はやし浩司(ひろし)

2005・9
はやし浩司
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2005年 9月号
 はやし浩司

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 30日(No.630)
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【1】(子育てのこと)【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【よりよい親子関係のために……】

●さらけ出し

 たがいの信頼関係を結ぶためには、たがいに(さらけ出し)、そしてそれを、たがいに(受
け入れ)なければならない。

 この(さらけ出し)と、(受け入れ)があってはじめて、その上に、信頼関係が、結ばれ
る。

 ここで「たがいに」という言葉を使ったが、それは一方的なものであってはいけない。
相互的なものでなければならない。たとえば親子の関係で、考えてみよう。

 たとえば母親が、子どもの前で、プリプリと、ガスを放出したとしよう。これはいわば、
母親の(さらけ出し)になる。

 そのときその臭いをかいだ子どもが、「ママ、臭いよ! こんなところでしないで!」と
叫んで笑えば、子どもは、それを(受け入れた)ことになる。

 一方、今度は、子どもが、ガスを放出したとする。同じように母親が、「臭いわねえ。こ
んなところでしないで!」と子どもを叱り、子どもも、ヘラヘラと笑ってすませば、(さら
け出し)と、(受け入れ)が、できたことになる。

 わかりやすいので、ガスを例にあげたが、私がいう(さらけ出し)と、(受け入れ)とは、
こういうことをいう。

●さらけ出しの障害

このさらけ出しは、ここにも書いたように、相互的なものでなければならない。しかし
そのさらけ出しが、たがいにうまくできないときがある。何らかの障害があって、どこ
かで心にブレーキをかけてしまうようなばあいである。私は、その障害として、二つの
ものを考える。

その二つというのは、物理的障害と、精神的障害である。何だか、理科の学習のように
なってきたが、ほかによい言葉が、思い浮かばなかったので、この言葉を使う。

 物理的障害というのは、たとえば親側の威圧、権威主義、あるいは育児拒否、冷淡、無
視で、子どもの側から、さらけ出しができないことをいう。母親の中に潜む、何かのわだ
かまりや、こだわりが原因となることが多い。望まない結婚であったとか、望まない子ど
もであったとか、など。家庭騒動や、経済問題、健康問題が、「わだかまり」になることも
ある。

 この物理的障害が、子どもの(さらけ出し)の障害になる。

 精神的障害というのは、母親自身の心に問題があって、子どもの側からの(さらけ出し)
を、受け入れることができない状態をいう。あるいは母親自身が、自分をさらけ出すこと
ができない状態をいう。

 母親自身が、不幸にして不幸な家庭に育てられた、など。そういう意味で、子育てとい
うのは、世代を超えて、親から子どもへと、連鎖しやすい。母親自身が、子どものころ、
その親に、何かの理由があって、自分をさらけ出すことができなかった。だから今度は、
自分の子どもに対して、自分をさらけ出すことができない……というようにである。

 この精神的障害が、子どもの(さらけ出し)の障害になる。

●母子関係の不全
 
 母子関係の不全が、子どもにいかに大きな影響を与えるか。今さら、ここで改めて言う
までもない。

 たとえば乳幼児期の母子関係の不全が、そのあと、子どもの心のみならず、身体の発育
にも、深刻な影響を与えるということがわかっている。たとえば乳児院や孤児院での、子
どもの死亡率が高いなどの事実は、以前から、指摘されている。

こうしたことから、J・ボウルビーらは、「母親の愛情は、子どもの精神衛生の基本であ
る」と説いた。

 さらにR・A・スピッツや、W・ゴールドファーブらは、知的な発育にも、悪影響があ
ることを指摘している。

 ここで問題になるのは、母子関係は、ここに書いたとおりだが、では、父親と子どもの、
父子関係はどうかということ。

 これについては、母子関係と、父子関係は、平等ではない、つまり同じ親子関係でも、
異質のものであるというのが、通説と考えてよい。

 母親というのは、妊娠期間の間、子どもを、自分の体内に宿す。そして子どもが生まれ
たあとも、乳を与えるという意味で、子どもの「命」を育てる。つまり母子関係は、その
当初から絶対的なものであるのに対して、父子関係は、あくまでも「(精液)一しずく」の
関係でしかない。

 フロイトも、そうした父子関係を指摘しながら、「血統空想」という言葉を使って、母子
関係と父子関係の基本的な違いを説明している。

 つまり自分と母親との関係を疑う子どもはいない。しかし自分と父親の関係を疑う子ど
もは、多い。「私(ぼく)は、ひょっとしたら、あの父親の子どもではないぞ。私(ぼく)
は、もっと血筋のいい父親の子どもかもしれない」と。こうした空想を、フロイトは、「血
統空想」と名づけた。

 わかりやすく言えば、母子関係は、その当初から、絶対的な関係で始まる。しかしそれ
に比較して、父子関係は、不安定な関係で始まる。だから、ここでいう(さらけ出し)と、
(受け入れ)は、母子の間では、きわめて自然になされるのに対して、父子の間では、そ
うではないことが多い。

 (だからといって、母子の関係が絶対であるとか、父子の関係は、そうでないと言って
いるのではない。現実に、約七%の母親は、自分の子どもを愛することができないと、人
知れず、悩んでいる(※1)。一方、母親以上の愛情を、子どもの感じている父親も少なく
ない。しかし総合してみれば、母子の関係は、父子の関係より、濃密であり、その絆(き
ずな)は、太い。)

 たとえばウンチを考えてみる。「自分のクソは、いい臭い」と言ったのは、あのソクラテ
スだが、母親にとって、自分の子どものクソは、(自分のクソのクソ)ということになる。
だからほとんどの母親にとって、赤ん坊のウンチは、自分のウンチと同じということにな
る。

 しかし父親が、母親と同じ心境になるためには、いくつかのハードルを越えなければな
らない。その「越えなければならない」という部分が、母子関係と、父子関係の違いとい
うことになる。

●基本的信頼関係

信頼関係は、母子の間で、はぐくまれる。

絶対的な(さらけ出し)と、絶対的な(受け入れ)。「絶対的」というのは、「疑いをいだ
かない」という意味である。こうした相互の関係が、その子ども(人)の、信頼関係の
基本となる。

 つまり子ども(人)は、母親との間でつくりあげた信頼関係を基本に、その関係を、先
生、友人、さらには夫(妻)、子どもへと応用していくことができる。だから母親との間で
構築される信頼関係を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。

 が、母子との間で、信頼関係を結ぶことに失敗した子どもは、その反対に、「基本的不信
関係」に陥(おちい)る。いわゆる「不安」を基底とした、生きザマになる。そしてこう
して生まれた不安を、「基底不安」という。

 こういう状態になると、その子ども(人)は、何をしても不安だという状態になる。遊
んでいても、仕事をしていても、その不安感から逃れることができない。その不安感は、
生活のあらゆる部分に、およぶ。おとなになり、結婚してからも、消えることはない。夫
婦関係はもちろんのこと、親子関係においても、である。

 こうして、たとえば母親について言うなら、いわゆる不安先行型、心配先行型の子育て
をしやすくなる。

●基底不安

 親が子育てをしてい不安になるのは、親の勝手だが、ほとんどのばあい、親は、その不
安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。

 しかし問題は、そのぶつけることというより、親にその自覚がないことである。ほとん
どの親は、不安であることや、心配していることを、「ふつうのこと」と思い、そして不安
や心配になっても、「それは子どものため」と思いこむ。

 が、本当の問題は、そのつぎに起こる。

 こうした母子との間で、基本的信頼関係の構築に失敗した子どももまた、不安を基底と
した生きザマをするようになるということ。

 こうして親から子どもへと、生きザマが連鎖するが、こうした連鎖を、「世代連鎖」、あ
るいは「世代伝播(でんぱ)」という。

 ある中学生(女子)は、夏休み前に、夏休み後の、実力テストの心配をしていた。私は、
「そんな先のことは心配しなくていい」と言ったが、もちろんそう言ったところで、その
中学生には、説得力はない。その中学生にしてみれば、そうして心配するのは、ごく自然
なことなのである。

●人間関係を結べない子ども(人)

人間関係をうまく結ぶことができない子どもは、自分の孤独を解消し、自分にとって居
心地のよい世界をつくろうとする。その結果、大きく分けて、つぎの四つのタイプに分
かれる。

(1)攻撃型……威圧や暴力によって、相手を威嚇(いかく)したりして、自分にとって、
居心地のよい環境をつくろうとする。
(2)依存型……ベタベタと甘えることによって、自分にとって居心地のよい環境をつく
ろうとする。
(3)服従型……だれかに徹底的に服従することによって、自分にとって居心地のよい環
境をつくろうとする。
(4)同情型……か弱い自分を演ずることにより、みなから「どうしたの?」「だいじょう
ぶ?」と同情してもらうことにより、自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとする。

それぞれに(プラス型)と、(マイナス型)がある。たとえば攻撃型の子どもも、プラス
型(他人に対して攻撃的になる)と、マイナス型(自虐的に勉強したり、運動をしたり
するなど、自分に対して攻撃的になる)に分けられる。

 スポーツ選手の中にも、子どものころ、自虐的な練習をして、有名になった人は多い。
このタイプの人は、「スポーツを楽しむ」というより、メチャメチャな練習をすることで、
自分にとって、居心地のよい世界をつくろうとしたと考えられる。

●子どもの仮面

 人間関係をうまく結べない子ども(人)は、(孤立)と、(密着)を繰りかえすようにな
る。

 孤独だから、集団の中に入っていく。しかしその集団の中では、キズつきやすく、また
相手をキズつけるのではないかと、不安になる。自分をさらけ出すことが、できない。で
きないから、相手が、自分をさらけ出してくると、それを受入れることができない。

 たとえば自分にとって、いやなことがあっても、はっきりと、「イヤ!」と言うことがで
きない。一方、だれかが冗談で、その子ども(人)に、「バカ!」と言ったとする。しかし
そういう言葉を、冗談と、割り切ることができない。

 そこでこのタイプの子どもは、集団の中で、仮面をかぶるようになる。いわゆる、いい
子ぶるようになる。これを心理学では、「防衛機制」という。自分の心がキズつくのを防衛
するために、独特の心理状態になったり、独特の行動を繰りかえすことをいう。

 子ども(人)は、一度、こういう仮面をかぶるようになると、「何を考えているかわから
ない子ども」という印象を与えるようになる。さらに進行すると、心の状態と、表情が、
遊離するようになる。うれしいはずなのに、むずかしい顔をしてみせたり、悲しいはずな
のに、ニンマリと笑ってみせるなど。

 この状態になると、一人の子ども(人)の中に、二重人格性が見られるようになること
もある。さらに何か、大きなショックが加わると、人格障害に進むこともある。

●すなおな子ども論

 従順で、おとなしく、親や先生の言うことを、ハイハイと聞く子どものことを、「すなお
な子ども」とは、言わない。すなおな子どもというときには、二つの意味がある。

一つは情意(心)と表情が一致しているということ。うれしいときには、うれしそうな
顔をする。いやなときはいやな顔をする。

たとえば先生が、プリントを一枚渡したとする。そのとき、「またプリント! いやだな」
と言う子どもがいる。一見教えにくい子どもに見えるかもしれないが、このタイプの子
どものほうが「裏」がなく、実際には教えやすい。

いやなのに、ニッコリ笑って、黙って従う子どもは、その分、どこかで心をゆがめやす
く、またその分、心がつかみにくい。つまり教えにくい。

 もう一つの意味は、「ゆがみ」がないということ。ひがむ、いじける、ひねくれる、すね
る、すさむ、つっぱる、ふてくされる、こもる、ぐずるなど。

ゆがみというのは、その子どもであって、その子どもでない部分をいう。たとえば分離
不安の子どもがいる。親の姿が見えるときには、静かに落ちついているが、親の姿が見
えなくなったとたん、ギャーとものすごい声をはりあげて、親のあとを追いかけたりす
る。その追いかけている様子を観察すると、その子どもは子ども自身の意思というより
は、もっと別の作用によって動かされているのがわかる。それがここでいう「その子ど
もであって、その子どもでない部分」ということになる。

 仮面をかぶる子どもは、ここでいうすなおな子どもの、反対側の位置にいる子どもと考
えるとわかりやすい。

●仮面をかぶる子どもたち

 たとえばここでいう服従型の子どもは、相手に取り入ることで、自分にとって、居心地
のよい世界をつくろうとする。

 先生が、「スリッパを並べてください」と声をかけると、静かにそれに従ったりする。あ
るいは、いつも、どうすれば、自分がいい子に見られるかを、気にする。行動も、また先
生との受け答えのしかたも、優等生的、あるいは模範的であることが多い。

先生「道路に、サイフが落ちていました。どうしますか?」
子ども「警察に届けます」
先生「ブランコを取りあって、二人の子どもがけんかをしています。どうしますか?」
子ども「そういうことをしては、ダメと言ってあげます」と。

 こうした仮面は、服従型のみならず、攻撃型の子どもにも見られる。

先生「君、今度のスポーツ大会に選手で、出てみないか?」
子ども「うっセーナア。オレは、そんなのに、興味ネーヨ」
先生「しかし、君は、そのスポーツが得意なんだろ?」
子ども「やったこと、ネーヨ」と。

 こうした仮面性は、依存型、同情型にも見られる。

●心の葛藤

 基本的信頼関係の構築に失敗した子ども(人)は、集団の中で、(孤立)と(密着)を繰
りかえすようになる。

 それをうまく説明したのが、「二匹のヤマアラシ」(ショーペンハウエル)である。

 「寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに寄り添って、体を温めようとした。し
かしくっつきすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけてしまう。しかし離れすぎると、
体が温まらない。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離れずを繰りかえしながら、
ほどよいところで、体を温めあった」と。

 しかし孤立するにせよ、密着するにせよ、それから発生するストレス(生理的ひずみ)
は、相当なものである。それ自体が、子ども(人)の心を、ゆがめることがある。

一時的には、多くは精神的、肉体的な緊張が引き金になることが多い。たとえば急激に
緊張すると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まり、その結果心臓がドキドキし、
さらにその結果、脳や筋肉に大量の酸素が送り込まれ、脳や筋肉の活動が活発になる。

が、そのストレスが慢性的につづくと、副腎機能が亢進するばかりではなく、「食欲不振
や性機能の低下、免疫機能の低下、低体温、胃潰瘍などの種々の反応が引き起こされる」
(新井康允氏)という。

こうしたストレスが日常的に重なると、脳の機能そのものが変調するというのだ。たと
えば子どものおねしょがある。このおねしょについても、最近では、大脳生理学の分野
で、脳の機能変調説が常識になっている。つまり子どもの意思ではどうにもならない問
題という前提で考える。

 こうした一連の心理的、身体的反応を、神経症と呼ぶ。慢性的なストレス状態は、さま
ざまな神経症による症状を、引き起こす。

●神経症から、心の問題

ここにも書いたように、心理的反応が、心身の状態に影響し、それが身体的な反応とし
て現れた状態を、「神経症」という。

子どもの神経症、つまり、心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的
障害)は、まさに千差万別。「どこかおかしい」と感じたら、この神経症を疑ってみる。

(1)精神面の神経症…恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状(周囲の者には理解できな
いものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩む)など。

(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿
症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、
便秘、発熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般
的には精神面での神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での
神経症を黄信号ととらえて警戒する。

(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって
行動面に現れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気
力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようにな
る。

●たとえば不登校

こうした子どもの心理的過反応の中で、とくに問題となっているのが、不登校の問題で
ある。

しかし同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男
はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。

が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校
を「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三
つの段階に分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、そ
れに自閉的時期。これに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが、つぎである。

(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦
怠感、吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快
し、夜になると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の
日内変動という。学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったり
する。そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由と
なる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。

(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、
狂ったように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」など
と言うと、一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中
では、鼻歌まで歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「こ
れが同じ子どもか」と思うことが多い。

(3)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの
攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、
どこかピリピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、
暴れたりすることはある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、
不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの
生活を見る限り、ごくふつうの子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の
子どもをどうとらえたらよいのか、わからなくなってしまうことが多い。こうした状態が、
数か月から数年続く。

(4)回復期(この回復期は、筆者が加筆した)……外の世界と接触をもつようになり、
少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むと
いうようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。日に一〜二
時間、週に一日〜二日、月に一週〜二週登校できるようになり、序々にその期間が長くな
る。

●前兆をいかにとらえるか

 この不登校について言えば、要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措
置をとるかということ。たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片
づけて、無理をする。この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。

この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもある
わよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の
問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほ
ど、症状はこじれる。悪化する。 

※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)
無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えら
れている。

 またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活
動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生
活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えら
れている(「日本教育新聞社」まとめ)。しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者
の目を通して、子どもを外の世界から見た区分のし方でしかない。

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【参考】

●学校恐怖症は対人障害の一つ 

 こうした恐怖症は、はやい子どもで、満四〜五歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫
ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状
が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人
恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。

●ジョンソンの「学校恐怖症」

「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一
九三二年に最初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」
と命名したことに始まる。ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登
校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。

●学校恐怖症の対処のし方

 第一期で注意しなければならないのは、本文の中にも書いたように、たいていの親はこ
の段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまう
ことである。あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある
子どもの心の問題を見落としてしまう。しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、
第二期の対処のまずさによることが多い。

ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドア
をはずした。そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ
連れていった。その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、
子どもをはげしく叱り続けた。

が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取
り返しがつかないほど大きなキズを残す。もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学
校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症
状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。

 また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。なおそうと思わないこと。私がある母親に、
「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさ
せなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間
もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱり
ダメでした」と。

親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。気持ちはわかるが、こういうことを繰り
返しているうちに、症状はますますこじれる。

 第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜け
ること。

(2)前にも書いたように、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけ
を考えて、子どもの様子をみる。

(3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、
身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。

(4)生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もし
ないこと。とくに子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。よく子どもが部屋に
いない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。

 回復期に向かう前兆としては、(1)穏やかな会話ができるようになる、(2)生活にリ
ズムができ、寝起きが規則正しくなる、(3)子どもがヒマをもてあますようになる、(4)
家族がいてもいなくいても、それを気にせず、自分のことができるようになるなどがある。
こうした様子が見られたら、回復期は近いとみてよい。

 要は子どものリズムで考えること。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えるこ
と。そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早
くする。

●不登校は不利なことばかりではない

 一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされ
ている。文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で
不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割
もいる」という。不登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答え
た人、二四%など。そして学校へ行かなくなった理由として、

友人関係     ……四五%
教師との関係   ……二一%
クラブ・部活動  ……一七%
転校などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。  

+++++++++++++++++ 

●自己診断

 子育てにおいて、母子関係の重要性については、今さら、改めて言うまでもない。そし
てその中でも、母子の間で構築される「基本的信頼関係」が、その後、その子ども(人)
の人間関係のみならず、生きザマにも、決定的な影響を与える。まさに「基本的」と言う
意味は、そこにある。

 そこで子どもの問題もさることながら、親である、あなた自身が、その基本的信頼関係
を構築しているかどうかを、一度、疑ってみるとよい。

 あなたは自分の子どものときから、いつも自分をさらけ出していただろうか。またさら
け出すことができたただろうか。もしつぎのような項目に、三〜五個以上、当てはまるな
ら、ここに書いたことを参考に、一度、自分の心を、冷静に見つめてみるとよい。

 それはあなた自身のためでもあるし、あなたの子どものためでもある。

○子どものころから、人づきあいが苦手。遠足でも、運動会でも、みなのように楽しむこ
○とができなかった。今も、同窓会などに出ても、よく気疲れを起こす。
○他人に対して気をつかうことが多く、敬語を使うことが多い。気を許さない分だけ、よ
○そよそしくつきあうことが多い。
○ひとりで、静かに部屋の中に閉じこもっているほうが、気が楽だったが、ときどきさみ
○しくなって、孤独に耐えられないこともあった。
○いつも他人の目を気にしていたように思う。そして外の世界では、いい子ぶることが多
○かった。無理をして、精神疲労を起こすことも、多い。
○夫(妻)や子どもにさえ、自分の心を許さないときがある。過去の話や、実家の話でも、
○恥ずかしいと思うことは、話すことができない。
○言いたいことがあっても、がまんすることが多い。その反面、他人の言った言葉が、気
○になり、それでキズつくことが多い。
○自分は、どこかひねくれていると思う。他人の言葉のウラを考えたり、ねたんだり、嫉
○妬(しっと)することが多い。
○子どものころから、親に対しても、言いたいことが言えなかった。どこか遠慮していた。
○親や先生に気に入られることばかりを、考えていた。

●勇気を出して、自分をさらけ出してみよう!

 もしあなたがここでいう「信頼関係」に問題がある人(親)なら、勇気を出して、自分
をさらけ出してみよう。

 まず、手はじめに、あなたの夫(妻)に対して、それをしてみるとよい。言いたいこと
を言う。したいことをする。身も心も、素っ裸になって、体当たりで、ぶつかってみる。
何も、セックスだけが、さらけ出しということにはならないが、夫婦であることの特権は、
このセックスにある。

 そのとき大切なことは、自分をさらけ出すのと同時に、夫(妻)の、どんなさらけ出し
にも、寛容であること。つまり受入れること。「おかしい……」とか、「変態とか……」と
か、そういうふうに考えてはいけない。

 あるがままを、あるがままに受入れて、あなたがた夫婦だけの問題として、処理すれば
よい。

 で、こうした夫婦の絆(きずな)を、伸ばす形で、つぎに精神面でのさらけ出しをする。
思ったことを話し、考えたことを伝える。

 これは私のばあいだが、私は、ある時期まで、講演をするたびに、ものすごい疲労感を
覚えた。そのつど、聖人ぶったりしたからだ。自分を飾ったり、つくったりしたこともあ
る。

 しかしそれでは、聞きに来てくれた人の心をつかむことはできない。役にもたたない。

 そこでは私は、講演をしながら、その講演を利用して、自分をさらけ出すことに心がけ
た。ありのままの自分を、ありのままに話す。それで相手が、私のことを、「おかしい」と
思っても気にしない。そのときは、そのとき。

 自分に居直ったわけだが、そうすることで、私は自分にすなおになることができた。そ
う、もともと、私は、どこかゆがんだ人間だった。(今も、ゆがんでいる?)私のこうした
生きザマが、ギクシャクした親子関係で悩んでいる人のために、一つの参考になればうれ
しい。

【注】この原稿は、W小学校区の教員研修会のための資料として書き始めたものです。ま
だ公表できるような段階ではないかもしれませんが、マガジンにこのまま掲載します。時
期をおいて、また書き改めてみます。
(031121)

(※1)実際には、人知れず子どもを愛することができないと悩んでいる母親は多い。「弟
は愛することができるが、兄はどうしてもできない」とか、あるいは「子どもがそばにい
るだけで、わずらわしくてしかたない」とかなど。

私の調査でも子どもを愛することができないと悩んでいる母親は、約一〇%(私の母親
教室で約二〇〇人で調査)。東京都精神医学総合研究所の調査でも、自分の子どもを気が
合わないと感じている母親は、七%もいることがわかっている。そして「その大半が、
子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答五〇〇人・二〇
〇〇年)そうだ。

同じく妹尾栄一氏らの調査によると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行
為をしているという。妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示して
いる。

妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項
目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「し
ばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あ
り」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、
六一%であったという。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】

●台風(ハリケーン)

 台風14号が、いつものコースを通って、九州めざして進んでいる(9・3)。大型の非
常に強い台風だそうだ。このまま進めば、九州をそれてくれるかもしれない。しかし例年
だと、この先、急にUターン。突然、日本(本州)に向う。

 ところで、先週、超大型のハリケーンの(カトリーナ)が、アメリカの南部の都市を襲
った。死者は、数千人にもなるかもしれないという。日本へやってくる台風とは、規模が、
ちがう。……ちがった。

現在、台風14号は、940ヘクトパスカル。日本に到達するころには、945ヘクト
パスカルになっているはず(気象庁の予報)。しかしカトリーナは、アメリカに上陸した
ときは、900ヘクトパスカル、ギリギリ。「地球湯温暖化が原因」と唱える人もいるが、
今のところ、因果関係は、まだ、はっきりしていない。

 あのアメリカで、こうした自然災害が起きるということ自体、考えられない。それなり
の予測もきちんとしていただろうに……。言いかえると、これから先、この種の自然災害
は、いつどこで起きても、不思議ではないということになる。この日本とて、例外ではな
い。

 台風はともかくも、地震。

 今度、駿河湾地震、東海沖地震、東南海地震などが起きたとすると、私が住んでいる地
域は、壊滅的な打撃を受けるという。一連の三つの地震が同時に起きれば、津波の高さは、
10〜15メートル(報道)にもなるかもしれないという。

 もしそうなら、浜松市内全域のみならず、太平洋沿岸全域が、海の底に沈むことになる。
地震の振動で、大部分の家が被害をこうむった上での、津波である。アメリカで起きたこ
とが、そのまま、この日本で起きる。そう考えても、何ら、おかしくない。


●家父長社会の崩壊

 日本でも今、家父長社会が、猛烈な勢いで崩壊しつつある。いまどき、「男は女より上」
「夫は妻より上」などと言っていたら、家族から、はじき飛ばされてしまう。が、お隣の
韓国では、この問題は、日本より、さらに深刻。

 韓国で、(電話の相談)を受けつけている、李(イ)氏は、こう言っている(東亜N報)。

 「家父長的な価値観の影響を受けて育った男性たちが、準備ができていない状態で迫っ
てきた変化を前にして、混乱している。もちろん男女不平等によって、多くの女性たちが
受けてきた不利益に比べて、男性たちの苦痛は小さいものかも知れない。が、危機と変化
への順応能力が女性に比べて、大きく落ちるため、男性側の苦痛がなおさら重く感じられ
るようだ」と。

 日本でも、こうした社会の変化に順応できない男性は多い。(順応しようとしないばかり
か、かえって抵抗勢力となっている男性も、少なくない。)

 そこで重要なのは、価値観の転換。訂正と言ってもよいし、修正と言ってもよい。だい
たいにおいて、人間に上下意識があること自体、おかしい。そのおかしさに気づいたら、
そんな意識は、さっさと捨てればよい。

 ……といっても、一度つくりあげた価値観を、転換するのは、容易なことではない。ま
ず、自分自身がもっている価値観に、気づかねばならない。つぎに、その価値観の問題点
に気づかねばならない。転換するのは、そのあとの問題ということになる。

 が、こうした(学習)をしている人は、少ない。田舎のほうへいくと、いまだに、旧態
依然の家父長制度の亡霊を見ることが多い。女性自身が、それを受けいれてしまっている
ケースも、少なくない。

 もっとも、そういう人たちと争っても、意味はない。その人の価値観というのは、そう
いうもの。それがわかったら、その人に合わせるしかない。

 で、その韓国だが、日本と同様、中高年の自殺者がふえているという。韓国の総計庁に
よると……

40〜49歳の男性自殺者は、01年の1039人から、02年の1308人、03年
のの1681人とふえた。

50代の男性自殺者も01年の842人から、03年の1241人とふえたという。こ
の2年間で、ともに、約50%の増加ということになる。

 こういう話を聞いていると、クラーイ気分になってくる。


●介護設備

 これから先、老人が、どんどんとふえてくる。そのため、老人による、事故も、ふえて
くる。そこでこれからのことも考えて、住宅設備は、どうあるべきかを、考えてみたい。

(1)バリヤーフリーは、常識
(2)玄関ドアなどは、しめると同時に、ロックするようにする。
(3)水、湯のコックは、手を放すと、自然に止まるようにする。
(4)風呂の湯などは、一定量以上には、出ないようにする。
(5)ガスは、火がついていないときは、自動停止するようにする。
(6)空だきを防ぐため、一定時間(5分程度)で、自動消化するようにする。
(6)電話は、番号方式ではなく、名前などが表示されている、表示形式にする。番号は、
あらかじめ、登録しておく。
(7)トイレについては、大幅に改良の余地あり。

 とくに問題なのは、トイレ。洋式トイレのほうがよいのは、言うまでもない。しかし老
人は、注意力が散漫になる。そのため、小便を、よくこぼす。女性にしても、尿取りパッ
ドなどを、よく落す。

 ではどうしたらよいかということは、今すぐには、思いつかないが、(1)全体に、トイ
レをもっと大きくする。(2)床などを、もっと清掃しやすいようにする。(3)大型のパ
ッドを落としても、トイレが、つまらないようにする。

 もう少し知恵を働かせば、インターネットなどを使った監視設備も可能だが、そういっ
た方面の研究は、これから先、どんどんと進むだろうと思う。

 ところで、フランスの事情についての情報が、届いた。フランス在住のSさんからのも
のである。

「介護の話はメルマガを読んで本当に大変だと思いました。
義父も何回も市から派遣の人がきて、どのくらいの重度か
市からの援助が決まる前に永眠ということになってしまったようです。

今、義母が肩の調子が悪く、なかなか力が入らないということで
週に2回、1時間、市から派遣のお手伝いさんに来てもらうようになりました。
買い物をしてきてもらってもよし、お掃除、荷物の片づけ・・・・
個人負担は、1時間2ユーロ(約260円)。
あとは市からの援助だそうです。

老人が増えてきているので、市が貸す一軒家、アパートなどの建築も
最近は、ふえてきました」と。


●翻訳ソフト

 この原稿は、9月30日号に、載せる予定。(今日は、9月3日。) ところで、新しい、
翻訳ソフトを買ってきた。値段は、1980円。安い! (e frontier S社製、スキルアッ
プ「翻訳」) シャープ電気の、翻訳エンジンを搭載したソフトということだそうだ。収録
辞書数は、ウソかホントか、60万語。

 ためしに、翻訳をしてみることにした。どの程度の能力があるか? (私の英語力も、
このところ低下する一方。偉そうなことは言えないが……。)

 まず、簡単な日本文を書いてみる。以下の日本文が、それ。

+++++++++++++++

(日本文1)

 今日は、台風が近づいているせいか、空は、どんよりと曇っている。
 おかげで涼しい。
 時刻は、今、午前9時、ちょうど。もうすぐワイフが、朝食の用意ができたと、私を呼
びにくるころだ。今日は土曜日。朝食のあとは、草刈り機をなおして、草を刈らねばなら
ない。

(上の日本文の翻訳結果)

今日は、台風が近づいているせいか、空はどんよりと曇っている。
Today, because a typhoon approaches, the sky is cloudier than どん.

おかげで涼しい。
It is cool with the thanks.

時刻は、今、午前9時、ちょうど。
As for the time, now, at 9 a.m., exactly.

もうすぐワイフが、朝食の用意ができたと、私を呼びにくるころだ。
It is when it comes to call me when ワイフ could do the preparation of breakfast soon.

今日は土曜日。
Today, Saturday.

朝食のあとは、草刈り機をなおして、草を刈らなければならない。
Still the rest of breakfasts do a mower, and you must crop grass.

++++++++++++++++++++

 翻訳ソフトに、翻訳させるときには、独特の日本語、つまり(機械)にも、わかる日本
語にしなければならないようだ。たとえば「朝食のあとに」は、「朝食を食べたあとは」と
するなど。

 それでもう一度、実験してみる。それがつぎの結果。

++++++++++++++++++++++

【実験2】

台風が近づいている。
A typhoon approaches.

そのためか、空は、曇っている。
That benefit or the sky is cloudy.

しかし、おかげで、今日は、涼しい。
But, it is cool today with the thanks.

時刻は、今、午前9時、ちょうど。
As for the time, now, at 9 a.m., exactly.

もうすぐ妻が、「朝食の用意ができました」と、私を呼びにくるだろう。
It will come so that a wife may call "It was ready." and me soon.

今日は土曜日。
Today, Saturday.

朝食を食べたあとは、草刈り機をなおさねばならない。
After breakfast is eaten, still you must さ a mower.

それは故障している。
That is out of order.

それをなおしたら、家のまわりの草を刈らなければならない。
If still that is done, you must crop grass around the house.

+++++++++++++++++++++++

 だんだん、コツがわかってきた。翻訳ソフトを使うときは、めんどうでも、英語式に、
主語をきちんと、入れてやらなければならないようだ。ナルホド!

+++++++++++++++++++++++

【実験3】

台風が近づいている。
A typhoon approaches.

そのためか、空は、曇っている。
That benefit or the sky is cloudy.

しかし、おかげで、今日は、涼しい。
But, it is cool today with the thanks.

時刻は、今、午前9時、ちょうど。
As for the time, now, at 9 a.m., exactly.

もうすぐ妻が、「朝食の用意ができました」と、私を呼びにくるだろう。
It will come so that a wife may call "It was ready." and me soon.

今日は土曜日。
Today, Saturday.

朝食を食べたあとは、草刈り機をなおさねばならない。
After breakfast is eaten, still you must さ a mower.

それは故障している。
That is out of order.

それをなおしたら、家のまわりの草を刈らなければならない。
If still that is done, you must crop grass around the house.

++++++++++++++++++++++

フーム!!??

まあ、この程度か。ついでに、IBM社の「翻訳のO様」でも、翻訳してみる。

++++++++++++++++++++++

【実験4】(実験3の日本語を英文に翻訳させてみた。)

The typhoon is approaching. 
Probably for the reason, empty is becoming cloudy. 
However, it is cool by favor today. 
time -- now, 9:00 a.m. -- exactly . 
A wife will already come to call me "ready [ breakfast ]" immediately. 
It is Saturday today. 
You have to repair a lawn mower, after eating breakfast. 
It is out of order. 
If it is corrected, you have to cut the grass around a house. 

+++++++++++++++++++

英文にしてみた感じでは、IBM社の「翻訳のO様」は、笑いたくなるほど、メチャメチ
ャ。(どちらも、同じようなものか?)

+++++++++++++++++++

 そこで私の脳ミソの中にある、翻訳エンジンを使って、翻訳してみる。もうすぐ58歳
になる。かなりサビついてはいるが、挑戦してみる。

+++++++++++++++++++

 Typhoon is coming soon and therefore, I think, it is more cloudy than usual for the time 
of this season.

 It is much cooler, however, with the thanks of this weather.

 The time is now just 9 o'clock sharp. I suppose my wife will call me , saying, "Breakfast 
is ready!".

 It is Saturaday today and I will fix up the mower, which is out of order. Then I will 
mow the grasses around my house.

++++++++++++++++++++

では、みなさん、また10月号でお会いしましょう!

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 28日(No.629)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「許す」ことのむずかしさ

 人を許すことのむずかしさ。それを、私はいつも、実感する。

 で、その先というか、「許しあと、どうするか」という問題もある。許したからといっ
て、そのあと、ベタベタつきあうということでもない。許したあと、そのまま、その人と、
交際しなくなるということもある。また交際しなけばならないということでもない。あと
は、自然体でいけばよい。

 問題は、親子や、兄弟。さらには親類である。

 A氏(四五歳)は、弟のB氏(四四歳)と、絶縁関係にある。遺産相続にからむ、金銭
問題が原因であった。弟のB氏が、詐欺師に近い人物で、逮捕歴も一度ある。暴力団とも
関係したことがある。

 A氏は、B氏に、一〇〇〇万円近い、お金を貸している。「返してほしい」と言うと、
そのつど、あれこれ、とぼけて、まったく取りあおうとしないという。

 そういうB氏を、A氏は、何度も許した。「恥もかきました」「女房の親戚には、いつ
も肩身の狭い思いをしています」と。

 で、A氏は、B氏とかかわりたくないと思っているが、B氏のほうは、そうではない。
何かと、実家の問題にかこつけては、A氏のところにやってくる。母親は、今年、七〇歳
になるという。元気である。

 「こういうケースでも、許さねばならないのか」と。

 しかしA氏は、すでに許している。今でも、兄弟関係をつづけているということ自体、
その証拠である。

 ただその先、つきあうかどうかは、別の問題。許したからといって、つきあわねばなら
ないということではない。つきあいたければ、つきあえばよい。つきあいたくなければ、
つきあわなくてもよい。無理をしてはいけない。無理をする必要はない。たとえ弟でも、
「つきあいたくない」ということであれば、それでよい。

 今でも、親子、兄弟、親類の、つまりはドロドロのしがらみの中で、もがき苦しんでい
る人は、ゴマンといる。関係が、良好な人のほうが少ないのでは? 他人なら、そのまま

れることができるが、血縁関係にあると、それもできない。世の中には、親をだます子ど
ももいるが、子どもをだます親だっている。決して、きれいごとばかりでは、通れない。

 しかし許すということは、自分の心を掃除するということにもなる。うらみ、つらみは、
いわば心のゴミのようなもの。そういうものが多ければ多いほど、心は腐る。私もある時
期、数か月にわたって、ある人をうらんだことがある。

 しかしそういうときというのは、あとから思い出しても、いやなもの。ワイフに言わせ
ると、当時、私の顔まで、醜くなったという。

 だから許す。どうせ人生は、短い。あの小泉さんも、ブッシュさんも、金XXも、あと
三〇年をまたずして、この世から、消える。私も消える。この文を読んでいる若い母親に
しても、あと五〇年で消える。みんな消える。

 だったら、「今」というときを、できるだけ充実させて、生きるほうがよい。うらみ、
つらみは、そういう人生にとって、マイナスになることはあっても、プラスになることは、
何もない。

 ……といっても、人を許すということは、むずかしい。本当にむずかしい。毎日が、そ
の戦いであるといってもよい。私が望まなくても、問題は、そのつど、向こうから、打ち
寄せる波のようにやってくる。そしてそのつど、その波に巻きこまれてしまう。

 今日も、がんばるしかない。「許す」というのは、まさに「生きることにまつわる、避
けて通れない問題」ということになる。

【追記】

 この「許す」についで生まれる問題が、「忘れる」ということである。

 許すことはできても、忘れることができないということは、いくらでもある。ここに書
いたA氏にしても、許してはいるが、忘れてはいないということになる。この「忘れる」
という部分については、また、別の機会に考えてみたい。

+++++++++++++++++++++

これについて、以前、書いた原稿を添付します。
中日新聞に発表したものです。
子育てで行きづまりを感じたようなとき、
どうかご一読ください。

+++++++++++++++++++++

子育てのすばらしさを教えられるとき

●子をもって知る至上の愛  
  
 子育てをしていて、すばらしいと思うことが、しばしばある。その一つが、至上の愛を
教えられること。ある母親は自分の息子(三歳)が、生死の境をさまよったとき、「私の命
はどうなってもいい。息子の命を救ってほしい」と祈ったという。こうした「自分の命す
ら惜しくない」という至上の愛は、人は、子どもをもってはじめて知る。

●自分の中の命の流れ

 次に子育てをしていると、自分の中に、親の血が流れていることを感ずることがある。「自
分の中に父がいる」という思いである。私は夜行列車の窓にうつる自分の顔を見て、そう
感じたことがある。その顔が父に似ていたからだ。

そして一方、息子たちの姿を見ていると、やはりどこかに父の面影があるのを知って驚
くことがある。先日も息子が疲れてソファの上で横になっていたとき、ふとその肩に手
をかけた。そこに死んだ父がいるような気がしたからだ。

いや、姿、形だけではない。ものの考え方や感じ方もそうだ。私は「私は私」「私の人生
は私のものであって、誰のものでもない」と思って生きてきた。しかしその「私」の中
に、父がいて、そして祖父がいる。自分の中に大きな、命の流れのようなものがあり、
それが、息子たちにも流れているのを、私は知る。つまり子育てをしていると、自分も
大きな流れの中にいるのを知る。自分を超えた、いわば生命の流れのようなものだ。

●神の愛と仏の慈悲

 もう一つ。私のような生き方をしている者にとっては、「死」は恐怖以外の何ものでもな
い。死はすべての自由を奪う。死はどうにもこうにも処理できないものという意味で、「死
は不条理なり」とも言う。そういう意味で私は孤独だ。いくら楽しそうに生活していても、
いつも孤独がそこにいて、私をあざ笑う。すがれる神や仏がいたら、どんなに気が楽にな
ることか。

が、私にはそれができない。しかし子育てをしていると、その孤独感がふとやわらぐこ
とがある。自分の子どものできの悪さを見せつけられるたびに、「許して忘れる」。これ
を繰り返していると、「人を愛することの深さ」を教えられる。いや、高徳な宗教者や信
仰者なら、深い愛を、万人に施すことができるかもしれない。が、私のような凡人には
できない。できないが、子どもに対してならできる。いわば神の愛、仏の慈悲を、たと
えミニチュア版であるにせよ、子育ての場で実践できる。それが孤独な心をいやしてく
れる。

●神や仏の使者

 たかが子育てと笑うなかれ。親が子どもを育てると、おごるなかれ。子育てとは、子ど
もを大きくすることだと誤解するなかれ。子育ての中には、ひょっとしたら人間の生きる
ことにまつわる、矛盾や疑問を解く鍵が隠されている。それを知るか知らないかは、その
人の問題意識の深さにもよる。

が、ほんの少しだけ、自分の心に問いかけてみれば、それでよい。それでわかる。子ど
もというのは、ただの子どもではない。あなたに命の尊さを教え、愛の深さを教え、そ
して生きる喜びを教えてくれる。いや、それだけではない。子どもはあなたの命を、未
来永劫にわたって、伝えてくれる。つまりあなたに「生きる意味」そのものを教えてく
れる。

子どもはそういう意味で、まさに神や仏からの使者と言うべきか。いや、あな
たがそれに気づいたとき、あなた自身も神や仏からの使者だと知る。そう、何
がすばらしいかといって、それを教えられることぐらい、子育てですばらしい
ことはない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親絶対教の信者 

 私より年配の人と話しているとき、よく、こんなことを感ずる。

 「この人に、私が考えていることを説明しても、はたして理解できるだろうか?」と。

 たいていのばあい、「理解できそうもないから、やめよう」と思って、口をつぐんでしま
う。しかしこれは、あくまでも、私の問題。

 今度は、反対に、相手の人が、私に対して、そう思うときがあるかもしれない。「こんな
話を、林にしても、ムダ。どうせ、林なんかには、理解できないだろう」と。

 しかし私には、そうした相手の心が、わからない。『知らぬが仏』というか、わからない
から、平気でいられる。しかしもし、相手がそう考えていると知ったら、多分、大きなシ
ョックを受けるだろう。

 そこで私は、最近は、「理解できないだろう」とわかっていても、一応、その相手には、
言うだけのことは言ってみるようにしている。そのときは理解できなくても、相手の脳ミ
ソのどこかに残って、いつか役にたつかもしれない。親切心からそうしているのではない。
自分をごまかすのが、いやだから、そうする。

 最近も、ある女性と話をした。60歳少し前の女性だが、話を聞いていると、完全なマ
ザコン。何かにつけて、「お母さん」「お母さん」と、80歳を過ぎた母親を、絶対視して
いるのがわかった。

 ふつうマザコンというと、男性を思い浮かべるが、女性のマザコンもいる。しかも男性
よりも、性質(たち)が悪い。このタイプの女性にとっては、自分の母親は、宗教者が信
ずる本尊のようなもの。絶対視するのは、かまわないが、いつも、母親に無謬性(むびゅ
うせい=一点のまちがいもないこと)を求める。
 
 しかしその母親が少し、このところ、ボケてきた。そのため、その女性は、あたかも本
尊が否定されたかのような状態になっている。情緒がきわめて不安定。このタイプの女性
にしてみれば、「母親がボケるなどということは、絶対にあってはならないこと」。その大
ジレンマに苦しんでいる。

 そこで私は、ふと、こう言ってやった。「理解できるだろうか」という不安感は覚えたが、
しかしだまっていることもできない。

 「あなたは、かなりマザコンタイプの女性のようですね。お気づきですか?」と。

 すると、その女性は、私の言葉に猛烈に反発した。「私の母は、すばらしい人です! 私
はマザコンではありません!」と。

 やはり、その女性は私の言ったことを理解できなかった。しかし胸の中を、スーッと風
が通り抜けるのを、私は感じた。

 しかしその女性にとって、それに気がつくことは、今の状況から抜け出す、第一歩にな
る。でないと、いつまでも、悶々と悩むことになる。さらに、仮にやがてその母親がなく
なったりすると、そのショックから立ちなおれなくなる可能性すら、ある。残りの人生を、
母親の墓参りか、法事のためだけに過ごすようになるかもしれない。

 そしてそうすることが、子どもの義務であり、親孝行のカガミであると、思うようにな
るかもしれない。心理学的にいえば、親への強度の依存性が、そうした儀式に、形を変え
ているだけ。しかしこのタイプの人に、それを説明しても、理解できない。

 一般論からすれば、親絶対教の信者というのは、精神的に未熟で未完成。精神的に自立
できていない人とみてよい。こうした精神構造を、「甘えの構造」(土居健郎氏)と呼んで
いる人もいる。

 それはさておき、今度は、反対の立場で、私たちは、いつも脳ミソを開いておかねばな
らない。私が知っていることよりも、この世の中には、私が知らないことのほうが、はる
かに多い。その知らないことを、相手の人が、教えてくれるときがある。

 たとえばだれかが私に、「林、お前は、マザコンだな」と言ったとする。批判されるのは、
だれにとっても、いやなものだ。が、大切なことは、そういう人の意見にこそ、よく耳を
傾けること。相手の人が、それを言いやすい人間にならなければならない。

 相手の言うことに耳を閉ざすのも、悪いことだが、相手をして、口をつぐませるのも、
同じくらい、悪いことと考えてよい。

++++++++++++++++++++++++
 
以前書いた、「親絶対教」の原稿を
少し、手なおして、お届けします。

++++++++++++++++++++++++

【親・絶対教】

++++++++++++++++++++++++

「親は絶対」と思っている人は、多いですね。
これを私は、勝手に、親・絶対教と呼んでいます。
どこかカルト的だから、宗教になぞらえました。

今夜は、それについて考えてみます。

まだ、未完成な原稿ですが、これから先、この原稿を
土台にして、親のあり方を考えていきたいと
思っています。

          6月27日

++++++++++++++++++++++++
          
●親が絶対!

 あなたは、親に産んでもらったのです。
 その恩は、忘れてはいけません。
 親があったからこそ、今、あなたがいるのです。

 産んでもらっただけではなく、育ててもらいました。
 学校にも通わせてもらいました。
 言葉が話せるようになったのも、あなたの親のおかげです。

 親の恩は、山より高く、海よりも深いものです。
 その恩を決して忘れてはいけません。
 親は、あなたにとって、絶対的な存在なのです。

 ……というのが、親・絶対教の考え方の基本になっている。

●カルト

 親・絶対教というのは、根が深い。親から子へと、代々と引き継がれている。しかも、
その人が乳幼児のときから、徹底的に、叩きこまれている。叩きこまれるというより、脳
の奥深くに、しみこまされている。青年期になってから、何かの宗教に走るのとは、わけ
がちがう。

 そもそも「基底」そのものものが、ちがう。

 子どもは、母親の胎内で、10か月近く宿る。生まれたあとも、母親の乳を得て、成長
する。何もしなくても、つまり放っておいても、子どもは、親・絶対教にハマりやすい。
あるいはほんの少しの指導で、子どもは、そのまま親・絶対教の信者となっていく。

 が、親・絶対教には、もともと根拠などない。「産んでやった」という言葉を口にする親
は多い。しかしそれはあくまでも結果でしかない。生まれる予定の子どもが、幽霊か何か
の姿で、親の前に出てきて、「私を産んでくれ」と頼んだというのなら、話は別。しかしそ
ういうことはありえない。

 少し話が飛躍してしまったが、親・絶対教の基底には、「親がいたから、子どもが生まれ
た」という概念がある。親あっての、子どもということになる。その概念が基礎になって、
親は子どもに向かって、「産んでやった」「育ててやった」と言うようになる。

 それを受けて子どもは、「産んでいただきました」「育てていただきました」と言うよう
になる。「恩」「孝行」という概念も、そこから生まれる。

●親は、絶対!

 親・絶対教の信者たちは、子どもが親にさからうことを許さない。口答えなど、もって
のほか。親自身が、子どもは、親のために犠牲になって当然、と考える。そして自分のた
めに犠牲になっている、あるいは献身的につくす子どもをみながら、「親孝行のいい息子
(娘)」と、それを誇る。

 いろいろな例がある。

 父親が、脳内出血で倒れた夜、九州に住んでいたKさん(女性、その父親の長女)は、
神奈川県の実家の近くにある病院まで、電車でかけつけた。

 で、夜の9時ごろ、完全看護ということもあり、またほかにとくにすることもなかった
ので、Kさんは、実家に帰って、その夜は、そこで泊まった。

 が、それについて、妹の義理の父親(義理の父親だぞ!)が、激怒した。あとで、Kさ
んにこう言ったという。「娘なら、その夜は、寝ずの看病をすべきだ。自分が死んでも、病
院にとどまって、父親の容態を心配するのが、娘の務めではないのか!」と。

 この言葉に、Kさんは、ひどく傷ついた。そして数か月たった今も、その言葉に苦しん
でいる。

 もう一つ、こんな例がある。一人娘が、嫁いで家を出たことについて、その母親は、「娘
は、親を捨てた」「家をメチャメチャにした」と騒いだという。「こんなことでは、近所の
人たちに恥ずかしくて、外も歩けない」と。

 そうした親の心情は、常人には、理解できない。その理解できないところが、どこかカ
ルト的である。親・絶対教には、そういう側面がある。

●子が先か、親が先か

 親・絶対教では、「親あっての、子ども」と考える。

 これに対して、実存主義的な立場では、つぎのように考える。

 「私は生まれた」「生まれてみたら、そこに親がいた」「私がいるから、親を認識できる」
と。あくまでも「私」という視点を中心にして、親をみる。
 
 親を見る方向が、まったく逆。だから、ものの考え方も、180度、変ってくる。

 たとえば今度は、自分の子どもをみるばあいでも、親・絶対教の人たちは、「産んでやっ
た」「育ててやった」と言う。しかし実存主義的な考え方をする人は、「お前のおかげで、
人生を楽しく過ごすことができた」「有意義に過ごすことができた」というふうに、考える。
子育てそのものを、自分のためととらえる。

 こうしたちがいは、結局は、親が先か、子どもが先かという議論に集約される。さらに
もう少し言うなら、「産んでやった」と言う親は、心のどこかに、ある種の犠牲心をともな
う?

たとえばNさんは、どこか不本意な結婚をした。俗にいう「腹いせ婚」というのかもし
れない。好きな男性がほかにいたが、その男性が結婚してしまった。それで、今の夫と、
結婚した。

そして、今の子どもが生まれた。その子どもどこか不本意な子どもだった。生まれたと
きから、何かにつけて発育が遅れた。Nさんには、当然のことながら、子育てが重荷だ
った。子どもを好きになれなかった。

そのNさんは、そんなわけで、子どもには、いつも、「産んでやった」「育ててやった」
と言うようになった。その背景にあるのは、「私が、子どものために犠牲になってやった」
という思いである。

 しかし親にとっても、子どもにとっても、それほど、不幸な関係はない。……と、私は
思うが、ここで一つのカベにぶつかる。

 親が、親・絶対教の信者であり、その子どももまた、親・絶対教であれば、その親子関
係は、それなりにうまくいくということ。子どもに犠牲を求めて平気な親と、親のために
平気で犠牲になる子ども。こうした関係でも、親子関係は、それなりにうまく、いく。

 問題は、たとえば結婚などにより、そういう親子関係をもつ、夫なり、妻の間に、他人
が入ってくるばあいである。

●夫婦のキレツ

 ある男性(55歳)は、こう言った。「私には、10歳、年上の姉がいます。しかしその
姉は、はやし先生が言うところの、親・絶対教の信者なのですね。父は今でも、元気で生
きていますが、父の批判をしただけで、狂ったように、反論します。『お父さんの悪口を言
う人は、たとえ弟でも許さない』とです」と。

 兄弟ならまだしも、夫婦でも、こうした問題をかかえている人は多い。

 よくある例は、夫が、親・絶対教で、妻が、そうでないケース。ある女性(40歳くら
い)は、昔、こう言った。

 「私が夫の母親(義理の母親)と少しでも対立しようものなら、私の夫は、私に向って、
こう言います。『ぼくの母とうまくできないようなら、お前のほうが、この家を出て行け』
とです。妻の私より、母のほうが大切だというのですね」と。

 今でこそ少なくなったが、少し前まで、農家に嫁いだ嫁というのは、嫁というより、家
政婦に近いものであった。ある女性(70歳くらい)は、こう言った。

 「私なんか、今の家に嫁いできたときは、召使いのようなものでした。夫の姉たちにす
ら、あごで使われました」と。

●親・絶対教の特徴

 親・絶対教の人たちが決まってもちだすのが、「先祖」という言葉である。そしてそれが
そのまま、先祖崇拝につながっていく。親、つまり親の親、さらにその親は、絶対という
考え方が、積もりにつもって、「先祖崇拝」へと進む。

 先祖あっての子孫と考えるわけである。どこか、アメリカのインディアン的? アフリ
カの土着民的? 

 しかし本当のことを言えば、それは先祖のためというよりは、自分自身のためである。
自分という親自身を絶対化するために、また絶対化してほしいがために、親・絶対教の信
者たちは、先祖という言葉をよく使う。

 ある男性(60歳くらい)は、いつも息子や息子の嫁たちに向って、こう言っている。「今
の若いものたちは、先祖を粗末にする!」と。

 その男性がいうところの先祖というのは、結局は、自分自身のことをいう。まさか「自
分を大切にしろ」とは、言えない。だから、少し的をはずして、「先祖」という言葉を使う。

 こうした例は、このH市でも見られる。21世紀にもなった今。しかも人口が60万人
もいる、大都市でも、である。

中には、先祖崇拝を、教育理念の根幹に置いている評論家もいる。さらにこれは本当に
あった話だが、(こうして断らねばならないほど、ありえない話に思われるかもしれない
が……)、こんなことがあった。

 ある日の午後、一人の女性が、私の教室に飛びこんできて、こう叫んだ。「あんたは、先
祖を粗末にしているようだが、そういう教育者は、教育者と失格である。あちこちで講演
活動をしているようだが、即刻、そういった活動をやめなさい」と。

 まだ30歳そこそこの女性だったから、私は、むしろ、そちらのほうに驚いた。彼女も
また、親・絶対教の信者であった。

 しかしこうした言い方は、どこか卑怯(失礼!)ではないのか。

 数年前、ある寺で、説法を聞いたときのこと、終わりがけに、その寺の住職が私たちの
こう言った。

 「お志(こころざし)のある方は、どうか仏様を供養(くよう)してください」と。そ
の寺では、「供養」というのは、「お布施」つまり、マネーのことをいう。まさか「自分に
金を出せ」とは言えない。だから、(自分)を、(仏様)に、(お金)を、(供養)に置きか
えて、そう言う。

 親・絶対教の信者たちが、息子や娘に向って、「お前たちのかわりにご先祖様を祭ってや
るからな」と言いつつ、金を取る言い方に、よく似ている。

 実際、ある母親は、息子の財産を横取りして、使いこんでしまった。それについてその
息子が、泣きながら抗議すると、その母親は、こう言い放ったという。

 「親が、先祖を守るため、自分の息子の金を使って。何が悪い!」と。

 世の中には、そういう親もいる。

●親・絶対教信者との戦い

 「戦い」といっても、その戦いは、やめたほうがよい。それはまさしく、カルト教団の
信者との戦いに似ている。親・絶対教が、その人の哲学的信条になっていることが多く、
戦うといっても容易ではない。

 それこそ、10年単位の戦いということになる。

 先にも書いたように、親・絶対教の信者であっても、それなりにハッピーな人たちに向
って、「あなたはおかしい」とか、「まちがっている」などと言っても、意味はない。

 人、それぞれ。

 それに仮に、戦ったとしても、結局は、その人からハシゴをはずすことで終わってしま
う。「あなたはまちがっている」と言う以上は、それにかわる新しい思想を用意してやらね
ばならない。ハシゴだけはずして、あとは知りませんでは、通らない。

 しかしその新しい思想を用意してやるのは、簡単なことではない。その人に、それだけ
の学習意欲があれば、まだ話は別だが、そうでないときは、そうでない。時間もかかる。

 だから、そういう人たちは、そういう人たちで、そっとしておいてあげるのも、私たち
の役目ということになる。

たとえば、私の生まれ故郷には、親・絶対教の信者たちが多い。そのほかの考え方がで
きない……というより、そのほかの考え方をしたことがない人たちばかりである。そう
いう世界で、私一人だけが反目しても、意味はない。へたに反目すれば、反対に、私の
ほうがはじき飛ばされてしまう。

 まさにカルト。その団結力には、ものすごいものがある。

 つまり、この問題は、冒頭にも書いたように、それくらい、「根」が深い。

 で、この文章を読んでいるあなたはともかくも、あなたの夫(妻)や、親(義理の親)
たちが、親・絶対教であるときも、今、しばらくは、それに同調するしかない。私が言う
「10年単位の戦い」というのは、そういう意味である。

●自分の子どもに対して……

 参考になるかどうかはわからないが、私は、自分の子どもたちを育てながら、「産んでや
った」とか、「育ててやった」とか、そういうふうに考えたことは一度もない。いや、とき
どき、子どもたちが生意気な態度を見せたとき、そういうふうに、ふと思うことはある。

 しかし少なくとも、子どもたちに向かって、言葉として、それを言ったことはない。

 「お前たちのおかげで、人生が楽しかったよ」と言うことはある。「つらいときも、がん
ばることができたよ」と言うことはある。「お前たちのために、80歳まで、がんばってみ
るよ」と言うことはある。しかし、そこまで。

 子どもたちがまだ幼いころ、私は毎日、何かのおもちゃを買って帰るのが、日課になっ
ていた。そういうとき、自転車のカゴの中の箱や袋を見ながら、どれだけ家路を急いだこ
とか。

 そして家に帰ると、3人の子どもたちが、「パパ、お帰り!」と叫んで、玄関まで走って
きてくれた。飛びついてきてくれた。

 それに今でも、子どもたちがいなければ、私は、こうまで、がんばらなかったと思う。
寒い夜も、なぜ自転車に乗って体を鍛えるかといえば、子どもたちがいるからにほかなら
ない。

 そういう子どもたちに向かって、どうして「育ててやった」という言葉が出てくるのか? 
私はむしろ逆で、子どもたちに感謝しこそすれ、恩を着せるなどということは、ありえな
い。

 今も、たまたま三男が、オーストラリアから帰ってきている。そういう三男が、夜、昼
となく、ダラダラと体を休めているのを見ると、「これでいいのだ」と思う。

 私たち夫婦が、親としてなすべきことは、そういう場所を用意することでしかない。「疲
れたら、いつでも家にもどっておいで。家にもどって、羽を休めなよ」と。

 そして子どもたちの前では、カラ元気をふりしぼって、明るく振るまって見せる。

●対等の人間関係をめざして

 親であるという、『デアル論』に決して、甘えてはいけない。

 親であるということは、それ自体、たいへんきびしいことである。そのきびしさを忘れ
たら、親は親でなくなってしまう。

 いつかあなたという親も、子どもに、人間として評価されるときがやってくる。対等の
人間として、だ。

 そういうときのために、あなたはあなたで、自分をみがかねばならない。みがいて、子
どもの前で、それを示すことができるようにしておかなければならない。

 結論から先に言えば、そういう意味でも、親・絶対教の信者たちは、どこか、ずるい。「親
は絶対である」という考え方を、子どもに押しつけて、自分は、その努力から逃げてしま
う。自ら成長することを、避けてしまう。

 昔、私のオーストラリアの友人は、こう言った。

 「ヒロシ、親には三つの役目がある。一つは、子どもの前を歩く。ガイドとして。もう
一つは、子どものうしろを歩く。保護者(プロテクター)として。そしてもう一つは、子
どもの横を歩く。子どもの友として」と。

 親・絶対教の親たちは、この中の一番目と二番目は得意。しかし三番目がとくに、苦手。
友として、子どもの横に立つことができない。だから子どもの心をつかめない。そして多
くのばあい、よき親子関係をつくるのに、失敗する。

 そうならないためにも、親・絶対教というのは、害こそあれ、よいことは、何もない。

【追記】

 親・絶対教の信者というのは、それだけ自己中心的なものの見方をする人と考えてよい。
子どもを自分の(モノ)というふうに、とらえる。そういう意味では、精神の完成度の低
い人とみる。

 たとえば乳幼児は、自己中心的なものの考え方をすることが、よく知られている。そし
て不思議なことがあったり、自分には理解できないことがあったりすると、すべて親のせ
いにする。

 こうした乳幼児特有の心理状態を、「幼児の人工論」という。

 子どもは親によって作られるという考え方は、まさにその人工論の延長線上にあると考
えてよい。つまり親・絶対教の人たちは、こうした幼稚な自己中心性を残したまま、おと
なになったと考えられる。

 そこでこう考えたらどうだろうか。

 子どもといっても、私という人間を超えた、大きな生命の流れの中で、生まれる、と。

 私もあるとき、自分の子どもの手先を見つめながら、「この子どもたちは、私をこえた、
もっと大きな生命の流れの中で、作られた」と感じたことがある。

 「親が子どもをつくるとは言うが、私には、指一本、つくったという自覚がない」と。

 私がしたことと言えば、ワイフとセックスをして、その一しずくを、ワイフの体内に射
精しただけである。ワイフにしても、自分の意思を超えた、はるかに大きな力によって、
子どもを宿し、そして出産した。

 そういうことを考えていくと、「親が子どもを作る」などという話は、どこかへ吹っ飛ん
でしまう。

 たしかに子どもは、あなたという親から生まれる。しかし生まれると同時に、子どもと
いえでも、一人の独立した人間である。現実には、なかなかそう思うのも簡単なことでは
ないが、しかし心のどこかでいつも、そういうものの考えた方をすることは、大切なこと
ではないのか。

【補足】

 だからといって、親を粗末にしてよいとか、大切にしなくてよいと言っているのではな
い。どうか、誤解しないでほしい。

 私がここで言いたいのは、あなたがあなたの親に対して、どう思うおうとも、それはあ
なたの勝手ということ。あなたが親・絶対教の信者であっても、まったくかまわない。

 重要なことは、あなたがあなたの子どもに、その親・絶対教を押しつけてはいけないこ
と。強要してはいけないこと。私は、それが結論として、言いたかった。
(はやし浩司 親絶対教 親は絶対 乳幼児の人工論 人工論)

+++++++++++++++++++++++

以前、こんな原稿を書いたことがあります。
内容が少しダブりますが、どうか、参考に
してください。

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●かわいい子、かわいがる

 日本語で、「子どもをかわいがる」と言うときは、「子どもにいい思いをさせること」「子
どもに楽をさせること」を意味する。

一方、日本語で「かわいい子ども」と言うときは、「親にベタベタと甘える子ども」を意
味する。反対に親を親とも思わないような子どもを、「かわいげのない子ども」と言う。
地方によっては、独立心の旺盛な子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

 この「かわいい」という単語を、英語の中にさがしてみたが、それにあたる単語すらな
い。あえて言うなら、「チャーミング」「キュート」ということになるが、これは「容姿が
かわいい」という意味であって、ここでいう日本語の「かわいい」とは、ニュアンスが違
う。もっともこんなことは、調べるまでもない。「かわいがる」にせよ、「かわいい」にせ
よ、日本という風土の中で生まれた、日本独特の言葉と考えてよい。

 ところでこんな母親(76歳)がいるという。横浜市に住む読者から届いたものだが、
内容を、まとめると、こうなる。

 その男性(43歳)は、その母親(76歳)に溺愛されて育ったという。だからある時
期までは、ベタベタの親子関係で、それなりにうまくいっていた。が、いつしか不協和音
が目立つようになった。きっかけは、結婚だったという。

 その男性が自分でフィアンセを見つけ、結婚を宣言したときのこと。もちろん母親に報
告したのだが、その母親は、息子の結婚の話を聞いて、「くやしくて、くやしくて、その夜
は泣き明かした」(男性の伯父の言葉)そうだ。

そしてことあるごとに、「息子は、横浜の嫁に取られてしまいました」「親なんて、さみ
しいものですわ」「息子なんて、育てるもんじゃない」と言い始めたという。

 それでもその男性は、ことあるごとに、母親を大切にした。が、やがて自分のマザコン
性に気づくときがやってきた。と、いうより、一つの事件が起きた。いきさつはともかく
も、そのときその男性は、「母親を取るか、妻を取るか」という、択一に迫られた。

結果、その男性は、妻を取ったのだが、母親は、とたんその男性を、面と向かって、の
のしり始めたというのだ。「親を粗末にする子どもは、地獄へ落ちるからな」とか、「親
の悪口を言う息子とは、縁を切るからな」とか。その前には、「あんな嫁、離婚してしま
え」と、何度も電話がかかってきたという。

 その母親が、口グセのように使っていた言葉が、「かわいがる」であった。その男性に対
しては、「あれだけかわいがってやったのに、恩知らず」と。「かわいい」という言葉は、
そういうふうにも使われる。

 その男性は、こう言う。

「私はたしかに溺愛されました。しかし母が言う『かわいがってやった』というのは、
そういう意味です。しかし結局は、それは母自身の自己満足のためではなかったかと思
うのです。

たとえば今でも、『孫はかわいい』とよく言いますが、その実、私の子どものためには、
ただの一度も遊戯会にも、遠足にも来てくれたことがありません。母にしてみれば、『お
ばあちゃん、おばあちゃん』と子どもたちが甘えるときだけ、かわいいのです。

たとえば長男は、あまり母(=祖母)が好きではないようです。あまり母には、甘えま
せん。だから母は、長男のことを、何かにつけて、よく批判します。私の子どもに対す
る母の態度を見ていると、『ああ、私も、同じようにされたのだな』ということが、よく
わかります」と。

 さて、あなたは、「かわいい子ども」という言葉を聞いたとき、そこにどんな子どもを思
い浮かべるだろうか。子どもらしいしぐさのある子どもだろうか。表情が、愛くるしい子
どもだろうか。それとも、親にベタベタと甘える子どもだろうか。一度だけ、自問してみ
るとよい。

●独立の気力な者は、人に依頼して悪事をなすことあり。(福沢諭吉「学問のすゝめ」)

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今でも、親風を吹かす人は多いですね。
しかしもうそんな風を吹かすのは、
やめにしましょう。いかがですか?

