はやし浩司(ひろし)

2005・8
はやし浩司
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2005年 8月号
 はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 31日(No.617)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

HTML版は、お休みします。

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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『深い川は静かに流れる』

 『深い川は静かに流れる』は、イギリスの格言。日本でも、『浅瀬に仇(あだ)波』とい
う。つまり思慮深い人は、静か。反対にそうでない人は、何かにつけてギャーギャーと
騒ぎやすいという意味。

 子どももそうで、その子どもが思慮深いかどうかは、目を見て判断する。思慮深い子ど
もの目は、キラキラと輝き、静かに落ち着いている。会話をしていても、じっと相手を
見据えるような鋭さがある。が、そうでない子どもは、そうでない。

 私は先日、ある女性代議士の目をテレビで見ていて驚いた。その女性は何かのインタビ
ューに答えていたのだが、その視線が空を見たまま、一秒間に数回というようなはやさ
で、左右、上下にゆれていたのだ。それはまさに異常な視線だった。

その女性代議士は、毒舌家として有名で、言いたいことをズバズバ言うタイプの人だが、
しかしそれは知性から出る言葉というより、もっと別のところから出る言葉ではないの
か。私はそれを疑った。これ以上のことはここには書けないが、そういうどこかメチャ
メチャな人ほど、マスコミの世界では受けるらしい。

 が、この時期、親というのは、外見的な派手さだけを見て、子どもを判断する傾向が強
い。たとえば本読みにしても、ペラペラと、それこそ立て板に水のように読む子どもほ
ど、すばらしいと評価する。しかし実際には、読みの深い子どもほど、一ページ読むご
とに、挿絵を見たりして、考え込む様子を見せる。読み方としては、そのほうが好まし
いことは言うまでもない。

 これも子どもをみるとき、よく誤解されるが、「情報や知識の量」と、「思考力」は、別。
まったく別。モノ知りだから、頭のよい子どもということにはならない。子どもの頭の
よさは、どれだけ考える力があるかで判断する。同じように、反応がはやく、ペラペラ
と軽いことをしゃべるから、頭のよい子どもということにはならない。

むしろこのタイプの子どもは、思考力が浅く、考えることそのものから逃げてしまう。
何か、パズルのような問題を与えてみると、それがわかる。考える前に、適当な答をつ
ぎからつぎへと口にする。そして最後は、「わからない」「できない」「もう、いや」とか
言い出す。

 その「考える力」は、習慣によって生まれる。子どもが何かを考える様子を見せたら、
できるだけそっとしておく。そして何か新しい考えを口にしたら、「すばらしいわね」「お
もしろいね」と、それを前向きに引き出す。そういう姿勢が、子どもの考える力を伸ばす。


●不自然さは要注意

 子どもの動作や、言動で、どこか不自然さを感じたら、要注意。反応や歩き方、さらに
はしぐさなど。「ふつう、子どもなら、こうするだろうな」と思うとき、子どもによって
は、そうでない反応を示すことがある。最近、経験した例をいくつかあげてみる。

○教室へ入ってくるやいなや、突然大声で、「先生、先週、ここにシャープペンシルは落ち
ていませんでしたか!」と。「気がつかなかった」と答えると、大げさなジェスチャでそ
の女の子(小五)は、あたりをさがし始めた。しばらくすると、「先生、今日は、筆箱を
忘れました」と。そこで私が、「忘れたら忘れたで、最初からそう言えばいいのに」とた
しなめると、さらに大きな声で、「そんなことはありません!」と。そして授業中も、ど
うも納得できないというような様子で、ときおり、あたりをさがすマネをしてみせる。
私が「もういいから、忘れなさい」と言うと、「いえ、たしかにここに置きました!」と。

○A君(小三男児)が、連絡ノートを忘れた。そこでまだ教室に残っていたB君(小三男
児)にそれを渡して、「まだA君はそのあたりにいるはずだから、急いでもっていってあ
げて!」と叫んだ。が、B君はおもむろに腰をあげ、のんびりと自分のものを片づけた
あと、ノソノソと歩き出した。それではまにあわない。そこで私が「いいから、走って!」
と促すと、こちらをうらめしそうな顔をして見るのみ。そしてゆっくりと教室の外に消
えた。

○R子(小六)が教室に入ってきたので、いつものように肩をポンとたたいて、「こんにち
は」と言ったときのこと。何を思ったからR子は、いきなり私の腹に足蹴りをしてきた。
「この、ヘンタイ野郎!」と。ふつうの蹴りではない。R子は空手道場に通っていた。
私はしばらく息もできない状態で、その場にうずくまってしまった。そのときR子の顔
を見ると、ぞっとするような冷たい目をしていた。

 こうした「ふつうでない様子」を見たら、それを手がかりに、子どもの心の問題をさぐ
ってみる。何かあるはずである。が、このとき大切なことは、そうした症状だけをみて、
子どもを叱ったり、注意してはいけないということ。何か原因があるはずである。だか
らそれをさぐる。

たとえばシャープペンシルをさがした女の子は、異常とも言えるような親の過関心で心
をゆがめていた。B君は、いわゆる緩慢行動を示した。精神そのものが萎縮している子
どもによく見られる症状である。また私を足蹴りにした女の子は、そのころ父親から性
的虐待を受けていた、など。

 一方、心がまっすぐ伸びている子どもは、行動や言動が自然である。「すなお」という言
い方のほうがふさわしい。こちらの予想どおりに反応し、そして行動する。心を開いて
いるから、やさしくしてあげたり、親切にしてあげると、そのやさしさや親切が、スー
ッと子どもの心にしみていくのがわかる。そしてうれしそうにニコニコと笑ったりする。
「おいで」と手を広げてあげると、そのままこちらの胸に飛び込んでくる。そこであな
たの子どもを観察してみてほしい。何人か子どもが集まっているようなところで観察す
るとわかりやすい。もしあなたの子どもの行動や言動が自然であればよい。しかしどこ
か不自然であれば、あなたの子育てのし方そのものを反省してみる。子どもではない。
あなた自身の、だ。


●質素を旨(むね)とする

 『見せる質素、見せぬぜいたく』という格言を考えた。子どもには、質素な生活は、ど
んどん見せる。しかしぜいたくは、するとしても、子どものいないところで、また子ども
の見えないところでする。子どもというのは、一度、ぜいたくを覚えると、あともどりで
きない。だから、子どもにはぜいたくを、経験させない。

 質素とケチは、よく誤解される。質素であることイコール、貧乏ということでもない。
質素というのは、つつましく生活をすることをいう。身のまわりにあるものを大切に使い
ながら、ムダをできるだけはぶく。古いカーテンを利用して、枕カバーを作ったり、古い
イスを修理して、子どものイスに作りかえたりする、など。そういう「工夫」のある生活
をいう。

 人間関係もそうで、冠婚葬祭のような、はでな交際を「ぜいたく」とするなら、近所の
人と、ものを分けあって食べるような生活は、「質素」ということになる。要するに、こま
やかな心が通いあう生活を、質素な生活という。

●うしろ姿を押し売りしない

 生活のためや、子育てのために苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では、
うしろ姿を子どもに見せることを美徳のように考えている人がいるが、これは美徳でも何
でもない。

子どもというのは、親が見せるつもりはなくても、親のうしろ姿を見てしまうかもしれ
ないが、しかしそれでも、親は親として、子どもの前では、毅然(きぜん)として生き
る。そういう前向きの姿が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。

 中には、うしろ姿を押し売りするだけでなく、さらに子どもに恩を着せる人がいる。「産
んでやった」「育ててやった」「大学を出してやった」と。このタイプの親は、依存心の
強い、つまりは自立できない親とみる。子育ての第一目標は、子どもを自立させること。
親が自立しないで、どうして子どもが自立できるのか。そういう意味でも、子どもには、
親のうしろ姿は、見せない。

●死は厳粛に

 死があるから、生の大切さがわかる。死の恐怖があるから、生きる喜びがわかる。人の
死の悲しみがあるから、人が生きていることを喜ぶ。どんな宗教でも、死を教えの柱にお
く。その反射的効果として、「生」を大切にするためである。

 子どもの教育においても、またそうで、子どもに生きることの大切さを教えたかったら、
それがたとえペットの死であっても、死は厳粛にあつかう。もしあなたが、ペットが死ん
だようなとき、それをゴミのようにあつかえば、あなたの子どもは、生きることそのもの
も、ゴミのようにあつかうようになるかもしれない。

しかしあなたが、その死をいたみ、悲しめば、あなたの子どもは、そういうあなたの姿
から、生きることの大切さを学ぶようになるかもしれない。ここで「……しれない」と
書くのは、あくまでもそうするかどうかは、子どもの問題ということ。しかし子どもが
どう判断するにせよ、その大前提として、子どもの前では、死は厳粛にあつかう。


●一喜一憂しない

 子育ての度量の大きさは、(たて)X(横)X(高さ)で決まる。(たて)というのは、そ
の人の住む世界の大きさ。(横)というのは、人間的なハバ。(高さ)というのは、どこま
で子どもを許し、忘れるかという、その深さのこと。

 (たて)については、親の住む世界は、大きければ大きいほどよい。大きな目標をもち、
多くの人と接する。趣味を多くもち、交際範囲も広くする。

 (横)については、たとえば川のハバにたとえるとよい。人間的なハバの広い親は、一
喜一憂しない。そうでない親はそうでない。たとえばとなりの子どもが英語教室へ入った
と知ると、「さあ、たいへん」とばかり、自分の子どもも英語教室へ入れたりする。

 (高さ)というのは、つまるところ、親の愛の深さということになる。どこまで子ども
を許し、どこまで子どもを忘れるかで、親の愛の深さは決まる。もちろんだからといって、
子どもに好き勝手なことをさせろということではない。要するに、あるがままの子どもを、
どこまで受け入れることができるかということ。


●「今」を大切に

 過去なんてものは、どこにもない。未来なんてものも、どこにもない。あるのは、「今」
という現実。だからいつまでも過去を引きずるのも、また未来のために、「今」を犠牲にす
るのも、正しくない。「今」を大切に、「今」という時の中で、最大限、自分のできること
を、懸命にがんばる。明日は、その結果として、必ずやってくる。

 だからといって、記憶としての過去を否定するものではない。また何かの目標に向かっ
て努力することを否定するものでもない。しかし大切なのは、「今」という現実の中で、自
分を光り輝かせて生きていくこと。

たとえば子どもについても、幼稚園教育は小学校へ入学するため、小学校教育は中学校
へ入学するために、さらに高校教育は大学へ入学するためにあるのではない。こうした
未来のために、いつも現在を犠牲にする生き方をしていると、いつまでたっても、「今」
という時を、自分のものにできなくなってしまう。

 それではいけない。子どもは、小学生のときは小学生として、中学生のときは中学生と
して、精一杯、自分を輝かせて生きる。そこに子どもの生きる価値がある。それともあ
なたは、今、豊かな老後のために生きているとでもいうのか。しかし、そうは問屋がお
ろさない。老人に近づけば近づくほど、健康があやしくなる。頭の回転も鈍くなる。「や
っと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。もしそうなれば、何のための人
生だったか、わからなくなってしまう。だから、「今」を大切に。「今」という時のなか
で、自分を完全に燃焼させながら生きる。繰りかえすが、明日は、その結果として、必
ず、やってくる。


●『休息を求めて疲れる』

 イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞のようにもなっている格言である。つま
り「いつか楽になろう、楽になろうとがんばっているうちに、疲れてしまい、結局は何も
できなくなる」ということ。

 私も昔、商社に勤めていたころ、帰りには、大阪の阪急電車に乗っていた。しかしあの
電車。長い通路を歩いていると、発車ベルが鳴るしくみになっていた。そこであわてて走
り出し、電車に飛び乗るのだが、しかしそうして乗った電車には空席がなかった。で、あ
る日、私は気がついた。一つだけ、つぎの電車を待てば、座席に座ることができる、と。
時間にすれば、たったの一五分である。

 今でも、多くの人は、毎日、毎日、あわてて電車に乗るような生活をしている。早く家
に帰って休息したいと思ってそうするが、しかし電車に飛び乗るために、最後のエネルギ
ーを使いはたしてしまう。疲れてしまう。そして何もできなくなってしまう。しかしほん
の少し考え方を変えれば、あなたの生活はみちがえるほど、豊かになる。方法は簡単。あ
なたも一五分だけ、時間をあとにずらせばよい。


●生きる源流を大切に

 「子どもがここに生きている」という源流に視点をおくと、子育てにまつわるあらゆる
問題は、解決する。

 私は、三人の息子のうち、あやうく二人の息子を、海でなくしかけたことがある。とく
に二男が助かったのは、奇跡中の奇跡だった。だからそのあと、二男に何か問題が起きる
たびに、私は「こいつは生きているだけでいい」と思いなおすことで、すべての問題を解
決することができた。

不登校を繰りかえしたときも、受験勉強を放棄したときも、「いいよ、いいよ、お前は生
きているだけで」と。そういうおおらかさが、かえって、二男を伸びやかにした。

 あなたももし、子育てをしていて、行きづまりを感じたら、この源流から、子どもを見
てみるとよい。それですべての問題は解決する。


●友を責めるな(中日新聞発表済み)

 あなたの子どもが、あなたから見て好ましくない友人とつきあい始めたら、あなたはど
うするだろうか。しかもその友人から、どうもよくない遊びを覚え始めたとしたら……。
こういうときの鉄則はただ一つ。『友を責めるな、行為を責めよ』、である。これはイギリ
スの格言だが、こういうことだ。

 こういうケースで、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と子どもに言うのは、子
どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。あなたの子どもがあな
たを取ればよし。しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ること
になる。

友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのもの。友を捨てろという
のは、子どもの人格を否定することに等しい。あなたが友だちを責めれば責めるほど、
あなたの子どもは窮地に立たされる。そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへ
んまずい。ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。またその範囲でおさめる。「タバコは体に悪い」「夜
ふかしすれば、健康によくない」「バイクで夜騒音をたてると、眠れなくて困る人がいる」
とか、など。コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。子ども自身に判
断させるようにしむける。そしてあとは時を待つ。

 ……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまう。そこで私はもう一
歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作った。『行為を責めて、友をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。そうい
う子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。「あなたの友だちのB君、あの子
はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。「あなたの友だちのB君って、いい子ね。この
プレゼントをもっていってあげてね」とか。

そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。そしてそれを知
った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分を演ずる
ようになる。つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわ
けだが、これは子育ての中でも高等技術に属する。ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親
がいる。しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを
疑ってみること。祭で酒を飲んで補導された中学生がいた。親は「誘われただけだ」と
泣いて弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。……というような
ケースは、よくある。

自分の子どもを疑うのはつらいことだが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ど
も」と思うこと。だからよけいに、友を責めても意味がない。何でもない格言のようだ
が、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言である。


●仕事に誇りを

 あなたが母親なら、子どもの前ではいつも、父親(夫)の仕事をたたえる。ほめる。「あ
なたのお父さんは、すばらしい仕事をしているのよ」「私は、お父さんを尊敬しているのよ」
「お父さんしか、その仕事はできないのよ」と。まちがっても、あなたは父親(夫)の仕
事を批判したり、けなしてはいけない。これは家庭教育の、大原則。それが世間一般の基
準からしても、だ。(世間一般の基準など、気にしてはいけない。)

 ある母親は、自分の息子に、「お父さんの仕事は汚(きたな)いから、いやね」といつも
言っていた。父親の仕事は、井戸掘り職人だった。何かにつけて、家の中が汚(よご)れ
た。それをその母親は嫌った。また別の母親は、娘に対して、いつもこう言っていた。

「あんたのお父さんは、会社の倉庫番よ。ただの倉庫番」と。しかしそういうことを言
ったところで、それが何になるのか? 言う必要もないし、言ったところで、マイナス
になることはあっても、プラスになることは、何もない。それだけではない。子どもは
やがて、父親はもちろんのこと、母親の指示にも、従わなくなる。

 親は親として、自分の仕事に誇りをもち、前向きに生きる。そういう姿勢が、子どもに
安心感を与え、子どもを伸ばす。

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これに関連して、中日新聞掲載記事から
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●未来を脅さない

 赤ちゃんがえりという、よく知られた現象が、幼児の世界にある。下の子どもが生まれ
たことにより、上の子どもが赤ちゃんぽくなる現象をいう。急におもらしを始めたり、
ネチネチとしたものの言い方になる、哺乳ビンでミルクをほしがるなど。定期的に発熱
症状を訴えることもある。

原因は、本能的な嫉妬心による。つまり下の子どもに向けられた愛情や関心をもう一度
とり戻そうと、子どもは、赤ちゃんらしいかわいさを演出するわけだが、「本能的」であ
るため、叱っても意味がない。

 これとよく似た現象が、小学生の高学年にもよく見られる。赤ちゃんがえりならぬ、幼
児がえり、である。先日も一人の男児(小五)が、ボロボロになったマンガを、大切そ
うにカバンの中から取り出して読んでいたので、「何だ?」と声をかけると、こう言った。
「どうせダメだと言うんでチョ。ダメだと言うんでチョ」と。

 原因は成長することに恐怖心をもっているためと考えるとわかりやすい。この男児のば
あいも、日常的に父親にこう脅されていた。「中学校の受験勉強はきびしいぞ。毎日、五、
六時間、勉強をしなければならないぞ」「中学校の先生は、こわいぞ。言うことを聞かな
いと、殴られるぞ」と。こうした脅しが、その子どもの心をゆがめた。

 ふつう上の子どものはげしい受験勉強を見ていると、下の子どもは、その恐怖心からか、
おとなになることを拒絶するようになる。実際、小学校の五、六年生児でみると、ほと
んどの子どもは、「(勉強がきびしいから)中学生になりたくない」と答える。そしてそ
れがひどくなると、ここでいうような幼児がえりを起こすようになる。

 話は少しそれるが、こんなこともあった。ある母親が私のところへやってきて、こう言
った。「うちの息子(高二)が家業である歯科技工士の道を、どうしても継ぎたがらなく
て、困っています」と。それで「どうしたらよいか」と。そこでその高校生に会って話
を聞くと、その子どもはこう言った。

「あんな歯医者にペコペコする仕事はいやだ。それにうちのおやじは、仕事が終わると、
『疲れた、疲れた』と言う」と。そこで私はその母親に、こうアドバイスした。「子どもの
前では、家業はすばらしい、楽しいと言いましょう」と。結果的に今、その子どもは歯
科技工士をしているので、私のアドバイスは、それなりに効果があったということにな
る。さて本論。

 子どもの未来を脅してはいけない。「小学校では宿題をしないと、廊下に立たされる」「小
学校では一〇、数えるうちに服を着ないと、先生に叱られる」などと、子どもを脅すの
はタブー。子どもが一度、未来に不安を感ずるようになると、それがその先、ずっと、
子どものものの考え方の基本になる。そして最悪のばあいには、おとなになっても、社
会人になることそのものを拒絶するようになる。事実、今、おとなになりきれない成人
(?)が急増している。二〇歳をすぎても、幼児マンガをよみふけり、社会に同化でき
ず、家の中に引きこもるなど。要は子どもが幼児のときから、未来を脅さない。この一
語に尽きる。

+++++++++++++++++++++

●逃げ場を大切に

 どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。もちろん人間の子どもにもある。子ど
もがその逃げ場へ逃げ込んだら、親はその逃げ場を荒らしてはいけない。子どもはその逃
げ場に逃げ込むことによって、体を休め、疲れた心をいやす。たいていは自分の部屋であ
ったりするが、その逃げ場を荒らすと、子どもの情緒は不安定になる。ばあいによっては
精神不安の遠因ともなる。

あるいはその前の段階として、子どもはほかの場所に逃げ場を求めたり、最悪のばあい
には、家出を繰り返すこともある。逃げ場がなくて、犬小屋に逃げた子どももいたし、
近くの公園の電話ボックスに逃げた子どももいた。またこのタイプの子どもの家出は、
もてるものをすべてもって、一方向に家出するというと特徴がある。買い物バッグの中
に、大根やタオル、ぬいぐるみのおもちゃや封筒をつめて家出した子どもがいた。(これ
に対して目的のある家出は、その目的にかなったものをもって家を出るので、区別でき
る。)

 子どもが逃げ場へ逃げたら、その中まで追いつめて、叱ったり説教してはいけない。子
どもが逃げ場へ逃げたら、子どものほうから出てくるまで待つ。そういう姿勢が子ども
の心を守る。が、中には、逃げ場どころか、子どものカバンの中や机の中、さらには戸
棚や物入れの中まで平気で調べる親がいる。仮に子どもがそれに納得したとしても、親
はそういうことをしてはならない。こういう行為は子どもから、「私は私」という意識を
奪う。

 これに対して、親子の間に秘密はあってはいけないという意見もある。そういうときは
反対の立場で考えてみればよい。いつかあなたが老人になり、体が不自由になったとす
る。そういうときあなたの子どもが、あなたの机の中やカバンの中を調べたとしたら、
あなたはそれを許すだろうか。プライバシーを守るということは、そういうことをいう。
秘密をつくるとかつくらないとかいう次元の話ではない。

 むずかしい話はさておき、子どもの人格を尊重するためにも、子どもの逃げ場は神聖不
可侵の場所として大切にする。


●守護霊にならない

 昔、『砂場の守護霊』という言葉があった。今でも、ときどき使われる。子どもたちが砂
場で遊んでいるとき、その背後で、守護霊よろしく、子どもたちを見守る親の姿をもじっ
たものだ。

 もちろん幼い子どもは、親の保護が必要である。しかし親は、守護霊になってはいけな
い。たとえば……。

 子どもどうしが何かトラブルを起こすと、サーッとやってきて、それを制したり、仲裁
したりするなど。こういう姿勢が日常化すると、子どもは自立できない子どもになってし
まう。できれば、親は親どうしで勝手なことをしたらよい。

 ……と書きつつ、こうした親どうしの世界にも、一定のルールがあるという。たとえば
母親たちにも序列があって、その母親たちがすわるベンチの位置、場所も、決まっている
という。さらに服装、マナーまで。ある母親がそれを話してくれたが、何とも息苦しい世
界に思えた。

 それはともかくも、子どもの世界のことは子どもに任せる。そういうニヒリズムが、子
どもを自立させる。


●同居は、出産前に

ずいぶんと前だが、「好かれるおじいちゃん、おばあちゃん」というテーマで、アンケート
調査をしてみた。結果わかったことは、(1)子どもの教育に口を出さない、(2)健康で
あることがわかった。ついでにした調査では、こんなこともわかった。

 「祖父母との同居をどう思うか」という質問だったが、総じてみれば、子どもが生まれ
る前から同居した例では、「うまくいっている」。しかし子どもが生まれたあと同居した例
では、「うまくいっていない」だった。そんなわけで、祖父母と同居するにしても、子ども
が生まれる前から同居したほうがよい。

 なお、子どもをはさんでの、嫁と舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)との争いは、この世
界ではよくある。相談も多い。そういうときは、別居もしくは離婚が考えられないようで
あれば、母親(嫁)があきらめて、舅、姑に迎合するのがよい。そして母親は母親で、勝
手なことをすればよい。「おばあちゃんたちがいらしてくださるから、本当に助かります」
と。

 おじいちゃん子、おばあちゃん子にも、たしかにいろいろ問題はある。あるが、全体と
してみれば、マイナーな問題。デメリットよりも、メリットのほうが多い。だから「あき
らめる」。もちろんそうでなければ、別居もしくは離婚を考える。しかしこれは、最終手段。


●許して忘れる
 『許して忘れる』の子育て論は、はやし浩司のオリジナルの持論。今では、あちこちで
言われるようになった。うれしいことだ。

++++++++++++++++++++++
もう、一〇年近く前に書いた原稿を転載します。
中日新聞に掲載済み
++++++++++++++++++++++

●生きる源流に視点を

 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に
気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子
どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の
息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、
魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。以来、私は、できの悪い息子を見せつけ
られるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思いなおすようにしている。

が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。特に二男は、ひどい花粉
症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中学三年のときには、
受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてたが、そのときも、
「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。

 昔の人は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』とよく言った。戦前の教科書に
載っていた話らしい。人というのは、上を見れば、いつまでたっても満足することなく、
苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは
下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子どもが生きている」とい
う原点から、子どもを見つめなおすようにする。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことを
し、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、
その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から
見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたよ
うに、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット
(忘れる)は、「得る・ため」とも訳せる。

つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を
得るために忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉
を、「as you like」と英語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味
だが、すばらしい訳だと思う。この言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難
しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道
を歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。

ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるご
とに、それまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。
ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京
在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。
この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、
私は頭をかかえてしまう。
 

●三種類の愛

 親が子どもに感ずる愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛であ
る。

本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たと
えば母親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが
本能的な愛で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類
はとっくの昔に滅亡していたことになる。

 つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛すること
をいう。

一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべ
ればよい。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する
親も、同じように考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに
押しつけているだけ。

●子どもは許して忘れる

三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間
と意識したとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れる
かで決まる。

英語では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子どものでき
が悪くても、また子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。その
度量の広さこそが、まさに真の愛ということになる。

それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいて
いは親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家
庭不和、騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親
は子どもを溺愛するようになる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世の女性たちよ、怒れ!
「男女同権なんて、とんでもない!」と主張する人たちが
現われた。堂々と、国会で、それを主張する人たちが現われた。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●男女の性差別(ジェンダー)

++++++++++++++++

男の子は、男の子らしく、女の子は
女の子らしくあるべき。

そんな時代錯誤的、逆行的な意見
が、またまた、台頭してきた。

男と女を差別することは、基本的
に、まちがっている。

もちろん生理的な違いというのは
ある。父親と母親との役割の違い
もある。

しかし「男」と「女」を区別する
必要は、まったくない。また、し
てはならない。

男女は、100%、同権であるべ
きである。どうして同権であって
はいけないのか?

++++++++++++++++

●仕事を失う女性たち

 女性は、子どもを産んで、みな、母親になる。が、母親になったとたん、女性は、それ
までの「顔」を失う。

 たとえば私の教室へ連れてくる母親たちを見てみよう。教室の横ですわっている母親を
見れば、ごくふつうの母親たちである。しかしそのうち、そのうちの何割かは、たいへん
な経歴の持ち主であることがわかる。

 国際線の元スチュワーデス。
 国体の元選手。
 元商品デザイナー。
 バイクの元女性テストライダー。
 女子短大の元講師、などなど。
 現時点において、そういう人たちが、「母親」をしている。

 話を聞いて、「ハア?」と、私のほうが、驚くほどである。そういう女性たちが、結婚し、
子どもをもうけることで、「仕事」から離れる。しかしそれから受ける、挫折感というか、
中断感には、相当なものがある。

 そう、それまでキャリアを生かして仕事をしていた女性が、結婚と同時に、その仕事を
やめ、家庭に入る。いくら納得した結婚であっても、だ。しかも職種の華々しさだけが、
問題ではない。看護婦や幼稚園の教師をしていた人でも、その挫折感というか、中断感は、
同じである。

 今、家庭に入り、それなりに幸福そうに見える女性でも、不完全燃焼のまま、悶々とし
ている女性は、多い。

 こうした女性も、ある意味で、役割混乱を起こしているのではないか。あるいはその心
理状態に近いのではないか。今、ふと、そう思った。

 私は、そういう母親たちに出会うたびに、「どうして?」と思ってしまう。「どうして、
仕事をやめたのか?」ではなく、「どうして仕事をやめなければならないのか?」と。

●ジャンダー

肉体的な性差を「セックス」。社会的、文化的、伝統的な性差を「ジェンダー」という。
もちろん男女の間には、越えがたいセックスがある。それはそれとして、問題はジェン
ダー。

このジェンダーについては、それ自体、意味がなく、それから生まれる偏見と誤解をな
くすのが、今、世界の常識にもなっている。

 ただ生理学的に、男らしさ、女らしさを決めるのが、アンドロゲンというホルモンであ
ることは、よく知られている。

男性はこのアンドロゲンが多く分泌され、女性には少ない。さらに脳の構造そのものに
も、ある程度の性差があることも知られている。そのため男は、より男性的な遊びを求
め、女はより女性的な遊びを求めるということはある。(ここでどういう遊びが男性的で、
どういう遊びが男性的でないとは書けない。それ自体が、偏見を生む。)

 ただ子どものばあい、こうした性差が明確でなく、時期的に、男児が女児の遊びを求め
たり、女児が男児の遊びを求めたりすることは、よくある。

私も小学3年生くらいのとき、人形がほしくてたまらなかったことがある。そこで伯母
に内緒で作ってもらい、毎晩抱いて寝たことがある。だからといって、今、どうこうと
いうことはない。こうした現象は半年単位で、様子をみるのがよい。また同性愛者にな
るかならないかは、もっと本質的な理由によるという。

 しかし現実には、男児の女児化は、著しい。世の中の人たちは、どういうところを見て、
「男らしく……」「女らしく……」という言葉を使うのか、よくわからない。今では、幼稚
園や小学校(低学年児)でも、いじめられて泣くのは男の子。いじめて泣かすのは、女の
子という図式が定着している。

 腕白(わんぱく)で、昔風にたくましい男児となると、10人に1人とから2人しかい
ない。とくに最近の男の子は、どこかナヨナヨしていて、ハキがない。

 「男の子らしく」ということになれば、皮肉なことに、最近の女児のほうが、よっぽど
(男のらしい)。

●なぜ女性は、家庭に入るのか?

いまだに女性、なかんずく「妻」を、「内助(=夫の不随物)」程度にしか考えていない
男性が多いのは、驚きでしかない。

いや、男性ばかりではない。女性自身でも、「それでいい」と考えている人が、2割近く
もいる。

たとえば国立社会保障人口問題研究所の調査(2000)によると、「掃除、洗濯、炊事
の家事をまったくしない」と答えた夫は、いずれも50%以上。「夫も家事や育児を平等
に負担すべきだ」と答えた女性は、77%いる。が、その反面、「(男女の同権には)反
対だ」と答えた女性も23%もいる!

 ある農村地域でこのジェンダーについて話したら、担当者(教育委員会課長)が、「そう
いう話はまずいです。そうでなくても、どの家も、嫁の問題で頭をかかえているのだから」
と。「夫が家事をするというのも、現実的な話ではない」とも。この話に私は驚いた。

 それはともかくも、こんな現状に、世の女性たちが満足するはずがない。夫に不満をも
つ妻もふえている。「第2回、全国家庭動向調査」(厚生省・98年)によると、「家事、育
児で夫に満足している」と答えた妻は、52%しかいない。

この数値は、前回93年のときよりも、約10ポイントも低くなっている(93年度は、
61%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻も、53%もいた。
なお、アメリカでは裁判闘争が多いのは事実だが、これは裁判制度の違いによるもの。(正
解?)

 で、こうした(違い)は、外国の夫婦と比較してみると、すぐわかる。

 先月も、オーストラリア夫婦が、2組、我が家に、ホームステイをした。ちょうど1か
月あまり滞在していった。

 その夫婦。家事については、たがいに見事なほど、分担しているのがわかった。掃除や
洗濯はもちろんのこと、食後のあと片づけなどなど。日本の男性諸君のように、食後、デ
〜ンと、テーブルの前に座っている夫は、いない。

 食事が終わると、さっと立って、食器を洗い、それを拭いて、戸棚へしまう。しかも2
人とも、夫は、その地方では、著名なドクターたちである。

 そういう現実を見せつけられると、日本の男たちがもつ、基本的なおかしさというか、
女性に対する偏見を、強く感ずる。これは別のオーストラリア人男性の話だが、やはり我
が家にホームステイしたとき、洗濯をいつもしていたのは、夫のほうだった。

 で、私のワイフが見るに見かねて、それを手伝ったほどだが、その夫いわく、「オースト
ラリアでは、50%くらいの夫は、自分で洗濯をする」とのこと。「50%」という数字を
聞いて、私は、心のどこかで、ほっとしたのを覚えている。

 そうそう 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこ
うの集会場になっている。風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らな
いが、いつも七〜八人の老人がいる。

 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。その空き地の一角には、
小さな畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。男性
たちはいつも、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。

私はいつもその前を通って仕事に行くが、いまだかって、男性たちが何かの仕事をして
いる姿をみかけたことがない。悪しき文化的性差(ジェンダー)が、こんなところにも
生きている!

++++++++++++++++++

少しむずかしい話がつづきました
ので、以前、息子の一人に書いた
手紙を、そのままここに転載しま
す。

ジャンダーを考える、一つのヒン
トになれば、うれしいです。

++++++++++++++++++

●ジェンダーは、文化か?

 人間がつくりあげた文化というのは、こまかい(約束ごと)の集まりだよ。無数の(約
束ごこと)が、それぞれ複雑にからんで、文化をつくる。

 「有機的」といういい方は、どこかあいまいな言い方だが、しかし「生きている」とい
う意味で、文化は有機的にからんでいる。だから一面だけを見て、つまりそれが矛盾して
いるからといって、それを否定してはいけない。

 トイレを例にあげて、考えてみよう。

 お前は、男女別のトイレしか知らないが、オーストラリアの列車では、おとな用と子ど
も用に分かれている。足の長さが問題になるからね。

 それから日本では、公衆トイレのドアは、みな、閉まっている。しかしアメリカでは、
使用していないトイレは、開けておく慣わしになっている。

 少し前まで、イギリスでもオーストラリアでも、公衆トイレには、ドアはなかった。通
路を歩くと、みなが用を足している姿が、外から丸見えだった。

 この日本でも、トイレができたのは、江戸時代も、終わりになってからではないのかな。
平安時代には、天皇ですらも、廊下から庭先に向けて、小便をしていたというよ。女性た
ちは、部屋の中に置かれた、(おまる)の中で、それをしていた。

 ぼくが子どものころでさえね、女性は、服(着物)を上にまくって、立ったままお尻を
便器のほうに向けて、小便をしていたよ。そういう光景をよく見たし、何ら違和感もなか
った。

 しかし無数の(約束ごと)が集合化してくると、そこに文化が生まれる。あるいはそれ
がときには、それが偏見になったり、誤解を生んだりする。セックスという言葉は、肉体
的なちがいをさす言葉だが、ジェンダーというのは、そういった文化的な背景から生まれ
たちがいを意味する言葉だよ。

 そういうジェンダー(文化的性差)も、生まれた。

 それが正しいとか、正しくないとかいう判断は、こういうケースのばあい、ほとんど、
意味がない。男性がするネクタイにせよ、女性がはくスカートにせよ、「それはおかしい」
と思うのは、その人の勝手かもしれないが、否定してはいけない。

 もちろん個人的な立場で、それを批判するのは自由だけどね……。

 というのも、こうした文化というのは、ここにも書いたように、それぞれが、たがいに
複雑に、かつ有機的にからんでいる。そしてその結果として、今、ぼくたちがここに見る
文化というものをつくりあげた。

 一つを否定すると、つまりは、別の多くの面で、さらに大きな問題が起きてくる。たと
えば、「公衆トイレの男女別はおかしい」と主張して、お前が、女性トイレに入ったとする
と、どうなるか。その結果は、お前にだって、想像できると思うよ。アメリカだったら、
銃で射殺されるかもしれない……。

 とくにトイレの問題は、そこに「男」と「女」という問題がからんでくる。この問題は、
人間の種族保存本能とからんでくるだけに、やっかいな問題といってもよい。もしそこま
で否定してしまうと、結婚という制度そのものまで、おかしくなってしまう。

 子どもにせよ、「他人の子どもも、自分の子どもも、子どもは子ども。人類の共通の財産」
などと考えられなくもないが、そこまで自分の魂を、昇華する(=もちあげる)ことがで
きるようになるまでには、まだまだ時間がかかる。

 同じように、「男も女も、同じ。同じ、トイレを使えばいい」と考えられるようになるま
でには、まだまだ時間もかかる。あらゆるジェンダーにまつわる問題が解決されてからの
ことだろうと、ぼくは、思う。

 しかしね、ぼくは最近、こうした不完全で、矛盾だらけの文化に、どこか愛着を感ずる
ようになってきたよ。おもしろいというか、楽しいというか。

 たとえば映画『タイタニック』にしても、ジャックとローズがいたからこそ、おもしろ
い映画になった。もしあの映画の中に、ジャックとローズがいなければ、あの映画は、た
だの、本当にただの、船の沈没映画でしかなかった。ちがうだろうか。

 つまりね、そのジャックとローズが、「男」と「女」というわけ。そしてその先に、公衆
トイレがあるというわけ。

 高校生が、アメリカでは、アルバイトで、車を洗う。水着を着ている。お前は、それを
おかしいと思う。ぼくも、同じような疑問をもつことは多い。たとえば下着のシャツでホ
テルの中を歩くことはできない。しかしそのシャツに色をつけ、ガラを描き、Tシャツと
したとたん、ホテルの中を歩くことができる。

 同じ、シャツなのにね。

 つまりこれが、ぼくがいう、(無数の約束ごと)の一つというわけ。

 もちろんだからといって、こうした(約束ごと)は、普遍的なものでもなければ、絶対
的なものではない。時代とともに、変りえるものだし、どんどん変っても、少しもおかし
くない。国によっても、ちがう。お前が言うように、「用足し・プライベートという二つの
機能を分けた空間」にしてもよい。

 お前が、建築家なら、そういう提案をして、世に問うてみればよい。あとの判断は、大
衆に任せるしかないけどね。

 しかしね、ぼくには、こんな苦い経験がある。

 あるときね、男子トイレの大便ボックスに入っていたときのことだよ。ぼくが、K大学
で学生だったときのことだよ。

 そのボックスは、隣の女子用トイレと共同になっていた。つまりその一つだけが、女子
用トイレに食いこむ形で、そこにあった。

 そのボックスにかがんでいるとね、その前のボックスに、一人の女子学生が入ってきた。
トイレの壁の下のほうに、数センチ程度のすきまがあった。

 ぼくは、音を出すのはまずいと感じて、そのまま静かにしていた。何となく、遠慮した
のだと思う。

 ところがだよ、その女子学生は、うしろのボックスにぼくがいるとも知らず、ブリブリ
ブー、グシャグシャと、大便をし始めた。

 その臭いことと言ったらなかった。猛烈な悪臭が、壁の下のすき間から、容赦なく、ぼ
くのボックスのほうに流れこんできた。ものすごい悪臭だった!

 その女子学生は、それから用を足して、出て行った。ぼくは、そのとき、「あんな臭いの
をするのは、どんなヤツだ」と思って、急いで、自分の用を足し、外へ出てみた。

 ぼくは、その女子学生を見て、ア然としたね。

 急いで廊下に出てみると、その女子学生はすました表情で、廊下を向こうに歩いていく
ところだった。

 で、なぜ唖然としたかって……?ハハハ。実は、その女子学生は、ぼくが好意をもって
いた、文学部のMさんだったからだよ。英文科の学生でね。ぼくが、デートを申し込む、
寸前の女性だった。

 いいかな、ここが文化なんだよ。ぼくは、その日以来、そのMさんには、別の印象をも
ってしまった。顔を見るたびに、あの悪臭を思い出し、どうしてもそれ以上のアクション
を起こすことができなくなってしまった。

 やっぱりね、公衆トイレは、男女別々のほうがいいよ。お前は、同じでも構わないと言
うけど、ぼくは、そうは、思わない。わかるかな、この気持ち。

 しかし問題意識をもつことは、とても重要だよ。またお前のエッセーに、あれこれコメ
ントをつけてみるよ。

 そうそう社長には、あいさつをしたほうがいいよ。下から見ると、雲の上の人に見える
かもしれないが、上から見ると、そういうふうに見られるのが、いやなものだよ。そうい
う気持は、今のお前にはわからないかもしれないけど……。

 「ハロー、いつもお世話になっています」くらいは、言えばいいのさ。

 ではね。こちらは、明日から、凧祭り。にぎやかになるよ。

 Have a nice day!

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●男女共同参画事業

話が、少し脱線してきたが、もう少し、深刻な問題もある。

 男と女を区別するのは、その人の勝手だし、「男は、仕事、女は家事」と考えるのも、そ
の人の勝手。

 しかし、これからの日本では、現実問題として、そんなことを言っていることはできな
くなる。

 言うまでもなく、少子化による労働力の不足である。そういう深刻な問題がある一方で、
家事、子育てを押しつけられた女性たちの悲鳴も、これまた大きい。

日本労働機構の調査によれば、専業主婦、就業主婦(被雇用主婦)にかかわらず、約8
0〜85%の女性が、「育児にストレスや不安を感じている」という。その中でも、「ひ
んぱんにある」と答えた人が、30%前後もいる。

 子育ては重労働である。一瞬たりとも気が抜けない。動きのはげしい子どもをもつ親に
とっては、なおさらである。ちょっとした油断が、大事故につながるということも、少な
くない。

 この問題を解決するための最善の方法は、男女共同参画事業の拡充である。男女のカベ
を破り、ジェンダー(性差別)を解消する。はっきり言えば、夫に、もっと育児を負担さ
せる。その意識をもってもらう。その一方で、女性たちにも、仕事をしてもらう。

 そこで政府は、「2020年には、指導的立場になる女性が、30%前後になることを目
標とする」(細田官房長官の私的懇談会)という方針を打ちだした。夫にその分だけ、家事、
育児を負担してもらおうというわけである。

(女性の社会進出によって、女性の負担を減らそうというのではなく、その分、男性に
も、家事や育児に、もっと目を向けてもらおうという考え方による。)しかしこの方針に
は、もう一つ、重要な意味が隠されている。

 女性の負担を減らすことによって、現在進行中の少子化に歯止めをかけようというわけ
である。言うまでもなく、少子化の最大の原因は、(母親の不安と心配)。その不安と心配
が解消されないかぎり、少子化に、歯止めをかけることができない。

 みんなで進めよう、男女共同参画事業! 日本のために! ……と少し、力んだところ
で、もう少し、先を考えてみよう。

●役割混乱

 子どもは、成長するとともに、自分らしさを、つくりあげていく。

 わかりやすい例としては、「男の子らしさ」「女の子らしさ」がある。

 服装、ものの考え方、言い方など。つまりこうして自分のまわりに、男の子としての役
割、女の子としての役割を形成していく。これを「役割形成」という。
 
 こうした「役割」を感じたら、その役割にそって、親は、子どもを伸ばしていく。これ
が子どもを伸ばすコツということになる。

 子どもが「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「あら、そうね。すてきな仕
事ね」と。ついで、「じゃあ、今度、お庭をお花でいっぱいにしようね」などと言ってやる
のがよい。

 こうして子どもは、身のまわりに、「お花屋さんらしさ」をつくっていく。自然と、植物
に関する本がふえていったりする。

 しかしこの役割が、混乱することがある。

 私のばあいだが、私は、高校2年の終わりまで、ずっと、継続的に、大工になるのが夢
だった。それがやがて、工学部志望となり、建築学科志望となった。しかし高校3年にな
るとき、担任に、強引に、文学部コースへと、変えられてしまった。当時は、そういう時
代だった。

 ここで私は、たいへんな混乱状態になってしまった。工学部から、文学部への大転身で
ある!

 当時の、つまり高校3年生当時の写真を見ると、私は、どの顔も、暗く沈んでいる。心
理状態も最悪だった。もし神様がいて、「お前を、若いころにもどしてやる」と言っても、
私は、あの高校3年生だけは、断る。私にとっては、それくらい、いやな時代だった。

 この役割混乱について、ある講演会で、話をさせてもらった。それについて、そのあと、
ある一人の男性が、こう聞いた。「役割混乱って、どういう心理状態でしょうかね?」と。

 私は、とっさの思いつきで、こう答えた。

 「いやな男性と、いやいや結婚して、毎日、その男性と、肌をこすりあわせているよう
な心理状態でしょうね」と。

 そう答えたあと、たいへん的をえた説明だと、自分では、そう思った。

 もしあなたなら、そういう結婚をしたら、どう思うだろうか。それでも、そういう状態
を克服して、何とか相手とうまくやっていこうと思うだろうか。それとも……。

役割混乱というのは、そういう状態をいう。決して、軽く考えてはいけない。

 ただし一言。よく「有名大学へ……」「有名高校へ……」と、子どもを追い立てている親
がいる。

 しかし有名大学や有名高校へ子どもを入れたからといって、その子どもの役割が確立す
るわけではない。「合格したから、どうなの?」という部分がないまま、子どもを大学へ送
りこんでも、意味はないということ。

 もう10年ほど前だろうか、こんなことがあった。

 2人の女子高校生が、私の家に遊びに来て、こう言った。

 「先生、私たち今度、SS大学に行くことになりました」と。

 関東地方では、かなり有名な大学である。そこで私が、「いいところへ入るね。で、学部
は……?」と聞くと、すこしためらった様子で、「国際カンケイ学部……」と。

 そこでさらに、「何、その国際カンケイ学部って? 何を勉強するの?」と聞くと、二人
とも、「私たちにも、わかんない……」と。

 大学へ入っても、何を勉強するか、わからないというのだ!

 しかしその姿は、私自身の姿でもあった。私は高校を卒業すると、K大学の法学部(法
学科)に入った。しかしそこで役割混乱が収まったわけではない。そのあと、大学を卒業
したあと、商社へ入社したときも、役割混乱は、そのままだった。

 まさに(いやな女房と、いやいや結婚したような状態)だった。

 つまり(本当に私が進みたいコース)と、(現実に進みつつあるコース)の間には、大き
なへだたりがあった。このへだたりが、私の精神状態を、かなり不安定にした。やがて、
私は、幼稚園で、自分の生きる道をみつけたが、その道とて、決して、楽な道ではなかっ
た。

 ……ということで、子どもの役割形成と、役割混乱を、決して、安易に考えてはいけな
い。私自身が、その恐ろしさを、いやというほど、経験している。

●幼児を見ると……

 満5歳を超えるあたりから、子どもたちは、急速に「性」への関心をもち始める。性器
はもちろん、性的行為についても、それらが何か特別な意味をもっていることを知る。

 男児が女児を意識し、女児が男児を意識するようにもなる。「男」と「女」を、区別する
ことができるようにもなる。もちろん父親が男であり、母親が女であることも知る。

 そのため、この時期、重要なことは、その「性」に対して、うしろめたさを持たせない
ようにすること。性について、ゆがんだ意識や、暗いイメージをもたせないようにするこ
と。男と女の差別意識(ジェンダー)については、もちろん、論外である。

 幼児教育では、「男はすぐれている」「女は賢い」といった教え方は、タブーである。「男
は強い」「女は弱い」も、タブーになりつつある。

子ども「先生は、どうしてチューするの?」
私「チューイ(注意)するのが、いやだからね」
子ども「注意のほうがいいよ」
私「注意しても、どうせ、君たちは、ぼくの言うことなど、聞かないだろ」
子ども「聞く、聞く、ちゃんと、聞く」
私「そう? だったら、チューはしないよ」と。

●ジェンダーは、なぜ生まれるのか?

 男と女。その間には、生理的な違いはある。その違いまで、乗り越えて、男と女が平等
であるということは、ありえない。「性欲」の問題が、そこにからんでくる……。

 ……と、考えるのも、最近は、どうかと思うようになった。

 フィンランドに留学している、オーストラリア人の女子学生がこんなことを話してくれ
た。

 彼女は、フィンランドで、建築学の勉強をしている。22歳である。いわく、「みな、サ
ウナが大好き。サウナでは、混浴が、ふつう。老若男女の区別はしない。タオルで肌を隠
したりすることもしない」と。

 そういう話を聞くと、「本当ですか?」と、何度も聞きかえさなければならないほど、日
本人の性意識には、独特のものがある。つまりフィンランドでは、30〜40歳の男性と、
10〜20歳の女性との混浴(サウナ)が、ごく日常的なこととして、公然となされてい
るという。

 となると、(性意識)とは、何か? さらに(性差)とは、何か?

 文化論、遺伝子論、民族論などが、混在している。そしてそれぞれの人たちが、自分の
立場で、「ジェンダーは、おかしい」「ジャンダーは、必要だ」などと、説く。最近では、
むしろ、「男は仕事、女は家事という、日本民族がもつ独特のよさ(?)を、再確認しよう」
と説く集団まで、現れた。政治家の中にも、そういう考え方をする人は多い。

 その根底には、日本古来の、独特の男尊女卑思想がある。「男が上、女が下」という、あ
の男尊女卑思想である。

 このところ、皇室の皇位継承問題もからんで、ジェンダー論が、にぎやかになってきた。
昨日の新聞(中日新聞)も、この問題について、特集記事を並べていた。

 で、私の結論。

 だいたいにおいて、男と女を、人間として区別するほうが、おかしい。まったく、おか
しい。男の子は、男の子らしく育てるとか、女の子は女の子らしく育てるという考え方、
そのものも、おかしい。

 そんなことは、当の子どもたちが、そのときどきの文化の中で決めていくことであって、
社会の問題でもなければ、教育の問題でもない。

 この問題で、もっとも重要なことは、男であるから、女であるからという理由だけで、
人間的、社会的差別を、人は、受けてはならないということ。すべては、その一点に、結
論は集約される。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最後に、話はまったく関係ないが、『マディソン郡の橋』について
書いた原稿を添付します。

私が好きな原稿の一つです。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

女性がアイドリングするとき 

●アイドリングする母親

 何かもの足りない。どこか虚しくて、つかみどころがない。日々は平穏で、それなりに
幸せのハズ。が、その実感がない。子育てもわずらわしい。夢や希望はないわけではない
が、その充実感がない……。

今、そんな女性がふえている。Hさん(32歳)もそうだ。結婚したのは二四歳のとき。
どこか不本意な結婚だった。いや、二〇歳のころ、一度だけ電撃に打たれるような恋を
したが、その男性とは、結局は別れた。そのあとしばらくして、今の夫と何となく交際
を始め、数年後、これまた何となく結婚した。

●マディソン郡の橋

 R・ウォラーの『マディソン郡の橋』の冒頭は、こんな文章で始まる。

「どこにでもある田舎道の土ぼこりの中から、道端の一輪の花から、聞こえてくる歌声
がある」(村松潔氏訳)と。

主人公のフランチェスカはキンケイドと会い、そこで彼女は突然の恋に落ちる。忘れて
いた生命の叫びにその身を焦がす。どこまでも激しく、互いに愛しあう。つまりフラン
チェスカは、「日に日に無神経になっていく世界で、かさぶただらけの感受性の殻に閉じ
こもって」生活をしていたが、キンケイドに会って、一変する。彼女もまた、「(戦後の)
あまり選り好みしてはいられないのを認めざるをえない」という状況の中で、アメリカ
人のリチャードと結婚していた。

●不完全燃焼症候群

 心理学的には、不完全燃焼症候群ということか。ちょうど信号待ちで止まった車のよう
な状態をいう。アイドリングばかりしていて、先へ進まない。からまわりばかりする。H
さんはそうした不満を実家の両親にぶつけた。が、「わがまま」と叱られた。夫は夫で、「何
が不満だ」「お前は幸せなハズ」と、相手にしてくれなかった。しかしそれから受けるスト
レスは相当なものだ。

昔、今東光という作家がいた。その今氏をある日、東京築地のがんセンターへ見舞うと、
こんな話をしてくれた。

「自分は若いころは修行ばかりしていた。青春時代はそれで終わってしまった。だから
今でも、『しまった!』と思って、ベッドからとび起き、女を買いに行く」と。「女を買
う」と言っても、今氏のばあいは、絵のモデルになる女性を求めるということだった。
晩年の今氏は、裸の女性の絵をかいていた。細い線のしなやかなタッチの絵だった。私
は今氏の「生」への執着心に驚いたが、心の「かさぶた」というのは、そういうものか。
その人の人生の中で、いつまでも重く、心をふさぐ。

●思い切ってアクセルを踏む

 が、こういうアイドリング状態から抜け出た女性も多い。Tさんは、二人の女の子がい
たが、下の子が小学校へ入学すると同時に、手芸の店を出した。Aさんは、夫の医院を手
伝ううち、医療事務の知識を身につけ、やがて医療事務を教える講師になった。またNさ
んは、ヘルパーの資格を取るために勉強を始めた、などなど。

「かさぶただらけの感受性の殻」から抜け出し、道路を走り出した人は多い。

だから今、あなたがアイドリングしているとしても、悲観的になることはない。時の流
れは風のようなものだが、止まることもある。しかしそのままということは、ない。子
育ても一段落するときがくる。そのときが新しい出発点。アイドリングをしても、それ
が終着点と思うのではなく、そこを原点として前に進む。

方法は簡単。

勇気を出して、アクセルを踏む。妻でもなく、母でもなく、女でもなく、一人の人間と
して。それでまた風は吹き始める。人生は動き始める。
(中日新聞東掲載済み)
(はやし浩司 ジェンダー)

【付記】

●「自民保守派が、ジェンダー否定」(中日新聞・05・07・26夕刊)

 世界的にみても、この分野で一番、遅れている日本で、さらに「ジェンダー否定」の動
きが出てきたというのは、たいへん興味深い。

 自民党保守派の人たちが、「男女共同参画社会はおかしい」と言い出した。新聞報道によ
れば、「自民党の関連プロジェクトチームが、参画社会の基本計画の柱である、ジェンダー
の否定に乗り出した」(同新聞)とある。「ねらいは、男女共同参画社会基本法の改廃」で
ある、と。

 いろいろな識者の意見が並べられている。

 男女の違いは、文化だ。いや違う、生物学的なものだ、などなど。「男は、男らしく、女
は、女らしくというのは、少しもおかしくない」という意見まで。

 「個」という観点を基本におけば、「男だから……」「女だから……」という、『ダカラ論』
そのものが、まちがっている。日本人は、本当に、この『だから論』が好きなようだ。社
会のみならず、個人の生き方まで、この『ダカラ論』で決めてしまう。

 もう、そんな時代は、とっくの昔に終わったと、私は思っているが……。
(はやし浩司 男女の平等 共同参画社会 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●男女共同参画社会VS父親の育児参加

 今度、H市の教職員組合支部の研修会で、講師をすることになった。あわせてテーマを
もらった。メールには、つぎのようにあった。

 「私たちの活動の重点は、男女共同参画社会の教育の在り方を見つけていくことです。
現在、私たちがおかれている職場環境、家庭環境もさることながら、学校教育、家庭教育
においてどのようなことをしていくことが、これからの男女共同参画社会を築いていくこ
とになるのか、それを勉強していきたいと考えています。
 
先生は、主に、子育てについてご講演されることが多いかと思いますが、父親が積極的
に子育てに関わっていくことも今の時代大切なことだということをこの会の中でも、話
してくださるのではないかと期待しております」と。

 この中には、いくつかの重要なキーワードがある。

 (1)男女共同参画社会、(2)父親の積極的な育児参加など。

 私はこうした新しいテーマをもらうと、モリモリと元気がわいてくる。スリルや緊張感
を覚える。何というか、登山家が高い山を、目の前にしたときの気持ではないか。あるい
はヨットで大海原(うなばら)に出航するときの気持ではないか。どちらも私には経験の
ない世界だが、しかし私は似ていると思う。あのニュートンは、こんな有名な言葉を残し
ている。

 『真理の大海は、すべてのものが未発見のまま、私の前に横たわっている』(ブリュータ
ー「ニュートンの思い出」)

 新しい真理を求めて出発するということは、まさに大海に向けて出航することに等しい。
ゾクゾクする。ワクワクする。

 ……と、長い前置きはここまでにして、男女共同参画社会について。要するに、男女平
等ということ。要するに、「性」にまつわる差別や、偏見を撤廃するということ。

 最初に思いついたのが、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデンの性教育
協会の、元会長である。そのベッテルグレン女史について書いたのが、つぎの原稿である。

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●男女平等

 若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残って
いるのが、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をして
いた。そのベッテルグレン女史はこう言った。

「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリーセックスとは、性
にまつわる偏見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「とくに女性であるからとい
う理由だけで、不利益を受けてはならない」と。それからほぼ三〇年。日本もやっとベ
ッテルグレン女史が言ったことを理解できる国になった。

 実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は
……」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、し
たことがない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなか
った。遊べば遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の
子と遊んだ思い出がまったくない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっ
ていたことを思い知らされた。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知
ったときだ。

つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは
何人ものドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。
正確には、「妊娠後三か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎
児は、Y遺伝子の刺激を受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。
分化しなければ、胎児はそのまま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)とい
うことらしい。

このことを女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目
が、一八〇度変わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も
消えた。言いかえると、「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがって
いる。「男らしく」「女らしく」という考え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史
は、それを言った。

 これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、七六・七%い
るが、その反面、「反対だ」と答えた女性も二三・三%もいる。つまり「昔のままでいい」
と。男性側の意識改革だけではなく、女性側の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚
後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」と答えた女性は、半数以上の五二・三%
もいる(厚生省の国立問題研究所が発表した「第二回、全国家庭動向調査」・九八年)。こ
うした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。

「家事、育児で夫に満足している」と答えた妻は、五一・七%しかいない。この数値は、
前回一九九三年のときよりも、約一〇ポイントも低くなっている(九三年度は、六〇・
六%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻も、五二・五%もい
た。 

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家庭とは、本当に天国か?
世の男たちは、そう思っているかもしれないが、
家庭に閉じ込められた女性たちの重圧感は、
相当なものである。それについて書いたのが
つぎの原稿です。
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●家庭は兵舎

 「家庭は、心休まる場所」と考えるのは、ひょっとしたら、男性だけ? 家庭に閉じ込
められた女性たちの重圧感は、相当なものである。

 心的外傷論についての第一人者である、J・ハーマン(Herman)は、こう書いて
いる。

 「男は軍隊、女は家庭という、拘禁された環境の中で、虐待、そして心的外傷を経験す
る」と。

 つまり「家庭」というのは、女性にとっては、軍隊生活における、「兵舎」と同じという
わけである。実際、家庭に閉じ込められた女性たちの、悲痛な叫び声には、深刻なものが
多い。「育児で、自分の可能性がつぶされた」「仕事をしたい」「夫が、家庭を私に押しつけ
る」など。が、最大の問題は、そういう女性たちの苦痛を、夫である男性が理解していな
いということ。ある男性は、妻にこう言った。「何不自由なく、生活できるではないか。お
前は、何が不満なのか」と。

 話は少しそれるが、私は山荘をつくるとき、いつも友だちを招待することばかり考えて
いた。で、山荘が完成したころには、毎週のように、親戚や友人たちを呼んで、料理など
をしてみせた。が、やがて、すぐ、それに疲れてしまった。私は、「家事は、重労働」とい
う事実を、改めて、思い知らされた。

 その一。客人でやってきた友人たちは、まさに客人。(当然だが……。)こうした友人た
ちは、何も手伝ってくれない。そこで私ひとりが、料理、配膳、接待、あと片づけ、風呂
と寝具の用意、ふとん敷き、戸締まり、消灯などなど、すべてをしなければならない。そ
の間に、お茶を出したり、あちこちを案内したり……。朝は朝で、一時間は早く起きて、
朝食の用意をしなければならない。加えて友人を見送ったあとは、部屋の片づけ、洗いも
のがある。シーツの洗濯もある。

 で、一、二年もすると、もうだれにも山荘の話はしなくなった。たいへんかたいへんで
ないかということになれば、たいへんに決まっている。その上、土日が接待でつぶれてし
まうため、つぎの月曜日からの仕事が、できなくなることもあった。そんなわけで今は、「民
宿の亭主だけには、ぜったい、なりたくない」と思っている。

 さて、家庭に入った女性には、その上にもう一つ、たいへんな重労働が重なる。育児で
ある。この育児が、いかに重労働であるかは、もうたびたび書いてきたので、ここでは省
略する。が、本当に重労働。とくに子どもが乳幼児のときは、そうだ。これも私の経験だ
が、私も若いころは、生徒たち(幼児、四〇〜一〇〇人)を連れて、季節ごとに、キャン
プをしたり、クリスマス会を開いたりした。今から思うと、若いからできたのだろう。が、
三五歳を過ぎるころから、それができなくなってしまった。体力、気力が、もたない。

 さて、「女性は、家庭で、心的外傷を経験する」(ハーマン)の意見について。「家庭」と
いうのは、その温もりのある言葉とは裏腹に、まさに兵舎。兵舎そのもの。そしてその家
庭から発する、閉塞感、窒息感が、女性たちの心をむしばむ。たとえばフロイトは、軍隊
という拘禁状態の中における、自己愛の喪失を例にあげている。つまり一般世間から、隔
離された状態に長くいると、自己愛を喪失し、ついで自己保存本能を喪失するという。

家庭に閉じ込められた女性にも、同じようなことが起きる。たとえば、その結果として、
子育て本能すら、喪失することもある。子どもを育てようとする意欲すらなくす。ひど
くなると、子どもを虐待したり、子どもに暴力を振るったりするようになる。その前の
段階として、冷淡、無視、育児拒否などもある。東京都精神医学総合研究所の調査によ
っても、約四〇%の母親たちが、子どもを虐待、もしくは、それに近い行為をしている
のがわかっている。

東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏らの調査によると、約四〇%弱の母親が、虐待
もしくは虐待に近い行為をしているという。妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待
の度合を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をか
えたりしない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」
「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度
を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」
が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であったという。

 今まさに、家庭に入った女性たちの心にメスが入れられたばかりで、この分野の研究は、
これから先、急速に進むと思われる。ただここで言えることは、「家庭に入った女性たちよ、
もっと声をあげろ!」ということ。ほとんどの女性たちは、「母である」「妻である」とい
う重圧感の中で、「おかしいのは私だけ」「私は妻として、失格である」「母親らしくない」
というような悩み方をする。そして自分で自分を責める。

 しかし家庭という兵舎の中で、行き場もなく苦しんでいるのは、決して、あなただけで
はない。むしろ、もがき苦しむあなたのほうが、当たり前なのだ。もともと家庭というの
は、J・ハーマンも言っているように、女性にとっては、そういうものなのだ。大切なこ
とは、そういう状態であることを認め、その上で、解決策を考えること。

 一言、つけ加えるなら、世の男性たちよ、夫たちよ、家事や育児が、重労働であること
を、理解してやろうではないか。男の私がこんなことを言うのもおかしいが、しかし私の
ところに集まってくる情報を集めると、結局は、そういう結論になる。今、あなたの妻は、
家事や育児という重圧感の中で、あなたが想像する以上に、苦しんでいる。
(030409)

●「男は仕事、女は家庭」という、悪しき偏見が、まだこの日本には、根強く残っている。
だから大半の女性は、結婚と同時に、それまでの仕事をやめ、家庭に入る。子どもができ
れば、なおさらである。しかし「自分の可能性を、途中でへし折られる」というのは、た
いへんな苦痛である。

Aさん(三四歳)は、ある企画会社で、責任ある仕事をしていた。結婚し、子どもが生
まれてからも、何とか、自分の仕事を守りつづけた。しかしそんなとき、夫の転勤問題
が起きた。Aさんは、泣く泣く、本当に泣く泣く、企画会社での仕事をやめ、夫ととも
に、転勤先へ引っ越した。今は夫の転勤先で、主婦業に専念しているが、Aさんは、こ
う言う。「欲求不満ばかりがたまって、どうしようもない」と。こういうAさんのような
ケースは、本当に、多い。

私もときどき、こんなことを考える。もしだれかが、「林、文筆の仕事やめ、家庭に入っ
て育児をしろ」と言ったら、私は、それに従うだろうか、と。育児と文筆の仕事は、ま
だ両立できるが、Aさんのように、仕事そのものをやめろと言われたらどうだろうか。
Aさんは、今、こう言っている。「子どもがある程度大きくなったら、私は必ず、仕事に
復帰します」と。がんばれ、Aさん!

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●男女共同参画基本法より

内閣府の「男女共同参画基本計画」では、つぎのようになっている。

★男女の人権の尊重

男女の個人としての尊厳を重んじましょう。男女の差別をなくし、「男」「女」である以
前にひとりの人間として能力を発揮できる機会を確保していきましょう。

★社会における制度又は慣行についての配慮

固定的な役割分担意識にとらわれず、男女が様々な活動ができるよう、社会の制度や慣行
の在り方を考えていきましょう。

★政策等の立案及び決定への共同参画

男女が、社会の対等なパートナーとして、いろいろな方針の決定に参画できるようにしま
しょう。

★家庭生活における活動と他の活動の両立

男女はともに家族の構成員。お互いに協力し、社会の支援も受け、家族としての役割を果
たしながら、仕事をしたり、学習したり、地域活動をしたりできるようにしていきましょ
う。

★国際的協調

男女共同参画社会づくりのために、国際社会と共に歩むことも大切です。他の国々や国際
機関とも相互に協力して取り組んでいきましょう。

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こうした流れの中で、男女共同参画基本法が制定された。

●夫の暴力に対する対処(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)

殴ったり蹴ったりするなど、直接何らかの有形力を行使するもの。
刑法第204条の傷害や第208条の暴行に該当する違法な行為であり、たとえそれが配偶者
間で行われたとしても処罰の対象になります。
■平手でうつ 
■足でける
■身体を傷つける可能性のある物でなぐる
■げんこつでなぐる
■刃物などの凶器をからだにつきつける
■髪をひっぱる
■首をしめる
■腕をねじる
■引きずりまわす
■物をなげつける
====================
心無い言動等により、相手の心を傷つけるもの。
精神的な暴力については、その結果、 PTSD(外傷後ストレス障害)に至るなど、刑法上の
傷害とみなされるほどの精神障害に至れば、刑法上の傷害罪として処罰されることもあり
ます。
■大声でどなる
■「誰のおかげで生活できるんだ」「かいしょうなし」などと言う
■実家や友人とつきあうのを制限したり、電話や手紙を細かくチェックしたりする
■何を言っても無視して口をきかない
■人の前でバカにしたり、命令するような口調でものを言ったりする
■大切にしているものをこわしたり、捨てたりする
■生活費を渡さない
■外で働くなと言ったり、仕事を辞めさせたりする
■子どもに危害を加えるといっておどす
■なぐるそぶりや、物をなげつけるふりをして、おどかす

====================
嫌がっているのに性的行為を強要する、中絶を強要する、避妊に協力しないといったもの。
■見たくないのにポルノビデオやポルノ雑誌をみせる
■いやがっているのに性行為を強要する
■中絶を強要する
■避妊に協力しない

+++++++++++++++++++++++++

【世の夫諸君へ】

 妻だから、ワイフだから……という甘えを捨てよう。夫婦とて、長い目で見れば、人間
対人間の関係。ちなみにオーストラリアあたりで、夫が妻に向かって、「おい、お茶!」な
どとでも言おうものなら、それだけで離婚事由になる。中に、日本人の離婚率は、アメリ
カより低いなどとうそぶいている男がいるが、それは妻が夫に満足しているからではなく、
がまんしているからにほかならない。これから先、女性の意識が高まるにつれて、日本の
離婚率も、アメリカ並になる。あるいはそれを超えるかも。世の夫諸君よ、今日からでも
遅くないから、妻には、やさしく、微笑作戦を展開しよう!

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●家事をしない男たち

 特別な事情のある男は別として、五〇歳以上の男について言うなら、彼らは、掃除、料
理、洗濯などの家事を、ほとんどしない。この年代は、旧態依然の男尊女卑思想、あるい
は男女差別思想にこりかたまっている。中には、「男には威厳が必要だ」「夫は、一家の主
(あるじ)だ」「存在感があればよい」などと、居直っている男さえいる。

 しかしこんな意識は、バカげている。またそういう意識にしがみついたからといって、
伝統を守ることにはならない。

 少し前まで、あのアフガニスタンでは、女性は教育を受けることも、仕事につくことも
許されなかった。外出するときは、あのマスクで顔を隠さねばならなかった。そういう報
道を見聞きすると、日本人は、「私たちは違う」と胸を張る。「私たちの国は、先進国だ」
と。しかし、本当にそうか。本当にそう言いきってよいか。

 私の家の近くには、小さな空き地があり、そこは近所の老人たちの、かっこうの、たま
り場になっている。天気のよい、おだやかな日には、いつも、七、八人の老人が集まって
いる。そういう風景を目にするようになって、もう一〇年以上になる。

 しかし、だ。男たちは、ただイスに座って、何やら話しているだけ。草を取ったり、竹
を切ったり、畑の世話をしているのは、女性だけ。私はこの一〇年以上の間、男たちが、
ゴミを集めたり、掃除したりしている姿を、一度も見たことがない。

 見なれた光景とはいえ、いつも大きな違和感を覚える。少し前までは、「男も、何か仕事
をすればいい」と思った。しかし最近は、「つまらない男たち」と思うになった。そういう
男たちのやることと言えば、せいぜい、竹やぶに生えてくる竹の子の管理だけ。見知らぬ
人が竹やぶに入ってきて、竹の子を取ろうとすると、集会場の男たちがやってきて、あれ
これ文句を言う。

 しかしこのたまり場は、まさに日本の社会を、象徴している。「社会」というより、「男
と女の関係」を、象徴している。しかし意識とは恐ろしい。おそらくそういう関係をつく
りながらも、そのたまり場の男はもちろん、女も、それをおかしいとは思っていない。…
…だろう。が、それは、ちょうど、少し前までのアフガニスタンの人たちが、自分たちの
社会をおかしいと思わなかったのと、同じ? あるいはどこがどう違うというのか。

●意識改革 

 こうした男たちや女たちの意識を変えることは、不可能に近い。意識というのは、それ
が無意識であればなおさら、脳のCPU(中央演算装置)に関係する。それを変えるとい
うことは、それまでの生きザマを否定することにもなる。たとえば「任侠(にんきょう)」
とか、「義理人情」とか、そういうものにこりかたまっている人に向かって、「これからは
そういう時代ではありません」などと言おうものなら、その人は猛烈に反発する。へたを
すれば、こちらの腹を刺してくるかもしれない。

 指導でできることがあるとすれば、せいぜい、習慣として、「家事を男に手伝わせる」こ
とでしかない。あるいは「そういう意識では、いけない」ということを、わからせること
でしかない。あるいは、そのほかに、どんな方法があるというのか。そのことは、自分の
こととして考えてみれば、わかる。

 私も、昔風の、きわめて男女差別のはげしい家庭環境で育った。小学時代は、女の子と
遊んだ経験がない。家庭でも、私が台所へ入っただけで、母などは、「男がこんなところに
いるもんじゃない!」と私を叱った。だから高校を卒業するまで、洗濯や料理など、ほと
んどしたことがなかった。掃除といっても、せいぜい、自分の部屋の掃除程度。

 その私が大きく変わったのは、留学時代があったからだが、もし留学していなければ、
今の私はあの私のままだったと思う。そして今も、家事は、いっさいしないでいると思う。
とくに山荘のほうでは、掃除、料理、家事一般、ほとんどすべて私がしている。が、だか
らといって、私の意識が変わったというのではない。家事をするといっても、どこか趣味
的にしている感じがする。もっとわかりやすく言えば、おとなのままごとをしているよう
な感じがする。地に足がついていない?

 つまり私という人間は、外見こそ変わったが、中身は、ほとんど変わっていない。今で
もふと油断をすると、心のどこかで、「男は仕事……」と考えてしまう。男女は平等といい
ながら、男としての気負いが消えたわけではない。そういう私を見て、ワイフは、ときど
き、(今でも)、こう言う。「あんたは、私たちに気をつかいすぎよ」と。

 ワイフが言う「気をつかいすぎ」というのは、私の気負いをいう。私はいつもどこかで、
「家族を支えていくのは、私の役目」と考えている。ときにそれが重圧となって、私を苦
しめる。ワイフは、それを言う。

 かたい話がつづいたので、少し前に書いた原稿を掲載する。

+++++++++++++++++++++++

●真昼の怪奇

 Gというレストランに女房と入った。食事がほぼ終わりかけたとき、隣の席に、明らか
に大学生と思われる、若い男女が座った。そのときだ。

 やや太り気味の男は、イスにデンと座ったまま。恋人と思われる女が、かいがいしくも、
水を運んだり、ジュースを運んだり、スープを運んだりしていた。往復で、三度は行き来
しただろうか。私はただただそれを見て、あきれるばかり。

その間、男のほうは、メニューをのぞいたり、少し離れたところにあるプラズマテレビ
の画面をながめたりしているだけ。その女を手伝おうともしない。いや、そんな意識は、
毛頭もないといったふうだった。

 私はよほどその男に声をかけようと思った。そしてこう聞きたかった。「あなたはどうい
うつもりですか?」と。

 日本では見慣れた光景かもしれない。そしてそういう光景を見ても、だれもおかしいと
は思わない。「そういう仕事は、女がするものだ」と、男は思っている。そして女自身も、
「そういう仕事は女がするものだ」と思っている。が、それこそ、まさに世界の非常識。
そういう非常識が、日常的にまかりとおっているところに、日本型の社会の問題がある。

 いや、その男女が、五〇歳代とか六〇歳代とかいうのなら、まだ話はわかる。しかしど
うみても大学生。そういう若い男女が、いまだにその程度の意識しかもっていないとは!

