で、言いたいことを言い、したいことをし
ているだろうか。もしそうであれば問題はない。しかしどこか他人行儀で、よそよそしく、
あなたから見て、「何を考えているかわからない」といったふうであれば、家庭のあり方を
かなり反省したほうがよい。

子どもに「バカ!」と言われ怒る親もいる。しかし平気な親もいる。「バカ!」と言うこ
とを許せというのではないが、そういうことが言えないほどまでに、子どもをおさえ込
んではいけない。

●子どもの心は風船

子どもの心は風船のようなもの。どこかで力を加えると、そのひずみは、別のどこかに
必ず表れる。で、もしあなたがあなたの子どもに、その「ひずみ」を感ずるなら、子ど
もの心を開放させることを第一に考え、親のリズムを子どもに合わせる。「私は親だ」式
の権威主義があれば、改める。そしてその時期は早ければ早いほどよい。

満六歳でこうした症状が一度出たら、なおすのに六年かかると思うこと。満一〇歳で出
たら、一〇年かかると思うこと。心というのはそういうもので、簡単にはなおらない。
無理をすればするほど逆効果になるので、注意する。 


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子どものうしろを歩くとイライラする!
子育てじょうずな親(失敗危険度★★★)

●子どものリズムをつかめ

 子どもには子どものリズムがある。そのリズムをいかにつかむかで、「子育てがじょうず
な親」「子育てがへたな親」が決まる。子育てじょうずな親というのは、いわゆる子育てが
うまい。子どもの能力をじょうずに引き出し、子どもを前向きに伸ばしていく親をいう。

 結果は、子どもをみればわかる。子育てじょうずな親に育てられた子どもは、明るく屈
託がない。心のゆがみ(ひねくれ、いじけ、ひがみ、つっぱり)がない。また心と表情が
一致していて、すなおな感情表現ができる。うれしいときは、うれしそうな顔を満面に浮
かべるなど。

●妊娠したときから始まる

 こうした子育てのリズムは、親が子どもを妊娠したときから始まる。ある母親は胎教と
称して、毎日おなかの子どもに、クラッシックや英会話のテープを聞かせていた。また別
の母親は、時計とにらめっこをしながら、その時刻になると赤ちゃんがほしがらなくても、
ミルクを赤ちゃんの口につっこんでいた。さらにこんな会話をしたこともある。ある日一
人の母親が私のところにきて、こう言った。

 「先生、うちの子(小三男児)を、夏休みの間、サマーキャンプに入れようと思うので
すが、どうでしょうか?」と。その子は、ハキのない子どもだった。母親はそれを気にし
ていた。そこで私が「お子さんは行きたがっているのですか?」と聞くと、「それが行きた
がらないので、困っているのです」と。こうしたリズムは、一事が万事。そこでこんなテ
スト。

●子どもの横を歩く

 あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころのことを思い出してみてほしい。そ
のとき(1)あなたは子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていただ
ろうか。それとも(2)子どものうしろや横に回りながら、子どものリズムで歩いていた
だろうか。(2)のようであれば、よし。

しかしもし(1)のようであれば、そのときから、あなたとあなたの子どものリズムは
乱れていたとみる。今も乱れている。そしてやがてあなたは子どもとこんな会話をする
ようになる。

 母、「あんたは、だれのおかげでピアノを弾けるようになったか、それがわかっているの。
お母さんが毎週、高い月謝を払って、あなたを音楽教室へ連れていってあげたからよ」、子、
「いつ、だれが、お前にそんなことをしてくれと頼んだア!」と。

●親意識

 ところで親意識の強い人は、「子どものことは私が一番よく知っている」と、何でもかん
でも親が決めてしまう。子どもの意思など、まったく無視。たとえばおけいこごとを始め
るときも、またやめるときもそうだ。「来月から、○○音楽教室へ行きますからね」「来月
から、今の教室をやめて、△△教室へ行きますからね」と。子どもは親の意向に振りまわ
されるだけ。

 ただ誤解をしないでほしいのは、親意識がすべて悪いわけではない。親意識にも二種類
ある。自分に向かう親意識と、外に向かう親意識である。

自分に向かう親意識というのは、いわば親の責任感のようなもの。「私は親だから、それ
なりの責任を果たさねばならない」というのがそれ。親としての自覚といってもよい。
今、この親意識の薄い人が多い。この親意識が薄いというのも問題だが、ここでいう親
意識というのは、外に向かう親意識。親であるということをカサに着て、子どもを自分
の支配下におこうとする親意識をいう。昔は『親風を吹かす』と言った。この親意識が
子育てをゆがめる。あるいは独特の考え方をする。

 子どもを一人の人間というよりは、「モノ」と考える。さらに言えば、このタイプの親は、
子どもにすら心を許さない。心を許さないから、子どもを信ずることができない。そうい
う意味では、心のさみしい親ということになる。Hさん(六五歳女性)がいた。

●独特の考え方

 Hさんはある日通りで会うと、私にこう言った。「先生、息子なんて育てるものじゃない
ですね。息子は横浜の嫁に取られて、今は横浜に住んでいます。親なんて、さみしいもん
ですわ」と。Hさんは、息子が結婚して横浜に住んでいることを、「取られた」というのだ。

 今でも息子や娘が結婚することを、「嫁をもらう」とか、「嫁にくれてやる」と言う人は
多い。で、そのHさんだが、ほぼ一〇年ぶりに会うと今度はこう言った。「親なんて長生き
するもんじゃ、ないですね。(若くして死んだ、いとこの)Tさんがうらやましい」と。こ
うした親意識がさらに強くなると、Kさん(七〇歳女性)のようになる。

●子どもをだます親

世の中には親をだます子どもがいるが、しかし子どもをだます親もいる。Kさんは、言
葉巧みに、息子のもっていた土地の権利書を取りあげると、それを他人に転売してしま
った。息子が海外へ出張中のできごとだった。で、息子がそのことでKさんを責めると、
Kさんはこう言ったという。「親が、息子の金を使って、何が悪い」「親が先祖を守るた
め、子どもの金を使うのは、親として当然のことだ」と。

もちろんそれでKさんと息子の「縁」は切れた。息子はこう言う。「私は親の金づるでし
かなかったのですね。母は自分が子ども時代の写真ですら、一枚もくれません。私が『ほ
しい』と言うと、いつも決まって、『死んだらやる』と言います。だから私は母が死ぬま
で、もう実家には帰りません」と。

●子育てじょうずな親

 話がそれたが、子育てじょうずな親は、いつも子どものリズムで子育てをする。無理を
しない。強制もしない。子どものもつリズムに合わせながら、そのリズムで生活する。も
うひとつの診断法として、子どもと一緒に歌を歌ってみるという方法もある。

子どものリズムで生活している人は、子どもと歌を歌いながらも、それを楽しむことが
できる。子どもと歌いながら、つぎつぎといろいろな歌を歌う。しかしそうでない親は、
子どもと歌いながら、それをまだるっこく感じたり、めんどうに感じたりする。あるい
は親の好きな歌を押しつけたりして、一緒に歌うことができない。

●リズムは妊娠したときから始まる

 こうしたリズムは、先にも書いたように子どもを妊娠したときから始まる。ここでは歌
を例にあげたが、歌だけではない。生活全般がそういうリズムで動く。そこでもしあなた
が子どもとの間でリズムの乱れを感じたら、今日からでも遅くないから、子どもと歩くと
きは、子どもの横か、できればうしろを歩く。親意識が強いなら、それは改める。

リズムのあっていない親ほど、心のどこかでイライラするかもしれないが、しかし子ど
もを伸ばすためと思い、がまんする。数か月、あるいは一年のうちには、あなたと子ど
ものリズムが合うようになってくる。子どもがあなたのリズムに合わせることはできな
い。だからあなたが子どものリズムに合わせるしかない。そういうことができる親を、
子育てがじょうずな親という。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●アインスタイン博士からの手紙

 恩師のT教授のところに、昔、アインスタイン博士からの手紙が届いたという。その一
部が、T教授のHPに、紹介されている。

I see only one way for the individual to 
serve the cause of peace: that is to 
work for the World Federalist Movement 
and to resist in private life exaggerated 
nationalism in every way. 

   Albert Einstein

 世界に平和をもたらすために、個人がすべき唯一の
方法がある。それは、世界連邦(共和国)をつくるた
めに、個人の生活の中で、あらゆる方法を使って、誇
張されたナショナリズムと闘うことである。

 T教授のHPは、http://www6.ocn.ne.jp/~kenzitmr/ である。興味のある方は、訪問し
てみてほしい。

 アインスタイン博士は、ナショナリズムに対して、強烈な警鐘を鳴らしている。この一
文を読むと、アインスタイン博士は、ナショナリズムこそが、戦争の原因と考えているこ
とが、よくわかる。

 ナショナリズム……先の北京で行われた、アジアカップ(サッカー)の試合を見るまで
もない。「自分の国はすばらしい」と思うのは、その人の勝手。しかしその返す刀で、「だ
から自分以外の国は、劣っている」と考えるのが、ナショナリズムである。

 中国人のサポーターは、こう叫んでいた。「日本のようなインチキな国が、優勝するのは、
おかしい」(テレビ報道)と。

 日本でも、このナショナリズムが、台頭してきている。決して一部の右翼の人たちだけ
ではない。ごく一般の、ふつうの主婦の間にも、それがかいま見られることがある。最近
でも、「南京虐殺事件は、中国側のデッチあげだ」と抗議してきた女性(35歳くらい)が
いた。

「林さん、日本人は、30万人も殺していない。せいぜい、3万人です。中国人は、ど
うしてそういうウソをついてでまで、日本人を悪く言うのでしょう。私は許せません」
と。

そこで私が、「3万人でも、問題でしょう。3000人でも、300人でも、問題でしょ
う。どうしてそのとき、日本兵が南京にいて、一般の民間人を、3万人も殺したのです
か」と。

考えてみれば、藤xが捏造(ねつぞう)した、石器発見に飛びついたのも、その背景に
こうしたナショナリズムがあったからではないのか。

 この日本に、中国や韓国より古い歴史があるわけがないのである。が、日本の学者たち
ですら、藤xの石器発見に飛びつき、教科書まで、書き改めてしまった。ものごとは、も
う少し冷静に考えたらよい。

 話をもどすが、アインスタイン博士は、「誇張されたナショナリズム」という言葉を使っ
ている。つまりこうしたナショナリズムが、誇張されたとき、その先に戦争がある、と。
しかし本当の問題は、日本人がもつナショナリズムではない。

 今、中国にせよ、K国にせよ、そして韓国にせよ、日本の周辺の国々の人たちが、それ
ぞれの立場で、その「誇張されたナショナリズム」をもち始めているということ。そして
そのナショナリズムを振りかざしながら、日本の存在そのものを否定し始めている。

 こうした「誇張されたナショナリズム」に対して、私たちは、どうリアクションしたら
よいのか。どう対処したらよいのか。

 先のアジアカップの試合のとき、日本人サポーターたちは、日本の国旗を振っていた。
その国旗の中に、「日中友好」と書きこんであるのがあった。私はその文字を見たとき、乾
いた砂漠の中で、一輪の花を見たような清涼感を覚えた。

 「日本人も、いつの間にか、ここまで成長したのだなあ」と。

 いつかこのアジアにも、EUのような連合共同体ができるのだろう。世界は、情報で結
ばれ、一つの有機体として活動するようになる。そういう時代は、すぐそこまできている。
そういうとき、「日本だの」「中国だの」と言っているほうが、おかしい。

 私たちが未来の子どもたちのためにすべきことは、たとえ数ミリでも、そういう世界に
向って、コマを進めることである。決して、あともどりしてはいけない。ここでもう一度、
アインスタイン博士の言葉を、みんなでかみしめてみようではないか。

【教訓】

 誇張されたナショナリズムは、相手にしないこと。中国人サポーターたちが、「殺せ」「殺
せ」と大合唱をしたら、私たちはニンマリと笑いながら、「日中友好」の旗をあげればよい。
あとで気まずい思いをするのは、彼らのほうである。

 その一方で、この日本という国内においても、勇ましいナショナリズムを口にする人た
ちは、相手にしないこと。アメリカのCNNも、「日本人にワレワレ意識(=ナショナリズ
ム)があるかぎり、日本は、世界のリーダーにはなれない」と、断言している。東京都の
I知事を批判したときの言葉である。

 国の誇りとは何か。民族の誇りとは何か。そしてナショナリズムとは何か。これから先、
この問題について、もっと考えてみたい。

●Those who make peaceful revolution impossible will make violent revolution 
inevitable. (平和革命を不可能にする人たちは、暴力革命を不可避なものにする。)J・
F・ケネディ

+++++++++++++++++++※

以上の原稿を、T先生に送ったところ、つぎのような返事が
きました。先生は、先ごろフランスのパリで開かれた、国際
触媒学会へ行ってきたばかりで、「時差ぼけ」に苦しんでいる
とのこと。先生は、その学会の、前会長です。

+++++++++++++++++++

林様:

  大変面白く拝見しました。 (私にとってはアインスタイン
よりもアインシュタインの方が好きです。多分彼自身もそうでしょう。)

私はhpの何処かにあるかと思いますが、ソ連の共産主義が崩れたのは
情報化の結果であると思っています。 ソ連大嫌いのドイツの親しい
友人が、何故あんな国に行くのかと私に言ったことがありました。私は
そのために行く、と申して意識的にソ連を訪問していました。 

ソ連の国内でソ連だけが優れた国と言っていたのが、崩れたのはやはり
情報化した結果です。 

パリー祭でのパレイドのところにも書きましたが、一国が自分の国の
強さを誇らしげに思う時代意識は、globalization と共に薄れて行くの
ではないでしょうか。 

それが時代の流れだと私は希望的に感じています。 

これからは国と言う垣根が徐々に低くなっていくのではないでしょう
か。 中国の人も、韓国の人も、若い女の子たちは日本人と見分けが
つかないようになって来ています。

食べ物が似て来たためでしょうか。 

昔の人の顔はむしろ珍しくなって来つつあります。

そう言えば日本人にしても、昔の典型的な東北人の顔もなくなってき
つつあります。 顔が似て来ると仲間意識も生まれてくるのではな
いでしょうか。 近頃の韓国人の俳優が日本で人気があるように。
 
 一寸変な論理かな? とにかくお元気で。 旅の疲れか、時差の名残
りか、不眠症で悩んでいます。 やはり年のせいかな、と直ぐにそこ
に来ます。

  (KTより)

+++++++++++++++++++++++

●アインシュタイン博士(2)

 今日は、岐阜の実家へ帰ろうと思ったが、こういうときほど、不意な用事が入るもの。
事情はワイフも同じ。で、今日は、一日、家にいることに。一応、夏風邪はおさまったが、
どこか体がフワフワする。腰も痛い。それにどこか気分が、よくない。

 先ほど、朝食を食べたが、その前にパンを口にしたこともあり、胃の調子もよくない。
ああ、やはり、風邪というのは、1日では、なおらないものか。

 今朝、T先生から、メールが入っていた。先生は、フランスでの学会以来、不眠症がつ
づいているとか。メールの最後に、

「どうも睡眠不足で、眠れないままに打っていますので、ちゃんとした文になっていませ
んが、また寝てみます。hpの話はお任せします。

   お休みなさい。 只今午前零時十分です。

  K・T」

とあった。

 先生と、アインシュタイン博士と、(アインスタインではなく、アインシュタインだそう
だが……)、親交があったという話は、以前にも先生の口から聞いたことがある。しかしア
インシュタイン博士からの手紙が残っているという話は、はじめて聞いた。

 しかしあのアインシュタイン博士と……!

 改めて、空を見あげる。そしてその向こうにある、大宇宙を頭の中で、空想する。まだ
生意気な学生のころだったと思う。大学の教授が、「アインシュタインの相対性理論を理解
できる人は、この世界に、数人しかいません」などと言ったのを、記憶している。

 そこで私も、何となくその相対性理論に興味をもち、図書館で何冊かの本を読んだこと
がある。結果、「何だ、こんな理論か」と思ったのを覚えている。

 あのころの私は、うぬぼれ盛り。結局は、わかったと思っただけで、何もわかっていな
かった。だいたいにおいて、法科の私になど、相対性理論など、理解できるはずもなかっ
た。

 それから38年。T先生とのつきあいも、37年になる。早いものだ。

 今度、T先生に会ったら、アインシュタイン博士からの手紙を見せてもらおう。楽しみ
だ。


●KT先生との思い出

 いつだったか、鎌倉のKT先生のところへ遊びに行ったときのこと。二人で、扇谷の坂
を歩いていると、坂の上から、着物姿の老人が、どこか頼りない様子で、ヨボヨボと歩い
てきた。

 先生とその老人が、軽く会釈した。その老人は、赤黒い顔をしていた。細く、背が高い
感じがした。多分、その老人のほうが、坂の上側にいたから、そう見えたのかもしれない。

 その老人が行き過ぎると、しばらくして、KT先生が、こう言った。「あれが、中村光夫
だよ」と。

 KT先生と、中村光夫は、隣同士だった。だからそこに中村光夫が住んでいるとは、そ
れ以前から知っていたが、中村光夫を見たのは、そのときがはじめてで、そして最後だっ
た。

 中村光夫(なかむら・みつお)……小林秀雄と並んで、戦後の日本文学界に君臨した、
小説家、評論家。明治44年(1911)生まれ。

 それからしばらくして、中村光夫は死んだ。1988年。そのとき77歳だったという。
あちこちの週刊誌で、中村光夫を特集していたので、私はそれらをむさぼり読んだ。

 その中の一つに、「中村光夫は、死ぬ1週間前に、洗礼を受けて、クリスチャンになった」
と書いてあるのがあった。あとでそのことをKT先生に話すと、「あの中村さんがねえ……」
と、どこか感慨深そうだった。

 中村光夫の奥さんは、熱心なクリスチャンだったという。一方、中村光夫は、反戦、反
核運動の先頭に立った人である。フランスへ留学していたこともあり、その生きザマは、
実存的であった。

 私はその記事を読んだとき、「そういうものかなあ……?」と思った。もちろん私のよう
な凡人に、中村光夫の心の奥など、わかるはずもない。勝手な解釈を加えることも、許さ
れない。しかしそれなりのショックを受けたことは、事実である。

 つまり私は、中村光夫の最期に、生きることにまつわる限界そのものを感じた。

 先日も、ワイフと、こんな会話をした。私が、「ぼくは、どこまでがんばれるだろうか…
…」と弱音を吐いたときのこと。それを察して、ワイフが、「納得できる教会をさがしてみ
る?」と。

私「浜松には、ないよ」
ワイフ「さがしてみようか……」
私「行くなら、S(二男)と同じ教会がいいよ」
ワイフ「でも、日本に、サザン・バプティスト教会はあるかしら?」
私「Jimの長男が、牧師をしているから、今度、聞いてみるよ」と。

 どうしてこの世の中、こうまでわからないことだらけなのだろう。やっと一つのことが
わかるようになっても、その先に、さらに、その何倍もの荒野が広がっている。あのニュ
ートンは、こう言っている。

「私たちは、大海を目の前にして、海辺で遊ぶ子どものようなものかもしれない。目の
前に、大海があるのに、その大海があることにさえ、気づかないでいる……?」と。

 しかしその「大海」があるということを知ることは、本当にその人にとっては、幸福な
ことなのだろうか。知らないまま、どこかアホになって生きるほうが、幸福なのかもしれ
ない……。

 いつだったか、私はKT先生に、こう聞いたことがある。

 「先生、あの世はあると思いますか」と。

 それに答えてKT先生は、こう返事をくれた。「あの世へ行ったら、まっさきに、妻に、
『長く待たせて、ごめんね』と言ってやりますよ」と。

 そのときも、私は、頬を流れた涙を拭きながら、「そういうものかなあ……?」と思った。

 そのKT先生は、今、フランスへの長旅の後遺症とかで、不眠に苦しんでいる。今朝(8・
14)のメールでも、昨日のメールにつづいて、「眠れないままにメールを開きましたら、
貴方からのが来ていました。有難うございました……」とあった。

 私には、何もしてやることができない。しかしこの限界そのものが、私には、ここに書
いた、「生きることにまつわる限界」そのものなのかもしれない。

 いつになったら、私の体や心を、がんじがらめにしているこのクサリを、私から解き放
つことができるのだろう。そんなことを考えながら、このエッセーを書いた。

 どうか、KT先生、安らかな睡眠を!
(040814)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●小学生による平和宣言

 どこかの県のどこかの大会。今年も、その大会で、小学生が、声高らかに、平和宣言を
した。

 それについて、私は少し前、「小学生に、そんなことをさせるものではない」と書いた。
が、それについて、「小学生がするから、意味がある。そういう自覚を、小学生のときから
もつことは大切ではないか」という意見をもらった。

 私は、何も、「平和」そのものに反対しているわけではない。「小学生にさせることが、
おかしい」と言っている。

 少し、角度を変えて、考えてみよう。

 先日、テレビを見ていたら、隣のK国の幼児たち(幼稚園児だぞ!)が、銃のおもちゃ
をもって、「将軍様を守ります」と、舞台の上で、踊っていた。

 私たちは、そういう様子をみると、「おかしい」と思う。しかし当の本人たちはもちろん
のこと、それを指導している教師にしても、そうは思っていない。ごく、当然のこととし
て、それをしている。

 意識というのは、そういうもの。その意識の世界にどっぷりとつかっていると、それが
わからない。

 さらに、同じころ、中東のどこか、あるゲリラキャンプで、明らかに少年と思われる子
どもたちに向かって、自爆攻撃のし方を教えているシーンが、報道された。

 「死ぬことを恐れるな。死んでも、今とそっくり同じ世界が、向こうにもある」と。

 私たちは、そういう様子をみると、やはり「おかしい」と思う。しかしこのばあいも、
当の本人たちはもちろんのこと、それを指導しているゲリラの指導者にしても、そうは思
っていない。ごく、当然のこととして、それをしている。

 が、今、この日本では、「平和」が国是のようにもなっている。だから、「平和宣言をす
ることは、当然」と考えられている。しかしその意識は、つまり子どもたちにそれをさせ
る意識は、K国の人たちが、幼児におもちゃの銃をもたせて踊らせる意識や、ゲリラキャ
ンプで、自爆指導をしろと教える意識と、それほどちがわない。

 現に戦前の日本においては、「平和」という言葉を口にしただけで、非国民とみなされ、
そのまま投獄された。

 ちなみに外国生活が長かった人たち、数人に、こう聞いてみた。「みなさんは、外国で、
日本の子どものように、子どもが、平和宣言をしているような姿を見たことがありますか」
と。

 するとSKさん(ときどきマガジンに寄稿してくれる方。少女時代を、アメリカですご
した)も、「そう言えば、ないですねえ。何かのクラブで、似たような宣言をしている姿な
ら、見たことはありますが……。でも、平和宣言はしません」と。

 平和宣言をするならするで、同時に、それをさせなかった戦前の日本に怒りをぶつけな
ければならない。さんざん好き勝手なことをし、外国に迷惑をかけるだけかけておきなが
ら、戦争に負けたとたん、「平和を守ります」では、スジが通らない。

 ……というのは、少し過激な意見かもしれないが、平和などいう高度に政治的な理念は、
おとなの私たちの問題。平和を守るか守らないかということになれば、つぎの世代の子ど
もたちのために、その平和を用意するのは、私たちおとなの義務ということになる。

 意識というのは、そういうもの。絶対的な意識というのはない。普遍的な意識というの
も、ない。「戦争より平和のほうがいい」というのは、あまりにも見え透いた論理ではない
だろうか。

 現に今の今、隣のK国は、せっこらせっこらと核兵器を作っている。K国の高官は、「核
兵器は日本向けのもの。(アメリカではない)」と、アメリカのケリー国務次官補に明言し
たという(※03年)。

 こうした現実を目の前にして、日本は、はたして「平和を守ります」とのんきなことを
言っておれるだろうか。中には、「日本が何もしなければ、相手も何もしないはず」と言う
人がいる。

 しかしこんな甘い論理は、国際社会では通用しない。通用しないことは、戦前の日本を
見ればわかる。戦前の日本は、そういう甘い考え方をしている国々を、それをよいことに、
つぎつぎと占領(=侵略)していった。

 少し頭が熱くなってきた。だからこの話は、ここまで。しかし、だ。もしどこかの幼稚
園児が、つぎのような宣言をしたら、どうだろうか。

 「私たちは、いじめのない世界をつくります」「私たちは、環境を守り、平和を守ります」
と。

 あなたはそれをすばらしいことだと思うだろうか。それとも、おとなたちによいように
操られている子どもたちを、かわいそうだと思うだろうか。

 私は「かわいそう」と思う。だから、前に、そう書いた。決して、平和に反対している
わけではない。どうか、誤解のないように!

注※……北朝鮮の核開発問題を協議するため来日した米国のケリー国務次官補(東アジア・
太平洋担当)が、福田康夫官房長官ら日本政府要人との一連の会談で、「北朝鮮の核のター

ット(目標)は日本だ」と述べていたことが二十一日、明らかになった。また、安倍晋三副長
官は同日午後の記者会見で、「今の事態は極めて深刻な事態だ」と述べ、二十九日に再開す
る国交正常化交渉で核開発問題を最優先に取り上げ、北朝鮮に開発中止を迫る方針を強調
した(02−10月、産経新聞)。

+++++++++++++++++++++

●いばる男

 もう15年ほど前のことだった。弁当屋の前で、「まだかア!」「いつまで待たせやがる
んだア!」と怒鳴り散らしていた男がいた。50歳くらいの男だった。ドイツの高級車の
BXXに乗っていた。

 車の中には、もう一人女性がいて、その女性も不機嫌な顔をしていた。

 「たかが、500円とか、600円の弁当ではないか」と、そのときは、そう思った。
私も数人の人と並んで、弁当ができるのを待っていた。

 が、今日も、同じような光景を見た。

 港町にある、海産物屋へ、みやげを買いに寄ったときのこと。午後、ある友人の家に遊
びにいくことになっていた。

 そこに、先に来た、一人の男がいた。年齢は、45歳前後ではなかったか。その男は、
今日宅配便が手配できないとわかると、店の若い女性に、こう言った。

 「どうして今日、発送できないんだね」と。

 それに答えてその若い女性は、「注文の量が多すぎて、処理できません」というようなこ
とを言っていた。

男「だったら、近くの宅配業者を教えなさいよ」
女「はあ、この先にありますが……」
男「この先では、わからんよ。地図を書いて」
女「地図ですか……」と。

 若い女性は、メモ用紙に地図を書き始めた。それを見て、男がこう言った。「ちゃんとわ
かるように書いてよ」と。

 若い女性は、懸命にああでもない、こうでもないと地図を書いている。それを横で見な
がら、その男は、「そこからそこまで、何キロ」「そんな地図では、わからんよ」「どこから
どこまでが、1キロとか、そういうふうに書かなければ、地図としての意味はないだろ」「目
印はあるのかね」と。

 インギン無礼な言い方だった。私は見るに見かねて、思わずこう言いそうになった。「あ
んた、何をいばっているんだ!」と。

 しかし言わなかった。男は、手を前でクルクルと丸めたまま、動かそうともしない。ち
ょうど、キツネが立っているような姿である。そして口先とあごだけで、その若い女性に、
あれこれ指示していた。

 少し離れたところにいた私は、ワイフにこう言った。

私「何をいばっているんだろうね?」
ワイフ「ホント。イヤな男ね」
私「まるで先生が、生徒に命令しているみたい」
ワイフ「私も、そう思う。まるで生徒に対する言い方ね」と。

 権威主義的なものの考え方をする人は、その瞬間において、目上の人には、必要以上に
ペコペコし、下の人には、必要以上にいばってみせる。電話のかけ方をみれば、それがわ
かる。

 相手が自分の上司だったりすると、「ハイハイ、かしこまりました。ハイハイ、おうせの
とおりにいたします」などと言ったりする。しかしつぎの瞬間、今度は部下から電話がか
かってきたりすると、突然背筋をのばして、「君イ、ねえエ〜」と。

 無意識のうちにも、人間関係の上下を判断する。

私「ああいう人の奥さんは、かわいそうだね」
ワイフ「私なら、一日で、離婚よ」
私「同じ男でも、腹が立つ」
ワイフ「ホント!」と。

 もちろん他人ごとではない。これは私自身の問題でもある。私とて、ふと油断すると、
おかしな優越感から、その男のような態度をとることがある。

 しかしそれにしても、不愉快な男だった。このところ暑いせいか、こういう人がふえて
いるように思う?


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 13日(No.462)
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【1】(マザコン論)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●聖母か娼婦か?

 女性は、元来、聖母か娼婦か。どちらか。ただし、聖母のように見えても、決して、聖
母とは思ってはいけない。一人の女性が、相手に応じて、聖母になったり、娼婦になった
りする。

 だから見た目には、つまり男によっては、その女性は、聖母にも見えることがあるし、
娼婦に見えることもある。わかりやすく言えば、男しだいということ。

 若いころ、こんな経験をした。高校を卒業してから、まもなくのことだった。

 私には、その女性(Aさんとしておく)は、聖母に見えた。高校時代、隣のクラスの女
の子だった。おしとやかで、恥ずかしがり屋だった。その上、理知的で、分別もある人に
見えた。が、その女性が、別の世界では、まったくの別人? 男を、まさにとっかえひっ
かえ、遊んでいた!

 ある友人が、こう言った。「あのな、林、あのAさんな、高校生のとき、草むらで、男と
セックスをしていたぞ。自転車で家へ帰るとき、オレ、見てしまったぞ」と。

 私が驚いて、「そんなことあるかア!」と言うと、その友人は、「ウソじゃない。オレは、
ちゃんと見た」と。

 それでも私は、信じなかった。「きっと見まちがえたのだろう」とか、「何か、ほかのこ
とをしていたのだろう」とか。「Aさんではなかったのかもしれない」とも。

 しかしそれから20年くらいたってからのこと。別の友人が、こう言った。「ぼくは、あ
のAさんと、高校3年生のとき、つきあっていた。そのとき、Aさんは、すでに処女では
なかった」と。

 私は「ヘエ〜」としか、言いようがなかった。私がAさんにもっていたイメージとは、
あまりにも、かけ離れていたからだ。

私「女って、わからないものだあ」
友「お前は、Aさんをどう思っていたんだ?」
私「とにかく、信じられない。ぼくにとってAさんというのは、マドンナだった」
友「あのAさんが、マドンナだったってエ? お前は、いったい、Aさんの、どこを見て
いたんだい?」
私「そう、ぼくには、マザコン的なところがあるからな」と。

 一般論として、マザコンタイプの男は、女性に、理想像を求める。そして好意を寄せる
女性を、マドンナ化する。日本語で言えば、聖母化する。(マドンナのことを、聖母という。
少しニュアンスがちがうような気もするが……。)

 聖母化するのは、その人の勝手だが、聖母化された女性のほうは、たまらない。とくに
夫に聖母化されると、妻は、困る。これもまた一般論だが、マザコンタイプの男性は、離
婚率が高いという。浮気率も高いという。

 1990年に発表されたキンゼイ報告によれば、アメリカ人のうち、37%の夫が、少
なくとも、1回以上の浮気をしているという。この数字を多いとみるとか、少ないとみる
か。日本には、宗教的制約がないから、日本人の夫の浮気は、もう少し、多いのではない
か。

 それはともかくも、マザコンタイプの男性は、理想の(?)女性を求めて、つぎからつ
ぎへと、女性を渡りあるく傾向が強い。新しい女性とつきあっては、「こんなはずではなか
った」「この女性は、ぼくの理想の女性ではない」と。だから離婚しやすい。浮気しやすい。
(多分?)

 要するに、女性を聖母化するというのは、それ自体が、マザコン性のあらわれとみてよ
い。このタイプの男性は、肉欲的な荒々しい性的関係を結ぶことができない。女性を聖母
化する分だけ、成熟したおとなの関係を結ぶことができない。

 で、問題は、まだつづく。

 さらに一般論として、女性は、自分がどう見られているかを敏感に察知し、その見られ
ている自分を、男の前で演ずることがある。

 「聖母に見られている」と感じたとたん、その人の前では、聖母のように振る舞うなど。
つまりAさんは、私の前では、聖母を演じていただけ? しかしそう考えると、すべて、
つじつまが合う。

 が、これは私自身の問題でもある。

 私は、ここにも書いたように、かなりマザコンタイプの人間だった。母親を絶対化する
分だけ、若いとき、私とつきあう女性にも、それを求めた。私と結婚したワイフでさえ、
あるとき、私にこう言った。

 「私は、あんたの母親じゃないのよ!」「あんたの母親のかわりは、できないのよ!」と。

 そのときはなぜワイフがそう言ったのか、その意味がわからなかった。しかし当時の私
は、ワイフに、いつも、女性としての完ぺきさを求めていたように思う。

 そこであなたの(あなたの夫の)マザコン度チェック!

