はやし浩司(ひろし)

2005・4
はやし浩司
 HPのトップページ   マガジン・INDEX 

 マガジン・バックナンバー 

2005年 4月号
 はやし浩司

.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 29日(No.561)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page064.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●悲しき、子どもの心

 以前、「悲しき子どもの心」について、書いた。虐待されても、虐待されても、「ママの
ところに帰りたい」と泣く子ども。そういう子どもの心を逆に利用して、「子どもを返して
ほしい」と迫る、母親。

 児童相談所に保護された子どもは、それをバツととらえる。だからこう言う。「いい子に
なるから、家に返して」と。

 まさに、悲しき子どもの心である。

 しかしこうした悲しき心は、何も、子どもだけの問題ではない。おとなの世界にもある。

 ふるさとへの思いを利用して、金をせびる父親がいた。母親もいた。「お前のかわりに、
ふるさとを守ってやる」「先祖を守ってやる」と。さらに息子(35歳)が、家を購入した
ことについて、「親の家を建てるのが先だろ」と怒った母親さえいた。

 しかし親は、親。そういう親をもった子どもは、悲しい。切るに切れない関係の中で、
さらなる犠牲を強いられる。

 もちろん良好な関係をつづけている親子も多い。大半がそうである。しかし大半がそう
であるかといって、自分たちの論理だけで、少数派の親子関係を、批判したり、否定した
りしてはいけない。

 ただ注意しなければならないのは、親が子どもを虐待するといっても、いつも虐待して
いるわけではない。週に1度とか、2度とか。あるいは虐待したとしても、ほんの瞬間に
始まり、ほんの瞬間に終わる。

 ある母親は、ふとしたきっかけで激怒し、息子を家から追い出していた。「あんたなんか、
どこかへ行って、死んでしまえ!」と。

 そしてふつう、そういう母親ほど、(もちろん父親のケースもあるが)、外の世界では、
別人のようによい母親を演ずることが多い。虐待をしている母親に会っていると、キツネ
につままれたような気分になる。「本当に、この母親が……?」と思うこともある。

 ていねいで、おだやかで、そして私たちの前では、子どもの体をやさしくマッサージし
てみせたりする。子どもはそれに応じて、下を向いて黙っている。そういうことはあるが、
とくに嫌ってみせるといったこともない。

 考えてみれば、これも悲しき子どもの心。どこまでも、どこまでも悲しき、子どもの心。

 親は、親であるという立場に、決して甘えてはいけない。親であることをよいことに、
子どもを追いつめてはいけない。これは子どもという子どものためではない。すべての子
どもの人権を守るためである。


●義兄の引っ越し

 今度、義兄が、今住んでいるマンションを売り払い、より小さなマンションに移り住む
ことになったという。「今の家は、大きすぎるから」というのが、その理由らしい。

 私はその話を聞いて、「ぼくたちもそうしようか」と、ワイフに話した。私が今、住んで
いる家も、大きすぎる。ムダにあいている部屋も、いくつかある。

 老後になったら、住居も、コンパクトにする。掃除もたいへん。税金もたいへん。維持
費もかかる。

 しかしそれ以上に私の心に衝撃を与えたのは、そういうふうに、合理的にものを考える
日本人がふえてきたということ。昔の日本人のように、「家」に、こだわらなくなってきた。

 どこかで封建時代からつづいてきた、「家意識」が、崩壊し始めているのかもしれない。
とてもよいことだ。今までの日本人は、心のどこかで、いつも、その「家」にしばられ、
自由を犠牲にしてきた。たった一度しかない人生を、その「家」のために犠牲にした人も、
少なくない。

 どこかの皇族や、そういう人たちが、「家」に固執するというのなら、まだ話もわかる。
そこらの町民や農民、さらには平民が、「家」にこだわるから、おかしい。そして悲しい。
もうやめよう、こんなバカげた風習。

 夕食のあと、ワイフに、「兄さんたち、今のマンションを出る前に遊びに行ってやろう」
と言うと、ワイフは、うれしそうに笑った。


【補記】

 郷里のG県の田舎では、まだ、その「家意識」を、しっかりともっている人は、多い。
家系図まで作って、床の間に飾っている人もいる。

 それが悪いと言うのではない。人、それぞれ。好きなことをすればよい。しかしあまり
「家」にこだわりすぎると、自分を見失ってしまう。大切なのは、「今」「ここ」で、生き
ている人間。先祖や、家ではない。

 まあ、誇るような先祖や家であれば、それなりに趣味として、楽しめばよい。それは個
人の自由だ。しかしだからといって、自分や子どもたちの人生を、犠牲にしてはいけない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●京都府在住の、SE氏より

 京都府にお住まいの、SE氏より、メールが届いています。
 これも大学教育の現状の一端かもしれません。
 「自分で考える教育」の大切さを、改めて考えなおしてみましょう。

+++++++++++++++++++++

はやし先生、こんにちは。

毎号のマガジンをなるほどと、うなずいたり、考えたりしながら、読ませていただいてい
ます。

先日の、"independent thinker"について、考えたことを書かせていただきます。

私は府内の大学に勤めておりますが、講義アンケートや試験の結果などを見ますと、学生
の依存性が、年々強くなっているような印象を受けます。

寄せられる意見では、「レジュメを配布してほしい(教科書はあるのですが・・・)」、「重
要部分は、それと明示した上で、最低3回以上繰り返してほしい」といったものが見られ
ます。試験結果を見ましても、メモをとるとか、話の重要部分をつかむといったことが苦
手なようです。これを国語力と呼んでいいのかどうかは分かりませんが。

これに関連して、最近の学生はレジュメを見ながら話しを聞かないと情報が頭に残らない
ようだ、と分析しているのですが、(日本語のセリフすら文字にする最近のテレビのせい?)、
どう思われますか。

また、自分で考えるとはどういうことなのかを感じ取ってもらうために、教科書とは異な
る意見を紹介したり、述べたりしたのですが、それに対しては、「批判するような教科書を
指定しないでほしい」という意見が寄せられ、こちらの意図は全く通じませんでした。講
義でも、誰かの意見を鵜呑みにするのではなく、自分で考えることが大切なのですよと言
っているのですが、通じないようです。

私が大学生だったころには、(といってもほんの10数年前です)、ワープロすら使えない
先生が大多数で、板書もほとんどなし、教科書指定すらないこともしばしばでしたが、大
学は自分で勉強するところと思って、自学に努めていたのですが、もうそういう時代では
ないのでしょうか。

聞き取る能力や、メモを取る能力、考える能力を養いたいと思いつつも(それも通じてい
ないのですが)、一方で最低限の知識を備えさせなければと考えると、なかなか悩ましいと
ころです。

高校から大学までのどこかで、(あるいはもっと早く、ないしはそもそも)、「教えてもらう」
姿勢から「自分で学ぶ」姿勢に転換する必要があるのではと思うのですが、それがどうも
うまくいかないままなし崩し的に大学に進学し、さらには就職している印象があるのです
が、いかがでしょう。はやし先生の大学(とくに学部)教育についての考え方なども、マ
ガジンでお話いただければ幸いと存じます。

なにやら取り留めなくなってまいりました。これからも頑張ってください。応援しており
ます。

では、失礼致します。

+++++++++++++++++++++++

【SEさんへ】

 メール、ありがとうございました。

 自分で考えることの重要性は、今さら、言うまでもありません。私がオーストラリアの
大学へ渡ったのは、「戦前の日本人の法意識」の研究のためでした。もっとわかりやすく言
えば、「全体主義国家下における、法意識」の研究でした。

 で、オーストラリア人のもつ、あの自由意識に触れたとき、同時に、(自分で考えること
を知らない日本人)に気づかされました。私も含めて、私たちは、教えられたことだけを
忠実に守る、従順な民にすぎなかった、とです。

 このことは、当時、たまたま北京で1年間の留学生活を終えて帰ってきた、D君の話を
聞いて、さらに確信しました。「中国人は、白人を見ると、話すのさえ避ける。また意見を
求めても、みなテープレコーダーみたいに、同じことしか言わなかった」と。

 つまりどの学生と話をしても、ステレオタイプな答(=決まりきった答)しか返ってこ
なかったというのです。

 一方、日本人は自由だ、自由だといいながら、その一方で、戦前の全体主義国家的な、
統一されたものの考え方しかできませんでした。(私も、含めて、ですが……。)

 情報(=知識)と、思考は、まったく別のものです。ほとんどの日本人は、情報を加工
することを、思考と誤解しています。思考することには、ある種の苦痛がともないます。
ですから、思考することそのものから、逃げてしまう人も、少なくありません。よい例が、
カルト教団の信者たちです。

 彼らは、徹底した服従を誓うことで、脳ミソの中に、思想を注入してもらっているので
す。

 しかし批判ばかりしていてはいけません。

 問題は、どうすれば、教育の場で、子どもたちを、その(考える子ども)にすることが
できるか、ですね。

 私はそれには、親自身が、(考える人間である)という、環境が、とても重要なような気
がします。教育の世界でいうなら、教師自身が、自ら、考えるという姿勢を、子どもたち
に見せていくということです。

 恩師のT先生は、ときどき、「考える時間」という言葉を使います。私は勝手に、「静か
に考える時間こそが、重要である」と、解釈しました。(この原稿は、あとで、T先生に送
っておきます。)何かの機会に、先生が、「あの人たちには、考える時間があるのでしょう
かねエ……」と、口にしたのを覚えています。たしかどこかの政治家の話になったときの
ことです。

 SEさんが、ご指摘のように、私も、日本人が、むしろ、ますます考えない国民になっ
ているような気がしてなりません。もの知りで、やたらと情報量だけは多い。さらには、
知能パズル的なクイズ(リドル)を、解くのが、考えることだと誤解している人もいます。
最近のバラエティ番組の影響かと思います。

 ものごとを、身近なところから論理的に(ロジカルに)、考えることを、「思考」という
わけです。それが苦手(?)。

 で、たどりつく結論は、こうです。

 日本人は、考えない国民ではない。考えるという習慣をもたない国民である、と。そも
そも静かに考える、そういう習慣がない。万博で、シベリアで発見されたマンモスの化石
を見ても、「ほほう、あれがマンモスか」で終わってしまう。その先を、思考に結びつけて
いかない。

 これは日本人にとっては、とても不幸なことだと思います。せっかくの名画を見ながら、
「この絵は、2億円の価値がある」「あの絵は、10億円だ」と言うのに、似ています。そ
ういう視点でしか、自分の得た情報を処理できないのですね。

 なぜ、人間が人間であるかといえば、考えるからですよね。その(考える)ことを放棄
してしまったら、人間は人間でなくなってしまう。それだけではありません。考えるから
こそ、人間は、生きることになるのです。

 たまたま今、頭のボケた兄を介護して、ちょうど満3か月になりました。昨日、介護申
請のこともあって、郷里へ連れて帰りましたが、今朝、ウソのように静かになった我が家
を見ながら、ワイフとこんな会話をしました。

 「この3か月は、何だったのだろうね。ちょうど、ハサミか何かで、切り取られたみた
いだね」と。

 3か月もいっしょにいたのに、兄の思い出という思い出が、まったくないのです。これ
は不思議な経験でした。最初から最後まで、いてもいなくても、どうでもよい人間が、そ
こにいた。そんな感じです。

 まさに「生きることは、考えること」という、私の持論を実感した瞬間でもありました。

 まあ、グチばかり言っていてもしかたありません。私たちだけでも、考えましょう。い
ろいろ考えて、さらに考えて、また考えましょう。そのうち、考えることの重要さをわか
ってくれる人が、もっともっと、あとについてきてくれるだろうと思います。それを信じ
て、前に進むしかありません。

 Independent Thinker ……よい言葉ですね。そうそうT先生というのは、その
Independent Thinker を地でいくような人ですよ。いつか機会があったら、T先生のHP
ものぞいてみてやってください。

 では、おやすみなさい!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【親が、子どもをつぶすとき】

●S君の例

 こんな話が、ある。

 S君はそのとき、中学一年生になったばかりだった。そのS君に、どこかふつうでない
様子が見られるようになったのは、そのころからだった。

 S君は、魚釣りで使う、ルア(lure小魚を模した擬餌)を集めていた。そのルアばかり
を、何百個ももっていた。こうした度を越した、しゅうしゅ癖は、子どもにとっては好ま
しいものではない。(こだわり)とみる。自閉傾向のある子どもが、よく見せる症状の一つ
である。

 S君は、学校から帰ると、そのルアを毎日みがいて、時間を過ごしていた。が、夏休み
を過ぎることから、さらに様子がおかしくなった。

 ルアを箱に入れ、その箱を、自分の部屋の本箱の中に入れていたが、本箱が勝手に開け
られないように、大きなカギをつけた。さらに自分の部屋にもカギをつけた。それまでは
ときどき母親が、掃除にS君の部屋に入っていたが、それができなくなった。

 それを知った、父親が激怒した。そして父親は、S君が学校へ行っていない間に、S君
の部屋に入り、本箱のカギをこわして、ルアの入った箱などを、庭先へ投げつけて、捨て
た。母親のサイフから、お金を盗んでルアを買っていたことが、わかったからである。

 S君の様子が激変したのは、その夜からだった。従順で、ヘラヘラと笑っているだけ。
が、そうかと思うと、突発的に、自分のメガネをなげつけて割ったり、ステレオセットを、
窓の外に投げ捨てたりした。

 昼と夜が逆転し、学校へも行かなくなってしまった。S君は、心療内科に通うことにな
った。今は、週4回、午前10時から午後4時ごろまで、その内科に併設された施設で、
時間を過ごしている。

●無理をする親たち 

 こういうケースは少なくない。親の無知と無理解が、子どもの心をゆがめてしまうとい
うケースである。

 親の強引なやり方が、子どもの心をゆがめてしまう。「気はもちようだ」「子どものこと
は、私が一番よく知っている」と。

 燃え尽きたり、荷おろし症候群などで無気力になった子どもを、「わがまま」「なまけも
の」と決めつけて、叱りつづけていた母親もいた。オーバーヒートを起こし、心身症(神
経症)を、多発していたにもかかわらず、「まだ、何とかなる」と、子どもを勉強で追いた
てていた母親もいた。

 しかしいくら自分の子どもでも、してよいことと悪いことがある。とくに子どもがかか
える、心の問題は、安易に考えてはいけない。無理をすれば、そのした分だけ、子どもの
心は破壊される。そしてその後遺症は、ばあいによっては、一生、つづく。

 が、親には、それがわからない。いくら説明しても、わからない。私も、そういった子
どもを教えさせてもらう立場にいるから、「これは、あぶないぞ」と言っても、それを口に
することができない。

 「このままでは、あぶないから、受験競争から手を引きなさい」などと、どうして私の
立場で言えるだろうか。私の思いすごしということもあるし、みながみな、そうなるとい
うわけでもない。「もし、まちがっていたら……」という思いがあるから、口を閉ざす。

 もちろん親のほうから相談があれば、話は別。しかしそういう相談は、めったにない。
あるとすれば、「もっと、成績を伸ばすにはどうしたらいいでしょうか」「SS中学へ入る
ためには、どうしたらいいでしょうか」と。

 どの親も、成功することは考えるが、失敗することは考えない。

 ……とまあ、奥歯にものをはさんだような言い方は、もうやめよう。私も57歳。この
世界で、35年も生きてきた。だから、はっきり言う。

 せっかく子どもを伸ばしても、また勉強好きにしても、そのあと、親が無理をする。勉
強癖そのものを、破壊する。「○○進学塾へも通わせることにしました」「家庭教師もつけ
ました」と。

 一時的にはうまくいっても、やがてオーバーヒート。こういうバカげたドラマを、私は、
いやというほど、見せつけられてきた。内心では、「ご勝手に」と思いつつ、表面的には、
にっこりと笑って、その場を逃げるしかない。

 本当は、「そんなことしても、ムダですよ」「かえって、失敗しますよ」と言いたいが、
それこそ内政干渉。隣の席でタバコを吸っている人に向って、「タバコは、体によくありま
せんよ」と注意するのに、似ている。親にしてみれば、余計なお節介ということになる。

●失敗を避けるために

 「無理をしないこと」。すべて、この一語に尽きる。

 子どもが自分で自分の道を歩み始めたら、親は、そっと、それを静かに見守る。何度も
書いてきたが、(暖かい無視)と、(ほどよい親)に、心がける。あとのことは、子ども自
身の判断力に任せる。

 そしてその前に、本当にあなたは、あなた自身を知っているかを、自問してみるとよい。
あなたの子どものことではない。あなた自身を、だ。

 たいていの人は、「私のことは、私が一番、よく知っている」と思っている。しかし「私」
を知ることなど、一流の哲学者ですら、むずかしい。ギリシャの哲学者のキロンは、『汝自
身を知れ』という有名な言葉を残している。つまり「己(おのれ)を知ることが、哲学の
究極の目標である」と。

 つまり自分を知ることは、それくらいむずかしい。いわんや、あなたの子どもを、や。

 あなたは、あなたの子どもの友だちの名前を、3人、言えるだろうか。
 あなたは、あなたの子どもが、どんな趣味をもち、家の外でどんなことをしているか、
知っているだろうか。
 あなたの子どもは、あなたに悩みや苦しみを訴えているだろうか。

 こうした簡単なこと(本当は、簡単ではない)から始めて、一度、あなたも、あなたの
子どもの心の中をのぞいてみるとよい。とくに、子どもが小さいときから、子どもの手を
ぐいぐいと引きながら、子育てをしてきたようなタイプの親ほど、一度、子どもの心の中
をのぞいてみるとよい。

 話は変わるが、私がある講演会で、「子育てで失敗しないために」という副題をつけたと
ころ、「失敗とは、何だ。失敬ではないか」と、怒ってきた父親がいた。

 「どんな子どもにも、その子どものよさがある。失敗した子どもというのは、いない」
と。

 その父親の言っていることは、正しい。しかしその一方で、親が原因で、心をゆがめて
いく子どもが多いのも事実。以前、「母因性〜〜」という言葉を使った。「母原性〜〜」と
いう言葉を使う人もいる。

 私は、それを「失敗」と位置づけている。どうか、誤解のないようにしてほしい。
(はやし浩司 母因性 母因性萎縮児)

++++++++++++++++++++

そのとき書いた原稿を添付しておきます。

++++++++++++++++++++

●母因性萎縮児

 小児科医院で受け付けをしている、知人の女性から、こんな話を聞いた。

 何でも、その子ども(現在は、中学男子)は、幼児のころから、ある病気で、その医院
に通っているという。そして、2週間ごとに、薬を受け取りにくるという。

 その子どもについて、その知人が、こんなことを話してくれた。

 「ひとりで病院へくるときは、結構、元気で、表情も、明るい。薬の数を確認したり、
看護婦さんたちと、あいさつをしたりする。冗談を言って、笑いあうこともある。

 しかしときどき、母親がその子どもといっしょに、来ることがある。そのときの子ども
は、まるで別人のよう。

 玄関のドアを開けたときから、下を向いて、うなだれている。母親が何かを話しかけて
も、ほとんど返事をしない。

 そこで母親が、その子どもに向って、『ここに座っているのよ!』『診察券は、ちゃんと、
出したの!』『あの薬も、頼んでおいてね!』と。

 そのとたん、その子どもは、両手を前にさしだし、かがんだまま、うなだれてしまう。
もちろんだれとも、会話をしない。

 あるとき先生(医師)が、見るに見かねて、その母親に、『子どものやりたいように、さ
せてあげなさい。そんなうるさいこと、言ってはだめです』と、諭(さと)したこともあ
るという。

 ああいう母親を見ていると、いったい、母親って何だろうと、そんなことまで考えてし
まう」と。

 こういう子どもを、母因性萎縮児という。教育の世界では、よく見られるタイプの子ど
もである。

 子どもだけのときは、結構、活発で、ジャキシャキと行動する。しかし母親がそばにい
ると、とたんに、萎縮してしまう。母親の視線だけを気にする。何かあるたびに、母親の
ほうばかりを、見る。あるいは反対に、うなだれてしまう。

 が、母親には、それがわからない。「どうして、うちの子は、ああなんでしょう。どうし
たらいいでしょう?」と相談してくる。

 私は、思わず、「あなたがいないほうがいいのです」と言いそうになる。しかし、それを
言ったら、お・し・ま・い。

 原因は、言わずと知れた、過干渉、過関心。そしてそれを支える、子どもへの不信感。
わだかまり。愛情不足。

 いや、このタイプの母親ほど、「私は子どもを愛しています」と言う。しかし本当のとこ
ろは、自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。子どもを自分の支配下において、
自分の思いどおりにしたいだけ。こういうのを、心理学の世界でも、「代償的過保護」という。

 今、この母因性萎縮児は、結構、多い。10〜15人に1人はいるのではないか。おか
しなことだが、母親自身が、子どもの成長を、はばんでしまっている。そしてここにも書
いたように、「うちの子は、ここが悪い。どうして……?」「うちの子は、あそこが悪い。
どうして……?」と、いつも、悩んでいる。

 そうこの話も、あのイランの笑い話に似ている(イラン映画「桜桃の味」より)。

 ある男が、病院へやってきて、ドクターにこう言った。「ドクター、私は腹を指で押さえ
ると、腹が痛い。頭を指で押さえると、頭が痛い。足を指で押さえると、足が痛い。私は、
いったい、どこが悪いのでしょうか?」と。

 するとそのドクターは、こう答えた。「あなたは、どこも悪くない。ただ指の骨が折れて
いるだけですよ」と。

 そう、子どもには、どこにも、問題はない。問題は、母親のほうにある。

 しかしこの問題は、私のほうから指摘するわけには、いかない。この文章を読んだ、あ
なた自身が、自分で知るしかない。
(はやし浩司 母因性萎縮児 母原性萎縮児)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●English

 電車の中で、オハイオから来たという、若いアメリカ人に会った。横須賀のアメリカ軍
基地で、電子操作技師として働いているという。

 いろいろな話題がつづいたあと、名前が、テーマになった。

 私が、「世界で一番、おもしろい名前ということで、昔、オーストラリアの友人と話した
ことがあるんですよ。そしたら友人たちは、みな、『Dickinson』(ディキンソン)
だと言うのですね。みなはゲラゲラ笑っていましたが、私には意味がわかりませんでした」
と言うと、そのアメリカ人も、同じように笑った。

 「それは、たしかにひどい(terrible)名前だ」と。

 Dickというのは、「チンチン」の卑猥(ヒワイ)語という。つまり「ディキンソン」
というのは、「息子のチンチン」という意味になる。

 つづいて、私が「日本には、あちこちに、ターミナル・ホテルというのがあるのですが、
知っていますか」と聞くと、「本当?」と言って、またゲラゲラ笑い出した。

 日本語で考えると、「末期ホテル」ということになる。つまり死を迎えた、臨終の人が入
るホテルという意味になる。

 そしたら、今度は、そのアメリカ人が、「ぼくの知っている中で、最悪の名前は、マイケ
ル・ハントという名前だ」と教えてくれた。

 英語では、「Mickael Hunt」とつづる。「どうして?」と聞くと、「いいです
か、マイケル・ハントというのは、マイク・ハントと呼びますよね。少し早く読むと、マ
イ・カントになるんですよ」と。

 今度は私が笑った。大声で笑った。「カント」というのは、ここに書くのもはばかれるほ
ど、ひどい卑猥(ひわい)語である。女性器そのものを意味する。

私「しかしほかにも、ひどい英語がありますよ。数年前ですが、地元の中学校の先生が退
職したんですね。そしたら、そのお別れ会の案内書に、メモーリアル・パーティと書いて
ありました。で、私がワイフに、『あの校長、死んじゃったの?』と聞いたら、『元気だよ』
とね」と。

 メモーリアル・パーティというと、「追悼式」という意味になってしまう。

 ついで、南部英語の話になった。いろいろおもしろい話をしてくれたが、ここには書け
ない。私の息子が、その南部で、アメリカ人の女性と結婚して暮らしている。

 別れるとき、私が、ジョン・ウェィンの口調をまねて、「Have a nive da
y!」と言ったら、またまたゲラゲラと笑っていた。陽気なアメリカ人だった。


●ニンニク

今朝から少し、頭痛がした。そこで昼食に、ニンニクをタレにつけて、刺身を食べるこ
とにした。

 そのニンニクの皮をむいているとき、ふと、「このニンニク、ぼくのチンチンみたい」と、
もらした。すると横にいたワイフが、すかさず、「しなびている?」と。

私「いちいち、ひとり言に返事をするな。失礼だろ!」
ワ「だって、そうでしょう。昨日見たら、しなびていたから」
私「何が?」
ワ「ニンニクよ」

私「そういうときは、『そんなに立派』と言うべきだ」
ワ「何が?」
私「ぼくのチンチンだ」
ワ「ハハハ。それはどうかしら。あなたのは、そのニンニクみたいじゃないの?」と。

 料理をしながら、一度は聞いてみたいと思っていたことを、ワイフに聞いた。

私「あのな、男というのは、小便をしたくなって、トイレへ行くだろ。そのとき、ほとん
ど出そうになったときでも、チンチンの先を指でつまめば、少しはがまんできる。しかし
そういうときって、女っていうのは、どうするの?」
ワ「わからないわ。そういう経験はないもの」
私「もれそうになったことはないのか?」
ワ「その前に、トイレに行くから……」と。

 で、今、そのニンニクを食べたおかげで、少し頭痛がおさまったようだ。これから二人
で、ビデオをみるつもり。前から見たかった、『アラモ』が、やっと手に入った。批評は、
またあとで……。

 みなさんも、Have a nice day!

+++++++++++++++++++++++++++++

●人工(血液)透析

 近所の知人のO氏が、理由はまだよく聞いていないが、腎臓を悪くして、今月から、人
工透析を受けることになったという。血液透析ともいう。

 その話を聞きながら、「どうして、あんな元気な人が?」と思ってしまった。ただタバコ
は吸い、酒も飲んでいる。夕方になると、道路の反対側にある居酒屋に、いつも入りびた
り。

 年齢は、私より1歳だけ上。陽気な人で、会うといつも、大声で話しかけてくる。もっ
とも今では、治療法も進歩し、在宅のまま、腹膜を利用して透析するという方法もあると
いう。多少の不便さはあるらしいが、それさえのぞけば、ごくふつうの生活ができるとい
う。腎不全といっても、それほど深刻に考えなくても、よいかもしれない。

 しかし私とは年齢がほとんどちがわないだけに、その話を聞いたときは、ショックだっ
た。「そう言えば、最近、顔色が悪かったかなあ」とか、「何か病気でもしたのかなあ」と
か、いろいろ考えてしまった。

 私たちの年齢層は、元気でなければならないのだ。元気であることが、つぎの世代の人
たちへの、義務と考えてよい。O氏よ、あなたは、まだ若い。腎不全なんかに、負けるよ
な!


●春休み

 春休みになって、やっと、原稿を書く時間がふえた。おかげで、今日、3月31日に、
4月29日号(4月最終号)を、発行予約できそう。

 (マガジンは、いつも、1か月前に、発行予約を入れている。)

 で、今日、市内のS銀行へ行った。明日から、ペイオフが、実施される。預金は、10
00万円まで保護される。それ以上は、銀行がつぶれたら、パー。

 しかし1000万円が確実に保護されるわけではない。「支払いが保証される」というだ
け。わかりますか、みなさん? この法律用語。

 つまり、「いつか、1000万円まで払う」ということ。ばあいによっては、分割にもな
るし、さらには、数年後ということになるかもしれない。

 だからというわけでもないが、私とワイフは、S銀行へ行った。いろいろ緊急に送金し
なければならないことが重なった。

 しかし驚いた。S銀行は、満員。とくに法人関係者が多かった。入店すると、順番待ち
のカードをもらうのだが、800人待ちとか……。私のような個人でも、20〜30番、
待ち。

 そしてどの人も、見た感じ、ドサッドサッと、現金をおろしていた。「ペイオフだからか
な?」「それとも、給料?」と思ったが、証拠があるわけではない。

 で、私たちはあきらめて、自分のカードで支払うことにした。今日は、3月31日。年
度末で、企業にとっても、一番忙しい日だった。

 帰りに、いつものKともで、フライを食べた。

 明日は、4月1日。フライを食べながら、「最高のウソって、どんなウソか知っているか?」
と聞くと、ワイフは、ちょっと考える様子をしてみせた。

 「いいか、最高のウソというのはね、『私は今日は、ウソをつきません』というウソだよ」
と、教えてやった。

 あまりおもしろくないウソだが、明日は、そのエイプリルフール。オーストラリアの友
人が、どんなウソを送ってくるか、楽しみだ。


●勇気、10倍!

 今朝、パソコンを開いてみると、マガジン読者の方が、5人もふえていた。うれしかっ
た。うれしくて、そしてがんばって、一気に、原稿を12枚も書いた。

今日(3・30)、マガジン読者になったくださった方へ。心からお礼を申しあげます。
これからも、よろしくお願いします。ありがとうございました!!

 みなさんは、私に、生きがいをくれる。私はみなさんに、役立つ情報を提供する。がん
ばります。+これから先、いろいろなことがあると思いますが、いっしょに、がんばりま
しょう!


●善なる心

 現在、日本は、国連通常予算の約20%を負担している(国連広報センター・04年度)。
正確には、19・5%。

 それだけではない。そのほかの基金への拠出金を含めると、日本は、世界最大の、国連
拠出国となっている。まだある。日本が始めたODA(政府開発援助)にしても、国連諸
機関を通した拠出金は、ODA全体の28%を占めるまでになっている(02年)。

 これらのお金で、国連人口基金(UNFPA)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世
界食糧計画(WFP)、国連開発計画(UNDP)、国連児童基金(ユニセフ)などの諸機関が
運営されている。

 日本が、国連安保理の理事国になるのは、当然ではないか。

 しかしその動きに対して、猛烈に反対しているのが、中国、K国、そして韓国。今度、
これら3つの国が、反日本で、連合を組んだ。K国のN大統領は、「日本人は、成熟してい
ない」とまで言い切った。

 またK国にしても、「国連は30日(現地時間)、新しい対K国支援寄付約束がないばあい、
飢えたK国住民数百万人に対する食糧配給が、数週間内に中断されるほかないだろうと明
らかにした」(東亜日報)という。

 「国連、国連」とは言うが、その20〜30%は、日本のお金で運営されている。もち
ろん、K国への食糧援助も、である。

 日本よ、日本人よ、こんなバカげた、お金のバラまきは、もうやめよう。どうも、日本
人のすることは、甘い。「これだけのことをしてあげているのだから、相手は、感謝してい
るはず」という、『ハズ論』だけで、ものを考える傾向が強い。

 しかし世界は、そんな甘くない。そういう日本を、ただの「お人好し」とみる。拠出金
を提供するとき、ちゃんと言うべきだった。「いくら、いくら、お金を出します。ついては、
日本を理事国にしなさい。でないというなら、お金は、出さない」と。

 中国や韓国に対しても、同様である。K国に対しても、同様である。

 ……ということで、K国の核問題を論ずる6か国協議の雲行きが、ますますわからなく
なってきた。反日、反米色をますます色濃くする、韓国、中国。ロシアもアメリカから離
脱し始めた。そのアメリカも、NPT(核拡散防止条約※)のホゴを、とうとうにおわせ
るまでになってきている。

 アメリカにしてみれば、「もう、バカ臭くて、やっておられるか!」ということになる。

 では、肝心の日本は、どうすべきか?

 ここがまさに正念場。決して感情的になってはいけない。どこまでも事務的に、ただひ
たすら事務的に。冷静に、ものごとを処理していく。韓国や中国が、反日の旗をあげれば、
日本は、にっこり笑って、「日韓友好」「日中友好」の旗をあげればよい。あのアジアカッ
プ優勝戦(04・夏)の心を忘れてはいけない。

 あのとき、中国側から「日本人、殺せ」の大合唱が始まったとき、日本人サポーターた
ちは、「日中友好」の旗をあげた。それこそ、まさに日本人が、熟成したことを意味する。

 大切なことは、人間そのものがもつ、(善なる心)を信ずること。幸いなことに、情報網
は、かつてないほどに発達してきている。日本や韓国、中国で起きていることは、瞬時に、
世界に伝わる。

 日本人サポーターたちに、石やビール瓶を投げつける、中国側サポーターたち。一方、「日
中友好」と書いた旗をあげる日本人側サポーターたち。そういう姿を、今、世界の人たち
が、その場で見ている。見ているからこそ、日本人を支持する人たちがふえ、中国人を非
難する人たちがふえる。

 そういう(善なる心)を、もっと信じよう。

 だからというわけでもないだろうが、オーストラリアは、日本の自衛隊を保護するため
に、兵隊をイラクへ派遣してくれた。アメリカは、中国の人権問題を、さらに声をあげて
追及し始めた。

 またK国にいたっては、あわれなるかな、食糧援助を、進んで申し出る国は、もうない。

 まだ人間には、(善なる心)を、冷静に判断する能力が、残っている。仮に、その心がな
くなれば、そのときは、日本人だけではなく、人類全体が、滅亡するときでもある。

 数日前も、テレビ討論会を見ていた。もともとレベルの低い番組だったから、期待はし
ていなかったが、「制裁」「報復」「戦争」という言葉が、ポンポンと飛び出してきたのには、
驚いた。「お前は、アホだ」「バカだ」という罵声も飛びかっていた。

 何度も書いてきたが、私たちは、韓国やK国など、本気で相手にしてはいけない。中国
も、だ。いわんや、感情的になってはいけない。とくにK国に対してはそうで、日本は、
あんな国と心中する必要はない。

 これはあくまでも、私の推察だが、韓国と中国は、水面下で、「核兵器とミサイルは、日
本向けのもの」「韓国と中国には発射しない」という密約を、K国から取りつけているにち
がいない。6か国協議に対する彼らの姿勢を見ていると、どうも、そんな感じがする。

 で、あるとするなら、K国は、韓国や中国にとっては、救世主ということになる。自分
たちでは果たせなかった、独立戦争と復讐を、K国がしてくれることになる。

 で、あるとするなら、日本は、ますます冷静にならなければならない。韓国や中国は、
何かにつけて、対日報復政策を打ち出し始めている。ならば日本も……ということになる
が、ここはやりたいように、やらせておくのが、一番、よい。回りにまわって、結局は、
彼らは自分で自分のクビをしめることになる。

 おごり高ぶっている彼らには、まだそれがわからない。仮に、日本の銀行団が、毎年、
10億ドル(日本円で、たったの1兆円)程度、韓国から外資を引きあげたら、それだけ
で、韓国は、数年以内に、破産する。(わかっていますか、N大統領?)

 今、日本が相手にすべき国は、韓国、中国、K国以外の国々である。アメリカがある。
インドがある。EUがある。ブラジルがある。オーストラリアがある。東南アジアの国々
がある。そういう国々の(善なる心)を、もっと、信じよう! それがひいては日本の平
和を守り、日本の子どもたちの未来を守ることになる。

※……核拡散防止条約(NPT) 
 
 米国、ロシア、英国、フランス、中国の5カ国のみに核兵器の保有を認め、その他の国
の保有を禁止した条約。1970年に発効し、95年に無期限延長を決定。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 27日(No.560)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page063.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●夫婦VS育児

 どんな夫婦でも、それなりのプロセスがあって、結婚し、子どもをもうける。たいてい
は恋愛→恋愛期間→結婚というプロセスを経る。それぞれの夫婦は、「私たちの恋愛だけは、
ほかの人たちのとは、ちがう」と思いがちだが、それはどうか?

 が、問題は恋愛ではない。男女が恋愛をする部分と、その男女が結婚し、子どもをもう
け、そしてそのあと、育児をする部分は、別の問題であるということ。

 私はこれを、「夫婦の二層性」と呼んでいる。

 つまり恋愛は、純粋に感情的な問題だが、育児では、男女の思想性、哲学性、社会観、
人生観、それにそれまでにそれぞれが生まれ育ってきた過去が、真正面からぶつかりあう。

 こうした二層性は、国際結婚をしたカップルを見ていると、よくわかる。たとえば今で
は、ニュージーランドの日本人学校の周辺にも、受験塾があるという。K式算数教室もあ
るという。

 「日本へ帰ってからのことが心配だ」というのがその理由だが、その夫婦が、ともに日
本人なら、それほど大きな問題とはならない。

 たとえば夫が日本人で、妻が、ニュージーランド人であったとしたら……? あるいは
その逆でもよい。

 子どもの教育で、どう折りあいをつけるかは、そのつど、重大な問題となる。さらに、
社会観、男女観、夫婦観となると、もっと深刻な問題となる。オーストラリアでは、夫が
妻に向かって、「おい、お茶!(Hey,Tea!)」と叫んだだけで、離婚事由になると
いう。実際には、そういう夫はいない。

 独特の教育観をもった夫と、親に溺愛されて育った妻。崩壊家庭に近い家庭環境で生ま
れ育った夫と、両親の愛に恵まれて生まれ育った妻。高学歴の夫と、学歴とは無縁の世界
で育った妻などなど。

 組みあわせはいろいろある。そういう夫婦が、子どもを間にはさんで、対立する。……
つまりそういうケースは、多い。

 そこで夫婦は、たがいに悩む。「夫は、甘い」「妻は、冷たい」「息子を、夫のようにした
くない」「妻は、放任すぎる」とか。

 こういう対立があっても、夫婦の間が、しっかりとした愛情で結ばれていれば、まだ救
われる。話しあいもじゅうぶん、なされる。子育ての調整もできる。

 しかしそうでないときは、そうでない。『子は、かすがい』というが、裏を返せば、『子
は三界の足かせ』となる。

 そういうときは、どうするか?

 答は簡単。あきらめて、現状を受けいれる。ジタバタしても、始まらない。たとえば妻
(=母親)の側から見ても、夫(=父親)の教育をするのは、子を教育するより、何倍も
むずかしい。

 たとえばあなたの夫が、かなりのマザコンタイプであったとしよう。しかしそうしたマ
ザコン性は、よほどのことがないかぎり、なおらない。あなたという妻の力くらいでは、
どうにもならない。

 マザコンであることが、その夫の、哲学になっていることも多い。そんな夫に向かって、
「あなたはマザコンよ」と言えば、その先は、どうなるか? 

 育児にからんで、夫婦で対立するケースは、多い。教育の問題となると、さらに多い。
だから、あ・き・ら・め・る。

 料理でいえば、その場にある食材で、できるものを考えるしかない。食材がそろってい
ないのに、寿司をつくろうとか、ビーフカレーをつくろうとか、そういうふうに考えるか
ら、ムリが生まれる。

 あるもので、つくる。結局は、育児は、ここに行き着く。

 いろいろな問題はあるだろう。弊害や悪影響もあるだろう。しかし全体としてみると、
こうした問題は、一過性の問題で終わる。なぜなら、子どものもつ生きるエネルギーは、
親が考えているより、はるかに大きく、強力である。やがて子ども自身がもつ、自己意識
が育ってくれば、子ども自身が、そうした問題を乗り越える。

 親がどう願ったところで、子は、親の願いどおりには、いかない。かりに夫婦の方向性
が一致していても、だ。夫は息子をハーバード大へ。妻は息子を東大へ。しかし肝心の息
子は、専門学校を出て、職人になった……というケースは、いまどき、珍しくも、何とも
ない。

 ここで私は夫婦の「二層性」について書いた。

 つまり夫婦は、恋愛、結婚というプロセスを経て、さらに子どもをもうけて、この二層
性を経験する。しかしその子育ても終わると、再び、一層性にもどる。だから夫婦も、育
児のことで、ムダにジタバタしないこと。

 だから繰りかえす。

 あきらめて、受けいれる。それよりも重要なのは、夫婦の信頼関係ということになるが、
それについては、つぎに考える。
(はやし浩司 育児 子育て 夫婦の対立 対立)


●夫婦の信頼関係

 夫婦の信頼関係も、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)で決まる。「絶対的」
というのは、「疑いすら、もたない」という意味。

 しかしそれはあくまでも基盤。信頼関係をつくりあげるためには、共通の目的、共通の
苦労、共通の人生観をともにもたなければならない。しかしそれは1年や2年で、できる
ものではない。

 もし若い夫婦の中で、「私たちはたがいに信頼している」「愛しあっている」と思ってい
る人がいるなら、それは幻想と思ってよい。夫婦の信頼関係は、そんな生やさしいもので
はない。

 少し視点がかわるが、年をとると、ものの見方が少し変わってくる。たとえば小学生や
中学生の恋愛ごっこを見てみよう。「好きだ」「ふられた」「別れた」「取られた」などと、
毎日のように騒いでいる。

 しかし年をとると、やがて、中学生の恋愛ごっこも、高校生の恋愛ごっこも、それほど、
ちがわないように見えてくる。さらに、高校生の恋愛ごっこも、若い男女の恋愛ごっこも、
それほどちがわないように見えてくる。

 当の本人たちは、「私たちは、高校生とはちがう」と思っているかもしれないが、まあ、
これ以上のことを話しても、どうせ理解してもらえないだろう。

 つまり私が言いたいことは、夫婦の信頼関係をつくりあげるためには、もうひとつ、「時
間」「経験」「年輪」というファクターが、必要だということ。

 が、最終的に夫婦の信頼関係を決めるのは、実は、「命」である。

 私も、私のワイフには、たくさんの不満があった。ワイフにもあっただろう。しかし、
自分で自分の人生を生きてみてわかることは、私の人生には、いつも「限界」があった。
はっきり言えば、「たいした人生は、送れなかった」。それに「たいしたこともできなかっ
た」。

 「まあ、いろいろやってはみたけれど、私も、ごくふつうの平凡な男に過ぎなかった」
と。そんな私が、たとえばワイフに、今以上のものを、どうして求めることができるかと
いうことになる。

 あと、何年生きられるかということを考えると、なおさらである。10年か、20年か。
私はそんなことを考えるとき、いつも、ミレーの『落ち穂拾い』の絵を思い出す。何とも
さみしい話だが、しかし悪いばかりではない。あの絵に見られるような、そこには、深い、
「味」が生まれる。

 若い女性の肌も美しいが、しかしシワでゆるんだ肌も、これまた美しい。若いときはい
やだったが、ワイフの腸内ガスのにおいも、これまた、悪くない。すべてを許し、すべて
を受け入れていく。

 信頼関係は、こうして熟成されていく。

 だから私は、ふとこう思う。よく若い男女が、たがいに、「愛しているよ」「信じている
よ」と言いあっているのを聞くと、つい、「バカめ」と思ってしまう。「たがいに疑ってい
るから、そういう言葉を口にするのだ」と。

 絶対的に愛しあい、信じあっていたら、そんな言葉など、ぜったいに出てこない。

 ……と、書きつつ、「偉そうなことは言えない」と思ってしまう。

 私は本当に、ワイフを信じているかと聞かれると、どうも自信がない。そのことは、ワ
イフも同じだろう。

 実は、まだたがいに苦労も足りないし、ここでいう「時間」「経験」「年輪」が、足りな
いように思う。

 しかし最近では、あえて言わないようにしている。あの「愛しているよ」とか、「信じて
いるよ」という、どこかフワフワとした風船のような言葉だ。

 夫婦の信頼関係の問題は、これから先、私たち夫婦にとっては、じっくりと煮詰める問
題ということになる。

++++++++++++++

ジャン・フランソワ・ミレーの「落ち穂拾い」
で思い出したのが、つぎの
原稿です。2年前に書いたものです。

++++++++++++++

●不幸の形

 幸福というのは、なかなかやってこないが、不幸というのは、こちらの都合など、お構
いなしにやってくる。だから幸福な家庭というのは、みな、よく似ているが、不幸な家庭
というのは、みな顔が違う。

 その不幸が不幸を呼び、さらにつぎの不幸を呼ぶ。こういう例は少なくない。

 両親は離婚。兄は長い闘病生活のあと、自殺未遂。母親は、再婚をしたものの、半年で
また離婚。そのあと、叔父の家に預けられて育てられたが、そこで性的虐待を受ける。そ
の女性が、17歳のときのことだった。

 そこで家出。お決まりの非行。そして風俗業。しかし悲劇はここで終わったわけではな
い。やっと結婚したと思ったが、夫の暴力。生まれてきた長男は、知的障害。夫は、やが
てほかの女の家にいりびたるようになり、そして離婚。今、その女性は四五歳になるが、
今度は乳がんの疑いで、入院検査を受けることになった……。

 その人はこう言う。「どうして私だけが……?」と。

 一つのリズムが狂うと、そのリズムをたてなおそうと、無理をする。しかしその無理が、
さらにリズムを狂わす。だれしも不幸になると、そこがどん底の最悪、と思う。しかしそ
の下には、さらに二番底、三番底、さらには四番底がある。

 しかし人というには、皮肉なものだ。今、目の前にあるものを見ようとしない。見ても、
その価値に気づかない。仮に見ても、「まだ、何とかなる」「こんなはずではない」と、自
ら、それを打ち消してしまう。

 だから賢明な人は、そのものの価値を、なくす前に気づく。しかし愚かな人は、そのも
のの価値を、なくしてから気づく。健康しかり。人生しかり。そして子どものよさ、また
しかり。

 あなたは、本当に幸福か?
 それとも、あなたは本当に、不幸か?

 ある腎臓病だった人が、こんな投書を寄せている。何かの雑誌で読んだ話だが、こんな
内容だ。

 その人は、10年近く、重い腎臓病で苦しんだ。そしていよいよというときになって、
運よく、腎臓提供者が現れ、腎臓の移植手術を受けた。そしてそのあとのこと。はじめて
トイレで小便をした。たまたま窓から、朝の陽光が差しこんでいたという。その人は、こ
う書いている。

 「自分の小便が黄金色にキラキラと輝いていた。私はその美しさに、感動し、思わず両
手で、自分の小便を受け止めてしまった」と。

 何気なくする小便にしても、それは黄金にまさる価値がある。その価値に気づくか気づ
かないかは、ひとえに、その人の賢明さによる。言うまでもなく、賢明な人というのは、
目の前にあるものを、そのまま見ることができる人をいう。

 その女性は、「どうして私だけが……」と言う。しかし本当にそうか? 

 だったら、冷静に、見てみろ! 「私は幸福だ」と笑っている、愚か者たちの顔を。抜
けたように、軽い顔を。彼らに、人生が何でえあるか、わかってたまるか! 生きるとい
うことが、どういうことか、わかってたまるか!

 見てみろ! 目の前にある青い空を。緑の山々を。白い雲を、その向こうにある宇宙を。
もしこの世界に、神々がいるとするなら、そしてその神々に奇跡を起こす力があるとする
なら、今、私がここにいて、あなたがそこにいる。それこそが、まさに奇跡。それにまさ
る奇跡が、どこにある!

 釈迦の説話にこんな話が、残っている。あるとき、ある男が釈迦のところにやってきて、
こう言う。

 「釈迦よ、私は明日、死ぬ。死ぬのがこわい。釈迦よ、どうすればこの死の恐怖から逃
れることができるか」と。

 それに答えて釈迦は、こう答える。「明日のないことを、嘆くな。今日まで生きてきたこ
とを、喜べ、感謝せよ」と。

 余談だが、釈迦自身は、「来世」とか、「あの世」をいっさい、認めていない。こういう
あやしげな言葉(失礼!)を使うようになったのは、もっとあとの仏教学者たちで、しか
もヒンズー教の影響を受けた学者たちである。今の日本に残る経典のほとんどは、釈迦滅
後、数百年を経て書かれた経典ばかりである。ウソだと思うなら、釈迦の生誕地に残る原
始経典(『スッタニパータ』、漢語で、『法句経』)を読んでみたらよい。法句経のどこにも、
釈迦は、あの世については書いてない。むしろ、釈迦自身は、あの世を否定している。(後
世の学者たちが、ムリなこじつけ解釈をしている点はいくらでもあるが……。)

 不幸だと思っている人よ、さあ、勇気を出して、目の前のものを見よう。目の前のもの
を見て、それを受け入れよう。こわがることはない。恐れることはない。恥じることはな
い。

 不幸だと思っている人よ、さあ、そういう自分を静かに認めよう。あなたには無数の心
のポケットがある。奥深く、心暖かいポケットである。そのポケットを、すなおに喜ぼう。
誇ろう。あなたはすばらしい心の持ち主だ。

 不幸だと思っている人よ、さあ、ゴールは近い。あなたはほかの人たちが見ることがで
きないものを見る。ほかの人たちが知らないものを知る。あなたのような人こそ、人生を
生きるにふさわしい人だ。人の世を照らすに、ふさわしい人だ。

 あなたの夫にいかに問題があっても、あなたの子どもにいかに問題があっても、ただひ
たすら、『許して忘れる』。これを繰りかえす。それは苦しくて、けわしい道かもしれない
が、その度量の深さが、あなたの人生を、いつかやがて光り輝くものにする。

 ……いや、かく言う私だって、本当のところ、何もわかっていない。本当のところ、何
一つ、実行できない。しかしこれだけは言える。私たちが求めている、真理にせよ、究極
の幸福にせよ、それは遠くの、空のかなたにあるのではないということ。私やあなたのす
ぐそばにあって、私やあなたに見つけてもらうのを、息をひそめて、静かに待っている。

 過去がどうであれ、これからの未来がどうであれ、そんなことは、気にしてはいけない。
今、ここにあるのは、「今という現実」だけ。私たちがなすべきことは、今というこの現実
を、懸命に生きること。ただただ、ひたすら懸命に生きること。結果は必ず、あとからつ
いてくる。

 そう、私たちの目的は、成功することではない。私たちの目的は、失敗にめげず、前に
進むことである。あの「宝島」をいう本を書いた、スティーブンソンもそう言っている。
そういう有名な言葉をもじるのは、許されないことかもしれない。しかしあえて、この言
葉をもじると、こうなる。

 私たちの目的は、幸福になることではない。日々の不幸にめげず、前に進むことだ、と。

 もしあなたが不幸なら、ほんの少しだけ、あなたより不幸な人に、やさしくしてみれば
よい。あなたより不幸な人を、ほんの少しだけ、暖かい心で包んであげればよい。それで
相手は救われる。と、同時に、あなたも救われる。

 あなたの子どもは、そこにいる。あなたはそこにいて、いっしょに生きている。友よ、
仲間よ、それをいっしょに、喜ぼうではないか。この100億年という宇宙の歴史の中で、
そして100億に近い人間たちの世界で、今、こうして心を通わすことができる。友よ、
仲間よ、それをいっしょに、喜ぼうではないか。

 不安になることはない。心配することもない。さあ、あなたも勇気を出して、前に進も
う。不幸なんて、クソ食らえ! いやいや、あなたの身のまわりにも、すばらしいものが
山のようにある。それを一つずつ、数えてみよう。一つずつだ。ゆっくりと、それを数え
てみよう。

 秋のこぼれ日に揺れる、栗の木の葉。
 涼しい風に、やさしく揺れる森の木々。
 窓には、友がくれたブリキの汽車の模型。
 そしてその上には、息子たちの赤ん坊のときの写真。

 やがてあなたは、心の中に、暖かいものを覚えるだろう。そしてその暖かさを感じたら、
それをしっかりと胸にとどめておこう。それがあなたの原点なのだ。生きる力なのだ。

 つぎに、不幸と戦う必要はない。今ある状態を、それ以上悪くしないことだけを考える。
あなたは、ミレーが描いた、「落穂拾い」という絵を知っているだろうか。荒れた農地のす
みで、三人の農夫の女性が、懸命に、落穂を拾っている。どういう心境かは私には、知る
よしもないが、しかし私はあの絵に、人生の縮図を見る。

 私たちは今、懸命に、「今という時」を拾いながら生きている。手でつまむようにして拾
うのだから、たいしたものは拾えないかもしれない。もっているものといえば、小さな袋
だけ。が、それでも懸命に拾いながら、生きている。しかしその懸命さが、人の心を打つ。
つまりそこに、人生のすばらしさがある。無数のドラマも、そこから生まれる。

 最後に一言。あなたは決して、ひとりではない。その証拠に、今、私はこの文章を書い
ている。そういう私がいることを信じて、前に進んでほしい。あまり力にはなれないかも
しれないが、私も努力をしてみる。
(はやし浩司 ミレー 落穂 落ち穂 落穂拾い 落ち穂拾い)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自己開示の限界

 徹底した自己開示。それが信頼関係の基本であることは、まちがいない。しかしその自
己開示にも、限界がある。

 たとえばあなたがある男性と、不倫をしたとしよう。何度も密会し、性的関係もある。
相手の男にも、妻子がいる。

 そのときあなたは愛に溺れながらも、一方で、その罪の重さに悩む。苦しむ。あなたが
まともな女性なら、心苦しくて、夫と顔を合わせることもできないだろう。

 しかしそれで夫との信頼関係が、崩壊するわけではない。あなたはその秘密を、心の奥
深くにしまう。そして何ごともなかったかのように、その場を切り抜けようとする。あな
たには、夫も子どももいる。

そんなやるせない女心をみごとに表現したのが、R・ウォラーの『マディソン郡の橋』
である。映画の中では、主人公のフランチェスカが、車のドアを迷いながらも、しっか
りと握りしめる。あのワンカットが、フランチェスカの心のすべてを語る。

 そこで問題は、夫婦であるという理由だけで、妻は、夫にすべてを語る必要があるかと
いうこと。仮に成りゆきで、ほかの男性と性的関係をもったとしても、だ。だまっていれ
ば、バレないし、夫も、それによってキズつくことはない。

 つまりここで自己開示の問題が、出てくる。そこでオーストラリアの友人(男性)に、
メールで聞くと、こう話してくれた。

 「ウソをつくのは、まずいが、聞かれるまでだまっているのは、悪いことではない」と。

 何とも微妙な言い回しだが、「聞かれてもだまっていればいい」「またそういうことは、
夫や妻に聞くべきではない」とも。

 仮に自分の夫や妻が不倫をしても、「その範囲」にあれば、それもしかたないのではとい
うことらしい。そこで私が、「君は、不倫をしたことがあるか?」と聞くと、「君と同じだ」
と。ナルホド!

 私は自分のワイフのことは知らない。しかし、そういうことは聞かない。信頼している
とか、いないかということではない。聞いても本当のことは言わないだろうし、ウソを言
われるのは、不倫より、つらい。

 一方、ワイフも、私には聞かない。反対の立場で、同じように考えているせいではない
か。

 世俗的な言い方だが、結婚生活を30年もつづけていると、いろいろなことがある、と
いうこと。不倫もその一つかもしれないし、そうでないかもしれない。私たちは夫や妻で
ある前に、人間だ。人間である前に、動物だ。夫や妻になったからといって、人間である
ことを捨てるわけではない。動物であることを捨てるわけではない。

 だからどうせ不倫をするなら、命がけでしたらよい。夫や妻である前に、人間の。人間
である前に、動物の。そんな雄たけびが聞こえるような不倫をしたらよい。恋焦がれて、
苦しんで、自分を燃やしつくすような不倫なら、したらよい。「私は人間だ」と、心底から
叫べるような不倫なら、したらよい。が、それができないなら、不倫など、してはいけな
い。

 ……と話がそれたが、夫婦の間でも、自己開示には限界がある。それは「相手をキズつ
けない」という範囲での限界である。いくらさらけ出すといっても、相手がそれによって
キズつくようなら、してはいけない。またそういう限界があるからといって、信頼関係が
築けないということでもない。

 私はこのことを、最近知った。このつづきはどうなるかわからないが、もう少し、考え
て、また報告する。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自意識

 自意識というのは、自己意識、つまり「私は私」という意識をいう。しかし、その自意
識を自分で、自覚することは、むずかしい。

 自意識が過剰な人、あるいは自意識が軟弱な人を見て、つまりそういう人たちと、相対
的に自分を比較することによって、自分の自意識を知ることができる。

 自意識が過剰な人というのは、すぐわかる。あたかも自分が、世界の中心にいるかのよ
うに振舞う。また世界中が自分に注目しているかのように振舞う。

 本当のところは、だれもその人のことなど注目していない。しかしそれを認めることは、
その人にとっては、敗北を認めるようなもの。だから、最後の最後まで、がんばる。

 自意識が過剰な人は、自分が注目されているときだけ、安心感を覚える。またそういう
環境を、自分のまわりにつくろうとする。「自分こそ、絶対ただしい」「自分は、みなに大
切に思われるべき」というふうに考える。

 だからその行動は、どこか演技ぽくなる。言動がおおげさで、わざとらしい。そのため、
反対に無視されたりすると、猛烈にそれに反発したりする。

 もっとも子どもの世界では、この自意識をうまく利用して、その子どもの能力を伸ばす
ことは珍しくない。自意識が軟弱になると、自信を喪失したり、未来に不安をいだいたり
するようになる。ハキのない子どもになることもある。

 私は、もともと自意識過剰タイプと思う。(多分?)人の陰に隠れて静かにしているより
は、ワーワーと騒いでいるほうが、楽しい。だれかがジョークを言ったりすると、すかさ
ず、そのお返しをしたりする。

 一方、ワイフは、私とは、どこかちがう。人の中で、目立つのを嫌う。嫌うというより、
静か。最初から、「どうでもいいや」というような雰囲気で、人とつきあう。私とは、どこ
か対照的。私が祭りか何かの場で、「二人で、のど自慢に出よう」と誘っても、ワイフは、
絶対に、応じない。

 ほかに、たとえば若いころテニスを始めた。そのとき私は、「ウィンババドン(=ウィン
ブルドン)に出るまでがんばれ」と励ましたが、ワイフはこう言った。「みんなと楽しくや
れれば、それでいい」と。

 みなと記念撮影などをするときも、ワイフは、いつも一番目立たない、うしろの列の端
に立ったりする。(私は、中の列の前から見て、左側のほうに立つクセがある。)

 が、ここで誤解してはいけないのは、だからといって、ワイフは、決して軟弱な人間で
はない。強い。私より、はるかに強い。「自分」というものを、しっかりと持っている。孤
独に強いし、精神的にも安定している。昔から「芯(しん)の強い人」という言葉がある
が、ワイフは、その「芯」が強い。

 結婚してこのかた、私のワイフが、取り乱して、ワーワーと叫んでいる姿を、私は見た
ことがない。冷静で、沈着。ビデオを見ていても、ポロポロと涙を流すのは、たいてい私
のほう。ワイフは、めったに、涙を流さない。

 となると、ここで自意識について、修正を加えねばならない。

 自意識といっても、精神的な完成度の高い人の自意識と、精神的な完成度の低い人の自
意識があるということ。

 力強いリーダーシップをとりながら、社会を指導していく人は、自意識が強く、またそ
れだけ精神的な完成度の高い人ということになる。

 しかし同じ自意識でも、精神的な完成度の低い人のそれは、反対に、まわりの人との、
かえってトラブルの原因となりやすい。

 話がこみいってきたので、私を例にあげて考えてみよう。

 よくワイフは、こう言う。「あなたは、一生懸命、マガジンを発行しているけど、ひょっ
としたら、だれも読んでいないのかもしれないわよ。あなたは読んでもらっていると思っ
て書いているけど……」と。

 マガジンの読者の数は、マガジンを発行するとき、そのつどわかるしくみになっている。
しかしメールアドレスなどを変更したりして、実際には、私のマガジンを、まったく読ん
でいない人も多いはず。

 私は「読んでもらっている」と信じて、マガジンを発行している。つまりそれが自意識
ということになる。つまりその大部分は、(思い過ごし)と(思い込み)。

 が、ここで実際、本当の読者数は、その数字の100分の1とか、1000分の1とか
であったとしたら、どうだろうか。読んでくれている人は、せいぜい、多くて10人とか
……。

 私のことだから、かなりがっかりするだろう。つまりこのとき、私の精神力が試される。

 「それでも、私は書く」と言って書きつづければ、私は、それだけ精神力が強い、イコ
ール、精神の完成度が高いということになる。しかし「もう、だめだ」と、筆を折ってし
まえば、精神力が弱い、イコール、精神の完成度が低いということになる。

 私は、多分、後者だろうと思う。自分でも、それがよくわかっている。つまり自己意識
は人一倍強いくせに、(だからこんなマガジンを発行している)、精神的には強くない。毎
日、自分を支えるだけで、一苦労。今までにも、「マガジンの発行をやめよう」と思ったこ
とは、何度かある。一度は、廃刊のお知らせまで書いたことがある。(送信日の直前で、そ
れを取りやめたが……。)

 だから私は、自意識を否定しない。しかし自意識だけでは、その人は、不完全のまま終
わってしまう。その自意識は自意識としながらも、同時に精神の完成をめざす。車でたと
えて言うなら、この二つが両輪となって、車を支える。

 心理学でいう「自己意識」とは、少しちがった意見かもしれないが、私流の解釈として、
ここに書きとめておく。
(はやし浩司 自己意識 自意識)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ボケ兄行上記

 今日、一度、姉に、兄を返すことにした。住民票が、まだ姉のほうにあること。そのた
め介護申請が、こちらではままならないことなどがある。しかし本当の理由は、ワイフに
疲れが見られるようになったこと。血圧も、この数か月で、xxmmHgもあがってしま
ったという。

 ワイフは、私のように、兄に命令したり、怒鳴ったりすることができない。どこか遠慮
している。それがかえってよくないらしい。

 私は、兄に向って、「おい、バカ、服をかえろ」というような言い方ができるが、ワイフ
には、それができない。いつも「兄さん」と呼んでいる。

 その兄で、一番、困るのが、基本的な誠実さが、ないこと。ウソはつく、言い訳はする、
とぼける、はぐらかす。約束など、するだけムダ。しても、数分も、もたない。だから、
約束のようなことは、しない。

 「こちらの部屋には入ってはだめ」と言っても、兄には、「入れ」と聞こえるらしい。昨
夜も、掃除をしていたら、ビリビリに破った賞状が何枚か出てきた。息子たちが学校でも
らってきた賞状である。

 ワイフは、それらをたんねんにセロテープでなおしながら、下を向いて黙っていた。「ど
うして破ったのか」と聞いても、どうせ「ぼくは、知らない」と答えるに決まっている。
だから、もう聞かない。

 それにおかしな完ぺき主義もあって、たとえばカセットレコーダーでも、少しこわれる
と、それを壁にたたきつけて、さらにこわしてしまう。そしてそのあと、「ラジオが聞けな
くなった」と、泣くフリをしたりする。

 ずるいと言えば、万事にずるい。

 とはいっても、私には兄。どこか、自分の息子のような思いが、そこにある。できの悪
い息子だが、そこに、強いあわれみを感ずる。しかしワイフに、そこまで期待することは、
できない。

 トイレや風呂は、よごす。風呂の中で、体を洗う。下着を洗濯しても、何枚かを、一度
に着てしまう。それにどういう理由かはわからないが、フトンの端を、破って、その中か
ら、綿を出してしまう。

 ボケた人がする行動には、予想がつかない。何をするか、まったく予想がつかない。そ
の予想がつかないところが、不気味ですらある。

 数日前から、「時計がない」と言い出した。またどこかへ捨ててしまったのだろう。ある
いは私が、勝手に時計の針をいじったのが、まずかったのかもしれない。ワイフには、「浩
司が隠した」と、言っているという。

 とこどき、ふつうの兄に戻る。しかし長くはつづかない。心を通わせるとしても、どう、
通わせたらよいのか。このあたりに、ボケ老人の介護の、最大の問題がある。

 心の交流ができれば、まだ救われる。苦労が、報われる。しかしその交流が、ない。で
きない。兄にしてみれば、私たちは、よき使用人でしかない。そういう意識さえないのか
もしれないが、しかし何ごとにつけても、(してもらうのが、当たり前)といった、態度を
示す。

 「少しは自分で始末しろ!」と、言いながら、結局は、私とワイフが、することになる。
そうそう昨日、下駄箱をあけたら、その中から、よごれたティッシュが、どっさりと出て
きた。どれにも、大便がついていた。

 今さら理由など聞いても、始まらない。叱っても意味はない。私たちがすべきことは、
黙って、それを片づけること。

 ……と書きながら、ボケた兄の問題は、つぎの10年後、20年後には、そのまま私た
ちの問題ということになる。だれにも、老いはやってくる。そしてボケ方はさまざまであ
るにせよ、私たちも、ボケる。

 それはしかたないとしても、それが人生の終着点かと思うと、生きることのわびしさす
ら覚える。それは若い女性が、やがてすぐ、花が枯れるように、その輝きを失っていくの
を見るわびしさに似ている。

 今度は、命そのものが、枯れ始める。枯れて輝きを失い始める。

 しかしそんな兄だが、私は、その兄から、多くのものを学んだ。

その第一。気がついてみたら、教室での、子どもたち(生徒たち)への接し方が、大き
く変わっているのを、私は知った。子どもたちのもつ、知力、体力に対して、畏敬(い
けい)の念すら、感ずるようになった。つまり(生きる力)そのものに、感動するよう
になった。

 それは大病を経験した人が、健康のありがたさを実感するのに似ている。子どもたちの
能力をていねいに観察しながら、「兄の○○の部分は、小1程度だな」「○○の部分は、4
歳児程度だな」と。そう思ったとき、その能力のすばらしさというか、重要さが、改めて
認識できるようになった。

 人は、それまであったものを失ってはじめて、そのものの価値を知る。賢い人は、その
価値をなくす前に気づく。しかし私のように、愚かな人間は、なくしてから、その価値に
気づく。

 兄は、兄のボケを通して、それを私に教えてくれた。

 姉はこれから先のことを、あれこれ心配していた。しかし私は、心配しない。つまりな
るようにしか、ならない。それは人間が、生きる過程で、原罪的にかかえる宿命のような
ものだからだ。

 かく言う私だって、そしてこの文章を読んでいるあなただって、一つの人間というワク
の中で見れば、ボケた兄と、同じなのだ。どこもちがわない。ちがうと思っているのは、
私やあなただけ。そう思いたいから、思っているだけ。

 おとといも、バリカンで、兄の散髪をしてやった。他人にすれば、兄思いの弟と思うか
もしれないが。実は、そうではない。今では床屋へ行っても、4000〜4500円の料
金がかかる。その料金が、おしいから、そうしているだけ。

 つまり介護をされる人も、介護をする人も、いつも何かをごまかしながら、介護され、
介護する。私の立場でいうなら、何も好きこのんで、介護をしているわけではない。見る
に見かねて、やむにやまれず、しているだけ。

 愛だとか、慈悲だとか、そんな大げさな問題ではない。介護される人は、最後には、人
間的な醜さをさらけ出す。そしてそれを受け取る私たちもまた、その醜さに操られる。つ
まりそれを、私は「原罪的な宿命」と呼んでいる。人間の力では、どうしても超えること
のできない、(醜さ)と言いかえてもよい。私は、それを知った。

(MHさんへ……)

 MHさんという方から、こんな内容のメールが届きました。「林さんが、ご家族の方(=
兄)について書かれるのはいいと思いますが、中には、興味本位で読んだり、林さんの内
情をスパイするために読んでいる人もいますから、注意してください」と。

 遠い親戚にあたる人でした。親切な方です。実は、そういう人が、昔から何人かいるこ
とを知っています。そして「林がこんなことを書いている」「あんなことを書いている」と、
つげ口をしています。

 いやな人たちですね。ホント! しかし私は、そういう人を相手にしていません。もと
から……。

+++++++++++++++++++

●韓国型「文化大革命」

 韓国で、今、反日運動が、燃え広がっている。その一つ、親日派教授たちが、学生たち
によって、つぎつぎと名指しで、つりしあげられている。

 朝鮮日報は、つぎのように伝える(3・29)。

「KR大学総学生会は、28日に行った内部調査の結果をもとに「親日教授」10人の
名簿を発表した。……(中略)…… 学生たちに「親日派教授」という烙印(らくいん)
を押されれば、それを乗り越えることができる教授はいないだろう。とくに、日本植民
地時代について研究する教授らは、研究と教育でも学生たちの監視の視線を意識せざる
を得ないだろう」と。

 今、韓国では、とんでもないことが起き始めているとみてよい。こうした運動は、KR
大学にかぎらず、全国に飛び火している。

 まさに日本、憎し……といったところか。

 が、もし日本が、その逆のことをしたら、韓国の人たちは、どのような反応を示すだろ
うか。実に愚かな、復古主義的被害妄想である。

 韓国経済は、一部の大企業をのぞいて、大不況のまっただ中にある。そうした不満が、
こうした反日・反米闘争に火をつけていると考えられないだろうか。私の印象では、こう
した反日・反米運動は、N大統領が政権の座にいるかぎり、さらにはげしくなると思われ
る。N大統領自身が、自分の失政の責任をかわすために、反日・反米運動に、すりかえて
いる(?)。

 では、肝心の日本は、どう対処すべきか。

 答は簡単。冷静に無視するのが、一番、よい。そうした運動を展開して、結局は、一番、
損をするのは、韓国の人たち自身だからである。こういうのを、彼らの言葉を借りるなら、
『ブーメラン効果』(東亜日報)という。

 韓国のGDPは、51兆円。日本の500兆円の、約10分の1。韓国の経済規模は、
日本の九州と四国を合わせた60兆円より少ない(I大・イノベーションセンター)。東京
都のGDPだけで、日本は、157兆円もある!