 あとで女房とこんな会話をした。「家庭教育が問題だ」と。いや、教育というよりは、そ
の男女にしても、家庭の中で見慣れた光景を、そのレストランで繰り返しているにすぎな
い。教育というよりは、私たち自身の意識の問題なのだ。先日も、ある講演先で、「家事を
夫も手伝うべきだ」というようなことを言ったら、ある男性から反論のメールが届いた。
いわく、「男は仕事で疲れて帰ってくる。その男が家に帰って、家事を手伝うというのは現
実的ではない」と。

 しかし言いかえると、世の男たちは、仕事にかこつけて、何もしない。「仕事」はあくま
でも、方便。方便であることは、その若い男女を見ればわかる。大学生といえば、たがい
に平等のはず。その大学生の段階で、男の側にはすでに家事を手伝うという意識すらない。
きっとあのレストランの男も、いつか仕事から帰ってくると、妻にこう言うようになるだ
ろう。「オイ、お茶!」と。妻を奴隷のようにあつかいながら、その意識すらもたない。そ
れは仕事で疲れているとか、いないとかいうこととは関係、ない。

 私はまさに、真昼の怪奇を見せつけられた思いで、そのレストランを出た。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●終わりに

 男と女の関係は、(1)育児(2)家庭、(3)社会の3者の中で、基本的に違う。違っ
て当然である。

 こうした(違い)を無視して、つまりいっしょくたににして、ジェンダーを論じても意
味はない。

 たとえば育児の場においては、父親と母親の役割は、まったくと言ってよいほど、違う。
母子関係は、子どもの心をつくる基本であって、母子関係の不全は、そののち、その子ど
もの精神の発育に、決定的ともいえるほど、大きな影響を与える。

 が、母子だけに、育児を任せればそれでよいかというと、そうでもない。

 今度は、そこに父親の役割が、介入していくる。子どもを産み、子どもに命を授けるの
が、母親の存在であるとするなら、社会性を教え、人間としての生きザマを教えるのが、
父親の存在ということになる。わかりやすく言えば、父親は、子どもを外の世界に連れ出
し、狩のし方を教える。

 もちろん家庭の中でも、ある程度の役割分担は、ある。しかしそれは『ダカラ論』によ
って生まれるものであってはならない。100世帯の家庭があれば、100種類の夫婦関
係がある。どれもちがう。

 妻が外で働いて、夫が家事を分担したところで、何ら、おかしくない。それぞれの家庭
が、それぞれの事情の中で、決めていくことである。

 しかし男であるにせよ、女であるにせよ、一歩、外に出て、社会的人間として生きると
きには、性による差別は、ぜったいにあってはいけない。

 その不快感は、差別されたものでないと、恐らく理解できないだろう。形こそ違うが、
私は、学生時代、オーストラリアで、人種差別なるものを経験している。その人種差別と
同じにすることはできないが、ジェンダーも、それと同列に考えてよい。差別される側が
受けるショックは、差別する側のものにとっては、理解できないものかもしれない。

 日本の女性たちが、男女同権を訴えるなら、その前提として、差別というものが、どう
いうものか知らねばならない。それを知らない女性に向って、ジェンダーを説いても、あ
まり意味はない。「私は、かわいい女よ」と、「女」であるという下位の立場に甘んじてい
る女性に、ジェンダーを説いても、あまり意味はない。

 ジェンダーを説くときには、こうした意識(男も女も)改革を、まず先行させなければ
ならない。

 そうでなくても、欧米社会から見ると異端の国、日本。その日本が、「男女共同参画社会
基本法」を改廃するなどというのは、まさに愚の骨頂としか、言いようがない。

 日本の女性たちよ、目ざめよ! そしてもっと怒れ!

 以上、ジェンダーについて考えてみた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【夏休み・子ども用・読み物】(しおちゃんのために……)

短編byはやし浩司

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しおちゃんへ

いつも小説を書いて見せてくれてありがとう。
お返しに、ぼくも、小説を書いてみました。
楽しんでください。

++++++++++++++++++

★不思議な親子

●足洗い橋

 私は毎年、夏になると、その川にやってくる。岐阜市から、バスで、3時間あまり。イ
長良川の本流というか、そのあたりの人はK川と呼んでいる。そのK川の、そのまた本流? 
川の名前は知らないが、そんな山の中にあって、そのあたりだけは、いつも豊かな水量を
ためて、ゆっくりと流れている。

 私は、その川を包む風景が、好きだった。一番遠くに、日本アルプスの青い山脈をいだ
き、その手前には、幾重にも重なった山々が連なっていた。それを前にして立つと、心の
底まで洗われるような、神々しささえ感ずる。

 私が歩くコースは、いつも決まっていた。「足洗い橋」というバス停でおりる。そこから、
川に沿って、下流に向って歩く。距離にすれば、10キロ前後か。山道だから、実際には、
もう少し長いかもしれない。

 山奥に一軒だけの温泉宿と、小さな部落がある。そのため、その道を走る車は、ほとん
ど、ない。バスも、昼間は、数時間に1本あるかないかというところ。私は、足洗い橋で
バスをおりると、大きく、腕を広げて、深呼吸を繰りかえした。

 岐阜市で、気温は、30度を越えていた。しかしこのあたりまでくると、森のひんやり
とした冷気で、どことなく寒さを感ずる。私は背中の荷物をもう一度確かめたあと、川下
に向って、歩き始めた。わたしにとっては、まさに、至極の時である。

 そうそう言い忘れたが、私の名前は、斉藤武志(さいとうたけし)。年齢は32歳。仕事
は、妻と2人で、名古屋市内で、司法書士事務所を開いている。子どもは、いない。一応、
「斉藤司法書士事務所」という看板をあげているが、資格をもっているのは、妻のほうで、
私ではない。夫の私が、妻の事務員というわけ。

 しかしほとんどの仕事は、私がしている。

 妻もそういう私の立場をよく理解しているらしい。私が、「旅に出かける」と言うと、何
も言わず、お金だけ、渡してくれる。そして私は、そのお金をもって、こうして旅に出る。

●川を流れる子ども

 私は、橋の上に立った。足洗い橋というのは、その橋をいう。山の中の橋だというのに、
場違いなほどに、広く、がんじょうにできている。ふつう橋というのは、川幅が狭くなっ
たところに建てられるもの。しかしその橋は、むしろ、広くなったところを選んで、建て
られたようだ。

 ときどき大水が流れる。その大水から、橋を守るために、わざとそうしたらしい。

 橋はともかくも、その橋の上から見る景色は、すばらしい。左右のバランスがよい。ど
んな画家でも、ここまで調和のとれた山水画を描くことはできないだろう。ほどよく曲が
りくねった川。まっ白な川原。澄んだクリスタル色の水。

 私は、橋の欄干(らんかん)に体を寄せると、川上のほうを、目で、たどった。流れく
る川の動きを、つぎつぎと見やりながら、またその先を見る。音もなく、ゆるやかな波を
くねらせながら、ゆったりと流れる川。しばらく見ていると、心臓の鼓動までが、それに
合わせて鼓動を始める。

 5分……、10分……。一度、明るい日差しを避けるために、帽子をかぶりなおしたが、
私は、そのまま、そこに立っていた。と、そのとき、ぞっとするようなものを、私は見た。
「まさか!」と思ったが、そのまさか、だった。

 小さな子どもが、まっすぐ顔を上に向けたまま、しかし体全体を水につけた状態で、川
上から川下へと、流れていく! 右手には釣りざおをもっているが、その釣りざおの先だ
けが、水面から顔を出していた。

 「人形か?」とも思った。しかしちょうどその子どもが、橋の真下にきたとき、私は、
それはまちがいなく、人間の子どもだった。それを知った。心なしか、どこかニコニコ笑
っているふうでもあった。

 私は橋の反対側に走った。走りながら、背負ったリュックサックを、そこへ投げ捨てた。

 そしてもう一方の欄干の下をのぞくと、その子どもがちょうど、橋の下から顔を出して、
川下へ流れていくところだった。私はそのまま、足から、川の中へ飛び込んだ。

 ズシーンというアワの衝撃を受けた。私はすぐさま、手で前をこいだ。身を切るような
冷たさ。しかし子どもは、その間にも、さらに、10メートル近く先へと進んでいた。私
は、手で、川の水をこいだ。足は、重いズボンのせいか、動かない。

 が、驚いたことに、泳いでいないはずの子どもは、まるでレールに乗った電車のように、
身動き一つしないまま、スーッと、私から離れていく。年齢は、1歳くらいか。もっと小
さいかもしれない。

 私は、もがくようにして、懸命に泳いだ。しかし子どもとの距離は、遠ざかるばかり。
釣りざおの先を見ながら、その方向に泳ぐのだが、体が思うように動かない。息がつづか
ない。私は身の危険を感じて、そのまま川岸のほうへ身を寄せた。

 そして近くの岩に手をのばすと、その上に立った。立って、釣りざおの先をさがした。
が、太陽の光線を、逆行にあびて、釣りざおの先は、もう見えなかった。私は、どうする
こともできなかった。ただぼんやりと、その方向を見やるしかなかった。

●親子連れ

 私はズボンと、シャツを脱いだ。そしてそれをしぼると、岩から岩へとつたい、しげみ
を乗りこえて、小さな空き地へ出た。

 言いようのない虚脱感が私を襲った。「あれは人形だった」と何度も、自分に言ってきか
せた。が、人形のはずはない。そんな思いがすぐ頭の中に浮かび、私の中にある迷いを、
打ち消した。

 「たしかに人間だった。人間の子どもだった」と。

 と、そのとき、川の上の道に、人の気配を感じた。見ると、そこに、母親らしき女性と、
2人の子どもが立っていた。1人は、小学5年生くらいの女の子。もう1人は、2年生く
らいの男の子。

 私はそれを見ると、すぐ大きな声で、叫んだ。

 「今、小さな子どもが流れていきました。すぐ、警察に連絡してください」と。

 しかしその親子は、とくに動く様子でもなく、こちらをじっと見ている。警察といって
も、このあたりにあるはずもない。それに、どうすれば、連絡がとれるのか? 見ると、
私の携帯電話は、胸のポケットの中で水につかっていた。

 私は、ぬれたズボンをはきなおすと、道に向って、岩を登り始めた。途中、小さなヤブ
があったが、最後の草を手でかき分けると、そのまま道に出た。

 「子どもが流されていきました!」と言いながら、その姉らしき子どもの手を見ると、
そこに私が橋で脱ぎ捨てたリュックサックがあった。

●会話 

私「子どもが……」
女の子「このあたりは、父が、生まれ育ったところです」
私「いや、そうではなく、今、子どもが川を流れていきました。まるで泳ぐように、スー
ッとです」
女「わかっています」
私「わかっています?、って……?」
女「気にしないでください」

 私は、その女の子の言うことが信じられなかった。母親のほうをみると、母親のほうは、
さして気にしているふうでもなく、ニコニコと笑っている。もしあの川を流れていった子
どもが、その母親の子どもであったとしたら、笑っているばあいではない。

 すると、今度は、男の子が、声をかけた。「これで、いい。さあ、帰ろうか」と。

 生意気な言い方だった。私には、そう聞こえた。すると、姉らしき女の子も、そして母
親らしき女性も、それにうなずいた。

私「……やはり、あれは人形だったのですか?」と。

 しかし母親らしき女性は、何も答えなかった。気まずい雰囲気が流れた。

 私は彼らのうしろをついていくようにして、山の道を、川下に向って歩き始めた。

男の子「で、あなたは、どちらまで……」
私「とにかく、今日は、これで帰ります」
男「それは残念ですね」
私「とても、景色を楽しむ気分にはなれません」
男「で、どちらまで?」
私「一度、松本まで出て、そこから名古屋へ帰ります」

 相変わらず、乾いた白い光線だけが、あたりを明るく照らし出していた。私は母親らし
き人に向って、声をかけた。

私「このあたりに住んでいらっしゃるのですか?」
母親「そうよ。ずっと、ね。おじいちゃんも、喜んでいると思うわ」
私「おじいちゃんって?」
母親「おじいちゃんよ……」

 すると、女の子が、会話をさえぎった。

女「いいのよ。そんなこと言わなくても……」と。

●つぎのバス停まで

 バスの本数は少ないのに、バス停の数だけは、多かった。500〜800メートルごと
に、それはあった。帰りの時刻を確かめると、つぎの松本行きのバスは、40分後にその
あたりを通るはず。

 私は、頭の中で時間を計算した。

 できるだけ歩いていこう。ちょうどよいところで、バスに乗ろう。それまでに、服は乾
くだろう、と。

 私の頭から、あの子どもの顔が、離れなかった。あどけない顔をしていた。それに水の
中に顔を埋めたまま、どこかニコニコと笑っていた。おだやかな、やさしい顔をしていた。
歩きながらも、私の視線は、川のほうに釘づけになったままだった。

男の子「どこまで、歩いていくのですか?」
私「できるだけ先まで歩いて、そこでバスに乗ります」
男「じゃあ、そこまでいっしょに行きましょうか。これも、何かの縁ですから……」

 子どもが、「縁」という言葉を使ったのには、驚いた。「そうだ」と思いながら、「そうで
すね」という言葉が、口から出てこなかった。

 生意気な子どもだと、また思った。年齢にしては、ませている。

 いくつかのバス停を通りすぎた。つぎのバス停でまっていれば、ほどよくバスがくるは
ず。そんなことを思いながらも、視線だけは、川から離れない。どこかにその子どもが、
流れ着いているかのように、思えた。

 しかしどこにも子どもの姿はなかった。釣りざおもなかった。

●八草曲

 私はまがりくねった道を、その親子といっしょに、歩いた。おかしな親子だった。母親
が、いちばん元気そうで、道の両側を行ったりきたり……。ときどき、夏草に隠れて咲く
花をみつけて、キャッ、キャッと喜んでいる。

 娘らしき女の子と、息子らしき男の子は、それを見ても、何も言わない。ただ黙々と、
私の前を歩いている。

私「私はつぎのバス停で、バスに乗りますから……」
女の子「八草曲(やくさまがり)ですね」
私「はあ、そういう名前ですか」
女「あそこには、薬草がたくさんあって、ときどき、薬草をとりにきます」
私「薬草のことを知っているの?」
女「もともとは薬草曲(やくそうまがり)と言っていたのですが、それがいつの間にか、
八草曲になりました」
私「はあ……」

 すると女の子が言ったとおり、山の角を曲がると、そこは深い草々がおいしげる、広場
になっていた。ところどころに、沼も見える。何度も通ったはずなのに、今まで私は、そ
の沼には気づかなかった。

 「今年は雨が多かったから、沼ができたのだろう」と、私は思った。

 バス停は、そこにあった。小さいが、イスも、そこにあった。時刻表どおりなら、バス
は、あと数分でくるはずだった。

 「ここでお別れします」と、私は母親らしき女性に声をかけたが、その母親は、返事を
しなかった。

 かわりに、男の子が、声をかけてきた。

男の子「あなたに、あんなところを見られるとは思ってもいませんでした。まずいものを
お見せしたようで、すみません」
私「何を、ですか?」
男「めったに人の来ないところですから……」
私「ですから、何を……?」

男「そろそろ、バスが来ますね。……実は、あなたが見た、あの子どもは、私の父なんで
す。ここにいる女性。多分、あなたは、この女性を、私の母親とでも思っているのでしょ
う。人間の世界では、常識ですから。でも、本当は、私の娘なんです」
私「父親!?……娘!?」

男「実は、私たちは、カッパ族のものなのです。おとなで、生まれて、やがて、子どもに
なって、死んでいく。だんだんと若くなって、そして死ぬんです。人間の世界とは、反対
なんです。

いえ、私たちも、生まれたときは、このあたりに住んでいたのですが、いろいろ事情が
あって、もっと山奥に住むようになりました。昔は、道路もなく、静かないいところだ
ったのですが……

 私の父はこのあたりで、生まれ育ちました。それで父が死んだら、このあたりの川に流
してやろうと、そう考えて、父をここへ連れてきました。

 死んだ人に、釣りざおをもたせるのは、私たちカッパ族の、昔から伝わる、風習なんで
す。どうか、気にしないでください。いや、どうか、これ以上、心配しないように。父は、
これで安らかに天国へ行ったと思います。

 しばらくすると、私たちカッパ族のものは、川の水に溶けてしまうのです」と。

 そのとき、背後から、バスがきた。私は何かに追いたてられるようにバスに乗った。乗
って、すぐうしろを振りかえってみたが、もうそこには、だれもいなかった。白い道だけ
が、よけいに白く見えた。その白い道だけが、どんどんと、うしろへ、うしろへと、遠ざ
かっていった。
(はやし浩司 短編小説 K・しおちゃんのために)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 29日(No.616)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不安がデマを呼ぶ

 毎年、受験期が近づくと、いろいろなデマが飛び交うようになる。興味深いのは(失礼!)、
毎年、同じデマだということ。親にしてみれば、その年一回だけだから、それがわからな
い。しかし毎年みていると、それがわかる。もっと言えば、毎年親や子どもは移り変わる
が、親や子どもの質は変わらないということ。

 S小学校の入試についても、今までこんなデマがあった。

○今年は受験者数が多い。男子(もしくは女子)が、とくに多いので、不利。
○学校の内部資料(合格基準)が漏れている。x00万円出せば、手に入る。
○幼稚園から内申書が行くようになった。幼稚園の先生には、よくしておいたほうがよい。
○不合格者も、x00万円寄付すれば、合格にしてもらえる。
○親の職業が重要視される。母子家庭の子どもは合格できない。
○S小学校の現役(もしくは退職)教師が、個人レッスンをしている。受けたほうが有利。

 さらに具体的になると、「ハサミやホッチキスが使えない子どもは合格できない」「あい
さつがきちんとできなければ、不利」「野菜の名前をすべて知っていないと、合格できない」
などなど。これらすべてが、デマ(ウソ)だから、すさまじい。

 こうしたデマの背景には、親の不安がある。その不安が、正常な判断力をなくし、ふつ
うなら(?)と思うような話まで、信じてしまう。そしてそれが人から人へと伝わるうち
に、勝手にどんどんとふくらんでいってしまう。

 「受験」という制度は避けては通れないものかもしれないが、しかし合格したからとい
って、その人が優秀だとか、反対に不合格だったから、その人が劣っているということに
はならない。

だいたいにおいて、基準そのものが、いいかげんである。どこがどう「いいかげんか」
ということになると、話が長くなるが、ともかくも、いいかげんである。そういうもの
を基準にして、人間の価値まで決められたら、たまらない。

 もっとも親が不安になるのは、親の勝手。デマを飛ばしあうのも、親の勝手。しかしそ
の不安を子どもにぶつけてはいけない。あるいはそのデマで、子育てを見失ってはいけ
ない。私はときどき親たちにこう言う。

「あるがままの子どもを育てましょう。そういう子どもがダメだというのなら、こちら
からそんな学校は、蹴飛ばしてやりましょう!」と。親が子どもの心を守らなかったら、
だれが守る? そんな心構えも、子どもの受験には必要だということ。

【補足】

不安が心を襲うようになると、人は、その不安にこだわるようになる。これを「固着」
という。

一度、そういう状態になると、それ以外の脳の部分が、思考を停止するようになる。一
つの問題が起きたとき、本来なら、四方八方からその問題を考える。しかしそれができ
なくなる。

不安感が強ければ強いほど、そんなわけで、その人は、理性的にものを判断したり、合
理的にものを考えることができなくなってしまう。通常なら、「おかしい」と思うような
ことでも、おかしいと思わなくなってしまう。

この方法は、カルト教団とよばれる宗教団体が、よく使う手法である。まず、相手を不
安にさせる。そしてそのあと、ふつうの状態なら、だれも信じないようなバカげたこと
を、その相手に信じこませてしまう。

足の裏でも、どこでもよいが、それを見て、「あなたは2年後に、がんで死ぬ」と言って、
まず、相手を、極度の不安状態にする。そのあと、天声だとか何とか言って、その相手
に、巨額の献金をさせる。最近、そういうインチキをしていたカルト教団の主宰者が、
裁判で有罪判決を受けた。

実は、子どもの受験の世界にも、似たようなことがある。まず、模擬テストか何かをし
て、「このままでは、おたくの子どもは落ちこぼれてしまう」と言って、親を不安にさせ
る。そしてそのあと……。

このつづきは、話が長くなるので、またの機会に!


●夫婦円満は、教育の要

 子どもは絶対的な安心感のある家庭で、心をはぐくむことができる。「絶対的」というの
は、疑いを抱かないということ。そのためには、子どもの前では、夫婦は円満に。よく
誤解されるが、夫婦が子どもの前でベタベタする姿を見せるのは、悪いことではない。
悪いことでないことは、外国へ行ってみればわかる。(ただし、子どもが嫉妬するケース
もあるので、注意する!)

欧米の夫婦は、(もちろん仲のよい夫婦だが)、日常的にベタベタしている。日本人の私
たちが見ていても、恥ずかしいほどだが、だからといって、子どもがどうこうというこ
とはない。子どもたちは子どもたちで、ごく日常的な光景として、それを受け入れてし
まっている。

 一般論として、心豊かな家庭で、親の愛情をたっぷりと受けて育った子どもは、どっし
りとした落ち着きがある。態度も大きく、ばあいによっては、ふてぶてしい。そうでな
い子どもは、どこかセカセカいて、愛想はよいが、心を許さない。許さない分だけ、心
をゆがめやすい。ひねくれる、いじける、ひがむ、つっぱるなど。が、夫婦が円満であ
ることには、もっと大切な意味がある。

 子どもは親たちが、助けあい、いたわりあい、慰めあい、励ましあい、教えあう姿を見
て、自分の中に、あるべき家庭像や夫婦像をつくる。つまりそういう家庭で育った子ど
もは、いつか自分が親になったとき、自然な形で、よい家庭や夫婦関係を築くことがで
きる。そうでなければそうでない。

これも一般論だが、不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、夫婦関係や親子関係が、ぎ
くしゃくしやすい。「親像」「家庭像」が、脳にインプットされていないとみる。このタ
イプの人は、「いい家庭をつくろう」「いい親にならなければ」という気負いばかりが先
行する。いわゆる「気負い先行型」の子育てというのは、こういう子育てをいうが、親
が気負えば気負うほど、親も疲れるが、子どもも疲れる。この疲れが、たがいの間に、
ミゾを入れる。

 ……だからといって、不幸な家庭に育った人が、すべてよい家庭作りに失敗するという
のではない。人間は、学習によって、あるべき夫婦や、あるべき家庭の姿を学ぶことが
できる。友人や知人の家庭を見たり、親類や映画の中の家庭を見たりして、それを自分
のものにすることができる。いろいろ回り道をすることはあるかもしれないが、幸福な
家庭や、よい親子関係を築いている人は、いくらでもいる。

 ともかくも、子どもの前では、夫婦は円満に。中には、「夫婦げんかは子どもに見せろ。
意見の対立を教えるにはよい機会だ」(C大元教授)と、とんでもないことを言う人もい
る。夫婦で哲学論争でもするならともかくも、ほとんどの夫婦げんかは、とるにたりな
い痴話げんか。そんなものは子どもに見せる必要はない。見せてはならない。

 
●子どもの自立

 アメリカには「要保護者遺棄罪」という、恐ろしい法律がある。子どもを家に残し、夫
婦だけで外出したりすると、その罪に問われる。アメリカに住む二男がそのことについ
て、「日本はいい国だね」と言った。何でもアメリカでは、子どもだけで外へ遊びに行く
ということすら、考えられないというのだ。「そんなことをすれば、すぐ誘拐されてしま
う」と。

 しかし日本では、そこまでうるさくない。そういう意味では安全な国だ。ここで書くこ
とは、その「安全」を前提にしてでのことだが、私は以前、『夫婦で外出』という格言を
考えた。子どもがある程度大きくなり、子どもたちだけで何となく生活ができるように
なったら、できるだけこまめに、夫婦だけで外出するとよい。親にすれば、子離れの準
備ということになるし、子どもに対しては、親離れをうながすということになる。

 一般的に、子どもは、小学三〜四年生ごろ、親離れを始める。それまで学校でのできご
とを話していた子どもも、急に話さなくなる。親と一緒に、入浴しなくなる。家族と一
緒の外出をしぶるようになる。あるいは自分だけの部屋を求めるようになる。こうなれ
ば親離れの時期は近いとみる。ただそのとき、子どもの情緒は不安定になり、幼児期に
もどったり、あるいは妙におとなびてみせたりする。それを繰り返す。幼児にもどれば、
幼児に、おとなびたりしてみせたら、それなりにおとなに扱う。いきなりあるときから
おとなあつかいをするとか、反対に幼稚ぽくなったりすることを、叱ったりしてはいけ
ない。

 コツは、成長することを喜ばせながら、そのつどおとなあつかいをする。「あんたも、お
となのスカートがはけるようになったね」とか、「一度、ネクタイをしめてみるか」など
と言ってみる。親どうしが外出したあとも、きちんと家の管理ができていれば、それを
ほめる。「あんたももう、一人前ね」と。こうした前向きな指導が、子どもを伸ばす。

 さらにそれができるようになったら、金銭的な自立、生活的な自立をうながす。ひとり
で祖父母の家まで旅をさせる。親どうして、子どもを交換するという方法もある。ただ
し無理をしないこと。無理をすると、夜中に迎えに行くということになりかねない。ま
たこれは私の個人的な経験だが、こんな方法も効果的である。

 私は思い立ったとき、息子たちを連れてよく、「目的なしの思いつき旅行」に連れていっ
た。行き先は、その先々で子どもたちと相談して決める。が、いつもうまくいくとは限
らない。ある夜などは、泊まる宿をさがして、夜中の一時ごろまで、その小さな町をさ
まよい歩いた。しかしそういう旅をするごとに、子どもたちが精神的にたくましくなっ
ていくのを、肌で実感することができた。結構、お金のかかる旅になるが、子どもの自
立をうながすという意味では効果がある。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●見えるものを、信じてよいのか?

+++++++++++++++

見えるものを、信ずるな。
見えないものを、信じろ。
今の、この「ワク」から、
自分を解放するために!

+++++++++++++++ 

 いきなりこんな話をしても、多分、あなたは信じないだろう。私だって、信じなかった。
ワイフだって、信じなかった。しかし事実は、事実だ。

 ヨ〜ク、聞いてほしい。

 あなたの姿をカガミに映してみる。そのとき、カガミに映った(あなた)は、左右が反
対なはず。(あなたが右手にリンゴを持っていると、カガミの中の自分は、左手に持ってい
るように見える。しかし、本当は、左右を、反対に映しているのではなく、前後を反対に
映しているだけなのだが、目の錯覚によって、ともかくも、左右が、反対に見える。)

 こんなことは当たり前のこと! だれも、それを疑わない。カガミというのは、そうい
うもの。あなたの(左右)を、反対に、映す。

 しかし、では、なぜ、カガミは、同時に、あなたの(上下)を、反対、つまり、逆さま
に映さないのか。あなたは、それについて、考えたことがあるだろうか。

 いや、上下を反対に映す方法がないわけではない。大きなカガミを、天井か、床の上に
置いてみればよい。そうすれば、あなたの姿は、上下は反対になる。(このばあいも、本当
は、目の錯覚で、そう見えるだけ。)

 そこで昔、ある学者が、こんな実験をした。この世界では、よく知られた実験である。

 プリズムを利用したメガネをつくり、それをしばらくかけたままにしておく。プリズム
を利用したメガネをかけると、その瞬間、すべてが、逆さまに見える。

 最初、そのメガネをかけたときには、すべてが逆さまに見えるため、世界の上下が逆転
したように見える。空が下で、大地が上に見える。

 しかしそんなメガネでも、半日、長い人でも、数日もかけていると、今度は、目のほう
がそれに慣れてしまい、メガネをかける前と同じように生活ができるようになる。ちゃん
と、空は上(?)に見えるし、大地は下(?)に見える。

 そしてそうなった状態で、つまり、目が、上下逆さまの世界に慣れてしまった状態で、
いきなりそのメガネをはずすと、今度は、そのとき、(上下)が、反対、つまり、すべての
ものが、逆さまに見える。

 しかし理屈から考えると、こちらのほうが、本来の見え方ということになる。

 つまり、私たちが今、見ている世界は、すでにすべてが、左右が反対になった上、逆さ
まになっているということ。目の構造からして、そうなっている。あなたも、子どものこ
ろ、ピンホール・カメラのようなものを作って、遊んだことがあるだろう。小さな穴を通
して、その像を箱のうしろの薄い紙に映してみると、像がさかさまになって見える。

 目の網膜でも、同じことが起きている。目の網膜に映った外の世界は、左右反対、上下
反対になっている。だから本来なら、目に見える世界は、左右反対、上下反対でなければ
ならない。

 が、一応、「正常」(?)に見える。が、しかしそれは、そう見えるだけ。脳ミソのほう
が、勝手に、そう見えるように、人間の脳ミソをだましている。

 実は、ここに、(見えるもの)の、不思議さが隠されている。実は、見えているものすべ
ては、本当は、上下、左右、反対に見えてこそ、それが正常な像ということになる。

 が、私たちの目には、そう見えない。上下は、ちゃんと上下に見える。が、しかし、そ
れはそう見えるだけ。

 だから、私たちは、見えるものを、そのまま、信じてはいけない。あるいは、見えるも
のを、もう一度、疑ってみるとよい。本当に、この世界は、この世界なのか、と。

 そこで話を、もう一歩、進める。

 イルカは、超音波のようなものを頭の先から発信して、その反射波を受けて、周囲の様
子を知ることができるという。いわば、レーダーに似たような装置を、もっている。だか
ら真っ暗な海の底でも、自由に動きまわることができる。

 で、そのときは、イルカたちが受け取る(像)は、そのままのハズ。左右も、上下も反
転していないはず。右にあるものは、右から反射波がくる。上にあるものは、上から反射
波がくるはず。

 イルカは、そういう反射波を、頭の中で合成しながら、像を見る。

 そこでもし、人間もそんなことができたとしたら、どうなるだろうか。「光」ではなく、
「超音波」で、この世界を見ることができるとしたら、どうなるだろうか。

 ここから先は、あくまでも、私の想像だが、人間が使うレーダーのように、そこに映る
像には、まず、色がないということ。(当然である。色まで識別できるレーダーは、今のと
ころ、まだないはず。反射率に応じて、あとで着色することは、できる。)

 (形)はわかるが、しかし、そのものが、硬いか、やわらかいかによっても、像はちが
うはず。しかも、反射波といっても、イルカが、何十頭もいれば、それぞれが発する超音
波が、雑音のように、頭の中に勝手に像を結ぶかもしれない。

 想像するだけでも、楽しい世界だが、しかしイルカはイルカで、何一つ、不自由なく、
それで生活しているはず。イルカの脳ミソが、それに慣れてしまっている。

 が、ここでまた、おもしろい問題にぶつかる。

 人間の男女は、光の世界の中で生きている。たとえば男性が女性を好きになるときも、
その女性の容姿や顔、そういったもので、相手を選ぶことが多い。

 しかしもし、人間が、光ではなく、イルカが発するような超音波で、相手を見たとした
ら、どうだろうか。実際、ある種のイルカは、泥水のような川の中で生活していて、目が
退化してしまったのもいる。

 そういうイルカが、超音波で、相手を選ぶとしたら、どういうところで、相手を好きに
なったり、嫌いになったりするだろうか。

 「あなたの輪郭(りんかく)、ステキ!」
 「君の発する超音波は、ぼくの心を溶かすよ……」とか?

 ……何とも、わけのわからない話になってしまったが、私たちの身のまわりには、こう
した、一度は疑ってみるべき世界が、山のようにある。あまりにも、それを当たり前と思
ってしまうあまり、それを疑うことすら、しない。そういう世界が、山のようにある。

 しかしひょっとしたら、ものごとの真実は、そういう世界の向こうに隠されているかも
しれない。科学の世界だけではない。心理学にせよ、哲学にせよ、ありとあらゆるものに
ついて、だ。

そういう思いを心の中に描きながら、このエッセーを書いてみた。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●逆説(パラドックス)

++++++++++++++++

【問】この中に、まちがっているものが、2つある。
   どれとどれか?

 (1)3+2=5
 (2)5−2=2
 (3)4+1=5

+++++++++++++++++

 あなたはこの問題を、解けるだろうか。ヨ〜ク、考えてみてほしい。が、あなたはやが
て、こう答えるだろう。

 「まちがっているのは、(2)の5−2=2の、1つだけ。問題がまちがっている」と。

 そう、その問題が、まちがっている!

 だから正解は、「この中に、まちがっているものが、2つある」という問題そのものと、
「5−2=2」の、2つということになる。

 こういうのを、逆説という。「逆説」というのは、「外見上、同時に真であり、かつ偽で
ある命題」(「広辞苑」)をいう。一見すると、正しいが、よく考えてみると、おかしい。ま
ちがっている。

 たとえば私は、よくワイフとこんな口げんかをする。

私「逆らうな!」
ワ「何も、逆らってないでしょ!」と。

 ワイフは、「私は逆らってない」と言いながら、私に逆らっている。ワイフの言っている
ことは、一見、正当性がある。しかしよく考えてみると、やはり、おかしい。もちろん、
その反対のこともある。

 よく逆説の例としてあげられるのに、『急がば、回れ』というのがある。「急いでいるな
ら、回り道をして、確実な方法で、前に進んだほうがよい」という意味である。「広辞苑」
には、こうある。

 「危険な近道よりも、安全な本道を回ったほうが、結局は目的地に早く着くの意」と。

 これなどは、一見、まちがっているように見えるが、よくよく考えてみると、正しいと
いうことになる。

 さて、冒頭の問題だが、問題そのものがまちがっているということになると、正解は、
ないということになる。

 ……というふうに、考えるのは、やはり、(頭の遊び)でしかない。オーソドックスに考
えれば、「この問題がまちがっている」「【問】この中に、まちがっているものが、1つある。
どれかと、書くべきである」ということになる。

 しかし子どもたちは、こういう(遊び)が大好き。ウソだと思うなら、あなたの子ども
に、この問題を出してみるとよい。あなたの子どもは、目を輝かせて、あれこれ反論して
くるはず。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【BW教室から……】

●男児と女児、どちらが多くなるか?

 今、男児か、女児かということになれば、女児を希望する女性がふえているという。も
し男女の産み分け法が完ぺきにできるようになったら、男性より、女性のほうが、多くな
ってしまう。

 で、そこで問題。もし、日本中の女性が、女児を望み、女児が生まれるまで、子どもを
産んだとしたら、男児と女児のどちらの方が、多くなるだろうか。

 たとえば、第一子で、女児が生まれたら、そこでストップ。が、第一子で、男児が産ま
れたら、もう一人子どもを産む。そのとき、女児が生まれたら、そこでストップ。が、そ
のときまた男児が生まれたら、もう一人、子どもを産む……。最後に女児が生まれるまで、
出産を繰りかえす。

(1)男児のほうが多くなる。
(2)女児のほうが多くなる。
(3)男児、女児ともに、数は、同じ。

 この問題を、BW(私の教室)の生徒たちに、出してみた。小学4〜6年生といっても、
全員(6人)、飛び級で、中学1〜3年生レベルの勉強をしている。

 一度、あなたの子どもにも、この問題を出してみるとよい。ヒントとして、下の表を見
せてもよい。(ただし、これはダマし用。)

(1)子どもが1人のとき……女(子どもは、1人で、ストップ)
(2)子どもが2人のとき……男 女(子どもは、2人で、ストップ)
(3)子どもが3人のとき……男 男 女(子どもは、3人で、ストップ)
(4)子どもが4人のとき……男 男 男 女(子どもは、4人で、ストップ)
(5)子どもが5人のとき……男 男 男 男 女(子どもは、5人で、ストップ)

 ここまでの合計で、男児は、10人。女児は、5人となる。

 つまり正解は、(1)の男児が多くなるということになる……と言いたいが、実際には、
この答は、まちがってる。だれしも、50%の確率で、男児を産み、50%の確率で、女
児を産む。そのため、

 (1)の段階で、女児を産む確率は、50%。
 (2)の段階で、男児→女児と産む確率は、25%。
 (3)の段階で、男児→男児→女児と産む確率は、12・5%と、確率は、半減してい
く。

 たとえば100人の女性について、考えてみよう。

 (1)100人の女性が子どもを産んだとする。すると最初の段階で、男児が50人。
女児が50人となる。

 つぎの(2)の段階では、男児を産んだ50人の女性だけが、2番目の子どもをつくる
ことになる。生まれてくる子どもは、男児が25人。女児が25人となる。

 さらに(3)の段階では、男児を産んだ25人の女性だけが、3番目の子どもをつくる
ことになる。生まれてくる子どもは、男児が12・5人、女児が、12・5人となる。

 ずっと、これを繰りかえしていくが、(3)までの段階で、男児の合計は、87・5人。
女児の合計も、87・5人。つまり、同数なのである。

 一見すると、男児のほうが多くなるように見えるのは、「それぞれの段階で、男児、女児
が生まれる確率が、50%」ということを無視しているからである。それを無視するから、
男児のほうが、多くなるように見える。 

 さらに、数学的な錯覚がつづく。

●男児ばかりを4人もつ確率は、4分の1?

 同数であることは、組み合わせを見てもわかる。子どもの数ごとの、男児、女児の組み
合わせは、つぎのようになる。

(1)子どもが1人のとき……男 か 女 
(2)子どもが2人のとき……男男 男女 女女
(3)子どもが3人のとき……男男男 男男女 男女女 女女女 
(4)子どもが4人のとき……男男男男 男男男女 男男女女 男女女女 女女女女
(5)5人以上は、省略

(1)〜(4)までの合計でみると、男児は、20人。女児は、20人。

 つまり、同数である。正解は、やはり、(3)男児、女児ともに、数は、同じ、というこ
とになる。

 しかしここでまた、おかしな問題にぶつかる。というより、ここまで説明したら、小5
のK君が、こう言った。

 「先生、4人の子どもをもつとき、男児ばかりになる確率は、4分の1?」と。

 もう一度、表を見てほしい。4人の子どもをもつとき、男男男男となるのは、一見する
と、4分の1の確率で、そうなるように見える。

 しかし実際には、男児ばかりを4人産む確率は、16分の1である。(2分の1の4乗)。
しかしこの表をながめていると、4人の子どもがいる家庭では、4分の1の両親が、男男
男男をもつことになるように見える(上記(4)を参照)。となると、4人の男児をもつ確
率は、4分の1ということになる。どうしてだろう。

 どちらが正しいのだろうか。

 私が迷ったフリをしてみせると、みな、「ワォー、頭が混乱してきた!」と言い出した。

 つまり、その女性が、個人として、男児をつづけて4人産む確率は、16分の1のはず
だが、この表を見ると、4分の1になるように見える。

 「しかし、先生、子どもが4人いる家庭では、4軒に1軒が、男ばかりになるというこ
と? でも、そんなこと、ありえないよオ!」と。つまり子どもが4人いる家庭では、そ
の4分の1の家庭では、男児ばかりということになる、と。……そう、そんなことは、あ
りえない。

つまり、その子どもは、確率と組み合わせ※を、混同していたようである。確率と、組
み合わせの数※は、ちがう。

 「組み合わせは、4通りだが、しかし確率となると、そこに生まれてくる順序の問題が
入ってくるから、それを計算に入れなければいけないよ。

 たとえば(男男女)の3人の兄弟のばあいでも、生まれてくる順序を考えに入れると、(男
男女)(男女男)(女男男)と、3通りもあるからね」と。

 ここまで話したとき、ついでにこんなパラドックス問題を思い出した。生徒たちには、
話さなかったが、書きとめておく。


●パラドックス

 ある日、あなたの夫が、愛人を家に連れてきた。そしていきなり、あなたにこう言った。

 「これから、私がすることを、おまえが言い当てたら、オレは、この女(愛人)と、今
すぐ、この場で、きっぱりと別れてやる。もしハズれたら、オレは、この愛人とこの家を
出て行く」と。

 するとあなたは、しばらく考えてこう答えた。

 「あなたは、これからその女(愛人)と、この家を出て行きます」と。

 それを聞いて、あなたの夫は、身動きがとれなくなってしまった。もし夫が、愛人と家
を出て行くとすると、あなたの言ったことは、夫の行動を言い当てたことになり、夫は、
愛人と別れねばならない。

 しかし夫が、「お前の言ったことは、ハズれた」と言えば、夫は、「愛人と家を出て行か
ない」ということになる。つまり、夫は、大ジレンマの中に、陥(おちい)ることになる。
あなたの夫は、どちらの行動も、とれなくなってしまう。

 そこで愛人は、立ち往生している夫を見ながら、「どうするのよ?」と迫った。「私と出
て行くの、それとも、ここに残るの?」と。

 が、夫は、身動きが取れない。それを見て、愛人のほうが、先に業(ごう)を煮やして、
先に家から出て行ってしまった。夫がとほうにくれていると、それを見て、妻も、家から
出て行ってしまった。

 最後に、2人の女性に見捨てられた夫だけが、家に残された。

+++++++++++++++

 くだらない話だが、頭の体操と思って、許してほしい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

注※(組み合わせ)

男→男→男→男と、4人、男児をつづけて産む確率は、16分の1ということ。

(1)男児ばかり、つづけて産む産み方は、男→男→男→男の1通り。

ほかにも、たとえば(2)女児1人、男児3人産むばあいは、割合としては、女児1人、
男児3人ということになるが、産む順序まで考えると、

女→男→男→男
男→女→男→男
男→男→女→男
男→男→男→女の4通りがある。

こうして考えていくと、ほかに、4人の子どもを産むばあい、

(3)男児2人、女児2人のときは、

男→男→女→女
男→女→男→女
男→女→女→男
女→男→男→女
女→男→女→男
女→女→男→男の6通りがある。

(4)男児1人、女児3人のときは、

女→女→女→男
女→女→男→女
女→男→女→女
男→女→女→女の4通りがある。

(5)女児4人のばあいは、

女→女→女→女の1通り。

以上、4人の子どもをもつとき、その順序まで考えると、子どもの産まれ方は、(1)〜(4)
の、計16通りあることになる。つまり、男児ばかり、4人もつ家庭は、やはり、4人の
子どもがいる家庭だけを見ても、16家族のうちの1つにすぎないということになる。

 久しぶりに、分野のちがうことを考えて、頭の中が、スッキリした。そんな感じだった。

【補記】

 ところで、最近の入試問題は変わってきました。ご存知ですか?

 以前のように、学校の勉強だけしっかりしていれば、できる……というような問題は、
少なくなりました。(年を追うごとに、どんどんと減っていますよ。)

 たとえばA私立中学校(東京)の入試問題は、こうです。

【問1】縦に3等分された旗がある。6色の色を使って、この旗を塗り分ける方法は、何
通りあるか。ただし(1)隣どうし、同じ色を使ってはいけない。(2)旗を裏返したとき、
同じに見える旗は、1つの旗とする。

【問2】ABCAB x 9 = DDDDDD になった。A、B、C、Dは、それぞ
れ、いくつか。

 もう、おわかりですね。

 これからは、文字が書ける、計算ができるというような、(できる子)が、重要視される
のではなく、(考える子)が、重要視されるようになるということ。しかしこんなことは、
50年前からの常識。その当時から、「詰め込み教育はおかしい」と、すでに批判されてい
ました。

その常識に、あえて背を向けつづけてきたのが、日本の文部省。が、それではいけない
と、みなが、気がつき始めた。これでやっと、日本も、一人前! 今までの教育や、入
試問題のほうが、おかしかったのです。

 さあ、あなたも、子育てでは、(自ら考える子)(考えることが好きな子)をめざして、
がんばりましょう! 自信をもって!

 以上、支離滅裂な話で、すみませんでした! 何かの参考になれば、うれしいです。

【補記2】

 ハハハ、ついでにもう一言。

 あなたの子どもを、考える子どもにするには、まず、親のあなたが、考える姿勢を子ど
もに見せなければならないということ。これは重要なことです。あなた自身が、考えるこ
とを習慣とします。そういう雰囲気が、いつも子どもの周辺になければなりません。

 決してむずかしいことではありません。

 たとえば子どもが何かをあなたに問いかけてきたようなとき、「そうねえ……」と、ふと
いっしょに考えてあげる。本で、調べてあげる。それでよいのです。そういう習慣が、あ
なたの子どもを、(考える子)にします。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●あるがままの……

 まず、あるがままの自分を見る。知る。認める。納得する。

 すべては、そこから始まる。

 過去の業績が何であれ、家族や家系が何であれ、夢や希望が何であれ、私は、私。あな
たは、あなた。

 昔、あるテレビ局で、脚本を書いていたときのこと。私は、下請けプロダクションの、
そのまた下請けライターにすぎなかった。が、こんなことがあった。

 そのテレビ局のコピー室で、何かの印刷物をコピーしていたときのこと。2人の若い社
員が、私の仕事を終わるのを待ちながら、こんな会話を始めた。

 「今度、○○番組では、あのAを使ってみますか?」
 「……う〜ん、私は、Bのほうが、いいと思いますよ」と。

 2人は得意げだった。しかし私が驚いたのは、そのA氏にしても、B氏にしても、すで
によく知られた評論家であり、小説家であったこと。

 そういう人物について、まるで、商品か何かの品定めでもするかのように、話しあって
いる。しかも、呼び捨て!

 私はその2人を見ながら、「自分たちは、何様のつもりだろう?」と思った。

 で、そのときのA氏もB氏も、やがてなくなった。が、今でも、そのA氏をしのんだ本
や写真集がときどき、出版される。B氏にしても、B氏が書いた旅行記が、最近、再び、
話題になっている。

 が、その呼び捨てにしていた若い社員のうわさは、(当然のことだが)、それ以後、耳に
したことがない。

 しかし、その社員を思い起こさせるような人に、最近、出会った。その人をX氏(65
歳)としておく。彼はある大手の出版社で、書籍の編集部長をしていた。今は、その出版
社の子会社の、「XX出版研究会」で、何かの仕事をしているらしい(?)。

 その彼が、私にこう言った。過去の華々しい業績を、あれこれ語ったあと、「あのC氏(日
本でも、10本の指に入る、テレビタレント)なんか、ぼくが育ててやったようなものだ
よ」とか、など。

 私はその話を聞きながら、内心では、「では、あなたは何なのか?」と思った。「XX出
版研究会」といっても、中身は、何もない。要するに、その会社を定年退職した元重役級
の人たちが集まる、社交場にすぎない。

 X氏は、過去の業績をあれこれと私に話しながら、「だから、オレは、すごいだろ」とい
うことが言いたかったのだろう。しかし私には、ただの老人。ただの退職者。

 「あるがままの……」というのは、そういう意味である。とくに、私の年代の人間のよ
うに、退職した人たちは、まず、その「あるがままの自分」を、見なければならない。知
らなければならない。認めなければならない。納得しなければならない。

 で、ないと、そこから先、前に進めなくなってしまう。

 実は、これは私の世代の、つまりは、私たち、ジジイどもの話。しかし同じことが、今
度は、子どもついても、言える。

 自分の子どもを見るときは、まず、あるがままの自分の子どもを見る。知る。認める。
納得する。

 親が、ちょうど過去の亡霊にしばられた定年退職者のように、「まだ、何とかなる」「そ
んなはずはない」「うちの子にかぎって」などとがんばれば、がんばるほど、親は、自分の
子どもの姿を見失う。

 親も苦しむが、子どもも、それ以上に苦しむ。が、それだけではない。子ども自身が、
自分の進むべき道を、見失ってしまう。

 子どもというのは、不思議なもの。親が、「まだ、何とかなる」「そんなはずはない」「う
ちの子にかぎって」と思っている間は、伸びない。が、その親が、「まあ、うちの子は、こ
んなものよ」「親が親だから、しかたないでしょう」と割り切ったとたん、伸び始める。表
情も明るくなる。

 さて、あのときの2人の若い社員も、今ごろは、退職しているはず。日本のどこかで暮
らしているはず。しかしうまく、過去の亡霊を断ち切ることができただろうか。私の印象
としては、そんな世界で、何十年も仕事をしていれば、そういう亡霊を断ち切ること自体、
不可能ではないかと思う。

 だから今ごろは、こんな会話をしているにちがいない。

 「あのAもBも、ぼくが、育ててやったようなものだよ」と。

【追記】

 よいことであっても、悪いことであっても、過去の亡霊を引きずっていたのでは、前に
進めない。亡霊は、足かせのようにあなたの足にからんで、あなたが前に進むのを、妨害
する。

 たとえば子どもでも、小学校の入試に失敗したことを、その(足かせ)にしてしまう子
どもがいる。「ここ一番!」というときになると、決まって、「どうせ、ぼくは、S小学校
に入れなかったもんね」と。そのまま、戦意を喪失してしまう。

 「もう、そんなこと、忘れろ!」と私は言う。しかしそういう亡霊は、いつまでも、そ
の子どもにとりつく。とりついて、その子どもを苦しめる。

 似たようなケースだが、一度、離婚した男性(40歳くらい)がいた。その男性も、す
っかり自信をなくしてしまっていた。

 「どうせ、ぼくは、だめな人間だ」「再婚しても、またすぐ女房に、逃げられる」と。

 過去の亡霊というのは、そういうもの。

 もちろん、前向きに伸びている間は、それは、それでよい。しかしそういうときでも、
同時に、私たちは、別の心の中で、その亡霊をつくっていることを忘れてはならない。

 よく学歴をカサに着ていばっている人ほど、(あるいは学歴コンプレックスをもっている
人ほど)、自分の子どもの勉強にきびしいという。

 子どもが、それなりの成績を出していれば、その人の心は落ちついている。しかしそう
でないとき、とたんに、亡霊が顔を出して、その人を苦しめる。その子どもを苦しめる。

 ところで、私は学生時代、生活費のほとんどを、家庭教師で稼いでいた。

 その家庭教師をしているときのこと。私はいつも、自分の能力を基準にしてものを考え
ていたから、高校時代に自分ができた問題を、その子どもができなかったりすると、すぐ、
こう言ってしまった。

 「君は、こんな問題もできないのか!」「こんな問題ができなくて、君は、どうするのだ!」
と。

 今から思うと、ひどい家庭教師だったと思う。つまり私自身が、そのとき、高校時代、
中学時代の亡霊を引きずっていたことになる。

 亡霊……。それは何も、オカルトの世界の話ではない。亡霊は、実は、あなたの脳ミソ
の中にいる。そしていつも、あなたの進むべき道の前に現われて、あなたの進むべき道を、
見誤らせる。

 その「亡霊」論については、また別の機会に、ゆっくりと考えてみたい。
(はやし浩司 亡霊 亡霊論 過去の亡霊 あるがままの自分)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●これは本当の話。

 昔、ある町に、一人の産婦人科医がいた。その産婦人科医は、男女の産み分けができる
ということで、その地方では、結構、有名な医師だった。

 私は、その医師のゴーストライターをしていた人物から、直接、こんな話を聞いたこと
がある。そのライターは、そのときまでに、その医師のために何冊か、本を書いていた。
そんなある日、その産婦人科医が、そのライターに、こう話したという。

 精子には二種類ある。男になるY遺伝子をもったY精子と、女になるX遺伝子をもった
X精子である。これらの精子は、女性の膣内のPH(ペーハー)濃度(酸性・アルカリ度)
によって、それぞれ、影響の受け方がちがう。そこで膣内のPH度を、調整することによ
って、男女の産み分けが可能、と。

 今から思うと、とんでもない理論だが、当時は、それなりに説得力があった。で、その
ライターが、それについての本を書いているとき、その医師が、こんな話もしてくれたと
いう。そのライターが、「産み分けは、何%の確率で、成功するのですか?」と聞いたとき
のことである。

 その医師は、「本当は、100%だよ。しかし一応、相談してくる女性には、90%と話
すことにしている」と。

 そのライターは、その数字に驚いた。「では、どうして、100%と言わないのですか?」
と。

 するとその産婦人科医は、笑いながら、こう話したという。かなり酒を飲んでいて、思
わず、口がすべってしまったのだろう。

 「君、男児がほしいと言ってくる女性のカルテには、『女児、希望』と書く。女児がほし
いと言ってくる女性のカルテには、『男児、希望』と書く。

 そのとき、私は、こう言うんだよ。『私の産み分け方は、完ぺきではない。今まで、90%
前後は、成功している。が、10〜20%の確率で、はずれることがある。それを、あら
かじめ、承知しておいてほしい』と。

 で、もしその女性が、女児を希望し、希望通りの女児が産まれたら、『成功しました。よ
かったですね』と話す。しかし反対に男児が産まれたら、カルテを見せながら、『おかしい
な。あなたは男児希望と、私に話したはずだが……』と言う。

 しかし生まれてしまえば、子どもは、子ども。だれも文句を言ってくる女性はいないよ。
最初に、私の産み分け方は、完ぺきではない。10〜20%の確率ではずれることもある
と、断っているしね」と。

 当時は、医師といっても、まだそういうことが、平気で(?)できるような時代だった
らしい。

 で、その産み分け法について、その医師は、指導料の名目で、通常の出産費用のほかに、
プラス20万円ほどの料金を、現金で徴収していたという。もし産み分け法で、希望通り
の子どもが生まれなかったばあいは、その金額は、返金すると言っていた。

 一見、良心的に見える方法だが、この方法は、詐欺(さぎ)そのものといってよい。男
児か女児かということになれば、何もしなくても、50%の確率で、希望通りの子どもが
生まれるはず。つまり50%の確率で、その20万円を、その医師は自分のものにするこ
とができる。

 それに、この産み分け法で、はずれた女性に、20万円を返したとしても、その医師に
とっては、痛くもかゆくもない。

 (そんな悪徳医師だったから、その町の医師会で、ある日、その医師の除名処分の緊急
動議が出されたこともあるという。その医師が、たまたまヨーロッパかどこかに旅行して
いる最中のできごとだった。この緊急動議は、かろうじて否決されたそうだが、当然、除
名されるべき医師だったと、そのライターは、ずっとあとになって、そう言っていた。)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●人生の選択

 死の直前まで、今の仕事をつづける。そして死がやってきたら、いさぎよく、死ぬ。そ
れも一つの選択。

 もう一つは、健康なうちに、仕事をやめ、そのあとは、好き勝手なことをして暮らす。
それも一つの選択。

 ワイフは、ときどき、こう言う。「あなたが60歳になったら、仕事をゼーンブ、やめて、
外国へ行かない?」と。

 ワイフが「外国へ行く」というのは、「しばらく定住する」という意味である。そのアイ
ディアそのものは、私がときどき、口にしていることである。残りの人生を、あと20年
とするなら、その20年を、どうすごすか。……すごすべきか。

 20年といっても、ずっと、健康なままということは、ありえない。よくて、せいぜい、
10年。残りの10年は、寝たきりということも、ありえる。

 で、私の夢は、オーストラリアに移住することだった。しかし実家の生活費を補うとい
う責務(?)が、私にはあった。そのため、それが足かせとなって、今の仕事に、結局は、
36年もしばられてしまった。

 その今の仕事にしても、本当に望んだ仕事というよりは、……もっとはっきり言えば、
本当にしたかった仕事というよりは、ただ何となく惰性に流されてしてきた仕事。今から
思うと、そんな感じがする。仕事といっても、収入を得て、生計を立てる。それが目的だ
った。そんな感じがする。

 が、それを死ぬまでつづけてよいものなのか。つづけるべきものなのか。

 ワイフは、こう言う。「あと5年もすると、そういう元気もなくなるから、今のうちよ」
と。「子育てから解放されときこそ、私たちのチャンスよ」とも。

 いろいろ考える。

 私の姉の義理の叔父は、長い間、名古屋市内で、レコード店を開いていた。が、10数
年前、すべての権利を売りはらい、あの屋久島に移り住んだ。そのあと、屋久島は、世界
遺産に登録された。一度、「住んでいる土地の値段が、買ったときの10倍以上になった」
と、そんな話を、姉を通じて、聞かされたことがある。

最近、その叔父はなくなったということだが、そういう人も、身近にいる。きっと、す
ばらしい人生だったに、ちがいない。

 その人にしてみれば、死ぬまで、名古屋市内でレコード(CD)店をしていてもよかっ
たのかもしれない。大半の人は、そういう形で、自分の人生を終える。

 しかし、それでよいのか。それがあるべき、私やあなたの人生なのか。

 いろいろ考える。

【参考】

 2004年度の日本人の平均寿命は、
 男性……78・64歳
 女性……85・69歳

 前年度にくらべ、男性は、0・28歳、女性は、0・26歳、のびた。

 日本人女性の平均寿命は、20年連続の、世界一を更新しつづけている。(男性は、アイ
スランドの78・8歳についで、世界第二位。)

 死因の第一は、(1)がん、(2)心疾患、(3)脳血管疾患、(4)肺炎だ、そうだ。
 (日本人の平均寿命……厚生労働省、05年7月22日公表)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 26日(No.615)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て・新格言】

●モノより思い出

 イギリスの格言に、『子どもには、釣りザオを買ってあげるより、いっしょに魚釣りに行
け』というのがある。子どもの心をつかみたかったら、そうする。

 親は、よく、「高価なものを買い与えたから、子どもは感謝しているはず」とか、「子ど
もがほしいものを買い与えたから、親子のパイプは太くなったはず」と考える。しかしこ
れはまったくの誤解。あるいは逆効果。子どもは一時的には、親に感謝するかもしれない
が、あくまでも一時的。

物欲をモノで満たすことになれた子どもは、さらにその物欲をエスカレートさせる。小学
生のころは、一〇〇〇円、二〇〇〇円で満足していた子どもも、中学生、高校生になると、
一〇万円、二〇万円、さらに大学生ともなると、一〇〇万円、二〇〇万円のものを買い与
えないと、満足しなくなる。あなたにそれだけの財力があるなら、話しは別だが、そうで
ないなら、やめたほうがよい。

 どこかの自動車会社のコマーシャルに、『モノより思い出』というのがあった。それは子
育てで、まさに核心をついた言葉ということになる。(ただし、息子に自動車を買ってあげ
たからといって、パイプが太くなるとはかぎらない。念のため。)


●よき友になる

 よく、「親は子どもの友か、いなか」という議論がなされる。しかしこういう議論、その
ものが、ナンセンス。友であって、どうして悪いのか。いけないのか。友でないとするな
ら、親は、いったい何なのか。

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どもの
うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。昔、オーストラリアの友人が教えて
くれたことだが、日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意。しかし横を歩くのが苦
手?

 そうでなくても、上下関係のある人間関係からは、良好な人間関係は、生まれない。親
子関係も、つきつめれば、人間関係。「親だから……」「親子だから……」「子どもだから…
…」という、「ダカラ論」で、人間関係をしばってはいけない。

 総じてみれば、子育てじょうずな親というのは、いつも子どもの横を歩いている。子ど
もも伸びやか。表情も明るい。だから……。あなたも「親だから……」と気負う必要はな
い。気楽に、子どもといっしょに、もう一度、少年少女期を楽しむつもりで、人生を楽し
めばよい。あなたが気負えば気負うほど、あなたも疲れるが、子どもも疲れる。そしてそ
れが親子の間に、ミゾをつくる。


●先輩をもつ

 あなたの近くに、あなたの子どもより、一〜三歳年上の子どもをもつ人がいたら、多少、
無理をしてでも、その人と仲よくする。その人に相談することで、あなたのたいていの悩
みは、解消する。

「無理をしてでも」というのは、「月謝を払うつもりで」ということ。相手にとっては、
あまりメリットはないのだから、これは当然といえば、当然。が、それだけではない。
あなたの子どもも、その人の子どもの影響を受けて、伸びる。

 子育ては、まさに経験がモノを言う。何かあなたの子どものことで問題が起きたら、相
談してみたらよい。たいてい「うちも、こんなことがありましたよ」というような話で、
解決する。


●子どもの先生は、子ども

あなたの近くに、あなたの子どもより一〜三歳年上の子どもをもつ人がいたら、その人と
仲よくしたらよい。あなたの子どもは、その子どもと遊ぶことにより、すばらしく伸びる。
この世界には、『子どもの先生は、子ども』という、大鉄則がある。

 私もときどき、子ども(生徒)を、わざと、数歳年上のクラスに入れて、自習させてみ
ることがある。「好きな勉強をすればいい」というような指導のし方をする。この方法で数
か月も自習させると、子どもに勉強グセができる。上の子どもを見習うためである。子ど
も自身も、同じ仲間という意識で見るため、抵抗がない。また、こと「勉強」ということ
になると、一、二年、先を見ながら、勉強するということは、それなりに重要である。


●指示は具体的に

 子どもに与える指示は、具体的に。たとえば「あと片づけしなさい」と言っても、子ど
もには、あまり意味がない。そういうときは、「おもちゃは、一つですよ」と言う。「友だ
ちと仲よくするのですよ」というのも、そうだ。そういうときは、「これを、○○君に渡し
てね。きっと、○○君は喜ぶわよ」と言う。学校で先生の話をよく聞いてほしいときは、「先
生の話をよく聞くのですよ」ではなく、「学校から帰ってきたら、先生がどんな話をしたか、
あとでママに話してね」と言う。

 昔、側溝(ドブ)で遊ぶ子ども(幼児)がいた。母親が何度叱っても、効果がなかった。
そこである日、母親は、トイレの排水が、どこをどう流れて、その下水溝へ流れていくか
を、歩きながら説明した。とたん、その子どもは、下水溝で遊ぶのをやめたという。
(はやし浩司 子どもの指導 子供の指導 指導のし方)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【特集・子どもを勉強好きにさせるためには】

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の
中の辺縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが
自分にとって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モル
ヒネ様の物質を分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに
包まれる。それはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけでは
ないようだ。こんな実験がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除
してしまうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているとい
うわけである。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなも
のを好きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝
手に決めてしまうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、
そうした感情ができてしまうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反
応を示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教
室を訪れたとしよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をも
つようになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印
象をもつようになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子
どもは、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、
ますますその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」と
いう言葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしてい
く。反対に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってし
まい、努力の割には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が
分泌される。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみ
よう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があ
るという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミン
にも、同じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアド
レナリンを分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P5
9)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まる
ということ。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚
えたか)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(ど
れだけ楽しんだかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁
桃体が、いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると
考えてよい。「好きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、
その子どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、そ
の向こうにある隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしてい
る。何かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせ
る。そういう印象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が
芽生えていくのを、静かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすること
がある。多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児
教育と考えている。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせて
いるその物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずな
い。(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育
のリズムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。
借金にたとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる
気を見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、
子どもを追いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものが
ない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。
しかしこの日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、
たいていの親は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早
い時期に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉
強はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、
その子どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少し
でも伸びる姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわない
ということ。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの指しゃぶり

++++++++++++++++

なぜ、幼児は、(おとなも)、指しゃぶり
をするか。

+++++++++++++++++

 子どもがふつうでない行為を、習慣的に繰り返すようであれば、代償行為を疑う。心の
緊張感をほぐすためにする、代わりの行為と考えるとわかりやすい。よい例が、指しゃぶ
り、貧乏ゆすり、ものいじり、髪いじりなど。ふつう、はたから見ると、「どうしてそんな
ことをするのだろう」と思われる行為が多い。こうした行為を無意識のうちにも繰り返す
ことにより、子どもは自分の心(情緒)を安定させようとする。

 一般論として、体の一部に刺激を加えると、その刺激は神経を通って、大脳の皮質部に
とどく。そしてその刺激が長くつづくと、体は刺激をやわらげるため、脳や脊髄の神経細
胞からエンドリフィンや、エンケファリンなど、数一〇種類の麻薬様の物資が放出される。
この物質が脳に陶酔感を引き起こす。それを利用したのが、針麻酔ということになる。

 針麻酔では、体のいくつかの部位に針を刺し、そこに低周波電流を断続的に通電し、麻
酔効果を得る。体験者の話では、「しばらくすると、甘く、けだるい感じに襲われる」とい
う。それはさておき、こうした代償行為は、もともと不安定な心(情緒)を自ら落ちつけ
ようとする行為のため、しかっても意味がない。そればかりか、無理にやめさせようとす
ると、かえって子どもの心(情緒)を不安定にすることになるから注意する。子ども自身
に罪の意識をもたせないように、配慮する。

 ところで話はそれるが、こうした陶酔感は、性行為によっても同じように得られるとい
う(「脳のしくみ」新井康允)。そして神経細胞から放出される麻薬様の物質ため、中毒性
や習慣性が生まれることもあるという。あるいはそれをやめると、禁断症状も出てくるこ
ともあるという。そう言えば……ということでもないが、私の知人の中には、五〇歳を過
ぎたというのに、いまだに女性をとっかえ、ひっかえ、不倫を繰り返している男性がいる。
ヒマなときは、テレクラでアルバイトをしているという。その男の妻は、そういう男を、「病
気ですから……」とあきらめている。

 事実、ここに書いたような行為(指しゃぶりなど)をしている子どもを観察すると、実
に気持ちよさそうな表情をするのがわかる。陶酔感に浸(ひた)っているという感じであ
る。子どもの指しゃぶりには、そういう意味も含まれる。
(はやし浩司 指しゃぶり 子供の指しゃぶり 代償行為 貧乏ゆすり 髪いじり 爪か
み ものいじり 子供の心理 幼児の心理 はやし浩司)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●マイナスのストローク

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子どものやる気を引き出すには、
どうしたらよいのか。

一つの例を出して、考えてみる。

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当時の記録には、こうある。

 「A君。年中児。何を指示しても、『いや』『できない』と逃げてしまう。今日も、絵を
描かせようとしたが、もぞもぞと、何やらわけのわからない模様のようなものを描くだけ。
積み木遊びをしたが、A君だけ、作ろうともしない。一事が万事。先日は、歌を歌わせよ
うとしたが、『歌いたくない』と言って、やはり歌わなかった」(19XX年9月)と。

 このA君が印象に残っているのは、母親の視線が、ふつうではなかったこと。母親は、
一見おだやかな表情をしていたが、視線だけは、まるで心を射抜くように強かった。とき
にビリビリとそれを感じて、授業がやりにくかったこともある。

 こうしたケースで困るのは、まず母親にその自覚がないということ。「その自覚」という
のは、A君をそういう子どもにしたのは、母親自身であるという自覚のこと。つぎに、私
はそれを母親に説明しなければならないのだが、どこからどう説明してよいのか、その糸
口すらわからないということ。A君のケースでも、私と母親の間に、私は、あまりにも大
きな距離を覚えた。

 が、母親は、こちらのそういう気持など、まったくわからない。「どうしてうちの子は…
…?」と相談しつつ、私の説明を満足に聞こうともせず、返す刀で、子どもを叱るだけ。「も
っと、しっかりしなさい!」「あんな問題、どうしてできないの!」「お母さん、恥ずかし
いわ!」と。

 あのユング(精神科医)は、人間の自覚について、それを、意識と、無意識に区別した。
そしてその無意識を、さらに個人的無意識と、集合的無意識に区別した。個人的無意識と
いうのは、その個人の個人的な体験が、無意識下に入ったものをいう。フロイトが無意識
と言ったのは、この個人的無意識のことをいう。

 集合的無意識というのは、人間が、その原点としてもっている無意識のことをいう。そ
れについて論ずるは、ここでの目的ではないので、ここでは省略する。問題は、先の、個
人的無意識である。

 この個人的無意識は、ここにも書いたように、その個人の個人的な体験が、無意識の世
界に蓄積されてできる。思い出そうとすれば、思い出せる記憶、あるいは意図的に封印さ
れた記憶なども、それに含まれる。問題は、人間の行動の大半は、意識として意識される
意思によるものではなく、無意識からの命令によって左右されるということ。わかりやす
く言えば、この個人的無意識が、その個人を、裏から操(あやつ)る。これがこわい。

 A君(年中児)の例で考えてみよう。

 A君の母親は、強い学歴意識をもっていた。「幼児期から、しっかり教育すれば、子ども
は、東大だって入れるはず」という、迷信とも言えるべき信念さえもっていた。そのため、
いつも「子どもはこうあるべき」「子育てはこうあるべき」という、設計図をもっていた。
ある程度の設計図をもつことは、親として、しかたのないことかもしれない。しかしそれ
を子どもに、押しつけてはいけない。無理をすればするほど、その弊害は、そのまま子ど
もに現れる。

 一方、子どもの立場でみると、そうした母親の姿勢は、子どもの自我の発達を、阻害す
る原因となる。自我というのは、「私は私という輪郭(りんかく)」のこと。一般論として、
乳幼児期に、自我の発達が阻害されると、どこかナヨナヨとした、ハキのない子どもにな
る。何をしても自信がもてず、逃げ腰になる。失敗を恐れ、いつも一歩、その手前で止め
てしまう。ここでいうA君が、まさに、そういう子どもだった。

 これについて、B・F・スキナーという学者は、「オペラント(自発的行動)」という言
葉を使って、つぎのような説明している。

 「条件づけには、(1)強化(きょうか)の原理と、(2)弱化(じゃくか)の原理があ
る」と。

 強化の原理というのは、ある行動を人がしたとき、その行動に、プラスのストローク(働
きかけ)が加わると、その人は、その行動を、さらに力強く繰りかえすようになるという
原理をいう。

 たとえば子どもが歌を歌ったとする。そのとき、まわりの人が、それを「じょうずだ」
と言ってほめたり、自慢したりすると、それがプラスのストロークとなって、子どもはま
すます歌を歌いたがるようになる。

 これに対して弱化の原理というのは、ある行動を人がしたとき、その行動にマイナスの
ストロークがかかると、その人は、その行動を繰りかえすのをやめてしまうようになると
いう原理をいう。あるいは繰りかえすのをためらうようになる。

 たとえば子どもが歌を歌ったとする。そのとき、まわりの人が、「こう歌いなさい」と言
って、けなしたり、笑ったりすると、それがマイナスのストロークになって、子どもは歌
を歌わなくなってしまう。

 A君のケースでは、母親の神経質な態度が、あらゆる面で、マイナスのストロークとな
って作用していた。そしてこうしたマイナスのストロークが、ここでいう個人的無意識の
世界に蓄積され、その無意識が、A君を裏から操っていた。親の愛情だけは、それなりに
たっぷりと受けているから、見た目には、おだやかな子どもだったが、A君が何かにつけ
て、逃げ腰になってしまったのは、そのためと考えられる。

 が、ここで最初の、問題にもどる。そのときのA君がA君のようであったのは、明らか
に母親が原因だった。それはわかる。が、私の立場で、どの程度まで、その責任を負わね
ばならないのかということ。与えられた時間と、委託された範囲の中で、精一杯の努力を
することは当然としても、しかしこうした問題では、母親の協力が不可欠である。その前
に、母親の理解がなければ、どうしようもない。

 そこで私はある日、意を決して、母親にこう話しかけた。

私「ご家庭では、もう少し、手綱(たすな)を、緩(ゆる)めたほうがいいですよ」
母「ゆるめるって……?」
私「簡単に言えば、もっとA君を前向きにほめるということです」
母「ちゃんと、ほめています」
私「そこなんですね。お母さんは、その一方で、A君に、ああしなさいとか、こうしなさ
いとか言っていませんか?」
母「言っていません。やりたいようにさせています」
私「ハア、そうですか……」と。

 実際のところ、問題意識のない母親に、問題を提起しても、ほとんど意味がない。たい
ていは、「うちでは、ふつうです」「幼稚園では、問題ありません」などと言って、私の言
葉を払いのけてしまう。さらに、何度かそういうことを言われたことがあるが、こう言う
母親さえいる。昔、幼稚園で働いていたときのことだ。「あんたは、黙って、うちの子の勉
強だけをみてくれればいいです」と。つまり「余計なことは言うな」と。
 
 ……と、書いて、私も気づいた。私にも、弱化の原理が働いている、と。問題のある子
どもの母親を前にすると、「母親に伝えなければ」という意思はあるのだが、別の心がそれ
にブレーキをかけてしまう。

こういった仕事というのは、報われることより、裏切られることのほうが、はるかに多
い。いやな思い出も多い。さんざん、不愉快な思いもした。そうした記憶が、私を裏か
ら操っている? 「質問があるまで、黙っていろ」「あえて問題を大きくすることもない」
「言われたことだけをしていればいい」「余計なことをするな」と。

 「なるほど……」と、自分で感心したところで、この話は、ここまで。要するに、子ど
もは、常にプラスのストロークをかける。かけながら、つまりは強化の原理を利用して、
伸ばす。とくに乳幼児期はそうで、これは子育ての大原則ということになる。
(はやし浩司 子どものやる気 子供のやる気 弱化の原理 強化の原理)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●掲示板の投稿相談より

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保育園へ行きたがらない……。
そんなとき、親は、どう構えた
らよいのか?