(  )あなたは妻に、いつも完ぺきな女性であることを求める。(あなたの夫は、あなた
に完ぺきな妻であることを求める。)
(  )あなたはいつも、女性に、母親的な女性像を求める。(あなたの夫は、あなたに母
親的な女性像を求める。)
(  )あなたは妻に、動物的な妻であることを許さない。(あなたの夫は、あなたに動物
的な妻であることを許さない。)
(  )あなたは、いつも妻に、完全に受けいれられていないと気がすまない。(あなたの
夫は、あなたに完全に受け入れられている状態を求める。)
(  )あなたは妻に、かつてあなたの母親がしてくれたことと同じことを、求めること
が多い。(あなたの夫は、夫の母親が夫にしたことと同じことを求めることが多い。)

 要するに、妻を聖母化するということは、その夫自身が、マザコンであるという証拠。(…
…と、言い切るのは危険なことだが、それほど、まちがってはいない。)

ワイフ「本人自身は、それに気づいているのかしら?」
私「さあね。たぶん、気がついていないだろうね。マザコンタイプの人は、そうであるこ
と自体、親思いのいい息子と考えているから」
ワイフ「でも、そんな夫をもったら、奥さんも、たいへんね」
私「お前も、苦労したな」
ワイフ「ホント!」(ハハハハ)と。

 人生も半世紀以上生きてみると、いろいろなことがわかるようになる。男も女も、ちが
わないというのも、その一つ。どこもちがわない。この世の中には、聖母も娼婦もいない。
みんな、そのフリをしているだけ。そうでないフリをしているだけ。

 だからこの議論そのものが、意味がない。男性に、聖人も、男娼もいないように、女性
にも、聖母も娼婦もいない。……ということで、この話は、おしまい。


●女性とおとなのセックスができない男性

 概して言えば、日本の男性は、総じて、マザコン的? 母系社会というより、母子関係
の是正をしないまま、子どもは、おとなになる。つまり父性社会の欠落?

 よい例が、ストリップ劇場。私も若いころは、ときどき(ときどきだぞ!)、見にいった
ことがある。

 日本のストリップ劇場では、中央の舞台で、裸の女性が、服を一枚ずつ脱ぎながら、な
まめかしく踊る。観客の男たちは、それを見ながら、薄暗い客席で、シコシコとペニスを
マッサージする。

 この関係が、実にマザコン的? 女がほしかったら、「ほしい」と言って、飛びついてい
けばよい。セックスをしたかったら、「したい」と言って、飛びついていけばよい。

 が、舞台の女性に、「あんた、ここへあがってきなさいよ。抜いてあげるからさア」と声
をかけられても、その場で、照れて見せるだけ。どうも、はっきりしない。そのはっきり
しないところが、マザコン的?

 マザコンの特徴は、女性を美化し、絶対化するところにある。あるいは母親としての理
想像を、相手の女性や妻に求める。そのため女性の肉体は、おそれおおい存在となる?

 ……という心理は、私にはよく理解できないが、多分、そうではないか。このことは、
子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。

 数は少なくなったが、今でも、雄々しい男の子というのは、いるにはいる。(反対に、ナ
ヨナヨした男の子は、多いというより、ほとんどが、そう。)そういう男の子は、女の子に
対して、ストレート。こんなことがあった。

 私が、何かのきっかけで、「騒いでいるヤツは、ハサミでチンチンを切るぞ」と言ったと
きのこと。一人の女の子(小5)が、すかさずこう言った。「私には、チンチンなんて、な
いもんね」と。

 それを聞いた別の男の子(小5)が、「何、言ってるんだ。お前らには、クリトリスがあ
るだろ!」と。

 私はこのやりあいには、驚いた。「今どきの子どもは……!」と。

 しかし思い出してみると、私たちが子どものころには、そういう言葉こそ知らなかった
が、相手に対して、今の子どもよりは、ものごとをストレートに表現していたと思う。「お
い、セックスをさせろ」というなことまでは言わなかったが、それに近い言葉を言ってい
たように思う。

 だから同じ男として、「お前らには、クリトリスがあるだろ!」と言いかえす男の子のほ
うが、好きと言えば、好き。一応、たしなめるが、それは立場上、そうしているだけ。

 そういえば、マザコン的といえば、マザコン的? かなり昔、こんなことを言う男子高
校生がいた。その高校生は、ま顔で、私にこう言った。

 「先生、ぼくの彼女ね、本当にウンチをするのかねエ?」と。

 その高校生に言わせれば、「彼女は、ウンチをしない」とのこと。そこで私が「じゃあ、
彼女は、何を食べているの?」と聞くと、「ごはんだけど、彼女は、ウンチをしないと思う」
と。

 また反対に、こんなことを言う男子高校生もいた。

 「先生、ぼく、ブルック・シールズ(アメリカの女優)のウンチなら、みんなの前で食
べてみせることができる」と。

 彼は、そのブルック・シールズの熱狂的なファンだった。

 こうして考えてみると、初恋時には、男はみな、多かれ少なかれ、マザコン的になるの
か? あるいはプラトニック・ラブを、そのままマザコンと結びつけて考えることのほう
が、そもそも、おかしいのか?

 ただ、こういうことは言える。

 マザコンタイプの男性ほど、その女性のすべてを受け入れる前に、自分をすべて受け入
れてくれる女性を求める。そしてその女性に、母親的な完ぺき性を求めて、その女性を追
いつめやすい、と。

 恋人関係ならまだしも、結婚生活となると、ことは深刻。いろいろ問題が起きてくる。
離婚率や浮気率が高いという説があるのも、その一つ。

 それについてワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「夫がマザコン的だと、奥さんも、疲れるわよ。夫が望むような妻にならなければなら
ないから」と。

私「夫がマザコンだと、離婚率が高いという説があるよ」
ワイフ「当然でしょうね。そんな男と、生活するのは、たいへんよ」
私「妻より、母親のほうが大切と考えている男性も、多いよ」
ワイフ「だったら、母親と結婚すればいいのよ」
私「ワア、それこそ、マザコンだあ」と。

 そういう意味でも、母親は、ある時期がきたら、子どもを、自分から切り離していかね
ばならない。いつまでも、濃密な母子関係に溺れていると、子ども自身が、自立できなく
なってしまう。

 本来なら、父親が、母子関係に割ってはいり、その母子関係を調整しなければならない。
が、今、その父親不在の家庭が多い。あるいは、父親自身が、マザコン的であるというケ
ースも、少なくない。

 最後に、タイトルに、「女性とおとなのセックスができない男性」と書いたので、一言。

 もう10年近くも前になるだろうか。中学3年生になったばかりの女の子が、私に、こ
う言った。

 「先生、あんな男とは、もう別れた」と。その中学生には、ボーイフレンドがいた。そ
こで私が理由を聞くと、こう言った。

 「だって、先生、3回もデートしたけど、何もしてくれないのよ」と。

私「何もしてくれないって?」
中学生「手も、握ってくれないのよ」
私「で、君は、どんなことをしてほしいと思っていたの?」
中学生「ふふふ。わかっているくせに……」と。

 性的な男女交際を奨励するわけではないが、私はその話を聞きながら、そのときは、「だ
らしない男もいるもんだ」と思った。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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☆★★★★★☆☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★☆☆☆☆10月生・募集します☆☆☆
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【読者のみなさんへ、BW幼児教室のご案内】

●みなさんのお近くに、現在、園の年中児、年長児のお子さんは、
 いらっしゃいませんか。
 
 現在、BW教室、10月入会生を募集しています。
 みなさんのご紹介であれば、自由に見学してもらえます。
 見学の申し込み、案内書の申し込みは、どうぞ、下記まで。
 みなさんからの、ご連絡をお待ちしています。
 
 (案内書の請求)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

 見学……みなさんのご都合に合わせて、随時、していただいています。
     どうか、お問い合わせください。
     お待ちしています。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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☆★★★★★☆☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★☆☆☆☆10月生・募集します☆☆☆
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          以上、よろしくお願いします!

●許して忘れる

 親が子どもに感ずる愛には三種類ある。本能的な愛(赤ちゃんをいとおしく思うような
愛)、代償的愛(親のエゴ、あるいは親の心のスキ間を埋めるための愛)、それに真の愛(子
どもを一人の人間と認めた相互信頼に基づく愛)である。

このうち問題なのは、代償的愛である。多くの親は、この代償的愛をもって、親の愛と
誤解する。よい例が子どもの受験勉強に狂奔する親である。あるいは子どものテストの
成績が悪いからといって、子どもにわめき散らしている親である。

このタイプの親は、「子どものため」を口にしながら、結局は自分のエゴのために子ども
を利用しているだけ。それはちょうど年頃の男が、自分の性欲や支配欲を満たすために
女性を愛する(?)愛に似ている。あるいはストーカーの男が、相手の迷惑も顧みず、
相手の女性を追いかけまわす愛に似ている。どこまでも自分勝手で、どこまでもわがま
まな愛ということになる。

 親の愛の深さは、どこまで子どもを許し、どこまで子どもを忘れるかで決まる。もとも
と「許して忘れる」は、英語では、「フォ・ギブ & フォ・ゲッ」という。この「フォ・
ギブ(許す)」という単語は、「与える・ため」とも訳せる。「フォ・ゲッ(忘れる)」は、「得
る・ため」とも訳せる。つまり許して忘れるということは、子どもに愛を与えるために許
し、子どもから愛を得るために忘れろという意味になる。

 もちろん許して忘れるといっても、子どもに好き勝手なことをさせろということではな
い。子どもに言いなりになれということでもない。子どもを許して忘れるということは、
どんなに子どものできが悪くても、またどんな問題をかかえても、それを自分のこことし
て受け入れてしまうということ。つまりその度量の深さによって、親の愛の深さが決まる。

多くの親は「子どもを愛している」とは言うが、子どもを愛するということは、そんな
簡単なことではない。子どもを愛するということは、ある意味でつらくて苦しいこと。
そのつらさや苦しみに耐えてこそ、親は親であり、子どもを真に愛したことになる。

++++++++++++++++++++

●カボチャの頭

 親子を断絶させるものに、三つある。価値観の違い、リズムの乱れ、それに相互不信。
それはまたべつのとろで考えるとして、親子の断絶は、最初は小さなキレツで始まる。し
かもたいてい親が気づかないところで始まる。そこでテスト。

 あなたの子どもが学校から帰ってきたら、どこでどう心を休めるか、観察してみてほし
い。そのときあなたのいる前で、あなたのことを気にしないで心を休めているようであれ
ば、あなたと子ども関係は良好とみてよい。

しかしもしあなたの子どもが、好んであなたのいないところで心を休めるとか、あなた
の姿を見たとたん、どこかへ逃げていくようであれば、あなたと子どもの関係はかなり
悪化しているとみてよい。今は小さなキレツかもしれないが、やがて断絶ということに
もなりかねない。

ちなみに子ども(中学生)が、「心が休まる場所」としてあげたのは、(1)風呂の中、(2)
トイレの中、それに(3)フトンの中(学外研・九八年報告)だそうだ。

それはそれとして、子どもが小さいときはともかくも、子どもが大きくなったら、家庭
は、「しつけの場」から、「いこいの場」、あるいは「いやしの場」とならなければならな
い。子どもは学校で疲れた心を、その家庭でいやす。よく子どもに何か問題が起きたり
すると、「そら、学校が悪い」「そら、先生が悪い」と言う人がいる。

学校や先生に問題がないとは言わないが、しかし、もし子どもが家庭でじゅうぶん心を
休めることができたら、それらの問題のほとんどは、その家庭の中で解決するはずであ
る。そのためにも、つぎのことに注意する。

もし先のテストで、「好んであなたのいないところで心を休めるとか、あなたの姿を見
たとたん、どこかへ逃げていく」というのであれば、子どもが心を休めている様子を見
せたら、何も言わない、何も見ない、何も聞かない。できればあなたのほうがその場か
ら遠ざかる。あれこれ気をつかうのもやめる。仮にだらしない様子を見せたとして、そ
れは無視する。「家庭」というのは、もともとそういうもの。そういう前提で、家庭の
あり方を反省する。

【2】子育て狂騒曲(3)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

乾電池を入れかえれば動く!
死は厳粛に(失敗危険度★★)

●死を理解できるのは、三歳以後

 「死」をどう定義するかによってもちがうが、三歳以前の子どもには、まだ死は理解で
きない。飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く!」と言った子
ども(三歳男児)がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(三歳男児)や、「病
院へ連れて行こう」と言った子ども(三歳男児)もいた。

子どもが死を理解できるようになるのは、三歳以後だが、しかしその概念はおとなとは
かなり違ったものである。三〜七歳の子どもにとって「死」は、生活の一部(日常的な
生活が死によって変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族の死すら平
気でやり過ごすことがある。

●死への恐怖心

 このころ、子どもによっては、死に対して恐怖心をもつこともあるが、それは自分が「ひ
とりぼっちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。たとえば母親が臨終
を迎えたとき、子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であって、死そのものでは
ない。

ちなみに小学五年生の子どもたちに、「死ぬことはこわいか?」と質問してみたが、八人
全員が、「こわくない」「私は死なない」と答えた。一人「六〇歳くらいになったら、考
える」と言った子ども(女子)がいた。質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死
ぬとしたらどうか」と聞くと、「それはいやだ」「それは困る」と答えた。

●死は厳粛に

 子どもが死を学ぶのは、周囲の人の様子からである。たとえば肉親の死に対して、家人
がそれを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとでは
ないと知る。そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。死を茶化してはいけない。
もてあそんでもいけない。

どんな生き物の死であれ、いつも厳粛にあつかう。たとえば飼っていた小鳥が死んだと
する。そのときその小鳥を、ゴミか何かのように紙で包んでポイと捨てれば、子どもは
「死」というものはそういうものだと思うようになる。しかしそれではすまない。

死があるから生がある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死を
ていねいにとむらうということは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死
を粗末にすれば、子どもは生きること、さらには命そのものまで粗末にするようになる。

●死をとおして生きることの大切さを

 どんな宗教でも死はていねいにとむらう。もちろん残された人たちの悲しみをなぐさめ
るという目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えて
よい。そんなことも頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。


++++++++++++++++++++

ただのやさしい、お人よしのおばあちゃん?
子どもに与えるお金は、一〇〇倍せよ(失敗危険度★★★★)


●年長から小学二、三年にできる金銭感覚

 子どもの金銭感覚は、年長から小学二、三年にかけて完成する。この時期できる金銭感
覚は、おとなのそれとほぼ同じとみてよい。が、それだけではない。子どもはお金で自分
の欲望を満足させる、その満足のさせ方まで覚えてしまう。これがこわい。

●一〇〇倍論

 そこでこの時期は、子どもに買い与えるものは、一〇〇倍にして考えるとよい。一〇〇
円のものなら、一〇〇倍して、一万円。一〇〇〇円のものなら、一〇〇倍して、一〇万円
と。つまりこの時期、一〇〇円のものから得る満足感は、おとなが一万円のものを買った
ときの満足感と同じということ。

そういう満足感になれた子どもは、やがて一〇〇円や一〇〇〇円のものでは満足しなく
なる。中学生になれば、一万円、一〇万円。さらに高校生や大学生になれば、一〇万円、
一〇〇万円となる。あなたにそれだけの財力があれば話は別だが、そうでなければ、子
どもに安易にものを買い与えることは、やめたほうがよい。

●やがてあなたの手に負えなくなる

が、中にはお金をかければかけるほど、親の愛のあかしと考える人がいる。あるいは買
い与えるものが高価であればあるほど、子どもは感謝するはずと考える人がいる。しか
しこれはまったくの誤解。あるいは実際には、逆効果。一時的には感謝するかもしれな
いが、それはあくまでも一時的。子どもはさらに高価なものを求めるようになる。そう
なればなったで、やがてあなたの子どもはあなたの手に負えなくなる。

先日もテレビを見ていたら、こんなシーンが飛び込んできた。何でもその朝発売になる
ゲームソフトを手に入れるために、六〇歳前後の女性がデパートの前に並んでいるとい
うのだ。しかも徹夜で! そこでレポーターが、「どうしてですか」と聞くと、その女
性はこう答えた。「かわいい孫のためです」と。その番組は、その女性(祖母)と、子
ども(孫)がいる家庭を同時に中継していたが、子ども(孫)は、こう言っていた。「お
ばあちゃん、がんばって。ありがとう」と。

●この話はどこかおかしい

 一見、何でもないほほえましい光景に見えるが、この話はどこかおかしい。つまり一人
の祖母が、孫(小学五年生くらい)のゲームを買うために、前の晩から毛布持参でゲーム
屋の前に並んでいるというのだ。その女性にしてみれば、孫の歓心を買うために、寒空の
もと、毛布持参で並んでいるのだろうが、そうした苦労を小学生の子どもが理解できるか
どうか? 感謝するかどうかということになると、さらに疑わしい。苦労などというもの
は、同じような苦労した人だけにしか理解できない。その孫にすれば、その女性は、「た
だのやさしい、お人よしのおばあちゃん」にすぎないのでは……?

●釣竿を買ってあげるより、魚を釣りに行け

 イギリスの教育格言に、『釣竿を買ってあげるより、一緒に魚を釣りに行け』というのが
ある。子どもの心をつかみたかったら、釣竿を買ってあげるより、子どもと魚釣りに行け
という意味だが、これはまさに子育ての核心をついた格言である。少し前、どこかの自動
車のコマーシャルにもあったが、子どもにとって大切なのは、『モノより思い出』。この思
い出が親子のきずなを太くする。

●モノに固執する国民性

と書きながら、日本人ほど、モノに執着する国民も、これまた少ない。アメリカ人でも
イギリス人でも、そしてオーストラリア人も、彼らは驚くほど生活は質素である。少し
前、オーストラリアへ行ったとき、友人がくれたみやげは、小石にペインティングした
ものだった。それには、「友情の一里塚(マイル・ストーン)」と書いてあった。日本人
がもっているモノ意識と、彼らがもっているモノ意識は、本質的な部分で違う。その意
識の違いが、子育てのし方にまで、影響を与えている。

 さてクリスマス。さて誕生日。あなたは親として、あるいは祖父母として、子どもや孫
にどんなプレゼントを買い与えているだろうか。ここでちょっとだけ自分の姿勢を振りか
ってみてほしい。


+++++++++++++++++++

あなたのご主人は、どちらの大学ですか?
学歴に興奮する親たち(失敗危険度★★★★)

●独特の心理状態

 親というのは、自分で自分の子どもをバカと呼ぶのは平気だが、しかし他人にそう言わ
れるのを許さない。それはそうだが、それと同じように、自分の子どもが評価される場に
落とされると、一種独特の心理状態になる。動物的な嫉妬心や闘争心が刺激されるらしい。

その一つ、親、とくに母親は、学歴の話になると、興奮状態になる。これは親が共通し
てもつ習性(?)のようなものかもしれない。夫の学歴、自分の学歴、さらに子どもの
学歴となると、興奮状態になる。なぜそうなのかということは、別として、これをうま
く利用して、金儲けにつなげている人たちがいる。いわゆる受験屋と呼ばれる人たちが、
それである。

●ある教育機器メーカーの戦略

 ある教育機器メーカーの説明会でのこと。私も興味があったので、招待状をもって、そ
の会にでかけた。予定では九時三〇分に始まるということだったが、行ってきると、黒板
に、「一〇時から」と書いてあった。そこでしばらく待っていると、うしろのほうからヒソ
ヒソ話が聞こえてきた。サクラである。主催者の教育機器メーカーが送り込んだサクラで
ある。

耳を傾けると、「あなたのご主人は、どちらの大学ですか?」「あなたのお子さんは、将
来、公立、それとも私立?」と。とたん、会場にピリピリとした、何とも言いようのな
い緊張感が走った。が、しかしそれこそまさに、その会社のねらいでもあった。さらに
サクラが、「あの中学はむずかしいそうよ」「進学塾では役にたたないそうよ」と言いだ
すと、親たちの顔つきがみるみると変わり始めるのがわかった。

●親たちは興奮状態に!

 そうした緊張感に拍車をかけるように、一〇時からの説明会では、まずビデオが映し出
された。N研という東京の進学塾が制作したビデオだが、内容は子どもの受験勉強の様子、
受験会場に行く様子、受験しているときの様子、そして合否発表の様子などなど。

意味のないビデオだが、しかし合否発表のところでは、受験に落ちて、泣き崩れる母親
や子どもの姿が、これでもかこれでもかとつづいた。時間にすれば、全体で約三〇分程
度のビデオだったが、泣き崩れる親子のシーンは、一〇分間以上もつづいた。会場がま
すます異様な雰囲気になるのがわかった。

 やがて説明会がはじまったが、それは説明会というより、どこかのカルト教団の布教活
動のようなものだった。「努力しない子どもは落ちる」「子どもを伸ばすのは親の義務です」
と一方で親たちをおどしつつ、他方でそのつど、「この教材を使えば、受験対策は完ぺきで
す」と結んでいた。

 ……説明会はちょうど昼ごろ終わったが、ワンセット二四万円もする教材が、飛ぶよう
に売れていた。驚いたというより、それはあきれんばかりの光景だった。


++++++++++++++++++++

字がヘタだから、書道に!
悪筆、言ってなおらず(失敗危険度★)

●年長児でわかる悪筆

 年長児くらいになると、子どもの悪筆が目立ってくる。小学校へ入ると、さらにそれが
はっきりとわかるようになる。手の運筆能力が固定化してくるためと考えられる。その運
筆能力は、子どもに丸(○)を描かせてみるとわかる。運筆能力のある子どもは、きれい
な、つまりスムーズな丸を描くことができる。そうでない子どもは、多角形に近いぎこち
ない丸を描く。

ちなみに縦線を描くときと横線を描くときは、指、手、手首の動きは基本的に違う。違
うことは一度、自分で縦線と横線を描き、それらがどう変化するかを観察してみるとわ
かる。さらに丸を描くときは、これからがきわめて複雑な動きをするのがわかる。つま
りきれいな丸を描くというのは、それだけたいへんなことだということ。

●書道教室へ行けばうまくなる?

 悪筆が目立ってくると、親はすぐ、「書道教室へ」と考えるが、これは誤解。運筆能力の
ない子どもでも、書道をならわせると、見た目にはきれいな文字を書くようになる。が、
今度は時間ばかりかかるようになる。学校の授業でも、先生が黒板に文字を書く速さにつ
いていけないなど。

以前、M君(小二)という男の子がいた。文字はきれいだが、とにかく遅い。皆が書き
終わっても、まだノロノロと書いている。そこである日、私はきつく注意した。「はやく
書きなさい!」と。とたんM君ははやく書くようになったが、私はその文字を見て驚い
た。文字がめちゃめちゃなんていうものではなかった。しかしそれがM君の本来の文字
だったのだ。

●運筆能力はぬり絵で

 運筆能力を養うためには、ぬり絵がよい。ぬり絵をしながら、子どもは運筆能力を養う。
ぬり絵をしながら子どもは、こまかい四角や丸い部分を、いろいろな線を使って塗りつぶ
そうとする。そうなればしめたもの。(ぬり絵になれていない子どもは、横線なら横線ばか
りで色を塗ろうとするから、線があちこち飛び出したりする。)文字の学習に先立って、子
どもにはぬり絵をさせる。あとあと文字がきれいに書けるようになる。

 なおクレヨンと鉛筆のもち方は基本的に違う。クレヨンは三本の指でつかむようにして
もつ。鉛筆は、親指と人さし指でつかみ、中指でうしろから支えるようにしてもつ。(だか
らといってそれが正しいもち方と決めてかかってもいけないが……。)鉛筆を使い始めたら、
一度正しいもち方を教えるとよい。ちなみに年長児で、鉛筆を正しくもてる子どもは約五
〇%。クレヨンをもつようにしてもつ子どもが、三〇%。残りの二〇%は、きわめて変則
的なもち方をするのがわかっている(筆者調査)。


++++++++++++++++++++

ああ、運動をつづけてよかった
ふつうこそ最善(失敗危険度★★★)

●なくしてから気づく

 ふつうであることにはすばらしい価値が隠されている。賢明な人はその価値をなくす前
に気づき、そうでない人はそれをなくしてはじめて気づく。健康しかり、家族しかり、そ
して子どものよさもまたしかり。

 私は三人の息子のうち、二人をあやうく海でなくしかけたことがある。とくに二男が助
かったのは奇跡中の奇跡。そういうことがあったためか、それ以後、二男の育て方がほか
の二人とは変わってしまった。二男に何か問題が起きるたびに、私は「ああ、こいつは生
きているだけでいい」と思いなおすようになった。

たとえば二男はひどい花粉症で、毎年その時期になると、不登校を繰り返した。中学二
年生のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。しかしそのつど、「生きている
だけでいい」と思いなおすことで、私は乗り越えることができた。

●子どもは下から見ろ

 子どもに何か問題が起きたら、子どもは下から見る。「下(欠点)を見ろ」というのでは
ない。「生きている」という原点から見る。が、そういう視点で見ると、あらゆる問題が解
決するから不思議である。またそれで解決しない問題はない。

 ……と書いて余談だが、最近読んだ雑誌の中に、こんな印象に残った話があった。その
男性(五〇歳)は長い間、腎不全と闘っていたが、腎臓移植手術を受け、ふつうの人と同
じように小便をすることができるようになった。そのときのこと。その人は自分の小便が
太陽の光を受け、黄金色に輝いているのを見て、思わずその小便を手で受けとめたという。
私は幸運にも、生まれてこのかたただの一度も病院のベッドで寝たことがない。ないが、
その人のそのときの気持ちがよく理解できる。いや、最近になってこんなふうに考えるよ
うになった。

●健康であることの喜び

 私はこの三〇年間、往復約一時間の道のりを、自転車通勤をしている。ひどい雨の日以
外は、どんなに風が強くても、またどんなに寒くても、それを欠かしたことがない。しか
し三〇年もしていると、運動をしていない人とは大きな差となって表れる。たとえば今、
同年齢の多くの友人たちは何らかの成人病をかかえ、四苦八苦している。しかし私はそう
した成人病とは無縁だ。そういう無縁さが、ある種の喜びとなってかえってくる。「ああ、
運動をつづけてよかった」と。その喜びは、小便を手で受けとめた人と、どこか共通して
いる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●カップヌードル

 ワイフが、「昼食よ!」と声をかけてくれた。

 居間へおりていくと、テーブルの中央に、カップヌードル。その前後に、白いご飯。あ
とは、漬け物。

 「これだけ?」と聞くと、「そうよ。一個しかなかったから」と。

 しかたないので、一個のカップヌードルを、二人で分けながら、食べる。食べながら、
こんなことを言う。

 「よくさア、昼ごはん訪問というテレビ番組があるじゃない。ああいうのでさ、今、ど
こかのテレビ局が、『おたくの昼ごはんを拝見させてくれ』と言ってきたら、どうする?」
と。

 ワイフは笑いながら、「とても、見せられないわね」と。

私「そうだろ。ぼくはね、どこかへ食べに行こうと思っていた」
ワイフ「いいじゃない。これを前菜だと思えば……」
私「前菜に、カップヌードルかア?」
ワイフ「そうよ」と。

 実のところ、私は、白いご飯に、カップヌードルをかけて食べるのは、嫌いではない。
簡単な昼飯としては、悪くない。

ほかに、マグロの缶詰、ハムにケチャップなどを、白いご飯ととりあわせて、食べる。
白いご飯といえば、ギョーザと白いご飯の組みあわせも、おいしい。

 戦後生まれの私は、食べ物では、ぜいたくは言わない。

 食後に、スイカを少し。それをスプーンですくいながら……。

私「なあ、夕食は、どこかへ食べに行こうか」
ワイフ「そうね」
私「たまには、肉を食べてみたいね」
ワイフ「また太るわよ」
私「そうだな……」と。

 食後に食事の話をするのも、どうかと思う。しかしこのところまたまた太り始めた。今
は、これでがまんするしかない。

何とも、お粗末な昼食でした。ハイ!

 
●散歩

 このところ毎日、ワイフと散歩に行く。たいてい往復、数キロは歩く。

 その散歩でのこと。私は最近、「雲」に興味をもつようになった。空の「雲」である。

 あの雲というのは、ひょっとしたら、高さ数千メートルの山脈よりも、美しいかもしれ
ない。巨大だし、それにダイナミックだ。ただ毎日見ているから、それに気づかないだけ
……?