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●親風、親像、親意識

 親は、どこまで親であるべきか。また親であるべきでないか。

 「私は親だ」というのを、親意識という。この親意識には、二種類ある。善玉親意識と、
悪玉親意識である。

 「私は親だから、しっかりと子どもを育てよう」というのは、善玉親意識。しかし「私
は親だから、子どもは、親に従うべき」と、親風を吹かすのは、悪玉親意識。悪玉親意識
が強ければ強いほど、(子どもがそれを受け入れればよいが、そうでなければ)、親子の間
は、ギクシャクしてくる。

 ここでいう「親像」というのは、親としての素養と考えればよい。人は、自分が親に育
てられたという経験があってはじめて、自分が親になったとき、子育てができる。そうい
う意味では、子育てができる、できないは、本能ではなく、学習によって決まる。その身
についた素養を、親像という。

 この親像が満足にない人は、子育てをしていても、どこかギクシャクしてくる。あるい
は「いい親であろう」「いい家庭をつくろう」という気負いばかりが強くなる。一般論とし
て、極端に甘い親、反対に極端にきびしい親というのは、親像のない親とみる。不幸にし
て不幸な家庭に育った親ほど、その親像がない。あるいは親像が、ゆがんでいる。

 ……というような話は、前にも書いたので、ここでは話を一歩、先に進める。

 どんな親であっても、親は親。だいたいにおいて、完ぺきな親など、いない。それぞれ
がそれぞれの立場で、懸命に生きている。そしてそれぞれの立場で、懸命に、子育てをし
ている。その「懸命さ」を少しでも感じたら、他人がとやかく言ってはいけない。また言
う必要はない。

 ただその先で、親は、賢い親と、そうでない親に分かれる。(こういう言い方も、たいへ
ん失礼な言い方になるかもしれないが……。)私の言葉ではない。法句経の中に、こんな一
節がある。

『もし愚者にして愚かなりと知らば、すなわち賢者なり。愚者にして賢者と思える者こ
そ、愚者というべし』と。つまり「私はバカな親だ」「不完全で、未熟な親だ」と謙虚に
なれる親ほど、賢い親だということ。そうでない親ほど、そうでないということ。

 一般論として、悪玉親意識の強い人ほど、他人の言葉に耳を傾けない。子どもの言うこ
とにも、耳を傾けない。「私は正しい」と思う一方で、「相手はまちがっている」と切りか
えす。

子どもが親に向かって反論でもしようものなら、「何だ、親に向かって!」とそれを押さ
えつけてしまう。ものの考え方が、何かにつけて、権威主義的。いつも頭の中で、「親だ
から」「子どもだから」という、上下関係を意識している。

 もっとも、子どもがそれに納得しているなら、それはそれでよい。要は、どんな形であ
れ、またどんな親子であれ、たがいにうまくいけばよい。しかし今のように、価値観の変
動期というか、混乱期というか、こういう時代になると、親と子が、うまくいっているケ
ースは、本当に少ない。

一見うまくいっているように見える親子でも、「うまくいっている」と思っているのは、
親だけというケースも、多い。たいていどこの家庭でも、旧世代的な考え方をする親と、
それを受け入れることができない子どもの間で、さまざまな摩擦(まさつ)が起きてい
る。

 では、どうするか? こういうときは、親が、子どもたちの声に耳を傾けるしかない。
いつの時代でも、価値観の変動は、若い世代から始まる。そして旧世代と新生代が対立し
たとき、旧世代が勝ったためしは、一度もない。言いかえると、賢い親というのは、バカ
な親のフリをしながら、子どもの声に耳を傾ける親ということになる。

 親として自分の限界を認めるのは、つらいこと。しかし気負うことはない。もっと言え
ば、「私は親だ」と思う必要など、どこにもない。冒頭に書いたように、「どこまで親であ
るべきか」とか、「どこまで親であるべきではないか」ということなど、考えなくてもよい。
無論、親風を吹かしたり、悪玉親意識をもったりする必要もない。ひとりの友として、子
どもを受け入れ、あとは自然体で考えればよい。

 なお「親像」に関しては、それ自体が大きなテーマなので、また別の機会に考える。
(はやし浩司 親像 親絶対教 親・絶対教 親風 親意識 封建制度 先祖崇拝)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


●アイルランドの妖精(エルフ)

 「妖精(ようせい)」と聞くと、どこか、ロマンチックな響きを感ずる。そこでまず連想
するのが、かわいい女の子。「森には、指ほどの大きさの妖精がいて……」と。

 しかしそういった常識をひっくりかえしてくれたのが、下楠昌哉氏著の、『妖精のアイル
ランド』(平凡社・760円)。この本を読むとわかるが、日本に伝わっている妖精のイメ
ージ、つまり私たちがもっている妖精のイメージは、多分に、イギリス本土で、脚色、変
形されたものということになる。

 アイルランドの妖精は、こわい! ホント!

 下楠氏は、本書の中で、「取り替え子(チェンジリンク)」の例をあげて、アイルランド
の妖精について書いている。わかりやすく言えば、アイルランドの妖精たちは、人間を誘
拐する! 相手は、子どもとはかぎらない。おとなの女性も、である。そのため事件に発
展することも珍しくない。(当然だが……。)

 第一章で、「ブリジッド・クリアリー焼殺事件」、第三章で、「ブラム・ストーカー、吸血
鬼の顔をもつ男」とつづく。

 最初の部分を読んでいて、私の頭に思い浮かんだのが、日本の天狗(てんぐ)。あの天狗
も、よく子どもをさらった。が、日本の天狗が誘拐したのは、もっぱら、女の子。一説に
よれば、あの長い鼻は、男の勃起したペニスを象徴しているとか? 天狗は、無垢(むく)
な女の子をさらっては、犯し、そして殺した。

 だから私が子どものころは、ある日突然、子ども(とくに女の子)がいなくなったりす
ると、「天狗にさらわれた」とか言った。(今とちがって、田舎のほうでは、子どもが、あ
る日突然いなくなることは、決して、珍しくなかった。「神隠し」という言葉も、日常的に
よく使われていた。)

 が、本書で、何よりも興味深かったのは、第5章の、あのラフカディオ・ハーンについ
ての部分。彼のルーツというか、彼の書いた小説のルーツが、実は、アイルランドにあっ
たということが、この本でわかった。「なるほど」と思い当たる部分も、多い。ハーンは、
日本の第一印象を、こう書いている。

 「小さな妖精の国……人も物も、みな、小さく風変わりで神秘をたたえている」(P17
1)。ハーンは、日本を見て、そこにアイルランドの妖精のイメージをダブらせたらしい。

 どこか陰湿で、どこか不気味さをともなうハーンの『怪談』。その原型は、まさしく、ア
イルランドの妖精にあったということになる。

 そういう意味では、ハーンの研究者には、必読の書と言ってもよい。こぎみのよい、読
みやすい文章。声に出して読んでも、よどみなく、読むことができる。自然な文体がすば
らしい。

 さて、本書とは関係ないが、天狗の話。

 私は子どものころ、その天狗の存在を信じていた。田舎へ行くと、おとなたちが、まこ
としやかに、天狗の話をした。「天狗を見た」「女の子を、小脇にかかえて、木から木へと、
ピョンピョンと渡り歩いていた」と。

 男の子だからといって、安心していてはいけない。ときには、「まちがえて」、男の子を
さらうこともあったという。男の子は、天狗の食用になるということだった。ゾーッ!

 さて、私自身は、アイルランドが大好きである。学生時代は、オーヘンリーの小説をよ
く読んだ。アメリカ人の作家だったが、「オー」が名前のトップにつく人は、アイルランド
出身の人を意味する。(「オー」というのは、「ヘンリー家の……」という意味である。)

 また学生時代、オーストラリアで、仲のよかった女性に、ジリアン・マックグレゴーと
いう人がいた。名前は、スコットランド系の名前だったが、生粋(きっすい)のアイルラ
ンド人。彼らは、「W」の発音を、少し長くのばして発音する。「What」は、「ウォ〜ア
ッ」となる。その英語で、よくアイルランドの民謡を歌ってくれた。(「マック」というの
は、スコットランドで、やはり「グレゴー家の……」という意味である。)

 ダンスパーティでも、アイルランドの人たちは、すぐ円陣を作ったり、何列かに並んで、
踊り出す。そういえば、映画『タイタニック』の中にも、そんなシーンがあった。覚えて
いる人も多いかと思う。

 下楠氏の本を読んで、アイルランドの歴史も、恥ずかしながら、はじめて知った。序章
の部分が、それにあたる。もっとはやく知っていればよかったと思った。アイルランドを
見る目も、少しはちがっていただろう。

 (年をとればとるほど、新しい知識に出会うのが、こわくなる。「こんなことも知らなか
ったのか」と、自分で自分がなさけなくなることもある。この本の序章を読んでいたとき
も、それを感じた。)

 アイルランドのことを、あれこれ思い浮かべながら読んだ。……イーニャ(エンヤ)も、
アイルランド人。ときどき意味のわからない歌詞で歌を歌うが、あれがケルト語か。ほか
に、映画だったが、『ライアンの娘』というのもあった。日傘が風に舞って、砂浜に落ちて
いくシーンが、印象的だった。
(はやし浩司 妖精のアイルランド 下楠昌哉 ラフカディオ・ハーン ラカディオ・ハ
ーン)

【本書の紹介】

 妖精のアイルランド
 下楠昌哉著
 平凡社新書、760円

++++++++++++++++++++++はやし浩司

●脳みその穴

 数日前、「脳みその穴」について、書いた。「脳みそには、穴があって、そこから、情報
や知識が、どんどんと外へこぼれ出てしまう」と。何とも非科学的な言い方だが、実感と
しては、それほど、まちがってはいないと思う。

 その脳みその穴。ここ数日、そのことを、ずっと考えていた。「年をとればとるほど、そ
の穴は大きくなる」と。つまりそれまでに蓄積した、情報や知識が、どんどんと外へこぼ
れ出てしまう。わかりやすく言えば、人間は、年をとればとるほど、愚かになる。バカに
なる。

 そこで穴があるのは、しかたないとしても、ただ指をくわえて見ているだけではいけな
い。が、それを防ぐためには、方法は、一つしかない。

 こぼれ出る量よりも多くの、情報や知識を、脳みその中に、詰めこんでいく。10個の
情報や知識がこぼれ出たら、20個の情報や知識を、新しく詰めこむ。20個の情報や知
識がこぼれ出たら、40個の情報や知識を、新しく詰めこむ。

 それを怠ると、どうなるか? そのサンプルのような老人は、あなたの周囲にも、いく
らでもいるはず。老人でなくてもよい。40代の人でも、50代の人でもよい。本や雑誌
など、読んだこともない。仕事から帰ってくると、見るのは、プロ野球の実況中継か、バ
ラエティ番組だけ。たまの休みには、魚釣りか、パチンコ。

 そんな人生を、20年も30年もつづけていたら、どうなるか……? 

 この脳みその穴のこわいところは、ある年齢を境に、急速に大きくなるということ。た
とえばよく、英語の単語が、ひきあいに出される。

 10代、20代のころに覚えた英語の単語は、比較的、脳みその中に、しっかりと残っ
ている。しかしそんな単語でも、そのままにしておけば、どんどんと忘れる。が、30代、
40代のころに覚えた英語の単語となると、忘れるのも早い。しかも何度、覚えなおして
も、すぐ忘れてしまう。

 頭の中にある情報や知識も、それと同じと考えてよい。が、それだけではない。

 人間が生きる上で重要な、倫理観や道徳観まで、その穴から外へこぼれ出てしまう。よ
く誤解されるが、人は年をとればとるほど、賢く利口になるというのは、誤解。誤解とい
うより、ウソ。自分が、その年をとってみて、それがわかった。

 むしろ人間は、年をとればとるほど、愚かになり、醜くなる。下劣になる人もいる。見
た目の(完成度)にだまされてはいけない。いかにすれば、自分がすぐれた人間に見える
ようになるか、その技術だけを、懸命にみがいている人も、少なくない。

 そこで一つの目安として、その老人の周囲を見てみればよい。日常的にどんな活動をし
ているかを、知ればよい。そのことを、ワイフに話すと、ワイフは、こんなことを言った。

 「他人との交流があればいいということ?」と。

 しかし私は、そうは思わない。交流するにしても、相手にもよる。

 人間というのは、本能的な部分で、自分と同レベルの人と交流しようとする。そのほう
が、居心地がよいからである。賢明な人のまわりには、賢明な人が集まる。そうでない人
のまわりには、そうでない人が集まる。

 そこで重要なことは、人も、ある程度の年齢に達したら、友を選ぶということ。その友
を選びまちがえると、とんでもないことになる。その人がもつ、低劣さというか、低俗さ
に、巻きこまれてしまうこともある。

 たとえばいつも、不平、不満、グチばかり言う人とつきあったとしよう。しばらくする
と、あなた自身も、その人と同じように、不平、不満、グチばかり言うようになる。

 だから年をとったら、自分をみがく上でも、さらに上だけを見て、前に進む。時間には
かぎりがある。ムダにできる時間は、ますます少なくなる。

 ワイフに、15年ほど前に読んだ本の話をした。その本は、余命いくばくもない、ある
若者が書いた本である。その若者は、HIVに感染し、エイズをすでに発症していた。そ
の彼は、こう書いていた。

 「私は、ムダなつきあいをしない。ムダな人とつきあっている時間は、もうない」「真の
友だけと、最後の時間を、静かに過ごしたい」と。

 その若者のような極限状態に置かれた人でないと、そういう心境を理解することはでき
ない。「いろいろな人とつきあうことも、大切ではないか」という意見もあろうかと思う。
しかし極限状態に置かれたこともない人が、そういう意見をいくら言っても意味はない。
勝手な推測にすぎない。

 私は、その若者の言ったことのほうが、正しいとい思う。だからワイフには、こう言っ
た。

 「これからは、ムダなつきあいは、もうやめよう。他人が、あれこれ批判しても、気に
することはない。言いたいように、言わせておけばいい。そうでなくても、脳みその穴か
らは、どんどんと情報や知識が流れ出ていく」と。

 かなり話が脱線したが、要するに、年をとればとるほど、人は、勉強しなければいけな
いということ。自らにムチを打ってでも、新しい情報や知識を吸収して、脳みその穴から
流れ出ていく分を補わなければならない。立ち止まった、そのときから、その人の人間性
や人格は、後退し始める。

 がんばるぞ! がんばります!


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 26日(No.628)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●好き嫌いのはげしい子ども

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福井県にお住まいの、Hさん(母親)から、
「うちの子は、好き嫌いがはげしくて困ります」
という相談をもらった。

それについて、考えてみたい。

+++++++++++++++++++++

 好き嫌いが、はげしい子どもがいる。このタイプの子どもは、それだけ、心の寛容性に
乏しい子どもということになる。このタイプの子どもには、つぎのような特徴が見られる。

(1)相手のささいな言動に、敏感。そのささいな言動に左右されやすい。
(2)そのささいな言動に、理由をこじつけ、自分を正当化する。
(3)嫌い方がはげしい一方、好きになると、徹底的にその相手を偶像化する。
(4)感情の起伏が、全体としてはげしい。いつも心が不安定で、動揺しやすい。
(5)相手の言葉にキズつきやすく、悶々と悩んだりする。
(6)とくに批判的な言葉には、異常なまでに敏感に反応する。
(7)敵、味方の区別を、はっきりと分けて行動する。
(8)嫌いな相手には、攻撃的になりやすく、暴言をあびせかけたりする。
(9)他人との良好な人間関係が結びにくい。
(10)自分を、すなおに、さらけ出すことができない。仮面をかぶりやすい。

 この時期、好き嫌いがはげしいというのは、好ましいことではない。こうした好き嫌い
が、一定の限度を超え、とくに人間関係で支障をきたすようになったケースを、境界型人
格障害(O・カーンバーグ)と位置づける学者もいる。

 原因のほとんどは、乳幼児期の母子関係にあるとみる。

 子どもの側からみて、絶対的な安心感を得られない家庭環境に育つと、子どもの心は、
さまざまな形で、ゆがみやすい。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
この絶対的な安心感があってはじめて、子どもは、自分のすべてをさらけ出すことができ
る。

 言いたいことを言い、したいことをする。一見、態度は横柄だが、それだけ、子どもの
心は落ちついているとみる。

 しかしその(絶対感)がゆらぐと、子どもの心は、不安定になる。とくに0歳〜2歳期
までに、一度、こうした不安感が形成されると、それが基底不安となって、生涯にわたっ
て、その子どもの人格に影響を与えるようになる。

 で、好き嫌いのはげしい子どもは、教える側からしても、指導のしにくい子どもという
ことになる。特定の教師を理想化し、偶像化して、徹底的に服従したかと思うと、今度は
一転、ちょっとしたことで、徹底的に嫌い始めたりする。ときに、はげしい絶望感を覚え、
自暴自棄になることもある。「すべて(オール)か、ゼロか(ナシング)か」という状態に
なる。

 で、子どもがこういう症状を見せたら、できるだけ早い時期にそれに気づき、(10)に
書いたことを参考に、自分を、すなおにさらけ出させるようにする。ありのままの自分を、
まず、さらけ出させる。

 好き嫌いをはっきりさせることと、すなおに自分をさらけ出すことは、一見、矛盾して
いるように見えるが、まったくの別問題。このタイプの子どもは、ここにも書いたように、
人前では、仮面をかぶりやすい。いつもどこかで、本当の自分を押し殺してしまうような
ところがある。

 好き嫌いがはげしいのは、それだけ、こだわりの強い子どもとみる。この時期、こうし
たこだわり(がんこ、自閉傾向、固執、固着)が見られたら、何らかの心の病気の前兆症
状ととらえて、警戒する。

 幼児期であれば、とくに母親の心暖かい愛情を大切にする。もう少し大きくなれば、ス
ポーツなどをとおして、自分の感情を発散させる。ワーワーと大声で騒いだり、笑うのも、
効果的。(私の教室では、そうして指導している。)
(はやし浩司 好き嫌いの激しい子供 好き嫌いのはげしい子ども O・カーンバーグ さ
らけ出し 基底不安 はやし浩司)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●運命

 それぞれの人には、それぞれ、無数の糸がからんでいる。家族の糸、兄弟姉妹の糸、親
類の糸、地域や国の糸。さらに健康や病気の糸、生い立ちや環境の糸などなど。

 こうした無数の糸が、その人にからみあって、その人の進むべき道や方向性を決めてい
る。私は、それを「運命」と呼ぶ。

 これについては、もう何度も書いてきた。そこでここでは、もう一歩、話を進める。

 こうした個人というワクを超えて、無数の個人が、これまた集団となって、全体の運命
を決めることがある。海にたとえるなら、大きなうねりのようなもの。個人というのは、
そのうねりの上に浮かぶ、草のようなものでしかない。

 この大きなうねりを「業(ごう)」という。

 この業は、その人個人を超えたところで、その人の運命を左右する。で、この業のこわ
いところは、つまりは、その人個人の力では、どうにもならないということ。だから、必
ずしも、善人が、幸福になれるわけではない。一方、悪人が、不幸になるというわけでも
ない。

 人によっては、生まれながらにして、不幸のかたまりのような人は、いくらでもいる。
いくらがんばっても、いくらもがいても、不幸だけが、つぎからつぎへとやってくる。

 その一方で、悪いことをし放題。人をだますのは、朝飯前。そんな人でも、結構、豪勢、
よい生活をしている。そういうケースも、これまた多い。

 そこで大切なことは、そうした表面的な一部だけを見て、業を判断してはいけないとい
うこと。運命を判断してはいけないということ。

 が、その業にせよ、運命にせよ、受けいれてしまえば、意外と、何でもない。人が、な
ぜ、業や運命を前にして、もがき、苦しむかと言えば、それを受けいれるのを、こばむか
らである。「そんなはずはない」「まだ何とかなる」「どうして私だけが……」と。

 「これが私の人生だ」と割りきってしまえば、自分自身を、業のうねりや運命の流れの
中に、静かに、自分を置くことができる。が、それができないとき、人は、業や運命をの
ろい、不平、不満をならべ、もがき、苦しむ。

 だからといって、業にせよ、運命にせよ、それが業だ、運命だといって、あきらめろと
いうことではない。人間の生きる美しさは、そうした与えられた業や、運命と戦うところ
から生まれる。生きる尊さも、そこから生まれる。無数のドラマも、そこから生まれる。

 しかしやはり、どうにもならないこともある。私という個人を超えた部分で、他人がか
らんでくるときだ。それが近親者であれば、なおさらである。そういうとき、自分をのろ
っても、しかたない。不平や不満を並べても、しかたない。

 こうした不平や不満には、連鎖性がある。つぎからつぎへと、不平や不満が、並ぶ。一
つの問題を解決したからといって、それで不平や不満が終わるわけではない。大本(おお
もと)の、問題が、何も解決していないからである。

 では、どうするか。

 業にせよ、運命にせよ、一見、個人をはるかに超えた、大きな力のように見える。どう
にもならないように見える。しかし、それは、あくまでも、そう見えるだけ。たとえて言
うなら、暴力団の親分のようなもの。もっと言えば、悪魔のようなもの。

 一見、強そうで、こわく見えるが、その実、気は小さく、ビクビクしている。自分が弱
いことを知っているから、虚勢を張って、強く見せているだけ。
 
 そこで、こうした業や、運命と戦うには、(戦うというほど、大げさなものではないが…
…)、日々のほんのささいなところから、業や、運命に、小さな「根」を打ちこんでいけば
よい。

 それを「善根(ぜんこん)」という。

 小さな約束を守る。小さな誠意を守る。まじめに生きる。ルールを守る。無理をするこ
とはない。今、そこにある心を大切にする。

 そうした日々の積み重ねが、月となり、月々の積み重ねが、年となり、やがてその人の
人格となる。そうした人格が、運命を変え、そうした無数の運命が集まって、うねりとな
り、今度は業すらも、変える。

 「善根」があれば、もちろん「悪根」もある。

 そこで善悪論ということになる。よいことをするから、善人というわけではない。悪い
ことをしないから、善人というわけでもない。人は、悪と戦ってはじめて、善人になる。

 あなたの周囲に、その悪根を感じたら、私たちは、その悪根とは、戦わねばならない。
見て見ぬフリをするのも、そのまま悪をのさばらせるのも、結局は、その悪根と同罪とい
うことになる。が、それだけではすまない。

 こうしたズルさは、あなた自身の運命を狂わすだけではなく、今度はそれが悪業となっ
て、つぎの世代の人や、周囲の人を巻きこんでいく。そうした人たちすらも、不幸にする。
根が深いだけに、その不幸の根も深い。

 朝食をとりながら、ここまで話したら、ワイフが、私にこう聞いた。「そういうときは、
どうすればいいの?」と。

 答は簡単。実にシンプル。

 「それに気がつけばよい」と。

 多くの人は、自分の業や運命にすら、気がつかない。気がつかないまま、それに作用さ
れて、右往左往する。しかしそれに気がつけばよい。「悪魔」という言い方は適切ではない
かもしれないが、わかりやすいので、その言葉を使う。

 悪魔は、いつも善人の顔をして、あなたに近づいてくる。あなたの味方であるかのよう
なフリをして、あなたに近づいてくる。しかしそのとき、あなたがその正体を見破れば、
悪魔は、向こうのほうから、あなたから遠ざかっていく。コソコソと、シッポを巻いて、
逃げていく。

私「悪魔に呑(の)みこまれてしまうと、自分がどこにいるかさえ、わからなくなってし
まうよ。そして本来なら、悩まなくてもよいような問題で、悩んだり、苦しんだりするよ
うになるよ」
ワ「悪魔は、気が小さく、おく病なのね」
私「そうさ。だからそれを感じたら、『お前は悪魔だ』と言ってやればいいのさ。そうすれ
ば、自分の心の中から、それは出て行く。自分からね……」と。

 何とも観念的な話になってしまったが、もしあなたが心のどこかで、ふと、自分の不幸
を感じたら、この話を思い出してみてほしい。きっと、あなたの心も軽くなるはずである。
(はやし浩司 運命論 業 悪業 悪魔論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】

●ビデオ

 アメリカに、TUBE社という、無料で、ビデオを登録してくれる会社がある。一作に
つき、100MBまで無料で、登録してくれる。すごい。さっそく、いくつかのビデオを
登録してみた。

 まず自分の本を朗読し、それをビデオに収めてみた。そしてそれを恐る恐る、アップロ
ード。そのアップロードに少し時間がかかるが、それでも、無事、終了! あとは、その
アドレスにアクセスするだけで、自分が登録したビデオを自由に、呼びだすことができる。

 とたん、おもしろさが、100倍! 今まで、何度もビデオ編集に挑戦してみたかった
が、その機会がなかった。本当は、あきらめていた。

 一度、自分のHPに、動画や音声をのせようとしたことがある。数年前のこと。しかし
私の入っているプロバイダーでは、HPの容量は、30MBまでと決められている。(当時
は、たったの10MB!) それ以上になると、30MBごとに、年間、1万円の費用がか
かる。

 動画や音声は、メモリーを、メチャメチャ消費する。数分間、自分の声を入れただけで、
10MBほど。だから、あきらめた。

 しかし1作につき、100MBとなると、かなりの量のビデオを、登録することができ
る。128MBのメモリーカードで、約15分間ほど、映像と音声を録画できるので、ほ
ぼそれくらいのものを、登録できることなる。(私のデジカメのばあい……。)

 そんなわけで、またまた、パソコンショップ通いが始まった。新しい編集ソフトをなが
めたり、雑誌を読んだり。この世界も、結構、奥が深そう? しばらくこの世界で、道を
きわめてみたい。

 一部は、私のHPから、呼び出せるようにした。興味のある人は、どうか見てほしい。
+笑ってほしい。

 しかしHPに、映像や音を、自由にのせられるとなると、使い勝手も、大きく変わって
くる。たとえばQ&Aコーナーなども、直接、映像と音声で、読者の相談に答えられるよ
うになる。さらに……。

 考えているだけで、ワクワクしてくる。さあ、どうしようか?


●「右」と「左」

 「右」という漢字と、「左」という漢字は、書き順がちがう。

 「右」は、まず縦棒を先に書いて、つぎに横棒を書く。
 「左」は、まず横棒を先に書いて、つぎに縦棒を書く。

 しかし、だ。私は何度、覚えても、この書き順をすぐ忘れてしまう。そこで、「左」に焦
点をあて、「左横」と暗記する。「左という漢字は、横棒を先に書く」という意味である。
「右」は、その反対ということになる。

 しかし、それも忘れてしまう。どうでもよくなってしまう。ホント! 

 どうしてこんな書き順があり、それが重要なことなのだろうか。どちらか先に書こうが、
どうでもようではないか。私が、まちがった書き順で書いていると、すかさず生徒たちが、
こう叫ぶ。「書き順が、ちがうよ!」と。

 そこで私はこう言ってやる。ぼくたちが小学生のころには、先生によって、書き順がみ
な、ちがったよ。それを、ぼくたちが小学3、4年生のときに、統一されたんだよ。だか
ら、書き順といっても、絶対的なものではない。大切なことは、読めればよいということ。
文字ではなく、その中味なんだ」と。

 しかし一応、生徒たちの前では、正しい書き順で書かねばならない。内心では、「バカく
さい」と思っていても、それを口に出して言ったら、おしまい。

 で、そういう思いでいる学校の先生たちも、多いはず。みんなで力をあわせて、こうい
う、まあ、どうでもよい慣行と戦っていきたいと思う。少なくとも、トメ、ハネ、ハライ
は、もうなくしたらよい。毛筆で字を書く時代は、とっくの昔に終わった。


●熱い頭

 前から、そのことは、わかっていた。前から、そのことを、一度は、親たちに話してみ
たかった。しかしその機会もなく、今日までになった。が、今日、はじめて、私は、親た
ちの前で、こう話した。たまたま、その話になった。

 年中児たちのクラスでのこと。

 私は、教えているとき、よく子どもたちの頭をなでる。ほめるために、そうする。その
ときのこと。頭の熱い子どもと、そうでない子どもがいるのがわかる。

 10人のうち、40度近い高熱を発する子どもは、2、3人はいる。実際に、測定した
ことがないので、わからないが、実感としては、それくらい、熱く感ずる。まったく熱く
ならない子どもも、2、3人はいる。自分の頭と、さわりくらべてみれば、それがわかる。

 今日も、何かの作業をしているとき、順に、子どもたちの頭をなでながら、席を回った。
そのとき、1人、とくに熱く感ずる子ども(男児)がいた。「風邪をひいている」とその子
どもが言ったら、即、家に帰したであろう。もちろん、風邪など、ひいていない。

 そこで横で参観をしていた、その子どもの母親を呼んだ。そしてこう言った。「ちょっと、
頭にさわってみてください」と。

 母親は言われるまま、自分の子どもの頭に手を置いた。「ね、熱いでしょう?」と声をか
けると、「ホント!」と、大きな声で、驚いた。

 「ほかの子どもたちの頭とくらべてみてください」と言うと、その母親は、私がいつも
子どもをほめるようなしぐさをしながら、順に、子どもたちの頭にさわった。

私「冷たいからといって、頭を使っていないということではありません。しかし頭を、フ
ル回転で使っている子どもの頭は、熱くなります」
母「パソコンと同じですね」
私「そうです。酸素を、頭の中で猛烈に消費しているのです。だから熱くなります」と。

 そのあとだ。私が言いたかったことが、私の口から出てきた。

 「大切なことは、子どもたちの頭を熱くすることです。それが私の教育法の要(かなめ)
です。熱くなっているということは、脳の神経細胞から、無数のシナプスが、からみあい
ながら、その子どもの頭をよくしているということです」と。

 「子どもの頭を熱くさせるには、どうすればよいかということになりますね。それには、
子どもの頭を、四方八方から、刺激すればよいのです。しかも間を置かないようにして、
リズミカルに、子どもの頭を刺激していく。わかりやすく言えば、子どもを、知的な意味
で、興奮状態にします」

 「こんな言い方は失礼になるかもしれませんが、年中児のときから、私の教室へ入った
方は、本当にラッキーだと思いますよ。年長児にもなると、方向性は、ほぼかたまってき
ます。しかし年中児だと、その方向性そのものを、いじることができる」

 「この時期に、論理的な思考性を養っておくと、その子どもの思考力は、飛躍的に発達
します。子どもの発達には、適齢期というものがありますが、満4・5歳から5・5歳と
いうのは、そういう意味では、とくに重要な時期です」

 「さらに一言、つけ加えれば、こういうことです。年中児を教えるのは、たいへんな作
業です。年長児の、2、3倍のエネルギーを消耗します。損とか、得とか、そういう言い
方は、あまり好きではありませんが、本来なら、年中児のばあい、年長児の2倍以上の月
謝をもらいたいくらいなんですよ」と。

 親たちは、笑っていたが、これは事実。学年を追うごとに、教えるのは楽になる。たと
えば中学校の受験生など、眠っていても、教えられる。しかし幼稚園児となると、そうは
いかない。年中児となると、なおさら。

 そこまで言い終わって、私は、胸の中がスカッとしたのを感じた。今まで、私はこのこ
とを言いたくても、だれにも、言えなかった。しかし今なら、自信をもって言うことがで
きる。ここに書いたことは、100%、事実だからである。

 ちなみに、いやいや勉強している子どもの頭にさわってみるとよい。頭が氷のように冷
たくなっているのが、わかる。が、それでは、いくら時間ばかりかけて、勉強しても、意
味はない。
(はやし浩司 熱い頭 頭をよくする方法 頭を良くする方法)


●オーストラリア

 2007年の春、ワイフとオーストラリアへ行くことにした。滞在期間は、未定だが、
たぶん、1週間前後になる予定。

 今時、オーストラリアくらいなら、だれだって行く。格安旅行ともなると、4泊5日程
度なら、10万円程度で行くことができる。しかし私にとって、オーストラリアというの
は、特別の意味がある。たとえていうなら、宗教者にとっての聖地のようなもの。簡単に
は、行きたくない。行けない。

 そのことをワイフに話すと、ワイフは、心底、喜んでくれた。「おまえに、ぼくの青春時
代のすべてを見せてあげたい」と。

 私にとっての、あの時代は、まさに「灯台」のような時代である。そのあと、ずっと、
私の進むべき方向を、あの時代が、示してくれた。つらいときや、悲しいとき、必ずとい
ってよいほど、私の足元を照らしてくれた。

私「ハウスで2泊、しよう。今でも、ゲスト・ルームがあるはずだ」
ワ「ほかには?」
私「メルボルンでも、最高級のホテルに泊まろう」
ワ「ほかには……?」
私「トラム(電車)に乗って、メルボルンの市内中を回ろう」

ワ「それから……」
私「パークビルの角には、今でもミルクバーがあるはずだ。あそこでミルクセーキを飲も
う」
ワ「今でも、あるかしら?」
私「E(息子)の話では、今でもあるそうだ」と。

 あの時代を、私の人生の(スタート)とするなら、2005年のX月は、私の人生の(ゴ
ール)ということになる。長くて、短い人生だった。私自身は、いつも、心のどこかで、「私
がオーストラリアへ行くときは、自分にとっては、最期のときだ」と、思っていた。「それ
を最後に、死んでも悔いはない」と。

 そのときが、やってきた。ついにやってきた。たいした人生ではなかったが、しかし私
は、いつも気高く生きることができた。今から思うと、あの時代は、毎日が夢のようだっ
た。その時代に、再び、私は、もどることができる。最愛のワイフに、それを見せること
ができる。

 再び、「行こうね」と声をかけると、ワイフも、「行くわ」と行った。うれしかった。

【補記】

 飛行機恐怖症。一度、羽田で飛行機事故にあってから、私は、飛行機恐怖症になってし
まった。飛行機に乗れなくなってしまった。飛行機の乗ると思っただけで、足がすくんで
しまった。

 しかしそういう状態は、数年のうちには、なおった。しかし今度は、飛行機には乗れる
のだが、先方の相手国へ行くと、極度の不眠症に悩まされるようになった。たとえば3泊
4日の仕事で、台湾へ行ったとしても、現地で、眠ることができない。それで結局、飛行
機に乗る機会は、少なくなってしまった。

 が、2007年。オーストラリアへ行く。その私は、ある意味で、死ぬ覚悟ができたと
も言える。そうでない人には、少しおおげさな言い方に聞こえるかもしれないが、私にと
っては、そうだ。

 では、なぜ、2007年かって? 三男が、いよいよ大学を卒業して、社会に巣立つか
ら。つまり、私とワイフが、死んでも、もうだいじょうぶ(?)ということ。だから20
07年にした。


●涼しくなったぞ、さあ、選挙だ!

 テレビのニュースは、今度の衆議院議員選挙一色。昨夜、それについて、A氏(某幼稚
園理事長)と、30分ほど、話す。

 内容は、ただいま、選挙中なので、ここに書くことはできない。

 が、国民の関心は、かつてないほど、高いようだ。投票率も高くなるだろう。しかし私
の胸中は、複雑。どの政党に投票するかは、だいたい決めたが、しかし……。

 A氏とは、そのあとは、もっぱら、韓国問題と、中国問題について話しあう。A氏も、
韓国が理解できなくて、困っているようだった。ホント!

 N大統領の支持率は20%程度。そのN大統領率いる、与党の支持率も、これまた1
0%! 当然といえば、当然。N大統領は、自分の国を、どこへもっていこうとしている
のか?

 中国にしても、民主化の流れは、もう止まらない。今どき、一党独裁の共産主義国家と
いうこと自体、おかしい。そのおかしさが、いつ崩壊するか? 党幹部があがけばあがく
ほど、中国国内は、混乱する。

 N大統領も、中国も、結局は、自国の矛盾を、反日、反米に結びつけていくしかないの
か? 日本こそ、えらい、迷惑。

 ……というような話をした。

 私はA氏のように、主義主張が、はっきりしていて、一貫性のある人が大好き。議論し
ていても、竹をスパスパ割るようで、機もちよい。近く、会いに行くつもり。


●勉強しよう!

 年をとればとるほど、みなさん、勉強しよう! 私の年代でも、本や雑誌をまったく読
まない人が、多い。いいのかなあ……?、と思うことがある。

 勉強するということは、知識や情報を吸収するということ。それに、考えるということ。
私の年代になると、脳ミソの底に、穴があく。

 せっかく覚えたことでも、少し、放っておくと、その穴から、下へ、どんどんとこぼれ
てしまう。だからこぼれていく以上に、どんどんと補っていかねばならない。

 が、こんな簡単なメカニズムすら、わからない人が多い。「私は完成された人間だ」と錯
覚している人すら、いる。

 しかし完成された人間など、いない! とくに人間性については、そうだ。

 むしろ、体力や気力が弱くなってくるので、中身が、オモテに、モロに出てきてしまう。
これがこわい。若いときは、その体力や気力でごまかすことができる。しかし年をとると、
それができなくなる。

 ……かくして、年をとればとるほど、愚劣になっていく人は、多い。愚劣になるという
よりは、中身が、オモテに出てきてしまう。

 だから、みなさん、がんばって、勉強しよう。勉強して、自分をみがこう。これは健康
論と同じ。少し運動を怠けていると、その時点から、病気に向って、まっしぐら! 同じ
ように、少し勉強を怠けていると、その時点から、ボケに向って、まっしぐら!

 イヤだね。本当に、イヤだね。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●老人介護の問題

+++++++++++++++++++++

介護の問題が、ますます深刻になってきている。
そしてその悲鳴は、いたるところ、今では、ど
こかからも聞こえてくる。

しかしこれは、決して他人の問題ではない。
あなたの近未来の問題である。

+++++++++++++++++++++

 老人と同居している家庭は、多い。しかしそれ以上に、老夫婦だけとか、老人ひとり住
まいの家庭も多い。事情は、100の家庭があれば、100、ちがう。1つとて、同じ、
家庭はない。

 痴呆老人をかかえている家庭。
 病弱な老人をかかえている家庭。
 何かの精神的な病をもつ老人をかかえている家庭など。

 わがままな老人をかかえて四苦八苦している家庭も、多い。さらに介護費用や、世話の
負担にあえいでいる家庭もある。遺産問題、介護の分担で、息子、娘たちが、醜い争いを
している家庭となると、ゴマンとある。

 私のところに寄せられる相談やメールを読んでいると、この問題が、いかに深刻なもの
かが、わかる。しかもこの問題だけは、だれしも、避けては通れない。老人の問題とは言
うものの、それは、あなたや私たち自身の問題でもある。

 あなたも、いつか、かならず、その老人になる。その上、さらに深刻なことに、もうす
ぐ、3人に1人が老人という世界が、やってくる。そうなったとき、あなたは、この問題
を、「私には関係ない」と、はたして、そう言い切ることができるだろうか。

 で、今、その老人の介護で苦労している人は、みな、こう言う。

 「ときどき、ふと、死んでしまいたくなることがある」
 「自分が老人になったら、みんなに迷惑をかける前に、死にたい」
 「生きているのがいやになることがある。気がついてみたら、フラフラと、道路の真ん
中を歩いていたことある」と。

 まだ、40代、50代の若い女性たちが、そう言う。つまりここに、老人介護のもつ深
刻さがある。それがいかに重労働であるかは、老人介護をしたことがあるものでないと、
わからない。それを、「先の見えない介護」と表現した女性(40歳くらい)もいた。

 しかしなぜ、こうまで、老人介護が、介護をする人たちに、負担をかけてしまうのか。

 第一に考えられるのは、家族そのものがもつ、重圧感。心理学の世界でも、「幻惑」とい
う言葉を使って、それを説明する。子どもは、生まれながらにして、親子の絆(きずな)
を、本能的な部分で、刷りこまれてしまう。

 最近の研究では、人間にも、鳥類に似た、刷りこみ(インプリンティング)がなされる
ことがわかってきた。この刷りこみが、生涯にわたって、その人の親子関係の基本をつく
る。そして一度、その刷りこみがなされると、その介護の問題を合理的に考えることすら、
できなくなる。本能に近い部分にまで、深く、しっかりと刷りこまれるからである。

 本来なら、親はそのつど、じょうずに子離れをしながら、子どももまた、じょうずに親
離れできるように、仕向けなければならない。しかしこの日本では、ベタベタの親子関係
をむしろ奨励するようなところがある。またそういう親子関係であればあるほど、よい親
子と評価する。

 もっとも、良好な親子関係を築いている家庭も、ないわけではない。たがいに尊敬しあ
い……というような家庭である。しかしそんな家庭は、今では、さがさなければならない
ほど、少ない。

 とくに介護の重圧感に苦しむのは、実の息子や娘ではなく、義理の息子や娘である。直
接的な血縁がないだけに、介護をしながらも、大きなジレンマに襲われる。ある女性は、
義理の母親に、毎日のように、罵倒(ばとう)されている。

 「お前は、ワシの財産目当てに、息子と結婚したのだろ!」
 「息子を、横取りしやがって、このヤロウ!」と。

 多少のボケがあるとは言え、そんな言葉を、義理の母親から毎日のように浴びせかけら
れたら、だれだって、気がヘンになる。が、そういう呪縛から逃れることもできない。「私
は、まるで義理の父母の世話をするために、今の夫と結婚したようなものです」「家政婦以
下? それともホームヘルパー?」と言った女性もいた。

 しかしそのときでも、夫の暖かい愛情や理解があれば、まだ救われる。しかしそういう
家庭ほど、夫は無関心。理解もない。「家庭の問題は、妻の仕事」と逃げてしまう。妻が、
義父や義母のことで、相談をもちかけただけで、怒りだしてしまう夫も、少なくない。

 夫自身が、親絶対教の信者、もしくは、マザコンであるなら、なおさらだ。

 そこで追いつめられた女性は、もがき、苦しむ。が、先にも書いたように、それは、ま
さに「先の見えない苦しみ」。明日が今日よりよくなるという保証は、どこにも、ない。な
いばかりか、明日は、今日より、確実に悪くなる。

 本音を言えば、「介護なんて、こりごり」「あんなクソジジイ、クソババアなど、早く死
んでしまえ」ということか。しかしそれを口に出したら、お・し・ま・い! 

 だからがまんする……。「死にたくなる」という思いは、そういうところから生まれる。

 ……と考えていくと、この問題は、実は、私たち自身の問題であることに、気づく。

 あなたも、私も、確実に、老人になり、老後を迎える。ふつうどおりに健康であれば、
例外は、ない。で、そのとき、あなたは、自分自身の老後を、どのように考えているだろ
うか。

 こんな例がある。

 老人になればなるほど、住み慣れた場所に、住みたがるものだという。が、年齢には勝
てない。その女性は、今年、85歳になった。ボケもさることながら、気位が高く、がん
こ。その程度のことなら、どんな老人でも、そうかもしれない。が、ここに、その老人特
有の、人生観や価値観がからんでくる。

 ある老人は、「老人ホームへ入ることを、恥」と考えていた。また別の老人は、地元から
都会へ出て行く仲間たちを、「負け組み」と、いつもあざ笑っていた。

 こういう老人が、老人用の施設に入ったり、自分の住んでいる地域を離れて、別の地域
に住むようになるということは、敗北を認めるようなもの。自己否定につながることもあ
る。

 だから、動かない。絶対に、動かない。ある女性は、東京から、京都に迎えに来た息子
夫婦に対して、こう叫んだという。「私を京都から連れ出すなら、殺してからにしろ。さも
なくば、電車に飛びこんで、死んでやる」と。

 マンガのような話だが、当の本人たちにとっては、深刻な話である。かといって、放置
しておくこともできない。老人によっては、徘徊(はいかい)、放火などの病癖をもってい
ることもある。近所の人たちに迷惑をかけているケースとなると、さらに多い。

 で、あなたや私が、そういう老人にならないという保証は、どこにもない。むしろ、そ
ういう老人になる可能性は、きわめて高い。

 では、どうすればいいのか。どうあるべきなのか。

 オーストラリア(南オーストラリア州)では、すでに一定のコースができあがっている。

 健康な間は、働く。55歳前後の定年期を迎えたら、老人は、町中のマンション(フラ
ット)に移る。近隣の人たちが、その老人のめんどうをみる。さらに病弱になれば、老人
ホームへ入居する。そこで、最期のときを、迎える。

 ほとんどの人たちがそうしているから、それが一つのコースのようにも、なっている。
仮に息子や娘が町の中にいても、同居はしない。近くのマンションに住む。「子どもたちに
迷惑をかけたくない」という配慮からではなく、「自分の親たちも、そうしてきたから」と
いう考え方をする。

 ごく自然な形で、みな、そうしている。

 が、この日本には、そういうコースすら、まだない。冒頭にも書いたように、家庭によ
って、事情が、みな、ちがう。老人や老人介護に対する考え方も、みな、ちがう。それに
日本独特の、伝統や土着文化がからんでくる。家庭によっては、事情がこじれにこじれ、
何がなんだか、わけがわからなくなってしまっているというケースも、少なくない。

 そこで私たちは、自ら、自分たちの老後がどうあるべきかについて、考えておかねばな
らない。このばあいでも、「老後は、息子や娘たちの世話になる」と、もしあなたが考えて
いるなら、そういった考え方は、今すぐ、捨てたほうがよい。世話になってはいけないと
言っているのではない。

 しかしこうした安易な依存性こそが、やがて、ジワジワと、真綿でクビをしめるかのよ
うに、あなたの子どもたちを苦しめ、結局は、あなた自身も、それで苦しむことになる。

 さらにもしあなたが、老後を、老人ホームで暮らすことは恥ずかしいことだとか、老後
は、孫の世話でもしながら……と、考えているなら、そうした考え方も、今すぐ、改めた
ほうがよい。

 もちろん息子や娘たちのほうから、「めんどうをみる」と言ってくるときは、話は別であ
る。しかしそのときでも、どこかに一線を引いておかないと、あなたの子どもたちを苦し
め、結局は、あなた自身も、それで苦しむことになる。

 はっきり言おう。介護保険制度など、アテにならない。ならないことは、現状をみれば、
わかる。介護保険制度は、すでに破綻している※。介護を必要としている人が、その制度
を受けられるようなしくみになっていない。それこそ、寝たきりのような、要介護4か5
くらいにならないと、施設にも入れない。

 しかし人は、いきなり、そういう状態になるのではない。5年単位、10年単位で、そ
うなる。そういう状態になったときのことを、今から、考えておく。

 が、若いあなたにとっては、ずっと先の話かもしれない。で、とりあえずは、こんなこ
とに注意したらよい。

 どうすれば、役にたつ老人になれるか。どうすれば、健康な老人になれるか。そしてど
うすれば、新しい価値観をもつ老人になれるか。それを考える。考えながら、自分の老後
を組み立てていく。

 日本人の約3分の1が、老人になる時代は、もう、すぐそこまできている。どうしてそ
んな時代に、若い人たちに向って、「私たちのめんどうをみてほしい」などと、言うことが、
私たちに、できるだろうか。
(はやし浩司 老人介護)

※注……多くの病院が、今、急性期病院を選択している。そのため、こうした病院では、
長期入院ができないしくみになっている。それこそ応急処置だけをして、そのまま患者を
家に帰してしまう。あとは在宅治療ということになる。

 しかしその一方で、こういう手間のかかる(?)老人は、介護施設には入れない。その
結果、結局は、こうした重度の病気をもった老人は、二重、三重の負担となって、家族に
重くのしかかってくる。

 知人の義理の父親は、2日おきに、腎透析を受けている。認知症もかなり進行している。
しかしそういう老人を、引き受けてくれる病院もなければ、介護施設もない。おかしなこ
とだが、介護施設で受けいれてくれる老人は、一応、健康な老人にかぎられている。が、
介護を必要な老人で、健康な老人というのは、いるのだろうか。

 また介護度によって、支給上限額が決められている。

 要支援 …… 6万5800円
 要介護1……16万5800円
 要介護2……19万4800円
 要介護3……26万7500円
 要介護4……30万6000円
 要介護5……35万8300円

 額だけながめると、手厚い保険制度に見えるかもしれない。しかし今、認定基準は、ま
すますきびしくなってきている。よほどひどくないと、要介護1にも、認定されない。が、
その一方で、要介護5クラスの老人ともなると、とても、この額では、足りない。

 さらに慢性的な病気をもっている老人ともなると、介護施設への入居そのものを断られ
てしまう。もちろん、病院へも、入院できない。これでは、いったい、何のための介護制
度かということになる。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●不器用な生き方

 不器用といっても、手先の不器用さのことではない。生き方の不器用さを、いう。

 世渡りのうまい人がいる。が、その一方で、世渡りのヘタな人がいる。実直で、ウソが
つけない。口もヘタ。そういう人を、不器用な人という。

 融通性にかける。臨機応変に対処できない。頭がかたい。がんこ。クソまじめ。いつも
自分で、重荷を背負いこんでしまう。損をすることは、あっても、得をすることはない。
映画の『喜びも悲しみも幾年月』の中の、佐田啓二演ずる、有沢四郎に、そのイメージを
い思い浮かべる。すばらしい映画だった。今でも、あの歌を口ずさむと、目頭がジンと熱
くなる。

 監督、原作、脚本は、木下恵介。音楽は、木下忠司。

 最後のシーンで、燈台守の有沢と、娘夫婦が乗る汽船が、たがいに汽笛を交わしあうと
ころがある。そこでは、観客は、みな、人目もはばからず、涙を流した。

 ……と、考えていくと、不器用であることは、何ら、恥ずべきことではない。むしろ、
長い人生を振りかえってみたとき、不器用だった人のほうが、心にぬくもりを与えてくれ
る。そういう人ほど、人生が何であるかを、教えてくれる。

 が、現代社会では、不器用な人ほど、生きにくい。社会から取り残されるだけではなく、
社会のスミに、追いやられてしまう。その一方で、世渡りのうまい人ほど、成功者として、
もてはやされる。

 人を見る目というか、価値観そのものが、ズレてしまった。私には、そんな感じがする。
そこで重要なことは、私たち1人ひとりが、そのズレたものの考え方を、少しずつ、軌道
修正していくこと。みなが、少しずつ、それをすれば、やがてそれが大きな力となる。

 しかし、それは可能なのか?

 一つだけ不安なのは、その木下恵介だが、晩年になればなるほど、権力への志向性が強
くなったというか、どこか、庶民性をなくしていったように思う。これはあくまでも、私
の印象なので、異論のある方も多いと思う。しかし晩年の作品には、『喜びも悲しみも幾年
月』に見られたような、あの透きとおるような純粋さは、もう感じられなくなってしまっ
た。

 ……ということを、ワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「あの監督は、もともと、
器用な人だったということよ」と。つまり「監督になるような人だから、不器用な人では、
監督にはなれない」と。ナルホド!

 話はそれたが、しかし『喜びも悲しみも幾年月』は、名作中の名作であることは、だれ
の目にも疑いようがない。私がその映画を見たのは、子どものときだった。そんな私です
ら、夫婦というのは、こういうものだということを、教えられた。

 その原点で光り輝いているのが、やはり、有沢四郎の不器用さ、である。息子の臨終の
際にも、有沢四郎は、灯台を守った。父親として、どうあるべきだったかということにつ
いては、議論もあるだろう。が、有沢四郎にしてみれば、灯台を放り出して、病院へかけ
つけることはできなかった。

 そうした不器用さは、今の私には、痛いほど、よく理解できる。もし私が、有沢四郎の
立場だったら、私も、同じようにしただろう。

 器用に生きる……。その典型的な例が、今を騒がせている、リフォーム詐欺である。「リ
フォームする」と言っては、老人たちをだまし、高額のリフォーム代を請求する。しかし
私たちが「ビジネス」と呼んでいるものは、多かれ、少なかれ、そのリフォーム詐欺のよ
うなもの。「私のしている仕事は、リフォーム詐欺とはちがう」と、胸を張って言える人は、
いったい、何人いるだろうか。

 私たちは、生きていく上で、いつも、心のどこかで良心をねじまげ、誠意を犠牲にし、
自分をごまかしている。また、そうでないと、この現代社会では、生きていくことすら、
おぼつかない。

 それが平気でできる人のことを、器用な人という。そうでない人を、不器用な人という。
が、不器用であることが悪いというのではなく、不器用がもつ、美徳のようなものに、私
たちは、もう少し、敬意を払ってもよいではないだろうか。それが、このエッセーの結論
ということになる。

【付記】受験生でも、器用な受験生ほど、スイスイと、受験社会を渡り歩いていく。受験
勉強しかしない。受験勉強しかできない。頭の中は、センター試験の数字だらけ。

 一方、不器用な受験生というのも、いる。受験期に入ったというのに、学校祭のために、
毎晩、学校から帰ってくるのは、真夜中。で、やっと始めた受験勉強にしても、どこか、
トンチンカン。要領がわからないために、回り道ばかりしている。

 「お前なあ、そんなところは、試験には出ないよ」と教えてやるのだが、「先生、いいよ、
いいよ」と言っては、そこばかり勉強している。つまりは、この段階から、現在社会では、
器用な子どもは得をし、不器用な子どもは損をする。そういうしくみが、すでにできあが
ってしまっている。

 そんな感じがする。
(はやし浩司 不器用 器用)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●韓国N政権の大失政

 韓国国内でも、N大統領の「失政」が指摘されるようになってきた。N政権が、反日、
親北政権であることは、よくわかる。しかしどうして、今、反米なのか?

 N大統領のしていることは、はっきり言って、まともではない。

「日本の植民地下の反民族行為真相特別法」なるものを制定したり、「真実・和解のため
の過去史清算基本法」なるものも制定したりしている。それに合わせて、国家情報院、
警察、国防部などが、独自の過去史解明委員会を稼動している。

 もう、日本たたきのためなら、何でもござれ、といった感じ。

 しかしこれとて、国民の目を、容共から、そらすためではないのか。今まで、さんざん、
反共でつき進んできた韓国。が、ここにきて、突然、容共(?)。あるいは自分の失政を、
日本のせいにしている……?

 おかげで、経済は、年率5%の成長から、3%台に。さらに今年に入ってからは、1・
5%台に、失速。

 そのため、現在、大統領の支持率は、たったの20%台(東亜N報)。与党の支持率は、
さらに低く、たったの10%台(同)。日本でこんなことが起きたら、即、内閣不信任案が
可決され、総選挙。

 N大統領よ、もう過去に固執するのは、おやめなさい! アメリカや日本を、これ以上、
怒らせて、あなたの得になることは、何もない。反対に、今のK国と組んで、一体、何を
得するというのか?

 「同胞意識」も結構だが、こうした誇張された民族主義(アインシュタイン)こそが、
世界平和の敵であることも、忘れてはいけない。

 「K国の核問題は、ワレワレが解決してみせる」と、大見得を切って登場したものの、
何も解決していない。していないばかりか、反対に、K国に核兵器開発を擁護したり(統
一相)、資金を援助したりしている。

その結果、韓国では、ここ数年、毎年、1万4000人前後が、アメリカを中心として、
海外へ移住している。海外定住をめざした留学生も、02年末までに、34万人を越え
た。国民が、韓国そのものを、捨て始めている。

さらに、若者の間でも、求職をあきらめたものが、15万人。貧困層にいる人が、72
0万人弱(朝鮮N報)。これは全人口の15%に相当する。

さらに、いくつかの国策企業(S電子、H自動車など)をのぞいて、ほかの企業は、軒並
み、お仲間であるはずの中国に、このところ、やられっぱなし。N大統領は、こうした
事実を、どう考えているのか。

 今なら、まだまにあう。日米韓の同盟に、もどることができる。しかし今回の6か国協
議が決裂してからでは、もう遅い。すでに、決裂の様相を見せ始めているが、しかし、今
なら、まだ間にあう。

 すでに、アメリカは、韓国を、見放しつつある。日本企業も、どんどんと撤退を開始し
ている。

 N大統領。あなたが仲間になろうとしている、K国の金xxは、共産主義者ではない。
ただの独裁者。どうか、それを忘れないでいただきたい。
(05−08−28記)


++++++++++++++++++++++はやし浩司

●動画と音声

 やっと私のHPに、動画と音声をのせることができるようになった。以前から、何とか
したいと思っていたので、うれしかった。

 興味のある方は、私のHPのトップページから、「声で朗読」へと進んでみてほしい。ま
だプロトタイプ(試作品)の段階なので、お見苦しい点は、多いと思う。が、これが私に
とっての(はじめの一歩)。

 これから先は、動画を編集したり、静止画をまぜたりして、より楽しいものにしていき
たいと思っている。

 ぜひぜひ、一度、のぞいてみてください。

(補記)

 しかしみなさん、これでインターネットが、とうとう新聞や、テレビの領域を、超えま
したね。テレビのもつ力には、まだまだ……といった感じかもしれませんが、それも時間
の問題です。が、新聞の時代は、確実に、終わりつつあるように思います。

ところで、昨日から、息子に教えられて、グーグル・トークというのにも加入しました。

 無料電話のようなものです。……ということは、インターネットは、電話の世界も超え
てしまった。アメリカにいる息子と、30分近く、話をしましたが、これが無料でした。

 これはまさに、産業革命。知的産業革命です。今、私たちは、そういう時代を、まのあ
たりで、経験しつつあるのですね。すごいことです。



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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○      
.        =∞=  // (奇数月用)10
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 23日(No.627)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●BW教室から……

 今日、生徒たちとこんな会話をした。

 私が、何かの会話のついでに、ふと、「M君のお母さんって、すてきな人だね。好きだよ」
と言ったときのこと。別に深い意味があったわけではない。M君の母親は、気品があって、
美しい人だった。するとすかさず、G君(小5)が、こう言った。

「先生、それって、不倫じゃ、ない?」と。

 そこで私も、こう言ってやった。

私「君は、サッカーが好きか」
G[そう、好きだよ]
私「じゃあ、君は、サッカーと不倫をするのか?」
G「そんなの、こじつけだよオ」
私「好きだからといって、すべて不倫というわけじゃない。好きなものは、好き。M君の
お母さんの、ファンということ。それだけのこと」と。

 すると、それを横で聞いていた、M君がこう言った。

 「あのなア、林、おいらのママと不倫したら、あんたは、おいらのパパに殺されるよ。
わかっているの?」と。

 その言葉に、私も、ドキッとした。今どきの子どもたちは、何でも知っている!

