はやし浩司(ひろし)

2005・6
はやし浩司
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2005年 6月号
 はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 29日(No.590)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page028.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育て相談・乱暴な子ども)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て相談より】

 M県在住のKさん(母親)から、「うちの子(年長児)が、乱暴で困ります。いつも近所
の子どもたちに、ケガをさせます。

 ですからこのところ、ますます、ほかの子どもたちから相手にされず、親たちにも嫌わ
れています。突発的に、キレて、相手に殴りかかっていきます。どうしたらよいでしょう
か」という質問をもらいました。

 今回は、それについて、考えてみます。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの社会適応性

 「乱暴」が、ある一定のワクの中に収まっていればよし。しかしそのワクを超えて、社
会的に、他者との共存に、弊害が出るようようであれば、「問題がある」とみる。

 ふつう子どもの人格を評価するときは、

(1)他者との共存性(円満な人間関係が築けるか)
(2)常識的な価値基準(常識的な価値基準をもっているか)
(3)平均性(平均的な行動、ものの考え方をしているか)
(4)非異常性(異常な行動や、様子がみられないか)

 の4つを見て判断する。

 乱暴な子どもでも、そこに統一性や、行動の予測性が見られれば、問題はない。乱暴す
るにも、それなりの理由がある。相手に応じて、手加減する。乱暴したあと、その処理を
うまくする、など。

 この時期、乱暴を乱暴として理解できず、遊びの一つとして、する子どもも少なくない。
たとえばある幼稚園では、ある時期、足蹴り(キック)が大流行したことがある。テレビ
のヒーローのマネから始まったものだが、こうした流行性の問題もある。

 足蹴り(キック)をするから、乱暴な子というように、決めてかかることもできない。
あくまでもその周囲の子どもとの人間関係をみて、判断する。

 が、そのワクを超えて、良好な人間関係そのものを結べなくなるケースもある。乱暴な
行為が日常化し、暴力によって、自己主張するなど。

 ここで重要なことは、一つの目安としては、(1)乱暴をしても、抑えがきくか、どうか、
ということ。

 乱暴な行為をしても、それを注意したり、叱ったりすることで、抑えることができれば、
問題はない。しかしかなりきつく叱っても、効果がその場だけしかないというのであれば、
ADHD児など、脳の機能そのものの障害が疑われる。

 抑えがきくばあいでも、程度の差の問題もある。やさしく「だめだよ」と言って、抑え
れれるケースもあれば、そうでないケースもある。そこで今度は、免疫性の問題とからん
でくる。

 家庭で、親の乱暴なしつけが日常化していると、簡単には抑えられなくなる。(きつく叱
る)→(ますます乱暴になる)の悪循環の中で、乱暴は、ますますはげしくなり、抑えが
きかなくなる。

 が、どうであるにせよ、ほかの子どもたちと、良好な人間関係が結べなくなるというの
は、その子どもにとっても、悲劇的なことである。これもまた一つの目安になるが、こん
なことも調べてみるとよい。

 幼稚園児であれば、(1)どれくらい頻繁(ひんぱん)に、友だちの誕生会に誘われるか、
ということ。

 誕生会といっても、実際に、招待する子どもを決めるのは、親である。その親は、自分
の子どもから日ごろの様子を聞いて、招待する子どもを選ぶ。こういうとき、乱暴な子ど
もは、まず、除外される。

 「うちの子は、いつも、友だちの誕生会に誘われる」というのではあれば、問題はない。
しかし「めったに誘われることはない」というようであれば、子どもの問題というよりは、
子どもを包む家庭環境に問題がないかを疑ってみる。

 意味もない乱暴を繰りかえす子どもは、子ども自身の心が、何らかの理由で、いつも緊
張状態にあるとみる。家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児拒否、虐待など。

 「家庭(ホーム)の第一の目的は、子どもの心と体に、やすらぎを与えること」という
視点にたちかえって、もう一度、家庭のあり方を、反省してみるとよい。
(はやし浩司 乱暴な子 乱暴な子ども 暴力 暴力を振るう子供 暴力的な子供 子ど
も)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

以前、書いた原稿を添付します。
少し内容がそれるかもしれませんが、
参考になると思います。

かなる古い原稿なので、語句の使い方に
不適切な点があるかもしれません。
お許しください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

心を開かない子ども

●EAさんの相談から

うちの子(小二)は、ほとんどよその子と、遊びません。他人と関わるのが、苦手なよ
うです。家の中では、ふつうだと思っていたのですが、このところ、ときどき荒れて、
暴言を吐いたり、私に向かって、突発的に、暴力を振るったりするようになりました。
どうしたらよいでしょうか? (佐賀県・EA、母親)

●子どもらしい、すなおさ

家族も含めて、他人との関わりがうまくできない子どもが、ふえています。要するに、
心を開くことができないわけです。子どものばあい、心を開くことができるかどうかは、
やさしくしてあげると、わかります。心を開くことができる子どもは、やさしくしてあ
げたり、親切にしてあげたり、ほめてあげたりすると、こちらの好意が、スーッと子ど
もの心の中に、しみこんでいくのがわかります。

 先日も、一台の車が自転車に乗っている私の横を通り過ぎました。見ると、うしろの座
席に、五歳くらいの男の子が乗っていました。そこで私が、少しおどけた顔をして見せる
と、その子どもは、ニンマリとうれしそうな顔をしました。他人に対して、心を開くこと
ができる子どもは、そういう様子を、自然な形でしてみせます。「自然」というのは、「子
どもらしい」という意味です。

 が、心を開くことができない子どもは、その瞬間、いじけたり、つっぱったり、ひがん
だり、ひねくれたりします。こちらの思いや、好意が、そのまま拒絶されてしまうわけで
す。さらにこの症状がひどくなると、そうした反応そのものまで、しなくなります。心の
閉じた子どもと、みます。

●子どもの心は、抱いてみればわかる

 ふつう子どもというのは、心が開いているか、あるいは開くことができるかは、抱いて
みるとわかります。心を開いている子どもや、開くことができる子どもは、抱いてあげる
と、スーッとこちら側に、身を寄せてきます。そして力を抜いて、体を任せてきます。が、
そうでない子どもは、体をこわばらせ、かたくします。無理に抱いたりすると、まるで、
丸太を抱いているかのようなります。

 この話を、ある懇談会ですると、一人の父親がこう言いました。「子どもも、女房も同じ
ですな」と。

 つまりたがいに心を開きあっているときは、女房も、抱き心地がよいが、そうでないと
きは、そうでない、と。不謹慎な話ですが、まちがってはいないようです。

 が、問題は、ここで終わるわけではありません。心を開けない、あるいは開くことがで
きない子どもは、それだけ孤立します。いつも追いつめられた孤独感を覚えるようになり
ます。しかし、この孤独感は、それ自体が、苦痛をともなうもので、人は、そして子ども
は、無意識のうちにも、それを避けようとします。

●自己防衛

 ここでまず、二つのタイプに分かれます。孤独感を、攻撃的に処理しようとするプラス
型。孤独感を受け入れてしまう、マイナス型です。これを心理学の世界では、防衛機制と
いいます。いわば心を守るための自己防衛機能のことです。

 プラス型の子どもは、自分の周辺に、強引に「孤独でない環境」をつくろうとします。
わがままを言ったり、ときには暴力的に、相手を屈服させたりするなど。極端な例として
は、家庭内暴力があります。このタイプの子どもは、よく親に対して、「こんなオレにした
のは、お前だろうがア!」と叫びますが、それは、子どもの中で、子ども自身が、心を開
くことができない自分と、はげしく葛藤(かっとう)するためと考えます。

 マイナス型の子どもは、他人との関係が結べない分だけ、他人に対して恐怖感、不信感、
拒絶感を覚えます。そこで他人に対して、依存性をもったり、服従的になったりします。
少ないですが、相手に同情を求め、相手に「かわいそうな子ども」と思わせることで、自
分にとっては、居心地のよい世界をつくろうとする子どももいます。さらに症状がひどく
なると、他人との関わりそのものを回避するようになります。極端な例としては、引きこ
もりがあります。

●EAさんのお子さんは……

 そこでまず、EAさんの子どものばあい、これらのどのタイプの子どもかを、判断しな
ければなりません。たとえば「心を開くことができない子ども」というとき、最初に思い
浮かぶのが、自閉症児や、自閉傾向のある子ども、さらには、かん黙児などがいます。し
かしこのタイプの子どもは、いわば症状として、様子がはっきりとわかる子どもをいいま
す。こうした症状が、その前の段階で、よくわからない子どもも、少なくありません。

 私は「濃い」「薄い」という言葉を使います。同じ心の問題をかかえていても、その症状
が、濃い子どももいれば、薄い子どももいるということです。先にあげた、家庭内暴力を
繰りかえす子どもにしても、引きこもりを繰りかえす子どもにしても、「濃い」子どももい
れば、そうでなく、症状が軽く、判断がしにくい「薄い」子どももいます。精神医学の世
界では、「重い」とか、「軽い」とかいう言葉を使いますが、私は、これらの言葉が、好き
ではありません。好きではないというより、症状を適切に説明していません。それで「濃
い」「薄い」という言葉を使っています。

 で、その上で、EAさんのお子さを考えると、いわゆる「内弁慶、外幽霊」ということ
になります。一般的に、他人との関わりがうまくできない子どもは(おとなも)、他人と関
わるだけで、精神的に疲れてしまいます。自分をつくったり、操作したりするようになる
からです。

●自分をさらけ出すことができない

 もっとわかりやすく言うと、自分をそのままストレートに出すことに、恐怖感を覚える
からです。もともと他人を信頼していませんから、他人も、自分の対してそういう目で見
ていると考えてしまうわけです。「こんなことをすれば、他人に笑われる」「こんなことを
すれば、他人から、へんな人間に思われる」と。他人とうまく関われない子どもと言うの
は、つまりは他人に対して心を開けない子どもということになり、さらには、自分をさら
け出すことができない子どもということになります。

 そこでこのタイプの子どもは、外の世界では、自分をつくります。よい子ぶったり、と
きには優等生ぶったりします。いつも他人の目の中で、「自分がどう思われているか」「ど
う映っているか」を考えています。心がいつも緊張状態にあると考えてあげてください。
その緊張感が、とれない。だから、疲れるわけです。

 問題は、まだつづきます。

●精神疲労

 この緊張状態がつづき、精神的に疲労してくると、子どもは、つぎの四つの方法で、そ
の緊張状態を解消しようとします。(1)攻撃型(家の中で、暴言を吐いたり、暴力を振る
ったりする)、(2)内閉型(グズグズしたり、わけのわからないことを言ったりする)、(3)
固執型(ものに異常にこだわり、それらを意味もなく集めたり、大切にしたりする)、(4)
逃避型(引きこもってしまったり、他人との接触を避けようとする)です。

 EAさんのお子さんは、この中でも、(1)の攻撃型が疑われます。外の世界で疲れて帰
ってくる分だけ、家の中で、それを解消しようと、荒れるわけです。このタイプの子ども
は、外の世界(学校や塾など)では、たいへんよい子で通ることが多く、また成績も、そ
れなりによいはずです。先生に、「しっかりしていますよ」と、ほめられることも、少なく
ありません。

 が、いただいたメール(注、全文は、掲載を許可してもらえませんでしたので、省略)
を読ませていただいた範囲では、いわゆる薄いタイプの、情緒不安定児ということになり
ます。

よく誤解されますが、情緒が不安定だから、情緒不安定児というのではありません。心
の緊張状態が、とれない子どもを、情緒不安定児といいます。その緊張状態の中に、不
安や心配が入り込むと、その心配や不安を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。
つまり情緒が不安定になるのは、あくまでも、心の緊張感がとれないことによる、結果
でしかないということです。

●心の緊張感をとる

 EAさんのお子さんは、そういう点では、心の緊張感がとれない、あるいはとることが
苦手、さらには、他人に対して、いつも緊張状態にあるとみます。原因は、先にも書いた
ように、心を開くことができない、あるいはありのままの自分をさらけ出すことができな
いところにあります。だから疲れる。そしてその疲れた分だけ、それを解消しようと、家
の中で荒れるというわけです。

 こうした心のメカニズムがわかれば、おのずと、対処のし方もわかっていただけると思
います。

 方法としては、心の緊張感をほぐすということになりますが、しかしこれは口で言うほ
ど、簡単なことではなりません。というのも、なぜ子どもが、心の緊張感をほぐせないか
ということになると、そのルーツは、乳幼児期まで、さかのぼってしまうからです。

●ルーツは、乳幼児期

 恐らく、お子さんは乳幼児期に、何らかの理由で、神経質な子育て、過干渉、愛情不足
などが背景にあって、子どもの側からみて、全幅に心を開けない状態があったものと、推
察されます。「自分はどんなことをしても、守られるのだ」「許されるのだ」という、意識
しない意識です。「意識しない意識」というのは、「まったく疑いを抱かない」という意味
です。子どもというのは、そうした「さらけ出し」をしてはじめて、「心の安心感」を覚え
ます。覚えるというより、学ぶと言ったほうが、正確かもしれません。

 つまり乳幼児期に、「安心して、自分をさらけ出すことができなかった」という、無意識
の意識が、心を開くことができない子どもの、根底にあるということ。EAさんのお子さ
んが、そうだというわけではありませんが、その疑いは、かなり濃厚です。……と言って
も、過去をほじくり返しても、意味はありません。では、どうするか、ですね。

●心の開放を大切に

 最初に、こうした心の問題は、簡単には解決しないということ。これは脳のCPU(中
央演算装置)の問題ですから、子ども自身がそれに気づくということは、まずありません。
子ども自身が、長い人生の中で、無数の経験をしながら、やがて自分で発見するしかあり
ません。恐らくその時期は、晩年になってからではないでしょうか。それまでは、その子
どもといえども、「私は私」と思ったままでしょう。

 そこでまわりの者、なかんずく親たちがどうするかということです。方法としては、(1)
子どもの心の開放を考える。……たとえば、家の中で暴言を吐いたり、ときに暴力を振る
っても、「ああ、この子は外でがんばっているから、家の中では荒れるのだ」と思いなおす
ことです。力ずくでそれを押さえつけたり、威圧してはいけません。そうすればするほど、
子どもはますます行き場所をなくしてしまいます。

●ひとり、のんびりとさせる

 つぎに(2)心の緊張感を取りのぞくことを考える。……このタイプの子どもは、何ら
かの方法で、自分の心の中にたまった緊張感を取りのぞこうとしているはずなので、それ
を観察してみてください。何かモノにこだわったり、それを集めたりするなど。あるいは、
魚釣りに行くとか、ゲームに夢中になることもあります。そういう行為のほとんどが、親
から見れば、つまらないものに見えるかもしれませんが、頭から「ダメ!」式に禁止して
はいけません。そのときも、「ああ、うちの子は、こういう方法で、心の緊張感をほぐそう
としているのだ」と思いなおしてあげてください。

 三つ目に、(3)ひとりでいる時間を大切にする。……過関心、干渉、過心配は、かえっ
て子どもの心を窮屈(きゅうくつ)にしますので、注意してください。学校から帰ってき
たら、ひとり、だれにも(親にも)干渉されないで、のんびりとくつろげる環境を用意し
てあげます。親の視線そのものを感じさせないようにするのがよいのですが、実際には、
これがむずかしいようです。

そこで大切なことは、親自身が、子育てとは離れた世界で、自分のしたいことをするこ
とです。つまりその結果として子どもから視線をはずすようにします。「何とかしなけれ
ば……」とあせればあせるほど、かえって親自身が、あり地獄の巣の中に落ちてしまい
ますから、注意してください。

●スキンシップを大切に

 あとは(4)スキンシップと食事に注意する。……子どもの心の問題の特効薬は、スキ
ンシップです。EAさんのお子さんは、小学二年生ということですから、まだスキンシッ
プが重要であり、効果的な時期です。添い寝、抱っこ、手つなぎなどは、濃厚にしてあげ
てください。この際、「抱きグセがつく」とか、「依存心がつく」とか、そういうことは、
あまり考えないようにしてください。子どもの側からみて、「全幅に心を開いても、だいじ
ょうぶ」という状態をつくるように心がけます。

 しかしここで注意しなければならないことは、仮にこういう状態にしたからといって、
明日とか、来月とかに、症状が消えるわけではないということです。先日も同じようなケ
ースで、相談してきた母親がいました。それで同じような返事を書いたのですが、その数
日後(たったの数日!)、その母親は、またこんな相談をしてきました。「先生の言ったと
おりにしていますが、効果が現れてきません」と。

●心の問題は、一年単位で

 子どもの心を開放させるというのは、簡単なことではありません。一年や二年、あるい
はもっと時間がかかることです。子どもの心というのは、一年単位で、観察し、判断しま
すが、その一年でも、短いほどです。それこそ気が遠くなるほどの根気が必要ということ
です。

 それにこうした子どもの心の問題は、たいていは(あるいはまちがいなく)、親自身の姿
勢に原因があるため、それが改められないと、簡単には解決しません。もっとはっきり言
えば、あなたという親自身の問題だということです。あなた自身が、子どもが心を開くの
を許していなかった。今も許していない。あなたはひょっとしたら、子どもが乱暴な言葉
を使ったとき、「親に向かって、何よ!」式のことを、言ってはいませんか?

 あとは食生活を改善します。心の緊張感をとると同時に、動揺させないことを考えます。
CAやMGが効果的なことは言うまでもありません。はやし浩司(私)のサイトのどこか
に詳しく書いておきましたので、参考にしてください。

 全体としてみれば、EAさんのお子さんの症状は、たいへん軽く、いわゆる情緒障害の
症状としても、たいへん「薄い」ものと考えられます。こういうケースでは、コツは、そ
ういった症状を「治そう」とか「直そう」と考えるのではなく、「今の状態を、これ以上悪
くしない」ことだけを考えて対処することです。なおそうと思っても、なおるものではあ
りません。はっきり言えば、あきらめる。

今のお子さんの様子は、今までの一〇年間の総決算のようなものです。そこでこう考え
てみてください。一〇年後に、これからの一〇年間の総決算が現れる、と。この問題は、
そういう視点で考えます。あせりは禁物。あせればあせるほど、EAさんも、そしてお
子さんも、さらに底なしの悪循環の世界に落ちてしまいます。どうか、ご注意ください。
(030401)

【追記】

 心を開くことができる、開くことができないの問題は、全人格的な問題ですね。夫婦生
活を二〇年以上もしていながら、心を開けない夫や妻は、いくらでもいます。夫婦生活の
どこかに問題があるというよりは、その人自身の根源的な問題だからです。いわんや、子
どもを、や。

 そういう意味では、乳幼児期の子育ては、たいへん重要です。この時期に、子どもの心
の方向性が決まってしまうということです。そして一度決まると、その軌道修正は、ほと
んど不可能ということになります。あとは、その子どもが、いつか自分で気がついて、自
分で軌道修正するしかないということになります。しかしそれとて簡単なことではありま
せん。その人自身が、それまで、無数の失敗と、葛藤(かっとう)を繰り返すことになり
ます。

 あなたはどうですか? あなたはだいじょうぶですか? あなたは他人に対して、心を
開いていますか? 心を開くことができますか? 他人はともかくも、あなたの夫や妻、
あるいはあなたの子どもに対して、心を開いていますか? 開くことができますか?

 もしそうでないなら、一度、あなたの幼児期をさぐってみてください。
(はやし浩司 心を開く 心を開けない子ども 子供 心の緊張感 子供の暴力 暴力行
為 心を閉ざす子供 子ども)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●乱暴な子ども

 一度、乱暴な子どもというレッテルを張られてしまうと、子どもは、乱暴そのものを、
自ら肯定してしまうようになる。そしてものの考え方を、乱暴を基準にして、考えるよう
になる。

 こんなことがあった。

 ある日、幼稚園の年長児に、こんな問題を出したときのこと。

 「ブランコに乗っていたら、ブランコを、あなたは横取りされそうになりました。そう
いうとき、あなたはどうしますか?」と。

 すると1人の男の子が、サッと手をあげて、こう言った。

 「ぶん殴ってやる。そういうヤツは、どうせ口で言ってもわからない」と。

 私はこの答に驚いたが、それがここでいう(乱暴を基準にしたものの考え方)である。
幼児のばあい、嫉妬心と、攻撃心は、あまりいじらないほうがよい。カッと頭に血がのぼ
ると、何をしでかすかわからないというのは、幼児としては、あるまじき姿と考えてよい。

 もし、そうなら、つまりここでいうような症状を見せるなら、それは、もう子どもの問
題ではない。親である、あなた自身の問題ということになる。もっとはっきり言えば、家
庭教育の失敗とみる。(「失敗」という言葉は好きではないが、子どもを責めても、意味は
ないということ。その自覚をもってほしいから、あえて、そう言う。)

 対処方法は、先にも書いたように、「今の状態を悪くしないことだけ」を考えながら、一
年単位で、様子を改善していく。それには、気が遠くなるほど(ホント!)の根気と努力
が必要である。

 それはかたまった心を、少しずつ溶かす作業に似ている。さらに、こうした乱暴を繰り
かえす子どもは、心に大きなキズをもっていることが多い。そういう視点でも、子どもの
様子をみる。
(はやし浩司 子どもの暴力 乱暴な子ども 子供の暴力行為 乱暴な子供)


【2】(子育て相談・不登校)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【マガジン読者の方より……】

 毎回、子育てや人生勉強、毎日の生活の励みとして大切に読ませていただいております。

 私は去年の11月終わり頃当時小学6年の息子の不登校について相談させていただき、
丁寧に返事を頂いた者でございます。

その時は息子が治るまで数年かかるといわれ、ショックを受け、せめて中学からはちゃ
んと登校させようと説得しておりましたが、今年4月の入学式は出席したものの、週に
1〜2日登校するといった日々をつづけております。

運動会の練習が嫌で今週からはまだ登校していません。行きたいけれど行けないと本人
は言っています。登校前は緊張が高まり、とても辛そうです。帰宅したときは疲れきっ
た様子ですが何とか学校へ行ったという達成感があり、少しほっとすると言います。

まだ続けて登校は無理のようですが本人は何とか学校につながっていたいようでもあり
ます。私もこれがいいことだとは思っていませんが、高校進学もあきらめるという覚悟
もできず、本人も高校の事は気になっているようで、休んでいてもまったく心は休まっ
ていません。

 担任の先生はとても理解があり、本人の自由にしてかまわない、いつでもクラスで受け
入れる雰囲気と体制は作っておくとおっしゃって頂いてます。

 本人も私も3年生までに続けて登校できるようになればいいね、と話しています。
 このままでは元に戻って別の底に落ちてしまうのでしょうか。不安で辛い毎日を送って
おります。

 昨日のマガジンを拝読いたしましたら、私のやり方では間違っているように思えました。
どうすればいいのでしょうか。


+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

【宮城県のEさんよりの相談】

毎回、子育てや人生勉強、毎日の生活の励みとして大切に読ませていただいております。

 私は去年の11月終わり頃当時小学6年の息子の不登校について相談させていただき、
丁寧に返事を頂いた者でございます。

その時は息子が治るまで、数年かかるといわれ、ショックを受け、せめて中学からはち
ゃんと登校させようと説得しておりましたが、今年4月の入学式は出席したものの、週
に1〜2日登校するといった日々をつづけております。

運動会の練習が嫌で今週からは、まだ登校していません。行きたいけれど行けないと本
人は言っています。登校前は緊張が高まり、とても辛そうです。帰宅したときは疲れき
った様子ですが、何とか学校へ行ったという達成感があり、少しほっとすると言います。

まだ続けて登校は無理のようですが本人は何とか学校につながっていたいようでもあり
ます。私もこれがいいことだとは思っていませんが、高校進学もあきらめるという覚悟
もできず、本人も高校の事は気になっているようで、休んでいてもまったく心は休まっ
ていません。

 担任の先生はとても理解があり、本人の自由にしてかまわない、いつでもクラスで受け
入れる雰囲気と体制は作っておくとおっしゃって頂いています。

 本人も私も3年生までに、続けて登校できるようになればいいね、と話しています。

 このままでは元に戻って、別の底に落ちてしまうのでしょうか。不安で、辛い毎日を送
っております。

 昨日のマガジンを拝読いたしましたら、私のやり方では、間違っているように思えまし
た。どうすればいいのでしょうか。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【Eさんへ……】

 症状からすれば、「学校恐怖症」かと思われますが、であるならなおさら、そんなに簡単
にはなおりません。(昨年11月の返事の内容については、こちらでは記録保存していませ
んので、どんなことを書いたか、忘れてしまいました。が、そのときも、そう書いたはず
です。)

 あなたは子どもの心配をしているのではなく、つまり子どもの将来を心配しているので
はなく、自分の不安や心配を、子どもにぶつけているだけではないでしょうか。

 今、あなたのお子さんは、心の病気にかかっています。外からはそれが見えないため、
ほとんどの親は、それを安易に考えますが、そんな簡単なものではなりません。それとも
あなたは、熱を出してウンウンとうなされている子どもを見て、「学校へ行こうね」などと
言うでしょうか。

 学校恐怖症について書いた原稿を、添付します。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもが学校恐怖症になるとき

●四つの段階論

 同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひど
い花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。が、その中でも恐
怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」
といって区別している。

これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。
心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少し
わかりやすくしたのが次である。

(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、
倦怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に
軽快し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを
症状の日内変動という。学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと
言ったりする。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりす
る。理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。

(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりする
と、狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」
などと言うと、一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる
車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように
驚いて、「これが同じ子どもか」と思うことが多い。

(3)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言など
の攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残
り、どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒
したり、暴れたりすることはある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを
避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、
ふだんの生活を見る限り、ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいていの親
は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうことが多い。こ
うした状態が、数か月から数年続く。

(4)回復期……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を始めたり、
外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的
に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一〜二時間、週に一日〜
二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。

●前兆をいかにとらえるか

 要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。たい
ていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無
理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。この段階でも、もし親が無理をせず、「そ
うね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。
一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを
考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)
無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えら
れている。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活
動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生
活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えら
れている(「日本教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者
の目を通して、子どもを外の世界から見た区分のし方でしかない。

(参考)

●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫
ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状
が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人
恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一
九三二年に最初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」
と命名したことに始まる。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登
校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。

●学校恐怖症の対処のし方

 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこ
の段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまう
ことである。あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある
子どもの心の問題を見落としてしまう。

しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが
多い。ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバー
でドアをはずした。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま
学校へ連れていった。その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖
心から、子どもをはげしく叱り続けた。

が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取
り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学
校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症
状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、
「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさ
せなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間
もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱり
ダメでした」と。親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こう
いうことを繰り返しているうちに、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜け
ること。(2)前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないこと
だけを考えて、子どもの様子をみる。(3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこ
と。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。(4)
生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。
とくに子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋にいない間に、
子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。

 回復期に向かう前兆としては、(1)穏やかな会話ができるようになる、(2)生活にリ
ズムができ、寝起きが規則正しくなる、(3)子どもがヒマをもてあますようになる、(4)
家族がいてもいなくいても、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。
こうした様子が見られたら、回復期は近いとみてよい。

 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えるこ
と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早
くする。


●不登校は不利なことばかりではない

 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされ
ている。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で
不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割
もいる」という。不登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答え
た人、二四%など。そして学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転校などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
(はやし浩司 学校恐怖症 不登校 登校拒否)

【Eさんへ、再び……】

 「3年生までに……」という言い方で、時限を決めて説得しても意味はありません。ま
たそういう言い方をすると、かえって子どもを、窮地に追いこんでしまうことになります。
(恐らく、幼少期のときから、そういう条件づけ的な子育て法が、日常化していたのでは
ないでしょうか? もしそうなら、できるだけ改めてみてください。)

 「週に1、2度、学校へ行っていた」ということですから、その時点で、「よくがんばっ
ているね」式のねぎらいが大切だったかと思います。が、あなたは、「つづけて登校する」
という意識に、どこかでこだわっているように思います。

 これはEさんの例ではありませんが、子どもがやっとのことで、子どもが学校へ行くよ
うになったケースがあります。しかし行くとしても、午前中だけ。するとその母親は、私
にこう言いました。「何とか、給食まで、みなと、いっしょに食べてくれるといい」と。

 こうした無理(欲望)が、症状を悪化させます。もしその子どもが給食を食べるように
なると、今度は、母親は、「何とか、午後まで……」と言い出すのです。

 Eさんは、いかがですか? そういうことはありませんか?

 私の印象では、あなた自身の緊張感がつづくかぎり。家庭の緊張感もつづき、ついで、
子どもの緊張感も、とれません。「学校とは行かねばならないところ」という、強い、信仰
にも似た信念を、あなたは、もっているのではありませんか。それが、あなたのいう、「こ
のままでは元に戻って別の底に落ちてしまうのでしょうか。不安で、辛い毎日を送ってお
ります」という言葉の中に感じます。

 たいへんお気持ちは、よくわかりますが、ここであせっては、かえって症状をこじらせ
てしまします。子ども自身も、「高校へは行かねばならない」という、重圧感を感じていま
すし、それに束縛されています。

 そういう重圧感や束縛感の大半も、実は、親が長い年月をかけて、半ば、無意識のまま
子どもに植えつけてきたものではないでしょうか。

 今は、しばらく、静かに回復期を待つしかないようです。もし何かに強いこだわりをも
っているようなら、一度、心療内科を訪問なさってみてはどうでしょうか。今は、副作用
の少ない、よくきく薬もあります。子どもによっては、数日のうちに、ウソのように改善
するケースも、私は見ています。

 しかしそのときでも重要なことは、「それでなおった」とは思わないこと。薬で抑えてい
るだけです。ですから基本的には、対処のし方は、同じです。「無理をしなくていいよ」で
す。

 仮に1日、学校へ行きそうな日があったら、「午前中で帰ってきなさいよ」と。週に2、
3日、学校へ行くようになったら、「1日行けば、じゅうぶんよ」と。そういう言い方をし
ます。

 できますか? あなたなら、できますか?

 実はあなた自身が、学歴信仰というカルトの呪縛から、心を開放しなければなりません。
この問題は、一見、子どもの問題に見えますが、あなた自身の問題だということです。

 多分、以前私が書いた返事は、今でも正しいと思います。どうか、もう一度、読んでみ
てください。さらに必要なら、グーグルかヤフーの検索エンジンで、「はやし浩司 学校恐
怖症」を検索してみてください。お役にたてる記事をヒットできるはずです。

 では、失礼します。
(はやし浩司 学校恐怖症 不登校 学歴信仰)

【読者の方へ】

 毎日多くの相談をいただきます。ありがとうございます。

 しかしながら、そういう相談に対して、返事を書くとき、いただいた相談内容を、私の
原稿のほうへ転載しなければならないときがあります。もちろんお名前や住所、家族構成
などをこちらで、その方とわからないように改変します。

 が、それでも、「転載はだめ」などという返事をいただくと、率直に言って、返事(原稿)
そのものが書けなくなってしまいます。

 そんなわけで、相談があるときは、できるだけ、掲示板か、相談フォームを利用してく
ださるとうれしいです。そちらのほうへ書いてくだされば、転載許可を求めるという手間
もはぶけますし、あとあとのトラブルを避けることもできます。

 よろしくご理解の上、ご協力くださいますよう、心から、お願いします。くれぐれも、
よろしくお願いします。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●犬

 人間と犬。その知能は、大きくちがうように見えるが、それはある特殊な部分だけのこ
と。全体としてみれば、それほど、ちがわないのではないか。

 私の家に家にいるハナ(ポインター種)にしても、それほど利口な犬だとは思わない。
しかしそれでも、たいていのことなら、一度で覚えてしまう。

 数日前も、野菜畑の柵を作った。が、一度、「この中へ入ってはダメ」と強く制したら、
以後、一歩も、足を踏み入れていない。

 で、今日も、ハナを洗ってやるため、パンツ一枚の姿になったとたん、小屋の一番奥に
隠れてしまった。私がパンツ一枚になった段階で、「洗われる」ということが、ハナにはわ
かってしまった。

 こういう例は、多い。

 もちろん感情も、人間並みに、ある。喜怒哀楽、すべて、ある。「犬だから鈍感だろう」
という考え方は、まちがっている。とくに驚かされるのは、人間が経験する、あらゆる情
動障害や精神障害を、犬も、まったく同じよう経験するということ。

 だからこのところ、(実際には、ずいぶん前から、そう感じていたが……)、人間と犬を、
それほど、区別して考えなくなった。さらに幼児と犬は、よく似ている。似ているという
より、同じ。

 犬だから、バカだと考えるのは正しくないし、反対に、人間だから利口だと考えるのも
正しくない。少し前、「ケータイをもったxx」という本が、たいへんよく売れたと聞いて
いる。しかしそのxx(サル)にしても、人間と、それほど、ちがわないのでは……?

 庭を走り回るハナを見ていると、いろいろ考えさせられる。せっかく、たった今、シャ
ンプーで洗ってやったにもかかわらず、もう、自分で、体中に、砂をかけている。

 そういうのを見ると、「バカだなあ」と思うが、「洗ってやる」という人間の行為そのも
のが、犬にとっては、ありがた迷惑なのだから、しかたない。

 さわやかな昼さがり。まっ白な陽光が、庭を明るく照らしている。さあ、今日から6月
だア!
(05年6月1日)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 27日(No.589)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心配ごと

 何か心配ごとがあると、思考が停止してしまう。それだけならまだしも、無意味な行動
を繰りかえしてしまう。何度も何度も、同じことを繰りかえしては、またもとの状態にも
どってしまう。

 だれから「気のせいよ」と言ってくれても、頭の脳ミソに、それが、湿布薬か何かが張
りついたような状態になる。それが、どうにもこうにも、はがれない。

 こういう状態を、心理学の世界では、「固着」という。つまりは、「こだわり」のことか。
子どもでも、何か心配ごとがあると、とたん、別人のように、できが悪くなったりする。

 少し前、G君(小1)の母親が、病気で入院した。幸い、数日の入院ですんだが、その
間、G君は、ふだんならスラスラ解けるような問題ですら、できなくなってしまった。ミ
スばかりを繰りかえした。

 子どもなりに、母親のことを心配していたのだろう。

 私も、集団検診か何かで、「要再検診」などという通知をもらったとたん、仕事が手につ
かなくなってしまう。「心気症」とまではいかないが、それに近い。「重大な病気だったら、
どうしよう?」とか、そんなふうに考えてしまう。クヨクヨと考えてしまう。

 だからそういうときは、すぐ、かかりつけの医院へ飛びこむ。「先生、こんなのをもらい
ましたが……」と。再検診の日まで待っていたら、気がヘンになってしまう。「クロならク
ロでもいい。どちらか、はっきりしてほしい」と。

 平和で、幸福な日々というのは、その心配ごとがない状態をいう。大切なことは、心配
ごととどう戦うかではなく、心配ごとを、どう作らないかということ。これは毎日を生き
るときの、コツのように思う。

 ……といっても、心配ごとのほとんどは、自分でつくるものというより、向こうから勝
手に飛びこんでくるものだが……。
(はやし浩司 固着 心配ごと 心配事 子供の心理 子ども 心理)

(補足)

固着……「固着観念」ともいう。たえず意識を支配し、それによって主として行動が決定
される観念。強迫観念とはちがって、秒的な感じはしない(広辞苑)。幼児期の母子関係か
ら逃れることができず、とくに母親に愛情的な愛着をもつなど、精神的に未発達な状態も
いう(同)。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●パラノイア

 ある母親(Aさん)が、別の母親(Xさん)のことで、今、たいへん悩んでいる。Aさ
んが何をしても、Xさんが、あれこれ苦情を言ってくるという。Aさんは、こう言う。

 「私は、まったくXさんのことなど、考えていません。しかしやることなすこと、私が
することは、Xさんに対する、意地悪だと、Xさんは、言うのです。こんなことがありま
した。

 今度、クラス対抗のバトミントン大会をすることになりました。それについて、私が責
任者になっているものですから、練習時間を、○曜日の○時からと決めたとします。

 するとXさんから電話がかかってきて、『わざと、私が参加できない時間に設定した』と
か、言ってくるのです。『練習には、おいでになれる方だけで、いいです』と、連絡帳には
書いておいたのですが……。
 
 さらにユニフォームについても、短パンで統一することになったのですが、それについ
ても、Xさんは、『私が短パンをはかないことを知っていて、そうした』と苦情を言ってき
ます。

 Xさんからの電話が入ると、心臓がドキドキし、手が震えてしまいます」と。

 パラノイア(妄想)にもいろいろある。Xさんは、何でも自分に関係づけてしまうとい
う点で、「敏感妄想」ということになる。「敏感関係妄想」ともいう。言うことが、一応ま
ともなため、かえって、どう対処したらよいのか、わからなくなる。そのため、本人は、
それでよいとしても、その周囲の人が、とことん神経をすり減らす。

 中年期から発症しやすくなるというが、子どもでも、ときどき、そうなるときがある。「B
君が、ぼくをいじめた」と、ある子どもが言ったとする。そこで調べてみると、B君には、
その意識がない。いじめたという覚えもない。

 ただその子どもが教室へ入ったとき、B君は、マンガか何かを読んでいて、その子ども
を無視したような感じになったらしい。それを「いじめ」と、その子どもは、誤解した。

 このパラノイアがからんでくると、人間関係も、わけのわからないものになる。ある日
突然、「お前が、石を投げたので、窓ガラスが割れた」と、隣人に怒鳴りこまれた人がいた。
多分、車か何かが、タイヤで石をはねあげたのだろうが、その隣人は、そう言ったという。

 さらに「私の家は、いつも監視されている」「盗聴器がしかけられている」と訴える人も
いる。

 こうした妄想性を感じたら、その妄想性そのものよりも、その人を包む環境を改善する。
何かのストレスが、遠因になっていることが多い。そのストレスが姿を変えて、妄想を引
き起こす。「学校へ行きたくない」という思いが、妄想を生み、「ぼくは、B君にいじめら
れている」となる。

 妄想性だけをみて、その妄想と戦っても意味がない。その相手に向って、「あなたはパラ
ノイアよ」と言えば、その結果は、どうなるか? 火を見るより、明らかである。一応、
相手の言い分を聞きながら、その周囲の環境がどうであるかを知る。
(はやし浩司 妄想 パラノイア 敏感妄想 敏感関係妄想 妄想観念)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【掲示板の投稿より】

●私のHPの掲示板に、こんな投稿記事が載っていました。
それについて、みなさんと、ごいっしょに考えてみたいと思います。

(できるだけ、相談ごとは、掲示板へお願いします。
 そのまま、マガジン用原稿として、こちらで利用
 させていただくことがあります。よろしくご理解
 ください。)

++++++++++++++++++++++++++

ありがとうございます。こんなふうに相談できることは、とても心強いです。

私自身の「情緒的未熟性」や「精神的欠陥性」は、指摘されたことがないのでわかりませ
ん。が、主人には間違いなくあるのでは・・・?、と思います。

主人は、神経質で、かなり自己中心的です。

子供がエスカレーターに乗ることに躊躇していたりすると、(うちの子供は、かなりおく病
なので)、まだ買い物に来たばかりであるにもかかわらず、「(エスカレーターに)乗れない
んなら帰るぞ!」と車に戻っていってしまいました。

仕方ないので長女と次女と3人で買い物を済ませました。

先日も、私が勤めている会社の「花見会」を釣堀でしました。長女は、釣ったばかりでま
だ跳ねている魚を初めて見た事が嬉しかったらしく、もらってきた魚を見せようと「パパ
見てー」と家に入っていきました。なのに・・・

主人が長女に言った言葉は、「こっちに持ってくるな!」です。それを聞いて、長女は泣き
ました。

子供と遊んでくれる事もありますが、子供に合わせて遊んでいる様には見えません。
ボールは(やわらかいボールですが)、手かげんせず、おもいっきり投げます。

「怖い」「やだ」と言っているのに、そのまま続けます。で、子供が泣けば、「俺のせいじ
ゃない」とばかりに、知らん顔をしてその場を離れてしまいます。「子供に負けてあげよう」
なんて、これっぽっちも思っていないようです。

次女が生まれた頃、長女は夜鳴きするようになりました。
その夜鳴きしている長女の胸ぐらをつかみ上げて「うるせんだ、おらぁ!」と怒鳴りつけ、
布団に叩きつけた事もありました。

次女が2〜3歳位の頃、何度言っても片づけをしないと言って、耳をつかみ引きずってい
こうとした事もあります。私が主人の手を払いのけて、やめさせると、今度は私の耳をつ
かもうともしました。「お前がやらせないからだ」と。(それも私は、払いのけましたが)、
俺が怒るのは、お前のせいだという感じです。

他にも「虐待」と言われても仕方のないような事が何度かあり、周期的に繰り返している
ような感じでした。

二度ほど離婚の話をしてからは、主人も気をつけてはいるようで、手をあげる事はなくな
りましたが、言葉による「人格攻撃」は、時々あります。

子供の前でケンカをするのは良くないとわかっていますが、子供に対してあまりにひどい
時は、ケンカになってしまう事があります。
そのせいか、長女は主人に何か言われると、私の顔を見るようになりました。

主人は、小学校にあがる前の事を憶えていないと言います。
私は、主人の子供の頃の写真(アルバム)を、私は見たことがありません。

お義母さん(お義父さんも)は、2歳になったばかりの孫に、「お姉ちゃんになったんだか
ら、抱っこなんておかしいよ! おりなさい!」と怒るような人です。「言うことを聞けと
言ったら絶対聞かせる。子供には、絶対に妥協はしない」と言った事もあります。

きっと主人は、弟ができた頃から、「抱っこ」も「甘えたり」も「わがまま」も受け入れて
もらえなかったのでは?、と思えてしまいます。

長々と愚痴のようになってしまいました(^^>"
主人のことを、誰に相談しても「子供だね」と言われます。

こんな主人を、良い方向に持っていくことなんてできるでしょうか?

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親像のない親たち 

 子育ては、本能ではなく、学習によって身につくものです。それについて書いたのが、
つぎの原稿です。まず、それをお読みください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

親像を考える法

親が子育てできなくなるとき 

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。
「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴え
た父親もいた。あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力
そのものがない母親すらいた。

また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、不幸にして不幸な
家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。つまりいわゆる
「親像」のない人とみる。

●チンパンジーのアイ

 ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん
頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。

もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパン
ジーが九八年の夏、一度妊娠したことがある。が、そのとき研究員の人が心配したのは、
妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育てができるかどうか」(新聞報道)だった。

人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭
のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわ
んや、人間をや。

●子育ては学習によってできる

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」とい
う体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。

しかしその「体験」が、何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」に
なる危険性がある。……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタ
ブー。いろいろな団体から、猛烈な抗議が殺到する。

先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を書いただけ
でその翌日、一〇本以上の電話が届いた。

「離婚についての偏見を助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子ど
もは幸せな結婚はできないのか」など。

「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。私は何も離婚が悪いとか、
離婚家庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚として問題になるのは、
それにともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのこ
とを主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実
として、冷静に見なければならない。

●原因に気づくだけでよい

 これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決した
とみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分
は解決したとみる。

それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親
類の家族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親
をなくしたが、叔父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の
人は、ある作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。

●幸福な家庭を築くために

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。
もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っている
なら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せて
おかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。

そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子
育てができるようになる。と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭
の中ではわかっていても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする
上での、一つの努力目標と考えてほしい。

(付記)

●なぜアイは子育てができるか

 一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」
そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そ
のアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(二〇〇一年春)。

これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、
ビデオを見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習
をしたからだと説明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。アイは確か
に人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によって、まさ
に人間の子どもとして育てられている。

アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。そ
れが今、アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。

(参考)

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有
効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。

妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項
目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「し
ばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あ
り」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、
六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い
行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年ま
での八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七
七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五
三%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。

虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また
虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六
七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。

+++++++++++++++++++++はやし浩司

●親像と親意識

 自然な形で、親としての務めができる。そのための下地を、「親像」と私は呼んでいる。
(「親像」という言葉は、私が考えた。)

その親像と親意識は、区別して考える。「私は親だ」「お前は子だ」という、旧来型の親
子意識をいう。

 その親意識には、善玉と悪玉がある。

+++++++++++++++++++++はやし浩司

●悪玉親意識

 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子
どもを自分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。その悪玉親意識にも、こ
れまた二種類ある。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは依存型親意識。

 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分
の価値観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしよ
うとする。子どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をす
る。

これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもを
その「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなって
いるため、たいていは無意識のうちのそうすることが多い。親は親で「産んでやった」「育
ててやった」と言い、子どもは子どもで、「産んでもらいました」「育てていただきまし
た」と言う。

 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ
姿」という)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子ども
の歓心を買いながら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。

「あなたを育てるためにママは苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子ど
もにするのが前者。クリスマスなどに豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに
気に入られようとするのが後者ということになる。

以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、
先生の方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それ
もここでいう後者ということになる。
 これらを表にしたのがつぎである。

   親意識  善玉親意識
        悪玉親意識  非依存型親意識
               依存型親意識   押しつけ型親意識
                        コビ売り型親意識
 
 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようにな
る。それは当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。
はたしてあなたの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分
析してみると、おもしろいのでは……。

+++++++++++++++++++++++はやし浩司

 以上の原稿と似たようなないようですが、少し前に
書いた原稿も、合わせて、添付しておきます。どうか、
参考にしてください。

+++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親風、親像、親意識

 親は、どこまで親であるべきか。また親であるべきでないか。

 「私は親だ」というのを、親意識という。この親意識には、二種類ある。善玉親意識と、
悪玉親意識である。

 「私は親だから、しっかりと子どもを育てよう」というのは、善玉親意識。しかし「私
は親だから、子どもは、親に従うべき」と、親風を吹かすのは、悪玉親意識。悪玉親意識
が強ければ強いほど、(子どもがそれを受け入れればよいが、そうでなければ)、親子の間
は、ギクシャクしてくる。

 ここでいう「親像」というのは、親としての素養と考えればよい。人は、自分が親に育
てられたという経験があってはじめて、自分が親になったとき、子育てができる。そうい
う意味では、子育てができる、できないは、本能ではなく、学習によって決まる。その身
についた素養を、親像という。

 この親像が満足にない人は、子育てをしていても、どこかギクシャクしてくる。あるい
は「いい親であろう」「いい家庭をつくろう」という気負いばかりが強くなる。一般論とし
て、極端に甘い親、反対に極端にきびしい親というのは、親像のない親とみる。不幸にし
て不幸な家庭に育った親ほど、その親像がない。あるいは親像が、ゆがんでいる。

 ……というような話は、前にも書いたので、ここでは話を一歩、先に進める。

 どんな親であっても、親は親。だいたいにおいて、完ぺきな親など、いない。それぞれ
がそれぞれの立場で、懸命に生きている。そしてそれぞれの立場で、懸命に、子育てをし
ている。その「懸命さ」を少しでも感じたら、他人がとやかく言ってはいけない。また言
う必要はない。

 ただその先で、親は、賢い親と、そうでない親に分かれる。(こういう言い方も、たいへ
ん失礼な言い方になるかもしれないが……。)私の言葉ではない。法句経の中に、こんな一
節がある。

『もし愚者にして愚かなりと知らば、すなわち賢者なり。愚者にして賢者と思える者こ
そ、愚者というべし』と。つまり「私はバカな親だ」「不完全で、未熟な親だ」と謙虚に
なれる親ほど、賢い親だということ。そうでない親ほど、そうでないということ。

 一般論として、悪玉親意識の強い人ほど、他人の言葉に耳を傾けない。子どもの言うこ
とにも、耳を傾けない。「私は正しい」と思う一方で、「相手はまちがっている」と切りか
えす。子どもが親に向かって反論でもしようものなら、「何だ、親に向かって!」とそれを
押さえつけてしまう。ものの考え方が、何かにつけて、権威主義的。いつも頭の中で、「親
だから」「子どもだから」という、上下関係を意識している。

 もっとも、子どもがそれに納得しているなら、それはそれでよい。要は、どんな形であ
れ、またどんな親子であれ、たがいにうまくいけばよい。しかし今のように、価値観の変
動期というか、混乱期というか、こういう時代になると、親と子が、うまくいっているケ
ースは、本当に少ない。一見うまくいっているように見える親子でも、「うまくいっている」
と思っているのは、親だけというケースも、多い。たいていどこの家庭でも、旧世代的な
考え方をする親と、それを受け入れることができない子どもの間で、さまざまな摩擦(ま
さつ)が起きている。

 では、どうするか? こういうときは、親が、子どもたちの声に耳を傾けるしかない。
いつの時代でも、価値観の変動は、若い世代から始まる。そして旧世代と新生代が対立し
たとき、旧世代が勝ったためしは、一度もない。言いかえると、賢い親というのは、バカ
な親のフリをしながら、子どもの声に耳を傾ける親ということになる。

 親として自分の限界を認めるのは、つらいこと。しかし気負うことはない。もっと言え
ば、「私は親だ」と思う必要など、どこにもない。冒頭に書いたように、「どこまで親であ
るべきか」とか、「どこまで親であるべきではないか」ということなど、考えなくてもよい。
無論、親風を吹かしたり、悪玉親意識をもったりする必要もない。ひとりの友として、子
どもを受け入れ、あとは自然体で考えればよい。

 なお「親像」に関しては、それ自体が大きなテーマなので、また別の機会に考える。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【Yさんへ……】

 この問題は、まず、あなたの夫が、自分自身がもつ問題に気がつくことです。そのため
には、あなたの夫の機嫌がよいときに、私が書いた原稿を読んでもらってください。

 ただしあなたの夫に問題があるのではありません。また、そういう言い方をしてはいけ
ません。夫も、あなたの義父母も、日本の子育てという大きな(うねり)の中にいます。
個人的な問題というよりは、広く日本人全体が、共通してかかえる問題です。

 あなたの夫は、その(うねり)の中で、右往左往しているだけです。

 どうか、そういう視点で、あなたの夫の問題を考えてください。私の書いた原稿が、あ
なたの夫を批判したりするための道具(資料)にならないことを、強く望みます。

 この問題、つまり親像の欠落にせよ、悪玉親意識にせよ、それに気づくだけでも、問題
の半分は、解決したとみます。あとは、時間が解決してくれます。すぐには、解決しませ
ん。つまり、この問題は、それくらい「根」が深いということです。

 掲示板に書かれているように、あなたの夫は、かなり親意識(悪玉)の強い人です。そ
して不幸にして、不幸なご家庭で、育てられたことも考えられます。とくに下の弟が生ま
れてから、慢性的な愛情飢餓の状態に置かれたのだろうと思います。

 そのため、心に大きなキズをもっているとしても、何ら、おかしくありません。だから
今、幼い自分の子どもに、自分の過去を、投影しているのかもしれません。(自分の娘たち
に対して、無意識のうちに、弟への憎しみや悲しみをふつけているということです。)無意
識下の行為ですから、あなたの夫自身も、なぜ、そういう行為に出るのか、わかっていな
いないはずです。

 しかし、夫がそれに気づけば、この問題は、解決したとみます。ですからいつか、機会
があれば、ゆっくりと、かつ穏かに、あなたの夫に、私がここに書いたようなことを、説
明してみてください。

 時間はかかりますが、必ず、あなたの夫も、心を溶かすときがやってきます。キザない
い方ですが、「愛は万能」「愛には不思議な力があります」、です。それを信じて、前に進ん
でください。

 短気を起こして、離婚を考えてはいけませんよ。あなたが経験している程度の問題は、
何でもない問題の部類に入ります。重要なことは、あなた自身も、あなたの夫の心のキズ
に気づき、いっしょに、力を合わせて、乗りこえることです。

 応援します。
(はやし浩司 夫の暴力 虐待 親像 親意識 悪玉親意識 子供を愛せない夫 権威主
義的な夫 夫の問題 育児問題)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不思議な体験

 今朝、ワイフと朝食を食べながら、ぼんやりと庭を見ていたときのこと。私がした、不
思議な体験を思い出した。

私「マルという犬の話をしたことがあるかな?」
ワ「……名前だけは、どこかで聞いたような覚えがあるわ」
私「ほら、K村の伯父の家だよ。あの家にいた犬だよ。一度、お前にも話したことがある
はずだけど……」と。
 
 これから書くことは、事実である。ウソや作り話ではない。ありのままを、そのまま、
書く。

 私が、小学校の4年生だったか、3年生だったかは、よく覚えていない。そのころのこ
とである。

 そのとき私は、G県の山奥にある、伯父の家に遊びに行っていた。そこでのこと。

その家には、マルという、頭のいい犬がいた。本当に、頭がよかった。雑種で、それほ
ど大きな犬ではなかった。静かな犬で、いつも、庭で放し飼いになっていた。

で、ある日のこと。伯父の玄関から外に出ると、マルは、庭の反対側にいた。そこにい
て、私のほうを、首だけこちらに向けて、じっと私を見つめていた。

 私は一段、石段をおりて、庭へ出ると、「マル!」と声をかけた。しかし、マルは、身動
きしなかった。そこでもう一度、声をかけた。が、マルは、そのままの姿勢で、こちらを
見つめていた。

 不思議な体験というのは、そのあとに起きた。

 私は、かがんで小石を拾うと、マルのほうに向って、その小石を投げた。マルに当てる
つもりはなかった。マルは、動かなかったが、視線と視線があった、そのとたん、私は足
元から体をすくわれるような感じになり、地面に、ズデンと倒れてしまった。倒れたとい
うよりは、体がひっくりかえってしまった。

私「そのときのことだけどね、地面がなくなってしまったかのように感じたよ」
ワ「超能力のようなものだったかもしれないわね」
私「ううん。その時代には、そんな言葉はまだなかった。そんな能力があるといことも、
まだ知られていなかった」
ワ「不思議ね」
私「不思議な体験だった」と。

 マルの頭のよさは、近所でも評判だった。今となっては、どう頭がよかったかというこ
とを思い出すことができない。ただ、かすかに記憶に残っているのは、そのマルが、あの
小さな体で、イノシシを倒したということ。それくらいしか、残っていない。

私「でね、そのあと、マルがこわくなってしまい、ぼくは、走って逃げたよ」
ワ「走って逃げた?」
私「そう。こわくなった。言いようのない恐怖感を覚えた。もちろんそれからは、マルに
石を投げるようなことはしなかった。マルも、ぼくには、やさしくなった。縁側に座ると、
ほら、足が地面に届かないだろ。そうすると、マルは、ぼくの足の下にやってきて、ぼく
の足の踏み台になってくれた」と。

 超能力だったかもしれない。動物には、未知の力があるという。あるいは、何かの拍子
に、ころんだだけかもしれない。しかし私は、子どものころ、機敏で、そういうドジは、
めったにしたことがない。その私が、ころぶというよりは、ズデンとひっくりかえるよう
にして、倒れてしまった。

 不思議な体験というのは、それをいう。みなさんは、この話を聞いて、どう思うだろう
か。念のため、もう一度、繰りかえすが、これは作り話ではない。本当に私が体験した話
である。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●苗を植える

 昨日、畑に植える野菜の苗を買ってきた。

 ナス、エンドウ、トマトなど。トウモロコシの苗も売っていたが、1本、115円。「こ
れじゃあ、スーパーで買ったほうが安いね」ということで、トウモロコシの苗は、買わな
かった。

 畑をもう一度耕して、苗を植える。

 何とも言えない、初夏のすがすがしさ。土のにおい。肥料のにおい。若いころは、毎日
夢中になって、畑作りをした。その思い出が、どっとよみがえってくる。

 楽しかった。

 それを横でワイフが見ていて、「あのころは、食べきれないほど、キュウリがとれたわね」
と言った。

 私はすぐ、頭の中で、息子たちがそのキュウリを食べている姿を思い出した。そしてこ
ういうときは、必ず、あの歌を歌う。

+++++++++++++++

♪麦わら帽子はもう消えた
 田んぼのカエルはもう消えた
  それでも待ってる夏休み

絵日記つけてた夏休み
 花火を買ってた夏休み
  ゆびおり待ってた夏休み 

畑のとんぼはもういない
 あの時逃がしてあげたのに
  一人で待ってた夏休み 

すいかを食べてた夏休み
 水まきしたっけ 夏休み
  ひまわり 夕立 セミの声

  (吉田 拓郎 『夏休み』より)

++++++++++++++++++

 畑で野菜を育てることには、不思議な魅力がある。何というか、少しおおげさな言い方
をすれば、「生きている」という実感さえ覚える。それに、畑を耕している間というのは、
すべてを忘れる。頭の中が、からっぽになる。

 作業が終わったとき、ほどよい汗が、体中を流れていた。私は台所で、冷たい麦茶を一
気に、飲み干した。おいしかった。


●スパムメール

 毎日、毎日、まあ、本当に数多くの、スパムメールが届く。フィルターにかけているス
パムメールだけでも、数百を超えた。が、それでも届く!

 改めて、スケベ力のものすごさというか、人間のもつ本能的なエネルギーに驚く。

 今日も、「件名:やりたがりの人妻、即、10人、紹介」とか何とか、いうのがあった。

 私は、過去、34年近く、その人妻たちとつきあってきているが、そんな人妻、会った
ことがない。女性は、そんな甘くないし、もしそういう人妻がいたとしたら、一度、どん
な人か、セックス抜きで会ってみたい。

 「件名:1日で、10万円の収入を約束」というのもあったが、女性にせよ、マネーに
せよ、そんな簡単にどうこうできるものでははない。

 本当に、ホント、私は、女性と、そういうつきあい方をしたことがない。だから、そう
いう女性がいるということ自体、信じられない。「だれでも構わないから、私とセックスを
して!」などと言うような女性など、いるはずがない。

 常識で考えれば、わかりきったこと。しかしそういうスパムメールにひかかって、ひど
いヤケドをする男性も、いるとか。HPをクリックしただけで、何10万円も請求された
人もいる。そんな話も聞いている。

 つまりは、ウマイ話には乗らないこと。この世界、そんな甘くない。

 ところで最近、気になる話を聞いた。

 だれかのHPに不正アクセスをして、何でも、そのHPの内容を、勝手に改ざんしてし
まうという事件が、相ついでいるそうだ。そしてそのHPを開いた人に、ウィルスを勝手
に送り届けてしまうという。

 ウィルスの中身は、さまざま。

 IDや、パスワードを複雑にして、かつ随時、それらを変更するという方法しか、今の
ところ、防御方法は、ないそうだ。あるいは、こまめに、HPを更新していく……。私は、
1〜2週間に1度は、HPのファイル全体を、ウィルス・チェックしている。が、それで
も安心できない。

 みなさんも、どうか、お気をつけください。


●車の左折と右折

 車を運転する。そのとき、T字路か、四つ角に、さしかかる。

 そのとき車が、どちらかの方向に曲がろうとする。そのときのこと。ほとんどの人は、「左
折も右折も同じ」と考える。しかし、それは、まちがい!