 私が「ぼくね、最近、雲に興味があるよオ」と話しかけると、ワイフは、「ふう〜〜ン」
と。どこか気のない返事。が、しばらくすると、「そう言えば、昨日の空も、すてきだった
わ」と。

 ちょうど夕暮れどきで、とっぷりと日は暮れていたが、薄い水色の空に、白い雲が浮か
んでいた。「もう夜なのに、空は水色だ」と、私は思った。そんな空だった。

 やがて話は、飛行機について。「ほら、昔、日航の123便が墜落しただろ。あの中には、
坂本九もいたんだよ」と。

ワイフ「そうね。生きていれば、今ごろ、どこかで『♪上を向いて歩こう』を歌っている
かもしれないのにね」
私「そうだよな。……あのとき、パイロットは、大きく左旋回して、羽田にもどろうとし
たんだって……。もしそのまま直進すれば、浜松の航空自衛隊の基地に着陸できたかもし
れないのにね」
ワイフ「そう、旋回したのがまずかったのかもね」
私「そうだよ。ラダーが吹き飛んだのだから。しかしね、エンジンだけうまく操作すれば、
着陸は可能だったかもしれない」

 この話を、以前、三男にもしたことがある。そのとき三男は、こう言った。「パパ、パイ
ロットというのはね、何かあると、離陸した飛行場へもどろうとするものだよ」と。

 あの事故で、痩身美容をしていた、W氏も亡くなった。W式痩身美容という美容法で、
全国的に活躍していた人だ。一度、東急デパートで、いっしょに組んで、仕事をしたこと
がある。

 ちょうどそのとき、大きな飛行機が、上空をゆっくりと飛んでいった。ワイフは、いつ
も空を見あげながら、歩く。それを目ざとく見つけながら、「ねえ、いつかE君も、ああし
て空を飛ぶのね。楽しみね」と。

 私は夏の白い雲を見ながら、「あんな雲を横切って飛んだら、さぞかし気持ちいいだろう
な」と思った。


●夏風邪・闘病記

 8月8日ごろから、鼻水が、シクシクと出るようになった。最初は、「クーラーのかかり
すぎ」と思っていた。寝るときは、気温を27度にさげた上、扇風機を顔に向けていた。

 断続的に、軽い頭痛。ときどき喉が痛くなり、肺の奥のほうが、何となく熱っぽい。咳
も、1時間に1回前後の割合で、出た。

 こうして11日。鼻水が出るようになって、3日目。いよいよ喉が痛くなってきた。

 が、11日は、朝から、ワイフと、デート。掛川まで行って、そこから天竜浜名湖線に
乗って、天竜まで。天竜の和食レストランで食事をして、遠鉄電車で浜松まで。朝10時
ごろでかけて、帰ってきたのが、午後3時ごろ。

 気温は、34度まであがっていたという。

 少し無茶をした。

 山荘へ行く予定だったが、とりやめ、私は、総合感冒薬をのんで寝ることに。が、この
薬がよくなかった。熱さましだった。

 とたん、はげしい悪寒。ふとんを3枚重ねても、まだ寒かった。呼吸ははげしくなり、
熱も、38・5度まで上昇。時刻は、午後8時半ごろ。

 こうして真夜中まで、ふとんの中で、四転八転。午前3時ごろ、ワイフが買ってきてく
れた薬を口にする。その前に、パンを2個と、ジュースを一杯。そのあともう一個、総合
感冒薬をのむ。

 で、そのまま朝まで、熟睡。目をさましたのが、午前7時半。

 熱は、37・4度まで、さがっていた。多少、熱は残っているようだが、気分は悪くな
い。さっそく、この闘病記を残す。

 今度の夏風邪は、(1)鼻水と、(2)咳が、主な症状らしい。やがて喉が痛くなり始め
たら、要注意。ジワジワと始まって、パッツパッツと熱が出て、1、2日くらいで、なお
る。

 それにしても、昨夜は苦しかった。腰も痛くなったし、呼吸もかなり荒くなった。どう
かみなさんも、気をつけてほしい。
 

●K首相のY神社、参拝問題

 その人の人格の完成度は、いかに相手の立場で、ものを考えることができるかで決まる。
わかりやすく言えば、いかに利己を捨て、いかに利他が多いかで決まる。自己中心的な人
は、それだけ人格の完成度の低い人ということになる。

 同じように、国家としての完成度は、いかに相手の国の立場で、ものを考えることがで
きるかで決まる。それができる国を、より完成された国といい、そうでない国を、そうで
ないという。

 戦前、日本が、アジアの国の人たちに何をしたか。その反省もなく、「日本人が日本で、
何をしようが、日本人の勝手」と言うことは許されない。いまだに、「日本は、朝鮮のため
に鉄道を敷いてやった。道路を作ってやった。ビルを建ててやった」などと主張する人が
多いのは、本当に驚きとしか言いようがない。

 もしこんな論理がまかりとおるなら、反対に、日本が、外国(中国や韓国、K国でもよ
い)に同じことをされても、日本は、文句を言えないことになる。どうして、日本よ、日
本人よ、こんな簡単なことがわからないのか。

 いわんや、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなことをしな
がら、「日本の勝手」とは! 私には、中国の人や、韓国の人の怒りが、手に取るようによ
くわかる。怒って、当然ではないか。

 今年の8月15日にも、日本の閣僚たちが、Y神社参拝をすることを決めた。亀井農相、
中川経済産業相、小野国家公安委員長など。ほかにも、8月中に、金子行政改革担当相、
竹中金融・経済財政担当相を含め、少なくとも6閣僚が今夏に参拝する見通しという。

 先のアジアカップでの騒乱を思い出すまでもない。イギリスのBBCは、「中国人は、ま
だ日本を許していない」と報じた。しかしこの問題は、決して、過去の問題ではない。

 今、この時点においても、K国は、せっこらせっこらと、日本向けの核兵器を製造して
いる。アメリカ向けではない。日本向けである。一応、建て前は、「アメリカ向け」と報じ
ているが、いくらK国でも、アメリカを相手にしたらどうなるか、そんなことぐらいは、
わかっているはず。

 アメリカの原子力潜水艦一隻分の核兵器だけで、K国は、「石器時代」にもどる。

 K国は、かねてより、「日本は存在してはならない国」と、発言している。そういう日本
を取り巻く、世界情勢の中で、どうして日本の閣僚たちは、K国を勢いづかせるようなこ
とばかりするのか。

 今、重要なことは、中国の助けを借りることである。悲しいかな、2015年を待たず
して、アジアでは、日本と中国の経済的立場は、逆転する。それはもう予想というよりも、
事実である。今、この日本がなすべきことは、そういう未来をにらみながら、その基盤を
作っていくことである。

 何も私は、閣僚たちによる、Y神社参拝に反対しているのではない。しかしこんな時期
に、何も、中国や韓国の人たちの神経を逆なでするようなことは、しなくてもよいのでは
ないかと言っている。

 閣僚たちは、さかんに、「正義」という言葉を口にする。しかし先の戦争に、本当に正義
はあったのか? 「亡き英霊」とはいうが、そういう人たちは、無謀な軍国主義の、犠牲
者たちではなかったのか。

 その責任を覆い隠すために、戦後の閣僚たちは、「一億総ざんげ」という言葉を使った。
「戦争をしたのは、国ではない。国民一人ひとり、全員の責任だ」と。天皇を頂点にいだ
く官僚主義国家としては、国の責任論を追及されると、まことに、まずい。だから国民の
責任に、すりかえた?

 「日本は、平和を守る。戦争はしない」と、世界に向けて宣言するのは、簡単なこと。
しかしそんな平和主義など、カエルの「へ」にもならない。ならないことは、実は、この
日本が一番よく知っている。

 日本は、そのときまで平和に暮らしていた、朝鮮、中国、さらには東南アジアの国々を、
つぎつぎと占領していった。おまけに、南太平洋の国々まで! そういった国々が、ただ
の一発でも、この日本本土に、爆弾を落としたとでもいうのだろうか。銃を向けたとでも
いうのだろうか。

 国としての誇りは、まちがいをすなおに認めること。そういうところから生まれる。正
義を貫くところから、生まれる。

 昨日(8・9)、中国は、円建て外債の発行を、急きょとりやめた。「日本の円は、中国
経済圏では認めない」という意思表示である。日本のK首相は、「Y神社参拝問題とは関係
ない」と、さかんに主張しているが、わざわざそう主張しなければならないところに、実
は、日本がかかえる問題の「根」が隠されているのではないのか。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●笑えば伸びる

 子どもの心を開放させるもっとも効果的な方法は、笑わせること。何かおもしろいこと
があったとき、大声でゲラゲラ笑うことができる子どもに、心のゆがんだ子どもはまずい
ない。

しかし今、大声で笑えない子どもがふえている。年中児で一〇人のうち、一〜二人はい
る。皆が笑っているようなときでも、顔をそむけてクックッと苦しそうに笑うなど。親
の威圧的な過干渉、息の抜けない過関心が日常化すると、子どもの心は萎縮する。

 「ゆがむ」ということは、その子どもであって、その子どもでない部分があることをい
う。

たとえば分離不安の子どもがいる。親の姿が見えるうちは、静かで穏やかな様子を見せ
るが、親の姿が見えなくなったとたん、ギャーッとものすごい声をはりあげて、親のあ
とを追いかけたりする。

そういう子どもを観察してみると、その子ども自身の「意思」というよりは、もっと別
の「力」によってそう動かされているのがわかる。それがここでいう「その子どもであ
って、その子どもでない部分」ということになる。

そういう子どもの心を表す言葉としては、日本語にはつぎのようなものがある。ねたむ、
ひねくれる、つっぱる、いじける、こだわる、すねるなど。そういった症状が見られた
ら、子どもの心はどこかゆがんでいるとみてよい。

 私は幼児を教えるようになってもう三〇年になる。そういう経験の中で、私はいつも子
どもを笑わせることに心がけている。だいたい一回の学習で、五〇分ほど教えるが、その
五〇分間、ずっと笑わせつづけるということもある。とくに心のどこかに何らかのキズを
もっている子どもにはこの方法は、たいへん有効である。

軽い情緒障害なら、数か月でその症状が消えることも多い。が、それだけではない。子
どもは笑うことにより、ものごとを前向きにとらえようとする。学習の動機づけには、
たいへんよい。英語の格言にも、「楽しく学ぶ子どもはよく学ぶ」というのがある。「楽
しかった」という思いが、子どもを伸ばす原動力になる。

++++++++++++++++++++

●ガツガツした子どもは生き残る

 ガツガツすることに抵抗を感ずる人は多い。しかし日本はそのガツガツすることによっ
て、ここまでの経済大国になった。もしここでガツガツすることをやめたら、日本はあっ
という間に、世界の大波にのみこまれてしまうだろう。「スキあらば……」と日本をねらっ
ている国はいくらでもある。

 しかし日本の子どもたちを見る限り、日本の将来はお先真っ暗。このままでは日本はア
ジアでもごくふつうの国、あるいはそれ以下になってしまう。ロンドン大学名誉教授の森
嶋氏(2004年8月12日夏、他界)も、「二〇五〇年には本当に日本はダメになってし
まう」と警告している。

 ……というのはマクロ的な見方だが、個人というミクロ単位でみても、同じことがいえ
る。これからの日本や世界で生きていくことができる子どもは、ガツガツした子どもであ
る。ぬるま湯にどっぷりとつかり、のんきに過ごしている子どもには、未来はない。

言いかえると、どうすればそのガツガツした子どもを育てられるかということ。それが
これからの子どもをどう育てるかのヒントになる。そこで……。

☆子どもにはぜいたくをさせない……子育ては質素を旨とする。与えるもの、着せるもの、
食べさせるもの、あらゆる面で質素にする。中には「高価なものを買い与えることが、親
の愛のあかし」と考えている人がいるが、これはとんでもない誤解である。

☆子どもの言いなりにならない……結局は子どもの言いなりになってしまうという甘い環
境が、子どもをドラ息子(娘)にする。そのためにも、生活の場では、子どもを中心に置
かない。いつも脇に置く。食事の献立でも休日の過ごし方でも、親は親で、親中心の生活
を組み立てればよい。

☆子どもは使う……「子どもは使えば使うほどいい子になる」と心得る。使えば使うほど、
子どもは忍耐力を養い、生活力もそこから生まれる。「子どもに楽をさせることが親の愛の
あかし」というのも誤解。使えば使うほど、他人の苦労もわかるようになり、その分だけ、
子どもはやさしく思いやりのある子どもになる。

 ガツガツする子どもを嫌う人も多いが、本来子どもというのは、ガツガツしているもの。
またそれが子どものあるべき姿ということになる。今この日本では、どこかナヨナヨし、
従順で、満足げにおっとりしている子どもほど、「いい子」と見る風潮がある。しかしそ
ういう子どもは、これからの世界で生き残ることはできない。

【2】子育て狂騒曲(2)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

部屋の中はまるでクモの巣みたい!
砂糖は白い麻薬(失敗危険度★★)

●独特の動き

 キレるタイプの子どもは、独特の動作をすることが知られている。動作が鋭敏になり、
突発的にカミソリでものを切るようにスパスパとした動きになるのがその一つ。

原因についてはいろいろ言われているが、脳の抑制命令が変調したためにそうなると考
えるとわかりやすい。そしてその変調を起こす原因の一つが、白砂糖(精製された砂糖)
だそうだ(アメリカ小児栄養学・ヒューパワーズ博士)。

つまり一時的にせよ白砂糖を多く含んだ甘い食品を大量に摂取すると、インスリンが大
量に分泌され、そのインスリンが脳間伝達物質であるセロトニンの大量分泌をうながし、
それが脳の抑制命令を阻害する、と。

●U君(年長児)のケース

U君の母親から相談があったのは、四月のはじめ。U君がちょうど年長児になったとき
のことだった。母親はこう言った。「部屋の中がクモの巣みたいです。どうしてでしょ
う?」と。U君は突発的に金きり声をあげて興奮状態になるなどの、いわゆる過剰行動
性が強くみられた。このタイプの子どもは、まず砂糖づけの生活を疑ってみる。聞くと
母親はこう言った。
 
「おばあちゃんの趣味がジャムづくりで、毎週そのジャムを届けてくれます。それで残
したらもったいないと思い、パンにつけたり、紅茶に入れたりしています」と。そこで
計算してみるとU君は一日、一〇〇〜一二〇グラムの砂糖を摂取していることがわかっ
た。かなりの量である。そこで私はまず砂糖断ちをしてみることをすすめた。が、それ
からがたいへんだった。

●禁断症状と愚鈍性

 U君は幼稚園から帰ってくると、冷蔵庫を足で蹴飛ばしながら、「ビスケットをくれ、ビ
スケットをくれ!」と叫ぶようになったという。急激に砂糖断ちをすると、麻薬を断った
ときに出る禁断症状に似た症状があらわれることがある。U君のもそれだった。

夜中に母親から電話があったので、「砂糖断ちをつづけるように」と私は指示した。が、
その一週間後、私はU君の姿を見て驚いた。U君がまるで別人のように、ヌボーッとし
たまま、まったく反応がなくなってしまったのだ。何かを問いかけても、口を半開きに
したまま、うつろな目つきで私をぼんやりと私を見つめるだけ。母親もそれに気づいて
こう言った。「やはり砂糖を与えたほうがいいのでしょうか……」と。

●砂糖は白い麻薬

これから先は長い話になるので省略するが、要するに子どもに与える食品は、砂糖のな
いものを選ぶ。今ではあらゆる食品に砂糖は含まれているので、砂糖を意識しなくても、
子どもの必要量は確保できる。ちなみに幼児の一日の必要摂取量は、約一〇〜一五グラ
ム。この量はイチゴジャム大さじ一杯分程度。

もしあなたの子どもが、興奮性が強く、突発的に暴れたり、凶暴になったり、あるいは
キーキーと声をはりあげて手がつけられないという状態を繰り返すようなら、一度、カ
ルシウム、マグネシウムの多い食生活に心がけながら、砂糖断ちをしてみるとよい。効
果がなくてもダメもと。砂糖は白い麻薬と考える学者もいる。子どもによっては一週間
程度でみちがえるほど静かに落ち着く。

●リン酸食品

なお、この砂糖断ちと合わせて注意しなければならないのが、リン酸である。リン酸食
品を与えると、せっかく摂取したカルシウム分を、リン酸カルシウムとして体外へ排出
してしまう。と言っても、今ではリン酸(塩)はあらゆる食品に含まれている。

たとえば、ハム、ソーセージ(弾力性を出し、歯ごたえをよくするため)、アイスクリー
ム(ねっとりとした粘り気を出し、溶けても流れず、味にまる味をつけるため)、インス
タントラーメン(やわらかくした上、グニャグニャせず、歯ごたえをよくするため)、プ
リン(味にまる味をつけ、色を保つため)、コーラ飲料(風味をおだやかにし、特有の味
を出すため)、粉末飲料(お湯や水で溶いたりこねたりするとき、水によく溶けるように
するため)など(以上、川島四郎氏)。かなり本腰を入れて対処しないと、リン酸食品を
遠ざけることはできない。

●こわいジャンクフード

ついでながら、W・ダフティという学者はこう言っている。「自然が必要にして十分な食
物を生み出しているのだから、われわれの食物をすべて人工的に調合しようなどという
ことは、不必要なことである」と。

つまりフード・ビジネスが、精製された砂糖や炭水化物にさまざまな添加物を加えた食
品(ジャンク・フード)をつくりあげ、それが人間を台なしにしているというのだ。「(ジ
ャンクフードは)疲労、神経のイライラ、抑うつ、不安、甘いものへの依存性、アルコ
ール処理不能、アレルギーなどの原因になっている」とも。

●U君の後日談

 砂糖漬けの生活から抜けでたとき、そのままふつう児にもどる子どもと、U君のように
愚鈍性が残る子どもがいる。それまでの生活にもよるが、当然のことながら砂糖の量が多
く、その期間が長ければ長いほど、後遺症が残る。

U君のケースでは、それから小学校へ入学するまで、愚鈍性は残ったままだった。白砂
糖はカルシウム不足を引き起こし、その結果、「脳の発育が不良になる。先天性の脳水腫
をおこす。脳神経細胞の興奮性を亢進する。痴呆、低脳をおこしやすい。精神疲労しや
すく、回復がおそい。神経衰弱、精神病にかかりやすい。一般に内分泌腺の発育は不良、
機能が低下する」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という説もある。

子どもの食生活を安易に考えてはいけない。


++++++++++++++++++++++++

こちらの頭のほうがヘンになる
イメージが乱舞する子ども(失敗危険度★★★)

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ…
…、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、
話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。

まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! 
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激
しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭
のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学二、三年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
三〇年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ一〇年、急速にふえた。
小一児で、一〇人に二人はいる。

今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もい
ると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑
えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、六六%もいる(九八年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。「指導の疲れか
ら、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、一五%が、「一名以上いる」
と回答している。

そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、九
〇%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(七五%)、「友だちを
たたく」(六六%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(六六%)、「配布物を破
ったり捨てたりする」(五二%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、
調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。「新しい荒れ」とい言葉を使
う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に
出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなっ
た」とこぼす。

日教組が九八年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観
の差を感ずる」というのが、二〇%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指
導が難しい」(一四%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(一〇%)
と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、八%、「か
なり感ずる」「やや感ずる」という先生が、六〇%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つの仮説だが……)、私は
テレビやゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にして
も、昔のような崩壊家庭は少なくなった。むしろここにあげたように、ごくふつうの、そ
こそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同
じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。

実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的に
テレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。「テレビを見てい
るときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしません
でした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。
速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動
きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられ
なくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居な
どを、静かに聞くことができない。浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が
咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なこ
とをしゃべる。

一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつか
さどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。テ
レビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがな
い新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。
その一つが、ここにあげた「イメージが乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。


+++++++++++++++++++++

だれにも迷惑をかけないからいい!
子どもの個性(失敗危険度★★)

●子どもの茶パツ

 浜松市という地方都市だけの現象かもしれないが、どの小学校でも、子どもの茶パツに
眉をひそめる校長と、それに抵抗する母親たちの対立が、バチバチと火花を飛ばしている。
講演などに言っても、それがよく話題になる。

 まず母親側の言い分だが、「茶パツは個性」とか言う。「だれにも迷惑をかけるわけでは
ないから、どうしてそれが悪いのか」とも。今ではシャンプーで髪の毛を洗うように、簡
単に茶パツにすることができる。手間もそれほどかからない。

●低俗文化の論理

 しかし個性というのは、内面世界の生きざまの問題であって、外見のファッションなど、
個性とはいわない。こういうところで「個性」という言葉をもちだすほうがおかしい。ま
た「だれにも迷惑をかけないからいい」という論理は、一見合理性があるようで、まった
くない。

裏を返していうと、「迷惑をかけなければ何をしてもよい」ということになるが、「迷惑
か迷惑でないか」を、そこらの個人が独断で決めてもらっては困る。こういうのを低俗
文化の論理という。こういう論理がまかり通れば通るほど、文化は低俗化する。

文化の高さというのは、迷惑をかけるとかかけないとかいうレベルではなく、たとえ迷
惑をかけなくても、してはいけないことはしないという、その人個人を律する道徳性に
よって決まる。「迷惑をかけない」というのは、最低限の人間のモラルであって、それを
口にするというのは、その最低限の人間のレベルに自分を近づけることを意味する。

●学校側の抵抗

で、学校側の言い分を聞くのだが、これがまたはっきりしない。「悪いことだ」と決めて
かかっているようなところがある。中学校だと、校則を盾にとって、茶パツを禁止して
いるところもあるが、小学校のばあいは、茶パツにするかしないかは親の意思というこ
とになる。が、学校の校長にしてみれば、茶パツは、風紀の乱れの象徴ということにな
る。学校全体を包むモヤモヤとした風紀の乱れが、茶パツに象徴されるというわけ。だ
から校長にしても、それが気になる。……らしい。

●まるで宇宙人の酒場!

 が、視点を一度外国へ移してみると、こういう論争は一変する。先週もアメリカのヒュ
ーストン国際空港(テキサス州)で、数時間乗り継ぎ便を待っていたが、あそこに座って
いると、まるで映画『スターウォーズ』に出てくる宇宙の酒場にいるかのような錯覚すら
覚える。

身長の高い低い、体形の太い細いに合わせて、何というか、それぞれがどこか別の惑星
から来た生物のような、強烈な個性をもっている。顔のかたちや色だけではない。服装
もそうだ。国によって、まるで違う。アメリカ人にしても……、まあ、改めてここに書
くまでもない。そういうところで茶パツを問題にしたら、それだけで笑いものになるだ
ろう。色どころか、髪型そのものが、奇想天外というにふさわしいほど、互いに違って
いる。ああいうところだと、それこそ頭にちょうちんをぶらさげて歩いていても、だれ
も見向きもしないだろう。

●結局は島国の問題?

 言いかえると、茶パツ問題は、いかにも島国的な問題ということになる。北海道のハシ
から沖縄のハシまで、同じ教科書で、同じ教育をと考えている日本では、大きな問題かも
しれないが、しかしそれはもう世界の常識ではない。

 そんなわけでこの問題は、もうそろそろどうでもよい問題の部類に入るのかもしれない。
ただこの日本では、「どうぞご勝手に」と学校が言うと、「迷惑をかけなければ何をしても
よい」という論理ばかりが先行して、低俗文化が一挙に加速する可能性がある。学校の校
長にしても、それを心配しているのではないか? 私にはよくわからないが……。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●カップヌードル

 ワイフが、「昼食よ!」と声をかけてくれた。

 居間へおりていくと、テーブルの中央に、カップヌードル。その前後に、白いご飯。あ
とは、漬け物。

 「これだけ?」と聞くと、「そうよ。一個しかなかったから」と。

 しかたないので、一個のカップヌードルを、二人で分けながら、食べる。食べながら、
こんなことを言う。

 「よくさア、昼ごはん訪問というテレビ番組があるじゃない。ああいうのでさ、今、ど
こかのテレビ局が、『おたくの昼ごはんを拝見させてくれ』と言ってきたら、どうする?」
と。

 ワイフは笑いながら、「とても、見せられないわね」と。

私「そうだろ。ぼくはね、どこかへ食べに行こうと思っていた」
ワイフ「いいじゃない。これを前菜だと思えば……」
私「前菜に、カップヌードルかア?」
ワイフ「そうよ」と。

 実のところ、私は、白いご飯に、カップヌードルをかけて食べるのは、嫌いではない。
簡単な昼飯としては、悪くない。

ほかに、マグロの缶詰、ハムにケチャップなどを、白いご飯ととりあわせて、食べる。
白いご飯といえば、ギョーザと白いご飯の組みあわせも、おいしい。

 戦後生まれの私は、食べ物では、ぜいたくは言わない。

 食後に、スイカを少し。それをスプーンですくいながら……。

私「なあ、夕食は、どこかへ食べに行こうか」
ワイフ「そうね」
私「たまには、肉を食べてみたいね」
ワイフ「また太るわよ」
私「そうだな……」と。

 食後に食事の話をするのも、どうかと思う。しかしこのところまたまた太り始めた。今
は、これでがまんするしかない。

何とも、お粗末な昼食でした。ハイ!

 
●散歩

 このところ毎日、ワイフと散歩に行く。たいてい往復、数キロは歩く。

 その散歩でのこと。私は最近、「雲」に興味をもつようになった。空の「雲」である。

 あの雲というのは、ひょっとしたら、高さ数千メートルの山脈よりも、美しいかもしれ
ない。巨大だし、それにダイナミックだ。ただ毎日見ているから、それに気づかないだけ
……?

 私が「ぼくね、最近、雲に興味があるよオ」と話しかけると、ワイフは、「ふう〜〜ン」
と。どこか気のない返事。が、しばらくすると、「そう言えば、昨日の空も、すてきだった
わ」と。

 ちょうど夕暮れどきで、とっぷりと日は暮れていたが、薄い水色の空に、白い雲が浮か
んでいた。「もう夜なのに、空は水色だ」と、私は思った。そんな空だった。

 やがて話は、飛行機について。「ほら、昔、日航の123便が墜落しただろ。あの中には、
坂本九もいたんだよ」と。

ワイフ「そうね。生きていれば、今ごろ、どこかで『♪上を向いて歩こう』を歌っている
かもしれないのにね」
私「そうだよな。……あのとき、パイロットは、大きく左旋回して、羽田にもどろうとし
たんだって……。もしそのまま直進すれば、浜松の航空自衛隊の基地に着陸できたかもし
れないのにね」
ワイフ「そう、旋回したのがまずかったのかもね」
私「そうだよ。ラダーが吹き飛んだのだから。しかしね、エンジンだけうまく操作すれば、
着陸は可能だったかもしれない」

 この話を、以前、三男にもしたことがある。そのとき三男は、こう言った。「パパ、パイ
ロットというのはね、何かあると、離陸した飛行場へもどろうとするものだよ」と。

 あの事故で、痩身美容をしていた、W氏も亡くなった。W式痩身美容という美容法で、
全国的に活躍していた人だ。一度、東急デパートで、いっしょに組んで、仕事をしたこと
がある。

 ちょうどそのとき、大きな飛行機が、上空をゆっくりと飛んでいった。ワイフは、いつ
も空を見あげながら、歩く。それを目ざとく見つけながら、「ねえ、いつかE君も、ああし
て空を飛ぶのね。楽しみね」と。

 私は夏の白い雲を見ながら、「あんな雲を横切って飛んだら、さぞかし気持ちいいだろう
な」と思った。


●夏風邪・闘病記

 8月8日ごろから、鼻水が、シクシクと出るようになった。最初は、「クーラーのかかり
すぎ」と思っていた。寝るときは、気温を27度にさげた上、扇風機を顔に向けていた。

 断続的に、軽い頭痛。ときどき喉が痛くなり、肺の奥のほうが、何となく熱っぽい。咳
も、1時間に1回前後の割合で、出た。

 こうして11日。鼻水が出るようになって、3日目。いよいよ喉が痛くなってきた。

 が、11日は、朝から、ワイフと、デート。掛川まで行って、そこから天竜浜名湖線に
乗って、天竜まで。天竜の和食レストランで食事をして、遠鉄電車で浜松まで。朝10時
ごろでかけて、帰ってきたのが、午後3時ごろ。

 気温は、34度まであがっていたという。

 少し無茶をした。

 山荘へ行く予定だったが、とりやめ、私は、総合感冒薬をのんで寝ることに。が、この
薬がよくなかった。熱さましだった。

 とたん、はげしい悪寒。ふとんを3枚重ねても、まだ寒かった。呼吸ははげしくなり、
熱も、38・5度まで上昇。時刻は、午後8時半ごろ。

 こうして真夜中まで、ふとんの中で、四転八転。午前3時ごろ、ワイフが買ってきてく
れた薬を口にする。その前に、パンを2個と、ジュースを一杯。そのあともう一個、総合
感冒薬をのむ。

 で、そのまま朝まで、熟睡。目をさましたのが、午前7時半。

 熱は、37・4度まで、さがっていた。多少、熱は残っているようだが、気分は悪くな
い。さっそく、この闘病記を残す。

 今度の夏風邪は、(1)鼻水と、(2)咳が、主な症状らしい。やがて喉が痛くなり始め
たら、要注意。ジワジワと始まって、パッツパッツと熱が出て、1、2日くらいで、なお
る。

 それにしても、昨夜は苦しかった。腰も痛くなったし、呼吸もかなり荒くなった。どう
かみなさんも、気をつけてほしい。
 

●アインスタイン博士からの手紙

 恩師のT教授のところに、昔、アインスタイン博士からの手紙が届いたという。その一
部が、T教授のHPに、紹介されている。

I see only one way for the individual to 
serve the cause of peace: that is to 
work for the World Federalist Movement 
and to resist in private life exaggerated 
nationalism in every way. 

   Albert Einstein

 世界に平和をもたらすために、個人がすべき唯一の
方法がある。それは、世界連邦(共和国)をつくるた
めに、個人の生活の中で、あらゆる方法を使って、誇
張されたナショナリズムと闘うことである。

 T教授のHPは、http://www6.ocn.ne.jp/~kenzitmr/ である。興味のある方は、訪問し
てみてほしい。

 アインスタイン博士は、ナショナリズムに対して、強烈な警鐘を鳴らしている。この一
文を読むと、アインスタイン博士は、ナショナリズムこそが、戦争の原因と考えているこ
とが、よくわかる。

 ナショナリズム……先の北京で行われた、アジアカップ(サッカー)の試合を見るまで
もない。「自分の国はすばらしい」と思うのは、その人の勝手。しかしその返す刀で、「だ
から自分以外の国は、劣っている」と考えるのが、ナショナリズムである。

 中国人のサポーターは、こう叫んでいた。「日本のようなインチキな国が、優勝するのは、
おかしい」(テレビ報道)と。

 日本でも、このナショナリズムが、台頭してきている。決して一部の右翼の人たちだけ
ではない。ごく一般の、ふつうの主婦の間にも、それがかいま見られることがある。最近
でも、「南京虐殺事件は、中国側のデッチあげだ」と抗議してきた女性(35歳くらい)が
いた。

「林さん、日本人は、30万人も殺していない。せいぜい、3万人です。中国人は、ど
うしてそういうウソをついてでまで、日本人を悪く言うのでしょう。私は許せません」
と。

そこで私が、「3万人でも、問題でしょう。3000人でも、300人でも、問題でしょ
う。どうしてそのとき、日本兵が南京にいて、一般の民間人を、3万人も殺したのです
か」と。

考えてみれば、藤xが捏造(ねつぞう)した、石器発見に飛びついたのも、その背景に
こうしたナショナリズムがあったからではないのか。

 この日本に、中国や韓国より古い歴史があるわけがないのである。が、日本の学者たち
ですら、藤xの石器発見に飛びつき、教科書まで、書き改めてしまった。ものごとは、も
う少し冷静に考えたらよい。

 話をもどすが、アインスタイン博士は、「誇張されたナショナリズム」という言葉を使っ
ている。つまりこうしたナショナリズムが、誇張されたとき、その先に戦争がある、と。
しかし本当の問題は、日本人がもつナショナリズムではない。

 今、中国にせよ、K国にせよ、そして韓国にせよ、日本の周辺の国々の人たちが、それ
ぞれの立場で、その「誇張されたナショナリズム」をもち始めているということ。そして
そのナショナリズムを振りかざしながら、日本の存在そのものを否定し始めている。

 こうした「誇張されたナショナリズム」に対して、私たちは、どうリアクションしたら
よいのか。どう対処したらよいのか。

 先のアジアカップの試合のとき、日本人サポーターたちは、日本の国旗を振っていた。
その国旗の中に、「日中友好」と書きこんであるのがあった。私はその文字を見たとき、乾
いた砂漠の中で、一輪の花を見たような清涼感を覚えた。

 「日本人も、いつの間にか、ここまで成長したのだなあ」と。

 いつかこのアジアにも、EUのような連合共同体ができるのだろう。世界は、情報で結
ばれ、一つの有機体として活動するようになる。そういう時代は、すぐそこまできている。
そういうとき、「日本だの」「中国だの」と言っているほうが、おかしい。

 私たちが未来の子どもたちのためにすべきことは、たとえ数ミリでも、そういう世界に
向って、コマを進めることである。決して、あともどりしてはいけない。ここでもう一度、
アインスタイン博士の言葉を、みんなでかみしめてみようではないか。

【教訓】

 誇張されたナショナリズムは、相手にしないこと。中国人サポーターたちが、「殺せ」「殺
せ」と大合唱をしたら、私たちはニンマリと笑いながら、「日中友好」の旗をあげればよい。
あとで気まずい思いをするのは、彼らのほうである。

 その一方で、この日本という国内においても、勇ましいナショナリズムを口にする人た
ちは、相手にしないこと。アメリカのCNNも、「日本人にワレワレ意識(=ナショナリズ
ム)があるかぎり、日本は、世界のリーダーにはなれない」と、断言している。東京都の
I知事を批判したときの言葉である。

 国の誇りとは何か。民族の誇りとは何か。そしてナショナリズムとは何か。これから先、
この問題について、もっと考えてみたい。

●Those who make peaceful revolution impossible will make violent revolution 
inevitable. (平和革命を不可能にする人たちは、暴力革命を不可避なものにする。)J・
F・ケネディ

+++++++++++++++++++++


●K首相のY神社、参拝問題

 その人の人格の完成度は、いかに相手の立場で、ものを考えることができるかで決まる。
わかりやすく言えば、いかに利己を捨て、いかに利他が多いかで決まる。自己中心的な人
は、それだけ人格の完成度の低い人ということになる。

 同じように、国家としての完成度は、いかに相手の国の立場で、ものを考えることがで
きるかで決まる。それができる国を、より完成された国といい、そうでない国を、そうで
ないという。

 戦前、日本が、アジアの国の人たちに何をしたか。その反省もなく、「日本人が日本で、
何をしようが、日本人の勝手」と言うことは許されない。いまだに、「日本は、朝鮮のため
に鉄道を敷いてやった。道路を作ってやった。ビルを建ててやった」などと主張する人が
多いのは、本当に驚きとしか言いようがない。

 もしこんな論理がまかりとおるなら、反対に、日本が、外国(中国や韓国、K国でもよ
い)に同じことをされても、日本は、文句を言えないことになる。どうして、日本よ、日
本人よ、こんな簡単なことがわからないのか。

 いわんや、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなことをしな
がら、「日本の勝手」とは! 私には、中国の人や、韓国の人の怒りが、手に取るようによ
くわかる。怒って、当然ではないか。

 今年の8月15日にも、日本の閣僚たちが、Y神社参拝をすることを決めた。亀井農相、
中川経済産業相、小野国家公安委員長など。ほかにも、8月中に、金子行政改革担当相、
竹中金融・経済財政担当相を含め、少なくとも6閣僚が今夏に参拝する見通しという。

 先のアジアカップでの騒乱を思い出すまでもない。イギリスのBBCは、「中国人は、ま
だ日本を許していない」と報じた。しかしこの問題は、決して、過去の問題ではない。

 今、この時点においても、K国は、せっこらせっこらと、日本向けの核兵器を製造して
いる。アメリカ向けではない。日本向けである。一応、建て前は、「アメリカ向け」と報じ
ているが、いくらK国でも、アメリカを相手にしたらどうなるか、そんなことぐらいは、
わかっているはず。

 アメリカの原子力潜水艦一隻分の核兵器だけで、K国は、「石器時代」にもどる。

 K国は、かねてより、「日本は存在してはならない国」と、発言している。そういう日本
を取り巻く、世界情勢の中で、どうして日本の閣僚たちは、K国を勢いづかせるようなこ
とばかりするのか。

 今、重要なことは、中国の助けを借りることである。悲しいかな、2015年を待たず
して、アジアでは、日本と中国の経済的立場は、逆転する。それはもう予想というよりも、
事実である。今、この日本がなすべきことは、そういう未来をにらみながら、その基盤を
作っていくことである。

 何も私は、閣僚たちによる、Y神社参拝に反対しているのではない。しかしこんな時期
に、何も、中国や韓国の人たちの神経を逆なでするようなことは、しなくてもよいのでは
ないかと言っている。

 閣僚たちは、さかんに、「正義」という言葉を口にする。しかし先の戦争に、本当に正義
はあったのか? 「亡き英霊」とはいうが、そういう人たちは、無謀な軍国主義の、犠牲
者たちではなかったのか。

 その責任を覆い隠すために、戦後の閣僚たちは、「一億総ざんげ」という言葉を使った。
「戦争をしたのは、国ではない。国民一人ひとり、全員の責任だ」と。天皇を頂点にいだ
く官僚主義国家としては、国の責任論を追及されると、まことに、まずい。だから国民の
責任に、すりかえた?