 ちなみにK国のGDPは、218億ドル(97年推計)。たったの約2兆円。

 「日本、憎し」の気持ちはわからないでもないが、こうまで日本人を怒らせて、韓国の
人たちは、どうするつもりなのだろう。今、ここで、本気で、日本の銀行団が、韓国から
外資をひきあげ始めたら……?

今、大切なことは、おたがいに、前に向って、進むこと。親日派教授を糾弾(きゅうだ
ん)して、それが何になるというのか。韓国の未来に、どうプラスに働くというのか。

 今、韓国の学生たちがやっていることは、あの文化大革命(1966−76)のとき、
紅衛兵たちがしたこととそっくり。あの文化大革命のときは、ヒステリックな感情論だけ
が先行し、結局は、文化や伝統を破壊し、国家を衰退させてしまった。

 今年中に、K国は、核実験をするつもりらしい。(もし、本当に核兵器をもっているなら
……。)今まさに、そこに巨大な危機が迫っているのに、反日。反米運動なんか、していて
よいのか。

 私は、もう知らないぞ! ご勝手に、どうぞ!

【追記】

 つい先ごろ、韓国のN大統領は、自衛隊のイラク派遣に反対を唱えた。一見、何でもな
いような事実に見えるかもしれないが、これはアメリカに向って、「韓国を取るか、日本を
取るか」の択一を迫ったようなもの。

 結果として、アメリカは、「日本を取る」と言明し、そのため、米韓関係は、今や、崩壊
の危機に瀕している。

 その韓国は、今、躍起になって、日本の国連安保理常任理事国加入に、反対している。
こうした反日感情は、もとはといえば、日本がつくったものかもしれないが、こうまで反
日色+反米色の強いN氏が、韓国の大統領になったというのは、日本やアメリカのみなら
ず、韓国の人たちにとっても、不幸なことだと思う。

 私たち日本人は、どこまでも冷静になろう。騒ぎたい国には、騒がせておけばよい。そ
れが日本の平和を守る、ゆいいつの方法だと、私は思う。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 25日(No.559)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page062.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掲示板への相談より

++++++++++++++++++++++

私のHPの掲示板に、つぎのような相談が寄せられた。
この方のもつ問題について、考えてみたい。

++++++++++++++++++++++

はじめまして。KYといいます。

育児のHPを巡っているうち、こちらにたどりつきました。
いろいろと大変参考になり、食い入って読んでしまいました。

我が家には3歳、1歳の息子がいます。
3歳のお兄ちゃんは、凄く父親に甘えます。
これは1歳頃からそうなのですが、父親が本当によく子供の面倒を、丁寧にみる人で、飽
きずとよく相手をしてくれ、食事の面倒も、オムツ替えも、いる時は育児のすべてをして
くれます。

小さい頃はそれで沢山の愛情を注がれて、いいことだと思っていたのですが・・・。

お兄ちゃんは3歳過ぎてからは、私と普段一緒にいる時はお利口で、頼んだことは何でも
よくやってくれるし、ワガママもほとんど言いません。

3歳過ぎてから、上の子と一緒にいても、楽になったと感じます。(それまではそれなりに
大変だったので)
でも、休日に父親がいると、変貌。

ご飯も自分で食べない、トイレも一人で行かない、どこかに出かければ「抱っこ!」、常に
父親に遊び相手を要求し、とにかく1日中父親にベッタリなのです。

私が変わりにしてあげようとしても、「お父さん!!」と、私は全く無視。
休日に父親が一人でどこかに出かけてしまうと、大泣きです。(しばらくすれば泣きやみま
すが)

そして、父親もそれに、すべて応じてしまうのです。

普段、真夜中帰りの父親なので、平日は子供と会うのは、朝のほんの数十分。
下手すると、子供の起きる時間が遅いと、会えない日もたびたびあります。
私が何でもやってしまう旦那に注意をしても、「普段はちゃんと一人でやってるんだろ?
 休日の時ぐらい、甘やかしてあげないと」と言い、本当に甘いんです。

叱るなんてこともよほどでなければしないですし、子供が「〜〜買って!」と言えば、す
ぐに自分のおこづかいで買ってあげてしまいます。(いつもではありませんが)

確かに私は、どちらかと言えば面倒見も良くないですし、子供の相手も上手じゃないです。
下の子が生まれて、日ごろ、いろいろと我慢している部分もあるでしょうし、それで余計
にお兄ちゃんを甘やかしてあげたいということなんでしょうが、それでもあまりにお兄ち
ゃんが父親にベッタリで、まさしく依存してしまっているので、このまままでいいのか困
惑しています。

私の育て方がよほどダメなのかと悩むこともしばしばです・・。

そして、父親自身、ドラ息子なのです(笑)
長男として、家を継ぐものとして、甘やかされ育っています。(今は同居していませんが)

まず一緒にいて、自立心がないのが苦になります。
自分のことなのに、人の責任にして、人を責めたりします。
自分のことを自分でしない。

人(私)がやって、当たり前なんです。
旦那のことは諦めていますが、子供にはこう育って欲しくないんです。
でも、今のように旦那が子供に全て手を出していると、自立できないようで怖いんです。

よろしければ、アドバイスを頂けたらと思います。
よろしくお願いします。

+++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、KYさんへ】

 掲示板への投稿、ありがとうございました。

 どこか、それでいて、ほほえましい親子関係が、頭に浮かんできます。まあ、ふつうの
言い方をすれば、あなたの夫は、子煩悩(ぼんのう)、よき家庭人であり、よきパパという
ことになります。

 ただ、それが少し、度を越している?

 原因は、ご指摘のとおり、あなたの夫自身が、甘やかしと、きびしさの同居する、どこ
かアンバランスな家庭環境で、生まれ育ったことが考えられます。「長男だから……」と言
って、甘やかされ、同時に、「長男だから……」と言って、きびしく育てられた(?)。

 つまり夫の中の「父親像」が、かなり混乱していると思われます。私の印象では、あな
たの夫が育った環境は、ベタベタに甘い母親(夫の母親)が一方にいて、権威主義的で、
きびしい父親(夫の父親)が、もう一方にいるというような、そんな家庭環境ではなかっ
たかと思います。

 (あくまでも、私の推察ですが……。)

 同時に、あなたの夫の、情緒的な未熟さも、疑われます(失礼!)。おとなになりきれて
いないというか、どこかにピータパン・シンドローム的※なところがあるのかもしれませ
ん。一見、子どもを深く愛しているかのように見えますが、どこかでき愛的(?)。そんな
感じがします。(でき愛は、「愛」ではありませんよ。念のため。)

 で、こういうケースでは、あなたが夫を作り変えようとか、夫に改めてもらおうと考え
ても、意味がありません。ムダです。あなたの夫を教育するのは(失礼)、あなたの子ども
を教育するより、何倍も、むずかしいということです。

 では、どうするか。あなたの夫については、現状を受け入れ、あきらめ、その上で、よ
りベターな方法を考えるしかありません。たしかに、あたなにとっては、深刻な問題かも
しれませんが、全体としてみると、マイナーな問題です。多少の弊害は子どもに現れるで
しょうが、しかしそれほど深刻な後遺症を残すということも、ありません。

 この時期、一過性の問題として、すむはずです。ですから、「自立できなくなる」とか何
とか、そんなふうにおおげさに考えないで、夫と協調して、足りない部分については、あ
なたが妻として、母親として、補えばよいのではないでしょうか。

 (反面、あなた自身は、どこか都会的、もしくは欧米型の合理主義的な家庭で育てられ
た可能性が高いようですね……。これもあくまでも、私の推察にすぎませんが……。)

 3歳の子どもの側からみると、1歳の弟に、母親に取られたと感じているのかもしれま
せん。そこで父親を自分のものにしたいと思っているのかもしれません。嫉妬による赤ち
ゃんがえりの、やや変形したバリエーションの一つと考えられます。

 ですから症状としては、どこか「分離不安」的な症状に似ています。(父親の姿が見えな
くなって、ワーッと泣きだして、父親のあとを追いかける子どもも、珍しくはありません。)
しかしこれも3歳という年齢を考えるなら、やはり一過性の問題と考えます。

 子どもの自立が問題になるのは、子どもが親離れを始める、10歳前後と考えてくださ
い。むしろ今の時期は、親の拒否的な育児姿勢や育児放棄。冷淡、無視、暴力などが、大
きな問題となる時期です。

 幸いにも、KYさんのご家庭は、その正反対ですから、あまり神経質にならないで、夫
に任すところは、夫に任せたらよいと思います。(先にも書いたように、問題があるといえ
ば、ありますが、しかしこの程度の問題は、どの家庭にもあります。)

 あなたの夫が、ドラ息子的であるとしても、それはもう、どうにもなりません。いろい
ろ不平、不満もあるでしょうが、あきらめて、うまく家庭をまとめるしかないでしょう。
そのかわり、私が発行している電子マガジンなどを、そのつど読んでもらうという方法は、
いかがでしょうか。

 親のでき愛にせよ、親像の問題にせよ、ドラ息子論にせよ、そのつど、テーマとして、
とりあげています。あなたの夫にも読んでもらえれば、それなりに参考になるはずです。

 これから先、まだまだ子育てはつづきます。ぜひ、私のマガジンを購読してみてくださ
い。よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++

ピーターパンシンドロームについて、以前
書いた原稿を、少し手直しして、添付します。

++++++++++++++++++++ 

●ピーターパン・シンドローム

ピーターパン症候群という言葉がある。日本では、「ピーターパン・シンドローム」とも
いう。いわゆる(おとなになりきれない、おとな子ども)のことをいう。

この言葉は、シカゴの心理学・精神科学者であるダン・カイリーが書いた「ピーターパ
ン・シンドローム」から生まれた。もともとこの本は、おとなになりきれない恋人や息子、
それに夫のことで悩む女性たちのための、指導書として書かれた。

 症状としては、無責任、自信喪失、感情を外に出さない、無関心、自己中心的、無頓着
などがあげられる。体はおとなになっているが、社会的責任感が欠落し、自分勝手で、わ
がまま。就職して働いていても、給料のほとんどは、自分のために使ってしまう。

 これに似た症状をもつ若者に、「モラトリアム人間」と呼ばれるタイプの若者がいる。さ
らに親への依存性が、とくに強い若者を、「パラサイト人間」と呼ぶこともある。「パラサ
イト」というのは、「寄生」という意味。

 さらに最近の傾向としては、おもしろいことに、どのタイプであれ、居なおり型人間が
ふえているということ。ピーターパンてきであろうが、モラトリアム型であろうが、はた
またパラサイト型であろうが、「それでいい」と、居なおって生きる若者たちである。

 つまりそれだけこのタイプの若者がふえたということ。そしてむしろ、そういう若者が、
(ふつうのおとな?)になりつつあることが、その背景にある。

 概して言えば、日本の社会そのものが、ピーターパン・シンドロームの中にあるのかも
しれない。

 国際的に見れば、日本(=日本人)は、世界に対して、無責任、自信喪失、意見を言わ
ない(=感情を外に出さない)、無関心、自己中心的、無頓着。

 それはともかく、ピーターパン人間は、親のスネをかじって生きる。親に対して、無意
識であるにせよ、おおきなわだかまり(固着)をもっていることが多い。このわだかまり
が、親への経済的復讐となって表現される。

 親の財産を食いつぶす。親の家計を圧迫する。親の生活をかき乱す。そしてそれが結果
として、たとえば(給料をもらっても、一円も、家計には入れない)という症状になって
現れる。

 このタイプの子どもは、乳幼児期における基本的信頼関係の構築に失敗した子どもとみ
る。親子、とくに母子の関係において、たがいに(さらけ出し)と(受け入れ)が、うま
くできなかったことが原因で、そうなったと考えてよい。そのため子どもは、親の前では、
いつも仮面をかぶるようになる。ある父親は、こう言った。「あいつは、子どものときから、
何を考えているか、よくわからなかった」と。

 そのため親は、子どもに対して、過干渉、過関心になりやすい。こうした一方的な育児
姿勢が、子どもの症状をさらに悪化させる。

 子どもの側にすれば、「オレを、こんな人間にしたのは、テメエだろう!」ということに
なる。もっとも、それを声に出して言うようであれば、まだ症状も軽い。このタイプの子
どもは、そうした感情表現が、うまくできない。そのため内へ内へと、こもってしまう。
親から見れば、いわゆる(何を考えているかわからない子ども)といった、感じになる。
ダン・カイリーも、「感情を外に表に出さない」ことを、大きな特徴の一つとして、あげて
いる。

 こうした傾向は、中学生、高校生くらいのときから、少しずつ現れてくる。生活態度が
だらしなくなったり、未来への展望をもたなくなったりする。一見、親に対して従順なの
だが、その多くは仮面。自分勝手で、わがまま。それに自己中心的。友人との関係も希薄
で、友情も長つづきしない。

 しかしこの段階では、すでに手遅れとなっているケースが、多い。親自身にその自覚が
ないばかりか、かりにあっても、それほど深刻に考えない。が、それ以上に、この問題は、
家庭という子どもを包む環境に起因している。親子関係もそれに含まれるが、その家庭の
あり方を変えるのは、さらにむずかしい。

 現在、このタイプの若者が、本当に多い。全体としてみても、うち何割かがそうではな
いかと思えるほど、多い。そしてこのタイプの若者が、それなりにおとなになり、そして
結婚し、親になっている。

 問題は、そういう若者(圧倒的に男性が多い)と結婚した、女性たちである。ダン・カ
イリーも、そういう女性たちのために、その本を書いた。

 そこでクエスチョン。

 もしあなたの息子や、恋人や、あるいは夫が、そのピーターパン型人間だったら、どう
するか?

 親のスネをかじるだけ。かじっても、かじっているという意識さえない。それを当然の
ように考えている。そしてここにも書いたように、無責任、自信喪失、感情を外に出さな
い、無関心、自己中心的、無頓着。

 答は一つ。あきらめるしかない。

 この問題は、本当に「根」が深い。あなたが少しくらいがんばったところで、どうにも
ならない。そこであなたがとるべき方法は、一つ。

 相手に合わせて、つまり、そういう(性質)とあきらめて、対処するしかない。その上
で、あなたなりの生活を、つくりあげるしかない。しかしかろうじてだが、一つだけ、方
法がないわけではない。

 その若者自身が、自分が、そういう人間であることに気づくことである。しかしこのば
あいでも、たいていの若者は、それを指摘しても、「自分はちがう」と否定してしまう。脳
のCPU(中央演算装置)の問題だから、それに気づかせるのは、容易ではない。

 が、もしそれに気づけば、あとは時間が解決してくれる。静かに時間を待てばよい。
(040201)(はやし浩司 ピーターパン シンドローム ピータパンシンドローム 
モラトリアム人間 パラサイト人間 ダン・カイリー 大人になれない若者)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●空回り

 何をするでもなし。何をしないでもなし。
 学校へは行く。部活もしてくる。しかしそれで、一日は、終わる。

 目的はない。夢も希望もない。ただその日が、何となく、あいまいなまま過ぎていく。
 もちろん勉強はしている。夕食を食べると、そそくさと、進学塾へ向う。
 
 子どもは、一度、こういう空回りを始めると、そのまま、1年、2年という時間を、あ
っという間にムダにしてしまう。

 親から見ると、何となく、勉強しているようでもあり、ことさら、問題のある子どもに
は思えない。成績も、そこそこ。よくはないが、悪くもない。「あなたはがんばれば、もっ
といい成績が取れるのに」とは言ってみるものの、返ってくるのは、「ウ〜ン」という、わ
けのわからない返事だけ。

 今、小学校の高学年児で、このタイプは、20〜30%はいるのではないか。中学生で、
30〜40%はいる。

 称して、『空回り児』。毎日が、その子どものまわりで、空転しているだけ。

 原因は、目的がないこと。「なぜ、勉強するのか」「しなければならないのか」、それがわ
かっていない。夢や希望もない。さらにその原因はといえば、「勉強第一主義」の家庭環境
にある。たいてい、親は、「勉強さえできればいい」と考えている。

 「学校というところは、勉強をするところ」
 「勉強さえ、できればいい」
 「その成果は、成績で示される」と。

 子どもの能力を、成績でしか、判断しない。また、それがすべて。100点であれば、
親は喜び、少しでもまちがえたところがあったりすると、ガンガンと子どもを叱る。

 そういう家庭環境の中で、子どもは、夢と希望を、まずなくす。が、もちろん目標はな
いわけではない。「SS中学校へ、入ること」である。

 しかしそれは目標ではない。ただのニンジン。子どもの前につりさげられた、ただのニ
ンジン。やっとSS中学へ入ったと思ったら、今度は、SS高校が待っている。つぎにS
S大学が待っている。

 大学へ入って、何を勉強するかさえ、決まっていない。何をしたいかも、わかっていな
い。「ただ入ること」。それだけが目標。

 だから、ニンジン。いつまでたっても、手に届かないニンジン。

 こういう状態を、心理学の世界でも、役割混乱という。本来子どもは、成長する過程で、
(自分らしさ)を身につけていく。これを「役割形成」という。しかしその形成そのもの
ができない。親が、破壊していく。

 「勉強しなさい」「進学銃へ行きなさい」「成績はどう?」「こんな成績では、SS遊学ど
ころか、AA中学さえ無理よ。それでいいの?」と。

 子どもは言われるまま、親に従う。そして今度は、目標さえ、見失う。

 現実に今、ほとんどの高校生たちは、大学への進学に向けて、(入れる大学の、入れる学
部)という視点で、大学を選ぶ。目的をもって、目的の大学や学部を選ぶ子どもなど、1
0%もいない。きびしくみて、5%。しかも、ブランドで選ぶ。もちろん、ほんの少しで
も、有名であればあるほどよい。

 そこで重要なことは、子どもは、空回りをさせないこと。

 子どもが楽しく学んでいるなら、その状態を、キープすること。親は、少しでも成績が
伸びだしたりすると、「もっと……」と考えて無理をする。子どもの心や意思など、お構い
なし。こうして子どもは、空回りをし始める。

 それはたとえて言うなら、つまらない仕事を毎日、繰りかえすのに似ている。給料がも
らえるから、がまんする。ただ、それだけ。

 さらに役割混乱を起こすと、精神状態そのものが、緊張状態に置かれ、情緒も、きわめ
て不安定になる。それはたとえて言うなら、大嫌いな男と、いやいや結婚した女性の心理
と似ている。いくら財産があると言われても、いやなものは、いや。

 毎日がゆううつ。つまらない。おもしろくない。

 つまり、こういう状態で、子どもは伸びるはずはない。

 「うちの子どものことは私が一番、よく知っている」と、いつも、子どもの心や意思を
無視している親ほど、要注意。あなたの子どもが、ここでいう空回り児になるのは、時間
の問題と考えてよい。

問、あなたは、いつも、子ども心を確かめながら、生活をしていますか?
問、あなたは、いつも、子どもの心がどこにあるか、それを知ってしますか?
問、あなたは、いつも、子どもの進路や、方向性を、子どもに押しつけていませんか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親のうしろ姿

 若いころ、帰省するたびに、父や母が、ガクンガクンと、年老いていくのを見て、ショ
ックを受けたことがある。

 今、私たち夫婦は、その反対の立場になった。それで数日前、ワイフと、こんな話しあ
いをした。

 「ぼくたちは、いつまでも、息子たちには、うしろ姿を見せないでおこうね」「心配をか
けないようにしようね」と。

 とても残念なことだが、私の父や母は、ちがった。私に、その(うしろ姿)を見せつけ
ながら、いつも、「息子なんだから、何とかしてほしい」と迫った。具体的には、金をせび
った。

 私の実家は、私が高校生のころには、すでに火の車。姉の結婚式の費用さえなくて、持
ち家を、近所の人に売った。祖父が死に、父が死ぬと、火の車には、さらに拍車がかかっ
た。

 それでいつしか、実家の家計を援助するのは、私の役目になってしまった。

 が、だからといって、それを私が負担に思っていたわけではない。それは当然のことと、
私は思っていた。私の義務と考えていた。疑いもしなかった。だから経済的な負担感は、
ほとんどなかった。

 むしろ逆で、母に、お金を取られるたびに、「チクショウ」と言って、その数倍は、働い
た。それをバネとした。だから結果として、私は、いつも、たくましく生きることができ
た。

 しかしときどき息子たちが帰省してくるたびに、「自分たちはどう見えるのだろう」と思
うことがある。そして息子の目を通して、ワイフの顔を見る。

 自分では若いつもりかもしれないが、ワイフも、年をとった。すっかりおばあちゃん顔
になってきた。しかたないこととは思うが、多分、息子たちはそういうワイフを見て、心
のどこかでさみしく思うにちがいない。

 昔から、日本では、『子どもは、親のうしろ姿を見て育つ』という。しかし私は、うしろ
姿など、見せたくないし、また見せるものではないと思っている。

 少なくとも息子たちの前では、いつも、堂々と生きていきたい。元気な姿のまま、生き
ていきたい。これからの私たちの役目は、ただ一つ。息子たちには、心配をかけないこと。
そして息子たちが、生きることに疲れを感じるようなことがあったら、いつでも、もどっ
てきて、羽を休めるようにしておいてあげること。

 そのあとのことは考えていない。いないが、ワイフがいつも言うように、「ある朝、起き
てみたら、死んでいた」というような死に方をしたい。

 それまでは、ただひたすら、前向きに生きる。ただただひたすら、前向きに生きる。

【一言】

 私は、親たちから、耳にタコができるほど、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで
出してやった」と、そのつど、いわゆる(恩着せがましい)子育てを受けてきた。学生時
代も、そのお金で管理されていたように思う。

 「お金がほしかったら、親を大切に思え」と。

 (その割には、出してもらったのは、下宿代の1万円だけ。ほかの生活費は、すべてア
ルバイトで稼がねばならなかった。ハハハ。それにこう書いたからといって、親を責めて
いるわけではない。当時は、どこの親も、似たようなものだった。)

 だから私は、自分の息子たちを育てるとき、最初から、そういう(恩着せ)はしないと
心に決めた。

 しかしその反動というか、息子たちは、まさに自分たちのしたい放題。そう言う息子た
ちを見ていると、つい言いたくなる。「育ててやったではないか」と。

 しかしそれを口にしたら、おしまい。私の負け。だからそれだけは、口が裂けても言わ
ないと心に決めている。読者のみなさんは、どうか?


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●利口とバカ

 利口とバカと言っても、それは相対的な「差」にすぎない。より利口な人から見れば、
利口な人でもバカに見える。よりバカな人から見れば、バカな人でも、利口に見える。

 たとえば1万年前の人間は、どうだっただろうか。1万年後の人間は、どうだろうか。

 しかしここで重要なことは、利口とバカを分けるカベは、知能ではない。映画『フォレ
スト・ガンプ』の中で、フォレストの母は、こう言っている。「バカなことをする人を、バ
カというのよ。(頭じゃ、ないのよ)」と。

 つまり1万年前にも、利口な人はいた。1万年後にも、バカな人はいるだろう。

 で、何が、その利口とバカを、分けるか。それは何度も書いてきたように、知的能力で
はない。それを分けるのは、「常識」である。その常識が、利口とバカを分ける。

 常識が豊かな人を、利口という。常識のない人を、バカという。

 そこで重要なことは、その常識をみがくこと。過去数十万年の間、人間は、その常識を
頼りに生きてきた。もしその常識がなければ、人間は、とっくの昔に、滅んでいたことに
なる。

 以前、「鳥は水にもぐらない。魚は陸にあがらない」という散文詩を書いた。私がここで
いう常識というのは、そういう常識をいう。

 で、その常識をみがくためには、ごくふつうの人間として、ふつうの生活を送る。そう
いう生活の中で、常識をみがく。そのことは、野に遊ぶ、鳥や獣(けもの)を見ればわか
る。奇をてらったような、おかしな行動はしない。ムダな行動もしない。彼らは彼らの常
識に従って生きている。

 人間も、基本的には、同じである。

 さらに、利口と賢いは、ちがう。

 賢い人というのは、よく考える人をいう。ただ単なる物知りを、賢い人とは言わない。
その賢い人になるためには、考える。考えることが、ますます、その人を賢くする。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●これからの国家主義

 その国のグローバル化とナショナリズムは、たがいに対立関係にある。その国がグロー
バル化を進めようとすればするほど、ナショナリズムが台頭し、グローバル化に抵抗する。

 これからは、多種多様な異民族が、自由に移動し、混合し、そしてその中で一つの世界
をつくりあげていく。そういう時代に、今、世界は、向いつつある。またそのための努力
を怠ってはいけない。

たとえば、カントがすでに200年以上も前に予想した、「コスモポリス(世界国家)」
という考え方は、ヨーロッパで、すでに実現された。ここに書いていることは、決して、
夢物語ではない。

 が、この極東アジアでは、そうした流れに逆行するようなことばかりが、起きている。「誇
張されたナショナリズム」(アインシュタイン)が、アジアのグローバル化に、ブレーキを
かけている。とくに、この日本では、それが顕著である。

 たとえば教育の世界でも、日本は、いまだに、(世界史)と(日本史)というジャンル分
けにこだわっている。日本を世界と分けることで、日本の独自性(彼らがいうところの「ア
イデンティティ」)を、明確にしようとしている。

 しかしそもそも、日本史などというものは、存在しない。日本史というのは、あくまで
も東洋史の一部であり、その東洋史は、世界史の一部でしかない。「自分たちだけは、特別
の民族である」と思いたい気持ちはよくわかるが、それを支持している外国の歴史家は、
ほとんど、いない。

 とくにフランスを中心としたヨーロッパでは、日本語学科は、朝鮮語学部の一つにすぎ
ない。さらにその朝鮮語学部は、東洋学部の一部でしかない。

 ふつう「東洋」といえば、「中国」をさす。大学でも「東洋学部(オリエンタル・スタデ
ィズ)」といえば、まず中国をいう。

 これが世界の常識であり、現実である。

 ……と書くと、「林は、日本人としてのアイデンティティは、どう考えるのか」と質問さ
れそうである。もう5、6年前のことだが、このテーマについて議論しているとき、「君は、
それでも日本人か!」と、私に向って罵声を浴びせかけた男(45歳くらい)がいた。

 しかしもともと日本のナショナリズムなどというものは、島国根性が生み出した、幻想
でしかない。そうでないというなら、では、「日本人とは何か」と聞かれたとき、あなたな
ら、何と答えるだろうか。……答えられるであろうか。

 生活様式は、すっかり、「国際化」されてしまった。(あえて、「欧米化」という言葉を使
わないでおこう。)ものの考え方も、行動パターンも、文化も音楽も、芸術も、国際化され
てしまった。

 こうした傾向は、どこの国でも、同じである。急速に進んだ情報ネットワークと、交通
網。世界は今、いやおうなしに、その国際化、つまりグローバリゼーションの荒波の中で、
もまれている。今どき、ナショナリズムを声高かに唱えるほうが、おかしいのである。

 このことは、人種のルツボと言われるアメリカを見ればわかる。いや、そんな遠くへ行
かなくても、近くの大型ショッピングセンターをのぞいてみればわかる。この浜松には、
万人単位の外国人労働者たちが住んでいる。

 日本というより、まさに外国。私たちは、そういう世界を、受けいれるとか、入れない
とかいうレベルを通りこして、今、私たちは、そういう現実の中にいるのである。

 そこで愛国心の問題。愛郷心でもよい。

 私たちがまず愛すべきは、家族である。郷土でも、国でもない。その家族どうしが、大
きなまとまりをつくって、共同体となる。最終的には、「国」と呼ばれる組織体になる。だ
から国を愛する心ということは、あくまでも、家族を愛することの結果として生まれる。

 最初に国があって、家族があるのではない。最初に家族があって、国がある。

 たとえばどこかの理不尽な国が、この日本を攻めてきたとしよう。そのとき私たちが、
武器をもって立ちあがることがあるとすれば、それは国を守るためではない。家族を守る
ためである。そのために、みなが、力をあわせる。戦う。

 私は決して、この日本という国がどうなってもよいと考えているわけではない。ただ、「国
を守るために、戦え」と言われても、それには、ついていけないということ。いわんや、
天皇やその家族を守るために死ねと言われても、私には、できない。

 もうおわかりかと思うが、世界がグローバル化している今、ナショナリズムというと、
どこかの独裁国家よろしく、為政者のつごうのよい世界を守る方便として、その言葉は利
用されやすいということ。とくにこの日本では、「官」と「民」の差が、あまりにも目立つ
ようになってしまった。

 日本が民主主義国家と思っているのは、恐らく日本人だけ。日本は、奈良時代の昔から、
官僚主義国家。官僚の、官僚のための、官僚による国家。そういう「国」を守るのが、愛
国心というなら、はっきり言おう。

 クソ食らえ!

 恐らく戦争ともなれば、官僚の連中たちは、自分たちだけは、イの一番に、逃げ出すの
ではないか。自分たちだけは、権利の王国にあぐらをかき、民間の2倍近い給料を手にし
ながら、みじんも、恥じない人たちである。暴露するようでつらいが、知人(官僚)の1
人は、はからずも、こう言った。

 「公僕意識? 林さん、役人の中で、公僕意識のある人なんて、今、絶対にいませんよ」
と。

 話がそれたが、そのナショナリズムという言葉は、好んで、こうした官僚たちの間から
聞こえてくる。つまりは、自分たちの特権と恩恵を守るため?

 もちろん日本人が、日本人として、過去1500年以上にわたって作りあげてきたもの
については、大切にしなければならない。それは当然のことではないか。それらは今でも、
地方の田舎へ行くと、日本人独特の温もりとなって残っている。

それらの多くは、伝統や文化というものに姿を変えて、残っている。そういうものは大
切にしなければならない。歌舞伎や相撲ではない。「心」だ。「日本人の心」だ。

 これはあくまでも私自身のことだが、私は外国へ出ると、自分のことを、あまり日本人
とは、言わない。「アジア人」と言うようにしている。そのきっかけをつくってくれたのが、
今は亡き、友人のT君である。

このエッセーのしめくくりとして、そのT君について書いた原稿を添付する。

+++++++++++++++++++++

【処刑されたT君】

●日本人にまちがえられたT君

 私の一番仲のよかった友人に、T君というのがいた。マレ−シアン中国人で、経済学部
に籍をおいていた。

最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。ずっとあとになって理由を聞くと、
「ぼくの祖父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてくれた。

そのT君。ある日私にこう言った。「日本は中国の属国だ」と。そこで私が猛烈に反発す
ると、「じゃ、お前の名前を、日本語で書いてみろ」と。私が「林浩司」と漢字で書くと、
「それ見ろ、中国語じゃないか」と笑った。

そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなか
った。「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。話さ
ないばかりか、マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。

 日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。しかし中国人が日本人
にまちがえられると、もっと怒る。T君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何より
も嫌った。街を歩いているときもそうだった。「お前も日本人か」と聞かれたとき、T君は、
地面を足で蹴飛ばしながら、「ノー(違う)!」と叫んでいた。

 そのT君には一人のガ−ルフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しよう
としなかった。一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠して
しまった。

が、やがて卒業式が近づいてきた。T君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナ
ー・ディグリー)を取得していた。そのT君が、ある日、中華街のレストランで、こう
話してくれた。「ヒロシ、ぼくのジェシーは……」と。喉の奥から絞り出すような声だっ
た。

「ジェシ−は四二歳だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、夫から訴えられている」と。
そう言い終わったとき、彼は緊張のあまり、手をブルブルと震わした。

●赤軍に、そして処刑

 そのT君と私は、たまたま東大から来ていたT教授の部屋で、よく徹夜した。教授の部
屋は広く、それにいつも食べ物が豊富にあった。T教授は、『東大闘争』で疲れたとかで、
休暇をもらってメルボルン大学へ来ていた。

教授はその後、東大の総長特別補佐、つまり副総長になられたが、T君がマレ−シアで
処刑されたと聞いたときには、ユネスコの国内委員会の委員もしていた。

この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでT君が生きているとしたら、そ
れはそれですばらしいことだと思う。しかし私に届いた情報にまちがいがなければ、T
君は、マレ−シアで、1980年ごろ処刑されている。

T君は大学を卒業すると同時に、ジェシ−とクアラルンプ−ルへ駆け落ちし、そこで兄
を手伝ってビジネスを始めた。しばらくは音信があったが、あるときからプツリと途絶
えてしまった。

何度か電話をしてみたが、いつも別の人が出て、英語そのものが通じなかった。で、こ
れから先は、偶然、見つけた新聞記事によるものだ。その後、T君は、マレ−シアでは
非合法組織である赤軍に身を投じ、逮捕、投獄され、そして処刑されてしまった。

遺骨は今、兄の手でシンガポ−ルの墓地に埋葬されているという。T教授にその話をす
ると、教授は、「私なら(ユネスコを通して)何とかできたのに……」と、さかんにくや
しがっておられた。

そうそう私は彼に出会ってからというもの、「私は日本人だ」と言うのをやめた。「私は
アジア人だ」と言うようになった。その心は今も私の心の中で生きている。

+++++++++++++++++++++

●プロローグ

かつてジョン・レノンは、「イマジン」の中で、こう歌った。

♪「天国はない。国はない。宗教はない。
  貪欲さや飢えもない。殺しあうことも
  死ぬこともない……
  そんな世界を想像してみよう……」と。

少し前まで、この日本でも、薩摩だの長州だのと言っていた。
皇族だの、貴族だの、士族だのとも言っていた。

しかし今、そんなことを言う人は、だれもいない。
それと同じように、やがて、ジョン・レノンが夢見たような
世界が、やってくるだろう。今すぐには無理だとしても、
必ず、やってくるだろう。

みんなと一緒に、力をあわせて、そういう世界をめざそう。
あきらめてはいけない。立ち止まっているわけにもいかない。
大切なことは、その目標に向かって進むこと。
決して後退しないこと。

ただひたすら、その目標に向かって進むこと。

+++++++++++++++++

イマジン(訳1)

♪天国はないこと想像してみよう
その気になれば簡単なこと
ぼくたちの下には地獄はなく
頭の上にあるのは空だけ
みんなが今日のために生きていると想像してみよう。

♪国なんかないと思ってみよう
むずかしいことではない
殺しあうこともなければ、そのために死ぬこともなくない。
宗教もない
平和な人生を想像してみよう

♪財産がないことを想像してみよう
君にできるかどうかわからないけど
貪欲さや飢えの必要もなく
すべての人たちが兄弟で
みんなが全世界を分けもっていると想像してみよう

♪人はぼくを、夢見る人と言うかもしれない
けれどもぼくはひとりではない。
いつの日か、君たちもぼくに加わるだろう。
そして世界はひとつになるだろう。
(ジョン・レノン、「イマジン」より)

(注:「Imagine」を、多くの翻訳家にならって、「想像する」と訳したが、本当は「if」の
意味に近いのでは……? そういうふうに訳すと、つぎのようになる。同じ歌詞でも、訳
し方によって、そのニュアンスが、微妙に違ってくる。

イマジン(訳2)

♪もし天国がないと仮定してみよう、
そう仮定することは簡単だけどね、
足元には、地獄はないよ。
ぼくたちの上にあるのは、空だけ。
すべての人々が、「今」のために生きていると
仮定してみよう……。

♪もし国というものがないと仮定してみよう。
そう仮定することはむずかしいことではないけどね。
そうすれば、殺しあうことも、そのために死ぬこともない。
宗教もない。もし平和な生活があれば……。

♪もし所有するものがないことを仮定してみよう。
君にできるかどうかはわからないけど、
貪欲になることも、空腹になることもないよ。
人々はみんな兄弟さ、
もし世界中の人たちが、この世界を共有したらね。

♪君はぼくを、夢見る人と言うかもしれない。
しかしぼくはひとりではないよ。
いつか君たちもぼくに加わるだろうと思うよ・
そしてそのとき、世界はひとつになるだろう。

ついでながら、ジョン・レノンの「Imagine」の原詩を
ここに載せておく。あなたはこの詩をどのように訳すだろうか。

Imagine

Imagine there's no heaven
It's easy if you try
No hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today…

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
No religion too
Imagine life in peace…

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world…

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one.


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●歩く(2)

 今日も、片道、7キロを歩いた。雨の中だった。途中、郵便局とビデオショップに寄っ
た。手紙を出して、ビデオを返した。

 ひどい雨だった。気がつくと、うしろに背負ったバッグが、びしょ濡れだった。「小さな
カサだな」と、そのとき、気がついた。

 歩いていると、やがて呼吸が小刻みに速くなる。と、同時に、あちこちの筋肉が、サワ
サワと動き出す。ここちよい感覚だ。そのここちよさを味わいながら、さらに大またで歩
く。

 こうして元気に歩ける喜び。……と書くと、少し大げさに聞こえるかもしれないが、私
はそう思った。昨年(04)の夏は、最悪だった。猛暑に加えて、精神的疲労や肉体的疲
労、それに、夏風邪がつづいた。毎朝、目をさましてから、体を起こすだけでも、たいへ
ん。「いったい、ぼくの体はどうなってしまったのか?」と思った。

 幸い、体調はもどった。68〜9キロから63キロ前後に減量したのも、よかった。体
がスイスイと動くようになった。うれしかった。その喜びが、一歩一歩と、歩くたびに、
全身を包む。

 「あと2年だ」と思った。息子のEが、パイロットになったら、私は、Eが操縦する飛
行機に乗せてもらう。今朝、宮崎のK大に向かうとき、Eはそれを約束してくれた。

 そのとき、「あと2年は、ぜったいにがんばるぞ」と思った。パイロットになるのは、私
の夢だった。子どものころの夢だった。その夢を、Eが、かなえてくれる。

 しかしこうして雨の中を歩く決意をさせたのは、そのことではない。Eは、このしばら
くの休みの間、ずっと、近くのスイミングクラブへ通った。体力をつけるためだそうだ。
そういうEの姿を見て、私も刺激された。「息子なんかに、負けてたまるか」と。

 で、数日前、二人で並んで、記念撮影をした。Eにしてみれば、二度目の大学の入学式
である。が、できた写真を見て、びっくり。

 私は166センチ。Eは、180センチ。身長差は、14センチである。それは知って
いたが、写真で見ると、まるでおとなと子どもほど、ちがう。私は、いつの間にか、縮ん
でしまったようだ。ショックだった。それにEの横の私は、ジジ臭い顔をしていた。

 しかしこれが現実。まぎれもない現実。私は、それを受け入れるしかない。今さら、E
と張りあっても、勝ち目はない。わかっている。

 そんなことを思い出しながら、歩いた。今日は、少し速足で歩いたので、70分くらい
で着いた。7000メートルを70分だから、分速、100メートルということになる。

 案の定、教室へ着くと、ずぼんと靴下は、びしょびしょ。バッグを棚にかけておいたら、
その下に、やがてすぐ、水たまりができた。熱いお茶を飲んでいると、やがて子どもたち
の声が階下から聞こえてきた。

 さあ、今日も、がんばるぞ! ハハハ。(何となく、風邪をひきそうな雰囲気になってき
た……。)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●自分の時間

 仕事から帰ってきたのが、夜8時ごろ。それから寝室を掃除して、兄を、風呂に入れた。
ワイフが、「もう3日も入ってないのよ」と言った。

 今、時刻は、午後の10時、少し前。やっと自分の時間ができた。昨夜はたっぷりと睡
眠時間をとった。それに明日からは、春休み。今夜は、徹夜で原稿を書けそう。(ああ、幸
せ!)

 で、今日もいろいろあった。

 最初に思い出したのが、「信頼関係」。

 以前、一匹の犬を飼っていた。かわいそうな犬で、動物園の動物たちのエサに回される
寸前の犬だった。そのため、心に大きなキズを負っていた。

 その犬のこと。まるで忠誠心がなかった。裏の門戸が少しでもあいていると、そのまま、
どこかへ逃げていってしまった。いくら説教しても、ムダだった。番犬にもならなかった。
だれに対しても愛想がよく、シッポを振った。人間を信じていたから、そうしたのではな
い。人間を、基本的な部分で信じていなかったから、そうした。

 そのときもそうだった。あわてて道路に出てみると、その犬は、道路の向こうのほうを、
スタスタと歩いているところだった。私はその犬の名前を呼んだ。当然、私のところへ走
りよってくるものとばかり思っていた。

 が、その犬は、私の姿を見ると、一目散に、逃げ始めた。私は、そのありえない光景に、
あ然としてしまった。「何という犬!」と思いながら、あとをおいかけた。

 人間も、また同じ。

 母子の間に、基本的な信頼関係を結ぶことができなかった子どもは、同じような症状を
見せる。人間というか、おとなを、基本的な部分で信じていない。だから何か仕事をさせ
たり、指示したりしても、それを一度は、疑ってかかってくる。

 あとは、お決まりの、言い訳、とぼけ、言いのがれ、そして、はぐらかし。

 H君(中2男子)がそうだった。柔和な表情で、おとなしい子どもだった。従順だが、
ハキもなかった。いつもノソノソと行動するタイプの子どもだった。

 ところがある日、教室へ行ってみると、ゲームの機器が床の上に落ち、カバーが割れて
いた。ほかにもう1人、子どもがいて、「H君がこわした」と言った。私はH君に向って、
「君がしたのか?」と聞いた。

 が、突然、H君は、自分のかけていたメガネを床にたたきつけ、それを足で踏んだ。突
発的というか、瞬間のできごとだった。

 H君は、下を見ながら、こう言った。「メガネが割れた」と。

 とても意識的な行為には見えなかった。つまりH君は、自分が叱られる前に、先手を打
った。先手を打って、自分のメガネを割り、その場を逃げようとした。私には、そう見え
た。

 これはずっとあとになってからわかったことだが、H君も、不幸な乳幼児期を過ごして
いた。私が飼っていた犬に近いような境遇だった。

 基本的な信頼関係は、絶対的な安心感のある家庭で、はぐくまれる。「絶対的」というの
は、「疑いすらいだかない」という意味である。

 ところで、これらの話とは対照的に、こんな話もある。

 私はもう一匹の犬を飼っている。この犬は、愛犬家の家で生まれ、生後3か月まで、母
親の犬のところで育った。私がもらいうけてからも、私は、毎晩、その犬を抱いて寝た。

 その犬を、よく中田島の砂丘へ連れていく。そこでヒモをはずしてやる。とたん、その
犬は、縦横無尽に走り出す。そのとき、私は、ふと、こんなことを思う。思うだけで、実
行したことはないが、こう思う。

 その犬が、私の視界から消えたとき、もし私が裏手の松林かどこかに隠れたら、その犬
は、どのような反応を示すか、と。

 しかしその犬は、そんな私の思いなど、まったく知らぬといったふうに、相変わらず、
走り回っている。

 もちろん私が隠れれば、その犬は私をさがすだろう。しかしそのとき、同時に、私とそ
の犬の信頼関係は、崩れる。崩れないにしても、つぎからこの中田島砂丘へくるたびに、
私のことを心配するだろう。安心して、砂浜を走れなくなるだろう。

 だから私は、そんなことはしない。そういう誤解を招くこともしない。私は、いるべき
場所に座って、じっと待っている。その犬が、満足して、帰ってくるまで、じっと待って
いる。たとえ相手が犬でも、そういう信頼関係は、大切にしなければならない。

 だからというわけでもないが、その犬は、先に書いた犬とは、性格がまったくちがう。
裏の門戸があいていても、ぜったいに外には出て行かない。忠誠心も旺盛で、見知らぬ人
が無断で入ってきたりすると、けたたましくほえる。番犬になる。

 そういう形で、その犬は、私たち人間との信頼関係にこたえようとしているのかもしれ
ない。

 つぎに考えたこと。

 さきほど、私のHPのデザインを少し変えた。新しいパソコンにしてから、スイスイと
作業がはかどる。気持ちがよい。

 パソコンというのは、そういう意味で、たいへんデリケートな電気製品である。余計な
ことをすると、すぐ調子が狂う。だから調子よく働くときは、余計なことはしない。

 が、人間というのは、横着なもの。つい、何かをしたくなる。アンチ・ウィルス・ソフ
トを交換してみたくなったり、ワープロソフトを更新してみたくなったりする。おととい
は、古いパソコンだったが、それをして、そのまま調子を悪くしてしまった。

 しかたないので、昨夜、ビデオを見ながら、リカバリー(OSの再インストール)をし
た。その間、時間を、2時間ほど、ムダにした。

 とにかく、余計なことはしない。それはパソコンとつきあうときの、大鉄則。

 そうそう最近、子どもたちに漢字を教えるとき、ふと、困るときがある。思うように、
漢字が書けないことがある。このことは、すでに15年ほど前から経験していることなの
で、今さら問題にするほうが、おかしいかもしれない。

 ワープロの影響である。

 一番、よく記憶しているのは、デパートで、届け物を注文したときのこと。そのとき、
私は、「札幌(さっぽろ)」という漢字が書けなかった。「エート、どんな字でしたけ?」と、
店員さんに聞いて、恥をかいてしまった。

 ところで、今、岐阜県の。「岐阜」という字を書けない人が多いと聞く。私にとっては、
何でもない字だが、そうでない人には、そうでないようだ。私は、その岐阜県生まれ。

 最後に、私は酒を一滴も飲めない。飲めないくせに、先ほど、ワイフにつられて、養M
酒なる酒を、杯(さかずき)に一杯、飲んでしまった。明日の朝は、二日酔いで頭痛が起
きるかも?

 それがこわいから、今、ウーロン茶をガブガブと飲んだ。
(以上)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 22日(No.558)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page061.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「飛び級学習」の進め方

 「最高」という言葉は、軽々しくは、使えない。しかし私の35年の経験から、今のと
ころ、つぎのような指導法が、最高にすぐれていると思う。

 子どもにある程度の方向性が見え、体力と知力がついてきたら、つまり精神的なタフさ
が身についてきたら、上級生の間にすわらせて、自習させる。子どもは、こうして上級生
の勉強ぶりを見ながら、(勉強グセ)を、上級生から受けつぐ。

 この方法は、イギリスのカレッジ制度の中で、伝統的に取り入れられている方法である。
教授や助教授、講師が学生に教えるのではなく、2、3年、年長の上級生が、下級生にも
のを教える。

 たいていは、夕食前の午後、あるいは夕食後の夜ということになるが、カレッジの中に
は、そのための講義室も、ちゃんと用意してある。

 ここで「体力と知力」と書いたが、それには、理由がある。

 上級生と学習するというのは、それだけでも、かなりの精神的な緊張感と負担をともな
う。その緊張感に耐えられるような体力は、必要である。たとえば小学1〜3年生では、
無理。へたをすれば、アカデミックな雰囲気がこわれてしまう。子どもも自信をなくして
しまうこともある。

 決して無理をしてはいけない。慎重に、子どもの様子を見ながら、判断する。

 つぎに「知力」。もともと勉強から逃げ腰の子どもには、この方法は、かえって、子ども
にとって、大きな負担になってしまう。

 そこで私のばあいは、そういう学習方法を想定しながら、その数か月〜1年前から、そ
の準備にかかる。プラスの暗示をかけながら、子どもを前向きに引っ張っていく。そして
最終的には、「君は、一度、大きい人たちと、いっしょに勉強してみないか」と、誘ってみ
る。

 子どもはその時点で、大喜びをする。が、そういう様子を見せたら、しめたもの。あと
は励ましながら、そのクラスになじませていく。

 具体的には、最初の数週間は、好きな勉強をさせる。学校の宿題でも何でもよい。「好き
な勉強をしなさい」「わからないところがあったら、もってきなさい」とだけ、指示する。

 あとは、子ども自身がもつ、伸びる力に任せる。

 この方法がきわめてすぐれている点は、子どもは、自分で、自分の学習進度を決め、自
分で学んでいくということ。結果的に、算数の教科書くらいだったら、1、2か月で学ん
でしまう。つまり1年分を、数か月で終えてしまう。

 あとはワークブックで補充したりしながら、つぎの学年へと導いていく。

 こうした方法で、現在(05)、たとえば小学4、5年生でも、中学3年生レベルの学習
をしている子どもがいる。小学3年生で、中学1年生レベルの学習をしている子どもがい
る。

 そのため、私の教室では、小学校の高学年では、それぞれの子どもをバラバラに編成し
なおしてしまう。

 たとえば小学3年生で、8人いたとする。そういう子どもを、その子どもの特性に合わ
せて、それぞれ別々のクラスに入れてしまう。

 同学年の子どもを一つの教室に集めて、いっせいレッスンをするのは、教える側として
は、効率もよく、楽かもしれないが、そういった教育法では、すぐ限界にぶつかってしま
う。

 とくによくできる子や、とくにそうでない子どもにとっては、かえってマイナスになる
ことが多い。

 少人数だからこそできる教育法ということになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●母親を嫌う子ども

 A君(小2男児)は、いつも母親の悪口を言う。「ぼくのママは、すぐ怒る」「100点
でないと、すぐたたく」「鬼ババ」と。このところ、ずっと、それが気になっていた。

 それをひとり言のように、ずっと繰りかえす。

 が、私の知っているA君の母親は、おだやかで、やさしい人だ。決して、仮面をかぶっ
ているようなタイプの人ではない。

 私はA君の様子を見ながら、欲求不満がその背景にあることを知った。私にも経験があ
る。

 私は小学5年生くらいのときに、好きな女の子ができた。静かで、やさしい女の子だっ
た。しかしいくら私がモーションをかけても、私には、振り向きもしてくれなかった。で、
ある日行動に出た。

 その女の子が何かのことで、席をはずしたとき、私はその女の子の机からノートを引き
出し、ぐいぐいと、鉛筆で、落書きをしてしまった。その女の子は、いつもノートの使い
方がじょうずだと、先生にほめられていた。

 そのあとのことは、よく覚えている。その女の子は、そのノートを見ながら、シクシク
と泣いていた。

 子どもというのは、ときとして、自分の思っていることと正反対の行動に出ることがあ
る。概して言えば、それだけ短気でわがままということになる。

 で、A君の母親がA君を迎えにきたとき、私はA君をぐいともちあげて、A君の母親に抱かせ
た。

 最初、A君は、「ママなんか、嫌い」「鬼ババ」「クソ野郎」と、罵声をあびせかけて、そ
れに抵抗した。が、私はA君を背中からおさえつけて、そのままにした。

 するとA君は、そのまま、大粒の涙をポロポロとこびしながら、泣き始めた。母親の涙
を見たからではなかったか。

私「A君、好きだったら、好きと言え。『ママ、大好き』と言え」
A「嫌いだよ、こんなヤツ」 
私「ウソつくな。お前は、ママが好きなんだ。どうしてウソをつく」
A「……」
私「好きだったら、そう言え。はっきり、そう言え」と。

 しばらくおかしな押し問答がつづいた。が、突然、堰(せき)を切って水が流れ出すよ
うに、A君が、大泣きをしながら、「ママ、好きだよオ」と言いだした。母親は、母親で、
「わかっているのよ」「わかっているのよ」と、A君を抱きしめた。

 何かの大きなわだかまりが、A君にあったのだろう。そのわだかまりが、A君の心をふ
さいでいた。が、こうして自分の心を、すなおに表現することによって、そのわだかまり
を取りのぞくことができる。カタルシス効果というのである。

 A君は、もうそのころになると、私が背中を押さえていなくても、そのまま母親に抱か
れていた。

A「ママ、いっしょに、お風呂に入ろうね」
母「いつも、いっしょに、入っているでしょう」と。

 A君は、いつものやさしいA君にもどっていた。もちろん私には、その(わだかまり)
が何であったかはわからない。子どもの心は、私たちが想像する以上に複雑だ。それにこ
の時期の子どもは、こうした変化を、毎日のように見せる。

 A君と母親を教室の外に見送ったあと、心の中が暖まっているのを感じた。そして私は
どういうわけか、あのノートに落書きをしてしまった女の子のことを思い出していた。

 名前を、アイミヤさんと言った。聞くところによると、G県のS市で、今でも元気に暮
らしているということだ。ごめんなさい!

++++++++++++++++

自己開示(2)

 自分をさらけ出すことを、自己開示という。そしてそれが極限にまで達したのを、「カタ
ルシス(除反応)」※という。心を最大限、開放させることにより、心理的、精神的負担を
軽減させることをいう。

 他人との信頼関係をうまく結べない人は、まず自己開示をしてみるとよい、あなたが妻
であれば、夫や子どもに対して。あなたが夫であれば、妻や子どもに対して。家族には、
そういう機能がある……というより、これは家族の重要な機能の一つと考えてよい。

 方法としては、自分の過去を、あらいざらい、すべて告白するというのがある。悲しか
った思い出、つらかった思い出、恥ずかしかった思い出など。心の中に秘めている思い出
を、すべて吐き出してみる。

 これはたいへん勇気のいることだが、しかし自己開示することによって、あなたは自分
の心を開放することができる。が、それだけではない。自己開示することによって、(1)
相手もあなたに自己開示する。(2)あなたもそれまで気づかなかった自分に気づくことが
できるようになる。

 私はときどき、中学生に、こんな作文を書かせる。

【つぎの文につなげて、作文を書いてください。】

●私にとって、今まで、一番楽しかったことは、
●私にとって、今まで、一番悲しかったことは、
●私にとって、今まで、一番うれしかったことは、
●私にとって、今まで、一番つらかったことは、
●私には、人に話せないような思い出が、

ほかにもいろいろあるが、子どもが書く内容は、それほど重要ではない。(また、内容に
ついては、一切、不問にすること。)その子どもがどこまで、具体的に自己開示するかで、
たがいの信頼関係の深さを知ることできる。

つぎに、子ども自身が、仮面をかぶっているかどうか、どこまで自分と向き合っている
かどうか、心の問題をもっているかどうかなどを、知ることができる。「のぞく」という
言葉は、あまり好きではないが、しかし、この方法で、子どもの心の中を、のぞくこと
ができる。家庭では、たとえば、子どもに向かって、「あなたにとって、今まで、一番う
れしかったことは、どんなこと?」というように聞いてみるとよい。

……と、書いたが、あなた自身はどうかということを、自問してみてほしい。

 あなたが妻なら、夫に話せない話もあるはず。結婚前の男性関係とか、身体的なコンプ
レックスとか、など。子どものころの家庭環境も、それに含まれるかもしれない。もしそ
ういうのがあれば、思い切って、夫に話してみる。

 あなたはそれで、人間関係が壊れると思っているかもしれないが、多少の混乱を経て、
あなたと夫の心の絆(きずな)は、それで太くなるはず。とくに、他人との人間関係がう
まく結べない人、他人と接すると、すぐ神経疲労を起こす人などは、まず、身近な人に対
して自己開示してみるとよい。つまりこうして、自分の心を作り変えていく。

 もっとも注意しなければならないのは、他人への自己開示である。信頼基盤そのものが
ない人に、自己開示するのは、危険なことでもある。そういうときは、相手をより深く理
解するという方法に切りかえる。たとえば……。

 日ごろ、相手が、言いたいと思っていること、知りたいと思っていることを、相手の立
場になって聞く。「この前、あなたはこう言ったけど、その意味がよくわからないから、も
う一度、話してくれない」「あなたの言うことはよくわかるけど、もし私だったら、どうす
るか、いろいろ考えてみたわ」とか。相手をより深く理解しようとしよう姿勢を見せるこ
とで、同時に、自分もまた相手に対して、自己開示することができる。

 前にも書いたが、自己開示をすることは、違いの信頼関係を築く、基盤となる。たがい
にわけのわからない状態で、信頼関係を結ぶことはできない。さあ、あなたも勇気を出し
て、自己開示してみよう。心を解き放ってみよう!
(030707)

※……自己開示することで、心理的、精神的負担を軽減することができる。ばあいに
よっては、症状が焼失することもあるという。これをカタルシス効果という。自己
開示には、そういう作用もある。

++++++++++++++++++

【追記】
 
 四人の子どもに、ためしに作文を書いてもらった。

●Kさん(中二女子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、この前あった、学校の野外活動です。ナ
イトウォークや、カレーづくり。一日中、ずっと友だちと過ごしているということが、な
かなかないので、とても楽しかったです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、野外活動の先生が、私たちをたいへん
ほめてくれたことです。ふだん「今の二年生は悪い」と言うだけの、いやな先生たちばか
りなので、先生たちを見返してやった気分でした。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、もうずいぶん前になるけど、かっていた
犬が死んでしまったことです。

●U君(中三男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、友だちといっしょにいることが楽しいで
す。人と笑うのが楽しいです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、とくにありません。あっても忘れてしま
います。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、三年目にして、部活の県大会で優勝し
たことです。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、勉強。部活の練習も楽じゃないです。二
つともとてもつらいですが、楽しいです。

●R君(中三男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、友だちと遊んでいたとき。友だちといっ
しょにいたとき。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、おじいちゃんが死んだとき。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、勉強しているとき。部活。

●D君(小六男子)

*私にとって、今まで、一番楽しかったことは、サッカーです。
*私にとって、今まで、一番悲しかったことは、(無回答)。
*私にとって、今まで、一番うれしかったことは、サッカーでキャプテンになれたことで
す。
*私にとって、今まで、一番つらかったことは、サッカーで、何周もグランドを走ったこ
とです。

 子どものばあい、身近な経験から、楽しかったことや、悲しかったことをさがしだそう
とする。つまり自分自身を、客観的に見る目が、まだじゅうぶん育っていない。しかし年
齢が大きくなると、より自分を高い視点から、判断できるようになる。そして自分自身を
より深く、見ることができるようになる。「私を知る」というのは、そういう意味で、一見
簡単そうで、むずかしい。
(はやし浩司 カタルシス カタルシス効果 自己開示 除反応 除効果)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●知力と人格

 「自分が絶対、正しい」「自分の考えこそが、世界一である」「世の中のみなは、愚か者
である」「自分こそ、大切にされるべき人間である」「私は、それにふさわしい人としか、
交際しない」と。

 そうした思いが強すぎるあまり、他人と、良好な人間関係を結べなくなる。心を開くこ
とができないため、友人は少ない。いても、1人か2人。あるいはゼロ。

 こうした症状がみられたら、自己愛性人格障害者の特徴と考えてよい(参考、DSM−
IV)。

 DSM−IVの診断基準によれば、つぎのような症状が見られたら、自己愛性人格障害
の疑いがあるという(簡略版)。

(1)自己の重要性に対する誇大な感覚
(2)限りない成功、権力、才気などへの空想にとらわれている。
(3)自分が特別であり、特別であるという感覚が強い。
(4)過剰な賞賛を求める。
(5)特権意識が強く、自分の期待に自動的に従うよう求める。
(6)対人関係で、人を不当に利用する。
(7)共感の欠如。他人の気持ちを理解しようとしない。
(8)しばしば嫉妬する。嫉妬深い。
(9)尊大で傲慢な行動。または態度。

 全体に虚栄心が強く、世間体を異常に気にして、自分を飾る。そして自分を批判したり、
否定したりする人に対しては、徹底した攻撃性をみせる(=自己愛型人間の特徴)。わかり
やすく言えば、心に余裕がない。

 そういう自分の欠点をカバーするため、このタイプの人は、人前では、人一倍、いい人
ぶったり、豪放にふるまったりする。大物ぶったり、寛大な様子を示すこともある。しか
しそれらは計算され、演技されたものである。

 しかし内面世界は、孤独。「頼れるのは自分だけ」「渡る世間は、鬼ばかり」「どうせ生き
るのも死ぬのも、ひとり」というような考え方をする。つまり猜疑心(さいぎしん)が強
く、他人を信じない。……信じられない。それが冒頭にあげたような症状となって、外に
現れる。

 こうした自己愛性人格障害は、加齢とともに、つまり頭のボケとともに、だれにでも、
現れるものなのか。少なくとも、人は、年をとればとるほど、人格的に後退することはあ
っても、前進することはない。

 そういう意味では、人間の知的能力と、精神的完成度は、密接に関連している? もち
ろん知的能力がすぐれているから、精神の完成度も高いということではない。が、知的能
力が低下すると、それにあわせて精神の完成度も低くなるというのは、どうやら事実のよ
うである。

 このことは、老人を観察していると、よくわかる。

 ある女性(60歳くらい)は、このところ、ますますがんこになってきた。融通がきか
なくなってきた。我が強くなってきた。だれかが何かのことでアドバイスをしても、その
相手の話をじゅうぶん聞く前に、即座に、それを否定してしまう。

A氏「お宅の角に、自動販売機を置いてみたらいかかでしょうか」
女性「だめです。近所に動販売機が、たくさんあります」
A氏「何か特徴のある商品なら、売れると思うのですが……」
女性「そんなものは、ありません」と。

 ふつうなら、「そうですねエ……」「どんなものが売れるでしょうかねエ……」という会
話になるようなところで、そうなる。で、一度、そうなると、会話そのものが、途切れて
しまう。

 このことをワイフに話すと、ワイフも、こう言った。

 「年をとると、住む世界が小さくなるということかしら……」と。

 そこで私なりに、加齢にともなう、知的能力と人格の低下の関係について、まとめてみ
た。

(1)理解力、洞察力の低下(相手の心が理解できない。)
(2)同調性、協調性の低下(相手の心に自分を合わせることができない。)
(3)融通性、柔軟性の低下(臨機応変に頭を切りかえることができない。)
(4)判断力、決断力の低下(どう結論を出したらよいのか、わからなくなる。)

 こうした能力の低下が、(がんこさ)や、(わがまま)となって、外に現れてくる。が、
問題は、そして私たちにとって切実な問題は、ではどうすれば、それを防ぐことができる
か、ということになる。

 恩師のT教授は、50歳を過ぎてから中国語の勉強を始め、60歳くらいのときに、中
国のペキンで行われた学会で、中国語で、講演をしている。そういうまねは、私たちには、
なかなかできないが、しかしそれに近いことなら、できる。

 そういう点では、何度も繰りかえすが、人格論は、健康論に似ている。毎日の運動をや
めたとたん、健康は、その時点から後退する。

 その人の人格も、毎日の鍛錬をやめたとたん。その時点から後退する。そのカギを握る
のが、知力の鍛錬ということになる。

 要するに、年をとればとるほど、頭を使うということか。覚えてもすぐ忘れてしまった
りして、一見、ムダなように見えるかもしれないが、それでも頭は使う。そういう姿勢が
基本にあって、その人の人格も、維持される。

 もう私のような年齢になると、たとえばテニスクラブに通っても、「いつか、大会で優勝
して……」などという気持ちは、起きてこない。そういう野心は消える。

 同じように知力を使っても、「文芸賞をとって……」などという気持ちは、起きてこない。
そういう野心も消える。

 ただ、少なくとも、息子たちには、迷惑をかけたくない。簡単に「ボケ老人の介護」と
は言うが、それがいかに心労をともなった、重労働であるか。それを知るからこそ、息子
たちには、そういう迷惑をかけたくない。

 だからこそ、ギリギリの、そのギリギリまで、自分の人格を維持したい。そのためにも、
何の役にたつということはないにしても、知力をみがいていきたい。

 ……と自分に言って聞かせて、この話は、ここでおしまい。これ以上のことを書く自信
は、今の私にはない。

(補記)

 ところで今、気がついたが、こんなことは言える。

 よく別のことで有名になった人たちが、何かの救済運動に借りだされて、その種の活動
をしてみせることがある。

 貧しい国の難民の人たちを救う運動とか、戦争孤児の子どもたちを救うためのボランテ
ィア活動とか、など。

 あれなどは、まさに偽善中の偽善。「中には、そうでない人もいるが……」と書きたいが、
私は、そのほとんどが、そうでないかと思っている。で、ああした有名人たちが、さも善
人であるかのような顔をして、自分の活動を誇示したり、あるいは、月刊誌や週刊誌を飾
ったりするのを、私は、どうしても許せない。

 若いときや、有名になる前から、そういう活動を始め、その実績があり、その結果とし
て、そういう活動が紹介されるなら、話は別。そういった実績もないまま、ある日突然か
ら、善人を演ずるのは、本当に苦しんでいる人たちに対する冒涜(ぼうとく)であると同
時に、まじめな気持ちで、活動に取り組んでいる人たちに対しても、失敬というもの。

 心理学の世界にも、「愛他的自己愛」という言葉がある。「他人を愛するフリをして、自
分がすぐれた人間であると、見せかけること」をいう。

 そうした団体としても、そういった有名人を起用して、自分たちの活動を誇示したいの
だろうが、もしそうなら、その団体そのものが、偽善団体と断言してよい。本当に苦しん
でいる人を、自分たちの名誉や利権のために、利用しているだけ。

 草の根で、親身になって活動している人もいるはず。人知れず、陰に隠れて、活動して
いる人もいるはず。またそういう人たちほど、目立たない。静か。ドロまるけ。そういう
人たちからすると、こうした偽善ほど、腹立たしいものはない。どうして、そんなことが
わからないのか。

 日本よ、日本人よ、もっと、みんなで力をあわせて、おとなになろう。偽善を見抜く力
を養おう!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●春休み

 あと数日で、春休みになる。

 やりたいことは山のようにあるのだが、しかし実際、春休みになると、いつの間にか、
そのまま終わってしまう。多分、今回も、そうなるだろう。

 運動不足には、気をつけよう。

 で、今年の春休みの目標。ワイフが、旅行をしたいと言ってがんばっているので、つき
あうつもり。どこか静かなところが、私はいい。紀伊半島の先とか、伊豆半島の先とか。

 何か、新しいことにも、挑戦してみたい。

 何があるのだろう? まず、それをさがすところから、始めよう。そうそう、10年ほ
ど前だったら、「ようし、一冊、本を出すぞ」などと意気込んだりしたもの。しかし今は、
電子マガジンがある。

 こちらのほうで、がんばってみる。とにかく、1000号、だ! 1000号まで、が
んばる! 今の私には、それしか、ない。

『生きる技術とは、一つの攻撃目標を選び、そこに力を集中させることである』(モロア・
1885〜1967、フランスの作家)


●この世で一番、見苦しいもの

 仏教でも、キリスト教でも、「怠惰」を、大罪の一つにあげている。実際、(怠け)ほど、
見苦しいものはない。

 何をするでもなし、しないでもなし。そんな状態で、一日を過ごす。一日だけなら、と
もかくも、毎日、毎日、そうして過ごす。

 逆に言うと、勤勉は、それ自体が美徳である。心と体の健康のためにも、よい。何かに
向って、コツコツと努力していく。そこに生きる人間の、美しさがある。尊さがある。

 昨夜。たまたま街中のハンバーガー・ショップで、ハンバーガーを食べた。男は、私を
含めて、二人だけ。ほかに20人ほどの客がいたが、みな、若い、高校生前後と思われる
女性(女子)ばかりだった。

 私は、その異様な光景に驚いた。

 そのだらしなさというか、不潔さというか。どの女性も、厚い化粧をしていた。イスに
座ったまま、夢中で化粧している女性も何人か、いた。

 好色そうな目。男にむさぼりつくような、あやしげな表情。ひわいな会話に、意味のな
い話題。ふつう、「若い女性は美しい」という前提で、ものを考えるが、そうした美しさは、
どこにもなかった。

 アテネで活躍した、快楽主義の哲学者は、こう書いている。

『無教養なものであるよりも、乞食のほうがまし。乞食に足らないのは金だが、無教養な
ものに足らないのは、人間性だからだ』(説話)と。

 もう一歩進めると、こうなる。

『無教養なサルより、乞食のほうが、まし』と。

 私には、そこにいた若い女性たちが、そのサルに見えた。化粧と携帯電話にしか、興味
がない。そんなふうだった。が、やはり、私には、何といっても、その退廃さが気になっ
た。

 「どこから、その退廃さがくるのだろう?」と思った瞬間、それが「怠惰」だと気がつ
いた。

 人生に失敗する人というのは、決まっている。

 その第一に、怠け者。夢も目標も希望もない。ただその日を、だらしなく過ごす。そう
いう人は、確実に失敗する。

 「若いのになあ……」と思った。

 もっとも、そういう一部の姿だけを見て、すべてを判断してはいけない。

 たまたまその店に来ていただけかもしれない。ふだんは、勤勉で、息抜きに来ていただ
けかもしれない。さらに、本当は彼女たちも何かをしたいのかもしれない。しかしその「何
か」が、何であるかわからず、苦しんでいるのかもしれない。

 そういう彼女たちでも、何か、生きがいのある仕事や課題を与えれば、水を得た魚のよ
うに、生き生きと泳ぎだすかもしれない。

 しかし私が見たところ、正直言って、ぞっとするほど、退廃的な感じがした。ぞっとす
るほど、だ。

 「どうしてああなってしまったのだろう?」と思いながら、その店を出た。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●歩く

 今日は、家から教室までの、約7キロを歩いた。若いころは、60分で歩いた。今日は、
80分。途中で、コンビニと本屋とパソコンショップに寄った。DVDの編集用ソフトを
買った

 春休みには、DVD編集に挑戦してみよう。

 で、教室に着くころ、雪がパラつき始めた。もう3月も終わりというのに……。たまた
ま今日は、EXPO'05の開会日。3月25日。寒い初日となった。

 教室に着くと、まずパソコンを開く。そしてメールを読んだあと、ワードを開いて、文
を書き始める。これがその文。近くで、また何か工事が始まったようだ。建設機械のきし
む音と、エンジン音が聞こえる。(うるさい!)