 車の左折と、車の右折とでは、感覚は、大きくズれる。

 たとえばあなたが今、車を運転席で車を運転していたとしよう。そしてT字路にさしか
かったとする。

 そのときあなたの運転席から見たとき、右側からくる車は、相対的に、近くに見える。
一方、左側からくる車は、相対的に、遠くに見える。だから同じ距離でも、右側からくる
車があると、あなたは、その車が行き去るのを待つ。

 一方、左側からくる車は、相対的に遠くに見えるから、同じ距離でも、「まだ行ける」と
思って、その前へ割りこんでいく。つまり、ここで事故が発生する。

 ……と書いて、告白。

 私のワイフは、過去、一度も事故を起こしていない。今度から免許証も、ゴールドにな
った。しかし私が知るかぎり、右折が、甘い。甘いと言うより、同乗者として、何度も、
肝を冷やしている。

 ワイフの運転は、こうである。

 たとえばT字路にさしかかって、右折しようとする。そのとき、左側の方向から車が近
づいてきたとする。が、ワイフのすわる運転席からは、その車が、相対的に、遠くに見え
る。

 そこでワイフは、車を止めて待つのではなく、思い切りアクセルを踏んで、その前に出
ようとする。そしてときどき後続のその車の運転手に、叱られる。怒鳴られたり、クラク
ションを鳴らされたりする。

 が、何度、注意しても、ワイフには、それがわからない。

 そこで今日、道路に車を止めて、実験をしてみた。

 T字路の路地のほうに、車を止めた。(●)の位置が、ワイフの車の位置。

―――――――――――――――――――――
△A→
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
                    ←△B
―――――――――    ――――――――― 
         │ ● │
         │   │   ●……ワイフの車

 △Aと、△Bのところに、ティッシュペーパーを置いた。距離は、ワイフの車(●)か
ら、等距離(歩数で、ちょうど20歩)のところ。

私「今、左から、車が来るだろ」
ワ「来るわ」
私「いいか、△Aのところまできたら、そのときのことをよく覚えておくんだ」
ワ「わかった」

 車の運転席にいると、左から来る車は、同じ距離でも、より遠くに見える。

私「今度は、右から、車が来るだろ」
ワ「来るわ」
私「いいか。△Bのところまできたら、そのときのことをよく覚えておくんだ」
ワ「わかった」

 車の運転席にいると、右から来る車は、同じ距離でも、より近くに見える。

私「どうだ?」
ワ「不思議ね。同じ距離なのに、△Aのほうが、はるかに遠くに見えるわ」
私「そうだろ。それがお前の感覚のズレているところだ。わかった?」
ワ「わかった……」と。

 本当に理解してくれたかどうかは知らない。しかし、ワイフは、ときどき、私の言葉で
言うなら、「メチャメチャな右折をする」。助手席にいる私は、相手が怒って、怒鳴ってい
る顔を見ることになる。が、ワイフは、右のほうを見ながら、右折するから、それが見え
ない。

 だからそのあとも、平然としている。

 しかし、こういうことを、一度、もう少し、科学的に証明できる人がいたら、きちんと
証明してほしい。私の実感でも、右折車の事故は、そうでない事故よりも、はるかに件数
が多いのではないかと思う。そしてその理由は、ここに書いたような感覚のズレによるも
のではないか思う。

 この原稿は、ワイフの安全を願って、書いた。(A子、ちゃんと、読めよ!)
(はやし浩司 車の右折 右折事故)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   04年 6月 24日(No.587)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●栃木県のHさん(母親)より、二男の食事について、
こんな相談がありました。

【Hより、はやし浩司へ】
 
 二男(小6)が、家で食事をするとき、ノドをつまらせて、苦しそうに
します。病院でみてもらっても、まったく異常はみつかりません。
 
 しかし食事になると、のどに食べたものをつまらせてしまうのです。
ノドがふくれあがることもあります。
 
 が、学校の給食は食べられます。原因は、1週間ほど前に見た
テレビのようです。ノドをつまらせて苦しそうにしていました。その番組を
見て以来、そうなりました。
 
 6年生でも、そうなるのでしょうか。今は、2人で、抱きあいながら、
ふざけて遊んだりしています。

【はやし浩司よりH様へ】
 
拝復
 
私には、診断権がないので、あくまでもアドバイスとして、お考えください。
 
お子さんの強迫観念については、このままの症状が長くつづくよう
であれば、一度、心療内科のドクターに相談なさるとよいかと思います。
 
症状としては一部だけですので、簡単な薬で、症状(こだわり、不安感)は
消失するはずです。あまりおおげさに考えないで、任すことろは
任したらいかがでしょうか。今では、よい薬もあり、効き目もおだやかで、
副作用もほとんど、ありません。
 
またまだ症状が出て一週間ということですから、一過性のものかも
しれません。
 
私の近くの湖で、死体があがったとき、近くの小学校の子どもたちにも
似たような症状が出たという話を聞いています。子どもの心は、ときとして
過剰なまでに、敏感に反応するものですね。
 
ここから先が、今度は、家庭教育の部分です。
 
不安神経症的な症状がつづくようであれば、乳幼児期の母子関係の
不全を疑います。しかし今さら、それを問題にしてもいけません。
 
そこで今は、濃厚なスキンシップ(子どもが求めてきたときが与え時と
考えて、子どもが体をすりよせてきたときなど、すかさず、濃厚なスキン
シップを与えてあげます。ぐいと力いっぱい、抱くだけでも結構です。
 
あとは手つなぎ、いっしょの入浴、添い寝など。子どもの心に安心感を
与えるのがコツです。メールによれば、現在、それをなさっておられる
ということですので、そのままでよいと思います。
 
「おかしいから、なおそう」という発想ではなく、「今の状態を今以上に
悪くしないことだけ」を考えて、少しでもよくなったら、すかさずほめるよう
にします。
 
子ども自身に、罪の意識をもたせないようにするのがコツです。
「食べたくなければ、いいわよ」とか、「ゆっくり食べようね」とか、
そういう言い方にして、あとは、子どもに任せます。
 
私の経験では、この問題には、まだ二番底、三番底がありますから、
気をつけてください。何かの神経症(心身症)の初期症状ということも
ありまえます。
 
せっかちになおそうとすると、かえって症状を悪化させてしまいます。
 
また薬物だけに頼るのも、賢明ではありません。心の問題として考えます。
で、今、一番、重要なのは、お母さん自身の対処のしかたです。
 
お母さん自身が、過剰に心配するため、それを子どもが直接肌で
感じてしまっているようにも思われます。
 
気負い先行、心配先行型の子育てから、肩の力を抜いてください。
お子さんは、すでに、親離れする時期の終わりごろにきています。その自立心を
うまくつかって、なおします。
 
これからも、折につけ、マガジンのほうでこの問題をとりあげていきます。
無料ですから、ぜひまた読んでみてください。
 
では、本日は、これで失礼します。
(はやし浩司 子供 食事 食事障害 食事の問題 喉 喉につまる)
 
**************************
 
【掲示板の投稿より】

息子が、小学校に入学してからそろそろ2ヶ月になりますが、ひとりで(友達がいても)、
私が玄関まで送っていかないと、学校へ行けません。

玄関で私の手を握ってなかなか離れないこともあります。しばらくは仕方ない事と思って
続けてきましたが、まわりの子供たち(同級生)が、羨(うらや)ましがっています。

今朝、玄関で同じクラスの子が、「ウチのお母さんは来ないもん」と言って、玄関の戸を
押さえ、私を外へ出さないようにしていました。

もう一人の子がそれをやめさせようとして、その子とケンカになりそうになったんです。

長女は「ママ早く来て」と泣きそうな顔で見ていました。このまま私が付いていけば、友
達とも仲良くできなくなるのでは?と。でも一緒に行かなければ学校へは行けないし、ど
うすればいいのか困っています(Yより)。 

+++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司より】

 軽い母子分離不安かと思われます。無理をしてもいけないので、自然体で、対処するし
かないようです。

 ただ相談の内容とは別に、私には、ほほえましい光景が浮かんできます。「うちの息子た
ちもそうだったなあ」と、です。

 「ああいう楽しいときは、どこへ消えてしまったのだろう?」と思うときさえあります。
そのときは、何かと問題があるように思われ、あれこれ四苦八苦したものですが、子育て
も終わってみると、そういう光景が、たまらなく、いとおしく思われてきます。

 母親として、負担が大きいようであれば、少しずつ手を抜いていくという方法もありま
すし、まあ、あまりおおげさに考えないほうが、よいのではないかと思います。

 子どもが学校へ入学すると、親も、何かにつけ神経質になります。今のあなたが、そう
かもしれませんが、少し、子どもから目をそらすということも考えてみてください。あま
り深く意味を考えないで、それが儀式になっているなら、そのままつづけても、さほど、
問題はありません。

 私も職場に行くときは、必ず、ワイフが玄関先まで出てきます。夫妻分離不安?……と
いうより習慣的な儀式になっています。今では、ほとんど意味はありません。たまにワイ
フが玄関先まで出てこないときもありますが、そういうときは、多少、気分が落ちつかな
いということはあります。

 しかし外へ出て数分もしれば、忘れます。

 今は、そういう楽しい思い出をたくさん充電しておいてください。ついでに写真でもと
ってあげたらいいですよ。やがて、生意気な子どもになりますから、そのとき、「あなたね、
偉そうなことを言うけど、1年生のとき、ママのそばから離れなかったのよ」とか何とか、
言って、そのとき、からかってあげなさい。

 私の書いた原稿を、1作、プレゼントします。

++++++++++++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男
が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教
えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体
力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子ど
もというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。

うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落
ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。

そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何
でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 

子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「い
いなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声を
かけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなく
なった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれ
が皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、
その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労し
ているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++++++

 あなたも、今をもっと、楽しんでください。子育ては、すばらしいですよ!!

 では!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●2人の人に、よい顔はできない

 こまかすぎる指導にも、おおざっぱな指導にも、それぞれ、問題点がある。そこで「中
庸(ちゅうよう)」ということになるが、これが、また、むずかしい。

 たとえば子どもの漢字学習。多くの学校では、毎日の書き取りが宿題になる。その宿題
について、先生が、毎日赤ペンで、なおしを入れる。それについても、「ていねいな、いい
指導だ」と思う親もいれば、「かえって、子どもがやる気をなくす」と、批評する親もいる。

 私も、よく失敗する。

 子どもが自分でしてきたワークブックを、私に見せてくれるときがある。そういうとき
私は、少しくらいミスがあっても、大きな丸を描いて、「よくやったね」と言って、ほめて
返す。

 それについても、「ちゃんと、正しい答を書いてください」「まちがった答に丸を描かな
いでください」と言われたりすることがある。私は、子どもの達成感を大切にしたいから、
大きな丸をつける。

 教育の世界では、2人の人を、同時に満足させることはできない。ほかにも、こうした
例は多い。

 最近、失敗した例としては、こういう事件がある。

 教室へ入るとき、私のところでは、一度、靴を脱いで、スリッパにかえることになって
いる。そのとき、靴をきちんとそろえないで、教室へ入ってくる子どもがいる。

 たいてい、数回、指導をすると、それにしたがってくれる。が、中には、何度、指導し
ても、言うことを聞いてくれない子どもがいる。私も、それほど、神経質に構えているわ
けではない。しかしときどき、私のほうが、ややふざけるような形で、子どもたちに、こ
う言うときがある。

 「きちんと並べてない靴は、外へ、放りだすぞ!」と。そして演技タップリに、かつ、
おもしろおかしく、きちんと並べてない靴を、玄関の外へ、ポンポンと投げる。それを見
て、自分の靴と知った子どもは、あわてて、拾いに行く。

 一度、この指導をすると、たいてい、つぎからは、靴をきちんと並べてくれる。いわば、
ショック指導!、ということになる。

 いや、「指導」というほど、大げさなものではないが、しかしそれでも、そういう指導を
不愉快に思う親がいる。数年前だが、「先生の指導は、感情的すぎます」と、怒ってきた母
親がいた。つまり、私は叱られた。

 だから、……ということもあって、私の教室では、100%、全参観授業をモットーに
している。幼児クラスでは、とくにそうである。その場の雰囲気を、親たちに理解しても
らう。そしてそのつど、簡単な説明をしながら、レッスンを進める。

 「少し、ちがうところがあるけど、あなたはがんばったから、丸にしておくよ」とか、
子どもには、そういう言う。そして母親のほうを見て、軽く合図する。親が、そこにいる
からこそできる、指導法である。

 大切なことは、その場の子どもの雰囲気を見て、判断するということ。あくまでも、子
ども次第。この世界、「どの子も、みな、同じ」というわけにはいかない。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●置き換え

 子どもがグズるとき、言葉の内容そのものに、まどわされてはいけない。子どもがグズ
るときは、その向こうに何があるか、それを知る。

 もう少し、わかりやすく説明しよう。

 日本にも昔から、『八つ当たり』という言葉がある。何かのことで、ムシャクシャすると、
別のことに怒りを向けて、そこで爆発させる。これを、「置き換え」という。

 子どもは、いつも、つまりほぼ日常的に、その「置き換え」をする。友だちに、何か不
愉快なことをされたりすると、家に帰ってから、母親にグズってみたりするなど。おとな
のばあいは、原因となる(怒り)を知っていて、置き換えをすることが多い。が、子ども
には、それがわからない。わからないまま、ああでもない、こうでもないと、グズる。

 こんなことがあった。

 ある女の子(年長児)は、毎週、水曜日の朝になると、機嫌が悪くなる。グズる。幼稚
園へ出かけるときから、「今日は、足が痛い」「今日は、気持ち悪い」と。そのつど、あれ
これと理由を並べる。

 最初、母親は、幼稚園に何か原因があると思った。しかし水曜日だからといって、とく
に変わったことをするわけではない。が、ある日、理由がわかった。

 幼稚園へ出かけるとき、母親が、「今日は、ピアノ教室があるからね。忘れないでね」と
言った。が、そのとたん、その女の子が、狂乱状態になってしまったという。そしてギャ
ーと泣き叫びながら、手当たり次第に、そこらにあるものを、母親に向って、投げつけた
という。

 その女の子は、心のどこかで、ピアノ教室を気にしていたということになる。「レッスン
がいやだ」という思いが、グズるという行為に置き換わっていた。

ほかにも、「A君がいじめる」「B先生が、ぼくをのけものにする」と、訴えるケースも
ある。で、調べてみると、「学校へ行きたくない」という思いが、別にあることがわかっ
た。つまり「学校へ行きたくない」という思いが、友だちや先生の悪口を言うという行
為に、置き換わったことになる。

 もっとも心理学の世界では、ふつう置き換わりというときは、「怒り」をいう。本来、A
さんに向けるべき怒りを、Bさんに向けるなど。よくあるケースは、会社でおもしろくな
いことがあった夫が、妻に対して、怒りをぶつけるなど。

 八つ当たりされる妻こそ、えらい、迷惑というものだが……。
(はやし浩司 置き換え 置き換わり 置換 グズる子供 ぐずる 子ども 子供 子ど
もの心理)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【子どもを、まっすぐ伸ばす】

●同一性の危機

万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめ
を、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしている
こと)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子
どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの
自我の同一性は、危機に立たされる。


●夢・希望・目的

夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のした
いこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感がある
とき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。
そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」
とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。


●子どもの忍耐力

同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)
を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。ある
いは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、
忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。
この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。


●同一性の崩壊

同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をし
たいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私
は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それ
は「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべ
きもの。当然、子どもは、目的を見失う。


●顔のない自分

同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大き
く分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻
撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。
ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースで
は、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。


●校内暴力

暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さ
と)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)
をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、恐
れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子ども
の心理的のメカニズムは、こうして説明される。


●子どもの自殺

おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあ
いは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)
を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットする
ことで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(し
ょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。


●自虐的攻撃性

攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に
向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝
から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでい
るのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかり
やすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。


●自我の同一性
 
(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子
どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分が
していること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が
一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちつい
ていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。


●心の抵抗力

「私は〜〜をしたい」「ぼくは〜〜する」と、目的と方向性をしっかりともっている子ども
は、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年
から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同
一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘い
があると、スーッとその世界に入ってしまう。


●夢や希望を育てる

たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、
それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみまし
ょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。
が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言
う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。


●子どもを伸ばす三種の神器

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。


●役割混乱

子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時
に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間
にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸
ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役
割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。


●思考プロセス(回路)

しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんば
っていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。
しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロ
セスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入
る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんば
り始める。


●進学校と受験勉強

たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的
になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのも
のが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考え
やすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好
きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢
をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。


●これからはプロの時代

これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでた
プロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君
は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生
きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだ
けは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸
ばす。


●大学生の問題

現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んで
いる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力
になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、
荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、
誘惑にも弱くなる。


●自我の同一性と役割形成

子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在しているこ
と)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまら
ない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子ども
が、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。
こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。

(はやし浩司 子どもを伸ばす 子供を伸ばす 自我の同一性 役割形成 思考プロセス 
子供の非行 子どもの非行 はやし浩司 子供を非行から守る 非行のメカニズム)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世界から、極東アジアを見る

 少し前、「世界の中心で……」とか何とかいう、小説があった。若い人の物語だから、し
かたないとしても、そのタイトルほど、自己中心的なものはない。

 その自己中心性を感じさせる(?)調査結果が、英国の国家ブランド調査機関(アンホ
ールドGMI)というところが、発表した。

 世界各国の消費者1万人を対象に、政治・輸出・投資・文化・国民・観光の6項目に分
けて調査が行われた。が、その結果だが、好感度(ブランドパワー)が、日本や韓国は、
最下位に近いところにランクされた。とくに、韓国は、11か国中9位と、最下位に近い。

 理由は、つまり世界の人にしてみれば、韓国もK国も、区別がつかないということ。日
本人が、北イエメンと、南イエメンの区別がつかないのと、同じ。「危険な(danger
ous)」、「邪悪だ(sinister)」という理由が並べられたと言う。

 韓国政府は、いつものように、猛反発しているが、韓国も、もう少し、広い視野から、
自分の国を見てみたらどうだろうか。「同胞」「同胞」と言って、K国にすりよるのも結構
なことだが、核兵器を一生懸命作っている国に、肥料を送ってみたり、ナベやフライパン
を作る工場団地を作ってやったり、あげくのはてには、ファッションショーを開いてやっ
たり、K国と合同で反日集会を開いてみたり……。

 問題の本筋が、ちがうのではないか。

 やっと6か国協議ができそうという雰囲気になった今、またまたK国は、開催地だとか、
議論の進め方で、あれこれと水面下では、ゴネているらしい。まあ、何でも、ゴネる国だ
から、はっきりいって、どうしようもない。手がつけられない。状況は、韓国も、似てい
る。だから、世界の人たちは、韓国も、K国も、区別ができない。

 日本が、ただの一度でも、ゴネたことがあるか?

 私が知るところ、今の韓国、K国ほど、自己中心的な国はない。自分たちが、世界の中
心にでもいるかのような錯覚にとらわれている。アメリカなどででは、日本がどこにある
かさえ知らない大学生が多い。が、韓国となると、もっと知らない。

 いちいち日本の政治家の言葉じりをつかまえて、いがみあっているときではない。今度、
アメリカは、「もっと、日本と対話をしなさい」と、中国と韓国に忠告したが、それが世界
の常識。

 ところで今度、韓国のN大統領は、日本の外務省のY外務事務次官に、「無礼だ!」と怒
ったという(ヤフー・ニューす・5月26日)。話の内容は、つまりは、常識的な意見だっ
た。「今のような政治をしていると、アメリカは、韓国との軍事情報の交換をためらいます
よ」というような内容だったらしい。

 それをN大統領は、「おどし」ととったか、「米韓関係を破壊する意図」と感じたかは知
らない。が、「無礼だ!」と。

 いまどき、使うような言葉ではない。

 「世界の中心」と思いたい気持ちはよくわかるが、EUやロシア、さらにアメリカにし
てみれば、極東の国々など、消えてなくなっても、どうということはない。一応の心配は
してみせてくれているが、その分、極東の国々は、EUやロシア、アメリカの心配をして
いるか?

 そういう現実がわかったら、もう少し、心を開いて、仲よくしようではないか。いつま
でも、戦前の日本にこだわり、そのイメージで、現在の日本人を見ることは、やめてほし
い。不愉快というより、バカげている。「世界の中心で……」という発想ではなく、「世界
に向って……」という発想で、もう少し、国際政治を考えようではないか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●「国のために、命を落とした……」 

 J民党のA氏が、今夜(5・29)、こう言った。「総理大臣は、Y神社を参拝すべきで
ある。今の総理大臣も、つぎの総理大臣も……」と。そしてそのとき、「国のために、命を
落とした人を慰霊するのは、世界の常識だ」と。

 A氏は、拉致問題について、さかんに「報復」という言葉を使っている。J民党の中で
も、タカ派。右翼。

 これに対して、K明党のX氏が、「首相のY神社参拝は、ヒットラーの墓参りと同じ」と
公言した。週刊誌などでも、問題になっている。何となく、私に持論が、パクられたよう
で、不愉快。ただし私はいつも、こう書いている。

 「首相が、Y神社を訪問するのは、首相の勝手と思うかもしれないが、それはドイツの
シュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなもの。少なくとも、中国や韓国の
人たちは、そう見ている。彼らの神経を逆なでするようなことをしながら、その批判に対
して、『内政干渉』はない」と。

 もう、5.6年前から、そう書いている。

 それにしても、A氏が、ここまでタカ派だったとは?

 A氏は、「お国のために、命を落とした」と言うが、本当にそうだろうか?

 「落とした」のではなく、命令に従って、いやいや戦争に行って、「命を落とされた」の
えはないdろうか。またそう言うほうが、正しいのではないだろうか。

 その証拠に、日本が敗戦したとき、進駐してきたアメリカ軍に対して、ほとんどだれも、
抵抗しなかった。むしろ、歓迎したような雰囲気すら、ある。もし、本当に、アメリカ軍
に敵意をもっていたのなら、そのあと、今のイラクのように、レジスタンス活動があった
はずである。ゲリラ活動でもよい。

 しかし実際には、原爆投下後、2週間足らずで広島に入ったアメリカの調査団ですら、
逗留(とうりゅう)先の旅館などでは、大接待を受けている。

 あなたなら、こういう日本人の意識を、どう説明するだろうか。理解できるだろうか。

 つまり、日本人は、だれかによいように操られて、戦争に行っただけ。実は、私の父だ
ってそうだ。徹底した天皇崇拝者だったが、思想らしきものは、まったく、なかった。た
だ、天皇を、神様のように崇拝していただけ。信仰と言えば、信仰。

 だから天皇が、「負けました」と宣言したとたん、戦意そのものを、喪失してしまった。

 ……こうした事実を総合すると、トップクラスの幹部は、「命を落とした」という言い方
をするかもしれないが、一般庶民の感覚とは、少しちがうように思う。当時の世相は、頭
の中で想像するしかないが、みながみな、何かの主義、主張があって、戦争に行ったわけ
ではない。命を落としたくて、落としたわけではない。

 行かされた。その結果として、「命を落とされた」。

 だいたいにおいて、当時、だれが、戦争に反対できたか? 「平和」という言葉を口に
しただけで、非国民あつかい。そのあと、逮捕、投獄された。天皇の批判など、夢のまた
夢。当時は、「不敬罪」という恐ろしい法律もあった。「天皇」と呼び捨てにしただけで、
やはり逮捕、投獄された。

 そういう点では、今のK国、そっくり! いや、あの国を外から見ていると、戦前の日
本がどんな国であったか、それがよくわかる。皮肉なことに、今のK国は、戦前の日本以
上に、日本的な国。そう言っても、過言ではない。

 だからあえて、私は、A氏に言いたい。

 勇ましい好戦論は、ときには、甘い響きをもって、私たちを惑わす。しかし、それはま
さに悪魔のささやき。戦争など、してはいけない。また、K国にしても、あんな国を、相
手にしてはいけない。一般労働者は、1か月分の給料で、トウモロコシがやっと5キロし
か買えないそうだ。米なら、3キロ(C日報、5・27)。

 「報復」を考えなくても、彼らは、すでにじゅうぶんすぎるほどの、ツケを払ってい
る。

 私たちがすべきことは、ただひたすら、「常識」に従って、生きていくこと。日本やその
周辺で起きていることを、冷静に、客観的に、世界へ伝えていくこと。これだけ情報通信
網が発達したのだから、それを使って、世界に、あるがままを発信していけばよい。

 あとの判断は、世界の人に任せればよい。「人間は、基本的には、善である」。善である
からこそ、今まで滅亡しないで、ここまで生き延びることができた。その「善」を信じて、
あとの判断は、世界の人に任せればよい。

 今こそみなさん、冷静になろう! 常識で、ものを考えよう! 絶対に、感情的になっ
てはいけない!

(追記)

 国の威信、誇りというのは、何も、国が作るものではない。私たち1人ひとりが、作る
もの。もし、国に、威信や、誇りがあるとするなら、正義を貫くところから、生まれる。
その正義もない国が、いくら、「日本の威信」「日本の誇り」を説いても、意味はない。

その日本にとって、正義とは、何か? 私は、自由、平等、平和だと思うが、それにつ
いては、もう、何度も書いてきた。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近況・あれこれ】

●畑をつくる

 今日、ワイフと長男と3人で、畑をつくった。庭につくった。10年ぶりの復活である。

 犬を飼うようになって、畑は全滅。花壇も全滅。そこで今日は、先に、柵をつくった。
2間4方の小さな畑だが、これから夏にかけて、野菜をつくるには、じゅうぶん。

 楽しかった。プラス、疲れた。

 そうそう畑を耕すとき、「♪与作は……」と、歌いながらした。どうでもよいことだが…
…。


●近く、友人夫妻がやってくる

 来週から、オーストラリア人の夫婦が、2組、4人、1か月近く、我が家に泊まること
になった。x日に、京都まで、迎えに行ってくる。

 忙しくなりそうだが、楽しみ。今、ワイフと、あれこれ計画を練っているところ。

 袋井市にある、K寺。市内にある、オーストラリア料理レストラン。F・パーク。ほか
に、EXPO・05などなど。コンサートの予約も、2つ取った。みんな、音楽が大好き
人間。

 今日、1組の夫婦のために、甚平と、作務衣を買ってきた。一着、980円。麻製だっ
たが、980円! 毎年、衣服が、どんどんと安くなっていくように思う。(昔は、「麻」
というだけで、1万円以上は、した!)


●私の株が、暴落!

 先週1週間で、私がもっている株が、xxx円の暴落。大暴落。株価を見るのも、いや
になった。

 三男は、「新しいパソコンがほしい」と言う。私は、「もう少し、待て」という。私は昔
から、パソコン関連機器は、株でもうけたお金で買うことにしている。

 で、こういうときは、じっとがまん。株というのは、そういうもの。ジタバタしたとき、
大損する。


●ゴキブリ

 今年は、例年より、ゴキブリが多いように思う。まだ1センチ前後の大きさだが、毎日、
数匹は殺している。

 ワイフが言うには、「近くのどこかに、巣があるからよ」と言うが、本当のところはわか
らない。まさか異常気象の影響……?

 いやだね。あのゴキブリだけは、好きになれない。遠い昔、人間とゴキブリの間には、
何か、あったのかもしれない。色、ツヤ、顔つき、すべて、いや。


●苗

 畑をつくったら、今度は、苗。これからワイフと、それを買いにいくつもり。「ナスなら、
秋まで収穫できるから」と、ワイフは言った。しかし6月に入ってから、苗を植えるとは
……? 今ごろ、売っているような店があるかな?

 まあ、あちこちの店を回ってみるつもり。なければ、花の苗にするつもり。花なら、今、
あちこちの花屋で売っている。


●1本、200円

 近くのビデオショップに行くと、1本200円の、古いビデオを売っている。このとこ
ろ、毎週のうように、5本ずつまとめて買っている。

 「2泊3日……」とか何とか言われて借りてくるビデオだと、何となく、追いたてられ
ているようで、落ちつかない。しかし買ってきたビデオなら、いつでも、見られる。今日、
半分、見て、明日、残りを見る、ということもできる。

 昨夜も、あるビデオの、残り半分を見た。結構、楽しかった。ただしタイトルは忘れた。
俳優も、よく知った顔の人だったが、5〜6歳は、若がえったよう(?)。

 ところで最近は、ビデオがどんどんと店頭から消え、DVD版になりつつある。これも
時代の流れか? やがてテープ版のビデオは、姿を消すことになるのだろう。使い勝手も
DVDのほうが、はるかによい。

 それにビデオは、すぐカビが生える。これはビデオがもつ、致命的な欠陥と言ってもよ
い。私も、息子たちが子どものころ、ビデオカメラでたくさんの映像をとった。が、すべ
て、カビが生えてしまった。もったいないという思いより、怒りのようなものすら、覚え
る。


●隕石の落下

 私は見なかった。しかしワイフと長男は、見た。巨大な隕石の落下だった、……らしい。
「青白い、花火のような光が、南の方角へ、スーッと流れて、飛んでいった」という。

 仕事から帰ると、ワイフは、興奮気味に、かつ、うれしそうに、それを話してくれた。「き
れいだったわよ」と。

 翌朝のC新聞を見ると、それについての記事が出ていた。さらにその翌日(つまり昨日)
の新聞には、どこかの天文台が、その写真をとっていたという記事が出ていた。写真も載
っていた。

 しかしそんな大きな隕石だったら、何かの衝撃があったはず? それとも、地上へ着く
前に、燃えつきてしまったのだろうか。

 私たちがふつう夜空で見る、あの流れ星は、大きさが、1円玉くらいだそうだ。(意外と、
小さい!)昔、何かの本でそう、読んだことがある。それが超高速で、地球の大気圏内へ
突入するため、あのように、きれいな光線を描くのだそうだ。

 だからワイフたちが見た隕石も、地球に衝撃を与えるほどのものではなかったのかもし
れない。せいぜい、野球ボールくらいの大きさ(?)。それが、太平洋の海の中に落ちた。

 しかし、私も、見たかった。ひょっとしたら、エイリアンの宇宙船だったかもしれない。

 実は……。その隕石には、悪性のウィルスが忍びこんでいた。それが海の中で、猛烈な
勢いで、増殖しつつある。数か月もすると、そのウィルスは、全世界に広がり、地球上の
生物が、バタバタと倒れて死んでいく……。 

 SF映画の見すぎかな?

しかし、同じウィルスでも、良性のウィルスもあるそうだ。そのウィルスに感染すると、
人間の知能が飛躍的に進化することもあるそうだ。太古の昔、人間が、直立歩行するよ
うになったのも、そうしたウィルスの作用だったという説も、ある。

 悪いことばかりではないらしい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 22日(No.586)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掲示板投稿より

こんな書き込みがありました。少し考えてみます。

+++++++++++++++++++++++++++++

小学1年生の長女のクラスでは、毎日ひらがなの練習の宿題があります。プリント1枚な
ので、宿題の量はたいしたものではないと思うのですが、長女が自信を持って書いた字で
も、赤ペンで修正され、書き直すように言われているようです。

はじめははりきって宿題をしていたのですが、最近では「直されるから・・・」と言って、
なかなか宿題をはじめようとしません。今はまだ、書くことが楽しめればいいのでは?と
私は思うのですが・・・。先生に伝えた方がいいのか、伝えずに従っていた方がいいのか
迷っています。

+++++++++++++++++++++++++++++

【Yさんへ……】

 これから先、こうしたドラマは、無数に、それこそ怒涛(どとう)のように襲ってきま
すよ。まだまだ序の口!

 先生の指導は、先生に任せて、その範囲で、つまりあなたは親としてではなく、友とし
て、子どものそばに立って、子どもの問題を考えればよいと思います。

 どうでしょう、こういう言い方をしてみたら……。

「先生は、あなたにじょうずな字を書いてほしいと思って、なおしてくれるのよ。だから、
お母さんも、いっしょに教えてあげるから、先生がびっくりするような字をかいてみよう
ね」と。

 この段階で、「文字はよめればいい」と子どもに教えるのは、タブーです。(親が、そう
思うのは、親の勝手ですが、子どもの前で、先生の批判は、タブーです、とくに指導法に
ついての批判は、タブーです。子どもが先生の指示に従わなくなります。と、同時に、親
と教師の信頼関係が破壊されます。あなたが子どもに言ったことは、100%、ほぼまち
がいなく、先生に伝わります。そうなったき、先生は、あなたとの信頼関係を、切ってし
まいます。

教育には、信頼関係が必要です。教師と父母の信頼関係です。それがないと、教育その
ものが、なりたたなくなります。

 また、そういう先生の指導でよいと考えている親も、多いかもしれません。「こまかい指
導をしてくれる先生ほど、ていねいで、熱心な先生」と、です。が、一方で、あなたのお
子さんのように、どこかでキズついてしまう子どももいるかもしれません。

 大切なことは、そうした指導に対して、アクティブに、つまり攻撃的に、先生に意見を
伝えることではなく、これから先、そういうトラブルが起きたら、そのつど、どのように
して解決するか、そのプロセスを、こちら側で、つくっておくということです。プロセス
というのは、子ども自身が、どのように、心の中で処理していくかという、その解決法の
手順です。

 でないと、あなた自身も、そのつど、いろいろな問題に振りまわさることになってしま
います。またこの程度のことで、(失礼!)、子どもがキズつくことを恐れてはいけません。
これから先、冒頭にも書いたように、こうした問題は、つぎからつぎへと起きてきます。
そして、ここが重要ですが、そのつど、子どもは、たくましくなっていきます。
  
 私が勧める方法は、まず、あなたの仲のよい友だちに相談してみることです。同じクラ
スの母親なら、なおよいでしょう。(ただし、おだやかに!)

 「あなたのところは、どう?」「うちの子、このところ、漢字を書くのをいやがるので、
困っています。何か、いい方法ない?」と。たいていこの段階で、「うちも、そうなの」と
いうアドバイスをもらって解決します。

 (ついでながら、書き取りの作業は、もともとめんどうなもの。いやがって当然、です。
ふつうの子どもなら、いやがりますよ。あなたなら、やりますか?)

 つぎに大切なことは、たしかにやる気をなくしているかもしれませんが、であるならな
おさら、あなたは子どもの横にいて、先生からほめられるような字を教えてあげればよい
と思います。子どもを励まし、子どもと山をいっしょに乗り越えるのは、あなたです。何
か問題が起きたら、排除しようと考えるのではなく、乗り越えるのです。(……というほど、
大げさな問題ではありませんが……。)

 子どもが先生の批判をしたり、悪口を言ったときも、一応、子どもの前では、それをた
しなめます。繰りかえしますが、教育には、信頼関係が必要です。それがあれば、教育は
可能ですが、それがないと、教育は、崩壊します。

 どうか、お気をつけください。
(はやし浩司 書き取りをいやがる 嫌がる子ども 勉強 勉強を嫌がる子ども 子供 
子供の勉強 学習指導 はやし浩司)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●人格の崩壊

 人格は、一度、崩壊すると、そのあと、再生するということは、ありえない。それは健
康に似ている。

 一度、腎不全や、心筋梗塞、肝硬変になると、そのあと、自然治癒(ちゆ)するという
ことは、ありえない。手術でもすれば、話は別だが、脳ミソは、手術するわけには、いか
ない。

 私は、このことを、一匹の犬を飼っていて、知った。

 去年、その犬は、死んだが、死ぬまで、私たち家族に心を開くことはなかった。かわい
そうな生い立ちの犬だった。保健所で、処分される寸前の犬を、もらってきた。育てた。
つまりその時点で、育児拒否、冷淡、無視、家庭崩壊など、その犬は、ありとあらゆる不
幸を経験している。

 その犬の、ズルさというか、忠誠心のなさには、本当に手を焼いた。人間でいえば、大
ウソつき。誠実さの一カケラもない。そんな犬だった。

 が、人間の前では、おとなしそうな顔をして、しおらしくしている。だれにでも、シッ
ポをふる。コビを売る。もちろん番犬にはならない。ほんの少しでもスキがあれば、すぐ
外へ逃げ出してしまう。

 追いかけて、外に出ると、私の顔を見て、また逃げ出す。一度は、500メートルほど
離れた家に保護された。連絡を受けて迎えにいくと、喜ぶどころか、私を避けるしまつ。
飼い主である自分が、ほとほと、なさけなくなった。

 15年近く飼っていたが、そんなわけで、私との心の交流は、ゼロ。一方的に、私たち
人間のほうが、その犬の世話をするだけという関係になってしまった。

 つまり、その犬の人格は、(「犬格」と書くべきか?)、すでにその犬が、乳児期に崩壊し
ていたことになる。「核」となる、柱そのものがない。不幸な犬だったが、その不幸さに気
づくこともないまま、死んでしまった。

 で、実は、こうした人格の崩壊というのは、人間についても、経験する。

 平気でウソをつく。ウソをついたという意識すらない。その場をごまかす。とぼける。
自分勝手でわがまま。人をだますのは、平気。日常茶飯事。まさに、ウソのかたまり。だ
れかが同情してくれると、そのときは、しおらしい顔をして、「ありがとう」とは言う。が、
心の中では、シメシメと笑う。喜ぶ。

 このタイプの人がかわいそうだなと思うのは、自分がそうであるからといって、他人も、
そうであると思うところにある。万事について、猜疑心(さいぎしん)がつよく、嫉妬深
い。

 他人に親切にして見せたり、やさしくして見せたりするのは、自分をそれだけよい人間
に見せるため。つまりは演技。心理学的には、自己愛者。愛他的自己愛者。

 私もこのタイプの人と、何人か、つきあったことがある。中には、半世紀近く、つきあ
った人もいる。が、結論から先にいうと、「変わらない」。

 本人が、よほど自分に自覚して、そういう自分を正そうとしないかぎり、「変わらない」。
ふつうは、そういう自覚もないから、「変わらない」。仮に自覚したとしても、その先は、
イバラの道。

 実のところ、私自身が、その犬のようであった。(……と思う。)それについては、もう
何度も書いてきたので、ここではその先を書く。

 そういう自分に気づいたとき、私は、最初、父や母をうらんだ。生まれ育った、環境を
うらんだ。しかしそれも一巡すると、結局は、それは、私自身の問題であることに気づい
た。

 幸いにも、私のワイフは、石頭と言うにふさわしいほど、誠実な女性である。人を疑う
こともを知らない。嫉妬心など、みじんもない。

 そういうワイフを見て、私は、「こいつは、アホだ」と思ったことも、何度かある。こん
なことがあった。

 結婚したころのこと。1万円をもって、銀行へ預けに行った。今とちがって、当時は、
窓口の行員が、何かの機械を使って、数字を通帳に打ちこんでいた。見ると、1万円が、
10万円になっていた。行員のミスである。

 瞬間、私は、「シメタ!」と思った、が、つぎの瞬間、ワイフは、パッと振りかえって、
「あのう、まちがっています……」と。

 そのあと、私とワイフは、けんかになった。「ああいうときは、だまっていろ」「どうし
て」と。私は、そういう人間だった。ワイフは、そういう人間だった。

 つまり私は、いつもワイフと自分を対比することで、自分を知ることができた。そして
それまでの自分が、本来の自分でないことに、気がつき始めた。が、すぐに、私から、小
ズルさが消えたわけではない。今から思うと、10年単位の努力と時間が、必要だった。

 で、今回、やや頭のボケた兄を観察してみて、気づいたことがある。

 その兄が、去年死んだ、あの犬、そっくりなのである。約束などというものは、まった
く意味がない。しても、5分ももたない。1分ももたない。まだらボケというか、部分的
には、頭のよいところがあって、つぎつぎと私たち夫婦を、ごまかす。だます。それを追
及すると、今度は、とぼける。泣きべそをかく。言い訳をして、ウソをつく。「ぼくは、タ
ワケ(=バカ)だから……」と、自分から言うときもある。

 たとえばワイフが、買い物に行くとき、留守番を頼んだりする。すると、調子よく、「O
K!」などと言ったりする。そこで念のため、ワイフは、台所へ入るドアにかぎをかける。
「台所へは、入らないでね」と念を押すと、また「OK!」と。

 しかしワイフが帰ってきてみると、台所が荒されている。ワインの入ったビンも、何本
か、なくなっている。

 兄は、窓から窓へと、侵入したらしい。そこで「ワインは、どこにあるか知らないか?」
と聞くと、「覚えていない」「知らない」「だれか、来た」と、おかしなことを言い出す。そ
こでしかたないので、兄の部屋の中をさがそうとすると、いっしょにさがすフリをしたか
と思うと、突然、台の上の、ステレオセットを、手ではたいて、下へ落としてしまう。

 「手が、すべった!」と。

 つまし兄は、そういう形で、ワインから、私たちの関心をはぐらかそうとした。しかし
数千円のワインで、数万円のステレオセットが、こわされたのではたまらない。以後、同
じようなことがあっても、私たちは、無視することにした。

私「クッキー(死んだ犬の名)と同じだね」
ワ「そうね。そう思えばいいのよ」と。

 人格が崩壊すると、人間は、人間でなくなってしまう。動物以下というか、動物でもし
ないようなことまでするようになる。

 さらに一言。

 一度、そういう関係になると、保護、依存の関係が、固定化してしまう。私たちは、徹
底的に、兄を保護しなければならない。一方、兄は、徹底的に、私たちに依存するように
なる。また依存して、当たり前というふうに考える。

 死んだ犬もそうだった。エサの時間になると、ガラス戸の向こうで、ジーッと待ってい
る。いつまでも待っている。「ほしい」とも言わない。

 で、エサを出してやると、ときどき、もう一匹の犬に、横取りされてしまう。すると、
大げさに、キャーンキャーンと泣く。その声が、私たちに「何とかしてくれ」「何とかして
くれ」と言っているように、聞こえる。……聞こえた。

 人格の「格」は、「核」にも通ずる。その「核」をつくるのは、幼児期まで。一度、その
時期までに「核づくり」に失敗すると、そのあと、人格の形成そのものができなくなる。
子育てをするときは、じゅうぶん、注意されたい。
(はやし浩司 人格 人格論 子供の人格 子どもの人格 人格の崩壊 崩壊)

 
+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

●コミュニケーション・ネットワーク

 一定のワクの中に、何人かの子どもを入れて、しばらく放置してみる。するとやがて、
子どもどうしが、それぞれのつながりをつくって、結びついていくのがわかる。

 心理学の世界では、「コミュニケーション・ネットワーク」と呼ばれている。人と人のつ
ながりを、(チャンネル)とか(リンク)いう(リービット)。

 で、その結びつき方は、さまざま。いろいろなタイプがある。

(1)中心に、リーダーができるタイプ(リーダーを中心に、星型に結びつく)
(2)リーダーができなく、全体としてまとまるタイプ
(3)一対一の人間関係で、結びつくタイプ
(4)数珠(じゅず)のように、一連性をもって、結びつくタイプ
(5)バラバラになって、人間関係ができないタイプ

 それぞれの結びつき方に、一長一短がある。しかし教育の場で、望ましい結びつき方と
いえば、それぞれが、全員、たがいに結びつき、かつ、リーダーがいて、全体として、星
型になるタイプである。

 しかし、そういう結びつき方を、指導するのは、簡単なことではない。

 で、この話とは直接関係ないが、このコミュニケーション・ネットワークについて、こ
んなエピソードがある。

 ある小学校の1年生を担任していた先生(女性)が、このコミュニケーション・ネット
ワークに興味をもった。

 で、2学期が始まった直後、クラスの子どもたちにこう言った。

「今日は、席がえをします。好きな子どうし、グループをつくって、自分たちで席を決
めてください。3人で、机をくっつけたい人は、3人でくっつけてもいいです。5人で
くっつけたい人は、5人でくっつけてもいいです。机を置く場所も、自分たちで、決め
てください」と。

 その先生は、子どもたちの様子をみて、クラスにどのような、コミュニケーション・ネ
ットワークができているかを調べたかった。

 で、そのクラスのばあい、いくつかのグループができた。2人だけの組もできたら、ど
のグル−プにも入れない子どももいた。その先生は、その子どもを、一番大きなグループ
の中に入れた。

 が、翌日、ものすごい形相でそれに抗議してきた、母親がいた。どのグループにも、入
れなかった子どもの母親だった。その母親、いわく、

「好きな子どうしで、席を決めていいとは、どういうことだ!」「うちの子のように、友
だちがいない子に対する、配慮が足りない!」「差別だ!」「うちの子は、仲間はずれに
されたという。謝れ!」と。

 その母親には、その先生の、アカデミックな研究意識が理解できなかったようである。
誤解といえば誤解ということになる。その先生は、そういう指導をした意図と目的を説明
しようとしたが、とても理解してもらえるような雰囲気ではなかったという。

 その先生は、配慮が足りなかったことを、ていねいにわびたという。

 で、こうした人間関係は、そのまま国と国の関係についても、応用できる。

 日本、韓国、K国、中国、アメリカ、ロシア、台湾……。

 今、これらの国は、今、どのようなチャンネルを構成しているだろうか。

(ア)−(日)、(韓)−(K)、(韓)―(中)、(ア)−(ロ)、(ロ)−(K)……。

 短いチャンネルはできているが、それぞれが、バラバラ。その中でも、一番、孤立して
いるのが、悲しいかな、日本。

 「日米関係は強固だ」と言う人もいるが、本当のところは、どうか? 日本がほかの国
すべてから孤立しているため、アメリカにすがらざるをえないというのが、本当の姿かも
しれない。

 しかしこういうコミュニケーション・チャンネルは、たいへん、まずい。たとえば日本
と、どこかの国が戦争状態に入ったとたん、残りの国々が、いっせいに、団結する可能性
がある。そうなれば、いくらアメリカがバックにいるといっても、日本には、勝ち目はな
い。

 日本、あやうし!

 ……というところで、J民党のT幹事長。あなたが、これほどまでに、ノーブレインだ
とは、思わなかった。国際感覚ゼロ。国際常識ゼロ。ホント! 古典的な大臣意識? ふ
んぞりかえって歩いている姿を見るたびに、「ああ、これが私たちのリーダーか」と、悲し
くさえなる。同じ日本人として、なさけない。

 以上、話がバラバラになってしまった。ごめん!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●子どもの問題について

 自閉症についての補足。

 自閉症と、「症」という文字をつけて、私たちは、自閉症について論ずる。しかしここで
注意しなければならないのは、その診断権をもつのは、医師のみであって、またそれ以外
のだれでもない。

 当然のことである。

 教育の世界では、かりに、その子どもが、自閉症児とわかっていても、その言葉を、口
にするのは、許されない。またしてはならない。知っていても、知らぬフリをして、対処
する。これは教育の、大原則である。

 しかしこうしてHPなどで、自閉症や自閉症児について書いていると、中には、あたか
も、自分の子どもに向かって直接言われたように感ずる親がいる。そして抗議してくる。

 親自身が、たいへん神経質になっている。

 しかし私はいまだかって、一度たりとも、その親に向かって、「あなたの子どもは、〜〜
症児の心配があります」などと、言ったことはない。親のほうから質問があり、「うちの子
は、自閉症ですが……」と言われたとき、はじめて、その言葉を口にする。

 これまた当然のことである。

 だから、これは何も、自閉症児にかぎらないことだが、私が書いたことが、自分にあて
はまるからといって、あるいは自分の子どもにあてはまるからといって、抗議をされても、
たいへん困る。見知らぬ人であれば、なおさらである。

 反対に言うと、問題のない子どもなど、この世にいない。だれしも、多かれ少なかれ、
何らかの問題をもっている。あえて言うなら、自閉症にしても、それらの問題のひとつに
すぎない。だからあえて、そのテーマだけで、教育論を組み立てるということは、本来、
ありえない。

 ともあれ、こうした診断名を使うときには、慎重でなければならない。読む人によって
は、たいへんなショックを受ける。

 なお、その自閉症について、補足的意見を、追加する。

++++++++++++++++++

以前は、「気分の移り変わりがはげしいく、通常の社会生活に支障をきたす状態」を、「情
緒障害」といった。現在では、「情緒」にかわって、「情動」という言葉を使う(岩波書
店、「広辞苑」)。

 一般的には、(私の個人的な見解ではなく)、脳の機能による障害を、「機能障害」、また
器質的な問題による障害を、「器質(機質)障害」と呼んでいる。

 このうち、自閉症は、脳の機能による障害ということで、「原因としては、脳機能障害が
強いと見られている」(「臨床心理学」松原達哉ほか)と位置づけられている。

DSM−IV、ICD−10(国際疾病分類第10版)の診断基準によっても、自閉症
は、「広汎性発達障害(特定の能力だけではなく、対人的相互作用、言語、情動行動とい
った領域に発達上の障害が見られる)」と、正式に位置づけられている。

 しかし教育の分野では、親への言葉の衝撃をやわらげるため、「情緒」という言葉を使う
ことが多い。かえってこうした言葉のほうが、誤解を招くかもしれない。

 またそういった障害をもった子どもを、「〜〜児」と呼んでいるのは、一般的なことであ
って、たとえば、「ADHD児」「かん黙児」と呼んでいる。決して、差別してそう呼んで
いるのではない。(私の造語では、ない。誤解のないように!)

 ご指摘の「器質障害」というのは、ここにも書いたように、脳の構造(機能ではなく、
構造)そのものに、何らかの問題があることをいう。したがって、これは精神医学の分野
のテーマであって、教育のテーマではないということになる。
(はやし浩司 自閉症 広汎性発達障害 DSM ICD)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【カプセルホテル・宿泊記】

●新大阪駅

 新大阪駅に着いたのが、午後9時少し過ぎ。階段を降りて、ビジネスホテルをさがす。
どこか、ガランとした様子。元気がない。何十台ものタクシーが、屋根の上のライトをつ
けて、とまっている。

 それらしいネオンサインをさがすが、どれも、遠い。○○ホテル、△△ビジネスホテル
……。夜の都会は、わびしい。新幹線の中で眠っていたせいか、足もとが、ふらつく。

 が、ふと振りかえると、うしろに、「カプセルホテル、男性専用」という文字が、目に飛
びこんできた。「カプセルホテル?」と思いながら、足をそちらに向ける。「一度は、泊ま
ってみるか……」と。

 が、しかし、それがまちがいの始まりだった。

●カプセルホテル

 玄関を入ると、カウンターの向こうに、2人の男が立っていた。一人はこわそうな顔を
していた。その男が、不自然な笑みをつくって、「いらっしゃいませ」と。とたん、足が、
自然とそちらのほうに向かって、動き出してしまった。

私はもともと優柔不断な男。おまけに気が小さい。そう言われると、あともどりするこ
とはがきない。さも、泊まりなれた客のような顔をして、「あいてますか?」と聞くと、
「あいてます」と。

 差し出されるままチェックインの用紙に、住所と名前を書きこむ。料金は、3xxx円。
安いが、どうも印象がよくない。

私「カプセルの中では、パソコンを使えますか?」
男「使えません」
私「荷物は?」
男「そこにロッカーがあります」
私「貴重品は……?」
男「ロッカーがあります」と。

 通路を見ると、何人かの男たちが、水色のガウンを着て、うろうろと歩いていた。どこ
か雰囲気が暗〜い。

 部屋(?)は、2階にあった。腕に巻いた番号を見ながら、そこへ行く。が、うわさど
おり、カプセルというのは、カプセル。小さな直方体形のボックス。それが上段と下段で、
よく映画に出てくる、死体置き場のような配列になっている。下の段は床の高さのまま。

 その死体置き場よりは、一回り広いといった感じ。映画などによく出てくる、あれであ
る。雰囲気が、よく似ている。構造としては、ただ寝るだけの場所。私は、カバンをかか
えて、とりあえず、中に入ってみた。

●閉所恐怖症

 閉所恐怖症というのが、ある。私が、そう。閉じ困った場所に入ると、言いようのない
恐怖感に襲われる。緊張する。体がこわばる。

 私には、いくつかの恐怖症がある。高所恐怖症、暗闇恐怖症、スピード恐怖症など。閉
所恐怖症も、そのひとつ。いつだったか、若いとき、みなと、土肥(とい)の金山(伊豆
半島)に入ろうとしたことがある。しかし私だけ、足がすくんで、中に入れなかった。

 その私が、カプセルホテルに泊まる?

 私はまず、出入り口をチェックした。もちろん立つことはできない。はったまま中に入
る。ドアはなく、かぎもない。カーテン様のシャッターがあって、それを上から、おろす
しくみになっている。

 つぎに空気口を調べる。飛行機のそれのように、調整ができない。いくらひねっても、
動かない。手をかざしても、空気らしきものを、感じない。

 即座に計算する。一回に、1000ccの空気を呼吸する。1分間に15回、呼吸をす
るとして、その1分間に、1万5000cc。全体の広さを、縦1メートル、横1メート
ル、奥行き2メートルで計算すると、100x100x200=20万cc。つまり約2
0分ほどで酸欠状態になる。

 窒息死? 故障? そうだ、通気装置の故障かもしれない。「一応、フロントに、連絡し
たほうがいいのか」と、あれこれ迷う。命にかかわる問題である。しかし最近、カプセル
ホテルで窒息死したという話は聞かない。カプセルホテルに関するニュースを懸命に思い
出しながら、「だいじょうぶだ」「心配ない」と、自分に言って聞かせる。

 が、心配は、心配。どうなっているのか、あれこれ調べる。……で、わかったことは、
新鮮な空気は外から入ってくるしくみになっているらしいということ。部屋の入り口のと
ころに手をかざすと、かすかだが、風を感じた。部屋の中の『空気口は、どうやら空気を
外へ出すための、排気口のようだ。

●眠れない

 私は頭の下に腕を組んで、天井を見た。手が届く。どんと体をゆすると、カベにボカン
とあたる。軽い音だ。私は、ふと「宇宙船の中も、こうだろうな」と思った。味気のない
空間。

 静かにしていると、心臓がいつもより高鳴っているのが、わかる。新幹線の中では、あ
れほど眠かったのに、カプセルの中に入ったら、かえって頭がさえてしまった。「これはま
ずい」と思った。「このままでは、明日の朝まで、こうだぞ」と。

 こういうときのために、カバンの中に、睡眠薬が用意してある。いつだったか、かかり
つけのドクターからもらったもの。しかし1錠を、まるまるのむと、翌日の昼過ぎまで寝
てしまう。のむとしても、6分の1から、8分の1。こまかく割って、舌の先で溶かして
のむ。

 溶かしながら、心の中で、念ずる。「眠くなる、眠くなる……」と。

 が、ここで問題が起きた。

●どこへ隠す

 貴重品、つまり財布やカードは、どこへ隠すか?

 私は、その少し前、財布やカードをひとつの袋にまとめて、マットの下に置いた。その
上にカバンを置き、枕を置いた。

 しかしそれでは安心できない。もし暴漢が入ってきたら、どうする。まず、そのあたり
をさがすだろう。枕の下にものを隠すのは、この世界の常識。それに熟睡していたら、気
がつかない。その前に、棒か何かで、殴られたら、どうする。

 つぎつぎと、妄想がふくらむ。睡眠薬を口の中で溶かしながら、あれこれ考える。

 私は、財布やカードの入った袋を、カバンにもどした。が、また出した。出して、また
枕の下に……。

 腕に巻いたロッカーのカギに、その袋をしばってみた。「こうすれば、だれかが引っ張っ
たときに、目がさめる」と。

 しかし安心できない。シャッターといっても、布製。外から簡単にあけられるしくみに
なっている。私は天井を見ながら、また考えた。考えて、よいことを思いついた。

 私は、その袋を、パンツの下に入れることにした。かなり感度は落ちたが、今でも、私
にとっては、一番敏感な部分である。ここをだれかがいじれば、必ず、目がさめる。「我な
がら、名案」と感心する。

●目覚まし時計
 
 再度、目覚ましをセットする。7時18分発の「はるか」、関西空港行きに乗れば、ちょ
うどよい。が、起きる時刻を、何時にするか? またまた悩む。

 ふだんなら、何も考えずにセットできるはずなのに、こうした閉所では、それができな
い。考えが、まとまらない。ちょうど、デパートかどこかで、服を選ぶときの気持に似て
いる。あれにしようか、これにしようかと考えているうちに、時間ばかりが過ぎていく。

後悔した。キャンセルして、ほかのホテルに移ることも考えた。しかし、今さら……!

 結局、6時30分にセットした。どうせその前に目がさめるだろうが……。

●騒音

 カプセルホテルというのはカベとカベが、くっついている。だから隣の人が、寝がえり
をうつたびに、その音が、直接、聞こえてくる。ドスン、ドンドン……と。

 これが結構、気になる。通路を歩く音も、聞こえる。スリッパをこする音。距離にして、
1メートルも離れていないところを、人が歩くのだから、当然である。こうして、目を閉
じたまま、またまたあれこれ考える。

 最初は死体置き場が頭に浮かんだ。それは、先に、書いた。死体置き場の死人が、助け
を求めるというビデオも、最近、ビデオショップに並んでいる。「ツルー・コーリング」と
か、いった。それを思い出しているうちに、今度は、死体置き場が、頭の中で、火葬場に
なった。

 火葬場で、人を焼くときも、やはり、こういう戸棚のようなボックスの中に入れて、焼
く、と。

 「死ぬときは、こうだろうな」「こんな狭いところで死ぬのもいやだな」とか……。そん
なことまで考えていると、ますます頭がさえてしまう。が、そのうち、トイレに行きたく
なった。

 今度は私が、まわりの人たちに迷惑をかける番になった。時計を見ると、11時を過ぎ
ていた。

 いくら静かにシャッターをあげようとしても、どうしても音が出る。いくらスリッパを
静かにはこうとしても、これまた音が出る。通路を歩くときも、そうだ。

 こうして時間ばかりが過ぎていく。

●男性専用 

 が、朝がきた。いつの間にか眠ったらしい。夢心地は、よくなかった。それに、どうい
うわけか、ヒワイな夢ばかりを見た。人間は、生死の境目を歩くと、性欲だけが高まるの
か? ……というのは、少し考えすぎだが、あれほど不安だったのに、夢だけは、ヒワイ
な夢を見た。これはどういう心理作用によるものか。

 内容は、そのときは、覚えていたが、今は、覚えていない。女性の裸が、ムラムラと出
てきた。そんな夢だった。

 きっと眠る前に、男性専用の意味を考えていたせいではないか。「どうして男性専用なの
だろう?」と。あるいは、パンツの下に、貴重品を入れたせいかもしれない。その貴重品
が、私のアレを刺激した? そのせいかもしれない。朝起きたとき、貴重品が、10セン
チほど(正確には、15センチほど)、上に、盛りあがっていた。

 しかし、どうして「男性専用」なのか。答はすぐわかったが、それが、そのままヒワイ
な想像につながってしまったらしい。

 夜中に、そっと、カーテンをあげて、カプセルの中で眠っている女性と……と。

 時計を見ると、午前5時。横になっていても、しかたがない。風呂に入ることにした。
カバンをかかえるようにして、一階のロッカーへ。

それからのことは、いつものとおり。時刻表を見ると、新大阪発、6時15分の、はる
か1号があることがわかった。少し(かなり?)はやいが、それで関西空港に行くこと
にした。

 5月26日、木曜日。

 空は気持ちよく晴れていた。さわやかな5月のかわいた風。寝不足なのに、体は軽かっ
た。ただし……。カプセルホテルは、一度で、こりごり。私には、向かない。

 せっかく泊めてもらったのに、悪口ばかり、書いて、ごめん。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●過干渉

 私のワイフは、ふだんは、のんびり屋。私が何をしていても、無関心。無頓着。しかし
私が料理をするときだけは、急に、騒がしくなる。あれこれ、つぎつぎと、横から口を出
す。

 それがうるさくて、たまらない。……と同時に、口うるさい母親をもつ子どもの心理が、
よくわかる。ときどき、「これが過干渉というもの」と思うときがある。

「換気扇を回してよ」
「油は、これ」
「牛乳を入れ過ぎないように」
「フタをかけて、焼いてよ」
「もう、そろそろ、いいんじゃない?」と。

 うるさくて、落ちついて料理もできない。

「あのな、ちょっとだけでいいから、黙っていてくれないか」と。

 が、よく誤解されるが、口うるさいだけなら、子どもには、それほど、害はない。が、
そこに親の情緒不安が入ると、過干渉が、「過干渉」になる。イライラして、子どもをおさ
えつけてしまう、など。ガミガミ、キリキリも、よくない。

 こうした過干渉が日常化すると、子どもは、萎縮する、(反対に、粗放化することもある。)

 幸いなことに、ワイフの情緒は安定している。結婚してからこのかた、もう34年にな
るが、いまだかって、取り乱して大声をあげたことは、一度もない。そういう意味で、私
はラッキーだった。

 N君(56歳)の奥さん(52歳)なんか、ときどき、手がつけられなくなるという。
大声をあげて、家の中で、暴れ回るのだそうだ。近所の人たちから苦情がくるほどだとい
う。「アル中か?」と、聞くと、「原因がよくわからない」と。N君は、さみしそうに言っ
た。

 しかし私が料理をすると、ワイフは、うるさくなるのか? おそらく、テリトリー意識
が強いせいではないか。本当は、私が台所の用品をあれこれ使うのが、おもしろくないの
かもしれない。


●出迎え

 明日の朝、早く、オーストラリアの友人たちが、関西国際空港に着く。そのため今夜は、
大阪に一泊。一行を出迎えたあと、そのまままた、浜松へ。いそがしい一日になりそう。

 で、こういう時代にあって、実は、関西国際空港へ行くのは、今回が、はじめて。伊丹
にある空港は、ときどき利用していたが、関西国際空港は、はじめて。どんな空港だろう
と、ワクワクしている。プラス、飛行機を見るのが、何よりも楽しみ。

 浜松からだと、名古屋空港が一番、便利。今度できた、新名古屋空港は、もっと便利。
アメリカへ行くときは、いつも成田空港を利用している。しかし成田空港は、不便。本当
に不便。ほかに適当な便がないから、しかたなしに利用しているだけ。どうしてあんな不
便なところに、空港をつくったのか。

 外国の友人たちにも、たいへん評判が悪い。聞くところによると、地元の有力政治家の
ゴリ押しでできた空港とか。そのトバッチリを受けて、いまだに建設反対運動が消えない。
羽田空港を拡張して、それを国際空港にすればよいのだが、そうなると、今度は、成田空
港が困るらしい(?)。水面下では、し烈な反対運動を展開しているとか。つまり羽田空港
の国際空港化に、だ。

 バカげている。実にバカげている。

 国民不在と言うべきか。利用客不在というべきか。成田空港まで、東京から、1時間3
0分もかかる。この時間が、東京の国際化を、10年は、遅らせてしまった。20年、か
も?