 「日本は、平和を守る。戦争はしない」と、世界に向けて宣言するのは、簡単なこと。
しかしそんな平和主義など、カエルの「へ」にもならない。ならないことは、実は、この
日本が一番よく知っている。

 日本は、そのときまで平和に暮らしていた、朝鮮、中国、さらには東南アジアの国々を、
つぎつぎと占領していった。おまけに、南太平洋の国々まで! そういった国々が、ただ
の一発でも、この日本本土に、爆弾を落としたとでもいうのだろうか。銃を向けたとでも
いうのだろうか。

 国としての誇りは、まちがいをすなおに認めること。そういうところから生まれる。正
義を貫くところから、生まれる。

 昨日(8・9)、中国は、円建て外債の発行を、急きょとりやめた。「日本の円は、中国
経済圏では認めない」という意思表示である。日本のK首相は、「Y神社参拝問題とは関係
ない」と、さかんに主張しているが、わざわざそう主張しなければならないところに、実
は、日本がかかえる問題の「根」が隠されているのではないのか。


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●子どもに子どもの育て方を

 子どもに子どもの育て方、つまりあなたから見れば孫の育て方を教えるのが子育て。「あ
なたがおとなになり親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふ
うに子どもを叱るのですよ」と。つまり子どもに子育ての見本を見せる。見せるだけでは
足りない。しっかりと体にしみこませておく。

 数年前だが、厚生省が発表した報告書に、こんなのがあった。「子育ては本能ではなく、
学習である」と。

つまり人間というのは(ほかの高度な動物もそうだが)、自分が親に育てられたという経
験があってはじめて、自分が親になったとき子育てができる。たとえば一般論として、
人工飼育された動物は、自分では子育てができない。人間はなおさらで、つまり子育て
というのは、本能でできるのではなく、「学習」によってできるようになる。が、それだ
けではない。

もしあなたがあなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っている
なら(当然だが……)、今あなたはここで、心豊かで温かい家庭とはどういうものかを子
どもに見せておかねばならない。あるいはそういう環境で子どもを包んであげる。

さらに「父親とはこういうものです」「母親とはこういうものだ」と、その見本を見せて
おく。そういう経験が体にしみこんでいて子どもははじめて、自分が親になったとき、
自然な形で子育てができるようになる。

 そこで問題はあなた自身はどうだったかということ。あなたは心豊かで温かい家庭で育
てられただろうか。もしそうならそれでよし。しかしそうでないなら、一度あなたの子育
てを見なおしてみたほうがよい。あなたの子育てはどこかぎこちないはずである。

たとえば極端に甘い親、極端にきびしい親、あるいは家庭をかえりみない親というのは、
たいてい不幸にして不幸な家庭に育った人とみてよい。つまりしっかりとした「親像」
が入っていない。が、問題はそのことではなく、そのぎこちなさが、親子関係をゆがめ、
さらにそのぎこちなさを次の世代に伝えてしまうこともある。

しかしあなた自身がその「過去」に気づくだけで、それを防ぐことができる。まずいの
はその「過去」に気づくことなく、それにいつまでも振り回されること。そしてそのぎ
こちなさを次の世代に伝えてしまうことである。

++++++++++++++++++

●教えるより好きにさせる

 子どもに何かを教えるときは、「教えよう」という気持ちはおさえて、「好きにさせる」
ことを考えてする。あるいは「覚えたか」ではなく、「楽しんだか」を考えてする。これを
動機づけというが、その動機づけがうまくいくと、あとは子ども自身の力で伸びる。

要はそういう力をどのように引き出すかということ。たとえば文字学習についても、文
字そのものを教える前に、文字は楽しい、おもしろいということを子どもにわからせる。
まずいのは、たとえばトメ、ハネ、ハライ、さらには書き順や書体にこだわり、子ども
から学習意欲を奪ってしまうこと。

私も少し前、テニススクールに通ったが、そこのコーチは、スタイルばかりにこだわっ
ていた。(私はストレス解消のため、思いっきりボールを叩きたかっただけだが……。)
おかげで私はすぐやる気をなくしてしまった。

 つぎに大切なことは、動機づけをしたら、あとは時の流れを待つ。イギリスの格言にも、
「馬を水場へ連れていくことはできても、水を飲ませることはできない」というのがある。
最終的に「する、しない」は、子ども自身が決めるということ。

……と書くと、「それでは遅れてしまう。まにあわない」という人がいる。しかしそれが、
子どもの能力。よく親は「うちの子はやればできるはず」と言うが、「やる、やらない」
も能力のうち。「やればできるはず」と思ったら、「やってここまで」と思い、あきらめ
る。このあきらめが親子の間に風をとおす。親があせればあせるほど、その分だけ、子
どもの伸びは鈍化する。いわんや子どもを前にしてイライラしたら、子どもの勉強から
は手を引く。

 好きにさせるということは、子どもに楽しませること。また幼児期や小学校の低学年時
には、あまり勉強を意識せず、「三〇分すわって、それらしきことを五分もすればじょう
でき」と思うこと。またワークにしてもドリルにしても、半分はお絵かきになってもよい。
勉強といっても、何も作法があるわけではない。床に寝そべってするのもよし、ソファに
座ってするのもよし。そのうち子ども自身がもっとも能率のよい方法をさがしだす。そう
いうおおらかさが子どもを伸ばす。


【2】(子育て狂騒曲)(1)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

++++++++++++++++++

今回から、8回に分けて、
子育て狂騒曲を送ります。

「まぐまぐプレミア」のほうでは、
できるだけ全編を。Eマガ、メルマガの
ほうでは、簡略版をお届けします。

子育てがもつ問題点を、
みなさんといっしょに考えてみたいと
思っています。

今日は、第1回目です。

++++++++++++++++++

作文は大嫌い!
こまかい指導は、子どもをつぶす(失敗危険度★★★)

●型にこだわる日本人

 文字を覚えたての子どもは、メチャメチャな文字を書く。形や書き順は言うにおよばず、
逆さ文字、左右反対の鏡文字など。このとき大切なことは、子ども自身は、自分の書いた
字を、「じょうずだ」と思っているということ。だからそれを「へただ」とか、「おかしい」
と言ってはいけない。「ここがおかしい」とか、「まちがっている」とか言って、こまかい
指導はしてはいけない。するとしても、最小限に。

日本人はとかく「型」にこだわりやすい。トメ、ハネ、ハライがそれだが、今どき毛筆
時代の名残をこうまでこだわらねばならない理由などない。

……というようなことを書くと、「君は日本語がもつ美しさを否定するのか」と言う人が
必ずいる。あるいは「はじめに書き順などをしっかりと覚えておかないと、あとからた
いへん」と言う人もいる。しかし文字の使命は、自分の意思を相手に伝えること。「美し
い」とか「美しくない」というのは、それは主観の問題でしかない。

●ルールよりも中味

 一〇年ほど前、オーストラリアの小学校を訪れたときのこと。壁に張られた作文を見て、
私は驚いた。スペルはもちろん、文法的におかしなものがいっぱいあった。そこで私がそ
のクラスの先生(小三担当)に、「なおさないのですか」と聞くと、その先生はこう言った。
「シェークスピアの時代から正しいスペルなんてものはないのです。音が伝わればいいの
です。またルール(文法)をきつく言うと、子どもたちは書く意欲をなくします」と。

●「メチャメチャな文字に、丸をつけないでほしい」

 私もときどき、親や祖父母から抗議を受ける。「メチャメチャな文字に、丸をつけないで
ほしい。ちゃんとなおしてほしい」と。しかしこの時期大切なことは、「文字はおもしろい」
「文字は楽しい」という思いを子どもがもつこと。そういう「思い」が、子どもを伸ばす。
こまかいことを言えば言うほど、子どもはやる気をなくす。それはエビでタイを釣る前に、
そのエビを食べてしまうようなもの。現に今、「作文は大嫌い」という子どもはいても、「作
文は大好き」という子どもは少ない。よく日本のアニメは世界一というが、その背景に子
どもたちの作文嫌いがあるとするなら、喜んでばかりはおられない。

 ある程度文字を書けるようになったら、少しずつ機会をみて、なおすところはなおせば
よい。またそれでじゅうぶん間にあう。そういうおおらかさが子どもを作文好きにする。


++++++++++++++++++++++

やる、やらないも能力のうち
馬に水を飲ますことはできない(失敗危険度★★)

●無理に水を飲ますことはできない

 その子どものやる気について、イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできて
も、水を飲ますことはできない』というのがある。要するに最終的に子どもが勉強するか
しないかは、子どもの問題であって、親の問題ではないということ。いわんや教師の問題
でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのように説明されている。

●動機づけを決める帯状回?

 大脳半球の中心部に、間脳とか脳梁とか呼ばれている部分がある。それらを包み込んで
いるのが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつか
さどる海馬もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯
状回という組織がある。つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の
活動のひとつとして説明されている。

(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維持などを維
持するための機関と考えられていた。しかし最近の研究では、それぞれにも独立した働
きがあることがわかってきた(伊藤正男氏ほか)。)

●やる気が思考力を決める

 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新
皮質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずし
も的確ではない」(新井康允氏)ということになる。脳というのは、あらゆる部分がそれぞ
れに仕事を分担しながら、有機的に機能している。いくら大脳皮質の連合野がすぐれてい
ても、やる気が起こらなかったら、その機能は十分な結果は得られない。つまり『水を飲
む気のない馬に、水を飲ませることはできない』のである。

●乗り気にさせるのが伸ばすコツ

 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。新井氏はこう書いている。「考えるにしても、
一生懸命で、乗り気で考えるばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違う
でしょうし、結果がよければさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、
これを行っているのが帯状回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。

 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によ
れば、しかしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、
そういう意味で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気
がなければ、「できない」。それだけのことかもしれない。


++++++++++++++++++++

子どもにはナイフを渡せ!
誤解と無知(失敗危険度★★★)

●墓では人骨を見せろ?

 非常識なのは、親だけではない。
 ある日、一人の母親(三〇歳)が心配そうな顔をして私のところへやってきた。見ると
一冊の本を手にしていた。日本を代表するH大学のK教授の書いた本だった。題は「子ど
もにやる気を起こす法」(仮称)。

 そしてその母親はこう言った。「あのう、お墓で、故人の遺骨を見せたほうがよいのでし
ょうか」と。私が驚いていると、母親はこう言った。「この本の中に、命の尊さを教えるた
めには、お墓へつれていったら、子どもには遺骨を見せるとよい」と。その本にはほかに
こんなことも書いてあった。

●遊園地で子どもを迷子にさせろ?

 親子のきずなを深めるためには、遊園地などで、子どもをわざと迷子にさせてみるとよ
い。家族のありがたさを教えるために、子どもは、二、三日、家から追い出してみるとよ
い、など。本の体裁からして、読者対象は幼児をもつ親のようだった。が、きわめつけは、
「夫婦喧嘩は子どもの前でするとよい。意見の対立を教えるのによい機会だ」と。これに
はさすがの私も驚いた。

●子どもにはナイフをもたせろ?

 その一つずつに反論したいが、正直言って、あまりのレベルの低さに、どう反論してよ
いかわからない。その前後にこんなことを書く別の評論家もいた。「子どもにはナイフを渡
せ」と。「子どもにナイフを渡すのは、親が子どもを信じている証(あかし)になる」と。
そのあとしばらくしてから、関東周辺で、中学生によるナイフ殺傷事件がつづくと、この
評論家は自説をひっこめてしまった。当然だ。しかし証拠は残った。その文章は、日本を
代表するM新聞社の小冊子の中に載っている。その小冊子は今も私の手元にある。

●ゴーストライターの書いた本

 もう一人、数一〇万部を超えるベストセラーを何冊かもっている評論家がいた。もとも
とは中学校の教師だったという。彼の教育論も、これまたユニーク(?)なものだった。「子
どもの勉強に対する姿勢は、筆箱の中を見ればわかる」とか、「たまには(老人用の)オム
ツをして、幼児の気持ちを理解することも大切」とかなど。「筆箱の中を見る」というのは、
それで子どもの勉強への姿勢を知ることができるというもの。たしかにそういう面はある
が、しかしそういうスパイのような行為をしてよいものかどうか? 

そう言えば、こうも書いていた。「私は家庭訪問のとき、必ずその家ではトイレを借りる
ことにしていた。トイレを見れば、その家の家庭環境がすべてわかった」「その人の人格
を知るためには、耳のうしろを見ればわかる。耳のうしろのきれいな人は、人格もすぐ
れている」と。たまたま私が仕事をしていたK社でも、彼の本を出した担当者がいたの
で、その担当者に話を聞くと、こう教えてくれた。

●専用のゴーストライター

 「ああ、あの本ね。実はあれはあの先生が書いた本ではないのですよ。どこかのゴース
トライターが書いてね、それにあの先生の名前を載せただけですよ」と。そのK社には、
その先生専用のライター(担当者)がいて、そのライターがその評論家のために原稿を書
いているとのことだった。もう二〇年も前のことだが、彼の書いた(?)数学パズルブッ
クは、やがてアメリカの雑誌からの翻訳ではないかと疑われ、表に出ることはなかったが、
出版界ではかなり話題になったことがある。

●タレント教授の錬金術
 
「タレント先生」と呼ばれる人たちは、つぎのようにして本を書く。まず外国の文献を手
に入れる。それを学生に翻訳させる。その翻訳を読んで、あちこちの数字や事例を適当に
変えて、自分の原稿にする。そして本にする。こうした手法は半ば常識で、私自身も、医
学の世界でこのタイプのゴーストライターをした経験があるので、内情をよく知っている。

 冒頭にあげた教授がそうした手法で本を出しているかどうかは知らないが、こうした常
識ハズレな教授は、決して少数派ではない。もう一〇年近くも前のことだが私がH社に原
稿を持ちこんだときのこと、編集部の若い男は遠慮がちに、しかしどこか人を見くだした
ような言い方で、こう言った。「あノー、N大学のI名誉教授の名前でなら、この本を出し
てもいいのですが……」と。もちろん私はそれを断った。

が、それから数年後のこと。近くの本屋へ行くと、入り口のところでH社の本が山積み
になっていた。ワゴンセールというのである。見ると、その中にはI教授の書いた(?)
本が、五〜六冊並んでいた。手にとってパラパラと読んでみたが、文章といい、体裁と
いい、とても八〇歳を過ぎた老人が書いたものとは思えなかった。私はしばらく立ち読
みをしながら、「ああ、あのときの本だな」と思った。

●インチキと断言してもよい

 こうしたインチキ、もうインチキと断言してよいのだろうが、こうしたインチキは、こ
の世界では常識になっている。とくに文科系の学部では、その出版点数によって教官の質
が評価されるしくみになっている。(理科系の学部では論文数や、その論文が権威ある雑誌
などでどれだけ引用されているかで評価される。)だから文科系の教官は、こぞって本を出
したがる。そういう慣習が、こうしたインチキを生み出したとも考えられる。が、本当の
問題は、「肩書き」に弱い、日本人自身にある。

●私の反論

 私は相談にやってきた母親にこう言った。「遺骨なんか見せるものではないですよ。また
見せたからといって、生命の尊さを教えたことにはなりません」と。一応、順に反論して
おく。

 生命の尊さは、子どものばあいは死をていねいに弔うことで教える。ペットでも何でも、
子どもと関係のあったものの死はていねいに弔う。そしてその死をいたむ。こうした習慣
を通して、子どもは「死」を知り、つづいて「生」を知る。またこの種の指導は慎重にし
たほうがよい。ある父親だが、子ども(小五男児)に戦争の悲惨さを教えようと思って、
第二次大戦中の実録戦争ビデオを見せたのだそうだが、かえってその子どもは残虐なもの
に興味をもつようになってしまったという。

 また子どもをわざと遊園地で迷子にしてはいけない。もしそれがいつか子どもにわかっ
たとき、その時点で親子のきずなは、こなごなに破壊される。またこの種のやり方は、方
法をまちがえると、とりかえしのつかないキズを子どもの心に残す。子どもはそれがきっ
かけで分離不安にさえなるかもしれない。親子のきずなは、信頼関係を基本にして、長い
時間をかけてつくるもの。こうした方法は、子育ての世界ではまさに邪道!

 また子どもを家から二、三日追い出すということが、いかに暴論かはあなた自身のこと
として考えてみればよい。もしあなたの子どもが、半日、あるいは数時間でもいなくなっ
たら、あなたはどうするだろうか。あなたは捜索願だって出すかもしれない。

 最後に夫婦喧嘩など、子どもの前で見せるものではない。夫婦で哲学論争でもするなら
まだしも、夫婦喧嘩というのは、たいていは聞くに耐えない痴話喧嘩。そんなもの見せた
からといって、子どもは「意見の対立」など学ばない。学ぶはずがない。ナイフをもたせ
ろと説いた評論家の意見については、もう書いた。

●批判力をもたない母親たち

 しかし本当の問題は、先にも書いたように、こうした教授や評論家にあるのではなく、
そういうとんでもない意見に対して、批判力をもたない親たちにある。こうした親たちが
世間の風が吹くたびに、右へ左へと流される。そしてそれが子育てをゆがめる。子どもを
ゆがめる。それが本当の問題なのだ。


+++++++++++++++++++++

無理をする→ますますさがるの悪循環
子どもを知る(失敗危険度★★★★)

●親の欲目

 『己の子どもを知るは賢い父親だ』と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だ
が、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。親というのは、どうしても自分の
子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。『人、その子の悪を知ることなし』(「大
学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして子どもの本当の姿を見誤る。いろ
いろなことがあった。

●やってここまで

 ある子ども(小六男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、
がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜一人の父親が、
A君(中一)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児にな
ってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でも
いじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正し
くとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。

たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、
「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちは
よくわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、
(やる・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほ
ど、子どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。

●子どもを受け入れる

 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているとい
うのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配
で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)
とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れ
る。早ければ早いほどよい。

そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの
成績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあき
らめると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピア
がいう「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれ・これ】

●ラミネート加工

昨日(8・8)、ラミネート加工機を買ってきた。A3まで加工できる、大型機。フィル
ムと合わせて、12000円。

 さっそく、いくつかの写真などを、加工してみた。

 私が24歳のときには、すでに、日本にあったから、遅れること、30年以上! 「い
つかは買わなければ」と思いつつ、昨日になった。

 ラミネート加工……加工したい用紙を、前面、裏面からフィルムではさんで、熱で加工
するもの。ラミネート加工すると、写真などを、ちょうど下敷きのように加工できる。レ
ストランのメニューなどに、よく使われている。

 そういえば、あとで、子どもたちが使う、下敷きを作ってみよう。いろいろ応用できそ
うだ。


●法事

 昨日(8・8)、ワイフの亡父、亡母の法事があった。ワイフの母親については、50回
忌だそうだ。ワイフの母親は、ワイフが、子どものころ、なくなっている。

 会館で法要をしたあと、墓参り。そして会食。

 なかなかハードなスケジュールだった。その前日の講演の後遺症もあって、帰ってきた
ときには、ゲンナリ。バッタン。そのまま、ソファで、昼寝。

 起きたら、ノドが痛い。熱がある。ビタミンC(アスコルビン酸)を、コップにたっぷ
りと溶かして、飲む。ついでに風邪薬も。そのあと、近くのショッピングセンターで、買
い物。

 途中、何度か、咳が出る。鼻水も。

 「結核だったら、どうしよう?」と言うと、ワイフ、「バカねえ。1日で、結核になるわ
けないでしょ」と。

 しかし義理の兄や姉たちは、会食のとき、みな、こう言った。

 「浩司さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が、つとまったのよ」と。

 つまり、晃子のような妻だったから、私のような男の妻でいられらのだ、と。

 私のワイフは、本当にがまん強い。それはわかる。そこで私は、すかさず、こう言って
やった。「私がきたえてやった」「私と結婚すれば、どんな女性でも、すばらしい女性にな
る」と。

 みんな、それを聞いて笑った。ハハハ。私も、ハハハ。

 ワイフの兄弟は、本当に、みな、いい人たちばかりだ。7人兄弟だが、団結している、
仲がいい。


●台風13号

 今日(8月9日)は、これから山荘へ行く。おとといの土曜日は、S市で講演。昨日の
日曜日は法事。それで今日になった。

 空は快晴。青い空と、緑の木々がまぶしい。

 さきほど、日本近海の衛星写真を見たが、超巨大な台風13号が、どうやら発生したよ
うだ。このままだと、12日〜13日ごろ、またまた九州地方を直撃の様子。世界的に、
異常気象がつづいている。南アジアでは、あちことで大洪水。九州や四国の人にしてみれ
ば、「大雨は、もう、うんざり」というところではないか。

 が、ともかくも、今日は、すばらしい一日になりそうだ。ワイフのことだから、あれこ
れ口実を作って、寄り道をするだろう。つきあってやるか!

 ところで、台風というのは、発生してからも、成長するものらしい。気象庁発表の予想
によると、

  8月 9日 3時現在
 中心気圧 990 hPa
 最大風速 23 m/s
 強風半径(15m/s以上) 南西側 440 km 北東側 330 km

予報10日 3時
 中心気圧 975 hPa
 最大風速 30 m/s
 予報円の半径 170 km
 暴風警戒域半径 280 km

予報11日 3時
 中心気圧 960 hPa
 最大風速 40 m/s
 予報円の半径 300 km
 暴風警戒域半径 460 km

予報12日 3時
 中心気圧 950 hPa
 最大風速 40 m/s
 予報円の半径 430 km
 暴風警戒域半径 650 km

 これを見るとわかるように、北上すると同時に、どんどん大きくなっていくのがわかる。
とくに暴風警戒域半径が、280km→460km→650kmと、大きくなっているの
がわかる。

知らなかった! 


●反日感情

 今回のサッカーのアジアカップ戦で、改めて、中国の人たちの反日感情が、明るみにな
った。このままでは、北京でのオリンピックは、どうなることやら? しかし日本が、こ
うまで四面楚歌だったとは!

 韓国からのアメリカ軍の撤退は、加速している。「前倒し撤退」(朝鮮日報)とかで、自
走砲や戦車も、約半数が、撤退するという。さすがの韓国も、これにはあわてた。

 「撤退するのは、兵員(兵隊)だけではなかったのか」と。

 これを見て、K国は、さかんに「アメリカ軍は、韓国から、全面撤退せよ」と騒いでい
る(8・7)。

 そんなとき、アメリカのニューヨークタイムズ誌は、「K国の核兵器阻止の外交政策は、
失敗した」(8・9)と報じた。こういうとき責任をなすりあうのはよくないが、その責任
は、韓国と中国にある。

 そのK国が、なぜ核兵器を作っているかと言えば、それは日本向け。アメリカの脅威を
口実にしているが、あくまでも日本向け。K国は、本気で日本を、廃墟にしようとしてい
る。どうして、日本よ、日本人よ、それがわからないのか。

 K国の人たちがもっている反日感情は、中国の人たちのそれの比ではない。仮に日朝戦
争ともなれば、中国はもちろん、韓国も、K国に、加担する。悲しいかな、日本の味方に
なってくれる国は、このアジアには、どこにもない。

 ただ一人の友人は、アメリカということになるが、そのアメリカにしても、ケリー(民
主党)大統領になれば、どうなることやら。

ブッシュ大統領は、「同盟国(日本)が、K国に攻撃されたら、ただちに反撃する」と言
ってくれたが、ケリー大統領は、そこまでは言わないだろう。ケリー大統領は、むしろ
「米朝間で、相互不可侵条約を結んでもよい」というようなことまで言っている。

 事実上の、日本、切り捨てである。

 で、その日本は、どうかといえば、各地で、米軍の基地移転反対運動。「出て行け」「出
て行け」の大合唱。私がアメリカ軍なら、そんなこと言われなくても、さっさと出て行く。
「何で、こんな国、嫌われてまで、守らなければならないか」と。アメリカ人なら、だれ
しも、そう思う。

 その一つの例が、今の韓国ということになる。3万6000人近くいた、アメリカ軍も、
もうすぐ、半数以下になる。この先、その数は、さらに減るだろう。38度線や板門店か
ら、アメリカ軍が消えて、もう久しい。

 これから先、日本は、(そして韓国も)、K国の核兵器におびえながら、生きていかねば
ならない。まさにK国の言いなり。「東京に核ミサイルを撃ちこむぞ」と言われたら、もう、
何も、できない。

 こういう現実を前にして、日本は、中国や韓国の人たちの神経を、逆なでするようなこ
とばかりしている。K首相のY神社参拝も、その一つ。「日本人が日本で、何をしようが、
日本人の勝手」という論理は、国際社会では、通用しない。

 ゆういつの望みは、K国が、自己崩壊すること。日本は、ともかくも今、それを促すべ
く方策を実行することである。

 確実な方法は、一つある。

 脱北者をどんどんとふやし、そういった人たちを、援助すること。K国の人権問題を、
ことさら大げさに取りあげて、それを口実にすればよい。この方法は、韓国に亡命した、
ファン・ジャン・ヨプ氏(元朝鮮労働党書記)が、さかんに提唱している方法である。

 それから東京都のI知事には、悪いが、I知事には、もう少し発言をひかえてもらいた
い。ああいう人たちが、勇ましいことを言うたびに、国際情勢が、おかしくなる。日本が
過去に、何をしたかという反省もなしに、日本の正当性だけを主張しても、かえってアジ
アの国の人たちの反発を買うだけではないのか。

 もしかつての日本がした侵略戦争が正しかったとするなら、逆に、日本が外国に同じこ
とをされても、日本は、文句を言えないことになる。どうして日本よ、日本人よ、そんな
簡単なことがわからないのか。

 今、日本がもっとも大切にしなければならない国は、中国である。頭をさげてでも、中
国には協力してもらわねばならない。日本には、日本のプライドもあるだろう。それはわ
かるが、しかし、政治、なかんずく国際政治は、現実だけを見て、考え、判断しなければ
ならない。

 今の日本には、K国の核兵器開発を抑えこむ力は、ない。それが現実なのである。

【補記】

 最近の中国、韓国の人たちの反日感情は、私が1967年に、韓国で経験した反日感情
とは、異質のものではないかと思っている。

 あの当時の反日感情は、体中から、日本がなめたツバを、拭い去りたいという、生理的
な嫌悪感が主体になっていたと思う。

 最近の反日感情を見ていると、どこか反日感情を利用した、政治闘争のような感じがし
ないでもない。その点、日本が、1970年当時経験した、安保闘争、学生運動と似てい
ると思う。

 この先、日中関係、日韓関係がどうなるか、注意深く、見ていかねばならない。


●デジタルカメラ

 私は、伝統的に、F社製の、F・ピックスというデジタルカメラを使っている。初期の
ころ発売になった、定価7、8万円のものから、最近の2、3万円のものまで、いろいろ。

 その間、記録媒体が、スマート・メディアから、xDピクチャ・カードへと変わった。
こういう変更は本当に困る。困るが、しかたない。あきらめた。あきらめて、今は、xD
ピクチャ・カードを使っている。

 ところが今は、どのカメラも性能がよすぎて、かえって使いものにならない。インター
ネット(とくにホームページ)で使うなら、100万画素(ピクセル)くらいの画像が最
適。300万とか、400万もあっても、しかたない。

 そこで今は、もっぱら携帯電話についているカメラを使っている。使っているのは、ソ
ニーの「SO505i」。ふだん使うなら、これでじゅうぶん。

 私の印象では、F社の画像が、一番美しいと思う。好きずきもあるので、何とも言えな
いが、そう思う。ただし携帯電話のカメラの画像は、よくない。色がいつも暗く沈んでし
まう。これもしかたないことかもしれない。

 そうそう先日、パソコンショップへ行って、「もう少し性能の悪いカメラはないですか?」
と聞いて、店の若い男の人に、笑われてしまった。「1万円くらいの、おもちゃのようなの
ならあります」と。

 ナルホド!