 すると、そこへ、本当に、M君の母親が、入ってきた。何とも気まずい雰囲気になった。
G君も、M君も、そして私も……。

私「こんにちは」
M君の母親「こんにちは」と。

 しかしこういう話は、誤解を招きやすい。私のほうから、M君の母親に、それまでの会
話を説明した。

私「今どきの子どもたちは、何でも知っていますね」
M君の母親「フフフ……」と。

 私も子どものころは、かなり先を行く子どもだったように思う。しかし「不倫」とか「浮
気」などという言葉さえ、知らなかった。が、今はちがう。ドロドロした人間関係が、そ
のまま、子どもの世界にまで、入りこんでいる。

 それはそれでしかたのないことかもしれない。しかしそういう子どもたちを見ていると、
一つだけ、心配なことがある。つまり、倫理観や道徳観がともなわないまま、知識や情報
だけが、どんどんと子どもたちの世界に、なだれこんでいるということ。

 「不倫」という言葉を知りつつ、また「不倫」というのが、どういうことか知りつつ、
それを倫理的に考えたり、道徳的に考える力そのものがない。たとえて言うなら、金銭欲
にとりつかれながら、そのお金を稼ぐためには、それなりの努力や苦労が必要だというこ
とがわかっていない。そんな感じがする。

 別れるとき、G君を呼びとめて、私は、こう聞いた。「なあ、G君、フリンって、何だ?」
と。

 すると、G君は、こう言った。「知ってるくせに。そんなこと、子どものオイラに、聞く
もんじゃないよ」と。

 わかりました。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●BW教室から……(2)

 Cさん(母親)は、小学校の教員をしている。今は、下の子が生まれ、育児休業とかで、
子育てに専念している。そのCさんが、こう話してくれた。

 「来年、4月から、職場に復帰しますが、いろいろと不安なことや、心配なことがあり
ます」と。

 そこでいろいろな話をする。

私「……そうですね。私の教室では、フラフラと立って歩く子どもがいますね。そういう
とき、『おしりがかゆいのか?』と、からかってやります。もしそんなことを、学校の先生
が言ったら、それだけで、クビが飛んでしまいますよね。新聞ザタになるかもしれない。

 しかし私の教室では、かまわない。親たちが、いつも見ている。そのときの雰囲気をよ
く知っている。冗談が、冗談として、そのままわかってもらえます」

C「そこなんですね。学校で子どもたちを教えているとき、一番、神経をつかうのは……。
どこまで言っていいのか、悪いのか。それにいつも、悩みます」と。

 ささいな会話でも、一度、子どもを介して親に伝わると、そうでなくなるときがある。
おおげさになるというか、思わぬ方向に飛び火してしまうことがある。親自身がもつ被害
妄想と、からんでしまうことも少なくない。

 少し前だが、近くの小学校で、こんな事件があった。

 先生が、子どもの頭をたたいたというのだ。話をよく聞くと、そのときその先生は、プ
リントか何かを丸めて、子どもの頭をポンポンとたたいただけということらしい。が、そ
の子どもは、その先生のことを、よく思っていなかった。親も、子どもの話だけを一方的
に聞くだけで、やはり、よく思っていなかった。

 そこでその親は、それを「体罰」ととらえた。それでおおげさになってしまった。「教師
が、うちの子に体罰を加えた!」と。

 その話をしてくれた校長は、こう言った。「だから、今、先生たちが、みな、萎縮してし
まっています。先日も、母親学級のほうで、『失敗しない子育て』というテーマを、みなで
考えました。

 すると『失敗とは何だ! 失礼ではないか!』と怒ってきた両親がいました。その両親
の子どもは、ある障害をもっていました。自分のことを言われたと思って、頭にカチンと
きたのでしょうね」と。

 要するに、今の先生たちは、四方八方から、がんじがらめになっているということか。
Cさんは、「それが不安です……」と。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【子どもの力・あれこれ】

●計算力と「数」の力

子どもにとって、計算力と、「数」の力は、別のものと考えてよい。たとえば(3+4=7)
は、計算力があればできる。しかし「7は、5と□」という問題は、計算力だけでは、カ
バーできない。ほかに「3と□で、6」「□は、3と4」など。小学1年生の問題だが、そ
れができる子どもは、スラスラとできる。しかしできない子どもは、何度説明しても、で
きない。それがここでいう「数」の力ということになる。


●「遊び」を大切に

自動車のハンドルでも、「遊び」があるから、運転できる。その「遊び」がなく、ギスギス
だったら、運転できない。子どもの勉強も、その運転に似ている。多くの親たちは、「勉強」
というと、机に向かって黙々とするものだという偏見と誤解をもっている。しかしそれは
大学の研究者のような人がする勉強であって、少なくとも、子どもの勉強ではない。小学
校の低学年児だったら、30分机に向かって座って、10分、勉強らしきことをすれば、
よしとする。


●子どものリズムをつかむ 

子ども自身がもつ、学習のリズムは、みな、ちがう。数分きざみに、騒いだり、しゃべっ
たりする子どももいれば、5分くらい静かに作業したあと、1〜2分、休んだりする。勉
強にとりかかるまでに、10分以上かかる子どももいれば、すぐ、勉強に入れる子どもい
る。大切なことは、それぞれのリズムに合わせて、指導するということ。とくに子どもが
小さいうちは、そうする。


●ささいなミスは、許す

たとえば20問、計算問題をする。そのとき、1、2問くらいなら、まちがっていても、
何も言わない。「よくがんばったね」と、ねぎらう。そして大きな丸を描いてすます。とく
に子どもが、懸命にしたときは、そうする。正解よりも、この時期大切なのは、達成感。
その達成感が、子どもを伸ばす。こまごまとした神経質な指導は、一見、親切に見えるが、
かえって子どもの伸びる芽をつんでしまうこともあるので注意する。


●テーマは、一つ

子どもに何かを教えようとするときは、いつも、テーマは、一つにする。あれこれ、同時
に指示を与えても、意味がないばかりか、かえって、「二兎を追うもの、一兎……」という
ことになりかねない。たとえば作文練習のときは、作文の内容だけを見て、文字のまちが
いなどは、無視する。作文の内容だけを見て、判断する。


●子どもを伸ばすのは、子ども

子どもを伸ばすのは、子ども。しかしその子どもをつぶすのも、これまた子ども。とても
残念なことだが、「質」のよい子どももいれば、そうでない子どももいる。質がよいという
のは、おだやかで、知性的。自己管理能力もしっかりしていて、もの静か。そういう子ど
もは、そういう子どもどうし集まる傾向がある。で、もしあなたの子どもが、そういう子
どもであれば、努力して、そういう子どもどうしが集まれるような環境をつくってやると
よい。あなたの子どもは、さらに伸びる。


●冴(さ)えを伸ばす

子どもが、「アレッ」と思うようなヒラメキを示したときは、すかさず、それをほめて、伸
ばす。この時期、あとあと子どもほど、思考が柔軟で、臨機応変に、ものごとに対処でき
る。趣味も多く、多芸多才。興味の範囲は広く、何か新しいことを見せると、「やる!」「や
りたい!」と食いついてくる。この時期、することと言えば、テレビゲームだけ。友だち
も少ないというのは、子どもにとっては、望ましいことではない。


●一歩手前で、やめる

子どもが30分ほど、勉強しそうだったら、20分くらいのところで、やめる。ワークを
10ページくらいしそうだったら、7〜8ページくらいのところで、やめる。子どもを伸
ばすコツは、無理をしない。強制をしない。もしあなたが、「子どもというのは、しぼれば
しぼるほど伸びる」とか、「子どもの勉強には、きびしさが必要」と考えているなら、それ
は、とんでもない誤解。どこかの総本山での、小僧教育ならともかくも、今は、そういう
時代ではない。


●バカなフリをして伸ばす

おとなは、決して、おとなの優位性を子どもに、見せつけてはいけない。押しつけてはい
けない。子どもにとって、最大の喜びは、父親や、母親を、何かのことで、負かすことで
ある。親の立場でいえば、子どもに負けることを、恥じることはない。反対に、ときには、
バカな親のフリをして、子どもに自信をもたせる。「こんな親では、アテにできない」と子
どもが思うようになったら、しめたもの。


●集中力も「力」のうち

よく、「うちの子は、集中力がありません。集中力をつけるには、どうしたらいいでしょう
か」という質問をもらう。しかし集中力も、「力」のうち。頭をよくする方法が、そんなに
ないように、集中力をつける方法というのも、それほど、ない。あれば、私が知りたいく
らいである。ただ指導のし方によって、子どもを、ぐいぐいとこちらのペースに引きこん
でいくことはできる。しかし集中力のある・なしは、子どもの問題ではなく、指導する側
の問題ということになる。


●一貫性

内容がどうであれ、よき親と、そうでない親のちがいといえば、一貫性のある、なしで、
決まる。権威主義的なら権威主義的でもかまわない。(本当は、そうでないほうがよいが…
…。)親にその一貫性があれば、やがて子どものほうが、それに合わせる。私の叔父の中に
は、権威主義のかたまりのような人がいた。しかし私は、その叔父は叔父として、認める
ことで、良好な人間関係をつくることができた。それなりに尊敬もしている。子どもの前
では、いつも、同じ親であること。それが子どもの心に、大きな安定感を与える。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●シャドウ

 もともと邪悪な人がいる。そういう人が仮面をかぶって、善人ぶって生きていたとする。
するとやがて、その人は、仮面をかぶっていることすら、忘れてしまうことがある。自分
で、自分は善人だと思いこんでしまう。

 このタイプの人は、どこか言動が不自然。そのため簡単に見分けることができる。さも
私は善人……というように、相手に同情して見せたり、妙に不自然な言い方をする。全体
に演技ぽい。ウソっぽい。大げさ。

 こういう話は、以前にも書いた。

 そこでこのタイプの人は、長い時間をかけて、自分の中に、もう1人の自分をつくる。
それがシャドウである。ユングが説いたシャドウとは、少し意味がちがうかもしれないが、
まあ、それに近い。

 このシャドウのこわいところは、シャドウそのものよりも、そのシャドウを、時に、身
近にいる人が、そっくりそのまま受けついでしまうこと。よくあるのは、子どもが、親の
醜いところをそっくりそのまま、受けついでしまうケース。

 ある母親は、近所の人たちの間では、親切でやさしい女性で通っていた。言い方も、お
だやかで、だれかに何かを頼まれると、それにていねいに応じていたりした。

 しかし素性は、それほど、よくなかった。嫉妬深く、その心の奥底では、醜い欲望が、
いつもウズを巻いていた。そのため、他人の不幸話を聞くのが、何よりも、好きだった。

 こうしてその女性には、その女性のシャドウができた。その女性は、自分の醜い部分を、
そのシャドウの中に、押しこめることによって、一応は、人前では、善人ぶることができ
た。

 が、問題は、やがて、その娘に現れた。……といっても、この話は、20年や30年単
位の話ではない。世代単位の話である。

 その母親は、10数年前に他界。その娘も、今年、70歳を超えた。

 その娘について、近所の人は、「あんな恐ろしい人はいない」と言う。一度その娘にねた
まれると、とことん、意地悪をされるという。人をだますのは、平気。親類の人たちのみ
ならず、自分の夫や、子どもまで、だますという。

 その娘について、その娘の弟(現在67歳)は、こう教えてくれた。

 「姉を見ていると、昔の母そっくりなので、驚きます」と。

 話を聞くと、こうだ。

 「私の母は、他人の前では、善人ぶっていましたが、母が善人でないことは、よく知っ
ていました。家へ帰ってくると、別人のように、大声をあげて、『あのヤロウ!』と、口汚
く、その人をののしっていたのを、よく見かけました。ほとんど、毎日が、そうではなか
ったかと思います。母には、そういう2面性がありました。私の姉は、その悪いほうの1
面を、そっくりそのまま受け継いでしまったのです」と。

 この弟氏の話してくれたことは、まさに、シャドウ論で説明がつく。つまり、これがシ
ャドウのもつ、本当のおそろしさである。

 そこで重要なことは、こうしたシャドウをつくらないこと。その前に、仮面をかぶらな
いこと。といっても、私たちは、いつも、その仮面をかぶって生きている。教師としての
仮面。店員としての仮面。営業マンとしての仮面。

 そういう仮面をかぶるならかぶるで、かぶっていることを忘れてはいけない。家に帰っ
て家族を前にしたら、そういう仮面は、はずす。はずして、もとの自分にもどる。

 仮面をとりはずすのを忘れると、自分がだれであるかがわからなくなってしまう。が、
それだけではない。こうしてできたシャドウは、そのままそっくり、あなたの子どもに受
けつがれてしまう。
(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ)

++++++++++++++++++

 少し前に書いた、「シャドウ論」を、
もう一度、ここに添付しておきます。
内容を少し手なおしして、お届けします。

++++++++++++++++++

●仮面とシャドウ

 だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、
夫としての仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。商売では、いくら客に怒鳴
られても、にこやかな顔をして、頭をさげる。

 しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよ
い。ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、
ウズを巻く。

 世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事
件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないこ
とがわかる。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。

 夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンシ
ョンに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育に
も熱心。

 が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。

 実は、ここに(仮面とシャドウの問題)が隠されている。

 たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言った
とする。「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰
よ」と。

 そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思
って、そう言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウが
つきまとう。

 親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断
している人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところ
がある。「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですって
ねえ」と。

 悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、その
まま学歴制度になり、さらにそれが、出身高校へと結びついていった(?)。街道筋の宿場
町であったがために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。その人を判断す
る基準が、出身高校へと結びついていった(?)。

 この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。

 そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きつい
でしまう。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れよ
うとしている」と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる
基盤となってしまう。

 よくシャドウ論で話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』で
ある。佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みご
とな演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさるこ
とながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、
榎津鎮雄との、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれ
とるけん」と言う。そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た
人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印
象を与える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握ら
せる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャン。それを仮面とするなら、息子の嫁と不
倫関係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、
そっくりそのまま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげ
る原動力になった。

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、そ
の仮面を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけ
ならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。

 だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言え
る。

 子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのま
まの自分を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、
まし。もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子
どもにとっては、好ましいということになる。
(はやし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 復讐するは我にあり シャドウ論 参考文献
 河出書房新社「精神分析がわかる本」)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●古里

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みなさんにとって、古里というのは、
どんなところですか?

心温まる、古里ですか?
それとも、……?

+++++++++++++++++

 この浜松に住むようになって、もう、36年になる。私の人生の62%を、この浜松で
過ごしたことになる。そんなわけで、私は、とっくの昔に、浜松人ということか。ときど
き、郷里のG県のM市に帰ることはあるが、今では、浜松の方言のまま、みなと話すこと
が多くなった。

(少し前までは、M市に帰れば、M市の方言で、話をしたものだが……。)

 人によっては、定年退職をするような年齢になっても、自分の出身地に、強い地縁を感
ずるが人がいるようだ。現在住んでいるところは、あくまでも仮の住所(?)。60歳にな
っても、70歳になっても、だ。

 私はもともと、周囲を山に囲まれたあの町が、好きではなかった。どこか息苦しかった。
だから、M市を飛び出した。そのせいかどうかは知らないが、古里を忘れるのも、はやか
った。浜松に住んで5年にもならないうちに、高校野球でも、静岡県の代表チームを応援
するようになった。

そんなころ、静岡県の代表チームと、G県の代表チームが対戦することがあった。多少
の迷いはあったが、私は、静岡県の代表チームを応援している私を知った。私は、そう
することで、あえて、心のどこかで、古里を、吹っ切っろうとしていたのかもしれない。

 その私が、今、ときどき、G県に帰る。そして親類や、昔の仲間と、会話をする。その
ときのこと。遠い昔の私がそこにいるのは、わかる。が、遠い昔の私は、大きな、ビニー
ルシートのようなものでおおわれている。私の子ども時代は、そのシートの下にある。

 子ども時代の私と、今の私が、どこかで途切れている(?)。

 そういう私を、批判する人も、少なくない。「浩司、古里というのは、そういうものでは
ないぞ」「死ぬまで、古里を大切にしろ」と。

 しかし、(思い)というのは、人、それぞれ。私には私の、生まれ育った環境というもの
がある。今の私が、正しいとか、そうでないとか言われても困る。今の私は、今の私。そ
の私が、そう感ずるのだから、それはそれでしかたのないことではないか。

 そこで改めて考えてみる。先にも書いたように、老人になっても、古里にこだわる人は
少なくない。最近なくなったが、近くに住んでいたK氏も、遺言で、「骨は、N県のS村に
埋めてほしい」と言い残していたという。そのS村を離れて、60年以上にもなる。

 こうしたちがいは、どうして生まれるのか。

 古里にこだわる人。まったくこだわらない人。

 ひとつ言えることは、年をとればとるほど、回顧性が強くなるということ。若いときは、
先祖の墓参りなど、ほとんどしなかった人でも、ある年齢がくると、墓参りをするように
なったりする。「死への準備」ととらえる人もいるが、どうも、それだけではないようだ。

 ひょっとしたら、人間にも、魚のサケに似た、帰趨(きすう)本能のようなものがある
のかもしれない。何万キロも大海を旅したあと、またもとの生まれ故郷にもどってくる…
…。

 そういう本能にすなおに従う人もいれば、そうでない人もいる。本来なら、すなおに従
えば、気も楽なのかもしれない。しかしそれぞれの人には、そして私にも、それぞれの複
雑な事情というものがある。本能がそうであるからといって、それを自分以外の人間に押
しつけるのも、どうかと思う。

 このところ、何かにつけて、古里のことを、よく考える。そういう意味では、私も、回
顧性が強くなってきたのかもしれない。今の(思い)が、絶対だとは言えないが、今は、
ワイフや息子たちには、こう言っている。

 「私が(ワイフより)、先に死んだら、遺灰の扱いは、ワイフに任せる。葬式などしなく
てもいいし、墓もいらない。ワイフも死んだら、そのあとのことは、息子たちに任せる。
それ以上のことは、まったく、何も考えていない」と。

●ちがいがわかる

これは、あくまでも、余談だが、そのせいか、G県の人たちの、独得のものの考え方と
いうか、そういうものが、よくわかる。G県の人たちを、外の世界から、客観的に見る
からではないか。「昔は、私もああだったなあ」と思うと同時に、「私も、変ったな」と。
そういうふうに交互に考えていると、そこにG県の人たちの姿が見えてくる。

 全体としてみると、G県の人たちは、よい意味では、義理、人情に厚い。悪い意味では、
自立心に欠け、たがいへの依存性が強い。だからときどき、浜松の人があまり使わない、
言いまわしに気がつくことが多い。

 たとえば、G県の人たちは、こういう言い方をする。

(1)「悪いけどもオ〜」……実際には、「悪いけどなも〜」という言い方をする。たとえ
ば「悪いけどなも、ひとつ、お願いしたいことがあるけどなも」と。

 そういう言い方をされると、今の私は、「悪いと思っているなら、言うな」と、つい言い
そうになってしまう。「だいたいにおいて、悪いと思っていることを、人に頼むのは、失敬
ではないか!」と。

 最初にあやまっておけば、相手も、気を悪くしないだろうという配慮から、そう言うの
だろう。しかし浜松の人たちは、そういう言い方をあまりしない。

 そこでワイフに聞いてみる。ワイフは、生粋(きっすい)の浜松っ子である。

 「浜松でも、そういう言い方をすることもあるけど……」とのこと。

 ほかの地方でのことは知らない。しかし私自身は、そういうどこか、卑屈な言い方は、
好きではない。そういう意味では、浜松の人は、ものの考え方が、G県の人たちよりは、
ストレート。はっきりしている。

(2)「私はいいのですが」……実際には、「私はいいけど、世間がねえ……」というよう
な言い方をする。

 そういう言い方をされたときも、つい、私は、こう言いそうになる。「じゃあ、あなた自
身は、どうなのか?」と。「あなた自身の意見を聞いたい」と。つまりはこうした言い方と
いうのは、責任のがれの言い方ということになる。

 全体的に見ると、G県の人は、比較的、世間体を気にする。浜松の人は、比較的、世間
体を気にしない。そうしたちがいが、こうしたものの言い方のちがいとなって出てくる…
…?

 それについては、以前、私にこう教えてくれた人がいた。「浜松は昔から、街道筋の宿場
町として、栄えた。そのため人の出入りがはげしく、世間体という概念が、育たなかった
のでは……」と。
 
 そういう意味では、浜松の人たちは、外の世界から、いつも何かを吸収している。外か
ら入ってくるものに対して、違和感をもたない。よい意味では、開放的。悪い意味では、
文化を守り育てない。古いものを、それを「古いから」という理由だけで、平気で捨てて
しまう。

 その浜松にくらべて、G県のほうは、人の出入りが少ない。人相にしても、とくにM町
の人たちは、どくとくの顔つきをしている。そして驚くべきことに、人口3万人に満たな
い小さな町なのだが、話し方によって、その人がどの地域に住んでいるいる人かさえもわ
かる。町内ごとに、方言があるような感じ。(本当だぞ!)

 それぞれの地方には、それぞれの特色がある。それがよいとか悪いとか言う前に、少な
くとも、私には、この浜松のもつ気風が、肌に合っている。

 I love Hamamatsu!

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4年前に書いた原稿を、
添付します。同じく、
私の古里(故郷)について
書いたものです。

+++++++++++++++++

ふるさと

かつて室生犀星(むろうさいせい・詩人、小説家・1889〜1962)は、こう歌っ
た。「♪ふるさとは遠きにありて思うふもの」と。

 犀星の生活はかなり苦しかったらしい。故郷の金沢を出るときも、生活苦もあって、追
われるようにして出ていったと聞いている。だから「♪遠きにありて思ふもの」と。

私は学生時代、合唱団の一員として、この歌を何度も歌ったことがある。なつかしい歌
だ。今でもこの歌を口ずさむと、あのころの私が、ありありとよみがえってくる。

  ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや
  うらぶれて異土の乞食となるとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさとおもひ涙ぐむ
  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや
  遠きみやこにかへらばや
                       [小景異情ーその二] より

 それはさておき、「ふるさと」という言葉には、独特の響きがある。それはちょうど、数
千キロの旅を経たサケを、生まれ故郷の川に引き戻すような「響き」ではないか。「本能的
な郷愁」と言ってもよい。

人間のばあいは、「水」だけではなく、風土、風習、方言、食べ物すべてが、体にしみつ
いている。実際、そういうものを自分の中で断ち切ることは不可能と言ってもよい。ふ
るさとからどれだけ遠く離れて住んでも、自分という人間は、いつも心のどこかでその
ふるさととのつながりを求めている? ……こう断言するのは危険なことかもしれない
が、大多数の人にとっては、そうではないかと思う。

 ただ、そのふるさとが、その人にとっていつも心温まるものであるかどうかとなると、
それは、一概にはそうとは言えない。自分のふるさとを忌み嫌っている人も少なくない。
たとえば犀星もこの歌の中で、「(ふるさとは)悲しく歌ふもの」と表現している。

つまりふるさととのつながりを切ることもできないが、さりとて、すなおな気持ちで受
け入れることもできない、と。これはそういう思いをもった人には、たいへんな葛藤(か
っとう)と言ってもよい。

 私も故郷の岐阜県のM市を離れて、もう37年になる。もともと出たくて出たくてしか
たなかった町だから、ほとんど未練はない。同窓生とのつきあいも、1人、2人をのぞい
て、まったくない。

たまに中学校や高校の同窓会に出たりするが、私の居場所すらない。たいていは儀礼的
なあいさつと、中身のない会話をして、それで終わってしまう。それにこれは私だけの
印象かもしれないが、どこかみな、虚栄の張りあいをしているように感ずることも多い。
もう少しすなおに、たがいの心を開きあったら、同窓会も楽しいものになるのだろうが、
37年という年月は、それにしても長すぎる。少し前までは、盆踊りでよく歌われる「か
わさき」(岐阜県郡上郡の民謡)を聞いたりすると、それなりになつかしく思ったものだ
が、このところはそれもない。それに私のばあい、ここに書いたように、あの町から出
たくて出たくてしかたなかった。

 加えて、私のばあい、家庭の中にすら、自分の居場所がなかった。街中の小さな自転車
屋で、二面を道路に面していた。自分の部屋どころか、家族が憩う、憩いの場所すらなか
った。台所も居間(居間と言えるような居間ではなかった)も、そのまま人が通る通路に
なっていた。

そんなわけで私は毎日、真っ暗になるまで、外で遊んでいた。今から思い出しても、当
時はどこの家もそうだったが、どこかの貧しい国の貧しい家そのものだった。

 おまけに私の父は酒乱で、数日おきに酒を飲んでは、家の中で暴れた。今でも赤い夕日
を見ると、言いようのない不安感に襲われるのは、そのためだ。その時刻になると、いつ
も父が酔っぱらって、通りをフラフラ歩いていた。私は子どもながらに、夕方になるたび
に、「今日は、酒を飲むのではないか」と、ハラハラしていた。

いや、それ以上につらかったのは、自分のプライドが、ズタズタにされたことだった。
だから、私にとってのふるさとは、ほとんどの人がもつふるさととは、違ったものだと
思う。あるいは犀星が歌ったふるさとに、近い。私にとってのふるさとは、まさに「♪
ふるさとは遠きにありて思ふもの。そして悲しくうたふもの」ということになる。

 ただ残念なのは、そういう私の心とは裏腹に、私を知る人が、「ふるさとはなつかしいハ
ズだ」と私の心を決めてかかることだ。実のところ、私の母もそう言っている。しかし私
は、私のワイフや子どもに、いつもこう言っている。「私が死んでも、どうか遺骨は、あの
ふるさとの墓地にだけは入れないでほしい」と。日本の法律では許されないことかもしれ
ないが、死んだら日本の領海外でもよいから、私は自分の遺骨を、あの広い海に捨ててほ
しいと願っている。

 ふるさとに対する思いというのは、人それぞれではないのか。今、室生犀星の「ふるさ
と」を思い出したので、この文を書いた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●DNA鑑定

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これからは、悪いこともできないぞ!
犯罪捜査は、今、ここまで進んでいる!

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 今日の新聞によれば、2年前の殺人事件の犯人が、検挙されたという。決め手は、DN
A鑑定。

 そのDNAが、今度、データベース化されるという。(すでにかなり、データベース化さ
れているはずだが……。)そして犯罪の重要な捜査手段の一つになるという。しかし私は、
その記事を読んで、ぞっとした。

 こういうことだ。

 今回の事件を例にあげて、考えてみよう。

 犯人は、そのとき、高校3年生だったという。現場には、脱ぎ捨てたサンダルがあった。
捜査当局が、どこでどのようにして、その犯人のDNAを採取したかについては書いてな
い。

 しかしそれから2年後。新聞記事によれば、その少年のDNAによく似たDNAをもつ
だれかが、何かの事件を起こしたらしい。それでそのDNAをもつ周辺の人を調べていっ
たら、その少年が、容疑者として、浮かびあがってきたという。

 もう少しわかりやすく説明しよう。

 たとえば私が、ある犯罪を犯して、現場に、髪の毛1本でもなんでもよいが、そういっ
たものを、何か、残したとする。捜査当局は、その髪の毛から私のDNAを採取する。そ
してそれをデータベース化する。が、その私は、まんまと捜査当局の目をかいくぐり、逃
げ切ったとする。が、それで安心してはいけない。

 今度は、その10年後。私の息子が、何かの犯罪を犯して、逮捕されたとする。そのと
き息子のDNAが採取されたとする。DNAは、コンピュータの中に、データベース化さ
れているから、瞬時に、類似した私のDNAが呼び出される。そして私の息子の周辺に、
10年前の事件を犯した犯人がいることを、捜査当局は知る。

 そのDNA鑑定を手がかりに、捜査の手は、やがて私に及んでくることになる。

 さらに、こんなことも……。

 いくつかの犯罪を犯しながらも、捜査当局の目を、無事(?)、かいくぐったとしても、
これまた、安心してはいけない。

 いつか、小さな事件で逮捕され、そこでDNAが採取されたとする。すると、それをも
とに、イモづる式に、過去の犯罪すべてが、明るみになってしまう。すでに、そういう形
での、DNA鑑定は、実用化されているという。裁判所でも、証拠能力が認められている
という。

 で、そのDNAだが、そのDNAを残さないで、犯罪を犯すことは、ほぼ100%、不
可能と考えてよい。髪の毛1本どころか、表皮一枚、あるいはだ液一滴からでも、DNA
を採取することができる。

 言いかえると、これからのこの種の犯罪捜査は、DNA鑑定が主流になると考えてよい。
が、それがよいことなのか、悪いことなのか、私にはよくわからない。ただ、ここで言え
るのは、これからの世界は、そのため、ますます、息苦しくなると考えてよいということ。

 たとえば、どこかの犯罪現場で、DNAが採取されたとする。そこで捜査当局は、その
DNA鑑定をする。

 すると、そのDNAが、浜松市の林家周辺の者のDNAと似ていることがわかる。そこ
で捜査当局は、私の家族の周辺に焦点を当てて、捜査を開始する。そしてやがて、そのD
NAが、林浩司のものであることを知る。

 それだけではない。ついでに、私が犯してきた犯罪すべてが、同時に、ズルズルと、わ
かってしまう。

 私はこの記事を読みながら、ふと、あの由比正雪が起こした事件を思い浮かべた。

由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」では、事件の所在があいまいなまま、その
刑は縁者すべてに及んだという。親、兄弟、家族は言うに及ばず、親類、縁者まで、処
刑されたという。ズルズルっと、みんなだ。

同じように、これからは、血のつながりのあるだれかが1人、何かのことで逮捕される
と、DNA鑑定で、その周辺の人が犯した犯罪まで、すべて明るみになってしまう。そ
ういう時代になる。

別に悪いことをしたいとは思わないが、しかし別の心で、「これからは、悪いこともでき
ないな」と、私は思った。

 みなさんも、くれぐれも、ご用心のほどを!
(はやし浩司 DNA鑑定 DNA捜査 DNA データベース化)

 
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●あとから権威

 「あとから理由」という言葉がある。私がこの言葉をはじめて知ったのは、20歳も、
半ばをすぎたころ。それまでは、知らなかった。

 つまりは、自分を正当化するために、あとから、何か理由をこじつけて言うことをいう。
たとえば、不注意でテーブルの上にあった、コップを落して割ったとする。そのとき、自
分の不注意を棚にあげて、こう言う。「カミナリが鳴ったから、驚いた。その拍子に、落し
てしまった」と。

 実際には、カミナリが鳴ったのは、コップを落したあとのことだった。

 同じような言葉に、「あとから権威」というのがある。

 コツコツと努力する。それが実を結んで、その道の権威になる。ふつうは、そういう過
程を経る。ところが、最初に、何かのことで、有名になってしまう。その道の権威者にな
ってしまう。そうなったあと、適当に知識を身につける。権威者のフリをする。

 そういうのを「あとから権威」という。教育の世界には、この「あとから権威」によっ
て、その道の権威者になった人は、多い。……ということを書くのが、このエッセーの目
的ではない。

 あとから理由にせよ、あとから権威にせよ、そのつど、冷静にそれを見ぬく力をもたな
いと、結局は、その人にだまされてしまうことになる。

 若いころ、こんな経験をした。

 私はある時期、ハリ麻酔に、たいへん興味をもった。最初は、軽い好奇心だったが、や
がて、ハマってしまった。

 そんなある日、願ってもないチャンスがやってきた。4、5人のドクターたちが、D市
にある、N医師を訪問するというのだ。N医師というのは、すでにそのとき、ハリ麻酔を
つかって、10数例近い、外科手術に成功したという実績をもっていた。あちこちの学会
で、それを発表していた。

 私は、そのドクターたちに頼みこんで、同行させてもらうことにした。

 で、D市に向かった。ハリ麻酔については、私は、まだ、半信半疑だった。雑誌『ニュ
ーズウィーク誌』に、中国でのハリ麻酔が紹介されてから、x年もたっていないころだっ
た。

 で、N医師は、私たちを、まっすぐ、手術室に案内してくれた。そしてこう言った。「で
は、実験してみせましょう。だれか、実験台になってくれる人はいませんか?」と。私は
迷わず、サッと手をあげた。そして、そのまま、上半身、裸になり、手術台の上に、横に
なった。

 はじめに、つまり手足の先にハリを刺す前に、N医師は、私の腹に指を突き刺しながら、
こう言った。「痛いですか?」と。私は、「痛い」と言った。N医師は、親指の爪をまっす
ぐ、私の腹に向けて刺していた。痛いに決まっている!

 そしてハリ麻酔、開始。

 手足の、計、12〜3か所にハリを刺し、つづいて、そのハリに、低周波電流を流した。
当時としては、ごくふつうの方法である。低周波電流発生器のパルス音に合わせて、小刻
みに、手足の筋肉が痙攣(けいれん)した。

 10分、20分とたち、予定の40分ちかくになった。その間、N医師は、ハリ麻酔の
メカニズムを、自分なりの解釈で、あれこれ説明していた。当時は、神経ブロック説が有
力だった。ハリによって、体の部位と、脳ミソをつなぐ神経がブロックされるという考え
方である。(最近の研究では、ハリの刺激により、脳内で麻薬様の物質が放出され、それが
その部位の神経をマヒさせるというのが、通説になっている。)

 で、その40分がたったときのこと。N医師は、再び、私の腹に指を立てた。しかし今
度は、その親指を、まっすぐではなく、内側に曲げて、指を立てた! 実験の前には、親
指をまっすぐ立てていた。しかし今度は、親指を、内側にまげている。腹に爪はあたって
いない! 手術台を上からのぞいているほかの医師たちからは見えなかったかもしれない
が、手術台に寝ている私の位置からは、それがよくわかった。

 で、N医師は、私にこう聞いた。「痛いですか?」と。私は正直に、「痛くないです」と
答えた。が、それ以上のことは、何も言えなかった。N医師は指を、私の腹の肉の中にめ
りこませていた。その感触は、ちゃんと、あった。

 私は、「インチキだ」と思った。手品師でも、もう少しましな手をつかっただろう。あま
りのお粗末さに、私はあ然としてしまった。が、まわりにいたドクターたちは、「ウォー」
と、感嘆の声をあげた。

 私の印象では、そのとき、ハリ麻酔は、私にはかかっていなかったと思う。あの状態で、
腹を切ったら、私は、飛びあがって、それを痛がっただろう。当時の記録を見ると、N医
師は、「硫酸ANという、薬物麻酔と、ハリ麻酔を半々ずつ使って、ハリ麻酔によるxxx
術を成功させた」と、論文などには書いている。しかし硫酸ANを使ったら、それこそ神
経がブロックされてしまい、脳に、ハリによる刺激は伝わらないことになる。

 N医師は、0・5+0.5=1を考えたのだろうが、0・5+0・5=0・5というこ
となってしまう。

 そののちも、ずっと、N医師は、その世界の権威として君臨しつづけた。その前後に、
電磁場麻酔とか、静電界麻酔というのも、学会などで発表している。今から思うと、まこ
とにもって、SF的な麻酔法だが、もちろん、「?」な麻酔法である。その後の経緯をみる
と、今ここで、インチキだったと断言してよい。私は、N医師の活躍ぶりを聞くたびに、「?」
を重ねた。

 実は、教育の世界にも、これに似た話は、多い。外国のインチキ大学で、博士号や、名
誉教授職名を、お金で買って、それを売り物にしている人は、いくらでもいる。つまりま
ず、自分を権威者に仕立てあげた上で、そのあと、権威者として、ものを書いたり、言っ
たりする。

 実際、そういう名前だけの大学は、外国には、いくらでもある。アメリカやカナダに多
い。50〜80万円も出せば、名誉教授号。100万円前後で、博士号を買うことができ
る。

 こうしたインチキをのさばらせないための、唯一の方法は、「権威」そのものを否定する
こと。認めないこと。どこかで、その権威を感じたら、自分の目と耳で、それを確かめる
こと。

 日本人は、昔から、その権威に弱い。そのよい例が、あの水戸黄門である。三つ葉葵の
紋章を見せつけられただけで、周囲のものたちは、ハハーと頭をさげる。しかし考えよう
によっては、あれほど、バカげた世界もない。つまり権威が、その人の地位と肩書きを支
える柱になっている。

 つまりそれがなくならないかぎり、日本に、真の民主主義は、育たない。人間が、人間
の中身だけを見て判断する。そういう世界にならないかぎり、いつまでも、愚劣な権威主
義社会はつづく。

 ……といっても、もちろん学問まで、私は否定する者ではない。ただ、今の日本のよう
に、その人生の入り口で、1、2回の試験に合格しただけで、あとは死ぬまで安泰という
世界は、おかしいと、私は言っている。競争社会を肯定するならするで、その競争は、フ
ェアなものでなければならない。

 たとえばどこかの役所で、公務員をしていた人が、横すべりで、公営の健康センターの
所長になったりする。とたん、自分なりの健康論を説き、その道の権威者になりすます。
そういう例は、あなたのまわりにも、1つや2つは、必ずあるはず。それこそまさに、あ
とから権威ではないのか。

 話がそれたが、教育の世界には、この「あとから権威」が、あまりにも多い。それでこ
こで、その「あとから権威」について、考えてみた。
(はやし浩司 後から権威 後から理由 あとから権威 あとから理由)


++++++++++++++++++はやし浩司

【近況・あれこれ】

●アレッ?

 どこかの電話会社から、DMが、届いた。国際電話を専門にしている、電話会社である。

 「K社、ご利用の皆様へ、電話代が高くても、気にならない? ……YESの人は、〜
〜。NOの人は、つづきを、中を開いてご覧ください!」と。

 つまり「YESの人は、このDMを無視してください」「NOの人は、お得な情報ですか
ら、中を開いてください」ということになる。

 しかしこのばあい、「YES」と「NO」の意味は、逆になる。「YES」を選んだ人は、
「気になる」イコール、「高いから、何とかしてほしい」。「NO」を選んだ人は、「気にな
らない」イコール、「高いとは、思っていない人」ということになる。

 国際電話を扱っている会社なのだから、この程度の英語の知識は、基本中の基本だと思
うのだが……。それで、私は、「アレッ?」と思った。

 ここまで書いて思い出したのが、コンピュータ英語。昔、何かのファイルを削除しよう
としたとき、こんな表示が現れた。それを見て、私は、ハタと困ってしまったことがある。

 (すべて、はい)(はい)(いいえ)(すべて、いいえ)と。

 私はその表示を見ながら、ウウ〜ンと、そのまましばらく、考えこんでしまった。ほか
にも、コンピュータを相手にしていると、ときどき、「?」と思う表現に、よく出くわす。

 最初に訳をつけた人が、あまりコンピュータを知らないまま、訳をつけたからではない
か。

【補記】

 同じように、よくまちがえる英語に、「Do you mind me smoking here?」(私がここでタ
バコを吸ってもいいですか?)という表現。直訳では「私がここでタバコを吸うことを、
あなたは気にするか」となる。

 そのため、「いいです」と答えるときは、「No」と言う。「だめです」と答えるときは、「Yes」
と言う。「mind」.は、もともと「気にとめる」という意味である。


●相乗効果(恵まれた子どもたち)

 私が教えている、夜の1クラスに、こんなクラスがある。小学3年生から6年生までの
子どもたちが、6〜7人、集まっている。

 みんな、めぐまれた子どもたち(gifted children)である。頭がよい。
聡明で、好奇心が旺盛。それにみんな、幼稚園の年中児のときから、私の教室に来てくれ
ている。

 しかしこういう子どもたちが、6〜7人も集まると、そこで相乗効果が生まれる。私が
何も教えなくても、子どもどうしが刺激しあい、勝手にどんどんと伸びていく。

 しかも、だ。私が「もう時間だから、今夜は、やめよう」と声をかけても、やめない。
昨夜も、一応、8時30分には、終わる予定だったが、最後に帰った子どもは、9時近く
になっていた。

 一度、こういう状態になると、つまりクラス全体がこういう状態になると、1〜2時間
程度の学習で、学校の教科書(上)程度なら、半分以上も、自分でやりこなしてしまう。
実際には、1か月程度で、その学年の学習を終えてしまう。

 だから飛び級などという、ものではない。みんな、2、3学年先の勉強をしている。自
分でしている。おかしなことだが、私のほうが、ときどき、ブレーキをかけることがある。
数学パズルの本を買ってあげたりして、横道にそれたり、回り道をしたりしている。

 で、肝心の私は、机の前にすわって、ただ監督しているだけ。子どもたちは、そのつど、
わからないところだけを、もってくる。そこで私がすることとは、ただポイントを教える
だけ。飲みこみも、早い。だから、あっという間に理解してくれる。

 ところで、別のクラスだが、小学1年生で、こんな問題を解いた子どもがいた。N君と
いう。その子どもは、小学3年生レベルクラスで、勉強している。

(問)「お母さんが、あなたの大好きなピザを、9分の7、あげようか。それとも、5分の
4、あげようかと聞きました。あなたは大きいほうのピザを食べたいと思っています。ど
ちらを選びますか?」と。

 私は、こうした問題を、ときどき、子どもたちに出す。できる・できないは重要なこと
ではない。子どもたちが、どう考えはじめるかが、重要である。私は、そういう子どもの
様子を横で見ているのが、正直言って、楽しくてならない。

 そこでN君は、こんなことを始めた。

(1)コンパスで、同じ大きさの円を2つ、描いた。(ピザのつもりである。)
(2)2つの円の直径を、ものさしで、はかった。そして両方を、直径10センチと、仮
定した。
(3)まず、10÷9で、1・11という答をだす。そしてそれを7倍して、7・77と
した。
(4)同じように、もう一方のピザも、10÷5で、0・2という答を出す。そしてそれ
を4倍して、0・8とした。
(5)そして私にこう言った。「先生、5分の4のほうのピザが、大きい」と。

 いろいろな子どもを見てきたが、小学1年生で、ここまでできる子どもは、少ない。小
学3年生でも、少ない。

 私としては、N君を、先の飛び級クラスに入れたいのだが、まだ体力的に無理。もう少
し様子を見てから、先のクラスへ入れたいと考えている。

 ただ誤解がないように、言っておきたい。

 このタイプの子どもたちには、ガンガンと教える必要は、まったく、ない。子どもたち
がしたいように、させる。あとは、ほうっておく。私のほうから、何も言わなくても、自
分で勉強をしてくれる。楽といえば、これほど、楽な授業は、ない。

 あとは、ほめるだけ。昨夜も、小学4年生の女の子が、中学2年生の学習を終えてしま
った。そこで私が、「中学3年生の教科書を買っておいたよ」と言って渡すと、ニコニコと
うれしそうに笑った。

 その子は、その教科書を、しばらく大切そうに、ながめていた。そしておもむろに、教
科書を、開いて、それを読みはじめた。私は、それを見て見ぬフリ。私がすることは、せ
いぜい、その程度。

 めぐまれた子どもたち(gifted children)というのは、そういう子ど
もたちをいう。

【子どもたちを伸ばすために……】

 幼児時代は、とにかく(考えることを好き)にさせること。右脳教育のような刺激では、
その(考えることが好きな子ども)は、生まれない! 考えるということは、ものごとを
静かに分析し、論理的に思考を組み立てられる子どもいう。

 そのためには、(1)いろいろな刺激を与え、(2)考えることは楽しいことだというこ
とを、徹底的に、理解させる。その時期は、年中児から年長児にかけて、である。
(はやし浩司 恵まれた子ども 恵まれた子供 gifted children 才能教室 英才教室 英
才教室 浜松 はやし浩司)



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 21日(No.626)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●ターゲットの移動(育児ノイローゼ)

 自称、「私は育児ノイローゼです」という女性と、話をする。

 たしかに、そうだった。声も口調も、ハイテンポ。多弁だったが、どこか、とらえどこ
ろがなかった。で、その女性は、「子育てが重荷でならない」と言った。しかし自分で、そ
れと自覚しているなら、それほど、問題はない。こういうのを、精神医学の世界では、「病
識」という。「私の頭はおかしい」と思っている人は、病識がある、つまりそれほど、重症
ではない。「私は正常」と思っている人ほど、病識がない、つまり重症である。

 で、その人と話しをしていて、一つ、気づいたことがある。つぎからつぎへと、ターゲ
ットが移動していくということ。たとえば、こうだ。

 たとえばその子ども(8歳男児)に、何か問題が起きたとする。するとその母親は、異
常なまでの思いすごしと、取り越し苦労を重ねながら、悶々と悩む。

 で、しばらくしてその問題が解決したとする。が、同時に、そのときから、今度は、別
の問題で悩み始める。これを(悩みの連鎖)という。もう少し、具体的に説明しよう。

 自分の子ども(ここに書いた人とは、関係ない)に、何かの知的障害がみられたとする。
すると、その母親は、子どもの知的障害に悩み、あちこちの施設を回る。そしてやっとの
ことで、その子どもを、週3回、めんどうをみてくれる施設を探し当てたとする。

 ほっとしたのも、つかのま、今度は、その費用のことで悩み始める。で、実の母親(子
どもの祖母)に相談。かなりまとなった額を、援助してもらえることになった。で、費用
の問題は解決したことになるのだが、今度は、施設への、送り迎えがたいへんと、悩み始
める。

 こうしてその母親は、つぎからつぎへと問題をつくっては、解決し、解決するとまた、
つぎの問題をつくっては、悩む。あとは、これを繰りかえす。

 こうした(悩みの連鎖)の背景にあるものはといえば、要するに、子育てが負担だとい
うこと。もっと言えば、子どもへの愛情そのものが、欠落している。公式の調査によって
も、今、自分の子どもを愛することができないと悩んでいる母親は、7〜10%はいる。
その母親も、そうだった。

 実は、育児ノイローゼと言われる人たちを見ていると、同じような症状を感ずることが
多い。このタイプの母親たちは、本来なら、つまり基本的な部分で愛情さえしっかりして
いれば、ノイローゼになるような問題ではないことで、悩んだり、苦しんだりしている。

 言いかえると、本来の問題をおおい隠しながら、「こういう問題がある」「ああいう問題
もある」と、悩んだり、苦しんだりしている。

 だから、たとえばあまり、くどくどと、母親が自分の悩みを訴えるときは、私は、こう
言うようにしている。

 「要するに、あなたは、子育てをしたくないということですね。だったら、正直に、そ
う言えばいいのです。子どもが好きになれなかったら、好きではないと言えばいいのです。
自分の心をごまかしているから、悩んだり、苦しんだりするのです。いい母親ぶるから、
悩んだり、苦しんだりするのです。もっと、自分にすなおになることです」と。

 もちろん育児ノイローゼといっても、千差万別。家庭問題、夫婦問題、経済問題、家族
の問題、病気などがからんでくることもある。決して、一様ではない。

 しかし育児ノイローゼを訴える人たちに、共通して見られる症状として、こうした(悩
みの連鎖)があることも、事実。それに気づいたので、ここに書きとめておくことにする。
(はやし浩司 悩みの連鎖 育児ノイローゼ 病識 育児問題)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

母親が育児ノイローゼになるとき

●頭の中で数字が乱舞した    
 
それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子ど
も(四歳児)を連れていくとちゅうのできごとだった。次に風呂にお湯を入れていたとき
のことだった。気がついてみると、バスタブから湯がザーザーとあふれていた。しかも熱
湯。すんでのところで、下の子ども(二歳児)が、大やけどを負うところだった。

次に店にやってきた客へのつり銭をまちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動
かなかった。あせればあせるほど、頭の中で数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくな
ってしまった。

●「どうしたらいいでしょうか」

 Aさん(母親、36歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診察を受けたら、
うつ病と診断されたかもしれない。しかしAさんは病院へは行かなかった。子どもを保育
園へ預けたあと、昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになっ
た。食事の用意は何とかしたが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。

そういうAさんを、夫は「だらしない」とか、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。
昔からの米屋だったが、店の経営はAさんに任せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をし
ていた。

 そのAさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は通りで会
ったのに、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、
「ハア……、別に気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめ
と泣き始めた。そしてこう言った。

「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありません。どうしたらいいでしょう
か」と。冒頭に書いた話は、そのときAさんが話してくれたことである。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞、
(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、
記憶力の低下)、
(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味
の喪失、日常活動への興味の喪失)、
(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。さらにその状態が進むと、Aさんのように、
(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、
(6)ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)、
(7)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)、
(8)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロ
ールができなくなる(感情障害)、
(9)他人との接触を嫌う(回避性障害)、
(10)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。
(11)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)。こうし
た兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながる
ことも珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●夫の理解と協力が不可欠

 ただこうした症状が母親に表れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんど
ない。脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつ
う」と思い込む。あるいは症状を指摘したりすると、かえってそのことを苦にして、症状
が重くなってしまったり、さらにひどくなると、冷静な会話そのものができなくなってし
まうこともある。Aさんのケースでも、私は慰め役に回るだけで、それ以上、何も話すこ
とができなかった。

 そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。A
さんも、子育てはすべてAさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、無関
心であった。それではいけない。子育ては重労働だ。私は、Aさんの夫に手紙を書くこと
にした。この原稿は、そのときの手紙をまとめたものである。
(はやし浩司 育児ノイローゼ 症状 対処法)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●マザコンの果てにあるもの

++++++++++++++++

マザコンについて、補記します。

++++++++++++++++

 子どもをでき愛する親は、少なくない。しかしでき愛は、(愛)ではない。自分の心のす
き間を埋めるために、親は、子どもをでき愛する。自分の情緒的不安定さや、精神的欠陥
を補うために、子どもを利用する。つまりは、でき愛の愛は、愛もどきの、愛。代償的愛
ともいう。

 これについては、何度も書いてきたので、ここでは、省略する。

 でき愛する親というのは、そもそも、依存性の強い親とみる。つまりそれだけ自立心が
弱い。で、その結果として、自分の子どもがもつ依存性に、どうしても、甘くなる。この
タイプの親は、自分にベタベタ甘えてくれる子どもイコール、かわいい子イコール、いい
子と考えやすい。

 そのため自分にベタベタ甘えるように、子どもを、しむける。無意識のまま、そうする。
こうしてたがいに、ベタベタの人間関係をつくる。

 いわゆるマザコンと呼ばれる人は、こういう親子関係の中で生まれる。いくつかの特徴
がある。

 子どもをでき愛する親というのは、でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。でき
愛ぶりを、堂々と、人の前で、誇示する親さえいる。

 つぎにでき愛する親というのは、親子の間に、カベがない。ベタベタというか、ドロド
ロしている。自分イコール、子ども、子どもイコール、自分という、強い意識をもつ。あ
る母親は、私にこう言った。

 「息子(年中児)が、友だちとけんかをしていると、その中に割りこんでいって、相手
の子どもをなぐりつけたくなります。その衝動をおさえるのに、苦労します」と。

 本来なら、こうした母子間のでき愛を防ぐのは、父親の役目ということになる。しかし
概して言えば、でき愛する母親の家庭では、その父親の存在感が薄い。父親がいるかいな
いかわからないといった、状態。

 で、さらに、マザコンというと、母親と息子の関係を想像しがちだが、実は、娘でも、
マザコンになるケースは少なくない。むしろ、息子より多いと考えてよい。しかも、息子
がマザコンになるよりも、さらに深刻なマザコンになるケースが多い。

 ただ、目だたないだけである。たとえば40歳の息子が、実家へ帰って、70歳の母親
といっしょに、風呂に入ったりすると、それだけで大事件(?)になる。が、それが40
歳の娘であったりすると、むしろほほえましい光景と、とらえられる。こうした誤解と偏
見が、娘のマザコン性を見逃してしまう。

 ……というようなことも、何度も書いてきたので、ここでは、もう少し、先まで考えて
みたい。

 冒頭にも書いたように、でき愛は(愛)ではない。したがって、それから生まれるマザ
コン性もまた、愛ではない。

 子どもをでき愛する親というのは、無私の愛で子どもを愛するのではない。いつも、心
のどこかで、その見返りを求める。

 ある母親は、自分の息子が、結婚して横浜に住むようになったことについて、「嫁に息子
を取られた」と、みなに訴えた。そしてあちこちへ電話をかけて、「悔しい、悔しい」と、
泣きながら、自分の胸の内を訴えた。

 で、今度は、その反対。

 親にでき愛された子どもは、息子にせよ、娘にせよ、親に対して、ベタベタの依存性を
もつ。その依存性が、その子どもの自立をはばむ。

 よく誤解されるが、一人前の生活をしているから、自立心があるということにはならな
い。マザコンであるかどうかというのは、もっと言えば、親に依存性がもっているかどう
かというのは、心の奥の内側の問題である。外からは、わからない。

 一流会社のバリバリ社員でも、またいかめしい顔をした暴力団の親分でも、マザコンの
人はいくらでもいる。

 で、このマザコン性は、いわば脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、本人自身が、
それに気づくことは少ない。……というより、まず、ない。だれかが、その人のマザコン
性を指摘したりすると、こう答えたりする。

 「私の母は、それほどまでにすばらしい人だからです」「私の母は、世の人のためのカサ
になれと教えてくれました」と。

 つまりマザコンの人は、息子であるにせよ、娘であるにせよ、親に幻想をいだき、親を
絶対視しやすい。美化する。親絶対教の信者になることも少なくない。つまり、自分のマ
ザコン性を、正当化するために、そうする。

 で、その分だけ、親を愛しているかというと、そうでもない。でき愛で愛された子ども
もまた、同じような代償的愛をもって、それを(親への深い愛)と、誤解しやすい。

 本来なら、子どもは、小学3、4年生ごろ(満10歳前後)で、親離れをする。また親
は親で、子どもが中学生くらいになったら、子離れをする。こうしてともに、自立の道を
歩み始める。

 が、何らかの理由や原因で、(多くは、親側の情緒的、精神的問題)、その分離がままな
らなくなることがある。そのため、ここでいうベタベタの人間関係を、そのまま、つづけ
てしまう。

 で、たいていは、その結末は、悲劇的なものとなりやすい。

 80歳をすぎて、やや頭のボケた母親に向って、「しっかりしろ」と、怒りつづけていた
息子(50歳くらい)がいた。

 マザコンの息子や娘にしてみれば、母親は絶対的な存在である。宗教にたとえるなら、
本尊のようなもの。その本尊に疑いをいだくということは、それまでの自分の生きザマを
否定することに等しい。

 だからマザコンであった人ほど、母親が晩年を迎えるころになると、はげしく葛藤する。
マザコンの息子にせよ、娘にせよ、親は、ボケてはならないのである。親は、悪人であっ
てはならないのである。また自分の母親が見苦しい姿をさらけ出すことを、マザコンタイ
プの人は、許すことができない。

 そして母親が死んだとする。依存性が強ければ強いほど、その衝撃もまた、大きい。そ
れこそ、毎晩、空をみあげながら、「おふくろさんよ、おふくろさ〜ん」と、泣き叫ぶよう
になる。

 さらにマザコンタイプの男性ほど、結婚相手として、自分の母親の代用としての妻を求
めるようになる。そのため、離婚率も高くなる。浮気率も高くなるという調査結果もある。
ある男性(映画監督)は、雑誌の中で、臆面もなく、こう書いている。

 「私は、永遠のマドンナを求めて、女性から女性へと、渡り歩いています」「男というの
は、そういうものです」と。(自分がそうだからといって、そう、勝手に決めてもらっては、
困るが……。)自ら、「私は、マザコンです」ということを、告白しているようなものであ
る。

 子育ての目的は、子どもをよき家庭人として自立させること。子どもをマザコンにして、
よいことは、何もない。
(はやし浩司 マザコン 息子のマザコン 娘のマザコン 代償的愛 親の美化 偶像
化)

【補記】

【マザコンの問題点】

(親側の問題)

(1)情緒的未熟性、精神的欠陥があることが多い。
(2)その時期に、子離れができず、子どもへの依存性を強める。
(3)生活の困苦、夫婦関係の崩壊などが引き金となり、でき愛に走りやすい。
(4)子どもを、自分の心のすき間を埋めるための所有物のように考える。
(5)親自身が自立できない。子育てをしながら、つねに、その見返りを求める。
(6)父親不在家庭。父親がいても、父親の影が薄い。
(7)でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。
(8)親子の間にカベがない。子どもがバカにされたりすると、自分がバカにされたかの
ように、それに猛烈に反発したり、怒ったりする。
(9)息子の嫁との間が、険悪になりやすい。このタイプの親にとっては、嫁は、息子を
奪った極悪人ということになる。

(息子側の問題)

(1)親に強度の依存性をもつ。50歳をすぎても、「母ちゃん、母ちゃん」と親中心の生
活環境をつくる。
(2)親絶対教の信者となり、親を絶対視する。親を美化し、親に幻想をもちやすい。
(3)結婚しても、妻よりも、母親を優先する。妻に、「私とお母さんと、どちらが大切な
のよ」と聞かれると、「母親だ」と答えたりする。
(4)妻に、いつも、母親代わりとしての、偶像(マドンナ性)を求める。
(5)そのため、マザコン男性は離婚しやすく、浮気しやすい。
(6)妻と結婚するに際して、「親孝行」を条件にすることが多い。つまり妻ですらも、親
のめんどうをみる、家政婦のように考える傾向が強い。

(娘側の問題)

(1)異常なマザコン性があっても、周囲のものでさえ、それに気づくことが少ない。
(2)母親を絶対視し、母親への批判、中傷などを許さない。
(3)親絶対教の信者であり、とくに、母親を、仏様か、神様のように、崇拝する。
(4)母親への犠牲心を、いとわない。夫よりも、自分の生活よりも、母親の生活を大切
にする。
(5)母親のまちがった行為を、許さない。人間的な寛容度が低い。母親を自分と同じ人
間(女性)と見ることができない。
(6)全体として、ブレーキが働かないため、マザコンになる息子より、症状が、深刻で
重い。
(はやし浩司 マザコン マザコンの問題点 娘のマザコン マザコン息子 マザコン
娘)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●共存社会と依存性

 何をもって、「村(むら)」と定義するか。もともとは、「人が群(むら)がるところ」と
いう意味から、「村」という言葉が生まれたという説もある。

 現代では、「都会」と「田舎」というような、分け方をする。その「村」をあえて定義す
るなら、「人の出入りの少ない、共存社会性の強い地域」ということになる。

 その村には、独特の、村意識がある。そうした村意識を、思いついたまま、まとめてみ
たのが、つぎである。

(1)団結性……外部の者(よそ者)に対しては、集団、徒党を組んで対立する。
(2)閉鎖性……外部の文化、伝統を拒否し、内部の習慣、風習を優先させる。
(3)独善性……自分たちの村が最高であり、自分たちのしていることは正しいと思う。
(4)中心性……自分たちの村を中心にして、世界は、回っていると錯覚する。
(5)集団性……単独行動をしない。その一方で、仲間の単独行動を許さない。
(6)仮面性……無害なよそ者に対しては、親切で、やさしい。仮面をかぶる。
(7)依存性……相互依存性が強く、いつも、どこかで見返りを求めて行動する。
(8)詮索性……たがいにたがいの生活を、詮索しあう。干渉しあう。
(9)曖昧性……ものごとの白黒を、はっきりさせない生きザマこそ、大切と考える。
(10)虚言性……軽いウソなら、平気でつく。ウソをついているという意識すらない。

 こうした「村」に生まれ、そこに長く住むと、心理学でいうところの、いわゆる自我そ
のものが、押しつぶされてしまう。自我の確立が、できなくなってしまう。村社会の中で
は、「私は私」という生き方をすると、それだけで、その村社会から、はじき飛ばされてし
まう。現実には、不可能。

 私は、このことを、「村」の人たちと、会話をしていて、気がついた。彼らは、独特の言
い方をする。

(1)他人の口を借りる……「私はいいんですが、Aさんが、何と言うでしょうかねエ…
…」と。自分の言いたいことを、他人の口を借りて言う。たとえば林の中に、1本の道を
つける話が出たとする。そのとき、その人自身は、道をつけてほしくないと思っている。
そういうときは、こういう言い方をする。

 「私は、道があっても、かまいませんが、しかしあのAさんが、何というでしょうかね
エ。きっと黙っていないと思いますよ」と。

 あるいは、自分が大きな仕事を押しつけられて困っているようなときは、こう言う。

 「息子たちが、私の体を心配してくれましてね。『オヤジには、その仕事は無理だ』と言
うのです。私はどうしたらいいでしょうかねエ」と。

(2)世間体を前面に出す……いつも他人の目を気にした言い方をする。「世間が許さない」
「世間が笑う」と。反対に、世間体を利用することもある。

 たとえば、自分の息子や娘に向って、何かをしてほしいときは、こう言う。「オレは、構
わないが、お前たちが、世間の笑いものになるだけだ」と。そして結局は、息子や娘を、
自分の思いどおりに、誘導してしまう。

 いわゆる「恥論」も、こうした世間体意識を背景にして、生まれる。たとえば私が住む
山荘の近くに、こんど、特別養護老人ホームができた。しかし地元の人たちには、すこぶ
る評判が悪い。

 「老後の親のめんどうは、息子や娘がみるべきだ。そういう施設へ親を入れるのは、恥
ずかしいことだ」と。そして親は親で、そういう施設へ入ることを、「恥ずかしい」という。
だからその施設に入ってくる人というのは、別の地域に住む、町からの人が多い。

(3)古い因習論を前面に出す……当然のことながら、村社会ほど、封建時代の亡霊が生
き残っている。

 長子存続、家制度など。親子、夫婦、兄弟間の、上下意識も強い。江戸時代が終わって、
すでに150年近くもたつというのに、日本人がもつ意識というのは、それほど変わって
いない。それが村社会の中では、より強く残っている。

 こんな話を聞いた。

 78歳の父親が死んだときのこと。多額ではないが、借金を残して死んだ。その父親に
は、50歳になる娘と、48歳になる息子がいた。その娘が、「葬式費用を出すのは、男の
お前の役目だ」と言った。息子のほうは、「半々で出しあうのが、当たり前だ」と言った。

 もしこの段階で、父親がいくらかの財産を残していたら、会話の内容も、ちがっていた
だろう。きっと、こうなっていたにちがいない。

 「私は姉だから、財産は私のものだ」と。「それはおかしい。兄弟だから、半々で分けあ
うのが、当たり前だ」と。

 こうしてざっと考えてみると、村社会に住んでいる人ほど、「私」がない。「私は、こう
だ」という「私」がはっきりしない。それが悪いと言うのではない。村社会では、何より
も、たがいの共存性が重要視される。その共存性がなければ、生きていかれない。

 たとえば田んぼの水取りがある。今でも、田んぼの水取りで、その時期になると、村ど
うしが戦争状態になるところも、少なくない。話せば長くなるが、笑い話になるような珍
劇まがいの話も、私のところには、届いている。

 で、こうした共存性が、「私」を犠牲にする。長い時間をかけて、「私」を押しつぶして
しまう。だから村社会に住む人に向って、「あなた自身は、どう考えているのですか?」「あ
なた自身は、どうしたいと思っているのですか?」と聞いても、あまり意味がない。そう
いうふうに考える習慣そのものがない。

 が、人間のもつ意識というのは、あくまでも、相対的なもの。

 今度は、反対に、村社会に住む人から、都会に住む人をみると、こうしたものの見方が、
180度、ひっくりかえる。それについては、また別の機会に考えることにして、つまり
は、都会の人からみると、田舎の人のものの考え方は、おかしいということになるし、反
対に、田舎の人からみると、都会の人のものの考え方は、おかしいということになる。

 私自身は、田舎で生まれ育ち、そのまま、外国へ出て、都会に住むようになったので、
その(ちがい)がよくわかる。その私だが、このところ、田舎に住む人たちと、会話をす
るのが、どうも苦手。あの遠まわしで、イライラするような言い方が、どうも、私の体質
になじまない。

 私自身は、「私は私」という生きザマをしっかりともっている人のほうが、話をしやすい
のだが……。
(はやし浩司 村意識 邑意識 共存社会 共存性)

++++++++++++++++++

ここまで書いて、「飛騨の昼茶漬け」の
話を思い出した。

その原稿を添付します。

++++++++++++++++++

●あなたは裁判官

(ケース)Aさん(四〇歳女性)は、Bさん(四五歳女性)を、「いやな人だ」と言う。
理由を聞くと、こう言った。

AさんがBさんの家に遊びに行ったときのこと。Bさんの夫が、「食事をしていきなさい」
と誘ったという。そこでAさんが、「食べてきたところです」と言って断ったところ、B
さんの夫がBさんに向かって、「おい、B(呼び捨て)!、すぐ食事の用意をしろ」と言
ったという。

それに対して、Bさんが夫に対して、家の奥のほうで、「今、食べてきたと言っておられ
るじゃない!」と反論したという。それを聞いて、AさんはBさんに対して不愉快に思
ったというのだ。

(考察)まずAさんの言い分。「私の聞こえるところで、Bさんはあんなこと言うべきでは
ない」「Bさんは、夫に従うべきだ」と。Bさんの言い分は聞いていないので、わからない
が、Bさんは正直な人だ。自分を飾ったり、偽ったしないタイプの人だ。だからストレー
トにAさんの言葉を受けとめた。

一方、Bさんの夫は、昔からの飛騨人。飛騨地方では、「食事をしていかないか?」があ
いさつ言葉になっている。しかしそれはあくまでもあいさつ。本気で食事に誘うわけで
はない。相手が断るのを前提に、そう言って、食事に誘う。

そのとき大切なことは、誘われたほうは、あいまいな断り方をしてはいけない。あいま
いな断り方をすると、かえって誘ったほうが困ってしまう。飛騨地方には昔から、「飛騨
の昼茶漬け」という言葉がある。昼食は簡単にすますという習慣である。

恐らくAさんは食事を断ったにせよ、どこかあいまいな言い方をしたに違いない。「出し
てもらえるなら、食べてもいい」というような言い方だったかもしれない。それでそう
いう事件になった?

(判断)このケースを聞いて、まず私が「?」と思ったことは、Bさんの夫が、Bさんに
向かって、「おい、B(呼び捨て)!、すぐ食事の用意をしろ」と言ったところ。そういう
習慣のある家庭では何でもない会話のように聞こえるかもしれないが、少なくとも私はそ
ういう言い方はしない。

私ならまず女房に、相談する。そしてその上で、「食事を出してやってくれないか」と聞
く。あるいはどうしてもということであれば、私は自分で用意する。いきなり「すぐ食
事の用意をしろ」は、ない。

つぎに気になったのは、言葉どおりとったBさんに対して、Aさんが不愉快に思ったと
ころ。Aさんは「妻は夫に従うべきだ」と言う。つまり女性であるAさんが、自ら、「男
尊女卑思想」を受け入れてしまっている! 本来ならそういう傲慢な「男」に対して、
女性の立場から反発しなければならないAさんが、むしろBさんを責めている! 女性
は夫の奴隷ではない!