 そうそうあの新幹線にしても、名古屋から京都にかけて、岐阜県のところで、かなり大
回りしている。あれなども、当時の地元の有力政治家のゴリ押しで、そうなったという。

 もし新幹線が、名古屋からまっすぐ京都、大阪へ向っていたら、時間は、15分短縮で
きたはず。

 新幹線の岐阜羽島駅前には、その政治家の銅像が立っている。地元の人たちにとっては、
大功労者ということになっているのだろう。しかし私もその元岐阜県人だが、岐阜へ行く
とき、その岐阜羽島駅を使うことはない。名古屋でおりて、在来線か、名鉄線に乗りかえ
る。

 岐阜羽島駅から、岐阜市内まで、バスで、40分前後かかる。本数も少ない。この不便
さが、どうしようもない。本当にバカなところに駅を作ったものだ……というのが、私の
本音。

 さてさて、不愉快な話は忘れて、明日は、パッと陽気に、みんなと騒ごう!

 
●デジタルカメラ

 私は、いつも、小型のデジタルカメラを持ち歩いている。これが結構、楽しい。何か美
しいものを見たりすると、そこですかさず、パチリ。また、パチリ。

 で、そのカメラを、教室でも利用している。

 ふざけて遊んでいる子どもがいたりすると、こう言って、おどす。「君の写真をとって、
HPにのせてやる。君のお母さん、それを見て、びっくりするぞ!」と。

 すると、とたん、子どもは、まじめになる。

 が、ききめは、最初の1、2週間だけ。そのうち、おどすだけで、HPにのせないとわ
かると、今度は、「写真をとっていいよ」と、子どもたちのほうから、わざと、ふざけたポ
ーズをつくって見せたりする。

 「先生、さあ、とりなよ! ベーッ」とか。

 そうだ。今度、教室でも、そのままプリントアウトできる、小型のプリンターを置いて
みよう。その場でプリントアウトできれば、おもしろみも倍化する。子どもたちも、喜ぶ。


●K国が、6国協議に復帰(?)

 常識から考えて、K国の金XXが、6か国協議に復帰するはずがない。仮に復帰したと
しても、つぎつぎと無理難題をふっかけて、協議そのものを、ぶちこわしてしまうだろう。

 K国の核開発は、それくらい、「根」が深い。拉致問題ですら、あれだけスッタモンダを
繰りかえした国である。仮に協議が、うまく運びそうになったとしても、洪水のように、
自分勝手な要求を、出してくるはず。

 そしてちょっとでも何か、気に食わないことがあると、それを針小棒大に問題にして、
大騒ぎする。が、何と言っても、最大の関門は、「査察」。

 K国が、どこまで、核査察をさせるかだが、K国が、核査察など、させるはずがない。
K国は、国中が、地価トンネルで結ばれた、秘密基地化している。核査察をさせるという
ことは、彼らにしてみれば、武装解除するというにふさわしい。

 仮に6か国協議に応じてくるとしても、時間稼ぎ。決裂すれば、核実験。金XXは、す
でに、そういう段取りを考えている。

 一方、アメリカは、それを知っている。K国は、つぎつぎと、こう言うだろう。「原油を
よこせ」「食糧をよこせ」「金をよこせ」と。

そして日本との関係では、「戦後補償を日本から取りつける、その仲介をせよ」とまで言
いだすにちがいない。(すでに中国との間には、そういう約束ができている。中国は、今
まで、K国の代理人となって、戦後補償の額を、何度か、日本に打診してきている。)

 最終的には、韓国や日本から、アメリカ軍を撤退せよというところまで要求してくるは
ず。K国にしてみれば、そのための核兵器である。

 そこでアメリカは、(日本も)、K国の核開発問題を、国連安保理に付託することを考え
ている。が、ここでの最大の難関は、中国の拒否権。中国が、「ノー」と言ったら、アメリ
カも日本も、何もできない。

 そこで一応、中国に歩み寄った形をつくっておかねばならない。今回の6か国協議への
動きは、その流れの中にある。「中国よ、やれるところまで、やってみな。それができなけ
れば、アメリカや日本に協力しなさい」と。

 もはや、最善の方策は、金XX政権の打倒しか、ない。

 が、これに猛烈に反対しているのが、韓国。そのためか、今度、K国で、韓国と合同の、
「反日学生会議※」を開いた。この原稿が、マガジンにのるころには、米韓首脳会談の結
果も出ているだろうが、さてさて、どうなることやら?

 そんな折にも折、日本のノーブレインな政治家が、アホなことを口にして、中国を怒ら
せてしまった。発言したあと、その発言を撤回し、さらに謝罪するくらいなら、はじめか
ら、言うな! あのT幹事長は、N大臣だったときから、ときどき、アホなことを口にし
て、国民から、ヒンシュクを買っている。

 どうしてそんな政治家を、わざわざ中国に送りこんだのか? 本人は、「オレが何とかし
てきてやる」とか何とか言って、粋(いき)がって中国へ行ったのだろう。しかしあのタ
イプの政治家は、世界では、通用しない。バカにされるだけ。

 さあ、これから、日本は、どうなるか?

 アメリカは、K国を単独攻撃する準備を整えつつある。しかしそんなことをすれば、ま
っさきに、日本が、報復攻撃される。アメリカとしても、それは困る。

そこでやはり、この問題は、国連安保理に付託するのが、一番よいということになる。
しかしその肝心の中国は、今回の、T幹事長のノーブレイン発言で、日本から離反して
しまった。

 こうした動きに、今、いちばん、失望しているのは、アメリカのブッシュ大統領ではな
いだろうか。それにしても、日本の政治家のお粗末さには、あきれる。なさけないほど、
あきれる。

ブッシュ「日本の政治家のレベルの低さは、かねてから聞いていたが、ここまでひどいと
は、知らなかった」と。

 今ごろ、そんな会話が、ホワイトハウスの中で、かわされているにちがいない。

注※……南北の大学生500人あまりが、6・15共同宣言5周年を前に、5月23日、
K国の、金剛(クムガン)山文化会館で。南北大学生相逢(サンボン、たがいに会うこと)
行事を開き、日本の独(トク)島領有権主張と、歴史教科書の歪曲に対し糾弾した(C日
報)。


●Y国神社参拝問題

何でまた、この時期に!

 K国問題で、5カ国が、もっとも協力しあわねばならないこのときに!

 ……ということで、今回のY国神社参拝問題。

 J民党のT幹事長が、中国まで行って、大激論(?)をしたらしい。激論の内容は、オ
フレコにされ、伏せられているようだが、「Y国神社参拝問題に異義を唱えるのは、内政干
渉だ」というようなところまで言ったらしい。

 そのせいで、昨日(5・23)、中国の副首相が、日本のY首相との会談を、無断でキャ
ンセルして、帰国してしまった。日本側は、カンカンに怒っているようだが、肝心のT幹
事長は、「私のせいだとは思わない」(NHK昼のニュース)などと、これまたノー天気と
いうか、無責任なことを言っている。

 しかし、どうして日本人は、こうまで「形」にこだわるのか? 少し脱線するが、こん
な話がある。

 昔、隠れキリシタンをさがしだすために、日出藩(ひじはん)という藩は、住民たちに、
踏み絵をさせた。よく知られた話である。

 その踏み絵について、こんな話が伝わっている(「日本耶蘇教会年報」)。少しむずかしい
文章なので、あらかじめ、内容を簡単に説明しておく。

 つまり隠れキリシタンであった父親(加賀隼人)に対して、その娘が、こう言ったとい
う。

「お父さん、踏み絵ぐらいのことで、家族もろとも、命を落すなどというのは、バカげて
いるではありませんか。踏み絵を、どうか踏んでください。大切なのは、家族です。家族
の命です。(それで信仰が消えるわけではありませんから)」と。

 記録には、つぎのようにある。

 「豊前国小倉藩の家臣、加賀山隼人は、キリシタンであったという理由で、処刑されて
いが、加賀山隼人の娘が、父親の隼人に、『父上、何も、裁きを受けず、大罪を犯した訳で
もなく、ただ、キリスタンなるが故の死罪、外で執行されるに及ばず。我等にとりても、
此の家が一番好都合でありませぬか』と。

繰りかえすが、娘は、こう言っている。「ただキリスト教徒というだけで、処刑なんて、
おかしいでしょう。私たちにとって、この家の幸福が、一番、大切ではないですか」と。

それに答えて、「ならぬ。かの救世主・耶蘇基督(キリスト)は罪なき身を以って、エル
サレムの城門外に、二人のあさましき兇徒(きょうと)の間に置かれ、公衆の面前で死
なんと欲したではないか。我もまた、公衆の面前で汚辱を受けつつ死を熱望するなり」
と。

つまり、「あのイエスも、信仰を守るため、公衆の面前で処刑にあっているではないか。
私も、それを熱望する」と。

 この話は、その筋の世界では、「美談」として、もてはやされている。「命がけの信仰」
として、たたえられている。

しかし私は、こういう話に、どうしても、ついていけない。信仰心と、盲目的な忠誠心
を、どこかで混同しているのではないか? ……と書くと、猛烈な反発を買いそうだが、
いくら信仰をしても、自分を見失ってはいけない。命までかけて、信仰をしてはいけな
い。信仰をしながらも、自分の心にブレーキをかける。そのブレーキをかける部分が「私」
である。

 キリストの立場で考えてみれば、それがわかる。

 彼自身は、公衆の面前で処刑された。しかしキリストは、すべての民の原罪を背負って、
処刑された。決して、「自分の信者に、同じことをせよ」と、見本を見せたわけではない。
いつだったか、私は、「キリストも教師ではなかったか?」という文章を書いた。教師とい
う視点で、聖書や仏典を読むと、キリストや釈迦のそのときの心理がよくわかる。

 で、つまり信仰するにせよ、しないにせよ、それはあくまでも、「心」の問題。踏み絵を
踏んだからといって、信仰心が崩れるというものでもない。また踏まなかったからといっ
て、信仰心が深まるというものでもない。

 「形」にこだわることはない。

 Y国神社を参拝したから、愛国心があるということにはならない。Y国神社を参拝しな
かったから、愛国心がないということにもならない。

 大切なことは、中国にせよ、韓国にせよ、日本のY国神社を、戦前のあの植民地主義時
代の象徴としていること。それを理解してやること。

 どうして、日本よ、日本人よ、相手の国の人たちの立場で、ものを考えることができな
いのか。日本が、彼らに迷惑をかけたのは事実だし、その事実は、いくら日本がお金(戦
後倍賞金)を出したからといって、消えるものではない。

 何度も言うが、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをしたら、世界は、
何と言うだろうか。どう思うだろうか。それと同じことをしながら、「これは国内問題だ」
「内政干渉だ」とは!

信仰は、「心の中」でするもの。どこまでも、心の中の問題。踏む、踏まないに、そこま
でこだわるほうがおかしい。たかが、踏み絵ではないか。

 大切なことは、みんな、仲よく、気持ちよく、暮らすこと。私だったら、仮にキリシタ
ンであったとしても、踏み絵を踏む。そして役人たちの顔を一べつしながら、ニヤリと笑
ってやる。

 そういう信仰のし方もある。Y国問題とは、直接関係のない話になってしまったが、今
回の騒動のニュースを聞いているとき、どういうわけか、あの隠れキリシタンの話を、私
は頭の中で、思い浮かべてしまった。

 話をもどして、一言。

 みなさん、もう少し、まともな政治家を、選ぼう。それだけのこと。政治家が悪いので
はない。そういう政治家を選ぶ、私たちが、悪いのだ。
(はやし浩司 隠れキリシタン 加賀山隼人の娘 踏み絵 日出藩(ひじはん))

(補足)

 オーストラリアの大学にいたころ、カレッジには、毎週のように、世界各国の要人や政
治化たちが、晩餐会にやってきた。

 その中には、もちろん日本の政治家もいた。しかし日本の政治家の中で、晩餐会のあと、
英語でスピーチをして帰っていった政治家は、ひとりもいなかった。何を聞かれても、さ
も私は何でも知ってますというような顔をして、ニヤニヤと笑っているだけ。

 それから35年。日本の政治家たちも進化したのだろうか。それとも、当時のままなの
だろうか。

 私が見たところ、T幹事長などは、当時の、典型的な日本の政治家そのものといった感
じがする。みなさんは、あのT幹事長に、どんな印象をもっているだろうか。


●信仰と思いこみ

 ほとんどの信仰は、思いこみから始まる。自分で、「そうだ」と思いこむ。そこから信仰
は、始まる。一番、印象に残っている事件に、こんなことがあった。

 ある夏の暑い日だった。見ると、その女の子(小6)の首に、よごれた太いヒモが見え
た。それが少し肩の方に、はみ出していた。

 で、私はそのヒモを指先でつかんで、「これ、何?」と言ってしまった。とたん、その女
の子は、ものすごい声、……動物がギャーと叫ぶような声を張りあげて、こう言った。「さ
わらないで!」「汚(けが)れる!」と。

 そのヒモの先には、何かのお守りがぶらさがっていた。私は、そのあまりにもすごい声
に、驚いた。私は、ただただひたすら、頭をさげて、謝るしかなかった。

 その子どもにしてみれば、そのお守りは、自分の命より大切なものということになる。
絶対、他人には、さわらせてはいけないもの……らしい。多分、彼女の親たちが属する宗
教団体では、そう教えているのだろう。

 こういうケースでも、決して、その人や子どもの宗教を批判してはいけない。人は、そ
れぞれの思いの中で、宗教に身を寄せる。それぞれの人には、言うに言われぬ、事情とい
うものがある。

 いくら「おかしい」と思っても、そっとしておいてやることこそ、大切。重要。その人
が、それでハッピーなら、それはそれでよいこと。

(思いこみ)でも何でも、よいということになるが、しかし(思いこみ)は、(思いこみ)。
自分で、そう思いこんでいるだけ。あるいは、だれかに、そう思いこまされているだけ。
たかがお守りではないか。

 しかし、当の本人には、それがわからない。つまりどんな信仰にも、程度の差はあるが、
こうした(思いこみ)が、ついて回る。「これはキリストの○○だ」「これは釈迦の○○だ」
と。昔から、『イワシの頭も信心から』という。イワシの頭でも、思いこんでしまえば、そ
れなりに信心の対象になることをいった。

 つまりそこへ、思いこみを集中させることで、心の安定をはかろうとする。「私は絶対的
に守られている」「私は絶対的な真理の中にいる」「私は絶対に正しい」と。自ら思いこむ
ことで、絶対的な安心感を覚えようとする。

 それは、心を溶かすほど、甘美な世界でもある。多くの信仰者たちは、その世界に、酔
いしれる。

 が、『イワシの頭』では、いくらなんでも、それを心のよりどころとすることはできない。
そこで、ある程度のお膳立てが必要となる。本尊でも、教義でも、何でもよい。それを信
仰の中心にすえる。それを宗教の世界では、「権威づけ」という。

 この権威づけがあってはじめて、人は、そこに自分の心を寄せることができる。

 で、あとは、その時点から、一方的な思想の注入が始まる。信者自身は、自ら考えるこ
とを放棄することによって、まず頭の中を、からっぽにする。からっぽにした上で、新し
い思想を注入してもらう

 方法は、いくらでもある。

 たとえば何時間も、同じ文句を唱えさせたりする、など。ふつうの人でも、同じ言葉を
30分も繰りかえしていると、いわゆるラポールと呼ばれる状態になる。甘い陶酔感を覚
える状態になる。大脳生理学の世界では、脳の中の辺縁系と呼ばれる組織の中で、エンド
ロフィンやエンケファリン系の麻薬様の物質が放出されるためと説明している。

 このラポール状態(=思考力ゼロの甘美な世界)に入ると、人は、たいへん暗示にかか
りやすくなる。指導者に、「○○教導様は、釈迦の生まれ変わりだ」と言われたりすると、
そのまま、それを信じてしまう。

 あとはお決まりの妄信……。

 そこで大切なことは、いつも、自分で考えるクセを身につけておくこと。おかしいもの
は、「おかしい」と思う。たったそれだけのことでよい。でないと、死んでミイラになった
人を、「生きている」と思いこんでしまったり、指導者の髪の毛を煎じて飲むと、超能力が
授かると思いこんでしまったりする。

 足の裏を見ただけで、すべての病気がわかると教えていた教団も、少し前まで、あった。
「お守りにさわったら、汚れる!」と叫んだ、女の子も、その延長線上にいる。

 常識で考えれば、バカげているが、妄信の世界に一度入ってしまうと、それがわからな
くなってしまう。いくら信仰をしても、人間が本来的にもつ、常識まで、曇らせてしまっ
てはいけない。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 20日(No.585)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●こだわり

 自閉症児が見せる症状のひとつに、こだわりがある。ある特定のものや、ことがらに、
強くこだわる。

 しかしこだわりがあるからといって、自閉症ということではない。また、こだわりとい
っても、軽重がある。軽いこだわりから、重いこだわりまで、症状は、さまざま。決まっ
た席でないと座らない子ども(年長男児)や、決まったズボンでないと、外出しなかった
子ども(年長男児)がいた。

 これらは、軽いこだわりということになる。こうした傾向は、だれにでもあるもので、
またそれがあるからといって、自閉症ということではない。ふつうの生活をしていくには、
さほど、問題はない。「どこか気がむずかしい子ども」という程度ですんでしまう。(その
分、見過ごしてしまうこともあるが……。)

 が、こだわりがひどくなると、部屋の中の置き物の位置が、少しでもズレただけで、パ
ニック状態になったりする。生活の順序がちがっただけで、同じく、パニック状態になっ
たりする。

 こだわる対象によって、いろいろに分類される。

(1)モノにこだわる

 ある特定のモノにこだわる。それがないとイライラしたり、モジモジしたり、あるいは
不機嫌になって、暴れたりする。モノは、古い雑誌や、ペン、おもちゃなど。

(2)時間にこだわる

 決められた時刻に、一定のことが始まらないと、同じように、情緒が不安定になる。グ
ズりやすくなったり、怒りっぽくなったりする。毎日、時計ばかり見て、自分の行動を決
めたりする。

(3)生活習慣にこだわる

 風呂に入っても、体を洗う順番が決まっている。使うシャンプーが決まっている。着る
服の組み合わせが決まっている、など。母親が風呂の中で、体を洗ってやるのだが、洗う
順序が決まっている子どもがいた。その順序がちがうと、突発的に混乱状態になったりし
た。

(4)ささいなことにこだわる

 だれかが、何気なしに言った言葉にこだわったりする。ある特定の、部分的な言葉にこ
だわるのが特徴。全体としてみれば、何でもないことなのだが、それが理解できない。

 たとえば「わからないところがあったら、電話をしなさい。ときどき、勉強をみてあげ
る」などと言うと、その「ときどき」という言葉にこだわる。それを勝手に、「毎日」とい
うふうに、解釈してしまう、など。

(5)儀式にこだわる

 「誕生日には、こうするものだ」というふうに、自分で決めてしまう。そしてそれがそ
の通りでないと、突然、イラついたり、怒ったり、ふさいだりする。あるいは寝る前の就
眠儀式が、いつも同じパターンでないと、眠りにつかない、など。ある子ども(年長児)
は、毎晩、自分でフトンをなおすのだが、センチ単位まで正確に、フトンをなおしてから、
フトンの中に入っていた。

 母親が、「寝相がよくて、朝まで、そのままです」と言っていたのが、私にはたいへん気
になった。

 こうして一度、何かにこだわり、カラにこもってしまうと、説得しても、効果がない。
いつまでも、グズったり、不機嫌な様子をしてみせたりする。

 子どもの世界で、こうした(こだわり)が見られたら、好ましくないという前提で、早
めに対処する。叱ったり、乱暴な指導をしてはいけない。たいてい、こうしたこだわりが
見られると、母親は、強く子どもを叱ったりする。あるいは、「気のせいよ」と、乱暴な言
い方をして、子どもの心を無視する。

 そういう接し方が、子どもの症状を悪化させる。(が、親には、その意識がないのが特徴。)
私が、「家で、神経質に接していませんか?」と聞いたとき、「あの子は、生まれつき、あ
あでした」と、どこまでもがんばっていた母親がいた。

 冒頭に書いたように、自閉傾向が見られるからといって、自閉症とはかぎらない。それ
はちょうど、熱があるから、扁桃腺炎とはかぎらないというのに、似ている。念のため。
(はやし浩司 こだわり 自閉傾向 自閉症 固執 がんこ 子どもの頑固 子供の頑
固)

(補記)

 こうした一連のこだわりが子どもに見られたら、「なおそう」と考えるのではなく、「今
の状態をより悪くしないことだけ」を考えて、子どもの立場でものを考えるようにする。

 たとえばある子ども(中学生)は、CDを集めていた。そのCDを、ほんの少しでもだ
れかが動かしたりすると、オドオドとしたり、ときには、突発的に、自らCDを割ってし
まっていた。

 こういうケースのばあいでも、それがおかしいと決めてかかるのではなく、「そうだね。
大切にしているCDを動かしてはだめだよね」と、子どもの立場で考えて行動する。

 子どもに安心感を与えることが、何よりも重要。こうしたこだわりの強い子どもは、い
つも緊張状態にあるとみる。不安感も強い。そうした緊張状態をほぐし、不安の原因とな
っていることを、いっしょに考えてやる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●リスト・カット

 Fさんという知人の娘(21歳)が、リスト・カットをしたという。「今まで、気づかな
かったが、ときどきしていたようだ」と、知人は言った。

 リスト・カット。今、若い女性の間で、それをする人が、ふえている。とくに自殺に結
びつくわけではない。

 稲富正治氏の「臨床心理学」(日本文芸社)によれば、つぎのようにある。

(1)感情が不安定で、衝動的な行動を起こしやすい。傷つけたときの血が、贖罪(しょ
くざい)のしるしなので、何度も繰りかえして行われる。

(2)感情が不安定で、怒りっぽく、人間関係に支障をきたす。

(3)1人でいることが苦手で、自分が見捨てられるのではないかと、不安になる。

(4)手首にかぎらず、体中に傷をつける。血を見て、自分は許されたと感ずる。何度も
繰りかえし、リスト・カットをする。

 稲富氏は、「パーソナリティ障害の中の、(境界性人格障害)にあたる人たちに多く見ら
れます。感情が不安定で、怒りがあらわになりやすいのですが、見捨てられるのではない
かという不安も、非常に強いのです。

 また本人は、1人でいることに耐えられないはずなのに、対人関係も不安定です」(同書、
108)とある。

 知人の話では、いつも神経がピリピリとしているといった感じで、ささいなことで、怒
ったり、それにこだわっていつまでも、不機嫌になるという症状もあるとか。ボーイフレ
ンドもいるが、いつも相手がちがうという。

 で、そういう相談をもちかけられると、あれこれと、頭の中の情報を、さがしまわる。
しかしこの分野については、私は、まったくの門外漢。経験もないし、それに私は、女性
ではない。デリケートな(?)女性の心理が、まだよく理解できない。

 「そんなことしなくてもいいのに」と思ったりする。3、4回、会ったことがあるが、
とてもすてきな女の子である。だまって座っているだけで、男のほうが声をかけてくるだ
ろう。そんなタイプの女の子である。

 が、いろいろと悩みもあるのだろう。心の緊張感が、とれないのかもしれない。見たと
ころ、(つまり感じるところ)、母親との関係があまりうまくいっていないようだ。心理学
でいう、「母子関係の不全による、基本的信頼関係の不足」ということになる。

 新生児から乳児期にかけて、母親に、安心して心をよせることができなかったのかもし
れない。

 これは私の勝手な推測によるものだが、そんな感じがした。

 「時期がきて、結婚でもすれば、何ごともなかったかのように終わるのでは……」とは、
電話では言ったものの、本当のところは、私にもよくわからない。ごめん、Fさん!

「時期がきて、結婚でもすれば、何ごともなかったかのように終わりますよ」とは言った
ものの、本当のところは、私にもよくわからない。ごめん、Fさん

(Mさんからの、助言)

 こんな助言が、R天掲示板に届いています。そのまま、紹介します。こういうこともあ
るようです。

++++++++++++++++++++++

本当です。私と実母とは、私が結婚する前は、良い関係ではありませんでしたが、(リスト
カットとかそういうのはしませんでしたが)、結婚して子供ができたら、今までの何十年と
いった関係はなんだったのか、というぐらい仲が良くなってしまいました。

本当、母子戦争は何だったのか、というぐらいあっけなく終ります。女って不思議! 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【これからの日本】

●私の仕事

 昨日、浜北市にある友人の家に、遊びに行った。が、あいにくと、不在。いつもアポイ
ントなしで行く。引佐町(いなさちょう)で買った、名物の「味噌まんじゅう(みそまん)」
を奥さんに渡して、そのまま帰る。

 その帰り道、『S工業』という巨大な工場を見る。『Z工業』という工場も、そのとなり
にあった。この二つの会社は、私には、たいへん縁のある会社である。

 『S工業』。金属部品やその加工をしている会社である。『Z工業』は、空調機器を製造
している会社である。

 私は、ワイフと結婚すると、浜松市の北部にある、曳馬町(ひくまちょう)のアパート
に移った。4畳と6畳だけの、今から思うと信じられないほど狭い、アパートだった。私
が23歳のときのことである。

 当時、そのあたりは、まだ田んぼや畑が、たくさん残っていた。歩いて1、2分のとこ
ろには、電車通りがあって、その東側には、いくつかの工場があった。私はそれらの工場
で、ときどき翻訳の仕事を手伝っていた。その工場の一つが、『S工業』だった。

 私が「あれが、あのときのS工業だよ」とワイフに話しかえると、ワイフは、一瞬息を
止めた。「そうねえ……」と。しばらく感慨深そうに、その工場をながめていた。

 当時の『S工業』は、小さな町工場。鉄サビで赤茶けた玄関を入ると、そのまま受付、
総務室になっていた。社長は、いつもその奥のイスにすわっていた。玄関から声をかける
と、そのまま社長が返事をしてくれるような、そんな会社だった。

 私は、毎週、いくつかの英文パンフレットを渡された。それを翻訳して、届ける。が、
数か月もすると、立場が逆転した。私が外国から情報を集めて、それを社長に渡すように
なっていた。

 『S工業』の社長は、いつも、こう言ってくれた。「林さんは、私から見ると、神様みた
いだ」と。私が社長の目の前で、英語の情報を読んでやっていたときのことだった。

 その会社が、今では、従業員だけでも、数百人を超える大会社になった。『Z工業』もそ
うだ。そうそう、ほかにも、翻訳を手伝っていた会社に、『M工業』『A産業』があった。
これらの会社も、今では、中学校ほどのビルを構える会社に成長している。

 そんな話をワイフにする。「あのころ、ぼくのような男を使って、世界の情報を手に入れ
ようとしていた会社は、みな、成功しているね」と。

 当時、この浜松市には、商工会議所に名前を登録し、翻訳のできる人間は、私を含めて、
たった2人しか、いなかった。(たったの、2人だぞ!)

 あの世界を代表する楽器メーカーの、あの『Y楽器』にしても、まだ、輸出入の貿易業
務は、M物産の名古屋支店が代行していた。その『Y楽器』の仕事もしていた。私は幼稚
園で働いていたが、収入の大半は、そうした「アルバイト」で稼いでいた。

 実際、おもしろいように、稼げた。

 英語のパンフレットなど、1、2時間もあれば、訳せる。それをワイフに清書させる。
そしてそれを、それぞれの会社へもっていく。するとたいてい社長が、じきじきに出てき
て、「ごくろうさん」と言って、お金を渡してくれる。

 「何日、かかりましたか?」と私に、聞く。相手も、値段がわからないから、かかった
日数で、費用を計算しようとする。私は、「この程度の仕事なら、2、3日もあれば、じゅ
うぶんです」と答える。すると、社長は、その2、3日分の給料を計算して、現金で、お
金をくれる。

 実際、給料のことを考えたら、幼稚園の仕事など、バカらしくてできない。しかしいつ
しか私は、幼稚園での仕事は、私の天職。収入は、ほかで……と考えるようになった。

●モビリィティ

 最近、「モビリィティ」という言葉をよく耳にする。「機動性」という意味である。だか
らといって、何も、私にそのモビリィティがあったというわけではない。

 しかしまだ当時は、そういうことができた。翻訳士の資格試験もなければ、何もなかっ
た。仕事を見つけるのも、簡単だった。夜中に、工場団地を回りながら、電柱に、「翻訳し
ます。電話 4xxx−xxxx 林」と印刷した小さな紙切れを、張っておくだけでよ
かった。

 翌朝には、いくつか仕事の舞いこんできた。あとは、実力の世界。

 私は、そういう「私」を知っているから、今の若い人たちを見ると、「どうしてそういう
ことをしないのか?」と、よく不思議に思う。お金に、名前があるわけではない。会社で
給料としてもらう10万円も、10万円なら、アルバイトで稼ぐ10万円も、10万円。

 あとは、その10万円を使って、どうやって楽しく人生を生きるか、である。

 こうしたモビリィティは、日本の外では、当たり前のことである。あのデトロイトが、
大不況に襲われたとき、アメリカ人の若者たちは、車のトランクに、家財道具いっさいを
つめて、カルフォルニアへ向った。そういう若者たちが、映画産業を発展させ、シリコン
バレーの基礎を作った。

 オーストラリアの大学には、1年ごとに留年を繰りかえす友人がいた。1年間働いて、
1年間勉強して……と。ある日、道で会うと、やはり車のトランクに、女性の下着を、ど
っさりともっていた。「何をしているんだ?」と声をかけると、「セールスだ」と。

 今でも、そういう大学生は、日本にはいない。(私は聞いたことがない。)

 中国人や韓国人となると、さらにたくましい。南米の人たちも、そうだ。現在、浜松市
内だけでも、3万人程度のブラジル人たちが生活している(05年)。以前は、どこか小さ
くなっていた彼らだが、このところ、態度も大きくなってきた。堂々としてきた。彼らの
たくましさを見ていると、そのまま、35年前の私を思い出す。

 以前、こんな原稿を書いた(書籍で発表済み。)

+++++++++++++++++++++++++++

日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強
で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさが
すヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・99年春)と答
えていた。

また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われる
まま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、
ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことが
ある。息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょ
うど40年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。

あの国では誰もがギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働い
ていた。若者とて例外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金
はその場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオー
ト三輪を買って、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買っ
て、それでまたお金を稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれ
ていた。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近く
の小川へ行った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。
それが結構、小づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。

が、今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生
が私のところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、私「君は何ができる?」
学「翻訳ぐらいなら、何とか」、私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもして
こい。『翻訳します』とか書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」
学「カッコ悪いからいやだ」
私「なぜカッコ悪い?」
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。
結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることにな
った。もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若
者たちを見れば、日本の未来がわかる。

で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。結論から先に言えば、お先まっ暗。
このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国になってしまう。いや、
おおかたの経済学者は、2015年前後には、日本は中国の経済圏にのみ込まれてしま
うだろうと予想している。事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。

たとえばアメリカでは、今では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入ってい
る(NBC)。どこの大学でも日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生
がふえている(ハーバード大学)。

私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを
払うのは、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。
私たちが子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでよ
うとしている。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「21世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏4カ国の中高生を対
象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになっ
た。

現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで生
きること」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」
としたのは四か国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが2000年7月、東京、ソウル、ニ
ューヨーク、パリの中学2年生と高校2年生、計約3700人を対象に実施。「二一世紀は
希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で85・7%、韓仏でも6割以上に達した
が、日本は33・8%と際立って低かった。

自分への満足度では、米国では9割近くが「満足」と答えたが、日本は23・1%。学
校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本が4カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランス
は弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を
楽しむ」が61・5%と最も多く、米国は「地位と名誉」(40・6%)、フランスは「円
満な家庭」(32・4%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が20・2%だ
ったのに対し、米国は78・8%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本40・1%、
米国76・4%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類
全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精
神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の
夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。1980年代からの
傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

++++++++++++++++++

 この原稿を書いたのは数年前。かなり悲観的なことを書いた。しかしそれから数年。今
の私なら、さらに悲観的なことを書く。

 もしこれからの若者がどうあるべきかと聞かれたら、私は、このモビリィティをあげる。
「これがダメだから、もうダメだ」という発想ではなく、「これがダメなら、つぎにこれが
ある」という発想である。

 もっとわかりやすく言えば、たくましく生きるということか。貪欲に、ガツガツ生きる
ということか。

●管理国家

 「あのころには、いろいろなチャンスがあったわね」とワイフは言った。「何をしても、
お金もうけができたわ」と。

そう、あのころには、いろいろなチャンスがあった。

 今でも、ないわけではない。私も、もしその気になれば、なりふり構わず、仕事をする
かもしれない。しかしあのころとくらべると、この日本も、息苦しくなった。すべてが、
そしてすべての人が、管理されているといった感じ。

 こうした日本をさして、「新・社会主義国家」と評する人もいる。スタンフォード大学の
客員教授の、野口悠紀雄氏などもその1人である(「新版1940年体制」ダイアモンド社)。
日本人として、日本だけに住んでいると、それがわからない。野口氏のような人には、そ
れがわかる。

 たしかに外国から見ると、日本人がいうところの民主主義は、異質である。イビツとい
うべきか。日本人は、「お上」に依存する分だけ、モビリィティを失ってしまった。バイタ
リィティ(活力)は、そのモビリィティから生まれるとするなら、そのバイテリィティも、
失ってしまった。教育にしても、学校以外に道はなく、学校を離れて道はない、と。

 私も、日本がどうしてこんなバカげた国になってしまったのか、本当のところは、よく
わからない。しかし奈良時代からつづいた、この官僚制度国家を変えることは、容易では
ない。官僚制度というより、この息苦しいほどまでに管理された、管理国家というべきか。

 この日本では、何をするにも、資格だの認可だの、許可がいる。このままでは、K国の
兵隊が日本を侵略してきたときですら、「戦っていいですか?」という許可を、国に申請し
なければならなくなるかもしれない。

 許可がおりるころには、家族もろとも、みな、殺されている。そうなる。もっとも、今
の若い人たちは、こういう世界しか知らないから、「これがふつうの世界」と思うかもしれ
ない。

 しかし、ぜったいに、日本は、(ふつうの世界)ではない。異常である。日本人は、「生
きる」という意味すら、わからなくなってしまったのではないかとさえ思える。

ワ「あのころ、世界に目を向けていた会社は、伸びたということね」
私「そうだよ。覚えているか、S町に、小さな警報機を作る工場があっただろ。A産業と
いう会社だ」
ワ「あったわね」
私「あの会社だって、今では、従業員が、300人もいる会社になっているよ」
ワ「あの会社が?」
私「そうだよ」と。

 A産業の社長は、(社長といっても、社長と、従業員数人の会社だったが)、毎週のよう
に私のところへやってきた。アメリカの警報装置のシステムに関する資料を集めていた。
当時は、まだ日本には、光学システムで作動する警報機はなく、足や手で触れると、音が
出る程度のものしかなかった。

 が、その社長は、いち早く、光学システムの警報機の開発に乗りだした。で、今に見る
会社になった。もちろんその会社だけの力だけで、そうなったわけではない。そのあと、
日本は、高度成長期の波に乗り、やがてバブル経済期へと突入していく。

 だから今、外から見るほど、会社経営は楽ではないかもしれない。しかしチャンスはあ
った。そしてその多様性というか、モビリィティこそが、日本にバイタリィティを与えて
いた。

 管理国家には、管理国家のよい点も、たしかにある。しかしその管理が強すぎると、国
民は硬直したものの考え方しかできなくなる。その硬直性が、今度は、足かせとなって、
日本の発展を止めてしまう。今が、そうだ!

 「これでいいのか、日本!」と叫んだところで、このつづきは、またの機会に書きたい。
(はやし浩司 日本の未来 教育観 モビリィティ モビリティ 機動性 日本の活力)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日を生きよう、明日に向って

昨日(きのう)のことは、話さない。
今日のことを、明日に向って
夢と、希望と、目的を、話そう。

朝起きたら、その日のことを考える。
何をして、何をすべきかを考える。
あとは、それを懸命にしよう。

みんな、十字架の一つや、二つ、
あって当たり前。それが当然。
だから、十字架のことは気にしない。

悩んでも、悔やんでも、道は開けない。
どうせ歩かねばならない道だったら、
前に向って、笑って生きていこう。

昨日(きのう)のことは、話さない。
今日のことを、明日に向って
夢と、希望と 目的を、話そう。


●ロマンとカルト

 少し前、幻の第10惑星、「ニビル」について書いた。ロマンの一つとして書いた。人間
以外に、この太陽系に、知的生物がいると考えることは、それだけでも楽しい。しかしロ
マンは、ロマン。

 が、このロマンがひとり歩きするときがある。そしてそれがどこかで、宗教化するとき
がある。そうなると、今度は、ロマンが、カルトに変身する。

 数年前、G県やN県かいわいに、体中を、白い布でおおった集団が現われた。当時は、
その服装から、「白xx集団」と呼ばれた。どういうグループで、どういう活動をしている
のかは、知らないが、彼らは、そのニビルという惑星の存在を、本気で信じていたようだ。
(今も、そう、信じて、どこかで活動していることと思う。)

 結局、彼らの予言は、当たらなかった。彼らは、その年の○月○日に、ニビルからやっ
てきた、ニビル星人なるものが、地球人を滅ぼすと信じていた(ようだ)。

 つまりこういう話をするときは、注意しなければならない。どこまでが、ロマンで、ど
こからがカルトか、と。

 私は、それほど深く考えず、ニビルの話を書いた。「この太陽系にも宇宙人が住んでいる
かもしれない」「火星のまわりを回っている、あの衛星フォボスが、あやしい」と。

 しかしそれは、ロマンとして書いた。無責任と思われるかもしれないが、私も、その種
の雑誌に書いてあること以上の、情報をもっているわけではない。また本気で、ニビル星
人がいると信じているわけでもない。

 それにこれは私の脳ミソの特徴(=欠陥?)の一つかもしれないが、そのことについて
書いているときは、それなりにハマるが、書き終わると、興味は、別の方に向いてしまう。
と、同時に、それまで書いてきたことを忘れてしまう。

 そういう意味で、スイッチングが、速い。つまり脳ミソの切り替えが速い。だから、そ
のときは、「宇宙人はいるかもしれない」と書いても、つぎに育児のことを書いているとき
には、宇宙人のことは、すっかり忘れてしまう。

 だから、「あの林(=私)は、白xx集団のメンバーではないか」と、勘ぐられても、困
る。私は、そういった団体とは、まったく無縁である。連絡をとったこともない。

 ロマンとカルト。どこで線を引くか。これは一つの大きな問題である。また機会があれ
ば、じっくりと考えてみたい。


+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

【今朝、思うこと】

●やっと調子がもどる

 季節的なものだと思うが、どうも、このところ、心がふさぐことがつづいた。「もの思う
春」と言うべきか。何を考えても、メランカリーになる。そんな2週間だった。

 ……こうして考えてみると、「心の状態」というのは、そのつど、変化するものであるこ
とがわかる。体調と同じように、だ。

 実は、東洋医学では、肉体の健康と、心の健康を、(おなじもの)として考える。肉体的
な病気そのものも、「気の病」と考える。

 なるほどなあ……と、感心しながら、しばし、天井を見あげる。


●体重

 体重のコントロールが、むずかしい。少し、油断すると、パクパクと食べてしまう。そ
のたびに、1〜2キロ、体重がふえる。

 そこで今朝もまた、ダイエット宣言。ワイフに、「朝ごはんを抜くから……」と言うと、
すなおに応じてくれた。

 で、私の体重は、微妙なもの。ほんの少しふえただけで、体がズシリと重く感ずる。そ
の反対に、ほんの少し減っただけで、ヒョイヒョイと軽くなる。一番調子がよいのは、6
3キロを少し下回るとき。正確には、62・5〜63・0キロ。

 今は、64キロくらいあるのでは……? 何となく腹の中が、ゴボゴボしている感じ…
…。その感じで、体重がわかる。


●ヘリコプター

 模型のヘリコプターに、このところ、ハマっている。毎日、飛ばして、遊んでいる。が、
なかなか上達しない。

 飛ばしては壊し、壊しては修理の連続。

 この世界も、なかなか奥が深いようだ。映画などを見ていると、(本物のヘリコプターだ
が)、スイスイと飛びまわっている。そういうのを見ていると、「どうしてあんなにうまく
操縦できるのか」と感心さえする。

 私の趣味は、周期的に変化する。今は、ヘリコプター。ウィーンと風を切って、プロペ
ラが回る様子がたまらない。

 そう言えば、今度、同じタイプだが、ジャイロスコープつきのヘリコプターが売りに出
されたとか。ジャイロがついていれば、飛行は、もっと、安定するはず。値段は、1万円
ほど、アップ。

 どうしようか?

 若いころは、一度ハマり始めると、底なしにハマった。しかし今は、ちがう。どこか一
歩、退いている。冷めている。これも年のせいかな?


●バカになっていく?

 このところ、パソコン相手の将棋で、負けてばかりいる。1年ほど前、5分5分のとこ
ろで調整したのだが、負けてばかりいる。(私の将棋ソフトは、強さを、レベルで調整でき
るようになっている。今は、レベル3に調整してある。以前は、そのレベル3で、勝率は
50%くらいだった……。)

 負けそうになると、途中でやめてしまうので、本当のところ、勝率はわからないが、こ
のごろは、10回やって、1、2回、勝てればよいところ。「待った(一手戻し)」をかけ
ることも多くなった。

 そういう自分を知ると、心底、こわくなる。年々、脳ミソの働きが悪くなっているのが、
わかる。直接、わかる。つまりわかりやすく言うと、パソコン相手の将棋は、私の脳ミソ
の老化を知る、バロメーターということになる。

 私の脳ミソは、たしかに悪くなってきている。鈍くなってきている。

 ボケた兄を見ているので、それは私にとっては、恐怖以外の何ものでもない。「ああはな
りたくない」と思いつつ、一方で、そうなりつつある私。ゾーッ!


●享楽主義

 自分の欲望を、とことん、満足させてはいけない。ほどほどのところで、ブレーキをか
ける。あとは、その切なさを楽しむ。

 切なさ……年をとると、何かにつけて、その切なさを感ずる。先日、コンサートを聞き
に行ったら、美空ひばりの「悲しい酒」を演奏した。

 「♪ひとり、酒場で飲む酒は……」という、あの歌である。

 私は酒は一滴も飲めない。が、気持ちは、ヨ〜クわかる。あの切なさである。すべてが、
思うようにならない。すべてが、だ。切なさは、そこから生まれる。

 しかし悪いばかりではない。

 自虐的な楽しみというか、その切なさをしみじみと感じながら、毎日を生きていく。そ
れが結構、楽しい。年相応ということもある。分相応ということもある。この年齢で、若
い人と立ち向かって、勝ち目はない。今さら、人生が大きく変わるということもない。

 私たちがすべきことは、もし楽しみがそこにあるなら、それは若い人に譲って、一歩退
いたところで、そのおこぼれを楽しむこと。「まあ、私の人生は、こんなものよ」と、自分
を納得させる。ほどほどのところで、あきらめる。

 そう言えば、昔、一世を風靡(ふうび)した、歌手に、M子という人がいた。そのM子
が、今度、写真集を出した。ワイフが先にそれを見つけて、こう言った。「M子って、おと
なになりきれない人ね」と。

 見ると、赤いミニスカートをはいて、表紙を飾っていた。明らかにx0年以上も前の服
装である。「精神年齢は、子どものまま」と、私は感じた。

 「同じ女性として、こういう女性を見ると、なさけなくなるわ」と、ワイフはつづけた。
「いくらがんばっても、がんばれることと、がんばれないことがあるわ。そのむなしさが、
M子には、わからないのかしら」とも。

 世の中には、そういう人も多い。人それぞれだが、大切なことは、表面的な「形」を取
りもどそうとしないこと。大切なことは、表面的な「形」を乗り越えて、人間的な美しさ
をみがくこと。……では、ないか?

 M子は、ひょっとしたら、x0年前の、あの栄光を取りもどそうとしているのかもしれ
ない。「夢よ、もう一度」と。しかし……。

 つまり、この問題は、はっきり言えば、どうでもよい。M子は、M子。世の中には、M
子のような生きザマを、すばらしいと思う人もいる。反対に、私の生きザマがすばらしい
というわけではない。

 しかしごくふつうの男として、一言。私はその表紙を見ただけだが、(全体には、ビニー
ルシートがかぶせてあった)、一片の性的魅力も感じなかった。それどころか、嫌悪感さえ
覚えた。(ごめん!)今のままのM子なら、M子の時代は、もう、とっくの昔に終わったよ
うに思うのだが……。

(補足)

 否定的なことばかり書いたが、M子は、そのつどマスコミ的な話題をつくっては、世間
を騒がしている。それもタレントとして、生きる道なのか。それとも、何か特別の心理状
態にあるのか。私は若いころ、M子が好きだったし、あのままのイメージでいてほしいと
思う。どうしてM子は、自ら、そのイメージを、自らぶち壊すようなことをするのだろう
か?


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●巧妙化するスパムメール

 ますます巧妙化するスパムメール。最近のスパムメールは、件名だけからでは、それが
スパムメールとは、わからない。

 たとえば……

件名:お世話になっています。小林です。
件名:懸賞募集、VIOが、五名に様当る
件名:お得なキャンペーン実施中! 
件名:返事が遅れてすみません。よろしく。

 目的はわからない。雑誌などによると、中にHPのアドレスなどが書いてあり、それを
不用意にクリックしたりすると、ウィルスが侵入したり、スケベサイトにつながったりす
るという。あるいはこちらのアドレスが生きていることがわかってしまい、そのあと、ド
ッと、スパムメールがふえるということもあるそうだ。

 そこでフィルターをかけて、削除する。が、こうしたメールが、つぎからつぎへとやっ
てくる。対策は、いろいろあるようだが、何かとめんどう。今は、こまめに、削除すると
いう方法で、対処している。

 しかしこんなことをすれば、かえって信用をなくすだけ。ますます相手にされなくなる
だけ。そう言えば、こんなスパムメールもあった。

件名:これはまじめな連絡です。スパムペースではありません。浩子より

 読んで、思わず笑ってしまった。ドロボーが、私の家に、「こんにちは、ドロボーではあ
りません」と言いながら、入ってくるようなものだ。

 それにしても、ものすごい、スケベ力! こうしたスパムメールをながめていると、人
間は、かくもスケベだったのかと、改めて、思い知らされる。そのスケベ力が、インター
ネットの普及に一役買っているというから、これもまた、しかたないことなのかもしれな
い。


+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

(N様へ)

以下の書き込みをいただきました。

+++++++++++++++++++

(Nより、はやし浩司へ)

『たとえば緘黙児や自閉症児などの情緒障害児』←こういう自閉症に対して誤解を生じる
ような、書き方は止めてください! 自閉症児は情緒障害児ではありません。
脳の器質的な障害です。
情緒障害とは感情生活に支障をきたし、社会的適応が困難になった状態を指します。

+++++++++++++++++++

(返信)

これは私の意見ではなく、「障害」という言葉は、広く使われています。

(1)「かん黙児は、心理障害」(臨床心理学 稲富正冶 日本文芸社)
(2)自閉症―自閉性障害(広汎性発達障害)(同書)ほか。
(3)自閉症は、70〜80%が、精神遅滞を合併し……原因については、脳機能障害が
有力と考えられている(臨床心理学 松原達哉 ナツメ社)

 ふつう「情緒障害」(脳の機能に問題がある)というときは、「精神障害(脳の器質に問
題がある)と分けていうときに使われています。簡単に言えば、「心の問題」ということで
す。だれにでも、ときとばあいに応じて、あるものです。

「障害」という言葉は、実際、暗いですね。英語では、disorderといいます。「不
調」という意味でしょうか。私も、「障害」という言葉には、大きな抵抗を感じ、あちこ
ちで、そう書いています。

また躁鬱的な症状をまとめて、「情動性人格障害」「気分障害」というときもあります(例、
心理学用語辞典 渋谷昌三ほか かんき出版)ほか。

 なお「器質的障害」というのは、脳の構造そのものに障害があるばあいをいいます。た
とえば、統合失調症(分裂病)や、てんかんなど。

これに対して、自閉症やかん黙症は、機能的(働きの)問題ということになります。し
かし、(精神障害)については、精神医学の問題で、教育の問題ではありません。私も、
それについて、書いたことはありません。

 情緒障害であるから、「感情生活に支障をきたし……」ということは、ありません。ご指
摘のとおりです。私はそのように書いたことはありません。(もちろん軽重の問題もありま
すから。)

 なお自閉傾向と自閉症とは、分けて考えます。多分、そのあたりにも、誤解があるので
はないでしょうか。同じような言葉を使いますので……。

 ともかくも、これからは、言葉に、気をつけます。ご指摘、ありがとうございました。
折につけ、原稿を訂正していきます。(何しろ、ぼう大なHPなものですから、思うように、
修正、訂正ができないのも事実です。

 ですからできるだけ、最新の原稿を優先してお読みくだされば、うれしく思います。こ
の世界も、日進月歩で進んでいます。)

**********************

ここにも書きましたように、私のHPには、
ぼう大な量の原稿が収録されています。
A4サイズ、1ページ3000字ほどで、
約1万3000ページ、単行本にすれば、
約100冊分ということになります。

訂正、修正もままなりませんが、同時に、
古い原稿(若いときに書いた原稿)も
混在しています。

そのつど、訂正記事などを追加しています。
ですから、できるだけ、最新のものを
お読みいただければ、うれしく思います。

まちがったことは書いてないつもりですが、
しかし古い原稿ほど、不備な点、言い足りない点
があるのは、事実です。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 17日(No.584)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page023.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの心理、思いつくまま】

●ものわかりのよい子ども

 幼稚園児や小学校の低学年児であるにもかかわらず、たいへん従順で、すなお(?)で、
ものわかりのよい子どもがいる。聞き分けもよく、先生の指示にも、よく従う。

 「ブランコに乗っていたら、そこへ友だちがきて、貸してくださいと言いました。あな
たはどうしますか」と聞くと、「貸してあげます」などと、スラスラと答える。

 このタイプの子どもは、いつも、自分が他人にどう見られているかを気にしている。他
人の評価の中で、自分の位置づけをしようとする。みなに、(いい子)に見られることによ
って、安心感を覚える。

 親や先生には、その分だけ、受けがよい。「よくできた子」という評価を受ける。しかし
問題がないわけではない。こうした不自然さは、やがて子どもの心を、少しずつ、むしば
み始める。

 見た感じとしては、いつも柔和な笑みを浮かべているといったふう。しかし何を考えて
いるか、よくわからない。

 子どもというのは、そのときどきにおいて、昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。乳
児期から幼児期へ。幼児期から少年期へ、と。そのカラをそのつど脱がないため、そのツ
ケは、おとなになってから、ドッと出てくる。いわゆる『アダルト・チェルドレン』の問
題も、そこから生まれる。

 おとなになりきえない、精神的未熟性の残った子どもを、アダルト・チェルドレンとい
う。

 他者への依存性が強く、自立できない。そのため相対的な価値観をもちやすい。隣の人
より、よい生活ができれば、幸福。そうでなければ、不幸、と。が、それだけではすまな
い。

 外の世界で、大きなストレスをためやすく、そのため家の中で、暴れたり、親に向かっ
て暴言を吐いたりすることもある(プラス型)。カアッとなって、母親に、包丁を投げつけ
ていた女の子(年長児)がいた。

 一般的に、(すなおな子ども)というときは、心の状態と表情が一致している子どもをい
う。いやだったら、はっきりと「いや」と言う。このタイプの子どもは、ここに書いた子
どもと正反対の位置にいる子どもと理解すると、わかりやすい。
(はやし浩司 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン ものわかりのよい子ど
も 子供 子供の心理 依存性の強い子ども 子供)


●自分を偽る子ども

 (そうである自分)を偽り、(別の自分)を演ずる子どもは、少なくない。以前、書いた、
「悲しき道化師」と呼ばれる子どもも、このタイプの子どもということになる。

 勉強ができない。宿題もやっていない。先生にさされても、答を言うことができない。
そこでこのタイプの子どもは、ひょうきんな道化師として、みなを笑わせる。決してふざ
けているのではない。そういう形で、自分の存在感をつくる。「みなに、バカと思われるよ
り、おもしろいヤツ」と思われたほうが、気が楽なのである。

 しかしこのタイプの子どもは、(この悲しき道化師タイプの子どもも含めて)、集団の中
では、相当のストレスを受ける。一見、朗らかで、明るい表情をしている。おおらかに見
える。それでつい油断して、ほかの友だちが、からかったりすると、それで大きくキズつ
いたりする。

 つまりこのタイプの子どもは、ストレッサー(ストレスの原因)を、自分の中で、つく
りあげてしまう。

 わからなかったら、「わからない」と言う。できなかったら、「できない」と言う。そう
言うことは、何も恥ずかしいことではないし、またそうであるからといって、卑下しなけ
ればならないことではない。そんな教育観を、まず親自身が取りもどす。

親が、「こんなことができなくて、恥ずかしくないの!」などと言っていると、子どもは、
ますます自分の心を偽るようになる。

 子どもが生活のどこかで、自分を偽り始めたら、要注意。それが進むと、心身症や神経
症の遠因になることもある。
(はやし浩司 悲しき道化師 心を偽る子供 虚飾 虚栄 他人の目を意識する子供)


●虚栄心の強い子ども

 その子ども(人)の生き様は、20歳くらいまでに完成する。「完成する」というより、
その方向性は、20歳くらいまでにできあがる。あとは、その子ども(人)は、自分で敷
いたレールの上を、歩くようになる。

 虚栄心と、ウソは、ちがう。虚栄心は、自分を飾り、(本当の自分)より、よい自分を、
他人の目の中で演ずることをいう。ウソをつくのは、あくまでも、その結果でしかない。

 昔、「私はイタリアの王女」と言っていた女の子(オーストラリア人、10歳くらい)が
いた。そこで私が、「イタリアには、王女はいないよ」と話したが、その子どもは、それを
頑(がん)として、否定した。

 その子どもは、虚構の世界に住んでいたことになる。しかしこうした虚構性は、年齢と
ともに、大きくなり、さらに、巧みになる。

 わざと高貴な奥様ぶってみたり、リッチな様子をしてみせたりする。家の中では、イン
スタントラーメンを食べていても、外出するときは、ブランド品で身を包んで出かけたり
する。いつも、財布の中に、10〜20万円の札束を入れて、支払いのときなどに、これ
見よがしに、他人に見せびらかしていた女性(65歳)もいた。

 本当は、その女性は、老齢年金と、近くに住む息子氏からのわずかな仕送りで、細々と
生活をしていたのだが……。

 このタイプの子ども(人)が、悲劇的なのは、やがて、自分を見失ってしまうというこ
と。自分がだれであるかさえ、わからなくなってしまう。そして虚栄がそれなりにうまく
作用していれば、それなりに幸福感(充実感)を味わうことができるが、そうでない自分
に気づいたとき、へたをすれば、はげしい自己嫌悪から自己否定へと進んでしまうことも
ある。

 こうした虚栄心の強い子どもは、そうでない子どもと比較すると、よくわかる。虚栄心
の強い子どももいれば、反対に、自分をまったく飾らない子どもというのもいる。あるが
ままの自分を、堂々と見せながら生きている。

 ふつう、虚栄心の強い子どもというのは、それだけ愛情に恵まれなかった家庭に育った
子どもとみてよい。親子の信頼関係そのものが、結ばれていない。そのため、他人に心を
開くことができない。社会そのものに心を開くことができない。その結果として、自分の
姿を偽るようになる。

 さらに症状がひどくなり、長期にわたると、仮面をかぶっていること、そのものがわか
らなくなってしまう。

 このタイプの人は、言動が、わざとらしく、どこか不自然。ぎこちない。ことさら善人
ぶったりする。
(はやし浩司 虚栄心 虚栄心の強い子ども 見栄を張る子ども 子供 自分を偽る子ど
も 親子の基本的信頼関係 仮面 ペルソナ)


●現実を認識しない子ども

 理想や望みばかりが高くて、現実を受け入れることができない。……そんなタイプの子
どもがいる。

 もっとも、この時期(4歳〜12歳)は、自分の能力を客観的に評価することができる
子どもは少ない。しかし小学校の高学年になってくると、(現実)というカベに、多くの子
どもたちは、「成績と」いう形で、直面する。

 たとえば、能力をはるかに超えたワークブックをかかえ、苦しんでいる子どもがいる。
で、そういう子どもには、私は、「そのワークブックは、君には合っていないから、もっと
簡単なのにしなさい」とアドバイスをする。

 しかしそういうアドバイスに耳を傾ける子どもは、少ない。「これができないと、AA中
学に入れない」と、反論したりする。また、「できない」と認めることは、このタイプの子
どもにとっては、敗北を意味する。

 そこで、このタイプの子どもは、解答を丸写しにしたりして、(できた)という体裁をと
りつくろう。親は、そのワークブックを見て、「うちの子は、できる」と思いこむ。

そこで私は、こう言った。「あなたのお母さんに、正直に言いなさい。ぼくには、その力
はないから、AA中学は無理だ。もう少し下の学校にランクを落としたいと」と。

 しかし子どもは、そういうことを、親には、絶対に言わない。

 私は、長い間、そういう子どもの心理が理解できなかった。が、ある日、こんな男性が
いることを知った。それで理解できた。

 その男性は、会社をリストラされて、職を失った。しかし家族には、それを言えず、い
つものように、定刻に家を出て、また夜は、定刻に家に帰ってきていたという。その間、
魚釣りをしたり、パチンコをしたりして、時間をつぶしていた。

 つまり子どもにしてみれば、「その力がない」と告白することは、自分の存在感そのもの
を否定することになる。だから親には、言わない。親に「できる」と思わせることによっ
て、自分の存在感を保つ。

 その心は、仕事を失った人が、あたかも仕事にでかけるようなフリをして、時間をつぶ
す。その心と、どこも、ちがわない。
(はやし浩司 現実を認めない子供 子ども)


●ウソをつく子ども

 子どもというのは、たとえばスポーツクラブや塾、さらにはおけいこ塾などをやめたく
なっても、「やめたい」とは言わない。そういうときは、親にウソをつく。

 「先生が、まじめに教えてくれない」「体罰を加える」「ひどいことをする」と。

 そういうウソを並べながら、親をして、「それなら、そんなところはやめなさい」と言う
ように、しむける。

 ……たいていのケースでは、ここまでで話が終わるが、そのあと、子どもの予想を超え
て、事件に発展することもある。

 ある母親が、スポーツクラブのコーチのところへ、ある夜、怒鳴りこんできた。ものす
ごい剣幕だった。いわく、「あなたは、うちの息子(10歳)を、殴ったそうですね。息子
の話では、息子は何もしていなかったと言っています。どうしてそんなことをするのです
かア!」と。

 そのコーチにしてみれば、まさに寝耳に水。「私は、そんなことをした覚えはありません」
と言うと、その母親は、「息子は、ウソをつくような子どもではありません!」「いいかげ
んなことを言うな!」と。

 残念ながら、子どもというのは、よくウソをつく。その子どものばあいも、そういう母
親だからこそ、ウソを言ったと考えられる。親の過干渉と過関心。それに加えて、はげし
い気性の親をもつと、子どもは親の前では、いい子ぶるようになる。つまり仮面をかぶる。

 だからかえって親の前では、(その母親が言うように)、かえっていい子に見えるときが
多い。まただからこそ、ウソも多くなる。

 さらにこの仮面で注意しなければならないのは、子ども(人)は、仮面をかぶることで、
自分にとってつごうの悪いことを、心の別のところにしまいこむことがあるということ。
つまり邪悪な自分を、そこへしまいこむことによって、自分はいい子だと、本気で信ずる
ようになる。

 しかしときとして、その別の心が、表に出てくるときがある。日ごろは、よくできたと
思われている子どもが、とんでもないような大事件を引き起こすことがある。そういう事
件が起きると、周囲の人たちは、異口同音に、「信じられません」「あんないい子が……」「お
となしくて、やさしい子でした」などと言う。

 このタイプの子どもは、仮面(ペルソナ)をかぶりながら、別のところで、暗い影(シ
ャドウ)をつくっていたことになる。そのシャドウが、その子どもを、ウラから操ったと
いうことになる。

 子どもの仮面には、じゅうぶん、注意したほうがよい。
(はやし浩司 仮面 嘘 嘘をつく子ども シャドウ 子供の心理 育児問題)


●思いこみの強い子ども

 ふつうでないこだわりをもつ子どもは、心に何かの病気をもっていると考える。たとえ
ばささいなことを気にして、いつまでもクヨクヨと悩むなど。幼児期に読んでいた雑誌を、
片時も放さなかった子ども(小6男児)もいた。

 で、少し話は変わるが、こんな中学生(男子)がいた。Pケモン全盛期のころである。

ある日、窓の外に向かって、何やら呪文(じゅもん)らしきものを唱えていたので、「何
をしているの?」と声をかけると、こう言った。「あのビルを、ぼくの超能力で、破壊し
てみたい」と。

私「君が、そう思うのは勝手だけど、破壊されるほうは、困るよ。中には、人がいるしね」
子「ぼくが、やったとは、だれにも、わからない」
私「わからなくても、たいへんな迷惑だよ」と。

 私はその異常なまでの自己中心性に驚いた。自分のことしか考えていない。しかも、超
能力などという、コミックの世界の能力があると思いこんでいる!