 こういう町の中に住む人は、たいへんだなと、思う。静かに考える時間があるのだろう
か?

(ここでウーロン茶がわいたので、飲む。一服して、今度は、ボケ兄の話。)

 来週、ボケた兄を、一度、姉のところに戻す予定。しかし姉は、生まれつき、まじめす
ぎるほど、まじめな女性。はたして兄のめんどうをみることができるかどうか?

 私のばあい、廊下に兄の大便がころがっていても、それを笑ってすますことができる。
一応は、叱るが、「バカヤロー」で終わる。ワイフも、似たような性格。

 ボケには、知恵で戦うしかない。ボケた兄と戦うために、パソコンとカメラを連動させ
て、常時監視システムも作った。水道やガスには、安全装置をつけた。ガス感知機もつけ
た。ドアや窓には、目では見えないカギをつけた。電灯には、タイマーをとりつけた。ト
イレは、いつも、汚すだけ汚すので、ダンボール紙で、ガードをつくった。

 何か兄が、問題を起こすたびに、そうやって対処してきた。しかし姉には、そういう能
力はない。兄の行動の一つ一つに、大騒動を繰りかえすにちがいない。

 どうしたものか? どうしようか?

 あんなボケた兄でも、どこかで私と情がつながっている。まあ、一応、約束だから、来
週、兄を連れて帰る。

 今朝、ワイフに、「お前もいっしょに来るか?」と声をかけると、「どうしょうか……」
と。ポツリ。ワイフには、かなりの重労働だったようだ。重労働というより、神経戦(?)。

 数日前、健康診断を受けに行ったら、最高血圧が、xxもあがっていた。私は、昨年と
ほぼ同じ、上が106、下が55。つまり低血圧。ワイフの健康のことを考えると、無理
もできない。

 まあ、よい経験になった。よい勉強になった。が、これで戦いが終わったわけではない。
まだまだつづく。

 運命とは、最後の最後で、ふんばるもの。決して、運命に身をゆだねてはいけない。「負
けるもんか」と笑い飛ばしたとき、運命は、向こうから退散する。その心だけは、忘れな
いでおこう。

(付記)

 数日前、風呂の中で兄の体を洗っているとき、兄が、こんな話をした。

 いつだったかということはわからないが、兄が、客のブレーキをなおしたことがあった
という。

 しかし兄は、そのブレーキをなおすことができなかった。それを見て、その客が、あか
らさまに、兄にこう言ったという。

 「お前は、たわけ(=バカ)だ。ブレーキもなおせないのか。ほかの店へ行くからいい」
と。

 そのとき、あろうことか、その客が、兄の頭を、平手で殴ったというのだ。

 ポソポソと話す兄の話をつなげると、そういう話になる。兄には、そういうつらい経験
があったらしい。

 「どこのどいつだ、その男は?」と私。
 「忘れた……」と兄。
 「いいから、思い出せ。オレが復讐してやる。カタキをとってきてやるから、思い出せ」
 「忘れた」
「名前は? どこに住んでいるヤツだ?」と。

 子どものころ、兄がいじめられるたびに、私は、その復讐に出かけた。10歳年上の男
でも、容赦しなかった。そんな思い出が、記憶のどこかに残っている。

 私はそういう意味では、けんかに強かった。乱暴者だった。いつも山の中を、子分を連
れて歩いていた。多いときは、15〜20人ほど、いた。子分といっても、下は5、6歳
から、上は10歳前後まで。おかしなもので、そのときの経験が、今、幼児教育に役立っ
ている。

 そうそうあのころは、「林の浩ちゃんとだけは、けんかをするな」が、子どもたちの合言
葉になっていた。

 私は相手を追いつめるとき、その相手の家の中の、一番奥まで追いつめて、なぐったり、
けったりしていた。私ににらまれたら、逃げ場がない。それでそういう合言葉が生まれた
のだと思う。

 それで今、思うのだが、最近の男の子は、ヤワだと思う。本当にヤワだと思う。私が異
常だったのか。それとも、今の子どもたちのほうが、おかしいのか。よくわからないが、
ときどき、自分でも、どちらがどうなのか、わからないときがある。

(しかし私も、おとなしくなったものだ。紳士的になったというか……。キバを抜かれた
というか……。ホント!)


●ショック

 中学3年生のTさん(女子)が、何を思ったか、私の顔をしげしげと見て、こう言った。
「先生の奥さん、かわいそう」と。

 「どうして?」と聞くと、「私なら、ぜったい、先生とは結婚しないわ」と。

 簡単な会話だったが、私に与えたショックは、大きかった。……と思う。それを聞いて、
しばらく、つぎの言葉が出てこなかった。

 子どもというのは、そういう意味では、正直だ。ウソや体裁を言わない。感じたままを、
そのまま口にする。そういう言葉に対して、「失礼なことを言うな!」と、怒るほうが、ま
ちがっている。

 「……そうだよな。そうだよ。実は、ぼくもそう思う。ぼくのワイフは、ぼくと結婚し
て、不幸だったと思うよ。ぼくがワイフなら、ぜったいに、ぼくのような男とは結婚しな
いよ。自分でも、それがわかっている……」

 「だからね、ときどき、ワイフに申しわけないと思うことがあるよ。本当だよ。ぼくの
ような男が、強引に結婚させて悪かったって、ね。ぼくが、ワイフの人生を、メチャメチ
ャにしたようなものだし……。ワイフはワイフで、もっと別の人生を生きたかったのかも
しれないよ」と。

 するとTさんが、こう言った。

 「で、先生の奥さんは、先生に、何て言っているの?」
 「そうだね、結婚なんて、一度でこりごりって、よく言うよ」
 「わかる、わかる、その気持ち……」
 「わかるか?」
 「わかるわよ」と。

 私の欠点というか、欠陥は、たくさんある。人間的な欠陥である。性格もよくないし、
精神状態も不安定。強引で、わがまま。自分勝手。ときどき、ワイフに、直接、こう聞く
ことがある。

 「お前は、ぼくと結婚して、幸福だったか?」と。

 するとワイフは、いつもこう言う。「わからない」「私はみんなが幸福なら、それでいい」
と。どこか虚無的。つまりそれだけ私との結婚生活が、不幸だったということか?

 Tさんの言葉には、いろいろ考えさせられた。ホント! 家に帰ってから、ワイフにT
さんの言ったことを伝えると、ワイフは、こう言って笑った。

 「今の子って、何でもズケズケ言うのね。うらやましいわ」と。

 それを聞いて、私は笑った。ワイフも笑った。たがいに笑って、ごまかした。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●思考力低下

 昨夜(3・25)、ワールドカップ予選、対イラン戦を見た。途中まで見た。が、そこで、
ダウン。眠ってしまった。

 朝起きて、ワイフに、「どうだった?」と聞くと、「負けたみたい」と。さっそくインタ
ーネットで調べる。結果は、1対2で、日本の負け。

 とたん、どんよりした冬の曇り空が、どんと重くなる。どうも、さえない土曜日。HP
の編集を始めようと思って、からんだマウスのコードをいじっていたら、画面が消えてし
まった。ますます、暗〜イ、気持ち。

 今の私は、思考力ゼロ。あくびばかりが、繰りかえし、出る。昨日は、片道7キロを歩
き、帰りは、肌で冬の冷気を切りながら、自転車で運動。何となく、1週間分の運動をし
た感じ。

 あとでワイフにそれを言うと、「運動だめをしても、ムダよ」と。つまり一時的に運動を
たくさんしても、ムダ、と。

私「コエ・ダメというのを知っているか?」
ワイフ「それくらい、知っているわよ」
私「へえ、お前が、か?」
ワイフ「昔は、浜松にもあったから……」
私「浜松に、ねえ……。ぼくが言うコエ・ダメというのは、『声だめ』のことだよ」
ワイフ「何よ、それ?」
私「だからさ、お前は、少し、おしゃべりだから、静かにしろってこと」と。

 それにしても、こんな駄文しか書けないとは……。

 少し、頭の回転をよくするために、あちこちの本を、パラパラとめくる。これといって、
話題はない。

 そう言えば、昨夜、寝る前に、ぼんやりと、こんなことを考えた。

 仏教には、「慈悲」という言葉がある。「大慈大悲」ともいう。この「慈悲」を、英語で、
「AS YOU LIKE」、つまり「あなたのよいように」と訳した学者がいた。すばら
しい訳だと思う。

 一方、キリスト教にも、「愛」という言葉がある。その意味するところは、「あなたが相
手にしてもらいたいように、相手にしてやれ」ということらしい。これら二つの言葉は、
一見、正反対のことを言っているようにも見えるが、言わんとしていることは、同じ。

 で、そのことに思いをめぐらせていたとき、「では、私のように仏教徒でも、キリスト教
徒でもない私は、どこへ身を寄せたらいいのだ」と、思ってしまった。

 へたをすれば、ただのバカのお人好しで終わってしまう。あの人たちは、極楽へ行ける
とか、天国へ入れるとかいうことで、それができる。が、私には、そうした保証がない。

 何かを見返りを求めているわけではないが、しかしその一方で、私は私で、生きていか
なければならない。

 しかしこれだけは言える。

 慈悲にせよ、愛にせよ、それがまねごとであるにせよ、それらしきしたときというのは、
本当に気持がよい。心の中がポッと暖かくなる。詳しくは書けないが、昨日(25)、私は、
2つもすばらしい経験をした。

 で、最後に目を閉じる前に、(いや、一度だけ、どうしても気になったので、サッカーの
試合をのぞきに行った。後半が始まって、10分くらいのところだった。まだ日本は、1
対0で負けていたが……)、こう思った。

 「今日は、すばらしい一日だった」と。


●混沌とする、国際情勢

 「わけがわからなくなってしまった!」というのが、私の実感。ついでに、「もう、どう
でもよくなってしまった!」とも。

 K国の核問題を論ずる、6か国協議が、このままでは霧散する情勢になってきた。

 アメリカと中国の間に、大きなミゾが入り始めた。日本と韓国の間にも、だ。加えて、
アメリカとロシアの関係もおかしくなってきた。さらにアメリカと韓国の間も、ギクシャ
クしてきた。

 それにしても、わけがわからないのが、韓国。

 少し前、私はこう書いた。

 「韓国などは、先のデフォルト(国家破綻)のとき、550億ドルも、日本が中心にな
って援助したが、感謝のカの字もない!」と。

 この私の意見に対して、ある韓国人から、こんな反論のメールが届いた。

 「もともと、あのデフォルトは、日本の銀行団が引き起こしたもの。日本の銀行団が、
その数年前から、毎年、10億ドル規模で、外資を引きあげた。それが引き金となって、
韓国はデフォルトにおちいってしまった。日本政府が責任を取るのは、当然ではないか」
と。

 しかし日本に住んで、日本で生活をしているとわかるが、日本の銀行団に、そうした国
際戦略など、ない。韓国をわざわざデフォルトさせるために、戦略的に行動するなどとい
うことは、ありえない。日本の銀行は、マネーのためなら、何だってする。正義だって、
大義だって売り飛ばす。そういう意味では、単純。自ら損をするようなことは、しない。

 韓国経済の雲行きがおかしくなってきたから、つまりそれを感じ取り始めたから、日本
の銀行団は、韓国から外資を引きあげた。

 つまり韓国の人たちにせよ、K国の人たちにせよ、何でも、しかも最初に、「日本、悪し」
という論法で、食ってかかってくる。こういうのを、私たちの世界では、被害妄想という。

 今回の「竹島(独島)問題」にしても、日本政府は、国際裁判所で話しあおうと言って
いるのだから、そういうところで話しあえばよい。それを「その必要はない」と言って、
デモを繰りかえしたり、日本の国旗を燃やしたりしている。日韓の友好関係も、停止する
と騒いでいる。

 もっともあの島は、昔から無人島で、両国の漁民たちが、仲よく使っていた。「どちらの
もの」というよりは、「どちらのものでもない」。反対に、日韓友好の証(あかし)として、
双方で、仲よく使うという方法だってないわけではない。

 もちろん国際裁判所で、裁判ということになれば、証拠主義に基づけば、竹島は、日本
のものと審判されるはず。それを知っているからこそ、韓国は、裁判に応じてこない。

 とにかく、日本にせよ、韓国にせよ、今は、そんな問題で、争っているばあいではない。
こうしたキレツを、一番、ほくそ笑んで見ているのが、K国の金XXである。

 ああ、私は、もう考えたくない。

 韓国も、中国も、そしてロシアも、せっこらせっこらと、K国を助けている。それを見
て、アメリカも、「もう知ったことか」と言い出した。あえて一言、つけ加えるなら、こう
いうことになる。

 韓国も、K国も、もう少し、現実を正確に認識したらよい。竹島問題にからんで、韓国
のN大統領は、アメリカのライス国務長官に向って、あろうことか、「日本をとるか、韓国
をとるか」と、択一を迫ったようだ。

 それに答えて、ライス国務長官は、無言。かわりにアメリカのある高官は、こう答えた
という。「韓国は、数に入っていない」と。つまり、「日本の重要度とくらべたら、韓国は、
比較にならないほど、小さい」と。

 米韓条約の破棄は、もう時間の問題※。そうなれば、危険を察知した日本の銀行団は、
外資を引きあげ始める。再び、韓国は、デフォルトに。

 それを見て、K国は、韓国に総攻撃をしかける。……今のままでは、近い将来、そうな
る可能性は、きわめて高い。

 そこで日本は、K国のみならず、韓国も、相手にせず。淡々と事務的に、かつ冷静に、
ことを進めるしかない。事務的に、かつ冷静に、だ。韓国にせよ、K国にせよ、日本が本
気で相手にしなければならないような国ではない。

が、あえて言うなら、韓国のN大統領よ、いつまでも回顧性の被害妄想にとらわれるの
ではなく、現実をベースにした、未来志向型の展望性を、もっと、もってほしい。

 時代も変わったし、人間も変わった。いつまでも、思い出の中にある日本人のイメージ
だけで、私たちを見てほしくない。

 ……「もう、どうでもよくなってしまった!」と思いつつ、またまた、あれこれ書いて
しまった。しかし本当のところ、この問題には、もううんざり。どれもこれも、問題の根
源は、あの独裁者にある。彼1人が、独裁の座にしがみつくから、みんなが迷惑している。
簡単に言えば、そういうことになる。

(注※)……朝鮮日報は、「韓米は決別を準備すべきという米国」と題した記事で、つぎ
のように伝えている。

 「3月25日に主催した国際学術会議で、ダグ・ベンド米カント研究所研究員は、「米
国において、韓国は莫大な費用と犠牲を注ぐほどの死活的な利益の対象ではない」とし、
「韓米両国は友好的な決別を準備しなければならない」と述べた。 

 先日、「韓国は敵が誰なのかハッキリさせるべき」と要求した、米下院外交委員長の特
別補佐官は、「米議会で米日修交150周年記念決議案は、圧倒的多数で可決されたが、
韓米同盟50周年の決議案は、推進する議員が存在せず、廃棄された」と話した。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●地震雲

 地下のプレートどうしが、たがいにぶつかりあうと、そこでものすごいエネルギーが発
生し、ついで電磁波を発生するという。

 その強力な電磁波が、いわゆる地震雲をつくるという。特徴は、大地(水面)からまっ
すぐ上に、ちょうど、細い竜巻の柱のように、上にのびるという。テレビで、そういう地
震雲のいくつかを、紹介していた(3・25)。

 で、実は、今日、ハナを中田島へ散歩に連れていく途中、それらしき雲を見た。方角は、
中田島砂丘から見て、南東。ちょうど駿河湾の中心部あたりである。

 二本の不気味な雲が、ちょうど鬼のツノのように、空にのびていた。瞬間、「まさか?」
と思った。ただ下のほうは、それよりも白い厚い雲におおわれて、よく見えなかった。

 駿河湾の地震は、近い?

 私はハナを砂浜で遊ばせながら、できるだけ松林に近いところに腰をおろして、海を見
ていた。「地震が来たら、まっさきに逃げるぞ」と。

 砂浜で地震に襲われたら、砂浜は、どうなるか? 地球的規模で考えるなら、水も砂も、
同じようなもの。体は水にのまれるように、砂の中に沈んでいくにちがいない。液状化現
象ともいう。助かる手だては、まず、ない。

 しかしそうした私の心配をよそに、海は、静かな波を、砂浜に打ち寄せていた。春らし
い、生暖かい風も感ずる。ハナは、右から左、左から右、そしてまた右から左へと、楽し
そうに走り回っていた。

 私は、しばしの静寂を楽しむ。太陽の白光がギラギラと海面に映えて、美しい。その向
こうを、黒いシルエットとなって、貨物船が通る。

 今日は、いつもより長く、海にいた。このところ寒くて、ハナを、海へ連れてこなかっ
たこともある。が、本当は、この前のマレーシア沖大地震の記憶もあり、海がこわくなっ
た。ホント。今日も、正直、告白するが、こわかった。

 帰ってくるとき、どこか、ほっとした気持ちになったのは、どうやらそのためらしい。
少し大げさな言い方になるが、無事、帰ってきた。よかった!


●ボケ症状

 ボケ症状の一つと言い切ってよいのかどうか、わからない。ボケ(痴呆症や認知症)で
はなく、ひょっとしたら、老人期のうつ病の症状の一つかもしれない。それはともかくも、
ボケ方にも、いろいろあるらしい。多くの方から、メールが届くようになった。そんなわ
けで、私の「育児サイト」が、「ボケサイト」に、目下変身中? (いやだなあ……。)

 その中でも、とくに注意をひいたのは、つまり、私の兄の症状とよく似た症状として、
注意をひいたのは、(こだわり)。おかしなこだわりをもつ、ボケ老人が、意外と多いとい
うことを知った。

 私の兄は、どういうわけか、時刻に、異常にこだわる。とくに食事の時刻にこだわる。

 そんなことを何かの記事で書いたら、「実は、私の父がそうです」というメールをもらっ
た。N県に住む、1人の女性からのものだった。

 いわく、「毎朝、午前5時30分きっかりに、起きます。そして35分きっかりに、雨戸
を開けます。夕方は、午後6時30分きっかりに、雨戸をしめます。運動の時刻も、決ま
っていて、一日に2回、自宅の階段の、のぼりおりをします。午前10時と午後3時。運
動時間は、時計を見ながら、きっかりと30分間。

 腕時計の針が狂っていたりすると、それだけでパニック状態になります。そこでほかに
2、3個、目覚まし時計を与えているのですが、毎日、その目覚まし時計のほうを、自分
の腕時計に、合わせています。ですから自分の腕時計が狂うと、目覚まし時計のほうも、
狂うというわけです。が、ラジオの時報だけは、毎日聞いているため、時計の針があって
いないとわかると、さあ、たいへん。……という状態です」と。

 その女性の父親(69歳)は、どうやら(まだらボケ)という症状らしい。ときどき、
ボケ、そして、ときどき、まともになる。

 そこでインターネットで調べてみたが、ボケ(痴呆症や認知症)と、こうした(こだわ
り)は、どうやら関係がないことがわかってきた。(ボケ症状には、こだわりは、含まれて
いないということ。)

 ……となると、兄のこだわりは、どこからくるのか。やはり、初老期のうつ病? しか
し考えようによっては、かえって扱いやすいのかも。昼、夜なく、随時に、起きたり寝た
りされたら、かえって困ってしまう。食事の時間だって、そうだ。

 だからここは、おおらかに。きちんと食事だけを用意してやれば、あとは、機嫌がよい。
穏かな顔をして、ニコニコ笑っている。

 まあ、ものごとは、前向きにとらえよう。そう考えて、認めてやろう。

 ついでながら、私やワイフは、ほとんど時刻にこだわらない性分。毎日、起きる時刻と
寝る時刻は、だいたい決まっているが、それ以外は、昔からメチャメチャ。週単位、月単
位の決まった習慣も、ほとんどない。(まったく、ない。)

 そういう点では、自由きままに生きている。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【詩篇と自己分析】

●戦争

あなたは、あなたの息子の死に、耐える自信はあるか。ないか。
あなたは、あなたの愛する息子の死に、耐える自信はあるか。ないか。

あなたは、もし自分の息子を戦争でなくしたら、こう思うだろう。
私のすべてと交換してでもよい。だから私の息子を返して、と。

だから、ぜったいに、どんなことがあっても、戦争などしてはいけない。
戦争をして、あなたの愛する息子を、失ってはいけない。

戦争は、ある日突然、やってくるわけではない。少しずつ、悪魔が、
夜の窓辺に忍び寄るようにして、あなたのそばにやってくる。

そのときあなたは、悪魔のささやきを聞く。が、一度、聞いたら最後、
あなたはこう叫ぶ。「復讐だ!」「やっつけろ!」「報復しろ!」「戦え!」と。

しかしそういう勇ましい声に操られてはいけない。負けてはいけない。
悪魔のささやきに、だまされてはいけない。どんなことがあっても……。

私たちがなすべきことは、どこまでも冷静に。沈着に。そして事務的に。
決して感情的になってはいけない。感情に負けて、行動に走ってはいけない。

大切なことは、国際社会の「善なる心」を信ずること。仮に死者が出ても、
負傷者が出ても、私たちは正義を信じて、冷静に、かつ事務的に対処する。

どこまでも、どこまでも、事務的に処理する。たとえそれで効果がなくても、
大切なことは、そういう前例を積み重ね、つぎの世代に、それを受け渡すこと。

つまらない戦争は、もうやめよう。それがいかに愚劣なものであるかは、
あのヨーロッパを見ればわかるはず。EUとなった、フランスやドイツを、である。

たった60年前には、隣の国どうしが戦い、人々は、殺しあった。
しかし今、一つのEUとなって、ヨーロッパは、一つの国にまとまった。

私たちがめざすべきは、そういう世界である。またいつか、そういう世界が、
必ずやってくることを信じよう。信じて、前に進もう。ひるまず、進もう。

もしあなたが、私の言っていることに疑問を感じたり、迷いを感じたら、
そこにあなたの息子を置いてみよう。あなたの心の中に、だ。

あなたは、あなたの息子の死に、耐える自信はあるか、と。
あなたは、あなたの愛する息子の死に、耐える自信はあるか、と。


●さみしさ

ふと、思う。「このさみしさは、いったい、どこからくるのか?」と。
満たされない心、風が通りぬける心、つかみどころのない、自分。
何かをしているようで、その実感がともなわない。いつも空回り?

「こんなことをしていていいんだろうか?」という思い。
「今まで、何をしてきたのだろう?」という思い。
そういうものが、複雑に心の中をいきかい、私の心をさみしくする。

とにかく、今夜は、やるしかない。マガジンの4月号、HTML版の編集。
中には、読んでくれる人もいるだろう。こうした私のさみしさが、
何かの参考になる人もいるだろう。それを信じて、前に進むしかない。

先ほど、ワイフにこう言った。「今夜は、先に寝てよ。やることがあるから」と。
ワイフは、すぐ、それをわかってくれた。だから心配をかけないように、
「明日は、ゆっくり寝てるから」と、つけ加えた。

このさみしさがあるかぎり、私は、私は戦う。戦って、戦って、戦い抜く。
その先に何があるのか、あるいはないのか、それは私にもわからない。
わからないが、今の私は、そのさみしさと戦うしかない。それしかない。


【自己分析】

 ここで私は「戦争」と、「さみしさ」について、二つの詩篇を書いた。

 この二つの詩篇を読んで、自己分析してみたい。

 内容は、ともに、うつ的。悲観的。平和を唱えながら、どこか逃避的。とくに「さみし
さ」のほうでは、自己像のふらつきが見られる。どこか自信喪失的。こうした状態が、さ
らに進むと、自己否定へと、発展してしまう。つまり自殺の可能性が生まれる。

 気をつけよう!

 つぎに見られるのが、「境界性人格障害」。これらの詩篇の中には、自分が見捨てられて
いるかのような強迫観念を感ずる。また一方で理想論を唱えながら、その理想論にも自信
をもてず、どこか主張がフラフラしている。

 ほかに自傷行為とまではいかないが、自分を悲劇の主人公にしたてているところも、気
になる。慢性的な空虚感、情緒の不安定感も見られる。

 声を出して怒ればよいのだが、その怒りを自ら、しずめてしまう。「戦争が起きるかも」
という妄想性もある。

 つまり私は、DSM−IVの診断基準によれば、「境界性人格障害者」の疑いがあるとい
うことになる。ゾーッ。

 この症状が進めば、私は、対人関係で、やがて孤立し、正常な人間関係が結べなくなる
可能性がある。(すでに、そうかもしれないが……。)

 今夜も、いろいろあった。それで少し疲れているのだろう。マガジンのHTML版のF
TP送信がもうすぐすむので、それがすんだら、寝よう。

 時刻は、3月27日、午前0時をほんの少し回ったところ。日曜日になったところ。今
日は、思う存分、遊ぶぞ! ハハハ。私の特権だ!
(はやし浩司 境界性人格障害)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 20日(No.557)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page060.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの希望

 今度(05年)、浜松市の男女共同参画推進協会が、子どもたちの意識調査をした。それ
によると、結果は、つぎのようであった(協会の広報「あい」より)。

○男子のなりたい職業(小学生)

 サッカー選手
 プロ野球選手 
 パン屋
 お笑い芸人
 医者

○男子のなりたい職業(中学生)

 コンピュータ関係
 医療関係
 建築関係
 プロスポーツ選手
 カメラマン
 公務員
 漫画家

++++++++++++++++++

○女子のなりたい職業(小学生)

 パティシエ
 保育士
 美容師
 教師
 トリマー
 ネイルアート

○女子のなりたい職業(中学生)

 デザイナー
 保育士
 薬剤師
 教師
 歯科衛生士
 パティシエ
 トリマー
 美容師
 アニメ関係

++++++++++++++++++

 この中に出てくる、「パティシエ」というのは、フランス語で、「菓子職人」をいう。ふ
つう「ケーキ屋さん」をいう。

 もっとも、こうした将来に対する希望をもっている子どもは、小学生で、82〜85%。
中学生で、78〜77%だそうだ(同、調査)。残りの子どもたちは、「将来、どんな仕事
をしたいか考えたことがない」そうだ。

 そういう子どもたちは、ただ漠然(ばくぜん)と、学校へ通っているだけ?

 ……ということでは、いろいろな問題が起きてくる。昔とちがって、いい高校、いい大
学へ入ることは、今では、ステータスでも何でもない。ただ「勉強しなさい」と追いまく
られた子どもほど、高校や大学へ入ったとたん、目標を見失う。わかりやすく言えば、宙
ぶらりんになる。

 燃え尽き症候群や、荷おろし症候群に、おちいる子どもも出てくる。

 が、それだけではない。こうした子どもは、夢や目標がないから、誘惑にも弱くなる。
ちょっとしたきっかけで、悪の道に入ったりする。もともと勉強する目的をもっていない
から、当然といえば、当然。大学へ入ったあとは、ただひたすら、遊ぶ。

 (これについては、役割形成論、役割混乱論で詳しく書いた。)

 で、順に、子どもの希望について、考えてみよう。

 「お笑い芸人」「公務員」「トリマー」というのが、ユニークなところ。そう言えば、ワ
イフの友人で、50歳をすぎてから、そのトリマーを始めて、大成功している人がいる。
最初は、自宅で、近所の犬やネコのトリマーをしていたのだそうだ。

 が、今では……! 「たった4、5年で、そうなったのよ」とワイフは言っているが、
私もトリマーをすればよかった……というのは、ねたみかも?

 これからの日本では、どんな職業が、よい職業で、またどんな職業が、そうでないか、
それが、ますますわかりにくくなってくるだろう。「お金を稼ぐ」というのは、あくまでも
手段。大切なことは、そのお金で、いかに自分の人生を充実させるか、だ。

 職業についての上下意識、つまりは身分制度は、さらに崩壊する。だいたいにおいて、
職業に、上下意識があるということ自体、バカげている。今でも、50歳以上の人には、
そういうバカげた意識が残っていて、ときどき、「○○(職業名)のくせに」とか、「ロク
な仕事もしていないくせに」という言葉を、聞く。

 ただ、「お笑い芸人」について、一言。もともと、そのレベルの人が、そのレベルの「芸」
をしても、おかしくも何ともない。人を笑わすというのは、最高に知的な「芸」である。
その「知力」をみがくのは、たいへんなこと。もともとアホな人(失礼!)が、アホなこ
とをしても、人は笑わない。ときに、見ているだけで、「同じ人間か?」と、さみしくなる
ことさえ、ある。

 パティシエや、ネイルアートをめざすくらいなら、どうして、彫刻家や画家をめざさな
いのか……と考えるのは、ヤボなことかも。日本には、そういう人を生かし、育てていく
土壌そのものがない。

 子どもたちの意識調査を読んで、そんなことを考えた。
(050323)
(はやし浩司 子供の夢 希望 希望職業 子どもの夢 意識調査 職業 希望する職業)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●BWのみなさんへ

 裏切られても、裏切られても、最後まで、信ずる。これが子どもをもつ親と交際すると
きの、最終的に残された、大鉄則である。

 要するに、はじめから、「無」の状態でつきあう。「これだけのことをしてやったのだか
ら……」式の期待は、しない。相手は、親。子育てのことで、頭がいっぱい。時間的にも
体力的にも、余裕はない。いわんや、教師の心情を察するだけのゆとりなど、ない。

 子育ては、まさに戦争なのだ。

 だから、「最後まで、信ずる」。一見、裏切られたかのように見えるのは、それだけ、こ
ちら側の思いが伝わっていなかっただけと、みる。

 はっきり言おう。どんな親でも、自分の子どもには、善人でいようとする。だから自分
の子どもに関係する世界で、悪人になる親は、いない。仮に外の世界で、悪人(?)であ
っても、子どもの世界では、みな、善人になる。

 昔、こんなことがあった。

 その子ども(年中児)の父親は、この地方でも、最大級と言われる、ある暴力団の親分
だった。そそしてその地域で、その地域の住民たちが、その親が組織する組事務所に対し
て、追放運動を繰りかえしていた。

 学校側は、「危険だから」という理由で、父母同伴の集団登校、下校を指導するようにな
った。それについて、たまたまその子どもの祖母が、私の家に来て、こう言った。

 「私らも、子どもの親です。いくらなんでも、人様の子どもに手を出すようなことなん
か、するはずはないでしょ」「父親のしていることと、子どもたちとは、関係、ありません」
と。

 その祖母は、私やワイフの前で、そう言いながら、涙をポロポロと流していた。

 ただ、正直言って、「裏切られた」と感ずることはある。ないわけではない。しかし、そ
のほとんどは、親側の不注意か、無知によるものである。きちんと説明すれば、ほとんど
のばあい、誤解は解ける。

 その誤解を解かないまま、「裏切られた」と騒ぐのは、それこそ、今度は、教師側の誤解
ということになる。

 しかし若いころには、私は、それがわからなかった。そのため、よく、心は、ボロボロ
になった。ズタズタにされたと感じたこともある。が、あるときから、こう考えた。「どう
せ同じことを毎年、繰りかえすなら、少しは利口になろう」と。

 そんなとき、ある教師が、何かの席で、こう教えてくれた。「10%のニヒリズム」と。

 つまり、「教師たるものは、最後の10%は、自分のためにとっておけ」と。わかりやす
く言えば、いくら教育に全力投球しても、100%、投球してはいけない。最後の10%
は、残しておけと。

 裏切られることもあるから、覚悟しておけということか。私は、そう解釈した。

 たしかにそれは事実で、かつ、この「10%のニヒリズム」は、何も、「教育」の世界だ
けにかぎった話ではない。サラリーマンにせよ、自営業にせよ、(給料というお金)をもら
って仕事をする人は、そうした(割り切り)は、つきもの。心のどこかでしなければ、仕
事など、できない。

 が、やはり、少なくとも子どもの世界では、「裏切られても、裏切られても、最後まで、
信ずる」。もともとそうするしかない世界だから、そうするしかない。悩んだり、不愉快に
思う分だけ、時間のムダ。

 ……ということで、もう35年になる。

 「今年度で、教室(BW)も、おしまいだなあ」と、毎年、年度末になると思う。しか
しその年度末になると、「あの人が……?」「この人が……?」と思うような人が、生徒を
つれてきてくれる。そうして、また新しい年を迎える。

 そのとき私は、こう確信する。「信じていて、よかった」と。(本当のところは、「信ずる」
というより、「はじめから、疑っていない」ということかもしれない。)

 詳しくは書けないが、昨日も、そういうことがあった。うれしかった。本当にうれしか
った。

 さっそくワイフに電話をして報告すると、ワイフは、すなおにそれを喜んでくれた。

 こうして私の3月は終わり、やがて4月を迎える。BWのみなさん、これからもよろし
くお願いします。+ありがとうございます!!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【男の鼻くそ】

●鼻くそ

中には、いつも、鼻くそをほじっている子どもがいる。親は、それを気にして、「やめな
さい!」と、そのつど注意する。が、ほとんど効果がない。

 しかし、これは、効果があるとかないとかいう問題ではない。子どもは、鼻がかゆいか
ら、鼻くそをほじる。その原因として、慢性鼻炎や、副鼻腔炎がある。子どもの鼻くそが
気になったら、そちらの治療を先に考える。

 その鼻くそ。だれでも、毎日、何度かはほじるものだが、しかし人前ではしない。鼻く
そほど、他人に、不快感を与えるものはない。ほじるとしても、人の目の届かないところ
で。しかもティッシュとか、ハンカチを使ってそれをする。

 この鼻くそには、いろいろな思い出がある。

●下品

 少し前まで、行きつけのレストランがあった。値段も安いし、味もよかった。が、ある
日のこと、その店に入ろうとして、ガラス戸越しに中を見たとき、何と、あろうことか、
その店のおやじが、あんぐりと、鼻くそをほじっていた。

 手のひらを上にして、大きく、ほじっていた。

 その瞬間、私は、ゾーッとした。で、そのままUターン。以来、そのレストランには、
一度も足を踏み入れていない。

 その鼻くそ。英語では、sxxxという。かなり、下品な言葉ということになっている。
ふつうの辞書には出ていない。かなり大きな辞書にも出ていない。上下2巻もあるような、
小学館の「ランダムハウス辞書」に、やっとそれが出ている。

 しかし「鼻くそ」とは書いてない。「鼻水」「鼻汁」となっている。かっこして、(卑)と
ある。「卑猥語(ひわいご)」という意味である。

 英語では、鼻くそを、鼻汁と考えているのか? 汁というより、もう少しかたい感じが
するが……。

 もちろん、英語国では、人前で鼻くそをほじるのは、タブー中のタブー。欧米人で、鼻
くそをほじっている人を、私は、見かけたことがない。ふつうはタオルで鼻をかむように
して、そのついでに、鼻の穴の周辺を強くふく。もっとも欧米人の鼻の穴は、日本人の鼻
の穴ように大きくない。だいたいにおいて、指が入らない。

●男の鼻くそ

 しかし先日、愛知万博の内覧会から帰ってくるときのこと。私たちは、夕方近く、やや
早めに、会場をあとにした。帰りの混雑を避けるためである。

 で、万博八草(やくさ)という駅から電車に乗ったときのこと。真向かいの席に、1人
の男が座った。その男が、座るやいなや、その鼻くそをほじり始めた。

 年齢は45歳くらいか。スーツ姿の男だった。腕の中には、大きな買い物袋をかかえて
いた。同じく万博に行ってきたのだろう。そのみやげらしきものが、上から少し見えた。

 私は、その瞬間、目をそらした。見てはいけないものを見てしまった感じがした。相手
も、それをいやがるだろう。

 が、すぐ終わると思ったが、その男は、私の視線など、まったく気にするふうでもなく、
鼻くそをほじりつづけた。親指を使ったり、小指を使ったり、そしてときどき、親指と人
差し指をよりあわせて、鼻くそを、下へ落としていた。

 私は右に座っているワイフに、顔をしかめて見せた。が、ワイフは、まだそれに気づい
ていないようだった。私は、目のやり場に困った。そういう光景は、一度気にし始めると、
脳ミソに張りついたように、気になる。

●不快感

 指先をよじるとき、こまかい鼻くそが、パラパラと下に落ちる。いや、落ちるところま
では見ていないが、それは容易に想像ができた。男は、買い物バッグのうしろでそれをし
ていた。

 「いやな男だ」と思った。思って、私は、じっとその男の顔をのぞきこんだ。私の視線
を感ずれば、やめるだろうと思った。しかし男は、私の視線など、どこにも感じていない
といったふうだった。相変わらず、鼻くそをほじっていた。

 駅を一つ過ぎ、二つ過ぎても、まだほじっていた。

 どこか気持ちよさそうな雰囲気だった。私は、その男に、注意してやろうと思った。そ
して頭の中で、セリフまで考えた。

 「あのう、たいへん失礼かと思いますが、しかし人前で、鼻くそをほじるのは、いかが
なことかと思います。それを見ている人に、不快感を覚えさせるものです。どうか、遠慮
していただけませんか」と。

 しかしそんなことを注意するほうも、おかしい。鼻くそをほじったからといって、だれ
に迷惑をかけるというものでもない。鼻くそは鼻くそだが、人間の表皮は、そのつど、無
数にはがれて、風に舞って飛んでいく。鼻くそも、その一部にすぎない。

●鼻くそ文化論

 しかし鼻くそは、気になる。どうしてか?

 私は、頭の中で、鼻くそ文化論を考え始めていた。鼻くそは、文化か否(いな)か、と。

 ほかに不快感を与えるものに、立小便や腸内ガスなどがある。頭のフケや体臭も、不快
感を他人に与える。人によって、その受ける不快感の大きさは、ちがう。

 総じて言えば、文化とは、そうした不快感からの解放を意味する。より高い人間性を求
めることによって、自ら動物的な野卑性を、自分から切り離していく。たとえばその電車
でも、私たちが乗りこむとき、横から強引に割りこんできた、女性の一群がいた。年齢は
60歳前後だったと思う。

 それを見たときも、やはり不快というより、不愉快だった。そこに野卑性を感じたため
ではなかったか。

 が、その反対もある。私が住む浜松市には、一万人を超える南米からの人たちが、住ん
でいる。そういう人たちは、あたりかまわず、男女が抱きあい、キスをする。野卑と言え
ば野卑だが、しかし、それは本当に野卑といえるのかという問題もある。

 今から30〜50年前には、想像もつかなかった光景である。つまり、キスはよいが、
鼻くそをほじるのは悪い? つきつめて考えていくと、では文化とは何かという問題にま
で発展してしまう。

●ワイフ

 男はまだ、鼻くそをほじりつづけていた。スーツは、高級ではないにしても、それなり
に立派なものだった。どこかの大手の自動車会社に勤めるサラリーマンといった感じがし
た。

 時間にすれば、30分以上。あと少しで、終点の岡崎駅へ着く。そんなとき、その男は、
一つの駅で、大きな買い物袋をもちなおすと、あわてて電車から飛び出していった。とた
ん、私の体から、緊張感が抜けた。

私「なあ、お前、見てたか?」
ワイフ「何を?」
私「今の男ね、30分も、鼻くそをほじっていたよ」
ワイフ「気づかなかったわ」
私「気づかなかったってエ?」と。

 私は何度も、目で合図した。「見ろ、見ろ」と。それにワイフは、気づかなかったという
のだ。

私「だから、合図しただろ?」
ワイフ「何を?」
私「だからさ、前の男が、鼻くそをほじっていると、合図をしただろ?」
ワイフ「何だ、その合図だったの。私、意味がわからなかった……」
私「だからお前は、バカだ」と。

 ワイフの頭の中は、どういう構造になっているのだろう。のんきというか、鈍感という
か。しかし気にならない人には、気にならないようだ。ワイフも、その1人。昔から私の
ワイフは、そういう女性である。

 ……ということで、岡崎の駅で、私は電車からおりると、思いっきり、自分のジャンパ
ーをはたいた。どこかに男の鼻くそが、ついているような気がしたからである。


+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

小説【万華寺】

●田舎の駅 

 列車は、山あいのトンネルをいくつか抜けて、丘の上の小さな駅に着いた。どこにでも
あるような、小さな山の駅である。灰色の小さな木造の無人駅。すすけた色のタイルの瓦。
改札口は、だらしなく開いたままだった。

 私とワイフは、その駅でおりた。春の薄曇の日で、どこか肌寒い風が、山の上から、や
さしく吹きおろしていた。電車が遠ざかるのを感じながら、私たちは駅の外に出た。

 角に小さな食堂らしきものはあったが、汚れたカーテンが、内側からたれさがったまま。
陳列ケースはからのままだった。小屋根の上の看板には、「山広食堂」とあった。

 「どっちへ行く?」と、ワイフが聞いた。

 駅前からは、線路に沿って左右にのびる2本の自動車道と、まっすぐ前にのびる1本の
道があった。細い路地だった。食堂の反対側の角地は、空き地になっていて、何台かさび
た自転車が放置してあった。私は、まっすぐ前に向って歩き出した。

 「こんなところに、万華寺なんてあるんだろうか?」と私。ふと、心細くなった。「とに
かく、だれかに聞いてみなければ……」と。

 路地へ入ると、何軒かの民家にはさまれた。人の気配はない。私たちは1軒1軒を確か
めるようにして、前に進んだ。と、そのとき、ワイフがこう言った。

 「あら、駅がないわ?」と。

 振りかえると、そこに見えるはずの駅がない。かわりに、今まで前に見えていた景色が、
そこに広がっていた。

 よく見ると、ちょうど私たちが立っているところを境に、鏡で映すように、うしろに前
の景色が、そこにあった。私はどうしてそうしたかはわからないが、両手を前にさしだす
と、そのあたりの空気を手でたたいてみた。

 鏡がそこにあるのではと思った。しかし、何もなかった。

私「駅は、どこへ消えたのだろう?」
ワイフ「前も、うしろも、同じ景色よ」
私「わかっている……」と。

 私は数歩、前に進んでみた。本当のところは、どちらが前なのか、もうわからなくなっ
ていた。しかし立ち止まっていることもできなかった。

 景色は変わらなかった。で、さらに歩いてみた。ワイフは、「おかしいわね」という表情
をしたまま、私の腕に、自分の手をからませてきた。

●万華寺

 私たちはあとずさりするかのように、そのまま歩きつづけた。いつか読んだ案内書によ
れば、万華寺は、駅の前から歩いて5分ほどのところにあるということだった。「小さな山
寺」ということだったが、その町全体が、山にすっぽりと包まれていた。

 かわいた風が、また頬をなでた。私たちは歩きながら、何度か、うしろを見た。しかし、
歩けば歩くほど、うしろの景色が、私たちに近づいてきた。

 「どうなっているの?」と私が聞くと、ワイフが楽しそうな声で、「私たち、鏡のガラス
の中にいるみたい」と言った。

 私は、万華寺は、手前の山の中にあると直感した。両側の家々は、その寺につづく、門
前町のような感じがした。昔は、多くの人出でにぎわったのだろう。旅館らしき建物もい
くつか、通りすぎた。

 が、最後の横丁を渡り、枯れ木のまざる林を抜けたとき、私は二度目に驚いた。やや開
けた盆地の中に、場ちがいなほど大きな寺がそこにあった。

 「あれが万華寺だよ、きっと……」と。ワイフも目ざとく山門を見つけ、「そうよ」と言
った。そこには、「黎明山・万華寺」とあった。

●出迎え

 何人かの人がいた。いや、もっと多かった。10人、20人、いや、50人!

 1人が私のところにやってきて、こう言った。「林さんですね。お待ちしていました」と。
が、私には、そんな約束をした覚えはない。ないばかりか、その男は、境内にたむろする
何人かの男たちに向ってこう言った。

 「設計士の林さんが、おいでになったぞオ」と。

 私は、その場の雰囲気にのまれて、そのまま、境内の中へ、足を踏み入れた。

男「やあ、お疲れ様です。遠いところをすみません」

 私は、その男の顔をよく知っていた。中学時代の同級生の宮本だった。「宮本じゃない
か?」と私が言うと、その男は軽く笑って、「よく覚えていてくれましたね、林さん……い
や、林君。久しぶりだなあ」と。

 しかし宮本は、中学生のままだった。それに見ると、どの男たちも、みな、どこかで会
ったような人たちばかり。

 子どものころ、いつも行った駄菓子屋の男もいる。バスの運転手もいる。それに直接、
教わったことはなかったが、大学の教授もいる。

 「設計図どおり、できましたか?」と、私。そう言いながら、いつの間にか、自分が設
計士になっているのを知った。たしかに見覚えのある寺である。

 中央に大屋根があり、左右に、服のそでのように、小屋根がつづく。それらがバランス
よく調和して、鳥が羽を広げているようにも見える。

 柱は、どれも丸みをおびた朱色をしていた。

●バザー 

 1人、赤ら顔の大きな男がいた。その男だけが、袈裟をまとっていた。寺の住職である。
近づくと、住職が、パソコンを片手にもっていた。

 「安物ですが、ワープロとして使うには問題ありません」と、住職は言った。
 「いくらですか?」と私。
 「いや、5500円なんですよ」
 「5500円? それは安い」と。

 本堂の前では、何人かの女性たちが、バザーを開いていた。その中に、そのパソコンが、
山積みになっていた。ほかにも、いろいろな機種があった。

 私は住職がもっていたのと同じパソコンを見つけた。メモリーカードのスロットも、ち
ゃんとついている。「こんなら使える」と私は思った。

 住職は、うれしそうな顔をして、そのパソコンのキーをたたいていた。

 気がつくと、私とワイフは、いつの間にか、本堂の中に立っていた。

●本堂の中

 そのとき、バッグのなかの携帯電話が揺れた。取り出して耳にあてると、ワイフの声だ
った。

私「もしもし……?」
ワイフ「あなた、どこにいるの?」
私「どこにって、万華寺だよ」
ワイフ「どこへ行ってしまったかと、心配してたのよ」
私「どこって、お前といっしょに来たじゃないか」
ワイフ「何、言ってるのよ。私はここよ」
私「どこ?」
ワイフ「駅の中よ」と。

 横を見ると、そこにワイフが立っていた。何食わぬ顔をして、高い天井を見あげている。

私「どうして駅にいるの?」
ワイフ「あなただけ、どこかへ行ってしまったからよ」
私「お前と来たじゃない?」
ワイフ「どこへ?」
私「万華寺だよ。お前もここにいるよ」と。

 私は電話を切った。いたずらだと思った。それにワイフは、携帯電話など、もっていな
い。

私「いま、お前から、電話があった」
ワイフ「あら、そう。私はしないわ」
私「だろ? おかしな電話だ」
ワイフ「ねえ、それより、天井を見て。あそこに、大きな穴があいているわ」
私「ああ、あの穴ね。最後の仕上げに、大黒柱を通す穴だよ」と。

 穴からは、まばゆいばかりの光が、本堂の中に流れていた。

 私もワイフといっしょに、天井を見あげていた。多くの男たちが祭りのように騒ぎなが
ら、その大黒柱をロープでもちあげるところだった。

●大黒柱

 宮本が、またやってきた。小柄な男で、度の強いメガネをかけていた。作業服の上に、
ラッパをかついでいた。大きなラッパだった。そのラッパの音を合図にして、みなが、い
っせいに大黒柱を立てるということだった。

 しかし大きな柱だった。その柱も朱色に塗ってあった。と、そのときだった。その大黒
柱が、床をつきぬけて、下へ、ドスンと落ちた。とんでもない、ドジである。私は笑った。
みなも、笑った。見ると、ワイフが、あろうことか、その大黒柱のてっぺんに立って、扇
(おうぎ)を振って、踊っているではないか。

 「おりてこい、あぶないから」と私は叫んだ。しかしワイフは、楽しそうだった。

 私は大黒柱を、両手でかかえた。かかえて、あるべきところに、ヨイショと置いた。そ
れを見て、みなが、「さずが、設計士さん!」と言って、手をたたいた。悪い気はしなかっ
た。

 住職は、相変わらずパソコンをいじっていた。ノートよりは少し大きいが、開くと、キ
ーの大きさが、2倍以上に拡大する機能をそなえていた。「これなら、キーを打ちやすい」
と、住職は言った。

 私もいつの間にか、そのパソコンを買っていた。

●万華鏡 

 万華寺の壁は、すべて鏡でできていた。そこへ大黒柱の朱色が、きれいに映っていた。
そして天井から差しこんだ無数の光が、一度大黒柱で反射したあと、鏡の上でキラキラと、
これまた無数の模様を作りだしていた。

 「ここは万華寺でね」と住職。
 「そうですね」と私。

 鏡の壁には、その人の過去や未来が、すべて映し出されるという。もちろんそれを見る
人の角度によって、すべて模様がちがう。

 気がつくと、本堂の中には、もうだれもいなかった。静かだった。ガラーンとした空間
だけが、そこにあった。

 白い光、青い光、黄色い光……それが、ぼんやりとしたシルエットをつくり、その中に、
見覚えのある顔や景色が、浮かんできた。

 黒い影の中には、ゴム靴もある。傘もある。子どものころかぶった野球帽もある。ジャ
イアンツの「G」のマークが、光っている。

 川の中で見た魚。小石。泳ぐときに吐き出す、息の泡。青い空、白い雲。そして仲間た
ちの歓声。

 旅行先で見た、ダム。そこに立つ先輩。道端でみたコスモスの花、そして下宿のおばさ
ん。おじさん。ヒッチハイクで乗ったトラックなどなど。

 キラキラと輝きながら、白い光に吸いこまれたり、現われたりする。

 息子たちと、神津島へ行った日々や、バス旅行をした日々など。ワイフとアメリカを旅
行した日々や、それに自転車のかごにおもちゃを乗せて走る私。家に帰ると、息子たちが、
「パパ、お帰り〜」と、私の胸に飛びついてきた。

 私はいつしか目を閉じたまま、壁に映し出される万華の世界に、心をなぐさめていた。
美しくも、もの悲しく、それでいて、心温まる世界だった。

 私の未来……?

 それは見なかった。そこにあったような気がしたが、わざと見なかった。住職は、「未来
も見える」と言ったが、見なかった。

●現実

 ゴトンと、電車が揺れた。前の席に座っていた女の子も、いつの間にか、眠っていた。
が、私は、目をさました。

 再びゴトンと、電車が動き出したとき、私は、夢を見ていたことに気づいた。ワイフも
横にいて、眠っていた。

 私は再び、目を閉じた。閉じながら、電車が少しずつ速度をあげていくのを感じた。と、
そのとき、ワイフが、私から体を離した。目をさましたらしい。

 「今、止まった駅を知っている」と私。
 「どこだったの?」とワイフ。

 私は、遠くに見える山々の間を見ながら、「万華寺という名前の駅だったよ」と答えた。

 ワイフは、それを聞いて、「フ〜ン」と言って、また目を閉じた。春のうららかな、暖か
い日差しが、窓からときどき私やワイフの顔を照らした。

 私も、再び、そのまま眠ってしまった。

 それからまた、私は夢を見たようだったが、今度は別の夢だった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●新型パソコン

 超高性能のパソコンを購入して、もう1週間。調子はよい。それまではHPの(読み出
しと保存)に、6〜7時間もかかっていたが、3時間程度ですむようになった。

 少し期待はずれだったが、(私は、もっと早くできるようになるかと思っていたが)、ま
あ、納得のいく範囲。メモリーを、1024MBもつけたので、いくつかの作業を同時に
しても、スイスイといった感じ。

 それにマイクロソフト社の、フライトシムュレーターも、快調に動く。よかった。うれ
しかった。これで私も、一人前。

 ついでに、HPのデザインを変えてみた。これは楽しかった。

 これなら、これから先、2〜3年は、使えそう。そのころには、パソコンも、もっと高
性能になっているはず。そのころには、64ビットマシンが、主流になっていることだろ
う。しかしそれにしても、すごい進歩だ。


●「基礎学力」という亡霊

 教育界の伝家の宝刀、それが「基礎学力」という名前の亡霊。この一言を提示されると、
この日本では、まさに泣く子も黙る。

 しかし基礎学力とは何か。まだ文字を読めない民や、まじないや、占いに人生を託して
いた明治のはじめならいざ知らず、今は、そういう時代でもない。

 読み、書き、ある程度の算術を、昔は、「基礎学力」といった。それはわかる。しかし一
次方程式や二次方程式が、どうして基礎学力なのか。いまだに、私は、それがわからない。

 もちろん、それを理解し、将来、数学者や科学者になるという目的をもっている子ども
は、別。理科系の大学へ入って、そこで何かの計算に使うというのであれば、別。

 しかしその能力に不足し、四苦八苦しながら、悩んだり苦しんだりしている子どもを見
ていると、私は、ふと、こう思ってしまう。「なぜ、こんな勉強で、子どもを苦しめなけれ
ばならないのか」「こういう子どもは、時間を、もっと別のことに使ったほうがいいのにな」
と。

 オーストラリアのグラマースクール(全寮制の小・中・高一貫校)などでは、子ども、
1人ひとりに合わせて、カリキュラムを組んでくれる。水泳が得意な子どもは、毎日水泳
のレッスンが受けられるように、木工が好きな子どもは、毎日、木工ができるように、と。

 それが世界の常識で、日本のように、北海道から沖縄まで、まるで金太郎飴のアメのよ
うに、一律一斉授業をするほうが、おかしい。おかしいものは、おかしいのであって、そ
れ以外に、何とも言いようがない。

 子どもの多様性にあわせて、教育も、多様化すべきときにきているし。いわゆる基礎学
力にこだわる理由は、もうない。

 大切なことは、何度も書くが、自分で考えて、自分で道を切り開いていく力である。そ
の力さえあれば、子どもは、おとなになってからも、自分の力で、自分で伸びていく。概
して言えば、日本人は、学校を卒業すると同時に、大学であれ、高校であれ、「これで勉強
は終わった」と考えやすい。

 つまりそういうふうに、「終わった」と思わせてしまうところに、日本の教育の最大の欠
陥がある。

 今でもこの「基礎学力」という言葉を使って、子どもの学力を問題にする人は多い。も
しこの言葉を言いかえるとしたら、たとえば基礎常識、基礎思考力、基礎共鳴力、基礎人
間関係、基礎判断力などと言えばよい。

 で、最近は、「子どもの学力が低下している」と、よく話題になる。たしかにそのとおり
である。

 たとえば今では、掛け算の九九が使いこなせない中学生や、分数の計算ができない大学
生など、珍しくも、何ともない。しかしそれが子どもの問題ではなく、教育システムの問
題である。もっと言えば、子どもを教える教師の情熱の問題である。

 では、どうすれば教師の情熱を絶やさず、燃やしつづけることができるのか。わかりや
すく言えば、どうすれば教師のやる気を引きだすことができるかということになる。

 私は方法としては、つぎの3つを考える。

(1)教育の自由化(教師の自由裁量範囲の増大)
(2)教育以外の雑務からの解放
(3)絶壁化(職場環境のきびしさ)

 ここでいう「絶壁化」というのは、極端なケースとしては、5年ごと、あるいは3年ご
との、雇用契約の更新性などがある。(これは極端な話に聞こえるかもしれないが、欧米で
は、常識。)

 誤解してはいけないのは、「基礎学力の低下」は、あくまでも、「結果」であるというこ
と。「原因」を正さないでおいて、「結果」ばかり問題にしても、意味はない。いわんや、
あたかも子ども自身に問題があるような言い方には、私は、どうしても、納得できない。

 なお、もう一言、つけ加えるなら、親たちは、子どもの学力の低下など、心配していな
い。親たちが心配しているのは、自分の子どもが、この受験競争社会で、より不利になる
ことを、心配している。それを誤解してはいけない。
(はやし浩司 基礎学力)


●息子が宮崎に

 息子が近く、宮崎のK大に行く。今、その準備で忙しそう。こうして子どもたちは、親
から遠ざかり、巣立っていく。親は、それを見送るしかない。

 それは淡くもさみしく、切ない瞬間でもある。子育てが終わったとき、どっと、肩にの
しかかってくるのは、老後の重み。

 昨日、その息子とドライブをしながら、こう言った。

 「お前は、夢を果たして、パイロットになる。事故で死んだとしても、パパは、お前の
ためには、涙を流さないよ。親として、その覚悟はできている。いっしょに死ぬ、客のた
めに涙を流すよ。お前が死ぬのは、それお前の勝手だからね。でもね、お願いだから、気
をつけて、死ぬなよ」と。


●春休み

 もうすぐ春休み。今年も、いろいろあって、たいしたことはできない。本当は、ワイフ
とオーストラリアへ行くつもりだったが、ボケ兄の介護で、流れてしまった。

 育児サイトが、いつの間にか、介護サイトになってしまった。多くの方から、ご意見や
励ましをもらった。うれしかったと同時に、その反響の大きさに驚いた。

 みなさん、同じ問題をかかえ、同じようにがんばっていることを知り、本当になぐさめ
られた。

 これから先、日本はますます老齢社会を迎える。今度は、私たちが、若い人たちに迷惑
をかけることになる。体はともかくも、頭と精神は、いつまでも若々しく保ちたい。その
ためにも、どうかどうか、私のマガジンを役立ててほしい。

 みなさんも、いつまでも、いつまでも、お元気で! マガジンのご購読に心から感謝し
てします。ありがとうございます!!!!


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 18日(No.556)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page059.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●口のうまさ

 口がうまい人は、それだけ、不幸にして、不幸な家庭に生まれ育った人とみてよい。慢
性的な欲求不満が、心をゆがめる。そうしたゆがみが、たとえば(へつらう)(機嫌をとる)
(こびる)などといった、独得のしぐさとなって、外に現れる。

 子どもでも、両親の愛情に恵まれ、静かで落ちついた家庭環境で生まれ育った子どもは、
どこか、どっしりとした印象を与える。態度も大きい。そうでない子どもは、コセコセと
し、他人の顔色ばかりうかがっている。

 「どうすれば、自分がいい子に思われるか?」「どうすれば、みなに好かれるか?」と、
そんなことばかりを考えている。考えているというより、長い習慣の中で、無意識のまま、
それに合わせた行動をとるようになる。

 その特徴の一つが、口のうまさということになる。

 この(口のうまさ)は、大きく、つぎの2つに分類される。

(1)相手の心に取り入るための、口のうまさ
(2)自分をねじまげるための、口のうまさ

 たとえば相手の服装を見ながら、「いい服を着ていますね」と言うのが、ここでいう(1)
にあたる。

 自分は本当は、別のものを食べたいのだが、相手の人が寿司が好きだと知っているため、
「今日は寿司を食べましょう。大好物です」と言うのが、ここでいう(2)にあたる。

 もっとも、おとなの世界では、(口のうまさ)は、いわば商売の道具のようなもの。相手
をおだてたりしながら、いい気分にさせて、それを金儲けにつなげる。

商人「ダンナさん、今日は、いつもとちがいますね。何かいいことでも?」
客「いや、別に……」
商人「しかし、いつもと違いますよ。若がえったというか、今日のダンナさんは、かっこ
いい……!」と。

 実は、私も、子どものころ、その口のうまい子どもだった。(……ようだ。)そのころの
私をよく知る人は、「浩司は、愛想のよい、明るい子どもだった」と言う。しかし本当の私
は、そうでなかったと思う。

 いつも、無理をしていた。自分をごまかしていた。その場で、本当に楽しいから明るく
振るまったというよりは、そうすることで、自分の立場を、とりつくろっていた。相手を
不愉快にしないためだったかもしれない。よく覚えていないが、私は決して、愛想のよい、
明るい子どもではなかった。

 私が楽しそうにしていれば、みなは、ますます、私に手をかけてくれた。注目してくれ
た。私のしたいように、させてくれた。つまり私は、他人の心を誘導するために、無理を
しながら、そうしていた。(……と思う。)

 そうしたクセは、今でも、残っている。ふと気がつくと、相手にお世辞を言ったり、お
べっかをたれたりする。(「おべっか」というのは、私の生まれ育った地方の言葉で、相手
にへつらうことをいう。)

 もちろん、自分の意見をねじまげることも多い。(……多かった。)

 しかしそういう自分は、疲れる。本当に疲れる。そういう(つきあい)をして家に帰っ
てきたりすると、疲れが、ドッと出る。

 そこでいつだったかは、よく覚えていないが、私は、ありのままの自分を、外にさらけ
出すように心がけるようにした。思ったことを言い、したいことをする。ウソはつかない。
自分をごまかさない。

 と、同時に、子どもの世界を見ながら、子どものころの私によく似た子どもを見つけた
りすると、すかさず、説教を始める。「自分をごまかしてはだめだ」「自分にウソをついて
はだめだ」「いやだったら、いやだと言え」「できなかったら、できないと言え」と。

 それは子どもを教える私の一つの「柱」にもなっている。そしてとくに、口のうまい子
どもに出会ったりすると、言いようのない自己嫌悪におちいってしまう。本当は、自分が
いやなのに、その子どもを嫌ってしまったりする。

 自分が、相手に取り入るのがうまかった分だけ、そういった子どもの心が、手に取るよ
うによくわかる。だから私は、こう言う。「もっと、自分に正直になれ!」と。

 少し前も、「道路でお金を拾ったら、どうするか?」と質問したら、シャーシャーと、「交
番へ届けます」と答えた、小学6年生がいた。

 私は思わずこう叫んでしまった。「本気で、そう思っているのか?」「君は、そう言えば、
みながほめてくれると思っているから、そう言っているだけではないのか?」と。

 私がそうだった。子どものころ、「お金を拾ったら、どうするか?」と聞かれたときは、
迷わず、「警察に届けます」などと答えていた。(本当の私は、そうでなかった。道路にお
金が落ちていたとすると、『もらった!』と言って、自分のものにしていた。大金を拾った
ことはないが、子どもの小づかい程度の金額なら、迷わず、自分のものにしていた。)

 だからあるとき、ある人から、「林さんは、口がうまいから……」と、揶揄(やゆ)され
たとき、私は、ふつうでない衝撃を受けた。その相手の人を尊敬していただけに、ショッ
クは大きかった。いつの間にか、私は、その人に、そういう印象を与えてしまっていた。
私が、50歳になる少し前のことではなかったか。

 以来、努めて、私は、自分に正直に生きようとしている。努めて、だ。

 しかし心についたシミは、そう簡単には消えない。今でも、ふと油断をすると、自分を
ごまかしたり、飾ったりする。茶化したり、偽ったりする。この問題だけは、私にとって
は、現在進行中の問題ということになる。

(補記)

 自転車で道路を走っていると、よくサイフらしきものが落ちているのを知ることがある。
しかし私は、あえて拾わない。見て見ぬフリをして、その場を通りすぎる。

 拾ったあとの自分が、どう反応するか、それを知るのがいやだからだ。サイフの中のお
金を自分のものにするのも、いやだし、さりとて、交番へ届けたりするのもめんどうなこ
と。

 最後にサイフを拾ったのは、5年くらい前のことだったと思う。コンビニの前の駐車場
でのことだった。何かしらずっしりと重い感じがしたが、私はそのサイフを、コンビニの
店員に渡して、そのまま、その場を逃げた。もちろんそのあと、そのサイフがどうなった
か、私は知らない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【人格障害】

●自己愛性人格障害(B群)
Narcissistic personality

DSMーIV(第4版)「精神障害診断基準」によれば、「自己愛性人格障害」の診断
基準は、つぎのようになっている。DSM−IVより、そのまま引用する。

++++++++++++++++++

誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、
成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

(1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例、業績やオ能を誇張する、十分な業績がない
にもかかわらず、優れていると認められることを期待する)。

(2)限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

(3)自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施
設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

(4)過剰な賞賛を求める。

(5)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うこと
を理由なく期待する。

(6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人
を利用する。

(7)共感の欠如…他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこ
うとしない。

(8)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思いこむ。

(9)尊大で傲慢な行勤、または態度。

+++++++++++++++++

 自己中心性が極端なまでに肥大化した状態を、「自己愛」といい、さらに人格に障害と言
えるほどの変化をもたらした状態を、「自己愛性人格障害」という。

 私がテーマとして考えることができるのは、「自己愛」までで、そこから先は、精神医学
の世界の分野ということになる。

 しかしこのDSMーIV(第4版)「精神障害診断基準」を読んでいると、何かにつけ
て、参考になる。「なるほど」と思ったり、「そうだったのか」と思ったりする。ここに
書かれたような傾向は、だれにでもあるものであり、またそれが多くのばあい、その人の
生活力の原点になっている。

 ただこうした診断基準を読むとき、何よりも注意しなければならないのは、「素人判断は
禁物」ということ。その判断は、あくまでも専門医に任せるべきである。「私に当てはまる
……」と思いこんで、悩んだりする必要はない。

 だれだって、(1)自分は重要だと思う。(2)理想の愛を求める。(3)自分は特別だと
思う。(4)みんなに賞賛されたい。(5)特権意識はもちたい。(6)他人を利用すること
は、しばしばある。(7)無関心になって、わずらわしさから、逃れようとする。(8)嫉
妬する。(9)傲慢になることはある、など。

 しかしこうした状態が過剰になり、良好な人間関係が結べなくなることがある。それを
「障害」という。

 だから、こうした傾向が自分の中に見られるようになったら、「要注意」と考えて、自分
をコントロールすることは、重要なことである。なりゆきに任せて、どんどんと深みには
まるということは、さけたい。

 ついでながら、こうした人格障害の基礎は、乳幼児期から少年少女期までにかけて形成
されるという。そしてほとんどのばあい、薬物、入院などの処置によっても、ほとんど改
善の効果はみられないという。この時期の育児姿勢がいかに重要かが、これによっても、
わかる。

 ほかにも、DSMーIV(第4版)「精神障害診断基準」は、つぎのような規定をして
いる。いくつかを拾ってみる。

++++++++++++++++++++++

●依存性人格障害 C群
Dependent personality

面倒をみてもらいたいという広範で過剰な欲求があり、そのために従属的で、しがみつく
行動をとり、分離に対する不安を感じる。成人期早期までに始まり、種々の状況で明らか
になる。

以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)日常のことを決めるにも、他の人たちからありあまるほどの助言と保証がなければ
できない。

(2)自分の生活のほとんどの主要な領域で、他人に責任をとってもらうことを必要とす
る。

(3)支持または是認を失うことを恐れるために、他人の意見に反対を表明することが困難であ
る。
(注…懲罰に対する現実的な恐怖は含めない。)

(4)自分の考えで計画を始めたり、または物ごとを行うことが困難である。(動機または
気力が欠如しているというより、むしろ判断または能力に自信がないためである。)

(5)他人からの愛育および支持を得るためにやりすぎて、不快なことまで自分から進ん
でするほどである。

(6)自分で自分の面倒を見ることができないという誇張された恐怖のために、1人になる
と不安、または無気力を感じる。

(7)綿密な関係が終わったときに、自分を世話し支えてくれる基になる別の関係を必死
に求める。

(8)自分で自分の面倒を見ることになってしまうという恐怖に、非現実的なまでにとら
われている。

++++++++++++++++++++

●演技性人格障害 B群
 Histronic personality

過度の情緒性と人の注意を引こうとする広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の
状況で明らかになる。以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)自分が注目の的になっていない状況では楽しくない。

(2)他人との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的な、または挑発的な行動に
よって特徴づけられる。

(3)浅薄で、すばやく変化する感情表出を示す。

(4)自分への関心を示すために、絶えず身体的外見を用いる。

(5)過度に印象派的な、内容の詳細がない話し方をする。

(6)自己演劇化、芝居がかった態度、誇張した情緒表現を示す。

(7)被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。

(8)対人関係を実際以上に親密なものとみなす。

++++++++++++++++++++++

●強迫性人格障害 C群
Odsessive Compulsive personality

秩序、完璧主義、精神面および対人関係の統制にとらわれ、柔軟性、開放性、効率性が犠
牲にされる広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる以下の4
つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)活動の主要点が見失われるまでに、細目、規則、一覧表、順序、構成、または予定
表にとらわれる。

(2)課題の達成を妨げるような完全主義を示す。(例…自分自身の過度に厳密な基準が満
たされないという理由で、1つの計画を完成させることが出来ない。)

(3)娯楽や友人関係を犠牲にしてまで、仕事と生産性に過剰にのめり込む。(明白な経済
的必要性では説明されない。)

(4)道徳、倫理、または価値観についての事柄に、過度に誠実で良心的かつ融通がきか
ない。(道徳的又は宗教的同一化では説明されない。)

(5)感傷的な意味のない物の場合でも、使い古した、または価値のない物を捨てること
ができない。

(6)他人が自分のやるやり方どおりに従わない限り、仕事を任せることが出来ない、ま
たは一緒に仕事をすることができない。

(7)自分のためにも他人のためにもけちな、お金の使い方をする。お金は将来の破局に
備えて蓄えておくべきものと思っている。

(8)堅苦しさと頑固さを示す。

++++++++++++++++++

 じっくりと読んで、自分を反省するための資料としたい。ホント!
(はやし浩司 人格障害 自己愛性人格障害 依存性人格障害 演技性人格障害 強迫性
人格障害)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●新型パソコン

ハハハ、高性能のパソコンを手に入れた。さっそく、使ってみる。具合は、よさそう。
が、ワープロとして使う分には、今までのパソコンと、あまり変わらない。どこがちが
うのだろう?