 しかし本当のところは、機能がいっぱいついた、めちゃめちゃ高性能のカメラがほしい。
私にとっては、おもちゃのようなもの。そういうカメラをいじっていると、我を忘れる。

 今、ねらっているのは、ファイン・ピックスの700シリーズの最新型。昨日、義理の兄
が、それをもっていた。それを見て、ほしくなった。何でも、ワイドな写真がとれるらし
い。

 値段は4〜5万円。売れ残っている前の機種だと、3万円以下でもあるそうだ。しかし
買っても使い道はないし……。ここが思案のしどころ。

【F社様へ】

 私のユーザーのために、320x240ピクセルサイズの写真もとれるような機種にし
てほしい。大画像でも悪くはないのですが、容量が大きくなりすぎてしまい、ホームペー
ジには向きません。いちいちそのつどサイズを縮小するのもめんどうですし……。


++++++++++++++++++++++++

●SKさん(女性・2児の母親)よりのメール

【SKより、はやし先生へ……】

今日(8月6日は朝のサイレンがなり、それがきっかけで、
娘に「広島」について話をする
機会がありました。もう、来年で60周年。今の国際情勢を
考えると、広島の原爆も、昔話になってしまうのでしょうか。

さて、メルマガにあった文章で、気になったことについて
書き添えたいと思います。


<国旗、国歌について>

(国旗について……)「日本は、そもそも単一民族だから、国旗や国歌にこだわる必要はな
いのではないか。国旗や国歌が必要なのは、多民族国家である。そういう国では、国をま
とめるために、国旗や国歌が必要である。しかし日本には、そもそも、その必要性がない。
なりゆきに任せればいい」(53歳・男性)


この意見を読んで、日本人は、単一民族である、
という発想がまだまだ強いところがこわいなぁ、と
思いました。

国旗、国歌が必要になってくるのは、自分の国にいるときではなく、
「外国にでた」ときだと私は考えます。自分が「どこの」所属かを
相手に明確にするためのものですよね。

浜松で、浜松祭りで、どこの町の法被を着ているか、のように。

だからこそ、自分の国から一歩もでない、鎖国状態の人には
「必要が無い」で済むのかもしれません。

アメリカで、高校の英語の授業でも、歌舞伎や能を扱うことが
あります。イギリスの作家でも、能の影響を受けて劇を書いている
人もいますし。(アイルランドのイエイツ、ノーベル賞作歌もそのひとり)

授業で、「能について、知っていることを教えてください」と
問いかけを先生からされたときに、答えることができない日本人と
しての所在のなさ! 今でも忘れません。

日本に帰ってきてから、能について、勉強をしていないところに私の
怠慢がありますが……。

国旗を、国旗といえない国には、どうしても問題があると思うのです。
幼稚園でも小学校でも「ひのまるのうた」を歌ってきます。じゃ、
どうして「国旗」と言わずに、「ひのまる」というのでしょう。
国歌も、「きみがよ」という別名をもうけてあります。

主人が柔道を趣味でしているので、彼の恩師に警察大学校で教壇に
立っている方がいます。主人が会話の流れで「日の丸」と言ったときに、
先生は毅然と、「ひのまるではない! 国旗だ!」と言ったそうです。
会話の流れとはいえ、選ぶ言葉は「意識」の問題である、と。

国の、国民としての、自覚の問題ですね。考え方は十人十色かも
しれません。

国旗の扱いについても、日本人は自覚がなさすぎることはよく
指摘されていることです。主人の手伝いで、かれこれ10年ぐらい前に
千葉の幕張で行われた柔道世界選手権の舞台裏を覗いたことがあります。

国旗の扱いはどこまでも丁重に。日本人だと、たたむときに、床に
べろーーん、と広げてから畳んだりしてしまいます。もう、こんな
ことが相手国の人々の目にとまれば、大政治問題です。

降ろすときも、畳むときも、複数の人間が各角をもち、角をあわせて
畳みます。決して床にはついてはいけない。

国旗を重ねてしまう事があろうものなら、その順序(どちらが上、
どちらが下)も、神経質になります。あくまでアルファベット順に徹する
などの工夫が必要です。

しまうときも、「くっつかないように」ひとつひとつビニール袋に入れて
しまいます。国旗そのものが、お互いにくっつかないように。

レプリカをつくって、シャツのデザインにしたり、なんていうのは
「相手国に対する冒涜」なんです。こういう視点で国旗を考えた
ときに、小学校の運動会でかかっている「万国旗」には、つい、
意味を考えたくなってしまいます。

国旗、国歌の議論が必要がない、とおっしゃる方は、くれぐれも
渡航中にトラブルに巻き込まれないようにお気をつけいただきたい
ものです。

日本人、国旗、国歌。日本をでれば、みなが日本の代表ですので。

ふと、サッカーアジアカップの、日本・中国の決勝が頭をよぎります。
とても、とても、恐ろしい政治の問題です。


<平和宣言>

私が大学生のとき、大学生協の平和活動に参加をしていました。
全国津々浦々の大学生協から、学生達が集まって平和アピールを
するという主旨のものです。

東京だと、江戸川区にある、第五福竜丸のおいてあるところから
平和アピールが始まります。8月6日の、広島の式典にあわせて
行進をし、たすきをつないでいくというものです。ピースウォークという
名称のものでした。

それに参加するほど根性はなかった私は、6日に広島入りをしました。
で、大学生どうしで、ひたすら「平和ってなあに?」という話し合いを
して、「ほら、平和って大事だよね。」と言い合って終わるのです。

完全に、自己満足の世界です。「ふつうの大学生とちがって」、自分は
「平和のことを考えている」というのをお互いに認め合うための会合
です。それも、広島で、大集会と化して。大声で平和をイメージした
歌を歌ってみたりして。

大学生協だけでもかなりの規模ですし、各地生協、平和団体などなど
集まってきます。海外からも、水素爆弾禁止運動をしているフランス人
やら、いろんな人がいました。それはそれは、8月6日だけは、きっと
残り364日の広島の景色とは違ってしまうのでしょう。

朝の式典は、原爆の投下された時間の黙祷で始まります。そのために
平和公園に集まるために、寝ぼけ眼で、大学生達がタクシーに
乗って「すべりこみセーフ」で式典に、参加するのです。(と、集会の
人ごみにまぎれているだけなのですが。)

タクシーの運転手さんがつぶやいてました。「今日だけはね、どこも
かしこも、馬鹿騒ぎでね。ほんとに広島の人とか、戦争関係の
人なんていないだろうよ」って。広島に来た自分が、おろかだったなと、
痛感した瞬間でした。

8月6日の広島。それは、青空の広がる暑い夏だったはずです。
今年は、台風やらの影響での独特な湿気。こうやって感覚がずれて
いくのでしょうか。


<マガジンについて>

先生のマガジンを通して、日常の忙しさにかまけて、考えないような
話題がたくさん提示されています。ほんとに、たくさん。思うことが
あっても、返信できないほどです。

今年の暑さは、例年とは明らかに違います。どうぞ、お身体を第一に
なさってください。このうえで、楽しいマガジンの配信をお願します。


<読書感想文>

娘の宿題の読書感想文を眺めながら、ふと思ったことがあります。
そういえば、私がアメリカでいたときの5年間、読書感想文って
書いただろうか? 書いてない!(そうか、だから娘に指導できない
んだ!って開き直ったほどです。)

日本は識字率が高いので、こういう宿題が可能だと思いますが、
それだけが理由なのでしょうか。

私が過ごした5年間でこなした作文課題といえば…。
ショートストーリーを書く、詩を書く、俳句を書く、などでした。
いわゆる creative writingです。 
エッセーといっても、レポートと同じように「批評する」文章でした。

日本の、いわゆる読書感想文の、「○○に感動しました。☆☆が
面白かったです。私にもこういう経験があります。この本を読んで
とても心が打たれました」的なものではなかったです。

本について書く文書といえば、ブックレビューでした。これも、
本の批評です。critical writingといわれていました。それこそ、
作品の中の、フレーズや単語ひとつを、とことん批評するという
ような主旨のもの。または、作品の歴史背景等を鑑みた批評など。

アメリカの、私が住んでいた町だけ読書感想文の指導がなかった
のでしょうか。よその国でも、日本の読書感想文にあたるような
もの(原稿用紙3枚ぐらいの分量のもの)があるのでしょうか。

ふと、気になってしまいました。


とてもとても長くなりました。適当に読み流していただけると
幸いです。

SKでした。

【はやし浩司よりSKさんへ……】

 昨夜(8・7)は、アジアカップの決勝戦が、ペキンでありました。私の教室の父親が、
2人、出場しているということで、ふつうでない緊張感を覚えました。(いつもなら、菓子
をポリポリ食べながら、気楽に観戦していたと思いますが……。)

 中国の人たちのもつ、根深い反日感情を知るにつけ、改めて、「国とは何か」を、考えさ
せられました。選手の人たちは、若い人ばかりです。戦前の日本とは、関係のない人ばか
りです。

 それが、戦後60年近くもたった今、ペキンで、反日攻撃の矢面に立たされている!

 私も、1967年に、UNESCOの交換学生で、韓国に行きましたが、歓迎されたの
は、当初の1日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされました。戦後生
まれの、私が、です。

 国歌斉唱のとき、またまた大ブーイング。それを見ていたとき、何もしてこなかった私
たちの世代。それを知り、申し訳ない気持ちにかられました。多分、選手の奥さんたちや、
生徒たちも観客席にいるでしょう。何か、ものを投げつけられなければよいがと、どこか
ハラハラして見ていました。

 あんな気持ちで、サッカーの試合を観戦したのは、はじめてです。

 で、日本が優勝。何ごともなかったようです。(もし2対1なら、大抗議が起きていたか
もしれませんね。うち日本の1点は、どこかファウルゴールぽかったですから……。しか
し実際には、3対1で、勝った! これなら中国側も文句を言えない!)

 よかった! 

 広島の原爆について、「小学生に平和宣言などさせるものではない」と書いた私の意見に、
やはり反論してきた人がいました。

 わかります。

 私は平和宣言に反対しているのでは、ありません。「平和を、つぎの世代のための子ども
たちのために用意するのは、私たち、おとなの役目だ」と書いたのです。「そのために、子
どもを利用してはいけない」と。

 同じようなテーマに、環境問題があります。おとなの私たちが、さんざん、環境をよご
し放題よごしておいて、子どもたちに向かって、「環境を守れ」はないとと思います。

 それともSKさんは、アメリカで、子どもが、平和宣言しているような光景を見たこと
がありますか? 子どもが自分で考えて、そう言うならまだしも、子どもを操り人形のよ
うに、操ってはいけない。それが私の意見です。(何なら、幼児に平和宣言させてみればよ
いのです。どうしても、子どもにさせたいのなら……。)

 平和の問題は、高度に政治の問題であり、それゆえに、それは純粋に、おとなの問題な
のです。たとえば今、天然ガスの採掘をめぐって、日中関係がギクシャクしています。た
がいに、まさに(やられたら、やり返す)の応報を繰りかえしています。こうした応報が、
やがて戦争につながらないとは、いったい、だれに言えるでしょうか。

 「平和を守ります」と、子どもに宣言させて、それで平和を守ることにはならないので
す。

 私は、こうした、つまりおとなたちの責任をタナにあげ、子どもを利用する行為が、ど
うにもこうにも、許せないのです。プラス、どうにもこうにも、理解できないのです。

 そうそう、その「日本人には、国旗はいらない」と言ってきた人は、現在、インドネシ
ア在住の男性(50歳)です。前後を少し省略しましたが、彼が言うのは、こういう意見
です。

 「インドネシアは、いろいろな民族でなりたっている。そういう国を一つにまとめるに
は、国旗が必要だ。しかし日本は、そもそもそういふうに、一つにまとめる必要はない。
少なくとも、インドネシアのようにはない」と。

 それで冒頭のような意見を書いてくれました。少し、誤解があったかもしれません。

 「能」で思い出しましたが、私が学生時代、2年間だけですが、その能(私は声を出す、
謡)をしました。加賀宝生流です。京都の能舞台で、うなったこともありますよ。

 外国へ行くたびに、何かの場で、披露しています。ああいうのを、何か一つ、得意芸と
して、身につけておくと、よいですね。「これがジャパンだ」と、誇ることができます。

 またアメリカには、(ライブラリー)という授業があります。週1回程度、図書室で、指
導を受けるというものです。ご存知のように、アメリカでは、読書指導が、教育の柱にな
っています。

 驚いたのは、(ライブラリー)の指導だけは、修士号をもった教師でないと、できないと
いうことです。(ほかの教科は、学士号で、教壇に立つことができますが……。)

 「図書館の司書」というと、日本では、どうしても「下」に見られますが、欧米では逆
のようですね。オーストラリア人の友人も、オーストラリアのM大学の図書館で、司書を
していますが、教授と同じあつかいです。あらゆる教授の相談にのるという意味で、重要
な仕事と考えられているようです。

 SKさんのメールを読みながら、改めて、ナットクしたというわけです。ありがとうご
ざいました。

 言うまでもなく、(作文)が、文字、言葉教育の目標であり、要(かなめ)ですね。本を
読んで、作文を書く。これから日本でも、もっと重要になってくると思います。

 メール、ありがとうございました。またまたマガジンへの掲載を、許可していただけれ
ば、うれしいです。(すでに発行予約してしまいましたので、事後承諾になります。どうか、
お許しください。9月6日号に、掲載します。よろしかったでしょうか。)

 そうそう、きのう、「スパイダーマン」を見ました。ああいう映画は、肩がこらなくて、
よいですね。ハハハと笑って見ました。
(040808)

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 9月 6日(No.459)
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【読者のみなさんへ、BW幼児教室のご案内】

●みなさんのお近くに、現在、園の年中児、年長児のお子さんは、
 いらっしゃいませんか。

 現在、BW教室、10月入会生を募集しています。
 みなさんのご紹介であれば、自由に見学してもらえます。
 見学の申し込み、案内書の申し込みは、どうぞ、下記まで。
 みなさんからの、ご連絡をお待ちしています。
 
 (案内書の請求)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

 見学……みなさんのご都合に合わせて、随時、していただいています。
     どうか、お問い合わせください。
     お待ちしています。

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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          以上、よろしくお願いします!

【1】(子育て)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●ゼロから数える【BW教室より……】

 日本では、「1、2、3……」と、「1」から、ものを数える。幼児が使うワークブック
でも、「1、2、3、4、5、6、7、8、9、0」と、「1」から書いてあるものが、ほ
とんど。

 しかし正確には、「0、1、2、3……」ではないのか。

 たとえば今週は、BW教室では、「長さ」について、学習した。

 +――+――+

 この長さは、「2」の長さということになる。しかし大半の子どもは、「3」の長さと誤
解する。小学2年生でも、「3」の長さと思っている子どもは、多い。一番左のはしから、
「1、2、3」と数えるためである。

 そこで私は、間に、「山」を描かせ、その山の数を数えて、長さを調べるように指導して
いる。

 「♪お山が一つ、お山が二つ……」と。

 しかしこのときでも、「0、1、2……」と数えれば、問題は解決する。しかし、そんな
ふうに教えている先生(親)はいない。

 ついでに、3両の電車と、5量の電車を見せ、「こちらの電車のほうが、いくつ余計に長
いでしょうか。ちがいはいくつですか?」という指導もした。

 で、私はいつも思うのだが、「ちがい」という言葉ほど、意味のあいまいな言葉はない。
(少なくとも、子どもには、そうだ。)

 ちなみに、年中児には、まだ理解できない。年長児でも、半数以上が、理解できない。
そこで簡単な指導をする。そういえば、以前、「3と5のちがいはいくつですか?」と聞い
たときのこと。一人の小学生(1年生)が、こう答えた。

 「3には、丸が二つあるけど、5には、一つしかない」と。

 まさにこちらのほうが、正解ということになる。


●フィーバー(過熱)する、母親狂騒曲

 ある母親が、こう言った。「うちの娘(小1)は、R小学校(市内高級住宅地の一角にあ
る、公立小学校)へ行っていますが、教育に熱心な母親たちばかりで、つきあうのがたい
へんです」と。

 東京などの大都市圏では、私立小学校のほうがレベル(?)が高いということになって
いるが、この浜松市には、まだ私立小学校は、ない。

 それはそれとして、その母親は、こうも言った。「みなさん、子どもの教育だけがすべて
という感じの方ばかりです」と。

 しかしそれがわかるということだけでも、その母親は、ほかの母親たちとは、一線を画
していることになる。狂騒に巻きこまれる一歩手前で、ふんばっていることになる。

 で、話の内容からすると、かなりフィーバーしているらしい。容易に想像がつく。私も
何度か、そういう狂騒に巻きこまれ、大ヤケドをしたことがある。

 そういう世界で、つまり周囲がフィーバーしている世界で、自分の独自性を守るのは、
これまたたいへん。とても、「我、関せず」というわけには、いかない。

 では、どうするか?

 そういった周囲の母親たちが、愚かに見えるまで(失礼!)、自分を高めるしかない。つ
まり「はやし浩司のマガジン」を、読めばよい。実際、私には、そういった母親たちが、
愚かに見える(失礼!)。

 教育の「キ」の字の理念もない。子育てが何であるかさえもわかっていない。ケータイ
電話を片手に、つまらない情報を交換しては、大騒ぎしている。まさに、「ケータイをもっ
たxx」たちである(失礼!)。

 要するに、そういう愚かな人たちとは、つきあわないこと。いや、ほんの少しだけでも、
そういった母親たちよりも、「上」に出れば、そういった母親たちが愚かに見えてくる。そ
のためにも、自分を高める。つまりそういう方法で、狂騒から脱する。

 いや、それ以上にたいへんなのが、R小学校の先生たちである。その小学校で、講演し
たときのこと。校長が、こう話してくれた。

 「この学校では、先生たちより、高学歴で、有名大学を出た母親たちが多くて、先生の
言うことを聞いてくれません」と。そのため、母親たちが、ささいな問題を、ことさら大
げさにとらえては、大騒ぎする、と。

 「先生たちが、みな、萎縮してしまっています。言葉づかい一つにしても、命令口調で
は、だめなんです。『〜〜しなさい!』とでも言おうものなら、『この先生は、ダメ』とい
うレッテルを張られてしまいます」と。

 ちなみに、その小学校では、生徒に向っても、「掃除をしてください」「あとかたづけを
してください」と、(お願い口調)で言うのだそうだ。言わなければならないのだそうだ。
(ヘエ〜〜!)

 だからあえて、私は言う。

 「私のマガジンを読みなさい」と。「何回か、読んでくれれば、教育に対する考え方がち
がってくるはず。視野も広く、高くなるはず」と。

自分を高めるということは、混沌とした世界で、地図を手にするようなもの。地図があ
れば、道に迷うことはない。くだらない狂騒に巻きこまれることはない。

【教訓】

 愚かな人からは、利口な人がわからない。利口な人からは、愚かな人がわかる。利口な
人は、愚かな人たちとは、一線を画す。そこで愚かな人たちは、愚かな人たちだけでグル
ープをつくり、その中で、自分だけは利口だと思う。その愚かな人たちに巻きこまれると、
やがて、自分も、その愚かな人になる。

 そういった愚かな人たちと戦うためには、自ら、理論武装するしかない。そのためにも、
ぜひぜひ、「はやし浩司のマガジン」を読んでほしい。


●権威主義は断絶のはじまり

 「私は親だ」というのが、親意識。この親意識が強いと、子どもはどうしても親の前で
いい子ぶるようになる。もう少しわかりやすく言うと、仮面をかぶるようになる。その仮
面をかぶった分だけ、子どもの心は親から離れる。

 親子の間に亀裂を入れるものに、三つある。リズムの乱れと相互不信、それに価値観の
ズレ。

このうち価値観のズレの一つが、ここでいう親の権威主義である。もともと権威という
のは、問答無用式に相手を従わせるための道具と考えてよい。「男が上で女が下」「夫が
上で妻が下」「親が上で子が下」と。

もっとも子どもも同じように権威主義的なものの考え方をするようになれば、それはそ
れで親子関係はうまくいくかもしれない。が、これからは権威がものを言う世界ではな
い。またそういう時代であってはならない。

 そこであなた(あなたの夫)が権威主義者かどうか見分ける簡単な方法がある。それに
は電話のかけ方をみればよい。

権威主義的なものの考え方を日常的にしている人は、無意識のうちにも人間の上下関係
を判断するため、相手によって電話のかけ方がまるで違う。地位や肩書きのある人には
必要以上にペコペコし、自分より「下」と思われる人には、別人のように尊大ぶったり
いばってみせたりする。

このタイプの人は、先輩、後輩意識が強く、またプライドも強い。そのためそれを無視
したり、それに反したことをする人を、無礼だとか、失敬だとか言って非難する。

もしあなたがそうなら、一度あなたの価値観を、それが本当に正しいものかどうかを疑
ってみたらよい。それはあなたのためというより、あなたの子どものためと言ったほう
がよいかもしれない。

 日本人は権威主義的なものの考え方を好む民族である。その典型的な例が、あの「水戸
黄門」である。側近のものが三つ葉葵の紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すると、周
囲のものが皆頭をさげる。

ああいうシーン見ると、たいていの日本人は「痛快!」と思う。しかしそれが痛快と思
う人ほど、あぶない。このタイプの人は心のどこかでそういう権威にあこがれを抱いて
いる人とみてよい。ご注意! 

+++++++++++++++++

●頭をよくする方法

 もう一五年ほど前のことだが、アメリカの「サイエンス」という雑誌に、こんな論文が
載った。

「ガムをかむと頭がよくなる」と。

この世界ではもっとも権威ある雑誌である。で、その話を母親たちの席で話すと、「では
……」と言って、それを実行する人が何人か出た。

で、その結果だが、たとえばN君は、数年のうちに本当に頭がよくなってしまった。I
君もそうだった。これらの子どもは、年中児のときからかみ始め、小学一、二年になる
ころには、はっきりとわかるほどその効果が表れてきた。

N君もI君も、幼稚園児のときは、ほとんど目立たない子どもだった。どこかボーッと
していて、反応も鈍かった。が、小学二年生のころには、一〇人中、一、二番を争うほ
ど、積極的な子どもになっていた。

 で、それからもこの方法を、私は何一〇人(あるいはそれ以上)もの子どもに試してき
たが、とくに次のような子どもに効果がある。どこか知恵の発育が遅れがちで、ぼんやり
しているタイプの子ども。集中力がなく、とくに学習になると、ぼんやりとしてしまう子
どもなど。

 ガムをかむことによって、あごの運動が脳神経によい刺激を与えるらしい。が、それだ
けではない。この時期まだ昼寝グセが残っている子どもは多い。子どもによっては、昼ご
ろになると、急速に集中力をなくしてしまい、ぼんやりとしてしまうことがある。が、ガ
ムをかむことによって、それをなおすことができる。五、六歳になってもまだ昼寝グセが
残っているようなら、一度ガムをかませてみるとよい。

 なおガムといっても、菓子ガムは避ける。また一つのガムを最低でも三〇分はかむよう
に指導する。とっかえひっかえガムをかむ子どもがいるが、今度は甘味料のとり過ぎを心
配しなければならない。

息を大きく吸い込んだようなとき、大きなガムをのどにひっかけてしまうようなことも
ある。走ったり、騒いでいるようなときにはガムをかませないなどの指導も大切である。

もちろんかんだガムは、紙に包んでゴミ箱に入れるというマナーも守らせるようにした
い。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【心のロード・マップ】

++++++++++++

心をどう考えたらよいのか。
そのロード・マップについて

++++++++++++

●精神と情緒

 人間の知的活動としての、「精神」。人間の頭脳が、質としてもつ、「情緒」。まずこの二
つを分ける。(脳が質としてもっている性質を、ここでは「情緒」とした。ほかに適切な言
葉がないので、そうした。一般でいう「情緒」とは、ちがった意味である。)

 つぎに、その「精神」は、発達しうるものであり、その人の努力によって、完成されう
るものである。

 これに対して、「情緒」は、人間の頭脳が、質としてもっているため、生涯にわたって、
それを変えることは、不可能である。

 その「精神」の完成度は、(1)いかに相手の立場で考えられるか(利他の程度)。(2)
いかに自分の情緒(感情)をコントロールできるか。(3)いかに自分らしさをもっている
か。この3つをみて、判断する。

 いかに相手の立場で考えられるか……それが利己、つまり自己中心性からの決別という
ことになる。自己中心性がきわまると、たとえば、それは自己愛へと発展する。一方、利
他がきわまると、仏教でいう慈悲。キリスト教でいう愛へと、発展していく。

 つぎにいかに情緒(感情)をコントロールできるか……人間が質としてもっている情緒
は、それ自体は、悪いものではない。この情緒、つまり感情が、人間の生活を、うるおい
豊かなものにする。無数のドラマも、そこから生まれる。しかし野放しにしてはいけない。
それが、情緒のコントロールということになる。

 情緒に振りまわされ、そのときどきで、「私」を見失う人は、精神の完成度の低い人とみ
てよい。

 最後にいかに自分らしさをもっているか……人の一生を、最初に、「発達」ととらえたの
は、アメリカの精神分析学者のエリクソン(E・H・エリクソン、1902〜)である。
彼は、自分らしさを、「アイデンティティ(自己同一性)」という言葉を使って説明した。

 この自己同一性には、(1)独自性、(2)統合性、(3)連続性が含まれる。教える立場
でいうなら、(つかみどころ)ということになる。

 アイデンティティの確立している子どもは、「この子は、こういう子ども」という輪郭(り
んかく)が、はっきりとしている。そうでない子どもは、その輪郭が軟弱で、何を考えて
いるか、わかりにくい。

 その中でも、その人の中心にあって、核になっている部分を、「コア(核)・アイデンテ
ィティ」と呼ぶ。精神の完成度の高い人ほど、このコアの輪郭が、明確である。

 以上が、私が考える、「心のロード・マップ」ということになる。

 一言、付け加えるなら、精神の完成度とはいうものの、生涯にわたって、その精神が完
成するということは、ありえない。そういう意味で、精神論と健康論は、似ている。今日、
すばらしい健康法を身につけたからといって、健康が、そのまま、将来にわたって、保証
されるわけではない。

 健康が、日々のたえまない努力と研鑽(けんさん)によって、はぐくまれ、維持できる
ように、精神の完成もまた、日々のたえまない努力と研鑽のみによって、はぐくまれ、維
持できる。釈迦が法句経の中で、「精進(しょうじん)」という言葉を使って説明している
ように、完成ということはありえない。

 つねに人間は、社会、つまり周囲の状況や人に接することにより、その中で、精神の完
成度をためされる。社会から孤立し、せまい部屋の閉じこもることは、エリクソンも言っ
ているように、それは、アイデンティティとは、言わない。


●国家人格論

 先日、ある男性と、こんな議論をした。その男性は、40歳くらい。ある大手の進学塾
を経営している。

 その男性いわく、「日本人には、日本人のアイデンティティがある。大和民族としての、
誇りがある。それを主張していくのは、日本人として、重要なことである」と。

 しかし国家としてのアイデンティティとは何か? 大和民族的であることが、はたして
アイデンティティと言えるのか。私は、アイデンティティの問題は、もっと別の角度から
考えなおしてみる必要があると思う。たぶん、その男性は、日本人としての個性、それを
アイデンティティと言ったのだろうが……。

 たとえば国家というのは、その国家を構成する国民が、集合されて、一つの性格をもつ。
そしてその性格が、外の世界からも、わかることがある。

 たとえばわかりやすい例として、隣のK国をあげてみよう。あのK国は、何かにつけて、
ひがみやすく、いじけやすい。ささいなことを針小棒大にとりあげては、大騒ぎする。

 印象に残っているのは、K国のスポーツ選手団が、東北のある都市にやってきたときの
こと(02年)。日本人の応援団とのちょっとしたトラブルを、おおげさにとりあげて、「選
手をひきあげる」「大会をボイコットする」などと言ったりした。

 当時の日本は、K国の拉致問題が、大きくなりかけていた。そういうことも考えるなら、
多少のトラブルは、しかたのないこと。私たちにしても、「ようこそおいでになりました」
と、歓迎するムードではなかった。

 そんなわけで、あのK国の人たちがからんでくると、神経をつかう。いつ機嫌をそこね
るか、わかったものではない。接する側は、ハレモノに触れるような感じになる。つまり、
私がいう、アイデンティティというのは、そういうものをいう。

 ……と書いて、内心で、「待てよ」と思った。「こういうのは、アイデンティティとは、
言わないぞ」と。

 もう一度、最初から考えなおしてみよう。

 個人についてのアイデンティティとは、「私は何か」「私は、どう生きるべきか」「私は、
なぜ生きているか」と、「私」というものを、明確にしていくことをいう。

 しかしここで誤解してはいけないのは、アイデンティティというときは、他者のかかわ
りがあってはじめて、アイデンティティという。小さな部屋に閉じこもって、他人との接
触を断ちきって生きることは、アイデンティティとは言わない。

 国にたとえて言うなら、国境を閉鎖して、鎖国状態の国には、そもそもアイデンティテ
ィはないということになる。

 となると、国としてのアイデンティティとは、「私の国は、こういう国だ」という、主義
主張のこということになる。もっと言えば、国としての正義、それがアイデンティティと
いうことになる。

 再び、個人というレベルで考えてみよう。昔、近くで、こんな事件があった。

 小学3年のA君が、B君をなぐって、けがをさせる事件が起きた。B君は、かなり生意
気な子どもだった。

 が、A君の家庭は、母子家庭。しかもA君の母親は、B君の父親が経営する工場で、働
いていた。

 それを知ったA君の母親は、A君をつれて、B君の家に、あやまりに行った。

 が、A君は、がんとして、あやまらなかった。玄関先で、母親が、何度もA君に頭をさ
げるように言ったが、A君は、最後まで、頭をさげなかった。

 そればかりか、その日を境にして、A君は、A君の母親とは、口をきかなくなってしま
った。よほど、A君は、くやしかったのだろう。

 この事件をとおしてわかることは、A君は、そのアイデンティティが、きわめてはっき
りした子どもだったということ。A君は、A君なりの方法で、自分の正義をつらぬいた。

 もうおわかりかと思う。国家としてアイデンティティとは、着物を着て、刀をさげて歩
くことではない。大和民族として、その民族性にこだわることでもない。

 国家としてのアイデンティティとは、国家としての生きザマをいう。そして生きザマを、
他の国々に、正義として、それを示すことをいう。今の日本について言えば、民主主義の
あり方を、世界に誇示することである。

 今はこの程度のことしかわからないが、そんなわけで、冒頭にあげた、その男性のアイ
デンティティ論には、どうしても納得できない。民族衣装を着て、国際会議に出たからと
いって、アイデンティティを主張したことにはならないということ。

 むしろ世界の中では、いまだに、「日本という国は、マネーのためなら、平気で正義をね
じまげる国」と思われている。実際にそうなのだから、反論のしようがないが、しかしそ
れではいつまでたっても、日本は、自分のアイデンティティを確立することができない。
つまり人格的に、未発達なまま、終わってしまうということ。

 この先は、もう少し時間をおいてから、考えてみたい。
(040806・広島、原爆の日に……)


●不安と不満

 仕事がないといっては、不安をもらす。その一方で、どさりと仕事が入ったりすると、
今度は、一転、不満をもらす。

 そういう人は、多い。

 そこで改めて、不安と不満の関係について、考えてみる。ともに精神的なもろさが関係
している。

 人格の完成度は、いかに感情のコントロールができるかで、決まる。それができる人を、
人格の完成度の高い人といい、そうでない人を、そうでないという。これを私は勝手に、「人
格のコントロール理論」と呼んでいる。(エヘン!)

 そこで登場するのが、(はやし浩司のプラス・マイナス理論)。(エヘン!)

 一つの感情に対して、コントロール不足の状態にになると、人は、不安に感ずる。反対
に、オーバーコントロールの状態になると、人は、不満に感ずる。つまり不安が起きるの
は、(精神力がマイナスの状態)、不満が起きるのは、(精神力がプラスの状態)ということ
になる。

 こうして考えると、一見別に見える感情が、同一線上で、並べて考えることができる。

 ほかに、攻撃(家庭内暴力)と内閉(引きこもり)の関係、非行と不登校の関係など、
プラス・マイナス理論で考えると、うまく説明ができる。対処方法も、統一できる。

 で、不安と不満。一見、バラバラに見える人間の感情だが、人格によるコントロール理
論を使うと、実は、統一的に考えることができる。つまり不安になるのも、その一方で不
満になるのも、同一面でとらえることができる。

 言いかえると、一見複雑に見える人間の心理も、もとを正せば、単純なもの。ついでに
つけ加えれば、私は、そうした人間の心理を、「原始心理」という言葉を使って、説明して
いる。

 人間がミミズやネズミのような生物であったときからもっている心理、それを私は「原
始心理」と呼んでいる。(エヘン!)