 こうした異常なまでの(思いこみ)でよく知られているのが、ストーカー行為である。「相
手は、自分のことを好きなはずだ」「相手を真に幸福にできるのは、ぼくだけだ」と。そう
した思いこみだけをもとに、妄想をどんどんとふくらませていく。

 ある程度の妄想性は、だれにでもある。またその妄想性が、ロマンやドラマを生み出す
こともある。しかしその妄想性が、ひとり歩きを始めて、手に負えなくなくなることがあ
る。

 相手をつけまわしたり、執拗に電話をかけたりするなど。待ち伏せすることもある。い
わゆる「ドクレランボー症候群」というのが、それである。

 このタイプの人にも、異常なまでの自己中心性が見られる。相手の立場に立ってものを
考えることができない。そういう意味で、「パーソナリティ障害」と位置づける人もいる。

 同じように、このタイプの人も、いくら説明しても、それがわからない。「ぼくは相手の
ためにしてやっている」「相手を守ってやっている」などと考える。そしてささいな相手の
行動や言動に、特別な(?)意味を添えて、自分勝手な妄想をふくらませる。

 本当は、その相手は、追いかけまわされるのがいやで、別の道を通って家に帰ったのに、
「相手は、ぼくと二人だけになりたかったら、その道を選んだのだ」などと考える。

 一度、こういう状態になると、(社会性の欠落)→(ますます強い妄想性をもつ)→(ま
すます社会性が欠落する)の悪循環の中で、社会生活そのものから、遊離するようになる。
ひとりで、部屋に引きこもってしまうことも珍しくない。

 こうした(思いこみ)は、子どもの世界では、決して、好ましいものではない。しかも
やっかいなことに、こうした思いこみによる妄想性は、年齢とともに、ますますふくらん
でいく。一般的には、思春期前後に発症すると言われている。

それまでの家庭教育が、重要ということになる。
(はやし浩司 ドクレランボー症候群 妄想 思いこみ 思い込み ストーカー行為)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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【子どもを伸ばす、5つの箴言(しんげん)】

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●許して、忘れる

 親の愛の深さは、どこまで子どもを許して忘れるかで、決まる。英語では、『for・give & 
for・get 』という。

 この単語をよく見ると、「与えるために、許し、得るために忘れる」とも訳せる。(forgive= 
許す、 forget=忘れる。そのため、「フォ・ギブは、与えるため」、「フォ・ゲッは、得るた
め」とも訳せる。)

子どもに愛を与えるために、親は許し、子どもから愛を得るために、親は忘れるという
ことになる。

 子育てをしていて、袋小路に入り、行きづまりを覚えたら、この言葉を思い出してほし
い。心が軽くなるはずである。

●子どもの横を歩く

 親には、三つの役目がある。ガイドとして、前を歩く。プロテクター(保護者)として、
うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。

 いつも子どもの意思を確かめること。(したいこと)と、(していること)が一致してい
る子どもは、どっしりと落ちついている。夢や希望もある。当然、目的があるから、誘惑
にも強い。

●ほどよい親である

 やりすぎない。子どもが求めてきたら、与えどきと考えて、そのときは、ていねいに答
えてやる。昔から『肥料のやりすぎは、根を枯らす』という。

 いつも、「子どもがそれを求めているか」ということを、自分に問いかけながら、子ども
に対処するとよい。手のかけすぎ、サービス過剰は、かえって、子ども自身が自ら伸びて
いく芽をつんでしまうことになる。

●暖かい無視

 親の過剰期待、過関心、過干渉ほど、子どもの負担になるものはない。「まあ、うちの子
は、こんなもの。親が親だから……」という割りきりが、子どもを伸ばす。

 親は、いつも子どもから一歩退いた位置で、子どもを見守る。野生動物保護団体には、『暖
かい無視』という言葉がある。その言葉は、そのまま、子育てにも当てはまる。

●子どもは使う

 使えば使うほど、子どもは、すばらしい子どもになる。家事、仕事、手伝いなど。身近
なところから、どんどん、使う。

 使えば使うほど、子どもには忍耐力(いやなことをする力)が身につく。この力が、子
どもを伸ばす。もちろん学習面でも、伸びる。もともと学習には、ある種の苦痛がともな
う。その苦痛を乗りこえる力が、忍耐力ということになる。
(はやし浩司 育児 育児のコツ 子育てのコツ 子育て法 育児法 子どもを伸ばす 
子供を伸ばす 育児相談)

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++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

(補足)

●子どもの意思

 子どもの意思をそのつど確かめながら、子育てをする。それが子育てのコツということ
になる。

 子どもが何をしたがっているか。何に興味があるか。どんな方向に向って進んでいるか。
それを静かに観察する。

 あとはその方向性に沿って、子育てをしていけばよい。

 (自分のしたいこと)を、(自分でしている子ども)は、どっしりと落ちついている。安
定感もある。

 そういう子どもは、目標をもちやすい。またそれに、夢や希望を重ねやすい。だから途
中で、道からはずれたりしない。誘惑にも強い。したいことをしているから、その力も、
2倍、3倍と発揮される。

 が、それを乱してしまう親がいる。親のつごうや、勝手で、子どものやりたいことを、
ねじ曲げてしまう。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】

●ニビル

 太陽系には、もう一つの惑星、つまり第10番目の惑星があるという。いろいろな名前
で呼ばれているが、その世界では、「ニビル」と呼ばれている。「その世界」というのは、
ニビルの存在を、本気で信じている人たちの集まりをいう。しかも、だ。そのニビルとい
う星には、知的生物まで、住んでいるという!?

 ニビルは、もともとは、太陽系の外にあった惑星だったそうだ。が、あるとき、太陽の
引力にとらわれ、そのまま太陽系の惑星の一つになったという。

 それらしき「星」も、実際、発見されている。ただあまりにも距離が遠いので、確認は
されていないそうだ。

 その本を、実は、昨日、ワイフが、書店で買ってきた。そして目下、夢中になって読ん
でいる。で、その本の中にも、火星の衛星の、フォボスについて書かれている。ウソか本
当かは、確かめることはできないが、その本でも、フォボスは、それ自体が、巨大な宇宙
船だという。

 いろいろな理由が並べてある。

 中が空洞だとか、大きすぎるクレーターがあるとか、自然にはできるはすもない、スジ
が無数にあるとか。さらには、月と同じように、真円に近い火星の軌道上を、回っている
とかなど。

 フォボスも、自転周期と、公転周期が一致しているため、いつも、火星面に対しては、
同じ方向をむいているという。月によく似ている。

 いろいろ読んでいくと、かぎりなくロマンが広がっていく。おもしろい。私は、こうい
うSF的な話が大好き。そう言えば、昨夜、アメリカで、『スターウォーズ』の新作が封切
りになったという。楽しみだ。

最終作は、「エピソード3・シスの復讐」(ジョージ・ルーカス監督)だそうだ。ハハハ。


●妻たちの本音

 夫が九州へ、単身赴任が決まったとき、私の家にやってきて、ワイフの前で、「ヤッター!」
と喜んでいた妻がいた。

 ふつうなら、悲しむはず。しかしその妻は、「ヤッター!」と。

 「静岡くらいだと、毎週、帰ってきちゃうけど、九州だと、そうはいかないしね」とも。
私は、最初、その言葉が信じられなかった。(浜松から静岡までは、新幹線で、30分ほど。
九州までは、丸1日かかる。)

 で、この話を、母親たちが集まる会で話したら、そこにいた母親たちが、みな、こう言
い出した。

「そういうものよねえ」
「私も、20%は、うれしかった。夫が沖縄に単身赴任と決まったときは、うれしくて実
家に電話をしたわよ」
「私の友だちも、そうよ。夫が北海道へ転勤が決まったとき、なんだかんだと理由をつけ
て、単身赴任にさせてしまったそうよ」と。

 私はそれを横で聞いていて、返す言葉が出てこなかった。意外だった! 「さみしくな
いのですか?」と聞こうと思ったが、やめた。

 で、会話はつづく。

 「うちなんか、月に1度くらい帰ってくるけど、たがいに、無関心よ」
 「うちのダンナも、先週帰ってきたけど、私、その日は、実家にとまったわ。母が病気
だとかなんとか、ウソを言ってね」と。

 みな、あっけらかんとしている。屈託がない。明るい。それでいて、みな、「夫婦仲は、
いいわよ」「月に1度くらい会えば、満足よねえ」とか言う。

 全国の男性諸君のみなさん! 夫のみなさん! こういう現実を、ご存知だろうか。

 今まで、「単身赴任という制度は、非人間的な制度だから、反対しましょう」と運動して
きた、私が、バカに思えてきた。つまり、サラリーマンの妻たちは、夫の単身赴任を、嫌
うどころか、望んでいる(?)。

 このことを家に帰ってワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「長くサラリーマンの妻
をしていると、そういうものの考え方になるみたいよ……」と。

 そういうものか?
 
 私にはよくわからないが……。

 となると、夫婦とは、いったい、何か、ということになってしまう。時代が変わったの
か? 若い女性たちの意識が変わったのか? 

 私にはわからないが、そういう現実もあるということを、ここに記録しておく。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●愛することと、愛されること

 わかりやすい例で考えてみよう。

 もしだれかが、「ぼくのために、だれも動いてくれない」と言ったとする。するとだれし
も、こう答える。「それは甘い。では、君は、だれかのために動いたことは、あるのか?」
と。

 家族だってそうだ。父親が、「だれも、ぼくのことを理解してくれない」と言ったとする。
すると家族のみなは、こう答えるだろう。「では、お父さん、あなたは、家族のことを理解
していますか?」と。

 同じように考えていくと、「愛する」ということが、どういうことかわかってくる。

 他人に動いてもらうためには、まず、自分が、他人のために動かねばならない。自分を
理解してもらうためには、まず、ほかの人を理解しなければならない。同じように、自分
が愛されるためには、まず、自分が、他人を愛さなければならない。

 一方的に、相手に求めるだけではいけない。が、依存性の強い人には、それがわからな
い。(してもらうこと)が、当たり前の世界で生きている。最初は、多少の感謝の念をこめ
て、「ありがとう」と言う。しかし長つづきしない。やがて、それが当たり前になってしま
う。

 そういう意味では、依存性は、麻薬の依存性に似ている。依存性をもちながら、それを
繰りかえしていると、依存的であることすら、忘れてしまう。私の、頭のやや(かなり?)
ボケた兄がそうだ。

 食事の時間になると、急に落ちつきなく、動きまわる。ワイフが「もう少し待っていて
ね」と、いくら声をかけても、その瞬間だけの効果しかない。もちろん、何も手伝わない。

 そして少しでも時間が遅れたりすると、とたんに不機嫌になったり、「死んでしまう」と
か言い出す。

 で、食事。その食事のときも、「かたいものは、食べれない」「食べると、腸がつまって
死んでしまう」とか言い出す。突然、口からパッと食べているものを吐き出してしまうこ
ともある。横へ投げ捨ててしまったこともある。「かたいから、食べれない」と。

 もちろん食事のあとは、そのまま。食器をシンクへ持っていくことすら、しない。その
ままソファに座って、テレビを見始める。

 こうした依存性は、なぜ生まれるか……というより、長い生活習慣の中で、兄の中に定
着してしまったと考えるほうが、わかりやすい。兄にとっては、それが当たり前の生活な
のだ。

 そこで、あるとき、一度だけだが、自分の茶碗に、ポットからお茶を注がせた。しかし
そのとたん、兄は、パニック状態になってしまった。ポットをわざと、ひっくり返してし
まった。そして体でぶつかるようにして、テーブルに倒れかかり、茶碗を割ってしまった。

 私たちも、一度で、こりた。以後、兄には、何もさせないようにした。で、これも考え
てみれば、依存性の問題ということになる。

 では、こうした依存性を防ぐためには、どうしたらよいのか。子どもの世界で考えて見
よう。

 まず大切なことは、自分でそれなりの苦労をさせて、相手を喜ばすことから教え始めな
ければならない。「こうすれば、パパが喜ぶよ」「こうすれば、お兄ちゃんが喜ぶよ」と。
子どものかわいさに負けて、子どもを、決して、王子様や王女様にしてはいけない。

 つぎに大切なことは、自分でできる喜びを、わからせる……というふうに、つづくが、
今まで、それについては、何度も書いてきたので、この話は、ここまで。

 さて、「愛」の話にもどる。

 結論から言えば、そんなわけで、愛というのは、(もらうもの)ではなく、(与えるもの)
ということになる。少なくとも、「愛される」「愛されない」というのは、私やあなたの問
題ではないということ。それを決めるのは、あくまでも、他人ということになる。

 私やあなたは、ただひたすら、人を愛することだけを考えればよい。その結果は、あと
からついてくる。あるいは結果すらも、求めない。気にしない。

 そんなわけで、もしあなたが今、「私はだれにも、愛されない」「私は孤独だ」と感じて
いるなら、その原因は、あなた自身にあるということにある。

 ただここで注意しなければならないのは、私やあなたが、他人を愛したからといって、
必ずしも、その見かえりがあるというわけではないということ。ほとんどのばあい、その
見かえりはない。

 だから最初から、見かえりなど、期待しないこと。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●大家族問題

 大家族だから、悪いということではない。貧困だから、悪いということではない。家族
が、それぞれ暖かい愛情で包まれ、助けあって生きていくなら、それはそれとして、すば
らしいことである。

 しかし今のこの日本では、大家族である上に、そこに貧困が加わると、さまざまな問題
が生じてくる。第一に、教育には、お金がかかりすぎる。そのため、子育てにも、お金が
かかりすぎる。いわゆる「一人前の育児」(?)となると、こうした家庭では、無理ではな
いのか。

 ときどきテレビなどで紹介される、こうした家庭をみると、高校へ進学したくても、進
学できないという事情も生まれてくるようだ。さらに最近、かいま見た番組の中では、1
6歳になった長女が、妊娠して出産。子どもを家に連れて帰るというシーンまであった。

 全体(流れ)を見ていないので、これ以上のことは、何とも言えないが、それまで、長
女は、家出をしていたということになる(?)。番組のあちこちで、私は、親の、どこか無
責任な育児姿勢を感じた(失礼!)。

 もっとも、大家族にせよ、貧困にせよ、こうした家族は、2世代昔の日本では、珍しく
なかった。私の母方の兄弟(母の兄弟)は、13人もいた。当時は、まさに、「生めよ、ふ
やせよ」の時代であった。

 もちろんテレビ番組だから、その家族に対して、否定的な意見や見方は、いっさい、な
かった。「すばらしい家族」として、紹介されていた。そうしたテレビ局側の意図は、こう
した番組の制作上、やむをえなかったかもしれない。

 最後は、長女からの父親への手紙で、終わった。しかし、私の経験では、つまり私が知
る範囲では、一度できた親子の(わだかまり)が、たった一通程度の手紙で、霧散すると
いうことは、ありえない。

 何となく「ヤラセかなあ……」という、思いで、私は、そのシーンを見た。

 ……と、まあ、いろいろ言いたいことはあるが、この話は、ここまで。その家族は、そ
の家族なりに、がんばっている。それに生まれてきた子どもたちには、責任はない。それ
にあえて皮肉な見方をすれば、その家族には、100万円単位以上の、制作協力費が支払
われているはず。(常識的には、1回分の収録で、数百万円程度。)

 テレビに出ることで、生活費が助かっているということも、ありえる。

 ただ、そういうこともあって、すなおに、「がんばってくださいよ」という言葉は、私の
口から出てこなかった。むしろ、あえて言うなら、子ども1人ひとりの将来を考えて、も
う少し計画的に、出産計画を立てられなかったのかなという思いは残った。

 が、これとて、いらぬ節介。その家族がその家族なりに、幸福であれば、私のようなも
のがとやかく言う必要はない。また言ってはならない。
(はやし浩司 大家族)


●サイクル

 子育てには、大きなリズムがある。そしてそれぞれのリズムは、無数のサイクルで構成
されている。

 たとえば夫婦げんかや、親子げんか。そこには一定のサイクルがある。

 (衝突期)→(反省期)→(安定期)→(緊張期)→(衝突期)と。

 これについては、すでに何度も書いてきたので、ここではその先について、書く。

 こうしたサイクルを感じたら、できるだけそのサイクルを、繰りかえさないように、そ
の途中で、それを切る。まずいのは、そのサイクルに気づかないまま、同じ失敗を繰りか
えすこと。

 このサイクルは、それに気がついた段階で、やがて自ら崩壊する。だからもしあなたが、
いつも同じようなサイクルで、失敗を繰りかえしているというようなら、それにまず、気
がつくということ。そこが重要。

 気がつくだけでよい。

 ただし、夫婦げんかにせよ、親子げんかにせよ、それが生活のスパイス(調味料)にな
っていることもある。もちろん破滅的なけんかはよくないが、そのつど、適当なサイクル
を繰りかえしながら、生活に、緊張感をもたらすことは、それほど、悪いことではない。

 「夫婦げんかをして、仲なおりしたあとの、セックスは、これまた格別」などと、言っ
た友人(男性)が、昔、いた。(こういうことを書くと、すぐ私自身のことだと思う人がい
る。しかし私じゃ、ないぞ。念のため。T市のKさんへ。) 一理ある。
(はやし浩司 夫婦喧嘩 親子喧嘩 夫婦げんか 親子げんか)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

アメリカの育児、「ファーバー方式(FEBER METHOD)」(改)

【子どもの夜泣きについて】

●ファーバー方式

 新生児の夜泣きの対処のしかたについて、アメリカには、「ファーバー方式」というのが
ある。それについての紹介文を転載する。ファーバーというのは、その考案者の博士の名
前をいう。(義理の娘が通う、母親学級のテキストからの転載)

Your baby is crying, and wakes up several times during the night. Your'e exhausted, 
and haven't had a descent night sleep, what are you going to do?  Ferberizing your 
baby will help your child sleep through the night and will help you from going mad 
from lack of sleep. Dr. Ferber, a leading pediatric sleep disorder specialist, has 
come up with a method guarantee to get your child sleeping through the night. 
 あなたの赤ちゃんが泣き、毎晩何度も起こされる。
 あなたは消耗し、安らかな眠りを得られない。
 そういうとき、どうしますか?
 睡眠障害のスペシャリストのファーバー博士が、あなたの赤ちゃんが眠るのを助けます。
The Ferber method is a progressive method and it calls for the parents to let their 
babies cry for a set period of time before comforting or "checking in on their child". 
Although the Ferber method does work for some parents, others think that it is to 
rigid. It is important to read the book and to decide for yourself. Some of the 
mothers in my classes have modified his method to fit their schedules and tolerance 
levels.

ファーバー方式は、泣いている赤ちゃんをなぐさめたり、「あれこれ原因さがしをする」
前に、ある程度泣かせるという方式です。
ファーバー方式は、有効なときもありますが、しかし厳格すぎるという人もいます。
大切なことは、あなた自身が自分で本を読み、判断することです。
私の(母親教室の)母親たちは、自分たちの忍耐力のレベルにあわせて、このファーバ
ー方式を修正して、応用しています。

 Dr. Ferber is the first one to tell parents that his method can take a toll on the 
family. Some parents cannot bear to hear their children cry for extended 
periods of time. Ferber states in his book that in order for his approach to work 
it is very important to stick with the routine. There are no exceptions unless your 
are traveling , your child is sick or you have company at your house. If you disrupt 
your babies sleep schedule and they start to wake up during the night again you 
will probably have to referberize the child. 
ファーバー博士は、この方式は、母親の負担を減らすものだと、述べています。
母親によっては、(忍耐の限界を超えて)赤ちゃんが泣きつづけることに耐えられない。
ファーバー博士は、この本の中で、この方式を応用するためには、日常生活をそのまま
つづけることが重要だといいます。
旅行中とか、赤ちゃんが病気とか、来客中とかいうのであれば別ですが、例外はないと
いいます。
もし赤ちゃんの睡眠スケジュールを乱すと、赤ちゃんをあやすために、また夜中に起き
なければならなくなります。

 In his method Dr. Ferber suggest that after a loving pre-bedtime routine that you 
put your child to sleep while your baby is still awake. Putting your child to sleep 
while he/she is still awake is very important and this will teach them to go to 
sleep on their own.

この方式の中で、ファーバー博士は、赤ちゃんがまだ目をさましていても、赤ちゃんを
寝さかせ、いつもの就眠儀式をすることを提案しています。

まだ目をさましている赤ちゃんを寝させることは、とても重要なことで、このことが、
赤ちゃんが自分で眠ることを教えます。

 Ferber suggests that children be at least 5 months old before you try to ferberize 
them. Your baby must not be sick, or on any medications that will interfere with 
his/her sleeping when you start the method. Once your child is in bed leave the 
room and if she/he cries, wait a certain amount of time before you check on your 
child again.(the waiting time is outlined in his book, 

ファーバー博士は、少なくとも五か月未満の赤ちゃんは、この方式を応用してみるとよ
いと言っています。
この方式をはじめるときは、まず赤ちゃんが病気でないないことが前提となります。
赤ちゃんがベッドに入ったら、赤ちゃんが泣いても、(親は)部屋を出ます。
そしてしばらく様子をみます。
(その時間については、本の中のガイドに従ってください。)

(Solve Your Child's Sleep Problems). After the "waiting time" check in on your 
child but do not rock, feed or pick her/him up. Soothe your child only with your 
voice. Gradually increase the amount of time between the visits to your child's 
room. Eventually (usually within a week) your child will realize that crying means 
nothing more than a brief check from you. He or she will learn to sleep on his/her 
own through the night and you will also get the sleep that you have been deprived 
of for so long. 

赤ちゃんの睡眠問題を解くために……
しばらく待ってみて、赤ちゃんをチェックし、赤ちゃんを抱いてあげます。
あなたの声で、赤ちゃんをあやします。
少しずつ、赤ちゃんの部屋を訪問する時間を長くしていきます。
結果として(ふつう一週間単位で)赤ちゃんは、泣いても無駄ということを学びます。
そして赤ちゃんは夜の間、眠るようになります。
あなたも眠られるようになります。

 Ferber states that it's ok for your child to throw a tantrum or to cry for extended 
periods of time this will not hurt your child. He/she will realize that crying will 
get them nowhere. To ferberize or not ferberize is a decision that only you and 
your partner can make. Here's what some parents are saying about the Ferber Method.


ファーバー博士は、赤ちゃんがかんしゃくを起こし、ある程度の間泣いても、この方式
は、赤ちゃんを傷つけないといいます。
赤ちゃんは泣いても、何も解決しないことに気づきます。
ファーバー方式を使うにせよ、しないにせよ、それはあなたが決めることです。
ここにいくつかコメントがあります。

" I hated it. I just couldn't ! let my child cry not even for 5 minutes". Jody 

「この方式は、嫌いです。私は五分だって、子どもには泣かせることはできません」

" I was so exhausted I couldn't do anything. His method saved my life." Sonia 

「私は疲労しました。彼の方式は、私を救いました」

"It's great to have a formula to follow. It worked with all my kids." Maria 

 「すばらしい方式です。私の子どもたちには、有効でした」

●はやし浩司より

 このファーバー方式は、アメリカでは広く知られている。子育て(parenting)
の指導法としても、一定の地位を確立しつつある。
 
 私も、外国へ行くと、よく書店をのぞいてみる。向こうでは、いわゆる「教育書」と「育
児書」が、ほぼ、同じ割合で、並んで書店に並んでいる。一方、この日本では、育児書の
多くは、書店の目立たないところに、ひっそりと並んでいる。このあたりにも、「家庭教育」
に対する認識の違いがある。つまりこの日本では、「何でも幼稚園や保育園で……」という
考え方が強く、一方、欧米では、「子育ては家庭で……」という考え方が強い。

++++++++++++++++++++++

以上の訳について、読者の方より、「訳がおかしい」
という指摘をもらった。
東京M区に住んでいる、SKさんという方からです。
ご指摘ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++

【SKさんより……】

ファーバー方式の和訳についてひと言。英文の解釈が少し違うような気がするのですが、
もう一度注意深く読むと良いかと……特に Ferber suggests that children be at least 5 
months old before you try to ferberize them. とAfter the "waiting time" check in on your 
child but do not rock, feed or pick her/him up. のくだりです。私には、「赤ちゃんが少な
くとも五ヶ月に達していること」と「抱き上げたりおっぱいなどを与えるな」と解釈でき
るのですが……

+++++++++++++++++++++
(はやし浩司 ファーバー方式 Feber Method 子どもの夜泣き 子供の夜泣き 夜泣き)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 15日(No.583)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page022.html

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【BW教室から……】

●無責任な教え方(?)

 小学5年の女の子が、自分で勉強するようになった。放っておいても、どんどんとして
くれる。で、昨夜、小学5年の(上)が終わった。

 で、ロッカーをさがしても、5年の(下)がない。だれかに貸したままになっていた。

 しかたないので、「じゃあ、6年の上を勉強してみるか?」と声をかけると、かなり不安
そうな表情をしてみせた。

 「やってみな。自分を信じて!」と励ますと、「やってみる!」と。

 しばらく自分で本を読んでいた。何か、コツコツと作業をしていた。で、5分たち、1
0分がたった。

 すると私のところへ来て、こう言った。「先生、最大公倍数って何?」と。

 そこで私はこう言った。

 「昔、昔、おじいさんと、おばあさんがいてね。竹やぶの中で、竹の子をさがしていた。
するとね、一本だけ、光っている竹があったんだ。

 そこでおじいさんと、おばあさんは、その竹を切ってみることにしたんだよ……」

 「先生、その話と、最大公倍数とどういう関係があるの?」
 「ハハハ、ないよね。ごめん、ごめん」
 「もう、いい。私、自分で調べるから!」と。

 最近の教科書は、ていねいに書いてある。ふつうの本のように、ふつうに読めば、それ
なりに理解できるようになっている。しかし心のどこかに不安をいだいている子どもは、
その分だけ、それを依存性に変える。少しでもつまずくと、すぐ聞きに来る。

 しかし安易に教えてはいけない。自分でわかりそうなところは、自分でわからせる。が、
それでもわからなければ、教えるが、それには、タイミングというものがある。

 その女の子は、教科書を見ながら、ウーン、ウーンとうなっていた。

 が、やがて、大声で、「わかったア!」と。

 そこで私はこう言った。

 「いいか、教えられてできるのは、力ではない。またそんな知識など、すぐ消えてしま
う。しかし今、君は、自分で、それを理解した。それは君の力だ。その力は、君の身につ
いた。一生、君は、それを忘れないよ。よかったね」と。

 その女の子は、うれしそうに笑った。まわりにいた子どもたちも、みな、うれしそうに
笑った。

 ところで私は、子どもたちに何かを教えるときは、表情を見ながら、教える。表情とい
うよりは、その下に隠れている(心)というべきか。

 そこに、前向きな向学心を感ずれば、それでよし。そうでないときは、かなり警戒する。
ときとばあいによっては、そのまま、サボって、みんなでたこ焼きを食べに行くこともあ
る。

 こう書くと、「何てことを!」と思う人がいるかもしれない。が、ダラダラと2時間勉強
させるより、30分でも、サボったほうが、そのあと、はるかに効率よく子どもたちは勉
強するようになる。

 たこ焼きを食べて帰ってくると、子どもたちの表情が、パッと明るくなる。そういうこ
とは、よくある。

 こうした指導ができるのも、たがいの信頼関係があるから。決してそれに甘えてはいけ
ないが、しかし信頼関係がないと、こういう指導はできない。

 その女の子も、やがて、自分でどんどんと勉強するようになる。もうそのコースに入っ
ている。私がすべきことは、そのコースに、じょうずに、子どもを乗せること。励ますこ
と。

 「やりなさい!」「今日はここまで勉強します」「テストをします」「テスト範囲はここま
で」「あなたは○○点です」「順位は、○番!」などという指導は、指導ではない。訓練。
しかし家畜でも、そんな愚劣な訓練はしない。

 が、今、そんな愚劣な訓練ばかりが、大手を振って歩いている。そんなことを、その女
の子を見ながら、考えた。

 それにしても、理知的な目をしている。母親譲りだと、ふと、そう思った。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもを伸ばすコツ】

子どもを伸ばす最大のコツは、(子どもがしたいと思っていること)と、(子どもが現実に
していること)を、一致させてあげることです。とくに乳幼児期は、遊びを通して、それ
を実現します。

「ぼくは、これをしたい。だからこれをする」「私はこれをしたい。だからこれをする」と。

こうして(子どもの中の私)と、(現実の私)を一致させます。これをアイデンティティの
確立といいます。

こうしてその子どもは、自分の進むべき道を、自分でさがし求めるようになります。

ただ一つ、誤解してはいけないのは、(したいこと)は、そのつど、変化するということで
す。たとえば、幼児のことは、「ケーキ屋さんになりたい」と言っていた子どもが、小学生
になると、「パン屋さんになりたい」「お花屋さんになりたい」などと言うようになるかも
しれません。

しかしそのときでも、(自分がやりたいことに向って努力する)という、思考プロセスは、
頭の中に残ります。この思考プロセスこそが重要なのです。

中身は、そのつど、変わります。変わって当然なのです。

ここでは、「非行」をテーマに、この問題について考えてみます。子どもの非行というのは、
子ども自身が、(やりたいこと)を見つけ出せなくなったとき、その代償的方法(あるいは
自己防衛的方法)として、始まります。

++++++++++++++++++++++

●非行のメカニズム

 子どもの非行。その非行に子どもが走るメカニズムは、意外に単純なもの。言いかえる
と、子どもを非行から防ぐ方法も、簡単。

【第一期・遊離】

 (したいこと)と、(していること)が、遊離し始める。「ぼくは、サッカーをしたい。
しかし塾へ行かなければならない」など。「私はケーキ屋さんになりたいのに、親は、勉強
をして、いい大学へ入れと言う」など。

 (〜〜したい)と思っていることと、(現実にしていること)が、遊離し始める。つまり
子ども中で、アイデンティティ(自己の同一性)が、混乱し始める。

 アイデンティティが、混乱し始めると、子どもの心理状態は、不安定になる。怒りっぽ
くなったり(プラス型)、反対にふさぎやすくなったりする(マイナス型)。

 この状態を、「同一性の危機」という。

 この段階の状態に対して、抵抗力のある子どもと、そうでない子どもがいる。幼少期か
ら、甘やかされて育った子どもほど、当然、抵抗力がない。遊離したとたん、一気に、つ
ぎの(同一性の崩壊)へと進む。

一方、幼少期から、家事の手伝いなどを日常的にしてきた子どもほど、抵抗力が強い。
子どもの世界では、(いやなことをする力)を、「忍耐力」という。その忍耐力がある。

 アイデンティティが混乱したからといって、すぐ、つぎの第二期に進行するわけではな
い。個人差は、当然、ある。

【第二期・崩壊】

 (したいこと)と(していること)が、大きくズレてくると、子どもは、まず、自分を
支えようとする。がんばる。努力する。が、やがて臨界点にさしかかる。子ども自身の力
では、それを支えきれなくなる。

「野球の選手をめざして、もっとがんばりたいのに、毎日、勉強に追われて、それもで
きない」「勉強はおもしろくない」「成績が悪く、つまらない」と。

 こうして同一性は、一気に、崩壊へと向う。子ども自身が、「自分は何をしたいのか」「何
をすべきなのか」、それがわからなくなる。

【第三期・混乱】

 アイデンティティが崩壊すると、精神状態は、きわめて不安定になる。ささいなことで、
激怒したり、突発的に暴れたりする(プラス型)。

 反対に落ち込んだり、家の奥にひきこもったりする(マイナス型)。外界との接触を断つ
ことによって、不愉快な気分になるのを避けようとする。このとき、無気力になり、ボー
ッとした表情で、一日を過ごすようになることもある。

【第四期・非行】

 アイデンティティが崩壊すると、子どもは、主につぎの5つのパターンの中から、自分
の道を模索する。

(1)攻撃型
(2)同情型
(3)依存型
(4)服従型
(5)逃避型

 このうち、攻撃型が、いわゆる非行ということになる。独特の目つきで、肩をいからせ
て歩く。独特の服装に、独特の暴言などなど。暴力行為、暴力事件に発展することも珍し
くない。

 このタイプの子どもに、「そんなことをすれば、君は、みなに、嫌われるんだよ」と説い
ても意味はない。このタイプの子どもは、非行を通して、(自分の顔)をつくろうとする。
顔のない自分よりは、嫌われても、顔のある自分のほうが、よいというわけである。

 アイデンティティそのものが、崩壊しているため、ふつうの、合理的な論理は通用しな
い。ささいなどうでもよいことに、異常なこだわりを見せたりする。あるいは、それにこ
だわる。自己管理能力も低下するため、自分をコントロールできなくなる。

 以上が、非行のメカニズムということになる。

 では、子どもを非行から守るためには、どうすればよいか。もうその答はおわかりかと
思う。

 つねに(子どものしたいこと)と、(子どもがしていること)を、一致させるようにする。
あるいはその接点だけは、切らないようにする。

 仮に受験勉強をさせるにしても、「成績がさがったから、サッカーはダメ」式の乱暴な、
指導はしない。受験勉強をしながらも、サッカーはサッカーとして、別に楽しめるワクを
用意する。

 言うまでもなく、(自分のしたいこと)と、(していること)が一致している子どもは、
精神的に、きわめて安定している。どっしりしている。方向性がしっかりしているから、
夢や希望も、もちやすい。もちろん、目的もしっかりしている。

 また方向性がしっかりしているから、誘惑にも強い。悪の世界からの誘惑があっても、
それをはねかえすことができる。自己管理能力もしっかりいているから、してよいことと、
悪いことの判断も的確にできる。

 だから……。

 今までにも何度も書いてきたが、子どもが、「パン屋さんになりたい」と言ったら、「そ
うね、すてきね」「こんど、いっしょにパンを焼いてみましょう」などと、答えてやる。そ
ういう子どもの夢や希望には、ていねいに耳を傾けてやる。そういう思いやりが、結局は、
自分の子どもを非行から守る最善の方法ということになる。
(はやし浩司 非行 子どもの非行 子供の非行 非行から子供を守る方法 非行防止 
アイデンティティ アイデンテティ 自己同一性の崩壊 顔のない子ども 子供 はやし
浩司 非行のメカニズム)


●スチューデント・アパシー

 無気力、無表情、無感動の状態を総称して、「アパシー」という。そのアパシーが、若者
を中心に、部分的に現れることがある。とくに、男子学生に多い。それを、「スチューデン
ト・アパシー」(ウォルターズ)という。

 このスチューデント・アパシーが、燃えつき症候群や、荷おろし症候群とちがう点は、
ここにも書いたように、学業なら学業だけというように、アパシーになる部分が、かぎら
れているという点。学業面では、無気力でも、アルバイトや、交友、遊びは、人一倍、活
発にする。

 が、大学の講義室に入ったとたん、別人のように、無気力状態になる。反応もなく、た
だぼんやりとしているだけ。眠ってしまうこともある。

 こうした症状も、(本人がやりたいこと)と、(現実にしていること)のギャップが、大
きいことが原因でそうなると考えると、わかりやすい。「大学へは入ってみたが……」とい
う状態である。とくに、目標もなく、ただ点数をあげるためだけの受験勉強をしてきたよ
うな子どもに、多く見られる。

 このタイプの学生は、まず本人自身が、何をしたいかを正確に知らなければならない。
しかしたいていのケースでは、それを知るという気力そのものすら、消えていることが多
い。

 「君は、本当は、何をしたいのか?」
 「わからない」
 「でも、君にも、何か、やりたいことがあるだろ?」
 「ない……」
 「でも、今のままでいいとは、君だって、思っていないだろ?」
 「……」と。

 こうした症状は、早い子どもで、小学校の高学年児でも、見られるようになる。概して、
従順で、まじめな子どもほど、そうなりやすい。友だちと遊ぶときはそれなりに活発なの
だが、教室へ入り、机に向かってすわったとたん、無気力になってしまう。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、それに気づき、子どもの心を取
りもどす。よく誤解されるが、「いい高校に入りなさい」「いい大学に入りなさい」という
のは、子どもにとっては、(したいこと)ではない。一見、子どものためを思った言葉に聞
こえるかもしれないが、その実、子どもの心を破壊している。

 だから今、目的の高校や大学へ入ったとたん、燃え尽きてしまったりして、無気力にな
る子どもは、本当に多い。市内の進学高校でも、5〜10%が、そうでないかと言われて
いる(教師談)。大学生となると、もっと多い。
(はやし浩司 アパシー スチューデントアパシー 無気力な子ども 自我の崩壊 同一
性の危機 同一性の崩壊)

+++++++++++++++++++++

少し前、こんな相談がありました。再掲載します。

+++++++++++++++++++++ 

【E氏より】

甥(おい)っ子についてなんですが、小学二年生でサッカークラブに入っています。と
ころがこのところ、することがないと、ゴロゴロしているというのです。

とくに友だちと遊ぶでもなく、何か自分で遊ぶのでもなく……。サッカーもヤル気がな
いくせに、やめるでもない。こういう時は、どこに目を向ければいいのでしょうか。

やる気がないのは、今、彼の家庭が関心を持っている範疇にないというだけで、親自身
が持っている壁を越えさせることがポイントかな、と思ったりしたのですが……。 

【はやし浩司より】

●消去法で

 こういう相談では、最悪のケースから、考えていきます。

 バーントアウト(燃え尽き、俗にいう「あしたのジョー症候群」)、無気力症候群(やる
気が起きない、ハキがない)、自我の崩壊(抵抗する力すらなくし、従順、服従的になる)
など。さらに回避性障害(人との接触を避ける)、引きこもり、行為障害(買い物グセ、集
団非行、非行)など。自閉症はないか、自閉傾向はないか。さらには、何らかの精神障害
の前兆や、学校恐怖症の初期症状、怠学、不登校の前兆症状はないか、など。

 軽いケースでは、親の過干渉、溺愛、過関心、過保護などによって、似たような症状を
見せることがあります。また学習の過負担、過剰期待による、オーバーヒートなどなど。
この時期だと、暑さにまけた、クーラー病もあるかもしれません(青白い顔をして、ハー
ハーあえぐ、など)。

 「無気力」といっても、症状や程度は、さまざまです。日常生活全体にわたってそうな
のか。あるいは勉強面なら勉強面だけにそうなのか。あるいは日よって違うのか。また一
日の中でも、変動はあるのかないのか。

こうした症状にあわせて、何か随伴症状があるかないかも、ポイントになります。ふつ
う心配なケースでは、神経症による緒症状(身体面、行動面、精神面の症状)が伴うは
ずです。たとえばチック、夜驚、爪かみ、夜尿など。腹痛や、慢性的な疲労感、頭痛も
あります。行動面では、たとえば収集癖や万引きなど。

さらに情緒障害が進むと、心が緊張状態になり、突発的に怒ったり、キレたりしやすく
なります。この年齢だと、ぐずったりすることもあるかもしれません。

こうした症状をみながら、順に、一つずつ、消去していきます。「これではない」「では、
これではないか?」とです。

●教育と医療

 つまりいただいた症状だけでは、私には、何とも判断しかねるということです。したが
って、アドバイスは不可能です。仮に、そのお子さんを前に置いても、私のようなものが
診断名をくだすのは、タブーです。資格のあるドクターもしくは、家の人が、ここに書い
たことを参考に、自分で判断するしかありません。

 治療を目的とする医療と、教育を目的とする教育とは、基本的な部分で、見方、考え方
が違うということです。

 たとえばこの時期、子どもは、中間反抗期に入ります。おとなになりたいという自分と、
幼児期への復帰と、その間で、フラフラとゆれ戻しを繰りかえしながら、心の状態が、た
いへん不安定になります。

 「おとなに扱わないと怒る」、しかし「幼児のように、母親のおっぱいを求める」という
ようにです。

 そういう心の変化も、加味して、子どもを判断しなければなりません。医療のように、
検査だけをして……というわけにはいかないのですね。私たちの立場でいうなら、わかっ
ていても、知らないフリをして指導します。

 しかしそれでは、回答になりませんので、一応の答を書いておきます。

 相談があるということから、かなり目立った症状があるという前提で、話をします。

 もっとも多いケースは、親の過剰期待、それによるか負担、過関心によって、脳のある
部分(辺縁系の帯状回)が、変調しているということ。多くの無気力症状は、こうして生
まれると説明されます。

 特徴としては、やる気なさのほか、無気力、無関心、無感動、脱力感、無反応など。緩
慢動作や、反応の遅延などもあります。こうした症状が慢性化すると、昼と夜の逆転現象
や回避性障害(だれにも会いたがらない)などの症状がつづき、やがて依存うつ病へと進
行していきます。(こわいですね! Eさんのお子さんのことではなく、甥のことというこ
とで、私も、少し気楽に書いています。)

 ですから安易に考えないこと。

●二番底、三番底へ……

 この種の問題は、扱い方をまちがえると、二番底、三番底へと落ちていきます。さらに
最悪の状態になってしまうということです。たとえば今は、何とか、まだサッカーはして
いるようですが、そのサッカーもしなくなるということです。(親は、これ以上悪くならな
いと思いがちですが……。決して、そうではないということです。)

 小学二年生という年齢は、好奇心も旺盛で、生活力、行動力があって、ふつうなのです。
それが中年の仕事疲れの男のように、家でゴロゴロしているほうが、おかしいのです。ど
こかに心の変調があるとみてよいでしょう。

 では、なおすために、どうしたらよいか?

 まず、家庭が家庭として、機能しているかどうかを、診断します。

●家庭にあり方を疑う……

 子どもにとって、やすらぎのある、つまり外の世界で疲れた心と体を休める場所として
機能しているかどうかということです。簡単な見分け方としては、親のいる前で、どうど
うと、ふてぶてしく、体を休めているかどうかということです。

 親の姿を見たら、コソコソと隠れたり、好んで親のいないところで、体や心を休めるよ
うであれば、機能していないとみます。ほかに深刻なケースとしては、帰宅拒否がありま
す。反省すべきは、親のほうです。

 つぎに、達成感を大切にします。「自身が持っている壁を越えさせることがポイント」と
いうのは、とんでもない話で、そういうやり方をすると、かえってここでいう二番底、三
番底へと、子どもを追いやってしまうから注意してください。

 この種の問題は、(無理をする)→(ますます無気力になる)→(ますます無理をする)
の悪循環に陥りやすいので、注意します。一度、悪循環に陥ると、あとは底なしの悪循環
を繰りかえし、やがて行き着くところまで、行き着いてしまいます。
 
「壁を越えさせる」のは、風邪を引いて、熱を出している子どもに、水をかけるような
行為と言ってもよいでしょう。仮に心の病にかかっているということであれば、症状は、
この年齢でも、半年単位で推移します。今日、改めたから、明日から改善するなどとい
うことは、ありえません。

 私なら、学校恐怖症による不登校の初期症状を疑いますが、それについても、私はその
子どもを見ていませんので、何とも判断しかねます。

 ただコツは、いつも最悪のケースを考えながら、「暖かい無視」を繰りかえすということ
です。子どものやりたいようにさせます。過関心であれば、親は、子育てそのものから離
れます。

 多少生活態度がだらしなくなっても、「うちの子は、外でがんばっているから……」と思
いなおし、大目にみます。

 ほかに退行(幼児がえり)などの症状があれば、スキンシップを濃厚にし、CA、MG
の多い食生活にこころがけます。(下にお子さんがいらっしゃれば、嫉妬が原因で、かなり
情緒が不安定になっていることも、考えられます。)

 子どもの無気力の問題は、安易に考えてはいけません。今は、それ以上のことは言えま
せん。どうか慎重に対処してください。親やまわりのものが、あれこれお膳立てしても、
意味がないばかりか、たいていは、症状を悪化させてしまいます。そういう例は、本当に
多いです。

 またもう少し症状がわかれば、話してください。症状に応じて、対処方法も変わります。
あまり深刻でなければ、そのまま様子を見てください。では、今日は、これで失礼します。
(はやし浩司 バーントアウト 燃え尽き あしたのジョー症候群 無気力症候群 自我
の崩壊 回避性障害 引きこもり はやし浩司 行為障害 買い物グセ 集団非行 非行 
学校恐怖症 初期症状 怠学 不登校の前兆症状

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子育て談話】

●服従的な生き方

 だれかに服従して生きるというのは、生き方としては、楽。相手が喜ぶことだけを考え
て、生きればよい。

 ある宗教団体では、入信すると同時に、「あなたは、教導様のために、何ができるか?」
と聞かれる。そして指導者のために何かをするかが、入信の条件となる。

 こうした服従的な生き方というのは、戦前の女性たちに、多く見られた。今でも、そう
いう生き方を、美徳と考えている人は多い。

 ところであのK国を見ていると、どの人も、「将軍様に、喜んでいただくために」という
言葉を使う。国民全体が、服従的になっていることを示す。しかしここで誤解してはいけ
ないのは、傍(はた)から見ると、何とも息苦しい社会だが、本人たちにとっては、そう
ではないということ。意外と、それは、み心地がよい世界なのである。

 服従的であるということは、何も考えなくてもよいということ。(何も考えないから、服
従的になるということも、反対に考えられる。)

 子どもの世界にも、同じような現象が見られる。よい例が、高校野球である。あの野球
というゲームは、選手ひとりひとりは、ほとんど何も考えないで行動している。バッター
ボックスに立った選手ですら、つぎにどう打つか、その指示を監督に、ちくいち求めてい
る。

 そういう意味では、「考えるスポーツ」というよりは、「何も考えないスポーツ」という
ことになる。(だからといって、野球はつまらないと言っているのではない。誤解のないよ
うに……。)

 「学習」という世界でも、服従的な子どもは、いくらでもいる。言われたことだけを、
きちんとするが、それ以上のことは、何もしないというタイプの子どもである。一見、従
順で教えやすいが、それがよいことかということになると、悪いに決まっている。

 で、問題は、こうした服従性は、一度、その人の人生観に入りこむと、以後、さまざま
な形で、その人を支配するということ。そして一生、つづくということ。しかもその原点
は、子ども時代、なかんずく、幼児期に決まるということ。

 強圧的な環境、威圧的な育児姿勢が日常化すると、子どもは服従的になる。過度の過干
渉、過関心が原因になることもある。とくに母子の関係で、母親が、命令を主体とした子
育てをすると、子どもは、服従的になる。じゅうぶん、注意されたい。

 あなたが子どもに、何か不合理な仕事(あくまでも、不合理な仕事)を頼んだとき、あ
なたの子どもは、はげしくそれに反発するようなことがあるだろうか。もしそうなら、そ
れでよし。ハイハイと従順に従うようなら、ここに書いたことを参考に、子育てのあり方
を、反省してみてほしい。

●子育ては主義の問題

 ある母親から、こんなメールが届いた。私の講演を聞いたあと、今度は、S氏という評
論家の講演を聞いたというのだ。その結果、「頭の中が混乱してしまいました」と。

 S氏というのは、このあたりでも、貝原益軒(かいばらえっけん)の「養生訓」風の子
育て論を説くことで、よく知られている。貝原益軒というのは、江戸時代の儒学者である。
S氏も、「親の威厳こそが、家族をまとめるカギである」というようなことを、あちこちで
話している。

 私の考え方とは、180度違う。だからといって、私はS氏の思想を否定しているので
はない。人それぞれ。私は私。人は人。

 そこで大切なことは、いろいろな人の意見には、耳を傾けつつも、「私は私」という部分
を、自分の中につくること。でないと、この母親のように、混乱してしまう。

 子育てというのは、一見、ただの子育てに見えるかもしれないが、実は、そこに、その
人の「主義」がからんでくる。その人の生きザマや人生観が、そこに、集約される。学歴
信仰とはよく言ったもので、まさに「信仰」に近い部分もある。

 だから子育てをするとき、大切なことは、どんな小さなものでもよいから、そこに「主
義」をもつこと。これを心理学の世界では、「一貫性」という。一貫性が大切とか大切でな
いとかいうことではなく、その一貫性がない子育てほど、こわいものはない。

 たとえば貝原益軒なら貝原益軒でもよい。親が、一本、スジの通った主義をもてば、子
どもはそれに適応する。適応しながら、ときには、親を反面教師としながら、自分の生き
ザマを勝ち取っていく。まずいのは、「混乱」である。

 そこで私のばあいは、「教師は、子ども※」と決め、めったに、ほかの人の教育論は読ま
ないようにしている。話も聞かないようにしている。議論はよくするが、それは対等の立
場の議論。もし本を読む機会があれば、できるだけ教育とは無縁の本を読むようにしてい
る。

 それは私自身が、自分の主義を確立するためでもある。またそういう主義を、自分の育
児論の中に、織りこむためでもある。とくに私は、どこか迎合しやすい性質をもっている。
すぐ相手に合わせて、自分の意見をねじまげてしまう。

 私の講演を聞いて、つづいてあのS氏の講演を聞けば、だれだって、わけがわからなく
なる。私は、「親子といえども、一対一の人間関係」と説く。一方S氏は、「親の尊厳論を
説き、よい子どもを育てるためには、先祖の墓参りが重要」と説く。

 どちらをとるかは、それはみなさん、一人ずつの問題。私の意見がよいと思う人は、私
の意見を参考に、自分の主義をもったらよい。そうでない人は、そうでない主義をもった
らよい。それは私の問題ではない。冷たいことを言うようだが、仮に、あなたが私の意見
に同調してくれたとしても、私が得るものは、何もない。得をすることも、何もない。

 ただ私自身は、この宇宙に生まれた一つの証(あかし)として、ほんの数センチでも、
あるいはほんの数ミリでも、人間の社会を、一歩、前進させたい。そういう願いをもって、
ものを書き、自分の意見を述べている。

 だからその母親の意見には、こう答えるしかなかった。

 「あっちのカベ、こっちのカベにぶつかっていると、やがて子育ての輪郭が見えてきま
すよ。それがあなたの子育てです。混乱するということは、一歩、その手前にいるという
こと。恐れないで、もう一歩、前に、足を踏み出し、進んでみてください」と。
(はやし浩司 子供の服従性 服従する子供 子ども 子どもの服従 服従性)

※……これは私の重要な主義。子育て論を組み立てていて、わからないときがあると、本
※を調べるよりも先に、子どもを観察し、子ども自身に問うことにしている。この世界へ
※入ってからというもの、私はただひたすら、くる日も、くる日も、アンケート調査を繰
※りかえした。「教師は子ども」というのは、そういう意味。

●役割形成

 子どもは成長しながら、自分の身のまわりで、自分の世界をつくっていく。たとえば男
の子とは、男の子らしくなる。女の子は、女の子らしくなる。だれが教えるわけではない。
子どもは、まわりを観察したり、自分の方向性に合わせたものを、自ら取り入れることに
よって、自分がどうあるべきかを、つくっていく。

 これを役割形成という。

 この役割形成が、混乱することがある。子どものもつ方向性を、じゃましたり、否定し
たりすると、そうなる。これをそのまま、「役割混乱」という。

 実は、親たちは、この役割混乱を、日常的に繰りかえす。繰りかえしながら、それに気
づかない。たとえば干渉。たとえば押しつけ。たとえば指導。たとえば教育。

 たとえば「花屋さんになりたい」と言っている子どもに向かって、「何よ、こんな成績! 
こんな成績では、○○中学へ入れないでしょ!」と言うのが、それ。

 子どもにしてみれば、「花屋と○○中学は、どういう関係があるの?」ということになる。
そしてここでいう役割混乱を、起こす。

 一般的に、役割混乱を起こすと、子どもにかぎらず、緊張状態に置かれ、情緒がたいへ
ん不安定になることが知られている。ささいなことでキレやすくなったりする。さらにこ
の混乱状態がつづくと、精神不安。さらには自己嫌悪から、自己否定へとつながる。

 「自己否定」が、いかに恐ろしいものであるかは、それを経験したことがあるものでな
いとわからない。それはたとえて言うなら、ひとりのサラリーマンに、スカートをはかせ
て会社へ行かせるようなもの。あまりよいたとえではないが、それに近い。中には、自己
否定から、自殺に走る人もいる。

 そこで大切なことは、子どもの方向性を見きわめたら、それを認め、それを励まし、そ
れを核として、子どもを伸ばすこと。たとえば子どもが花屋さんになりたいと言ったら、
植物の勉強につなげ、実際に、いろいろな植物を栽培してみる、など。

 今、夢のある子どもが少なくなった。夢がないわけではない。ただ親たちが、それをあ
まりにも無頓着に、つぶしているだけ。「花屋さんなんて……」と。その結果、子どもたち
は、夢をもてなくなった。

 だから大学へ入っても、目的がないから、遊ぶ。目的がないから、勉強しない。そうな
らないためにも、ここでいう「役割形成」を、考えなおしてみたい。
(はやし浩司 役割形成 役割混乱)


●劣等意識

 学校に対する劣等意識が、そのままその子どもの劣等意識に、転化することがある。自
らに、ダメ人間のレッテルを張ってしまう。

 ところで人間の行動を律するものには、大きく分けて、二つある。(1)内的規範と、(2)
外的規範である。

 内的規範というのは、その人の倫理観や道徳観、哲学や宗教観をいう。

 外的規範というのは、その人の社会的地位や名誉、経歴などをいう。

 こうしたものが、いつも総合的にからみあいながら、その人の行動を律する。

 たとえばこんな例を考えてみよう。

 通りを歩いていたら、車が一台、窓をあけたまま、そこにあった。周囲には人影がまっ
たくない。遠くに家があるが、そこにも、人の気配はない。

 車の窓の中を見ると、手さげバッグが無造作においてあり、そのバッグからは、札束の
一部が見えている。窓の中に手をのばせば、容易に、手が届く距離である。

 もしあなたがそういう状況に置かれたら、あなたはどうするだろうか。「もらっちゃえ」
と思って、バッグごと、持ち去る人もいるかもしれない。しかしほとんどの人は、この段
階で、自分の行動にブレーキをかける。そのブレーキをかける力が、ここでいう内部規範
と、外部規範ということになる。

 「自分に恥じることはしたくない」というのが、内部規範。「私には、私の立場がある。
もしバレたら、私は名誉のすべて失うから、しない」というのが、外部規範。しかし実際
には、外部規範の力は、それほど、強いものではない。たいていは、「バレたらたいへん…
…」という程度の力でしかない。

 ともかくも、ほとんどの人は、そういったお金には、手をつけない。しかし、だ。その
内部規範を、その人の内部から破壊するものがある。

 それが劣等意識である。この劣等意識は、いわば心の中のがん細胞のようなもので、そ
の人の倫理観や道徳観、哲学や宗教観を、少しずつ、むしばんでいく。最終的には、心そ
のものを破壊することもある。自暴自棄になり、善悪の判断すら、しなくなる。

 ところがこの劣等意識というのは、そのほとんどは、自分以外の人によって、植えつけ
られていくものである。友人とか、教師とか、あるいは親によるばあいもある。「君は、何
をやっても、ダメな人間だ」と言われることによって、劣等意識をもつようになる。 

 もう少し詳しく説明すると、こうなる。

 劣等意識は、長い時間をかけて、その人の中で、欲求不満として蓄積される。しかしさ
らにそれが慢性的につづくと、その劣等意識は、記憶のすみにおいやられ、人は無意識の
うちにも、自我の崩壊を防ごうとする。

 そこで多くのばあい、人は、その劣等意識を克服するため、つまり自我の崩壊を防ぐた
め、さまざまな行動に出ることが知られている。これを心理学の世界では、「防衛機制」と
いう。

 たとえば、勉強面で劣等意識をもった子どもが、スポーツ面でがんばる(=補償)、「勉
強なんて、どうせくだらない」と言って、勉強ができないことを、合理化する(=合理化)、
有名人のマネをして、自分がその有名人になったような気分になる(=同一視)、空想や非
現実的な世界にいりびたりになり、現実を忘れる(=逃避)、まったく別人となるよう、別
人格を自分の中につくる(=反動形成)などがある。

 しかしこれらも一定の範囲に収まっている間は、問題ない。むしろよい方向に作用する
ことが多い。

 が、その範囲を超えて、度を越すと、問題行動を起こすようになる。社会的に不適応症
状となって現れることもある。異常行動となって、犯罪に走るケースも、少なくない。

 つまり、人間がもつ、劣等意識を、決して軽く考えてはいけない。

 そこで最初の話にもどるが、こうした劣等意識は、子どもであればあるほど、鮮明にも
ちやすい。そしていくつかの過程を、一足飛びに飛び越えて、問題行動へとつながってい
く。

 「ボトム校」の問題と、劣等意識の問題は、こうして密接につながっていく。飛躍した
意見に聞こえるかもしれないが、現在の日本の教育には、こうした問題が隠されている。

 もう少し、かみくだいて説明してみよう。

 たとえば受験競争。勝ち組はともかくも、勝ち組が生まれる一方、当然、そこには負け
組みが生まれる。この負け組みは、毎日の学校生活を通して、「どうせ私は、ダメな人間な
のだ」という意識を、無意識のうちにも植えつけられていく。「少しくらいがんばっても、
どうにもならない」というあきらめも、そこから生まれる。

 つまり日本の教育制度の中では、一部のエリートを生み出す一方、同時に、無気力で、
従順で、もの言わぬ民(たみ)を生み出す。そういうしくみになっている。この後者の子
どもたちが、回りにまわって、勝ち組がリードする社会に対して、ブレーキとして、働く
ようになる。

 つまり勝ち組のつくりあげる社会を、負け組みがそれを打ち消すことで、相殺してしま
う。

 たとえば一方に、東大を出て、上級甲種の国家公務員試験に合格して、警察庁のエリー
トになる子どもがいる。が、もう一方に、受験競争から早い段階で脱落し、働いても働い
ても、夢も希望ももてず、その日暮らしの労務者がいる。犯罪を取り締まるのが前者で、
犯罪を犯すのが後者ということになれば、では、そもそも受験競争とは何かということに
なってしまう。

 少し極端な書き方をしてしまったが、おおまかな図式としては、それほど、まちがって
はいないと思う。つまりは、教育の世界では、「子どもを伸ばす」ことだけが最優先される
が、しかしそれよりも大切なことは、「子どもに劣等意識をもたせないこと」も、重要であ
るということ。

 そのためには、教育は、多様化されなければならない。自由化されなければならない。
学校以外に道はなく、学校を離れて道はないという世界のほうが、異常なのである。

 たとえば同じ学校にしても、アメリカやオーストラリアでは、学校単位で、自由にカリ
キュラムを組むことができる。入学年度すら、自由に設定できる(アメリカの公立小学校)。
あるいは生徒一人ひとりに合わせて、カリキュラムを組むこともできる(オーストラリア・
グラマースクール)。

 世界の学校は、すでに、そこまでしている!