 モニターを安価なものにケチったため、画像は、イマイチ。まあ、しかたないか。

 キーボードが、まだ、指になれていない。打ちミスが目立つ。そのうち、なれるだろう。
 
 少しずつ、データを移植している。ソフトも組みこんでいる。最初に、WINDOWの
UPDATEをした。これは常識。

 つぎにアンチ・ウィルスソフトを、組みこむ。これはパソコンの付録としてついていた。
90日間は無料で、試用できる。まずは、使ってみるか。

 春休みは近い。インターネット関連は、その春休みに、引っ越すつもり。それまでは、
まずはワープロとして使ってみる。


●万博の効果

 今日(3・19)、愛知万博の内覧会に行ってきた。

 その帰り道、ワイフが、「万博をして、どういう意味があるの?」と、かなり懐疑的な質
問を私にぶつけてきた。

 私は、「国の経済政策としては、あるだろうね」と答えた。

 私は経済については、ほとんど知らない。門外漢。しかし常識的なことは知っている。
それをワイフに説明した。

 こういうこと。

 仮に今、あなたが10万円の現金をもっていたとする。

 その現金を、タンス預金として、タンスの中に眠らせてしまえば、そのお金は、死んだ
お金ということになる。

 そこであなたは、そのお金で、テレビを買ったとする。値段は、ちょうど、10万円。

 するとその時点で、10万円は、(あなた)から(電気屋)へ移動することになる。

 つぎにその10万円のうち、9万円は、商品の仕入れ代金として、問屋へ移動する。つ
まりこの時点で、計10+9=19万円が、移動することになる。

 さらにその問屋は、テレビのメーカーに、やはり商品の仕入れ代金として、8万円を支
払うことになる。この時点で、計10+9+8=27万円が、移動することになる。

 そのテレビのメーカーは、下請けの製造会社や、社員に、合計7万円を支払うことにな
る。この時点で、10+9+8+7=34万円が、移動することになる。

 さらにそれぞれの下請けメーカーから、部品会社などへお金が流れ、社員へ入ったお金
は、社員の生活費などとなって流れる。

 こうしてあなたが10万円のテレビを買うことで、そのお金は、実際には、50〜10
0万円となって、国内中を走り回る。こうしたお金の流れが、日本の経済を活性化させる。

 タンス預金したお金を、死んだお金とするなら、テレビを買ったお金は、生きているお金という
ことになる。

 実は、国が、万博を開く意味は、ここにある。わかりやすく言えば、みなさんの家で、
タンス預金となっているお金を、一度、外に吐きださせ、それを(生きたお金)にするた
めである。

 あなたが万博に行くとき、旅費で、1万円使ったとする。さらに入場料として、500
0円使ったとする。飲食代やみやげ代として、1万円使ったとする。

 そういうお金が、ぐるぐるとそのあと、日本中を回ることになる。あなたが使うお金が、
計2万5000円だとしても、そのお金は、その何倍もの流れとなって、日本の経済に活
力を与える。

私「わかるかな?」
ワイフ「じゃあ、お金は使わなければいけないわね」
私「そう、余分なお金があれば、の話だけどね」と。

 国や県が、こうした博覧会をすることで、国は、国民がタンスの中にもっているお金を、
(別にタンス預金にかぎることではないが……)、日本の経済を活性化させることができる。
とくに今のように、金利が安い時代には、国民は、お金をタンス預金という形で、預金を
たくわえやすい。

私「万博というのは、そういう意味では、たいへん効果的なお祭りなんだよ」
ワイフ「でも、肝心の愛・地球博というのは、どうなるの?」
私「口実にすぎないよ。口実にすぎないことは、お前にもわかっただろう」
ワイフ「そうね。どの外国パビリオンも、観光の宣伝といった感じ」
私「だから、あまり意味など考えないで、楽しめばいいのさ」と。

 今回の愛知万博も、「だからどうなの?」という部分が、よくわからない。光と音楽の芸
術? 外国の特産品の紹介? 企業の宣伝? 「地球を愛する」と言いながら、そうした
高邁(こうまい)な、哲学は、ほとんどどこにもない。

 つまりは、お祭り。どこまでも、お祭り。ワッショ、ワッショのお祭り。

 以上が、私の万博、印象記ということになる。


+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

【愛知万博(EXPO '05)・愛・地球博】

●混雑

 朝は快晴だった。長男に、近くのJRの高塚駅まで送ってもらうと、私たちは、岡崎に
むかった。途中、豊橋駅で、電車をのりかえた。3月19日、土曜日。

 (高塚駅)→35分→(豊橋駅)→30分→(岡崎駅)

 岡崎駅から、同じくJRの愛環線(愛知環状線)に乗りかえ、万博八草(やくさ)駅へ。
八草は、「やくさ」と読むそうだ。岡崎から万博八草駅までは、快速で、47分ということ
だった(ガイドブック)。

 そこまでは、座席にすわることもでき、ゆったりとした気分で行くことができた。時刻
は、午前9時少し前。万博八草駅からは、会場まで、リニモで、約2分。

 私たちは、9時少し前には、万博会場に着く予定だった。が、八草駅で、仰天! 内覧
会で、入場者は限られているはずなのに、構内がぎっしりと埋まるほどの人の数。八草駅
で、リニモの切符を買わねばならないのだが、発売所が、10か所程度しかない!

 そこへ、見た感じでも、数千人の人が押し寄せている。私の予想通りだった。

 前回、3月13日の開会式の式に招待されたときは、名古屋駅のほうから、地下鉄東山
線に乗って、会場に向った。日曜日だったが、それでも、ふつうの都会の地下鉄並みには
混雑していた。「万博が開幕したら、どうなるのだろう?」と、そんなことばかり、心配し
ていた。

 が、今日は内覧会。招待日。「それほど多くの人は招待されていないだろう」と思って向
ったが、あとで聞いたら、招待客は、5〜6万人だったという。私たちはゾロゾロと歩く
行列に巻きこまれ、そこで30分間ほど、時間をムダにしてしまった。

 やっとリニモに乗れたが、会場の正面玄関を見て、二度目に、これまたびっくり。人ま
た人で、ぎっしりと、そこは埋めつくされていた。

●入場
 
 テロを警戒するということで、金属探知機と係員による、手荷物検査がなされていた。
これを1人ずつするのだから、たまらない。ゾロゾロが、ソロソロになり、さらにノロノ
ロになった。ときどき、動きが、まったく止まってしまった。

 事情を知らなかった、中年のおじさんや、おばさんが、怒っている声も聞こえた。「お茶
くらいは、いいでしょう!」「せっかく買ってきた弁当なんだから!」と。

 飲食物は、すべてゲートで没収、廃棄処分。これは食中毒を警戒するためということだ
ったが、ウソ。会場内のレストランをもうけさせるためである。

 その証拠にというか、1か所だけ、コンビニが、開店している。しかしそこでは、1日、
1000食と、弁当の販売数が限定されている。それ以上、売られたら、レストランの経
営に影響が出るから?

 これはあとでわかったことだが、そのため、会場内の飲食物の高額なことといったら、
なかった。

 小さな、プラスチック容器に入ったどんぶりものが、1200円程度。私は、牛タン丼
を食べたが、市中の牛丼の、値段は、4倍。その上、まずかった!

 「わざと牛タン丼にしたのは、牛丼と差別するためだよ」と私。切手のように薄い牛タ
ンが、数枚、白いご飯の上にのっているだけ。あとのメニューも、どれも似たようなもの。

 万博が、何を目的として開かれたものかは、レストランの運営のし方を見ればわかる。
わかりやすく言えば、金もうけ! (食い物のウラミは、大きいぞ!)

 否定的なことばかり書いていたのではしかたない。それはわかっている。しかし、そん
なわけで、私の第二印象も、すこぶる、悪いものだった。(第一印象は、3月13日に書い
た。)

●各国パビリオン

 全体で、20か所ほどのパビリオンを回った。それでも全体から見れば、5〜10分の
1程度か。とこどころで、時間をムダにした。

 次世代交通システムというバスに乗ったのも、まちがいだった。動き出すまでに、30
分以上待たされた。また動き出してからも、ノロノロ運転。歩いたほうが、ずっとはやい
くらいだった。

 切符を買ったあとだったので、私たちは、おとなしく乗って待っているしかなかったが
……。あんなところで、わざわざバスに乗ってみるのも、どこかバカげている。

 もちろんパビリオンへ入る前の行列で、そのつど、30分〜60分ほど程度、待たされ
た。途中から、そういう行列のないパビリオンを中心に回った。

 外国館のほとんどは、待ち時間なしで、入ることができた。が、たいしたものは、なか
った。ほとんどが、映像と音楽。光と色。そういったもので、国を紹介していた。要する
にその国の観光案内。

 私はそれを見ながら、「50年前だったら、みんな珍しそうに見ただろう」と思った。し
かし今は、連休ごとに、50〜100万人の人が海外旅行を楽しむ時代である。とくに感
動したというものは、なかった。

 「わかりやすく言えば、観光客の誘致だね」と言うと、ワイフも、「そうよね」と笑った。

 たとえばI国では、ソリの実演をしてみせていた。ゆるい木の坂を、1人乗りのソリで、
すべるというもの。

 大のおとなが、「こんな経験、はじめてです」というような、神妙な顔をして、ソリに乗
っていた。乗せられていた。(バカバカしい……。万博にやってきて、子どもだましのソリ
に乗る……?)

●楽しめばよい(?)

 娯楽なのか、教育なのか。それとも国策による啓蒙活動なのか。「お前ら、バカな国民ど
もよ、もっと利口になれ!」と。

 しかしこうした万博で、そんなことを考えても、意味はない。楽しめばよい。子どもの
心にもどって、楽しめばよい。それでじゅうぶん。

 ただ、この年齢になると、無責任な楽しみ方はできない。当然、入場料金や税金のこと
を考えたりする。その上、今回の万博には、私は、いろいろな面で、かかわりをもってし
まった。そういう思いが、心をふさぐ。

 数年前だが、地元の人たちでさえ、約50%が、万博開催に反対していたという。自然
保護団体の人たちも、活発に反対運動を繰りかえしていた。

 加えて、この大不況。「どうして今、万博なのか?」という疑問も、そのつど心の中から、
わきでた。

 こうした疑問をはねかえすためには、今回の万博は、成功以上に、成功を収めなければ
なければならない。「まあまあ、よかった」だけでは、反対してきた人を、納得させること
はできない。

 今回の万博には、その力はあるのか。それとも、ないのか?

 一つ気になったのは、たいていのパビリオンの入り口には、「プレスの方専用窓口」とい
うのが、用意してあったこと。どこでも、マスコミ関係者は、特別あつかいだった。その
気持ちは、よくわかるが、しかし一般の私たちには、あまり気持ちのよいものではない。

 大きなカメラを片手に、大きな態度で、これ見よがしに歩き回るマスコミ関係者。待ち
時間なしの特別あつかい。ペコペコと、応対する、パビリオン関係者。彼らを横目に、じ
っと列の中で、順番を待つ私たち……。

 いつからこうまで、カメラをもった人間がいばるようになってしまったのだろう? …
…私は、ふと、そんなことを考えた。マスコミ関係者も、庶民の気持ちを知りたかったら、
30分でもよいから、列の中で、カメラをもって、立ってみることだ。

●オーストラリア館

 「ぜったい行く」と決めていたのが、オーストラリア館。地図をみながら、そのオース
トラリアへ行ってみた。

 ほかのパビリオン以上に、どこといって、変哲のないパビリオンだったが、入ったとた
ん、そのなつかしさに、心を打たれた。

 私の帽子に縫いつけたオーストラリアの国旗を、めざとく見つけて、若いオーストラリ
ア人の男が、声をかけてきた。とたん、私の心は、あの留学時代に、タイムスリップ。思
わず、「G'day」と答えてしまった。オーストラリア人独特のあいさつである。

 が、たいしたものはなかった。無数の画面に、オーストラリアの様子が、映像で映しだ
されていた。「私なら、真っ赤な砂漠を再現してみせるのに」と思った。どこまでも、どこ
までもつづく、1本の道でもよい。

 ガイドの女性に話しかけると、「アデレードから来ました」と答えた。「息子が、F大学
に通っていました」と教えると、とたんに目を輝かせた。「F大学は、オーストラリアでも、
ナンバーワンの大学です。私もその大学に通っています」と。

 ついで、みやげのオパールの話になった。オパールについては、私も詳しい。友人の1
人は、そのオパールのチェーン店を経営している。説明を聞きながら、「知っている」「知
っている」と心の中で、思った。しかしそれは言わなかった。

 結局、そのパビリオンの中には、一番、長くいた。みやげものも買った。パビリオンを
出るとき、ワイフに、「オーストラリアへ行こうね」と声をかけると、ワイフはうれしそう
だった。

●印象記

 「愛・地球博」と歌うくらいなら、どうして、産業展示館のようなものを、併設しなか
ったのか。環境保護グッズや、製品を紹介したり、並べたりする展示館である。

 たとえば太陽電池にしても、今、この分野では、日本が世界をリードしているという。
風力発電でもよい。そういうものを製作している会社が、ブースを並べて、自分の会社や
その製品を宣伝する。紹介する。

 あるいは、日本各地の、自然保護団体が、それぞれの活動を、紹介する展示館でもよい。
外国からやってきた客は、そういうものを見たいはず。知りたいはず。観光客目当ての展
示館など、見たくもないのではないか……。

 いわゆるポリシーが感じられない。たとえば私たちは見なかったが、どこかの館では、
シベリアで発掘されたマンモスが、展示されているという。

 それはわかる。たいへん珍しいものだ。しかしそれを見たからといって、それがどうな
のか。それがどうして、「愛・地球」と結びつくのか。たいていの人は、「ほほう、あれが
マンモスか」と感心するだけで、終わってしまうはず。

 国際博覧会というくらいなら、国際的に、みなが力をあわせて、地球温暖化を防止する
ための方法を、考えるというのもよい。そういったヒントを与えてくれるような博覧会で
もよい。

 ……とまあ、好き勝手なことを書いた。主催者の人は、こういう意見を聞くと、きっと、
不愉快に思うにちがいない。「言うだけなら、だれにでも言えるよ」と。

 だから結論は、またまた同じになってしまう。

 「これはお祭り。浜松の凧(たこ)祭りと同じ、お祭り」と。

 深い意味を考えたところで、その答はかえってこない。もともと意味のある万博ではな
い。みなが、そのときを、それなりに楽しめば、それでよい。つまるところ、そういうこ
とになる。

 で、今日は、その2日目。もう少し日をおいて、万博について、再び、書いてみたい。
ところで今日、ワイフに「また、行ってみたいか?」と聞くと、ワイフは、こう言った。「行
くわ。ぜんぶ見たいから……」と。

 ワイフの行動力には、本当に、頭がさがる。いつでも好奇心満々といったところ。「若い
妻をもつと、夫も苦労するよ」と言うと、さらにうれしそうに笑った。本当はx歳しか、
年は離れていないのに……。

 さらに昼飯が終わると、ワイフはこう言った。「あなた、今日ね、浜松市内で、がんこ祭
りをやってるんだってエ」と。どこか行きたそうな様子だった。「ああ、そう」と言って、
私は自分の部屋に逃げ帰った。まだ足の筋肉のあちこちが、痛かった。

昨日は、よく歩いた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ボケ兄行上記・その後

 兄が、昨夜、洗面所で、顔を洗っているとき、メガネをなくしたらしい。朝、起きてき
て、「目が見えない」と、さかんに言いだした。

 で、私が洗面所に行くと、案の定、メガネはそこにあった。「おい、ここにあるじゃない
か」と。

 が、兄は、私が隠したと思ったらしい。兄は、「よかった、よかった」と言いながら、そ
のメガネを自分の顔にかけた。

 しかし昼前ごろ、またメガネがないと言いだした。ワイフが、「きっとそのへんにあるは
ずだから、さがしてみたら」と言った。

 兄は、他人に無視されると、カッとなる性格らしい。少し前、姉がそう言っていた。で、
夕方近くになって、部屋へ食事を運ぶと、メガネが、半分、割れていた。「どうした?」と
言うと、「時計にぶつけて、こわれた」と。

 (ワイフに無視されたと思ったから、その腹いせに割ってしまったらしい。)

 メガネは、チタン製である。そう簡単にはこわれない。そこでメガネをよく見ると、か
なりの力で、引きちぎったあとが残っていた。「お前、どうして、こんなことをするんだ?」
と言うと、「メガネはもう使わないからいい」と言った。

 翌日の昼、みんなで食事に行くことにした。近くにできたラーメン屋で、ラーメンを食
べることにした。兄も連れていった。が、いつもの悪いくせ。人目を感じたとたん、バタ
ンとその場でころんでみせた。

私「おいおい、こんなところで、ウソころびするなよ」
兄「目が見えない」
私「だから、メガネを割ってはだめだと言っただろ」と。

 とりあえず、レンズだけは無事だったようなので、新しいフレームにかえることにした。
そう思って、食事から帰ると、こわれたメガネをさがした。が、どこをさがしても、ない。
ワイフを呼んで、2人でさがす。

 しかし肝心の兄は、さがそうともせず、シクシクと泣きマネをするだけ。「よせよせ、ウ
ソ泣きしても、涙は出ないぞ」と。

 ワイフが、こわれたメガネを、ストーブのふたの中からさがしだしてきた。「あなた、こ
んなところにあったわ」と。

 メガネは、さらに手でひねったあとがあった。

 そういう兄を見ていると、正直に告白するが、あわれみと怒りの二つの感情が、同時に
心の中に充満する。「このヤロー」と、なぐりつけてやりたい気持ち。「かわいそうに」と
抱きあげてやりたい気持ち。

 いつもは、そういうときは、私はだまる。口を閉じる。どちらの自分が本当の自分か、
わからなくなるからだ。それがこわい。

 しかしそのときは、ちがった。私は、あえて兄の横にすわった。そして頭をなでながら、
「お前なあ、メガネがないと困るだろ。心配しなくてもいいよ。明日、メガネをなおして
きてやるからな」と。

 頭をなんどもさすってやった。その間中、兄は、「子どものころ、Kちゃん(叔母)に、
いじめられた」「Kちゃんに、たたかれた」「Kちゃんに、バカにされた」と、あれこれ言
った。Kちゃんという人は、見た目には穏かな人だが、どこか心のつかめない人だ。

 私は、「あんなKちゃんのことは忘れなよ。ただのババアだからな」と。

 10分たち、20分たった。兄は、「眠い」と言った。「そうか、早く寝ろよ」と、私は
言った。

 怒りとあわれみ。どちらが本来の心なのか、いまさら言うまでもない。どちらが正しい
心なのか、いまさら言うまでもない。

 私が居間にもどると、しばらくして兄が、私を追いかけてきた。いつもになく、おだや
かな顔をしていた。

 「メガネはだいじにする」と兄が言った。「そうだな。メガネがないと困るからな」と私。

 そしてそのあと、トンチンカンな会話がつづいた。あえて、私もボケたフリをした。

兄「おじいちゃんが、体を洗ってくれた」
私「おじいちゃんって、どこのおじいちゃんだ?」
兄「おじいちゃんだ」
私「ああ、三波春夫さんね」

兄「三波春夫じゃない」
私「美空ひばりか?」
兄「ひばりは、歌手だ」
私「ああ? ひばりは、鳥だよ。鳥」と。

 ボケには、ボケたフリをして対処するのがよい。そのほうが、相手も安心するらしい。
こちらが優越性をもって、ガンガンと説教すればするほど、相手を追いつめることになる。
それが、相手の心をますます閉ざしてしまう。

兄は、「これはダメだ」というような顔をして、笑った。笑ったまま、自分の部屋に帰っ
ていった。

 人にやさしくするのは、相手がだれであるにせよ、勇気のいることだ。勇気だ。簡単そ
うで、なかなかできない。しかし一度、勇気を出してそれをすると、すがすがしさが、そ
の何十倍の力となって、はねかえってくる。

 さらに自分の中の怒りをしずめるのは、勇気のいることだ。そのときは、息ができない
ほど、苦しくなる。しかしそれを通りすぎると、心の中をさわやかな風が吹きぬけるよう
になる。心が軽くなる。

 ワイフがそこにいたので、私はこう言った。

 「心の修行というのは、何も、山の中にこもってするだけのものではないんだよな。現
実の世界で、現実の人を相手にして、することもできる。むしろ、そういう修行のほうが、
本物の修行のような気がする」と。

 この意見に、ワイフは同意してくれた。そしてこう言った。「あなたも、よくやるわね」
と。


●自暴自棄

 ここ1、2年、私の心の中に、おかしな感覚が生まれ始めている。「いつ、死んでもいい
や」という思いである。それまでには、なかった感覚である。

 本当にそういう情況になれば、気が動転して、混乱状態になるかもしれない。しかしふ
と、何かのことで、油断したりすると、「いつ、死んでもいいや」と。

 3人の息子もいるが、もう、何も、期待していない。あれこれ気をつかうのも、疲れた。
相手が私を必要としないというのなら、それはそれでよい。私の知ったことではない。子
どもたちは子どもたちで、勝手に生きていけばよい。

 仕事も、そうだ。「どうせ、なるようにしかならないし、あせってみたところで、同じ」
と。夢や希望、それに目的もないわけではないが、それらは年齢とともに、どんどんとし
ぼんでいく。ゆいいつの目的は、このマガジンを1000号まで出すこと。

 しかしそれがいったい、何になるのか? つまりは、先の見えない目標。地図さえない。
目的地の見えない荒野を、1000歩、歩いたからといって、それがどうだというのか。
ひょっとしたら、同じところを、ぐるぐると回っているだけ? 私はとんでもない無駄な
ことをしているのかもしれない。

 若いころは、私は「運命」などというものは、認めなかった。とくに観念的な運命論に
ついては、そうだった。しかしやがて、「私」という人間には、無数の「糸」がからんでい
るのを知った。

 家族、地域、社会、国、そして人間。が、その糸の中でも、もっとも私に深くからんで
いるのは、「私自身」ということを知った。

 そういった糸が、無数にからんで、私という人間の進むべき方向が決まる。いや、本当
のところは、自分で進んでいるつもりなのだが、いつの間にか、糸にからまれ、自分の意
思とは無関係に、別の場所にいることを知る。

 それを、私は「運命」という。頭のおかしな占い師たちが口にする、運命とは、異質の
ものである。数学的に言えば、無数の可能性と無数の確率が、無数の要素(ファクター)
を組み合わせながら、その人の今、あるべき立場を決める。それを運命という。

 そこで大切なことは、そういった運命があるにせよ、最後の最後のところで、ふんばる
こと。このふんばるところに、人間の生きる価値がある。尊さがある。人間が織りなす、
ドラマの美しさも、そこから生まれる。

 しかしその(ふんばり)が弱くなってきた(?)。どうも、そんな感じがする。ときどき、
「なるようになれ」と思う。「どうにでもしてくれ」と思う。それがたまりにたまって、「い
つ死んでもいいや」となる。

 生きようとする気力が弱くなったのか?

 このところ、何かにつけて失望することが多くなった。限界を感ずることが多くなった。
無力感を覚えることが多くなった。仕事の面でも、からまわりをすることが、多くなった。
自分に向って、「がんばろう」とムチを打つことはある。が、しかし、いったい、何に、ど
うがんばればよいのか?

 運命という糸は、つぎからつぎへと、向こうからからんでくる。いちいちほぐしている
ヒマなど、ない。そしてそのつど、足元をすくわれたり、身動きがとれなくなったりする。

 昨日も、車が交差点で止まったとき、目の前を行きかう車の中をのぞいた。見知らぬ人
たちばかりだった。そういう人たちを見ながら、「あの人たちにも、無数の運命という糸が
からんでいるのだろうか?」と思った。

 何ごともなく、そ知らぬ顔をして通りすぎる人たち。どこまでも無機質で、表情がない。
しかし相手の人たちから見れば、私だって、そう見えるはず。そう思った瞬間、おかしな
ことだが、生きるむなしさまで、感じてしまった。

 「私ひとりががんばったところで、どうにもなるものではない」「生きていて、何になる
のか」と。

 あえて言うなら、死ぬこともできないから、生きているだけ? 私がめんどうをみなけ
ればならない、扶養家族が何人もいるから、生きているだけ?

 これから先、こんな感覚は、大きくなるのだろうか? それとも一時的なもので終わる
のだろうか? どこか投げやりになってきた。自暴自棄になってきた。

 しかし……しかし、だ。はやし浩司は、まだ負けないぞ。負けてたまるか! 気力がつ
づくかぎり、ふんばってやる。戦ってやる。私の中の、「私」と戦ってやる!

 と、力んだところで、みなさん、おやすみなさい。今日は、少し、疲れました。

【補記】

 こういうときは、シェークスピアの翻訳をしてみるにかぎる。あの(クソむずかしい)
英語に、だ。どうかその道のプロは、私の貧訳を笑わないでほしい。

++++++++++++++++
Shakespeare
●My words fly up, my thoughts remain below: Words without thoughts never to heaven 
go. 
(私の言葉は、舞い上がり、思想は、下に沈む。思想のない言葉は、天国に昇ることはな
い。)

●It is a heretic which builds a fire, not she who burns it. 
(火をおこすのは、異教徒ではない。それを燃やす彼女でもない。)

●And all our yesterdays have lighted fools The way to dusty death. Out, out, brief 
candle! Life's but a walking shadow; a poor player, That struts and frets his hour 
upon the stage, And then is heard no more: it is a tale Told by an idiot, full of 
sound and fury, Signifying nothing. 
(かくして昨日までのすべては、愚か者どもを照らすだけ。そこに待つのは、埃に満ちた
死あるのみ。燃えろ、燃えろ、短いろうそくよ。人生というのは、歩き回る影、あわれな
俳優。彼は、舞台の上で、いばり、そしていらつく。そしていつか観客はいなくなり、そ
れは、何も意味のない音と怒りに満ちた、愚か者によって語られる物語でしかない。)
●Who chants a doleful hymn to his own death? 
(だれが、自分の死のために、悲しみに満ちた賛美歌を唱えるだろうか?)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 15日(No.555)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page058.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●崩壊家庭

 事情はいろいろある。原因もいろいろある。それまでのいきさつも、いろいろある。し
かし家庭教育というか、「秩序」そのものが、崩壊している家庭は、少なくない。たいてい
は、極度の貧困をともなう。

 が、ふつうの貧困とちがう点は、貧困特有の、質素さが見られないこと。生活そのもの
が、アンバランスで、統一性がない。生活のリズムそのものがつかめない、いわば底なし
の貧困状態をいう。

 こうした家庭では、「ふつうなら……」という考え方は、いっさい、通用しない。玄関か
ら廊下にかけては、ゴミの山。悪臭。足の踏み場さえない。家財が散乱し、万年床やバス
タブには、べっとりと、カビがはえている。

 どうして、そうなったかという理由など、ない。無数のリズムが乱れ、そのリズムが、
クモの巣のようにからんで、そうなる。子どもはいるが、しかし家族の形さえ、ない。た
またま私の息子の一人が、そういう家庭をのぞいてしまった。そして私に、こう言った。

 「あのね、A君たちね、新聞紙の中で寝てるんだって……」と。その息子が、小学3年
生か4年生のときのことではなかったか。

 しかし破壊されているのは、家庭だけではない。子どもの心も、破壊されていた。

 虐待に近い、母親の異常なまでの過干渉。盲目的なでき愛。命令的な育児姿勢。A君は、
私が会ったとき、小学6年生だったが、成長そのものが、小学1、2年生あたりで止まっ
てしまっていた。口にして話すことといえば、そのころのことばかりだった。

 一見、おとなしく従順で、柔和な表情をしているが、ズル賢く、わがまま。その上、怠
け者。友だちの家に遊びに行っても、そこにあるものを平気で盗んでいってしまうという。
が、罪の意識はない。証拠をつきつけられ、「正直に言いなさい」と言われても、ノラリク
ラリと、ウソを言う。とぼける。ごまかす。

 あるいはときには、パッと身をひるがえして、土下座してみせることもあったという。
担任の教師は、私にこう言った。

 「A君だけは、ぜったいに、信用できません。必要最低限の誠実さすらない子どもとい
った感じです」と。

 こんなことがあったという。

 ある日、理科室の実験器具が、だれかにいじられて割れてしまった。が、現場を、たま
たま見ていた子どもがいた。「A君が、こわした」と。

 そこで先生が、A君を、呼び出した。が、その途中で、A君は、階段から飛びおり、顔
をぶって、けがをしてしまった。「先生に会うのがいやだったから、わざとけがをしたので
しょう」という話だった。A君は、そういうことが平気でできる子どもだった。

 そのあとのA君のことは知らない。父親に連れられて、どこかほかの町に行ったという
ことだった。

 ……という話は、そうでない家庭の人には、信じられないような話かもしれない。しか
い現実には、そういう家庭もあるし、今、決して少なくない。

 まただれしも、自分では、そうはなりたくないと願っている。しかしこればかりは、ど
うしようもない。リズムそのものが、乱れる。そしてがんばればがんばるほど、ものごと
が裏目、裏目に出る。そして気がついてみたら、にっちもさっちもいかなくなってしまっ
ている。

 そういう意味で、不幸とは無縁の人など、この世の中には、ぜったいに、いない。今、
幸福の絶頂期にいる人だって、そのリズムがほんの少しだけ乱れれば、ここに書いたよう
な崩壊家庭を経験することになる。

 もちろん、その人に責任があるわけではない。その人が悪人だから、そうなるわけでも
ない。運命だ。無数の運命という「糸」がからんで、その人はそうなる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●若者の意識

財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)が、高校生の意識調査をした。昨年(04)
9月から12月にかけて、3か国35の高校で行い、3649人が回答した。

★国歌・国旗について

 「自分の国に誇りを持っているか」との設問に、「強く持っている」「やや持っている」
と答えた日本の高校生は、あわせて51%と、米中両国に比べ目立って低かった。

国旗、国歌を「誇らしい」と思う割合も、米中両国の半分以下。「国歌を歌えるか」との
質問には、「歌える」と答えた日本の高校生は、66%にとどまり、三人に一人は、「少
し歌える」「ほとんど歌えない」と答えるなど、国旗国歌に抵抗感を植えつける自虐的教
育(報告書の言葉)の影響を懸念させる結果となった。

 こうした意識は国旗国歌への敬意などに表れ、「学校の式典で国歌吹奏や国旗掲揚される
とき、起立して威儀を正すか」との質問に、「起立して威儀を正す」と答えた日本人高校生
は、米中の半分以下の30%。

38%は「どちらでもよいことで、特別な態度はとらない」と答え、国際的な儀典の場
で、日本の若者の非礼が、批判を受ける下地となっていることをうかがわせた。

★将来、意欲について

 将来への希望を問う設問では、「将来は輝いている」「まあよいほうだが最高ではない」
と答えた割合は中国が80%と最も高く、日本は54%で最も悲観的であることがわかっ
た。

さらに、勉強については「平日、学校以外でほとんど勉強しない」が45%(米15%、
中8%)、「授業中、よく寝たり、ぼうっとしたりする」も73%(米49%、中29%)
と、学習意欲も米中に比べて明らかに低いことが裏づけられた。

 生活面では「若いときはその時を楽しむべきだ」と答えた高校生の割合も、三カ国で最
も高かった。

★恋愛、家族について

 恋愛観では「純粋な恋愛をしたい」と考える割合は、九割と日本が最も高かった。しか
し、結婚後「家族のために犠牲になりたくない」も日本がトップ。将来「どんなことをし
ても親の面倒をみたい」は三カ国で最も低く、逆に「経済的な支援をするが、介護は他人
に頼みたい」が18%と、米国9%、中国12%を大きく上回った。

(以上、報告書のまま)

++++++++++++++++++++

 いろいろ反論したいことはあるが、日本の高校生の実像を表していることは、事実。で、
こうした事実を並べて、財団法人日本青少年研究所(東京・新宿)は、つぎのように結論
づけている。

 日本の高校生たちについて、「純愛で結婚したいが、家族の犠牲にはなりたくない。親の
面倒は、金で他人に見てもらいたいという自己中心的な恋愛観・家族観が浮かんでいる」
と。
(はやし浩司 日本 青少年 青少年意識 高校生 意識 意識調査 国旗 国歌)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国旗、国歌について

 国旗はともかくも、国歌について言えば、それを歌うから愛国心があり、歌わないから
愛国心がないというふうに、決めつけてほしくない。

 私は、(あなたもそうだろうが……)、外国で、日本を思うときは、別の歌を歌う。「ふる
さと」であり、「赤とんぼ」である。

●自虐的教育について

 この日本では、自国の歴史を冷静に反省することを、「自虐的教育」という。右翼的思想
の人が、左翼的傾向のある教育を批判するとき、好んで使う言葉である。

 「どうして?」と思うだけで、あとがつづかない。

●親のめんどう

 それだけ日本人の親子は、関係が、希薄ということ。親自身が、無意識のうちにも、親
子の関係を破壊している。そういう事実に気づいていない。

 子どもの夢、希望、目的をいっしょに、考え育てるというよりは、「勉強しなさい」「い
い高校に入りなさい」という、短絡的な教育観が、親子の関係を破壊していることに、い
まだに、ほとんどの親は気づいていない。

 「子どもが自己中心的だから」という結論は、どうかと思う。こういうところで、自己
中心的という言葉を、安易に使ってほしくない。家族の形態そのものも、ここ半世紀で大
きく変わった。

ここに表れた「経済的な支援をするが、介護は他人に頼みたいが、18%」という数字
は、数年前の調査結果と、ほとんどちがっていない。

 よりよい親子関係を育てるためには、(ほどよい親)(暖かい無視)に心がける。

+++++++++++++++++++++++++++

●BRIC's レポート

 最近経済界で話題になっているキーワードに、「BRIC's レポート」というのがあ
る。

 ゴールドマン・サックス証券会社が発表した、経済レポートをいう(03年10月)。

B……Brazil(ブラジル)
R……Russsia(ロシア)
I……India(インド)
C……China(中国)を、まとめて、「BRIC's」という。

 同レポートによれば、2050年ごろには、これらBRIC'sの4か国だけで、現在
の日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの総合計を、経済規模で、上
回るようになるという。

 そしてその結果、世界のGDPは、上から順に、

(1)中国
(2)アメリカ
(3)インド
(4)日本
(5)ブラジル
(6)ロシアの順になるという。つまり日本は、4位に転落するという。

 こうした国々をながめてみると、これからの日本が相手にすべき国は、どこか、すぐわ
かるはず。

 アメリカ、インド、ブラジルの3か国である。とくに注目したいのが、インドとブラジ
ルである。これら2国は、日本との関係も深く、親日的である。最近ある公的機関を定年
退職したが、ニューデリーに住んでいる、友人のマヘシュワリ君は、大の日本びいき。メ
ールをくれるたびに、「どうしてインドへ来ないのか?」と聞いてくる。

 日本よ、日本人よ、どうしてもっと、インドやブラジルに目を向けないのか?

 中国や韓国など、もう相手にしてはいけない。必要なことはするが、限度を、しっかり
とわきまえる。仲よくはするが、反日感情については、無視。そして余裕があるなら、イ
ンドやブラジルに目を向けるべきである。

 そのインドも、昔は借金国。しかし世界銀行やアジア開発銀行などからの借金の30億
ドルを、2002年度までに完済している。(韓国などは、先のデフォルトのとき、550
億ドルも、日本が中心になって援助したが、感謝の「カ」の字もない! 中国などは、い
まだに日本の無償援助をよこせと、がんばっている!)

 私が日本のK首相なら、イの一番に、インド、つづいてブラジルを回る。もう一か国つ
け加えるなら、オーストラリアも回る。オーストラリア人の親日性は、日本のK首相が、
イラク派兵を頼んだときに、証明された。

 オーストラリアは、日本の自衛隊を守るために、オーストラリア兵を、イラクへ派遣し
てくれた(05・3月)。どうして、そういう国を、もっと大切にしないのか!

 あえてけんかをすることはないが、日本を嫌い、日本人を軽蔑している国々と、頭をさ
げてまで、仲よくすることはない。それよりも今、重要なことは、50年先を見越して、
日本の立場を、より強固にしていくことである。

 ちなみに、「インドの人口は10億人。国土は日本の9倍。南アジア最大の軍事大国だが、
同時にアジア有数の親日国家でもある。そのインドが資本市場を急速に自由化させ、中国
にかわって、世界の工場となるシナリオが、日々高まってきた。

  インドの昨年第四・四半期(10月ー12月)のGDP成長率は、中国を抜いて、堂々
の10・4%だった」(宮崎正弘レポート)。

 そのインドに、中国が目を向けないはずがない。少し前まで、仲が悪いと思われていた
が、ここ1、2年で、中印貿易高は、日印貿易高を、とうとう追いこしてしまった。が、
それだけでは、ない。それを猛烈に追いあげているのが、実は、韓国である。

 この分野でも、日本は、完全に出遅れている。さらに最近の、中国や韓国の合言葉はた
だ一つ。「日本を、極東の島国から、太平洋の奈落の底にたたき落せ」である。うわべはと
もかくも、K国が、核ミサイルを、東京にうちこんだとき、それを一番喜ぶのは、中国で
あり、韓国なのである。

 現実の国際政治というのは、そういうものだし、現実的でない国際政治というのは、意
味をもたない。

 もちろんそんなことを、K国にさせてはならない。(させてたまるものか!)

 そこで日本としては、6か国協議に見切りをつけて、K国の核問題を、国連安保理に付
託するしかない。(中国や韓国は、それを警戒している。そしてそういう動きを見越して、
韓国は、日韓関係の整理をし始めている。)

 話がそれたが、S県の県議会が、「竹島の日」を、こういう微妙なときに定める真意が、
私には理解できない。国際性のなさというか、まあ、何というか。S県の「S」は、「島」
という漢字をあてる。こうした島国根性こそが、日本の将来の足かせになっている。

 2050年という、45年後には、私は、もう生きていない。しかしそのとき、世界は
どうなっているか。それを示しているのが、ここにあげたBRIC's レポートという
ことになる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●愛国心について

 日本が民主主義国家だと思っているのは、日本人だけ。欧米で見る「民主主義」とは、
まったく異質のものである。

 まさに官僚のトップは、やりたい放題。どうやりたい放題かということについては、今
さらここに書くまでもない。マスコミでは、周期的にそうした話題を取りあげ、騒ぐが、
いっこうに、そうした傾向が改まる様子はない。ますますその横暴さが、ひどくなるだけ!

 国民や私たちは、そういう「日本」を、日常的に見ている。もちろん、若者たちも、だ。
なのに、それらをいっしょくたにして、どうして、「日本の若者たちには、愛国心がない」
と言えるのか。

 ときどき、世界の人たちの愛国心が、アンケート調査される。しかし日本で、「愛国心」
というときは、そこに「国」という文字を入れる。が、たとえば英語で、「愛国心」という
のは、「ペイトリアズム」という。

 ペイトリアティズムというのは、もともとはギリシア語、さらにはラテン語で、「父なる
大地を愛する」という意味である。愛国心という日本語とは、意味がちがう。そういうち
がいを、無視して、世界の若者のたちの意識を調査しても、意味はない。

++++++++++++++++++++

少し前に、愛国心について、書いた。

++++++++++++++++++++

●愛国心について考える
……ジョン・レノンの「イマジン」を聴きながら……。

 毎年8月15日になると、日本中から、「愛国心」という言葉が聞こえてくる。今朝の読
売新聞(02年・8月12日)を見ると、こんな記事があった。

「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・TK・東北大教授)のメンバーが執筆した「中
学歴史教科書」が、愛媛県で公立中学校でも採択されることになったという。採択(全
会一致)を決めた愛媛県教育委員会の井関和彦委員長は、つぎのように語っている。

 「国を愛する心を育て、多面的、多角的に歴史をとらえるという学習が可能だと判断し
た。戦争賛美との指摘は言い過ぎで、きちんと読めば戦争を否定していることがわかる」(読
売新聞)と。

 日本では、「国を愛する」ことが、世界の常識のように思っている人が多い。しかし、た
とえば中国や北朝鮮などの一部の全体主義国家をのぞいて、これはウソ。

日本では、「愛国心」と、そこに「国」という文字を入れる。しかし欧米人は、アメリカ
人も、オーストラリア人も、「国」など、考えていない。たとえば英語で、愛国心は、「p
atriotism」という。この単語は、ラテン語の「patriota(英語のp
atriot)、さらにギリシャ語の「patrio」に由来する。

 「patris」というのは、「父なる大地」という意味である。つまり、「patri
otism」というのは、日本では、まさに日本流に、「愛国主義」と訳すが、もともとは
「父なる大地を愛する主義」という意味である。念のため、いくつかの派生語を並べてお
くので、参考にしてほしい。

●patriot……父なる大地を愛する人(日本では愛国者と訳す)
●patriotic……父なる大地を愛すること(日本では愛国的と訳す)
●Patriots' Day……一七七五年、四月一九日、Lexingtonでの戦
いを記念した記念日。この戦いを境に、アメリカは英国との独立戦争に勝つ。日本では、「愛
国記念日」と訳す。

欧米で、「愛国心」というときは、日本でいう「愛国心」というよりは、「愛郷心」に近
い。あるいは愛郷心そのものをいう。少なくとも、彼らは、体制を意味する「国」など、
考えていない。

ここに日本人と欧米人の、大きなズレがある。(ごまかしがある。)つまり体制あっての
国と考える日本、民あっての体制と考える欧米との、基本的なズレといってもよい。が、
こうしたズレを知ってか知らずか、あるいはそのズレを巧みにすりかえて、日本の保守
的な人たちは、「愛国心は世界の常識だ」などと言ったりする。

たとえば私が「織田信長は暴君だった」と書いたことについて、「君は、日本の偉人を否
定するのか。あなたはそれでも日本人か。私は信長を尊敬している」と抗議してきた男
性(四〇歳くらい)がいた。

このタイプの人にしてみれば、国あっての民と考えるから、織田信長どころか、乃木希
典(のぎまれすけ、明治時代の軍人)や、東条英機(とうじょうひでき・戦前の陸軍大
将)さえも、「国を支えてきた英雄」ということになる。

もちろん歴史は歴史だから、冷静にみなければならない。しかしそれと同時に、歴史を
不必要に美化したり、歪曲してはいけない。

先の大戦にしても、300万人もの日本人が死んだが、日本人は、同じく300万人も
の外国人を殺している。日本に、ただ一発もの爆弾が落とされたわけでもない。日本人
が日本国内で、ただ一人殺されたわけでもない。

しかし日本人は、進駐でも侵略でもよいが、ともかくも、外国へでかけていき300万
人の外国人を殺した。日本の政府は、「国のために戦った英霊」という言葉をよく使うが、
では、その英霊たちによって殺された外国人は、何かということになる。

こういう言葉は好きではないが、加害者とか被害者とかいうことになれば、日本は加害
者であり、民を殺された朝鮮や中国、東南アジアは、被害者なのだ。そういう被害者の
心を考えることもなく、一方的に加害者の立場を美化するのは許されない。それがわか
らなければ、反対の立場で考えてみればよい。

 ある日突然、K国の強大な軍隊が、日本へやってきた。日本の政府を解体し、かわって
自分たちの政府を置いた。つづいて日本語を禁止し、彼らのK国語を国語として義務づけ
た。日本人が三人集まって、日本語を話せば、即、投獄、処刑。しかもK国軍は、彼らの
いうところの首領、金元首崇拝を強制し、その宗教施設への参拝を義務づけた。そればか
りではない。

数10万人の日本人をK国へ強制連行し、K国の工場で働かせた。無論、それに抵抗す
るものは、容赦なく投獄、処刑。こうして闇から闇へと葬られた日本人は数知れない……。

 そういうK国の横暴さに耐えかねた一部の日本人が立ちあがった。そして戦いをしかけ
た。しかしいかんせん、力が違いすぎる。戦えば戦うほど、犠牲者がふえた。が、そこへ
強力な助っ人が現れた。アメリカという助っ人である。アメリカは前々からK国を、「悪の
枢軸(すうじく)」と呼んでいた。そこでアメリカは、さらに強大な軍事力を使って、K国
を、こなごなに粉砕した。日本はそのときやっと、K国から解放された。

 が、ここで話が終わるわけではない。それから50年。いまだにK国は日本にわびるこ
ともなく、「自分たちは正しいことをしただけ」「あの戦争はやむをえなかったもの」とう
そぶいている。そればかりか、日本を侵略した張本人たちを、「英霊」、つまり「国の英雄」
として祭っている。そういう事実を見せつけられたら、あなたはいったい、どう感ずるだ
ろうか。

 私は繰り返すが、何も、日本を否定しているのではない。このままでは日本は、世界の
孤児どころか、アジアの孤児になってしまうと言っているのだ。つまりどこの国からも相
手にされなくなってしまう。今は、その経済力にものを言わせて、つまりお金をバラまく
ことで、何とか地位を保っているが、お金では心買えない。お金ではキズついた心をいや
すことはできない。日本の経済力に陰(かげ)りが出てきた今なら、なおさらだ。

また仮に否定したところで、国が滅ぶわけではない。あのドイツは、戦後、徹底的にナ
チスドイツを解体した。痕跡(こんせき)さえも残さなかった。そして世界に向かって
反省し、自分たちの非を謝罪した。

(これに対して、日本は実におかしなことだが、公式にはただの一度も自分たちの非を
認め、謝罪したことはない。)その結果、ドイツはドイツとして、今の今、ヨーロッパの
中でさえ、EU(ヨーロッパ連合)の宰主として、その地位を確保している。

 もうやめよう。こんな愚劣な議論は。私たち日本人は、まちがいを犯した。これは動か
しがたい事実であり、いくら正当化しようとしても、正当化できるものではない。また正
当化すればするほど、日本は世界から孤立する。相手にされなくなる。それだけのことだ。

 最後に一言、つけ加えるなら、これからは「愛国心」というのではなく、「愛郷心」と言
いかえたらどうだろうか。「愛国心」とそこに「国」という文字を入れるから、話がおかし
くなる。が、愛郷心といえば、それに反対する人はいない。

私たちが住む国土を愛する。私たちが生活をする郷土を愛する。日本人が育ててきた、
私たちの伝統と文化を愛する。それが愛郷心ということになる。「愛郷心」と言えば、私
たちも子どもに向かって、堂々と胸を張って言うことができる。「さあ、みなさん、私た
ちの郷土を愛しましょう! 私たちの伝統や文化を愛しましょう!」と。
(02−8−16)※

(注)こうしたものの見方を、自虐的史観というらしい。しかし私は何も、日本を否定し
ているのではない。日本を嫌っているのではない。日本の未来を心配しているから、そう
書く。

 私たちおとなが、正義となる見本を見せないでおいて、どうして、子どもたちに向かっ
て、「国を愛せよ」と言うことができるだろうか。

 このところ連日のように、公務員や公職関係者の人事異動の記事が、新聞に載っている。
今は、そういう季節らしい。

 しかしよく見てほしい。みながみな、公職をたらい回しにしているだけ。わかりやすく
言えば、無数の天下り先を、転々としているだけ。日本は、まさに官僚王国。官僚天国。
わかりやすく言えば、日本人が愛国心というときは、「愛・官僚主義国家心」ということに
なる。

 ここに書いたことが、過激な意見だとは、自分でもわかっている。しかし、少しはショ
ックを感じてほしかったから、あえて、愛国心について書いた。

 ただ忘れないでほしいのは、私は、人一倍、日本の将来を心配している。日本に、もっ
とすばらしい国になってほしいと、願っている。左翼でも、右翼でもない。そうした活動
とは、そのどちらとも、無縁である。集会に出たこともない。

 で、そういう思いを、何と言ったらよいのか。それを「愛郷心」というなら、その心だ
けは、だれにも負けない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日韓関係

 1968年、まだ日本と韓国の間に、国交がない時代に、私は、UNESCOの交換学
生として、韓国にわたった。-

 歓迎されたのは、プサン港へ着いたときだけ。ブラスバンドが、私たちを迎えてくれた。
そのあとは、どこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。韓国の人たちが日本人に対
してもっている憎悪感というのは、尋常(じんじょう)のものではなかった。

 で、私は、まもなくすぐ、こう思った。「今度、日本が戦争をするとしたら、この韓国だ
ろうな」と。

 当時は、K国は、日本の外というか、日本にとっては、番外だった。朝鮮動乱が落ちつ
いて、まだそれほど年月がたっていなかった。

 が、それでも、私は、帰国後、大の韓国びいきになった。何があっても、韓国を擁護し
たし、韓国そのものが、大好きだった。

 しかし金大中の拉致事件などをきっかけに、私の韓国に対する思いは、急速に冷えこん
でいった。

 そして今。それから37年になるが、私は、韓国が、嫌いになってしまった。いくら日
本人の私が好きになろうとしても、それ以上の、猛烈なパワーで、反日感情が、海を越え
て伝わってくる。

 理由は、いろいろある。

 直接の理由は、日本の植民地政策だが、が、それだけではない。韓国はたしかに日本か
ら独立したが、それは韓国の人たちの力によってではなかった。アメリカが日本を敗北さ
せた。その結果として、韓国は、日本から、独立できた。

 その屈辱感は、相当なものである。日本が韓国を植民地にする前はというと、韓国の人
たちは、日本人をとことん、軽蔑していた。蛮族の国、海賊の国、というようなとらえ方
をしていた。

 秀吉の朝鮮征伐の時代からの怨念も残っている。

 その(歴史があり、伝統がある大韓民国)が、日本ごときの、島国に、蹂躙(じゅうり
ん)された! しかも植民地にされた! その上、日本を追い出したのは、自分たちでは
なく、アメリカだった! 

 韓国の人たちのプライドは、ズタズタにされた。しかも不完全燃焼感は、残ったまま。

 しかし私が韓国へ行った当時には、まだ日本に対する、卑屈感もあったと思う。日本の
植民地政策の中で、韓国そのものに対するプライドをなくした人もいたということだ。口
では、反日感情をあらわにしながら、日本に強いあこがれをもっている学生も、少なから
ず、いた。

 現在の韓国の人たちのもつ、日本への憎悪感というのは、そういうものである。「けだも
ののような男に、強姦されたような憎悪感」(当時、韓国の知識人から聞いた言葉)という
言葉を使った人もいた。

 とても残念なことだが、こうした憎悪感は、すぐには消えない。こんなことがあった。

 1960年の終わりごろ、日本政府がお金を出して、韓国の北部に、巨大な水力発電所
を建設した。当然、その開所式典には、日本の関係者が、多数、招待された。しかし、だ。
その水力発電所のどこにも、「日本の援助で建てられました」という文言がなかった。

 それを見て、日本の関係者は、みな怒った。政府として、抗議までしたという話も聞い
た。しかし韓国政府は、最後の最後まで、その文言を、表記しなかった。

 私が、「今度、日本が戦争をするとしたら、この韓国だろうな」と直感した背景には、そ
んなこともあった。

 で、ここ数日、竹島問題にからんで、日韓関係が、急速に悪化している。しかし実のと
ころ、急速に悪化しているわけではない。もともと、その下地は、できていた。たまたま
今回、それに火がついただけというに、ふさわしい。何か、どんなささいなことでもよい
が、その何かが起きたら、韓国では、反日感情の炎(ほのお)が、燃えあがる!

 私は、自分の原稿の中でも、何度も書いてきたが、「韓国にせよ、K国にせよ、向こうが
頼んでもこないのに、援助などしてはいけない」と、主張してきた。

 8年前に、韓国が国家破綻(デフォルト)したときもそうだ。日本の100億ドルを筆
頭に、日本は、世界中から550億ドルというお金をかき集めて、韓国を助けた。

 あるいは同じころ、日本のK外務大臣は、100〜120万トンという、米を、K国に
無償援助した。

 その結果、韓国の人たちや、K国の人たちが、日本に感謝したという話は、聞いていな
い。対日感情がよくなったという話も、聞いていない。つまり、こうした日本人独得の、「こ
れだけのことをしてあげたのだから、感謝されているはず」という、あの(お人よし外交)
は、韓国の人や、K国の人には、通用しない。まったく、通用しない。つまりそれほどま
でに、彼らの日本人に対する憎悪感は、はげしい。

 戦後、日本が、かろうじて平和を保つことができたのは、日本人が、それだけ平和を愛
する国民だったからではない。また平和を守ったからでもない。

 たまたまアメリカという、軍事強国の庇護下にあったからにほかならない。もし日本に
アメリカがいなければ、スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、さらには金日
成・K国に、日本は、繰りかえし、そのつど攻撃されていただろう。

 悲しいかな、日本は、そういうことをされても、文句を言えないようなことを、戦前の
歴史の中でしてしまった。

 別に仲よくなることについて、異論はない。ないが、「ヨン様」「ヨン様」と、そこらの
オバチャンたちが、浮かれ騒いでいるのを見たとき、私は、「これでいいのか?」と何度も
思った。

 そういう日本人が、韓国の人や、K国の人には、どんなにか、バカに見えることだろう。
しかしそういう思いは、反日感情になることはあっても、親日感情につながることは決し
て、ない。たいていの韓国の人なら、こう思うだろう。

 「オレたちは、あんなアホな日本人どもに、植民地にされたのか」「やっとオレたちの優
越性に気がついたのか」と。

 これは、K国の金XX体制がつづけばの話だが、その金XXは、最終的には、日本に戦
争をしかけてくる。それはまちがいない。南北統一は、口実にすぎない。またそれが目的
ではない。彼らの目的は、自分たちの心の奥底に潜む、怨念の解消である。

 そのためにも、今は、日本は、アメリカにすがるしかない。恥も外聞も捨てて、アメリ
カにすがるしかない。

 韓国とK国がひとかたまりになって、日本を攻めてきたら、日本は、あっという間に、
彼らの植民地になってしまう。日本が今、置かれている立場は、そういう立場である。

【補記】

 私の意見に対して、「おくびょうだ」「戦うべきときは、戦う」などと、いさましいこと
を言う人がいるかもしれない。

 しかし戦争など、してはいけない。くだらない戦争など、してはいけない。もちろん向
こうが攻めてくれば、戦う。しかし「おくびょうだ」「卑怯だ」と言われても、今の韓国や
K国とは、戦争をしてはいけない。

 私たちはともすれば、兵器の数や装備だけで、軍事力を比較しやすいが、中身は、人間。
サラリーマン化した日本の自衛官(失礼。しかし事実は事実)に、何ができるというのか。

 りりしく日焼けし、筋肉がひきしまり、目つきそのものが野獣のようになった、韓国の
兵隊と見比べると、日本の自衛官は、あまりにも、やさしすぎる。

 タイや、ベトナムの軍人とくらべても、一目瞭然。内側から光る、きびしさそのものが、
ちがう。

 だから戦争をしてはいけない。ひとたび戦争となれば、彼らは、燃えるような怨念を、
戦意に変えて、日本に襲いかかってくる。

私はまだ当時、一学生にすぎなかったが、そうした怨念を、肌で、直接感じることがで
きた。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●とうとう、手に入れた、新型パソコン!

 すごいパソコンを手に入れた! ハハハ。気分がよい。いまは、まだ、ビニールの袋を
かぶって、私の左側に眠っている。

 ゆっくり、大切に、じょうずに使うつもり。

 どれだけ性能がすごいかは、これから、わかるはず。CPUは、PEN4の、640、(3・
2GH)だぞ! メモリーは、1024MB! ハードディスクは、2基搭載。グラフィ
ックボードも、Geforce 6600GTだあ!

 どんなゲームも、スイスイとできるはず。今度の春休みには、FS・2004を、飛ば
してみる。それとメインのHPを、そのパソコンに移植するつもり。今まで、読み出し、
編集、保存に、合計7時間ほどかかっていた。これからは、もっと、早くできるようにな
るだろう。

 しかし初期不良の期間は、一週間だけ。できるだけ早く使ってみて、初期不良があれば、
新品と交換してもらわねばならない。もったいない感じがしないでもないが、さっそく、
これからあれこれセットしてみる。では、ごめん!

++++++++++++++++++++

●幻惑作用

 おかしな親をもち、その幻惑(心理学でも、同じ言葉を使う)に苦しんでいる人は多い。

 息子や娘という立場で、見るに見かねて、やむにやまれず、親のめんどうをみているの
に、肝心の親は、「親孝行の息子をもって幸せだ」「親孝行の娘をもって幸せだ」と喜んで
見せる。

 息子や娘の苦労や悲しみなど、みじんも理解でききない。理解しようともしない。

 一方、息子や娘のほうは、親であるという密着性(これを「家族自我群」という)に束
縛されて、身動きがとれない。もがく。苦しむ。こうした「親である」という幻想から生
まれる、重圧感を、「幻惑作用」という。

 そこである女性(55歳くらい。娘)は、自分の母親を、養護施設に入れようとした。
負担があまりにも、大きかった。

 が、それに激怒したのが、ほかならぬ、母親。「この親不孝者め」「そんなところへ入れ
るなら、ワシを殺してからにしろ」と。

 滋賀県に住んでいるMさんから、そんな内容のメールをもらった。

 私は返事に、「人間にも、鳥と同じような刷り込み(インプリンティング)がありますか
ら、それから自分を解放するのは、容易なことではありませんよ」と書いた。

 乳幼児期に、「親である」という逆意識が、徹底的に、つまり本能に近い状態で、子ども
の脳にきざまれてしまう。

 冷静に考えれば、親といっても、自分という人間を、この世に生み出した、一人の人間
にすぎないのだが、それ以上の意味を、「親」に付加してしまう。そしてそれがいつか、幻
惑作用となって、今度は、子どもを苦しめる。

 もっとも、親子関係が良好なら、まだ救われる。こうした問題は、発生しない。

 しかし世の中には、息子を奴隷のように使いながら、あるいは、息子の財産を、平気で
まきあげながら、平然としている親は、いくらでもいる。親にも、いろいろある。

 こうした相談を受けるたびに、私は、「日本もまだまだ、発展途上国だなあ」と思ってし
まう。親自身が、そうした自我群に甘え、その幻惑作用に気づくこともなく、子どもを縛
りつける道具として、利用している。

 もちろん大半の親子は、よい親子である。良好な人間関係を結んでいる。しかしそうで
あるからといって、問題が解決されているわけではない。地価にもぐっているだけである。

 あなたの代では、かろうじてだいじょうぶでも、つぎの代で顔を出すかもしれない。あ
なたの息子や娘の結婚先の家族で、顔を出すかもしれない。

【Mさんへ】

 親の束縛から、身を解放するのは、容易なことではありません。親が死んで、何十年も
たっているのに、「親だ」「親だ」と、がんばっている人は、いくらでもいます。私たちの
心の中につくられた、親意識(これを私は「逆親意識」と呼んでいますが)、それを消すの
は、容易なことではありません。

 長く、暗い、悶々とした日々がつづきます。

 Mさんの母さんも、かなり親意識の強い方ですね。昔の言葉を使うなら、「親風を吹かす
親」ということになります。ものの考え方が、権威主義的で、「親のためなら、子は、犠牲
になって当然」と考えている(?)。息子や娘が、苦しんでいても、「親孝行な子どもだ」
と喜ぶのです。

 いただいた文面から、そんな感じがしました。

 さらに悪いことに、Mさんを包む親戚の人たちが、みな、同じように考えているという
ことです。「娘なら、親のめんどうをみるのが当たりまえ」「親を養護施設に入れるとは、
何ごとか」と。

 これは容易な問題ではないようですね。あなたが戦うべき「敵」は、あなたの母親だけ
ではないということです。

 では、どうするか?

 あなたの母親が要求することについては、その範囲で、やってやる。しかしそれ以上の
ことはしないという姿勢に徹するしかないということです。

 朝、行ってみたら、母は、ふとんの中で死んでいましたという状態になっても、それは
しかたのないことです。だれも、Mさんの責任だと思わないだろうし、Mさんを責めるこ
ともないでしょう。

 あなた自身も、「私は親不孝者」と、自分を責めないこと。苦しまないこと。そういうふ
うに子どもを苦しめる親のほうが、実は、「子・不幸者」なのです。

 私も23歳の時から、実家に、収入の約半額を、送金しつづけてきました。それから受
ける経済的重圧感というよりは、社会的重圧感は、相当なものでした。そういう私のお金
を使いながら、私の母は、先祖からの財産がさもあるように見せかけて、生活していまし
た。見栄っ張りの人でした。(本当は、家計は火の車でしたが……。)

 まあ、今から思うと、かわいそうな人だったと思います。Mさんの母親と同じように、「私
は、いい孝行息子をもって幸せだ」が、口ぐせでした。

 大切なことは、こうした悪習に気づいたら、それは、私たちの代で止めることです。つ
ぎの世代の人たちには、同じような苦しみや悲しみを、与えないことです。この問題は、
社会制度とも結びついていますから、簡単には解決しないかもしれません。

 しかし私たちは私たちで、前向きに生きていく。今は、それしかないように思います。
そのために、私も戦います。どうか、また力を貸してください。いっしょに、この日本を
変えていきましょう!
(はやし浩司 家族自我群 幻惑作用 親意識)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ボケ老人(認知症)

ボケ老人をどう、家族の中に受けいれていくか……。家庭の事情もさまざまで、かつボ
ケといっても、その様子は、老人ごとに、みなちがう。だから、ボケ老人(認知症)と
いっても、全体として論ずることは、たいへんむずかしい。

 しかし最大公約数的な意見なら、私にも書くことができる。

(1)暖かい無視

 同居をどういう形で始めるかによっても、ちがう。結婚当初から同居しているケースも
あるし、途中から同居というケースもある。また血のつながりというか、実の肉親なのか、
義理の肉親なのかによっても、ちがう。

 しかし同居するときの鉄則は、暖かい無視。介護をするときは、する。しかししないと
きは、まったく、無視。その老人のことは忘れる。

 この切りかえがうまくできないと、介護する家族の負担は、倍増する。いつもいつもそ
の老人のことばかり考えていると、ノイローゼになってしまう。さらに先のことを心配し
ても、意味はない。なるようになる、なるようになれ、という姿勢が大切。

 しかし実際には、しばらく同居していると、自然と、こうした対処方法が身につく。ま
たそうでもしないと、心がもたない。

 当初、廊下などで大便をもらされたりすると、ショックを受ける。しかしそれが2回、
3回と重なると、「どうぞ、ご勝手に」という心境になる。ジタバタしても、どうにもなら
ない。

 そこで廊下にダンボール紙を敷いたり、トイレに新聞紙を敷いたりする。そのつど、対
処方法を考えて、あとは無視する。

(2)温情は禁物

 ボケには、人格崩壊がともなう。「ボケた老人でも、人権はある」「人格はある」と説く
人がいる。人権はともかくも、人格は、ない。また人格を期待してはいけない。

 ちょっとした温情が、アダになることは、よくある。

 水道の水が出しっぱなしとか、ガスの火がつけっぱなしというのは、まだよいほうだ。
風呂の湯が出しっぱなしとか、さらには、ガスだけが出しっぱなしというのもある。放火
や家出(徘徊)もある。

 「今日は天気がいいから、外へ出たいだろう」などと考えて、何かをしてやっても、ボ
ケ老人のばあいは、すべて、裏目に出る。小さな温情が、大きな事故につながることも珍
しくない。

 約束を守るなどということは、ボケ老人にはできな。だから、約束など、最初からしな
いこと。「できない」「守らない」という前提で、つきあうしかない。

 そこで、水道は、元栓で閉める。ガスも、元栓でしめる。玄関から抜け出さないように、
カギをつける。(私たちのばあいは、3つもつけた!)