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こんにちは。いつもマガジンを読んでいます。
3歳9ヶ月の長男について相談させてください。
1歳6ヶ月の弟と二人兄弟で、父親とは生まれた時から別居中、私の両親、妹と同居して
います。

今年の4月に年少組に入園しました。クラスは17人(男8人女9人)です。

同じクラスにいるA君がかなりやんちゃというか乱暴な子で、ことばもきつく、叩いたり、
つねったりということもよくあるようです。

特に私の長男にだけ、ということではないようですが、本人は「A君はどうしてすぐに怒る
んだろう」などと言って、保育園に行きたがりません。

少人数なので、他の子と遊んでいればいいという問題でもないような気がします。
いっそ、転園をしたほうがいいのだろうかとも思います。それとも行きたくない間は、家
で私が一緒に過ごしていればいいのでしょうか?

今日も、朝、「お母さんがいい」といって園の入り口で泣いてしまったのですが、先生に抱
っこされて無理やり連れて行かれてしまいました。

そういう姿を見るのも本当に辛いです。なぜ、そんな風にしてまで保育園に行かせるのだ
ろう、と。

なかなか朝、出発しようとしない長男をみて、私の両親は、「甘やかしてる」と思っている
ようです。

でも、本人が「行こう」と思えないのに無理に連れて行くのは、どうしてもかわいそうで
できません。

もうすぐ夏休みの希望保育がはじまるので、8月は半分以上お休みです。そういう話をし
ながら、「今日は行ってこようか」と気持ちを奮い立たせているような毎日です。

できるだけ、彼が不安定にならないように、スキンシップも心がけているつもりですが、
足りていないのかもしれません。

私の気持ちが不安定なことが、悪い影響を与えているかもしれません。

正直なところ、どうしていいのか分りません。

保育園など、行かなくてもいいという気持ちがあるのですが、
やはり同年代の子ども達と遊んだり、ケンカしたりすることも大切なことだと思うのです
が。
(和歌山県T市 AEより)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの心の問題は、消去法で……

 「保育園(幼稚園)へ行きたがらない……」という子どもをみるときは、まず、(1)理
由が、はっきりしているばあい。(2)理由が、はっきりしていないばあいに分けて、考え
ます。

 つぎに、同時に、もっとも心配なケースから、消去法で、一つずつ削りながら、子ども
の心をさぐっていきます。これは病院のドクターが、その人の病気を診断する手法と似て
います。つまり一番、心配なケースから順に、「これでなければ、これ」「これでなければ
これ」……と、考えていきます。

 AEさんのケースでは、いろいろな理由が考えられます。心配な(1)のケースから、
順に並べてみると、つぎのようになります。

(1)不登校に準じた、恐怖症
(2)対人(集団)恐怖症
(3)怠学に準じた、不登園
(4)神経症
(5)母子分離不安
(6)軽い情緒不安
(7)怠け
(8)わがまま

 AEさんが疑問にもっておられるように、「毎日、行かせなければならない」と考えるほ
うが、おかしいのです。同感です。オーストラリアなどでは、子どもが少しずつ集団生活
に慣れるように、たとえば、月水金だけ、あるいか火木土だけ通うというように、週3日
制の幼稚園も珍しくありません。

 どうして日本だけ、いきなり、週5日も行かねばならないのでしょうか? 最初は、週
1日だけ。2年目からは、週3日だけ。3年目からは、週5日……という方法も、とられ
てもよいのではないでしょうか。

 また、よく子どもが幼稚園などを休むと、先生から電話がかかってきて、「後(おく)ま
すから……」と言われますね。いやな言葉です。本当に、いやな言葉です。

 で、AEさんのばあいは、(1)〜(8)から順に様子を判断していきます。(1)〜(4)
の状態ですと、ほかにも、心身症(神経症)による症状が、出ているはずです。夜尿、腹
痛、潔癖症などなど。もしそういう症状も見られるなら、心の安静を大切にしてください。
(私のHPのあちこちに書いてありますので、参考にしてください。)

 こういうケースでは、「A君がいやだ……」というのは、口実(ターゲット)にすぎませ
んから、あまりその言葉に振り回されないように! A君を排除すると、今度は、B君に
なります。

 私は、AEさんの家庭の状況から考えて、下の子どもが生まれたことが引き金となって、
赤ちゃんがえりから情緒が不安定になり、そのあと、(5)の母子分離不安が起きたのでは
ないかと疑います。(母親から離れてしまい、そのあと、何ごともなく過ごすようであれば、
母子分離不安と考えてよいのではないでしょうか。)もしそうであれば、言うまでもなく、
スキンシップを濃厚にして、安定的な愛情を大切にします。

 対処のし方としては、『求めてきたときが与え時』と考えて、「ママ〜」と甘えてきたら、
すかさず、抱いてあげるとか、ぐいと手をつないであげるとかしてあげます。すかさずす
るのが、コツです。「待っていてね」とか、「今は、ダメ」式の応じ方をしてはいけません。

 転園を考える前に、まず、「適当に行く」ということを考えてください。週3日行けば、
上(じょう)できと考えるようにします。残りの日は、いっしょにハイキングでもして、
すごします。無理をしないこと。(私なら、そうします。また実際、そうしました。)

 保育園へ行かなくてもよい状態かもしれませんが、しかし母子だけで親子のパイプを作
ってしまうのも、好ましくありません。母子関係を調整する人がいればいいですが、そう
でないと、濃密になりすぎてしまいます。

 母親側としては、それでよいかもしれませんが、子どものほうに、いろいろと問題が起
きてきます。幸いにも、ご両親と同居ということですから、そのあたりの調整をうまくし
てください。

 年齢的にも微妙なときですから、無理をせず、様子を見られてはどうでしょうか。もう
すぐ夏休みですし、これから半年くらいの間に、子どもも、どんどんと変わっていきます。
とくに4・5歳〜からは、いよいよ少年期への移行期に入ります。

 今のうちに、よく使い、よく手伝いをさせ、社会性を身につけさせてあげてください。
5歳をすぎると、それができなくなります。今は、(しつけ)の適齢期とみてください。

 いつも、励ましのメール、ありがとうございます。AEさんの相談には、いつも最優先
で、返事を書きます。(これは恩着せ!+お礼!)

【追記】

 A君のことは、まず、先生に相談してみてください。先生との連絡を密にすることが、
重要です。

 あとは、子ども自身の解決法に任せます。これから先、この種の問題は、モグラたたき
のモグラのように起きてきます。

 大切なことは、問題そのものよりも、問題を解決するための、プロセスを子どもの中に
作っておくことです。技法といってもよいかもしれません。

 親としてはつらいところですが、がまん、がまん。そして先生に、相談、です。AEさ
んと、お子さんの会話は、すばらしいです。今のやり方を支持します。

 A君を叱るのではなく、何か、A君の好きそうなものを、お子さんにもたせ、A君に与
えてみてはどうでしょうか。あるいは、家へ招待してあげるとか。A君には、悪いことを
しているという意識はありません。ですからA君を責めても、この時期、意味はありませ
ん。

 押してだめなら、引いてみます。これは幼児指導の鉄則の一つです。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】

●ダイエット、達成!

 65〜6キロあった体重を、1、2週間で、62キロ台にした。苦しい戦いだった。し
かしやったア!

 わずか2〜3キロと思うかもしれないが、2リットル入りのペットボトル1本分の体重
である。それがいかなる重さかを知るためには、自転車の荷カゴの中に、そのペットボト
ルを入れて走ってみればよい。

 たった1本(2キロ)でも、自転車の動きが、まるでちがう。2本(4キロ)も入れて
走ると、自転車がフラつく。

 あとは、この状態を保ちつつ、クーラーにはできるだけ、あたらないようにする。それ
に1日、最低でも1時間の運動は、欠かさない。たっぷりと汗をかく。

 しかし毎日、食事をしながら、つぎの食事の献立を考えているのも、つらい。今日も、
ワイフと朝食をとりながら、こんな会話をした。朝食といっても、キャベツとスイカ。そ
れにバナナと煮干をのせた白いご飯。茶碗に、4分の1。

私「今日の昼は、何にする?」
ワ「何にする、って、今、朝食を食べているところよ」と。

 たまたま新聞の折り込みチラシに、どこかのレストランの広告が入っていた。それをテ
ーブルの上に広げながら、「これを見ながら、食べていると、それなりにご馳走(ちそう)
を食べている気分になれるね」と。

 何とも、わびしい、食生活。しかしそれも、これからやってくる猛暑と戦うためには、
やむをえない。がんばろう!


●モニターが、よく見えない

 このところ、乱視が少し、進んだようだ。老眼かもしれない。モニターを少し離せば、
それなりに写真などは、鮮明に見える。が、しかし遠くにあるため、やはり、文字は小さ
くて、よく見えない。

 そのため、誤字、脱字が多いのが、よくわかる。あとで自分の書いた原稿を読みなおし
てみると、それがわかる。

 今、主に使っているのが、F社のパソコン。17インチのワイドだが、実際には、横に
広いというだけで、15インチモンターより、縦には、1〜2インチほど、狭い。

 今度買うときは、思いきって、19インチモニターにしよう……と、心に決めている。


●ワイフの料理

 ワイフがつくる料理で、一番、好きなのは、サバの醤油煮。これが格別に、うまい! も
う一つは、肉じゃが。ほかにもいろいろあるが、昨夜は、そのサバの醤油煮だった。

 ダイエット中だというのに、ご飯を2杯も食べてしまった。おかげで、今朝、体重を測
(はか)ってみると、1キロの増量! 

 どうして、こうなるのだ! 食べたら、食べた分だけ、私は太ってしまう。恐らく体中
が、飢えた状態になっているらしい。ほんの少量の食事でも、すべてを、体重に変えてし
まう。つまりこうしてリバウンドが、始まる。

 今朝は、スイカだけ。そう決めた。(今、時刻は、午前7時ちょうど。)

 それからワイフのつくるスキヤキも、絶品! あちこちでスキヤキを食べる機会もある
が、しかしやはりワイフのつくるスキヤキにまさるスキヤキはない。うまい。

 しかしほめてばかりいては、評論家の名がすたる。あえて言うなら、天丼。ワイフがつ
くると、どうしても、水ぽくなってしまう。先日も、いっしょに買い物をしながら、ワイ
フは、ふと、こうもらした。「私、揚げ物は、苦手なのね……」と。

 「そんなことないよ」と励まそうと思ったが、「そうだよなあ……」と思ったとたん、そ
の言葉は、口から消えてしまった。

 油の温度の問題だと、私は、思うのだが……。


●宇宙

 満点の星空。大きな月。その向こうに広がる、どこまでも無限で、深遠な闇に包まれた
宇宙……。「この広い宇宙……」と言いたいが、実は、「広い」という概念ほど、まったく、
アテにならないものはない。距離などというものは、「光」が勝手につくりあげた虚構の概
念。もし「光」がなければ、距離すらも、存在しない。

 今、こうして見えている目の前の世界にしても、光が勝手につくりあげた、虚像。その
虚像を、脳の中の視覚野(脳のモニター)が、映し出しているだけ。それを脳ミソが、刺
激を受けて、感じているだけ。

 そこに見えるから、存在するということにはならない。見えないから、存在しないとい
うことにもならない。

 本当の宇宙は、ひょっとしたら、私やあなたの握りこぶしほどの大きさしかないのかも
しれない。いや、私が、そう言っているのではない。あのホーキング博士が、そう言って
いる。

 私たちが住んでいるような宇宙は、そこにも、ここにも、いたるところにあって、まる
でアワ(バブル)のように、ぎっしりとつまっているという。

 そうした別の宇宙が見えないのは、私たちが、その中に住んでいないから。その別の宇
宙の中に、住めば、見える。今の私たちが、この宇宙を見ているように、だ。もともと今、
私たちが住んでいるこの宇宙にしても、まったくの(無)が、二つに分かれて、それでで
きあがった世界だという。

 何とも不可思議な世界ではないか。

 ただ一つ、はっきりしていることは、もし、私が死ねば、この宇宙もろとも、すべてが
消えるということ。どこかにはある……というだけでも、二度と、この宇宙を見ることも、
さわることもできない。ちょうど、目の前にある、無数の別の宇宙を、見ることも、さわ
ることもできないように、だ。

 ……しかしとなりの別の宇宙にも、私たちが住んでいるような惑星があるのだろうか。
その惑星には、私たち人間のような生物が住んでいるのだろうか。

 いつの世か、人間は、そういう無数の別の宇宙を、自由に行き来できるようになるかも
しれない。そうなれば、まさに人間は、時空を越えた存在となる。……が、ふつうの方法
では、無理だろう。

 たとえば体も心も、電子エネルギーのようなものに変換できるようにでもならないと、
無理ではないか。しかしそうなればなったで、人間が見る世界は、まったくちがったもの
になるはず。

 体全体が、電子のモヤのようになる。大きさは、ハバが、数百キロ。そして数億キロ離
れた友人と、宇宙をただよいながら、こんな会話をする。

私「゜"#$$#"""""""&&'&%&」
友「''&&&%&%##"$#"!!」と。

想像するだけでも、楽しくなる。

【追記】

 「時間」にしても、これまたアテにならないものはない。

 時計を見ていると、コチコチと、1秒ずつ時の流れをきざんでいるが、この1秒の間に、
3000万年分もの時代を生きる生物だっているかもしれない。

 事実、「フェムト秒」という単位がある。

 以前、書いた日記にこんなのがある。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●フェムト秒

 ある科学の研究者から、こんなメールが届いた(02年9月)。いわく……

「今週は、(今日ですと先週と言うのでしょうか)、葉山の山の上にある国際村センターで、
日独のジョイントセミナーがありました。私の昔からの親しい友人(前にジャパンプライ
ズを受けたノーベル賞級の人)が来ると言うので、近くでもあるし、出させてもらいまし
た。 今は固体表面に吸着した分子一個一個を直接見ながら、それにエネルギーを加え
て反応を起こさせたり、フェムト秒単位(一秒を10で15回繰り返して割った短い時
間)で、その挙動を追っかけたり、大変な技術が発達してきました」(TK先生)と。

 このメールによれば、(1)固体表面に吸着した分子を直接見ることができる。(2)フ
ェムト秒単位で、その分子の動きを観察できる、ということらしい。それにしても、驚い
た。

ただ、(1)の分子を見ることについては、もう20年前から技術的に可能という話は聞
いていたので、「へえ」という驚きでしかなかった。しかし「フェムト秒単位の観察」と
いうのには驚いた。わかりやすく言うと、つまり計算上では、1フェムト秒というのは、
10の15乗倍して、やっと1秒になるという時間である。反対に言えば、1000兆
分の1秒ということになる。さらに反対に言えば、1000兆秒というのは、この地球
上の3100万年分に相当する。計算するだけでも、わけがわからなくなるが、1フェ
ムト秒というのは、そういう時間をいう。

こういう時間があるということ自体驚きである。もっともこれは理論上の時間で、人間
が観察できる時間ではない。しかしこういう話を聞くと、「では、時間とは何か?」とい
う問題を、考えざるをえなくなってしまう。もし人間が、1フェムト秒を、1秒にして
生きることができたら、そのたったの1秒で、3100万年分の人生を生きることにな
る! ギョッ!
(はやし浩司 フェムト秒)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●日本相撲協会に異義あり!

 内容はよくわからないが、T花元横綱が、協会の改革を訴えた。それに対して、日本相
撲協会が、T花元欲綱に、「厳重注意した」という。

 相撲人口、つまり相撲を支えるファンや支持者は、確実に減っている。私が子どものこ
ろとくらべると、激減というか、それに近いほど、減っている。

 こうした現実があるにもかかわらず、日本相撲協会は、旧態依然のまま。スポーツと言
いながら、どこにもスポーツの要素がない。「国技?」ということだから、それなりの保護
も必要かもしれない。

 しかし億単位のお金が乱舞しているのを見ると、だれしも、「これでいいのか?」と思う。
また場所が始まると、NHK(BS)では、午後1時ごろから、夕方6時近くまで、連続
で実況中継している。しかし、そんな必要があるのだろうか。

 まさに「笛吹けど、踊らず」の状態といってよい。

 ためしに、小学生たちに聞いてみた。「相撲を見る」と答えた子どもは、ゼロ。「相撲が
好き」と答えた子どもも、ゼロ(小1〜6、約20人)。

 私たちの知らないところで、有形、無形のばく大な税金が、ムダに使われているのでは? 
最近では、私は、そんな疑問をもち始めている。

 T花元横綱は、小中高の、相撲一貫校をつくりたいなどというようなことを提案したと
いう(テレビ報道)。が、発想そのものが、現実離れしている。国技は国技だが、しかしそ
れほどまでにして守らねばならない、国技でもない。

 ことあるごとに、日本相撲協会は、「国技」という言葉を使い、また別の機会では、「ス
ポーツ」という言葉を使う。それらを巧みに使い分けながら、私たちを煙に巻く。

 しかし相撲は、基本的には、「興行」である。金もうけのための興行である。野球もサッ
カーも、興行だが、相撲ほどの、公的保護は、受けていない。

 「税金のムダづかい」という観点から、日本相撲協会のあり方を、もう一度考えなおす
べき時期にきているのではないだろうか。


●いよいよ6か国協議(7月21日記)

 来週から、いよいよ、中国の北京で、6か国協議なるものが、開かれる。K国の核開発
を、どう放棄させるかが、その協議の焦点だが、20日(昨日)、ロングズワース副局長(核
安全保障局(NNSA))が、こんなことを言い出した。

 「査察範囲を民間研究機関にも拡大し、未申告の疑惑施設への事実上の(抜き打ち査察)
を可能とした、国際原子力機関(IAEA)追加議定書を適用する」と。そしてその上で、
「強制力ある査察・検証体制を追求していく」(共同通信)と。

 つまり核査察の方法について、(抜き打ち検査)を未申告の疑惑施設に対しても、する、
と。

 しかしこんなこと、K国が、OKするはずがない。

 OKしたら、たいへんなことになる。金xxが、世界に見られたくないものが、K国に
は、山のようにある。

 ニセ札工場
 覚せい剤製造工場
 化学兵器工場
 生物兵器工場
 ミサイル工場
それに強制収容所などなど。

 それこそ白骨化した死体が、何十万人分と出てくるかもしれない。あるいは100万人
分を越えるかもしれない。みんな、政治犯(?)として処刑された人たちである。

 まあ、ブッシュ政権の読みとしては、ネバリにネバっていれば、そのうち、K国の代表
団が怒って、席を蹴って出て行くだろうということ。そうなれば、しめたもの。

 あとは、中国とロシアの協力を得て、この問題は、国連の安保理に付託すればよい。同
時に、アメリカ軍は、韓国から、完全撤退する。

 もちろんそうなれば、窮地に立たされるのが、韓国。韓国は、体を張って、それに抵抗
するだろう。しかし日本以上に、今、孤立しているのが、韓国。N大統領は、そのあたり
のことが、まったくわかっていない。

 そのあと、K国は、核実験でもするかもしれない。あるいは日本にあれこれちょっかい
を出してくるかもしれない。

 が、日本は、相手にしない。すでにK国は、ゾンビのような国である。存続しているこ
と自体、ありえない国である。雑誌「S」によれば、この7月に入って、360万人もの
国民が、飢餓状態にあるという。

 ふつうの、つまりまともな政治家なら、自ら責任をとって、引きさがるだろう。が、金
xxは、引きさがらない。

 だから日本は、K国など、本気で相手にしてはいけない。冷静に、ただひたすら冷静に、
やるべきことは事務的に、かつ、冷静にすればよい。あとは、国際世論を背景に、ことの
推移を見守ればよい。
(この原稿は、去る7月20日に書いたものです。)
 

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 24日(No.614)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page026.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】【2】(子育特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもへの対処のし方

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浜松市にお住まいの、NEさん(2児の母親)から、
子どもへの対処のし方についての、相談がありまし
た。

今回は、それについて、考えてみます。
(050720)

+++++++++++++++++++++++++
【NEより、はやし浩司へ、マガジンについて……】

【 マガジンでは、どんなテーマを希望されますか? 】:
  子育てのノウハウ。
  子育てエッセー。
  教育評論。
  生活一般。
  社会評論。
  心の問題。
  家族の問題。
  二男の家族(アメリカの生活)
  BW教室のニュースなど。

【 これからもマガジンを購読してくださいますか? 】:
  毎回、必ず読む。

【 ご相談をお寄せください。(このままマガジンに掲載することもあります。あらかじめ、
ご了解ください。) 】:

 子供の叱り方について。
 双子の男の子の母です。春に、ようやく小学1年生になりました。年中の時に、林先生
の講演を聴き、メールマガジンの愛読者になり、もう2年目になりました。

 あの頃の自分よりは子育てに生活に余裕が生まれ、ぎこちなさや、完璧主義、過干渉は
減ってはいます。ただすぐになおったというわけでなく、まだまだ私に問題は多く、いけ
ないことですが手をあげてしまったり、怒鳴り散らすという事があります。情けないので
すが・・・。

 子供も小学生になり、随分しっかりしてきたように思います。

 学区の関係で10分以内で通える小学校ではなく、30分以上もかかる小学校に、毎日
汗をかきながら通っている姿は、本当にけなげに思います。学校は遠い方が丈夫になると
簡単に言ってくれますが、本人達にとっては過酷としか思えません。

 今日のような暑い日には、熱中症にならないかと心配も絶えないし、決して安全とはい
えない道中を歩かせることも、心配です。遊ぶ時間が減ることについても、親としては納
得のいかないなどと、矛盾した思いでいます。(これは行政の文句ですね!すみません)

 本題ですが、最近S君の方が怒っても、いい加減に聞き流す傾向が強く、言うこともき
かないし、都合が悪いと聞えないふりをしたり、親の顔色をみたり、平気で悪いことを調
子に乗ってやってのけたりと、目に余る行動が多いのです。

 私もがんじがらめに怒るつもりはないのですが、やはりちゃんとわかってほしいので、
しつこく言ったり、くどくどと話をしたり、ビンタをしたり、そのまま、だんだんと叱り
方がひどくなってエスカレートしてしまいます。

 昨日は、パパに、「そんなに追い込むなよ」とまで言われてしまいました。そのいい加減
さや調子のよさ、ズルさが私としては本当に許せないわけですが。涙を流した後、「ごめん
なさい」といってしまえば、次の行動では、けろっと忘れてまた同じことをします。甘え
て手を握ってきたり、(私はこれが生理的に許せないのですが)、怒るのも許すのも、相性が
あるんだなと思います。

 もう片方の子供はわりに素直です。(違った面での問題はありますが)、きっと基本的に自
分に似ているのだと思います。私には適当さと、いい加減さが足りなく、子供にとっては
とても窮屈な子育てであることに違いないと思います。

 今朝、チックのような症状がでていました。あーあ。どうしたものか・・・。そして確
実に私の心から離れていくのを感じます。S君は子犬のように、始終甘えてくっついている
くせに、わがままで言いたいことを言っています。
 
 反抗期であり、これも自立かと思いますが、どこで線をひき、どこまで干渉していいも
のか? 怒られなければ、どんどんやっちゃう所もとても嫌なんですが、多少は寛大にみ
てる時だってあるんです。上手く叱る心に残るケジメや正義感、やっていいこと、悪いこ
と上手くできるコツや私の反省点があったらアドバイスください。

 直すって言うよりは、きっとこれから心がけていくこと、注意点ってことでしょうか、
きっと私も子供も治るってことではなく、上手くやっていくコツみたいなことだとおもう
のです。

 すみません。長々と書いてしまいました。

 夏休み前、毎日イライラして怒るのかと思うとウンザリ。楽しい夏休みにしてあげたく
て色々な予定を入れています。どうなるのでしょう・・・。不安です。

【 とりあげてほしいテーマをお寄せください。 】:

 教室の様子はとても参考になります。

 先生と子供との会話はいつもいきいきとして、心が温かくなります。生の声(ちょっと
変?)臨場感があるといったほうが適切ですね。子育てをしていて、いつも書いて欲しい
と思うことは自分と同じ立場でのケースや、問題解決までのいきさつなど。私はこうした
とかこういう話があったとか、こういうケースではこうだったとかいう情報です。

 また先生は外国ではこういう考え方があるとか幅の広い情報です。自分がどういう子育
てをしているのかや問題点を客観的に考えることが出来ることが、とても必要だと思うの
です。

【 ご希望をお寄せください。 】:

 先生も頑張ってください。(単純な言葉ですみません)

 確かに目標達成するのは大変だと思いますが。影ながら応援しつつ、私も愛読し続けて
います!!

 先生の話は生活そのものの中に答えがあり、テーマもあり、時代を超えて感じるものが
あります。

 政治の話は忙しい時には省いて読んでしまうことがあり申し訳なく思ってしますが、無
くしてしまうにはもったいないと思っています。

 また、折角英語ができるので出来ない私にとっては羨ましい限り。よろしかったら子供
と楽しく英語を学ぶ方法(家庭で)参考になる絵本などありましたら紹介してくださいま
せんか? 自然に学べる家庭の中で生かせるものがあったらなぁと、思うので。簡単で楽
しいって程度でいいです。(苦笑)まずは英語が楽しく思えること!

+++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ……】

 子育ては、リズムですね。親子のリズムです。そのリズムが合っていれば、それでよし。
そうでなければ、長い時間をかけて、ギクシャクしてきます。

 S君とのリズムは、あまり合っているとは思われません。恐らくそのはじまりは、ほん
のささいなことだったと思います。生後直後の、ひょっとしたら、NEさん自身すらも忘
れてしまっているようなことです。

 「こちらの方の子どもは、むずかしそう……」とか、そんなふとした思いが、どこかで
別のリズムを作ってしまいます。

 それについて書いたのが、つぎの原稿です。少し話が、それるかもしれませんが、参考
にしてください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

親子の断絶が始まるとき 

●最初は小さな亀裂

最初は、それは小さな亀裂で始まる。しかしそれに気づく親は少ない。「うちの子に限っ
て……」「まだうちの子は小さいから……」と思っているうちに、互いの間の不協和音は
やがて大きくなる。そしてそれが、断絶へと進む……。

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は五五%もいる。「父親のようにな
りたくない」と思っている中高校生は七九%もいる(『青少年白書』平成一〇年)(※)。

が、この程度ならまだ救われる。親子といいながら会話もない。廊下ですれ違っても、
目と目をそむけあう。まさに一触即発。親が何かを話しかけただけで、「ウッセー!」と、
子どもはやり返す。そこで親は親で、「親に向かって、何だ!」となる。あとはいつもの
大喧嘩!

……と、書くと、たいていの親はこう言う。「うちはだいじょうぶ」と。「私は子どもに
感謝されているはず」と言う親もいる。しかし本当にそうか。そこでこんなテスト。

●休まるのは風呂の中

あなたの子どもが、学校から帰ってきたら、どこで体を休めているか、それを観察して
みてほしい。そのときあなたの子どもが、あなたのいるところで、あなたのことを気に
しないで、体を休めているようであれば、それでよし。あなたと子どもの関係は良好と
みてよい。

しかし好んであなたの姿の見えないところで体を休めたり、あなたの姿を見ると、どこ
かへ逃げて行くようであれば、要注意。かなり反省したほうがよい。ちなみに中学生の
多くが、心が休まる場所としてあげたのが、(1)風呂の中、(2)トイレの中、それに
(3)ふとんの中だそうだ(学外研・九八年報告)。

●断絶の三要素

 親子を断絶させるものに、三つある。(1)権威主義、(2)相互不信、それに(3)リ
ズムの乱れ。

(1)権威主義……「私は親だ」というのが権威主義。「私は親だ」「子どもは親に従うべ
き」と考える親ほど、あぶない。権威主義的であればあるほど、親は子どもの心に耳を傾
けない。「子どものことは私が一番よく知っている」「私がすることにはまちがいはない」
という過信のもと、自分勝手で自分に都合のよい子育てだけをする。

子どもについても、自分に都合のよいところしか認めようとしない。あるいは自分の価
値観を押しつける。一方、子どもは子どもで親の前では、仮面をかぶる。よい子ぶる。
が、その分だけ、やがて心は離れる。

(2)相互不信……「うちの子はすばらしい」という自信が、子どもを伸ばす。しかし親
が「心配だ」「不安だ」と思っていると、それはそのまま子どもの心となる。人間の心は、
鏡のようなものだ。イギリスの格言にも、『相手は、あなたが思っているように、あなたの
ことを思う』というのがある。

つまりあなたが子どものことを「すばらしい子」と思っていると、あなたの子どもも、
あなたを「すばらしい親」と思うようになる。そういう相互作用が、親子の間を密にす
る。が、そうでなければ、そうでなくなる。

(3)リズムの乱れ……三つ目にリズム。あなたが子ども(幼児)と通りをあるいている
姿を、思い浮かべてみてほしい。(今、子どもが大きくなっていれば、幼児のころの子ども
と歩いている姿を思い浮かべてみてほしい。)そのとき、

(1)あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。

しかし(2)子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようで
あれば、要注意。今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶……ということにもなり
かねない。

このタイプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」
と豪語する。へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、
それを叱る。そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、そう
だ。

子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、
できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。あなたは、やがて子ど
もと、こんな会話をするようになる。親「あんたは誰のおかげでピアノがひけるように
なったか、それがわかっているの! お母さんが高い月謝を払って、毎週ピアノ教室へ
連れていってあげたからよ!」、子「いつ誰が、そんなこと、お前に頼んだア!」と。

●リズム論

子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、
子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれ
ば、それは騒音でしかない。

このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続く
ということ。そのとちゅうで変わるということは、まず、ない。たとえば四時間おきに
ミルクを与えることになっていたとする。そのとき、四時間になったら、子どもがほし
がる前に、哺乳ビンを子どもの口に押しつける親もいれば、反対に四時間を過ぎても、
子どもが泣くまでミルクを与えない親もいる。

たとえば近所の子どもたちが英語教室へ通い始めたとする。そのとき、子どもが望む前
に英語教室への入会を決めてしまう親もいれば、反対に、子どもが「行きたい」と行っ
ても、なかなか行かせない親もいる。こうしたリズムは一度できると、それはずっと続
く。子どもがおとなになってからも、だ。

ある女性(三二歳)は、こう言った。「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。
また別の男性(四〇歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。ど
こかでそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからん
でいるため、変えるのは容易ではない。

●子どものうしろを歩く

 権威主義は百害あって一利なし。頭ごなしの命令は、タブー。子どもを信じ、今日から
でも遅くないから、子どものリズムにあわせて、子どものうしろを歩く。横でもよい。決
して前を歩かない。アメリカでは親子でも、「お前はパパに何をしてほしい?」「パパはぼ
くに何をしてほしい?」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。親子
の断絶を防ぐ。

※……平成一〇年度の『青少年白書』によれば、中高校生を対象にした調査で、「父親を尊
敬していない」の問に、「はい」と答えたのは五四・九%、「母親を尊敬していない」の問
に、「はい」と答えたのは、五一・五%。また「父親のようになりたくない」は、七八・八%、
「母親のようになりたくない」は、七一・五%であった。

この調査で注意しなければならないことは、「父親を尊敬していない」と答えた五五%の
子どもの中には、「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。また、
では残りの約四五%の子どもが、「父親を尊敬している」ということにもならない。この
中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。白書の性質上、ま
さか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。それでこ
うした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

(参考)
●親子の断絶診断テスト 

 最初は小さな亀裂。それがやがて断絶となる……。油断は禁物。そこであなたの子育て
を診断。子どもは無意識のうちにも、心の中の状態を、行動で示す。それを手がかりに、
子どもの心の中を知るのが、このテスト。

Q1
あなたは子どものことについて…。
★子どもの仲のよい友だちの名前(氏名)を、四人以上知っている(0点)。
★三人くらいまでなら知っている(1点)。
★一、二人くらいなら何となく知っている(2点)。
★ほとんど知らない(3点)。

Q2
学校から帰ってきたとき、あなたの子どもはどこで体を休めるか。
★親の姿の見えるところで、親を気にしないで体を休めている(0)。
★あまり親を気にしないで休めているようだ(1)。
★親のいるところをいやがるようだ(2)。
★親のいないところを求める。親の姿が見えると、その場を逃げる(3)。

Q3
「最近、学校で、何か変わったことがある?」と聞いてみる。そのときあなたの子どもは
……。
★学校で起きた事件や、その内容を詳しく話してくれる(0)。
★少しは話すが、めんどう臭そうな表情をしたり、うるさがる(1)。
★いやがらないが、ほとんど話してくれない(2)。
★即座に、回答を拒否し、無視したり、「うるさい!」とはねのける(3)。

Q4
何か荷物運びのような仕事を、あなたの子どもに頼んでみる。そのときあなたの心は…。
★いつも気楽にやってくれるので、平気で頼むことができる(0)。
★心のどこかに、やってくれるかなという不安がある(1)。
★親のほうが遠慮し、恐る恐る……といった感じになる(2)。
★拒否されるのがわかっているから、とても頼めない(3)。

Q5
休みの旅行の計画を話してみる。「家族でどこかへ行こうか」というような話でよい。
そのときあなたの子どもは…。
★ふつうの会話の一つとして、楽しそうに話に乗ってくる(0)。
★しぶしぶ話にのってくるといった雰囲気(1)。
★「行きたくない」と、たいてい拒否される(2)。
★家族旅行など、問題外といった雰囲気だ(3)。

+++++++++++++++

15〜12点…目下、断絶状態
11〜 9点…危険な状態
8〜 6点…平均的
5〜 0点…良好な関係
(はやし浩司 親子の断絶 断絶度テスト 断絶 自己診断)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ2】

 子どもは、親のリズムに合わせることはできません。となると、親のあなたのほうが、
子どものリズムに合わせるしかないのです。

 リズムがあっていない……、それが今、起こりつつあるいろいろな問題の原因です。だ
から一つの問題が解決しても、またつぎの問題が起きてきます。モグラたたきのモグラの
ようにです。

 ですからこの問題は、NEさんが、おっしゃっているように、「毎日イライラして怒るの
かと思うとウンザリ。楽しい夏休みにしてあげたくて色々な予定を入れています。どうな
るのでしょう・・・。不安です」という視点では、解決しないということです。

 解決しないどころか、やがてS君のほうが、あなたから去っていきますよ。あと数年く
らいで……。が、それだけでは、収まらない。まさに親子断絶の、一歩手前です。

 (もう一人の子どものほうも、油断してはいけません。あなたとS君の関係を横で見な
がら、あなたの知らないところで、別の心をつくりあげているはずです。あなたは自分で
は、もう一人とはうまくいっているはずと思っているかもしれませんが、それは疑ってみ
てください。)

 ですからアドバイスできることがあるとすれば、

(1)あきらめなさい。「うちの子は、まあ、こんなものよ」とあきらめなさい。
(2)くだらない親意識(悪玉親意識)など、もう捨てなさい。
(3)マイナス面ばかり見ないで、よい面を見たら、すかさず、ほめなさい。
(4)完ぺき主義を捨て、関心を、子どもから、ほかのことに向けなさい。

 チックが出てきたということは、かなり親子関係が、おかしくなっていることを示しま
す。警戒信号ととらえてください。

 リズム論について、もう1作、ここに添付しておきます。繰りかえしになりますが、今
のNEさんには、とても、重要なことです。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子育てリズム論】
●子どもの心を大切に
子どものうしろを歩こう
 子育てはリズム。親子でそのリズムが合っていれば、それでよし。しかし親が四拍子で、
子どもが三拍子では、リズムは合わない。いくら名曲でも、二つの曲を同時に演奏すれば、
それは騒音でしかない。そこでテスト。

 あなたが子どもと通りをあるいている姿を、思い浮かべてみてほしい。そのとき、(1)
あなたが、子どもの横か、うしろに立ってゆっくりと歩いていれば、よし。しかし(2)
子どもの前に立って、子どもの手をぐいぐいと引きながら歩いているようであれば、要注
意。

今は、小さな亀裂かもしれないが、やがて断絶…ということにもなりかねない。このタ
イプの親ほど、親意識が強い。「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と豪
語する。

へたに子どもが口答えでもしようものなら、「何だ、親に向かって!」と、それを叱る。
そしておけいこごとでも何でも、親が勝手に決める。やめるときも、親が勝手に決める。
子どもは子どもで、親の前では従順に従う。そういう子どもを見ながら、「うちの子は、
できのよい子」と錯覚する。が、仮面は仮面。長くは続かない。

 ところでアメリカでは、親子の間でも、こんな会話をする。

父「お前は、パパに何をしてほしいのか」
子「パパは、ぼくに何をしてほしいのか」と。

この段階で、互いにあいまいなことを言うのを許されない。それだけに、実際そのよう
に聞かれると、聞かれたほうは、ハッとする。緊張する。それはあるが、しかし日本人
よりは、ずっと相手の気持ちを確かめながら行動している。

 このリズムのこわいところは、子どもが乳幼児のときに始まり、おとなになるまで続く
ということ。その途中で変わるということは、まず、ない。ある女性(32歳)は、こう
言った。

「今でも、実家の親を前にすると、緊張します」と。

別の男性(40歳)も、父親と同居しているが、親子の会話はほとんど、ない。どこか
でそのリズムを変えなければならないが、リズムは、その人の人生観と深くからんでい
るため、変えるのは容易ではない。しかし変えるなら、早いほうがよい。早ければ早い
ほどよい。

もしあなたが子どもの手を引きながら、子どもの前を歩いているようなら、今日からで
も、子どもの歩調に合わせて、うしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたは子
育てのリズムを変えることができる。いつかやがて、すばらしい親子関係を築くことが
できる。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ3】

 もう一つは、親意識です。NEさん自身も、かなり親意識の強い家庭で、生まれ育って
いる可能性が高いです。「親絶対教」の信者のような家庭です。

 くだらないから、本当にくだらないから、親意識(悪玉親意識)など、もう捨てなさい。
親風を吹かして、子どもを自分の支配下で何とかしようなどとは、考えないこと。もっと
肩の力を抜いて、子育てを楽しめばよいのです。

 こんな貴重ですばらしい時期は、もう2度とやってきませんよ。その時期を、NEさん
は、ドタバタで、ムダにしている。私には、そんな気がします。

 何度も書いてきましたが、「親意識」の原稿も、添付しておきます。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【ああ親意識! されど親意識!】

●子どもの幸福に、嫉妬する親

 子どもの幸福に嫉妬する親は、少なくない。「親をさておいて、自分だけ、幸福になると
は、何ごとか」と。「親不孝者は、地獄へ落ちる」と、子どもを脅す親もいる。

 もともと精神的に未熟な、依存性の強い親とみる。そういった未熟性に、日本に古来か
ら伝わる、独特の親意識が重なる。私が「悪玉親意識」と呼んでいるのが、それである。

 この嫉妬は、さまざまな形に、姿を変える。

 息子や娘に対して、攻撃的になる親。弱々しい親を演じ、同情を求める親。子どもにベ
タベタと依存しようとする親。そして子どもに対して、逆に服従的になり、言外に子ども
に、「私(親)のめんどうをみろ」と迫る親、など。

 これらのパターンが、複合化して現れることもある。貧しいフリをして、息子の同情を
かい、そういう方法で、いつも息子の財産(マネー)を、まきあげるなど。

 息子が、「母さん、生活はだいじょうぶか?」と、心配して電話をかけると、「心配しな
くていいよ。冷蔵庫には、先日買った、魚の缶詰が、まだ残っているからね」と。

●「産んでやった」と言う母親。「産んでいただきました」と答える子ども

 依存性の強い母親は、いつもどこかで、恩着せがましい子育てをする。無意識のうちに
というか、伝統的な子育て法を、そのまま踏襲する。

 このタイプの母親(父親も)は、子どもに対して、「産んでやった」「育ててやった」を、
日常的に口にすることで、子どもを束縛しようとする。

 一方、子どもは子どもで、それに答えて、「産んでいただきました」「育てていただきま
した」と、言うようになる。

 相互にこうした依存関係ができたときには、親子関係も、それなりにうまくいく。たが
いにベタベタの親子関係をつづけながら、親は息子(娘)を、「できのいい孝行息子(娘)」
と思うようになる。息子(娘)は、「私の母親(父親)は、すばらしい人だ」と思うように
なる。

 が、もともとそれを支える人間的基盤は、弱い。軟弱。わかりやすく言えば、たがいに
自立できない人間どうしが、たがいになぐさめあって生きているにすぎない。ちょっとし
たことで、この人間関係は、崩れやすい。

●親・絶対教

「親は絶対である」と、考える人は、多い。だれかが、ほんの少しだけ、その人の親を
批判しただけで、「(オレの)親の悪口を言うヤツは許さない」と、絶叫してみせたりする。

 それがどこかカルト的であるから、私は「親・絶対教」と呼んでいる。

 カルトだから、理由など、ない。根拠もない。「偉いから、偉い」というような考え方を
する。それに日本古来の先祖崇拝意識が重なることもある。

 このタイプの人に、そのカルト性を指摘しても、意味はない。反対に、「お前の考え方の
ほうがおかしい」と、排斥されてしまう。相手の意見を聞く耳すら、もたない。と、同時
に、それがその人の人生観や哲学になっていることも多い。

 親・絶対教を否定するということは、その人の人生を否定することにもなる。だから、
このタイプの人は、猛烈に反発する。

 「親の悪口を言うヤツは、許さない!」と。「お前ら、人間の道を踏みはずしている」と
言った人もいる。

 あたかもそう叫ぶことが、子どもとしての努めであるというような、行動をとる。

●犠牲心

 こうした親・絶対教の信者に共通するのは、「子育ては、親の犠牲の上に成りたっている」
という考え方である。「産んでやった」「育ててやった」という言い方は、そういうところ
から生まれる。

 さらにストレートに、「お前を大学へ出してやった」「高い月謝を払って、ピアノ教室へ
通わせてやった」と言う親さえいる。

 そこで問題は、なぜ、こうした犠牲心が生まれるかということ。もう少し正確には、犠
牲的子育て観が生れるかということ。

 本来、子どもというのは、一組の夫婦の愛の結晶として生れる。そしてその子どもが生
れてきた以上、その子どもを育て、最終的には、その子どもを自立させるのは、親の義務
である。

 義務だ!

 その義務を放棄して、「産んでやった」「育ててやった」と言う。つまり、ここに日本型
の子育ての(おかしさ)が、集約されている。事実、英語には、そういう言い方、そのも
のがない。ないものは、ないのであって、どうしようも、ない。

●不幸な家族観

 日本独特の「家」制度は、同時に、個人の自立を、いつもどこかで犠牲にする。またそ
の犠牲の上に、「家」制度が、成りたっている。

 このことは、その「家」の跡取りとなった、長男をみれば、わかる。今でも、この日本
には、「長男だから……」「長女だから……」という、『ダカラ論』が、色濃く残っている。
そのため、そのダカラ論にしばられ、悶々と過ごしている長男、長女は、いくらでもいる。

 こうした意識の背景にあるのは、親にしても、自分たちの愛の結晶としての子どもを産
むというよりは、自分を離れた(他者)、つまり(家)のために、子どもを作るという意識
である。

 「本当は、産みたくなかったが、家のためにしかたないから、産んだ」と。

 ここまで極端なケースは、少ないかもしれないが、まったくないわけではない。が、中
には、不本意な結婚、不本意な出産をした人も多い。このタイプの人は、どうしても、こ
こでいう犠牲心をもちやすい。

 「私は子どものために、自分の人生をムダにしている」「したいことも、できず、犠牲に
なっている」と。

 その理由は、人それぞれ。しかし結果として、親は、心のどこかで犠牲心をもってしま
う。そしてそれが、冒頭に書いた、嫉妬へと、いつしか変質する。

●父親の役割

 母子関係と、父子関係は、基本的には、同一ではない。それは母親は、子どもを妊娠し、
出産し、そのあと、乳を与え、命をはぐくむという特殊性のちがいといってもよい。

 一方、父親と子どもの関係は、あくまでも(精液一しずくの関係)でしかない。

 そこでどうしても母子関係は、特殊なものになりやすい。が、特殊であることがまちが
っているというのではない。たとえば人間が原点としてもつ基本的信頼関係は、良好な母
子関係がってはじめて、はぐくまれる。

 この母子関係が不全になると、子どもは、生涯にわたって、その後遺症をひきずること
になる。

 こうした特殊な母子関係を修正し、調整していくのが、父親の役割ということになる。
放っておくと、母子関係は、ベタベタの関係になってしまう。子どもは、ひ弱で、自立で
きない人間になってしまう。

 父親は、そこで、子どもに狩のし方を教え、社会的ルールを教える。こうした操作を繰
りかえしながら、子どもを、濃密な母子関係から切り離していく。

 この父親の役割があいまいになったとき、えてして母親は子どもを溺愛するようになる。
それが相互依存関係をつくり、やがてベタベタの人間関係へと、発展していく。

●演歌歌手のK氏

 いつだったか、NHKのテレビ番組に、「母を語る」というのがあった。

 その中で、演歌歌手のK氏は、涙まじりに、こう語っていた。

 「私の母は、女手一つで、私を育ててくれました。私は、その恩に報いたくて、東京に
出て、歌手になりました」と。

 K氏は、さかんに、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言っていた。
それはそれだが、私は最初、「Kさんの母親は、すばらしい母親だ」と思った。しかし5〜
10分も見ていると、ふと、心のどこかで疑念がわいてくるのがわかった。

 「待てよ」と。

 「本当にK氏の母親は、すばらしい母親だったのか?」と。

 K氏は「すばらしい母親だ」と言っている。それはわかる。しかし、「産んでいただきま
した」「育てていただきました」と、思わせたのは、実は、母親自身ではなかったのか、と。

 心理学でいう、「家族自我群」による束縛で、K氏をしばりあげたのは、実は母親自身で
ある、と。

 「女手ひとつ」だったということだから、苦労もあったのだろう。それはわかる。が、
K氏の母親は、そうした恩を、K氏に日常的に着せることで、母親としての自分の役目を
果たそうとした(?)。

 こうした例は、決して、珍しくない。日本人は、ごく当たり前のこととして、それを受
けいれてしまっている。よい例が、窪田聡という人が作詞した、あの『かあさんの歌』で
ある。

 あれほどまでに、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はないと、私は思うのだが、日本
人は、こうした歌を、名曲として、受けいれてしまっている。

●家族自我群からの自立

 こうした問題を考えるとき、私たちは、どうしても親という立場だけで、ものを考えや
すい。しかし本当の問題は、このあと、子どもの側に起きる。

 「産んでいただきました」「育てていただきました」と、子どもの側が、それなりに、親
に呼応している間は、たがいの人間関係は、うまくいく。

 しかしその成長過程においても、子どもは、こうした家族自我群からの自立を目ざす。
これを「個人化」という。

 よく誤解されるが、個人化は、家族の否定ではない。家族との調和をいう。

 が、この個人化が、うまく進まないときがある。親の溺愛にはじまって、過干渉、過関
心、そして過保護など。親の否定的な育児姿勢が、個人化を阻害することもある。家庭崩
壊、育児拒否、冷淡、無視、暴力、虐待なども、個人化を阻害する。

 この個人化が、うまく進まないとき、さまざまな弊害が起きる。

 その一つが「幻惑」(ボーエン)という現象である。

●幻惑

 本来、子どもが自立し始めたら、親は、自分自身も子離れを始めると同時に、子どもも
またじょうずに、親離れできるように仕向けなければならない。

 子離れということは、子ども自身に親離れさせることを意味する。

 「あなたは、あなたよ。あなたの人生は一度しかないから、思う存分、この広い世界を
はばたいてみなさい」と。

 子どもは、こうした親の姿勢を感じてはじめて、自分自身を自立させることができる。
が、それがないと、子どもは、その「幻惑」に苦しむことになる。

 親離れすることを、罪悪と考えるようになり、家族自我群の束縛と、個人化のはざまで、
悩み苦しむようになる。

 さらにその幻惑が進むと、自らにダメ人間というレッテルを張ってしまい、さらには、
自己否定するようになってしまう。

 親自身が、息子や娘に、このレッテルを張ってしまうこともある。「このできそこない!
 親不孝者め!」と。

●伝統的子育て観

 子育ては本能ではなく、学習によって、決まる。そういう意味でも、子育ては、代々と、
親から子へと繰りかえされやすい。

 そこで日本型の子育ての特徴はといえば、常に子どもが、親、先祖、家に対して犠牲的
になることを、美徳としてきたところにある。

 ある母親は、息子夫婦が海外へ赴任している間に、息子の財産(土地)を、勝手に売却
してしまった。

 それについて息子が母親に抗議すると、その母親は、こう答えたという。

 「親が、先祖を守るために、息子の財産を使って、何が悪い!」と。

 こういうケースでは、親が口にする「先祖」というのは、「親」という自分自身のことを
いう。まさか「親が、自分の息子の財産を使って、何が悪い!」とは言えない。だから「先
祖」という言葉をもちだす。

 それはそれとして、こうした伝統的子育て観が一方にあって、親は、子どもに犠牲を強
いるようになる。あるいはそれを強いながら、強いているという意識がないまま、強いる。

 こうして日本独特の子育て観は、代々と、親から子へと受け継がれる。今も、受け継が
れている。

●親子の確執

 親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。人間と人間の関係である。

 が、この親子関係が特殊性をおびるのは、ひとえに、文化でしかない。その文化が、親
子関係を特殊なものにする。

 だからといって、それが悪いと言うのではない。人間生活そのものが、その「文化」の
上に成りたっている。文化を否定すれば、人間は、原始の世界の動物に、逆戻りする。

 大切なことは、そういう人間関係に、どういう文化を乗せるかである。あるいはその基
礎に、どういう文化を置くかである。

 その文化に、ズレが生じたとき、親子の間に緊張感が高まり、それが、確執へとつなが
っていく。しかも、親子であるがゆえに、その確執のミゾも深くなる。他人なら、たがい
に、「はい、さようなら」と別れることができる。しかし親子では、それができない。でき
ないから、もがき、苦しむ。

 たとえば、日本人の多くは、「産んでもらった」、だから、「親のめんどうをみるのが当然」
という、相互依存関係をつくりやすい。

 しかしなぜそうなったかといえば、先に書いたように、そこには「家」制度がある。さ
らには、社会保障制度の不備もある。最近になって、老人介護という言葉が使われるよう
になったが、私が若いころには、そんな言葉すらなかった。

 子どもは親なしでは生きていかれない存在だが、老人もまた、子どもなしでは生きてい
かれない存在であった。が、問題は、さらにつづく。

●欧米の例

 オーストラリアでもアメリカでも、親が老後の苦労を、子どもにかけないという姿勢が、
社会制度の中で定着している。またそういう社会的制度も、充実している。

 オーストラリアの南オーストラリア州でも、平均的なオーストラリア人は、つぎのよう
な過程を経て、人生を終える。

 結婚→子育て→子どもの独立→老後は市内のアパート(自分の家)→老人ホーム→死去、
と。

 日本の家族のように、複数世代が、同居するということは、まず、ない。興味深いのは、
子どもが高校生くらいになると、親自身が、子どもの自立をうながすこと。同じ敷地の中
に、バンガローを建てて、そこへ子どもを住まわせる親も、少なくない。

 こうして親は親で、死ぬまで、自分の生活と、その生活する場(人生)を確保する。こ
どものために自分の人生を犠牲にすることは、まず、ない。

 たとえば大学生にしても、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければ
ならないほど、少ない。たいていは奨学金を得たり、自ら借金をして通う。

 が、それでいて、人間関係が希薄かというと、そういうことはない。むしろいろいろな
統計結果をみても、手をかけ、金をかける日本の親子関係より、濃密なばあいが多い。

●親自身の自立性 

 あなたと親の関係はともかくも、今度は、あなたと子どもの関係において、あなたとい
う親は、いつも人間として自立することを念頭に置かねばならない。結局は、そこへすべ
ての結論が、行きつく。

 親としてではなく、一人の人間として、どう生きるかという問題である。

 その(生きる)部分に、(親意識)を混在させてしまうと、人生そのものが、わけのわか
らないものになってしまう。よくある例が、自分の生きがいを、子どもに託してしまう親
である。

 明けても暮れても、考えることは、子育てのことばかり。自分の人生のすべてを、子育
てにかけてしまう。

 一度、こういう状態になると、そこから抜け出るのは、容易なことではない。それなり
に親子関係が順調なときは、それほど問題にはならない。しかしひとたびそれが崩れると、
自己犠牲心は、被害妄想に。愛情は、憎悪へと変身する。……しやすい。

 「親をさておいて、自分だけいい生活をしやがってエ!」と、息子に叫んだ母親がいた。
 「あんたは、だれのおかげで、日本語がしゃべれるようになったか、わかっているの!」
と、娘に叫んだ母親もいた。

 息子が家を新築したことに対して、「親の家を改築するのが、先だろう」と怒った、母親
すら、いた。

 ほかにも、息子が結婚して、郷里を離れたことについて、「悔しい」「悔しい」と泣き明
かした母親もいる。「息子を、嫁に取られてしまった。息子なんて、育てるもんじゃない」
と、会う人ごとにこぼしていた母親もいる。

 こうした親たちに共通する点はといえば、つまりは、自立できない、精神的に未完成な
人間性である。

●では、どうするか?

 今まで、こうしたケースを、私はたくさん経験している。経験したというよりは、多く
の相談を受けてきている。

 その結果というか、結論を先に言えば、こうした親たちを説得するのは、不可能という
こと。先にも書いたように、カルト化している。さらにそういった生きザマ自体が、その
人の人生観の骨格にもなっている。

 それを否定することは、その人自身の人生を否定することに等しい。だからそもそも、
別の考え方を受けいれようとしない。

 で、こういうケースでは、あきらめて、納得し、その上で、妥協して生きるしかない。

 そして自分の問題としては、心理学でいう「幻惑」から、できるだけはやく自分を解放
する。

 親が子どもに対して、冷たく「縁を切る」とか、それに類することを口にしたときには、
それを悩むのではなく、「はい、そうですか」と割りきる。この割りきりが、あなた自身を
幻惑から解放する。

 幻惑にとりつかれ、悶々と悩むということは、あなた自身が、すでに親がもつ親意識を、
引き継いでいることを意味する。つまりあなた自身も、すでにマザコンであるということ。
そのマザコン性に気がつくことである。

 なぜ幻惑に苦しむかといえば、自分自身の中のマザコン性を、処理できないためと考え
てよい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NEさんへ4】

 あなたのお子さん、S君は、すばらしい子どもですよ。あなたに好かれようと、懸命に、
がんばっているではありませんか。あなたには、それがわかりますか。

 「涙を流した後、『ごめんなさい』といってしまえば、次の行動では、けろっと忘れてま
た同じことをします。甘えて手を握ってきたり、(私はこれが生理的に許せないのですが)、
怒るのも許すのも、相性があるんだなと思います)という部分を、他人の目で、もう一度、
読みなおしてみてください。

 生理的に許せないあなたのほうに、問題があるのですよ。わかりますか?

 もう一つアドバイスできることがあるとすれば、(わだかまり論)です。最後に、それを
添付しておきます。参考にしてください。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●不安の原因は、わだかまり

 子育てをしていて、いつも同じパターンで、同じように失敗するというのであれば、あ
なた自身の中に潜む、「わだかまり」をさぐってみる。わだかまりは、あなたの心の奥に巣
をつくり、あなたを裏から操る。

 わだかまりがあるということが悪いのではない。ほとんどの人は、何らかのわだかまり
をもっている。わだかまりがあるということが悪いのではなく、その「ある」ことに気が
つかないまま、それに振り回されるのが悪い。

 望まない結婚であった。望まない子どもであった。妊娠中に大きな不安があった。実家
とうまくいっていない。不幸な家庭生活だった。生活苦がある。夫婦げんかが絶えない。
夫婦関係がぎくしゃくしている、などなど。こうした「思い」が、わだかまりとなり、そ
れが「子育ての不安」を増大させる。

 ある母親は、小学一年生の男の子を、「イヤーッ!」と叫んで、手で払いのけていた。長
い間、その理由がわからなかったが、いろいろ振り返ってみると、望まない結婚が原因だ
ったということがわかった。

 現在の夫(子どもの父親)は、その母親に対して、結婚前、執拗なストーカー行為を繰
り返していた。が、その母親は心のやさしい人だった。「実家に迷惑がかかってはいけない」
「私ひとりががまんすれば何とかなる」と考えて、その男と結婚した。が、そんな結婚だ
から、最初からうまくいくはずがない。殺伐(さつばつ)とした結婚生活がつづいた。そ
こでその母親は、「子はかすがいという。子どもをつくれば何とか、うまくいくだろう」と
考えて、その男の子をもうけた。子どもが「ママ!」とすりよってくるたびに、その母親
は、無意識のまま、その男の子を払いのけていたというわけである。

 こうしたわだかまりは、それに気がつくだけで、消えることはないが、おとなしくさせ
ることはできる。そのあと少し時間はかかるが、やがて問題も解決する。そこで大切なこ
とは、冒頭に書いたように、いつも同じようなパターンで、同じように失敗するというの
であれば、このわだかまりを疑ってみる。何かあるはずである。
(はやし浩司 親子の確執 親子問題 ギクシャクする親子 子供への接し方)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ、あれこれ】

●ガソリンが高くなった!

 今、このあたりでは、ガソロンが1リットルあたり、120〜122円(レギュラー)(7・
20)。

 原油価格があがっているためだが、同時に、今、世界では、おかしなことが起きている。

 まず金価格が、ジワジワと上昇しつづけ、同時に、ユーロが、一時の元気をなくし、さ
がり始めている。全体的にみれば、ドルの価値がさがりつつあることを示す。そのドルに
対して、さらに円は、弱ぶくみ。その円だが、現在は、1ドルが、120円弱!

 円の価値がさがれば、輸入品の価格はあがるが、当然、輸出産業は、勢いづく。しかし
なぜ、ユーロがさがり始めたのか? 私たちの知らない世界で、どうやら、中国が動き始
めたためらしい。中国が、何らかの理由で、ユーロからドルに、資金をシフトし始めた。

 「やぱり、ドル、あるよ。ユーロ、だめ、あるよ」と。


●悲惨なK国

 雑誌「S」によれば、K国では、この7月に入ってから、360万人もの人たちが、食
糧不足の状態になっているという。95〜6年の食糧危機の状態より、さらにひどいらし
い。

 食糧だけではない。「工業も、鉄くず化してしまった」(同S誌)という。

 恐らく今、その水面下では、まさに地獄絵図のような世界が、展開されているにちがい
ない。わずかな食料をめぐっての争いはもちろん、強奪、強盗、殺人など。人肉売買さえ
なされているという。

 さらに、雑誌「S」によれば、権力、権威をカサに着た連中が、貧しい人たちから、お
金やモノを、容赦なく、搾取(さくしゅ)しているという。もちろん外国からの食糧援助
は、まず、上層部がかすめ取る。残った食糧は、ヤミ市へ。

 こうして貧富の差は、ますます拡大。

 はっきり言えば、K国の国内事情は、メチャメチャ。そのことすら信じられないが、そ
んな国が、日本のすぐとなりにあることも、私には、信じられない。仮に、今すぐ、K国
が、今の貧困から立ちなおったとしても、その後遺症は、この先、数世代にもわたってつ
づくことだろう。

 破壊された心は、そんなに簡単には、修復されない。

 腹いっぱい、メシを食べた。ショパンの音楽も聞いた。風呂に入って、やわらかいフト
ンの上で寝た。だから翌朝から、文化人……というわけには、いかない。人間の心という
のは、そういうもの。

 この日本だって、いまだに、あの戦時中、戦後の後遺症を、引きずっているではないか。
その後遺症は、いたるところに残っている。それに苦しんでいる人は、多い。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 22日(No.613)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page025.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの進路について

+++++++++++++++++++

京都府にお住まいの、HUさん(母親)から、
こんな相談のメールが届いています。

みなさんと、いっしょに、この問題を、考えて
みたいと思います。

+++++++++++++++++++

【HUより、はやし浩司へ】

【 マガジンを読んでくださっていますか? 】:毎回、欠かさず読んでいる。
【 ホームページをご覧くださっていますか? 】:よく見る。
【 マガジンは、おもしろいですか? 】:
    たいへんおもしろい。
    たいへん、役立っている。
    共鳴するところが多い。

【 マガジンでは、どんなテーマを希望されますか? 】:
    子育てのノウハウ。
    親子の問題。
    受験問題。

【 これからもマガジンを購読してくださいますか? 】:毎回、必ず読む。
【 ご相談をお寄せください。(このままマガジンに掲載することもあります。あらかじめ、
ご了解ください。) 】:

 はじめまして、ある掲示板で、はやしさんのことを知る事ができ、いろいろ読ませてい
ただいています。

 現在高3の娘と高1の息子を、子育て中です。

上の娘は何でも一人で考えてキチンとこなす子なのですが、下の息子は何をするのも慣
れるまで時間がかかるので、こちらもつい口出しをしてしまいます。母子でいつも大騒
ぎしています。主人が転勤族なので子供達も、転校続きでしたが、今まではお友達とそ
のお母さん方に恵まれ、悩む事もあまり無く過ごせてきました

 しかし息子の高校受験からちょっと雲行きが怪しくなってきました。高校入学後、部活
と通学に精一杯で、勉強を一切しなくなってしまったのです。

 第一〜第四まで落ちてしまったので、すべり止めで入学した学校ですが、後ろを振り返
ったら何人もいない状態です。受験まで分からない事があると、私が教えていました。

 学生時代、私もそんなに賢かったわけではないので、一緒に勉強しました。これを高校
へ入ってからもやるべきかそれとも放っておくべきか、迷っています。

 娘の時は一切見ていません。
 息子は言われなければ夏休みも部活だけで何もしないでしょう。それをそばで見ないふ
りをするのが、彼にとって良いのは分かっています。

 でも取り返しのつかないバカになってしまいそうで、不安です。おかしいですか? 笑
ってしまいますか? 私も書いていて笑ってしまいます。でも真剣です。

 学校は進学校で、受験指導なども真剣にやってくれていますが、息子の心には響かない
ようです。受験失敗の後、いろいろな葛藤があり、それも尾をひいているのかなとも思い
ます。息子は必死でやった、らしいですが、母親の私の目にはその様に映らなかった。

 でも息子の話を聞くうちにこの子の限界だったのかな、可愛そうだったなという気持ち
になりました。

 お忙しそうですのでお返事は期待していません。

 何かの機会に高校生の扱い方みたいなことを書いていただけたらと思います。アホな母
でした。

++++++++++++++++++++++はやし浩司

 子どもは、小学3、4年生を境に、急速に親離れを始め、そのころから、おとなになる
ための、心の準備を始めます。たいていは、不安と心配、孤独と期待の、入りまざった心
の状態になります。

 「自分が餞別される」というのは、子どもにとっては、恐怖以外の何ものでもありませ
ん。それに将来に対する、不安もあります。相談を寄せてくださったHUさんも、若いこ
ろ、その時代には、そうだったと思いますが……。

 が、たいていの親は、それに気づかない。気づかないまま、つまり子離れできないまま、
そのままの関係を維持しようとします。「まだ、何とかなる」「こんなはずは、ない」と、
です。

 しかし中学生ともなると、もう子どもは、子どもではない。言いかえると、子どものあ
る部分は、親の手の届かないところに、行ってしまっている……。子どもというのは、そ
ういうものです。

 で、この時代に、夢と希望、それに目標をもっている子どもは、幸福です。その目標に
向かって、前に進むことができます。しかし現実には、夢や希望すらない子どものほうが、
多いのです。いろいろな調査結果からみても、夢や希望をもっている子どもは。全体の3
0%前後(小学6年生レベル)。約70%の子どもは、毎日を、そこに毎日があるから過ご
しているだけというような、過ごし方をしています。

 これが現実です。

 そこで、多くの親たちは、子どもを受験にかりたてます。

 しかしここで誤解してはいけないことは、目的(?)の学校に、合格することは、ここ
でいう「子どもの目的」ではないということです。学歴社会という社会が、勝手につくり
あげた(目的)にすぎないということです。学歴社会では、それなりのメリットもあり、「目
的」となりえるかもしれません。しかし「学歴があるから、どうなの?」という部分がな
いまま、学歴を子どもに求めても、今の子どもたちは、それには納得しないでしょう。

 夢や希望が、ベースにあり、その夢や希望を果たすために、学歴が必要ということなら、
子どもも、それに納得するだろうということです。たとえば医者になりたいとか、建築士
になりたいとか、あるいは科学者になりたいとか、そういう夢や希望です。

 それがないまま、ただ「勉強しなさい」「いい大学に入りなさい」と、子どもを攻めたて
ても、子どもはかえって、反発するだけだということです。

 現に今、地元の中学生にしても、約60%の子どもたちは、「勉強で苦労するくらいなら、
部活動を一生懸命して、推薦で、高校へ入ったほうがいい」「進学校はいやだ。勉強しなけ
ればならないから」と考えています。ある中学校の校長が、こっそりと、私にそう話して
くれました。

 私たちの世代と、HUさんたちの世代とは、大きく、ものの考え方がちがいます。同じ
ように、HUさんたちの世代と、HUさんの子どもの時代は、これまた大きく、ものの考
え方がちがいます。昔のように、「学歴をぶらさげて……」という時代は、終わりつつある
ということです。

 (だからといって、決して、学力、学問を否定しているわけではありません。どうか誤
解のないように!)

 で、全体としてHUさんのメールを読んで感じたことは、今の段階では、もはやHUさ
んに、できることは、ほとんどないということです。あるとすれば、現状を受け入れ、H
Uさんの子どもを、信ずるしかないということです。

 実は、私の息子の一人がそうでした。こんなことがあります。その息子は、自分のHP
の中で、「ぼくは、高校時代、落ちこぼれだった」と書いていますが、(私は、決して、そ
うは思っていませんが……)、私には、自慢の息子です。人格的には、私よりはるかにすぐ
れた子どもです。

 そのエッセー(中日新聞掲載済み)を転載しておきます。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもが巣立つとき

 階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。

 男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。

そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男
が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教
えてくれた。

「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がない
ため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子
どもというよりは、対等の人間として見るようになった。

 その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。そう、時の流れは風のよ
うなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そしていつの間
にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

 その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろ
から女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

 何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。

そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近
は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

 問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれ
が皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、
その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労し
ているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。 

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(2)】

 そんなわけで、二男は、中学3年から高校3年にかけて、勉強らしい勉強は、ほとんど
しませんでした。それを許した背景には、いろいろな理由がありますが、私は、「二男は、
生きていてくれるだけでじゅうぶん」という、強い思いがありました。

 それについて書く前に、私は、二男を、二男が幼児のときから、尊敬していました。本
当です。

 ある朝、いつものように職場の幼稚園へ行くと、園庭で二男が遊んでいました。みなが
乗る三輪車を、うしろから押しているのです。二男の押すその三輪車を待って、10人近
い園児たちが、列をつくって待っていました。

 毎朝、二男がそれをしているものですから、見るに見かねて、ある日、私は二男にこう
言いました。「なあ、お前、たまには、お前がだれかに押してもらってはどうだ?」と。

 すると二男は、笑いながら、こう言いました。「パパ、ぼくは、そのほうが楽しい」と。
幼児のときから、二男は、そういう子どもでした。

 何度も、マガジンで取りあげた原稿ですが、「生きていてくれるだけでいい」と思うよう
になった背景について書いた原稿が、つぎの原稿です。(中日新聞掲載済み)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生きる源流に視点を
      
 ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に
気づき、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子
どものよさも、またしかり。

 私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。

その二人の息子が助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選
手という人が、魚釣りをしていて、息子の一人を助けてくれた。

以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」
と思いなおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議で
ある。特に二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。
あるいは中学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少な
からずあわてたが、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り
切ることができた。

 昔の人は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、
上を見れば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだとい
う意味だが、子育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではな
い。下から見る。「子どもが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにす
る。

朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことを
し、自分は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、
その何でもない生活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から
見る。それができたとき、すべての問題が解決する。

 子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたよ
うに、フォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘
れる)は、「得る・ため」とも訳せる。つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛
を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」ということになる。

仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英語に訳したアメリ
カ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。この言葉
は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。

 人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難
しい。さらに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を
歩みながら、その真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。ほとんどの親は、苦
労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、それまでの自分
が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。

ささいなことに悩んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。東京
在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。
この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、
私は頭をかかえてしまう。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●家族の真の喜び
   
 親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそ
むける。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚え
る。「私はダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうように
なる。

が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親
子がふえている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶさ
れると、親は、「生きていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけ
なければいい」とか願うようになる。

 「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親が
いた。「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたも
のです」と言った父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂
だが、やがてそれが大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親
は、「どうして?」と言ったまま、口をつぐんでしまう。

 法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうた
ずねる。

「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れるこ
とができるか」と。

それに答えて釈迦は、こう言う。「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたこと
を喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を疑われて死を覚悟したことがある。そのと
き私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉を子育てにあてはめるのもどうかと
思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言うことにしている。「今
まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ以上、何を望
むのですか」と。

 子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいもの
ばかりではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。
しかしそれでも巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐え
るしかない。

親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、い
つもドアをあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は
手記の中にこう書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はも
うこの世にいないかもしれない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り
道を閉ざしてはいけない」と。

 今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学
賞受賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残してい
る。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけ
れど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜
びを与えられる」と。

こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだ
ろうか。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(3)】

 もう一つ、たいへん気になるのは、「バカ」という言葉です。それについても、こんな原
稿を書いたことがあります。どうか、参考にしてください。(最近は、YR氏の書いた「バ
カのxx」という本の影響でしょうか、バカという言葉が、たいへん安易に使われるよう
になりました。とても残念なことです。が、私は、もう少し、別の角度から、考えていま
す。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●バカなフリをして、子どもを自立させる

 私はときどき生徒の前で、バカな教師のフリをして、子どもに自信をもたせ、バカな教
師のフリをして、子どもの自立をうながすことがある。「こんな先生に習うくらいなら、自
分で勉強したほうがマシ」と子どもが思うようになれば、しめたもの。親もある時期がき
たら、そのバカな親になればよい。

 バカなフリをしたからといって、バカにされたということにはならない。日本ではバカ
の意味が、どうもまちがって使われている。もっともそれを論じたら、つまり「バカ論」
だけで、それこそ一冊の本になってしまうが、少なくとも、バカというのは、頭ではない。

映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレストの母親はこう言っている。「バカなこ
とをする人をバカというのよ。(頭じゃないのよ)」と。いわんやフリをするというのは、
あくまでもフリであって、そのバカなことをしたことにはならない。

 子どもというのは、本気で相手にしなければならないときと、本気で相手にしてはいけ
ないときがある。本気で相手にしなければならないときは、こちら(親)が、子どもの人
格の「核」にふれるようなときだ。

しかし子どもがこちら(親)の人格の「核」にふれるようなときは、本気に相手にして
はいけない。そういう意味では、親子は対等ではない。が、バカな親というのは、それ
がちょうど反対になる。「あなたはダメな子ね」式に、子どもの人格を平気でキズつけな
がら(つまり「核」をキズつけながら)、それを茶化してしまう。そして子どもに「バカ!」
と言われたりすると、「親に向かって何よ!」と本気で相手にしてしまう。

 言いかえると、賢い親(教師もそうだが)は、子どもの人格にはキズをつけない。そし
て子どもが言ったり、したりすることぐらいではキズつかない。「バカ」という言葉を考え
るときは、そういうこともふまえた上で考える。私もよく生徒たちに、「クソジジイ」とか、
「バカ」とか呼ばれる。しかしそういうときは、こう言って反論する。

「私はクソジジイでもバカでもない。私は大クソジジイだ。私は大バカだ。まちがえる
な!」と。子どもと接するときは、そういうおおらかさがいつも大切である。
  
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●高校野球に学ぶこと

 懸命に生きるから、人は美しい。輝く。

価値があるかないかの判断は、あとからすればよい。生きる意味や目的も、そのあとに
考えればよい。

たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもた
ちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私
たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていること
は、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだ
けいるだろうか。

 私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの「ヘアー」を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。

「♪その人はどこにいる。私たちがなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、それを教えてくれる人は
どこにいる」と。

それから三十年。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結果というわ
けではないが、トルストイの「戦争と平和」の中に、私はその答えのヒントを見いだし
た。生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は減びるアンドレイ公爵。一
方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的に
は幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。

「(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること」(第
五編四節)と。つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。

もっと言えば、人生の意味などというものは、生きてみなければわからない。映画「フ
ォレスト・ガンプ」の中でも、フォレストの母は、こう言っている。「人生はチョコレー
トの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ」と。

 そこでもう一度、高校野球にもどる。一球一球に全神経を集中させる。投げるピッチャ
ーも、それを迎え撃つバッターも真剣だ。応援団は狂ったように、声援を繰り返す。み
んな必死だ。命がけだ。ピッチャーの顔が汗でキラリと光ったその瞬間、ボールが投げ
られ、そしてそれが宙を飛ぶ。その直後、カキーンという澄んだ音が、場内にこだます
る。一瞬時間が止まる。が、そのあと喜びの歓声と悲しみの悲鳴が、同時に場内を埋め
つくす…。

 私はそれが人生だと思う。そして無数の人たちの懸命な人生が、これまた複雑にからみ
あって人間の社会をつくる。つまりそこに人間の生きる意味がある。いや、あえて言う
なら、懸命に生きるからこそ、人生は意味をもつ。生きる価値がある。

言いかえると、そうでない人に、生きる意味などわからない。情熱も熱意もない。夢も
希望もない。毎日、ただ流されるまま、その日その日を無難に過ごしている人には、生
きる意味などわからない。さらに言いかえると、「私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか」
と、子どもたちに問われたとき、私たちが子どもたちに教えることがあるとするなら、
懸命に生きる、その生き様でしかない。

あの高校野球で、もし、選手たちが雑談をし、菓子をほうばりながら、適当に試合をし
ていたら、高校野球としての意味はない。感動もない。見るほうも、つまらない。そう
いうものはいくら繰り返しても、ただのヒマつぶし。人生もそれと同じ。そういう人生
からは、結局は、何も生まれない。高校野球は、それを私たちに教えてくれる。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【HUさんへ(3)】

 信ずるということは、疑わないこと。あなたが疑ったとたん、あなたの子どもは、進む
べき道を、本当に、見失ってしまいます。

 そこであなたが今、すべきことは、そして、あなたの子どもに言うべきことは、こうで
す。

「どんなことがあっても、私はあなたの味方ですよ。どんな道をあなたが選んでも、私は、
あなたを支持しますからね」と。

 最後に、あなたの子どもは、決して、「バカ」ではありません。おかしいとも思いません。
悲しいとも思いません。すばらしいお子さんです。どうか、どうか、自分の子どもを、そ
ういうふうに、考えるのは、やめてください。

 今、あなたの子どもは、あなたが悩んでいる以上に悩み、苦しんでいます。外からは、
それが見えないだけです。ですからあなたがそんなことを言ったら、あなたの子どもは、
どうしたらいいのでしょうか。

 私も、M物産という会社をやめ、幼稚園の講師になったとき、母は、こう言いました。「浩
ちゃん、あんたは、道を誤ったア!」と。母は、ギャーギャーと電話口の向こうで、そう
泣き叫びました。

 そのあと私は、一週間の間、自分にこう言って聞かせなければなりませんでした。「浩司、
死んではだめだ」と。

 私は、母だけは、私を支えてくれると思ったのですが、それは、甘い幻想でした。が、
もしあのとき、母だけでも、私を支えてくれていたら、そののちの私の人生は、大きく変
わっていただろうと思います。

 今にして思えば、とても、残念なできごとでした。

 以上ですが、HUさんの何かの参考になれば、うれしいです。

 がんばりましょう! がんばるしかないのです。あとは「許して、忘れる」ですよ!
(はやし浩司 子どもの進路 子供の進路 進学指導 思春期の子供 子供の問題)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自分が嫌いな子どもたち

麻布台学校教育研究所(小中高校の退職校長や現職教員、教育委員会の元職員らが昭和
五十八年に設立した教育研究団体)が、このほど、こんな調査結果を発表した。

 「自分が好きか?」という質問に対して、

「自分が好きではない」と回答したのは

小学生・男子……23%
女子……31%
中学生・男子……50%
女子……63%

この結果をふまえて「中学生の半数以上が自己肯定感を持てないでいることがうかがえ
た」と報告している。

 (調査は今年1月から2月にかけて、都内や神奈川県、神戸市の小学五年生400人と
中学二年生654人の合計1054人に実施されたという。05年7月)

 こうした調査結果を分析して、同報告書は、

「子供が自己肯定感をはぐくむうえで、(1)将来への夢や目標、希望をもてるか、(2)
自分の長所への自覚があるか、(3)自分の存在が他人のために役立っていること−の三
つが大きな要素となる」と分析している。

 ほかにも、同調査は、「キレる」「疲れる」についても、報告している。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●この調査結果を読んで……

この調査結果を読んで、最近書いた自分の原稿を思い出した。
あちこちの学校で配布してもらっているレジュメの中に書いた文章である。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【心の抵抗力をつけるために……】

☆(子どもだしたいこと)と、(子どもが現実にしていること)は、一致していますか?