私はAさんの話を聞きながら、「うんうん」と返事するだけで精一杯だった。内心では反
発を覚えながらも、Aさんを説得するのは、不可能だとさえ感じた。基本的な部分で、
思想の違いを感じたからだ。さて、あなたならこのケースをどう考えるだろうか。
(はやし浩司 都会 田舎 意識の違い)

+++++++++++++++

同じような原稿ですが、
別の機会に書いたものです。

+++++++++++++++

●飛騨の昼茶漬け

 日本人は、本当にウソがうまい。日常的にウソをつく。たとえば岐阜県の飛騨地方には、
『飛騨の昼茶漬け』という言葉がある。あのあたりでは、昼食を軽くすますという風習が
ある。しかし道でだれかと行きかうと、こんなあいさつをする。

 「こんにちは! うちで昼飯(ひるめし)でも食べていきませんか?」
 「いえ、結構です。今、食べてきたところですから」
 「ああ、そうですか。では、失礼します」と。

 このとき昼飯に誘ったほうは、本気で誘ったのではない。相手が断るのを承知の上で、
誘う。そして断るほうも、これまたウソを言う。おなかがすいていても、「食べてきたとこ
ろです」と答える。

この段階で、「そうですか、では、昼飯をごちそうになりましょうか」などと言おうもの
なら、さあ、大変! 何といっても、茶漬けしか食べない地方である。まさか昼飯に茶
漬けを出すわけにもいかない。

 こうした会話は、いろいろな場面に残っている。ひょっとしたら、あなたも日常的に使
っているかもしれない。日本では、正直に自分を表現するよりも、その場、その場を、う
まくごまかして先へ逃げるほうが、美徳とされる。ことを荒だてたり、角をたてるのを嫌
う。何といっても、聖徳太子の時代から、『和を以(も)って、貴(とうと)しと為(な)
す』というお国がらである。

 こうした傾向は、子どもの世界にもしっかりと入りこんでいる。そしてそれが日本人の
国民性をつくりあげている。私にも、こんな苦い経験がある。

 ある日、大学で、一人の友人が私を昼食に誘ってくれた。オーストラリアのメルボルン
大学にいたときのことである。私はそのときとっさに、相手の気分を悪くしてはいけない
と思い、断るつもりで、「先ほど、食べたばかりだ」と言ってしまった。で、そのあと、別
の友人たちといっしょに、昼食を食べた。そこを、先の友人に見つかってしまった。

 日本でも、そういう場面はよくあるが、そのときその友人は、日本人の私には考えられ
ないほど、激怒した。「どうして、君は、ぼくにウソをついたのか!」と。私はそう怒鳴ら
れながら、ウソについて、日本人とオーストラリア人とでは、寛容度がまったく違うとい
うことを思い知らされた。

 本来なら、どんな場面でも、不正を見たら、「それはダメだ」と言わなければならない。
しかし日本人は、それをしない。しないばかりか、先にも書いたように、「あわよくば自分
も」と考える。そしてこういうズルさが、積もりに積もって、日本人の国民性をつくる。
それがよいことなのか、悪いことなのかと言えば、悪いに決まっている。

●私はウソつきだった

 実のところ、私は子どものころ、ウソつきだった。ほかの子どもたちよりもウソつきだ
ったかもしれない。とにかく、ウソがうまかった。ペラペラとその場を、ごまかして、逃
げてばかりいた。私の頭の中には、「正直」という言葉はなかったと思う。

その理由のひとつは、大阪商人の流れをくんだ、自転車屋の息子ということもあった。
商売では、ウソが当たり前。このウソを、いかにじょうずつくかで、商売のじょうずへ
たが決まる。私は毎日、そういうウソを見て育った。

 だからあるときから、私はウソをつくのをやめた。自分を偽るのをやめた。だからとい
って、それですぐ、正直な人間になったわけではない。今でもふと油断をすると、私は平
気でウソを言う。とくにものの売買では、ウソを言う。自分の体にしみこんだ性質という
のは、そうは簡単には変えられない。

 そこであなたはどうかということを考えてみてほしい。あなたは自分の子どもに、どの
ように接しているかを考えてみてほしい。あるいはあなたは日ごろ、あなたの子どもに何
と言っているかを考えてみてほしい。もしあなたが「正直に生きなさい」「誠実に生きなさ
い」「ウソはついてはいけません」と、日常的に言っているなら、あなたはすばらしい親だ。
人間は、そうでなくてはいけない。……とまあ、大上段に構えたようなことを書いてしま
ったが、実のところ、それがまた、日本人の子育てで、一番欠けている部分でもある。そ
こでテスト。

 もしあなたが中央官僚で、地方のある大きな都市へ、出張か何かで出かけた。そして帰
りぎわ、一〇万円のタクシー券を渡されたとする。そのとき、あなたはそれを断る勇気は
あるだろうか。

さらに渡した相手に、「こういうことをしてはいけないです」と、諭(さと)す勇気はあ
るだろうか。私のばあい、何度頭の中でシミュレーションしても、それをもらってしま
うだろうと思う。正直に言えば、そういうことになる。つまり私は、子どもときから、
そういう教育しか受けていない。つまりそれは私自身の欠陥というより、私が受けた教
育の欠陥といってもよい。さてさて、あなたは、子どものころ、学校で、そして家庭で、
どのような教育を受けただろうか。
(03−1−7)

【補記】日本人のこうした国民性は、長くつづいた封建制度の結果というのが、私の持論
である。今のK国のような時代が、300年以上もつづいたのだから、当然といえば当然。
「自分に正直に生きる」ということそのものが、不可能だった。

それについては、もう何度も書いてきたので、ここでは省略する。ただここで言えるこ
とは、決して、あの封建時代を美化してはいけないということ。もちろん歴史は歴史だ
から、それなりの評価はしなくてはいけない。しかし美化すればするほど、日本人の精
神構造は、後退する。
(はやし浩司 日本人の精神構造 封建時代の遺物)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●依存性

 依存心の強い子どもは、独特の話し方をする。おなかがすいても、「○○を食べたい」と
は言わない。「おなかが、すいたア〜」と言う。言外に、(だから何とかしろ)と、相手に
要求する。

 おとなでも、依存心の強い人はいくらでもいる。ある女性(67歳)は、だれかに電話
をするたびに、「私も、年をとったからねエ〜」を口グセにしている。このばあいも、言外
に、(だから何とかしろ)と、相手に要求していることになる。

 依存性の強い人は、いつも心のどこかで、だれかに何かをしてもらうのを、待っている。
そういう生きざまが、すべての面に渡っているので、独特の考え方をするようになる。つ
い先日も、ある女性(60歳)と、K国について話しあったが、その女性は、こう言った。
「そのときになったら、アメリカが何とかしてくれますよ」と。

 自立した人間どうしが、助けあうのは、「助けあい」という。しかし依存心の強い人間ど
うしが、助けあうのは、「助けあい」とは言わない。「なぐさめあい」という。

一見、なごやかな世界に見えるかもしれないが、おたがいに心の弱さを、なぐさめあっ
ているだけ。

総じて言えば、日本人がもつ、独特の「邑(むら)意識」や「邑社会」というのは、そ
の依存性が結集したものとみてよい。「長いものには巻かれろ」「みんなで渡ればこわく
ない」「ほかの人と違ったことをしていると嫌われる」「世間体が悪い」「世間が笑う」な
ど。こうした世界では、好んで使われる言葉である。

 こうした依存性の強い人を見分けるのは、それほどむずかしいことではない。

●してもらうのが、当然……「してもらうのが当然」「助けてもらうのが当然」と考える。
あるいは相手を、そういう方向に誘導していく。よい人ぶったり、それを演じたり、ある
いは同情を買ったりする。「〜〜してあげたから、〜〜してくれるハズ」「〜〜してあげた
から、感謝しているハズ」と、「ハズ論」で行動することが多い。

●自分では何もしない……自分から、積極的に何かをしていくというよりは、相手が何か
をしてくれるのを、待つ。あるいは自分にとって、居心地のよい世界を好んで求める。そ
れ以外の世界には、同化できない。人間関係も、敵をつくらないことだけを考える。もの
ごとを、ナーナーですまそうとする。

●子育てに反映される……依存性の強い人は、子どもが自分に対して依存性をもつことに、
どうしても甘くなる。そして依存性が強く、ベタベタと親に甘える子どもを、かわいい子
イコール、できのよい子と位置づける。

●親孝行を必要以上に美化する……このタイプの人は、自分の依存性(あるいはマザコン
性、ファザコン性)を正当化するため、必要以上に、親孝行を美化する。親に対して犠牲
的であればあるほど、美徳と考える。しかし脳のCPUがズレているため、自分でそれに
気づくことは、まずない。だれかが親の批判でもしようものなら、猛烈にそれに反発した
りする。

依存性の強い社会は、ある意味で、温もりのある居心地のよい世界かもしれない。しか
し今、日本人に一番欠けている部分は何かと言われれば、「個(=自我)の確立」。個人
が個人として確立していない。

あるいは個性的な生き方をすることを、許さない。いまだに戦前、あるいは封建時代の
全体主義的な要素を、あちこちで引きずっている。そしてこうした国民性が、外の世界
からみて、日本や日本人を、実にわかりにくいものにしている。つまりいつまでたって
も、日本人が国際人の仲間に入れない本当の理由は、ここにあるのでは?
(03−1−2)

●人情は依存性を歓迎し、義理は人々を依存的な関係に縛る。義理人情が支配的なモラル
●である日本の社会は、かくして甘えの弥慢化した世界であった。(土居健郎「甘えの構造」
●の一節)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++ 
  
●日本人の依存性

 日本人が本来的にもつ依存心は、脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、日本人が
それに気づくには、自らを一度、日本の外に置かねばならない。それはちょうどキアヌ・
リーブズが主演した映画『マトリックス』の世界に似ている。

その世界にどっぷりと住んでいるから、自分が仮想現実の世界に住んでいることにすら
気づかない……。

 子どもでもおなかがすいて、何か食べたいときでも、「食べたい」とは言わない。「おな
かがすいたア、(だから何とかしてくれ)」と言う。子どもだけではない。私の叔母などは、
もう40歳のときから私に、「おばちゃん(自分)も、歳をとったでナ。(だから何とかし
てくれ)」と言っていた。

 こうした依存性は国民的なもので、この日本では、おとなも子どもも、男も女も、社会
も国民も、それぞれが相互に依存しあっている。

こうした構造的な国民性を、「甘えの構造」と呼んだ人もいる(土居健郎)。たとえば海
外へ移住した日本人は、すぐリトル東京をつくって、相互に依存しあう。そしてそこで
生まれた子ども(二世)や孫(三世)は、いつまでたっても、自らを「日系人」と呼ん
でいる。依存性が強い分だけ、その社会に同化できない。

 もちろん親子関係もそうだ。この日本では親にベタベタと甘える子どもイコール、かわ
いい子とし、そのかわいい子イコール、よい子とする。

反対に独立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、親不孝者とか、鬼っ子と言って
嫌う。そしてそれと同時進行の形で、親は子どもに対して、「産んでやった」「育ててや
った」と依存し、子どもは子どもで「産んでもらった」「育ててもらった」と依存する。

こうした日本人独特の国民性が、いつどのようにしてできたかについては、また別のと
ころで話すとして、しかし今、その依存性が大きく音をたてて崩れ始めている。

イタリアにいる友人が、こんなメールを送ってくれた。いわく、「ローマにやってくる日
本人は、大きく二つに分けることができる。旗を先頭にゾロゾロとやってくる日本人。
年配の人が多い。もう一つは小さなグループで好き勝手に動き回る日本人。茶髪の若者
が多い」と。

 今、この日本は、旧態の価値観から、よりグローバル化した新しい価値観への移行期に
あるとみてよい。フランス革命のような派手な革命ではないが、しかし革命というにふさ
わしいほどの転換期とみてよい。それがよいのか悪いのか、あるいはどういう社会がつぎ
にやってくるのかは別にして、今という時代は、そういう視点でみないと理解できない時
代であることも事実のようだ。

あなたの親子関係を考える一つのヒントとして、この問題を考えてみてほしい。
(はやし浩司 依存性 依存心 甘えの構造 日本人の依存性 依存 だから何とかして
くれ言葉)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況・あれこれ】

●光る虫

 夜、8時ころ、山荘に着く。門のクサリを解いていたときのこと。ふと足元を見ると、
何やら光っている。緑がかった、青白い光! 大きさは、米粒くらい。私は思わず、「ホタ
ル!」と叫んでしまった。

 が、その光は、すぐ消えてしまった。

 たしかにホタルだった。私はそのあたりを、目をこらして見つづけた。すると数分後、
また、現れた! 淡く、どこか元気のない光だった。

 そのとき、ワイフも、横にいた。「ホタルかもね……」「しかし……」。

 このあたりでは、夏になると、ホタルが見られる。しかし見られるといっても、それは
7月の第1〜2週目のころ。今は、8月の中旬を過ぎている。

 私は光る何かが、枯れ草の上に乗っているのを確認したあと、両手でそのあたりをすく
った。そしてそのまま、山荘へ。手の中で、その何かは、光を消そうとしているところだ
った。

 私はガラスコップの中に、そのままそれを入れた。そして少しずつ、まわりの枯れ草を、
指でつまんで、外へ出した。

 いた!

 見ると、体長が1センチよりやや長い虫。寿司屋で食べる、シャコのような姿をしてい
た。色も、シャコそっくり。

私「何だか、気味悪いな」
ワイフ「エイリアンかもしれないわよ」
私「宇宙からやってきた、エイリアンか?」
ワ「そんな感じ……」

 私はそれをコップに入れたまま、しばらく観察して見るとことにした。足は6本だが、
お尻の部分が長いため、その部分は、尺取虫のようにして歩く。そのお尻の最後の部分に、
白っぽいところがある。どうやら、そこが光るらしい。

私「見たことないよ、こんな虫。枯れ葉そっくりだよ。昼間見ても、気がつかないだろう
ね」
ワ「ホタルの幼虫かしら……?」
私「ホタルの幼虫が、枯れ草の間にいるという話は聞いたことがないよ」
ワ「何でしょう?」
私「何だろう?」と。

 私は虫には詳しくない。子どもたちの間では、「虫キング」とか何とかという遊びが大流
行している。いつもなら、そういう遊びを教えてもらうのだが、今度ばかりは、あまり、
興味がない。どんなふうにして遊ぶのかも知らない。もともと、虫は、あまり好きではな
い。

 紙と鉛筆を取り出し、さっそくその虫をスケッチ。

 その図は、R天の日記のほうに、載せておく。

 どなたか、この虫の正体を知っている人はいませんか? もしご存知の方がいらっしゃ
れれば、どうか、教えてください。


●盗聴疑惑

 2000年4月10日。K国の首都P市で、韓国の大統領、金大中と、K国の国防委員
長、金xxとの間で、歴史的な南北首脳会談が開かれた。このニュースは、日本のみなら
ず、世界を驚かせた。

 そのときのこと。K国の金xxは、金大中を空港まで出迎え、そのあと、2人だけで、
P市内にある、白花園迎賓館へ向った……。その時間、約45分。

 実は、その45分の間のできごとについて、当初から、こんな盗聴疑惑が、関係者の間
で、ささやかれていた。どこかハリウッド映画みたいな話だが、間接的な裏づけは、一応、
取れている。その裏づけを話す前に、まず、そのハリウッド映画みたいな話。

 金大中と金xxは、2人だけで、その迎賓館に向った。その間、かかった時間は、ここ
にも書いたように、約45分。

 その車を、宇宙から監視していた、スパイ衛星があった。アメリカのスパイ衛星である。
そしてそのスパイ衛星は、車の中の2人の会話を、盗聴するのに成功していたという。実
はこの部分が、ハリウッド映画みたいということになるが、決して、ありえない話ではな
い。

 この盗聴疑惑事件とは別に、現在、アメリカのCIAがもっている盗聴技術には、もの
すごいものがある。5、6年前に聞いた話だが、そのときすでに、ビルの中でなされる会
話ですらも、アメリカのCIAは、宇宙から盗聴することができたという。たとえば日本
の通産省(当時)のビルの中で、だれかがだれかに電話をかけたとする。その電話の内容
くらいなら、簡単に盗聴できたという。私がそのとき聞いた話は、そんな内容だったが、
まさにケタ違いの、盗聴技術と言ってよい。

 で、その車の中で金大中が、金xxに話した内容を、アメリカの国務長官(当時)が、
何かの席で、ふと外部の者に漏らしてしまった。それでその「45分間の盗聴」が、本当
にあったことが、外部の者に、わかってしまった。それが先に書いた、ここでいう(裏づ
け)ということになる。

 何でも、その車の中で、金大中は、「xxxxxxxには、お世話になりました。xxx
xxxxxxxx、ありがとうございました。私はxxxxxxxxxxxxxxxxx
x」と、しゃべったというのだ。

 盗聴疑惑もさることながら、金大中は、本当にそんなことをしゃべったのかという疑問
も、その当時、なかったわけではない。しかしその会談につづく、金大中の対K国政策、
さらには、N大統領になってからの対K国政策を見ていると、そのとき交わされた会話ど
おりの筋書きで、ことが運んでいるのがわかる。

つまり、やはり、その盗聴疑惑は、(疑惑)ではなく、本当にあったということになる。

 やり方としては、極超短波のマイクロ波を、車の屋根にあて、その返ってくる振動の変
化を読み取ることで、車の中の会話を聞くという方法などが、あるそうだ。簡単な装置な
ら、すでに東京の秋葉原あたりでも、一般に市販されているという。それにしても、驚く
べき技術ではないか!
 
 あなたや私には、関係のない話だが……。


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□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 19日(No.625)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●兄弟の性格

++++++++++++++++

同じように(?)育てても、
第1子と末っ子では、性格も性質もちがう。

それについて……。

++++++++++++++++

 第1子と、末っ子の性格について。いろいろなことが言われているが、私なりに、それ
を、まとめてみた。

【第1子の特徴】

(1)生活態度が防衛的
(2)仮面をかぶりやすく、ものわかりがよい。あるいは、反対にわがまま、自分勝手
(3)全体に、他人の意見に対して、受動的。比較的、おとなしい。
(4)完ぺき主義で、神経質
(5)まじめで、几帳面(きちょうめん)
(6)「兄だから……」「姉だから……」というプレッシャの中で、心をゆがめやすい。

【末っ子の特徴】

(1)生活態度が攻撃的
(2)したい放題で、無責任。比較的、伸びやか。
(3)全体に、他人の意見を無視し、自己主張が強い
(4)どこかズボラで、いいかげん
(5)自由気ままで、短気
(6)外交的な反面、気前よく、ものに執着しない。

 こうしたちがいは、もちろん親の養育姿勢の中で、つくられていく。第1子についてい
えば、親は、どうしても神経質になりやすい。親のもつ不安や心配が、そのまま子育てに
反映される。

 加えて「あなたはお兄ちゃんだから……」「お姉ちゃんだから……」という、『ダカラ論』
の中で、自らに、プレッシャをかけることが多い。そのため、仮面をかぶりやすく、心を
ゆがめやすい。(子どもの表面的な様子に、だまされてはいけない。この時期、「ものわか
りのよい子どもほど、心配」と覚えておくとよい。)

 ある女性(長女)だった女性は、こう書いてきた。

 「私は、親の目から見て、いい子であることだけを考えてきた。いつも、親に好かれる
ことだけを考えていたよう。自分であって、自分でないような、そんな子ども時代だった」
と。

 ここで「防衛的」と書いたのは、要するに、ケチだということ。下の子どもが生まれる
までは、(すべて)が自分のものであった。が、下の子どもが生まれたことによって、それ
が、半減される。

 親から見れば、「平等」ということになるが、第1子にしてみれば、その平等ということ
に、納得できない。嫉妬心や、ねたみ心は、こうして生まれる。その結果として、もちろ
んケチになる。

 ある男性(3子の中の二男)は、こう言った。

 「若いときから、兄のケチには、困ったものです。親戚や、兄弟が集まった席でも、自
分では1円も出しません。出そうともしません。そういう出費は、すべて私たち弟の役目
だと思っているのですね」と。

 こうした(ちがい)は、そのままその子どもの性質として定着してしまう。そのため、
ほぼ、一生、つづくと考えてよい。

 そういう(ちがい)をつくらないためには、つぎのことに注意したらよい。

(1)上、下の上下関係を、子どもの間につくらない。(子どもの名前は、名前で呼ぶ。)
(2)下の子を妊娠したときから、上の子教育を始める。下の子が生まれるのを、上の子
が楽しみにするようにしむける。
(3)上の子が生まれたとき、心のどこかで、下の子がいることを想定しながら、育てる。
過度に甘やかしたり、神経質にならないように、注意する。
(4)下の子が生まれても、突然、フィフティ、フィフティの平等にするのではなく、様
子を見ながら、1、2年単位で、平等にもっていく。
(5)「あなたはお兄ちゃんだから……」という「ダカラ論」を、上の子に押しつけない。
(6)上の子がかぶる、仮面に注意する。ものわかりのよい兄、姉を演ずるようなら、か
なり要注意。反動形成として、親の前では、よい子ぶるケースは、たいへん多い。つまり
その分だけ、心をゆがめる。

 ほとんどの親は、「同じように育てても、兄弟、姉妹、みな、性格がちがいますね」と言
う。しかし本当は、同じように育てていない! 親が勝手に、そう思いこんでいるだけ。

 育て方のちがいが、ちがった性格の子どもをつくる。第1子と、末っ子のちがいも、そ
の一つにすぎない。
(はやし浩司 第1子 末っ子 兄弟 姉妹 育て方 長男 長女 特徴)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●フランスにお住まいの、Sさんからのメール

+++++++++++++++++

フランスにお住まいの、Sさんから
メールが届いています。

そのメールを読んで、いろいろ考え
させられました。

+++++++++++++++++

【Sより、林へ……】

(前段部、前略)

X月末に、我が町で、「環境問題」というテーマで、国際会議がありました。

私は日本から来ている、ジャーナリストさん男性一人について、街のガイド、運転、 通訳
をしたのですが、カルチャーショックを受けました。

ちょうど、はやし先生のマガジンで、オーストラリアからいらした夫婦の話を読んでいた
ときだったので、よけいにショックを受けました。

男性は56歳なのですが、フランス人女性が好きなのか、レストランとかに入るとすぐ、
サービスの女性にむかって手を握ったり、ジュッテーム(好きだよ)と言ったり。

写真をあちこちのテーブルに向かって撮ったり、ワインなど飲み物を私につげという合図
をあご?、でするんです。

(こちらではサービスの人か男性の人が飲み物をつぐので・・・・)

7日間一緒だったのですが、街を観光しても、ただひたすら写真をとっているだけという
感じなのです。

撮ったら移動、撮ったら移動。ゆっくり見ているという暇もなし。

食事の最中でも、タバコを吸ったり・・・。夜は女の子のいるところ、日本で言うカラオ
ケがあるスナックに行きたいという。(私は全然知らないので、案内できなかったのですが
……。)名刺には沢山肩書きがかいてあったのですが、とても残念でした。

久しぶりに日本語で、いろんな話が出きると思っていたので、本当にびっくりしました。
いろんな日本人がいるんですね。

10月にはまたオランダで、会議があるそうです。そこにも、行くそうです。

話が長くなってスイマセン。

そう、6月下旬にリンカラン(Sony Music)という雑誌の取材があり、16日に発売され
ました。

夫、DDの実家を中心にたくさんブルターニュのことがのっているらしいです。
よかったら見てください。

http://www.lingkaran.jp/home.html

がHPで、今月の案内が

http://www.lingkaran.jp/current/index.html

です。

私はまだ見ていないのですが、母が家族全員載っていたというので、息子のTの大きくな
った姿も見られるようようです。

もし、本屋で立ち読みする機会があったら、ちらっと見てみてください。こんなところに
住んでいます。

あと奥様に報告です。

1週間前からK(長男)が自分の部屋で、ひとりで寝るようになりました。

なんでも3歳上の男の友達から、大きくなったら一人で寝るんだぞ!、と言われたらしい
のです。

私たちがいずれ・・・・と思っていたので、急に今日から寝る!、というようになって 、
驚きました。

はやし先生の言っていたように、年上の友達と一緒に遊ぶというのは大切なことだなと、
つくずく感じました。

奥さまが心配しなくても、大丈夫よ!、といった言葉を思いましました。

本当に長くなってスイマセン。
くれぐれもお体にはお気をつけ下さいませ。マガジン無理なさらないでくださいね。私は
いつもマガジンが来ていると一番で読んで、(ときには涙して、ときには笑って)、元気を
頂いています!!

奥様にもよろしくお伝え下さい。 

【Sさんへ、はやし浩司より】

 いただきましたメールの前段部については、また別の機会に、返事を書きます。我が家
も同じような問題をかかえて、目下、た・い・へ・ん・です。まあ、ものごとは、前向き
に考えていきましょう。

 要するに、人間は、無料では死ねないということですね。いやですね。

 で、そのジャーナリスト様について。日本でも、まったく、同じです。マスコミ全盛の
時代というか、マスコミ関係の人たちは、いばっていますよ。(私は、マスコミ人間が、あ
まり好きではありません。)少し前も、電話一本だけの、実に簡単なアポイントだけでやっ
てきて、いきなり、私に、あれこれ取材。名刺も出さない。そこで私が名刺を要求すると、
プイと態度を硬化させました。

 だいたい、服装が、だらしない。人に会うなら、いくら取材でも、またディレクターで
も、もう少し、まともな服装をしてくるべきです。ヨレヨレの作業着に、ジーパン姿です
よ! それがマスコミ人間のあるべき服装とでも、思っているのでしょうか。

 日本でも、よく海外取材番組が紹介されます。が、そういう番組でも、「カメラがうしろ
になかったら、そんなことはしないだろうな」というような場面を、よく見かけます。態
度がでかいというか、現地の人を下に見ているというか……。

 昨日も、東南アジアのある国を、日本のお笑いタレントたちが、訪問するという番組が
ありました。露天の前で、露骨にギャーギャーと騒いだり、「何だ、これ!」と笑って見せ
たり……。あまりの低俗ぶりに、驚くやら、同じ日本人として、なさけないやら……。

 「オレたち、先進国の、日本人様だア!」というような雰囲気でしたよ。その国に対し
て、一片の知識も、畏敬(いけい)の念もない。あいさつの言葉すら、知らない。

 で、「テレビ局が来た」「新聞社が来た」というだけで、大騒ぎをする、一般庶民にも、
問題がありますよね。そうやってチヤホヤするものですから、彼らは、ますます図に乗る
だけ。私はこの10年、とくにこの5年、マスコミにコビを売るのをやめました。(おかげ
で、マスコミ関係からの仕事は、途絶えましたが……。ハハハ。)

 フランスあたりまで行って、「カラオケだ」「女だ」と言っている、日本人様のアホの気
が知れません。カルチャショックを受けられて、当然です。

 私も、35前に、オーストラリアにいたころ、よく日本の代議士先生たちを、案内した
ことがあります。中には、まじめというか、政治を真剣に考えている人もいましたが、一
方、中には、「女を紹介してくれんかね」「そういう遊びをするところはあるかね」と聞い
てくる人もいました。

 しかしそれは35年前の話。Sさんのメールを読んで、「今でも、そうなのかア」と思い、
少しがっかりしました。日本人は、この豊かになった世界で、何を学び、何を身につけた
というのでしょうか。ひょっとしたら、脳ミソの中身だけは、戦後直後のまま?

 食事中にタバコ? これにも驚きました。多分、フランスでは、どこでも禁煙のはず?
 また、あちこちのテーブルに向かって写真をとった? とんでもないほど無礼な行為で
すよね。でも、そういうジャーナリストでも、日本へ帰ってくると、これまた偉そうな顔
をして、話をする……。

 そうそう、同じころ、つまり35年前のことですが、友人の牧場を訪れたときのこと。
その友人の両親たちの社交態度が、日本の大使館の人たちよりも、洗練されていたのには、
驚きました。

 農業を営んでいましたが、夜は、父親が、チェロを私に弾いてみせてくれました。(文化
のちがい)というのは、そういうところに出てくるのですね。

 これから先、日本人も、やがてそうなるのでしょうが、しかしまだまだ、時間がかかり
そうです。それこそ50年単位の年月が必要かもしれません。しかしここであきらめるわ
けには、いきません。日本人も、やるしかないのです! 前に進むしかないのです!

 (しかし私の近所の人たちの中には、外国人との交流を深めながら、自宅で、個展を開
いたりする人も、いますよ。ですから、みながみな、レベルの低い人というわけではない
と思いますが……。そういう人たちが、もっと、ふえてくるといいですね。)

 それからK君が、ひとりで寝るようになって、よかったですね。『子どもの先生は、年上
の子ども』です。1、2歳年上で、めんどうみがよく、知的な子どもでしたら、無理をし
てでも、いっしょに、遊んでもらえるようにするとよいですよ。

 親どうしが友だちになったり、家に食事に呼んであげたり……。あなたの子どもは、そ
の子どもの影響を受けて、すばらしく伸びるはずです。

 で、今度は、日本の話題。

 今、大きな話題は、選挙です。といっても、何がなんだか、わけのわからない選挙にな
ってきました。最後の悪あがきというか、大混乱というか……。このまま日本は、巨億の
負債をかかえて、破綻へとまっしぐらに進む。今度の選挙は、その前兆のような気がして
なりません。

 一家族にたとえるなら、巨額の借金をかかえて、夫と妻が、「しかたないだろ」「どうす
るのよ」と、けんかしているような状態です。一応、200兆円以上あるはずの郵便貯金
も、どこかへ消えてしまったまま。

 今どき、小包を、郵便局にもっていく人は、ほとんど、いません。(海外は、別。しかし
その海外も、最近は、宅配便を利用する人がふえてきました。)サービスも悪いし、値段も
高い。手紙やハガキにしても、今は、インターネットの時代。私の家でさえ、手紙といえ
ば、市役所や電話局などからの、請求書のようなものだけ。私的なハガキとなると、月に
数枚、くるかこないかという程度。

 にもかかわらず、郵政局の職員は、27〜8万人もいる! 私には、郵政民営化に反対
している人たちの気が知れないのです。彼らは、そうまでして、何を失うことを恐れてい
るのでしょうか。

 一般のサラリーマンたちは、もっと、もっと、プラス、もっときびしい世界で生きてい
ます。あのニュージーランドは、市町村の行政まで、ほとんど民営化してしまったのです
よ。お役所仕事は、役所でしかできないと思いこんでいるのは、日本人だけではないでし
ょうか。

 でね、最近では、お役所も、一般庶民と接する部所だけは、忙しくみせるという、小細
工をするようになりました。一歩、そのドアをくぐって、中の部屋に入ると、まるで別世
界。本当に、別世界。まあ、こんなことを書き始めたら、キリがありませんから、この話
は、ここまで。

 1人ひとりの公務員の方に、責任があるわけではありませんが、こんなバカげた国家運
営をしていたら、日本は、本当に破綻してしまいます。そのことを、ほんの少しだけでも、
公務員の方たちにも、自覚してほしいのです。それだけのことです。

 今度の選挙で、その結果が出ると思います。

 あとは、今月末に開かれる、6か国協議。一般の人たちの関心が、恐ろしく低いという
のは、驚きでしかありません。ノー天気な人たちは、「私たちは平和を守ります」「平和を
愛します」と言っていますが、相手の国が、攻めてきたら、どうするのでしょうか。その
ときでも、そんなノー天気なことを、言っておられるのでしょうか。

 ロシアと中国は、東シナ海で、合同の軍事演習をします。韓国は、K国とともに、中国
への同化をもくろんでいます。台湾があぶない。もし台湾に中国軍が進駐するようなこと
になれば、自動的に、日本も、戦場になります。今の今でも、もしアメリカ軍が日本にい
なかったら、韓国とK国の合同軍が、日本へ攻めいってくるでしょう。ロシアだって、だ
まっていない。

 ああああ……というのが、私の本音です。

 しかしたいはんの日本人は、何も考えていない。「私には関係ない」と、話をそらしてし
まいます。私は、この政治的無関心(ゼノフォービア)のほうが、信じられないのです。
フランスなどでも、「あなたはゼノフォービアだ」と言われたら、それだけで軽蔑されたの
と同じことになりますよね。

 ……などなど。少し頭が熱くなってきましたので、この話は、ここまで。今ごろ、Sさん
は、スヤスヤと夢でも見ておられるころですね。こちらは、ジワジワと暑くなってきまし
た。ちょうど、今、セミが鳴き始めました。時刻は、10:30AMちょうどです。

 それから、また、いただいたメールのマガジン(R天の日記)への転載をよろしくお願い
します。事後報告になってすみません。

 ご家族のみなさんに、よろしく。日本へおいでの際には、また、私の山荘でいっしょに、
食事をしましょう。息子さんたちの笑顔が忘れられません。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】

●犬の名誉

 ハナ(犬)と散歩に行く。散歩といっても、自転車で、1時間ほど、あちこちを走りま
わる。

 冬はともかくも、犬は、夏に弱い。少し走ると、すぐハーハーと、あえぎ出す。そこで
スピードを落として、ハナの速さに、こちらの速度をあわせる。

 そんなとき、どこかの犬が、ワンワンとほえたりする。すると、ハナは、とたん、背筋
をのばし、スタスタと走り始める。犬には、犬なりの、プライドというものがあるらしい。

 「無理するなよ」と話しかけてやる。ハナは、声のする方を、チラチラと見やる。明ら
かに、相手を意識している。が、その犬の視界から消えるころになると、また、ヨタヨタ
とした走り方に、もどる。

 そんなハナを自転車の上から見ながら、こんなことを考える。「人間も、同じだな……」
と。

 スポーツ選手、タレント、学者、画家、音楽家……。みんな、他人の目を意識している。
それが悪いというのではない。そういう他人の目があるからこそ、人は、がんばることが
できる。もし自分のまわりから、他人の目が消えてしまったら……。果たしてその人は、
自分の能力を超えてまで、がんばることができるだろうか。

 そのハナも、もうすぐ10歳になる。人間にたとえるなら、50歳くらいか。そういう
たとえはあまり好きではないが、しかし口のまわりのヒゲに、白髪がまざるようになった。
犬の寿命は、15〜20年というから、こうして一緒に、散歩できるのも、それほど、長
くはないかもしれない。

 で、ふとまた、こんなことを考える。

 犬は犬の名誉を果たして、死ぬ。人間は、人間の名誉を果たして、死ぬ。犬と人間は、
ちがうというが、基本的には、それほど、ちがわない。犬のしていることには、価値がな
く、人間のしていることには、価値がある。人間はそう思いたいかもしれない。しかし本
当のところは、どうなのか?

 その寿命にしても、人間は、80年とも100年ともいう。犬より多少長いというだけ
で、「長いからどうなの?」と聞かれると、これまた困ってしまう。無益に、ただ生きなが
らえているだけという人は、多い。そんな人生に、どのような意味があるのか。……とい
うのは、言い過ぎかもしれない。わかっている。

 しかしハナの横顔を見ながら、「こいつは、何のために生きているのだろう」と考えたと
たん、その疑問は、そのまま、私自身に対する疑問へと変わる。

 「私は、何のために生きているのだろう」と。

 そういう意味では、犬も人間も、同じ。生きているから、生きているだけ。それ以上の
意味もなければ、それ以下の意味もない。ただその途中で、他人の目を意識したとき、そ
こに自分がいることを知る。

 いや、何を隠そう。私とて、すてきな女性とすれちがうときは、心なしか、背筋がピン
とのびる。足にぐいと力が入る。ぶざまなかっこうは、見せたくない。つまるところ、人
生というのは、そういうものか。

 そんなわけで、ハナと散歩をしながら、改めて、こう思う。「犬も、人間も、やっている
ことは、同じだなあ」と。


●パソコン用めがね

 今では、パソコン用めがねというものもある。知らなかった。

 近くのめがね屋で、自分の症状をあれこれ言うと、特別に、パソコン用めがねというも
のを、作ってくれた。

 手元のキーボードを見るときと、モニターの画面を見るときとでは、視線の角度がちが
う。そこで一枚のレンズの中で、上部と下部とでは、度数がちがうレンズにする。少し前
の遠近両用のレンズとちがい、境目はない。なだらかに、徐々に焦点距離が変化するよう
になっている。

 それだけではない。

 店員さんが、「モニターと目の距離は、どれくらいですか」「キーボードとの距離は、ど
れくらいですか」と聞いてきた。

 つまり、その距離まで、計算に入れて、私の目にあった、レンズを調整してくれる。

 私が「ヘエ〜」と感心していると、店員さんが、「最近のレンズは、ここまで進歩しまし
た」「このタイプのレンズは、最近できたものです」と話してくれた。再び、「ヘエ〜」と。

 むかし、中学生のとき、私は、一応、天文観測部に所属していた。「一応」というのは、
天文観測部といっても、名前だけ。望遠鏡そのものがなかった。そのため私たち部員がす
ることといえば、毎日、ただひたすら、レンズを磨くことだけ。そんなわけで、レンズ磨
きのむずかしさというか、苦労を、いやというほど、知っている。

 が、今では、恐らくコンピュータか何かで、その人の視力と、視力の特徴に合わせて、
特性のレンズを、その場でみがいて作ってしまうのだろう。以前のように、既製品の中か
ら、選んで……というのではないらしい。

 というのも、加えて、私には、乱視がある。その乱視まで計算に入れたら、前もって既
製品のレンズを用意するとなると、たいへんなことになる。恐らく、数千種類のレンズを
用意しておいても、足りない。これは経営的に、きわめて効率が悪い。

 で、その1週間後。つまり、今日、そのめがねが、できてきた。

 さっそく、使ってみた。が、驚いた。本当に、驚いた。手元のキーボードも、そしてモ
ニターの画面も、スッキリと見える。ただ全体に、近視の度数を落としてあるとかで、遠
くをみるときは、ぼやける。あくまでも、このメガネは、パソコン用ということになる。

 またまた、「フム〜」と感心しながら、この文章を書いている。


●リス

 私の家の周辺に、リスが出没するようになって、もう15年になる。最初は、「かわいい」
と思った。ペットショップで餌を買ってきて、庭にまいてやった。「リスがいる」というだ
けで、そこに温もりのある(自然)を感じた。

 しかし誤解してはいけない。リスというのは、シッポの大きな、ネズミ。やがてそれが、
わかるようになった。

 リスが出没するようになってから、環境が変わってきた。野鳥が、巣作りをしなくなっ
た。ここ1、2年、ドバト(野生の鳩)も、どこかへ引っ越してしまった。もちろん、キ
ーウィなども、すべてリスの餌。ゴミをあさるなどの、いたずらも、する。

 もともとは、だれかがペットとして飼っていたものらしい。それが逃げたか、捨てられ
た。体長が40〜50センチもあるような大きなリスである。

 たった今も、窓の外の電話線の上を、横切っていった。何をしているか知らないが、ま
た何か、悪さをしているのだろう。

 繰りかえすが、リスは、シッポの大きなネズミ。家の中に隠れて住むのがネズミとする
なら、家の外で、堂々と住むのがリス。中には、「あっ、リスがいる!」と喜ぶ人もいるが、
こと私たちに関して言えば、そういう気持は、とっくの昔に消えた。決して歓迎すべき動
物ではない。


●夫を嫌う妻

 女性というのは、(男性もそうかもしれないが……)、ひとたびその人を嫌い始めると、
とことん、その人を嫌うようになるものらしい。これは女性の、どういう特性によるもの
なのか。好きと嫌いの境界線が、はっきりしている。ファジー(あいまい)な部分がない。

 ワイフも、ときどき、そう言う。「女性は人を嫌うときは、生理的に嫌いになるものよ」
と。

 男性のばあいは、精子を打ちこむ側だから、打ちこんでしまえば、それでスッキリする。
あまり、相手を選ばない。ほどよい女性であれば、だれとでも、セックスをすることがで
きる。そういう点では、ずいぶんと無責任な立場にある。

 が、女性は、そうではない。そのあとにつづく、妊娠、出産、育児を考えたら、男性の
ようには、いかない。男性選びも、当然、慎重になる。つまり、この(ちがい)が、女性
にしかない特性をつくるのではないか。

 ある女子高校生は、自分の下着が、父親のものといっしょに洗われるのを、いやがる。
いやがるなんていうものではない。それがわかると、もう一度、母親に洗濯をやりなおさ
せるという。その女性高校生に言わせると、「オヤジの、何もかも、嫌い!」ということに
なる。

 「男は、そこまで気にしないなア……」と、私は、その話を聞きながら、そう思った。

 親子なら、まだよい。これが夫婦となると、そうはいかない。そのまま離婚へと、つな
がる。

 夫が、使った食器を洗うだけで、いや。
夫が、便器を少しよごしただけで、いや。
夫が、鼻くそをほじっているだけで、いや。
夫が、ソファの上に寝そべっているだけで、いや。
もう、何もかも、いや、と。
 
 もちろん、夫が、手先で、自分の肌をさわっただけで、いや。ぞっとする。動作も気に
食わないし、話し方も、声も、いや。

 が、立場上、離婚することもできない。いろいろなしがらみが、自分の体にクモの糸の
ようにからんでいる。が、こういう状態は、長くは、つづかない。

 Aさん(40歳、女性)は、夫の浮気を知った。相手は、夫が勤める会社の部下の女性。
それまでに、月に2、3回、その女性と密会していたらしい。

 それを知ったとたん、Aさんは、夫の何もかもがいやになった。そこで、家庭内別居。寝
室も、別々にした。洗濯をするときも、別々。食事の時間も、できるだけ、ずらした。実
際には、夫だけ、先に食べさせ、そのあと、自分でまた別の料理をして、食べた。

 ゆいいつ幸いなことに(?)、夫は、朝早く仕事にでかけ、夜遅く、帰ってくる。Aさん
は、Aさんで、パートの仕事をもっていた。趣味も豊富で、近所に友だちも多かった。

 しかし夫を嫌っている様子は、だれにでもわかった。夫の話になると、とたんに、顔を
しかめた。多弁になり、ことこまかく、夫の行状を、話した。

 「私が使っているハンカチで、この前、自分の顔を拭いているのよ。私、ぞっとしたわ」
「おかずを、ちゃんと、2人分に分けておいても、さっと、私の皿のほうへ、箸を入れて
くるのよ。いやになっちゃう」とか、など。

 その話を聞いた人は、「そんなことで……」と思うかもしれない。(実は、私も、そう思
ったが……。)Aさんには、深刻な話である。夫に、自分のハンカチを使われることも、自
分の皿に、夫が箸を入れてくることも、Aさんにとっては、いやなことなのだ。

 こういう状態が長くつづくと、どうなるか?

 私が知るかぎり、いろいろなケースがある。

(1)現状維持型……夫を無視して、淡々と生きる。
(2)開放型……どんどん、自分勝手に、前向きに生きていく。
(3)内閉型……抑うつ感が蓄積し、うつ状態に、陥(おちい)る。

 (1)(2)はともかくも、(3)の状態になると、ことは深刻になりやすい。夫の職業
によっては、毎日の生活を、いっしょにしなければならないこともある。がまんするとい
っても、限度がある。そのままやがて、精神を病んでしまう人もいる。

 実は、私の周囲にも、そういうケースがある。

 それまでは、「生理的に嫌い」という状態だけだったのだが、夫が、リストラや定年で、
妻といっしょに生活をするようになった。とたん、夫婦関係は破綻。そして離婚。

 夫が定年で退職をするから、妻たちは離婚するのではない。夫と、四六時中、顔をあわ
せているのがいやだから、離婚する。しかもその火種は、それまでに、長いあいだ、ずっ
とくすぶっていた。

 そこで簡単なテスト。

( )あなたの妻は、あなたが使う食器を、はっきりと区別している。
( )あなたの妻は、アイスなど、あなたの残した食べ物を、そのまま捨ててしまう。
( )あなたの妻は、洗濯物を、あなたのとは分けて、洗う。
( )あなたの妻は、あなたといっしょに、入浴するのを、いやがる。
( )あなたの妻は、セックスをいやがる。あるいは、しても事務的。
( )ともに休みの日でも、行動は別々。趣味も、別々。仲間も別々。

 もし、こういう状態なら、かなりあぶない……ということになる。

 ……というような話を、20年来の、仕事で知りあった友だち(男性・57歳)に話し
たら、その友だちは、こう言った。

 「おい、林、みんな、どこの夫婦も、そうだよ。オレのうちなんか、もっとひどいよ。
ときには、1、2週間、口をきかないこともあるよ」と。

 私の家庭のことは書けないが、(ワイフが、怒るので……)、その話を聞きながら、「そう
いうものかなア……」と思ってみたり、「そういうものだろうなア……」と思ってみたりす
る。いろいろ考えさせられる。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【浮気の会】

 ウソかホントが、知らないが、(浮気の会)というのがある。(夫婦交換の会)というの
や、(混浴の会)というのもある。

 このところ、つまりインターネットの時代になって、そういう会からの勧誘メールが、
私のところにも、頻繁(ひんぱん)に入るようになった。さらに、「私たち夫婦がセックス
をしているのを、横で見ていてくれませんか」というもの、あった。「よろしかったら、い
っしょに、妻を楽しませてあげてくれませんか」というのも、あった。

 しょせん、セックスは、「無」。一線を越えるというか、割り切るというか、それをして
しまえば、あとはもう、何でもござれ。この文章を読んでいる人の中にも、そういう世界
で、すでにセックスを楽しんでいる人も、多いはず。

 が、悪いばかりではないらしい。

 ある男性の告白記には、こうあった。

 「それまで年に数回あるかどうかというセックスだったのですが、目の前で、妻がほか
の男にだかれ、恍惚状態になっているときを見たとき、妻がたまらなく、いとおしく感じ
ました。その会のおかげで、夫婦の仲は、よくなりました」と。

 ある夫婦交換会に出た男性の手記だそうだ。

 そう言えば、10年近く前、こんなことがあった。

 私が、ひとりで、ある温泉の露天風呂に入っていたときのこと。まず、ひとりの男性(4
0歳くらい)が入ってきた。そして私に寄ってきて、こう言った。「妻も、いっしょに入っ
ていいですか」と。

 露天風呂といっても、男性用と女性用に分かれていた。私のワイフは、その女性用のほ
うに入っていた。

 「はあ……」と答えると、男性が何か合図をした。すると、彼の妻が、タオルをかけて
入ってきた。私は背を向けて、その女性のほうは見ないように心がけた。が、その男性と
女性のほうが、私にあれこれ話しかけてくる。

 「いい湯ですね」とか、何とか。目のやり場はないし、どういう態度をとったらよいか
もわからない。が、ところがである。そのあと、私の目の前で、信じられないことが起き
た。

 何とその女性が、あらわもないかっこうで、平泳ぎを始めたのである。ときどき、体を
起こして、私や、夫のほうを見ながら笑う。

 そのあと、夫は、こう言った。「はじめてのときは、いやがりましたが、今では、妻のほ
うが、混浴を求めるようになりました。私のほうから女性用に入ることはできないでしょ
う。それで妻が、こうして男性用に入るのです」と。

 しかし念のため、申し添えるなら、いわゆる卑猥(ひわい)感などというものは、まっ
たくなかった。明るいというか、サバサバとしているか……。健康的であるようにも、見
えた。

 あとで、このことを私のワイフに話すと、ワイフは驚いた。「お前も、今度、混浴してみ
るか?」と聞くと、私のワイフは、「私は、いや〜よ」と言った。

 どうも、この世界のことが、私には、よくわからない。

 どこからどこまでが、本能で、どこから先が、文化なのか。それがよくわからない。

 読者のみなさんは、どう思いますか?

【補記】

●ゆがめられた(しつけ)

 「性」には、そもそも、快感がともなう。その快感は、善なのか、それとも悪なのか…
…。

 子どもの世界で、「ゆがめられたしつけ」という言い方をするときがある。

 たとえばある子どもが、ピアノのレッスンをいやがって、泣いたとする。そのとき親が、
それを「わがまま」と決めつけて、子どもを叱ったとする。すると、子どもは、(いやがる)
ことイコール、(わがまま)と誤解する。

 で、今度は、その子どもが、だれかほかの仲間に、意地悪をしたとする。そのときその
相手の子どもは、それをいやがったとする。が、その子どもには、(いやがる)ということ
が理解できない。それを(わがまま)ととる。だから、ますます意地悪をする。意地悪を
しても、意地悪をしているという意識がない。

 こうした(ゆがめられたしつけ)が、もっとも顕著に現れるのが、「性」の問題である。

 幼児は、その年齢になると、性器をいじると、気持ちがよいことを知る。男児も女児も、
例外はない。

 そこである女児(年長児)は、人目もはばからず、オナニー(自慰)をするようになっ
た。友だちが近くにいても、平気。机の角や、イスの角に性器をあて、そこを刺激した。

 そのときすでにそれがその子どもにとっては、習慣になっていた。無意識のうちに、そ
うしていた。

 が、ある日、母親がそれに気づいた。父親も気づいた。そしてその子どもを、2人で、
はげしく叱った。

 その子どもは、やがて、そういう快感を得ることは、悪いことだと知った。だからでき
るだけ、そういう快感を、自分の中に、封印するようにした。つまりこうしてその子ども
は、「性」に対して、罪悪感をもつようになった。

 そこで問題。

 こうした快感を覚えることは、本当に、罪悪なのか?

 私は、子どものころから、いろいろな場面で、そういう罪悪感を、徹底的にたたきこま
れてきた。だれに、ということではない。どこで、ということでもない。その当時の社会
的環境の中で、そうたたきこまれてきた。

 そしてその結果、「性」に対して、ある種の罪悪感を身につけてしまった。しかしその罪
悪感というのは、(ゆがめられたしつけ)ではなかったのか。

 そのことは若いとき、横浜の港へ行ったときに知った。そこには、横須賀の米軍基地に
住む若者たちが、たくさんきていた。そしてそういう若者たちが、ところかまわず、抱き
あったり、キスをしたり、そしてたがいの体を、さわりあっていた。年齢的には、12、
3歳〜16、7歳くらいではなかったか。

 夜にするとか、隠れてするとか、そうではない。

 日中、開けっぴろげで、そうする。私は、そういう光景を見て、驚くと同時に、「何とい
う、はしたない連中だ」と思った。

 しかし考えてみれば、私がもった印象のほうが、おかしいのでは(?)。というのも、そ
のときすでに、私は、別の心で、こう思ったのを覚えている。「うらやましいな」「ぼくも、
同じことをしてみたいな」と。

 ゆがめられた(しつけ)の例として、根本橘夫氏という学者は、著書「心配性の心理学」
(講談社現代新書)の中で、つぎのような例をあげている(P128)(本書の中では、ゆ
がめられたしつけを、「しつけの隠された意味」と表現している。)

 「(浣腸)とは、(親の意見と食い違うことである)という奇妙な、誤りを信じ込んでい
た事例が、外国で報告されています。

 この子の親は、子どもが反抗したり、意見が違ったりすると、『おなかに悪いものがいる
ので、追い出さなければならない』といって、浣腸していたのです。

 そのために、子どもにこのような奇妙な意味づけがなされてしまったのです」と。

 こういう例は、実は少なくない。

 「勉強ができないヤツは、落ちこぼれ」
 「成績が悪いヤツは、バカだ」
 「S中学校の連中は、頭もよく、優秀だ」と。

 さらには、親でも、「勉強ができる子どもイコール、人格的にもすぐれている」と思いこ
んでいる人は、多い。

 これも、いわば、ゆがめられたしつけの例と考えてよい。日本独特の学歴制度や学歴信
仰、さらには受験神話が、日本人のものの考え方まで、ゆがめてしまった。

 しかし本当の悲劇は、その子ども自身にある。

 「ぼくは勉強ができないから、ダメな人間だ」と思いこんでしまうケースは、少なくな
い。こうした(ゆがめられたしつけ)の中で、キズつき、苦しむ。

 話がそれたが、こうして考えてみると、私たちが(性)に対してもっている(常識)な
どいうものは、ひょっとしたら、ここでいう(ゆがめられたしつけ)かもしれない。

 夫婦交換(スワッピング)にしても、ヌーディストクラブにしても、欧米では、ごくふ
つうのサークル活動として、みなが、楽しんでいる。たがいに罪悪感はない。集団ヌード
会や、混浴サウナ会となると、いたるところに、それがある。

 老若男女の区別はない。オーストラリアの友人の属しているヌーディストクラブでは、
10歳くらいからの女児まで、入っているという。親が、連れてくるらしい。

 そういう事実があることを知ると、それが道徳的にどうとか、倫理的にどうとか、そう
いうことを考えるほうが、おかしいのかもしれない。その道徳にせよ、倫理にせよ、ここ
でいう(ゆがめられたしつけ)によって、作られた可能性がある。

 前にも書いたが、私の近所にも、こんな会がある。(これは本当だぞ!)ワイフが、ある
友人から、仕入れてきた話である。事実であることは、確認が取れている。

 ある男性(50歳くらい)が、若い人妻たちに、セックスの手ほどきを教えているとい
う。口コミで、結構、会員が集まっているという。

 女性のほうは、裸になって、本番スレスレの指導まで、受けるという。私が「それは不
倫ではないのか?」と聞くと、「不倫ではない。女性のほうが、お金を払っているから」と。
もちろん売春でもない。

 で、そこでレッスンを受けた人妻たちは、それを自分の夫に応用するのだそうだ。そし
てその結果、その夫婦は、よりハッピーになるという。

 私は、そういう会があることよりも、こんな地方都市にも、そんな会ができたことに驚
いた。

 今は、そういう時代なのかもしれない。またそういう流れは、ますます大きくなるかも
しれない。つまりは、それは、(ゆがめられたしつけ)への、抵抗ということになる。そし
てその結果として、こうした(しつけ)は、どんどんと、破壊されていく。

 もしあなたが、「セックスをすることは、悪いこと」と思っているなら、それは「浣腸と
は、親の意見とは違うこと」と思っているのと、同じ(?)ということになるかもしれな
い。

 さて、あなたの子どもは、だいじょうぶか? あなた自身は、だいじょうぶか?
(はやし浩司 ゆがめられたしつけ しつけの隠された意味 性の問題 子どもの性 子
供の性)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 1月 16日(No.624)
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自尊感情

 2つの中学校がある。一流校と呼ばれるS中学校と、二流校と呼ばれるC中学校である。
その町には、2つの中学校しかない。

 そこでX君(小6)は、今、究極の選択に迫られている。

 一流校と言われるS中学校に入学して、ビリの座に甘んじるか、それともニ流校と呼ば
れるC中学校に入学して、トップの座を維持するか。

 ……というのは、極端な例で、実際には、こういうケースはありえない。X君の能力に
しても、決して、一元的なものではない。英語と社会は得意だが、数学は苦手。しかしス
ポーツには自信がある。

 しかしこれに似た選択は、子どもの世界では、よく経験する。たとえば無理に無理を重
ねて、有名進学校のS中学校へは入ってみたものの、そのレベルには、ついていけず、毎
日、悶々とした気持ちで学校生活を過ごしている子どもは、少なくない。

 このタイプの子どもにとっては、「学校は、まさに監獄」(イギリスの格言)となる。が、
何よりも心配されるのは、勉強そのものよりも、自尊感情が、キズつけられるということ。
2年とか、3年とか、学校に通ううちに、自らに、「ダメ人間」のレッテルを張ってしまう。
そしてことあるごとに、「ぼくは、落ちこぼれ」を、口にするようになる。

 自尊感情……わかりやすく言えば、プライドをいう。自尊心ともいう。この自尊感情に
は、大きく分けて、2つの働きがある。

(1)自己の防衛と、(2)自己の高揚である。

 たとえば悪の道からの誘いがあっても、自尊感情をしっかりともっている子どもは、そ
れを払いのける。「私は、そういう低レベルのことはしない」という思いが、その子どもの
心を守る。

 もう一つは、「私はすばらしい人間」と思うことが、前向きに生きる原動力となる。チャ
レンジ精神も、そこから生まれてくる。

 が、自尊感情が強すぎるのも、決して好ましくない。あまりにも高い自己概念をもちす
ぎて、現実の世界かた遊離してしまうこともある。が、子どものうちは、この自尊感情は、
ないよりは、あったほうがよい。多少自尊感情が強すぎるくらいのほうが、子どもはよく
伸びる。

 そこで大切なことは、この自尊感情をつぶしてしまわないこと。とくに子どもの人格に
触れるような、「核」攻撃は、タブー。「あなたは、ダメな子」「生まれてこなければよかっ
た子」「何をやっても、だめね」式の言い方は、子育てにおいては、タブー中のタブー。

 ただしほめるのは、この時期、やさしさと努力。その範囲でとどめる。頭については、
慎重に。ほめ過ぎるのもよくない。時とばあいをよく考えて、効果的にほめるとよい。
(はやし浩司 自尊感情 自尊心 プライド)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●マインドコントロール

 心、つまり感情と思想を操作する……それがマインドコントロール。そのマインドコン
トロールのこわいところは、その人の脳のCPU(中枢部分)に影響を与えるため、コン
トロールされながらも、その人自身は、それに気づかないところにある。

 さらにそのコントロールを解除しようとするためには、高度な知識と、高度な技法が必
要となるということ。

 が、ふつう、コントロールから解除されると、その人自身が、かえって混乱状態におち
いることが多い。

 たとえばある人を、カルト教団から抜けさせたとする。が、そのあと、その人は、たい
ていのばあい、極度の精神不安状態になる。見るからに、ふつうでない状態になる。

 そのため、その人は、ふとしたきっかけで、またもとの教団にもどったり、同じような
別の教団に入信したりする。あるいは、頭の中では、「この教団はおかしい」と思っていて
も、極度の精神不安状態になるのがこわくて、そのまま教団に残るケースも少なくない。

 ほとんどのカルト教団では、このマインドコントロールを、たくみに応用して、信者の
心を操(あやつ)る。方法としては、

(1)隔離……たいていは外の世界からの情報を遮断するため、隔離された場所で行う。
(2)反復……同じ文句を何度も繰りかえさせたりして、思考能力を喪失させる。
(3)飢餓……食事などを制限し、軽い飢餓状態にしたり、睡眠不足状態にする。
(4)注入……周囲のものたちが、同じ思想を何度も繰りかえし、思想を注入する。

(Fさんのケース)

 Fさん(女性・35歳)は、その教団に、24歳のときに入信。10年近く、活動をし
ていたが、その教団が、社会的事件を起こし、脱会。夫や、家族の強い説得もあった。

 しかし脱会したあと、Fさんは、重度の虚脱感に襲われ、「私は、地獄へ落ちる」と、お
びえて暮らすようになった。現在は、心療内科で処方された薬をのんで、少しずつだが、
自分を取りもどしつつある。

(Y氏のケース)

 Y氏(男性・33歳)。入信時は不明だが、やはり教団内のごたごたに巻きこまれ、その
まま脱会。その教団の中では、活動派として、活躍していた。しかしマインドコントロー
ルから抜け出すことができず、同じようにして脱会した仲間たちと、別の教団を設立。現
在は、九州北部を拠点にして、同じような宗教活動をしている。

(U氏のケース)

 U氏(男性・28歳)の父親は、富山県でも、よく知られた、ある部品メーカーの社長
をしている。U氏は、狂信的な信仰団体として知られた、仏教系のE会に入信。社員はも
ちろんのこと、外部からやってくる客にまで、入信を勧誘するようになった。それを知っ
た父親が、激怒。U氏は、そのまま家出。

 現在は、そのK会の修行道場にこもりきりになり、実家には、この数年、帰っていない。

 夫にせよ、妻にせよ、家族のものが、カルト教団に入信したりすると、その家庭は、そ
の段階で、崩壊する。基本的な部分で、たがいの価値観が、相容れられなくなる。家庭内
騒動、あるいは家庭内宗教戦争へと発展することも少なくない。

 ほとんどのケースでは、一度、その人がカルト教団に入信すると、その信仰に、(命をか
ける)状態になる。そのため、信仰を、すべての価値に優先させるようになる。ある夫は、
入信をしぶる妻にこう言ったという。

 「この信仰を、オレといっしょにしないなら、離婚する。オレか、離婚か、どちらかを
選べ」と。

 なお、このマインドコントロールと同じように使われる言葉に、「洗脳」という言葉があ
る。しかし洗脳というのは、もともと、政治的思想を注入するために使われ始めた言葉で、
宗教的洗脳を意味する、マインドコントロールという言葉とは区別して考えるようになっ
てきている。念のため。
(はやし浩司 マインドコントロール 洗脳 カルト)

(補足)

 学歴信仰も、カルトと考えてよい。ただふつうの信仰的意識とちがう点は、明治時代以
来、国策として、日本人の心の中に、しみこんでしまっていること。それだ代々、親から
子へと引きつがれている。

 そのため、親子関係、さらには家族そのものを破壊しながらも、それに気づかない親は、
多い。子どもの受験勉強を、すべてのものに、優先させる。ある母親は、泣き叫んで勉強
に抵抗する子ども(小4)に向って、こう言ったという。

 「今は、わからないかもしれないけど、いつか、あんたも、私に感謝するときがくるの
よ!」と。

 「いい学校(大学)へ入ったら、どうなのだ」という部分がないまま、子どもを受験勉
強に駆りたてても、意味がない。現在、確たる目的もないまま、大学へ入り、そのまま、
宙ぶらりん(燃え尽き、荷卸し、アパシー症候群)になってしまう子どもは、多い。大半
がそうではないかと思われるほど、多い。

 が、その程度ですめば、まだよいほう。中には、精神そのものを病むようになる子ども
もいる。

 受験勉強は、避けて通れない道かもしれないが、そんな危険性もあるということを知り
ながら、子どもを指導することも大切。

(補足2)

 子どもの受験競争に狂奔する親は、一見、子どもを深く愛しているかのように見えるが、
それは「愛」ではない。親自身の不安や心配を解消するための道具として、子どもを利用
しているだけ。

 そういう愛を、代償的愛という。いわば愛もどきの愛。ストーカー行為を繰りかえすよ
うな人が口にする「愛」に、共通している。相手がいくら迷惑だと訴えても、それには耳
を貸さない。「自分こそが、相手を一番、愛している」「相手には、自分が必要」「いつか、
相手も自分の愛の深さに気づいてくれる」と、勝手に思いこむ。思いこんで、相手を、追
いかけまわす。 

 親をして、子どもの受験競争に駆りたてる原動力となっているのが、ここでいう、学歴
信仰ということになる。
(はやし浩司 学歴信仰 代償的愛 子供の受験競争 子どもの受験競争)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●右脳教育

++++++++++++++++++++++

右脳教育は、果たして安全なのでしょうか?
まだその安全性も、確認されていない段階で、
幼児の頭脳に応用する危険性。みなさんは、
それを、お考えになったことがありますか。

たった一晩で、あの百人一首を暗記してしま
った子ども(小学生)がいました。

しかしそんな能力を、本当にすばらしい能力
と安易に評価してよいのでしょうか。

ゲームづけになった子どもたち。幼いころか
らテレビづけになった子どもたち。今さら、
イメージ教育は必要ないと説く学者もいます。

それに右脳と左脳は、別々に機能しているわけ
ではありません。その間は、「交連繊維」と呼ば
れる神経線維で結ばれ、一番大きな回路である、
「脳梁(のうりょう)」は、2億本以上の繊維
でできています。

右脳と左脳は、これらの繊維をとおして、交互
に連絡を保ちながら、機能しています。

脳のしくみは、そんな単純なものではないよう
です。

そうそう、言い忘れましたが、一晩で百人一首
を暗記したのは、あの「少年A」です。

イメージの世界ばかりが極端にふくらんでしま
うと、どうなるか。そのこわさを、少年Aは、
私たちに教えてくれました。

++++++++++++++++++++++++

 アカデミックな学者の多くは、「右脳教育」なるものに、疑問を抱いています。渋谷昌三
氏もその1人で、著書「心理学」(西東社)の中で、こう書いています。

 「なにやら、右脳のほうが、多彩な機能をもっていて、右脳が発達している人のほうが、
すぐれているといわんばかりです。

 一時巻き起こった、(現在でも信者は多いようですが)、「右脳ブーム」は、こういった理
論から生まれたのではないでしょうか。

 これらの説の中には、まったくウソとはいえないものもありますが、大半は科学的な根
拠のあるものとは言えません」(同書、P33)。

++++++++++++++++++++++++++

●右脳教育への警鐘

 論理的な思考力をなくす子どもたち。ものの考え方が直感的で飛躍的。今、静かにもの
を考えられる子どもが、少なくなってきています。

 そうした危惧感を覚えながら書いたのが、つぎの原稿です(中日新聞発表済み)。

+++++++++++++++++++++

親が右脳教育を信奉するとき

●左脳と右脳

 左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。その右脳
をきたえると、たとえば次のようなことができるようになるという(七田眞氏)。

(1)インスピレーション、ひらめき、直感が鋭くなる(波動共振)、
(2)受け取った情報を映像に変えたり、思いどおりの映像を心に描くことができる(直
観像化)、
(3)見たものを映像的に、しかも瞬時に記憶することができる(フォトコピー化)、
(4)計算力が速くなり、高度な計算を瞬時にできる(高速自動処理)など。こうした事
例は、現場でもしばしば経験する。

●こだわりは能力ではない

たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろ
ばんを使って、瞬時に複雑な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。
読むというよりは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を
理解してしまう。

しかし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、「神童」というのは認めない。
もう少しわかりやすい例で言えば、一〇〇種類近い自動車の、その一部を見ただけでメ
ーカーや車種を言い当てたとしても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。

たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうで
ないこだわりを見せることが知られている。全国の電車の発車時刻を暗記したり、音楽
の最初の一小節を聞いただけで、その音楽の題名を言い当てたりするなど。つまりこう
したこだわりが強ければ強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が潜んでいるとみる。

●論理や分析をつかさどるのは左脳

 そこで右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を出し、そうした成
果の陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、
変人というイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた
人物にしたと考えられなくもない。

 言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あ
るべき人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(論
理)、他人の心を静かに思いやること(分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもと
いうことになる。その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。

●右脳教育は慎重に

 右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。
しかしだからといって、それを脳のシステムが未発達な子どもに応用するのは、慎重でな
ければならない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析
を学ぶ。右脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた『淳君殺
害事件』をあげる研究家がいる(福岡T氏ほか)。

●少年Aは直観像素質者

 あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)
画数の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、
五〇〇〇円やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったことも
あります」(「少年A、この子を生んで」文藝春秋)と。

 少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の
区別がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。

その少年Aについて、鑑定した専門家は、「(少年Aは)直観像素質者(一瞬見た映像を
まるで目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、
(それがこの非行の)一因子を構成している」(同書)という結論をくだしている。

 要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。
子どもに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●才能とこだわり

 自閉症の子どもが、ふつうでない「こだわり」を見せることは、よく知られている。た
とえば列車の時刻表を暗記したり、全国の駅名をソラで言うなど。車のほんの一部を見た
だけで、車種からメーカーまで言い当てた子どももいた。クラッシック音楽の、最初の一
小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い当てた子どももいた。

 こうした「こだわり」は、才能なのか。それとも才能ではないのか。一般論としては、
教育の世界では、たとえそれが並はずれた「力」であっても、こうした特異な「力」は、
才能とは認めない。たとえば瞬時に、難解な計算ができる。あるいは、20ケタの数字を
暗記できるなど。あるいは一回、サーッと曲を聞いただけで、それをそっくりそのまま、
ピアノで演奏できた子どももいた。まさに神業(わざ)的な「力」ということになるが、
やはり「才能」とは認めない。「こだわり」とみる。

 たとえばよく知られた例としては、少し前、話題になった子どもに、「少年A」がいる。
あの「淳君殺害事件」を起こした少年である。彼は精神鑑定の結果、「直観像素質者※」と
鑑定されている。直観像素質者というのは、瞬間見ただけで、見たものをそのまま脳裏に
焼きつけてしまうことができる子どもをいう。

少年Aも、一晩で百人一首を暗記できたと、少年Aの母親は、本の中で書いている(「少
年A、この子を生んで」文藝春秋)。そういう特異な「力」が、あの悲惨な事件を引き起
こす遠因になったとされる。

 と、なると、改めて才能とは何かということになる。ひとつの条件として、子ども自身
が、その「力」を、意識しているかどうかということがある。たとえば練習に練習を重ね
て、サッカーの技術をみがくというのは才能だが、列車の時刻表を見ただけで、それを暗
記できてしまうというのは、才能ではない。

 つぎに、才能というのは、人格のほかの部分とバランスがとれていなければならない。
まさにそれだけしかできないというのであれば、それは才能ではない。たとえば豊かな知
性、感性、理性、経験が背景にあって、その上ですばらしい曲を作曲できるのは、才能だ
が、まだそうした背景のない子どもが、一回聞いただけで、その曲が演奏できるというの
は、才能ではない。
 
 脳というのは、ともすれば欠陥だらけの症状を示すが、同じように、ともすれば、並は
ずれた、「とんでもない力」を示すこともある。私も、こうした「とんでもない力」を、し
ばしば経験している。印象に残っている子どもに、S君(中学生)がいた。

ここに書いた、「クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言
い当てた子ども」というのが、その子どもだが、一方で、金銭感覚がまったくなかった。
ある程度の計算はできたが、「得をした」「損をした」「増えた」「減った」ということが、
まったく理解できなかった。

1000円と2000円のどちらが多いかと聞いても、それがわからなかった。100
0円程度のものを、200円くらいのものと交換しても、損をしたという意識そのもの
がなかった。母親は、S君の特殊な能力(?)ばかりをほめ、「うちの子は、もっとでき
るはず」とがんばったが、しかしそれはS君の「力」ではなかった。

 教育の世界で「才能」というときは、当然のことながら、教育とかみあわなければなら
ない。「かみあう」というのは、それ自体が、教育できるものでなければならないというこ
と。「教育することによって、伸ばすことができること」を、才能という。が、それだけで
は足りない。その方法が、ほかの子どもにも、同じように応用できなければならない。ま
たそれができるから、教育という。つまりその子どもしかできないような、特異な「力」
は、才能ではない。

 こう書くと、こだわりをもちつつ、懸命にがんばっている子どもを否定しているように
とらえられるかもしれないが、それは誤解である。多かれ少なかれ、私たちは、ものごと
にこだわることで、さらに自分の才能を伸ばすことができる。

現に今、私は電子マガジンを、ほとんど2日おきに出版している。毎日そのために、数
時間。土日には、4、5時間を費やしている。その原動力となっているのは、実は、こ
こでいう「こだわり」かもしれない。

時刻表を覚えたり、音楽の一小節を聞いただけで曲名を当てるというのは、あまり役に
たたない「こだわり」ということになる。が、中には、そうした「こだわり」が花を咲
かせ、みごとな才能となって、世界的に評価されるようになった人もいる。あるいはひ
ょっとしたら、私たちが今、名前を知っている多くの作曲家も、幼少年時代、そういう
「こだわり」をもった子どもだったかもしれない。そういう意味では、「こだわり」を、
頭から否定することもできない。
(02―11−27)※
(はやし浩司 右脳教育 右脳教育への疑問 こだわり 少年A イメージが乱舞する子
ども 子供 才能とこだわり 思考のバランス)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●謎が解けた!