 マッチ、ライター、ドライバーなどは、すべて、手の届かないところに置く。つまりそ
ういう形で、先手、先手で対処する。

(3)公的な介護機関を利用する

 養護老人施設には、デイサービスや、泊まりサービスなどがある。そういうものをおお
いに利用して、介護者の負担を減らす。これはとても重要なことだ。

 ボケ老人について、ゆいいつありがたいことは、暴力性や凶暴性をもった老人が、意外
と少ないということ。たいていは、おとなしい。いろいろトラブルを起こすが、最近では、
そういったトラブルに対しての理解も深まってきた。

(4)試される心

 ボケ老人の介護をしていると、さまざまな感情が、同時に起きてくる。憎しみと同情、
嫌悪とあわれみ、など。

 自分勝手でわがままな姿を見たりすると、カッとなることもある。それは親が自分の子
どもに対してカッとなるのに、似ている。だから自分の子どもにカッとなりやすい人は、
老人介護には向かない……ということになる。

 実際、ボケ老人と対峙すると、自分の忍耐力が試される。鼻水が出たから、ティッシュ
ボックスからティッシュを取り出して、さっと鼻をかんだあと、ぞっとすることもある。
そのティッシュは、すでに使い済み。よく見ると、大便をふいたあとがある。

 そういうとき思わず、「バカヤロー」と叫びたくなる。(実際に、そう叫ぶが……。)

 毎日が、この繰りかえし。

(5)改善

 ボケ老人の治療法といのもあるそうだが、しかし「治る」ということは、ないのでは…
…? 症状を、より悪くしないという状態で、長引かせることはできる。しかし長引けば、
長引くほど、その重くて、ゆううつな負担は、家族にのしかかってくる。

 ここで試されるのが、実は、介護者の人間性である。

 本音を言えば、「お前なんか、生きていてもムダだ。早く死んだほうがいい」ということ
になる。しかしそれを口に出したら、おしまい。(実際に、口に出しても、信頼関係がある
ときは、相手も気にしないだろうが……。そういう意味では、ボケ老人の認知力は、弱い。
かなり弱い。)


 しかしその人間性にも限界がある。高徳な宗教者とか、信仰者なら、そういった限界を
感ずることもないだろう。しかしさらに本音を言えば、「いやな仕事」であることには、ち
がいない。

 が、このとき、被介護者と介護者の間に、濃密な人間関係や思い出などがあれば、介護
に対する考え方も変わってくる。しかしそれが希薄なときに困る。

 たとえば妻が、義理の父母の介護をするとか、夫が、義理の兄、姉の介護をするとかい
うばあいである。結婚当初から同居していたというのであれば、まだ介護もしやすい。し
かしある日、突然、それがはじまったというときは、そうでない。

 私の印象では、ボケ老人の介護は、「やるべきことはします」「しかしあとは自然のなり
ゆきにまかせます」というほうが、正しいのではないかと思う。

(6)心のケア

 介護者の心のケアこそ、重要である。一番よいのは、グチを言うこと。グチを言う相手
を見つけること。グチを言いあうのもよい。

 言うなれば悪口だが、その悪口を言いあうことで、かなりのストレスが解消される。何
かの信仰者であれば、「神様……」「仏様……」というふうにして、心の救済も可能であろ
うが、なかなかその心境に達するのも、むずかしい。

 が、ここで注意しなければならないことがある。

 こうしたストレス解消法は、相手をよく選んですること。家族や兄弟ならよいが、その
ワクは越えないほうがよい。いくら親戚でも、親戚の不幸を、酒のサカナにする人はいく
らでもいる。

(7)あとは笑い飛ばす

 ここが重要だが、あとは笑い飛ばす。「オレは、兄貴のクソで、顔をふいたよ」とか何と
か言って、笑い飛ばす。

 それができるかどうかで、介護のし方も変わってくる。

 まずいのは、ものごとを悲観的に考えて、自分の中の被害妄想を肥大化させること。先
のことは、心配しない。クヨクヨしない。その日は、その日でやりすごして、あとは忘れ
る。

 ただし言いたいことは言えばよい。私は、ボケ兄が、何か、苦情を言うたびに、「なあ、
お前、ぜいたく言うなよ。お前なんか、どうせ生きていてもムダな人間なんだからさ。そ
う思われたくなかったら、何か、仕事を手伝えよ」と言ってやる。

 きれいごとを言う必要もない。飾る必要もない。自分をごまかす必要もない。言いたい
ことを言う。

 かえってそのほうが、被介護者も、気にしない。ボケ兄のばあいは、私がそう言うと、
ヘラヘラと笑っている。そうやって、その場を、やりすごす。

(8)つぎはわが身

 つぎはわが身……それがボケ老人である。人は赤子からおとなになり、そのあと、また
赤子になって死ぬ。

 そういう流れは、いつもしっかりと理解しておく。それがわかるだけでも、いろいろ教
えられる。そうボケ老人は、ボケ老人で、私たちに何かを教えるためにそこにいる。

 たとえば私も、ボケ兄とつきあうようになってから、心の中が広くなったように感ずる。
寛大になったように感ずる。人生についても、あれこれ考えるようになった。

 悪いことばかりではない。それはちょうど、子育てで苦労した人が、人間味をますのに
似ている。私たち夫婦は幸運にも、子育てではそれほど、苦労しなかった。で、その分、
こうした別の苦労をすることによって、何かを学んでいるということになる。
(はやし浩司 認知症 ボケ ぼけ 老人 対処法 ぼけ老人)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 13日(No.554)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page057.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どものウソ、一考

 子どものウソは、いわば、心の風穴のようなもの。子どもはウソをつくことで、教師や
親の束縛から、自分を解放させることができる。

 反対に、あまりにも厳格な家で育ちすぎてしまったため、自我の発育が遅れてしまった
というケースは、少なくない。自立心がなくなり、ものの考え方が依存的になったりする。

 もっとも、ウソにもいろいろある。病的なウソとしてよく知られているのが、空想的虚
言がある。コルサコフ症候群の患者や、統合失調症の患者も、独特のウソをつくことが知
られている。ほかに多重人格者は、それぞれの人格に移動したとき、別の人格のときの行
動について、「知らない」「私ではない」とウソをつく。

 しかしこれは何も、子どもの世界だけの話ではない。

 こんな話を聞いた。

 X氏は、まれに見る恐妻家。もともと静かで、おとなしい性格の人だったということも
ある。そのX氏は、20年近く、その恐妻のもとで、従順で、やさしく、まじめな夫を演
じてきた。

 が、それが、限界にきた。限界というより、ある日、職場の若い女性に、ラブレターを
書いた。以前から、好意をいだいていた。

 ところが、である。予想に反して、その女性から、その男性に、返事が届いた。そこに
は、「私も、あなたのことがずっと、好きでした」とあった。X氏は、その女性と妻の目を
盗んでは、密会を重ねていた。

 そのX氏、いわく。「妻に対して、秘密をもったことではじめて、私は、妻の束縛から開
放されたように感じました」と。

 不倫がよいわけではないが、そういう例もある。

 子どもにしても、親に適当にウソを言いながら、自立の道を模索する。一説によると、
子どもは、すでに満1歳前後からウソをつくようになるという。「ウソは絶対ダメ」式の育
児姿勢は、決して好ましいものではない。

 まあ、それが子どもらしいウソ(自己正当化のためのウソ、相手を喜ばすためのウソ、
自分を飾るためのウソ)などは、大目に見てやる。適当に説教はしても、問いつめたり、
追いこんだりは、しない。ウソを信じたフリをしながら、その場をやりすごすのも、子育
てのコツということになる。
(はやし浩司 子どものウソ 嘘 虚言 子供の嘘 子どもの虚言 対処 対処方法)


●環境

 子どもを包む環境が、その子どもの才能の発育に、大きな影響を与えることがある。(そ
うでないばあいも、あるが……)。

 そこで、環境によって大きく受ける才能と、そうでない才能を、私なりに分類してみた。

+++++++++++++++

(環境によって、大きく影響を受ける才能)

 音楽、絵画、文学(言語の発達)などの、美的、知的才能。

(環境によって、あまり影響を受けない才能)

 運動的、肉体的動作に関する才能。

(年齢によって、大きく影響を受ける才能)

 音感、楽器演奏、言葉の取得、美的感覚

++++++++++++++++

 この中で、「学習」に関するものは、読書習慣や研究姿勢などは、環境によって大きな影
響を受けると思われるが、学校教育という場が完備されているので、その輪郭(りんかく)
は、明確ではない。

 さらにその人の社会性は、(これを才能と呼んでよいかどうかは、わからないが……)、
環境によって、大きな影響を受けると思われる。よく知られた例に、フルグラムの『すべて
は幼稚園から始まった』がある。

 それについて書いた原稿を、掲載する。

+++++++++++++++++++++

●遊びが子どもの仕事

 「すべては幼稚園から始まった」という本の中で、「人生で必要な知識はすべて砂場で学ん
だ」と書いたのはロバート・フルグラムだが、それは当たらずとも、はずれてもいない。「当
たらず」というのは、向こうでいう砂場というのは、日本でいう街中の公園ほどの大きさ
がある。オーストラリアではその砂場にしても、木のクズを敷き詰めているところもある。

日本でいう砂場、つまりネコのウンチと小便の入りまざった砂場を想像しないほうがよ
い。また「はずれていない」というのは、子どもというのは、必要な知識を、たいてい
は学校の教室の外で身につける。実はこの私がそうだった。

 私は子どものころ毎日、真っ暗になるまで近くの寺の境内で遊んでいた。今でいう帰宅
拒否の症状もあったのかもしれない。それはそれとして、私はその寺で多くのことを学ん
だ。けんかのし方はもちろん、ほとんどの遊びもそうだ。性教育もそこで学んだ。……も
っとも、それがわかるようになったのは、こういう教育論を書き始めてからだ。それまで
は私の過去はただの過去。自分という人間がどういう人間であるかもよくわからなかった。
いわんや、自分という人間が、あの寺の境内でできたなどとは思ってもみなかった。しか
しやはり私という人間は、あの寺の境内でできた。

 ざっと思い出しても、いじめもあったし、意地悪もあった。縄張りもあったし、いがみ
あいもあった。おもしろいと思うのは、その寺の境内を中心とした社会が、ほかの社会と
完全に隔離されていたということ。たとえば私たちは山をはさんで隣り村の子どもたちと
戦争状態にあった。山ででくわしたら最後。石を投げ合ったり、とっくみあいのけんかを
した。相手をつかまえればリンチもしたし、つかまればリンチもされた。

しかし学校で会うと、まったくふつうの仲間。あいさつをして笑いあうような相手では
ないが、しかし互いに知らぬ相手ではない。目と目であいさつぐらいはした。つまり寺
の境内とそれを包む山は、スポーツでいう競技場のようなものではなかったか。競技場
の外で争っても意味がない。つまり私たちは「遊び」(?)を通して、知らず知らずのう
ちに社会で必要なルールを学んでいた。が、それだけにはとどまらない。

 寺の境内にはひとつの秩序があった。子どもどうしの上下関係があった。けんかの強い
子どもや、遊びのうまい子どもが当然尊敬された。そして私たちはそれに従った。親分、
子分の関係もできたし、私たちはいくら乱暴はしても、女の子や年下の子どもには手を出
さなかった。仲間意識もあった。仲間がリンチを受けたら、すかさず山へ入り、報復合戦
をしたりした。

しかしそれは日本というより、そのまま人間社会そのものの縮図でもあった。だから今、
世界で起きている紛争や事件をみても、私のばあい心のどこかで私の子ども時代とそれ
を結びつけて、簡単に理解することができる。もし私が学校だけで知識を学んでいたと
したら、こうまですんなりとは理解できなかっただろう。だから私の立場で言えば、こ
ういうことになる。「私は人生で必要な知識と経験はすべて寺の境内で学んだ」と。

●ギャング集団

 子どもは、集団をとおして、社会のルール、秩序を学ぶ。人間関係の、基本もそこで学
ぶ。そういう意味では、集団を組むというのは、悪いことではない。が、この日本では、「集
団教育」という言葉が、まちがって使われている。

 よくある例としては、子どもが園や学校へ行くのをいやがったりすると、先生が、「集団
教育に遅れます」と言うこと。このばあい、先生が言う「集団教育」というのは、子ども
を集団の中において、従順な子どもにすることをいう。日本の教育は伝統的に、「もの言わ
ぬ従順な民づくり」が基本になっている。その「民づくり」をすること、つまり管理しや
すい子どもにすることが、集団教育であると、先生も、そして親も誤解している。

 しかし本来、集団教育というのは、もっと自発的なものである。また自発的なものでな
ければならない。たとえば自分が、友だちとの約束破ったとき。ルールを破って、だれか
が、ずるいことをしたとき。友だちどうしがけんかをしたとき。何かものを取りあったと
き。友だちが、がんばって、何かのことでほめられたとき。あるいは大きな仕事を、みな
で力をあわせてするとき、など。

そういう自発的な活動をとおして、社会の一員としての、基本的なマナーや常識を学ん
でいくのが、集団教育である。極端な言い方をすれば、園や学校など行かなくても、集
団教育は可能なのである。それが、ロバート・フルグラムがいう、「砂場」なのである。
もともと「遅れる」とか、「遅れない」とかいう言葉で表現される問題ではない。

 だから言いかえると、園や学校へ行っているから、集団教育ができるということにはな
らない。行っていても、集団教育されない子どもは、いくらでもいる。集団から孤立し、
自分勝手で、わがまま。他人とのつながりを、ほとんど、もたない。こうした傾向は、子
どもたちの遊び方にも、現れている。

 たとえば砂場を見ても、どこかおかしい? たとえば砂場で遊んでいる子どもを見ても、
みなが、黙々と、勝手に自分のものをつくっている。私たちが子どものときには、考えら
れなかった光景である。

 私たちが子どものときには、すぐその場で、ボス、子分の関係ができ、そのボスの命令
で、バケツで水を運んだり、力をあわせてスコップで穴を掘ったりした。そして砂場で何
かをするにしても、今よりはスケールの大きなものを作った。が、今の子どもたちには、
それがない。

 こうした問題について書いたのが、つぎの原稿である。なおこの原稿は、P社の雑誌に
発表する予定でいたが、P社のほうから、ほかの原稿にしてほしいと言われたので、ボツ
になった経緯がある。理由はよくわからないが……。今までここに書いたことと、内容的
に少しダブルところもあるが、許してほしい。

++++++++++++++++

●養殖される子どもたち

 岐阜県の長良川。その長良川のアユに異変が起きて、久しい。そのアユを見続けてきた
一人の老人は、こう言った。「アユが縄張り争いをしない」と。武儀郡板取村に住むN氏で
ある。「最近のアユは水のたまり場で、ウロウロと集団で住んでいる」と。

原因というより理由は、養殖。この二〇年間、長良川を泳ぐアユの大半は、稚魚の時代
に、琵琶湖周辺の養魚場で育てられたアユだ。体長が数センチになったところで、毎年
三〜四月に、長良川に放流される。人工飼育という不自然な飼育環境が、こういうアユ
を生んだ。しかしこれはアユという魚の話。実はこれと同じ現象が、子どもの世界にも
起きている!

 スコップを横取りされても、抗議できない。ブランコの上から砂をかけられても、文句
も言えない。ドッジボールをしても、ただ逃げ回るだけ。先生がプリントや給食を配り忘
れても、「私の分がない」と言えない。これらは幼稚園児の話だが、中学生とて例外ではな
い。キャンプ場で、たき火がメラメラと急に燃えあがったとき、「こわい!」と、その場か
ら逃げてきた子どもがいた。小さな虫が机の上をはっただけで、「キャーッ」と声をあげる
子どもとなると、今では大半がそうだ。

 子どもというのは、幼いときから、取っ組みあいの喧嘩をしながら、たくましくなる。
そういう形で、人間はここまで進化してきた。もしそういうたくましさがなかったら、と
っくの昔に人間は絶滅していたはずである。が、そんな基本的なことすら、今、できなく
なってきている。核家族化に不自然な非暴力主義。それに家族のカプセル化。

カプセル化というのは、自分の家族を厚いカラでおおい、思想的に社会から孤立するこ
とをいう。このタイプの家族は、他人の価値観を認めない。あるいは他人に心を許さな
い。カルト教団の信者のように、その内部だけで、独自の価値観を先鋭化させてしまう。
そのためものの考え方が、かたよったり、極端になる。……なりやすい。

 また「いじめ」が問題視される反面、本来人間がもっている闘争心まで否定してしまう。
子ども同士の悪ふざけすら、「そら、いじめ!」と、頭からおさえつけてしまう。

 こういう環境の中で、子どもは養殖化される。ウソだと思うなら、一度、子どもたちの
遊ぶ風景を観察してみればよい。最近の子どもはみんな、仲がよい。仲がよ過ぎる。砂場
でも、それぞれが勝手なことをして遊んでいる。私たちが子どものころには、どんな砂場
にもボスがいて、そのボスの許可なしでは、砂場に入れなかった。私自身がボスになるこ
ともあった。そしてほかの子どもたちは、そのボスの命令に従って山を作ったり、水を運
んでダムを作ったりした。仮にそういう縄張りを荒らすような者が現われたりすれば、私
たちは力を合わせて、その者を追い出した。

 平和で、のどかに泳ぎ回るアユ。見方によっては、縄張りを争うアユより、ずっとよい。
理想的な社会だ。すばらしい。すべてのアユがそうなれば、「友釣り」という釣り方もなく
なる。人間たちの残虐な楽しみの一つを減らすことができる。しかし本当にそれでよいの
か。それがアユの本来の姿なのか。その答は、みなさんで考えてみてほしい。

++++++++++++++++++++

 総じて言えば、今の子どもたちは、管理されすぎ。たとえば少し前、『砂場の守護霊』と
いう言葉があった。今でも、ときどき使われる。子どもたちが砂場で遊んでいるとき、そ
の背後で、守護霊よろしく、子どもたちを見守る親の姿をもじったものだ。

 もちろん幼い子どもは、親の保護が必要である。しかし親は、守護霊になってはいけな
い。たとえば……。

 子どもどうしが何かトラブルを起こすと、サーッとやってきて、それを制したり、仲裁
したりするなど。こういう姿勢が日常化すると、子どもは自立できない子どもになってし
まう。せっかく「砂場」という恵まれた環境(?)の中にありながら、その場をつぶして
しまう。

 が、問題は、それで終わるわけではない。それについては、別の機会に考えてみる。

+++++++++++++++++++++

 しかし子どもの才能は、つくってつくれるものではない。無理をしてつくろうとしても、
たいてい失敗する。つまり『才能はつくるものではなく、見つけるもの』。それについて書
いた原稿(中日新聞掲載済み)が、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++++

●才能は見つけるもの

 子どもの才能は、見つけるもの。作るものではない。作って作れるものではないし、無
理に作ろうとすれば、たいてい失敗する。

 子どもの方向性をみるためには、子どもを図書館へつれていき、そこでしばらく遊ばせ
てみるとよい。一、二時間もすると、子どもがどんな本を好んで読んでいるかがわかる。
それがその子どもの方向性である。

 つぎに、子どもが、どんなことに興味をもち、関心をもっているかを知る。特技でもよ
い。ある女の子は、二歳くらいのときから、風呂の中でも、平気でもぐって遊んでいた。
そこで母親が、その子どもを水泳教室へいれてみると、その子どもは、まさに水を得た魚
のように泳ぎ始めた。

 こうした才能を見つけたら、あるいは才能の芽を感じたら、そこにお金と時間をたっぷ
りとかける。その思いっきりのよさが、子どもの才能を伸ばす。

 ただしここでいう才能というのは、子ども自身が、努力と練習で伸ばせるものをいう。
カード集めをするとか、ゲームがうまいというのは、才能ではない。また才能は、集団の
中で光るものでなければならない。

この才能は、たとえば子どもが何かのことでつまずいたようなとき、その子どもを側面
から支える。勉強だけ……という子どももいるが、このタイプの子どもは、一度、勉強
でつまずくと、そのままズルズルと、落ちるところまで落ちてしまう。そんなわけで、
才能を見つけ、その才能を用意してあげるのは、親の大切な役目ということになる。

+++++++++++++++++++++

 子どもの才能の発達については、(1)遺伝的要因説と、(2)環境的要因説がある。シ
ュテルンという学者は、これら二つのものが、相互にからみあいながら、子どもの才能は
決定づけられると説いた。

 これを「輻輳(ふくそう)説」という。「説」というほど、大げさなものではない。いわ
ば常識。

 遺伝的なものもあれば、そうでないものもあり、かりに遺伝的にすぐれていても、環境
が整わなければ、才能がしぼんでしまうということは、よくある。もちろんその反対もあ
る。

 しかしシュテルンの説によれば、そこには、「限界(閾値)」というものがあるという。
いくら遺伝的要因による才能がすぐれていても、それを伸ばす環境が、ある程度備わって
いなければ、その才能を伸ばすのは、無理ということらしい。

 そういえば、私などは、小学3年生のときに、バイオリン教室に通わされた。音楽など、
見たことも聞いたこともないない環境に生まれ育った、私が、である。聞くものといえば、
祖父母が好きだった浪曲が、歌舞伎とか、そんな類のものばかりだった。

 そんな私が、いきないバイオリン! 今から思えば、笑い話だが、では、その私に音楽
の才能がなかったかといえば、あったように思う。事実、私の3人の息子たちは、音楽と
は無縁の世界で仕事をしているが、その感性は、超一級である。(これはホント!)

 要するに、そのワクがあれば、よいということになる。それを用意するのは、親の役目
ということになる。それを基盤にして、伸びるか伸びないかは、あくまでも、子どもの問
題ということになる。
(はやし浩司 子どもの才能 子供の才能 環境的要因 遺伝的要因 環境 シュテル
ン)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●約束・規則・目標

 約束、規則、目標は、日常生活の中では、別々のものとして、考えられている。しかし、
共通点がある。

 これら3つを守る人は、どれも守る。守らない人は、そのどれも守らない。約束は守る
が、規則は守らないとか、規則は守らないが、目標は守るという人は、いない。

 この3つは、その基底部で、密接につながっている。

 子どもをみていると、それがよくわかる。約束や規則をしっかりと守る子どもは、目標
を定めて、それに向かって、前に進む。

 しかし約束や規則が守れない子どもに、目標を定めて、それに向かって進めと教えても、
たいていは、ムダ。

 以前、N君という中学生がいた。そのN君。約束など、あってないようなものだった。
守れないというより、約束という言葉の意味さえわからないといったふうだった。

 たとえば教室の中にある戸だなを開けてはだめと指示したとする。そのときは、「うん、
開けない」「約束する」と言う。

 しかし私がたとえばトイレへ行っている、ほんの少しの時間の間に、私の目を盗んで、
戸だなを開ける。「どうして約束を破ったの?」と聞くと、すかさず、「ごめん」という。
そこでさらに「ごめんと言うのは簡単なことだよ。どうして開けたの?」と聞くと、「……
ちょっと見てみたかっただけ」と、ポツリという。

 自己管理能力がないという点で、人格の完成度のかなり低い子どもといる。しかし原因
は、どうもそれではないようだった。

 実は、N君の母親も、約束を守らない人だった。そういう母親の影響を受けたとも考え
られるが、根はもっと、深い(?)。

 発達心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。その子ども(人)の、基
本的信頼関係は、生まれてすぐから、乳幼児期にかけて、母子の間で、構築される。

 何をしても許されるという(絶対的安心感)と、私は愛されているという(絶対的な満
足感)が、基本にあって、子どもは、母親に対して、絶対的な信頼関係を結ぶことができ
る。

 「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味である。

 この基本的信頼関係が、その子ども(人)の、精神力の「骨」をつくる。この「骨」が
あってはじめて、その子どもは、約束、規則、目標を守ることができるようになる。少し
飛躍した意見に聞こえるかもしれないが、私は、二匹の犬を飼ってみて、それを知った。

 それについて書いた原稿を、添付する。

++++++++++++++++++++++

【教育を通して自分を発見するとき】
 
●教育を通して自分を知る

 教育のおもしろさ。それは子どもを通して、自分自身を知るところにある。たとえば、
私の家には二匹の犬がいる。一匹は捨て犬で、保健所で処分される寸前のものをもらって
きた。これをA犬とする。もう一匹は愛犬家のもとで、ていねいに育てられた。生後二か
月くらいしてからもらってきた。これをB犬とする。

 まずA犬。静かでおとなしい。いつも人の顔色ばかりうかがっている。私の家に来て、
12年にもなろうというのに、いまだに私たちの見ているところでは、餌を食べない。愛
想はいいが、決して心を許さない。その上、ずる賢く、庭の門をあけておこうものなら、
すぐ遊びに行ってしまう。そして腹が減るまで、戻ってこない。もちろん番犬にはならな
い。見知らぬ人が庭の中に入ってきても、シッポを振ってそれを喜ぶ。

 一方B犬は、態度が大きい。寝そべっているところに近づいても、知らぬフリをして、
そのまま寝そべっている。庭で放し飼いにしているのだが、一日中、悪さばかりしている。
おかげで植木鉢は全滅。小さな木はことごとく、根こそぎ抜かれてしまった。しかしその
割には、人間には忠実で、門をあけておいても、外へは出ていかない。見知らぬ人が入っ
てこようものなら、けたたましく吠える。

●人間も犬も同じ

 ……と書いて、実は人間も犬と同じと言ったらよいのか、あるいは犬も人間と同じと言
ったらよいのか、どちらにせよ同じようなことが、人間の子どもにも言える。いろいろ誤
解を生ずるので、ここでは詳しく書けないが、性格というのは、一度できあがると、それ
以後、なかなか変わらないということ。

A犬は、人間にたとえるなら、育児拒否、無視、親の冷淡を経験した犬。心に大きなキ
ズを負っている。一方B犬は、愛情豊かな家庭で、ふつうに育った犬。一見、愛想は悪
いが、人間に心を許すことを知っている。だから人間に甘えるときは、心底うれしそう
な様子でそうする。つまり人間を信頼している。幸福か不幸かということになれば、A
犬は不幸な犬だし、B犬は幸福な犬だ。人間の子どもにも同じようなことが言える。

●施設で育てられた子ども

 たとえば施設児と呼ばれる子どもがいる。生後まもなくから施設などに預けられた子ど
もをいう。このタイプの子どもは愛情不足が原因で、独特の症状を示すことが知られてい
る。

感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなど
のクセがつきやすい(長畑正道氏)など。が、何といっても最大の特徴は、愛想がよく
なるということ。相手にへつらう、相手に合わせて自分の心を偽る、相手の顔色をうか
がって行動する、など。

一見、表情は明るく快活だが、そのくせ相手に心を許さない。許さない分だけ、心はさ
みしい。あるいは「いい人」という仮面をかぶり、無理をする。そのため精神的に疲れ
やすい。

●施設児的な私

実はこの私も、結構、人に愛想がよい。「あなたは商人の子どもだから」とよく言われる
が、どうもそれだけではなさそうだ。相手の心に取り入るのがうまい。相手が喜ぶよう
に、自分をごまかす。茶化す。そのくせ誰かに裏切られそうになると、先に自分のほう
から離れてしまう。

つまり私は、かなり不幸な幼児期を過ごしている。当時は戦後の混乱期で、皆、そうだ
ったと言えばそうだった。親は親で、食べていくだけで精一杯。教育の「キ」の字もな
い時代だった。……と書いて、ここに教育のおもしろさがある。他人の子どもを分析し
ていくと、自分の姿が見えてくる。

「私」という人間が、いつどうして今のような私になったか、それがわかってくる。私
が私であって、私でない部分だ。私は施設児の問題を考えているとき、それはそのまま
私自身の問題であることに気づいた。

●まず自分に気づく

 読者の皆さんの中には、不幸にして不幸な家庭に育った人も多いはずだ。家庭崩壊、家
庭不和、育児拒否、親の暴力に虐待、冷淡に無視、放任、親との離別など。しかしそれが
問題ではない。問題はそういう不幸な家庭で育ちながら、自分自身の心のキズに気づかな
いことだ。

たいていの人はそれに気づかないまま、自分の中の自分でない部分に振り回されてしま
う。そして同じ失敗を繰り返す。それだけではない。同じキズを今度はあなたから、あ
なたの子どもへと伝えてしまう。心のキズというのはそういうもので、世代から世代へ
と伝播しやすい。

が、しかしこの問題だけは、それに気づくだけでも、大半は解決する。私のばあいも、
ゆがんだ自分自身を、別の目で客観的に見ることによって、自分をコントロールするこ
とができるようになった。

「ああ、これは本当の自分ではないぞ」「私は今、無理をしているぞ」「仮面をかぶって
いるぞ」「もっと相手に心を許そう」と。そのつどいろいろ考える。つまり子どもを指導
しながら、結局は自分を指導する。そこに教育の本当のおもしろさがある。あなたも一
度自分の心の中を旅してみるとよい。

++++++++++++++++++++++

 で、問題は、実は、子どもではない。私や、あなたは自身は、どうかということ。

 たとえばこの文章を読んでいるあなたは、約束や規則、それに目標を守れるかというこ
と。またそういう人であるかということ。あるいは反対に、どこかチャランポランで、い
いかげんな人かもしれない。約束や規則など、あってないようなもの。目標などは、シャ
ツに書かれた文字のようなもの。飾りにもならない。

 実は、子どものころの私は、かなりチャランポランの人間だったような気がする。すべ
てを戦後のドサクサのせいにすることはできないが、当時は、そういう時代だった。(だか
ら私の年代の人間には、いいかげんな人間が多いのでは……?)

 そういう自分に気づき、そういう自分をなおそうと考えたのは、大学生活も終わり、オ
ーストラリアへ渡ったときのことだった。あの白人の世界では、ウソは、絶対、通用しな
い。嫌われるというより、一度、ウソをつくと、そのままのけ者にされてしまう。いわゆ
る日本式のいいかげんな言い方や、あいまいな言い方すら通用しない。

 YESか、NOか……。そんな世界である。

 一方私は、生まれながらにして、どこかいいかげんな言い方をしながら、その場を逃れ
るというようなことを平気でしていた。またそれが、私が生まれ育った地域では、ごくふ
つうのことだった。

A「どこへ行くのかね?」
B「ちょっと、そこまで」
A「寄って、お茶でも飲んでいかないかね?」
B「結構です。今、飲んできたところですから」と。

 Aは、「どこへ行く?」と聞く。本当に知りたいから、そう聞いたのではない。これは会
話を始めるための、儀式のようなもの。ついで、Aは、Bをお茶に誘ってはいるが、これ
も本気ではない。誘われたBも、それをよく知っている。またBは、「今、飲んできたとこ
ろです」と答えているが、これはウソ。Aも、それを知っている。知っていて、納得した
フリをする。

 どうして日本人が、こうまでウソつきになったかについては、また別のところで考える
として、私は、そういう環境の中で、生まれ育った。加えて、関西商人の流れをくむ、そ
の商人の家に生まれ育った。

 ウソが当たり前の世界だった。またウソをつくことで、仕事をし、生活をしていた。

 が、それだけでもなかった。私の両親は、明けても暮れても、いがみあってばかりいた。
はっきり言えば、「家庭」というものが、きわめて稀薄な環境だった。家庭の中に、私の居
場所すら、なかった。かろうじて私の心を家庭につなぎとめたのは、祖父母が同居してい
たからにほかならない。

 酒を飲んで暴れる父にかわって、祖父が、私の父親がわりをしてくれた。つまりここで
いう「基本的信頼関係」というものを、私は、ほとんど築かないまま、少年期を迎え、お
となになった。

 で、その私は、今、自分でもおかしいと思えるほど、約束や規則、それに目標を守って
いる。それはいわば、自分に対する、反動のようなものかもしれない。自分の中のいやな
部分を消すために、そうしている。(実際、心理学の世界でも、こういうのを、「反動形成」
と呼ぶ。本来の自分とはちがった自分を、自分の中に、その反動として形成していくこと
をいう。)

そして、約束や規則を守らない人を見かけたりすると、言いようのない不快感を覚える。
はっきり言えば、嫌い。

 しかし本当の私は、チャランポランな人間である。自分でも、それがよくわかっている。
乳幼児期に一度形成された自分は、そんなに簡単には、変わらない。自分でそれに気づい
たとしても、変えるのは、容易なことではない。

 もう1人の自分がどこかにいて、そういう自分を、別の心の中に押しこめているだけ。
しかしふと油断したようなときには、平気で顔を出す。そういう点では、忠誠心も弱い。
一見、まじめな人間に見えるかもしれないが、私は、決して、まじめな人間ではない。若
いころは、ヤクザの世界にあこがれたこともある。(ホント)

 そこでもう一歩、話を進めて、あなたの子どもを、約束や規則、それに目標を守れる子
どもにするのは、どうしたらよいかということを考えてみたい。

 考えるというより、もう結論は出ているようなものだが、ここに書いたように、生まれ
てからすぐ、子どもがまだ乳幼児のときに、母子の間で、基本的信頼関係を、しっかりと
築いておくということ。

 子ども自身が絶対的な安心感のもてる家庭環境で、子どもを育てるということ。それが
基本にあって、子どもは、約束や規則、それに目標を守れる子どもになる。

 よく言われるが、子どもの基本的な性格は、生後直後から、1、2年の間に形成される。
その中でもとくに重要なのが、最初の、半年から1年である。

 この時期は、とくに、ていねいな子育てをする。親の濃密な愛情をたっぷりとかけ、子
どもの側からみて、自然な形でやすらげる、落ちつきのある家庭環境を大切にする。

 叱ったり、大声を出したりして、子どもに恐怖感を与えるようなことは、タブー中のタ
ブー。「許して忘れる」、何があっても、「許して忘れる」。その度量の深さが、その子ども
を、好ましい子どもにする。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●多重人格障害(解離性同一障害)

 数か月前、ある会合で、あるドクター(研究者)に会った。その席で、「多重人格障害」
の話になった。

 そのドクターから、電話があり、「一度、来てみなさい」ということで、私は、1人の男
性と会うことができた。その男性は、そのドクターの患者の1人だった。年齢は、36歳。

 診断名は、そのドクターとの約束で、ここには、書けない。「あなたが、どう判断するか
は、あなたの勝手ですが……」ということだった。

 私は、八畳ほどの広さのある部屋に案内された。そこにそのドクターと、その男性が対
峙して、すでにすわっていた。そして、会話をしていた。私はその横で、その話を聞いた。

ド「ゴミ箱に、ごみは入れるよね」
男「ぼくじゃ、ない」
ド「でも、あのゴミには、あなたの名前が書いてあったよ」
男「犬が、捨てたかも」
ド「犬は、どこにもいないよ」と。

 その男性が、自分のもっていたゴミを、どこか捨ててはいけない場所に、捨てたらしい。
が、突然、男性の様子が変わる。

男「ぼくは、算数の問題ができない。ママが、怒る」
ド「今、ごみの話をしているんだよ」
男「90点取ったら、ママが、怒った」
ド「どうして、ゴミを、あんなところに捨てたのかな?」
男「ママが、ぼくをたたいた」と。

 その男性は、自分への追及をかわすためというよりは、別人格の人間になることで、そ
の場をのがれようとしていた。別人格になると、それ以外の人格のときにした行動を、忘
れてしまうらしい。

 あとでドクターに聞いた話によると、その男性には、4〜5種類の人格が同居していて、
それがそのつど、スルスルと、境目なく変化していくということだった。興奮したときは、
顔つきや、動作のし方まで変わってしまうということだった。テストの点数の話をしてい
たときの男性は、10歳前後の子どもだった。

 そして再び、ゴミの話。人格が、先の人格にもどったようだ。

ド「ゴミをあんなところに捨てたから、うちの看護婦たちも、困っていたよ」
男、突然、やさしい顔つきになって、「ごめんなさい」
ド「もう、してはいけないよ」
男「もう、しない」と。

 しかしこの男性にとっては、約束など、まったく意味がない。別人格になったときには、
その約束をしたという事実すら、忘れてしまう。ゴミを捨てるときの男性は、また別の男
性である。

 ただ記憶が相互にまったく途絶えるかというと、どうも、そうではないようだ。部分的
には、たがいに記憶が重なるところもあるという。だから「解離性同一障害」ともいう。「ご
めん」とあやまったとき、ゴミを捨てた自分とは別人格になりながらも、記憶のどこかで、
「ゴミを捨てた」という意識が残っていたことになる。

 その男性がそうなった原因は、母親の虐待ということだった。その男性の母親は、かな
り性格のはげしい人のようだった。怒りだすと、とことん、その男性を追いつめた。そう
いう育児姿勢が、その男性を、そういう男性にした。

私「その母親に、そういう自覚はあるのですか?」
ド「それが、まったくないみたいですね。自分では、子ども思いの、いい母親だと思いこ
んでいるみたいです」
私「いい母親?」
ド「その自覚のなさが、問題をこじらせているようです」と。

 ほんの30分ほどの経験だったが、私には、貴重な経験だった。本で読むのと、実際に、
患者に会ってみるのとでは、その衝撃度がちがう。私は、そのドクターに感謝しながら、
部屋を出た。

 (以上、この話は、かなりデフォルメして、記録する。)
(はやし浩司 多重人格 人格障害 解離性同一障害 二重人格)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【有名人論】

●有名人コンプレックス

 だれにも、有名人コンプレックスというのがある(?)。若い女の子たちが、アイドルの
歌手などを見かけたりすると、キャーキャーと騒ぐ。意味もなく興奮する。あれが、その
ひとつ。私も若いころ、そんなような気分になったことがあるので、「だれにも」と書いた。

 なぜか?

 実は、自分も、そう扱われたいからである。みなに、チヤホヤされたい。そういう思い
が、カガミに反射するように、今度は、それが有名人コンプレックスに変身する。

 よくある例は、そのアイドルのまねをする。たとえばそのアイドルが着ている服と同じ
服を着て、心を満たすなど。心理学でも、これを「同一視」という。自分をそのアイドル
と同一視することで、自分の中の不満を、満足させる。

 そこでこの有名人コンプレックスを、分析してみる。

(1)有名になりたい……自分の存在感や優越性を、高めたいという意識が、「有名になり
たい」という意識の基盤になる。

(2)有名になることにまつわる幻想……有名になれば、それだけ金銭的にも恵まれ、幸
福感の充実度も変わってくるという幻想に包まれる。

 その意識構造は、いわゆる「出世欲」と似ている。概して言えば、男性は、「出世」にあ
こがれ、女性は、「有名」にあこがれる(?)。つまりこうして「自分は、他人より、すぐ
れた人間である」ということを、自ら証明する。

 もう少しわかりやすく分析するために、私自身のことについて、書いてみる。

●私の経験から

 この日本では、(とくに男性の社会ではそうだが……)、地位と肩書きで、その人の「価
値(?)」が、判断される。封建時代からつづいた、権威主義が、その背景にある。何かに
つけ、日本人は、その権威に弱い。水戸黄門の、あの葵の紋章が、そのよい例である。

 葵の紋章を見せつけられただけで、人々は、みな、地面に頭をこすりつける。ただ単な
る儀式というよりは、当時は、そういう時代だった。権威そのものが、カルト化していた
ためと考えてよい。

 そうした「権威」を、私がはっきりと意識したのは、ある出版社で、ある雑誌の編集の
仕事を手伝っていたときのことだった。

 編集部員たちの態度が、相手の肩書きに応じて、おかしいほどに変化するのだ。どこか
らの大学の教授からの電話というだけで、ペコペコ、ヘコヘコとした言い方になる。それ
が小学校の教師となると、どこか、ぞんざい。さらに幼稚園の教師となると、まるで友だ
ちどうしのような話し方になる。

 私など、まさに番外。「ねえ、林さん……」という調子であった。

 一片の地位もない、肩書きもない、外の世界から見れば、私とどこも違わないヒラの社
員が、そうするから、おかしい。(「自分だって、ヒラくせに……」と、私は、何度も、心
の中で、そう思った。)

 つぎにその出版社で感じたのは、何かにつけて、有名人を起用したがるということ。表
紙のモデルにしても、エッセーにしても、アイドルにしても、すべて、だ。少しでも有名
で、(そして料金の安い)、少しでも話題になっていれば、だれでもよい。そんな雰囲気だ
った。

 中身は、つぎのつぎ。

 驚いたのは、小学生用のワークブックを見たときのことだった。巻末には、大学の教授
名と、大学名が、20〜30人ほど、並んでいた。

 大学の教授が、いちいち、そんなワークブックの編集の仕事など、しない。しないこと
は、私が一番、よく知っている。

 たいていは、ワークブックができあがった段階で、おうかがいを立て、肩書きと名前を
いただく。そういうシステムが、当時、すでにできあがっていた。(今も、基本的には、ほ
とんど変わっていない。)

 要するに権威に弱い、親だましのようなもの。当時は、「大学の教授」というだけで、親
たちも、ハハーと頭をさげた。

 私は、「おもしろい世界だな」と、いつも、そう思っていた。

●「有名」という魔力

 地位や肩書きはともかくとして、「有名」には、恐ろしいほどの魔力がある。そしてその
魔力には、二つの方向性がある。

 一つは、ここにも書いたように、「有名になりたい」という魔力。もう一つは、「有名人
に卑屈になる」という魔力。

 前者は、有名人を遠くに感じたときに、その魔力を覚える。後者は、有名人を近くに感
じたときに、その魔力を覚える。

 こうした魔力を打ち破るには、二つの方法しかない。

 ひとつは、自分人が有名になる。しかしこれには、際限がない。どこまでいっても、上
には上がいる。有名であるかないかは、あくまでも、相対的なものでしかない。

 先日も、私は幼稚園児たちにこう言った。「ぼくは、有名人だよ」と。すると子どもたち
が、「ウソだア!」と叫んだ。

 そこで私が、「じゃあ、BWの林先生を知っている人は、手をあげてごらん」と言った。
それにつられて、全員、手をあげた。「だろ、みんな、林先生のことを知っているだろ。だ
からぼくは有名人だよ」と。

 もうひとつは、自分の中に、実力を養う。相手を、簡単に打ち負かすだけの、実力を養
う。その実力を、自分の中にしっかりと感じたとき、先に書いた、「卑屈性」がなくなる。

 有名になるかならないかは、あくまでも結果。結果だけを追い求めても、意味はないし、
それはいわば、化けの皮。そんな化けの皮をかぶっていても、かえって、自分が不安にな
るだけ。

●あとはトップに会う

 こうした有名人病と闘うためには、機会があれば、トップと言われている人に会うとよ
い。

 私は幸運にも、オーストラリアの大学へ留学しているときに、そのトップの人たちと、
毎日のように会話をすることができた。

 学者はもちろん、研究者や政治家の人たちとも会った。今から思うと、夢のような毎日
だった。「本当に現実だったのだろうか?」と思うこともある。

 で、今から思うと、幸だったのか、不幸だったのか、よくわからない。言うなれば、人
生の入り口で、生意気を通りこして、有頂天になってしまった。山登りでいえば、世界最
高峰の山を、最初に、ヘリコプターか何かで、降り立ってしまったような状態である。

 だからそのあと、山登りの楽しさを、身につけることなく、この世界を、山の頂上から
見る目だけをもってしまった。

 だから日本へ帰ってきた当時は、有名人と言われる人には、まったくといってよいほど、
興味はなかった。どんな地位や、肩書きのある人でも、平気で会って、話をすることがで
きた。

 しかし私のほうが、おかしかった。私は、あまりにも、世俗的な常識とは、かけ離れす
ぎてしまった。有名人といっても、タレントのように、マスコミの世界で作りあげられた
有名人は別として、実力ではいあがった有名人もいる。

 そして今、私も57歳にして、はじめて、その(有名人)と、決別することができた。
心の中から、消すことができた。「有名人になりたい」という、そういう願望は、遠い昔に
消えたが、有名人に弱いという卑屈性について、である。

 その卑屈性が、ある日を境に、ちょうど、山が崩れるように、心の中で崩れていった。
それは、はっきりと自覚できるような変化だった。なぜそうなったかについては、また別
の機会に書くことにして、それは私にとっても、特異な経験だった。

 やはり重要なのは、実力だ。中身だ。自信だ。そういうものが、その卑屈性を、打ち破
る。有名になるかどうかは、あくまでもその結果だが、もう、それとて、どうでもよくな
る。

 ハハハ。こんなチッポケな地球の、こんなチッポケな日本で、ドングリの背くらべのよ
うなことをして、何になる? ……つまりは、そういう心境になる。ハハハ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生きていくしかない

 ひしひしと迫りくる孤独感。
 この孤独感は、どこかくるのか?

 何をしても、充実感がともなわない。
 心だけが、やたらと空回りする。

「いや、ちがう」「そうではない」と。
 袋小路に入ったような閉塞感。

 すぐそこまで来ているはずなのに、
 その先が見えない。わからない。

+++++++++++++++++++++++

 こういうのを不安神経症という。ワイフは、そう言う。軽いのか、重いのか、私にはわ
からない。しかしときどき、私は、そうなる。

 ゆいいつのなぐさみは、こうした孤独感は、だれにでもあるらしいということ。しかも
まじめに生きる人ほど、そうなる。無責任に、いいかげんに生きるほうが、ずっと気が楽。
自分でも、それがわかっている。

 ……ということで、これは私だけの問題ではない。あなただけの問題でもない。そう思
うことで、自分の荷を軽くする。

 とりあえずの楽しみは、今度の水曜日に、新型のパソコンが届くこと。毎日、カタログ
を見ながら、どう使おうかと、そればかりを考える。

 つぎの楽しみは、x月に、二男が、孫の誠司をつれて、日本へやってくること。さらに
何年か先に、三男が、パイロットになる。よい仕事だとは思わないが、しかしパイロット
になるのは、私の夢だった。親が親なら、子も子だ。どうして反対など、できようか。

 親としては、精一杯、知らぬ顔をして、つまりとぼけて、笑顔を見せることでしかない。

 まあ、そういうふうに考えて、順に心を軽くしていく。何はともあれ、私は健康だ。今
のところ、頭も、ボケていない。それに毎朝、起きるのが楽しみだ。朝起きて、一番に、
パソコンの前にすわって、原稿を書き始める。たったそれだけのことかもしれないが、そ
れが私にとっては、生きがいになっている。

 その生きがいがあるだけでも、私は感謝しなければならない。

++++++++++++++++++

 孤独は、私の友だち。仲間。私の一部。
 心配になるのも、不安になるのも、
 それは、私が私であるから。

 さあ、明日も元気にがんばって生きていこう。
 歯をくいしばって。背筋をピンと伸ばして。
 
 明日も、何かいいことがあるかもしれない。
 そう思って、未来に希望をつないで生きていく。
 それがよいとか悪いとか、そんなことを
 考えても意味はない。考えている余裕もない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●愛知万博(その2)

 昨日、EXPO'05、「愛知万博」の会場へ行ってきた。まだあちこちで、工事が進行
中という状態だった。

 その印象記を、私は書いた。HPに載せた。それを読んでワイフが、「あなた、あんな過
激なことを書いていいの?」と。

 ワイフは、私が、「よほどのことがないかぎり、(万博へは)、2度と行かない」と書いた
ことについて、「過激すぎる」と言った。ワイフは、「愛知県の人が読んだら、怒るわよ」
と。

 たしかに過激な意見だ。

 一瞬、ワイフがそう言うのだから、訂正しようと思った。しかし昨日、私がそう感じた
のは事実だし、またそう書いた記事を、今日になって訂正するというのも、いやなことだ。

 ただやはり、問題は、アクセス方法(行き方)だと思う。

 昨年、浜名湖で花博が開かれた。こちらは、たいへんな好評だった。私も、最初は、そ
れほど期待していなかったが、行ってみてびっくり。ここかしこ、随所に、主催者の(温
もり)を感じた。

 ほんの小さなすき間にすら、ボランティアの人たちが手をほどこしたのだろう、きれい
な花が、ていねいに植えられていた。そういうこまかな心配りが、うれしかった。

 その花博へのアクセス方法は、いくつかあった。メインは、マイカーによる方法だが、
周辺数箇所に、広大な駐車場が用意されていた。そしてそこからは、シャトルバスが、数
珠(じゅず)のように連なっていた。それがひっきりなしに、客を運んでいた。

 それでも、バス乗り場には人が並び、混雑した。

 が、昨日見たところ、地下鉄東山線は、そうでなくても、ふつうの通勤路線。そこへ毎
日、10万人もの人が、さらに押し寄せたら、どうなるのか? 私は、それを心配した。
リニモのチケット売り場にしても、一か所しかなかったのでは? 確かめていないので、
よくわからないが、そのチケットブースも、10個くらいしかなかったような気がする。

 それぞれの客が、290円の料金(公園西駅)までの切符を買うのに、15秒ずつかか
るとすると、1分間に処理できるのは、4x10台の40人。1時間で、2400人。こ
うした計算をするだけでも。ゾーッとする。

 現に昨日ですら、名古屋駅の地下道程度には、すでに混雑していた。開会式前、12日
というのに、だ。

 ほかにも、アクセス方法は、いろいろ用意されているという。地下鉄で行くのだけが、
ゆいいつの方法ではないらしい。だから私のようなものが心配しても、はじまらない。

 私はその混雑ぶりを頭の中で想像しながら、「二度と……」と書いた。

 で、もし行くなら、各地方にある、バス会社が主催する、パッケージ・ツアーが、よい
のではないかと思う。マイカーや、電車はできるだけ避けたほうがよいのではないかと思
う。

 今は、その程度しか、書けない。開会すれば、いろいろな催し物もにぎやかになると思
う。ぐんと楽しくなると思う。今は。それに期待するしかない。

 そうそうオーストラリアやアメリカの友人たちが来たら、私は、バス会社のツアーで行
くつもり。そのほうが便利だし、気をつかわなくて、すむ。今朝、そのチラシを見たら、
一人7300円〜7600円(日帰り、浜松から、入場券つき)とあった。

 プラス、飲食代。(浜名湖花博のときは、会場内での飲食代が、メチャメチャ、高額だっ
た。飲食代は、かなり覚悟して行ったほうが、よさそう!)

【補記】

 どうも私、懐疑的なんですねえ。(だんだん、そうなってきました。)

 「必要だから、やる」と言うのではなく、今回のEXPO'05には、最初に、万博あ
りき……という姿勢を感じてしまうんですねえ。

 官僚と政治家、それにゼネコンが一体となった万博(?)。「どうやって、マネーをもう
けようか」と、そんなことばかりを、どこかでだれかが、考えている(?)。そんな印象を
感じてしまったんですねえ。

 全国津々浦々の、小さな村にでさえ、場違いなほど立派な、「箱物」が並んでいる。一日
に、車が数台も通らないような山道ですら、完全舗装の道路が走っている。

 そういう事実を、私たちはいやというほど、日常の生活の中で、見せつけられている。
だからどうしても、懐疑的になってしまうんですねえ。政府に対する不信感というか、そ

ういうものです。

 何も考えなければ、お祭り騒ぎですむのですが……。

 今回も、「愛・地球博」というくらいなら、全国の、無数の自然保護団体が集まって、そ
ういう人たちが主催するような博覧会だったら、よかったと思うんですがねえ。しかし私
が見たところ、そういう会場は、どこにも、なかったような気がしますよ。

 たとえば「長良川、河口堰(ぜき)反対運動は、こうして戦いました」「四万十川の清流
は、こうして守りました」「名古屋湾の湿原は、こうして守りました」というような、主張
です。

 が、目につくのは、ビール会社の建物とか、自動車会社の建物とか、電気会社の建物と
か、そんなものばかり……。

 無数の自然保護団体があって、それら一つひとつが、成長し、熟成し、その結果として、
「自然を愛しましょう」、そのための「愛・地球博」というのなら、私にも、話がわかるの
ですが……。

 小さくてもいい。貧弱でもいい。「私たちは、こうして日本の自然を守っています」とい
う、主張がほしいのです。「日本人も、おとなになったなあ」という雰囲気です。

 マンモスの骨もいい。ロボットの踊りもいい。リニアモーターカーもいい。しかしそれ
らが、どうして、「愛・地球」につながるのかな?

 この原稿は、愛知万博が終わる、6か月後に、また読みなおしてみたいと思っています。
つまりね、いつも、私が言っていることなんですが、「だから、それがどうしたの?」とい
う部分がないまま行動しても、空回りに終わってしまうということなんです。万博が終わ
ったとき、私たちがどうつくりあげていくかということなのです。

 ただ見ただけ。ただおもしろかっただけ。それではすまされないということです。巨額
の税金を使い、同じように巨額の国民のお金を使うのですからね。

 手段ばかりで目的が、どうも見えてこない。そんな感じがしてしまうのです。「万博をし
た。だからどうなの?」と。

 かなりきびしい意見で、ごめん! 


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●官製「愛・地球博」のおかしさ

 どうして今まで気がつかなかったのだろう? ホント! この分野については、あまり
考えたことがないせいかもしれない。

 今度、愛知県で、EXPO(愛知万博)が開かれる。閣議了承を経た、国家的プロジェ
クトだが、考えてみれば、官製の「愛・地球博」というのは、どう考えてもおかしい(?)。
「日本政府は、国民を代表して、地球を愛しています」「大切にしています」「地球環境を
守っています」と。

 こういうのを、官製プロパガンダという。

 あのK国が、「K国はすばらしい」と、言っているのに、どこか似ている。

 で、この日本でも、さまざまな環境問題が起きている。それに対して、さまざまな団体
が、そうした問題と戦っている。

 私が一番関心があるのは、『長良川河口堰(ぜき)の問題』。長良川の出口に河口堰を作
ったため、アユの遡上が90%近くも減ったという。ほかにも、いろいろある。当初は、「河
口堰の影響は、微小で、取るにたりないもの」というのが、行政側の説明だった。が、実
際には、微小どころか、たいへんな影響が出始めている。

 で、河口堰に反対している団体が、どこかにブースをもち、「愛・地球博」というのなら、
話がわかる。しかし一方で、自然をさんざん破壊しておきながら、その行政側が、「自然の
すばらしさ?」を訴えるというのも、どうか?

 土建国家日本が、その土建業の行き先を求めて、愛知万博(?)。いろいろ考えていくと、
おかしなことだらけ……。今回も、開幕前だったが、愛知万博をのぞかせてもらった。そ
してあちこちを歩いてみたが、肝心の「庶民」の姿が、どこにも見えてこない。

 まさに官製万博。私は歩きながら、やがて、「こうした万博で利益をあげるのは、だれだ
ろう」と考え始めた。

 だれだろう?

 だいたいにおいて、目的が、よくわからない。「だからどうなの?」という部分が、どう
しても見えてこない。たとえば今度の万博の目玉の一つに、ロシアが出品するマンモス象
がある。

 たいへん珍しく、貴重なものらしい。しかしそれを見た私たちは、それを見て、どうす
るのか? ひょっとしたら、大半の人は、「ほほう」「そうか」で終わってしまうのではな
いのか。

 だからといって、それがムダとは思わないが、しかしそれが「愛・地球」とどこで、ど
う結びつくのかということになる。環境保護問題と、どこでどうつながるのかということ
になる。「娯楽と考えればいい」という人もいるが、娯楽にしては、ぜいたくな話というこ
とになる。

 当初から、今回の万博には、反対者が多かったと聞く。開催地のある地元でも、約50%
の人が反対しているという話を聞いたこともある。名古屋市の人にいたっては、もっと多
い(?)。

 このあたりで、日本人も、ものの考え方を、少し変えたほうがよいのかもしれない。た
とえば、こうだ。

 地球がかかえる問題にしても、草の根レベルで懸命に活動している人は、いくらでもい
る。そういう人たちが、無数のブース(部屋)を並べて、自分たちの活動を報告するとか、
賛同者を求めるとか。

 いや、それ以前の問題として、そういう活動を、もっと広げていく。もっと多くの人が、
日常的に関心をもち、活動できるようにする。その結果としての、「愛・地球博」であった
ら、すばらしい。また、本来は、そうでなければならない。

 次回、何かの機会に、同じような企画が立てられ、意見を求められたら、そのときは、
そう発言したい。(多分、もうそういう機会は、ないだろうが……。)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 11日(No.553)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page056.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心のぬくもり

 概して言えば、都会の子どもたちは、心が冷たい。田舎の子どもほど、心が暖かい。理
由が、ある。そういう意見は、よく聞く。

 1人と1人の人間は、1本の人間関係をつくる。2人では、それは1本。3人では、3
本だが、4人になると、突然、6本になる。(4辺+対角線の2本で、6本。私はこれを「対
角線理論」と呼んでいる。)

 5人になると、5x2÷2+5=10本、6人になると、6x3÷2+6=15本とな
る。

 つまり人間の数がふえればふえるほど、一対一の人間関係は、飛躍的にふえる。が、1
人の人間には、処理できる能力に、限界がある。

 この限界を超えた状態を、「過剰負荷環境」という。わかりやすく言えば、オーバーヒー
トということになる。

 この過剰負荷環境に置かれると、人は、その環境を整理しようとする。つきあう人と、
そうでない人を分けるのも、それ。そしてそれが、ときとして、相手に(冷たい人)とい
う印象を与えるようになる。

 都会の子どもほど、どこか冷たい感じがするのは、そのため。

 実は、こうした問題は、加齢とともに、深刻さをます。元気がなくなり、処理できる人
間関係が、しぼんでくる。30代のころは、100人くらいとつきあえた人でも、50代
になると、50人くらいに減ってくる。そしてその50人でも、過剰負荷環境となる。

 本当は、冷たくなるのではなく、疎遠になるのだが、他人には、冷たくなったと誤解さ
れる。私のばあいで考えてみよう。

 毎年、暮れになると、年賀状で悩む。出すべきか、出さざるべきか、と。30歳のころ
までは、何百枚という年賀状を、1か月近くかけて、手書きで書いていたこともある。輪
転機で印刷するにしても、それにやはり手書きで、彩色をほどこしたりしていた。もちろ
ん宛て名は、手書き。

 が、それも疲れてきた。プリントxxxという、はやりの簡易印刷機を使ったこともあ
る。で、今は、もっぱら、パソコン。

 便利だが、便利すぎて、かえって、年賀状を出す意味が薄れてしまった。宛て名も、簡
単に書けてしまう。文面も、簡単に書けてしまう。(「書く」というより「印刷」だが……。)
とたん、年賀状に対する興味をなくしてしまった。

 これと同じ現象が、生活のあちこちで起き始めている。

 若いころは、1人ひとりの相手の顔を想像しながら、その相手に向って何かをした。が、
今は、その相手が、(かたまり)になり、どこか大量生産型になってしまった。

 先日も、少し、話がそれるが、こんなメールによる相談があった。

 内容はともかくも、宛て先に、こうあった。

「はやし浩司のHP,子育て相談係御中」と。

 多分その相談してきた人は、同じ文面の相談内容を、あちこちの育児サイトに送ったの
だろう。この世界では、コピーは、簡単にできる。だから、宛て先が、ありもしない「相
談係御中」となっていた。

 しかし相談に答えるというのも、結構、たいへんなこと。私としては、そのメールは、
削除するしかなかったが、私がここでいう(冷たさ)というのは、そういう(冷たさ)を
いう。

 その(限界)を感じたとき、人は、結局は、自分の巣に舞いもどる。そしてもう一度、
自分の周囲を見なおす。「これでいいのか?」と。

 話がどんどんと脱線してしまったようだが、大量の人間にかこまれて、ドドーッ、ドド
ーッと、生活するからといって、それで、その人の人間性が豊かになるとはかぎらない。
むしろ事実は逆で、1人かとか2人とか、多くても数人とかの範囲で、濃密に交際するこ
とのほうが、その人にとっては、重要なことではないかと思う。

 教育についていうなら、たしかな根拠があるわけではないが、1学年は、せいぜい、2
0〜25人。1クラスは、12〜3人くらいが、適切ではないのか。本当に、ぬくもりの
ある教育をしようと考えるなら、である。

 この原稿のしめくくりとして……。

 私はまだ、対角線もつ幻想にしがみついているような気がする。対角線は、多ければ多
いほど、よい、と。

しかしそれ以上に重要なことは、数は少なくても、1本、1本の対角線をより太くして
いくことではないか。これは心の温もりを求めるというよりも、「私」自身をとりもどす
ためにも、重要なことではないかと思う。

 「都会に住む子どもは冷たい」という意見を聞いて、私は、そんなことを考えた。
(はやし浩司 人間関係 過剰負荷環境 対角線理論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもと笑い】

●笑うと健康」裏づけ(組織刺激され血行増進)

 笑うと、血液の流れがよくなるそうだ。それだけではないと思うが、「笑うこと」には、
不思議な力がある。それは私自身が、幼児教育の場で、日常的に実感していることでもあ
る。

今度、アメリカ・メリーランドのマイケル・ミラー医師らが、こんな発表をした。

いわく、「血管の内側にある組織が刺激を受けて、血液の流れがよくなることが、調査で
明らかになった。『笑いは健康にいい』との説が医学的にも裏づけられた形だ。なぜ笑う
とこの組織が活性化されるのかまでは突きとめられなかったが、同医師は『ストレスか
らくる血行障害のリスク、減らすことができる』と、笑いの効用を力説している」と。  
(時事通信・05年3月15日 )

+++++++++++++++++++++

教室での笑いについては、たびたび、書いてきた。

+++++++++++++++++++++

【今週の幼児教室から】

●笑えば、伸びる

 言いたいことを、言う。したいことを、する。これが幼児教室の基本である。おさえる
のは、簡単。その時期がきたら、少しずつ、しめていけばよい。

 今週は、(数)をテーマにした(月曜日クラス)。

 この時期は、(教えよう)(教えてやろう)という気持ちは、控えめに。大切なことは、
子ども自身が、数を好きになること。数を、楽しいと思うようになること。が、それ以上
に、大切なことは、子どもが、自信をもつこと。決して、おとなの優位性をおしつけては
いけない。

 7個のリンゴを、わざとまちがえて数えてみせる。すると子どもたちは、「ちがう、7個
だ!」と叫ぶ。そこで改めて、数えてみせる。そして「ああ、7個だったのかあ?」と、
とぼけてみせる。

 が、その日は、それですんだわけではない。さらに、私を責めた子どもがいた。「あんた、
先生でしょ!」と。そこで私は、こう言ってやった。

 「君、まだ幼稚園児だろ。だったら、そんなにしっかりと勉強しなくていい。もっと、
ぼんやりと勉強しなさい。あのね、幼稚園児というのは、指をしゃぶって、おしりからプ
リプリと、出しながら勉強するものだよ。わかっている?」と。

 すると子どもたちが、ワイワイと反発した。しかしその反発こそが、私のねらいでもあ
る。

 「あのね、わかっていないな。勉強なんてものはね、適当にやればいいの。そんなにし
っかりやると、頭がへんになるよ!」と。

 すると子どもたちは、「ちがう、ちがう」と叫ぶ。つまりそうやって、子どもを、こちら
のペースにのせながら、指導していく。あとは、子ども自身がもつ、伸びる力に任せれば
よい。

 だいたいにおいて、子どもというのは、伸ばそうと思っても伸びるものではない。大切
なことは、子ども自身がもつエネルギーを、うまく利用すること。それをうまく利用すれ
ば、子どもは、伸びる。

 さて、子どもを明るい子どもにするには、方法は、一つしかない。つまり、笑わせる。
大声で、笑わせる。それにまさる方法はない。だから私の教室では、子どもを笑わせるこ
とを、何よりも大切にしている。1時間なら1時間、笑わせぱなしにすることも、珍しく
ない。

 笑うことにより、子どもの心は、開放される。前向きな、学習態度も、そこから生まれ
る。『笑えば、伸びる』、それが私の、この35年間でつかんだ、幼児教育の真髄である。
(031029)

【追記】

 最近の研究では、ストレスと免疫系の関係などが指摘されているが、それと反対に、「笑
い」には、不思議な力が隠されている。これから先、大脳生理学の分野で、少しずつ、そ
の「力」が解明されていくだろうと思う。

+++++++++++++++++++++++

●私の実験教室「BW教室」

 幼児を教えるようになって、35年になる。この間、私は4つのことを、守った。(1)
すべて授業は公開し、親の参観をいつでも自由にした。(2)教材はすべて手作り。市販の
教材は、いっさい使わなかった。(3)同じ授業をしなかった。(4)新聞広告、チラシ広
告など、宣伝をしなかった。

 まず(1)授業の公開は、口で言うほど、楽なことではない。公開することによって、
教える側は、手が抜けなくなる。教育というのは、手をかけようと思えばいくらでもかけ
られる。しかし手を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリントを配って、そ
れだけですますこともできる。そこが教育のこわいところだが、楽でない理由は、それだ
けではない。

 授業を公開すれば、同時に子どもの問題点や能力が、そのまま他人にわかってしまう。
とくにこのころの時期というのは、親たちが神経質になっている時期でもあり、子どもど
うしのささいなトラブルが大きな問題に発展することも珍しくない。教える側の私は、そ
ういうとき、トコトン神経をすり減らす。

 (2)の教材についてだが、私は一方で、無数の市販教材の制作にかかわってきた。し
かしそういう市販教材を、親たちに買わせたことは一度もない。授業で使ったこともない。
出版社から割引価格で仕入れて、親たちに買わせれば、それなりの利益もあったのだろう
が、結果として振り返ってみても、私はそういうことはしなかった。本もたくさん出版し
たが、売るにしても、希望者の親のみ。しかも仕入れ値より安い値段で売ってきた。

(3)の「同じ授業をしない」については、二つの意味がある。年間を通して同じ授業を
しないという意味と、もう一つは、毎年、同じ授業をしないという意味である。

この10年は、何かと忙しく、時間がないため、年度ごとに同じ授業をするようになっ
た部分もあるが、それでもできるだけ内容を変えるようにしている。ただその年の授業
の中では、年間をとおして同じ授業をしない。これには、さらに二つの意味がある。

 そういう形で子どもの心をひきつけておくということ。同じ授業をすれば、子どもはす
ぐあきる。もう一つは、そうすることによって、子どもの知能を、あらゆる方向から刺激
することができる。

 最後に(4)の宣伝については、こうしてインターネットで紹介すること自体、宣伝と
いうことになるので、偉そうなことは言えない。それに毎年、親どうしの口コミ宣伝だけ
というのも、実のところ限界がある。

ある年などは、1年間、生徒(年中児)はたったの3人のままだった。例年だと、親が
ほかの親を誘ってくれたりして、生徒が少しずつふえるのだが、その年はどういうわけ
だかふえなかった。

 私の実験教室の名前は、「BW(ビーダブル)教室」という。「ブレイン・ワーク(知能
ワーク)」の頭文字をとって、「BW」とした。「実験」という名前をつけたのは、ある時期、
大きな問題のある子どもだけを、私の方から頼んで、(そのため当然無料だったが)、来て
もらったことによる。

私の教室は、いつも子どもたちの笑い声であふれている。「笑えば伸びる」が、私の教育
モットーになっている。その中でも得意なのは、満四・五歳から満五・五歳までの、年
中児である。興味のある人は、一度訪れてみてほしい。ほかではまねできない、独自の
教育を実践している。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもへの禁止命令 
 
 「〜〜をしてはダメ」「〜〜はやめなさい」というのを、禁止命令という。この禁止命令
が多ければ多いほど、「育て方」がヘタということになる。イギリスの格言にも、『無能な
教師ほど、規則を好む』というのがある。家庭でいうなら、「無能な親ほど、命令が多い」
(失礼!)ということになる。

 私も子どもたちを教えながら、この禁止命令は、できるだけ使わないようにしている。

たとえば「立っていてはダメ」というときは、「パンツにウンチがついているなら、立っ
ていていい」。「騒ぐな」というときは、「ママのオッパイを飲んでいるなら、しゃべって
いい」と言うなど。また指しゃぶりをしている子どもには、「おいしそうだね。先生にも、
その指をしゃぶらせてくれないか?」と声をかける。禁止命令が多いと、どうしても会
話がトゲトゲしくなる。そしてそのトゲトゲしくなった分だけ、子どもは心を閉ざす。

 一方、ユーモアは、子どもの心を開く。「笑えば伸びる」というのが私の持論だが、それ
だけではない。心を開いた子どもは、前向きに伸びる。イギリスにも、『楽しく学ぶ子ども
は、もっとも学ぶ』(Happy Learners Learn Best)というのがある。

心が緊張すると、それだけ大脳の活動が制限されるということか。私は勝手にそう解釈
しているが、そういう意味でも、「緊張」は避けたほうがよい。禁止命令は、どうしても
その緊張感を生み出す。

 一方、これは予断だが、ユーモアの通ずる子どもは、概して伸びる。それだけ思考の融
通性があるということになる。俗にいう、「頭のやわらかい子ども」は、そのユーモアが通
ずる。以前、年長児のクラスで、こんなジョークを言ったことがある。

 「アルゼン・チンの(サッカーの)サポーターには、女の人はいないんだって」と私が
言うと、子どもたちが「どうして?」と聞いた。そこで私は、「だってアル・ゼン・チン!、
でしょう」と言ったのだが、言ったあと、「このジュークはまだ無理だったかな」と思った。

で、子どもたちを見ると、しかし一人だけ、ニヤニヤと笑っている子どもがいた。それ
からもう四年になるが、(というのも、この話は前回のワールドカップのとき、日本対ア
ルゼンチンの試合のときに考えたジョーク)、その子どもは、今、飛び級で二年上の子ど
もと一緒に勉強している。反対に、頭のかたい子どもは、どうしても伸び悩む。

 もしあなたに禁止命令が多いなら、一度、あなたの会話術をみがいたほうがよい。
 
+++++++++++++++++++++

●信頼関係

 知人や友人の中には、愛人のいる人がいる。ほとんどは遊びで交際しているが、しかし
私は、そういう知人や友人は、その時点から信用しないことにしている。妻を平気で裏切
るような人は、仲間を裏切ることなど、何でもない。が、問題は、それだけではすまない。

 ある女性(四六歳)はこう言った。「私の夫は、10年ほど前、同じ会社の女性と不倫を
したことがあります。その事件は一応、解決したのですが、以後、女性から電話がかかっ
てくるたびに、夫を疑うようになってしまいました」と。「夫がだれかと小声でヒソヒソと
話しているのを見ただけで、心臓がドキドキします」とも。

 一方、夫は夫で、妻を信用しなくなる。昔から、『泥棒の家は、戸締りが厳重』という。
自分に負い目がある分だけ、「もしや妻も……」と思ってしまうらしい。そしてそうしたた
がいへの不信感が、結局は夫婦の関係をぎくしゃくさせる。

 子どもの教育についても、同じことが言える。よく「教育は信頼関係で成りたつ」とい
う。事実、その通りで、この信頼関係が崩壊すると、教育そのものが成りたたなくなる。
いろいろな例がある。
 
 たとえば子どもがしたワークブックに丸をつけて返したとする。そのとき、私のほうは、
多少まちがっていても、大きな丸をつけて返すときがある。こまごまとした指導になじま
ない子どもは多い。むしろそれより大切なことは、子どもが学習することを楽しんだこと。
やり終えたという達成感を覚えること。そして「これくらいできればいいよ」というおお
らかさが、子どもを伸ばす。が、それがわからない親が多い。

「わからない」というより、そういう指導を、「いいかげん」と評価してしまう。今でも
ときどき、電話でこう言ってくる人がいる。「うちの息子(小一)の書いた漢字の、トメ、
ハネ、ハライがめちゃめちゃだ。どうしてなおしてくれないのか」と。そういうことを
指導するのが、教育と思い込んでいる!