もしそうなら、それでよし。そうでなければ、子どもの心は、やがてバラバラになって
しまいます。

大切なことは、子どもが、夢や希望をもち、目標に向って、まっすぐ進んでいくことで
す。

今回の講話では、どうすれば、子どもがその夢や希望をもち、目標に向ってまっすぐ、
進むことができるか、私の個人的な経験も踏まえて、話させていただきます。

☆今回は、子どもの(心づくり)に焦点を合わせて、話を進めさせていただきます。

どうか、よろしくお願いします。

●(自分のしたいことをする)……それが子ども自身を伸ばす原動力となります。
●(したいこと)をしている子どもは、生き生きとしています。夢や希望もそこから生
まれ、その先には、目標が生まれます。
●子どもを守るのは、子ども自身の中の、(心の抵抗力)です。目的がしっかりしてい
る子どもは、その抵抗力も強くなります。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子どもを伸ばす、18の物語】

●同一性の危機(1)

万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめ
を、非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしている
こと)の間に遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子
どもの耐性にもよるが、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの
自我の同一性は、危機に立たされる。

●夢・希望・目的(2)

 夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のし
たいこと)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感があ
るとき、そこから生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。
そしてサッカーの練習をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」
とか、「パン屋さんになる」とかいう目的は、そこから生まれる。

●子どもの忍耐力(3)

 同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)
を、別のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。ある
いは「したくないが、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、
忍耐力ということになる。子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。
この忍耐力は、幼児期までに、ほぼ完成される。

●同一性の崩壊(4)

 同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をし
たいか、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私
は何だ」「私はだれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それ
は「混乱」というような、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべ
きもの。当然、子どもは、目的を見失う。

●顔のない自分(5)

 同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大き
く分けて、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻
撃型)。(2)顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。
ほかに、同情型、依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースで
は、そのまま自己否定(=自殺)へとつながってしまう。

●校内暴力(6)

 暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭
(さと)しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の
顔)をつくろうとする。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、
恐れれば、怖れるほど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子ど
もの心理的のメカニズムは、こうして説明される。

●子どもの自殺(7)

 おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあ
いは、(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)
を主張する。近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットする
ことで、自分を主張し、他人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(し
ょくざい)のために、リストカットする」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。 

●自虐的攻撃性(8)

 攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に
向って攻撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝
から寝るまで勉強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでい
るのではない。「勉強」という場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかり
やすい。近年、有名になったスポーツ選手の中には、このタイプの人は少なくない。

●自我の同一性(9)
 
(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子
どもの環境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分が
していること)を一致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が
一致している子どもは、夢や希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちつい
ていて、どっしりとしている。抵抗力もあるから、誘惑にも強い。

●心の抵抗力(10)

 「私は〜〜をしたい」「ぼくは〜〜する」と、目的と方向性をしっかりともっている子ど
もは、心の抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学
年から中学校にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、
同一性が崩壊している子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘
いがあると、スーッとその世界に入ってしまう。

●夢や希望を育てる(11)

 たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親
は、それに答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみ
ましょうか」「お花の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやるこ
と。が、たいていの親は、この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこ
う言う。「花屋さんも、いいけど、ちゃんと漢字も覚えてね」と。

●子どもを伸ばす三種の神器(12)

 子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。
中学生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と
思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学
会」、全国の小学生3226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸
ばすのは、親の義務と、心得る。

●役割混乱(13)

 子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時
に、「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間
にか、自分の周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸
ばすコツは、その役割形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役
割混乱」を起こし、精神的にも、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。

●思考プロセス(回路)(14)

 しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがん
ばっていた子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれな
い。しかし幼いときに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考
プロセスは、そのまま残る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこ
へ入る。中身はかわるかもしれないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、が
んばり始める。

●進学校と受験勉強(15)

 たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的
になりえたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのも
のが崩壊してしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考え
やすいが、子どもにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好
きな)サッカーをやめて、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢
をつぶす。「つぶしている」という意識すらないまま……。

●これからはプロの時代(16)

 これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでた
プロのほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君
は何ができるか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生
きと、自分の人生を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだ
けは、だれにも負けない」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸
ばす。

●大学生の問題(17)

 現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んで
いる。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力
になってしまったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、
荷おろし症候群といって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、
誘惑にも弱くなる。

●自我の同一性と役割形成(18)

 子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在しているこ
と)に一致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまら
ない仕事」「そんなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子ども
が、「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。
こういう育児姿勢が、子どもを、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。

(はやし浩司●同一性の危機(1)●夢・希望・目的(2)●子どもの忍耐力(3)●
同一性の崩壊(4)●顔のない自分(5)●校内暴力(6)●子どもの自殺(7)●自
虐的攻撃性(8)●自我の同一性(9)●心の抵抗力(10)はやし浩司●夢や希望を
育てる●(11)●子どもを伸ばす三種の神器(12)●役割混乱(13)●思考プロ
セス(回路)(14)●進学校と受験勉強(15)●これからはプロの時代(16)●大
学生の問題(17)●自我の同一性と役割形成(18)はやし浩司)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て新格言】

●肥満傾向は手の甲を見る

 もう三〇年前になるが、仕事で香港へ行くたびに、私は低周波治療器なるものを数台買
ってきた。向こうでは五〜六万円のものだったが、日本へもってくると、一〇万円以上で
売れた。日本では針治療や、ハリ麻酔の研究にそれを使った。治療器と言っても、簡単な
機械で、ぎょうぎょうしい外装とは別に、中身はがらんどうだった。

 その機械を日本でもできないかと考えていたとき、私は皮膚電気抵抗値という言葉を知
った。人間の体に微弱な電流(3V程度)を流すと、体の部位によって、抵抗値が違うと
いうのだ。測定はマイクロアンペア計ですればよい。このアンペア計が、当時、精度のよ
いもので、四〜五〇〇〇円。あとはそれに整流体(一方向に電流を流すようにするもの)
や抵抗体(電流を、測定しやすい値に補正するもの)をつければ、それで皮膚電気抵抗値
を測定できた。実に簡単な装置だった。値段も、乾電池を含めても、五〇〇〇円前後だっ
た。私はそれを使って、ハリ麻酔の研究をつづけた。

 が、やがてその皮膚電気抵抗値を応用して、体脂肪測定器ができるとは、思ってもみな
かった。脂肪分の多い人は、当然抵抗値が大きくなる。脂肪は電気を通さないからだ。一
方、脂肪の少ない人は、それだけ抵抗値が小さくなる。この値を補正すれば、「体脂肪率○
○%」と表示することができる。まちがいなく、私はそのとき皮膚電気抵抗値の研究では、
最先端を走っていた。もしそのとき、それに気づいていれば、億万長者になっていたと思
う。人生には、そういう、つまり、あとで気がついてみるとわかるが、そのときは見逃し
てしまうチャンスというのが、ときどきあるものだ。しかしこれは余談。

 その肥満。長い間、子どもの肥満を見ていて気づいたことがある。満四歳前後までは、
乳幼児期の肥満がつづいているが、それ以後、子どもの体形は、少年少女期に向かって、
スリムになっていく。そのとき、肥満傾向がつづく子どもは、手の甲の肉がぷっくりとふ
くれたような感じになる。そうでない子どもは、そうでない。もう少し詳しく言うと、こ
うだ。

 手のひらをぐいとのばしてみる。すると五本の指の付け根に、指からのびる五本の腱が
現れる。この腱の様子を見れば、子どもの肥満度をある程度、判断できる。

(肥満度一)子どもの肥満傾向が進むと、四肢の末端からその傾向がはっきりとわかるよ
うになる。たとえば手の甲(てのひらの部分の反対側)が、何となくぷっくりと張れたよ
うな感じになる。腱そのものが、わかりにくくなる。

(肥満度二)さらに肥満度が進むと、この腱がまったく見えなくなり、かわって、付け根
のところに、えくぼが現れるようになる。

(肥満度三)さらに肥満度が進むと、手の甲全体が丸くふくらんだようになり、手を伸ば
すと、甲に深いえくぼが現れるようになる。この段階になると、肥満がだれの目にもわか
るようになる。

 子どものばあい、肥満は大敵。(太る)→(運動不足になる)→(ますます太る)の悪循
環に入ると、肥満度は一挙に加速する。学習にも大きな影響が出てくる。これはあくまで
も見た感じだが、脳へ行くべき血流が、どこかほかへ行くような感じになってしまう。そ
のため集中力や思考力が弱くなる。

 こうした肥満傾向が見られたら、できるだけ初期の段階で、家庭の中から、食べ物を一
掃するのがよい。思い切って捨てる。「もったいない」と思ったら、なおさら、そうする。
そういう「思い」が、まちがった買い物習慣を改めさせる。このタイプの親ほど、「うちの
子はそれほど食べていません」とか、「食事には注意しています」とか言う。しかしその反
面、家の中には、食べ物がゴロゴロしているもの。基準そのものが、ふつうの家庭と大き
くズレていることが多い。

 なおこの手の甲をみる肥満度検査法は、ここにも書いたように、満四歳児以下には応用
できない。


●『肥料のやりすぎは、根を枯らす』

 昔から日本では、『肥料のやりすぎは、根を枯らす』という。子育ては、まさにそうだが、
問題は、その基準がはっきりしないということ。

 概してみれば、日本の子育ては、「やりすぎ」。多くの親たちは、「子どもに楽をさせるこ
と」「子どもにいい思いをさせること」が、親子のパイプを太くすることだと誤解している。
またそれが親の深い証(あかし)と思い込んでいる。しかもそういうことを、伝統的にと
いうか、無意識のまましてしまう。

 たとえば子どもに、数万円もするテレビゲームを買い与える愚かさを知れ!
 たとえば休みごとに、ドライブにつれていき、レストランで食事をすることの愚かさを
知れ!
 たとえば日々の献立、休日の過ごし方が、子ども中心になっていることの愚かさを知れ!
 たとえば誕生日だ、クリスマスだのと、子どもを喜ばすことしか考えない、愚かさを知
れ!
 たとえば子育て新聞まで発行して、自分の子どもをタレント化していることの愚かさを
知れ!
 たとえば子どもが望みもしないのに、それ英会話、それバイオリン、それスイミングと、
お金
ばかりかけることの愚かさを知れ!
 
 こうした生活が日常化すると、子どもは世界が自分を中心に動いていると錯覚するよう
になる。そして自分の本分を忘れ、やがて親子の立場が逆転する。本末が、転倒(てんと
う)する。たまには、高価なものを買うこともあるだろう。たまには、レストランへ連れ
ていくこともあるだろう。しかしそれは、「たまには……」のことである。その本分だけは
忘れてはいけない。

 こうして、日本の親たちは、子どもがまだ乳幼児期のときに、やり過ぎるほどやり過ぎ
てしまう。結果、子どもはドラ息子、ドラ娘になる。あるアメリカ人の教育家はこう言っ
た。「ヒロシ、日本の子どもたちは、一〇〇%、スポイルされているね」と。「スポイル」
というのは、「ドラ化している」という意味だ。

 子どもというのは。皮肉なもので、使えば使うほど、よい子になる。忍耐力も強くなり、
生活力も身につく。さらに人の苦労もわかるようになるから、その分、親の苦労も理解で
きるようになる。親子のパイプもそれで太くなる。そこでテスト。

 あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのときあ
なたの子どもが、「ママ、助けてあげる」と走りよってくれば、それでよし。しかしそれを
見て見ぬフリしたり、テレビゲームに夢中になっているようであれば、あなたは家庭教育
のあり方を、かなり反省したほうがよい。子どもをかわいがるということは、どういうこ
となのか。子どもを育てるということがどういうことなのか。それをもう一度、原点に返
って考えなおしてみたほうがよい。


●昼寝グセはガムで

 慢性的な睡眠不足とは別に、満五歳をすぎても、昼寝グセが残っているようなら、その
時間、ガムをかませるとよい。(だからといって、昼寝が悪いといっているのではない。も
し気になるなら、ということ。)

 ここまで書いて気がついたが、本来人間は、生物学的に、昼寝をする習慣をもっている
のではないか。外国へ行っても、昼食後、昼寝する民族は多い。スペインに住んでいる知
人も、少し前メールで、こう教えてくれた。「このあたりでは、昼休みが長く、子どもたち
は一度家へ帰って、昼寝する。それで子どもたちも、夜一〇時をすぎても、通りで遊んで
いる」と。日本の生活習慣、あるいは常識が、そのまま世界の生活習慣の基準と考えるの
は、正しくない。

 実のところ、私も五〇歳を過ぎるころから、昼寝をするようになった。毎日というわけ
ではないが、数日おきくらいにそうしている。そういう自分を振り返ってみると、昼寝は
悪いものではないと思うし、それが子どもにあっても、不思議ではない。むしろ現代生活
のほうが、人間本来の生活習慣をねじまげているのではないか?

 話はそれたが、ガムをかむことには、いろいろな利点がある。頭がよくなる(サイエン
ス誌)という説もあるが、これなどは、素人が考えても、納得できる。あごの運動が、脳
の活動を活発化する。ほかにあごの筋肉を鍛えるということもある。当然、咀嚼(そしゃ
く=かむ)力が鍛えられる。胃腸のためにも、よい、などなど。そんなわけで、子どもに
はガムをかませるとよい。が、これにはいくつか、コツがある。

(1)当然のことながら、菓子ガムは、避ける。
(2)ガムは、一枚与えて、最低でも三〇分は同じガムをかませる。つぎつぎと交換する
のは避ける。
(3)はげしい運動中は、ガムは避ける。息を吸い込んだとき、のどをつまらせる。
(4)子どもの口にあった適量にする。幼児のばあい、ふつうのガムの半分の量でよい、
など。

ほかにガムを捨てるときの、マナーを最初に、しっかりと教えておくというの
もある。


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よろしくお願いします。              はやし浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 19日(No.612)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page024.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●重要な提案

******************************

この原稿(マガジン)を読んでくださっている、お母さん方へ
重要な、提案があります。

******************************

●子育てのことで、夫婦げんかをしないこと!

 ときどき、こんなメールをいただきます。

 「夫が、私の子育て法を理解してくれない」「夫にも、林の考え方を理解してもらいたい
が、どうすればいいか」「夫は、学歴主義者で困っている」「うちの主人は、親絶対教の信
者で、マザコン。親を批判しただけで、大騒動になってしまう」など。

 こういうときの鉄則は、ただ一つ。

 私(=はやし浩司)の意見など、その場で捨ててください。私の意見は忘れて、あなた
の夫の意見に耳を傾けてあげてください。そしてこう言うのです。「あなたのほうが、正し
い」「あなたの言うとおりにします」と。

 あなたの夫は、たいていのばあい、仕事で忙しく、私が出しているようなマガジンを読
んで勉強している時間は、ないはず。ですから、あなたが知っていることや、あなたが学
んでいることを、あなたの夫に、そのまま理解してもらおうと考えるほうが、無理なので
す。

 ですから、まちがっても、「はやし浩司はこう言っている。あなたはおかしい!」などと
は、言ってはいけません。絶対に、言ってはいけません。賢いあなたなら、なおさら、言
ってはいけません。

 私がこうして原稿を書いているのは、決してあなたの考え方を誘導しようとか、カルト
教団の指導者のように、あなたを洗脳しようとか、そういう目的のためではありません。
もちろん、そうしたところで、私には、何も、利益はありません。

 こうしたマガジンを発行する第一の目的は、みなさんといっしょに、考える機会をつく
り、ともに、深く考える人になりましょうということです。もっと言えば、「考えることの
楽しさ」を、みなさんと、分かちあうことです。子育てを考えていくと、その向こうに、
自分人身の人生そのものが見えてくるときがあります。子育ては、あくまでも、その一つ
のテーマにすぎません。

 ですから、どうか、どうか、家庭の中では、穏便に! 平和に! 安らかに! そのた
めには、どうしたらよいかを、第一に考えながら、私の原稿を参考にしてください。また
その範囲でとどめてください。

 くれぐれも、よろしくお願いします。これが、私からあなたへの、重要な提案です。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●スペイン在住のIさんから

++++++++++++++++++++

BW生だった、Iさんのお父さんから、
こんなメールが届いています。

紹介します。

今年も、スペインは、暑いそうです。
山火事も多いとか……。

+++++++++++++++++++++

前略 暑中お見舞い申し上げます。

スペインでは暑い日が続いており、今年は山火事がふえています。
浜松はいかがでしょうか。

先週は、ヘミングウェーの小説でも有名なパンプローナの牛追い祭(サンフェルミン
祭)が行われ、テレビで中継されていました。

既にスペインの学校は夏休みに入っており、現在YK子(I氏のお嬢さん)は、6月末か
ら1ヶ月間、アイルランドのダブリンの近くにホームスティに行っています。

スペインの場合、コストが安く、アイルランド人のオープンな人柄からか、イギリスより
アイルランドでのホームスティに人気があり、多くのスペイン人学生が、アイルランドに
英語を勉強に行きます。

YK子からの電話によると友達もたくさんでき、エンジョイしているようです。4年も英
語で勉強しているので会話は、全く問題ないようです。夏期講習のクラスでも、YK子が
一番年下なのですが、授業にも、無理なくこなしているようです。

おそらく、来年帰国する予定ですが、すぐに日本での高校入試が待っています。
英語はともかく、他の教科は日本語で勉強していないので、大変不安です。

8月後半から9月の初めに、浜松に一時帰国しますので、時間があれば、
お会いしたいと思います。

では、お元気で、お過ごし下さい。

草々

Iより
(このI氏からのメールは、去る7月17日に届いたものです。)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て・新格言】

●名前は呼び捨て

+++++++++++++++++++

学校での教師の指導のし方が、大きく、変わっ
てきています。

生徒を、「〜〜さん」「〜〜君」と、「さん・君」
づけで呼ぶ。また教師が何かをしてほしいとき
には、「〜〜しなさい」という命令口調ではな
く、「〜〜してくれませんか?」「〜〜してはど
うでしょうか?」という、依頼型、提案型に
なってきている(静岡県)、など。

教師と生徒は平等……という考え方が基本に
あるようですが、そういう話を聞くと、「学校の
先生も、たいへんだなあ」と思ってしまいます。

今では、そこまで気をつかわねばならないのか、
と、です。

しかし、家庭では、もう少し、気楽に考えて
よいのではないでしょうか。いちいちたがいに
気をつかっていたら、それだけで気が疲れて
しまいますね。

+++++++++++++++++++++++

 よく誤解されるが、子どもをていねいに扱うから、子どもを大切にしていることにはな
らない。先日も神奈川県のU市の、ある私立幼稚園で講演をしたら、その園長がこっそ
りとこう話してくれた。

「今では昼の給食でも、レストラン感覚で出さないと、親は満足しないのですよ」と。
そこで私が「子どもに給仕をさせないのですか」と聞くと、「とんでもない。それでやけ
どでもしたら、たいへんなことになります」と。

 子どもを大切にするということは、「してあげる」ことではなく、「心を尊重する」とい
うこと。中には、「子どもを楽しませること」「子どもに楽をさせること」を、親の愛と
誤解している人もいる。

しかし誤解は、誤解。まったくの誤解。子どもというのは、皮肉なもので、楽しませた
り、楽をさせればさせるほど、ドラ息子(娘)化する。しかし苦労をさせたり、がまん
をさせればさせるほど、生活力も身につき、忍耐力も養われる。そしてその分、親子の
絆(きずな)も太くなる。言うまでもなく、子どもは(おとなも)、自分で苦労してはじ
めて、他人の苦労がわかるようになる。

 そういう流れの中で、私は、自分の子どもを、「〜〜さん」とか、「〜〜ちゃん」づけで
呼ぶ親を見ると、「それでいいのかなあ」と思ってしまう。

一見、子どもを大切にしているように見えるが、どこか違うような気がする。それで子
どもに問題がなければよいが、たいていは、そういう子どもにかぎって、わがままで、
自分勝手。態度も大きく、親に向かっても、好き勝手なことをしている。子どもが小さ
いうちならまだしも、やがて親の手に負えなくなる。

 子どもを大切にするということは、子どもの心を大切にするということ。英語国では、
親子でも、「おまえは今日、パパに何をしてほしい?」「パパは、ぼくに何をしてほしい?」
と聞きあっている。

そういう謙虚さが、たがいの心を開く。命令や、威圧は、それに親が勝手に決めた規則
は、子どもを指導するには便利な方法だが、しかしこれらが日常化すると、子どもは自
ら心を閉ざす。閉ざした分だけ、親子の心は離れる。

 ともかくも、親が子どもを呼ぶとき、「しんちゃん」で、子どもが親を呼ぶとき、「みさ
え!」では、いくら親子平等の時代とはいえ、これでは本末転倒ではないか(「クレヨン
しんちゃん」)。それほど深刻な問題ではないかもしれないが、子どもを呼ぶときは、呼
び捨てでじゅうぶん。また呼び捨てでよい。

【父親の皆さんへ】

たしかに今、教育や子育てのし方が、大きく変わりつつあります。こういう流れの中で、
「今までのあなたの、父親としての子育て法は、まちがっていました」と、あまり人か
ら言われると、自信をなくしてしまいますよね。

心理学でいう、「役割混乱」的な不安感を覚える人も少なくありません。私も、いつだっ
たか、エプロンをかけて、台所に立ったとき、言いようのない不安感を覚えたことがあ
ります。それだけではありません。「これからは男も、洗濯をしなければいけないのかな
あ」「これからは男も、料理をしなければいけないのかなあ」と考えただけで、憂うつに
なってしまったことも覚えています。

(今は、平気で、それができるようになりましたが……。)

しかし子育てで重要なのは、実は、「一貫性」なのです。「あなたは、あなた。私は、私」
という一貫性です。

その一貫性があれば、あとは、子どものほうが、それを受け入れ、消化していきます。「う
ちのオヤジは、化石のような頭をしているからなあ」とか、「オヤジは、封建時代の亡霊
だよ」とか、そんなふうに言いながら、納得していきます。

決して、理想的な父親になろうと、思わないこと。思う必要もありません。気負いが強
すぎると、かえって、子どもとの関係が、ギクシャクしてきてしまいます。機嫌をとっ
たり、子どもにコビを売ったりするようになります。

 無理をしてはいけません。

「ぼくが子どものころは、男は、料理や裁縫などしなかった」で、すませばよいのです。
無理をして、料理をしたり、裁縫をしたりする必要はないのです。この問題は、これか
ら先、何世代もかけて、少しずつ修正されていけば、それでよいのです。

この問題は、母親である(あなた)にも、当てはまるかもしれません。あなたはあなた
でよいのです。ただし、居直りは、禁物。努力することだけは、忘れないように。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●名前は大切に

 子どもの名誉、人格、人権、自尊心、それに名前(書かれた文字)は、大切にあつかう。

(1)名誉……「さすがだね」「やっぱり、あなたはすごい子ね」「すばらしい」と、その
つど、子どもはほめる。ただしほめるのは、努力ややさしさ。顔やスタイルは、ほめな
い。「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。

(2)人格……要するに子どもあつかいしないこと。コツは、「友」として迎え入れること。
命令や威圧はタブー。するとしても最小限に。「あなたはダメな子」式の人格の「核」に
触れるような「核」攻撃は、タブー中のタブー。

(3)人権……人として生きる権利を認める。家族の愛に包まれ、心豊かに生きる権利を
守る。子どもにもプライバシーはあり、自由はある。抑圧され、管理された家庭環境は、
決して好ましいものではない。

(4)自尊心……屈辱的な作業や、屈辱的な言葉を言ってはいけない。『ほめるときはおお
やけに、叱るときは内密に』という原則を守る。みなの前で「土下座しなさい」式の叱
り方はタブー。もちろんみなの前で恥をかかせるようなことは、してはいけない。

(5)名前……子どもの名前の載っている新聞や雑誌は、最大限尊重する。「あなたの名前
はすばらしい」「あなたの名前はいい名前」を口グセにする。子どもは名前を大切にする
ことから、自尊心を学ぶ。ある母親は、子どもの名前が新聞に出たようなときは、それ
を切り抜いて、高いところにはったり、アルバムにしまったりしていた。そういう姿勢
を見て、子どもは、自分を大切にすることを学ぶ。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●涙にほだされない

 心の緊張感がとれない状態を、情緒不安という。この緊張した状態の中に、不安が入る
と、その不安を解消しようと、一挙にその不安が高まる。このタイプの子どもは、気を許
さない。気を抜かない。他人の目を気にする。よい子ぶる。その不安に対する反応は、子
どものばあい、大きく分けて、(1)攻撃型と、(2)逃避型がある。
 
 攻撃型というのは、言動が暴力的になり、ワーワーと泣き叫んだり、暴れたりするタイ
プ。私はプラス型と呼んでいる。また逃避型というのは、周囲に向かって反応することが
できず、引きこもったり、性格そのものが内閉したりする。慢性的な下痢、腹痛、体の不
調を訴えることが多い。私はマイナス型と呼んでいる。(ほかにモノに固執する、固執型と
いうのもある。)

 こうした反応は、自分の情緒を安定させようとする、いわば自己防衛的なものであり、
そうした反応だけを責めたり、叱っても、意味はない。原因としては、乳幼児期の何らか
の異常な体験が引き金になることが多い。家庭騒動や家庭不和、恐怖体験、暴力、虐待、
神経質な子育て、親の拒否的な育児姿勢など。一度不安定になった情緒は、簡単にはなお
らない。

 そこで子どもによっては、この時期、すぐ泣く、よく泣くといった症状を見せることが
ある。少しいじめられても、すぐ泣く。ちょっとしたことで、すぐ泣くなど。こうした背
景には、子ども自身の情緒不安があるが、さらにその背景には、たとえば恐怖症や神経症
が潜んでいることが多い。

たとえば子どもの世界でよく知られた現象に、対人恐怖症がある。反応はさまざまだが、
そうした恐怖症が背景にあって、情緒が不安定になるということは珍しくない。親は、「友
だちを遊んでいても、ちょっと何かをされるとよく泣くので困ります」と言うが、子ど
もは泣くことで、自分の情緒を安定させようとする。


 もちろん子どもが泣くときには、原因をさがして、対処しなければならないが、「泣く」
ということを、あまりおおげさに考えてもいけない。コツは、泣きたいだけ泣かせる。
泣いてもムダということをわからせる、という方法で対処する。

ぐずりについてもそうで、定期的に、また決まった状況で同じようにぐずるということ
であれば、ぐずりたいだけぐずらせるのがコツ。泣き方やぐずり方があまりひどいよう
であれば、スキンシップを濃厚にして、カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこ
ころがける。

 こうした心の問題は、「より悪くしないこと」だけを考えて、一年単位で様子をみる。「去
年よりよくなった」というのであれば、心配ない。あせってなおそうとして症状をこじ
らせると、その分、立ちなおりがむずかしくなる。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●波間に漂(ただよ)わない

 子どものことで、波間に漂うようにして、フラフラしている人がいる。「右脳教育がいい」
という話を聞くと、右脳教育。隣の子どもが英会話に通い始めたときくと、英語教室。
いつも他人や外からの情報に操(あやつ)られるまま操れられる。私の印象に残ってい
る母親に、こういう母親がいた。

 ある日、私のところにやってきて、こう言った。「今、通っている絵画教室へこのまま、
通わせようか、どうかと迷っている」と。話を聞くとこうだ。

「色彩感覚は、3歳までに決まるというから、あわてて絵画教室に入れた。しかし最近、
個人の絵の先生に習うと、その先生の個性が子どもに移ってしまうから、よくないとい
う話を聞いた。今の絵の先生は、どこか変人ぽいところがあるので心配です。だから迷
っている」と。

 こうしたケースで、まず問題としなければならないのは、子どもの視点がどこにもない
ということ。「子どもはどう思っているか」ということは、まったく考えていない。そこ
で私が「お子さんは、どう思っているのですか」と聞くと、「子どもは楽しんで通ってい
ます」と。だったら、それで結論は出たようなもの。迷うほうが、おかしい。

 「優柔不断」という言葉があるが、この言葉をもじると、「優柔混迷」となる。自分とい
うものがないから、迷う。迷うだけならまだしも、子どもがそれに振り回される。そし
て身につくはずの「力」も、身につかなくなってしまう。こういうケースは、今、本当
に多い。では、どうするか。

 親自身が一本スジのとおった方針をもつのがよいが、これがむずかしい。だからもしあ
なたがこのタイプの母親なら、こうする。何ごとにつけ、結論は、3日置いて出す。こ
のタイプの母親ほど、せっかちで短気。自分の心に問題を秘めて、じっくりと考えるこ
とができない。

だから3日、待つ。とくに子どもに関することは、そうする。この言葉を念仏のように
心の中で唱えるとよい。……といっても、簡単なことではない。私のアドバイスが効力
をもつのは、せいぜい一週間程度。それを過ぎると、またもとに戻ってしまう。もとも
と子育てというのは、そういうものか。その親自身の全人格がそこに反映される。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●『ひまな子どもほど、忙しいと言う』

 『ひまな子どもほど、忙しいと言う』は、イギリスの格言。つまりひまで、時間をもて
あましている子どもほど、何かを言いつけたりすると、「忙しいからできない」を口実に、
しない。

日本でも、昔から、『大工は、いそがしい大工に頼め』という。いそがしい大工は、それ
だけ仕事から手を抜くかといえば、そうではない。反対にヒマそうな大工ほど、それだ
けよい仕事をしてくれるのではと思いがちだが、実際には、しない。

 人はある緊張感に巻き込まれると、そのリズムで、仕事をするようになる。わかりやす
く言えば、「活気」ということか。これは教師についても言える。毎日、忙しそうにキビ
キビと動いている教師は、そのリズムの中で、どんどんと仕事をこなしていく。仕事ぶ
りもよい。しかし毎日ひまそうな教師は、そのリズムで、どんどんと仕事をあと回しに
していく。そのため仕事から、できるだけ手を抜こうとする。

 子どもを伸ばすコツは、言うなれば、こうした緊張感のあるリズムの中に、子どもを巻
き込むこと。そして子ども自身が、日々の生活をキビキビとこなしていくようであれば、
よし。そうでなければ、……と書いたが、この先がむずかしい。一度だらしなくなって
しまった生活は、なかなかもとには戻らない。

たとえば子どもに退行的な生活態度(約束や規則、目標が守れない。時間がルーズにな
る。生活習慣が乱れる。だらしなくなる)が見られるようになると、それをなおすのは、
容易ではない。要は、そういう子どもにしないことだが、親が寝そべって、せんべいを
食べながら、「あんたはしっかりしてね」はない。結局は、親の心がまえの問題というこ
とになる。

 そこであなた自身はどうか。毎日、メリハリのある生活を、キビキビとこなしているだ
ろうか。さらに月単位、年単位で、キビキビとこなしているだろうか。もしそうなら、
そうした緊張感は、子どもによい影響を与えているはずである。そうでなければ、そう
でない。

 ふつうキビキビと目標をもって生活している子どもは、「忙しい」とは言わない。「時間
がない」という。だからこのイギリスの格言をもじると、こうなる。

 『忙しい子どもほど、時間がないと言う』と。さて、あなたの子どもはどうか。あなた
自身はどうか。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●電話の口

++++++++++++++++++

あなたは受話器の話し口を手で押さえて、
近くの人と、話をすることはありませんか?

しかし、それはたいへん、危険なこと。
一度でも、それをすると、それが理由で、
相手との人間関係を破壊することになるかも?

++++++++++++++++++

 あなたは今、電話で、だれかと話をしている。だれでもいい。だれかだ。そのとき、あ
なたは、近くにいる、子どもか、夫か、あるいは妻と、何か相談しなければならないこと
ができた。受話器はもったまま、だ。

 そのとき、あなたなら、どうするだろうか。

 一番、安全な方法は、電話機の「保留ボタン」を押すことだ。それを押せば、何らかの
音楽が流れ、会話は、それで完全に、途切れる。

 しかしそこまでは、したくない。その必要は、ない。そういうとき、あなたならどうす
るだろうか。……あなたは、多分、電話の話し口(聞き口ではなく、話し口)の方を、手
で押さえる。そして小さな声で、近くにいる人に、顔をしかめながら、こう言うにちがい
ない。

 「この電話、あの林からよ。いやねエ〜。どうるす?」と。

 あなたは話し口を手でしっかりと押さえている。だから小声で話したことは、相手には、
聞こえないと思っている。

 だからそう言い終わると、また手を離して、「そうですねえ、わかりました、林さん」と、
明るい声で話す。

 しかし……だ。最近の電話機は、性能がよい。話し口を手で押さえたくらいでは、会話
をさえぎることはできない。あなたの話した言葉は、実は、耳にあてた聞き口からも、相
手に伝わる。話し口も、聞き口も、原理的には、構造は、同じ!

 だから、電話機の口を手で押さえたくらいで、安心してはいけない。最近だが、こんな
ことがあった。

 私は、B氏に電話をした。少しこみいった話なので、内容は、省略する。しかしB氏は、
留守だった。(実際には、居留守を使っていた。)かわりにB氏の妻が電話に出た。

私「……では、いつお帰りですか?」
妻「もうすぐ帰ってくると思いますが……」と。

 そのとき、B氏の妻は、受話器の話し口を手で押さえた。その感触というか、手で押さ
えた感じが音でわかった。ポンと耳がつまったような感じがした。B氏の妻は、近くにい
るB氏に、小声で、こう言った。「あの林からよ。いやねエ……。この電話、どうする?」
と。

 それに答えて、そばにいたB氏は、多分、首を横に振ったのだろう。B氏の妻は、夫の
様子を見て、再び、明るい声で、「ごめんなさいねエ。また帰ってきましたら、林さんから
電話があったことを、主人に伝えておきますから……」と。

 ……という、この話は、実は、フィクションである。最近、別のところで経験したこと
を、私の話にからめて、作ってみた。

 しかし、現実に、こんなことが私に起きたとしたら、私なら、そのB氏とは、絶交する。
つきあう必要は、ない。つきあいたくもない。

 ……ということで、今日は、電話の話。今でも、受話器の話し口を手で押さえて内密な
話をする人は、少なくない。しかし、それはたいへん危険なこと。あまりにも無防備なこ
と。それをみなさんにお伝えしたくて、このエッセーを書いた。

 ……この話が、ウソだと思うなら、だれかに協力してもらって、自分で確かめてみたら
よい。私の言っていることがウソでないことが、わかってもらえるはず。どうか、くれぐ
れも、ご用心!


【近ごろ・あれこれ】

●笑顔

 昨夜、床について、眠る前に、いろいろな人のことを思い出した。みな、死んでいった
人たちだ。

 しかし不思議なことに、みな、笑っていた。

 K先生も、脂顔(あぶらがお)の太った顔だったが、笑っていた。父も、祖父も笑って
いた。叔父も、叔母も笑っていた。友人だった、S君も、N君も、笑っていた。

 「それほど、よい印象をもっていなかったのに……。どうしてだろう?」と、そのとき
は、そう思った。いろいろな人が脳裏に浮かんでは消えたが、どの人も笑っていた。怒っ
て、しかめっ面している人はいなかった。

 私をうらんでいる人もいたはずなのに……、とまた、おかしなことを考えた。が、みな、
笑っていた。

 そうそう最近なくなった、隣のRさんも、笑っていた。ただRさんのばあいは、若いと
きの顔と、歳をとったときの顔が混在して、顔がよくわからなかった。しかし笑っていた。

 私も、そのうち笑いだした。みんな、死んでしまったんだねと思ったとたん、何だか、
おかしくなってきた。

不思議な経験だった。そのことをワイフに話してやろうと、横を見ると、ワイフは、も
うグーグーとイビキをかいて、眠っていた。


●HTML

時代が変わったのか? このところ、マガジン読者の数が、ほとんど、ふえない。そこ
で昨日(7・18)は、書いた原稿は、ゼロ。書く気が起こらなかった。

 しかしその反面、R天の日記の読者が、ふえている。毎日200人近い人が、読んでく
れる。コメントを寄せてくれる人も多い。

 で、何となく、このところ、R天の日記のほうに、関心がいくようになった。はじめは、
面白半分+いいかげんな気持ちで書いていたが、今は、そうではない。

 そこでR天のHPを更新することにした。が、こちらのほうは、HTML言語で、直接
プログラムを組むようにしないと、更新することができない。

 それが結構、めんどう。小さな窓(ワクや線)を描くだけでも、あれこれプログラムを
組まねばならない。それにこちらがねらったように、描くことができない。写真や文字が
ズレたり、おかしなところに、色が現われたり……!

 30年前、はじめてパソコンを買ったときのことを思い出しながら、そのプログラムを
組む。当時は、ベーシック言語といって、その言語で、自分でプログラムを打ちこんで、
パソコンを使った。

 しかしこれが結構、楽しい。

 そんなわけで昨日は、それだけで、時間をつぶしてしまった。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●K国問題

++++++++++++++++++

K国の核開発問題を解決するためには、K国を人権問題で
しめあげて、金xx体制を、自己崩壊させることで解決す
るのが、よい。

日本は、あんな国を本気で相手にしてはいけない。相手に
する必要もない。いわんや、あんな国と、心中してはいけ
ない。

++++++++++++++++++

 拉致被害者の方たちの気持ちもよくわかる。しかし「制裁」ということになれば、K国
は、すでに、じゅうぶんすぎるほどの制裁を受けている。この7月から、配給は、1人1
日、200グラム程度だという。経済は、完全にマヒ状態。国民の大半は、飢えと貧困に
あえいでいる。

 にもかかわらず、K国が崩壊しないのは、K国自身が、巨大なカルト国家になっている
から。くわえてそれを指導する金xxが、まともではないから。

 だからそんな国を、まともに考えてはいけない。まともに相手にしてはいけない。

 来週から6か国協議が再開されるが、私は、歴史上、かつてこれほどまでの茶番劇を、
知らない。金xxが、核兵器開発を、断念するはずはないし、そんなことはありえない。
あるいは「断念する」と言いながら、各国からの支援を取りつけ、あとはお決まりの時間
稼ぎ。

 あれこれそのつど、いちいち難グセをつけ、さらなる支援を取りつけ、さらに時間を稼
ぐ。

 検証可能な方法で、核開発を断念せよと迫る、日本とアメリカ。
 核開発断念は、「最終目標」「努力目標」と逃げる、K国。
 「同胞」意識をもりあげ、何とか、自国への攻撃を避けてもらいたがっている韓国。
 日本からの戦後補償費を、何とか自分のものにしたがっている、ロシアと中国。

 今、この段階で、K国に、200万キロワットの電力を無償提供し、食糧を援助し、な
おかつ戦後補償を支払ったら、K国は、どうする? どうなる? 自然崩壊どころか、金
xx体制は、ますます勢いづく。

 この問題は、一日も早く、国連の安保理に付託するのがよい。中国が拒否権を行使する
というのなら、勝手にそうさせればよい。世界は、K国も、中国も、同じムジナであると
知るだろう。

 だから、K国は、人権問題でしめあげる。制裁でも、武力でもない。人権問題である。

 このほど(7・15)、アメリカ政府は、K国人権問題担当特使に、ジェイ・レフコウィ
ッツ元大統領次席補佐官を起用することを決めた。人権問題に関しては、最強硬派として
知られる人物である。弁護士出身のレフコウィッツ氏は、先代ブッシュ政権で、旧ソ連の
ユダヤ人問題を担当したことがある。現ブッシュ政権でも一時、内政担当の次席補佐官を
つとめことがある。

 アメリカの選択を、支持したい。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●プラズマ

+++++++++++++++

ハチソン効果って、知っていますか?
超常現象の一つと考えられています。
しかし、どうも、そうではないような
気がするのですが……?

++++++++++++++++

 強力な電磁波を、2方向から当てる。(原理的には、3方向でも、4方向でも、あるいは
それ以上でもよい。)

 その2方向からの電磁波が結ばれたところで、プラズマが発生する。強烈な熱と光をも
ったエネルギーである。

 このプラズマの中では、モノが無重力状態になり、私たちが知っている慣性の法則も当
てはまらなくなるという。

 たとえば大きな丸い鉄球をつくる。その鉄球の中に、人間を入れる。その鉄球に向けて、
2方向から、強力な電磁波を当てる。エネルギー源としては、原子力しかない。
 
 するとその鉄球は、プラズマの動く方向に、自由に移動するようになるという。電磁波
の方向を、手元で変えればそれでよい。原理的には、その鉄球を、一瞬のうちに、数百キ
ロ、あるいはそれ以上の距離を移動させることも可能である。

 中にいる人間は、慣性の法則の原理を受けないから、体がバラバラになることもない。(自
動車が、一瞬にして、時速0キロから200キロに加速したら、その中の人間は、ペシャ
ンコになってしまう。慣性の法則が働くからである。)

 が、問題は、熱である。プラズマの熱は、電磁波の強さにもよるが、仮に数千度でも、
鉄球の中の人間は、それだけで真っ黒こげになってしまう。当然である。

 ところが、である。

 電磁波の中にも、いろいろな種類があって、高熱を発生ないプラズマを作ることも、可
能だという。すでに、そうした一連の実験をした人もいるという。

 ジョン・ハチソンという人だそうだ。1945年生まれのユダヤ系科学者。ハチソンは、
原理的には、この方法を使い、モノを浮揚させる事件に成功しているという(1988年、
カナダのオタワで開かれた「新エネルギー会議」)。

具体的には、金属類の物質破壊、異なる金属類の一体化、物体の浮上、無重力化現象、
などの実験が、その場で公開された。

 ウソかホントか?

 私はもちろん科学者ではない。まったくの部外者である。しかし、この話には、興味を
もった。もしこんなことが可能なら、たとえば飛行機にしても、飛行機にエンジンをつけ
て飛ばす必要は、まったく、ない。

 飛行機そのものに、2方向から電磁波をあて、その電磁波を移動させれば、それでその
飛行機は移動することになる。しかも、超高速で!

 もっとも、このジョン・ハチソンが偶然発見したとされる「ハチソン効果」は、超常現
象の一つとして片づけられてしまっている。つまり(頭のおかしな人がした、おかしな実
験)ということになっている。

 いろいろな反論もある。

 ハチソンが作りあげた実験装置は、そののち、だれかに破壊されてしまっている。その
ため、その実験は、再現することができないという。

 「だからインチキだった」と主張する人もいる。また物体が浮揚したのは、糸でつりあ
げられたからだと主張する人もいる。……などなど。

 しかし私は、こういう話が、大好き。既存の常識では、理解できないところがおもしろ
い。

たとえば昔、コペルニクスは、地動説を唱えたが、発表したのは、迫害を恐れて、死の
直前であったという。あのマルティン・ルターでさえ、「このばか者は、天地をひっくり
かえそうとしている」と、コペルニクスを非難した。ジョルダーヌ・ブルーノのように、
地動説を唱えたため、処刑された人さえいる(1600年)。

 私たち人間は、すべての科学を征服したような顔をしているが、しかし実際には、この
数百年の間、ほとんど、進歩していないのかもしれない。知っていることよりも、知らな
いことのほうが、はるかに多い。数千キロの道のりを、数センチ移動したからといって、
科学を征服したことにはならない。

 もちろんだからといって、ジョン・ハチソンの実験が、本当であったと言っているので
はない。私は、今、いろいろな本を読んでいるが、この話のウラには、何かがありそうな
気がする。ただのインチキではないような気がする。

 これから近くの書店へ行って、この種の本を、いくつか買ってくるつもり。おもしろそ
うだ。今日の日曜日は、その読書をしてすごす。
(はやし浩司 ジョン ハチソン ハチソン効果)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自爆犯は、だまされていた?

++++++++++++++++++++

ロンドン市内で起きた、連続爆破事件について、
当初、自爆攻撃という見方が支配的だった。が、
どうも、そうではなかったのではないか、とい
う意見が出てきた。

私の予想どおり、……というか、まだ確定され
たわけではないが、犯人たちは、あえて自爆犯
に仕立てられてしまったのではないかという、
疑いである。

++++++++++++++++++++

7月17日付の、イギリス・サンデー・テレグラフ紙などは、ロンドン同時テロの実行
犯4人が、当日に列車の往復切符を買っていたことなどから、死ぬ気はなかったのに、「自
爆」させられたとの見方が出ていると伝えた。

 実は、私も、当初から、そう思っていた。(事件直後から、ワイフには、そう話していた。)
犯人たちは、アラブ系イギリス人ではあったが、イギリスで生まれ、イギリスで教育を受
けた若者たちである。イラクで自爆攻撃をしかける、無知な自爆犯たちと、いっしょにし
て考えることはできない。

 たぶん、指導者は、こう教えたのだろう。「電車の中で、スイッチを押せ。爆弾は、5分
後に爆発することになっている。じゅうぶん、逃げる時間はあるから、安心せよ」と。

 しかしスイッチを押したとたん、ドカン!

 もしそうなら、(まだ、そうだと確定されたわけではないが)、テロが何であるか、その
本質を、そこにかいま見る思いがする。自分たちは、安全圏内に身を潜(ひそ)めながら、
純粋で、無知な若者たちを利用して、自分たちの野望を果たす。

 ズルイなどというものではない。その指導者がしたことは、まさに悪魔的。悪魔のしわ
ざ。

私「やっぱり、ぼくが思ったとおりだ」
ワ「そうよね。監視カメラなどに残っていた記録によれば、自爆したという犯人たちは、
にこやかに笑っていたというじゃない。これから自爆しようとする人が、そんなふうに、
笑うかしら……?」と。

 戦時中、私が住む浜松基地からも、たくさんの特攻隊が、出撃していった。みな、覚せ
い剤のようなものを飲まされ、見るからに精神状態は、ふつうではなかったという。いろ
いろな人から、いろいろな話を聞いているが、しかし、にこやかに笑いながら、飛行機に
乗っていったというような若者は、いなかった。少なくとも、そんな話は聞いたことがな
い。

 自爆攻撃というのは、そういうものである。

 しかし、ズルイ。本当に、ズルイ。もしサンデー・テレグラフの書いているとおりだと
するなら、本当に、ズルイ。

 第二次大戦中の沖縄でも、地元住民たちが、日本軍の防空壕に入れてくれと頼んだら、
そこにいた兵隊たちは、住民に向って、こう叫んだという。「向こうへ行け! 行かぬと、
たたっ切るぞ!」(NHK報道)と。

 あの満州でも、ソ連軍から逃れるため、イの一番に逃げたのは、ほかならぬ軍人やその
家族たちであった。

 こういう話は、あちこちで聞く。今の政治家だって、そうだ。1億円もワイロを受け取
りながら、「覚えてない」と逃げてしまう。そういう政治家たちが、別のところで、愛国心
を説き、不戦の誓いとやらをするから、おかしい。

 ……話が、どんどんと、否定的になってしまった。もちろん、住民を守った軍人もいた
だろう。まじめな気持ちで、日本の未来を考えている政治家もいるだろう。みながみな、
ズルい人というわけではない。

 しかし私は、今回のサンデー・テレグラフの報道の中に、指導者、なかんずく政治家と
呼ばれる人たちが、本来的にもつズルさを感じてしまった。たとえば今、民主主義を考え
るときも、戦うべきは、そういうズルさである。私やあなたの中にも、それはある。その
ズルさである。その戦いなくして、民主主義の完成は、ない。

 まだ、サンデー・テレグラフの記事の内容が、確定されたというわけではないが……。
(はやし浩司 民主主義 心のズルさ)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 17日(No.611)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●不安

 若い母親たちとの、子育て懇談会をすます(7月・x日)。それが終わって、駐車場へ行
くと、何人かの母親たちが、そこにいた。まだ帰らないで、私を待っていた。そして異口
同音に、自分たちがもつ、不安を私に訴えた。

 まだ大学生のような美しさを輝かせている母親たちが、その一方で、「どうしましょう」
「どうしたらいいでしょう」と、訴える。健康で、幸福の絶頂期にあるはずの母親たちが、
何度も、顔を曇らせる。

 「幼稚園の中に、グループ(派閥)ができて、仲間ハズレにされている」
 「うちの子は、友だちをつくるのが苦手。小学校へ入ったら、どうしよう」
 「父親が、来月から上海へ、単身赴任をすることになった。だいじょうぶでしょうか」

 本来なら、子育てを、一番、楽しめる時期にあるはず。その母親たちが、子どもの将来
を心配し、悩む。このチグハグさは、いったい、どこからくるのか? 理由は、いろいろ
考えられる。

(1)子どもたちの先(将来)が見えない。
(2)複雑な人間関係と競争社会。

 目の前には、巨大な「社会」という怪物。しかしその下には、母親の手を握る、まだあ
どけない子どもたち。「はたして、うちの子は、だいじょうぶだろうか?」という思いが、
そのまま不安に変わる。

 仮に将来が見えたとしても、決して、平坦な道ではない。それを思うと、ますます不安
になる。

 ひとりの母親は、こう言った。「子どものことよりも、ほかの父母と、うまくやっていか
れるかどうか、それが心配です」と。つまりは、人間関係ということか。

 しかしどうして、子どもたちを取り巻く社会が、こうまでわずらわしくなってしまった
のだろうか。わかりやすいと言えば、わかりやすい。しかしそのあまりのわかりやすさが、
子どもたちを取り巻く社会を、ギクシャクさせる。

 私は、ふと、今、あのアメリカで乗ったタクシーを思い出した。

 朝、モーテルに一台の車が止まった。予約していたタクシーだった。しかし見ると、ふ
つうの車。

 車に乗りこむと、運転手の男は、こう言った。「(運転手をしている)ワイフは、ほかの
ところへ行っていますので、私が、かわりに来ました」と。

 そのタクシー会社では、その男の妻が運転手をしていた。しかし妻は、ほかのところへ
出かけてしまった。だからかわりに夫が、自分の車を使って、私たちのところへやってき
た。

 「今日は、(日曜日で)、私は、オフ(仕事がない)ので……」と。夫は、どこかの会社
に勤めているサラリーマンらしい。

私「A児童会館と、B公園を回ってほしい。それと、C中学校へ……。料金は、いくらに
なりますか?」
男「1人で、30ドル。2人だから、60ドル」と。

 メーターなど、ついていない。

 私は、その車に乗って、あちこちを回った。日本でいえば、白タク。モグリの白タク。
が、男は、それを気にしている様子は、まったくない。公認というか、そんなことをして
も、とがめる人など、いない。

 「この町では、タクシー会社は、うちだけです」と。

 アメリカは、よく競争主義社会だと言われる。事実、そのとおり。しかしその競争主義
社会の中にあっても、こうした(いいかげんさ)が、ちょうど、部屋の中に風を通す穴の
ように、あちこちに、あいている。それをアメリカでは、「自由」という。

 どうして、この日本には、そういう風穴はないのか? ……できないのか?

 何かからなにまで、すべてが、ギスギスに管理されている。息苦しいほどまでに管理さ
れている。「日本は、自由の国だ」とよく人はいう。しかし本当に、自由なのか? 自由の
国なのか? みな、今ある、自由を、自由と思いこんでいるだけではないのか?

 母親たちが訴える不安の、原点は、そこにある。

 子どもたちの前には、1本のレールしかない。はっきり言えば、学校を離れて道はなく、
学校以外に、進むべき道はない。あえて言うなら、それは、ハバの広い川にかかった、丸
木の1本橋のようなもの。

 日本の子どもたちは、その丸木橋に、いやおうなしに、追いつめられていく。つまりは、
その丸木橋を、うまく渡れた子どもが、勝者であり、そうでなければ、敗者。それを若い
母親たちが、本能的な部分で感じ取っている。

 「子どもを育てるのは、私たちですよ。お母さんたち自身が、自分で育てる。育てても
らうのではなく、自分で育てる。子どものできがよくても、悪くても、自分の子どもでし
ょう。自分の子どもを信じて、前に進むしかないのです」と。

 私は、そう言って別れた。が、1人だけ、私のところへもどってきて、こう言った。「こ
れからも、いろいろ相談にのっていただけますか?」と。

 私は、「いいですよ」と答えた。見ると、あたりは、不思議なほど、のどかだった。白い
真夏の光線が、道路を光らせていた。
(はやし浩司 不安 親たちの不安 親達の不安感)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの盗み(子供の盗み)

++++++++++++++++++++++

埼玉県S市のKGさんから、子どもの盗みについ
ての相談が入っています。

それについて、考えてみます。

++++++++++++++++++++++

はやし先生

ご無沙汰しております。
いつも情報たっぷり、ボリュームたっぷりなマガジンありがたく読ませていただいてお
ります。

先日の読者の方の「小3息子さんの同級生への暴力で」相談を読んでいて、そのままで
はないですが、「わかるナー、私にもあてはまるな。皆、子育てでは悩んでいるんだ」な
どと見知らぬ方ですが、自分に置き換えていました。

私の中では、答えはもう出ているのですが、小2の長女のことで、昨日ショックなこと
がありました。

最近、軽く嘘を言ったりするのが気になっていたので、そのつど細かく注意をしていま
した。

2週間前に、学校の売店で買う分のお金を持たせたところ、おつりが合わなくて詰めると、
とうとう最後には、

「欲しい鉛筆と消しゴムを買った」と、言って白状しました。

 昨日は、父親が不在の時に、主人の小銭入れから小銭をくすねていました。

私が、家に帰ると、主人に絞られている最中でした。そのときには、しおらしい様子を
見せていましたが、すぐに普段に戻って、変に私にこびるような態度をし、それが気に
なりました。

盗みをした後、こんこんと絞られたら、私だったらとても夕食も喉を通らないくらい、落
ち込んでしまうと思うのですが、"全然"ふつうなのです。

 はやし先生は、「悩んだら、自分の子供の頃を思い浮かべて下さい」とおっしゃいますが、
場合によっては、どうしても私とは違う性格の一面が浮かんでくるのです。

 私の、亡くなった兄は、私が保育園の年中か、年長のころ、兄は小学1、2年だったの
ですが、同居の祖母の財布から小銭を取っていました。私がそのことを言うと、「けちなバ
バアからお金を盗っても、イケナイことではない」と言う様なことを言っていました。

幼いながらも、ショックでした。嘘もいやにあっさりと言ってのけていました。そうい
うことは、楽しい思い出よりも、いやにはっきりとした記憶に残るものです。

 長女には兄のことは伏せて、ほんの小さい子供の頃に受けたショックの話をしました。
そして、何十年たっても忘れないし、多分一生忘れないだろうということも話しました。

 人は、その人の良い所よりも、1度でも悪事をしたら、悪事の方が、いつまでも心に残る
ものだと思います。

小学2年生には、かなり重い話かとは思いましたが、何が何でも嘘と盗みは止めて欲し
い一念で話しました。

 はやし先生の経験豊かな、アドバイスを取り入れ、できるだけ肩の力を抜いた、楽しい
子育てを目指していました。 

学校の面談でも、不登校の友達に手紙を書いたり、勉強でおちこぼれのクラスメートを、
助けてあげたり、「精神面もだんだん、成長してきた」と、担任の先生に褒めてもらった
直後だったので、私は、すごくがっくり・・・というところです。

盗みを癖にしてはいけないと思うのですが、今後どう接したらよいのか、何かアドバイ
スをいただければすごく嬉しいです。

まとまりの無い文章ですみません、お忙しいと思いますが、宜しくお願い致します。

++++++++++++++++++++

【KGさんへ……】

 お久しぶりですね。お元気ですか。ときどきR天の日記のほうを、お読みくださってい
ることは、わかっていました。電話のナンバーディスプレイのように、プロバイダー名だ
けは、私のほうでも、わかるようになっています。

 「xxxx@kxxx.ne.jp」というアドレスを見るたびに、KGさんだと、思
いながら、喜んでいます。ありがとうございます。

 で、アドバイスですが、子どもは、それぞれの世界で、それぞれちがった顔を見せます。
大きく分けて、三つの世界があります。(家庭)(学校)(友人)の三つの世界です。

 まずKGさんが、評価しなければならない面は、学校での、それです。

 「学校の面談でも、不登校の友達に手紙を書いたり、勉強でおちこぼれのクラスメート
を、助けてあげたり、『精神面もだんだん、成長してきた』と、担任の先生に褒めてもらっ
た」ということですね。

 すばらしいお子さんですよ! すばらしい! わかりますか? すばらしい、お子さん
ですよ!

 そのすばらしさとくらべたら、「盗み」など、何でもない。子どもの盗みは、いわば熱病
のようなもの。経験していない子どもなど、いません。経験していない子どものほうが、
はるかに少ないということです。(だからといって、盗みを、甘くみろとか、許せとか、い
うことではありません。悪いことは、悪いと、ていねいに説明してやります。)

 ただ、子どもの耳は、長いです。耳から入って、脳ミソに届くまでには、5年とか、1
0年はかかります。理由があります。

 物欲を満たすと本能は、それほどまでに、大きく、執拗(しつよう)だということです。
しかもお金によって、一度、それを満たすという喜びを覚えてしまうと、それから抜け出
るのは、容易なことではなりません。

 (そういう喜びを教えてしまったのは、実は、親なのですから、あまり子どもを、攻め
ないこと! それとも、あなたは、子どもに小遣いを渡すとき、いつも、何らかの労役を
条件にして渡していましたか?)

 年の功というか、この種類の相談を、今まで、無数に受けてきました。

 印象に残っている子どもの話をします。

 X子さん(高校生)は、父親の預金通帳と印鑑を持ちだし、ときどき、10万円単位の
小遣いを使っていました。

 Y君(中学生)は、家の金庫を自分であけて、あとでわかるまで、数百万円も使ってい
ました。

 とんでもない(できそこない)を想像するかもしれませんが、X子さんも、Y君も、学
校では、想像もつかないほどの優等生でした。X子さんは、今、女医をしていますし、Y
君は、大手の建築会社で、設計図を引いています。

 だから、一応、子どもを叱りながらも、盗みについては、おおげさに考えないこと。私
も子どものころ、よく店の現金箱から、10円、20円と、盗んで使っていた覚えがあり
ます。「悪いことをしている」という意識は、はっきりとありました。だからおとなになっ
たとき、その罪の意識をぬぐうため、その何十倍、何百倍ものお金で、それを返しました。
その「返す」という原動力となったのは、あのとき感じた、「罪の意識」です。

 同じようなことが、私の息子の一人にも、ありました。本人の人権の問題もありますか
ら、詳しくは書けませんが、やはり、心のどこかに罪の意識があるのでしょう。今は、極
貧中の極貧の学生生活を、自ら、送りながら、それでいて、不平、不満ひとつこぼさない
でがんばっています。

 見るにみかねて、「もう少し、送金しようか」と言っても、いつも、答は、「NO」です。

 そんなわけで、重要なことは、あなたの子どもを信ずることです。最後の最後まで、信
ずることです。繰りかえしますが、「盗み」など、子どもの熱病のようなもの。深刻に考え
る必要はありません。妄想をふくらませて、先を心配する必要もありません。

 それがわかったとき、しつこく、しつこく、ただひたすら冷静に、説教をしてすませま
す。あとは、お金の管理だけは、しっかりとします。

 いいですか、あなたのお子さんは、すばらしいお子さんですよ。たかが鉛筆と消しゴム
でしょう。しかも勉強道具でしょう。おおげさに考えないこと!
 
 お金にルーズになれということでもないですが、子どもは、(いいかげんな部分)で、羽
をのばし、自分をのばします。もし、そういうことで怒りを感ずるようなら、子どもに大
してではなく、政治や社会に向けてください。

 今の今でも、談合を繰りかえして、国の税金をかすめとっているワルが、ゴマンといま
すよ。そういう社会を一方で放置しておいて、子どもに向かって、「お金を盗んではいけま
せん」と、どうして、私たちが言えるでしょうか。

 地球温暖化で、人類どころか、あらゆる生物が危機的な状況にあるのに、子どもに向か
って、「お金を盗んではいけません」と、どうして、私たちがいえるでしょうか。

 さらに、6か国協議の結果がどうなるかわかりませんが、へたをすれば、そのまま戦争
です。そんな状況をつくってしまった私たちが、子どもに向かって、「お金を盗んではいけ
ません」と、どうして、私たちがいえるでしょうか。

 ……つまりですね、私たちがおとなとして、戦う相手が違うということです。子どもの
視点で見れば、それがわかるはずです。

 矛盾だらけの世界をつくりながら、「何が、正義だ!」となるわけです。言いかえると、
本当に子どもに、正義を教えたいと思うなら、あなた自身が、もっと巨大な敵に向って、
それと戦う姿勢を示すことです。

 「談合、許せない! お母さんは、許せないから、これから、抗議の手紙を書く」と言
って、手紙を書けばよいのです。そういう姿を見て、子どもは、もっと大きな正義を学び
ます。と、同時に、自分のした「盗み」のみじめさに、恥じるはずです。

 話が、大きくなってしまいましたが、あなたがお子さんにした指導で、じゅうぶんです。
それ以上、何もすることはないでしょう。またあなたのお嬢さんも、それでよくわかった
はずです。

 あとは、あなたの子どもを信じなさい。だまされているとわかっていても、だまされた
フリをしていればよいのです。バカなフリをしていればよいのです。そうして一方で、子
どもの自立を促していきます。

 むしろ息も抜けないほどのギスギスの家庭のほうが、問題です。どこか、いいかげん。
どこか、無責任。それでいて、どこか、ぬくもりのある家庭。それが子どもにとって、あ
るべき家庭ということになります。

 随筆家のソローは、こう書きました。『ビロードのクッションより、カボチャの頭』と。
それについて書いた原稿を、このあとに添付しておきます。参考にしてください。

 最後に、もう一言。あなたのお子さんは、すばらしいお子さんですよ!

+++++++++++++++++++++

●帰宅拒否をする子ども

 不登校ばかりが問題になり、また目立つが、ほぼそれと同じ割合で、帰宅拒否の子ども
がふえている。S君(年中児)の母親がこんな相談をしてきた。「幼稚園で帰る時刻になる
と、うちの子は、どこかへ行ってしまうのです。それで先生から電話がかかってきて、こ
れからは迎えにきてほしいと。どうしたらいいでしょうか」と。

 そこで先生に会って話を聞くと、「バスで帰ることになっているが、その時刻になると、
園舎の裏や炊事室の中など、そのつど、どこかへ隠れてしまうのです。そこで皆でさがす
のですが、おかげでバスの発車時刻が、毎日のように遅れてしまうのです」と。私はその
話を聞いて、「帰宅拒否」と判断した。原因はいろいろあるが、わかりやすく言えば、家庭
が、家庭としての機能を果たしていない……。まずそれを疑ってみる。

 子どもには三つの世界がある。「家庭」と「園や学校」。それに「友人との交遊世界」。幼
児のばあいは、この三つ目の世界はまだ小さいが、「園や学校」の比重が大きくなるにつれ
て、当然、家庭の役割も変わってくる。また変わらねばならない。子どもは外の世界で疲
れた心や、キズついた心を、家庭の中でいやすようになる。

つまり家庭が、「やすらぎの場」でなければならない。が、母親にはそれがわからない。
S君の母親も、いつもこう言っていた。「子どもが外の世界で恥をかかないように、私は
家庭でのしつけを大切にしています」と。

 アメリカの諺に、『ビロードのクッションより、カボチャの頭』(随筆家・ソロー)とい
うのがある。つまり人というのは、ビロードのクッションの上にいるよりも、カボチャの
頭の上に座ったほうが、気が休まるということを言ったものだが、本来、家庭というのは、
そのカボチャの頭のようでなくてはいけない。あなたがピリピリしていて、どうして子ど
もは気を休めることができるだろうか。そこでこんな簡単なテスト法がある。

 あなたの子どもが、園や学校から帰ってきたら、どこでどう気を休めるかを観察してみ
てほしい。もしあなたのいる前で、気を休めるようであれば、あなたと子どもは、きわめ
てよい人間関係にある。しかし好んで、あなたのいないところで気を休めたり、あなたの
姿を見ると、どこかへ逃げていくようであれば、あなたと子どもは、かなり危険な状態に
あると判断してよい。もう少しひどくなると、ここでいう帰宅拒否、さらには家出、とい
うことになるかもしれない。

 少し話が脱線したが、小学生にも、また中高校生にも、帰宅拒否はある。帰宅時間が不
自然に遅い。毎日のように寄り道や回り道をしてくる。あるいは外出や外泊が多いという
ことであれば、この帰宅拒否を疑ってみる。家が狭くていつも外に遊びに行くというケー
スもあるが、子どもは無意識のうちにも、いやなことを避けるための行動をする。帰宅拒
否もその一つだが、「家がいやだ」「おもしろくない」という思いが、回りまわって、帰宅
拒否につながる。裏を返して言うと、毎日、園や学校から、子どもが明るい声で、「ただい
ま!」と帰ってくるだけでも、あなたの家庭はすばらしい家庭ということになる。
(はやし浩司 子供の帰宅拒否 帰宅拒否)

+++++++++++++++++++++++

教育には、そして子育てには、いいかげんさが、
必要である。そのいいかげんさは、たとえて言うなら
車のハンドルの「遊び」のようなもの。その遊び
があなかったら、車の運転はできない。

それについて、以前書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++++++

●詳しくはわからないが…… 

 情報が不足しているので、詳しくはわからない。しかし最近、こんな事件があった。あ
くまでも、新聞などで報道されている範囲で、少し、考えてみる。

 ある中学校に、一人の不登校の子どもがいた。(新聞の報道によれば、そのとき、すでに、
不登校を繰りかえしていたことになる。)

 その不登校の子どもに、ある日、先生が、「だらけ心は、だれにでもある」(記事)と、
言ったという。(どういう席で、どういう形で、そう発言したかについては、不明。個人的
に言ったのか、公の場所で、そう言ったのか。一対一の状態で、そう言ったのか?)

 その言葉に憤慨(ふんがい)した親が、学校を訴えた。X〇万円の慰謝料を請求した。
そこで当然、裁判ということになったのだろうが、教師側は、恐らく、示談で話をすませ
たいと思ったのだろう。ほぼ同額の示談金を用意して、親に渡した。そのお金は、教師が、
自腹(ポケットマネー)を切って、用意したものだった。

が、親は、「性格のわからないお金は、受け取れない」と、それを拒否した(以上、報道
記事を、要約。Y新聞、全国版・x年x月末)。

 その親の置かれた立場は、よくわかる。心理状態も、よくわかる。慰謝料を請求したほ
どだから、よほど、腹にすえかねたことがあったのかもしれない。しかし、この記事を読
んで、私が、まず感じたことは、「そんなことで!」であった。

 もっとも新聞報道だから、すべてを報道していないと思う。ほかにも、その子どもや親
をキズつける言葉が、あったのかもしれない。それまでにも、いろいろないきさつがあっ
たのかもしれない。それについてはわからないが、もし新聞報道のままだとするなら、や
はり、「そんなことで!」である。

 むしろ、「だらけ心は、だれにでもある」という発言は、その子どもを守った言葉とも、
受け取れる。「だれにでもあるから、そんなに自分を責めてはだめだよ」と。日本でも、昔
から、その人を半ばかばうような意味で、「魔がさした」という言葉を使うときがある。「あ
の人は、あんなことをしたが、きっと、魔がさしたのだろうね」と。

 つまりそう言うことによって、「本当は、あの人は、本当は、いい人なんだよ」という気
持をこめる。この事件のときも、先生には、「本当は、もう少し深刻な問題かもしれないが、
軽く、(怠け)としておきましょう」という気持があったのかもしれない。(だからといっ
て、その先生の指導が正しかったと言っているわけではない。念のため。)

 もちろん不登校といっても、内情は、さまざま。「学校拒否症(school refusal)」もあれ
ば、「怠学(truancy)」もある。私の二男も、ひどい花粉症から、毎年、その季節になると、
不登校を繰りかえした。

Tテレビの報道によれば、その子どもは、小学時代、小児神経症だったという。もしそ
うなら、この中学生は、怠学よりは、学校拒否症による不登校が疑われる。「怠学」とい
うと、その言葉から受ける印象は暗いが、わかりやすく言えば、「ズル休み」のこと。

 しかし、どうしてこの事件が、こうまで大げさになってしまったのか。しかも報道によ
れば、教師がお金を渡したのは、昨年(x年)のx月だという。すでに一年近くもたって
いる!