++++++++++++++++++++

なぜ、韓国のN大統領は、反日キャンペーンに
狂奔するのか?

なぜ、そうまで反日が、重要なのか?

その謎を解くカギが、N大統領自身の過去
にあった……。

+++++++++++++++++++++

 なぜ、韓国のN大統領が、こうまで反日的であり、同時に親北的なのか? その秘密を
解くカギが、N大統領自身の過去にあった。

 少し前、私は、韓国系の新聞による、連日の反日キャンペーンについて、書いた。その
中で、韓国の新聞は、重箱の底をほじくり返すような記事ばかり書いていると、私は批判
した。しかしつぎの事実を知れば、日本の読者も、なぜそうなのか、その理由がわかるは
ず。

 これらの情報は、韓国の某公的団体の事務総長をしていた人物から、私の友人(日本人)
を経て、もたらされたものである。私がUNESCOの交換学生で、韓国へ渡ったとき、
韓国側で、私たちの世話人をしてくれた人でもある。

(1)N大統領の父親自身も、日本の植民地時代に、日本に徴用された経験がある。
(2)終戦後は、N大統領の父親は、韓国内の共産党の下働きをして、生計を立てていた。
(3)N大統領は、その共産党の顧問弁護士として、名をはせ、財力を身につけた。

 さらに筆者のもとには、驚くべき情報がもたらされている。今は、あくまでも、「?」の
情報としてここに、書きとめておく。

(4)金大中氏は、日本とアメリカに亡命中に、K国の金xxから、資金援助を受けてい
た可能性があるという。(情報を寄せてくれた人は、そう断言しているが……)
(5)前回、金大中氏が、K国の金xxと、P市で会談したおり、金大中氏は、金xxに、
5億ドルの食糧援助のほか、G財閥を通して、20億ドル相当の現金を渡した可能性があ
るという。(情報を寄せてくれた人は、そう断言しているが……。)

 さらに……。

(6)南北朝鮮の統一を、日本は、恐れているが、それ以上に、恐れているのが、中国。
(7)そこで米中で、すでに話しあいが始まっていて、統一後は、朝鮮は、中国の支配下
に置くことで、米中は、合意している。(中国は、鴨緑江をはさんで、その向こうに、親米
国家ができることを、何よりも、恐れている。)
(8)韓国内にあった、(反政府)地下組織は、すべて地上に出てきてしまっている。
(9)携帯電話の普及とともに、韓国国内の情報は、すべてK国に筒抜けになってしまっ
ている。韓国の世界に名だたる、諜報活動は、すでに、有名無実化している。

 そしてここが、一番重要だが、

(10)N政権は、反日を旗印にあげないことには、政権の基盤を失うことになる、と。

 韓国と言えば、戦後、反共一辺倒でつき進んできた国である。その韓国が、K国に、資
金援助までしてきたとあっては、N政権は、その政権基盤そのものを失うことになる。だ
から、N政権は、反共を、反日に置きかえねばならなかった、と。

 (1)〜(10)は、あくまでも、「?」の情報である。伝聞で得た情報である。しかし、
もしここに書いたことが事実であるとするなら、……というより、逆に、「そうだったの
か!」と、納得することばかり。「そうだったからこそ、今のN政権は、連日、反日キャン
ペーンを展開している」と。

 ついでながら金大中氏は、P市での会談のあと、ノーベル平和賞を受賞している。かつ
て、日本の佐藤栄作氏も、同じノーベル平和賞を受賞しているから、ノーベル賞といって
も、平和賞については、その程度の(賞)と考えてよいのかもしれない。

 が、もしそうなら、つまり、20億ドルの裏金が事実とするなら、金大中氏は、ノーベ
ル平和賞を、金で買ったことになる。そう言われても、おかしくない。あくまでも、ここ
に書いたことが、事実であるとするなら、という前提での話だが……。

 これら(1)〜(10)の事実は、すでに日本の外務省あたりは、把握しているのだろ
う。しかし日韓関係にキレツを入れることを恐れて、公表しないでいるのかもしれない。

 ナルホド、そうだったのか! ……ということで、この話は、ここでおしまい。

 これじゃあ、いくら6か国協議を開いても、うまくいくはずがない。韓国イコール、K
国と考えて行動しないと、日本は、彼らが共同でしくんだワナに、まんまとはまることに
なる。

 日本よ、日本人よ、気をつけよう!

 なお、これらの情報を提供してくれた人物は、「だからといって、親日派ではない」(友
人談)とのこと。「日本のことを心配して、情報を提供してくれたのではなく、昔のよしみ
として情報を提供してくれた」ということか。

 これから先、N政権がつづくかぎり、韓国内では、反日運動は、さかんになるだろう。
そこで日本としては、そうした運動に動ずることなく、冷静に、事務的に、ことを運ぶし
かない。

 N政権がどうであれ、日韓の間では、毎日、1万人もの人たちが行き来している。たが
いの経済活動も、さかんになってきている。ごくふつうの日本人が、韓国政府の動向に興
味がないように、ごくふつうの韓国人も、また、日本政府の動向に興味などない。

 政府が、国民を先導する時代は終わり、国民が、新しい国家をつくり、国と国の関係を
つくっていく。そういう時代になりつつある。またそういう時代にしなければならない。
いつまでも過去にこだわって、憎しみあっていても、しかたないではないか。戦後生まれ
の私ですら、今年、58歳になる。

 戦争責任を問う側も、問われる側も、戦争そのものを、知らない。そういう時代になり
つつある。

【補記】

 これからの極東アジアは、つぎのようになると思う。

(1)南北朝鮮の相互の融和政策は、ますます加速する。金xxが死亡したあと、南北朝
鮮は、共和制を敷く。ただし、統一は、ずっと先。
(2)アメリカ軍は、やがてまもなく韓国から撤退する。韓国から、親米色は、ますます
薄くなる。かわって親中派が、韓国の大勢を占めるようになる。
(3)韓国は、やがて中国の経済圏に入る。その傾向を強める。(「明治維新以前の、中国
と朝鮮の関係になる」(友人談)ということか。)
(4)日本は、その反動として、親米色を強める。日米同盟は、さらに強固なものとなる。
(050815日記)

【追記】

 情報をもたらしてくれた、M君、ありがとう! これで謎が解けたというか、頭の中が
スッキリしました。複雑なパズルを解いたあとのような気分です。


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【日本の将来】

++++++++++++++++++

衆議院は解散された。
さあ、選挙!

今度の選挙は、郵政民営化選挙だと、
K首相は言う。

「郵政三事業の民営化は、構造改革の
要(かなめ)である」(T財務長官)と。

構造改革というのは、行政改革をいう。
行政改革というのは、言うまでもなく、
1940年からつづいた、官僚体制の是正に
ある。

遅れに遅れた、行政改革。だが、やるしかない。
やらなければ、日本に未来は、ない。
日本は、今、その正念場を迎えつつある。
(050816記)

++++++++++++++++++

●日本は官僚主義国家

 ほとんどの人は、日本は、民主主義国家だと思っている。世界に名だたる民主主義国家
だと思っている。

 しかし日本は、官僚主義国家である。外国の大学生が使うテキストには、「日本は、君主
(Royal)官僚主義国家(bureacratism)」となっている。英語で、「bureacratism」という
ときは、「官僚独裁主義」という意味が含まれる。

 私はそのことを、1970年に、オーストラリアの大学へ行って、はじめて知った。そ
れから、35年になるが、この状態は、いまだに変わっていない。この35年間において
ですら、さらに、ひどくなった。

●官僚制度の効率性

 もともとこの官僚主義制度というは、フランスで生まれた。16世紀から17世紀にか
けてで、このときイギリスは、今でいう、「高度成長期」に入った。それを見たフランスは、
何としても、イギリスに追いつかねばならなかった。

 官僚制度というと、悪いことばかりではない。国が一つとなって、一つの目標に向って
進むときには、たいへん効率のよう制度となって機能する。よい例が、1940年からの
日本である。いわゆる「1940年体制」というのが、それ。このときから、日本人は、
すべて、国家管理のもとに入ることになった。

 その結果、日本は、軍事官僚独裁の時代に入り、まさに一丸となって、戦争に向った。

 さらに戦後は、日本は、世界でも類をみないほどの、経済的発展を遂げた。その基盤と
なったのが、官僚制度。つまり、官僚制度というのは、ヘビにたとえるなら、頭の部分と
いうことになる。それにつづく体(=国民)は、その頭についていけばよい。

 しかしこの官僚制度そのものは、いわば、後進国の国家制度と考えてよい。どこかに目
標があり、その目標に向って、「追いつけ、追い越せ」という状況では、たいへん効率よく、
機能する。しかし、機能するのは、そこまで!

●官僚制度の弊害

 その目標を達成してしまうと、今度は、官僚制度は、社会そのものを硬直化させてしま
う。社会システムそのものが、融通性をなくし、機動性をなくす。わかりやすく言えば、
息苦しいほどまでの、管理国家。何をするにも、認可だの許可だの資格がいる。お役人に
たてついたら、小さな食堂一つ、開くことができない。

しかし、なぜ社会は、硬直化するのか。

官僚が官僚であるための、第一の要件は、(1)権限と管轄、それに(2)情報のコント
ロールである。

 権限、つまり利権と既得権にぶらさがり、管轄内のことはするが、それ以外のことは、
いっさい、しない。また自分が手にした情報は、絶対に、外には、出さない。出すとして
も、小出し。官僚から情報を奪ったら、何も残らない。「情報こそ、命」と、豪語する官僚
さえいえる。

 言うなれば、一般国民を、情報の外に置くことによって、自分たちは、特権の上に、あ
ぐらをかくことができる。無知な民ほど、あつかいやすいものはない。その一例が、官僚
たちが作りに作った、借金である。その額、驚くなかれ、すでに1000兆円に達してい
る。

 日本の労働人口を約1億人として、その数で割れば、一人当たり、その借金額は、10
00万円。もしあなたの家族が、4人家族なら、4000万円ということになる。この額
を、国家財政という視点でみるなら、日本という国が1年間に稼ぐ額(=約42兆円)の、
24倍の額ということになる。

 家計にたとえていうなら、年収420万円の人が、1億円の借金をかかえているのに、
等しい。

●操作される情報

 こうした情報を、官僚たちは、自分たちの内部だけで管理し、決して、外には漏らさな
い。そういうしくみができてあがってしまっている。その結果、どうなったかといえば、
国家公務員と地方公務員の人件費だけで、38兆円。つまり国家税収、42兆円の、実に
90%を、自分たちだけで、食いつぶしていることになる。

 もちろん給料は、最高!

 平成13年度の国民経済計算年報によれば、公務員の人件費は、1人あたり、1014
万円と、ダントツに高い。

 電気、ガス、水道などの公益団体で働く、いわゆる準公務員という人たちの人件費、7
95万円が、それにつづく。

 当時「高級取り」で問題になった、民間の金融、銀行、保険業の行員ですら、人件費は、
678万円。

 これらの額を、あなたやあなたの夫が民間会社で働いて手にする額と、くらべてみると
よい。おおかたの人は、300〜400万円のハズ。それよりも低賃金の人も、少なくな
い。

 が、官僚制度の本当の問題は、こうした財政の問題ではない。官僚制度が硬直化すれば
するほど、国そのもの、さらに国民そのものが、いわゆる「機動性」を失う。今の郵政事
業のあり方を見るまでもない。今どき、郵政事業の民営化は、常識ではないか。それを「過
疎地の郵便局を守れ」「離島の郵便局を守れ」と、理由にもならない理由をこじつけて、反
対する。

 むしろ怒るべきは、過疎地や離島に住む人たちである。そういうときだけ、つごうのよ
いうように、自分たちが利用される。あるいは過疎地や離島に住んでいる人たちで、10
00万円以上もの給料を手にしている人は、郵便局員をのぞいて、何%いるというのか? 

 同じような反対運動は、あの国鉄民営化のときも、起きた。しかし、それにかわって、
バスが走るようになった。私の住む近辺でも、H湖鉄道は廃止になると、さんざん脅され
た。が、今でも、第3セクター方式で、ちゃんと電車は、走っている!

 が、私が、本当に危惧するのは、ここにも書いたように、「機動性」がなくなってしまっ
たこと。若い人たち自身から、(野生臭)が消えてしまったこと。大卒の人気就職業種のナ
ンバーワンが、公務員というのは、しかたないとしても、彼らから、(働いて、金を稼いで、
生きる)という原点そのものが、消えてしまった。

 もうつぎの原稿を書いてから、5年になる。今、読みなおしても、「古い」という感じが、
まったくしない。それをここに転載する(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【日本の将来を教育に見るとき】 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強
で苦労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさが
すヒマもない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・九九年春)と答
えていた。

また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われる
まま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、
ここまで言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことが
ある。息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょ
うど40年前の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。あの国では誰もが
ギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。若者とて例
外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金
はその場で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオー
ト三輪を買って、それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買っ
て、それでまたお金を稼ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれ
ていた。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近く
の小川へ行った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。
それが結構、小づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。

が、今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生
が私のところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、
私「君は何ができる?」、
学「翻訳ぐらいなら、何とか」、
私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。『翻訳します』とか書いて
くれば、仕事が回ってくるかもしれない」、
学「カッコ悪いからいやだ」、
私「なぜカッコ悪い?」、
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。
結局その学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることにな
った。もちろんその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若
者たちを見れば、日本の未来がわかる。で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。
結論から先に言えば、お先まっ暗。

このままでは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国になってしまう。いや、
おおかたの経済学者は、2015年前後には、日本は中国の経済圏にのみ込まれてしま
うだろうと予想している。

事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。たとえばアメリカでは、今
では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NBC)。どこの大学でも
日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている(ハーバード大学)。

私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを
払うのは、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。
私たちが子どものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでよ
うとしている。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「21世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏4カ国の中高生を対
象にした調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになっ
た。現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで
生きること」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」
としたのは四か国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが2000年7月、東京、ソウル、ニ
ューヨーク、パリの中学二年生と高校二年生、計約3700人を対象に実施。「21世紀は
希望に満ちた社会になる」と答えたのは、米国で85・7%、韓仏でも6割以上に達した
が、日本は33・8%と際立って低かった。自分への満足度では、米国では9割近くが「満
足」と答えたが、日本は23・1%。学校生活、友達関係、社会全体への満足度とも日本
が四カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランス
は弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を
楽しむ」が61・5%と最も多く、米国は「地位と名誉」(40・6%)、フランスは「円
満な家庭」(32・4%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が20・2%だ
ったのに対し、米国は78・8%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本40・1%、
米国七六・四%と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類
全体の利益よりわが国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精
神が希薄なことも浮かんだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の
夢や希望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。1980年代からの
傾向で、豊かになったことに伴ったのだろう」と分析している。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

 この原稿が、マガジンに載るころには、選挙は、終わっている。しかしその結果がどう
であれ、こうまで官僚制度が進んでしまった今、これから先、どうやって行政改革(=官
僚制度の是正)をしていくのだろう。あるいは、国民から消えてしまった、(野生臭)を、
どうやってとりもどしていくのだろう。

 今もまた、私の頭の中に、尾崎豊の「♪卒業」が、聞こえてきた。このエッセーのしめ
くくりに、その原稿(中日新聞掲載済み)。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●尾崎豊の「卒業」論
●若者たちの声なき抗議
学校以外に学校はなく、学校以外に道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、「卒業」の
中でこう歌った。
「♪…チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべきか考えていた」
と。「人間は自由だ」と叫んでも、それはしくまれた自由に過ぎない。現実にはコースが
あり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテルを張られてしまう。尾崎は
それを、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

 宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。し
かし夢をもてばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら
許されない。ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、そこ
そこの夢をかなえることができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、挫折す
る。尾崎はこう続ける。「♪放課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ、寂し
く歩いた」と。

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パ
ツ、腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。

しかし彼らとて精一杯、自己主張しているだけだ。それがダメだというなら、彼らには
ほかに、どんな方法があるというのか。そういう弱者に向かって、服装を正せと言って
も、無理。尾崎もこう歌う。

「♪行儀よくまじめなんてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じら
れぬおとなとの争い」でもあった。実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が
二億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめ
て見せる。いつもは豪華な衣装を身につけているテレビタレントが、別のところで、涙
ながらに難民への寄金を訴える。

こういうのを見せつけられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そ
こで尾崎はそのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った…」と。
もちろん窓ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方
法が思いつかなかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、だれが「石も
て、打てる」のか。

 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、二〇〇万枚を超
えた(CBSソニー広報部)。この数字こそが、現代の教育に対する、若者たちの、まさに
声なき抗議とみるべきではないのか。
(はやし浩司 日本の将来 官僚主義 官僚主義国家 中高生の将来像)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 14日(No.623)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●失行

 近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。96年に、ドイツのシュルツ
という医師が使い始めた言葉だという。

 失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。たとえば風呂から
出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。本人も、「風呂から出たら、
パジャマに着がえなければならない」と、理解している。しかし風呂から出ると、手当た
り次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。

 原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。

 それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられ
るという。行動命令と抑制命令である。

 たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命
令の二つが、同時に発せられる。

 だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。行動命令
だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。抑制命令が強すぎ
ると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。

 精神状態も、同じように考えられないだろうか。

 たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。激怒した状態を思い
浮かべればよい。

 そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。激怒するのを、精神の行動命令とす
るなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。

 この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、
それなりに、よく理解できる。

 たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。

 そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。が、母親の姿が見えなくなっ
たとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。

 それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。「どうして、食べたの! 食べてはだめと
言ったでしょ!」と。

 このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。しかし
精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。だから子ども
は、菓子を食べてしまった。

 ……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理
できなくなってしまう。いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。

 前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミ
ュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。

 どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になって
いるそうである。

 言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、
修正したりするということができなくなる。

 ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習
能力といったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけるこ
とができる。その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、
異常に刺激されることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門
外漢の私にさえ、容易に推察できる。

 それが「スカスカの脳」ということになる。

 これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。

(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、
先にとらえることは、よくある。

 たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子ども
は、すでに40〜50年前から、指摘されていた。私も、幼児に接するようになって36
年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたち
と区別することができた。

 当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。診断基準もなかった。だから、
「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。「多動児」とい
う言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、
約30年前ということになる。

 ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクシ
ョナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、
脳の活動そのものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。

 しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」
というのは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。
(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷
のある子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩
司)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●メチル水銀

 マグロの食べ過ぎは、妊婦というか、胎児に悪影響を与えるという。

 TBSのi−NEWSは、つぎのように、伝える。

「バチマグロやクロムツなど16種の魚介類について、これを食べ過ぎると含まれてい
るメチル水銀が、胎児に影響を与える場合があるとして、厚生労働省は妊娠中の女性た
めの新たな呼びかけをまとめた」と。

 今度は、メチル水銀! しかもマグロに! 

 私はマグロのような魚は、食品としても、もっとも安全な食べ物とばかり、思っていた。
しかしそれも危険ということになると……。

 どうして、こうまで、つぎからつぎへと、いろいろな問題が起きてくるのだろう。しか
も、メチル水銀とは? 私もメチルアルコールや、メチルエーテルのことは知っているが、
メチル水銀のことは知らない。

 そこでグーグルの検索機能を使って調べてみると、それを指摘しているのが、厚生労働
省医薬局食品保険部・食品衛生審議会食品衛生分科会乳肉水産食品・毒性合同部会である
ことがわかった。

 長い! ものすごい長い名前! その最後のところに「毒性合同部会」とある。つまり
「メチル水銀は、毒性をもっている」ということになる。しかしなぜ、そのメチル水銀が、
マグロの体の中に入るのか。あるいは、どのような毒性をもっているかなどについては、
書いてない。

 要するに、あの水俣病の原因になったのが、メチル水銀と思えばよいということか。同・
合同部会のQ&Aコーナーでは、つぎのように説明している。

 「自然界に存在する水銀を食物連鎖の過程で、体内に蓄積するため、特定の地域等にか
かわりなく、一部の魚介類等については水銀濃度が他の魚介類と比較して、高いものも見
受けられます。このため、水銀による胎児への悪影響を防ぐ観点から、妊婦等については
魚介類等を通じた水銀の摂取に、一定の注意が必要と考えられます」と。

 つまりメチル水銀が蓄積するのは、人為的なものではなく、「自然界の食物連鎖のよるも
の」と。

 もしそうなら、太古の昔から、マグロは、危険な魚だったということになる。しかし実
際には、同・合同部会も認めているように、魚介類の中に含まれるメチル水銀は、年々、
ふえている。「ただ今回は、国際的な、許容基準が引き上げられたので、危険ということに
なった」(要約)ということらしい。

 これから先も、こうした問題は、つぎからつぎへと、起きてくるだろう。やがて主食の
米もあぶない、パンもあぶない、水もあぶない……と、そんな状況になるかもしれない。

 みなさん、今から、覚悟しておこう!
(はやし浩司 メチル水銀 水俣病 退治への影響)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ゲーム脳】

++++++++++++++++++++++

ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!

+++++++++++++++++++++++

最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。ゲームづけになった脳ミソを
「ゲーム脳」いう。このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。しかし、
「ゲーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道してい
る(05年8月11日)。

『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、
感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制
をも司る部分)という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。

この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎる
と働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。それを科学的に
証明したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NEWS WE
B JAPAN※)。

 つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、
省略する。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。

 が、私がここで書きたいのは、そのことではない。

 この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりする
と、ものすごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせ
が、殺到している」(同)という。

 考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?

 K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心
から、そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!

 実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)
という本を書いた。そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到し
た。名古屋市にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両
論の討論会をつづけたという。が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。そうした抗
議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たち
であったということ。

 どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてく
るのか? 出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編
集部の男性からのもあった。

 「子どもたちの夢を奪うのか!」
 「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
 「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。

 私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多か
った。「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポ
ケモンを勉強してからものを書け」とか、など。

 (誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。100%、誤字、脱字のない
本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)

 反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。そんな低レベルの抗議である。で、
そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。

 で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。

 これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?

 一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりを
もちつつ、カルト化しているのではないかということ。ゲームを批判されるということは、
ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらし
い(?)。おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。

 実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。自分たちが属する教団が批判
されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発し
たりする。教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。

 あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。私が、子どもたちの前で、ふと一
言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言
で、ヒステリー状態になってしまった。ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声
をあげる子どもさえいた。

 そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たち
との間には、共通点が多い。たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか
狂信的。現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。たまごっちの中の
生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。

これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるよ
うになるだろう。これからも注意深く、監視していきたい。

 ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死ん
でしまった若者がいるそうだ。たかがゲームと、軽くみることはできない。

注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI
(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十
人を測定した。そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまった
く発達させることはなく、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼ
す」という実験結果をイギリスで発表した。

この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い
見識に基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到し
たという(NEWS WEB JAPANの記事より)。
(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ゲーム脳(2)

【M君、小3のケース】

 M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをし
ている!」と。

 M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。そのまま朝まで、
していることもある」(姉の言葉)と。

 M君には、特異な症状が見られた。

 祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。M君は、たくさん集まった
親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。「まるで、パーテ
ィでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。

 祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。その祖父がなくなったのだから、M君は、
さみしがっても、よいはず。しかし、「はしゃいでいた」と。

 私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。

 M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大
けがをしたというのだ。その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあっ
たのですが、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。

 こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、
言い切れない。こんなことがあった。

 M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲーム
を取りあげてしまった。その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、
自分の頭をガラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。

 もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをし
たという。そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のとこ
ろに相談にやってきた。

 私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにし
た。そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。

 そのM君には、いくつかの特徴が見られた。

(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるし
く変化した。時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。

(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャ
ーと騒ぐ。イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。

(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計
算問題(割り算)をすませてしまう。そして「終わったから、帰る」などと言って、あと
片づけを始める。

(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。彼がそのとき夢中になっていたの
は、N社のGボーイというゲームである。そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能
面のように無表情になる。ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のよ
うになる。

 M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2〜3時間はつづ
けるそうである。長いときは、5時間とか、6時間もしているという。(同じころ、12時
間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)

 以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。それをここに
紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ…
…、ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、
話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞
しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。

ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! 
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激
しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭
のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。
小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの
子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えれ
ばこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%
が、「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科
書を出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱い
ものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業
中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業その
ものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。

「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子ど
もが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にと
まどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観
の差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指
導が難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)
と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「か
なり感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔
のような崩壊家庭は少なくなった。

むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味
もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、
アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、
乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこ
う言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけて
も返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けに
せよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。
ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられな
くなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、
静かに聞くことができない。

浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚
が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおも
しろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。
分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。

テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことが
ない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。
その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。

(付記)
●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ
れている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、
北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫
りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がってい
る」とも。

 北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
 教師の指示を行動に移せない       ……17人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……9人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在
籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年2
10人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は3
55人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、9
6年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が417
1人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、
うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護
者などの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策

 現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラ
スを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策を
とっている(共同通信社まとめ)。

また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年につ
いて、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、
2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、
もう1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、
一部の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的
に導入している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で
実施している(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近況あれこれ】

●暑さと思考能力

+++++++++++++++

暑いと、考えるのも、おっくうに
なる。

考えようとしても、集中力がつづかない。

+++++++++++++++

 暑いと、思考能力は低下する。経験的には、わかりきったことだが、しかしどうしてだ
ろう。

 人間の思考能力というのは、それだけではないが、いいかげんなものだ。環境のみなら
ず、そのときどきの心理的状況や感情によっても、大きな影響を受ける。しかしこのいい
かげんさが、人間の思考能力を、より柔軟なものにしている。人間らしさを作っている原
点にもなっている。もし人間の思考能力が、ギスギスになってしまったら、人間は、それ
こそ、ロボットのようになってしまうかもしれない。

 ところで人間の脳の中には、100億個とも、1000億個以上とも言われる神経細胞
があると言われている。(その数は、研究が進めば進むほど、ふえるという傾向がある。)
この神経細胞は、「ニューロン」とも呼ばれている。

それぞれの神経細胞には、情報の入力部(樹状突起)と、情報の出力部(軸索の先端)
がある。

 ここでたいへん興味深い点は、それぞれの神経細胞は、直接つながっているのではない
ということ。効率を考えるなら、直接つながっていたほうが、ずっとよい。電気的信号は、
そのまま、神経細胞から神経細胞へと、伝達される。が、実際には、直接には、つながっ
ていない。神経細胞と神経細胞の接合部は、「シナプス」と呼ばれている。が、このシナプ
スの働きが、これまた複雑である。

 ふつうなら、先にも書いたように、神経細胞どうしは直接しながっていたほうがよい。
そのほうが、効率はよい。が、実際には、一つの神経細胞からつぎの神経細胞に情報を伝
えるとき、その間で、脳間伝達物質と呼ばれる、ある種の化学物質が、化学反応を起こし
ながら、受け取った情報を、つぎの神経細胞に伝えている。

 私たちの脳ミソは、そのつど、いちいち、情報(電気的信号)を、化学反応にかえなが
ら、つぎの神経細胞に伝えているというわけである。わかりやすく言えば、電気を流すと
き、1本の電線で流すのではなく、そのつど、その途中で、複雑な化学反応を繰りかえし
ながら、つぎの電線に電気を流しているということになる。

 それをさらにわかりやすくしたのが、下の図である。

(軸索からの電気的信号)→(化学物質)→(神経細胞の樹状突起)→(電気的信号)→
(軸索)→(軸索からの電気的信号)→(化学物質)→……と。

 なぜ、こんなめんどうなことをするかといえば、これはあくまでも、私の推理だが、反
対に、神経細胞どうしが、直接つながってしまったばあいのことを考えてみると、わかる。

 もし神経細胞どうしが、直接つながってしまったら、いわゆる(人間的なあいまいさ)
が、なくなってしまうことになる。

 悩んでいるときも、さみしいときも、悲しいときも、脳細胞は、そうした感情に左右さ
れることなく、能率よく、しかし機械的に働くことになる。もしそうなれば、あるいは、
ひょっとしたら、感情そのものが、なくなってしまうかもしれない。

 つまり神経細胞は、その情報を、つぎの神経細胞に伝える過程で、化学反応を介在させ
ることで、(あいまいさ)を、わざとつくっていることになる。この(あいまいさ)こそが、
(人間らしさ)の原点になっている。

 暑いときは、化学物質の分泌が、少なくなる(多分?)。そうすると、神経細胞から神経
細胞への情報の伝達が、とどこおるようになる。そしてものを考えるのが、おっくうにな
る。

 もしこのとき、神経細胞どうしが、直接つながっていたら、暑いときも、寒いときも、
何ら影響されることなく、脳ミソは活動できるはずである。脳ミソの効率という点では、
それでよいかもしれない。が、しかしそうなればなったで、人間は、機械的になってしま
う。たとえて言うなら、ただの計算機か、コンピュータのようになってしまう。が、それ
では、かえってつまらないのでは……?

 つまりは、人間的な(あいまいさ)を、わざとつくるために、神経細胞どうしは、化学
物質を通じて、つながっている……ということになる。そこで最近、とくに注目されてき
たのが、脳内ホルモンだが、それについては、別のところで、また考えてみたい。この脳
内ホルモンが、化学物質の変化(反応)に、微妙な影響を与え、その人らしさを作ってい
るというのである。

 「今日は、暑い」と感じた、知覚細胞からの情報が、脳ミソのどこかで、(イライラホル
モン)を分泌する。そのイライラホルモンが、神経細胞どうしをつなぐ化学物質の化学反
応を、鈍らせる。つまりその結果として、思考能力は低下する。

 今の私の脳ミソは、そういう状態にあると考えてよい。

【補記】

 コンピュータには、感情はない。それはコンピュータの神経細胞にあたる部分が、すべ
て電線でしっかりと結ばれているからである。

 そこでコンピュータに感情をもたせるために、こんなふうにしてみたらどうだろうか。

 電線のそれぞれの途中で、化学反応による伝達部分をつくる。暑いときは、化学反応を
遅くしたり、仕事の量が多いときは、化学反応を、拡散させたりする。電線どうしを混線
させるのもよい。ワードで作業をさせていたら、突然、エクセルの表が、その上に現われ
たりする。そこでユーザーが、「バカ!」とキーボードをたたくと、画面上に、「ごめんな
さい」「まちがえました」などと表示されたりする。

 そうすれば、コンピュータも感情をもつようになるかもしれない。あるいは、「今日は、
暑いから、仕事はここまで」とか、そんな言葉が画面に表示されるようになるかもしれな
い。もちろん、コンピュータとしての効率は悪くなるが、しかしそんなコンピュータは、
想像するだけも、楽しい。
(はやし浩司 神経細胞 ニューロン 樹状突起 シナプス 軸索)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●何でもかんでも、反日運動! 

 何をしても、また何もしなくても、すべて反日。韓国の新聞記事を読んでいると、どう
してこうまで、毎日、毎日、反日キャンペーンを繰りひろげているのか、私には理解でき
ない。

 たとえば今日(8月14日)も、こうだ。

『元韓国人徴用工への手当 日本政府、60年前の額面で支給』(東亜N報)と。

 つまり元韓国人の徴用工が、日本政府に、未払い分の手当てを請求したところ、60年
前の額面で支給したというのだ。いわく、

 『第2次世界大戦当時、日本に徴用され酷使された韓国人元徴用工らが、厚生年金の脱
退手当金を請求したところ、日本政府が、60年前の額面通りの脱退手当金を支給したこ
とがわかった。 
12日付の朝日新聞によると、1943年、新日鉄の前身にあたる旧日本製鉄の大阪製
鉄所で起重機操作係として働いていたという、ソウル在住のY氏(82)には、昨年1
1月、日本の社会保険庁から、「脱退手当金316円を振り込んだ」とする通知が届い
た。Y氏は、「独立当時なら牛が6頭買えた額。今ではうどん1食分にしかならない」
と憤慨した』と。

 要するに、「韓国人をバカにするな」という記事である。この記事を読んだら、韓国人な
ら、怒るだろう。怒って、当然。それはよくわかるが、では、なぜ、今ごろY氏が、厚生
年金の脱退手当金を請求したのかということについては、一言も触れられていない。

 しかも316円は、賃金ではなく、手当てである。しかもその事実があったのは、昨年
の11月。それから、すでに、9か月もたっている。つまりこうして、韓国の新聞は、韓
国内に、反日感情をもりあげていく。

 もうウンザリというか、毎日、毎日、重箱の底をほじくりかえすような記事ばかり。N
政権になってから、それがとくに顕著になった。ものの考え方が、完全にうしろ向き。戦
後、日本が、過去の植民地支配時代を補償するため、いかに莫大な補償金を支払い、それ
を当時の韓国政府が、いかに使ったなどという事実は、すべて伏せられたまま。

 わかりやすく言えば、日本が支払った補償金のほとんどを、当時の韓国政府は、国民に
は分配せず、国家再建に使用した。その結果、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済復興が起こり、
今の韓国の基盤ができあがった。

 今回の記事でも、こうした記事を書く前に、東亜N報は、「手当て」の内容を、よく調べ
るべきではなかったのか。しかも、その請求権は、60年も、放置されていた!

 日本の民法によれば、売り掛け金などによる債権の消滅時効は、2年。一般の貸し金に
よる債権の消滅時効にしても、10年である。さらに、こんな話も、ある。

 今から、30年近くも前の話だが、こんなことがあった。私の記憶によるものなので、
内容は、不正確かもしれないが、おおむね、こんな内容である。

 戦時中、日本政府は、外国で、兌換紙幣(だかんしへい)というものを、発行した。兌
換紙幣というのは「いつか、正式の紙幣と交換します」という、つまりは仮の紙幣をいう。
戦時中の混乱期には、紙幣の発行もままならなかった。

 で、その兌換紙幣が、戦後、紙くず同然になってしまった。

 が、当時、つまり30年ほど前に、香港へ行くと、その兌換紙幣を、猛烈な勢いで買い
集めているブローカーたちがいた。それこそ紙くず同然になった兌換紙幣を、二束三文で
買い集めていた。しかも、新聞広告まで出して、買い集めていた。

 理由は、すぐわかった。

 そのブローカーたちは、兌換紙幣を集めるだけ集めると、今度は、当時の日本政府に、
兌換紙幣の換金を求めるキャンペーンを始めた。しかも、戦時中のレートではなく、その
当時のレート(戦後30年も経てからのレート)で補償するように求めた。

 私は、そのころ、毎週のように日本と香港の間を行き来していたので、そのあたりの(動
き)をよく知っている。

 で、その抗議団が、日本まで押しかけてきた。涙まで流して、「換金してほしい」と訴え
た。それがすべて演技だったとは言わないが、しかし当時は、香港でも、かなりリッチな
人でなければ、日本へは来られなかったはず。そのときの様子は、連日、新聞などでも報
道されたので、記憶に残っている人も多いと思う。

 そこで日本政府が出した結論は、「兌換紙幣を、現在のレートで補償する」だった。つま
り兌換紙幣を買い集めた、ブローカーたちは、ばく大な補償金を手にすることができた。(た
しか、ブローカーたちは、買い集めた値段の数千倍の値段で、日本政府に、それを買い取
らせたのではなかったか……。よく覚えていないが……。)私はそれを知ったとき、「日本
政府は、何と、マヌケなのだろう」と思った。

 もちろん中には、善良な中国人もいただろうと思う。本当に困って、兌換紙幣を補償し
てほしいと訴えた人もいただろうと思う。しかしそのときですら、戦後、すでに30年近
く、たっていた。

 つまりもし、ここで日本政府が、そのY氏(82)に、現在のレートに換算して、つま
り牛が6頭買えるだけの金額を支払ったとしたら、どうなる? 60年もたってから……。
恐らく、「我も、我も……」と、日本政府に押しかける人が続出して、それこそ収拾がつか
なくなってしまうだろう。

 同じ日本人がしたことだから、日本人も、反省すべき点は、反省しなければならない。
それはよくわかっている。しかし何もかも、その裏も考えないで、反日運動に結びつけて
しまうのは、どうか? 報道機関として、それがあるべき姿勢なのか?

 私は、かつてUNESCOの交換学生として韓国に渡った。帰国後は、大の韓国びいき
として、それなりの活動もしてきた。とくに金大中氏の拉致事件のときは、連日、韓国大
使館に電報を打ったり、電話をかけたりした。手紙も書いた。

しかし今、私の心境は、大きく変化した。数年おきに同窓会なるものもあるが、ここ2
0年、出たこともない。出たくもない。好きか嫌いかと言われれば、今の私は、個人的
には、K国も、韓国も、好きではない。とても、残念なことだが……。
(050814記)


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.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○       
.        =∞=  // (奇数月用)5
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 12日(No.622)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

新・子育て格言(6)

●マンネリは、知能発達の敵

「アレッ」と思う意外性が、知恵の発達をうながす。その瞬間、子どもの脳は、全開状
態になる。そしてその意外性に対応していくことで、思考の柔軟性が生まれ、知能が発
達する。このことは、大脳生理学の分野でも、つぎのように説明される。

 人間の大脳には、約一〇〇億の神経細胞がある。そしてそれぞれの神経細胞は、約10
万個のシナプス(細い回線)をもっている。その数だけで、10の15乗、つまり100
0兆本になる。しかし遺伝子がこれらすべてを管理しているかといえば、そうではない。

遺伝子の中のDNAは、多くても、10の10乗程度といわれている。つまり脳のシナ
プスは、それだけ柔軟性をもっていると同時に、その人個人の、置かれた環境、教育、
努力によって影響を受けるということになる。が、それだけではない。

 シナプスどうしが、複雑にからみあい、連絡しあうことによって、人間はより複雑な思
考をすることができるようになる。たとえば脳の神経細胞の数は、生まれてから死ぬまで
ほとんど同じでも、大脳皮質は成長にともなって厚くなる。

神経細胞自体がふえるわけではないのに、大脳皮質が厚くなるのは、細胞自体が大きく
なり、「樹状突起も複雑に分岐し、繁茂した状態になること。脳のほかの部分の成長にと
もなって、たくさんの入力繊維が入ってくること。

グリアが増殖することによる」(新井康允氏)ためだそうだ。専門用語ばかりでわかりに
くいが、、要するに、それだけ回線が複雑になるということ。この回線をふやすのが、意
外性である。意外性が、新しい回線の発達をうながし、そしてその意外性を処理するた
めに、回線どうしがつながり始める……。

 そこで子どもには、いつも意外性のある環境を用意する。たとえば少し前、オーストラ
リア人の夫婦が、私の家にホームステイしたことがある。そのときのこと。毎朝、まずそ
うな顔をして朝食を食べていたので、半ば冗談のつもりで、「チョコレートでも出そうか?」
と言うと、「オー、イエス!」と。あいにくチョコレートがなかったので、ココアを出すと、
彼らはそのココアと砂糖を、あの白いご飯の上にかけ、さらにその上からミルクをかけて
食べていた。

そのときのことだ。私は頭の中で、バチバチと、脳細胞がショートして火花を放つのを
感じた。それがここでいう「意外性」である。

 そこで具体的には、こうする。

(1)何でも体験させる……よく誤解されるが、「お金をかけろ」ということではない。ご
く日常的なことで、いろいろ体験させる。郵便局へ行っても、切手を買わせ、それをハガ
キや封筒にはらせる。電車に乗るときも、自分で切符を買わせるなど。コツは一歩退いた
状態で、子どもに任すようにする。

(2)家の中に変化を求める……いつも家の様子や、もように変化をつける。イスや机、
テーブルの配置など。子どもが外から帰ってきたとき、「アレッ」と思うようにしむける。
以前、こんな女子中学生がいた。年がら年中、いつも自分の机とイスをもって、家の中を
移動しているというのだ。母親は、「ヤドカリみたいです」と笑っていたが、その子どもは、
頭のよい子どもだった。ほかによく「転勤族の子どもは、頭がいい」と言う。それも、や
はり、こうした環境の変化が、よい方向に作用しているためと考えられる。

(3)どこへでも、連れていく……子どもは外へ出すにかぎる。そのときも、できるだけ
歩くようにするとよい。車というのは便利だが、やはり汗をかきながら受ける刺激と、そ
うでない刺激には、大きな違いがある。たとえばテレビで見る、アメリカのグランドキャ
ニオンと、実際に見るグランドキャニオンとでは、受ける印象は、まったく違う。

(4)同じことを繰り返さない……これは親の努力目標ということになる。いつも違った
刺激を与えるようにする。食事でも、何でも。ある母親は、娘のために、一日とて同じ弁
当をつくらなかったという。その女性はやがて、日本を代表するような女流評論家になっ
たが、母親のそういう姿勢が、そういう女性をつくったとも考えられる。

(5)ユーモアを大切に……日本人は、欧米人とくらべても、ユーモアがたいへん少ない
民族と考えてよい。生真面目(きまじめ)といえば、まだ聞こえはよいが、その実、頭が
カタイ? 子どもが、「お母さん、雨だよ!」と言ったら、「私が、飴(あめ)? なめて
みてごらん?」くらいのジョークは、いつも会話の中にあってほしい。

 あとは、子どもといっしょに、意外性を楽しめばよい。たまには、おもちゃのトラック
をよく洗い、その中に寿司を並べてもよい。たまには、料理を大きな皿に並べて、絵を描
いてみてもよい。そういう意外性が、子どもを伸ばす。
(はやし浩司 遺伝子 DNA 子供を伸ばす)

++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●見栄は、目つぶし

狭い世界に住んでいると、どうしても見栄をはる。だいたい、人間というのは、自分と
対等の相手を、気にする。言いかえると、今、自分がどんな人間を相手にしているかが
わかれば、それがあなたのレベルということになる。そこであなたは、どんなとき、ど
んな相手に見栄をはるか、少しだけ頭の中に、思い浮かべてみてほしい。そしてその相
手が、レベルの高い人であればよい。しかしレベルの低い人であれば、長い時間をかけ
て、あなたもそのレベルの低い人になるから、注意する。

 もっとも、見栄などはっても、意味はない。もっと言えば、自分のない人ほど、見栄を
はる。自分をかざる。ごまかす。隠す。あなたのまわりにも、見栄をはる人は多いと思う
が、そういう人ほど、自分がない。あるいは心のさみしい、つまらない人とみてよい。

 実のところ、私の息子の一人が、O国から帰国後、しばらく、就職先が決まらなく、道
路工事の旗振りの仕事をしたことがある。「もっと楽な仕事があるだろう」と、私とワイフ
は息子にそう言ったが、息子はこう言った。「こういうきびしい仕事をしておけば、あとは
どんな仕事をしても、楽になる」と。

私ができることと言えば、せいぜい日焼け止めクリームを、そっと用意してあげること
でしかなかった。そのときのことだ。息子はこう言った。「パパは、ぼくがこんな仕事を
するのを恥ずかしくないか?」と。

 私には、もう「恥ずかしい」という意識は、どこにもない。あるわけがない。だいたい、
だれに恥ずかしがらなければならないのか。近所の人にしても、親類にしても、私の生徒
の親にしても、私が相手にしなければならないレベルではない(失礼!)。私も小さな人間
だが、そういう人たちを、とっくの昔に超えている(失礼!)。そこで私は息子にこう言っ
た。「がんばれるだけがんばれ。だれかがお前を笑ったら、私がそいつを、たたきのめして
やる!」と。

 見栄を気にすると、自分の姿が見えなくなる。そして自分の子どもを見失う。見栄はめ
つぶし。わかりやすく言えば、「見栄など、クソ食らえ!」ということか。私は私で生きる。
あなたはあなたで生きる。そういうわかりやすさが、私を光らせ、あなたを光らせる。つ
まるところ、生きるということは、いかに自分であるかで決まる。他人の目の中で生きれ
ば生きるほど、自分を失うことになる。はたから見ても、それほどつまらない人生はない。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


●ミルクは泣いてから与える

子育てはリズム。そのリズムが、子どものリズムと合っていればよし。そうでなければ、
子どもが親のリズムに合わせることができない以上、親が子どものリズムに合わせるし
かない。

 たとえば赤ん坊が泣いてから、ミルクを与える親がいる。泣く前にミルクを与える親も
いる。

 たとえば子どもが、「行きたい」とせがんでから、英語教室へ入れる親がいる。子どもが
求める前に、英語教室へ入れる親がいる。

 たとえば子どもが、「もっと勉強したい」と言ってから、塾へ入れる親がいる。子どもが
望む前から、塾へ子どもを押し込む親がいる。

 こんな親がいた。あと少しで夏休みというときのこと。母親が分厚いパンフレットをも
ってきて、こう言った。「先生、うちの子(小3男児)は、ああいうグズな子でしょ。だか
ら夏休みの間、洋上スクールへ入れようと思うのですが、どうでしょうか?」と。そこで
私が、「本人は行きたがっているのですか?」と聞くと、「いえね、先生、それで困ってい
るのです。本人は、行きたくないと言って、私を困らすのです」と。

 こうしたリズムは、一度できると、それがずっとつづく。一生つづくといっても、過言
ではない。親は、いつまでたっても、心配先行型の子育てをする。その結果、子どもはい
つもそういう親に、引き回されるだけ。自立心の弱い子どもになる。あるいは自分で自分
を律することができないから、どこか常識ハズレになりやすい。親から見れば、「グズな子」
ということになる。

 そこでテスト。もしあなたの子どもが、ベッドで寝る直前になって、「明日の宿題をやっ
ていない」と言ったとする。そのとき、あなたはどうするだろうか。

 子どもを起こし、宿題をいっしょに片づけてやる親もいる。あるいは反対に、「あなたが
悪いから、明日、学校で先生に叱られてきなさい」と言って、そのまま寝させる親もいる。
これもリズムで決まるが、もしあなたのリズムが、子どものそれと違っているようなら、
今日からでも遅くないから、子どものリズムで歩いてみるとよい。方法は簡単。子どもを
子どもとしてみるのではなく、友として、その横を歩くようにすればよい。そしていつも
「あなたは何をしてほしい」「あなたは何をしたい」と静かに語りかければよい。

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●みんな、不安

子育てをしていて、不安でない人のほうが少ない。前提として、みんな、不安と考えて
よい。つまり、不安なのは、あなただけではない。

 「うちの子は、ちゃんとおとなになれるかしら」「ひとりで、だいじょうぶかしら」「交
通事故は?」「けがは?」と。学校へ入れば、今度は「勉強は、だいじょうぶかしら」「い
じめれれるのではないかしら」「不登校児になるのではないかしら」「落ちこぼれるのでは
ないかしら」と。

さらに、このところ国際情勢もあやしくなってきた。経済情勢も悪い。子どもを取り巻
く環境は、悪化することはあっても、よくなることは何もない。「紫外線は?」「化学物
質は?」「環境ホルモンは?」などなど。その上、連日のように、暗い事件がつづく。コ
ンビニの前を通ると、どうも素性のよくないような若者が、たむろしている。「うちの子
はだいじょうぶかしら?」と。

 こうした不安と戦う唯一の方法は、自分の子どもを信ずること。また信じられるように、
親側の心を整える。またそういう子どもに、子どもを育てる。「うちの子は、うちの子で、
たくましく、何とかやっていくだろう」という思いが、親の不安を解消する。が、それが
ないと、あとは、何をしても、その不安から解放されることはない。

 しかし、実のところ、自分の子どもを信ずることは楽ではない。簡単なことでもない。
それ自体が、子育ての大きな「柱」といってもよい。つまり子育ての目標のすべてが、こ
こに集約される。しかし方法がないわけではない。

(1)子育てを楽しむ……「子どもを育てる」「育ててやる」と考えるのではなく、「子ど
もといっしょに、友として、人生を楽しむ」という視点で、子育てを組み立てる。
私も長男が生まれたとき、「いつかこの子と、会話ができるようになればいい」と本
心からそう思った。

(2)「あなたはいい子」を口グセにする……いつも「あなたはいい子」を口グセにする。
子どもというのは不思議なもので、親の口グセどおりの子どもになる。長い時間をかけて
そうなる。あなたが「うちの子はグズだ」と思っていると、あなたの子どもは、そのグズ
な子どもになる。が、「いい子」と思っていると、そのいい子になる。最初はウソでもよい
から、そう言う。言いつづける。

(3)親子のパイプを大切にする……同じような不安を感じても、親子のパイプが太いう
ちは、いっしょにそれを乗り越えることができる。助けあい、励ましあい、いたわりあい、
なぐさめあう。そういう意味で、家庭は、子どもにとっては、いこいの場、いやしの場と
する。子どもがある程度、大きくなったら、こまごまとしたしつけを、家庭の中ではして
いはいけない。

(4)なるように任せる……子どもというのは、何とかしようと思っても、そうならない
ときは、ならない。しかし何もしなくても、自分の力で育っていくもの。自分のことなら
ともかくも、親としては、子ども自身の中に感ずる、子どもの運命に、任すしかない。さ
からってもムダ。流れを変えようとしても、ムダ。あるがままを認め、そのあるがままの
中から、子どもを引き出す。仮に子どもが不登校児になっても、「まあ、そういうこともあ
るわね」「うちの子はうちの子」という思いが、子どもの心を守る。あなた自身の心を守る。

(5)「今日」を維持する……大切なことは、こうした不安を感じたら、「今日」の状態を
より悪くしないことだけを考えて、明日にそれをもっていく。その今日が無事なら、明日
も無事。来週も、来月も、来年も無事。今日があるように、明日も同じようにやってくる。
決して不安になることも、心配することもない。流れに静かに身を任せば、明日は必ずや
ってくる。自分のことならともかくも、子どものことではそうする。

(6)視野を広く、大きく……こうした不安は、視野がせまく、低くなったとき、倍加す
る。だからいつも視野を広く、高くもつ。子育てをしていると、つぎからつぎへと、いろ
いろな問題が起きてくる。しかしそのとき、そういう問題に、同じレベルで巻き込まれる
と、自分を見失ってしまう。これはまずい。どんなばあいも、自分をできるだけ高い位置
から見おろす。そのために、日ごろから、子育てについて考える習慣をなくしてはいけな
い。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自分の運命、他人の運命

久しぶりに、大阪へ行ってきた。外回り線という電車に乗った。で、そこで、そこが大
阪とわかるのは、大阪弁という方言があるから。まわりの人たちがみな、どこか聞きな
れない方言で、ペチャペチャと早口でしゃべっている。

それをのぞいたら、東京と大阪の区別はつかない。「この電車は山手線です」とだれかが
言っても、私は、それを信じてしまうだろう。つまり、大阪の人も、東京の人も、それ
ぞれが、「私たちは東京とは違う」「大阪とは違う」と思っていても、外の「私」から見
れば、オ・ナ・ジ。

 この話は、運命論と関係している。他人を、「私」から見ると、それぞれが決まったパタ
ーんの中で、決められた未来に向かって動いているように見える。まさに運命を感ずると
きは、そのときだ。大阪の人も、東京の人も、ある一定のワクの中にいるのがわかる。私
が「区別はつかない」と書くのには、そういう意味も含まれる。

 同じように、こうまで長く、そのときどきにおいて、たとえば不登校の子どもを扱って
いると、どの子どもも同じに見えてくる。10年前に経験した不登校児も、20年前に経
験した不登校児も、そして今、経験している不登校児も、同じに見えてくる。区別はつか
ない。そしてそれぞれの子どもが、ほぼ同じようなコースをたどって、いつか、何ごとも
なかったかのようにして、おとなになっていく。私はそういう流れの中に、やはり運命を
感ずる。つまり、「決められたコース」を、だ。

 そこで私は、運命をふたつに分ける。ひとつは、自分の運命。もう一つは、他人の運命。
ここに書いたのは、どれも他人の運命だが、もし運命というものがあるなら、それは「他
人の運命」をいう。で、問題は、自分の運命だ。はたして、自分の運命は、あるのか?

 そこで視点を、まず「私」からはずす。はずして、その視点を、より高いところにおき、
そこから自分をながめてみる。そうすると、不思議なことだが、私が大阪で、そしてあの
電車の中で見た、大阪の人のように、自分を客観的にみることができる。と、同時に、自
分自身の運命を知ることができる。

 私が考える自分の運命というのは、まず、まあ、このまま浜松市の郊外のボロ家で、一
生を終えるだろうなという事実。ひとり、何だかんだと、犬の遠吠えのようなことを繰り
返して、一生を終えるだろうなという事実。そのうち、ワイフか私が先に大きな病気にな
り、深い悲しみや苦しみを味わうだろうな事実。たいしたこともできず、まあ、そこそこ
の人生をその時点で、終えるだろうな事実。それを運命といえば、運命ということになる。

 が、今度は、視点をずっと下におろして、自分の中から、運命をみてみる。すると、視
野が一転する。「私は私、運命などない」という考え方に、一転する。仮にそういう運命が
あるとしても、私は今、こうして懸命にふんばって生きている。「このまま終わるだろうな」
という人生であってはいけないという思いも強い。だから懸命に、それと戦っている。つ
まり「自分にとって、自分の運命はない」ということになる。もっと言えば、私の道は、
私が決める。

 そこで結論から言えば、人は「運命」という言葉を口にするとき、ひょっとしたら、こ
の二つを混同しているのではないかということ。中の世界から見る自分の運命と、外の世
界からみる他人の運命を混同している。だから話がややこやしくなる。おかしくなる。さ
らにもっと言えば、外から見る他人の運命というのは、あくまでも結果であって、それは
運命ではないということになる。話がわかりにくくなってきたが、そもそも、運命などと
いうものはないのではないか。またそう考えたほうがわかりやすい。

 この問題は、もう少し先でもう一度考えてみるが、今のところ、そういう結論になる。
仮にそういう運命が、それぞれに人にあるとしても、最後の最後のところで、ふんばって
生きるのが人間。そこからドラマが生まれ、生きる人間の価値が生まれる。美しさが生ま
れる。決して、自分の人生を、運命論で、安易にかたづけてはいけない。

(付記)きわめて卑近な話になるが、こう考えても、運勢だとか、占いだとか、占星術だ
とか、タロットだとか、そういうことを言っている人の気が知れない。はっきり言って、
バカげている。道に迷ったら、自分で考える。それが人間ではないか。

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●夢中こそ、力

子どもが何かのことで、夢中になる様子を見せたら、そっとしておく。子どもは夢中に
なることで、集中力を養い、思考力を養う。一般論として、「頭をよくする」ためには、
今まで使っていなかった脳の部分を使えばよい。つまりできるだけ変わった分野に進出
すればするほど、頭はよくなる。子どもについて言えば、できるだけ変わった経験をさ
せればよい。させればさせるほど、頭はよくなる。

 ……ということは、もう15年も前に出した本(「子育て格言」(山手書房新社))の中で
書いた。が、私はここまで書いて、ふと考えてしまった。私自身はこの一〇年の間に、新
しい分野に進出したか、と。そしてそこで、さらに考えてしまった。今、思いつくものが、
何もない。これといって、「新しいことをした」という部分が、何もない。生活そのものも、
一〇年前と、ほとんど変わっていない?

 そう言えば、このことは、先日会った、恩師とも話題になった。それについて恩師はこ
う言った。「責任ある仕事をしなさい。そういう仕事をすれば、またいろいろな人に会える。
会うことで、自分をみがくことができる」と。

つまり変わった分野とは、それ相当の人に会うことだ、と。そこで私が、「具体的に何を
すればいいですか?」と聞くと、「H市の市長ぐらいにはなりなさい」と。私は、「先生
は、冗談が好きですね」と笑ったが、つづけて私はこう言った。「そういう仕事をすれば、
自分の時間がなくなる。そうでなくても、自分の時間が足りないと思っているのに、あ
んな忙しい仕事をさせられたら、たまりません」と。

 これは私の負け惜しみでも何でもない。もし政治家をめざしていたとしたら、とっくの
昔になっていた。そういうチャンスは、何度かあった。しかし同時に、今の私に一番欠け
るものといえば、緊張感かもしれない。「責任」ということになると、私には社会的責任は、
ほとんどない。気楽といえば気楽だが、しかしこの気楽さこそが、私が求めてきたもので
ある。自由の原点も、そこにある。そんなわけで、この「気楽さ」を、簡単に放棄するわ
けにはいかない。

 で、子どもの話に、もどる。子どもは未経験な存在だから、いろいろな経験をさせる。
これは子育てにおいては、たいへん重要なことである。決して、小さな世界に閉じ込めて
はいけない。コツはある。親自身が、新しい世界につぎつぎとチャレンジしていく。そし
てそれから生まれる緊張感の中に、子どもを巻き込んでいくようにする。親が居間で寝そ
べりながら、「あなたは外で遊んできなさい」は、ない。

 ただし、子どもの夢中にも、条件がある。その(1)反復作業はさせない。(2)興奮性
の強い夢中は、避ける。

(1)反復作業はさせない……よい例が、反射運動だけをためすようなテレビゲームなど。
あるいは黙々と、単純作業を繰り返す。同じことを、何度も繰り返したり、それにこだわ
ったりする。同じ夢中でも、こうした夢中は、子どもの性格を自閉させる。以前、小さな
丸だけをつなげて黙々と絵を描いていた女の子(年中児)がいた。親や先生は、「根気のあ
るいい子です」と言っていたが、しかしそれは自閉症の初期症状だった。

(2)興奮性の強い夢中……幼児期に避けなければならない感情に、嫉妬(しっと)と、
攻撃心がある。この二つは、おそらく人間が原始的な生物であった時代からもっていた感
情で、この二つをいじると、子どもの性格がゆがむことがある。そのため子どもが嫉妬す
るような場面は、できるだけ避ける。またゲームでも、スポーツでも、俗にいう、「頭に血
がのぼるような興奮性」は、好ましいものではないこの興奮性が強くなればなるほど、理
性的にものを考えることができなくなる。以前、こんな子ども(年長男児)がいた。私が、
「ブランコを横取りされました。あなたはどうしますか」と聞いたときのこと。その子ど
もは、こう言った。「そういうヤツはぶん殴ってやる。どうせ口で言ってもわかんねえ」と。
そういうようなものの考え方をするようになる。

 さてまた、私の話。私はそのつど、いろいろなものに夢中になる。宗教論の本を書いた
ときには、日本中の寺をあちこち回った。(この本はペンネームで書いた。)木工にもこっ
たし、山荘を建てるときは、家以外の工事は、ほとんど私とワイフがふたりでした。小さ
な教室をもっているが、その教室の机やイスなど、備品にいたるまで、すべて私が自分で
つくった。

私の趣味は、定期的に変化するのが特徴で、だいたい数か月から数年単位で変化してい
く。本を書くときも、多い年は、1年で10冊あまり出版したこともある。今は、電子
マガジンづくりがおもしろい。私は何かに夢中にならないと、すぐ退屈してしまう性格
らしい。のんびりとブラブラしているということが苦手。先に、「生活そのものも、10
年前と、ほとんど変わっていない?」と書いたが、こうして改めて考えなおしてみると、
結構、「変わった部分」もあるのかもしれない。ただ、どうしても、それを実感として、
つかむことができない。
(はやし浩司 夢中 子供の興奮性 興奮する子供 興奮する子ども)


●休暇

 夏休みになった。毎年そうだが、夏休みといっても、とくに何かをするわけではない。
この時期は、行楽地は、どこも混雑している。それに暑い。

 で、夏休みになると、かえって行動半径が狭くなる。しかたがないので、こういうとき
は、原稿の書きだめとか、情報の収集とかをする。……と思っていたが、人間というのは、
おかしなものだ。

 ヒマになると、かえってものを考えられなくなる。ものが書けなくなる。脳ミソの活動
が鈍くなる。「暑い」「暑い」とこぼしては、ソファに寝そべっているだけ。

 それに今は、三男が夏休みで、帰省中。何かをしてやるわけではないが、しかし息子だ
けを残して、どこかへ行くということもできない。息子は、「気をつかわなくていい」と言
ってくれるが、しかしやはり気が引ける。ワイフはワイフで、いろいろと息子の世話をし
なければならない。

 ただ運動だけは、サボるわけにはいかない。昨日は、10キロ近く歩いた。今日も、や
はり10キロ近く歩いた。それをしないと、脳ミソの活動が、ますます鈍くなる。

 ……ということで、今、私は、退職後の自分を、模擬体験している。

 退職をしたからといって、目標をもつことは大切。やるべきことをもつことは、もっと
大切。脳ミソの働きを維持するためだけではなく、精神の状態を、安定させるためにもそ
うする。決して、ボケーッと、一日を過ごしてはいけない。

 ということで、夏休みに入ってから、どうも、私の精神状態は、よくない。落ち着かな
いというか、ささいなことで、すぐイライラしてしまう。私は、もともと不安神経症。そ
れが休みになると、さらに倍化する。

 よく人は、「お前は貧乏性だな」という、が、そういうのではない。昨日も、息子が、交
通事故にあった友人を、病院へ見舞った。

 そういう話を耳にすると、とたんに気が滅入ってしまう。そして知らなくてもよいと思
うのだが、「どうしてそうなった?」「どこでそうなった?」「相手は、どんな人だった?」
と、つい聞いてしまう。

 安っぽい好奇心から、聞くのではない。「明日は、我が身」と思うから、聞く。

 で、そういう話が、一日中、頭から離れない。何でもその息子の友人は、30分近く、
脳に酸素が届かない状態だったいう。それで病院では、植物状態だったという。私の年齢
になると、自分の息子も、他人の息子も、区別できなくなる。(多分、みな、そうではない
かと思う。)「うちの息子でなくてよかった」などという、自己中心的なものの考え方は消
える。

 「さぞかし、親はつらい思いをしているだろうな」と思ったとたん、その親が、私自身
になってしまう。

 やはり、私は、仕事をしていたほうが、気分がよい。仕事をすることで、仕事以外のこ
とを忘れることができる。それに、運動も、しっかりとできる。

 そのことをワイフに話すと、ワイフも、こう言った。

 「あなたは、本当に貧乏性ね」と。

 自分でも、つくづくそう思う。何とも、サエない夏休み。明日も、多分、こんな調子で、
一日が過ぎるのだろう。いやだな。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●楽しい夏休み

++++++++++++++++++++++

H市内にお住まいの、Yさん(母親)から、
こんな近況報告が届いています。

楽しい夏休みを過ごしておられるようです。

それを紹介させていただきます。

+++++++++++++++++++++++

【Yより、林へ……】

はやし先生へ

暦の上では『秋』ですが…
ホントに連日、暑い日が続きます。

子供が夏休みに入ってから、学校の方の行事が
いろいろとありました。

その行事も今日の午前で、やっと終了いたしました。
親子共々、ほっとしました。


まず、三者面談についてです。
一学期の様子についてのお話が、担任の先生からありました。

長女のK子「わたしね、今回初めて成績表をもらうのが楽しみなの。」
母 「へ〜、そうなのそれはいいことね〜。」

こんな会話を学期末していました。
実際成績表を手にしてみて…
本当に「すごい!」と思わず声が出てしまいました。
かなり、上がったのです。

先生「とても良い成績なので二学期も油断しないように。
   特に、学習面も友達関係も問題なし。良好ですよ。」

とのことでした。


弟のT男は、『ミスター前向き』が、ぴったりな男のようです。
とにかく取っつきがよく、張り切っているようです。
先生には、とても気に入られているようで安心いたしました。

友達も多く、学習面もまあまあ良いでしょうとのことでした。
かなり、お調子者のようです。

二人とも、それぞれ成長が見られまずまずの三者面談でした。


8月5日は、バイオリンの発表会でした。
これがまた、緊張しました。
半年ほど練習を重ねた上の発表です。

しかも、今回は娘がどうしても、と強い意志で
選曲した難度の高いものでした。

春休みから必死に練習して、低迷の時期もありました。
前日のリーハーサル。
緊張から全く思うように弾くことができませんでした。

本番当日。
私は、祈るように、聴き入りました
ひとフレーズごとに心臓が波打つようでした。

最後の音が鳴り終えて。
よし!  ふう〜〜。よかった〜。 
練習以上の成果を披露することができました。

よくぞ、ここまで…と、熱いものがこみ上げてきました。

娘は、五年生だった昔の私を、はるかに上回っています。
技術はもちろんのこと。
意志が強いこと。
それに向かってやり遂げようとするところ。
結果やり遂げてしまうところ。

私は、娘の母であることに酔っていた時間でした。
良い思いをさせてくれてホントありがとうです。

近く、リコーダーコンテスト予選があります。
立候補で学校の代表として演奏しました。
以前の娘からは、『立候補』などという選択肢は
皆無な、目立たない女の子でした。

しかし、本当に変わってきました。
暑い中、学校まで徒歩で出かけよく練習しました。

今日の本番も堂々と、良い演奏をしていました。
審査結果月末のようです。
予選が通過できると良いのですが…。

とりあえず、これでノルマはおしまい。

明日から家族で駒が岳へ出かけます。

T男の夏休みはカブトムシ・クワガタ一色です。
主人と一緒に早朝五時前に起床し、観察・世話の毎日です。

幼虫から育てた雌のカブトムシに先日お婿さんを
捕まえてきました。

お互いに気に入ったようで産卵までいきそうな気配です。

主人がかなり思い入れて世話をしていますので
T男はそれに引っ張られ、汚れ物の処理や
世話をよくやっています。

ただいま、我が家は一部屋 『カブト&クワガタ』専用の
空間になっています。
気温の設定もなされ人間が住む部屋より快適です。

子供のお陰で、自分が子供の頃にできなかったことを
今、体験できるので結構楽しい毎日です。

特に主人の感覚は、私には経験の無いものなので
新鮮です。

はやし先生のアドバイス・マガジンが私の道しるべです。

暑いですが、元気を出してがんばりましょう。

      Y子より

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●拉致問題と、お役所仕事

 日本では、拉致問題が、大きな社会問題になっている。

 しかし韓国では、この拉致問題を、別の視点から考えているようである。それがどうい
うものであるかは、つぎの、記事を読むと、わかる。

+++++++++++++++++++++

●(日本側の)徴用者遺骨調査、日本は「調べる振り」だけ

 『韓日両国は昨年12月の首脳会談で、「朝鮮人徴用者の遺骨調査問題を円満に解決す
る」ことで一致したが、実際、日本政府の調査作業は、「するふり」をするレベルにとど
まっていることが、分かった。 
9日、東亜(トンア)N報が入手した日本総務日本総務省の文書は、文書の形式が「調査
依頼」となっていて、何の拘束力もなく、強制徴用者を雇用した企業名はもちろん、所在
地の住所もきちんと記されていない』(以下省略)。と。

+++++++++++++++++++++

 つまり朝鮮人雇用者の遺骨問題に関して、日本の役所は、「調べるフリをしているだけ」
と。

 東亜N報は、その理由をことこまかく報道しているが、当然のことながら、日本人の私
たちには、そういう事実はまったく知らされてない。ニュースにもなっていない。

 しかしこうした報道のズレというか、意識のズレが、日韓関係に、大きなヒビを入れる。
今回の6か国協議でも、日本側は、韓国側に、拉致問題を含む、人権問題で、あれこれと
協力を求めた。が、韓国側の姿勢は、一貫して、冷淡だった。

 が、こうした冷淡さの背景に、こうした遺骨問題があると考えると、韓国側を一方的に
責めることもできない。「日本人は、調べる、調べると約束しながら、フリをしているだけ
ではないか」「誠意がまったく感じられない」と。

 当然のことながら、韓国の人たちは、韓国の新聞を読みながら、自分たちの対日感情を
つくっていく。

 この記事を読んだ韓国の人たちは、そしてK国の人たちは、どういう感情をもつだろう
か。この記事をそのまま読んだ韓国の人たちは、「やはり、日本人は、信用できない民族だ」
と思うにちがいない。

 拉致被害者の人たちは、懸命に、拉致された人たちの返還運動をしている。しかしその
一方で、日本のお役所は、型どおりの、お役所仕事しかしていない。簡単な調査とも言え
ないような調査をして、それですませている。もしそうなら、拉致被害者の返還運動その
ものが、宙に浮いてしまう。

 そう言えば、K国に日本人が拉致されたときも、当時のお役所は、型どおりの調査しか
しなかったと聞く。その結果、拉致被害者を、ふやしてしまった。つまり拉致被害者をつ
くったのも、お役所なら、拉致問題を、こじらせてしまったのも、お役所。さらに、拉致
問題が、なかなか解決するきざしを見せないのも、結局は、お役所ということになる。も
っと言えば、お役所仕事に原因があるのでは……?、ということになる。

 やるべきことは、やる。しかしそれ以外のことはしない。それがお役所仕事?