 が、こうした私の指導は、誤解を招きやすい。ほかにたとえば私は、子どもが「わから
ない」と言ってきても、簡単には教えない。その子どもの能力からして、少し考えればわ
かるだろうと思うようなときは、「自分で考えなさい」と突っぱねる。それについても、「あ
の林先生は、きちんと教えていない」と。

 信頼関係があれば、こうした誤解は、生まれない。私が同じことをしても、私がしたこ
とを、よい方向から見てくれる。が、この信頼関係は、ちょっとしたことでこわれる。た
だこわれかたはさまざまだし、簡単にこわれる人もいるし、そうでない人もいる。そうい
う違いはあるが、こわれるときは、簡単にこわれる。こんなことがあった。事実を正確に、
そのまま書く。

 日曜日の朝のことだった。K子(年中児)の父親から、突然、電話がかかってきた。そ
してものすごい剣幕で、こう怒鳴った。「お前は、うちの娘を萎縮させてしまったというで
はないか。どうしてくれる!」と。寝耳に水とは、まさにこのこと。驚いて事情を聞くと、
父親はこう言った。「うちの娘は、明るくて元気な子だ。しかしお前の教室へ行くようにな
ったからというもの、どんどん元気がなくなってしまった。どうしてだ!」と。

 そのK子は、いつも祖母にあたる女性につれられて、私の教室にやってきていた。が、
回を重ねるごとに、表情が暗くなっていった。理由はすぐわかった。その祖母の女性がた
いへん神経質な人で、授業が終わるたびに、教室を出たところで、ああでもない、こうで
もないと、K子を叱っていたのだ。

私が聞いたときも、こう言っていた。「どうして、あのとき手をあげなかったの! あん
た、あんな問題、わからないわけではないでしょ! おばあちゃん、恥ずかしくてたま
らないわ。どうしてくれるの!」と。ふつうの言い方ではない。かなりきつい言い方だ
った。

 私は怒りをおさえることができなかった。当時、私はまだ30歳そこそこ。今ならもう
少しじょうずに話せるかもしれないが、そのときはそうではなかった。その女性にこう言
った。

「あなたがそんなことを言ったら、K子さんは、かえって自信をなくしてしまうでしょ
う。どうしてそんなバカなことを言うのですか。そんなに気になるなら、来週からは参
観は結構です。私に任せて、あなたは外で待っていてください」と。

 そのときその女性が、なぜそう言ったのか、いまだにその理由はわからないが、その女
性はそれに答えて、私にこう叫んだ。「わたしゃね、こう見えても、息子を、東京のR大学
を出しているんだよオ!」と。

 父親から電話があったのは、それから数日後のことだった。しかし「萎縮させた」と言
われては、私も黙っておられない。そこで私は、その父親にこう言った。「私の教え方に疑
問をもっているなら、あなたが一度、自分の目で参観なさったらよいでしょう」と。父親
はそれに応じた。

 私の教室は、教室といっても、一クラス、5〜8人の小さな教室である。実験教室と私
は呼んでいる。ある時期は、何か問題のある子どもだけを教えていた。そのため教室はす
べて公開している。一度だって、非公開でしたことはない。

だから、「手を抜く」ということができない。たいていいつも、二〜四人の親たちが、う
しろで見ている。しかしその父親が参観にくるという日は、さすがの私も緊張した。そ
れはちょうど、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘のようなものだった。少しおおげさな言
い方だが、私はそのときはそう感じた。

 で、父親は表情をかたくして、私の教室にやってきた。そして腕を組んだまま、微動だ
にしなかった。が、私の教室は「笑い」を売り物にしている。「笑えば伸びる」が、私の持
論である。幼児クラスでは、子どもたちは、五〇分の授業中、ほとんど笑いぱなしに笑っ
ている。そのときはしかし、さらに私は子どもたちを笑わせた。その女の子をのぞいて、
ほかの子どもたちは、いつもの何倍もの大声で笑いつづけた。

 私にはひとつの覚悟があった。その授業のあと、その女の子には退会してもらうつもり
でいた。信頼関係をなくしたら、もう教育などできない。とくに私の教室ではそうだ。一
クラス5〜8人といっても、合計しても、学生の家庭教師代よりも安い。営利を考えたら、
とてもできない仕事だった。

 が、授業が終わったとき、父親は私のところにきて、こう言った。「よくわかりました。
私がまちがっていました。許してください。これからもうちの娘をよろしくお願いします」
と。

 結局その女の子は、小学校へ入学するまで、私の教室に通ってくれた。

 信頼するということは、疑わないこと。よく若い人が、恋人に向かって、「あなたを信じ
ているわ」と言うことがある。あれなどは、まさに詭弁(きべん)。本当に信じていたら、
そういう言葉は出てこない。疑っているから、「信じているわ」という。

このことは、夫婦でも、また親子でも同じ。絶対的な信頼関係が、人間関係を深く、豊
かなものにする。繰り返すが、「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
ことよい教育を願うなら、この信頼関係を大切にする。親も、教師も、だ。

++++++++++++++++

●萎縮する教師たち

 つい先ごろ、「わいろ」をテーマにした授業をして、新聞沙汰(ざた)になった事件があ
った(03年8月・北海道のA小学校)。カードゲームのようなもので、役人をわいろで買
収して、無事、関門を通過するというゲームであったらしい。

 しかしここで問題となるのは、そのゲームのことではなく、たかがそれだけのことが、
全国ニュースになるという、その異常性である。

仮に問題があるとしても、一教室で、一教師が起こした、ささいな事件に過ぎない。全
国のマスコミが騒がなければならないような問題ではない。まさに、「たかがそんなこと」
で、ある。

 教師だって、たまには、ハメをはずすことがある。あって当然。私などは、ハメをはず
すことで、子どもの心に風穴をあける。それをひとつの技術にしている。たとえば私のば
あい、「笑えば伸びる」が、私の教育モットーでもある。

私とワイフは、このニュースを新聞で読みながら、「こんなことで!」と驚くと同時に、
「もしそれが悪いなら、ぼくなどは、年がら年中、新聞沙汰になる」と笑った。たとえ
ば……。

 私は教室で子どもどうしが喧嘩(けんか)をしたようなときは、両方の子どもの頬(ほ
お)に、キスをする。これは男児のみに対する罰則だが、そうする。ほとんど毎回親たち
が参観しているので、親たちの前で堂々とそれをする。

が、いまだかって、それに抗議してきた親は、一人もいない。要はやり方の問題という
ことになるが、それ以上に大切なのは、私と親の信頼関係である。

先日も、ワーワーと騒いでいた小学生(4年男児)がいたので、「静かにしないと、チュ
ーするぞ」と、おどした。するとその小学生は、机の間を走り回りながら、「できるもん
なら、やってみろ!」と私にけしかけた。私は何度も警告したが、それでも騒いだ。そ
こで最後に、その子どもをつかまえて、思いっきり、ブチューと、手にキスをしてやっ
た。

 その子どもは、「本当にやるなんて……、やるとは思っていなかった……、どうしてチュ
ーしたよ!」とベソをかいていたが、私は「これで、わかったか!」と言って、その場を
離れた。

 こういう事件で、なぜ私の行為が問題にならないかといえば、理由は二つある。ひとつ
は、私は公的な立場にはいないということ。もうひとつは、それを問題にする親がいない
ということ。

 公的な立場ということは、いわば、それ以外に抜け道のない、絶壁(ぜっぺき)のよう
な立場をいう。いわゆるミスの許されない世界と言ってもよい。たとえばおけいこ塾であ
れば、生徒はいつでも自由にやめられる。やめたところで、どうということはない。

教える側にしても、教師はいつでも自由に生徒にやめてもらうことができる。生徒をや
めさせたところで、これまたどうということはない。しかし学校の先生は違う。生徒は
やめることもできないし、先生はやめさせることもできない。いわば絶壁の上に立つよ
うな立場ということになる。そう、先生がバツで与えるキスが気に入らなければ、親は
そのおけいこ塾をやめればよい。

 もうひとつは、「それを問題とする親がいない」ということ。正直に告白するが、神経質
な親というのは、実際にはいる。教師のささいな失敗やミスをとらえては、ことさらそれ
をおおげさに問題にする。このタイプの親にからまれると、教師歴20年という教師です
ら、心底、神経をすりへらす。

さらに脳の病気にアルツハイマー病というのがある。このアルツハイマー病には、初期
の、そのまた初期症状というのがある。繊細さが消える(ズケズケとものを言う)、がん
こになる(自説をまげない)、自己中心的になる(人の話を聞かない)など。四〇歳くら
いの人で、約五%の人にその傾向が見られるという。で、このタイプの親にからまれる
と、教育そのものが成り立たなくなることも珍しくない。こんなことがあった。

 私がある幼稚園で特別教室をもっていたときのこと。月4回という約束で、幼児を教え
ていた。が、そのクラスだけは、5月の連休もあって、月3回になってしまった。それに
ついて、私に、「サギだ。補講をしろ。しなければ、訴える」とからんできた父親がいた。

 あるいはたまたまその日、その子どもの父親が参観にきていた。そこで私の授業を手伝
ってもらった。それについて、その夜母親から、「よくもうちの主人に恥をかかせたわね」
と、電話がかかってきた。ふつうの電話ではない。1週間にわたって、毎晩、しかもネチ
ネチと、そのつど1時間程度もつづいた!

 さらにある日、突然、1人の女性(45歳くらい)が、私の事務所にやってきて、「戦争
をどう思うか」「先祖をどう思うか」「中国の意見をどう思うか」と、ああでもない、こう
でもないと議論をふっかけてきた。

で、そのつど私が意見を述べていると、「あんたのような人が、あちこちで講演している
なんて、おかしい」「日本の歴史を否定するような親からは、いい子どもは生まれない」
と。(私は何も、日本の歴史を否定しているわけではない。また私には3人の息子がいる
が、どの息子も、自慢の息子である。念のため!)

 もちろん授業中に、先生がワイロの話をするのは、まずい。それはわかる。しかしそれ
は決して全国のニュースになるような大事件ではない。また大事件にしてはならない。

 今、どこの学校で講演をさせてもらっても、校長先生以下、どの先生も、異口同音にこ
う言う。「先生たちが萎縮してしまって、授業ができなくなっています」と。少し子どもを
叩いただけで、親たちは、「そら、体罰だ!」と騒ぐ。少し授業中にふざけただけで、親た
ちは、「そら、不適格教師だ!」と騒ぐ。もともと信頼関係がないからそういうことになる
が、一方で、親たちの過剰反応も、問題とされなくてはならない。

 まさに現代は、教師受難の時代といってもよい。教育そのものが、たいへんやりにくい
時代になった。その原因のひとつは、親にもあるということ。それがわかってほしかった。
(02−8−22)※

+++++++++++++++++++++

【BW教室】、

●新年中児、新年長児のみなさんへ、

 「BW教室」の「BW」は、「ブレイン・ワーク」という意味。「知能ワーク」という意
味である。昔、「主婦と生活」という雑誌社に、井上K氏という編集長がいた。その編集長
が、私の教室を紹介してくれるとき、「林教室ではおもしろくないなあ」と言ったので、そ
の場で「BW教室」とした。今では、この名前が、たいへん気にいっている。

 私の教室では、年間を44レッスンに分け、毎回、まったくちがった授業をしている。
四月から順に並べてみる。(「まなぶくん・幼児教室」(学研)では、四八のテーマに分け、
商品化したこともある。)

 あいさつ……大きな声を出せるように指導する。
 ちえあそび……考える楽しさを教える。
 もじ……文字のもつおもしろさをわからせる。
 かず……数の基本について。
 ことば……言葉を音に分解したりして、言葉の遊び。
 おおきい、ちいさい……大小の判断、数の大小。
 かぞく……家族の関係と、役割について。
 とおい・ちかい……遠近感覚から、距離を数値で表すところまで。
 おえかき……絵の話。絵の描き方など。
 かたち……形の基本、形遊びなど。
 いろ……色の世界、色づかい、ぬり絵あそび。
 えいご……英語だけで、授業を展開。
 きのう、きょう……時間の世界と、きのう、今日の感覚。
 おはなし……紙しばいづくりと、発表。
 ながい、みじかい……長い、短いの判断。
 いいこと、わるいこと……善悪の判断と、その感覚。
 おんかん……音遊び、音感遊び。
 さぎょう……こまかい手作業をとおした、遊び。
 しごと……家庭における役割と、手伝いについて。
 しつけ……基本的なマナーほか。
 きせつ……四季と、一二か月の話など。
 えんぎ……体や手足をつかった表現力。
 ほんよみ……読書指導。
 どうぶつ……虫、魚、けもの、鳥の特徴と分類。
 はな、き……植物の基本。
 こうさく……工作の楽しさと、箱づくり。
 うた……歌唱指導とみなの前での表現力、ほか。

 こう書くと、つまらない内容に思う人もいるかもしれないが、実際には、子どもたちを
笑わせながら、授業を進める。「笑えば伸びる」が、BW教室の持論でもある。

もしあなたが興味をもってくれるなら、授業はすべて公開しているので、見学にきてほ
しい。あなたは子どもたちの伸びやかな様子に、必ず驚くだろう。これはウソでも、誇
張でもない。この教室の授業には、私の35年(05年)のキャリアがこめられている。
ここまでカリキュラムを作りあげるのに、それだけで10年以上かかった。もちろん教
材類は、すべて手作り。毎回100枚以上の教材を使っている。自信がある。

++++++++++++++++++++

●障害のある子ども

 障害児をもつ親から相談があった。それで何冊か、それに関する本を買ってきた。読ん
だ。調べた。しかしつまらない。役にたたない。

 たとえば……。

 障害児には、(1)精神遅滞、(2)学習障害、(3)運動能力障害、(4)コミュニケー
ション障害、(5)広汎性発達障害、(6)行動障害がある……、と。

 学者の先生たちは、やたらとこういうことを分類したがる。そしてそれでもって、「自分
は専門家」と、胸を張りたがる。悪いクセだ。恐らく、現場で、親身になって、子どもを
指導したことなどないのだろう。

 さらに別の本には、「障害の段階」と称して、(1)生理学的障害、(2)能力的障害、(3)
適応行動的障害があると説いている。もっともこの分類法は、国際連合で承認されたもの
で、私のようなものが異議を唱えても、まったく意味がない。しかしこんな分類法を押し
つけられたほうだって、困る。

 同じようなことを、以前も感じたことがある。不登校について、調べていたときのこと
である。それには、こうあった。

 「不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)
無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えら
れている。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活
動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生
活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えら
れている」(「日本K新聞社」まとめ)と。

 しかしこんな分類をして、いったい、何の役にたつというのだろうか。「テーブルには、
丸型、四角型、楕円型がある。脚の数は、四本型、三本型、二本型がある。材質によって、
金属型、樹脂型、木造型がある」と分類するのと同じ。あるいはそれ以下。まさか親に向
かって、「お宅の子どもは、学校生活起因型の不登校児です」とでも、言うつもりなのだろ
うか。

 私たちがすべきことは、いわゆる障害児と呼ばれる子どもをもつ親の、不安や心配を軽
減することである。またそのためにどうしたらよいかを、考えることである。

だいたいにおいて、「障害児」という言葉がおかしい。英語では、「disorder」「disability」
とかいう。日本語に訳せば、「乱れ」「できない」を意味する。言葉のニュアンスが、ぐ
んとやさしい。「障害」というのは、どこかに「ふつうの健常児」を念頭に置いた言葉で
ある。だから「障害児」という言葉を聞くと、「のけ者」という印象をもってしまう。だ
いたいにおいて、人間をさして、「害」とは、何ごとか! バカヤロー!

 この世の中に、障害児などいない。ふつうの子どもがいないように、そうでない子ども
もいない。問題のある子どもは、五万といるが、反対に、問題のない子どもはいない。大
切なことは、どんな子どもにも問題がある。あって当たり前という前提で、教育を組みた
てること。問題のある子どもを、そうでない子どもと、区別してはいけない。

 たとえば最近、気になっているのに、「高次脳障害」という言葉がある。「高次脳」とい
うのは、つまりは、大脳新皮質部の脳のことをいう。高度な知的能力をつかさどる部分に
障害があるから、「高次脳障害」という。

 いろいろな指導者が現れて、懸命に、その脳の回復を試みている。テレビでも、よく紹
介される。しかし全体としてみると、「子どもは、そうであってはいけない」という発想ば
かりが目だつ。それにおもしろくない。私が見た番組では、指導者が、カードを一〇枚前
後並べ、一枚ずつそれをめくりながら、そのカードが何であるかを、子どもに暗記させて
いた。

 しかしこんなつまらない指導を、毎日、毎日受けさせられたら、子どもは、どうなる? 
子どもは、どう感ずる? その指導者は、「先月までは、五枚しか暗記できませんでしたが、
この訓練で、七、八枚までできるようになりました」と喜んでいた。あああ。

 私は立場上、「治す」とか、「直す」とかいう言葉は使えない。しかし簡単な情緒障害や
精神障害なら、子どもは、笑わすことで「なおす」ことができる。だから私は、幼児を教
えるとき、その「笑い」を、何よりも大切にしている。「笑えば伸びる」が、私の持論でも
ある。

どうして今の教育には、そういう発想がないのか。中には、「勉強とは、黙々とするもの」、
またそれをしつけるのが幼児教育と思いこんでいる人がいる。とんでもない誤解である。

 これから先、「障害児」をテーマにして、いろいろ考えてみたい。その第一歩として、最
近読んだ本を、評論してみた。

【追記】

 へたに「障害」という言葉をつけられてしまうから、親はあわてる。不安になる。心配
になる。そしてしなくてもよいことをして、結局は、むしろ症状を悪化させてしまう。さ
らに子ども自身も、心の緊張感から解放されない。不幸な幼児期、少年少女期を送ること
になる。

 学者の先生たちは、「原因をさがせ」「早期に診断せよ」「適切な指導をしろ」と教える(F
教授「子どもの心理学」)。それはそうかもしれないが、そう言われた親は、いったい、何
をどうしたらよいのか。

 私はやはり、教育の世界でも、子どものあるがままを認め、それぞれの子どもに合った
学習を組みたてるのが、一番よいと思う。

たとえば多動児(ADHD児)にしても、小学3、4年生になり、自意識が育ってくる
と、その症状は、急速にわからなくなってくる。子ども自身が自分で自分をコントロー
ルするようになるからである。

 私は、そういう子ども自身の「力」を認め、それを育てるのも、教育ではないかと思っ
ている。ここでは「思っている」としか書けないが、今はそう思う。このつづきは、また
考えてみる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●学習性無気力

 いくつかいやなことが重なると、やる気をなくすことがある。子どもにかぎらない。お
となの私たちだって、そうである。「親と口論した」「お金を落とした」「信号であやうく自
動車にはねられそうになった」など。

そういうことがいくつか重なると、「もう、どうにでもなれ」という気分になる。このよ
うに、抵抗する気力すらなくした状態を、学習性無気力という。繰りかえし学習するう
ちに、無気力症状が出てくることをいう。

 このところ街を歩いていると、日本全体が、学習性無気力にひたっているような感じが
する。とくに飲食店が、悲惨である。土日の午後だというのに、どこも閑古鳥(かんこど
り)が鳴いている。

しかしその割に、入ってみると、「この値段で、よくこんな料理ができるものだ」と感心
するほどの、料理が並ぶ。採算度外視? 投げやり? デフレというより、自暴自棄?

 実のところ、私にも、その学習性無力感が漂うようになった。どこか「なるようになれ」
という気分が強くなった。地球温暖化? ……なるようになれ。北朝鮮の核問題? ……
なるようになれ。日本の経済? ……なるようになれ、と。それではいけないと思うが、
私のような人間が叫んだところで、いったい、何が、どうなるというのか。

 家庭でも、そうだ。このところあれこれと、一〇万円単位の出費がかさんだ。家計も健
全なうちは、毎月のバランスシートを考えながら、支出をおさえたりする。が、一度崩れ
ると、「何とかなる」という甘い考えばかりが先行するようになる。そして気がついたとき
には、メチャメチャ。今は何とか貯金を切り崩して、体勢を立てなおしてはいるが、こん
なことが何回も重なると、私の家の家計は、やがてパンクする。

 こうした学習性無力感とは、どう戦えばよいのか。子どもの無気力症に準じて考えると、
つぎのようになる。

(1)休養と趣味……心と体を休める。何か無心になってできる趣味をもつとよい。
(2)生活のコンパクト化……自分の住む世界を、スリムにし、思い切って縮小する。

 やはり休養が大切。のんびりと、何もしないで、時の流れに身を任す。さらに具体的に
は、私のばあい、こうしている。

★土日は、たっぷりと休む。以前は、山荘に人を呼んだりしていたが、今は、本当に会い
たい人だけを呼ぶ。生徒や、その父母とは、土日には、会わない。相談にものらない。電
話も受けつけない。

★しかし実際には「休む」という意識はあまりない。私のばあいは、「好き勝手なことを、
気が向くままする」のが、何よりも、よいようだ。計画は、たてない。計画に、しばられ
ない。エンジンつきの草刈り機で、バリバリ草を刈っていると、自分を忘れる。気分が爽
快(そうかい)になる。

★つぎにやはり、年齢に応じて、生活をコンパクト化する。若いころは、どんどんと手を
広げていくものだが、ある年齢になると、かえってそれが重荷になる。だから先手を取っ
て、不必要なものを削り、コンパクト化する。

たとえば、テレビでも、買いかえるたびに、二〇インチ、二四インチ、二八インチ……
と、より大型のものにしたが、今度は、再び、二〇インチ程度のものにしようかと考え
ている。自宅の土地も、三分の一ほどにして、あとは売却しようかと考えている。

 つまりコンパクト化することで、自分の意識を変える。もっとわかりやすく言えば、無
理をせず、ほどほどのところで、あきらめ、納得する。学習性無力感が起きる前に、先手
を取って、自分を小さくする。そうすれば精神的な負担を軽くすることができる。軽くな
れば、その分、ダメージも小さくなる。子どもでいうなら、たとえば志望校をさげるとか、
そういうことになる。

【追記】

 実のところ、この数日間、私は、何をしてもすぐ疲れてしまい、気力がつづかなかった。
国際情勢も大きく動いているのに、新聞を読む気さえ起きなかった。「とうとう私も、学習
性無力におちいってしまった」と心配したが、昨夜、ワイフが風邪をひいた。その症状を
みて、私の症状だったことを知った。私は風邪をひいていた? 

今度の風邪は、軽い頭痛と、気分の悪さが特徴か。熱は出ない。体はだるかったが、ほ
かに大きな症状もない。で、ワイフといっしょに、あわてて私も風邪薬をのんだら、気
分がぐんと楽になった。みなさんも、どうかお体を大切に! 風邪をひいて、無気力に
なることもあるようだ。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●愛・地球博(EXPO・Japan・05)

 今日は、寒かった。本当に寒かった。空は晴れていたが、式典はコートを着たまま。

 会場は起伏の多い、変化に富んだ場所。会場はガラガラだったせいか、歩いて散策する
には、よい場所だった。

 しかし浜名湖で去年(04年)にあった、花博とくらべると、ただ広くて、スケールが
大きいだけ。主催者の(心)が伝わってこなかった。

 はっきり言えば、お金の使い道に困って、「さあ、作りました」という感じの万博。東京
のディズニーランドや、大阪のユニバーサルスタジオに入ったときのような、あのワクワ
クした感動は、まったく覚えなかった。

 「万博と、ディズニーランドの、どちらへ行く?」と聞かれたら、多分、ディズニーラ
ンドにするかも。あちらのほうが、今年はすいているだろうし……。

 で、何よりも驚いたのは、地下鉄東山線で、藤が丘駅でおりたときのこと。となりがリ
ニモの駅になっていたが、東京の本郷や、四谷の地下鉄の駅ほどの大きさと、広さしかな
い。

 今日(3・13)は、開会式12日前ということだったが、すでに、ラッシュアワー並
みの混雑ぶり。ゾロゾロ、ノロノロと、群集が、かたまって歩いていた。

 いくら会場のゲートを広くしても、その入り口でこれでは、先が心配。どこかの広場に
人を集めて、シャトルバスでも走らせないと、入場者をさばくのは、無理。絶対に、無理。

 このままでは、この駅を周辺に大混乱。まちがいなし! どうするのだろう!!

 会場を、あちこち回ってみた。会場内の道路がせまい。憩いの場所が、少ない。弁当、
飲み物は、持参できないので、レストランへ入るしかない。しかしどれも、どこかの社員
食堂のよう。オープンすれば、もっと多彩になるのかもしれないが、3月13日に見たと
ころでは、そんな感じがした。

 悪口ばかり書いたが、日本人の目も、肥えてきた。ユニバーサルスタジオもある。ディ
ズニータンドもある。70年の大阪万博の時代とは、ちがう。

 もちろん興味のある会場もある。前評判のよい会場もある。そういうところは見たいが、
私もワイフも、人ごみの中を、ゾロゾロと押されるように歩いて、楽しむ年齢でもない。

 会場を去るとき、「よほどのことがないかぎり、2度目は来ないだろうな」と、自覚した。
「よほど」というのは、すでにオーストラリアの友人や、アメリカの友人を、案内するこ
とになっている。気が重い!

 私の印象では、名古屋駅から、地下鉄東山線のルートではなく、別の、東側からバスで
入るルートのほうが、よいのではないかと思う。問題は、藤が丘の駅だ。

 今日は、名古屋市長の松原氏につづいて、トヨタ自動車の豊田章一郎氏も、あいさつに
きていた。間近で、豊田氏を見ることができたのは、ラッキーだった。「この人が、あのト
ヨタのトップだ」と、感慨もひとしお。

 まあ、それだけでも、よかった。行った甲斐があった。

 興味のある人は、写真をたくさんとってきたので、私のHPのトップページからどうぞ!

****************************

今日(3・13)にとってきた写真は、ここで……

http://bwhayashi.fc2web.com/page008.html

悪口ばかり書いてごめんなさい。楽しみに
している人も多いと思いますが……。

まあ、私も、そんなに若くないということです。

若いお父さんやお母さんには、楽しい場所の
はずですから、ぜひ、お子さんづれで行って
みてください。

「あの林のいったことは、全然、当たっていなかった」
と思っておただければ、うれしいです。

******************************

では、また、マガジンの購読も、よろしくお願いします。


はやし浩司

+++++++++++++++++++++++++++++++

●パンクしない自転車

 おととい、近くのショッピングセンターへ行ったら、(パンクしない自転車)というのを
売っていた。タイヤの中には、ふつう、チューブと呼ばれる、風船のようなものが入って
いるが、そのチューブが、全体として、ゴムのかたまりのようになっていた。

 それを見たとき、私は驚いた。ショックを受けた。「とうとう、そうなったか!」と。

 弱小の自転車屋が、かろうじて今、自転車業界を生き抜いているのは、パンク修理を中
心としたサービス業をしているからである。現に今、私の近所の自転車屋は、店先に、こ
んな張り紙を出している。

 「よそで買った自転車については、パンクの修理はいたしません」と。

 かなり意地悪な張り紙だが、そうでもしないと、自転車屋は生き残っていくことができ
ない。大型店では、その自転車を、1万円とか、1万4000円とかいう値段で売ってい
る。8000円という自転車もある。

 今では、道路もよくなった。だから考えようによっては、今までのように、チューブ入
りの自転車は、必要ないのかもしれない。(でこぼこ道では、チューブ入りの自転車は、振
動を吸収するという点で、すぐれている。)

 私がその自転車の輪(リム部)に、じっと見とれていると、ワイフが、「タイヤがすり減
ったときはどうするの?」と声をかけてきた。

「今ではね、タイヤがすり減るまで、自転車に乗る人はいないよ。少しこわれると、す
ぐ新しい自転車に乗りかえるから」と。

 これで弱小の自転車屋も、万事休す。外国から大量に仕入れて、安く売るという販売方
式では、大型店にかなわない。それに自転車には、賞味期限というのがある。(多分、この
世界の外にいる人は、それを知らないだろうが……。)

 仕入れても、1年も売れないで放っておくと、タイヤなどは、どんどんと劣化していく。
こまかいサビが出ることもある。2年も放っておくと、もう売り物にならない。自転車だ
から、腐らないと思っている人もいるかもしれない。しかし、自転車でも、腐る。

 で、自転車屋は、少しでも自転車が古くなると、値段をさげて、はやく手放す。そして
新しい自転車を仕入れる。

 しかしパンクしない自転車とは!

 自転車屋が自転車屋として、今でも生き残っていられるのは、パンク修理があるからで
ある。「パンクした」という電話が入ると、夜中でも、自転車屋は、自転車を受け取りにい
く。そして修理する。パンク修理だけは、素人には、むずかしい。(やろうと思えば、でき
なくはないが……。)

 そのサービスがあるから、買うほうの客も、「やっぱり、自転車は、自転車屋で買ったほ
うがよい」ということになる。

 が、……。パンクしない自転車とは!

 私は自転車屋で、生まれ育った。そんなこともあって、私も、かなり若いころから、同
じような自転車を考えていた。実際、一度、タイヤ全体が、ゴムのかたまりのようになっ
た自転車が売りに出されたこともある。

 しかし当時は、まだ劣悪品で、タイヤそのものが、ヒビ割れしたりした。それに重かっ
た。まだ道路事情も悪かったので、乗り心地も、よくなかった。

 しかし今回、大型店で見たパンクしない自転車は、見るからに良品だった。値段は、2
万4000円。少し高価だったが、私はワイフにこう言った。「今度、買うとしたら、この
自転車にするよ」と。

 と、同時に、これからは、ますます自転車屋もたいへんだろうな、と思った。いわば自
転車屋としての、大特権を手放すことになる。死活問題といってもよい。

 繰りかえしになるが、少し前までは、1〜2万円の自転車は、粗悪品ということになっ
ていた。が、今は、ちがう。驚くほど、品質もよくなった。

 小さな店先で、20台とか30台の自転車を並べて売る時代は、もう終わりに近づいて
きたようだ。そう言えば、昔、私の祖父は、私にこう言ったことがある。

 「浩司、時計屋では、時計を売っているが、あの陳列に並んでいる時計、1箱分だけで、
うちの自転車すべての値段と同じだ。自転車は、場所をとるだけで、もうからない」と。

 だからますます大型店が有利になる。その大型店でも、新車を、70〜100台も並べ
ている。そこらの自転車屋では、とても、かなわない。

 その店を出るとき、何とも言われないさみしさを感じた。心のどこかで親父のさみしさ
を感じたからかもしれない。近くに大型店ができたとき、親父は、かなりショックを受け
た。そのときの親父を、思い出していた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●Nさんへ

 私たちの存在そのものが、不可思議な奇跡の上に成りたっています。そんな感じです。

 見て、聞いて、感じて……。すべてが、幻想なのかもしれません。幻想を幻想とも知ら
ず、それを現実と思いこみ、生きている。

 死んで行く人は、静かですね。本当に、静かですね。「誰の死なれど、人の死に、わが胸
痛む」です。

 いろいろな人の言葉を集めてみました。
I live now on borrowed time, waiting in the anteroom for the summons that will 
inevitably come. And then - I go on to the next thing, whatever it is. One doesn't 
luckily have to bother about that. 
- Agatha Christie, "An Autobiography"

 アガサ・クリスティは、「私は、今、やがて呼び出しがかかる控え間の中で、借りきた
りし時の上に生きる。私はそれが何であれ、つぎの世界へと進む。だれも、幸運なことに、
それに心を煩わされることはない」と。

I shall tell you a great secret my friend. Do not wait for the last judgement, it 
takes place every day. 
- Albert Camus
 カミュは、「友よ、あなたにすごい秘密を話してやろう。最後の審判を待ってはっだめ
だ。毎日が、その審判の日だ」

To the well-organized mind, death is but the next great adventure. 
- Albus Dumbledore
「よく統制された心には、死は、つぎの偉大な冒険にすぎない」

Even in the desolate wilderness, stars can still shine. 
- Aoi Jiyuu Shiroi Nozomi 
「荒れ果てた荒野でも、星は、まだ光っている」

This existence of ours is as transient as autumn clouds. To watch the birth and death 
of beings is like looking at the movements of a dance. A lifetime is a flash of lightning 
in the sky. Rushing by,like a torrent down a steep mountain. 
―Buddah
ブッダは、「私たちの存在は、秋の雲のように、つかの間のもの。生きるものの誕生と死を
見るのは、ダンスの動きを見るようなもの。人生は、空の稲妻の光のようなもの。急な山
を下る、流れのように、過ぎていく」と。

+++++++++++++++++++++

 老後に向けての思考性には、2種類ありますよね。活動性と、離脱性です。「いつまでも
元気で生きよう。最後の最後まで」というのが、活動性。

 もう一つは、「老後に向けて、現世から引退し、死の準備もこめて、別の世界へと入ろう」
というのが、離脱性です。

 どちらをとるかは、それぞれの人の自由ですが、実存主義者や現実主義者は、前者をと
ります。宗教に身を寄せる人は、多くは、好んで後者をとります。

 Nさんも、年齢的に(失礼!)、その選択期にさしかかっているのではないですか。他人
や身内の死をきっかけに、自分の内面世界を見ようとしている。もともと繊細な感覚をも
っておられるようですから、それがさらに、ある意味で、研ぎすまされた形で、心に響く
のかもしれません。

 私は、Nさんには、いつまでも活動的に生きてほしいと願っています。いえね、私にと
って、本当にさみしいのは、その人の「死」ではなく、その人の「美しさ」です。

 Nさんは、本当に美しかった。(今でも、そうですが……)、太陽の陽光をたっぷりと浴
びながら、幅広の白い帽子をゆるやかに風になびかせて、歩いておられましたね。

 あのころのNさんは、どこへ行ってしまったのかなあって、不謹慎かもしれませんが、
そんなことを先に考えてしまいます。私にとってのNさんは、あのときのNさんですから、
あのまま、いつまでもいつまでも、前に向って生きてほしいです。

 知っている人が死ぬと、それまでのその人の人生が、稲妻のように瞬間に過ぎ去ってし
まったかのように見えるかもしれません。が、実は、私たちの人生も、また、その稲妻そ
のものなのですね。

 だからもし、万が一、万が一ですよ、Nさんが、なくなってしまったとしても、私の心
の中には、Nさんが、いつまでも残ると思います。死の直前、病気で苦しんだNさんでは
なく、白い帽子をかぶって、恥ずかしそうに、振りかえりながら笑っているNさんです。

 ブッダが言う、「空の稲妻の光」の中では、過去や現在を区別するほうが、おかしいので
す。みんな、つぎの瞬間には、「つぎの世界」(アガサ・クリスティ)へ行くのです。

 ね、生きるって、だから楽しいのです。すばらしいのです。その瞬間に、無数のドラマ
を経験することができる。虚しいと感ずるのは、離脱性の強い人です。しかし私は、そう
は思いません。

 瞬間なら瞬間でよいのです。その最後の最後まで、生きて生きて、生き抜いてやろうと
考えればよいのです。だから、あまり人の死を深刻にとらえることはないですよ。

 だから冒頭に書いた詩は、こうつながります。

 「……我もまた、人の子なれば、それ故に問うことなかれ。誰がために、(あの弔いの)
鐘は鳴るなりと。鐘は、汝がために、鳴るなり」

 さあ、そんなわけで、元気を出して! 死んだ人のことは忘れて! その人の分まで、
元気を出して生きましょう!!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●「?」の韓国、N大統領

 とうとうアメリカが怒った(?)。

 ヘンリー・ハイド米下院国際関係委員長は3月10日、「韓国は誰が敵なのかを、明確に
言うべきである」(東亜日報)と促した。

 それもそのはず。韓国は、自国の国防白書から、「K国は主敵」という文言を削ってしま
った。削った上で、「韓国で紛争が発生すれば、米国が69万人の米軍を派遣するだろう」
と書いている。

 一方で反米を唱え、同時に親北を唱えながら、K国が韓国を攻めてきたときには、「69
万人のアメリカ軍が、韓国を守ってくれる」と。そのアメリカ軍の大半は、在日米軍であ
る。

 こういう「?」な国防白書を読めば、だれだって「?」と思うはず。ハイド委員長は、
それを言葉にした。そしてこれまた当然のことながら、韓国に、K国への援助を自制する
よう、うながした。

「韓国と中国は北朝鮮に降り注いでいる支援の程度を、見なおさなければならない」と。

 要するに、ウィリアム・ペリー元国防長官(クリントン政権の対北朝鮮政策調整官・現
スタンフォード大学教授)も言っているように、「韓国、中国、日本は北朝鮮の核に対して
米国と同じ憂慮を持っていない」ということになる。

 K国の核兵器は、それほどまでに深刻な問題である。その深刻さが、まったくわかって
いない。韓国も、そして日本も!

 竹島について、地方の小さな一議会が、「竹島の日」を議決したくらいで、外務大臣の訪
日をとりやめたり、たかがA新聞社の軽飛行機が竹島の上空を飛んだくらいのことで、韓
国は、2度にわたって、ジェット戦闘機を発進させたり。

 これではまるで日本が、韓国の主敵みたいではないか。

 私には、韓国のN大統領の考えていることが、さっぱりわからない。

 今のままの状況がつづけば、K国は、核兵器をどんどんと増産するだけ。結局はこうい
う状況をつくりだしてしまったのも、金大中であり、N大統領ではないのか。韓国に亡命
した、元K国の大物諜報部員のA氏でさえ、こう言っている。「N大統領は、金XXにだま
されている」と。

 米韓関係は、崩壊寸前。国連安保理に、K国の核問題を付託する前に、アメリカ軍は、
韓国から全面撤退するかもしれない。そういう雰囲気さえ出てきた。今度のハイド米下院
国際関係委員長は、こう言いたかったのだ。

 「バカめ! どうして69万人ものアメリカ兵で、韓国など、守らなければならないの
だ。勝手なことを言うな!」と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●「地球でxxの男」

 ビデオ、「地球でxxの男」を見る。星は、★一個の半分。残念ながら、私には、こうし
た芸術作品(?)を理解する能力はない。

 まったく意味のわからない映画。最初から最後まで、一貫性のない思いつき。どこかの
古いビルを利用してつくった、安映画。まあ、ヒマなひとは見たらよい。俳優も、ただひ
たすら力んでいるだけ。

 自称、映画監督が、自称、芸術作品を、自己満足のために作ったような映画。もう少し
まとも(?)なら、評価もできるが、それもできない。わけのわからない、とってつけた
ようなセリフ。聖書の引用。

 翻訳もでたらめ。主人公の名前は、「Gave」らしい。「ゲイブ」と発音する。しかし
字幕は、「ガブ」となっている。つまり翻訳家は、映画すら見ないで、翻訳をつけたとしか
思いようがない。

 しかし、どういうわけか、最後まで見てしまった。どういうオチで終わるのか、それを
確かめたかった。

 「この映画を作った人は、まともかねえ?」と聞くと、ワイフは、「フフフ」と、顔を横
に振った。

 あえて言うなら、妻と子をなくし、精神に異常をきたした人の世界を、その異常をきた
した人の視点から描いた映画ということになる。娯楽性は、ゼロ。思わせぶりなセリフば
かりがつづくが、何を言わんとしているか、さっぱりわからない。

 監督の独善ばかりが、目立つ。観客に対する謙虚さが、みじんも、ない。ひとりよがり
な宗教観を押しつけられたようで、見終わったあとも、あと味が悪かった。

 で、結末は、教会の中の天国の門で、仮面をかぶった天使と悪魔の戦い。悪魔が勝つが、
その悪魔を、ガブ(主人公)が倒す。天国の門の向こうには、死んだはずのガブの妻が…
…。

 最後の5分間だけが、まともなシーン。ガブは警官からピストルを奪って自殺。その瞬
間を描いた映画だったということが、そこでわかる。

 同時に、もう1本、ビデオを借りた。「砂と霧の家」。このビデオは、★3つ。見ごたえ
のある良作だった。よかったというか、「いろいろ考えさせられた」という感じ。

 アメリカが土着的にもつ、かわいた空気を映画の中に感じた。主人公は、イランの元大
佐。アメリカへ亡命。その主人公の心に私の心を移しながら、「私ならできるだろうか?」
と、あちこちで考えた。

(「地球でXXの男」というタイトルも、めちゃめちゃ。まったく映画の内容にあっていな
い!)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================







.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 8日(No.552)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page055.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●BW教室・小学校の高学年のみなさんへ

(高学年のみなさんへ)

BWでは、高学年になるにつれて、指導方法を変えていきます。教えるのではなく、自
分で勉強するよう、子どもたちをしむけていきます。手取り、足取り指導は、一見、親
切な指導法に見えますが、子どもに依存心をもたせてしまい、長い目で見ると、子ども
のためには、よくありません。

たとえばよくある例は、何とか、高校までは入れたが、そのあと子どもが、勉強しなく
なってしまうケースです。燃え尽き症候群を示したり、荷おろし症候群を示すこともあ
ります。

小学1〜3年のときは、いわゆるスクーリング方式で教えさせていただきますが、4〜
5年にかけて、1クラス、5〜6人前後の混合クラスに編成しなおしていきます。

上級生(中学生)といっしょに、学習することもあります。これは、(教える)という指
導方針から、(子ども自身が、自ら学ぶ)という方向へ、子どもを誘導していくためです。

子どもたちは、上級生の間にすわり、そこで上級生がもつ勉強グセをもらうようにしま
す。最初、2、3か月はいろいろ、とまどうようですが、それも一巡すると、子どもは、
自分から進んで勉強するようになります。

つまり、(1)子ども自身が、教科書やワークブックを自分で開き、自分で勉強するとい
う姿勢を養います。

教える側は、(2)「わからないところがあったら、もってきなさい」という教え方をし
ます。もちろん、ある程度の方向性をつけるときや、そのつど、重要なところでは、ふ
つうのスクーリングのような教え方をします。

大切なのは、(3)いかにして、勉強グセを、子どもにもたせるか、です。そして子ども
が、ひとりで、自学、自習できるように、指導していきます。

これが伝統的なBWの教え方です。

+++++++++++++++++++++++++

【この方式の利点】

この方式のすぐれている点は、子ども自身が、自ら学んでいくという力を身につけるこ
とです。この時期、依存心をつけさせてしまうと、だれかに指導してもらわないと、何
もできない……、そんな子どもになってしまいます。

また自学・自習の姿勢が身につくと、あとは、子ども自身の力で、どんどんと、先へ進
むようになります。こうなれば、しめたもので、子どもによっては、1、2年先の学習
までするようになります。

ここ数年の実績を、紹介します。ここに書くことは、誇張された嘘では、ありません。

N君……小学5年のときには、中3の学習を終えていました。
D君……小学6年のときには、中3の学習を終えていました。

N君、D君は、現在、東京の麻布中学と高校に通っています。

O君……小学6年のときには、高校1年レベルまで進みました。O君は、現在、函館ラ
サール中学にいます。

O君(小5)は、現在、中3の数学を学習しています。
Oさん(小4)は、現在、中1の数学を学習しています。

ほかにも、1、2年飛び級している子どもは、全体の2〜3割はいます。さらに、小5
クラスのみなさんは、ほとんどが、今、中1のレベルまで飛び級しています。

ほかにもいろいろな例がありますが、これがBW教室の指導法です。安心してお任せく
ださい。

こうした指導法ができるのも、幼児期から私の教室へ来てくださり、子どもたちが、(勉
強が好き)という意識を、しっかりともっているからです。それに私と、父母のみなさ
んとの、信頼関係がしっかりとできているからです。

●4月からの予定

 新4〜5年生の人たちは、それぞれ、クラスを分散していきます。一度に、分散はでき
ないため、みなさんのご都合をお聞きしながら、1か月に1〜2人という割合で、移動し
ていただくようにします。よろしくご協力ください。

 曜日、クラス編成は、どうか、私にお任せください。よろしくお願いします。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●母性愛と、父性愛

 最近の研究によれば、母性愛にも、父性愛にも、ほとんど差がないことがわかってきた。
そしてそれが定説になってきている。

 以前は、母親には、父親にはない、母性愛があると考えられてきた。しかし実際には、
母性愛にせよ、父性愛にせよ、その人自身が、乳幼児期に受けた子育てによって、その人
自身が学習して身につけるものである。

 母性愛にせよ、父性愛にせよ、本能ではなく、学習によって身につくというわけである。
とくに最近は、ラ・マーズ法などの普及によって、夫(父親)の立会い分娩が一般化し、
父親も、母親と同じ母性愛をもつようになってきている。

 さらにこうした育児概念が浸透してくれば、母性愛と父性愛を分けて考えること自体、
無意味になってくるものと考えられる。

 男児も、人形遊びをしても、おかしくないし、またそれがゆがんだ「男像」をつくると
いうこともない。ちなみに私の調査でも、男女の区別なく、約80%の子ども(年長児、
年中児)が、日常的に人形を手元においていることがわかっている。

 「親像」を形成を考えるときは、男女を区別してはならないし、またその必要はない。

 なお、ここに書いた、「子育ては本能ではない。学習によるもの」という意見は、子育て
の根幹にかかわる重要な問題である。すでにたびたび書いてきたので、以前、書いた原稿
を、3作、そのまま添付する。一部内容的に重複するが、許してほしい。
(はやし浩司 親像)

++++++++++++++++++

●ぬいぐるみで育つ母性

 子どもに父性や母性が育っているかどうかは、ぬいぐるみの人形を抱かせてみればわか
る。しかもそれが、3〜5歳のときにわかる。

父性や母性が育っている子どもは、ぬいぐるみを見せると、うれしそうな顔をする。さ
もいとおしいといった表情で、ぬいぐるみを見る。抱き方もうまい。そうでない子ども
は、無関心、無感動。抱き方もぎこちない。

中にはぬいぐるみを見せたとたん、足でキックしてくる子どももいる。ちなみに小三児
の約80%の子どもが、ぬいぐるみを持っている。そのうちの約半数が「大好き」と答
えている。

 オーストラリアでは、子どもの本といえば、動物の本をいう。写真集が多い。またオー
ストラリアに限らず、欧米では、子どもの誕生日にペットを与えることが多い。

つまり子どものときから、動物との関(かか)わりを深くもたせる。一義的には、子ど
もは動物を通して、心のやりとりを学ぶ。しかしそれだけではない。子どもはペットを
育てることによって、父性や母性を学ぶ。そんなわけで、機会と余裕があれば、子ども
にはペットを飼わせることを勧める。

犬やネコが代表的なものだが、心が通いあうペットがよい。が、それが無理なら、ぬい
ぐるみを与える。やわらかい素材でできた、ぬくもりのあるものがよい。日本では、「男
の子はぬいぐるみでは遊ばないもの」と考えている人がいる。しかしこれは偏見。

こと幼児についていうなら、男女の差別はない。あってはならない。つまり男の子がぬ
いぐるみで遊ぶからといって、それを「おかしい」と思うほうが、おかしい。男児も幼
児のときから、たとえばペットや人形を通して、父性を育てたらよい。ただしここでい
う人形というのは、その目的にかなった人形をいう。ウルトラマンとかガンダムとかい
うのはここでいう人形ではない。

 なお日本では、古来より戦闘的な遊びをするのが、「男」ということになっている。が、
これも偏見。悪しき出世主義から生まれた偏見と言ってもよい。そのあらわれが、五月
人形。弓矢をもった武士が、力強い男の象徴になっている。

三百年後の子どもたちが、銃をもった軍人や兵隊の人形を飾って遊ぶようなものだ。ど
こかおかしいが、そのおかしさがわからないほど、日本人はこの出世主義に、こりかた
まっている。「男は仕事(出世)、女は家庭」という、あの日本独特の男女差別意識も、
この出世主義から生まれた。

 話を戻す。愛情豊かな家庭で育った子どもは、どこかほっとするようなぬくもりを感
ずる。静かな落ち着きがある。おだやかで、ものの考え方が常識的。それもぬいぐるみ
を抱かせてみればわかる。両親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、ぬいぐるみ
を見せただけで、スーッと頬(ほお)を寄せてくる。こういう子どもは、親になっても、
虐待パパや虐待ママにはならない。言い換えると、この時期すでに、親としての「心」
が決まる。

 ついでに一言。子育ては本能ではない。子どもは親に育てられたという経験があって
はじめて、自分が親になったとき、子育てができる。もしあなたが、「うちの子は、どう
も心配だ」と思っているなら、ぬいぐるみを身近に置いてあげるとよい。ぬいぐるみと
遊びながら、子どもは親になるための練習をする。父性や母性も、そこから引き出され
る。

【追記】

 最近では、母性と父性を分けて考えるのではなく、まとめて「養護性」という言葉を使
う人がふえてきた。母性も、父性も、同種のものであり、分けて考える必要はないという
のが、その基本にある。
(はやし浩司 養護性 子育て 育児 ぬいぐるみ 母性 父性)


+++++++++++++++++++++

あなたは気負いママ?

●気負いが強いと子育てで失敗しやすい

 「いい親子関係をつくらねばならない」「いい家
庭をつくらねばならない」と、不幸にして不幸な
家庭に育った人ほど、その気負いが強い。しかし
その気負いが強ければ強いほど、親も疲れるが子
どもも疲れる。そのため結局は、子育てで失敗し
やすい……。

●子育ては本能ではなく学習

 子育ては本能ではなく、学習によってできるよ
うになる。たとえば一般論として、人工飼育され
た動物は、自分では子育てができない。「子育ての
情報」、つまり「親像」が、脳にインプットされて
いないからである。人間とて例外ではない。「親に
育てられた」という経験があってはじめて、自分
も親になったとき子育てができる。こんな例があ
る。

●娘をどの程度抱けばいいのか?

一人の父親がこんな相談をしてきた。娘を抱い
ても、どの程度、どのように抱けばよいのか、
それがわからない、と。その人は「抱きグセが
つくのでは……」と心配していたが、彼は、彼
の父親を戦争でなくし、母親の手だけで育てら
れていた。つまりその人は父親というものがど
ういうものなのか、それがわかっていなかった。
しかし問題はこのことではない。

●だれしも心にキズをもっている

 だれしも、と言うより、愛情豊かな家庭で、何
不自由なく育った人のほうが少ない。そんなわけ
で多かれ少なかれ、だれしも、何らかのキズをも
っている。問題は、そういうキズがあることでは
なく、そのキズに気づかないまま、それに振りま
わされることである。よく知られた例としては、
子どもを虐待する親がいる。

このタイプの親というのは、その親自身も子ど
ものころ、親に虐待されたという経験をもつこ
とが多い。いや、かく言う私も団塊の世代で、
貧困と混乱の中で幼児期を過ごしている。親た
ちも食べていくだけで精一杯。いつもどこかで
家庭的な温もりに飢えていた。そのためか今で
も、「家庭」への思いは人一倍強い。

が、悲しいことに、頭の中で想像するだけで、
温かい家庭というのがどういうものか、本当の
ところはわかっていない。だから自分の息子た
ちを育てながらも、いつもどこかでとまどって
いた。たとえば子どもたちに何かをしてやるた
びに、よく心のどこかで、「しすぎたのではない
か」と後悔したり、「してやった」と恩着せがま
しく思ったりするなど、どこかチグハグなとこ
ろがあった。

 ただ人間のばあいは、たとえ不幸な家庭で育っ
たとしても、近くの人たちの子育てを見たり、あ
るいは本や映画の中で擬似体験をすることで、自
分の中に親像をつくることができる。だから不幸
な家庭に育ったからといって、必ずしも不幸にな
るというわけではない。

●つぎの世代に不幸を伝えない

 子どもに子どもの育て方を教えるのが子育て。
「あなたが親になったら、こういうふうに子ども
を育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱る
のですよ」と。これは子育ての基本だが、しかし
気負うことはない。あなたはあなただし、あなた
の子どももいつかあなたを理解するようになる。
そこで大切なことは、たとえあなたの過去が不幸
なものであったとしても、それはそれとしてあな
たの代で切り離し、つぎの世代にそれを伝えては
いけないということ。その努力だけは忘れてはな
らない。

●肩の力を抜く

このテストで高得点だった人は、一度自分の過
去を冷静に見つめてみるとよい。そして心のど
こかに何かわだかまりがあるなら、それが何で
あるかを知る。親とけんかばかりしていたとか、
家が貧しかったとか、そういうことでもわだか
まりになることがある。この問題だけはそのわ
だかまりが何であるかがわかるだけでも、半分
は解決したとみる。そのあと少し時間がかかる
かもしれないが、それで解決する。
(はやし浩司 親の気負い 気負い先行 気負い
ママ)

++++++++++++++++++++++

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた、父親がい
た。「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのかわからない」と訴えた、父
親もいた。

あるいは子どもにまったく無関心な母親。まだ二歳の孫に、平気でものを投げつける祖
父など。このタイプの人は、不幸にして不幸な家庭に育って、いわゆる「親像」のない
親とみる。

 ところで愛知県の犬山市にあるモンキーセンターには、頭のよいチンパンジーがいるそ
うだ。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会
話をするわけだが、そのチンパンジーが、98年の夏、妊娠した。

が、飼育係の人が心配したのは、そのことではない。「はたしてそのチンパンジーに、子
育てができるかどうか」だった(中日新聞)。人工飼育された動物は、ふつう自分では子
育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子
どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわんや、人間をや。

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」とい
う体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、
何らかの理由で不完全だと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。

……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団
体から、猛烈な抗議が殺到する。先日もある雑誌で、「離婚家庭の子どもは……」と書い
たら、その翌日から、10本以上の電話が届いた。

たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に見
なければならない。というのも、この問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけで
も、その半分以上は解決したとみるからである。

つまり「私にはそういう欠陥がある」と気づくだけでも、問題の半分は解決したとみる。
それに人間は、チンパンジーともちがう。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や
親類の家族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父
親をなくしたが、叔父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくることができ
た。また別の人は、ある作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親
像をつくることができた。

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。

もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願ってい
るなら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見
せておかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませて
おかねばならない。

そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子
育てができるようになる。と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭
の中ではわかっていても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育ての「努
力目標」の一つと考えてほしい。
(はやし浩司 母性愛 父性愛 子育て本能 学習)

++++++++++++++++++++++

 子育ては本能ではなく、学習によるものだという意見を、理解してもらえただろうか。

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●適応(流動性知能)と完成(結晶性知能)

 30代、40代になると、知的好奇心が、急速に減退する。チャレンジ精神も、弱くな
る。知的能力の分野でも、加齢とともに、その適応能力が低下すると言われている。

 たとえば30代、40代をすぎると、新しいことを覚えても、頭に入らない。残らない。
すぐ忘れてしまうという現象が起きる。

 新しい分野で、知的能力を高めていくことを、「流動性知能」という。

 一方、加齢とともに完成されていく能力がある。経験と苦労が、その人の知的能力を、
さらに高める。深める。ときに完成させる。こういう知的能力を、「結晶性知能」という。

 この結晶性知能については、年齢とは関係なく、ほどよい訓練と刺激で、老後になって
も、進歩しつづけると言われている。画家などの芸術家の中には、晩年になればなるほど、
すばらしい作品をしあげる人がいる。それがその一例といえる。

 で、私自身を振りかえってみたとき、たしかに流動性知能は、衰えてきたように感ずる。
わかりやすい例でいえば、MUSICに対する感覚である。同じ音楽のはずなのだが、最
近の若い人たちが聞くような音楽については、どうもついていけない。

 歌手の名前を聞いても、すぐ忘れる。もちろんメロディーも頭に残らない。好んで聞く
音楽といえば、クラシック音楽であったり、70年代前後のポップであったりする。ビー
トルズは、何度聞いてもあきないし、当時の映画音楽は、どれも、大好きである。

 その一方で、結晶性知能というのもある。若いときからみがいてきた能力が、晩年にな
って光りだすというのが、それ。

 くだらないことだが、私は中学2年生のときに、ドイツ製のタイプライターを買っても
らった。当時のお金で、1万6000円ほどした。(当時の大卒の初任給は、2万円前後だ
った。)小型のものだった。

 私はそれを毎日、たたいて、遊んだ。

 その結果、高校生になるころには、英語の教師よりも、速く、正確に、キーを叩くこと
ができるようになった。一度、競争して、教師たちを負かしたことがある。

 そのこともあって、今でも、パソコンのキーボードを見たりすると、ゾクゾクとするよ
うな快感を覚える。もちろんパソコンのキーボードをたたくのも、速い。言葉で話すより
も速く、キーボードを使って文字を打つことができる。(もちろん文章の内容にも、よるが
……。)

 その力が、今でも生きている。

 が、同世代の人の中には、若いころ、キーボード(タイプライター)に触れたことがな
い人も多い。そういう人たちには、そうではないようだ。「キーボードを見ただけで、拒絶
反応が起きる」と言っている知人だっている。

 こうして考えてみると、若いときに、いろいろな経験をしておくことは、大切なことの
ようだ。何が、どこで役にたつようになるかわからない。

 で、ここで二つの考え方が生まれる。

 30代、40代を過ぎたら、流動性知能のことはあまり気にしないで、結晶性知能のほ
うを伸ばしたほうがよいという考え方。

 もう一つは、年齢に関係なく、流動性知能も、大切に伸ばしたほうがよいという考え方。

 私の印象では、40歳や50歳を過ぎると、とたんに時間が短くなるので、できれば結
晶性知能をより完成させたほうがよいのではないかと思う。今さら、若い人たちの聞くよ
うな音楽を聞いて、同じように感動したところで、あまり意味はない。

 それよりも、今、歩いている道を、より先まで進んでみたい。「結晶」と言えるようなも
のになるかどうかは別として、できるだけ、核心に近づいてみたい。残された時間は、そ
れほど、長くない。

 が、一方で、ヒマなときには、やはり流動性知能を刺激していく必要もある。俗にいう、
「専門バカ」にならないためである。

 いつも新しい分野に興味をもち、チャレンジしていく。どうせ身につかないとはわかっ
ていても、だ。「ほほう」「なるほど、そうか」という程度だけでもよいのでは(?)。無理
をすることはない。

 その「専門バカ」で注意したいのは、その分野には、精通しているのだが、それ以外の
ことは、ほとんど知らない人というのは、多い。全体としてみると、どこか痴呆(ボケ)
的(?)。

 子どもの世界でも、昼も夜も、野球なら野球しかしない子どもというのがいる。頭の中
は、野球一色。ゲームならゲームでもよい。その子どもだけを見ているとよくわからない
が、全体の中でくらべて見ると、どこかヘンという印象をもつ。

 で、かつてアメリカ人の友人がこう言った。彼は日本へ来る前に、アメリカの高校で、
30年間ほど、教師をしていた。いわく、

 「ヒロシ、どうして日本の中学校では、野球部の部員は、野球しかしないのか? 朝も
夕方も練習している。これではダメだ」と。

 そこで私が、「じゃあ、アメリカではどうなのか?」と聞くと、こう教えてくれた。

 「アメリカでは、野球もするが、週に1、2度は、音楽会へ行ったり、ピクニックに行
ったりする。みんなで絵を描くこともある」と。

 つまりはバランスのとれた人間をつくるということか。そのバランスが、その子ども(人)
の人間味を味わい深いものにする。

 さてさて、今日のテーマ。何か、新しいことにチャレンジしてみよう。どうもこのとこ
ろ、生活のパターンが、単調になってきた。書いている文章も、マンネリ化してきたよう
な気がする。

 真理の探究(=結晶化)もよいが、それだけでは、私は、偏屈(へんくつ)人間になっ
てしまう。

【補記】

 私のばあいは、周期的に趣味が変化するのが、よいようだ。(だからといって、流動性知
能がすぐれていると言っているのではない。誤解のないように!)