 何とも、よくわからない事件である。それにたいへん、残念な事件である。どうしてこ
うまで、こじれてしまったのだろうか。慰謝料を請求するという方法ではなく、もう少し、
穏便にすます方法は、なかったのだろうか。

こういう事件が起きると、親も苦しむが、教師も苦しむ。それに間にいる子どもは、も
っと、苦しむ。

ただ心配するのは、こういう事件が重なるたびに、一方で、現場の先生たちが、ますま
す萎縮してしまうということ。実際、どこの学校へ行っても、「そんなことで!」と思わ
れるような事件で、現場の先生たちが、心を痛めている。悩んでいる。苦しんでいる。
そしてその分だけ、先生たちは、萎縮してしまっている。

 今では、子どもの頭を、プリントで叩くことすら、許されない。軽い冗談を、口にする
ことすら、許されない。北海道のどこかで起きた事件だが、先生が、「死ぬつもりでがんば
れ」と言ったことがある。運動会でのことだったが、この事件も、全国紙で問題にされた。
「死ぬつもりとは、何だ!」と。

たしかに今の先生たちは、サラリーマン化している。(サラリーマン的であることが、悪
いと言っているのではない。念のため。)しかし、もともとサラリーマンだから、しかた
ないではないか。

 そういう先生に、高徳な道徳や正義を求めても、意味はない。中には、先生を、牧師か
僧侶のように思っている人もいる。しかし先生だって、ごくふつうの人間である。あなた
や、あなたの夫(妻)とは、どこもちがわない、ごくふつうの人間である。

 だったら、先生を、そういう前提で考え、また教育のしくみも、それに合わせていく。
今のように、教育はもちろんのこと、しつけ、道徳、倫理、はては家庭指導まで、先生に
押しつけて、「何とかしろ」と迫るほうが、おかしい。

 教育というのは、もともとファジー(いいかげん)なものである。ファジーであること
が悪いと言っているのではない。そのファジーな部分で、子どもは、羽をのばし、自分を
伸ばす。

 「学校? 行きたくなければ、行かなくてもいいのよ。そのかわり、ママと、いっしょ
に、図書館へでも行って、本を読みましょうね」
 「あんな教師、何よ。気にしなくていいわよ。別に怠けているわけじゃ、ないわよね。
気にすることはないわよ」と。

 先生の一言一句で、子どもがキズつくことはある。それは認める。しかし人間というの
は、そういうキズまるけになって、成長する。もちろん意図的に、生徒をキズつけるよう
なケースは、許されない。しかし、そうでないなら、もう少し、親のほうも、肩の力を抜
いて、気を楽にしては、どうか?

 「そんなことで!」と書いた、私の気持ちは、そんなところにある。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【再び、KGさんへ……】

 盗みといっても、たとえば神経症の一つとしての「盗み」もないわけではありません。
常習的な万引きがそれですが、そういった盗みには、目的が感じられないのが、ふつうで
す。

 手当たり次第、何でも……という盗みになります。

 お嬢さんのは、もちろん、それではありません。ご安心ください。

 で、最後にもう一つ。今回の相談とは直接関係ありませんが、お伝えしたいことがあり
ましたので、原稿を、添付しておきます。

 子どもを叱るにしても、逃げ場がないほどまで、追いこんで叱ってはいけませんよ。

 久しぶりにメールをいただき、うれしかったです。どうか、またメールをください。楽
しみにしています。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの心を大切に

 子どもの心を大切にするということは、無理をしないということ。

たとえば神経症にせよ恐怖症にせよ、さらにはチック、怠学(なまけ)や不登校など、
心の問題をどこかに感じたら、決して無理をしてはいけない。

中には、「気はもちようだ」「わがままだ」と決めつけて、無理をする人がいる。さらに
無理をしないことを、甘やかしと誤解している人がいる。しかし子どもの心は、無理を
すればするほど、こじれる。そしてその分だけ、立ちなおりが遅れる。

しかし親というのは、それがわからない。結局は行きつくところまで行って、はじめて
気がつく。その途中で私のようなものがアドバイスしても、ムダ。「あなた本当のところ
がわかっていない」とか、「うちの子どものことは私が一番よく知っている」と言っては
ねのけてしまう。あとはこの繰り返し。

 子どもというのは、一度悪循環に入ると、「以前のほうが症状が軽かった」ということを
繰り返しながら、悪くなる。そのとき親が何かをすれば、すればするほど裏目、裏目に出
てくる。

もしそんな悪循環を心のどこかで感じたら、鉄則はただ一つ。あきらめる。そしてその
状態を受け入れ、それ以上悪くしないことだけを考えて、現状維持をはかる。

よくある例が、子どもの非行。子どもの非行は、ある日突然、始まる。それは軽い盗み
や、夜遊びであったりする。しかしこの段階で、子どもの心に静かに耳を傾ける人はま
ずいない。たいていの親は強く叱ったり、体罰を加えたりする。しかしこうした一方的
な行為は、症状をますます悪化させる。万引きから恐喝、外泊から家出へと進んでいく。

 子どもというのは、親の期待を一枚ずつはぎとりながら成長していく。また巣立ちも、
決して美しいものばかりではない。中には、「バカヤロー」と悪態をついて巣立ちしていく
子どもいる。

しかし巣立ちは巣立ち。要はそれを受け入れること。それがわからなければ、あなた自
身を振り返ってみればよい。あなたは親の期待にじゅうぶん答えながらおとなになった
だろうか。あるいはあなたの巣立ちは、美しく、すばらしいものであっただろうか。そ
うでないなら、あまり子どもには期待しないこと。

昔からこう言うではないか。『ウリのつるにナスビはならぬ』と。失礼な言い方かもしれ
ないが、子育てというのは、もともとそういうもの。

++++++++++++++++++++++

(後記)

 はからずも最後のところで、私は、こう書いた。『ウリのつるにナスビはならぬ』と。

 それに早く気づく親を賢明な親という。そうでなく、いつまでも、ムダな抵抗を繰りか
えし、悶々と悩む親を、そうでないという。

 ほとんどの親は、子育ても一段落すると、こう言って、自分をなぐさめる。

 「やっぱり、あんたは、ふつうの子だったのね。考えてみれば、何のことはない。私だ
って、ふつうの人間なのだから」と。

 子育てというのは、そういうもの。ホント! ……これは私自身の経験(?)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ、あれこれ】

●メリル・ストリープの「誤診」

 メリル・ストリープ主演の、「誤診」(原題「First Do No Harm」)を見
る。1997年の作品である。

 内容は、つぎのようなもの。

 メリル・ストリープが演ずる母親の子ども(幼児)が、ある日、突然、幼稚園で倒れる。
診断名は、「てんかん」。

 以後、その子どもに対して、さまざまな薬物治療が試みられる。まだ承認されていない
実験薬も使われる。しかし症状は、はげしい副作用も加わり、日ましに悪化するばかり。

 そこでその母親は、毎日図書館へ通い、独学で勉強。そこで食事療法があることを知る。
そして母親は、入院先の病院の反対を押し切って、ケトン食療法を実施しているジョンズ・
ホプキンス大学の小児神経医大学へ。

 ケトン食事療法では、最初の2日間、その症状のある子どもは、断食をする。その2日
間だけで、子どもの症状は、改善のきざしを見せる。

 やがて3か月、3年とすぎて、子どもは、何ごともなかったかのように、「てんかん」か
ら、解放される。ただし映画の中でも説明されているように、ケトン食事療法は、万能で
はないらしい。

てんかんのケトン食療法は約3分の1の症例で著効するといわれているが、「しっかりと
したコントロールド・スタディによる医学的エビデンス(証拠)がない」(医学書院HP)
ということで、てんかん治療の主流とはなっていない。

 私は、この映画を見ながら、ふとこう思った。

 アメリカへ行ったことがある人なら、みな、知っていると思うが、アメリカ人の食べる
食べ物は、超の上に超がつくほど、甘い。彼らがつくるケーキにしても、私たち日本人に
してみれば、一切れを食べるのが、やっと。その一切れでも、たいへん。それくらい、甘
い。

 そういう甘い食品を、彼らは、パクパクと平気で食べる。日本流に考えるなら、そんな
ものを日常的に食べていて、脳ミソによい影響を与えるはずがない。インスリンの過剰分
泌は、低血糖を招き、同時にセロトニンの過剰分泌をうながす。

 アメリカ国内においてでさえ、甘味食品の過剰摂取による、子どもの過剰行動性が問題
になっている。その過剰行動性が、ときに、てんかんに似た症状を示すこともあるのでは
ないか(?)。

 映画の中でも、脳波やCTスキャンで、子どもの脳を調べるシーンが、ある。しかしど
こにも異常がない。(異常が見つからない。)私が知るかぎり、てんかんは、脳の機質障害
によるものだから、脳波検査で、それがわかるはず。本当に、てんかんなら……。

 日本語名のタイトルが、「誤診」になっている。つまり、てんかんという診断名は、誤診
だったということになるのか?

 映画を見終わったあと、私は、ワイフにこう言った。「あの子は、もともと、てんかんで
はなかったのかもしれないよ。極端な過剰行動性から、てんかんに似た症状を引き起こし
ただけかもしれないよ」と。

 もちろんこれは私の、きわめて個人的な意見にすぎない。憶測である。ただその映画を
見ながら、同時に、私は、あの超甘い、アメリカ人たちが好んで食べる食品を、頭の中に
思い浮かべていた。

 映画としては、★3個。よい映画だった。
(はやし浩司 メリル・ストリープ 誤診 てんかん 過剰行動性 過剰行動児)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●でき愛

 でき愛は、「愛」ではない。代償的愛という。自分の心のすき間を埋めるために、子ども
を利用する。それができ愛。つまりは、愛もどきの、愛。親が、いくたの山や野を越えて、
その結果として感ずる、(真の親の愛)とは、まったく異質のものである。

 しかし子どもをでき愛する親は、そのでき愛でもって、深い親の愛と誤解する。が、繰
りかえすが、でき愛は、やはり、愛ではない。こんな話がある。

 以前、ある女性のことを、書いた。当時、その女性は、60歳くらい。その女性は、会
う人ごとに、いつも、こう言っていた。

 「息子は、横浜の女性に取られてしまいました」「親なんて、さみしいもんですわ」「子
どもなんて、育てるもんじゃ、ないですわ」と。

その息子が結婚して、横浜に住むようになったことを、その母親は、「取られた」という。
私は、当時、その感覚が理解できなくて、迷った。

 が、それからほぼ、20年あまり。その女性は、80歳くらいになっている。再び、私
は、その女性のうわさを聞いた。が、そのうわさが、すごい!

 その女性は、ことあるごとに、息子に向かって、「あんな女とは離婚しろ」と、つまりは、
息子を取りあって、この20年近く、ものすごい嫁・姑戦争を繰りかえしてきたというの
だ。

 それだけではない。「息子を大学へやるのに、総額で、1500万円の学費がかかった。
それを返せ」「それができなければ、今、住んでいるマンションを売り払って、金をつくれ」
と、自分の息子に迫っているというのである。

 その女性、つまりその母親の言い分はこうだ。

 「目に入れても痛くないほど、かわいがってやったのに、親の私を裏切って、ほかの女
性と結婚してしまった。この恩知らず」と。

 ほかに、その母親は、ことあるごとに、息子に請求書を送っているという。「父親の法事
の費用」「親類の香典」「家の改修費」などなど。息子がそれをしぶったりすると、「先祖を
守るのは、息子の義務! このバチ当り。地獄へ落ちるぞ」と、息子を罵倒しているとい
う。

 たしかにその女性は、息子をでき愛したらしい。そういった話は、その周辺の人たちか
らも、よく聞く。「あの母親は、あの子(息子)に、ベタベタでしたから」と。

 もうおわかりかと思う。その女性は、自分の息子をでき愛した。しかしそれは本来の、
つまりは、親としての深い愛に根ざした愛ではない。だからひとたびたがいの関係にヒビ
が入ると、こんどは、それが「嫉妬」、さらには、「恨み」に変る。その一例が、この母親
ということになる。

 しかし、悲劇は、ここで終わらない。

 その80歳近くなった母親が、どこかのビルの玄関先で、転倒し、腰の骨を折ってしま
った。女性はたまたま通りかかった人たちによって、近くの病院へ運ばれた。で、そのま
ま入院。が、しばらくすると、その母親の兄、つまり叔父から、息子のところに電話がか
かってきた。

 ものすごい、怒鳴り声だったという。

 「貴様は、母親が入院したというのに、どうして病院へすぐかけつけないのだ! あれ
ほどかわいがってもらったのに、親の恩を忘れたのか!」と。

 その叔父も、その女性のでき愛ぶりを、かたわらで見ていたのだろう。しかしでき愛と、
「愛」の区別ができるほど、賢い人ではなかったようだ。息子は、その電話を受けて、あ
わてて病院へかけつけたが、その女性(母親)は、ピンピンしていたという。

 息子は、私にこう言った。「母は、他人の前では、いつも弱々しい女性を演じています。
多分、叔父に、あれこれと泣き言を入れたのでしょう。それで叔父から、ああいう電話が
かかってきたのです」と。

 ……こういう例は、多い。本当に、多い。マガジンの読者の方たちからも、似たような
話がよく届く。おとなになりきれないおとなたち。老人になりきれない老人たち。「なりき
れない」のではなく、ある時点で、自分の進歩を止めてしまう。

 自分のカラにこもり、その中だけで、自分の世界を熟成させてしまう。もちろん他人の
話などには、耳を傾けない。本も、読まない。自分にとって、耳ざわりのよい話だけを聞
き、それ以外の話を、排斥する。そしてあとは、お決まりの悪循環。ますますがんこにな
っていく。

 そういう点では、思想も健康も、よく似ている。「維持する」という程度では、維持でき
ない。常に、新しい思想に触れ、それをどんどんと、自分の中に補充していかねばならな
い。

 それはたとえて言うなら、穴のあいたバケツのようなもの。上から水を入れなければ、
バケツの中の水(つまり思想)は、どんどんと減っていく。だからその減っていく分以上
の水を、上から補充しなければならない。補充しなければ、やがてカラになる。

 しかも年をとればとるほど、バケツの穴は大きくなる。だから、よけい、がんばって、
新しい水(思想)を、注入していかねばならない。

 もし、それを怠ると、あなたも、私も、あのオジチャン、オバチャンたちのようになる。
家の中で、ただゴロゴロしているだけのオジチャン。見るのは、プロ野球中継だけ。電車
の中で、ペチャペチャと意味のないおしゃべりを、いつまでもつづけるオバチャン。する
のは、たわいもない世間話だけ、などなど。そういう見本は、あなたの周囲にも、いくら
でもいる。(ちょっと失礼かな?)

 ただよく、誤解されるが、人は、老人になって、がんこになるのではない。自分勝手で
わがままになるのではない。

 もともと、その人は、がんこで、自分勝手で、わがままなのだ。が、若いころは、そう
いう自分を、気力で、ごまかして生きることができる。しかし年をとると、その気力が薄
れる。だから、その中身が、外に、そのまま出てきてしまう。だから結果として、その老
人が、がんこで、自分勝手で、わがままになったように見える。

 言いかえると、その人の人格の完成度は、かなり早い時期に決まるということ。30歳
より前。しかし15歳より前ということはない。私の印象では、18〜20歳くらいまで
に、ほぼその「形」は、できあがるということ。この数字に、何かの裏づけがあるわけで
はない。私の経験から、そう思う。

 では、どうするか?

 重要なことは、自分の愚かさに、まず気がつくこと。すべては、ここから始まるが、そ
れについては、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 溺愛ママ 子どもを溺愛する親 でき愛 親のでき愛 嫁・姑戦争 嫁姑
戦争 確執 はやし浩司)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●クマバチ

 クマバチ……「くまんばち」とも言う。体長が2センチくらい。首のところに黄色い輪
をもった、大きな黒いハチである。

 大きいだけあって、飛んでいるときは、迫力がある。ブォーという羽音。それが庭の中
を、縦横無尽に駆けまわる。

 しかしこのクマバチ。見かけとは違い、性質は、たいへんおとなしい。指でつかむよう
なことをしないかぎり、刺されるということはない。それに、ここが、クマバチのおもし
ろいところ。

 ふつう、ハチは、集団行動をする。しかしクマバチは、単独行動。巣も、1、2匹でつ
くり、夏の間に、7〜8匹の幼虫をかえす。

 しかし、ハチは、ハチ。油断は、禁物。そのクマバチが、裏の納屋の中に、巣を作った
という。ワイフが、そう言った。「私、クマバチが、箱の中に、入っていくのを見た」「ず
っと見ていたけど、出てこなかった」と。

 多分、そこに巣があるのだろう。

 クマバチは、ふつうの殺虫剤で、攻撃すればよい。スズメバチのような攻撃性はない。
私は、その日は、夜になるのを待った。

 で、その攻撃性。

 ハチによって、攻撃性は、みな、ちがう。ハチの中でも、一番、攻撃性があるのが、ス
ズメバチ。私の印象では、腹が、黄色と黒になっているハチには、攻撃性がある。だから、
そういう模様になったとも言える。目だつ。「オレたちには、注意しろよ」と。工事現場の
立て札も、その色をまねている。

 私は、そのスズメバチに、先日、3か所も、刺された。毒をすぐ出したので、大事には
いたらなかったが、秋だったら、そうはいかなかっただろう。つまり3か所程度では、す
まなかっただろう。今ごろのハチは、まだおとなしい。

 しかし考えてみれば、おかしなものだ。ハチによって、攻撃性がちがうとは!

 言いかえると、人間も含めて、その動物がもつ攻撃性というのは、本能として、代々と、
子孫に伝わるものらしい。となると、人間は、どうなのか? 人間のもつ攻撃性は、どう
なのか?

 動物の本能といっても、ふつうは、つぎの4つに分けて考える。

(1)種別性(種類によって、ちがう本能)
(2)生得性(その種族が共通してもっている本能)
(3)固定性(学習によっても変えることをしない本能)
(4)不可逆性(順序が狂うと、つづけて同じ行動ができない本能)

 こうして考えてみると、スズメバチというハチの種類は、集団生活をしながら、攻撃性
が強いということになる。

 一方、クマバチは、単独生活をしながら、攻撃性は、ほとんどないということになる。
これは、種別性本能ということになる。

 こうした視点で考えると、人間は、全体として、もともとは、スズメバチに近い本能を
もっていることになる。それを人間は、人間固有の知的能力で、コントロールしている。
……と、単純に考えることはできないが、人間は、たしかに、攻撃性が強い。白人も、黒
人も、黄色人種も、ない。こと攻撃性ということになったら、あらゆる動物の中でも、人
間がもつ攻撃性は、一番、強いのではないか。

 そんなことを考えていたら、その日の夜になった。

 私は、ワイフが言った箱に小さな穴をあけると、そこへ殺虫剤を、容赦なく、注入した。
もうもうと白い霧状のモヤがあたりを包んだ。

 それが終わると、その箱を、そのまま、大きなゴミ袋の中へ! そして袋の口をしばる
と、玄関の、明るいところへもってきた。

ワ「いる?」
私「いないみたい……」
ワ「おかしいわね」
私「ゴキブリか何かと、見まちがえたんじゃないか?」
ワ「たしかにクマバチだったわ」と。

 袋の中で、箱をあけてみると、その中からゴキブリの死骸が、10匹くらい出てきた。

私「ゴキブリが、こんなにたくさんいたよ」
ワ「……?」と。

 結局、クマバチは見つからなかった。だいたい、クマバチが、箱の中に巣を作ったとい
う話など、聞いたことがない。クマバチは、木に丸い穴をあけて、そこに巣をつくる。

 作業が終わったとき、それに気がついた。ゴキブリにしてみれば、とんだ、災難だった
ということになる。
(はやし浩司 動物の本能 本能 攻撃性)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●国際結婚

 15〜20年ほど前から、日本の男性が、外国の女性と結婚するというケースが、ふえ
ている。間に立つ、仲介業者も、今では、無数にある。

 相手の女性は、中国の人や、タイやフィリッピンなどの東南アジアの人たち。韓国の人
や、台湾の人も、いる。

 が、国際結婚は、決して、楽な結婚ではない。言葉の問題、習慣の違いの問題など。克
服しなければならない問題が、山のようにある。「同じ人間だから……」「相手は、女性だ
から……」という軽い気持ちで、結婚すると、たいてい失敗する。それにたいへん危険。
想像もつかないようなトラブルに巻きこまれることも、少なくない。

 概して言えば、日本の女性が、外国の男性と結婚するケースでは、たいてい、うまくい
く。しかし日本の男性が、外国の女性と結婚するケースでは、うまくいくケースは、あま
りない。

 日本の男性独特の、男尊女卑思想が、そのつど、顔を出すからである。中には、結婚し
た外国の女性を、メイドか、召使いか何かのように考える人もいる。奴隷(どれい)あつ
かいをする人も、少なくない。

 こういうケースでは、即、離婚ということになる。当然である。

 で、最近も、ある人(男性)から、そういう相談を受けた。男性である。「中国の河南省
に住む女性との結婚を考えているが、どうか?」と。

 その人のことを、よく知っているが、国際性ということになったら、私は、その人の中
に、それをほとんど感じない。国際性のある人は、ある種、独特のムードをもっている。
包容力というか、心の広さというか、そういうものである。そういうムードすら、ない。
もちろん言葉の問題もある。

 さらに、よく誤解されるが、中国の女性だから、男性に従順であるとか、そういうこと
は絶対に、ない。むしろ、男女の同権意識ということになると、日本の女性より、はるか
に強い。「夫のものは、夫のもの」「妻のものは、妻のもの」と、何でも、はっきりと分け
る傾向が強い。

 これはほんの一例だが、こうした(違い)が無数にある。その無数の(違い)を乗り越
える力が、(愛)ということになる。しかしその(愛)を育てるにも、そこには、言葉のカ
ベがある!

 何か、共通の仕事や目的をもっていて、つまりは、自然の成りゆきとして結婚したとい
うケースなら、まだ、うまくいく。(それでも、むずかしいが……。)

 いわんや、仲介業者に写真を見せられ、1、2回、見合いした程度で結婚して、うまく
いくはずはない。(……と考えてよいのでは……。)

 そこでその人(男性)だが、私が、「外国生活の経験はありますか?」と聞くと、こう言
った。

 「5、6回、旅行で、中国や東南アジアを回ったことがあります」と。

 が、旅行程度では、じゅんぶんとは言えない。だから私は、こう言った。「ぼくの経験で
は、そういう結婚は、むずかしいと思います」「フィリッピンや、インドネシアの女性なら、
まだ、ナィーブなところがありますが、中国の女性は、強いですよ。韓国の女性は、もっ
と、強い。その覚悟はできていますか?」と。

 そう言えば、ときどきオーストラリアの友人が、私の家に遊びにくるが、みな、こう言
う。「日本の女性は、やさしいね」と。ときには、「アキコサン(=私のワイフ)は、ヒロ
シのサーバント(奴隷)みたいで、かわいそう」と言われることもある。

 向こうの人たちから見ると、私のワイフにかぎらず、日本の妻たちは、そう見えるらし
い。
(はやし浩司 国際結婚)



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 15日(No.610)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育てメモ】

●寝起きのよい子どもは安心

 子ども情緒は、寝起きをみて判断する。毎朝、すがすがしい表情で起きてくるようであ
れば、よし。そうでなければ、就眠習慣のどこかに問題がないかをさぐってみる。

とくに何らかの心の問題があると、この寝起きの様子が、極端に乱れることが知られて
いる。たとえば学校恐怖症による不登校は、その前兆として、この寝起きの様子が乱れ
る。不自然にぐずる、熟睡できず眠気がとれない、起きられないなど。

 子どもの睡眠で大切なのは、いわゆる「ベッド・タイム・ゲーム」である。日本では「就
眠儀式」ともいう。子どもには眠りにつく前、毎晩同じことを繰り返すという習慣があ
る。それをベッド・タイム・ゲームという。

このベッド・タイム・ゲームのしつけが悪いと、子どもは眠ることに恐怖心をいだいた
りする。まずいのは、子どもをベッドに追いやり、「寝なさい」と言って、無理やり電気
を消してしまうような行為。こういう乱暴な行為が日常化すると、ばあいによっては、
情緒そのものが不安定になることもある。

 コツは、就寝時刻をしっかりと守り、毎晩同じことを繰り返すようにすること。ぬいぐ
るみを置いてあげたり、本を読んであげるのもよい。スキンシップを大切にし、軽く抱
いてあげたり、手でたたいてあげる、歌を歌ってあげるのもよい。時間的に無理なら、
カセットに声を録音して聞かせるという方法もある。

また幼児のばあいは、夕食後から眠るまでの間、興奮性の強い遊びを避ける。できれば刺
激性の強いテレビ番組などは見せない。アニメのように動きの速い番組は、子どもの脳
を覚醒させる。そしてそれが子どもの熟睡を妨げる。ちなみに平均的な熟視時間(眠っ
てから起きるまで)は、年中児で一〇時間一五分。年長児で一〇時間である。最低でも
その睡眠時間は確保する。

 日本人は、この「睡眠」を、安易に考えやすい。しかし『静かな眠りは、心の安定剤』
と覚えておく。とくに乳幼児のばあいは、静かに眠って、静かに目覚めるという習慣を
大切にする。

今、年中児でも、慢性的な睡眠不足の症状を示す子どもは、二〇〜三〇%はいる。日中、
生彩のない顔つきで、あくびを繰り返すなど。興奮性と、愚鈍性が交互に現れ、キャッ
キャッと騒いだかと思うと、今度は突然ぼんやりとしてしまうなど。(これに対して昼寝
グセのある子どもは、スーッと眠ってしまうので、区別できる。)
(はやし浩司 就眠儀式 ベッドタウムゲーム 子供の寝さかし しつけ)


●指示は具体的に

 子どもに与える指示は、具体的に。たとえば「先生の話をよく聞くのですよ」「友だちと
仲よくするのですよ」と子どもに言うのは、親の気休め程度の意味しかない。そういう
ときは、こう言いかえる。「幼稚園(学校)から帰ってきたら、先生がどんな話をしたか、
あとでママに話してね」「この○○(小さなプレゼント)を、A君にもっていってあげて
ね。きっとA君は喜ぶわよ」と。

「交通事故に気をつけるのよ」と言うのもそうだ。具体性がないから、子どもには説得力
がない。子どもに「気をつけろ」と言っても、子どもは何にどう気をつけたらよいのか
わからない。そういうときは今度は、寸劇法をつかう。

子どもの前で、簡単な寸劇をしてみせる。私のばあい、年に一度くらい、子ども(生徒)
たちの前で、交通事故の様子をしてみせる。ダンボール箱で車をつくり、その車にはね
られ、もがき苦しむ子どもの様子をしてみせる。コツは決して手を抜かないこと。茶化
さないこと。子どもによっては、「こわい」と言って泣き出す子どももいるが、それ
でも「子どもの命を守るため」と思い、手を抜かない。

 ほかに、たとえば、「あと片づけをしなさい」と言っても、子どもにはそれがわからない。
そういうときは、「おもちゃは一つ」と言う。またそれを子どもに守らせる。子どもはつ
ぎのおもちゃで遊びたいため、前のおもちゃを片づけるようになる。(ただし、日本人ほ
ど、あと片づけにうるさい民族はいない。欧米では、「あと始末」にはうるさいが、「あ
と片づけ」については、ほとんど何も言わない。念のため。)

 これは私の教室でのことだが、私はつぎのように応用している。

 勉強中フラフラ歩いている子どもには、「パンツにウンチがついているなら歩いていてい
い」「オシリにウンチがついているのか? ふいてあげようか?」と言う。

 なかなか手をあげようとしない子どもには、「ママのおっぱいを飲んでいる人は、手をあ
げなくていいよ」と言う。

 こうした言い方をするには、もちろんそれなりの雰囲気が大切である。言い方をまちが
えると、セクハラ的になる。「それなりの雰囲気」というのは、教師と親の信頼関係と、
そうしたユーモアが理解されるようななごやかな雰囲気をいう。それがないと、とんで
もない誤解を招くことがある。私もこんな失敗をしたことがある。

 ある日、一人の男の子(小三男児)が、勉強中、フラフラと席を離れて遊んでいた。そこで私
が、「おしりにウンチがついているなら、歩いていていいよ」と声をかけた。ふつうならそ
こでその男に子はあわてて席につくのだが、そこでハプニングが起きた。横にいた別の
男の子が、その立っている男の子のおしりに顔をあてて、こう叫んだ。「先生、本当にこ
いつのおしり、ウンチ臭い!」と。

 そのときはそれで終わったが、つまりその言われた子どもも、それなりに笑って終わっ
たが、その夜、父親から猛烈な抗議の電話が入った。「息子のウンチのことで、息子に恥
をかかせるとは、どういうことだ!」と。
(はやし浩司 子供への指示 しつけ法 育児 育児法 指示の与え方)


●仲のよいのは、見せつける

 子どもに、子育てのし方を教えるのが子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに、
子育てをするのですよ」と、その見本を見せる。見せるだけでは足りない。子どもの体
にしみこませておく。もっとわかりやすく言えば、環境で、包む。

 子育てのし方だけではない。「夫婦とはこういうものですよ」「家族とはこういうもので
すよ」と。とくに家族が助けあい、いたわりあい、なぐさめあい、教えあい、励ましあ
う姿は、子どもにはどんどんと見せておく。子どもは、そういう経験があって、今度は
自分が親になったとき、自然な形で、子育てができるようになる。

 その中の一つ。それがここでいう「仲のよいのは、見せつける」。夫婦がたがいに励まし
あい、助けあい、なぐさめあう姿は、遠慮せず、子どもにはどんどん見せつけておく。
仲がよいところも、そうである。

手をつないで一緒に歩く。夫が仕事から帰ってきたら、たがいに抱きあう。一緒に風呂
に入ったり、同じ床で寝るなど。夫婦というのは、そういうものであることを、遠慮せ
ず、見せておく。またそのための努力を怠ってはいけない。

 中には、「子どもの前で、夫婦がベタベタするものではない」と言う人もいる。しかしそ
れこそ世界の非常識。あるいは「子どもが嫉妬(しっと)するから、やめたほうがよい」
と言う人もいる。たしかにそういう問題もないわけではない。父親に嫉妬する息子、母
親に嫉妬する娘などの例がある。

 そういう心配があるなら、「求めてきたときが与え時」と心得て、子どものほうから、そ
れを求めてきたら、すかさず、子どもの求めに応じてやる。ぐいと力いっぱい抱くだけで
も、子どもは、安心する。

しかし全体としてみれば、子どもにしてみれば、生まれながらにそういう環境であれば、
嫉妬するということはありえない。「嫉妬する」と考えるのは、そういう習慣のなかった
人が、頭の中で勝手に想像して、そう思うだけ。が、それだけではない。

 子どもの側から見て、「絶対的な安心感」が、子どもを自立させる。「絶対的」というの
は、「疑いをいだかない」という意味。堅固な夫婦関係は、その必要条件である。またそ
ういう環境があって、子どもははじめて安心して巣立ちをすることができる。そしてそ
の巣立ちが終わったとき、結局は、あとに残されるのは、夫婦だけ。そういうときのこ
とも考えながら、親自身も、子どもへの依存性と戦う。

 家庭生活の基盤は、「夫婦」と考える。もちろんいくらがんばっても、夫婦関係もこわれ
るときは、こわれる。それはそれとして、まず、家庭生活の基盤に夫婦をおく。子ども
の前では、夫婦が仲がよいのを見せつけるのは、その第一歩ということになる。
(はやし浩司 夫婦と子供 子ども 夫婦の問題 夫婦仲 絶対的な安心感 家庭の役
割)


●流れには従う

 世の中には「流れ」というものがある。この流れをどう見極めるか、それも子育てのう
ちということになる。

 たとえば私が高校生のときは、「赤い夕日が校舎を染めてエ〜」(舟木一夫の「高校三年」)
と歌った。しかし今の親たちは、「夜の校舎、窓ガラス、壊して回ったア」(尾崎豊の「卒
業」)と歌った。この違いは大きい。

 そして今、さらにこの流れが加速され、子どもたちの世界は、大きく変化しつつある。
それがよいのか悪いのかという議論もあるが、中学生にしても、約六〇%の子どもが、「勉
強で苦労するから、進学校には行きたくない」などと言っている(浜松市内のH中学校
長談話)。また日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によれば、高校三年生のうちフリ
ーター志望が、一二%もいるという(ほかに就職が三四%、大学、専門学校が四〇%)。
職業意識も変わってきた。

「いろいろな仕事をしたい」「自分に合わない仕事はしない」「有名になりたい」など。三
〇年前のように、「都会で大企業に就職したい」と答えた子どもは、ほとんどいない。こ
れはまさに「サイレント革命」と言うにふさわしい。フランス革命のような派手な革命
ではないが、日本人そのものが、今、着実に変わろうとしている。

 ところで親子を断絶させる三要素に、(1)親子のリズムの乱れ、(2)信頼感の喪失、(3)
価値観の衝突がある。このうち(3)価値観の衝突というのは、結局は、子どもの流れ
についていけない親に原因がある。どうしても親は、自分を基準にして考える傾向があ
り、自分の価値観を子どもに押しつけようとする。この「押しつけ」が、親子の間にキ
レツを入れる。

親「何としてもS高校へ入れ」
子「いやだ。ぼくは普通の高校でいい」
親「いい高校に入って、出世しろ。何といってもこの日本では、学歴がモノを言う」
子「勉強は嫌いだ」
親「お前には、名誉欲というものがないのか」
子「そんなもの、ない」と。

 どこの家庭にでもあるような衝突だが、こうした衝突を繰り返しながら、親子の間は断
絶していく。今、中高校生でも、「父親を尊敬していない」と答えた子どもは五五%もい
る(「青少年白書」平成一〇年)。

「父親のようになりたくない」と答えた子どもは八〇%弱もいる。この時期、「勉強せよ」
と子どもを追い立てるほど、子どもの心は親から離れると考えてよい。
(はやし浩司 青少年白書 平成10年 父親を尊敬する 尊敬しない子供たち)


●なくしてわかる生きる価値

 賢明な人は、そのものの価値をなくす前に気づき、愚かな人は、なくしてから気づく。
健康しかし、人生しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 子どものよさには、二つの意味がある。ひとつは、外に目立つ「よさ」。もうひとつは、
中に隠れた、見えない「よさ」。外に目立つ「よさ」は、ともかく、問題は中に隠れた「よ
さ」。それに親がいつ気がつくかということ。

 たとえば子どもが何か問題をかかえたとすると、親はその状態を最悪と思い込み、「どう
してうちの子だけが」とか、「なんとかなおそう」と考える。しかしそういうときでも、
もし子どもの中に、隠れた「よさ」を見出せば、問題のほとんどは解決する。たとえば
こんな母親がいた。

 その娘(中三)は、受験期だというのに、家では、ほとんど勉強しなかった。そこで母
親は毎日ヤキモキしながら、娘を叱りつづけた。しかしこういう状態が半年、一年もつ
づくと、母親の精神状態そのものがおかしくなる。母親はそのつど青白い顔をして、私
のところに相談にきた。

「どうしてうちの娘は……?」と。

 しかしその子どもは、私が見るところ、すなおで、明るく、頭の回転も速く、それに性
格もおだやかだった。ものの考え方も常識的で、非行に走る様子も見られなかった。学
校でもリーダーで、バトミントン部に属していたが、結構活躍していた。もちろん健康
で、それにこういう言い方は適切ではないかもしれないが、容姿も整っていた。私は「そ
ういう子どもでも、親は、健康を悪くするほど悩むのかなあ」と。それがむしろ不思議
でならなかった。

 昔の人は、『上見て、キリなし。下見て、キリなし』と言った。上ばかり見ていると、人
間の欲望や希望には際限がなく、苦労は尽きないもの。しかし一方、自分が最低だと思
っても、まだまだ苦しくて、がんばっている人もいるから、くじけてはいけないという
意味だが、子育てで行きづまりを覚えたら、子どもは、「下」から見る。下(欠点)を見
ろというのではない。「今、ここに子どもが生きている」という原点から見る。そういう
視点から見ると、ほとんどの問題は解決する。

 あなたの子どもにもすばらしい点は山のようにある。それに気づくかどうかは、結局は、
あなたの視野の広さと高さによる。子どもを見るときは、その視野を広く、そして高く
もつ。
(はやし浩司 賢明な親 子供のよさ 子どもの問題 子供の問題)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●上の子(娘)のあつかいについて

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上の娘に、手を焼いているお母さんから、相談のメール
が届いています。この問題について、少し、考えてみま
す。

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【福井県S市、NAより】

3歳10ヶ月(幼稚園年少)の娘と、7か月の息子がおります。

ここ数ヶ月、娘の反抗的、甘え、わがままな態度に困っています。下の子へのヤキモチか、
幼稚園のストレスか年齢的なものかと、あれこれ考えて悩んでます。

例えば食事の時、「食べさせて」と言うので、ご飯を食べさせようとしたら、「ご飯はイヤ、
おかずがいいの!」と怒る。着替えも「お母さんが選んで」と言うから、「どれでもいいの
かと聞いた上で選んでも、「それはイヤ、他のがいい」と、怒ったり泣いたりします。

先生のマガジンでよく言われているように、上の子を優先して、スキンシップを大切に思
っていますが、あまりの態度に、こちらのほうが辛抱できず、つい言葉を返したりしてし
まいます。

親に相談したら「甘やかしすぎ、なんでも親の決めたことを聞かせるように育てないとダ
メ」とか、「人間の子も犬の子も同じ、犬の子のしつけの本を読みなさい」と言われ、悲し
くなりました。

娘は親には反抗的なので、下の子の世話をしていたら、自分の事を先にやってほしい、と
言いますが、下の子には乱暴なことをすることもなく、かわいがってくれています。

娘のいいなりのような生活に、むなしくなったり、腹が立ったりの毎日ですが、この先も
このまま接していけばいいのか、厳しく接するべきなのかわかりません。自分でも情けな
い親だと思います。

【デリケートな、心の問題】

 上のお子さん(姉)の底流にあるのは、嫉妬(しっと)です。下のお子さん(弟)が産
まれてから、そうなったと考えます。たとえて言うなら、ある日突然、あなたの夫が、愛
人を連れてきて、「今日から、いっしょに住むからな」と言って、その愛人と住み始めたよ
うなものです。もしそういう状況になったら、あなたはどうするでしょうか。どう行動に
出るでしょうか。

 こういうケースは、子どもの欲求不満に準じて、考えます。

●親の心を試す子ども

 子どもは、さまざまな方法を使って、親の自分への愛情を試します。つまり親の忍耐力
を試すわけです。その忍耐力をみながら、自分への愛情の深さをさぐります。

 ですから、このタイプの子どもは、ギリギリのところまではしますが、その一線を超え
ることはありません。(その点では、家庭内暴力に似ています。それ以上のことをしたら、
家庭そのものが崩壊してしまうかもしれない。それを子ども自身が本能的な部分で察知し
て、その寸前のところでやめます。)

 上の子どものわがままも、その範囲にあります。わがままを言いながら、どこに、その
限界があるかを知ろうとしているわけです。

 対処の基本は、子どもの欲求不満に準じて考えます。

 それについて書いた記事を、添付しておきます。

+++++++++++++++++++++++

【子どもの欲求不満】

子どもが欲求不満になるとき

●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応
は、ふつう、次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状
態にあり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。

私が「このグラフは正確でないから、かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャ
ーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四男児)がいた。あるいは私が、「今日は元
気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした女の
子(小五)もいた。

こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に
隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考える。

(2)退行・依存タイプ
 
ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存
性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを
叱れば叱るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケース
が多い。
(3)固着・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と
悩んだりする(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩い
ていた。

最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、
幼児がえりを起こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボ
ロになっても、まだ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と
声をかけると、その子どもはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。
読んでは、ダメだというんでチョ」と。

子どもの未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりす
ると、子どもは幼児がえりを起こしやすくなる。

 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行
為と考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指
しゃぶり、爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自
分の欲求不満を解消しようとする。

●欲求不満は愛情不足

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子ども
というのは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」とい
うのは、「疑いをいだかない」という意味。

その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。ある子ども(小一男
児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入ったというこ
とで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。

その子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。
子どもなりに、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんな
ことで……」と言ったが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのよう
に消えた。

●濃厚なスキンシップが有効

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずっ
たり、わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。
最初は抵抗するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカル
シウム分、マグネシウム分の多い食生活に心がける。

 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシッ
プそのものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタして
いる。よく「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、
日本人のばあい、その心配はまずない。

そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよい。子どもの欲求不
満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの問題は解決す
る。
(はやし浩司 子どもの欲求不満 子供の欲求不満 スキンシップ カッとなる子供)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【NAさんへ……】

 赤ちゃんがえりの一つと思われます。下の子どもが生まれたことにより、自分への愛情
が半減されたかのように感ずることが原因で、そうなります。

 タイプとしては、同情型、依存型、服従型などがありますが、下の子や親に対して、攻
撃的に出ることもあります。しかし親の前では、いい兄、いい姉を演ずることも少なくあ
りません。

 こういうケースのばあい、表面的には、ものわかりのよい兄、姉に見えますので、つい
油断していると、NAさんのお子さんのような症状となって現れることがあります。

 「娘のいいなりになることが心配」ということですが、スキンシップを求めてきたとき
などは、すかさず、ぐいと抱いてあげるだけでも、お子さんの心は落ちつくはずですから、
いとわないで、してあげてください。

 そのほかの、親の愛情を試すような行為については、(1)根気よく、こんこんと言って
聞かせながら、(2)あとは、暖かい無視を繰りかえします。決して短気になったり、その
場の雰囲気だけで、それがすべてと判断してはいけません。そのつどお子さんの様子に振
りまわされていると、かえってお子さんのほうが、動揺してしまいます。

 子育てには、いつも、「一貫性」が大切です。その一貫性を、守ってください。

 ほかに赤ちゃんがえりの症状がひどいようであれば、一度、生活の基本をすべて、上の
子どもにもどします。少しずつ、半年単位で、手を抜くようにして、今度は、下の子ども
のほうへ、分け与えるようにしていきます。(下のお子さんには、少し、つらいことかもし
れませんが……。)

 が、いただいたメールの範囲程度であれば、ここに書いた方法程度で、じゅうぶんでは
ないかと思います。症状は、5歳過ぎまでつづきますが、そのあとは、何ごともなかった
かのように、終わります。ご安心ください。
(はやし浩司 赤ちゃん返り 赤ちゃんがえり 子供の欲求不満 欲求不満 子どもの欲
求不満 上の子供の問題 上の子の問題 はやし浩司)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



●恋愛の寿命(2)

 少し前、「恋愛の寿命」について、書きました。

 おもしろいですね。あのウキウキした気分さえも、実は、脳ミソの中で、ある物質によ
って作られた感情だったとは!

 その物質が、フェニルエチルアミン。脳ミソの中のどこかで、スイッチ・オンになると、
このフェニルエチルアミンが、どっと分泌されて、脳ミソ全体が、甘〜イ陶酔感に満たさ
れるというのです。

 ふつうだと、そういう物質が分泌されると、同時に、それを打ち消す物質も分泌される
のだそうですが、このフェニルエチルアミンに関しては、それがないそうです。

 ですから、陶酔感は、しばらくはつづきます。が、いつまでもつつくわけではない。脳
ミソのほうが、やがてそれに慣れてしまうというわけです。その期間は、3年から4年。

 つまりですね、どんな熱烈な恋愛でも、長くても、4年くらいで、冷めてしまうという
ことです。ガッカリ!

 だから若い人たちにあえてアドバイスするなら、恋愛したら、甘い陶酔感が残っている
うちに、はやめに結婚しなさいということ。3年も、4年も、ほっておいたら、熱も冷め
てしまうということ。

 (そう言えば、長い恋愛期間をおきすぎたため、結婚しないで終わってしまったという
カップルは、多いようですね。)

 しかもですね、ここが重要ですが、最初の1回目が、とくに重要だということです。フ
ェニルエチルアミンの効果は、最初のときが絶大だということです。2回目、3回目とな
ると、今度は、免疫性ができてしまい、効果も薄くなってしまうということ。それに長つ
づきしない。

 日本を代表する歌手の中にも、そういう女性がいましたね。数年おきに結婚、離婚を繰
りかえしながら、その周期がだんだんと早くなっていった人です。

 きっとフェニルエチルアミンによる陶酔感が忘れられず、それに溺れてしまったのでは
ないでしょうか。つまりは、フェニルエチルアミンという麻薬の中毒患者!……というわ
けです。

 いえ、私も、ときどき、電車の中などで、すてきな女性を見かけたりすると、このフェ
ニルエチルアミン効果を感ずることがあります。

 しかし免疫性のほうも、しっかりとできているため、長つづきしない。瞬間だけ、ほん
の瞬間だけ、恋のときめきを感じて、そのまま忘れてしまう。人間も、歳をとると、だん
だんと、そうなるものなのでしょうか。

 ここ数日は、とくに、この問題について、考えています。おもしろい問題だと思います。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【近ごろ、あれこれ】

●水色のパンティ

 久しぶりに、山荘で、風呂に入った。草刈りをしたあとの一風呂は、これまた、格別。
ほどよい筋肉の疲れ。うっとりとした眠気。風呂の窓の外には、折り重なってつづく山々。
そしてそれをやさしく包む澄んだ青。遠くは、太平洋まで、見渡せる。

 が、ここで突然、異変!

 ワイフがこう言った。「あら、あなたの下着、忘れちゃったア!」と。

 草刈りをするとき、ズボンとか、シャツは、脱いだ。脱いで、作業着にかえた。しかし
パンツは、そのまま。そのパンツは、汗でビショビショ。

私「かわりのパンツ、ロッカーにないのか?」
ワ「ないわ……」と。

 困った。男というのは、ノーパン状態では、活動ができない。数年に1度くらい、何か
の事情で、ノーパン状態になることはある。が、アレをブラブラさせていると、気分も落
ちつかない。そういえば、昔、そのノーパン状態のとき。ズボンのチャックで、アレの袋
をはさんでしまったことがある。そのとき私は、死ぬほど、痛い目を味わされた。

私「ないと、困るよオ〜」
ワ「いいわよ、私のがあるから。貸してあげるから、それをはけばア?」と。

 正直に告白するが、私は生涯にわたって、一度たりとも、女性のパンティなど、身につ
けたことがない。絶対に、ない。その私に、女性のパンティをはけだとオ!

私「いやだよ」
ワ「しかたないでしょう、ないんだから……」
私「……どんなの? ……ピンク色は、いやだよ」と。

 ワイフは、水色のパンティをもってきた。細い白いしま模様がついている。悪くはない。
が、肝心の穴がない。

 くつろいでいた気分が、いっぺんに吹っ飛んでしまった。私は風呂から出ると、恐る恐
る、ワイフのパンティをはいてみた。

私「若い娘のパンティみたいだよ、これは……」
ワ「あら、ちょうどいいみたい。よくはけたわね」
私「シリの大きさは、それほど、ちがわないよ」
ワ「似合うわよ」
私「似合わないよ……」と。

 カガミに映してみると、水着のようにも見える。それほど、かっこ悪くない。

私「しかし、これをはいて、交通事故でも起こしたら、いやだね」
ワ「……そうねえ。それは、やばいわねエ……」
私「看護婦さんが、ぼくの下着を見て、ヘンタイだと思うよ、きっと……」
ワ「そうね、きっと、そう思うわよ。リボンもついているし……」と。

 おかしな気分だった。トランクスにはない、しめつけ感というか、それが、ぐいと股の
間を、上に押しあげる。

私「ついでに、Tバックとか、ハイレグでもいいけど……」
ワ「そんなの、ないわよ」
私「小便をするときは、どうするのかな? 横からは無理だから、上から出すしかないね」
ワ「……」と。

 が、半時間もすると、そのパンティのことは、忘れた。

私「でね、ぼく、もう、あんな子どもがはくようなトランクスは、もういやだよ。もっと、
おとなぽい、ブリーフがいい。あんなトランクスでは、浮気もできないよ」
ワ「あら、浮気をしたいの?」
私「いや、したいというのではないけど、今のトランクスでは、女性に相手にされないよ」
と。

 のどかな昼下がり。意味のない会話がつづく。で、無事、その日は終わった。家に帰る
とすぐ、捨てるようにして、パンティを脱ぎ、いつものトランクスにかえた。が、である。

 さらに驚くべきことが、その翌日に起きた。

 自宅の風呂に入り、その風呂から出てくると、そこに、見なれないブリーフが……? ト
ランクスとも言えない。しかしブリーフとも言えない。「何だ?」と思ってみると、私のパ
ンツだった。

 色は、茶色。色はともかくも、出入り口に、5つも、ボタンがついている。

私「おい、このパンツ、5つもボタンがついているよ」
ワ「かっこいいでしょう、そのパンツなら……」
私「あのなア、ボタンつきのパンツなんて、はけないよ」
ワ「あら、どうして?」
私「急いでいるとき、いちいちボタンをはずしていたら、間に合わないよ」と。

 しかしおかしなパンツだった。ボタンが5つもついている! それを手にもって、いろ
いろな方向から、ながめてみる。

私「あのね、きっと、このパンツね、不倫用のパンツだよ」
ワ「あら、どうして?」
私「ボタンがついているよ」
ワ「どうしてボタンがついていると、不倫用なの?」
私「女性がね、男のパンツをゆっくりとぬがすとき、ボタンを1個ずつはずしていくと、
感ずるだろ。そういうパンツだよ」

ワ「女性が、男のパンツをぬがすの?」
私「きっと、そうだよ。1個ボタンをはずすごとに、ドキドキ、ワクワク……。ハハハ。
そういうパンツだよ、これは……」
ワ「どうして、あなたにそんなことがわかるの……?」
私「……常識だよ。昔、ストリップ劇場の女性たちが、よく、そうしていた……」と。

 ワイフは、そんなパンツをどこで買ってきたのだろう。そんなことを考えながら、私は、
だまった。その種の特殊な下着を売る店は、この近くには、ないはず。まさかア……?


 それにしても、ボタンつきのパンツとは!

 で、私は、ボタンをかけないことにした。はずしたままにしておくことにした。このと
ころ、尿意を感じたとたん、すぐトイレに行きたくなる。それにしても、おかしなパンツ
だ。

 ……ということで、一言。男性用のパンツには、穴がある。女性用には、ない。しかし
よくよく考えてみると、男性用でも、穴は、必要ないのかもしれない。細めのパンツだっ
たら、そのつど、アレは、上から出せばよい。

 実にくだらないことだが、ワイフのパンティをはいているとき、そんなことを思った。
が、この話は、ここでおしまい。


●夏バテ

 昨年(04年)、夏バテの恐ろしさを、私は、いやというほど、味わった。そこで今年か
ら、(1)体重管理に注意する、(2)クーラーにはあたらない、(3)運動を欠かさない。
この3点に注意することにした。

 私の適性体重は、60〜62キロくらいだそうだ。しかしこれはあくまでも、計算上の
数値。若い人と同じに考えるわけにはいかない。本当の適性体重は、58〜60キロくら
いではないか?

 昨年の夏。気がついたときには、68〜9キロもあった。その上、あの猛暑。「暑い」と
言っては、クーラーにあたってばかりいた。おまけに、夏風邪もひいた。

 この夏風邪が、何と、2週間もつづいた。なおっては、またかかり……、と。

 そのため8月の終わりごろには、朝目をさまして、おきあがるだけでも、たいへん。「も
う、このまま寝たきりになるのではないか」と思ったほど。

 今年は、その「愚」を繰りかえさない。

 目下、体重は、63キロ台。目標は、あと1キロ、減量。ここ数日は、朝ごはんは、ス
イカだけで、すませている。

 クーラーについては、最後の最後まで、がんばるつもり。車に乗っても、すぐ窓をあけ
るようにしている。ワイフは、やや不満そうだが、ワイフの健康にとっても、よいはず。

 あとは運動だが、自転車でも、タラタラとこいでいたのでは、運動としての効果はない。
グイグイと力を入れ、全身で、こぐ。ある程度のスピードを出して走る。

 昨夜も、町から帰ってきたら、全身、汗でビショビショ。それではじめて、運動になる。

 暑い夏は、近い。がんばろう! みなさんも、お体を大切に!


●紫外線対策

 昼間は、紫外線対策を! 私も、自転車に乗るときは、顔や腕など、日光が当たるとこ
ろには、UVカットクリームを、ぬっている。

 あとは、帽子。今度、サングラスも、買うつもり。先日、私の家に遊びに来たオースト
ラリアの友人(女医)も、こう言った。「ヒロシ、油断してはだめよ」と。そして私の顔や
足のホクロをひとつひとつ、ていねいに、調べてくれた。

 オーストラリアでは、すでに、20代の若者たちの間でも、皮膚がんが、多発するよう
になったという。ますます深刻な問題になりつつあるようだ。

 あれほどまでに、紫外線対策にうるさい国だが、もう1人の友人(男性医師)は、こう
言った。「(そんなオーストラリアでも)、対策を始めるのが、30年は、遅れた」と。

 が、この日本では、まったくの野放し。無防備。この問題だけは、症状が出始めてから
では、遅い。遅すぎる。病気にたとえるなら、潜伏期間が、20年とか、30年とかもあ
る。とくに幼い子どものほうが、あぶない。

 そのときたまたま、みんなで金沢を旅行していたが、私が、「おととい、紫外線警報が日
本でも出たよ」と一言、話すと、オーストラリアの友人たちは、みな、いっせいに、バッ
グや、カバンから、大きな帽子とサングラスを取り出した。

 それを見ながら、私は、「なるほどなア」と思った。

 野外活動、部活動、体育などなど。いまどき、真っ赤に日焼けするなどということは、
自殺行為。先週も、小中学生たちにこう聞いてみた。

 「君たちの学校で、体育や水泳の時間に、紫外線対策をしているところはあるの?」と。

 すると、全員、「NO!」と答えた。

 お父さん、お母さん、そして学校の先生のみなさん。紫外線は、放射線ですよ! 恐ろ
しい放射線ですよ! これだけオゾン層が破壊されている今、こんな無防備でいいのでし
ょうか?


●UFOの推進力は、プラズマ?

 おもしろい本を、書店で見つけてきた。毎晩、床についてから、眠るまで、少しずつ、
読んでいる。

 何でも、UFOの推進力は、プラズマだというのだ。

 一つの物体に、2つの方向から、強力な電磁波をあてると、その2つの電磁波がぶつか
ったところで、プラズマが発生する。そのプラズマを移動させると、そのプラズマに包ま
れた物体が、浮上したり、移動したりするという。

 ただし、プラズマは、超高温。その物体のなかに、人が入っていたら、瞬時にして、真
っ黒こげになってしまう。

 そこで新しいタイプのプラズマを……ということになるが、何でも、元素117を使っ
て発生させたプラズマは、高温にならないそうだ。つまりそれを使えば、いわゆるUFO
のような乗り物の動力源として使えるという。

 「フムフム、ナルホド……」と思いながら、その本を読んでいる。

 話は、ここで終わるわけではない。

 実は、あのアメリカは、すでに、そのプラズマを動力源にした乗り物(飛行機)を完成
させているという。ただ、今は、実験段階で、実用的ではないという。が、近く、実用化
されるだろう、とも。

 あまりにもロマンに満ちた話なので、その本の名前は、伏せておく。もう少しよく読ん
で、信憑性(しんぴょうせい)を確かめてから、また、みなさんに報告する。


●韓国の輸送艦

 今度、韓国で、大型の輸送艦が、建造された。名前は、「独島」。

 イヤ〜ナ国! ホント! あの国というより、N大統領は、何かならなにまで、反日に
結びつけないと気がすまない人らしい。ものの考え方が、完全に、うしろ向き。心理学で
も、こういう人を、回顧主義者という。

 K国には、腫れ物にでも触れるかのように気をつかいながら、この日本に対しては、ま
さにやりたい放題。言いたい放題。

 まあ、ここは、冷静に! 韓国などなくても、日本はやっていかれるが、日本なしでは、
韓国はやっていかれない。すでに、日本の企業のほとんどは、韓国から撤退。韓国の企業
も、いくつかの国営企業をのぞいて、外資の支配下。

 K副首相ですら、「日増しに不況が深刻化している」(C日報・7・12)と認めている。
……というより、日本の景気の動向を、そのまま反映した経済構造になっている。

 こうまで日本を怒らせてしまって、(つまり不必要なほどまでに怒らせてしまって)、い
ったい、韓国には、どんなメリットがあるというのか。


●日本の規制緩和

在日米国大使館経済担当公使のマイケル・マハラック氏が、日本の規制緩和について、こん

講演を行っている。「日本の規制緩和は進んではいるが……」とした上で、
 「日本においては、企業を起こそうとする人々に課せられる規制は、時間的にもコスト的
にも、大変厳しく、そのような規制に相当するものは、ウガンダ、アルメニア、インドネ
シアなどに見られるだけです。

世界銀行の報告によると、カナダ、米国、ジンバブエ、スリランカ、台湾、ペルー、タ
イ、そしてインドで採用されている規制は、日本より簡素であり、コストにおいても、
より安いものです。

その報告書は、全世界における競争力の点で、日本を21位にランクし、OECD諸国
の中では11位とし、新規事業に課せられた規制の煩雑さの点では、世界中で45番目
としています。

たとえば、カナダでは、新しい企業を設立するために要する日数は、わずか2日、手続
きはわずか2つ、コストは280ドルです。日本においては、日数は26日、手続きは
11、コストは3742ドルです。

このような、いわゆる「お役所仕事」では、日本は、そのような手続きが、より迅速で
あり、利用者にやさしく、すぐにインターネットの利用も可能になりそうな中国や韓国、
その他の国々と競争していくことはできません」(03・12・5・福井県立大学にて)と。

 つまり、日本という社会は、何からなにまで、お役所によって、がんじがらめになって
いる。氏はそれを指摘しながら、マハラック氏は、「すぐにインターネットの利用も可能に
なりそうな中国や韓国、その他の国々と競争していくことはできません」と、警告してい
る。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 12日(No.609)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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子育てについて、考えてみました。

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●谷底の下の谷底

 子どもの成績がさがったりすると、たいていの親は、「さがった」ことだけをみて、そこ
を問題にする。その谷底が、最後の谷底と思う。しかし実際には、その谷底の下には、さ
らに別の谷底がある。そしてその下には、さらに別の谷底がある。

こわいのは、子育ての悪循環。一度その悪循環の輪の中に入ると、「まだ以前のほうがよ
かった」ということを繰り返しながら、つぎつぎと谷底へ落ち、最後はそれこそ奈落の
底へと落ちていく。

 ひとつの典型的なケースを考えてみる。

 わりとできのよい子どもがいる。学校でも先生の評価は高い。家でも、よい子といった
ふう。問題はない。成績も悪くないし、宿題もきちんとしている。が、受験が近づいて
きた。そこで親は進学塾へ入れ、あれこれ指導を始めた。

 最初のころは、子どももその期待にこたえ、そこそこの成果を示す。親はそれに気をよ
くして、ますます子どもに勉強を強いるようになる。「うちの子はやればできるはず」と
いう、信仰に近い期待が、親を狂わす。が、あるところまでくると、限界へくる。

このころになると、親のほうが自分でブレーキをかけることができない。何とかB中学
へ入れそうだとわかると、「せめてA中学へ。あわよくばS中学へ」と思う。しかしこう
した無理が、子どものリズムを狂わす。

 そのリズムが崩れると、子どもにしても勉強が手につかなくなる。いわゆる「空回り」
が始まる。フリ勉(いかにも勉強していますというフリだけがうまくなる)、ダラ勉(ダ
ラダラと時間ばかりつぶす)、ムダ勉(やらなくてもよいような勉強ばかりする)、時間
ツブシ(たった数問を、一時間かけてする。マンガを隠れて読む)などがうまくなる。

一度、こういう症状を示したら、親は子どもの指導から手を引いたほうがよいが、親に
はそれがわからない。子どもを叱ったり、説教したりする。が、それが子どもをつぎの
谷底へつき落とす。

 子どもは慢性的な抑うつ感から、神経症によるいろいろな症状を示す。腹痛、頭痛、脚
痛、朝寝坊などなど。神経症には定型がない※。が、親はそれを「気のせい」「わがまま」
と決めつけてしまう。あるいは「この時期だけの一過性のもの」と誤解する。「受験さえ
終われば、すべて解決する」と。

 子どもはときには涙をこぼしながら、親に従う。選別されるという恐怖もある。将来に
対する不安もある。そうした思いが、子どもの心をますますふさぐ。そしてその抑うつ
感が頂点に達したとき、それはある日突然やってくるが、それが爆発する。不登校だけ
ではない。バーントアウト、家庭内暴力、非行などなど。

親は「このままでは進学競争に遅れてしまう」と嘆くが、その程度ですめばまだよいほ
うだ。その下にある谷底、さらにその下にある谷底を知らない。

 今、成人になってから、精神を病む子どもは、たいへん多い。一説によると、二〇人に
一人とも、あるいはそれ以上とも言われている。回避性障害(人に会うのを避ける)や
摂食障害(過食症や拒食症)などになる子どもも含めると、もっと多い。子どもがそう
なる原因の第一は、家庭にある。

が、親というのは身勝手なもの。この段階になっても、自分に原因があると認める親は
まず、いない。「中学時代のいじめが原因だ」「先生の指導が悪かった」などと、自分以
外に原因を求め、その責任を追及する。もちろんそういうケースもないわけではないが、
しかし仮にそうではあっても、もし家庭が「心を休め、心をいやし、たがいに慰めあう」
という機能を果たしているなら、ほとんどの問題は、深刻な結果を招く前に、その家庭
の中で解決するはずである。

 大切なことは、谷底という崖っぷちで、必死で身を支えている子どもを、つぎの谷底へ
落とさないこと。子育てをしていて、こうした悪循環を心のどこかで感じたら、「今の状
態をより悪くしないことだけ」を考えて、一年単位で様子をみる。あせって何かをすれ
ばするほど、逆効果。(だから悪循環というが……。)『親のあせり、百害あって一利なし』
と覚えておくとよい。つぎの谷底へ落とさないことだけを考えて、対処する。
(はやし浩司 子供の成績 学力 やる気のない子ども 悪循環)


●何でも握らせる
 
 人類の約5%が、左利きといわれている(日本人は3〜4%)。原因は、どちらか一方の
大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活習慣に
よって決まるという生活習慣説などがある。一般的には乳幼児には左利きが多く、三〜四
歳までに決まるとされる。
 
 それはともかくも、幼児を観察してみると、何か新しいものをさしだしたとき、すぐ手
でさわりたがる子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。さわるから知的好奇心が
刺激されるのか、あるいは知的好奇心が旺盛だから、さわりたがるのかはわからないが、
概して言えば、さわりたがる子どもは、それだけ知的な意味ですぐれている。これについ
て、こんな話を聞いた。

 先日、タイを旅したときのこと。夜店を見ながら歩いていたら、中国製だったが、石で
できた球を売っていた。2個ずつ箱に入っていた。そこで私が「これは何?」と聞くと、「老
人が使う、ボケ防止の球だ」と。それを手のひらの中で器用にクルクルと回しながら使う
のだそうだ。そしてそれが「ボケ防止になる」と。指先に刺激を与えるということは、脳
に刺激を与え、それが知的な意味でもよい方向に作用するということは前から知られてい
る。

 もしあなたの子どもが乳幼児なら、何でも手の中に握らせるとよい。手のマッサージも
効果的。生活習慣説によれば、左利きも防げる。(左利きが悪いというのではないが……。)
そして「何でもさわってみる」という習慣が、ここにも書いたように好奇心を刺激し、「握
る」「遊ぶ」「作る」「調べる」「こわす」「ハサミなどの道具を使う」という習慣へと発達す
る。もちろん指先も器用になる。

(補足)子どもの器用さを調べるためには、紙を指でちぎらせてみるとよい。器用な子ど
もは、線にそって、紙をうまくちぎることができる。そうでない子どもは、ちぎることが
できない。
(はやし浩司 右利き 左利き 利き手 きき手)


●難破した人の意見を聞く 

 『航海のしかたは、難破した者の意見を聞け』というのは、イギリスの格言。人の話を
聞くときも、成功した人の話よりも、失敗した人の意見のほうが、役にたつという意味。
子育ても、そう。

 何ごともなく、順調で、「子育てがこんなに楽でよいものか」と思っている親も、実際に
はいる。しかしそういう人の話は、ほとんど参考にならない。それはちょうど、スポーツ
選手の健康論が、あまり役にたたないのに似ている。が、親というのは、そういう人の意
見のほうに耳を傾ける。「何か秘訣を聞きだそう」というわけである。

 私のばあいも、いろいろ振り返ってみると、私の教育論について、血や肉となったのは、
幼児を実際、教えたことがない学者の意見ではなく、現場の先生たちの、何気ない言葉だ
った。とくに現場で10年、20年と、たたきあげた人の意見には、「輝き」がある。そう
いう輝きは、時間とともに、「重み」をます。

 ……ということだが、もしあなたの子どもで何か問題が起きたら、やや年齢が上の子ど
もをもつ親に相談してみるとよい。たいてい「うちもこんなことがありましたよ」という
ような話を聞いて、それで解決する。


●入試は淡々と

 入試は受かることを考えて準備するのではなく、すべることを考えて準備する。とくに
幼児のばあいは、そうする。

 入試でこわいのは、そのときの合否ではなく、仮に失敗したとき、その失敗が、子ども
の心に大きなキズを残すということ。こんな中学生(中二女子)がいた。「ここ一番」とい
うときになると、必ず決まって、腰くだけになってしまう。そこで私が「どうして?」と
理由を聞くと、こう言った。

「どうせ私はS小学校の入試で失敗いたもんね」と。その女の子は、もうとっくの昔に
忘れてよいはずの、小学校の入試で失敗したことを気にしていた。

 こうしたキズ、つまり子ども自らが自分にダメ人間のレッテルを張ってしまうというこ
とは、本来、あってはならないこと。そのためにも、子どもの入試は、すべることを考
えて準備する。もっとわかりやすく言えば、淡々と迎え、淡々とすます。(もちろん合格
すれば、話は別だが……。)

 実際、子どもの心にキズをつけるのは、子ども自身ではなく、親である。中には、子ど
もが受験に失敗したあと、数日間寝込んでしまった母親がいる。あるいはあまり協力的
でなかった夫と、喧嘩もんかになってしまい、夫婦関係そのものがおかしくなってしま
った母親もいる。さらに、長男が高校受験で失敗したとき、自殺をはかった母親もいる。
子どもの受験には、親を狂わせる、恐ろしいほどの魔力があるようだ。

 それはさておき、子どもの入試には、つぎのことに注意するとよい。「受験」「受かる」「す
べる」という言葉は、子どもの前では使わない。「選別される」という意識を子どもにも
たせてはいけない。ある程度の準備はしても、当日は、「遊びに行こう」程度ですます。
あとはあるがままの子どもをみてもらい、それでダメなら、こちらからその学校を蹴飛
ばすような気持ちですます。そういう思いが子どもに伝わったとき、そのときから子ど
もはその時点から、また、前向きに伸び始める。
(はやし浩司 入試 入試のコツ 入試の心構え 心がまえ)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【掲示板への相談から……】

M件にお住まいのCさん(母親)から、こんな相談が届いて
います。みなさんと、いっしょに、この問題を考えてみたい
と思います。
Cさん、相談、ありがとうございました。また掲示板に書き
こみ、ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++++

【Cより、はやし浩司へ……】

初めてメールさせていただきます。

小学3年生と、1年生の娘がいます。

3年生の息子が学校で暴力をふるっていると、先生から呼び出しを受けました。連絡帳に
1ページびっしりと先生からの言葉が書いてありました。私の心に響き、どうしたら良い
かわからなくなってしまいました。

女の子にパンチをしたりキックをしたりしたようです。それで女の子が泣くようなことは
なかったと連絡帳には書いてありましたが、女の子のお父様が、とにかく激怒されていた
ようです。私たち両親に土下座をしろとおっしゃったようです。

その怒りの話を担任の先生から聞き、私はショックを受けました。相手の方の強い要望で
「今後絶対に手を出させない、とにかく暴力やめさせる。」書かれていました。

子供に今日いって直ぐに直せるくらいなら、もうとっくに直っています。学校の中は私の
目が届かない場所なので相手の方に絶対に・・といわれた事で、私は子供を学校に行かせ
ることが怖くなり、3日間お休みをさせてしまいました。

息子は私たちに怒られることを怖がって、正直に本当の話ができないとも言われました。
子供に対して手を挙げたりすることもありましたが、でもそれが学校側には虐待をしてい
るようにとられたようです。

私自身、そんなに子供が恐怖を覚える叱り方した覚えがないのですが、先生に注意を受け、
今は反省しています。

私の育て方に問題があったといわれ、恥ずかしい話ですが、ショックを受けながらも、自
分の感情を抑えきれずに、息子にあたってしまいました。すごく傷つく言葉を息子に言っ
てしまいました。まさか私の育てた子供がこんなことをするなんてと、信じられない気持
ちと、信じたくない気持ちとで、私は混乱しました。

直ぐに腕力に訴えてしまう子供にはその背景があるので・・・と言われました。

3日間子供とよく話し合い、学校に送り出しました。
毎朝、不安の中で子供を見送ります。

小学校受験をしてやっと入った学校ですが、一学年一クラスしかないため、一度「悪い」
というレッテルを貼られてしまうと6年間そのままです。

私はこの学校に子供が入学してからというもの、ずっと、とにかく母親たちの目を気にし
て生活してきたように思います。

少しのことで噂になり、子供同士で喧嘩をしても、学校ですでに仲直りをしていることで
も、親が出てきては噂話をする。

運の悪いことに、その女の子の弟君が私の下の娘と同級です。

学級懇談会やレクリエーションにも参加し、辛くなってしまいました。

先生の手紙を読み返し、自分の子供に非があることは認めるのですが、全部が手紙のとお
りではなく、息子がカッとなって手を出すまでにはいろいろな状況があったのだと私は思
いたいです。

子供のことを信じたくても信じる事ができなくなっている私がいます。

「先生に言ったら殺す」というような脅しをかけていため、ずっと我慢してきたと相手の
女の子はご両親にも話せずにいたということも書かれていました。でも息子に聞いても、
「殺すなんて事はいっていない」と言い切ります。

息子を信じたい。反論したい。でも。

もう2週間が過ぎようとしています。心が晴れないまま、時間だけが過ぎていきます。
子供を叱るときに手を上げたりしたから、それが原因でこんなことになってしまったので
しょうか?