 私の過ごした高校が、「ボトム校」と言われるようになって、もう20年になる。M高校
と、アルファベットで書かねばならないほどである。そうするのは、私が自分の母校を卑
下しているからではなく、現在、その高校に通っている子どもたちの心にキズをつけない
ためである。

 しかしバカげている。本当にバカげている。こうした序列ができていること自体、バカ
げている。

 そこでこれは私からの希望ではあるが、世の中には、反対にエリート校というのもある。
そういう学校は学校で、どうか、おかしなエリート意識を助長するような活動は、さしひ
かえてほしい。

 H市でもナンバーワンの進学校とも言われているSS高校ともなると、部活の総会とい
うだけでも、壇上には、OBたちがズラリと顔を並べる。気持ちはよく理解できるが、そ
ういうおかしなエリート意識が、回りまわって、どこかで、これまたおかしな劣等意識を
つくる。そしてそれが、日本人のみならず、社会のあり方そのものをゆがめてしまう。

 あえて言うなら、外的規範に頼らず、みながみな、内的規範によって、自分を律するこ
とができるような、そういう子どもを育てるのが、これからの課題と考えてよい。そのた
めには、学校教育はどうあるべきか。それを考えていかないと、日本は、ますます国際社
会から、取り残されてしまうことになる。

 「ボトム校」という言葉から感じたことを、書いてみた。
(はやし浩司 劣等感 劣等意識 防衛機制 補償 合理化 内的規範 外的規範 規
範)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●視力減退

 2週間ほど前、軽い結膜炎を起こした。そのせいだと思う。

 乱視がひどくなった。

 朝、起きたときは、モニターの文字が、よく見えない。ボーッとしている。そのため、
こうしてワープロで文字を打っていても、誤字、脱字が多くなった。

 (すでに読者の方の中には、気づいておられる方も多いと思うが……。)

 そこで目薬をさしながらの、作業ということになる。

 で、今、使っているパソコンは、息子に譲って、私は私で、別のパソコンを買おうかと
思っている。今度は、モニターを、17インチから、19インチにするつもり。そのほう
が、大きな文字になる。

 画面上で、文字を大きくする方法もあるが、そうすると、今度は、文字の表示数が少な
くなる。私としては、できるだけ表示数は多いほうがよい。いろいろと考えている。


●夫婦

 これとて夫婦げんかをしているわけではないが、このところ、どうもワイフとの関係が
しっくりこない。

 ワイフは、いつも何かにじっと耐えているといったふう。だから先日も、ワイフにこう
言った。

 「お前さ、いつも何かにがまんしているだろ。夫としてさ、お前がかわいそうに思うこ
とがあるよ。こんなダンナで、いろいろつらいことや、おもしろくないこともあるだろう。
ぼくは、そういうお前に、申し訳ないと思っているよ」

 そういう意味で、このところ、私は、ワイフに気をつかっている。それが結構、疲れる。
機嫌をとるというほどでもないが、しかしまったく、安心して、つきあっているというふ
うでもない。

 「お前もさ、もっといい人(男)がいただろうにね。ぼくのような男と結婚したばかり
に、苦労の連続。お前も、もっと、ほかにしたいこともあっただろう。そうやって、いつ
も、何かにじっと耐えているような様子を見ると、かわいそうに思うよ。

 でね、よかったら、離婚してあげようか。ひとりになれば、お前だって、好き勝手なこ
とをできるだろう。そのほうが、お前にとっても、幸福だと思うよう」と。

 するとワイフは、「それは、あなたの思い過ごしよ」「私は、ゼンゼン、そんなふうには、
思っていないわ」と。

 本当かな? 本当にそうかな?

 よくわからないが、そんなわけで、どうも、このところ、ワイフの心がつかめない。

 一方、このところ、私は、何かにつけて、自信をなくし始めている。気力、体力、精力、
知力、すべて、弱くなってきた。自分でも、それがヨ〜クわかる。風貌(ふうぼう)も、
ますますジジ臭くなってきた。

 ときどき、「もう自分なんか、いなくても、だれも困らないだろうな」と思うことがある。
先日も、道を歩いているとき、そう思った。

 「ぼくのことを、愛してくれる人間はいない。このまま死んだとしても、悲しんでくれ
る人はいない」と。

 そのことをワイフに言うと、ワイフは、「私は悲しむわよ」と。

私「ウソつけ!」
ワイフ「ウソじゃないわよ」
私「でもね、もし、お前が先に死んだら、どうする? そのときは、ぼくは、本当にひと
りぼっちになってしまうよ」
ワイフ「そうね。あなたは、ひとりぼっちね。かわいそうな人ね」と。

 老後の人生というのは、細い道を、わざと視野を狭くして歩くものか。まわりを見れば
見るほど、さみしくなる。だから、まわりのものは、見て見ぬフリ。わざと視線を遠ざけ
る。

 もちろんカガミなんて、もう見ない。見たくもない。そのときがきたら、何とかなるさ
と考え、あとは、今日一日を、懸命に生きるだけ。

 ワイフも、そのうち、本当にひとりになりたければ、私から離れていくだろう。ワイフ
には、ワイフの人生がある。それも、そのときになったら、そのとき。あとは、淡々と生
きるしかない。何とも、わびしい人生観だとは、思うが、これが私の現実……。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 13日(No.582)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●進歩と後退

 思想の方向性は、思春期ごろにできる。左翼的であるにせよ、右翼的であるにせよ、そ
のころできた方向性というのは、そののち、簡単には変わらない。

 そのあと、人は、自分にとって耳ざわりのよい意見には耳を傾ける。耳ざわりの悪い意
見からは、自らを遠ざける。

 こうして人は、自分の思想を、かためていく。が、一度かため始めると、今度は、ます
ますかたくなになり、自分の思想に、しがみつこうとする。左翼的な人は、ますます左翼
的になり、右翼的な人は、ますます右翼的になる。

 途中で変更するということは、まず、ない。変更するということは、いわばそれまでの
自分に対して、敗北を認めることになる。時間をムダにすることになる。

 こうして10年たち、20年がすぎる。

 そこで大切なことは、その間に、つまりまだ脳ミソがやわらかい間に、いろいろな人に
出会い、いろいろな意見を聞くこと。コツは、「絶対、自分が正しい」とは、思わないこと。
100人の人がいれば、100種類のものの考え方がある。私やあなたの考え方は、その
一つにすぎない。

 もうひとつのコツは、それぞれの考え方は、みな、平等であると知ること。上下はない。
優劣もない。「自分は正しい」と思うのは、その人の勝手だが、だからといって、その返す
刀で、「あなたはまちがっている」と言ってはいけない。

 ここで注意しなければならないのは、こうした思想というのは、立ち止まったとたん、
サビつき始めるということ。それは健康に似ている。運動をやめたとたん、体の調子は悪
くなる。そのときから、体は、少しずつ、むしばまれていく。

 立ち止まってはいけない。

 いつも新しい思想を、補充していく。それは健康を維持するための、日々の運動に似て
いる。

 反対に、頭の脳ミソがサビついた人を見れば、それがわかる。10年前と同じことを言
う。20年前と同じことをいう。しかも10年前、20年前より、話している内容が浅い。

 ためしに、電車の中で、大声で騒ぐ、オバチャンたちの会話を聞いてみるとよい。「隣の
娘がどうの」「近所の男がどうの」と、そんな話ばかりしている。ああなる。

中学生や高校生の会話なら、まだわかる。ときに、これが人生を半世紀も生きてきた人
の会話かと思って、あ然とするときがある。

 人間は、考えるから人間である。頭の脳ミソだけは、そんなわけで、ぜったいにサビつ
かせてはいけない。

(補足)

 運動にしても、若いころは、週に数回、2〜3時間程度の運動で、それなりの健康を維
持できた。しかし加齢とともに、それでは、健康を維持できないことを知る。

 具体的な数字は、よくわからないが、少なくとも、毎日、1〜2時間は、必要ではない
か。それを怠ったとたん、翌週には、体がダルくなってしまって、使いものにならなくな
る。

 思考も、そうだ。

 風邪をひいたりして、1週間も、だらしない生活をしたりすると、頭が動かなくなる。
パソコンに向っても、画面をぼんやりと見つめているだけ……。

 で、時間を決めて、毎日、雑誌を読んだり、あちこちから情報を集めたりする。しかし
それでも、現状維持が精一杯。もし進歩ということを目ざすなら、さらに考える時間をふ
やさなければならない。しかしそれは、不可能。

 そこで私のばあい、時間を有効に使うことを考える。くだらないことは考えない。ムダ
なことは考えない。同じことは考えない、など。

 そういう意味では、このところ、(時間の限界)を強く感ずるようになった。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【日本PTA全国協議会の報告より】

●学力低下

 このほど、日本PTA全国協議会が、こんな調査結果を公表した(17日)。
 
小中学生の学力低下を心配している保護者  ……76%
教育基本法に「愛国心」を盛り込むことが大切……72%

 ほかに「教員の裁量の大きい(総合的な学習の時間)は、約半数が肯定的に評価してい
るものの、2割は「教員、学校により授業に差がついた」と感じていることもわかった。(教
員免許更新制)も、7割が必要と考えるなど、指導力不足教員への不信感が根強いことも
明らかになった」(同、調査)という。

(学力低下について)

 しかしあえて言おう。だれも、どこの親も、「学力低下など、心配していない」。親たち
が心配しているのは、受験で、自分の子どもが不利になること、だ!

 具体的に報告しよう。

 現在、H市内(人口80万人)の、S女子私立中学校では、1年の半ばごろには、1年
生でする学習内容をほぼ終了し、2年にもなると、3年の範囲まで、学習範囲をのばして
いる。

 たとえば2年生で、英語では、関係代名詞などを学習している。数学では、二次方程式
を学習している。

 市内に、中高一貫校も一つ、あるが、そこでも似たような指導をしている。学習量その
ものが、ちがう。ぶ厚い副読本に、テキスト、参考書、さらに問題集などが、生徒に配布
されている。中学1年生でも、夏休みには、英語の副読本を、1冊、読むことになってい
る。

 のんびりと、学習指導要領に沿って学習を進めている、公立のふつう(?)の中学校と
は、大ちがいである。

 これでは、「差」がついて、当然。高校入試、大学入試ともなれば、公立のふつうの中学
校の生徒が、不利になるのは、当然。明らか。これから先、その「差」は、歴然としたち
がいとなって、現れてくるはず。親たちは、それを心配している。

(愛国心について)

「教育基本法に「愛国心」を盛り込むことが大切……72%」という。

 こうした調査で注意しなければならないのは、選択肢が、どのように用意されていたか
ということ。

 新聞報道だけではわからないが、たとえば、つぎの二つだけの選択肢だけであったら、
あなたは、どちらに答えるだろうか。

(1)教育基本法に「愛国心」を盛り込むことは、大切。
(2)教育基本法に「愛国心」を盛り込むことは、大切ではない。

 大半の人は、(1)を選ぶにちがいない。賛成か、反対かという議論をする前に、「国を
愛すること」に、反対する人はいない。(「国」の意味にも、いろいろあるが……。)とくに
こうしたデリケートな問題については、調査する側の、隠された意図が、微妙に働くこと
がある。

 もう25年前になるが、あのA新聞が、北海道で、こんな調査をしたことがある。

 塾についての調査である。当時は、「塾・必要悪論」が、日本中を騒がせていた。いわく、

(1)塾は、必要ないが、あってもよい。
(2)塾は、必要ないので、ないほうがよい。

 この2項目だけ。そしてこれらの質問に答えた人すべてを、合算して、「78%の人が、
塾は必要ないと答えた」と、新聞に、堂々と発表していた。

 あなたには、この統計マジックが、わかるだろうか? 私は今回の調査でも、どこかで
そういった操作がなされたのではないかと、心配する。つまりこの数字だけを見て、「72%
もの人が、愛国心教育に賛成」と考えるのは、どうかと思う。

 郷土を愛する、文化や伝統を愛する、言葉や風習を愛する……ということと、体制とし
ての「国」を愛するということは、別。日本で、「愛国心」というと、どうも、このあたり
が、すっきりしない。戦前の苦い経験も、まだ人々の心の奥に、深く残っている。

なお実際の質問は、「郷土と国を愛する心と、国際社会の一員としての意識は大切」とい
う内容でなされた。そうならよけに、「反対」と答える人は、少ないはず。

(教員免許更新制) 

 7割の人が、教員免許更新制に賛成だという(71%が、導入に賛成)。しかしここにも、
問題のすりかえがみえられる。

 要するに、親たちは、やる気のない、指導力不足の教師を排除したいということ。免許
の問題ではない。

 つまり免許があればよいという問題でもない。またあったから、それでよいということ
でもない。親たちが求めているのは、教師を選択する自由。だから本来なら、この質問項
目は、(教師選択の自由)という内容で、調査したほうが、よかったのではないか。

(1)教師を選択できるようにすることに賛成。
(2)教師を選択できるようにすることに反対。

 何も、免許にかこつけることはない。アメリカなどでは、公立の小学校でも、学年制も
なければ、担任制もない。クラス名は、そのクラスを統括、管理する教師名で呼ばれるな
らわしになっている。

 「モーガンズ・クラス」「ジョンソンズ・クラス」と。

 「うちの子は、まだ、進級するだけの学力が身についていないから、もう一年、モーガ
ン先生のクラスでお願いします」などという会話が、校長との間で、ごく日常的になされ
ている。

 教員免許の問題では、ない!

(ほかに……)

 学校5日制について、よくない……4割
 学校5日制について、よい  ……3割

 休日(土日)に5時間以上テレビを見る中学生……23・5%、とか。

また(総合的な学習)については、

「『よい』が48%で、前年より1ポイント増加。しかし、心配な点として『教師や学校
の教育力の差が広がってきた』(21%)が最も多く、保護者間で、学校や教師によって
授業内容が異なることが伝わっている実情が浮かぶ」とか。

 約半数の人が、「よい」と答えているという。

 が、現場からの問題もないわけではない。いわゆる(やる気のない先生)を、どうふる
いたたせるか、それが、それぞれの学校で、問題になっている。まさに「笛吹けど、踊ら
ず」の先生も、多いということ。

 以上、産経新聞より。
(はやし浩司 学力低下 愛国心 学校五日制 学校5日制 教員免許更新制)

(補足)

 休日に、5時間以上テレビを見ている中学生が、23・5%もいるということは、驚き
である。中には、もっと多く見ている子どももいるだろう。3〜5時間見ている子どもと
なると、もっと多いはず。

 NHKのニュースや、ニュース解説。教育テレビのクラシック・アワーを見ているとい
うのであれば、まだ納得できるのだが……。そういう中学生は、いるのかな……? 今夜、
中学生たちに会うので、聞いてみよう。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【韓国の教育事情】

 5月16日付けの、韓国・東亜日報は、現在の韓国の教育事情を、つぎのように報告し
ている。ポイントだけを、大きくまとめると、つぎのようになる(アメリカ・シンクタン
クのランド研究所報告)。

(1)過熱する海外留学ブーム

 韓国では今、小中学生による、早期留学が、一つのブームになっている。1995年に、
2259人だった、これら早期留学生たちは、04年には、1万人を超えた。その費用は、
約2兆5000億ウォン(=2500億円)。

(2)ソウル江南(カンナム)に集中する教育インフラ

 私教育が、ソウルの江南に集中している。そのため、高級人材は、この地を離れたがら
ず、離れて仕事をするばあいも、家族を江南に残し、家族と離れて生活するケースが目立
つという。

たとえば三星(サムスン)電子の忠南天安(チュンナム・チョナン)LCD団地には、
ソウルから通勤する役職員が少なくないという。

(3)失敗する教育政策

 ソウル大学の調査によると、高所得者1万人中、ソウル大学へ入学する学生は、85年
には、8・2人にすぎなく、一般家庭の1・3倍だったが、最近(05)では、それが1
6・8倍にまで上昇した。

(4)少子化

 日本と同じように、韓国でも、少子化が問題になっている。その理由の第一は、「子ども
の教育費の負担」(韓国女性開発院)で、28%の既婚女性が、それをあげている。

(5)大学教育の停滞

スイス国際経営開発院(IMD)が最近発表した国家競争力評価のうち、「大学教育の社
会要求に対する一致度」では、韓国は60ヵ国のうち52位にとどまったという。

 以上、これらの事実を総合すると、つぎのような韓国の教育事情が、浮かびあがってくる。

 現在、富裕層を中心に、小中学生の海外留学が、さかんであるということ。またその教
育インフラが、ソウル江南に集中しているため、子どもの教育を考えて、その地を離れた
がらない親が多いということ。

 さらに韓国でも少子化が始まっているということ。理由の第一は、子どもの教育費。ソ
ウル大学入学者についても、富裕層ほど年々、有利になりつつあるということ。

 また大学教育も、日本以上に権威主義的であり、そのため硬直した教育体制の中で、想
像的な教育ができなくなっているということ……らしい。

 また、この調査とは別だが、現在、多くの若者たちが、韓国を離れ、海外へ移住を始め
ているという事実もある。(出稼ぎではなく、定住を目的とした移住である点に注意。)

韓国では、ここ数年、毎年、1万4000人前後が、アメリカを中心として、海外へ移
住している。海外定住をめざした留学生も、02年末までに、34万人を越えた。その
ため、外貨の流出も、大きな問題になっている。

(仮に韓国で大学を卒業して学位を取得しても、アメリカでは通用しない。そのため、
アメリカへ移住しても、単純肉体労働につくケースがほとんどだろいう。)

 ご存知のように、今、韓国では、一部の大企業のみが、巨額の経常黒字をあげている。
その代表的なものとして、S電子工業や、H自動車工業がある。

 しかしこれらの企業は、いわゆる「国策企業」であり、国の保護を徹底的に受けている
企業である。(国営とまではいかないが、しかし民営とは言えないという点で、「国策企業」
と呼ばれている。)

 が、何よりも深刻なのは、「海外定住をめざした留学生も、02年末までに、34万人を
越えた」という事実。日本の人口に換算すると、約120万人ということになる。

 もし日本の若者たちが、120万人も、海外定住を目ざして日本を離れるようになった
ら、そのとき日本は、どうなるか? それだけでも、たいへんな社会問題になるだろう。
しかも、そういう若者たちは、当然のことながら、多額の外貨をもちだす。そのため韓国
政府は、一時期、その持ち出し額(送金額)を制限したほどである。

またご存知のように、1997年、韓国は、国家破綻(デフォルト)した。その年も終
わろうとしていた、11月21日、時のイム・チャン・ヨル副首相は、こう宣言した。

「今の難局を乗り切るには、IMFの誘導調整資金の援助を受けるしかない」と。

 そのときから、韓国の国家経済は、IMFの管理下に入ることになったが、その機会を
利用して、韓国は、財閥を解体した。その結果、それまで33行あった主要銀行は、最終
的には、3行になった。

 また現在、韓国では、事実上の定年が、38歳ということになっている。58歳や、4
8歳ではない。38歳である。

 それまでは韓国も、日本にならって、終身雇用、年功序列型の社会システムを営んでき
た。しかし国家破綻をきっかけに、38歳とした。

 これはほんの一例だが、こうして韓国は、そのあと、世界でもまれに見る、競争型社会
へと激変した。日本のように、受験勉強だけして、合格すれば、あとは死ぬまで安泰とい
う社会を、自ら破棄したわけである。

 そのことが、よかったのか、それともかえって悪かったのか。その結果は、もう少し先
を見ないとわからない。しかし現実に、多くの若者たちが国を去り、富裕層たちがこぞっ
て子どもたちを、海外へ早期留学をさせているところをみると、韓国の未来は、それほど
明るいものとはいえないのではないか。

 一方、この日本でも、ジニ指数が、0・5に近づいてきた(厚生労働省が04年6月に
発表)。ジニ指数というのは、世帯ごとの所得格差を示す数字である。

 0・5という数字は、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占め、残りの
4分の3の人たちが、残った4分の1の所得を分けあうという数字である。つまり貧富の
格差をそのまま示す数字といってよい。

 もう少しわかりやすい数字で説明しよう。

 仮に、100人の人が、1億円を稼いだとしよう。上位25人の人が、そのうちの75
00万円を自分たちのものにする。平均して、1人あたり、300万円。

 残った75人の人が、残った2500万円を分ける。平均して、33万円と少しという
ことになる。単純に見ても、貧富の格差は、10倍ということになる。これが今の日本の
現状である。

 このままこうした状態を放置すれば、日本は、どうなるか? この先は、みなさん自身
で考えたらよい。「競争社会だから、しかたない」とあきらめるか、「おかしい」と思って、
行動に移すか。それは、私たち1人ひとりの問題である。

 韓国は、日本と比較して、国家規模も小さく、同じように経済規模も小さい。さらに教
育インフラは、ソウルに、かたよっている。そういう意味では、韓国を見れば、日本の教
育の将来がわかる。

 そういう意味で、韓国の教育事情について、考えてみた。
(はやし浩司 韓国 韓国の教育事情 ジニ指数 38歳定年制)

【補足】

 韓国の若者たちが、海外移住をすることになった背景には、それにいたるまでのいくつ
かの要因(ファクター)がある。

 韓国は、97年のはじめには、通貨危機を経験している。そしてそのあとの、国家破綻
(デフォルト)へと、つづく。それ以前にも、メキシコ、アルゼンチン、ソ連などが、国
家破綻に追いこまれているが、韓国の国家破綻は、官と民の両方が破綻したという点で、
特徴的である。

 その結果、当然のことながら、失業者が増大した。

 98年の資料によれば、97年だけでも、以下の主だった会社群が、倒産、閉鎖に追い
こまれている(韓国公正取引委員会)。

 現代(解体)
 大宇(破綻)
 双龍(破綻)
 起亜(破綻)
 韓宝(破綻)などなど。

 そのため、ちまたには、失業者があふれ、物価は上昇した。失業者は、150万人。そ
の他の生活物資は、30%前後の値上がり。たとえばガソリン、35%、灯油、77%、
食料品、27%など。

 こうして韓国は、社会そのものが、不安的になり、犯罪も増加した。現在、日本へやっ
てくる強盗団、スリ集団は、そういう不安を背景にして生まれた犯罪集団と考えてよい。

 韓国の国家破綻は、もちろん教育にも、大きな影響を与えた。

 韓国のそれまでの受験競争は、日本の比ではなかった。が、この国家破綻によって、そ
のあと、「大学は出たけれど……」という状態になってしまった。国家破綻後、大学生の就
職率は、20%前後までさがってしまった。つまり5人に1人しか、就職できなくなって
しまった。

 そこで「就職がダメなら、大学院進学、弁護士などの資格取得、あるいは海外留学しか
ない」(藤井巌喜氏・「国家破綻後の世界」)ということになってしまった。

 これが「空前の海外留学ブーム」(同)へとつながった。

 藤井氏の本によれば、

 2001年度の韓国からの移民者数……1万3953人
 以後、同じ水準で、移民がつづいているとのこと。

 これらの移民の特徴は、いわゆる低所得者層の出稼ぎ的移民ではなく、ある程度の知識
層の、人材流出であるという点である。しかも移民先は、日本とかアメリカはもちろんの
こと、中南米にも「相当数」(同)が行っているところにあるという。

 藤井氏は、97年の国家破綻が、韓国の社会構造そのものを変えてしまったと説く。し
かしそれは同時に、日本の近未来の姿と考えてもよい。
(参考、藤井巌喜氏・「国家破綻後の世界」光文社、およびimidas2005、集英社)
(はやし浩司 韓国 韓国の教育 韓国の教育事情)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ごみを捨てる人、拾う人

 私の家の周囲には、まだ空き地が多い。それはそれでよいことなのだが、そのため、そ
ういった空き地は、かっこうのゴミ捨て場になっている。いつも、だれかが、何かのゴミ
を捨てていく。

 で、今日もそのゴミを集めながら、ふと、こんなことを思う。

 「この世の中には、ゴミを捨てる人と、ゴミを拾う人がいる」と。

 ゴミを捨てる人と、ゴミを拾う人は、はっきりと、2種類に分かれる。もちろん、その
両方ともしない人もいる。しかしこれだけは言える。

 ゴミを捨てる人は、ゴミを拾わない。ゴミを拾う人は、ゴミを捨てない。

 つまり、人間の脳みそは、それほど、器用にはできていない。ゴミを捨てる人が、ある
ときは、ゴミを拾う人になるとか、反対に、ゴミを拾う人が、あるときは、ゴミを捨てる
人になるとか、そういうことはありえない。

 もしそんな矛盾したことを繰りかえしていると、頭の中が分裂してしまう。こういうの
を、行為の一貫性という。私が言う、『一事が万事論』でもよい。つまり人間の行為には、
そのつど、一貫性がある。

 で、その一貫性は、何も、ゴミ拾いにかぎらない。たとえば小ズルイ人は、何かにつけ
て、小ズルイ。一方、誠実な人は、何かにつけて、誠実。ここにも書いたように、小ズル
イ人が、ときに誠実になったり、誠実な人が、ときに小ズルくなるということは、ありえ
ない。

 ただ自分をごまかすことはできる。ときとばあいに応じて、たとえば悪人が善人ぶった
りすることはできる。(反対に、善人が悪人ぶることは、めったに、ないが……。)

 しかしそれをするにしても、かなりの気力と神経を消耗する。こんな事件があった。

 ある妻が愛人の男と共謀して、彼女の夫を殺害した。よくある事件である。しかし妻は、
自分が犯人であることがバレないように、葬儀の席では、悲しみにうちひしがれた妻を演
じて見せた。ときに涙をこぼし、ときに、弱々しくフラついて見せたりもした。

 その程度の演技なら、だれにでもできる。葬式の日一日くらいなら、できる。が、毎日
となると、そうはいかない。

 そういうことはある。

 しかしゴミ拾いは、そうではない。ゴミを拾ったところで、自分への利益は、まったく、
ない。だれかが見ているというわけでもない。自分をごまかす必要もないし、ごまかした
ところで、意味がない。

 つまり、そういう点では、あるがままの自分ということになる。

 だからといって、私が善人というわけではない。しかしこと、ゴミに関して言えば、私
は、いつも(ゴミを拾う人)であって、(ゴミを捨てる人)ではない。現実に、この30年
以上、(それ以前からも、記憶はないが……)、ゴミを、そうでない場所へ、捨てたことは
一度も、ない。

 もし私が(ゴミを捨てる人)なら、ゴミ拾いはしないだろう。またそういう意識も生ま
れないだろう。

 そこで、こんなことにも気づいた。

 私の近所には、多くの定年退職者たちが住んでいる。みな、70代、80代の人たちで
ある。

 中には、近所のために、あれこれ無料奉仕の活動をしている人もいる。町内の仕事を引
き受け、献身的に、それをこなしている人もいる。

 しかし全体としてみると、何もしない人のほうが、はるかに多いのでは……? 自分の
家のまわりの掃除程度ならする人はいる。が、しても、そこまで。

 そこでそういう(何もしない人)を、よく観察してみると、そういう人たちは、(自分の
ことしかしない人)であることがわかる。そしてそういう姿勢そのものにも、一貫性があ
ることがわかる。

 たとえば少し離れたところに、学校があり、その学校のそばにA氏という人が住んでい
る。今年、70歳になった。現役時代は、○○署のH支所で、所長をしていたという。

 このA氏などは、何もしない。まったく何もしない。しないばかりか、空き地の草が少
し伸びただけで、すぐ市役所の苦情課に電話をかける。しかしそれだけではない。少しで
も市役所の職員の対応が遅れたりすると、今度は、その状態を写真にとって、警察へ送り
届ける。「ちゃんと処分しろ」と。(警察に送ってもしかたないと思うのだが……。)

 まさに一事が万事。自分の周辺で起きる問題を、そういう形で解決しようとする。

 そして事件が起きた。

 多分、中学生のいたずらか何かだろうと思うのだが、だれかが、飲んだジュースの空き
缶を、A氏の庭に投げ入れた。

 が、その空き缶を、A氏は、その隣のB氏が投げ入れたと思った。A氏は、その空き缶
をもって、B氏のところへ怒鳴りこんでいった。「どうして、お前は、こんなものを、オレ
の家の中へ捨てるのだ!」と。

 しかし私は、その話を聞いて、即座に、「Bさんは、そんなことをする人ではない」と言
うことができた。B氏は、よく近所のゴミを拾っている。最近では、家の前の学校の側溝
の掃除までしている。そんなB氏が、空き缶というゴミを捨てるはずがない。いわんや他
人の家の庭の中へ!

 で、ここが重要な点だが、(ゴミを捨てる人)には、(ゴミを捨てない人)の心理が理解
できない。もっとはっきり言えば、この人間社会では、より高レベルにいる人からは、よ
り低いレベルにいる人が、どういう人かはわかる。が、より低いレベルにいる人からは、
より高いレベルにいる人がどういう人かは、わからない。低レベルの人は、いつも自分を
基準にして、ものを考える。「自分がそうだから、他人もそうだ」と。

 このケースでは、A氏はより低いレベルにる人ということになる。だからA氏には、B
氏が理解できない。B氏も、自分と同じように、他人の家に空き缶を捨てると思う。だか
らB氏の家に怒鳴りこんでいった。

 この世の中には、(ゴミを捨てる人)と、(ゴミを拾う人)がいる。どちらの人間になる
かは、結局は、私たち次第ということになる。

(補記)

 同じように、賢い人からは、愚かな人がよく見える。しかし愚かな人からは、賢い人が
わからない。

 同じように、自分がより賢くなったりすると、それまでの自分の愚かさがよくわかるこ
とがある。

 つまり賢いとか、愚かということは、あくまでも相対的なことでしかない。

 さらに言えば、それは健康論にも似ている。

 病気になってはじめて、それまでの健康が、わかる。健康のありがたさがわかる。そし
てその病気から回復したとき、健康というものが、どういうものであるかがわかる。

(補記2)

 人は、いつごろから進歩を止めるのか?

 進歩というより、新しい考え方に興味をもたなくなるのか?

 この問題を考えていくと、「では、私はどうか?」という問題に、行き着いてしまう。「私
は、進歩しているか?」「私は、常に新しい考え方に興味を示しているか?」と。

 しかしよく考えてみると、私は、進歩どころか、退化しているかもしれない。興味の範
囲も、ますます狭くなってきた。書く文章にしても、このところ、どんどんとサエが消え
てきたように思う。どこか高校生が書く文章ぽくなってきた。浅い。いいかげん。甘い。

 ひょっとしたら、生きることそのものが、どうでもよくなってきたのかもしれない。あ
るいは初老性のうつ? よくわからないが、まあ、そんなところかもしれない。


●祖父母と孫

 現在、自分の子どもを好きになれないと、人知れず悩んでいる母親は、8〜10%いる。
10人に1人である。「妹は好きだが、兄は、どうしても好きになれない」「自分の子ども
でも、それほど好きという感覚はない」というケースを含めると、もっと多い。

 親子でも、そうである。いわんや、自分の孫となると、もっと、多い。具体的な調査が
あるわけではないが、「孫が好きになれない」と思っている祖父母は、ざっとみても、50%
は、いるのではないか。

 そんなわけで、「親だから、子どもが、好きなはず」「祖父母だから、孫が、かわいいは
ず」という『ハズ論』ほど、あてにならないものはない。また、その『ハズ論』だけで、
親子関係や、祖父母と孫の関係を、決めてかかってはいけない。

 近くに住む、Sさん(59歳女性)は、いつもこう言っている。「さみしいから、孫には
遊びに来てほしいと、思う。しかし半日もいっしょにいると、心底、もう帰ってほしいと
願うようになる」「騒々しくて、たまらない」と。

 昔から『来て、うれし。帰って、うれし』というのは、孫のことをいう。

 が、自己中心的な若いパパや、ママには、それがわからない。

 自分の子どもを見ながら、「おじいちゃん、おばあちゃんも、かわいいと思っているはず」
「会いたがっているはず」と考える。そしてそういう前提で、ものごとを考える。考えて、
あれこれと、祖父母に要求する。「孫の世話をしてほしい」「預かってほしい」「生活費を応
援してほしい」と。

 ある若い母親は、私にこう言った。

 「息子と娘を、おじいちゃんの家に預かってくれないかと、再三再四、頼んでいるので
すが、どうしても預かってくれません。孫に冷たいです。どうしたらいいでしょうか」(K
県・MS)と。

 理由を聞くと、「祖父母の家は大きく、土地も広い。教育環境もいいから」と。

 しかし(ときどき遊んでやる)と、(預かる)とでは、大きくちがう。その若い母親にす
れば、「孫ではないか」ということになるが、預かるほうは、そうは思わない。自分の子ど
も以上に、大きな責任を感ずる。(事故を起こしたり、ケガをさせたときのことを、考えて
みればよい。)

 しかもやっと、「悠々自適な老後を……」と思っていた矢先、「孫の世話」とは!

 はっきり言おう。孫はかわいい。しかしかわいいだけでは、人間関係は育たない。孫が
かわいいと思えるようになるには、条件がある。

 まず、ときどきでもよいから、孫に会わなければならない。そして成長を見守り、思い
出をつくらなければならない。会話をしなければならない。

 そうでないと、祖父母は、ただ一方的に、孫へのサービスだけを強いられるようになる。
またそれだけで終わってしまう。ほしいものを買ってあげたり、遊びにつれていってやる
だけでは、人間関係は、育たない。

 そこで私は、相談してきたMSさんに、こう返事を書いた。

【MSさんへ】

 祖父母には、祖父母の生活というものがあります。親子関係と同じものを、祖父母に求
めてはいけません。期待するのも、おかしいです。

 表面的はどうか知りませんが、内心では、ひょっとしたら、あなたが子どもを思うほど、
孫のことを思っていないかもしれません。(中には、孫に夢中になってしまうおじいちゃん、
おばあちゃんもいますが……。)

 そのあたりの気持ちを、正しく確かめたほうが、いいと思います。預ける、預けないは、
そのあとの問題です。
 
 これは私の経験ですが、私にも、孫がいます。もうすぐ3歳になります。しかし会った
のは、1度だけ。「かわいい」とは思いますが、最近、自分の中に起こりつつある変化に気
づいています。

 同年齢の子どもたちが、おしなべて、みな、かわいく思えてくるのです。幼児教育をし
ているせいです。「ああ、この子も3歳か」と思ったとたん、その子どもに、言いようのな
い、いとおしさを覚えます。つまり、私にとっては、相手は孫でなくても、よいわけです。
また孫にかぎる必要はないわけです。

 広く、どの子どもに対しても、祖父母らしい愛情を感じるようになりました。だからと
いって、実の孫への愛着が消えたというわけではありませんが、そのときがきたら、その
とき考えようというふうに、変わってきました。とくに、会いたいなどという気持ちは、
ありません。あくまでも息子夫婦、次第です。

 (孫にしても、「これがあなたのおじいちゃんよ。好きになりなさい」と強要されても、
困るでしょうし……。)

 つまり、親子関係、祖父母関係といっても、そこは、純然たる人間関係です。人間と人
間の関係です。「関係」にこだわる必要はないのではないでしょうか。

 嫌いなら嫌いでよいのです。会いたくなければ会いたくないで、よいのです。無理に心
をねじまげる必要はありません。自然の流れに、任せましょう!

 で、あなたの祖父母と、(義理の祖父母ということになりますが)、あなたの子どもの関
係についても、同じです。あなたの「心」を中心に、ものごとを考えてはいけません。何
か、特別な事情でもあれば、話は別ですが、今の状況では、やはりお子さんは、あなたの
手元に置いて、子育てをするのが、ベストではないでしょうか。

 要するに、祖父母に、子育てを期待しないこと、です。子育てをするのは、あくまでも、
あなたがた夫婦です。
(はやし浩司 孫育て 祖父母と孫 孫の問題)

 
●ドキッとする話

 R天のHPの掲示板に、書きこみがあった。掲示板には、いろいろな書きこみがある。
しかしその書きこみには、さすがの私でも、ドキッとした。(「さすが」というのは、かな
り免疫力のある私でも、という意味。)

 もちろん、まじめな(?)書きこみである。よくあるスケベサイトへの勧誘でもない。
相談でもないが、しかし、だからといって、そのまま無視できる内容でもない。で、結局、
しばらく、「ウ〜ン」と考えたあと、その書きこみは、削除することにした。何かと誤解を
招きやすい。

 せっかく(?)書いてもらったのに、申し訳ない気持ち。それはあった。しかし残して
おくこともできない。だから削除した。そんなわけで、Kさん、ごめん!

 で、その内容だが、おおまかに言えば、つぎのような内容だった。

 「最近、女子高校生を誘拐し、監禁するという事件が、起きています。どうして男性は、
女子高校生に、そんなに興味をもつのでしょうか。体やセックスが目的ということは、よ
くわかります。しかし相手は、まだ女子高校生です。

 男性が興味をもつとしたら、あの部分ということになりますね。しかし私もその女子高
校生だったときがあるので、よく知ってしますが、女子高校生って、不潔で、汚くて、臭
いですよ。女性なら、そんなこと、みんなよく知っています。

 何かの病気をもっている女子高校生など、ザラです。

 そういう女子高校生とセックスをして、どうして男性は、楽しいのでしょうか。たまた
ま私の夫は、私と、10歳ほど、年齢がちがいます。で、その夫に、「女子高校生とセック
スしてみたいと思ったことがある?」と聞くと、「ある」と言いました。

 私だって、じゅうぶん若いし、女子高校生とは、○歳しか、年が離れていません。にも
かかわらず、夫まで、そう言います。

 そこで、そういう性犯罪を減らすためには、女子高校生たちが、いかに不潔で、汚くて、
臭いかを、みんなが知ればいいと思います。ついでに病気をもっている女子高校生が、多
いことも知ればいいと思っています。

 そうすれば、そういう犯罪は、なくなると思います」(Kより)と。

 ナルホド! そういうこと!

 不潔で、汚くて、臭いのは、何も、女子高校生にかぎらない。男子高校生でも、汚くて、
汚くて、臭い。3日も風呂に入らなかったりすると、自分でも手でさわれないほど、臭く
なる。

 ……と考えてみると、男女の関係というのは、おかしなもの。男女の関係というよりは、
「性器」というのは、おかしなもの。男は、女の性器にかぎりないロマンをいだき、女は
男の性器にかぎりないロマンをいだく。

 そしてそのロマンは、無数の花を咲かせ、ドラマを生む。

 しかしやはり考えてみれば、この女性の言っていることは正しい。恐らく体の中で、1
番、不潔になりやすく、汚く、そして臭いのが性器。しかし男も、女も、そこに最大のロ
マンを覚える。

 もっとも、こんなことを若い人に言っても理解してもらえないだろう。私くらいの年齢
になってはじめて、それがわかる。若いときは、不潔でも、汚くても、そして臭くても、
かまわない。愛する女性(男性)の体であれば、なおさらだ。

 ある男性(私じゃ、ないぞ!)は、こう言った。「一晩中でも、女のあそこをなめていた
い」と。また実際、毎晩、夫のペニスをしゃぶりながら眠りにつく妻もいるそうだ。そう
いう話を聞くと、「フーン」と思ったり、「そういうものかなあ」と思ったりする。

 しかし50歳もすぎるころから、男や女を、客観的に見ることができるようになる。性
欲の減退が、それに拍車をかける。つまり性器で、相手を見るのではなく、性器を飛び越
えて、人間として、相手を見るようになる。

 そういう視点で見ると、その女性の言っている意味がよくわかる。どこかにスケベな女
性がいて、男子高校生のペニスをしゃぶりたいと言ったら、私も、同じように思うだろう。

 「女性って、どうして、あんな不潔で、汚くて、臭いものに、興味をもつのだろう」と。

 しかし、それが、「本能」ということになる。その本能があるからこそ、人間は、種族を
今に伝えることができた。「汚いから、やめた!」と言ってしまったら、その時点で、人間
は、絶滅してしまうことになる。

 で、その本能にブレーキがかからなくなってしまった。今回の監禁事件は、そうして起
きた事件である。その男は、27歳だったとか。夜、寝るときは、女子高校生が逃げない
ように、たがいの手を手錠でつないで眠ったという。そういう意味では、ものすごい性的
エネルギーの持ち主ということになる。

 私も結構、スケベなほうだったが、そこまでは考えなかった。ただし一言。

 私自身は、女性のそれを、不潔で、汚くて、臭いと思ったことは、一度もない。今でも、
私にとって、それは、かぐわしく、美しく、神秘に満ちたもの。その意識は、恐らく、死
ぬまで変わらないだろう。

【付記】

 しかし男も、女も、体で相手を愛するのではない。セックスだけなら、それほど相手を
好きでなくても、できる。(嫌いな相手とでは、できないが……。)

 セックスそのものは、排泄行為。それ以上の意味はない。しかし相手が、愛する男や女
だったりすると、セックスは、別の意味をもつようになる。愛そのものに、深みができる。
セックスを重ねることによって、さらに愛が深まるということもある。

 ……とまあ、こんなわかりきったことを書くのは、やめよう。「林も、その程度のことし
か知らないのか!」と笑われそうである。どうも、私は、昔から、この手の話が苦手であ
る。

 だから、この話は、ここまで。ごめん!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●K国の核実験

 今のK国を、(まともな論理)で考えていけない。トップが、まともではない。だからま
ともな論理は、通用しない。

 で、今、まともな政治評論家たちは、「いくらなんでも、K国は、核実験まではしないだ
ろう」とか言っている。核実験をしたとたん、ロシアも中国も、K国から離れる。

 まともな論理で考えると、そうなる。しかしあのK国では、一晩で、その論理がひっく
りかえることがある。

 その可能性を考えると、K国が核実験を強行する確率は、きわめて高い。前日まで、「し
ないだろう」と思っていても、その翌日に、ドカン!……ということもありえる。またそ
ういうことをしたとしても、今のK国では、何もおかしくない。

 が、問題は、そこから始まる。

 週刊誌や月刊誌は、さかんに、「死の灰」について、論じている。「封印は、完ぺきか」「旧
ソ連でも、30%〜40%の実験で、放射性物質の漏洩があった」と。しかし私の予想で
は、K国は、あえて死の灰を、空中にバラまくようなことをするのではないか。

 つまりあえて、不完全な密閉をし、核爆発でできた放射性物質を、空中にバラまく。考
えるだけでも、恐ろしいことだが、あのK国なら、そういうことも、ありえる。つまりそ
れだけでも、日本や日本の経済に与える影響は、甚大である。株価かは大暴落。人々は、
安全な食料や水を求めて、パニック状態になる。

 が、K国は、こう弁解するだろう。「事故が起きた」と。あるいは、沈黙を守るかもしれ
ない。さらなる核実験を、予告するかもしれない。

 願わくは、実験直後に風向きが変わること。首都のP市のほうへ向けば、さらにうれし
い。日本人なら、みな、こう叫ぶだろう。「ヤッター!」と。

 どちらにせよ、つまり核実験をするにせよ、しないにせよ、この6月は、K国から目が
離せない。ただ一言、つけ加えるなら、韓国のN大統領のノー天気ぶりには、あきれるば
かり。

 「K国は、核兵器はもっていない」「核実験は、おどしにすぎない」「核実験をするとい
う情報は、アメリカのでっちあげ」などなど。そしてムダとわかっていながら、「同胞」「同
胞」と、K国にすり寄っていく。工業団地までつくってやる。肥料や食料の援助をする。
アメリカや日本が、そのつど、「やめなさい」とアドバイスをしても、聞く耳すら、もたな
い。

 もしK国が核実験をしたら、その責任の大半は、韓国にある。「K国が、核兵器を開発す
ることには、一理ある」などと言ったのは、どこのどなたか? が、皮肉なことに、もし
K国が核実験をしたら、韓国経済は、大打撃を受ける。崩壊するかもしれない。すでに約
30%の外資系企業が、韓国から逃避するという、うわささえ流れている。

 ところで今(05年5月)、韓国国内では、「韓国も、G8入りをめざすべき」という議
論が、さかんに行われている。「GDPで、世界で第11位の国になったのだから、当然だ」
と。そのための助力を、アメリカに求めている。

 11位といっても、経済規模からして、日本の10分の1以下。一部の国策企業をのぞ
けば、あとは、日系企業を中心とする外資系企業ばかり。そんな韓国が、どうして、また
どうやってG8に入るつもりなのか。入るべき国があるとしたら、インドがある。ブラジ
ルがある。韓国は、つぎのつぎの、そのまたつぎ!

 さらに、つい先日は、「韓国バランサー論」※をぶちあげて、とうとうアメリカを怒らせ
てしまった。「韓国が、アメリカと中国の間に立って、北東アジアにおける、バランサーの
役割をする」というのが、それ。いつから韓国は、世界の超大国になったのか?

 決して意地悪をするつもりはないが、日本が国連安保理入りをめざしたときの、あの露
骨な意地悪は何か? 韓国は、世界中に特使まで派遣して、それに反対した。

 で、もしK国が核実験をしたら、日本では、一気に反K国世論がもりあがるだろう。今
度ばかりは、拉致問題程度の反K国世論ではすまない。へたをすれば、そのまま日本とK
国は戦争状態に突入するかもしれない。

 もうそのときは、「冷静になろう」という私の声など、かき消されてしまうだろう。日本
は、戦後、最大の危機を迎えることになる。
(この原稿は、5月18日に書いたものです。)

(緊急アピール)

 世界の良識を信じて、ジャッジ役は、世界にしてもらおう。日本は、事実だけを冷静に、
世界に伝えていこう。あとの判断は、世界に任せればよい。日本は、あんな国を本気で相
手にしてはいけない。その価値もない。日本は、あんな国と、ぜったいに、心中してはい
けない。

(補記)

 私は子どものころ、よくけんかをした。しかしメチャメチャしていたわけではない。い
つも相手を選んで、した。

 そのとき、よく使ったセリフが、「あんなヤツは相手にするな」だった。相手にする価値
がないと判断したとき、そう言った。

 日本も、もうそろそろ、アイデンテティ(自己の同一性)を明確にすべきときに、きて
いるのではないか。何を守り、何に向かって進むべきか、それを、明確にする。

 私は、それは、自由と平等と平和、そして民主主義であると思う。それに向かって、ま
っしぐらに、進む。(進むべき道)と、(今、していること)が一致したとき、日本という
国には、すばらしいパワーが生まれる。

そしてその日本の、自由と平等と平和を侵害するものがあれば、そのときは、日本は、
本気で、それと立ち向かう。戦争も辞さない。

 今のK国は、そういう日本が、本気で相手にしなければならないような国ではない。

注※……「アメリカのヒル次官補は、ソウルで行なわれた同紙とのインタビューで、N大
統領の(北東アジアのバランサー論)について言及する際、失望の表情を見せながら、「韓
国が同盟体制を保つことを信じている」と述べたと、同紙は報じた(5月16日、C日報)。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 10日(No.581)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page020.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て格言】

●『ひまな子どもほど、忙しいと言う』

 『ひまな子どもほど、忙しいと言う』は、イギリスの格言。

つまりひまで、時間をもてあましている子どもほど、何かを言いつけたりすると、「忙し
いからできない」を口実にして、しない。日本でも、昔から、『大工は、いそがしい大工
に頼め』という。いそがしい大工は、それだけ仕事から手を抜くかといえば、そうでは
ない。反対にヒマそうな大工ほど、それだけよい仕事をしてくれるのではと思いがちだ
が、実際には、そうではない。

 人はある緊張感に巻き込まれると、そのリズムで、仕事をするようになる。わかりやす
く言えば、「活気」ということか。これは教師についても言える。毎日、忙しそうにキビキ
ビと動いている教師は、そのリズムの中で、どんどんと仕事をこなしていく。仕事ぶりも
よい。しかし毎日ひまそうな教師は、そのリズムで、どんどんと仕事をあと回しにしてい
く。そのため仕事から、できるだけ手を抜こうとする。

 子どもを伸ばすコツは、言うなれば、こうした緊張感のあるリズムの中に、子どもを巻
き込むこと。そして子ども自身が、日々の生活をキビキビとこなしていくようであれば、
よし。そうでなければ、……と書いたが、この先がむずかしい。

一度だらしなくなってしまった生活は、なかなかもとには戻らない。たとえば子どもに
退行的な生活態度(約束や規則、目標が守れない。時間がルーズになる。生活習慣が乱
れる。だらしなくなる)が見られるようになると、それをなおすのは、容易ではない。
要は、そういう子どもにしないことだが、親が寝そべって、せんべいを食べながら、「あ
んたはしっかりしてね」はない。結局は、親の心がまえの問題ということになる。

 そこであなた自身はどうか。毎日、メリハリのある生活を、キビキビとこなしているだ
ろうか。さらに月単位、年単位で、キビキビとこなしているだろうか。もしそうなら、そ
うした緊張感は、子どもによい影響を与えているはずである。そうでなければ、そうでな
い。

 ふつうキビキビと目標をもって生活している子どもは、「忙しい」とは言わない。「時間
がない」という。だからこのイギリスの格言をもじると、こうなる。

 『忙しい子どもほど、時間がないと言う』と。さて、あなたの子どもはどうか。あなた
自身はどうか。


●肥満傾向は手の甲を見る

 もう三〇年前になるが、仕事で香港へ行くたびに、私は低周波治療器なるものを数台買
ってきた。向こうでは五〜六万円のものだったが、日本へもってくると、一〇万円以上で
売れた。日本では針治療や、ハリ麻酔の研究にそれを使った。治療器と言っても、簡単な
機械で、ぎょうぎょうしい外装とは別に、中身はがらんどうだった。

 その機械を日本でもできないかと考えていたとき、私は皮膚電気抵抗値という言葉を知
った。人間の体に微弱な電流(3V程度)を流すと、体の部位によって、抵抗値が違うと
いうのだ。測定はマイクロアンペア計ですればよい。このアンペア計が、当時、精度のよ
いもので、四〜五〇〇〇円。あとはそれに整流体(一方向に電流を流すようにするもの)
や抵抗体(電流を、測定しやすい値に補正するもの)をつければ、それで皮膚電気抵抗値
を測定できた。実に簡単な装置だった。値段も、乾電池を含めても、五〇〇〇円前後だっ
た。私はそれを使って、ハリ麻酔の研究をつづけた。

 が、やがてその皮膚電気抵抗値を応用して、体脂肪測定器ができるとは、思ってもみな
かった。脂肪分の多い人は、当然抵抗値が大きくなる。脂肪は電気を通さないからだ。一
方、脂肪の少ない人は、それだけ抵抗値が小さくなる。

この値を補正すれば、「体脂肪率○○%」と表示することができる。まちがいなく、私は
そのとき皮膚電気抵抗値の研究では、最先端を走っていた。もしそのとき、それに気づ
いていれば、億万長者になっていたと思う。人生には、そういう、つまり、あとで気が
ついてみるとわかるが、そのときは見逃してしまうチャンスというのが、ときどきある
ものだ。しかしこれは余談。

 その肥満。長い間、子どもの肥満を見ていて気づいたことがある。満四歳前後までは、
乳幼児期の肥満がつづいているが、それ以後、子どもの体形は、少年少女期に向かって、
スリムになっていく。そのとき、肥満傾向がつづく子どもは、手の甲の肉がぷっくりとふ
くれたような感じになる。そうでない子どもは、そうでない。もう少し詳しく言うと、こ
うだ。

 手のひらをぐいとのばしてみる。すると五本の指の付け根に、指からのびる五本の腱が
現れる。この腱の様子を見れば、子どもの肥満度をある程度、判断できる。

(肥満度一)子どもの肥満傾向が進むと、四肢の末端からその傾向がはっきりとわかるよ
うになる。たとえば手の甲(てのひらの部分の反対側)が、何となくぷっくりと張れたよ
うな感じになる。腱そのものが、わかりにくくなる。

(肥満度二)さらに肥満度が進むと、この腱がまったく見えなくなり、かわって、付け根
のところに、えくぼが現れるようになる。

(肥満度三)さらに肥満度が進むと、手の甲全体が丸くふくらんだようになり、手を伸ば
すと、甲に深いえくぼが現れるようになる。この段階になると、肥満がだれの目にもわか
るようになる。

 子どものばあい、肥満は大敵。(太る)→(運動不足になる)→(ますます太る)の悪循
環に入ると、肥満度は一挙に加速する。学習にも大きな影響が出てくる。これはあくまで
も見た感じだが、脳へ行くべき血流が、どこかほかへ行くような感じになってしまう。そ
のため集中力や思考力が弱くなる。

 こうした肥満傾向が見られたら、できるだけ初期の段階で、家庭の中から、食べ物を一
掃するのがよい。思い切って捨てる。「もったいない」と思ったら、なおさら、そうする。
そういう「思い」が、まちがった買い物習慣を改めさせる。このタイプの親ほど、「うちの
子はそれほど食べていません」とか、「食事には注意しています」とか言う。しかしその反
面、家の中には、食べ物がゴロゴロしているもの。基準そのものが、ふつうの家庭と大き
くズレていることが多い。

 なおこの手の甲をみる肥満度検査法は、ここにも書いたように、満四歳児以下には応用
できない。


●『肥料のやりすぎは、根を枯らす』

 昔から日本では、『肥料のやりすぎは、根を枯らす』という。子育ては、まさにそうだが、
問題は、その基準がはっきりしないということ。

 概してみれば、日本の子育ては、「やりすぎ」。多くの親たちは、「子どもに楽をさせるこ
と」「子どもにいい思いをさせること」が、親子のパイプを太くすることだと誤解している。
またそれが親の深い証(あかし)と思い込んでいる。しかもそういうことを、伝統的にと
いうか、無意識のまましてしまう。

 たとえば子どもに、数万円もするテレビゲームを買い与える愚かさを知れ!
 たとえば休みごとに、ドライブにつれていき、レストランで食事をすることの愚かさを
知れ!
 たとえば日々の献立、休日の過ごし方が、子ども中心になっていることの愚かさを知れ!
 たとえば誕生日だ、クリスマスだのと、子どもを喜ばすことしか考えない、愚かさを知
れ!
 たとえば子育て新聞まで発行して、自分の子どもをタレント化していることの愚かさを
知れ!
 たとえば子どもが望みもしないのに、それ英会話、それバイオリン、それスイミングと、
お金ばかりかけることの愚かさを知れ!
 
 こうした生活が日常化すると、子どもは世界が自分を中心に動いていると錯覚するよう
になる。そして自分の本分を忘れ、やがて親子の立場が逆転する。本末が、転倒(てんと
う)する。たまには、高価なものを買うこともあるだろう。たまには、レストランへ連れ
ていくこともあるだろう。しかしそれは、「たまには……」のことである。その本分だけは
忘れてはいけない。

 こうして、日本の親たちは、子どもがまだ乳幼児期のときに、やり過ぎるほどやり過ぎ
てしまう。結果、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。あるアメリカ人の教育家はこう言っ
た。「ヒロシ、日本の子どもたちは、一〇〇%、スポイルされているね」と。「スポイル」
というのは、「ドラ化している」という意味だ。

 子どもというのは。皮肉なもので、使えば使うほど、よい子になる。忍耐力も強くなり、
生活力も身につく。さらに人の苦労もわかるようになるから、その分、親の苦労も理解で
きるようになる。親子のパイプもそれで太くなる。そこでテスト。

 あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのときあ
なたの子どもが、「ママ、助けてあげる」と走りよってくれば、それでよし。しかしそれを
見て見ぬフリしたり、テレビゲームに夢中になっているようであれば、あなたは家庭教育
のあり方を、かなり反省したほうがよい。

子どもをかわいがるということは、どういうことなのか。子どもを育てるということが
どういうことなのか。それをもう一度、原点に返って考えなおしてみたほうがよい。


●昼寝グセはガムで

 慢性的な睡眠不足とは別に、満五歳をすぎても、昼寝グセが残っているようなら、その
時間、ガムをかませるとよい。(だからといって、昼寝が悪いといっているのではない。も
し気になるなら、ということ。)

 ここまで書いて気がついたが、本来人間は、生物学的に、昼寝をする習慣をもっている
のではないか。外国へ行っても、昼食後、昼寝する民族は多い。スペインに住んでいる知
人も、少し前メールで、こう教えてくれた。「このあたりでは、昼休みが長く、子どもたち
は一度家へ帰って、昼寝する。それで子どもたちも、夜一〇時をすぎても、通りで遊んで
いる」と。日本の生活習慣、あるいは常識が、そのまま世界の生活習慣の基準と考えるの
は、正しくない。

 実のところ、私も五〇歳を過ぎるころから、昼寝をするようになった。毎日というわけ
ではないが、数日おきくらいにそうしている。そういう自分を振り返ってみると、昼寝は
悪いものではないと思うし、それが子どもにあっても、不思議ではない。むしろ現代生活
のほうが、人間本来の生活習慣をねじまげているのではないか?

 話はそれたが、ガムをかむことには、いろいろな利点がある。頭がよくなる(サイエン
ス誌)という説もあるが、これなどは、素人が考えても、納得できる。あごの運動が、脳
の活動を活発化する。ほかにあごの筋肉を鍛えるということもある。当然、咀嚼(そしゃ
く=かむ)力が鍛えられる。胃腸のためにも、よい、などなど。そんなわけで、子どもに
はガムをかませるとよい。が、これにはいくつか、コツがある。

(1)当然のことながら、菓子ガムは、避ける。
(2)ガムは、一枚与えて、最低でも三〇分は同じガムをかませる。つぎつぎと交換する
のは避ける。
(3)はげしい運動中は、ガムは避ける。息を吸い込んだとき、のどをつまらせる。
(4)子どもの口にあった適量にする。幼児のばあい、ふつうのガムの半分の量でよい、
(5)など。ほかにガムを捨てるときの、マナーを最初に、しっかりと教えておくという
のもある。


●不安の原因は、わだかまり

 子育てをしていて、いつも同じパターンで、同じように失敗するというのであれば、あ
なた自身の中に潜む、「わだかまり」をさぐってみる。わだかまりは、あなたの心の奥に巣
をつくり、あなたを裏から操る。

 わだかまりがあるということが悪いのではない。ほとんどの人は、何らかのわだかまり
をもっている。わだかまりがあるということが悪いのではなく、その「ある」ことに気が
つかないまま、それに振り回されるのが悪い。

 望まない結婚であった。望まない子どもであった。妊娠中に大きな不安があった。実家
とうまくいっていない。不幸な家庭生活だった。生活苦がある。夫婦げんかが絶えない。
夫婦関係がぎくしゃくしている、などなど。こうした「思い」が、わだかまりとなり、そ
れが「子育ての不安」を増大させる。

 ある母親は、小学一年生の男の子を、「イヤーッ!」と叫んで、手で払いのけていた。長
い間、その理由がわからなかったが、いろいろ振り返ってみると、望まない結婚が原因だ
ったということがわかった。

現在の夫(子どもの父親)は、その母親に対して、結婚前、執拗なストーカー行為を繰
り返していた。が、その母親は心のやさしい人だった。「実家に迷惑がかかってはいけな
い」「私ひとりががまんすれば何とかなる」と考えて、その男と結婚した。が、そんな結
婚だから、最初からうまくいくはずがない。殺伐(さつばつ)とした結婚生活がつづい
た。そこでその母親は、「子はかすがいという。子どもをつくれば何とか、うまくいくだ
ろう」と考えて、その男の子をもうけた。子どもが「ママ!」とすりよってくるたびに、
その母親は、無意識のまま、その男の子を払いのけていたというわけである。

 こうしたわだかまりは、それに気がつくだけで、消えることはないが、おとなしくさせ
ることはできる。そのあと少し時間はかかるが、やがて問題も解決する。そこで大切なこ
とは、冒頭に書いたように、いつも同じようなパターンで、同じように失敗するというの
であれば、このわだかまりを疑ってみる。何かあるはずである。

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【読者の方から……、介護保険制度について】

●介護保険について、こんな意見が届いています。何かと問題の多い、介護保険制度。こ
うした問題をつぎのステップのための、試行錯誤とみるとか、それとも……?