 30〜40代のころは、数か月周期で変化した。そのため、まあ、ふつうの人がするよ
うなことなら、ほぼ、すべてのことを経験してきた。

 園芸、畑作、ハーブ栽培、木工、大工、土木、作曲、焼き物、宝石、料理、絵画、釣り、
ボート、旅行、テニスなどなど。ひと通りマスターすると、急速に興味をなくして、つぎ
へと移動していく。

 著作の分野でも、東洋医学→学習教材→宗教論→教育→幼児教育へと、書くテーマが、
5〜8年単位で変化している。(今は、電子マガジン。)

 今は、もっぱらパソコンだが、これは流動性知能というより、結晶性知能によるもの。
必要もないのに、いつもより高性能のパソコンを求めて、それで遊んでいる。この1か月
だけでも、BLOGや、アフィリエイトなどに挑戦した。(画廊も開いたぞ。今のところ、
一枚も絵は売れていないが……。)

 もともと好奇心が旺盛だったということもある。いつも何かの刺激を求めている。それ
が結果的にみると、よかったのではないか(?)。この成果は、もう少し先になってみない
とわからないが……。(肝心の脳ミソのほうが、少しボケ始めているような感じがするが…
…。ゾーッ!)
(はやし浩司 流動性知能 結晶性知能 完成 刺激)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ、あれこれ】

●マガジン550号

 マガジンが、やっと550号を超えた。残りは、450号。それで1000号。まだま
だ道は遠い。

 とんでもない無駄をしているのか? それとも、その先に、何かあるのか? 私は、と
きどき、こういうバカなことをする。

 先もわからず、そのとき決めた自分に忠実に、つき進んでしまう。あともどりできない。
あともどりすることそのものを、敗北のように感じてしまう。これは私のどういう性格に
よるものなのか。

 しかし今日まで、楽しかった。毎朝起きると、まっすぐ書斎へ。そしてそこでパソコン
に電源を入れる。メールやニュースにひととおり目を通したあと、パソコンに向かって文
を打ち始める。

 朝起きて、やることが決まっているのは、よいことだ。そのあと、一日のリズムが、そ
のままできる。そのリズムでその日が、流れていく。が、それだけではない。毎日が、新
しいことの発見。

 今日も、こんなことを発見した。

 倫理や道徳には、2種類ある、と。

 善を進める倫理と道徳。もうひとつは、悪を食い止める倫理と道徳。そして人には、(思
い)と(行動)の間には、距離(ハバ)がある。その距離のある人を、善人といい、そう
でない人を、そうでないという。

 たとえば、映画で俳優の中に、自分を注入するように、ときには、人は、銀行強盗を夢
想することがある。しかしそれは夢想。空想。

 実際に、その夢想を、実行する人は少ない。つまり(思い)と(行動)の間には、遠い
距離がある。この距離をつくるのが、その人の倫理観や道徳観ということになる。倫理観
や道徳観が軟弱な人は、その距離が短い。短いから、悪いことでも、思いたったら、すぐ
実行ということになる。ブレーキが働かない。

 一方、何かよいことをしようと思ったとする。ボランティア活動をしてみたいとか、人
助けをしてみたいとか。そういう思いは、だれにでもある。しかしいざ実行となると、そ
れなりの覚悟が必要である。

 その(思い)を、(行動)に変えていくのも、やはり、その人の倫理観や道徳観というこ
とになる。今度は、反対に、倫理観や道徳観の強固な人は、その距離が短い。倫理観や道
徳観が軟弱な人は、その距離が遠い。遠いから、思うだけで、なかなか実行しない。アク
セルそのものが、機能しない。

 そこでもう少し話をわかりやすくするために、倫理や、道徳を、二つに分ける。

 ひとつは、(悪い思い)と(行動)の間に入って、ブレーキとして働く倫理や道徳、これ
を、「ブレーキ倫理」という。

 もうひとつは、(よい思い)と(行動)の間に入って、アクセルとして働く倫理や道徳、
これを、「アクセル倫理」という。

 これら(ブレーキ倫理)と(アクセル倫理)は、本来別々のものであって、大別すると、
つぎの4つのパターンに、分類できる。

(1)(ブレーキ倫理)も、(アクセル倫理)も、しっかりしている人……自己管理能力に
すぐれ、それだけ人格の完成度の高い人ということになる。
(2)(ブレーキ倫理)がしっかりしていて、(アクセル倫理)が、弱い人……悪いことは
しないが、よいこともしないという人。生き方が、小市民的。
(3)(ブレーキ倫理)が弱くて、(アクセル倫理)が、しっかりしている人……悪いこと
も平気でするが、同時に、よいこともする。
(4)(ブレーキ倫理)も、(アクセル倫理)も、弱い人……自己管理能力が弱く、それだ
け人格の完成度の低い人ということになる。

 私は以前、何かの原稿でこう書いた。

 「よいことをするから、善人というわけではない。悪いことをしないから、善人という
わけでもない。人は、悪と戦ってはじめて、善人になる」と。

 これを書いたときは、かなり感覚的に書いた。(思いつきというほどのものではないが、
論理的に積みあげて書いたわけではない。)しかしこの内容を、もう一歩進めると、こうな
る。

 (ブレーキ倫理)だけでも、また(アクセル倫理)だけでも、人は、善人になれない。
その双方を兼ね備えてこそ、人は、善人になれる、と。さらにわかりやすく言うと、(悪を
止める力)と、(善を行う力)の双方が、うまくかね備わってこそ、その人は、善人になる
ということになる。

 ……ということを、発見するのが、楽しい。本当に楽しい。それを発見したところで、
どうということはないのだ、これを基礎に、ほかのだれも考えたことのない、善悪論を自
分なりに、展開できる。
 
 その楽しさを知る。それが私にとっての、1000号ということになる。その先に、何
があるのか? それとも、何もないのか? 今となっては、もうあと戻りはできない。た
だひたすら、前に進むだけ。

 私は、とんでもないバカなのかもしれない……。
(はやし浩司 道徳 倫理 アクセル ブレーキ アクセル倫理 善と悪)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●佐賀県のMさんよりのメール

約1年半程前からマガジンを購読しておりました。
きっかけは、息子のかん黙及び登園拒否の事で 必死で調べていたところ 先生のペー
ジに出会え 相談メールを送ったところ 解答頂き おかげさまで 今は1年生です。

が この1年間 1日も休むことなく 楽しく登校しています。
たまに 「学校休む?」 と聞くと 「いや!」 なんて会話もするほどです。
お友達も出来 子供どうしの会話もはずんでいます。

今年1月に家を新築し ついでに接続先を変えたり 色々しているうち
マガジンが届かなくなってしまいました。

以前のアドレスを使えなくしてしまっていたのです・・・
先生のマガジンが読めないと 私のパソコンは半分意味の無いものです。
ガッカリ! 引越しの忙しさで やっと今 再度 購読申し込みできました。

うれしくてメールさせてもらいました。
楽しみにしているので 益々がんばってください。

+++++++++++++++++++++++++++++

(Mさんへ)

メール、ありがとうございました。
3月11日は、ほかにも、静岡市のSさん、日野市のWさんからも、メールをいただきま
した。うれしかったです。重ねてお礼申しあげます。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●T女史のこと

 T女史という、あまり有名ではないが、1人の女性コラムニストが、10数年前に、なく
なった。静かな死に方だった。

 その前の年の秋に、T女史の家に遊びに行くと、T女史は、玄関から長い通路を経て、
一番奥の部屋に案内してくれた。廊下の途中の部屋には、痴呆症の母親がいたということ
だったが、私は、会わなかった。

 T女史は、私の本を出版したいと言ってくれた。私は、すなおに「お願いします」とだ
け言った。T女史とのつきあいは、そのとき、すでに15年近くになろうとしていた。

 が、これはあとでわかったことだが、そのとき、すでにT女史は、大腸がんをわずらっ
ていた。一度手術をして、よくなった状態だったという。もちろん私は、知らなかった。

 が、それから1か月ほどあとのこと。T女史から電話がかかってきた。元気な声だった
が、こう言った。

 「林さん、林さんから頼まれていた原稿の件だけど、出版の手伝いはできなくなりまし
た。ごめんね」と。

 私は、それに従った。この世界ではよくあることである。本の世界では、売れる、売れ
ないという視点で、出版するかどうかを、決める。内容は、つぎのつぎ。私は勝手に、「T
女史が、売れない本と判断したためだろう」と、自分をなぐさめた。

 が、それからわずか、3か月後、訃報が届いた。T女史の体中に、がんは、転移してい
た。私は、それを聞いて、神奈川県のF市に向かった。

 「元気だったのに……」と思ったが、電話で知らせてくれた、T女史の元同僚のN氏は、
こう言った。

 「林さんに最後の電話をしたのは、病院の中からだったはずですよ。すでにそのとき、
末期でね。会話をすることも、できなかったはずですよ」と。

 それに答えて、「いえ、元気そうな声でした」と言うと、N氏は、さかんに「そうでした
かア」「そんなはずはないのですがねエ」と、元気のない返事を繰りかえした。

 で、T女史の葬儀は、簡単なものだった。痴呆症の母親は、葬儀には来ていなかった。
別の県に住む、T女史の弟氏が、喪主を努めていた。私は、長い間の礼を、何度も弟氏に
告げた。そして頼まれるまま、火葬場まで、同行した。

 場所は忘れたが、火葬場の上を、アメリカ軍の飛行機が、ものすごい爆音を落としなが
ら、何度も行き来していた。今から思うと横田基地の近くでではなかったか。あるいは立
川基地だったかもしれない。

 私は、そのあまりにも静かな葬儀に、驚いた。T女史は、マスコミの世界では、それな
りに活躍した人物である。本も、エッセー集だが、十冊近くも書いていた。晩年は、いく
つかの出版社と契約して、人生相談にも応じていた。私が、はじめてT女史の家に遊びに
行ったときも、その間に、2、3度、その電話がかかってきた。T女史は、都会の女性、
独得の言い方で、「そうしたら、いいでしょう」「そうしなさいよ」と言っていた。

 そのT女史のことを今、ふと思い出しながら、こう考える。

 T女史にとって、ものを書くという仕事は、何だったのか、と。T女史も、ヒマさえあ
れば、いつも文を書いていた。「書くことは、本当に楽しいわ」と言っていた。しかし今、
インターネットで検索しても、T女史の名前は、どこにも出てこない。生涯、独身で通し
た人で、著者名も、本名を使っていた。だから、どこかに痕跡があるはずだと思ってさが
したが、やはりなかった。

 そのあと、痴呆症の母親は、どうなったのだろう。弟氏と会ったのは、それが最初で最
後だった。その後、連絡はない。「T」という名字は、たいへん珍しい名字で、少し変わっ
た字を使っていた。だから、下の名前がわかれば、弟氏をさがしだすことができるかもし
れない。

 しかしさがしだしたところで、どうしようもない。

 で、今でも気になるのは、最後の電話が、病院の中からだったということ。しかもN氏
の話によれば、そのころは、口もきけないほど、末期だったということ。私には、きっと
最後の声をふりしぼって、電話をしてきたにちがいない。もともと気丈夫な人だったが、
最後の最後まで、弱音を吐くこともなかった。

 そう言えば、T女史がなくなったのは、正月も終わり、ほっと一息ついた、3月のはじ
めころではなかったか。ちょうど、季節でいえば、今ごろのことだった。
(05年3月11日記)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩


●人生の損得

 若いころ、親の莫大な財産を引き継いだ人の話を聞くたびに、私は、こう思った。「うら
やましいな」と。

 ほかにも、宝くじを当てたとか、土地を転がしてもうけたとか、さらには、ビジネスで
成功したとか、など。そのつど、「うらやましいな」と思った。

 しかし私は、自分の人生を振りかえってみたとき、そういう(ラッキーなこと)は、何
もなかったような気がする。遺産など、もらうどころか、23、4歳のときから、収入の
半分を、実家へ送っていた。

 ワイフの父親が死んだときは、通帳に残っていた現金を、みなで分けた。それも10万
円だけだった。

 だから私は、よくワイフにこう言う。「ぼくらは、だまされたことはあるけど、何もいい
ことはなかったね」と。

 信頼していた親戚の男に、お金をだまし取られたこともある。世の中、そういうもの。

 が、ワイフは、こう言った。

 「私たちの財産は、健康よ。それに仕事もそうよ」と。

 これといった病気をしなかっただけでも、ラッキーだというわけである。それに57歳
になった現在でも、今までどおりの仕事ができるということだけでも、すばらしい。

 そう考えると、「何もいいことはなかった」ではなく、私たちは、すばらしい財産をもっ
ていることになる。もっとも仕事のほうは、年々、しりすぼみになってきた。もう、若い
ころのような元気はない。ない分だけ、先細り。

 それはしかたのないことのように思う。あとは、何かのために、毎日、心の準備を整え
つつある。何かわからない。しかし「何か」だ。

 ワイフは、こう言う。

 それらをまとめてみると、こうなる。

(1)息子たちが、外の世界で、安心して羽をのばせるよう、あと押しする。
(2)いつ息子たちが戻ってきてもよいように、暖かい家庭を用意しておく。
(3)息子たちに、いらぬ心配をかけないように、こころがける。
(4)息子たちが、何かを相談してきたら、人生のアドバイスをしてあげる。

 「自分のことはいいのか?」と聞くと、「私のことはいい」と。ワイフは、昔から、そう
いう女性である。慈悲深いというか、「相手にいいようにしてあげるのが、慈悲よ」を、口
ぎせにしている。

私「赤いミニスカートをはいて、ぼくを挑発していたころのお前とくらべると、お前も、
人間的に深みができたね」
ワイフ「あなたに苦労をさせられたからよ」
私「そうだろうね。ふつうの女性なら、ぼくのそばに、3日もいないよ」
ワイフ「そうかもね」と。

 つづいて、夫婦げんかの話になった。

私「ぼくらは、夫婦げんかばかりしていたよ」
ワイフ「でもね、今にしてみれば、おたがいに言いたいことを言いあったというのが、よ
かったかもしれないわよ。今、離婚問題をかかえている人は、ほとんどけんかもしないっ
てことよ……」
私「おたがいに口をきかなくなったら、夫婦もおしまいだね」
ワイフ「けんかをしないというのは、危険信号みたいね」と。

 けんかをするのがよいわけではないが、けんかをするのも疲れたというくらい、けんか
をしておけばいいのかもしれない。それも若いうちに……。

 とくに、この私は、若いころは、だれにも、心を開くことができなかった。上辺では愛
想よくつきあったりしたが、それは仮面。「どうすれば、私はいい人間に見られるだろうか」
「どうすれば、私は得をするだろうか」と、そんなことばかりを考えていたように思う。

 ワイフに対しても、そうだった。心のどこかで、いつも、「この女性も、いつか、ぼくか
ら去っていくだろうな」と、そんなふうに考えていた。心を開かないから、そこにあるの
は、不信感だけ。そんな私に、ワイフのほうだって、心を開けるわけがない。

 さみしい思いをしたのは、私だけではなかった。いつしか、ワイフはワイフで、「いった
ん、ことあれば、離婚」と構えるようになった。今から思えば、それは当然のことだった。

 原因は、私が生まれ育った貧弱な家庭環境にあった。そしてさらにその背景には、戦前
から戦後への価値観の変動期、戦後の混乱期があった。私の母などは、子どものころは、「お
姫様」と呼ばれていたという。

 そのせいか、自転車屋の夫(私の父親)と結婚してからも、60年以上の長きに渡って、
一度とて、ドライバーを握ったことがない。土間の掃除すら、したことがない。店先のガ
ラス戸をふいたことすら、ない。油で汚れる仕事は、大嫌いだったようだ。そういった仕
事は、すべて、兄や父、姉や私の仕事だった。

 一方、父は、酒を飲んでは、暴れた。私にとっては、つらい毎日だった。今になって、
当時の私を知る、親戚の人たちは、「浩司は、明るくて朗らかだった」とよく言う。

 しかし本当の私は、そうではなかった。ちょうど捨て犬が、だれにでもシッポを振るよ
うに、私は、みなに、シッポを振っていただけである。

 そんな悲しい思い出を書いたのが、つぎの原稿。今でも、この原稿を読むと、涙で目が
うるむ。

++++++++++++++++++

●父のうしろ姿

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私
の父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒
屋で酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。

そんなわけで私には、つらい毎日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に
学校から帰ってくるときも、家が近づくと、あれこれと口実を作っては、その友人と別
れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いていた。それを友人に見せることは、
私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。

のんきな子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パー
ティを開くという。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のた
めに台所を片づけた。片づけながら、ふと三男にこう聞いた。

「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくないか」と。

すると三男は、「どうして?」と聞いた。

理由など言っても、三男には理解できないだろう。私には私なりのわだかまりがある。
私は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなかった。友だちの家に行っても、
いつも肩身の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は
何と答えればよいのだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよ
いのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母です
ら、どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが
奇異な感じがした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。

四〇歳を過ぎるころになると、その当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようにな
った。商売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、
父は「Jストアよりも安いものもあります」と、どこかしら的はずれな広告を、店先の
ガラス戸に張りつけていた。

「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告を張りつ
けたこともある。

しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の元親友、つまり近所の男だった。
その男は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなかったが、よほどくや
しかったのだろう。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だ
からうしろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついて
みたら、うしろには誰もいない。そんなことも多い。

ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそれを教えてくれた。客がいない日
は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。あるいは油で汚れた作業台
に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを思いやると、今、私が
感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だ
ろう。いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。

「パパ、ありがとう」と。そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような
気がした。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================





.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 6日(No.551)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page054.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「計画」と「実行」の間のハバ 

 このS県で、S大の大学生(夜間)が、殺人事件の容疑で、逮捕された。被疑者の大学
生は、事件については、黙秘しているという。だからこの段階では、「推定、無罪」という
前提で、話を進めるしかない。

 新聞報道によれば、その前日、被疑者は、偽名を使って、同ビルの一階にある医院を、
訪問している。またこの事件では、2人の女性が殺害されているが、その殺害事件が起き
た前後に、近所の人が、男が自転車に乗って、逃走したのを目撃している。

 その自転車のタイヤの跡と、被疑者のもっている自転車のタイヤの跡が一致している。
しかもその大学生には、当日のアリバイがない。

 つまり、状況証拠からすると、その大学生は、かなりクロに近いということになる。そ
れで昨日、その大学生は、容疑否認のまま、逮捕された。警察署長も談話で発表している
ように、「この事件は、かなりむずかしい事件になりそうだ」。

 ……私はこの事件を、新聞で読みながら、これからは、この種の凶悪事件は、増えるだ
ろうなと思った。凶悪事件というのは、ふつう、殺人、強盗、放火、強姦の4つをさす。

 この中でもここ10年、とくにふえているのが、強盗。

 平成6年に、2684件だったのが、平成15年には、7664件にまで、増加してい
る(警察庁統計)。(全体の犯罪件数では、約178万件から、290万件へと、ふえてい
る。)

 しかし検挙数は、2100件(強盗、平成6年)から3855件(平成15年)と、検
挙率でみるかぎり、さがっている。

 78%から、50%への低下である。わかりやすく言えば、10年前には、強盗事件は、
ほとんどが解決していたが、今は、半分ということ。

 これにくらべて、殺人事件について言えば、検挙率は、95%から94%に低下したに
すぎない。アメリカでは、62%(01年)というから、まだまだ日本の警察も、がんば
っているということになる。

 で、今では、だれが凶悪事件を起こしてもおかしくない時代になった。職種や学歴には
関係ない。名声や評判も、関係ない。大学の教授が、手鏡で女子高校生のスカートの下を
のぞいたり、衆議院議員が、女性に抱きついたりする。その延長線上に、今回の事件があ
る。

 同じ県の中で起きた事件ということで、このあたりでも、親たちは、その話題ばかり。「あ
のS大学の学生がネエ……」と。

 ところで、こうした犯罪には、段階がある。これは私が考えた、『段階説』だが、こうい
うこと。

(第一段階)空想したり、夢想したりする。
(第二段階)具体的に計画したり、構想をねったりする。
(第三段階)行動に向けて、準備する。
(第四段階)具体的な行動を始める。
(第五段階)実行する。

 このうち、第一段階と第二段階は、どんな人でも、ある程度は、いろいろな場面で考え
る。私も銀行の窓口の前に座って、時間を待つときは、いつでも、銀行強盗の方法を考え
る。それが趣味になってしまった。

 しかしそれは考えるだけ。もしそれが悪いというなら、世にいる、推理小説家は、すべ
て職を失うことになる。松本清張は、悪人ということになる。

 しかし(考える)ことと、(行動する)ことの間には、大きな距離がある。この距離感の
広さが、その人の理性のハバということになる。行動に移す前に、無数の倫理観や道徳観
が、その間に介入してくる。

 が、このところ、若い人を中心に、このハバが狭くなってきたように思う。つまりそれ
が、若い人たちの凶悪事件がふえた、本当の理由ではないかと思う。もっとわかりやすく
言えば、犯罪そのものが、ゲーム化し、「思考」というブレーキがきかなくなっている(?)。

 たとえば私が子どものころは、万引きというのは、大罪だった。しかし今では、約20%
の若者たちは、何とも思っていないという(テレビ報道)。同じように、人の死についても、
感覚が変わってきているのかもしれない。

 もちろんだからといって、その大学生が犯人とはかぎらない。ひょっとしたら、事件の
真相は、こうかもしれない。

 たまたまその大学生は、知りあいになった女性に会いに行った。デートに誘うつもりだ
った。しかし行ってみると、そのとき、すでにその女性と、もう1人の女性は殺されてい
た。そこでその大学生は、あわてて現場から逃げた。自分は決定的に、不利な立場にいる。
それでその大学生は、事件について、黙秘している、と。

 新聞報道によると、すべてが状況証拠だけで、直接的な証拠はないという。これからの
操作がどう進展するか、注視したい。

【補記】

 この「思考と実行の間のハバ」について書いているとき、これは何も、悪行のことにつ
いてだけではないと、私は気がついた。

 たとえば近所の空き地に、ゴミが散乱していたとする。すると心の中で、「ゴミ拾いをし
よう」と考える。

 しかしそれを実際、行動に移して、実行するためには、かなりのふんぎりが必要である。
「ようし、やってやるぞ!」という、ふんぎりである、

 そのために大きなポリ袋を用意し、カニばさみを用意する。外は寒いので、それなりの
覚悟も必要である。

 考えてみれば、これも(ハバ)である。

 となると、このハバに作用する力は、二つあることになる。

 一つは、悪行に、ブレーキをかける、理性や道徳観や倫理観など。

 もう一つは、善行をふるいたたせる、理性や道徳観や倫理観など。

 前者を、(悪行をおさえるブレーキ)とするなら、後者は、(善行を推進するアクセル)
ということになる。

 これは大発見だ!

 私たちは、ともすれば、理性や道徳観や倫理観を、まとめて一つのものにして考える傾
向がある。またそのように考えるのが、一般的である。

 しかしその中身はちがう。そしてここが重要だが、これらの二つの(ブレーキ)と(ア
クセル)は、別々に人間の心に作用する。

 わかりやすく言えば、(ブレーキ)の強い人が、それだけ、一方で、善行を行うかという
と、そういうことはない。悪いことはしないが、いいこともしないという人は、いくらで
もいる。

 また(アクセル)に強い人が、それだけ、悪行をしないかというと、そういうこともな
い。いいこともするが、悪いことも同じようにするという人も、少なくない。

 そこでここでの大発見をまとめると、こうなる。

 理性にせよ、道徳観や倫理観にせよ、悪に対するブレーキとして働く理性や道徳観や倫
理観がある。

 一方、善に対するアクセルとして働く理性や道徳観や倫理観もある。

 これら二つは、これから先、子どもの理性、道徳観、倫理観を考えていくとき、分けて
考える必要がある。(新しい思想、ゲット!)
(はやし浩司 倫理 道徳 理性 ブレーキ論 アクセル論)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●いつか……

いつか、私は、南海の孤島で、のんびり、昼寝をしてみたい。
さわやかな風、澄んだ海と空、白い砂浜、そして明るい陽光。
静かに揺れるやしの木は、やさしく私の体を日陰で包む。

遠くで、舟に乗る子どもたちの声、そして空を舞うカモメの姿。
何もかも忘れて、何もかもクサリをはずして、何もかも捨てて、
いつか、私は、南海の孤島で、のんびり、昼寝をしてみたい。

++++++++++++++++

生きるということは、どうしてこうも、わずらわしいのか?
つぎからつぎへと、容赦なく、問題ばかりが、起きてくる。
病気だ、ボケた、老人だと、穴の中に引きこもってしまえる人は、
まだ幸福な人だ。

そういう(わがまま)も許されず、精一杯、虚勢だけを張りながら、
歯をくしばりながら、そこにじっと立つ。立って足をふんばる。

みんなズルいよ。ほんの少しでもスキがあると、そのスキをかいくぐって、
逃げてしまう。私は関係ない、これはあなたの問題、と。

だからそこにいるのは、私だけ。ポツンと取り残されて、そこにいる。
「お前だけだよなあ」とワイフに声をかけると、意味がわかっているのか、
それともわかっていないのか、ワイフは、「そうね」と、うれしそうに笑う。

+++++++++++++++++

そんなに気負うこともないのよ。荷物を背負うこともないのよ。
気楽に生きればいい。無責任に生きればいい。大切なのは、ニヒリズム。
やるだけのことはやって、あとのことは、知ったことか。私には、関係ない。

わかっているが、それができない。そのもどかしさ。その歯がゆさ。
私はもともと、まじめな人間ではない。無責任で、自分勝手。それにわがまま。
言うなれば、自己愛者。偽善者。そんな私が、無理をして仮面をかぶっている。

いやだなあ、そんな自分。きれいに着飾って。うわべだけ、とりつくろって。
皇室の人たちの、あのかわいそうなまでのつくり笑いを見ながら、
ふと、私だって変わらないではないかと、思ってしまう。

私の中の、何が、本当の私なのか。本当の私は、どこにいるのか。
子どものときから、化粧に、化粧を重ね、その上に、仮面をかぶって生きてきた。
「バカヤロー」「クソ食らえ」と、本当の私は、そう叫んでいる。

そうだ、本当の私は、こう叫びたい。

バカヤロー! クソ食らえ! 

ハハハ、だいぶ、気分が、楽になった。

++++++++++++++++++++

●みんな、がんばっていますね!

 いやなこと、つらいこと、わずらわしいこと……。
 打ち寄せる波のようにやってきては、そのつど、心をザワつかせる。

 思い過ごしに、取りこし苦労。それもある。
 本当は、何でもない問題ばかりなのかもしれない。

 ええい、ままよ、どうにでもなれ!、と、そう叫べば、
 すべてが解決する。

 へたにがんばるから、疲れる。へたに我をとおすから、角が立つ。
 生きているという事実の前では、すべてが、何でもない問題。

 そう、私は生きている。あなたも生きている。
 それ以上のことを望むから、話が、おかしくなる。

 「私」にこだわるから、疲れる。
 私は……、私の……、私に……、私のもの、と。

 さあ、あなたも、心のクサリを解き放ってみよう。
 心を開いて、大空の舞いあがってみよう。

 「私」のことなんか、忘れてね。何もかも、忘れてね。

+++++++++++++

●スランプ

 英語で、デプレッションというと、「うつ状態」をいう。私の友人のB君(オーストラリ
ア人)も、長い間、そのデプレッションで苦しんだ。「暗いトンネルの中にいたようだった」
と、当時を振り返って、彼はそう言う。

 私もときどき、そのうつ状態になる。いくつかトラブルが重なると、そのあと、そうな
る。ホッとしたときに、そうなる。何をするのもおっくうになる。ひどいときは、テレビ
を見たり、新聞を読んだりするのも、いやになる。どこか精神状態がフワフワしたような
気分になり、つかみどころがなくなる。

 もっともそういう状態は、今に始まったことではない。若いときからあった。だからな
れたというか、その状態とうまくつきあう方法を、自分なりに身につけた。

その方法、第一、そういう状態になったら、さからわず、そのままの状態で、よく眠る。
第二、カルシウム剤をたくさんとる。第三、……。いろいろあるが、その中でも、もっ
とも効果的なのは、買い物。ほしいものを、バカッと買ってしまう。

もっともあまり高価なものだと、かえって落ち込みがひどくなるので、そこそこの値段
のもの。買い物依存症になる人がいるというが、そんなわけで、私はそういう人の気持
ちが、よく理解できる。私も、その仲間?

 結局は、人間は、何も考えないほうが、生きやすい? 先ほどもテレビを見ていたら、
どこかの鉄道の車掌が、原稿を読みながら、客にあたりの様子を説明しているシーンが出
てきた。のどかな光景だった。今ごろは、紅葉の見ごろ。

私はその車掌の、どこかヌボーッとした表情を見ながら、「この複雑な社会を生きるため
には、かえってこのほうがいいのかなあ」と、思わず考えてしまった。言われたことだ
けを、まあまあ、そこそこにやって、あとはのんびりとその日、その日を、無難に暮ら
す……。

 私は私だが、では、その私は、私の息子たちには、どんな人生を歩んでほしいかという
と、ひょっとしたら、その車掌のような人生かもしれない。あまり高望みはしない。(して
も無理だが……。)そこそこの人生を、のんびりと送ってくれれば、それでよい。本人がそ
れだけの力があり、野心もあり、そしてそれを望むなら話は別だが、そうでなければ、健
康を大切にしながら、自分の力の範囲内のことをしてくれれば、それでよい。

 そうそう少し前だが、私はこんなことを思った。インドのマザーテレサが、大きく話題
になっていたころのこと。私はもし私の息子が、インドへ行って、マザーテレサのような
ことをしたいと言い出したら、それに賛成するだろうか、と。

世界中の人は、マザーテレサを賞賛していたが、では、それが人間として、あるべき人
間の姿かというと、そうは思わない。……思えなかった。そこで当時当、私は何人かの
父母にこう聞いてみた。「あなたは、あなたの息子(娘)に、マザーテレサと同じような
ことをしてほしいですか?」と。すると、全員、「ノー」と答えた。

 話がそれたが、そう考えると、「生きる」ということが、どういうことなのか、またまた
わからなくなってしまう。まあ、あえて言うなら、自分の力の範囲で、自分の力の限界を
わきまえ、無理せず、生きていくということか。

そういう意味では、私など、恵まれた環境にある。ときどき、自分の仕事がこんなに楽
でよいものかと思うときがある。あるいは私のばあい、職場そのものが、ストレス発散
の場所になっている。自由な時間はたっぷりあるし、私に命令する人は、だれもいない。
(ワイフは別だが……。)

もっともこういう環境をつくったのは、無意識のうちにも、私自身の弱点を避けるた
めだったかもしれない。もし私が、大きなオフィスビルのどこかで、パソコン相手に、
数字とにらめっこしているような仕事をしていたとしたら、とっくの昔に発狂してい
たか、自殺していたかもしれない。自殺はしなくても、心筋梗塞か脳内出血で死んで
いたかもしれない。

 そういうこともあって、いつしか私は、落ち込みそうになると、いつも、こんな歌を口
ずさむようになった。

♪……のんびり行こうよ、俺たちは……あせってみたって 同じこと……

 この歌は、小林亜星氏作曲によるもの。日本の高度成長期に、ある石油会社のコマーシ
ャルソングとして、歌われたものである。あなたも気分が滅入ったら、この歌を口ずさん
でみたら、どうだろうか。少しは気が楽になるかも? そう、私たちはのんびり行こう。
あせってみても、どうせ同じこと。

+++++++++++++++++++++

同じ、小林亜星氏の「♪のんびり……」を歌いながら書いたのが、つぎの
原稿です。

+++++++++++++++++++++

【親が過去を再現するとき】

●親は子育てをしながら過去を再現する 

 親は、子どもを育てながら、自分の過去を再現する。

そのよい例が、受験時代。それまではそうでなくても、子どもが、受験期にさしかかる
と、たいていの親は言いようのない不安に襲われる。受験勉強で苦しんだ親ほどそうだ
が、原因は、「受験勉強」ではない。受験にまつわる、「将来への不安」「選別されるとい
う恐怖」が、その根底にある。

それらが、たとえば子どもが受験期にさしかかったとき、親の心の中で再現される。つ
い先日も、中学一年生をもつ父母が、二人、私の自宅にやってきた。そしてこう言った。
「一学期の期末試験で、数学が二一点だった。英語は二五点だった。クラスでも四〇人
中、二〇番前後だと思う。こんなことでは、とてもS高校へは入れない。何とかしてほ
しい」と。二人とも、表面的には穏やかな笑みを浮かべていたが、口元は緊張で小刻み
に震えていた。

●「自由」の二つの意味

 このS県では、高校入試が人間選別の重要な関門になっている。その中でもS高校は、
最難関の進学高校ということになっている。私はその父母がS高校という名前を出したの
に驚いた。「私は受験指導はしません……」と言いながら、心の奥で、「この父母が自分に
気がつくのは、一体、いつのことだろう」と思った。

 ところで「自由」には、二つの意味がある。行動の自由と魂の自由である。行動の自由
はともかくも、問題は魂の自由である。実はこの私も受験期の悪夢に、長い間、悩まされ
た。たいていはこんな夢だ。

……どこかの試験会場に出向く。が、自分の教室がわからない。やっと教室に入ったと
思ったら、もう時間がほとんどない。問題を見ても、できないものばかり。鉛筆が動か
ない。頭が働かない。時間だけが刻々と過ぎていく……。

●親と子の意識のズレ

親が不安になるのは、親の勝手だが、中にはその不安を子どもにぶつけてしまう親がい
る。「こんなことでどうするの!」と。そういう親に向かって、「今はそういう時代では
ない」と言ってもムダ。脳のCPU(中央処理装置)そのものが、ズレている。

親は親で、「すべては子どものため」と、確信している。こうしたズレは、内閣府の調査
でもわかる。内閣府の調査(二〇〇一年)によれば、中学生で、いやなことがあったと
き、「家族に話す」と答えた子どもは、三九・一%しかいなかった。

これに対して、「(子どもはいやなことがあったとき)家族に話すはず」と答えた親が、
七八・四%。子どもの意識と親の意識が、ここで逆転しているのがわかる。つまり「親
が思うほど、子どもは親をアテにしていない」(毎日新聞)ということ。が、それではす
まない。

「勉強」という言葉が、人間関係そのものを破壊することもある。同じ調査だが、「先生
に話す」はもっと少なく、たったの六・八%! 本来なら子どものそばにいて、よき相
談相手でなければならない先生が、たったの六・八%とは! 先生が「テストだ、成績
だ、進学だ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく。親子関係も、同じ。親が「勉
強しろ、勉強しろ」と追えば追うほど、子どもの心は離れていく……。

 さて、私がその悪夢から解放されたのは、夢の中で、その悪夢と戦うようになってから
だ。試験会場で、「こんなのできなくてもいいや」と居なおるようになった。あるいは皆と、
違った方向に歩くようになった。どこかのコマーシャルソングではないが、「♪のんびり行
こうよ、オレたちは。あせってみたとて、同じこと」と。夢の中でも歌えるようになった。
……とたん、少しおおげさな言い方だが、私の魂は解放された!

●一度、自分を冷静に見つめてみる

 たいていの親は、自分の過去を再現しながら、「再現している」という事実に気づかない。
気づかないまま、その過去に振り回される。子どもに勉強を強いる。先の父母もそうだ。
それまでの二人を私はよく知っているが、実におだやかな人たちだった。が、子どもが中
学生になったとたん、雰囲気が変わった。そこで……。

あなた自身はどうだろうか。あなた自身は自分の過去を再現するようなことをしていな
いだろうか。今、受験生をもっているなら、あなた自身に静かに問いかけてみてほしい。
あなたは今、冷静か、と。そしてそうでないなら、あなたは一度、自分の過去を振り返
ってみるとよい。これはあなたのためでもあるし、あなたの子どものためでもある。あ
なたと子どもの親子関係を破壊しないためでもある。

受験時代に、いやな思いをした人ほど、一度自分を、冷静に見つめてみるとよい。

【補記】

 「♪のんびり行こうよ、俺たちは……。焦ってみたとて、同じこと……」は、どこか、
負け惜しみ的(?)。本当は、急いで、まっすぐ、自分の道を走りたいのに、力が出し切れ
ない。その環境がない。だから、自分をなぐさめるために、「♪のんびり行こうよ……」と
歌う(?)。

 そんな面もないわけではない。つまりこの歌は、自分の中のフラストレーション(欲求
不満)を、なだめるための歌かもしれない。

 しかし人生において大切なことは、立ち止まる勇気をもつことではないのか。立ち止ま
って、自分を見つめなおす勇気をもつことではないのか。

 私がM物産という商社をやめた、そのきっかけの一つになったエピソードに、こんなの
がある。

+++++++++++++++++

●私の過去(心の実験)

 私はときどき心の実験をする。わざと、ふつうでないことをして、自分の心がどう変化
するのを、観察する。若いときは、そんなことばかりしていた。私の趣味のようなものだ
った。

たとえば東京の山手線に乗ったとき、東京から新橋へ行くのに、わざと反対回りに乗る
など。あるいは渋谷へいくとき、山手線を三周くらい回ってから行ったこともある。

一周回るごとに、自分の心がどう変化するかを知りたかった。しかし私の考え方を大き
く変えたのは、つぎのような実験をしたときのことだ。

 私はそのとき大阪の商社に勤めていた。帰るときは、いつも阪急電車を利用していた。
そのときのこと。あの阪急電車の梅田駅は、長い通路になっていた。その通路を歩いてい
ると、たいていいつも、電車の発車ベルが鳴った。するとみな、一斉に走り出した。私も
最初のころはみなと一緒に走り、長い階段をかけのぼって、電車に飛び乗った。

しかしある夜のこと、ふと「急いで帰って、それがどうなのか」と思った。寮は伊丹(い
たみ)にあったが、私を待つ人はだれもいなかった。そこで私は心の実験をした。

 ベルが鳴っても、わざとゆっくりと歩いた。それだけではない。プラットホームについ
てからも、横のほうに並べてあるイスに座って、一電車、二電車と、乗り過ごしてみた。

それはおもしろい実験だった。しばらくその実験をしていると、走って電車に飛び乗る
人が、どの人もバカ(失礼!)に見えてきた。当時はまだコンピュータはなかったが、
乗車率が、130〜150%くらいになると電車を発車させるようにダイヤが組んであ
った。そのため急いで飛び乗ったようなときには、イスにすわれないしくみになってい
た。

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。「早く楽になろうと思ってがんばっ
ているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という意味だが、愚かな生き方の代
名詞にもなっている格言である。

その電車に飛び乗る人がそうだった。みなは、早く楽になりたいと思って電車に飛び乗
る。が、しかし、そのためにかえって、よけいに疲れてしまう。

 ……それから35年あまり。私たちの世代は企業戦士とか何とかおだてられて、あの高
度成長期をがむしゃらに生きてきた。人生そのものが、毎日、発車ベルに追いたてられる
ような人生だった。どの人も、いつか楽になろうと思ってがんばってきた。

しかし今、多くの仲間や知人は、リストラの嵐の中で、つぎつぎと会社を追われている。
やっとヒマになったと思ったら、人生そのものが終わっていた……。そんな状態になっ
ている。

私とて、そういう部分がないわけではない。こう書きながらも、休息を求めて疲れるよ
うなことは、しばしばしてきた。しかしあのとき、あの心の実験をしなかったら、今ご
ろはもっと後悔しているかもしれない。

そのあと間もなく、私は商社をやめた。今から思うと、あのときの心の実験が、商社を
やめるきっかけのひとつになったことは、まちがいない。

【補記2】

 やはり、「♪のんびり行こうよ……」は、いい歌です。私は何度も、この歌と歌詞に救わ
れました。小林亜星さん、そしてそのコマーシャルを流してくれたM石油さん、ありがと
う。

 そうそうそのM石油。一度、入社試験を受けたことがあるんですよ。学生時代の話です
が……。そのあとM物産に入社が内定したので、そのままになってしまいましたが……。
ごめん!


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●我欲をなくす

 我欲をなくすということは、たいへんなことだと、今夜、自転車のペダルをこぎながら、
そう思った。

 どうせ死ねば、私はこの世から消える。そしてこの世を認識する私が消えるわけだから、
私にとっては、この世も消えることになる。

 だからこの私が、我欲に執着するとしても、それは、私が死ぬまでのこと。だったら、
執着して、不愉快な思いをするくらいなら、我欲を捨て、残り少ない「時」を、楽しく過
ごしたほうがよい。

 わかりきったことだが、人間の意識というのは、そうは簡単にできていない。映画の世
界を、現実と錯覚することがあるように、ときに、現実の世界に空想をからませてしまう。
あるはずもない、(あの世)を、あると信じてしまうのも、そのひとつ。

 たとえば今、私は、こうして原稿を書いているが、これはたしかに、私の文章である。
が、その私が死んだら、どうなるか? だれがどのように盗用したり、盗作したりしても、
それを不愉快に思う、「私」そのものが、いない。

 そこでこうした文章は、私が書いたというより、人間の1人が書いたと考えたらどうだ
ろうか。私の知的財産は、みなのもの、と。たとえば、今、こうして書いている文章にし
ても、中国人や日本人が、何千年もかけて開発した、漢字やひらがなを使って書いている。
「私の文章」と意っても、私はその漢字やひらがなを、並びかえているにすぎない。

 が、「だから、ご自由に!」と言いたいが、そうはいかないところに、私の我欲がある。
私が死んだあとも、私の文章は、私のもの。そういう願いは、ある。つまり、そういう願
いを、ふっ切るところまで、我欲を捨てるのは、たいへんなことだ。

 『無我は、大我』という。最近知った言葉だが、ものすごい言葉だと思う。無我になっ
た人は、世界どころか、宇宙まで、自分のものにすることができるという。このことは、
反対に、70歳や80歳を過ぎても、我欲にとりつかれている人を見れば、わかる。

 世間体を気にして、玄関先で倒れても、救急車を呼ぶなと、隣人に告げた老人がいる。
私の近所の人だが、今年83歳になる。「近所の人たちに、恥ずかしいから」と。

 見苦しいなどというものではない。浅はか。醜悪。軽蔑しようにも、その軽蔑すら、で
きない。つまり相手にしたくない。

 しかし私は、あと何年、生きられるだろうか。10年か、20年か、それとも30年か。
どちらにせよ、あっという間だ。

 そこで私は、最近、こんなことに心がけている。

 「私のもの(mine)」という考え方を、できるだけ避けるということ。「もの」には、
名誉や地位なども含まれるが、とくに、物体的な「モノ」については、できるだけ考えな
いようにしている。

 そういう意味では、気前がよくなったのかもしれない。若いころから寛大だったが、こ
のところ、さらに寛大になってきたように思う。だれに対しても、「ほしければ、もってい
け」と、言うことが多くなった。

 もちろん私が必要としているものは、大切にしているが、そうでないものについては、
平気になってきた。

 が、それでも、そこには、限界がある。その限界を感ずるたびに、「むずかしいな」と思
う。高徳な聖職者や信仰者なら、それができるかもしれない。またそのために、日々、心
の鍛錬をしている。

 が、私は、まだ、「私」にこだわっている。そしてそれが、そのつど、我欲となって、表
に出てくる。

 さあ、どうしようか? どうしたらよいものか? この人間社会で生きていくためには、
ある程度の我欲がなければならない。すべてを無(無料)にしたら、生きていくことすら、
できない。翌日には、餓死することになる。

 その入り口のドアは、すぐそこにある。見えている。見えているのに、そこへ入る勇気
が、私には、まだない。

●ドアの向こう

 みなさんは、新しい世界を、心のどこかに感じたとき、同時に、そこへ入るためのドア
を感じたことはありませんか。

 そのドアをくぐって、その向こうの世界に入れば、まったく別の経験ができるかもしれ
ない。しかしそのドアをくぐることの勇気というか、度胸が、ない。だから「現状のまま
でいい」と考えて、その前で、立ちすくんでしまう。

 そういう経験です。

 私のばあい、今までに、何度も、そういう場面があったように思いますが、結局は、勇
気がなかった。そう思います。

 20代の終わりごろ、本気で、オーストラリアへの移住を考えたこともあります。ビジ
ネスの世界で、大成功した友人がいて、誘ってくれたこともあります。しかし最後の最後
で、ふんぎりがつかなかった。

 ドアがそこにあり、そこに見えているのに、くぐることができなかった……。

 実は、今も、そのドアを感じています。「心のドア」と言えるようなものかもしれません。
そのドアをくぐってしまえば、どんなにか気が楽になるかもしれない。それはわかってい
るのですが、その一歩手前で、しりごみしてしまいます。

 今の生活が、ほどほどに、まあまあであるため、あえて冒険などしなくても……という
気分になるのかもしれません。結局は、おくびょうで、日和見(ひよりみ)主義者なのか
もしれません。

 しかし実感としては、そのドアをくぐらなければならない日は、そんな遠くではないよ
うな気がします。時間は永遠にあるわけではないし……。どうせくぐらなければならない
ものなら、早ければ早いほど、よい。

 そう思っています。またドアをくぐるときには、みなさんに報告します。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ボケた兄から、学ぶもの

 兄を反面教師として、学ぶべき点は、少なくない。

 その第一。

ボケ(認知症)といっても、全体に知能低下が見られるというよりは、部分的なもので
あること。それに、一日のうちにも、症状が、あれこれ変化するということ。うつ病特
有の日内変動にも似ているが、そういった周期性や、規則性はない。万事、気まぐれ。

 で、よく観察してみると、常に思考がループ状態に入っていることがわかる。同じこと
を考え、同じことを言い、また同じ状態に戻っていく。

 思考の拡散ができない。あるいは、新しい思考方法でものを考えることできない。

 こうした(思考のループ性)は、早い人で、20〜30代で始まるのでは? そして一
度、それが始まると、それから抜け出るのは、容易なことではない。老人について言えば、
思考内容そのものが、青年期のままの人は、多い。「日本を立てなおすためには、武士道し
かない」とか、何とか。80歳になっても、20歳ごろ学んだ知識のままという老人も、
少なくない。

 「この人は、その間の、50〜60年間、何を考えてきたのだろう?」とさえ、思って
しまう。

 実は、兄もそうで、ワイフに言わせると、「時計が、16、7歳のときに、止まったまま
みたい」ということになる。兄は、そのころまでの話しか、しない。つまり思考が、その
時期までの範囲で、完全なループ状態に入っている。

 この思考のループ性は、そういう意味で、たいへん危険なものでもある。

 それはたとえて言うなら、単調な生活環境の中で、単調な日常生活を、何も考えず、繰
りかえしているのに似ている。それなりに、その範囲では、ふつうの生活ができるが、そ
れ以外のことができなくなる。

 つまり、同じようなことを、同じように、毎日、繰りかえして考えるようになったら、
人間も、おしまいということ。

 このことは、たとえば人と会ってみるとわかる。5年ぶりとか、10ぶりでよい。

 思考のループ性の強い人は、5年たっても、10年たっても、同じような話をする。「あ
れ、この人、20年前も、同じ話をしていたぞ」と思ったら、その人の思考能力は、ルー
プ状態に入っているとみてよい。そうでない人は、いつも話題が豊富で、まったく、ちが
った話をする。

 兄の自己中心性、それにつづく人格の崩壊については、すでに書いた。またボケるから、
死の恐怖から遠ざかるとか、「生」への執着心が薄まるということもない。それについても、
すでに書いた。むしろ、ボケればボケるほど、死をこわがるようになり、「生」への執着心
をますのではないか?

 そこでさらに話を一歩進めて、では、兄にとって、生きるというのは、どういうことな
のかという問題について、考えてみたい。

 同居して、この3月で、3か月になるが、この間、症状は、大きく変わっていない。変
わっていないのはよいが、ただ毎日、起きて、3度の食事をして、寝るだけ。

 ときどき、あちこちへ連れていくが、そういうものを、楽しんだり、理解したりする能
力は、ほとんど、ない。ワイフは「ムダではないわよ」というが、私には、まったくの、
ムダに見える。

 これも思考がループ状態に入っているためではないか。そのループの外にあることにつ
いては、まったく理解できない。理解しようともしない。たとえば幼児の絵本を読ませよ
うとしたこともあるし、絵も描かせようとしたこともある。しかしまったくと言ってよい
ほど、興味すら、示さない。

 思考の融通性そのものが、ゼロ。好奇心も、ゼロ。幼児でこういう症状が見られたら、
かなり深刻な問題と考える。が、相手が、老人では、深刻に考える前に、「もうダメだな」
とあきらめてしまう。

 で、最近、ボケというのは、あくまでも相対的なものということがわかってきた。

 私から見るから兄は、ボケてみえるが、その私とて、もっと、知的水準の高い人から見
れば、ボケて見えるにちがいないということ。前にも書いたが、CDプレーヤーで四苦八
苦している兄の姿を見ていたとき、パソコンで四苦八苦している私の姿、そっくりなのに
は、驚いた。

 自分のことしか考えない自己中心性にしても、現実検証能力にしても、程度の差こそあ
れ、この私にもある。繰りかえしになるが、ボケというのは、あくまでも、相対的なもの
でしかないということ。

 最後に、人というのは、たがいに心を開きあうから、そこから(つながり)が生まれる。
心の閉ざした人とは、そういう(つながり)が生まれない。

 で、いくら兄でも、同じように、ボケた人とは、その(つながり)が生まれないことが
わかった。兄にとっては、私やワイフは、利用すべき、存在らしい。自分のことしか考え
ていないから、兄のために苦労しているワイフや私の努力を、兄は、理解することができ
ない。

 今でも、食事の時間が、10分でも遅れると、パニック状態になる。自分で、時計のハ
リをクルクルと回してしまい、「時間がわからい」と騒ぐ。つまり「時間になったのに、な
ぜ、食事の用意をしないのか」と。

 超自分勝手で、超わがまま。そういう人間と、どうやって、(つながり)をつくることが
できるのか。つくったら、よいのか。

 人というのは、相互の愛と、相互の慈悲で、その(つながり)をつくる。心理学でいえ
ば、たがいの共鳴性ということになる。俗な言い方をすれば、たがいの思いやりというこ
とになる。一方的な関係では、それをつくることができない。

 兄にすれば、私たちが兄を世話をするのが、当然と考えている。ときどき気が向いたと
き、「ありがとう」とは言うが、こちらの胸に響かない。それもそのはず、食事にしても、
手伝いはいっさい、しない。あと片づけもしない。何か、仕事を頼むと、それだけで、パ
ニック状態になる。

 少し前も、自分の水筒にお茶を注がせてみたのだが、お茶の入ったポットを、わざとテ
ーブルから、落としてしまった。「こんなこと、オレにさせるな」と兄が、言外に言ったよ
うな気がした。

 で、そういう兄は、孤独なはずなのだが、その孤独感は、兄について言えば、さほど、
ないようだ。もともと回避性障害のようなところがあった。人とのつきあいが、苦手だっ
た。音楽を聞いたり、文字を書いたり、好き勝手なことをして、一日を過ごしている。

 最初、廊下で、大便や小便をこぼされたときには、ワイフも私も、かなりショックを受
けたが、今は、もう考えないようにしている。「子どもの便と同じと思えばいい」と。

 こういうボケ老人を介護するときは、静かに、温かく、無視するのが、何よりもよいよ
うだ。相手が、何かを求めてきたら、それにはていねいに応じてやる。しかしそれまで、
静かに、温かく、無視する。こちらから、あれこれ気をつかう必要はない。いわんや、教
育してやろうなどと、気負うこともない。

 兄は兄。私たちは私たち。

 そうでないと、介護する私たちの側まで、気がヘンになってしまう。ホント! +ハハ
ハ。(ここも、笑ってごまかす。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国際情勢

 国際情勢が、混沌(こんとん)としてきた(3・11)。

 日韓関係は、竹島問題をはさんで、急速に悪化。朝日新聞社の軽飛行機が近づいただけ
で、韓国側は、ジェット戦闘機を派遣。韓国外相の訪日を中止。

 アメリカはイラン問題がこじれて、このところ中国との関係を、これまた急速に見なお
し始めている。

 そしてその中国は、K国の核問題が、国連安保理に付託されても、拒否権は使わないと
言いだした。韓国も、一線を引くと言いだした。ことK国ついて言えば、K国は、万事休
す! 

 K国問題もさることながら、へたをすれば、台湾をはさんで、米中関係が、かなりこじ
れる心配が出てきた。そうなれば、K国の核兵器問題など、どこかへ吹き飛んでしまう。
おまけに今朝(3・11)のニュースによれば、その中国は、イランのみならず、K国に
まで、ミサイル技術などを提供していたという!

 K国もK国なら、中国も、中国だ。それともK国は、中国を見習っているだけ?

 その間に立たされて、さあ、日本よ、どうする?

 私が外務大臣なら、日本→フィリッピン→マレーシア→インドネシア→オーストラリア
→インドという、どちらかというと親日、反中国の国々との連携を深め、中国包囲網を構
築する。そういった国々と、ゆるい自由貿易協定を結ぶのもよい。

 韓国にせよ、K国にせよ、中国にせよ、ああいう国の人たちの心が溶けるのを待ってい
たら、まだこの先、半世紀はかかってしまう。その間に、日本は、沈没してしまう。

 K国の核問題は、ほんの少しだが、先が見えてきた。が、それとは反比例する形で、日
本を含む東アジアが、急速に悪化し始めている。ここはしばらく、日本は、アメリカのご
威光にすがりながら、様子を見るしかないようだ。
(3月11日記、国際情勢は、どんどん変化しています。この記事は、3月11日に書い
たものです。)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 4日(No.550)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page053.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの補償作用

 子どもは、(おとなもそうだが)、自分に何か欠点や、コンプレックスがあったりすると、
それを解消するために、さまざまな行動を、代償的にとることが知られている。その一つ
が、「補償」という作用である。

 たとえば容姿があまりよくない女の子が、ピアノの練習に没頭したり、あまり目だたな
い男の子が、暴力的な行動によって、目立ってみせるなど。

 運動が苦手な子どもが、勉強でがんばるのも、そのひとつ。あるいは内気な子どもが、
兵隊の服を着て、おもちゃの銃をもって遊ぶのも、その一つ。強くなったつもりで、自分
の中の(弱さ)を、補償しようとする。

 こうした補償作用は、意識的にすることもあるし、無意識的にすることもある(「心理学
小事典・岩波」)。

 つまり子どもは何らかの形で、他人の目の中で、自分を反映させようとする。自分の存
在感をつくり、最終的には、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。

 が、こんなケースもある。こうした補償が、子どもの中でうまく作用する子どもは、ま
だ幸せなほう。が、その補償が、ことごとく、裏目に出る子どもだ。子どもの心を考える、
一つのヒントには、なると思う。

++++++++++++++++++

【二重苦、三重苦】

●K塾へ入った、M君

 あのね、学校でさんざんいやな思いをしている子どもを、また塾へ入れて、いやな思い
をさせたら、どうなりますか? ものごとは、子どもの立場で考えましょう。

 よくあるのは、学校での成績がおもわしくないという理由で、塾へ入れるケース。子ど
もがその(必要性)を感じていれば話は別だが、そうでないときは、かえって子どもを苦
しめることになる。もう少し、具体的に例をあげて考えてみよう。

 M君(小五)は、学校では、「悲しい道化師※」だった。勉強が苦手ということを、ごま
かすために、皆の前で、いつもふざけてばかりいた。一見、明るい子どもに見えたが、そ
れはまさに彼、独特の、演技だった。

 たとえば先生にさされて、黒板の前に立つときも、わざとちょろけたり、ほかの子ども
にちょっかいを出したりした。冗談を言ったり、ギャグを口にすることもあった。M君は、
みなにバカにされるよりは、おもしろい男、楽しい男と思われることで、その場を逃れよ
うとした。それは意識的な行動というよりは、無意識に近い、行動だった。

 そんなM君を、親は、指導がきびしいことで有名な、K塾に入れた。K塾では、毎月テ
ストをして、その成績順に生徒をイスに座らせた。M君は、その塾でも、悲しい道化師を
演じようとした。しかし、K塾では勝手が、ちがった。

 M君は、いつもそのクラスの、左側の一番うしろに座った。そのクラスでも、成績がビ
リの子どもが座る席である。ふざけたくても、ふざけられるような雰囲気すら、なかった。
M君は、ただ小さくなっているだけだった。

 M君が、どんな気持ちでいたか。それがわからなければ、あなた自身のことで考えてみ
ればよい。

 学校でさんざん、いやな思いをしている。そういうあなたが、また塾で、いやな思いを
させられたら、あなたはどうなる? こういうのを二重苦という。が、それだけではすま
なかった。M君は、今度は、家に帰ると、母親に叱られた。「こんな成績で、どうするの!」
「いい学校に入れないわよ!」と。二重苦ではなく、三重苦が彼を襲った。

●できない子どもほど、暖かく

 簡単なことだが、勉強が苦手な子どもほど、家庭や、塾では、暖かく迎える。「学校」を
大切に考えるなら、そうする。

 だいたいにおいて、生徒に点数をつけ、順位を出して、さらにその成績順に席を決める
というのは、人間のすることではない。この日本では、そういうのを教育と思っている人
は多い。そのため疑問に思う人は少ない。しかしこんなアホなことを「教育」と思いこん
でいるのは、日本人だけ。家畜の訓練でさえ、そんなアホなことはしない。

 が、ここで大きな問題にぶつかる。親自身が、こうした暖かさを否定してしまうことが
ある。中には、きびしければきびしいほどよいと考える親がいる。このタイプの親にとっ
て、「きびしい」というのは、「子どもをより苦しめる」ことを意味する。「苦しめば、それ
をバネとして、より勉強するはず」と。

 しかしこうした(きびしさ)は、成功する例よりも、失敗する例のほうが、多い。最初
に書いたように、子ども自身が、それだけの(必要性)を感じていれば、話は別だが、そ
ういうケースは、少ない。

 M君は、やがて塾へ行くのをしぶり始めた。当然だ。あるいはあなたがM君なら、そう
いう塾へ行くだろうか。が、親は、塾からもらってくる成績を見ながら、ますますK君を
責めたてた。こうなると、行きつく先は、明白。気がついたときには、M君から、あの明
るい笑顔は消えていた。

 今、M君は、小学六年生になったが、学校でも、先生にさされても、うつろな目で、ボ
ーッとしているだけ。ふざけて、みなを、笑わす気力もない。

 もちろん中には、精神的にタフというより、どこか鈍感に見える子どももいる。しかし
そういう子どもでも、深くキズついている。心のキズというのは、そういうもので、外か
らは見えない。見えないだけに、安易に考えやすい。だから教訓は、ただひとつ。

 できない子どもほど、暖かく。
 できない子どもほど、二重苦、三重苦に追いこんではいけない。

 最後に、「ではどうすればいいのか?」という親に一言。そういうときは、「あきらめる」。
あなたがごくふつうの人であるように、あなたの子どもも、ふつうの人間として、それを
認める、受け入れる。その割り切りのよさが、子どもの心に風穴をあける。

 こういうM君のようなケースでは、親が、「まだ何とかなる」「そんなはずはない」「うち
の子は、やればできるはず」と思えば思うほど、かえって子どもの成績はさがる。親子の
関係もおかしくなる。さらに子どもの心もゆがむ。まさに百害あって一利なし、という状
態になる。

●「悲しき道化師」というのは、私が考えた言葉。

勉強ができない子どもは、さまざまな形で、それをみなに知られるのを、防ごうとする。
その一つが、「道化師」を演ずること。

まわりを茶化すことで、自分ができないことをみなに、知られないようにする。ひょう
きんな顔をして見せたり、ふざけたりする。バタバタと暴れてみせたり、先生をからか
ったりする。

このタイプの子どもは、「勉強ができない仲間」と思われるより、「おもしろい仲間」と
思われることを望む。つまりそうすることによって、自分の自尊心(プライド)がキズ
つくのを防ぐ。一見、楽しそうに見えるが、心の中は、悲しい。だから「悲しき道化師」
と、私は呼んでいる。
(はやし浩司 補償)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●万引き

 中高校生の、約20%が、「万引きは、それほど悪いことではない」と考えているという。
昨夜のテレビの報道番組を見ていたら、そんな数字が、画面に出てきた。

 が、こうした問題を、子どもの側から論じても、あまり意味はない。子どもは、おとな
のマネをしているだけ。もっと言えば、親のマネをしているだけ。

 こう書くと、「私は万引きなど、したことがないからだいじょうぶ」とか、「子どもの前
では、万引きをしたことがないから、だいじょうぶ」と思う親がいるかもしれない。しか
しそれは、誤解。

 子どもというのは、乳幼児期に、とくに母親から、(すべてのもの)を、受けつぐ。(す
べてのもの)、だ。

 そのとき、母親のもつ、習性まで、受けついでしまう。これが、こわい。

 その習性が、好ましいものであれば、問題はない。しかしそうでないときに、困る。

 たとえばあなたという母親が、信号が赤になっても、交差点を、突っ切って走るような
タイプの女性だとしよう。あるいは、窓の外へ、平気で、タバコの吸い殻を捨てるような
女性であったとしよう。あるいは、駐車場でないところでも、平気で車を止めるような女
性であったとしよう。

 少しでもスキがあれば、平気で小ズルイことが平気でできる。そんな女性であったとし
よう。

 それがここでいう(習性)に含まれる。

 子どもは、母親のそういう習性を、そっくりそのまま、受けついでしまう。万引きをす
る、しないは、あくまでも、その結果でしかない。

 だから、今日からでも遅くない。どんなささいなことでもよいから、社会のルールや規
則を守ろう。子どもが見ているとか、見ていないとか、そういうことは関係ない。あなた
自身の習性を、まず作りなおす。

 そうした日ごろの努力が、やがてあなたの習性となり、それが子どもに伝わっていく。

 もっとわかりやすく言えば、日ごろから、あなたが社会のルールを平気で破りながら、
子どもに向かって、「万引きをしてはいけません」と教えても意味はない。こうした習性は、
言葉や、説教で、子どもに伝わるものではない。肌から肌へと、感性として、伝わる。

 ムードだ。雰囲気だ。

 いつか、私は「一事が万事論」を書いた。

 日々の生活が月となり、月々の生活が、年となり、それが積み重なって、あなたという
人間ができる。子どもがあなたから引き継ぐのは、その(あなた)である。

 だから今の今から、あなたは、自分にこう意って聞かせる。

 私は、ルールを守る。規則を守る。子どもが見ていても、見ていなくても、そういうこ
ととは関係なく、だ。

 そういう姿勢を、つまり習性として子どもが受けついだとき、その子どもは、こう言う
ようになる。「万引きをすることは、悪いことだ」と。

+++++++++++++++++

●日々の積み重ねが人格 
 人も50歳を過ぎると、それまでごまかしてきた持病がどっと表に出てくる。60歳を
過ぎると、その人の人格がどっと表に出てくる。

若いころは気力で、自分の人格をごまかすことができる。しかし歳をとると、その気力
そのものが弱くなる。 
私の知人にこんな女性(80歳)がいる。その女性は近所では「仏様」と呼ばれていた。
温厚な顔立ちと、ていねいな人当たりで、そう呼ばれていた。が、このところ、どうも
様子がおかしい。近所を散歩しながら、他人の植木バチを勝手に持ちかえってくる。あ
るいは近所の人の悪口を言いふらす。しかしその女性は昔から、そういう人だった。が、
年齢とともに、そういう自分を隠すできなくなった。  

で、その人格。むずかしいことではない。日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ね
が年となり、その人の人格となる。ウソをつかない。ルールを守る。ものを捨てない。
そんな簡単なことで、その人の人格は決まる。たとえば…。 
信号待ちで車が止まったときのこと。突然その車の右ドアがあいた。何ごとかと思って
見ていると、一人の男がごっそりとタバコの吸殻を道路へ捨てた。高級車だったが、顔
を見ると、いかにもそういうことをしそうな人だった。

また別の日。近くの書店へ入ろうとしたら、入り口をふさぐ形で、4WD車が駐車して
あった。横には駐車場があるにもかかわらず、だ。私はそういうことが平気でできる人
が、どんな人か見たくなった。見たくなってしばらく待っていると、それは女性だった。

しかしその女性も、いかにもそういうことをしそうな人だった。こういう人たちは、自
分の身勝手さと引き換えに、もっと大切なものをなくす。小さなわき道に入ることで、
人生の真理から大きく遠ざかる。 
 さてこの私のこと。私は若いころ、結構小ズルイ男だった。空き缶を道路に平気で捨
てるようなタイプの男だった。どこかの塀の上に、捨てたこともある。そういう自分に
気がつくのが遅かった。だから今、歳をとるごとに、自分がこわくてならない。「今にボ
ロが出る……」と。 
 ついでに……。こんな悲しい話もある。アルピニストの野口健氏がこう言った。

「登山家の中でも、アジア隊の評判は悪い。その中でも日本隊は最悪。ヒマラヤをゴミ
に山にしている。ヨーロッパの登山家は、タバコの吸殻さえもって帰るのに」(F誌〇〇
年六月)と。

写真には酸素ボンベが写っていた。それには「二〇〇〇年H大学」とあった。 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●しつけは普遍

 日々の積み重ねが月となり、月々の積み重ねが歳となり、やがてその人の人格となる。
むずかしいことではない。ゴミを捨てないとか、ウソをつかないとか、約束は守るとか、
そういうことで決まる。

しかもそれはその人が、幼児期からの心構えで決まる。子どもが中学生になるころには、
すでにその人の人格の方向性は決まる。あとはその方向性に沿っておとなになるだけ。
途中で変わるとか、変えるとか、そういうこと自体、ありえない。

たとえばゴミを捨てる子どもがいる。子どもが幼稚園児ならていねいに指導すれば、一
度でゴミを捨てなくなる。しかし中学生ともなると、そうはいかない。強く叱っても、
その場だけの効果しかない。あるいは小ずるくなって、人前ではしないが、人の見てい
ないところでは捨てたりする。

 さて本題。子どものしつけがよく話題になる。しかし「しつけ」と大上段に構えるから、
話がおかしくなる。小中学校で学ぶ道徳にしてもそうだ。人間がもつしつけなどというの
は、もっと常識的なもの。むずかしい本など読まなくても、静かに自分の心に問いかけて
みれば、それでわかる。

してよいことをしたときには、心は穏やかなままである。しかししてはいけないことを
したときには、どこか心が不安定になる。不快感が心に充満する。そういう常識に従っ
て生きることを教えればよい。そしてそれを教えるのが、「しつけ」ということになる。

そういう意味ではしつけというのは、国や時代を超える。そしてそういう意味で私は、「し
つけは普遍」という。
(はやし浩司 しつけ 人格 人格論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●イギリスの育児事情

 楽天でHPを開いている「H」さんという女性の日記に、こんな記事がありました。H
さんは、現在、イギリス在住。イギリスの子育て事情がわかって、おもしろい。Hさんの
許可をいただけましたので、ここに紹介します。

+++++++++++++++++

最近、2歳の息子は、友達をとても意識しだし、
また、今まで楽しみにしていた市の育児教室も
(私が)大好きだった先生がやめ、
他の人に代わってしまったということもあったので、
近所の、いろいろなトドラーグループや、プレイグループを
見学して回っている。

トドラーグループというのは、2時間ほど、
保護者がついて遊ぶところをいう。
プレイグループというのは午前、午後2時間程度、
子供を置いてあずけていけるところをいう。

3歳と4歳の子供は、市からお金が出るので、
5セッション(2時間で1セッション)までは、フリーなのだそうだ。

でも息子はそれまで、あと1年待たなければいけない。

プレイグループは、2歳から始められるところも多く、
トイレトレーニングができてなくてもかまわないという
ことなので、今日はその一つを訪問してみた。

ちなみにだいたい料金は、1セッションで5ポンド(1000円弱)ちょっと。
うちの前にある私立の学校のラグビーグランドのクラブハウスを、
平日だけ使っている。

++++++++++++++++++

 Hさんの話によれば、3、4歳児についていえば、週なのか、月なのかはわからないが、
5回分までは、市のほうで、子どもを無料で預かってくれるということになる。

 親がいっしょについて遊ぶ、トドラーグループ。子どもを預かってくれる、プレイグル
ープがあるそうだ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

(追記)

 「H」さんから、追伸が届きました。一部、内容がダブりますが、そのまま紹介します。

++++++++++++++++

プレイグループは、トイレトレーニング済みの、3歳以上の子供だけしか
あずからないところもあるのだが、2歳から始められるところも多くあるので
今日はその一つを訪問してみた。

ちなみに、だいたい料金は、1セッションで5ポンド(1000円弱)ちょっと。
私立学校の運動場にあるクラブハウスを、平日だけ使っている。

内容は自由な遊び、絵本の読み聞かせ、おやつタイム、色の名前を教えたりなど
小さな保育園といった感じ。

なお、プレイグループは9時半から3時までで、春休み、夏休み、冬休みは
閉じている

トドラーグループ(toddler……「よちよち歩きの幼児」の意)というのは、
就学前の幼児が、保護者と一緒に来て遊ぶところで、
保護者同士は子供たちの様子を見ながら、紅茶とビスケットを片手に情報交換をしたり、
世間話をしている。

こういったグループはたいていお母さん同士が主催したり、教会のボランティアが
催していることが多く、教会のホールやコミニティーセンターで行われる。

50ペンス(100円弱)から1ポンド(200円弱)ぐらいのお金を払って参加し、
予約などせずに、毎週決まった時間に行けばよいことになっている。

+++++++++++++++++++++++

イギリス在住の「H」さん、情報、ありがとうございました!!