だとしたら、私の責任です。甘やかしすぎたことも原因かも・・・未だに一緒に寝てほし
いと、甘えた声で話してくることもあります。「抱っこして」と私のひざに乗ってくること
もあります。

「おっぱい頂戴」といってシャツの中に顔を入れてきたりもします。学校や少年野球の時
に見せる顔とは別人のようです。ぎゅっと抱き締めて「どうか、この子の好いところがみ
んなにわかってもらえますように。うまくお友達と関わっていけますように。付き合い方
が、自己表現が下手なのだ」と私は祈ります。

でも言われたくないあだ名で呼ばれると、学校でも押さえが利かずカッとなってしまう、
と本人は言います。

家でも自分の思い通りにいかないと、イライラしてカッとなることはあります。
長々と書いてすみません。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【はやし浩司から、Cさんへ……】

 こうした問題では、一番、重要なポイントは、「逃げないこと」です。

 キーパーソンは、言うまでもなく、学校の先生と、相手の女の子の両親です。あなたの
お子さんのことで、心配になったり、不安になったら、すぐ、学校へ、行きなさい。そし
て5分でもよいですから、時間をつくってもらい、お子さんの様子を聞きなさい。

 家の中で悶々としていると、妄想がふくらんでしまいます。そして一度、その妄想にと
りつかれると、自分が何をどうすべきかが、わからなくなってしまいます。

 つぎに、勇気を出して、相手の女の子の家に行きなさい。『負けるが勝ち』と心得て、頭
をさげて、ていねいに、会うのです。「うちの子は、できが悪くてすみません……(本当は、
そうでないと思っていても、です)」と。

 つまり苦情を、直接、あなた自身に言ってもらえるような、雰囲気をつくっておきます。
決して、ひとりで、悩まないこと。そしてあなたのお子さんに対してだけ、攻撃の矛先を
向けないことです。

 勇気を出して、こう電話をしてみてください。

 「ご迷惑をおかけしているようで、反省しています。息子には、いろいろ話して聞かせ
ていますが、不安です。ですから、一度、お話をよくおうかがいして、できることがあれ
ば、しますので、どうか、教えてください」と。

 コツは、あなたのお子さんのことで、弁解したり、かばったり、反論したりしないこと。
よき聞き役として、相手の両親の話に耳を傾け、「そのようにいたします」と、安心感を覚
えてもらうことです。

 今のあなたにとっては、たいへんつらいことかもしれませんが、実は、そういう姿勢が、
あなたの人間味を、ぐん深くします。そしていつかこの時期を振りかえってみたとき、あ
なたという人が、この時点から大きくなったことを知るでしょう。

 こうした山や谷は、子育てにはつきものです。今は、その渦中にいるからわからないか
もしれませんが、まさに日常茶飯事。学校の先生も、それほど、深刻には考えていないは
ずです。ただ相手の女の子の両親は、ひょっとしたら、あなた以上に、何かと心配してい
るかもしれません。

 しかし小学3年生という時期は、少年少女期から、思春期へ向けて、たいへん心が動揺
する時期でもあります。ときに、幼児ぽくなってみせたり、反対に、おとなびてみせたり
……と、です、

 コツは、「暖かい無視」と、「求めてきたときが与え時」。それに「ほどよい親」です。

 幼児のようにおっぱいを求めてきたら、静かに抱いてあげればよいでしょうし、手つな
ぎ、いっしょの入浴、添い寝なども、してあげればよいでしょう。お子さんが求めてきた
ら、すかさず、そうします。

 下の子が生まれてから、ずっと、心のどこかでさみしい思いをしてきたのかもしれませ
ん。そういう欲求不満、嫉妬が、お子さんの心を、ややゆがめた可能性は、あります。で
すから、妹への何らかの憎しみ、嫉妬が、相手の女の子に向けられている可能性もありま
す。

 対処のし方としては、Cさんの対処のし方で、じゅうぶんです。満点をあげますよ。あ
なたはお子さんを愛しながら、その中で懸命に、もがき、戦っています。その心は、すで
に、お子さんにじゅうぶんすぎるほど、伝わっているはずです。

 「自分の子どもが信じられない」という部分については、たとえそうであっても、あな
たのお子さんの前では、決して、そういう様子を見せてはいけません。「あなたはすばらし
い子です」と、自信たっぷりに、そう話しかけてあげてください。

 暴力的行為については、いろいろな欲求不満、ストレスなどが背景にあると考えてよい
のではないでしょうか。家の中では、思いっきり、羽を伸ばせるよう、家庭でのあり方を、
ゆるめてみてください。これからは、家庭は、心を休める場所と、心得てください。

 ぞんざいな態度や、言動があっても、「ああ、うちの子は、学校(=外の世界)でがんば
っているから、家の中ではこうなのだ……」とです。教育心理学の世界では、この時期(小
3前後)を、問題にしないようですが、私は、一つの盲点ではないかと思います。

 子どもがちょうど、親離れを始める時期がこのころです。同時に、子どもたちの心理状
態が、たいへん不安定になるのも、事実です。しかしそれを問題にしている教育者は、私
だけかな(?)。

 お子さんのイライラ、カッとなることについては、まずしてみるべきことは、海産物中
心の食生活です。Ca、Mg、Kの豊富な食生活に改め、精製砂糖の含まれた甘い食品、
リン酸食品を、避けます。冷蔵庫や、食庫から、一掃します。アイス、ジュース類は、買
わないように!

 骨身のある煮干などがよいのですが、錠剤で与えても構わないでしょう。それで、お子
さんの精神状態は、かなり落ちつくはずです。Caは、精神安定剤にもなります。(戦前ま
では、精神安定剤として与えられていたようです。)

 あなたのお子さんは、すばらしいお子さんですよ。一番、近くにいるあなたがそう思っ
ているのですから、まちがいありません。こうしたトラブルは、先にも書いたように、よ
くあることです。あとは、時間が解決してくれます。

 重要なことは、本当に重要なことは、親子の「糸」を切らないこと。子供の側からみて、
「お母さんは、いつも、ぼくを守ってくれる」という安心感だけは、決して、なくさない
ということです。

 家の中で悶々とするような状態になったら、すぐ、学校へ行きなさい。職員室へ行きな
さい。そして担任の先生にこう言いなさい。

 「心配でしたから、様子を見に来ました。いかがですか?」と。あなたがそう心を開く。
開いて、前に向って進む。心を開けば、行動は、あとからついてきます。

 それであなたの心は、軽くなるはずです。決して、ひとりで、悩まないこと。

 今は、たいへんかもしれませんが、私のように子育てが終わってしまった人間からみる
と、Cさんが、うらやましいです。そういう時期というのは、自分を忘れて、子供のため
に行動できます。

 私も3人の息子がいますが、うち1人は、よく、どこかの親に、怒鳴られました。不謹
慎かもしれませんが、Cさんの話を読んでいて、それを思い出しました。なつかしい思い
出の一つです。
(はやし浩司 乱暴な子供 乱暴な子ども 学校でのトラブル 暴力事件)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【Cさんからの追伸】

返信をありがとうございました。
読みながら涙がこぼれてきました。
おっしゃっていることが本当に良くわかります。
馬鹿になることが本当に難しく感じます。
でも一回馬鹿になってしまえばこんなに簡単なことと思えるのかもしれません
ね。
子供よりも私が成長しなくてはいけないのかもしれません。
3日後に学級懇談会があるのですが欠席するつもりでしたが、
「逃げないで」私なりにがんばって行ってみます。
子供は十分がんばって学校へ行っているのだか、
私だってがんばらばきゃ。逃げちゃいけない!!そうですよね。
心がこんなに軽くなれたのは久しぶりです。
本心を言えたから先生の言葉がスッーと入ってきました。
自分で考えすぎて物事を重くしないように生活してみます。
またお便りさせていただきます。
ありがとうございました。



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●恋愛の寿命

+++++++++++++++++

心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

+++++++++++++++++

 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。

 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というのだ。

その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態になる。体が、その
物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、その効果が、なくなって
しまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。

 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。

 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。

 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4〜5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。

 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。

が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。

 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ〜ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?
(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●読者の方から

++++++++++++++++++++++++

マガジン読者の方から、意見、希望などが、届いて
います。紹介させていただきます。

++++++++++++++++++++++++

【浜松市K町のDUさんより】

【 マガジンでは、どんなテーマを希望されますか? 】:

子育てのノウハウ。
教育評論。
政治問題。
社会評論。
宗教問題。
心の問題。
家族の問題。

【 これからもマガジンを購読してくださいますか? 】:できるだけ毎回読む。
【 ご相談をお寄せください。(このままマガジンに掲載することもあります。あらかじめ、
ご了解ください。) 】:

【 ご希望をお寄せください。 】:

こんばんは。蒸し暑い夜ですね。
今日のメルマガを読んで、林さんに教えていただきたいことがあり、メールさせていただ
きました。

お忙しいのは承知の上のこと、申し訳ないと思いつつお願いせずにはいられませんでした。
中国、韓国問題です。

歴史をロクに勉強していないので、アジアの国々と日本について、子供たちに話してやる
ことができません。

どうぞ参考になる文献を教えてください。
先日、N図書館で一冊借りて読んでみましたが、台湾出身の方が書いたそれはあまりに偏
っていて怖いほどでした。
オススメのものを教えていただけたなら、幸いです。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【静岡市GNさんより】

【 マガジンを読んでくださっていますか? 】:ほとんど毎回、読んでいる。
【 ホームページをご覧くださっていますか? 】:ときどき見る。
【 マガジンは、おもしろいですか? 】:

たいへんおもしろい。
たいへん、役立っている。
共鳴するところが多い。
林の思想は、常識的だと思う。
林の思想に、90〜100%共鳴する。

【 マガジンでは、どんなテーマを希望されますか? 】:

子育てのノウハウ。
子育てエッセー。
教育評論。
生活一般。
政治問題。
社会評論。
宗教問題。
心の問題。
家族の問題。
私の家族の様子。
夫婦の問題。
親子の問題。
二男の家族(アメリカの生活)
受験問題。
BW教室のニュースなど。

【 これからもマガジンを購読してくださいますか? 】:毎回、必ず読む。

【 ご相談をお寄せください。(このままマガジンに掲載することもあります。あらかじめ、
ご了解ください。) 】:

こんにちは!!
もうすぐ、600号ですね。いつも、楽しく、また、ピリッと辛口部分ありで、拝読して
います。

何事も、夢中になると、偏向していきやすいので、子育てについて自分自身が、偏らない
ように、マガジンを読むこと大切と思っています。

子供が小学校に上がり、私自身が幼稚園時代とはまた違うノウハウを、必要としているこ
とを感じています。自分自身が、立場かわれば、マガジンの深く読む部分、感銘を受ける
部分が、変わってくるので、たとえ、同じ内容でもいいですから、ぜひぜひ、長く続けて
ほしいです。

小学校も自分自身のときと思うと、比較対象にならないほど変わっていることを、感じて
います。指導も、とても丁寧(ていねい)です。生活科というものも、私の時代にはなく
て・・・今は、その中の一環として、川に生き物を探しに行ったり、公園に行って、遊ぶ
ときの注意事項なども学んできたりしています。今後どのようにカリキュラムが進んでい
くのか、(良くわからないだけに)楽しみです。

先生のマガジンの中のBWを指導されている一場面が時々、入っていますが、とても面白
いです。子供との受け答え、先生自身の指導と狙い、時にお母さんたちの表情などが入
り・・・その中でも、考える子供を育てようとする、先生の取り組みに共感を覚えます。

私自身も家庭で子供を指導するときのヒントにさせてもらったりしています。(先生のよう
にはもちろんうまくいきませんが・・・)

上記のアンケートの思想の標準的と、常識的というのは、いつも迷わされる質問です。
私から見れば、常識的と思いますが、標準的というと、そうなのかどうなのか??? 今
の世の中の標準のほうがちょっと・・・というようなで、最近はこのように答えるように
しています。

さて、むしむしするような今日この頃。これから、本格的な夏を迎えますが、ここ数年の
暑さは、すごいです。お体に注意して、ご活躍ください。

それでは失礼します。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【DU、GNさんへ、はやし浩司より……】

 ご意見、ありがとうございました。

 マガジンを発行するとき、いつも内心で思っていることは、「できるだけ、政治の話は避
けよう」「宗教の話は避けよう」ということです。

 しかし意外と意外。ときどき、読者の方から、こうしたメールをいただきますが、みな
さん、政治や宗教の話を求めてくださるのには、驚いています。(以前、1人だけでしたが、
「政治の話は読みたくない」と言う人もいました。)

 ここで少し、回り道をします、ね。

 今、上に、6行ほど、文章を書きました。どこか読みづらく思われませんでしたか? そ
う、一つの文章が、長すぎますね。

 そこで、こういうときは、こう書き改めます。

『ご意見、ありがとうございました。

 マガジンを出しているとき、いつもこんなことを心の中で決めています。「できるだけ、
政治の話は、やめよう」「宗教の話はやめよう」とです。

 しかし、意外と意外。みなさん、政治や宗教の話を求めておられるのには、驚きます。
以前、1人だけ、「政治の話は、読みたくない」と言う人もいましたが……。』

 少しだけですが、読みやすくなりましたか?

 さらに読みやすくするためには、こうします。

『ご意見、ありがとうございました。

 できるだけ、政治や宗教の話は、避けるようにしています。しかし意外と意外、みなさ
ん、政治や宗教の話に興味をもっておられるのには、驚きました。

 以前、1人だけですが、「政治の話は読みたくない」と言った人もいましたが……。』

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 生徒たちの作文指導をしているみたいで、ごめんなさい。で、本題!

●宗教

 私自身は、もともと法科の学生ということもあって、政治や宗教には、たいへん興味が
あります。とくに、カルト(セクト)には、関心があります。

 学生時代は、毎晩のように、その団体の信者たちと、議論ばかりしていました。あの人
たちは、しつこいですね。一度、相手にすると、つぎつぎと、彼らのいうところの(上層
部)を送りこんできます。

 それで、「毎晩のように……」ということに、なりました。

 おかげで、カルト(セクト)には、詳しくなりました。で、結果的に、気がついたとき
には、5冊の本を書いていました。あちこちの週刊誌や月刊誌に書いた記事を、まとめた
ものです。

 が、カルト(セクト)が、それでなくなるわけではありません。雨後の竹の子のように、
つぎからつぎへと生まれてきます。そこである日、気がつきました。

 「カルト(セクト)があるから、信者がいるのではない。それを求める信者がいるから、
カルト(セクト)が生まれるのだ」と。

 だからいくらカルト(セクト)をたたいても、意味がありません。信者たちは、A教団
に疑問を感ずると、今度はA教団からB教団へと、移動するだけです。

 そのうち、いろいろなカルト(セクト)からの攻撃が多くなりました。一時は、毎週の
ように、10〜20人の信者たちが、押しかけてきたこともあります。あの人たちは、信
仰に「命」をかけていますから、こわいですよ。ふつうの神経では、対処できません。

 しかし、こうした戦いで、得たものも、あります。「勇気」です。それ以後、私は、こわ
いもの知らずになりました。その勇気が、こうして自分の意見をマガジンに書く、原動力
にもなっています。

 当時は、「今に、お前は、地獄へ落ちる」とか、「気が狂って死ぬ」とか、さんざん脅さ
れましたが、今でも、元気に、平和に暮らしています。

 カルト(セクト)については、ときどき、マガジンの中で書いていますので、また参考
にしてください。こうしたカルト(セクト)と戦うときの、ゆいいつの武器は、「常識」で
す。常識こそが、彼らを打ち破る、武器です。

 もし、彼らの話を聞いていて、心のどこかに迷いや疑問を感じたら、自分自身の常識に
照らしあわせて考えてみることです。おかしいと感じたことは、おかしいと思えばよいの
です。それで答が出ます。

 ここで「カルト(セクト)」と書いていますが、日本では、「カルト」といいますが、日
本の外では、「セクト」といいます。要するに、狂信的宗教団体をいいます。

●政治 

 政治、とくに国際政治は、私は、ウラをみるようにしています。政治家たちが見せる表
面的な笑顔にだまされてはいけません。

 そのウラを見ていると、そのまた下に、別のウラが見えてきます。たとえば今回の、6
か国協議を見てみましょう。

 K国の最大の目標は、現在の独裁制の維持です。金xxは、いろいろ言っていますが、
あとは、すべて、こじつけ。あとから理由、です。

 韓国の最大の目標は、K国との戦争を避け、K国の攻撃の矛先(ほこさき)を、日本に
向けることです。核兵器問題は、本当のことを言えば、どうでもよいのです。

 中国の最大の目標は、ゆくゆくは、K国と韓国を、自国の政治プラス経済圏内に収めて、
対米、対日の戦略的緩衝(かんしょう)地帯にすることです。同時に、日本からのぼう大
な戦後補償金を、かすめ取る。

 ロシアの最大の目標は、中国と共通していますが、イラン問題、チェチェン問題もから
んできて、ことは、やや複雑です。あわよくば、K国、韓国を足がかりにして、太平洋に
窓口をあけたいというところかもしれません。

 アメリカの最大の目標は、K国の核兵器開発問題を、国連の安保理に付託すること。同
時に、金xx独裁政権の崩壊です。もし6か国協議が進展するようなことになれば、アメ
リカ軍は、韓国から撤退することになるでしょう。当然、米韓関係は、その時点で、終焉
(しゅうえん)するはずです。

 日本の最大の目標は、……? ここがよくわからない。大義名分のない、国際外交。そ
れが日本外交の特徴です。「自由を守るのか」「平和を守るのか」、それすらも、はっきりし
ない。マネーだけの国。それが日本? 今は、アメリカにただひたすら追従していくだけ、
といった状態です。

 以上のような前提で、今度の6か国協議を見ていると、何が、ウラで、何が、ウラのウ
ラかがわかってくると思います。要するに、国際外交の基本は、「相手が、いちばんいやが
ることを、先手を取って、こちらが先にする」ということです。

 たとえば今の日本にとって、一番、イヤ〜ナなシナリオは、南北朝鮮が、仲よく、共和
制を敷くことです。もし、そうなれば、日本のすぐとなりに、強大な軍事力(プラス核兵
器)をもった、これまた強烈な反日国家が誕生することになります。

 韓国も、K国も、そのあたりの日本の心情を、ヨ〜ク知っています。だから彼らは、日
本に対しては、そういう路線で、国際政治を進めようとします。

 だから日本としては、6か国協議の成功は、望ましくない。アメリカと共同歩調をとっ
て、K国の核兵器問題を、国連安保理にもちこむことなのです。もちろんその先には、国
連によるK国制裁が待っています。その制裁については、日本政府も、どうやらハラを決
めたようですね。

 が、韓国も、K国も、そうなることを避けたがっています。制裁ということになると、
朝鮮半島で、本当に戦争が始まってしまう。いや、実際には、戦争は、始まらない。金x
xの目標は、独裁政権の維持です。戦争をしたら、元(もと)も子も、なくなってしまい
ます。今のK国には、戦争をする力もない。

 では、日本は、どうするか?

 ここは音なしの構えで、じっとがまんを重ねながら、事務的に、ことを運ぶ。韓国にせ
よ、K国にせよ、日本は、本気で相手にしてはいけない。勇ましい好戦論を説く人もいま
すが、同時に、日本国内には、バリバリのK国工作員たちが、すでに200人前後もいる
ことを忘れてはいけません。いわゆる隠れシンパとなると、数千人から1万人以上もいる
と言われています。

 仮に日朝戦争ともなれば、韓国はもちろん、中国も、K国を支援するはずです。

 そうなれば、日本の政治経済は、メチャメチャ。

 現在、韓国、中国、ロシアは、猛烈な勢いで、6か国協議を成功させようとしています。
それにくらべて、アメリカと日本は、守勢に回っている。カギをにぎるのは、金xxです
が、あの人ほど、わけのわからない人もいない。アメリカの某国務長官ですら、「どんな人?」
と聞いたほどです。

 たった一夜にして、6か国協議をつぶしてしまうことだって、ありえないことではあり
ません。

 中国は、すでに、「協議は、1回ではすまない。2回、3回とつづく」と言明しています。
しかしアメリカは、「1回目で、方向性が見えなければ、2回目はしない」という姿勢です。
韓国は、すでに、数十万トンの肥料を支援していますし、加えて、今度は、50万トンの
食糧援助をすると言っています。

 今の日本は、言うべきことは言いながらも、事務的に、協議の結果を見守るしかないよ
うですね。

 ただし、一言。日本のK首相よ、Y神社参拝だけは、おやめなさい。今日(7・12)、
中国政府は、改めて日本に警告を発しましたよ。それでも、Y神社を参拝するというのな
ら、日本は、中国との戦争を覚悟するしか、ない。今は、そんな状況でしょうね。わかっ
ていますか? Y首相!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 10日(No.608)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

http://bwhayashi2.fc2web.com/page020.html

+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【かんしゃく発作】

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私のHPの掲示板の相談コーナーに、つぎのような相談がありました。
かんしゃく発作が、あまりにもはげしいので、どうしたらよいかというご質問です。
今回は、これについて、考えてみたいと思います。

++++++++++++++++++++++++++

生後2週間の頃から、15時間連続で起きていたこともあるほど、まとめて寝ない子(寝
る環境作りはいろいろと工夫しましたが無理でした)で、起きている時間は抱っこして歩
きまわらないと、グズってばかりの娘でした。

寝る子は育つと言うのに、こんなに寝なくて大丈夫なものかと病院に行ったほどでしたが、
至って健康で、人なつっこく男の子顔負けのやんちゃ娘に成長していきました。

好奇心旺盛で、喜怒哀楽がとてもハッキリしていて(嬉しいと興奮しすぎるほど喜ぶし、
怒ると手がつけられないほど泣き暴れます)、活発なので、やんちゃすぎて手はかかります
が、幼い頃おとなしかった私にしてみたら、すごく張り合いがあって自慢の娘です。

でもやっぱり神経質というか、頑固すぎるところがあり、2歳になってどう扱ったらいい
か分からなくなることが増えました。魔の2歳児というほど、2歳は周りの子もみんな反
抗期+何でも自分で!、という時期なので、ある程度は仕方ないと腹をくくって毎日気長
に接していました。

赤ちゃんの頃から手がかかる子だったので、今でも私にベッタリなこともあり、スキンシ
ップはたっぷり取れているつもりでいるのですが・・・。はやしさんのエッセイで、「わが
まま」と「頑固」の違いなどについて書かれていたを読んで、うちの娘は頑固すぎるのか
なぁと思い、相談させていただこうと思いました。

2歳になってから、とにかく何でも自分でしないと気が済みません。着替えも、ちょっと
手を出すと気が狂ったように泣き叫んで、怒って服が破れそうなほど引っ張って全部脱い
でしまいます。

もともと好奇心旺盛な子なので、1歳のころから自分でできることなら、何分でもつき合
ってあげて、危険なことでない限り何にでも挑戦させてあげてきました。でもまだ2歳だ
からどうがんばっても無理なこともいっぱいあります・・・。

三輪車も、何としても自分で運転する!っていう気迫で、購入して1週間で自分でこげる
ようになり、私が後ろの押し手を押すと、「イヤ!」と言って横断歩道の真ん中でも足を踏
ん張って動かなくなってしまいます。

また、夫に似て、正義感が強く変に真面目なところがあり、公園などでは順番や物の貸し
借りのルールをすごく理解しています。なので順番を守れない子がいたり、自分はおもち
ゃを「どうぞ」と貸してあげられたのに、相手が貸してくれないようなことが何度も重な
ると、手がつけられないほど暴れて30分以上泣き止んでくれなくなります。

以上に書いたようなことは、2歳児ならみんなあることだとは思うのですが、かんしゃく
を起こしたときの激しさが、ほんとにすごいんです。

今日はおもちゃの貸し借りがうまくできないことが続いて(相手の子が何が何でも自分の
おもちゃは貸さない!と言ってすぐ泣く子でした)、お友だちも娘もお昼寝の時間になり眠
たそうで機嫌が悪かったので、お片づけして今日は「バイバイ」しようと言った後、気が
狂ったように泣き出しました。

「バイバイ嫌!!」と言って、すごい勢いで走り出して、道路に何度も飛びだそうとする
から、阻止して、落ち着かせようと抱きしめてあげたら余計に泣き叫びました。すごく激
しく暴れるので何度も道路や壁に頭を打って大変でした。

パニックになると「ぎゃーー!!」と泣き叫びながら私から離れて、走って行ってしまい
ます。室内など、少々走り回っても大丈夫な場所なら、ある程度落ち着くまで暴れさせて
あげて、落ち着き始めた頃にギューっと抱きしめてあげると少しずつ私に寄り添ってくれ
て、笑顔を見せてくれるます。

が、走り回れない野外だと、私が触れるたびにさらに火がついたように泣き叫んで、いつ
までたっても落ち着いてくれず、親子ともどもどろんこになりながら、1時間近く格闘し
なきゃいけないことになります。あまりに激しいので、街行く人たちも白い目で見るとい
うのを通り越して、どこか病気?にでもなったのかというぐらい怖い物を見るように心配
されたりします。

1歳代の頃から、気に入らないことがあるとしょっちゅう道路に寝転がってダダをこねる
子だったので、それぐらいのことで人目が気になったりはしないのですが、ここまで激し
いと私まで泣きたくなります。

「どうぞ」ができたことをいくら誉めてあげても、相手が泣いていたりすると自分が悪い
と思ってしまい、何度も何度もそういうことが重なると爆発するみたいです。気は強いの
で、自分が今遊びたいものを我慢して貸してあげたりすることはなく、今遊んでないもの
をきっちり選んで貸してあげます。なので我慢が爆発するという感じでもないです。

こんなに激しく泣き続けても、泣き止んだら何事もなかったように、いつもの太陽みたい
な笑顔を見せてくれます。私にギューっと抱きついて、「お母さん、大好き〜」と言ってく
れます。「イヤイヤ!」は思いっきり発散させた子の方が後々いい子になるって聞くので、
反抗期が激しいのはいいことなのかもしれませんが、こんな娘の性格を伸び伸びと伸ばし
てあげるにはどう接していけばいいのでしょうか?

うまく文章に表せたか分かりませんが、アドバイスいただけたらとても嬉しいです。よろ
しくお願いします。

++++++++++++++++++++++++++++++

【YK様へ】

 かんしゃく発作にしては、かなりはげしいようですね。2歳前後であれば、ダダをこね
る、がんこになる、泣き叫ぶ程度で、しばらくすると、静かになるはずですが……。

 私の印象では、脳内で、何らかの仰天現象が起きているように思います。突発的な興奮
性と、その持続性が気になります。こういうケースで最近、よく話題になるのが、セロト
ニン悪玉説です。

 脳内伝達物質にセロトニンがあり、それが過剰に分泌されると、子どもは、興奮状態に
なり、過剰行動に出ることが知られれています(アメリカのミラー博士ほか)。

 その過剰分泌を引き起こすのが、たとえば、インシュリンの過剰分泌と言われています。
つまりたとえば一時的に、甘味の強い食品(精製された白砂糖の多い食品)を多量に接種
すると、インシュリンが、ドッと、分泌されます。

 血糖値はそれでさがるのですが、そのあともインシュリンが血中に残り、さらに血糖を
さげます。こうしていわば、子どもが、低血糖の状態になるわけです。少し話がそれるか
もしれませんが、少し前に書いた原稿を、参考までに、添付します。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●キレる子どもの原因?

 キレる子ども……、つまり突発的に過剰行動に出る子どもの原因として、最近にわかに
クローズアップされてきたのが、「セロトニン悪玉説」である。

つまり脳間伝達物質であるセロトニンが異常に分泌され、それが毒性をもって、脳の抑
制命令を狂わすという(生化学者、ミラー博士ほか)。

アメリカでは、もう二〇年以上も前から指摘されていることだが、もう少し具体的に言
うとこうだ。たとえば白砂糖を多く含む甘い食品を、一時的に過剰に摂取すると、イン
スリンが多量に分泌され、それがセロトニンの過剰分泌を促す。そしてそれがキレる原
因となるという(岩手大学の大澤名誉教授ほか)。

 このタイプの子どもは、独特の動き方をするのがわかっている。ちょうどカミソリの刃
でスパスパとものを切るように、動きが鋭くなる。なめらかな動作が消える。そしていっ
たん怒りだすと、カッとなり、見境なく暴れたり、ものを投げつけたりする。ギャーッと
金切り声を出すことも珍しくない。幼児でいうと、突発的にキーキー声を出して、泣いた
り、暴れたりする。興奮したとき、体を小刻みに震わせることもある。

 そこでもしこういう症状が見られたら、まず食生活を改善してみる。甘い食品を控え、
カルシウム分やマグネシウム分の多い食生活に心がける。リン酸食品も控える。リン酸は
日もちをよくしたり、鮮度を保つために多くの食品に使われている。

リン酸をとると、せっかく摂取したカルシウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出
してしまう。一方、昔からイギリスでは、『カルシウムは紳士をつくる』という。日本で
も戦前までは、カルシウムは精神安定剤として使われていた。それはともかくも、子ど
もから静かな落ち着きが消えたら、まずこのカルシウム不足を疑ってみる。ふつう子ど
ものばあい、カルシウムが不足してくると、筋肉の緊張感が持続できず、座っていても
体をクニャクニャとくねらせたり、ダラダラさせたりする。

 ここに書いたのはあくまでも一つの説だが、もしあなたの子どもに以上のような症状が
見られたら、一度試してみる価値はある。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても子
どもに缶ジュースを一本与えておいて、「少食で悩んでいます」は、ない。

体重一五キロの子どもに缶ジュースを一本与えるということは、体重六〇キロのおとな
が、同じ缶ジュースを四本飲むのに等しい。おとなでも四本は飲めないし、飲めば飲ん
だで、腹の中がガボガボになってしまう。もしどうしても「甘い食べもの」ということ
であれば、精製されていない黒砂糖を勧める。黒砂糖には天然のミネラル分がバランス
よく配合されているため、ここでいうような弊害は起きない。ついでに一言。

 子どもはキャーキャーと声を張りあげるもの、うるさいものだと思っている人は多い。
しかしそういう考えは、南オーストラリア州の幼稚園を訪れてみると変わる。そこでは子
どもたちがウソのように静かだ。サワサワとした風の音すら聞こえてくる。理由はすぐわ
かった。その地方ではどこの幼稚園にも、玄関先に大きなミルクタンクが置いてあり、子
どもたちは水代わりに牛乳を飲んでいた。
(はやし浩司 切れる子供 キレる子供 突発的過剰行動 過剰な行動)

++++++++++++++++++++

もう1作、似たような原稿ですが
参考までに……

++++++++++++++++++++

●小食で困ったら、冷蔵庫をカラに

 体重一五キロの子どもが、缶ジュースを一本飲むということは、体重六〇キロのおとな
が、四本飲む量に等しい。いくらおとなでも、缶ジュースを四本は飲めない。飲めば飲ん
だで、腹の中がガボガボになってしまう。アイスやソフトクリームもそうだ。子どもの顔
よりも大きなソフトクリームを一個子どもに食べさせておきながら、「うちの子は小食で困
っています」は、ない。

 突発的にキーキー声をはりあげて、興奮状態になる子どもは少なくない。このタイプの
子どもでまず疑ってみるべきは、低血糖。

一度に甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を大量に与えると、その血糖値をさげ
ようとインスリンが大量に分泌される。が、血糖値がさがっても、さらに血中に残った
インスリンが、必要以上に血糖値をさげてしまう。

つまりこれが甘い食品を大量にとることによる低血糖のメカニズムだが、一度こういう
状態になると、脳の抑制命令が変調をきたす。そしてここに書いたように、突発的に興
奮状態になって大声をあげたり、暴れたりする。

このタイプの子どもは、興奮してくるとなめらかな動きがなくなり、カミソリでものを
切るように、スパスパした動きになることが知られている。アメリカで「過剰行動児」
として、二〇年ほど前に話題になったことがある。日本でもこの分野の研究者は多い(岩
手大学名誉教授の大澤氏ほか)。そこでもしあなたの子どもにそういう症状が見られたら、
一度砂糖断ちをしてみるとよい。効果がなくて、ダメもと。一周間も続けると、子ども
のによってはウソのように静かに落ち着く。

  話がそれたが、子どもの小食で悩んでいる親は多い。「食が細い」「好き嫌いがはげし
い」「食事がのろい」など。幼稚園児についていうなら、全体の約五〇%が、この問題で悩
んでいる。で、もしそうなら、一度冷蔵庫をカラにしてみる。お菓子やスナック菓子類は、
思いきって捨てる。「もったいない」という思いが、つぎからのムダ買いを止める力になる。
そして子どもが食事の間に口にできるものを一掃する。子どもの小食で悩んでいる親とい
うのは、たいてい無意識のうちにも、間食を黙認しているケースが多い。もしそうなら、
間食はいっさい、やめる。

(小食児へのアドバイス)

(1)ここに書いたように、冷蔵庫をカラにし、菓子類はすべて避ける。
(2)甘い食品(精製された白砂糖の多い食品)を断つ。
(3)カルシウム、マグネシウム分の多い食生活にこころがける。
(4)日中、汗をかかせるようにする。

 ただ小食といっても、家庭によって基準がちがうので、その基準も考えること。ふつう
の家庭よりも多い食物を与えながら、「少ない」と悩んでいるケースもある。子どもが健康
なら、小食(?)でも問題はないとみる。

++++++++++++++++++++++++

以前、同じような相談を受けたことがあります。
もっと年齢の大きなお子さんについてのものでしたが……。
それについて、書いた原稿を添付します。
あくまでも参考資料の一つとして、考えてください。

++++++++++++++++++++++++

●島根県のUYさんより

はじめまして。
HPをよく拝見させて頂いています。
 
娘の事を相談させていただきたく、メールをしています。
娘は五歳半になる年中児で、下に三歳半の妹がいます。
小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣く
子でした。
それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がします。
話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いている
態度には見えません。
走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ないよ
うです。
そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。
物の説明はとても難解で、結局何を言っているのか分からない事も多々あります。
 
私自身、過関心であったと思います。
気をつけているつもりですが、やはり完全には治っていません。
今、言葉の方は『おかあさん、牛乳!』や、『あの冷たいやつ!』というような言い方に
ついては、それでは分からないという事を伝える様にしています。
できるだけ言葉で説明をさせるようにしています。これは少しは効果があるようです。
また食生活ではカルシウムとマグネシウム、そして甘いものには気をつけています。
食べ物の好き嫌いは全くありません。
 
そこで私の相談ですが、もっとしっかり人の話を聞けるようになってほしいと思っていま
す。
心を落ち着かせることが出来るようになるのは、やはり親の過干渉や過関心と関係がある
のでしょうか。
また些細な事(お茶を飲むときのグラスの柄が妹の方がかわいい柄っだった、公園から帰
りたくない等)で、泣き叫んだりするのは情緒不安定ということで、過干渉の結果なので
しょうか。
泣き叫ぶときは、『そーかー、嫌だったのね。』と、私は一応話を聞くようにはしていま
すが、私が折れる事はありません。
その事でかえって、泣き叫ぶ機会を増やして、また長引かせている気もするのですが。。。

そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりしてテーブル
をゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)ような乱雑な
動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、意識を集中
させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか。
自分自信がんばっているつもりですが、時々更に悪化させているのではないかと不安に成
ります。

できましたら,アドバイスをいただけますでしょうか。宜しくお願い致します。

【UYさんへ、はやし浩司より】

 メール、ありがとうございました。原因と対処法をいろいろ考える前に、大前提として、
「今すぐ、なおそう」と思っても、なおらないということです。またなおそうと思う必要
もありません。こう書くと、「エエッ!」と思われるかもしれませんが、この問題だけは、
子どもにその自覚がない以上、なおるはずもないのです。

 UYさんのお子さんが、ここに書いた子どもと同じというわけではありませんが、つぎ
の原稿は、少し前に私が書いたものです。まず、その原稿を先に、読んでいただけたらと
思います。

+++++++++++++++++
 
汝(なんじ)自身を知れ

「汝自身を知れ」と言ったのはキロン(スパルタ・七賢人の一人)だが、自分を知るこ
とは難しい。こんなことがあった。

 小学生のころ、かなり問題児だった子ども(中二男児)がいた。どこがどう問題児だっ
たかは、ここに書けない。書けないが、その子どもにある日、それとなくこう聞いてみた。
「君は、学校の先生たちにかなりめんどうをかけたようだが、それを覚えているか」と。
するとその子どもは、こう言った。「ぼくは何も悪くなかった。先生は何でもぼくを目のか
たきにして、ぼくを怒った」と。私はその子どもを前にして、しばらく考えこんでしまっ
た。いや、その子どものことではない。自分のことというか、自分を知ることの難しさを
思い知らされたからだ。

ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。「学校の先生が、席決めのとき、『好
きな子どうし、並んですわってよい』と言った。しかしうちの子(小一男児)のように、
友だちのいない子はどうしたらいいのか。配慮に欠ける発言だ。これから学校へ抗議に
行くから、一緒に行ってほしい」と。もちろん私は断ったが、問題は席決めことではな
い。その子どもにはチックもあったし、軽いが吃音(どもり)もあった。神経質な家庭
環境が原因だが、「なぜ友だちがいないか」ということのほうこそ、問題ではないのか。
その親がすべきことは、抗議ではなく、その相談だ。

話はそれたが、自分であって自分である部分はともかくも、問題は自分であって自分で
ない部分だ。ほとんどの人は、その自分であって自分でない部分に気がつくことがない
まま、それに振り回される。よい例が育児拒否であり、虐待だ。

このタイプの親たちは、なぜそういうことをするかということに迷いを抱きながらも、
もっと大きな「裏の力」に操られてしまう。あるいは心のどこかで「してはいけない」
と思いつつ、それにブレーキをかけることができない。「自分であって自分でない部分」
のことを、「心のゆがみ」というが、そのゆがみに動かされてしまう。ひがむ、いじける、
ひねくれる、すねる、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。自分の
中にこうしたゆがみを感じたら、それは自分であって自分でない部分とみてよい。

それに気づくことが、自分を知る第一歩である。まずいのは、そういう自分に気づくこ
となく、いつまでも自分でない自分に振り回されることである。そしていつも同じ失敗
を繰り返すことである。

++++++++++++++++++

 おとなですら、自分のことを知るのはむずかしい。いわんや、子どもをやということに
なります。ですからUYさんが、お子さんに向かって、「静かにしなさい」「落ち着きなさ
い」と言っても、子どもにその自覚がない以上、子どもの立場からしたら、どうしようも
ないのです。

 意識には、大きく分けて(1)潜在意識と、(2)自意識(自己意識)があります※。潜
在意識というのは、意識できない世界のことです。自意識というのは、自分で自覚できる
意識のことです。いろいろな説がありますが、教育的には、小学三、四年生を境に、急速
にこの自意識が育ってきます。つまり自分を客観的に見ることができるようになると同時
に、その自分を、自分でコントロールすることができるようになるわけです。

 幼児期にいろいろな問題ある子どもでも、この自意識をうまく利用すると、それを子ど
も自らの意識で、なおすことができます。言いかえると、それ以前の子どもには、その自
意識を期待しても、無理です。たとえば「静かにしなさい」と親がいくら言っても、子ど
も自身は、自分ではそれがわからないのだから、どうしようもありません。UYさんのケ
ースを順に考えてみましょう。

●小さい頃から動作の一つ一つが乱暴で、よくグズリ、キーキー興奮しては些細な事で泣
く子でした。
●それは今でも続いており、集中が長く続かず、こだわりも他の子供よりも深い気がしま
す。
●話も目を見て心を落ち着けてゆっくり会話をする事が出来ません。
●真剣な話をしながら足の先を神経質に動かしたり、手を振ったりして、とても聞いてい
る態度には見えません。
●走りまわるほどの多動ではありませんが、落ち着いて、じっとしていることが出来ない
ようです。
●そのせいか、話し言葉も五歳にしては表現力がないと思われます。

 これらの問題点を指摘しても、当然のことですが、満五歳の子どもに、理解できるはず
もありません。こういうケースで。「キーキー興奮してはだめ」「こだわっては、だめ」
「落ち着いて会話しなさい」「じっとしていなさい」「しっかりと言葉を話しなさい」と
言ったところで、ムダというものです。

たとえば細かい多動性について、最近では、脳の微細障害説、機能障害説、右脳乱舞説、
ホルモン変調説、脳の仰天説、セロトニン過剰分泌説など、ざっと思い浮かんだものだ
けでも、いろいろあります。されにさらに環境的な要因、たとえば下の子が生まれたこ
とによる、赤ちゃんがえり、欲求不満、かんしゃく発作などもからんでいるかもしれま
せん。またUYさんのメールによると、かなり神経質な子育てが日常化していたようで、
それによる過干渉、過関心、心配先行型の子育てなども影響しているかもしれません。
こうして考え出したら、それこそ数かぎりなく、話が出てきてしまいます。

 では、どうするか? 原因はどうであれ、今の症状がどうであれ、今の段階では、「な
おそう」とか、「あれが問題」「これが問題」と考えるのではなく、あくまでも幼児期に
よく見られる一過性の問題ととらえ、あまり深刻にならないようにしたらよいと思います。
むしろ問題は、そのことではなく、この時期、親が子どものある部分の問題を、拡大視す
ることによって、子どものほかのよい面をつぶしてしまうことです。とくに「あれがダメ」
「これがダメ」という指導が日常化しますと、子どもは、自信をなくしてしまいます。生
きザマそのものが、マイナス型になることもあります。

 私も幼児を35年もみてきました。若いころは、こうした問題のある子どもを、何とか
なおしてやろうと、四苦八苦したものです。しかしそうして苦労したところで、意味はな
いのですね。子どもというのは、時期がくれば、何ごともなかったかのように、自然にな
おっていく。UYさんのお子さんについても、お子さんの自意識が育ってくる、小学三、
四年生を境に、症状は急速に収まってくるものと思われます。自分で判断して、自分の言
動をコントロールするようになるからです。「こういうことをすれば、みんなに嫌われる」
「みんなに迷惑をかける」、あるいは「もっとかっこよくしたい」「みんなに認められた
い」と。

 ですから、ここはあせらず、言うべきことは言いながらも、今の状態を今以上悪くしな
いことだけを考えながら、その時期を待たれたらどうでしょうか。すでにUYさんは、U
Yさんができることを、すべてなさっておられます。母親としては、満点です。どうか自
信をもってください。私のHPを読んでくださったということだけでも、UYさんは、す
ばらしい母親です。(保証します!)

ただもう一つ注意してみたらよいと思うのは、たとえばテレビやテレビゲームに夢中に
なっているようなら、少し遠ざけたほうがよいと思います。このメールの終わりに、私
が最近書いた原稿(中日新聞発表済み)を、張りつけておきます。どうか参考にしてく
ださい。

 で、今度はUYさん自身へのアドバイスですが、どうか自分を責めないでください。「過
関心ではないか?」「過干渉ではないか?」と。

 そういうふうに悩むこと自体、すでにUYさんは、過関心ママでも、過干渉ママでもあ
りません。この問題だけは、それに気づくだけで、すでにほとんど解決したとみます。ほ
とんどの人は、それに気づかないまま、むしろ「私はふつうだ」と思い込んで、一方で、
過関心や過干渉を繰りかえします。UYさんにあえていうなら、子育てに疲れて、やや育
児ノイローゼ気味なのかもしれません。ご主人の協力は得られませんか? 少し子育てを
分担してもらったほうがよいかもしれません。

 最後に「そしてテーブルの上でオセロなどのゲーム中に、意味も無く飛び上がったりし
てテーブルをゆらしてゲームを台無しにしたりする(無意識にやってしまうようです)よ
うな乱雑な動作はどのようにすれば良いのか、深く悩んでいます。『静かに落ち着いて、
意識を集中させて動く』ことが出来ないのはやはり干渉のしすぎだったのでしょうか」と
いう部分についてですが、こう考えてみてください。

 私の経験では、症状的には、小学一年生ぐらいをピークにして、そのあと急速に収まっ
ていきます。そういう点では、これから先、体力がつき、行動半径も広くなってきますか
ら、見た目には、症状ははげしくなるかもしれません。UYさんが悩まれるお気持ちはよ
くわかりますが、一方で、UYさんの力ではどうにもならない部分の問題であることも事
実です。

ですから、愛情の糸だけは切らないようにして、言うべきことは言い、あとはあきらめ
ます。コツは、完ぺきな子どもを求めないこと。満点の子どもを求めないこと。ここで
愛情の糸を切らないというのは、子どもの側から見て、「切られた」と思わせいないこ
とです。それを感じると、今度は、子どもの心そのものが、ゆがんでしまいます。が、
それでも暴れたら……。私のばあいは、教室の生徒がそういう症状を見せたら、抱き込
んでしまいます。叱ったり、威圧感を与えたり、あるいは恐怖心を与えてはいけません。
あくまでも愛情を基本に指導します。それだけを忘れなければ、あとは何をしてもよい
のです。あまり神経質にならず、気楽に構えてください。

 約束します。UYさんの問題は、お子さんが小学三、四年生になるころには、消えてい
ます。ウソだと思うなら、このメールをコピーして、アルバムか何かにはさんでおいてく
ださい。そして、四、五年後に読み返してみてください。「林の言うとおりだった」と、
そのときわかってくださると確信しています。もっとも、それまでの間に、いろいろある
でしょうが、そこは、クレヨンしんちゃんの母親(みさえさん)の心意気でがんばってく
ださい。コミックにVOL1〜10くらいを一度、読まれるといいですよ。テレビのアニ
メは、コミックにくらべると、作為的です。

 また何かあればメールをください。なおこのメールは、小生のマガジンの2−25号に
掲載しますが、どうかお許しください。転載の許可など、お願いします。ご都合の悪い点
があれば、至急、お知らせください。
(030217)

※……これに対して、「自己意識」「感覚運動的意識」「生物的意識」の三つに分けて考
える考え方もある。「感覚的運動意識」というのは、見たり聞いたりする意識のこと。
「生物的意識」というのは、生物としての意識をいう。いわゆる「気を失う」というの
は、生物的意識がなくなった状態をいう。このうち自己意識があるのは、人間だけと言
われている。この自己意識は、四歳くらいから芽生え始め、三〇歳くらいで完成すると
いわれている(静岡大学・郷式徹助教授「ファミリス」03・3月号)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【YK様へ(2)】

 食生活がどうなっているのか、私にはわかりませんが、まず試してみるべきことは、(1)
食生活の改善、です。

 ここにも書いたように、MG、CA、Kの多い食生活(自然海産物中心の献立)に切り
かえてみてください。

 精製された白砂糖を多く含む食品は、避けます。(与えると意識しなくても、今では、あ
りとあらゆる食品に含まれています。幼児のばあい、2歳児でしたら、1日、10グラム
前後でじゅうぶんです。)

 感情の起伏がはげしく、手にあまるようなら、一度、小児科を訪れてみられてはいかが
でしょうか。以前とちがい、最近では、すぐれた薬も開発されています。(薬を使うときは、
慎重にしますが、そのあたりのことは、よくドクターと相談して決めてください。)

 食生活の改善……徹底してするのが、コツです。アイス、ソフト、乳酸飲料などは、避
けます。徹底してすれば、1、2週間ほどで、効果が現われてきます。

 同じようなケースを、もう一つ、思い出しました。その原稿を添付します。少し古い原
稿なので、先に書いたことと、内容が少し異なるかもしれませんが、異なっている部分に
ついては、先に書いたほうを、優先してください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【栄養学の分野からの考察】

●過剰行動性のある子ども

 もう二〇年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・
小児栄養学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な
行動に出るタイプの子どもである。

日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によるナイフ
の殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取りあ
げられたことがある(九八年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野
節夫教授らが、この分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)
は私にこう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいい
でしょうか」と。

話を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱
していて、その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを
母親が注意すると、H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざ
みに動き回るという多動性も気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつ
んざくような金切り声をあげ、興奮状態になることも珍しくなかった。そして一度そう
いう状態になると、手がつけられなくなった。私はその異常な興奮性から、H君は過剰
行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを
診断したり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治
療や治療方法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。
仮にその子どもが過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、
親から質問されてもそれを口にすることは許されない。

診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設が確立しているケース(たと
えば自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することはあっても、その段階
で止める。この過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っても、親に向
かって、「あなたの子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえない。
教師としてすべきことは、知っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」
を開始することである。
 
●原因は食生活?

ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安
になり、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわ
れる」という。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応
じてインスリンが徐々に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂
糖)をとると、多量の、つまり必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果
として、子どもを低血糖児の状態にしてしまうという(大沢)。

そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気力、(3)
疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくると
いう(朝日新聞九八年2・12)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちし
ている子どもにも共通してみられる症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病
患者)を病院に見舞ったとき、看護婦からそういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相
反する二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむと
き、「つかめ」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。

この二つの命令がバランスよく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。
しかし低血糖になると、このうちの抑制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパ
スパとものを切るような動きになる。先のH君の場合は、こまかい作業をさせると、震
えるというよりは、手が勝手に小刻みに動いてしまい、それができなかった。また抑制
命令が阻害されると、感情のコントロールもできなくなり、一度激怒すると、際限なく
怒りが増幅される。そして結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖
をとり過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。
体内のブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その
酸性化した血液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわか
りやすい。体内のカルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足
すると、「(1)脳の発育が不良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、
(3)精神疲労をしやすくまた回復が遅くなるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カ
ルシウムの医学」)という。わかりやすく言えば、カルシウムが不足すると、知恵の発
達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こしやすいというのだ。甘い食品を大量に
摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達
物質であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。
アメリカの生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、
神経中枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マ
ザーリング」八一年7号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな
子どもによる問題行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食
品に含まれている白砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビン
に入ったジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないというこ
とで、パンや紅茶など、あらゆるものにつけて食べています」と。

私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう
進言した。が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰ったH君が、冷蔵庫を足げり
にしながら、「ビスケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫んだというのだ。
母親は「麻薬患者の禁断症状のようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それから
数日後。今度はH君が一転、無気力状態になってしまったという。私がH君に会ったの
は、ちょうど一週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっていた。ボーッ
として、反応がまるでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、
ジャムを食べさせましょうか」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、
イギリスでは、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさを
どこかで感じたら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の
多い食生活にこころがける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間とい
う短期間で、ほとんどの子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。

川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒステリーやノイローゼ患者の場合、カルシウ
ムを投与するだけでなおる」(「マザーリング」81年7号)と述べている。効果がな
くても、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与えて、「うちの
子は小食で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本与え
るということは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュースを
四本は飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、
精製されていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合され
ていて、ここでいう弊害はない。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 
●多動児(ADHD児)との違い

 この過剰行動性のある子どもと症状が似ている子どもに。多動児と呼ばれる子どもがい
る。前もって注意しなければならないのは、多動児(集中力欠如型多動性児、ADHD児)
の診断基準は、二〇〇一年の春、厚生労働省の研究班が国立精神神経センター上林靖子氏
ら委託して、そのひな型が作成されたばかりで、いまだこの日本では、多動児の診断基準
はないというのが正しい。

つまり正確には、この日本には多動児という子どもは存在しないということになる。一
般に多動児というときは、落ち着きなく動き回るという多動性のある子どもをいうこと
になる。そういう意味では、活発型の自閉症児なども多動児ということになるが、ここ
では区別して考える。

 ちなみに厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリス
ト」)は、次のようになっている。

(チェック項目)
1行動が幼い
2注意が続かない
3落ち着きがない
4混乱する
5考えにふける
6衝動的
7神経質
8体がひきつる
9成績が悪い
10不器用
11一点をみつめる

たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる……1点、
当てはまらない……0点として、
男子で4〜15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9〜11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」

 この診断基準で一番気になるところは、「抑え」について触れられていない点である。
多動児が多動児なのは、抑え、つまり指導による制止がきかない点である。

教師による抑えがきけば、多動児は多動児でないということになる。一方、過剰行動児
は行動が突発的に過剰になるというだけで、抑えがきく。その抑えがきくという点で、
多動児と区別される。また活発型の自閉症児について言えば、多動性はあくまでも随伴
的な症状であって、主症状ではないという点で、この多動児とは区別される。

またチェック項目の中の(1)行動が幼い(退行性)は、過保護児、溺愛児にも共通し
て見られる症状であり、(7)神経質は、敏感児、過敏児にも共通して見られる症状で
ある。さらに(9)成績が悪い、および(10)不器用については、多動児の症状とい
うよりは、それから派生する随伴症状であって、多動児の症状とするには、常識的に考
えてもおかしい。

ついでに私は私の経験から、次のような診断基準をつくってみた。

(チェック項目)
1抑えがきかない
2言動に秩序感がない
3他人に無遠慮、無頓着
4雑然とした騒々しさがある
5注意力が散漫
6行動が突発的で衝動的
7視線が定まらない
8情報の吸収性がない
9鋭いひらめきと愚鈍性の同居
10論理的な思考ができない 
11思考力が弱い

 このADHD児については、脳の機能障害説が有力で、そのために指導にも限界がある
……という前提で、それぞれの市町村レベルの教育委員会が対処している。たとえば静岡
県のK市では、指導補助員を配置して、ADHD児の指導に当っている。ただしこの場合
でも、あくまでも「現場教師を補助する」(K市)という名目で配置されている。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●環境ホルモンの分野からの考察

●シシリー宣言

 一九九五年一一月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった一八名の学者が、緊急宣
言を行った。これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・
JAPAN)なものであった。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけ
ではなく、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力およ
び社会的適応性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性が
ある」と。つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。

が、これで驚いていてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモ
ンは、脳の発達を阻害する。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こ
す。奇妙な行動を引き起こす。

多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下し
た。人類の生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低
下」というのは、具体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」
(「シシリー宣言」・グリーンピース・JAPAN)のだそうだ。
 
この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、
環境ホルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、
胎児の脳に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのもの
の発達を損傷する」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

●教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。
しかしながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないま
まキレる子どもの議論だけが先行している。ただその原因としては、

(1)親の過剰期待、そしてそれに呼応する子どもの過負担。(2)学歴社会、そして
それに呼応する受験競争から生まれる子ども側の過負担などが、考えられる。こ
うした過負担がストレッサーとなって、子どもの心を圧迫する。ただこの段階で問題に
なるのが、子ども側の耐性である。最近の子どもは、飽食とぜいたくの中で、この耐性
を急速に喪失しつつあると言える。わずかな負担だけで、それを過負担と感じ、そして
それに耐えることがないまま、怒りを爆発させてしまう。親の期待にせよ、学歴社会に
せよ、それは子どもを取り巻く環境の中では、ある程度は容認されるべきものであり、
こうした環境を子どもの世界から完全に取り除くことはできない。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 長い返事になってしまいましたが、あくまでも「参考」として、ご利用ください。私自
身は、お子さんを見ていませんし、また立場上、診断をくだすことはできません。あとの
判断は、YK様のほうでしてください。

 メールありがとうございました。また相談内容の転載許可、ありがとうございました。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「恥」の文化

+++++++++++++++++++

電車の前の座席に座った、二人の男女が、
あたりかまわず、抱きあい、たがいに
チューチューしあい始めた。音がすごい。
これには、私も、参った。
目のやり場がなかった。

この日本では、「恥ずかしい」というとき、
「恥」という言葉をつかう。

笑いながら、男のほうのひざをたたいて、
私は、それをたしなめてやった。

顔つきからして、インド人かと思ったが、
ブラジル人だった。英語で話しかけたら、
「日本語で、わかる」と。

「日本では、あまり、人前では、そういうこ
とはしない」と話してやった。

2人とも、すなおに、それに従ってくれた。

で、改めて、考えた。「恥」とは何か、と。

++++++++++++++++++++++

 極東のアジアの小国には、世界の人が見ても、理解しがたい民族性がある。そのひとつ
が、「恥」。たいていの日本人は、奈良時代の昔から、日本は文明国だと思っている。し
かし日本程度の歴史なら、アフリカの各部族ならみんな、もっている。(だからといって、
日本の歴史を否定しているのではない。ごう慢になってはいけないと言っている。)

 この「恥」には、二種類ある。他人に向かう恥と、自分に向かう恥である。他人に向か
う恥というのは、世間を気にした生き方そのものということなる。他人の目の中で生きる
人ほど、この恥を気にする。

 もうひとつは自分に向かう恥。自分の生きザマにきびしい人。あるいは自分にきびしく
生きている人ほど、この恥を気にする。人が見ているとか見ていないとか、あるいは人が
知っているとか知らないとか、そういうことは関係ない。あくまでもその恥は自分に向か
う。

 この二種類の恥は、たがいに対立関係にある。他人に向かう恥を意識する人ほど、自分
への恥に甘い。「人にバレなければよい」とか、「自分さえよければよい」とか考える。
あるいは自分をごまかしてでも、体裁をとりつくろう。

 一方、自分に向かう恥を意識する人ほど、他人を気にしない。「他人がどう思おうが、
知ったことではない。私は私だ」というような考え方をする。これらをまとめると、他人
に向かう恥と、自分に向かう恥は、いわば反比例の関係にあるということもできるのでは? 
同時に両方の恥をもっている人は、まずいない。(両方ともない人というのは、いるかも
しれないが……。)

 ある母親はこう言った。「私の家は、昔からの養鰻業の本家です。息子にはそれなりの
大学へ入ってもらわねば、恥ずかしいです」と。幼稚園を選ぶときにも、それがある。「B
幼稚園では恥ずかしい。S幼稚園でなければ」と。

 こうした傾向は都会より、当然のことながら、農村地域のほうが強い。今でも身なりや、
成績、進学校などなど。家柄や格式、評判や財産にこだわる人は、少なくない。子どもで
もいる。

ある中学生(二年男子)は、ことあるごとに自分の家をいうのに、「D家は……」と、「家
(け)」をつけていた。そこで私が「そんな言い方、よせ」と言うと、こう言った。「う
ちの先祖は、昔は○○藩の家老だった」と。(私はこういうところが、「理解しがたい民
族性」と言っているのだ。)

 さらにこんなことを言った高校生もいた。ある夏の日に私の家に遊びにきて、「先生、
D大学と、M大学は、どちらがかっこういいですかね。結婚式の披露宴でのこともありま
すから」と。まだ恋人もいないような高校生が、披露宴での見てくれを気にしていた!

 他人に向かう恥を気にし始めると、生きザマそのものが卑屈になる。へんな小細工をし
たり、見栄をはったり。さらには体裁だけを整えたりする。しかしそういう生き方をすれ
ばするほど、結局は自分の人生をムダにすることになる。

もちろん「恥」がすべて悪いわけではない。自分に向かう恥は、むしろ大切にしたい。し
かしこれには大きな前提がある。それを恥じるだけの、哲学なり生きザマ、さらには確固
たる信念が必要だということ。それがないと、恥じるべき対象そのものがないということ
になる。

言いかえると、哲学や生きザマ、確固たる信念のない人は、自分に恥じることはない。さ
らに言いかえると、自分に恥じる人は、哲学や生きザマ、確固たる信念がある人というこ
とになる。「自分に恥じる」と言っても、そうは簡単なことではない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●バツはお尻

 子どもに体罰を加えるとしても、決して「頭」にしてはならない。「バツはお尻」と決
めておく。頭は人体の中で、もっとも重要な部分であり、人格そのものも、この頭に宿る。
で、こうした体罰は、一度習慣になると、すぐ手が頭に向かうということになりかねない
ので、気をつける。

そのためにも、もし今、あなたが頭に向けて体罰を繰り返しているなら、「バツはお尻」
と、何度も復唱してみるとよい。あなたの心構えそのものを、訂正する。

 で、子どもたちが親からどんな体罰を受けているかを調査してみた。37人の子どもた
ち(小学校の低学年児)で、約半数が体罰を受けていることがわかった。

圧倒的に多いのが、「親に叩かれる」(20人)。その方法としては、「手で頭や顔を叩
く」のほか、「チビクル」「殴る」「パンチ」「ビンタ」「キック」「ケツ叩き」「ぶっ
叩き」など。「押入れに入れられる」「家からの追い出し」という、オーソドックスなの
も、まだ健在のようだ。「出て行くと言って出て行くと、たいて親がさがしにくる」と話
してくれた子どももいた。ちなみに、「出て行け」と言われたことがある子どもは、11
人。

 つぎに多いバツが、「取りあげ」。おもちゃや本、ゲームなど。子どもが大切にしてい
るものを、親が取りあげるという。一人、「お金をまきあげられる」と言った子どももい
た。さらに「しばられる」と言った子どももいた。何でも庭や柱に、ヒモでしばられると
いう。その話を聞いた別の子どもが、「ぼくは物干しにつりさげられる」と言った。これ
には、みな、爆笑した。

 さらに、「嫌いなトマトジュースを飲まされる」「犬小屋で寝させられる」「掃除をさ
せられる」「頭の毛を短くされる」と言った子どももいた。「昔は、お灸をすえられると
いうのもあった」と私が言うと、「そんなものは知らない」と。ほかに「ごはん抜き」「お
いてきぼり」「ものを投げつけられる」など。「台所のすみで、正座」というのもあった。
さらに……。

 「亡くなったお父さんの仏壇の前で正座」と答えた子どももいた。何でもとても恐ろし
いことだそうだ。その子どもの父親は、その少し前、なくなったばかりだった。私はその
話を聞いて、しんみりとしてしまった。


●子どもの健康は鼻先見る(あくまでも参考に)
 
 子どもの健康状態を簡単に知りたければ、鼻スジを見ればよい。鼻スジがツヤツヤと輝
いていれば、体力もあり、健康とみる。反対に、鼻スジから鼻先にかけて、どんよりとし
てくれば、体力が落ち、風邪など、何かの病気の前ぶれとみる。

 ほかにも顔だけを見て診断する方法がある。

(1)額(ひたい)の横に青筋がある子ども……神経質な子ども。かんしゃく発作のある
子ども。キレやすい子どもとみる。
 
(2)両ほほの下が、青白い子ども……貧血を疑うが、そうでないときはお腹(なか)の
虫を疑う。私はそれを言い当てるのが得意で、顔を見ただけで、それがわかる。

(3)顔の色が、あちこち赤白、まばらな子ども……発熱直前の状態とみる。たとえばほ
おの一部だけが赤いとか、額の右だけが赤いなど。今はそうでなくても、やがて発熱する
とみる。

(4)鼻先など、先端だけが赤い……虚弱体質など。生まれつき体が弱い子どもは、体の
先端部が赤くなったりする。

(5)顔の色がくすんでいる子ども……子どもの顔色は、大勢の中で比較して見ると、判
断しやすい。気うつ症的な子どもは、生彩が消え、粉をまぶしたような感じになる。大声
で笑えない、大声を出せないなど。親の威圧的な過干渉が日常的につづくと、子どもはそ
うなる。黒ずんで、生彩がないときは、慢性病を疑ってみる。

(6)くちびるの色が淡い子ども……栄養不足、好き嫌いのはげしい子どもを疑ってみる。
胃腸の弱い子どもも、くちびるの色が淡くなる。あわせて顔全体が青白いようであれば、
貧血も疑ってみる。

 以上は、あくまでも経験的にみた健康診断法で、必ずしも正しくない。(しかし運勢占
いや星占いよりは、ずっと正確!)一度、ここに書いたことを参考にして、そういう目で、
あなたの子どもを診断してみたら、どうだろうか。

(追記)漢方では、望診論といって、顔色や外の現れた症状をみて、その人の病状を診断
する方法があります。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 8日(No.607)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●成熟した社会

 年長児でみても、上位一〇%の子どもと、下位一〇%の子どもとでは、約一年近い能力
の差がある。さらに四月生まれの子どもと、三月生まれの子どもとでは、約一年近い能力
の差がある。そんなわけで、同じ年長児といっても、ばあいによっては、約二年近い能力
の差が生まれることがある……ということだが、さてさて?

 しかし日本の教育の大義名分は、「平等教育」。親もこの時期、子どもの能力には、過剰
なまでに反応する。ほんのわずかでも自分の子どもの遅れを感じたりすると、それだけで
大騒ぎする。以前、こんなことがあった。ある日突然、一人の母親から電話がかかってき
た。そしてこう怒鳴った。

 「先生は、できる子とできない子を差別しているというではありませんか。できる子だ
け集めて、別の問題をさせたそうですね。どうしてうちの子は、その仲間に入れてもらえ
ないのですか」と。私が何かの調査をしたのを、その母親は誤解したらしい。そこでその
内容を説明したのだが、最後までその母親には、私の目的を理解してもらえなかった。が、
私はそのとき、ふとこう考えた。「どうして、それが悪いことなのか」と。

 仮に私ができる子だけを集めて、何か別のことをしたところで、それは当然のことでは
ない
か。日本の教育は平等といいながら、頂上には東大があり、その下に六〇〇以上もの大学
がひしめきあっている。それこそピンからキリまである。高校にも中学にも序列がある。
もともとできる子と、できない子を、同じように教えろというほうが無理なのだ。……と
思ったが、やはりこの考え方はまちがっていた。

 できる子はできない子を知り、できない子はできる子を知り、それぞれがそれぞれを認
めあい、助けあうことこそ大切なのだ。そういう社会を成熟した社会という。「力のあるも
のがいい生活をするのは当然だ」「力のないものは、それなりの生活をすればいい」という
のは、一見正論に見えるが、正論ではない。暴論以外の何ものでもない。たとえあなたの
子どもが、今はできがよくても、その孫はどうなのか。さらにそのひ孫はどうなのか……
ということを考えていくと、自ずとその理由はわかるはず。

 その社会が成熟した社会かどうかは、どこまで弱者にやさしい社会かで決まる。経済活
動には競争はつきものだが、しかし強者が弱者をふみにじるようになったら、その社会は
おしまい。そういう社会だけは作ってはいけない。そのためにも、私たちは子どもを、能
力によって、差別してはいけない。そしてそのためにも、できる子とできない子を分けて
はいけない。子どもたちを温かい環境で包んであげることによって、子どもたちは、そこ
で思いやりや同情、やさしさや協調性を学ぶ。それこそが教育であって、知識や知恵とい
うのは、あくまでもその副産物に過ぎない。

 日本では「受験」、つまり人間選別が教育の柱になっている。こうした非人間的なことを、
組織的に、しかも堂々としながら、それをみじんも恥じない。そこに日本の教育の最大の
欠陥が隠されている。冒頭に、私は「上位一〇%」とか、「下位一〇%」とか書いたが、こ
うした考え方そのものが、まちがっている。私はそのまちがいを、その母親に教えられた。


●のどは心のバロメーター
  
 大声を出す。大声で笑う。大声で言いたいことを言う。大声で歌う。大声で騒ぐ。何で
もないようなことだが、今、それができない子どもがふえている。年中児(満五歳児)で、
約二〇%はいる。

 この「大声で……」というのは、幼児教育においては、たいへん大切なテーマである。
この時期、大声を出させるだけで、軽い情緒障害くらいなら、なおってしまう。(「治る」
という言い方は、教育の世界ではタブーなので、あえてここでは、「なおる」とする。)私
も幼児を教えて三〇年以上になるが、この「大声で……」を大切にしている。言いかえる
と、「大声で……」ができる子どもに、心のゆがんだ子どもは、まずいない。そういう意味
で、私は、『のどは、心のバロメーター』という格言を考えた。

 が、反対に「大声で……」ができない子どもがいる。笑うときも、顔をそむけて苦しそ
うにクックッと笑うなど。「大声を出してくれたら、それほど気が楽になるだろう」と思う
のだが、大声で笑わない。原因は、母親にあるとみてよい。威圧的な過干渉や過関心、神
経質な子育て、暴力、暴言が日常化すると、子どもの心は内閉する。ひどいばあいには、
萎縮する。意味のないことをボソボソと言いつづけるなど。が、そういう子どもの親にか
ぎって、自分のことがわからない。「うちの子は生まれつきそうです」とか言う。中には、
かえってそういう静かな(?)子どもを、できのよい子と思い込んでいるケースもある。
こうした誤解が、ますます教育をむずかしくする。

 ともかくもあなたの子どもが、「大声で……」を日常的にしているなら、あなたの子ども
は、それだけですばらしい子どもということになる。


●のびたバネは、必ず縮む
 
 無理をすれば、子どもはある程度は、伸びる(?)。しかしそのあと、必ず縮む。とくに
勉強はそうで、親がガンガン指導すれば、それなりの効果はある。しかし決してそれは長
つづきしない。やがて伸び悩み、停滞し、そしてそのあと、今度はかえって以前よりでき
なくなってしまう。これを私は「教育のリバウンド」と呼んでいる。

 K君(中一)という男の子がいた。この静岡県では、高校入試が、人間選別の関門にな
っている。そのため中学二年から三年にかけて、子どもの受験勉強はもっともはげしくな
る。実際には、親の教育の関心度は、そのころピークに達する。

 そのK君は、進学塾へ週三回通うほか、個人の家庭教師に週一回、勉強をみてもらって
いた。が、母親はそれでは足りないと、私にもう一日みてほしいと相談をもちかけてきた。
私はとりあえず三か月だけ様子をみると言った。が、そのK君、おだやかでやさしい表情
はしていたが、まるでハキがない。私のところへきても、私が指示するまで、それこそ教
科書すら自分では開こうとしない。明らかに過負担が、K君のやる気を奪っていた。この
ままの状態がつづけば、何とかそれなりの高校には入るのだろうが、しかしやがてバーン
トアウト(燃え尽き)。へたをすれば、もっと深刻な心の問題をかかえるようになるかもし
れない。

 が、こういうケースでは、親にそれを言うべきかどうかで迷う。親のほうから質問でも
あれば別だが、私のほうからは言うべきではない。親に与える衝撃は、はかり知れない。
それに私のほうにも、「もしまちがっていたら」という迷いもある。だから私のほうでは、
「指導する」というよりは、「息を抜かせる」という教え方になってしまった。雑談をした
り、趣味の話をしたりするなど。で、約束の三か月が終わろうとしたときのこと。今度は
父親と母親がやってきた。そしてこう言った。「うちの子は、何としてもS高校(静岡県で
もナンバーワンの進学高校)に入ってもらわねば困る。どうしても入れてほしい。だから
このままめんどうをみてほしい」と。

 これには驚いた。すでに一学期、二学期と、成績が出ていた。結果は、クラスでも中位。
その成績でS高校というのは、奇跡でも起きないかぎり無理。その前にK君はバーントア
ウトしてしまうかもしれない。「あとで返事をします」とその場は逃げたが、親の希望が高
すぎるときは、受験指導など、引き受けてはならない。とくに子どもの実力がわかってい
ない親のばあいは、なおさらである。

 親というのは、皮肉なものだ。どんな親でも、自分で失敗するまで、自分が失敗するな
どとは思ってもいない。「まさか……」「うちの子にかぎって……」と、その前兆症状すら
見落としてしまう。そして失敗して、はじめてそれが失敗だったと気づく。が、この段階
で失敗と気づいたからといって、それで問題が解決するわけではない。その下には、さら
に大きな谷底が隠れている。それに気づかない。だからあれこれ無理をするうち、今度は
そのつぎの谷底へと落ちていく。K君はその一歩、手前にいた。

 数日後、私はFAXで、断りの手紙を送った。私では指導できないというようなことを
書いた。が、その直後、父親から、猛烈な抗議の電話が入った。父親は電話口でこう怒鳴
った。「あんたはうちの子には、S高校は無理だと言うのか! 無理なら無理とはっきり言
ったらどうだ。失敬ではないか! いいか、私はちゃんと息子をS高校へ入れてみせる。
覚えておけ!」と。

 ついでに言うと、子どもの受験指導には、こうした修羅場はつきもの。教育といいなが
ら、教育的な要素はどこにもない。こういう教育的でないものを、教育と思い込んでいる
ところに、日本の教育の悲劇がある。それはともかくも、三〇年以上もこの世界で生きて
いると、そのあと家庭がどうなり、親子関係がどうなり、さらに子ども自身がどうなるか、
手に取るようにわかるようになる。が、この事件は、そのあと、意外な結末を迎えた。私
も予想さえしていなかったことが起きた。それから数か月後、父親が脳内出血で倒れ、死
んでしまったのだ。こういう言い方は不謹慎になるかもしれないが、私は「なるほどなあ
……」と思ってしまった。

 子どもの勉強をみていて、「うちの子はやればできる」と思ったら、「やってここまで」
と思いなおす。(やる・やらない)も力のうち。そして子どもの力から一歩退いたところで、
子どもを励まし、「よくがんばっているよ」と子どもを支える。そういう姿勢が、子どもを
最大限、伸ばす。たとえば日本で「がんばれ」と言いそうなとき、英語では、「テイク・イ
ッツ・イージィ」(気を楽にしなさい)と言う。そういう姿勢が子どもを伸ばす。

ともかくも、のびたバネは、遅かれ早かれ、必ず縮む。それだけのことかもしれない。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●スピルバーグの『宇宙戦争』を見る

 昨夜、仕事が終わってから、町の中の映画館で、スピルバーグの『宇宙戦争』を見る。
ある日突然、宇宙人たちが、人間に向って、攻撃をしかけてくるという、あの映画である。

 全体としてみれば、ただそれだけの映画。

 三本足の攻撃戦車(トライポッド型戦車)が、レーザー光線銃で、つぎからつぎへと、
人間を殺していく。逃げ惑う人間。攻撃をしかける人間。

 私は、その映画を見ながら、いろいろ考える。

(1)高度な知的能力をもっている宇宙人が、そんな稚拙(ちせつ)な、攻撃のしかたを、
するだろうか。

 人間だけを抹殺するなら、たとえば化学兵器や、生物兵器がある。遺伝子兵器だって考
えられる。人間の脳ミソを、100年単位で、空洞化するという兵器である。映画の中で、
宇宙人たちがしていることは、まるで、ゴキブリを、火炎放射器か何かのような武器を使
って、殺しているようなもの。

(2)宇宙人が、わざわざ地上におりてきて、人間を攻撃するだろうか。

 この疑問は、映画『インディペンデンス・デイ』を見たときも感じた。人間を攻撃する
なら、人間のもつ兵器が届かない、高々度から、人間を攻撃する。たとえば高度、数万メ
ートルの上空からでもよい。

(3)意味のない地上戦をしかけて、どうするのか。

 三本足の攻撃戦車は、地上を、ノシノシと動き回りながら、人間を殺していく。いくら
破壊力があるといっても、一つの攻撃戦車で攻撃できる範囲には、かぎりがある。映画の
中では、トム・クルーズ親子が隠れた民家にまで、それはやってきて、地下室のすみずみ
まで捜索する。

 観客を、ハラハラ・ドキドキさせようとしたのだろうが、その意図が丸見え。かえって
興ざめしてしまった。

 実にめんどうな作業である。もし同じことを地球上、すべての家庭でしようとしたら、
50億人の人間を殺すのに、仮に1つの攻撃戦車が、1万人を殺すとしても、50万台の
攻撃戦車が必要である。

 しかしそんな非能率、非効率な攻撃方法はない。

 で、映画は、ある日突然、攻撃戦車を操縦する宇宙人たちが、地球上の細菌(微生物)
によって汚染され、死滅するシーンで終わる。つまり宇宙人たちは、自滅する。

 が、何よりも、最大の疑問は、人間を攻撃する、その理由が、わからない。なぜ、宇宙
人たちは、人間を殺さねばならないのか。殺して、どうするのか。一つのシーンの中では、
人間の「血」を、パイプのようなもので、吸いあげるところがあった。宇宙人の目的の一
つは、人間の血を採取することのようだった。

 しかもその三本足の攻撃戦車は、宇宙からやってきたのではない。地球上のあらゆる場
所に、100万年以上も埋められたままになっていたという。それに空からやってきた宇
宙人たちが乗りこんで、人間を攻撃し始める。

 私は、映画を見ながら、あちこちに、「無理」を感じた。「100万年ねエ〜?」と。

 見終わったあと、ワイフも、私も、期待が大きかっただけに、がっかり。★は、2つ。「や
っぱり、スターウォーズにすればよかった」と私が言うと、「あっちのほうには、ストーリ
ーがあるからね」とワイフ。その『スターウォーズ』は、もうすぐ劇場公開される。

【補足】

 仮にこれほどまでに好戦性の強い宇宙人だったら、宇宙では、(もちろん地球上でも)、
生存していくことはできない。破壊兵器が巨大化すればするほど、その宇宙人は、自滅す
る危険性が高くなる。あるいは、他の宇宙人たちと、最終戦争を繰りかえすことになる。

 たとえばある宇宙人が、太陽系全体を、一瞬にしてこなごなにする兵器を手にしたとし
よう。そういう兵器を手にもちながら、たとえば1万年もの間、平和を保つことは、むず
かしい。かりに10万年に1回、戦争しただけでも、1億年の間に、100回も、彼らは
惑星ごと、こなごなにしてしまうことになる。

 核兵器に例を見るまでもなく、兵器が巨大化すればするほど、人間(=知的生物)は、
平和主義者でなければならない。言いかえると、この宇宙に、知的宇宙人がいるとするな
ら、彼らは、それこそ「神」のような平和主義者であるはずである。

 だからこそ、宇宙人は、宇宙人でいられる。

 人間のように、ちょっとしたことで、戦争を起こしてばかりいたとしたら、この宇宙は、
あっという間に、メチャメチャになってしまう。そういう意味では、人間は、攻撃的すぎ
る。どん欲で、ごう慢。

 本来なら兵器の巨大化に合わせて、人間の知的レベルも、同時進行の形で、進化しなけ
ればならない。そうでなければ、それこそ、サルに核兵器をもたせるようなことになって
しまう。

 サルには、サルにふさわしい武器がある。人間には人間にふさわしい武器がある。限度
と言ってもよい。そういう視点で考えても、人間には、核兵器は、必要ない。それをもつ
資格もない。これから先、K国のような、わけのわからない独裁国家でさえ、つぎつぎと
核兵器をもち始めたら、世界は、いったい、どうなるのか?