どうも、このところ、官僚たちのやることが信用できない。何かにつけて、国民をだま
すようなことばかり、している(?)。この読者の方の意見を読んでいると、そんな感じ
さえします。

++++++++++++++++++

一点目、介護保険制度は、医療保険制度の救済という目的だけではなく、景気のカンフル
剤としても、使われたのではないかということです。

先生のマガジンの中にもありましたが、介護保険の事業者の施設が豪華で・・・という点
が、それです。

これは、介護保険が施行されてから、数年の間に、たとえば療養型病床にしても、老人保
健施設にしても、従来のベッド占有面積から、廊下の幅、共同使用のロビー的なものなど
面積などが大きくなったこと、(具体的な数値はわかりませんが、施設面での条件を満たさ
ないことには、介護保険施設として認められない)こと。

また、医療保険を使う従来の病院としてのあり方では、入院日数が増えるほど、医療保険
への請求金額が減る仕組みなどに対応できないために、(先端医療提供以外の病院は、ある
程度中長期の入院患者を抱えておくことによって経営を安定させていたので・・・。)

介護保険へ請求できるベッドもある程度もつ必要が出てきて、そのために病院や、老人保
健施設などの改修が必要となったことも、あるのではないかと思います。つまり、直接自
分たちでいろいろな建物を作る箱物行政を外にやらせた。という点です。(経済効果のこと
は、私には、ちょっとわかりませんが。)

もうひとつは、定額医療について、これは、出来高払いだった保険請求が、老人一人につ
きいくらまで払いますから、その範囲内で医療を提供してください、というもの。

つまり、今まで、医療を提供すればするほど、儲かったというのが、定額になってからは、
なるべくお金のかかる医療は提供しないほうが・・・つまり定額に満たない医療を提供す
るほうが、儲かるという仕組みになったということです。高齢者は、これによって必要な
医療も受けることが出来なくなる可能性が出てきます。

これは、医療保険保護のためということもいえますが、見方を変えれば、伸び続ける平均
寿命をストップさせるような、図式が見え隠れしているような・・・そんな、感じさえ受
けるのは、私だけでしょうか。

ずいぶんと、過激な意見を書いてしまったと・・・そういう風に思いますが、ひとつの視
点ということで、捕らえてください。

++++++++++++++++++

 すでに介護保険制度は、パンク状態。そこで現在、政府は、40歳からの納入義務年齢
を、今度は、20歳まで引きさげようとしています。

 だれの目にもわかるほど、不必要な介護施設を作る一方で、必要な人に対しては、じゅ
うぶんな手が届いていない。

 この読者の方の意見では、「伸び続ける平均寿命をストップさせるような、図式が見え隠
れしているような・・・そんな、感じさえ受けるのは、私だけでしょうか」と書いている。
ここを読んだとき、私も心底、ゾーッとしました。こうした超合理的なものの考え方は、
まさに、(受験生の発想)そのものだからです。

 実は、昨日(5・15)も、ワイフとドライブをしながら、田舎道へ迷いこんでしまい
ました。「どこだろう?」「どこ?」と車を走らせていると、目の前に、こつ然と姿を現し
たのが、「○○老人ケアセンター」という名前の、ビル。

 私たちは、あまりの豪華さに、驚いてしまいました。恐らく、(ほぼ、まちがいなく)、
そうしたセンターの理事長は、元政治家(市議会議員)か、その奥さんがなっているはず。

 しかしこの日本では、「お上」にたてついたら、仕事すら、できない。先日も、ある大学
の講師(私立大学助教授)と話しましたが、文科省の批判になると、とたんに、声が小さ
くなったのを感じました。「この話は、ここだけにしておいてくださいね」「私の名前は出
さないでくださいね」と。

 私は、「そういうものかなあ」「そういうものだろうなあ」と思いつつ、話を聞きました
が、こうした傾向は、パソコンのソフト開発会社にまで、およんでいます。

 知人は、そのソフト開発会社を経営していますが、こう言いました。「この業界で、生き
残ることができるかどうかは、どれだけ公的な仕事を引き受けることができるかどうかで
決まりますよ。あとは、県の補助金(先端産業育成○○金)ですよ。それがなかったら、
ウチのような会社は、半年ももちません」と。

 何か、ことあるごとに、増税、増税、また増税。それでも足りなくなってきたから、今
度は、消費税の利率アップだそうです。理由は、「老人福祉の充実」(?)とか。

 必要な支出が生まれたら、それまでの何かを削って、それに当てるというのが、予算配
分の常識ではないでしょうか。しかし何も削らないまま、どんどん増税に増税を重ねたら、
この日本は、いったい、どうなるのでしょうか。その恩恵に浴する人は、それでよいのか
もしれませんが、そうでない人は、指をくわえて見ているだけ……。

 その矛盾が、今、介護保険制度にも、現われつつあるように思います。

 これは一時的な、つまり過渡期の問題なのでしょうか。それとも、さらに泥沼に向う、
深刻な問題なのでしょうか。私たちは、その動きを、注意深く、見ていく必要があります。

 埼玉県のGSさん、ご意見、ありがとうございました。
(はやし浩司 介護制度 矛盾 介護保険制度 老人福祉政策 老人福祉)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

(受験生の発想)

 私はある時期、たった一日のサイクルの中で、幼稚園の年中児から高校3年生まで押し
ていたことがある。

 たった一日で、だ。

 つまり子どもの成長と変化を、1日の間で、見ることができた。午前中は幼稚園で教え、
午後からは小学生。夕方は中学生。夜は、大学の受験生、と。

 そういう流れの中で、子どもたちの心理が、受験期を境に、急速に変化していくのを感
じた。総じて言えば、受験期の前の子どもたちは、なごやかで、やさしく、思いやりにあ
ふれている。

 しかし受験期にさしかかると、どこかピリピリしてくる。ものの考え方が、どこか、ト
ゲトゲしくなってくる。

 そして受験期が終わるころには、合理的、ドライ、そしてものの考え方が、冷酷になる。
点数だけで、ものごとを評価するようになる。

 それぞれの学年だけを教えている先生には、それがわからないかもしれない。自分自身
が、その世界に入ってしまうからである。

 しかし、変化する。確実に変化する。

 とくに有名大学の一流学部を受験するという子どもほど、その傾向は強い。「勉強さえで
きればいい」という考え方が、「勉強ができないやつは、落ちこぼれ」というような考え方
につながってくる。

 そして「勉強しかしない」「勉強しかできない」……、そんなイビツな子どもが生まれて
くる。

 私はそういう(変化)を知るたびに、どうしてもっと、(受験制度)のもつ弊害について、
世の研究者たちは目を向けないのかと、疑問に思う。しかし考えてみれば、その研究者の
ほとんどが、これまた、そういう受験勉強を通りぬけてきた人ばかりである。そしてそれ
なりの恩恵を受けている人ばかりである。

 受験競争の弊害そのものに、気づかない。あるいは、そのままの(競争状態)が、生涯
にわたってつづく。

 だから勝ち組の人たちは、平然と、こう言ってのける。「努力した人がいい生活をするの
は、当然ではないですか」と。そしてその一方で、おかしなエリート意識をもつ。

 数年前だが、「フリーター撲滅論」を口にした、どこかの高校の校長がいた。「フリータ
ーは、まともな職業ではない」と。自分は、恵まれた超特権階級にいて、そういうことを
口にするから、おかしい。

 また「撲滅」というのは、「たたきつぶす」という意味である。

 が、皮肉なことに、今後10年間に、満60歳以上のフリーターが、この日本でも、数
百万人になるという。社員として雇うには、金がかかる。ハーフ・アルバイトの形で仕事
をしてもらえば、労働コストも安くつく。それで、そうなるという。

 しかしここでいう「フリーター撲滅論」そのものが、鼻もちならぬエリート意識の上に、
乗っている。私はその記事を読んだとき、「では、自分は、何様か!」と、思わず叫んでし
まった。

 はっきり言おう。若者たちよ、この日本では、公務員になれ。そのほうが、ぜったい、
得。仕事は楽。おまけに一生、安泰。死ぬまで、安泰。給料も、民間の約2倍。2年間
精神病院か何かに入院しても、クビになることはない。

 が、ガードは、かたい。そこらの小さな図書館や公民館の館長職ですら、公務員どうし
が回しあっている。途中から、フリーターが、入りこむスキなど、どこにもない。人事募
集すらない。まったくない。

 一方でそういう現実を放置しながら、「撲滅」はないだろ! 

 つまり長い間、受験競争をし、その指導をしていると、発想そのものが、受験生そのも
のの発想になる。私がここでいう、「合理的、ドライ、そしてものの考え方が、冷酷になる」
というのは、そういう意味である。

 今日も子どもたちは、受験勉強をしている。それはしかたのないことかもしれないが、
同時に、その一方で、人間が本来持っていたはずの、暖かい心をなくしつつある。

 その結果が、今の日本の社会とみてよい。あるいは、あなたには、この日本の社会のも
つ、(冷たさ)がわかるだろうか。

 そう言えば、以前、ここに書いたようなことについて考えたが原稿がある。それを紹介
する(中日新聞掲載済み)。この原稿に対する、反響は、ものすごかった。ただしこの話は、
塾を経営している友人から聞いたもの。私が経験した話のように書いているが、私の生徒
の話ではない。当時、友人が、「そうしてくれ」と頼んだので、そうした。念のため。

++++++++++++++++++++

●生意気な子どもたち

子「くだらねエ、授業だな。こんなの、簡単にわかるよ」
私「うるさいから、静かに」
子「うるせえのは、テメエだろうがア」
私「何だ、その言い方は」
子「テメエこそ、うるせえって、言ってんだヨ」
私「勉強したくないなら、外へ出て行け」
子「何で、オレが、出て行かなきゃ、ならんのだヨ。貴様こそ、出て行け。貴様、ちゃん
と、金、もらっているんだろオ!」と。
そう言って机を、足で蹴っ飛ばす……。

 中学生や高校生との会話ではない。小学生だ。しかも小学三年生だ。もの知りで、勉強
だけは、よくできる。彼が通う進学塾でも、一年、飛び級をしているという。

しかしおとなをおとなとも思わない。先生を先生とも思わない。今、こういう子どもが、
ふえている。問題は、こういう子どもをどう教えるかではなく、いかにして自分自身の
中の怒りをおさえるか、である。あるいはあなたなら、こういう子どもを、一体、どう
するだろうか。

 子どもの前で、学校の批判や、先生の悪口は、タブー。言えば言ったで、あなたの子ど
もは先生の指導に従わなくなる。冒頭に書いた子どものケースでも、母親に問題があった。

彼が幼稚園児のとき、彼の問題点を告げようとしたときのことである。その母親は私に
こう言った。「あなたは黙って、息子の勉強だけをみていてくれればいい」と。つまり「よ
けいなことは言うな」と。

母親自身が、先生を先生とも思っていない。彼女の夫は、ある総合病院の医師だった。
ほかにも、私はいろいろな経験をした。こんなこともあった。

 教材代金の入った袋を、爪先でポンとはじいて、「おい、あんたのほしいのは、これだろ。
取っておきナ」と。彼は市内でも一番という進学校に通う、高校一年生だった。

あるいは面と向かって私に、「あんたも、こんなくだらネエ仕事、よくやってんネ。私ゃ
ネ、おとなになったら、あんたより、もう少しマシな仕事をスッカラ」と言った子ども
(小六女児)もいた。やはりクラスでは、一、二を争うほど、勉強がよくできる子ども
だった。

 皮肉なことに、子どもは使えば使うほど、苦労がわかる子どもになる。そしてものごし
が低くなり、性格も穏やかになる。しかしこのタイプの子どもは、そういう苦労をほとん
どといってよいほど、していない。具体的には、家事の手伝いを、ほとんどしていない。

言いかえると、親も勉強しかさせていない。また勉強だけをみて、子どもを評価してい
る。子ども自身も、「自分は優秀だ」と、錯覚している。

 こういう子どもがおとなになると、どうなるか……。サンプルにはこと欠かない。日本
でエリートと言われる人は、たいてい、このタイプの人間と思ってよい。官庁にも銀行に
も、そして政治家のなかにも、ゴロゴロしている。

都会で受験勉強だけをして、出世した(?)ような人たちだ。見かけの人間味にだまさ
れてはいけない。いや、ふつうの人はだませても、私たち教育者はだませない。彼らは
頭がよいから、いかにすれば自分がよい人間に見えるか、また見せることができるか、
それだけを毎日、研究している。

 教育にはいろいろな使命があるが、こういう子どもだけは作ってはいけない。日本全体
の将来にはマイナスにこそなれ、プラスになることは、何もない。

+++++++++++++++++++++  

きびしい話ばかりつづきましたので、ここで別の
角度から、家庭教育を考えてみます。では、どう
考えたらよいのか、その一つのヒントになれば、
うれしいです。

+++++++++++++++++++++

家族の心が犠牲になるとき 

●子どもの心を忘れる親

 アメリカでは、学校の先生が、親に「お宅の子どもを一年、落第させましょう」と言う
と、親はそれに喜んで従う。「喜んで」だ。ウソでも誇張でもない。あるいは自分の子ども
の学力が落ちているとわかると、親のほうから学校へ落第を頼みに行くというケースも多
い。

アメリカの親たちは、「そのほうが子どものためになる」と考える。が、この日本ではそ
うはいかない。子どもが軽い不登校を起こしただけで、たいていの親は半狂乱になる。

先日もある母親から電話でこんな相談があった。何でも学校の先生から、その母親の娘
(小二)が、養護学級をすすめられているというのだ。その母親は電話口の向こうで、
オイオイと泣き崩れていたが、なぜか? なぜ日本ではそうなのか?  

●明治以来の出世主義

 日本では「立派な社会人」「社会で役立つ人」が、教育の柱になっている。一方、アメリ
カでは、「よき家庭人」あるいは「よき市民」が、教育の柱になっている。オーストラリア
でもそうだ。カナダやフランスでもそうだ。

が、日本では明治以来、出世主義がもてはやされ、その一方で、家族がないがしろにさ
れてきた。今でも男たちは「仕事がある」と言えば、すべてが免除される。子どもでも
「勉強する」「宿題がある」と言えば、すべてが免除される。

●家事をしない夫たち

 2000年に内閣府が調査したところによると、炊事、洗濯、掃除などの家事は、9割
近くを妻が担当していることがわかった。家族全体で担当しているのは10%程度。夫が
担当しているケースは、わずか1%でしかなかったという。

子どものしつけや親の世話でも、六割が妻の仕事で、夫が担当しているケースは、3%
(たったの3%!)前後にとどまった。その一方で七割以上の人が、「男性の家庭、地域
参加をもっと求める必要がある」と考えていることもわかったという。

内閣総理府の担当官は、次のようにコメントを述べている。「今の20代の男性は比較的
家事に参加しているようだが、40代、50代には、リンゴの皮すらむいたことがない
人がいる。男性の意識改革をしないと、社会は変わらない。男性が老後に困らないため
にも、積極的に(意識改革の)運動を進めていきたい」(毎日新聞)と(※1)。

 仕事第一主義が悪いわけではないが、その背景には、日本独特の出世主義社会があり、
それを支える身分意識がある。そのため日本人はコースからはずれることを、何よりも恐
れる。それが冒頭にあげた、アメリカと日本の違いというわけである。

言いかえると、この日本では、家族を中心にものを考えるという姿勢が、ほとんど育っ
ていない。たいていの日本人は家族を平気で犠牲にしながら、それにすら気づかないで
いる……。

●家族主義

 かたい話になってしまったが、ボームという人が書いた童話に、『オズの魔法使い』とい
うのがある。カンザスの田舎に住むドロシーという女の子が、犬のトトとともに、虹の向
こうにあるという「幸福」を求めて冒険するという物話である。

あの物語を通して、ドロシーは、幸福というのは、結局は自分の家庭の中にあることを
知る。アメリカを代表する物語だが、しかしそれがそのまま欧米人の幸福観の基本にな
っている。

たとえば少し前、メル・ギブソンが主演する『パトリオット』という映画があった。あの
映画では家族のために戦う一人の父親がテーマになっていた。(日本では「パトリオット」
を「愛国者」と訳すが、もともと「パトリオット」というのは、ラテン語の「パトリオ
ータ」つまり、「父なる大地を愛する」という意味の単語に由来する。)

「家族のためなら、命がけで戦う」というのが、欧米人の共通の理念にもなっている。
家族を大切にするということには、そういう意味も含まれる。そしてそれが回りまわっ
て、彼らのいう愛国心(※2)になっている。

●変わる日本人の価値観

 それはさておき、そろそろ私たち日本人も、旧態の価値観を変えるべき時期にきている
のではないのか。今のままだと、いつまでたっても「日本異質論」は消えない。が、悲観
すべきことばかりではない。

99年の春、文部省がした調査では、「もっとも大切にすべきもの」として、40%の日
本人が、「家族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、それが45%
になった。たった一年足らずの間に、5ポイントもふえたことになる。これはまさに、
日本人にとっては革命とも言えるべき大変化である。

そこであなたもどうだろう、今日から子どもにはこう言ってみたら。「家族を大切にしよ
う」「家族は助けあい、理解しあい、励ましあい、教えあい、守りあおう」と。この一言
が、あなたの子育てを変え、日本を変え、日本の教育を変える。

※1……これを受けて、文部科学省が中心になって、全国六か所程度で、都道府県県教育
委員会を通して、男性の意識改革のモデル事業を委託。成果を全国的に普及させる予定だ
という(01年11月)。

※2……英語で愛国心は、「patriotism」という。しかしこの単語は、もともと「愛郷心」
という意味である。しかし日本では、「国(体制)」を愛することを愛国心という。つまり
日本人が考える愛国心と、欧米人が考える愛国心は、その基本において、まったく異質な
ものであることに注意してほしい。
(はやし浩司 子どもの心 子供の心 家族主義 家族)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】

●スズメの子

 スズメの子が、うちのガラス戸に当たって、そのまま地面に落ちた。ドンという音で、
それに気がついた。

 すぐ庭へ出てみると、もうそこには、ハナ(犬)が立っていた。「あっちへ行け!」と命
令すると、ハナは、少しだけ、あとずさりをした。

 人間で言えば、脳震盪(のうしんとう)のようなものを起こしたらしい。しばらく動か
なかった。

 家の中へ抱いて帰って、手の中で見ると、両側の口ばしのところが、赤く腫れあがって
いる。どうやら頭からガラス戸に衝突したらしい。が、すぐに、意識がもどった。

●小鳥の警戒心

 しばらく手でくるんでやった。ときどき逃げようとするが、あまり元気はない。しかし
それほど、おびえた様子もない。目だけを大きく開いて、こちらを、じっと見ている。が、
警戒心は、解いていない。

 こうした小鳥は、抱いたとき、腹の底を、ペタリと手のひらにつけてくるかどうかで、
それがわかる。つまり警戒心のない小鳥は、腹の底を、手のひらにこすりつけてくる。小
鳥の腹の底には羽がなく、肌と肌が、直接触れあう。

 しかしその子スズメは、足を下へふんばっている。爪を立てている。スキさえあれば、
逃げようという雰囲気である。

●エサ

 すぐエサを用意する。たまたまニワトリの飼育用のエサがあった。それに以前飼ってい
た、文鳥やインコ用の、飼育用スポイトもあった。エサをそのスポイトに入れて、口の中
に押しこむ。

 そのとき注意しなければならないのは、食道と気管支をまちがえてはいけないというこ
と。食道は手前。気管支はその後方にある。

 気管支のほうにエサを入れると、当然のことながら、小鳥はそのまま死んでしまう。

 だから一度スポイトを口の中にいれたあと、スポイトをやや立てるようにして、舌にそ
って下のほうへ入れる。1センチほど入れたところで、スポイトの中のエサをぐいと、中
へ押しこむ。

 小鳥というのは、意外と、大きな胃袋をしている。スポイトで2〜3杯分くらいなら、
楽に入る。それ以上入れると、口をあけて、ハーハーと言い出す。そのしぐさは、食べ過
ぎた人間そっくり。

 エサを入れたあと、巣箱をつくった。そこへスズメを置いた。

●スズメ

 私と小鳥の出会いは、古い。高校1年生のときから、ごく最近まで、欠かさず、文鳥を
飼ってきた。ときどき、インコも飼った。

 子どものころは、スズメを飼っていた。

 まだ目もじゅうぶん開いていない子スズメを、巣から取りだして、育てた。(今は、野鳥
を捕獲することは、法律で禁じられている。)

 で、スズメというのは、警戒心の強い小鳥である。その警戒心が強い分だけ、頭もよい。
文鳥よりは、はるかに頭がよい。仕こめば、芸だって覚える。もちろん人間にも、なつく。

 が、どういうわけか、こと、スズメに関しては、長く飼った記憶がない。おとになると、
外へ放してやったか、それとも友だちにあげてしまったためではないか。私の母が、そう
いった小動物を飼うのを嫌った。

●手で抱く

 こうして2日がすぎ、3日がすぎた。が、やはりどこか脳ミソが、ダメージを受けてい
るらしい。逃げていったとき、ちょっとした拍子に、体があお向けになってしまう。その
とき、その子スズメは、腹を上にしたまま、起きあがれない。

 だから簡単に手でつかまえることができる。

 まだ子スズメだ。逃げるといっても、その位置から高いところに向っては、飛べない。
足の力も弱い。

 で、私は、ヒマさえあると、その子スズメを手で抱いた。警戒心を解くには、それが一
番よい。たまたまこのところ、寒い日がつづいている。私は、昼寝をしているときも、子
スズメを抱いた。

 これは私の特技か?

 私は眠っていても、手で子スズメを、手でつぶすようなことはしない。高校生のときか
ら、それができる。

●4日目の朝

 鳥の世界には、(刷り込み)というよく知られた習性がある。人間の世界にも、それがあ
ると、最近、わかってきた。「敏感期」というのが、それである。

 スズメの世界のことは知らないが、スズメも、ある時期をすぎると、人間に、なれるこ
とはない。その時期は、目が開く前?

 そのスズメは、すでに庭を飛びまわっていたから、当然、目が見えていたことになる。
人間にたとえるなら、2〜3歳の子どもくらいの年齢か。しかしそうなると、もう人間に
なれることはない……はず。

 「元気になったら、庭へ放してやろう」と考えた。

 が、4日目の朝。起きてみると、昨日より、ぐんと元気がなくなっていた。少し羽をバ
タつかせたが、そこまで。すぐ目を閉じてしまった。

 あわてて私は子スズメを取り出し、手でくるんだ。そしてそのまま電機コタツの中へ入
れた。

 5分、10分……。しだいに腹の底がポーッと暖かくなるのがわかった。同時に心臓の
鼓動が大きくなったのがわかった。「よかった」と思った。「昨夜は、いつもになく寒かっ
た。うかつだった」と思った。

●お前、どうする?

 いつの間にか、子スズメを、「チュンチュン」とか、「チッチ」と呼ぶようになっていた。
名前をつけた。

 口ばしのまわりのキズは、消えていた。しかし4日目の昼ごろになると、様子が変わっ
てきた。私が手をそっと差しだしても、逃げようとしない。じっと、しかしどこかうつろ
な目で、私の手を見ている。

 そのまま手で抱くと、すぐ体を任す。人間に対する警戒感が、かなり薄らいできたよう
だ。私はそのまま、またスポイトで、2杯分のエサを口の中に流しこむ。

 チュンチュンは、そのまま手の中で、うつらうつらとし始めた。

 私はもう一方の手で、頭や口ばしを、さわってやる。気持ちよさそうに目を閉じる。

 「お前、どうする?」と聞いても、もちろんチュンチュンは、答えない。おとといは、
巣そのものを、温室の上に置いて、母鳥たちが迎えにくるのを待っていた。が、その母鳥
が来る前に、チュンチュンは、巣から飛び出し、そのまま地面に激突。

 しかしいつまでも飼っているわけには、いかない。また、聞く。「お前、これからどうす
る?」と。しかしチュンチュンは、手の中で、気持ちよさそうに眠っている。

●まだ放せない

 スズメという小鳥は、このあたりの言葉で言うなら、「ぶしょったい」。小鳥特有の美し
さがない。ほかの鳥とちがって、あまり毛づくろいをしないようだ。どの毛も、ボサボサ
といった感じ。目だたないように、わざとそうしているのか?

 色も悪い。保護色ということになるが、何の保護色なのか。枯れた草むら、ヤブ、枯れ
木。いろいろ考えられるが、美しいものでないことだけは、たしかだ。またそういう色を
しているから、町の中でも住めるということになる。

 で、そのスズメも、幼児期に、すべてが決まるのか? 手の中のスズメを見ながら、そ
んなことを考える。

 この時期は、親鳥について、子育てのし方を学ぶころでもある。その情報があってはじ
めて、今度は、自分が親鳥になったとき、子育てができるようになる。鳥のことはよく知
らないが、人間は、そうである。

 しかし今は、私という人間に育てられている。このままでは、このスズメは、野生に戻
れなくなってしまう。いわゆる人間スズメになってしまう。

 しかし……。今、庭に放しても、まだじゅうぶん、飛べない。一つ気になるのは、足(脚)
全体が、血の気が引いたように、淡い黄色をしていること。かごの端に止まることはでき
るようだが、見た感じでは、足の力が弱い。逃げるときも、腹をこすったまま、逃げる。

 どこが悪いのだろうか?

 これからHK市へ、コンサートを聞きにいくつもり。途中、山荘に寄っていくので、帰
りは、午後9時ごろになる。

 「どうする?」とワイフに聞くと、「箱か何かに入れて、つれていくしかないわね」と。

●死

 コンサート会場から出てきたのが、午後9時ごろ。さっそく、箱の中を見ると、元気が
ない。体を横にして、かすかな力をしぼり出すようにして、あえいでいる。

 すぐ手に抱いて、前の席に。

 車のヒーターを入れると、その送風口に、チュンチュンを置く。「寒かったかもしれない
……」と言うと、ワイフは、がまんしてくれた。

 家に着くころには、さらに元気がなくなっていた。そこでもう一度、箱に入れなおし、
カイロを2枚、その左右に置いた。スズメだって、低温ヤケドをするかもしれない。距離
をおいた。

私「ダメかもしれない」
ワ「……」

 チュンチュンの反応は、ほとんどなくなっていた。体をさすってやると、そのときは、
目を開いた。しかしそのまま、やがて、うつろな目つきになり。目を閉じた。

 庭から、ワラを、またひとつかみもってきて、それでチュンチュンの体を、おおった。
が、私たちが寝るころには、ほとんど、反応がなかった。それでその日は、終わった。

 翌朝、起きて、台所へ行くと、ワイフがいた。「どうだった?」と声をかけると、ワイフ
は、首を横に振った。

 私の体から、スーッと力が抜けていくのが、よくわかった。静かな朝だった。

 チュンチュンは、5日目の朝に、死んだ。短い命だった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【週刊P誌・5・27日号を読む】

 週刊P誌に、こんな記事が載っていた。「日本を襲う、金XX(死の灰)」。

 マスコミの報道によれば、現在、K国は、K国北東部のある吉州(キルジユ)というと
ころで、核実験の準備をしているらしいという。北東部といっても、すぐその東は、日本
海。もしここでK国が核実験をしたら、その死の灰は、風にのって、そのまま日本を直撃
する。

 週刊P誌によれば、「時速24キロの風に乗れば、44時間あまりで、東京に到達する。
そしてその状態は、1週間程度つづく」という。

 今、ささやかれている「6月説」によれば、6月という月は、そういう月らしい。つま
り6月ごろには、風は、K国から、南東の方向に吹く。

 そこでK国が核実験をするにしても、それだけのガードがしてあればよい。しかしああ
いう国だから、それは期待できない。週刊P誌は、こうつづける。

 「(ガードする)コンクリートの強度が不足しているばあい、核爆発の衝撃で、トンネル
上部のフタが吹き飛び、放射性物質は空気中に拡散することになる」と。

 考えてみれば、とんでもない話である。そのとんでもない話が、今、現実になろうとし
ている。私は、その記事を読みながら、こんなことを考えた。もし、核実験が強行された
ら……、

(1)株価の大暴落と、日本経済の大混乱
(2)死の灰騒ぎと、連日の気象情報パニック
(3)食糧の買いだめ騒ぎと、汚染問題

 さらに週刊P誌によれば、札幌医科大学のT教授の弁として、つぎのような説明をして
いる。

 「吉州の放射能漏洩(ろうえい)が、かりに100%であっても、レベルCには至らな
い。(だから不要な心配はしなくていい)」と。

 レベルCというのは、つぎのようなレベルを言うらしい。

レベルA……4シーベルト以上の放射線を受けた状態。このレベルの放射線を受けると、
内臓は深刻なダメージを受け、半数以上が、60日以内に死亡する。

レベルB……1シーベルト以上、4シーベルト以下の放射線を受けた状態。すぐさま生命
に危険はないものの、急性放射線障害や、悪性腫瘍を招く恐れがある。

レベルC……0・1シーベルト以上1シーベルト未満の放射線を受けた状態。将来、がん
の発生確率が高くなる一方、胎児に影響が出やすくなる。

 「試算の結果、日本に到達する放射線は、もっとも強い地域でも、0・002から0・
003シーベルトで、レベルDに分類される」(同誌、T教授)とのこと。この程度の放射
線なら、病院でCTスキャンを受ける程度、とか。

 が、パニックは、それでも起きる。K国が核実験をしたあとは、日本中は、蜂の巣をつ
ついたような大騒ぎになるだろう。が、それで問題は、終わるわけではない。

 いままでしてきた6か国協議は、霧散する。同時にアメリカ政府の強硬派は、一挙に勢
いをます。K国に対して、強硬手段に出る可能性もある。が、ここで誤解してはいけない
のは、K国は、アメリカと交渉したがっているが、そのターゲットは、アメリカではない
ということ。この日本である。

 いくら金XXでも、アメリカを相手に、アメリカで戦争すれば、どうなるか、それくら
いのことは知っている。金XXが、実際に核兵器を使うとしたら、この日本で、である。
つまりK国は、日本を人質にした状態で、米朝交渉をしようとしている。

 では、日本は、どうすべきか?

 何度も書いてきたように、日本は、あんなK国を、本気で相手にしてはいけない。また
あんなK国と、いっしょに、心中する必要はない。中に勇ましい人がいて、「なめられるな」
とか、「国の権威を守れ」とか言う人がいる。

 しかしあんな国を相手に、「なめられる」とか、「権威を守る」とか言うほうが、おかし
い。K国は、今や、世界一の貧乏国である。一般の労働者は、1か月分の給料をはたいて
も、3キロの米すら買えない(C日報)。

 仮に核実験をしても、すぐさま報復とか、そういうことを考えてはいけない。また報復
行動をとってはいけない。

 昔と違って、今では、リアルタイムで、日本やK国の情勢は、世界に報道される。つま
りそういう(状況)を見て、それを判断するのは、私たち日本人ではなく、世界の人たち
である。

 ジャッジは、世界に任せればよい。とういうのも、すでにこの日本には、100〜20
0人のK国の工作員が、入りこんでいるという。そういう人たちが、この日本で、何をし
でかすか、わかったものではない。仮に、細菌兵器でもばらまかれたら、数週間以内に、
数10万人以上〜もの死者が出ると言われている。

 それだけ無防備なままにしてきた日本政府にも、責任がないとは言わせない。拉致問題
にしても、本当の責任は、日本政府にある。しかし悲しいかな、これが現実である。

 だからここは務めて冷静に。私は、世界の人たちがもつ、(善なる心)を信ずる。その(善
なる心)が、必ず、K国の金XXを、自然死に追いこむ。あえる必要はない。あの中国で
すら、「(K国が核実験をしたら)、強烈措置を取る」とすでに宣言しているではないか。

 ただ、時期を見て、飲料水の確保と、食糧の確保はしておいてほうがよいかもしれない。
いくら「害はない」と言われても、安心して飲める水や、安心して食べられる食糧は、ほ
しい。大きなことはできないが、庶民として、それくらいの自衛策は、講じておかねばな
らない。

 週刊P誌を読んで、そんなことを感じた。
(この原稿は、5月16日・月曜日に書いたもの。マガジンの載せるときには、国際情勢
が大きく動いているかもしれません。)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 8日(No.580)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもたちのBAD・MANNER

 子どもたちのする、バッド・、マナーには、いくつかある。

 立小便、鼻くそほり、ツバ吐きなど。国によっては、きびしく罰せられるところも多い。
しかし私は、これらに、もう一つ、「咳」を加えたい。

 子どもというのは、あたりかまわず、咳やくしゃみをする。しかしとくに咳について言
えば、それをかけられた人は、そのままその病気に感染する。

 だから私はいつも、しつこいほどに、子どもたちに、こう言う。

 「人に向って、咳をしてはだめ」と。

 しかしその深刻さを理解する子どもはいない。親もまた、「子どものする咳だから、感染
力はない」と考えがちである。しかし咳に、おとなも子どもも、ない。むしろ子どもの咳
のほうが、感染力が強いのではないか。(少なくとも、バイ菌は、同じ。)

 中に、手でこぶしをつくって咳をする子どもがいる。「それではだめだよ」と私が言うと、
「こうすれば、人にかからない」などと反発する。しかしそんな程度では、咳から発散す
るバイ菌を防ぐことはできない。

 くしゃみにせよ、咳にせよ、口から出た瞬間には、時速100〜200キロにもなるそ
うだ。仮にこぶしで押さえたとしても、そのバイ菌は、こぶしを通りこして、相手に降り
かかる。距離的には、3〜4メートルくらいは、軽く飛ぶ。

 子どもが咳をしそうになったら、顔を、反対側に向けさせる。あるいはタオルで口をふ
さがせる。その程度のマナーは、当たり前ではないのか。

 先日も、電車に乗ったら、隣の席の女性(60歳くらい)が、ゴホンゴホンと、つづけ
て咳をしていた。そこで私は、指定席だったが、前のほうのあいている席に、移動した。
その女性の席から、2、3つ、前の席だった。

 そこへ車掌が、切符を調べにやって来た。「切符を拝見します」と。そのときの会話。

車掌「ここは、あなたのセキではありません」
私「わかっています。しかし隣の人のセキがひどいので……」
車掌「どこがひどいのですか?」
私「だから、セキがひどいので、ここへ移ってきました」
車掌「だから、あなたのセキは、エート、あそこです」
私「だからア……」と。

 私としては、その女性に会話を聞かれたくなかったから、小声で話した。それを車掌は、
これまた大きな声で、「セキがどうしましたか?」「ここはあなたのセキではありません」
と。

 口で、咳をするマネをして、やっとわかってもらえたが、しかしそれにしても、頭の血
のめぐりの悪い車掌だった。ホント!

 子どものする咳。決して、軽くみてはいけない。

余談だが、どこかの大病院に勤務する父親をもつ子どものする咳は、とくに感染力が強
いのではないか。彼らは、ありとあらゆる予防注射を受けている。その上での咳である。

 そういう子どもにすれば、私など、まったくの無防備。丸裸。しかも一度、うつされる
と、症状は、ふつう以上に重くなる。大病院経由のバイ菌はこわいぞ! (失礼!)


●親に命令する子ども(2)

 少し前、親に、命令する子どもについて書いた。その原稿について、あちこちから、反
響がとどいた。掲示板への書きこみもあった。中に、「自分の子どもなら、虐待と言われて
もかまわないから、ぶん殴ってやる」というのもあった。

 しかし、今、このタイプの子どもは、少なくない。

 数か月前も、ある中学校で講演をしたとき、その学校の教頭がこんな話をしてくれた。
何でも、ある母親が、その教頭のところにやってきて、こう言ったという。

 「どの高校(進学校)にするかについてですが、私では言えませんので、先生のほうか
ら、言ってください」と。

 つまり子どもの進学問題について、その親は、「進学校の話になると、とたんに大げんか
になってしまいます」「親の私では何も言えないので、先生のほうから言ってほしい」と。

 その教頭は、こう言った。「今、大切な会話でさえできない親子がふえていますね」と。

 子どもに遠慮する。まるで腫れ物に触れるように、気をつかう。「子ども(中学生)が勉
強を始めたら、廊下を、すり足で歩きます。物音をたてようものなら、何が飛んでくるか、
わかったものではありません」と言った母親もいた。

 しかし、それでも、親子は親子。たいていの親は、こう言う。「今だけですから……」と。

 が、これで驚いてはいけない。このタイプの子どもは、むしろ、女子に多いということ。
昔は、日本女性を、『大和なでしこ』などと言ったものだが、今では、そういう子どもは、
さがさなければならないほど、少ない。

 で、話は変わるが、私は、自転車通勤をしている。その通勤をしているとき、こんなこ
とがある。

 たとえば私が横断歩道にさしかかったとする。そのとき、左右からやってくる車は、私
を見て、車を止めてくれたり、スピードを落としてくれたりする。

 しかし、あえて言うなら、そういうとき、女性ドライバーは、まず、車を止めてくれな
い。スピードも落さない。まるで何かに憎しみをぶつけるかのように、猛スピードで、通
りすぎていく。「あぶない!」と思っても、視線を、こちらに向けることもない。若い女性
ドライバーほど、そうではないか。

 このことをワイフに話すと、ワイフはこう言った。これはあくまでも、ワイフの説。

 「女性というのは、きっと、会社なんかでも、冷遇されているでしょう。だからそうい
うときこそ、自分の優越感を、だれかにぶつけたいのではないかしら」と。

 ナルホド!

 いくら友だち親子といっても、その限界を越えてはいけない。友だちは、友だち。しか
しその限界を超えて、親子の立場が逆転すると、家庭教育そのものが成りたたなくなる。

子「テメエ、何だ、こんな料理! まずくて食えねえだろオ!」
母「ごめんなさい。今、作りなおしますから」
子「早くしろって言ってるんだよ。これじゃ、学校に間にあわねえヨ」
母「ごめん、ごめん」と。

 問題は、なぜ、そうなるかということ。またそれを防ぐためには、どうしたらよいかと
いうこと。

 こうした本末転倒の親子関係は、実は、子どもが幼児のときから始まる。

 子どもが生まれると、それこそ、「蝶よ、花よ!」と、親は子どもを育てる。子どもを楽
しませ、子どもによい思いをさせ、そして子どもに楽をさせるのが、親の愛の証(あかし)
と誤解する。

 こうしてごくふつうの家庭でも、(ときには貧しい家庭においてでさえ)、ドラ息子、ド
ラ娘が生まれる。

 こうした(甘い家庭)の背景にあるのが、親自身の精神的な未熟性と、情緒的な欠陥。
さらには日本古来の、日本人独特の依存性(=甘え)がある。子どもを、1人の人間とし
てみるのではなく、モノとみる。あるいはペットとしてみる。

 つまりベタベタの親子関係をつくりながら、親にベタベタと甘える子どもイコール、か
わいい子どもイコール、いい子としてしまう。

 ここでいう本末転倒のドラ息子、ドラ娘は、あくまでも、その結果でしかない。

 子どもを愛するということと、子どもをかわいがるということは、まったく、別の問題。

 子どもを愛することには、いつも、何らかのきびしさがともなう。一方、子どもをかわ
いがるということについては、それがない。親は、そのつど、かわいがりながら、子ども
に何らかの見かえりを求める。

 少し前だが、私にこんなことを言った女性(70歳くらい)がいた。

 「あれほど、かわいがってやった息子なんですがね、今では親の恩も忘れて、京都へ行
ってしまいましたよ。親なんて、さみしいものですね」と。

 そう言えば、日本語の(かわいがる)(かわいい)(かわいい子ども)という言葉は、1
本の糸でつながっているのがわかる。

 ここにも書いたように、日本では、子どもに楽をさせることを、「かわいがる」という。
そしてその結果、依存心が強く、親にベタベタと甘える子どもを、「かわいい」という。そ
してかわいい子どもほど、いい子とする。

 が、子どもが、幼児期のうちなら、まだよい。しかしやがて手に負えなくなる。先日書
いた、「親に命令する子ども」は、あくまでも、その結果ということになる。

 で、こういうケースで、子どもに命令される一方の親が、それだけそうした状態を、「異
常」と思っているかといえば、そうではない。親自身が、そういう状態を、受け入れてし
まっている。あるいは、それが「ふつう」と思いこんでしまっている。

 長い時間をかけて、そうなる。

 しかし、異常は、異常。

 「テメエ、文句を言わないで、サッサと、宿題を届けろって、言っているんだよオ。下
駄箱の中に、○時までに、ちゃんと、入れておけよ!」と。

 まだどこかにあどけなさの残る女子(中学生)が、携帯電話で、親に向かって、そう叫
ぶ。

 私は、親子は平等と言っても、そこまでは、許していない。つまりそういう親子関係を
認めるほど、寛大ではない。もし私の教え子にそういう子どもがいたら、即刻その場で、
退塾させる。

 今まで、そういうことは、一度もなかったが……。

【若いお母さん方へ】

 子どもがかわいいのは、わかります。しかし決して、そのかわいさに負けてはいけませ
んよ。

 親は親として、き然と生きる。その生きザマが、子どもの心を、まっすぐ伸ばします。
決してやりすぎない、(ほどよい親)に、どうか、心がけてください。いらぬお節介かもし
れませんが……。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【シャドウ論】(追記)

●仮面は、ゆがみをつくる

 自分をごまかして生きていると、その反射的効果として、その人の背後には、もう1人
の(自分)ができる。

 これを「シャドウ」という。ユングの考えていた「シャドウ論」とは、少しニュアンス
がちがうかもしれないが、そこは許してほしい。

 たとえば、教師や牧師、さらには政治家。それなりに選ばれてなった人だから、それな
りの人物と、私たちは思いがち。しかし中には、人間的にそれほど完成していない人が、
こうした職業につくことがある。で、そういう人たちは、自分の職業をとおして、いわゆ
る、(完成された人間であるかのようなフリ)をする。いわゆる演技をする。が、その(フ
リ)が積もりにつもってくると、心のどこかに、(ゆがみ)が生じてくる。

 その(ゆがみ)が、まったく別の自分を、心のどこかにつくる。それがシャドウである。
私は、このことを、生徒を教えていて、発見した。

 が、私のことについて書くことについては、何かと問題もあるので、書けない。そこで、
ここでは、たとえば教会の牧師を例にあげて考えてみる。(私のまわりには、牧師はいない。
知人や友人の中にも、牧師はいない。)

●邪悪な部分

 が、中には、インチキ牧師というのがいる。マスコミに顔を出し、派手なパフォーマン
スで、神理とか、神の道などといって、自分を売りだしているのは、たいていその種の牧
師と考えてよい。

 つまりそういう人にとっては、牧師という職業は、人をだますための道具。信者は、金
集めの道具にすぎない。が、そういう人が、教会などで、さも牧師様といった顔をして、
聖書を開き、その一節を読んで聞かせたりする。

 そんな生活を毎日つづけていると、気がヘンになる。ヘンにならないまでも、精神的に、
たいへん疲れる。まともな人なら、そうなる。そこでこういうフリをつづける人は、自分
の中の邪悪な部分を、自分から切り離すことで、心を軽くする。心を守る。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

●シャドウを受けつぐ子ども

 一組の夫婦がいる。妻は、夫を愛していない。愛しているフリをしているだけ。本当は、
夫を軽蔑し、忌み嫌っている。

 が、人前では、献身的で、慈愛に満ちた妻を演じている。世間的には、(よくできた奥さ
ん)といったふう。

 こういうケースでも、その女性(妻)は、自分の背後に、シャドウをつくる。本来なら
そのシャドウは、だれにも見えないものである。が、その女性の子どもたちは、そうでな
い。子どもたちには、見える。あるいは子どもが、そのシャドウを、そっくりそのまま受
けついでしまう。親子の関係は、それほどまでに密着している。ごまかしがきかない。

●三角関係

 その結果として、そこで心理学でいうところの「三角関係」ができる。父親→母親→子
どもの三角関係である。

 一度、この三角関係が親子の間でできてしまうと、子どもは、親の指示に従わなくなる。
つまりその時点で、家庭教育は崩壊する。が、それだけではない。子ども自身も、母親と
父親を軽蔑し、忌み嫌うようになることもある。

 社会的な地位もあり。世間的な評価も高い夫婦の子どもが、ときとして、想像もつかな
いような凶悪事件を引き起こしたりすることがある。そういう事件について、このメカニ
ズムで、すべてを説明できるわけではない。が、おおまかに見て、「そうかな?」というケ
ースは、決して、少なくない。

 たとえば、よく引きあいに出されるケースとして、佐木隆三の書いた、『復讐するは我に
あり』がある。敬虔(けいけん)な牧師の息子が、凶悪犯罪を重ねるという、実話に基づ
いた小説である。

●演技性人格障害

 ところで、話は少しそれるが、精神医学の世界には、「演技性人格障害」というのがある。
仮面をかぶってばかりいるうちに、本当の自分が何であるかさえも、わからなくなってし
まう状態をいう。

 DSM−IVの診断基準によれば、つぎのようになっている。ここで書くシャドウとは、
関係ないが、一応、あげてみる。

++++++++++++++++++

(演技性人格障害)

過度の情緒性と人の注意を引こうとする広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々
の状況で明らかになる。以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。

(1)自分が注目の的になっていない状況では、楽しくない。
(2)他人との交流は、しばしば不適切なほどに性的に誘惑的な、または挑発的な行動に
よって特徴づけられる。
(3)浅薄で、すばやく変化する感情表出を示す。
(4)自分への関心を示すために、絶えず身体的外見を用いる。
(5)過度に印象派的な内容の、詳細がない話し方をする。
(6)自己演劇化、芝居がかった態度、誇張した情緒表現を示す。
(7)被暗示的、つまり他人または環境の影響を受けやすい。
(8)対人関係を実際以上に親密なものとみなす。

+++++++++++++++++++

 このタイプの人は、夜のバラエティ番組に出てくる人に多い。派手なパフォーマンスで、
絶えず他人の注意を自分にひきつけようとする。わざと友人の数を誇張してみせたり、日
ごろから、親密な交際をしているかのような話題を並べる。

 ときとして非常識なことを口にしたり、ズケズケをものを言ったりすることもある。先
日は、万引きしていたことを、テレビカメラに向って、得意げに話していた女性タレント
がいた。(驚いたのは、そんなタレントでも、子どもをもつ母親であったこと。ギョッ!)

 このタイプの人も、「演技性」という部分で、仮面をかぶっていると考えてよい。(ある
いはただの、ノーブレイン?)

 他人と良好な人間関係を結べなくなった状態を、「人格障害」という。仮面をかぶりつづ
けていると、では、どうして、他人と良好な人間関係を結べなくなるのか?

●良好な人間関係を結ぶために

 ひとつには、その人の行為や言動が、どこか不自然になることがあげられる。たとえば
見知らぬ相手でも、ホレホレ、ハイハイと、顔中に笑顔をつくって、その人に応対したり
する。さも「私は人格者でございます」というような、言い方をする。

 口がうまく、相手に取り入るのも、じょうず。さも相手の身になって、心配しているか
のようなフリをする。ときに涙声で、(しかし涙は、一滴も出ない)、「それは、かわいそう
に。ああ、つらいです、つらいです。それは、お気の毒なことです」と言ったりする。

 つまりすべてが演技。その演技の上に、その人の人格(?)がのっている。だから、本
人の意思とは別に、周囲の人は、その人の心がつかめない。何を考えているか、わからな
い。だから、周囲の人のほうが、その人から逃げる。距離をおく。そのため良好な人間関
係が結べなくなる。

 (反対に、そういう人を、「すばらしい人」と思いこんでしまう人もいる。実際、このタ
イプの人は、他人の前では、いつも、仏様のように振る舞う。たとえばよく言われるが、
天才的詐欺師というのがいる。このタイプの詐欺師は、心底、自分は善人であると信じき
って、他人をだますという。つまり自分の中の邪悪な部分を、シャドウの中に、完全に切
り離してしまう。)

●世代伝播(でんぱ)

 で、そのシャドウが、シャドウとしてこわいのは、そのシャドウが、その人の心の範囲
でとどまらないこと。その人の子どもに、伝播(でんぱ)してしまうことがあるというこ
と。わかりやすく言えば、子どもが、親の邪悪な部分だけを、そっくりそのまま、受けつ
いでしまう。

 日本では、『子は、親のうしろ姿を見て育つ』というが、もう少し正確には、『子は、親
のシャドウをそのまま受けついでしまう。しかも、その多くは、邪悪なものである』とい
うことになる。
 
 では、どうするか?

 子どもの世界では、(1)心の状態と、表情の一致している子どもを、心がすなおな子ど
もという。(2)いじける、ひがむ、ねたむなどの、心のゆがみのない子どもを、心がすな
おな子どもという。

 同じように、こうしたシャドウを避けるためには、ありのままの自分を、そのままさら
け出しながら生きる。よきにつけ、悪しきにつけ、そういう人には、シャドウはできない。
外から見ても、わかりやすい。明るい。だから友だちも多い。人間関係も、わかりやすい。

 つまりは、自己開示の問題ということにもなる。もっと言えば、いつも、心を外の世界
に向って解き放ちながら、生きる。それがシャドウを防ぐ方法ということになる。と、同
時に、子どもをここでいう(すなおな子ども)に育てる方法ということになる。

 まだこの先は、私にもよくわからないところがある。このつづきは、またの機会に考え
てみたい。
(はやし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 演技性 人格障害 すなおな子ども 子供)

(補記)

 シャドウというのは、いつでも、またどんな場所でもできる。

 たとえば電車の中で、すてきな女性を見かけたとする。その女性との、あらぬセックス
を想像したとする。(男なら、みな、そうするぞ!)

 しかしそれはあくまでも、想像。で、そのとき、男というのは、かなり邪悪な想像まで、
する。が、ふと現実にたちかえると、みな、何ごともないかのような顔をして、眠ってい
たり、携帯電話をいじっていたりする。

 私も相変わらず、何ごともなかったかのような顔をして、静かに目を閉じる。が、その
瞬間、私のシャドウができる。

 で、家に帰って、ワイフを抱いたりすると、そのシャドウが顔を出す。その女性にして
みたかったことを、ワイフに向ってする。とたん、ワイフに、叱られる。「何をするのよ!」
「いやらしいわね!」「今日のあなた、ヘンよ!」と。

 こうした現象も、私のシャドウ論で説明できるのでは……。あくまでも、一つの参考と
して……。

(補記2)

 要するに、何を考えているかわかりにくい人。ウラがありそうな人というのは、つきあ
いにくいですね。それがシャドウだと思えば、私がいう「シャドウ論」を、よりよく理解
してもらえるのではないかと思います。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●少女監禁事件

 東京で、24歳の男性が、逮捕された。容疑は、監禁。そのときその男性は、若い少女
をホテルに監禁して、その少女に好き勝手なことを繰りかえしていたという。

 新聞報道などによると、きっかけは、どうやら、母親の自殺らしい。そのあとまもなく、
「女性を監禁、暴行をして服従させる、(調教もの)と呼ばれるアダルトゲームに熱中する
ようになった」(中日新聞)という。

調教ものゲームと言えば、元祖、「ポケモン」がある。ポケモンでは、サトシという少年
が、ポケットモンスターを、調教しながら、別のモンスターと戦わせるという筋書きに
なっている。その少し前には、「たまごっち」があった。

●たまごっち

あの「たまごっち」というわけのわからないゲームが全盛期のころのこと。あの電子の
生き物(?)が死んだだけで大泣きする子どもはいくらでもいた。

私が「何も死んでいないのだよ」と説明しても、このタイプの子どもにはわからない。
一度私がそのゲームを貸してもらい、操作を誤ってそのたまごっちを殺して(?)しま
ったことがある。そのときもそうだ。そのときも子ども(小三女児)も、「先生が殺した!」
とやはり泣き出してしまった。いや、子どもだけではない。

当時東京には、死んだたまごっちを供養する寺まで現れた。ウソや冗談でしているので
はない。マジメだ。中には北海道からかけつけて、涙ながらに供養している女性(20
歳くらい)もいた(NHK「電脳の果て」97年12月28日放送)。

●たかがゲームと言えるか?

常識のある人は、こういう現象を笑う。中には「たかがゲームの世界のこと」と言う人
もいる。しかし本当にそうか? 

その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」と、がんばったカルト教団が現れた。
この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが、もともと生きていない「電
子の生物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した死体」を生きていると思い込む
信者は、どこが違うのか。

方向性こそ逆だが、その思考回路は同じとみてよい。あるいはどこが違うというのか。
仮想現実の世界にハマると、人はとんでもないことをし始める。

●マザコン人間

 話をもどす。

担当弁護士は、こう話している。

 「(母親の死後)、彼は、母親がわりの女性を求めていた。何でも期待をかなえてくれる
女性を」(同紙)と。

 この部分だけを読めば、その男性は、典型的なマザコン人間であったことがわかる。そ
してそのことから、彼の幼少年期がどのようなものであったかが、容易に察しがつく。

 同じく新聞報道によれば、「小学校にベンツで送迎されるなど、過保護に育てられた」と
ある。(「過保護」の意味を、記者はとりちがえているようだが……。過保護ではなく、で
き愛というほうが、正しい。)

 ところで今、他人と、人間関係がうまく結べない若者がふえている。社会性そのものが
欠落している。これは乳幼児期における、社会的訓練の不足によるところが大きい。たい
ていこの時期、親子だけの、マンツーマンの世界だけで、育てられている。

●社会性の不足

 子どもというのは、同年齢の子どもと、取っ組みあいのケンカをしたり、いがみあった
り、あるいは反対に協力しあったりして、その社会性を身につける。その機会がないまま、
おとなになる。

 少年期には、見た目には、従順で、おとなしく、(いい子)であることが多い。しかし心
を開いて、他人と接することができない。自分を、すなおに、外に向って表現できない。

 そこでこのタイプの子どもは、暴力的なったり、依存的になったりしやすい。つまりそ
ういう形で、自分の存在感をつくろうとする。その少年のばあいは、暴力的に、自分の理
想の女性、つまり(マドンナ)を、作ろうとしたのかもしれない。

 現実錯誤とゲーム、仮想現実と倒錯的趣味。まさに現代的な犯罪ということになる。し
かしこれから先、この種の犯罪は、ふえることはあっても、決して減ることはない。さら
に、今は、ゲームだが、そのままカルト化することだって、ありえる。(現に、ある!)

 まあ、あえて言うなら、商魂だけを優先させた、無責任なおとなたちのツケが、こうし
た犯罪となって現れている。こうした事件を考えるときは、その部分まで踏みこまないと、
解決策はみつからない。

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以前、書いた原稿をいくつか、収録しておきます。
どうか、参考にしてください。

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【溺愛ママ(失敗危険度★★)】

●子どもを溺愛する母親

 親が子どもを溺愛する背景には、親側の情緒的未熟性や精神的な欠陥がある。つまりそ
うした未熟性や欠陥を代償的に補うために親は子どもを溺愛するようになる。

つまり子どもを溺愛す親というのは、どこかに心の問題をもった人とみてよい。が、親
にはそれがわからない。わからないばかりか、溺愛を親の深い愛と誤解する。だから人
前で平気で、その溺愛ぶりを誇示する。こんなことがあった。

●溺愛を「愛」と誤解?

 高校のワンゲル部の総会でのこと。指導の教師が父母たちに向かって、「皆さんはお子さ
んたちが汚してきた登山靴をどうしてますか?」と聞いたときのこと。一人の母親がまっ
さきに手をあげてこう言った。

「このクツが無事息子を山から返してくれたと思うと、ただただいとおしくて頬ずりし
ています!」と。

あるいは幼稚園で、それはそれは、みごとな髪型をしてくる子ども(年中女児)がいた。
髪の毛を細い三つ編みにした上、さらにその、三つ編みを幾重にも重ねて、複雑な髪型
をつくるなど。まさに芸術的! 

そこである日、その母親と道路であったので、それとなく「毎日たいへんでしょう?」
と聞いてみた。が、その母親は何ら臆することなく、こう言った。「いいえ、毎朝、3
0分もあればすんでしまいます」と。毎朝、30分!、である。

●溺愛児の特徴

 親が子ども溺愛すると、子どもは子どもで溺愛児特有の症状を示すようになる。(1)幼
児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、(2)退行的になる(目標や規則が守れず、
自己中心的になる)、(3)服従的になりやすい(依存心が強く、わがままな反面、優柔不
断)、(4)柔和でおとなしく、満足げでハキがなくなるなど。ちょうど膝に抱かれたペッ
トのように見えることから、私は勝手にペット児(失礼!)と呼んでいるが、そういった
感じになる。が、それで悲劇が終わるわけではない。

●カラを脱がない子ども 

子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。
たとえば子どもには、満4・5歳から5・5歳にかけて、たいへん生意気になる時期が
ある。

この時期を中間反抗期と呼ぶ人もいる。この時期を境に、子どもは幼児期から少年少女
期へと移行する。しかし溺愛児にはそれがない。ないまま、大きくなる。そしてあると
き、そのカラを一挙に脱ごうとする。が、簡単には脱げない。たいてい激しい家庭内騒
動をともなう。

子「こんなオレにしたのは、お前だろ!」
母「ごめんなさア〜イ。お母さんが悪かったア〜!」と。

しかし子どもの成長ということを考えるなら、むしろこちらのほうが望ましい。カラを
うまく脱げない子どもは、超マザコンタイプのまま、体だけはおとなになる。昔、「冬彦
さん」(テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主人公)という男性がいたが、そ
うなる。

 溺愛ママは、あなたの周辺にも一人や二人は必ずいる。いて、何かと話題になっている
はず。しかし溺愛は「愛」ではない。代償的愛といって、つまるところ自分の心のすき間
うめるための愛。身勝手な愛。一方的な愛。もっと言えば、愛もどきの愛。そんな愛に溺
れてよいことは、何もない。

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●養殖される子どもたち

 岐阜県の長良川。その長良川のアユに異変が起きて、久しい。そのアユを見続けてきた
一人の老人は、こう言った。「アユが縄張り争いをしない」と。武儀郡板取村に住むN氏で
ある。「最近のアユは水のたまり場で、ウロウロと集団で住んでいる」と。

原因というより理由は、養殖。この25年間、長良川を泳ぐアユの大半は、稚魚の時代
に、琵琶湖周辺の養魚場で育てられたアユだ。体長が数センチになったところで、毎年
3〜4月に、長良川に放流される。人工飼育という不自然な飼育環境が、こういうアユ
を生んだ。しかしこれはアユという魚の話。実はこれと同じ現象が、子どもの世界にも
起きている!