 つまり人間の心理も、ミミズやネズミの心理と、それほどちがわないということ。単
純化すれば、きわめて単純な理論で、人間の心理を説明できるということ。

 それについては、以前にも書いたので、今日は、ここまで。
(はやし浩司 原始心理 プラスマイナス理論 プラス・マイナス理論 不安 不満 人
格のコントロール理論)
(040807)

 
●挫折(ざせつ)2
 
 人は大きなカベにぶつかり、そこでそのカベに抗しきれないとわかると、挫折感を覚え
る。

 仕事に行きづまったとき、失敗したとき、クビになったときなど。

【第1期】抵抗と葛藤の時期

 その可能性や、危険性を感ずると、人は、無意識のうちにも、回避行動をとろうとする。
代替的な方法を選択することもある。火事を遠くで見たばあいを、想像すればよい。

 そして「とりあえず、私だけでも……」と考える。ものの考え方が、自己中心的になる。
そしてその火事が近くになってくると、その火事を消すために、あれこれ方策を練る。

【第2期】不安と絶望の時期

 その可能性や、危険性が、具体的になり、回避できないものとわかると、生活や将来へ
の不安感が、一気に高まる。自己否定から絶望的になる人も多い。

 それまでごまかしていた、精神的なもろさが、表面に吹きだしてくることもある。精神
的な緊張感がつづき、情緒も不安定になる。

【第3期】受容と安穏の時期

 人の心は、不安定な状態には、それほど長く、耐えられない。心が不安定であるよりは、
現状を受けいれ、静かに、あきらめようとする。こうした現象は、「フリップ・フロップ理
論」で説明される。

 一時的に無気力になったり、無感動になったりすることがある。自信喪失から、ものの
考え方がなげやりになることもある。

 しかし人は、やがて心静かなときを迎える。無数の、混然とした価値観が整理され、そ
の中から、大切なものと、そうでないものを選び始める。こうして人は、つぎの目標に向
って、再び、歩き始める。

++++++++++

 私の経験では、大きな挫折感を経験すると、人は、そのドン底で、二種類の人間に分か
れるのではないかと思っている。

 ひとつは、その時点を境に、くそまじめになる人。もうひとつは、その時点を境に、そ
のまま悪人になる人。ドン底を経験したからといって、よい人間になるとはかぎらない。
約半数は、邪悪で、汚れた考え方をするようになる。

 そのちがいは、どこにあるか。

 私は、その人がそれまでに心の中に蓄積した、文化性ではないかと思う。自分に対する
高いプライド。それがある人は、ドン底でも、決して、悪人にはならない。基本的には、「私
はすばらしい人間だ」と、最後の最後で抵抗する人は、決して、悪人にはならない。

 「私は、どうせダメな人間だ」と、あきらめた人は、そのままズルズルと悪人になって
いく(?)。

 今は、仕事も順調で……という人も、そしてあなたの子どもも、いつか、どこかで、そ
のドン底を経験するかもしれない。そのときのために、心の中に、高いプライドを用意し
ておくことは、大切なことではないか。

 子どもについて言うなら、最後の最後のところでは、「私はすばらしい人間だ」と思うよ
うに、しておく。ふんばれるようにしておく。これは子育てをする上において、とても重
要なことである。

 さらに一言。こうした挫折感は、若いときに経験しておくとよい。できるだけ若いとき、
だ。できれば、結婚前がよい。

 私も幼稚園講師になって半年目くらいに、すべてをなくしたことを思い知らされた。そ
のとき、私は、「浩司、死んではだめだ」と、自分に言って聞かせて、仕事をつづけた。つ
らい毎日だった。

 しかしそれ以後、私は、たくましくなったというより、簡単には挫折しなくなった。苦
しいことやつらいことがあると、あの夜のことを、いつも思い出す。それについては、ま
た別の機会に書くことにして、今、挫折について考えている人には、一つの参考にはなる
と思う。


●依存心は、愛にあらず!

 Mさん(母親・35歳)が、こう言った。年長児クラスのレッスンが、終わったときの
ことだった。

 「二男が、私にべたべたと、甘えて困ります。私がいないだけで、不安がったり、さみ
しがったりします。二男は、それだけ私を愛しているのでしょうか」と。

 しかし残念ながら、それは愛ではない。依存心である。

 昔の人は、親にべたねたと甘える子どもイコール、かわいい子。かわいい子イコール、
よい子とした。つまり親に対する依存性が強ければ強いほど、親子のきずな(パイプ)が、
太いと考えた。

 しかし、これは、まったくの誤解。とんでもない誤解。

 よい例がストーカーである。ストーカーは、相手の意向など、まったくお構いなしに、
その相手を追いかけまわす。もちろん相手を愛しているからではない。自分の心のすき間
を埋めるために、そうしている。

 夫婦についても、同じ。

 よくたがいに、べたべたの夫婦をみかける。しかしそういう姿を見ると、たがいに愛し
あっているから、そうしていると、思いがち。しかしそれは誤解。たがいに、心のすき間
を、埋めあっているだけというケースも、少なくない。

 もう少し、具体的に考えてみよう。

 夫の中には、自分のために、(自分自身のためだけに)、家族をつくりあげている人が多
い。それなりに自己犠牲心もあり、自分では、「家族のためにがんばっている」という意識
も強い。

 しかしそれでいて、実のところ、家族のことは、何も考えていない。すべて自己中心的
で、家族も、結局は、自分のためにあると考える。このタイプの夫は、よく「仕事」を口
実にする。「仕事がある」「仕事のため」と言えば、すべてが免除されると考える。

 仕事第一主義が悪いわけではないが、その仕事のためなら、家族が犠牲になって当然と
考える。

 しかしその仕事というのは、夫自身の野心の追求の場でしかない。自分の目的、希望を
達するための方便にすぎない。そのための妻であり、家族ということになる。

 このタイプの夫が、好んで使う言葉が、「家族を養ってやる」という言い方。「食わせて
やる」「オレのおかげで……!」という言い方をする人もいる。
 
 しかし考えてみると、これは私自身の問題でもある。

 私も、自分のために妻や家族を利用している。100%、無私の状態で、妻や家族に接
しているかというと、本当のところ、あまり自信ない。私はもともと古いタイプの人間で
ある。どこかで夫意識や、家長意識を感じてしまう。

 今、ワイフにベタベタしているからといって、ワイフを愛していることにならない。依
存性と、愛は、はっきりと分けて考えたほうがよい。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自己中心的な人

 ワイフと食事をしているとき、こんな話になった。

 ワイフの友人の叔父の話である。その叔父は、長野県と静岡県の県境にある、小さな村
に住んでいる。昔からの茶農家ということだそうだ。

 その叔父が45歳くらいのときのこと。ある日突然、愛人を家に連れてきたという。そ
して叔父の妻(叔母)に、いきなり、こう命令したという。

 「今日から、この女(愛人)も、この家に住むことになった。めんどうを、みてやって
くれ」と。

 この話に、妻(叔母)は、激怒。怒ったことがない女性だったが、このときばかりは、
泣きながら、こう叫んだという。「いやよ!」と。

 当然である。で、この話を、ワイフが私にしながら、「この話は、マンガみたいだけど、
本当にあった話よ」と。

 私はその話を聞きながら、「ジコチュー人間のきわまり、ここにあり」と思った。

 言うまでもなく、自己中心型の人は、他人の立場でものを考えることができない。自分
の言葉や行動が、相手にどういう印象を与えているかがわからない。相手がどう考え、ど
う思っているかさえわからない。

 すべて自分だけの、つまりは独善的な考えだけで、ものごとを判断してしまう。

 ワイフの友人の叔父にしても、愛人がいるということだけでも、大問題。その上、その
愛人を家につれてきて、「めんどうをみろ」は、ない。

 こうした常識ハズレの行為は、自己中心型人間に、広く見られる現象である。

 で、この自己中心性がきわまってくると、自己愛へとつながる。友人はもちろんのこと、
家族すらも、自分を飾るための道具にすぎない。自分は愛されてもあたりまえと考えるが、
その一方で、他人を愛することができない。だいたいにおいて、愛というものが、何であ
るかさえわかっていない。

 さらに自己愛が肥大化すると、自分だけが完ぺきで、完全な人間となる。他人を信じな
い。信じられない。自分は好き勝手なことをするくせに、他人には、それを許さない。

 さらに悲劇的なのは、自分の尺度で、他人を判断しようとすること。ワイフの友人の叔
父は、自分では、毎月のように、(つきあい?)で、あちこちへ旅行に行っているのに、妻
(叔母)には、絶対に、それを許さなかったという。

 つまり自分の妻を、カゴの鳥にして、家の中に閉じこめてしまった。

 ワイフは、こう言った。「自分では浮気し放題だから、きっと奥さんもそうするのではな
いかと、心配だったのね」と。

簡単に言えば、そういうことになるが、そのため一見、社交的で、交際範囲は広いもの
の、どの人とも、深くは交われない。自己中心型の人間は、厚いカラの中に入るため、
心を開くことができない。だから友人ができない。

 ワイフの友人の叔父を参考に、ジコチュー夫の特徴を列挙してみると、こうなる。

(1)何かにつけて、完ぺき主義で、妻にそれを求める。
(2)妻を自分の力のおよぶ範囲に、閉じこめようとする。
(3)ワンマンで、亭主関白。家長意識が強い。わがまま。
(4)妻はもちろん、家族は、自分を飾るための道具でしかない。
(5)「仕事」を理由にすれば、すべて許されると思いこんでいる。
(6)犠牲心は強いが、それはあくまでも、自分のための自己犠牲。
(7)愛されること求めるが、人を愛することができない。
(8)ジコチューで、相手の立場でものを考えることができない。
(9)自分が批判されるのを許さない。批判されると、極端にそれを気にする。

 こうしたジコチュータイプ、あるいは自己愛タイプの夫をもつと、妻は、不幸である。
妻は、まさに夫の奴隷と化す。(たいていは妻が現状を受けいれ、あきらめるので、表面的
には、うまくいっているように見えることが多い。)

 で、こうしたジコチュータイプの夫は、なおるかどうかという問題。

 私の周囲にも、似たような人は多いが、結論を先に言えば、まず無理ではないかという
こと。自己中心性にせよ、自己愛にせよ、青年期までに一度、心の中に形成されると、そ
れを改めるのは、容易ではない。

 仮に本人がそれを自覚したとしても、そのあと、長い時間がかかる。10年とか、20
年とか、それくらいの時間は、かかる。「私はジコチューだ。今日から改めます」というわ
けには、いかない。

 この問題は、そういう問題である。


●挫折(ざせつ)

 近くに、またまた超大型のショッピングセンターができた。静岡県でも、最大級だとい
う。

 おかげで、今まで以上に、地元の商店街(すでにあってないようなものだが……)が、
モロに影響を受けることになった。

 力が残っている商店は、テナントという形で、出店できる。しかしその力のない商店は、
いままでの仕事にしがみつくしかない。が、これとて、まさに地獄の負け戦(いくさ)。

 そう、まさに、負け戦。

 その負け戦の、つらさ、苦しさは、それを経験したものでないと、わからないだろう。
何をしても裏目、裏目に出る。しかしギブアップすることは、できない。精一杯の笑顔を
つくって、外見上は、明るく振る舞わねばならない。

 しかし明日は、確実に、今日より悪くなる。来年は、確実に今年より、悪くなる。こう
したジリ貧が、日常的につづく。

 客商売のつらいところは、こちら側からは、打つ手がないということ。宣伝力にも、限
りがある。あるいは宣伝しても、経費ばかりかかって、効果は、ほとんど、ない。ジリジ
リと、何をするでも、また何をしないでもなしという状態で、時間ばかりがすぎる。

 こういうとき、さらにそれに追い討ちをかけるように、いろいろなザギ商売が、たかっ
てくる。

 「安く広告を出しますよ」と言ってくるのは、ミニコミ誌。実際の発行部数など、20
00部もないのに、公称、数万部! 「市内全域、数十万人の人が見ます」と平気で、ウ
ソをつく。

 「経営コンサルタントします」と言ってくるのは、モグリの経営アドバイザー。一回の
相談だけで、数万円。ウラで改築屋とつるんでいることも多い。

 さらに、定番のサラ金。わけのわからない保証協会などなど。そういうところで、一度、
お金を借りたら最後。あとは、丸裸にされるまで、財産をむしり取られる。

 それにテナントとして出店したくても、ノウハウも知らない。説明会にでかけても、チ
ンプンカンプン。それに体力もない。気力もない。

 こうしてあとは、なだらかな下り坂。家計を切りつめ、貯金を切り崩す。「もう年だから
……」「年相応に、収入が減ってもしかたないよ……」と、自らをなぐさめる。しかしそこ
にあるのは、晩秋の、うす暗いたそがれ。かわいた風だけが、枯れた葉っぱを吹きあげて、
回っている。

 酒に溺れようか。店を閉めようか。土地と家を売って、田舎へ引っ越そうか……。いろ
いろ考えては、自分で、それを消す。あとは仲間の商店街の人たちと、うさばらし。

 世の中、うらめしい。しかし、そこは浮世。勝つものがいれば、負けるものもいる。道
路をトボトボと歩く足にも、力は入らない。外に出ても、家に帰るのがつらい。問屋で電
話する声も、ますますハリがなくなった。「よろしく」「お願いします」だけを、米つきバ
ッタのように繰りかえす。

 挫折(ざせつ)? 

 そう、まさに挫折。袋小路に入ったままの挫折。先に道が見えない、挫折。

 ……私が、学生時代に見た、これが私の家の実情である。私はいつしか、「商売だけは、
ごめん」と思った。だから今、地元の商店街を歩くたびに、あのころの思いが、途切れる
ことなく、心に呼びもどってくる。

 「たいへんだろうな」と思ったとたん、胸がつまる。

 しかし本当に重要なことは、同時に、つまり地元の商店街が消えると同時に、その地域
の文化も消えるということ。100年とか、200年とか、そういう長い年月をかけて生
まれ育った、文化が消えるということ。

 それは心の中の、歴史を消すことに等しい。……と、そのさみしさを感じているのは、
私だけか……?

【補記】

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が高校生になるころには、閉店状態だった。

 70歳をすぎた祖父は、趣味のバイクを、なおしては使って、遊んでいるだけ。父は、
体が弱く、酒に溺れる毎日。もちろん家計は、火の車。

 が、気丈夫な母だけは、見栄とメンツと世間体だけは、守った。あるはずもない財産を、
ことさらあるように見せ、精一杯の虚勢を張っていた。

 私が大学へ入ってからも、仕送りは、1万円の下宿代だけ。生活費は、アルバイトで稼
ぐしかなかった。やがてその1万円も、とどこおるようになった。下宿のおばさんに、頭
をさげる月が、何か月もつづいた。

 商売は、そういう意味では、どこか魚釣りに似ている? 家の中で、客がくるのを、じ
っと待っている。おいしそうなエサを用意して、待っている。

 しかしそのエサを選ぶのは、あくまでも客。その客がエサに食いつくまで、じっと待つ
しかない。

 私はいつしか、魚釣りが大嫌いになった。同時に、「商売だけは、絶対にしたくない」と、
心の中で、思うようになった。




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 以上、率直なお願いです。

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 ありがとうございました。
                     
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●音読と黙読は違う

 小学三年生くらいになると、読解力のあるなしが、はっきりしてくる。

たとえば算数の文章題。読解力のない子どもは、問題を読みきれない、読みまちがえる、
など。あちこちの数字を集めて、めちゃめちゃな式を書いたりする。親は「どうしてう
ちの子は、問題をよく読まないのでしょう」とか、「そそっかしくて困ります」とか言う
が、ことはそんな簡単なことではない。

 話は少しそれるが、音読と、黙読とでは、脳の中でも使う部分がまったく違う。

音読は、一度自分の声で文章を読み、その音を聞いて文の内容を理解する。つまり左脳
がそれをつかさどる。一方黙読は文字を図形として認識し、その図形の意味を判断して
文の内容を理解する。つまり右脳がそれをつかさどる。

音読ができるから黙読ができるとは限らない。

ちなみに文字を覚えたての幼児は、黙読では文を読むことができない。そんなわけで子
どもが文字をある程度読むことができるようになったら、黙読の練習をさせるとよい。
方法は、「口をとじて本を読んでごらん」と指示する。

ある研究団体の調査によれば、黙読にすると、小学校の低学年児で、約三〇%程度、読
解力が落ちることが」わかっている(国立国語研究所)。

 ではどうするか。もしあなたの子どもの読解力が心配なら、方法は二つある。

一つは、あえて音読をさせてみる。たとえば先の文章題でも、「声を出して問題を読んで
ごらん」と言って、問題を声を出させて読ませてみる。読んだ段階で、たいていの子ど
もは、「わかった!」と言って、問題を解くことができる。が、それでも効果があまりな
いときは、こうする。

問題そのものを、別の紙に書き写させる。子どもは文字(問題)を一度文字で書くこと
によって、文字の内容を「音」ではなく、「形」として認識するようになる。少し時間は
かかるが、黙読が苦手な子どもには、もっとも効果的な方法である。

 読解力は、すべての科目に影響を与える。文章の読解力を訓練しただけで、国語はもち
ろんのこと、算数や理科、社会の成績があがったということはよくある。決して軽くみて
はいけない。

++++++++++++++++++

●計算力は早数えで

 計算力は、早数えで決まる。たとえば子ども(幼児)の前で手をパンパンと叩いてみせ
てほしい。早く数えることができる子どもは、五秒前後の間に、二〇回前後の音を数える
ことができる。そうでない子どもは、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えるため、どう
しても遅くなる。

 そこで子どもが一〜三〇前後まで数えられるようになったら、早数えの練習をするとよ
い。

最初は、「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」でも、少し練習すると、「イチ、ニ、サン……」
になり、さらに「イ、ニ、サ……」となる。さらに練習すると、ものを「ピッ、ピッ、
ピッ……」と、信号にかえて数えることができるようになる。これを数の信号化という。

こうなると、五秒足らずの間に、二〇個くらいのものを、瞬時に数えることができるよ
うになる。そしてこの力が、やがて、計算力の基礎となる。たとえば、「3+2」という
とき、頭の中で、「ピッ、ピッ、ピッ、と、ピッ、ピッで、5」と計算するなど。

 要するに計算力は、訓練でいくらでも早くなるということ。言いかえると、もし「うち
の子は計算が遅い」と感じたら、計算ドリルをさせるよりも先に、一度、早数えの練習を
してみるとよい。ただし一言。

 計算力と算数の力は別物である。よく誤解されるが、計算力があるからといって、算数
の力があるということにはならない。

たとえば小学一年生でも、神業にように早く、難しい足し算や引き算をする子どもがい
る。親は「うちの子は頭がいい」と喜ぶが、(喜んで悪いというのではない)、それは少
し待ってほしい。計算力は訓練で伸びるが、算数の力を伸ばすのはそんな簡単なことで
はない。

子どもというのは、「取った、取られた」「ふえた、減った」「多い、少ない」「得をした、
損をした」という日常的な経験を通して、算数の力を養う。またそういう刺激が、子ど
もをして、算数ができる子どもにする。そういう日常的な経験も忘れないように!(は
やし浩司のサイト:http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

++++++++++++++++++++++

●はだし教育を大切に

 以前、動きがたいへんすばやい子ども(年長男児)がいた。ドッチボールをしても、い
つも最後まで残っていた。そこで母親に秘訣を聞くと、こう話してくれた。

「乳幼児期は、ほとんど、はだしで過ごしました。雨の日でもはだしだったので、近所
の人に白い目で見られたこともあります」と。その子どもは二歳になるときには、うし
ろ向きにスキップして走ることができたそうだ。

 子どもの敏捷(びんしょう)さを養うには、はだしがよい。子どもというのは足の裏か
らの刺激を受けて、その敏捷性を養う。反対に分厚い底の靴に、分厚い靴下をはいて、ど
うして敏捷性を養うことができるというのか。

一つの目安として、階段をおりる様子を観察してみればよい。敏捷な子どもは、スタス
タとリズミカルに階段をおりることができる。そうでない子どもは、手すりにつかまっ
て一段ずつ、恐る恐るおりる。

階段をリズムカルにおりられない子どもは、年中児で一〇人に一人はいる。あるいは傾
いた土地や、川原の石ころの間を歩かせてみればよい。敏捷な子どもは、ピョンピョン
と平気で飛び跳ねるようにして歩くことができる。そうでない子どもはそうでない。

もしあなたの子どもの敏捷性が心配なら、今日からでも遅くないから、はだしにすると
よい。あるいはよくころぶ(※)とか、動作がどこか遅いというようなときも、はだし
にするとよい。(分厚い靴や分厚い靴下をはきなれた子どもは、はだしをいやがるが、そ
うであるならなおさら、はだしにしてみる。)

 この敏捷性はあらゆる運動の基本になる。言い換えると、もともと敏捷さがあまりない
子どもに、あれこれ運動をさせてもあまり上達は望めない。(はやし浩司のサイト:
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

(※……ころびやすい子どものばあい、敏捷性だけでは説明がつかないときもある。そう
いうときは歩く様子をまうしろから観察してみる。X脚になって足が互いにからむようで
あれば、一度小児科のドクターに相談してみるとよい。)

+++++++++++++++++++++

●文字の前に運筆練習を

 文字を書くようになったら、(あるいはその少し前から)、子どもには運筆練習をさせる
とよい。一時期、幼児教育の世界では、ぬり絵を嫌う時期もあったが、今改めてぬり絵の
よい点が見なおされている。

子どもはぬり絵をすることで、運筆能力を発達させる。ためしにあなたの子どもに丸(○)
を描かせてみるとよい。運筆能力の発達した子どもは、きれいな(スムーズな)丸を描
く。そうでない子どもは多角形に近い、ぎこちない丸を描く。

言うまでもなく、文字は複雑な曲線が組み合わさってできている。その曲線を描く力が、
運筆能力ということになる。またぬり絵でも、運筆能力の発達している子どもは、小さ
な四角や形を、縦線、横線、あるいは曲線をうまく使ってぬりつぶすことができる。そ
うでない子どもは、横線なら横線だけで、無造作なぬり方をする。

 ところでクレヨンと鉛筆のもち方は基本的に違う。クレヨンは、親指、人差し指、それ
に中指ではさむようにしてもつ。鉛筆は、中指の横腹に鉛筆を置き、親指と人差し指で支
えてもつ。鉛筆をもつようになったら、一度、正しい(?)もち方を練習するとよい。(と
くに正しいもち方というのはないが、あまり変則的なもち方をしていると、長く使ったと
き、手がどうしても疲れやすくなる。)

ちなみに年長児で約五〇%が鉛筆を正しく(?)もつことができる。残りの三〇%はクレ
ヨンをもつようにして鉛筆をもつ。残りの二〇%は、それぞれたいへん変則的な方法で
鉛筆をもつ。

 さらに一言。一度あなた自身が鉛筆をもって線を描いてみてほしい。そのとき指や手、
さらには腕がどのように変化するかを観察してみてほしい。たとえば横線は手首の運動だ
けで描くことができる。しかし縦線は、指と手が複雑に連動しあってはじめて描くことが
できる。

さらに曲線は、もっと複雑な動きが必要となる。何でもないことのように思う人もいる
かもしれないが、幼児にとって曲線や円を描くことはたいへんな作業なのだ。

 「どうもうちの子は文字がへただ」と感じたら、紙と鉛筆をいつも子どものそばに置い
てあげ、自由に絵を描かせるようにするとよい。ぬり絵が効果的なことは、ここに書いた
とおりである。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●コア・アイデンティティ(2)

 自己同一性のことを、アイデンティティという。(もともとは、アイデンティティを、「自
己同一性」と翻訳した。)

 自己同一性とは、その言葉どおり、自分の同一性をいう。

 たとえば「私」。私の中には、私であって、私である部分と、私でない部分がある。その
私であって私である部分が、本来の「私」。その私が、そのままストレートに、外の世界へ
出てくれば、よし。そうでないときに、いろいろな問題が起きる。

 (あるいは問題があるから、ストレートに出てこないということにもなる。)

 その「私」の中でも、他人と比較したとき、きわだって、私らしい部分が、ある。これ
を、「コア(核)・アイデンティティ」という。

 しかし、自分でそれを知るのは、むずかしい。私がどんなアイデンティティをもってい
るかということを知るためには、一度、視点を、自分の外に置かねばならない。他人の目
をとおして、自分を見る。ちょうど、ビデオカメラか何かに、自分の姿を映して見るよう
に、である。

 そこで、反対に、つまり自分のアイデンティティを知るために、他人のアイデンティテ
ィを、観察してみる。

 子どものばあい、このアイデンティティのしっかりしている子どもは、「この子は、こう
いう子どもだ」という輪郭(りんかく)が、はっきりしている。「こうすれば、この子は、
喜ぶだろう」「怒るだろう」「こう反応するだろう」ということが、わかりやすい。

 この輪郭というか、つかみどころを、「コア(核)」という。

 そうでない子どもは、輪郭が、どこか軟弱で、わかりにくい。つかみどころがなく、予
想がつかない。何を考えているか、わからない。

 たとえばある子ども(年中児)が、ブランコを横取りされたとする。そのとき、その横
取りされた子どもが、横取りした子どもに向かって、「おい、ぼくが乗っているではない
か!」「どうして、横取りするのだ!」と、一喝する。ばあいによっては、取っ組みあいの
けんかになるかもしれない。

 そういう子どもは、わかりやすい。心の状態と、外に現れている様子が、一致している。
つまり、自己の同一性が守られている。

 が、このとき、中には、柔和な笑みを浮かべたまま、「いいよ」「貸してあげるよ」と言
って、ブランコを明け渡してしまう子どもがいる。

 本当は貸したくない。不愉快だと思っている「私」を、その時点で、ねじまげてしまう。
が、表面的には、穏やかな顔をして、明け渡す。……つまり、ここで本来の「私」と、外
に現れている「私」が、別々の私になる。不一致を起こす。

 一時的な不一致や、部分的な不一致であれば、問題ではない。しかしこうした不一致が
日常的に起こるようになると、外から見ても、いったいその子どもはどんな子どもなのか、
それがわからなくなる。

 ときには、虚飾と虚栄、ウソとごまかしで、身を包むようになる。世間体ばかりを気に
したり、見栄や体裁ばかりを、とりつくろうようになる。

 この時点においても、意図的にそうしているなら、それほど、問題はない。たとえばど
こかの商店主が、客に対して、そうする、など。しかし長い時間をかけて、それを日常的
に繰りかえしていると、その人自身も、自分でわけがわからなくなってしまう。自己の同
一性が、ここで大きく乱れる。

 そこで問題は、私(あなた)自身は、どうかということ。

 私は私らしい生き方をしているか。私はありのままの私で、生きているか。本当の私と、
今の私は、一致しているか。さらに「私は私」という、コアを、しっかりともっているか。

 くだらないことだが、私は、そのアイデンティティの問題に気づいた事件(?)にこん
なことがある。

 実は、私は、子どものころから、台風が大好きだった。台風が自分の住んでいる地方に
向ってくるのを知ったりすると、言いようのない興奮に襲われた。うれしかった。

 しかしそれは悪いことだと思っていた。だからその秘密は、だれにも話せなかった。と
くに(教師)という仕事をするようになってからは、話せなかった。台風が近づいてくる
というニュースを聞いたりすると、一応、顔をしかめて、「いやですね」などと言ったりし
ていた。

 つまりこの時点で、本当の私と、表面に現れている私は、不一致を起こしていたことに
なる。

 が、こんなことがあった。

 アメリカ人の友人が、こう言った。彼はそのとき、すでに日本に、5、6年住んでいた。
私が50歳くらいのときのことである。

 「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。台風が、浜松市へくるとね、(マンションの)ベラン
ダに椅子を出して、それに座って台風を見ているよ。ものが、ヒューヒューと飛んでいく
のを見るのは、実に楽しいよ」と。

 私は、それを聞いて、「何〜ダ」と思った。「そういうことだったのか」と。

 そのアメリカ人の友人は、自分の心を実にすなおに表現していた。そのすがすがしさに
触れたとき、それまでの私が、バカに見えた。私は、台風についてですら、自分の心を偽
っていた。

 何でもないことだが、好きだったら、「好き」と言えばよい。いやだったら、「いやだ」
と言えばよい。そういう「私」を、すなおに外に出していく。そしてそれが、無数に積み
重なり、「私」をつくりあげていく。

 それがアイデンティティである。「私」である。

 さて、あなたはどうだろうか? 一度、あなた自身を、客観的に見つめてみるとよい。
なお、このアイデンティティが、乱れると、その人の情緒は、きわめて不安定になる。い
ろいろな情緒障害、さらには精神障害の遠因になる。よいことは何もない。

 そうであっても、そうでなくても、自分をすなおに表現していく。それはあなた自身の
精神生活を守るためにも、とても重要なことである。

 さあ、あなたも今日から、勇気をもって、「YES」「NO」を、はっきりと言ってみよ
う。がまんすることはない。とりつくろうことはない。どこまでいっても、私は私だ。あ
なたはあなただ。

【心理学でいう、アイデンティティ】 

 心理学でいう「アイデンティティ」とは、(私らしさ)の追求というよりは、(1)「自分
は、他者とはちがうのだ」という独自性の追求、(2)「私にはさまざまな欲求があり、多
様性をもった人間である」という統合性の容認、(3)「私の思想や心情は、いつも同じで
ある」という一貫性の維持をいう。

 こうしたアイデンティティを、自分の中で確立することを、「アイデンティティの確立」
という(エリクソン)。

 ただ注意しなければならないのは、こうしたアイデンティティは、他者とのかかわりの
中でこそ、確立できるものだということ。

 暗い一室に閉じこもり、独善、独尊の世界で、孤立することは、アイデンティティでは
ない。「私らしさ」というのは、あくまでも、他者あっての「私らしさ」ということになる。

【補記】

 仮にアイデンティティを確立したとしても、それがそのまま、その人の個性となって、
外に現れるわけではない。ストレートに、そのアイデンティティが外に出てくる人もいれ
ば、そうでない人もいる。

 たとえば今、コップの中に、色水が入っているとする。その色水は、うすいブルー色で
あるとする。

 もしこのとき、コップが、無色の透明であれば、コップの外からでも、色水は、うすい
ブルー色に見える。

 しかしもしコップに、黄色い色がついていたりすると、コップの中の色水は、グリーン
に見えるかもしれない。

 このとき、コップの中の色水を、「真の私」とするなら、外から見える私は、「ニセの私」
ということになる。真の私は、外に出るとき、コップの色によって、さまざまな色に変化
する。

 たとえば私は、他人の目から見ると、明るく快活で、愛想のよい男に見えるらしい。し
かし真の私は、そうではない。どちらかというと、わがままで、むずかしがり屋。孤独に
弱く、短気。いつも不平、不満が、心の奥底で、ウズを巻いている。……というのは、言
い過ぎかもしれないが、少なくとも、(真の私)と、(外に出ている私)の間には、大きな
ギャップがある。

 真の私が入っているコップには、あまりにも、さまざまな色が混ざりすぎている。その
ため、私は、外の世界では、真の私とはちがった私に見られてしまう。

 まあ、私自身は、他人にどう見られようとかまわないが、しかし子どもを見るときは、
こうした視点をもたないと、その子どもを理解できなくなってしまうことがある。

 その子どもは、どんな色水の子どもか? そしてその子どもは、どんな色のコップに入
っているか? それを正しく判断しないと、その子どものアイデンティティを見失ってし
まうということ。

 アイデンティティの問題には、そんな問題も含まれる。
(040803)



【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●月末

 月末は、いそがしい。

 その月に出したマガジンの整理。翌月のマガジンの台紙づくり。それに今日は、たまた
ま土曜日と重なってしまった。今週出したマガジンの整理。来週発行予定(BIGLOB
E版)のマガジンの発行予約などなど。週末には、それもしなければならない。

 午後1時ごろからはじめて、すべて作業が終わったのが、ええと、今は、午後4時30
分。3時間以上も、かかってしまった!

 どこかへでかけようと思ったが、この嵐では、どこへも行けない。もうそろそろ台風1
0号が、四国のどこかへ上陸する時刻(7月31日)。

 ときおりはげしい雨が降っては、晴れる。おかしな天気だ。ただ風は、ぐんと弱くなっ
た感じ。静かだ。

 これからワイフと、買い物。夕食の献立は、サシミ。いつもどこで買うか、決まってい
る。少し遠いが、「魚Y」という店。新鮮で安い。

 それからワイフが、ビデオを借りたいと言っているので、つきあうつもり。今夜は、山
荘へ行き、一泊するつもり。

 で、詳しくは書けないが、先週、いやなことがあった。本当にいやなことがあった。そ
れでそれを思い出すたびに、イライラ……。またイライラ……。

 私が独裁者なら、あんなヤツら、強制収容所へ送ってやると、まあ、そんな恐ろしいこ
とを考えている。一家、もろともである。

 私も、結構、独裁者ぽいところがあるようだ。いや、独裁者も、私たちも、それほど、
ちがわない。この文章を読んでいるあなただって、その立場になれば、どこかの国の、あ
の独裁者と同じことをしているはず。

 まあ、こうして書くことで、うっ憤を晴らしているようなもの。

 読んでくださり、ありがとう!