 映画『世界戦争』の中では、宇宙人たちは、まるでゲームでもするかのように、つぎつ
ぎと人間を殺していく。そこには、一片の知性も、理性も、思いやりもない。

 そんな宇宙人だったら、とっくの昔に、自滅していたはずである。そうした考証も、映
画の中で、まったくなされていなかった。娯楽映画といえば、娯楽映画ということになる
のだろうが、今は、もうオーソンウェールズの生きていた時代とは、ちがう。

 最後のナレーションで、「地球人たちを守ったのは、武器ではなかった。人間と共存して
きた、目に見えない微生物たちであった」と、もっともらしいコメントが、述べられてい
る。しかし、である。

 あれこどまでの攻撃兵器をもつ知的生物にとっては、そんなことは、常識中の常識。私
も若いころ、それぞれの国へ行くときは、それぞれの国の風土病についてのガイダンスを
受けてから、その国へ行った。何らかの予防接種を受けたこともある。

 ほかに、「その国の水は飲まないように」「歯をみがくときも、コーラを使うように」な
どという指示を受けたこともある。地球へ、人間を抹殺にやってくる宇宙人たちが、そう
いうことさえ、知らなかったとは? 

 いろいろ考えさせられた。

【補足2】

●知的レベルと平和主義

 その生物の知的レベルが高くなればなるほど、当然のことながら、その兵器水準も高く
なる。

 原始民族の時代には、こん棒や、弓、ヤリが武器だった。刀が武器だった。しかし今は、
核兵器の時代である。

 そこで改めて私たちは、考えなおさねばならない。

 こん棒とくらべると、核兵器の破壊力は、格段どころか、数百万倍以上。しかしそれを
コントロールする人間の知力は、それに応じて、同じように、進化したのだろうか。

 もし相応に進化していないとなると、武器だけが特異に進歩して、私がここに書いたよ
うに、それこそ、サルに核兵器をもたせるようなことに、なってしまう。

 で、ここで兵器の進歩が止まれば、まだ問題は、ない。

 これから先、人間は、確実に宇宙へ飛びだしていく。そういうとき、さらに強力な兵器
を手にすることも考えられる。もしそうなった、人間というよりは、この地球は、どうな
るのか?

 すでに、(あくまでも、今は、SFの段階だが)、反重力爆弾というのも、考えられてい
るそうだ。それを使えば、あの太陽ですら、一瞬にして、こなごなにしてしまうこともで
きるそうだ。

 ……と考えていくと、人間が宇宙へ飛びだしていくのは、必然の結果であるとしても、
はたしてそれが正しいことなのかどうかとなると、私にはわからない。

 もしこの太陽系に、「地球を監視している宇宙人」(「世界戦争」)がいるとするなら、今
ごろは、こんな会話をしているにちがいない。

 「人間どもを、私たちの宇宙へ迎え入れることは、まずいのではないですかねえ」
 「そうだなあ。あいつら好戦的だからなあ」
 「宇宙へ出てきてからも、また戦争をするのではないでしょうか」
 「ありえるね。それは、ありえる」
「やはり、地球人どもは、地球にとじこめておくのが、一番、いいのではないでしょう
か」と。


●なぜ宇宙人は、人間を滅ぼすのか?

 逆説的な言い方で、人間は、どうあるべきかを考えてみたい。つまり「なぜ宇宙人は、
人間を滅ぼさなければならなかったのか」。それを考えていくと、反対に、人間はどうある
べきかが、わかってくる。

 S・スピルバーグの『宇宙戦争』を見た感想と言ってもよい。あの映画の中では、宇宙
人たちは、情け容赦なく、人間を、殺す。こなごなにして、殺す。なぜ、か? 

 映画の中での、宇宙人たちの、あの殺し方を見ていると、何か、人間に、ものすごいう
らみでもあるかのように思えてくる。憎しみ、憎悪、嫌悪……。まるで家庭の主婦が、台
所でゴキブリを見つけたような感じ。ギャーッと興奮して、殺虫剤をかけまくるような雰
囲気で、人間を殺す。

 人間を殺す前に、宇宙人と人間の間で、何か、話しあいのようなものは、できなかった
のだろうか。そういう話しあいが決裂した結果として、戦争が始まったのなら、まだわか
る。しかし映画の中では、そういった話しあいらしきものをした形跡は、まったくない。
ある日突然、トライポッド(三脚型)の戦車に乗った宇宙人たちが、稲妻とともに現れ、
地球上の人間たちを、殺し始める。

 言うなれば、意味のない恐怖映画。殺戮(さつりく)映画。

 が、批判ばかりしていてはいけない。入場料まで出して、映画館で見たのだから、それ
なりに何か得るものは、得たい。

 そこで最初の話。

 なぜ、宇宙人は、人間を殺さねばならなかったのか?

 理由は、いくつか考えられる。

(1)人間を邪悪な生物と判断した。(しかし宇宙人のしたことも、邪悪だぞ! 罪もない
人たちを、片っ端から殺した。)

(2)人間を危険な生物と判断した。(しかし宇宙人たちも、危険だぞ。ものすごい武器を
もっている。青いレザー光線を浴びただけで、ビルは、まるごと、すべてふっとんでしま
う。)

(3)人間だけが支配する、この地球のあり方に、がまんできなくなった。(地球上のほか
の動物や、生物たちを守るために、人間を殺した。そういう話なら、私にも理解できる。)

(4)人間を殺して、自分たちがかわりに地球に住む。(だったら、建物や、橋などは、こ
わさない方がよいのでは……。途中、数匹の宇宙人たちが出てくるが、歩き方などは、そ
れほど、人間とちがわない。)


(5)宇宙人には、そうした感情そのものがない。知能だけが発達した、虫のような生物。
(つまりゲーム感覚で、人間を殺した。しかしたしか映画の中では、宇宙人たちは、人間
が残した写真を興味深そうに見ていたぞ。感情がまったくないわけでも、なさそう。)

(6)地球環境をこれ以上、人間に破壊させないために、人間を殺した。(このままでは、
地球は、火星のようになってしまう。それに宇宙人たちは、危機感をもった。それで人間
を絶滅させようとした。しかしそれなら、レザー光線で焼き払うというのは、矛盾してい
ると思うのだが……。かえって環境を破壊してしまう。)


(7)人間が宇宙へ進出してくるのを、まえもって、つまり予防的に、阻止しようとした。
人間がどこかで、彼らの怒りをかってしまったのかもしれない。(しかしもしそうなら、宇
宙で決着をつければよい。宇宙を自由に飛び回る宇宙人にしてみれば、人間など、敵では
ないはず。)

 こうして考えてみると、一番、妥当性があるのが、(3)と(6)ということになる。地
球や、地球の人間以外の生物を守るために、宇宙人がやってきて、地球人を滅ぼそうとし
た。ほかにあれこれ理由を考えてみたが、どうも、このあたりが、一番、妥当な解釈のよ
うである。

 しかしよくよく考えてみると、それについても、矛盾だらけ。映画『インディペンデン
ス・デイ』のときも、そう感じたが、彼らは、いったい、人間のどこが気に入らないのだ
ろう。

 どん欲で、ごう慢なところか? 野蛮で、邪悪なところか?

 そこでもしあなたが、宇宙を支配する宇宙人だったら、人間をどうするか、考えてみよ
う。あなたは、きわめて平和的な人だ。右の頬を打たれたら、「左の頬もどうぞ」と、さし
だすような人だ。

 もちろんきわめて高い、知性や理性もある。そういうあなたから見ると、私たち地球人
は、いったい、どのように見えるだろうか。

 心理学の世界には、「自己概念」という言葉と、「現実自己」という言葉がある。「私はこ
ういう人間であると、自分で描く概念」を、自己概念という。それに対して、「現実の自己」
がいる。現実の自己というのは、多分に、他人から評価された自分とということになる。

 同じように、人間自身の「自己概念」がある。「人間というのは、こういう生物だ」とい
う、人間自身が思い描く概念である。しかしその自己概念は、はたして正しいものだろう
か。現実の人間は、もう少し、醜く、邪悪なものではないだろうか。

 『世界戦争』は、あまりおもしろくない映画だったが(失礼!)、人間全体について考え
るには、よい機会になった。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●悪質リフォーム

 私の家にも、やってきた!

 もう1年近くも前のこと。一人の女性がやってきて、「お宅の家は、耐震構造になってい
ません。今なら、市から補助金が出ますから、工事をしませんか」と。

 私の家の古いほうは、築30年になる。当時は、建築基準法も、甘かった。そういう時
代の家だから、多分、地震がきたら、まっさきに倒壊する。それはよくわかっている。

 その女性は、あれこれ書類を並べて、私に、説明し始めた。おだやかなやさしい語り口
調だった。

私「いくらくらいかかりますか?」
女「26坪ですから、800万円ほどです。でも、市のほうから、200万円ほど、補助
金が出ますから、600万円程度ですみます」
私「600万円も、ですか」
女「今なら、200万円、安くなるということです」と。

 で、そのときは、「また考えておきます」と言って、話を断った。

 というのも、その少し前、山荘のほうにも、そういう業者が来たが、その業者は、すべ
て無料でしてくれた。やはり「市からの補助金で、耐震補修工事をしています」と言って
いた。

 しかし今度は、有料。私は「?」と思った。思ったから、同じころ家を建てた、近所の
R氏に聞いてみた。

 「お宅へは、そういう業者は来ましたか?」と聞くと、「いえ、うちへは来ませんでした」
と。

 ますます「?」。

 それからほぼ1週間後、その女性がまたやってきた。「いかがなさいますか?」と。私は、
「もう、地震でこわれても、しかたない家ですから、結構です」と。

 こういうケースでは、きっぱりと断るのがよい。あいまいな返事をすると、また何度で
もやってくる。

 で、今、そのインチキ業者たちが、問題になっている。「悪質リフォーム業者」と呼ばれ
ている。主に老人をねらった、ワルたちである。一台、数万円程度の床下ファンを、一台
50万円前後で取りつけるという。しかも、1軒につき、10〜50台も!

 そう言えば、床下ファンの業者も、よく来る。「このままでは、お宅は、シロアリにやら
れてしまいますよ」とか、何とか……。

 少し前には、温水器の点検検査で、私も、詐欺にひかかった。「点検に来ました」と言う
から、見てもらったら、数万円も請求された。あとで、温水器の会社に電話をかけて確か
めてみたら、「うちでは、そういう点検はしていません」とのこと。

 この世界、本当に、油断できない。

(浜松市役所の建設資材課に問い合わせたところ、そうした補助金は、出るとしても、3
0万円まで。身体障害者や高齢者がいる家庭でも、最高で50万円までとのこと。「200
万円などというのは、ありえません」とのこと。)

(補足)

 以上の記事を、R天のBLOGに掲載したところ、「(私たちのように)、善良なリフォー
ム会社もあります。こういう記事は、つらいです」というコメントが届いた。

 実際には、そうだろう。ここに書いたような(悪質リフォーム会社)は、ほんの一部。
ほとんどのリフォーム会社は、まったく、問題はない。善良な人たちによって、経営され
ている。一部の悪質業者をみて、すべてのリフォーム会社がそうであるとみてはいけない。

 大切なことは、その判断力を、失ってはいけないということ。そのために、(自分で考え
る力)だけは、いつも養っておく。


【ワルの心理的構造】

 欲望と理性。この両者は、いつも対立関係にある。

 欲望があるから、ワルになるとはかぎらない。欲望が理性の管理下にある間は、欲望は、
むしろその人を生かす、原動力となる。

 しかしその理性にすき間ができるときがある。

 嫉妬(しっと)、ねたみ、不満など。困窮や貧困が、理性に、穴をあけることも多い。そ
のすき間から、欲望が飛びだし、ひとり歩きをする。それが得てして、ワルさを引き起こ
す。

 私もいろいろな詐欺師にあったことがあるが、(あとで詐欺師とわかるケースがほとんど
だが)、そういう人たちが、それらしい顔をしているかというと、そうではない。ふだんは、
むしろ、人当たりのよい、常識豊かな人に見える。

 ワルといっても、その人の一部分が、そうであるにすぎない。だから私は、ここに書い
たように、「すき間」という言葉を使う。そのすき間から、欲望がこぼれ出たとき、その人
は、ワルになる。

 が、残念ながら、大小のちがいはあるのだろうが、だれにも、そのすき間はある。上は、
総理大臣から、下は、悪質リフォーム業者まで。だれにでもある。

 そこで大切なことは、まず、そのすき間に、自分で気がつくこと。そのすき間をふさぐ
ことは簡単なことではない。しかしそれに気がつけば、気がついたときから、今度は、理
性が、それをカバーしてくれる。

 あとは、その理性にしたがって、行動すればよい。

 善人も悪人も、大きくちがうようで、それほど、ちがわない。ほんの少しだけ、進むべ
き道がちがっただけ。が、あえて言うなら、善人は、欲望を、理性でコントロールできる
人ということになる。悪人は、心のすき間からこぼれ出る欲望を、理性でコントロールで
きない人ということになる。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【善人論vs悪人論】

●(思い)と(行動)

 (思い)と(行動)の間には、距離がある。

 たとえば「銀行強盗をしてみたい」と思う人がいる。しかしそう(思う)のと、実際の
(行動)に出るのとは、大きく、ちがう。その間には、距離がある。

 その距離を遠くするのが、倫理であり、道徳であり、さらには哲学である。知性や理性
も、それにからんでくる。

 が、何らかの原因で、心がゆがんでくると、そうした倫理や道徳などが、破壊されるこ
とがある。そうなると、その(距離)は、一気に、縮まる。(思い)と(行動)が、隣りあ
わせになる。

 私たちは悪人を見ると、そういう人たちを、「悪人」と片づけて、自分たちとは関係のな
い世界に置いてしまう。しかし、この世の中に、「私は悪人ではない」と言い切れる人など、
いったい、どれほどいるだろうか。

 それについて書いた原稿が、つぎの原稿である。少し視点が違うが、参考にしてほしい。

++++++++++++++++++++++++++

●よい子論

 善人も悪人も、大きな違いがあるようで、それほどない。ほんの少しだけ入り口が違っ
ただけ。ほんの少しだけ生きザマが違っただけ。

同じように、よい子もそうでない子も、大きな違いがあるようで、それほどない。ほん
の少しだけ育て方が違っただけ。そこでよい子論。

 この問題ほど、主観的な問題はない。それを判断する人の人生観、価値観、子育て観な
ど、すべての個人的な思いが、そこに混入する。さらに親から見た「よい子」、教師から見
た「よい子」、社会から見た「よい子」がすべて違う。

またどのレベルで判断するかによっても、変わってくる。たとえば息子が同性愛者にな
ったことを悩んでいる親からすれば、女友だとち夜遊びをする女の子はうらやましく思
えるもの。

(だからといって、同性愛が悪いというのではない。誤解がないように。)それだけでは
ない。どんな子どもにもいろいろな顔があって、よい面もあれば悪い面もある。こんな
ことがあった。

K君(小5)というどうしようもないワルがいた。そのため母親は毎月のように学校へ
呼び出されていた。小さいころから空手をやっていたこともあり、腕力もあった。

で、相談があったので、私は月に1,2回程度、彼の勉強をみることにした。で、そう
して一年ぐらいがたったある夜のこと、私はK君と母親の3人でたまたま話しあうこと
になった。が、私はK君が悪い子だとはどうしても思えなかった。正義感は強いし、あ
ふれんばかりの生命力をもっていた。おとなの冗談がじゅうぶん理解できるほど、頭も
よかった。

それで私は母親に、「今はたいへんだろうが、K君はやがてすばらしい子どもになるだろ
うから、がまんしなさい」と話した。で、それから1週間後のこと。私が1人で教室に
いると、いつもより30分も早くK君がやってきた。「どうしたんだ?」と聞くと、K君
はこう言った。「先生、肩をもんでやるよ」と。

 よい子かそうでない子かというのは、結局はその子どもの生きザマをいう。もっと言え
ば、子ども自身の問題であって、ひょっとしたそれは親の問題ではないし、いわんや教師
の問題ではない。

まずいのは、親や教師が「よい子像」を設計し、それにあてはめようとすることだ。そ
してその像に従って、子どもを判断することだ。そんな権利は、親にも教師にもない。
要は子ども自身がどう生きるかで決まる。つまりその「生きザマ」が前向きな方向性を
もっていればよい子であり、そうでなければそうでないということになる。

たいへんわかりにくい言い方になってしまったが、よい子、悪い子というのも、それと
同じくらいわかりにくいということ。もっと言えば、この世の中によい人も悪い人も存
在しないように、よい子も悪い子も存在しないということになる。

 ……これが私の今の結論であり、しばらくは「よい子」論を考えるのをやめる。それを
考えても、意味はない。まったくない。

+++++++++++++++++++++

もう一作、似たような原稿です。

+++++++++++++++++++++

●善人と悪人

 人間もどん底に叩き落とされると、そこで二種類に分かれる。善人と悪人だ。

そういう意味で善人も悪人も紙一重。大きく違うようで、それほど違わない。私のばあ
いも、幼稚園で講師になったとき、すべてをなくした。母にさえ、「あんたは道を誤った
ア〜」と泣きつかれるしまつ。

私は毎晩、自分のアパートへ帰るとき、「浩司、死んではダメだ」と自分に言ってきかせ
ねばならなかった。ただ私のばあいは、そのときから、自分でもおかしいと思うほど、
クソまじめな生き方をするようになった。酒もタバコもやめた。女遊びもやめた。

 もし運命というものがあるなら、私はあると思う。しかしその運命は、いかに自分と正
直に立ち向かうかで決まる。さらに最後の最後で、その運命と立ち向かうのは、運命では
ない。自分自身だ。それを決めるのは自分の意思だ。

だから今、そういった自分を振り返ってみると、自分にはたしかに運命はあった。しか
しその運命というのは、あらかじめ決められたものではなく、そのつど運命は、私自身
で決めてきた。自分で決めながら、自分の運命をつくってきた。が、しかし本当にそう
言いきってよいものか。

 もしあのとき、私がもうひとつ別の、つまり悪人の道を歩んでいたとしたら……。今も
その運命の中に自分はいることになる。多分私のことだから、かなりの悪人になっていた
ことだろう。自分ではコントロールできないもっと大きな流れの中で、今ごろの私は悪事
に悪事を重ねているに違いない。

が、そのときですら、やはり今と同じことを言うかもしれない。「そのつど私は私の運命
を、自分で決めてきた」と。……となると、またわからなくなる。果たして今の私は、
本当に私なのか、と。

 今も、世間をにぎわすような偉人もいれば、悪人もいる。しかしそういう人とて、自分
で偉人になったとか、悪人になったとかいうことではなく、もっと別の大きな力に動かさ
れるまま、偉人は偉人になり、悪人は悪人になったのではないか。

たとえば私は今、こうして懸命に考え、懸命にものを書いている。しかしそれとて考え
てみれば、結局は自分の中にあるもうひとつの運命と戦うためではないのか。ふと油断
すれば、そのままスーッと、悪人の道に入ってしまいそうな、そんな自分がそこにいる。
つまりそういう運命に吸い込まれていくのがいやだからこそ、こうしてものを書きなが
ら、自分と戦う。……戦っている。

 私はときどき、善人も悪人もわからなくなる。どこかどう違うのかさえわからなくなる。
みな、ちょっとした運命のいたずらで、善人は善人になり、悪人は悪人になる。

今、善人ぶっているあなただって、悪人でないとは言い切れないし、また明日になると、
あなたもその悪人になっているかもしれない。そういうのを運命というのなら、たしか
に運命というのはある。何ともわかりにくい話をしたが、「?」と思う人は、どうかこの
エッセイは無視してほしい。このつづきは、別のところで考えてみることにする。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 5日(No.606)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●フリップ・フロップ理論

 箱がある。どちらか一方に倒れているときは、安定している。しかし中途ハンパな姿勢になる
と、フラフラとして、たいへん不安定になる。これを心理学の世界では、『フリップ・フロップ
理論』という。

もともとは、有神論の人が無神論に、反対に無神論の人が有神論になるときの様子を説明し
たも
の。有神論の人であるにせよ、無神論の人であるにせよ、どちらか一方に倒れているときは、

ういう人は、たいへん静かに落ちついている。が、有神論の人が無神論になるとき、あるいは

の反対のときは、心理状態がたいへん不安定になる。ワーワー泣き叫んで、それ抵抗したり、

烈にどちらか一方を攻撃したりする。

 学歴信仰も、それに似たところがある。学歴信仰にこりかたまっている人や、反対に、まった
くそれがない人というのは、静かに落ちついている。しかしそれが移行期に入ると、たいへん不
安定になる。人間の心理というのは、そうい不安定状態には弱い。自らどちらか一方に倒れ
て、
自分の心理を安定させようとする。

言いかえると、不安定になったときというのは、どちらか一方に倒れるその前兆と考えるとよ
い。
しかもそれが短期間で、コロリと倒れる。そのため私は、このフリップ・フロップ理論を、勝手
に「コロリ理論」と呼んでいる。

 この理論は、子育ての場でも、広く応用できる。もしあなたの子どもが何かのことで、大声で
それに抵抗したり、あるいは反対にぐずぐずしているようであれば、どちらか一方に倒れる前

と考えてよい。そういう子どもほど、コロリと倒れると、突然、ものわかりがよくなる。昔から
「今鳴いたカラスが、もう笑った」というが、そういう現象が起きる。

が、反対に、よい意味につけ、悪い意味につけ、どっしりと静かに落ちついている子どもは、そ
れだけ自分をもっていることになる。何かを説得しようとしても、なかなかうまくいかない。と
くにがんこで、自分のカラにこもってしまったような子どもは、指導がむずかしい。


●子どもの心理

 子どもの心理を考えるとき、現象面だけを見て判断すると、その心理がつかめなくなる。よく
ある例が、引きこもり。

 心の緊張状態がとれないことを、情緒不安という。そういう心理状態のところに、不安や心配
が入り込むと、それを解消しようと、心理状態は一挙に不安定になる。そのひとつが、引きこも
り。

 自分の子どもが部屋に引きこもったりすると、よく親は、「気のせいだ」とか、「心はもちよ
うだ」とか言って、それを安易に考える。しかし引きこもりは、あくまでも現象。無理をして、
その状態から子どもを外に出しても、元となる、情緒不安はなおらない。もう少し具体的に考え
てみよう。

 私も精神状態が不安定になると、人に会うのがおっくうになる。人ごみへ入るのが、いやにな
る。そういうときの自分の心理を観察してみると、こうだ。

 まず人の言動が気になる。しかもささいなことが気になる。タバコを平気で道路へ捨てる人。
道路にツバを吐く人。大声であたりかまわず話す人。体臭のある人。平気で道路に駐車する
人。
工事の騒音など。ふだんなら気にならないようなことが、そういうときは、やたらと気になる。
そしてそういうことがいくつか重なると、頭の中はパニック状態になる。

 この段階で、まず自分の中のセルフコントロール機能が働きだす。どうすれば、そのパニック
を収めることができるか、それを考える。私のばあいは、外出を避けるとか、何かの気分転換

するとかいう方法で対処する。カルシウム剤が有効なことも多い。こういうことができるのは、
それだけ経験もあるということだが、子どもはそれができない。症状は、一挙に悪化する。

 ある子ども(高三)はこう言った。「外に出ると、人に会うのがこわい」と。ここでいう「こ
わい」というのは、それだけ心の緊張感が取れないことをいう。相手の言動のすべてが、自分

心を突き刺すように感ずるらしい。だから引きこもる。心理学の世界では、これを防衛機制とい
う。自分を守るための心理反応と考えるとわかりやすい。

 要するにこうした現象は、風邪にたとえて言うなら、「熱」のようなもの。その熱をさまそう
として、子どもを水風呂につける人はいない。同じように、引きこもりだけを見て、子どもを外
の世界に引きずり出しても意味はない。あるいはそんなことをすれば、かえって逆効果。中に
は、
そういう乱暴な方法で、子どもをなおす(?)人もいるそうだが、私に言わせれば、とんでもな
い方法ということになる。

昔、Tヨットスクールというのがあったが、あれもそうだ。生徒の死亡事件がつづいて、当時の
寮長は刑事訴追まで受けたというが、当然のことだ。が、この種の乱暴な治療法(?)は、今で
もあとをたたない。最近でも、子どもや親を、大声で罵倒(ばとう)しながら
なおす(?)人もいる。素人(失礼!)にはわかりやすい方法なので、そのときどきの親には受
けるが、こうした方法には、じゅうぶん警戒したほうがよい。


●はじめの一歩

 幼児教育の世界で、『はじめの一歩』というときには、つぎの二つの意味がある。ひとつは、
何でも最初に経験させることは、慎重に選べということ。もうひとつは、そのときの方向づけが、
その後の子どもの方向性に大きな影響を与えるから注意しろという意味。

 体操教室を例にとって考えてみる。

 体操教室に入れたから、体操が好きになるとはかぎらない。恐らく何割かの子どもは、かえっ
て体操を嫌いになってしまう。(そういう事実は、教室側としても隠すが……。)マット運動に
しても、鉄棒にしても、あるいは跳び箱にしても、それができたからといって、どういうことも
ない。できないからといって、これまたどういうこともない。

しかしそういうところでは、それがあたかも人間の成長には必要不可欠な要素でもあるかのよ

に教える。親もそう錯覚する。私も中学の授業でマット運動をさせられたが、あのマット運動ほ
どいやなものはなかった。そういう子どもの「思い」は、外には出てこない。

 こうした「おけいこごと」を子どもにさせるときには、子どもの方向性をじゅうぶん、見きわ
めること。だいたいにおいて、「できないからさせる」「苦手だからさせる」という発想はまち
がっている。子どもに何かをさせるときは、「得意な分野をさらに伸ばす」という発想で、考え
る。要するに、オールマイティの子どもは求めないこと。また求めても意味はない。

 つぎにこの時期できた方向性は、当然のことながら、その子どもの一生に大きな影響を与え

から注意する。私にも、いろいろなことがあった。たとえば私は小学三年のときに、バイオリン
教室へ通わされた。「通わされた」というのは、それだけいやだったということ。今でもレッス
ンの日が、毎週水曜日の午後四時一五分覚えているほどだから、それがいかにいやなもので
あっ
たかは、わかってもらえると思う。ただ私のばあい、バイオリンがいやだったわけではない。あ
の棒がいやだった。何かをまちがえると、講師の先生は、容赦なく私の頭や手を叩いた。それ

いやだった。

一年かかって、やっとやめさせてもらったが、その結果、私は大の音楽嫌いになってしま
っていた。小学六年の終わりまで、「オ・ン・ガ・ク」という言葉を聞いただけで、背筋
がゾーッとしたのを、今でもはっきりと覚えている。幼児教育では、こういうことは、絶
対にあってはならない。

 で、子どもの方向性をつけるコツは、子どもをほめること。最初はウソでもよいから、
ほめる。「この前よりじょうずになったわね」「せんせいがほめていたよ」とか。父親や
母親の前でほめるのも効果的。この時期の子どもは、自分を客観的に評価できないから、
周囲の人にほめられると、その気になってしまう。そしてそれが原動力となって、子ども
を前向きに伸ばす。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ウソの自分

+++++++++++++++++++++++
本物の詐欺師は、まず自分をだます。
でないと、他人をだますことはできないそうだ……
+++++++++++++++++++++++

 「私は、悪いことをしている」と自覚している詐欺師は、本物の詐欺師ではないそうだ。
本物の詐欺師は、そういう自覚すらない。「自分は、善人である」と信じきって、相手をだ
ますそうだ。またそうであるから、みな、だまされる。

 昨夜、M県に住む、Aさん(女性、60歳くらい)と、1時間ほど、電話で話をした。
その電話の中で、Aさんは、自分の母親について、話してくれた。

 Aさんの母親は、今年、85歳になるという。頭はまだしっかりしているほうだが、現
実の世界と、ウソの世界の区別がつかなくなってきたらしい。自分にとって、つごうの悪
い話になると、「覚えていないなあ」「私も、年だからなあ」と。

 加えて、平気でウソをつくらしい。

 先日も、Aさんが、母の住む実家へ帰ったとき、サイフを居間のテーブルの上に置いて
おいたそうだ。あとで見ると、1万円札がなくなっていた。そこでAさんが、母親に、「お
金をどこへやったの?」と聞くと、「私は、知らない」「そう言えば、さきほど、だれか来
たみたいだ」とか言う。

 が、母親がそう言い張るのだから、それ以上のことのことは追及できない。明らかに母
が盗んだとわかっていても、母を盗人(ぬすっと)にするのは、娘として、つらい。

 それについて、Aさんは、こう言う。

 「母は、ウソをついているというよりは、自分が盗んでいないと、本気で、信じている
みたいです」「そういうウソを言いながら、相手は、それで自分を信じたと、本気で思って
いるみたいです」「そういうウソは、いったい、どういうウソなのでしょうか?」と。

 自分を善人と思いこんでいる人は、自分の中のつごうのよい部分だけを、自分と思う。
そしてつごうの悪い部分については、あれこれ言い訳をしたり、他人のせいにしたりする。
子どもの世界でも、よく見られる現象である。

 こうして10年たち、20年たつうちに、その人の人格(?)ができる。

 何か、悪いことをしても、それを自分の仕業(しわざ)とは、思わない。あるいは、す
ぐ、それを忘れてしまう。脳の中に、便利な思考回路ができる。あとは、その思考回路に
そって、自分を、つくりあげていく。

 で、どうも腑(ふ)に落ちないAさんは、母親が席を離れたときに、仏壇の横の引き出
しをあけてみた。1万円札は、そこに、あった。小さく、折りたたんであったという。

 Aさんは、その1万円札を、自分のサイフにもどすと、そのまま買い物に出た。「毎度の
ことですから、いちいち怒ってもしかたありませんから……」と。

 「母は、1万円札がなくなっているのに気がついているはずです。しかし私には、何も
言いません。とぼけるというか、何ごともなかったかのような顔をして、平然としていま
す」と。

 恐らくその母親は、「私はすばらしい女性である」という自己概念を、つくりあげてしま
っているのだろう。だから自分にとって、耳ざわりのよい部分だけを、(自分)と信じてい
る。自分にとって、つごうの悪い部分については、(自分)と信じていない。

 たとえば何かよいことをしたとすると、その部分については、しっかりと記憶に残す。
そうでない部分については、すぐ忘れる。そして、あとは、お決まりの演技。

 Aさんが、母の住む実家へ帰ると、実に演技ぽく、あれこれと、Aさんの周囲や、Aさ
んの家族のことを心配してくれるという。「ダンナは元気かね?」「(孫の)○○は、どうか
ね?」と。猫なで声の、やさしい言い方をするという。

 Aさんは、こう言う。「その言い方が、どこか不自然なのですね。自分をよい人間に見せ
るために、演技をしているとしか思えません」「ほかの人たちは、それでだまされるかもし
れませんが、私は、だまされません。子どものときから、母のそういう姿を見て育ちまし
たから」と。

 よく「人をだますときは、まず自分(身内)をだませ」と言う。詐欺師の鉄則にもなっ
ている。私はAさんの話を聞きながら、そんなことを、頭の中で、思い出していた。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自己愛

++++++++++++++++++++++++

他人に批判されると、極端に、不機嫌になったり、
怒ったりする。あるいは他人の批判を許さない。
あるいは批判した人を、生涯にわたって、嫌ったり、
避けたりする。
自己愛者の、最大の特徴は、極端な自己中心性に
加えて、他人の批判を許さないこと。
若い女性、そして若い母親に、このタイプの人は
たいへん多い。

++++++++++++++++++++++++

 自分の子どもが、何かのことで、批評されたり、批判されたりすると、カッとなる母親
は多い。それだけ母子の分離が、うまくできていない母親とみるが、それだけではない。

 自己愛者の特徴は、三つある。

(1)自己中心性
(2)他人の批判を許さない
(3)完ぺき主義

 幼児期からの自己中心性が残り、それが年齢とともに肥大化すると、自己愛者になる。
自分が世界の中心にいるかのような、錯覚にとららわれることも多い。「自分のすることは、
すべて正しく、他人のすることは、すべてまちがっている」というような考え方をする。

 その自己愛性が、そっくりそのまま、自分の子どもに転移することがある。母子間の一
体性が強い母親ほど、そうなる。

 「自分の子どもさえよければいい」
 「自分の子どもが世界で最高」(そうでなければ、自分の子どもに、それを求める。)
 「自分の子どもの悪口を言う人を許さない」
 「自分の子どもは、完ぺきでなければならない」など。

 しかしこういう母親をもつと、子どもは、不幸である。母親自身が、子どもの心に耳を
傾けない。独善的で、ものごとを、すべて母親が決めてしまう。完ぺき主義も、子どもを
苦しめる原因となる。子どもの側からすると、気が休まらない。

 一般論として、自己中心性が強いということは、それだけその人の人格の完成度は低い
とみる。つまり自己愛者は、それだけ人格が未熟。未完成。

 そこであなたという母親はどうであろうか。

 あなたは、他人から批判されたとき、「そうです」と、いつも、それをすなおに聞いてい
るだろうか。反省しているだろうか。

 そうではなく、すぐ、カッとなって反論したり、あるいは無言になったりするようであ
れば、それだけ、人格の完成度は低いということになる。自己愛者であることで、ほめら
れることは、何もない。

 そこで、子育てに関して言えば、『聞きじょうずな母親ほど、子育てがうまい』というこ
とになる。子どものことになると、すぐカリカリする親というのは、話す側としても、話
しにくい。

私「あのう、このところ、元気がありませんが……」
母「うちでは、いつもと変わりません」
私「どこかで、無理をしていませんか?」
母「ふつうです」

私「何かあると思いますが……」
母「何もありません」
私「過負担になっているように思うのですが……」
母「塾では、ふつうです」と。

 若い母親は、そのほとんどが、多かれ少なかれ、自己愛的であるとみてよい。それが年
齢とともに、つまりは子育てで苦労を重ねるうちに、角が取れ、その人間性に丸みができ
てくる。

 そこで重要なことは、自己愛者であることが問題ではなく、自分自身の中の自己愛性に
気づくこと。気づかないまま、自己中心性に振りまわされてはいけない。ただし、この自
己愛は、それに気づくだけでも、あとは、時間が解決してくれる。

 しかも、その時期は、若ければ若いほどよい。若いうちに、自分の中の自己愛性に気づ
いた人ほど、はやく、その自己愛から自分を解放させることができる。
(はやし浩司 自己愛 母親の自己愛 自己中心性 完璧主義 完ぺき主義)

(追記)

 ところで最近、こんなことに気がついた、「教育アレルギー」の人が、結構、多いという
こと。「教育」という言葉を耳にしただけで、異常なまでに、拒否反応を示す。
 
 とくに「教育評論家」への風当たりは、強い。

 かわいそうな人たちだ。子ども時代、そほど、その「教育」で苦しめられたのだろう。
教師への反発もある。よき教師にも恵まれなかった。そういう思いが積もりつもって、「教
育アレルギー」となる。

 こういう人たちは、生涯にわたって、「師」をもつことができなくなる。しかし「師」を
もたない人も、これまたあわれである。すべてがゼロからの出発。懸命に行きながらも、
袋小路に入って、同じところを、堂々巡りしているだけ。

 それはそれでかまわないが、人生も、そろそろ短くなったとき、その「愚かさ」を、改
めて、思い知らされる。(今の私がそうかもしれないが……。)

 人は、生涯、前に向って進んでいく。その灯台となってくれるのが、師である。決して
「教育」を、自ら、否定してはいけない。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【無意識の中の「私」】

●女性の化粧

 電車に乗る。電車が走り出す。すると、若い女性たちは、いっせいに、化粧を始める。
バッグから小さな道具を取り出し、それをつかって、顔の手入れをする。

 しかし、見渡したところ、男性で、化粧するものはいない。ぼんやりと立っているか、
携帯電話をいじっている。

 化粧する女性。化粧しない男性。

 ところで、日本以外の国では、女性でも、ほとんど、化粧しない。……と書くと、「エッ!」
と思う人も多いかもしれない。実は、それを知ったとき、私も、驚いた。

 二男の嫁がアメリカ人なので、ある日、聞いてみた。すると、彼女は、こう言った。「す
るとしても、口紅くらいです」と。

 今に見る「化粧文化」は、最初は、欧米から入ってきたものかもしれないが、多分に、
日本という風土の中で、はぐくまれ、育ったものと考えてよい。それがつぎに、ほかのア
ジアの国々の人たちが、まねをし始めた。

 とはいっても、身を飾るということは、何も、化粧だけにかぎらない。服装、髪型、匂
いなどなど。体型や、スタイルも、それに含まれる。

 こうした(身を飾る)という行為は、すべての動物に、共通して見られる行為である。
で、ここでは、もう一歩、なぜそうするかを、踏みこんで考えてみたい。

●動物の世界では……

 身を飾る目的は、はっきりしている。相手、とくに、異性をひきつけるためである。そ
こでこの身を飾るという行為を、別の見方で考えると、こうなる。

 (身を飾る側)イコール、(選ばれる側)、(身を飾らない側)イコール、(選ぶ側)、と。

 もう少しわかりやすく書くと、こうなる。

 男が、女を選ぶ。だから選ばれる側の女は、身を飾り、男を、自分にひきつけようとす
る。つまり(選ばれる側)が、身を飾るということになる。

 ……もっとも、この図式は、すべての人に当てはままらない。今では、ご存知のように、
男性だって化粧をする。男性専用のエステもある。男性も心のどこかで、女性に選ばれる
ことを、意識している。今はまだ、電車の中などで、おおぴらに化粧をしないというだけ
で、そのうち、女性たちと並んで、男性も、電車の中で、化粧をするようになるかもしれ
ない。

 一方、動物の世界では、オスのほうが、派手で、美しい。たとえば鳥の世界でも、カラ
フルで美しいのは、オス。鳴き声も、オスのほうが、変化に富んでいる。その(差)が、
顕著なのが、キジである。

 キジのオスの美しさを見たら、メスのほうは、とても、見られたものではない。もとも
と、動物の世界では、オスのほうが、美しい。つまり動物の世界では、選ぶのは、あくま
でも、メス。選ばれるのは、オス。だからオスは、ことさら自分を美しく見せようとする。
が、メスのほうは、自分では、化粧をする必要はない(?)。

 が、人間だけは、とくに日本人は、今のところ、女性のほうが、化粧に熱心である。

(しかしこれとて、今だけの現象かもしれないが……。あと100年とか、200年も
すると、逆転する可能性がないとは、だれにも言い切れない。つまり化粧するのは、女
性。選ばれるのは女性と、決めてかかってはいけない。現に、ジャングルの中などに住
む原住民の中には、男性のほうが、より身を飾るというケースも、少なくない。)

●種族保存

 選ぶ側は、よりよい種族を後世に残そうとして、相手を選ぶ。男性が女性を選ぶときは、
よりよい母体を求めて、そこに精子を植えつけようとする。

 一方、女性が男性を選ぶときは、よりよい精子を求めて、そうする。

 人間のばあいは、ほかの動物たちとちがい、「頭で考えて選ぶ」という要素がある。その
ため、相互に選ぶという習慣が定着してしまったとも考えられる。肉体的な魅力も大切だ
が、それ以上に、人間的な魅力、精神的な魅力を、重要視する人も多い。

 そしてほかの動物たちとちがい、人間のばあい、子育てに、長期の時間がかかる。子ど
もが生まれてからも、男性は、妻である女性と、子どもの世話をしなければならない。そ
のため、自然発生的に、一夫一妻制が生まれた。一説によれば、人間の一夫一妻制が始ま
ったのは、すでに100〜150万年ほど前のことだという。

 ……と、考えると、ここで大きな疑問にぶつかる。

 では、なぜ、女性は、(男性もそうだが……)、結婚してからも、化粧をするかという疑
問である。

 すでに選択の時期は、終わり、子どもも産んだ。(選ばれる側が、化粧をして、異性をひ
きつけようとする)という図式で考えるなら、結婚したあとは、化粧をしたり、身を飾る
する必要はないはず。

 そこで考えられる答は、3つ。

(1)飾るという行為が、文化になっていること。つまりは、そのまま習慣が継続する。
(2)元来、男性も、女性も、1人の相手では満足できないということ。つまりは浮気性。
(3)セックスによる快楽を、種族保存という目的から切り離して楽しむようになった。

●日本の化粧文化

 話をもどすが、ある程度の身だしなみということは別として、この日本ほど、化粧文化
が特異に発達した国は、ないのではないか。

 たとえばファンデーションという化粧道具がある。女性たちは、あのファンデーション
で、肌の下地をつくる。もともと黄色人種だから、肌は、黄色い。日焼けしやすく、日焼
けすれば、すぐ茶褐色になる。

 そこでファンデーションを肌の下地に塗り、肌を白くする。

 しかしなぜ、白くするのか?

 一時期前には、ガングロ(顔黒)という化粧法もあったから、必ずしも、「白」ばかりで
はない。が、あのガングロという化粧法は、一時的なもので終わってしまった。また男性
がよく黒く日焼けしてみせるのは、女性に対して、たくましさをアピールするためと考え
られる。

 しかしほとんどの女性は、まず、肌を白く見せる。そしてプチ整形の例を見るまでもな
く、日本人は、(1)より大きな目、(2)より高い鼻ほど、理想形と考える。

 つまりは、日本の女性たちは、心のどこかで、西洋人の顔を一つの基準においているの
がわかる。

 とくに私たち日本人は、極東の島国という閉鎖された世界で、少なくとも、ここ数千年
は、「血の交流」をほとんどしてこなかった。(数千年程度という時間は、たいした時間で
はないと説く人もいるが……。)

 しかし骨相学的には、日本人は、悲しいかな、もっとも貧弱な民族ということになって
いる。そういう根深い、民族的コンプレックスがあるのかもしれない。それが転じて、日
本独特の、化粧文化につながったと考えられなくはない。

●よりよい種族を、後世に残す

 よりよい種族を後世に残す……ということが、相手を選ぶ原点になっている。より肉体
的にすぐれ、より知的にすぐれた人間を、である。

 これはあらゆる動物の基本的な本能の一つになっている。もしそうでないなら、その種
族は、やがて滅亡することになる。

 しかしこういうことは言える。

 人間も、私のように50歳をすぎると、性欲から解放されるようになる。それまでは、
それがわからない。しかし今の状態で、自分自身の20代、30代をふりかえってみると、
自分がいかに性欲に支配されていたかがよくわかる。

 それがムダだったというわけではない。映画『タイタニック』を例に出すまでもなく、
その性欲が、無数のドラマを生み出す原動力にもなっている。

 が、性欲から解放されてはじめて、自分が何であったかがわかる。またそこに、本当の
自分の姿が見えてくる。

 ただ、「よりよい種族を後世に残したい」という意欲までは消えるわけではない。つまり
性欲をさらにその下から支えていた、無意識の意識まで、消えるわけではない。

 それがたとえば人によっては、「これからの人たちのために、何かを残しておきたい」と
いう意欲に変わることもある。それほど大げさなものではないかもしれないが、今、私が
こうして自分の経験や考え方を文章に書いて残しているのも、その一つかもしれない。

●無意識の中の私

 私たちは、何かの行動をするとき、「自分の意思でそうしている」と考えがちである。し
かしその実、私たちは、自分の意思というよりは、もう一つ、その底にある意識によって、
動かされているだけということも多い。

 最近では機能MRIやPETなどによる機器によって、脳ミソの働きが、電子レベルで
わかるようになった。

 それによると、人間が何かの意識的行動に出る前に、脳ミソの別の部分で、それを命令
する別の信号が発せられることもわかってきたという。つまり自分の意思すらも、別の脳
ミソが勝手につくり、それを「私」に命令しているだけということになる。

 よい例が、先にあげた性欲である。

 若い女性が、短いスカートをはきたいと思ったとする。そして店に行って、短いスカー
トを選ぶ。色は、赤がいい……。

 その女性は自分の意思で、そうしていると思っているかもしれないが、その意思そのも
のが、すでに、脳ミソのどこかでつくられたものであるということになる。その女性は、
その私であって私でない脳みそに、操られているだけということになる。

 そういう女性に、こう質問してみるとよい。「あなたは、自分の意思で、その赤いミニス
カートを買ったの?」と。するとその女性は、自信たっぷりに、こう答えるであろう。「そ
うよ!」と。

 電車の中で化粧をする女性も、そうである。自分の意思でそうしているつもりかもしれ
ないが、その姿は、木々の枝の上にとまって、毛づくろいをしている鳥の姿と、どこもち
がわない。
(はやし浩司 意識 意識論 無意識の意識)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●意識論(2)

 私は、数日前、こんな夢を見た。

 あるところでバスが来るのをまっていた。私は時間があったので、近くの売店で、みや
げものを買っていた。

 するとそこへワイフがやってきた。そのワイフが、こう言った。「私は、もう少しここに
いたいから、帰らない」と。

 そこで私が「今、帰らないと、夜になってしまうよ」と。ワイフは、「いいの」と言いな
がら、そのまま、バス停の中にある、待合室に入っていってしまった……。

+++++++++++++++++++

 ただの夢と思う人も多いかもしれない。しかし私は、今、その夢を思い出しながら、「そ
のときのワイフの意思は、だれが決めたものか?」と考えている。

 私が見た夢だから、当然、ワイフの意思も、私の意思ということになる。しかしもし私
の意思なら、そんなことは言わなかったはず。

 「私は、もう少しここにいたいから、帰らない」と言ったワイフ。その意思は、だれが
決めたのか? どこでどうやって決めたのか?

 ……ということを考えていくと、私の脳ミソの中には、「私」である部分のほかに、その
「私」とは別の、私の意思を勝手に決めていく私がいることになる。これは、夢の中で経
験したこととはいえ、たいへんおもしろい現象だと思う。
(はやし浩司 夢の中の意識 私論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

● おなら(腸内ガス)

 幼児を教えるようになって、36年目に入る。その36年間、私は、参観授業をずっと
つらぬいてきた。

 いつも、3〜7人の母親や父親たちが、そこにいる。そういうレッスンである。

 しかし6月x日。私は、生涯において、はじめて、親たちの前で、アレを出してしまっ
た。腸内ガスである。ややかがんだ状態で、ふと腰をあげたとたん、ブリッと!

 大きな音だったと思う。親たちのほうは見なかったが、瞬間、小刻みな緊張感が走った
のが、私にもわかった。「しまった!」と思ったが、こういうときは、とぼけるのが、一番? 
何ごともなかったかのような顔をして、その場をやりすごした。しかしいやな気分だった。

 20代の若い母親もいる。みんな、美しい人たちばかりだ。

 で、まあ、何とか、本当に何とかごまかして、終わった。まさか、「出しました、すみま
せんでした」とも言えない。腸内ガスということになれば、だれだって、出す。人前で出
すか出さないかのちがいはある。しかし出す。

 それがわかっていても、照れくさい。恥ずかしい。この年齢になっても、穴があったら、
穴に入りたい。隠れてしまいたい。そういう思いをもった。

 ……で、一週間がすぎた。今日、再び、同じ、父母たちと顔を合わせねばならない。昼
食をとりながら、そのことをワイフに話す。

私「ぼくねえ、授業中に出してしまったんだよ」
ワ「バカねえ……。あなたね、いつも、家の中で平気でしているから、きっとしまりがな
くなってきたのよ」
私「でね、今日、教室に行くのがつらいよ」
ワ「知らん顔していればいいのよ」

私「だって、さあ……」
ワ「だから、知らん顔して、いつもどおりにしていればいいのよ」
私「あやまろうかア?」
ワ「何て?」

私「先週、私は、みなさんの前で、おならを出してしまいました。ごめんなさいと」
ワ「そんなこと言う必要はないわよ」
私「しかし、だまっているわけにも、いかないし……」
ワ「だまっていればいいのよ、そんなこと。いちいち告白する人なんか、いないわよ」

 さあ、どうしようか?

 ……と考えていたら、おかしな助っ人が現れた。まさに助っ人(?)

 電話がかかってきた。新しく入会をしたいという母親からのものだった。「うちの娘をB
Wへ通わせたいので、今日、見学をさせてください。よろしく」と。

 これで結論が出た。

 まさか初対面の人の前で、「おならを出しました。ごめんなさい」と言うわけにはいかな
い。そんなことを言えば、私の脳ミソの中身が疑われる。

 「よかった」と思うと同時に、ほっとした。

 ハハハ、この世界、いろいろあります。しかし私も、いよいよジイ様の仲間入り? そ
んなヘマなど、この35年間したことないのに……。

 これからは、同じようなヘマが多くなるかも……。このところ、ますますしまりがなく
なってきているように思う。とくに、トイレを、シャワートイレにしてからそうなった? 
ワイフは「関係ないわよ」と言うが、私には、あるように思う。シャワーで刺激している
うちに、肛門周辺の神経が鈍くなってしまった(?)。

 ワイフにそのことを話すと、つまり、「見学の人がいるから、告白しなくてすみそうだ」
と話すと、ワイフは、ケタケタと笑った。

 笑いながら、「そういう話は、2、3日で消えるものよ。だれも、覚えていないわよ」と。

 しかし私は、忘れない。死ぬまで、忘れない。何とも、ドジな話ではないか!

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●『宇宙戦争』を』見るぞ!

 今日、映画『宇宙戦争』のチケットを、2枚、買った。7月x日、ワイフと見に行く。
ワイフは、楽しみにしているよう。

 ワイフは、若いころは、そういうSF的な話を、まったく、受けつけなかった。しかし
ある夜、二人で、巨大なUFOを見た。その夜から、ワイフは変った。UFOに興味をも
つようになったというよりは、あの夜、私たちが見たものが何であったか、その結論を出
したがるようになった。

 私たちが見たものは、何だったのか?

 ところで今朝(7・4)の新聞によれば、アメリカの宇宙探査機が、見事、彗星(すい
せい)に、爆発物を命中させ、それから発生した成分の観測に成功したという。おどろく
べき、技術力! アメリカのNASAは、もう、そんなことまでできる! 同じ人間なの
に、私の想像力をはるかに超えたところに、彼らの知性がある。そんな感じさえする。

 どこに、そんな力があるのだろう?

 アメリカの大学を訪問したりすると、廊下や実験室の展示室には、ロケットの模型や、
宇宙船の模型、さらにはその詳細な設計図が、無造作に並べられている。何でもない、ご
く当たり前のこととして、だ。

 そういうのを見せつけられると、私は、「人知の差」を感じてしまう。

 で、ひとつ、安心したこと。

 将来、地球めがけて、大きな隕石が飛んでくるようなことがあっても、多分、アメリカ
のNASAは、それを食いとめてくれるだろうということ。映画『ハルマゲドン(アルマ
ゲドン)』のようなことがあっても、だ。あの映画の中では、主演のブルース・ウイリスが、
英雄的な活躍をして、その隕石を、最後には爆発させる。地球を救う。

 しかし、それにしても、すごいことができるようになったものだ。


●恩師 

 数日前、ふとんに入ってから、ワイフとこんな話をする。

 「ぼくたちを生涯にわたって、支えてくれた人に、3人、いるね」と。

TK先生……若いときから、いつも、私の灯台になってくれた。恩師中の恩師。
TK先生……この20年間、財政的な援助を惜しみなく、与えてくれた。
MN先生……私を幼児教育の世界に、導いてくれた。きびしい先生だった。

 ほかにも、短期ではあるが、いろいろな方の世話になった。しかしこれら3人の恩師が
いなければ、今の私は、決して、今の私ではなかっただろう。私の人生において、これら
の恩師にめぐりあえたのは、本当にラッキーだった。

 そのことをワイフに話すと、ワイフも、すなおに同意してくれた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●先進国主要国サミット
 
7月6〜8日に、先進国主要国会議(G8)、通称「サミット」が、イギリスのグレニー
グルズで開かれる。そのサミットに、今回は、中国は、招待されなかった。理由は、先
の反日暴動。イタリアなどは、「中国を加えるべき」と主張したらしいが、ほかの国々は、
「NO!」。

 これが世界である。

 日本は、冷静に、すべきことはする。あとの判断は、世界に任せればよい。世界の良識
を信ずればよい。

 これだけ情報網が発達してくると、世界で起きているできごとは、瞬時に、世界をかけ
めぐる。あの反日暴動を見ながら、世界の人は、こう判断した。「やはり、中国は、おかし
い」「ワレワレとは、体制がちがう」と。その判断が、今回の、「招待せず」に、つながっ
た。

 ところで、隣の韓国が、そのサミット入りをねらっている。「経済力が、世界で11番目
になった」というのが、その理由。

 最近の韓国は、どこか妄想にとりつかれているよう。「グレイト・コリア」思想をもつの
は、韓国の勝手だが、やることなすこと、現実離れしている。国営化された一部のH自動
車、S電子外車は別として、ほとんどの会社が、外資系に支配されている。青息吐息。国
内経済は、ガタガタ。

 反日、反米を唱えて、どうしてサミットなのか?

 もしつぎにサミットに加えるべき国があるとしたら、インドであり、ブラジルである。

 さて、その中国だが、一時は、100万近い外国企業が進出したが、大半は、赤字で、
すでに撤退。残るは30万企業になってしまった。日本企業についても、すでに、約3分
の1が、撤退、もしくは撤退中。

 日本では、いまだに中国株に浮かれている人も多いが、はたしてこうした事実を知って
いるのだろうか?

 韓国も、そうだ。一時は、日本企業が、こぞって韓国に進出した。しかし韓国には、特
異な労使関係がある。何かあると、ちょっとしたことで、日本人経営者たちが、つるしあ
げをくらった。

 それが日本企業の撤退へと導き、やがて韓国経済はそのため、崩壊した。1997年の
デフォルト(国家破綻)が、それである。(実際には、97年はじめから、旧財閥系の企業
が、韓宝鉄鋼を筆頭に、三美グループなどなど、つぎつぎと倒産。そこへアジアの通貨危
機が追いうちをかけた。)

 中国経済は、今、巨大な、恐らくもう中国政府ですらどうすることもできないほど巨大
な、大ジレンマに陥ってしまっている。

 成長率を、1〜2%さげただけで、失業者は街にあふれかえる。これらの失業者が、い
つなんどき暴徒化するか、わかったものではない。だから中国政府は、中国元を、切りあ
げることもできない。すでに上海の株価は、3分に1程度までに暴落。反対に地価が、急
激に上昇している。まさにバブル経済!

 私の知ったことではないが、欲をかきすぎて、中国政府は、自ら墓穴を掘ったことにな
る。一方で自由主義経済を遂行しながら、それを社会主義体制で統制しようとするほうが、
おかしい。無理がある。中国政府が、かつての東ドイツのように、崩壊するのは、もう時
間の問題かもしれない。

 日本の経済も、あぶないが、ここは、冷静になったほうが、勝ち。ただひたすら冷静に、
中国、韓国の行く末を見守る。言うべきことは、言うが、ただし事務的に。あとの判断は、
世界に任せればよい。世界がもつ、良識に任せればよい。

 その一つが、今回のサミットでの、「中国、お断り」ということになる。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 3日(No.605)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

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今までに無数の子どもたちが私の前を通り過ぎて
いきました。

そういう子どものことを思い出しながら、あれこれ
書いてみます。

ただしこれらの子どもは、実在した子どもではありま
せん。いろいろな子どもの話をまぜたり、聞いたりした
話をもとに、書いてみました。

どうか、誤解のないようにお願いします。

++++++++++++++++++++++++

●美徳の陰に欠点あり

 『美徳の陰に欠点あり』。これはイギリスの格言。美徳とまでは言わなくても、こうした
例は、子どもの世界ではよくある。たとえば「字のきれいな子どもは、書くのが遅い」な
ど。こんなことがあった。

 E君(小三)という子どもがいた。習字の教室で書くようなきれいな字で、いつも書い
ていた。それはそれでよいことかもしれないが、その速度が遅い。みなが書き終わって、
一服しているようなときでも、まだ半分も書いていない。ノロノロといったふうではない
が、遅い。そこで何度もはやく書くように言うのだが、それでも、それが精一杯。

 が、とうとう私のほうが、先に限界にきてしまった。そこでこう言った。「ていねいに書
かねばならないときもある。そうでないときもある。ケースバイケースで、考えて書きな
さい」と。とたん、E君ははやく書くようになった。が、その字を見て、私は驚いた。ま
ったく別人の字というか、かろうじて読めるという程度の悪筆だった。しかしそれがE君
の「地」だった。

 ほかにも「よくしゃべる子どもは、内容が浅い」など。ペラペラとよくしゃべる子ども
は、一見、利発に見えるが、その実、しゃべっている内容が浅い。脳に飛来する情報を、
そのつど加工して適当にしゃべっているだけといったふうになる。子どもの世界には、『軽
いひとりごとは、抑えろ』という格言もある。子どもがペラペラと意味のないことを言い
つづけたら、「口を閉じなさい」といって、それをたしなめる。

 言葉というのは、それを積み重ねると、論理にもなるが、反対に軽い言葉は、その子ど
も(人)の思考を停止させる。まさに両刃の剣。たとえば、「ほら、花」「きれい」「あそこ
にも花」「ここにも花」「これもきれい」式の言葉は、その言葉の範囲に、子ども(人)の
思考を限定してしまう。人間の思考は、もっと複雑で深い。それにはやい。が、こうした
軽い言葉を口にすることで、その言葉にとらわれ、それ以上、子ども(人)はものを考え
なくなってしまう。

 その状態が進むと、いわゆる多弁性が出てくる。「多弁児」という言葉は、私が考えたが、
このタイプの子どもは多い。概して女の子(女性)に多い。

 これについて、こんな興味ある研究結果が報告されている。ついでにここに書いておく。

 言語中枢(ウエルニッケの言語中枢)は左脳にあるが、女性のばあい、機能的MRIを
使って脳を調べると、右脳、つまり右半球のだいたい同じような場所(対照的な位置)に
も、同じような反応が現れるという。また言語中枢(ウエルニッケの言語中枢)の神経細
胞の密度も、女性のほうが高いということもわかっている。このことから、男性よりも女
性のほうが、言葉を理解するのに、有利な立場にあるとされる。つまり女性のほうが、相
手の言葉をよく理解できると同時に、おしゃべりということ(「脳のしくみ」新井康允氏)。
ナルホド!

 
●『人、その子の悪、知ることなし』

出典はわからないが、昔から、『人、その子の悪、知ることなし』という。つまり、親バカ
は、人の常ということ。

私の印象に残っている事件に、こんなのがあった。それを話す前に、子どもの虚言(いわ
ゆるウソ)と、空想的虚言(妄想)は分けて考える。空想的虚言というのは。言うなれば
病的なウソで、子ども自身がウソをつきながら、自分でウソをついているという自覚がな
い。Tさん(小三)という女の子がそうだった。

 もっともそういう症状があるからといって、すぐ親に報告するということはしない。へ
たな言い方をすると、それこそ大騒動になってしまう。また教育の世界では、「診断」はタ
ブー。何か具体的に問題が起き、親のほうから相談があったとき、それとなく話すという
方法をとる。

 が、そのTさんが、こんな事件を起こした。ある日、私のところへやってきて、「バスの
中で、教材用の費用(本代)を落とした」と言うのだ。そこでそのときの様子を聞くと、
ことこまかに説明し始めた。「バスが急にとまった。それで体が前にフラついた。そのとき
カバンが半分、さかさまになって、それで落とした」と。落とした様子を覚えているとい
うのも、おかしい。そこで「どうして拾わなかったの」と聞くと、「混んでいた」「前に大
きなおばさんがいて、取れなかった」と。

 しかしその費用が入った袋の中にあった、アンケート用紙は、カバンの中に残っていた
という。これもおかしな話だ。中身のお金と封筒だけを落として、その封筒の中のアンケ
ート用紙だけ残った? それ以前からTさんには、理解しがたいウソが多かったので、私
は思いきって事情を、父親に説明することにした。が、父親は私の話を半分も聞かないう
ちに、怒りだしてしまい、こう怒鳴った。「君は、自分の生徒を疑うのか!」と。父親は、
警察署で、刑事をしていた。

 そこで私は謝罪するため、翌日の午後、Tさんの家に向かった。Tさんの祖母が玄関で
私に応対した。私は疑って、失礼なことを言ったことをわびた。が、そのときこのこと。
私は玄関の右奥の壁のところに、Tさんが立っているのに気づいた。私たちの会話をずっ
と聞いていたのだ。私はTさんの顔を見て、ぞっとした。Tさんが、視線をそらしたまま、
ニンマリと、笑っていた。

 そのあとしばらくして、Tさんの妹(小一)から、Tさんが、高価な人形を買って、隠
しもっている話を聞いた。値段を聞くと、そのときの費用と、一致した。が、私はそれ以
上、何も言えなかった。

 子どもを信ずることは、家庭教育の要(かなめ)だが、親バカになってはいけない。と
くに子どもを指導する園や学校の先生と、子どもの話をするときは、わが子でも他人と思
うこと。そういう姿勢が、先生の口を開く。先生にしても、一番話しにくい親というのは、
子どものことになると、すぐカリカリと神経質になる親。つぎに「うちではふつうです」
とか、「うちでは問題ありません」と反論してくる親。そういう親に出会うと、「どうぞ、
ご勝手に」という心境になる。


●『火の中に、鉄を入れすぎるな』 

 『火の中に鉄を入れすぎるな』は、イギリスの教育格言。詰め込みすぎても、かえって
逆効果ということ。子どものやる気(火)は、消えてしまう。が、親にはそれがわからな
い。たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と考える。また多少できるようにな
ると、「もっと」とか言い出す。そういう親の心理が理解できないわけではないが、子ども
はロボットではない。あなたと同じ人間だ。そういう視点をふみはずすと、子どもの姿を
見失う。

 やはり印象に残っている子どもに、S君(小二)がいる。S君は、能力的にはそれほど
恵まれていなかったが、たいへん生まじめな子どもで、学校の宿題でも何でも、言われた
ことをきちんとやりこなす子どもだった。

 しかし実際のところ、このタイプの子どもほど、何か心の問題をもっていることが多い。
たいていの親は、そういう状態をみると、「まじめないい子」と誤解するが、誤解は誤解。
S君は毎日学校から帰ってくると、一時間は書き取りの勉強をした。ときには、それが二
時間にもなることがあったという。しかし、動きざかりの子どもが、二時間も机の前にす
わって、黙々と書き取りの練習をすることのほうが、おかしい。そこで私は、何度も、「そ
ういう勉強はやめたほうがよい」と忠告した。

 しかし家族、とくに祖母はその言葉に耳を貸さなかった。まったく耳に入らないという
よりは、むしろ、そういう子ども(孫)を喜んでいた。「先生の指導のおかげで、ああいう
う子どもになりました」と。「きのうは三時間も勉強してくれました」と言ったこともある。
(三時間!)