 韓国の人たちは、きっと、日本人の私たちに向って、こう言いたいのだ。

 「お前たち、被害者意識をもつのもよいが、同時に、オレたちにとっては、加害者であ
ることも忘れるな。まず加害者の責任を果たしてから、被害者としての立場を主張せよ」
と。

 それにしても、韓国の新聞も、毎日、毎日、日本のアラさがしばかりしていないで、も
う少し、目を外に向けて、前向きにものごとを考えてはいかがでしょうか?


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【郵政民営化法案は、廃案になったが……】

●小さな政府

++++++++++++++++

郵政民営化法案は、否決され
廃案になった。しかし本当に、
これでよかったのか?

++++++++++++++++

 もちろん、1人ひとりの公務員の人に責任があるわけではない。しかし日本の公務員は、
多すぎる。

 地方公務員数……308万3000人(平成16年4月1日)
 国家公務員数……約82万人(99年度)

 地方公務員と国家公務員だけをみると、合計で、約400万人弱。アメリカとくらべて
も、人口比にしても、半分以下ということになっている。しかし、これはまっかなウソ!

 日本には、このほか、準公務員と呼ばれる人たちがいる。こういう人たちを加えると、
その数は、650〜900万人になるとされる。公務員が加入する、共済組合人の総数は、
約1000万人。つまり日本の人口で、約16人に1人は、国家公務員もしくは、地方公
務員と、その家族ということになる。

 この1000万人に、さらに準公務員と呼ばれる人たちや、その家族を加えると、いっ
たい、その総数は、いくらになるのか? (日本では、公務員と準公務員を切り分けるこ
とによって、公務員の数を、数字の上では、少なく見せかけている。どうか、日本のみな
さん、こういう数字には、注意してほしい。)

 で、何度も繰りかえすが、国家公務員と地方公務員だけで、国家税収(約42兆円)の
うちの、38兆円を、人件費として使っている。それにアメリカでは、公務員の給料とい
えば、コンビニで働く店員より、安いのが相場。

 こうした事実だけではないが、すでに日本の国家経済は、破綻している。郵政民営化に
始まる行政改革にしても、本来なら、こうなる前に、何か手を打たなければならなかった。
しかし、先送り、その場しのぎ、ごまかしの政策が、つもりにつもって、日本を、とうと
うここまで追いこんでしまった。

 竹中大臣は8月8日、夜の会見で、「この改革(=郵政民営化)ができないようでは、私
は日本の社会、経済の将来は暗いものになると思う。きょうの否決はその意味では日本の
経済に対して、非常に大きな損失であると思う」と述べ、将来の少子高齢化に備えて、「小
さな政府」を実現するため、「郵政民営化は避けて通れない」と強調した。

 竹中氏の沈痛な表情は、そのまま日本の現状と、未来を暗示しているものとみてよい。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●新しいタイプの社会主義国家?

+++++++++++++++++

公務員の人も、準公務員の人も、どうか
怒らないで聞いてほしい。
これは日本全体の問題だから……。
3年前に書いた原稿を、ここに添付する。

+++++++++++++++++

●公務員志望が、ナンバーワン

 02年度の冬のボーナス予想が、出そろった。それによると、民間企業は、昨年度より、
全体に4〜5%の下落。しかしこの大恐慌下にあっても、公務員のボーナスだけは、反対
にふえつづけている。全体に3〜4%の増加!

 数年前、財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが東京、ソウル、ニューヨー
ク、パリの中学2年生と高校2年生、計約3700人を対象に実施。その結果、希望する
職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは弁護士、
韓国は医師や先端技術者が多かった。

人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽しむ」が61・5%と最も多く、米国は「地
位と名誉」(40・6%)、フランスは「円満な家庭」(32・4%)ということがわかっ
た(2000年7月)。

 それぞれの公務員の人に、責任があるわけではない。またそういう人の、責任を追及し
ているわけでもない。ただしかし、このままでよいかということ。こうまで日本で、公務
員や準公務員がふえ、またこうまでこうした人たちが優遇されると、日本の社会そのもの
が、活力をなくしてしまう。もちろん経済力も落ちる。そのことは、旧ソ連を見ればわか
る。今の北朝鮮をみればわかる。

 私の周囲でも、民間の企業ですら、官僚体制への依存度を高めている。何かにつけて、「○
○をすれば、補助金が出ます」とか「○○で申請すれば、交付金が出ます」とか、そんな
ことばかり言っている。お金は天から降ってくるものではない。地からわいてくるもので
もない。しかしこの日本では、そんなわかりきったことすら、わからなくなってきている? 

H市の市役所に勤めるE氏(四五歳)は、はからずもこう言った。「デフレになったおか
げで、私ら、生活が楽になりました」と。

●知事も市長も、国会議員も、元官僚

 本来なら、政治によって、日本の流れを変えなければならないが、その政治そのものが、
官僚の思うがままに動かされている。総理大臣以下、野党の党首すら、元中央官僚。全国
47の都道府県のうち、27〜9の府県の知事は、元中央官僚。7〜9の県では副知事も
元中央官僚。7〜9の県では副知事も元中央官僚(〇〇年)。

さらに国会議員や大都市の市長の多くも、元中央官僚。明治の昔から、全国の津々浦々
まで、官僚が日本を支配するという構図そのものが、すでにできあがっている。こうい
う国で、構造改革、つまり官僚体制の是正を期待するほうが、おかしい。

その結果、国の借金だけでも666兆円(国の税収は47兆円)。そのほか、特殊法人の
負債額が266兆円(〇〇年)。「日本は新しいタイプの社会主義国家」と言う学者もい
る。が、だ。さらに驚くべきことは、こういう日本にあっても、公務員や準公務員、さ
らに官僚体制にぶらさがる団体の職員数は、減るどころか、今の今も、肥大し続けてい
る!

●日本はこれでよいのか?

 この国がこれから先、どうなるか、そんな程度のことなら、中学生や高校生でもわかる。
日本は、やがて行きつくところまで、行く。が、こうなってしまったのは、結局は、日本
人が、そのつど、「考える」ということを放棄してしまったからではないのか。その責任は、
政府にあるのではない。官僚にあるのでもない。私たち自身にある。

もう15年も前になるだろうか。明日は国政選挙の日というとき、1人の子ども(小5
男児)が、こう言った。「明日は、浜名湖で、パパとウィンドサーフィンをする」と。私
が「お父さんは、選挙には行かないのか?」と聞くと、「あんなの行かないって、言って
いる」と。こういう無関心が、積もりに積もって、今の日本をつくった。

 選挙のたびに、低投票率が問題になるが、その低投票率をもっとも喜んでいるのは、皮
肉なことに、官僚たちではないのか。国民の政治意識が薄くなればなるほど、好き勝手な
ことができる。

 また私のようなものが、こんなことを訴えても、何にもならない。彼らにしてみれば、
その立場にない私の意見など、腹から出るガスのようなものだ。その立場にある人でも、
この日本では、反官僚主義をかかげたら、それだけで、排斥されてしまう。仕事すら回っ
てこない。

あるいはこれだけ公務員や準公務員が多くなると、あなたの家族の中にも、一人や二人
は、必ずそういう人がいる。あるいはあなた自身がそうかもしれない。そういう現実が
あるから、内心ではおかしいと思っていても、だれも反旗をひるがえすことができない。
へたに騒げば、自分で自分のクビをしめることになる。

 公務員が、人気業種ナンバーワンというのは、そういう意味でも、実に悲しむべき、現
象と考えてよい。あなたもこの問題を、一度、じっくりと考えてみてほしい。
(02−11−10記)

(補記)すこし前、K県A高校の校長が、「フリーター撲滅論」を唱えた。「フリーターと
いうのは、まともな仕事ではな」と。「撲滅」というのは、「たたきつぶす」という意味で
ある。

私はこの言葉に、猛烈に反発した。その校長が言うところの、「まともな仕事」というの
は、どういう仕事のことを言うのか。仕事にまともな仕事も、まともでない仕事も、な
い。

私は幼稚園講師になったとき、さんざんこの言葉を浴びせかけられた。母にも言われた。
叔父にも言われた。高校時代の担任にも言われた。その言葉で、私はどれほど自信をな
くし、キズついたことか。具体的には、30歳をすぎるまで、自分の職業を隠した。

しかし社会的なきびしさという点では、自分で選んだ道とはいえ、その校長とは、比較
にならない。そういうきびしさが、日本を下から支えているのだ。決して、こういう校
長が、日本を下から支えているのではない。

それがわからなければ、一度でよいから、この大不況下で、職業安定所を出入りする元
サラリーマンの気持ちになって考えてみることだ。それともリストラにあった人は、「ま
ともな人間ではない」とでも、言うのだろうか?


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 9日(No.621)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子育て・思いつくまま】

●ブーメラン効果

 子どもを説教しているとき、かえって逆効果に感ずることがある。ときに、子ども自身
が、こちら側の下心を読んでしまうときがある。そうなると、いくら説教しても、効果が
ないばかりか、かえって子どもの反発心をかってしまう。

 たとえば時間つぶしをしている子どもがいる。時計ばかり気にして、少しも勉強しない。
私の前では、まじめに勉強しているフリをしているだけ。

 そういうとき、私が、ふと、「では、まじめに勉強して人から順に、採点して、今日のレ
ッスンは、終わります」と言ったとする。そう言えば、たいていのばあい、子どもたちは、
自らに拍車をかけて、勉強し始める。

 が、そういうとき、時間つぶしをしている子どもは、先に、私の下心を読んでしまう。「ぼ
くに、勉強させたいために、先生は、そう言っている」と。

 とたん、それまでのフリをやめ、堂々と、勉強をサボり始める。「どうせ、ぼくが最後に
なるんだろ!」とか言ったりする。

 こういうのを、(ブーメラン効果)という。こちらの意図したことが、逆効果となって、
返ってきてしまう。

 子どもと接するときは、いつも本音で接するようにする。下心はもたない。子どもとの
信頼関係を守るためにも、そうする。
(はやし浩司 ブーメラン効果)


●欲

 「こうであってほしい」と思う描く自分。しかしそこには、現実の自分がいる。この両
者のギャップが大きいとき、そこから「渇望感」が生まれる。

 この「渇望感」のでわかりやすいのが、性欲。フロイトも、リビドーという言葉を使っ
て、それを説明している。「性欲こそが、生きるためのすべてのエネルギーの根源である」
と。

 性欲が、ムラムラと起きてきたとき、そこに性のはけ口としての、相手がいれば、その
時点で、性欲は解消される。しかし相手がいないとき、相手をもとめられそうにないとき、
渇望感は、さらに強くなる。

 渇望感は、性欲だけには、かぎらない。しかしこの渇望感が、姿を変えて、外の世界に
向っては、「欲」となって現れる。

 名誉欲、金銭欲、支配欲、独占欲などなど。

 そういう意味で、「欲」があるからこそ、人は自分らしさを保つことができるのかもしれ
ない。食欲にたとえていうなら、空腹感という渇望感を満たす、食物のようなもの。欲が
あるから、人は生きられる。

 しかしこの渇望感を、悪と考えてはいけない。渇望感は、性欲にかぎらず、その人を動
かす原動力となる。子どもの世界にも、「満腹児」(この名称は、私がつけた)と呼ばれる
子どもがいる。

 あらゆる面で満たされているため、渇望感がない。そのため、いつも満足げで、おっと
しりしている。欲がないというというだけではなく、生活力もない。ハキもない。

 子どもをじょうずに伸ばすためには、子どものどこかに、この渇望感を用意するとよい。
実際、伸びる子どもというのは、あらゆる方向に触覚がのびていて、好奇心が旺盛である。
(はやし浩司 渇望感 欲 欲望 欲望の原点)


●匿名メール(書きこみ)は、無視

 インターネット時代になって、匿名の人からの、中傷や非難が、ふえた。しかもさらに
最近では、無料アドレスサービスを使って、BLOGや掲示板に、あれこれと書きこんで
くる。

 自分の名前(本名)を出してモノを書くのと、どこのだれともわからない匿名(偽名)
を使ってモノを書くのとでは、自ずと、文章に対する責任感がちがう。

 匿名で、しかも身元がバレないように、無料のアドレスサービスを使って書いてくる。

 この種の、中傷や非難は、無視して、即、削除するのがよい。返事を書く必要もないし、
反論する必要もない。言葉のゴミ。そういうことが平気でできる人というのは、もともと
気が小さく、卑怯(ひきょう)な人と考えてよい。

 私も最初のころは、この種の書きこみが気になったが、今は、ちがう。最初の1回だけ
は、バカていねいな礼状を書いて、それで、すますことにしている。

「貴重なご意見、ありがとうございました。今後の私の著作活動の参考にさせていただ
きます」とか、何とか。あとは、アドレスをフィルターに登録して、そのまま削除リス
トに格納する。こうすれば、二度と、その人からのメールが、届くことはない。

(メール仲間にそのことを話すと、「そういうメールや書きこみは、完全に無視するとよ
い」と教えてくれた。また別の友人は、そのつど、「ごちそうさま」と書いているとか。)

 ここから先は、私から、インターネット業界への要望ということになるが、

(1)掲示板やBLOGへの書きこみについて、通常の電話のように、相手方にメールア
ドレス通知、非通知の区別ができるようにしてほしい。そして非通知のメール(書きこみ)
は、受領拒否ができるようにしてほしい。

 今の技術をもってすれば、何でもないことのように思うのだが……。

 
●責任転嫁

 何かを失敗したとき、すぐ他人のせいにする子どもと、自分のせいにする子どもがいる。

 他人のせいにする子どもを、「外的帰属型」(外的統制型)という。自分のせいにする子
どもを、「内的帰属型」(内的統制型)という。

 おおまかに言うと、つぎのような特徴がある。

(1)外的帰属型

 何かにつけて、責任転嫁がうまい。花瓶を割っても、「ママがこんなところへ置いておく
から、悪い」「この前は、パパだって、割った」と。

 このタイプの子どもは、内にストレスをためないため、楽天的。何かあっても、「運が悪
かった」「偶然、そうなった」と逃げてしまう。

 自分という人間は、外的要因によって動かされていると考えるため、運勢だとか、占い
を信じやすい。

(2)内的帰属型

 何か失敗すると、その責任を、自分に求める。自分の能力不足や、努力不足を責める。
そういうわけで、概して責任感が強く、また他人に責任を求めないため、友人にも好かれ、
友人も多い。

 しかしこのタイプの子どもは、内にストレスをためるため、その分だけ、悶々と悩んだ
り苦しんだりする。

 自分の「力」を信ずる傾向が強く、運勢だとか、占いを信じない。「生きるのは、私」と
いう考え方を原点に置く。

 こうしたちがいは、年長児くらいでわかるようになる。どちらがよいとか、悪いとかい
うことではない。それぞれに一長一短がある。大切なのは、「うちの子は、そういう子だ」
と認めた上で、対処する。
(はやし浩司 外的帰属 内的帰属 外的統制型 内的統制型 帰属の理論)


●自殺する子ども

 自殺を考える子どもというと、イメージとしては、静かで、暗い。ハキがなくて、おと
なしい。たいていの人は、そういう子どもを頭に思い浮かべる。しかし、実際には、そう
ではないのではないか。むしろ、自殺を考える子どもほど、実は、ふつうの子どもよりも、
「生きたい」という意識が強いのではないか。

その「生きたい」という意識が、無数のカベ(限界)とぶつかったとき、それが(生き
ていたくない)という意識へと変化する……? つまり(生きたい)という意識と、(生
きていたくない)という意識が、交互に、はげしく葛藤する子どもほど、自殺を考える
のではないか。……と思う。

 自分のことで恐縮だが、私の年齢は、いわゆる(自殺危険年齢)だ、そうだ。現在、私
の年代の人たちの自殺が急速にふえている。

 たとえば私も、ときどき、自殺を考える。しかしそのとき、「死にたい」と考えるから自
殺を考えるのではなく、「生きているのがいや」と考えるから、その結果として、自殺を考
える。もう少し具体的には、こうだ。

 「もう生きているのがいやになった」と思うことは、ときどきある。そういうとき、道
をトボトボと歩いていると、自分がかぎりなく小さくなっていくのがわかる。

 で、そんなとき、私の横を、猛スピードで車が通りすぎたりしたとする。そのとき、ふ
と、こう思う。「自分から、車の中に飛びこんでいく勇気は、私には、ない。しかし相手の
車が、私に向って突進してきてくれるなら、それはそれでかまわない」と。

 自殺するといっても、かなり勇気のいることだ。(ホント!)「死」には、口では言いが
たい恐怖感がともなう。その恐怖感を乗り越えなければ、自殺することはできない。そこ
で最初の話にもどす。

 もともと「生きたい」という意識が軟弱な人は、同時に、「死にたい」という意識も軟弱。
「生きたい」という意識が、無数のカベ(限界)にぶつかったとき、「生きているのがいや」
という意識にかわる。

 だから皮肉なことに、自殺を考える人は、それだけ、「生きたい」という意識が強い人と
考えてよい。その「生きたい」という意識が転じて、「死を選ぶ勇気」になる。

 ……これはあくまでも、私の個人的な見解で、異論、反論をもつ人も多いだろうと思う。
しかしこう考えることによって、なぜ、私たちの年代に、自殺者が多いのか、その理由が
説明できるのではないか。

 私たちの年代は、戦後のあの時代を、がむしゃらに生きてきた。猛烈社員、企業戦士と
もてはやされ、日本の高度成長期を支えてきた。が、そういう私たちを待ちかまえていた
老後は、決してバラ色ではなかった。

リストラにつづくリストラ。用なしと、クビを切られる。が、まだ、仕事はできる。生
きることはできる。そういうとき、仕事や家庭の問題で、進むべき道さえ、ふさがれて
しまう。病気や借金苦に陥(おちい)ることもある。

 が、それでも「生きたい」。この「生きたい」という猛烈な意識が、そのまま、つまりは、
死を選ぶ原動力になるのではないか、と。

 事実、さらに年をとり、「生きたい」というエネルギーそのものが弱くなってしまった人
というのは、自殺を考えない。具体的には、50〜60代を境に、今度は、自殺する人が
急速に減ってくる。

 こうした考え方を、そのまま子どもの世界にあてはめて考えることはできない。が、し
かし自殺を選ぶ子どもの心理を、理解するためのヒントにはなる。もともと無責任で、日
ごろから「どうでもいいや」「どうにでもなれ」と考えながら生きている子どもは、自殺な
ど考えない。私は、そう思う。
(はやし浩司 自殺 自殺する子どもの心理 自殺する子ども)


●知性と品性

 今日、郵政民営化法案が、参議院で否決された。そのため、K首相は、衆議院に解散を
宣言した。

 で、その参議院での評決を前にして、自民党の長老と呼ばれる人たちが、K首相にあれ
これ説教したらしい。その中の1人が、X元総理大臣だった。

 現職のころから、ときどき、知性を疑われた人である。たとえば沖縄サミットでのこと。
ハイビジョンテレビを各国の首脳に披露するとき、スイッチの押し方がわからなくて、側
近の人の助けを求めたという。

 しかし昨夜のニュースを見て、私は驚いた。テレビのニュースなので、X元首相が言っ
た言葉としては、不正確かもしれない。が、X元首相は、こう言った。

 「夕方、K首相に会って、解散を思いとどまるように説得してみた。しかしだよ、夕食
くらいは出してくれると思っていたら、ビールとウーロン茶だけだったよ。それにかたい
チーズ。こんな失敬な話はない!」と。

 M元首相は、手でつぶしたあとのあるビールの空き缶をもっていた。チーズももってい
た。それをカメラマンたちに見せていた。

 それを見て、まず、ワイフが、こう言った。「M元首相は、ジェントルマンではないわね」
と。

 そう、言っていることの内容が、あまりにも低レベル。あきれてものも言えないほど、
低レベル。私は「あんな人が、首相だったのか」と、同じ日本人として、自分がなさけな
くなった。

 同時に、私は、昔、ある幼稚園に、こう叫んでいた年配の女性教師がいたという話を、
思い出した。その女性教師は職員室へ飛びこんでくるやいなや、そこにいた先生たちに向
って、こう言ったという。

 「あの親め、あれだけ子どもの世話をしてやったのに、盆暮れのつけ届け一つ、よこさ
ないのよ!」と。

 とても残念だが、X元首相が言ったことは、元首相という人が口にするような言葉では
ない。こうして文章にすると、そのときのX元首相の表情とか、言葉のニュアンスがわか
らないかもしれないが、私には、低レベルに見えた。(失礼!)

 問題は、なぜ、元首相ともあろう人物が、こうまで低レベルなのかということ。X元首
相は、ここにも書いたように、沖縄サミットも主催している。各国の最高の政治家と、食
をともにし、議論もしている。

 X元首相は、そういう活動を通して、何を学んだのか。何を身につけたのか。

 ……と考えていくと、その人の知性や理性、さらに言えば、品性のようなものは、それ
以前の段階で、身につくものということがわかる。20代とか、10代とか、あるいはさ
らにそれ以前かもしれない。少なくとも、30代をすぎてからは、手遅れ。マネごとはで
きるようになるかもしれないが、身にはつかない。

 私はX元首相の、取り乱した姿を見ながら、そう感じた。

 ところで、今日、その郵政民営化法案は、参議院で否決され、廃案になった。
(はやし浩司 知性 理性 品性)


●幼稚園への訪問者

 ある私立幼稚園の経営者(理事長)が、こんな興味のある話をしてくれた。何でも、「職
員室へ入ってくる母親の姿を見ると、子どもの、でき、ふできがわかる」という。

 何か用事があると、遠慮もなく、ズカズカと職員室へ入ってくる母親もいれば、わざわ
ざ「中へ入ってもいいですか?」と断って入ってくる母親もいるという。

 で、全体としてみると、ズカズカと入ってくる母親の子どもは、概して、ドラ息子、ド
ラ娘。できが悪い。他方、ていねいに断りながら職員室へ入ってくる母親の子どもは、概
して、人間的にも、できがよい、よい。

 つまりは、教育に対する姿勢がちがう、ということか。

 私もその経営者と同じような立場にあるので、これ以上のことは書けない。少なくとも
私の世界では、スポンサーである親の悪口を書くのは、一応タブーということになってい
る。しかしその経営者の言っていることには、一理ある。

 子育てがじょうずな親というのは、子どものみならず、先生や幼稚園に対して、謙虚。
そうでない親というのは、ごう慢でわがまま。態度も大きく、横柄。先生が、その子ども
の問題点を指摘しようとしたりすると、「うちの子のことは、私が一番よく知っています」
などと言ったりする。自分より学歴の低い若い先生だったりすると、相手にもしない。

 一般論から言うと、ここに書いた話とは、関係ないかもしれないが、「親や先生の前で、
いい子ぶる子どもほど、要注意」と考えるとよい。

 親や先生の前では、ネコの皮をかぶったように、静かで、おとなしい。しかし、親や先
生がいないところでは、とんでもないことばかりしている。ウソも平気でつく。強圧的な
親や先生をもつと、子どもは、そうなりやすい。

 「私は教育については、よくわからない」「私の子どものことがよくわからない」という
謙虚な姿勢が、先生の口を開かせる。ついで、あなたの子どもの心を開かせる。そしてそ
の結果として、あなたの子どもの表情は、明るくなる。
(はやし浩司 謙虚な親 ごう慢な親)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【絶望論】

++++++++++++++++

人は、なぜ絶望するのか。
またその絶望から自分を
脱出させるためには、ど
うしたら、よいのか

++++++++++++++++

●限界状況

 「私はこういう人間だ」と、自分で思い描く自分。これを自己概念というが、その自己
概念をもとに、人は、一歩話を進めて、今度は、「私は、こういう人間でありたい」と思う
ようになる。しかしそこにはいつも、(現実)というカベが立ちはだかる。

たとえば、いくらプロのシンガーになりたいと思っても、そこにいたる道は、けわしい。
そこで多くの人は、そういう夢や希望をもちながらも、いたるところにカベ(壁)を感
じ、やがて自分の(限界)を知る。

 こうした自分の置かれた状況を、限界状況というが、この限界状況に入ると、人は、さ
まざまな選択をしながら、自分が崩壊するのを、食い止めようとする。

 わかりやすい例では、失恋がある。

 いくらこちらがその相手に好意をもっていても、相手が、「YES」と言わなければ、恋
愛は成りたたない。そこで相手が、「NO」と言ったとき、その人は、その相手との間に、
越えがたいカベを感ずる。

 で、そのとき、もしそれがあなたなら、どういう反応を示すだろうか。

(1)「どうせ、あんな男、くだらない男よ」と、自分をなぐさめる。(=合理化)
(2)また別の男を、さがし始める。(=代用代償)
(3)いじけてしまって、引きこもってしまう。(=逃避)
(4)その男に似た、タレントや俳優を好きになる。(=置き換え)
(5)男のことは忘れて、さらに自分をみがく。(=補償)

 ほかにもいろいろあるだろう。愛と憎しみは紙一重というから、その相手を、今度はう
らみつづけるようになるかもしれない。

 つまりこうして人は、そこにカベ(限界)を感じたとき、それによって、自分が崩壊す
るのを、防ごうとする。これを心理学の世界でも、「防衛機制」という。

 しかし失恋くらいなら、それほど、その人には、大きな影響を与えない。ショックは大
きいだろうが、それはある意味で、熱病のようなもの。だれしも経験するし、まただれし
も、一度は、乗り越えなければならないカベということになる。

 が、もう少し深刻なカベもある。自分の力では、乗り越えられないカベである。家族や
友人の死、大病、経済的破綻など。そういう重い(限界)をそこに感ずると、ここでいう
防衛機制が働かなくなる。

●現実の自分

ところでこの、(自己概念)に対して、(現実の自分)がある。この両者、つまり(自己
概念)と(現実の自分)が、一致していれば、精神は、きわめて安定した状態になるこ
とが知られている。

 私は若いころ、川の中で魚を釣っている人を見て、それを発見した。

 魚釣りの好きな人は、冷たい川の中でも、じっとがまんして、立って魚を釣っている。
私は最初、それがよく理解できなかった。「そんなことまでして、魚がほしいのか」と思っ
たこともある。また、よく誤解されるが、そういうことができるからといって、その人が、
忍耐力のある人ということにはならない。魚釣りをする人の中には、結構、短気な人が多
い。

 (自分のしたいこと)をしているから、それができる。つまりその釣り人は、釣りをし
ながら、自分で自分のしたいことをしながら、自分を、現実の自分と、一致させている。

 子どもの世界でも、同じことを経験する。自分のしたいことを、したいようにしている
子どもは、それがどんなことであれ、精神的には、きわめて安定している。

 が、そういう状態が、混乱するときがある。子どもの世界の話をしたので、子どもの世
界で考えてみよう。

 A君(小5)は、サッカーが好きだった。地域のクラブにも所属し、それなりに活躍し
ていた。が、いよいよ受験が押し迫ってきた。が、このところ成績が、おもわしくない。
そこである日、A君の母親は、A君にこう言った。

 「サッカークラブをやめて、塾へ入って勉強しなさい」と。とたん、A君は、パニック
状態になってしまった。が、母親は、A君の希望を、受けいれてくれなかった。「プロのサ
ッカー選手になるのは、東大へ入学することより、むずかしいのよ!」と。

 そこでA君は、泣く泣く、クラブをやめ、進学塾へ通うことにした。A君にしてみれば、
(自分のしたいこと)が、できなくなったというだけの問題ではない。今度は、(したくな
いこと)を、押しつけられたことになる。

 言うなれば、見るのも、声を聞くのも、体に触れらるのもいや。そんな男と、なりゆき
で結婚してしまった女性の心理に似ている。A君は、そういう状態になった。

●自己概念の喪失

 絶望感が強まると、脳の機能そのものが、変調してくる。たとえば人間の脳ミソの中で
も、(やる気)をつかさどるのは、辺縁系の中でも、帯状回という組織だそうだ(伊東正男
氏、新井康允氏ほか)。

この部分が、大脳からほどよい信号を受け取ると、やる気を引き起こすという。もう少
し具体的には、帯状回が、モルヒネ様の物質を放出し、それが脳内に、心地よさを引き
起こすということか。つまり、大脳からのほどよい信号こそが、その人のやる気を決め
るというわけである。

 が、うつ状態になると、帯状回そのものの働きを鈍らせ、さらにそれが悪循環となって、
うつ状態は、さらに進行する。

 うつ状態になったとき、こわいのは、思考力の低下に合わせて、脳の管理能力そのもの
まで低下すること。自分で自分をコントロールできなくなる。かわって、ささいなことに
こだわり、悶々と悩んだりする。頭から離れなくなる。

 こうした現象、これを「固着」というが、こうした現象が起きると、正常な判断力がで
きなくなるばかりではなく、記憶力の低下、妄想性、集中力の欠如などが起きてくる。

 つまりこうしてますます客観的に自分を見ることができなくなってしまう。たとえばス
トレスががたまると、免疫細胞からサイトカインという物質が放出されるという。うつ状
態でも、同じような現象が起きることが、最近の研究でもわかってきた。

もう少し詳しく書くと、こうなる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原
因)が、その人の処理能力を超えると、免疫細胞と言われる細胞が、サイトカインとい
う特殊な物質を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。

そのため副腎機能の更新ばかりではなく、「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、
低体温、胃潰瘍などのさまざまな反応」(新井康允氏)が引き起こされるという。その反
応は、「うつ病患者のそれに似ている」(同)とも言われている。

●自分らしさ

 こうして自分を支えるものがなくなると、自分から、自分らしさが消える。他人の視点
からすれば、「その人らしさ」ということになる。子どもの世界では、(つかみどころ)と
いうことになる。

自分らしさ、それを「自我」というが、その自我の明確な子どもは、人格の(核)が、
はっきりしている。外から見ても、わかりやすい。が、その自我があいまいになってく
ると、いわゆる(何を考えているか、わからない子ども)といった、感じになる。

 ついでながら、自我というのは、「自己であるという強い認識」(「精神分析」河出書房新
社版)をいう。「これが私だ」という(核)をいう。

で、このタイプの子どもは、従順で、おとなしいが、それは見かけ。陰では。人の目を
盗んで、こそこそと悪いことばかりする。さらにその状態が進むと、自我そのものが、
崩壊することもある。

こんな話を、あるドクターから、聞いた。診療内科医院を経営しているが、その横の建
物で、ボランティア活動のひとつとして、心に問題をもった人の世話をしている。

●Kという男性

 不登校児や、育児ノイローゼになったような母親たちが集まっている。その中に、こん
な男性(35歳)がいるという。その青年は、長い間、母親から、断続的に虐待を受けて
いた。

 その男性の名前を、Kとしておく。

 その活動の中では、みなが、力をあわせて昼食を作ることになっている。が、Kは、何
もしない。みなが作業にかかる時間になると、トイレのとなりにある小さな部屋に隠れて
しまう。

 そこでヘルパーが、つれもどしに行くと、その途中で、バタンと倒れてしまうという。
わざと転んでみせるわけである。そこでヘルパーが、「そんなところで、わざところんでも
だめ」と言うと、バツが悪くなったのか、そのまま這って、大部屋までもどってきたという。

 「長い間、母親に虐待されたため、自我そのものが崩壊してしまったと考えるべきでし
ょう。約束は守れない、目標は守れない、規則は守れない。その上、たいへんな怠け者。
何か仕事をさせると、とたんにパニック状態になってしまいます。

 先日も、みんなでハイキングの行くということで、ポットから水筒にお茶を注がせたの
ですが、それだけ、突然キレて、そのポットを割ってしまいました。『手がすべった』と、
本人は言っていましたが、それを見ていた人の話では、『わざとだった』と言うのです」と。

 同じような経験を、私は、飼っていた犬で経験している。

 その犬は、保健所で処分される寸前の犬だった。私たちがもらい受けたときは、小さな
カゴに入っていた。が、それまで、1週間とか、2週間とか、あるいはそれ以上の間、そ
のままの状態だったようだ。

 人なつこく、愛くるしい犬だったが、だれにでもシッポを振り、番犬にはならなかった。
それにほんの少しでもスキがあると、そのまま外へ出て行ってしまった。忠誠心は、ゼロ。
約束も守らない。だからしつけもできない。そんな状態で、その犬は、14、5歳まで生
きて、昨年、死んだ。

 それだけ長く生き、私たちと生活をともにしたにもかかわらず、そんなわけで心の交流
は、ほとんどできなかった。その犬の心は、最後の最後まで、閉じたままだった。だから
私たち飼い主にしても、ただ毎日、その犬の世話だけをしているという飼い方だった。か
わいそうな犬だったとは思うが、死んだとき、心のどこかで、ほっとしたのも、覚えてい
る。

 話をもどすが、先のKという男性のばあい、「本来なら、自殺していたとしてもおかしく
ない状態です」(ドクターの言葉)という。しかし彼は、自ら、その前に、自我を崩壊させ
てしまった。「いつも意味のわからない笑みを浮かべています。ニコニコというのではなく、
ニタニタ。あるいは、ニヤニヤといった感じの笑みです」と。

●絶望

 自分を防衛することもできない。現実に適応することもできない。人格がバラバラにな
ってしまって、自分を統合することもできない。

 こうして人は、絶望という、深くて暗い穴の中に落ちていく。実は、私も、一度、経験
している。22、3歳のころである。幼稚園で講師として、働くようになって、しばらく
のことだったと思う。

 いきさつはともかくも、そのときは、「死んではだめだ」と、毎日、自分に言ってきかせ
なければならなかった。一度、こういう心理状態になると、ビルの窓の外を見ても、「ここ
から飛び降りれば、それですべてが解決する」とか、そんなふうに考えるようになる。

 道を歩いていても、注意力そのものがなくなってしまう。車にぶつかれば、死んでしま
うかもしれない。「死にたい」とまでは思わなかったが、「死んでもいいや」という気持に
なった。「こちらから車の中に飛びこものは、いやだが、向こうからぶつかってくるのなら、
構わない」と。自暴自棄というのは、そういう状態をいう。

 そのときの自分を、今、こうして振りかえってみると、いくつかの特徴があるのがわか
る。あくまでも私のケースで考えてみる。

(1)防衛機制の停止。……いわゆる心理学でいう防衛機制(合理化、反動形成、同一視、
代償行動、逃避、補償などなど)の機能が、いっさい、働かなくなる。どこかへ逃げこみ
たいという衝動(逃避)は、あったが、その逃げこむ場所すらなかった。だいたいにおい
て、やる気そのものが、なくなってしまった。どんな食事をとっても、食べているという
よりは、胃の中にモノをつっこんでいるという感じだった。

(2)現実感の喪失。……自分が何をしたいのか、何をしているのか、またどういう人間
なのか、さっぱりわからなくなってしまった。一応人前では、ふつうの人間を装うのだが、
それが苦痛だった。疲れた。人と会うことから生まれる疲労感は、相当なものだった。人
と会っていないときは、ただボンヤリと天井をながめながら、寝ころんでいるしかなかっ
た。

(3)現実への適応能力の喪失。……そのとき、すでに今のワイフと知りあっていたが、
ただ交際しているだけという状態だった。将来への展望性もなかったし、夢も希望もなか
った。ただ毎朝、起きたら、その日にやるべきことをこなすだけという感じだった。とき
どきムラムラと、おかしな怒りが自分の中にわいてきたこともある。今から思うと、かな
り妄想的な怒りだったと思う。何かに、カッとなって、八つ当たりしたこともある。

(4)管理能力の喪失。……ここにも書いたように、人格がバラバラになってしまった。
一度、その間に香港へ仕事に行ったことがある。そのとき、空港の手違いで、私の手荷物
が、どこかへ消えてしまった。空港職員は、あれこれあやまっていたが、私は、それが許
せなかった。まるで大金でも盗まれたかのように、怒り、怒鳴り散らしたのを覚えている。
自分で自分をコントロールできなくなってしまった。

全体としてみると、(自己概念)と、(現実自己)が、大きくかけ離れてしまい、そこに
自分ではどうすることもできないカベ(限界)ができてしまったことになる。そしてそ
のカベがあまりにも、大きいため、戦うことすら、やめてしまった。

 つまり、それが「絶望」という状態ということになる。

●脱出

 が、そんな暗い日は、長くはつづかない。「死ぬことができなければ、生きるだけ」と、
そんなふうに考えるようになった。ただ幸いなことに、(今でも、そうだが)、私の仕事は、
幼児と接することである。

 今から思うと、こういう職業(?)を選んで、本当によかったと思う。いつかどこかで、
「天職」という言葉を使ったが、幼児を教えるというのは、まさに、私にとっては、天職
だった。

 朝、幼稚園の園庭に立つと、園児たちが、ワーッと集まってくる。そのエネルギーが、
私を救ってくれた。加えて、私は、私はもともと楽天的というよりは、無責任型。わかり
やすく言えば、どこかいいかげんなところがある。そういう自分が、やがて、心の中に、
風を通してくれるようになった。

 また今のワイフとの出会いも、よかった。当時の私を思い出しながら、今でもワイフは、
ときどき、こう言う。

 「あのときのあなたは、いつ死ぬかと、そればかりを心配していたわ。だから、私、あ
なたをほうっておけなかったの」と。

 つまり私たち夫婦は、愛情で結ばれた夫婦というよりは、自暴自棄になった私と、それ
を見るにみかねて同情したワイフという関係でできた夫婦ということになる。しかしそう
いう意味では、今のワイフには、感謝している。

 で、どうやって、その絶望から、はい出たか?

 それについてはよく覚えていないが、とにかくやるべきことは、した。ときに、自分の
足を鉄のように重く感じたこともあるが、やるべきことはした。そのやるべきことをやり
ながら、少しずつ、自分の調子を取りもどしていった。

 そうそう自分にこう言って聞かせたことがある。

 「どうせお前は、死ぬこともできない。意気地(いくじ)なしめ。だったら、あきらめ
て、生きるしかないだろ」と。

 それともう一つは、つまり私の支えになってくれたのは、オーストラリアの友人たちで
あり、あの留学時代である。あの時代が、今でもそうだが、心の中の灯台として、いつも、
私が進むべき道を示してくれた。

 私にとっては、つらくて苦しい時代だった。毎晩、ふとんの中にもぐると、ラジオの短
波放送に耳を傾けた。オーストラリアのABC国際放送が聞きながら、自分の心を休めた。

 そういう経験から、絶望から脱出するためには、こんなことは言えるのではないか。

(1)とにかく、朝起きたら、やるべきことを始める。あとのことは考えない。そしてそ
ういう状態を、1か月つづける。1か月でだめなら、2か月つづける。2か月でだめなら、
3か月つづける。こうして自分の調子を少しずつ、取りもどしていく。

 それができたら、

(2)少しずつ、自分をまわりに適応させていく。そういえば、そのころのことだったが、
私は翻訳のアルバイトもしていた。わずか数時間の仕事で、数日分の日当をもらえること
もあった。そういうお金は、すべてその日のうちにワイフと使ってしまった。真夜中のド
ライブも、よくした。今から思うとメチャメチャな生活だったが、それがどういうわけか、
なつかしい。

 つまりそういう形で、自分の心や体をがんじがらめにしているクサリを、解き放つこと
も大切かもしれない。『まず、心を解き放て! 体はあとからついてくる!』(アメリカの
格言)ということか。つまり、

(3)あとは、自分のしたいことをする。自由きままに、生活する。それにまさる絶望の
からの脱出法は、ないのかもしれない。
(はやし浩司 絶望 絶望論 絶望からの脱出法 現実自己 絶望の心理 自己概念)

(追記)今は、昔とちがって、心療内科というのもでき、薬も著しく進歩している。心の
変調を感じたら、あまり深刻に考えずに、心療内科の門をくぐってみたらよい。私の時代
には、「精神科へ相談に行く」というだけでも、大きな抵抗感を覚えた。が、今は、そうい
う時代ではない。体の病気と同じように、心だって、病気になることはある。絶望感を覚
えたら、そういう視点でも、考えてみるとよいのでは……。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●6か国協議(8月6日朝記)

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6か国協議が、こう着状態にはいった。

先に席を蹴って立ったほうが負け。
今は、そういう状況である。

さて、この行く末は、どうなるか?

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 8月5日現在、6か国協議は、こう着状態にはいってしまった。「平和利用を認めろ」と
主張するK国。「ならぬ」と主張するアメリカ。

 しかしK国が、核開発を放棄するはずがないことは、最初からわかっていた。核あって
のK国。それがなければ、ただの、独裁国家。ミャンマーの軍事政権と同じ。あるいは、
それ以下。

 しかしこうまでがんこに、がんばるところをみると、K国の核開発は、相当のレベルま
で進んでいることがわかる。恐らく、映画『007』に出てくるような、地下要塞研究所
が、全国各地にあるのだろう。そういうウワサは、前から外に流れている。

 ただ一つ、ここで見誤ってはいけないのは、独裁者の金xxは、まともな人ではないと
いうこと。またそういう前提で、ものを考え、6か国協議の行く末を考えなければならな
い。

 そこで現在は、「先に席を蹴って立ったほうが、負け」という状況になっている。アメリ
カが先に席を蹴って立てば、アメリカの負け。K国が先に席を蹴って立てば、K国の負け。
その点、今回のヒル国務次官補の外交手腕は、実に、おみごと。すばらしい。さすが外交
先進国のアメリカ。中国に責任を押しつけつつ、5か国をうまくまとめ、K国包囲網を築
いた。

 ここでK国が先に席を蹴って立てば、あとは、国連安保理へK国の各開発問題をそのま
ま付託することができる。そのときは、ロシアも中国も、もう、拒否権を行使することは
できない。アメリカの最終的な目標は、そこにある。

 が、同時に、韓国は、準内戦の危機に立たされる。戦争にならないまでも、米韓関係の
崩壊と同時に、外資は逃避。そのまま韓国経済も、崩壊する。そのせいか、韓国のソン首
席代表の表情を見ていると、かわいそうなくらいに、顔が、引きつっているのがわかる。

 私の印象では、北京で会談しているK国代表の金外務次官自身は、世界の良識と、母国
のわからず屋の間で、板ばさみになっているのではないかと思われる。ひょっとしたら、
今回のK国代表団は、まるごと、そのまま韓国へ亡命してしまうかもしれない。私には、
そんな気配すら感じられる。

K国の金外務次官「いやあ、まあ、ここだけの話なんですが、私も困っているんですよ。
どうやってウチの親分を説得したらいいか、わからんのですわ」
アメリカのヒル国務次官補「わかりました。お宅の事情もよくわかっていますから、ここ
は気長に待つことにしましょう」
金「このまま、K国に帰ったら、私たち全員、収容所送りですわ」
ヒル「同情します。何なら、アメリカへ亡命しませんか」と。

 「YES、NO」だけをはっきりと言いながら、相手側の挑発的な発言には、動じない。
ソフトに、ただ淡々と事務的に、会談を進める。今回のヒル国務次官補の外交姿勢は、先
にも書いたように、実におみごと。すばらしい。ポーカーフェイスだけでは、あそこまで
できない。

 が、アメリカのもくろみは、ただ一つ。

 中国とK国を切り離し、金xx政権を崩壊へ導くこと。その意図は、日本も同じ。へた
に合意がまとまるようなことになれば、K国は、日本から巨額の賠償金を手にいれ、近代
兵器をつぎつぎと購入することができるようになる。

 そうなれば、日本のみならず、在韓米軍、在日米軍が、K国の軍事的脅威にさらされる
ことになる。忘れてならないのは、なぜ、K国が、アメリカとの間に、不可侵条約的な条
約を結びたがっているか、ということ。

 もし米朝の間に不可侵条約的な条約が結ばれれば、K国は、日本に対して好き勝手なこ
とができるようになる。その時点で、日米安保条約は、対K国については、死文化する。
仮に日本とK国が戦争になっても、アメリカは、手も足も出せない。K国は、それをねら
っている。

いくら金xxがまともではないとしても、アメリカと戦争すればどうなるかぐらいのこ
とは、金xxでも、わかっているはず。言うまでもなく、金xxの目的は、日本との戦
争である。「核兵器開発は、日本向けのもの」と、K国の高官たちは、ことあるごとに、
公式の場で、公言している。

そんなわけで、日本としては、絶対に、そういう動き、つまり米朝不可侵条約的な条約
の締結するような動きがあれば、体を張ってでも、阻止しなければならない。

 つまり日本が、6か国協議に出ているのは、そのためと考えてよい。また今回も、K国
が、6か国協議から、日本を、さかんに、はずしたがった理由も、ここにある。

 さて、今日、8月6日。「休会」という動きも出てきた。が、今度、休会になったら、も
うつぎはない。が、それだけではない。K国は、ロシアからも、中国からも、見離される。
K国も、それをよく知っている。だから、最後の最後まで、K国は、がんばるだろう。が
んばるしかない。

 アメリカは、「6か国協議をつぶしたのは、K国」ともっていきたい。かたや、K国は、
「6か国協議をつぶしたのは、アメリカ」ともっていきたい。

 だから先に席を蹴って立ったほうが、負け。

 いろいろな外交交渉を見てきたが、今回の6か国協議ほど、歴史の中で、特筆すべき外
交交渉はない。

 私としては、当然のことながら、100%、アメリカの味方。当然のことではないか。
がんばれ、ヒル国務次官補。負けるな!

【補足】

 K国は、核の平和利用と口にする。しかしKEDOの例を見るまでもなく、自分でそれ
をする能力も、お金もない。ないにもかかわらず、「平和利用」を口にする。このおかしさ
に、金xxは、気づいていないのだろうか。

 この7月からさらに食糧事情は悪化し、8月になれば、さらに悪化するという。このと
ころの豪雨つづきで、農産物について、相当の被害も出ているはず。

 すなおに、「すみません、世界のみなさん、どうか助けてください」と頭をさげれば、そ
れですむものを、いばって、つっぱって、かたくなになる。

 何が、こうまで彼らをして、閉鎖的にさせるのか。

 金xxは、その政権を維持する過程で、すでに数万人から、数10万人もの人たちを、
粛清(しゅくせい)、つまり殺害しているという。さらに先週は、フィリピン政府から、日
本政府に対して、こんな通告があった。

 「K国が、さらに精巧な、ニセの1万円札を東南アジアでバラまくという情報がある。
気をつけろ」と。

 何も、核や、ミサイルや、覚せい剤だけではないようだ。金xxは、こうした悪事が、
明るみになるのを恐れている(?)。

 日本が今、すべきこと。ただひたすら冷静に、事務的に、人権問題を前面に立て、少し
ずつ、金xx政権を追いつめていくこと。決して感情的になってはいけない。また制裁論
も、騒がしいが、あんなK国を、今以上に、制裁して、それでどうなるというのか?

 重要なことは、とにかく、K国とは、戦争をしないこと。日本の平和と安全を守ること。
本気でK国を相手にして、日本が得るものは何もない。日本は、絶対に、あんな国と心中
するようなことだけは、してはいけない。


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●郵政民営化法案

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郵政民営化法案は、可決されるか、それとも
否決されるか?

いよいよ明日、その決断がくだされることになる。

なぜ小泉内閣は、「殺されてもかまわない」とまで
言って、成立に向けて、がんばるのか。

ここで否決、解散ということにでもなれば、
自民党は解体してしまうかもしれない。

なぜ自民党の中の反対勢力は、そこまで覚悟して、
郵政民営化法案に反対するのか。

(05年8月7日記)

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 ワイフが、こう聞いた。「郵政民営化法案って、何?」と。

 素朴な疑問である。

 わかりやすく言えば、郵便局を民営化するということ。現在、郵便局には、郵便物を配
達するという仕事のほか、郵便貯金業務、簡易保険業務の2つの仕事を、受けもつ。

 これらの、いわゆる郵政三事業を、民営化するというのが、今回の郵政民営化法案とい
うことになる。

ワイフ「どうして、自民党の中にも、反対者がいるの?」
私「ハハハ、お金だよ、お金。いいか、郵便貯金残高が、現在227兆円もある。国家税
収の約5倍だよ。この巨額な郵便貯金残高が、出口のところで、無数の特殊法人をつくっ
ている。その特殊法人が、日本の国家経済をゆがめている。その特殊法人に、それぞれの
政治家が、複雑に自分の利権をからませている。それを民営化によって、小泉さんは、是
正しようとしている」

ワイフ「民主党の中にも、反対する声が強いのは、どうして?」
私「自民党議員たちとは、事情が少しちがう。同じく現在、日本郵政公社には、本社、付
属施設、地方組織を合わせて、計約27万3000人もの、職員が働いている。これらの
人たちは、国家公務員ということになる。これらの人たちは、国家公務員として、いわば、
手厚く保護されている。これらの人たちが、民営化されると、国家公務員としての特権を、
失うことになる」

ワイフ「どんな特権があるの?」
私「まず、給料。民間金融機関の約2倍弱とみていい。そのほか、国家公務員としての、
特別の待遇が与えられている。地位も、保全されている。とくに特定郵便局のばあい、独
自の採用試験で、採用されるしくみになっている。もちろん、転勤はない」

 そこで小泉内閣は、(1)窓口ネットワーク(郵便局網)、郵便事業、郵便貯金、簡易保
険の4つの機能を、それぞれ民営化することを決めた。目的は、(2)それぞれを、民間と
同じ土俵に立たせ、これらの各事業を、自立させ、効率よく仕事をさせるためということ
になる。

 たとえば郵便貯金のばあい、民間の銀行が払っている預金保険料などは、郵政省は払わ
なくてもよいことになっている。つまり民営化されると、郵政公社は、これらの特権を失
うことになる。

 さらに民営化されると、手紙やハガキの配達業務まで、現存の民間宅配会社ができるよ
うになる。つまりその分だけ、これまた競争が激化する。

 が、本音の本音を言えば、郵便局職員たちが、はげしい競争社会に立たされることを怖
れている。いやがっている。今までは、温室の中で、ぬるま湯につかってきたようなもの。
今の状態で、郵便事業にせよ、郵便貯金にせよ、簡易保険にせよ、どれ一つをとっても、
民企業と競争しても、勝ち目は、ない。

 たとえば、小包を例にあげて考えれば、それがわかる。

 民間の宅配会社では、相手が自分宛に送ってくれた小包について、電話一本で、それが
今、どこにあるか、コンピュータシステムの中で、わかるようになっている。こちらが不
在でも、時間さえ指定すれば、何度でも、配達してくれる。

 日曜日でも、真夜中でも、配達してくれる。

 郵便局のばあいは、わざわざ、こちらが郵便局まで出向かないと、小包を渡してくれな
い。こうしたサービスの差は、歴然としている。つまり民営化されると、郵便局の職員も、
そうしたサービスを強いられることになる。

 が、最大の問題は、郵便貯金と、簡易保険。これらのお金は、俗にいう、「財投」として、
いわば日本のウラ財政として機能してきた。あの道路公団の資金源にもなっている。しか
も大半が、すでに焦げついてしまっている。回収が不能という状態になっている。このこ
とは、自民党の中でも、どういう議員たちが、郵政民営化に反対しているかを見れば、わ
かる。

ワイフ「民営化は、必要なの?」
私「必要とか、必要でないとかいうレベルの問題ではない。時代の流れというか、当然、
今、しなければならない」
ワイフ「離島の郵便局はどうなるのかとか、過疎地域の郵便局はどうなるのかとか、それ
を心配している人も多いわ」

私「そういう問題もあるけど、本当に、それを心配しているのかな? そういうときばか
り、『国民の利益』『国民のため』と、ぼくたちを利用する。口実にする。ぼくは、それが
不愉快でたまらない」
ワイフ「郵便局の問題ではないということ?」
私「結局は、そういうことだろうね。旧国鉄が民営化されたときも、大きな衝突があった。
そのときも、過疎地の人たちの交通手段を奪うとか何とか言って、反対する人がいた。で、
結局、民営化され、今のJRになった。かえって、サービスは、よくなった。が、それ以
上に、ぼくたちが日本の未来のためにしておかねばならないことは、公務員の削減だよ」
と。

 現在、国家公務員と地方公務員の人件費だけで、日本政府は、年間38兆円も使ってい
る。国家税収が、42兆円程度だから、そのほとんどが、公務員の人件費に消えているこ
とになる。こんなメチャメチャな財政運営をしている国は、世界中のどこをさがしても、
ない。

 わかりやすく言えば、残りの4兆円で、道路をつくり、国家を防衛し、学校を建設し、
通信網を整備し、老人福祉をし……ということになる。しかし4兆円で、何ができる?

 そこで政府は、毎年、ぼう大な赤字国債という借金を重ねて、かろうじて、日本の国家
財政を運営している。その借金がたまりにたまって、もうすぐ、1000兆円になる。こ
れはたとえていうなら、年収420万円のサラリーマンが、1億円の借金をかかえている
ようなもの。

 そのツケは、すべて、つぎの世代の子どもたちにのしかかってくる。

 郵政三事業が民営化されれば、そこで働く職員は、民間企業と同じ土俵に立つわけだか
ら、仕事は、今よりはるかにきびしくなる。が、決して克服できない問題ではない。

 が、本当の、つまりは、隠された本当の問題は、227兆円という郵便貯金である。こ
れらのお金は、湯水のごとく、各種特殊法人の財源として使われてきた。しかも道路公団
の例をみるまでもなく、そのほとんどが、回収不能。わかりやすく言えば、郵便局に預け
た貯金のほとんどは、現在、紙くず同然になっている。

もし今のまま、日本郵政公社を、国営のままにしておいたら、ますますそのキズ口は、
深くなる。(もうすでに、取りかえしがつかないほど、深くなっているが……。)

 いよいよその結果が、明日(8月8日)、参議院で出る。どうなることやら? いや、そ
の評決のことを心配しているのではない。私は、日本の将来のことを心配して、そう言っ
ている。

++++++++++++++++++

【民営化の基本方針by小泉内閣】

(1)民営化後においては、郵便貯金、郵便(簡易)保険の新規契約については、政府保
証を廃止する。(既存契約分については、引きつづき、政府が保証する。)

(2)国家公務員としての身分の保証を廃止する。
(3)郵便事業では、法律での義務づけを継続し、全国一律サービスを維持する。

 これらの基本方針のもと、郵便貯金、簡易保険、郵便事業、窓口ネットワークの4つの
機能については、それぞれを分社化して、持ち株制度にする。わかりやすく言えば、新し
い銀行、新しい保険会社、新しい宅配会社に生まれ変わらせるということ。

 ただし、07年の民営化後も、しばらくは、これらの4つの業務は、一体化されたまま、
つまり現状維持のまま、運営される可能性が高い。
(はやし浩司 郵政民営化 郵政三事業民営化法案)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【国家・破綻】

 小泉首相は、当初、こう言っていた。「新規国債の発行ワクを、30兆円にする」と。し
かしそのうち、それが不可能だとわかり始めると、「たいした問題ではない」と言い出した。

 そして実際には、「05年度も、財政再建に努める」と言いながら、36兆7000億円
もの、新規国債を発行してしまった。

 そればかりではない。日本政府は、「借換債」というのまで発行している。

 これは償還時期がきた国債の利息さえ払えなくなったため、その利息分まで、国債(借
金)でまかなおうというものである。その借換債の額だけでも、05年度には、100兆
円を突破してしまった。

 ここにも書いたように、現在、国がかかえる公的債務(借金)は、700〜800兆円
とも言われているが、このほかにも、日本には、財政投融資(財投)や特殊法人などがか
かえる、いわゆる「隠れ借金」がある。

 これらの借金を含めると、軽く1000兆円を超えてしまう。

 はっきり言えば、もう日本の財政運営は、にっちもさっちもいかないところまで、きて
しまっている。しかしほとんどの日本人は、そういうことを知らされることもなく、「だい
じょうぶだろう」「だれかが何とかしてくれるだろう」と、平然としている。

 これでは、まるで、戦前の日本人と同じではないか! ウソだらけの大本営発表を信じ
こまされ、ノー天気なまま、その日、その日だけを、何とか生きている。

 最後に原爆が落とされて、はじめて、日本人は、目がさめた。同じように、原爆級の爆
弾(=国家破綻)が落とされないかぎり、日本人は、今の現状に、目がさめないというの
か? 

 いや、すでにそれに気がついている人たちがいる。

 私は、それが小泉首相自身ではないかと思っている。

 あのどこか投げやり的な、しかもニンマリと笑っている顔を見ていると、そんな気がす
る。はからずも、小泉首相は、昨日(8月6日)、広島市での会見で、「私は殺されてもい
い」というようなことまで言っている。

 日本の国家破綻を念頭に置いた言葉とも、受け取れる。つまり自民党を解体し、仮に民
主党に政権を渡しても、それ以上の危機的な状況になっているから、「私は、かまわない」
と。あるいは、国家破綻になる前に、逃げてしまおうという魂胆かもしれない。

 私の感触では、日本という国家が、破綻する時期は、もう、そこまできていると思う。
ただ不思議な平穏さだけがつづいている。不気味といえば、不気味。どこかでだれかが火
をつけたら、この平穏さは、一気に崩れ去る。

 よい例が、九州のS銀行。03年の終わり、「つぶれるかもしれない」というウワサが流
れただけで、約500億円ものお金が、S銀行から引き出されてしまった。

 もしそれが全国規模で起きたとしたら……。考えるだけでも、ゾッとする話だが、これ
は決してありえないことではない。

 こういう時期、いまだに「1000万円までの貯金は、保護される」とか、「郵便貯金は
安全」とか、そんなことを信じている人たちの気が知れない。国家破綻ともなれば、ペイ
オフ制度も、郵便貯金制度もない。日本中の札が、紙くずと化す。

 わかっているのか、みなさん!

 今回の郵政民営化法案のゴタゴタは、まさにその序曲にすぎない。これは私の推測だが、
(あくまでも推測)、小泉首相がいう「私の腹」というのは、こうではないかと思う。

 「国家は、もうすぐ破綻する。そのとき、その破綻処理をするのは、自民党ではない。
民主党にやらせようではないか。そのための解散であるなら、私はかまわない」と。
(05年8月7日記)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●政治の話

 教育の世界では、宗教や政治の話は、タブーということになっている。講演の前などで
も、主催者から、よく、こうクギを刺される。「宗教と政治の話だけはしなでくださいね」
と。

 で、私のHPやマガジンを読んだことのある教職関係者の方たちからは、ときどき、こ
う言われる。「あんなこと、書いても、だいじょうぶですか?」「あなたのように自由にも
のが書ける人が、うらやましい」と。

 もちろん学校の先生が、生徒に向って、宗教や政治の話をするのは、「禁止」である。し
てはならない。それはわかる。もちろん私も、生徒たちの前では、この種の話は、いっさ
い、しない。

 しかし私は、そういう立場ではない。

 反対に、私のような立場の人間が、モノを言わなくなったら、この日本は、どうなる? 
国民すべて、(従順なモノ言わぬ民)でよいのか?