 さてさて、今、別の考えが、脳ミソの中を飛来した※。それは、つぎに書くことにして、
サシミのことを、二男の妻のデニーズに話したら、こんな返事が返ってきた。

 「私はサシミが大好き。この前、日本に行ったときは、週3回も食べた。アーカンソー
では、サシミは、高い。だから月に1度しか食べられない。

 反対に、アメリカでは、ピザが安い。日本では、驚くほど、高い」と。
(04年7月32日記)


【※飛来した考え】

 よく、「私は仏の境地に達した」「悟りを開いた」などと、言う人がいる。あるいは自分
たちの指導者をたたえながら、「先生は、仏になられた」「悟られた」などと言う人がいる。

 しかし、そんなことはありえない。本人たちが、そう感じているだけで、そんなことは
ありえない。

 人間が、完成された生き物なら、そういうこともありえるが、実際には、不完全でボロ
ボロ。たとえばどこかのモンキーセンターで飼育されている、チンパンジーを例にあげて
考えてみよう。

 チンパンジーが、スイッチの使い方を覚えただけで、ニュースになる。あるいはスイッ
チを組み合わせて、簡単な会話ができただけで、新聞に載る。

 しかしそのチンパンジーが、電気を発見し、さらにコンピュータを使いこなすようにな
るまでには、これから先、数万年単位の時間を必要とする。1000年や2000年では、
無理。

 ただチンパンジーは、自分たちの能力が劣っているとは、思っていない。絶対に思って
いない。劣っていることにすら、気づかない。

 自分も含めて、自分たちの能力が劣っているとわかるのは、自分や自分たちが、より賢
くなってはじめてわかること。

 このことは、幼児を観察しているとわかる。

 わざと、(3+4)の計算をまちがえてみせる。電卓を使って、計算してみせる。私は演
技でそうしているのだが、幼児には、それがわからない。

 先日もそれをしてみせたら、真顔で、私にこう言った子ども(年長女児)がいた。

 「あんた、それでも先生?」と。 

 人は、いつも自分を基準にしてものを考える。自分が基準だから、自分より、より賢い
人を理解できない。言いかえると、自分が劣っていることがわからない。

 はっきり言えば、愚かな人には、利口な人が理解できない。利口な人は、愚かな人が、
よく理解できる。しかし愚かな人どうしは、たがいの中に賢い人をつくりあって、自分た
ちをなぐさめあう。

 「現在」という、この時点における人間についても、そうだ。

 この時点で、完成された人間など、いるわけがない。仮に完成されるとしても、数万年
後か、数十万年後か、それはわからないが、ずっと先である。あるいは、そのときですら、
完成されないかもしれない。

 有史になって、わずか、5500年あまり。そんな短い期間の間に、人間が完成される
などということは、ありえない。ものごとは、常識で考えたらよい。

 ……だからとって、私は、何も、不完全で、ボロボロであることが悪いと言っているの
ではない。不完全なら不完全でよい。ボロボロならボロボロでよい。

 大切なことは、謙虚にそれを認めることである。そのため、いつも、前に向って進んで
いくこと。懸命に、前に向って進んでいくところに、人間が生きる美しさがある。意味が
ある。

 精神と健康は、よく似ている。毎日、体を鍛えるから、健康はかろうじて保たれる。体
を休めて、だらしない生活をしたとたん、健康は蝕(むしば)まれる。

 同じように心を休めて、だらしない生活をしたとたん、精神も蝕まれる。

 究極の健康体など、ありえない。同じように、究極の精神状態など、ありえない。あり
えないことはありえないのであって、どうしようもない。


●長男との会話

 長男との会話が少なくなって、もう10年になるだろうか。

 どこかで歯車が狂った。何度か、修復しようとしたが、そのたびに、おかしな緊張感が
走る。長男は、私が言うことを、すべて悪いほうへ、悪いほうへと解釈する。

私「暑いから、クーラーのある日本間で寝たら?」
長男「今の部屋を出ろということか?」
私「そうじゃない。暑いから、寝るときだけでも、日本間で寝たらいい」
長男「命令されるのは、好きじゃない」
私「命令しているわけではない。お前のことを思って、そう言っている」
長男「……」と。

 こんな会話を何度、繰りかえしたことか。

 しかし私はその夜は、あえて言った。

私「こんな雰囲気で、家族どうしが、いがみあうのは、よくない」
長男「いがみあっていない」
私「お前は、何でも、ぼくが言ったことは、悪いほうに解釈する」
長男「そうだろ。悪いことしか言わない」
私「そうじゃない。お前のほうが苦しいだろうと思って、そう言う」

長男「苦しくない」
私「そうして突っ張っていても、意味がない」
長男「オレが、このうちで、どれだけがまんしているか、パパにはわからないだろ」
私「わかる。わかっているから、そういう必要はないと言っている」
長男「オレが、いつパパやママに迷惑をかけた?」

私「かけていない。ずっと、かけていない」
長男「いつも、オレに、命令ばかりする」
私「していない。そう聞こえたら、ぼくが悪かった」
長男「オレは、この家では、じゃまな人間だ」
私「だれが、そんなことを言った。そんなこと、考えたこともない」

 そのあと、私と長男は、はげしくやりあった。

 しかし私は、大声をあげなかった。言いたいことを繰りかえした。

私「こういう形でも、ぼくは、お前と会話ができてうれしい。たがいに無視しあうなんて
ことは、ぼくにはできない」
長男「言いたいことを言ってもいいのか?」
私「言いたいことを言えばいい。がまんしなくてもいい」
長男「オレは、この家で、言いたいことも言えない」
私「そんなことはない。バカヤローと思えば、そう言えばいい」

 長い言い争いがつづいた。しかし私は知っている。長男は、私や、私のワイフ以外の人
たちには、親切で、やさしい。が、私が話しかけたとたん、雰囲気が変わる。

 そういう長男を見つめて、10年になる。

 苦しい10年だった。

 私と長男は、1時間ほど、言いあった。そしてそのあと、長男が台所のシンクの前に立
ったとき、私も立った。そして長男の手を握り、そのまま抱いた。

 長男は、180センチも身長がある。肩を抱くというより、私が長男にぶらさがるよう
な格好になった。しかし私はぐいと抱いた。

私「お前を、一度、こうして抱いてみたかった」
長男「……」
私「子どものころは、毎日、抱いてやっただろ」
長男「そういう、〜〜してやったという言い方が、嫌いだ」
私「そうだな。いやな言い方だな。ごめん」

 私のほおを、大粒の涙が、幾筋も流れた。

 時間にすれば、5分くらいだったかもしれない。しかし私には、長く感じた。ワイフは、
床にすわったまま、だまって、私たちを見あげていた。

 いつになったら、長男は、かたまった心を溶かすのか。ふと、そんなことを考えた。私
とて、決して、長男を嫌っていたわけではない。しかし気負いばかりが強くて、長男には、
いつもきびしく当たった。

 そういう歪(ひずみ)が、今、長男の心を、閉ざしている。高校へ入ったときから、長
男は、私のすべてを拒否するようになった。そしてそのときから、会話が消えた。

 しかし私は、この10年。長男への愛情を、決して消さなかった。どんなことがあって
も、許して忘れた。自分なりに暖かく、見守った。

 そんな思いが、長男を抱いているとき、何度も、心の中に浮かんでは消えた。

私「あのな。お前が苦しんでいるのを見ると、ぼくもつらい。お前は、何も苦しまなくて
もいい。がまんしなくていい」と。
長男「……」

 こんな会話も、何度かした。しかし長男は、心を開くことはなかった。やっと見つけた
就職先の会社も、すぐ倒産。そんな不運が、何度か、重なった。長男は、長男で、自信を
なくしていた。キズついていた。

 そしていつしか、「自分はダメな人間だ」という思いからか、「自分はこの家では必要な
い」と思うようになったらしい。

 長いトンネルだった。本当に長いトンネルだった。

 が、翌日のこと。大きな異変が起きた。今までの長男を一変させるような異変である。

 朝、起きてきたとき、あろうことか、長男が、私とワイフに、「おはよう」と言った。い
つもの低い声で、私はよく聞き取れなかったが、ワイフが、こう言った。

 「あなた、あの子が、おはようって、言ったわよ」と。

 そのとき、またあの大粒の、熱い涙が、ほおを伝って、下に落ちた……。

(つづきは、まぐまぐプレミアのほうで……。)


●孫

 以前、孫のかわいさについて、書いた。しかし、それは幻覚か?

 あるときいとこが、孫を連れて私の家に来た。その孫について、いとこは、さかんに、「か
わいいでしょう」「かわいいでしょう」と言っていた。

 しかし私には、それほど、かわいい子どもには見えなかった。「?」と思いつつも、一応、
「かわいいですね」と答えていた。

 そんな自分を知っているから、自分の孫についての印象を、他人に語ることができない。
その孫が、もうすぐ、満2歳になる。

私「誠司は、かわいいよね」
ワイフ「かわいいわよ」
私「でもね、そんなふうに思っているのは、ぼくたちだけだよ」
ワイフ「いいじゃない。そんなこと。他人がどう思おうと……。私たちには、かわいいの
よ」と。

 ここに新しい命があるのだなと思う。

 少し、おおげさな感じがしないでもないが、孫の誠司を見ていると、そんな気持ちにか
られる。

 毎週、二男が、孫の写真をアメリカから送ってくれる。私はそれを繰りかえし見ながら、
「少し髪の毛が伸びたな」「少しアジア人ぽくなってきたな」「少し少年らしくなったな」
と、思う。思いながら、しばし、時間がたつのを忘れる。

 その二男に、こんなメールを書く。

 「ぼくも幼児を見て、35年になるけど、誠司ほど、すばらしい笑顔の子どもを、見た
ことがないよ。いい子だね」と。

 最新の写真は、「楽天HP」より。どうか、私のジジバカぶりを、笑われたし。

(楽天、誠司写真集)
 http://plaza.rakuten.co.jp/hhayashi/


●庭のスズメ

 それまでは、ペットショップで買っていたエサ(主に、アワだま)を買い与えていた。
しかし今年の春のはじめから、配合飼料にかえた。近くの農協で分けてもらった。

 この配合飼料を、スズメたちに与えるようになって、もう、4か月になる。寝る前に、
毎晩、手づかみ3杯分くらいを、エサ台にのせておく。朝一番にやってきた、スズメたち
が、それを食べる。

 で、異変が起きた。

 スズメが、ひとまわり、大きくなった。くちばしの下が、まだ白いスズメほど、大きい。
今年生まれたスズメたちである。そのスズメたちが、明らかに、オッと思えるほど、大き
い。人間にたとえるなら、身長165センチの人と、180センチの人くらいの差を感ず
る。

 それをワイフに言いながら、「スズメが、大きくなったよ」と。

 ワイフもそれを見て、驚いていた。「大きなスズメね」と。

 何といっても、配合飼料。もともとは、ニワトリの飼育のためのエサである。言うなれ
ば、鳥を大きくするためのエサである。しかしここまで効果があるとは……!

 考えてみれば、私たちの世代は、みな、小さい。私は身長166センチだが、高校時代、
それでも、ほぼ平均的だった。が、今では、私より小さい人は、少ない。もともと私の家
系は、長身的。いとこたちは、みな、背が高い。

 理由はわからないが、母が、おかしな迷信ばかり信じていたこともある。「豆は食べては
ダメ」「魚を食べたから、梅干はだめ」と。とくに「砂糖は栄養」と、母は信じていたよう
だ。いつもごはんに、砂糖をかけて食べさせられた。

 隠れて煮干を食べていると、よく叱られた。もっとも、食糧事情が悪いときで、学校の
給食が、いつもごちそうに見えた。

 私の息子たちの世代になると、とくに気をつかったわけではないが、三人の息子たちは、
みな、身長が180センチ前後ある。ワイフの家系は、それほど長身ではないので、やは
り、私の家系の影響だと思う。

 スズメたちを見ながら、別の心で、さらにふとこんなことも考える。

あのK国では、子どもたちの身長が、韓国の子どもの平均身長より、20センチも低い
そうだ。小学2、3年生でも、幼稚園の年長児程度の身長しかないことになる。

 さらに深刻な問題がある。こうした発育不良は、知能の発達のみならず、精神の発達に
も大きな影響を与えることが知られている。K国の食糧事情が改善されたとしても、その
後遺症はこれから先、半世紀近く残るだろう。

 子どもたちには罪がない。その子どもたちの発育状態が悪いのは、指導者の責任と考え
てよい。

そのK国のP市で、この9月、武道大会※(第1回国際武術大会・9月15日〜20日)
が開かれるという。いったい、どういう選手たちが、K国の代表として出場してくるの
だろう。
 

●1か月、200円!

 そのK国。一般勤労者の平均給与は、2500ウォン程度だという(「朝鮮日報」)。
 
 1ドルが1600ウォン(実勢交換レート)だから、ドルに換算すると、勤労者の1か
月平均給与は、1ドル60セント。よくみて、2ドル。日本円になおすと、200円弱。

 現在、原油が1バーレルあたり、40ドル前後まで高騰している。1バーレル=約16
4リットルだから、2ドルでは、原油を、8リットルしか買えないことになる。

 つまりK国の勤労者たちは、1か月の給料をすべてはたいても、原油8リットルも買え
ない?

 昨夜も、近くのコンビニへ行ったとき、ふと、私は、この数字を思い出した。そしてア
イスクリームを買いながら、「これが2個でも、200円だ」と。200円という金額は、
そういう金額である。

 これでは、食糧を輸入したくても、とても輸入どころではない。200円で、何を買う? 
何を買える?

以前、15年ほど前のことだが、南アジアのB国では、一般労働者の平均日給が、1ド
ルだという話を聞いたことがある。

 当時、1ドルが、約80円前後だった。だから私はその話を聞いたとき、「B国の人たち
は、一日働いても、カップヌードル1個、買えないのか」と驚いた。が、K国の経済事情
は、さらにひどい。

 1か月、200円!

 私が高校生のとき、大卒の初任給が、約2万円だった。1ドルが、360円の固定レー
トだったから、ドルになおすと、約56ドル程度。当時のアメリカ人たちは、その20〜
30倍の給料を手にしていた。

 それを知ったとき、自分の国の貧しさが信じられないというより、アメリカの豊かさの
ほうこそ信じられなかった。恐らく今のK国の人たちも、そうだろう。

 いろいろ問題はあるが、そういう視点から、K国の問題を考えなおしてみる必要もある。
やることなすこと、非常識な国だが、しかしそういう視点で考えなおしてみると、K国に
対する考え方が、少しは変わってくる。

 K国の人たちは、K国の人たちなりに、必死なのだ。

 たとえば新潟港にやってくる、K国の船、MB号にしても、あえて入稿阻止をする必要
はないのではないか。船一杯の荷物など、たかが知れている。そんな荷物に目くじらを立
てて、入稿阻止だの何のと騒ぐことは、大国、日本のすることではない。

 K国がふつうの国ならまだしも、K国は、日本が本気で相手にしなければならないよう
な国ではない。へたに経済制裁すれば、苦しむのは、かえってK国の一般の人たちだけと
いうことになる。

K国は、すでに、じゅうぶんすぎるほど、実質的な経済制裁を受けている。あるいは、
この先、私たちは、さらに、どのような経済制裁を加えようとしているのか。また、そ
の必要があるのか。

 この200円という金額には、いろいろと考えさせられる。

【付記】

 また新しく、拉致被害者が現れた。埼玉県で失踪した青年だが、その青年が、K国のス
パイ養成学校にいたというのだ。脱北したK国の人が、その青年の写真をもっていた(0
4・8・3)。

 K国によって日本から拉致された人が、3桁、つまり100人以上はいるという。「まさ
か」とは思いたいが、つぎからつぎへと、こういう被害者が出てくると、「やっぱり」とい
う気持ちにならざるをえない。

 しかしこの問題を考えるときも、日本の常識だけで、K国を理解しようとしても、理解
できない。K国には、K国の常識がある。そしてその常識は、日本のそれと、大きく、か
け離れている。

 私も、以前、はじめてこの拉致問題を知ったとき、「まさか」と思った。いくらK国でも、
日本人を誘拐するようなことまでは、するはずがない、と。

 しかし、K国は、その(まさかのこと)をしていた。しかも、つぎからつぎへと……。

 もちろんこうした拉致、誘拐を容認するわけではない。しかし一度、私たちも、「1か月
200円」という視点から、K国をながめてみなければならない。で、ないと、今のK国
を理解できないし、これからも、ずっと理解できないままで終わってしまう。

 たとえばそのK国では、人々の失踪事件など、事件にもならないという。闇市では、堂々
と、人肉が売買されているという話も伝わってきている。「1か月200円」という数字に
は、そういう意味も含まれる。

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●相手を喜ばす

 子どもにとって(おとなもどうだが)、やさしい人というのは、思いやりのある人のこと
をいう。その思いやりのある子どもに育てるコツがこれ、「相手を喜ばす」。

 たとえばスーパーなどでものを買い与えるときでも、直接子どもに買い与えるのではな
く、「これがあるとパパが喜ぶわね」とか、「あとでお姉さんに半分分けてあげてね。お姉
さんは喜ぶわよ」とか言うなど。

昔、幼稚園にこんな子ども(年長男児)がいた。見るといつも三輪車にだれかを乗せ、
それをうしろから押していた。

そこで私が、「たまにはだれかに押してもらったら?」と声をかけると、その子どもはこ
う言った。「先生、ぼくはこのほうが楽しい」と。そういう子どもをやさしい子どもとい
う。

 よく誤解されるが、柔和でおとなしい子どもをやさしい子どもとは言わない。たとえば
ブランコを横取りされても、ニコニコ笑ってそのまま明け渡してしまうなど。

むしろこのタイプの子どもほど、表情とは裏腹のところでストレスをためやすく、その
分、心をゆがめやすい。教える側から見ると、いわゆる「何を考えているかわからない
子」といった感じになる。

 子どものやさしさは、心豊かな環境で、はぐくまれる。そのためにも、乳幼児期にはつ
ぎの三つを避ける。(1)闘争心、(2)嫉妬心、(3)不満と不安。

攻撃的な闘争心は、子どもの動物的な本能を刺激する。ばあいによっては、善悪の判断
ができなくなり、性格そのものが、凶暴化することもある。

嫉妬心はえてして情緒不安の原因となる。赤ちゃんがえりに見られるように、本能的な
部分で子どもの心をゆがめることもある。

またこの時期、不満や不安は、子どもの性格をゆがめる。攻撃的になったり、反対にも
のに固着したり執着したりする。さらに神経症や情緒不安、さらには精神不安の原因に
なることもある。要するにこの時期は、心静かで穏やかな環境を大切にする。

 やさしさというのは、作って作れるものではない。家庭環境の中から、自然に生まれて
くるものである。

【補記】この原稿は、数年前に書いたものです。おおむねこれで正しいですが、細部では、
最近書いた原稿を、参考にしてください。

 闘争心は、攻撃性。嫉妬心は欲求不満。不満と不安は、母子関係において考えるのがよい
ようです。

++++++++++++++++++

●自分を知る

 多動児(ADHD児)と呼ばれる子どもがいる。診断基準のひな形が、二〇〇一年の春
にできたばかりだから、正式には、この日本には多動児、つまり集中力欠如型多動性児(A
DHD児)はいないということになる。

それはともかくも、実際には、このタイプの子どもは、二〇名のうち約一人の割でいる。
が、問題はこのことではない。

 D君(中二)の男の子がいた。私はその子を、幼稚園の年中児のときから、中学三年ま
で教えた。多動児だった。

そのため、本当に苦労した。親も苦労した。学校の先生も苦労した。どう苦労したかは、
教えたものでないとわからないだろう。

が、その子も、小学高学年になるころには落ち着きはじめ、中学生になるころには、騒々
しさは残ったものの、まあ、ふつうの子どもという感じになった。

そのD君にこう話しかけたときのこと。私がそれとなく、「君は、小学生のころ、腕白で、
みんなに迷惑をかけたのだが、それを覚えているか」と聞くと、D君は、こう言った。

「いいや、ぼくは何もしてない。みんな、ぼくのことを目の敵にして、ぼくばかり叱っ
た」と。そこであれこれ遠まわしな言い方で、D君自身に問題がなかったのかを聞いて
みたが、D君は「なかった。ぼくはふつうだった」と。

 私はD君を前にして、考え込んでしまった。D君はまるで自分のことがわかっていなか
った。おそらく彼が教職の道を選んで、教師になって、多動児について学んでも、「自分が
そうだった」とは決して思わないだろう。

いや、私が考え込んだのは、実のところD君のことではない。自分のことだ。私は私の
ことは一番よく知っていると思っている。しかしそう思っているのは、自分だけ。実の
ところ、自分のことはまったくわかっていないのでは……、と。

 自分を知るということは、本当にむずかしい。方法がないわけではないが、それについ
てはまた別の機会に書く。ともかくも、私はD君を前にして、本当に考え込んでしまった。
「人間というのは、そういうものか」と。D君はそれを私に教えてくれた。

+++++++++++++++++++++++

●子どもの心を大切に

 子どもの心を大切にするということは、無理をしないということ。

たとえば神経症にせよ恐怖症にせよ、さらにはチック、怠学(なまけ)や不登校など、
心の問題をどこかに感じたら、決して無理をしてはいけない。

中には、「気はもちようだ」「わがままだ」と決めつけて、無理をする人がいる。さらに
無理をしないことを、甘やかしと誤解している人がいる。

しかし子どもの心は、無理をすればするほど、こじれる。そしてその分だけ、立ちなお
りが遅れる。しかし親というのは、それがわからない。結局は行きつくところまで行っ
て、はじめて気がつく。

その途中で私のようなものがアドバイスしても、ムダ。「あなた本当のところがわかって
いない」とか、「うちの子どものことは私が一番よく知っている」と言ってはねのけてし
まう。あとはこの繰り返し。

 子どもというのは、一度悪循環に入ると、「以前のほうが症状が軽かった」ということを
繰り返しながら、悪くなる。そのとき親が何かをすれば、すればするほど裏目、裏目に出
てくる。

もしそんな悪循環を心のどこかで感じたら、鉄則はただ一つ。あきらめる。そしてその
状態を受け入れ、それ以上悪くしないことだけを考えて、現状維持をはかる。

よくある例が、子どもの非行。子どもの非行は、ある日突然、始まる。それは軽い盗み
や、夜遊びであったりする。しかしこの段階で、子どもの心に静かに耳を傾ける人はま
ずいない。たいていの親は強く叱ったり、体罰を加えたりする。しかしこうした一方的
な行為は、症状をますます悪化させる。万引きから恐喝、外泊から家出へと進んでいく。

 子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎとりながら成長していく。また巣立ちも、
決して美しいものばかりではない。中には、「バカヤロー」と悪態をついて巣立ちしてい
く子どもいる。しかし巣立ちは巣立ち。要はそれを受け入れること。それがわからなけれ
ば、あなた自身を振り返ってみればよい。あなたは親の期待にじゅうぶん答えながらおと
なになっただろうか。あるいはあなたの巣立ちは、美しく、すばらしいものであっただろ
うか。そうでないなら、あまり子どもには期待しないこと。昔からこう言うではないか。
『ウリのつるにナスビはならぬ』と。失礼な言い方かもしれないが、子育てというのは、
もともとそういうもの。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●仮面

 人格の完成度は、(1)いかにその人が、他人の立場でものを考えることができるか。(2)
いかにその人が、自分自身の感情をコントロールできるか、で決まる。

 これについては、今までにも、たびたび書いてきたので、ここではその先について考え
てみたい。

 問題は、(2)の感情のコントロールである。

 人間の行動は、(知性・理性の判断)→(それを実行する行動力)の二つによって決まる。
が、このとき、その行動を狂わす要素が、一つ、ある。それが(感情的判断)である。

 いくら知性的、理性的な判断をしても、そこに感情が入ると、判断そのものが、狂うこ
とがある。これを仏教の世界でも、「ふんどう」という。そのときどきの感情に左右される
ことをいう。

 そこで人は、その感情をコントロールしようとする。感情のおもむくまま行動すれば、
社会生活そのものが、破壊される。

 ……と、ここまでは、前にも書いた。

 問題は、つづく。

 感情をコントロールすることは重要なことだが、しかし反対にコントロールしすぎるこ
とが、はたして正しいかどうかという問題もある。中には、感情を押し殺してしまう人さ
えいる。またコントロールのし方をまちがえると、精神そのものをゆがめてしまうことも
ある。

 感情は、どの程度まで、またどのようにコントロールすればよいのか。

 泣きたいときは、泣けばよい。怒りたいときは、怒ればよい。笑いたいときは、笑えば
よい。それが自然な人間の姿だが、そこに行動がからむと、話は別。極端なケースとして
は、「殺したいから、相手を殺す」というのがある。しかしそれは、許されない。(「殺した
い」と思うのは、その人の勝手だが……。)

 さらに脳のCPU(中央演算装置)そのものが、変調しているときもある。

 乳幼児期から少年、少女期にかけて経験した、心の問題が、おとなになっても尾を引く
というケースは、多い。たとえば少女期に、父親から性的虐待を受けたため、おとなにな
ってから、どうしても結婚に踏み切れない女性がいる。横浜市に住んでいる、27歳の女
性である。

 先日、その女性から「どうしたらいいか」という相談をもらったが、私には、答えよう
がない。専門外というより、その女性の立場でものを考えることができない。

 その女性にしてみれば、いくら頭の中で、つまり知性や理性の力で、合理的に考えよう
としても、合理的に考えることすら、できない。またこうした心についた深いキズは、私
のような人間が、アドバイスしたくらいで、克服できるような問題でもない。

 そういう問題も、ある。

 感情のコントロール。一見、何でもないことのように見えるかもしれないが、これには、
大きな問題が隠されている。

 ……と考えていくと、人格の完成という問題は、実にやっかいなことであることがわか
る。そこで四方八方から集まってくる情報は、ただ一つの結論に向う。

人格の完成は、むずかしい。

 結局は、この問題は、その人が、一生かかって取り組むべき問題ということになる。あ
るいは一生のテーマということになるのかもしれない。ゴールはないし、ゴールへ来たと
思ったとたん、さらに前には、荒涼たる大原野が広がる。この問題は、そういう問題であ
る。

【補足】

 そういう意味でも、自己中心的な人、感情に左右されやすい人は、人格の完成度が低い
ということになる。


●自己愛と自己中心性

 自分を大切にするということと、「自分だけが、この世で一番大切な人間」と考えるのは、
別。「自分だけが、この世で一番大切な人間」と考えて、自分だけを大切にするのを、自己
愛という。

 この自己愛が、肥大化し、その世界だけに陶酔するようになると、その人には、さまざ
まな弊害が、現れる。

 その中でも、最大の弊害が、自己中心性である。

 言いかえると、自己中心的な人は、何かにつけて、「自分だけは……」と考えやすい。そ
のため、どうしても、他人との関わり方が、浅くなる。関わっても、儀礼的。表面的。形
式的。

 そしてその一方で、独善的になったり、がんこになったりする。他人から批判されるの
を許さないし、批判されたりすると、それを大きく気にしたりする。つぎのようなタイプ
の人は、ここでいう自己愛タイプ人間と、考えてよい。

( )いつも自分の利益を優先させる。
( )自分だけがよければよいという考え方をしやすい。
( )自分の家族、とくに自分の子どもさえよければよいと考えやすい。
( )独善的になりやすい。思いこみがはげしい。
( )自分が正しいと思うと、他人の意見を聞けなくなる。
( )他人に批判されたり、批評されたりすると、興奮したり、パニック状態になる。
( )完ぺき主義で、失敗を認めない。他人の失敗を許さない。
( )自己中心的なものの考え方をする。ものの考え方が、自分本位。利己的。

 とくに気をつけなければならないのは、「他人との関わり方」である。

 このタイプの人は、自分自身を、大きなカラで包むため、どうしても他人との関わり方
が、浅くなる。表面的には、社交的で、柔和な人間性を装うことはある。つまりそうする
ことで、自分への尊敬を、人から集めようとする。

 そういうことはあるが、しかし心を開いているわけではない。いつも自分の利益、利得
を、優先させる。

 こうした自己愛が、子育てに反映されることがある。子どもそのものが、自己愛を達成
するための、道具になることがある。わかりやすく言えば、子ども自身が、親の、見栄や
虚栄心を満足させる道具になることがある。

 ある母親は、子どもに向かっては、「勉強しなさい」と言いつづけたが、その一方で、そ
の子どもが、自分から離れていくのを、許さなかった。あの手この手をつかって、地元の
高校に子どもを送り、さらにあの手この手をつかって、地元の女性と結婚させた。

 もともと心が通じあっているわけではないから、こうした親子関係は、崩壊しやすい。

 さらにこうした自己愛が、夫婦の間でも反映されることがある。しかしどちらか一方が
そうであると、夫婦関係も、それほど、長つづきしない。夫にせよ、妻にせよ、自分の孤
独をいやす道具でしかないからである。

 つまり配偶者を愛するのではなく、自分のために、自分にとって必要な人間として、相
手をそばにおく(?)。自分の仕事のために、妻を利用するのも、その一例。妻に向って、
「食わせてやる」「養ってやる」と言った夫すらいる。

この不自然さが、やがてたがいの間の不協和音となっていく。つまり、自己愛には、よ
いことは、何もない。

 しかし一度、自己愛タイプになると、それから脱却するのは、容易ではない。だいたい
において、自分がそのタイプの人間であると、気づかない。独善というのは、そういう意
味でも恐ろしい。「私はすばらしい人間」という思いこみが強い分だけ、他人の意見に耳を
傾けない。

 が、やがて、このタイプの人は、はげしい孤独感に襲われるようになる。しかし、この
段階でも、それに気づく人は、少ない。自分を客観的に見る目をもたないからである。だ
からこのタイプの人は、何かしら満たされないという状態のまま、悶々とした毎日を送っ
ていることが多い。

 本来、人というのは、その幼児期から少年少女期にかけて、こうした自己中心性を克服
しなければならない。が、何らかの理由で、その人格の完成が阻害されると、ここでいう
自己愛の世界におちいりやすい。

 つまり、結論として、自己愛タイプの人は、それだけ、人格の完成度が低い人というこ
とになる。

【補記】

●愛

 ワイフに聞いた。「お前は、ぼくのことを、愛しているか?」と。するとワイフは、しば
らく考えたあと、こう言った。「わからない……」と。

 そういうものか?