 やがて小学三年になるころには、漢字練習だけではなく、算数のワークブックも、それ
なりの量をこなすようになった。そうしたワークブックは、励ます意味もこめて、私が一
応目を通すことにしている。が、そのワークブックを見て、私はさらに驚いた。たとえば
計算問題なども、まちがえたところには、別の紙がはりつけてあり、きちんとやり直して
あったのだ。

 こうした家庭学習では、ほぼあっていれば、大きな丸をつけてあげるのがよい。いいか
げんと言えば、いいかげんだが、子どもはその「いいかげんな部分」で、息を抜く。羽を
のばす。とくに計算練習などは、一〇問やって、七〜八問できればよしとする。あとは大
きな丸を描いて、ほめてしあげる。が、その祖母にはそれがわからなかった……らしい。
私がそういった丸をつけると、そのつどやってきて、「こういういいかげんな丸をつけても
らっては困ります」と。

 こうなるとS君が、プツンするのは時間の問題だった。S君はやがて慢性的なものもら
いになり、はげしいチック(筋肉の不規則なけいれん)が起こすようになった。眼科でみ
てもらうと、塾が原因と言われた。そこで祖母は、それまで行っていた、おけいこ塾すべ
て(スイミング、英会話、算数教室)を、やめた。

 こういうケースでは、一挙にすべてやめるのは、たいへんまずい。やめるとしても、少
しずつやめるのがよい。あとあとの立ち直りができなくなってしまう。が、S君の祖母は、
そういう私のアドバイスも無視した。私としては、もうなすべきことは何もない。

 で、S君はその直後から、はげしい無気力症状ができてきた。学校から帰ってきても、
ただぼんやりと空を見ているだけ。反応そのものまでなくなってしまった。好きだったゲ
ームを与えても、上の空。もちろん漢字の学習も、計算練習もしなくなってしまった。

 S君はいわゆる、バーントアウト(燃え尽き)してしまったわけだが、そのS君がなぜ、
こうまで私の印象に残っているかといえば、それには理由がある。そういう症状が出てか
らしばらくしたあと、父親と母親が私のところに相談にやってきた。そしてこう言った。

 「先生、わかっていたら、どうして前もって、それを言ってくれなかったのですか!」
と。私が「こうなることは予想していました」と話したときのことだ。何ともやりきれな
い思いだけが、あと
に残った。「どうしてこの私が叱られなければならないのか」という思いだけが、強く残っ
た。と、同時に、S君のことは忘れられない子どもになった。

 S君がそういう子どもになったのは、要するに『火の中に鉄を入れすぎた』からにほか
ならない。しかし親は、「まだだいじょうぶ」「まだいける」と、どんどんと鉄を入れる。
そして火が消えてはじめて、それが失敗だと気づく。これも家庭教育のもつ、大きな落と
し穴ということになる。
(02−10−18)


●子どもの会話

 ある日幼稚園の庭のすみに座っていると、横の子どもたち(年長児)が、こんな会話を
始めた。

A男「おまえ、赤ん坊はどこから生まれてくるか、知っているか?」
B男「知らないよ」
A男「だからお前は、バカだ。赤ん坊はな、ママのお尻の穴から生まれてくるんだぞ」
B男「ふうん」
A男「いいか、うんちがかたまって赤ん坊になるんだぞ」
B男「ふうん、じゃあさあ、どうして男からは赤ん坊が生まれないんだよ?」
A男「バカだなあ。男はなあ、うんちがかたまって、金玉になるんだぞ。金玉はうんちが
かたまっ
たもんなんだぞ」と。

 また別の日。母親とこんな会話をした子ども(年長児)がいた。

C女「お母さん、お肉を食べると、どうなるの?」
母親「やっぱり、お肉になるんじゃ、ないかしら」
C女「野菜は、どう?」
母親「血になるのよ」
C女「でも、野菜は赤くないわ」
母親「でも、トマトは赤いでしょ」
C女「ふうん、わかった。サツマイモを食べると、そのままうんちになるのね」と。

 こんなことを話してくれた子ども(年長児)もいた。「どうしてうんちは茶色になるか、
わかった」というのだ。「どうして?」と私が聞くと、「絵の具をいろいろ混ぜると、茶色
になる。うんちも、それと同じだ」と。

 さらにこんなことも。ある男の子(小学三年生)が、トイレから戻ってきて、こう言っ
た。「先生、青と黄色を混ぜると、緑になるね」と。何のことかと思って、「どうして?」
と聞くとこう言った。「トイレの水(消臭剤の入った青の水)と、黄色いおしっこがまざっ
たら、緑になった!」と。

 子どもの考えることは、おもしろい。あなたも子どもたちの会話に、一度耳を傾けてみ
てはどうだろうか。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●父親の影響vs母親の影響

 当然のことながら、現在の(あなた)は、あなたの親の影響を、モロに受けている。あ
なた自身が、親の産物といってもよい。

 最近聞いた話で興味深いと思ったのは、あのアザラシは、親に教えられてはじめて、泳
ぎ方を覚えるということ。たとえば人工飼育されたようなアザラシは、水の中にさえ、入
らないそうだ。アザラシだから、放っておいても、水の中にもぐり、魚をとるようになる
と考えるのは、どうやらまちがいということになる。

 「なるほどな」と思ってみたり、「そういうものだろうな」と思ってみたりする。

 そこで(あなた)を知る、もっとも手っ取り早い方法は、まず、あなたの親が、どうで
あったかを知ること。あなた自身の思い出をたどりながら、あなたの親がどのようであっ
たか。さらには、そのとき、あなたは、あなたの親にどのような印象をもっていたか。そ
れを知る。

 こうしてあなたの親を知ることによって、(あなた)を知ることができる。が、その中で、
とくに重要なのが、あなたと、あなたの親との交流度(関係)である。

(交流度)

(1)父親との交流度

 父親がやさしかったとか、厳格であったとか、そういうことは関係ない。あなたは日々
の生活の中で、どの程度、親密に、父親と接していただろうか。その親密度が高かければ、
高いほど、あなたは、当然のことながら、あなたの父親の影響を、大きく受けていること
になる。

(2)母親との交流度

 同じように、母親がやさしかったとか、厳格であったとか、そういうことは関係ない。
あなたは日々の生活の中で、どの程度、親密に、母親と接していただろうか。その親密度
が高かければ、高いほど、あなたは、当然のことながら、あなたの母親の影響を、大きく
受けていることになる。

(3)父親と母親(夫婦)の交流度

 三つ目に、あなたの父親と、母親の交流度は、どうであったか。つまり夫婦としての交
流度を、さぐってみる。あなたの両親は、たがいに、よく相談しあい、話しあい、協力し
あっていただろうか。とくに(あなた)という子どもを育てるときに、どうであっただろ
うか。

 ただし、よく誤解されるが、父子関係と、母子関係は、決して、平等ではない。同じで
もない。子どもは、母親の胎内から生まれる。そして乳をもらい、命をもらう。一方、父
子関係は、あくまでも、(精液一しずく)の関係でしかない。

 だからといって、父親の子どもに対する愛情を否定しているのではない。妻に対する夫
の愛情が、そのまま生まれてきた子どもに転移するということは、よくある。またそれゆ
えに、ときには、母親以上に、子どもへの愛情が濃密になることも、よくある。

 これら3つの交流度を、10点満点で評価してみる。程度に応じて、0〜10点の範囲
で、自己採点してみてほしい。

(1)あなたと父親との交流度

ほとんど毎日、父親との会話もあり、親密であった……10点
    ほとんど毎日、父親との会話もなく、疎遠であった…… 0点
 
(2)あなたと母親との交流度

ほとんど毎日、母親との会話もあり、親密であった……10点
    ほとんど毎日、母親との会話もなく、疎遠であった…… 0点

(3)両親のたがいの交流度(あなたを育てる過程において……)

ほとんど毎日、両親の会話があり、たがいに親密であった……10点
    ほとんど毎日、両親の会話はなく、たがいに疎遠であった…… 0点

 もちろん年齢的な問題もある。あなたが幼児期のとき、あなたが少年少女期のとき、さ
らに思春期のとき、それぞれの点数は、ちがう。幼児期は、仲がよかったが、小学生にな
るころから急に、親との会話が少なくなったというような例は、珍しくない。

 しかし重要なのは、今の(あなた)ができあがるまでの、幼児期から、少年少女期であ
る。

 この時期、たとえば(1)〜(3)の交流度が、ほぼ平均化していれば、あなたは、今、
落ちついた状態で、子育てができているはず。あなたの子どもとの関係も、良好なはず。
しかし(1)〜(3)のどこかに、大きなかたよりがあれば、あなたは、今、どこかぎこ
ちない子育てをしているはず。いろいろな例で考えてみよう。

(1)父親不在家庭

 父親が不在化すると、子どもは、総じて、マザコン化する。母子関係を調整するのが父
親の役目。その調整役がいないということになる。濃密な母子関係だけが残り、その弊害
が、さまざまな分野に現れる。

 母親への依存性が強いあまり、自立した行動ができない、など。またよく誤解されるが、
マザコンというと、男性ばかりを想像しやすいが、女性でも、マザコンの人はいくらでも
いる。むしろ女性のマザコンのほうが、男性のマザコンより、症状が深刻になりやすい。
母親を絶対化(偶像化)し、母親に尽くすのが、娘の義務というような考え方をする。

(2)母親不在家庭

 母子関係は、子どもの心の基盤をつくる。基本的信頼関係も、そこから生まれる。この
信頼関係が基本となって、子どもは、それを友人との関係、先生との関係、異性との関係
へと発展させることができる。

 が、それがないと、子どもは、いわゆる(心の開けない子ども)になる。自分をさらけ
出すことができず、いい子ぶったり、反対に、社会と同化できなくなったりする。

(3)父母対立家庭

 父母の対立を見て育った子どもは、心のよりどころを失い、つねに心の状態は、不安定
になる。そしてそれが心のキズとなったようなばあいには、そのキズは、生涯にわたって
つづく。「いつ、どこで、何をしていても、不安」と。こうした心の不安定状態を、「基底
不安」という。

 さらに父母の対立は、子どもをはさんで、いわゆる(三角関係)をつくりやすい。こう
なると、子どもは、糸の切れた凧のような状態になり、家庭教育は、崩壊する。親の軽視、
おとなの世界の軽視、反抗、反発、さらには、非行という形で、症状が外に現れやすくな
る。

 おおまかに言えば、こうした図式にそって、子どもはさまざまな問題をかかえることに
なる。言いかえると、今、(あなた)が、何らかの心の問題をかかえている可能性は、たい
へん高い。

 しかしここで重要なことは、ほとんどの人が、こうした問題をかかえているということ。
問題のない人はいない。したがって、こうした問題があることが問題ではなく、こうした
問題があることに気づかないまま、その問題に振り回されることが問題。

 もしあなたが今、いつも同じようなパターンで、同じような失敗を繰りかえしているよ
うであるななら、一度、あなたの心の中をさぐってみるとよい。

 こうした問題は、それに気づくだけでよい。それに気づけば、あとは、時間が解決して
くれる。一度、あなた自身の幼児期、少年少女期の家庭環境はどうであったか、それを静
かに思い出してみるとよい。そこに、あなたは、おぼろげながら、あなた自身の現在の輪
郭(りんかく)を、見いだすはずである。

 たしかにあなたは、(あなた)だが、その(あなた)の大部分は、あなた自身によってつ
くったものというより、環境の中でつくられたものであるということ。とくにあなたの両
親からの影響は大きい。それを知ることは、あなたが(あなた)を知る第一歩にもなる。
(はやし浩司 父親の影響 母親の影響 母子関係 父子関係 心への影響)

【付記】

 親子であるがゆえの関係から生まれる、いわゆる(家族自我群=束縛力)には、ものす
ごいものがある。そのパワーは、いわば本能に近い状態で、子どもの脳に、強烈に、刻ま
れる。

 そういう意味で、親子関係は、ほかの人間関係とはまったく異質の、特殊な関係と考え
てよい。

 で、その親子関係。たがいに良好な状態であれば、すばらしい人間関係を築く基礎とな
る。が、その親子関係に、ひとたびヒビが入ると、とたんに、今度は、猛烈な苦悩となっ
て、その人を襲う。

 それを心理学の世界でも、「幻惑」と呼ぶ。親子であるという幻惑に支配され、その人は、
これまたほかの人間関係では経験することのない苦しみを、味わう。

 たとえばA氏(40歳)がいる。地方出身だが、その地方では、昔からの名家。その名
家の二男である。

 そのA氏の兄が、3年ほど前、近くの神社に放火して、逮捕、投獄された。つい最近、
刑も確定した。

 本来なら、この事件は、A氏には関係のない事件。また遠くはなれて住んでいるA氏と、
その事件を結びつける人は、だれもいない。しかしA氏は、その事件以来、郷里の両親と
は会っていない。

 A氏は、こう言う。「兄を、放火事件まで追いこんだのは、実は、父なんです。人前では
善人ぶっていますが、家の中では、兄を虐待していました。『お前はバカだ』とか、『お前
のおかげで、わしのA家は落ちぶれてしまった』とか、など。

 親戚もたくさん住んでいますが、その事件以来、私の家をのけものにしています。が、
それだけではありません。父は、『恥をかかされた』と、兄のところへ、一度も、面会に行
っていません。そして息子の私や、結婚して嫁いでいった妹のところへ電話してきて、金
を出すように迫っています。

 「ご先祖様を守るのは、お前たちの義務だ」とか、何とか言うのです。

 こうして私の実家は、めちゃめちゃになってしまいました。私は兄をうらんでいません。
父をうらんでいます。以来、毎日、一日とて、心の晴れる日がありません」と。
(はやし浩司 良好な親子関係 家族自我群 幻惑)

【参考】

 交流分析理論(エゴグラム)というのがある。J・M・デュセイという人が考えた理論
だが、それが最近、あちこちの心療内科をはじめ、職業適性検査などでも、利用されるよ
うになってきている。

 日本でよく知られているのは、東大式エゴグラム(TEG)である。

 興味のある方は、(↓)をクリックして、自己分析をしてみるとよい。東大式エゴグラム
とは、ややちがうが、内容は、ほぼ、同じ。無料である。

http://www.egogram-f.jp/seikaku/index.htm

 私も自己採点してみたが、タイプは、xxxxxx。今の仕事は自分に向いていないの
ではないかと、少し不安になった。気の小さい人は、やめたほうがよいかも……。
(はやし浩司 自己分析理論 エゴグラム  デュセイ 交流分析理論)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

最前線の子育て論byはやし浩司(740)

●交流分析理論

 とくに対人関係において、どのような心理状態を形成するか。それを分析する理論のこ
とを、「交流分析理論」という。「エゴグラム」を訳して、「交流分析理論」という。

 この交流分析理論では、まずその人のパーソナリティを、つぎの5つに分ける(繁田千
恵氏「臨床心理学」より)。

(1)支配的で厳格な「親」
(2)養育的で、子どもを包み育てる保護的な「親」
(3)客観的な立場から情報を収集し、論理的、知性的に状況を判断する「成人」
(4)わがままで自由奔放な、快楽追求型の「自由な子ども」
(5)おとなの言うことをよく聞く、従順な「適応した子ども」

 そしてこれら5つの要素を、どの程度、もっているかで、その人の、対人的なパーソナ
リティを客観的に判断する。

 この理論は、「エゴグラム」として、パーソナリティ診断法として、現在、さまざまな分
野において、応用されている。

 そこで私も、「親像」を、この方法によって、分析することを考えてみた。

(1)あなたは、子どもに対して、権威主義的かつ支配的な親であるか。
(2)あなたは、子どもに対して、やさしく、保護的な親であるか。
(3)あなたはいつも子どもの成長を、客観的に、かつ冷静に見守る親であるか。
(4)あなたの人格は未成熟で、おとなになりきれない、どこか幼稚ぽい親であるか。
(5)あなたは子育てに消極的で、いつも他人随行型かつ無難を重んじる親であるか。

 日本では、育児姿勢をみながら、過保護、過干渉、でき愛、過関心などという言葉を使
って、その親を判断することが多い。

 ここに例としてあげた5つの「親像」も、そうした親の見方の一つと考えてよい。そし
てこうした育児姿勢は、当然のことながら、子どもの成育に、さまざまな影響を与える。

 要するに、「ほどよい親」がもっとも、ふさわしいということになるが、教育ママよりは、
放任ママ。権威主義ママよりは、友だちママ。頼りがいのあるママよりは、どこかあぶな
げなママのほうが、子どもを伸ばす。

 親も、子どもがある年齢にきたら、「こんな親などアテにならないぞ」と思わせながら、
子どもの自立をうながす。いつまでも親風を吹かせ、「親に向かって、何てことを言う!」
と叱るような親は、親として、決して好ましい親とはいえない。

 ここに書いた(1)〜(5)を参考に、あなた自身は、子どもに対してどのような親で
あるかを、一度判断してみると、おもしろいのではないかと思う。
(はやし浩司 エゴグラム 交流分析理論 親像 親の分析 ほどよい親論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●C社の新型、デジタルカメラ

 今度、C社から、新型のデジタルカメラが発売になった。ビデオカメラとしても、使え
るそうだ。録画時間は、約1時間。スゴイ!

 値段は、今のところ4万7000円前後。2、3か月もすると、3万円台になるはず。
それまでの、がまん。しかし今のカメラも、悪くない。気に入っている。さてさて、どう
しようか。


●譲渡

 私がその(譲渡)を意識したのは、息子たちが、その年齢になったときのことだった。

 私は、実は、自動車の運転免許証をもっていない。一度、自動車学校に通って、仮免許
までは、取ったことがある。が、それからは、留学、就職とつづいた。

 で、「いつか、そのうち……」と思いつつ、今日までになってしまった。

 いや、実は、その間にも、何度か、取ろうとしたことがある。しかし私の仕事では、そ
ういう自由がきかない。労働時間がしっかりと固定されている。

 が、そのうち、息子たちがその年齢になった。当時も、今も、この日本では、免許証を
取るだけでも、結構、お金がかかる。

 「私が取るよりも、息子たちに取ってもらったほうがいい」と考えて、息子たちに、そ
れを譲った。3人の息子がいたので、つぎつぎと、それを譲った。

 私が(譲渡)を意識したのは、そのときが、はじめてだった。

 以後、歳を重ねるにつれて、その(譲渡)が多くなった。何かにつけて、「私がするより
は……」と考えて、息子たちに、譲った。外国へ旅行したいと思ったときも、「まあ、代わ
りに、息子たちがが、ホームステイか何かで、行けばいい」とか、そんなふうに考えるよ
うになった。

 車を買いかえるときも、そうだった。「自分たちは、安い車に乗ればいい」と、そんなふ
うに考えるようになった。あまったお金は、そのまま息子たちの学資や生活費に、回した。

 そういう傾向が、50歳を過ぎたとたん、ますます強くなった。

 で、最近は、孫までできて、こう思うようになった。「私たちが住んでいる、この地球号
という地球にも定員があるとするなら、私たちが席を譲って、その孫の席をあけておかね
ば……」と。

 たとえば60歳の老人が、同じお金をかけて、外国旅行するなら、そのお金は、若い人
たちに譲ったほうがよい。最近では、そこまで考えるようになった。頭が半分ボケかけた
ような、老人が、ルーブル博物館で、美術品を鑑賞して、それがどうだというのか? 何
の役にたつというのか? ……というのは、言いすぎだということは、よくわかっている。
しかし率直に言えば、そういうことになる。

 私とワイフは、よくドライブにでかえる。しかし本当のところ、もう遠くへは行きたく
ない。近くで、心の休まるところで、のんびりと、その場所を楽しむ。先日は、山の中の
空き地に車を止めて、そこで弁当を食べた。

 ただ、一つだけ、ワイフに約束していることがある。

 近く、私は、人生の最後のしめくくりのひとつとして、ワイフを、オーストラリアのメ
ルボルンに連れていく。そしてインターナショナルハウスで、数日をすごす。あのハウス
が、私のすべての原点になっている。

 それをどうしても、ワイフに見せてやりたい。ワイフも、それを楽しみにしている。

 そういうことはあるが、「イギリスへ行こう」とか、「フランスへ行こう」とかいう話は、
あまりしない。そういう時間とお金があれば、息子たちに譲りたい。そう思っている。

 いや、もう一つ、計画がある。三男が今、九州の宮崎市に住んでいるので、一度、会い
に行こうと考えている。数日前に、ワイフにそれを話すと、「行きたいわ」と言っていた。
これで意見、一致。

 ……言いかえると、若い人たちは、よい刺激を求めて、どんどんと外国へ出かけていく
べきだ。私の経験では、27歳くらいまでが、重要ではないかと思う。それ以後は、感受
性が、急速に衰えてくる。と、同時に、ものの考え方が、かたまり始め、保守的になる。

 そのあとの人生は、いわば、それまでの余韻の中で生きるようなもの。『鉄は熱いうちに
打て』とは、よく言ったもの。私も、そう思う。

 ……ということで、「譲渡」の意味がわかってもらえたと思う。ある程度、年齢がきたら、
譲るべきものは、若い人たちに譲る。ただし一言。譲ったところで、私たちが失うものは、
何もない。「譲渡」イコール、「喪失」ということではない。

 私たちは、その分、今度は、人生のもつ意味を、より深く知ればよい。要するに、エネ
ルギーを向けるべき方向が、少しだけ変わってくるということ。


●ボケ兄・行状記・その後

 私が3か月、兄を預かった。つぎに姉が、3か月、兄を預かった。

 ともに、当初は、同情とあわれみで始めた介護だが、ともに、3か月で、ギブアップ。
同じボケでも、兄のボケは、ほかの人のボケとは、かなり性質がちがうようだ。

 ぜいたくで、わがまま。自分勝手で、自己中心的。

 少しでもカタイ食べ物を食事に出すと、突然、「カタイ!」と言って、手でつかんで、そ
れを投げ捨ててしまう。ふつうの言い方ではない。突発的に、キレた状態になる。

 ステレオにしても、ラジカセにしても、思うように操作できないと、それを壁に投げつ
けて、こわしてしまう。こうして私たちの家では、3台のステレオセットと、ラジカセが
こわされてしまった。プラス、もろもろの小物。

 姉の家でも、同じような行動が見られたという。

 そのくせ、いっさい、家事を手伝わない。お湯の入ったポットから、ペットボトルに、
お湯を注がせようとしただけでも、パニック状態になってしまう。そのときは、そのポッ
トを、床にわざと落として、こわしてしまった。

 あとは、見えすいた、言い訳。「手がすべった……」と。

 で、やはり兄を、施設に入れることにした。毎月、x万円弱の費用がかかるが、費用は
私が負担することにした。今、その手続きを、姉がしてくれている。

 そういう兄を観察してみると、これはあくまでも、私の推測だが、兄は、前頭葉のどこ
かに損傷を受けているのではないかと思う。自己管理能力が、ほとんど、ない。してよい
ことと、悪いことの区別が、まったくつかない。あれこれ説明したときは、「OK!」とか
何とか、調子のよい返事をするが、しかしそれはその瞬間だけ。

私「ぼくのところでも、廊下にウンチが落ちていたこともあるけどね、ほら、犬を飼って
いるから、犬のウンチだと思って、始末したよ。それほど、気にならなかった」
姉「犬のほうが、まだ気が楽よ。人間だと、犬のようにはいかないし」
私「怒りたくなるときもあったけど、怒ってもしかたないしね」
姉「四六時中、いっしょにいるわけにはいかないし……。そこが一番、つらいところよね」
と。

 施設へ入れるという方向性が決まってからは、姉の声が見ちがえるほど、明るくなった。
兄の悪口を言いあいながら、たがいにゲラゲラと笑った。

 その兄のことでは、近所や親戚の人には、大きな迷惑をかけた。心配もかけた。それに
ついては、深く反省している。しかし私も、ここ1、2年で、こうまで兄の症状が急速に
悪化するとは、思ってもいなかった。姉も、そう言っていた。

 ボケるということは、おそろしいことだ。ホント!

 不愉快な運命は、笑って、やり過ごす。それが人生を楽しく生きるコツのように思う。


●6か国協議

 韓国のC統一相の、大判振る舞いには、驚いた。C統一相は、それをエサにK国を、6
か国協議に引き出そうとした。

 しかし手順が、逆だった。

 アメリカや日本の意向を無視した。完全に無視した。しかも、C統一相は、「核開発放棄」
を、勝手に、「最終目標」と位置づけてしまった。これは「核開発放棄が先決」と主張する、
アメリカや日本の意向とは、まっこうから相反するものである。

 そのせいか、アメリカは、この1週間のうちに、K国の核開発に関連した企業の資産を、
矢つぎ早に凍結。さらにアメリカの下院は、拉致行為を糾弾する決議案まで可決してしま
った(6・30日)。

 「拉致問題は解決した」「6か国協議では、日本の拉致問題は協議しない」と主張してき
た、K国が、その決議案をどのように感じ取ったか。それについては、改めてここに書く
までもない。

 表面的には静かでも、これで米韓関係は、完全に、崩壊したと見てよい。しかしその責
任は、すべて韓国側にある。もともと反米を旗印に政権についたN大統領。あとは、こと
ごとく、アメリカの意向を無視。

 今回も、「6か国協議の可能性が出てきた」というだけで、韓国は、肥料の追加支援を決
定している。先の20万トンに合わせて、さらに15万トン。計35万トン。

 一方、日本に対しては、反日運動や反日教育を増幅。今ごろになって、N大統領は、「も
っと、戦後補償をしろ」「今日洗練後者や、従軍慰安婦の責任をとれ」とまで言い出した。

 で、肝心のK国は、(1)「圧制国家という発言をとりさげろ。(でなければ、協議には参
加しない)」などと、ささいな言葉の問題にこだわる一方、(2)今まで凍結していた、原
子炉の建設工事を再開してしまった(6・30、日経新聞)。

 この原子炉は、1994年に、米朝枠組み合意の中で、K国が、建設を凍結していたも
のである。つまり米朝枠組み合意を、K国は、行動でもって、破棄して見せた。

 つまり、K国は、さらに、強引に、対米対決姿勢を鮮明にしたといえる。

 これで7月中の、6か国協議は、かなりむずかしくなった。……というより、もう無理。
あとは中国の出方一つ。

 中国がどのような圧力を、K国に加えるのか。加えないのか。6か国協議の行方(ゆく
え)は、それで決まる。

++++++++++++++++++

 このところ、6か国協議を包む、国際情勢が、ますます混沌(こんとん)としてきてい
る。ロシアは、イランの核開発を支持。そのイランの新しい大統領は、元テロリスト。ア
メリカ大使館を襲撃した張本人(?)。

 中国と、ロシアは、台湾と、チェチェンで、バーター取り引き。反米色をますます濃く
しつつある。

 韓国は、親北政策を推し進め、将来的には、中国の経済圏に入ることをもくろんでいる。

 こういう情勢の中で、どうやって6か国協議を開くのだろう。開いたところで、どうや
って、話しあいを進めていくのだろう。

 日本としは、アメリカと歩調を合わせ、K国の各開発問題は、国連安保理に付託するの
が、一番、よい。国際社会全体で、K国に圧力を加える。韓国はいやがるだろうが、もう、
韓国に、気がねする必要は、ない。日本は、日本の国益を、最優先に考えればよい。

 日本も、そろそろ腹を決める時期に来ているのではないだろうか。
(この原稿は、7月2日に書いたものです。発表時には、国際情勢は、大きく変わってい
る可能性があります。)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●浜松市北部・天竜(旧天竜市)に行く

 朝、ワイフが、「どこかへ行こう」と言った。「いいよ」と答えて、そのまま、市内へ。
教室の駐車場へ車を置いて、そのまま、浜松駅へ。

 今度、浜松市が、周辺の市町村と合併して、巨大都市になった。人口が81万人になっ
た。面積規模では、全国第2位。その祭りのイベントが、駅前で行われていた。

 私たちは、遠鉄電車に乗った。

 電車の中で流れた、コマーシャルがおもしろかった。

 「○○病院 …… 人間ドック、がん科、歯科……」と。

 私には、それが、「○○病院 …… 人間ドック、がんか? 死か?」と聞こえた。それ
をワイフに話すと、ワイアは、大笑い。幸いなことに、電車は、下り電車。乗客は、ほと
んど、いなかった。

 途中、「助信(すけのぶ)という駅がある。その駅名を読んで、びっくり。

 ひらがなで「すけのぶ」と、柱に書いてあるのだが、ちょうど、「ぶ」のところに電車の
窓ワクがかかり、それが「心」という字に読めた。

「ねえ、ここ、『すけの心』という駅だよと話してやると、またまた、ワイフは、爆笑。
たわいもない、会話ばかりがつづく。

こうして遠鉄の西鹿島駅に着くが、それがから、大ドジ。そこから私たちは、バスに乗
り換え、浜名湖鉄道の二俣(ふたまた)駅に向う。

 しかしそのバスの中で、私は居眠り。ワイフは、ああいう性格だから、その駅を通りす
ぎて、どんどんと山奥へ。そして終点。

 バスの運転手に、「二俣駅はどう行けばいいですか」と聞くと、「とっくの昔に通りすぎ
ました」と。

 しかたないので、ゲラゲラと笑いながら、またバスに乗って、天竜市にもどる。その天
竜市から、歩いて、二俣駅へ。1キロくらい、歩いた。

 トロッコ列車に乗りたかったのだが、時、すでに遅し。遅れること、約50分。しかた
ないので、つぎの電車を待つ。

 駅の構内で弁当を食べたり、写真をとったり。何しろ、1時間に1本くらいしか、電車
がない。

 で、やっときた電車に乗って、愛知県の新所原(しんじょはら)市に向う。が、その途
中で、びっくり仰天。無知というのは、恐ろしい。

 ナ、何と、その浜名湖鉄道は、遠鉄西鹿島駅の西側で並んで停止したのだ!

 わかりやすく言うと、私たちは、とんでもない大回りをしたことになる。もう少しわか
りやすく書くとこうなる。

 私たちは、つぎのコースで、トロッコ列車に乗ろうとした。

 (浜松市)++++電車+++++(遠鉄・西鹿島)====バス===(浜名湖鉄道・
二俣駅++++++++トロッコ列車+++++++(新所原駅)*****(浜松市)

 しかしこんな大回りなどしなくても、(遠鉄・西鹿島)で、そのまま(浜名湖鉄道)に乗
りかえればよかったのだ! (遠鉄・西鹿島駅)に隣接して、(浜名湖鉄道・西鹿島駅)が
あったのだ! このあたりに住んで、36年になるのに、そんなことも知らなかった!

 バカだった。

 で、私は、それから約1時間。電車の中でウトウト。さらに新所原から浜松市に向う電
車の中でも、ウトウト。結局、ずっと、ウトウトと居眠りをしていたことになる。

 「あなたは、眠っていただけよ」と、ワイフは、どこか不満そうだった。

 ……ということで、今日の小旅行は、何とも、サエない旅行だった。
(050702)


●Matthew (11−28)

 聖書、Matthew(マタイ)の11−28には、こうある。

 Come to me,all you who are weary and bu
rdened, and I will give you a rsst.

 Take my yoke upon you and learn from me, 
for I am gentle and humble in heart, and
 you will find rest for your souls. For 
my yoke is easy and my burden is light.

(Ryrie版・新約聖書)

あなたがた、すべて、疲れしもの、重荷を背負うたもの、私のところに来なさい。
そうすれば、私があなたに、やすらぎを与えるであろう。

私のくびき(yoke)をとり、私から学びなさい。
なぜなら、私はやさしく、心は質素だからです。
そうすればあなたは、あなたの魂の中に、やすらぎを見つけるでしょう。
なぜなら、私のくびきは、簡単なもので、私の重荷は、軽いからです。

(yoke……馬などの首と首をつなぐ、道具。くびき。)

+++++++++++++++++

 今、不幸のクサリでがんじがらめになっている人は、なおさらのこと。しかしそうでな
い人でも、そのすぐそこでは、そのクサリが、腕を広げて、あなたが落ちてくるのを待っ
ている。

 人生というより、生きることが、(楽)か、(苦)かと聞かれれば、私は、ためらわず、(苦)
と答える。太古の昔のことはわからないが、現代社会は、その(苦)に満ち満ちている。(楽)
などというのは、雨雲の間にかいま見る、太陽の光線のようなもの。なくてあたりまえ。

 私たちは、その(苦)がそこにあることを知りつつ、あるいはそれに包まれながら、わ
ずかな夢や希望に自分を託し、その日、その日を、懸命に生きている。

 そんな私たちに、だれでもよい。もし自信ありげに、私にこう言ってくれる人がいたら、
私は、涙を浮かべ、その人に、感謝するだろう。

「あなたがた、すべて、疲れしもの、重荷を背負うたもの、私のところに来なさい。そ
うすれば、私があなたに、やすらぎを与えるであろう」と。

 イエス・キリストが残したという、有名な言葉だが、最後の最後で、私たちを救うもの
は、信仰かもしれない。私たちは、つかの間のやすらぎを求めて、その日を生きる。5分
でもよい。10分でもよい。もし生活の中に、そういう時間を見いだすことができるとす
るなら、私たちは、それに感謝しなければならない。

 求めるものをすべて捨て、今、あるものの中に、その価値を認める。それができる人を
賢者といい、それができず、あくせくする人を、愚者という。

 今日、ワイフのひざに頭をすえながら、ふと、Matthewの中の一節を思い出した。
それを改めて、聖書を調べて、ここに書いてみた。イエス・キリストは、「私のところに来
なさい」と説く。

 もし私たち1人ひとりの中に、イエス・キリストが説くところの神性が宿っているとす
るなら、イエス・キリストが言う、「私のところ」というのは、「私の魂」ということにな
る。

 私たちが求めるやすらぎは、そんな遠くにあるのではない。私たちのすぐそばにあって、
私たち自身の力によって、見つけてもらうのを、静かに、そこで待っている。それを自ら
見つけた人を、「幸福な人」というのではないだろうか。
(050702)

【補記】

 こうした私自身の中に潜む(依存性)の正体は、いったい、何ものなのか? 私の心の
中では、いつも、「ひとりで生きたい」という願望と、「誰かに頼りたい」という依存性が、
交互に、交錯している。

 それは思春期の青年の心理に、よく似ている。「おとなになりたい」という願望と、「お
となになることへの不安と恐怖」。それがやはり交互に、交錯している。

 今、私の心の中では、(本当にしたいこと)と、(現実にしていること)が、不一致を起
こしているようだ。何をしても、(している)という実感がともなわない。そこに、(自分
のしたいこと)があるのは、わかるのだが、それが何だか、よくわからない。

 こういうときは、何か、気分転換をはかるのがよい。こういう世界で悶々としていると、
そのまま時間をダラダラとムダにすることになる。それに気も滅入ってくる。気をつけよ
う。

 たしかに私は疲れている。が、イエス・キリストには悪いが、もう少し、私はひとりで
がんばってみる。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 8月 1日(No.604)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て新格言】

●やればやるほど、空回り

 子どもに何か問題が起きたとする。すると親は、その問題を解決しようと、何かをする。
それは当然にことだ。しかしそのとき、ときとして、何かをやればやるほど、ものごとが
空回りしてしまうことがある。子どものために何をしているはずなのに、それが子どもの
心に響いていかない。こういうときの鉄則は、ただひとつ。それ以上、状態を悪化させな
いことだけを考えて、時の流れを待つ。

 子育てがカベにぶつかると、たいていの親は、そこが「底」だと思う。だからそこを基
準にして、子どもを「なおそう」と考える。しかし「底」の下には、さらに「別の底」が
あり、さらにその下にも「別の底」がある。たとえば娘が門限を過ぎて帰ってきたとする。
すると親は、それをなおそうと娘を叱ったり、説教したりする。が、いっこうにそれがな
おらない。これがここでいう「空回り」。

 そこでさらに親が叱ったりすると、今度は、娘は外泊をするようになる。これがここで
いう「別の底」。あるいは家出ということにもなりかねない。集団非行を繰り返すようにな
るかもしれない。これも「別の底」。

 子育てをしていてその空回りを感じたら、こうした「別の底」に落ちる前兆として、警
戒する。子どもというのは、一度その「別の底」に落ちると、あとは、つぎつぎと別の底
に落ちていく。そこで、ここにも書いたように、一度、その底を感じたら、「なおそう」と
思うのではなく、今の状態を悪化させないことだけを考えて、一年単位で(一年でも短い
ほうだが……)、時の流れを待つ。


●「やればできる」は、禁句

 たいていの親は、「うちの子は、やればできるはず」という。しかし、(やる・やらない)
も、力のうち。「やればできるはず」と思ったら、「やってここまで」と思い、あきらめる。
やればできるはずと、子どもを責めたてることほど、子どもを苦しめるものはない。

 子どもの可能性を否定しろと言っているのではない。ともすれば、暴走しやすい親の期
待にブレーキをかけろと言っている。というのも、親というのは、子どものよい面だけを
見て、それを基準にものを考える傾向が強いからである。いつもは七〇点くらいしか取れ
ない子どもが、たまに一〇〇点をとってくると、「やっぱり、うちの子はすごい」と思うこ
とはある。しかし「どうして今回は一〇〇点なのかしら」と疑問に思う親はいない。

 こんなことがあった。

 ある日、一人の中学生(中二・男子)が、父親につれられてやってきた。そして父親は
こういった。「うちの子は、中学一年のとき、(二〇〇人中)、三〇番になったことがある。
うちの子には、そういう力があるはず。どうかそれを伸ばしてほしい」と。

 そこで少し教えてみると、とてもその力がないことがわかった。そこで私は父親に手紙
を書いた。「私のところでは、とてもご期待にそえるような指導はできません。申し訳あり
ませんが、お断りします」と。

 こういう手紙を書くと、どういう書き方をしても、親というのは、激怒する。デパート
で販売拒否にでもあったかのような怒り方をする。その父親もそうだった。「偉そうなこと
を言いて、お前は何様のつもりか!」と言って、その父親は電話を切った。(この話は、ホ
ントだぞ!)


●ユーモアでしつける

 ユーモアは、子どもの心を開放させる。『笑えば、子どもは伸びる』が、私の持論でもあ
る。子どもをしつけるときは、このユーモアを大切にする。

 たとえば私のばあい、授業中、なかなか手をあげようとしない子どもには、「パンツにウ
ンチがついているなら、手をあげなくていい」と言う。「ママのオッパイを飲んでいるなら、
手をあげなくていい」とも言う。フラフラと歩き回っている子どもには、「おしりにウンチ
がついているのか?

 おしりがかゆいから、歩いているの?」と言う。あるいは「パンツをかえてあげるから、
おいで」と、やさしく声をかける。

 指しゃぶりをする子どもも多い。そういうときは、「おいしそうな指だね。先生にもなめ
させて」と声をかける。あるいは、「そういう指のしゃぶり方をするから、幼稚、幼稚って、
バカにされるんだよ。いいか、もっとかっこうよくしゃぶりな」と言って、指のしゃぶり
方を教える、など。鼻くそをほじっている子どもには、「おいしそうな鼻くそだね。先生に
も、食べさせて」と声をかける、など。

 いろいろな言い方があるが、こうした言い方をすることによって、トゲトゲしさがなく
なる。子どもも、聞く耳をもって、こちらの話を聞いてくれる。が、一方、頭ごなしの命
令や、禁止命令は、
方法としては手っ取り早いが、ほとんど、効果はない。それだけではない。命令や禁止命
令が多くなると、子どもは、自分では考えることができなくなってしまう。時とばあいに
は、こうした命令も必要だが、しかしできるだけ少なくしたほうがよい。


●命令より、理由づけ

 子どもに指示を与えるときは、命令より、理由づけを大切にする。「手を洗いなさい」で
はなく、「手が汚れているね。どうしたらいい?」と。「歯をみがきなさい」ではなく、「歯
をみがかないと、虫歯になるわよ」と言う。

 日本語の特徴というか、日本では、子どもに指示を与えるとき、どうしても命令口調に
なりやすい。一方、英語国では、命令口調が少なく、反対に、理由づけが多い。仮に英語
国で、子どもに何かを命令したりすると、反対に「命令しないで」と言い返されたりする。
私も昔、オーストラリアにいたころ、ガールフレンドに何かのことで命令したことがある。
そのとき、私は「私はあなたの奴隷ではないから、命令しないで」と言われてしまった。
 
 そこであなたの今日、一日の会話を思い出してみてほしい。あなたは子どもと、どんな
会話をしただろうか。そしてその会話はどんなものだっただろうか。親意識が強く、権威
主義的な親ほど、子どもに対して、命令口調が多くなる。さて、あなたは、どうか?


●文字学習の前に、正しい発音

 世界広しといえども、幼児期に発音教育をしない国は、それほどない。が、この日本で
は、その発音教育を、ほとんどしない。あるいはあなたは保育園や幼稚園で、発音教育を
している先生の姿を見たことがあるだろうか。

 たまたま先ほども、わらび餅売りの車が家の前を通り過ぎた。隣のT市(愛知県)から
やってくるわらび餅売りだが、T市の人たちは、独特の発音をする。「わらび〜もち、早く
来ないと、いっちゃうよ〜」と言うのだが、それが、「ウェラビィー、メォチ〜、ヒェヤク
ゥ〜、コネエェ〜ト、イッチャウイヨ〜」と聞こえる。

 こういう発音を、一方で野放しにしておいて、子どもに向かって、「正しく書きなさい」
はない。ちなみに、「昨日」を、「きのう」と正しく書ける年長児は、ほとんどいない。た
いていは、「きのお」「きの」「きお」とか書く。そういうときは、一度、一音ずつ音を区切
って発音してみせるとよい。「き・の・う」と。そのとき、手をパンパンとたたいてみせる
とさらに効果的。

 ただしい発音は、文字学習の基礎である。文字学習に先立って、あるいは、文字学習と
平行してするとよい。口をしっかりと動かしながら、息をしっかり吐き、一音ずつ区切っ
て言うとよい。


●文字は使って生きる

文字の目的は、「書くこと」ではない。「自分の意思を伝えること」である。こんなわかり
きったことが、この日本では、逆転している。たとえばどうしてこの日本には、いまだに、
トメ、ハネ、ハライが、あるのか。その上、書き順まである。ある程度の約束ごとは大切
なことだが、しかしそればかりにこだわっていると、肝心の「自分の意思を伝えること」
が、おろそかになってしまう。

 もちろんだからといって、トメ、ハネ、ハライ、それに書き順を無視してよいというの
ではない。ただそれにも程度というものがある。それにこうまで情報化時代が進んでくる
と、「書く」という意味そのものが変わってくる。たとえば私はこうして文章を書いている
が、すべてパソコンを使って書いている。

 こういうことを言うと、「日本語の美しさがそこなわれる」と反論する人が、必ずといっ
てよいほどいる。「子どものころ、正しい書き順を教えておかないと、あとがたいへん」と
言う人もいる。しかし三〇年ほど前、こんな議論もあった。

 当時、「今どきの子どもは、ナイフで鉛筆も削れない」と、よく批評された。そのとき私
はこう反論した。「ナイフで削らなくても、鉛筆削りがある。鉛筆削りで削れば、ずっと早
く削れるし、時間も節約できる。鉛筆を削るときは、鉛筆削りを使えばよい」と。

 これはナイフの話だが、その時代ごとに、こうした議論が、打ち寄せる波のように、そ
れぞれの分野で起こっては消える。このトメ、ハネ、ハライも、そのひとつかもしれない。
(あるいはそうでないかもしれない?)私は個人的には、もう書き順も、適当でよいので
はと思っている。


●もとの木阿弥

 『もとの木阿弥(もくあみ)』という言葉がある。いろいろやってはみたが、結局は、も
とに戻ってしまうという意味である。苦労や努力が、水のアワになってしまうことをいう。

 子育てをしていると、そういう状況によく陥(おちい)る。私の世界でも、こんなこと
があった。

 小学三年生の子どもだったが、まだ掛け算があやしかった。そこで小学二年生のクラス
に入れてみた。その子どもは、それまで「算数は、わからないもの」と思っていたらしい。
しかし一年レベルをさげたことで、むしろ生き生きと勉強し始めた。で、半年もすると、
その勢いもあって、やがて何とか、小三レベルの学習も、こなすようになった。そこで私
は小三クラスへ移した。が、そのとたん、親の無理が始まった。

 親は、「もっと、もっと……」と、子どもに勉強を強いるようになった。ワークブックも
どっさりと買い込んだ。とたん、その子どもは、オーバーヒート。かえって前よりも、勉
強嫌いになってしまった。そして一度、こういうつまづき方をすると、二度目がない。四
年生になったとき、親のほうから、「もう一度、学年をさげて教えてみてほしい」と言って
きたが、子どもがそれを受けつけなかった。そしてそのまま私の実験教室へこなくなって
しまった。

 子どもには子どもの「力」がある。その力を見極め、ほどほどのところであきらめるべ
きことは、あきらめる。この「あきらめ」が、子どもの心に穴をあけ、子どもを伸ばす。
子育てをしていて、あきらめることを恐れてはいけない。でないと、結局は、『もとの木阿
弥』になってしまう。


●子どもは芸術品

 母親にとって、子どもは芸術品。とくに乳幼児期から幼児期にかけての子どもは、そう
思うべし。こんな投書が載っていた。

 郵便局で並んで待っていたときのこと。前に立っていた母親が、子どもをおんぶしてい
た。子どもは母親の背中で、アイスを食べていた。そのアイスで、その人の服を汚してし
まった。そこでその人が、「アイスで服が汚れましたが……」と母親に注意すると、その母
親はこう言ったという。「子どものすることだから、しかたないでしょ!」と。投書したそ
の人は、「何ともやりきれない気持ちになった」と書いていた。

 私にも似たような経験がある。

 新幹線の中で走り回っている子どもたちがいたので、注意すると、いっしょにいた母親
はわざと私に聞こえるような大声で、こう言った。「うるさい、おじさんねエ」と。以後、
私はともかくも、一時間近く、ピリピリとした雰囲気のままだった。さらにレストランで、
箸を口に入れたまま、走っている子どもがいたので、「あぶないよ」と声をかけたことがあ
る。どこかの子どもが、綿菓子の棒が喉に刺さって死ぬという事件が起きる、少し前のこ
とだった。が、その子どもの母親は、私にこう言った。「あんたの子じゃないんだから、い
らんこと言わないでくれ」と。すごみのある声だった。

 こうした母親は、自分の子どもが注意されると、自分の作品をけなされたかのように感
ずるらしい。芸術家が、自分の作品をけなされたような気持ち? つまり親と子の間に、
カベがない。
子どもとの間に距離をおいて、子どもを客観的に見ることができない。私自身は母親にな
ったことがないので、そういう心理はよくわからないが、そういうことらしい。

 こうした心理がよいとか悪いとか判断する前に、母親にはそういう心理があるという前
提でつきあうこと。だから、母親の前で、子どもを注意したり、批判したりするときは、
じゅうぶん注意する。そのときはそうでなくても、『江戸の敵(カタキ)を、長崎で討つ』
ということも、この世界ではよくある。クワバラ、クワバラ。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ネオトニー進化論(2)

++++++++++++++++++++

アジア人(モンゴロイド)は、未熟民族か?

++++++++++++++++++++

 澤口俊之著の「したたかな脳」(日本文芸社)を、読みなおしている。これで2読目。た
いへんおもしろい。と、同時に、気になる。

 たった今、読みなおしたところは、「未熟化する日本人の脳」(P157)。

 要約すると、こうだ。

 最近話題になっている精神疾患に、「ボーダーライン」というのがあるそうだ。このタイ
プの患者は、(人格障害)と(精神病)の中間、あるいは(神経症)と(精神病)の中間に
位置するという。(そのボーダーライン上にいるから、「ボーダーライン」という。)

 衝動的で、協調性がなく、気分がクルクルと変わる。

 ニコニコと笑っていたのが、急に怒り出したりする。自殺することもあるという。

 これは本来、欧米人に多い病気とされてきたが、表面的には似ていても、欧米人と日本
人とでは、原因が違うという。

 欧米人のばあいは、ボーダーラインだけではなく、精神疾患にいたる原因は、離婚や虐
待など、家庭に原因があるばあいが多い。とくに幼児虐待や強姦が多い。アメリカの多重
人格者の80%は、このどちらかか、その両方を経験しているという。

 しかし日本人のばあいは、虐待や強姦が原因になっているのは、10%以下だと言われ
ている。

 日本では、ほとんどが、「自立障害」である。これはボーダーラインにかぎらない。ある
精神科医によると、200人、診察したうちの、ほぼ全員が自立に問題をかかえていたと
いう。

 澤口氏は、これらの事実を総合して、つぎのように書いている。

「日本人に自立障害による精神疾患が多いということは、おそらくネオトニー化で獲得し
た特徴が、変な方向に助長されたからでしょう。繰りかえすようですが、日本人はモンゴ
ロイドですから、もともと母と子が、ベッタリとする素地をもっています」(P158)と。

 この部分を読んでいて思い出したのが、(引きこもり)。(引きこもり)という現象は、日
本人だけに見られる現象で、欧米では、見られないという。(引きこもり)も、考えてみれ
ば、この自立障害論で説明がつく。同時に、なぜ、日本人だけに(引きこもり)が起きる
かも、これで理解できる。

 澤口氏の意見は、ショッキングなものである。わかりやすく言えば、日本人の私たちは、
民族的にも、劣等民族ということになる。「劣等」という言葉は、私が要約して感じたもの
だが、そういうことになる。つまり私たち日本人は、進化を完全に遂げないままで終わっ
ている、中途半端な民族ということになる。少なくとも、欧米人と比較すると、そういう
ことになる。

 たしかに、同年齢の若者や、おとなを比較してみても、私たち日本人は、幼稚に見える。
たとえばテレビ討論会などで、アメリカ人の政治家が何か意見を言ったあと、日本人の政
治家がつづいて出てきたりすると、「これが同じ、人間?」と思うほどの、(差)を感じて
しまう。

 しかもなお悪いことに、私たち日本人は、その進化を進めるどころか、退化している可
能性すらあるという。澤口氏も、そう書いている。

 幼稚で、未熟。自分で論理的、理性的に考えて行動できない。つまりは私たち、日本人
は、自立できない民族ということか?

 余談だが、オーストラリアの友人たちを、金沢の兼六園に案内したときのこと。たまた
まそこで、旗を立てたガイドのあとを、ゾロゾロとついていく日本人観光客の一行に出会
った。

 それを見て、オーストラリアの友人たちは、ヒャーヒャーと笑っていた。「ヒロシ、君も、
旗をもって歩けよ」と1人が言ったが、それはもちろん、冗談。そういう旅行のし方は、
彼らには、考えもつかないようだ。

 わかりやすく言えば、自立心に欠けた日本人が、たがいに寄り添って、集団で行動する。
それが日本人の旅行のし方ということになる。が、それはまさしく、自立できない日本人
を象徴しているということになる。

 同じ日本人であるにもかかわらず、こうまで日本人の悪口を書いたら、袋叩きにあるか
もしれない。しかしこれだけは言える。

 私たち日本人が、(自ら考える)という習慣を、ここで放棄してしまったら、本当に日本
人は、サルに近い状態にまで、退化してしまうだろうということ。私は澤口氏の本を読み
ながら、そんな印象をもった。

(注)ネオトニー進化論

 あらゆる生物は、進化の過程を経て、現在の生物になった。しかし中には、同じ系列で
ありながら、進化の途中で、進化を停止してしまい、つまりは未成熟のまま、その状態で
生きている生物もいる。

 澤口氏は、ウーパールーパーと、サンショウウオの例をあげて、それを説明している。
ウーパールーパーは、サンショウウオの未熟形ということになる。

 日本人が、欧米人並に進化するためには、2つの方法しかない。(1)国際結婚を推し進
めて、「血」の交流を進める。(2)より考える人間になって、大脳前頭葉を刺激し、この
部分を、より発達させる。

 子どもぽい子どもイコール、いい子、幼稚ぽい子どもイコール、かわいい子という、子
ども観は、まちがっている(?)……ということにもなるのか。いろいろ考えさせられる。
(はやし浩司 未熟な日本人 日本人の自立)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【ネオトリー進化論について、読んでいただく前に……】

ネオトリー進化論について、原稿を書きましたが、
誤解による、まちがいが発見されました。

マガジンのほうでは、まちがったまま、原稿を
送信しますが、どうか、先に、この原稿を読んで
ください。

その上で、つづくネオトリー進化論についての
原稿を読んでくださると、うれしいです。
本来なら、マガジンそのものを削除したほうが
よいのかもしれませんが、マガジンはマガジンと
して、そのまま送信します。

どうか、当方の早合点をお許しください。

はやし浩司

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 「ネオトリー進化論」という言葉がある。その世界では、常識的な言葉らしい。しかし
私は知らなかった。(世の中には、私がまだ知らないことが、山のようにある。ホント!)
知らないまま、1、2冊の本だけを読んで、早合点してしまった。原稿として書く前に、
もっとよく調べて書くべきだった。自分の軽率さを、恥じる。

 ネオトリー進化論は、言うなれば、脳の未熟化に向けた進化をいう。「未熟化」という言
葉にこだわるなら、「退化」ともとれる。私は、単純に、未熟化イコール、退化と考えてし
まった。しかしこれは、明らかに、誤解だった。

 つまり生物は、進化すればするほど、未熟化するのだそうだ。未熟化することによって、
多様性を身につける。その一例として、ウーパールーパーと、サンショウウオがいるとい
う。

 ウーパールーパー(アホロートル)は、サンショウウオの未熟化した形ということにな
るが、その分、環境の変化に、より対応した形ということにもなる。人間にたとえると、
こうなる。

 人間のばあい、乳幼児期がほかの生物にくらべて、格段に長い。満1歳になって、やっ
とヨチヨチと歩き始める。鳥の仲間の中には、卵から孵化すると同時に、歩き始めるのが
いるというのに、だ。

 しかし人間のばあいは、長い時間をかけて、自分に多様性をさぐっていく。たとえば脳
ミソには、無数の神経細胞があり、その神経細胞からは、これまた無数のシナプスという
繊維状の神経組織がのびる。

 これらの神経組織が複雑にからみあって、人間の脳ミソを構成する。が、そのとき、人
間は、同時に無数の可能性をさぐりながら、一方で、不必要なものは、どんどんと消して
いく。泳ぎ方を見につける子どももいれば、楽器をみごとにひきこなすことができるよう
になる子どももいる。つまりこうして長い乳幼児期を通して、無限に近い可能性をさぐり
ながら、それに適応していく。

 たとえば魚は、泳ぐことしか知らない。虫は、子孫に存続のことしか考えない。大半の
動物たちもそうだ。しかし人間だけは、この未熟化の部分を長くすることで、より環境に
適応した生物として、生き残ることができる。

 未熟化が長ければ長いほど、その適応期間が長くなることを意味する。

 これをネオトリー進化論という。

 つまりネオトリー進化論イコール、退化ではない。未熟化イコール、退化ということで
はない。

 だから、アジア人(モンゴロイド)が、よりネオトリー進化論によって、幼稚ポク見え
るからといって、欧米人より劣っているということにはならない。

 「アジア人は、より幼稚ポイ」と書いた、私が、まちがっていた。この場を借りて、前
に書いた原稿を訂正する。

 そう言えば、幼児教育の場でも、早熟的にしっかりしてしまった子どもよりも、やるこ
となすこと天衣無縫で、発想豊かな、どこかチャランポランの子どものほうが、あとあと
よく伸びるということは、よくある。

 こうした現象も、ネオトリー進化論で、説明がつくのではないだろうか。

 最後に、一つ、告白する。

 このまちがいに気づかされたのは、UFOに関する本を読んでいたときだ。(くだらない
出典で失礼!)

 ご存知の方も多いと思うが、地球に現れる宇宙人(異性人)の中には、「グレイ」と呼ば
れる宇宙人がいる。目だけが大きく、頭がツルツルの宇宙人である。目撃者の話によると、
身長は、150センチくらいだという。

 そのグレイは、どう見ても、童顔である。一説によると、平均寿命は、1000年。血
液型はモンゴロイドの中でも、とくに日本人に多いとされる、「O型」。

 あのグレイは、ネオトリー進化論によって進化した、異性人の進化形だという。道理で、
幼稚ぽい? (同じく、幼稚ポイ宇宙人として描かれていたのが、スピルバーグ監督作品
の『未知との遭遇』の中に出てくる宇宙人たちである。主人公のロイを宇宙船の中に導く
宇宙人たちも、子どもぽい雰囲気だった。)

 ……という宇宙人に関する話は、先日、書店で立ち読みした、まことにもって、いいか
げんな内容だが、しかしそれで気がついた。つまり私のまちがいに気がついた。それで、
改めて、ネオトリー進化論について、自分なりに調べなおしてみた。

 その結果が、この原稿ということになる。どうか、私の早合点を許してほしい。
(はやし浩司 ネオトリー進化論 ネオトリー 脳の未熟化)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自立できない民族

+++++++++++++++

日本人は、なぜ自立できないか?

【注】この中で説明するネオトリー進化論の解釈には、まちがいがあります。
どうか、先の原稿を照らし合わせの上、お読みください。

こうした早合点を、どうか、お許しください。

+++++++++++++++

 日本の子どもたちが、欧米の子どもたちと比較して、全体に、自立心が弱いのは、日本
人独得の子育て法、あるいは子ども観にあると、私は考えてきた。つまりは、それは子育
ての問題であり、教育の問題である、と。

 しかしそういう部分もあるにせよ、もっと、根源的なところに、問題があるとしたら…
…。つまり民族的というより、さらにDNAレベルの段階で、問題があるとしたら……。

 そのひとつのヒントが、「ネオトリー進化論」である。

 そのネオトリー進化論によれば、アジア人(モンゴロイド)の脳ミソは、欧米人のそれ
よりも、未完成であるという。未熟なまま、おとなになり、子どもをおもうけ、またおと
なになる(?)。

 たとえて言うなら、「オタマジャクシのまま、卵を産み、その卵がかえって、またオタマ
ジャクシになる。そしてまた、カエルになる前に、卵を産む、つまりはカエルには、なり
きれないオタマジャクシ」(澤口氏)ということになる。

 もちろん日本人すべてが、そうであるというのではない。中には、欧米人より、はるか
にすぐれた知性や理性をもっている人はいる。欧米人より、おとなぽい人は、いくらでも
いる。

 しかし全体としてみると、日本人は、やはり、子どもぽい。幼稚さをそのまま残したか
のようなおとなとなると、ゴマンといる。

 先週も、あるテレビ番組で、アメリカの俳優と、日本のお笑いタレントたちが、対談す
るという番組があった。私たち日本人は、こういう番組を見ると、自分たちが日本人であ
ることを忘れ、アメリカ人の俳優のほうに、(自分)を、置いて、番組を見る。そして笑う。

 だれも、お笑いタレントのほうが、私たちと同じ日本人だとは、思わない。あまりにも、
低劣。その低劣さが、度を越している。言うこと、なすこと、まったくのノーブレイン。
話す言葉にせよ、日本語になっていない。「ギャー、ハハハ。ウヘー、ドヒャー!」と。

 わざとバカなまねをしながら、それで笑いを誘おうとしているのだろう。その意図は、
よくわかる、しかし見ているだけで、ふと悲しくなる。「これが、同じ、日本人か?」と。

 が、悪口ばかりは、言っておられない。日本人の脳ミソが、未熟化しているもうひとつ
の理由として、ベタベタの母子関係があるのではないか? このことは、アメリカ人の家
族やオーストラリア人の家族とくらべてみると、よくわかる。

 総じて言えば、日本の子どもたちは、男女を問わず、よりマザコン化している。澤口氏
は、「これもアジア人(モンゴロイド)の特徴のひとつ」というようなことを書いているが、
それゆえに、自立心が遅れるということも考えられなくはない。

 日本では、元来、親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子イコール、いい子
と考える傾向が強い。そのため、子どもをかわいがるということは、子どもにいよい思い
をさせること、楽をさせることと考えている人もいる。またそすすることが、親の愛の証
(あかし)であると考えている。

 こうした、まちがった子育て観が、日本人を、幼稚ぽくしている。

 ところで、すでに35年前の話になるが、オーストラリアの学生で、親のスネをかじっ
て大学へ通っているのは、ほとんどいなかった。たいてい、何らかの奨学金を得て、大学
へ通っていた。

 奨学金を手にすることができない学生は、働いたり、借金をしながら、大学へ通ってい
た。しかし実際には、(学業)と(労働)は、両立できないので、(つまり、それだけ大学
での勉強がきびしいので)、1年働き、つぎの1年、大学へ通うという学生もいた。

 そういう姿を見ただけでも、私にはショックだった。(勉強)に対する気構えそのものが、
ちがっていた。

 少し前、二男がアメリカから帰ってきたとき、そのとき、二男は、まだ大学生だったが、
日本の大学生たちがアルバイトをしているのを見て、こう言った。

 「アメリカでは、大学生がアルバイトをするなんて、考えられない。そんなヒマはない
から……」と。

 「自立」という問題を考えていくと、その奥の深さに驚かされる。

 ほかに、たとえば、老人でも、その年齢になると、子どもの世話になるというよりは、
自ら、ひとり、(あるいは夫婦で)、隠居生活に入る。大きな家を売り払って、町の中の、
アパート(フラット)に移る。

 「死ぬまで、子どもの世話になる」などという考え方をしている老人は、少ない。……
というより、ほとんどいない。

 子どものときから、自立そのものに対する考え方が、ちがう。が、そうしたちがいが、
実は、脳ミソの構造そのもののちがいによるものであるとしたら……。これから先、私の
ものの考え方そのものを考えなおさなければならない。
(はやし浩司 自立できない日本人 日本人の自立 日本人の育児 育児観)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●おおらかな世界

+++++++++++++++

都会文化が、おかしい?
狂い始めている?
高校生の体をセリにかけて、
落とした高校生と、
セックスをする?

++++++++++++++++

 今からたった半世紀前のこと。私の住んでいる山荘周辺でも、夜這(ば)いは、ごく日
常的な習慣だったという。男が、若い女性のいる家に、夜中にしのび込んで、セックスを
楽しむという、あれである。

 何も夜這いは、男だけの楽しみではない。若い娘は娘で、窓や、戸をあけて、男たちが
しのび込んでくるのを、待っていたという。きっと、空の星や月をながめながら、そこに
男の影がうつるのを、胸をときめかして、待っていたのだろう。どこか、のどかで、ロマ
ンチックな話ではないか。

 が、それから半世紀。日本も、すっかり様(さま)がわりした。今、こんな話をしても、
私のワイフですら、信じない。

 「夜這いもいいけど、妊娠したら、どうするの?」と。ヤボことを心配している。(しか
し、本当のところ、妊娠したら、どうしたのだろう?)

私「あのな、昔はな、みんなで野良(のら)仕事をしていてもな、ムラムラと性欲がわい
てきたら、その場で、したそうだ」
ワ「ウソよ!」
私「ウソじゃない。ぼくはちゃんと、Kさんから聞いた」と。

 Kさんというのは、今年、80歳くらい。山荘の近くに住む老人である。

ワ「奥さんとするの?」
私「いいや、だれでとでもよかったそうだ。そこらにいる女性をつかまえて、『ちょっと、
やらせてくれんかア?』と声をかければ、それでよかったそうだ」
ワ「ウソよ」
私「あのな、ウソじゃない。当時は、そういう時代だった」

ワ「で、どうやってしたの?」
私「Kさんの話では、そこらの草むらの中に入っていって、小便でもするかのようにして、
それをしたそうだ。簡単だったそうだよ。たがいに立ったまま、したそうだよ」
ワ「浮気じゃないの?」
私「若いころから、みんな、夜這いをして、顔(=体)見知りだからこそ、できたそうだ」

ワ「そう言えば、戦前までは、このあたりでも、風呂は、混浴だったそうよ」
私「そうだってね」
ワ「混浴なら、隠すところもないし……」
私「そこなんだよ。性の文化というのは……。その時代、時代によって、つくられるもの
なんだよ。フィンランドでは、混浴が当たり前で、サウナに入っているそうだ。おとなも、
子どもも、みんな、いっしょだそうだ」と。

 が、今、その性の文化が、大きく、狂い始めている。

 数日前だが、こんな報道番組があった。

 ある秘密クラブでのこと。そのクラブでは、セリ方式で、その女の子の値段を決めると
いう。「2万5000円」「ハイ」「2万8000円」「ハイ」と。女の子の値段は、平均で、
3万円前後だという。

 落とされた女の子は、その落とした男と、セックスをする。言い忘れたが、女の子の年
齢は、13、4歳から16、7歳くらいまで。この世界では、18歳以上は、もう、オバ
サンだそうだ。

 とんでもないクラブだが、東京の渋谷あたりには、そういうクラブが、無数にあるとい
う。

 しかしそんな世界を、だれも、「おおらかな世界」とは、思わない。「ロマンチックな世
界」とも、思わない。それがわからなければ、「もし、その女の子が自分の娘だったら……」
と、ほんの少しだけでもよいから、考えてみたらよい。

 私はその報道番組を見ながら、人間が本来的にもつ愚かさを見せつけられたようで、気
分が悪くなった。何も、私が、聖人というわけではない。私も「男」だから、そういうこ
とに興味がないわけではない。

 しかし、いくら、クソをするからといって、そのクソを目の前につき出されたら、気分
が悪くなる。私が感じた気分の悪さは、そういった類(たぐい)のものだった。

 夜這いがよいわけではないが、しかし、まだ昔のほうが、よかった。楽しかった。「性」
が明るい太陽のもとで、さんさんと輝いていた。私には、そんな感じがする。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●クソと美談

+++++++++++++++++

だれでも、クソはするものだが……

+++++++++++++++++

 だれでも、食事をする。エネルギーを得るためだ。が、すべてがエネルギーになるわけ
ではない。カスが残る。体の老廃物も出る。そういうのが、まとめて、クソになる。

 クソをしない人はいない。……と書きながら、何も、私は、クソの話を書くつもりはな
い。

 人は、そのクソと同じように、無意識のうちにも、自分の中の邪悪な部分を、隠しなが
ら、生きている。あえて、その話には、触れないようにする。そうして化粧をし、美しい
衣服で身を包み、文化を説き、芸術を追求する。

 もし、ファッションショーか何かで、美しいモデルが、舞台の上で、クソをもらしたら、
どうなるか? それだけで、そのファッションショーは、流れてしまうだろう。いや、だ
れでも知っている。

 その美しい体の中には、クソがあり、そんな美しいモデルでも、トイレでは、耐えられ
ないほどの臭気をともなった、クソを出す。

 つまりこうして、人間は、「文化性」をもつと同時に、2面性をもつようになる。このこ
とは、犬を見ればわかる。

 あの犬には、そういう文化性はないから、たとえば、犬のファッションショーなどでも、
途中で、クソを出す。観客はそれを見て、苦笑するが、そういう点では、犬は、わかりや
すい。オモテもなければ、ウラもない。

 もっとも、オモテの顔をもつのが悪いというのではない。だれしも、オモテの顔、つま
りは仮面(ペルソナ)をかぶって、生きている。医師の顔、教師の顔、聖職者の顔、僧侶
の顔などなど。

 が、同時に、そのウラで、自分の中の邪悪な部分を、どこかに閉じこめてしまう。あた
かも、自分には、クソがないかのように、振る舞ってしまう。クソがあることすら、忘れ
てしまう。

 そして他人のクソを見て、ことさら、マユをひそめてみたりする。

 この「マユをひそめてみる部分」が、ときにその人を偽善者にしたり、ときには、その
人を虚構の世界に追いやったりする。一般社会から、その人を遊離させてしまうこともあ
る。

 「私はすぐれた人間だ」と思うのは、その人の自尊心だが、その返す刀で、「みなは、私
より劣っている」と思うのは、ウヌボレである。そのウヌボレが、自分のまわりに、虚構
の世界をつくる。

 世の中には、仮面をかぶったまま、その仮面をとりはずすことを忘れてしまう人がいる。
仮面をかぶっていることすら、忘れてしまう。

 ……と書きながら、これは私自身の問題である。とくに「教育」に関わる人たちは、そ
の仮面をかぶりたがる。かぶったまま、その仮面をかぶっていることすら、わすれてしま
う。具体的には、自分の身のまわりを、美談で飾る。

 それについては以前、別の原稿に書いたので、それをそのまま、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【教育者が美談を口にするとき】

●どこかおかしい美談

 美しい話だが、よく考えてみるとおかしいというような話は、教育の世界には多い。こ
んな話がある。

 あるテレビタレントがアフリカへ行ったときのこと。物乞いの子どもがその人のところ
にやってきて、「あなたの持っているペンをくれ」と頼んだという。

理由を聞くと、「ぼくはそのペンで勉強をして、この国を救う立派な人間になりたい」(※)
と。そのタレントは、感きわまった様子で、ほとんど涙ながらにこの話をしていた(2
000年夏、M市での教育講演)。

しかしこの話はどこかおかしい。だいたい「国を救う」という高邁な精神を持っている
子どもが、「ペンをくれ」などと物乞いなどするだろうか。仮にペンを手に入れたとして
も、インクの補充はどうするのか。「だから日本の子どもたちよ、豊かであることに感謝
せよ」ということを、そのタレントは言いたかったのだろうが、この話はどこか不自然
である。こんな事実もある。

●日本の学用品は使えない?

 20年ほど前のこと。S国からの留学生が帰国に先立って、「母国の子どもたちに学用品
を持って帰りたい」と言いだした。最初は一部の教師たちの間の小さな運動だったが、こ
の話はテレビや新聞に取りあげられ、ついで県をあげての支援運動となった。そしてその
結果だが、何とトラック一杯分のカバンやノート、筆記用具や本が集まったという。

 で、その1年後、その学用品がどう使われているか、2人の教師が現地まで見に行った。
が、大半の学用品はその留学生が持ち逃げ。残った文房具もほとんどが手つかずのまま、
学校の倉庫に眠っていたという。

理由を聞くと、その学校の先生はこう言った。「父親の1日の給料よりも高価なノートや
鉛筆を、どうして子どもに渡せますか」と。「石版にチョークのほうが、使いやすいです」
とも。そういう話なら私にもわかるが、「国を救う立派な人間になりたい」とは?

 そうそう似たような話だが、昔、『いっぱいのかけそば』という話もあった。しかしこの
話もおかしい。貧しい親子が、1杯のかけそばを分けあって食べたという、あの話である。
国会でも取りあげられ、その後、映画にもなった。

しかし私がその場にいた親なら、そばには箸をつけない。「私はいいから、お前たちだけ
で食べろ」と言って、週刊誌でも読んでいる。私には私の生きる誇りというものがある。
その誇りを捨てたら、私はおしまい。親としての私もおしまい。またこんな話も……。

●「ぼくのために負けてくれ」

 運動会でのこと。これから50メートル走というときのこと。横に並んだB君(小2)
が、A君にこう言った。「お願いだから、ぼくのために負けてくれ。でないと、ぼくはママ
に叱られる」と。そこでA君は最初はB君のうしろを走ったが、わざと負ければ、かえっ
てB君のためにならないと思い、とちゅうから本気で走ってB君を追い抜き、B君に勝っ
た、と。

ある著名な大学教授が、ある雑誌の巻頭で披露していた話だが、この話は、視点そのも
のがおかしい。その教育者は、2人の会話をどうやって知ったというのだろうか。それ
に教えたことのある人ならすぐわかるが、こういう高度な判断能力は、まだ小学2年生
には、ない。仮にあったとしても、あの騒々しい運動会で、どうやってそれができたと
いうのだろうか。さらに、こんな話も……。

●子どもたちは何をしていたか?

 ある小学校教師が一時間目の授業に顔を出したときのこと。小学1年生の生徒たちが、
「先生の顔はおかしい」と言った。そこでその教師が鏡を見ると、確かにへんな顔をして
いた。原因は、その前の職員会議だった。

その会議で不愉快な思いをしたのが、そのまま顔に出ていた。そこでその教師は、30
分間ほど、近くのたんぼのあぜ道を歩いて気分を取りなおし、そして再び授業に臨んだ
という。

その教師は、「そういうことまでして、私は子どもたちの前に立つときは心を整えた」と
テレビで話していたが、この話もおかしい。その30分間だが、子どもたちはどこで何
をしていたというのだろうか。その教師の話だと、その教師は子どもたちを教室に残し
たまま散歩に行ったということになるのだが……?

 教育を語る者は、いつも美しい話をしたがる。しかしその美しい話には、じゅうぶん注
意したらよい。こうした美しい話のほとんどは、ウソか作り話。中身のない教育者ほど、
こうした美しい話で自分の説話を飾りたがる。

※……「立派な社会人思想」は日本のお家芸だが、隣の中国では、今「立派な国民思想」
がもてはやされている。親も教師も、子どもに向ってさかんに「立派な国民になれ」と教
えている(北京第33中学校教師談)。

それはさておき、そのタレントは、「その子どもは立派な人間になりたいと言った」と話
したが、その発想そのものがまさに日本的である。英語には「立派な」にあたる単語す
らない。

あえて言えば「splendid, fine, noble」(三省堂JRコンサイス和英辞典)だが、ふつうそ
ういう単語は、こういう会話では使わない。別の意味になってしまう。一体その物乞い
の子どもは、そのタレントに何と言ったのか。この点からも、そのタレントの話は、ウ
ソと断言してよい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 クソはする。私も、する。あなたも、する。みんな、する。だからといって、そのクソ
を人に見せろということではない。大切なことは、「する」という前提で、自分を考え、他
人を考えるということ。

 自分を飾ることはない。ありのままの自分をさらけ出して生きる。仮面をかぶることも
あるだろうが、その必要がなくなったら、すぐ脱げばよい。脱ぎ忘れると、ここに書いた
ような、虚構の世界に住むようになる。そしてとんでもない美談を口にするようになる。
(はやし浩司 一杯のかけそば 美談 教師の落とし穴 仮面 虚構の世界 クソ論)


【補記】

 「一杯のかけそば」について、私は、最初から、(自慢ではないが……)、あの話は、ウ
ソだと見抜いていた。ずっとあとになって、その物語の作者は、「フィクションだった」と
告白したが、そんなフィクションにだまされて、日本中が、泣いた(?)。

 しかもその作家という人が、あちこちで詐欺まがいの事件を起こしていることまでわか
った。

 私はその話を新聞で読んだとき、「私なら、子どもたちだけ食べさせ、『パパは、おなか
がいっぱいだ』とウソを言うだろうな」と思った。仮に貧しくても、親は親として、気高
く生きる。私はその物語の中に、親として当然もつべき、その気高さを感じなかった。

 どうしてそんな物語に、日本中が、感動したのだろう。古い原稿だが、その当時、つぎ
のような原稿を書いた。私自身も、生活が苦しかったときに書いた原稿である。

 すこし文章が荒いが、許してほしい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●不況時代の、子育て論

 本格的な大不況が、近づいてきた。昨夜(02年7月4日)、書店で3冊の週刊誌を買っ
てきた。アメリカにいる二男に送るためである。週刊新潮、週刊文春、週刊朝日の3誌で
ある。その3誌が、まるで呼吸を合わせたかのように、日本経済の破綻(はたん)を予告
している。あの堺屋氏(経済企画庁元長官)まで、悲観的なことを書いている(文春)。大
不況がやってくるのは、もう確実で、しかも秒読み段階に入ったとみてよい。

 が、経済がどうなるかを考えるのは、このコラムの目的ではない。問題は、そういう大
不況になったら、子育てをどう考えたらよいか、だ。

と、言っても、私たちの世代は、すでに暗くて、貧しい時代をすでに経験している。私
は昭和22年生まれ。堺屋氏がいうところの、まさに「団塊の世代」。子どものころ記憶
にあるのは、毎日、空腹だったこと。みながみな、そうだった。だから私や私の家族が
貧乏だったという思いは、どこにもない。そういう自分を思い出しながら、大不況下の
子育てはどうあるべきかを考えてみる。

(1)子どもは親が気にするほど、貧乏を気にしない…貧乏を気にするのは、親であって、
子どもではない。子どもはそういう意味で、環境をあるがまま受け入れ、適応する能力を
もっている。貧乏であることを、子どもに恥じることはない。恥じてはいけない。

(2)親は卑屈にならない……いくら貧乏になっても、親は卑屈になってはいけない。親
が卑屈になると、子どもの心は「貧しく」※なる。一杯のかけそばを、分けあって食べる
ような、そういう卑屈なことをしてはいけない。親は親で、前向きに、気高く生きる。

(3)貧乏を楽しむ……貧乏なら貧乏で過ごし方がある。見え、体裁、メンツを捨てる。
世間体など、気にしてはいけない。「私は私」という生きザマを大切にする。日本がこの不
況から抜け出る日はやってくる。そのとき同じスタートラインに立ったとき、あなたの生
きザマは、子どもを伸ばす大きな原動力となる。

(4)金銭的価値観とは決別する……「プレゼントは買ったものはダメ」「買う前にリサイ
クル」「不便であるのが当たり前」などを、ハウス・ルールにする。今までの金銭的価値観
からものの考え方を転換する。家の中はスッキリ、ムダなくをモットーとする。

(5)家族の意義をたてなおす……家族は励ましあい、助けあい、教えあい、いたわりあ
い、支えあう。そういう家族をものの考え方の中心におく。「家族がいちばん大切」という
ことを、日常的に子どもに言う。貧乏だからといって、このきずなは壊れない。むしろ貧
乏であればあるほど、そしてその貧乏を楽しめば楽しむほど、家族のきずはな深まる。

(6)質素であることを誇りにする……質素であることを恥じることはない。むしろ誇る
べきことである。自動車には乗らず、自転車に乗る。バリバリのブランド品で身を包むの
ではなく、着心地がよく、気軽な衣服を着る。それこそが人間の気高さの象徴である。

貧乏と、心の貧しさは別なのである。


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