 教育の問題は、即、宗教や政治の問題とからんでくる。紙一重というのではなく、有機
的に結びついている。もちろん心理学や、生理学とも結びついている。私が教育論を書き
ながら、宗教や政治の話を書くのは、当たり前のことではないか。

 もちろん私は、政治家ではない。宗教家でもない。だから宗教や政治について書いたと
ころで、それが直接、私の利権につながるということは、ない。まったく、ない。

 ただこれだけは、いつも念頭に置いて、モノを書いている。

 子どもをもつ親たるもの、子育てを考えるなら、同時に、子どもの未来や将来を考える
べきではないか、と。当然のことながら、そこには、宗教や政治がからんでくる。「自分の
子どもさえよければ」という観点では、いつか必ず、子育てそのものが、行きづまる。極
端な例としては、戦争がある。

 いつか、東京のど真ん中で、原子爆弾がドカンと爆発してから、政治を考えても、遅い
ということ。自分の息子や娘が、狂信的なカルト教団の餌食(えじき)になってからは、
遅いということ。そのとき自分たちの無知を嘆いても、遅いということ。モノを考えるな
ら、「今」ということになる。宗教についても、そうだ。

 もちろんほとんどの宗教には、問題はない。しかしその陰で、現在の今も、カルト教団
と呼ばれる宗教団体が、あなたやあなたの子どもを、虎視眈々(こしたんたん)とねらっ
ている。

 幸いにも、私のマガジンについて、多くの人たちが、「政治についても、もっと書いてほ
しい」という意見を寄せてくれている(マガジンのアンケート調査より)。宗教についての
意見は少ないが、カルト教団と戦うためには、私たち1人ひとりが、より賢くなることで
しかない。

 幸いにも、マガジンの読者が、少しずつだがふえている。「マガジンの世界では、読者が
減らないだけでも、ありがたいことだと思わなければならない」と、教えてくれた人もい
る。最近では、インターネットの主流は、HPやマガジンから、BLOGへと、移行しつ
つある。

それだけみなさんが、関心をもち始めているともとれるし、教育だけを考えていたので
は、子どもたちを包む問題が、どうにもならないことに、気がつき始めているともとれる。

 だから、私は、書く。がんばって書く。いろいろ批評、批判はあるが、それでも書く。
私の書いていることが、少しでも、みなさんの役にたてば、うれしい。


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 7日(No.620)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●意識のちがい

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意識ほど、やっかいなものはない。
そこはまさに、映画「マトリックス」の世界。
一方の側から見ると、一方の側がまちがって見える。
しかしその相手の側から、今度は自分を見ると、
それまでの自分が、まちがって見える。

意識には、そういう側面がある。

+++++++++++++++++

 意識のちがいを知る、一番よい方法は、「裸」文化を知ることである。「裸」に対する意
識ほど、国によって、ちがうものはない。

 たとえば36年前、私はオーストラリアへ行って、それを知った。当時、向こうの女学
生で、ブラジャーをつけているものは、ほとんど、いなかった。薄い、それこそ乳首が見
えそうなくらい薄いシャツを着て、平気で、通りを歩いていた。

 今でこそ笑い話になるが、私にも、こんな経験がある。

 金沢での学生時代のこと。よく通訳のアルバイトをした。そんなあるとき、カナダ人だ
ったと思うが、一組の夫婦が、娘を連れて、金沢へやってきた。が、その娘が、今でいう
タンクトップのような服を着ていた。年齢は、18歳くらいではなかったか。当時の日本
の女性で、そんな服装で街を歩く女性はいなかった。

 私は通訳をしながら、ときどき、歩けなくなってしまったのを、覚えている。目のやり
場がないというのは、そういうときの状態をいう。恥ずかしいなどというものではなかっ
た。どうして私が歩けなくなったかは、改めてここに書くまでもない。

 で、先週、イギリスのロンドンで、こんなことがあった。

 ある芸術家の呼びかけで、数千人の一般市民が、素っ裸で、ロンドンの街の中を行進し
たという。男も女もない。写真でみるかぎり、老いも若きもない。欧米人が、日本人とは
ちがった裸文化をもっているということは、若いころから知っていた。それを改めて、私は、思
い知らされた。

 ……ということを書くのが、ここでの目的ではない。

 私たちは、それぞれのことがらについて、それぞれの意識をもっている。

 家族意識、夫婦意識、仕事意識、仲間意識など。「同じ人間だから、それほどちがわない
だろう」と思いたいが、こうした意識は、時代、国、地域によって、みな、ちがう。子育
てに対する意識とて、例外ではない。

 私たちが今もっている意識というのは、そういうもの。またそういう前提で考えないと、
ときには、まちがった意識をもってしまう。そしてそのまちがった意識に、振りまわされ
てしまう。

 たまたま今夜も、数人の母親たちと、こんな会話をした。みな、小学生の子どもをもつ
母親たちである。

 このところ、再び、受験戦争が過熱し始めている。夏休みに入って、子どもたちは、毎
日、午前と午後、計5時間の勉強をしているという。母親たちは、その話をした。「夏休み
になったのに、学校の勉強より、きびしいです」と。

 しかし意識というのは、こわい。

 どの親も、目が前にしかついていない。前だけしか見ない。見えない。子どもを伸ばす
(?)ことだけしか考えていない。

 親として、それは当然かもしれないが、その一方で、子どもの心を破壊していることに
は、気づいていない。どの母親も、「うちの子にかぎって……」「まさか……」と思ってい
る。が、そういう受験競争の中で、キズつき、もがいている子どもは、多い。そしてその
うちの何割かの子どもは、途中で、ドロップアウト。夜な夜な、コンビニの前で三角すわ
りをしながら、タバコを吸うようになるかもしれない。そういう危険性には、気づいてい
ない。

 私は、ただ「慎重にしたほうがいいですよ」とだけ言ったが、どこまでわかってもらえ
たことやら? 子どもを決して、競走馬の馬のようにしてはいけない。時間はかかるかも
しれないが、子どものやる気をじょうずに育てながら、子ども自身がその目的に向かって
進むようにする。

 が、それでも、だめなら……、つまり親の期待からはずれていくようなら、あとは、あ
きらめる。あきらめて、「まあ、うちの子はこんなもの」と、割り切る。子どもというのは
不思議なもので、「まだ何とかなる」「こんなはすはない」と、親ががんばっている間は、
伸びない。しかし親があきらめたとたん、そのあとしばらくしてから、伸び始める。

 私たちには、私たちの意識がある。子育てというのは、こういうものという意識。教育
というのは、こういうものという意識。しかしこうした意識は、決して、普遍的なもので
もなければ、また世界の標準でもない。

 日本人がもつ意識が、まちがっているとか、おかしいというのではない。ただ、ときに
は、そういう意識も、疑ってみる必要があるということ。方法は、簡単。

 「本当に大切なものは、何か」「その本当に大切なものを、守り育てていくためには、私
たちは、どうあるべきか」と、それを自分自身に問いかけてみる。

 もちろんこの日本には、歴然たる受験戦争がある。この受験戦争がなくなったら、日本
の教育そのものが、崩壊するかもしれない。

 しかしなぜ、こうした受験戦争があるかといえば、これまた歴然たる不公平社会がある。
努力し、能力のある人が、それなりの生活をするのは、しかたないことかもしれない。し
かしそうでもない人たちが、一般庶民の何倍もの給料を手にして、楽をしている。人生の
入り口で、たった数日の試験で合格したというだけで、それが大きな差となって現れる。
だから親たちは、自分の子どもを、受験勉強に、しむける。「勉強しなさい!」と。

 が、そのときでも、心のどこかで、いつも「何が大切か」を考える。その小さなブレー
キが、いつかやがて子どもの心を守る。親子の絆(きずな)を守る。

 私はよくオーストラリアの友人たちと、子育てについて、話しあう。しかしいつも、そ
の意識のちがいには、驚かされる。結論を先に言うと、彼らは、子どもを、生まれたとき
から、1人の独立した人間とみて育てる。またそういう意識が強い。子どものできが悪く
ても、それを親の責任と考える人は少ない。一方、日本では、親は、子どもを、自分のモ
ノのように考える。だから子どものできが悪かったりすると、それを親の責任と考える人
が多い。

 こうした意識のちがいが積み重なって、結果的に、教育に対する考え方そのもののちが
いとなって現れる。

 それについて書いた原稿(中日新聞発表ずみ)が、つぎの原稿である。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●日本の常識、世界の標準? 

 『釣りバカ日誌』の中で、浜ちゃんとスーさんは、よく魚釣りに行く。見慣れたシーン
だが、欧米ではああいうことは、ありえない。たいてい妻を同伴する。

向こうでは、家族ぐるみの交際がふつうで、夫だけが単独で外で飲み食いしたり、休暇
を過ごすということは、まず、ない。そんなことをすれば、それだけで離婚事由になる。

 困るのは『忠臣蔵』。ボスが犯罪を犯して、死刑になった。そこまでは彼らにも理解でき
る。しかし問題はそのあとだ。彼らはこう質問する。「なぜ家来たちが、相手のボスに復讐
をするのか」と。

欧米の論理では、「家来たちの職場を台なしにした、自分たちのボスにこそ責任がある」
ということになる。しかも「マフィアの縄張り争いなら、いざ知らず、自分や自分の家
族に危害を加えられたわけではないのだから、復讐するというのもおかしい」と。

 まだある。あのNHKの大河ドラマだ。日本では、いまだに封建時代の圧制暴君たちが、
あたかも英雄のように扱われている。すべての富と権力が、一部の暴君に集中する一方、
一般の庶民たちは、極貧の生活を強いられた。もしオーストラリアあたりで、英国総督府
時代の暴君を美化したドラマを流そうものなら、それだけで袋叩きにあう。

 要するに国が違えば、ものの考え方も違うということ。教育についてみても、日本では、
伝統的に学究的なことを教えるのが、教育ということになっている。欧米では、実用的な
ことを教えるのが、教育ということになっている。しかもなぜ勉強するかといえば、日本
では学歴を身につけるため。欧米では、その道のプロになるため。日本の教育は能率主義。
欧米の教育は能力主義。

日本では、子どもを学校へ送り出すとき、「先生の話をよく聞くのですよ」と言うが、ア
メリカ(特にユダヤ系)では、「先生によく質問するのですよ」と言う。

日本では、静かで従順な生徒がよい生徒ということになっているが、欧米では、よく発
言し、質問する生徒がよい生徒ということになっている。

日本では「教え育てる」が教育の基本になっているが、欧米では、educe(エデュ
ケーションの語源)、つまり「引き出す」が基本になっている、などなど。

同じ「教育」といっても、その考え方において、日本と欧米では、何かにつけて、天と
地ほどの開きがある。私が「日本では、進学率の高い学校が、よい学校ということにな
っている」と説明したら、友人のオーストラリア人は、「バカげている」と言って笑った。
そこで「では、オーストラリアではどういう学校がよい学校か」と質問すると、こう教
えてくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。チャールズ皇太
子も学んだことのある由緒ある学校だが、そこでは、生徒一人一人に合わせて、カリキュ
ラムを学校が組んでくれる。たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように、
と。そういう学校をよい学校という」と。

 日本の常識は、決して世界の標準ではない。教育とて例外ではない。それを知ってもら
いたかったら、あえてここで日本と欧米を比較してみた。 

 意識のちがいというのは、そういうもの。
 

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++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●迷信

 私の母は、今でもそうだが、迷信のかたまりのような人だった。何かにつけて、迷信を
信じ、ことあるごとに、息子の私に押しつけた。

 とくにこだわっていたのが、運勢や、まじない。食事にしても、私はある時期、青い(緑)
色の菜を食べさせてもらうことができなかったのを覚えている。理由は覚えていない。み
そ汁などの中に、それがあると、母は、こまめにそれを取り除いて、私に食べさせていた。

 よく覚えているのは、新しい靴を買ったときのこと。靴を買う日まで、決まっていた。「縁
起の悪い日に買うと、事故にある」とか何とか……。母はそう言っていた。そしていくら
私が頼んでも、「夜に新しい靴をおろしては、いかん」と、私を強く叱った。「新しい靴は、
朝か、昼に、おろせ」と。

 「おろす」というのは、地元の言葉で、「地面におろして、はじめて使う」ことを意味す
る。

 で、そうした母の考え方が、私には、かえって反面教師になった。私はもの心つくころ
から、そうした迷信には、ことごとく反発するようになった。そのため、母とのけんかも、
よくした。

 迷信。根拠や論理性のない信仰をいう。たいていは、その人の思いこみで始まり、その
思いこみが肥大化して、妄想となった状態をいう。そういう意味では、自己中心性の強い
人ほど、迷信を信じやすいのではないか。つまりは、それだけ精神の完成度が低いという
ことになる。

 ……といっても、何も自分の母を批判しているのではない。母は大正のはじめの生まれ
で、しかも山奥の田舎育ち。今から思えば、ちゃんとした教育を受けていなかった。自分
でものを考えるという習慣すら、なかった。当時の日本という国は、まだそういう状態だ
った。

 こんなことがあった。

 私が小学2、3年生のころだが、頭に、できものができた。「タムシ」というできもので
ある。それができると、頭がかゆくてしかたない。そこで手でかいたりしていると、ばい
菌がはいって、化膿する。とたん、症状が、一気にひどくなる。

 今なら、簡単な薬で治るが、当時は、そうではなかったらしい。母は毎日、頭に、近く
の神社でもらってきた水を私の頭につけ、何やら呪文のような言葉を唱えていた。しかし
そんな水で、治るはずがない。

 そこで母は、私を、愛知県のY町にある、Y観音様という神社へつれていった。電車を
乗りついで、片道、3時間ほどかかった。(この「3時間」という時間は、今でも、3時間
ほどかかるということで、3時間にした。)

 そこでも、やはり水をもらった。そして毎日のように、母は、私の頭に、その水をつけ
た。それが、私の日課になってしまった。

 私の頭のタムシは、ますますひどくなった。で、最終的には、G市(G県の県庁所在地)
にある医院で、薬をもらって、それで治ったが、おかげで、私の頭には、無数の丸いハゲ
が残った。数えたことはないが、大小、100個くらいはあるのではないか。

 いつしか私は、母をうらむというよりは、迷信のほうを、うらむようになった。「迷信?」
と感じたときには、それをことごとく否定するようになった。占いやまじないは、もちろ
んのこと、手相、家相、姓名判断などなど、すべてである。そしてその分野では、私は、
まさに「百戦錬磨(れんま)の勇者」になった。

 若いときは、ことあるごとに議論にのぞみ、そういうことを口にする相手と、とことん
戦った。私の反カルトの精神は、そういうとことで培(つちか)われた。その精神は、今
でも、それは生きている。

 ただ母との議論は、ほとんど、したことがない。とくに、母が年をとってからは、した
ことがない。言いたいように言わせ、私は適当にそれに合わせている。どうせ理解できる
ような相手ではないし、また今さら、道理をわからせようとしても、意味はない。母には、
母の人生がある。

 が、母のほうは、今でも、ときどき、私には、こう言う。

 「お前だけは、地獄へ落ちると思って心配していたが、地獄へは、落ちなんだな」と。
私の母というのは、そういう人である。
 
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●迷信(2)

 考えることには、ある種の苦痛が、ともなう。寒い朝、ジョギングにでかける前に感ず
るような、そんな苦痛である。

 しかしジョギングにでかけてしまえば、その苦痛は消える。

 同じように、ものを考えるときも、そうだ。が、いったん、考え始めてしまうと、その
苦痛は消える。つまり、(考える人)と、(考えない人)のちがいは、ここにある。

 で、考えることを苦痛と感ずる人は、多い。「私は、考えるのが大きらい」と、平気で口
に出して言う人さえいる。自分で考えようとする前に、逃げてしまう。が、そういう人は、
自ら、脳ミソの健康を、放棄(ほうき)しているようなもの。

 はっきり言おう。

 占いや、運勢など、あんなもの信じるほうが、どうかしている。最近はやりの、占星術
や、四柱S命にしても、そうだ。そんなことは、宇宙という視点から、地球をながめてみ
れば、わかる。

 宇宙から見れば、地球上に住む人間は、それこそ顕微鏡でも使わないと見えない。カビ
のようなものである。

 そんなカビの一匹、一匹(失礼!)に、彼らがいうところの、宇宙のパワーが、それぞ
れ、別々の影響を与えることなど、ありえない。が、迷信を信ずる人は、そうではない。「私
だけは、特別の存在」と考える。つまりは、この極端なまでの自己中心性が、迷信の本質
と言ってもよい。

 もし人間に運命があるいうのなら、それはその個人を包む、大小さまざまの社会的環境
をいう。そのさまざまな社会的環境が、無数の糸となって、その人をがんじがらめにして
いる。

 その結果として、その個人のあり方が、決まる。それが運命である。

 しかしいくら運命があるといっても、最後の最後で、ふんばって生きるのは、私たち個
人である。そのふんばって生きるところに、生きる人間の美しさがある。無数のドラマも
そこから生まれる。

 ある男性(37歳)は、「自分は、地獄へ落ちる」と、毎日、ビクビクしながら、過ごし
ている。自分の妻が、それまでいっしょに信仰していた教団を抜けたからである。その教
団では、「途中で、信仰を捨てると、地獄へ落ちる」と、ことあるごとに信者に教えている。

 こう書くと、その男性の知力を疑う人もいるかもしれない。しかしその男性は、ある国
立大学の工学部を出たような人である。そんな人でも、迷信の世界にハマると、そうなる。

 (ついでに言うと、「この教団を抜けると、地獄へ落ちる」とか、「不幸になる」とか教
える教団は、カルトと断言してよい。カルトの特徴は、アメ(ご利益)と、ムチ(バチ)
を、同時に信者に示しながら、信者の脳ミソを洗脳していくところにある。)

 こうした迷信と戦うためには、まず、自分で考える習慣を身につけること。そして自分
の中にある常識を、みがくこと。おかしものは、おかしいと思う。そういう常識をみがく
こと。

 その常識をみがくことは、それほど、むずかしいことではない。

 ごくふつうの人として、ふつうの生活をすればよい。とくに重要なのは、他人との良好
なかかわりと、そして自然との調和である。人間は、こうして何十万年も生きのびてきた。
これからも、その常識に従えば、生きのびることができる。

 かつて人間は、火山が爆発すれば、山の神のたたりと恐れ、洪水が発生すれば、水の神
のたたりと恐れた。しかし今どき、そんなことを本気で信じている人はいない。子どもで
も、いない。

 だから迷信も、その分だけ、巧妙になってきた。最近では、宇宙のパワーなるものと結
びつける傾向が強くなってきた(?)。迷信にも、宇宙時代がやってきたというわけか。

 ともかくも、迷信は、理性や道理を曇らす。かえって自分の進むべき道を、誤らせる。
さらに迷信にハマればハマるほど、時間をムダにする。人生をムダにする。山の神に、一
生を捧げたとしても、地震はなくならない。水の神に、一生を捧げたとしても、洪水はな
くならない。

 ところで、最近、こんな相談をもらった。Y県のXさんからのものとしておく。

 「私の夫の実家は、悪霊にたたられています。その家から出た、兄弟、親類のほとんど
が、家族の中で、大きな不幸を経験しています。

 たいてい長男が、病死か、自殺。精神を病んでいるのもいます。ざっと数えて、10家
族ほど、現在いますが、例外がありません。

 で、私の夫は、その家から出た、二男です。ですから、今のところ、大きな不幸はあり
ません。

 ところがです。最近、夫が、実家へ帰ったおり、小さな馬の置き物をもらって帰ってき
ました。ずっと、実家の仏壇の横の床の間に飾ってあったものです。とたん、その数日後、
私の息子が、自転車に乗っていて、事故にあってしまいました。

 私は、これはその置き物のたたりではないかと、思います。心配です。夫には、置き物
を実家へ返すようにと言っているのですが……」と。

 仮にたたりだとするなら、だれが、それをコントロールしているというのか?

 病気や事故などというものは、偶然と確率の問題。信仰しているから起こらないもので
も、信仰していないから起こるものでもない。数か月前だが、こんな話も聞いた。

 その男性(60歳)は、この10年間、不幸つづきだという。家業の土建業は、倒産。
年に、数回は、交通事故を起こしている。さらに最近、肝臓を悪くし、入退院を繰りかえ
し、仕事もできなくなってしまった、と。

 それについて、その男性は、近くの神社の神主におうかがいをたててみたところ、「あな
たの家はたたられているから、今すぐ、お祓(はら)いをしなさい」と、忠告されたとい
う。

 しかしその男性に不幸がつづいたのは、たたりのせいではない。何度か、いっしょに車
に乗って、あちこちへ言ったことがあるが、その男性の乱暴運転には、あきれるものがあ
った。

 信号無視は、あたりまえ。ときには、県道のような道でも、100キロ以上でとばす。
暴飲暴食というか、5〜10分おきにタバコを吸い、毎晩、一升瓶をあけるほど、酒を飲
んでいた。

 そんな生活をしていれば、注意力も散漫になる。当然、病気にもなる。しかしその男性
は、そうした自分自身の中の(原因)には、気づいていない。とくに、注意力が散漫にな
った部分(=思考力が低下した部分)については、気づいていない。それに気づく思考力
さえない。

 で、その男性は、神主の言うとおりに、お祓いをしてもらったそうだが、それでその男
性の不幸が止まるわけではない。(現在は、入院中なので、一応、平穏だが……。)

 迷信というのは、そういうもの。理性そのものまで眠らせてしまう。

 で、先のメールをくれた人には、こう返事を書いた。

 「昔は、乳幼児の死亡率が、極端に高かったため、どこの家でも、長男や長女を、病気
で失うことが多かったようです。戦前には、30%前後の子どもが、満6歳くらいまでに
死んだという話を、どこかで聞いたこともあります。ですから、過去をほじくりかえして、
そういう事実をつなぎあわせても、意味はありません。

 たたりなどというものは、ありません。

 むしろこわいのは、そういうたたりがあると思いこんで、自分で、そのたたりを作って
しまうことです。ささいなことまで、たたりのせいにして、「やっぱりたたりはある」と思
いこんでしまうことです。こういうのを、心理学の世界でも、「誇大化」といいます。

 これから先、社会情勢の不安定化、環境問題などで、不安なことがつぎつぎと起きてき
ます。不安になると、脳ミソの活動が固定化され、ますます思考力が低下します。前頭連
合野の活動が鈍くなると説く学者もいます。

 じゅうぶん、注意してください」と。

 さあ、あなたも勇気を出して、迷信と戦おう! 

 迷信こそが、常識の敵!

【補記】

●カルトの特徴

 カルトの特徴を、箇条書きにしてみた。

神秘化……過去の人物にかこつけ、その宗教に神秘性をもたせる
誇大化……その宗教が、すべてと信者に思いこませる。
妄信化……絶対的な善であると、信者に妄信させる。
美化正当化……命をかけるに足りる宗教であると、信じこませる。
非現実化……現実遊離、現実逃避の思想を注入する。
社会逃避性……社会的なもの、人間的なもの、ついでに金銭は無意味と教える。
組織化……信仰が個人というワクをはずれ、組織化する。
隷属化……組織の中では、上下関係を明確にし、下位信者は、上位信者に隷属する。
上位下達化……思想、思想は、常に、上層部から、下層部へと一方的に伝えられる。
信者の愚鈍化……その信仰以外のことは考えさせない。
固執化……その信仰を離れたら、バチが当たるとか、不幸になるとか教える。
排他性……自分たちの信仰以外のものは、まちがっていると排斥する。
閉鎖性……外部との接触を、禁止する。

 これらの項目にあてはまれば、その宗教は、カルトと考えてよい。信仰といっても、「教
え」によってするもの。しかしその基盤は、人間が人間としてもっている常識である。ど
んな信仰をするにしても、その常識の目を曇らせてはいけない。
(はやし浩司 カルト カルトの特徴 迷信 たたり たたり論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●コンビニ

++++++++++++++++++

最近は、コンビニでも、私と同年齢の
女性が働いているのを、よく見かける。

私が行きつけの、「S11」でも、2人の
女性が働いている。1人は、55歳くらい。
もう1人は、60歳くらい。

すっかり顔なじみになった。いろいろと
便宜をはかってもらっている。

++++++++++++++++++

 顔なじみになって、得をしたと思うのは、そのつど、あれこれ無理がきくということ。
たとえば私はコンビニへ行くと、たいてい、何らかのおもちゃを買うことにしている。

 最近では、「艦船シリーズ」とか、「飛行機シリーズ」というのがある。小さな模型であ
る。値段は300〜400円だが、それがよくできている。「ホオー」と感心するほど、よ
くできている。

 が、外のパッケージからでは、中に何が入っているかわからない。そこでコンビニの女
性に、ハカリを貸してもらう。

女性「何に使うの?」
私「重さで、中に何が入っているか、わかるでしょ」
女「なるほどね」
私「同じものは、買いたくないから」と。

 その艦船シリーズ。重さをはかってみると、微妙に、ちがう。42・5グラム。46・
3グラム、45・4グラム……、と。

 その重さによって、中に何が入っているか、だいたいわかる。

 ……こうしたノウハウは、私は、子どものころ、身につけた。当時は、どこの横丁にも、
駄菓子屋というのがあった。いろいろなお菓子や、おもちゃを売っていた。クジや、何と
表現したらよいのか、今で言う、福袋を小さくしたようなものもあった。

 袋の中には何が入っているかわからない。そこで私たちは、手でそれを押さえたりしな
がら、中のものが何であるか知った。

 今は、それがハカリになった。

私「これは重いから、軍艦だよ」
女「これは、ほかのと重さがちがうわよ」
私「そう、それがなかなか出ない、レアだよ」
女「何かしら……?」
私「小型モーターだと思うよ」と。

 重さと、箱のウラの見本とを、そのつど見比べながら、中身を推察する。

私「ところでさ、このコンビニ、冷房、ききすぎだと、思わない?」
女「そう?」
私「こんな冷えたところで働いていると、生理不順になるよ」
女「ははは、ごちそうさま」と。

 陽気な人たちだ。この前のバレンタイン・ディーのときは、その日が終わってから、売
れ残りのチョコレートを、私にくれた。私が「愛しているよ」と言ってやったら、「わあ、
うれしい」と。

 今日も、これからそのコンビニへ行くつもり。では、そんなわけで、今朝は、ここまで! 
みなさんも、よい一日を!

 そうそう台風9号が近づいてきているそうです。今のところ、K国直撃コースを進みつ
つあるようですが、みなさんも、どうか、ご用心を!
(050804)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司


●気候のコントロール

+++++++++++++++++

地球温暖化の問題を解決するためには、
人類が、気象、気候をコントロール
するための、科学的ノウハウを
身につければよい。

しかし一方で、そんなことができるように
なったら、各国の利害がするどく
対立し、それこそ地球規模の戦争は
起こるようになるかもしれない。

地球温暖化も問題だが、醜い戦争も
これまた問題である。

つまりは、人類は、地球温暖化に
に対して、なすすべもなく、この
まま、自滅の道を選ぶしかないのか?

++++++++++++++++++

 台風9号が、石垣島を直撃したあと、さらに北上をつづけている。当初は、K国を直撃
かと思われたが、途中で、左折。このあたりまでくると、台風はいつも左折して、中国大
陸へと向う。

 日本へ来る台風は、みな、右折して、日本列島を縦断するコースをとる。どうして台風
は、このあたりで左折したり、反対に右折したりするのか。実際には、太平洋上の高気圧
のあり方で、そうなるそうだが、この際、それはどうでよい。

 私は、テレビの天気予報を見ながら、ふと、こんなことを考えた。

 もし人間が、気象をコントロールできるようになったら、どうなるか、と。地球規模の
気象でなくても、地域的な気候でもよい。

 恐らく台風がこのあたりまできたら、日本と中国の間で、大げんかが始まるにちがいな
い。「お前のほうに、台風を向けろ」「いや、お前のほうにこそ、台風を向けろ」と。そこ
へ韓国やK国が、割りこんでくる。きっと、その時点で、大騒動になるはず。

 そこで私は、気象をコントロールできないほうが、今の世界では、よいのではと考える。
が、ここで一つ、大きな問題にぶつかる。

 地球温暖化の問題である。

 地球温暖化は、もうだれの目にも明らかなほど、急速に進んでいる。毎月のように、「気
象観測史上はじめて……」という言葉が聞かれる。耳のほうがなれっこになってしまって、
いまでは、もう、だれも驚かない。

 で、この地球温暖化を防ぐためには、とにかく科学の力で、気象とまではいかなくても、
簡単な気候くらいは、コントロールできるようにならなければならない。40度を超える
ような猛暑になりそうだったら、それをコントロールして、40度以下に保つ、とかなど。

 が、ここで、私たち人間は、大きなジレンマに陥(おちい)ることになる。

 気候がコントロールできるようになれば、各国の利害がそこにからみ、へたをすれば、
戦争になるかもしれない。「お前が、勝手に台風を、こちらに向けたから、こちらは大被害
をこうむった。損害を、補償せよ」と。

 つまり気候をコントロールできそうにようになったら、こうした「各国」との摩擦(ま
さつ)をどう解決するか、それを同時に考えなければならない。できれば、「各国」という
ときの、「国」という概念そのものを、改めなければならない。もう少し踏みこんで言うと、
地球温暖化の問題を、気象レベルで解決しようとしたら、その前に、「国」という考え方を
捨てなければならない。

 が、それができないとしたら、つまり現状のままの「国」という概念が残るようなら、
気候のコントロールはしないほうがよいということになる。先に書いたように、そのつど、
大騒動になる。ということは、つまり、地球温暖化の問題を、気象レベル、あるいは人間
がもつ科学の力で解決するというのは、方法論としてではなく、現実問題として、たいへ
んむずかしいということになる。

 が、地球温暖化が今以上に進み、やがて、どうにもこうにもならなくなってきたら、人
間は、どうするだろう。私は、つぎの二つの道のうちの一つを選択するのではないかと思
う。

 一つは、地獄絵図を繰りかえしながら、人類は、自滅していく。各国の利害が、はげし
く対立し、地球規模の大戦争が、各地で発生する。

 もう一つは、国という概念を捨て、人類が全体として、一つになり、それに立ち向かう。
あるいは、何らの方策を考える。

 後者のほうがよいことは、言うまでもない。しかし気候をコントロールできるようにな
ると同時に、世界は、一つの「世界」として、まとまることができるだろうか。まとまる
ことができなければ、結局は、人類は前者の道を歩むことになる。

 さて今、多くの科学者たちが、どうすれば、地球温暖化を防ぐことができるか、それを
懸命に考えている。私がしるかぎり、すでに1970年に開かれた、「ローマ会議」の席で、
この問題は、論じられている。

 すでにそのとき、もっとも簡単な方法として、つまり地球温暖化を防止するための方法
として、化石燃料(石油、石炭)の使用を制限するという話も出ていた。しかし2005
年になった今でさえ、その話しあいは、難航している。

 豊かな国の人たちは、「今のままで、これ以上、化石燃料を使うのをやめよう」と主張す
る。貧しい国の人たちは、「我々も、化石燃料を同等に使って、豊かになる権利がある」と
主張する。

 が、それと同時進行で、世界が一つになることも、考えなくてはいけない。地球温暖化
は、全人類の問題というよりは、地球に住む、全生物の問題でもある。そんな説は信じた
くないが、一説によると、2100年までに、地球の気温は、400度Cまで上昇すると
いう。(400度Cだぞ!)

 こんな時期に、日本だ、中国だと言っているほうがおかしい。ロシアだ、アメリカだと
言っているほうが、おかしい。

 が、最初の話に戻るが、仮に台風をコントロールできるようになったら、それだけで、
国どうしの利害問題がからみ、大騒動になる。……ということは、気候のコントロールは、
できないというよりは、しないほうがよいということになる。

 つまりは、人類は、このまま、なすすべもなく、静かに自滅の道を選ぶしかないのかも
しれない。

 天気予報の解説者(NHK)は、日本上空を、棒で指し示しながら、「日本上空には、強
い高気圧が居座っています。今日も全国各地で、35℃を超える、きびしい暑さとなるで
しょう」と報じていた(8月5日)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●K国の食糧事情

++++++++++++++

BLOGに書いた意見は、そのまま
瞬時に、相手に伝わる。

韓国の中央N報社のBLOG(日本語版)
をのぞいてみた。

過激な意見が、ズラリと並んでいた。
もちろん日本人の私たちが書いた意見である。

+++++++++++++++

 韓国に、中央N報という新聞社がある。その中央N報は、日本語で、日本人向けに、B
LOGを開設している。

 05年8月4日現在、そのBLOGで、K国の食糧事情を特集している。それによれば、

「 世界食糧計画(WFP)は8月2日、緊急報告を通じて、国際社会からの新しい支
援がなければ、今年後半、食糧の支援を受ける北朝鮮住民数が、460万人から190
万人へと、270万人が減るだろう」と。

 問題は、それにつづく、書きこみの内容である。BLOGというのは、すでにご存知
の方も多いと思うが、読んだ人が、そのまま意見を書きこむことができるようになって
いる。

 その内容を、最新のものから、順にいくつか紹介する。

+++++++++++++++++

★地球規模じゃ、人口増えてるんだから、270万位死んでもどうってことない、
アフリカ等の本当に支援が必要なところに金を使えばよい、軍事に金を使い国
民の貧困などお構いなしの国には、支援なんて必要なのか? 未来永劫、日本
人は朝鮮人(韓国人含む)と仲良くはできない、そんな金をどぶに捨てる話し
あいなど不要。(O氏)

★朝鮮人肉でも喰え。(O氏)

★ 「馬鹿なK国人は飢えて死ね。金xxは高級ワインをため込んでいるぞ。K
国人が死のうがどうしようが、金xxはおいしいワインを飲む。でも、飢えた
人民にはやらん」。韓国のS統一部長官が金正日との6月の面会の際、1本25
万ウォンのチリ産高級ワイン5本をプレゼントした。金正日がワイン愛好家で
あることは有名な事実で、フランスなど全世界の「高級ワイン1万本ほどを貯
蔵庫に保管」していることが知られている。・・・とか。(I氏)

+++++++++++++++

 こうした過激な意見がほとんどで、それが8月4日現在、120件を超えた。当然、こ
のBLOGに書かれたことは、韓国語に翻訳され、韓国の人たち、さらには、K国の人た
ちに読まれている。

 みなさんは、こういう書きこみ記事を読んで、どう、判断なさるだろうか。どう、感じ
られるだろうか。書きこみをしている人たちには、それなりの考えがあるのだろう。だか
ら、これらの記事についてのコメントは、さしひかえたい。

 ただ、私も、だまってはおれない。こういう意見が、日本人の意見だとは、思いたくな
いし、また韓国の人たちにも、思ってほしくない。つぎのような書きこみを、私は、した。
なお、投稿は、一回の投稿に、字数制限があるため、いくつかに分けてした。

++++++++++++++++

【HH1】

●強者の論理だけで、ものを考えてはいけない。たまたま今の日本人が、腹いっぱい食べ
られるからといって、それをおごってはいけない。K国の人たちが、今、食糧不足で苦し
んでいるのも、同じ(たまたま)そうなっただけ。●もちろんその責任のほとんどは、金
独裁者にある。しかし忘れてならないのは、金独裁者がいるから、今のK国があるのでは
ない。金独裁者を支える人たちがいるから、金独裁者がいる。

【HH2】

●日本の国内にも、在日朝鮮人の人たちがたくさんいるはず。そういう人たちの中には、
今回の一連の拉致事件で、心を痛めている人もいるはず。●さらに、親戚、縁者を、K国
にもっている人も多いはず。そういう人たちの苦しみや悲しみを、日本人の私たちは、も
っと理解してやらなければならない。またそうすることによって、私たち日本人は、彼ら
より一歩、上に出ることができる。

【HH3】

●先のサッカー。アジアカップ杯のことを思い出してみようではないか(04年夏)。決勝
戦は、北京で、日本対中国の間で行われた。あのとき、中国側サポーターたちは、日本側
サポーターに向って、「殺せ!」「殺せ!」と、ビンやものを投げた。●しかし日本人側サ
ポーターたちは、「日中友好」と書いた、日章旗をあげて見せた。そういう行為そのものが、
まさに、日本人の精神が、彼らの精神を超えたことを意味する。

【HH4】 

●もっと世界の人の良心を信じよう。世界の人たちは、リアルタイムで世界の動きを見て
いる。●今回、あのG8サミットには、中国は招待されなかった。中国各地で起きた、反
日暴動を見て、世界の要人たちは、「中国は異質の国」と判断したからだ。●日本人は、そ
ういう世界の人の善意を信じて、もっと、賢く、冷静になろう。

【HH5】

●日本は、決して孤立していない。韓国はだめだから……、K国はだめだから……と、感
情的に考えるのではなく、もっと大きく、目を外に向けよう。韓国がだめでも、インドが
ある。ブラジルがある。これらの国々は、日本に友好的である。●すでに中国からは、約
3分の1の日系企業が撤退、もしくは撤退の過程にある。政治はともかくも、毎日、1万
人もの人たちが、日本と韓国の間を行き来している。大切なことは、仲良くすることであ
って、敵対することではない。ここは、冷静に。私たちも、韓国の人たちの良心を信じよ
うではないか。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●言論の自由

+++++++++++++++

このところ、私のHPはマガジンに
対して、励ましや、感謝のメールが
急速にふえてきた。

子育てについての相談も、多い。

うれしいことだ。

が、その一方で、ときどき、
抗議や、中傷的なメールも届く。

しかたのないこと。

しかし気に入らなければ、読まなければ
いいと、私は率直に思うのだが……。

まあ、この世界、いろいろある。

しかしこれこそが、言論であり、
こうして自由にものを言いあうのが、
言論の自由というもの。

++++++++++++++++

 ものを書くとき、一番、警戒しなければならないことは、(あくまでも、私のばあいだが
……)、自己愛的傾向である。

 わかりやすく言えば、自己中心性。

 私も含めて、それぞれの人は、まず(自分)を書く。それは当然のことである。が、こ
こで最初に注意しなければならないのは、独断と偏見。しかし実際には、それと戦うのは
むずかしい。

 どうやって、自分の独断を知るか?

 どうやって、自分の偏見を知るか?

 正しいと思って書いていても、あとでまちがっていたと気づくことは多い。勉強不足、
情報不足は、「限界」として、いつも、そこにある。つまりものごとを知り尽くしてから書
くということは、本来、ありえない。

 で、あるところで、見切り発車的に、ものを書く。が、そのとき、独断と偏見が、そこ
に入りこむ。

 そこで大切なことは、そうした自分の意見に対して、批評、批判を寄せてくれる人に対
して謙虚になること。辛らつなことを言ってくる人もいるが、そういう人の意見が、自分
の独断や偏見を、軌道修正してくれることもある。

 「なるほど、そういう意見もあるのか」と。

 心理学的には、自己愛者ほど、他人の批評、批判を許さないという。自分の中の完ぺき
性が、そうさせるらしい。その完ぺき性が、自己愛者の一つの特徴にも、なっている。

 「自分は正しい」と思うのは、その人の勝手だが、その返す刀で、「あなたはまちがって
いる」と、断言する。私にも、多分に、その自己愛者的なところがある。だから今は、も
う、いちいち反論しない。「私は、私」「あなたは、あなた」と考えるようにしている。つ
まりそういう形で、自分の中の自己愛的な部分と戦う。

 それに……。もう、いちいち、特定のだれかを相手にしている時間も、ヒマもない。私
は私で、自分の道を進むしかない。もう少し若ければ、少し寄り道をしてでも、その相手
と議論もしただろうが、正直言って、それも疲れた。

 ……ということで、ひょっとしたら、私の独断と偏見は、ますます強くなっているかも
しれない。だから、ときどき、ワイフにこう聞く。

 「ぼくの書いていること、偏向(へんこう)していないか?」「常識的か?」と。

 するとワイフは、わかっているのか、わかっていないのかは知らないが、「あなたはあな
たで、いいんじゃなア〜イ」と言う。

 ちなみに、今年(05年)に入ってから、私のHPへの訪問者は、2万1000人(F
C2カウント数、1月〜7月期)。マガジンの読者数は、現在計、1850人。R天日記の
訪問者は、毎日、200人前後になっている。

 全体的にみれば、まだ小規模なHPであり、マガジンだが、月ごとに読者数がふえてい
るのは、心強い。読者のみなさん、これからもよろしくお願いします。

 あなたのお知りあいの方で、マガジン(無料)に興味をもってくださいそうな人がいら
っしゃれば、くれぐれも、よろしくお伝えください。

 言論の自由、バンザーイ!


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●6か国協議

 北京で行われている6か国協議は、2週目に入った。

 全体の印象としては、中国と韓国のしくんだワナに、アメリカがはまったという感じ。
結局はK国の思惑どおりの、米朝交渉が主体になってしまった。

 中国と韓国は、そのウラで、K国に、さかんにこう説得しているにちがいない。

 「日本から、莫大な戦後補償金を、いっしょにとってやるから、ここは少し、がまんし
ろ」と。

 私は決して、憶測でものを言っているのではない。すでに中国は、過去において何度も、
その補償額を、日本に打診してきている。アメリカ議会の推定によれば、50〜100億
ドルと言われているが、とても、そんな額ではすまない。

 03年の12月に、K国が中国を通して打診してきた戦後補償額が、何と、400億ド
ル! 日本円にして、約4兆1000億円! もうメチャメチャな数字といってよい。

 このお金を使って、K国は、何をするつもりなのだろうか。どこから、何を買うつもり
なのだろうか。

 それはさておき、日本としては、そのあたりまで読みながら、6か国協議を進める必要
がある。核問題、拉致問題、ミサイル問題だけが、問題ではない。もっとはっきり言えば、
つまり日本の国益を最優先に考えるなら、6か国協議など、まったく意味がない。だいた
いにおいて、古今東西、この種の軍縮会議が、(すでに軍縮会議の様相をおび始めているが
……)、うまくいったためしがない。

 まさにキツネとタヌキの化かしあい。日本だって、戦前、さんざん、してきたではない
か。

 今の金xx独裁政権に、400億ドルものお金を渡せば、どうなるか? そんなことは、
少し頭を冷やして考えれば、だれにでも、わかること。それで韓国やK国の対日感情が、
好転するなどということは、ありえない。

 日本が今、すべきことは、人権問題を旗印にあげながら、K国の核問題は、国連の安保
理に付託すること。中国や韓国は、それをいやがっているが、それこそがまさに正攻法。
その上で、金xx政権を、自然崩壊に追いこむ。

 これから先、6か国協議は、どう進むか。私は、三つのシナリオが考えられる。

(1)中国主導で、きわめて簡単な共同声明が発表されて、おしまい。
(2)アメリカが、先に、席を蹴って立つ。
(3)K国が、先に、席を蹴って立つ。

 (3)番目のシナリオは、ほとんど、ありえない。もしそんなことをK国がすれば、K
国の核問題は、そのまま国連の安保理に付託されてしまう。中国も、K国制裁の決議案に
拒否権を発動できなくなってしまう。K国は、それをよく知っている。

 (2)番目のシナリオは、ないとは言えない。しかしそのときは、米韓関係は、崩壊し、
米中関係は、緊張状態に置かれる。アメリカは、日本などと協調して、K国の核問題を、
国連の安保理に付託する。中国が拒否権を使っても、無視して、対K国の経済制裁に走る。

 (1)番目のシナリオで、ことが運べば、結局は、再び、K国に、時間稼ぎの口実を与
えることになる。「つぎの6か国協議は、06年に1月に……」とかなんとか。つまり何も
問題が解決しないまま、K国は、各国から援助だけは受け取る。その公算が強い。仮にそ
のあと日朝交渉ということになっても、K国は、日本に対して、言いたい放題のことを言
ってくるだろう。今回の6か国協議で、K国は、一応、アメリカの動きを封じこめること
ができる。アメリカはアメリカで、「戦後補償問題は、日朝間の問題。アメリカには関係な
い」と逃げてしまう。

 日本としては、2つの選択がある。

 一つは、金xx独裁政権を、自然崩壊に導くという方法。

 もう一つは、莫大な戦後補償金を支払いつつ、これから10〜20年にわたって、中国、
韓国、K国の動向にビクビクしながら、生きていく。

 ある程度の危険(戦争)を覚悟するというのなら、先の選択ということになる。しかし
どこまでも、平和主義を貫くというのなら、あとの選択ということになる。ただし一言。
中国軍部の中では、つぎのような動きが出てきたということも忘れてはならない。

 「アメリカとの核戦争も辞さない」と。

経済発展の中で、どちらかというと影が薄くなり始めた軍部の、いわば勢力誇示とも考
えられなくはない。しかしそういう動きがあることも忘れてはならない。
(05年8月2日記)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●脳梗塞(のうこうそく)

 私の知人に、こんな人がいた。

その人は、毎朝、白いご飯の上に、生卵を2個かけて、食べていた。そのせいかどうか
は知らないが、(それも原因の一つだと思うが)、その話を聞いてからしばらくしてから
のこと。通りで会うと、その人は、車イスに乗っていた。奥さんが、うしろから押して
いた。あとで別の人に聞いたところ、脳梗塞で、ほぼ全身が、マヒしてしまったという。

 あまりにも痛々しい姿だったので、ただ、ぼう然とするばかり。私は、その場では、声
をかけることができなかった。

 言い忘れたが、その知人は、そのとき、60歳くらい? 会社を退職した直後にそうな
ったという。

 もう1人の知人は、たしか40歳になる前に、脳梗塞で倒れた。その知人のばあいは、
心臓に何かの欠陥があって、そこでできたカス(血栓)のようなものが、脳の血管をふさ
いで、そうなってしまったそうだ。しかしそのときは、「そんな若い人でも、脳梗塞になる
のか?」と、私は驚いた。

 健康というのは、そういうものか。つまり、健康であるときは、健康の意味すらわから
ない。健康であることが、当たり前。自分の体をながめながら、「動かなくなる」というこ
とのほうが、想像できない。

 そこでこんなふうに考えてみる。

 今、私は、髪の毛を自分の意思で動かすことができない。髪の毛を、右に動かしたり、
左に動かしたりすることができない。恐らく、脳梗塞を起こし、運動障害が残った人の状
態というのは、そういうような状態をいうのだろう。

 ただ脳梗塞といっても、梗塞を起こした部分によって、症状は千差万別。運動能力だけ
がマヒするわけではない。時計が読めなくなる、方向がわからなくなる、言葉が話せなく
なるなど、いろいろある。中には、人格そのものが、おかしくなる人もいるそうだ。もち
ろん、思考能力そのものが、大きな影響を受けることもある。

 ……では、なぜ、今、ここで、脳梗塞なのか?

 実は、私はこのところ、ときどき体の不調を感ずることがある。今朝も、そうだった。
パソコンのキーボードをたたき始めたときのこと。右手の動きが、どこか、にぶい。しび
れたような感じもあった。

 居間におりていって、ワイフにしばらくマッサージをしてもらったら、かなり楽になっ
た。それをワイフに話すと、「脳梗塞の初期症状かもしれない……」と、恐ろしいことを言
った。

 それで、脳梗塞の話になった。

私「おととい、カニとエビを食べただろ。あれで脳の血管がつまったのかもしれない」
ワ「ああいうものは、コレステロールが多いから、もう食べないほうがいいのかもね」
私「そうだね」と。

 脳梗塞の予防法というのは、あるのだろうか。あるとすれば、どんなことに気をつけれ
ばよいのだろうか。とりあえず、食事に気をつける。水分を多くとり、血液をサラサラに
する、など。血液中のコレステロール値に気をつけることは、言うまでもない。

 素人の私が考えた方法なので、正しくないかもしれない。そこでインターネットを使っ
て、あちこちのサイトを調べてみた。

●脳梗塞予防法

 脳梗塞や心筋梗塞のように、血管がつまって引き起こされる病気を、「血栓症」というそ
うだ。(ナルホド、そのほうがわかりやすい!)

 で、脳梗塞の初期症状というよりは、軽症のばあいには、つぎのような症状があるとい
う(「ナットウキンネット」から引用)。

ろれつが回らない
言葉がしゃべれない
半身がしびれる
半身に力が入らない
フラフラしてまっすぐ歩けない
ものが見にくい

 同じサイトによると、数ミリ単位の脳梗塞ということになると、

   40代で、4人に1人
   50代で、3人に1人
   60代で、2人に1人
   70代で、ほぼ全員に、発生するという。

 原因としては、

   高血圧
   コレステロール
   アルコール
   タバコ
   肥満
   糖尿病
   ストレスが、あるという。

 さらにたとえば、けがなどで、血管を傷つけたりすると、その血管を修復しようと、血
小板が凝固する。その凝固した血小板(フィブリン)が、血栓となって、血栓症を引き起
こすこともあるという。

 若いころは、その血栓は、血液の中で溶けてしまうのだが、年齢が高くなると、その力
が弱くなるという。ストレスが多い生活をしている人ほど、危険度も高いという。高血圧
やコレステロール値に気をつけなければならないこともさることながら、ストレスにも、
注意。

 初期症状については、「ナットウキンネット」のほうにのっているので、興味のある方は、
そちらで読んでみたらよい。私が感じた、手のしびれも、その症状の一つになっていた。(ゾ
ーッ!)

 まあ、とりあえずの対策として、心配なのは、肥満とストレス。(私は低血圧症、酒は飲
めないし、タバコは吸わない。糖尿病とは無縁。コレステロール値は、この春の検診では、
問題なかった。)

 しかし油断大敵。そこでこの夏の健康法。心配なのは、生活がだらしなくなる、夏休み。
約10日、ある。

【夏休みの間の健康法】

(1)毎日、最低でも、1時間は、自転車に乗って、汗をかく。
(2)近くの店へ買い物に行くときは、かならず、歩く。
(3)食べ物に注意する。
(4)クーラーにはあたらない。寝るときも、扇風機だけ。
(5)体重に気をつける。

 改めて、自分に、そう言って聞かせる。

 みなさんも、どうか、健康には、くれぐれも、ご注意! 年をとったら、血管を傷つけ
るようなケガも、血栓を作る原因となるそうです。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 5日(No.619)
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★★★HTML版★★★(少しだけ、マガジンを読みやすくしました)

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+++++++++++++++++++++++++++++++++UPTO525

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●スチューデント・アパシー

 無気力、無表情、無感動の状態を総称して、「アパシー」という。そのアパシーが、若者
を中心に、部分的に現れることがある。とくに、男子学生に多い。それを、「スチューデン
ト・アパシー」(ウォルターズ)という。

 このスチューデント・アパシーが、燃えつき症候群や、荷おろし症候群とちがう点は、
ここにも書いたように、学業なら学業だけというように、アパシーになる部分が、かぎら
れているという点。学業面では、無気力でも、アルバイトや、交友、遊びは、人一倍、活
発にする。

 が、大学の講義室に入ったとたん、別人のように、無気力状態になる。反応もなく、た
だぼんやりとしているだけ。眠ってしまうこともある。

 こうした症状も、(本人がやりたいこと)と、(現実にしていること)のギャップが、大
きいことが原因でそうなると考えると、わかりやすい。「大学へは入ってみたが……」とい
う状態である。とくに、目標もなく、ただ点数をあげるためだけの受験勉強をしてきたよ
うな子どもに、多く見られる。

 このタイプの学生は、まず本人自身が、何をしたいかを正確に知らなければならない。
しかしたいていのケースでは、それを知るという気力そのものすら、消えていることが多
い。

 「本当は、何をしたいのか?」
 「わからない」
 「でも、何か、やりたいことがあるだろ?」
 「ない……」
 「でも、今のままでいいとは、思わないだろ?」
 「……」と。

 こうした症状は、早い子どもで、小学校の高学年児でも、見られるようになる。概して
言えば、従順で、まじめな子どもほど、そうなりやすい。遊ぶときは活発なのだが、教室
へ入り、机に向かってすわったとたん、無気力になってしまう。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、それに気づき、子どもの心を取
りもどす。よく誤解されるが、「いい高校に入りなさい」「いい大学に入りなさい」という
のは、子どもにとっては、(したいこと)ではない。一見、子どものためを思った言葉に聞
こえるかもしれないが、その実、子どもの心を破壊している。「入学したら、どうなの?」
という部分がないまま、子どもを、追いたててはいけない。

 で、今、目的の高校や大学へ入ったとたん、燃え尽きてしまったりして、無気力になる
子どもは、本当に多い。市内の有数の進学高校でも、5〜10%が、そうでないかと言わ
れている(教師談)。大学生となると、もっと多い。
(はやし浩司 無気力 無気力症状 ステューデント アパシー スチューデント アパ
シー 無気力症候群)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【常識の敵】

●幻想、幻惑、誤解、無知

 人の常識を狂わすものに、4つある。

 幻想、幻惑、誤解、無知。

(1)幻想

 幻想は、あらゆるものに、ついて回る。夢や希望も、基本的には、幻想と考えてよい。
さらにその幻想がふくらんだものが、妄想ということになる。

 夢や希望があるから、人は生きられる。目的も、そこから生まれる。だから大きな夢や
希望をもつことは、悪いことではない。大切なことは、どこまでが現実であり、どこから
先が、幻想であるか、その一線をしっかりと心の中に引くことである。

 たとえば私は、今、UFOに関する本を、何冊か買ってきて読んでいる。しかしだから
といって、どこかのUFO教団のように集会に参加してみたいとか、あるいは交霊会よろ
しく、UFOとのコンタクトを試みる会に、参加してみたいとは思わない。

 「ホホー」と楽しむのは、そのときだけ。本を閉じたとたん、UFOのことは忘れる。

(2)幻惑

 人間が勝手につくりあげた「関係」や「組織」の中で、精神的にしばられるということ
は、よくある。私がよく取りあげる、『ダカラ論』も、その一つ。

 「親だから……」「家族だから……」「兄だから……」と。

 その相手との関係が良好であれば、『ダカラ論』も、うまく働く。幻惑といっても、たい
ていのばあい、よりよき人間関係をつくる基盤となって働く。しかし、ひとたびその関係
にヒビが入ると、今度は、その人を苦しめる原因となってしまう。

 幻惑は、いわば両刃の剣ということになる。

 この幻惑が強く働くようになると、よいばあいも、悪いばあいも、常識の基準がわから
なくなる。

 「お前は長男だから、家のあとを継げ」と言われたとする。それを言う方にとっては、
常識かもしれないが、言われたほうにとっては、それが足かせになることもある。そして
無理に家を飛び出したりすると、自由を得るのと引きかえに、今度は、その幻惑に苦しむ
ことになる。

 ある地方では、そうして家を飛び出した人を、「親捨て」と呼ぶ。そうでない地方の人に
は、ただの言葉かもしれないが、その地方では、そうでない。一度、「親捨て」のレッテル
を張られると、親戚、兄弟はもとより、近所の人たちからも、白い目で見られるようにな
るという。

(3)誤解

 あらゆる事実には、誤解が、ある。まず、そう疑ってかかってみてよい。この世の中に
は、誤解のないものはない。知り尽くしたと思っても、その前には、まだ先がある。自分
の歩いてきた道を振りかえってみても、そこは穴ぼこだらけ。その空白部分から生まれる
のが、誤解ということになる。

 誤解から解放されるためには、どうすればよいのか。先日も、ある講演先からの帰り道、
ふと、ワイフに、こう言った。

 「このところ、講演をしていても、以前のように自信たっぷりに、ものを話せなくなっ
てしまった」と。

 ワイフは、「年のせいよ」「元気がなくなってきたせいよ」とか言って、なぐさめてくれ
る。

 しかし本当のところは、自信がなくなってきた。たとえば5年前、10年前に話したこ
とを思い浮かべてみると、こんなふうに、思う。「よくまあ、あんなまちがいだらけのこと
を、堂々としゃべったものだ!」と。

 そんなわけで、講演となると、どうしても、最大公約数的な部分だけを、遠慮がちに話
すということになってしまう。最近の私は、とくにそうだ。誤解のもつ恐ろしさというか、
それを人に伝えることの恐ろしさというか、それがわかるようになった。

(4)無知

 無知は、それ自体が、罪悪である。無知であることを、居直ってはいけない。無知であ
ることに、無関心であってはいけない。

 無知であることを、もっと、人は、謙虚に恥じなければならない。それだけではない。
無知は、さらに大きな害毒を産む。

 が、その無知の中でも、一番警戒しなければならないのが、自分への無知。この(自分)
というのは、その自分を知れば知るほど、ますます、その自分がわからなくなる。よく「私
のことは、私が一番よく知っています」と言う人がいる。

 しかしそう言う人にかぎって、実は、自分のことが何もわかっていない。私はこのこと
を、子どもの世界を通して、知った。

 ある母親が、あるとき、こう言った。「うちの息子のことは、私が一番、よく知っていま
す」と。

 しかしその母親は、何も、わかっていなかった。その子どもの心が、母親が原因で、病
み始めていることすえら、気づいていなかった。そこでやんわりと、それとなくそれを指
摘すると、その母親は、こう言った。

 「この子は、生まれつき、ああです」と。

 生まれつきそうなのだから、私の責任ではないと言いたかったのか。その母親は、「機質
的な問題」という言葉も使った。

 そこで「無知の知」という言葉が生まれた。「無知であることを知る」という意味である。
ソクラテス自身が述べた言葉という説もあるし、ソクラテスにまつわる話という説もある。
どちらにせよ、「私は何も知らないということを知ること」を、無知の知という。

 ソクラテスは、「まず自分が何も知らない」ということを自覚することが、知ることの出
発点だと言った。

 実際、そのとおりで、ものごとというのは、知れば知るほど、その先に、さらに大きな
未知の分野があることを知る。あるいは新しいことを知ったりすると、「どうして今まで、
こんなことも知らなかったのだろう」と、自分がいやになることもある。

 話が繰りかえしになってきたので、この話はここまでにしておく。要するに、無知であ
ることを居直ってはいけない。無知は、それ自体、罪悪である。
(はやし浩司 常識の敵 無知の知 幻想 幻惑 誤解 無知)

+++++++++++++++++

無知の知について書いた原稿があります
ので、ここに、掲載します。
文章が、少し(荒い)ですが、どうか
お許しください。

+++++++++++++++++

●生きることの意味

 生きることの意味について、考えた。

 その意味は、いくつかある。それらを分類すると、こうなる。

(1)人との触れあい
(2)自然とのかかわり
(3)未来への展望性

(1)の「人との触れあい」というときの「人」には、家族、兄弟、親類、友人、社会人、
その他、もろもろのすべての人が含まれる。

 こうした人たちと、心豊かな関係を結ぶ。それが第一。

 つぎに(2)「自然とのかかわり」。この世に生きるということは、すなわち、この世と
のかかわりをいう。五感で感ずる世界、すべてをいう。「自然」という言葉を私は使ったが、
その世界というのは、私たちの体や心を包む、すべての世界をいう。

 三つ目に、(3)「未来への展望性」。私たちがなぜ生きるかといえば、私たちの経験や知
識を、つぎの時代の人たちのために、生かすことである。子育ては、その中でも、もっと
も身近な、一つの例ということになる。が、それだけでは、足りない。

 今の「私」や、「あなた」が、なぜ心豊かに生きることができるかといえば、それはすな
わち、先人たちが、その経験や知識を私たちに、残してくれたからである。

「先人」といっても、100年前、1000年前の人たちをいうが、つまり、今度は、
私たちが、それをつぎの世代のために残す。そうすることによって、つぎの世代が、さ
らに心豊かな人生を送ることができる。

 私たちは、数十万年という、まさに気が遠くなるほどの年月を経て、ここまで進化した。
しかしその進化は、ここで完成されたわけではない。言うなれば、まだその途中。あるい
はやっと、大きな山のふもとにたどりついたような状態かもしれない。

 しかし不完全で、未熟であることを、恥じることはない。大切なことは、不完全で、未
熟であることを、自ら認めることである。決して、傲慢(ごうまん)になってはいけない。
おごり高ぶってはいけない。

 私たちは、不完全で、未熟なのだ! それをすなおに認め、謙虚に反省する。そしてそ
の上で、自分のあるべき姿を、組みたてる。

 これからも人間は、うまくいけば、このあとも、何千年、何万年と生きていかれる。決
して今を、最高と思ってはいけない。頂点と思ってもいけない。さらに人間は、前へ前へ
と進む。

 しかし、この地球には、実にオメデタイ人がたくさんいる。

 まるで自分が、神や仏にでもなったかのように、ふるまう人たちである。しかしそんな
ことは、ありえない。1000年後でも、1万年後でも、ありえない。ありえないことは、
人間というより、地球、地球というより、宇宙の歴史をみればわかる。あるいは、この宇
宙の広大さをみれば、わかる。

 ……と考えていくと、生きる意味の中で、もっとも大切なのは、この三番目の「未来へ
の展望性」ということになる。

 もし私やあなたが、私だけの人生を生き、あなただけの人生を生きたとしたら、それは
ほとんど意味がない。ないことは、そういう生き方をした人をみれば、わかるはず。そう
いう生き方をして、死んだ人をみれば、わかるはず。彼らはいったい、何を残したか?

 つまりその「残す」部分に、生きる意味がある。

 悲しいかな、もっとはっきり言えば、私たちは、たとえていうなら、リレー競技で使う、
バトンに過ぎない。過去の人たちから受け取り、そしてそれを、つぎの世代の人たちに渡
していく。それ以上の意味はないし、またそれができれば、まさに御(おん)の字。じゅ
うぶん。たくさん。いや、それを超えて、私たちは、いったい、何を望むのか。何を望む
ことができるのか。

 そこで私たちが、今、すべきことは、先人たちの経験や知識に、謙虚に耳を傾け、より
よい人間関係をつくり、よりよい環境を、身のまわりにつくることである。

 もっとも、これは100年単位、1000年単位の話である。30年とか60年とかい
う、一世代、二世代単位の話ではない。身のまわりの、ささいな変化にだまされてはいけ
ない。私たちが考えるべきことは、「100年前の日本人より、より心豊かな生活ができる
ようになったか」ということ。「1000年前の人間より、より心豊かな生活ができるよう
になったか」ということ。そういう視点で、ものを考える。

 若い人は、その年齢に達すると、いきおい、「生きる意味」を求める。私もそうだった。
多分、あなたもそうだったかもしれない。「なぜ、私は、ここにいるのか」「なぜ、私は、
生きているのか」と。

 しかしその答は、永遠に人間は、知ることはないだろう。が、もし、視点を変えて、「私
はバトンだ」と思えば、その答は、何のことはない、すぐ私やあなたのそばにあることを
知る。

 私やあなたは、今、ここにこうして生きている。少なくとも、この文章を読んでいる、
あなたは、ここにこうして生きている。もし生きる意味があるとするなら、今を懸命に生
きて、そしてそれから得られた知識や経験を、ほんの少しでもよいから、つぎの世代に伝
えることである。

 いつか、その時期はわからないが、いつか、人間が、すべて神や仏のようになる日が、
やってくる。必ず、やってくる。1万年後か、10万年後か、それはわからない。しかし
その日をめざして、私たちは、とにかく前に向って進む。進むしかない。それが「生きる
意味」ということになる。

 このつづきは、もう少し、時期をおいてから考えてみたい。
(はやし浩司 生きる意味 意義 生きる目的)


●三つの自己中心性

 自己中心性は、それ自体が、精神の未発達を意味する。(精神の完成度は、他人への同調
性、他人との協調性、他人との調和性で知ることができる。自己中心性は、その反対側に
位置する。)

 つまり自己中心的であればあるほど、その人の精神の完成度は、低いとみる。

 これについては、もう何度も書いてきたので、ここでは、その先を書く。

 この自己中心性は、(1)個人としての自己中心性、(2)民族としての自己中心性、(3)
人間としての自己中心性の三つに、分かれる。

 たとえば、「私が一番、すぐれている。他人は、みな、劣っている」と思うのは、(1)
の個人としての自己中心性をいう。つぎに「大和民族は、一番、すぐれている。他の民族
は、みな、劣っている」と思うのは、(2)の民族としての自己中心性をいう。そして「人
間が宇宙の中心にいる、唯一の知的生物である」と思うのは、(3)の人間としての、自己
中心性をいう。

 この中でも、一番、わかりやすいのは、(3)の人間としての、自己中心性である。

 しかし人間は、宇宙の中の、ゴミのような星に、かろうじてへばりついて生きている、
つまりは、(カビ)のような生物にすぎない。だれだったか、少し前、(地球に張りつく、
がん細胞のようなもの)と表現した人もいる。

 (だからといって、人間がつまらない生物だと言っているのではない。誤解のないよう
に!)

 たとえば、今、私たちの視点を、宇宙へ置いてみよう。すると、ものの見方が、一変す
る。

 この広大な宇宙には、無数の銀河系がある。そしてそれぞれの銀河系には、これまた無
数の星がある。その数は、浜松市の南にある、中田島砂丘にある、砂粒の数より多いとい
われている。(実際には、その数は、わからない?)