キリスト教国(アメリカ、イギリス、オーストラリアなど)は、教会を中心とするボラン
ティア活動が、さかんですね。一種の社会保障制度として機能しているようなところさえ
あります。

少し前、アメリカに住む息子に、「失業したら、どうするんだ?」と聞きましたら、「教会
のみんなが助けてくれる」「そのために、今、ぼくらは、仕事のない人を助けている」と話
していました。

私が子どものころには、その地域の牧歌的な暖かさが、まだ残っていたように思います。
それがこの高度成長期を経て、ほとんどが、消えてしまった。そんな印象をもっています。

私は、田舎ですが、町の商店街で生まれ育ちました。あの商店街というところにも、独特
の文化があるのですよ。毎日のように、町内の人たちが、町おこしのために、あれこれ策
をねる。そんなところから、独特の文化が、生まれ、育ちました。

春祭り、夏祭り、秋祭りなどなど。そういうものをとおして、客を商店街へ呼びこもうと
いうわけですが、それが長い時間をかけて、文化になったのです。

しかし、今は、近くに大型のショッピングセンターができて、すべて、(ほとんど)、破壊
されてしまったように思います。

残念ですが、これも時代に流れでしょうか。「H」さんのメールを読んでいて、そんなこと
を感じました。ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●縄文人(タヌキ顔)と弥生人(キツネ顔)

 何かの本で、縄文人と弥生人の顔の復元図を見た。それを見ると、縄文人は、現在の中
国人風。四角ぽい顔で、目が大きい。

 一方、弥生人は、現在の朝鮮系の人風。やや細面で、独特の切れあがった目をしている。

 これだけの事実で、こう断言するのは危険なことだが、縄文人は、中国大陸から、黒潮
か何かにのって、日本へ移り住んだ人たちではないかということになる。

 また弥生人は、朝鮮半島へ経て、日本へやってきた人たちではないかということになる。
こうした民族が、まざって、今の日本人になった(?)。

 日本語という言葉は、モンゴル系に属し、モンゴル語、朝鮮語と、文法が、ほとんど、
同じ。そういうことを考えあわせると、日本人の基礎は、弥生人たちが作ったということ
になるのではないか(?)。

 そういえば、少し前、九州の佐賀県へ行ったときのこと。言葉は日本語だが、話し方の
アクセントというか、抑揚というか、言い方が、韓国語とそっくりなのには、驚いた。案
内してくれた佐賀県の教育委員会の人にそれを話すと、その人は、こう言った。

 「天気のいい日には、山の上から、朝鮮半島が見えるようなところですから……」と。

 日本人には、ほかに、アイヌ民族の血や、南方の東南アジア系の人たちの血も流れてい
るという。

 しかし、私は知らなかった。

 私は子どものころ、縄文人が進化して、弥生人になったものとばかり、信じていた。た
しか社会科の教科書にも、そう書いてあったのではないか? (いいかげんな情報で、ご
めん。)

 さらに最近の研究では、戦乱の中国をのがれて、そのつど、多くの中国人たちが、日本
へ渡ってきたということもわかってきた。日本へ、青銅器や鉄器の作り方を教えた人たち
は、そういう人たちだというのだ。

 これから先、こうした研究は、さらに進むのだろう。今では、いちいち発掘調査などし
なくても、DNAを、たんねんに分析していけば、それがわかるという。

 フ〜ンと思ってみたり、ナルホドと思ってみたり……。

 ところで私の顔は、縄文人風。俗にいう、タヌキ顔。(弥生人風の顔を、俗に、キツネ顔
というらしい。)ワイフの顔も、タヌキ顔。生まれてきた息子たちも、みな、タヌキ顔。我
が家は、タヌキ家族(?)。ハハハ。

この原稿を読んでいる、あなたは、いかがですか?

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●男の更年期

 男性も、男性ホルモンの不足により、女性のそれによく似た、更年期症候群を示すこと
があるそうだ。一種の、機能失調状態ということになる。

 ……といっても、そのときは、気づかない。私のばあいは、去年(04年)の春から夏
にかけてごろが、そうではなかったかと、今にして、思う。

 症状としては、(1)体がだるい、(2)やる気がおきない、(3)女性に興味をなくした、
(4)情緒が不安定になった(怒りっぽく、イライラする)、(5)慢性的な頭重感など。

 去年は、とくに暑かった。夏風邪もひいた。何かにつけ、クーラーに身を寄せるように
なった。体重も、気がついたときには、69キロ近くまでになっていた。(私の適性体重は、
63キロ前後。)

 「このまま私は、どうなってしまうのだろう」とさえ、思った。

 小山蒿夫という人が、更年期症候群を列挙している(94年・心理学用語辞典)。それに
よると、

(1)顔がほてる
(2)汗をかきやすい
(3)腰や手足が冷えやすい
(4)息切れ、動悸がする
(5)寝つきが悪い、眠りが浅い
(6)怒りやすく、イライラしやすい
(7)クヨクヨしたり、憂うつになる
(8)頭痛、めまい、吐き気がよくある
(9)疲れやい
(10)肩こり、腰痛、手足の痛みがある

 これらの症状は、男性というよりも、女性のものということになる。これらの症状を、
強く感ずるようであれば、更年期ということになる(?)。

 男性のばあいは、顔がほてるとか、冷え性になるとか、そういうことはないのでは(?)。
むしろ、たまたま仕事的にきびしい時期にも重なるということで、ささいなことにこだわ
ったり、悩んだりしやすくなるのではないかと思う。身体的な変化というより、精神的な
変化のほうが多いのでは……? この時期、初老性のうつ病になる人は、多い。

 私もあぶなかった……というより、悶々としたうつ状態は、私の持病のようなものだか
ら、そういう状態とは、うまく、つきあっている。方法としては、(1)ゆっくりとした、
自分の時間を、じゅうぶんにとる。(2)運動をして、1日1、2回は、汗をかく。(3)
好きなときに寝て、好きなときに起きる、ということに心がけている。

 あとは教室で、思う存分、子どもたちと、ワイワイ騒ぐ。これはストレス解消法にもな
る。

 が、それでもおかしくなる。そういうときは、ワイフに相談する。

 「今のぼくは、正常か?」と。

 するとワイフは、「正常よ」とか、「おかしいわ」とか、言ってくれる。その言葉を聞い
て、自己修正する。

 このところ、やっとその更年期らしきもの(?)を、抜け出たような気がする。女性に
も興味をもち始めたし、やる気も、少しずつ、起きてきた。気分も、3月だというのに、
割とほがらか。(毎年、3月というのは、私のような仕事をしているものにとっては、ゆう
うつな月!)

 私の知人のM氏(78歳、男性、大手の販売会社の元会計監査)は、こう言った。

 「林さん、男が一番、バリバリと仕事ができるのは、60歳から65歳にかけてですよ。
まだまだあなたは若いよ」と。

 今は、その言葉を、私は、信じている。(信じたい。あるいは懸命に、自分に信じようと
言って聞かせているのかもしれない。)

♪もうすぐ春ですね
 恋をしませんか?
(はやし浩司 更年期 更年期症候群)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●フランスの高校生

 フランス全土で、政府の教育改革に反対する全国の高校生が、 デモ行進を行ったという
(TBSニューズ)。参加者は16万人以上というから、すごい。

 フランス政府が進める教育改革に対して、高校生たちが、立ちあがったというわけだが、
その背景には、「フランスでは、中学進学時に、生徒の15パーセントで読み書きが十分で
きない」という事実があるようだ。
 
 デモの内容はともかくも、高校生たちが、デモをするということ自体、もう、この日本
では、考えられなくなった。なぜか?

 以前、書いた原稿を、ここに載せる。この文を読んでもらえば、管理教育の(すごさ)
というか、それをわかってもらえると思う。

++++++++++++++++++

●無関心な人たち

 英語国では、「無関心層(Indifferent people)」というのは、それ
だけで軽蔑の対象になる。非難されることも多い。だから「あなたは無関心な人だ」と言
われたりすると、その人はそれをたいへん不名誉なことに感じたり、ばあいによっては、
それに猛烈に反発したりする。

 一方、この日本では、政治については、無関心であればあるほど、よい子ども(?)と
いうことになっている。だから政治については、まったくといってよいほど、興味を示さ
ない。関心もない。感覚そのものが、私たちの世代と、違う。

ためしに、今の高校生や大学生に、政治の話をしてみるとよい。ほとんどの子どもは、「セ
イジ……」と言いかけただけで、「ダサ〜イ」とはねのけてしまう。(実際、どの部分が
どのようにダサイのか、私にはよく理解できないが……。「ダサイ」という意味すら、よ
く理解できない。)

●政治に無関心であることを、もっと恥じよう!
●社会に無関心であることを、もっと恥じよう!
●あなたが無関心であればあるほど、そのツケは、つぎの世代にたまる。今のこの日本が、
●その結果であるといってもよい。これでは子どもたちに、明るい未来はやってこない。

では、なぜ、日本の子どもたちが、こうまで政治的に無関心になってしまったか、であ
る。

●文部省からの三通の通達

日本の教育の流れを変えたのが、3通の文部省通達である(たった3通!)。文部省が1
960年に出した「文部次官通達」(6月21日)、「高校指導要領改定」(10月15日)、
それに「初等中等局長通達」(12月24日)。

 この3通の通達で、中学、高校での生徒による政治活動は、事実上禁止され、生徒会活
動から、政治色は一掃された。

さらに生徒会どうしの交流も、官製の交流会をのぞいて、禁止された。当時は、安保闘
争のまっ最中。こうした通達がなされた背景には、それなりの理由があったが、それか
ら45年。日本の学生たちは、完全に、「従順でもの言わぬ民」に改造された。その結果
が、「ダサ〜イ」ということになる。

 しかし政治的活力は、若い人から生まれる。どんな生活であるにせよ、一度その生活に
入ると、どんな人でも保守層に回る。そしてそのまま社会を硬直させる。今の日本が、そ
れである。構造改革(官僚政治の是正)が叫ばれて、もう15年以上になるが、結局は、
ほとんど何も改革されていない。

このままズルズルと先へ行けばいくほど、問題は大きくなる。いや、すでに、日本は、
現在、にっちもさっちも立ち行かない状態に追い込まれている。あとはいつ爆発し、崩
壊するかという状態である。

 それはさておき、ここでもわかるように、たった3通の、次官、局長クラスの通達で、
日本の教育の流れが変わってしまったことに注目してほしい。そしてその恐ろしさを、ど
うか理解してほしい。日本の教育は、こういう形で、中央官僚の思うがままに、あやつら
れている。

(付記)

 どうしてこうまで、子どもたちは、政治に関心をもたなくなってしまったのか? 数日
前も、中学生たちに、「K国が、日本にミサイルを打ちこんでくるかもしれないよ」と話す
と、こう言った。

 「どうして?」
 「アメリカがいるから、だいじょうぶだよ」と。

 議論そのものが、かみあわないというより、議論そのものが、できない。まったく、話
にならない。

 こうした愚民化政策というのは、為政者にとってはつごうがよいかもしれないが、日本
の将来を考えるときには、マイナスにこそなれ、プラスになることは何もない。

 子どもたちでさえ、目先の利益や話題ばかりを、追いかけている。しかも、ここが重要
な点だが、親も、ときどき、「子どもに政治の話はやめてほしい」と、クギを刺してくる。

 私は共産主義者でも社会主義者でもない。民主主義者である。まちがいなく、民主主義
者である。それに、子どもたちを指導して、政治活動をしようなどという意図は、もとか
らない。

 だから私も、政治の話はしない。子どもたちのほうから質問があったときは、「おうちの
人に聞いてごらん」と言って逃げる。

つまりそういう日本全体の風潮が、政治的に無関心な子どもたちを作ったといえる。フ
ランスの高校生のデモのニュースを聞いたとき、内容はともかくも、その行動力のちが
いに、私は、大きなショックを受けた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●緊迫する、朝鮮半島

 金XXも、いつまでがんばるつもりなのか?
 食料も燃料もなく、今年はもはや、国家予算すら、立てられない状態。
 アメリカにおどされ、頼みの綱の中国にも、おどされ……。

 残るのは、核実験かミサイルの試射。
 しかしそんなことをすればするほど、世界から、つまはじき!

 自分のことが、わかっていない。まったく、わかっていない。現実検証能力、ゼロ!

 人間、負けを認めるときは、いさぎよく認める。認めて、引きさがる。「ああでもない」
「こうでもない」と、ごねればごねるほど、見苦しくなるだけ。

 残された道は、二つ。破滅か、それとも戦争か。

 おとなしく6か国協議に出てきて、「すみませんでした」「よろしくお願いします」と、
頭をさげれば、それですむものを! 金XXは、いったい、何にこだわっているのか?


 今日、強硬派のP・ボルトン氏が、国連大使になった(3・8)。アメリカは、着々と、
K国の核問題を国連安保理に付託する準備を始めた。すでに、そのあたりの話しあいは、
中国との間でついているのだろう。

アメリカ「どうにもなりませんなあ」
中国「ホント。やっかいな国ですなあ」
アメリカ「安保理に付託しましょうよ」
中国「ここまでくれば、やむをえんでしょうな」と。

 その動きに韓国も、同調し始めた。それもそうだろう。あれだけ裏切られれば、だれだ
って頭にくるはず。韓国も、やっと現実が、少しは理解できるようになったということか。

 が、その一方で、日本は、中国や韓国と、どこかギクシャクしてきた。台湾問題。竹島
問題。それに首相の靖国神社参拝問題などなど。

 こういう情勢であるにもかかわらず、金XXは、手も足も出せない。核兵器を放棄すれ
ば、金XXには、何も残らない。暴走族から、バイクを取りあげるようなもの。

 では、どうなるか?

 カギを握るのが、中国。その中国が、原油の供給を止めただけで、K国は、万事休す。
終わり。自滅。が、中朝国境は、大混乱!

 しかし中国は、それを望んでいない。すでに中国は、金XXなきあとの、朝鮮半島を考
えている。おめでたい韓国は、これで南北が統一できると期待しているが、そうはならな
い。

 K国も含めて、朝鮮半島の北部は、中国の領土になる。ついで、韓国も、中国の経済圏
の中に組みいれられる。

 韓国のみなさん、K国のみなさん、中国は、そんな甘い国じゃ、ありませんぞ。台湾や、
チベットを見れば、それくらいのことは、わかるでしょう。

 そこで中国は、ジワジワと、K国のクビをしめあげる。生かさず、殺さず、ジワジワと、
だ。そして金XX体制が静かに崩壊し、親中国政権が生まれるのを、待つ。

 言っておくが、金XX政権が崩壊しても、K国には、親韓国政権、親アメリカ政権は、
ぜったいに生まれない。K国の人たちというのは、骨のズイまで、反米精神でかたまって
いる。それに韓国の人たちのように、韓国に対して、同胞意識など、ない。

 日本は、どうなるか。

 中国のかいらい政権であるにせよ、中国は、新K国と日本の間に割ってはいってくる。
そして戦後補償問題を、もちだしてくる。中国のねらいは、ズバリ、日本のマネー。多額
の補償金を日本に払わせることで、日本経済を、極東アジアから太平洋の底へと、つき落
すことができる。

 「アジアは、オレのもの」と、最後に笑うのは、中国、ということになる。

 ……というのが、将棋で言えば、定石。

 そこでアメリカと日本は、どうするか。

 核問題で、中国を追いつめるだけ、追いつめる。K国にではない。中国を、だ。
 
 方法は簡単。「お前の仲間だろ。お前が責任をとって、K国を何とかしろ!」と。

 つまりこうして中国を追いつめておきなら、K国の核問題を、国連の安保理に付託する。
目的は言うまでもなく、K国の経済封鎖。今、アメリカが一番恐れるのは、そのときにな
って、中国とロシアが、拒否権を行使すること。

 その拒否権を行使できない状態にする。そのために、中国を、今、追いつめておく。

 そうなったとき、K国は、どうするか? 実は、ここが最大の問題である。

 袋小路に追いつめられたK国は、もはや自滅するか、戦争に打ってでるしか、その二つ
に一つしか、道はない。

 が、K国には、戦争遂行能力は、ない。船もない。飛行機もない。それを動かす燃料も
ない。38度線上にある、10万とも20万とも言われる大砲にしても、旧式のものばか
り。

 が、戦争を始める。

 韓国に対して、だ。何らかの口実を見つけて、開戦の火ぶたを切る。が、とたんに、K
国は、米韓の猛反撃。もちろん日本も、後方支援という形で、アメリカを助ける。

 ここから先のことは、ここに書いてよいのか、どうか、わからない。しかし先の朝鮮動
乱のときの例を見るまでもなく、……。(やはり、書けない。他国の戦争が、日本の利益に
つながるなどと、どうして私が書くことができるだろうか。あとは、読者のみなさんの想
像と判断に任せる。)

 ……ということを、実は、韓国は、逆に読んでいる。「今、ここで(韓国が)K国が戦争
をすれば、日本の利益になるだけ」と。「だから、そんなヘマはしない」と。

 反対の仮定をしてみよう。

 もし仮に、韓国とK国が、平和裏に統一したら、日本にとっては、たいへんなことにな
る。巨大な軍事力をもった、強烈な反日国家が、そこに誕生することになる。陸軍だけで、
200万人以上。しかも男性はすべて、2年から3年の徴兵制で鍛えあげられている。

 そんな国の軍隊が、たとえば竹島問題にかこつけて、日本へ進軍してきたら、日本は、
どうなるか? しかもそのバックには、これからの超巨大国家、中国がひかえている!

 これからの東アジア情勢を考えるとき、日本だけが、無傷なまま、つぎの時代を迎える
ということは、もう、ありえない。どういう形であれ、つまり、莫大な戦後補償を払うに
せよ、極東有事であるにせよ、日本は、日本なりの、ツケを払わねばならない。火の粉を
かぶらねばならない。

 その覚悟だけは、しておかねばならない。しっかりとしておかねばならない。
(05年3月8日記・この原稿がみなさんのところに届くころには、情勢が大きく変わっ
ている可能性があります。)

(追記)

 一片でも地位や肩書きがあったら、こういう意見は、ぜったいに書けません。学校の教
師でも書けません。こういう意見が、自由に書けるのも、私が、まったくのフリーの立場
にいるからです。これは私の大特権ということになります。よろしくご評価ください。
 
++++++++++++++++++++++

●K国のミサイル

 アメリカのラポート在韓米軍司令官は、上院軍事委員会の席で、K国には、現在、50
0発以上のスカッド型ミサイルがあると証言した。日本も射程に収める中距離ミサイル・
ノドンの生産、配備もつづけているという(05・3・8)。

 しかもそれに搭載する化学兵器は完成し、現在は、生物細菌兵器も開発しているという。
これらのミサイルは、地下施設に格納した移動式発射台を使い、数時間以内に発射するこ
とが可能という。

 ミサイル1発で、それが都市部に打ちこまれたばあい、約20万人の人が死ぬという。
化学兵器も生物細菌兵器も、効果は、ほとんど同じだという。

 戦争になれば、こうしたミサイルが、日本中に落ちてくることになる。が、その前に、
誤って発射される可能性も、ないとは言えない。また命中精度もそれほどよくないという
ことなので、どこへ落ちてくるかも、わからない。

 それは相当な恐怖である。第二次対戦中、ドイツは、V1型、V2型のミサイルをイギ
リスのロンドンに向けて発射したが、ロンドンの人たちは、それだけで、恐怖のどん底に
叩き落とされてしまったという。

 しかしそれにしても、500発とは!

 反撃されるまえに、K国は、いっせいにミサイルを発射するだろう。ノドン型ミサイル
は、射程距離が1300キロで、日本全土を攻撃することができる。

仮にスカッドミサイルと同じ、500基も配備されたとすると、東京、大阪、名古屋な
どの大都市に、100発ずつ。残りの200発が、自衛隊やアメリカ軍の基地、さらに
県庁所在地などの大都市に、バラまかれることになる。

 言われているように、1発で、20万人が死ぬとすると、500発で、1億人というこ
とになる。日本の人口のほとんどが、それで死滅することになる。かろうじて生き残った
人も、無傷というわけにはいかないだろう。

 もし、こういう状態になったら、私たちは、どうやって生きのびたら、よいのか。

 鉄則は、一つ。そのとき、その外気に、絶対に触れないようにする。その外気をやりす
ごす。その一語に尽きる。

 K国のミサイル攻撃は、いっせいに始まるはずだから、その気配を感じたら、もっとも
密閉性のよい部屋を選び、その部屋をさらに密閉して、その中に閉じこもる。すきまとい
うすきまを、ガムテープのようなものでふさぐことは、重要なことである。核兵器は別と
して、化学兵器や生物細菌兵器なら、すぐに電気やガスが止まるということはないだろう。

 狭い部屋なら、小さな穴をあけ、そこに手製のフィルターをつけ、扇風機のようなファ
ンを利用して、空気を必要な量だけ、取り入れる。

 一度、熱帯魚の水槽に酸素を送る要領で、水の中をゴボゴボと通すと、化学兵器や生物
細菌兵器に有効である。熱湯の中を、一度、空気が通るようにすると、さらによい。化学
兵器も、生物細菌兵器も、水に、弱い。

 あとは、ただひたすら、時間が過ぎるのを待つ。安全が、確認されるまで、待つ。雨が
降り、大地が湿り、人々の声が通りで聞こえるようになるまで、待つ。

 ……こんなことは、想像するだけでも、不愉快なことだが、しかし一度は、頭のどこか
でシミュレーションをしておく必要はある。

 ついでに、水道水は、初期の段階で、バスタブなどに飲料水として、たくわえておく。
場所にもよるが、最初の1、2時間以内であれば、安全である。それ以後は、水道水も危
険になるので、水道の水は使わない。

 トイレは、そのつど、小量の水で、流しながら使う。食料は、できるだけ確保しておく。
しかしみなが、あわててからでは、遅い。食料の調達はままならくなる。その時期を、見
逃さない。

 ……ということで、K国にからのミサイル攻撃から身を守るためには、幅広のガムテー
プが、必需品ということになる。

 また、これは立ち読み情報で恐縮なのだが、どこかの大学の教授(放射線科)も、こう
書いていた。「核兵器で攻撃されたら、放射能を含んだ原子雲をやりすごすのが、いちばん
重要である」と。そのために、やはり部屋を密閉し、外気に触れるのをさけろ、と。(もち
ろん直撃を受けたら、おしまいだが……。)

 このところ、金XXの言動が、常軌を逸し始めている。そんな感じがする。私たち日本
人は、その備えだけは、忘れてはいけない。金XXも、ウソや冗談で、ミサイルを作って
いるわけではないだろうから……。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================






.  mQQQm
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……
.QQ ∩ ∩ QQ
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ
.  /〜〜〜\  ⌒ ⌒        いつも購読、ありがとうございます!
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    
.        =∞=  // (偶数月用)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 4月 1日(No 549)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)
http://bwhayashi.cool.ne.jp/page052.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心理テスト

 こんな心理テストを考えてみた。以前、何かの心理テストの本に書いてあったのを思い
だしながら、小学生用に書き改めてみた。


「一人の女の子が、夜遅くまで、ネコさんと公園で遊んでいました。お母さんは『早く
帰っておいで』と言ったのですが、ネコさんが、『もっと遊ぼう』と言って、女の子を帰
してくれませんでした。が、あたりがまっ暗になったので、ネコさんと別れて、家に帰
ることにしました。

女の子が家に向かって歩いていると、橋の上に、オオカミがいました。そこで女の子は、
橋の近くに仲のよい犬さんが住んでいたのを思い出し、犬さんの家に行き、一緒に行っ
てほしいと頼みました。犬さんは、『夜はこわいからイヤだ』と言って、それを断りまし
た。しかたないので、女の子は、橋を走って渡ることにしました。が、女の子は、オオ
カミにつかまり、食べられてしまいました」

 この文を子どもの前で、ゆっくりと二度読み、「このお話の中で、一番悪いのはだれかな」
と聞いてみる。子どもが、「悪い」と言った相手によって、子どもの心理を知ることができ
る。

ネコ……ものの考え方が受動的。依存心、依頼心が強い。行動も追従的かつ服従的。
犬……正義感が強く、ものの考え方が積極的。クラスでもリーダー的な存在。
オオカミ……単純。ものごとを深く考えない。短絡的なものの考え方をする。
女の子……善悪の倫理観が強く、自分を律する力が強い。責任感も強い。

 低学年児ほど、ネコ、オオカミが悪いと答え、高学年になればなるほど、犬、女の子が
悪いと答えるようになる。※

 なお子どもの善悪の判断力は、年中から年長児にかけて、急速に発達する。こんなテス
トをしてみると、それがわかる。

 「男の子が歩いていると、お金を拾いました。その男の子は、そのお金でアイスを買っ
て、公園でみんなに分けてあげました。みんなは、『ありがとう』と言って、喜んで食べま
した。この男の子は、いい子ですか、悪い子ですか」と。

 このテストをすると、年中児のほとんどは、「いい子」と答える。年長児でも、三〜四割
の子どもは、「いい子」と答える。しかしその段階で、「お金を拾ったら、そのお金はどう
しますか?」「拾ったお金をつかってもいいのかな?」「アイスを、子どもが勝手に食べて
もいいのかな?」「お母さんが、食べてもいいと言っていないものを、食べてもいいのか
な?」などと問いかけると、ほとんどの子どもは、「やっぱり悪い子だ」と言う。

もっともこうした道理がわからない子どもも、年長児で一〜二割はいる。日常的に、静
かに考える習慣のない子どもとみる。

++++++++++++++++

心理テスト(2)

先のテストで、小四〜中学生、二〇人の子どもの意見を聞いてみた。

「犬が悪い。いっしょに女の子についていってあげなかったから。女の子が困っているの
だから、ついていってあげるべきだった」(小四女子)
「ネコが悪い。夜遅くまで遊んでいた。女の子をもっと早く、家に帰してあげるべき」(小
四女子)
「女の子が悪い。ネコさんの挑発にのったのが悪い。ネコさんにもっとはっきりと断るべ
きだった。ネコというのは、オオカミとグルかもしれない」(小四男子)
「ネコが悪い。自分勝手だと思う。女の子としつこくいっしょに遊ぼうとした。だからオ
オカミに食べられてしまった」(小四女子)
「ネコが悪い。夜遅くまで遊んでいたから」(小四女子)
「オオカミが悪い。女の子を食べたから」(小四男子)
 最後の男の子が、「オオカミが悪い」と発言したら、いっしょにいた小四の子どもたち全
員(五人)が、「タンジュ〜ン(単純)!」と声をあげた。これもひとつの意見と考えてよ
い。
「女の子が悪い。帰ろうと思えば帰れたのに、帰らなかったのは女の子の責任」(小五男子)
「ネコが悪い。女の子が帰りたいと言ったのに帰してあげなかったので、ネコが悪い。女
の子の責任ではない」(中一女子)
「女の子が悪い。自分の意思で帰らなかった女の子が悪い。オオカミに食べられたのは、
自業自得。しかたのないこと」(中三男子)
「オオカミが悪い。女の子を食べたのはオオカミ。何といってもオオカミが悪い」(中三女
子)

ほかに、一五人(小六〜中一、計二五人)の集計を加えると、結果はつぎようになった。
  女の子……10人(40%)
              ネコ …… 8人(32%)
              オオカミ… 5人(20%)
              イヌ …… 2人( 8%)、ということになった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●名前と自尊心

 自分を大切にする。それが子どもの自尊心につながり、この自尊心が、子どもの道徳や
倫理の基礎となる。その第一歩が、「名前を大切にする」。

 子どもの名前は、大切にする。子どもの名前が書いてあるものは、粗末にあつかわない。
新聞や雑誌に、子どもの名前が出たら、その新聞や雑誌は、ていねいにあつかう。切り抜
いて壁に張ったり、アルバムにしまったりする。そして日ごろから、「あなたの名前はいい
名前ね」「あなたの名前を大切にしようね」と教える。子どもは自分の名前を大切にするこ
とから、自分を大切にすることを学ぶ。まちがっても、子どもの名前を茶化したり、から
かってはいけない。名前は、その子どもの人格そのものと考える。

 実のところ、この私も、自分の名前(はやし浩司)だけは大切にしている。人格的にも、
道徳的にもボロボロの人間だが、名前を大切にすることによって、かろうじて自分を支え
ている。「名前を汚したくない」という思いが、いろいろな場面で、心のブレーキとして働
くことが多い。それは他人の目に届くとか、届かないとかいうことではない。たとえばこ
うして文を書いているが、いまだかって(当然だが)、他人の文章を盗用したことは一度も
ない。だれにも読んでもらえない文とわかっていても、それはしない。できない。もしそ
れをしたら、そのとき、「はやし浩司」という「私」は終わる。

 一方、こんな子どもがいた、その家は、女の子ばかりの三人姉妹。上から、麗菜、晴美、
みどり。その「みどり」という子ども(小四)にある日、「名前を漢字で書いてごらん」と
指示すると、その女の子はさみしそうにこう言った。「だって私には漢字がないもん」と。
女の子が三人もつづくと、親もそういう気持ちになるらしい。しかしこういうことは、本
来、あってはならない。

 そう言えば以前、自分の子どもに、「魔王」とか、そんなような名前をつけた、親がい
た。とんでもない名前である。ときどきこうした私の常識では理解できない親が現れる。
あまりにも私の常識からはずれているため、論ずることもできない。ただ、今ごろあの子
どもはどうしているかと、ときどき考える。
(はやし浩司 子どもの自尊心 子供の自尊心 自尊心)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの中の「私」

++++++++++++++++++

母親というには、子どもの中に、自分のいやな面を
見たりすると、はげしく、子どもを叱るもの。

子どもは、母親の心を、そっくりそのまま受けついで
いるだけなのだが……。

たとえばいつも、「グズグズしないで!」と言って、
子どもを叱っていた、母親がいた。

その母親自身は、シャキシャキした人だったが、
本当は、グズグズした人だったかもしれない。

そういう自分がいやで、その母親は、シャキシャキした
人を演じていただけかもしれない。

だから、自分の子どもがグズグズしたりすると、
子どもをはげしく叱ったりした。

++++++++++++++++++

それについて書いたのがつぎの原稿ですが、
どうもうまくまとめることができませんでした。

いつか改めて、書きなおしてみたいと思います。
今日は、このままで、失礼します。

まとまりがなく、読みづらいかもしれませんが、
どうか、お許しください。

++++++++++++++++++

乳幼児期の子どもにとっては、母親がすべて。が、それだけではない。子どもは、この
時期、母親の心まで、自分の心にする。ものの考え方、習慣、感じ方はもちろんのこと、
「心」そのものまでも、だ。

 そんなわけで、母親自身が、自分の子どもの中に、自分の姿を見ることがある。意識し
て、それを感ずることもあるが、そうでないときのほうが、多い。無意識の知覚と言って
もよい。この無意識の知覚が、母親を狂わすことがある。

 母親は、無意識であるにせよ、子どもの中に、自分のよい面を発見したときは、それを
喜ぶ。「この子は、私に似て、おもしろい子ね」と。しかし子どもの中に、自分のいやな面
を発見したときは、そうではない。子どもをはげしく叱る。

 自己嫌悪(けんお)という言葉がある。この自己嫌悪が肥大化すると、最終的には、自
己否定にまで進んでしまう。それを避けるため、母親は、子どもに攻撃的な態度で出るこ
とがある。具体的には、子どもをはげしく叱る。

「どうして、あなたは、こんなことができないの!」「どうして、あなたは、こんなことを
するの!」と。

 母親は、本当は自分の中のいやな面を叱っているのだが、それに気づいていない。気づ
いていないまま、子どもを叱る。

 わかりやすい例で考えてみよう。

 こんな相談をもらったことがある。このケースでは、母親は、自分のいやな面を、意識
していた。

 「私は優柔不断な人間でした。いやなときも、いやとはっきりと言うことができません
でした。今の夫と結婚するときも、そうでした。私は、流れに乗せられるまま、何となく
という感じで、いやいや結婚しました。

 そういう自分を、心のどこかで嫌っていたのだと思います。今の結婚生活には不満はあ
りませんが、しかし心の中には、ポッカリと穴があいたままでした。

 で、私の10歳になる娘が、そういういやな面を見せるたびに、私は、必要以上に、娘
をはげしく叱ってしまいます。グズグズしたり、はっきりとものを言わないときは、とく
にそうです。その場になると、つい、カーッとしてしまいます」と。

 母親教室で子育て相談を受けていたときに、聞いた話である。その10歳になる娘は、
優柔不断な子どもではない。母親のマネをしていただけである。

 こんな例もある。これは母親と子の間で起きた問題ではないが、同じように考えてよい。

 ある女性には、やや知恵遅れの妹がいた。3歳年下の妹だった。その女性は、その妹の
ことを、「恥ずかしいと思っていた」(母親の言葉)。

 ある日のこと。その女性は、母親に、妹を、めがねを買いにつれて行くよう頼まれた。
その女性は、しぶしぶながら、その妹をバスに乗せ、町にある、めがね屋に向かった。が、
偶然にも、そのバスに、学校の友人が何人か乗りこんできた。

 その女性は、妹とは席を離れた。が、それを見て、妹が、「お姉ちゃん」と言って、その
女性のあとを追いかけた。そのとき、その女性は、中学生だったという。

「私は、バスから飛び降りたいほど、恥ずかしかった」と言った。

 が、それから10数年。気がついてみると、その女性は、小学校の教員になっていた。
私につぎの話をしてくれたのは、そのころのことだった。

 「実は、私は、LD(学習障害児)の子どもを教えるのが苦手です。ふだんは、そんな
に短気ではないのですが、そういう子どもを相手にすると、『どうしてこんなことがわから
ないの!』と、つい、語気が荒くなってしまいます。

 理由が長い間、わかりませんでしたが、先生(私)の話を聞いて、はじめて、それがわ
かりました。そういう子どもを見ると、心のどこかで、自分の妹をダブらせてしまうので
すね。実は、今でも、私は、妹が大嫌いです。うらんでいます。結婚式のときも、妹さえ
来なければと、心の中で、どれだけ願ったかしれません」と。

 これらの例は、本人自身が、自分に気がついているケースである。だからまだ対処しや
すい。しかし意識していないばあいも、ある。ほとんどが、そうであるといっても、過言
ではない。

 そこでたとえば、

(1)いつも、同じパターンで、子どもを叱ったり、嫌ったりする。
(2)いつも、同じパターンで、理由もなく早とちりして、子どもを叱ったりする。
(3)いつも子どもを叱るとき、言いようのないむなしさを覚える。

 ……というようなことがあれば、あなたの心の中に潜む、(こだわり)をさぐってみると
よい。何か、あるはずである。

 あなたは、子どものいやな面を、嫌ったり、叱ったりしているのではない。実は、あな
た自身のいやな面を、子どもの中に見て、それを嫌ったり、叱ったりしている。

 こう考えていくと、「私」という存在は、本当に、やっかいな存在ということになる。私
の中には、(私であって私である)部分というのは、ほとんど、ない。そのほとんどが、(私
であって、私でない部分)ということになる。

 私たちは、その(私であって私でない部分)に、いつも操(あやつら)られてしまう。

 いつか私は、「私」というのは、私たちの中にあって、ウリの白い種のように小さなもの
かもしれないと書いたが、「これが私」と言える部分は、それくらい小さいものかもしれな
い。もっと言えば、みな、(私であって私でないもの)を、「私」と信じこんでいるだけ。

 それがわからなければ、庭に遊ぶ、スズメたちを見ればよい。北海道に住むスズメも、
沖縄に住むスズメも、スズメはスズメ。まったく別々の行動をしながら、「スズメである」
という範囲を、超えることができない。

 言いかえると、人間も、「人間である」という範囲を超えることができない。そのひとつ
として、ここで、母親と子の関係について、書いてみた。私やあなたの中の、何割という
部分は、実は、あなた自身というよりは、あなたの親から受けついだものということ。

 それがまちがっているとか、おかしいとか、言っているのではない。それがあるからこ
そ、私やあなたは、今、こうして子育てをすることができる。そしてそれが、うまく機能
しているときには、問題は、ない。

 問題が起きるのは、ここにも書いたように、母親から子へと、本来なら、伝えてはいけ
ないものまでが、伝わってしまったばあいである。

 それを知るのも、子育てをじょうずにするコツということになる。

【自己否定】

 自己嫌悪が極端なまでに肥大化すると、やがて、その人は、自分の存在すら否定するよ
うになる。最悪のケースとしては、自殺がある。

 その前の段階として、やる気をなくしたり、反対に粗放化したりする。何もかもいやに
なる。生きていることさえ、いやになる。……そういった状態になる。死にたいから死ぬ
のではない。生きることにまつわる苦しみから逃れるために、子どもは、(おとなも)、死
を選ぶ。

 子どもに自己嫌悪的な様子が見られたら、要注意。たとえば「私は、ダメな人間だ」「つ
まらない人間だ」「生きていてもしかたない」「何も、おもしろくない」とか、言い出した
ら、注意する。

 さらに進むと、子どもは無力感、虚脱感に襲われるようになり、独特のなげやりな態度、
緩慢動作(妙にノロノロするなど)を見せるようになる。無責任で無目的な行動、無感動、
無反応、思考力の停止などが見られることもある。X君(中2)のばあいは、親や教師が
何を話しかけても、ニタニタするようになった。(ニタニタというのは、心の状態が、変調
したときに子どもがよく見せる表情である。)

こうした様子が見られるようになったら、心を休ませることを、何よりも大切にする。
ばあいによっては、勉強そのものも、あきらめたほうがよいということもある。

 子どもが見せる自己嫌悪を大げさに考える必要もないが、(というのも、思春期の子ども
は、よく自己嫌悪におちいるので……)、しかし軽くみるのも、よくない。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●自己否定

 ある母親から、こんなメールが届いた。「中学二年生になる娘が、いつも自分をいやだと
か、嫌いだとか言います。母親として、どう接したらよいでしょうか」と。神奈川県に住
む、Dさんからのものだった。

 自我意識の否定を、自己否定という。自己矛盾、劣等感、自己嫌悪、自信喪失、挫折感、
絶望感、不安心理など。そういうものが、複雑にからみ、総合されて、自己否定につなが
る。青春期には、よく見られる現象である。

 しかしこういった現象が、一過性のものであり、また現れては消えるというような、反
復性があるものであれば、(それはだれにでもある現象という意味で)、それほど、心配し
なくてもよい。

が、その程度を超えて、心身症もしくは気うつ症としての症状を見せるときは、かなり
警戒したほうがよい。はげしい自己嫌悪が自己否定につながるケースも、ないとは言え
ない。さらにその状態に、虚脱感、空疎感、無力感が加わると、自殺ということにもな
りかねない。とくに、それが原因で、子どもがうつ状態になったら、「うつ症」に応じた
対処をする。

 一般には、自己嫌悪におちいると、人は、その状態から抜けでようと、さまざまな心理
的葛藤を繰りかえすようになる。ふつうは(「ふつう」という言い方は適切ではないかもし
れないが……)、自己鍛錬や努力によって、そういう自分を克服しようとする。これを心理
学では、「昇華」という。つまりは自分を高め、その結果として、不愉快な状態を克服しよ
うとする。

 が、それもままならないことがある。そういうとき子どもは、ものごとから逃避的にな
ったり、あるいは回避したり、さらには、自分自身を別の世界に隔離したりするようにな
る。そして結果として、自分にとって居心地のよい世界を、自らつくろうとする。よくあ
るのは、暴力的、攻撃的になること。自分の周囲に、物理的に優位な立場をつくるケース。
たとえば暴走族の集団非行などがある。

 だからたとえば暴走行為を繰りかえす子どもに向かって、「みんなの迷惑になる」「嫌わ
れる」などと説得しても、意味がない。彼らにしてみれば、「嫌われること」が、自分自身
を守るための、ステータスになっている。また嫌われることから生まれる不快感など、自
己嫌悪(否定)から受ける苦痛とくらべれば、何でもない。

 問題は、自己嫌悪におちいった子どもに、どう対処するかだが、それは程度による。「私
は自分がいや」と、軽口程度に言うケースもあれば、落ちこみがひどく、うつ病的になる
ケースもある。印象に残っている中学生に、Bさん(中三女子)がいた。

 Bさんは、もともとがんばり屋の子どもだった。それで夏休みに入るころから、一日、
五、六時間の勉強をするようになった。が、ここで家庭問題。父親に愛人がいたのがわか
り、別居、離婚の騒動になってしまった。

Bさんは、進学塾の夏期講習に通ったが、これも裏目に出てしまった。それまで自分が
つくってきた学習リズムが、大きく乱れてしまった。が、何とか、Bさんは、それなり
に勉強したが、結果は、よくなかった。夏休み明けの模擬テストでは、それまでのテス
トの中でも、最悪の結果となってしまった。

 Bさんに無気力症状が現れたのは、その直後からだった。話しかければそのときは、柔
和な表情をしてみせたが、まったくの上の空。教室にきても、ただぼんやりと空をみつめ
ているだけ。あとはため息ばかり。

このタイプの子どもには、「がんばれ」式の励ましや、「こんなことでは○○高校に入れ
ない」式の、脅しは禁物。それは常識だが、Bさんの母親には、その常識がなかった。
くる日もくる日も、Bさんを、あれこれ責めた。そしてそれがますますBさんを、絶壁
へと追いこんだ。

 やがて冬がくるころになると、Bさんは、何も言わなくなってしまった。それまでは、「私
は、ダメだ」とか、「勉強がおもしろくない」とか言っていたが、それも口にしなくなって
しまった。「高校へ入って、何かしたいことがないのか。高校では、自分のしたいことをし
ればいい」と、私が言っても、「何もない」「何もしたくない」と。そしてそのころ、両親
は、離婚した。

 このBさんのケースでは、自己嫌悪は、気うつ症による症状の一つということになる。
言いかえると、自己嫌悪にはじまる、自己矛盾、劣等感、自己否定、自信喪失、挫折感、
絶望感、不安心理などの一連の心理状態は、気うつ症の初期症状、もしくは気うつ症によ
る症状そのものということになる。あるいは、気うつ症に準じて考える。

 軽いばあいなら、休息と息抜き。家庭の中で、だれにも干渉されない時間と場所を用意
する。しかし重いばあいなら、それなりの覚悟をする。「覚悟」というのは、安易になおそ
うと考えないことをいう。

心の問題は、外から見えないだけに、親は安易に考える傾向がある。が、そんな簡単な
問題ではない。症状も、一進一退を繰りかえしながら、一年単位の時間的スパンで、推
移する。ふつうは(これも適切ではないかもしれないが……)、こうした心の問題につい
ては、

(1)今の状態を、今より悪くしないことだけを考えて対処する。
(2)今の状態が最悪ではなく、さらに二番底、三番底があることを警戒する。そしてこ
こにも書いたように、
(3)一年単位で様子をみる。「去年の今ごろと比べて……」というような考え方をすると
よい。つまりそのときどきの症状に応じて、親は一喜一憂してはいけない。

 また自己嫌悪のはげしい子どもは、自我の発達が未熟な分だけ、依存性が強いとみる。
満たされない自己意識が、自分を嫌悪するという方向に向けられる。たとえば鉄棒にせよ、
みなはスイスイとできるのに、自分は、いくら練習してもできないというようなときであ
る。本来なら、さらに練習を重ねて、失敗を克服するが、そこへ身体的限界、精神的限界
が加わり、それも思うようにできない。さらにみなに、笑われた。バカにされたという「嫌
子(けんし)」(自分をマイナス方向にひっぱる要素)が、その子どもをして、自己嫌悪に
おとしいれる。

 以上のように自己嫌悪の中身は、複雑で、またその程度によっても、対処法は決して一
様ではない。原因をさぐりながら、その原因に応じた対処法をする。

一般論からすれば、「子どもを前向きにほめる(プラスのストロークをかける)」という
方法が好ましいが、中学二年生という年齢は、第二反抗期に入っていて、かつ自己意識
が完成する時期でもある。見えすいた励ましなどは、かえって逆効果となりやすい。た
とえば学習面でつまずいている子どもに向かって、「勉強なんて大切ではないよ。好きな
ことをすればいいのよ」と言っても、本人はそれに納得しない。

 こうしたケースで、親がせいぜいできることと言えば、子どもに、絶対的な安心を得ら
れる家庭環境を用意することでしかない。そして何があっても、あとは、「許して忘れる」。
その度量の深さの追求でしかない。

こういうタイプの子どもには、一芸論(何か得意な一芸をもたせる)、環境の変化(思い
切って転校を考える)などが有効である。で、これは最悪のケースで、めったにないこ
とだが、はげしい自己嫌悪から、自暴自棄的な行動を繰りかえすようになり、「死」を口
にするようになったら、かなり警戒したほうがよい。とくに身辺や近辺で、自殺者が出
たようなときには、警戒する。

 しかし本当の原因は、母親自身の育児姿勢にあったとみる。母親が、子どもが乳幼児の
ころ、どこかで心配先行型、不安先行型の子育てをし、子どもに対して押しつけがましく
接したことなど。否定的な態度、拒否的な態度もあったかもしれない。

子どもの成長を喜ぶというよりは、「こんなことでは!」式のおどしも、日常化していた
のかもしれない。神奈川県のDさんがそうであるとは断言できないが、一方で、そうい
うことをも考える。えてしてほとんどの親は、子どもに何か問題があると、自分の問題
は棚にあげて、「子どもをなおそう」とする。しかしこういう姿勢がつづく限り、子ども
は、心を開かない。親がいくらプラスのストロークをかけても、それがムダになってし
まう。

 ずいぶんときびしいことを書いたが、一つの参考意見として、考えてみてほしい。なお、
繰りかえすが、全体としては、自己嫌悪は、多かれ少なかれ、思春期のこの時期の子ども
に、広く見られる症状であって、決して珍しいものではない。ひょっとしたらあなた自身
も、どこかで経験しているはずである。もしどうしても子どもの心がつかめなかったら、
子どもには、こう言ってみるとよい。

「実はね、お母さんも、あなたの年齢のときにね……」と。

こうした、やさしい語りかけ(自己開示)が、子どもの心を開く。
 
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●好子(こうし)と嫌子(けんし)

 何か新しいことをしてみる。そのとき、その新しいことが、自分にとってつごうのよい
ことや、気分のよいものであったりすると、人は、そのつぎにも、同じようなことを繰り
かえすようになる。こうして人間は、自らを進化させる。その進化させる要素を、「好子(こ
うし)」という。

 反対に、何か新しいことをしてみる。そのとき、その新しいことが、自分にとってつご
うの悪いことや、気分の悪いものであったりすると、人は、そのつぎのとき、同じような
ことをするのを避けようとする。こうして人間は、自らを進化させる。その進化させる要
素を、「嫌子(けんし)」という。

 もともと好子にせよ、嫌子にせよ、こういった言葉は、進化論を説明するために使われ
た。たとえば人間は太古の昔には、四足歩行をしていた。が、ある日、何らかのきっかけ
で、二足歩行をするようになった。そのとき、人間を二足歩行にしたのは、そこに何らか
の好子があったからである。

たとえば(多分)、二足に歩行にすると、高いところにある食べ物が、とりやすかったと
か、走るのに、便利だったとか、など。あるいはもっとほかの理由があったのかもしれ
ない。

 これは人間というより、人類全体についての話だが、個人についても、同じことが言え
る。私たちの日常生活の中には、この好子と嫌子が、無数に存在し、それらが複雑にから
みあっている。子どもの世界とて、例外ではない。が、問題は、その中身である。

 たとえば喫煙を考えてみよう。たいていの子どもは、最初は、軽い好奇心で、喫煙を始
める。この日本では、喫煙は、おとなのシンボルと考える子どもは多い。(そういうまちが
った、かっこよさを印象づけた、JTの責任は重い!)が、そのうち、喫煙が、どこか気
持ちのよいものであることを知る。そしてそのまま喫煙が、習慣化する。

 このとき喫煙は、好子なのか。それとも嫌子なのか。たとえば出産予定がある若い女性
がいる。そういう女性が喫煙しているとするなら、その女性は、本物のバカである。大バ
カという言葉を使っても、さしつかえない。昔、日本を代表する京都大学のN教授が、私
に、こっそりとこう教えてくれた。「奇形出産の原因の多くに、喫煙がからんでいることに
は、疑いようがない」と。

 体が気持ちよく感ずるなら、好子ということになる。しかし遺伝子や胎児に影響を与え
ることを考えるなら、嫌子ということになる。……と、今まで、私はそう考えてきたが、
この考え方はまちがっている。

 そもそも好子にせよ、嫌子にせよ、それは「心」の問題であって、「モノに対する反応」
の問題ではない。この二つの言葉は、よく心理学の本などに出てくるが、どうもすっきり
しない。そのすっきりしない理由が、実は、この混同にあるのではないか?

 たとえば人に親切にしてみよう。仲よくしたり、やさしくするのもよい。すると、心の
中がポーツと暖かくなるのがわかる。実は、これが好子である。

 反対に、人に意地悪をしてみよう。ウソをついたり、ごまかしたりするのもよい。する
と、心の中が、どこか重くなり、憂うつになる。これが嫌子である。
 
 こうして人間は、体型や体の機能ばかりではなく、心も進化させてきた。そのことは、
昔、オーストラリアのアボリジニーの生活をかいま見たとき知った。彼らの生活は、まさ
に平和と友愛にあふれていた。つまりそういう「心」があるから、彼らは何万年もの間、
あの過酷な大地の中で生き延びることができた。

 言いかえると、現代人の生活が、どこか邪悪になっているのは、それは人間がもつ本来
の姿というよりは、欲得の追求という文明生活がもたらした結果ともいえる。そのことは、
子どもの世界を総じてみればわかる。

 私は今でも、数は少ないが、年中児から高校三年生まで、教えている。そういう流れの
中でみると、子どもたちが小学三、四年生くらいまでは、和気あいあいとした人間関係を
結ぶことができる。

しかしこの時期を境に、先生との関係だけではなく、友だちどうしの人間関係は、急速
に悪化する。ちょうどこの時期は、親たちが子どもの受験勉強に関心をもち、私の教室
を去っていく年齢でもある。子どもどうしの世界ですら、どこかトゲトゲしく、殺伐と
したものになる。

 ひょっとしたら、親自身もそういう世界を経験しているためか、子どもがそのように変
化しても気づかないし、またそうあるべきと考えている親も少なくない。一方で、「友だち
と仲よくしなさいよ」と教えながら、「勉強していい中学校に入りなさい」と教える。親自
身が、その矛盾に気づいていない。

 結果、この日本がどうなったか? 平和でのどかで、心暖かい国になったか。実はそう
ではなく、みながみな、毎日、何かに追いたてられるように生きている。立ち止まって、
休むことすら許されない。さらにこの日本には、コースのようなものがあって、このコー
スからはずれたら、あとは負け犬。親たちもそれを知っているから、自分の子どもが、そ
のコースからはずれないようにするだけで精一杯。

が、そうした意識が、一方で、またそのコースを補強してしまうことになる。恐らく世
界広しといえども、日本ほど、弱者に冷たい国はないのではないか。それもそのはず。
受験勉強をバリバリやりこなし、無数の他人を蹴落としてきたような人でないと、この
日本では、リーダーになれない?

 ……と、また大きく話が脱線してしまったが、私たちの心も、この好子と嫌子によって、
進化してきた。だからこそ、この地球上で、何十万年もの間、生き延びることができた。
そしてその片鱗(へんりん)は、今も、私たちの心の中に残っている。

 ためしに、今日一日だけ、自分にすなおに、他人に正直に、そして誠実に生きてみよう。
他人に親切に、やさしく、家族を暖かく包んでみよう。そしてそのあと、たとえば眠る前
に、あなたの心がどんなふうに変化しているか、静かに観察してみよう。それが「好子」
である。

その好子を大切にすれば、人間は、これから先、いつまでも、みな、仲よく生きられる。
(はやし浩司 好子 嫌子 自己嫌悪 自己否定)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【おごれる心】

●昇竜しだれ梅

浜松市の北部に、I町がある。そのI町のある、民家の農地に、「昇竜しだれ梅」が、咲
いているという。ワイフは、それを見たいと言った。

私「降竜しだれチンというのだったら、いつでも見せてあげるよ」
ワイフ「そういうのは、見たくないわ」
私「バイアグラを、半分だけ飲めば、昇竜しだれチンになるかもよ」
ワイフ「よけいに見たくないわ」と。

 このところ、こういう話題が多くなった。それをさして、ワイフが、「あなたの会話、こ
のところ、品が落ちてきたわね」と。

 そう言われては、(はやし浩司)の名前が泣く。すかさず「慢」の話をする。

●北伝仏教

 この話をする前に、書いておきたいことがある。

 私たちが今、仏教と称するものは、インドから、ガンダーラ(今のアフガニスタン)を
経由して、ヒマラヤ山脈の北部をとおって、中国へ入ってきたものをいう。「北伝仏教」と
も言われる。その間で、つまり日本まで伝わってくる間で、仏教は、無数の加工がほどこ
されてしまった。

 たとえば観音様が、インドでは男性だった観音様が、日本では女性に変身したり、日本
の仏像が、古代インドの衣服ではなく、ヘレニズム文化の影響を強く受けた、古代ギリシ
ャの衣服を着ているなど。日本でも、仏教最大の行事になっている、「盆」にしても、もと
もとはアフガニスタンの「ウラ・バン」から来ている。それが中国で、「盂蘭盆」となり、
日本へ入った。

 またほとんどの経典は、釈迦滅後、500〜800年を経てから、書き表されたものだ
という。たとえば経典の中にも、よく、貨幣の話が出てくるが、釈迦の時代にはまだ貨幣
はなかったというのが定説である。

 だからこれから書く、「慢」にしても、こうした教条的な表現そのものが、どこか中国語
的。本当に釈迦がそう言ったかどかということは、疑わしい。

●慢心

 で、それはさておき、仏教の『倶舎論(ぐしゃろん)』では、「慢」を、つぎの7つに分
類している。

(1)慢
(2)過慢
(3)慢過慢
(4)我慢
(5)増上慢
(6)卑下慢
(7)邪慢、と。

 「慢」は、「慢心」の「慢」。つまりうぬぼれのこと。人間のうぬぼれ方にも、いろいろ
あるということ。

 たとえば「私は、あいつよりすぐれている」と思うのが、「慢」ということになるが、自
分より劣っている人に対して、おごり高ぶることを、「慢」、同等のものに対して、おごり
高ぶることを、「過慢」、自分よりすぐれている人に対して、おごり高ぶることを、「慢過慢」
という。

 わかりにくいのが、「我慢」。

 「我慢」というのは、自分だけが絶対と思い、自分だけが絶対正しいと思うことをいう。
日本語でいう「我慢」というときは、「忍耐力」を意味する。「我慢しなさい」というとき
は、「耐えなさい」と意味になる。

 ちなみに「広辞苑」では、つぎのようになっている。

 「自分を偉く思い、他を軽んじること。我慢強し…忍耐力が強い。我慢者…我意をはる
人」と。

 さらに仏教的な悟りの境地にも達していないのに、悟りを開いたかのようにして、おご
り高ぶることを、「増上慢」、すぐれた人に対して、ほんの少しだけ卑下してみせることを、
「卑下慢」、まちがった徳を、あたかも正しい徳であるかのように思いこみ、その徳をもっ
て、おごり高ぶることを、「邪慢」という。

 こうした教条的な分類法は、東洋医学(漢方)の世界でも、よく見られる。どこか言葉
の遊びのようにも思える。だからこの話は、釈迦が説いたというよりは、後の中国の学者
たちが、つけ加えたものと考えてよい。

 が、だからとって、意味がないとか、まちがっているというのではない。「慢心」こそ、
私たちが、もっとも避けなければならない感情のひとつである。それは正しい。

私たちは、何ごとについても、おごり高ぶったとたん、がけからころげ落ちるように、
自分の姿を見失ってしまう。

●慢心

 ところでこの『倶舎論』には、致命的な欠陥がある。「自分よりすぐれた人」「自分より
劣っている人」という、考え方が、それである。人間にすぐれた人も、そうでない人もい
ない。「すぐれた人とは、どういう人を言うのか。法学的に定義づけろ」といわれたら、困
ってしまう。

 あえて言うなら、より賢い人を、よりすぐれた人ということになる。そして賢い人と愚
かな人がいるとするなら、それを分けるカベは、その謙虚さにある。

つねにものごと謙虚に考える人のことを、賢い人という。しかし愚かな人には、それが
わからない。昔から「利口な人からは、バカな人がわかるが、バカな人からは、利口な
人がわからない」という。

 賢い人からは、愚かな人がよくわかる。しかし愚かな人からは、賢い人がわからない。

 が、ここでも、また別の問題にぶつかる。賢い人、愚かな人といっても、それは、どこ
までも相対的な評価でしかない。上には上がいる。下には下がいる。それに分野がちがえ
ば、さらにその評価は、分かれる。しかし人間には、すぐれた人もいなければ、そうでな
い人もいない。

 恐らく仏教では、「悟りを開いた人」を、すぐれた人というのだろうが、この日本だけで
も、「私は悟った」と豪語している人は、ゴマンといる。大は巨大な宗教団体の長から、は
ては、田舎の僧侶まで。しかしそういう人ほど、どこかおかしいのも、事実。常識はずれ
で、変人の人が多い。そんな感じがする。

●悟りの境地など、ない

 人間そのものが、未完成な生物であるという前提に立つなら、「悟りの境地」という境地
など、ありえないことがわかる。「悟り」というのは、究極の精神状態をいう。しかしいく
ら「究極」といっても、人間であるという範囲を超えることはできない。サルはどこまで
いっても、サル。鳥はどこまでいっても、鳥。人間も、どこまでいっても、人間。その限
界を、人間は、超えることはできない。

 仮に悟りの境地に達したとしても、その時点で、人間のもつ精神状態が完成するわけで
はない。そこには、さらに先がある。

 それはたとえていうなら健康法に似ている。いくら究極の健康法を手にしたとしても、
その人の健康がそこで完成されるわけではない。その翌日からでも、だらしない生活をす
れば、その時点から、急速に、健康は、崩れ始める。

 それに加えて、老齢化の問題もある。肉体も衰えるが、知力も衰える。脳みその活動も、
衰える。

 歳のとり方をまちがえると、どんどんバカになっていくことさえ、ありえる。老人イコ
ール、人格者などという考え方は、幻想以外の、何ものでもない。

 さて話をもとにもどす。

●倶舎論(ぐしゃろん)

 こうした論法は、無知(?)、無学(?)な、信者を、僧侶の前に、ひれ伏させるには、
まことにもって、つごうのよい論法ということになる。もっとわかりやすく言えば、宗教
的優越感をもっている人には、便利な論法ということになる。

 たとえばどこか生意気な信者(小僧や若僧でもよい)をつかまえて、「何を、増上慢なこ
とをぬかすか!」と一喝すれば、それで相手をだまらすことができる。どこか権威主義的? 
どこか封建主義的? たとえば僧侶の世界には、「縁無き衆生(しゅじょう)」という言葉
がある。これは仏法に縁のない、取るに足りない、あわれな連中という意味である。僧侶
たちが、凡夫(一般庶民)との間に、一線を引くときに、よくこの言葉を使う。

 そこで本当に、釈迦が、こんなことを説いたのだろうかというところまで、また舞いも
どってしまう。こうした分類をしたその背景に、その分類をした人の鼻もちならない傲慢
さを、私は感じてしまう。言外で、「素人は口を出すな!」と言われているような気分にな
る。

 つまり私の印象では、この倶舎論は、後の中国の学者たちによる作文ではないかと思う。
結論は、そこへたどりつく。

 生意気、おおいに結構。増上慢、おおいに結構。幼児教育の世界では、子どもたちが、
生意気なのは、当たり前。いちいちそんなことを気にしていたら、教育そのものが成りた
たない。むしろ、この時期、生意気にさせながら、子どもを前に伸ばすという手法をよく
使う。おとなの優位性を押しつけ、子どもの伸びる芽をたたいていはいけない。

 相手が自分より劣っていると思ったら、それをのんでしまえばよい。その「のむ」とい
う姿勢の中に、その人の優越性がある。それこそがまさに、賢者のあるべき姿ということ
になる。幼児教育について言えば、どうせ相手は、子どもなのである。

私「どうだ、品が落ちたか?」
ワイフ「あなたは、簡単なことを、むずかしく言っているだけよ」
私「負け惜しみか?」
ワイフ「あなたこそ、私に、おごり高ぶっているわよ」
私「そうかもしれないね」と。

++++++++++++++++++++

以前、こんな原稿を書きました。

++++++++++++++++++++

●臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

 「臥薪嘗胆」というよく知られた言葉がある。

この言葉は「父のカタキを忘れないために、呉王の子の夫差(ふさ)が薪(まき)の上
に寝、一方、それで敗れた越王の勾践(こうせん)が、やはりその悔しさを忘れないた
めに熊のキモをなめた」という故事から生まれた。

「目的を遂げるために長期にわたって苦労を重ねること」という意味に、広く使われて
いる。しかし私はこの言葉を別の意味に使っている。

 私は若いころからずっと、下積みの生活をしてきた。自分では下積みとは思っていなく
ても、世間は私をそういう目で見ていた。私の教育論は、そういう下積みの中から生まれ
た。

言いかえると、そのときの生活を忘れて、私の教育論はありえない。で、いつも私はそ
のころの自分を基準にして、自分の教育論を組み立てている。つまりいつもそのころを
思い出しながら、自分の教育論を書くようにしている。それを思いださせてくれるのが、
自転車通勤。

 この自転車という乗り物は、道路では、最下層(?)の乗り物である。たとえ私はそう
思っていなくても、自動車に乗っている人から見ればジャマモノであり、一方、車と接触
すれば、それで万事休す。「命がけ」というのは大げさだが、しかしそれだけに道路では小
さくなっていなければならない。

その上、私が通勤しているY街道は、歩道と言っても、道路のスミにかかれた白線の外
側。側溝のフタの上。電柱や標識と民家の塀の間を、スルリスルリと抜けながら走らな
ければならない。

 しかしこれが私の原点である。たとえばどこか大きな会場で講演に行ったりすると、た
いていはグリーン車を用意してくれ、駅には車が待っていてくれたりする。

VIPに扱ってもらうのは、それなりに楽しいものだが、しかしそんな生活をときどき
でもしていると、いつか自分が自分でなくなってしまう。

が、モノを書く人間にとっては、これほど恐ろしいものはない。私が知っている人の中
でも、有名になり、金持ちになり、それに合わせて傲慢になり、自分を見失ってしまっ
た人はいくらでもいる。

そういう人たちの見苦しさを私は知っているから、そういう人間だけにはなりたくない
といつも思っている。仮に私がそういう人間になれば、それは私の否定ということにな
る。もっと言えば、人生の敗北を認めるようなもの。だからそれだけは何としても避け
なければならない。

そういう自分に戻してくれるのが、自転車通勤ということになる。

私は道路のスミを小さくなりながら走ることで、あの下積みの時代の自分を思い出すこ
とができる。つまりそれが私にとっての、「臥薪嘗胆」ということになる。

私はときどきタクシーの運転手たちに、「バカヤロー」と怒鳴られることがある。しかし
そのたびに、「ああ、これが私の原点だ」と思いなおすようにしている。
(はやし浩司 倶舎論 慢心 慢 おごり)

【付記】

 「老人は青年をアホだと思うが、老人も青年をアホだと思う」と書いたのは、チャップ
マン(「すべての阿呆」)だが、私は、老人でも、青年でもない。やじろべい(=つり合い
人形)で言うなら、その中心点あたりにいるような気がする。

 「私は青年の目から見てもアホだし、老人の目から見ても、アホだ」と。自分でもそれ
がよくわかっている。

 わかりやすく言えば、青年との間にも、老人との間にも、大きな隔(へだ)たりを感じ
てしまう。つまりは、どっちつかず(?)。

 だから「青年がアホ」だとは思わないが、「青年時代の私はアホだった」とは、思う。そ
して「老人がアホ」だとは思わないが、「これからの私はアホになるだろうな」とは、思う。


(参考)

 中元や歳暮の贈りものの縁起について、小学館の「国語大辞典」はつぎのように書いて
いる。

もともとは「中元」というのは、「三元の一つ。陰暦七月一五日の称。元来、中国の道教
の説による習俗であったが、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と混同され、この日、半年
生存の無事を祝うとともに、仏に物を供え、死者の霊の冥幅を祈る。その時期の贈り物
(を、中元という)」と。 

++++++++++++++++++++++

●パソコン

 昨日、新型パソコンの注文を、MCJ社に出した。「BTO」、つまり、「客からの注文(O
RDER)に応じて、組みたてる(BUILD)」というパソコン。

 PEN4(640)の、3・2GHz搭載で、メモリーは、DDSR2の1024MB! 
ハードディスクは、160GBx2基。グラフィックは、Geforce 6600GT! 
どうだ! 近い将来の64ビットソフトにも、対応している。

 17インチのモニターが、ついて、しめて16万5000円(税込み)。春休みは、この
パソコンを相手に、遊べそう。

 ……これからは、パソコンも、こういう購入のし方が、主流になるのでは? パソコン
ショップの店頭に並ぶパソコンは、どれも、美しいが、ムダが多すぎる。そんな感じがす
る。値段は高い割に、性能は2ランクほど、落ちる。

 先日、新聞折り込みに入ってきた、チラシの中のパソコンと、くらべてみる。同じ価格
帯のパソコンさがしてみた。

 よくて2・4GHz、メモリーは、256MB。ハードディスクは、80GB前後。グ
ラフィックボードは、なし。私のパソコンとくらべたら、おもちゃみたい! (私のパソ
コンと同じくらいの性能のものを、店頭で買おうとすると、30万円前後になる。)

 それでということもあるまいが、あのSONYの会社の社長が、今度、アメリカ人にな
った。「なるほど」と思ってみたり、「これも時代の流れかな」と思ってみたりする。

 ちなみに、今回のパソコン代金は、そのMCJ社の株でもうけた。20万円(1株)だ
った株が、数日後には、30万円を超えた。私はあいにくと、あわてて途中で売ってしま
ったが、うまく売りぬけていたら、x百万円のもうけになっていたはず。おしかった!

(なかなかそうは、うまくいかないのが、株だが……。)

 配達されてくるのは、来週。これでHPを、どんどん更新してみる。どうか、お楽しみ
に!

【付記】

「株の売買」という煩悩(ぼんのう)に毒されているようでは、真理の探究など、夢の
また夢。我欲にとりつかれている人間には、安穏(あんのん)たる日は、やってこない。
『無我は大我』ともいう。無我になった人間だけが、真の安穏を手に入れることができ
る、と。

 だからというわけではないが、私にとっての株の売買は、ヒマつぶしの遊びのようなも
の。その節度だけは、これからも守りたい。

 ……と思っていたら、昨日ワイフが、どこかで新型のB車(T社)を見てきたらしい。
そしてこう言った。「あなた、株で儲けて、新型のB車を買ってくれない?」と。

 釈迦も、女性は弟子にしなかったという。その気持ち、ヨ〜ク、わかる。あるとき女性
が大挙、仏教教団に弟子入りを申し入れてきたとき、釈迦はこう言ったという。

 「女性がこの教団に加わらなければ、正法(しょぷほう)は、1000年つづくだろう。
しかし女性がこの教団に加わり、尼僧となれば、正法は、500年つづかないだろう」と。

 そう言いながら、釈迦は、女性には、(慳(おし)みの心)、(嫉(ねた)みの心)、(欲情
の心)があると説いたという。

 この説話なども、どこか中国的(?)。釈迦がそんなこと言うはずはないと思うのだが…
…。

 まあ、ワイフの申し出ということなら、もう少し、株で儲けてやるか。しかたない。(損
するかもしれないが……。)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m〜= ○
.       ○ 〜〜〜\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================




















 HPのトップページ   マガジン・INDEX 




はやし浩司(ひろし)