 スコップを横取りされても、抗議できない。ブランコの上から砂をかけられても、文句
も言えない。ドッジボールをしても、ただ逃げ回るだけ。先生がプリントや給食を配り忘
れても、「私の分がない」と言えない。

これらは幼稚園児の話だが、中学生とて例外ではない。キャンプ場で、たき火がメラメ
ラと急に燃えあがったとき、「こわい!」と、その場から逃げてきた子どもがいた。小さ
な虫が机の上をはっただけで、「キャーッ」と声をあげる子どもとなると、今では大半が
そうだ。

 子どもというのは、幼いときから、取っ組みあいの喧嘩をしながら、たくましくなる。
そういう形で、人間はここまで進化してきた。もしそういうたくましさがなかったら、と
っくの昔に人間は絶滅していたはずである。が、そんな基本的なことすら、今、できなく
なってきている。核家族化に不自然な非暴力主義。それに家族のカプセル化。

カプセル化というのは、自分の家族を厚いカラでおおい、思想的に社会から孤立するこ
とをいう。このタイプの家族は、他人の価値観を認めない。あるいは他人に心を許さな
い。カルト教団の信者のように、その内部だけで、独自の価値観を先鋭化させてしまう。
そのためものの考え方が、かたよったり、極端になる。……なりやすい。

 また「いじめ」が問題視される反面、本来人間がもっている闘争心まで否定してしまう。
子ども同士の悪ふざけすら、「そら、いじめ!」と、頭からおさえつけてしまう。

 こういう環境の中で、子どもは養殖化される。ウソだと思うなら、一度、子どもたちの
遊ぶ風景を観察してみればよい。最近の子どもはみんな、仲がよい。仲がよ過ぎる。砂場
でも、それぞれが勝手なことをして遊んでいる。

私たちが子どものころには、どんな砂場にもボスがいて、そのボスの許可なしでは、砂
場に入れなかった。私自身がボスになることもあった。そしてほかの子どもたちは、そ
のボスの命令に従って山を作ったり、水を運んでダムを作ったりした。仮にそういう縄
張りを荒らすような者が現われたりすれば、私たちは力を合わせて、その者を追い出し
た。

 平和で、のどかに泳ぎ回るアユ。見方によっては、縄張りを争うアユより、ずっとよい。
理想的な社会だ。すばらしい。すべてのアユがそうなれば、「友釣り」という釣り方もなく
なる。人間たちの残虐な楽しみの一つを減らすことができる。しかし本当にそれでよいの
か。それがアユの本来の姿なのか。その答は、みなさんで考えてみてほしい。

++++++++++++++++++++

 総じて言えば、今の子どもたちは、管理されすぎ。たとえば少し前、『砂場の守護霊』と
いう言葉があった。今でも、ときどき使われる。子どもたちが砂場で遊んでいるとき、そ
の背後で、守護霊よろしく、子どもたちを見守る親の姿をもじったものだ。

 もちろん幼い子どもは、親の保護が必要である。しかし親は、守護霊になってはいけな
い。たとえば……。

 子どもどうしが何かトラブルを起こすと、サーッとやってきて、それを制したり、仲裁
したりするなど。こういう姿勢が日常化すると、子どもは自立できない子どもになってし
まう。せっかく「砂場」という恵まれた環境(?)の中にありながら、その場をつぶして
しまう。

 が、問題は、それで終わるわけではない。それについては、別の機会に考えてみる。

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●聖母か娼婦か?

 女性は、元来、聖母か娼婦か。どちらか。ただし、聖母のように見えても、決して、聖
母とは思ってはいけない。一人の女性が、相手に応じて、聖母になったり、娼婦になった
りする。

 だから見た目には、つまり男によっては、その女性は、聖母にも見えることがあるし、
娼婦に見えることもある。わかりやすく言えば、男しだいということ。

 若いころ、こんな経験をした。高校を卒業してから、まもなくのことだった。

 私には、その女性(Aさんとしておく)は、聖母に見えた。高校時代、隣のクラスの女
の子だった。おしとやかで、恥ずかしがり屋だった。その上、理知的で、分別もある人に
見えた。が、その女性が、別の世界では、まったくの別人? 男を、まさにとっかえひっ
かえ、遊んでいた!

 ある友人が、こう言った。「あのな、林、あのAさんな、高校生のとき、草むらで、男と
セックスをしていたぞ。自転車で家へ帰るとき、オレ、見てしまったぞ」と。

 私が驚いて、「そんなことあるかア!」と言うと、その友人は、「ウソじゃない。オレは、
ちゃんと見た」と。

 それでも私は、信じなかった。「きっと見まちがえたのだろう」とか、「何か、ほかのこ
とをしていたのだろう」とか。「Aさんではなかったのかもしれない」とも。

 しかしそれから20年くらいたってからのこと。別の友人が、こう言った。「ぼくは、あ
のAさんと、高校3年生のとき、つきあっていた。そのとき、Aさんは、すでに処女では
なかった」と。

 私は「ヘエ〜」としか、言いようがなかった。私がAさんにもっていたイメージとは、
あまりにも、かけ離れていたからだ。

私「女って、わからないものだあ」
友「お前は、Aさんをどう思っていたんだ?」
私「とにかく、信じられない。ぼくにとってAさんというのは、マドンナだった」
友「あのAさんが、マドンナだったってエ? お前は、いったい、Aさんの、どこを見て
いたんだい?」
私「そう、ぼくには、マザコン的なところがあるからな」と。

 一般論として、マザコンタイプの男は、女性に、理想像を求める。そして好意を寄せる
女性を、マドンナ化する。日本語で言えば、聖母化する。(マドンナのことを、聖母という。
少しニュアンスがちがうような気もするが……。)

 聖母化するのは、その人の勝手だが、聖母化された女性のほうは、たまらない。とくに
夫に聖母化されると、妻は、困る。これもまた一般論だが、マザコンタイプの男性は、離
婚率が高いという。浮気率も高いという。

 1990年に発表されたキンゼイ報告によれば、アメリカ人のうち、37%の夫が、少
なくとも、1回以上の浮気をしているという。この数字を多いとみるとか、少ないとみる
か。日本には、宗教的制約がないから、日本人の夫の浮気は、もう少し、多いのではない
か。

 それはともかくも、マザコンタイプの男性は、理想の(?)女性を求めて、つぎからつ
ぎへと、女性を渡りあるく傾向が強い。新しい女性とつきあっては、「こんなはずではなか
った」「この女性は、ぼくの理想の女性ではない」と。だから離婚しやすい。浮気しやすい。
(多分?)

 要するに、女性を聖母化するというのは、それ自体が、マザコン性のあらわれとみてよ
い。このタイプの男性は、肉欲的な荒々しい性的関係を結ぶことができない。女性を聖母
化する分だけ、成熟したおとなの関係を結ぶことができない。

 で、問題は、まだつづく。

 さらに一般論として、女性は、自分がどう見られているかを敏感に察知し、その見られ
ている自分を、男の前で演ずることがある。

 「聖母に見られている」と感じたとたん、その人の前では、聖母のように振る舞うなど。
つまりAさんは、私の前では、聖母を演じていただけ? しかしそう考えると、すべて、
つじつまが合う。

 が、これは私自身の問題でもある。

 私は、ここにも書いたように、かなりマザコンタイプの人間だった。母親を絶対化する
分だけ、若いとき、私とつきあう女性にも、それを求めた。私と結婚したワイフでさえ、
あるとき、私にこう言った。

 「私は、あんたの母親じゃないのよ!」「あんたの母親のかわりは、できないのよ!」と。

 そのときはなぜワイフがそう言ったのか、その意味がわからなかった。しかし当時の私
は、ワイフに、いつも、女性としての完ぺきさを求めていたように思う。

 そこであなたの(あなたの夫の)マザコン度チェック!

(  )あなたは妻に、いつも完ぺきな女性であることを求める。(あなたの夫は、あなた
に完ぺきな妻であることを求める。)
(  )あなたはいつも、女性に、母親的な女性像を求める。(あなたの夫は、あなたに母
親的な女性像を求める。)
(  )あなたは妻に、動物的な妻であることを許さない。(あなたの夫は、あなたに動物
的な妻であることを許さない。)
(  )あなたは、いつも妻に、完全に受けいれられていないと気がすまない。(あなたの
夫は、あなたに完全に受け入れられている状態を求める。)
(  )あなたは妻に、かつてあなたの母親がしてくれたことと同じことを、求めること
が多い。(あなたの夫は、夫の母親が夫にしたことと同じことを求めることが多い。)

 要するに、妻を聖母化するということは、その夫自身が、マザコンであるという証拠。(…
…と、言い切るのは危険なことだが、それほど、まちがってはいない。)

ワイフ「本人自身は、それに気づいているのかしら?」
私「さあね。たぶん、気がついていないだろうね。マザコンタイプの人は、そうであるこ
と自体、自分のことを、親思いのいい息子と考えているから」
ワイフ「でも、そんな夫をもったら、奥さんも、たいへんね」
私「お前も、苦労したな」
ワイフ「ホント!」(ハハハハ)と。

 人生も半世紀以上生きてみると、いろいろなことがわかるようになる。男も女も、ちが
わないというのも、その一つ。どこもちがわない。この世の中には、聖母も娼婦もいない。
みんな、そのフリをしているだけ。そうでないフリをしているだけ。

 だからこの議論そのものが、意味がない。男性に、聖人も、男娼もいないように、女性
にも、聖母も娼婦もいない。……ということで、この話は、おしまい。


●女性とおとなのセックスができない男性

 概して言えば、日本の男性は、総じて、マザコン的? 母系社会というより、母子関係
の是正をしないまま、子どもは、おとなになる。つまり父性社会の欠落?

 よい例が、ストリップ劇場。私も若いころは、ときどき(ときどきだぞ!)、見にいった
ことがある。

 日本のストリップ劇場では、中央の舞台で、裸の女性が、服を一枚ずつ脱ぎながら、な
まめかしく踊る。観客の男たちは、それを見ながら、薄暗い客席で、シコシコとペニスを
マッサージする。

 この関係が、実にマザコン的? 女がほしかったら、「ほしい」と言って、飛びついてい
けばよい。セックスをしたかったら、「したい」と言って、飛びついていけばよい。

 が、舞台の女性に、「あんた、ここへあがってきなさいよ。抜いてあげるからさア」と声
をかけられても、その場で、照れて見せるだけ。どうも、はっきりしない。そのはっきり
しないところが、マザコン的?

 マザコンの特徴は、女性を美化し、絶対化するところにある。あるいは母親としての理
想像を、相手の女性や妻に求める。そのため女性の肉体は、おそれおおい存在となる?

 ……という心理は、私にはよく理解できないが、多分、そうではないか。このことは、
子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。

 数は少なくなったが、今でも、雄々しい男の子というのは、いるにはいる。(反対に、ナ
ヨナヨした男の子は、多いというより、ほとんどが、そう。)そういう男の子は、女の子に
対して、ストレート。こんなことがあった。

 私が、何かのきっかけで、「騒いでいるヤツは、ハサミでチンチンを切るぞ」と言ったと
きのこと。一人の女の子(小5)が、すかさずこう言った。「私には、チンチンなんて、な
いもんね」と。

 それを聞いた別の男の子(小5)が、「何、言ってるんだ。お前らには、クリトリスがあ
るだろ!」と。

 私はこのやりあいには、驚いた。「今どきの子どもは……!」と。

 しかし思い出してみると、私たちが子どものころには、そういう言葉こそ知らなかった
が、相手に対して、今の子どもよりは、ものごとをストレートに表現していたと思う。「お
い、セックスをさせろ」というなことまでは言わなかったが、それに近い言葉を言ってい
たように思う。

 だから同じ男として、「お前らには、クリトリスがあるだろ!」と言いかえす男の子のほ
うが、好きと言えば、好き。一応、たしなめるが、それは立場上、そうしているだけ。

 そういえば、マザコン的といえば、マザコン的? かなり昔、こんなことを言う男子高
校生がいた。その高校生は、ま顔で、私にこう言った。

 「先生、ぼくの彼女ね、本当にウンチをするのかねエ?」と。

 その高校生に言わせれば、「彼女は、ウンチをしない」とのこと。そこで私が「じゃあ、
彼女は、何を食べているの?」と聞くと、「ごはんだけど、彼女は、ウンチをしないと思う」
と。

 また反対に、こんなことを言う男子高校生もいた。

 「先生、ぼく、ブルック・シールズ(当時のアメリカの女優)のウンチなら、みんなの
前で食べてみせることができる」と。

 彼は、そのブルック・シールズの熱狂的なファンだった。

 こうして考えてみると、初恋時には、男はみな、多かれ少なかれ、マザコン的になるの
か? あるいはプラトニック・ラブを、そのままマザコンと結びつけて考えることのほう
が、そもそも、おかしいのか?

 ただ、こういうことは言える。

 マザコンタイプの男性ほど、その女性のすべてを受け入れる前に、自分をすべて受け入
れてくれる女性を求める。そしてその女性に、母親的な完ぺき性を求めて、その女性を追
いつめやすい、と。

 恋人関係ならまだしも、結婚生活となると、ことは深刻。いろいろ問題が起きてくる。
離婚率や浮気率が高いという説があるのも、その一つ。

 それについてワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「夫がマザコン的だと、奥さんも、疲れるわよ。夫が望むような妻にならなければなら
ないから」と。

私「夫がマザコンだと、離婚率が高いという説があるよ」
ワイフ「当然でしょうね。そんな男と、生活するのは、たいへんよ」
私「妻より、母親のほうが大切と考えている男性も、多いよ」
ワイフ「だったら、母親と結婚すればいいのよ」
私「ワア、それこそ、マザコンだあ」と。

 そういう意味でも、母親は、ある時期がきたら、子どもを、自分から切り離していかね
ばならない。いつまでも、濃密な母子関係に溺れていると、子ども自身が、自立できなく
なってしまう。

 本来なら、父親が、母子関係に割ってはいり、その母子関係を調整しなければならない。
が、今、その父親不在の家庭が多い。あるいは、父親自身が、マザコン的であるというケ
ースも、少なくない。

 最後に、タイトルに、「女性とおとなのセックスができない男性」と書いたので、一言。

 もう10年近くも前になるだろうか。中学3年生になったばかりの女の子が、私に、こ
う言った。

 「先生、あんな男とは、もう別れた」と。その中学生には、ボーイフレンドがいた。そ
こで私が理由を聞くと、こう言った。

 「だって、先生、3回もデートしたけど、何もしてくれないのよ」と。

私「何もしてくれないって?」
中学生「手も、握ってくれないのよ」
私「で、君は、どんなことをしてほしいと思っていたの?」
中学生「ふふふ。わかっているくせに……」と。

 性的な男女交際を奨励するわけではないが、私はその話を聞きながら、そのとき内心で
は、「だらしない男もいるもんだ」と思った。
(はやし浩司 マザコン マザーコンプレックス マドンナ論 聖母 聖母意識 でき愛
ママ 溺愛 溺愛ママ)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【読者の方からの、ご意見】

 神奈川県にお住まいの、GSさんから、ご意見をいただきました。みなさんと、いっし
ょに、この問題を考えてみたいと思います。

●介護保険

 介護保険について、やはり、もともとは、医療保険制度の救済のためではなかったのか
と、GSさんも書いておられます。

 老人の無料診療化が進み、病院が、老人のサロンのようになってしまった。一方、病院
側は、保険で請求すればよいと、無駄な治療を、どんどんと重ねた。その結果、医療保険
制度そのものが、崩壊しそうになってしまった。

 で、考えられたのが、介護保険制度というわけです。

 またGSさんのメールで興味深いのは、小さな工務店が、上限20万円の工事を、請け
負っているという点です。毎年、20万円の範囲で、要介護者のいる家庭を、改築してい
る? そういうことでしょうか?

●韓国問題

 なお、日本が韓国に支払った、戦後補償金は、莫大なものでしたよ。私が1968年に
韓国にいたころ、すでに、支払われていましたが、日本の国家経済の屋台骨を何本も抜く
ような額だったと、当時の政治家たちから、そう聞いています。(現在のレートで、計算し
てはいけません。当時は、1ドルは360円。韓国ウォンも、1ウォンが、4円程度では
なかったかな? 記憶があいまで、すみません。)

 それを韓国は、国民には一円も渡さず、全額、国家建設のために使ってしまったのです。
日本政府も、「渡したお金を、どう使おうが、それは韓国政府に任せる」というような言い
方をしたと、聞いています。

 で、そのあと、いわゆる「漢江の奇跡」が始まったわけです。

●ミレーの落穂拾い

 ミレーの「落穂拾い」については、聖書に由来するとは、知りませんでした。(この世界、
本当に勉強不足のことが多くて、悲しくなります。)

 さっそく、ルツ記などを、読みました。旧約聖書の時代には、貧しい人たちのために、
落穂を残しておくという習慣があったのだそうですね。

 その落穂を拾っている……。なるほどと、感心しました。

++++++++++++++++++++

【GSより、はやし浩司へ】

いつも、興味深い内容をお届けくださってありがとうございます。

私も、介護の仕事をしていたこともあり、マガジンもまた、興味ある内容が一つふえたよ
うに感じています。

介護保険は、ケアマネの資格を取るときに勉強しましたが、老人医療の無料化に端を発す
る医療保険制度の破綻から新たに考え出された保険と聞いています。

老人は、医療の無料化とか、一部負担という形で、優遇されていますが、これがために、
病院においては、老人のサロン化が始まり、また、医師サイドも本人たちから直接お金を
取るわけではないので、高額な医療や、薬を提供し(医者は出来高請求なので)というよ
うなことから、もともと善意の保険制度を破綻させてしまいました。

今では、以前のように、治療の必要がないときには、長期の入院はできなくなりました。
そういう保険制度になってきました。老人の場合は、定額内での医療提供というように、
変わってきています。

介護保険も、できた当時から、いろいろな事業者が、自分の施設に都合のいいケアプラン
を立てるケアマネを置いて、やりたい放題・・・小さな工務店なども、介護者一人につき
介護のために必要な住宅改修に、年間20万円を上限に介護保険に請求できますから、今
年はここ、来年はここという具合に利用したり・・・。

まだ、実が伴っていれば、良心的なほうなのですけれどね。フリーのケアマネが幅を利か
せるような体制にならないと、介護保険はますます、お菓子に群がる蟻の状況なるのでは
ないかと思います。

最近のアジア情勢もいろいろありがとうございます。

こちらも、とても興味深いです。特に、最近の韓国は、私もがっかりしていましたので・・・。
韓国人は、受けた恩は忘れないという国民性と聞いていましたが、IMF体制のとき、日
本がどれだけのお金を使ったか、なぜ、韓国人も、日本人も問題にしないのだろうと。そ
れどころか、一応パクチョンヒ大統領のときに、十分ではなかったのかも知れませんが、
戦後保障を済ませた形にはなっているにもかかわらず、今の大統領は、なお、これを請求
するような発言をするのかと・・・・。

私も日本の悪いところをある程度承知していても、今の韓国ちょっと〜という感じで、先
生のマガジンを読みながら、うなずいています。

最後に、ミレーの「落穂ひろい」について、旧約聖書のルツ記の記述からの絵という風に
聞いていますが・・・・素敵な絵ですよね。ルツ記は、大変短い記述です。興味があった
ら、またご覧くださいね。

それでは、いろいろと長く書いてしまいましたが、これからも、ご活躍をお祈りしています。
(はやし浩司 ルツ記 介護保険 介護保険制度 韓国 戦後補償)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 6日(No.579)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●依存性の強い子ども

 依存性の強い子どもというのは、いる。独特の話し方をする。たとえば、何かの勉強を
指示したとする。

子「どこをやるのですか?」
私「この問題をしてみたら……?」
子「ノートにやるのですか?」
私「直接、プリントに考え方を書いてもいいよ」

子「式も書くのですか?」
私「式を書いてもいいし、計算を書いていいよ」
子「ていねいに書くのですか?」
私「ていねいに書いてもいいし、君のしたいように書けばいいよ」

子「どこまでやるのですか?」
私「まず、その1問をすればいい」
子「これが終わったら、つぎは、どうするのですか?」
私「また、そのとき、考えればいい」と。

 こういう会話が、繰りかえし、いつまでもつづく。そしてこうしたクセ(?)が、一度、
小学校の低学年児までについてしまうと、以後、そのクセ(?)がなおるということはな
い。ずっと、つづく。中学生になってからも、つづく。

 このタイプの子どもは、勉強が苦手な子どもが多い。しかし中には、それでいて、勉強
がよくできる子どもも、いる。依存性があるから、勉強ができないということもないよう
だ。

 原因の多くは、母親にある。しかもこうしたクセは、その子どもが、乳幼児期のころに
身についてしまう。母親の過干渉と過関心。手のかけすぎなど。それが日常化すると、子
どもは、自分で考えて行動することができなくなる。

 学習面においては、無理な学習、強制的な学習などが、それに拍車をかける。

 当然、現実検証能力も、弱くなる。自分が、今、何をすべきかが、的確に判断できなく
なる。そのため、意味のない質問が、いつまでもつづく。そしてだれかに、何をすべきか
を指示してもらわないと、自分では何もできない。

 ひとりで座らせておくと、指示があるまで、ぼんやりと座っている。ただ高学年になれ
ばなるほど、フリ勉、ダラ勉がうまくなる。いかにも勉強していますというような様子だ
けを、してみせる。しかし実際には、何もしていない。

 このタイプの子どもは、少なくない。15〜20人に1人はいる。程度の問題もある。

 そこで重要なことは、こうした傾向が、幼児期に見られたら、その時点で、親が、子ど
もの環境を猛省しなければならない。しかし実際には、不可能。

 たいていの親は、子どもに問題があるとみる。そして子どもをなおそうとする。しかし
問題の原因は、親自身にある。まず、それに気づかねばならない。が、親は、こう言う。「あ
の子は、生まれつき、ああです」と。

 そしてあとは、お決まりの悪循環。気がついたときには、ここに書いたような子どもに
なってしまう。

 子どもの姿を、正確に知ることは、むずかしい。こんな問題もある。

 いわゆるガミガミ、キリキリママというのが、いる。家の中では、いつも子どもをガミ
ガミ、キリキリと叱ってばかりいる。

 こういうケースのばあい、子どもは、親の前では、仮面をかぶるようになる。いい子ぶ
るようになる。しかし仮面は仮面。しかもその仮面を見て、親は、「うちの子は、いい子」
と思いこむ。

 で、そういう子どもが外の世界で問題を起こしたりすると、親は、「そんなはずはない」
と、猛烈に反発する。そして子どもの言い分だけを一方的に聞いて、相手の親や、先生、
さらには、学校を責める。

 子どもを信ずるということと、子どもの姿を正確に知るということは、別問題である。
子どもを信ずる、その前提として、親は、まず自分の子どもを正確に知らねばならない。
正確に知らないまま、子どもを信ずることを、妄信という。

 はっきり言おう。子どもも、小学3、4年生をすぎるころから、急速にズル賢くなる。
たとえば子どもが塾などをやめたくなったときでも、「やめたい」とは言わない。

 まずそういうときは、塾の悪口を言い始める。「先生が、まじめに教えない」「ぼくに乱
暴をする」「えおこひいきをする」など。あるいは反対に、「もっと、勉強がしっかりでき
る塾へ行きたい」などと言ったりする。

 つまり親をして、「それならやめなさい」と、しむける。

 こういう例は、多い。こんな話を聞いたこともある。

 A学校のB先生は、C君(小5)の乱暴に、手を焼いていた。そこである日、B先生は、
C君をおどした。「来週、君の母親に電話をして、学校へ来てもらうかもしれない」と。

 が、その日から、家に帰って、C君は、母親に先生の悪口を並べるようになった。「B先
生は、何も悪くないのに、生徒を殴っている」「乱暴だ」「質問しても、教えてくれない」「授
業中に、女の子とふざけて遊んでいる」「エッチだ」と。

 C君は、先手を打ったわけである。

 で、とうとうある日、B先生が、C君の母親を呼びつけることになった。が、母親は、
これに猛反発。最終的には、校長室まで怒鳴りこんできて、「担任を変えろ」と息巻いたと
いう。

 ここでいうC君も、母親の前では、借りてきたネコの子のようにおとなしかった。

 では、あなたは、どうか?

 あなたは、自分の子どもの姿を、正確にとらえているだろうか。

 それには、コツがある。自分の子どもでも、自分の子どもと思わず、一歩退いて、他人
の子どもとして見るとよい。これを繰りかえしていると、子どもの輪郭(りんかく)が、
少しずつ見えてくる。

 あなたの前で、どこか不自然に、おとなしく静かな子どもほど、要注意。
(はやし浩司 依存性の強い子ども 子供 依存心 依存性 子どもの仮面 子供の仮
面)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●中国の反日運動

 やはり、ウラがあった。

 中国で起きた反日運動は、「反日」にかこつけた、民主化闘争だった。そんな疑いが、ま
すます濃厚になってきた。(私の予想どおりだったぞ!)

 中国のK首席は、そうした反日運動に参加した運動家らを、処分し始めた。新聞に載っ
た月刊誌(月刊・B誌)の見出しでは、すでに130人近くが、処刑されているという。(ま
だ記事そのものは、読んでいないので、これからその雑誌を購入して、内容を確かめるつ
もり。)

 ただ単なる反日運動なら、運動家を処分する必要はないはず。やはり中国政府は、今回
の一連の反日運動の中に、国家の転覆(てんぷく)にもつながりかねない、何かを感じ取
ったのだろう。

 この話をワイフにすると、ワイフも、「中国って、恐ろしい国ね」と。

 だからこそ、あれだけの巨大な国をまとめることができるという説もある。もし中国政
府が、国内の民主化運動を認めたら、中国という国は、バラバラになってしまう。

で、私たち日本人は、そういうことが平気でできる巨大な国が、すぐそばにあることを
忘れてはならない。もっとも、日本も似たようなもの。中国共産党というのは、日本で
は、官僚主義体制をいう。その官僚たちが、自分たちのいいように、この日本や日本人
を操っている。

 それについて、ワイフが、こう言った。

「どうして、日本では、民主化運動が起きないのかしら?」と。

 そこが日本人の特質というか、民族性。

 お上の不正を見せつけられても、「おかしいから正そう」と考える前に、「あわよくば、
自分もその恩恵にあやかりたい」と思う。「せめて、自分の息子や娘だけは、官僚に」と考
える。親戚や家族の中には、そうした恩恵を受けている人が、1人や2人は、必ず、いる。
だからどうしても、口が重くなってしまう。

 中国政府のような露骨な弾圧こそしないが、現に今、官僚にたてついたら、この日本で
は、仕事そのものが、できない。そういうしくみが、すでにできあがってしまっている。
だからあの社会H庁の例を見るまでもなく、官僚たちは、まさにやりたい放題。

 つぎからつぎへと新手を考えて、ズルイことをしているから、不正を追及する手がおよ
ばない。

+++++++++++++++

 あのね、民主主義というのはね、何か問題が起きる前に、(あとではない! 前に!)、
民衆が声をあげるようなシステムをいうのですよ。何か、問題が起きてから、お上に責任
を追及するのは、民主主義ではありませんよ。

 今度の脱線事故だってそうです。乗客たちはみな、「恐ろしい運転だった」「いつもより
スピードが速かった」「列車が横に揺れた」と言った。だったら、なぜ、その場で、みなで、
声をあげなかったのか。あげられなかったのか。

 つまり、そこに意識のちがいがあるわけです。何か、事故が起きるまでは、すべてお上
任せ。事故が起きると、「お上が悪い」「お上が悪い」と、いっせいに声をあげる。そして
それを受けて、お上は、ますます規制や管理を強化する。

 今度も、お上は、「運転手資格については、国家試験とする」「全国のレールには、AT
Sをすべて設置する」などと言い出した。

 それが悪いわけではないが、こうしてますます私たちの世界は、息苦しくなっていく。

 大切なのは、私たち1人ひとりが、もっと自分で考える人間になって、私たち自身が声
をあげること。今回も、事故が起きてから、JR西日本の内部規定が問題になった。そこ
には、「利益が、安全より優先」とあった。

ではなぜ、その前から、みなが、「おかしい」と、声をあげることができなかったのかと
いうことになる。さらに事故が起きたあとも、JR西日本の職員たちは、ビールを飲ん
で、宴会までしていたという。

 まさにノーブレインの連中ばかり。ほんの少しでも、自分で静かに考えることができる
人間だったら、とても、そんなことはできなかったはず。

 私の印象では、日本人ほど、自ら考える習慣のない民族は、いないのではないかと思う。
上から下まで、ゼーンブ! まったく、考えない。考えることそのものから、逃げてしま
う。中には、考えることを、悪と決めてかかる人もいる。

 ついでだから言っておきますが、バラエティ番組でするような、「知能サプリ」などのよ
うなものは、考えることとは、無縁ですよ。パズルのような問題を解くのを考えるから、「考
える」ということにはならないのですよ。

 考えるということは、論理に論理を積み重ねて、自分なりの結論を、導くことを言いま
すよ。それには、たいへんな苦痛がともなう。

 民主主義の大前提。それはそこに自ら考える人間がいること。お上の言いなりに動くよ
うでは、民主主義は、いつまでたっても達成できない。

 そういう意味では、中国の民衆のほうが、よっぽどよく、ものを考えている。ホント!

【追記】

 さっそく書店で、「文藝S誌(月刊誌)」を買ってくる。

 読む。

 ところで最近、このS誌、あまりおもしろくない。権威主義的というか、権威者ばかり
をそろえて、雑誌を構成している。ますます庶民性が、消えてきた。編集長にせよ、編集
部員にせよ、ただの社員なのだろうに……。

 「B誌の編集部です」と電話すれば、その電話一本で、こうしたエラーイ権威者たちを、
電話口に呼び出すことができる。原稿の依頼ができる。

 しかしそれは「文藝S誌」という看板を背負っているから、できるだけ。それがわかる
のは、自分たちが定年か何かで、退職したとき。退職したとたん、だれにも相手にされな
くなる。

 「しかし今は、わからないだろうな……。若い編集部員ほど、有頂天になりやすい」と
思いつつ、目的のページを読む。

 記事によれば、中国の浙江省の東洋市というところで、工場閉鎖であぶれた労働者たち
が、工場を占拠したという。

 その占拠が1か月以上つづいた。そこで中国政府は、治安に乗り出したが、そのとき公
安の車が、労働者1人をひき殺してしまった。それが発端となり、労働者が暴動を起こし、
中国当局と衝突。

 労働者たちは、町にくり出した。そのとき、「工場外の不満分子」(同誌)を吸収し、そ
の数は、5万3000人近くにまで、ふくれあがったという。

 そこで中国当局の治安部隊と衝突。結果、137人の中国人労働者たちが、殺されたと
いう(以上、「反政府暴動、137人が殺された」・富坂聡)。今年の4月8日のことだった
という。

 そのとき、暴動を起こした労働者たちは、「起義(革命)」という言葉を口にしたという。
つまり中国政府は、一連の反日運動が、中国の民衆化運動、しいては、中国政府の打倒に
結びつくことを恐れた。

 5月に入って、中国政府は、反日運動を、きびしく取り締まっている。当初は、政府と
暴徒とは、どこか馴れあっていた。日本の大使館が攻撃されたときも、それを取り締まる
警官も、ニヤニヤと笑っていた。が、それが一転。取り締まりが強化されたのは、反日に
名を借りた反政府暴動を、中国政府当局が、警戒したためである。

 しかし中国の民衆化運動は、猛烈な拝金主義とともに、もうだれにも止めることはでき
ない。それが世界の流れであり、うねりなのだ。

++++++++++++++++++++++

【石原S氏の「北京5輪をボイコットせよー緊急提言」を読んで】

 文藝S誌には、東京都知事の石原S氏の緊急提言を、掲載している。いわく、「北京5輪
をボイコットせよ」と。

 冒頭から、先般の反日デモをとりあげ、「あの抗議行動は、"官製デモ"と言って間違い
ないだろう」(94P)と断言している。

 つぎに気になったのは、例によって、例のごとく、「日本軍は、南京では、30万人も殺
していない」という説。

 そのまま引用する。

 「かつて私は、南京陥落直後に報道班員として、現地入りをした大宅荘一と石川達三氏
に当時の様子を聞いたことがある。二人の話は、『たしかに死体はあったが、数からいって
も大虐殺といわれるほどのことはなかった』という点では一致していました。……当時現
地にいた、ニューヨークタイムズのダーディン記者に、在ワシントンの古森記者が、長い
インタビューをしていたが、ダーディンも当時の南京の人口は、蒋介石軍の乱暴を怖れた
市民が逃げだして、20万人もいなかった。それが30万人も殺したというのは、おかし
な話です、と言っている」(同誌、97P)。

 さらに「首相のY神社参拝は、当然。私がK首相なら、当然ながら今年も参拝します」(9
8P)。「お国のために戦った死者に、哀悼の意を表するのは(当然)」とか、「尖閣諸島に
自衛隊を常駐させろ」とつづき、最後は、「北京5輪を、ボイコットせよ」と。

 南京虐殺事件については、私も調べてみた。

●南京虐殺事件

 日華事変の最中、1937年(昭和12年)の12月12〜15日。当時のK内閣は、
南京攻略に対して、三光作戦を展開していた。

 三光作戦というのは、(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくす)という作戦をいう。

 その結果、日本軍は、中国全土で、強姦、虐殺、略奪をほしいままにした(エドガー・
スノー「アジアの戦争」)。その「アジアの戦争」によれば、南京だけで、4万2000人
以上、また南京への進撃途中で、30万人以上が、日本軍に殺されたという。

 うち、そのほとんどが、「無抵抗の婦人、子どもであった」(同書)という。

 どうやら、このあたりが、最大公約数的な事実のようである。

 で、ここで注意しなければならないのは、日本側は「南京では、30万人も殺していな
い」と主張しているのに対して、スノーは、「日本軍は南京に向って、南京を攻略する過程
で、30万人殺している」「南京では、4万2000人」と書いている点である。

 ここに時間的錯誤がある。また、「三光作戦」というのは、現存したし、それに基づいて、
日本軍は、中国人(中国軍ではなく、中国人)を、(殺しつくし、奪いつくし、焼きつくし
た)というのは、動かしがたい事実である。

 これに対して、こんな記事(04年11月)を書いたことがある。改めて、ここに掲載
する。

+++++++++++++++++

10年ほど前のことだが、こんなことを言ってきた女性(当時、35歳くらい)がいた。

 「先生、どうして中国人は、ああまで日本を悪く言うのですか! 私は許せません。日
本軍が南京で殺したのは、30万人ではありません。せいぜい、3万人です!」と。

 そこで私が、「3万人でも、問題でしょう。3000人でも、300人でも問題でしょう。
どうしてそのとき、日本軍が中国にいて、三光作戦を展開したのですか」と。

 あれこれ議論をしたあと、最後に、その女性は、こう叫んだ。「あんたは、それでも、日
本人か!」「即刻、教育者をやめろ!」と。

 もちろん南京虐殺事件だけではない。中国全土はもちろん、東南アジア(マレーシア、
シンガポール)でも、日本軍は同じようなことをしている。しかし日本は、一度だって、
アジアの人たちに向って、その戦争責任を認めたことはない。ナーナーですませてしまっ
た。

 戦争責任ということになれば、その責任は、天皇まで行ってしまう。天皇を最高権威と
して、つまり日本国憲法の象徴としていだく日本としては、これは、まことに、まずい。

 が、しかし、ものごとは、逆の立場で考えてみようではないか。

 あるとき、平和に暮らしていた日本に、となりの軍事大国K国が、侵略してきた。強大
な軍事力をもつ、K国である。

 そしてそのK国が、K国の言葉を強要し、金XX神社参拝を強要し、それに従わない日
本人を、容赦なく処罰した。三光作戦とやらで、大阪の人たちが、30万人近く、殺され
た。(3万人でもよい。)そのほとんどが、婦人や子どもたちである。

 ……という私のような意見を、現在の文部科学省大臣は、「自虐的史観」と言うらしい。
「日本人が、どうして日本を悪く言うのか」と。

 しかしどう冷静に考えても、私はK首相の言っていることのほうが、おかしいと思う。
わかりやすく言えば、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをするようなこ
とを繰りかえしながら、「不戦の誓いを新たにするものだ」とは! そんな詭弁(きべん)
が、はたして、世界で通るのだろうか。(少なくとも、韓国、中国の人たちは、そう見てい
る。)

 だいたいにおいて、私の姉夫婦ですら、父親がY神社に、A級戦犯として、祭られてい
る。にもかかわらず、一度も、Y神社を参詣していない。むしろ、無実の罪で、処刑させ
られたことを、うらんでいる! それを「不戦の誓い」とは……!? むしろ、K首相の
行為は、中国人や韓国人の逆鱗に触れ、戦争の火種にすら、なりかねない。

 日本軍による大陸侵略戦争を、肯定する人は、いまだに多い。「日本が、道路や鉄道を敷
いてやった。学校や公共施設を作ってやった」「日本のおかげで、中国や韓国は発展したで
はないか」と。

 しかしもし、こんな論理がまかり通るなら、日本よ、日本人よ、逆に、その反対のこと
をされても、文句を言わないことだ。あの中国にしても、5500年の歴史がある。韓国
にしても、2000年以上の歴史がある。

 私たちが使っている言葉は、韓国を経由して日本へ入ってきた。漢字は、まさに中国語。
その漢字から、ひらがなが生まれ、カタカナが生まれた。文化の優位性ということを言う
なら、日本は、中国や韓国に、もとから、かないっこないのである。

 ……私は、今、かなり過激な意見を書いている。自分でも、それがよくわかっている。

 しかしこれだけは、よく覚えておくとよい。

 もしこれだけの警告にもかかわらず、K首相が、Y神社を参拝するようなことがあれば、
日中関係や日韓関係はおろか、アジアの国々からも、日本は、総スカンを食らうだろうと
いうこと。いや、総スカンどころでは、すまないかもしれない。先にも書いたように、「戦
争の火種」にすら、なりかねない。K国に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれ
ない。

韓国のN大統領ですら、公式の場で、K首相のY神社参拝に触れ、「日本人よ、いい気に
なるな」(04年春)と、K首相を口汚くののしっている。

つまり、この問題は、それくらいデリケートな問題だ、ということ。

 日本の首相がすることだから、あなたや私も、その責任を負うことになる。「私には関係
ない」ではすまされない。

 最後に一言。K首相は、「心ならずも戦場で倒れた人への慰霊の気持ち」と述べている。
だったら、なぜ、「心ならずも日本人に殺された人への慰霊の気持ち」と言わないのか。た
しかに300万人もの日本人が、あの戦争で死んでいる。

 それは事実だが、しかしその日本人は、同じく300万人もの外国人を殺している。し
かも、日本の外で!

 先週も、韓国の新聞は、慰安婦問題についての最高裁判決、日本の文部科学大臣の、「(教
科書から日本批判の記事が減って)、よかった」発言などを、トップで紹介している。が、
日本では、それを知る人すら、少ない。

 それでもK首相が、Y神社参拝をつづけるというのなら、どうぞ、ご勝手に。私は、も
う知らない! 知ったことではない! 

 ついでに、もう一言。H元首相の1億円政治献金問題がある。日本S医師連盟から、旧
H派への1億円の小切手が渡された。だれがどう見てもワイロなのだが、H元首相は、「記
憶にないが、事実なんだろう」(041130)と逃げてしまった。

 そういう政治家を見るたびに、私は愛国心とは何だろうと、考えてしまう。いざ、戦争
ともなれば、若者たちを戦場に立たせ、自分たちは、イの一番に、その戦場から逃げてし
まう。H元首相の、ニンマリと笑った顔を見ていると、そんな感じがする。

そういう政治家の大の仲間が、「正義」だとか、「不戦の誓い」だとか言うから、おかし
い。本当に、おかしい。
(04年12月1日記)

(補記)

 しかし……。この無力感は、いったい、どこから来るのか? 「もう、考えるのも、い
やになった」という思いすら、ある。

 何も「不戦の誓い」くらいなら、Y神社へ行かなくても、できるはず。だいたいにおい
て、「不戦の誓い」とは、何か? 相手を怒らせ、敵意をかきたてるようなことをしながら、
「不戦の誓い」とは? 私には、K首相が、まったく、理解できない。

(補記)

 日本S医師会(日歯)側から自民党旧H派への1億円ヤミ献金事件で、政治資金規正法
違反(不記載)の罪に問われた同派政治団体「HS研究会」(平成研)の元会計責任者・T
T被告(55)の判決が12月3日、東京地裁であった(04年)。OD裁判長は禁固10
月、執行猶予4年(求刑・禁固10月)を言い渡した。

++++++++++++++++++++

 話を石原S氏にもどす。

 石原氏は、「なぜ中国の教科書に、文革の記述がないのか」と、中国を批判している。「(文
革で)2000万人の同胞を殺した記述がないのは、おかしい」(97P)と。

 しかしそれこそ、いらぬお節介。つまり石原氏は、中国だって、国内でひどいことをし
ているではないか。だったら、日本軍がしたことなど、問題にするなと言いたいのだろう。
あるいは、日本人が、日本の教科書に何を書こうが、日本人の自由だ、と。

 そして結論的に、「日本には経済力がある。中国など、問題ではない」という趣旨の文章
がつづく。

 また「尖閣諸島に自衛隊を常駐させろ」と説き、もし中国軍が攻撃してきたら、日米安
保条約が発動されて、アメリカ軍が応戦してくれるなどと、説く。「尖閣諸島は、日米同盟
の試金石になる」とも。

 きわめて自己中心的な国家論である。平和論である。忘れてならないのは、古今東西、「戦
争」というのは、こうした政治家によって始められているということ。

 あのネール(インド元首相)は、こう書いている。

 『ある国の平和も、他国がまた平和でなければ、保障されない。この狭い相互に結合し
た世界では、戦争も自由も平和も、すべて連帯している』(「一つの世界を目指して」)と。

 それについて書いたのが、つぎの原稿である。

●平和教育

 人格の完成度は、その人が、いかに「利他」的であるかによって決まる。「利己」と「利
他」を比較してみたばあい、利他の割合のより大きい人を、より人格のすぐれた人とみる。

 同じように国家としての完成度は、いかに相手の国の立場でものを考えることができる
かで決まる。経済しかり、文化しかり、そして平和しかり。

 自国の平和を唱えるなら、相手国の平和を保障してこそ、はじめてその国は、真の平和
を達成することができる。もし子どもたちの世界に、平和教育というものがあるとするな
ら、いかにすれば、相手国の平和を守ることができるか。それを考えられる子どもにする
ことが、真の平和教育ということになる。

 私たちは過去において、相手の国の人たちに脅威を与えていなかったか。
 私たちは現在において、相手の国の人たちに脅威を与えていないか。
 私たちは将来において、相手の国の人たちに脅威を与えるようなことはないか。

 つまるところ、平和教育というのは、反省の教育ということになる。反省に始まり、反
省に終わる。とくにこの日本は、戦前、アジアの国々に対して、好き勝手なことをしてき
た。満州の植民地政策、真珠湾の奇襲攻撃、それにアジア各国への侵略戦争など。

 もともと自らを反省して、責任をとるのが苦手な民族である。それはわかるが、日本人
のこの無責任体質は、いったい、どうしたものか。

 たまたま先週と今週、2週にわたって、「歴史はxxxx動いた」(NHK)という番組
を見た。日露戦争を特集していた。その特集の中でも、「どうやって○○高地を占領したか」
「どうやってロシア艦隊を撃滅したか」という話は出てくるが、現地の人たちに、どう迷
惑をかけたかという話は、いっさい、出てこなかった。中国の人たちにしてみれば、まさ
に天から降ってきたような災難である。

 私は、その番組を見ながら、ふと、こう考えた。

 「もし、今のK国が、日本を、ロシアと取りあって、戦争をしたら、どうなるのか」と。

「K国は、50万人の兵隊を、関東地方に進めた。それを迎え撃つロシア軍は、10万
人。K国は箱根から小田原を占領し、ロシア軍が船を休める横須賀へと迫った……、と。

 そしてそのときの模様を、いつか、50年後なら50年後でもよいが、K国の国営放送
局の司会者が、『そのとき歴史は変わりました』と、ニンマリと笑いながら、得意げに言っ
たとしたら、どうなるのか。日本人は、そういう番組を、K国の人たちといっしょに、楽
しむことができるだろうか」と。

 日露戦争にしても、まったく、ムダな戦争だった。意味のない戦争だった。死んだのは、
何十万人という日本人、ロシア人、それに中国人たちだ。そういうムダな戦争をしながら、
いまだに「勝った」だの、「負けた」だのと言っている。この日本人のオメデタサは、いっ
たい、どこからくるのか。

 日本は、歴史の中で、外国にしいたげられた経験がない。それはそれで幸運なことだっ
たと思うが、だからこそ、しいたげられた人の立場で、ものを考えることができない。そ
もそも、そういう人の立場を、理解することさえできない。

 そういう意味でも、日本人がもつ平和論というのは、実に不安定なものである。中には、
「日本の朝鮮併合は正しかった。日本は、鉄道を敷き、道路を建設してやった」と説く人
さえいる。

 もしこんな論理がまかりとおるなら、逆に、K国に反対のことをされても、日本人は、
文句を言わないことだ。ある日突然、K国の大軍が押し寄せてきて、日本を占領しても、
文句を言わないことだ。

 ……という視点を、相手の国において考える。それが私がここでいう、平和教育の原点
ということになる。「日本の平和さえ守られれば、それでいい」という考え方は、平和論で
もなんでもない。またそんな視点に立った平和論など、いくら説いても意味はない。

 日本の平和を守るためには、日本が相手の国に対して、何をしたか。何をしているか。
そして何をするだろうか。それをまず反省しなければならない。そして相手の国の立場で、
何をすべきか。そして何をしてはいけないかを、考える。

 あのネール(インド元首相)は、こう書いている。

 『ある国の平和も、他国がまた平和でなければ、保障されない。この狭い相互に結合し
た世界では、戦争も自由も平和も、すべて連帯している』(「一つの世界を目指して」)と。

 考えてみれば、「平和」の概念ほど、漠然(ばくぜん)とした概念はない。どういう状態
を平和というか、それすら、よくわからない。が、今、平穏だから、平和というのなら、
それはまちがっている。今、身のまわりで、戦争が起きていないから、平和というのなら、
それもまちがっている。

こうした平和というのは、つぎの戦争のための準備期間でしかない。休息期間でしかな
い。私たちが、恵まれた社会で、安穏としたとたん、世界の別のところでは、別のだれ
かによって、つぎの戦争が画策されている。

 過去において、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えていたか。
 今、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えているか。
 さらの将来、相手の国の人たちが、自分たちについて、どう考えるだろうか。

 そういうことをいつも、前向きに考えていく。またそれを子どもたちに教えていく。そ
れが平和教育である。

++++++++++++++++++

【母親のみなさんへ……】

 勇ましい好戦論にだまされてはいけない。振り回されてはいけない。それがわからなけ
れば、あなたの子どもが、戦場に行く姿を想像してみればよい。あなたは子どもの安否が
心配で、夜も眠られなくなるだろう。

 で、石原氏は、「日本の尖閣諸島が中国に攻撃されたら、日米安保条約は発動されるべき。
アメリカは、当然、中国に反撃すべき」という論法で記事を書いたのち、こうつづけてい
る。

 「ニューヨークタイムズの記者が、当時のモンデール駐日米国大使に、『尖閣諸島で、扮
装がさらにエスカレートしたら、日米安保条約は発動するのか』と質問したところ、大使
は、言下に、『NO』と答えた。

 国会議員を辞職したばかりの私は、(この言葉に)、驚きと同時に怒りを感じましたが、
なぜか日本政府も、国会も、それを問題としなかった」(99P)と。

 ならばあえて言おう。

 私の息子の嫁は、アメリカ人。孫もアメリカ人。今度生まれてくる二人目の孫も、アメ
リカ人。

 その孫たちが、日本の尖閣諸島を守るために、極東のアジアへやってきて、中国軍と一
戦を交えると言ったら、私は、こう言うだろう。

 「来なくていい。来るな。こんなところで、命を落すことはない。ぼくたちで、何とか
するから」と。

 石原氏の論文には、そういう原点的なものの視点が、欠けている。記事の中には、「お国
のために……」という表現すら、ある。私たち1人ひとりの命を、まるで、モノのように
考えている感じすら覚える。

 ……と書いても、私のような意見は、この日本では、少数派。たいていの人は、石原S
氏のような人の意見に耳を傾け、それに同調する。しかし念のために申し添えるが、私は、
だからといって、左翼ではない。もちろん社会主義者でも、共産主義者でもない。ただお
かしいものは、「おかしい」と言っているにすぎない。

 あとの判断は、読者のみなさんに任せる。みなが、それでよいというのなら、それでよ
い。私も、それに従う。
 
(追記)

【国家としての威信】

●国って、何?

 あのK国を見ていると、「国って、何んだろう?」と、よく考えさせられる。
 国家経済は、崩壊し、食料も燃料もない。しかし国の為政者たちは、ことあるごとに愛
国を訴え、国としての威信(プライド)を訴える。

 核兵器をもつのも、その理由の一つだという。

 もしK国に、その威信とやらがあるなら、その威信は、もう、ズタズタ。ボロボロ。つ
い先日は、中国に肥料の支援を求めて、その中国に断られている※。いったい、彼らは、
彼らの何を守ろうとしているのか。

 同じように、東京都のI知事は、「尖閣諸島に自衛隊を常駐させろ」(「文藝S誌・6月号」
と訴える。そのI氏も、同じような言葉を使う。「国家として、き然とした態度を示すべき」
(95P)と。

 しかしここは、冷静に考えてみようではないか。

 もし尖閣諸島に自衛隊を常駐させれば、そのまま中国との間に、戦争が起こるかもしれ
ない。が、I氏は、こう説く。「日米安保条約がある」「日米関係を試す試金石になる」(同
誌)と。

 それがわかっているなら、なおさら、自衛隊など、常駐させてはいけない。たかが無人
の島ではないか。そんな島を取りあって戦争をすることの愚かさ。人の命を奪いあうこと
の愚かさ。もうそろそろ日本人も、(そして中国人も)、それに気づくべきときにきている
のではないだろうか。

 日本側に言い分があるなら、ただひたすら事務的に、ただひたすら紳士的に、国際社会
に訴えていけばよい。あまり力はないが、国際裁判所という制度も、あるには、ある。

 韓国との間にある、竹島についても、同じ。

 もともと無人島。昔から、いろいろな国の人が、自由に使っていた。日本のものでもな
いし、韓国のものでもない。どうしてそういう視点から、もっとおおらかに話しあいがで
きないのだろうか。

 都会ではそうはいかないかもしれないが、私の山荘のある農村の人たちは、実にのどか。
そのつど、境界が1、2メートル移動するなどということは、日常茶飯事。大雨が降って、
ガケ(ボタ山)が崩れるたびに、境界が移動する。

 しかしだれも文句を言わない。けんかもしない。とくに山については、今でも「入会権」
が生きている。入会権というのは、だれでも自由に、山に入って、焚き木を取ったり、山
草を取ったりすることができるという権利である。

 尖閣諸島や竹島についても、同じように考えることはできないのだろうか。

 I氏は、「それでは国家の威信は守れない」というようなことを書いている。しかし「威
信」のことを言うなら、戦時中、朝鮮や中国へ出兵し、彼らの威信をズタズタにしたのは、
ほかならぬ、この日本である。小さな島どころではない。朝鮮半島や、中国大陸でさえ、「日
本のもの」と、日本は主張した。

 そのことを思うなら、今ごろ、とても恥ずかしくて、「尖閣諸島は日本のもの」「竹島は
日本のもの」とは、言えない。(言うべきことは、言わなければならないが……。またこう
書くからといって、尖閣諸島や竹島を、中国や韓国に渡せということではない。誤解のな
いように!)

 さらにI氏は、Y神社参拝について、「お国のために……」という言葉を使っている。し
かし本当にそうだろうか。戦争で死んでいった人たちは、本当に、国のために、死んでい
ったのだろうか。

 私は、そうではないと思う。「上」からの命令に逆らうこともできず、むしろI氏が言う
ところの「お国」のために、犠牲になって死んでいったのではないのだろうか。

 当時、日本という国が、民主主義国家であったとするなら、戦争も、また国民総意のも
とで行われたということになる。しかし戦前の日本に、はたしてその民主主義があったの
だろうか。もし、それがわからなければ、今のK国を見れば、わかる。

 今のK国は、皮肉なことに、戦前の日本以上に、日本的な国である。

 当時の日本でも、政府を批判することすら、許されなかった。戦争に異義を唱えただけ
で、投獄。ばあいによっては、処刑された。そういう中での戦争である。

 が、むしろ当時の政府(わかりやすく言えば軍部独裁の官僚国家)は、自分たちの責任
を逃れるために、「一億総懺悔(ざんげ)」という言葉を生み出した。国民に戦争責任を押
しつけ、自分たちは、逃げてしまった。

 こうした見解の相違は、結局は、「国があるから、国民がいる」と考えるのか、反対に、
「国民がいるから、国がある」と考えるかのちがいによる。

 当然のことながら、この日本では、奈良時代の昔から、「国があるから、国民がいる」と
考える。つまり「民」というのは、そのときどきの為政者の「財産(モノ)」でしかなかっ
た。しかしそういう意識が残っているかぎり、いつまでたっても、日本に民主主義など、
根づかない。

 私の個人的な印象では、I氏は、ますます右傾化してきたと思う。そうしたI氏を批判
して、数年前、アメリカのCNNは、「日本人にワレワレ意識がある間は、日本は世界のリ
ーダーにはなれない」と報道した。「ワレワレ意識」というのは、いわゆる島国根性をいう。
排他的な民族主義をいう。

 悲しいかな、今のままでは、日本という国は、世界からみて、いつまでも、「異質な国」
のままで終わってしまう。

※注…… 北朝鮮が最近(05年5月)、中国側に肥料40万トンの支援を要請したが、中
国が日増しにこじれる北朝鮮核問題などを考慮、事実上拒否したと伝えられた(朝鮮N報)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ラジコン

 ラジコン(飛行機)の思いでは、多い。若いころから、定期的に買ってきては、飛ばし
た。しかし満足に飛んだためしがない。

 たいてい、1、2度飛ばしただけで、墜落。私にとっては、ラジコンというのは、そう
いうもの。それで満足していた。

 で、今も、年に1、2回は、新しい飛行機を買ってきて、飛ばす。もっとも最近は、息
子たちに操縦してもらうことが多い。腕前は、そこそこ。私より、ヘタかもしれない。し
かしそれでも、満足。

 飛行機が飛びあがった、その瞬間にすべてをかける。それでよい。それで満足。

 しかし、だ。どういうわけか、今度のヘリコプターだけは、ほどほどによく飛ぶ。プロ
ペラは、もう何度も破損したが、そのたびに新品と交換する。で、そのあとも、一応、ち
ゃんと飛ぶ。

 こんなことは、生まれてはじめてだ。ワイフに、「おい、ちゃんと飛んでいるよ」と声を
かけると、「あなたにしてみれば、はじめてね」と。

 そんなわけで、このところ、ヘリコプターにこっている。今日も、これから模型屋へ行
って、部品を買い集めてくるつもり。

 (ピニオンギアが、摩滅(まめつ)して、うまくかみあわない。モーターが、調子が悪
い。コクピットが、すぐはずれる。)

+++++++++++++++++++++++

●マラソン選手

 マラソン選手のTN子と、監督のX氏が、今度、別離宣言をした。TN子は、「今後は、
(監督から)独立して、イバラの道を歩きます」(テレビ報道)と言った。

 何があったのだろうか? だいたいにおいて、こうした別離宣言そのものが、おかしい。
別れるなら、だまって別れればよい。監督のほうが、だ。

 こうした経験は、教育の場でも、よく経験する。いくら私の生徒が、私の指導によって、
すばらしい子どもに成長したとしても、それでもって、教師は、生徒に恩を売るようなこ
とはない。ほとんどのケースでは、「よかったね」で終わる。それで別れる。

 しかしTN子と監督の関係は、どこか特別な感じがした。スターは、TN子だったはず
なのに、何かにつけて、監督のX氏が表に出てきた。私はその場面を見るたびに、「?」と
思った。

 「マラソンの世界では、そういうものかなあ?」と思ったり、「監督にすれば、TN子が
すべてなのかなあ?」と思ったりした。

 内情はよくわからない。テレビ画面で見るかぎり、2人ともニコニコと笑っていた。し
かし考えてみれば、それもおかしい。不自然(?)。最初から、そういうふうにしようと、
まるで話しあわれていたみたい(?)。

 オリンピックなどで活躍したあと、TN子は、不調がつづいたりした。それについても、
監督との不仲説も流れたことがある。で、今回の、別離宣言。

 私には、どうでもよい話だが、どうも、しっくりこない。いろいろ勘ぐりたくもなるが、
この話は、ここまで。

TN子さん、応援するよ! 監督のX氏ではなく、あなたを、ね。


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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ウソ発見器

 G社から出ている、「電子ブロック」という、おもちゃがある。今週は、それを教室に置
いた。

 さっそく、小学3年生の子どもたちが、それを使って、「ウソ発見器」なるものを組み立
てた。原理は簡単なもの。

 体内の通電量を測定し、それをパルス信号に変えるというもの。通電量が多くなればな
るほど、パルシ信号は速くなる。たとえばウソをついて、体が汗ばんでくると、通電量が
ふえる。

 しかしインチキは、いくらでもできる。しっかりと端子をにぎれば、通電量はあがる。
イコール、パルス信号は、速くなる。ゆるく端子をにぎれば、通電量はさがる。イコール、
パルス信号は、遅くなる。

 そのインチキを使って、子どもたちをからかう。

私「何でも、聞きたいことを聞いてごらん? 先生がウソを言っているかどうか、わかる
よ」
A君「先生は、ぼくのママが好き?」
私「あのなあ、そういう質問には答えられないよ」
みな「ああ、信号が速くなった。先生は、ウソを言っている」

B君「先生は、フリン(不倫)をしているか?」
私「あのなあ、それは、小学生のする質問じゃ、ないよ」
B君「フリンをしているか?」
私「答えられない」

みな「じゃあ、フリンをしているんだね」
私「君のパパと、同じだよ」と。

そこで強く端子をにぎりなおすと、ピッ、ピッ……と、信号音が速くなった。

子どもたち「先生は、ウソを言っているよ」
私「君のパパとは、ちがうということか?」
子どもたち「そうだ。……でも、、どっちなんだろ? おいらのパパは、フリンなんか、し
てないよ。ということは、先生は、フリンをしていることになる」
私「そうとはかぎらないよ。もし君のパパが、フリンをしていたら、ぼくはしていないこ
とになるよ」と。

 今どきの子どもたちは、すごい言葉を知っている。これも時代か? 私が子どものころ
には、そんなことは、考えもしなかった。だいたいにおいて、「不倫」などという言葉を知
らなかった。

 そこで参観の母親が、1人入ってきた。C子の母親である。

C子「先生は、私のママが好き?」
私「あのなあ、そういう質問をしてはダメ。ほかの、つまり、もっと、子どもらしい質問
をしなさい」
C子「たとえば……」
私「たとえば先生のパンツには、ウンチがついているかとか、何とか……」
C子「ついているの?」
私「ついてないよ」と。

 私は強く端子をにぎってやった。パルス音が、かなり速くなった。

 それを聞いて子どもたちは、大喜び。「先生のパンツには、ウンチがついているんだって
エ……」と。

 ハハハ。これも遊びのうち。しかし結構、楽しかった。


++++++++++++++++++++++++++

●わがままな子ども

 わがままな人は、それだけ、人や、ものごとに対して、心の許容範囲がせまいというこ
とになる。が、どうもそれだけではないようだ。

 わがままの基本には、未熟な人間性と依存性。自立できない、不完全な自我がある。が、
私はこのうち、とくに、「依存性」こそが、わがままの主因ではないかと思う。私は、この
ことを、わがままな子どもを見ていたとき、発見した。

 自分の思いどおりにならないと、怒る、ふてくされる、いじける、つっぱる、すねる…
…。子どもがこうした行動をするとき、その前提として、相手への依存性がある。

 「こうしてほしい」「ああしてほしい」という思いが、まずその底流にあって、それが転
じて、わがままになる。

 ふつうこの段階で、抑制命令が働く。心にブレーキがかかる。いくら「こうであってほ
しい」と思っても、ものごとは、自分の思いどおりには、進まない。そこでそうした場面
に出会うと、人は、そうした思いにブレーキをかける。あきらめる。

 先日も、バス停で、母親らしき相手に、携帯電話で怒鳴り散らしていた小学生(女児、
小5、6年生くらい)がいた。その女の子は、母親に向って、「もってこい!」と命令をし
ていた。どこかの塾へ行く途中で、何かの忘れ物をしたらしい。

 その女の子は、たいへんわがままな女の子ということになる。しかしなぜ、わがままな
のかと言えば、そこに、母親への強度の依存性があるからとみる。もしそのとき、携帯電
話で、相手の母親と連絡が取れなければ、その女の子は、そうまで、わがままな振る舞い
をすることはなかったと思う。

 忘れ物をしたことを、納得し、そのままあきらめたと思う。つまり、わがままというの
は、相手があってはじめて、表面に出てくる。ひとりで生活しているときには、それは出
てこない。

 私が、ここで「依存性が主因ではないかと思う」というのは、そういう意味である。

 そこでもし、あなたが自分の子どもは、わがままな子だと感じたら、わがままそのもの
よりも、その子どもの依存性に着目したらよい。あなたの子どもは、わがままな子どもな
のではなく、あなたへの依存性が強い子どもとみる。

 そこで重要なことは、わがままであることを叱ることではなく、なぜ、あなたに対して、
強い依存性をもっているかをさぐる。たいていは、自立できない、未熟な人間性がそこに
あるとみるが、未熟な状態にしたのは、結局は、親であるあなた自身にほかならない。

 つまりあなた自身が、子どもの依存性に甘い。日常的に、そういう生活をしている。そ
の結果として、あなたの子どもは、わがままになる。さらに一言、つけ加えるなら、子ど
もの依存性に甘い親は、それだけ親自身も、精神的に未熟な人間とみてよい。

 何だかんだと言いながら、結局は、子どもの言いなりになってしまう。子どもに対して、
き然とした態度が、とれない。子どもの歓心を買ったり、機嫌をとったりする。わかりや
すく言えば、精神的に自立していない親の子どもは、それだけわがままになりやすいとい
うことになる。

 そういう意味で、(わがままな子ども)の問題は、決して、子どもだけの問題ではない。
そこには、深く、親の問題もからんでいる。またそこまで考えないと、子どものわがまま
の問題は、解決しない。
(はやし浩司 わがままな子ども わがままな子供 子供のわがまま わがまま 子ども
のわがまま)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どものやる気 

 どうすれば、子どもに、やる気を起こさせることができるか。

 方法としては、2つある。一つは、子ども自身の中に、やる気を起こさせるという方法。
これを、「内発的動機づけ」という。

 子どものもつ好奇心をうまく引き出しながら、それを成果に結びつけていく。

 もう一つは、この内発的動機づけに対して、「外発的動機づけ」と呼んでいるもの。わか
りやすく言えば、おどしたり、あるいは賞罰を与えたりして、子どもに、何かをさせるこ
とをいう。

 この外発的動機づけについては、私には、こんな苦い失敗がある。

 子どもに英語を教え始めたころのこと。「単語書きコンテスト」というのを始めた。ノー
ト1枚に、単語を、ぎっしりと書いたら、1点ということにした。そしてそれを夏休みの
間、一番、たくさん書いた子どもに、天体望遠鏡をあげる、と。

 それを知った子どもたちが、毎日、ノートの単語を書き始めた。出だしは順調だった。
が、そのうち、2人だけの競争になった。その2人は、毎日、ズバ抜けて、たくさんの単
語を書いてきた。

 そのグラフを見ながら、1人、2人……と、ほかの子どもたちが脱落し始めた。で、最
後に残ったのは、先の2人だけ。

 無意味な競争になった。しかし途中でやめるわけにはいかない。

 夏休みが終わり、9月になって、最終的には、K君という男の子だったが、彼が、一番、
たくさん書いたことがわかった。そこで約束どおり、私はK君に天体望遠鏡を、与えた。

 が、異変は、そのあと、起きた。

 再び、子どもたちに単語を書かせようとしたのだが、だれも書こうとしない。肝心のK
君までもが、「今度は、何をくれる?」と、賞品をねだる始末。結局、この方法は、失敗に
終わった。

 つまり外発的動機づけには、限界があるということ。またそれでは、子どもを伸ばすこ
とはできない。

 子どもを伸ばすには、内発的動機づけを、大切にする。

(1)学ぶことは、楽しいと感じさせること。
(2)学ぶことの楽しさを、教えること。
(3)子どもの好奇心や、興味を、じょうずに、引き出すこと。
(4)子ども自身のやる気を、じょうずに育てること。
(5)子どもの(したいこと)と、(していること)を、一致させること。

 これに対して、外発的動機づけというのは、たとえば、子どもを受験でおどしたり、成
績で評価したり、賞罰を与えたりして、無理にやらせることをいう。この方法では、長つ
づきしないばかりか、かえって子どもの内発的動機づけを、破壊してしまう。

 そこで登場するのが、「達成動機」である。

 よく誤解されるが、有名高校へ入るとか、有名大学へ入るとかいうのは、ここでいう「達
成」にはならない。「だから、どうなの……?」という部分がないからである。

 動機づけを達成感と結びつけるためには、そこに(1)人間的な完成、(2)社会的な認
知、(3)利他的な満足がなければならない。

 これ以外の動機づけは、一時的なもので終わることが多い。あるいは、そのままその人
をして、貪欲な世界へと、かりたててしまう。

 たとえば、ある人が、ビジネスの世界で、年商1億円を達成したとする。そのときは、
その達成感に酔いしれることになるが、今度は、それが2億になり、3億になる。気がつ
いたときには、マネーの奴隷になってしまっていた。そんなことだって、ありえる。

 つまり「動機づけ」は形を追い求めるのではなく、道徳、倫理、自然観などと深く結び
ついたものでなければならない。そのことを、的確に表現したのが、アメリカの心理学者
のマレーである。

 彼は人間の欲求を、最終的には、思想や才能へと結びつけて考えた。東洋的に言えば、
「真・善・美」の探究にこそ、真の動機づけがあるということになる。

 で、よくあるケースとしては、子どもを、脅したり、しかったり、あるいは賞罰を与え
て、勉強させるという方法。子どもは、それに従うかもしれないが、効果は一時的。やが
て子どもは、フリ勉、ダラ勉、時間ツブシがうまくなるだけ。

 一度、こういう症状を見せると、立ちなおりは、ほとんど不可能と言ってよい。

 だから……。子どもにやる気を起こさせるためには、子どもを楽しませればよいという
ことになる。とくに幼児期は、そうである。

 「子どもを楽しませてやろう」ということだけを考えながら、子どもを指導する。その
意識が育っていれば、それでよし。そうでなければ、そういう指導は、やめたほうがよい。
この時期、一度、伸びる芽をつんでしまうと、あとがたいへん。本当に、たいへん。

 あとは、子どもを支持し、励まし、ほめる。こうした前向きな姿勢が、子ども自身の内
発的動機づけを、さらに確固たるものにする。

 ついでながら、子どもにやる気があっても、それでその子どもが、当初の目的を達成で
きるというわけではない。プロセスは、プロセス、結果は、結果として、割り切って考え
ることも、子育てには重要である。
(はやし浩司 外発的動機づけ 動機付け 内発的動機づけ 動機付け)


●結果は、結果

 東洋思想の特徴というか、日本人は、結果だけを見て、それまでのすべてを判断する傾
向が強い。

 しかし結果などというものは、いつもあとからついてくるもの。ずいぶんと前のことだ
が、私にこんなことを言った母親がいた。

 その母親の子どもが、高校受験に失敗した直後のこと、私にこう言った。

 「小さいときから、いろいろやってみましたが、すべてがムダでした」と。

 つまりその子どもが幼いときから、いろいろな習いごとや、おけいこごとをさせたが、
すべてムダだった、と。

 しかし本当にそうだろうか? そんなふうに考えてよいのだろうか?