 そういうものだ。
 
 「愛」ほど、実感しにくい感情はない。とくに夫婦の間では、たがいの存在など、空気
のようなもの。何かが起これば、話は別。しかし何も起こらなければ、たがいの存在すら、
忘れる。

 そこで改めて、「私はどうか」と考えてみる。「私は、ワイフを愛しているか」と。

 しかしこれまたむずかしい問題。ほとんどの人は、相手を欲することを、愛と誤解して
いる。「好き」と「愛」を、混同している人も多い。若い男に、例をみるまでもない。

 若い男が、相手の女性に向かって、「愛している」と言うのは、その相手の女性を、肉体
的に独占したいから。もっと簡単に言えば、セックスをしたいから。……と書くと、若い
人たちは、反発するかもしれない。

 しかし愛というのは、年をとればとるほど、それについて語る口が、重くなる。私も若
いときには、今の若い人たちに負けないほど、愛という言葉を口にした。しかしそれから
30年。

 人を愛することが、そんななまやさしいことでないことを、さんざん、思い知らされた。
今のワイフにしても、これから先の老後のことを考えると、本当のところ、自信がない。
その気持ちは、ワイフも同じではないか。

 私の知人は、75歳をすぎた今、ほとんど寝たきりになっている奥さんの、介護にあけ
くれている。奥さんは、パーキンソン病という病気で、ほとんど動けない。電話で話をす
ると、意外と元気そうなので、「元気になられたのですか」と聞くと、知人は、いつもこう
言って笑う。

 「口だけは、元気ですよ。おかしなものですよ」と。

 知人は、そのため、奥さんの生活のすべてを、みる。食事、入浴、洗面、睡眠はもちろ
んのこと、大便や小便の始末まで。

 そういうこともすべて受け入れて、はじめて、人は「愛」という言葉を口にすることが
できる。が、そういう人ほど、「愛」という言葉を口にしない。つまりそれほどまでに、「愛」
というのは、深遠な言葉ということになる。

 で、昨夜、寝床の中で、ワイフとこんな会話をした。私が、「もし、脳梗塞か何かで倒れ
たら、延命処置はしてほしくない」と言うと、ワイフは、だまっていた。

私「ムダな延命をしても、みんなが迷惑するだけ。だからもしそういう状態になったら、
どうか安楽死させてほしい」
ワイフ「わかったわ」
私「ぼくらのばあいは、年金が入るわけではないし、ムダに生きれば生きるほど、お金が
かかる」
ワイフ「……」
私「頼むよ」
ワイフ「わかったわ……」と。

 とても悲しいことを告白するが、私のワイフは、私を愛していない。私のため、息子た
ちのために犠牲になっているが、いつもその範囲で、右往左往している。何かのことで衝
突すると、ワイフの口からは、いつも「離婚」という言葉が飛び出す。簡単に飛び出す。

 一見、強いきずなで結ばれているように見えるかもしれないが、私たち夫婦の地盤は、
それほどしっかりしていない。かろうじてというか、本当にかろうじて、ともに生活して
いるにすぎない。だから今、ワイフが、私を愛しているかどうかということについて、「わ
からない」と答えても、何も、おかしくない。

 しかしこれも、夫婦。いや、ほとんどの夫婦が、そうではないのか。……とまあ、そう
言って、自分をなぐさめる。

 私だって、本当のところ、ワイフを利用しているだけではないのか。自分の仕事のため。
自分が生きるため。本当にワイフの幸福を考えているかとなると、自信がない。

 たとえば今、ワイフが、私にこう言ったとしよう。

 「私は、あなたと離婚したい。私らしい人生を、もう一度、生きなおしてみたい」と。

 そのとき私は、ワイフの幸福を考えて、「わかった。お前の好きなようにしたらいい」と
言って、引きさがることができるだろうか。

 もし、それができれば、私は、ひょっとしたら、ワイフを心底、愛していることになる。
が、私には、その自信がない。だから、私も、ワイフを本当に愛しているかどうか、わか
らない。同じ質問を、反対にされたら、私もこう答える。「わからない」と。

 夫婦というのは、もともとそういうものかもしれない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自己否定

 定年退職を迎えるようになると、多くの男たちは、「自己否定」という苦しみに、さいな
まれる。いや、定年退職なら、まだよい。50歳が近くになると、たいていの民間企業で
は、リストラという名前のクビ切りが始まる。

 クビ切りがこわいわけではない。クビ切りにいたるまでの、社内のゴタゴタ。緊張感。
不快感。それがつらい。苦しい。周囲でリストラが始まると、仕事どころでは、なくなっ
てしまう。「つぎは、だれ?」と、疑心暗鬼になることもある。

 そしてやがて、リストラの宣告。「あなたは、クビ!」と。

 とたん、その先の未来が消える。会社一筋とがんばってきた人ほどそうで、そのショッ
クは、大きい。相当なもの。若い人には、想像できないだろう。この時期、クビ切りは、
まさにその人の人生の否定そのものといってもよい。リストラされたことがきっかけで、
そのまま精神を病んでしまう人もいる。

 若いときは、まだやりなおしがきく。つぎの未来に向けて、歩み出すことができる。し
かし50歳をすぎると、それもできない。体力もつづかない。私の友人のM君(54歳)
は、それまでに30年弱勤めた会社をリストラされたあと、私にこう言った。

 「あと10年、どんなことがあっても、健康だけはだいじょうぶという保証があれば、
思いっきり暴れてやる。しかし来年はどうなるかわからない。そんな不安をどこかに感ず
ると、もう何もできなくなる」と。

 こうした心理も、やはり若い人には理解できないだろう。ある意味で、この年齢の人の、
独得の心理と言ってもよい。

 しかし仕事にも、大きく分けて、二種類ある。(1)あとに残る仕事。(2)あとに残ら
ない仕事。

 あとに残る仕事というのは、人生も晩年になって、「やりとげた」という実感のある仕事
ということになる。一方、あとに残らない仕事というのは、そのまま過去の記録の中から、
ポッカリと消えてしまう仕事をいう。

 総じてみれば、大きな組織の中で、上からの命令だけに従って、それをやりこなすだけ
の仕事というのは、あとに残らない。こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。
私の意見を読んで、怒る人もいるかもしれない。しかし、仕事には、よきにつけ、悪しき
につけ、いつも幻想がつきまとう。この幻想が、その人を、惑わす。

 それほど価値がない仕事であるにもかかわらず、価値がある仕事と思いこんだり、価値
がある仕事であるにもかかわらず、価値がないと思いこんだりする。

 どんな仕事がそうであり、どんな仕事がそうでないかということには、ここには、書け
ない。が、これだけは言える。

 目的と夢と希望。この3つがはっきりしている仕事は、すばらしい。そうでない仕事は、
そうでない。

 ……と、話がそれたが、いくら目的と夢と希望があっても、定年退職を迎えると同時に、
そのすべてが、吹き飛ぶ。組織あっての仕事。その組織からはずれれば、仕事をする基盤
すら、失う。

 こうしたを、定年退職にまつわる心の問題をまめると、つぎのようになる。

(1)脱力感(生きる気力そのものが、消える)
(2)空白感(過去が、自分から消える)
(3)空虚感(何をしても、むなしく覚える)
(4)不安感(老後の生活が心配)
(5)焦燥感(何かをしなければと、あせる)
(6)妄想性(何かにつけて、被害妄想をもちやすい)
(7)展望性の喪失(これから先、何をしてよいのかわからない)

 こうした問題が、こん然一体となって、その人を襲う。そしてその人は、やがて、自己
否定へと進んでいく。「私は生きている価値がない」「生きていてもムダ」と。

 昨年度(03年度)、自殺者が3万6000人を超えた。そのうち、60歳以上の高齢者
が、約1万1000人(02年度)、50歳以上の合計が、1万9000人(02年度)を
しめるという(警察統計資料)。

私も、あと数年で、その60歳になるが、そうして自らの命を断っていく人の心情が、
痛いほど、よく理解できる。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●怪談

 夏の定番は、怪談。怪談話。

 幼児の世界で、3種の神器といえば、おっぱい、ウンチ、それにおばけ。この3つの話に
なると、幼児は、とたんに目を輝かせる。

 今日は、ろくろ首の話をした。首が長〜くのびて、旅人を襲ったりする、あのおばけで
ある。

 「ある人が山の中を歩いていると……」と、切り出す。

 で、私は、子どものころ、ろくろ首の話を、本気で信じていた。カミナリも信じていた
し、カッパも信じていた。それに天狗も信じていた。ついでに火の玉も信じていた。

 そういう意味で、私は、たいへん信じやすい性格の子どもだった。(子どもは、みな、そ
うかもしれないが……。)

 夏の夜になると、近所の人たちがみな、長いすを道路に出して、そこで涼んだ。そうい
うところで、みなが、まことしやかに、怪談話を始めた。今から思うと、当時のおとなた
ちも、本気で信じていたのかもしれない。

 「Aさんがなくなる前の晩に、Aさんの家の前を通りかかると、火の玉が2階の窓から、
フワフワと飛んでいきましたよ。それで私は、Aさんの命は、もう長くないとわかりまし
た」と。

 そういう話を、みなが、真顔で、言いあうのだからたまらない。そういう話をたてつづ
けにいくつか聞いていると、何が本当で、何がウソなのか、わからなくなってしまう。

 そういう経験があるから、私は、子どもたちにオバケの話をするときはいつも、必ず、「オ
バケなんていないよ」というような締めくくり方をする。あるいは、茶化して、終わる。

 今日も、そうだった。

 紙芝居のろくろ首を見せながら、「このおばけ、そういえば、顔がだれかに似ていると思
わないか?」と。

 子どもたち、「林先生〜!」と。

 そこで首を少しのばして、(紙芝居の中のろくろ首は、切り込みがあって、そこから首が、
長くのびるようになっている)、「は〜や〜し〜」と。

子どもたち、まねをして、「は〜や〜し〜」
私、さらに首を長くのばして、「は〜〜や〜〜し〜〜」
子どもたち「は〜〜や〜〜し〜〜」
私、さらに首を長くのばして、「は〜〜〜や〜〜〜し〜〜〜」
子どもたち「は〜〜〜や〜〜〜し〜〜〜」と。

 最後に、みなに、「こわかったかな?」と聞くと、「ゼンゼン!」と。

 こうした配慮は、幼児教育では、とても大切なこと。つまり現実と空想を、決して混濁
させるようなことは、言ってはいけない。

 
●二男のメモより

以前から不思議だなと思っているのだけれど、アーカンソーの人たちは、よく、自分の
子供の誕生日パーティーを2度、3度と行う。

誠司の一才の誕生日も、ここコンウェイで一度パーティーをやって、今度はディニース
の実家へ行って兄弟たちと一緒に、またパーティーをやる。誕生日ケーキーをそれぞれ
作って、「ハッピーバースデー・ツーユー」と2度、歌う。 

 ぼくはこれがどうにも理解できない。アーカンソーでの考え方というのは、パーティー
は量が多ければ多いほどいいし、プレゼントも多ければ多いほどいいということらしい。

子供にとっても、「何度もやったほうが記憶に残って楽しいじゃん」という考え方をする。
これが行き着くところまでいったのが、例えばクリスマスで、1歳だろうと2歳だろう
が、次から次へとプレゼントの箱を子供に渡して開けさせるのだ。(平均10個前後?) 
・・ ?

 日本で生まれ育った僕としては、パーティーの良し悪しというのは、プレゼントの量で
も、回数でもなく、そのイベントの質そのものであって、その一度しかない貴重な瞬間
をどう過ごしたか、誰がどんな心境でいたか、どんな会話をしたか、そういったことに
重要性があると信じている。

「クリスマスにプレゼントを一つしかあげなかったら、子供があとになって他の子供と
比べてがっかりする。そんなひどいことは親としてしたくない」というのが、どこへい
っても通説である。みんな子供のころにそんな経験をしたから、親になった自分はそん
な思いはさせたくない、という願望であろう。 

 どうしてこの国(そして他の資本主義国家)はこうなってしまったのか? プレゼント
の量しか理解できないよう、そんな悲劇的な子供時代をすごした自分を哀れに思うべき
ではないのか?

自分の子供にはもっと心豊かに、おのれが2年、3年と親の愛と保護を受けながら生き
延びた、という事実そのものを、皆で心から祝い、その節を確かめ合うということがで
きる子供には育ってほしくないのか? 

 こういうことをいうと、「ああ、その通りだね、でもそれは現実的でないね。だからプレ
ゼントと、心の教育と両方したらいいじゃんね」といういつもの答えが返ってくる。ど
こか歯がゆくて、僕の言おうとしていることが理解されていないような気がして悔しい。 

 正月、大晦日、初詣、元旦、鏡餅、と、日本にいると、そこにいるだけで感じられるあ
のあらたまった雰囲気がここになないのは、きっと「心で理解する」ということができ
ない社会だからではないのだろうか? 

だからアーカンソー人が日本の正月を真似ると、きっと次のようになると思う。 

 大晦日にはチョコレートつきの鏡餅(中は砂糖どっさり)を、ゴミ袋いっぱいもらう。 初
詣には、お寺を一万個の電灯でかざり花火パーティー。お賽銭は、的をつくってみなで
ワイワイ楽しく、的あてコンテスト。1等にあたれば豪華商品。お寺の住職が、ディス
クジョッキー。元旦には町中がビール缶や、グラフィティのごみだらけ。 

そして正月の良し悪しは「大晦日」パーティーの回数。初詣は正月中、毎晩いくのが
子供にも記憶に残っていい。 

 まあとにかく、僕は考えすぎなのだろうか?

【二男へ】

 物欲になれさせるのは、よくないね。同じ意見だ。子どもは、質素に育てる。過剰サー
ビスは、かえって子どもをスポイルする。(よい例が、我が家かも……? ハハハ!)

 誕生日パーティというのは、口実だと思うよ。欧米人は、何かにかこつけて、よくパー
ティを開く。ぼくも、昔、オーストラリアにいたとき、それを知って驚いた。

 「○○教授、帰国記念パーティ」「○○さん、コンクールお祝いパーティ」とかね。その
ときは、こう思った。

 「日本人の若者のように、ディスコへ行ったり、赤ちょうちんで、酒を飲んだりするこ
とができないから、パーティという形で、エネルギーを発散しているのだ」と。もっとも
オーストラリアでは、数人は部屋に集まって、いっしょに音楽を聞いて、騒ぐだけでも、
パーティということになっていたけど……。

 クリスマスのプレゼント攻勢の話には、驚いた。どこかハリウッド的な雰囲気だね。「ヘ
エー」と思った。Ron(ぼくのアメリカ人の友人)から聞いていた話とは、かなりちが
うようだね。

 Ronは、いつか、「アーカンソーでは、質素に祝う。家族どうしのプレゼントは、買っ
たものはダメというハウス・ルールがある」と。

 まあ、あまり深く考えないで、「ローマにいるときは、ローマ人のするようにしなさい」
ということかもね。「心」だけは、大切にしてね。

***********************
【後記】

 今回から、9月号です。
 もっともこのマガジンの発行予約を入れるのは、これから。今日、8月4日です。

 だいたい1か月先に、こうして発行予約を入れることにしています。安定して、みなさ
にマガジンをお届けするためです。

 が、8月の今、暑いせいもありますが、スランプ状態に入っています。集中力がつづか
ないというか……。そんなわけで、サエのない文章になっています。どうか、お許しくだ
さい。

 が、窓の外は、さわやかな青空。その下で、美しい緑の木々が、やさしい風の中で、そ
よいでいます。セミも鳴いています。

 苦しいとき、つらいとき、いろいろありますが、とにかくがんばって、乗りきるしかな
いと、そう思っています。

 マガジンのご購読に、感謝しています。ありがとうございます。今月も、よろしくお願
いします。

                             はやし浩司

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
【読者のみなさんへ……】

●マガジンを発行するにあたって……

 このマガジンは、みなさんの子育てで、役にたっていますか?

 そうなら、うれしいです。

 で、率直に……。マガジンを発行するについて、それなりの経費が、そのつど、かかる
のも事実です。そこで、「最前線の育児論」の読者の方には、賛助会への協力をお願いし
ています。

 お気持ちのある方は、どうか、ご協力ください。子育て相談などで、便宜をはからせて
いただきます。

 1年で、2000〜3000円の賛助会寄金を、お願いできたら、うれしく思います。

賛助会……

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page323.html

 何かときびしいおりですが、よろしくご協力ください。

 もちろん今までどおり、ご購読くださっても、結構です。

●有料版「まぐまぐプレミア」について……。
 
 現在、無料マガジンと並行して、まぐまぐプレミア(通称「まぐプレ」)を発行してい
ます。月額200円です。

 今のところ、無料版も、有料版も、内容はほとんど同じですが、もしよろしかったら、
まぐプレのほうを購読ください。

 マガジンの案内……

 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html

 以上、率直なお願いです。

 これからも、ご購読、よろしくお願いします。

 ありがとうございました。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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☆★★★★★☆☆★☆☆☆☆★☆☆★☆☆☆☆★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆★☆☆☆☆★☆☆★☆☆☆☆★★☆☆☆☆★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆★★★★★☆☆☆☆★☆☆☆★★☆☆☆★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆★☆☆☆☆★☆☆☆☆★☆★☆☆★☆★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆★★★★★☆☆☆☆☆☆★☆☆☆☆★☆☆☆☆10月生・募集します☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

【読者のみなさんへ、BW幼児教室のご案内】

●みなさんのお近くに、現在、園の年中児、年長児のお子さんは、
 いらっしゃりませんか。
 もしいらっしゃれば、私の教室(BW教室)の話をしていただ
 けませんか。
 現在、BW教室、10月入会生を募集しています。
 みなさんのご紹介であれば、自由に見学してもらえます。
 見学の申し込み、案内書の申し込みは、どうぞ、下記まで。
 みなさんからの、ご連絡をお待ちしています。

 あなたのお子さんを、すばらしい子どもにしますよ!!!!
 
 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

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このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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8月25日・増刊号


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.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒     臨時・お礼号!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 8月 25日(臨時お礼号)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================

【読者のみなさんへ】

 静岡県のホームページ・コンテストへの、応援、メッセージ、ありがとうございました。
こんなにたくさんの方に協力していただけるとは、思っていませんでした。ありがとうご
ざいました。

 お礼のつもりで、臨時増刊号をお届けします。みなさんの子育ての場で、お役にたてれ
ば、うれしいです。

***************************************


●涙が出るほど、すばらしい子ども?

 A君(小2)が、歩きながら、私の目の前で、プーッと、おならを出した。

 聞きまちがいかと思った。が、「出したか?」と聞くと、「うん」と。

私「お前なア、人の前で、そういうもの、出しちゃ、いけないよ」
A「いいんだよ、先生の前では!」
私「先生だから、だめだなんだよ」
A「ハハハ」と。

 こういう行為を許せというのではない。しかし心が開放されている子どもは、平気で、
そういうことをする。つまり私に対して、それだけ心を許しているということになる。

 が、一度では、すまなかった。

 低いテーブルの前にすわって、パズルを解いていると、またA君がやってきて、30〜
40センチという至近距離で、音もなく、プスーッと。至近距離である。臭い!

私「バカヤロー。何てこと、するんだ! 臭いだろがア!」
A「おなら攻撃だ!」
私「それにしても、臭いなあ! トイレへ行ってこい!」と。

 つかまえて、こらしめてやろうと思ったが、もうそのときは、A君は、テーブルの反対
側に逃げたあとだった。

私「それにしても、臭いよ」
A「パパのは、もっと、臭いよ」
私「じゃあ、ママのはどうだ?」と。

 その質問をして、「しまった」と、思った。A君のお母さんは、女優のように美しい人だ
った。いつも穏やかな笑みを浮かべ、理知的な話し方する。結婚する前は、東京で、デザ
イナーの仕事をしていたという。

 すると、A君は、「ママは、しない」「ママのは、臭くない」と。

 それを聞いて、ほっとした。が、そのときA君のお母さんが、2歳になったばかりの妹
を連れて、教室へ入ってきた。

私、A君に向って、「おい、お前のしたこと、ママに話すぞ。いいかア?」
A「何もしてないよ」
私「いいのか、話してもオ?」
A「話したければ、話しな」と。

 そこで私は、A君のお母さんに、自分の鼻をつまみながら、こう言った。

 「お母さん、A君は、涙が出るほど、すばらしい子ですね。ホント!」と。

 それを聞いて、A君のお母さんは、事情を察して、笑った。A君も笑った。私も笑った。
まわりにいた子どもたちも、みんな、笑った。

 臭い話で、すみません。

***************************************


●社会適応性

 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の
高い子どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーター
が、「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲
しみ、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、
その自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さ
らにこの自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、
権威主義、世間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私
は何をしたいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているか
わからない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっ
きりしない。優柔不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言
っていることを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方
を示すことが多い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子
どものばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらに
ためて、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけ
のために使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわ
らず、お菓子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口
にしたり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統
制力の弱い子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制
力に分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界
を見ていると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題
のある子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気に
なる。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ
子どももいる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向き
に、ものを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしな
ところで、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、
悩んだりすることもある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲
気にもよるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観
的と言えば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」
と。そこで「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。
さらに、「なおらなかったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、
しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、
考える人もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考
える前に、それについて、書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●子どもの意地

 こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚
園へ行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。

そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。し
かし幼稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもな
がらに、それはずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、
幼稚園にいることになった。またこんな子ども(年長男児)もいた。

 レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さん
が、「お兄ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。
そこで母親はもう一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザ
を食べたという。

「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。
 
今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなっ
た。心理学の世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SEL
Fとかいう。少し昔の日本人は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使う
が、どこか暴力的で、私は好きではないが……。)

教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリと
している。ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。

 ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がき
かなくなることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、
がんこ。また「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方
法で対処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)
を大切にする。

++++++++++++++++++

 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことに
こだわり、そこから一歩も、抜け出られなくなる。

 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常
なこだわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。

 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先
生に、一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、な
ど。

 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(が
んこさ)を示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わが
まま」と決めてかかって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめ
る。症状をこじらせる。

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、
臨機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔
軟な子どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」という
が……。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここ
でいう人格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた
子どもとみる。
(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)
(040824)

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●ホームページ・コンテスト

 この原稿が、マガジンに掲載されるころは、すでに、結果が出ていると思う。入賞すれ
ば、賞品は、N社の最新型ノートパソコンとか……!

 今年で3年目になる。しかし私のホームページは、多分、いつも、番外。審査の対象に
もならない……らしい。私も、まったく、期待していない。

 中身を審査するコンテストというよりは、どこか別の視点から、審査するコンテストの
ようだ。……となると、プロが入った作品が、有利に決まっている。さらに初年度は、読
者の投票によって、優劣が決まった。

 こうなると、インチキのし放題(?)。自分で、何10〜100票も、票を入れる人が続
出。「?」と思われるような作品が、一日で、何10票も、票をふやしたりした。

 で、今年も、応募した。2年前からのつづきで、自動的に応募した形になったが、とも
かくも応募した。

 が、締め切りまぢかになって、驚いた。見ると、私のホームページが、22、3票も獲
得しているではないか! 2300近いサイトの中でも、上位、18、9番だそうだ。

 とたん、ムラムラとやる気が出てきた。「こうなれば、みんなにお願いして、10位以内
に、入ってやる!」と。

 まず、息子たちに、それぞれ、1票を入れるように、頼んだ。つぎに、友人、数人に、
1票を入れるように頼んだ。そして1600人近くいる、私のマガジンの読者のみなさん
に、頼んだ。

 で、今日(8・22)までのところ、30票を獲得。上位9位に入った!

 しかしたった30票で、9位とは!

 そういうものである。

 インターネットの世界というのは、意外に、クール(?)。無数の情報が、怒涛(どとう)
のように行きかっていることもあって、情報の価値は、空を舞うチリのように軽い。その
分、人間関係も、希薄(?)。

 だからといって、読者の方を、責めているのではない。私自身もそうだし、もともとイ
ンターネットの世界というのは、そういうものである。

 が、今回、協力してくれた人が、2人もいた! おかげで上位9位に入った(8月23
日)。

 あとは、審査の結果を待つだけだが、今年も、たぶん、だめだろうと思う。せっかく協
力してくれた人には悪いが、私のホームページは、そもそもこうした(お祭り)には、向
かない。自分でも、それがよくわかっている。

 しかし、あのノートパソコン、ほしいなあ。ホント!


●ホームページ・コンテストへの応援メッセージより

 静岡県が主催する、ホームページ・コンテストへの投票をお願いしたら、多くの方から、
寄せ書きをいただきました(8月24日)。

 2300もある登録サイトの中で、一気に、ランキングが、15票(20位前後)から、
35票(8位)にまで上昇! さらに今日(8・24)、何と、46票になりました。

 ありがとうございました。

 みなさんがお書きくださったメッセージは、そのまま事務局のほうから、転送されてき
ます。

 そのまま、それらの中のいくつかを、紹介させていただきます。(無断で、転載しますが、
問題はないと思われますので、よろしくお許しください。)

+++++++++++++++

☆このホームページは育児にとても役立つと思います。これからも、ずっと購読していき
たいです。


☆鋭い、建前論でなく、本音での話しがいい。


☆ 子供達は、これからの日本を築いていく宝物です。
けれども子育ては難しく、手本はありません。皆それぞれ真剣に悩みながら、りっぱな社
会人に育てようと努力しています。そんな親達に、ご自身の経験をまじえながらユーモラ
スに励まし、指針を与えてくれるのがこのサイトです。

このサイトのお陰で、いったい何人の親達が、本当の愛情に気がつき、救われたか知れな
いと思います。このサイトで、幸せな子供、幸せな家庭が増えているのです。こういうサ
イトこそ、グランプリに相応しいと考えます。


☆現在娘が3歳で、妊娠中よりサイトや、
メールマガジンを読ませてもらってます。
失礼ながら、時間があるときにまとめて読ませて
もらったりしますが、時間と体力が続く限り、
気長に頑張ってください。中でも教室での話や
(通えないのでもっと知りたいです)
日常の話なども好きです。
メッセージは初めてですが、いつも応援して
おります。


☆ いつも「なるほど、そうか!」と感心させられる子育てに関するアドバイス。「わかっち
ゃいるけど・・・」と日々反省したり自分を励ましたり、とにかく子供のことのみならず
自分自身を見つめなおす機会を与えてくれるサイトです。はやしさん、応援者は日本中に
いますよ。気を楽にしてくださいね。


☆ 我が子はもう18歳になってしまっているので、もっと早く林先生のことを知りたかった
と思います。今はよそ様のお子さんの勉強を教える仕事をしていますので、ふむふむとう
なずく事が多くて参考になります。その他の話題も多岐にわたり、面白く読ませてもらっ
ています。フレーフレー


 ☆私は林先生のホームページをいつも頼りにしています。子どもとの接し方に迷ったとき、
子育ての考え方、ウチの子は変じゃないかしら?、と不安になるとき・・・など、つい読
みふけってしまいます。

内容が的を得ていて「なるほど」と納得することができます。先生の正直な人間性を感じ
ることも多々あります。これからも私たち若輩者のよき先輩(?)でいてください。


☆ 毎日の子育ての原点であり、活力です。なにげないありふれた子供との日々の生活を、
愛情の根源として、人間の成長として、貴重であり大切なものであることを教えてくれま
す。本当に大切なことそれは何か? その答えを導いてくれるすばらしいホームページで
す。

最近、思い悩んでる、はやし先生! ここは踏ん張ってほしいです。(日々前進する苦労も
相当なものなので、悩むというのも人間らしくて、私は親近感もわきますが。)

子育てにも人生にもこれが完璧であるというというものでなく、いかに自分らしく誠実で
前向きに生きるか? 自分と子育てをどう考えていくか、先生のホームページを読むたび
に考え直され、軌道修正し、活力となり日々の生活に役立っています。いつもいつもこん
な私を支えてくれて、本当にありがとうございます。月並みな言い方で申し訳ありません
が、これからも頑張ってください。応援しています!!


☆ 情熱あふれ、また、はやし先生のご年齢ならではの、達観したというか、私たち親世代
とは、深みと経験値の違う子供の捉え方が参考になります。


☆ 子育てのこと、教育のこと、徹底的に掘り下げて、具体例を示しながら解説しているH
Pです。どんな子供にも、どんな保護者にも問題がある、その問題に直面したときに、こ
のHPは絶対助けてくれます。

「子育ては許して忘れること」はやし先生の常々訴え続けていることです。半信半疑では
じめても、次第におおらかな気持ちで子供と接することができるようになり、子供も心を
開いてくれます。HPやマガジンを読むようになって、一年半。私自身が(良いほうに)
変わってきたなと思える瞬間も増えてきました。母親が安定し、夫とのけんかも減ると、
子供は本当に安定してきますね。

また、なにかネガティブなことを考えてしまうとき、先生から教えていただいたいろいろ
な言葉が歯止めになります。いつもありがとうございます。これからも先生から発信され
るたくさんの情報、楽しみにしています。


☆ メルマガをいつも楽しみに読ませて頂いています。
7月30日に父親になったばかりの新米です。立会い出産だったので生まれてくる赤ちゃん
を目の当たりにして、母親の偉大さと、生命の神秘に感動しました。夏休み中はミルクを
あげたり、沐浴したり長時間子供と一緒に過ごせて、とても充実していました。

一日一日変化していく子供の姿を見ていると、生命の力強さを感じます。子育てのスター
トではやし浩司さんのメルマガ、ホームページに出会ったことは幸運でした。有益な情報
をいつもありがとうございます。ご苦労は多いでしょうが、これからもよろしくお願い致
します。

☆ 少し長い文章を読み終えると、子育てが横道にずれていたのが、軌道修正されます。少
し(かなり?)大げさですが、子育ての聖書です! 子供が親になった時にも読ませてあ
げたいです。


☆ 小学校のPTA副会長やカブスカウトの副長を務めながら、ウチの子供だけではなく、
様々な子供と接しております。大変勉強させていただいております。実践で役に立つサイ
トです。


 ☆子育てのみならず、私自身の生き方としての指針として勉強させていただいています

++++++++++++++

【読者のみなさんへ……】

 こうしてみなさんから、思わぬ反応をいただき、本当にうれしかったです。いつも私の
ほうから、一方的に情報を発信するのみで、それはたとえて言うなら、丘の上から、空に
向って、ものを叫ぶようなもの。そのつど何とも言えない、はがゆさというか、虚しさを
感じていました。

 しかし、こうして見知らぬ方たちから、たくさんの励ましの応援メッセージをいただき、
心が温まりました。改めて、お礼申しあげます。ありがとうございました。

 自分では気がつかなかったのですが、落ちこんでいたときに書いたような文章は、知ら
ず知らずのうちに、読者の方を不安にしていたのですね。それには、本当に反省させられ
ました。一人、「最近、思い悩んでいる、はやし先生」というのもありました。正直言って、
ドキッとしました。心の中を見抜かれたような思いです。

 率直に、書きます。

 6月ごろは、(マガジンでは、7月号)、「マガジンをつづけるべきか、どうか」で、本気
で悩んでいました。読者の方からの反応はないし、何かにつけて、落ちこむ一方。

 ワイフに相談すると、ワイフは、ああいう女性なものですから、「ぐずぐず言うくらいな
ら、やめたら?」と。それでぐずぐず言うのをやめていたら、おかしなストレスばかり、
たまる。ますます、落ちこんでしまいました。

 しかし、今から思うと、体調も影響していたのかもしれません。6月ごろは、季節の変
わり目ということもあって、体はだるく、頭もぼんやりしたまま。ワイフは、「男の更年期
よ」と言いました。最初は、「そんなもの、あるか!」と思っていましたが、本当にあるの
ですね。男性のばあい、何かにつけて、調子が悪くなのだそうです。

 今も、あまりよくありませんが、しかし、うつ的な暗い気分は、消えました。ものの考
え方が、前向きになってきた感じです。自分でも、「よかった」と思っています。

 そして今回の、励ましの応援メッセージ。本当にありがとうございました。

 で、ほかの方たちのホームページをのぞいているのですが、どれも、力作ぞろい。私の
ホームページは、量こそぼう大ですが、デザイン的にも、つまらない。せっかく応援して
いただいてはいますが、そんなわけで、私自身、ほとんど期待していません。

 (得票数は、審査の対象にならないと、はっきりと書いてありますし……。)

 しかし結果はもう、どうでもよいです。みなさんからの応援メッセージのほうが、うれ
しかったし、これこそが、私に与えられた「賞」だと思っています。

 本当に、ありがとうございました。これからもがんばって、とにかく、マガジン100
0号に向けて、がんばります。その1000号の向こうに何があるか、わかりませんが、
きっと何かがあるでしょう。

 何かを見つけたら、必ず、みなさんに、報告します。どうか、楽しみにしておいてくだ
さい。

 浜松は、朝から、シトシト雨。涼しくて、たいへん気持ちのよい朝です。

 おはようございます!

 8月24日 午前6時30分。

 はやし浩司

***************************************


【ホームページ・コンテスト】

現在、静岡県では、県の主催で、ホームページ・コンテストを実施しています。

つきまして、小生のホームページを「GOOD!」と思ってくださる
方は、どうか、清き一票を、投票していただけないでしょうか。

よろしくお願いします。締め切りは、9月5日ということですが、早め
に投票してくだされば、うれしいです。

こんなことで、騒がしいマガジンを出して、すみません。
よろしくお願いします。

8月22日

はやし浩司


**************************************

【投票の依頼】
(この依頼は、公職選挙法には違反しませんので、ご安心ください!)

はやし浩司のホームページ(必要な方は、見てください。)
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/

ホームページ・コンテストの投票所(ここが投票所です。)
https://hpg.pref.shizuoka.jp/vote_form.cfm?entry_number=36

●コンテストでは、みなさんのメールアドレスを、書き込むだけです。
●できれば、何か、コメントを書いてくださると、うれしいです。
●確認のメールが、折り返し、主催者から届きます。
OKをクリックして、返信してください。
●それで私のホームページに、一票が加算されます。
●そのあと、みなさんへの負担などは、いっさい、ありません。


【私のサイトの特徴は、何といっても、ぼう大な量の情報です。
 それだけは、どこのサイトにも、負けないと思います。】

**********************

現在、30票を獲得し、2300のホームページの中でも、上位9位に
ランクされています。(8月22日現在)

投票数は、審査には関係ないということですが、審査員の方に、注目
して見てもらえます。

一等賞は、ノートパソコンだそうです。私は、それをねらっています!

*********************************

では、投票を、よろしくお願いします!!!!

ホームページ・コンテストの投票所
https://hpg.pref.shizuoka.jp/vote_form.cfm?entry_number=36

*********************************

結果は、マガジンのほうで、また報告します!

      ――
      /)氷)
\ ∧  〆( (
 \《    〜〜
 ∧∬《
くし∨≫ゞ
┌―――┐       まだまだ暑い日が、つづきそうです。
 \※/           どうか、お体を、大切に!
          では、投票のほう、よろしくお願いします。















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はやし浩司(ひろし)