 太陽という星は、その中の一つにすぎない。

 で、私たちが住む、この地球は、その太陽という星の、これまたチリのような惑星に過
ぎない。

 これが現実である。疑いようもない、現実である。

 こういう現実を前にして、「人間が宇宙の中心にいる、唯一の知的生物である」と言うの
は、実にバカげている。

 で、こういう視点で、こんどは、民族としての自己中心性を考えてみる。……と、考え
るまでもなく、民族としての自己中心性は、実にバカげているのが、わかる。こんな小さ
な地球上で、大和民族だの、韓民族だの、さらには、白人だの黒人だのと言っているほう
が、おかしい。

 さらに、個人の自己中心性となると、バカげていて、話にならない。

 そこで話をもとにもどす。

 宇宙的視点から見ると、細菌とアメーバの知的レベルが、私たち人間には、同じに見え
るように、人間とサルの間には、知的レベルの差は、まったくない。人間は、「自分たちは
サルとは違う」と思っているかもしれないが、まさにそれこそ、人間が、人間としてもっ
ている自己中心性にすぎない。

 人間としての完成度は、人間が、他の動物たちと、どの程度までの同調性、協調性、調
和性をもっているかで決まる。

たとえば森に一本の道を通すときでも、どの程度まで、そこに住む、ほかの動物たちの
立場でものを考えることができるかで、その完成度が決まる。「ほかの動物たちのことは、
知ったことか!」では、人間としての完成度は、きわめて低いということになる。

 さらに話を一歩進めると、こうなる。

 私たち人間は、バカである。アホである。どうしようもないほど、未熟で、未完成であ
る。「万物の霊長類」などというのは、とんでもない、うぬぼれ。その実体は、まさに畜生。
ケダモノ。

 そういう視点で、私たちが自らを、謙虚な目で、見なおしてみる。たとえば人間として
の、欠陥、欠点、弱点、盲点、そして問題点を、洗いなおしてみる。少なくとも、私たち
人間は、(完成された動物)ではない。そういう視点で、自分を見つめてみる。

 つまりは、それこそが、人間としての自己中心性を打破するための、第一歩ということ
になる。

【追記】

 『無知の知』という言葉がある。ソクラテス自身が述べた言葉という説もあるし、ソク
ラテスにまつわる話という説もある。どちらにせよ、「私は何も知らないということを知る
こと」を、無知の知という。

 ソクラテスは、「まず自分が何も知らない」ということを自覚することが、知ることの出
発点だと言った。

 実際、そのとおりで、ものごとというのは、知れば知るほど、その先に、さらに大きな
未知の分野があることを知る。あるいは新しいことを知ったりすると、「どうして今まで、
こんなことも知らなかったのだろう」と、自分がいやになることもある。

 少し前だが、こんなことがあった。

 子ども(年長児)たちの前で、カレンダーを見せながら、「これは、カーレンジャーとい
います」と教えたら、子どもたちが、こう言って、騒いだ。「先生、それはカーレンジャー
ではなく、カレンダーだよ」と。

 で、私は、「君たちは、子どものクセに、カーレンダーも知らないのか。テレビを見てい
るんだろ?」と言うと、一人の子どもが、さらにこう言った。「先生は、先生のくせに、カ
レンダーも知らないのオ?」と。

 私は、ま顔だったが、冗談のつもりだった。しかし子どもたちは、真剣だった。その真
剣さの中に、私はソクラテスが言ったところの、「無知」を感じた。

 しかしこうした「無知」は、何も、子どもの世界だけの話ではない。私たちおとなだっ
て、無数の「無知」に囲まれている。ただ、それに気づかないでいるだけである。そして
その状態は、庭に遊ぶ犬と変らない。

 そう、私たち人間は、「人間である」という幻想に、あまりにも、溺れすぎているのでは
ないか。利口で賢く、すぐれた生物である、と。

 しかし実際には、人間は、日光の山々に群れる、あのサルたちと、それほど、ちがわな
い? 「ちがう」と思っているのは、実は、人間たちだけで、多分、サルたちは、ちがわ
ないと思っている。

 同じように人間も、仮に自分たちより、さらにすぐれた人間なり、知的生物に会ったと
しても、自分とは、それほど、ちがわないと思うだろう。自分が無知であることにすら、
気づいていないからである。

 何とも話がこみいってきたが、要するに、「私は愚かだ」という視点から、ものを見れば
よいということ。いつも自分は、「バカだ」「アホだ」と思えばよいということ。それが、
結局は、自分を知ることの第一歩ということになる。
(はやし浩司 ソクラテス 無知の知)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】

●おかしな、おかしな世界

 昼食をとりながら、ワイフと、テレビのワイドショーを見る。その中で、「Z」という、
ある団体が紹介されていた。一見すると、カルトのようだが、宗教団体ではない。宝石の
販売を目的とする、株式会社だ、そうだ。

 その会を主宰する男性は、自らを、「ナポレオン」と呼んでいた。で、彼がその会を主催
する目的は、日本に軍国主義を復活させ、世界を再構築するためだという(05年8月1
日)。番組の中では、100人近い男女が、剣を振り回して、何やら踊りのようなことをし
ていた。

 それぞれの人は、それぞれの主義、主張をもつ。それは自由だし、その人がどんな主義、
主張をもったところで、私は驚かない。

 が、私が驚いたのは、そういう団体であっても、何百人という会員がいて、すでにそれ
なりの活動を始めているということ。主宰する男性は、剣を振りまわしながら、「私たちの
目的は、中国を抹殺することだ」というようなことを言っていた。(テレビからの見聞きな
ので、内容は正確ではない。)

 それについて、レポーターが、「そんなことをすれば、戦争になりますよ」と言うと、そ
の男性は、「当然だ」と。

 これ以上のコメントは、私にはできないが、どうして今、ナポレオンなのか、私には、
理解できなかった。その番組によれば、そういう儀式(?)を通して、宝石を販売するの
が、会の目的らしい。より高額の宝石を買えば買うほど、その会でのステータス(地位)
があがるという。が、その一方で、すでに被害者の会も、発足しているという。

 あまりにも、その会が現実離れしていたので、私は、思わず笑ってしまった(失礼!)。
もう少し若ければ、私も、本気になってその会について調べる気も起きただろう。が、こ
の話は、笑って、おしまい。

私「それにしても、ナポレオンねえエ〜」
ワイフ「ナポレオン?」と。

 しかし今、どうしてナポレオンなのだろう。ただただ、?????。


●談合

 ある知人(58歳)が、こんな話をしてくれた。

 彼は、ある大都市の市役所で、部長クラスの仕事をしている。こう言った。

 「林さん、談合というと、みな、だれしも、悪(あく)と考えるでしょう。しかし悪い
面ばかりではないのです。

 業者どうしに過当競争させると、かえって弊害も生まれるのです。過当競争させれば、
その分だけ、工事の質も、落ちます。だから仕事を均等に回して、業者を守る。談合には、
そういう利点もあるのです」と。

 そしてその知人は、こんなことも話してくれた。

 「談合はさておき、接待の問題もあります。よく中央から官僚が、やってきますよね。
しかし3、4日、かかっても片づかなかった仕事でも、一晩、いっしょに飲み歩くと、そ
れで片づくということも、よくあるのです。

 3、4日も費やすと、経費も、バカになりません。その経費のことを考えると、一晩、
どこかで接待したほうが、安くあがるのです。酒でも飲んで、パアッとお金を使う。それ
で仕事が片づく。つまりその分だけ、税金を、節約できるというわけです」と。

 彼だけの話を聞いていると、「そういうものかなあ」と思う。そして思わず、「談合も接
待も、頭から否定してはいけないのかな?」と思ってしまう。

 しかし、やはり、おかしい。その知人の言っていることは、おかしい。つまり、その知
人の言っている話の中には、どこにも、一般庶民の視点がない。まったく、ない。

 たしかに以前から、過当競争の弊害は、指摘されている。入札制度を、厳格に実施する
と……、つまり厳格に実姉しすぎると、役人と業者の間で、贈収賄(ぞうしゅうわい)行
為がふえ、スパイもどきの活動が活発化するというのだ。

 しかしこれについては、談合をきびしく監視している自治体の担当者から、さまざまな
反論が出されている。工事の質が落ちるということについても、0・2%以下(某大学教
授資産)という意見もある。

 実は、私にも、こんな苦い経験がある。

 ある建設会社に、庭の工事を頼んだことがある。庭の周囲を、コンクリートで土留めし
てもらうことにした。で、会社に電話をすると、電話に出た相手が、すぐやってきた。あ
れこれ見積もったあと、「○百○十万円でします」と、その相手は言った。

 私はその場で、仕事を頼んだ。そして工事は、順調に進み、無事、終わった。

 で、その代金を払おうと、その会社の担当者(?)に電話をかけると、担当者は、不在。
かわりに別の女子事務員が電話に出た。「仕事を頼んだ、I町の林というものです。○○さ
んは、おられますか?」と。するとその女子社員は、「おかしいですね、うちではそんな仕
事をしていませんが……」と。

 つまりその仕事を頼んだ相手は、私が頼んだ仕事を、会社を通さず、勝手に、自分のア
ルバイトとしてしまった。自分で仕事を請け負ったことにして、自分の仲間内だけで、工
事をした。で、私がもう少し強引に会社に押しかけたりしていれば、インチキがバレ、そ
の相手は、確実に、クビになったはず。

 しかしこうしたインチキ行為は、どこの建設会社でも、よくあるとのこと。会社に入っ
てきた仕事を、自分の仕事として、請け負ってしまう。とくに、私のように、どこか無知
で、善良に見える(?)庶民ほど、いいカモだそうだ。

 つまり、建設業界そのものが、何かしら、大きな黒い霧に包まれている。それがこの日
本では、常識になっている。「上が上なら、下も下」ということか? 談合というインチキ
を、会社の上部がしていて、どうして下の社員に向って、「誠実に仕事をしろ」といえるだ
ろうか……ということになる。

 もちろん、大半の建設会社は、そうでない。良心的な会社も、多い。しかしそういう会
社ほど、地味で目立たない。が、私たちには、その見きわめがむずかしい。どうしても、
派手な看板や宣伝に、目を奪われてしまう。

 工事そのものは、ていねいにしてもらったので、私としては、文句はないのだが……。
何とも言えない割り切れなさだけが、そのとき残った。
 

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●6か国協議

 7月31日、6か国協議も、共同声明の草案づくりに入った。

 その草案をみるかぎり、日本にとって、よいことは、何もなし。

 得失点を、評価してみると、つぎのようになる。

 中国   得点  +2
 ロシア      ±0
 韓国       +1
 アメリカ     ±0
 日本       −3
 K国       +3

 今回の会議のマイナス部分は、すべて、日本が負うことになる。日本は、今後、ミサイ
ルにおびえながら、莫大な戦後補償金を請求される。日朝会議を開くとしても、その会議
に、助っ人は、もういない。へたをすれば、韓国、中国が、K国の後ろ盾となって、日本
を攻めたててくるかもしれない。どうやら、そういう雲行きになってきた。

 もちろん拉致問題は、うやむやのまま。今ここで、日本がK国に制裁措置をとれば、そ
のままそれは日朝戦争へと、発展するかもしれない。

 ゆいいつの頼みのツナは、アメリカだが、どうやらそのアメリカも、日本を見捨て始め
ている。

 在日米軍の移転問題が起きるたびに、各地で「基地移転、反対!」の大合唱。牛肉の輸
入問題にしても、あれほどライス国務長官が頭をさげたにもかかわらず、「NO!」。背景
には、いろいろ事情は、あるのだろうが、アメリカ人にいわせれば、「どうしてそんな日本
を、守らなければならないのか」ということになる。(だからといって、在日米軍の移転に
賛成しているのでも、BSE問題を軽くみろと言っているのではない。どうか、誤解のな
いように!)

 悲しいかな、今の日本は、四面楚歌。日本の味方になってくれる国は、もう、ない。

 これについて、ワイフは、こう言った。「今まで、日本は、ほかの国々を助けてきたのに、
どうして?」と。

私「あのね、お金(マネー)の力には、限界があるということ」
ワ「そうかもね」
私「お金を貸してあげたとする。そのときは、相手は、感謝するかもしれない。しかしそ
れは一時的。長つづきしない。今度は、相手は、借金返済という重圧に耐えなければなら
ない」
ワ「感謝されるのは、そのときまでね」
私「そうだよ」と。

 重要なことは、日本人が、もっと、弱者の心理を理解すること。たとえば札束で相手の
頬をたたくような行為は、かえって相手の反発を買う。悲しいかな、戦後の日本が一貫し
て、してきた国際政治は、それに似たものだった。

 もちろん、私たちには、その意識がない。しかしこんな例で考えてみたらどうだろうか。

 あなたは今、今、かろうじて生きている。明日の生活費も、ない。家はボロボロ。

 そこであなたは隣の金持ちの家に行く。そしていくらかのお金を貸してほしいと頼む。
が、その家の中をみると、世界の料理が山のようになっている。電気はつけっぱなし。テ
レビを見ると、見るからに低俗そうなお笑いタレントたちが、ギャハハ、ギャハハと、各
地の名物料理に、舌鼓(したつづみ)をうっている。

 隣人のたった1日分の生活費で、自分たちは、1か月を生きられることを知る。が、そ
の隣人が、どこか控えめな様子で、あなたにこう言う。

 「いくら、お貸ししましょうか?」と。

 あなたは頭をさげて、「○○ドルで結構です」と。隣の金持ちは、少しためらった様子を
見せながらも、大きな金庫からそのお金を取りだして、あなたに渡す。あなたは頭をさげ
て、それを受け取る。

 そういうあなたは、それで隣人に感謝するだろうか。「よかった」と喜ぶだろうか。答は、
「NO!」。

 「世界は、強者が作ったルール(論理)で、強者につごうがよいように動いている」(ア
フリカでエイズ問題と戦っている、ある牧師の言葉)。これは動かしがたい事実であって、
どうしようもない。

 それに対してあなたはこう言うだろう。

 「努力した人間が、報われるのは当然ではないか。力のある人間が、豊かな生活をする
のも、当然ではないか」と。

 しかし本当にそうだろうか。本当に、そう言い切って、よいだろうか。この世の中には、
(10)の努力しかしないのに、100ドルも、200ドルも稼ぐ人がいる。一方、同じ
(10)の努力をしているのに、1ドルとか、2ドルしか稼げない人もいる。

 この日本においてですら、年々、不公平感が高まりつつある。

 何もK国の肩をもつわけではないが、つぎつぎと無理難題を吹っかけてくるK国の代表
団の気持ちも、わからないわけではない。国民の3分2が、栄養失調状態にある。かたや
隣の日本は、飽食状態。食べたいだけ食べては、みな、ダイエット。K国の人たちにすれ
ば、この世界は、何と矛盾に満ちたものに見えることか。

 そういう心情を少しは、察してやらねばならない。つまりそういう心情を察することも
なく、「助けてやったのに」と言っても、相手の心には、響かない。

 私も、アメリカへ行ったとき、それを感じた。

 地方の都市だが、郊外へ行くと、それこそ御殿(ごてん)のような家が並んでいるとこ
ろがある。お城のような家と言うべきか。日本にも、立派な家がふえたが、日本の家の比
ではない。

 そういう家々を道路から眺(なが)めながめていると、思わず、ついこう言いそうにな
る。「アメリカよ、日本へ、借金を返せよ!」と。

 ご存知のように、日本は、アメリカの莫大なドルを、外貨として蓄えている。しかしそ
れを自由に使うことすら、できない。わかりやすく言えば、塩漬け。日本は、アメリカの
ドルを買い支えてやっている。そのおかげで、アメリカは、強いドルを維持することがで
きる。私が見た御殿のような家々は、あくまでも、その結果の一部でしかない。

 もし日本が、自分たちで稼いだお金を、自分たちのために使うことができたら、日本人
は、もっと楽な生活ができるはず。……というような矛盾を、だれもが感じている。中国
も、韓国も、そしてK国も。

 今回の6か国協議は、結果だけを見ると、日本にとって、よいことは何もない。完敗と
言ってもよい。本来なら、日本が、イの一番に席を蹴って立ってもおかしくない協議だっ
た。が、それもできない。

 戦後の、あのごまかしにごまかしを重ねながらやってきた、日本外交のツケが、ここに
集約されたともとれる。何とも情けない話しだが、これが今の日本の現状ということにな
る。

 マイナス3というのは、(1)日本の主張が何も通らなかった。(2)負債ばかり、背負
わされるハメになった。(3)ますます仲間はずれが、顕著になった。それでマイナス3!
(05年7月31日現在)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●作られる反日感情

 韓国で、このほど、親日度に関する、アンケート調査がなされた。それによると、日本
に親しみを覚えている人は、28%程度にすぎないという(中日新聞)。

 N政権になってから、韓国の人が感ずる親日度は、急速に、低下している。理由がない
わけではない。

 たとえば、ここ数日の、東亜N報(韓国を代表する新聞)をみても、反日的な表現が、
ズラリと並ぶ。

★身元確認可能な韓半島出身者の遺骨、名古屋市は無断で粉砕

日本の名古屋市が、韓半島出身の徴用犠牲者で、身元の確認が可能な12人の遺骨を含め
て、121人の徴用犠牲者の遺骨を粉砕処理してしまった事実が明らかになった。在日本
大韓民国民団(民団)と、在日本朝鮮人総連合会(総連)は、非人道的なやり方だとして
糾弾している。

★扶桑社の歴史教科書、明日から一般向け販売へ

産経新聞は31日、日本の極右団体「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社版・
中学校課程の歴史・公民教科書が8月2日.より一般向けに販売されることになった。

★日本、無人偵察機導入へ 域内国の軍事動向監視

東京新聞は26日、日本政府が北朝鮮のミサイル基地をはじめ、韓国や中国などの近隣諸
国の軍事動向を監視するため、無人偵察機を取り入れることにしたと報じた。日本の防衛
庁は弾道ミサイル迎撃のためのミサイル防御(MC)体制の一つとして、無人偵察機を取
り入れるという方針を固め、来年度の予算に研究調査費を割り当てることにした。 
無人偵察機の主な任務は、地対空ミサイルの射程外である20km上空を長期間飛行しな
がら、北朝鮮内陸部のミサイル基地を観測する。実際にミサイルが打ち上げられたなら、
赤外線感知器で捕捉し、日本の自衛隊本部に伝達する。また、光学カメラと高性能レーダ
ーなどを搭載して、海上の工作船を追跡するとか、韓国や北朝鮮、中国などの近隣諸国の
軍事施設を撮影する機能も持つことになる。
++++++++++++++++++

 韓国の新聞は、ことあるごとに、日本のアラさがしばかりしているといった感じがする。
どんなささいなことでも、そこに、(被害的要素)を感ずると、それを即、反日感情に結び
つけてしまう。

 無人偵察機については、日本政府は、「対K国用」と明言している。が、そんなニュース
でも、韓国では、「韓国や北朝鮮、中国などの近隣諸国の軍事施設を撮影する機能ももつこ
とになる」と報道する。

 また名古屋市が、遺骨を処分したことについても、「身元確認可能な韓半島出身者の遺
骨、名古屋市は無断で粉砕」と。「粉砕」(東亜N報)という言葉を使うところが、恐ろし
い。あたかも悪意をもって、そうしたという印象を、韓国の人たちに与えてしまう。

 またどうして日本も、そして韓国も、教科書に、これほどまでにこだわるのか? いま
どき教科書といっても、子どもたちにとっては、情報の一部にすぎない。私立学校などで
は、教科書をほとんど使わないで授業を進めているところも多い。

 そういう(現実)を、韓国の人も、もう少し正確に知ったらよいのではないだろうか。
教科書の内容イコール、日本人の思想とはかぎらない。また今は、教科書に、そんな力は、
ない。

 歴史認識については、たしかに問題がある。両国の間には、大きなズレがある。しかし
ある一定以上のズレについては、それは日本の責任というよりは、韓国側によって誇張さ
れ、作られたズレであると言えなくもない。

 まさに『坊主憎ければ……』式の、反日運動の中で生まれたズレもないわけではない。
その一例が、こうした報道姿勢にある。とくに「韓国の軍事施設の監視」という文言にい
たっては、被害妄想もよいところ。

 戦後、一時はよくなりかけていた対日感情だが、N政権になってから、大きく変わった。
その結果が、ここでいう28%という数字である。ある在日韓国人の大学教授は、こう書
いている(「月刊S誌7月号」)。

 「とても残念なことだが、今の韓国は、日本にとっては、たいへん危険な国になりつつ
ある」と。

 逆に、それを認識している日本人は、いったい、どれくらいいるのか。

 サンケイWEBコラムは、つぎのように書いている。

「日韓国交正常化から7月22日で40周年になる。現在の日韓関係は、日本では"ヨ
ン様"に象徴されるような韓国ブームが起きるほど韓国に対する好意的な関心が広がっ
ている。40年前には想像もできなかった変化だ。 

 韓国でも街に日本語の看板が見られるなど、日本に対する拒否感は大幅に後退した。4
0年前には、日本人が街で日本語をしゃべることさえはばかられたほどだった。 

 国交正常化当初は年間2万人だった人の往来も、今や1日1万人の往来になっている。
本当に仲が悪ければこんなに人の往来があるはずはない。 

 変わらないのは韓国の「反日」である。それも政治やマスコミが主導し、わざわざ国民
を刺激しているように見える」(05年7月)と。

 まさに同感である。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●韓国の教育事情(2)(韓国をよりよく理解するために!)

++++++++++++++++++++++

少し前、「韓国の教育事情」について、書いた。
お隣の韓国では、教育が、かなり深刻な状態に
なっている。

金持ちが有利な受験体制。
能力のある学生たちが、海外へどんどんと移住
している。

しかも外貨をそのまま、もち出している。

韓国の動きを理解するためには、こうした
ウラの教育事情を知らなければならない。

かつての日本の日教組以上に、過激で、かつ
社会主義を信奉する韓国の教員組合。

強烈な反日教育の先頭に立っているいるのは、
こうした左翼的な教師たちだが、かえって
そのことが、韓国の経済そのものを、破壊し
ていることに、彼らは、まだ気づいていない。

その国の教育を見れば、その国の将来がわかる。
はたして、韓国は、今後、どうなるか?

++++++++++++++++++++++

【韓国の教育事情】

 5月16日付けの、韓国・東亜日報は、現在の韓国の教育事情を、つぎのように報告し
ている。ポイントだけを、大きくまとめると、つぎのようになる(アメリカ・シンクタン
クのランド研究所報告)。

(1)過熱する海外留学ブーム

 韓国では今、小中学生による、早期留学が、一つのブームになっている。1995年に、
2259人だった、これら早期留学生たちは、04年には、1万人を超えた。その費用は、
約2兆5000億ウォン(=2500億円)。

(2)ソウル江南(カンナム)に集中する教育インフラ

 私教育が、ソウルの江南に集中している。そのため、高級人材は、この地を離れたがら
ず、離れて仕事をするばあいも、家族を江南に残し、家族と離れて生活するケースが目立
つという。

たとえば三星(サムスン)電子の忠南天安(チュンナム・チョナン)LCD団地には、ソ
ウルから通勤する役職員が少なくないという。

(3)失敗する教育政策

 ソウル大学の調査によると、高所得者1万人中、ソウル大学へ入学する学生は、85年
には、8・2人にすぎなく、一般家庭の1・3倍だったが、最近(05)では、それが1
6・8倍にまで上昇した。

(4)少子化

 日本と同じように、韓国でも、少子化が問題になっている。その理由の第一は、「子ども
の教育費の負担」(韓国女性開発院)で、28%の既婚女性が、それをあげている。

(5)大学教育の停滞

スイス国際経営開発院(IMD)が最近発表した国家競争力評価のうち、「大学教育の社会
要求に対する一致度」では、韓国は60ヵ国のうち52位にとどまったという。

 以上、これらの事実を総合すると、つぎのような韓国の教育事情が、浮かびあがってく
る。

 現在、富裕層を中心に、小中学生の海外留学が、さかんであるということ。またその教
育インフラが、ソウル江南に集中しているため、子どもの教育を考えて、その地を離れた
がらない親が多いということ。

 さらに韓国でも少子化が始まっているということ。理由の第一は、子どもの教育費。ソ
ウル大学入学者についても、富裕層ほど年々、有利になりつつあるということ。

 また大学教育も、日本以上に権威主義的であり、そのため硬直した教育体制の中で、想
像的な教育ができなくなっているということ……らしい。

 また、この調査とは別だが、現在、多くの若者たちが、韓国を離れ、海外へ移住を始め
ているという事実もある。(出稼ぎではなく、定住を目的とした移住である点に注意。)

韓国では、ここ数年、毎年、1万4000人前後が、アメリカを中心として、海外へ移住
している。海外定住をめざした留学生も、02年末までに、34万人を越えた。そのため、
外貨の流出も、大きな問題になっている。

(仮に韓国で大学を卒業して学位を取得しても、アメリカでは通用しない。そのため、ア
メリカへ移住しても、単純肉体労働につくケースがほとんどだろいう。)

 ご存知のように、今、韓国では、一部の大企業のみが、巨額の経常黒字をあげている。
その代表的なものとして、S電子工業や、H自動車工業がある。

 しかしこれらの企業は、いわゆる「国策企業」であり、国の保護を徹底的に受けている
企業である。(国営とまではいかないが、しかし民営とは言えないという点で、「国策企業」
と呼ばれている。)

 が、何よりも深刻なのは、「海外定住をめざした留学生も、02年末までに、34万人を
越えた」という事実。日本の人口に換算すると、約120万人ということになる。

 もし日本の若者たちが、120万人も、海外定住を目ざして日本を離れるようになった
ら、そのとき日本は、どうなるか? それだけでも、たいへんな社会問題になるだろう。
しかも、そういう若者たちは、当然のことながら、多額の外貨をもちだす。そのため韓国
政府は、一時期、その持ち出し額(送金額)を制限したほどである。

またご存知のように、1997年、韓国は、国家破綻(デフォルト)した。その年も終わ
ろうとしていた、11月21日、時のイム・チャン・ヨル副首相は、こう宣言した。

「今の難局を乗り切るには、IMFの誘導調整資金の援助を受けるしかない」と。

 そのときから、韓国の国家経済は、IMFの管理下に入ることになったが、その機会を
利用して、韓国は、財閥を解体した。その結果、それまで33行あった主要銀行は、最終
的には、3行になった。

 また現在、韓国では、事実上の定年が、38歳ということになっている。58歳や、4
8歳ではない。38歳である。

 それまでは韓国も、日本にならって、終身雇用、年功序列型の社会システムを営んでき
た。しかし国家破綻をきっかけに、38歳とした。

 これはほんの一例だが、こうして韓国は、そのあと、世界でもまれに見る、競争型社会
へと激変した。日本のように、受験勉強だけして、合格すれば、あとは死ぬまで安泰とい
う社会を、自ら破棄したわけである。

 そのことが、よかったのか、それともかえって悪かったのか。その結果は、もう少し先
を見ないとわからない。しかし現実に、多くの若者たちが国を去り、富裕層たちがこぞっ
て子どもたちを、海外へ早期留学をさせているところをみると、韓国の未来は、それほど
明るいものとはいえないのではないか。

 一方、この日本でも、ジニ指数が、0・5に近づいてきた(厚生労働省が04年6月に
発表)。ジニ指数というのは、世帯ごとの所得格差を示す数字である。

 0・5という数字は、高所得者の4分の1の世帯が、全所得の4分の3を占め、残りの
4分の3の人たちが、残った4分の1の所得を分けあうという数字である。つまり貧富の
格差をそのまま示す数字といってよい。

 もう少しわかりやすい数字で説明しよう。

 仮に、100人の人が、1億円を稼いだとしよう。上位25人の人が、そのうちの75
00万円を自分たちのものにする。平均して、1人あたり、300万円。

 残った75人の人が、残った2500万円を分ける。平均して、33万円と少しという
ことになる。単純に見ても、貧富の格差は、10倍ということになる。これが今の日本の
現状である。

 このままこうした状態を放置すれば、日本は、どうなるか? この先は、みなさん自身
で考えたらよい。「競争社会だから、しかたない」とあきらめるか、「おかしい」と思って、
行動に移すか。それは、私たち1人ひとりの問題である。

 韓国は、日本と比較して、国家規模も小さく、同じように経済規模も小さい。さらに教
育インフラは、ソウルに、かたよっている。そういう意味では、韓国を見れば、日本の教
育の将来がわかる。

 そういう意味で、韓国の教育事情について、考えてみた。
(はやし浩司 韓国 韓国の教育事情 ジニ指数 38歳定年制 韓国の教育 教育)


【補足】

 韓国の若者たちが、海外移住をすることになった背景には、それにいたるまでのいくつ
かの要因(ファクター)がある。

 韓国は、97年のはじめには、通貨危機を経験している。そしてそのあとの、国家破綻
(デフォルト)へと、つづく。それ以前にも、メキシコ、アルゼンチン、ソ連などが、国
家破綻に追いこまれているが、韓国の国家破綻は、官と民の両方が破綻したという点で、
特徴的である。

 その結果、当然のことながら、失業者が増大した。

 98年の資料によれば、97年だけでも、以下の主だった会社群が、倒産、閉鎖に追い
こまれている(韓国公正取引委員会)。

 現代(解体)
 大宇(破綻)
 双龍(破綻)
 起亜(破綻)
 韓宝(破綻)などなど。

 そのため、ちまたには、失業者があふれ、物価は上昇した。失業者は、150万人。そ
の他の生活物資は、30%前後の値上がり。たとえばガソリン、35%、灯油、77%、
食料品、27%など。

 こうして韓国は、社会そのものが、不安的になり、犯罪も増加した。現在、日本へやっ
てくる強盗段、スリ集団は、そういう不安を背景にして生まれた犯罪集団と考えてよい。

 韓国の国家破綻は、もちろん教育にも、大きな影響を与えた。

 韓国のそれまでの受験競争は、日本の比ではなかった。が、この国家破綻によって、そ
のあと、「大学は出たけれど……」という状態になってしまった。国家破綻後、大学生の就
職率は、20%前後までさがってしまった。つまり5人に1人しか、就職できなくなって
しまった。

 そこで「就職がダメなら、大学院進学、弁護士などの資格取得、あるいは海外留学しか
ない」(藤井巌喜氏・「国家破綻後の世界」)ということになってしまった。

 これが「空前の海外留学ブーム」(同)へとつながった。

 藤井氏の本によれば、

 2001年度の韓国からの移民者数……1万3953人
 以後、同じ水準で、移民がつづいているとのこと。

 これらの移民の特徴は、いわゆる低所得者層の出稼ぎ的移民ではなく、ある程度の知識
層の、人材流出であるという点である。しかも移民先は、日本とかアメリカはもちろんの
こと、中南米にも「相当数」(同)が行っているところにあるという。

 藤井氏は、97年の国家破綻が、韓国の社会構造そのものを変えてしまったと説く。し
かしそれは同時に、日本の近未来の姿と考えてもよい。
(参考、藤井巌喜氏・「国家破綻後の世界」光文社、ほか)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   05年 9月 2日(No.618)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●管理・規則は家庭教育の敵

 イギリスの格言に、『無能な教師ほど、規則を好む』というのがある。これをもじると、
『無能な親ほど、規則を好む』ということになる(失礼!)

 家族にはいろいろな役割がある。助けあい、励ましあい、わかりあい、教えあい、守り
あい、いやしあうなど。そのどの一つをとっても、管理や規則は、その役割を、そこなう
ことになる。つまり子どもの側からみて、思う存分、心を休めることができるから家庭と
いう。

 ……こう書くと、子どもは管理されるべきだし、規則があってもいのではと反論する人
がいる。しかし、それでも、管理や規則は、必要最小限にとどめる。たとえば子どもの門
限について。

 「外出はいいが、夜、一〇時まで」と決めている家庭は多い。しかいこのばあいでも、
大切なのは、親子の信頼関係。一応「一〇時」とは決めていても、たまには、一〇時を過
ぎるときもある。そのとき親子の信頼関係があれば、「どうしたの?」「ごめん!」ですむ。
しかしその信頼関係がないと、「約束が守れないのか!」「うるさい!」の大げんかになっ
てしまう。むしろ問題なのは、信頼関係がないまま、子どもの行動をしばるために、管理
や規則を強化すること。そうなれば、ますます信頼関係は崩壊する。

 が、それだけではない。

 子どもに何か問題が起きると、親は、その状態を「最悪」と思うかもしれない。しかし
その最悪の下には、さらに二番底、三番底がある。(門限を破る)→(外泊する)→(家出
をする)と、対処のし方をまちがえると、子どもはあとは、坂をころげ落ちるかのように
して、つぎつぎと落ちていく。そうならないためにも、管理や規則を問題にする前に、ま
ず信頼関係を築く。もちろん家族の絆(きずな)を守るための管理や規則は、問題ない。
たとえば「誕生日のプレゼントは買ったものはダメ」「借りたものは、必ず、返す」「小遣
いは、一か月○千円」など。

+++++++++++++++++++++++++
これに関して、以前書いた原稿(中日新聞発表ずみ)を
ここに転載します。
++++++++++++++++++++++++++

親が子どもを叱るとき 

●「出て行け」は、ほうび

 日本では親は、子どもにバツを与えるとき、「(家から)出て行け」と言う。しかしアメ
リカでは、「部屋から出るな」と言う。もしアメリカの子どもが、「出て行け」と言われた
ら、彼らは喜んで家から出て行く。「出て行け」は、彼らにしてみれば、バツではなく、ほ
うびなのだ。

 一方、こんな話もある。私がブラジルのサンパウロで聞いた話だ。日本からの移民は、
仲間どうしが集まり、集団で行動する。その傾向がたいへん強い。リトル東京(日本人街)
が、そのよい例だ。この日本人とは対照的に、ドイツからの移民は、単独で行動する。人
里離れたへき地でも、平気で暮らす、と。

●皆で渡ればこわくない
 この二つの話、つまり子どもに与えるバツと日本人の集団性は、その水面下で互いにつ
ながっている。日本人は、集団からはずれることを嫌う。だから「出て行け」は、バツと
なる。一方、欧米人は、束縛からの解放を自由ととらえる。自由を奪われることが、彼ら
にしてみればバツなのだ。集団性についても、あのマーク・トウェーン(「トム・ソーヤの
冒険」の著者)はこう書いている。『皆と同じことをしていると感じたら、そのときは自分
が変わるべきとき』と。つまり「皆と違ったことをするのが、自由」と。

●変わる日本人

 一方、日本では昔から、『長いものには巻かれろ』と言う。『皆で渡ればこわくない』と
も言う。そのためか子どもが不登校を起こしただけで、親は半狂乱になる。集団からはず
れるというのは、日本人にとっては、恐怖以外の何ものでもない。この違いは、日本の歴
史に深く根ざしている。日本人はその身分制度の中で、画一性を強要された。農民は農民
らしく、町民は町民らしく、と。それだけではない。

日本独特の家制度が、個人の自由な活動を制限した。戸籍から追い出された者は、無宿者
となり、社会からも排斥された。要するにこの日本では、個人が一人で生きるのを許さな
いし、そういう仕組みもない。しかし今、それが大きく変わろうとしている。若者たちが、
「組織」にそれほど魅力を感じなくなってきている。イタリア人の友人が、こんなメール
を送ってくれた。「ローマへ来る日本人は、今、二つに分けることができる。一つは、旗を
立てて集団で来る日本人。年配者が多い。もう一つは、単独で行動する若者たち。茶パツ
が多い」と。

●ふえるフリーターたち

 たとえばそういう変化は、フリーター志望の若者がふえているというところにも表れて
いる。日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によれば、高校三年生のうちフリーター志
望が、一二%もいるという(ほかに就職が三四%、大学、専門学校が四〇%)。職業意識も
変わってきた。

「いろいろな仕事をしたい」「自分に合わない仕事はしない」「有名になりたい」など。

三〇年前のように、「都会で大企業に就職したい」と答えた子どもは、ほとんどいない(※)。
これはまさに「サイレント革命」と言うにふさわしい。フランス革命のような派手な革
命ではないが、日本人そのものが、今、着実に変わろうとしている。

 さて今、あなたの子どもに「出て行け」と言ったら、あなたの子どもはそれを喜ぶだろ
うか。それとも一昔前の子どものように、「入れてくれ!」と、玄関の前で泣きじゃくる
だろうか。ほんの少しだけ、頭の中で想像してみてほしい。

※……首都圏の高校生を対象にした日本労働研究機構の調査(二〇〇〇年)によると、

 卒業後の進路をフリーターとした高校生……一二%
 就職                ……三四%
 専門学校              ……二八%
 大学・短大             ……二二%

 また将来の進路については、「将来、フリーターになるかもしれない」と思っている生徒
は、全体の二三%。約四人に一人がフリーター志向をもっているのがわかった。その理由
としては、

 就職、進学断念型          ……三三%
 目的追求型             ……二三%
 自由志向型             ……一五%、だそうだ。

●フリーター撲滅論まで……

 こうしたフリーター志望の若者がふえたことについて、「フリーターは社会的に不利であ
る」ことを理由に、フリーター反対論者も多い。「フリーター撲滅論」を展開している高校
の校長すらいる。しかし不利か不利でないかは、社会体制の不備によるものであって、個
人の責任ではない。実情に合わせて、社会のあり方そのものを変えていく必要があるので
はないだろうか。いつまでも「まともな仕事論」にこだわっている限り、日本の社会は変
わらない。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●太陽系に10番目の惑星

++++++++++++++++++++++++

 この太陽系で、第10番目の惑星が見つかったそうだ。
 発見したのは、アメリカ・カルフォルニア工科大学の教授。
 1930年に、冥王星が発見されて以来の、「快挙」(中日新聞)
 だ、そうだ。

+++++++++++++++++++++++

 中日新聞は、つぎのように伝えている(05年7月30日)。

 「カリフォルニア工科大の天文学者、マイク・ブラウン教授らの研究チームは、29日、
太陽系で十番目となる「新惑星」を発見したと発表した。すでに国際天文学連合に申請し
ており、認められれば、1930年に冥王星が発見されて以来、75年ぶりの快挙となる。

 新惑星は、カイパーベルトと呼ばれる小惑星帯の中にあり、太陽の周りを楕円(だえん)
を描いて周回。最も外側では、太陽から地球の距離の97倍に当たる約150億キロに達
し、冥王星と比べても三倍以上も離れている。

 直径は、冥王星(約2300キロ)の1・5倍以上と推定。地球(約1万2700キロ)
より小さい。冥王星同様、岩と氷でできているとみられ、太陽を、560年かけて周回す
る。

 もう少しわかりやすく、データを、整理してみると、こうなる。

(1)直径は、約3450キロ(冥王星の、約1・5倍)以上。
(2)冥王星に似て、岩と氷でできている。
(3)太陽を、560年かけて周回する。
(4)他の惑星と軌道の傾きが、45度ちがう。
(5)長楕円を描いて、太陽系の中を、周回する。

 この第10番目の惑星発見の報道で、まっ先に思いだしたのが、シュメール人たちが書
き残した古文書。それについて詳しく書いているのが、ゼラリア・シッチンという人が著
した、「謎の惑星(ニビル)と火星超文明」(著・学研)という本。

それによれば、シュメールの古文書には、すでに第10番目の惑星のみならず、この太
陽系が生まれる過程が書いてあったという。年代的には、5500年ごろ前ということ
になるだろうか。

 しかしそんな時代に、どうして、そんなことが、シュメール人たちには、わかっていた
のか。そういう議論はさておき、まず、シュメール人たちが考えていたことを、ここに紹
介しよう(要約)。

(1)最初、この太陽系には、太陽と、ティアトマと水星しかなかった。
(2)そのあと、金星と火星が誕生する。
(3)(中略)
(4)木星、土星、冥王星、天王星、海王星と誕生する。
(5)そこへある日、ニビルという惑星が太陽系にやってくる。
(6)ニビルは、太陽系の重力圏の突入。
(7)ニビルの衛星と、ディアトマが、衝突。地球と月が生まれた。(残りは、小惑星帯に)
(8)ニビルは、太陽系の圏内にとどまり、3600年の楕円周期を描くようになった、
と。

 シュメール人が残した古文書によれば、地球と月は、ティアトマという惑星が、太陽系
の外からやってきたニビルという惑星と衝突してできた、ということになる。

にわかには信じがたい話だが、東洋や西洋に伝わる天動説よりは、ずっと、どこか科学
的である。それに現代でも、望遠鏡でさえ見ることができない天王星や海王星、さらに
は冥王星までシュメール人たちが知っていたとは!

 どうしてシュメールの人たちは、そんなことを知っていたのだろうか。肉眼で見えるの
は、せいぜい土星まで。天王星や海王星などは、近代になって発見された。冥王星が発見
されたのは、ごく最近のことである。

 もちろん、今回発見された惑星X(「X」には、10番目という意味もある)が、シュメ
ール人たちが言った、「ニビル」のことだとはかぎらない。ただ類似点は、多い。

 とくに、太陽系内を、長楕円を描いて周回するという点。それに軌道の傾きが、45度、
傾いているという点。

 シッチンは、つぎのような文書があることを証拠に、惑星ニビルも、他の惑星とは違っ
た傾きで、周回していたと説明する。

 惑星マルドゥク
 出現は水星
 30度上昇して木星
 天上の戦いの場に立つときは
 ニビル、と。

 意味がよくわからないが、シッチンの解釈によれば、こういうことだそうだ。

 「水星の位置に出現したニビルは、天弧(てんこ)を、30度上昇して、木星の位置に
移動する。このような動きは、ニビルの軌道平面が、黄道面に対して、30度傾いている
からこそ、可能である」(同書(下)P204)。

 何とも、ロマンに満ちた話ではないか。おまけにシュメール人の伝説によれば、この惑
星ニビルこそが、我々地球人を生みだした知的生物が住んでいる星だという。少なくとも
シッチンは、そう書いている。

 惑星Xは、はたしてその惑星ニビルなのか? 本当に知的生物が、住んでいるのだろう
か? 

 それを考えていると、暑い夏の夜も、結構、楽しくなる。

 ところで、この地球は、シュメールの古文書によれば、「第7番目の惑星」だそうだ(同、
(下)、P135)。

 シュメール人が残した円筒印章には、地球は、7つの点で表されている。(火星は、6角
形の星で表されている。)

 太陽を中心に、太陽から数えると、地球は、水星、金星……と、第3番目の惑星という
ことになる。

 しかし反対に外から、冥王星、天王星……と数えていくと、火星は、第6番目の惑星。
地球は、第7番目の惑星ということになる。視点そのものが、太陽系の外にあるのが、お
もしろい。その惑星の間を、ニビルは、長楕円の軌道上を周回していることになる。

 百歩譲って、シュメール人たちが、天王星、海王星、冥王星の存在をすでに知っていた
というだけでも、驚きである。そのあたりのことについて詳しく書くのは、またの機会に
して、ともかくも、今回の第10番目の惑星が発見されたというニュースは、謎とロマン
に満ちた、楽しい話であることには、ちがいない。

+++++++++++

私が、シュメール人に興味を
もつようになったのは、実は
東洋医学の勉強をしていたと
きのことである。

シュメールでは、「神」のこと
を「ディンギル(dingir)」
と呼んでいた。

楔形文字で、「米」に似た文字を
書く。

同じく中国でも、「帝」のこと
を、甲骨文字で、「米」に似た
文字で書いていた。

今でも、「帝」は、「di」と発音
する。

ともに星(米は、星を意味する)
からきた人を意味する。

つまり文字の意味、発音、形の
三つが、たいへんよく似ている
ということ。

これは偶然の一致といってよいの
だろうか?

ちょうど2年前に書いた原稿を
そのまま、ここに転載する。

+++++++++++++++

●謎の書物、黄帝内経(こうていだいけい)

 若いころ、東洋医学の勉強をしているとき、私は、こんなことに気づいた。「ひょっとし
たら、東洋医学のバイブルと言われている、『黄帝内経(こうていだいけい)』は、人間に
よって書かれたものではないのではないか」と。言うまでもなく、東洋医学は、この黄帝
内経に始まって、黄帝内経によって終わる。

 とくに、黄帝内経・素問(そもん)は、そうである。しかしもともとの黄帝内経は、そ
ののち、多くの医家たちによって、原型をとどめないほどまでに、改ざん、加筆されてし
まった。今、中国に残る、黄帝内経は、その結果だが、皮肉なことに、原型に近い黄帝内
経は、京都の仁和寺(にんなじ)に残っている。

 その仁和寺の黄帝内経には、いくつか不思議な記述がある。それについて書くのが、こ
この目的ではないので、省略するが、私はいつしか、中国の「帝王」と、メソポタミアの
「神」が、同一人物でないかと思うようになった。黄河文明を築いた、仰韶(ヤンシャオ)
人と、メソポタミア文明を築いた、シュメール人には、ともに、不可思議な共通点がある。
それについて書くのも、ここの目的ではないので、省略する。

 むずかしい話はさておき、今から、約5500年ほど前、人類に、とてつもないほど、
大きな変化が起きたことは、事実のようだ。突然変異以上の、変異と言ってもよい。その
ころを境に、サルに近い原始人が、今に見る、人間になった。

 こうした変化の起爆剤になったのが、何であるのか、私にはわからない。わからないが、
一方、こんな事実もある。

●月の不思議

 月の南極の写真を見ていたときのこと。ちょうど南極付近に、きれいな円形の二つのク
レーターがあることを知った。「きれいな」と書いたが、実際には、真円である。まるでコ
ンパスで描いたような真円である。

 そこで二つのクレーターの直径を調べてみた。パソコンの画面上での測定なので、その
点は不正確かもしれないが、それでも、一方は、3・2センチ。もう一方も、3.2セン
チ! 実際の直径は、数10キロはあるのもかもしれない。しかしその大きさが、ピタリ
と一致した!

 しかしこんなことが、実際、ありえるのだろうか。

 もともとこのあたりには、人工的な構造物がたくさん見られ、UFO研究家の間でも、
よく話題になるところである。実際、その二つのクレーターの周囲には、これまた謎に満
ちた影がたくさん写っている。

 そこでさらに調べてみると……というのも、おかしな言い方だが、ともかくも、あちこ
ちのサイトを開いてみると、こうした構造物があるのは、月だけではないことがわかった。
火星はもちろん、水星や、金星にもある。エウロパやエロスにもある。つまりいたるとこ
ろにある。

 こうした写真は、アメリカのNASAから漏れ出たものである。一説によると、月だけ
でも、NASAは、数一〇万枚の写真をもっているという。公開されているのは、そのう
ちの数パーセントにすぎないという。しかも、何かつごうの悪い写真は、修整されたりし
ているという。しかし、クレーターまでは、消せない。それが、ここに書いた、二つのク
レーターである。

●下からの視点、上からの視点

 地球上に、それこそカビのようにはいつくばって東洋医学の勉強をした私。そしてその
私が、天を見あげながら、「ひょっとしたら……」と考える。

 一方、宇宙には、すでに無数のエイリアンたちがいて、惑星間を回りながら、好き勝手
なことをしている。中には、月そのものが、巨大なUFOだと主張する科学者さえいる。

 もちろん私は、宇宙から地球を見ることはできない。しかし頭の中で想像することはで
きる。そしてこれはあくまで、その想像によるものだが、もし私がエイリアンなら、人間
の改造など、何でもない。それこそ、朝飯前? 小学生が電池をつないで、モーターを回
すくらい簡単なことだ。

 この二つの視点……つまり下から天をみあげる視点と、天から人間を見る視点の二つが、
合体したとき、何となく、この問題の謎が解けるような気がする。「この問題」というのは、
まさに「人間に、約5500年前に起きた変化」ということになる。

 その5500年前を境に、先に書いたように、人間は、飛躍的に進化する。しかもその
変化は、メチャメチャ。その一つが、冒頭にあげた、『黄帝内経』である。黄帝というのは、
司馬遷の「史記」の冒頭を飾る、中国の聖王だが、だからといって、黄帝内経が、黄帝の
時代に書かれたものと言っているのではない。

 中国では古来より、過去の偉人になぞらえて、自説を権威づけするという手法が、一般
的になされてきた。黄帝内経は、そうして生まれたという説もある。しかし同時期、メソ
ポタミアで起きたことが、そののち、アッシリア物語として記録され、さらにそれが母体
となって旧約聖書が生まれている。黄帝内経が、黄帝とまったく関係がないとは、私には、
どうしても思われない。

●夏の夜のロマン

 あるとき、何らかの理由で、人間が、エイリアンたちによって、改造された。今でいう、
遺伝子工学を使った方法だったかもしれない。

 そして人間は、原始人から、今でいう人間に改造された。理由はわからない。あるいは
エイリアンの気まぐれだったかもしれない。とりあえずエイリアンたちが選んだ原始人は
黄河流域に住んでいた原始人と、チグリス川、ユーフラテス川流域に住んでいた原始人で
ある。

 改造された原始人は、もうつぎの世代には、今でいう現代人とほとんど違わない知的能
力をもつようになった。そこでエイリアンたちは、人間を教育することにした。言葉を教
え、文字を教えた。証拠がないわけではない。

 中国に残る甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、たいへんよく
似ている。形だけではない。

 中国では、「帝」を、「*」(この形に似た甲骨文字)と書き、今でも「di」と発音する。
「天から来た、神」という意味である。一方、メソポタミアでは、「神」を、同じく、「*」
(この形に似た楔形文字)と書き、「dingir」と発音した。星という意味と、神とい
う意味である。メソポタミアでは、神(エホバ)は、星から来たと信じられていた。(詳し
くは、私が書いた本「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)を読んでいただきたい。)

 つまり黄河文明でも、メソポタミア文明でも、神は「*」。発音も、同じだったというこ
と。が、これだけではない。言葉の使い方まで、同じだった。

 古代中国では、「帝堯(ぎょう)」「帝舜(しゅん)」というように、「位」を、先につけて
呼ぶならわしがあった。(今では、反対に「〜〜帝」とあとにつける。)メソポタミアでも、
「dingir 〜〜」というように、先につけて呼んでいた。(英語国などでも、位名を
先に言う。)

 こうして今に見る人間が生まれたわけだが、それがはたして人間にとって幸福なことだ
ったのかどうかということになると、私にも、よくわからない。

 知的な意味では、たしかに人間は飛躍的に進化した。しかしここでも、「だからどうな
の?」という部分がない。ないまま進化してしまった。それはたとえて言うなら、まさに
サルに知恵だけ与えたようなものである。

 わかりやすく言えば、原始的で未発達な脳の部分と、高度に知的な脳の部分が、同居す
ることになってしまった。人間は、そのとたん、きわめてアンバランスな生物になってし
まった。人間がもつ、諸悪の根源は、すべてここにある?

 ……これが私の考える、秋の大ロマンである。もちろん、ロマン。SF(科学空想)。し
かしそんなことを考えながら天の星々を見ていると、不思議な気分に襲われる。どんどん
と自分が小さくなっていく一方で、それとは反比例して、どんどんと自分が大きくなって
いく。「人間は宇宙のカビ」と思う一方で、「人間は宇宙の創造主」と思う。相矛盾した自
分が、かぎりなく自分の中で、ウズを巻く。

 あさっても、天気がよければ、望遠鏡で、月をのぞくつもり。山荘から見る夜空は、ど
こまでも明るい。

【補記・05年7月31日・記】

 同じような真円に近いクレーターが、たとえば、火星の衛星のフォボスにもある。それ
については、以前に書いた。

 私は、こうしたクレーターは、たとえば隕石の衝突のようなものでできたのではないと
思う。つまり人工的なものだと思う。

 では、何のためか?

 私はある種の、推進装置ではないかと思っている。「推進装置」という言い方も、少しヘ
ンだが、つまりこういうこと。

 このクレーターの中心部で、大きな爆発を起こす。するとクレーターそのものが、推進
装置となって、月にせよ、フォボスにせよ、反対側にそれを動かす力となって、働く。

 いつか人類が、宇宙へ飛び出したとき、もっとも安全な宇宙船は、といえば、こうした
隕石を改造した宇宙船である。

 大きな隕石を、宇宙のどこからかもってきて、中をくりぬく。そしてその中に、居住空
間をつくる。

 そうすれば、有害な放射線や、こまかい隕石やゴミから、中に住む人類を保護すること
ができる。建造費も、安くすむ。適度な引力があれば、さらに住みやすい。

 で、そのとき、その隕石型宇宙船の推進装置として働くのが、ここでいうクレーター型
の推進装置である。この中央で、何らかの爆発を起こせば、その宇宙船は、その反作用で、
反対側に動き出す。どこか原始的な方法に見えるかもしれないが、もっとも、確実で、簡
単な方法である。

 ……以上、私の勝手な空想。夏の夜のロマンに、この話も加えてほしい。

(写真などは、楽天日記・05年7月31日付けに収録しておきました。
興味のある人は、どうか、そちらで見てください。)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【近ごろ・あれこれ】

●暑い!

++++++++++++++

暑いですね!
暑中、お見舞い申しあげます!

(05年7月盛夏)

++++++++++++++

 山荘のある山の中から、町(浜松市)へもどってくる。距離は、車で、30分前後。し
かし体感気温は、まるでちがう。

 山荘のほうは、風そのものが、どこかひんやりとして、冷たい。しかし町のほうは、風
そのものが、熱気をおびていて、ドカッとした感じ。扇風機をそばでかけても、涼しさを
感じない。

 緑の大切さというか、重要性を、改めて、強く認識する。

 ところで、暑さのせいか、それとも、頭がボケ始めたせいか、ここ数日、思考力がかな
り減退しているのが、自分でもよくわかる。何かの文章を読んでいても、理解しないまま、
突っ走ってしまうといったふう。

 いよいよ私もボケてきたか……?

 そういえば、昨日、浜松市の中心部にある中学校区で講演をさせてもらった。そのとき
も、頭の中が、ボーッとした感じになってしまった。冷房がきいていて、暑くはなかった
はずだが……。

 よく、ボケの初期症状は、もの忘れだといわれる。もの忘れをするようになったら、あ
ぶない、と。しかしもの忘れをするようになるのは、かなり症状が進行してからではない
か。

 それ以前の症状として、(これはあくまでも、私がこの先ボケるという前提での話だが…
…)、(1)考えがまとまらない、(2)考えることが、おっくうになる、(3)考えが堂々
巡りして、前に進まない、(4)思考能力が浅くなる、などが、ある。

 このことは、少し頭のボケた老人たちの会話を横で聞いていると、わかる。くだらない
話を、何度も何度も、繰りかえし、しゃべっている。

 そこで、私は、こんなことを思いついた。ボケた状態がどんな状態か、それを実体験し
てみたかったら、サウナか何かに入ってみればよいのではないか、と。

 フーフー、ハアハアと、その熱気と戦いながら、ものを考えてみる。その状態で、本を
読んでみる。はたしてその状態で、ものを考えたり、本を読んだりすることができるだろ
うか?

 今度、サウナにでも入ってみたら、そんな実験をしてみよう。

 しかしそれにしても、今日は、暑い。町へ早めにもどってきたのが、失敗だった。もう
少し、長く、夕方まで、山荘にいればよかった。

 そうそう、山荘では、あのヒグラシが鳴いていた。夜がほんの少しだけ白みを帯びてく
るころ、どこか遠慮がちに、ヒグラシたちが鳴き始める。

 カナカナカナ……、カナカナカナ……、カナカナカナ……、と。あとでワイフに聞いた
ら、午前4時半ごろだったということだが、時間的には、そんなところだ。

 ヒグラシの鳴き声が聞こえるかどうか。それによって、自分の住んでいるところが、都
会か、それとも自然の残る田舎かを、判断することができるのでは……。そのヒグラシの
声を懸命に思い出しながら、この原稿を書いている。

 それにしても、今日は暑い! 毎朝、毎晩、ヒグラシの鳴き声が聞こえるようなところ
に、私は、住みタ〜イ!


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●K会(仏教系宗教団体)で逮捕者!

 テレビニュース。どこかの仏教系宗教団体の信者が、逮捕された。その信者の属する教
団が、家宅捜索を受けた。強引な、布教活動をしたらしい。何でも、若い人を監禁して、「入
信すれば、幸福になれる。入信を断れば、地獄へ落ちる」と、脅(おど)したらしい。

 その少し前だが、1人の少女が、ある教団の内部で、死亡したという事件も起きている。
もともと小児糖尿病の患者だった。その少女に、「病気がなおる」と言って、その教団では、
「?」な薬だけを与えていたらしい。

 ともに詳しい内容は、わからないので、これ以上のコメントは、できない。前の、監禁
事件については、今でこそ、少なくなったが、少し前まで、こうした勧誘方法は、どこの
教団でもしていた。ほとんど誘拐(ゆうかい)に近い形で、信者を勧誘していた宗教団体
もあった。

 つぎの少女死亡事件についてだが、その家族は、その教団で、葬儀をあげたという。娘
が死んでしまった以上、今さら「私たちがまちがっていました」とは、とても言えなかっ
たのだろう。それを認めると、娘を殺したのは、自分たちだということになってしまう。

 親としてはつらいところだが、(地獄)まで、いっしょに、ついていくしかない。

 で、地獄論。

 この地獄論については、もう何度も、書いてきた。それはそれとして、そこらの宗教団
体の信者ごときに、幸福になれるとか、地獄へ落ちるとか、どうしてそんなことがわかる
のか。相手に向って、どうしてそんなことが言えるのか。

 だいたいにおいて、「地獄論」を口にする宗教団体は、あやしげな宗教団体と、まず疑っ
てかかってみてよい。仮に地獄があるとしても、相手がその地獄へ落ちそうになったら、
その人が地獄へ落ちないように祈ってやるのが、信仰というもの。

 自分のために、自分の利益を祈って信仰するのは、信仰ではない。ただの、気休め。お
まじない。

 K会には、K会の考え方があるのだろう。親が自分の娘の病気を、その教団に託したの
にも、その親なりの考え方があるのだろう。情報不足なので、これ以上のことはここには
書けない。

 しかし、これだけは言える。

 こうした宗教団体があるから、こうした信者が生まれるのではない。そういう宗教団体
を求める信者がいるから、そういう宗教団体が生まれる。だから宗教団体を批判したり、
否定しても、意味はない。

 私たち1人ひとりがもつ、心のすき間というか、もろさがあるかぎり、これからも、こ
うした事件は、つぎつぎと起きる。まさにモグラたたきの、モグラのように……。


●6か国協議

 北京で開かれている6か国協議が、今日(29日)で、4日目に入った。ロシアの代表
団は、「進展なし」と、一時帰国をにおわせている。

 韓国は、「日・米・韓の結束は、バラバラ。(アメリカの態度が硬化しているのは)、日本
が、ウラで根回しをしているため」(C日報)と報道している。

 アメリカは、「核開発の放棄を明言するのが先」と言っているし、K国は、「韓国のみな
らず、極東から、核兵器をすべて取りのぞけ」というようなところまで言い出している。

 日本は、絶対に、アメリカとK国の間で、平和条約(=不可侵条約)を結ばせてはなら
ない。体を張ってでも、結ばせてはならない。

 もしそうなれば、日米安保条約そのものが、死文化する!

 つまり日本とK国が、戦争状態になっても、アメリカは、何も手出しできなくなる。K
国は、それをねらっている!

 さらに今朝のヤフーニュースを見ると、「K国は、核兵器をまだもっていないかもしれな
い」(共同通信)という報道もある。つまり、K国の核兵器は、(かかし=おどし)である、
と。

 ますますわけがわからなくなってきた。もし、それが本当なら、K国は、核兵器をもっ
ていると、世界をおどしながら、プレゼントをだまし取ろうとしている? そんな疑惑す
ら、わいてきた。

 明日のことはわからないが、ブッシュ大統領も、それほど、気の長い人ではない。韓国
を切り捨てた上、北京から帰ってしまうかもしれない。一方、K国の金xxは、今回にか
ぎり、自分から席を蹴って立つことはないはず。

 「これが最後」と、金xx自身も、知っているからだ。その山場を、今日、迎えるとい
う。

 日本の安全を最優先に考えるなら、もう6か国協議など、どうでもよい。一刻も早く、
この問題は、国連の安保理に付託して、そこで討論してもらうこと。人権問題を、最前面
に立てればよい。韓国はいやがるだろうが、もはや、韓国のN政権に遠慮だてする必要は、
まったくない。


●暑い夏休み

 体というのは、不思議なものだ。(そんな大げさな話ではないかもしれないが……。)

 昨日も、暑さのせいで、午前中は、ダラダラ。自分の体をもてあましながら、「どうした
ものか?」と思い悩んでいた。

 が、ひとたび、自転車にまたがると、そのダラダラが、吹き飛んでしまう。「軽快に……」
とまではいかないにしても、体がスイスイと動く。

 30分も走っていると、汗が心地よい。体がどんどんと軽くなっていくのが、わかる。

 で、子どもたちも、夏休みに入った。

 こういうとき、親たちは、「自分の子どもを、勉強で、しぼってほしい」と思うかもしれ
ない。しかし最近の子どもたちは、そういう方法では、しぼれない。学力を伸ばすことは
できない。

 子ども自身の中に、やる気(灯)をともして、その力で、自ら自分を引き出す(エデュ
ース)するように仕向けなければならない。指導法も、欧米化してきている。

 ……というわけでもないが、7月の最終日ということで、今週は、子どもたちには、工
作をさせている。が、これが結構、たいへん。予定では、10〜20分ほどで、みなそれ
ぞれの作品を完成させると思っていたが、いざ、させてみると、中学生でも、30〜40
分もかかってしまう。

 しかたないので、結局は、私が手伝うハメに……。

 もともと工作は嫌いではない。しかし一度に、何個もの工作を押しつけられると、うん
ざり。……ということで、今度は、教室の中で、汗、ダクダク。

 暑い夏休みが始まった! がんばろう! がんばります!

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●自己概念vs現実自己

心理学の世界には、自分で思い描く自分の姿を、「自己概念」という。そして現実の姿、
つまりは、他人から見た自分の客観的な姿を、「現実自己」という。

 この二つは、一致していればいるほど、よい。精神は、安定する。それだけではない。(自
分のしたいこと)と、(していること)が、一致すると、そこから夢や希望も生まれる。生
きザマそのものが、前向きになる。その一致した状態を、「自我の同一性」(アイデンティ
ティ)という。

 この2つが、大きく食い違ってくると、おかしなことになる。そのことは、今のK国や
韓国をみれば、わかる。

 300万人以上もの飢えた人々。人口の約3分の2が、栄養失調状態(WHO)。工業は
壊滅状態。「工場は、すべて鉄くずと化した」(週刊・S誌)と。

 そんな状態で、何が、核兵器だ。朝鮮半島の非核化だ。

 韓国についても、同じことが言える。

 視点を、アメリカに移してみよう。アメリカのワシントンに移してみよう。

 ワシントンに住む人たちで、日本や韓国がどこにあるか、地図上で、正確にそれを指摘
できる人は、まず、いない。大学生でも、いない。

 こと韓国について言うなら、(日本も、そうだが)、その韓国を、K国や、そのバックに
いる中国から守っているのは、ほかならぬアメリカである。韓国も、日本も、戦後、アメ
リカ軍が駐留していなければ、何度、戦禍に見舞われたことか!

 「日本の平和は、日本人が守った」と言う人がいる。しかしそんな見方は、世界では通
用しない。もしアメリカ軍が日本に駐留していなければ、戦後の日本は、そのつど、スタ
ーリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・K国、金xx・K国の攻撃にさら
されていた。

 「日本は、アメリカ軍によって廃墟にされたではないか」と説く人もいる。しかし仮に
あの戦争で、アメリカ軍に勝っていたとしても、そのあとすぐ、日本は、世界によって、
あとかたもなく、解体させられていたであろう。事実、あのナチス・ドイツは、敗戦と同
時に、あとかたもなく、解体させられてしまった。

 日本はともかくも、韓国にしても、事情は、同じ。最近では、「ビッグ・コリア」妄想に
とりつかれ、自分たちこそが、極東アジアの盟主であるようなことを言い出した。が、そ
れは許せる。

 しかし一方で、自由主義貿易体制の中に身を置きながら、反米、反日を唱える、この矛
盾を、彼らは、いったい、どう説明するのか。

 一方で、米韓軍事同盟に守られながら、ことごとくアメリカに反発し、それにあきたら
ず、K国や中国にすりよる、この矛盾を、彼らは、いったい、どう説明するのか。

 今回のK国の核問題にしても、本来なら、イの一番に、アメリカが抜けても、おかしく
ない問題である。私が、アメリカ人なら、そうする。「K国の核問題は、日本や韓国の問題
だ」「私たちには、関係ない」「どうぞ、ご勝手に」と。

 でないとするなら、どこのどの国が、K国の核問題を解決してくれるのか。ロシア? 中
国? ドイツ? フランス? お人好しのアメリカだからこそ(失礼!)、極東のアジアま
でノコノコやってきて、いろいろ節介を焼いてくれる。

 K国もK国なら、韓国も韓国。現実の自分というものが、まるでわかっていない。世界
は、朝鮮半島を中心にして回っていると錯覚している?

 K国よ、韓国よ、現実を、もっとしっかりと見ようではないか。

 日本の山陰地方のS県、あるいはT県ほどのGDP(国力)しかないK国。日本の関東
地方の3分の1ほどのGDP(国力)しかない韓国。坊主(=日本)が憎いのは、わかる。
理解できる。しかし袈裟(けさ)まで憎んで、どうする?

 今回の6か国協議にしても、本来なら、日本や韓国が頭をさげて、アメリカにこう言う
べきである。

 「とても、あの国は、私たちの手に負えません。すみませんが、力を貸していただけま
せんか?」と。

 にもかかわらず、日本はともかくも、韓国は、K国側や中国側に立って、日本やアメリ
カに、ことごとく反発。北京での宿舎にしても、自分たちだけは、別のホテルに泊まって
いる。「韓国は、日本やアメリカとは一線を画す」と。

 今回の6か国協議の流れを見ていると、アメリカは、本当に、よくやってくれている。
かねてから、K国は、そのつど、公式の場で、「核兵器開発は、日本向けのもの」「日本と
いう国は、(この地球に)存在させてはならない国」と、公言している。

 もし、今ここで、アメリカがいなければ……。想像するだけでも、ゾッとする。

 数年前のこと。日本とK国の緊張感が、極度に高まったとき、オーストラリアの国防省
に勤めるK君は、こうメールを書いてきてくれた。

 「ヒロシ、安心せよ。日本がK国に攻撃されたら、オーストラリアは、国連軍の名のも
とに、ただちにK国に反撃することになっている」と。

 それから数年後。そのオーストラリアは、イラクに駐留する自衛隊を守るために、軍隊
まで派遣してくれた。K君の言葉は、ウソではなかった。そこで私は考えてみる。

 もし反対の立場だったら、日本や韓国は、アメリカやオーストラリアのために、そこま
でするだろうか、と。

 あの韓国は、こう言っている。「仮に米朝戦争になっても、韓国は中立を守る」(N大統
領)。とんでもない意見だが、その(とんでもなさ)に、N大統領自身が、気がついていな
い?

 大統領選挙の演説中に、アメリカ国旗を手で破ってみせた。大統領に就任すると同時に、
ワシントンへ特使を送り、在韓米軍の撤退を訴えた。

 そこでアメリカが、「我々は、望まれない地域には、軍隊(アメリカン・ボーイズ)を置
かない」と言ったとたん、「撤退は待ってほしい」「アメリカは、韓国を裏切るのか」の大
合唱。

 今回の会議でも、K国は、在韓米軍の撤退を、一つの条件にしている(7・29)。しか
しアメリカは、すでに、在韓米軍の撤退を開始している。完全に撤退するのも、もう時間
の問題。アメリカ国防省ですら、「韓国がもつ戦略的意味は、なくなった」と公言している。

 が、そうなったとき、へたをすれば、韓国が、K国にのみこまれてしまう。現に今、も
し南北合同の大統領選挙が行われたら、K国の金xxが当選するだろうとさえ言われてい
る。

 韓国の内部においてですら、金xxの支持者が、ふえている。

 韓国もK国も、(そして日本も)、他国から見た自国の客観的な姿が、まるでわかってい
ない。つまりは、自分で思い描く自己概念と、現実の自分とが、完全に遊離している。し
かしこれは日本にとっては、たいへん、危険なことでもある。

 人間1人についていうなら、同一性の危機ていどの問題ですむ。が、国どうしのことと
なると、そのまま戦争の火種にすらなりかねない。実際、このままいけば、仮に、今回の
6か国協議で、K国の核問題は解決できたとしても、そのあとに日本を待ちかまえている
のは、莫大な戦後補償問題。そしてそれが決裂すれば、日本対南北朝鮮の全面戦争である。

 とても残念なことだが、日本は、今、私たちの意思とは無関係に、たいへん危険な状態
に向いつつある。

 そこで今、日本がすべきこと。

 冷静に、ただひたすら事務的に、かつ淡々と、人権問題を前面に押しだして、アメリカ
と共同歩調をとることでしかない。あとは金xx体制の自然崩壊を待つしかない。

ここ数日の北京での会議が、日本の将来の命運を決めるといっても、過言ではない。

(この記事は、6か国協議のさなか、05年7月30日に書いたものです。発表時には、
国際情勢は、大きく変わっているかもしれません。)

(資料)

●世界のGDP(05年)

 アメリカ  ……  11兆6675億ドル
 日本    ……   4兆6234億ドル
 ドイツ   ……   2兆7144億ドル
 中国    ……   1兆6493億ドル
 韓国    ……     6797億ドル
    (世界銀行調べ・04年)

K国のGDP ……      150億ドル(00年)※

※注、これはK国の公式通貨レートによる推定概算。実際には、K国のGDPは、もっと
低い? 高い? K国のGDPは、218億ドル(97年推計)という説もある(一橋大
イノベーションセンター)。 


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はやし浩司(ひろし)