 未来のために、いつも現在を犠牲にするという生き方をしている人にとっては、結果こ
そ、すべて。しかし考えてみれば、それほど、愚かな生き方もない。今は、今。その「今」
を大切にして、生きる。

 イギリスには、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞にもな
っている格言である。それについて書いた原稿を、ここに掲載する。

+++++++++++++++++

『休息を求めて疲れる』について書いた
原稿です(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++

●今を生きる子育て論

 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもな
っている格言である。

「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結局は
何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはい
けません」と教えている。

 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人が
いる。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大
学へ入るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。

こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、
ここでいう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自
分の人生を、自分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう
生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。「やっと楽にな
ったと思ったら、人生も終わっていた……」と。

 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。

「今という時を、偽らずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。
この二つのはざまで、一人の高校生が自殺に追いこまれるという映画である。

この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の
位置にある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。

しかし今、あなたの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現
実であって、過去や未来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だ
け。だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではな
いのか。子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健
康だ。そういう子ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きるこ
とこそ、大切ではないのか。

 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」
ということは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといって
も、そのつどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。

たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではな
いか。それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったも
のを、真っ先に追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。

 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親た
ちは子どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。

日本では「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらな
くてもいいのよ」と。ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日
本の、子育て観の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲
れる』の本当の意味がわからないのではないか……と、私は心配する。

++++++++++++++++++

同じような内容の原稿ですが、別のときに
書いた原稿です。

++++++++++++++++++

●子育ての「時」は急がない

 時の流れは不思議なものだ。そのときは遅々として進まないようにみえる時の流れも、
過ぎ去ってみると、あっという間のできごとのようになる。子育てはとくにそうで、大き
くなった自分の子どもをみると、乳幼児のころの子どもが本当にあったのかと思うことさ
えある。もちろん子育ては苦労の連続。苦労のない子育てはないし、そのときどきにおい
ては、うんざりすることも多い。しかしそういう時のほうが、思い出の中であとあと光り
輝くから、これまた不思議である。

 昔、ロビン・ウィリアムズが主演した映画に、『今を生きる』というのがあった。「今と
いう時を、偽らずに生きよう」と教える高校教師。一方、進学指導中心の学校側。この二
つのはざまで一人の高校生が自殺に追い込まれるという映画である。この「今を生きる」
という生き方が、ひょっとしたら日本人に、一番欠けている生き方ではないのか。

ほとんどの親は幼児期は小学校入学のため、小学校は中学校入学のため、中学や高校は
大学入試のため、と考えている。子どもも、それを受け入れてしまう。

こうしたいつも未来のために「今」を犠牲にする生き方は、一度身につくと、それがそ
の人の一生の生き方になってしまう。社会へ出てからも、先へ進むことばかり考えて、
今をみない。結果として、人生も終わるときになってはじめて、「私は何をしてきたのだ
ろう」と気がつく。実際、そういう人は多い。英語には『休息を求めて疲れる』という
格言がある。愚かな生き方の代名詞にもなっているような格言だが、やっと楽になった
と思ったら、人生も終わっていた、と。

 大切なのは、「今」というときを、いかに前向きに、輝いて生きるか、だ。もし未来や結
果というものがあるとするなら、それはあとからついてくるもの。地位や肩書きや名誉に
してもそうだ。まっさきにそれを追い求めたら、生き方が見苦しくなるだけ。子どももし
かり。

幼児期にはうんと幼児らしく、少年少女期には、うんと少年や少女らしく生きることの
ほうが重要。親の立場でいうなら、子どもと「今」という時を、いかに共有するかとい
うこと。そのためにも、子育ての「時」は急がない。今は今で、じっくりと子育てをす
る。そしてそれが結局は、親子の思い出を深くし、親子のきずなを深めることになる。

+++++++++++++++++++++

今を生きる子育て論……それについて書いた
原稿をここに掲載しておきます。

+++++++++++++++++++++

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男
が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教
えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体
力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子ど
もというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。

うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落
ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近
は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。
 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれ
が皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、
その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労し
ているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++

●生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に
気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子
どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の
息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、
魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」
と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議で
ある。

とくに二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あ
るいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なか
らずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切
ることができた。

 私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、
上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだとい
う意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではな
い。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにす
る。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことを
し、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、
その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から
見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたよ
うに、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘
れる)は、「得る・ため」とも訳せる。

つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を
得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉
を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意
味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難
しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を

歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。
ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるご
とに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。
ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。

東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけ
ない。この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受ける
たびに、私は頭をかかえてしまう。

+++++++++++++++++++

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親
子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶさ
れると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけ
なければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親が
いた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたも
のです」と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂
だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親
は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃
れることができるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。

「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、
脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。
そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる
親をみると、私はこう言うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人
生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、い
つもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は
手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はも
うこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り
道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残してい
る。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜
びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだ
ろうか。(*浜松A幼稚園理事長)

+++++++++++++++++++

 長い前置きになってしまったが、「結果」だけをみて生きる、その生き方の愚かさを、こ
れで理解してもらえただろうか。

 大切なのは、結果ではない。そこにいたるプロセスである。だいたいにおいて、人生に
結果はない。ある宗教団体では、「その人の死に際の様子を見れば、その人の人生がわか
る」
などと、教えている。

 ならば、聞くが、それはその人個人の結果かもしれないが、そこですべての時計の針は
止まるというのか。「個人の死」も、長い目で見れば、生きている人間の一つのプロセスに
すぎない。

 今日、結果が出たからといって、すれがすべてではない。その結果をもとにして、つぎ
の瞬間が、また始まる。わかりやすく言えば、常に、結果は、つぎの始まりの土台にすぎ
ない。

 高校受験に失敗したからといって、それは結果ではない。もしそれを結果だとするなら、
その母親が言うように、その過去を、すべて否定しなければならなくなる。しかし、そん
な愚かな子育てはない。

 私は、あるとき、こう思った。

 3人の息子たちが、それぞれ自分勝手な方法で巣立ってしまったのを感じたときのこと
だ。ふと、「今まで、人生を楽しませてくれて、ありがとう」と。私は息子たちのおかげで、
自分の人生を、楽しむことができた。親として、それ以上、何を望むことができるのか。

 繰りかえすが、大切なことは、「今」というときを、懸命に生きること。結果は、必ず、
あとからついてくる。子育ても、また同じ。
(はやし浩司 今を生きる育児論)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ、あれこれ】

●ポケモンカルト

 5年ほど前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本を出した。が、その本が、
ポケモンファンの大反発を、買った。

 ポケモンの読者は、子どもたちだけではなかった。20歳も過ぎたような、一応(おと
なたち?)も、読んでいた。

 まず、これには驚いたが、そのあと、そのスジの世界では、「とんでも本」にあげられた。
おかげで、それなりに、話題になり、よく売れたが……。

 しかしあの本は、何も、ポケモンをたたいたのではない。ポケモンに夢中になる心理と、
カルト教に走る心理とを対比させて書いた。つまり、主な目的は、カルト教を批判するこ
と。そしてそうした心理は、ポケモンに狂う子どもたちの心理と共通していることを書い
た。

 そのカルト教団からの反発も、大きかった。それで「とんでも本」になった。グーグル
の検索サイトなどで、「はやし浩司」を検索すると、そうして私を批判しているグループを
ヒットできるはず。

 しかしどういう団体の、どういうレベルの人たちが、私を批判しているか、そこまで読
んでほしい。なぜそういう人たちが、「とんでも本」と位置づけているか、その理由が、そ
れでわかると思う。

 が、あの事件で、つまりテレビのポケモンを見ていて、全国で、数百人もの子どもたち
が倒れたわけだが、あの事件で、最大のナゾは、そのあと、だれも、テレビ局を訴えなか
ったということ。

 恐らく、私の印象では、各地のテレビ会社が、一軒、一軒、しらみつぶしに被害者の家
庭を回り、事件そのものを、もみ消してしまったのではないかということ。全国で数百人
といっても、県単位で見れば、5〜8人となる。それほど、多い数ではない。

 もっとも、私自身は、子どもの夢(?)をつぶす意図は、毛頭なかった。その本は、お
となたちに向けて書いたもの。ポケモン大好きという、子どもたちに向かって書いたもの
ではない。

 (実際、当時、あれこれ私を攻撃してきたのは、ここにも書いたように、大のおとなた
ちである。「お前は、子どもたちの夢をつぶすのか!」という抗議まで、あった。)

 今でも、この問題は、尾を引いている。しかしものごとは、冷静に考えてみてほしい。

 ポケットモンスターを飼育し、それを戦わせて、冒険するというアニメ(コミック)が、
本当に中身のあるアニメ(コミック)なのか、と。ピカチューの絵を見ただけで、興奮状
態になる子どもたちの姿を見て、本当にそれでよいのか、と。「ポケモンカルト」は、それ
について、書いた。

 こういう仕事(評論)には、攻撃はつきもの。いちいち気にしていたら、何も書けない。
みなさん、どうぞ、ご勝手に!


●二人目の孫

 どうやら孫の誠司に、弟か、妹か、どちらかが生まれそうな気配になってきた。昨日、
ワイフが、うれしそうに、それを報告してくれた。「誠司(孫)も、3歳になったから、ち
ょうど、いいころね」と。

 ……こうして私の世界は、ますます、スミ(隅)へと、追いやられる。つまり、私の時
代は終わり、私の住む世界は、小さくなる。

 これからは、息子たちや、孫たちの世界である。また、そうでなければならない。

 かつてアミエルは、日記にこう書いている。

 「いかにして、老年に成長するかを知ることは、英知の傑作であり、生活の偉大な技術
におけるもっとも、むずかしい章の一つである」(世界名言辞典・梶山)と。

 私も、ときどき、原語(英語)から、格言を翻訳して使うが、こうした格言の翻訳ほど、
むずかしいものはない。どうしても、訳が、ぎこちなくなる。

 で、このアミエルについても、同じ。翻訳文を読むときは、文そのものにとらわれては
いけない。そこから感ずる、フィーリングを大切にする。

 アミエルの言葉を、勝手に解釈すると、こうなる。

 「いかにすれば、老年になってからも成長することができるか。その方法を知ることは、
たいへんむずかしいことだ。老年というのは、それまでの英知が、まさに結集されるとき」
と。

 実際、老年になって、愚かになっていく人は、いくらでもいる。大半の人たちが、そう
ではないか。愚かになるだけではなく、その人の醜い部分が、どっと表に出てくる。それ
までは、ごまかしてきたような、醜い部分だ。

 実は、それがこわい。

 若いときは、自分の気力で、そうした醜い部分をごまかして生きることができ。しかし
老年になると、その気力そのものが弱くなる。だから、自分の中の「地=本性」が、表に
出てくる。老年になるにつれて、そういう自分とも戦わねばならない。

 話がそれたが、これから生まれてくる人たちは、私たちより、より心豊かで、美しい人
生を送ってほしいと思う。そのために、私たちは、何ができるか?

 私たちは一歩退いて、どこかに隠れながら、息子たちや孫たちのために何かできること
を考えるしかない。

 いろいろなことを言う人がいるが、私は、こう思う。「私たちの時代は、終わったのだ」
と。無理に抵抗するから、話がおかしくなる。がんばれるところまでは、がんばってみる
が、それをどう評価するかは、私の問題ではなく、これからの世代の人たちの問題なのだ。

【若い人たちへ】

 善人も悪人も、紙一重。日々のささいな行いから、善人は善人になり、悪人は悪人にな
る。

 だからあなたも、(いらぬお節介かもしれないが)、今日の今から、ルールや約束を守っ
たらよい。

 簡単な例では、交通ルールを守る。ウソをつかない。飾らない。虚栄を張らない。その
積み重ねが、長い時間をかけて、(あなた)をつくる。

 が、それだけではない。そういうあなたの姿を見て、子どもは、今度は、子ども自身の
人格をつくる。あなたへの評価も、それで決まる。

 あなたが、駐車場でもないところに車を平気で止め、タバコの吸い殻を窓の外に捨てた
りしていて、どうして、子どもに向って、「いい子になれ」と言うことができるだろうか。

 さてワイフに、私は、こう言った。

 「地球号の座席を、2つ、あけなければならないね。地球号の定員には、かぎりがある
からね」と。

 ワイフは、「孫たちのためなら、私の席をあげるわ」と言って、笑った。


++++++++++++++++++++++++

●緊迫する、K国情勢

 K国が、いよいよ核実験をすかもしれない。……という雰囲気になってきた。

 アメリカは、今さら頭をさげないだろうし、中国も、サジを投げた感じ。が、韓国は、「こ
ういう状況になったのは、アメリカのせい」という論陣を張り始めている。

 「K国は、核兵器をもっていると宣言したではないか。それを本気にしなかった、アメ
リカが悪い」(T日報)と。

 しかし「同胞」「同胞」と、K国にすりよっていたのは、韓国ではなかったのか。「同胞
だから、まさか韓国には、ひどいことはしないだろう」と。そして米韓同盟にかかわる、
条約の根幹部分について、韓国は、突然、一方的に破棄を申し出た※(5月)。

 国家間の条約を、一方的に破棄するところが、恐ろしい。……と、同時に、実にN大統
領らしい。こんなことがまかりとおるようなら、これから先、韓国と条約を結ぶ国など、
なくなるだろう。

 このマガジンが、配信されるころには、K国は、すでに核実験をしているかもしれない。
つい最近まで、韓国政府は、「核実験は、見せかけ(アピール)だ」「おどし(ブラフ)だ」
と言っていた。「だから、開城工業団地開発も、金剛山観光も今までどおりつづける」と言
っていた。

 韓国としては、韓国の安定化のために、何としても、K国の機嫌をそこねたくないのだ
ろう。しかしそれは、甘い。K国の金XXは、そういう(ふつうの論理)が、通ずるよう
な相手ではない。したたかであるとか、賢いとか言うのではない。明らかに、頭がxxx
x。

 ここは、日本は、ただひたすら冷静に。事務的にことを運ぶのがよい。

 ところで昨日、自民党のY拓(首相補佐官)が、何ら成果なく、中国から帰ってきた。
今どき、あのタイプの政治家が、世界で通用すると考えるほうが、おかしい。またあんな
政治家(?)を、中国へ特使として送るK首相も、K首相だと思う。

 日本の国際外交の稚拙(ちせつ)さは、こんなところにも現われている。

注※……「5029」は03年の米韓安保協議会(SCM)で両軍事首脳部が合意した。
だが、05年1月、韓国政府の外交安保最高意思決定機関である国家安全保障会議(NS
C)が、「韓国の主権侵害にかかわる政治的な内容を含むため、軍事作戦としては適切でな
い」として、韓国国防省に作戦中断だけでなく事実上の破棄を目指す方針を命じた。

+++++++++++++++++

●K国が核実験をしたら……

 K国が、核実験に成功したら、そのあと、K国は、日本に向っては、こう言うだろう。

 「戦後補償交渉に応じろ。さもなくば、東京を火の海にするぞ」と。

 K国が、米朝の2国間協議にこだわる理由は、そこにある。「日朝交渉に、アメリカは口
を出すな」と。

 日本にとっては、国連安保理どころではなくなる。経済制裁どころでも、なくなる。そ
れがわからなければ、東京で、核兵器が爆発したときのことを想像してみればよい。その
あと、日本は、どうなるか……?

 しかし最後のチャンスがないわけではない。

 K国が核実験をしたら、機をのがさず、一気に、K国を攻めあげる。国際世論を、もち
あげ、一方的に、K国を孤立化させる。金XX体制を崩壊させる。韓国と中国は、(とくに
韓国は)、それを望まないだろうから、猛烈に反発するかもしれない。が、ここまできたら、
もう韓国に遠慮する必要はない。

 この段階で、韓国に遠慮していたら、日本は、何もできなくなってしまう。これは純粋
に、日本の平和と安全の問題である。ただ、日本側から、けんかする必要はない。韓国側
は、あれこれ言ってくるだろうが、言えば言うほど、窮地に立たされるのは、韓国側であ
って、日本側ではない。

 韓国がなくても、日本は、今の経済的地位を保つことができるが、日本なくして、韓国
の経済は、成りたたない。(N大統領には、こうした現実が、まったくわかっていない。)
だから、ここは、冷静に。日本は、韓国抜きで、国際世論に、K国の現状を訴えていけば
よい。

 しかしこの機をのがし、金XXを生き残らせてしまったら……。

 そのときは、日本は、K国との戦争を覚悟するしかない。こちらからしかけなくても、
相手のほうからしかけてくる。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 6月 1日(No.575)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page016.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て一口メモ】

●子どもの姿を正確に

あなたの子どもに、あなたはどのようなイメージをもっているだろうか。中には、問題が
あるのに、「問題はない」と思いこんでいる親がいる。反対に、問題がないのに、「問題が
ある」と思いこんでいる親もいる。子どもの姿を正確にとらえるのは、たいへんむずかし
い。子どもの概念と、現実の子どもの間のギャップが大きければ大きいほど、親子の関係
はギクシャクしたものになりやすい。


●聞きじょうずになる

子どもの姿を正確にとらえるためには、聞きじょうずになること。自分の子どもでも、他
人の子どもと思い、一歩退いて見るようにする。教師でも話しにくい親というのは、子ど
ものことになると、すぐカリカリするタイプ。何か言おうとすると、「うちでは問題はあり
ません」「塾では、しっかりとやっています」と反論する。しかしそう反論されると、「ど
うぞ、ご勝手に」となる。


●自己愛者はご注意

自己中心性が肥大化すると、自己愛者になる。完ぺき主義で、他人の批判を許さない。す
べてを自分(あるいは自分の子ども)中心に考えるようになる。こうなると、子育ては、
独善化する。他人の批評に耳を傾けなくなるからである。子育てじょうずな親というのは、
ものごとに謙虚である。その謙虚さが、心に風穴をあける。まずいのは、「自分は正しい」
と思いこんで、他人の意見を聞かないこと。


●心の一致

(したいこと)と(していること)が一致しているとき、子どもの心は、安定する。しか
し(したいこと)と(していること)が一致していないと、子どもの心は、急速に不安定
化する。非行の多くは、こうして始まる。そこで重要なことは、いつも、(子どものしたい
こと)に静かに耳を傾けて、それを(していること)に結びつけていく。これを心理学の
世界でも、自我の同一性(アイデンテンティ)と呼ぶ。


●善行は、ささいなことから

あなたの子どもを善人にしたいなら、日常的な、ごくささいなことから、約束やルールを
守る姿を、子どもに見せておく。そういう積み重ねが、あなたの子どもを善人にする。つ
まり日々の積み重ねが、月々の積み重ねとなり、それが年々、積もって、その人の人格と
なる。あなたが、平気で空き缶をポイ捨てしていおいて、あなたの子どもに「いい子にな
れ」は、ない。


●シャドウをつくらない

あなたが仮面をかぶればかぶるほど、あなたの背後に、その正反対のシャドウ(影)がで
きる。子どもというのは、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。よく例に出される
のが、佐木隆三の『復讐するは、我にあり』である。敬虔な牧師の息子が、殺人鬼になる
という小説である。緒方拳の主演で、映画にもなった。父親は牧師をしながら、息子の嫁
と不倫関係になる。そうしたシャドウが、その息子を殺人鬼にしたとも考えられなくはな
い。


●ウソはつかない

子どもには、ウソをつかない。これは親子関係を守るための、最後の砦(とりで)と考え
てよい。もしウソをつきたくなかったら、だまっていればよい。飾ったり、見栄をはった
りしてもいけない。ありのままを、すなおに見せておく。あとの判断は、子どもに任せれ
ばよい。


●ウソはていねいにつぶす

子どもは、よくウソをつく。いろいろなウソがあるが、その中でも、空想したことを、あ
たかも本当のことのように話す子どもがいる。空想的虚言(妄想的虚言)というのが、そ
れ。はげしい親の過干渉が日常化すると、子どもは、この空想的虚言を口にするようにな
る。そういうとき親は、子どもをはげしく叱ったりするが、反省すべきは、むしろ親のほ
うである。こうしたウソは、ていねいに、つぶす。言うべきことは言いながら、あとは時
間を待つ。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●中学校の入試問題より

 最近では、入試問題も、かなり変わってきた。

 たとえば……。あなたなら、何分でとけるかな?(参考、数学パズル、PHP文庫)

+++++++++++++++++++

【問1】となりどうしの数を足したら、65、57、46になりました。
○の中の数字は、何ですか。(類題:ラ・サール中)

     ○
    ・・
   65   46
   ・      ・
  ○  ・ 57 ・ ○

 
【問2】1年のうち、「13日の金曜日」がある日は、一番多い年で、何回ありますか。ま
た一番少ない年では、何回でしょうか。(類題:麻布中学)


【問3】2、3、6、9と書いた4枚のカードがあります。この中から、2枚のカードを
とって、2桁の数をつくります。そうしてできる、整数すべての平均は、いくつですか。(類
題:灘中学校)


+++++++++++++++++++

 こうした傾向は、全国的に広がりつつある。今までのように、「学校の勉強だけを、コツ
コツとしっかりしていれば、できる」という問題は、ますます少なくなってきている。要
するに、頭のよしあしをみる問題といってよい。

 で、こうした問題を子どもたちに与えてみると、子どもたちの反応は、大きく分かれる。
「やりたい」「やってやる」と食いついてくるタイプと、「いやだ」「やりたくない」と逃げ
腰になるタイプ。

 できる、できないは別として、ここでいう食いついてくるタイプは、いろいろな面で伸
びる。子どもは、そういう子どもにする。

 方法は簡単。幼児期に、「考えることは楽しい」という意識を、徹底的に植えつけておく。
それにまさる幼児教育は、ない。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●やる気

 どうすれば、子どもから、やる気を引き出すことができるか?

 実は、今、私は、この問題に直面している。

 こうしてマガジンを毎週発行している。が、このところ、とんとやる気がなくなってき
たのを感ずる。なぜだろう?

 少し疲れてきた。
 テーマが思いつかない。
 読者がふえない。
 見返りが、ほとんど、ない。
 目的があいまいになってきた。
 ほかのことに興味をもち始めた。

 しかし何よりも最大の理由は、達成感がないこと。そのつど、「ヤッター」という喜びが
あれば、まだ励みになる。しかしその達成感がない。ときどき、何のために書いているの
かさえ、わからなくなるときがある。

 で、そういう私がやる気を出すためには、どうしたらよいのか。これは、そのまま、子
どもの問題でもある。

 たとえば勉強をしても、成績が思うように伸びない子どもがいたとする。しかし毎日、
勉強だけが、うしろから追いかけてくる。宿題もたまり始めている。

 しかし一度、こういう状態になると、子どもは、(そしておとなも)、心が空回りするよ
うになる。最悪のばあいには、何も手につかなくなってしまう。

 そういう子どもに向かって、「勉強しなさい」「こんなことでは、○○中学には入れない
わよ」と脅すことは、病気で熱を出している子どもに、水をかけるようなもの。かえって
逆効果になることが多い。

 「がんばれ」も、そうだ。

 たとえば今の状態で、だれかが、私に「がんばれ」と言ったら、とたんに、私はますま
すやる気をなくすだろう。その言葉に、反発を覚えてしまうからだ。「これ以上、何をがん
ばればいいのか」と。

 では、こういうときは、どうするか?

 マガジンや、原稿のことを忘れて、何か、好きなことをする。たとえば今日、私は、部
屋の掃除をした。2部屋、ピカピカにみがいた。それから、寝室を移動した。夏用に、涼
しい部屋に移した。そして夕食前は、ラジコンのヘリコプターを飛ばした。

 そして書斎に入ってからは、しばらく、パソコンを使ってゲームをした。この原稿を書
き始めたのは、そのあとのこと。やっと、少しだが、やる気が出てきた。

 要するに、気分転換ということか。それをうまく利用する。しかしその気分転換にして
も、だれかに言われてしたのでは、意味がない。かえって、ストレスがたまってしまう。
子どもについて言うなら、「暖かい無視がよい」ということになる。

 子どもは子どもなりに、自分で自分の心を調整しようとする。そういうとき、親は一歩
退いて、暖かい愛情で包みながら、無視する。子どものやりたいように、させる。決して、
親の不安や心配をぶつけてはいけない。

 ……ということで、この問題は、別の機会に、もう一度、考えてみたい。ここに書いた
ことは、あまりにも、(浅い)。読むに耐えない原稿だと思う。ごめん!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●別れる(?)

 ときどき、犬のハナと散歩をしながら、こう思う。

 「お前も、愛犬家の家にもらわれていれば、今ごろは、もっと幸福な生活を送っていた
かもしれないな」と。散歩といっても、私は、気が向いたとき、ときどきつれていくだけ。
私は、実に気まぐれな飼い主。

 同じように、最近は、ワイフや息子たちに対しても、そう思うことがある。今日も、ド
ライブをしながら、ワイフにこう言った。

 「お前には、もっとふさわしい人がいただろうに……。ぼくのような男と結婚したばか
りに、苦労の連続。申しわけないことをしたと思う」と。

 私たちの結婚は、ハプニングだった。私はともかくも、ワイフは、私と結婚するつもり
など、なかった。話せば長くなるが、簡単に言えば、そういうこと。

 息子たちについても、そうだ。私は、親として、父親として、それらしいことを、何も
してやることができなかった。そんな思いが、このところ、胸をよくふさぐようになった。

私「あのな、よく考えたのだけど、離婚してあげようか?」
ワ「どうして?」
私「お前だって、ひとりになって、何か好きなことをしてみたいだろ?」
ワ「そんなこと考えたことはないわ」

私「いや、ちがう。ぼくの分析によれば、お前は、無理をしている。仮面をかぶっている。
自分をごまかしている」
ワ「そんなこと、していないわよ」
私「いや、ぼくには、わかる。お前は、いつも何かに耐えている。ぼくのために犠牲にな
っている」
ワ「そんなこと、思っていないわよ。勝手に解釈しないでよ」

私「でも、ぼくには、お前の心の奥底が、よく読める」
ワ「何も、読めていないわよ」
私「ちがう。お前の無意識の世界まで、ぼくには読める」
ワ「どう読めるの?」

私「お前は、日常的に、今の生活に不満をいだいている。そういう自分を、押し殺しなが
ら、無理に、いい妻であろうとか、いい母親であろうとか、そんなふうに考えている」
ワ「まあ、だれだって、そうじゃないの。私だけではないと思うわ」
私「だろ。なっ。やっぱりそうだ。だから、お前を、そういう苦しみから、解放してあげ
たい」
ワ「私は、今のままでいいわ」

私「それがよくない。人生は、短いよ。一度しかないよ。そんな人生を、ぼくのような男
のために、犠牲にしてはいけない」
ワ「してないわよ」
私「している」
ワ「してないわよ。だいたいね、あなたね、勝手に人の心を決めてかかりすぎるのよ。そ
んなふうに決めてかからないでよ。私は私なんだから」
私「……」と。

 で、こうして離婚話は、消えてしまった。

 しかし今、犬のハナを、野原に放してやったら、どうなる? ハナはそれで幸福になれ
るのだろうか。私だって、そうだ。

 家族の重みに耐えながら、生きている。だからといって、家族から解放され、オースト
ラリアかどこかの平原にポツンと置き去りにされたら、はたして私は幸福になれるのだろ
うか。

 体にまとわりついているクサリを解き放したからといって、幸福になれるとは、かぎら
ない。それぞれが、それぞれの責任を感じながら、相手のために生きる。相手のために、
がまんしたり、耐えたりする。相手のために犠牲になったりすることもあるかもしれない。
しかしそれが(生きる)ということかもしれない。

 ただ大切なことは、そうではあっても、つまりたがいに犠牲にはなっていても、相手に
対する思いやりだけは、忘れてはいけないということ。相手が自分のために犠牲になるの
は、当然とか、そんなふうに考えてはいけない。

 心のどこかで、「申しわけない」と思ったとたん、たがいに心を開きあうこともできる。
そのせいかどうか知らないが、そのあとしばらくして、ワイフが、私にこう言った。

 「あなたのこと、好きよ。だから私のことは気にしないで、あなたはあなたで、好きな
ことをしてね」と。

 ワイフが、私のことを「好きよ」と言ったのは、10年ぶり? 20年ぶり?

 「お前がそんなこと、言ったのは、30年ぶりかもしれないよ」と、私が言うと、ワイ
フは、こう言った。「結婚したころは、よく言ったわよ」と。で、私がだまっていると、こ
うも言った。

 「夫婦というのはね、いちいち、好きとか、そんなことは言わないものよ。言わなくて
も、わかっているものよ」と。

 ナルホド!

 で、私は私で、こう思った。「世の中には、私のような男でも、好きだという、もの好き
な女性もいるもんだなあ」と。しかしこのことは、ワイフには言わなかった。

(補足)

 そう言えば、こんなことにも気づいた。若いころの話だが、私より、ずっと、ヘンチク
リンで、顔やスタイルが悪い男がいた。そうであっても、その男は、自分では、「オレは、
女性にモテる」と思いこんでいた。

 内心では、「カガミでも見ろよ」と思っていたが、それは言わなかった。

 反対に、すごい美人だったのだが、「私はブスだ」「男にはモテない」と思いこんでいる
女性もいた。容姿の話になると、不平、不満ばかり。「目が細い」「鼻が低い」「唇が厚い」
と。

 全然、そんなことはなかった。そこで私が、「そんなことない」「あなたは、すてきな人
だ」と何度も言ったが、私の言葉など、彼女の耳には、まったく入らなかった。

 どこでどう分かれるのだろうか。こういうのを、(自己概念)というが、その自己概念が、
現実の自分、つまり(現実自己)と大きくズレることは、珍しくない。今度、それについ
て、考えてみたい。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自己概念

 自分の姿、立場、位置を正確に把握することは、とても重要なことである。他人の目を
意識せよということではない。(自分)というものを、客観的に知るということ。それは(私)
を知るための、第一歩ということにもなる。

 「私はどういう人間なのか」「社会からは、どう見られているのか」「どういう立場にあ
るのか」と。

 その自己の概念を知るためには、3つの方向性がある。

(1)自分の容姿、姿、態度、姿勢(自分の姿は、他人には、どう映っているか)
(2)自分の社会的地位、立場(自分は、どういう立場にあるか)
(3)自分の義務、責任(自分は、他人に何をするように期待されているか。何をすべき
か)

 こうした概念を、正確にもてばもつほど、自分というものが、よくわかってくる。で、
そのばあいでも、自己中心的な人ほど、それがわからない。私が思っている私(自己概念)
と、他人の中の私(現実自己)の間に、ズレが生じてくる。

 よい例として、定年退職したあとまで、それまでの学歴や経歴をぶらさげて、いばって
いる人がいる。そういう人は多い。とくに何らかの権力の座についた人ほど、そうではな
いか。いつまでたっても、その亡霊から抜け出すことができない。

 このタイプの人は、定年によって、地位や肩書きをすべて失ったにもかかわらず、それ
にしがみつくことによって、自分の権威を守ろうとする。しかし実際には、何もできない、
ただの老人。

 いや、老人であることが悪いというのではない。その亡霊にしがみつけば、しがみつく
ほど、自分を見失うということ。周辺の人たちと、同化できなくなってしまう。

 私が、このタイプの人を知ったのは、30歳くらいのときのことではなかったか。遠い
親戚にあたる知人の家に遊びに行ったときのこと。その男性(当時65歳くらい)は、私
にこう言った。

 「君は、何をしているのかね?」と。

 そこで私が「幼稚園で働いています」と答えると、「もうすこし、まともな仕事ができん
かね。学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事には、つけなかったんだろう?」と。

 その男性は、定年まで、ある学校の校長をしていた。私は当時、すでに、「何、言ってる
んだ。自分は、ただの退職者のくせに」と思ったのを覚えている。

 現実の(彼)は、年金で遊ぶ、ただの退職者にすぎない。そういう現実が、まったくわ
かっていない。が、それだけではない。いつまでも過去の肩書きにぶらさがっていると、
結局は、さみしい思いをするのは、その人自身ということになる。

 こうした例は、母親たちの世界にもある。

 ずいぶんと前の話だが、つまり、まだバブル経済、まっさかりのころの話だが、こんな
話を聞いた。

 その銀行の寮(ある都市銀行のH支店・家族寮)では、夫たちの地位に応じて、妻たち
の地位も決まるという。妻たちの年齢や学歴は、関係ない。何かの女性会議の席でも、支
店長の妻が中央にすわり、つづいて、次長、部長、課長……と並ぶのだそうだ。

 廊下ですれちがうときも、相手が地位の高い夫をもつ妻だったりすると、道をあけなけ
ればならない、と。

 さらに上司の子どもと同じ学校は、受験しないなどという不文律もあるとか。うまく両
方が、合格すればよし。しかし上司の子どもが落ちて、自分の子どもが合格したりすると、
さあ、たいへん! ……ということで、そんなことにも気をつかうとか。

 そういう世界も、現実に、ある。バカげているが、当の本人たちには、そうではない。
大まじめ!

 つまりこうした悲喜劇も、つまるところ、(自己概念)と、(現実自己)のズレから生ま
れる。

 ……で、私のこと。

 以前、ある小さな会合で、7〜8人の男たちが、国際政治を論じていた。どの人も、商
店主とか、小さな町工場の経営者だった。

 私はその話を聞きながら、「そんなことを論じても、マスターベーションにもならない(失
礼!)」と思ってしまった。が、すぐに、それは私自身のことだと、気がついた。

 私は、こうして、子育てを論じ、人生を論じ、ついで同じように、国際政治を論じてい
る。

 しかし、だれも、私を相手にしていない。あえて言うなら、私がしていることは、犬の
遠吠え、そのもの。社会的影響力は、かぎりなくゼロに近い。つまり私のもっている(自
己概念)と、(現実自己)は、大きく、ズレていることになる。

 ワイフだって、ときどき、こう言う。「あなた、日本の心配もいいけど、来月の家計も少
しは、心配してね」と。私が出している電子マガジンなどは、ワイフに言わせれば、まさ
に、道楽……ということになる。

 考えてみれば、なんともさみしい世界だが、これが私にとっての現実ということになる
のだが、しかし目的がないわけではない。

 こうしてモノを書いていると、それ自体が、ボケ防止になる。それに毎日、新しい世界
を知ることは、実のところ、楽しい。未開の荒野をひとりで歩くようなスリルさえ感ずる。
だから私にとっては、決してムダではない。

 現実の自分がどうであるかをしっかりと知っていれば、あとは何をしようが、それは私
の勝手ということになる。現実の自分がそうであるからといって、必ずしも、それにこだ
わらなければならないということもない。

 自分を知るということは、本当に、むずかしい……。
(はやし浩司 自己概念 現実自己)

【補記】

 同じように、自分の子どもの(概念)を正確にとらえることは、むずかしい。問題のあ
る子どもを、「問題がない」と思いこむのも、反対に、問題のない子どもをを、「問題があ
る」と思いこむのも、結局は、子どもの(現実)を性格にとらえていないことになる。

 子どもの姿を、正確にとらえることも、子育てにおける、重要なテーマの一つかもしれ
ない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・アレコレ】

●電動ラジコンヘリを飛ばす

 買っただけで飛ばしたことがない、電動のラジコンヘリがある。「いつか飛ばそう……」
と思っているうちに、1年が過ぎた。「孫の誠司が大きくなったら、あげよう」と考えてい
た。

 で、どういうわけか、今日(5・8)、庭で飛ばすことにした。電動だから、調整は簡単。
エンジン機のような、めんどう臭さはない。

 で、スイッチ・オン。スロットルをあげると、意外と簡単に空中に。しかしそこからの
操縦法を知らなかった。「あがれば、それでいい」と思っていた。

 さっそく、説明書を読む。前進、後進。左右の回転、左右への移動。「なるほど」と思っ
て、再度、挑戦。とたん、プロペラを破損。

 こういうときのために、予備のプロペラを、ちゃんと買っておいた。

 ひさびさのラジコン。おもしろかった。楽しかった。また病みつきになりそう!


●今夜の夕食は、やきそば

 ヘリを飛ばしたあと、ワイフと、ショッピングセンターへ。今夜のメニューは、やきそ
ば。

 料理が簡単。あとはサラダをワンパック、買った。

 ワイフに声をかけるときには、コツがある。

 「何か、手伝う?」と声をかけると、あれこれしてほしいと、つぎつぎと言いだす。
 「何も、手伝うこと、ないよね?」と声をかけると、「ないわ」と答える。

 で、手伝いときは、「何か、手伝おうか?」と声をかける。しかし何もしたくないときは、
「何もしなくて、いいよね?」と声をかける。すると、たいてい、「いいわ」と言う。

 ハハハ。で、今夜は何もしたくなかったので、「手伝うことないよね」と。案の定、「い
いわよ」と。

 つまりワイフのばあい、否定疑問文で聞くと、どういうわけか、否定的な答が返ってく
る。この方法で、私は、ワイフをいつもうまく誘導する。まだ、ワイフは、それに気づい
ていないようだ。

 もともと勝気な性格なので、そういうふうに反応するようになったのだと思う。ラシコ
ンのヘリを操縦するより、ワイフを操縦するほうが、簡単。


●オーストラリア料理

 昨日(5・7)、ワイフと2人で、オーストラリア料理を食べさせてくれるという、レス
トランへ行った。「Groovyxxx」という名前のレストランだった。

 名前を遠くから見て、すぐそれとわかった。「グルービィ」というのは、70年代ごろか
ら使われた英語。「かっこいい」という意味である。「キング・グルーバー」と言えば、当
時は、ビートルズを意味した。オーストラリア人は、今でも、よく使う。

 奥さんが、オーストラリア人。ダンナが日本人だった。1人、小学2、3年生の女の子
を見かけたが、その夫婦の子どもという感じだった。

 小さなレストランだったが、ほっとするような、居心地のよさを覚えた。私は、そのま
ま35年前に、タイムスリップしてしまったかのように感じた。

 テーブルの大きさも、形もまちまち。壁には、ペインティングがしてあった。古い木造
家屋を、自分たちで手なおしてレストランにしたといったふうだった。奥さんに話しかけ
ると、すぐ、「あら、オーストラリア英語ね」と喜んでくれた。私は、オーストラリア英語
しか、話せない。

 メニューは、ベジタリアンを中心に、ランチ4種。おいしかった。「写真をとっていいか?」
と聞くと、陽気にケラケラと笑いながら、「気にしないわ」と。

 オーストラリアで学生だったころは、毎晩のように、そんなタイプのレストランに、も
ぐりこんで遊んでいた。当時は、一部のピザ・ハウス以外は、すべての店は、午後6時に
は、閉店しなければならなかった。

 そのため午後6時以後は、裏戸から出入りする、モグリのレストランへ行かねばならな
かった。そのモグリのレストラン、そっくりだった。

 その奥さんと、「ガーラ(鳥の名前)」の話をする。

 オーストラリアには、「ガーラ」という名前の鳥がいる。その季節になると、食べ過ぎて、
飛べなくなってしまう鳥である。それでよく、道路で、車にはねられて死ぬ。「バカ」の代
名詞にもなっている。

私「友人が、『ガーラ料理のし方』という料理本を送ってくれました」
奥さん「ハハハ。それはおいしそうな名前の本ね」と。

 そのレストランは、私の若いころの生きザマ、そのものだった。

 テーブルもイスも、(多分)、リサイクルショップかどこかで、かき集めてきたものだろ
う。階段も、工事現場のものをもってきて、自分たちで作ったらしい。もちろん装飾も。
バラバラの装飾だが、そこに、何というか、(生きる)というエネルギーを感じた。

 レストランの原点といっても、よい。そのレストランには、そんな楽しさが満ちあふれ
ていた。

 興味のある人は、ぜひ、一度、行ってみたらよい。有楽街を北へ抜けて、ジョーシン・
ビルの路地を北へ、約100メートルくらい行ったところの、右手にある。

 しかし……だ。オーストラリア料理なんて、あったのかなア? 羊の肉や、ベジマイト
(ジャムの一種)などは、毎日食べたが……。しかし味は、保証する。そうそう言い忘れ
たが、ランチは、850円。
(はやし浩司 オーストラリア オーストラリア料理)



●浜松祭り

 昨日(5・5)、ワイフと浜松祭りを見に行った。祭りの最終日。好天に恵まれた3日間
で、凧(たこ)もよくあがったことだろう。

 少し早めに街に着いたので、私たちは、いつものカレーライスを食べた。Eデパートの
地下にある。で、出ると、予想どおり、あたりは、ほどよく暗くなっていた。私は、デジ
タルカメラのバッテリーを、再度、確かめた。

 大通りへ出ると、すでに何台かの御殿屋台が、並んでいた。いつもの、ごく、いつもの
見慣れた風景である。私は、こうして33年近く、ワイフは、子どものころから、この祭
りを見つづけてきた。

私「血が騒ぐか?」
ワ「もう、騒がないわよ」と。

 この30年間だけでも、浜松祭りは、すっかり様変わりしてしまった。おとなしくなっ
てしまった。静かになった。紳士的になった。ただみなが、並んでパレードをしているだ
け。

 昔は、ちがった。

 私がはじめて浜松祭りを見たときには、その異様な雰囲気に圧倒された。御殿屋台とと
もに、「練り隊」と呼ばれる一群が、支離滅裂なジグザグ行進を繰りかえす。そしてそのま
ま別の町内の練り隊と、衝突する。

 怒号と罵声。そしてけんか。太い竹ザをを正面に構え、そのまま相手の練り隊につっこ
んでいく。その足音が、ドドーッ、ドドーッと聞こえた。

 当然、けが人は続出。そのたびに、救急車が、行ったり来たり……。

 それが浜松祭りだった。しかし今は、女性が、5割を占めるようになった。みな、きれ
いな祭りファッションに身を包んでいる。そういう練り隊が、御殿屋台の前やうしろを、
整然と並んで行進する。

 浜松祭りは、まさに参加型の祭りである。参加している人には、おもしろい。が、見て
いる人には、さほど、おもしろくない。それはたとえて言うなら、村祭りの屋台に似てい
る。

 山荘のあるI町でも、秋に、似たような祭りを開く。スケールは、ずっと小さい。屋台
といっても、リヤカーを改造したもの。そのうえに電灯で飾りつけをして、そのあとを、
男や子どもたちが、(おはやし)を奏でながら、つづいて歩く。

 浜松の祭りは、それが進化したもの。スケールだけが、そのまま大きくなった。だから
祭りをしている人には、おもしろい。そこには、その人の、子どものころからの過去が凝
縮されている。

 しかし見る人には、そうでない。とくに私のような(よそ者)に対しては、そうである。

 私は御殿屋台を追いかけながら、30分ほど、写真をとった。しかしそれが限度。「帰ろ
うか」とワイフに声をかけると、ワイフも、「うん」と。

 毎年、ますます管理が、きびしくなっていくように感ずる。祭りに出る人たちは、参加
証をもらわねばならない。手には、ちょうちんを持たねばならない。ほかにもいろいろあ
る。

 おとなたちは、組長、監督、副組長などなど。それぞれが、それを書いたタスキを胸に
かけている。一度、ワイフが、「これでは、おもしろくない」とこぼしたが、そう、その通
り。おもしろくない。階級が、ピラミッドのように、上から下まで、しっかりと決まって
いる。

 歩き方はもちろん、行進する方向、時間まで、制限、管理されている。恐らく、分単位
で決まっているのだろう。先頭の男たちが、時計をさかんに見ながら、御殿屋台の速度を
調整しているのが、よくわかった。

 ……それはともかくも、その祭りを楽しみにしてきた人も多いはず。胸をはずませてい
る人も多いはず。屋台の中で、太鼓をたたいたり、笛を吹いたりする子どもたちにとって
は、すばらしい思い出ができたはず。

 マイナス面ばかり指摘してはいけない。「安全」「無難」ということを考えるなら、今の
やり方がよいのに決まっている。ただほめてばかりいたのではいけない。

 30年前も、そして今年も同じ……という祭りでは、つまらないのではないか? 過去
を踏襲しながらも、そこに新しい試みがあってもよいのではないか? そんな思いをもっ
て、帰りの道を急いだ。

 そうそう、横道へ入ると、K町の御殿屋台に出会った。見ると、義兄が、「監督」のタス
キをかけて、交通整理をしていた。

 「こんばんは!」と声をかけると、「ヤーヤー」と声をかけてきた。義兄は、昔から、祭
り人間。祭り大好き人間。そういう人たちは、今の浜松祭りをどう考えているのか、今度
また会ったら、聞いてみよう。

 そのときとった、写真は、HPの、「浜松案内」に収録しておいた。ぜひ、見てほしい。

(訂正)

さっそく、浜松祭りについて、意見をいただきました。
練り隊は、御殿屋台が終了してから、時刻的には、午後8:30〜
ごろから、全員集合の形で、猛烈な練りを繰り返したそうです。

それは「ものすごかった」「一見の価値あり」(見物人の意見)とのこと。

来年からは、その時刻あたりに見にいくことにしました。

以上、記事の訂正です。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ベッドを運ぶ

 今日は、長男の車を借りて、ベッドを運んだ。今度、オーストラリアの友人夫婦が、南
アフリカの友人たちをつれて、浜松へやってくる。

 オーストラリアの友人たちは、もう何度も、我が家に泊まったことがある。勝手がわか
っている。しかし南アフリカの友人は、どうか? それでベッドを運ぶことにした。

 しかしこれがたいへんな作業! まあ、何とかやり終えたが、もうクタクタ。ヘトヘト。

 床にふとんを敷いて寝る、日本の習慣のほうが、ずっといい。楽。それに、利便性に富
んでいる。たためば、別の部屋として、使える。どうして白人たちは、ベッドにしたのだ
ろう? 中国人たちも、そうだ。

 日本の家屋は、床自体が、高床式。だからあえて、寝床をあげる必要はない。しかし彼
らの家屋は、地面の上に、直接足を置いて生活する。だから、ベッドを高くする必要があ
る(?)。

 言いかえると、ベッドの高さで、その国の居住環境がわかるのではないか。ヘビやサソ
リが、うじゃうじゃいるような国では、ベッドは、当然、高くなる。

 そう言えば、総じて言えば、アメリカ北部のベッドは低く、南部のベッドは、高い。背
が高いせいもあるのかもしれない。オーストラリアでも、田舎へ行けば行くほど、高くな
っていくように思う。日本のベッドは、もともと高くする必要がないのだから、当然、低
い。

 あとは、湿気の問題か?

 よくわからないが、ベッドを運ぶのは、重労働。それがよくわかった。

 おかげで山荘の雰囲気が、(その部屋だけだが……)、ガラリと変わった。「ホテルみたい
になったね」と私が言うと、「ホテルみたい」とワイフも、喜んでくれた。「今度、誠司(孫)
たちも来るから、ちょうどよかった」と私。

 で、体というのはおもしろいものだ。ヘトヘトになっているはずなのに、動きついでと
いうか、私は、ついでに除草剤をまいたり、古いテーブルを破壊したり、結構、あれこれ
した。忙しかった。

 とても気持ちのよいそよ風が、森を抜けて吹いてきた。それがにじみ出た汗を、サーッ
と空に散らす。今ごろが、山荘でもベストシーズン。今月の終わりには、ビワが食べごろ
になる。野生のジャスミンが、いっせいに、花を咲かせる。楽しみだ!

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●HPのテーマ音楽

 息子が、高校時代に作曲した曲。それが今、私のHPのテーマ音楽になっている。一度、
「HP用にもらうぞ」と聞いたら、「いいよ」と。

 しかし実際には、その曲を、私のHPに載せる機会がなかった。どこかのインターディ
スクに保存していておいて、ファイルとして取り出す方法がないわけではない。しかし今、
それを許可している、インターディスクはない。

 スケベサイトなどに、悪用されるケースが多いからではないか。

 で、あきらめていたら、息子のほうで、収録してくれた。息子は、小さいが、自分でサ
ーバーを運営している。

 私のサイトのトップページから、聞いてもらえる。私は、息子が作曲した曲の中で、こ
の曲が一番、気に入っている。興味のある人は、どうか、聞いてほしい。

 息子は、「歌詞はない」と言っているが、私は、こんな歌詞をつけて楽しんでいる。

♪風の中に、あなたを感ずる、
 どんなに遠く離れていても、
 あなたは、やさしい風で、
 私をいつも、包んでくれる……。

 息子の感性が光る曲だと思う。こういう曲をサラリと作曲してみせる息子を、私は、誇
らしく思う。と、同時に、そういう息子の才能を伸ばしきれなかった自分を、つまり親と
して、恥じる。申しわけないことをしたと思う。

 そんな思いをもって、今夜も、何度も、その曲を聞く。さわやかな風をイメージしなが
ら聞くとよいのでは……。こんな勝手な解釈を加えると、息子に叱られるかな?


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●K国の金XX

 私には、K国の金XXが、ますます理解できなくなってしまった。金XXは、これまで
の独裁者とは、まったく異質の独裁者と考えたほうがよいかもしれない。つまり、どう考
えても、金XXは、まともではない。

 今夜あたりも、P市の地下深くに作られた一室で、酒を飲みながら、大暴れしているに
ちがいない。手がつけられない。本来なら、中に賢い側近がいて、世界の情勢を正確に伝
えなければならないのだが、そういう側近すらいない。そんな感じさえする。

 そういえば、私は、昔、若いころ、その金XXに似たような男とつきあったことがある。
その男は、当時、ある中堅会社の社長をしていた。

 頭はキレる。行動もすばやい。判断力も知識もある。しかし、どこか「?」。傲慢(ごう
まん)で、どん欲。わがままで、ワンマン。コロコロと気が変わるため、そばにいる人は、
いつも、ハラハラのしどうし。機嫌をそこねたら最後、そのままクビになってしまう。

 私も、夜中の2時、3時に呼び出されたことがある。「いい仕事があるから、来い」と。
で、行くと、仕事の話は、そっちのけで、遊びの話ばかり。が、そこで、「帰ります」など
と言おうものなら、突然、「お前なあ、オレをなめる気かア!」と。

 そういう状態で、クビになった社員は、何十人もいる。

 金XXのことを考えていると、頭の中で、その社長と、どうしてもイメージが、ダブっ
てしまう。今夜もそのことをワイフに話すと、ワイフも、「そう言えば、そうねエ……」「あ
の社長は、頭が狂っていたわ」と。

 かわいそうなのは、K国の民衆たち。「先軍政治」もよいが、結局は、自分たちが、人質
に取られているようなもの。へたに政府を批判しようものなら、それだけで、収容所送り。
とくに政治犯は、そのまま生きて帰ることは、ないそうだ。

 そのK国が、核実験をしそうな雰囲気になってきた。

 韓国は、相変わらず、K国の肩をもって、「見せかけにすぎない」「アメリカと有利に交
渉するための、みせかけ」(C日報)などと、のんきなことを言っている。いまさら、「K
国は核兵器をもっていました」などとは、言えないのだろう。で、日本に向っては、「戦後
補償を、目に見える形で、もっとしろ」(N大統領)と(5・7)。

 韓国の経済状況は、かなり悪いようだ。

 で、アメリカや日本は、厳戒態勢に入った。もしここでK国が核実験でもしようものな
ら、6か国協議は、どこかへ吹っ飛んでしまう。と、同時に、日本は、戦争の瀬戸際に立
たされることになる。

 では、どうするか?

 金XXが、まともでないとするなら、(その可能性は、きわめて高いが……)、私たち日
本人は、金XXを、まともに相手にしてはいけない。あんな国を相手にしても、得るもの
は、何もない。

 事実だけを冷静に正解に発信して、あとのことは、世界の判断に任せればよい。K国を
制裁するにせよ、日本単独では、まずい。それこそ、K国の思うツボ。韓国や中国の思う
ツボ。

【訂正記事】

 先日、K国の貿易高は、日本のそれの、37万分の1と書きましたが、正確には、37
0分の1です。これは、ドルベースの額と、円ベースの額を、読みまちがえたために起き
た、単純なミスです。読者の方々におわび緒申しあげます。

 その部分の記事を再掲載します。

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K国の昨年の貿易額は、2003年より19・5%増加して、28億5700万ドルだ
ったそうだ(KOTRA)。これは輸出入総額。これに対して日本の、貿易額は、111
兆5000億円(輸出、約61兆円、輸入、約50兆円、04年度、JFTC調べ)。つ
まり約1兆ドル。

 つまりK国の貿易高は、30億ドルで計算しても、日本の約370分の1。K国では、
このところのハイパーインフレで、通常レートでも、1ドルが、2800ウォンになって
しまったという。(闇レートでは、もっと低いはず。)

 つまり平均的労働者の1か月の給料が、とうとう、1ドル(=105円)を切ってしま
ったということになる。たったの1ドルだぞ! 

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